すこやかふくよかインハイティーヴィー (かやちゃ)
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告知@唐突に始まるいつもの流れに身を任せれば

この物語は咲一年時のインターハイ終了後からの開始となるので、所々オリジナル設定(大会順位の結果など)が盛り込まれております。
主人公はアラサー代表みんな大好き小鍛治健夜。そのためか本編に恋愛要素はほとんどありませんが、彼女らの珍道中にご期待くださいませ。


「取材旅行に付き合ってほしい?」

 

 行きつけのファミリーレストランに呼びつけられたかと思いきや、いきなりそんなことを言われた。

 こーこちゃん……福与恒子アナウンサーが唐突なのはいつものことで今更ではあるが、もう少し順を追って説明するとかしてほしいと思うのは過ぎた願望だったりするのだろうか。

 ちょっと呆れ顔の私とは裏腹に件の彼女といえば、待ちぼうけを食らっている間に私が頼んでおいたちょっと冷えかけのポテトフライを口の中に放り込みながら、一仕事終えた後のような爽やかな微笑みを浮かべていたりする。

 こちらから説明を要求しなければこれ以上話が先に進まないことを痛いほど実感した私は、ため息を一つ吐いてからあきらめて口を開いた。

 

「取材旅行って言われても、なんの?」

「そりゃすこやんにお願いするんだから麻雀関係に決まってるじゃん? いきなりプロ野球の取材に同行しろって言われても困るでしょ」

「いやだからね? そういうことを言いたいんじゃなくて……わかってるよね?」

「んーとね、今年のインターハイが殊の外盛り上がったから、上位進出校に的を絞って特集を組みたいって制作部から話があってさー。取材するのに誰がいいかって話になったんだけど、実況担当だったアナウンサーたちが適任じゃね?ってことで私らにお鉢が回ってきてるんだよね」

「全国大会が盛り上がるのは今年だけの話じゃないと思うけど……」

 

 と口では言いつつも、個人的感想で語るならば今年のインターハイは不思議なくらい実力者が揃っていたように思えるのも事実である。

 個人戦優勝候補と目されていた二年連続チャンピオン白糸台の宮永照を筆頭に、それを最後の最後、見事な嶺上開花四槓子で打ち破ってみせた清澄高校の一年生宮永咲もその一人。

 団体戦でいえば、あの赤土さんを顧問に据えて見事初の栄冠を勝ち取った阿知賀女子学院をはじめ、準優勝の清澄高校、準決勝敗退の有珠山高校、二回戦敗退ながら善戦したといえる岩手代表の宮守高校など。今年の大会では初出場かつ少数精鋭なチームがやたらと多かったのも印象的だった。

 これまで知られてこなかった、新鋭と呼ばれる実力者たちが多数現れたのは今後の麻雀界にとって僥倖であったといえるかな。

 

「ま、すこやんからしてみたら二十年前の自分たちの大会と比べてみたらみんな小粒に見えても仕方がないけどね!」

「十年前だからね!? それにまぁ、活きのいい若手が出てくるのはいいことじゃないかな」

「麻雀協会としても今の勢いをそのままに目指すは世界一の称号奪取!ってことで色々と局のほうにも働きかけてきてるみたいよ」

「はぁ……だから最近また日本代表に復帰しませんか?って話があちこちから来てるのか……」

「お? やっぱすこやんにもお声がかかってたんだ。そりゃそうだよね、永世七冠の小鍛治健夜なくしてなにが世界一の栄光かっ!ってなもんだし」

「こーこちゃんのそのテンションの高さは何によって維持されているのかそろそろ理解に苦しむよ」

「それはもちろん! 徹夜明けだからだこんちくしょー! 部長め若いからってこき使いやがって覚えてろ!」

 

 うん知ってたけどね。思い切り目が充血してるし。

 それにしても、取材旅行か。ちょうどシーズン中断中のこの時期であれば行けないわけではないけれど。どう転んでも面倒なことにしかなりそうにないのは何故だろう?

 

「針生アナとか佐藤アナも借り出されるの?」

「んーや、そこはほら、局側にもいろいろと事情があるみたいでね。今回は私だけなんだってさ」

「あ、なるほど。だから手頃なところで思い浮かんだ私を道連れにしようとしてるんだね?」

「さっすがすこやん! 以心伝心とはこのことか!」

「いい加減テンション落として落ち着こうよ」

 

 こちとら何かと周囲の視線が気になる微妙なお年頃である。

 気を逸らすためにもと、メニューを開いてこーこちゃんに渡す。それを素直に受け取った彼女は冒頭の数ページを流し読み、呼び出しボタンで店員さんを呼び出すと迷わずチーズinハンバーグセットを注文した。

 徹夜明けらしいので重たいものは頼まないだろうと勝手に思っていたので素直にそう告げると、

 

「アラフォーのすこやんと違って若いから平気」

 

 なんてことを言いやがっ……もとい仰りやがったので、いつものツッコミと一緒に私も同じものを注文しておいた。

 

 

 

 

 取材旅行と銘打たれているように、対象となっている学校は北は北海道から南は鹿児島まで幅広く、列島横断も辞さない覚悟が必要である。

 せめて人数かけて分散したらいいのにという私のまっとうな意見は即座に却下され、まだ付き合うとも行くとも言っていないにも関わらず、既に参加が決定している体で打ち合わせは進んでいた。

 

「行くとしたらまずはやっぱり奈良の阿知賀からかな。団体戦優勝校だし、あとすこやんと因縁のある赤土晴絵監督もいることだしね」

「うーん、それだったら北から順番に行った方がいいんじゃない? あちこち飛んでたら移動費とかバカにならないよ?」

「そこは番組内の予算だから、多少はね? 面倒な仕事だから融通は利かせてもらえるっぽいしへーきへーき」

「いいのかなぁ」

 

 わりとアバウトなんだなぁ、テレビの人って。

 そんな印象を抱くのは相手がこーこちゃんだからなのだろうか。

 どちらにしろ、上位進出校すべての高校を廻ることになるのは確定事項のようだから、予算も時間も絞れる部分は絞っていくべきだと思うんだけど。

 

「仮にすこやんの提案で進めるとしたら、どういう順番になるんだっけ?」

「このリストに載ってる高校だと、一番北は北海道の有珠山高校かな? 次が岩手の宮守高校で、その次は東東京の臨海女子、西東京の白糸台高校と続いて……」

 

 長野の清澄高校、北大阪の千里山女子、南大阪の姫松高校、奈良の阿知賀女子、福岡の新道寺高校、最後が鹿児島の永水女子という流れか。

 宮守と永水女子は団体戦では二回戦敗退となっているものの、個人戦上位入賞者が数名いることから対象校になったようだ。

 

「あれ? 個人戦五位の荒川さんがいる三箇牧は? あと晩成の小走さんとか風越女子の福路さんとかも面白い打ち手だったと思ったけど」

「あー、なんか上が言うにはね、その子に限らずに一人だけが出場してる個人戦オンリーのところは費用対効果が薄いから今回はナシの方向でって」

「千里山行くついでに行っとけばいいと思うんだけど……ま、いいか」

 

 上の方針には従う、それが大人の規律である。

 荒川憩、個人的には面白そうな打ち手だと思うんだけど、素人目で見たらド派手な和了をする選手の方が人気が出やすいというのはあるのかもしれない。たとえば阿知賀の松実選手のドラ麻雀とか、宮守の姉帯選手の裸単騎とか、清澄の宮永選手の嶺上開花だとか。

 デジタル打ちの玄人好みな選手はこういう点で日の目を見辛いということはあるのだろう。実にもったいないことだと思う。とはいえ、はやりちゃんや清澄の原村選手ほど別方向に突き抜けてくればまた話は違うんだろうけど。

 二人ともなんだろうねあのスタイル。特に胸周り。雑誌なんかで写真を並べて置かれたら訴訟も辞さない覚悟がある。

 

「ちなみにすこやんは自由に順番決められるとしたらどこから行きたい?」

「私は……そうだね、ここかな?」

 

 考える間を置かずに指で示した場所は、地図でいうところの中部地方を指していた。

 

「長野ってことは、清澄? へぇ、お目当てはやっぱり嶺上使いの宮永咲ちゃん?」

「うん。なんだかあの子には私と同じ匂いを感じるんだよね」

「ああ、そうなんだ……可哀そうに、妹の方の宮永ちゃんも結婚できないままアラフォー待ったなし!になるのかぁ」

「そっちじゃないよ!? ていうかアラサーだよ! 結婚できてないのは事実だけどほっといてよ!」

「おおう、ツッコミ三連撃。すこやん荒ぶってるねぇ」

「誰のせいだと思ってるの? はぁ、疲れる……で、清澄を選んだ主な理由だけどね」

「あれ、理由別にあるんだ?」

「それはね。宮永さんの本質を近くで見てみたい、っていうのが一番かな」

「本質ってなに? 何の話?」

 

 きょとんとした表情のこーこちゃん。

 説明するのはいいけれど、これを説明してきちんと理解してもらえるのだろうか?

 所詮は感覚的なものだという自覚があって、なんていうか、上手く伝えられる自信はまるでない。

 とはいえ、すぐにワクワクを隠しきれていない表情へと変化した彼女の様子を見るに、説明しないわけにもいくまい。

 

「んとね、妹のほうの宮永さんってほら、どうしてもあの嶺上開花のイメージが先行しちゃってるじゃない?」

「そりゃそうだよ。あんな凶悪な和了りかたされちゃ対戦相手もたまったもんじゃないって」

「そうだね。それ自体がどっちかっていうとインパクトの強い役でもあるし。でもね、彼女にとってあれは必殺技でも何でもないんだと思うんだ。ただの手段……というよりは道具、なのかな」

「ふぅん? 私にはよくわからないけど……」

「こーこちゃんは、麻雀を打つことにおいて一番重要な要素はなんだと思う?」

「おう、いきなり麻雀教室? そりゃやっぱ……よく言われるけど、運とか?」

「それほんとよく聞くよね。百数十種類の中から自分の欲しいものを引かなきゃいけないんだから、そう言われるのも分かるんだけど。残念ながら不正解です」

「そのダウナー系オーラ満開でのダメ出しは地味に効くわぁ……んじゃすこやん先生はなんだと思うの?」

「点数」

「……はい?」

 

 あ、やっぱり分からないっていう顔をされてしまった。

 でも私が言っていることは紛れもない事実だと思うんだけどね。

 

「麻雀における勝敗って、点数の高低で決めてるんだよ? 一番重要な要素はやっぱ点数なんだよね」

「言いたいことは分かるけどさ。なんか論点違わくない、それ?」

「そう思っちゃうよね? でも、事実なんだよ。ほとんどの選手が山を支配したり河を支配したり、手牌を支配したりする中で、彼女は――」

 

 ――そう。宮永咲、彼女だけは。点数そのものを己の支配下に置いている。

 役をそろえた結果として点数を得るのではなく、点数を得た結果が先にあり、その帳尻を合わせるために役が出来上がるというある種の矛盾を孕むもの。

 長野県大会個人戦の第一次予選で見せたその片鱗、あるいは全国大会二回戦大将戦という舞台でやってのけた、プラスマイナスゼロという結果。

 それこそが、絶対王者であった宮永照をも打ち破った確固たるものではなかったか。

 彼女の本質は嶺上開花で必ず和了できるなどというものではない。

 己の思い通りの点数結果を得ることができる能力。

 場の支配の数段上を行く、結果そのものを支配する神か悪魔か如き力の片鱗を、私は彼女の打ち筋から見出していた。

 

「それってつまり、すこやんにも勝てるくらい強いってことじゃん!」

「そうだね。あの子にもし本気で私に勝たなきゃいけない理由ができたとしたら、その時は私も勝てないかもしれない」

「え、マジで? そんなに……?」

「現時点だとまず負けないけどね」

 

 実際に団体戦の決勝で彼女は負けた。

 おそらく宮永さん自身も気が付かない部分で、阿知賀の大将・高鴨穏乃の持つ『勝ちたい』という強い思い、いうなれば気迫に飲み込まれてしまったのだろう。

 本来の彼女はとても気の弱い小動物的な性格をしていると聞いている。

 自分よりもはるかに強い思いや願いを抱く対戦相手には知らないうちに勝ちを譲ってしまうというような癖が、彼女の中にあるのかもしれない。

 このあたりはすべて自分の推測でしかないけれど、そう的を外した推理だとは思わない。

 それを知るためにも、実際に当の本人に会って話を聞くことができれば、と考えたのだ。

 

「へぇ、意外にもいろんなことを考えてるんだ」

「意外にもってのは酷くない? もう、こーこちゃんは私をなんだと……」

「実家暮らしの猫耳スク水がよく似合う独身アラ――」

「それ以上は言わせないよ!?」

 

 もう半分以上は言われてしまった後だったけれども。

 結果として、最初に取材へ赴く場所は――希望通りというべきか。長野県代表、清澄高校に決定した。

 



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第一弾:長野県代表・清澄高校編
第01局:取材@夢見る少女の最初の一手


 Q.長野県の名物ってなんだっけ?

 A.かつ丼

 

 彼女に聞いた私が愚かだったとしか言いようのない回答を持って、私たちは長野県へと降り立った。

『清澄に行くのは構いませんが、あまりアイツらを苛めるようなまねはしないで下さいよ? 苦情がこっちに来かねませんので』

 なんて言っていた彼女も、そう思うならついでだから一緒に来てくれたらよかったのに。

 そうため息を吐かずにいられない程テンションが爆上がりしている相方の福与恒子さんは、既に観光目的で訪れた観光客よろしく観光名所案内の雑誌片手にウキウキである。

 

「やってきました長野県! さて、じゃまずどこから行く!? もう松本城のほうまで行っちゃうか!?」

「お仕事で来てるんだから行くのは清澄高校に決まってるよ」

「ちょ――すこやんノリが悪い! せっかくの旅行なんだしもっとこう、一緒に楽しもうよ!」

「こーこちゃんのテンションが高すぎるの」

 

 出だしからこんなんで本当に真面な取材ができるんだろうか? 甚だ疑問である。

 

 

 件の清澄高校は、長野県下でいえばこれといって特徴のない至って普通の高校である、という印象を抱くところだ。

 というのも、長野県下における麻雀の強豪といえばやはり最初に出てくるのは風越女子という名前であって、実際に昨年度の龍門渕高校に代表の座を譲るまでは全国大会の常連校であった程。その牙城を崩した龍門渕高校も全国的にも有数の名門校であり、知名度という点においては、麻雀部がインターハイに出場した昨年よりも前からその名は広く知られている。

 そんな二校とはある意味正反対の、至って普通の麻雀界的には無名もいいところだった清澄高校が一躍脚光を浴びたのは、なんといっても今年の春。

 全中王者として去就が注目されていた原村和が進学先として選んだ高校が、清澄だったからである。

 今にして思えば、風越女子の凋落の始まりは、ここで原村和を囲い込んで入学・入部させることができなかった所から、なのかもしれない。

 

 

 二人そろって校門を抜けようとしたところで、横合いから声をかけられた。

 声のした方を振り向けば、スラッとした立ち姿で首を垂れる一人の女生徒ともう一人、金髪の男子生徒の姿が見て取れる。

 

「ようこそ清澄高校へ。本日は遠路はるばるお越しくださり、ありがとうございます。清澄高校麻雀部で部長を務めさせていただいております、竹井久と申します」

 

 顔をあげて微笑むのは、紛れもなく清澄高校麻雀部の部長として見事に中堅を勤め上げた竹井久その人であった。

 第一印象は、清楚。決勝卓で見せた悪魔の如き微笑などどこ吹く風といった様子での初対面である。

 そしてもう一人の男子学生。

 姿勢を正したことでよく分かるが、背が高い。それにけっこうなイケメン君だった。

 

「清澄高校麻雀部の須賀京太郎です。今日はよろしくお願いします」

 

 うん、態度もとても清々しくて気持ちいい。須賀だけに。

 

「これはご丁寧に。先日取材の申し込みをさせて頂きました○○テレビアナウンサーの福与恒子と申します。本日は宜しくお願いします」

「……」

 

 猫を被るとまでは言わないが、変わり身の早さでいえばこちらも大概だった。

 福与恒子、やるときはやる女である。

 思わず呆然としていると、こーこちゃんが肘で脇腹を突っついてきた。

 それが早く自己紹介しろという催促であることに気が付いて、慌てて頭を下げる私。この中だと最年長なのに格好悪いことこの上ない。

 

「は、はじめまして。つくばプリージングチキンズ所属の麻雀プロ、小鍛治健夜です。よろしくお願いします」

「もちろん存じ上げています。高名な小鍛治プロに会えてすごく光栄です、宜しくお願いしますね」

 

 すかさずフォローしてくれるイケメンの須賀くん。

 それどころか、私が持っていた小さな荷物をさりげなく持ってくれるといったオマケつきである。やばいちょっと泣きそうだ。

 

「では麻雀部の部室にご案内します。須賀くん、お二人のエスコート宜しくね」

「了解っす」

 

 

 事前に打ち合わせがあったのか、カメラマンさんたちスタッフの存在をしれっと無視して進める二人。堂々としているというか、特に緊張しているそぶりを見せていないあたり、こういった場面に慣れているのだろうか。既にカメラは廻っているので、そういった態度をとってくれるのは進行的にはとても助かる。

 先を歩く竹井さんと、その後を三人横並びで歩く私たちという構図。もちろん校庭のあちらこちらには在校生の皆さんが幾人も集まっており、撮影風景を前に大興奮といった様相ではあるものの、麻雀関係者の間で絶大な知名度を誇る私と普段からテレビに出てくるアナウンサーと、どちらが一般人たる彼ら彼女らに人気があるかは一目瞭然だった。

 とはいえ、こーこちゃんもまだ新人といっても過言ではないキャリアなので、そこまで騒ぎになるようなことはなかったけれど。

 

 十年前のこととはいえ、私にもあんな頃があったなぁ……なんて。

 多少センチメンタルな気分に浸りながら、竹井さんの後を追って歩く。

 無邪気に手を振りかえすこーこちゃんはさすが業界人といった感じ、隣を歩いている須賀くんは集まってくる周囲の視線に多少居心地悪さを感じているようだ。

 ここは頼れるお姉さんとしてフォローしておくべき場面だろうか。

 

「須賀君、大丈夫?」

「すみません、お気を遣わせてしまって」

「こういうのってなんか、くすぐったい感じがするよね」

「俺の場合、むしろ居た堪れないといいますか」

「ああ。こんなに注目を浴びることって、そうそうないもんね」

「それもあるんですが、その……俺は麻雀部であっても、女子団体戦のメンバーとは違って注目を浴びるような立場じゃないですから、余計に」

「須賀君は大会には出たの?」

「いちおう、長野県大会の一次予選で敗退でしたけどね」

「そ、そうなんだ。なんかごめんね」

「いえ、俺が弱いのが原因なんで」

 

 ハハハ、と笑う笑顔に力はない。

 先ほどの校門の時より若干強い力で、こーこちゃんに脇腹を突っつかれてしまう。

 なにをやっているんだ、と言わんばかりに。私もまったく同感である。

 以前誰かに言われた、小鍛治さんは人の心の地雷部分を容赦なく踏み抜いていくことに定評がある、という言葉が脳裏をよぎっていった。

 なんとなく話題が途切れたところで、古ぼけた校舎の中へ案内された。

 木造……なわけはさすがにないだろうけど、ずいぶんと趣のある造りをしている。キョロキョロと周囲を見回していたら、不意に隣でディレクターさんと話をしていたはずの須賀君と視線が交錯した。

 

「福与アナはさすがっていうか余裕たっぷりって感じでしたけど、小鍛治プロもやっぱりああいうの慣れてるんですか?」

 

 ああいうの、というのはたぶん周囲の視線を集めるような状況、ということだろうか。

 

「うーん、私はあんまり慣れてないかな。ほら、はやりちゃんみたいにテレビに出たりあんまりしないし、街中で騒がれることってそんなないから」

「瑞原プロですか、たしかにあのおっ――コホン、失礼しました」

 

 今なんて言おうとしたんだ、この子はいったい。

 やっぱり胸か。胸なのか。女性の魅力はそこだけじゃないんだぞと小一時間問い詰めたい。そんなことをしている暇がないのがとても悔やまれる。無念だ。

 

 

「着きました。どうぞ」

 

 やがて廊下の突き当たりに到着、階段を登って、その先にある扉が開かれる。

 その中は、部室――というには少しオシャレすぎる装丁になっており、片隅には、少しの間その存在理由が理解できなかった不可思議なものが存在していた。

 

「……何故ベッドが?」

 

 私の疑問を代弁してくれたのはこーこちゃんだった。やっぱりそこ気になるよね。

 

「ああ、それですか。なんでも部長が学生議会長の職権を乱用して使わなくなったベッドを保健室から強奪して――あいたっ」

「余計なことは言わなくて良いのよ、須賀くん」

 

 もうほとんど言った後だったけどね。

 ご愁傷様ではあるが、先ほどの不穏当な発言における天罰であろうと結論付ける。

 

「コホン。どうぞ、こちらへ」

 

 予め用意されていたテーブルと椅子に私たちを案内してくれるのは、五人の中で唯一眼鏡をかけている少女。地味で堅実な戦い――というのは多少失礼かもしれないが――を見せてくれた清澄高校の次鋒、染谷まこ選手だった。このメンバーの中では唯一の二年生とのことだし、おそらく次の世代では部長を務めることになるのだろう。

 しかし、こうして全員と対面して改めて感じるのは、部員の数が少ないな、ということである。仮にも全国二位となった部活とは思えないほど小規模で、部室のここも見かたによっては隔離されているようにすら思えてしまう場所にある。

 そもそも、こういった場に顧問の先生が現れないことに違和感すら覚えてしまうわけで。

 そして逆に、だからこそこんな環境で良くぞ県大会を勝ち抜いて全国二位まで登りつめたなと感心せずにはいられない。

 

 

「さぁてと。お堅いお話はとりあえず横に置いといて。まずは挨拶がてら、部長さんにお話を聞かせてもらっても良いかな?」

「私ですか? ええ、いいですよ」

 

 一息つく間も無くこーこちゃんが話を切り出したのは、正直意外だった。

 あれだけ観光旅行気分満載だったはずの彼女に、いったいどんな心変わりがあったのか――。

 

「ね、ね。このあたりでオススメの観光スポットってどの辺りになるかな?」

 

 ――なんて考えるだけ無駄だったよね。うん、分かってたよ。

 

「ちょっとこーこちゃん、いきなりそれはどうかと思うよ?」

「えー、ちゃんとお堅いお話は横に置いといて、って言ったじゃん」

「言えばいいって話じゃないよね!?」

「まぁまぁ、小鍛治プロ。この辺りだと、そうですね――」

 

 案外その話題に乗り気な竹井さんは、メジャーどころの観光名所から、知る人ぞ知る穴場のスポットまで色々と教えてくれている。目を輝かせながら聞いているこーこちゃんを見て、番組の進行を半分以上諦めたのはきっと私だけではないはずだ。

 一方で、深く感情の篭った溜め息をついた私の目の前に、ゆっくりと上品なデザインのカップが置かれた。

 カップの底の色が透けて薄紅色に見えるということは、中身は紅茶のようである。

 

「どうぞ」

「あ、ありがとう。えと、原村さん」

「小鍛治プロに名前を覚えていただいているとは、光栄です」

「それはね。昨年度のインターミドル覇者にして、インターハイ個人戦第七位。一年生にしては立派な成績だしね」

「ありがとうございます。でも、更に上を行く一年生が身近にいるせいか、あまり立派だといわれてもピンと来ませんが」

 

 少し悔しそうに言う彼女の視線が、反対側の本棚付近に所在なく佇んでいる少女へと向けられる。仲が悪い、というわけではないだろう。長野県大会決勝戦の時にわざわざ試合場付近まで声をかけに現れたりしたという話も聞いているし。

 ただ、あの個人戦決勝最終戦における彼女の闘牌には思うところがあるようで、ライバル心もより膨れ上がった、というところか。

 

「近いところに目標があるのは良いことだと思うよ。絶対に届かない、ってわけでもないだろうしね」

「そう、ですね……」

 

 慰めたつもりだったのだけど、何故か目に見えてしょんぼりと萎んでしまう原村さん。

 あれ、もしかして私また地雷踏み抜いた?

 

「あの、よろしければ少しご指導いただいても?」

「え? あ、うん。私でよければ、もちろん――あっちがあの感じじゃ、しばらくは収録できそうにないし」

 

 向けた視線の先には、須賀君や先鋒の片岡さんまでが加わって「あれがいいあそこはダメだ」なんていうご当地の話題でものすごく盛り上がっている集団がいた。

 

 

 収録が始まるまでに少しだけ、と牌を握ったのがよくなかったのか。

 私の目の前には、半ば放心した感じの染谷さんと宮永さんがいた。原村さんは若干顔色を青くしつつも、先ほど終わった最終局のおさらいをしている。

 そういえば、指導して欲しいという話だったし何か指摘したりしたほうがいいんだろうか。

 

「原村さんはあれだね。牌効率に関してはもうプロ並に研ぎ澄まされてる感じがするね」

「……でも、勝てませんでした」

 

 じっと牌を見つめるその瞳が、揺れた。

 今の対局のことを言っているわけではないだろう。おそらくは、団体戦――そして個人戦での敗北を指しているものと思われる。

 初めて会った私をして迷っていると確信させる何かを見せる彼女の姿は、あまりに痛々しくて。けれど、敗北を知る事が成長に繋がる、なんてことを私が言っても説得力はないに等しい。逆に嫌味と取られてしまうのがオチである。

 さて、この場面はどう声をかけるのが正解なんだろう、なんてコミュ障っぽいことを心の中で思っていると。

 

「小鍛治プロはたしか、国内無敗――でしたよね?」

 

 キッと向けられた視線には、追い詰められた人間特有の危うさが内包されているように見えた。

 この子にとって、敗北というのはそんなに辛いものなのだろうか?

 声を出すことをせずただ頷いて肯定したのは、彼女をこれ以上刺激しないほうが良いかな?という配慮からであったのだが。

 

「私もそう有りたかった。私に足りないものは、何だったんでしょうか――」

 

 時既に遅し。感極まった原村さんはそう呟いたあと、膝から崩れ落ちて泣き出してしまった。

 あわわはわわと慌てるのは、私とトリップ世界から戻ってきた宮永さん。

 逆に彼女に駆け寄って寄り添うようにしているのは、片岡さんと染谷さんだ。

 そんなパニック状態の中にあっても、どこかで冷静に首を捻る私が居て。

 疑問に思うのは、いったい何が彼女をあんなに追い詰めているのだろうか?ということ。

 個人戦はともかく、団体戦で原村さんは特にこれといった失点を犯してはいない。二回戦で永水女子の副将に役満を和了られたくらいのものであって、その他は終始安定したこれぞデジタルという感じの堅い打ち筋をみせていたはずである。

 清澄高校の誰かが敗戦の責任を彼女に負わせるような真似をするとは到底思えない。それはメディアも同じだ。彼女は健闘をたたえられる立場でこそあれ、責められるような振る舞いをしたことなど一度もないのだから。

 では、それとは違うどこか別の要因が――冷静っぽい彼女をして、勝たなければダメと思わせるよな何かが、どこかに存在しているのだろうか?

 

「あーあ、すこやんやりすぎだって」

「えっ? ちょ、私のせいじゃ――」

 

 ないよ!とは断言できない私であった。

 東風戦の第三局、親番の四順目四暗刻単騎ツモで三人残らずすっ飛ばしてみせたのは、つい今しがたの出来事だったのだから。

 後で原村さんの告白を聞いた私としては、ここはきちんと訂正しておくべきだったか、なんて反省したりもしたんだけど。

 

 

 

 有体に言えば、よくある話で済まされる。

 父親が弁護士で母親が検事という、エリートの中のエリート的な家に生まれた少女が抱える期待の重さとでも云うべき話か。

 麻雀という競技に現を抜かす娘に対して快く思わない父親と、麻雀を続けたいと願う娘とのすれ違い。果てに交わされた約束は、全国大会で優勝することであったという。できなければ東京の進学校に転校し、麻雀も辞めることになると。

 それは、幼い頃から培ってきたものを捨てるに等しい行為であり、また親しくなった友人たちすらも失いかねない危惧を孕んでいた。

 

 そうして望んだ長野県大会、そしてインターハイ。その結果は言うまでもないのだが……団体戦では準優勝、個人戦では七位止まり。

 なるほど、この成績でよくやったと言われてしまっては、本気で優勝を目指して頑張っていた少女にしてみれば悔し涙の一つも零さずにはいられないだろう。

 しかも団体戦の優勝を阻んだ阿知賀女子のメンバーの大半以上が、原村さんが幼少期を過ごした奈良時代の友人知人だというではないか。

 余りにも練りこまれすぎた悲劇的なストーリーに、その話を聞かされたほとんどの人間は居た堪れない表情を浮かべることしかできずにいた。

 あの能天気かつ場の空気をあえて読もうとしないことに定評のあるこーこちゃんをして、黙り込むしかなかったのだから相当である。

 よくある話であり、よくある悲劇だと思うけど。当事者になった方はたまったものではないだろう。

 

「それはつまり、あれか……? のどちゃんが転校して、もう一緒に麻雀打てなくなるってことなのか?」

「……そういうことに、なりますね」

 

 片岡さんが投げかけた疑問に、律儀に答える原村さん。

 ようやく泣き止んだはずの彼女の瞳に再び涙が溢れそうになる。

 

「そんなの……そんなの私は許さないじょ! のどちゃんは清澄麻雀部の一員で、仲間で、いなくなることなんて誰も望んだりしない!」

「そ、そうだよ! 私だってせっかくお姉ちゃんと話をする機会ができて、これからやっと麻雀も心の底から楽しんでできるようになるかもしれないのに……。

 それなのに、私に麻雀の楽しさを思い出させてくれた和ちゃんがいなくなっちゃったら、そんなの……っ」

「私だって……私だってそんなのいやですよ!」

 

 一年生の三人娘、全員が止め処なく涙を流しながら抱き合っている。

 青春だなぁ、なんて思いながらその光景を眺めている私はともかくとして、染谷さんは思った以上に深刻なダメージを負っているようで。おそらく優勝できなかった原因が、団体戦決勝でマイナス収支だった自分にあるとでも思っているのだろう。

 竹井さんも平静を装っているように見えるが、冷静でないのは一目瞭然。須賀君はそんな三人娘たちを見下ろしながら、悔しそうに拳を握り締めている。

 

 ふと、そんな彼女たちの姿を見ていた私の心に浮かんできたのは、とある一つの疑問だった。

 もし試合が行われるよりも先に、宮永さんが原村さんの境遇について理解していたのであれば――あるいは、決勝で逆転手を和了っていたのは高鴨穏乃ではなく、宮永さんのほうだったのではないか?

 無論確証なんて何処にもない、単なる仮説に過ぎない話ではあるけれど。

 だとするなら――原村さんの選択ミスは、麻雀外の部分にあるということになるが。はてさて。

 

「貴方が弱い――というより、問題の肝になってるのは清澄が何故最後の最後で負けてしまったのか、っていうことだよね?」

 

 だから私は、泣きじゃくる三人の中の一人に向けて、本当のことを言ってあげることにした。

 ジっと見上げてくる六つの瞳。ちょっと怖いと思ったが、ここで怯んでは大人が廃るというものである。

 

「清澄が団体戦で最後の最後に勝ちきれなかった要因は、たぶん大将の質の差だったんじゃないかな。高鴨穏乃にはそれが誰よりも強くあって、宮永咲には唯一それだけが足りなかった」

「……っ、咲さんは!」

「全力で戦ったって、そう言える? ねぇ宮永さん。もし戦いが始まるよりも前に、原村さんの今の話を聞かされていたとしたら、君はどうした?」

「……私、は――」

「高鴨さんは、チームのために絶対に勝つっていう誰よりも強い意思を貫き通した。宮永さんや大星さんの天性の才能を抑えこんでしまえるほど、それは強かった。

 だけど、お姉さんとの戦いの場を個人戦の直接対決に定めてた宮永さんには、団体戦、絶対に優勝しないといけない理由はあの時点ではもうなかったよね」

「そ、それは、でも……」

「勘違いしないでね。手を抜いただとか、そういうことを言いたいわけじゃないんだ。そんなこと思ってもいないし。

 ただ、充実した勝負ができたあの戦いの中で、結果的に最後の最後で相手に勝ちを譲ることになったとしてもそこまで抵抗はなかったんじゃないかな?」

「――……」

 

 ゾクリ。

 

 久方ぶりに生で感じる、背筋を走り抜けて行く悪寒にも似た感覚。

 十年前に赤土さん相手に感じたそれと同等か、あるいはそれ以上の――とはいえ、今はこちらをこれ以上挑発している場合ではない。

 確信は得た。

 あとは原村さんの問題をなんとかしなければ。

 

「ちょっと話が脱線しちゃったね。ええと、つまり原村さん。貴方に足りないのは人間臭さっていうか大人的なずる賢さだと思う。頑固すぎるのも困り者だね」

「……え? 頑固、ですか……?」

『あー』

 

 シリアス的な場面には大凡似つかわしくない、そんな間抜けな相槌があちこちから聞こえてくる。

 あ、やっぱりみんなそう思っていたのか。

 

「貴方が素直に弱音を吐けるような人間だったら、今回のことをきちんと話すことができていたなら、きっと宮永さんは最後まで強い意志のままで闘ってくれていたと思うんだ。

 それでもやっぱり勝てなかったとしても、宮永さんだけじゃなくて竹井さんや染谷さん、片岡さんや須賀君。みんながきっと、それぞれのやり方で貴方のことを助けてくれたはず」

 

 ぐるりと、彼女を囲むようにして立っている清澄高校の麻雀部員たちに視線を送る。

 その後を追うようにして皆を見る原村さんに向けて、誰もが同様に首を縦に振って私の言葉を肯定した。

 

「そしてそれは今からでも遅くない。素直に告っちゃったおかげで、私たちも私たちのやり方で手を貸す事ができるんだってことだよね、すこやん?」

「おっと、こーこちゃん。いきなり出てくるのやめて」

「まぁまぁ。で、原村さん。このこと、番組内で放送しちゃっても良いかな? 良いよね?」

「え? あ、いえ、それはちょっと――」

「阿知賀の部分は流さないよ? でも、今の話がオンエアされちゃったら、結果的に原村さんの転校がお流れになっちゃう程度にはほどほどに騒ぎになるんじゃないかなって思ったりして」

「あ……」

 

 ああ、実にこーこちゃんらしい強引かつ恣意的な話の持って行き方ではないですか。

 要するに、お涙ちょうだいドキュメンタリーで、まったく無関係な外部勢力さんたちから原村さんのお父さんに圧力をかけてもらい、約束を反故にさせようという魂胆だ。

 ついでに番組のコーナーも充実して一石二鳥と。

 大人のずる賢さここに極まれり、というものである。やっぱこういうの見習っちゃダメだわ、原村さんみたいな純粋な子は特に。

 

「ありがとうございます、皆さん」

「いいってことよー」

 

 番組スタッフを代表して親指を立てて良い顔をしているのがこーこちゃんなのはいまいち納得いかないけれど。

 原村さんは、どん底の状態からはなんとか立ち直りかけているようである。

 

 

「でも、今のお話では私の麻雀部分の弱点というのがよく分からないままなんですが、それは」

「あれ、そうかな?」

「はい。できれば面倒ついでということで、教えていただけないでしょうか?」

「うーん……というかね、そんな貴方の頑なな部分が、麻雀そのものをも頑なにしちゃってるんじゃない? 最適解を望みすぎてて、逆に選択肢を自分で狭めてるように私には見えたかな」

 

 全国二回戦における、永水女子に対する役満への無警戒っぷりなんていうのはその典型であろうか。

 そんなオカルトありえません、だったっけ。

 それが原村和お決まりの決め台詞のようなものだと聞いた事がある。

 もちろんそれが完全に間違っているわけではないだろう。そういった部分を考慮に入れた、あらゆる可能性を含めた上でのデジタル打ちができるのであれば、の話だが。

 あの時も、これまでの対局データに基づいて字牌の扱いに警戒をすることくらいはデジタル打ちであれば当然考慮すべき案件だったはずである。

 彼女はそれを、全てが偶然の産物であるという頑ななまでに強い信念によって、完全な慮外に置いてしまった。

 統計データが持っていたはずの、デジタル的な信頼性までも一緒に。

 結果、他家からみたら暴牌ともいえるような風牌切りへと繋がることになるのだが……そういえばあの時同卓していた宮守のお団子ちゃんは、見ていてとても可哀相だったな。

 彼女によって与えられていた『庇護』が取り払われたことで、途端に裏鬼門が成立してしまったことでも分かるように。もしあの卓に彼女がいなければ、原村さんの失点はもしかすると回復できないほどの酷いものになっていたかもしれないのだから。

 

「オカルト的なものを信じろなんていわないけど、オカルトって言葉に騙されて捨てちゃいけない重要な情報まで捨てちゃうのはデジタルな打ち手としてはどうかと思う」

「なるほど……たしかに、そうですね」

 

 嶺上開花で確実に和了できる人物がこうも身近にいるくせに、ここまでオカルトを頭から否定できるのはある意味才能だとは思うけど。

 

「あとはそうだなぁ、風越の福路さんみたいに、牌からの情報だけじゃなくて打ち手の癖なんかも考慮に入れて卓上を操れるようになるといいんじゃないかな」

 

 原村さんの場合、相手の河や理牌から当たり牌を読むこと程度は当然しているだろうけど、デジタル化している思考の七割程度を自分自身の情報処理に充てている節がある。

 名前を出した福路さんなんかは対局者側の情報を処理することに六割強を宛てているため、状況の理解度が必然的に高まり、相手の手を自在に操ってみせることすらできている。それでいて、残りの三割弱の処理速度でも自身周りで発生している選択肢を間違うことはほとんどない。

 このあたりが長野県個人戦一位と二位の差、とでもいうべきだろうか。

 もっとも、高校一年生の今現在でここまでやれるというのは、将来性抜群な上に十分に強者の証ではあるのだが。

 

「ありがとうございました。もし清澄に残れることになったなら、いつか小鍛治プロの本気と戦う事ができるように精進します」

「うん、頑張ってね」

 

 

 

「さて。原村さんの案件も一件落着ってことで仕事おっぱじめますかねー。あ、久ちゃんはあとでお姉さんと観光対策会議ね」

「了解、分かったわ」

 

 ってもうこーこちゃんと竹井さん仲良くなってるじゃん!

 なんだか組ませてはいけないコンビを結成させてしまったように思えるのは、私の気のせいだろうか? 気のせいであって欲しいなぁ……。

 片岡さんから後で自分とも対局して欲しいとお願いされて、快く引き受けたにも関わらず染谷さんあたりからは引きつった笑みを向けられつつ。

 まず、清澄高校麻雀部の出立地点の話が部長の竹井さんの口から明かされる。

 

 

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 彼女が一年の頃、麻雀部は既に廃部の危機に瀕していたのだという。

 麻雀を嗜む人間はほぼ風越や龍門渕へと流れていってしまい、立て直そうにも人が来ず、廃部寸前の状態のまま彼女は一人で一年を過ごした。

 その翌年、待望の新入部員が現れる。それが現在の唯一の二年生部員である染谷まこ。

 彼女は幼い頃から雀荘を経営している祖父の下で麻雀を嗜んでおり、また自身も雀荘に関わりながら生活をしているという、実に麻雀漬けな人間だった。

 しかしこの年もやはり経験者が強豪校に流れてしまい、それ以上の増員は見込めず――また一年、麻雀部はその体を保つこともなくひっそりと活動を続ることになる。

 今思えば、雌伏の時。鳳凰が羽ばたく前の羽休めとでも云うべき二年の歳月を超えて、運命の年が始まった。

 全中王者の原村和が名門校の誘いを蹴って、清澄高校へと進学したのである。

 同じく高遠原中学でチームメイトだった片岡優希も共に麻雀部の扉を叩き、これで四人。後一歩のところまで来て、しかし団体戦出場という最初の目標は目前で頓挫する。

 あと一人であれば、そこらで暇を持て余している帰宅部の誰かに名前だけでも借りて出場することはできただろう。

 しかし、部長の竹井久をはじめ麻雀部の部員達はその選択を最初から取ろうとはしなかった。

 理由を竹井久はこう語る。

 

「麻雀は無理やりやるものじゃないし、そんなんじゃ長続きなんてしないでしょ。それに、私たちの目標はあくまで全国制覇。一からの素人さんを戦えるまでに仕込む時間は流石になかったわ」

 

 閉塞した麻雀部。その転換期は、一人の青年が部室の扉を叩いたときに始まった。

 彼の名は、須賀京太郎。清澄高校麻雀部で唯一の男子部員であり、また唯一の麻雀初心者でもあった。

 彼自身は男子生徒であって、女子団体戦のメンバーにはなり得ない。

 しかし、もし清澄高校麻雀部のサクセスストーリーの最初の一歩が刻まれた瞬間があったとするならば、この時だったのではないかと思われる。

 竹井久に質問をしてみた。

 もし全国二位という結果を齎したものに感謝を捧げるとするならば、何を選びますか?と。

 彼女は少しだけ考えてから、はっきりとこう言ったのである。

 

「二つあるかな。もし感謝をするとしたら、それは須賀君が咲を麻雀部の部室に連れてきてくれたこと。あとはうちの学食のメニューにタコスを追加した人に、かしらね」

 

 意外にも、団体戦のメンバーの何れかではなく、唯一の男子部員である彼の名を口にした。

 事実、彼がいなければ麻雀部に近づこうとすらしなかったとは、後に絶対王者を倒すことになる新チャンプ宮永咲の言葉である。

 ちなみにタコスというのはメキシコ料理の一つであり、清澄高校先鋒の片岡優希選手の大好物。

 彼女がそこに感謝を捧げるといっているのは、結果的にそのことが片岡優希と原村和が清澄高校へと進学するに至った要因であったかららしい。

 ここで、二つ挙げてもらった要因のどちらもがメンバー集めに関する部分であることに注目したい。

 約二年間ほどをメンバー不足のまま出場できずに終わった事が、もしかすると彼女の中で今も小さなしこりを残しているのだろうか?

 その辺りを問いかけてみたが、竹井はさっぱりした笑顔でその疑問を否定して見せた。

 

「結果こそ準優勝ではあったけど、十分楽しませてもらったわ。そんな私が今さら過去を儚んで見せたら、県大会で負けた他校の三年生達に顔向けが出来ないじゃない」

 

 そう語る彼女は素直に格好良いと思える女性だった。

 しかし長野県大会を勝ち抜いたメンバーは、部長である竹井久が難敵を撃破していった自分達ではない所を選んだというその事実をどう思っているのだろうか。

 メンバーの中で最も竹井と過ごした時間の長い染谷まこに聞いてみると、

 

「そりゃあそうじゃろ。ワシら団体戦のメンバーは当然、京太郎のサポートも含めて全員がやるべきことをやった結果として、全国二位っちゅう成果を得た。

 じゃがそりゃあ全部あいつの――久が描いとったプラン通りじゃったはず。貰ったメダルの色はちと違ったがの。京太郎が咲を連れてきたんは、その範囲外の出来事じゃったからなぁ……そうは見せんがありゃそうとう嬉しかったんじゃないか?」

 

 つまり、である。

 団体戦のメンバーが団結し、龍門渕の天江衣や風越女子の福路美穂子など強敵を倒して全国へと進むことは予定通りのことだった。

 そして全国大会においても、決勝まで勝ち抜くことは想定内。いわば彼女のプランどおりだったというわけだ。

 そこに誰かしらへの感謝を挟む余地はない、ということなのだろう。

 そんな策士ともいえる竹井久を持ってしても、唯一どうにもならなかった部分こそが、最後のメンバーの存在であり――絶対的強さを誇る清澄高校大将、宮永咲の存在であった。

 

 宮永咲は、既に誰もが承知の通り、近年のインターハイを席巻してきた白糸台高校三年、宮永照の実の妹である。

 しかし、その名が最初に登場するのは長野県大会の団体戦一回戦。中学時代はまったくの無名であり、麻雀界でもその存在すら知られてはいなかった。

 それもそのはず。実際に家庭内以外で牌を握ったのは清澄高校麻雀部での一件がはじめてのことであり、それまで周囲にいた友人達の誰もが彼女の秘めた才能について気付いてもいなかったのだから。

 このあたりは宮永姉妹のプライベートに踏み込んで行く非常にデリケートな話題となるため、ここでは割愛せざるを得ないのだが。

 その才能を発掘するに至った経緯にこそ、この須賀京太郎が関わっていたのである。

 彼自身はそのことについてどう思っているのだろうか?

 話を聞いてみると、色々と興味深いことを教えてくれた。

 

「咲とは中学の頃からの知り合いなんです。まぁ、麻雀がすげー強いことなんて麻雀部で一緒に打つまで知らなかったんですけど」

 

 最初は人数あわせのために部室へ連れて行ったのだと彼は言う。

 知っての通り、清澄高校麻雀部は男子部員の須賀を合わせても六人という少数精鋭的な面を持つ。※この時点では五人

 部長である竹井は学生議会長(生徒会長のようなもの)であり、常に麻雀部で活動するというわけにはいかなかった。

 そして二年生の染谷は家業の雀荘を手伝っている身でもあり、団体戦メンバーが揃うまではそちらを手伝うこともままあったという。

 二人の上級生の欠席が重なれば四人で打つにも厳しい状況であり、そんな中、須賀が旧知の仲で帰宅部であった宮永を麻雀部へ誘ったのは、ある意味で必然だったのかもしれない。

 

「あわよくば最後のメンバーに、ってのは考えてましたけど。その時は単純に、メンツが足りなそうなんで連れて行ってカモ……もとい、一緒に楽しもうかなと思った程度でした」

 

 結果、この対局でカモにされたのが本当の意味で初心者だった須賀本人であったことは、今さら特筆すべきことでもないだろう。

 

 

 

 これによって清澄高校に最後のパーツが揃った瞬間ではあったが、この後、全てが順風満帆というわけではなかった。

 問題となったのは、綺羅星のごとく現れた謎の新鋭宮永咲と、全中王者として同じ世代に君臨していた原村和の確執である。

 原村は当時のことを思い出しつつこう語った。

 

「あの頃は、正直咲さんのことはあまり好きではありませんでした。え、理由ですか? 私が、麻雀がとても好きだったから、でしょうか」

 

 当時の宮永は、麻雀に勝つということにまるで執着していなかったと竹井は証言する。

 小さい頃の家庭環境による部分が大きいのだが、宮永は幼少の頃から牌を握っていながらも麻雀に勝つことを許されず、負けることもできなかったことで、特異な能力を得るに至った。

 それが、全対局プラマイゼロ事件のはじまり、根幹部分である。

 麻雀を少しでも嗜む者であれば到底信じがたいことである、とあえて前置きをしておこう。

 宮永咲、彼女はなんと……原村和も加わった最初の顔合わせ対局において、三連続プラスマイナスゼロ収支という離れ業を達成して見せたのだ。

 無論それは偶然ではなく、彼女自身が狙った結果の出来事であった。

 全中王者原村和のプライドは、ここで粉々に粉砕されたといっても過言ではない。

 

「もう一度だけ、彼女と打ってみたいと思いました。だから部長にお願いして、なんとかその機会を作ってもらったのは良いのですが……」

 

 その結果、彼女らは更に恐ろしいものの片鱗を見せ付けられることとなった。

 四回目の対局、五回目の対局と、彼女は原村和が意図的に放つ仕掛けのことごとくを粉砕して、更にプラスマイナスゼロで対局を終えて見せたのである。

 この時点で、宮永の持つ特異な能力を疑う人間は原村以外にはいなかった。

 プラスマイナスゼロ収支で終えるということは、当然、トップに立つことはない。

 つまり、宮永に実力で劣る場合であっても彼女がそれを望んでいないことでトップを取り、勝つことができるのである。それを『勝ちを譲られている』と取ることは、決して穿った見解ではないだろう。

 麻雀と真摯に向き合い研鑽を積んでいた原村にとって、勝てる実力を秘めながら勝ちを狙おうとしない宮永の存在は、水と油、まさに忌避すべきものだった。

 

「勝てないのならば勝てるまで努力すれば良い。でも、勝つことよりも点数を調整することを目指しているあの頃の咲さん相手では、ぬかに釘を打つようなもの。正直腹が立ちました」

 

 麻雀は点数を積み上げて勝ちを狙うものである、という当たり前の事実を宮永は理解していなかった。

 しかし、この複雑に見えていた確執問題は、意外にもすんなりと解消することになる。

 全国大会へ出場して姉と仲直りがしたい――胸に掲げられたその目的のため、宮永が自ら率先して勝つための麻雀を打つことになったからであった。

 後に清澄の白い悪魔と呼ばれることになる、新しい王者が誕生した瞬間である。

 

 

 

 ここで、永世七冠でありグランドマスターの異名を持つプロ雀士『小鍛治健夜』に話を聞いた。

 

「宮永咲という名前を聞いたら誰もが思い浮かべるもの、それはきっと彼女のトレードマークともいえる和了役の嶺上開花だと思うんだけど」

 

 場面は、長野県大会団体決勝、大将戦。

 龍門渕高校大将の天江衣による連続和了によって風越女子大将の池田華菜が土俵際まで追い詰められ、得点がゼロになった瞬間である。

 この時の風越女子の絶望は如何ばかりか……想像するだに筆舌に尽くしがたいものがあるが、今は置いておこう。

 次局、風越女子以外が自摸和了するか、風越自身がノーテンで流局した瞬間、龍門渕の優勝が決定してしまうという、まさに三校が同時に追い詰められた危機的状況であった。

 

「ここだね。この場面、ちょっと見て」

 

 対局が進んで画面には、風越池田選手が役なしの状態で聴牌し、その当たり牌を龍門渕の天江が直後に河に捨てた場面の映像が映っている。

 

「天江さんは池田さんを苦しめるためにわざとこの牌を捨てたのかな? でも、それに対しての宮永さんのポン、結果的にこれで流れがガラッと変わっちゃったね」

 

 この時点での宮永の手牌から考えても、本来であればここは鳴く必要のなかった牌である。

 それでもあえて鳴いてみせたことで、それまで龍門渕が握り締めて離さずにいたはずの場の支配権は牌と共に清澄へと傾いた。

 そして宮永は数順後、得意の槓で最後の筒子⑥を引いてみせる。

 この時点で嶺上開花のみで和了できる場面ではあったが、勝つためには当然和了るわけにもいかずという状況で、宮永が行った次の行動は当時すべての観戦者の度肝を抜いた。

 なんと王牌から引いてきた筒子の⑥を加槓したのだ。

 これによって役なしだったはずの風越池田は倍満をロン和了。トビ終了の窮地を脱して戦いは劇的逆転勝利の待つ佳境へと続いて行くのであった。

 

「全国大会の二回戦でもたしか似たようなことをやってたかな。槓でドラを増やしたり有効牌を引き入れつつ、他家を助けるような打ち回し」

 

 小鍛治プロは逆転を決めた最終局の嶺上開花責任払いからの数え役満ではなく、あえてこの場面を指して宮永の特異性を語る上での本質部分であると指摘する。

 倍満を振り込んでしまった清澄はこの時点で三位に後退、一位の龍門渕との点差は八万点を超えるものとなってしまった。

 にも関わらず、小鍛治プロはこの振り込みが宮永の故意によるものであると確信を込めて言い切った。

 

「え? ああ、うん。それは間違いないよ。だってほら、池田さんが点数を宣言するより前に点棒きっちり用意しちゃってるもん」

 

 他家の和了の飜数がはっきりと判っていなければ出来ない芸当だよね、と小鍛治プロはいつもの調子で笑う。

 だが、この時の映像を確認していたスタッフは問題の場面で全員鳥肌が立っていたという。

 

「県予選団体から個人戦まで全部の試合を見ていけば分かるんだけど、宮永さんは必ず最終局は自分で和了るんだよね。それってたぶん点数調整のためだと思うんだ」

 

 故に。

 宮永咲の本質は嶺上開花による確実な和了などではなく、プラスマイナスゼロを始めとする、場の支配をも超越するほどに特化された点数調整能力にこそある、と。

 並の選手では翻弄されるだけで終わってしまうだろう。

 最後は小鍛治プロらしからぬ真剣な表情で締めくくった。

 

 

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 ほとんど存在感のなかったディレクターが言った、一旦休憩をしましょうという言葉に反応して話を切る。

 紅茶のおかわりを持ってきてくれたのは原村さんで、お茶請けには何故か大皿に盛られたタコスの群れというアンバランスな空間がそこには存在していた。

 これが噂の学食タコスというやつなのだろうか?

 微妙にお腹は空いているものの、待ってましたとばかりに噛り付いていいものか。普通に悩んでしまうお年頃の私である。

 ちなみに隣のこーこちゃんは既に一口齧っていた。

 さすがすぎて、もう……ぐうの音も出ないとはこのことか。怖いもの知らずにも程があるだろう。

 

「それにしても、いいんスか? なんか俺の扱いが妙に良すぎて逆に不安なんですが」

 

 宮永さん絡みの竹井さん語りにちょくちょく出てきたせいだろうか。須賀君が何故かやたらと気まずそうに聞いてくる。どうやら彼は、団体戦のメンバーですらない自分の名前が登場することに強い違和感を覚えているようだ。

 気持ちは分からなくもないんだけど、自分もれっきとした清澄麻雀部の一員であることを周囲にアピールする良い機会だと思うんだけどな。

 

「いいんじゃないかな? 自分に出来ることで部の勝利に貢献した、それってとても偉いことだと思うよ」

「そうそう。胸を張っていいんじゃない? 俺は雑用のプロだぜ!って」

「そんなプロ嫌すぎるでしょ!?」

 

 うんなかなかいい突っ込みだ。私の後継者の称号を与えても良いくらいである。

 件の竹井さんはニヤニヤと笑っていた。

 あれはろくなことを考えていない顔だな。こーこちゃんで見慣れた私だからこそ分かる、不穏当な微笑みというやつだ。

 

「部長、その笑顔は普通にダメじゃろ」

「一切隠す気ありませんね」

「褒め殺しでパソコン運ばせたのまでチャラにしようとかあくど過ぎるじぇ、部長」

「き、京ちゃん、騙されちゃダメだからね!?」

「だいたい知ってた」

「久ちゃん流石すぎる」

「ちょ、なんで福与アナまでそっち側なのよ!?」

 

 おおう、気がつけば竹井さんがなんだか集中攻撃を受けていた。

 てことはあれか。普段から彼女はああなのか……やっぱりこーこちゃんと組ませたら大変なことになりそうだ。主に私の胃が。

 

 

 

 さて。休憩を挟んで次は、今後の清澄高校の展望について小鍛治プロのありがたいお言葉……って。

 

「ありがたいお言葉ってなにさ!?」

「いつものように毒を一杯に詰め込んだコメントでもしとけばいいんじゃない? しらんけどー」

「咏ちゃんの真似しないでよ! 似てないし!」

「そういうすこやんこそのよりんの真似してるじゃん」

「真似じゃなくて普通に怒ってるんだってば!」

 

 などというコントじみたやり取りもきちんとカメラに収められているという哀しさ。プライスレス。

 編集でなんとかして欲しいと切に願う所存である。

 

「で、今後の展望について話せば良いの? 何も知らない私が?」

「そそ。でも何も知らないってこたぁないっしょ? 色々話聞いたじゃん」

「それは、そうだけど……」

 

 とはいっても、第三者の私に展望なんて分かるはずないだろうに。

 相変わらずの無茶ぶりに、思わずタコスを口にねじ込んでやろうかと思ってしまう。ぞんざいな扱いをするとタコス神たる片岡さんが怒りそうだからやらないけど。

 

「難しいことはおいといて、何かないの?」

「何かって」

「あ、じゃあ例えばなんですけど」

 

 困り果てた私に救いの手を差し伸べてくれたのは、竹井さんだ。正直不安以外の感情が浮かび上がってこないんだけど、今は藁にも縋りたい。

 

「お、久ちゃん。なにかすこやんに聞いてみたいことがある?」

「ええ。聞いてみたいことというか、来年の清澄高校が今年以上に良い成績を残せるかどうか、聞かせていただけませんか?」

「いいねぇいいねぇ、そういうの待ってたよ」

「お褒めに預かり光栄です」

 

 ニヤリ、と笑う二人のサディスト。いや、この場合片方はマゾヒストか?

 

「言うのは別に構わないけど……本当にいいの?」

「えっ?」

「だって、普通に考えたら竹井さんの抜けた穴を埋められるだけの逸材が来年清澄に入ってくるなんて、そんな都合の良い展開……」

 

 あるわけないじゃんと言いかけて、直前でとっさに口を噤んだ自分をまずは褒めてあげたい。

 危うく色々なところにダメージを与えるところだった。

 竹井さんはもう手遅れだが、気がついていない染谷さんあたりのキョトンとした表情に癒される。

 

「えーと、つまり来年はちょっと危ないってことですかね?」

 

 固まったままの竹井さんを他所に、代理で聞いてくるのは須賀君だ。彼も何も分かっていないのか、無邪気なものである。

 

「言っちゃって良いのかな?」

「言うっきゃないっしょ、ここまで来たら!」

「引きずり込んだのはこーこちゃんだからね!?」

 

 それなのに視聴者さんたちからヘイトを集めるのはコメントした私なんだよね。世の中とは不条理なものよ。

 

「コホン。それじゃ遠慮なく言わせて貰おうかな」

 

 

 私から見た清澄高校の問題点、それは実に様々だ。

 その中でも来年一番深刻化するであろう部分、それが三年生の竹井久が抜けた穴だということはまず間違いないだろう。

 戦力的な部分だけの話ではない。もっと複雑なのは、彼女が部長でありながら実質麻雀部の監督役も担っていた面にある。

 長野を抜けて全国まで。その戦いの全てにおいて戦略をも司ってみせた竹井さんの能力は監督として特一級であるとさえいえる。

 それこそその一点のみを評価するならば、姫松の赤坂さんや宮守の熊倉先生に匹敵するレベルで。

 結果だけ見ればその人たちよりも上の成績を残している時点で、そこが清澄高校麻雀部の要であったことは今さら疑いようのないことである。

 次期部長と目される染谷さんは、一雀士としてはたしかに有能かもしれないが、必要な場面で竹井さん程の辣腕を揮えるとはどうしても思えない。

 それがまず一点目。

 

「……」

 

 あ、染谷さんの目が死んだ。

 しかしここまで言ってしまったのであれば全部言っておくべきだろう。

 

「今年の清澄高校は確かに強かったよ。宮永さん個人の強さ、原村さんや竹井さんもそうだったけど、全体的にレベルが高くて隙がほとんどなかったからね」

 

 けれど、と申し置く必要があるのが哀しいところだけど、それもまた現実だ。受け入れてもらおう。

 清澄高校の強さは、言ってみれば刹那的な強さでしかない。永続的に強い強豪の千里山や臨海女子などとはそれこそ比べ物にならないほど、脆い強さであるといえる。

 宮永さんをはじめとして、一騎当千の力を持った部員たちがたまたまこの部に揃った。それは奇跡的であると同時に、単なる一時的なものに過ぎないということだ。

 清澄高校には指導者がいない。これは致命的である。

 須賀君を見たらよく分かる。彼は初心者としてこの部に入部してきてから既に数ヶ月、にも関わらず、表面的にはともかく地力の底上げがまったくなされていない。

 先ほどの話の中でもちらりと出てきたことではあるが、彼は団体戦メンバーが揃ってからというもの、主に女子部のバックアップに廻る事のほうが多かったという。

 これは単純に須賀君が怠慢だったとか、竹井さんが鬼畜だったとか、そういう話ではない。

 初心者が安心して基礎を勉強できる下地、環境のための配慮がまったくないのである。

 新規の部員を募る際において、これ程のデメリットがあるだろうか?

 たとえ今のレギュラー部員が全国クラスであったとしても、新規部員が増えないのであればその強さは最短三年で尽きる。それでは意味がない。

 少なくとも宮永さんらが卒業するであろう三年後の長野県大会は、再び風越女子の天下となるだろう。

 あそこにはきちんとした学ぶための環境があり、指導者が存在し、後進の育成に余念がない。今の世代の子たちは哀しいかな、この三年間は陽の目を見ることはないだろうけど。

 おそらく清澄と同じ理由で龍門渕高校も再来年には強豪と呼べるほどの強さを有してはいないだろうと思われる。

 もっとも、あちらの場合は清澄とは違い、豊富な資金にモノを言わせて良い選手を掻っ攫ってくることもできるだろうから、一概には言い切れないけれども。

 現部長の龍門渕さんの気性を鑑みるに、そういったことはしなさそうでもある。彼女の卒業後は麻雀部とか放置してたりして。

 ……靖子ちゃんからあそこの裏話を聞く限り、普通にありそうで困るな。

 

 

「とまぁ、こんな感じで清澄高校の麻雀部の行く末はちょっと厳しいんじゃないかなと私なんかは思ったりするんだけど……って、あ、あれ?」

 

 気がつけば、私以外の全員の表情が恐ろしいくらいに能面だった。

 あのこーこちゃんですら、フォローに廻ることも弄ることもなくただ能面である。ちょっと怖い。

 

「あ、あのね? 言い過ぎちゃった……?」

「すこやんェ……」

「いやだってさ、言っちゃえって言ったのこーこちゃんでしょ!?」

「ちょっと、うん。あまりの容赦なさっぷりに全米が泣いたよ?」

「え、そんなレベル?」

 

 私はただ、ここの環境を鑑みて思ったとおりに話しただけなんだけどなぁ……。

 

「……いえ、とてもいい勉強になりました。小鍛治プロ、ありがとうございます」

 

 そんな中、ただ一人だけ、冷静にお礼を言ってくれた人物がいた。原村さんだ。

 

「う、うん。なんかゴメンね?」

「いえ、染谷先輩のことはともかく、環境については仰ることに間違いがあるとは思いませんので謝罪は結構です。

 ですが――たとえ刹那的であれ、私たちが所属する三年間は清澄が天下を取らせていただきます。男女ともに、後の世代にまで語り継がれる伝説を刻み込んでみせますので」

 

 瞳にめらめらと燃え盛る炎が見えるような気がするのは、目の錯覚だろうか?

 なんだか知らないけど、私はもしかすると、彼女のあの存在を主張してやまない巨大な膨らみの内に眠っていたであろう熱血の部分にガソリンをぶっ掛けて盛大に火を灯してしまったのかもしれない。

 原村さんは意外に負けず嫌いなんだな、と遅まきながら気がついたのはその時だった。

 

 

 

 

 そんなこんなで、恙無く取材は終了した。終了したことにしたい。してくださいお願いします。

 まぁ後は編集でなんとかしてもらおう。主に私が染谷さんを涙目にしてしまったあたりの件は。

 なんとか無事にホテルまで戻ってきた私は、セミダブルサイズのベッドに正面から突っ伏して襲い来る重力に身を委ねる。

 

「やー、お疲れお疲れ。さすがすこやん、今日も切れ味抜群の毒舌が冴え渡ってたね!」

「もう。こーこちゃんがフォローしてくれないから、染谷さんが大変なことに……」

 

 ついでにあの後対局した片岡さんもなんか魂が抜けたようになっていた。

 東場に滅法強いといわれていたので少し試して見た結果、東二局で三倍満直撃トビ終了してしまったのはさすがに堪えたのだろうか。悪いことをした。

 原村さんの転校と麻雀を辞めさせられる件は、おそらくなんとかなるだろう。

 といってもこーこちゃん発案の外部からの圧力作戦によるものではなくて、あの時感じた彼女自身の強さがそれを覆すだろうと素直に信じる事ができるから。

 まぁ、それがダメでも最終的には竹井さんが何とかするんじゃないかな。

 あの子、世が世であれば軍師として悪名を三国の隅っこらへんまで轟かせていたに違いない。味方にしても敵に回しても恐ろしいとか、厄介にも程がある。

 

「あ、そういえば」

「んー……?」

「すこやん帰り際に須賀くんの携帯番号聞いてたけど、あの子まだ十五歳だから手を出したら普通に犯罪だよ? 気をつけてね☆」

「ぶっ!」

 

 な、ななななんでそのことをこーこちゃんが!?

 ていうかはやりちゃんの真似やめて! 似合ってない上に何故かこっちが恥ずかしいから!

 

「あ、でも長野には青少年保護育成条例ってないんだっけ? やったねすこやん、家族が増えるよ!」

「ちょっとこーこちゃんっ!」

 

 はしゃぎっぷりが気になって、シーツに埋もれていた顔をそちらに向けてみる。

 何処から取り出したのか、いつの間に空けたのか、そこには既に空になったと思わしきビールの缶が一本、寂しげに転がっていた。

 

「いやー、仕事終わりの一杯はたまんないね! すこやんもどう、飲む?」

「……ダメだこれ」

 

 哀しいかな、独身女性たちの夜はそのまま深けていき。

 清澄高校の取材旅行は、某プロお勧めのかつ丼を食することもなく、こうして幕を下ろしたのであった。

 

 

 

○後日談的な何か

 

 窓から差し込んでくる、目覚めを告げる朝日の眩しさに思わず目を細めてしまう。

 ……訂正。夕日の眩しさに思わず目を細めてしまう私はきっと健康優良児もびっくりなほどの寝坊助さんであったろう。

 眠りに就いたのは何時だった?

 あまりよく覚えていないのは、きっと昨晩突然訪ねてきた同僚の子に飲まされた深酒に起因する記憶障害とでもいうか、なんというか。

 

「おかーさん、起こしてくれなかったんだ……」

 

 ぽそりと呟いた科白が責任転嫁以外の何者でもないことは己自身が分かっていた。

 私が所属しているつくばのチームは、一部リーグ昇格に向けての正念場を迎えている。

 故に、昨日行われた一戦での勝利は今後の展開的にもとても大きくて、思わず彼女が喜びを爆発させた上で犯行に及んだことは明白だった。

 だからこそあまり強くは言えなかったんだけどね。お母さんも私もさ。

 

 ――さて。

 気を取り直してちょっと遅めの昼食を……あれ、この時間帯だともうちょっと早めの夕食かな?を摂るべくキッチンへと向かう私。

 お母さんは留守のようだ。

 酔いつぶれて眠りこけていたはずの同僚の子は、どうやら昼過ぎには帰ったらしい。残されたメモにそう書かれていた。

 これが若さか、なんて呟いたらそれこそこーこちゃんの思う壺。思っていても決して口には出さないでおく。

 

「あ、そういえば昨日の深夜枠で放送だったんだっけ、例の番組……」

 

 録画はきちんとしておいたから問題は無い。けれど、なんとなくリアルタイムで見ておきたかったような、見なくてよかったような複雑な気分である。

 清澄高校を訪れた私たちが、彼女たちの歩んだこの半年を部員達と共に追いかける展開のドキュメンタリー番組、という触れ込みだったか。

 そういえば、と携帯電話を確認してみると、メールの着信が十三件ほどあった。

 普段ほとんどこーこちゃんからか職場の事務員さんからしか送られてこない私の携帯をして、びっくりするなというほうが無理という件数だ。

 慌てて一覧を開けば、最新のものはこーこちゃん。その前が靖子ちゃん、須賀君と続いて……。

 

「うわ、なんで風越のコーチさんからも!? ていうかアドレス知らないはずでしょ!?」

 

 横の繋がりを考えれば、犯人は靖子ちゃん説あたりが濃厚か。勝手に人のメールアドレスを教えるとか、社会人としてなってないんじゃないだろうか?

 件の風越のコーチさんからのメールの中身は、なんだ……普通にお礼のメールだった。しかもなんかすごく丁寧で、気持ちの篭った文面である。

 ああ、そうだね。二年連続で名門校がインターハイを逃すっていうのは、色々な柵とかあって相当辛いんだろうね……。

 思わずホロリと涙が零れそうになった。涙腺が緩くなっているのだろうか。でも年齢のせいだなんて言わない。

 

「あれ? こーこちゃんのメールは添付ファイルつきになってるな。なんだろ?」

 

 どうも何かの画像のようだ。

 まさかブラクラっぽいのじゃないよね?と思いつつ開いたら。

 

「ぶっ! こ、これは……っ」

 

 一体何処から仕入れてきたのか、そこには須賀君のあどけない寝顔がきっちりくっきりと映し出されているではないですか。

 周りの風景から場所を考察すると、例のあのベッドの上だろうか?

 てことは……うん、間違いないな。主犯はこーこちゃんだろうけど、共犯は間違いなく竹井さんである。或いは逆かもしれないが、関与は疑うまでも無い。

 ……これは保存しておいて、と。次にいこう。

 

 メールの中身を見てみたら、そのほとんどがちょーよかったよー的な内容でほっとした。私は地味に打たれ弱いのだ。本当だよ?

 あとやっぱアドレス流出の犯人は靖子ちゃんだった。今度美味しいかつ丼を奢ってもらうことで片をつけておくことにする。私ってば優しいな。

 なんてことをやっていたら、お腹のすき具合がハンパないことになってきたのでメールの返信作業は一時中断。

 実に面倒ではあるものの、冷蔵庫に入っていた材料と放置されていた野菜で軽く作った野菜炒めを食しつつ、録画していた番組を見る。

 ナレーションがこーこちゃんの時点で、いつ私に対するディスり発言が来るものかと身構えてしまうのは哀しい性だ。こういうのも職業病といえるんだろうか。

 番組の進行は問題なく進めらていく。

 そのせいか、話が宮永さんのことについての部分に入る頃には完全に油断していた。

 

 テロップのところにある解説の小鍛治健夜(27)ってなに!?

 はやりちゃんの持ちネタじゃないの、それ!?

 

 福与恒子、隙あらば健夜弄りをブッ込んでくる、実に油断ならぬ相手である。

 

「こーこちゃんめ……っ」

 

 

 後は特にこれといった問題点もなく普通に終了。

 私が染谷さんを涙目にした部分はカットされずそのまま放送されてしまっていたものの。

 私の知らない部分で撮られていたであろう染谷さんのインタビューにて、自分らしい部長として頑張って行くと力強くコメントしていた。

 あの決意表明を聞く限りでは、来年の清澄高校麻雀部もある程度は大丈夫そうである。

 

 ついでに。

 最近竹井さんが、須賀君に付っきりで麻雀の指導をしているらしい。

 県大会から全国大会までを一気に駆け抜けた竹井さんが、初心者だった須賀君の指導を忙しさに感けて忘れていたのか、故意に放置していたのか、それは本人にしか分からない。

 けれど、須賀君は捻くれることなく真っ直ぐなまま彼女の後ろを着いて走っていた。

 だからこそ勝ち取れたであろう今という時間を大切にして、彼には来年の全国大会でぜひとも大暴れして欲しい。

 ただ、今のままだと厳しいだろうし、そのためには私も指導してあげたほうがいいと思うんだよね。一応これでもプロ雀士なわけだし。

 テーブルの上に放置していた携帯を引き寄せて、悩んでいた須賀君への返事を書くことにした。

 

『麻雀が教えてほしかったらいつでも言ってください。力になれると思います  健夜』

 



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第02局:雀荘@気になるあの子(27)は猫耳メイド

 恵比寿のホームグラウンドで行われた一部と二部の選抜プロ雀士たちによるオールスター的な交流戦が終わった翌日。例によって朝っぱらから唐突にファミレスに呼び出された私は、お店に入ろうとした時点でそのまま車に拉致られた。

 といっても薄い本などでよく見かけるような、犯罪めいたアブない展開などではなくて。当たり前だけど、いつもの如く主犯格は某テレビ局アナウンサーの福与恒子さんである。

 

「な、なんなの急に……?」

「ちょ~っと収録に付き合ってもらいたくて来てもらっちゃった。えへ」

「可愛い子ぶったところでやってることは普通に犯罪だよ!?」

「まーまー、すこやんと私の仲じゃない。細かいことは気にしないで」

「親しき仲にも礼儀ありって大きな声で三回くらい声に出して言ってみたらいいと思う、こーこちゃんは」

 

 一昔前のバラエティ番組に借り出されていた若手芸人じゃないんだから、こんなことで身の危険を感じるのは正直勘弁して欲しい。

 

「……で、今日はなんなの? またあの企画?」

「おしいなー。ちょっと正解で、ちょっと不正解です」

「わけがわからないよ……」

「今はとにかくついてきてくれたらいいよ。そのうちイヤでも分かるから」

「その時点でもう不安しかないんだけど」

 

 ボックスタイプの車の後部座席部分に積まれている機材は取材用のものだろうし、何かの企画であることは間違いない。とはいえ、毎回こんなやり方で連れまわされるのはさすがに番組スタッフに苦情を入れても許されるはずだ。

 何をやっても許される女、小鍛治健夜。なんて認識をしているならそろそろスタッフ諸共直々に麻雀で楽しませてあげる必要も出てくるだろう。

 

「とりあえず目的地だけは教えてよ。いちおう心の準備とかあるんだからね」

「しょうがないなぁすこやくんは」

 

 どこぞのネコ型ロボットみたいな科白を吐きつつ、今時分外国人さんでも滅多にやらないだろう、肩を竦めて両手のひらを上に向ける呆れましたのポーズを取るこーこちゃん。

 いい加減グーで殴っても許される気がしてきた。こんなでもいちおうアナウンサーだし、発覚しないようにリバーを狙うのが妥当か。

 

「じゃーん! 本日向かう場所はこちら! 長野県某所にあるメイド喫茶ならぬメイド雀荘です!」

「……ん?」

 

 あれ、今なんて言った? メイド……雀荘?

 こーこちゃんの手によって誇らしげに掲げられたフリップに映りこんでいる写真には、たしかに雀荘っぽい店内の様子が納められている。

 それは分かる。分かるけどさ。

 最近は都内でもネコ喫茶やら添い寝カフェやら色物全開なお店もやたら多いみたいだけど、個人的にはそんな斬新なカテゴリーの雀荘なんて見たことも聞いたこともない。

 やっぱりその名の通り、店側の打ち子がみんなメイドの格好をしているんだろうか。それとも負けたお客さんが全員メイドの格好をさせられるとか? いやいや、さすがにそれはないか。

 あと気懸りなのは所在地だ。長野県といってまず思い浮かぶのは先日訪れた清澄高校である。

 ……はて。清澄で雀荘といえばなにかを忘れているような気がするけど、なんだったかな?

 

「ふふふ、まあ期待しててよ。すこやんにとってもそう悪いことにはならないはずだからね」

「――?」

 

 口の端を吊り上げてニヤリと笑うその表情、信用はまるでできそうにないけれども。

 既に身柄を拘束されたまま高速道路をひた走る車の中にいたのでは、流れに身を任せる以外のことは何もできそうになかった。

 

 

 お洒落な筆記体っぽいフォントの横文字で『Roof-Top』と書かれた看板と。その隣には、モダンな佇まいの洋風なお店。

 なるほど。建物自体はけっこうな年代モノではあるけれど、普通の雀荘と比べると幾分か若者向けに作られたように見えなくも無い。

 

「さて、んじゃ突撃開始~っ!」

 

 遠慮のえの字も知らないようなハイテンションで扉を開けて中に入る福与嬢。

 それとは真逆のローテンションのまま、後に続いて中に入る私。

 カウベルが頭上で鳴り響いているのを聞きながら溜め息を吐いて、店内に入ると同時に伏せていた視線を上げて正面を向く。

 そこに、メイドさんが待っていた。

 

「お帰りなさいませー、お嬢サマ」

 

「……うん?」

 

 それは紛うことなきメイドさんである。にぱっと笑った口元から覗く八重歯がキュートな、とても可愛らしいメイドさんである。

 ただそれは、似合っているか否かで言えば似合っているが、明らかに状況からは浮いていた。

 なんというか、咏ちゃんもびっくりするくらいのロリっ気全開でメイドとしてはやや幼すぎ、事実を知らなければ労働基準法はどうしたと思わず店主に突っ込みを入れてしまうレベルだった。

 

「ていうか、片岡さんだよね?」

「うむ、そうだじぇ!」

「なにやってるのこんなところで? もしかして部活で負けた罰ゲームで武者修行も兼ねてバイトしてるとか?」

「じょ!? ち、違……染谷先輩に頼まれたから仕方なく、そう仕方なくだじぇ」

 

 うん。否定するならまず視線を逸らさないようにしないとね。

 

「でもそっか。ということはここって……」

「お二方ともよう来んさったの。いちおうわしがこの店の店長をやらせてもろうとる染谷まこじゃ。今日は店を手伝ってもらえるゆうことらしいんで、よろしゅう頼んます」

「やっぱり染谷さんのご実家だったんだね」

 

 車で連行されている間に思い出した情報と照らし合わせれば、向かう先が染谷さんの実家なんじゃないかということは推察できていた。

 染谷さん、清澄の中だとわりと常識人なほうだと勝手に思っていたけれど、このメイド雀荘の創始者というのであれば、喋り方だけじゃなくて意外とセンスもぶっ飛んでいるのか。

 あと、いま彼女の挨拶の中にもさらっと問題発言があったような……。

 おそらく彼女に言っても仕方のないことだと思うからあえてここでは聞き返したりしないでおくけれど。

 だがこーこちゃん、お前はダメだ。

 

「こーこちゃん……福与アナ、ちょっとこっち」

「うん? どったのすこやん、なんか表情が硬いけど」

「今衝撃の事実が染谷さんの口から明かされたんだけどね?」

「ほう」

「……お店のお手伝いをするって、どういうことかな?」

「――あ、なんだそっちね」

「そっちってどっち!? もしかしてまだ他にも何か隠してることがあるの!?」

「えへへ」

「えへへじゃなくてさぁー! もー! こーこちゃんはもーっ!」

「うわぁ、駄々こねるすこやんかわいい」

「止めて……本気でダメージが来るから……主に胃に」

 

 がっくりと項垂れる私。

 もはや彼女のまるで悪びれないその姿勢には、ある種の尊敬すら感じさせるものがある。けっして見習いたくはないけどね。

 

「いちおう今回の企画の説明をしておくとだね――第一回、小鍛治プロがメイド姿で一日雀荘のアルバイトを体験するコーナー! いえーい!」

 

『わー』

 

 ぱちぱちと手を叩く清澄高校麻雀部の皆様。二人しかいないから音量足りてないけど大丈夫だろうか?

 

「ちょっと待って。そもそもこの企画ってどういう経緯で採用されたの?」

「久ちゃんから話があって、面白そうだから私が採用しました!」

「やっぱり竹井さんはこーこちゃんと組ませちゃダメな人だった!?」

「実際あの取材の時に原村さんと染谷さん泣かせたのは事実だからね! お詫びも兼ねてこれくらいやってもバチは当たらないと思うんだけどなー」

「ぐぬぬ……」

 

 それを言われてしまったら私としてはもう口を噤むしかない。

 まさかこんな形で意趣返しされようとは……。

 

「あと、ブルーレイとかで発売する時の特典映像用になにか欲しかったっていうのもあるんだよね。だからちょうどよかったんだー」

「最初からそっちの理由で押し通してくれたほうがまだ精神的に楽だったよ……」

「ま、そういうわけだから! それじゃ二人とも、や~っておしまい!」

『らじゃー!』

「いや、ちょ、待――」

 

 待って、と言われて素直に待ってくれるような善人が、あんな小悪魔みたいな笑みでじりじりとにじり寄ってきたりはしないわけで。

 

 そんなこんなで、猫耳メイド小鍛治健夜(27)、爆誕の瞬間である。

 

 メイド服自体は片岡さんや染谷さんが着ているものと同じで、足元まで有るロングスカートの上にフリルの白いエプロン着用といった感じのオーソドックスなタイプ。ただ――。

 

「――ってなんで猫耳付いてるの! 明らかにこの部分だけおかしいよね!?」

「ふぅ、我ながら良い仕事だじぇ。あのとき用意しておいたのを取っといて正解だったな」

「眼鏡も付けた方がようないか? 小鍛治プロは童顔じゃけぇ、こう鼻にちょこんと掛けるタイプのがよう似合いそうじゃけど」

「猫耳眼鏡メイドか……さすがに要素詰め込みすぎじゃないかなー」

「じゃがそれがええゆうヤツもおるじゃろうしなぁ……ほいじゃあ福与アナは別の意見なんかありますか?」

「そうだねぇ。せっかくだからほっぺにヒゲでも書いてみるとか?」

「ふむ、それもアリか」

「それもアリか、じゃなくて! も、もう普通で良いんじゃないかな? ほら、何事も普通が一番っていうし、ね?」

「染谷先輩、とりあえずこれで行ってみようじぇ。お客ウケがいまいちっぽかったら眼鏡もヒゲも付け足せばいいんじゃないか?」

「そうじゃの、そうするか」

「あの、私の意見はまるっと無視ですか……一番まっとうな意見を出してると思うんだけど、ねえ?」

「いやいやすこやん、よく考えな? これは逆にチャンスだよ?」

「逆にって、何に対して逆なのかよく分からない……あと一応聞いてみるけど、なんのチャンス?」

「それはもちろん、小鍛治健夜が猫耳スク水改め猫耳メイドの似合うプロ雀士ナンバーワンであることを広く世に知らしめるための――」

「そんなチャンスたとえ見逃し三振でも誰も文句言わないと思うよ」

 

 

 

「ほいじゃまずはお客が入ってきた時の声かけからじゃな。相手が男性じゃったら『お帰りなさいませ、旦那様』で女性じゃったら『お嬢様』いう感じで使い分けるのが基本じゃ」

 

 やってみろ、と視線で促される。うう、なんか恥ずかしいんだけど……。

 

「お、お帰りなさいま――」

「目つきが悪い! 小鍛治プロ、あんたぁ客商売なめとるんじゃないじゃろうのぅ? ジト目で主人迎え入れるメイドが何処の世界におる思うとるんじゃ?」

「ひぃ!? ご、ごめんなさい」

「優希、先輩として見本見せちゃれ。小鍛治プロはその後に続いてやってみんさい」

「了解だじぇ! お帰りなさいませ、旦那様っ」キャピッ

「お帰りなさいませ、旦那様っ」グギッ

「……」

「……」

「……ま、ええか。ほんで次じゃが――」

「何とか言ってよ!?」

 

 逆に居た堪れなくなるから無言はやめて!

 

「――メインは接客、注文取って運ぶのが主な仕事じゃな。料理は裏で別の担当がおるし、手の込んだものは出前じゃし。あとあっちの卓で打ちたい言う客がおるんで、面子が足りん時はそっちの打ち子に入ってもらうことになるくらいか」

「染谷先輩、それは大丈夫なのか? むろん客の精神的な意味で」

「……まぁ、常連連中ならコテンパンに伸されてもある程度は大丈夫じゃろ。それに今日は打ちに来る客も予約が入っとるようなもんじゃし、あいつらぁそんなヤワな精神しとらんじゃろ」

「それもそっか。でも、うー……私もあの時負けてなかったらあっち側だったはずなのに……どうしてこうなったんだじぇ?」

「なんもかんも麻雀で勝てんかった自分が悪いっちゅーことで今日は諦めて仕事しとれ」

「世の中は理不尽だじぇ……」

「会話の内容は何のことだか分からないけど、最後の片岡さんの科白には心から同意するよ……」

「心配せんでも小鍛治プロに関しては失敗するんも織り込み済みじゃけぇ、気張らずやってくれりゃあそれでええんで、そがぁに心配しなさんな」

「うう、ガンバリマス」

「さ、一通り説明も終えたことじゃし、仕事はじめるぞ!」

「おー!」

「お、おー」

 

 まさかここにきて一回り近く年下の女の子と一緒にメイド服を着て働くことになろうとは……しかも事前の打ち合わせで了承したとはいえ染谷さんのタメ口というか、独特な言葉遣いが地味に怖いし。

 

 なにはともあれ、プロ雀士小鍛治健夜、生誕二十数年目にして最大の試練の到来である。

 

 

 仕事を始めてから約五分。最初の客がやってきた。

 ――カランコロン、カラン。

 カウベルが鳴り、扉を潜って三人連れの女子高生が入ってくる。

 もはや番組側の仕込みだろうと疑う余地は無い、そのいずれも数週間前に見たばかりのよく見知った人物であった。

 

「お、お帰りなさいませ、お嬢様方」

 

 言いながら一礼して、お客様へと向き直る。

 緊張のせいかちょっと出だしでつっかえてしまったものの、新人だし、店長も睨んでこないし、その程度は許容範囲だろうと思われた……が。

 先頭に立っていた女子生徒A――即ち竹井さんはニヤニヤと笑い、その右後ろに控える生徒Bこと宮永さんは苦笑、左後ろの生徒Cつまり原村さんは明らかに不満げな表情を見せている。

 あの原村さんの目は間違いない。そんなことで一流のメイドになれると思っているのか、とベテランの域に達した先輩がダメな後輩に問いかける類のものである。

 今のところなる予定はありませんが、と返せたらどれだけ楽になれるだろうか? やく……もとい、個性的な言葉遣いの店長が恐ろしいのでやらないけど。

 

「ふふっ、ありがとう。それじゃテーブルに案内してもらえるかしら?」

「かしこまりました。ではこちらへ――」

 

 代表として一歩前に出た竹井さんは、実に堂々たるお嬢様っぷりを見せていた。

 しかし竹井さん、イメージがまるで佐々木助三郎と渥美格之進をお供にお忍びで訪れた水戸光圀、というお嬢様とはどこまでもかけ離れたものでしかないのはなんでだろう。

 風格というか威厳があるのは確かだけど、ありすぎるのも考えものである。

 一番奥の窓際の席まで案内している間にそんなことを考えていたのだが、ふと思う。それならうっかり八兵衛枠に置かれていそうな須賀君はいったいどこにいるのだろう?

 一緒に来ていない、ということは一人だけこの企画からハブられていたりするんだろうか。

 それはよくない。イジメかっこ悪い。お姉さんは断固許しませんよ!?

 

「――こちらでお願いします」

「ありがとう」

「ありがとうございます」

「す、すみません」

 

 三者三様に労いの言葉を返して、竹井さんが一人で右側、宮永さん原村さんの一年生コンビが左側に座る。ボディのバランス的には原村さんが一人で座ったほうがスペースの効率が良いような気がするけど、指摘すれば方々から怒られることは間違いないので言わないことにした。

 

「ところでお嬢様、お連れはこちらの方々だけでよろしいのでしょうか?」

「うん? いきなり何……ああ、そういうことか。そうね、今日はここにいる三人だけだけど、それがどうかした?」

「い、いえ、失礼しました。ではこちらがメニューになります」

 

 クスクスと怪しげに笑う竹井さんの眼光がキラリと光る。本当、こういったところはつくづくこーこちゃんとそっくりなんだから。

 油断も隙もありゃしない。

 

「じゃ、私はアールグレイをストレートで。咲と和はなんにする? 今日は私が奢っちゃうわよ」

「本当ですか? では私はアッサム茶葉のロイヤルミルクティーにしましょうか。咲さんはどうします?」

「うーんと、私は――アイスココアかな。あと、タコスも一つお願いします」

「……タコス?」

 

 タコスといえば、思い出されるのは先日の撮影時。

 タコス神たる片岡さんが思わず熱くなりすぎてしまったが故に延々とタコスの素晴らしさについて語り続けてしまい、結果放送ではバッサリその部分をカットされてしまうという悲劇を生み出してしまった、忌まわしきあのタコス?

 しかも、ココアのお茶請けに選んだのがタコスとな……?

 メイド雀荘のことといい、この熱いタコス推しの姿勢といい、長野のトレンドは進んでいるのかいないのか、いまいち判断に困る。

 

「常連さんしか知らない隠しメニューであるのよね、お手製タコス。あ、じゃあ私もタコス追加で。和も食べるでしょ?」

「はい、じゃあ私もそれお願いします……あの、小鍛治プロ? どうかなさいましたか?」

「――ハッ! か、かしこまりました。タコス三つ、しばらくお待ちください」

 

 一礼して、席を辞する。

 受付のカウンターに戻り、注文を書いた伝票を店長の染谷さんに手渡すと。

 

「思ったより普通に対応できるんで、正直意外じゃったが。今の調子でやってくれりゃあこちらとしては何の文句もありゃせんわ」

 

 と感心した風に真顔で言われてしまった。

 ふふん、と得意げに胸を張るのもおかしな話だが、これでもファミレス通い暦は長いほうだ。たとえ現実に働いたことはなくても、働いている人を見る機会はたくさんあるのだから、これくらいは普通にこなせるのが大人の嗜みというものであろう。

 

「あとドリンク類はわしがやるんで、調理用の厨房で待機しとるもう一人のバイトにタコスの注文が入った言うてきてもらえるかの?」

「厨房? あっち?」

「ん、そういえばそれを説明しとらんかったか。ほれ、そこのカウンターの奥に入り口があるじゃろ?」

「そっちか。わかりました」

 

 店長の座っているスペースの横をすり抜けて厨房へ向かう途中、

「なるべく早く戻ってくるようにな」

 という染谷さんの含み笑いを込めた声が聞こえて、首を傾げる私がいた。

 

 

「すみませーん、タコスの注文が三つ入――り……」

 

 ピシリ。

 本来は出るはずの無いもののはずだが、この時は明確な音を伴って私の表情は凍りついた。

 

「ああ、小鍛治プ――ロ……?」

 

 振り返りこっちを見て名前を呼ぼうとした彼もまた、同じような音を出しながら停止する。その視線はただ一点、頭上でぴこぴこ揺れている猫耳へと注がれていた。

 お互いに動きを止めたまま、どれくらい時間が経過しただろうか。思わず回れ右して厨房から逃げ出そうとする私の背中越しに、動き出した須賀君が慌てて呼び止めてきた。

 

「ちょ、注文ですよね!? ええと、タコスが三つでいいんですか?」

「あぅ、う、うん。注文はそれでお願い……あと、その、これはね? 違うんだよ、けっして私個人の趣味とかじゃないっていうか、そもそもメイドも違くて……」

 

 何気に手触りの良い黒猫仕様の猫耳を手で弄くりながら、必死の弁明を試みる。

 あまりに動転して自分でも意味の分からないことになってはいるけれど……ただ、清澄高校の中では私を敬ってくれている側であろう須賀君にまで「このプロキツい」なんて言われてしまったら、もう立ち直れる気がしないのだから仕方が無い。

 

「最初はちょっと驚きましたけど、よく似合ってますよ。っていうのはこの場合褒め言葉になるのかちょっと微妙な感じかもしれませんけど」

「うあ……そ、そうかな?」

「はい。小鍛治プロはなんていうか、元が可愛い系ッスからね。それにメイド服もばっちり決まっててすげぇ似合ってます」

「そ、そっか。うん、そっか。ありがとう須賀君。君もその執事服?よく似合ってるよ」

「ありがとうございます。素直にそう言って褒めてくれるのなんて小鍛治プロだけッスよ。うちの連中なんてもうね……」

 

 へへへ、褒められてしまった。

 こーこちゃん辺りには単純だねぇなんて呆れられるかもしれないが、それはそれで受け入れられてしまえるほど今の私は有頂天。

 たとえ相手が一回り(略)の男の子でも、慕ってくれている相手に褒められてうれしくない女なんているだろうか? いや、いない(断言)。

 私が一人で脳内をとろけさせている間に、須賀君はというと、慣れ親しんだ手つきで見ているこちらが惚れ惚れするほど手際よくタコスを作りあげていく。

 あらかじめクレープの生地っぽい部分(トルティーヤだっけ?)が用意してあったとはいえ、たいそうな早業である。

 

「へぇ、器用だね。須賀君、料理得意なんだ?」

「料理っつーか、タコスが何とか作れる程度って感じですよ。優希いるでしょ? アイツこれがないと麻雀打つとき困るんで……あ、そうそう。聞いてくださいよ。全国大会で東京に行った時にも――」

 

 言いながらも手は休まず動き続けるところが職人さんっぽい。

 私はもちろん、彼の話にきちんと相槌を打ちながらも視線はずっとその手さばきを見つめていたりするのだが。

 

「――ってな感じで、タコスを売ってる場所を探すのも一苦労だったんスよ」

「まぁ、そうだよね。クレープ屋さんなんかはたまに移動販売っていうの?車で焼いてるやつを見かけるけど、普通タコスはメニューにないだろうし」

「そうなんですよねぇ。それでまぁ、ちょうど作り方を知ってた人が近くにいたんで、それならもう自分で作ったほうが早いかな、と。それから色々と教わって、作り始めたのがきっかけですかね」

「ということは、やっぱりタコス作りが上達したのも片岡さんのためだった?」

「あー、まぁ……そこまで突き詰めてるわけでもないんですけど、料理ってやっぱ食べてくれる人が美味いって言ってくれると嬉しいじゃないですか? その意味で優希は思ったことを素直に口に出して言ってくれるんで作りがいはありましたよ。それで調子に乗ってるうちに作り慣れたってことはあるかもしれません」

「ふぅん、そういうものなんだ」

「小鍛治プロは料理とかしないんですか?」

「私? いちおう一通り出来ることはできるけど……あんまり得意じゃないんだよね」

 

 私もかつては東京で一人暮らしをしていた身であるからには、決して料理が作れないわけではない。

 ないんだけど……哀しいかな、自分以外の誰かのために作る機会が皆無に等しかったこともあり、自分が自分好みの味付けで食べられるならそれで良しという感じで作る癖がついてしまった。

 結果、いざ他者に振舞うことを前提とした料理を作ることになったとしても、味付けの面で美味しいと言ってもらえる自信がまったくないのである。

 こーこちゃんくらい気心の知れた相手ならまだしも、男の人――特にちょっと気になる相手に食べてもらうのは、そんな理由から地味に抵抗があるのだった。

 それに実家に戻ってからというもの、食事は基本三食ともお母さんが担当してくれている。そんな恵まれた環境にいるのだから、ついつい足がキッチンから遠ざかってしまうのも致し方ないことだといえるだろう。

 決してこれはずぼらな自分に対しての言い訳などではなく。

 純然たる事実としてそこにあるれっきとした現実なのである。(キリッ

 

「須賀君から見て、やっぱり私って料理とか出来なさそうに見える?」

「うーん……正直に言うと、あんまりしなさそうに見えます」

「う……こーこちゃんといい、やっぱそう見えるんだ。なんだろう、見た目がそんな感じなのかなぁ」

 

 以前仕事終わりにこーこちゃんの部屋にお泊りさせてもらいに行った時のこともあってか、実は気になっていたりする私である。

 一晩泊めてもらうせめてものお礼にと手料理を御馳走しようとしていた私を見た時に浮かべた、まるでそこに珍獣でも見つけたかのような彼女の表情たるや……いま思い出しても切ない気分にさせられる程。

 もはや私には何処へ行ってもそういうイメージが付いて回ることになるのだろうか、と不安を感じるのも事実だ。

 女子力を犠牲にして雀力に努力値全振りした結果がこれだよ!

 ――そんなレッテル張られるのはさすがに嫌過ぎるし、なんとか何とかならないものかしら。

 

「といっても仕事が忙しそうで時間が取れなさそうっていうか、そっちのイメージでですよ? なんか麻雀プロの人って家で食べるより外食が多い印象があるんですが、なんなんでしょうねあれ?」

「……んん? それってまさか、靖子ちゃ――藤田プロがいつもカツ丼ばっかり食べてるせいなんじゃ……」

「あー、藤田プロのイメージ……なるほど。それでか」

「……」

 

 今度彼女に会ったらそれとなく注意しておこうと強く胸に誓う私だった。

 

「っと、タコス三つ出来ました。持って行ってもらえますか?」

 

 そうこうしているうちに料理が完成していたらしい。見れば盛り皿の上にはタコスが三つ、綺麗に整えられた状態で並べられていた。

 

「うん、りょーかい。須賀君は今日はずっと厨房でバイトなの?」

「染谷先輩が言うにはそうらしいッスね。今日はちょっと忙しくなりそうなんでって言われて、バイト料に色もつけてもらえるそうなんで特に不満はないッスけど」

「そうなんだ。私の場合は収録でほとんど無理やりだったけど、こういう機会もたまにはいいかなってちょっと思ったよ。お互いに頑張ろうね」

「はい、慣れないことで大変かもしれませんけど、小鍛治プロも頑張ってください」

「ありがとう」

 

 ここにきて初じゃないだろうかと思われる、とても感じの良い好青年から贈られる笑顔の激励に、荒んだ心が洗われるような思いを抱く。

 砂漠に湧いたオアシスが齎す命の恵み、とはまさにこういうことを言うのだろう。

 あれだけ憂鬱だったはずの気分が一転してルンルン気分でフロアへの帰還である。染谷さんあたりは呆れ顔だけど、もう何も怖くない!

 

「飲み物はこれを。で、注文受けた分は全部揃うたか。ほいじゃあ配膳のほうもよろしく」

「はーい」

 

 愛想三倍増しでお届けしております、小鍛治健夜です。

 妙なテンションのまま件の三人に注文の品を持って行ったは良いけれど……竹井さんの鼻で笑う姿に若干イラっときてしまった。メイドとしては失格だ。反省しなければ。

 

「――お待たせいたしました」

「ありがとう」

「どうも」

「すみません、ありがとうございます」

 

 そしてこの対応の違いである。

 竹井さんは完全にお嬢様気分を満喫し、原村さんはなんか先輩メイドの気分そのまま、唯一宮永さんだけがお客様っぽい反応をかえしてきた。

 何処までが仕込みで、何処からがこの子たちの素なんだろうか?

 竹井さんは徹頭徹尾素の自分だろうと思う。間違いない。

 早く麻雀打たないかな、今なら指名がなくても混ざってあげちゃうのに。

 

 と、心の中で物騒なことを考えていた矢先、入り口で来客を告げるベルの音が鳴り響いた。

 片岡さんの手が空いているはずだからそっちは任せようかな、と思っていたのが間違いの始まりで。

 そのタコス娘はというと、厨房から掻っ攫ってきたと思わしきタコスを片手に常連と思わしきおじさんたちの卓に紛れて麻雀を打っているではないか。

 ずるい。私もそっちがいいのに!

 ――なんて言葉は届かない。どうやら今回のお客も私の担当になりそうである。

 急いで入り口へと向かう、だけどエプロンドレスの襟元が翻らないよう、かつスカートのプリーツは乱さないように。ゆっくりと歩くのがここでの嗜み。

 ……このエプロンドレスにはプリーツなんてないけどね。

 ともあれ、少し待たせてしまったことは減点対象になりそうな予感がする。ちらりと視線を向けて見れば、案の定、店長の眉は眉間に皺が寄り気味のハの時になっていた。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様方」

「こ、こんにちは」

「うぉ……まさかホントに小鍛治プロが働いてるなんて思ってもみなかったし」

「ちょ、華菜ちゃん」

「は、はじめまして! 本日は御指導よろしくお願いします!」

「落ち着いて、文堂さん。小鍛治プロはいま店員さんなんだから、御指導お願いしますはおかしいわ」

 

 がやがやと。賑やかな団体の最後に入ってきた子には見覚えがあった。

 涼やかな髪の色と常に瞑っている右目、そしてあの男の子が好きそうな絶妙に整った体型。間違いなくそれは、風越女子の元キャプテン、全国大会個人戦第六位の福路美穂子その人だろう。

 そういえば他の面々も、直接会うのは初めてだけど試合の録画で見たことがある。

 特にこの、私以上に猫耳が似合いそうな黒髪ボブカットの子。なんとなく涙目だったり絶望感に染まった表情だったり、可哀相なイメージしか沸いてこない顔だけれども。

 ――風越女子。今夏の団体戦レギュラーが全員揃ってやって来たことになるが、もしかしてこれも演出の一部だったりするのだろうか。

 どちらにしろ今の私に彼女らを案内しないという選択肢はないのだが……一体何を企んでいるのやら。

 

「どうぞこちらへ、お席にご案内いたしますので」

「はい、お願いします」

 

 そう言って最初に一歩前に出たのは、最後尾にいた福路さんだ。

 たしか風越は秋の新人戦に向けて早めの世代交代をして、眼鏡を掛けている小柄の女の子――吉留美春さんがキャプテンを引き継いでいると聞いている。それでもこの団体で行動する時の代表は、今までどおり最年長の福路さんが勤めるようだ。

 私が所属していた土浦女子はどちらかというと名門校というわけではなかったので、序列とかあまり気にしたことはなかったけれど。上下関係が厳しいと聞く名門校においては、違うのだろうか。

 これはあくまで想像でしかないものの、そのほうが規律が取りやすいとか色々とあるのかもしれない。

 その辺りのことも聞いてはみたいが、明らかに緊張を隠しきれていない面々(一部を除く)を前にして不用意なネタ振りは地雷を踏むことになりかねない。残念だが止めておこう。

 

 店内の飲食スペースには窓際に四人がけのボックス席が六席、通路を挟んで反対側のカウンターには椅子が都合六席分用意されている。

 これを広いと取るか狭いと取るかは個人の判断にお任せするが、店舗の約半分を飲食スペースに割いているというのは雀荘としてはやはり異端なように思えてしまう。

 現在その飲食スペースの隅一角に清澄の例の三人が居座っており、仮にも同県のライバル校同士、ここは大人の気遣いを見せて席は離しておいた方が良いかな?と密かに悩んでいると。

 

「やっほー美穂子、やっぱり来たんだ?」

 

 いかにもお友達にそうするように、こちらに気付いた竹井さんが小さく手を振った。

 お互い知り合い同士なのは別に不思議なことでもなんでもないものの、やたらと気さくというか、フレンドリーな感じである。竹井さんと福路さんは仲が良いのだろうか?

 成り行きを見守っていると、それを裏付けるように風越側の代表たる福路さんを先頭に、全員揃ってわざわざ清澄のほうへと近づいていった。

 

「上――竹井さん、原村さんと宮永さんも、こんにちは。ええ、せっかくお声がかかったんだし、こういう機会は活かさなくちゃと思って全員で押しかけてみたわ」

「どうも、皆さん。お騒がせしてすみません」

「こんにちは深堀さん。それと吉留さん、キャプテン就任おめでとうございます」

「あ、うん。ありがとう原村さん。今でも私なんかでよかったのかな、ってちょっと思ってるけど」

「大丈夫ですよ、吉留さんなら。それに、何かあったとしても深堀さんもいらっしゃいますし、池田さんも……一応、いらっしゃいますから」

「あはは……ああ見えて華菜ちゃん、面倒見が良くて頼りになるんだよ。うちのムードメーカーだし」

「ん? みはるんあたしのこと呼んだ?」

「んーん、なんでもない」

「そう? って、おー宮永じゃん、この前はありがとなー。おかげでカナちゃん助かったし。今度何か奢ってやろう」

「池田さん、こんにちは。いえ、お役に立てたなら私は別に」

「……」

「あの、文堂さん? いつも以上に細目になってますけど、大丈夫ですか?」

「だ」

『……だ?』

「ダメそうでふ……」

 

 いきなりぐにゃりと倒れこみそうになったところを、大柄の子ががっちりと受け止める。たしか深堀さんといったか。

 しかし細目の子は食あたりでも起こしたのだろうか? いやまだ何も食べてないんだしそんなワケないだろう。だとすると、貧血? あの日……いや、これ以上の予想はよそう。

 

「文堂さん、大丈夫ですか!?」

「ああ、原村も気にしなくていいよ。文堂は小鍛治プロと対面して緊張しすぎてアレなだけだし。寝てたらそのうち治るって」

「は、はぁ」

「え? その子が倒れたのって私のせいなの?」

「あの、文堂さんは小鍛治プロの大ファンなんです。だから、ちょっと緊張しすぎて倒れちゃったというか……その、ですから小鍛治プロのせいではないのであまり気になさらないでください」

「う、うん。それならいいけど……」

「ってことですーみん、文堂はここに押し込めてしまってカナちゃんたちもさっさと座るし」

「了解」

 

 てきぱきと場を仕切りつつ、席を埋めていく五人の女子高生たち。

 福路さんが右側奥へ、続いて大きめの子(深堀さん)がその隣。反対側の窓際部分に伸びている細目の子(分堂さん)が押し込められ、真ん中に猫っぽい子(池田さん)、端っこに眼鏡の子(吉留さん)。見ているこちらが大丈夫かと不安になるくらいのすし詰め状態で四人がけの席に五人が座った。

 どうやら彼女たちの間には、二席に分かれて座るという発想は無いらしい。

 今はわりと空席だらけなので遠慮しているというわけでもないのだろうし、これが風越女子のデフォルトなのだろうか。仲が良いにも程がある。

 あと、何の躊躇もせずにそのまま清澄高校メンバーの隣の席を占拠したその行動についても俄かには信じられないものがあった。

 

 私の場合、全国大会で出会った別県の代表選手と仲良くなることはあっても、同県のライバル校とこんな風に交流するようなことは一切無かったと記憶している。

 中学が同じで高校が別になった元同級生、という子は個人個人で仲良くやっていたようだけど、それはあくまで個人の繋がりでしかなくて。

 ……私個人がコミュニケーション下手というのも否定しきれない現実として存在するとはいえ、むしろ恐怖や敵意を向けられる事のほうが多かったような覚えがある。

 団体・個人と連覇続きの学校にあまり良い気がしないのも当然なんだろうな、と当時の私は勝手に解釈をしていたわけだけど。

 もしかして他県ではこれくらいフランクなのが普通なんだろうか……?

 

「すみませんでした、小鍛治プロ。お騒がせしてしまって」

「ううん、全然大丈夫。えと、メニューはこちらになりますが、御注文はいかがいたしましょうか?」

「ありがとうございます」

 

 まず差し出したメニューを受け取ったのは福路さんだった。だが彼女は後輩達に先に選ばせようとメニューを逆向きにして中央に置き、手を引っ込めてしまう。後輩に先を譲るという、先輩の鏡のような人柄である。

 しかし、それを見た池田さんと吉留さんが慌てて逆向きにひっくり返し、まずは福路さんから決めて欲しいと意思表示をした。後輩側からすれば当然か。

 それを受けて彼女は困ったような表情で深堀さんに視線を向けるも、彼女も同級生二人と同じ意見だったようで黙って首を横に振る。渋い役どころである。

 結果、諦めてメニューを最後に手に取ったのもやはり福路さんであった。コントでもやっているのか君ら。

 

「飲み物の種類はとても豊富なのね……すみません小鍛治プロ、こちらのお勧めの食べ物というのはなんでしょう?」

「えっ!?」

 

 この子、油断してたらナチュラルにこちらを困らせる質問をしてきた……だと!?

 しかも竹井さんと違って狙っていない純粋な質問だろうから適当に答えるわけにもいかないという、性質が悪いことこの上ない状況である。

 えーとたしか季節の野菜を添えたサーモンのクリームパスタ……ってあれはいつも行くファミレスのお勧めメニューだ。そうじゃなくて、えーと……。

 咄嗟に脳裏に浮かんできたのは、タコス神たる彼女の笑顔と、先ほど見た手際の良い須賀君の調理風景。

 

「タ、タコス……とか?」

「タコス……ですか? 片岡さんがよく食べている、あの?」

「うんそう、メキシコ料理のタコスだね。シェフ自慢の一品らしいので、ぜひお一つどうぞ!」

「そ、そうですか。ではセカンドフラッシュのダージリンと、それを一つお願いします」

「あたしもキャプテンと同じで!」

「あ、じゃあ私も」

「私もそれで」

「……」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

 主体性がないのかチームワークがすごいのか、はたまた単なる面倒くさがりなのか。実はメニューをたらい回しにしていた時から狙っていたのか。

 この場合すごく判断に困る注文の仕方である。

 

 

 それにしてもこのお店、あくまでメインは雀荘部分だろうと思われるのに、なんでこんな飲み物の種類に拘りを持っているんだろう?

 紅茶やコーヒー、ココアなんかのホットドリンクはもちろん、コールドドリンクも炭酸飲料、ウーロン茶などのお茶類からアップルジュースなんかの果汁系ドリンクまで幅広く揃っていたりする。

 もしかして染谷さんの拘りかなにかだろうか。お茶をいつも飲んでいたのは白糸台の渋谷さんのほうだと思ったけど……。

 ちなみにダージリンの中で夏摘み(セカンドフラッシュ)と呼ばれるものは高品質だとけっこうなお値段がするものだと聞いたことがあって、高校生の財布で大丈夫なのだろうかという疑問も残る。

 まあそこまで本格的なものを提供しているわけでも無し、最近の子はお小遣いの額もそこそこ貰っているんだろうから、これくらいの出費は普通に平気なのかな。

 

「ねえ染谷さん、この夏摘みのダージリンって一杯お値段おいくらくらいなの?」

「んー? ウチじゃと一杯税込みで400円じゃな。専門店とは違うんで高級品いうほどの品質は保てんし、雀卓を同時貸し出しで飲み物は半額になるサービスも有るんで財布には優しいほうじゃと思うんじゃが」

「ああ、なるほど。雀荘だもんね、そうなるか」

「で、注文は?」

「あ、ごめんなさい。これです」

「全員同じものか。風越ん連中は相変わらずじゃな」

「あの子たちっていつもこんな感じなの?」

「そんないつもあいつらと一緒っちゅうことはないんであれなんじゃが……まぁ、仲が良いいうレベルはちょっと超えとる気がせんでもないのう」

「風越って女子高だし同姓の年上に対する憧れが強くなるとか、そういうのがあるのかもね」

 

 ちなみに土浦女子にも似たような話はあった。

 男性がいないぶん上級生の先輩の大人な部分に過度な憧憬を抱くという夏風にも似た症状のアレだ。

 対象が男であれ女であれ、どちらにしろ蚊帳の外だった私に隙はないけれども。

 まぁいずれ男女共用の場に出たらまた意識も変わるだろう。一過性で終わらない人も中にはいたけれど、それはもうその人の人生だから仕方がないと割り切るしかない。

 

「あ、それじゃまた厨房に行って注文どおりにタコス作ってもらって来ようかな」

「ちょっと待った。今回はその必要は無いんでここにおってもらえるか? おーい優希、ちょっとこっち来んかー」

「えっ?」

「染谷先輩、今私を呼んだかー?」

「おう呼んだわ。ちょいと厨房に行ってタコス五つ作るよう京太郎に言って来てくれ」

「はーい、了解だじぇ!」

「で、小鍛治プロのほうなんじゃが――」

 

 染谷さんが顔をこちらに向けたのと同時に、何かを企んだ風ににししと笑う片岡さん。

 そのまま厨房に駆け込もうとした矢先、

 

「ああ、あと優希。追加で作らせたタコスのぶんはきちんと給料からさっぴいとくからな?」

「じぇ!?」

 

 背中越しにかけられたその科白に、小さな背中がビクンと震えたのがここからでもはっきりと分かった。

 

 

「すまんな。ほんで小鍛治プロにはちょいとやってもらいたいことがあるんじゃが、ええかの?」

「内容による、としか」

 

 ここに来ての特別なお願いというのには、さすがに警戒心が高くならざるを得ない。

 というのも、私が働き始めてからというもの店内にこーこちゃん含めたスタッフの気配が一切なくなったことによる必然的なものである。

 どこでなにを仕掛けてこられるかわかったものではない。ここから先は油断が即死亡に繋がる可能性が高いのだ。

 

「そがに身構えんでも……」

「染谷さんはこーこちゃんたちの無茶振りっぷりをご存じないからそんな悠長なことが言えるんだよ。私の頭上を見て同じ事が言えるなら大したものだけど」

「信用されとらんのう……逆か? 変な方向に信頼されちょるいうことか」

「絶対何か仕掛けてくるっていう確信があるって意味では信用してる。たぶん染谷さんが竹井さんを見てそう感じるくらいにはね」

「思っとったより難儀な関係じゃわ、こりゃ」

 

 大人の世界には色々とあるのだ。

 特に番組が関わってきた時に爆上げされるこーこちゃんのテンションには要注意だと、夏の解説の時に身を持って知ったのだから。

 

「ま、ええか。小鍛治プロ、駅前に商店街があるんは知っとるじゃろう?」

「商店街? あー、うん。いちおう存在は知ってるけど……」

「なら話は早い。ちょいとあそこにあるスーパーで買い物をしてきてもらえんかの?」

「別にそれくらいなら構わな――」

 

 承諾しかけて、ふと気付く。

 

「もちろん着替えてから、だよね?」

「もちろん着替えずにそのままで、じゃが」

「……そろそろ泣くよ?」

「京太郎の胸でよければ貸すぞ?」

「――行って来ます!」

 

 そういうことなら今すぐ厨房に向けて突撃を――。

 

「ちょいちょい、ちょっと待った。貸すんはええが先に買い物行ってからじゃろ」

「ちっ」

「大人の女性としてそこで舌打ちっちゅうのはどうなんじゃろうか」

「ごめん、聞かなかったことにして」

 

 このあたりはカットしてもらおう。必要と有らば麻雀ずくでも。

 

「でも外に出るんだったら猫耳はさすがに取ってもいいよね?」

「うーん、出来る限りそのままでっちゅうのが指令――おっと、ここで働く際のお約束なんじゃが」

「指令って言った!? 言ったね今!」

 

 やっぱりか福与恒子っ! お前の仕業だと分かっていたよ!

 

「まぁまぁ、これも企画の一環じゃ思うて諦めんさい。ほれ、これが買ってきてもらいたいもののメモじゃ、失くさんようにな」

「うー……なんで私がこんな目に……」

 

 がっくりと肩を落としつつ、差し出されたメモを受け取る。

 強力粉、薄力粉、片栗粉……鶏むね肉、牛肉、玉ねぎにレタス、サルサソース、etcetc.....

 自分で作った事がないから詳しくは分からないが、どう考えても全部タコスの材料だこれ。

 

「ねえ染谷さん、これはきっと私なんかよりタコスの生まれ変わりたる片岡さんこそが行くべき案件だと思うんだけど」

「あいつに買出しやらせるんは愚か者のすることじゃ。渡した金額全部で出来合いのタコス買ってきよる姿が目に浮かぶわ」

「もうそれでいいんじゃないかな……」

「アホなこと言っとらんで、できるだけ早う頼むわ。次のお客さんが来るまでには戻ってくるようにしてもらいたいところじゃ」

 

 それってかなりの無茶ぶりじゃないの? それともそんなに人が来ないお店なんだろうか。聞いてみたいが睨まれたくは無い。

 頭上で己の存在を主張するかの如くぴこぴこと揺れる猫耳をそのままに、諦めて私は小さく溜め息をついた。

 

 

 そもそもこんな手酷い罰ゲームを受けなきゃいけないような失態を私どこかで犯していたっけ?

 どうも釈然としないものがあるけれど、素直に買い出しに出かけてしまうあたり人が好いなと我ながら思ってしまう。

 こんなだから付け上がるのかな。主に番組スタッフさんたちが。

 せめてもの救いといえるのは、駅前通りまで行く道中にはほとんどすれ違う人がいなかったことか。

 犬の散歩で向かいから歩いてきたおばさんにギョっとした視線を向けられた以外に、私の心を深く抉るような凄惨な事件はなかったといえる。

 ――だが、ここからはそういう訳にはいかないだろう。

 駅前へと続く、少し大きめの主要幹線道路。メモと一緒に渡された近隣の地図によれば、ここを通り抜けなければ目的の商店街には辿り着けない。

 お昼ちょっと過ぎという時間帯も、人を多く集めるのに一役買っているようだ。

 できるだけ気にしないよう、この格好がいたって自然なふうを装って、それでもできるだけ視界から外れるようにと歩道の右端を歩く。

 すれ違いざまに振り返って行く若者たちの視線が、揃って頭上の猫耳付近へと注がれているのは不幸中の幸いといえるだろう。デコイとしては非常に優秀だったと、持ってきた片岡さんを褒めてあげることも辞さない程には想定外の事態である。

 そんなこんなで特に何事もなくスーパーへと到着した私は、入店時にすれ違った店員さんの「うわぁ」っていいたげな視線を軽く受け流しつつ、メモにある指定の材料をカゴの中へとぶちこんでいく。

 途中、お菓子コーナーにいた子供たちが「ママー、あっちに猫耳メイドがいるー」と言いながら店内を爆走し始めた時にはよほど追いかけて説教してやりたいと思ったが。

 それを聞いてやってきたお母さんたちの交わす、

「何かしら、あれ」

「何かの罰ゲームじゃない?」

「いやいや彼氏の趣味でしょ、若い子ってああいうの好きだし」

「でも高校生のうちからあんな格好させられるのは、さすがにねぇ」

「私も今夜あたり秘蔵のメイド服を……」

 という、こちらにあえて聞こえる程度に抑えられた音量での会話には、端々に感じる「若い子」という意味を持つフレーズの効果もあってか、溜飲が下がる思いの私であった。

 

 このあたりまでは比較的これといった面倒ごともなく、テレビの絵的にはつまらないのだろうけれど順調に事が進んでいたと思う。

 問題が起こったのはその帰り際。少しでも人目を避けるためにと、人よりも車の交通量のほうが多く見受けられる広い道路へ抜けるため細めの横道に足を踏み入れた時に起こった。

 あからさまにチャラい格好をした男の子が二人、へらへらと笑いながら行く手を遮ってきたのだ。

 車が一台通れるかどうか、という感じの狭い道路である。大柄の男性二人が並列に並んでしまえば、足を止めざるを得なかった。

 

「あれぇ、メイドさんじゃん。こんなところでなにやってんのー?」

「俺たち暇してるんだよね。よかったらこれから一緒に遊びにいかない?」

「はぁ……?」

 

 仕事中なのが見て分からないのだろうか?と思いつつも、若い子にナンパされるというシチュエーションには満更でもなかったりするのだけど。

 ただ、その相手がこうも悉く私のストライクゾーンから外れているというのは頂けない部分である。

 せめて須賀君くらいにはイケメンで、須賀君くらい初心な感じの、須賀君くらいには気が利く部分をお持ちじゃないと、これでは流石にときめくものもときめかないというものだ。

 どうせ声を掛けられればホイホイ着いて行くだろうと考えた番組スタッフあたりの仕込みだろうと思うけど、それならばそれでもう少し精進して欲しいところである。

 まずは出だしの科白の吟味からはじめるべきではなかろうか。何年前の少女漫画風なんだと。

 

「あの、見ての通りお仕事中なので。遊びに行くのならお二人でどうぞ」

 

 軽くいなしつつ、脇にある一人分の隙間を通り抜けようとした――その時だった。

 がっちりと掴まれた右腕の二の腕部分をぐいっと引き寄せられてしまい、荷物との兼ね合いで重心の崩れた体がその男の身体のほうへとよろめいた。

 支えてくれるものを探した結果、意図せずその胸の中にすっぽりと納まってしまった私。

 

「おいおい、いきなり逃げなくても良いんじゃねー?」

「いいなお前。俺もメイド物って大好物なんだよね。あとで俺にもよろしく」

「や、やめて! ここまでやっていいなんてこーこちゃんからは絶対言われてないはずだよ!?」

「あ? こーこちゃん?」

「なにそれ。俺たちそんなの知らないけど?」

「……えっ?」

 

 てことはもしかして、これって本気で本気の大ピンチ……てことっ!?

 若干パニック状態で、それでもなんとか体勢を立て直そうと抵抗を試みるもまるで抜け出せそうにない。

 そうこうしているうちに顔中に血が集まってくるのが分かる。耳まで真っ赤になっているであろう私だが、これは別に恥じらいからというわけではなくて。

 そもそも男の人の腕に抱かれるというシチュエーションに未だかつて遭遇した事の無い私にとって今この時は、まさに全ての力を総動員してでも抜け出すべき乙女の大ピンチという場面であった。

 というか今この時もおそらく尾行しているであろうカメラマンさんは一体何をしているの!?

 まさか暢気に撮影を続行しているわけじゃないだろうな!?

 という感じに、憤りが目の前の男達にだけではなく、いるかどうかも定かではない撮影スタッフにまで及び始めた頃。

 

「――何をしている?」

 

 これ以上ない絶妙なタイミングで背後から聞こえたその凛とした声が、とても格好よく辺りに響き渡った。

 少しだけ緩んだ腕の隙間を掻い潜って、その戒めから脱出する。

 勢い余ってよろよろと地面に倒れこみそうになった私だったけど、何もないはずのその空間にあって、何故か身体はふんわりと柔らかなものに包まれて支えられた。

 

「大丈夫ッスか?」

「え!? あ、うん……ありがとう、助かったよ」

「大事にならなくてよかったッス」

 

 目の前には、先ほどまではたしかに存在していなかったはずの黒髪の少女が。

 そしてそんな私たちを庇うように、背後には、立ちはだかる二人の女の子がいて。

 

「明らかに嫌がっている女性に対して、あまり褒められた行為ではないな。恥を知れ」

「ワハハー。警察はもう呼びに行ってもらってるから、お前ら覚悟したほうがいいぞー」

 

 片方は鋭く尖った冷たい声、そしてもう片方はこの場面に似つかわしくないほのぼのとしたものである。

 ただ、その内容は男たちを怯ませるには十分なものであった。

 

「ちっ、おい行くぞ」

「待ってくれよ、おい!」

 

 逃げ足の速さはたいしたものだ。二人の男は身を翻して、商店街の大通りとは反対のほうへと消えて行く。

 窮地を脱出したことを知った私は、思わずといった感じにその場にへたり込んでしまった。

 

「はぁ、怖かった……」

「大丈夫か? しかし君もまたなんでそんな格好でこんな場所に――」

 

 呆れたような顔で私に手を差し伸べてくれるのは、格好良い声のほうの子――だったのだが。

 上目遣いで見上げた私と視線が交錯した瞬間、何故かその動きを止めていた。

 

「こっ、小鍛治健夜……!?」

「へ? あ、うん。そうだけど……もしかして君たちも麻雀関係者? あれ?」

 

 言われてみれば、で思い出す。そういえば私も目の前の少女達にどことなく見覚えが。ああ、そうか。

 

「たしか決勝で宮永さんと戦ってた、鶴賀の大将加治木さんだったっけ?」

「――ハッ! し、失礼しました。鶴賀学園麻雀部、加治木ゆみです」

「同じく鶴賀学園の東横桃子ッス」

「ワハハ、私はいちおう元部長の蒲原智美。まさかこんなところで猫耳メイドの小鍛治プロに会うとは思わなかったなー」

「あ、あはは……これはちょっと、色々あってね。それはそうと、危ないところを助けてくれてどうもありがとう」

「いえ。ですがああいった輩は調子に乗りやすく、そのくせちょっとしたことで逆上する、対応には気をつけたほうがよろしいかと」

「うん、身に染みてよく分かったよ……」

 

 差し出された手を取って、立ち上がる。

 先ほどの場面での颯爽とした登場の仕方といい、さりげなく差し出された手といい、格好良い女性だなぁ。

 思わずぽーっと眺めていると、加治木さんの斜め後ろにひっそりと佇んでいた東横さんの視線が厳しくなった。

 この子もやっぱりそういう感じなんだろうか? でも安心して欲しい、ノーマルな私は彼女を取ったりなんてしないから。

 

「ああもう……野菜類がレジ袋から飛び出さなかったのは幸いだったけど、大丈夫かなぁ」

 

 アスファルトの上だったとはいえお尻の部分に付いたであろう砂埃を払いつつ、辺りに散らばった食材を拾い集める。

 鶴賀の子たちも手伝おうとしてくれたものの、さすがに全員の手を煩わせるほど大惨事にはなっていないので固辞しておいた。

 そうこうしているうちに、カメラマンさんらしき人と一緒に女の子が二人、こちらへ走り寄ってくる。

 目の前の三人と同じ紺色のブレザーを身に付けていることから、彼女らもまた鶴賀の生徒であることに疑う余地はない。

 

「加治木先輩、大丈夫で――!?」

「智美ちゃん、大丈夫だった?」

 

 同じようにこちらへ駆け寄ってきた二人。ただその後の反応は正反対である。

 加治木さんと向かい合っていた私を見た途端に、ぴしりと固まるのは黒髪ポニーテールの女の子。

 ……何故だろう、この子からも先ほど会った風越の文堂さんと同じような感じを受ける。この後気絶しなければいいけど。

 片や、蒲原さんを心配するように近づいてきた眼鏡の金髪サイドテールな彼女はというと、こちらのことはさっぱり眼中にないらしい。

 自分のことながら街中で猫耳着用のメイド服姿という、いと珍しき存在を視界に捉えつつ無視できるその胆力は実に素晴らしいと思う。

 そしてもう一人、実に申し訳なさげに頭を下げてくる中年の男性が一人。彼は私の前に出てくるや否や、いきなり土下座を始める始末であった。

 

「す、すみませんでしたァーっ!」

「ちょ――や、やめてください! なんか私がものすごく怖い人みたいに思われちゃう!?」

「無事に初めてのお使いが終わって、ホッとしたからちょっとトイレへと目を離した隙によもやこんなことになろうとは……っ」

「完全に子供扱いじゃないですか、やだー」

 

 

 カメラマン一人だけに仕事をさせようとするからこういうことになるんだと、後にこーこちゃん含め番組スタッフは上層部の人たちからこっぴどく叱られることになるのだが、それは完全な余談である。

 

 

 ともあれ、問題は解決したのだから早くお店に戻らなければ。あの店長から次にどんな無理難題を押し付けられるかわかったものではない。

 もはやかの輝夜姫でさえも裸足で逃げ出しかねないレベルである。恐れない理由がないのだった。

 

「というわけで、ごめんね。本当はお礼がしたいんだけど、今仕事中で……」

「なるほど、例の番組の……」

「鶴賀のことが一切触れられなかった、あの番組のことッスね」

「こらモモ」

「あー……」

 

 以前放送した内容の中で、決勝進出校の中で唯一話題にも取り上げられなかったのが、たしか彼女らの所属する鶴賀学園だったか。

 だって仕方がないのだ。風越女子より上の順位だったとはいえ、実質的には天江衣による執拗な池田ァ!苛めによるところの棚ぼた的な第三位であるに等しいのだから。

 それはたしかに副将東横さんの区間トップは目を瞠るものもあるし、大将の加治木さんが宮永さんから撃ち取った槍槓なんかは見所があるといえなくはないけれども。

 その加治木さんが抜ける来年以降の展開を語る上で、人数も足りなくなる鶴賀学園の名が出てくる理由は、正直欠片もなかったのである。

 とはいえ、今日この時に生まれた恩義という点において、そのまま放置というのも心苦しいものがある、というのもまた事実だ。

 

「小鍛治プロが急ぎっていうんなら、ちょうど車で来てるし送って行くのもやぶさかじゃないぞー?」

「え? 本当?」

「ちょ、智美ちゃん!? それはちょっと、いくらなんでも――」

「ああうん、そうだよね。これ以上迷惑掛けるのは流石に……」

「いえ、そういう理由とはまったく別の問題があって、あまりお勧めはしないというだけで」

 

 加治木さんが苦虫を噛み潰したような表情で唸る。

 ちなみに金髪サイドテールちゃんこと妹尾佳織さんからは既に自己紹介を受けた後で、彼女が私の名前と顔が一致しない程度には麻雀初心者だという説明も受けていたりする。

 それともう一人、津山睦月さんだったかな?は案の定、自己紹介を終えた時点で置物のようになってしまった。私、悪くないよね?

 

「でもどっちにしろ、あの雀荘には行くことになってたんじゃなかったッスか? 加治木先輩が例のあの人からお誘いを受けたって喜んでたッスよね?」

「も、モモ。その目で見るのは止めてくれないか? 久とは友人なんだから、遊びに誘う誘われるくらいは普通にあってしかるべきだろう?」

「うう、それは分かってるッスけど……」

「それに久からは遠征終わりでもし時間が有れば、程度で話を貰っていただけだ。よもや小鍛治プロが働いているとは夢にも思っていなかったが、そういう理由だったとはな」

 

 どうやらこちらにも色々と深い事情がありそうだ。蛇が出てきそうなんで自分から首を突っ込んだりはしないけど。

 

「というわけで、もしよろしければ一緒に行きませんか? 私はあまり、お勧めしたくはないのですが」

 

 ボソリと付け加えられた一言に、悪い予感を抱かざるを得ないのは何故だろうか?

 とはいえ、これ以上遅れて戻ったら染谷さんに『なンしとったんじゃわれ!』と言われかねないのもまた事実である。正直あの口調の染谷さんはめっぽう怖い。

 

「そんなに身構えなくても平気ッスよ? 慣れればどうってことないッス」

「……慣れ? ま、いっか。それじゃお願いしちゃおうかな」

「了解ッス! ほらかおりん先輩もむっちゃん先輩も、乗り込むッスよー! あ、加治木先輩は私の隣で」

「おーし、そんじゃ超特急で目的地まで行くぞー」ワハハ

『……』

 

 一人元気な東横さんとそれに乗っかる蒲原さんを横目に、何かとても可哀相なものを見る目でこちらを一瞥し、溜め息をついた加治木さんと妹尾さん。

 これまでの不穏当な科白やその視線の意味を正しく理解したのは、この五分後の出来事であった。

 

 

 

 

「」

「一体何があったんじゃ……」

 

 放心状態のままお店の中に放り込まれてからしばらく経って。

 なんとか大人としての体面を整えることが出来るに至るまでは、結構な時間を要したといえる。

 

「車怖い車怖い車怖いワハハ怖い……」

「そろそろええか? 次の仕事が待っとるんじゃが」

「――ハッ! ご、ごめんね。もう大丈夫」

「ほんまかのぅ……」

 

 真っ暗闇の中で不意打ち気味に蒲原さんのカマボコ型笑顔を見でもしない限りは大丈夫だと思う。たぶんだけど。

 

「そういえば染谷さん、鶴賀のみんなはどうしたのかな?」

「あいつらならほれ、あっちでウチの部長らと盛り上がっとるよ」

 

 くいっと向けられた親指の方向を見てみれば、飲食コーナー部分の半ばほどを占拠している女子学生たちの群れが見えた。

 見れば文堂さんと津山さんも無事復活を遂げており、なにやらカードのようなものを広げて楽しげに談笑しているようだ。

 

「長野の学校ってなんでこんな仲良いんだろう? 私の頃のイメージじゃ、同じ県のライバル校とこんな風に笑いあうとか考えられないよ」

「ま、こうなるに至るまでには色々とあったんじゃ。それでも卓を囲むときにゃあ一切手心を加えるこたぁないけぇ、健全な関係じゃと思うぞ」

「そっか。ある意味理想的ではあるかもね」

 

 私とて、何もライバル校同士は憎しみあっているのがお似合いだぜ、とか思っているわけではない。

 お互いにお互いをきちんと認めることができ、切磋琢磨していける関係でいられるならば。それはとても素晴らしいことだと思う。

 心の中で素直に関心していると、タコスを乗せたお盆を抱えた片岡さんが厨房からやってくるのが見えた。

 

「染谷先輩、追加のタコス五人前できあがりだじぇ」

「ほーか。ご苦労さん、ついでにそっちに置いとる飲み物と一緒に鶴賀の連中に持って行っといてくれ」

「ほーい、了解だじょ」

「あ、片岡さん、ちょっと待って」

「ありゃ、小鍛治プロもう立ち直ったのか? ワハハカーにやられたわりに意外と早かったじぇ」

「ジェットコースターって安全性を重視してあるぶんよっぽど親切なんだねってことが分かっただけ貴重な体験ではあったけど、おかげさまでね」

 

 あまり知りたくもなかった情報だし、今後一切活かす場面に遭遇しない事が前提ではあるけれど。

 

「それ私が持って行くよ。あと染谷さん、鶴賀のみんなの飲食代は私が持つから、あとで請求回しておいて」

「うん? どういうことじゃ?」

「ちょっと街中で助けられちゃってね、せめてそのお礼にと思って。っとありがとう片岡さん、じゃちょっと行ってきます」

 

 差し出されたお盆を受け取り、ある意味無法地帯になりかけている団体さん御一行の元へと向かう。

 清澄の三人、風越の五人、そして鶴賀の五人と併せて計十三名。それぞれ所属の違うメンバーが四つのテーブルに別れて座り、あちこちで混成軍が出来上がっていた。

 本来であれば四人がけのテーブルに無理やり五人を詰め込んでいたはずの風越テーブルから深堀さんと文堂さんが抜け、津山さんと一緒に新しく用意された別の席へ。

 竹井さんの抜けた清澄テーブルには風越から池田さんと吉留さんが合流、謎の面子が出来上がっている。

 福路さんの残った旧風越テーブルには竹井さんと加治木さん(+おそらく東横さん)が加わり、鶴賀に用意されていたテーブルには蒲原さんと妹尾さんが残り差し向かいで座る、という布陣である。

 とりあえず仕事であるからには、メイドとしてきちんと配膳しなければならないわけだけど。

 なにこのカオス。どうして鶴賀面子はせめて注文が揃うまで一つのテーブルでジッとしておけないのか。

 

「お待たせいたしました、オレンジジュースとタコスのお嬢様は――」

「あ、私だ」

 

 声をと共に手を挙げたのは、鶴賀テーブルの妹尾さんである。

 露避けのコースターをあらかじめ敷いてから、その上にグラスを置く。で、手前には未開封のストローを。

 

「智美お嬢様のお飲み物は、この中のどちらでしょう?」

「おー、私か? お嬢様ってガラじゃないけど、頼んだのはコーラだなー」ワハハ

「失礼いたしました。ではこちらを」

 

 手前のオレンジジュースにしたのと同じようにしてから、どす黒い液体で並々と満たされている状態のグラスを置く。

 その動作を見てか、妹尾さんが小さくため息を付いたのが分かった。

 

「佳織、どうかしたのかー?」

「ううん。でも、トッププロにこんな風にお仕事させちゃっても大丈夫なのかなぁってちょっと思って」

「あー、たしかにそれはなー」

「そう言ってくれたのは妹尾さんが初めてだよ……。でも気にしなくて良いからね、これはお仕事っていうのもあるけど、さっきのお礼って意味のほうが強いから」

 

 はいどうぞ、と小皿に二つ取り分けた、シェフのお勧め出来立てタコスをテーブルの中央に置いた。

 次に向かうのは津山さんの他に文堂さんと深堀さんのいる、ちょっとこれ私が行っても大丈夫なのかと思わざるを得ないメンバーたちの集いしテーブルであった。

 

「失礼いたします。睦月お嬢様のお飲み物は――」

「は、はいっ! 私は抹茶ラテを頼みました!」

 

 お、おおう。

 なんだか妙にテンションの高い津山さんが、立ち上がって手を上に目一杯伸ばしながら宣言する。

 思わず選手宣誓を任せたくなるほど力強いそれは一気に注目の的となったが、あにはからんや、彼女は何処吹く風である。

 

「ど、どうぞ、これ飲んでちょっと落ち着いてね?」

「ハッ!? す、すみません小鍛治プロ!」

 

 机に所狭しと並べられていたカードの隙間を確保して、コーヒーカップと一緒にタコスの小皿を手前に置く。

 近くで見ればよく分かるが、それらは全部プロ麻雀せんべいに付録として付いてくる例のアレのようだった。

 

「これってお煎餅のオマケのやつだよね? へぇ、集めてるんだ」

「はいっ! 第一弾から欠かさずに!」

「わ、私もそうですっ!」

 

 話題を振ってみたら、すかさず食いついてくるのは津山さんと文堂さんである。

 同卓している深堀さんは我関せずのスタイルで、優雅にカップを傾けていた。

 こういったトレーディング系のおまけというのは昔からほんと人気が高いなぁと妙なところで関心してしまう。

 某超有名タイトルのウエハースなんかに至っては、オマケで付いていたシールにその価値のほとんどを奪われてしまい、末期にはシールだけ抜かれて本体はゴミ箱へ捨てられるというなんとも切ない悲劇をも生み出したほどであったという。

 そういった点ではおせんべいの味を細かく変えていると噂のプロ麻雀せんべいは上手くやっているほうなのかもしない。

 ただ、煎餅という謎のチョイスが渋すぎると思うのは私だけなのだろうか。いったい狙いは何処の層なのかと問い正したくなるくらいには謎すぎる選択である。

 

「そういえば私も何回か写真を使わせて欲しいってオファーがあったなぁ……採用されるのは何故かなんでわざわざそれを選ぶの!?っていうのが多かったけど」

「それはもしかして、この時のヤツですか!?」

 

 文堂さんが半ば興奮気味に懐から取り出したのは――ああ、なんかもう身に覚えのありまくるカードであった。

 

「ああ、うん。それもそう。第二弾のやつだったっけ? 懐かしいなぁ……」

「わわっ、やっぱり!」

 

 どこか感慨深げにカードを見やる文堂さん。そしてそれをどこかむず痒そうな表情で見つめる津山さん。

 なんだろう。なんというか、耽美なものとはまた別の意味で二人の世界である。

 ちらりと深堀さんのほうに視線をやると、それに気付いた彼女は小さく首を振り、触れてやるなと言わんばかりに眉を顰めていた。

 ……今のうちに席を離れたほうがよさそうだ。

 

 半ばトリップ状態に陥った二人を残し、最後に加治木さんとおそらく東横さんがいるであろう旧風越テーブルでの配膳である。

 

「お待たせいたしました」

 

 盆上に残されたメニューはあと二つ。片方はクリームソーダ、片方はホットコーヒーだ。

 イメージ的にはどちらがどちらを頼んだのか一目瞭然だが、ここであえての引っ掛けというか、万が一ということもある。

 間違えたら普通に失礼だし、そもそも本当にここに東横さんがいるかどうかも分からないのだからきちんと聞いておかなければなるまいて。

 

「時にゆみお嬢様、桃子お嬢様はこちらに?」

「ああ、モモなら――」

「ここにいるッスよー」

 

 加治木さんの隣のスペースに、迷彩を解くようにして姿を現すのは黒髪の少女。間違いなく東横さんだった。

 やはりというか、加治木さんの近くにいたか。私の勘も満更ではないな。

 

「えと、ホットコーヒーとクリームソーダをお持ちいたしまし――」

「あ、小鍛治プロ。ちょっと待ってちょうだい」

「……なんでしょうか、久お嬢様?」

 

 ニコリと笑う竹井さん。

 こーこちゃんで見慣れている私としては、それが悪戯を仕掛ける直前に浮かべるものだと即座に理解した。明らかに面白いことを思いついたと言わんばかりの、悪待ちで当たりを引いたときにも似た、悪い顔だ。

 

「メイドたるもの、まさか仕えているお嬢様を前にどちらが何を注文したかも分からない、なんてことは言わないわよね?」

「……」

 

 やはりそう来たか。さすがはこーこちゃんに次ぐ対小鍛治健夜における危険人物四天王不動のナンバー2、油断も隙もありはしない。

 隣に座る福路さんはおろおろと、対面に座る加治木さんは呆れた様子を見せる中、東横さんはニヤリと笑って私を見た。あの時加治木さんに見とれていたせいか、どうやら挑発されているらしい。

 ただ、竹井さんのそれと違ってやたらと可愛らしく見えるのは彼女の性格の成せる業か。

 だが私もやられっぱなしではいられない。特に竹井さんにはそろそろ痛い目を見てもらわなければならないだろう。

 ちらりと伝票に目を通し、一番上に書かれているものが津山さんのものであることを確認。次いで妹尾さん、蒲原さんと、ここまでは奇しくも長野県予選団体戦時のオーダーと重なる。

 となれば、続いてホットコーヒー、クリームソーダの並び順であることを考慮すると――。

 

「ホットコーヒーになります。熱いのでお気を付けを」

 

 確信を抱き、私は手に持っていたコーヒーのカップを加治木さんの前に置いた。

 順当に行けば東横さん、最後が加治木さんとなるべきだろうが、素直にそうならないであろう要因がこのチームの中には潜んでいるのだから。

 ――そう、東横桃子。本日ここに集まっているメンバーの中でも相当異質な存在の彼女である。

 影が薄いというよりは存在感そのものを喪失できる、という感じなのだろうか。まだ麻雀中の卓上でなら話は別だけど、普通に生活している状態で消えられてしまうとどうにも捕捉しきれない。

 これでよく日常を問題なく過ごせているものだなと逆に感心するほどの彼女をして、いざ注文をという時に普通にオーダーを通してもらえるものだろうか?

 私の出した答えは当然の如く、否、というものであった。

 つまり必然的に、最後に書かれているオーダーは東横さんのものとなる。おそらく存在そのものを忘れられていたところを呼び止められて、慌てて書き記したのだろう跡が見て取れた。

 

「あらま、引っかからなかったか」

「――ふぅ。ここはさすがというべきなのか?」

「順当といえば順当なのではありませんか? 加治木さんはコーヒーを飲む姿がとてもよく似合っていますし、イメージ通りかと」

「逆に加治木先輩がクリームソーダを頬張る姿は想像できないので、残当ッスね」

 

 と、それぞれの評価が並んだところで竹井さんがつまらなさそうに口を尖らせた。

 ふふん、と胸を張って勝ち誇ってみせる私。大人気ないが、仕掛けられた勝負を返り討ちにした勝者の私には許されて然るべき程度のほんの些細な優越感である。

 竹井さん以外の子たちには関係ない話だが、そこは同卓した好ということで勘弁してもらおう。

 

「てことで残ったクリームソーダは私ッス。溶けないうちに飲みたいんスけど、いいッスか?」

「あ、うん。遅くなってごめんね」

 

 コースターを敷いて、目の前にスプーンと並べて置く。

 ついでに二人の真ん中にタコスの乗った小皿を置いて、お盆の上はようやく空になったのだった。

 

 

 

 お昼過ぎから働き始め、なんやかんやありつつも、そろそろ二時間が経過しようかという頃。

 休憩がてら雀卓側のカウンターの受付を任されていた私の元に、吉留さんが池田さんと清澄の一年生コンビを引き連れてやってきた。

 飲食スペースでの会話に飽きたのか、打つ気満々という様相である。

 

「そろそろ麻雀卓をお借りしたいんですけど、卓空いてますか?」

「えっと……うん、大丈夫。三番の自動卓が空いてるから、そこ使ってもらってかまわないよ。あ、東風戦か半荘戦かだけ教えておいてね」

「半荘でいいよね?」

「はい、問題ありません」

「てことで、半荘戦でお願いします」

「了解。片岡さーん、油売ってないで案内よろしくねー」

 

 さりげなくお客さんに混じってくつろいでいた片岡さんを呼び戻す。

 福路さんに宥められつつ渋々といった感じでやってきた彼女だが、須賀君から差し入れで貰った貴重なタコスのうちの一つを渡してあげると、一気に機嫌がよくなった。

 なんていうか、扱いやすいことこの上ない子だな。

 近場にうろついている悪女の彩には決して染まらず、純粋なままの君でいて欲しいと思う、切実に。

 やる気になった片岡さんが吉留さんたちを連れて麻雀スペースへと消えていった頃、しばらく鳴っていなかったカウベルが新たな来客の到来を告げる。

 ――否。カウベルよりもよほど騒がしいソレが、というべきだったか。

 

「お~っほっほっほっほ! 真打は後から登場するもの! 龍門渕透華、華麗に参上ですわっ!」

 

 

 全国大会で他の誰かによって既出のそんな宣言を高らかに歌い上げながら、頭頂部にアンテナを尖らせたその女子高生らしき人物は、三人ものメイドを引き連れてやってきた。

 ……道場破りならぬ雀荘破りかなにかだろうか?

 どちらにしろ面倒くさい……もとい、私の手に負えなさそうだったので、諸事情で事務室へ引っ込んでいた染谷さんを呼び出すことにする。

 すると、顔を出した染谷さんは集団の先頭で高笑いをする彼女の姿を見た瞬間、げんなりとした表情で私の肩をポンと叩いた。

 

「あれの相手は任せる、席に案内して適当にあしらっといてくれればええけ」

「え? でも明らかにあれ、雀荘破りかメイド勝負を挑んできた宗教団体かなにかでしょ? いいの?」

「ありゃあ龍門渕のお嬢様とその連れ御一行様じゃ。そんな存在するかどうかも怪しいワケの分からん連中とは違うけぇ、心配はいらん」

「えぇ……」

 

 存在するかどうかも分からない怪しげな連中と、目の前に確かに存在しているお嬢様率いるメイド軍団と、どっちがより心配かと問われれば明らかに後者なんだけど。

 ともあれ、店長がそういうのならば仕方が無い。こちとらしがない従業員である。

 エプロンドレスの皺を手で伸ばしつつ、未だお嬢様の高らかな笑いのポーズを崩そうともしないお客様の前に立つ。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様。それと、ええと……」

 

 龍門渕のお嬢様というからには、本来の意味で正しくお嬢様なのだろうが、だからといってお抱えのメイドが仮にもメイド雀荘を名乗る場に一緒に来るのは流石に想定外だ。

 さすがにメイドさんを主人と同等のお嬢様扱いするのもどうかと思うし、本職相手にメイドっぽく振舞うのもなんだか気恥ずかしいものがあったりして。

 ぶっちゃけてしまえば、こちらのキャラ設定がさっぱり定まらないのである。こんなのいったいどうしろと……?

 

「あ、ボクたちのことはお気になさらず。新人さんも、なんというかやりにくいでしょ?」

「……一、その人は」

「まぁ国広くんの言う通り細かいことはいいんじゃねぇの。透華もいつまでも笑ってねーでさっさと正気に戻れよ」

「ハッ! そうでしたわ。そこの方、ここで長野県決勝進出校三校によるささやかなパーティーが催されているというのは本当のことですの?」

「えっ? パーティー……? 結果としてはそんな感じになってるっぽいけど、意図してやってることではないというか」

「ああもう! ごちゃごちゃとワケの分からないことを! やっているならやっているで経緯などどうであろうが構いませんわ!」

「はぁ……そ、そうかな?」

「当然っ! そこに長野県大会で死闘を尽くして戦った三校が揃っているというのであれば、長野団体戦第二位の私たち龍門渕も当然参加しなければならないということ! それはもはや強者たる私達に与えられた責務であると言っても過言ではありませんわ!」

「そ……そうなんだ」

 

 その力強い演説に思わず圧倒される私。むしろ引いてしまう。血圧大丈夫かこの子。

 

「まぁ、仲間外れになるのが嫌なだけだろうけどね、透華は」

「透華も聞いて、その人は小鍛……」

「捲土重来! とーか、話はハギヨシより聞いた! 咲もののかもいると聞くし、衣も喜んで参加しよう!」

「衣、ナイスタイミングですわ。これから始まるそうなので心配は無用、さあ皆さん、行きますわよ!」

「うむ!」

「あー腹へったー」

「たまにはこういう集まりもいいかな。全国大会の時以来だし」

 

 引き留める暇も有らばこそ。

 お嬢様以下二名のメイドと、後から現れたうさ耳っぽいリボンのヘアバンドを装着した少女――おそらく天江衣――は、こちらの案内を待たずにさっさと飲食スペースへと向かって歩き出す。

 結果、唯一何かを言いたげだった黒髪眼鏡のメイドさんと私だけがその場に取り残されてしまい。

 

「……ごめんなさい、小鍛治プロ。みんなテンションがおかしいから、目の前が見えていないみたい」

「うん、まぁ……貴方だけでも気づいてくれたんだし、別に謝らなくて良いよ?」

「みんな根は悪い子じゃない。それだけは、分かってあげて欲しい」

「大丈夫。ちょっとびっくりしちゃったけど、別に嫌いになったりとか、そういうことはないからね」

 

 私なりにフォローはしたつもりだったけど、それでも申し訳なさそうに小さく一礼したあとで、彼女も龍門渕御一行様のあとを追っていった。

 なんというか、良い意味でも悪い意味でも目立ちたがり屋なんだろうなというのが第一印象のほとんどを占める、そんな微妙な対面となってしまったわけだけど。

 周囲のメイド軍団たちが特にこれといった反応を返さなかったということは、あれが彼女の普段通りというやつなんだろう。

 それにしても――これで清澄、風越女子、鶴賀学園に加え、ついには龍門渕高校のレギュラーメンバーまでもが、この雀荘に大集合してしまったことになる。

 もしやここで県大会の決勝戦の再現でもおっぱじめる算段なのではないかと疑いたくもなるシチュエーションではあるのだが。

 

「……どうしてこうなった?」

 

 静かになった出入り口の扉の前で、思わず素直な気持ちを零してしまう私。

 この大集合の裏でとある一人の人物が暗躍していることを知るのは、もう少しばかり先のこととなる。




ちょっと長すぎな感が否めない。でも更に後半へと続きます


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第03局:指導@見よ!雀荘は赤く燃えている!?

 ぐったりとした様子の店長からの指示を受け、入り口の扉に『本日貸切』の札を掛けた。本格的に四校合同パーティーとやらの開幕を告げる狼煙であるかの如く、それは誇らしげに揺れている。

 既に太陽は天頂を越えて久しく、山の向こう側へと傾こうとしているというのに。店内を陣取る彼女らの勢いは増すばかりで……。

 清澄の三人から始まり、風越女子、鶴賀学園、そして龍門渕高校と。お店のスタッフ側も含めれば長野県大会の決勝団体戦メンバーの全員が、ここに終結したことになる。

 意図的でない、と判断する理由こそないだろう。

 鶴賀学園の合流は半分くらい私自身とも関わり合いがあるとはいえ、加治木さんとの会話中に東横さんが漏らした科白、『例のあの人に誘われていた』というあれが妙に引っかかる。

 風越の福路さんが竹井さんと顔を合わせた時、なんて言った? 『せっかくお声がかかったんだし』と言わなかったか。

 龍門渕のお嬢様は、いったいどこでこの三校が集まっているとの情報を得る事ができたのか。

 全ての情報を掌握しつつ意図的に必要な場所にのみ流出する、決して表に出てこなかった存在。そんなものがもしいるとしたら、それはもしや――。

 

「やぁやぁすこやん、御勤め頑張っているかい?」

「やっぱりお前か、こーこちゃんっ!」

 

 これ以上ないタイミングで姿を見せたこの女しかいないだろうと直感が告げていた。

 

「って、あれ? 靖子ちゃんと、久保さん?」

「お久しぶりです、小鍛治プロ。先日は突然のメール、失礼しました」

「どうも。こちらは昨日ぶり、で……ぶふっ……っだ、ダメだこれ! 無理無理耐えらんないって、なんですかその格好! 猫耳て!?」

「靖子ちゃんェ……」

 

 同僚の遠慮の無い笑っぷりに私の心は崩壊寸前。対照的に久保さんは表情一つ変えずに挨拶してくれてどうもありがとう。

 

「ていうか、みんな揃ってなんなの? 生徒は生徒で集まってるし、保護者まで出てくるなんて」

「くっ、くくく……」

「いい加減笑い止まないとあとで酷い目に遭うことになるよ? 主に雀卓でだけど」

「――っと、それはそれで興味がなくはありませんが。私は貴子とは違って別に久の保護者でも何でもありませんよ」

「そーかな? けっこう目を掛けてあげてるみたいだけど?」

「藤田プロの場合、どちらかというと保護対象なのは天江衣のほうなのでは?」

「あー、いいね。久と違って衣はたしかに保護してやりたい衝動に駆られるわ」

「あの見た目だしね」

「麻雀打ってない時は可愛いよねー、あの子」

 

 思わず頷いてしまう私とこーこちゃん。

 

「分かってないねぇ福与アナ。全部を含めて衣は可愛いんだよ。海底で和了った時のあのドヤ顔とか、あれはもう天使といっても過言じゃないね」

「うわぁ、靖子ちゃんそれは溺愛しすぎてて怖いよ」

「今の小鍛治プロの猫耳姿ほど怖いわけじゃありませんて、失礼な」

「」

「おっとここで藤田プロの投げたナチュラルな言葉が小鍛治プロの硝子のハートにクリティカルヒットォ!」

「その実況的な言い回しは止めて! あとお店の迷惑になるから三人とも早く中に入ろうか!」

 

 店の前でいい大人が揃って何をやっているんだ、という話である。

 いくら貸切とはいえ、今の状態はあまり宜しくない。一従業員としては早急になんとかするべきだろう。

 

「さて、んじゃ私らは店内に入りますかぁ。藤田プロと久保さんはお客様だから、すこやんはそのつもりで対応してあげてね?」

「……どうしてだろう、笑い転げてる靖子ちゃんの姿しか見えない」

「できるだけ抑えますよ。出来るかどうかは別として」

「小鍛治プロ、大丈夫です。お似合いですから、年齢に似合わず」

「うう、これだけの人数が揃ってて私の味方が須賀君と妹尾さんだけって、いったいどういうことだろうね」

「聞きたい?」

「……止めとく」

 

 こーこちゃんの問いかけに首を横に振ったことは、我ながら賢明な判断といえた。

 

 

 カランコロンカラン――とカウベルが鳴るのとほぼ同時だっただろうか。

 店の中、雀卓のあるスペースのほうから『にぎゃー! あたしの役満がそんなゴミ手でぇぇぇっ!』という、猫でも縊り殺したかといわんばかりの悲鳴が聞こえてきたのは。

 いったい何事かと確認に向かおうとする私よりも先に久保さんが動いた。

 

「うるせぇぞ池田ァ! 店の中でなに騒いでんだお前!」

 

 とお前のほうがうるさいよと言われそうなくらいの大声で叫んだ時、

 

「ひぃ!? く、久保コーチ!? なんでこんなところにいるんだし!?」

 

 という、瀕死の猫――もとい、池田さんの声が返ってきたのである。

 ガヤガヤと賑やかだったはずの飲食スペースも一瞬で静まり返り、こちらに注目しているようだ。

 もしやこれは、私がこの空気をなんとかしなければならないのだろうか、と思っていたのも束の間。

 

「……なんだ、風越の。いつものことね」

 

 竹井さんの発したその一言で、示し合わせていたかのように即座に賑やかさを取り戻す四校混合麻雀部の皆様がいた。

 やっぱりコントでもやっているんだろう君ら。

 

 

 靖子ちゃんと久保さん、こーこちゃんの三人はそのまま飲食スペースに行くことなく、卓を囲んでいる面子のほうへと向かう。

 どうやら思春期の高校生達が集う女子会中のあちら側よりも、こちらのほうが居心地がいいと感じたのだろう。それには私も同感だ。

 全六卓あるスペースにおいて、現在使われているのは池田さんたちが使用中の第三自動卓と、龍門渕さんや天江さんたちが使っている第一自動卓だけである。

 

「ついでだからこーこちゃんもやる? 靖子ちゃんたちはやる気なんだよね?」

「それはもちろん、せっかくですからね。小鍛治プロに入ってもらえるならやりがいもありますし」

「えっ? ねぇすこやん、小鍛治プロ? 私がこの面子に囲まれて一局持つと本気で思ってる? 思ってないよね? いじめ? いじめはよくないよ?」

「いつも私に無茶振りばかりしてるこーこちゃんが言っても説得力ないよね」

「ひどっ! すこやんの鬼! 悪魔! ちひろ!」

「ちひろって誰!?」

「最近こういうのがなんかトレンドなんだって。ちなみに私も誰かは知らないんだけど、噂だと業界内でもけっこうな権力を持った怖いおねーさんらしいよ」

「……実在するんだ」

 

 それはそれで怒られるんじゃないだろうか、色々な人たちに。

 そんなやりとりをしつつふと気が付けば、久保さんが真剣な表情で吉留さんたちの動向を見守っていた。

 先ほどまでのそれとは明らかに違う、コーチとしての横顔である。

 ちなみにその向こう側では海底撈月で跳ね満をツモ和了した天江さんにちょっかいを出している某プロの姿もあるのだが、そちらはあえて見て見ぬふりをしようと思う。

 

「ふぅむ……」

 

 こちらの卓は開始が早かった割に進み具合はそうでもないようだ。

 東三局三本場、現在のトップは池田さんの33200点、連荘で追い上げる原村さん(親)の点数は31900点、三位が宮永さんでラスが吉留さんとなっている。

 さすがにこの面子の中で稼ごうとしても、極端な速度や火力、あるいは必殺技を持たない吉留さんでは追い上げるのも厳しいかもしれないが、さて。

 

「――リーチ」

 

 中盤辺りに差し掛かったこの一局、最初に動いたのは宮永さんだった。

 

 {七萬}{七萬}{八萬}{八萬}{九萬}{九萬}{二筒}{二筒}{二筒}{四筒}{西}{西}{西}

 

 この手牌を見るに、相変わらず対子手で形を作るのが好きな子だなという印象を受ける。

 今回のリーチはおそらく西の暗刻を次の一手で暗槓しつつ、当たり牌を持ってきて和了する算段なのだろう。

 だが、彼女が得意としている嶺上開花の存在を知る面々が素直にそれを許してくれるのだろうか?

 事実、宮永さんの対面に座る吉留さんは上家の原村さんが捨てた索子の2を即座に鳴き、一発を消すと同時に安牌の南を切ってツモ順をずらしてみせた。

 吉留さんから見て下家の池田さんはそのまま引いてきた索子の9を捨て、宮永さんの順目である。

 

「――カン」

 

 当たり前のように宣言し、ツモってきた西を含めた槓子を場に晒す宮永さん。ビクっと肩を揺らした吉留さんには申し訳ないが、その程度で止められるなら全国大会個人戦優勝など夢のまた夢だったろう。

 そうして王牌から引いてきたのは、これまた当然のように当たり牌の筒子④。

 

「ツモ。リーチ門前清模和一盃口嶺上開花、三本場は2300、4300です」

 

 大きく溜め息を吐き点棒を支払う吉留さんと、淡々とした様子のその他二人。

 ちなみにマナー違反ではあるが、本来宮永さんがツモるはずだった次の牌を確認してみたら――案の定というべきか意外とでもいうべきか、筒子の③であった。

 鳴きが成立しておらず、一発が付けば『リーチ一発門前清模和一盃口』となり、どちらにしろ満貫での和了だったことになる。

 

「相変わらず、あれは脅威ですね……普通にやっていても止められる気がしない」

 

 隣に移動した私にしか聞こえない程度の小さな声で、久保さんが呟く。

 でも今の場合は和了を防ぐ手立てがまったく無かったわけでもない。

 池田さんの捨てた9、同じ牌の対子を所持していた原村さんであればポンすることができたはずで、そうすれば残り一枚だった西は別の人物に握られ、この順目での槓はできなくなっていた。

 それでも③④のいずれかを山から自力でツモってこないと言い切れないあたり、宮永咲がチャンピオンたる所以ではあるのだが……。

 たしかに原村さんがあの時点で9を鳴けば、オリるにしても安牌が減り、親の利点を活かして強気に押して行くにしても役なしとなって和了からは遠ざかる一手となったわけで、現実的に鳴きの判断をするのは難しかったと思われる。

 宮永さんの嶺上開花に関していえば、リーチをかけることのほうが少ないというデータもある。また天江衣の海底のようにリーチ後のこの順目での和了が確定しているわけでもない。

 戦いはまだ前半戦の最中である。ここから逆転する自信のある彼女にしてみれば、まだ慌てるほどの時間帯ではないということか。

 事実、親っかぶりの原村さんからは動揺の色はまるで見られなかった。

 

「うーん、となるとあのリーチは撒き餌だったのかな……」

「今の。小鍛治プロが吉留の立場ならどうしましたか?」

「ケースにもよるだろうけど、今の場合リーチを掛けられた時点でほぼ和了られるのは確定だろうから、鳴こうが鳴くまいが個人で対処するのは難しかったと思うよ」

「小鍛治プロでもそうですか」

「全部の情報が出揃った今だから言えることだけど、三人が連携してまずは一発と槓を潰す。で、宮永さんが当たり牌の③か④を引いてくる前に安手の誰かに振り込んで止める、っていうのが理想的だったとは思うかな」

 

 とはいえ麻雀はあくまで個人個人の戦いである。

 たとえば全国大会Aブロック準決勝先鋒戦の後半戦、宮永照が遠慮なしに大暴れしすぎた結果、ほぼ三対一での戦いとなった最終局。

 あの時のように是が非でも止めなければならないという展開の中、他家の思惑が完全に一致するような状況にでもならなければ、なかなか思惑通りに連携するという事態にはならないだろう。

 そしてこの卓でそれは特に難しいはず。その理由が、吉留さんから見て上家に座る原村和の存在だ。

 彼女は基本的に個人の裁量でたいていのことをやってのける絶対的な自信と、それによって起こりうるであろう結果を良し悪し関係なく黙って受け入れる、頑なな程強い覚悟を持つ人物。

 他家と連携することはまるで考えないで自分の手を突き詰めて行くタイプの打ち手だから、そういう流れをあえて読まないといけない場面では連携プレーの足を引っ張る典型である。

 以前それを「もう少し柔軟にしたほうが良いかもね」とやんわり諭したわけだけど。

 今の一連の流れを見るに、今回の宮永さんの和了に関しては、あえて自分を曲げる必要のある重要な場面とは判断されなかったようだ。

 もっとも、今の卓の状況から鑑みれば当然な成り行きではある。逆にアドバイスに流されて自分を見失う人間も多い中で、その胆力は流石というべきだろう。

 ただ、この和了が最終順位を決める事実上の一撃だったと最後に結果として顕れたとしても、原村さんはこの時和了を止めなかったことに対して反省も後悔もしないのだろうな、と表情を変えず山から牌を取る彼女の姿を見て思わず呆れと感嘆がない交ぜになった溜め息を一つ吐いた。

 

「でも、王道だけどリーチ宣言された直後に王牌を潰すほうが対策としては楽なんだよね」

「それは……宮永に順目が回るより先に槓をするということですか? ですがそれは――」

「タイトルか何かが懸かってる試合ならともかく、こういう場での打ち回しの中でならなんとでもなるよ、それくらいは」

 

 はっきりと言い切って見せた私に、久保さんはそれ以上の言葉を繋げずに小さく溜め息を吐く。

 来年の参考にならなくてごめんね、と心の中で謝っておいた。

 

 

 飲食スペースにいる子たちも、そろそろ麻雀がしたくなってきたのだろう。

 第三自動卓が南入する頃にはカウンターに姿を見せる子が増えてきていた。

 

「小鍛治プロ、ちょっとこっち手伝って欲しいんだじぇ」

「あ、はい。今行きます」

 

 片岡さんからの要請を受け、仕事に戻る。結局見ているだけで麻雀はできなかったものの、仕方が無いと割り切ろう。

 カウンターで受付をしている片岡さんの周囲には結構な人数が束を成しており、まるで有名人の握手会に並んでいる人たちの如く周りを綺麗に取り囲んでいた。

 

「あらら、すごいね」

「助けて欲しいんだじょ、小鍛治プロ……」

 

 すっかり萎びてしまっている片岡さんのやる気である。

 彼女の代わりに受け付けに座り、片岡さんには厨房に行ってタコス分を補充してくるよう促しておいた。その分給料からは引かれるだろうけど、背に腹はかえられまい。

 

「えっと、まず誰と誰が卓を囲むの?」

「私と美穂子、ゆみと東横さんの四人で。全自動卓でなくても別に構わないですよ」

「いちおう第二自動卓は空いてるけど、手積みでいいなら第六卓でお願いできるかな?」

「了解。それじゃみんな、案内するから行きましょうか」

「あ、竹井さん待った。これも持っていかないと」

「おおっとそうだった。美穂子、よろしく」

「分かりました」

 

 手積みならば牌のセットを持っていかなければ麻雀は打てないだろうに。

 しれっと最後尾の福路さんにお願いをしつつ、竹井さんは残りの二人を連れてさっさと卓のある場所へと向かっていった。

 

「じゃこれね。竹井さんにだけは負けちゃダメだよ? 頑張ってね」

「ふふ、ありがとうございます。がんばります」

 

 麻雀牌を受け取ると、丁寧に頭を下げてから彼女らの後を追う福路さん。

 名門風越の元キャプテンというには腰が低すぎるような気がしないでもないけれど……実力の程は本物なんだよね、あの子。

 

「さて、じゃ次ね。次は誰かな?」

「はい! 私たちと深堀さん、それと部長――じゃない、蒲原先輩です!」

 

 元気よく手を挙げたのは、カード収集コンビ。その後ろで存在感を主張する深堀さんと、隅っこでワハハと笑う元鶴賀の部長殿。同じ部長クラスなのに福路さんとのこの違いである。

 

「自動卓と手積みとどっちがいいのかな?」

「手積みでかまいません!」

「わかった。それじゃ牌はこれを使ってね。場所は第四卓――ああ片岡さんちょうどよかった、この子たちを四番卓に案内してあげてもらえるかな?」

「おお? わかったじぇ、みんな私に着いてくるといいじょ」

「がんばってね」

 

 送り出す際の激励の言葉も忘れない。やたらとハイテンションになった例の二人がどうなるか、ちょっと気になるところだった。

 

 

 目の前に集っていた女子高生の群れがようやく消えていなくなり、ほっと一息。

 ちなみに今のところ卓の埋まり具合はこんな感じだ。

 

 第一自動卓:龍門渕透華、天江衣、国広一、井上純(東風戦・オーラス)

 第二自動卓:

 第三自動卓:吉留美春、池田華菜、原村和、宮永咲(半荘戦・南二局)

 第四卓:津山睦月、文堂星夏、深堀純代、蒲原智美(東風戦・開始前)

 第五卓:

 第六卓:竹井久、福路美穂子、加治木ゆみ、東横桃子(半荘戦・東一局)

 

 あと打たずに残っているメンバーといえば、鶴賀の妹尾さん、龍門渕の沢村さんの二人だけか。染谷さんと片岡さんあたりを加えれば打てないこともないだろうけど、どうするかな?

 声を掛けて聞いてみるべきだろうと思い、席を立つ。

 

「沢村さんと妹尾さん、二人とも麻雀打ちたい? それともここでのんびりしておく?」

「私は別に――少しやることがあるから」

「私は初心者だから、こういった席だと見ている事のほうが多いんです。特に手積みだと足を引っ張っちゃうことも多くて」

「そっかぁ。もし打つ気があるなら言ってね? 自動卓もまだ空いてるし、面子揃えるのも大丈夫だから」

「ありがとうございます」

「すみません」

「いいって。それじゃごゆっくりどうぞ」

 

 あまり乗り気ではなさそうなので、無理強いするのは止めておこう。

 となると、あとは靖子ちゃんと久保さんコンビをどうするか、というところか。

 常連さんと思わしきおじさんたちは、店内が女子高生に占領されてしまうより先に帰って行ってしまったし。最悪私が混ざればいいとして、もう一人が問題だ。

 やはりここはこーこちゃんに座っておいてもらうのが一番か。スタッフさんの中の誰かでも別に構わないんだろうけど、絵的にどうかと思わなくもないわけで。

 そんな感じでリストを片手に睨めっこしていると、事務室から染谷さんが出てきた。どうやら書類整理などの事務仕事が一段落したらしい。

 

「お疲れ様」

「おう、お疲れさん。しかしなんじゃ、小鍛治プロもそのメイド姿が板についてきたのう」

「あはは、それは良いことなのか悪いことなのか」

「ま、悪いことはないじゃろう。京太郎もべた褒めじゃったしな、猫耳込みで」

「うっ」

 

 まさか、休憩時間にちょくちょく話をしていたのを見られていたのだろうか?

 ニヤニヤしている表情からは全てお見通しであることが伺える。防犯カメラでも付いているのか、あるいは撮影用のカメラで全部筒抜けだったとか……。

 

「あ、染谷先輩! 私もそろそろ麻雀が打ちたいじぇ……」

「んー? そうじゃのう……ほんなら一旦メイドの仕事は置いとくか。貸し切りになってある意味身内しかおらんようになったことじゃし」

「さっすが染谷先輩、話が分かるじぇ!」

「っていっても今は手が空いてる人はいないよ? 飲食スペースに残ってる二人はあんまり乗り気じゃないみたいだし」

「ほうか。じゃあどうするか――」

「それなら私らと打つか? あ、その前にまこはカツ丼大盛り、大至急で」

「おお、カツ丼プロ! それと福与アナじゃないか!」

「お昼ぶりだねー片岡さん。元気だった?」

「うう、私だけ仲間はずれで正直しんどいじぇ……」

「こらこら、マスコミの人の前でなに人聞きの悪いことを言いよるんじゃ」

 

 ああ、言われてみれば別に高校生同士で卓を囲まないといけない理由はなかったか。あれ、でもこの二人が戻ってきたということは。

 

「最後の最後で捲られた……」

「ふん、いつまでも年下にやられっぱなしのカナちゃんじゃないし!」

「それも吉留さんの身を削ったアシストがあってこそ、でしたけどね」

「上手くいってよかった……あれがなかったら私、終始座ってるだけで置物状態だったから」

「この面子で一位になったことは評価してやらんこともない。が、団体戦の本番では吉留の手助けはないということを忘れるなよ、池田」

「う……は、はいコーチ」

 

 ガヤガヤとこちらに戻ってきたのは、最初に行動を起こした第三自動卓の面々と久保さんである。

 最終順位はどうやら、一位が池田さん、二位が宮永さん、三位が原村さん、四位が吉留さんという感じになったようだ。

 やっぱり正式な試合じゃないと驚異的な強さを終盤で発揮することは無いよね、宮永さんは。まぁ近くにあんな敵を射殺すような目で観戦している、怒鳴り声に定評のある他校のコーチがいたのであれば、それに慣れていない子が実力を出し切るのも難しい話ではあるんだろうけど。

 それに続くようにして、第一自動卓で打っていた龍門渕勢が戻ってきた。

 

「ったく、藤田プロのおかげで後半衣が調子崩しまくりだったのに、おいしいとこは全部透華に持ってかれるとはなぁ」

「あれだけ盛大にお膳立てがされていれば当然のことですわ」

「純くんは慣れたボクたちからすれば分かりやすいからね。ま、ボクも人のことは言えないんだけどさ」

「うう、藤田のせいで衣が負けちゃったじゃないかぁ」

 

 どうやらこちらも順当勝ちとはいかなかったようで。頭頂部のアンテナがうにょらうにょら蠢いているところからも分かるように、ご機嫌な龍門渕さんがトップで終わったようである。

 宮永さんたちに触発されて打ちたいと駄々をこね始めた天江さんを抑えるために始めた一戦だったこともあり、東風戦にしておいたから早く終わったのだろう。

 後ろのメイドさんたち(たぶん井上純と国広一)が明らかに打ち足りなさそうな、不完全燃焼ですと言わんばかりの表情を見せている。

 

「おっし、それじゃとりあえず面子を入れ替えてもう一戦やるか。今度は負けねーぞ」

「そうだね……ってあれ、ともきーは?」

「あっちでパソコン弄りながらなんかやってるな。ま、いいんじゃねーか? 部活ってワケでもないんだし、自由参加で」

「それもそうだね。あ、そこのメイドさん」

「えっ? わ、私?」

「そうそう、キミだよ。ちょっとのどが渇いちゃって、できれば何か飲み物を――って小鍛治プロ!?」

「何言ってんの国広君、そんな有名人がどこに――は?」

 

 あ、今頃になって気づくんだ。

 そういえば沢村さん以外の龍門渕の面々は初対面で華麗にスルーしてくれたんだったか。

 

「な、ななななな!?」

「なんでこんな所に小鍛治プロがいやがる――い、いや、いるんですか?」

「うん、ちょっとね。私もそれは詳しく知りたいところではあるんだけど」

 

 じっとこーこちゃんのほうを見やる。さりげなく染谷さんの後ろに隠れる辺り、後ろめたさくらいは感じてくれているらしい。

 よかった。無慈悲なアナウンサーなんていなかったんだね。

 

「今の私はしがない店員さんだから気にしないで。飲み物だっけ、ちょっと待ってね? 今メニュー持ってくるから」

「あああああ、いや、ちょっと待った! いいです、メニューくらいは自分たちで!」

 

 言うや否や、飲食スペースに向けて突撃をかます井上さん。

 テーブルの上に無造作に置かれていたメニュー一覧をひったくるようにして手に取ると、目を瞠る速度で戻ってきて国広さんに手渡した。

 

「じ、純くん、ありがとう……」

「いやいいって。さすがのオレも、あの小鍛治プロをあごで使おうと思えるほど破天荒じゃねーし……」

 

 これは敬ってもらえているんだろうか。それとも単に恐れられているだけなんだろうか。

 

「注文が決まったら教えてね」

「は、はいっ」

「おいおい、どうするよ……」

「衣はオレンジジュースだ!」

「うわぁっ!? こ、衣……いきなり出てくるのは心臓に悪いから止めてよ」

「びびった、今のはマジびびった」

 

 ひそひそと会話をしていた国広さんと井上さん。その真ん中ににゅるりと現れた天江さんの登場に、二人は大げさなほど身を反らして驚いた。

 そんな二人の反応も何処吹く風で、天江さんはそのつぶらな瞳でじっと私のことを見つめている。

 何かおかしな所があっただろうか?と考えて、今現在、何処もかしこも可笑しな所ばかりだったと思い返してげんなりしてしまう私である。

 

「……藤田など歯牙にもかけぬ程に奇奇怪怪な打ち手、か。小鍛治健夜といったか」

「うん?」

「万物流転――いずれ非想非非想天にて合間見えることになるであろう、この天江衣の名を魂魄にしかと刻んでおくが良い」

 

 ひそ……なに?

 言葉の意味はよく分からないものの、真剣な眼差しから察するに彼女なりの宣戦布告、なのだろうか。

 この見た目で難しい台詞回しをされてもあまり迫力はないなと心の中で呟きながら、とりあえずご希望通りその名前だけでも覚えておくことにすればいいだろうと素直に頷いておいた。

 

「……そっか。その日を楽しみにしてるよ、天江さん」

「うむ!」

 

 

「天江さんがオレンジジュースで、そっちの二人は決まった?」

「えっ、あ、はい。じゃボクも同じもので」

「オレも同じでいいです、はい」

「えっと、龍門渕さんはどうするの?」

「私のことはお気になさらず。――ハギヨシ!」

 

 パチリと鳴らした指先の音とほぼ同時に、龍門渕さんの後ろに優雅に一礼をする執事服姿の男の人が現れる。

 って、なに今の!? え、どこから現れたの!?

 

「どうぞ、透華お嬢様」

「ありがとう、ハギヨシ」

 

 唐突に用意された椅子と、そこに腰掛けてハギヨシさん?とやらに差し出されたカップを手に取り、口に運ぶ龍門渕さん。

 ぽかーんとそのやり取りを見ていた私は、ふとある疑問にぶち当たった。

 

「……染谷さん、このお店って飲食物の持ち込みは可なんだっけ?」

「残念じゃが、あの人らに限ってはこっちの常識は通用せんのじゃ……放っとくしかないわ」

「そ、そう」

 

 疲れ果てた染谷さんの背中を見ると、それ以上この話題を引っ張るのはよくないだろうと思わざるを得なかった。

 気を取り直して、三人分のオレンジジュースの用意に取り掛かる。その間、染谷さん主導で次の対局者決めが行われることとなった。

 

 

 公平なくじ引きの結果、卓の使用状況は以下の通り、それぞれ振り分けられた。

 

 第一自動卓:天江衣、原村和、片岡優希、池田華菜(半荘戦・開始前)

 第二自動卓:宮永咲、藤田靖子、龍門渕透華、井上純(半荘戦・開始前)

 第三自動卓:染谷まこ、久保貴子、国広一、吉留美春(半荘戦・開始前)

 第四卓:津山睦月、文堂星夏、深堀純代、蒲原智美(東風戦・東二局)

 第五卓:

 第六卓:竹井久、福路美穂子、加治木ゆみ、東横桃子(半荘戦・東三局)

 

 ん、私? 私はパス、というかそもそも面子にすら加えてもらえなかった。撮影スタッフによるダメ出しがその主な原因である。

 なんでも私には別件でやってもらいたいことがある、とか何とか。

 また無茶ぶりか……と落胆の溜め息を付く私に対してこーこちゃんが見せたのは、やたらと爽やかな微笑みで。

 その表情がむしろ逆に不安を煽ってくるのは気のせいだろうか?

 全員を見送り、ただ一人ぽつんとカウンターに取り残された私の元に、件の人物がやってきた。

 

「ありゃりゃ、寂しそうな顔しちゃってぇ」

「……私だって雀士の端くれだからね。自分だけ打てないっていう状況には思うところもあるの」

 

 思わず頬が膨らんでしまう。理沙ちゃんじゃないんだから似合わないだろうと思いつつも、止められない。

 

「なら麻雀打ったらいいじゃない!」

「ちょ――ダメって言ったのこーこちゃんたちだよね!?」

「うん、あの人たちと打つのはダメとは言ったけどね。他の人と打っちゃダメとは残念ながら言ってないんだなぁ、これが」

「……どういうこと?」

「わっかんないかな~? 今このお店の中に、麻雀を打っていない人物が撮影班を除いて果たして何人いるでしょうか?」

「えっと、私でしょ、こーこちゃん、飲食スペースにいる沢村さんと妹尾さん、あと厨房にいる――あっ」

 

 そういえば。初心者とはいえあの子もまた、麻雀部の一員だった。

 

「んふふ、気がついたみたいだね! そう、これからすこやんには須賀君に特別レッスンしてもらおう!ってことで各方面には話が通してあるんだ」

「と、特別レッスン……?」

「って、すこやん分かってる? 麻雀のことだからね? いきなりカメラの前で激写しちゃいけないようなことをおっぱじめたりしないでよ!?」

「分かってるよ! こーこちゃんは一体私を何だと思ってるの!?」

「そりゃむっつりアラフォ――」

「やっぱ言わなくて良い! あとアラサーだからね! 勘違いしないでよね!」

 

 焦りすぎて思わずツンデレ気味に突っ込みを入れてしまった。

 私のキャラそんなんじゃないのに。不覚すぎる。

 なんというか、ダメなんだよね。下ネタ系は特に、正面から来られると経験があるかないかは別としても苦手な意識が先に立つ。

 潜在的なコンプレックスだからなのだろうか? いや、でもむしろ昨今の若者のそういった方向に明け透けで恥じらいのなさっぷりこそがどうかと思うし。

 それを素直に言ってしまえれば良いのかも知れないけど、年寄りくさいだのなんだのと即座にからかわれるのが目に見えていた。ぐぬぬ。

 

「とまぁ、そういうわけだからヨロシクねー」

「ちょっとこーこちゃん、またどこか行くの?」

「私はちょっち別件で準備しときたいことがあるんだ。だからあんまりすこやんには構ってあげられないのだ、めんご☆」

「……もしかして、こーこちゃんこそアラフォーなんじゃ? ダメだよ、年齢詐称してテレビに出ちゃ……」

「おおう、まさかのカウンター……腕をあげたね、すこやん」

「そんなところ褒められたって嬉しくはないなぁ」

 

 本気で何処からネタを仕入れてくるのか不思議でたまらない。

 どうしてこう変なところで勉強熱心なんだろう、この子は。

 その勤勉さをもう少し別のところに費やそうとしないのか。ああいや、そうなったらもっと被害が広がりそうだしやっぱこのままでいてもらおう、主に私の平穏のために。

 

「実際のところ、すこやん須賀くんのこと気にしてたっしょ? ほら、前に飲んでた時『私も付っきりで麻雀教えてあげたい、竹井さんずるい!』って言ってたじゃん」

「はうぁっ!? こ、ここここーこちゃんそんな大声でっ!」

 

 まさか竹井さんに聞こえてないよね?

 ……うん、大丈夫っぽい。あの子のことだ、もし聞こえてたら遠く離れた雀卓にいても何かしらのアクションを起こしていたに違いない。

 でも動きが見られない以上はきっと聞こえてなかったんだろう。

 よかった、余計話がこんがらがるところだったよ。

 

「慌てすぎだってば。それじゃ須賀くんになにか特別な感情抱いてますって周囲に自分から告げてるようなもんよ。そうでなくてもバレっバレだけどさ」

「うっ……で、でも。こーこちゃんが言ってるようなのとはちょっと違うと思うんだけど」

 

 ここだけの話、彼自身の人好きのする柔らかな人柄に惹かれている自分がいることは認めよう。背が高いし、格好良いし、さりげないところで気が利くし、声もなんだか癖になりそうな程いい感じだし。

 それは誤魔化すつもりもなければ、年甲斐も無いなんて恥じるようなことでもないと思う。年齢差はちょっと開き直るには微妙なラインかもしれないけれども。

 しかしそれ以上に、彼が抱えている歪な環境というものに強く興味をそそられるのもまた本当のことだ。

 もっと突き詰めれば、今の環境に置かれておきながらそこから逃げることを欠片も考えていない須賀君の精神構造ってどうなってるんだろう?と。

 

「ふぅん、まぁそうだったとしてもこれってチャンスなんじゃない? ずっと愛弟子いなかったんだし、傍に置いてじっくり考えてみれば」

「ま、愛弟子?」

「そ。だってほら、すこやんくらいの大御所になったら若いツバメを囲うくらい常識だろって、かの大沼プロも言ってそうだし!」

「言ってそうって時点で言ってないよね!? 捏造を勢いで誤魔化そうったってそうはいかないよ!」

「ちっ、ダメか……」

「ついに舌打ちしちゃったよ、この子……。

 もうホントやめて、大沼プロとお会いした時にお説教されるの私なんだから」

 

 でも、こーこちゃんの言っていることはたしかに事実が一部含まれているため、その提案自体はあまり強く拒否出来ない私がいる。

 ……若いツバメうんたらとかいう戯言はこの際ゴミ箱にでもほっぽっとけばいいんだけど。

 たしかに私には愛弟子と呼べる存在はいない。いたこともない。地元で子供たちにちょっと麻雀の基礎を教えることはままあれど、直々にそういう関係を結ぶような子はいなかった。

 地元で面倒を見てきた少年少女たちは、みんな私を慕ってくれていながら、同時にどこかで恐れてもいる。それが分かってしまうから、手を差し伸べるには至らない。

 才能だけで言ってしまえば、現段階で須賀君よりも有能な小学生や中学生なんて何人もいた。

 けれどそんな子達に関して言えば、何も私が関わらなくとも芽が出て勝手に伸びて行くだろうし、別の指導者の元できちんと上達するのであればそれで構わないのだ。

 そんな考えの元、私は弟子を取ろうなんて考えたことも無かったわけだけど。

 では、どうして今になってそんなことを考えるようになったのかと言うと――やっぱり、間近にそれを見せつけられて、羨ましかったというのが大きいのかもしれない。

 あの日、勝者となった私には手に入れられなかった、けれど敗者となった彼女は手に入れた、そんな宝物のような存在が。

 

「ま、実際にどうするかはすこやんにおっ任せ~。私は別の仕事に行って来るから、あとは頼んだ!」

 

 ひらひらと手を振りながらお店から出て行く彼女の後姿を見送って、コホンと一つ咳払いをする。

 ――さて、と。難しいことは後で考えよう。今は仕事をしなければ。

 それは所謂問題の先送りと呼ばれる類のものであった。

 

 

 厨房にいた須賀君を飲食スペースに呼び寄せ、ガラガラになっているテーブルを一つ占拠すると差し向かいで座る。

 予め用意しておいたコーヒーカップを差し出して、一息つくよう促すと、彼は素直に頭を垂れてからゆっくりと飲み干してホッと小さく息を吐いた。

 

「ずっと立ちっぱなしだったの?」

「いや、さすがにそんなことはないですよ? まぁでも、注文が続いて似たようなものではありましたけど」

「ご苦労さま。あっちが半荘終わるまではゆっくりしてていいからね」

「すみません、小鍛治プロも色々と大変なのに気を使っていただいて……ふぅ。あー、やっと人心地って感じがします」

 

 片岡さんが普段から熱心に取り組んでいる布教のおかげか、タコスの注文が引っ切り無しだったということもあるのだろう。

 ……風越以降の注文はだいたい私のせいと言えなくも無いけれども。

 しかし、これだけ人数が集まっていても麻雀部の男の子が彼一人で他は全部女の子というこの状況、この子はどう考えているんだろうか?

 青春真っ盛りのお年頃な男の子だし、女の子に囲まれて嬉しいものなのだろうか。それとも逆に居心地が悪くて居た堪れなかったりするものだろうか?

 私が同じ立場の場合、男の人ばかりに囲まれているということになるけれど……うん、想像しただけで裸足で逃げ出したくなること請け合いだった。

 そう考えると途端に今の須賀君の状況が心配になってくるのは、母性本能と呼ぶべきものなのか。

 心に浮かんできた疑問を素直に投げかけてみると、彼は少し困ったような表情でどちらとも取れる曖昧な笑みを浮かべた。

 

「最初は優越感ってか、ただ嬉しかったってのも間違いじゃないんスよね。麻雀部に入ろうとしたきっかけも――あー、和とお近づきになりたかった、って邪な気持ちだったっていうのもあって」

「原村さんかぁ。たしかにあの子は可愛いもんね」

 

 男の子にウケが良さそうな、程よい感じに童顔で。さらにあの、同姓から見ても凶器としか映らないモノをお持ちなのだから手に負えない。

 学生時代、はやりちゃんと出会った時もかなりの衝撃だったけど、原村さんも大概である。永水あたりにはもっととんでもないのが潜んでいた気もするが、一定以上を超えてしまえばどれも同じだ。ちくしょうめ。

 でも見た感じ、須賀君は原村さんよりは片岡さんに好かれていそうなんだよね。

 幼馴染でそれなりに好意を向けられているだろう宮永さんにしてもそうだし、私もまぁどちらかというとそっち寄りだし……人生とはままならないものだなぁと他人事ながら思ってしまう。

 

「部長とかもそうですけど、かっこいい女性っていうんですか? 性別とか関係なくかっこいいって思える人にこの夏だけで結構会いましたし、そういうすげぇ人たちの中に混ざってる気まずさっていうのが今はけっこうあったりもするんです。普段の部活だけならともかく、こういう場では特に」

「男とか女とか関係なく、すごい人かぁ。たしかにあの中にはいっぱいいそうだなぁ」

「そうなんですよね。ただ単純に、あの人たちの中に自分がいることは違和感でしかないっていうか。

 それでも可愛い人が多いんで、嫌な気持ちってワケでもないという……ははは、なんか複雑すぎてよくわかんねぇや」

「うーん、そっかぁ。ゴメンね、変なこと聞いちゃって」

 

 女の子としてみたら、どの子も可愛くて一緒にいるのは楽しいけれど、なまじ雀士としての彼女らを間近で見てきたが故に、弱い自分がそこに加わることに違和感を覚える。そんなところだろうか。

 男心って難しい。だからって女心に精通してるのかと問われれば否と答えるしかない私ではあるが。

 このケースの場合、少なくとも麻雀の腕が一定以上、それこそ全国大会に出場できる程度まで上がったら、少なくとも違和感を覚えるようなことはなくなるんじゃないかとは思うけど。

 あるいはもういっそのこと女の子になるとか? そうなったらなったで逆に影が薄くなりすぎて消滅してしまいそうな気もするな。

 

「竹井さんから指導は受けてるんだよね?」

「はい。おかげさまで、なんかインターハイ前がウソみたいに熱心に教えてくれてます。細かい雑用の数も減りましたんで」

「ならそのうち強くなれるだろうし、そういった劣等感みたいなのは無くなって来るんじゃないかな」

「そう、ですかね……たとえ腕が上がったとしても俺、今の団体戦メンバーには誰一人として勝てる気がしないんですけど」

「うーん、片岡さんと染谷さんもなんだかんだいって全国クラスであることに間違いは無いからねぇ……」

「優希は南場で失速するって弱点があるんでまだあれッスけど、染谷先輩も部長も特殊っぽいし、咲や和はもはや次元が違うというか……追いつける気がまるでしないんスよね」

 

 ははは、と乾いた笑いをあげる須賀君。諦観――というか、達観というべきか。

 目指す頂が確かに目の届かないような遥か上にあっては、そこを目指す前に心が折れてしまうのも仕方が無いことなのだろうけれど。

 三合目辺りまで登って満足するなら、まぁそれでもいい。

 でも、それでもあくまで頂点を目指して登って行きたいという意思が彼にあるのであれば――私も、ちょっと覚悟を決めてみようかな、なんて。

 ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえていないことを祈りつつ。

 

「そっか。だったら、もし須賀君さえ良かったら……なんだけど、せっかく知り合ったんだし、私も定期的に麻雀見てあげようかなって思ってるんだけど、どうかな?」

「え? お、俺のッスか? 小鍛治プロが?」

「そんな驚くようなことだった?」

「そりゃそうですよ、だって小鍛治プロは国内無敗のトッププロなんスよ!? それが俺みたいな初心者相手に――」

 

 言いかけた言葉を遮るようにして、すっと人差し指を彼の目の前に持って行く。

 その動作に注意を引かれた須賀君は思惑通りに言葉を切り、その指先の行方を注視している。そのまま指先で軽くコツンとおでこをつっついて、首を横に振ってみせた。

 さすがに唇を塞ぐのは敷居が高すぎる。今はこれで勘弁してもらおう。

 

「後進の育成は先達の務め。それがね、私が高校生だった頃にお世話になったプロの方に言われた言葉なんだ。あの頃とは立場が逆になっちゃったけど、今、もう一度だけ私は素直にその言葉に従ってみようかなって思ってる」

 

 ジッと彼の瞳を見つめる。表も裏も無い、ただひたすら真っ直ぐに。

 

「ねえ――須賀君は、今の自分で満足してる? 今のままでこれからも楽しくやっていけるって、本気で思ってる?」

「……っ」

「格好悪いなんて思う必要なんてない。君の中にある本当の気持ちを、私に教えてくれないかな」

「俺、は――」

 

 少しだけ言葉を詰まらせて、それでも彼は意を決したように想いを紡ぐ。

 

「この夏の大会で、咲も和も優希も、部長も染谷先輩もあんなふうにすごい舞台で戦ってて、それがめちゃくちゃ格好良くて……正直、すげぇ羨ましかったんです。でも同じくらい悔しかった。自分だけがあそこにいる資格が無い、それが分かってましたから」

「うん」

「初心者だからそんなもんだって、それも分かってて、でも――あの場所から見える風景ってどんなんだろうなって考えれば考えるほど、あいつらと自分の立ち位置の違いっていうか、距離の遠さっていうか……なんて言うんだろ、俺はここにいていいのかなって思ったことも一度や二度じゃありません」

「……それでも君は、逃げなかったんだね」

「はは、もし他にもっと好きなものが出来てたら、麻雀部なんてさっさと辞めてそっちに行ってたかもしれません。でも、やっぱ俺麻雀が好きだから――」

 

 見詰め合う視線、逸らせない。

 透き通るほど真っ直ぐで、真摯な輝きを持つそれが、まるで瞳の奥にまで突き刺さるかのような鋭い光を宿していて。

 

「だから俺、もっと麻雀強くなりたいんス! 俺も清澄高校の麻雀部員なんだぞって、胸を張って言えるくらいには!」

「――っ、うん」

 

 その迷いの無い答えこそが、あれこれと悩む必要の無いことを教えてくれた。

 それでこそ、こちらも教え甲斐があるというものである。

 その直情的な目の輝きを見るに、それが揺るがない想いであろうことはすぐに察せられた。

 この半年間余りの経験は、燻っていたものを燃焼させるために必要不可欠な要素として、今、彼の中で真っ赤に盛る炎を灯したのだ。

 それはまさしく男の子であり、眩しいくらいに真剣な表情は、正しく男の人でもあった。

 

「ならこんな機会は逃しちゃダメだよ。貪欲に喰らいついて離さない、くらいじゃないと――宮永さんたちにはきっと追いつけない。大丈夫、須賀君が強くなりたいって本気で願ってる以上、来年以降の夏の大会で君が望んだ場所で戦えるように私が手助けしてあげる」

「は、はい! よろしくお願いします小鍛治プロ! 俺頑張ります!」

「うん。頑張ろう、京太郎君。今日から私は君の師匠だよ」

 

 差し出した手をがっちりと握り締めてくる須賀君、もとい京太郎君。

 こうして私は、彼と師弟の契りを結ぶに至ったのである。

 

 

 とまぁ、そんな熱血展開はさておいて。

 

「妹尾さんは今私が所属してるつくばのチーム、知ってる?」

「えっと、智美ちゃんから聞きました。茨城のプロチームですよね? つくばブリージングチキンズ、たしか一部じゃなくて二部の……」

「そう。しばらく前にね、経営難とかで潰れそうになったんだけど……私が入ってなんとか立て直して、今一部昇格を目指して戦ってるところなんだ。今のところは昇格圏内ギリギリのところにいるけど、ここを耐え切れたら来年は一部に上がれそうかな」

「そうだったんですか……」

「まぁそのおかげで私もタイトル絡みの試合にあまり出なくなって、ランキングもぐっと下がっちゃったんだけど。そのぶん時間は結構取れると思うんだよね」

 

 現在行われているのは、面接である。

 というか面接と言う名の雑談である。

 何故さっきの展開からすぐ様このようなまったりのんびりとした光景に移り変わってしまったのかといえば、あのやりとりを近くで見ていた沢村さんから協力をしたいとの申し出を受けたことによるものであった。

 ノートパソコン持参でやってきた沢村さんには、どうやら京太郎君が長野県大会個人戦第一次予選で戦った時の牌譜を入手する手立てがあるらしい。

 世の中の進歩っていうか、こういうところは素直にすごいと思う部分だ。

 まずはそれを見てから方針を立てるべし、ということで、今はその出力待ちをしているところだったりする。

 ちなみに私の隣には沢村さんが、京太郎君の隣には妹尾さんがそれぞれ座っているわけだけど。

 沢村さんと私、あるいは京太郎君と妹尾さん。髪の色とか雰囲気だけ見ればお互いが姉妹とか兄妹っぽい感じの絵面になっているせいか、じつにほのぼのとした空間がそこには出来上がっていた。

 ……一人だけ保護者枠? そんな事実はゴミ箱にでも捨ててしまえばいいと思う。

 

「小鍛治プロ、これ」

「ありがとう沢村さん。どれどれ――」

 

 総数に結構な違いはあれども、個人戦のレギュレーションは男子も女子もそうは変わらない。

 まず一次予選として東風戦20局を出場者同士でランダムに戦い、その中で総合得点の多い上位者数十名(この辺りは都道府県により異なる)が決勝ラウンドとなる本選へと進む。

 日を変えて、その上位者同士がさらに半荘戦を10局。組み合わせは抽選でランダムに決定され、その中で総合得点の多い上位三名が入賞、県の代表として全国大会へと出場することになるのだ。

 男子部はとにかく競技人口は多いけど、実力的には今一歩女子部に劣るという勝手なイメージがある。世界戦とかでもそんな感じだし、全国大会でもやっぱりそう。

 話を聞くにどうも京太郎君は一日目で敗退したらしいので、最初の一次予選を勝ち抜けできる順位に入ることができなかったということなのだろう。

 十分な指導を受けていない初心者ということであれば、いくらヌルい……じゃなくて、裾野が広い男子部でもそう簡単にはいかなかったに違いない。

 

「総合得点は-72。参加者人数からしたら順位は下から数えたほうが早い、か」

「う……不甲斐ない成績ですみません」

「ううん、初めての大会なんだし、それは別にいいんだけど」

 

 点数の上では特筆すべきところは特に無い。もちろん良くも無ければ東風戦20局での合計収支と考えれば、そう極端に突き抜けて低すぎるというわけでも無い。

 最下位あたりの得点は-300を超えていたり、もはや結果を見るだけで切なくなるレベルである。そうでなかっただけ安心した、といえば京太郎君に怒られるだろうか?

 

「……ふぅん」

 

 一つ、また一つと牌譜をチェックして行く。そのほとんどで二位~四位の間を行ったり来たりを繰り返しているようで、一位を取ったのは一度だけ。

 捨て牌の選択がまだ甘いな。状況判断もできていない。相手の河から容易に当たり牌の目星が付きそうな染め手系のリーチにさえ振り込み、余計な失点をしているのはさすがに勿体ないを超えて博愛主義者すぎる。

 ただ、その何れにおいても不思議なほど京太郎君が振り込みを選ぶように誘導された感じの流れであるという点が、この牌譜における一番の気持ち悪い点であった。

 対戦相手を変えても同じ現象が発生しているのであれば、この原因が相手側ではなく彼自身にあると考えるほうが自然だ。

 十四枚目のそれを確認し終えた時点で、私は居心地悪そうにもぞもぞしている京太郎君へと向き直る。

 

「京太郎君は過去誰かに、不思議な能力を持ってるねとかって言われたことは無い?」

「……は?」

「この感じは、南なのかな……んーでも突き詰めていったら西っぽくなる気もするし」

「あの、小鍛治プロ?」

「――っと、ああごめんね沢村さん。あのね京太郎君。まだちょっとはっきりとは分からないんだけど、君にも宮永さんみたいなちょっと変わったオカルト能力があるのかもしれないかなって」

「咲みたいなオカルト能力、ッスか? 俺が?」

「そう。原村さんに聞かれたら大変だけど、これを見る限りはそんな感じがするね。さすがにあそこまで強力ってことはなさそうだけど、うーん……でも複合ってこともあるし、どうなんだろ」

 

 持っていた手帳に気が付いたことを記してみる。この手帳はいっそのことタイトルを京太郎君成長記とでもして専用にしておこうかな。

 まず考えられそうなのは、相手の当たり牌を掴んでくる和了妨害系の能力だろうか。

 どう考えても不自然なくらい、リーチを掛けた相手の和了牌が京太郎君の手元にやってくる確率がやたらと高いこと。

 厄介なのが、それがほぼ彼の手にとっては無駄ヅモにしかならない点。これによって振り込みなさいとお膳立てをされているような、負の流れが出来上がるわけだ。

 初っ端の打ち回しの時点からもう少し牌効率を高めていけば、この辺りはそのうち解消されそうな気がしなくもない。要勉強かな。

 相手の手を読み切ることができ、それを抱え込みつつ自身を聴牌まで持っていき、なおかつ追いかけて刺せる。これが理想か。

 イメージは宮守女子の大将・姉帯豊音選手が用いていた、六曜における先負。使い勝手は圧倒的にあちらのほうが上だけど、こちらの能力だった場合はまずはそこまで持って行くのが最初の目標になりそうだ。

 

 もう一つ、可能性があるとするならば――対局者にツモ和了をさせなくする、場の支配系能力あたりか。

 ツモ和了できない→当たり牌が他家に流れる→一番運の悪い子が掴まされる→放銃、という流れが組まれている可能性。

 これは九州の雄と呼ばれる大沼秋一郎プロの防御における特性によく似ていて、攻撃にはあまり向かないが、それこそ防御に対しては凄まじい効力を発揮する。

 ノーテン罰符は別にしても、自摸られない以上こちらが振らない限り点数が減らないのだから当然だ。但し、きちんとした防御の下地があって初めて意味を持つ能力でもあるけれど。

 この牌譜を見る限りでは京太郎君の座った卓ではロン和了ばかりで、面白いくらいにツモ和了が発生していないことが分かる。

 ただ、前述の通り京太郎君の振り込み率がわりと高めのため、はっきり所持しているとは言い切れない。

 もし仮にそういった能力だったとしても、牌譜を見る限りでは普通に突破できた人間もいる。能力の発動か維持に何かしらの条件設定が成されているのかもしれないし、もう少し検証を積み重ねないことには具体的な答えは出ないだろう。

 もっとも、どちらにしろ基礎がきちんとできていない現時点ではさっぱり自身の役に立っていないあたり、哀しいものがあるのだが。

 

「ちょっと試しに打ってみようか? それでたぶん、大体のことは理解できると思うから」

 

 沢村さんと妹尾さんも東風戦ちょっと付き合ってね、と声を掛けると何故か二人ともびくりと肩を震わせて、機械のように停止した。

 

 

 すぐに終わってもらっても困るため、持ち点を団体戦ルールと同じ10万点から始めてみたはいいけれど。

 

「……あれは仕方がない。透華でもきっと回避不能だから……元気出して?」

「」

 

 チーン。

 そんな文字が背景に浮かんでいそうなほど、京太郎君は心身ともにその場で燃え尽きていた。

 序盤見事な振り込みマシーンと化した彼、何とか立て直しつつ最終局の終わり直前で見せた鳴き――それが私の待っていた役満手を完成させる決め手となり、対局が終了。ゲームオーバーである。

 ちなみに京太郎君から見えたであろう一連の流れはこんな感じだろうか。

 

○東一局(親:妹尾)、見事に出会い頭っぽい満貫の一撃(四暗刻崩れの対々三暗刻)を妹尾さんから貰う。一本場、流局。親一人だけがノーテンだったため親流れ。

○東二局(親:沢村)、リーチがかかっていた沢村さんの混一に振り込み。三本場、四本場といずれも安手に振り込み続け、五本場でなんとか妹尾さんから満貫を取り返すことに成功。

○東三局(親:小鍛治)、妹尾さんが沢村さんにハネ満を直撃。本人の申告は七対子だったけど、実際は平和純全帯二盃口だったというオチがついて沢村さんが涙目に。

○東四局(親:須賀)、ごらんのありさまだよ。

 

 この対局で私はほぼ全般において様子見のスタイルだった。

 彼の能力の底を見極めることが前提にあるため早々に手を仕上げるわけにもいかず、また揃っても極力ロンでは和了しないように他家からの出アガリを全スルーしていたわけだけど。

 

 ――最終東四局。配牌からして三向聴、ある程度順目は進んで、私の手牌はこんな感じ。

 

 {一萬}{一萬}{一萬}{二萬}{三萬}{四萬}{五萬}{六萬}{七萬}{八萬}{九萬}{九萬}{九萬}

 

 純正九連宝燈、聴牌。表情には出さないけれど、ちょっとびっくりだ。

 待ちの広さに定評のある役の一つということもあり、これ幸いと一旦自分の能力を抑えこみつつ、想定のうちの一つ『ツモ和了できなくする能力』に対しての実地検証を行うことにしたのである。

 例によって他家から時折出てくる萬子は一切無視して、ダマ聴のまま自分の自摸を待っていた。

 結果――萬子すべてにおいて待ちが取れる純正九連宝燈をして、聴牌後からはいっさい萬子をツモってこれなくなってしまい、結局最後の一歩手前のツモ番までそれは続く。

 リーチを掛けていない状況でこれなら本命はこっちかな?と確信めいたものを感じ取った時、京太郎君は私がツモ切りした筒子の⑦を悩みに悩んだ結果としてチーすることを選択し、手牌の中から九萬を切った。

 この時の京太郎君の手はこちら。

 

 {二萬}{二萬}{二萬}{六萬}{七萬}{八萬}{三索}{四索}{中}{中} {横七筒}{五筒}{六筒}  捨て牌 {九萬}

 

 こちらの河に萬子が一枚も切れていないことで、混一あたりへの警戒は当然持っていたはず。それでも、この局面では明らかに危険な萬子を捨てることになるだろう鳴きを選択させた理由はいくつかあった。

 まず、私が他家から出た牌を悉く見送ってきたことで、萬子に対する危険意識が殺がれていたこと。

 もう一つ、親なので流局を見越して形式聴牌を取ろうとしたこと。短期決戦において最下位からの逆転を諦めていないのであればこれは当然か。

 但し、結果捨てた九萬はど真ん中ストライクの危険すぎる当たり牌。

 状況によっては、下手をすると最後の最後で役満に振り込んだ上でのぐうの音も出ないほどの敗北という、目も当てられない結果になった可能性もあったワケだ。

 

 ともあれゲームはそのまま続行し、北家の私にとっては最後の一巡。

 妹尾さんは手を見るに一向聴っぽいし(門前だけど並べ方でだいたい分かる)、沢村さんはこちらの役満聴牌を察してか半ばからほぼオリていた。

 で、特に何事もなく私の番が回ってきたので最後のツモとなる牌を山から取ってきた時、軽く衝撃が走った。正直なところ頭の中には野鳥の会の会員でさえ数え切れないほど大量の『?』マークが浮かんでいたに違いない。

 ツモってきた牌は――萬子の五。役満成立となる正真正銘の当たり牌である。

 彼の能力によってツモ和了できないはずの場で、最後の最後に萬子を引いてくる。検証結果が間違っていたのかな、という疑念も生まれた。

 とはいえ、見極めがほぼ終了した後だということに加え、自摸ってきた以上は和了しない理由もない、ということもあってそのまま自摸宣言。現在に至るというわけだ。

 あるいは二位で終了かという結果も想定済みだったのに、いざ目の前に勝つ目が出てきたら迷わず拾いに行ってしまう、雀士の哀しい性である。

 最終的には私がトップ、二位が妹尾さんで三位が沢村さん。言うまでもなく出来たばかりの弟子は役満親っかぶりの果てに最下位に沈んだが、これはほぼ想定内の出来事なので特に問題は無いだろう。

 ……大丈夫だよね?

 

 結果、分かったこと。

 オカルト云々以前に京太郎君はとにかく危険牌の察知が下手で、その上運が悪い。少なくともこの面子で打つために必要な運量があったとして、その最低ラインにまるで足りていないと思われる。

 そして能力に関して私の出した暫定的な結論は次のようなものであった。

 

①自摸られない能力は持っているものの、何かしらの発動条件あり(鳴き後の即自摸をみるに、たぶん自分が門前であること?)

②リーチした他家の当たり牌を掴む能力に関しては、前述の能力と生来の運の悪さが組み合わさって起こる自然発生的な現象である可能性が高い

 

 とはいえ、私は本来こういった能力の見極めには向かない性質だ。いつか機会があれば、いっそのこと熊倉先生に視ていただくことも考慮に入れておくべきなのかもしれない。

 

 

 場所は再び、飲食スペースへと移る。

 というのも、あちらで麻雀をしている人たちがざわ……ざわ……としていて、とても五月蝿いから。目の前で純正九連宝燈が飛び出したのがよほど珍しかったらしい。

 文堂さんや津山さんあたりからは、しきりにこちらの身の危険を心配するような言葉をかけられたりもした。

 そのたびに原村さんが「そんな迷信(オカルト)ありえません」とばっさり切って捨てていたけれども。

 あの迷信というか都市伝説というか、これから先の若い世代にも着実に受け継がれていくのだろうか? 誰かがどこかで止めてあげて欲しいと切に願う所存である。

 

「――ハッ! な、なんだかすごく悪い夢を見ていた気がする……」

 

 そんな思いを人知れず心の中で綴っていたら、ようやく京太郎君がこちらの世界に戻ってきた。

 でも哀しいけど、それって現実なのよね。

 

「だ、大丈夫……?」

「ああ、妹尾さん。すみません、大丈夫です」

「これ、お水」

「ありがとうございます、沢村さん。いただきます」

 

 用意されていた水を受け取って、一気に飲み干す。

 その傍らでこちらを怯えた目つきで見ている二人はともかくとして。水を飲み終えた京太郎君はグラスをテーブルの上に置き、いつもとなんら変わらない表情で私のほうを見た。

 ……直前に起こった出来事の記憶を失くしてしまったんだろうか?

 そう疑ってしまうほどには、彼の瞳は通常通りの色を灯している。

 

「まさかあんなぶっ飛んだアガり方ができるなんてやっぱ師匠はすげーんですね」

「あれ、ちゃんと覚えてるんだ」

「そりゃもちろん。食らった直後は魂飛んでっちゃってましたけど、ちゃんと何があったかは覚えてますよ。あれがトッププロの実力ってことですよね……いやマジですげぇわ」

「そ、そうかな?」

 

 ニカっと笑うその表情からは、十年前に見た彼女の浮かべた翳りのようなものは欠片も見当たらない。ちょっと、どころかかなり安心した。

 これは思った以上に精神力が強いということなのだろうか。

 伊達に普段から宮永さんの凶悪麻雀の相手や竹井さんの対処をしていたわけではないのかもしれない。精神の図太さだけでいえば、ある意味魔物クラスである。

 と、そんなことを思っていた私とは裏腹に、その京太郎君の言葉を否定するかのように首を左右に振る人物がいた。

 あの卓で唯一、確かな理論と実力を伴った相手であった沢村さんである。

 

「――あれが実力? 違う……そんな生易しいものじゃなかった」

「えっ? 沢村さん?」

「小鍛治プロは実力を出すどころか、最後以外の全部の局でわざと和了を見逃してた。君の力を見極めるため――それでも最後の一枚で勝てる。次元が違う」

 

 もしかして、怒ってる?

 こちらに向けられる視線に怯えが含まれている以上に、淡々と紡がれる言葉の端々にはどこか悔しさにも似た感情が読み取れた。

 彼女ももしかすると原村さんと同じタイプで、感情を余り表に出さない割に負けず嫌いだったりするんだろうか。だとしたら付き合わせたのは少しまずかったかもしれない、と思いつつも。

 沢村さんのそれは私に直接向けられているというよりは、不思議なことに、どこかまったく別の場所へと向けられているようにも感じられた。

 

「だからあえて聞きたい。それでも、小鍛治プロに師事するつもり? 君があそこまでになれるなんて、私にはとても思えない。耐え切る前に潰されかねない」

「……」

「あ、あの。沢村さん」

「妹尾さんは少し黙っててほしい。これは、ここで聞いておかなければいけないこと」

 

 真剣な表情できっぱりと言い切る沢村さん。

 京太郎君のことを心配しているというのがはっきりと窺い知れる、そんな毅然とした態度である。

 なるほど。そういうことであるならば、当事者ではあるけれど私もここで口を挟まないほうがいいのだろう。事態がややこしくなりそうだ。

 

「答えて、須賀君」

「心配してくれてるんスよね、沢村さんは。ありがとうございます。でも俺、そんなヤワじゃないんで――大丈夫ッスよ」

 

 混じり合う視線と視線。

 どれくらい見詰め合っていたのだろうか。固唾を呑んで見守る私と妹尾さんの心配をよそに、二人は実に二人だけの世界を作り上げていた。

 しばらくの沈黙を経て、やがて、先に折れたのは沢村さんのほうで。

 私は密かに安堵の溜め息を漏らす。

 

「……そう。なら、私は応援する。いつか貴方の名前が全国区で知られるようになる時を、待ってる」

「はい。期待を裏切らないように頑張ります!」

 

 ……あれ? これって沢村さんのほうがよほど師匠っぽくない? という衝撃の事実に気が付いたのは二人の仲が縮まった後のこと。

 先が思い遣られるとはこのことか。

 心のメモ帳に、指導中に手加減する時は最後までやりきろうと書き記しつつ、一人反省する私であった。

 

 

 

 

○おまけ@メイド雀荘事件から一週間後、師弟のやりとり

 

 

「それでね、これからの方針なんだけど……」

 

 京太郎君は長野在住、そして私は茨城在住。

 仕事や学校の関係もあり、どちらも易々と動くわけにはいかないので、指導をするとなると遠距離同士でコミュニケーションを円滑に図る必要性が出てくる。

 そこで沢村さんが薦めてくれたのが、大手ネット麻雀サイトのアドレスと、WEBカメラがあればテレビ電話のような感覚でやりとりができるというアプリケーションソフトだった。

 京太郎君は自室にデスクトップパソコンを持っているらしいし、私はパソコンとか持っていなかったんだけど、外にいる場合でも対応できるようこの機にノート型のやつを買ってしまった。

 あの仕事の後でこーこちゃんに相談したら、よく働いた御褒美ってことでよさそうなのを見繕ってくれたのだ。(ご褒美のわりに自腹だったけど)

 なんでも彼女とお揃いらしい桜色の可愛いやつである。

 問答無用で茶色とか灰色のやつが選ばれそうだったのは、二人の間におけるお約束というやつだったけど……なんとか拳で思い留まらせた。あれは厳しい戦いだったと云わざるを得ない。

 

 ――で、だ。

 本題に戻ると、これから京太郎君を指導する上で目指すべき部分、というのを予め明確にしておかなければならない。

 というわけで、あらかじめ電話で時間を決めておいた予定時刻になった今、初めての顔合わせがパソコン上で行われているのだった。

 

「まずは防御をなんとかしないとね。京太郎君の場合、高確率で当たり牌を引き当てちゃうから、相手の手を読めるようにならないとキツいと思うんだ」

『筋読みとかですよね? 部長や和からも甘いってよく言われます』

「そこはまぁ、基本だね。牌効率とかも高めないといけないんだろうけど、まずは相手に振り込まないこと、下りるタイミングなんかを念頭に入れて手を回せるようにならないと」

『オカルト能力ってあるだけでこう、ズガーンっと勝てるようになるイメージだったんスけど……やっぱそんな甘くないか』

「宮永さんとかを間近で見てると、そうなっちゃうのも分からなくはないけどね。

 京太郎君のやつは今のままだとデメリットにしかなってないし……せめてツモらされた当たり牌を有効活用できるようにならないと、コンスタントに勝てるようにはならないかなぁ」

『う……』

 

 初心者は防御を御座なりにする傾向がある。たしかに攻撃一辺倒で勝てるレベルなら、そっちのほうがプレイしていても楽しいっていうのは分かるんだけど。

 そういう癖が最初についてしまうと後々で堅実な打ち手になるにしても、いざという時に守れない、無謀な賭けを選択してしまうようになりがちだったりするものだ。

 幸いというか、彼自身の打ち筋には変な癖は付いていない。矯正が効く今のうちに直しておくべきだろう。

 

「ま、そのためにも基礎っていうのはやっぱり大事なんだよ。今のうちにきちんと覚えて、能力に振り回されない打ち手になろうね」

『はい、頑張ります』

「いい返事だね。それじゃちょっと例のネト麻サイトで打ってみようか。私はギャラリーで見てるから、まずはトップになれなくても良いから振り込まないことを念頭に。がんばって」

『了解です』

 

 

 画面の向こう側で牌が捨てられて行く光景を眺めつつ、考えるのは京太郎君が歩むことになるであろうこれからの道についてである。

 彼の持つオカルト能力を活かすためには、原村さんまでとはいわなくてもかなり高度なデジタル思考での打ち回しが出来るようになる必要があるだろう。

 それは振り込まなければ負けないというアイギスの盾。けれど、トップを取るという意味で本当に勝つためには必ずどこかで和了が必要、それは能力云々ではなく彼自身が流れの中で掴み取らなければならない。

 

 目標としては――少しハードルが高い気がしなくもないけれど、おそらく今年のドラフトで各チームから一位指名で争奪戦になるだろう、白糸台の宮永照あたりが理想だろうか。

 といっても別に高校二年生から全国デビューして圧倒的な力を以って二連覇を達成しろ、なんて無茶苦茶なことを言っているわけではなくて。参考にすべきはその勤勉さのほうである。

 彼女はたしかに持っている能力も強力ではあるけれど、それ以上に下地になる基礎部分がかなりしっかり出来ている。自身の力を遍く活かすための研究と研鑽をおそらく三年間怠ったりしなかったのだろう。

 京太郎君にも彼女のように自身の能力に溺れるのではなくて、隅っこまできちんと理解し把握して手綱を握った状態で利用できるタイプの打ち手になって欲しいものだ。

 そのためにはまぁ、まずは防御なんだけど。

 

『ロン』

『うが……』

 

 目の前のパソコンのスピーカーから聞こえてきた他家のロン宣言と蛙の呻き声っぽい何かを聞きながら、私は深く大きな溜め息を吐いた。

 




メイド雀荘パートが終わらないのはなんもかんも政治が悪い


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第04局:閑話@タコスの神はかく語りき

「ユーキ☆カタオカプレゼンツっ! ルーフトップ杯B級ご当地グルメオリジナルタコス創作グランプリ最ウマ決定戦インNAGANO!」

「無駄に長いタイトルッスね」

「はいっ、というわけでやって参りました略してB級タコス創作大会。

 解説はタコス作りの第一人者、清澄高校の雑用スペシャリストこと須賀京太郎くん、そして実況はおなじみ○○テレビアナウンサー福与恒子でお送りして参ります!」

「とりあえずその肩書き定着させようとすんの止めてもらえませんか、マジで」

 

 受け付けカウンターを乗っ取り、インターハイさながらのテンションでマイクを握るこーこちゃん。

 あれはもう止めても無駄だろうなと諦めた私は、隣に座らされている被害者……ではなくて解説役の京太郎君を、まるで売られていく子羊の群れを見るかの如く哀しげな瞳で見つめていた。

 

 

 事の始まりはつい先ほど。

 本格的な指導を前に休憩を取ろうと言うようなことをフロアに出て京太郎君と私が話していたところ、半荘を終えた片岡さんが乱入してきてタコスを作るよう命令を下したところまで遡る。

 

「いいところにいたじぇ、今からまた麻雀を打つ私のために大至急タコスを用意しろっ!」

「はぁ? いや俺染谷先輩と師匠から休憩貰ったんで、今から軽く飯でも食べようかと思ってたんだけど」

「そんなことは知らん! 京太郎、お前は私が何処の馬の骨ともわからんようなヤツらに負けてもいいというのかっ!」

「いや全員普通に知り合いだろ? っていうか皆もう卓について待ってんじゃねーか。さっさと行ってコテンパンにやられてこい、このタコスっ子」

「なにをぅ!?」

「まぁまぁ片岡さん……あ、はい京太郎君これ。ウーロン茶とカツ丼ね」

「すみません師匠。あー腹減ったぁ」

 

 本来は別の人用に注文されたカツ丼ではあったが、それこそ「そんなことは知らん!」状態である。

 あっちで涙目になっている靖子ちゃんが見えるけど、以前約束しておいたカツ丼を奢るという権限を持ち出して颯爽と奪ってみせた私はきっと悪くない。

 というかこの短時間で二杯目て。いくらなんでも食べすぎだろうよ。

 ただでさえそのカツ丼のせいでこちとら妙なイメージを方々に抱かれていて大変だというのに。困った人だとつくづく思う。

 

「う~っ! そんなカツ丼なんてどうでもいいものは放っといていいからさっさとタコスを作ってこい!」

「あ、ダメ。その科白は……」

 

 興奮して周りが見えなくなってしまった片岡さん。哀しいかな、それが特大級の地雷であることには気がついていないようだ。

 

「ほう――面白いことをのたまう小娘だな。カツ丼がどうでもいいもの、とは」

「――っ!?」

 

 ギギギ、と錆び付いた音を鳴らしつつ片岡さんが振り返る。そこには夜叉が立っていた。

 さすがマクリの女王と呼ばれるだけのことはある。追い詰められた際に放出されるその鬼気迫る迫力には、思わず半分くらいは無関係の私をして背筋に冷や汗をかくほどであった。

 できれば麻雀で戦う時にそれくらい気迫出してくれないかな、と思わなくもないけれど。

 

「小鍛治プロにカツ丼を掠め取られただけならばいざ知らず――小娘に馬鹿にされたとあってはこの藤田靖子、黙っているわけにはいかんな!」

「じ、じぇ……?」

「だいたいタコスなんて軟弱な食べ物に頼っているから貴様は弱いんだ、片岡優希」

「むっ! いくらプロとはいえタコスをバカにするのは許さないじぇ!」

「あ、怒るとこそこなんだ」

 

 普通は「貴様は弱い」って言われたところに噛み付くものだと思うけど。

 さすがは片岡さん。こーこちゃんの何気ない「将来の夢は?」という問いかけに対して「タコス神に私はなるッ!」と即座に答えた猛者だけのことはある。

 

「タコスはな、凄いんだじょ! なにが凄いって――京太郎でも簡単に作れるくらいお手軽感が凄いんだっ! カツ丼なんて手間がかかりすぎて近くの丼屋さんから出前してもらってるだけのしょせんこの雀荘からしてみたらただのお客様扱い、他所モンなんだじぇ!」

「フ……やはり分かっていないな、小娘が。この店の最大の長所、それはカツ丼が美味いことだ! それがたとえ出前であろうとも関係ない、雀荘で、麻雀を打ちながら美味いカツ丼が食べられることこそがこの店の最大のウリ。それを排除しようなどとこの店を潰すが如く鬼畜の所業だ。見ろ、まこのあの絶望感にうちひしがれている顔を!」

「あれはもやは別の原因だと思うけど……」

「ぐぬぬ……っ」

「フフン」

「あー、似たもの同士だったかぁ」

 

 バチバチと火花飛び散る熱い戦いが続く。但し本人たちだけであるが。

 とばっちりを受けた形の染谷さんが若干可哀相とは思いつつ、おそらくは猫耳様の祟りであろうと結論付けることにして。

 今の当面の問題はこの五十歩百歩コンビをどう諌めるか、ということだ。

 

「あの、これって本当に食べても良いんスか?」

「大丈夫だよ? 怖そうに見えるけど年下の子にはそれなりに優しい人だから、遠慮せずに気にしないで食べて食べて」

 

 京太郎君が心配そうな表情でこちらにお伺いを立ててきたので、食べても大丈夫であることをかいつまんで説明してあげる。

 それでも気後れしていたようだったので、あの子は食べ過ぎだからむしろ食べてあげて欲しいと言うと、納得したのか素直にカウンター席に座って食べ始めてくれた。

 素直な子は好きだなぁ、私。

 翻って、こちらの二人である。お互いに主張を一切曲げようとしないで、ひたすらガンの飛ばしあいというのは正直どうかと思うけど。

 ふと思いつきで口ずさんだこの言葉が、後にあのような惨劇を生むことになろうとは誰が予測できたであろうか?

 

「もういっそのことタコスの生地にカツ丼の具を挟んでみたらどうかな?」

 

 

 

 唐突に始まったはずの企画なのにも関わらず、自然と用意されていたマイクやら中継用のカメラやら小道具やらに番組制作スタッフの本気を見た。

 同時にもうこれはどうやっても逃げられないと痛感してしまう辺り、私も業界のルールに知らずのうちに染まってしまっているのかもしれない。

 

「ではまず出場チームの紹介です。トップバッターは清澄高校から――実はお料理得意なんです、女子力でも最強か!?一年生コンビ原村和&宮永咲!」

「咲ー、のどかー、しっかりー」

「和も自分で弁当作ってきたりしてましたから、料理は得意そうです。あと咲は普段から料理はあいつの担当なんで、普通に上手いッスよ」

 

 紹介された二人が前に出た。拍手と野次が織り交ぜになった雑音の中、二人は困惑の表情を隠さないままちらちらとこちらに視線を飛ばしてくる。

 そこで私を見ないで欲しい。不可抗力なんだから。

 

「続いて風越女子から本命と目されるこの人が登場! 機械以外はお手の物、万能キャプテンとその後継者――福路美穂子&吉留美春!」

「頑張ってくださいキャプテーン! あとついでにみはるんも」

「正直めちゃくちゃ好みッス。俺みたいな野郎どもからしたら福路さんなんてお嫁さんにしたいナンバー1じゃないッスかね」

 

 おどおどしつつも前に押し出される福路さんと、その隣に申し訳なさそうに立つ吉留さんという、巻き込まれた感がハンパない二人である。

 それと君はやっぱり大きいおっぱいの子が好きすぎるでしょ。師匠としてあとで説教しなければ。

 

「今大会のダークホースといえばこのコンビか!? 鶴賀学園――元部長は実はこの人だった! 小さい頃からの腐れ縁コンビ、蒲原智美&妹尾佳織!」

「なんで先輩と私じゃないんスかー! 担当者でてこーい!」

「妹尾さんとはなんか共通点多いんですよね。髪の色だったり初心者だったり……でも扱いの差はダントツで向こうのほうがいいという」

 

 物怖じしない笑顔で笑う蒲原さんと、その隣で所在なく佇んでいる妹尾さんという対照的な二人。料理とか出来るんだろうか?

 あと君は男の子だからね、仕方ないね。

 

「そして優勝候補筆頭とも噂される龍門渕からはあえてのこの二人! 目立つことこそ我が使命、お嬢様は果たして包丁が握れるのか――龍門渕透華&天江衣!」

「フフフ……私、いまとっても目立ってますわぁっ!」

「本職のメイドでもある国広さんたちが出場してしまうと優勝そこで決まっちゃいますからね、この人選は残念ながら当然です」

 

 相変わらずの高笑いである。そんな龍門渕さんの隣にいる天江さんは腕組みをして瞑想中。こちらも先が読めないという点では恐ろしいコンビだろう。

 沢村さんたちはああ見えて給仕の腕も一流なんだとか。本職ってスゴイ、改めてそう思った。

 

「最後に登場するのはもちろんこの人! 猫耳メイドがもはや違和感を喪失させるほど板についてきたぼくらのアラフォー、女流プロ雀士代表小鍛治健夜!」

「アラサーだよ! っていうかなんで私だけ一人なの!?」

「そこを詳しく説明すると長くなるんで、簡潔に須賀くんよろしく」

「えー、これまでに紹介した他のペアは合計年齢が30~35歳の間に納まるようになっていて、小鍛治プロに関しては年齢が年齢のため一人で高校生ペアと同等程度の人生経験があると見做されたこと。故に公平を保つ上で必要な措置だ、とのお言葉を大会委員長代理から言付かっております」

「……」

 

 たとえそれが事実だったとしても京太郎君から告げられるのは心が痛い。

 いやまぁ事実でも無いんだけどさ。

 まだまだ高校生を相手取ってダブルスコアに届くまでは地味に遠いよ……。

 

「各々のタコスを審査していただく審査員はこちらの三名。

 左から片岡優希大会名誉委員長、佐久フェレッターズ所属の藤田靖子プロ、風越女子高校麻雀部久保貴子コーチとなっております。御三方、本日はよろしくお願いします!」

「新しいタコスの開発に尽力してくれるみなの心意気に、目頭が熱くなってくるじぇ」

「やっぱここのカツ丼美味いな。まぁ適当に頑張れ」

「どうして私まで……」

「――さあっ! 本大会ルールですが、食べられないものを作らないこと。それ以外は基本的には自由っ! ちなみに食材となるのはあちら――」

 

 こーこちゃんの指差す方向をギャラリー含め全員が向く。

 飲食スペースの一角に設けられたテーブルの上には、肉から魚から野菜から調味料からフルーツ類まで、数々の食材が所狭しと並べられていた。

 一体何処から持ってきたんだ?と突っ込みを入れたくなったのはきっと私だけではなかったはずだ。

 

「これらの食材の提供は大会スポンサーでもある龍門渕グループの後継者候補、龍門渕透華さんです! 御協力ありがとうございます!」

「これくらいどうってことありませんわっ!」

「おおー、さすがこういう時金持ちはやることが違うなー」

「よっ、さすがお嬢様っ!」

「お~っほっほっほ! 当然でしてよ!」

 

 やんややんやと周囲の観客から囃し立てられ、調子に乗って高笑いする龍門渕さんという構図がいつの間にか成立している。

 基本みんな他校の生徒のはずなのに、普通に龍門渕さんの扱いが上手いというのも不思議な話である。

 

「さて、先ほど紹介させていただきました五組のペアの皆さんには、ここに用意された食材を使ってこれはウケる!と思った具のタコスを作っていただきます」

「ウケる!というのは笑い的な意味ではなくて流行る的な意味なのでお間違えないようお願いします。食べ物関係は放送局に苦情来ますんで、ほんとに」

「気になる順位の決定についてですが、審査員三名はそれぞれ得点を十点ずつ持っていて一組ずつ試食してもらい合計得点が最も高かったペアの優勝です! なお調理&試食の順番はくじ引きで決めますが、番組の構成上小鍛治プロは最後で固定になりますので御了承くださいっ」

「えっ? な、なんで?」

「オチ要因ってことかしらね?」

『あー……』

「なんでみんなしてそこで納得するの? ねぇ?」

「ペア一組につき持ち時間は二十分! ではくじ引きの後、調理スタートですっ」

 

 

 風牌を用いた厳正なる親決め……じゃない、くじ引きの結果、調理&試食の順番は次の通りになった。

 

 1.蒲原智美&妹尾佳織ペア

 2.福路美穂子&吉留美春ペア

 3.原村和&宮永咲ペア

 4.龍門渕透華&天江衣ペア

 5.小鍛治健夜

 

 調理自体は五分置きに開始時間をずらす形で各ペアが同時進行で行うことになるため、企画の時間的にはせいぜい一時間弱といったところだろうか。

 その時間の間、観客側に回ったメンバーは飲食スペースやら雀卓スペースやらで思い思いに時間を過ごすことになるが、だいたいの子は自分の所属している高校の代表ペアのやりとりを眺めているようだ。

 最初の蒲原&妹尾ペアには心配そうにしている津山さんと加治木さんが着いていたりして、ほぼ四人で作戦会議中といった様相である。あれはいいのかな?

 

「さあ第一組の調理が開始されました。解説の須賀くん、プロから見る食材選びのポイントを教えてください」

「そうッスね。まず、食材は当然新鮮さが命ですから痛みが見られていたり萎びた部分は使わないようにすることは基本です。タコスにはレタスがよく使われますけど、やっぱパリっとして瑞々しいほうが具材との絡みもあって美味いですから」

「ふーむなるほどなるほど、なるほど~。いやぁ想定していなかったくらい普通に無難なコメントから入りましたねー。さすが小鍛治プロの一番弟子なだけのことはある!」

「ほっといてください! つか俺タコス作れはしますけど別に料理のプロでもなんでもないですからね? なんで解説やらされてるのかがさっぱりわかんねーんですけど」

「フフフ、番組的には色々と有るものなのだよ、須賀くん。っとぉ、ここで鶴賀学園元部長蒲原智美に動きがありました! 彼女が最初に手にしたものはなんと――」

「あれは……ジャム、ですか? マーマレード?」

「カマボコを髣髴とさせる満面の笑みで掲げるそれは、瓶詰めのマーマレード! これには観客たちも流石にビックリだぁ!」

「……タコス作る気があるんスかね、あの人? まさかクレープと勘違いしてるとか」

「その辺りは当人にしか分からないでしょう! おおっとそして次に手に取ったのは――えっ?」

 

 思わず実況のこーこちゃんが言葉を詰まらせる。

 それはそうだろう。蒲原さんが何気なく手に取ったのは、どう見ても鯖。一匹丸々、新鮮なままの、紛うことなき鯖である。

 

「さ、鯖……?」

「鯖っすね……」

「誰だあんなの用意したヤツは!? どう考えてもこのまま行けば放送禁止一直線、苦情殺到間違いなし――ですがっ、ここでストップをかけられないのが哀しい現実!」

 

 言いたい放題のこーこちゃんを尻目に、なんと蒲原さんは鯖とマーマレードの瓶詰めを持ったまま、後を妹尾さんに任せて厨房へと向かった。

 まさか本当にあの食材で具材を作り上げるつもりなんだろうか……?

 

「解説の須賀くん、これをどう見ますか?」

「えーっと……魚介類を具にすること自体は本場でもそう珍しいことじゃないらしいんですよね。となればあのマーマレードも実は重要な味の決め手の一つになるのかもしれません」

「ほう――というと?」

「マーマレードって元はみかんとかの柑橘類でしょ。レモンとか柚子で考えたら分かりやすいかもしれませんが、柑橘類は元々魚介類と相性が悪いわけじゃないですよね。

 そのまま鯖と和えるとなるとさすがに抵抗を感じますけど、一緒に煮込んだりするぶんには……」

「なるほど~、つまりマーマレードを調味料代わりに使うと意外と相性は悪くないかもしれない、と!」

「はい。でも実際にどんなものが出来上がってくるかは流石に現段階だと分かりませんが」

 

 てことは、もし蒲原さんがそれを見越してあの食材をチョイスしたんだとしたら――見るからに大雑把っぽくて、細かい作業を必要とする料理といったものとは無縁に見える彼女だが、もしかしたら普通に料理が得意だったりするのかもしれないということだろうか。

 だが、それがまったくの見当外れでしかなくて、本当に『鯖のお刺身マーマレード和えタコス』なんかが出てくる可能性も無いわけじゃない。

 人は見かけによらないとは昔の人が言った言葉だけれど、できればそうであって欲しいものだと切に願う。片岡さんと靖子ちゃんはともかく、巻き込まれた久保さんの為にも。

 

「さて。蒲原妹尾ペアのもう一人はというと――ほほう、無難に野菜選びをしているところのようですが」

「今持っているのは玉葱ッスかね、たしかに鯖との相性も悪くはなさそうですけど……個人的には葱のほうが好きです」

「ああ、たしかに鯖の味噌煮とかだと白ネギが刻んで添えられたりしてるよね。あとは一般的なのだと生姜とか?」

「青魚の臭みを消すならやっぱ生姜ですよね――っと、福与アナ、どうも厨房で動きがあったみたいですよ」

「あ、ホントだ。では現場を呼んでみましょう。中継先の竹井さーん!」

『はいこちら現場の竹井です。先ほどから蒲原さんが鯖を三枚におろし始めたんですが……これが意外にも慣れた手つきで、そちらに話題を振る前にさくっと終わってしまいました』

「おお、てことはまさかの料理上手な人でしたか。正直ちょっと意外ですけど」

『そうね。手馴れているというか、躊躇しないっていうか。作業の工程を見てみた限りだと、おそらく普段から包丁を握ってるんじゃないかしら?』

「なるほど、これは須賀くんの予想通りの展開かな? 分かりました竹井さん、一旦こっちで受け取りますんでまたなにか動きがあったらよろしくー」

『はい、以上現場からでした。スタジオのほうにお返ししまーす』

 

 って、竹井さんギャラリーの中にいないと思ったら普通にレポーターやってるし!?

 なんでも普通以上にこなす子だな、相変わらず。大学に進学するにしてもどこかに就職するにしても、引く手数多なんじゃないだろうか?

 と感心している時にふと思う。本来であればその仕事、私がすべきだったんじゃなかったのかと。参加者側ではなくてどう考えてもそっちサイドじゃない、私?

 

「さて、そうこうしているうちに第二組の調理開始時間がやってきました! では福路美穂子&吉留美春ペア、調理開始!」

 

 実況席からの宣言を受け、立ち上がる二人。先ほどの戸惑った様子は既に見られず、周囲にいる風越女子メンバーの激励を受け、食材置き場へと向かう福路さんと吉留さん。

 前のペアとは比べ物にならないほど手馴れた手つきで食材を選定して行く様は、まるで若奥様の昼時の買い物事情を髣髴とさせるものがあった。

 悔しいが認めよう。彼女は京太郎君が理想的と言うだけのことはあって、良妻賢母という言葉がよく似合う、今時にしては珍しいほど女らしい女の子だと。

 

「さて、スタートした第二組の風越女子ペアですが、有志から部内合宿などでの料理担当は当時キャプテンだった福路さんが全体的に担っていたとの情報が入ってきております」

「さすが魑魅魍魎が跋扈すると噂される長野麻雀界においてぐう聖と呼ばれ崇められているお方。二年半後くらいに結婚してください!」

「そういうのはできれば婚期がヤバいすこやんに言ってあげてね! お、その福路さんが吉留さんに指示を飛ばして持って来させたのは――なんでしょう、鶏肉かな?」

「鶏もも肉でしょうか。オーソドックスなチョイスですね。俺が作るときも具のメインはやっぱ鶏肉なんスよ、他の肉と比べると安いしヘルシーですから」

「ほほう、たしかにイメージ的にはそうだね、基本に忠実。だけどこの大会で出すタコスとしてはそれってどうなのかなー?」

「あー、それは……そう言われたらそうでした」

 

 大会名に則るのであれば、たしかに既存のものを出すのでは意味がない。いや個人的には美味しければそれでいいじゃない、と思わなくも無いけれど。

 しかしタコス神の琴線を軽く打ち抜いてしまった私としては、もはやそれを口に出すことは許されないのである。無情だ。

 あと何気に私の弄りネタをぶっ込むのはやめなさい。京太郎君もスルースキルが高すぎる。

 そこはもうちょっと食いついてきてもいいんじゃないかな?

 

「さて、吉留さんが鶏肉と調味料の中から瓶を数本持って調理場に向かい、福路さんはそのまま食材置き場に残って何を探しているのか……須賀くん分かる?」

「あそこらへんはフルーツ類のコーナーですかね。なんでしょうか、よく見えないんスけどあの形は洋ナシっぽい?」

「洋ナシっていうと、ラ・フランス?」

「イメージ的にはやっぱそれが一番有名ですけど、洋ナシっていっても種類が結構あるらしいんですよ。

 うーん、それにしてもいまいち完成形が見えてこないな……」

 

 福路さんはその後、チーズと数種類のハーブを手に取ってから吉留さんの待つ厨房へと向かった。

 選んだ食材からすると、第一組の鶴賀ペアと比べるとインパクトに欠ける。ただ、どちらがより美味しそうかと問われれば、風越ペアのほうじゃないかとも思う。

 あの子の中では既に完成形が見えているんだろうし、食材選びだけでも手際の良さがここから見ていてもよく分かった。

 ああいった姿が男心をくすぐる要因になったりするのだろうか。勉強になるなぁ。

 

「しかし福路さんは本当に食材選びに迷いが無かったッスね。何故か応援してるだけの池田さんがドヤ顔だったのが不思議ですけど」

「そうだね、さすがは優勝候補ってところかなー」

「福与アナは料理とかなさるんですか?」

「私はあんましないかなぁ。あ、でも包丁も握れないとかそういうことは流石に無いよ?」

「そっすか。やっぱアナウンサーの人も年中忙しそうなイメージがあるんで、そのぶん外食も多そうな感じですよね」

「あははっ、まーねー。最近は何かと便利だからそれでも生きていけちゃうんだよね、一人身だと特に不自由なんて感じないし」

 

 マイクの電源をオフにした状態で京太郎君とこーこちゃんが世間話をしている姿を、遠巻きに何気なく眺めていると。そわそわと落ち着かない様子の宮永さんを連れて、私のところに原村さんがやってきた。

 そういえば、次は彼女らの番だっけか。

 

「小鍛治プロはどういった感じのものをお作りになる予定なのでしょう? もう決まっていますか?」

「うん? いちおう決まってはいるけど、どうして?」

「いえ。最後の小鍛治プロが一番不利なのは分かりきっていますので、もし方向性が重なるようであればこちらが融通を利かせようかなと思いまして」

「そういうことかぁ。でも大丈夫だよ、原村さんも宮永さんも、自分が思ったとおりに作ってくれていいんだからね」

「……はぁ、それでしたら、そうさせていただきます」

 

 番組スタッフの陰謀により最初から問答無用でオチ担当にされてしまった私に気遣いをしてくれるなんて、なんて優しい子たちだろう。

 ただ言葉の随所からナチュラルに「料理のレパートリー少ないんだろうから譲ってあげるよ」的な強者の余裕を感じてしまうのは、流石に穿ちすぎだろうか?

 直前に聞いた実況解説コンビの会話もあってか、厨房で京太郎君と話した時の内容を思い出す。

 やはりこの子たちの中でも私は料理できない人間と見做されているのか……もしそうなら軽く凹むな。

 一人で勝手になんとも言いようのない切なさを感じていると、

 

「では第三組、原村&宮永ペアは調理を開始してください!」

 

 というこーこちゃんの声が聞こえてきて、二人は一礼と共に戦場へと歩いていった。

 

 

「さてさて。ここで調理現場の竹井さんと中継が繋がっています。竹井さーん」

『はーい、こちら厨房の竹井です。第一組の蒲原妹尾ペアは既に下拵えを終えて、次の段階に取り掛かっていますね』

「部長、やっぱり鯖がメイン食材ということでいいんでしょうか?」

『見てる限りはそうみたい。妹尾さんが持ち込んだのは結局野菜だけだったし、鍋の前に立って料理してるのが蒲原さんのほうだから』

「そうッスか、ありがとうございます」

「竹井さん、第二組のほうはどんな感じですかー?」

『えー、事前に鶏肉を持ち込んでいた吉留さんが先に下拵えをしていたから第一組と比べると若干ペースが早い模様。二人の連携もスムーズだし、チームワークは流石といったところでしょうか』

「風越のほうはメインは鶏肉ってことですけど、他に変わった材料とかありました?」

『これといって特には。ああ、でも須賀君が作るタコスと違って鶏肉の切り方が一口サイズより小さめのサイコロ型になってたわよ』

「サイコロ型っすか?」

『そのほうが火が通る時間も短くて済むし、下味の付き具合もそうなのかもね。美穂子のことだから制限時間を考えて色々と工夫をしているのかもしれないわ』

「なるほど、そういうことですか」

「ふんふむ。風越女子チーム、優勝候補の一角として名に恥じない手際といったところでしょうか。ありがとうございます、一旦こちらに戻しまーす」

 

 

 既に厨房入りしている二組に関しては、そこそこ順調に進んでいるようだった。実況席の反応も概ね好評で、羨ましい限りである。

 料理が上手というのはアピールポイント高くていいよね。麻雀が強いというのを10ポイントとしたら70ポイントくらいは余裕であるはずだ。

 ……ん? あれ、ということはもしかしてここで頑張れば私に向けられている残念な評価もひっくり返るかもしれない、ということ?

 こーこちゃん、まさかそれを見越してわざとこんな大掛かりなイベントを――ってないな。まず有り得ない。

 嬉々としてマイクを握り締めるあの姿、どう考えても面白そうだから乗ったに過ぎない、という顔だ。

 

「あ、そういえばカメラが調理場に向いている間に食材選びをしていたはずの第三組は現在どうなっているのでしょうか?」

「和と咲のことですから、そう変なことにはならないだろうし特に心配はしてないんですけど……っと、まだ食材選んでる途中みたいッスね」

「どれどれ……おおう? 宮永さんは挽き肉と玉ねぎ、あとじゃがいもをいくつか抱えてて。原村さんはアレ、持ってるのって湯煎用のチョコレート?」

「そうみたいですね。材料を見るに咲は肉じゃがでも作るつもりなんでしょうけど、でもそうなると和のチョコレートがちょっと意味不明というか……」

「チョコレートは一旦置いといてさ、肉じゃがだとすると挽き肉じゃなくて普通の薄切り肉のほうを使うんじゃない? 材料的にはむしろコロッケっぽいというか」

「ああ、咲の得意料理なんスよ、肉じゃがって。基本あいつ緊張しいですからね。レパートリーの中から一番自分が信頼できるメニューを選んだんだろうってことで、肉じゃがなんじゃないかと予測しました」

「むむむ、さすがは幼なじみ。情報量がこれまでのペアとは段違いに多いね!

 さて、その宮永さんは材料を持ったまま先に調理場に向かいましたが、パートナーの原村さんは調味料のコーナーあたりでまだ何か探している様子――ただ、その手には相変わらずチョコレートが握られたままですが、その真意はいったい!?」

「あのチョコレートが肉じゃがとどう絡んでくるのか……うーん」

『わっかんねー』

 

 思わずハモる実況解説の二人。気持ちは分かるけど、二人は彼女とはほとんど顔も合わせないような関係だろうに、何故そこで咏ちゃん風なのかと。

 それにしても驚くのは原村さんの持っているチョコレート、まさしく意味不明である。

 まさか、あの二人にはあれを第一組みたいに調味料的な何かとして使う術があるのだろうか?

 もしそうならある意味で斬新な発想だとは思う――が、少なくとも私はそんなの聞いたことも無い。まだ砂糖の代わりに蜂蜜を使うとかなら分からなくはないけれども。

 京太郎君曰く料理の上手な二人が、わざわざそんなチャレンジャーなことをこの場面でするとも思えないし……いや、B級グルメ感を演出するためにわざと選んでる可能性もあるのかな。

 まさしくわっかんねー展開に一人首を捻っていると、

 

「おっとここでついにというか、注目すべき第四組の登場時間がやって参りましたっ! 龍門渕透華&天江衣ペアは調理を開始してください!」

 

 満を持してオッズで言うところの大穴コンビがやってきた。

 優勝候補と目されていたはずの龍門渕から送り込まれてきた、正真正銘生粋のお嬢様とその従姉妹という、自炊経験無いだろうに大丈夫かお前らコンビである。

 私の代わりにオチ担当を任せるに相応しいのはこの子たちじゃないかと思うんだけど。

 実際問題、初っ端に龍門渕さんの起こした行動、躊躇なく精肉コーナーへと向かいさっそうと持ち上げたものがそれを端的に示しているように思えてならなかった。

 それは横で見ている私だけではなく、実況席の二人も観客のみんなも等しく抱いた感想に違いない。

 

「……鶏がらと豚骨ッスね」

「鶏がらと豚骨だね」

 

 何故それだけ豊富な食材が揃っている中で、あえてそんな狭いところを選ぶのか。

 誰もが思っていても口に出さない状況であったが、ただ一人、勇者と思わしき人物が二人の元へと近づいて行く。

 いつの間にフロアへ戻ってきたのか、レポーターの竹井久である。

 

「龍門渕さん、第一チョイスについて一言よろしいでしょうか」

「ええ、構いませんわ。なんでしょう?」

「なぜ鶏がらと豚骨を?」

「無論、出汁を取るために決まってますわ! ハギヨシが言うにはとんこつラーメンこそが至高の料理、その中でも特に重要なのはスープだと。この二つはとてもいい出汁が出ると聞きましたの」

「……出汁?」

 

 堂々とカンニングを宣言しつつ、奇妙なことを言い出した。

 

「フフ、これ以上は企業秘密ですわ。せいぜい勉強なさることです」

「……ありがとうございました。とのことです、実況の福与アナ」

「ほほう、出汁と来ましたか」

「調理時間二十分しかないのに出汁から取るつもりなんですね、龍門渕さん。時間配分とか大丈夫なんでしょうか?」

「さあ、そこらへんは私にはなんとも……ってことで、ここでスペシャルゲストに龍門渕家執事、ハギヨシの愛称で知られる萩原さんにお越しいただきましたっ。よろしくお願いします!」

「皆様どうぞよろしくお願い致します」

 

 その言葉に振り返ってこーこちゃんたちのほうを見やると、なんと実況席に先ほどの執事さんが座っているではないですか。

 店内に居たのは龍門渕さんに飲み物を持ってきた時だけだったと記憶しているのだが、いったい誰が何処から連れてきたんだろうか。

 そして何気に実況席は現状、京太郎君、こーこちゃん、執事さん、という布陣である。さりげなく両手に花とは羨ましいなおい。

 

「さて、さっそく本題に参りましょう。ゲストの萩原さんは龍門渕さんが何をしようとしているのか、御存知なんでしょうか?」

「ええ。おそらくは――先ほどのコメントそのまま、ラーメンを作ろうとなさっておいでなのでしょう」

「……ラーメン? タコスではなく?」

「はい。以前衣様から『庶民の味、かつ作れただけで一目置かれる料理はなんだろう』との問いかけをされたことがありまして、その返答にラーメンとお答えしたのはいいのですが」

「なんとなく続きを聞くまでもない気がしてきたな……ハギヨシさん、もしかしてそれって――」

「ええ。誠に遺憾ながら、それをどこかで聞いておられた透華お嬢様が衣様のためであればと作り方をお調べになられたようでして……」

「そ、それでラーメンが作れるようになった、と?」

「いえ。これまで実際に作ったことは一度もありません」

「……」

「……」

 

 あ、これ本格的にダメなやつだ。

 そもそもこの店舗の調理場には、豚骨を一からぐつぐつ大鍋で煮るだけの環境も無ければ、それだけの時間もないはずで。

 もし本当に実行に移せば、ただ無駄に調理場に豚骨の独特な臭いが充満するだけの誰得状態になることは必至だった。染谷さん涙目すぎる。

 

「あ、まだ天江さんが――エビフライ大好きな天江さんならきっと何とかしてくれるはず!」

「その頼みの綱の天江さん、なんか小豆と砂糖の袋を山ほど抱え込んでるように見えるんだけど、気のせいかな?」

「……えっ?」

「衣様は先ほど昼食としてエビフライランチをお召し上がりになられましたので、今は既にデザートの気分なのではないかと。

 あの量なのはおそらくこちらにおられる方全員に振舞えるよう、自らの好物のお汁粉を大量に作ろうとなさっておいでなのでしょう」

「スポンサー側の二人が率先して企画意図をガン無視……だと!?」

「普段料理をほとんどしたことがないって人ほど、いざ作ろうって時に何故か本格的に一から始めちゃうっていうの、ありますよね」

 

 作るにしてもせめて出来合いの餡子を使えばいいじゃない、という京太郎君の言葉に仕込まれた裏の意をどうか察してあげてほしい。

 天江さん、執事さんの話を聞くにとても良い子だというのはその通りなんだろうけど……残念なことに、気を使う方向を盛大に間違えていた。

 

「……萩原さん、特別にヘルプにつく許可を出しますので、どうかよしなにお願いします」

「かしこまりました」

 

 言うやいなや、シュバッっと姿が掻き消えて視界から消える執事さん。なんか格好いい人だけど、忍者なのか執事なのかそろそろはっきりしてほしい。

 このままだと気になって夜しか眠れないような気がするから。

 

 

 私にお鉢が回ってくるより先に、第一組が手にタコスらしき物体を持ってフロアのほうへと戻ってきた。

 見た感じ、外見はごく普通。最初の食材チョイスで感じたヤバさは影を潜め、今となっては無難中の無難といった感じでの帰還である。

 

「さて、第四組の開始とほぼ同時に第一組が戻ってきました。今、お皿が審査員の前に置かれます」

「これ、食べていいの?」

「はい。出来立てを食べてもらったほうが審査としては都合が良いので。あっ、念のためあちらにバケツが用意してありますから、万一の時は遠慮なく!」

「そんな気遣いより先に考えるべきことがあンだろうがっ!」

 

 思わず素のツッコミを入れる久保さん。気持ちはよく分かるけど、いちおうこれ収録されて発売されちゃうんだよね。そのあたり大丈夫なのか心配になるけれど……ま、いいか。

 意を決して恐る恐るタコスを手に取る大人二人に対し、一方の片岡さんはさすがというべきか、タコスを取る手つきももう慣れたものだ。

 躊躇も何もなく皿から引っぺがし問答無用で豪快に噛り付くその姿は、まさにタコス神と云うべき神々しさに満ち溢れて……うん、ちょっとウソ言った。神々しいとかそんなわけはない。

 モグモグと咀嚼するその姿は小動物っぽくて実に可愛らしい。それはそれでちょっと卑怯だと思った。

 

「……うん、これは鯖味噌っぽい感じで普通に美味いじぇ!」

「お?」

「ほほう」

 

 その片岡さんの反応をみて、残りの二人も一口食べる。それでいいのか、大人たち。

 

「ほう、これはなかなか。生姜が入っていないわりに青魚独特の臭みというか、それも感じないし……ふむ、確かに普通に美味いな」

「そうですね。予め身が解してあって骨も取ってあるし、周囲に添えられている玉葱もきちんと味が染みていますし。丁寧な仕事ですね、これはちょっと意外でした」

「おっとこれは、食材チョイスのどよめきから一転、審査員からの評価は上々の模様!」

「蒲原さん、これはマーマレードになにか秘密があったということでしょうか?」

「まーなー。食材の臭みを消しながら甘みと渋みを出して煮る場合にはけっこう重宝するんだぞー」ワハハ

 

 いつもとほとんど変わらない表情のまま笑う蒲原さん。でもあの笑顔が笑顔に見えないのは私だけなのかな……。

 昔ぺこちゃんの人形があの笑顔を張り付かせたまま追いかけてくる夢を見たことがあるけれど、それと同等の怖さを感じる。これもワハハカーとやらの後遺症だろうか。

 

「では、審査員の皆様は第一組の点数を発表してくださいっ、どうぞ!」

 

 こーこちゃんの言葉を受けて、審査員役の三人が手に持っていた点数表示用の小道具を振り上げる。

 掲げられている点数は、左から『7』『8』『8』。合計23ポイントだった。

 この点が以降のペアの基準点になるのだろう。試食時の反応はそう悪くは無かったものの、片岡さんの点数はそれと比べると少し低いようにも感じてしまう。

 

「合計得点は23ポイントっ! 初っ端のため高いのか低いのかは正直さっぱり分かりませんが、少なくとも最低点が名誉委員長の7点の時点で今のところは高得点っぽい数字が出たといえるでしょう!」

「優希は7点の表示か。けっこう美味そうに食ってたのに、この点数ってのはどういう理由なんだ?」

「ふむ、いい質問だな京太郎。私の中でタコスとは究極の一品、そう易々と満点が取れるなんてことはありえないんだじぇ」

「ってことは名誉委員長、この点数はご自身の中ではほぼ最高点に近いということでしょうか!?」

「最高点という意味なら京太郎が作るタコスには8点を付けてやろう。この鯖味噌タコスはここで満足をせずもう一捻りぶんだけ高めていって欲しいという願いを込めて7点を付けさせてもらったじぇ」

「なるほど~、さすがは名誉委員長! 御見それしました!」

「フフン、タコス道は奥が深い。みな精進するがいいじぇ」

 

 こーこちゃんによって、なんか良いコメント風に纏められてしまったけれども。

 タコス道を本気で極めようとしている人間はきっとこの場には君くらいしかいないと思うんだ、お姉さんは。

 

「ちなみに藤田プロはなぜ8点を付けたのでしょう?」

「いやまぁ普通に美味かったし。ただそのまま鯖の味噌煮定食として食べてみたかったんで、そのぶん減点だな」

「なるほどっ、ということは鯖の味噌煮定食として出されていたら満点だったと!?」

「そうなるな」

「それもはやタコス創作大会の意味を全否定してますよね」

 

 当然のように頷く靖子ちゃんに向けて、京太郎君がすかさず突っ込みを入れる。ボケがいっぱいいたらその立ち位置の人は大変そうだな。

 靖子ちゃんも何気に真顔でボケ倒すタイプだから尚更だろうか。本来相方ポジションにいるはずの久保さんは我関せずを決め込んでるっぽいし。

 

「コーチの久保さんはいかがでしょう?」

「ん。普通に美味しかったですね。最初のあの衝撃から巻き返して無難に着地を決めたことを考えると、このくらいの点数が妥当なのではないかと」

「ふむふむ、たしかに食材チョイス時は思わず全員が死んだ鯖の目みたいになってしまったほどに衝撃的でしたからね!」

「あの強烈過ぎたインパクトの勝利といえるんですかねぇ、これは」

 

 

 最初に断っておくと、何も別にあのカオス空間(実況席)に自ら望んで飛び込んで行きたいと願っているわけではないのだけれど。

 そもそもさ、何故口論をしていた当事者の二人が審査員席に座っていて、ほぼ無関係な私が料理を作る側にいるのだろうか。おかしくない?

 理不尽を飛び越えて予めそうなるように仕込まれていたんじゃないかと疑ってしまう私は、既に心まで毒されきった汚い大人になってしまったということなのか。

 こーこちゃんによって宣言された「すこやん調理開始していいよー」という、実況担当にしてはフランクに過ぎる掛け声を聞いて、ふとそんなことを思ってしまった。




例によってまともに麻雀勝負をさせてもらえない麻雀界最強の女。CMの後、後半です。
漫画無関係なアニメオリジナルっぽいドラマCDの存在なんてそんなん考慮しとらんよ……


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第05局:転変@悪女が来たりて笛を吹かせる

「……」

 

 あんまりにもあんまりな出来事があってからというもの、私の頬は膨れっぱなし。

 本家本元の野依プロもご納得いただけるであろうぷんすこ顔で、自分の作ったタコスを片手にモニターを見つめている私がそこにいた。

 

「ま、まぁまぁすこやん。そう怒らないでよ。事故だってば、事故」

「……こーこちゃんはいいよね。どんな現場でもいつも自分がやってるような仕事ばっかでさ。それに比べて私はピエロも同然の扱いばっかり」

「そんなことないって。すこやんはほら、みんなに愛されてるキャラだから……」

「愛の無い弄りなんて虐めと何も変わらないよ」

 

 まぁ今回のことに悪意があったとまではさすがに思ってはいないけれども。

 それでもちょっとばかり調子に乗っているスタッフ陣はここらで一回締め直しておくべきだろう。

 

「あちゃー、こりゃ完全にへそ曲げちゃったかぁ。須賀くん、これなんとかならない?」

「え、そこで俺に振るんスか!?」

「弟子なら師匠のご機嫌取りくらいこなせてなんぼだよ? そんなんじゃ今年のザ☆漫才を勝ち抜いていくのは到底――」

「福与アナ、ちょっと黙りなさい。気が散る」

「あっ、ハイ。すんません監督っ」

 

 今の私は、映像確認の鬼としてここに君臨しているのだ。余計な横槍は止めてもらおう。

 撮影確認用のモニターに映し出されているのは、私が調理場へと向かった後の出来事。

 入れ替わるように現れた第二組のタコス審査が始まり――第三組の得点が発表された直後、問題の場面はその時間帯である。

 

「……」

 

 少しだけモニターから視線をずらせば、そこにはしょんぼりと垂れ下がったアンテナが。

 水でもかければ復活するのだろうか、とついつい水の入ったカップを手に取りそうになるものの、それはさすがに大人として宜しくないかと自重して。

 井上さんたちの手によって隣で華麗に正座されられている元凶の龍門渕さんは、沙汰を待つ咎人の如き様相を見せていた。

 

 フゥ――と小さくため息をつく。

 想定外に過ぎたこの一大イベントの結末を語るには、その間に起こった出来事をいくつかに分けて説明していかなければならないだろう。

 順を追って、状況を確認していくことにしようか。

 時間の経過そのままで話を進めていくと、まずは、巡り巡ってついに私の順番がやってきたところまで遡る――。

 

 

 第一組の採点結果を踏まえて。

 どうしてこうなった?という言葉を脳裏に浮かべながらも、まずは食材を吟味することにした。

 最初から作ろうとしているものは決まっていたし、まずは軸となるものを求めて野菜のコーナーへやってきたところで改めて思う。

 ――食材が豊富すぎて私の常識がヤバい!

 鳥がらやら豚骨やら置いてあるのは龍門渕さんによるねじ込みだろうと思っていたけれど、精肉の辺りには鴨とか子羊っぽいものまで普通に陳列されているのはどういうことか。

 あの時の私の発言がキッカケになったというのであれば、突発的な企画のわりに新鮮すぎるこの食材たちは一体何処から集めてきたというのだろう。

 こーこちゃん含めた番組スタッフか、あるいはスポンサーの龍門渕さん関係でいえばあの執事さんあたりの仕業なのかは知らないけれど。

 その中にこれらを一瞬で手配し用意するなどという離れ業をやってみせる程の常識ハズレな人間がいる、ということに間違いはない。

 あの忍者、もとい執事さんであればこの程度涼しい顔でやってのけそうな気がしなくもないし……。

 ……なんて思ってしまうあたり、もはや常識なんてものは煮立っている鍋の端っこでとろっとろに溶けてしまっているのかもしれなかった。

 

 いずれにせよ、余ったらこれらはどうするつもりなんだろうと軽く疑念を覚えつつも、根菜類が集められている一角から目的のものを手に取った。

 メイン食材として考えていた蓮根を一節分、表面にあまり凹凸の無いものを見繕う。実際に持ってみた限りだと重みも十分で新鮮さに問題はなさそうだ。

 次いで、図らずともこれまで先行しているどのペアも使わなかった豚のバラ肉を選択。

 あとは小麦粉などを含めた粉系をいくつかと卵、玉ねぎなんかを見繕いつつ、調味料はあっちに置いてあるのを使うことにしてさっさと厨房へと向かった。

 制限時間の二十分というのは、食材の選定なんかも含めてであれば調理時間としてはやや不足気味だ。

 もしお昼の休憩時間に外食へ行って実際に提供されるまでそれだけ時間がかかったとしたら、待つ側としてはご立腹ものだろうと思わなくもないけれど。

 下拵えから考えるとそれだけで時間の半分を持っていかれてしまうのだから、料理する側からすればやはり短いといわざるを得ないのだった。

 

「今の食材チョイス、須賀くんはどう思った?」

「選んだ順番からするとレンコンがメインっぽかったですよね。でも俺、レンコンってあんま食べたことないんスよ」

「ありゃ、そうなの? まぁ若者は好んで食べようとは思わないよね。地味だし」

「蓮根に年齢は関係なくない!?」

 

 隣を通り過ぎて厨房へと向かう際、マイクのスイッチをオフにしてこれみよがしに会話を始めた二人の声についつい反応してしまう私。

 

「や、だって普通そんな食べないっしょ? もう一品って時のおかずとしての使い勝手だとごぼうに劣るし、辛子レンコンとかもろに酒飲み御用達じゃない?」

「こーこちゃんはいま土浦市民を完全に敵に回したね。いいよ、そこまで言うなら私が今日見せてあげよう――蓮根が持つ無限の可能性の一端をっ!」

「おおう、すこやんが燃えている……だと!? 麻雀の解説の時でも滅多にそんな顔見せないくせに!?」

「ほっといてよ」

 

 実際、何故私が蓮根をメインに据えようと考えたのかというと、動機は単純であり、大会名に『ご当地』と銘打たれているからだ。

 というのも、私の地元茨城県の土浦あたりといえば蓮根や佃煮なんかが名産品として有名な地域なのである。

 小さい頃から親しみのある食材であり、ちょうど今の時期から冬場にかけて旬となることなども考慮に入れた結果、食材の中にこれがあった時点で使うことを決めた。

 こーこちゃんの言うように、色目的にも見た目が地味というのは否定できない事実ではあるけれど。

 何気に栄養価も高いし、美容なんかや健康にもいい。馴染み深いというのをいったん除外したとしても、私としては一推しの素材だったりする。

 特にうちのお母さんが作ってくれる海老つみれの蓮根挟み揚げなんてもう、お酒のあてにもご飯のおかずにも対応できる実にすばらな一品で。

 世界各地で食べた著名な料理の中ですら劣ることなく輝きを放ち続ける、小鍛治健夜的ランキングでも常に上位に居続ける大好物の一つである。

 私、この戦いが終わったら実家に戻ってお母さんの作ってくれた蓮根料理をお腹いっぱい食べるんだ。

 ――てな感じで心の中で死亡フラグを着々と積み上げつつ、私が厨房に足を踏み入れた時、手に皿を持った状態の福路さんと吉留さんの二人とすれ違った。

 どうやら第二組の料理は既に完成していたようで、これから審査員たちが待つフロアへ持って行くのだろう。チーズの溶けたいい匂いがしていた。

 

 

◆(※映像確認中)

 

「さあここで大本命の第二組が戻ってまいりました! いま審査員の前に皿が置かれます!」

 

 ウェイトレス姿が似合いそうな優雅な動作で配膳をしていく福路さん。

 お皿の中央に置かれているタコスは、なんだろう……まるでイタリアンとでもいうか、一見するとピザっぽい様相を醸している。

 すれ違いざまに微かに感じた、ふんわりと漂っていた香草とチーズの溶けた匂いだけでも十分すぎるほど美味しそうだったし、これは期待が持てそうな一品だ。

 

「ふむ。じゃあまず私から。いただきます」

 

 今回最初に口を付けたのは久保さんだった。

 風越女子での経験から福路さんの料理の腕前を十分に理解しているためか、一切のためらいを見せずに齧り付く。もぐもぐと何度か咀嚼した後、納得したように頷いて飲み込んだ。

 あと料理とは何も関係ないけど、口元に付いたオリーブオイルらしきものをハンカチで拭った姿が妙に淑女っぽいというか……。

 久保さんはこうして麻雀に関わらないでいる限りは普通に綺麗な大人の女性なんだよね。コーチに変貌したら人が変わったみたいに怖くなるようだけど。

 

「……なるほど。パスタがタコスになったとはいえ、味はそう変わらないんだな」

「はい。普段使うペンネの原料が小麦粉ですから、トルティーヤにも合うのではないかと。味には問題ないと思いますが……いかがでしょうか?」

「悪くないな」

「ありがとうございます、コーチ」

 

 ほっとした様子で胸に手を当て、にっこりと微笑む福路さん。天使か。

 その言葉を皮切りに、待てをさせられているにも関わらず待ちきれずに身を乗り出していた片岡さんと、靖子ちゃんも一口食べる。

 反応を待つまでもなく、間髪居れずに黙々と食べ進めるその姿を見れば味がどうなのかは一目瞭然だった。

 

「むぐむぐ……おお、さすがはおねーさんだじぇ。これは美味いな!」

「チーズが小さく刻まれた鶏肉と洋ナシに絶妙に絡まってて、タコスというよりはピザでも食べてる感じだな。でもまぁ、美味いわ」

「ありがとうございます」

「審査員全員の反応はご覧の通りっ!

 これはかなりの高得点が期待されますが――注目の採点はこちらっ!」

 

 バッと勢い良く掲げられる点数は、左から『8』『9』『8』で合計が25ポイント。第一組の蒲原さんたちよりも僅かに2ポイントほど高いものだった。

 靖子ちゃんの9点は十分高得点だし、タコス神たる片岡さんが前回を上回る8点を付けたものの、久保さんがあのコメントにしては評価が若干低いかなと思わなくもない。

 

「合計得点は25ポイントっ! 第一組の蒲原&妹尾ペアとはわずかに2ポイント差っ! これは接戦になりそうな予感がびんびんして来ましたね!」

「なんていうか、ホントに高レベルな戦いっすね。個人的には満点が出るかと思ってましたけど……なぁ、全体的に優希はちょっと点数辛すぎなんじゃねーか?」

「むっ」

 

 それはもう贔屓の引き倒しという奴ではないかな、解説の須賀君とやら。

 思わずモニターを見る視線までジト目になってしまうが、仕方がないだろう。福路さんが好き過ぎて困るのはよく分かったから、少し黙っておくべきだと思う。

 ああほら、言わんこっちゃない。片岡さんが京太郎君に向ける視線、もはや呆れを通り越して敵意を孕んでいるじゃないか。

 

「とりあえず審査員の皆さんにお話を聞いていきましょう。まずは久保コーチ、8点でしたがこれはどのような意図がおありなのでしょうか?」

「福路と吉留のコンビなら、もう少し美味く作れただろうというのが一点。あとは、オリーブオイルが生地に吸われて若干食べ辛かったというのも減点対象です」

「なるほど! これは普段から二人の料理に触れ過ぎていて、逆に得点が若干辛めになってしまった感もありますが――それでもこの点数を取るあたり、福路&吉留ペアは立派だったといえるでしょうか!」

「優希はどうなんだ? 8点っていえば蒲原さんたちより高いってことになるけどさ」

「うむ、これはまさに革命的。メキシコの大地にヨーロッパの文化が融合して、新たなるハーモニーがうんたらかんたらだったじぇ!」

「お、おう」

 

 何言ってんだこいつ、というような表情をする京太郎君と、精一杯胸を張って得意げな片岡さん。

 あえて難しいことを言おうとして語彙がそれに追いついていかなかったんですね、分かります。

 要するに、美味しかったと。そういう解釈でいいんだろう。適当だけどそう間違ってはいないはずだ。

 

「藤田プロはここまでで最高得点となる9を付けていますね。それだけ美味しかったということでしょうか?」

「うーん、そうだな。単純に出来栄えとしては第一組の鯖味噌と同じくらいだったと個人的には思うんだが、やはり和風のものより洋風のもののほうがタコスには合う、そういうことなんだろう」

「それは、トルティーヤとの相性部分で差が出てしまった、ということですか?」

「そうなるな。ま、内外のバランスを重視した福路の目の付け所に軍配が上がったということかな」

「なるほどー、解説ありがとうございましたっ。

 ――さてさて、第二組までの審査が終了してトップは福路&吉留ペアの25ポイント、続いて蒲原&妹尾ペアの23ポイント。接戦の中、次の挑戦者を待つ状況となりましたね!」

「第四組はともかく、第三組と小鍛治プロには期待して待ちましょう」

 

 

 

「……あれ?」

 

 お世辞にも広いとは到底いえない厨房の中にやってきた時、ふとあることに気が付いた。

 第一組と第二組が調理を終えて出て行ってしまった室内には、本来であればあと第三組と第四組+執事さんがいなくてはならないはずである。

 だけど、どう見ても一組ぶんの人数しか見当たらない。

 簡易で設置されたと思わしきコンロの前で作業をしている原村さんと、備え付けのほうのコンロでじゃがいもを煮る宮永さんの姿はここからでも確認できる。

 ……例の問題児コンビは何処へ?

 

「ねえ宮永さん、龍門渕さんと天江さんはどこに行ったの?」

「え? あ、衣ちゃんたちはちょっと前に萩原さんに連れられてどこかに……そういえばまだ戻ってきませんね」

「執事さんに? ……説教部屋行きか何かかな」

「説教?」

「龍門渕さんがここの厨房で鶏がらとか豚骨なんかを煮込もうとしてたから、たぶんそれで」

「えっ!?」

 

 明らかに初めて聞きましたという風な宮永さんの反応を見るに、実行には移さなかったのだろうか。

 それとも実行に移す前に排除されたのか。だとすると執事さんグッジョブすぎる。

 蓮根の皮を剥き、薄く輪切りにして水にさらすという単純作業の片手間に対面にいる宮永さんとそんな会話をしていたら、ボウルを手にした原村さんが戻ってきた。

 

「話を聞くだけで判断すると……龍門渕さんはラーメンでも作るつもりだったんでしょうか?」

「食材を選んでる時はまさにそのつもりだったらしいけど、今ここに居ないってことは寸前でインターセプトされちゃったみたいだね」

「……そうですか」

 

 なんでそこでちょっと残念そうなんだろうか、この子は。

 あ、もしかして原村さん、見かけによらずラーメンが好物だったりするのかな?

 何処かの生粋のお嬢様より遥かに深窓のお嬢様然とした立ち居振る舞いが似合うだけに、外見的なイメージだと麺類はパスタ系くらいしか食べないような印象だったけど、それは偏見だったか。

 ……これも偏見かもしれないけど、あの無駄に主張している部分をお持ちだとラーメンのように器を手で抱えられないものを食べるのはさぞ難しいだろうにね。

 スープが(胸部に)飛ばないようにするのってほぼ不可能なんじゃないだろうか。

 余計なお世話だろうけどさ。

 

 さて。そんな会話をしているうちに蓮根は切り終わった。この子はこのまましばらく水に漬けておいて、と。

 タコスの命ともいえるトルティーヤ、今回の大会に限っていえば既に用意されているものを温めて使うことが許されていたりするのだが、別に自分で作ってはいけないなんてルールは無い。

 なので、トウモロコシ粉の代わりに米粉を使用したトルティーヤもどきを作ることにした。

 具材を和風にするのであれば、外殻部分も日本らしいものにしたほうがいいんじゃないかな、という単純な思いつきでしかないんだけど。

 トルティーヤを自前で作る場合はどうぞという感じで置かれていたレシピを参考に、水と米粉に塩なんかの調味料を少し混ぜてボウルでかき混ぜていると、竹井さんが中継用カメラを担いだスタッフさんを引き連れて戻ってきた。

 

「やっほー咲、和。頑張ってる?」

「部長」

「お疲れさまです」

 

 第三組の中継レポートでも始まるのかな、と手を動かしながらも意識を少しだけそっちに持って行く。

 

「もうちょっとしたら中継レポートが入ると思うけど、大丈夫?」

「ええ、構いませんよ。別に見られて困るようなことをしているわけでもありませんし」

 

 私と同じく自分たちで生地を作って焼いていた原村さんが、筒状に形成されたそれに溶けたチョコレートっぽい液体を流し込みながら言う。

 どうやら第三組は宮永さんと原村さんがそれぞれに別々の物を作るつもりらしい。

 肉じゃがとチョコレートを組み合わせて一つのものを作るのかと思っていたけど、そんな訳無かった。よく考えれば当然だ。

 

「そういえば小鍛治プロはどんなメニューを作るんですか?」

「私はこれ」

 

 竹井さんの質問に、そう言って指をさしてみせたのは、空になったカツ丼の容器である。

 

「カツ丼?」

「強いて言うなら挟み蓮根カツタコスってところかな。味にはあんまり自信はないけど……」

 

 普通のカツよりはヘルシーで、それでいてボリュームは落とさずに。蓮根により歯ごたえも十分楽しめるという一品。

 このメニューに関しては実践してきた回数もそれなりに多いので、少なくとも食べられないほど不味いものを作ることはないはずだ。

 だからといって他人が美味しいと評してくれるかどうかはまた別問題なんだけど……。

 馴染みのないメニューならばプロが作った同じメニューと比べられるようなこともないだろうし、そのあたりのプレッシャーがない分だけまだマシだと思っておこう。

 

「豚肉をレンコンで挟んで揚げるのね。下味はどんなものを?」

「基本は塩コショウかな? そのあたりは普通のカツと同じだね」

 

 本来であれば、豚肉の代わりに海老のすり身と摩り下ろした蓮根を混ぜて作るつみれを使うのが小鍛治家の慣わしではあるんだけれども。

 それをするには少し時間が足りない。こういう時にもう一人いてくれたらと思わなくもないが、今更言っても詮無き事である。

 ある程度情報を仕入れ終わった竹井さんが傍を離れて、カメラのほうに向き直った。

 

「はーいこちら中継先の竹井です。ただいまこちらにいるのは第三組と小鍛治プロだけですね」

『あれ? 部長、第四組はどうしたんでしょうか?』

「ああ、彼女たちはね……さっき連行されていったわ」

 

 悲しげに目を伏せる竹井さん。いったいあの子たちの身に何があったのか、すごく気になるんですけど。

 

『れ、連行ですか……?』

「たぶん迷惑がかからないような場所でラーメンでも作ってるんでしょうね。近場に簡易キッチンを作るくらい龍門渕さんならやりかねないし」

『そういうことですか……さすがはハギヨシさん。

 主人が作りたいと願っているものを無理に変更させるんじゃなくて、店側に迷惑がかからないよう配慮して作る場所のほうを変更するとは……っ!』

『正真正銘のお金持ちなんだもんね、あの子んち。それこそが執事の矜持っていう感じなのかな、確かにすごいものがあるよね』

 

 みんなしてさも当然のように語らっているようだけど、まず時間的にも物理的にも不可能な気がしてしまうのは私だけなの?

 もしかして深く考えたら負けなのだろうか。ここに来てからというもの、私の持っていた常識は崩壊しっぱなしである。物理法則も何もあったもんじゃないな。

 

『それで、そちらに残っている一組と一人はどんな感じですかねー?』

「第三組の二人に関しては前評判どおりの手際で、もう仕上げに入ろうかってところのようです。小鍛治プロに関しては、意外にも料理できるんだなぁという印象を受けました」

『ほほう、ということは無難に仕上げてくるつもり、と……オチ担当としては仕事を放棄したといえますね!』

「最初からオチ担当じゃないからね!?」

 

 思わずカメラに向けて突っ込みを入れてしまう私。

 バラエティのお笑い芸人枠で出てきたわけじゃないんだから、そんな「空気読めてないなー」みたいなコメントは聴きたくなかったよ。

 

『まぁ、そこは代理が用意できたっぽいからいいけどさ。すこやん分かってる? オチ担当を回避するからにはちゃんと美味しいのを作らないとダメだってこと』

「うっ……」

「ちなみに第二組の得点は8、9、8で25点だったわね。久保コーチは美穂子の料理に関しては普段の出来を知ってる分、ちょっと辛い採点だったみたいだけど」

『それでも高得点なのは確かだからねぇ。すこやんが素の実力でここを上回ろうっていうのはちょっち難しいんじゃない?』

「ぐう……」

 

 ぐうの音しか出なかった。

 あの片岡さんから8点以上をもぎ取れるかと問われたら、正直なところ無理ゲー乙としか返せないのだから仕方がない。

 京太郎君の作ったタコスと並ぶのもそれを超えていくのも一朝一夕じゃ不可能でしょ。まずは地道に好感度から上げて行かないといけないんだし。

 ああでも、そういう意味でも宮永さんと原村さんならいけるんだろうか?

 二人とも料理が上手だという話だし、特に原村さんは高遠原中学時代から片岡さんとはコンビを組んできた、酸いも甘いも噛み分けた仲のはず。

 前の取材の時に原村さんの将来の夢を聞いた際、片岡さんも言っていたではないか。のどちゃんは私の嫁になるのだ、と。

 

『とりあえずこれ以上邪魔をしちゃうと時間切れで失格になっちゃいそうだから、一旦こっちに引き取りまーす』

「了解。咲と和がそろそろ出来上がりそうなので私も一回そっちに戻ります」

『はいはーい。それじゃすこやん頑張ってねー』

 

 

◆(※映像確認中)

 私の中では大本命、第三組の料理が審査される場面がやってきた。

 

「大会名誉委員長とは盟友のこの二人、原村&宮永ペアのタコスが審査員の目の前に置かれました!」

「普通の形のタコスと筒状みたいになってるものと、二つ乗ってますね」

 

 おそらくは、普通の形のほうが宮永さんの作っていた肉じゃがタコスで、それよりもちょっと小さめの筒状タコスは原村さんが作っていたチョコ入りタコスなのだろう。

 ここにきて、まさかのデザート付きである。

 発想が微妙に龍門渕のラーメン+お汁粉に似ているような気がしなくもないが、こちらはきちんと企画内に収まるよう考えている跡が見られるだけ大人なのかもしれない。

 ……あれ? どっちが年上なんだっけ?

 

「あ、優希ちゃん。私のほうから先に食べたほうがいいかもしれない」

「おお? 咲ちゃんのほうってどっちだじょ?」

「あそっか。えとね、普通の形をしてるほうだよ」

「わかったじぇ! それじゃいっただきま~す!」

 

 パクリと一口。かなり大きめに食らいついたせいで、それだけでほぼ半分が口の中に納まったようだ。

 ぷるぷると震える両手を胸の前で組み、祈るようにしてその様子を見つめている宮永さん。卓に座っている時と同一人物だとはちょっと信じられないくらい小動物っぽい挙動である。

 やがて、その震えがうつってしまったかのようにして、片岡さんの身体も小刻みに震え始め――すぐに噴火した。

 

「――っごいじぇ! 咲ちゃん、これは……これはっ、まさに究極の一品だっ!」

「えっ? え?」

 

 あまりに突然の出来事すぎて、当の宮永さんは困惑状態。隣に居た原村さんも一緒に驚いているところを見るに、彼女がこれほどになるのは珍しいことなのだろうか。

 興奮しすぎているのか片岡さんの瞳がるんるんと輝き、その中に椎茸――じゃない、お星様のようなキラキラが見える程である。

 

「ほっくほくのジャガイモの包み込むような優しさが香ばしいそぼろと絡まって……ううっ、これこそまさにお袋の味だじぇ」

「あ、あはは……そんな大げさな」

「いや、たしかにこれは――とても懐かしい味がする。うん、マジで美味いわ」

「そうですね。あの短時間でもじゃがいもはホクホクになって味が染み込んでいますし、トルティーヤとの相性も抜群です。まさかこれ程までとは……」

「あっ、ありがとうございますっ」

 

 三者三様にべた褒めされる中、ようやく落ち着いた宮永さんが勢いよく頭を下げる。

 よほど緊張していたのだろう、その瞳には涙すら携えて。

 その気持ちは分からなくはないけれども……別に将来が決まるか否かを賭けた料理コンテストじゃないんだから、ちょっと落ち着いたほうがいいのではなかろうか。

 原村さんもそう思っているのか、肩に手をかけ宮永さんを下がらせた。

 

「では次は、私のタコスをお召し上がり下さい」

 

 ほぼ無表情のままで原村さんが言った。

 ……君はもうちょっと気持ちを表情に出したほうがいいと思うよ?

 なんというか、君らは本当に真逆なんだな。性格以外にも何処が、なんて悲しいことは言わないけれども。

 

「これは珍しい形だな。春巻きっぽいというか」

「ロールタコスといって、世間でもきちんとタコスとして認識されているものだそうです」

「ほう――んじゃまぁ、いただくとするかな」

 

 今度は靖子ちゃんが先陣を切るようだ。

 サイズ的にも普通のタコスより片手間で食べやすそうだし、この形態のものが主流になってもおかしくなさそう。実際に靖子ちゃんは一口食べた後で、まずはその食べ易さに驚いているようだった。

 

「……うん、チョコレートパイだな。しかしなんだ、ガワだけじゃなくてこのチョコレート自体のモチモチ感というかぷるぷる感?」

「なんでしょうね、不思議な食感ですが……あとチョコが口の中で溶けた後に微かに広がる紅茶の香りが絶妙というか。甘さも控えめで上品だし、大人な感じの味がしますね」

「もぐもぐ……んむ、さすがはのどちゃん、私の嫁だけのことはあるじぇ。まさかタコスをデザートに変えてしまうとは」

「誰が嫁ですか」

 

 片岡さんのお決まりの科白にも、冷静に突っ込みを入れる原村さん。この辺りは手馴れたものだ。

 しかし、単純にチョコレートを溶かして流し込んでいただけだと思っていたのに、感想を聞くにそうじゃなかったということなのかな。

 

「和、モチモチ感とかぷるぷる感とかってのは何なんだ?」

「寒天ですよ。食べながらするダイエットに適している食べ物として一昔前に話題になったの、知りませんか?」

「すまん、それはちょっと知らないわ」

「あー、そんなのもあったね。たしかウチじゃない他所の局だったと思うけど、特集でやってたやってた」

 

 チョコレート寒天、だったっけ? ネーミングはそのまんま過ぎてアレだけど、ダイエット方法としては有用だとかなんとかいう話を私もはやりちゃんから聞いた覚えがある。

 しかし、あれってそんな短時間で作れるようなものだったっけ。寒天はたしか固まるのに結構時間がかかるというような話だったと思ったけど。

 疑問に思ったので、映像を見終わった後で原村さんに直接聞いてみたところ、

 

『ボウルごと氷水に付けておいてある程度時短はしましたけど。完全に固まっているわけじゃないので、ぷるぷる感が少ない代わりにもちもちとした食感になったんじゃないでしょうか』

 

 とのことだった。

 

「では、気になる採点のほうを見てみましょうか! 審査員の方々、お願いしますっ!」

 

 例によって勢い良く掲げられた点数は、左から『10』『9』『10』で合計がなんと29ポイント。他の組を大きく引き離し、ダントツで一位となる結果となった。

 

「遂に出ました! 出る事はまずないだろうと思われていた大会名誉委員長がまさかの満点、満点です!」

 

 おおーと観客席からどよめきが聞こえてくる。

 食べた後のリアクションを見た時点で高得点は間違いないと思っていたけれど、それ程までに美味しかったのだろうか。

 点数に不満があるわけじゃないが、そこまでのものなら実際にちょっと食べてみたいと、純粋にそう思う。

 

「大会名誉委員長の片岡さん、いやーついに出てしまいました満点表示! 評価のポイントを教えてください!」

「まず咲ちゃんの肉じゃがタコス、これはもう芸術品といっても過言じゃないじぇ。

 具とトルティーヤとのバランス、具そのものの出来栄え、食べ易さ、何処を取っても文句が言えないものだった……完敗だじぇ」

「いや別に誰かに負けたわけじゃねーだろ、お前は」

「うっさいっ! 私はな、京太郎。今回の大会で満点を出すつもりは一年生四人で打った時に京太郎が残すだろう点棒ほども無かったんだじぇ。それを覆させられた時点で、私は咲ちゃんに負けた……」

 

 がっくりと肩を落とすタコス神。しかし、次に顔を上げたときにはその表情はとても清々しいものに見えた。

 

「でもな、絶望のどん底で気づいたんだ。タコスの持つ可能性は無限――私の中の常識を打ち破ることで、それを咲ちゃんが教えてくれたのだとっ!」

「ゆ、優希ちゃん……」

「大げさだなぁおい」

「名誉委員長、それじゃ満点表示に原村さんの点数は加算されてないの?」

「のどちゃんの心遣いは点数とは別の部分にあるからな。のどちゃんのチョコ寒天ロールタコスには特別に花丸をあげるじぇ」

「和の心遣い?」

「そうだじょ。そっか、京太郎には分からないか……のどちゃんはな、私がいつもタコスばかり食べてるからと、身体に優しいものをあえて選んでくれたんだじぇ」

「……そうなのか?」

「いい機会なのでちょっとでも別のものに意識を向けてもらおうと考えていたのは事実ですけど」

「ふふん、どうだ?」

「お前が何に勝ち誇ってんのかが分かんねーよ」

 

 京太郎君の突っ込みも意に介さないほど、盛大なドヤ顔の片岡さんである。

 

「ではでは、名誉委員長に続いて満点表示の久保コーチ、評価のポイントを教えてください!」

「そうですね。基本的には片岡が言っているのと同じです。完成度の高い肉じゃがタコスと、健康と美味しさを両立させる原村のチョコ寒天ロールタコス、どちらも素晴らしい出来でしたので」

「なるほどー。ちなみに点数の内訳、みたいなものはありますか?」

「強いて分けるなら、ですが。宮永が6、原村が4の割合になるでしょうか」

「ほほう、はやり評価としては肉じゃがタコスのほうが上ですか!」

「若干比率が高い程度のものですが、そうですね。それくらいあの肉じゃがの完成度は高かった」

 

 あの久保さんをしてそこまで評価させるなんて、宮永さん……恐ろしい子っ。

 

「では、この場で唯一9点の表示だった藤田プロ、どうでしょうか?」

「二人の言いたいことは分からなくはない。だが――そうだな、減点したポイントを一つ上げるとするならば――」

「まさかまた肉じゃが定食として食べたかった、なんて言いませんよね? 藤田プロ?」

「……」

 

 あ、図星だこれ。

 目が泳いでいるのを見逃す私ではないが、今回ばかりは私でなくとも気づくだろう。あまりに挙動不審すぎる靖子ちゃんの態度に、その場の全員が呆れ顔だった。

 

「だってなぁ……」

「だってじゃないですよ! 大会趣旨をガン無視するのはスポンサーだけで十分ですっ!」

「ご、ごめんなさい」

 

 珍しくこーこちゃんがマジ切れしてしまったせいか、靖子ちゃんが素直に謝るという奇妙な構図が出来上がっていた。

 自分がかき回すのは好きでも他人にそうされるのは嫌なのか。我侭だなぁ、こーこちゃんは。

 怒られてしゅんとしてしまった審査員はともかくとして、これで優勝が確定してしまったといっても過言ではない点数が出たことになる。

 この時点でもはや第三組の勝利は揺ぎ無いもののように思えた。

 

 

 

 竹井さんに加え、第三組の二人が間を置かずフロアへと戻って行ったことで静まり返った厨房は、とても寂しいものがあった。

 京太郎君は朝からずっとこの状況で一人せっせことタコスを作らされていたというのだろうか?

 もしそうだとしたら、せめて私くらいはもう少し労ってあげるべきだったかもしれないな……と思いつつ。

 そんな中で黙々と作り上げた料理、薄切り蓮根で豚肉を挟んで揚げたカツを出汁と卵でとじた一品、カツ丼風タコス(仮)。

 メニューとしては珍しい部類に入るだろうと自負してはいるものの、見た目といい味といい、出来上がったものは無難という他はない。

 下味もきちんと付けてあるし、油の温度も揚げる時間もそうズレているわけではないというのに。お母さんが作るものとはやっぱりどこか違うのだった。

 このメニューに関わらず、カレーだとか味噌汁だとか定番のものをはじめとした大抵の料理で起こってしまう謎現象である。

 まぁそれでも自分で食べるぶんにはなんら問題ないんだけど、いざ他人に振舞うという時にはどうしても抵抗が――っと、でもそんなことを言っている場合じゃないか。

 出来立てのほうが美味しいだろうし、早く持っていかなければ。

 

「――っ!?」

 

 タコスを載せたお皿を手にフロアへと続く扉を通り抜けた時、私は飛び込んできた光景の異様さに思わず絶句した。

 意味が分からない。ついでに訳も分からない。

 つい今しがた間で盛り上がっていたはずの会場は、シンと静まり返ったまま……フロアの何処を見渡してみても、誰一人そこには存在していなかったのである。

 私が厨房に一人で篭っていたのは、せいぜい十分かそこらの短い時間でしかなかったはず。

 その間に、いったいここで何が――。

 

「……って……わ」

 

 と、そんな時。微かに声が聞こえてきたのは壁の向こう側、お店の外からのようだった。

 訝しみながらもお皿を一旦カウンターの上に置いて、出入り口の扉から外に出る。

 そこに広がっていた光景に、思わず目が点になる私。

 気分はもはや一昔前の刑事ドラマで胸部を撃たれて絶叫する某俳優さんのそれと同じである。

 第一声でなんじゃこりゃぁぁぁぁっ!と叫ばなかっただけ自分を褒めてあげたい。

 

「な、なにごと……って龍門渕さん!?」

 

 まるで特設ステージを髣髴とさせるような佇まいの特設車の前に置かれた簡易テーブルと、その前にずらりと並んでいる少女たち。

 特に問題となるのは、テーブルを挟んで向こう側にいる第四組の龍門渕さんだろうか。

 なぜか頭には三角巾、制服の上から着込んだ割烹着という奇妙な出で立ちで、集まった民衆相手にお玉をマイク代わりにして熱弁を振るっている。

 ……移動屋台のラーメン屋さんの選挙運動か何かかな?

 

「あ、すこやん。こっちこっち」

「こーこちゃん? これっていったい何事なの?」

 

 机の端っこに審査員たちと一緒に座っていたこーこちゃんに呼ばれ、そちらに歩いていく私。

 

「なんか龍門渕さんから全員に振舞いたいから外に出てくれって言われちゃってね」

「……呼んでくれてもいいんじゃないの?」

「うーん、たしかにすこやんも呼ぼうかって思ったんだけど、料理中だったし終わったら出てくるだろうと思って」

 

 たしかに料理中に火元を離れてラーメン食べには来れないけどさ。

 それにしたって声くらいかけておいてくれてもいいんじゃないだろうか。むしろ誰一人としてそう思わなかったことに対して悲しくなるわ。

 

「……でも、あの子本当にラーメン作っちゃったの? あの短時間で?」

「そうみたいだねぇ。でもさすがに出汁から取ってはいないんじゃないの? ちょっとこれ飲んでみ?」

「ん……」

 

 差し出されたレンゲを素直に口に含んでみる。

 北九州近辺によく見られる乳白色のこってりとした、これぞとんこつといった感じのスープというよりは、比較的あっさりとした醤油系のスープだろうか。

 正直にいってかなり美味しい。とてもじゃないが、素人が作ったものとは思えないくらいには。

 

「……美味しいね」

「でしょ? スープは多分、どっかから仕入れてきたものなんじゃないかな。で、問題はこれ」

「――麺?」

 

 ここから見るに、麺というよりはワンタンに近い、いやむしろこれ――。

 

「タコス……丸ごと、だと……!?」

「シェフいわく『タコスラーメン』らしいよ」

 

 そう。麺の代わりに投入されているのは、どう見てもタコスである。

 トルティーヤと、その中に詰め込まれた玉ねぎやらもやしやら焼き豚やらの、いわゆるラーメンの具らしき物体。

 それはね? トルティーヤはもともと数種類の粉を混ぜ合わせたものなんだし、小麦から作られる麺との類似性は保たれているだろうさ。でも、あえてそれを丸ごとぶち込む理由が何処にあるのか、それをまず作った張本人に聞いてみたいものだ。

 

「小鍛治プロ、どうぞ」

「あ、ありがとう沢村さん」

 

 元からメイド服姿だった沢村さんが給仕役としてラーメンを運んできてくれた。

 こうやって改めて完成形を目の当たりにしてみれば、どこから見ても液体に浸されてしなしなになったタコスという他はない。

 ただ、京太郎君の隣で一心不乱に箸を進めている片岡さんを見る限りでは、味はそう悪くないんだろう。

 ……作ったのが本当に龍門渕さんなのかという疑問は残るところだが。

 

「片岡さん的にはこれはどうなるの? タコスなのかラーメンなのか?」

「タコスラーメンだからラーメンじゃないか? 私は名前にタコスが付いてて美味しければ何でもいいじぇ!」

「あ、そう」

 

 なんか今の発言で、私の中にあったタコス神のグレードが一段下がった気がするなぁ。

 懐が広いとも取れるだろうけれど、第一組のところであれだけ熱く語らっていた君の情熱はいったい何処へ消えていったのかと。

 しかもこのタコスラーメン、実際に食べてみたら美味しかったというのがまた殊更面倒くさい部分である。

 出来栄えという意味での点数はさぞ高かろう。けど、これをタコスとして認定するというのは些か納得いきかねるものがあった。

 

 

 先に店内に戻って待っていると。

 しばらく後、天江さんが作ったというデザートのお汁粉を食べ終わったのか、全員がぞろぞろと店内に戻ってくる。

 

「さて、審査員も全員無事戻ってきましたので、それでは恒例の採点に移りましょう! どうぞっ!」

 

 満足げに札を掲げる審査員の三人。左から『9』『10』『10』でなんと第三組と並ぶ最高点をマークした。

 なんだかんだ言いつつもちゃんと美味しかったし、得点そのものに不満があるわけではないものの……どうにも腑に落ちない部分が残ってしまう。

 疑惑の判定に、私だけではなく周囲からもがやがやと不満の声が上がり始め――代表として手を上げたのは、審査員の一人でもある靖子ちゃんだった。

 

「得点は文句なしの合計29ポイントで同率一位っ! しかしここで審査員の一人、藤田プロから物言いがつきました!」

「タコスラーメン自体は文句なく美味かった。しかしだ、これを二十分で作り上げるということが実際に出来るのかどうか、そこに疑問の余地が残るわけだが」

「ふんふむ、それは確かに。そこのところをご本人に聞いてみましょう」

 

 例の割烹着姿で観衆の前に連れて来られた龍門渕さん。なぜか誇らしげに胸を張っているが、これからどうなるかきちんと理解しているのだろうか?

 

「なんですの?」

「実はですね、このラーメンそのものを龍門渕さんが作っていないのではないか、とのことなんですが――」

「失礼なっ! きちんと私が作りましたわ!」

「そうですか。ちなみに、作業工程を教えていただいても?」

「ハギヨシが何処からか持ってきたスープの中に、麺と具材を掛け合わせてハギヨシが作ったタコスを入れる。ふふっ、私の手にかかれば相手が至高の料理といえど、お茶の子さいさいでしたわ」

 

 しーんとなるフロア一帯。

 

「……失格っ!」

「ですよね。それは流石にダメですよ、龍門渕さん……ほぼハギヨシさんが作ってるじゃないですか。この場合だと、ラーメンのスープから中に入ってたタコスまでちゃんと自分で作らないと……」

「な――っ!? そんなルール聞いていませんわ!?」

「いやあのね透華、それってたぶん当たり前のこと過ぎてわざわざ注意事項に入れてないだけだと思うんだけど……」

「はじめっ!?」

「とーか、流石にそれは料理とは言えぬ。衣のようにきちんと自分で作ってこそ胸を張って料理だと言えるのだ」

「こ、衣まで……」

 

 味方にまでダメ出しされて、がっくりと膝を付く龍門渕さん。

 せっかくの最多タイとなる高得点が、参考記録に成り下がった瞬間だった。

 不正ダメ、ゼッタイ!

 

 

 なんていうか、ある意味で期待通りの結果を齎してくれた第四組を経て、ようやく小鍛治健夜の本領が発揮される時がやってきた。

 

「じゃ、じゃあ次は私の番だね。えっと、これが――」

「うう、もうお腹いっぱいだじぇ……けぷっ」

「私も……さすがに四つ分のタコスとカツ丼二杯にラーメン一杯はキツイ」

「すみません、小鍛治プロ。実は私も……ラーメン一杯はちょっとお腹に溜まりすぎました」

「え?」

 

 ……えっ?

 

 

 

 ――どうして私がいじけていたのか、お分かりいただけただろうか。

 ここに来てまさかの審査員全員が満腹による審査拒否である。

 いやいやいやいや、片岡さんはともかく他の二人は大人なんだからペース配分くらいきちんと把握しておこうよ。

 特に靖子ちゃんのカツ丼二杯は完全に自業自得という他はない。だからあれほど二杯目はダメだと言っておいたのに……。

 

「……これ、企画ごと全部没ね」

「え……? いや、ちょっとすこやん? ここまで大々的にやっといてそれはさすがに――」

「ディレクター?」

 

 私の問いかけに、存在感皆無だったディレクターさんはこくこくと水飲み烏もビックリの速度で首を縦に上下させる。

 どうやらこちらの意見にご了承いただけたようである。

 これでこの大会ぶんの映像は無事お蔵入りになるだろう。

 悪は滅びるとはよく言ったものだ。この企画にかかった費用など私の知ったことではない。

 

「あー、師匠。そのタコス、一つもらってもいいですか?」

「……京太郎君は優しいね。でもいいよ、これは責任持って私が処分しておくから」

「いえ、そういうんじゃなくて。俺さっきも言いましたけど、レンコン料理ってほとんど食べたことないんすよね。だからちょっと興味があるっつーか……」

「……」

 

 ちらりと京太郎君の表情を見てみる。

 別段これといって代わり映えしないあたり、こーこちゃんかスタッフ連中にご機嫌取りを命じられているということはなさそうだ。

 でも、なぁ。あの出来のラーメンの後に出すというのはちょっと……。

 

「んじゃ私も一つもーらいっと」

「あっ」

 

 躊躇している間に残っていた二つのうちの一つをこーこちゃんが掻っ攫い、口に入れてしまった。

 遠慮も何もないその行動には、流石に呆然とせざるを得ない。

 

「むぐむぐ……へぇ、すこやんって意外に料理上手いんだねぇ。普通に美味しいじゃん」

「むっ、意外ってのはどういうこと? 私だってそれなりにはやるよ」

「そういえば前に作ってくれたカレーも美味しかったもんねー、当然っちゃ当然か!」

「まあね――ってあれレトルトだったよね? もう、ホントにこーこちゃんはしょうがないんだから」

「じゃ最後に残ったやつは俺が食べていいっすか?」

「……いいよ。でもあんまり期待はしないでね」

 

 お皿を差し出してあげると、京太郎君は嬉しそうに受け取ってくれた。

 たったそれだけのことでささくれ立っていた心が少しだけ落ち着いてくるというのも、我ながらチョロいなと思わなくもないけれど。

 龍門渕関係者と番組のスタッフさんたちが周囲で大会の撤収作業を始める中、ふと前に京太郎君と話した内容を思い出す。

 料理はやっぱり食べてくれた人が美味しいって言ってくれると嬉しいものなんだよね、と。

 点数上では一切評価されることの無かった私のタコスだったけど。

 それを食べて「美味しい」と言ってくれた二人の顔を見ながら、そのことを再確認する私だった――。

 

「うう……それで、私はいつまで正座させられていればいいんですの……?」

 

 ――あっ。

 




清澄高校編はたぶん次話でラストになります。
次回『第06局:面談@嶺上に咲き誇る花たちの愁え』。ご期待くださいませ


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第06局:面談@嶺上に咲き誇る花たちの愁え

 長い長い一日が、ようやく終わろうとしていた。

 風越女子のメンバーは久保さんに連れられて。

 鶴賀のメンバーはこれ以上遅くなる前にとワハハカーに乗って。

 龍門渕のメンバーは執事さんの運転するなんか大きな車に乗って颯爽と。

 全員で示し合せていたかの如く、揃って綺麗にいなくなった。

 店内に残されているお客さんは靖子ちゃんと卓を囲んでいる清澄関係者だけという状況となり、自然な成り行きのままにほっと一息ついている私がいて。

 あれだけ大量の女子高生が集まると姦しいを超えてカオスになるということを痛いほど痛感した一日だったといえるだろう。

 バイト中の片岡さんと京太郎君はお店の後片付けに追われており、こーこちゃんらスタッフ陣は粗方撤収準備を終えて、テーブルで一息ついていたりする。

 ――で、私はというと。

 事務室へと通され、店長直々に煎れてもらったコーヒーをご馳走になりながら、優雅に休憩中である。

 

「ここまで一日ご苦労さんでした、小鍛治プロ」

「ホント、疲れたよ……染谷さんはさ、部活が終わって帰ってきてからいつもこんな大変な仕事をこなしてるの?」

「いやいや、さすがに今日は特別じゃけぇ。毎日こんなお祭り騒ぎじゃったらさすがに身体が持たんわ」

「まぁ、普通に考えたらそうだよね」

 

 ちょうど正午くらいから働き始め、実にいろいろなことがあったと思う。

 よくよく考えてみれば、実質店員として働いていたのはごく僅かな時間でしかなかったような……?

 だいたいの時間をイベントで費やしていたこともあるし、来たお客がほぼ仕込みだったというのもあるか。

 よくもまあこの短時間であれだけの仕事量をこなしたものだと思うよ。

 最後のあたりは若干ぐだぐだだったけど、それでも精神的にどっと疲労が溜まったのは間違いない。

 染谷さんもそうだったのだろうか?

 何処かしら上の空といった感じでカップの中のコーヒーの水面を見つめている。

 

「……染谷さん? さすがに疲れちゃった?」

「いいや、そういうワケじゃのうて。一つ、小鍛治プロに聞いてみたいことがあったんじゃけど……」

「うん? なにかな?」

「もし小鍛治プロが来年の清澄のオーダーを考えるとしたら、誰をどう配置するか。参考までにそれをちょっと聞いてみたい思うて」

「オーダー? 団体戦のってことでいいんだよね」

「うむ。久にもいちおう聞いてみたし、わしなりに考えてはおるんじゃけど……いまいちこれっちゅうのが見つからんでなぁ」

「んー……」

 

 もし私が来期の清澄高校の監督に就任するとして。

 間違いないのは、宮永さんだけは何があろうとも大将の位置からまず動かさないだろうということくらいか。

 それを軸にして考えていくと……。

 先鋒に原村さんを据え、次鋒に片岡さん、中堅には新人さんが入ると仮定して、副将に染谷さんという布陣あたりが妥当かなと。

 

「和が先鋒? えらい奇妙な力を持った奴らも多いところじゃし、あの和で大丈夫じゃろうか」

「うーん、正直に言っちゃうと消去法になっちゃうんだよね、先鋒は。

 あのポジションに関しては千里山の園城寺さんみたいな特殊な子が出てきたらもうしょうがないって割り切るしかないと思うの。そういう意味でも、相手の力とか関係なく大崩れはしなさそうな原村さんは適任なんじゃないかな。いちおうダブルエースのうちの一枚だしね」

 

 各校のエースが据えられている先鋒に、ムラっ気の強い片岡さんが回るというのは賭けるにしても分が悪すぎる。

 彼女の東場での爆発力は戦力が拮抗している平坦な場所に放り込むからこそ輝ける可能性があるし、逆にどんな力量差のある相手であろうと己の打ち筋を貫き通すだろう原村さんは、上手くいけば相手の絶対的エースを潰せる位置で使ってみたい。

 中堅には出来れば京太郎君並に防御に期待が持てる子が欲しいところではあるけれど、ここは未知数なので保留しておくとして。

 

「わしが副将――か」

「もし新しく入ってきた子が竹井さんレベルなら中堅と副将を入れ替えるのもありだけど。私は染谷さんの打ち回しなら副将でいくのが一番しっくりくると思うよ」

 

 副将に染谷さんというのは、相手がデータ重視でデジタル思考の場合が多いという事情を考慮に入れれば自ずと導き出せる答えだろう。

 牌効率を重視する打ち手の集う場というのは、どうしても似通ったパターンが多くなる。そうなってくれば染谷さんの打ち回しは十分に脅威を与えられるはず。

 無論、今年の新道寺のように特殊な戦略においてエースを副将に置いてくるといったような特殊なオーダーを組む高校が来年無いとは言い切れないけれど。

 そのあたりも含めて、事前にある程度相手の対策を講じておくことが前提になった案ではあるだろうが、あくまでも現時点の情報を基にして組むならば、私の場合はこうする。

 

「ふぅむ……なるほど。ありがとうございます」

「来年の春次第だろうけど、まぁ参考程度に覚えておいてよ」

 

 

 後片付けを終えて、ふと時計を見れば既に七時を回っていた。

 

「ああ、小鍛治プロ。申し訳ないんじゃが表の立て看板を下げといてもらえんかの」

「了解。それじゃここは任せるね」

「おう、すまんな」

 

 テーブルに突っ伏したままの片岡さんを見送りつつ、指示の通りにお店を出て――ふと、お店に入ってこようとしている一人の男性と目が合った。

 もしかしなくても、お客さんなのかな?

 会社帰りか何かだろうか。きっちりとしたスーツ姿といった出で立ちなのはともかくとして、眉間に皺が寄っていることからも、あまり機嫌が良さそうには見えないわけだけど……。

 

「店はまだやっているのかね」

「えっ? あ、はい。どうぞ」

 

 時間的にはまだ閉店まで三十分ほどあるので、扉を開けて迎え入れる。

 第一印象からしてとてもメイド雀荘に来るような人には見えなかったけど。人は見かけによらない、ということか。

 とはいえお客様であるからには迅速に案内しなければならないだろう。

 メイドお決まりの科白を口にしたら露骨に顔を顰められてしまったけれど、今日一日、数々の難問と立ち向かい撃破してきた私としては、そんなことで挫けてなんていられない。

 ……そうとでも思わなければ今すぐにでも泣き出しそうだという事実は伏せておくけれども。

 

「メニューはこちらになります」

「……ふむ」

 

 差し出した時にふと気づいた。

 見事に着こなしているスーツの襟の部分、向日葵のような外見の中央に描かれている天秤のマーク。巷で言うところの弁護士記章というものである。

 それだけ見るに、弁護士さんということだろうか。

 ……あれ、待てよ? 弁護士という職業にはどこか聞き覚えがあるような――。

 

「ではアイスコーヒーをもらおうか」

「――は、はい。かしこまりました、少々お待ちくださいませ」

 

 差し返されたメニューを受け取り、頭を下げてその場を離れる。

 できるだけ素早く行動に移すよう心がけていたせいか、窮地からの離脱は実にスムーズに行われた。

 こうして離れてしまったあとでさえ、なおもダラダラと冷や汗が流れているのが自分でも分かる。

 あの人絶対原村さんのお父さんじゃーん。

 外見が似ている、というわけではない。というかはっきりと言わせて貰うならば似ていない。彼女はお母さん似か、と一人納得する程度には。

 ただ、その全身に纏う厳かな雰囲気といい、このタイミングで現れたことといい、そうでないと考える理由こそ見つかりはしなかった。

 

「小鍛治プロ、注文は?」

「あ、ごめん。アイスコーヒーを一つお願いします」

「了解。しかしまさかこのタイミングで来るとはのう……」

 

 カウンターに座った状態で頬杖を付いていた染谷さんが、面倒くさそうに言う。

 ということはもちろんアレが何者なのかを知っているということだろう。

 彼女はアイスコーヒーを入れる作業の傍らで、物思いに耽っていたと思ったら、何かに思い当たったように表情を歪めて小さくため息をついた。

 

「……なるほど、久か。また面倒なことをしよってからに」

「竹井さん? あの子がどうかしたの?」

「小鍛治プロはアレが誰かは理解しとる?」

「たぶん、原村さんのお父さん」

「正解じゃ。まぁ見ての通りっちゅーか、和の話じゃと融通が利かん堅物らしいんじゃが……」

 

 それを聞いて、ああ、内面はお父さん似だったのかと納得しつつ。

 

「なんでも久のやつがあの人に向かって言うたらしいんじゃわ。仮にも弁護士が片方の言い分を聞いただけで罪状を論じていいものか、とな」

「……うわぁ」

 

 竹井さんの言い分は理解できなくもないけれど、プロ相手に喧嘩を売ってどうするよ。

 もう少し穏便に解決を目指していると思っていたのに、これならば聞かないほうがよかったんじゃないだろうか。

 

「まぁそれにゃあちらさんも思うところがあったんじゃろ。和との間で何回か話し合いがもたれた言うことは聞いとるし、転校云々はいったん保留になったんじゃと」

「そっか、それはよかった……って言うべきなのかどうか」

「で、こっからが本題なんじゃけど。あの人からしたら麻雀そのものについてそもそも理解できん言うことらしいんで、そのうちにプロに会わせるいう約束をしたとか言うとったわ」

「ふぅん……うん?」

 

 ちょっと待った。

 冷静に考えれば、その麻雀プロっていうのはきっと私じゃなくて靖子ちゃんのことだよね?

 そういうことならここに彼女がやって来て、未だに帰らず残っている理由にも頷けるというものだ。

 ただ当の本人たちは飲食スペースからは見えない隅っこのほうで麻雀打ってる最中だけども。

 

「ねえ染谷さん、それなら靖子ちゃん呼んできたほうが良くない?」

「そうじゃのう……あ、その前にこれ持ってっといてもらえんか」

 

 差し出されたアイスコーヒーのグラス。

 一瞬躊躇してしまうものの、それくらいならば私の身元がばれるということはないだろうし、仕方がないかと自分を納得させる。

 メディアの力を使って周囲を煽ったという隠し切れない事実もあって、正直原村さん関係者とは顔を会わせ辛いのだ。

 今回に限っていえばメイド服に猫耳という迷彩を装備中であることにむしろ感謝すべきだろうか。

 こういう時に限って、まるで謀ったかのように裏方に回って後片付けをしているこーこちゃんが羨ましい。

 

「お待たせいたしました。アイスコーヒーになります」

 

 もうはやこうなれば、メイドさんに成り切って粛々と仕事をこなすまで。

 コースターを敷き、その上にグラスを置いてミルクと砂糖、ストローを定位置に配置すればここでの私の仕事は終わりである。

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

 とあまり得意とはいえない会釈を交えて頭を下げた時、

 

「小鍛治健夜プロとお見受けしましたが」

 

 不意に放たれた抑揚のないそんな科白に、絶望的な冷たさを伴った冷や汗が背筋を震え上がらせた。

 よもやこの完璧な変装が見破られていようとは――。

 

「少々お時間を頂きたいのですが、よろしいか?」

「は――はいっ」

 

 反射的に返事をしてしまう私。

 こうして、本日最後にして最大となる戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 

「……どうぞ」

「あ、ありがとう」

 

 目の前に置かれたホットコーヒーのカップ。持ってきた原村さんは能面のような表情のまま、私の隣に腰を下ろす。

 三者面談というのであれば、むしろ原村さんの立ち位置は逆じゃないのかと首を捻りたくなる私の気持ちもどうか察してもらいたいものだ。

 普段から精神力がわりと強めな靖子ちゃんならばともかく、牌を握っていない時の私はこういった席だと縮こまるだけでほとんど何もできないというのに。

 無言が痛い、という表現を肌で体感する羽目になるとは……。

 選手交代を求めて視線をカウンターのほうに投げかけるものの、その救難信号をキャッチしてくれそうな相手は見当たらない。

 居た堪れなくなった状況で、最初に口火を切ったのは私だった。

 

「あのー、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

「――何か?」

「どうして私のことをご存知なんでしょう……?」

「例の番組を私も見させていただいた、と言えばお分かりになるでしょう」

「うっ……」

「まったく。これだからマスメディアというのは信用できないのだ。お陰でこちらは迷惑している」

「それについては、その……申し訳ないと思っています……」

 

 これに関しては素直に頭を下げざるを得ない。行動の根幹にあった理由がどのようなものであれ、起こった結果は受け止めなければならないだろう。

 迷惑をかけてしまったというのは事実なのだから、反省はしなければ。

 しかし、それが不服だったのか原村さんは身を乗り出して父親へと詰め寄った。

 

「小鍛治プロは関係ありません。皆さんは私のためを思ってしてくださったことで――すべての責任は私にあります」

「話にならんな。いいか、公共の電波を用いた放送で行われたという事実がある以上、それに関わっている人間に責任が発生しないなどということは有り得ん。

 放送した結果が齎したものを放置して責任が無いなどと言ってそ知らぬ顔をするのであれば、社会人以前に人間として失格だろう」

「……っ」

「その点については、小鍛治さんはきちんと弁えておられるようなのでこれ以上言及しないことにしましょう。だから和、お前もそんな顔をするな」

「……はい」

 

 渋々といった感じではあったが、原村さんは頷いて大人しくその指示に従った。

 思っていたよりも、話が通じる人だった……?

 

「では本題に移ろうか。プロの立場からの意見を幾つか伺いたいのだが、よろしいか?」

「はい、私に答えられることであれば」

「ふむ――ではまず、この子が将来麻雀のプロを目指したとして、どの程度成功が見込めるかを答えていただきたい」

「へっ?」

 

 事前にシミュレーションしていたのと違う毛色の質問すぎたせいで、思わずポカンとして間抜けな反応をしてしまう。

 慌てて取り繕ってみるものの、時既に遅し。隣の原村さんからジト目で送られてくる視線が痛い。

 場を仕切りなおすためにわざとらしく咳払いを一つ挟みながら、曲がりなりにもプロとして話すのだからと体勢を整えた。

 真剣な場であるというのに、頭上でぴこぴこと揺れているだろう猫耳はもはや忘却の彼方へと追いやってしまうしかないだろう。

 

「そうですね。大学卒業と同時にプロ入りすると仮定して――今の状態から考えると、一部リーグの中堅どころのチームで活躍できるくらいには」

「……」

「トップチームで活躍する一流の選手になれるという訳ではない、と?」

「可能性という段階で論じていいのであれば、一流に手が届く場所にはいると思います。それは、これからの彼女の努力次第でしょうか」

「ふむ……なるほど」

 

 納得しているのか、いないのか。さすがは弁護士というべきか、心の内を素直に表情に出すようなことはしない。

 隣の原村さんはといえば、その言葉に微妙な表情を見せている。

 いかな私といえどもそこを高めに見積もって嘘の情報を渡してしまうわけにはいかないし、本人としては不服であろうともこればっかりは受け入れてもらうしかない。

 

「私はね、小鍛治さん。プロの貴方の前でこう言うのも何だが、麻雀というものは所詮確率によって勝敗が大きく左右されてしまう、競技としては欠陥だらけで熱中してまで打ち込むようなものではないと考えている」

「欠陥、ですか」

「だからこそと言うべきかな。現状のままでプロとして成功するのであればまだしも、これからの貴重な時間を費やしてまでそちらに打ち込むことに意義は見出せない」

 

 言葉を私に向けていながら、その視線は原村さんに。

 親子同士の視線が火花を散らしながら交錯する。とばっちりっぽい位置にいる私だけど、今の発言には首を捻らざるを得なかった。

 

「それは、いま麻雀に向けている時間をそのまま勉強に費やせということですか?」

「その通り。高校の三年間というものはどう過ごすかによってそのまま将来を左右しかねない大事な時期だ。そのようなものに拘って無駄にするのはナンセンスだと思わないかね?」

「ナンセンス……」

 

 たしかに勉強は大切だろうと思う。

 高校生時代というのは何事においても吸収力が高く、学力にしろ体力にしろ芸術的なセンスにしろ、一方向に特化して大きく伸ばすためには必要不可欠な時間といえる。

 誰しもが夢見た場所へ到達するわけではない。色々な選択肢を用意するといった点で、勉強ができるのとできないのとでは明確な差がでるというのも悲しいかな、現実であろう。

 でもだからといって、勉強だけしていればそれで将来が保障されるか、といわれれば、昨今の社会情勢を鑑みるにやはり違うと思うのだ。

 勉強だから良い、麻雀だからダメだとか、そういうレベルの次元ではなく。一つのものだけに集中して視野狭窄の如き状況となるのはあまりよろしくないのではなかろうか。

 

 多感な年頃というのは、勉強にとってだけではなくて、その期間に出会う一つ一つの要素にとってとても貴重な時期である。

 そのすべてに原村さんを素敵な大人に成長させるための養分が確かに存在しているのだから、何かを切り捨てればそれで将来が安泰だという話にはならないはず。

 むしろ、自分以外の人間の心を知るという点において、共に切磋琢磨する仲間がいなくなる状況こそが、原村さんの将来に向けて必要な部分の成長を妨げることになりはしないか。

 そんなことを考えながらぐるぐると思考を巡らせていた私とは裏腹に、隣の少女は果敢に立ち向かうべく表情を硬くした。

 

「あの、一つだけこちらからも質問をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「お父さんは私に、将来弁護士になることを望んでいるのでしょうか」

「……別に、絶対に弁護士と考えているわけではない。ただ、勉強はできておくに越したことは無いだろうということだ」

「そう、ですか」

 

 口では否定して見せたものの、おそらく父親の本心としては原村さんには弁護士か検事を目指し、いつか両親の後を継いでくれることを期待しているのだろう。

 私には子供なんていないけれど、この年齢になってしまった今であれば、その親心というべき気持ちは分からない訳でもない。

 ただ、竹井さんの科白ではないが――多方面から物事を見て客観的に判断しなければならないはずの弁護士なり検事なりが、一方向にしか視点を向けられない状況で、果たして人の一生に関わるような検案を裁ききることができるものだろうか?

 胸元に光るあのバッジは、自由と正義、公平と平等を指すものだというけれど。

 建前なんかは置いといて、人と人との間には不自由と悪、不公平と不平等が蔓延しているものである。だからこそ、弁護士は弁護士たる資格と市民権を得ているわけで。

 傾いている状況の天秤を元に戻すという行為は、紙に印刷されている文字の羅列の中だけで粛々と行われているものなのか。

 別に、勉強を精一杯頑張って弁護士になった人たちを非難しているわけじゃない。ただただ純粋に、それが気になってしまっただけのことで。

 成り行きを見守っている私を他所に、親子の会話は次第に熱を帯びていく。

 

「では私が勉強と麻雀を両立させてしまえば文句は無い、ということでよろしいですか?」

「それができなかったのが今年の夏の結末だろう。保留にしてはいるが、白紙に戻したつもりは無いぞ」

「一年と区切った覚えはありません。私はあの時確かに高校でも、とそう言いました。あと二年残っていますっ」

「子供みたいなことを言うな。身にならないような遊びにうつつを抜かしているよりは勉強をしているほうがよほど健全だろう」

 

 いや子供ですが。しかもあなたの。

 ――なんて突っ込みを気軽に入れられないほどに、二人はなおもヒートアップしていく。

 結果、私は置物状態のまま、ずんずんと先へと進んでいくその光景を見続ける羽目になってしまった。

 いっそのこと退席してしまいたいんだけど、奥に座ってしまったせいで抜け出すこともできやしない。泣いてもいいですか。

 

「勉強なら今でもきちんとやっていますし、成績だって落ちてはいないはずですよ」

「いくらいい成績を残していようとも、こんな片田舎の高校と東京の進学校とではトップレベルでも天と地ほどの差が出てくるものだ。将来的にその差がどれだけのもになるのか、お前は分かっていない」

「弁護士になるためには今のうちからたくさん勉強しないとダメなんだってことは、分かります。司法試験に合格することがどれほど大変かは、理解しているつもりですし……」

「お前が思っているよりも更に狭き門であることは間違いないな。遊びにのめりこんだまま片手間で合格できるほど甘い世界ではないぞ」

「あれ? ということは……そんな過酷な世界に娘さんを引きずり込もうとしてるってことになる?」

「……なに?」

 

 あ、しまった。ついついポロッと本音が漏れてしまった。

 あの無感情っぽい表情でギロリと睨まれてしまっては、蛇の前に飛び出してしまった蛙の如く縮こまるしかないわけで。

 内容はともあれ紛れもなく親子の対話である以上、完全無欠に部外者な私が立ち入るような余地はない。できるだけ干渉しないよう、さりげなくこのまま招き猫化でもしておこうと思っていたはずなのに。つくづく私は馬鹿だと思う。

 

「何か仰りたいことがおありなら、伺おう」

「あ、えーと……」

 

 ここで何でもありません、と前言を撤回できたらどれだけ楽になれるだろう。

 隣から感じる期待の篭った視線が今は恨めしい。ここから逆転するための一手なんて手元には一切無いというのに。

 こういう時こそ、口八丁で煙に巻けるだろう竹井さんやこーこちゃんがいるべきじゃないかと思うものの……居ないものは仕方が無い。

 こうなってしまっては最早見切り発車のまま行くしかないか。

 思っていたことを素直に口に出すくらいしか今の私にできることはないのだから。

 

「昔も今も、私には麻雀くらいしか自分を誇れるものがありません」

 

 もはや恥も外聞もあるものかと。

 いっそ清々しいほどきっぱりと言い切った私に、対面に座っている原村父は続けようとしていた言葉を思わず飲み込んで一瞬沈黙する。

 

「……それが今回の件と何か関係が?」

「直接は何も。ただ、そんな私が麻雀界でなんて呼ばれているか、原村さんはご存知ありませんよね?」

 

 興味の無い人間が知る訳は無いだろう。

 実際に原村父は知らない様子で、会話の向かう先にもさっぱり見当が付かないらしく、怪訝な顔をしている。

 

「国内無敗のグランドマスター――確率が勝敗を分ける欠陥ゲームで、私は今まで、国内では一度たりとも負けたことが無いんです」

「……っ」

 

 その言葉が齎すもの、それが内包しているものの意味を知っているからか。隣の原村さんが小さく身を震わせて、縮こまった。

 別に威嚇しているつもりではないのだけれど、ついつい牌を握っている時のような雰囲気を醸し出してしまったようだ。

 本職の弁護士さんとはいえ、普段感じるものとは異質なそれに気圧されてしまったのだろうか。娘ほどとはいわないまでも、表情が少しだけ強張っているように見える。

 

「だからこそ、私には敗者の気持ちが本当の意味で理解できない。理解できないものを解き解すこともできない。選手としては最高、でも指導者としては欠陥品、それが私です」

 

 子供は親の気持ちを分からない、とはよく言われる言葉であるけれど。その逆もまた然り、子供の気持ちを親は理解しようとしない傾向があるのも事実である。

 考えてみれば、親を体験したことのない子供に親の気持ちを分かれと言うのは到底無理な話。そんなことは当然で。

 こういう場合にどちらが一歩相手のほうに歩み寄るべきかといえば、やはりそれは子供時代を経験したことのある親のほうにこそ、その責任があるのではないかと私なんかは思ってしまう。

 もちろん主張を全面的に受け入れろというのではなくて、まずは娘が大切に思っているものに対して頭ごなしの否定はしないであげてほしい、という些細な願いでしかないワケだけど。

 少しだけ肩の力を抜き、自嘲気味に笑ってみせた。

 

「でも今日、そんな私の弟子になってくれた子がいるんです。その子はとても一生懸命で、私から見たら眩しいくらいいい笑顔で笑ってる。

 だからこそ、というか。これまでのように理解できないものをそのままでいる訳にはいかないなって、プレッシャーを感じたりもしてますけど」

「人を教える器ではないと自覚していながら、その道を歩くと?」

「――はい。一歩踏み出して進んでみないと、何時まで経ってもそれを理解することはできませんから。彼も、きっと私も」

「……」

 

 それ以上、私が言うべきことは何も無くて。黙ってコーヒーを一口含み、背もたれに深く背中を沈めた。

 仮にも年上の、それも私よりも多くの人生経験を積み、修羅場を経験してきているだろう相手に対して、偉そうに説教じみたことを言えるはずが無いのだ。

 せいぜい私に出来ることといえば、言葉尻に暗に含めておいた意味をきちんと理解してもらえることを願いつつ、話をするくらいのことで。

 原村父が黙り込んでしまったために重苦しい雰囲気がテーブル周りを支配する中、不意に原村さんが口を開く。

 

「では、お父さんも小鍛治プロを見習って、実際に麻雀に触れてみたらどうでしょうか?」

 

 

 雀荘でする麻雀がこんなにも息苦しく感じることなんて、未だかつてあっただろうか?

 それくらいの緊張感を持って挑むことになった東風戦。

 起家は対面に座る片岡優希、南家が宮永咲、西家が私こと小鍛治健夜で、北家には藤田靖子。この面子で打つことになるため、原村父は私の後ろに設けられた席で娘の解説を受けることになる。

 初心者にいきなり牌を握らせるには面子が厳しすぎるのと、ちょうどいいので親子水入らずで話でもして気分を解して欲しいというささやかな願いによるものだ。

 

 ちなみにこの試合前、宮永さんにだけは少し話をしておいた。

 私に勝つことが出来れば原村さんの転校は完全に無くなるかもしれない――と。

 もちろん嘘八百なんだけど、全国団体戦のことを引きずっているであろう彼女にとってそれは今一度訪れた名誉を挽回する絶好の好機でもある。

 靴と靴下を脱いだ状態で椅子に座る姿を見るに、相当気合を入れて臨むつもりでいるようだ。

 今年度個人戦チャンピオンの実力、その片鱗をここで見せてもらおう。

 

 

 ――東一局。

 親の片岡さんが三巡目に速攻でリーチをかけてきた。

 安牌なんてほとんど存在しない状況で、宮永さんは悩むことなく二萬を河に切る。

 片岡さんから声はかからず、私のツモ番。引いてきた牌は⑧筒で、手牌の中に収めるには浮いてしまう牌だったが、あえて抱え込んでから代わりに順子を崩して6索を切った。

 

「チー」

 

 即座に下家から声がかかり、6索は5・7索と共に場に晒される。

 藤田靖子というプレイヤーは、本来であればこんな風にフットワークの軽い打ち方は好まないタイプの雀士である。

 じっくりと狙いを定め、後半で一気に相手の手を潰して攻めかかる。そういった後半戦での力強さから『マクリの女王』という二つ名を冠しているのだ。

 今回の場合、あくまでこれは親の一発を消すための鳴きであり、手を進めるためのものではない。というのも――。

 

「ツモ。リーチ門前清模和で1000オールだじぇ」

 

 ここでは片岡さんが和了するであろうことを私も靖子ちゃんも、おそらくは宮永さんも察していたからだ。

 彼女の特徴として、東場の早い段階でのリーチは破壊力を伴った危険な手であることが多い。

 手牌を見るに、高めで引いてきていれば一発に三色同順とドラ1が付いて親のハネ満、各々点棒が5000点ほど余計に取られることになっていたはずだ。

 和了自体は止められなくとも、できるだけこちらの被害が低くなるようにその破壊力を殺ぐ。そのための鳴きであり、和了牌のずらしである。

 親っパネで勢いづく予定だっただろう片岡さんは、今の和了で逆に勢いを落とす結果となるだろう。

 彼女が持つ唯一の武器といっていい東場の爆発力は、全国大会で猛威を振るいながらも流れが殺がれていく中で試合巧者たちによって抑え込まれていったのだから。

 その証拠に、

 

「――カン」

 

 東一局一本場から王者が動く。

 山から引いてきた北を暗槓し、王牌から引き抜いてきたそれを盲牌もせずに表向きに置いて。

 

「ツモ。一本場は1100、2100です」

 

 あっさりと嶺上開花で和了って、厄介な相手の親をいとも簡単に流してみせた。

 

 彼女も最初から本気で倒しに来ているのだろう。表情は既にあどけない少女のそれから魔王と称される感情の篭っていない微笑へと移り変わろうとしている。

 ちらりと靖子ちゃんに視線を送ると、こちらはこちらで悪魔を射殺す賞金稼ぎのようなおっかない表情を浮かべていたり。

 正直しんどい相手ばかりで、ため息も深くなるというものだ。

 

 

 ――東二局。

 やはり早い巡目でリーチをかけてきた片岡さんだったが、流れを失いかけているのか和了れず。逆に親の宮永さんに振り込んでしまい、直撃で5800+1000点を奪われた。

 それから一本場、二本場と親の連荘。三本場になってようやく片岡さんが満貫をツモ和了して、なんとか親が流れることに。

 この時点で、私と靖子ちゃんのプロ勢二人組はほぼ何もしておらず、ただツモで毟られていく点棒をやりとりしただけの焼き鳥状態である。

 

「……プロ勢が高校生二人に飜弄されているように見えるが?」

「麻雀は過程でトップに立っていても意味はありません。お二人はプロですから、お二人なりのゲームプランというものがあって、それに沿って打っているはずです」

 

 などと後ろから漏れ聞こえてくる囁きが多少耳に痛くはあるものの、原村さんの言うように、ここまではほぼ予定通りといっていい進行具合だ。

 例えば、安牌切りや筋読みなんかを背後のギャラリーに分かりやすく実践し、かつ疑問を生じさせた上で説明する余地を与えたり。

 牌を一つ切るにしても、効率重視のデジタル打ちに徹した打ち回しで、原村さんが得意としている牌効率の話題に自然と移れるよう計らってみたり。

 格闘ゲームなんかには魅せプレイというのがあるそうだけど、私が狙っているのは見せプレイとでもいうべきか。

 

 というのも、ここで私に課せられているミッションのクリア条件というのが、一方的な高火力の和了や連荘による圧倒的な勝利などではないからだ。

 麻雀というものがどれだけ脳の活性化に適しているかを観客席のあの人に理解させつつ、高らかに名乗りを上げてしまった国内無敗の称号を守ること。

 オカルトで蹂躙するのではなく――理詰めで倒す。苦手とは言わないけれど、あまり得意とはいえない分野での勝利が必要だった。

 殺る気になっている魔王を縛りプレイで倒すのは、絶望的とは言わないまでもなかなかに骨が折れそうな作業である。

 

 

 ――東三局。親となった私の手に、不自然なくらいのいい流れがやってくる。

 配牌を開いた時点でピンときた。おそらくこれは、宮永さんの点数調整能力による帳尻合わせだと。

 このままならば放っておいても和了れるだろうが、どうせなら少し狙ってみるのもいいかもしれない。

 彼女の支配力がどの程度磐石なのか、確かめてみるいい機会だろう。

 

 {一}{二}{三}{六}{六}{七}{①}{②}{③}{1}{1}{2}{3} ツモ{九} ドラ{3}

 

 この状況で即聴牌に取らずとも、このまま手なりで進めていけばハネ満クラスの手に仕上げられる可能性もあるわけだけど。

 宮永さんの現時点での点数は37700点でトップ、一方の私の点数が18300点で靖子ちゃんと同一ラス。

 親のハネ満で18000点が加算されると仮定すると、宮永さんが31700点に減少して私が36300点になるためこの時点でトップに立つことになる。

 おそらく彼女の目的は、オーラス開始前に私をトップまで押し上げることにあるとみた。

 その理由にもおおよそ見当が付いてはいるものの、それは御免被りたいというのが正直な感想なので。

 ここに来て初めてセオリーを無視し、三色ドラ1を捨てる格好になってしまうが手牌の中から3索を切った。

 

 背中越しに感じる原村さんの不満げな視線はまるっと無視しつつ、この先の展開へと思考を巡らせながら視線は他家の動きへと向けておく。

 場は淡々と進み、九巡後に片岡さんに聴牌の気配が。

 はっきりと表情と態度に出てくる彼女のようなタイプは特殊能力なんて無くても気配が読めるから楽でいい。

 

「リーチだじぇ!」

 

 宣言と共に力強く切り出された牌は九萬だった。

 彼女の理牌の癖から考えても、左から四番目の牌を抜いて捨てたということは、萬子での振込みはまず有り得ないということになるか。

 この時点での私の手牌はこんな感じで、こちらにとっては好都合だ。

 

 {一}{二}{三}{五}{六}{六}{七}{九}{①}{②}{③}{1}{1}

 

 宮永さんは無難に安牌を切り、私の巡目。山から牌をツモってきたら――ここで聴牌可能な四萬を引いてきた。

 一気通貫確定となる嵌張での八萬待ちを取るか、平和のみになってしまうが両面での五八萬待ちを取るか。

 リーチをかけない前提で、点数を取るのであれば前者、単純に和了易さを取るのであれば後者だろう。

 原村さんだとこの場面ではどちらを取るのか。そのあたり、おそらく今頃後ろで父親相手に持論の講釈を垂れているに違いない。

 

 もしも最初の時点で別の道を選択していた場合に、おそらく最後の手となっていたであろう形を現在の手牌と河から連想するに、

 

 {一}{二}{三}{七}{九}{①}{②}{③}{1}{1}{1}{2}{3}

 

 この場合、純全帯・三色同順・ドラ1でハネ満。待ちはやはり嵌張での八萬待ちとなっていたものと思われる。

 ――で、あれば。

 手牌から六萬を抜き、そのまま河に置く。

 嵌八萬待ちでのダマ聴を選択し、できるだけ点数をあげないようにリーチ宣言はしないでおいた。

 靖子ちゃんは片岡さんに対しての安牌を、片岡さんは一巡では和了できずそのままツモ切り、宮永さんの巡目でそれは起こる。

 ほぼノータイムで河に切られた牌。ピンポイントで出てきたそれは、私の待っていた当たり牌そのものだった。

 

「ロン。一気通貫のみ、40符2飜で3900点だね」

「――はい」

 

 一見すれば普通に見えるやりとりである。

 しかし、点数を申告した際に宮永さんがわずかに目を瞠ったところを私は見逃さなかった。

 初手でドラを手放した時点でハネ満を捨てたことは見抜いていたはずだけど、彼女が想定していたものよりも更に安手だったということだろうか。

 それともわざわざ点数を落とした和了の意味にまで辿り着いて驚いているのか。

 どちらにせよ、彼女の手のひらの上で踊るぶんにはこちらの自由がある程度保障されていることは分かった。

 

 親の連荘となるので、また私にトップを取らせるための流れが来るかと思いきや、ここに来てようやくマクリの女王が動く気配をみせた。

 八巡目でのリーチ、それも結構な高めっぽい気配が彼女の背後に纏わり付いている空気からひしひしと伝わってくる。

 こちらも決して悪くない手牌だったが、宮永さんと靖子ちゃん二人のリーチ合戦によってある程度減速しつつ回していたせいか、ほんの一歩の差で先に和了られてしまった。

 

「――ツモ。メンタンピン門前清模和ドラ2、ハネ満だな」

 

 ここにきて親っかぶり。更には最下位だった靖子ちゃんにぶち抜かれる格好で最下位に転落というおまけ付きである。

 オーラスを前に、一位は藤田靖子で31300点、二位に宮永咲で29800点、三位が片岡優希の21700点。最下位は私で、17200点という感じになった。

 

 雀荘にいる人間が揃って見守る中、異様な雰囲気が場を包み始めていた。

 原因は他ならぬ私である。トッププロの、国内無敗とさえ謳われた人間がよもやの最下位であれば、そのあたりは仕方がないことなのかもしれない。

 まぁ、まだオーラスが残ってるんだけどね。

 

 ちらりと視線を向けた先、盛大に眉を顰めているところを見れば分かるように、靖子ちゃんはハネ満を自模って暫定トップに立ったというのに機嫌はあまり宜しくない。

 マクリの女王たる彼女のゲームプランとしては、最終局での逆転和了こそが本領であるはず。それなのに仕掛けるのが一局早いというのは、本人の意図するものとは別の力が働いているのかもしれない。

 対面の片岡さんは思うように伸びなくなってしまった手にしょんぼり気味で。それでも最後に一発大きいのを虎視眈々と狙っていることに間違いはなさそうだ。

 問題の相手、オーラスで無敵の強さを誇ってきた宮永さんはというと――どこか遠くを見つめるような表情で、天井を見上げていた。

 

 泣いても笑っても最後となる、東四局。

 トップと二位との差はわずか1500点、どちらかが早めに和了すれば即終了となるわけで。

 三位の片岡さんと最下位の私としては、それよりも早く高い手を作らなければならない。

 淡々と手を進めていく四人の間には張り詰めた空気が流れていて、その一挙手一投足に注目している観客たちも固唾を呑んで勝負の行く末を見守っている状況だ。

 そんな中、五巡目という比較的早い段階で最初に動いたのは、宮永さんだった。

 

「ポン」

 

 靖子ちゃんの切った①筒を鳴いて、代わりに三萬を切る。

 これまでのデータからすると、宮永さんのポンに関しては加槓するための前段階である可能性が高い。

 故に長野県大会決勝ではそこを加治木さんに狙い打たれたわけだけど。

 全国大会では相手が搶槓できない状況に追い込んでから必殺技に持ち込む場面も見られたことから、今回も対策として手牌を筒子で埋めている状況なのかもしれない。

 ①筒でカンする今回の場合、宮永さんがトップに立つために必要な和了は嶺上開花のみでも十分だし、速攻を仕掛けることに問題はない場面といえる。

 もし彼女が、そのまま試合を終わらせられるのであれば――だが。

 

 

 対局が終了したのは、それから七巡ほど進んだ後のことだった。

 きっかけとなったのは、やはり宮永さんの宣言から。

 

「――カン」

 

 彼女は山からツモってきた⑧筒を暗槓し、嶺上牌を手に取った。が――そのままツモ宣言というわけにはいかず。

 引いてきた④筒を更にカンし、二枚目の嶺上牌を引いてくる。しかしやはり彼女は和了を宣言せず、引いてきた牌を手牌の上に乗せた状態で動きを止めた。

 この段階で、何かがおかしいと本人以外の全員が気づき始めていただろう。

 彼女はなぜ、高い手を必要としないこの場面ですぐにでも和了らないのか――?

 ――否。和了らないのではなく、和了れないのである。

 この時の宮永さんの手牌を対局後に確認したら、

 

 {②}{②}{②}{④}{④}{④}{⑤}{⑧}{⑧}{⑧}  {①}{横①}{①}  ツモ{⑧}

 

 この状態から⑧筒を暗槓。王牌から引いてきたのは④筒で、やはりカンが可能な牌ではあるものの和了牌ではなかった。

 続いて④筒を暗槓。王牌から引いてきたのは、暗槓が可能な②筒でも⑤筒でもない、①筒だった。これもまた、カンは可能だが和了牌ではない。

 宮永さんはおそらく、王牌にどの牌が眠っているのかをある程度察知できる能力を持っているのだろう。

 だからこそ、次のカンで⑤筒を引いてくることを感覚的に理解していた。

 ツモってくれば、清一色対々和三暗刻三槓子に嶺上開花で、三倍満。文句なしの大トップで対局は終了である。

 故に――宣言をしたのだ。もいっこカン、と。

 それが、無意識のうちに歪められている点数調整能力による落とし穴だと気づくこともなく。

 

「――ロン」

「……えっ?」

 

 王牌に手を伸ばした状態で、ぽかんとこちらを見る宮永さん。

 ああいや、宮永さんだけではなく片岡さんも靖子ちゃんも、宮永さんの後ろでギャラリーをしていた京太郎君や竹井さん、染谷さんなんかも同じような顔でこちらを見ていた。

 発声したのは無論私で。手牌を倒す音が響く中、視線が一気に集中する。

 

 {1}{1}{2}{2}{3}{3}{一}{二}{三}{②}{③}{赤⑤}{赤⑤} ロン{①} ドラ{2}

 

 最終的な形はこんな感じである。

 

「えっと、搶槓三色同順一盃口ドラ4で、倍満16000点かな」

『……は?』

「いやだから、搶槓三色同順一盃口ドラ4で、倍満――」

「――って、そうじゃなくてっ! 咲の連続カンからの嶺上開花を力技で止めた!?」

「その上で、倍満……じゃと!?」

「う、うん。まぁ……そんな驚かれるようなことでもないけどね。加治木さんもやってたことだし」

「いやいやいやいや! 普通そんなことできませんから!?」

 

 興奮気味の京太郎君がちょっと怖い。

 若干引き気味になりつつも、背後でやはりポカンとした表情を見せている原村さん親子のほうへと向き直る。

 

「えーと、今のはちゃんと解説できた?」

「い、いえ……正直、その――できればご本人から、お願いしたいのですが」

「うん、いいよ。じゃあついでだからみんなも聞いてて」

 

 

 宮永さんには最終局での和了役として必ずといっていいほど嶺上開花に拘る傾向が見られることは、データを見るまでもなく気づいている人は多いだろう。

 普通であれば押し切れるからこそ問題にはならないが、今回のようなどれか一つの役だけで和了っていれば何の問題もなく勝てる戦いでさえ、彼女はフィニッシュに嶺上開花をするという選択肢を採る。

 もっとも、彼女の手牌と捨て牌、他家の手牌と捨て牌を加味した上で考えてみれば、連続カンからの嶺上開花が最も早く和了れる手段であったことは事実であるため、今回に限って言えば間違いという訳ではなかったはずだけど。

 ここがまず、一点目。

 

 宮永さんの強力すぎる点数調整能力だが、あくまでそれは、プラスマイナスゼロに調整するために特化されたものであるという点が重要である。

 以前の取材の折に、彼女が勝つための麻雀を打つきっかけとなった一戦についても話を聞いていた。

 持ち点を他家に8000点ずつ配る、つまり-24000点した状態からプラスマイナスゼロに戻すように打てば勝てる、と竹井さんに言われて始めたのが最初だとか。

 宮永さんのオーラス前の点数は29800点。そのまま和了りも振込みもしなければプラスマイナスゼロ達成となるわけだけど。

 彼女は最初に自分の中で持ち点を1000点に定めて戦いを始めているため、この時点で彼女自身は自分の持ち点は5800点だという認識でいたはずだ。

 ここからプラスマイナスゼロにするために必要な点数は、きっちり24000点――そう、子で始まるオーラスにおいては三倍満しか有り得ない点数である。

 だからこそ、実際の点数はどうであれ、プラスマイナスゼロを達成するために彼女の最後の手牌は三倍満となる可能性を秘めた大物手へと膨らまざるを得なかった。

 

 鳴きを入れた状態で三倍満に届かせる、かつ数え役満まで伸ばさないためには、どうしても手の形が限られてくるものだ。

 三倍満になるために必要な飜数は11~12飜。その前提の上で鳴いた①筒を軸に考えていけば、自ずと形は見えてくる。

 ①筒をポンしているということは、考えられるのは混老頭、対々和あたりか。鳴きが一面子だけなのであればおそらくは三暗刻も付いてくるだろう。

 宮永さんのカンで増えたドラは彼女の手には乗らないというデータもあるし、そうなると喰い下がりの状態でも5飜役となる清一色は外せない。となると混老頭が消えて、清一色対々和三暗刻で9飜。

 嶺上開花が1飜役なので、残り1飜~2飜の役が必要となる。

 ドラを一枚でも含めていれば問題はなかったんだろうけど、赤ドラの⑤筒は配牌の段階から二枚とも私の手中にあり、ドラ表示牌は索子なのでそもそも使えない。

 となれば、条件により近いと思われるのが――三槓子。普段であれば役満クラスに珍しいくせに飜数はショボイという、非常に労力に見合わない役ではあるものの、この状況下では三倍満を作るために必要不可欠な役となってしまうわけだ。

 故に、条件を満たすためには宮永さんは必ず三度カンをしなければならなかった。

 これが二点目。

 

 前局の東三局で宮永さんによるアシスト(だと思われる)を蹴飛ばして一位を取らずにいたのは、オーラスで責任払いの対象となるのを防ぎたかったから。

 槓材を握らされるところから始まる一連の流れに自分が組み込まれてしまっては、その時点で抗う術が無くなってしまう可能性が高かった。

 しかし、結果的にこの目論見が成功したかどうかは微妙なところか。

 というのも最後の②筒、その一枚が私の手元へ来たからだ。

 ①筒を安全に加槓するためにおそらく②筒も連続カンの一部に組み込むつもりだったはずにも関わらず、である。

 この段階で、私の手牌はこうだった。

 

 {1}{1}{2}{2}{3}{3}{一}{二}{二}{三}{三}{赤⑤}{赤⑤} ツモ{②}

 

 この卓の状況下でリーチをかけるのはさすがに自ら首を絞めるに等しい行為だったので、自然とダマで待つことになっていたわけだけど。

 自前で自模れば高めも低めも関係なく文句なしの逆転トップ。(※南入は適用外のルールのため)

 ただし、ロン和了の場合は高めであれば平和二盃口にドラ4で逆転となる一手、しかし安めなら上位のどちらに直撃しても二位までにしか届かないハネ満止まり。

 勝負手としては申し分のない待ちであり、そもそも②筒は手牌からは浮いた状態にあるし、本来であれば捨ててしまうことのほうが多いケースだと思う。

 上家の染め手に警戒して抱き込むにせよ、ラスに座っている人間が攻めるべき局面でそんなことをすれば、勝負放棄のオリの一手と看做される場面でもあるし。

 しかし私には上記で述べた二つのポイントにより確信があった。

 宮永さんは必ず三回のカンを挟んだ上で嶺上開花による和了へと向かうはず。

 そして、麻雀という競技には雀頭を除けば面子が四つしか存在しない以上、②筒がこちらの手にある限り①筒も槓材の一つにならざるを得ない、と。

 国士には程遠い現状、地獄待ち状態の①筒を狙った和了の形を作るためには、②筒は③筒と共に欠かせない要素の一つである。

 わざわざ握らせてくれているのに、それを手放すような真似をする必要がどこにあるだろうか。

 

 元々私は引きが悪いわけではないので、ある程度自由が利くなら欲しい牌を引っ張ってくることくらいはできるのだ。きちんと山に眠っているのであれば、だけど。

 この場合、和了するための牌ではなかったからだろうか。思ったよりもすんなり③筒は私の手元へやってきた。

 二萬の代わりに②筒を、三萬の代わりに二巡後に引いてきた③筒を手の中に組み入れる。

 平和二盃口の4飜ぶんを搶槓三色同順一盃口に切り替えて、あとは連続カンが始まるのを待つだけの簡単なお仕事だった、というわけ。

 

 序盤から下位をうろうろしていたのも、観客への見せプレイをしていたからというだけではなくて。

 できるだけ視界に映ることをせず、こちらの意図を読まれない程度に彼女の意識から外れることも目的の一つだった。

 あまり宮永さんを刺激してしまうと、全国大会二回戦の時のように、縮こまった挙句の果てに本来の意味でのプラスマイナスゼロに落ち着いてしまうことも考えられたし。

 そうならないように事前に手を打っていたとはいえ、万が一そうなっていたとしたら、今回の対局は靖子ちゃんあたりが片岡さんからロン和了して最下位のままあっさり終わっていたかもしれない。

 そう思えば、実に薄氷を踏む勝利だったといえるだろうか。もうこんな打ち方は正直勘弁してもらいたいけど。

 

 

「そんなオカルトあり得ませんっ!!!」

 

 説明し終えた瞬間に、原村さんが叫びだした。

 オカルト……かなぁ。きちんと理論的に説明してあげたつもりだったけど……。

 これはもう一度説明してあげないとダメかな、と思いつつ頬を掻いていた私――だったけど。

 

「うっ……ううっ」

 

 唐突に泣き出した宮永さんの呻き声に意識を割かれ、卓のほうへと振り返れば。

 いつか原村さんがそうしていたように、今度は宮永さんが、膝から崩れ落ちるようにして泣き出していた。

 ああ、うん。そうだよね……。

 明らかに私のせいではあるけれど、だからといってここで「あれは嘘だったんだよ」とはさすがに言えない。

 清澄高校における小鍛治健夜が泣かせた女学生、これで四人目か。嫌な記録を作ってしまった。

 

「咲さんっ!?」

「ごめん、ゴメンね……っ、私、今度こそ……今度こそ和ちゃんのために勝ってみせるって……でも、ダメだった……ごめんね……っ」

「咲さん……」

「転校しちゃイヤだよう……イヤなのに私、勝てなかったよう……」

「……」

 

 何も言えなくなってしまったのか、無言のまま胸の中に抱え込む原村さん。

 泣きながら零した科白でおおよそのことに納得がいったのだろう。絶対零度に近い視線がこちらへと向けられてしまった。

 こうなってはもはや縮こまっているしかない。

 大柄だし、原村父の影にこっそりと隠れようかと画策していると、いつの間に出現したのかきっちりとしたスーツ姿のこーこちゃんが隣に居た。

 

「あれ、どう思います?」

「……どう、とは?」

 

 彼女は私のことをさらっと無視して、原村父に話しかけている。

 

「私、法曹界のことはよく分からないんですけど――女子学生のことはよく分かるんですよね。

 この時期にしか出来ない勉強っていうか、友達同士のお付き合いっていうか……そういうものが将来、すごく役に立つことがあると思うんです」

「……」

「彼女はここに必要とされてる。でもそれって、麻雀が強いからって理由じゃないんだろうなって私なんかは見てて思うわけですよ。

 たぶん、あの子がみんなに好かれているから。だからこそ、友達のことであんなふうに一生懸命戦えるし、悔しくて泣けるんでしょうね」

「進学校に行っても、友人くらいは作れるだろう」

「勉強においてはみんながライバルなのに、ですか? 上っ面だけの友達が何人いたってしょうがないでしょ。

 いいじゃないですか、二年半くらいちょっと無駄に過ごしたって。そんなことくらいで将来ダメになっちゃうような子は、きっとこの中には一人も居ませんよ!」

「他人の娘だと思って好き勝手言うものだな」

「それが私のいいところなのでっ!

 それに……私は、あの子の涙を二回も見ましたから。だからこそ、メディアの力を使ってでもここに留まらせてあげたい」

「それでこちらに迷惑がかかろうともか」

「それくらいなんだっての。娘のためにする苦労くらい笑顔で全部受け止めてこその父親ってもんでしょうが」

 

 バチバチと火花が散るような視線を交わす両者。

 この場合、どっちの修羅場からも蚊帳の外にいることを嬉しく思うべきなのか、悲しく思うべきなのか。

 そうは言っても、こちらのガンの飛ばしあいに割り込む勇気はないのだから、私が声をかけるべきはあっち側ということになるだろう。

 さりげなくこの場からフェードアウトしようとして、ふと。

 言い争っていたはずの二人の視線が、揃ってこちらへ向けられている事実に気が付いてしまった。

 この状況で何を言えと……?

 

「――あっ、ええと。そうだ、原村さん」

「……なにか?」

「これまでの転校で、あの子が泣いたことってありましたか?」

「いや。記憶にないが」

「そうですか。なら、あの子にとって清澄はとても大切な場所なんでしょうね。

 私は学生時代にそんなことを思ったこともありませんでしたし……そう思える和さんが、少しだけ羨ましいです」

 

 ぺこりと頭を下げてから、泣き崩れている二人の待つ雀卓へと向かった。

 

 

 泣いている宮永さんと、それを抱きしめている原村さん。

 その二人の傍に近づいていくと、のっそりとした動作で二人が同時に立ち上がった。

 

「……小鍛治プロに聞きたいことがあります」

「うん、なにかな?」

「インターハイ団体戦の決勝戦のこと、なんですけど……」

「――ああ」

「私、あの時……思ったんです、負けたくないって。今回と同じくらい、でも結局どっちも負けちゃって……」

「前にも言ったと思うけど。私は別に、宮永さんが手を抜いただとかそういうことを言ったわけじゃないんだよ」

「でも――」

「ちょっと落ち着いて。ごめん原村さん、染谷さんに言って飲み物を何か用意してもらってくれないかな?」

「分かりました」

「――あっ、和ちゃん」

「大丈夫ですよ。そんな顔をしなくても、私は何処にもいったりしませんから」

「う、うん」

 

 例の取材の一件で、原村さんの転校云々の話題の時に彼女に言った科白。

 もしかするとこちらが思っていたよりもずっと重く、あれがずっとこの子の中で蟠っているのかもしれない。

 

「そうだなぁ……うーん、宮永さんはこんな言葉を知ってる? 神はサイコロを振らない」

「知ってます。たしか、アインシュタインが確率論の討論の中で相手の人に言った科白ですよね?」

「さすが文学少女だね。細かい部分までよく知ってる」

 

 うんうんと頷いて、ショルダーバッグの中から手帳を取り出す。

 そこに記録されている全国大会における宮永さんの成績、そのページを開いて彼女にも見えるようにして卓の上に置いた。

 

「私はね、貴方のはまさにサイコロを振らない麻雀なんだと思ってるんだ」

「え……?」

 

 私だっていくら国内無敗と謳われていようとも、延々とツモ切りを繰り返すような怠慢な態度で打てば普通に負ける。何をおいても必ず勝てるわけではない。

 逆に言ってしまえば、だからこそ麻雀は競技として成立するのだ。人によっては欠陥ゲームと罵られてしまう原因でもあるようだけど。

 麻雀という競技は、まず最初にサイコロを振るところから始まる。配牌が何処から始まるか、山のどこからが王牌になるのか。それを決めるのはサイコロであって、必然ではない。

 そこからツモって来た牌をどうするのか。何を残して何を切るのか。それを考える余地が与えられているからこそ、麻雀は面白い。

 確率に大きく左右される競技というのも強ち間違いではない。

 だから勝ち続けることもあれば、どんなに強いプロ雀士であっても素人さんにコロっと負けてしまうこともある。

 でも……サイコロの出目、山に積まれている牌の配置、配牌で掴んでくる牌の種類、和了直前における各家の河の形。

 もしも――もしも神様がサイコロを振らなかった結果として、これらがすべて必然的に用意されているとしたら、どうだろうか。

 自分の点数、他家の点数、いつ誰が何処でどの役で和了するかに至るまで、すべてが彼女の思いのままに進行していくとしたら――?

 

「勝つことが約束された麻雀。ううん、結果が最初から確定している麻雀、っていうべきなのかな?」

「わ、私はそんな大それた力なんて持ってません!」

「もちろん、今の宮永さんはそこまで出来ないと思う。というかそれが意識して出来るようになったら、国内無敗どころか完全無敗を名乗れる雀士になれるよ」

 

 もっともその時は――それはもはや麻雀とは呼べない代物になり果てているだろうが。

 

「お姉ちゃんも、高鴨さんも、小鍛治プロも……普段の練習なら和ちゃんや部長だって、それでも私に勝つことができますよね。

 小鍛治プロが言ったような能力があったら、それこそどんな相手にだって負けることなんて有り得ないんじゃ……」

「うーん……はっきり言っちゃうと、宮永さんの持ってる『勝ちたい』って意思は、一般論的にはとても弱いものなんじゃないかって思うんだよね。

 だから結果も違ってくるというか、そもそも絶対的な勝利を齎すために能力自体が働いていないというか」

「私だって負けるのはイヤですよ」

「それはもちろん、そうだろうけど。でもさ、絶対に勝ちたいっていうよりは負けなければそれでいい、ってどこかで思っちゃうんじゃない?

 これを見て。長野県大会決勝と全国大会決勝までの全部で、宮永さんは区間トップを取れていない。チームが勝ち抜けるなら自分の成績は関係ない、って気持ちが如実に現れてる結果だと思うんだけど」

「それ、は……」

 

 もっとも、団体戦に限ってはそれは悪いことじゃない。

 絶対に勝つと意地になる子をよく見るけど、そういう子はメンタルの部分でけっこう脆いことも多い。スタンドプレーに走った挙句、自分でプレッシャーかけて勝手に潰れたりもする。

 そういう意味で宮永さんの精神は軸がブレないから、チームのみんなも見てて安心できる部分もあるのだろうし。

 

「宮永さんはね、強いの。それは間違いないことで、私もきちんと認めてるんだ。

 本気になれば誰にだって――それこそ私にだって負けることはないってだけのポテンシャルを秘めてると思う。

 けど、本人がそれを望んでいないように見えちゃうから違和感が残るって言うだけでね。それが良いとも悪いとも言うつもりはそもそもないの」

「私は、そんな……」

 

 正直なところ、この評価は今だと少し難しい部分があったりするんだけど……。

 宮永咲という少女には欠落した部分がある。

 それは――勝利に対する執着心。彼女は麻雀を楽しんでプレイすることに重きを置いているようで、そもそも勝敗というものに執着している様子がほとんど見られない。

 今回の対局で確信できた。宮永さんはおそらく、どんなものを背負おうとも確実な勝利が欲しいと望むだけの執着心を持つことはないのだろうと。

 だからこそ、なのか。彼女は振らなくてもいいはずのサイコロを振りたがる。

 それはおそらく、この先も彼女の胸のうちに潜み続ける緩みになるだろう。

 その緩みの結果として、麻雀で負けることはこの先もあるはずだ。

 ――ただ、実際に近くで様子を見るにつけ、それは彼女が人間らしさを保っていくために必要な安全装置のようなものではないか、と考えるようになってきた。

 この子がもし勝ちに拘る心のままに牌を握り始めてしまえば――もしもあの能力が完全に開花してしまったとするならば、機械のようになってしまいそうな気がするのだ。

 神により定められた運命を辿るだけの、牌をツモって切っていく作業をこなすただのマシーンに。

 

「――宮永さんは、麻雀楽しい?」

「え? ……はい。昔はあまり好きじゃありませんでしたけど……勝てても勝てなくても、今は麻雀を楽しんでます」

「そっか。なら私から言っておくことは一つだけ。自分の能力に負けるような麻雀は打たないこと」

「自分の能力に、負けない……?」

「そ。能力があるのかないのか。どっちにしても、結局サイコロを振るか振らないかを決めるのも、貴方自身の役目だってことだよ」

 

 それは麻雀という競技において最強になりうるものではあるけれど……宮永咲という少女にとっては、歓迎すべきことではない。

 だからこそ、宮永咲は欠落を抱えたままの雀士でいればいい。

 麻雀が楽しいと心からの笑顔で言える今の自分を、永遠に失ってしまわないためにも。

 サイコロを振りながらも大抵の相手にならば勝てるだけの実力が、彼女には備わっているのだから。

 

 

「あの、小鍛治プロ」

 

 ある程度状況が落ち着いたあと、原村さんから声をかけられた。

 原村父と一緒に帰ることになって帰り支度をしていたと思ったけれど、終わったんだろうか?

 

「こちらの事情に巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした」

「ううん、こちらこそ。なんかあんまり役に立てなくてごめんね……」

「いえ。そんなことはありませんでしたよ」

 

 外部の人間に向けては滅多に表情を変えたりしない彼女だが、仲間内にそうするように、ふわりと柔らかく微笑む。

 原村さんの態度を変えるなんて、それほどまでに役に立つようなことを何かしただろうか?

 

「父が黙り込んだということは、何かしら感じるものがあったという証拠ですから」

「そうなの?」

「はい。気に入らないことには即座に反論するタイプの人なので」

 

 きっぱりと頷いてそんなことを言う原村さんだけど、やっぱり父娘なんだなと別の部分で納得してしまう。

 ともあれ、今回の親子の対話をきっかけに二人が歩み寄ることができるのであれば何よりだと思う。

 

「では、本日はこれで失礼させて頂きます。残りの時間、頑張ってください」

「うん。ありがとう、お疲れさま」

 

 

 

 壁掛け時計の長針が、午後九時の訪れを指し示す。

 これによりようやく私服に着替える時がやってきて、若干名残惜しくも感じてしまう猫耳カチューシャを外して机の上に置いた。

 なんでもメイド服は今回の記念に貰えるらしいので、手渡された紙袋にきちんと畳んで押し込めておく。

 貰ったところで今後活かせる場面が出てくることはないと思うけども。記念品という意味では、とてもありがたい存在であることに間違いはないだろう。

 手荷物を持ってフロアに戻ると、既に着替え終わっていた片岡さんと京太郎君、宮永さんの三人がテーブル席に座って談笑していた。

 

「あ、小鍛治プロ。お疲れさまだじぇ」

「お疲れさまです、師匠」

「お疲れさまでした」

「みんなもお疲れ様」

 

 こちらに気が付いた片岡さんたちが手を振ってくれたので、小さく手を振って返しておく。

 靖子ちゃんと竹井さんの二人は、対局が終わったあとに連れ立って帰宅したのを確認済みだからいいとして。

 残っているはずのこーこちゃんの姿が見えないのは少し気になる。何処にいったんだろう?

 キョロキョロと周りを見回していると、店長とこーこちゃん、二人が事務室から揃って出てきた。

 

「これでほんまに今日の仕事はおしまいじゃ。小鍛治プロ、色々と慣れんことまでやってもろうて、お疲れさんでした」

「染谷さんもね。正直今までやってきた仕事の中でダントツで疲れたけど……まぁ、いい経験だったと思うよ」

「ほうか。そう言ってもらえたらこっちとしても満足じゃ。のう、福与アナ」

「うんうん。すこやんが色んなジャンルで戦えることも分かったし、収穫としては十分すぎる程だったね」

 

 ニカっと笑うその表情からは、あまり良い予感はしてこない。

 今日はこれで終わりだろうけど、今後また似たような展開になるなんてことは……ないよね?

 全国津々浦々の高校でこんなことをさせられていてはさすがに身が持たないし、全国各地で出没する猫耳メイド雀士なんて肩書きが付くのはイヤ過ぎる。

 

「そういえば、次の取材に行く学校はもう決まってるんですか?」

 

 私が一人で戦々恐々としていると、寛いでいた三人組も帰り支度をした状態でこちらの話に加わってきた。

 

「一応候補は絞ってあるけど、本決まりってワケじゃないんだよねー。白糸台か、新道寺あたりか……」

「個人戦一位の学校の次だから、普通に団体戦優勝校に行くもんだと思ってたじぇ」

「阿知賀かぁ……それもありっちゃありなんだけどね。原村さんと繋がりもあるし」

「もしかして候補の高校は清澄の誰かと繋がりのある相手がおる学校を選らんどるっちゅーことなんか?」

「あっ、新道寺は花田先輩か!」

「白糸台はお姉ちゃんだね」

「せーかーい。やっぱ番組的にも話の持って行き方的にそういうのあったほうがいいしね」

 

 お察しの通り、次に赴くことになる学校は、清澄との関連を匂わせる場所に行こうということになっている。

 宮永咲の姉、宮永照を擁する西東京の強豪白糸台高校。

 原村和と片岡優希の中学時代の先輩、花田煌が所属している北九州最強の新道寺女子高校。

 加えて、原村和が小学校高学年から中学時代を過ごしたとされる、今年度団体戦優勝の阿知賀女子学院。

 今のところの候補地はこの辺りか。奇しくも全校ともに清澄とは反対側のブロックで戦った準決勝進出校なんだよね。

 

「ちなみに、すこやんが行ってみたい学校っていったら次は何処?」

「なんだか前と同じパターンで、言ったらそこに決まっちゃいそうな気もするけど……個人的には阿知賀、かな」

「おおっと、さすがすこやん。目玉の学校両方とも序盤に消化するとか番組編成担当泣かせだね!」

「だったら最初から順番ちゃんと決めとくべきだと思うよ? 相手の学校の都合だってあるんだろうし」

「なんのなんの。そのあたりはバッチリ私たちにお任せあれってね!」

「……まぁ、どっちにしろ任せるしかないんだけどさ」

 

 日本全国をダーツで旅する人も居るくらいだし、それに比べたらまだマシかと自分を納得させるしかない私ではあるけれど。

 ――後日。

 この行き当たりばったりな計画によって、いったい誰が泣きを見ているのか。

 その現実を目の当たりにすることになろうとは、さすがの私でも予見することは適わなかった。

 




色々と突っ込みどころ満載な感じになりましたが、清澄編はとりあえずここで区切りとなります。
次回『第07局:旋風@伝説を担う少女たちの翼』。ご期待くださいませ


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第二弾:奈良県代表・阿知賀女子学院編
第07局:旋風@伝説を担う少女たちの翼


 その瞬間、画面の向こう側で鳥を絞めて吊るした時の断末魔に似た何かが聞こえたような気がした。

 ……さすがに開始直後の親の倍満直撃は痛いよね。

 見ているだけの私をして気の毒になってしまうほどの出鼻の挫かれ具合である。

 対面に座る北家のプレイヤーが牌を切る速度は明らかに減速し、振り込んだ西家は延々とツモ切りを繰り返していることからログアウトしたものと推測された。

 やっぱり大丈夫じゃなかったか。

 不慮の事故とかで回線が切断したのならともかく、自ら逃げ出したんだとするならば雀士の風上にも置けない奴である。

 

 その一方で、南家の彼はよく粘っているほうだと言えるかな。

 一つの牌を切るだけで制限時間一杯使っていて打ち回しの時間はやはりだいぶ遅いものの、きちんと考えているだろうことはよく理解できる。

 まずは振り込まないことからはじめているので、どうしても手が遅くなるのは仕方がない。

 でもまぁ……攻撃まで手が回らない以上、大抵の場合で他家の和了に先を越されることになってしまうわけだけど。

 

「うーん、対面ちゃんが先に来ちゃったかぁ」

 

 画面いっぱいに表示される和了を告げるウィンドウ。

 だいぶ捨て牌の選択が上手くなってきてはいるものの、まだまだ牌効率の面で甘い部分が多いといえる彼である。現状だと相手を一人に絞った状態でならばともかく、他家全員の情報を同時に処理して打ち回すまでには至っていないようだ。

 

 この対局そのものは、東四局まで続いたものの。

 結果は、対面の子が接続切れでツモ切りし続けていた(京太郎君からみて)下家の子から30符3飜の和了を奪ったことによってトビ終了。

 点数的には華麗に開幕親倍を決めた上家のプレイヤーがトップ。その直撃を受けた下家がマイナスでダントツの最下位、最後に和了った対面の子が二位で、須賀京太郎君は和了も振り込みもなしの状態のまま、三位での終了となった。

 

『お、おつかれさまでしたー』

 

 コミュニケーションソフトを介して聞こえてくる彼の声が、ぐったりとしているのは気のせいだろうか。

 南入する前に下家が飛んで終わってしまったので、半荘戦が実質的には東風戦っぽくなってしまっていたんだけど。

 神経を集中させていたとはいえ、半荘持たないのは素直に持久力不足ではなかろうか?

 とはいえ今の対局では一度も振り込まなかったことは事実である。最初の頃から比べれば、進歩の兆しは見えていた。

 

「お疲れさま。防御の基礎はだいぶ様になってきたね。東一局も何度か上家の手に直撃しそうになってたけど、それは上手く避けてたよ」

『そうですか? ありがとうございます。やっぱり和の理論ってすごいのな……』

「あれ、今は原村さんからも習ってるの?」

『そうなんですよ。なんか、来年は俺にも選手として全国に行ってもらわないと私が困る、とかなんとか』

 

 ああ、そうか。そういえば原村さんから男女共に伝説を作ってやるんだからね!みたいな宣言をされていたっけ。

 伝説を作るとは大見得を切ったものだ、とあの時はちょっと思ったりもしたけれど、今思えばその発言にもモデルになった人物がいたということなのだろう。

 ちらりと部屋の隅に視線を移し、そこにある光景が代わり映えしないものであることを確認する。

 麗しき師弟愛と言っていいものかどうか迷いつつ。

 

「あ、そうだった。ちょうどいいや、そこに原村さんはいる?」

『和ですか? あっちもちょうど今半荘戦が終わったとこみたいなんで、呼びましょうか?』

「うん、ちょっとお願い」

『了解っす。おーい、のどかー――』

 

 少しだけ時間を置いて、彼女が近づいてくる音が聞こえた。

 

『もしもし、原村です』

 

 いや電話じゃないんだから、という京太郎君のツッコミが近くで聞こえてきたが、そこはスルーしてあげようよと思わなくも無い。

 

「ああ、原村さん。久しぶりだね、頑張ってる?」

『はい、おかげさまで。その節は大変お世話になりました。改めて御礼をさせていただきます』

「私はほとんど何もしてないんだから別にいいよ。それより今ちょっと時間ある?」

『ええ、もちろん。なんでしょう?』

「あのね――」

 

 言いかけた私を遮って、後ろから突撃してきたそれが私の口元で叫ぶ。

 

「のどかーっ! 元気してるー!?」

『――っ!?』

 

 声にならない原村さんの悲鳴が聞こえた。

 ヘッドホンからいきなり大声が発せられたらそりゃそうなるよ。

 私も彼女と唇が触れそうになったことで違う意味でもドキドキしたけども。

 

「ちょっとしずっ、あんた小鍛治プロになんてことを……」

「あ、えへへ。すみません」

「う、うん、今後は気をつけてね。ちゃんと代わってあげるから」

 

 ヘッドセットを外してから彼女――高鴨さんの頭にそれを装着。あまり似合っていないがこの際別に構わないだろう。

 ついでに音声を外付けのスピーカーで室内の人間にも聞き取れるよう切り替えた。

 

『し、穏乃……ですか?』

「えへへ、そうだよー。久しぶり、大会の合同打ち上げ以来だね!」

『ええ、久しぶりです。元気そうで何よりです、が……いきなり大声で叫ぶのはやめてください。心臓に悪いですから』

「おっとゴメンね。さっきまで打ってたんだけど、ちょっとテンション上がっちゃってさー」

「あれだけボコボコにされたのにテンション上がっちゃうあんたの思考回路はどうなってんのよ、ホントに」

 

 とまぁ、隣に立っている新子さんがそんなことを呟くんだけれど。それ私に対する嫌味とかじゃないよね?

 旧友たちが親交を暖めようとしている現場からそそくさと離れる私。

 逃げたわけじゃなくて、ただ空気を読んだだけだから。ホントだよ?

 卓上で未だぐったりとしている部長の鷺森さんと、その頭をしきりに撫で回している顧問の赤土さんからも目を逸らしつつ。

 

「――というわけで、私たちはいま今年度インターハイ団体戦優勝校である阿知賀女子学院麻雀部にお邪魔しています!」

 

 今のゴタゴタを横目に、キリっとした表情でカメラに向かって今さらながらにそう宣言するこーこちゃんの後姿を、溜め息一つで見送った。

 

 

 ――阿知賀女子学院。

 奈良県の吉野にあるこの学校は、その名前の響きが示すように地元では有名な中高一貫のお嬢様学校である。

 私こと小鍛治健夜にとってここ阿知賀女子学院は個人的に特別な関わりのある学校であり、その名はこの十年間記憶から消えたことは一度も無い。

 十年前、私が土浦女子の団体戦メンバーとして全国大会に出場した際、準決勝で卓を囲んだ相手。

 島根県代表、現在は牌のおねえさんとしてお馴染みのアイドル雀士、瑞原はやり。

 北九州の強豪新道寺女子のエース、現在はちょっと口下手だけど愛されキャラのプロ雀士、野依理沙。

 そして最後の一人こそが、当時絶対的な強豪校だった晩成高校を打ち破り全国大会へと駒を進めた阿知賀における絶対的な一年生エースにして、現麻雀部の顧問、赤土晴絵。

 この十年間で麻雀界に名の知れ渡った錚々たるメンバーの中で、唯一、私にハネ満を直撃させたことのある相手である。

 もっとも――その後に私が仕出かしてしまったことのせいで、彼女は精神に深い外傷を負い、しばらくの間麻雀から遠ざかっていたと風の噂に聞いた。

 きっとそれからも紆余曲折あったのだろう。

 しかし、その彼女が今年、教え子である後輩たちを率いて当時自分の成し得なかった全国大会優勝という栄光を見事勝ち取ってみせた。

 当然地元では大フィーバー、やっぱりハルちゃんは阿知賀のレジェンド!ってな感じで、あちこちで大盛り上がりだったそうだ。

 無論、だからといってわだかまりが完全に解けたということはないはず。

 それでも、彼女の教え子が赤土さんの抱えていた傷を癒してくれて、もうすぐ同じ舞台で戦うことが出来るようになると思えば。

 期待するなと言うほうが、無理――だよね?

 

 

 阿知賀女子学院にお邪魔する前日に奈良県吉野入りをした私たち。

 吉野といえば――で思いつくのが、歴史的にも有名すぎる吉野桜だろうか。

 その謂れは発祥が平安時代かららしく、地元に祭られている蔵王権現の神木として桜を崇め奉る風習がその頃に根付いたものとされている。

 かの太閤豊臣秀吉をも魅了したと語り継がれる桜の名所吉野山は、古くは平安よりも前から歴史の中に登場していて、ある時は天皇家所縁の場所としてその後もたびたび名を刻み。幾歳月を重ねた今でさえ、悠然とこの場に佇み吉野の全土を見下ろしているのだ。

 ……ってさっき駅の観光案内所で貰ったパンフレットには書かれていたりするのだが。

 今は初秋から仲秋への変わり目。当然ながら桜の花が咲いているわけもなく、さりとて紅葉が見頃になるには些か早い、そんな中途半端な時期であった。

 どうせ来るなら見頃を迎えるだろう春の頃が良かったな、という感想を抱きつつ。本日宿泊することになる宿の前までやってきたところで恒例となったアレが始まる。

 

「すこやかふくよかインハイTV第二弾、阿知賀女子学院編! はっじまっるよ~っ!」

「あいかわらず無駄にテンション高いね、こーこちゃんは」

「まぁね~。前日入りで観光名所もばっちし回ったことだし、心身ともにコンディションも完璧だぜ!」

「分かった。分かったからもうちょっとテンション抑えようか。他にも観光客の人いるんだし、旅館に迷惑かけちゃうから」

「そんなもん一緒に映ってもらえばいいだけの話さっ! ウェルカムトゥトラベラーたちよ!」

「無駄に戒能プロっぽい喋り方する必要ってあったの、今?」

「おおっとこれは失敬。では気を取り直して、と。

 ――今回の宿はなんとこちらっ! インターハイの影響で半年後まで予約が殺到、今となっては超人気老舗旅館――松実館です!」

 

 背後に擬音でどーん!と書かれていそうなほど威勢良く、こーこちゃんが言った。

 半年後まで予約が取れないくせに、突発企画的な今回の取材でどうやって部屋を押さえたんだろうという疑問が残るわけだけど。

 そのことをカメラの廻っていないところで聞いてみたら、ディレクターさんの額に大量の脂汗が噴出してきたのであえて触れないことにする。

 藪から蛇が何匹飛び出してくるか分かったものではない。

 まぁどちらにしろ、阿知賀の麻雀部を特集する上でこの旅館は絶対に外す事の出来ないポイントの一つではあるだろうから、経過は問わない方向でいても問題はないだろう。

 というのももちろん、その理由は――。

 

「遠路はるばる遠いところからようこそ松実館へ!」

「お、お待ちしておりました……」ブルブル

 

 この二人がこの旅館と深く関係のある人物だからである。

 阿知賀女子先鋒、阿知賀のドラゴンロードこと松実玄(妹)。そして次鋒、極度の寒がり松実宥(姉)。艶やかな着物姿の美人姉妹が私たちを迎えてくれた。

 ……片方は十二単に見えるけど、そんなわけはない。きっと気のせいだろう、うん。

 

「いやー、今回の旅行は贅沢だねー。美人姉妹と過ごす二泊三日の旅!」

「取材のための旅行だからね。そこ忘れたらダメだよ? あと松実さんたちとは一緒には過ごさないから」

「もー、すこやんはいっつもそんなお母さんみたいなことを言う」

「こーこちゃんみたいな手のかかる娘がいたらお母さんになるのも大変だろうね」

「……その科白、そっくりそのまますこやんに返してあげようか?」

「……うん、なんか言ってる自分もだんだん居た堪れなくなってた。前言は撤回するよ」

 

 ごめんねお母さん。メロン切ってもらうような不出来な娘で。

 

「あ、あのー……そろそろいいですか?」

「あっごめん。それじゃ案内お願いしても良いかな?」

「はっ! お任せあれ!」ビシッ

 

 という元気な頼もしい掛け声と共に松実さん(妹)の案内で、外見のある意味とても味のある趣深い古めかしさともしばしのお別れ。

 旅館の内装に関しての感想は、とても丁寧な仕立てがされていて、なんだか妙に落ち着く雰囲気でほっこりするといった感じ。老舗というからにはけっこうな年代モノの建築物なんだろうと勝手に想像していた自分を殴りつけてやることも辞さない程度には、とても綺麗に整えられていた。

 

「内装とかけっこう新しめなんだね」

「はい。季節とか、時代とか、その時々でけっこうリニューアルしたりするんですよ。だいぶ古い建物ですから、せめてお客様の目に止まる場所には気を使わないといけなくて」

「古いって、どれくらい?」

「んー、歴史でいうと三百年にちょっと足りないくらいってお父さんから聞いてます」

「ほへぇ……思ってたより歴史がずっと深くてびっくりした」

「三百年弱ってことは……すこやん換算でだいたい約七人分か」

「十一人分だよ! ってか百歩譲ってもそこは約八人分にして欲しかったよ……」

「アラスリーハンドレッド」

「それもう略す意味なくない?」

「すこやんがアラスリーハンドレッドになる頃にはこの建物はいったいどうなっているのか――」

「そこまで生きられたら飼い猫だって猫又になってると思うよ」

 

 

 こんな調子でいつまでも続けていたら話が堂々巡りになりそうなので、意識を外へと向けることにして。

 それにしても歴史がある建物というのはどうしてこうも落ち着くのだろう。

 現代風の建築物が悪いと言っているわけではないんだけれど、どうしてもこう、日本人の血がこういった純和風テイストな趣を求めてしまう、というのか。

 遠征なんかで全国を回ることがあるけれど、その旅先なんかでホテルとかに泊まるのと旅館に泊まるのとでは、実際にやっぱり疲れの取れ方が違うんだよね。

 ゆったり寛げる空間というのは精神も癒してくれる貴重な存在なのだろう。日本に生まれてよかったと心から感じる瞬間である。

 

 予約が殺到と言うのも強ち間違いではないのかな、と思ってしまうくらい頻繁に仲居さんたちとすれ違う廊下を抜けて、宿泊部屋のある二階へと向かう。

 

「ねぇこーこちゃん、ちょっと思ったんだけど旅館の施設案内とかはいらないの?」

「え? だってそれやっちゃうともう完ペキいい旅夢気分状態になっちゃうじゃん。あれ、私的にはそっちのほうがいいのか?」

「……それ名前出していいの? 別局の番組名だけど……」

「今はもうタイトル変わってるからへーきへーき! すこやんは旧名しか知らないだろうけど、でも大丈夫だから心配しないで!」

「なんだろう、そこはかとなくバカにされてる気がする」

 

 茨城でだって東京在局の番組は普通に見られるんだからね。

 そんないつも通りといえばいつも通りの二人のやり取りをしていると、前を歩いていた松実さん(姉)がクスリと笑う。それがお客様に対して失礼な振る舞いに当たると思い至ったのか、彼女はすぐにこちらが逆に居た堪れなくなるくらい丁寧に深く頭を下げた。

 

「す、すみません……」ブルブル

「ううん、別にそんな畏まらなくていいんだよ。悪いのは全部こーこちゃんだし」

「なにさー。私だってやっとこういうオイシイ番組が廻ってきたから張り切ってるだけなのに」

「ああ、そういえば前に旅行番組をやる時が来るかもしれないからって色々やったね」

 

 残念ながらこれは麻雀関連のドキュメンタリーなんですがね。

 それにあの時のシミュレーションでは食べ物のレポートしかやってなかった気がしたけれど、それで旅番組のレポーターが勤まるのだろうか?

 少なくとも私が番組のプロデューサーなら別の人を起用するだろうね。

 なんだか余計なことを言いそうだし、危なっかしすぎて任せられないから。

 

「それより松実さん……あ、お姉さんのほうね。さっきから震えっぱなしだけど、平気?」

「は、はい。ごめんなさい、私すごく寒がりなので……」ブルブル

「話には聞いてたけど、ホント寒がりなんだぁ」

 

 冬とかどうやって生きていくんだろう……冬眠でもするのかな。

 余計なお世話だとは知りつつも、秋の気候の中でさえこんなだと、なんだかすごく心配になってしまう。

 そんなことを真面目に考えていた私とは裏腹に、こーこちゃんはというと。

 

「よーし、じゃあ気になるあの噂もついでに剥いて確かめてみようぜー!」

 

 わきわきと手のひらを動かすその仕草は、まんまセクハラ親父である。

 当然、それを向けられた松実さん(姉)は通常の三倍増しで小刻みに震えだした。

 

「ほれほれ、よいではないかよいではないかー」

「ひっ!?」ブルブル

「やめるのですこーこちゃん!」

「あっ、ちょ、それ私の――」

 

 もちろん知っていますとも。

 事前調査によって発覚している松実姉妹の心温まる美談を元にした、ちょっとしたお茶目心だもの。

 

 道中でそんな三文芝居を繰り広げつつ、ぞろぞろと一行は進む。

 今大会中、内容で最も強いインパクトを残したのは紛れもなく宮永さんだっただろうけれど。

 こと外見面で強烈なインパクトを残した人物を挙げるとしたら、宮守の姉帯さんとか、永水の副将大将真逆コンビとか、いくつかの個性的な面々に票が割れることは確実である。

 そのうちの一人であることに疑う余地がまるで無いお姉さんのほうの松実さんは、曰くとても寒がりらしい。

 昨今の、気温が真夏日を超えて熱中症患者が激増してしまうことすらそう珍しくもない夏場でさえ、その首にはマフラー常備。話題にならないはずが無かった。

 ちなみにこーこちゃんの言ったあの噂というのは、関係者の間で実しやかに囁かれる『松実宥デュラハン説』なるもののことである。あとは『実はマフラーが本体説』とか、『あべこべクリームが塗られている説』とか色々あったりしているようだ。

 個人的にはマフラー本体説が一番それっぽい。なんか無風状態のはずの部屋の中でバッサバサなってたし、意思を持っていたとしても不思議じゃないと思う。

 

「二人は仲が良いんだねー、まるで私とすこやんのように」

「それってあんまり褒め言葉になってないよね。でも二人は本当に仲がよさそうで、微笑ましいね」

「あはは、それは当然なのです! だっておねーちゃんは私にとって最強の(ものをお持ちの)おねーちゃんですから!」

「でも私は、おねーちゃんなのに玄ちゃんには迷惑をかけっぱなしで……お仕事もほとんどしないで炬燵に包まってばっかだし……」

「大丈夫。お仕事終わりにおねーちゃんが用意してくれたみかんを食べるの、心が安らぐ感じで私とっても好きだもん」

「そ、そうかな?」

「それにおねーちゃんはみかんを剥いてくれるときにちゃんと白いとこまで取ってくれるよね? その心遣いにありがとうなのです!」

「でもあれってその白い部分に栄養が詰まってるから取らないほうが実は身体に良いって、この前テレビでやってたような」

「」

「く、玄ちゃんごめんね……余計なことしてごめんね……」

「お、おねーちゃー!」

「すこやんェ……」

 

 空気読めよおい、というこーこちゃん含めた周囲のスタッフからのプレッシャーが酷い。滝のように流れてくる汗があったかくない。

 数秒後、素直にごめんなさいと頭を下げる私がいた。

 

 

 翌日のことである。

 朝っぱらから豪華な食事をいただいた私たちは、しばらく優雅な気分を満喫した後、仕事をするべく坂の上の阿知賀女子学院を目指した。

 正門の前で出迎えてくれたのは、見覚えのある特徴的な前髪のあの女性。

 

「ようこそ阿知賀へ。なんか変な気分だけど、歓迎しますよ」

「――赤土さん」

「福与アナも、ようこそ。さっそくだけど改めてのやりとりは部室に行ってからにしましょうか。じゃ、着いて来てください」

「う、うん」

 

 これがもし数奇な運命を経ての十年ぶりの邂逅というのであれば、テレビ的にもそれはもう大層絵になるシチュエーションだったに違いない。

 ただ私たちは既に全国大会の際東京で何度か顔を合わせており、お互いにしてみれば特に感慨の沸くような場面というわけでもなくて。

 因縁を持つものたちの対面という意味では、実にさらっと話は進んだ。

 但し、私の心の中はそうではない。

 敵地(アウェー)に乗り込む、というわけではないけれど。

 清澄高校に行った時とはまるで違う、奇妙な緊張感に苛まれながら彼女の後ろを歩く私がいた。

 

 

「というわけで、全員集合ーぅ」

 

 先導してくれていた赤土さんが、部室に入るなりそんな声を上げて。

 それに反応してがやがやと集まってくるのは、夏の大会で見事初優勝を果たした阿知賀女子学院麻雀部のメンバーである。

 まず最初に松実姉妹が。

 昨日は着物姿で若干の違和感があったけれど、今日は阿知賀の制服着用、大会中に何度も見かけたせいかとても馴染みのある格好だ。

 二人に関しては自己紹介は必要ないので、会釈だけして離れていった。

 次に近づいてきたのは、こけ――ではなくて、おかっぱの少女。資料によると赤土さんの後継者で、たしか名前は――。

 

「初めまして。阿知賀女子麻雀部の部長、鷺森灼です」

 

 差し出された手には、何故かボウリングの時に着用するグローブが。

 そういえば対局中にも着けてたな、と何も考えずに握手をする。その瞬間、ぐっと必要以上に力が込められたのは私の気のせいではなかったはずだ。

 こうしてこちらを見つめる瞳も、心なしか冷たいものがあるような……?

 ああ、と心当たりが視界に入ってきて納得する。

 阿知賀というか、赤土さん所縁の人間は彼女が麻雀から離れる要因となった小鍛治健夜に対して、そう良い印象を抱いてはないんだろうな、と。

 

「灼」

「なに、ハルちゃん」

「小鍛治プロは強いよ。あとで対局してもらったらどう?」

「……お願いしても?」

「うん、もちろん。それも込みで取材ってことになってるみたいだしね」

 

 その言葉に納得したのか、手を離して一歩下がる。

 その開いた空間に突撃してきたのは、ゆらゆらとポニーテールを揺らすジャージ姿の少女だった。

 

「私っ! 私も一緒に対局しても良いですか!?」

「う、うん。それはもちろんいいと思うよ?」

 

 勢いに押されて一歩後退。それでもぐいぐい来る彼女は、見間違えるわけが無いくらいには色々な意味で有名な子である。

 ――高鴨穏乃。団体戦で大将を勤め、数々の逆転劇を見事な技と精神で演じきった、今夏における主演女優、その一人だ。

 

「しず、ちょっと落ち着きなさい。

 すみません、小鍛治プロ。この子は高鴨穏乃、そして私は新子憧。二人とも一年生です」

 

 その彼女を押さえ込むようにして私との間に割って入った子が、中堅の新子憧ちゃん。今時の女の子らしくお洒落で可愛らしい子だ。

 距離感に遠慮がないところをみても、この二人も相当仲が良いんだろうけれども。

 片やジャージ常備、片やお洒落さん。どうしてこうなった?

 

「さて、とりあえず全員の自己紹介は終わったね。それでは小鍛治プロ、福与アナ、本日はよろしくお願いします」

『よろしくお願いしまーす』

 

 顧問の赤土さんが頭を下げるのと一拍遅れて、部員全員がハモりながら一礼してくれた。

 

 

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 麻雀界における阿知賀の歴史の始まりは、一人の少女がその門をくぐった時にまで遡る。

 赤土晴絵。それが、十年も途切れることなく続いた果てしない物語の始まりとなった者の名前であることは、ここ吉野に住む人間でなくとも知っておいて損はない。

 当時の奈良県の麻雀事情は、常勝晩成高校によって悉く掌握されていた。

 事実、晩成高校が団体戦・個人戦を含めてただの一人もインターハイへ送り込めなかった年は、ここ数十年を辿ってみても皆無なのである。

 言うまでもなくこれは驚異的な成績だ。

 そしてそれ故に、その強大すぎる鉄の壁を打ち破ってインターハイ出場を決めた当時の阿知賀女子の名声は、地元において留まるところを知らなかった。

 その当時の団体戦メンバーの中で最も名の知られている人物こそが、阿知賀のレジェンドこと赤土晴絵その人であった。

 小鍛治健夜、瑞原はやり、野依理沙といった現トッププロ勢を相手に決してひけをとらない闘牌を繰り広げたこの準決勝で。当時ほぼ振り込みをしなかった小鍛治健夜からハネ満の直撃を取るという快挙を成し遂げてみせたのもまた、赤土晴絵だった。

 今もってこの一撃は、小鍛治の高校生時の大会記録の中でも一際異彩を放つものとして語り草となる事があり、その後の不調で惜しくも敗れ去ってしまうが、この戦いは後に麻雀通たちの間で『事実上の決勝戦』とすら称されることもあったと言われている。

 

 小鍛治健夜は、こと麻雀という競技の中で捉えるならば正しく怪物である。

 彼女と対局をした人間が麻雀そのものに対する恐怖に支配され、牌を握れなくなるという事がこの頃には頻繁に起こっていたとされている。

 それだけ驚異的な、周囲の人間からするとズバ抜けた実力を持つ小鍛治であったが故に、同時に彼女のために麻雀を捨てざるを得なくなった人間が多数いることもまた、哀しいかな事実であった。

 当時の赤土晴絵もまた、同じような症状を受けていたと当時のチームメイトは証言する。

 事実、当時の対局ではハネ満を直撃させた後、赤土は小鍛治により執拗なまでの集中砲火を受け失点を積み重ねた。この際の大量失点が、阿知賀女子学院が準決勝で敗退する大きな要因となったことは誤魔化しようの無い現実として存在している。

 そんな彼女に追い討ちをかけた事態が、敗退して地元へと戻ってきた彼女らを出迎える人たちがほとんどいなかったという結末であった。

 凱旋というには微妙な成績での帰還であったため、本人たちにとっても下手に騒がれるよりは気が楽だったことも否定は出来ない部分だろう。それでも出発時の盛り上がり具合から考えれば、高校生という多感な年頃の少女たちが少なからずショックを受けるには十分すぎることであったろうとも思う。

 だが、そんな中でもただ一人――力を振り絞って戦い抜いた彼女を称える者がいた。

 それはとても幼い子供ただ一人でしかなかったが、その存在にどれだけ救われたか分からない、と赤土は当時を振り返って笑う。

 彼女は身に付けていた制服のネクタイをお礼にその少女へと渡し、こうして阿知賀女子初のインターハイは様々な苦い思い出と共に幕を閉じた。

 

 ――結果として、この時のネクタイを託された少女の存在こそが、物語を語る上で欠かせない要素の一つとして目覚めの時を待つことになる。

 

 

 これよりしばらくの間、阿知賀女子の名が広く知られるようになるような出来事は起こらない。

 前途有望だった一年生エースを失い、人が集まらず、麻雀部はやがて廃部。全国の舞台に挑んだのが一年だけという、あまりにも短い天下となった。

 レジェンドと呼ばれた少女はやがて高校を卒業。地元の大学へと進学し、伝説は表の舞台で姿を見せることもなく、次第に人々の記憶の中にのみ刻み込まれていくこととなる。

 大学に進んでも、高校時代に受けた心の傷は、赤土を麻雀から遠ざけていた。

 それから幾許かの時が過ぎ、人も流れ。

 それでも傷が癒えるための時間には十分ではなかったが、麻雀というものの魅力に一度取り憑かれてしまった彼女の心の中から完全に『それ』が取り除かれることはなく。

 残されていた一片の未練が、かつてのチームメイトの一押しによって形となって現れる。

 それが『阿知賀こども麻雀クラブ』と銘打たれた、母校の阿知賀女子学院の麻雀部部室を使って行われた小学生たちを相手にした麻雀教室であった。

 吉野の児童数は決して多いわけではなかったが、それには地元の女子児童たちが多く通っていたという。

 ――麻雀を楽しむ、ということ。

 子供たちはその教室の中で、半ば失いかけていたはずの赤土からそれを直接教わることになった。

 そして赤土もまた、子供たちの純粋な心に触れてかつて自分が持っていたその気持ちを取り戻すことになる。

 その時のメンバー数人が、現在の阿知賀女子学院麻雀部員の大半を占めていることこそが、顧問である赤土晴絵をこの物語の中心に据える最大の理由でもあるのだが。

 こうしてまた一つ、彼女の中のしこりが取り除かれていき――転機は、この時既に目前にその姿を現していた。

 

 

 余談だが、当時この麻雀教室を受講していたメンバーの名前を見て行くと、一覧の途中で意外な人物の名を見つけた。

 先日取材に訪れた、清澄高校麻雀部副将、原村和である。

 後にインターミドルを制覇することになる彼女もまた、赤土晴絵の開いたこの教室で同じ時を刻んだ子供たちの一人だったのだ。

 

 

 赤土晴絵が大学を卒業する頃には、既に過去の戦いで植えつけられた麻雀への忌避感からはだいぶ立ち直っていた。ように見えた。

 事実、これよりしばらくの後、赤土はとある高名な人物によるスカウトを受けて福岡の実業団に入社しており、選手としてリーグで活躍していたことが記録として残されている。

 もしこのまま実業団リーグで活躍を続けていれば、彼女の実力を持ってすればプロ入りは時間の問題だったのかもしれない。

 しかしそうなっていれば、彼女はそれなりに活躍し、それなりに勝てる、そんな中途半端なプロ雀士として一生を終えていたことだろう。

 取り除かれたと思われた古傷は深層心理の奥底で未だ蠢き、燻り続けていたのだから。

 小鍛治や三尋木といった本物と対峙するたびに疼く古傷。そんなものを抱えたままで勝てるほど、トッププロたちの棲む世界は甘くはない。

 しかし、赤土にとってなにより『幸運』だったのは、親会社の経営不振により程なくしてチームが解散してしまったことだったと、過程を知る今ならばはっきりと断言することが出来た。

 これによって赤土は、社会人として様々なことに対して選択を余儀なくされてしまう。

 あるいは普通に就職する道もあっただろう。またあるいは、プロチームからのスカウトを受け、プロに転向することもできただろう。

 ――ただ。

 目の前に存在する、かつての教え子たちの手によって用意されているもう一つの選択肢のことを――この時の彼女は、まだ知らない。

 

 

「ずっと一人ぼっちだったのは、ちょっと寂しかったけど……でもきっと、いつか皆が戻ってきて、また一緒に麻雀が出来るって信じてました」

 

 と言うのは、門下生の中で最年長、今大会の団体戦では先鋒を務めた阿知賀のドラゴンロードこと松実玄選手である。

 赤土が遠く福岡の実業団へ。

 それは即ち、彼女が開催していた麻雀教室が閉鎖されてしまうことと同義だった。

 これを機に、残された子供達はそれぞれに違う道を行くことになる。

 子供達の中で麻雀に対して一番熱心だった新子憧は、麻雀を続けるため地元の強豪である阿太峯中学へと進む。

 麻雀に対して一番強く興味を抱いていた原村和は、阿知賀の中等部に進学後、しばらく後に両親の都合で長野へ転校。

 そして、麻雀を一番楽しんでいた高鴨穏乃もまた中等部へと進学はしたものの、友人たちとの離別と共に麻雀からは離れていた。

 阿知賀女子学院麻雀部にとっては氷河期ともいえる、構成すべきすべての要素が最も遠ざかっていたのが、この頃である。

 それでも唯一人、松実玄は諦めてはいなかった。

 たった一人だけが残った、麻雀教室が行われていた麻雀部の旧部室の中で。

 彼女は懸命に待ち続けた。時には牌を磨き、また時には室内を掃除しながら。

 伏龍は未だ大空へと飛び立つ術を知らないまま、龍がその腹で磨き続ける道はまだ、その全貌を見せてはいない。

 その献身が報われることになるのは、もうしばらく先のことであった。

 

 

「まぁ、あたしはどこに行っても麻雀は続けるつもりだったから。でも、悔しいけどあの時点で県代表の座を勝ち取れるほどの実力はなかったと思う」

 

 中学三年次、新子憧にとって最後となるインターミドルへの挑戦は、県大会決勝リーグで敗退という結末を迎えた。結果的には大健闘といえるかもしれないが、新子にとってそれは自身の考える最高とは天と地ほどの差があった。

 おそらくこの時点では、門下生の子供たちの中で新子ほど麻雀に対して真剣に考えていたものはいなかっただろう。

 奈良県には、当然選択肢として浮かび上がってくる強豪校の晩成高校がある。

 彼女はのちに訪れるであろう高校選びと、その先に待つインターハイ出場を見据えた上で友人とは違う中学へと進学する道を選んだ。

 それを急ぎすぎているとは思わない。それほどまでにきちんと計画を立てて物事を進められるのは、強い意志を持つ証拠なのだから。

 三尋木プロをして「阿知賀の中では一番上手い」と称される打ち筋の大半は、この時期に培った経験の差、麻雀に対する真摯な姿勢が生み出したものであるといえるかもしれない。

 しかし、そんな彼女の強い決意をも揺るがすことになる切欠もまた、かつて自分もいたその場所が生み出した一人の少女の偉業であったというのだから、人生というのは分からないものである。

 

 

「テレビを見てたのも、和が出てるとか知らなくて。本当にたまたまだったんです。

 でもあれを見たとき、なんていうかこう――もう一度みんなと一緒に麻雀がしたい!って気持ちになって、居てもたっても居られなくて――」

 

 中学三年生の夏休みのとある一日。

 麻雀と言うのは基本、四人集まらなければ卓を囲めない。その機も、その友人も、どちらも遠く離れ離れになっていたこの頃の高鴨は、おそらく門下生の中で一番麻雀というものから遠い位置にいたに違いない。

 奇しくもそれは、かつて共に卓を囲んでいた友人の原村和がインターミドル個人戦覇者となった日。

 彼女はそれを、ディスプレイによって隔てられた向こう側の世界(かつてのともだち)によって思い知らされた。

 

 ――バタフライ効果、という言葉がある。

 誰が最初に提唱したのか。とある大陸で蝶が一羽はばたきをした結果、遠く離れていた場所で巨大な嵐が巻き起こったという、そんな有り得ないような例え話。

 インターミドル個人戦覇者。その輝かしい肩書きの横に『原村和』の名が刻まれたのは、比較的記憶に新しい出来事だ。

 既に連絡を取らなくなって久しかった子供の頃の友人、そんな一人の少女が全中王者となったことで。

 高鴨穏乃は、彼女との再戦を大舞台で実現するために動き出す。

 それはほとんど行き当たりばったりでしかない、本人にしても決して勝算があった上で取った行動というわけではなかった。

 しかし、事実上この時こそが、かつて伝説を築いた阿知賀女子学院麻雀部が、その担い手たちによって永い永い眠りから目覚め、復活の狼煙を上げた瞬間であった。

 

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 ちょっと一旦休憩しようということで、対局をすることになった。

 最初は高鴨さん、松実(妹)さん、鷺森さん。

 次に松実(姉)さん、新子さん、高鴨さん。

 さらに鷺森さん、松実姉妹。

 最後に高鴨さん、鷺森さん、新子さんという面子で、計四回の東風戦である。

 鷺森さんは表情がほとんど変わらないものの、私に対してボウリングの玉でも直撃させてやるかー的な強い敵意……もとい、やる気を感じさせる。

 高鴨さんはもう麻雀を打つのが楽しくて仕方が無いみたいだ。どんな相手とでも純粋に楽しめるっていうのは彼女の長所であり、素直に羨ましいと思う。

 で、新子さんはというと。

 

「……」

 

 何故か、じっと私のほうを見ていた。

 なんだろう。もしかして髪に芋けんぴでも付けて歩いていただろうか? そんなワケないか、そもそも食べてないし。

 

「どうかした?」

「あ、いえ。なんでもありません」

「――? そう?」

 

 それならばまぁ、いいんだけど。

 なにやら言いたそうに見えるのは気のせいとは思わないけれども。本人がいいというのであればそうなのだろうと納得する。

 最後に松実姉妹に関しては、保護欲すら抱かせるくらいに二人して震えていた。

 お姉さんのほうは寒いからだろうけど、妹さんのほうはあれ、完全にチャンピオンとの戦いのイメージが蘇ってきてるんじゃないかな。大丈夫だろうか?

 

 ――で、対局の中身はというと。

 最終戦を終えて卓上に転がる三対の屍と肩を抱きながら抱きしめあう姉妹の様子をみて、結果がどういった感じなのかは各々で判断していただきたい。

 ドラゴンロードのほうの松実さんはもう、お約束と言うべきか、打点は高いんだろうけど「和了れなければどうということはないだろうが!」状態である。

 お姉さんのほうの松実さんは、やっぱりバランスが良い。こちらの誘導に引っかかりもしなければ、自分の待ちを簡単に悟らせるような真似もしなかった。ただ、強引に和了へ向かえるような能力ではないので、最後は削られ負けしていたけれども。

 鳴きで速攻を仕掛けてくる新子さんは和了牌を握りつぶすことで対応。あそこまで牌と意図を晒してくれたら普通に分かるよなぁ、と思いつつ彼女の上家に座った第二戦に関しては完全に封殺してみせた。

 で、件のこけし少女。後継者と言われるだけあって、その打ち筋はこちらの意識の慮外の部分から針を突き刺すようにして攻めてくるものであり、本当にあの頃の赤土さんとそっくりだった。とはいえやっぱりセンスの部分が異なるのだろう、私に直撃を食らわせる程とはいかなかったようで、あえなく撃沈。

 高鴨さんはそもそもスロースタータータイプなので、東風戦だと実力があまり発揮されないようだった。大星さんの能力を抑えたあれ、やってみてもらいたかったんだけど、山の深い部分にまで到達する前に普通に和了してしまうから、意味はほとんどなかったっぽい。

 

 最後の対局は、高鴨さんによる親ッパネへの振り込みでトビ終了。

 虎視眈々と逆転の一撃を狙っていたはずの鷺森さんと私、双方によるロン宣言があったものの、ルールによって私のほうが和了として認められる形となった。

 

「この展開でさらに頭ハネとか、どうしろと……」

「ゴメンね、今のは狙いやすい待ちだったからつい」

 

 実際の大会なんかではそれを逆手に取った待ちでの和了をいくつか見せていたものの、今回に限っては通例となる筒子の多面張待ちだったことが彼女にとっては災いした形となった。

 そもそも筒子が集まりやすい能力を持つ子だということは分かっているし、更に高めの多面張となるのであれば当たる牌の憶測も容易に立つというもので。

 他家の捨て牌と理牌や視点移動による推測、自分の手に握られている筒子の種類と数から当たりをつけて、あとはそこを基点にして待つための要素が揃っていれば問題は無かった。

 

「相変わらず、やることがエグいね……」

「そ、そうかな? できるだけ弱点を教えてあげられるように抑えてはいたんだけど。んー、やっぱ慣れないことをするのは難しくて」

 

 ただ蹂躙……ではなく、本能の赴くままに牌をツモるだけならば簡単なのに、打ちながらいざ何かを教えようとすると途端に難しくなってしまう。

 これを続けて結果を出してみせた赤土さんはもちろんのこと、牌のおねえさんと呼ばれて久しい例の彼女の経歴にも素直に敬意を抱かざるを得ない。

 昔の私であれば出来る人間に任せよう、と割り切って考えられたんだろうけど、今の私には弟子がいる。彼のためにも適切な指導方法というのは持っていて損はないのだから、頑張って覚えなければ。

 

「――あ、ちょっとゴメン、電話だ」

 

 席を立ち、部屋から出る。

 その後ろで、「灼、大丈夫?」「大丈夫じゃな……」という師弟のやり取りが聞こえたような気がしたが、あえて気にしないことにした。

 

 京太郎君からの連絡を受け、いつものネット麻雀を使って指導をすることになった。

 今はあちらも部活動の真っ最中。

 今日は染谷さんが朝から家業のほうが忙しくて出てこられない状況のため、竹井さんが指導役を抜けて卓の面子に組み込まれてしまったらしい。それで、師匠たる私にお鉢が回ってきたのだった。

 もちろん収録中だということは彼も知らないし、本来であれば断るべきタイミングである。

 ただ……こっちはこっちで死屍累々。休憩中だし、あとで原村さんと話が出来れば別にいいよという軽い感じで、こーこちゃんや赤土さんたちが快く了承してくれたため、大手を振っていそいそと手荷物の中から指導用の道具一式を取り出して机の上にセッティングする。

 

 ――さて。さっき得た教訓をいきなり活かすチャンスがやってきたぞ。

 せめて、京太郎君が麻雀打つのを嫌いにならないで済む程度には上手く教えられるようになろう。

 そんな決意を込めつつ、私は持参していたノートパソコンの電源を入れた。

 




全編を通してアップすると倍くらいになってしまうため、一旦区切ります。
次回、『第08局:継承@誰がために鐘は鳴ったか』。ご期待くださいませ


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第08局:継承@誰がために鐘は鳴ったか

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 前回大会優勝校にして絶対的王者を擁する白糸台高校。

 毎年圧倒的な強さで都大会を勝ち抜いてくる臨海女子高校。

 初出場の清澄高校と共に、阿知賀女子学院の立ち位置はそれら強豪校に挑む、いわゆる挑戦者の側にあった。

 Aブロックでの一位通過という実績があったとはいえ、戦前の下馬評は決して高いとはいえない状況で臨んだ最後の一戦。

 宮永照と辻垣内智葉という、前回大会個人戦の一位と三位を迎えての先鋒戦は、決勝卓の先行きを占うための試金石であった。

 完全なる先行逃げ切り型の白糸台と、状況に応じて臨機応変に戦い方を変えてくる臨海女子。トリッキーな打ち回しで場をかき乱す清澄という荒れ模様の布陣の中で、やはり阿知賀は最初から劣勢を強いられる展開となる。

 

 そんな苦しい状況の中で、唯一阿知賀が他の高校に勝っていた部分。

 それはおそらく団体戦メンバーの全選手が共通して胸に抱いていた気持ち、チームとしての勝利を願う強い『結束』だった。

 

 他校にまったくそれがなかったとは言わない。しかし、誰もがどこかで『個人』を捨てることが出来なかったこともまた事実である。

 だが阿知賀は違った。チームそのものが一人の人間であると言わんばかりに、個々の成績やプライドには拘らず、失点があれば全員でそれをカバー。道中がいかに険しかろうとも、傷だらけになろうとも、それを越えた先に目指す頂が見えればいいと。

 それはあたかも、一匹の龍が天に昇る風の通り道であるかの如く連なり、局を重ねると共に強く大きく束ねられていった。

 

 赤土晴絵という少女が残した伝説。

 教え子であった原村和のインターミドル優勝。

 信じて待ち続けた伏龍の献身と、それを支えた暖かな温もり。

 夢の欠片を受け継いだ少女たちの決意。

 そして、想いを託された小さな伝説の後継者。

 もしもその中の一つでも欠けていたとするならば、阿知賀女子学院麻雀部がこの夏に巻き起こした旋風は、荒れ狂う暴風の前にあっさりと飲み込まれ、そよ風にも満たないもので消え失せてしまっていただろう。

 

 そうして作られた道を、高鴨穏乃は全速力で駆け抜けた。

 天頂へ向けて、ただひたすらまっすぐに。

 

 結果的にその阿知賀女子学院こそが栄冠を勝ち取ったという事実は、この戦いが正しく『団体戦』であったことの証左となろう。

 少数精鋭だからこその見事な団結力でもぎ取ったものは、過去に刻まれた伝説と比べても遜色のない――いや、遥かに価値の高い、新たな伝説となるにふさわしい結果であった。

 

 

 そんな中、全国優勝という新たな伝説を刻んだメンバーの一人。

 人生の設計プランを覆してまで友人の誘いに応じて阿知賀を選んだ新子憧が当時の心境を語った。

 

「あの時は、絶対晩成に勝つなんて無理だと思ってた。だって皆、私以外は麻雀からすごく遠ざかってたし、そうじゃない私も県大会では散々だったワケだし。

 だから正直すごく迷ったんだけど――どうせ全国を目指して頑張るのは何処にいても同じ。だったら私が居たいと思った場所で頑張ろうって、そう思った」

 

 阿知賀には麻雀部が存在しない。

 だからこそ新子は強豪の晩成高校を目指し、入学して麻雀を続けて行くためのプランを予め立ててから動いていた。

 高鴨からの誘い――どちらかといえば無鉄砲なワガママ――は、本来であればそんな彼女の心を動かせるほどの説得力を有していなかったはずである。

 

「もちろん不安が無かったって言ったらウソになっちゃう。

 でも――やっぱりさ、楽しかったんだと思うんだ。あの頃一緒に卓を囲んで、一緒になって遊んだあの時間が――私、たまらなく好きだったんだって、しずの電話で思い出しちゃった」

 

 だから、と。

 晩成高校への進学よりも、失われた時間を取り戻すことを選んだ。そう語る彼女の瞳からは、後悔の色は欠片も読み取れはしなかった。

 この時新子がもし当初の予定通りに晩成への進学を選択していたとするならば、県大会で阿知賀が晩成を破り勝ち抜けるなどという結果はおそらく生まれなかっただろう。

 しかしそれ以上に、彼女自身もまた、今のように全国で名の知られた雀士になるのはまだ何年も先のことだったのではないだろうか。

 高校入学以前の新子の実力を知る中学時代の同級生は、かつて自分と同レベルでしかなかった新子が県大会で見せた別次元の強さに驚き、愕然としたという。

 

「九州からハルエが戻ってきたのがやっぱ大きかったと思うよ。宥姉や灼さんが一緒に頑張ってくれたのもあったけど。ま、ハルエにはけっこう無茶苦茶なこともやらされたりしたけどね。おかげで全国に出ても恥ずかしくないくらいには強くなれたと思ってる。

 後悔なんて絶対してやらないって、阿知賀に入ったあの時思ったけど……うん。やっぱり私、間違わなかったんだって。今はほっとしてる、かな」

 

 

 阿知賀女子学院麻雀部――そこに最後に加わった一人の少女がいる。

 それが二年生にして部長を務める副将の鷺森灼。伝説の担い手たちとは一線を画す、伝説の後継者と呼ばれるべき存在である。

 団体戦レギュラーメンバーのほとんどが大学時代の赤土に教えを受けていたという中で、彼女は松実宥と共にこども麻雀クラブに通うことのなかった珍しい人物といえる。

 それなのに何故彼女が伝説を継ぐ存在なのか――?

 その答えは、彼女が首に巻くネクタイにあった。

 

 今現在の阿知賀女子学院は、ブレザーにリボン型のタイという、わりとオーソドックスなスタイルの制服を採用しているため、本来であれば通常タイプのネクタイを巻くことはない。

 では何故彼女一人だけが、モデルチェンジ前のものを首に巻いて試合に出ていたのか。

 ――そう。鷺森こそがかつて赤土の心を救った、ネクタイを託されたあの小さな少女だったのである。

 当時から今現在に至るまで、彼女の熱烈なファンである彼女こそが唯一その雄姿を強く脳裏に焼き付けており、故にそのスタイルをも継ぐことが可能な存在なのだ。

 元々鷺森自身は別の場所で幼い頃から麻雀を打っており、決して門下生たちに実力で見劣りするようなことは無い。

 むしろデータの扱いを得意とする堅固な打ち手が多く据えられている副将戦において、常にプラス収支で団体戦を切り抜けたその実力は高く評価すべき点だろう。

 しかし、憧れの人がそうであったように、幼い彼女もまた敗北を経て変わってしまった憧れの人から目を背けるように、麻雀に対する情熱を失ってしまっていた。

 そんな彼女の心を揺り動かしたもの。

 それこそが、かつて赤土がこの地に蒔いて育んできた者たちによって用意された――阿知賀のレジェンドが再び輝きを取り戻すために必要な舞台へと続く、唯一無二の道であった。

 

「最初は名前を貸すだけのつもりで……。でも、全国に出ること、それが昔に見たあの人を取り戻すことになるのなら――」

 

 かつて夢を託された眠り姫が目覚めの時を迎えたことで、色褪せていたはずの全ての欠片が再び集い、阿知賀女子学院麻雀部はあるべき姿を取り戻す。

 

 これは、十年もの歳月を経て一人の英雄が伝説の担い手たちの力を借りて失われていた輝きを取り戻すための英雄譚。

 そして――数々の困難を打ち破り、可憐な五人の少女たちが新たな伝説を打ち立てるまでの、二つで一つの物語である。

 

 

 ここで、永世七冠でありグランドマスターの異名を持つプロ雀士『小鍛治健夜』に話を聞いた。

 阿知賀の快進撃を支えた人物を一人ピックアップして解説してほしい、というお願いに対して、渋い表情でVTRを見つめながら彼女は言う。

 

「うーん、こういっちゃなんだけど、阿知賀の子の中で突出して『強い!』って言える子っていないんだよね」

 

 白糸台といえば宮永照。清澄といえば宮永咲。

 といったように、その学校の代名詞となりうる活躍をした選手というのは、阿知賀には見当たらないと。

 

「チーム力で勝ったっていうのがホントよく分かるよ。それぞれが特徴的で、上手いこと平均的なバランスが取れてるっていうか。例えば――」

 

 火力と派手さで語るならばと前置きをしてから、先鋒の松実玄の名を挙げる。

 龍王の二つ名に相応しく彼女には自然とドラが集まるため、和了時の打点は恐るべきものを秘めている。

 もっとも、代わりにドラを切ることが出来ないという制約を負っているせいか、手が窮屈になって狙い撃ちの的になりやすいという弱点も存在するようで。

 格下相手には圧倒的な麻雀を見せるだろうが、格上相手になると途端に滅多打ちに会うことも珍しくないというように、安定感という言葉には程遠い。

 

 その安定感を評価の重点に置けば、副将の鷺森灼に軍配が上がると小鍛治プロは言う。

 彼女にも筒子の牌が極端に集まり易いという傾向があるものの、松実玄のようなきつい縛りがないだけ手は多方面にも伸びやすく、対策を講じようとしてもなかなか捕らえられないという嫌らしさがあった。

 染め手に寄りやすいことで火力もまずまず、待ちを切り替える際の状況判断も悪くない。攻撃と防御のバランスが良いタイプではあるものの、打ち回しに若干派手さが足りないためインパクトの面で印象に残りづらい。外見は別として。

 

 意外性やドラマ性という点においては、大将の高鴨穏乃が抜きん出ている。

 彼女は他のメンバーに比べると基礎も弱く、打ち回しに関してはこれといって突出した特徴も見当たらない。普通に打っているぶんにおいては、おそらく彼女が一番弱い。

 それでいて、未知なる部分に補って余りあるほどの可能性を有していることは事実である。決勝戦における幻惑の魔手には売り出し中の同学年エースたちも悉く迷いの森へと誘われた程。

 メンタルの強さも申し分ないし、各校のエース級とぶつかってもなお前を向き続けられるその性質は好ましい。野生の直感に加えてもう少しでも地力が身に付けば、いずれはエースとしての風格も備わるかもしれない、といったところか。

 

 理論における試合巧者という意味でならば、中堅の新子憧が阿知賀の中では分がある。

 唯一オカルトではなくデジタル思考で勝負するタイプの打ち手であり、きちんとした基礎技術が下地にあるので単純な部分での打ち回しの巧みさは他メンバーと比べると目を瞠るものがあった。

 特に和了に向かうまでの聴牌速度は一年生にして各校準エースクラスと比べても引けを取らない。

 ただ、やはりデジタルにありがちな特定パターンに嵌まり易いという欠点もあり、もし発展力が伴ってくればあるいは一皮剥けるかも、といった評価に落ち着くためエースというには一歩足りないという印象。

 

「それでも総合力で一人を挙げるとするなら、やっぱり彼女だね」

 

 ――次鋒、松実宥。

 妹と同じく特定の牌を集め易い傾向があるものの、その変幻自在で掴み所のない打ち筋は、他家を圧倒する力強さも秘めていた。

 

「この局がいちばん分かりやすいかな?」

 

 映像で示されているのは、全国大会団体戦Aブロック準決勝次鋒戦、前半戦の南二局。

 親番であるこの局で、一向聴の状態からツモで6索を引いてきた松実宥は、⑥筒を河に切れば⑤⑦筒の両面待ち平和ドラ3で30符4飜の手を聴牌、となる状況にあった。

 しかし、対面に座る白糸台次鋒の弘世菫もまた、この時点でまさにその⑥筒を嵌張で待つダマ聴の真っ最中。

 彼女はシャープシューターというその二つ名の通り、自らの待ちを相手が捨てやすい牌に合わせる形で寄せていき、ピンポイントで狙った相手からの直撃を取ることを得意とする打ち手である。

 まさにこの時、松実宥をターゲットにして弓を構えている状態であったといえるだろう。

 だが、そんな弘世の意に反して松実宥が河に切った牌は――聴牌に取らず、雀頭を崩す形となる9索であった。

 

「うん、実況してたからよく覚えてる。この時、松実さんは自分が狙われている事を確実に察知してた節があるね。勘っていうのに頼るタイプの打ち手でもないし、彼女はたぶん弘世さんの癖かなにかを見破ってたんじゃないかな……それで、あえて回り道をしても先に進む事を選択した」

 

 単純に、相手の聴牌気配に対してオリにまわったというわけではない。

 親であり、圧倒的点差を誇る一位白糸台かつ二位攻防戦の相手となる千里山女子との点差を考えても、ここは攻めるべき場面であった。

 しかし、真っ直ぐに進むと撃ち落とされることが分かっているなら、道を変えて進むしかない。だからこそ『回り道』という表現になったのだろう。

 事実、相手の狙い撃ちを見事に回避した上で、松実宥はこの後、逆に弘世菫から親の満貫を直撃で奪うという離れ業をやってみせた。

 

「このあたりの柔軟性は流石だよね。副将の鷺森さんなんかもそうだけど、自分の持ってる特性へのメタっぽい対策に対してとっさに逆手に取る動きができる子は、やっぱり強くなれると思う」

 

 対応力、柔軟性、決断力、勝負勘。

 この時、松実宥はエースの称号を冠するに相応しい実力をまざまざと見せ付けた。

 県大会・全国大会を通じてすべての対局において、彼女が区間トップとなるプラスの収支で中堅へと襷を繋いでみせたことは、地味な部分でありながらも大きな結果となって現れている。

 故に、阿知賀の五人の中であえて殊勲賞の受賞者を一人挙げるとするならば、それは松実宥であると。

 小鍛治プロは結論を出し、今回の総括を締めくくった。

 

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「ところでさ、しずもん的には実際どれくらい勝算があったの? 部員とか規定数に達してもいなかったんでしょ?」

 

 あ、なんかまた知らないところでこーこちゃんが高鴨さんと妙なくらいフレンドリーになってる。

 なんだしずもんって。はじめて聞いたわ。

 

「えーっと、実際はまったく。とりあえず突っ走っとこうかな、みたいな。えへへ」

「えへへ、じゃないわよ。私がこっち来たからよかったようなものの……あんたは普段からもちっと計画的に動きなさいよね」

「結果オーライだからいいんだって! ね、玄さん!」

「うん、そうだね。あと私は、おねーちゃんはきっと協力してくれるだろうって分かってました!」

 

 そう言って渾身のドヤ顔を披露してくれる妹のほうの松実さん。

 正直どっちもどっちだよって言ってあげたかったけど……まぁ、本人は嬉しそうだからいいか。

 

「宥姉と灼さんが来てくれなかったらどうなってたか……今だからこそ笑い話で済むけどさ」

「まぁ、協力するのは別に吝かでもな……」

「玄ちゃんがお掃除とか一人で頑張ってたのは知ってたから、私に出来ることがあるんだったら頑張ろうかなって……」ブルブル

「いやー、行き当たりばったりにも程があるのによくあんな成績残せたね! 偉いぞみんな、さすが私の教え子たち!」

「他人事みたいに言ってんじゃないわよハルエ!」

「あれ、それって行き当たりばったりなのも赤土先生譲りってことですよね?」

「」

 

 あ、高鴨さんが思っていても言ってはいけない一言をポロっと言ってしまったようだ。天然って怖いね。

 こーこちゃんが向こうで脇腹抑えて引き笑いしてるほうがビジュアル的にはよほど怖いけど。

 あの笑い方見てるとこっちも笑ってしまうから、出来るだけ見ないようにしないと。

 ……あと、私も不意の発言には気をつけておこう。心当たりが有りすぎて胃が痛くなってくるから。

 

「あー、おかしかった。さて、んじゃそろそろ恒例の今後の展望について小鍛治プロのありがたいお言葉をちょうだいするとしますかねー」

「恒例って、まだ二回目じゃ……てかあれまたやるの?」

「当然でしょ! あのコーナー何気に人気高いんだから! 出演者側から視聴者側、果てには製作者側まで満遍なくね!」

「ウソだよぉ、染谷さんなんて終始死んだ魚みたいな目だったじゃない。赤土さんもいるんだし、なにもわざわざ部外者が口出さなくたって……」

「まぁ、いいんじゃないですか? 外部から見たほうが問題点は洗い出しやすいでしょうし」

「う……でもね、私って結構辛らつだから――」

「あ、私もあれ見ましたっ! たしかにちょっと名指しで言われるのはキツいかもだけど、和もすごくためになったって言ってましたよ!」

「あー、そう……?」

 

 ウンウン、と同時に頷く阿知賀女子麻雀部御一行様。

 本当にもう、どうしてこうマゾっ気の強い人間ばかりなんだろうか。

 特に赤土さん。貴方メンタル弱いじゃない。本当に大丈夫?

 

「じゃあ、言うけど……あ、清澄と同じで来年以降の阿知賀がどんな感じになるのか予測と展望、ってことでいいのかな?」

「それでお願いします!」

「わかったよ。じゃあ、まずは――そうだね」

 

 

 阿知賀の抱える問題もまた、本質的には清澄となんら変わらない。

 刹那的な強さである阿知賀では、晩成の積み上げてきた実績と歴史に立ち向かうにはやはり役者不足に過ぎるのだ。

 もっともここでは三年生の松実姉が抜けてしまうわけだが、メンタルや戦力的な意味では確かに痛いものの、清澄の竹井ほどに致命的な損失であるとは言いきれない。

 実際に阿知賀には、まだこれより下のカテゴリー(中学や小学校)に赤土さんの指導を受けていた麻雀教室出身の子が何人もいる。

 年齢的にも実力的にも来年には間に合わず、即戦力とまではいえないだろうが、自分たちと同じ流れを汲む代役が補充できる下地があるという点でそれは阿知賀の強みといえるだろう。

 むしろその場合問題になるのは、現顧問である赤土晴絵のほうだろうか。

 自らの地力を底上げするという段階において『師の教えどおりに強くなる』ことと、それを『独学でやる』ということでは難易度が遥かに異なるものだ。

 残る阿知賀のメンバーの中で、赤土さんという師を持たず、ある意味独学に等しい環境で麻雀を覚えた経験のある人間というのは鷺森さんだけ。

 経験の無いことをすぐに理解して実行に移す、というのは思っている以上に難しいのだ。手探りで先に進もうとすればそれだけ余計な時間もかかる。

 

 今大会、純粋な戦力差という点では、同じ少数精鋭チームとして出場した阿知賀と清澄とを比べた場合、明らかに清澄のほうが一枚上手だったと思う。その差を独学で埋める事が果たしてできるのだろうか?という懸念が一つ。

 そして、そんな阿知賀が優勝できた要因、唯一清澄に勝っていた部分があるとするならば、まちがいなく環境を整える事のできる大人の存在だったといえるだろう。

 それは単純に力の底上げをする上での的確な指導であったり、練習試合を組んだりする外部との折衝という面でもそうだし、選手間のメンタル調整というのもそう。

 赤土さんの持つ『阿知賀のレジェンド』という、地元では水戸光圀でいうところの葵の御紋に匹敵するほどの肩書きは、周囲の理解、後援会のサポートなどにも大きく効果を上げていたに違いない。

 しかしそんな彼女は来期からプロへと転向予定であり、阿知賀を抜けてしまうことは確実。この点は致命的ともいえる程のマイナスポイントである。

 

 加えて。

 今大会、彼女らはノーマークだったのだ。大会開催中に即興で対策を講じられることはままあっただろうが、他の強豪校がそうされていたようにどの高校からも事前のしっかりした調査を受け、それによる徹底したマークを受けるということはなかった。

 これは阿知賀が自分達より著名な相手の中で戦わざるを得なかったこと、名が知れ渡った高校同士にお互いの注意力が向けられていたが故のある意味棚ぼたといっていいものだ。

 当たり前だが、前年度優勝校という肩書きを持つ来年は違う。

 まぐれで優勝したと穿った見方をしている人間も中にはいるかもしれないが、少なくとも赤土さんと同レベルかそれ以上の指導者がいる強豪校がそんな日和見で手を拱いているわけがない。

 より厳しくそれぞれの特性を封じ込めるような対策が取られることはほぼ確実であろう。

 そんな中、各々が持つ特徴に対して対策を講じられた状況下でどれだけ臨機応変に立ち回れるか――今大会の内容を見るに、それが自主的に行えそうなのは松実姉の抜けた後ではやはり部長の鷺森さんくらいのものである。

 この点も、来年に向けて一抹の不安が残る懸念材料といえた。

 

「そっか、赤土先生来年はいなくなっちゃうんだった……」

 

 ズーンと重たげな空気を背負って項垂れる高鴨さん。

 その向こうでは、松実姉妹が抱き合っている。

 意外にもけろりとしているのは赤土さんフリークのはずの鷺森さんと、こちらは意外でも何でもない新子さん。

 

「ま、それまでに教えられることは教えてあげるさ。来年もまたあんたたちが優勝カップを掲げてる姿を私も見たいからね」

「……ん、頑張ります!」

「ああ、それなんだけど――一つ、いいかな?」

「え?」

 

 良い話の流れに傾きつつあった会話を華麗にインターセプトする私。

 阿知賀にはもう一つ来年に向けての懸念材料があったりするわけだから、ついでに言っておいたほうがいいだろうと思うしね。

 

「来年全国を目指す上で、何か目標みたいなものってあるの?」

「え、目標……ですか?」

 

 今年度の最初、阿知賀の掲げていた目標は『全国の舞台でもう一度和と遊ぶ』というものだった。

 あるいは赤土さんの残してきたものをもう一度取りに行く、という鷺森さん個人の思いもあったのかもしれないが。

 これは高鴨穏乃の思い付きともいっていい、目標と呼ぶのも戸惑ってしまうほど行き当たりばったりなものである。そもそも原村さんが全国出場できなかったらどうする気だったんだ、と。

 信じていたといえば聞こえは良いが、事実は多分その辺りについては何も考えていなかったに違いない。

 結果、全国の舞台に立てた事は賞賛に値するとは思うものの、指針となる部分がやや曖昧にすぎるのではないかとも思う。

 

 今年はまぁ、それでよかった。結果も残せて目標も達成。それについて部外者がどうこう言うのはただただ無粋であるからして。

 では来年は? この子たちはいったい何を目標にして全国を目指すのだろうか?

 原村さんとの再会は成った。今後は連絡を欠かさず取っていれば、わざわざ織姫と彦星よろしく一年おきに再会を約束する必要など無い。

 赤土さんは見事に忘れ物を取り返し、念願だったプロの舞台へと返り咲く。誰かのためにと一丸となったあの時の輝きは既にない。

 今年の阿知賀の強さは、云うなれば、皆が共有している根幹部分に開いていた穴を埋めようとした結果、全てが上手く絡み合って強い絆が生まれたというもの。

 最後の戦いにおいては目標が『原村さんと全国で遊ぶ』の条件の中でさらに練り込まれ、これまで頑張ってきたモノの集大成として自分達が勝つ、というふうに転換されていた。

 その結果、今回優勝したことで目標として定めていた全てのものを達成し、今それはきちんと隙間なく埋められてしまった状態である。

 物語でいえば、エピローグ。ここで大団円となっても不思議ではない状況だ。

 

 さて、それならばこれからモチベーションをどうやって保つのか――というのが、現段階で彼女らに見受けられる一番の課題。

 あるいは連覇を目標にするという手もあるか。

 全国大会を望む全ての高校の中で唯一それを目標に出来るのだから、それを狙うのも決して間違いではない。間違いではないんだろうけど……。

 ――何故だろう? その目標ではこの阿知賀女子麻雀部の面々は本来の強さを発揮できなくなってしまいそうな気がするのは。

 絶対王者と目されていた白糸台でさえ、そこにある危うさにまんまと飲み込まれてしまったように。

 このまま何となくで来年度を迎えたら、あるいは来年の奈良県代表校に名を連ねるのは――もしかすると絶対的エースだった小走やえが抜け、リベンジを強く誓う晩成高校になるかもしれない、と。

 そんな気がしているのもまた事実であった。

 

 

「……そういえば、和の話なんですけど」

 

 主だった問題点をあらかた言い終えたところで、唐突に新子さんが一歩前に出て私の前に立った。

 先ほどの対局前にも見せていた、真っ直ぐに私を見つめるその眼差しに先刻までは無かった怒りの色が少しだけ顔を覗かせているせいか、つい怯んでしまう。

 

「団体戦清澄を倒して私たちが優勝したことで、和が転校して麻雀をやめることになるかもしれないって話。あれって本当のことなんですか?」

「えっ?」

 

 あ、あー……言われてみれば、そうだった。

 あの話は結局色々とあってお流れになりそうらしいんだけど、本人の了承も取っておらず、それを放送するわけにもいかないまま、世間的には宙に浮いた状態になっていたんだっけ。

 

「あれね。優勝できなかったら転校して麻雀を辞める、そういう約束がお父さんとの間で成立してたのは本当の話みたいだよ。でも、うーん……さっき原村さんと話してたときに経過を聞かなかったの?」

「……聞けるわけ無いじゃないですか」

 

 それもそうか。

 実際はまったくこの子たちには過失のない話ではあるのだが、その相手が友人である以上、気を使って聞けないというのは阿知賀側の人間からしてみればよく考えなくとも当然のことだった。

 ここですぐに本当のことを話してあげたら安心させてあげられるんだろうけど。

 そうは問屋が卸さない、という流れになってしまうところが私の面倒くさい部分の一つなんだろうなと自覚をしつつも止められない。でも悪癖なんてそんなものかな。

 

「そうだなぁ。その質問に答える前に、逆に二つくらい質問をしても良いかな?」

「……なんですか?」

「もし原村さんが結果的に転校しなくちゃいけなくなって、麻雀も辞めないといけなくなったとして。君は――ううん、君たちは。だね」

 

 ぐるりと、新子さんを基点に後ろに並ぶ阿知賀のメンバーに視線を送る。

 幼少期を共に阿知賀こども麻雀クラブで過ごした松実玄、新子憧、そして高鴨穏乃。その目を見れば、三人の思いはきっと同じものだろうと推測できる。

 だからこそ、私は眼前の新子さんに視線を向けて言葉を紡いだ。

 

「今回の大会の結果に、後悔したりするのかな?」

「するわけないでしょう!?」

「わ、即答?」

 

 まぁ、聞くまでもなくそう言うだろうとは思っていたけれどね。

 

「勝負は勝負。私たちが勝ったことは私たちの目標でもあったことだし、そのことを後悔なんてするはずが無い。けど……」

「友達のことだし、そう簡単に割り切れないってことかな。じゃあもう一つ、その約束が現実になったら君たちは原村さんに謝るの? 私たちのせいで麻雀止めることになってしまってごめんなさい、って?」

「……っ! それ、は……」

「松実さんはどう?」

「え……そ、それは、その」

「――高鴨さんは?」

「謝りません!」

「ちょ――しず、あんた!?」

「穏乃ちゃん!?」

 

 誰よりも強い言葉で否定をしたのは、高鴨穏乃ただ一人。

 じっとこちらを見つめる瞳の力強さは本物である。どうやら彼女だけはきちんと分かっているらしかった。

 

「そっか。やっぱり君は精神が強いね。それに優しい」

「どういうこと、ですか……?」

「しずっ、だって和はあんなに麻雀の事が……っ」

「憧、玄さん。私たちにだって譲れないものがあるよね? 和にだってそうなんだよ。私たちが今回のことで謝ったりなんかしたら、それはきっと和をもっと傷つけることになる」

「原村さんのことはあまり知らないけど、私もそう思……」

 

 コクコクと同意する鷺森さんと松実さん(姉)の二人。

 この二人に関しては原村さんとの幼少期の思い出がないぶんより冷静に、正しく客観的な立場で物事を判断できるのだろう。

 

「逆の立場で考えたらよく分かるんじゃないかな? 新子さんや松実さんがもし原村さんの立場に追いやられたとして、その原因を優勝校の人たちに背負わせるような真似をする?」

「そんなことしませんっ!」

「そ、そうですよ! それは、負けちゃった私たちが悪いだけで、相手の人たちはなにも悪く――悪く、なんて……」

「そういうことだね」

 

 何も悪くない相手を謝らせてしまった、そう感じた原村さんが自分を責めないとも限らない。

 あの子はそういう子だろうと数回しか会っていない私をして理解出来るほどなのだから、阿知賀の子達がそれに気づかないわけはない。

 だからこそ私はここで、彼女たちが無意識のうちに抱え込んでいる不必要な罪悪感は取り除いておきたかった。

 間接的にとはいえそれを抱くに至ったであろう原因がこちらにある以上、余計なお世話な上に荒療治だけど、今後に向けてやっぱり必要なことだろうと。

 

「そもそも原村さんは約束のことを一人で抱えたままで、チームメイトにも友達にも話さないつもりだったみたいだし。その理由だって今のあなたたちには分かるよね?」

「……私たちが、感じる必要のない余計な罪悪感を覚えなくてもいいように……?」

「きっとそうだよ。和は優しくて、ちょっと頑固だからね」

 

 高鴨さんの言葉に、彼女の共通の友人二人が頷く。ここでもやはりそういう認識なんだな、原村さんは。

 

「そう、だね。和ちゃんはたとえ自分が麻雀を捨てるようなことになったとしても、きっと全部の事情を飲み込んで、笑顔で優勝おめでとうって言ってくれる子だから……」

「私たちは今までどおり、和と接すれば良いだけ! そういうことよね、しず?」

「うん。それが一番だと思うんだ」

 

 涙を浮かべて笑顔を見せる松実(妹)さん。このままで終われば、あるいは「良い話だったね」で終わっても許されたんじゃないかと思うのに。

 

「あ、ついでに言っておくとあの約束は白紙に戻ったみたいだよ。よかったね、三人とも」

『っはぁぁぁぁぁぁぁ~っ!?』

 

 ぽそりと何気なく付け加えた赤土さんのそんな科白に、今後こそ全員一致で声を上げる阿知賀女子学院麻雀部の面々であった。

 

 

 

「本日はどうもありがとうございました」

 

 代表で頭を下げるのは、部長の鷺森さん。

 初対面時のあの凍てつくような鋭い眼光からはとても考えられないほど柔らかい、それでいて真剣な表情で私を見つめてくる。

 

「こちらこそ、色々とご迷惑をおかけして……主にこーこちゃんが」

「おっとすこやん、そこで他人に責任を擦り付けるのはいい大人のすることじゃないぞっ☆」

「いつもの収録の二倍疲れたのは絶対こーこちゃんのあの企画のせいだから」

 

 あとなんで最近そんなにはやりちゃん推しなんだろう?

 似てないけど、あれと同い年だというのを思い出すたびに地味に精神にクるから止めて欲しい。

 

「おーい、車の用意が出来たからこっちおいでー」

 

 と、ついでだから旅館まで乗せて行ってあげるよと申し出てくれた赤土さんが正門のところまで車を回してくれたらしい。

 呼びかけの声に、私は小さく右手を挙げて応えて見せた。

 

「それじゃ鷺森さん。これから色々と大変だろうけど、頑張ってね」

「はい。そちらこそ、一部リーグの試合でハルちゃんに負けて泣かないよう頑張ってください」

 

 

 

「へぇ、じゃあ小鍛治さんたちは松実館の例の部屋で宿泊してるんだ」

「そう。あの部屋ってすごいよね。露天風呂が個別で付いてるのもそうだし、お部屋の広さとかも案内された瞬間に一瞬唖然としちゃったよ」

 

 宿泊地として松実館の中でも最高級グレードの部屋を用意されていたという事実には、流石に私も唖然とした。普通の部屋の予約が取れないからってずいぶんと無茶をしたものだ。

 ちなみにスタッフ陣は別の安宿で宿泊しているため、撮影のない今日に関しては同行しない。

 なので、今こうして車に乗っているのは運転手の赤土さん、助手席の私、そして乗り込むやいなや後部座席でお昼寝をはじめた福与恒子嬢だけである。

 

「しかしまぁ、番組スタッフもずいぶんと太っ腹なことで。普通じゃ泊まれないよ、あの部屋」

「たしかに、そのあたり私もよく分からないんだ。上との折衝とかは全部こーこちゃん辺りに任せちゃってて」

「それってヤバくない? 大丈夫なの?」

「う、うん。そこはほら、信頼?してるから」

「……心からの信頼は向けていないってのはよく分かった」

「まぁ、こーこちゃんだから、そこはね」

 

 とはいえ、もし自腹でお願いしますと言われたとしても普通に払える程度の貯えはある。むしろ増え続けているくらいだから、その心配は要らない。

 逆にお金を払ってでも泊まりたいとすら思わせてくれる宿というのは、ある意味貴重だと思うし。

 仲居さんたちのおもてなしもそうだけど、料理もそう、部屋の雰囲気もそう。

 日本全国津々浦々、果ては異国の大都市まで。色々なところを仕事で回っているけど、これほどまでに心安らぐ宿というのはなかなかお目にかかった事がない。

 その点でも松実館は評価をするに値する宿であるといえる。上から目線で申し訳ないけども。

 

「そういえば、はやりちゃんから聞いた? あの話」

「うん? ああ、年末の例の集まりの話? でもいいのかな、私が行っても」

「いいんじゃないかな? 赤土さんも来年には同じ舞台に上がってくるんだし……上がってくる、よね?」

「同じ舞台――ね」

 

 ふいに、遠くを見つめる赤土さん。その眼差しが捉えているのは、一体――。

 ――いや運転中なんだからちゃんと前見てよ。事故でお亡くなりになるのは嫌過ぎるから。

 

「十年、か。小鍛治さんにあんな風にこてんぱんにされて……私さ、牌握れなくなっちゃったんだよね」

「――……」

「ああ、心配しなくて良いよ。そのことで小鍛治さんにどうこう言ったりするつもりはないんだ。そんな資格も私にはないしね」

 

 資格、というのは……なんのことだろう?

 

「今回の大会を見て、自分のメンタルがいかに豆腐並に柔らかかったのかを思い知らされたよ。たかだか一度、そりゃ酷い負け方だったかもしれないけど……それでも、一度だ」

 

 確かに、彼女の教え子たる今大会の阿知賀勢は劣勢を強いられる展開がとても多かった。

 特に妹のほうの松実さんは、先鋒という位置に座るエースとしては当然避けがたい強敵との対局が連続していたこともあり、特に辛い目にあった子だろうと思う。

 二回戦は千里山のエース園城寺怜による集中砲火を浴びせられ、準決勝・決勝とあの大魔王とすら云われた宮永照と二度も同卓しなければならなかったり。

 大会の収支ランキングで松実さんの収支がマイナス方面に突き抜けていたのも、その七割ほどが旧チャンプの手によるものである。

 それでも決勝卓での彼女は決して勝つことそのものを諦めなかった。結果こそオーラスで宮永照から直撃を取るに至ったものの、途中で縮こまりがちだった準決勝の時とは明らかに違う、最初から最後まで途切れることなく戦う決意に満ち溢れていたように思う。

 そしてなにより、チームとしての戦いにおいて、阿知賀は全国における闘いのそのほぼ全てで逆転勝利を収めている点。

 これは先鋒だった松実玄の失点数の多さによるものが大きいとはいえ、逆転勝利と言われるためには大将は常に下位からスタートするということでもある。

 その逆境を跳ね除けて、勝ち進んでみせる力強さ。それは確かに、当時の赤土さんにはなかったもの――精神的な強さ、といえるかもしれない。

 

「しずも玄も、あれだけの相手と戦って退く事もせずにやり遂げた。それなのに、私だけが十年前のあの時のまま歩き出せないっていうのは、さ――。

 ――なんていうか、情けなさ過ぎるじゃない。あいつらが憧れてくれた阿知賀のレジェンドとして、いつまでもそんな姿ばかり見せているわけにはいかない。だから」

 

 信号待ちで車が止まり。そして、彼女の顔がこちらを向いて視線が交わる。

 私も目を逸らさない。ここは、真っ向から受けて立つべき場面なのだから。

 

「――だからこそ、私は必ずプロになるよ。プロになって、今度こそあんたをぶっ倒してみせる」

「私はあの時からずっと、国内で一度たりとも負けてないんだ。その私に小さな傷をつけてくれた貴方には――期待してるよ」

 




ここまで一応火曜日定期更新を心がけてきたのですが、次話はちょっと間に合うか微妙なところ。
次回『第09局:遊戯@あまり意味のない勝利と敗北』。ご期待くださいませ


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第09局:遊戯@あまり意味のない勝利と敗北

 午後六時前後に松実館へと戻ってきて、それからすぐに少し早めの夕飯をご馳走になって一服した頃。

 

「さて。それじゃ行くとしますかねー」

 

 浴衣に着替えて寛いでいたはずのこーこちゃんが、突然そんな事を言いながら立ち上がった。

 いつの間にかご丁寧に外出着になっているところから考えても、どこかに出かけるつもりなのは明白ではあるのだが。

 はて。今夜は別に仕事でもプライベートでもどこかに行く予定は入れて無かったように思ったけど……。

 何処に行くつもりなんだろうと疑問を浮かべつつ、首を傾げる私。

 

「なんだか当たり前みたいに言ってるけど。行くって、どこに?」

「決まってるじゃん。敵地に殴り込みだぜ!」

「……えっ? て、敵地?」

「おうともさ。さぁすこやん、さっさと特典仕様の例のアレに着替えていざ行かん、決戦の地へ!」

「ちょ、色々と突っ込みどころが満載だけど、例のアレってまさか――」

 

 用意されていた紙袋は、何故だかとても切なくなる情景を思い起こさせるものだった。

 

 

 時計の短針が七の部分を指す時刻、薄暗い道を歩く集団の先頭を行くのは、我らが福与恒子嬢。殴り込みをかけると息巻いていた姿そのままに、軽い足取りで一人意気軒昂のまま前を向いて歩いている。

 その様を見るに、バックグラウンドではきっと音楽が流れているに違いない。

 歩こう、歩こう、私は元気、とかなんとか。

 あんまり詳しく綴ってしまうと恐ろしい組織の一員に命を狙われる――もとい、お金を要求されてしまいかねないので割愛するけれども。

 その少し後ろを少し離れて三つの影が追いかけていて、私はその中の一つにひっそりと混じっている状況である。

 ただ、その他の二人から送られてくる視線が妙に痛いのは気のせいだろうか?

 ――否。気のせいなわけがない。

 突然借り出される格好となってしまった困惑気味の二人、つまりは松実姉妹を連れて、一行は目的地も知らされぬまま街灯の明かりを頼りに暗がりをずんずんと進んでいるのだから。

 

「小鍛治プロ、あのー……」

「うん、言いたいことはなんとなく分かるけど。でもゴメンね、私だと上手く説明出来そうになくて……でもああなったこーこちゃんは、もはや私には止められないんだ……」

 

 むしろ私が説明してもらいたい側の筆頭なんだよね、とは大人の事情で言わないでおくけども。

 非常に不本意ではあるが、こういった感じの流れに巻き込まれることに慣れ気味な私とは違って、松実姉妹はこれが初めての体験となる。訝しむのも当然だと思うし、説明くらいあって然るべきと思う気持ちは痛いほどよく分かる。

 私も過去幾度となく通った道だ、分からいでか。

 それでもこの子に関わっていると、こういうことが往々にして起こってしまうものなのだ。

 悟りと共に諦めるか、流れに身を委ねるか、力の限り抵抗するか。どれを選択するのかは本人たちの自由だけど、二人とも大人しく後ろにくっついて来てくれているところをみるに、とても素直ないい子たちなんだろうと思わず目頭が熱くなってしまう今日この頃であった。

 

 ちなみに、妹さんのほうは(事前にお父様から許可は頂いているけど)多忙を極めている仕事の途中で連れ出されたようなものだし、お姉さんのほうは炬燵で丸くなっていたところを襲撃され、あれよあれよという間に拉致同然に連行されて今に至る。

 見ていて気の毒になるくらいぶるぶると震えていたりするのは、寒さと恐怖、きっと両方のせいだろう。

 余談だけど、残暑の名残が気温を上昇させている九月の中旬にあって、彼女の部屋の中央に鎮座ましますは明らかに一年中配置されていたと思わしき炬燵一式。

 妹さんに案内されて部屋に入った瞬間、夏でも炬燵常備!?と思わず突っ込みを入れたくなってしまった私はきっと悪くはないはずだった。

 

「そういうわけだから、申し訳ないんだけど付き合ってあげて」

「えと、それもそうなんですけど、さっきから気になっていたのですがその猫耳メイド服姿はいったいなんなのでしょうか……?」

「……気にしないで」

「えっ? で、でも、気にするなというほうが無理な気が……」

「気にしてはいけない。いいね?」

「は、はいっ。ごめんなさいっ」

 

 そんな現実はあえてスルーして別方向から流れを作るよう誘導していたというのに、まったくこの子は。

 何故実家の私の部屋、しかもクローゼットの奥の奥に仕舞われていたはずのメイド服と、長野の染谷さんのお店にしれっと置いて来たはずの黒猫耳仕様のカチューシャが揃ってここにあるのかは知らない。そっちの詳しい事情こそあまり知りたくはない。

 ただ一つ言えるのは。

 これから起こる騒動が、ひと悶着程度で終わることはまずあり得ないだろうという絶対的な確信がある、ということだけである。

 徒歩時の震動でぴこぴこと揺れる猫耳と、私だけがその事実を知っている。

 

 

 寂れた風景にそぐわない一際煌びやかなネオンサインが、その建物を輝かせていた。

 道中で何処に向かっているのか気づいていた松実姉妹に聞いていた通り、そこにはきっちり『Sagimori Lanes』と書かれている。

 鷺森レーン。つまり、敵地というのは鷺森さんのお婆様が経営されているというこのボウリング場のことだったのだろう。

 この時点で既に厄介事の匂いしかしないのは気のせいだろうか? 気のせいであってほしいなぁ……。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、こーこちゃんを先頭にしてノリノリ(主に妹さん)の松実姉妹も一緒に店内へと入っていく。

 

「たのもう!」

「たのもー!」

「た、たのもー……?」

 

 どこのお武家様方だろうかといわんばかりの登場の仕方である。

 幸い……と言っていいかは微妙なラインだけど、他にお客さんがいるようには見えないものの騒がしすぎるとお店の迷惑になりかねないのだから、できれば自重して欲しい。

 実際に、カウンターに座っている座敷童子……おっと、鷺森さんも驚いたような表情でこちらを見て――こちらを……。

 ……表情変わらないなぁ、この子。

 

「いらっしゃいませ」

「そこはノってくれないかなぁ、あらたそ。お姉さんは悲しいぞ」

「わずらわし……」

 

 心底面倒そうな返答だった。

 さすがのこーこちゃんも、ここまでズバりと斬り捨てられてはぐうの音も出ないのだろう。

 媚を売ろうとしないその姿勢には好感が持てるものの、それで客商売は大丈夫のなのかなと思わなくもないけれど。

 そもそもが、「頼もう」っていう科白には「どうれ」と返すのが正式な返答方法だなんて、今どきの高校生くらいの子には分からないと思う。それこそ時代劇とかを含めた日本史が好きで、専用チャンネルを契約しているような子でもなければ知らないんじゃないだろうか。

 最近ではあまり時代劇のドラマを放送することはなくなってしまったし……。

 

「ところで玄、これはいったい何ごと……?」

「あ、うん。あのね――あっ、おねーちゃんちょっとこっち持ってて」

「う、うん」

 

 丸められた布きれのようなものの端っこを姉に託し、本人は二メートルほど離れた場所へと移動する。

 するすると解かれて広がったそこには……。

 

「すこやかふくよかインハイTV特別企画、阿知賀女子学院ペア対抗ボウリング大会~!」

「おー、くろちゃータイトルコールなかなか上手いね。よっ、さすが松実館の名物若女将!」

 

 ぱちぱちと手を叩くこーこちゃん。

 得意げにドヤ顔を披露する松実さんはともかくとして、私と鷺森さんはというと、ぽかんと口をあけてその光景を見つめるしかない。

 いつもの通り突っ込みどころは満載なのだが、なによりもまずこの時間からこのテンションでイベントを開催するなんて、本気なんだろうか?

 ……本気、なんだろうなぁ。

 

 松実姉妹もなんだかんだでこういうお祭り騒ぎが好きなのか断然乗り気っぽいし、何よりも一度やると決めたらやりきるのが福与恒子という女である。巻き込まれるこちら側からすれば厄介この上ない性質ではあるけれど、ある意味そこが長所でもあるから扱いが難しい。

 とはいえいきなり言われても店側の都合というのもあるし、アポなしというのはいただけない。現に店員の鷺森さんも突然の来訪に心底困り果てている様子で――。

 

「おばあちゃん? ごめん、店番代わってもらってもいい?」

 

 ――訂正、すごくやる気満々っぽい感じでお家の方に連絡を入れていた。

 この時点で否定派が一人もいないとか、どうなっているんだろうか。鷺森さんだけはこちら寄りのスタンスを取ってくれると信じていたのに……。

 

「ボウリングなんていつ以来かな……それに皆でするのは初めてだよね?」

「うん。春に麻雀部が復活してからずっと麻雀漬けだったし、たまにはこういうのもいいよね!」

「ボウリングでなら誰にも負けな……」

 

 鷺森さんがエプロンを脱いだこの時こそが、実質的に店舗側の許可が下りた瞬間だった。

 でもさすがに、唯一制止できる側の大人としては一言物申しておく必要があるだろう。

 

「ちょっと待った。そもそも、なんで今日なの? 三連休で明日もお休みなんだから、やるにしても明日やればいいのに……」

「朝っぱらからお邪魔するとお店に申し訳ないっしょ?」

「あ、そういうところは気を付けるつもりがあったんだね」

「まぁそりゃこれでも社会人だからねー。松実さんたちも朝の方が忙しいって聞いてたし、お昼はお昼でみんな部活あるんだってさ」

「うーん……」

「それに、罰ゲームは明日やることになるだろうからね! 前フリは今日のうちに終わらせておいた方がいいと思わない?」

 

 ……うん?

 今なんて言った? 罰ゲーム……?

 

「こーこちゃん? 罰ゲームって、なに……?」

「あ、やっぱそこ気になっちゃう?」

「気にならないわけがないと思うけど……」

「でも何度も同じこと説明するのも面倒だし、みんな揃ってから説明してあげよう」

 

 

 先ほどの松実さんの宣言からもお分かり頂けるように、阿知賀女子と銘打ってあるのだから全員参加(※強制)なのだろう。

 私たちが訪れてからしばらく経って、赤土さんによって連れて来られたと思わしき高鴨さんと新子さんの二人が加わった。これにより、一家団欒で夕飯を食べていてもなんら不思議ではないこの時間に、顧問を含めた部員全員がボウリング場に集合したことになる。

 ついでに奈良市中心部のほうの宿に戻っていたはずの撮影スタッフさんたちも当たり前のように借り出されていたりするんだけど……このこき使いっぷりはいつか造反を起こされかねないよね、これ。

 あとで差し入れの一つもして労っておいたほうがいいかな……。

 そんな私の切ない心内を知ってか知らずか、こーこちゃんは普通に番組の進行を始めている。

 松実さんによる例のタイトルコールを収録用に撮り直すらしく、再び例の丸められた布きれを取り出し、仲良くそれを掲げる二人。

 

「ではお集まりの諸君、この企画の趣旨を説明しよう! くろちゃーよろしく!」

「お任せあれ! 阿知賀女子学院編特別企画っ、牌がダメなら球で勝て! 阿知賀女子ペア対抗ボウリング大会でCM時間をゲットしようのコ~ナ~!」

 

 どんどんどんどんひゅーひゅーぱふぱふ。

 恒例といえばそれまでだけど、なんとも気の抜ける賑やかしである。

 それはともかく。なんだか今、さっきのタイトルコールにはなかった余計な部分がいくつも付け足されていなかっただろうか?

 

「なにそのCM時間がどうとかって」

「いやね? 阿知賀メンバーのプロフィール見てたら気がついたんだけどさ、メンバー全員実家が何かしらの商売とかやってるみたいなんだよね」

「ふぅん……って、もしかして!?」

「ふふん、すこやんにしては察しが良いね。そのとーり! この際だから番組内でその宣伝をしちゃおうぜ☆ってことだよ!」

「それって大丈夫なの? スポンサーとかCM打ってくれなくなるんじゃ……」

「特典の内容だしへーきでしょ? それにそのへん苦労するのは上の人だから」

「うわぁ……」

 

 爽やかな笑顔で言い切ったのはいいけれども、いい加減給料減らされても知らないよ?

 ただでさえ、見るからに予算をオーバーしてるっぽい豪華すぎる部屋に都合三泊も宿泊するというのに……。

 

「というわけで、今から麻雀部の皆さんには小鍛治プロとボウリングで対決をしてもらいます!」

「ねぇこーこちゃん、いま自分が喋ったその科白にまず違和感を覚えないの?」

「ん? どこが?」

「麻雀部なのにボウリング勝負っておかしくないかな……普通に鷺森さんが有利なだけだと思うんだけど」

「まぁ、それはどうしてもね。でもさ、逆に麻雀でってなったらすこやんこそ超有利じゃん。自分に有利な土俵でしか戦わないって、大人としてそれはどうよ」

「う……それはそうかもしれないけど、でもみんな麻雀部なんだし同じ土俵ってことになるんじゃないの?」

「分かった分かった、それじゃここは公平にみんなに聞いてみようか?

 えー諸君、小鍛治プロと必ずどっちかの競技で対決しなきゃいけないとしたら、ボウリングと麻雀どっちで対決したいですかー?」

「「「「「ぜひボウリングでお願いします!」」」」」

 

 考える暇もないほど満場一致に過ぎる返答の群れが飛んできた。

 そんなに? そんなにか?

 

「ま、麻雀でも手加減はちゃんとするよ……?」

「いやいや、休憩時間のあれを見せといてそれは信じてもらえないよ、さすがにさ」

「そ、そんなこと……ないよ、ね?」

 

 探りながらの問いかけにも、ふるふると勢いよく首を横に振る一同。真っ向からの完全否定である。

 

「これが現実だよ、すこやん」

「ぐぬぬ……」

「さてと、小鍛治プロにも快く納得してもらえたところでルールを説明しましょう!

 まず、阿知賀の皆さんにはペアを組んでもらうことになります。組み合わせはこちらで予め決めさせていただいておりますので、後ほど発表を行うことになりますが――」

「はーい、質問!」

「――と、何かね、しずもん?」

「メンバーの中に赤土先生も入ってるんですか? でもそうなると、小鍛治プロも入れて七人になっちゃうんじゃ?」

「うん、なかなかいいところに目をつけたね。そこらへんも後で説明するつもりだけど、鷺森さん、とりあえずちょっとこっちへ」

「……?」

 

「先ほど小鍛治プロからも指摘があったように、鷺森さんはいってみればこのボウリング場の主であって、他の人と比べると戦力差は明らかな上、ここで開催する時点で既にCM効果を得ているようなものだから普通にやってもメリットが少ない。

 なので鷺森さんには解説役を兼務+ハンデをつけた状態で参加してもらう上、更に特別な任務を与えます! 題して『あらたそチャレンジ!』」

「あらたそ……」

「……チャレンジ?」

 

 聞いたこともないような新しい言葉が出てきてしまった。

 なんとなく意味が分かるような、分からないような……。

 無論私だけではなく、他の子たちもエクスクラメーションマークが満載の表情をしている。

 

「ええと、その。あらたそチャレンジというのはつまりあれだ。各ペアに一回だけ与えられる代投の権利ってこと」

「それって、難しい位置のピンが残った時に代わりに投げてもらえるってことですか?」

「そそ、そういうこと。一番後ろの列の端っこが残ったりしたら使うといいよ」

「待って、スネークアイなんてプロでも取るのが難しいのにいくらなんでもそんな簡単に取れるわけが……」

「まぁまぁ灼。使いどころは各々の判断になるんだろうから、必ずしもそういう場面になるわけじゃないでしょ」

「む……」

 

 ああ、それは確かに。

 パッと思い浮かぶ使用例はこーこちゃんが言ったようにスペアが取り辛い形のスプリットが主になるけど、ストライクが欲しいところであえてカードを切るのだって戦略的にはありなんだよね。

 

「ちなみにあらたそチャレンジでスペアないしストライクを取った場合には、なんと一回につき鷺森レーンCM枠が30秒追加されちゃう予定なんだけど――」

「そういうことなら是非もな……」

 

 ぐいっとボウリング用のグローブを嵌めなおす鷺森さん。

 やる気満々になったところをみるに、意外と打算的なのか、それとも商魂たくましいというべきか。

 

「得点とCM時間の割り当てですが――まず最初は当然0ポイントからのスタート。

 で、一フレームごとに小鍛治プロが倒したピンの数を基準値として設定して、それを上回ったピン数によって一本毎に1ポイントプラス、下回った場合も同様に一本につき1ポイントのマイナス。なお、スペアだとさらにプラス1ポイント、ストライクだとプラス2ポイントがボーナスとして支給されます!」

「「「おー」」」

「最終的に獲得したポイント数かける10秒が、それぞれの実家のお店ないし推奨店のCM時間として採用されますので、できるだけポイントを多く稼ぐようにしましょう!」

 

 ……ちょっと待って欲しい。冷静に考えて、それってけっこうなボーナスステージなんじゃないの?

 ボウリングなんて久しくやってないから自分の平均スコアなんて覚えてもいないけど、少なくともスペアとかストライクが軽く取れるような腕前ではないことは確かだ。いいとこ80前後のアベレージが出せたら御の字、というレベルと考えて間違いない。

 つまり一フレームごとに倒せるピンの数が八本前後ということになるから……。

 

 私が平均八本倒すと仮定すれば、一フレームごとに稼げるポイントは多くて4ポイント。それが十フレーム分出たとして割かれる時間は約七分弱ということになる。

 熱湯コマーシャル的な尺の取り方で考えてもちょっと長すぎる気がしなくも無いけれど、マイナスになる可能性もあるんだしそう考えると、総スコアではなく一フレームごとで計算するというのは決して悪くはない条件なのかな。

 私次第ではあるものの、ポイントを稼ぐだけならスペアやストライクを必要としないわけだから。

 

「んじゃ注目のペアを発表しましょう! まず、第一組はおなじみ猫耳メイドプロ雀士、小鍛治健夜!」

「……ねぇ、この格好のことも色々と思うところが無いわけじゃないけど、まぁこの際もういいよ。でも清澄での料理対決の時もそうだったけど、なんで私はいつも一人なのかな?」

「だって私は実況しないといけないし、しょうがないじゃん? もしここに須賀くんがいたら彼にペア任せられるけどさ、いないんだから諦めてよ」

「むぅ……」

 

 やっぱり倫理観とかまるっと無視して強制的にでも連行してくるべきだったか。

 さすがにそんなことで師匠の強権を発動していたら、心底呆れられるかもしれないからできるだけそういうのはやりたくないけど……もし次があるようなら考えよう。

 

「第二組は、和菓子の老舗高鴨堂の高鴨穏乃&阿知賀のレジェンド赤土晴絵ペア!」

「おおっ、赤土先生と一緒かぁ! よし、全部ストライク取るつもりで頑張りましょう!」

「しずとならそこそこやれそうかな。うん、ボウリングではこてんぱんにされないように頑張らないとね」

「……」

 

 あっ、鷺森さんが地味に凹んでる。そんな打ちひしがれる程に赤土さんとペアを組みたかったんだろうか?

 でも残念、素直に希望通りのペアを組ませてくれないのがこーこちゃんなのだ。南無。

 

 第二組の組み合わせ的には、手強そうという印象かな。

 なんとなく高鴨さんも鷺森さん程ではないにしろアベレージが高そうなイメージがある。普通に120を超えてきそうな。

 赤土さんはどうなんだろうか。体型がスラっとしているせいか運動神経が悪いようには見えないし、やっぱりそこそこ上手いのかなぁ……。

 

「続いて第三組は、松実館の松実玄&新子神社の新子憧ペア!」

「憧ちゃんと?」

「こういう感じの企画の時に玄とペア組むってのは珍しいわね。ま、お互い頑張りましょ。ヨロシク」

「こちらこそ!」

 

 正直なところ松実さんたちは姉妹でペアを組むだろうと思っていたのに、こーこちゃんのことだからあえて奇を(てら)ったのかもしれない。

 しかし、あれだね。松実館の松実さんは着物姿が様になっていたからいいとして、新子さんは神社の娘さんということは、あれで巫女さんなんだろうか?

 巫女といってまず最初に思い浮かぶのは永水女子の面々だけど……彼女たちと何が違うというわけではないはずなのに、どうしてだろう。ちょっと意外な感じがしてしまうのは。

 巫女服姿を見慣れていないせいなのか、あるいは先行しているイメージの中の巫女さんというのが垢抜けていない純朴な少女というものだからなのか。

 いや別に新子さんが純朴じゃないと言っているわけじゃないよ?

 ただ、お洒落に人一倍気を使っているだろう彼女には巫女さんよりもコスメショップの店員さんとかのほうがよほど似合いそう、と思っているだけで。

 

「最後に第四組、同じく松実館の松実宥&鷺森レーンの鷺森灼ペア!」

「うう、ごめんね灼ちゃん……私、足を引っ張っちゃいそう……」

「大丈夫。任せて」

「ちなみに鷺森さんに付けるハンデとしては、獲得したポイントを半分にしてから計算することにします。あらたそチャレンジで獲得した時間は後からそこに加える感じで。

 あ、あと松実館に関しては、お姉さんと妹さん、二人が獲得したポイントの平均を取ることになりますので、こちらも予めご了承くださいねー」

「はいっ! おねーちゃん、お互いに頑張ろう!」

「う、うん。自信は無いけど、私もできるだけ貢献できるように頑張る。玄ちゃんも頑張ってね……」

 

 そんな微笑ましい姉妹のやり取りを傍で見ている時……ふと、思い出した。

 こーこちゃんはたしか、みんなが集まる前の似たよなうな状況の時に罰ゲームがどうとか洩らしていなかったっけ?

 確かにそれらしきことを言っていたはずだけど、ルール説明の折にそれに関して触れるようなことはしなかった。それが地味に気になってしまう。

 今のうちに確認しておくのもありといえばありだけど、単に忘れているだけという可能性もあるし、あえて藪に手を突っ込んで蛇をとっ捕まえてくる必要はどこにも無い。

 ……うん。このまましれっと開始を待って、あっちが忘れたままのようならこちらも忘れたフリをしつつ、いっそ罰ゲームの存在ごと忘却の彼方へ追いやってしまおう。

 

 一通りの説明と組み分けが恙無く終わり、各々準備に取り掛かることになった。

 まずはみんなと一緒にシューズのレンタルを済ませ、他にも色々とやるべきことはあるけれども、何はなくとも次はボール選びである。

 受付フロアとレーンとの間に設置されている仕切り沿いに、奥から入り口手前までずらりと並べられているボールには、三つの穴の上に数字が書かれていた。小さいもので6、大きいものは16と。

 

 とりあえずは目の前の棚に整然と置かれている12と書かれた赤色のボールを実際に持ち上げて感触を確かめてみることにした。

 ……はて。ボウリングのボールってこんなに重いものだったっけ?

 以前持ち上げたことのあるこーこちゃんと比べらた格段に軽いけど、基本片手でぶん回すことが前提のボールが相手だと、ずしんと響くこの重さはさすがにちょっと無理そうだ。

 いったんそれは元の位置に戻して、次に一番軽いっぽい6と書かれたピンク色のボールを持ってみた。

 うん、今度は逆に軽過ぎるけど、これくらいなら私の筋力でも問題なく投げられそう。

 重さはひとまずこれでいいとして、あとは穴の形ができるだけ指のサイズに適したボールを選ばないとダメだろうから――。

 

「――小鍛治プロ」

 

 片っ端からボールの穴に指を突っ込んで具合を確かめていると、マイボールらしきものを抱えた鷺森さんが声をかけてきた。

 

「ボールの正しい選び方、知ってますか」

 

 そう問いかけられるということは、私の選び方がどこか間違っているのだろうか?

 

「軽すぎるとピンは倒れにくくなって、重すぎると重心のバランスが取れなくてコントロールが悪くなる。きちんと選ばないとあとで困ることになります」

「え、そうなの? ごめん、よく分からないから教えてもらってもいいかな?」

 

 こくりと頷いて、自分のボールをレーンまで運んでから戻ってきてくれた。

 なかなかに面倒見のいい子だ。さすがは二年生にして部長を任されただけのことはあるということかな。

 

「ボールの選びかたのセオリーは自分の体重の十分の一相当の重さのものがいいとされてます。

 そこに書かれてる数字はボールの重さを表してて、単位はポンド。1ポンドが約450g相当なので、まずそれで計算してください」

「うーんと、体重の十分の一だよね……」

 

 わざわざ公表する必要も無いので、心の中で計算してみることにするけれど。

 私の体重は42kg。その1/10となると4.2kgだからつまり4200g、それを450で割った場合の数値は約9.3だから、選ぶなら9~10ポンドのボールということになるのかな。

 

「小鍛治プロ、普段なにか運動は?」

「……してない、かなぁ」

「なら、その数値の一つ下を選んだほうが楽になるかもしれません。一投ごとにけっこう握力を浪費するので、見た目以上に疲れますから」

「ふむふむ」

 

 てことは、8~9ポンドを中心に選ぶべきってことかな?

 アドヴァイスを貰った通りに、それらの重さの中から指の形がしっくり来るものを探し出す。

 ちょうどよさげなものが見つかったので実際に持ち上げてみると、やっぱりちょっと重いかなと思わなくは無いものの。彼女の言うように、運動エネルギーの発生状況的にはそれくらいがちょうどいいのだろうと一人納得することにした。

 

「ありがとう、助かったよ」

「いえ。ただ、あくまでそれは最初に選ぶ時の目安ですので。投げている途中で違和感が強いようなら重さを調整することも考えておいてください」

「わかった。ちゃんと心に留めておくね」

 

 敵に塩を送る、というわけでもないんだろうけど。

 鷺森さんは満足げに頷いてから自分のレーンへと戻っていった。

 ……麻雀と関わっている時よりもよほど口の動きが滑らかだったという事実は、私の気のせいだったということにしておこうと思う。

 

 

 ゲームを開始する前に、投球の順番とこーこちゃんが省いた詳しいルールについて補足をしておく必要があるだろう。

 まず順番に関してだけど、今回使用するのは場内の中央で隣り合う第11レーンと第12レーンの二本。隣同士で同時に投げるようなことが起こらないように代わりばんこで進んでいく形となる。

 どうやらそれが、ボウリングにおける最低限のマナーというものらしいので。

 

 流れでいえば、第11レーンで第一組の一投目、続いて第12レーンで第二組の一投目。次いで第一組の二投目、第二組の二投目と続く。

 それが終わってから第11レーンで第三組の一投目、第12レーンで第四組の一投目、第三組の二投目、第四組の二投目という感じで以下繰り返し。

 

 また、一人で投げ続けることになる私は別として、ペアの場合は一投ごとに投球者が入れ替る。

 たとえば第二組の場合でいうと、通常は赤土晴絵(第一フレーム一投目八本)→高鴨穏乃(第一フレーム二投目スペア)→赤土晴絵(第二フレーム一投目)という感じで進んでいく。

 しかし、第一フレームの一投目、赤土さんがストライクを取った場合には、次の第二フレームの一投目を投じるのは赤土さんではなく高鴨さんということになるわけだ。

 鷺森さんがいうにはスカッチダブルスとかいう方式らしいんだけど、正直なところボウリングに関しては詳しいことはよく分からない。要するに、なにがあろうと一投ごとに投球者が入れ替わる、とだけ覚えておけばいいということらしかった。

 

 そうなってくると、最初の順番と言うのはあまり意味を成さないのかな、と思わなくも無いけれど。

 自由に投げられる一投目とは異なり、二投目は残ったピンを確実に狙う必要があるためより高度な技術が必要とされるはず。つまりは必然的に、最初の段階で二投目に投げる予定となっている投球者のほうが、より上級者と見てまず間違いはない。

 いっそ鷺森さんに一投目を任せて全部ストライクを狙っていくという反則気味な手段もありといえばありだけど、あえてその作戦を取らなかった第四組は良心的といえるだろう。

 それだと松実(宥)さんは企画としてもゲームとしてもつまらないと思うしね。

 

「――っさあいよいよ始まります、CM枠をかけた女たちの壮絶なバトル! 実況はおなじみ福与恒子、解説は阿知賀女子学院麻雀部部長、鷺森灼さんでお送りしていきます!」

「どうも……」

「事前の申告だと小鍛治プロの平均アベレージは80前後ということらしいので、麻雀では滅多打ちにされてしまった阿知賀勢としてはぜひともここで一矢報いておきたいところですね!」

「江戸の敵を長崎で討つと」

「お、難しいことわざ知ってるね。でも実はあんま乗り気じゃない?」

「いえ。筋違いでも得意分野(ホーム)で負ける訳にはいかないので」

「確かに確かに。ま、すこやんって運動神経あんまよくないイメージだし、十年越しの恨み辛みもこの際だから全部まとめて遠慮なくばーん☆とやっちゃえばいいと思うよ!」

「実況、ちょっと黙ろうか」

 

 思わず遠めの位置からツッコミを入れてしまった。

 テンションを解説モードまで爆上げしてしまったこーこちゃんが何を言おうと不思議ではないけどさ。だからといって言わせっぱなしというのは色々と拙い。

 彼女とペアを組む解説者の枠には即座に反応してツッコミを入れられる人材が求められるというのに、今回はよりにもよってその枠に宛がわれているのが鷺森さんである。

 対照的に普段どおりというかローテンションのまま隣に座っているその姿は、心根が読めないぶん無表情が逆に怖かった。

 まさか心の中で力いっぱい同意してたりしないよね……?

 

「では全ペアに対して基準となる小鍛治プロ、注目の一投目をお願いしますっ!」

 

 簡易で作られた背後の実況席――といってもすぐそこにある――からのゴーサインでボールを持ち上げ、投球準備に入る。

 事前準備の段階で鷺森さんから受けたレクチャーによると、投球時にはピンではなくエイムスパットと呼ばれるレーンに描かれた▲マークを狙うようイメージしてみたほうがいい、と言っていたっけ。

 初心者に等しい私にはボールを曲げたりするのはまず不可能なので、より多くのピンを倒そうとするならば余計な事を考えずただど真ん中にボールを放り込むのがセオリーとなる。

 できるだけ真ん中にある▲マークを狙うようにして、リリースの瞬間は手首を返さずにそのままボールを放すこと。

 心の中で復唱するだけならば簡単だ。しかし、実際に出来るかどうかは投げてみなければ分からない。

 ドキドキと胸の鼓動が速くなる中、最初の一歩を踏み出した。

 

 ――一投目。

 とりあえず教わった通りのフォームを意識してボールを投げる。あまりスピードは出なかったものの、狙いはきちんと真ん中あたりを捉えていて――。

 小気味の良い音を辺りに響かせて、ボールに触れた先頭のピンから弾け飛んで倒れていった。

 

「……ふぅ」

 

 久しぶりに投げたにしては上手くいったほうだろうか。

 少し左に流れてしまったせいか、右側の奥のピンが二本残ってしまったようだけど、まぁ例えスペアが取れなくても八本倒せば基準値的には御の字のはず。

 

「おおっと小鍛治プロの第一投、少し中心を外れたものの、これは意外にもほぼ真ん中を捉える快心の一投となりました! 残ったピンはなんと、⑥⑩番ピンの二本のみっ!

 鷺森さん、プロの目から見て今の小鍛治プロの投球はどうでしょう!?」

「プロではないですが。投球時のフォームは意外と綺麗でした。ただ、あのメイド服は裾が長いので腕を振り下ろす時に擦れて邪魔になりそうな……」

「ああ、なるほど。

 でもあのメイド服はこの企画の時の小鍛治プロの正装みたいなもんだし、そもそもアラフォー女のミニスカ姿とかいうニッチなものに需要なんて無いだろうからあの格好なのも仕方ありませんね!」

「アラサーだよ! 私だってこう見えて雑誌記者さんから美脚ですねって褒められたことくらいあるよ!」

「へぇ――」

「ふぅん」

 

 あっ、まるで興味ないって顔してるよねあの二人。

 いい大人が本音とお世辞の区別もつかないのか、と言いたげな視線にちょっとだけイラっとする。

 ていうかね、解説席が第11レーンと第12レーンの真後ろにあるスペースを塞ぐ格好で設置されているせいで、話している会話の内容が丸聞こえなんですけど。

 気にしたら負けなんだろうが、気にするなというほうが無理――ああ、そういえば松実さんが同じような科白をちょっと前に言っていたような。

 実際に同じ立場になってみて、あれも結構な無茶振りだったんだなと今さらながらに反省する。

 

「小鍛治さん、けっこうやるね」

「今のはたまたま上手く行っただけだよ」

「またまた、ご謙遜を。これは私もちょっとばかし本気にならないといけないかな」

 

 言いながらも、次に投げる赤土さんは結構余裕そうな表情を見せている。

 きっと私以上のスコアを叩き出す自信があるのだろう。

 実際問題、純粋な運動神経での勝負となると、ここに集まっているメンバーの中では松実(宥)さん以外に勝てる自信はない……けど、慢心が油断に繋がるのはなにも麻雀だけに限らない。

 私の場合、今回の勝負の肝は最終スコアではなくて一投目により多くピンを倒すことだ。最低限今回のように八本近く倒すことができたなら、それが残った組へのプレッシャーになるはず。

 既に投球準備に入っている赤土さんを横目に、メンバーが集まっている場所に戻ってくる。

 

「小鍛治プロってボウリングとかもよくやったりするんですか?」

「うーん、実はそんなにやったことないんだよね。今のはたぶん始める前にもらった鷺森さんのアドヴァイスが良かったんだと思うけど」

「むむ……灼さん、なんて余計な真似を……」

 

 ちなみに今のは、横で会話を聞いていた新子さんの弁。たしかに私から見ても敵に塩を送りすぎている感は否めない。

 ボール選びから何から失敗しかけていたのをそのまま放置していれば、少なくともCM時間は延びる一方だっただろうに。

 そんな疑問を浮かべていたら、解説席に座っていた鷺森さんがこともなさげに言った。

 

「やるからには万全の状態で来てもらわないと。それを破るからこそ、勝ち取ったものに価値がある」

「おおー、さすが灼ちゃん! なんか格好いいのです!」

「それほどでもな……」

 

 表情があまり変わらないとはいえ、なんとなく分かるようになってきた。今の鷺森さんはちょっと照れてるっぽいね。

 同級生二人のそんなやりとりを観察していると、背後からパコーン!と盛大にピンが倒れる音がした。

 慌てて振り返ると、レーンの上に残されているピンは残り三本。派手に聞こえた音からすると、なんというか中途半端な残り具合である。

 

「あっちゃー、割れちゃったかぁ」

「相変らずハルエの投げるボールは力押しよね。灼さんから曲げ方教わってるんでしょ?」

「んー、なんかそういうのって性に合わなくってさー。ついこう、スカーン!とど真ん中に思いっきり投げたくなるというか」

 

 その気持ちは痛いほどよく分かるなぁ。

 ど真ん中にボールを放り込んで全部のピンをスカッとなぎ倒してやりたい衝動に駆られるのは、誰しもが一度は通る道のはず。

 昔テレビ番組の特集かなにかで見た覚えがあるけど、プロボウラーの人たちっていうのは①番ピンを直線的には狙わずに、ボールを曲げて①番ピンと③番ピンの間――いわゆるポケットと呼ばれる場所――を貫くように狙いを定めてボールを投げていたような気がするから、まぁ素人特有の思考ではあるんだろうけど。

 

「赤土&高鴨ペアの第一投目は七本、残っているのは④⑥⑩番ピン! 左右に分かれて残っているためスペアを取るのは少し難しいでしょうか!?」

「ビッグフォー崩れの三ピン残し。たしかにこの形だとスペアを取るのは少し難しいかも……」

 

 ボールがレーンのど真ん中をぶち抜く感じで進んだためか、奥の端っこがほぼ残った形である。

 ちなみにビッグフォーというのは、三列目と四列目の端っこが四本丸々残った形のスプリットを指すらしい。プロでもカバー率はかなり低いと聞いたことがある。

 

「……ちなみに、灼さんだとあの形でもスペアって取れるものなんですか?」

「不可能ではないけど、やってみないと分からないかな……でも、十回に一回くらいの確率で取れればいいほうだと思……」

「え、灼さんでもそんな感じなんですか」

「問題はきちんと⑥番ピンを真横に弾いて④番ピンを倒せるかどうか。小鍛治プロのスペアの取り方と同じように見えて、そのピンを内側に弾くのがかなり難しい。スペアを狙うつもりなら気合で頑張れとしか……」

「うーん、じゃあここであらたそチャレンジ使うのも勿体ないかな。わかりました。なんとかやってみます!」

 

 

 第二組の一投目が終わり、私の二投目の番がやってきた。

 残っているピンは両方とも右側奥。素人的には溝の横を併走するようにまっすぐ投げられればそれでいいように見えるけど、そんな風に綺麗に投げられる自信は無い。

 その場合は直線で狙わずに対角線で狙えばいいとの教えを思い出し、立ち位置を右端から中央に変えてボールを構えた。

 ここから中央やや右寄りの▲マークを狙って投げれば、理論上はピンに真っ直ぐ進んでいくはず。

 最悪一本だけでも取れればいいかな、と思いつつ。

 渾身の力で投げたボールは、レーンの上に第一投目とまったく同じ軌跡を描きながら、残ったピンに掠りもせずにそのまま奥へと消えていった。

 

「……あれぇ?」

 

 おかしい、狙ったところにまったく行かなかった。

 一投目であればとてもナイスな軌跡だったと自分でも思うけど、そこにピンが無いのならど真ん中を通過する意味なんてまるで無いというのに。

 首を傾げながら戻ってくると、あからさまに喜んでいるのが二人。第三組の松実玄と、そのパートナー新子憧である。

 表情が素直すぎるよ、君ら。

 

「小鍛治プロの二投目はミス! よってスコアに変動なし、これにより第一フレームの基準値は『8』に決定します! まぁ正直投げる前からそんな気はしてましたが」

「最初の立ち位置も少し甘いし、無意識のうちにガターを怖がりすぎてるから真ん中に行く。真っ直ぐ攻める時はもう少しハッキリと対角線をイメージして投げ込めば……」

「上手くスペアが取れていたかもしれないと。でもこっちのほうが展開的にはオイシイから、番組進行担当としてはあえて小鍛治プログッジョブと言いたい!」

「それは私たちからしても同じなので。小鍛治プログッジョブ」

 

 なんという微妙すぎるフォロー。

 実況解説揃ってこちらに向けてサムズアップしているようだけど、ぜんぜん嬉しくない。

 

「ま、まぁ。最初だしこれくらいにしとかないとみんな困っちゃうからね。しょうがないね」

「へぇ。そのわりには声が震えてますよ、小鍛治プロ?」

「うっ……そんなことないよ?」

「ま、そういうことにしときましょうか」

 

 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる新子さん。

 せっかく可愛い顔をしているんだから、そういう顔はやめたほうがいいと思う。小悪魔チックな言動は似合ってるけど。

 小さくため息をついて逸らした視線が、隣に座っていたもう一人の笑顔の子とぶつかってしまう。

 彼女はまるで神に祈りをささげるようにして、両手を胸の前で組み、尊敬していますといわんばかりにキラキラと輝いた瞳を携えて私に言った。

 

「さすがは小鍛治プロなのです、麻雀と違って手加減がお上手ですね!」

「」

 

 まさかあの眩しい笑顔からそんな鋭いナイフのような科白が出てくるなんて思いも寄らなかったため、素で絶句してしまう私。

 新子さんの表情など語るに及ばない、まさしく不意打ちの中の不意打ちと呼ぶにふさわしい恐るべき切れ味である。

 

「あれ、私何か変なこと言いましたでしょうか?」

「……玄。あんたのそういう所、さすがだと思うわ」

「――?」

 

 ヤバい。何がヤバいってこの子、一言多いのもそうだが、なにより手加減してわざと外したという科白を本気で信じてるっぽい……っ!

 これまでの言動からなんとなくそんな気はしていたけれども。

 阿知賀の龍王様は天然ものだったか……。

 

「――とまぁ、いい感じに小鍛治プロがダメージを受けたところで。しずもんは準備が出来たら二投目行っちゃって」

「はい!」

 

 勢いよく手を挙げると同時に、ポニーテールがぴこぴこと揺れた。

 部活中も部活後も、変わらず丈がちょっと大きめのジャージを着ているせいかどうかは知らないが、小柄な子が多い阿知賀にあって特に小さく見える彼女。

 それでも人間の頭部と同等の重さを誇るらしいボウリングのボールを軽々と抱えていることから、体力面では私よりも遥かに上っぽいことが伺える。

 頭の回転力を必要とするテーブルゲーム系よりも、むしろこういった身体を動かすスポーツのほうが得意なんじゃないだろうか?

 

 レーン上に残ったピンの形は私の時とほぼ同じ、とはいえ左側に一本余分に残っている状況はスペア取得への難易度を大幅に上げていた。

 難しいスペアをあえて狙っていくのか、それとも無難に後ろの二本を取りにいくのか。

 明らかに邪魔者である④番ピンの扱いを高鴨さんがどう考えているのかによるだろうけど、総合スコアはともかくとして、二本取るだけでもCM枠のポイント的にはプラスになるし、ここは割り切って考えるのもありだと思う。

 ただ、ボールを持った時の彼女の横顔から察するに、おそらく狙いは――。

 

「いきます!」

 

 宣言をして、投球動作に入る。

 流れるような助走から、やや大げさとも取れるバックスイングでボールを持ち上げると、振り子の原理でそのまま勢いよくボールを押し出した。

 見た目に反してダイナミックに投じられた一球は真っ直ぐにレーンの上を転がっていき、おそらくは本人が狙っていた通りの軌道を描きながら⑥⑩番ピンをなぎ倒していく。

 で、問題の④番ピンはというと。

 

「ううー、やっぱダメだったかぁ」

 

 しょんぼりとしている彼女の表情からも窺い知れるように、真横に弾くべき⑥番ピンは綺麗に真後ろへ弾け飛んでしまったため、件のピンには掠りもしなかった。

 

「残念っ、スペアへのチャレンジは失敗! 鷺森プロ、今の投球はいかがでしたか?」

「だから私はプロじゃな……今の形できちんと奥の二本を取れたことは御の字といってもいいので、切り替えて次にいけば大丈夫かと」

「はるほどー。スペアにならなかったといっても二本倒した時点でスコアは9。これにより第二組に1ポイントがプラスされます!」

「すみません、先生」

「ま、ポイントがプラスになったならオッケーオッケー。まだ始まったばかりだし、気楽に行こう」

 

 

 最初の二組が投げ終わって、いよいよ第三組・第四組それぞれの一投目を担当する松実姉妹の登場となった。

 

「次は玄と宥の番か。構え方を見ると姉妹なのに対照的なんだよねぇ」

「玄はいつもやる気が空回ってるように見えるけどね。宥姉は運動あんま得意じゃないし、しょうがないんじゃない?」

「玄さんも宥さんもがんばれー!」

「お任せあれ! ここは松実玄必殺ボールの一撃で勝負にケリをつけるのです!」

「が、頑張る……!」

 

 妹さんはもはやイベント特有の空気に当てられてか、テンションがこーこちゃんばりに上がりまくっている。意味不明な供述を繰り返しており、危険な兆候だ。

 空回っているというのも頷ける程のハイテンションで、ボールをそのまま隣のレーンにぶち込んだとしても私はきっと驚かない。

 方やお姉さんのほうはというと、新子さんの言うように運動はあまり得意ではないようで、緊張で――あるいは寒くてかもしれないけど――ぶるぶると震えながらの投球準備だった。

 あそこまで震えてしまうと軸がぶれてしまうだろうに、ボールをまともに投げられるんだろうかと見ているこちらが不安になってしまう。

 

「ではまず第三組から投球を、投げ終わったのを確認したら第四組のほうも自分のタイミングで行っちゃってくださいな!」

 

 実況席からの宣言を受け、はりきって助走を開始した松実(玄)さん。

 やる気に逸っていたぶんややフライング気味に投じた第一投目は――ボールが手を離れた瞬間、見事なくらい超特急で右端の溝の中へと吸い込まれていった。

 リリースされてから溝に突撃するまでの初速だけみれば、某野球少年のサンダーバキュームボールもかくやといわんばかりの剛速球である。

 

「あっ……」

「……なにやってんのよ」

 

 あれが松実玄必殺ボールか……いろんな意味で恐るべし。

 ここから見てもよく分かるが、ボール選びの失敗というか、明らかに指と穴のサイズが合ってないためすっぽ抜けてしまったが故の必然的過ぎる結末だった。

 この場面であえてお約束を外さずにやってのける女、松実玄。なんというか、さすがである。

 

 なお、それを見届けて行動を開始したお姉さんのほうはというと。

 ゆっくりとした動作でボールをファールラインの手前まで運びつつ、ぽとっという音が聞こえそうなほどのスピードでレーンに飛び出したピンク色のボールは、亀のごとき歩みのまま中央のやや左側を進み、パタパタとピンを押し倒しながら静かに奥へと消えていった。

 倒れたのは、左側の④⑦⑧番ピン三本のみ。本数としては少ないものの、次に投げるのが鷺森さんとなればむしろピンが右側に固まって残っているのはいい仕事をしたといえるかもしれない。

 

「旅館の美人姉妹対決はどちらも残念な結果になってしまったぁ! 方や文句なしのガター、そしてもう片方も三本どまり!」

「ううっ……ごめん、灼ちゃん……」

「落ち込まなくて大丈夫、あとは私が何とかするから。あと玄、ボールの選び方が雑すぎ……」

「さっき試した時はバッチリだったのに……おかしいなぁ?」

「ハァ……言い訳はいいからさっさと新しいボール捜してきなさいよ。次私がスペア取っといてあげるから」

「うん、ゴメン憧ちゃん。お願いします」

 

 

 全チームの一投目が終了し、この時点での結果はなんと私が第二位!

 ……まぁまだ後半の二組については二投目があるから分からないんだけど。

 私の八本、第二組の七本、第三組のガター、第四組の三本と。ストライクが無いという点において、第一フレーム一投目での成績としては私を含めて各ペアどっこいどっこいといったところかな。

 勝負はその後、きちんとスペアを取れるかどうかにかかってくる。そういう意味でも恐ろしいのは、やっぱりただ一人セミプロ級の実力を有しているだろう彼女の存在だった。

 しかし、まずは第三組の二投目から。ここで戦力未知数の新子さんの登場である。

 

「憧、がんばー」

「任せなさい。玄とは違う本当の投球ってのを見せてあげるわ!」

 

 そう高らかに宣言し、席を立つ。

 うん、いま同時にフラグも立ったような気がするけど……何気に今回のお笑い枠って第三組の二人だったりしないだろうか? ちょっと期待しながら見守りたい。

 線が細いから重心が安定しづらいのか、少しよろめきながらボールを持って、投球動作に入る。

 最初のよろよろが嘘のようにピシッと構えられた後姿を見て、これは逆の逆で本当に上手いパターンなんじゃないか――との思いが胸に広がっていく中で。投じられた二投目はといえば。

 フォームは意外と綺麗だった。ボールもきちんと狙い通りに進んでいたし、速度も結構出ていたと思う。

 たぶん彼女の思惑としては、プロの人たちのようにボールを曲げてポケットを狙おうと考えていたのだろう。実際にボールは真ん中の少し右寄りを進んでいった。

 しかし、ピンの手前になっても何故かボールは曲がらずに、思惑を外れてそのまま直進。本来であれば左右に弾かれるはずの右端のピンが、揃って綺麗に後方へと押し出されるような格好となり、結果倒れたピンは七本止まりという中途半端なものとなってしまった。

 これではお笑い枠と呼ぶには圧倒的に実績が足りない。龍門渕ペアに次ぐ二代目の襲名は残念だけど諦めよう。

 

「第三組の二投目もスペアはならず! しかし七本倒れたので結果はマイナス1ポイント、なんとか最低限で収まった格好になりましたねー」

「狙いは悪くありませんでした。きちんと手前で曲がっていればスペアも取れていたかも……」

 

 首を傾げながら新子さんが戻ってきた。

 本人は納得が行っていないんだろうけど、相方が一本も倒せなかったことと比べたら七本なんてむしろ倒しすぎたくらいなんだけどね。

 マイナス1ポイント程度ならぜんぜん許容範囲だろう。この先ストライクを一つ取るだけで簡単にプラスに転じる程度のマイナスなんだし。

 

「うーん、練習した通りに投げたつもりなんだけど。ねえ灼さん、今の私の投げ方どこかおかしかった?」

「たぶん原因はボールかな。ハウスボールはどうしても自分の指にしっくり来るのを選ぶのはなかなか難しいし、その時その時できちんと投げ方から調整しないと曲がり具合が変わるから」

「なるほど。やっぱマイボールのほうが有利ってことか」

「カーブボールとかフックボールを使わないにしても、何かと有利なのは間違いないとおも……そして私はこの勝負でも遠慮なくマイボールを使っていくつもりでいる」

 

 わぁ、えげつない事をさらりとカミングアウトしたね、今。

 

「んじゃ、次はそのあらたその番だね。実力の程、拝見させていただきましょう!」

「頑張ってください、灼さん!」

「灼ちゃん、頑張って」

「ん……」

 

 仲間たちの声援を受け、解説席から立ち上がる。その目はやる気に満ちていた。

 さて、ようやくここで遂に真打にして要注目のプレイヤー『鷺森レーンの看板座敷童子』こと鷺森灼が登場することになるわけだけど。

 投球の順番と組み分け的に考えても、おそらくそうなるよう番組スタッフによって仕向けられていたんだろうと思われる。

 それにしてもこーこちゃん、ちょいちょい阿知賀の子たちを変なニックネームで呼んでいるみたいだけど、いったいそのネタはどこから引っ張ってくるのか?

 私がそんなどうでもいい事で悩んでいるうちに、鷺森さんは既に投球動作に移っていた。

 

 一言で現すと、圧巻である。

 流れるような投球フォームから投じられたその球は、初心者の私たちが投げるそれとは明らかに違い、ピンの手前で緩やかに曲線を描きながらポケットを的確に捉えた。そのままピンは左右に弾き飛ばされ、残っていた右外側奥のピンを軌道が変わったボールと弾かれたピンとで綺麗に倒していく。

 貫禄をまざまざと見せ付け、同時に危なげなくスペアを取るという実に見事な投球だった。

 

「四組目で遂に来ました、見事なスペアっ! これにより通常の2ポイントにスペアボーナスの1ポイントを加えた合計3ポイントをゲット! 幸先のいいスタートを切りました!」

「なにあれ。一人だけ次元が違うんだけど……」

「さっすが灼ちゃんだね!」

「あったか~い」

「灼さんかっこいいなぁ。やっぱ曲げるボールのほうがストライク取り易いのかなぁ」

「普通のボウリング勝負だとやっぱ勝てそうに無いね。ホント今回は敵じゃなくてよかったよ」

 

 各々それぞれに感想を洩らしつつも、一仕事終えた後にも関わらず至ってクールな表情のまま戻ってきた鷺森さんを暖かく迎えた。

 

 

 それから第二・第三フレームを順調に消化し、各自のスコアは以下の通りとなっている。

 (※ ▲:スペア [><]:ストライク G:ガター -:ミス ○:スプリット)

 

 第一組   8(8|-)   9(6|3)   10(8|▲)   (基準点)

 第二組   +1(⑦|2)   +3(8|▲)   +2(7|2)

 第三組   -1(G|7)   -1(5|4)   +1([><])

 第四組   +3(3|▲)   +5(2|▲)   +4(⑧|1)

 

 第二フレームはこれといって特に波乱も起きなかったものの、対照的に第三フレームは小さなイベントが盛りだくさんだった。

 まず私がはじめてスペアを取れたこと。

 次いで、第三組の松実(玄)さんが全ペアを通じて初めてのストライクを取り。

 さらに第四組の松実(宥)さんが難易度最高レベルのスプリットを出してしまい、期待を一身に背負わされた鷺森さんがスペアを狙うもさすがにカバーしきれず初めてマイナスポイントを獲得、というような流れでゲームは進んだ。

 

 ここまでは皆が揃って予想外に同レベルな戦いをしていて、和気藹々と進んでいくまったりとしたゲーム展開である。第三フレームが終わる頃には私を含めた全員が、昼間の収録の打ち上げ的なノリで純粋にゲームそのものを楽しみはじめていた。

 そのことが、実況席に座っている悪魔の嗜虐心を煽る結果になろうとは、当事者の誰も思っていなかったわけだけど。

 

 

「はいみんな注目~っ!」

 

 投げ終わった鷺森さんが解説席に戻ってきたのを見計らい、唐突にこーこちゃんが大きな声を上げた。

 いったい何事かと全員で実況席の周りに集まって、続きの言葉を待つ私たち。まるで親鳥の周りに集った雛の群れの如しである。

 

「このままダラダラと続けても絵的にアレなので、第四フレームから第六フレームにかけては新ルールを適用します!」

「えー」

「まぁまぁ。それで、その新ルールっていうのは?」

「よくぞ聞いてくれました。対象フレーム中にのみ適用される新ルール、題して『英語禁止ボウリング』!」

「うへ」

「え、それってもしかしてあの伝説の番組の……?」

「……?」

 

 こーこちゃんの科白の意味に気が付いて、即座に反応したのは赤土さんと私だけ。

 他の子たちはというと、ピンときていないのか首を傾げて顔を見合わせたりしているだけだった。

 ……あれ? 元ネタの元ネタともいえるゴルフのほうはともかくとして、もしかしてボウリングのほうも知らない世代……なの?

 ちょっと待って、英語禁止ルールでダメージを受けるより前にまずジェネレーションギャップでショックを受けそうなんだけど。

 

「いやー、今のを聞いただけでピンと来るお二方はさすがです!」

「そんな褒め方されても嬉しくないよ!?」

「あのぅ、なんですかその英語禁止ボウリングって?」

「言葉の響きそのまんまなんだけどね。一応若い子達のために簡単に説明するとだね、例えばボウリング関係でいうとボールとかピンとかスペアとかストライクとか、そういった英語や和製英語を使うたびにペナルティを課せられるっていう番組が昔あったんだよ」

「へぇ――えっ!?」

「もしかして、それを私たちがやるんですか……?」

「もしかしなくてもそういうことだね!」

 

 恐ろしいほどに爽やかな、とてもいい笑顔でこーこちゃんが頷いた。

 

「ちなみに禁止ワードを使った場合のペナルティポイントはCMのぶんとは別に集計するから、そんなに心配しなくていいよん」

「ああ、そうなんだ。それは正直助かるよ……下手をするとポイント全部持ってかれかねないからね、あの企画」

「でもさ、それってそんなに難しいこととは思えないんだけど。この場合みんな味方みたいなものだし、お互いに気をつけながら会話してれば結構回避できそうじゃない?」

「憧、それはちょっと認識が甘いなぁ。味方と思ってる相手に足元を掬われないように気をつけな」

「なにそれ?」

 

 あの番組におけるプレイヤーさんたちの惨劇を知らないせいか、新子さんを含めた高校生チームはどうにもピンとこないらしい。

 普段の会話の中とかでもごく自然に色んなところで使っているから、いくら注意を払っていてもとっさに言葉を向けられるとつい言っちゃいそうになるものなのだ。

 話題を振ってきた相手に悪意があろうがなかろうが、ね。

 

「うう、ボウリングだけでも難しいのに……」

「ハッ、閃いた! 大丈夫だよおねーちゃん、それならもういっそのこと第六フレームが終わるまでできるだけ会話に混ざらないようにすればいいよ」

「ふはは、残念だけどそれは禁じ手なんだな、くろちゃー。会話が途切れないようにこっちで話題をいくつか用意してあるから、そうそう上手くはいかないのだよ」

「禁止ワード喋らせる気満々じゃないの!」

「だって喋ってくれないと困るもん。こっちにも後々の予定ってものがあるんだから」

「……!?」

 

 ――繋がった。ここに来て繋がってしまったよお母さん。

 忘却の彼方に放置されていたはずの罰ゲーム――あれがおそらくこの新ルールと絡んでくるに違いない。やはり単純に説明し忘れていたわけではなかったのだ。

 気が緩んできた頃にここぞとばかりに畳み掛けてくるとは、汚いさすがこーこちゃん汚い!

 

「それじゃ追加ルールの説明をしていくので、そこで会話してる子達もよく聞いておくようにー」

 

 

 もはや問答無用で採用が決定してしまった、期間限定の英語禁止ルール。

 詳しい規定をかいつまんで説明すると、こんな感じらしい。

 

 まず、第四フレームの私の一投目を合図にしてそこから適用開始となり、第六フレームの第四組二投目、あるいはストライクの場合は一投目をもって終了とする。

 さらに期間中は番組側からお題が提示され、それに関する内容の会話を投球者を除く全員でし続けなければならない。

 禁止ワードを口にするたびに罰則ポイントの☆が一つ付与される。

 そして最終的に一番☆を稼いでしまったプレイヤーには、後日罰ゲームが課せられるということのようだ。

 ちなみにアウトかセーフかの判定をするのは、影が薄くなりすぎて困っているともっぱら噂のディレクターさんである。

 

「福与アナに質問なんですけど、解説をしてくれてる灼ちゃんも同じルールでいいのでしょうか?」

「んにゃ、さすがに専門用語使わず解説ってのは無理だろうからね。期間中は解説なしにして、お題の会話のほうに入ってもらうことになるかな」

「ふぅむ。なるほどなるほど、なるほど~」

 

 少しだけ考えて、顔を上げた松実(玄)さんの顔は実に眩しく輝いていたように見えた。

 

「それならルールが適用されてる間は福与アナも一緒にこっちに加わって大丈夫そうですね!」

「……は?」

「ほう、それナイスアイディアじゃん。ポイントも別扱いならそこだけ参加でも問題ないし、さすがは玄、いいところに目を付けたね」

「え? あれ? いえいえそんな滅相もない、私には実況という大切なお仕事がありますので――」

 

 ふ、甘い。この機を逃がしてなるものか。

 

「いま確認したらディレクターさんはそれでも問題ないってさ。よかったねこーこちゃん、一緒に会話を楽しめるよ」

「げ、すこやん余計な真似を」

「そうは言うけど、いつもこーこちゃんがやってることじゃないかな」

「くっ……おのれぃ、まさかすこやんに背中を刺されることになるとは……」

 

 そう来るだろうと思っていたので、即座に逃げ道を塞いでみた。

 のらりくらりとかわして来るこーこちゃんのような相手には、やっぱり天然っぽいのが天敵なんだろう。思いも寄らない角度から強襲されて対処しきれなかったと見える。

 戦場においていつまでも一人安全圏にいられると思ったら大間違い、といういい見本だ。

 いやぁ松実さん、ここにきて実にいい仕事をしてくれたよ。

 

「福与アナも小鍛治プロ相手には色々とやっちゃってるから、まぁ残念ながら当然の結果よね」

「そっか、これぞまさしく因果広報ってやつだ」

「それを言うなら因果応報……」

「あれ、そうでしたっけ?」

 

 アナウンサーだけに広報するんですね、分かります。

 私の中のアラサー心が疼き、思わずそう言ってしまいそうになるところを代わりに鷺森さんが普通のツッコミを入れてくれたので、寸前でなんとか回避。

 あやうく松実(宥)さんを凍結させてしまうところだった。危なかった。

 

「んじゃ、第六フレームまでは福与アナも入れて全員で英語禁止トークってことで。みんなそれでいいよね?」

「「「異議なーし」」」

 

 ――かくして、鷺森レーン史上おそらく最も過酷で馬鹿馬鹿しい第四フレームから第六フレームにかけての攻防戦が、静かに幕を上げることになる。




あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!
麻雀漫画を元に二次小説を書いていたら、いつのまにかボウリング小説になっていた……な、何を言っているのか(略)
というわけでボウリング勝負は前後編仕様で次回に続きます。


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第10局:沈黙@ベラドンナの矜持と毒性

 ベラドンナという名を冠する花のことをご存知だろうか?

 主には西欧あたりで自生している多年草。和名ではオオカミナスビとも呼ばれるように、ナス科に属する植物である。

 イタリア語で“美しい淑女”を意味するその名前から、桜や薔薇のようにさぞかし綺麗な花を咲かせるのだろうと思ってしまいがちなのだが……これが意外にも地味というか、くすんだ紫色の花を咲かせるらしい。

 そのあまりのギャップに思わず「名前負けしてんじゃないの?」と言ってしまいたくなるのだが――それもそのはず。名前の由来となっているのは外見の見目麗しさなどではなく、その草が持つ毒性にこそあったのだ。

 葉、茎、根、果実。そのいずれにも強い毒性を秘めており、人間の場合、摂取する量によっては死に至ることすらあるという。

 故にベラドンナという花は、古来西欧文化においてこうも呼ばれていた。

 即ち――悪魔の花、と。

 

 美の追求とは麻薬のようなものである、と誰かが言った。

 時に女性は一寸先の美を追求するためにすら恐ろしくチャレンジャーなことをしはじめるものだ。

 細めの体型が持て囃される昨今の場合、痩せる為にとあえて寄生虫を食べたりするダイエットなんかがその一例といえるかもしれないけど……ま、それはいいか。

 一概に美しさと言ってはみても、その基準というのは国によって異なりもすれば、時代によっても大きく変わる。平安美人の肖像画を見た現代人が眉を顰めるのと同様に、流行というのは水物なのだ。大昔のヨーロッパではその基準のひとつが「瞳の大きさ」であった。

 ここで登場するのが、ベラドンナの持つ毒性の一つ――アポトキシンだかアトロピンだかいう成分。これを摂取することで、瞳孔が過度に拡大して瞳が大きく見えるようになるという効果があるらしく、危険な毒と知りつつも、淑女が美を追求する為の化粧道具の一つ、主に目薬として昔から現代に至るまで重宝されてきたという。

 

 つまりは“瞳の大きな美しい女性になるための花”という意味で、美しい淑女(ベラドンナ)

 毒と薬は紙一重とはいうけれど、実際に使用する勇気なんて私には無い。

 

 ……っといけない、忘れてた。

 前置きの本題にしようと思っていたのは花言葉のほうで、ベラドンナの持つそれは『沈黙』なのだそうだ。

 たしかに、淑女というのは口数が少ないほうがそれらしい。沈黙を好む女性になることが、即ち淑女への第一歩ということなのか。

 ただし男性諸君はご用心を。

 その見目麗しい淑女の中には、恐ろしい悪魔の毒が潜んでいるかもしれないのだから。

 

 

 第四フレーム、第一組一投目投球開始前。

 ボウリングを一時中断する形で、各自が「会話のお題にはぜひこれを!」と思うテーマを紙に書いて提出するという作業が行われていた。

 どうせだからスタッフが用意したものではなく自分たちで考えてみたらどうか、というディレクターさんからの進言によるものだ。

 こういった企画の場合、油断がならない人物筆頭はやはりこーこちゃんだろう。禁止ワードが三回に一回は飛び交うような危険なテーマをあえて選ぶ、あの子はそういう子だ。

 しかし、おそらく素で危険極まりないお題をぶっ込んできそうな人物の心当たりがもう一人いる。

 私の中では阿知賀随一の天然キャラと認定された、松実さん家の玄ちゃんである。

 何か企んでいそうと丸分かりのこーこちゃんよりも、どんな方向に転ぶかさっぱり読めない彼女のほうが、この場合は危険度が高いと思われた。

 お願いだから収録して発売できる範囲のボケで収めておいて欲しい。

 それは私だけの願いではなく、取材に訪れているスタッフ陣全員の切なる想いであったはずだ。

 

「全員書き終わったっぽい? んじゃ誰が箱の中からお題を引くかだけど――誰か引きたい人いる?」

 

 四つ折にされた八枚の紙が入れられている箱を左右に振りつつ、周囲の面々を見回しながらこーこちゃんが言った。

 代表は挙手制か。

 私はこういう時まず手を挙げたりはしないタイプなので、動向を静かに見守りたいと思う。事なかれ主義バンザイ、誰かにお任せするのが楽でいいよ。

 果たして立候補者は現れるのか?と思っていた矢先のこと。

 

「はいっ! それじゃあ私が!」

 

 元気良く手を挙げたのは、やはりというか彼女であった。

 松実(玄)さんはやっぱりお祭り騒ぎが好きなんだろうね。ボウリング対決も最初からノリノリだったし。

 しかし、だ。それはつまり、竹井さんとはまた違った意味でこーこちゃんと意気投合できそうな子が現れてしまったことになる。

 この派閥が今後も各地で勢力を伸ばして行くことになるかもしれないと思うと……被害者の会名誉会長の私としては、末恐ろしいことこの上ない。

 

「おー、くろちゃー元気いいね。他にいないみたいだし……よし、じゃあ任せた!」

「お任せあれ!」

 

 やる気満々の松実(玄)さんは勢いよく箱の中に手を入れる。そのままぐるぐると手を回し、よくかき混ぜた上で一枚の紙を引き抜いた。

 丁寧に四つ折にされたそれは、折り方を見ても几帳面な人物が入れたものだと推測できる。

 で、肝心なそこに書かれていたお題はというと。

 

「ふんふむ、どれどれ……んん? これ、は……」

「――? どうかしたの、こーこちゃん?」

 

 紙切れを覗いた格好のまま、眉間に皺を寄せてしまっている彼女に問いかけてみるものの、具体的な返事は戻ってこない。

 疑問に思い、肩越しにお題を覗き込んでみると、そこには――。

 

「……あったか~いものについて?」

「あっ、それ私の……」

 

 読み上げた私の言葉に即座に反応したのは、松実(宥)さんだった。

 ……まぁ、だろうね。

 

 

 とりあえず最初のお題が“あったか~いものについて”に決定してしまったところで、ようやく第四フレーム一投目からの再開である。

 すっかり忘れていたけど、こっちが本題だったんだっけ。

 促されて投球準備に入る私を他所に、阿知賀勢は一仕事終えたオフィスレディのようなリラックス具合でベンチに座って寛いでいた。

 

「小鍛治さんが投げ終わってからがスタートなんだよね。なら今のうちに思う存分喋っといたほうがいいよ、みんな」

「や、別に無理して前もって英語喋っとく必要なんてどこにもないわよね?」

「まぁね。でも何事にも切り替えっていうのは大事だから。あえて今いっぱい喋っておいたほうが、脳の切り替えも上手く行くかもよ?」

「ふ~む、なるほどなるほど。そういうことならお言葉に甘えて――」

「あ、玄さんがやるなら私もやっとこうかなー」

「じゃあ一緒にやる?」

 

 私が風の噴出し口で指先を乾かしていると、待機所で松実(玄)さんと高鴨さんの二人が椅子から立ち上がり、向かい合って何かを始めた。

 ここからだとよく分からないけど、ストレッチでもはじめるつもりなのだろうか?

 まぁ、彼女たちのことはこーこちゃんに任せておいて、私は私で課せられた使命を果たすことに集中しておくべきかな。

 

 一仕事終えて戻ってきたところ、まだそれが続いていた。

 雑音の切れ間に聞こえてくる単語を拾ってみると、

 味噌ラーメン、温かい。コンソメスープ、温かい。カレーライス、温かい。アイスキャンディー、温かくない。メンチカツ定食、温かい。ラザニア、温かい。プロテイン、……?。コールスローサラダ、温かくない。

 という感じで、お互いに順番で食べ物を一つ挙げ、その食べ物がお題の『あったか~い』に該当するかどうかを松実(宥)さんが判定を下すという流れを繰り返している。

 ……何をやってるんだろう、あの子たちは。

 

「ちゃんぽん麺!」

「あったかいけど、ちゃんぽんは日本語のはずだからアウトじゃないかな……?」

「えっ、そうなんですか?」

「たぶん……?」

「ちゃんぽんは普通に日本語扱いだよ。だからアウトっていうか本来の意味で言えばセーフってことになるかな」

「あはは、てことは穏乃ちゃんの負けだねー」

「あちゃー、負けちゃったかぁ」

「誰がこの局面で新しい遊びを考えろっつったのよ、おバカども」

 

 まったくもって同意見である。

 緊張感の欠片もないというか、自分から底なし沼に向かって糸のついていないバンジージャンプを繰り返しているとでもいうべきか。

 

「ところですこやん、まだ投げないの?」

「えっ?」

 

 あっちが一段落ついたからか、全員が揃ってレーンのほうに意識を向ける。

 七人全員の視線が一気にこちらを向いたので、思わず気圧されて後ろに下がってしまう私。たらりと背筋に冷や汗が流れていくのが分かった。

 

 ……ええと、なんだ。

 彼女たちが妙ちくりんなことを始めるのと同じくらいに、もうとっくに一投目は投げ終わっていたりするんだけど。

 というかね、あんだけ派手な音が鳴ってピンが倒れていくんだから普通は気づくよね?

 目の前の目標物に集中していただけの私は悪くないよね……?

 

「既に投げ終わっている……だと!? いつから!?」

「えーと、松実さんたちが向かい合って何かし始めたちょっと後、くらいかなぁ」

「ええっ!? ってことは、今のぜんぶ――」

「う、うん。残念だけどカウントされてると思うけ……あ」

 

 ――って、ああああいきなりやってしまった。つい流れで私までお付き合いを……。

 

「あっ、小鍛治プロもカウントって言いましたよね今!」

「うん、言っちゃったね。だけど今ほら、新子さんも……ね?」

「……ハッ!?」

「あっはっは、さすがにそれは自爆っていうんじゃないか、憧~」

「し、しまったぁ!?」

 

 見事なくらい綺麗に決まったお約束の連鎖で、一人自信満々だったはずの新子さんまで道連れになってしまった。

 しかも、咄嗟にでも小鍛治プロや福与アナと呼んでしまえばそれだけでペナルティになるというオマケ付き。実に恐ろしい罠が仕掛けられていたものだ。

 ……まぁ、そこは密かに期待していた通りの結果だったけどね。

 

「初っ端から大惨事とか、想定してな……」

「でも灼は玄たちがアレやり始めてから一切喋らなかったよね。もしかして小鍛治さんが投げたこと、気づいてた?」

「それは……当然。あと、ハルちゃんの魂胆にも」

 

 にやり、と小さく表情を崩す鷺森さん。怖い、怖いよその笑顔。

 

「灼さぁん、気づいてたんなら教えてくださいよぉ」

「そ、そうだよ灼ちゃ~ん」

「勝負は既に始まってる。気を抜いたほうが悪……」

 

 それはたしかに、ご尤もな意見である。

 地雷原だと知っていて、あえてその場所でタップダンスを踊る人間に危ないから止めろと注意するのは馬の耳に念仏。触らぬ神に何とやら。

 とはいえ、この企画の真の危険度を知らない世代の子達に、最初の一投目から謀らずもしっかりと怖さを刻み込む結果となってしまったのは、彼女らにとってはむしろ僥倖といえるのではないだろうか。

 ……うん、だからきっと私は悪くない。

 なのでそんな恨みがましい目でこちらを見るのは止めようか、みんな。

 

☆現在の罰則ポイント★

[☆×4] 松実玄、高鴨穏乃(※ピンが倒れる前のものはカウントせず)

[☆×2] 新子憧、福与恒子

[☆×1] 松実宥、小鍛治健夜

[☆×0] 鷺森灼、赤土晴絵

 

 

 再開後一発目の投球自体には、特筆すべき場面はどこにも見当たらない。普通に転がっていき、普通にピンにぶち当たり、普通に七本倒れるという、実に普通な結果だけが残る。

 特別ルールの開始を告げる号砲代わりというにはあまりにお粗末な結果となってしまったのは反省すべき点だった……かもしれないけど、個人的には結果オーライ。

 

「とりあえず最低基準値が七本か。最初からそうだけど、小鍛治さん何気に低目を出さないね」

「うーん、自分でも不思議なんだよね。ちょっと出来すぎなくらいだよ」

 

 ピンのほうを見ながら投げていたこれまではけっこう自分でも思いもよらない方向に転がっていたはずなのに、ちょっと視点を変えただけでまっすぐ進むようになったのだから。

 それもこれも鷺森さんの助言のおかげだろう。思わず手を合わせて拝んでしまうレベルなので実際にやってみたら、ジト目で見つめ返された。

 赤土さんが第四フレームの一投目を投げに行くのを見届けて、自分の席に座る。

 

「さ、すこやんの見事な先制攻撃でみんなこの企画の怖さが分かったところで、そろそろお題について話していこうか」

「むむ、もう同じ失敗はしないんだから。それにしても例のお題、どうやって広げていくべきか……まずそこが問題ね」

「あったか~いものについて、だよね?」

「具体的にどんなもの……?」

「さぁ?」

 

 なんだろう。ものすごく松実(宥)さん的にピンポイントな話題のように思えるけど、実質該当するものの範囲がやたらと広すぎて、的がいっさい絞り込めないこのお題。

 暖かい、もしくは温かい。

 前者だと暖房器具だったり季節の話題だったりするし、後者に食べ物も含まれてしまうともう応用範囲はほぼ無限大である。

 単純なようで難解なお題に首を捻っている人間のほうが圧倒的に多かった。収拾をつけなければボウリングどころではなさそうだ。

 

「ま、まぁ。あったか~いものの話題ってのはいいとして、適当に範囲を絞っておいたほうが話しやすいよね?」

「確かにそれは言えてるわね。たとえばさっきのしずとかじゃないけど、温かい食べ物に関しての話題とか――」

「いいやダメだね、私の勘が告げている。ここはあえて逆転の発想をするべき場面だと!」

「へっ? 逆転の発想、ですか?」

 

 キョトンとしている松実さん。騙されてはいけない。

 こーこちゃんのことだから、深く考えている発言のようで実は何も考えていない、ということも十分に考えられる。

 そもそもさ、混乱の極みにあるこの事態をなんとか終息させていこうとしているその努力を、変な思いつきで無に帰そうとするの止めてくれないかなぁ。

 

「……いちおう聞いてみるけど、逆転した結果こーこちゃんの中で発想はどんな感じになったの?」

「範囲が広くてもいいじゃない、女子高生だもの。的な」

「みつを風に言っても騙されないからね」

「てへ」

「てへじゃなく」

 

 うん知ってた。

 こういう場面で収束に向かわずに発散に向かうからこそ、こーこちゃんが福与恒子たる所以なのだと。

 

「ところで、このお題を提供した宥さん的には特になにがあったか~い感じなんですか?」

「えっ? わ、私……? えっと、えっと……お、おこた、とか……?」

「まさかの電化製品から選んできた!? しかも季節外れっぽい!」

 

 食べ物とかならまだしも、そこは狭い、狭いよ松実さん。

 今さらだけど、お題を提案する上でやってはいけないことの一つが、自分の得意分野を選ぶことだと私は思う。

 参加者の中で自分が一番理解の深いものにしてしまうと、自然と会話の中心に据えられてしまい発言回数が劇的に向上してしまうという欠点があるからだ。

 彼女には申し訳ないけれど、これでドツボに嵌まってしまうようであったとしても、その点を測り損ねた自身のミスだろう。私には全力で哀悼の意を捧げる事くらいしか出来そうにない。

 

 松実(宥)さんが高鴨さんを相方にして漫才じみたやり取りをしているうちに、一投目を投げ終わった赤土さんがこちらへ戻ってきた。

 実況が仕事をしていないので自分で確認してみると、倒れたピンの数は九本で、残っているのは⑧番ピンのみである。もう少しでストライクといったところだったんだろうけど、お題のほうに気を取られすぎて今回もやっぱりまた誰も見ていなかったっぽい。

 ……何がメインの企画だったっけ、これ?

 

「でも穏乃ちゃん、まだ九月なんだし温かいものっていったら季節外れになるのもしょうがないんじゃないかなぁ」

「それはそうですけど……じゃあ玄さん的にあったか~いものってどんなものですか?」

 

 そのフリを待ってましたといわんばかりにぎらりと目を光らせる松実(玄)さん。

 

「そうだねぇ。あったかいっていったらやっぱりおもちじゃない? 特におねーちゃんのはあったかくて柔らかくて最高なのです!」

「言うと思ってた」

「どうにかしてそっち方面に持っていこうというその気概は天晴れだと思……認められはしないけど」

「く、玄ちゃん……他所の人がいる場所でそういうのは止めなよって、お姉ちゃん言ったよね……?」

「どうせ玄は自分の提出した紙にもおもちって書いたんでしょうがっ」

「おもちっていったらやっぱり私はお汁粉かなぁ。ちょっと意外だけど松実さんっておもち作るの上手なんだね。やっぱ正月とかに宿泊してる旅館のお客さんとかに振舞うから?」

「「「「え?」」」」」

 

 ……えっ? なんか私間違ってる?

 

「すこやんだけなんか反応ちがくない?」

「だっておもちの話でしょ? つきたてはやっぱり美味しいもんね。こーこちゃんはなんとなくきなこもちが好きそう」

「なんだその偏見は。好きだけども。っていうかさ、おもちはおもちでもそのおもちじゃないと思うんだよねぇ。会話の流れからしたら分かりそうなもんだけど」

「……? 他におもちってあるっけ? おはぎとかは厳密にはおもちじゃないよね?」

「いや、まぁ……小鍛治さんはそのままでいいと思うよ私は、うん」

 

 肩に手をポンと乗せながら、赤土さんまで困ったような顔をする。

 周囲の子たちを見回してみても、なんというか、可哀想な子を見るような視線でこちらを見つめる人しかいない。

 

「気になるじゃない、教えてよ。松実さんのいうおもちってなんなの?」

「えーとですね、小鍛治プ……あっ」

 

 チン、と即座に受付の呼び出しベルっぽい音が鳴った。さっきまでそんな判定音なかったじゃないか、と思うがまぁそれはいいや。

 さっき新子さんが同じ事をやっていただろうに、学習能力足りてないよ松実さん。

 

「あう……これで単独一位になってしまったのです……」

 

 落ち込んでいる彼女の姿を図に表すと、○| ̄|_。まさにこんな感じである。

 

「まぁ凹んでるこの子の代わりに簡単な例文を作るとすると、だ。すこやんはどっちかっていうとおもちじゃないほうだと思うよ」

「ついでにいうと、この中で一番おもちなのは宥で間違いないだろうね。例の集まりの中だと瑞原さんかな」

「その言い方だと、食べ物のおもちじゃなくて何かをお持ちってことだよね……私が持ってなくて松実さんとはやりちゃんが持って……博士号、なわけないし……うん?」

 

 ふと。大人二人の視線が松実(宥)さんの非常にふくよかな部分へと向けられていることに気がついてしまった。

 彼女の言うおもち、それは――女性の胸部、つまりはおっぱい。

 脳裏に過ぎるのは、とてもいい笑顔でサムズアップしている不詳の弟子の姿である。

 

「ブルータス、お前もか!?」

 

 判定音が鳴るのも物ともせずにツッコミを入れてしまう私。だが後悔はしていない。

 なんだろうこの得も言われぬ屈辱感。

 まさかこんなところにそっち方面での彼の同志がいるなんて――っていうか君はどちらかといえば持っている側じゃないか! 余裕か? 余裕から来るおもち狂いか?

 ……ちょっと言葉の響きから卑猥な感じが抜けていて、意外と使い易いな。なんて思ってしまった自分が悲しいけれど。

 

「……はぁ。二投目投げてこようっと」

 

 気分はもはや咏ちゃんたちと半荘戦を三回ほどぶん回した後と似たような疲労感を味わっているものの……まだあれから一投しか投げていないという恐ろしい事実に気がついた。

 しかもまだ序盤の序盤である。

 どうせならスポーツで感じる疲労感としては肉体的な爽やかなものであって欲しかったよ。

 精神的なダメージが集中力を切らせるなんてことは運動だろうが頭を使う競技だろうが同じことだろう。スペアを狙って投じたボールは一本も倒すことなく静かにレーンの奥へと消えていった。

 

「あちゃー、集中力乱されまくりだねぇ。かの小鍛治健夜ともあろうものが、どしたどした?」

「他人事みたいに言ってくれて、いったい誰のせいだと思ってるの」

 

 たしかに半分以上が松実(玄)さんによる犯行だけど、この企画を持ち込んだ時点でこーこちゃんは間違いなく犯罪行為示唆の罪に問われるはずだ。

 私だけじゃなくて他の子たちもきっと英語禁止ルールによる精神的な影響を受けているに違いないのだから。

 

 

 ――そんな風に思っていた時期が、私にもありました。

 続く第二組の二投目、高鴨さんはきっちりとスペアを取って戻ってきた。これで一気にCM枠を4ポイントもプラスしたこととなり、満足げにハイタッチを交わす二人。

 ……あれぇ?

 

「しずんとこは順調ねぇ。まぁ、次は私が一投目だからこっちだって――ってちょっ、玄! あんた投げちゃダメでしょ!?」

「へっ?」

 

 ボールを持って意気揚々とレーンに向かっていた松実(玄)さんを、慌てて呼び止める新子さん。

 そういえば第三組に関しては前のフレームでストライクを出した関係で順番が入れ替わっているんだっけ。松実さんはそのことをすっかり忘れており、いざ一投目を、という感じで既に投球準備に入っていた。

 幸い投げる前に気が付いたからよかったものの、これそのまま投げていたらどうなっていたんだろう。ファール扱いになるのかな?

 

「次に投げるのは私よ、私!」

「えっ、どうして順番が変わるの?」

「はぁ!? ったく灼さんの説明の何を聞いてたのよ! いい、玄がさっきの第三フレームでストライクを出し――ああああああああっ!?」

「はい憧、アウトー」

「穏乃も律儀に付き合わなくても……」

 

 華麗な誘導からの流れるようなお約束で見事にポイントを掻っ攫っていく新子さんであった。ただし、罰則のほうではあるけれども。

 まぁボケ役よりも突っ込み体質の子のほうが不利なのは、この企画の仕様上もう仕方がないことだ。このメンバーの中で一番頭の回転が速そうな彼女ではあるが、そういった意味では最も危険なポジションにいるといっても過言ではないだろう。

 もしもアレが狙ってやった誘導だとしたら……いや、まぁ。天然の松実(玄)さんだし、それは無いか。

 なお、事前のやりとりで動揺していたのか、第三組の一投目の結果ピンは四本しか倒れなかった。踏んだり蹴ったりとはまさにこの事だろう。

 

「くっ……まさか仲間の玄に正面からバッサリやられちゃうなんて……」

「憧、開始前に私が言ったことの意味、今ので身をもって理解したんじゃない?」

「……おかげ様でね」

 

 それはよかったね、なんて冗談を言えるような雰囲気じゃなかった。

 鬼や。鬼がおる……。

 迸る怒気を纏いながら、にこやかに笑顔を浮かべるその様はまさに鬼。それを受けてにこやかに微笑んでいられる赤土さんも、別の意味で鬼かもしれない。

 

「憧ちゃんがあったかくない……」ブルブル

「おねーちゃんが通常の三倍震え始めた!? 憧ちゃん、その夜叉のような形相は今すぐやめるのです!」

「――っ誰のせいだと思ってんのよぉぉぉぉぉっ!? くろぉぉぉぉぉっ!!」

「わ、私ぃ!?」

 

 聞き返すまでもなく、間違いなく松実(玄)さん(あなた)のせいだと思います。

 火が吹き出るような勢いのお説教を喰らっている妹さんの下からお姉さんを救出し、震える背中を撫でてあげる。

 

「あ、ありがとうございます……」

「気にしないで。アレに巻き込まれたら誰だってそうなるよ……」

 

 おもち星人VS夜叉巫女、実に興味深いマッチメイクではあるけれど、それに巻き込まれるのは正直ゴメンだ。

 

「あ、次。私が投げる番ですよね……?」

「うん、そうだけど。そんなに震えてて大丈夫?」

「大丈夫です……私、お姉ちゃんだから」

 

 ぐっと力を込めて立ち上がる。同時に、ふわりと首に巻かれたマフラーが風に靡き――って、ええっ!?

 ちょっと待って、今どこからも風なんて吹いてなかったよね……?

 重力に逆らって宙を舞うピンク色のマフラー。あったか~い牌を集めるとかよりもこっちのほうがよっぽどオカルト現象じゃないかな。常識的に考えて。

 

「行って来ます」

 

 呆然と見つめる私を他所に、気合を入れた松実(宥)さんはマフラーをたなびかせながら戦場へと向かっていく。

 ……ゴクリ。ついに本体が動き出したか。

 アレが解き放たれた状態でどれ程のパワーアップを果たすのか、しかとこの目で確かめてみなければならないだろう。

 

 固唾を呑んで見守る中、松実さんがこれまでの二倍速(当社比)で助走をはじめ、勢い良くボールを押し出す。

 

「えいっ」

 

 ゴロン、コロコロコロコロ……ポテ。

 

「……あう」

 

 結果、まさかのガター。

 ……。

 そりゃね、あれだけ震えが止まらない状態で投球すればそうなるよ。なんかゴメンよ、変に期待して。

 しょんぼりとして戻ってきた彼女の肩に手を乗せる鷺森さん。その励ましのための行動も功を奏さず、本体と思わしきマフラーは重力に負けて無残にもしな垂れていた。

 

 

 鷺森さんを除いた全員がこのルールが始まってからこっちずっと「ボウリング? なんでしたっけそれ」状態のままではあるけれど、今となっては些細な問題……なのだろうから置いておいて。

 誰がババを引かされるのかというこの闘いにおける攻守の切り替えは、実に一進一退の状況下で刻々と推移していた。

 例えばこーこちゃんが攻撃に回る際には防衛に回らせられるのは決まって私か新子さん(ツッコミ勢)であり、赤土さんが攻撃をする際の狙いは大抵教え子たちのいずれかになる。

 麻雀部の子たちになるともやはカオスであり、狙い狙われ言い言わされの応酬は、私たち見守る側の人間に争いの醜さを教えてくれる尊いものだったといえる。

 

 そんな中、故意に狙われるという意味ではほとんど蚊帳の外に置かれていたのが松実(宥)さん。

 といっても別に村八分状態なのではなくて……なんていうか、こう、ね? 小動物の如く震えている彼女に罰ゲームを負わせるような事になりでもしたら、この先一生罰を背負い清らかな心で生きていけなくなるのではないか、とそんな気持ちになってしまうのだから仕方がない。

 避けられない庇護欲とでもいうべきか。

 一部で極サディストと定評のある長野のTさんあたりには無効だろうけど、ある意味で恐るべき防衛能力であった。

 

「ふぅ~、ちょっと疲れちゃったね。よし、ここはお姉さんがみんなに飲み物をご馳走してあげよう」

「本当ですか? やったー!」

 

 無邪気に喜ぶ高鴨さんを横目に見ながら、一人静かにため息を付く私。

 そういえばボールを投げる以外に特別何をしたというわけでもないのに、やたらと喉が渇いているような気がする。

 

「ああ福与さん、さすがにこの人数ぶんだと一人じゃ持ちきれないだろうし、私も一緒に行くよ。小鍛治さんはなにがいい?」

「私? えっと、じゃあコー……」

 

 思わずコーヒーをと言いかけて、途中で言葉を止める。

 全員の視線が一気に集中し、今お前なんて言おうとした?というような雰囲気がその表情からは見て取れた。

 中にはレーンのほうを向いていたくせに光の速さで振り向いてくる子もいたりして、雀卓上でダブルリーチ宣言をした時以上の緊迫感を醸しだす一行。

 しかしまだ判定音は鳴っていないので、ごまかせばなんとかなる……かな?

 

「……こちゃんにお任せします」

 

 言い終わってちらりとディレクターさんのほうを見てみると、判定ベルの上に置かれていた手は動かなかった。

 セーフ、セーフ。

 思わず松実(玄)さんのそれに勝るとも劣らない渾身のドヤ顔を披露してしまった程には会心の一手だったと思う。

 

「えー、今のアリなんですか?」

「そうよ、どう考えたってコーヒーって言いかけて……あ」

 

 新子さんよ、そのパターンで自爆するの何回目なのかと。

 

「でも憧ちゃん、一概にそうとは言いきれないよ? 『こー』だけなら紅茶だってあるし、こぶ茶ってことももしかしたらあったかも」

「ないわー。紅茶はともかく自販機にこぶ茶なんて置いてないっての」

「そっかぁ。私けっこう好きなんだけどなぁ、こぶ茶」

「あったかいよね」

「実は自販機で売られている梅こぶ茶なるものがあるらしい。さすがにここには入れてないけど……」

「ええっ、それホントなの灼ちゃん!?」

「なんか前にお客さんからそんな話を噂で聞いた事がある」

 

 そういえば咏ちゃんが梅こぶ茶を自動販売機で見つけたから飲んでみた、的なことを言っていたっけ。

 感想はまぁ……お茶には特に厳しいあの子の舌を満足させられるようなものではなかったようで、彼女の名誉のためにもここでは伏せておくけども。

 自動販売機の珍妙な缶シリーズといえばコーンスープやお味噌汁に始まっておでんやらラーメンやら一通り世間を賑わせてきたけど、それらと比べたらこぶ茶は若干大人しすぎるポジションだよね。銘柄上はいちおうあれでもお茶なんだし、あっても不思議ではないというか。

 

「ふふん、ほらほら憧ちゃん、やっぱりこぶ茶だってありなんだよ!」

「……まぁ実際にあるのは別にいいけどさ。なんかムカつくわね、そのドヤ顔」

 

 

 残り全員の注文を取って大人二人が自動販売機コーナーへと旅立った後、現在ポイントランキング堂々三位あたりにつけているだろう新子さんが隣へやってきた。

 

「どうかしたの?」

「えーとですね、ココだけの話で真意を探りにとでもいいますか」

「――真意?」

「正直意外だなって思いまして。てっきり福与さん狙いでいくものだとばかり思ってましたけど、ここまでそんな感じありませんよね?」

「ああ、そういうことか。新子さんは私たちの関係を正しく理解してくれているようで何よりだよ。でもね、そこには大人の事情という名の妥協というものがあって……」

 

 ゲームの流れを考えると、最初から狙いを定めてそこに一点集中させるなんてのは手ずからお墓の穴を掘るかのごとき悪手である。

 こういったポイントの積み立てが勝敗を分ける企画の時に中途半端な状態で攻撃を仕掛け、彼女を敵に回すことだけはしてはいけない。そんな見え見えなことをすればあの子は即座にその気配を察知し、周囲を巻き込んで包囲網を敷いた挙句に孤立無援状態を作りながらじわじわ追い込む、くらいのことはしでかすに違いないのだから。

 麻雀でならともかく、この状況下でそうなってしまえば包囲を振り切って逃げることも叶わず。もはや退路はなくなってしまうのが目に見えていた。

 

「つまり日和ったと」

「うーん、そう言われちゃうとね……でもどっちかっていうと、場を整えて狙いを定める前に大勢が決まっちゃってたってのが正しい見解かな」

「う……」

 

 というかさ、開始直後から君らヤマ○キ春のパン祭りのシールよろしく罰則ポイントばんばん集めまくっていたよね。

 二十点分のシールを貼り付けられるシートがあったとするならば、そろそろ一杯になっている頃じゃないのかと問いたい。小一時間は問いかけたい。

 間になんやかんやありつつも、第五フレームを終えて第六フレームに突入した頃には、序盤から続く三強の三つ巴による争いのまま大勢が決まりかけていた、というのが今の状況である。

 ちなみにこの場合の三強とは、松実玄、高鴨穏乃、新子憧の三名のことを指す。間違ってもそこに私の名を加えるべきではない。

 既に大差が付いてしまっている以上、ここからポイント一桁のこーこちゃんを集中狙いで攻め立てたとしても、逆転で罰ゲームを喰らわせるところまで持っていくのはまず不可能なのだ。

 

 その事実を把握した上であえて本音を言うのであれば、私だってできる事ならこーこちゃんを狙い打ちたかった。

 蜂の一刺しのような、一撃必殺でいける切り札(カード)が手元にあるならば、私もきっとそうしただろう。

 何故か阿知賀の面々には普通に受け入れられているが、この格好と猫耳の恨みは忘れてはいない。忘れてはいけないのだ。

 いつかは彼女にこのツケを支払ってもらわねばならないだろう。フレーズ的にはもはや時代遅れ気味っぽい倍返しくらいで。

 ……ただ、逆に私の負債ばっかりが溜まって行っているような気がしないでもない今日この頃ではあるけれども。

 

「ま、どっちにしろ私はやると決めたらとことん突っ走るってのが信条なんでー、そう簡単に術中に嵌まってあげるわけにはいかんのだよ。ほいこれ、すこやんのぶんね」

「わっ!? っとと、もうこーこちゃんいきなり缶を投げるのはやめてよ」

 

 空中に放り投げられた200mlくらいの缶を床に落とさないように慌てて手を伸ばす。

 思った以上にずっしりとした重量が腕にかかるけどなんとか踏ん張って、お店の床的には大惨事を巻き起こさなくて済んだ。

 ただ、問題はその後である。

 なんだろうか、この缶の周りに描かれているラベルのイラストから感じる絶望感は。

 私にはどこをどう見ても『ゴーヤー系青汁』と書かれているようにしか見えないんだけど、これ。

 

「これ、は……?」

「すこやんもそろそろ四十路でいいお年なんだから、そういう所から地道に始めていかないとね、老化抑制老化抑制」

「まだ三十路にもなってないよ!? 無駄に語彙が豊かだからってここぞとばかりに普段使わないような言葉で年齢弄るのは止めようよ!」

「それに咄嗟に返せる小鍛治さんもなかなかのものだけどね。みそじはともかく、普通は()()()なんて言葉は知らないんじゃないの」

 

 一緒に戻ってきた赤土さんが、科白の語感とは裏腹な呆れ返ったような顔で言う。

 たしかに、三十路(みそじ)という言葉を聞いたことがある人は多いだろうけど、四十路(よそじ)というのはあまり聞き慣れない言葉ではある。

 三十路が三十歳ちょうどの人を指すように、四十路は四十歳ちょうどの人を指す言葉で、厳密にいえばアラフォーで括られてしまう年齢の人はそこには当てはまらないんだけどね。

 それでも、アラフォーと呼べないからって咄嗟に四十路と出てくるこーこちゃんの使いどころを完全に誤った語彙力と、そこまでして年齢弄りを決行しようとするその情熱はいったいどこから湧いて出てくるのか疑問に思わずにはいられない。

 同じことを思っているのか、周囲にいた麻雀部の子たちもしきりに感心しているようだった。

 この子たち、こーこちゃんの影響を受けすぎて変な場面で必要のない機転を利かせるような人間にならなければいいけど……。

 

 

「飲み物がみんなに行き渡ったところで、そろそろ再開しようかねー。えーと、次投げるのって誰からだっけ?」

「はいっ、私です!」

 

 勇ましく手を挙げたのは、松実(玄)さんである。

 英語禁止ルールのせいでおざなりだったこれまでの流れを追っておこうか。

 いまの時点で私は既に二投とも投げ終わっており、第六フレームの基準値は四本+二本で結果が『6』という、なんとも中途半端な数値を残してしまっていた。

 二連続でスペアを取って調子付いている第二組は、一投目の赤土さんが⑧⑩番ピンを残す形の難易度高めのスプリットを叩き出してしまい、二投目の高鴨さんがスペアを狙うも一本も倒せず八本止まり。それでもCM枠が2ポイントもプラスされるという大盤振る舞い状態になっているのは偏に私のせいである。

 第三組一投目の新子さん、第四組一投目の松実(宥)さんはどちらも六本と低調気味。

 現在は第三組の二投目、松実さんが投球準備に入ったところであり、あったか~いものというお題に限界を感じた一行は、箱に残されていた中から新たなお題を選ぶことにしたのだった。

 

「今のところ三つ巴って感じだけど、どうせならここらで一発順位のどんでん返しが起こりそうな話題を持って来たいところだね」

 

 箱をカシャカシャと振りながらこーこちゃんが言う。

 番組的に波乱が欲しいのは分かるけど、このルールが始まってからの私のボウリングのほうの成績が地味に悪化していることも少しは考慮に入れてほしいものだ。

 

「うーん、もうあと少しだし無理にお題を決めなくてもいいような気がしてきたんですけど」

「まぁまぁ、英語禁止区間が終わったあとでも喋るぶんには構わないんだし、話題があっても困らないっしょ。ほら、なんだったら今度はしずもんが引いてみるかい?」

「私ですか? よーし」

 

 そんな二人のやり取りを、松実(玄)さんが書いたやつ――おそらくはおもち関連――じゃなければなんでもいいや、という思いで見守っていると。

 彼女によって引き抜かれた紙は、どうにも見覚えのある折り方になっていた。

 

「どれどれ……おっ、これはこれは、ふーむ。ある意味この場に相応しい話題といえるかも」

「この場に相応しい?」

「そう。阿知賀だから通用するって意味ではね。これ書いたのすこやんでしょ?」

「え? 名前書いてあるわけじゃないのにどうしてそう思うの?」

 

 たしかにあの特徴的な折り方――というか、四角じゃなくて三角になるよう二つ折りにされたそれは、私が入れたものとよく似ている。

 けど、中身を見てもいないうちに断言できる程の証拠でもないわけで。

 

 ちなみに私が提出したお題はというと、様々な事情を考えた結果『原村和』にしておいた。

 ここに集った全員で共有できそうな話題といえば、彼女か麻雀関係か、あいにくとそれくらいしか思い浮かばなかった。発想力が貧困というなかれ、即興というのは意外と難しいんだよ。

 で、ここで安易に麻雀についてを選んでしまうと、後でこーこちゃん辺りから「在り来たりすぎる」と馬鹿にされそうだし、なにより面白味に欠ける。

 だからこそというか、何かと話題に事欠かなさそうな彼女を話題の中心に据えてみることにしたわけだ。本人の与り知らぬ所で話のネタにされてしまうかもしれない長野のあの子には申し訳ないと思うけれども。

 

 私の問いかけに、こーこちゃんはこともなさげに言う。

 

「だってすこやんのは筆跡で分かるもん」

 

 ……そういえばそうだった。

 こーこちゃんは何気に筆跡を真似してサインまで書けてしまうという妙ちくりんな特技(?)を持っていたりする程だし、私が書いた文字を判別するくらいは朝飯前なのだ。

 

「というわけで、次のお題は『原村和について』に決定~!」

 

 高らかに掲げられた宣言と同時に、残っていたすべてのピンを倒してはしゃいでいる松実(玄)さんの姿があった。

 何気にしれっとスペアを取っていくあたり、さすがである。

 

 

 ……と、心の中で褒めてあげたのも束の間。

 

「和ちゃんのことかぁ。う~ん……やっぱりなかなかいいものをおもちなことは外せないよね。しばらく会わないうちにまた大きくなってたし」

「触ったんかいっ」

 

 戻ってきてすぐさまそう言いながらわきわきと手のひらを動かす松実さんに、ぺしっと突っ込みを入れる新子さん。

 

「あんたそればっかりじゃないの。まぁ、確かにあれは同性から見てもちょっと訳分からないくらいヤバかったけど……」

「でしょ! あれはきっとおねーちゃんに勝るとも劣らないほどの成長を見せているに違いないのです!」

「――玄ちゃん」

 

 大好物の話題の前に目に見えてテンションを上げてきた妹の前に、ゆっくりのっそりと姉が立ち塞がる。

 こちらからは背中しか見えないものの、その表情を見た松実(玄)さんの顔色が見る見る青くなっていく様子を見るに、きっとあれは凄くおっかない顔をしているか、あるいはその真逆で、とても悲しそうな顔をしているかのどちらかに違いない。

 さすがの彼女も姉を怒らせてまでその話題を続けるつもりはなかったらしく、あっさりと方向を転換してきた。

 

「あ。外見っていえばさ、和ちゃんってやたらと可愛いものが好きだよね。なんかいつもお嬢様っぽい服とか着てたし」

「たしかに昔からそうだったわよね、山に登るっつってんのに長い裾のやつ履いてきたり。でもまさか全国大会にぬいぐるみ持参で来る程だなんて思ってなかったけど」

「それって、あの誰かに蹴っ飛ばされたりしてたやつだっけ? まんまるいの」

「対局中もずっと抱いて打ってたからよく覚えてる。対面だったから凄く気になった……」

「さすがにウケ狙いとかってわけじゃないと思うけど、なんでぬいぐるみ抱いて打ってたんだろう?」

「あれ持って打つと集中力が格段に跳ね上がるらしいよ。この前打ち上げの時に本人に直接聞いてみたらそう言ってた」

「えー、それいいなら私も決勝普段着で打ちたかったなぁ」

「だからそれは止めなさいって」

 

 そういえば高鴨さんの普段着はジャージだったっけ。巫女服で打っていた子たちもいたくらいだからジャージ姿の一つや二つくらい許されそうなものだけど、大会規定はともかくとして、さすがにお嬢様学校の生徒として全国放送でそれはあり得ないということか。

 とはいえ全国各地の代表校を含めて考えれみれば、オモシロファッション大会とか裏企画でやるという話もあったくらい今年の出場選手の中には個性的な風貌の選手が多かったように思う。

 片岡さんは二回戦から何故かマントを羽織っていたし、永水女子の副将の子なんて奇抜すぎる仮面を持って登場してきた程である。

 中には日本刀を引っさげて会場入りした猛者もいたというから、そのあたりの自由度はハンパない大会といえるだろう。

 私たちの頃はそんなこと無かったような気がしたけどなぁ……これも時代の移り変わりというヤツなのかもしれないけど、なんだろう。何故か羨ましいと思う気持ちは一ミクロも浮かんでこない。

 

「でも私的に和っていったらやっぱ最初に浮かんでくるのはアレなんだよねぇ」

「あれって……? ああ、決め台詞?」

「そそ。初めてこの面子で麻雀打った時にさ、玄のあれを直に体験した後なのに臆面もなく言い放ったじゃない? さすがっていうか、あそこまでいっちゃうともう和自身がそれっぽいというかさ。言わないけど」

「あー、分かる。分かるよ憧。言えないけど」

 

 うずうずとその決め台詞とやらを言いたそうにしている二人だけど、あいにくと禁止ワードど真ん中なのでうかつに発言出来ないでいる。

 どうせもう三人のうちの誰かなのは決まったようなものなんだから、ばんばん喋っちゃってもいいと思うんだけどね。

 

 現在の情勢としては、それなりに口を挟んでいるはずなのに未だ脅威のゼロポイント継続中の鷺森さん。続いて少数なのが赤土さん、松実(宥)さん、こーこちゃんの三名で、私は一桁台だけど、大台に乗る一歩手前でなんとか踏ん張っているといったところ。残りの三人はたぶんぶっちぎりでポイントを稼いでいるはずだ。

 ただ、罰則ポイントの正確な累計値は中盤あたりに発生したラッシュのせいで記録係さんくらいしかきちんと把握できていないため、プレイヤー側の私たちは現状トップスリーの中の誰が一位なのかは分からない。

 

 この英語禁止ルールの適用区間も、あとは第四組二投目担当の鷺森さんがボールを投げることで終わってしまう。

 短いようで長かったけれども、終わってしまうと思えば名残惜しい――わけがなく。できることならこのまま何事もないうちに、さっさと投球して終わらせてもらいたいというのが偽らざる心情であった。

 で、既にゼロポイントでの罰ゲーム免除がほぼ確定しているその鷺森さんはというと、悠々とマイボールを磨きながらこちらの動向を伺っていたりする。

 もう一波乱をお望みですか、そうですか。

 そんな座敷童子の望みを叶えるかのごとく、ゴーヤー青汁の苦さに眉を顰めていた私の隣に高鴨さんがやってきた。

 

「あの、ちょっとだけお話聞いてもらってもいいですか?」

「うん? 内容にもよるけど……何かな?」

「和のお題ってことでちょっと思い出したんですけど……実はさっき家に戻ってから少しだけ電話で話をしたんですよね、和と。その時に和の言ってた事が気になっちゃって」

「原村さんが言ってたこと?」

 

 ということは、原村さんから一通りの話を聞けたということだろう。

 あっちはたぶん表に出てしまった時点で問いかけられさえすれば答えるつもりはあっただろうし、お互いに妙な蟠りがなくなったのであればいいことだと思う。

 麻雀絡みではあるものの、勝敗とはまた別の問題で関係が拗れるなんてのはやっぱりよくない。

 もっとも――麻雀で多くの人の精神を屠ってきたであろう私にそんなことを言われたくない、なんて人も世に少なくはないだろうけど。

 

「お父さんを説得するために色々と手伝ってもらったって、和が言ってました。それで宮永さんと麻雀を打って、勝ったって」

「あー……あれね。まぁ、あんまり役に立てたとは思ってないけど……」

「でも和は言ってましたよ? 条件付とはいえ最終的に折れてくれたのは、小鍛治さんのその戦いのおかげだって」

「そ、そうなんだ。でも、ほんとにそう言ってもらえるほどの事をした覚えは無いんだよ」

 

 強制的に三者面談をやらされたり、麻雀を打ったりはしたけれども。

 それが直接あの頑固っぽい父親の心に届いたとは思えない。だからあの人はあの人で最初から落とし所を探していたんじゃないのかな、と思う今日この頃だった。

 

「私……正直小鍛治さんの麻雀は強くて、たしかにびっくりするくらい強いけど、それはただ壊すためだけのものだって、ずっと思ってました」

 

 まっすぐにこちらの瞳を射抜くように見つめてくる、その眼光。

 いつだったか京太郎君から感じたものと同じように、決して逸らせそうにない程強いそれが突き刺さってくる。

 ――そして、理解した。

 そこに浮かんだ、鷺森さんから感じられたものよりも遥かに強いそれは、隠し切れない強烈な敵愾心の発露なんだという事実を。

 

 赤土晴絵を一度()()()私に対する強い憤怒。あるいは、楽しむための競技で他人を破壊することしかしない私の麻雀に対する嫌悪、とでもいうべきか。

 それは刹那の間に掻き消えてしまったものの――無邪気という名の深い森の奥底に潜ませていた彼女の本質、といえるのかもしれない。

 

「だからこそ私は、貴方のことをあまり好きじゃなかったんです」

 

 純粋で――純粋だからこそ許せないことというのは確かにある。

 昼に実際に卓を囲んだ時、テンションの高さが気になった。あれはおそらく、心の根底で嫌っているモノと対峙するにあたり、己の信念でそれを塗りつぶそうとする積極的防衛策とでもいうべきものだったのだろう。

 彼女にとって麻雀とは、心の底から楽しむためのものでなければならない。もちろんそこには勝負ならではの負ければ悔しいという当たり前の結果もあるのだろうが、その感情を乗り越えた先で、卓を囲んだ後に全員で「楽しかったね」と言いあえるようなものこそが、彼女にとっての『麻雀』だった。

 これは私の推測でしかないけれど。でもおそらく、それに近しいものを抱いているだろうことは間違いない。

 

 彼女の価値観に照らし合わせれば、私の麻雀はまさに毒。すべてを冒し、破壊する忌むべきもの。私には、彼女の深層心理が抱いているであろうそれを、馬鹿げていると断じることなどできはしない。

 ただ、過酷な勝負の世界においてそんな理想は妄言に過ぎないと。世界を股に掛けて戦ってきた私にしてみれば、それもまた疑いようのない事実だと知っていて。

 でも()()を教えるのはきっと私じゃなくて、師でもある赤土さんの役目だろうとただ黙ってその先の思いを受け止めることにする。

 だけど、そんな私の考えとは裏腹に、高鴨さんは懸念そのものを吹き飛ばすような綺麗な笑顔を浮かべたまま言葉を続けた。

 

「でも、勘違いだったんです! 和のために打ちながらあの宮永さんに余裕で勝って、その上で和の転校を白紙に戻すなんてこと、私にはきっと出来ません。だから、やっぱりプロは凄いんだな――って!」

「――あ」

「それを聞いて、なんていうか……とりあえず謝らなきゃって思ったっていうか。ごめんなさい! そしてありがとうございましたっ!」

「あー……うん、まぁ」

 

 いきなり大声で謝られた上に頭を下げられても、それはそれで困るんだけどね。

 ついでにいうと、今のでまたポイント加算されちゃったけどそれはいいんだろうか?

 ……気にしてなさそうだし、いいってことにしておこう。ペナルティをガン無視するその姿勢、私は嫌いじゃないよ。

 

 高鴨さんは、自分たちの麻雀が知らずのうちに原村さんに対する毒に成ってしまったことで気が付いたのかもしれない。

 麻雀(どく)を用いて人を壊し、麻雀(くすり)を用いて人を救う。毒と薬は紙一重で、立場によって見える景色は異なるという当たり前の現実に。

 霧の晴れたその瞳の向こう側には、もう私の麻雀に対する嫌悪感は欠片も見られなくなっていた。

 

「なにいきなり大声出してんのよ、ったくあんたはもう」

「えへへ、ごめんごめん」

 

 照れくさそうに笑顔を見せる高鴨さん。

 その彼女の姿を見てから、鷺森さんはゆっくりと助走を始め――彼女の見事なスペアを以って、英語禁止ルールの適用期間が終わりを告げた。




阿知賀編は清澄ほどキャラの特徴が掴めていないので、執筆速度が目に見えて遅くなってしまいます。猛省しなければ……。
次回『第11局:決着@斯くして切り札は微笑する』。ご期待くださいませ


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第11局:決着@斯くして切り札は微笑する

 集計されたポイントの結果発表は、ゲームの終了に併せて発表されることになる。

 なので、まずは先に本題のほうを終わらせてしまわなければならないわけで。

 本題――つまりはボウリングである。みんな途中から会話のほうに集中していたけど、あくまでこちらが本題なのだということを思い出した一行は、お題についての会話を適度に持ち越しながらもそれからしばらく真面目にボウリングを楽しんだ。

 

 推移としては、ようやく精神的に圧迫される第四フレームから第六フレームの攻防が幕を下ろし、ここからまたボウリングに集中できるという状況の第七フレーム、私を含めてどのペアもスペアだったりストライクだったりを取りながら順調に消化していった。

 第八・第九フレームも特に波乱もなくまったりペースで進み、遂に最終第十フレームへと舞台は移る。

 

 ちなみに現在までのスコアは以下の通り。

(※ ▲:スペア [><]:ストライク G:ガター -:ミス ○:スプリット)

 

 第一組  (8|-)  (6|3)  10(8|▲)  (7|-)  (5|3)  (4|2)  10(7|▲)  (9|-)  (7|2)  (基準点)

 第二組  +1(⑦|2)  +3(8|▲)  +2(7|2)  +6(9|▲)  +6(⑦|1)  +8(⑧|-)  +10([><])  +13([><])  +12(6|2)

 第三組  -1(G|7)  -1(5|4)  +1([><])  +2(4|4)  +3(⑧|-)  +8(6|▲)  +10([><])  +10(6|3)  +10(9|-)

 第四組  +3(3|▲)  +5(2|▲)  +4(⑧|1)  +8(G|▲)  +9(4|5)  +14(6|▲)  +15(5|▲)  +17(⑦|▲)  +19(1|▲)

 

 この英語禁止区間中のグダグダ感。各ペアともポイントの伸びが半端ない。

 私個人で見ると露骨に一投目の成績が悪くなっているし、二投目でもそれをカバーしきれていない。やっぱりこれは意識が別のところに割かれてしまって集中力が削ぎ落とされた結果だろう。

 

「さてさて、第九フレームが終了したところで各自の成績を見てみると――おっと、CM枠は何気に拮抗してますねぇ」

「小鍛治プロのスコアも悪くはないですが、隙がないわけではありません。私たち第四組を含めてそれを逃さないように要所で加点できています」

「プロの目から見て隙が生まれる原因をどう見ますか?」

「……投げた時に右に流れることが多いのは、腕が疲れて投球時に脇が開いているせいかと。いつもよりちょっと左側に立つとか、なるべく正面を意識して、バックスイングの際にあまり腕を上げすぎないように。あと握力が落ちているようならボールの重さを調整することも視野に入れるべきでした」

「なるほど~、一ゲームも持たないとか他の子と比べるとやっぱ体力ないってことが丸分かりですね、小鍛治プロ!」

「ほっといてよ」

 

 実況席に戻ってきたこーこちゃんと解説役の鷺森さんは、その瞬間からこんな感じで絶好調だ。

 だけどちょっと待ってほしい。主な原因は肉体的疲労というよりはむしろ精神的なほうだと思うんだけど。

 ……でもまぁ、専門家の言うことだからここは素直に受け取って、今さらかもしれないけどボールの重さを一つぶん軽くしてみようかな。

 

 ――で、結果。

 ポコーン!

 軽快な音を残して、レーン上に綺麗に並べられていたピンが全部倒れていった。小鍛治健夜、ここに来て本ゲーム初めてのストライクである。

 

 ……あれぇ?

 さっきまで苦労していたのがウソのようなピンの倒れっぷりに、喜ぶより先に首を傾げてしまう私がいた。

 逆に、他のメンバーたちは露骨なまでに不満顔を披露してくれている。というのも、最終の第十フレームだけはストライクかスペアを取れば三投目が投げられる、というルールがボウリングには存在するからだ。

 ここで私が三連続ストライクなんて出したりすれば基準点はなんと30にまで到達し、もし他のペアがスペアを取れずに二投目で終了した場合、差は-20近くに及んでしまうというとてつもなく大きな数値になるわけで。これまでの稼ぎが全部ぶっ飛んでしまう可能性すら出てくるのであった。

 彼女たちには非常に申し訳ないけれど、これで残りの三組には途轍もないプレッシャーをかけられたことになる。

 

「……灼さんの助言がなんかことごとく神懸かってるんですけど」

「あはは、神社の娘が言うとその科白も真に迫ってるね」

「言ってる場合じゃないわよハルエ。最後にストライク取られた時点でこっちがだいぶ不利なのよ!?」

「なんのなんの。こっちも同じようにストライクかスペアを取ればポイントも増えていくんだし、まぁ大丈夫だって。次も小鍛治さんがストライクならちょっとヤバいけどね」

「わ、私はストライクなんて無理かも……」

「でもおねーちゃんはペアが灼ちゃんなんだし、大丈夫じゃないかなぁ? それにまだ全チームあらたそチャレンジ残してあるから、いざとなれば――」

「あんまり過度な期待はしないでほし……」

 

 という松実(玄)さんの科白で思い出したけど、そういえばそんなシステムもあったんだっけ。覚えていても英語禁止中はその名称的に使用の宣言が出来なかっただろうけど、残りは最終第十フレームを残すのみ。どう考えてもそろそろ使っておかないといけない時期に来ていた。

 番組的にも鷺森さん的にも、あらたそチャレンジをどのチームも一切使わないでゲームが終わってしまうという結末だけはご遠慮願いたいはず。だからなのか、どうなのか。場を整えるための存在がおもむろに立ち上がり、高らかに宣言する。

 

「小鍛治プロの一投目が無事終わったところで、ここで唐突に発表ですっ! 最終第十フレームのみの特別ルール、ダブルアップチャ~ンス!」

 

 だからそういうのがあるなら最初から説明しておいてっていうのに。

 

「今度はなんかこっちに有利そうなルールが来たね」

「うぅん、言葉の響きだけならそうですけど……福与アナのやることですし、どっちかというと不安しかないですよ?」

「右に同じく……」

 

 うん。君たちは実に正しく福与恒子という女性について認識しているね。将来有望でお姉さんは嬉しいよ。

 言葉の響きだけで判断するには、若干デメリットの匂いを感じさせてはいるもののプレイヤー側が有利な感じのルールのように思える。それでも素直に安心できないのは、これがこーこちゃん発案のルールっぽいからだと断言していいだろう。

 

「そう警戒しなさんなって。投球前に事前に申告した本数と同じだけのピンを倒せば、現在お持ちのポイントが倍になるというお得なだけのルールなんだから」

「へぇ――」

「もちろんタダでみんな平等に権利があります、なんて慈善事業的なことは言わないけどね」

「――だと思ったよ」

「といっても発生条件はシンプルイズベスト! ダブルアップのチャンスが発生するのは泣いても笑っても怒っても第三投球目の一投のみっ!」

 

 ……うん? 第三投球目ってことは、ストライクを取った時点で条件をクリアしているってことかな。報酬がポイント倍増のチャンスだけなら私にとってはまるで無意味だけど……って、ああそうか。だからこのタイミングでの発表なのね。

 

「ええと、それってつまり最初の一投目できちんとストライクを取っておかないとチャンスそのものが無くなるってことですか?」

「三投目って括りだけなら、スペアでも大丈夫」

「あそっか」

「ただ、スペアだと三投目は全部のピンが残ってる状態だから本数を調整するのは難しい。逆にストライクの場合は二投目次第でピンが減ってる状況になるだろうから、指定本数を倒しやすくなるとおも……」

 

 なるほど。十本残っている状態から狙って三本だけ倒すのは難しくても、左右に離れて残っている三本のうちの二本を狙って倒すのは比較的容易だということか。

 二投目もストライクを取ってしまうとそれどころじゃなくなりそうだけど。そうなったらそうなったでポイントが加算されるのだから彼女たちにとっては悪い話じゃないはずだ。

 

「ってことで、第二組の一投目だけ――」

「「あらたそチャレンジで!」」

 

 即答だった。しかも二人ともが。

 まぁ、使い所といったらここくらいしかないよね。三投目に残しておきたい気持ちもあるものの、そもそも三投目が訪れなければ意味がないというジレンマ。

 本来一投目を担当するはずだった赤土さんに関して言えば本日の調子はあまりよろしくないようだし、真ん中目にボールが行ってもピンが左右に割れて残ってしまう。なのでここは安全策をということだろう。

 一見イケイケで攻め立てるほうがお似合いな印象の二人にしてみれば、若干守りに入った選択のような気がしないでもないけれども。実際にはこの二人、勝負事に関してはわりとクレバーなのかも知れない。

 

「お願いします、灼さん!」

「灼、頼むよー」

「……」

 

 無言のまま実況席から立ち上がり、力強く頷く鷺森さん。なんだかすごく格好いいというか、様になっている。

 なぜだかまだ私が世界で戦っていた頃、似たような言葉をチームメイトからかけられたことをふいに思い出してしまった。

 

 

 ――ザ・仕事人。

 今度から鷺森さんのことをそう呼ぶべきじゃないかと本気で愚考し始める程度には、その光景は圧巻だった。期待され、それに応えるかのようにして緩やかなカーブを描きながら的確にポケットへと吸い込まれていくそのボールは、見事にすべてのピンをなぎ倒してスコアにストライクの模様を刻んだ。

 重圧のかかる場面で望まれた仕事をピンポイントでやってのける手腕たるや、もはや今からでもプロでやっていけるレベルなんじゃなかろうか。

 

「おー! さすが灼さん! イェーイ!」

 

 戻ってきて第二組の二人とハイタッチをする鷺森さんの頬は、どこかほっとした感じに緩んでいた。

 ……ああ、でもやっぱり緊張していないわけじゃないんだな、と。そう感じさせる程度には年齢相応の表情だったと思う。ポーカーフェイスに定評のある彼女だけに、それだけのことでちょっと安心してしまったのはここだけの秘密である。

 

 この後の私の二投目と三投目は、ダブルアップが一切関係ないうえに倒れたピンの数が五本+三本の計八本と絵的にまったく振るわなかったため、いっそ潔く割愛するとして。

 第二組の二投目、先ほどは赤土さんの代わりに鷺森さんが投げたという扱いなので、順番でいうと次は高鴨さんの出番になる。

 前回順番の入れ替わりで一投目に投げた時には見事なストライクを取ってみせた彼女だったが、今回は少し力んでしまったのか結果は六本とやや低調のまま出番が終了。①③⑥⑩番ピンが残ってしまい、右端の全部が倒れないという無駄に器用な形を見せていた。

 この状況、中央の二本を倒せば弾かれたピンに後ろ側も巻き込まれて倒れてしまいそうな気もするし、ピンアクション(と呼ぶらしい)を想定してきっちり指定しただけの本数を倒すとなると、さすがに少し難しいんじゃないだろうか。

 

 で、その次の三投目を投げる赤土さんはというと。高鴨さんと相談した結果、高らかに宣言する。

 

「よしっ、ここはスペア狙いってことで宣言本数は四本で!」

「おおっ、これは強気な宣言を頂きましたっ! さすがは阿知賀のレジェンド、この絶好の見せ場で見事スペアを取りボウリングでも伝説を打ち立てることができるのかーっ!?」

 

 マイクを片手に興奮したこーこちゃんが、いつもの調子で煽ること煽ること。ここでスペアを取ったとしても、別に伝説と呼べるほどのことではないと思うけど……せっかく二人してノッてるんだし、余計なことは言わないでおこう。

 教え子たちの檄を背中に受け、赤土さんが投球準備に入る。じっくりと狙いを定め、投じられたボールは――。

 

「――ぅあっ!」

 

 というご本人の呻き声からお分かりいただけるように、①③番ピンを綺麗になぎ倒しはしたものの、やや斜め後方に弾かれた③番ピンは⑥番ピンを掠りながらも巻き込んで倒すことなくレーンの奥へと消えていってしまった。

 結果、倒れたのは中央の二本のみ。伝説には程遠い、ストライク+六本+二本という実に平凡な結果を以って、第二組の投球がすべて終了した。

 

 

 ボウリング対決もいよいよ佳境となり、残った第三組と第四組の一投目の担当者が席から立ち上がる。でも、姉妹のその後の反応は正反対だった。

 

「灼ちゃん、お願いできる……?」

「ん。任せて」

 

 第四組の一投目は松実(宥)さん。迷うことなくあらたそチャレンジの使用を宣言し、一投目を彼女に託した。そして第三組の松実(玄)さんはというと、あえてここでは宣言をせずに一投目は自分で投げることにしたらしく、ボールを備え付けのタオルで丁寧に拭いている。

 

「あれ? ねえ憧、あらたそチャレンジ使わないでいくの?」

「まぁね。作戦って程じゃないけど、玄がもしここでストライクを取れるようならそれでよし。満を持して三投目に使えばいいでしょ」

「もし取れなかったらどうすんのさ?」

「その時は最悪二投目に使って灼さんにスペア取って貰うしかないでしょうね。玄がここで難易度最高峰のスプリットを出さないよう祈るしかないわ」

「……気のせいかな。今なんか盛大にフラグが立ったように思えるのは」

「奇遇だね、赤土さん。私もなんかそんな気がするんだ」

 

 第三組の二人は最後まで自分たちのカラーを貫くつもりらしい。その散り様をきちんと見守るため、私と赤土さんは神妙な面持ちでレーンのほうへと視線を向けた。

 

 注目の一投目。松実(玄)さんはボールを胸の高さまで持ち上げたまま、じっくりと意識を集中させてから助走に踏み切った。これまでの投球よりも綺麗なフォームで繰り出されたボールは、レーンの中央を進んでそのまま①番ピンと接触、後ろに並んでいるピンを次々と巻き込みながら進んでいき――⑦番ピンと⑩番ピンの二本を残すという、なんとも完璧すぎるフラグ回収能力を見せた。

 

 ――かに思えたんだけど。

 

 外側に弾かれた⑥番ピンが壁にぶち当たった反動で反対側まで転がっていき、くるくると床をスピンしながら⑦番ピンのお腹?の部分に当たって溝に落ちていく。⑦番ピンそのものは巻き込まれずに残ったものの、衝撃を殺しきれずにグラグラと揺れ続けていた。

 倒れるのか、倒れないのか。上からピンを押さえる機械が下りてきて捕まえられたら万事休すである。

 固唾を呑んで見守るギャラリーの私たちと、祈るように両手を重ねて声を上げる第三組の二人。その必死なまでの祈りが神様に通じたのかどうか。⑦番ピンは、空気を読んでか読まずか静かに倒れて溝の奥へと消えていった。

 

「た、倒れた~っ!」

「あぶなっ! 危なすぎるわよ今のは!」

 

 ⑦番ピンと⑩番ピンという奥の両端が残る形、スネークアイと呼ばれる最高難易度のスプリット。プロボウラーでさえ恐れ戦くといわれるその姿の片鱗こそ垣間見えたものの、結局それは私たちの前に姿を表すことなく消えてしまったようである。

 別に第三組の二人が嫌いなわけじゃ決して無いんだけど、今のは番組終盤の見せ場的にも残って欲しかった。

 おそらく同じことを考えていたのだろう、実況席のこーこちゃんがマイクに拾われないように舌打ちをしたのを私は聞き逃さなかった。

 ……あれ? てことは私ってもしかして収録と人情の比率の格差がこーこちゃんと同レベル? いやいや、そんなバカなことが……。

 

「運がいいね、二人とも。さすがにあれが残っていたらスペアは諦めるしかなかったけど……」

「う、運も実力のうちよ! あは、あはははは」

 

 実力の内らしい運のおかげで第三組が首の皮一枚繋がったところで、第四組のあらたそチャレンジ枠での投球となる鷺森さんの出番である。

 

 自分のチームということもあってか特に気負うわけでもなく、普通に投げられたそのボールはいつもどおり綺麗な軌道でピンに向かっていき、当たり前のようにストライクを取った……と誰もが思っていたのだが。運命の悪戯というのはこういう時に全力を出してくるものらしい。

 なんと今度もまた第三組と同じようなパターンで⑩番ピンが倒れきらずに残ってしまい、しばらくぐらぐらと揺れていたものの、先ほどとは違って上から降りてきたアームに上手いこと固定されてしまい、結果九本止まりという、同じスコアのはずなのに印象としては正反対な結末となってしまった。

 

「……」

「ど、どんまい……」

 

 第三組は二投目で新子さんがチャレンジ宣言をしている上、第四組は元から鷺森さんが投げる予定になっていたため、ここにきてなんとレーンを跨いで三連投のフル回転となる鷺森さん。その一投目の結果がこれというのは少しメンタル的には痛手っぽいんじゃないだろうか。

 この一投は本人にしてみたらよほど悔しかったみたいだし、その影響がこれからの連投に影響を及ぼさなければいいんだけど。

 

 ……なんて。そんな私の心配もどこ吹く風といった感じで、いつもどおり淡々と投げては華麗に二つのチームのスペアを取っていく鷺森さん。当たり前のように倒していくけど、ほんとこれ職人芸でしょ。

 これでなんとか両チームともスペアとなったため、第三組・第四組ともに第十フレームは三投目を確保したことになり、同時にダブルアップチャンスが発生することになった。

 

 しかし、だ。ピンがフルに残っている状態の上、投球者は再び松実姉妹である。

 どちらも調子の波が激しくて傾向が読めないタイプであり、予想して本数を当てるのは半ば無理ゲーじゃないかと思えるほどだった。

 

「……ねぇ、ちょっと質問なんだけど。0本って予想はあり? なし?」

「あー、それはどうなんだろう? 福与アナ?」

「当然ナシ。っていうか()()()本数なんだから、一本も倒せなかったんならそもそも権利はもらえないよん」

「ぐ……まぁ、普通に考えればそうよね」

 

 そこに気づくとは、天才か。

 ――なんてことにはならないんだな、残念ながら。

 一本も倒せないっていう予想は投球者側のさじ加減で容易に操作できてしまうから、こういった場合には対象外にしておかないと八百長の温床になってしまうしね。

 

「完全に運に任せるしかないか……玄、投球も数の指定もどっちも任せるわ。頼んだわよ!」

「えっ? 私?」

「そこはお任せあれ!っていうべきところでしょー、もー」

「ご、ごめん」

 

 今のやり取りをみると本当にこの子に任せて大丈夫なのかと若干疑問に残りはするが、既に賽は投げられている。私たちとしては見守ることしか出来ない。最後の最後に大役を任された松実さんは、いっさい考える素振りを見せることもなくきっぱりはっきりと宣言した。

 

「じゃあ、六本で!」

「ほう。なんていうか中途半端な数字だけど、その心は?」

「私の名前、クロですから! さっきが九本だったので、次は六本なんじゃないかなって」

「あーなるほど。ゲンを担いだわけね、玄だけに」

「」

「あ、あったかくない……」ブルブル

 

 ああ、やってしまった。遂にやってしまったよ赤土さん……っ!

 あまりにもアレな親父ギャグの余波を受け、松実(宥)さんが大氷河の時代に冷凍保存されたマンモスの如く見事に凍り付いてしまったではないですか。

 第四組の投球順が来る前に何とか解凍しなければ、このままだと第四組が棄権になってしまう。集った有志たちによる必死の救助活動の末になんとか動き出した松実さんではあったものの、こんなに震えていて最後の一投は大丈夫だろうかと心配になるコンディションの悪さである。

 

「宥、なんかゴメンね……つい出来心でさ」

「い、いえ……」

 

 収録されて発売されたら黒歴史になりそうだよね。玄だけに。

 ――と追い討ちをかけるようなことは、この空気の中ではこの私を持ってしても躊躇せざるを得なかった。

 

 

「遂に第三組の最後の一投となりました! さて解説の鷺森さん、ここで彼女は六本と宣言しているわけだけど、それってストライク取るより簡単なの?」

「偶然に頼らなければいけないぶん、難しいかと」

「ですよねー。というわけで、あえて茨の道を選んだ阿知賀のドラゴンロード松実玄! 我々はその生き様を静かに見守ることにしましょう!」

 

 静かに見守るつもりなら最初から余計なことを聞かなければいいのに。

 後ろから聞こえてくるそんな二人の会話を聞き流しながら、ボールを抱えて投球準備に入った松実さんの後姿を見つめる。

 でも考えるのはボウリングとは別のことで。

 

 ――ドラゴンロード。その呼び方を最初に考案したのは、どうやら一回戦の解説をしていた三尋木咏その人だったという。当時の松実さんといえば、全国大会一回戦(途中)、あるいは奈良県大会団体戦での牌符程度しか世に出回っていなかったはずで。若干分かり易すぎるとはいえ、それでもきっちり打ち筋の特徴を掴んだ上でお洒落な二つ名をぱぱっと思い浮かぶあたり、彼女の扇子……もとい、センスのよさが伺えるエピソードだと思う。

 旅館のこともあるしあまり現実的ではないと思うけど、もしも将来松実さんがプロの世界に身を投じるようなことがあったとして、その時プロ麻雀カードに書かれることになる二つ名もやっぱり“ドラゴンロード”になるのかな。

 咏ちゃんは猫で、彼女が龍。両方とも火力に特徴のある選手でありながら、象徴とされるものは真逆。竜虎ならぬ龍猫対決がそのうち見られることになるかもしれないのか。今のままの実力だとちょっとプロでは厳しそうだけど、一回は見てみたい組み合わせではある。

 あ、でも。もしそうなら、清澄の宮永さんあたりはどうなるだろう。やっぱり“リンシャンマシーン”とでも呼ばれることになるんだろうか。自業自得な感があるとは言っても、それはそれで不憫だな……。

 

 そんな取り留めのないことを考えている間に周囲から沸き立った歓声によって、ふと現実に立ち戻る。

 松実(玄)さんの投球自体は既に終わっているようなので、ピンの状態を確認するために椅子から立ち上がって見てみれば――レーン上に残されているピンは④⑥⑦⑩番ピンの四本で、いわゆるビッグフォーと呼ばれるスプリットの形を取っていた。とはいえ最後の投球なので今後に何の憂いもなく、その一投は見事にレーンのど真ん中を射抜き、宣言どおりの本数だけを綺麗に倒したということになる。

 最終的に第十フレームで基準値には届かずマイナス2ポイントとなってしまったものの、それまでに稼いでいたポイントが倍になったのであれば十分お釣りが来る結果といえた。

 

「なんとなんと第三組、ここにきてダブルアップチャンスに大成功~っ! これによってこれまで獲得していたCMポイントが見事倍になりました!」

「おー」

 

 パチパチと手を叩いているのは他の子たちで、第三組の二人はといえばレーンの片隅で抱き合っている最中である。松実さんなんてもはや涙目を通り越して号泣してるっぽい。

 まぁ、たしかにこの第三組がいちばん波乱に満ちたゲーム展開だっただろうしね。途中の英語禁止区間も含めて。

 その感慨に浸っているのであれば、邪魔をするのは野暮だろう。そう考えた私たちは、二人をそっと見守りながら意識を最後の投球者である松実(宥)さんへと向けた。

 先ほどの凍結事故の影響か、今だガクガクと震え続ける、件の彼女へ。

 

 

 松実宥、彼女の精神は強いのか弱いのかよく分からない。小動物のように震えている姿を見るととても気が弱くてプレッシャーに弱そうにも見えるし、気合いを入れて立ち上がった時の姿は不思議と貫禄に満ちているようにも見えてしまう。少なくとも麻雀における彼女の精神力は強靭で、少々の逆境くらいは撥ね退けてしまうだろうけれども。

 ただ――彼女からは私と同じ匂いがするのだ。もちろん使っているシャンプーや香水が同じというわけではなくて、なんていうか……そう。強いて言えば得意分野以外の部分ではとことん不得手(ぽんこつ)、という点で。

 聞けば普段も旅館の手伝いは主に妹に任せっきりで、本人は自分のお部屋で炬燵に包まっているのが日課だとか。

 方やお休みの日には実家でジャージ暮らし(三食昼寝付き)の私。他人事とは思えないモノを感じてしまうのも仕方がないことじゃないかと思う。一部を除き妙な親近感を抱いてしまう彼女には、同類としてここで一発頑張って欲しいと願わずにはいられないけれども、さて。

 

「これがこのゲーム最後の投球になるけど。あらたそ、ダブルアップチャンスの宣言本数はどうするの?」

「……」

 

 こーこちゃんの問いかけには即答せず、じっと松実(宥)さんのほうを見る鷺森さん。

 お互いに言葉はない。ただ、そのちょっと眠たそうな感じの瞳を見て何を確信したのか、彼女はきっぱりと言い切った。

 

「――九本にします」

「ほほう。その理由は?」

「さっぱり分からないので、いっそ勘で」

 

 こけっ。

 二人のやり取りを伺っていたその場の全員が、思わず吉○新喜劇ばりにこけた。

 それじゃあさっきの意味深な視線のやり取りはなんだったというのか。この子ってけっこうお茶目なのかな?

 

「この場合、ピタっと言い当てるのはさすがに無理だとおも……」

「まぁゆうちゃーのここまでのスコアを見ても、高目と低めとあってけっこうバラけちゃってるからしょうがないかな」

「き、九本もなんて……灼ちゃぁん」

 

 一方、暗にパートナーから九本倒せと命じられた投球者の松実(宥)さんは涙目である。その瞳が無理だと訴えているように私には見えるけど、鷺森さんは気にも留めない。

 そもそも、どっちにしろ勘だっていうんなら、もういっそ宣言本数を聞かせないまま投げさせておいたほうがよかったんじゃないだろうか。実際に本日これまでの松実(宥)さんは八本が自己ベストであり、九本というのはここにきて本日の新記録を更新せよといっているのと同義。かなりの無茶振りであることに疑う余地はないと思われる。

 クールに見えて鷺森さんはけっこうなスパルタ特性持ちなのかもしれない。来年の新人さんは大変だね、完ぺき他人事だけど。

 

「大丈夫。ここでダブルアップに失敗してもそれなりにポイントは確保されてるから。だから宥さんは安心して投げてくればそれでい……」

 

 これまでほぼ毎フレームでスペアを取ってきた第四組は、たしかに他の組と比べるとポイント数を段違いに多く稼いでいる。最初に与えられたハンデキャップの半減というのを当て嵌めてみても、他の二組と遜色ないだけのCM枠を確保できているといえるだろう。

 ダブルアップはいわば半減のハンデ分を打ち消すかどうかの差。取れるかどうかで天と地との差はあれど、及第点を既に稼いでいるという面を考慮すれば必ずしも取らなければならないというわけではない。

 

「分かった……」

 

 鷺森さんの無表情の激励で意を決したのか。再びマフラーをたなびかせながらコクリと頷き、最後の投球に向けてボールを抱え込む松実(宥)さんだった。

 

 

 背中から感じるのは、普段のぽわぽわした彼女からは考えられないほどの威圧感。じっくりと獲物を狙う猫のように、ボールを胸の高さで構えたまま微動だにしない。

 固唾を呑んで見守る一同。やがてゆっくりと動き出した彼女の一挙手一投足を目で追いかけていくと。

 ボールを振り上げ、投げる。ゆっくりと押し出されたボールはころころと転がりながらもど真ん中ちょっと右寄りのルートを進んでいき、たっぷりと時間をかけて中央に鎮座する①番ピンへとぶつかっていった。

 

 ボウリングという競技は、スピードとパワーによるゴリ押しだとか、ボールに回転をかけてスポットを狙う華麗なテクニックとかでピンをなぎ倒して行くものだとばかり思っていた私。しかし目の前の光景はそれらの常識を覆す、不可思議な現象に満ち溢れていた。

 

 コロン、ポテン、カタン、コトン。

 

 そんな擬音で満たされていそうなほど、静かに動いていくレーン上の光景。亀の歩みの如きゆっくりとした速度ながら、ボールの突入した入射角が理論上とても理想的なものだったのだろう。さながらドミノ倒しのように連鎖して倒れていくピンの数は、最終的にはなんと十本すべて。彼女自身初めてと思われる正真正銘の綺麗な形のストライクだった。

 

「わ、うわ、わわっ」

 

 ただ、倒した数が宣言数よりも一本多すぎたためダブルアップチャンスは成立せず、松実(宥)さんとしては喜んで良いのか悔しがれば良いのか自分でもよく分からないようで。少し困惑気味の表情を浮かべ、レーン上の光景と解説席の鷺森さんの顔とを見比べている。

 細かいことなんて気にせずに、ここは素直に喜んで良いんだよ――という思いを込めて、拍手をする私たち。

 

「やったね松実さん。最後の最後で、お見事だよ」

「おおっ、ナイスストライク! 宥さんおめでとうございますっ!」

「ここに来てまさかのストライクとか。さすが宥姉、持ってるわねぇ」

「おねーちゃん、すごーい!」

「ストライクおめでとう」

「あ、てかこれで全員ストライク取ったことになるんだ。宥はやっぱりここぞって時に決めてくれるね」

 

 たしかにダブルアップチャンスは駄目になってしまったけれども、このゲームのオーラスを飾る相応しい結果といえる実に見事なストライクだったと思う。その投球をして見せた当の本人はというと、なんだかとても満足げなぽわぽわした表情で温かい言葉をかけてくれた仲間たちに囲まれていた。




全体で20000文字を超えてしまったので二話に分けての投稿となりました。
そのためちょっと予告とサブタイトルが異なりますが、基本無害ということで。


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第12局:帰結@湯煙に霞む画龍は点睛を欠かず

 長かった……。

 何がって、いやそれはもちろんボウリングがね?

 途中で余計な企画が目白押しだったせいか、なんだか一ゲームしかプレイしていないはずなのに、実質三ゲームくらいぶっ通しで遊んでいたような疲労感がある。他のメンバーも必要以上に疲れた顔をしているようだし、軽い気持ちで彼女の口車に乗ってしまったことを今頃後悔しているに違いない。

 ……たぶん、一部の無駄に元気な子たちを除いて。

 

「結果はっぴょ~!」

 

 ディレクターさんから罰則ポイントのカウント数が書かれた紙を受け取ったこーこちゃんが戻ってきた。本題のCM枠に加えて、いよいよ英語禁止区間にみんなが稼いだ罰則ポイントの発表である。

 ボウリング自体に関していうと、私はなんと100を越えてトータルスコア『110』という素晴らしい結果を勝ち取った。中盤あれだけグダグダになっていたことを差し引いても、個人的にはこれまでにない好ゲームだったといっていいと思う。

 第二組の赤土&高鴨ペアは、トータルスコア『138』。これまた申し分ない結果だったといえるんじゃないだろうかという感じ。

 第三組の松実玄&新子ペアは、トータルスコア『123』。第二組と比べるとちょっと低いとはいえ、なかなかになかなかな結果といえる。

 で、最後の第四組、松実宥&鷺森ペアのトータルスコアは『144』。ストライクが取れずスペアばかりになってしまった関係で意外にも第二組と接戦になったようではあるけれど、やはりそこは貫禄の一位ということで、看板娘の面目躍如といったところであった。

 

 しかし――だ。今回の企画では最終的なスコアの差に意味などない。いよいよ本題となる部分が、司会進行役のこーこちゃんによって発表されようとしていた。

 

「それじゃまずは各自のCM枠の獲得ポイントから発表しましょう! まずは和菓子の老舗高鴨堂――プラス14ポイントで140秒獲得!」

 

 おおー、という声があちこちから上がった。

 

「続いて新子神社――結果はプラス9ポイントながら、ダブルアップチャンス成功でお見事180秒獲得!」

「うわぁ、最後のアレがあるのとないのとで天と地との差だったか。よかったね、憧」

「まぁね。でも冷静になって考えてみたら三分も神社のなにを紹介すりゃいいんだか……」

「分かんないならおじさんとか望に相談してみたらいいんじゃない? どうせ憧は年末年始と秋祭りにバイトするくらいしか運営に関わってないんでしょ?」

「そうなんだけどね……仕方ない。お姉ちゃんにでも話してみるか」

 

「続けていいかい? 続けるよー、続いて松実館――二人の平均がプラス21ポイントで、210秒獲得!」

「おー、これは思ってたよりもずっといい数字だよね? やったね、おねーちゃん」

「うん。足手まといにならなくてよかったぁ」

 

 満足げな姉妹の様子に、ほんわかとした空気になる。

 ちなみに内訳は第三組の松実(玄)さんがプラス18ポイントで、第四組の松実(宥)さんがプラス24ポイント。ポイントのほぼすべてにおいて鷺森さんの力があったおかげとはいえ、稼ぎに貢献しているのは圧倒的に姉のほうだったといえる。番組的に色々と美味しい場面を作り出したのは主に妹さんのほうだったように思うけども。

 

「最後に鷺森レーンだけど――プラス24ポイントの半分、12ポイント獲得で120秒、さらに三回のあらたそチャレンジのうちストライクを一回、スペアを一回取ったためここに+60秒を加えて合計180秒を獲得です!」

「ポイント半分にされてもダブルアップに成功した憧と同じ秒数かぁ。さすが灼さんは格が違った」

 

 そんな周囲の感想に、少しだけ得意げにサムズアップして応える鷺森さん。渋い、渋すぎる。

 

 

「そういえば赤土先生はどうするんですか?」

「私は別に実家が家業を営んでるわけじゃないからさ。貰っても使い道がないもんで、別にいいかなって」

「じゃあいっそのこと自己アピールの時間にしてみるとかどうですかね? スカウトの人が見て興味を持ってくれるかも知れないですよ!」

「冗談でもやめて、福与アナが本気にしたらどうすんの」

 

 言いながらも笑いが堪えきれず、クスクスと笑いはじめる高鴨さん。一方の赤土さんは心底嫌そうな、げんなりとした表情で即座に否定する。

 地味にいい案なんじゃないか――なんて思う反面、自分の身に同じようなことが降りかかってきた時には一目散に逃亡するだろう確信があった。

 

「んじゃ本日のメインイベントっ! 罰ゲーム発表に行ってみようか~っ!」

 

 無駄に一人だけテンションが高いこーこちゃん。周囲の人間、特に可能性がすこぶる高いと思われる松実玄・新子憧・高鴨穏乃の三名は気が気ではない様子である。

 確実に罰ゲームを逃れていることが確定的な鷺森さんと、おそらく大丈夫だろう人たちにはなんてこともない時間だろうけど、最前線で戦い続けてきた彼女らにとってみればいわばここは天国と地獄の境目あたり。1ポイントに泣くことになるかも知れないシビアな状況に、戦々恐々としているのは間違いなかった。

 

「この場合はまず下からかな。見事な危機回避能力を見せてのゼロポイント達成は、鷺森灼! 続いて3ポイントで赤土晴絵、5ポイントで私こと福与恒子、6ポイントで松実宥と続きます! ほぼ自画自賛っぽくて申し訳ありませんがっ、このあたりのメンバーはさすがやり手ですね!」

「ちょっと待ってこーこちゃん。さすがにそれは異議ありだよ。どうして私をあえてそっちのカテゴリーから外したの?」

「え? いやだってすこやんは……」

 

 えっ? いやちょっと待ってよ。そんな悲しげな顔をされるほど私はポイント稼いでない……はず、だよね?

 少なくとも例の三強に並んでしまうほどに酷い成績を叩き出した覚えはない……と思う。

 

「微妙な物言いがつきましたが、とりあえず発表を再開しましょう! 猫耳メイドプロ雀士小鍛治健夜の獲得罰則ポイントは、なんと大台の10ポインツッ! ということで、二桁に乗せてしまった悲しきアラフォーは一桁の我々の仲間に入ることは叶いませんでしたとさ☆」

「アラサーだよ! ていうかなんで私の時だけそんなちょっと昔の深夜番組みたいなノリで点数発表するの!?」

「いやぁなんかそのほうが爽快感があって良いかなって。ほら、ポイント的にも順位的にもすこやん中途半端だし、それくらいはしないと美味しくないしさ」

「前から思ってたことだけどさ、こーこちゃんは私をお笑い芸人かなにかと勘違いしてる節があるよね?」

「最近はアイドルでも被り物コントをやらされるほど笑いに関して過敏で過酷な時代なんだよ、すこやん。出来が良いかどうかは別としてね」

「そういうのは素直に本職の人にお任せしようよ……やっぱり餅は餅屋のものだよ?」

「おもち!?」

「玄、もっとめんどくさいことになるからいちいち反応しなくて良いから。ていうかお願いだからするな」

「うう、ゴメン憧ちゃん……」

 

 松実(玄)さんが条件反射的に華麗にやってのけた会話のインターセプト。隣にいた新子さんに叱られてシュンとしてしまったものの、結果的に私とこーこちゃんの会話はそこで止まった。言い争いに発展するようなことはさすがにないと断言できるけれど、ヒートアップする前に出鼻を挫かれたのはよかったかもしれない。少しだけ松実さんのおもち狂いに感謝した。

 そもそも私としては美味しいとか美味しくないとか、そんなことはどうでもいいんだよね。ただちょっとした優しさとか気遣いとか愛情が欲しいな、というだけのことであって。

 

 これでも私は一時日本国内でトップに立っていたこともある、れっきとした麻雀プロだ。やはり私に似合うのはボウリング場ではなくて、テレビ局のスタジオでもなく、雀卓なんだろう。自分のやるべきことをきちんと把握して動ける仕事というものが、いかに働き易いのかということを強く噛み締めている今日この頃である。

 まさかこんなことで雀卓が恋しくなるとは思わなかったよ。わりと本気で。

 ああ、いまなら誰が来ようと本気度百パーセントでお相手してあげるのに。次のリーグ戦の対戦相手はどこの子達だったかな……。

 

 ――なんて現実逃避をしていても仕方がない。なにはともあれ最下位で罰ゲームは免れたわけだし、あとはトップスリーの行く末を見守るだけの簡単なお仕事だ。宿に戻れば温泉が待っているんだし、もうちょっとだけ頑張ろう、私。

 

「さてさて、いよいよ発表も佳境ということで。残ったのは松実玄、新子憧、そして高鴨穏乃! いやぁ、区間中から圧倒的優勝候補と目されていた三名が順当に残りましたねぇ。お三方、今のお気持ちは!?」

「うーん、あんまり負けてる気はしないんだけど……」

「ぐぬぬ……私がこの面子と一緒に残ることになるなんて……っ」

「罰ゲームかぁ。どんなことさせられるのかなぁ」

 

 不思議と自信満々な松実(玄)さんと、見るからに悔しそうな新子さん、そして危機感の欠片も感じさせない高鴨さん。そのコメントは三者三様ではあるけれど、泣いても笑ってもこの中に罰ゲームをさせられる子が必ず一人存在する。あと新子さんに関してはほぼ自滅で稼いだポイントなので、文句を言いに行く場所はどこにもない。実にご愁傷様である。

 

 

「では、ついに運命の罰則ポイント獲得トップスリーの発表をしたいと思います! が――」

 

 残された三人が自分の命運を別つことになる発表の時を、どこか緊張した面持ちで待っている場面。しかし、そんな彼女らの意に反してこーこちゃんはカウントが書かれているメモ用紙を見つめたままなかなか発表に踏み切ろうとはしなかった。

 不思議に思って見ていると、こーこちゃんの一番近くにいた赤土さんが呼ばれ、何気なくメモを渡されたのが見えた。それを確認したと思われる赤土さんもまた、感心したような表情を覗かせはしたものの順位を口に出すようなことはせず。次にその隣にいた鷺森さん、そして松実(宥)さんへと渡されていき、それを確認した二人ともが驚いたような顔で三人のほうを見た。

 

「な、なによ……?」

 

 何か問題でも発生したんだろうか? と思いつつその光景を眺めていた私を、こーこちゃんが手招きして呼び寄せる。松実(宥)さんからメモ用紙を渡された私はそれに目を通した瞬間、文字通り目が点になった。

 

 いやいや。そんなバカな。この幼なじみたちは一体どこまで仲良しなんだか。

 字面だけ見れば微笑ましい感じはするものの、実物たちを見ると苦笑しか浮かんでこないのは何故だろう?

 メモ用紙に書かれている順位。それはなんと、それぞれ獲得した罰則ポイントの☆が18個で並んでいることを示すものだった。さすがに全員が同率一位になるなんてことは誰も想定していなかったというのに……この場合罰ゲームの対象はどうなるのかと、自然と待ちぼうけをくらっている三人を除くその他全員の視線が、点数の発表をするこーこちゃんに集まっていく。

 腕組みをして考え込んでいた(フリをしていた)こーこちゃんがおもむろに閉じていた瞳を開き、

 

「――なんと三人ともが18ポイントで同率一位っ! てことで三人とも罰ゲーム決定~っ!」

 

 いい笑顔でサムズアップする姿と、それに反応して揃って声を上げるトップスリーの面々。

 

「「「そんなオカルトありえませんっ!」」」

 

 皮肉にも、英語禁止区間中には言いたくても言えなかった原村さんの決め台詞が、その場にいた三人の心情を代弁してくれていた。

 

 

☆最終的な個人成績☆

 松実玄(松実館) [CM時間:180秒 罰則PT:☆×18] 罰ゲーム決定

 新子憧(新子神社)[CM時間:180秒 罰則PT:☆×18] 罰ゲーム決定

 高鴨穏乃(高鴨堂)[CM時間:140秒 罰則PT:☆×18] 罰ゲーム決定

 小鍛治健夜(プロ)[CM時間:---秒 罰則PT:☆×10]

 松実宥(松実館) [CM時間:240秒 罰則PT:☆×6]

 福与恒子(アナ) [CM時間:---秒 罰則PT:☆×5]

 赤土晴絵(顧問) [CM時間:---秒 罰則PT:☆×3]

 鷺森灼(鷺森レーン)[CM時間:120秒+60秒 罰則PT:☆×0]

 

 

 

 罰ゲームの収録と内容の発表は後日ということになっているため、すべての予定が終わりを迎えようやく宿泊先の松実館へと辿り着いた一行。松実姉妹に見送られながら部屋へと戻ってきた私は、さっそく缶ビールを開け始めたこーこちゃんを部屋に残し、着替えを手に露天風呂があるとされる大浴場へと向かった。

 旅といえば旅館。旅館といえば温泉。温泉といえば露天風呂。この連想はもう日本人である限り抗いきれない誘惑であるといえる。

 

 昨日はお部屋に付いているほうのお風呂をのんびりと満喫させてもらったので、実はこちらの大浴場に入るのは今日が初めてということになる。他の宿泊客の人たちの姿はちらほら見えるものの、時間が少し遅めということもあってか混んでいるという程でもないようで少しだけほっとする。たとえ相手が同性といえども、裸を見られるのにいっさい抵抗がない、なんてことは決してないのだ。

 

 自意識過剰と言うなかれ。

 昔とった杵柄とでもいうべきか、わりと一般の人たちに顔が知られているらしいこの私。実際に声をかけてくる人はほとんどいないけど、こういった場所だとけっこうな頻度でじろじろ見られることがあったりするのもまた事実で。わりとよく出没しているファミレスあたりならばともかく、気を抜くことが前提の場所でひたすら注目を浴びるということは、逆に気疲れをしてしまうから大変だったりするものなのだ。

 あまり大っぴらに見せびらかせられるほど立派なスタイルというわけではないという理由もあって、見られるたびにコンプレックスを刺激してくるのもいただけない。温泉くらいゆっくり浸かりたいと思うのが人情であろう。

 

 ただ、私と似たような立場にいるはずの、新人とはいえ現役のアナウンサーであり、その注目度は今現在の私と比べると高いほうだと思われるこーこちゃんはといえば。そんなことはいっさい意に介さず、人が多い時間に大浴場に入ることも普通にこなす剛の者である。今日は部屋に備え付けになっているお風呂のほうを利用するつもりらしいので一緒に来てはいないけれども。

 彼女も私と似たり寄ったりのスタイルではあるものの、職業柄か視線を向けられることに関してはさほど抵抗はないという。羨ましい限りだ。

 但し、有名人というだけでじろじろと見られてしまうことはやっぱり多いみたいで、いかにも「自分のほうがスタイルがいいのか、フフン」という感じで嘲笑していくタイプの人もけっこういるらしく、それが素直にむかつくとは言っていた。外見を売りにしている女子アナウンサーという職業も何かと大変なんだろうなと思った瞬間だった。

 

「はぁ~……やっぱり温泉っていいなぁ」

 

 思わず漏れ出す心の声。

 見上げた夜空には満天の星空が広がっていて、立ち昇っていく湯気の隙間に揺らめいている光がちかちかと明滅するたびに自然とほぅとため息が漏れていく。

 

 そういえば、ここしばらくはこんな風にゆっくりとした時間を過ごすことも無かったような気がするなぁ。

 インターハイが始まって、色々な資質を持った未熟な若い雀士たちに少なからず刺激を受けて。そのうちあの子達ともプロの世界で卓を囲むことがあるんだろうか、なんて漠然と考えていたら。そこに現れたのが十年前、私と戦ったあの赤土晴絵率いる阿知賀女子学院。その阿知賀女子の優勝を見届けることになる試合の解説を担当したのが私という偶然の一致もあって、今年の大会は特に記憶に残るものだったといっていい。

 運命――というものを信じることも悪くはないかな、なんて乙女チックな感想を抱いたのは初めてだったかもしれない。

 

 大会が終わりを告げると共に、そうこうしているうちにすぐこの企画が始まって……まずは因果という名の怪物を抱く少女と会い、戦った。その結果としてあの子が私と同等かそれ以上の怪物に育つ可能性を感じることもできたし、彼女ならば麻雀でない麻雀を作り上げるためだけの機械にはならないだろうと確信を持てたことは、日本麻雀界の未来においては大いなる損失かもしれないが、私個人としては納得の行く結果だったと思う。

 そんな中で私の弟子になってくれた子もいる。普段はとても礼儀正しい、けれど大きなものをおもちの美人さんにはめっぽう弱い。ちょっとだけ困ったそんな子ではあるけれど、私の手を取ってくれたことに関しては素直に嬉しいと言える出来事だった。

 

 色々とあったし、長かった――ように思えるこれまでの道のりだけど、でもまだこの企画が始まってから時間にすると一ヶ月とちょっとしか経っていないんだよね。

 恐ろしいのが、訪問予定にある上位八校+二校のうちまだ清澄と阿知賀にしか取材に訪れていないという現実……この企画、きちんと現三年生が卒業する前に終われるのか否か。これから本格的な受験シーズンの到来ということもあって、不安は募るばかりである。

 ……でもまぁ、それを考えるのは後でいいかな。今はこの心地よい環境に身を任せて、せっかくの旅行気分を満喫することにしよう――。

 

 

 バシャン、と近くで鳴った水音にふと閉じていた瞼を上げた。というか、少しうとうとしていたので、その音で目が醒めたといったほうが正しいかもしれない。

 気が付けば、近くに誰かが立っていた。膝上まで湯船に浸かった状態で、タオルを湯に浸けないようギリギリのところで前を隠しながらこちらを向いているその女性。長い髪をアップにしているせいで印象が少し異なるものの、その顔には見覚えがあった。

 

「……あれ? 松実さん?」

「あ、お邪魔してごめんなさい、小鍛治プロ。お隣、構いませんでしょうか?」

「うん、どうぞ」

「では失礼して――」

 

 丁寧にタオルを畳み、それを近くの岩場にかけてからゆっくりと湯船に浸かっていく松実(玄)さん。

 途中で見えた大きな果実については言及しない方向で。背丈に似合わずかなりのボリュームだったから思わず凝視してしまったけれど、意地でもツッコミなんて入れてやらないんだからね。それこそお雑煮に投入されたおもちの如くのびるまで湯船から上がれなくなるなんてのは勘弁してもらいたいし。

 

「松実さんたちはいつもこの温泉に入ってるの?」

「いえいえ。裏手の母屋のほうにちゃんとお風呂は付いてるんです。だから普段はそっちで入ることのほうが多いですよ」

「へぇ、そうなんだ。せっかくこんな気持ちの良い露天風呂があるんだから、普段もこっちに入ればいいと思うんだけど。やっぱりそういうわけにはいかないものなの?」

「そうですね~。お客様のご利用時間に従業員が入るのは、本当ならちょっとマナー違反っていうか、そんな感じがありますもん。それにあっちのお風呂も元はここと同じお湯だから、ほとんど変わらないっていうのもありますけど」

 

 ふぅん、なるほど。温泉旅館が実家というのもお得な面と面倒な面があるということかな。

 

「――ってことは、松実さんは私に何か聞きたいことがあってわざわざマナー違反を承知でやって来た、ってこと?」

「ええと、はい。実はそうなのです。っていっても、お父さんにはきちんと許可を貰ってますけど」

 

 滅多にないこと、という前置きをしてから松実さんは色々と話をしてくれた。

 こんな風にその時間内に『お客様待遇』で温泉に入ることを許されることがある時というのは、大抵知り合いが泊まっていく時なんだそうで、阿知賀女子のメンバーで強化合宿を行った際も松実館を利用したという。

 それにしても強化合宿かぁ。その響きだけでもう懐かしいな。

 

「それで、ですね。小鍛治プロ」

「――うん?」

「来年なんですけど……私、どうしたらいいのでしょうか……?」

「え?」

 

 あまりにも抽象的過ぎる質問に、思わず素直に聞き返してしまった。

 来年どうしたら良いのか、というのはどういう意味だろう?

 

「今年はおねーちゃんがいてくれたから、私がみんなの足を引っ張っちゃっても取り返してくれましたけど……来年はいなくなっちゃうから……」

「ああ、そういうことかぁ」

 

 今年のことで自信を失ってしまっているのか。しょぼくれた表情で俯いた彼女の背後に、どんよりと暗雲が立ち込めているような錯覚を覚える。

 

 はっきりいって、今年は相手が悪すぎたと思う。

 特に準決勝は、個人戦連覇中の宮永照に、二回戦でコテンパンにやられた千里山のエース園城寺怜。新道寺女子の花田煌――は実力的には松実さん以下だろうけど、攻撃面で頼るものがないということが逆に功を奏し、臨機応変に対処する術に関しては完全に格上の様相だった。

 おそらくは阿知賀の他の誰が出てもあの結果は覆らなかったに違いない。それどころか、ドラを抱え込んで離さない彼女の打ち筋は打点を上げるよう面子を組み立てなければならない宮永照を抑え込むのに十分すぎる効果を果たしていたわけで。それがなければ最終的な点差がどうなっていたか……下手をすると先鋒戦の時点で勝負そのものが決していてもおかしくはなかった。

 

 団体戦の結果は優勝というこの上ないものを得たわけだが、彼女自身にとってはきっと負け続けた記憶しか残っていないのだろう。

 二回戦・準決勝、そして決勝と。そのすべてで明らかにおかしい面子(※良い意味で)に囲まれていたため、今の自分の実力がどの程度の位置にあるのか、それすら分からなくなる程に揺らいでしまったのかも知れない。

 

「松実さんが望んでるような具体的な話はしてあげられないかもしれないけど……あのね、どんな分野でも共通して言える事だと思うんだけど。想像力って大切なんだよね」

「想像力、ですか?」

「うん。今の松実さんにはそれがちょっとだけ足りないっていうか……はっきり言っちゃうと、能力に打たされてるとでもいうのかな」

 

 ドラゴンロード、即ち龍の王。

 王様というからには、そのすべてを統べる王でなければならない。決断を要する場面できちんとそれを下し、勝手気ままに暴れ回る部下がいればそれらをきちんと統制する。

 それができていない彼女は今“Lord(統率者)”ではなく、龍が勝手に駆け抜けていくだけの“Road(道)”に佇む交通整備員になってしまっているのだ。

 甘やかすだけでは王にはなれない。時には厳しさを持ってそれらを抑え込むことも善しとしなければ、行き着く先は裸の王様ルートまっしぐらである。

 

「自分の弱点はもう分かってるよね?」

「……はい。ドラが捨てられなくて、そのぶん相手に読まれやすくなっちゃうのです」

「松実さんのそれはね、初見の人相手だと恐ろしい破壊力を持ってると思うの。でもそれって、逆に言っちゃえば対策を練ってから挑んでくる相手にはとことん弱いってことでもあるんだ」

 

 もし晩成高校に新子憧が入学していたとするならば、その上で団体戦に出場できるだけのメンバーを確保できていたとしても、この時点で阿知賀は詰んでいたはずである。

 晩成高校の先鋒だった小走やえ。個人戦で上位に食い込んでみせた彼女は全国に出てきた他校の先鋒たちと比較してみても決して弱くはない。事前に松実さんの打ち筋の特徴を掴んでいれば、おそらく奈良県大会一回戦先鋒戦での収支は逆転していたと思う。

 

「でも、私にはその打ち方くらいしか……」

「ううん、能力を活かしたままで別の打ち方もちゃんとできると思うよ?」

「えっ?」

 

 あまりにあっさりと断言してしまったせいか、俯いたままだったはずの顔をこちらへ向ける松実さん。キョトンとしているのが少し可愛い。

 しかし、そう思っていたのも一瞬のことだった。

 よほど切羽詰っていたのか、言葉の意味を理解した瞬間に身を乗り出して迫ってくる。主に胸が。

 

「ど、どどどどど!?」

「ちょ、落ち着いて。お願いだから押し付けないで! なんかとっても虚しくなるから!」

 

 持つものと持たざるものの落差は、双方が抱いている認識以上にズレが激しいものである。見せつけられた上に押し付けられるとか、もう悔しいのを通り越して虚しくなってくるじゃないか。

 ええい、姉妹揃って忌々しいなもうっ。

 ……あれ、待てよ? 姉妹が揃って巨乳というならば、その秘密は遺伝子かもしくは育成環境に依存しているはず。遺伝子はどうにもならないかもしれないけど……もしこの温泉に豊胸の成分でも含まれているとしたら、どうだろうか。

 

「……ねぇ、松実さん。このお湯、飲んでも平気かな……?」

「え!? なんでいきなり!? さすがにそれは止めたほうが――あっ、喉が渇いたなら樽酒があそこに置いてありますから!」

「や、別に喉が渇いてるわけじゃなくて……ゴメン、今の忘れて」

 

 思わず錯乱してしまった。なんもかんもこの豊満なおもちが悪いんだ、えいえい。なんて言いながら胸元をつっついて遊んでる場合でもないんだったっけ。やってないけど。

 

「ええと、話を元に戻そうか。あのね、とても単純なことだと思うんだよ。松実さんがもし本当にドラを手放せないんだとしても、相手にそれを悟らせなければいいの」

「で、でも……たぶんもう私がドラを捨てられないってテレビを見てた人たちは全員知ってますよね……?」

「そうだね。なんといっても団体戦優勝校の先鋒なんだし。でもさ、だからこそ来年はとても厳しく警戒されちゃうと思うんだ。それこそ小さな対局のデータも残らず集められちゃうくらいにね」

 

 先入観を植え付けるというのは、実はけっこう有効な手段である。

 つまり、相手にドラを捨てないと思い込ませておいて、あえてその逆を衝く。かつて準決勝の先鋒戦で宮永照に突き刺したあの一撃、他家のアシストがあってこその結果とはいえ、あれも根本的には植えつけられていた先入観による油断から生じた被弾だったといえるだろう。

 ――ならば、その逆も然り。

 今年の松実玄は、展開次第で普通にドラを捨てることがある――と印象付けておくだけで、相手は勝手に想像力を働かせてくれる。迷ってくれる。

 情報戦。相手の真理を逆手に取るというのは、勝負における定石である。

 

「ハッタリっていうと言葉が悪いかもだけど……ある程度は必要なことだと思う。それに、ドラを捨てた後のデメリットも力が戻ってくる間隔さえきちんと自分で掴めておけば逆に武器にできるんだよね」

「武器にできる、のですか……?」

「そう。その状態を逆に利用して相手を霍乱する方法もあるってこと。たとえばだけど、対局の途中で能力が戻ってくるように調整しておいて、前半はドラが使えないって相手に思わせておいてから、後半怒涛のドラ爆撃で突き放すことだってできちゃうだろうし……まぁ、どっちの状態も使い様ってことかな」

 

 能力に頼りがちな子というのは大抵自分の手牌に精一杯というか、己のスタイルを過信しすぎるきらいがある。だから相手のことをほとんど見ていないし、自分の流れの上でしか戦えない。

 そもそもドラを捨てるとしばらくドラが手元に来ないというデメリットも、はっきり言えばデメリットではないんだよね。だってそれって、普段の松実さんと一緒に打っている他家の状態と何も変わらないのだから。

 ある程度はドラに固執しない打ち方を覚えることも必要だろうし、それができないはずはない。普通に打っていてドラが一枚も来ない展開なんて腐るほどあるわけで、逆転するための点数的にドラが必要なんて縛りでもない限り困りもしないし、ドラを含まない和了なんてそれこそ掃いて捨てるほど存在する。冷静に考えればそれで泣き言を漏らすほうがおかしいのだ。

 

「考え方を変えてみればいいんだよ。ドラが集まってくるって分かってる状態も、ドラが絶対に入ってこないって分かってる状態も、松実さんにとってどっちも情報としては同じだけの価値があるんだよ。あとは託された主人がそれをどう扱うか、ただそれだけのことなの」

「……」

「少し考えてみたらどうかな。松実さんがこれから長い間ドラ麻雀と付き合っていく上で、それとどう向き合うべきなのか。来年の春の大会までにもまだ時間があ――る……」

 

 ふらり、と。一瞬視界が揺れたような気がした。

 あれ?

 おかしい、のぼせたかな――と思った瞬間には既に目の前は暗くなっていて。

 薄れていく意識の中でかろうじで理解できたものはといえば、耳元で聞こえる自分を呼ぶ声と、頬に伝わる柔らかな二つの膨らみの感触くらいのものだった。

 

 

「……ん」

 

 ゆっくりと瞼を開けてみると、いきなり目の前に大きな影が差し込んだ。

 寝起きのせいか少しだけボーっとしている頭を回転させて、この状況を考えてみる。

 ええと、さっきまで何してたんだっけ。たしか部屋に戻ってから温泉に行って……ああ、露天風呂で入浴中に松実さんと話をしてたんだっけ。それでいきなり眩暈がして――って、ちょっと待って! 倒れたのがお風呂ってことは私今裸なんじゃ――!?

 慌てて飛び起きようとして、ガツンとおでこを殴られたような衝撃が走る。ていうか思いっきり殴られていた。膝枕をしてくれていたと思わしきこーこちゃんの肘で、自主的に。

 

「あう……」

「なにやってんだか、大人のくせに」

「いつつ……あれ? ここって、部屋……?」

「色々あって戻ってきたけど、倒れたのは露天風呂だよ。覚えてる?」

「うん、なんとなくは……松実さんは?」

「一緒に応急処置してくれてたんだけど、時間が時間だったから戻らせたよ。心配そうにしてたけど、あとは私が引き継ぐからって」

「そっか、悪いことしちゃったな……」

「ま、無事で何より。すこやんがなかなか戻ってこないから大浴場まで行ってみたらさ、くろちゃーが涙目ですこやん抱え込んでるじゃない? いやぁ、正直びっくりしたよ――」

「う……ごめん」

「――てっきり更年期障害で倒れたのかと」

「……」

 

 軽口に応える元気もないよ、私はさ。

 こーこちゃんが言うには初期の湯あたりだったらしい。松実さんの献身的な介護で顔色が元に戻ってからも、昼間の収録とボウリングで疲れが溜まっていたこともあってなかなか目を覚まさなかったそうな。

 で、このまま脱衣場に寝転ばせたままでは逆に湯冷めして風邪を引いてしまうだろうと、浴衣を着せて部屋まで担架で運んできてくれたのは仲居さんとこーこちゃんだったそうだ。

 ああもう、いろいろな人に迷惑をかけてしまったっぽいのが申し訳ないやら情けないやら……。

 

「ああ、そうそう。くろちゃーから二つほど伝言があるよん」

「……伝言?」

「そそ。なんだっけか……たしか『小鍛治プロの言うとおり、きちんと考えてみます』ってさ」

「……そっか」

 

 あの子がもう一つ上のステージで戦うために必要なもの。それは知ることだと思う。自分自身の考え方一つで自由に選択肢を作れるのだと。

 私に言われたからといって無条件でその通りにするのであれば、能力に頼りきりだった今までとそう変わりはしない。目の前にある色々な選択肢に対して自分がどう考えて、どれを選択するのか。

 考えることだ。考えることは時に停滞を引き起こすこともあるけれど、今の彼女にはそれも必要な時間だと思うから。

 

「ああ、あともう一つ」

「……なに?」

「おもちでないかもしれないけど、元気を出してください――だって。これくらい大きければ私だって京太郎くんにスルーされなくなるのに――的なことを寝言で言ってたみたいだよ?」

「――はっ?」

「あと、ここの温泉の成分に豊胸の効能はないって。残念だったね」

「」

 

 最後の最後でどれだけの醜態を晒したというの、私。

 ああもう――いっそ殺して。




というわけで阿知賀編はいったん区切り、次回からは別の高校へ訪れることになります。CM撮影の様子とか三人の罰ゲームの模様はいずれおまけとして投稿する予定。
次回、『第13局:交錯@勝者と敗者の狭間にて、我想ふ』。ご期待くださいませ


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第三弾:岩手県代表・宮守女子高校編
第13局:交錯@勝者と敗者の狭間にて、我想ふ


「……どうしてこうなったんだろう」

 

 季節がら、少しだけ肌に冷たい風が吹く中で。降り立った駅のホームでぽつりと呟く。

 遠方に聳える山々を望みながら、ふと思い起こすのは先日のことだ。愛媛~島根と渡り歩いた小旅行から戻ってきてすぐ、こーこちゃんから例の企画について話がしたいと申し出があり、次に赴く高校をどこにするかという内容の打ち合わせをした。

 その時はたしかにこう話していたはずである。

 一校目二校目と中部・近畿の高校が続いたから今度は近場の学校で考えよう、と。

 

 現在地:岩手県遠野市宮守町、宮守駅。

 

 ……近場ってなんだっけ?

 

「んーっ! やっぱ空気が美味しいねぇ」

「……そうだね」

 

 その感想には同意する。

 ただ、如何ともしがたいこれじゃない感を覚えてしまうのはどうしてだろうか。

 

「この前、次は近場でって言ってなかった?」

「んー、(新道寺とか永水に比べたら)近場じゃない?」

「あえて小声にして誤魔化そうとしてる時点でもう後ろめたく感じてる証拠だよね?」

「いやだってさ。考えてもみてよ、宮守の子って全員三年生なんだよ? 本格的な受験シーズン到来の前に終わらせないとダメっしょ」

「それはそうだろうけど……」

 

 別に宮守女子に行くことが嫌なわけじゃない。熊倉先生もいらっしゃるし、注目すべき選手も何人かいる。ただ、他の学校にもプロ入りしない、あるいはできそうにない受験生はいっぱいいそうなものだけど……そっちの子たちは気にしてあげなくてもいいんだろうか?

 額に浮かんだ脂汗を見るに、正論っぽいことを言ってこの場を乗り切ろうとしているのが丸わかりである。

 

「で、本当の理由は?」

「臨海女子は金銭面で交渉が難航してて、白糸台は新レギュラーの一・二年生が秋季大会で忙しいから期間ずらしてほしいって」

「事前に許可とってなかったの!?」

「てへ」

「……はぁ。臨海はともかく白糸台の方はちょっと調べたらすぐ分かる理由じゃない」

「面目次第もございませぬ」

 

 あ。謝る気ないな、これ。

 

 

 ラジオの収録終わりでこーこちゃんの部屋に泊まったところまでは予定表通りだった今回の取材旅行。翌日、予定の起床時間を二人して盛大に寝過ごしたところからこの話は始まった。

 ……まぁつまりは冒頭の初っ端っからゲリラ豪雨の如き暗雲が立ち込めていたということになるんだけど。

 

 朝ごはんも抜きで、化粧をすることもままならない状態で慌しくマンションを出ることになったのが、朝の八時半になる少し前くらい。で、マンション前でこーこちゃんと一緒に飛び乗ったタクシーの向かう先が東京駅だった時にこそ、もしかすると私は今と同じツッコミを入れるべきだったのかもしれない。

 でもね、珍しく素で慌てているように見えた彼女に対して、余計なところで疑問を挟むのが申し訳なく思えたというのも事実ではあったの。私との待ち合わせではよく約束の時間に遅れてくるこーこちゃんではあるけれど、こと仕事に関する部分では時間を厳守するタイプの子だから尚更に。

 もっとも……どうやらその後の展開を鑑みるに、予定時間を寝過ごした云々というのもこちらの一方的な認識で、実はこーこちゃん側からしたら最初から予定通りの行動だったということなんだろうと思う。これが某番組のドッキリ企画でなくてよかったと言うべきかどうなのか。

 つまりは全部が全部彼女の自作自演だったということである。

 

 タクシーを降りて誘導された先が近場ならまず乗る必要の無い新幹線の改札口だったのだからその場で気づけよ私、と今さらながらに思ったりもするけれど。

 混乱の助長を促すようにしてそこで待ち受けていたもう一つの『想定外』。完全にそちらに気を取られ、まんまとツッコミポイントを全力でスルーしてしまったその時点で、私の負けが確定してしまったといっていい。

 

 というか、行き先が云々ということよりも個人的に問題が大きいのはその想定外のほうである。これがまた厄介というか、なんというか……なにより今回、一連の出来事において私の判断力を確実に鈍らせた主原因でもあった。

 

「確かにボウリングの組決めの時にそんな感じの愚痴を漏らしたことがあったかもしれないけど……」

「ん? すこやん今なんか言った?」

「ううん、別に」

 

 追求から逃れるようにして、ちらりとホームに備え付けの自動販売機のほうに視線を移せば、三本の缶コーヒーを抱えている男の子の姿が見える。言うまでもないと思うけど、彼は、今朝の東京駅にて一ヶ月とちょっとぶりにパソコンの画面上ではない現実世界で再会を果たした一番弟子の須賀京太郎君である。

 いくら土日の連休とはいえ、長野で部活動に勤しんでいなければならないはずの彼が何故ここ岩手にいて私たちと行動を共にしているのか? そんな疑問を抱くのは当然だ。私も実際そう思ったからこそ、意識が全部そっちに持っていかれてしまったわけで。

 後に新幹線の中で彼から聞かされたその理由を語るには、まず朝の再会の場面から説明しなければならな――。

 

「すんません、お待たせしました。福与アナが無糖のこっちで、師匠はこっちの甘いやつですよね」

「あ、うん。ありがとう」

「悪いねー、雑用任せちゃって」

「これくらいは当然っすよ、俺は連れて来てもらった立場なんですから」

「んじゃ須賀くんが戻ってきたところで行きますか。少し急がないと予定の時間に遅れちゃいそうだから」

 

 ――いところではあるけれど。こーこちゃんの言うように先方との約束の時間まで猶予が無いなら、まずは目的地の宮守女子高校へ向かうことを優先しようか。

 

 

 

 今年の全国大会にて岩手県の代表となった、宮守女子高校。この学校もまた、長野の清澄高校と同様に大会前のまったく無名な状態から見事に県代表の座を勝ち取った、今大会の波乱万丈っぷりを如実に示したと専ら噂の初出場校たちの一角である。

 

 部員数は団体戦に出場するために最低限必要な規定到達員数きっかりとなる僅か五名。しかも全員が三年生という、ある意味で出場したどの学校よりも特殊な環境にあるといっていい彼女たちだけど、部員全員が高レベルに纏まった打ち手であり、一人一人の実力としてはベスト4に残った他の高校の選手たちと比べても決して見劣りする事は無い。反面――後ろに『ただし』と続いてしまうのは、二回戦で敗退という残念な結果に終わってしまったからには仕方の無いことだろう。

 

 一人一人の実力が確かであっても、団体戦において上まで勝ち抜いていくためには、流れを引き寄せることや対戦する各々の相手との相性なんかが重要だ。団体戦においては先鋒から大将まで実に五回も大きな流れの区切りがあるが、二回戦で宮守女子が他の三校と比べてことさら不運だったのは、その五回の区切りのうち実に四回で相性が悪い相手と当たらざるを得なかった、ということに尽きる。

 

 まぁ、そういった諸々の要素を加味した上で勝ちあがった高校が他にあるのだから、純粋に相手校への対策が足りていなかったと論じて終わる問題でもあるんだけど。正直なところ、これに関しては特に名伯楽として名を馳せてきた熊倉先生にしては対戦校に向けるべき認識が甘すぎたのではないか、と個人的な感想を抱く部分でもあった。

 

 

 二回戦敗退という結果だけを見て本来の番組の趣旨から考えるのであれば、準決勝進出校(ベスト8)に入ることができなかった宮守女子を取材する必要はない。彼女たちと同じように上位を狙える実力がありながらも早々と敗退してしまった学校は他にもあるし、その子たちが別段彼女らに劣っていたと言い切るだけの根拠にも乏しいのだから。

 

 では何故にここへ取材へ訪れたのかといえば――宮守女子と、同じくBブロックの二回戦で敗退したシード校の永水女子に限っては、団体戦での戦いぶりを考慮した上でさらに個人戦で上位入賞を果たした選手が幾人か所属しているから、というのが主な理由の一つ。

 ここ宮守女子高校においては、第八位の姉帯豊音、そして第十六位の小瀬川白望がそれに該当する選手である。

 

 そしてもう一つ。この番組が『すこやかふくよか』と銘打っている通り、基本的に私こと小鍛治健夜を主軸とした内容であるということ。故に、必然的に私と何かしらの繋がりを有する学校に限っては、特集が組まれやすい――という側面(裏事情)があるということも、否定できないものがあった。

 

 

「お久しぶりです、熊倉先生。本日はよろしくお願いします」

「忙しい中岩手くんだりまでよく来たね、健夜ちゃん。福与さんも、どうぞよろしく」

「はじめまして。よろしくお願いします」

 

 久しぶりに見た、こーこちゃんの猫かぶりモード。さすがに年配の方の前ではっちゃけることはしないのか。

 ……まぁ、余所行きな態度なのは私も同じなので、あまり大きな声で人のことをどうこう言えないんだけど。この人の前だと背筋がピシッと伸びてしまうのは、脊髄反射とでもいうか、もう仕方が無いことだと思う。

 

 

 私がまだ高校に入りたてで、周囲と馴染んでもいなかった頃の話。いま思い返しても嫌な子だったと自分で思ってしまうほどで、あの頃の私は先輩たちからすれば扱い辛い、煙たいだけの存在だったに違いない。そんな私を真っ当な(?)道へ引き戻してくれたのが、当時プロ雀士兼スカウトを名乗っていた熊倉トシその人だった。

 今となっては年に一度会うかどうかという関わりでしかないものの、人付き合いが苦手な私にとって子供の頃の恩人と呼べる数少ない大人の一人である。

 

 近年はたしか博多かどこかの実業団のクラブにスカウトだかコーチだか監督だかで関わっていたはず。ただ、そのクラブチームが経営難のため廃部となる少し前から公式の場に姿を現さなくなっていたらしいという噂を聞いていたこともあって、もしかして重い病気でも発症したんじゃないかと少し心配していたんだけど……。

 

 あにはからんや、そんな彼女がどういう理由か今年は何故か宮守女子高校麻雀部の顧問として全国大会へやってきた。

 まさか本当の意味で先生と呼ばれる立場になっているとは夢にも思わず、その名を会場で聞いた時にはびっくりした覚えがある。というのも、私が先生と呼ぶ理由はどちらかといえば『師匠』に対するものであって『教諭』に対するものではないからだ。

 もっとも、実際に教師になってしまわれた今となっては大手を振って――という表現はちょっと違うかもしれないけど、そのまま熊倉先生と呼んでも差し支えはないといえる。いえるんだけど……やっぱりどこかしっくりと来ないというか、不思議な違和感を覚えてしまうというか。なんとも複雑な気分だった。

 

 

 撮影前に学校関係者および熊倉先生にご挨拶を、と職員室を訪れたのは、私とこーこちゃん、あとは現場指揮を任せられているディレクターさんの三名で。残りの人たちはというと、既に撮影準備のため一足先に部室のほうへとお邪魔しているはずであった。

 ここは仮にも女子高で、京太郎君を含めてスタッフさんたちはそのほとんどが男性である。校内での行動には細心の注意を払うよう事前に申し付けてあるものの、予期せぬトラブルがあってはいけないということで、熊倉先生に先導して頂きつつさっそく麻雀部の部室へと向かうことにした。

 

 職員室を辞した後、廊下を少しだけ進んだところで前を歩いていた熊倉先生が何かを思い出したかのように立ち止まる。自然と後ろを歩いていた私たちも同時に足を止めることになってしまった。

 

「健夜ちゃんはその癖まだ治っていないのかい?」

「え? あっ……」

 

 思い当たることがあったので、早足で距離を詰めて熊倉先生の隣へ並ぶ。あの時と同じ科白をこーこちゃんの前で言われるのは後がちょっと面倒くさそうだったので、行動は迅速だった。

 

「そういえば先生、インターハイの出場メンバーが全員三年生だったってことは、麻雀部って今どうなってるんですか?」

「ああ、それね。実質的には休部状態とでも言ったらいいのかしらねぇ……あの子たちもたまに集まって麻雀を打ってるみたいだけど、部活動というよりは受験勉強の息抜きってところだろうし」

「そうなんですか……」

「まぁ、そんなに悲観しなくていいさ。あの子たちの全国での戦いぶりをみて麻雀に興味を持ったっていう下級生の子たちも何人かいるようだし、そういった子を対象にして週一で麻雀教室みたいなことをやっている子もいるみたいだからね」

「じゃあ来年も存続はできそうなんですか?」

「さぁて、それはどうかね。難しいとは思うのよ、生徒数自体が少ない学校だからね。実際に続けようって思ってくれる子がいればいいとは私も思うんだけど、こればかりはねぇ……強制する訳にもいかないでしょう」

 

 言いながら、小さくため息を吐く熊倉先生。

 たしかに、東京や神奈川・大阪なんかの人口密度が高い都市にある学校などであれば、下地が整えられているだけこういった問題は少しの努力で解消されやすい。

 ――反面、宮守女子のような地方都市の小さな高校では、麻雀部に限らず部員の数が足りないという部活は多いし、深刻な問題でもある。こういった過疎化の進む地方ほど、幼い頃から特定の競技に打ち込んでいる子たちは進路先が一極化されているとでもいうか、特にその競技について環境が整備されている強豪校へと集まりやすい傾向があった。

 

 事実、今大会のメンバーの中でも初期から麻雀部に所属していたのは三人だけと聞いている。団体戦に出場できる人数を確保できたことは僥倖といっていい程であったろう。

 清澄や阿知賀と似たような環境でありながら、それらの高校よりも部の存続という面においては遥かに険しく厳しい道のりが続いている。それが宮守女子麻雀部の抱えている目下の悩みどころのはずだった。

 

 

 そんなことを考えながら廊下を歩いているうちに聞こえてきた雑音。それはざわざわと色めき立っている教室の中から聞こえてきていた。

 何事かと開かれた扉の向こう側から内側を覗いてみたところ、騒動の中心にあったのは、案の定というべきか……不肖の弟子の姿。確認するや否や、思わず眉を顰めてしまう私がいた。

 

「いったい何をそんなに騒いでいるんだい?」

「あっ、熊倉先生!」

 

 人で作られていた輪っかの外殻部分を担っていた一人、妙に小柄のおかっぱ少女が振り返り、その名を呼ぶ。むしろ叫んだといったほうが正解に近いけど。

 鷺森さんに勝るとも劣らない、見事な座敷童子たる容姿のその子――中堅の鹿倉胡桃が、半ば呆れたような表情を見せていることからも、事態がさほど緊急性を帯びているものでは無いことを告げていた。

 実際に、

 

「わー、雑用のプロの人ありがとう!」

「い、いえ。でもその肩書きはマジで勘弁してください……」

「あ。ご、ごめんね須賀くん」

 

 漏れ聞こえてくるそんなやり取りは実にほのぼのとしており、むしろ好意的な感情に溢れていたのだ。一部不穏当な発言もあったけど。

 ともあれ、もしや綺麗なお姉さんたちに囲まれて浮かた挙句、取り返しのつかない粗相をしでかしたのではないかと一瞬疑ってしまったことを心の中で謝罪する。そういえば宮守の子の中に一定水準値を超えてくるおもちの子はいなかったね。判定基準がそこだけしかないというのも考えものだけど、わりと信頼できるボーダーラインでもあるからその部分だけは安心だ。

 

「――あ、師匠」

「「師匠?」」

 

 私に最初に気が付いたのは、人垣の中央部分に突き抜けて見える二つの頭――一つは見慣れた金髪であって、もう一つは黒い帽子から流れる漆黒の髪――のうち、見慣れた金髪のほうだった。

 その言葉に反応して全員が振り返り、一番大きなリアクションを見せてくれたのが、中心部に佇むもう一人の漆黒の黒髪の子で。彼女は何故か、心底驚いたように目を瞠った。

 

「わ、わっ! ホントに小鍛治プロと福与アナだよっ! 本物に会えるなんてちょー感動だよー!」

 

 胸に何かを抱え込んだまま、まるで小動物のようにぷるぷると震えながら感動を身体一杯を使って表現しているその子――宮守女子大将、姉帯豊音。画面越しに見たときはモデルさんになれそうなくらい高身長な子だなぁ、なんてのんびりとした感想を抱いていた私だけど、実物を見て思う。まさか京太郎君よりも背が高いとは思っていなかったし、近くに立たれるとちょっと迫力がありすぎると。

 見下ろされている私と、見下ろしている彼女。視線が交差した瞬間、その紅玉の如く研ぎ澄まされた瞳がきらりと輝く。

 

「サインください!」

 

 ……はい?

 思っても見なかった第一声に、思わずポカンとしてしまう。

 

 勢いよく差し出されるのは、胸に抱いていた四角形の物体で。すぐにそれが色紙なのだと気が付いた。

 正直な話。前回訪れた阿知賀がどちらかというと敵地寄り(ぞんざい)な扱いだったこともあってか、こんな風に素直に尊敬の眼差しを向けられるのは妙にくすぐったく感じてしまう。見た目はちょっとだけおっかないけど、それを補って余りあるくらい良い子だなぁ、としみじみ浸ってしまう私がいた。

 

 もちろんサインはきちんと差し出された色紙に書いて渡してあげました。

 

 

 

 後で聞いた話によれば、どうやら姉帯さんは小さい頃から今日に至るまで極度のテレビっ娘らしく、見ていた番組の出演者に対しては過大ともいえるほどのリスペクト精神を持っているとのことだった。

 自分もモデル並なルックスとスタイルのくせして意外とミーハーなんだな、とちょっと思ってしまったものの、さすがに口に出すことはしない。なんというか、少しでも悲しげな表情をされると居た堪れないというか、松実宥さんとは違ったケースではあるけれど、この子もまた小動物チックな生態で保護欲をこれでもかと刺激してくるタイプの女の子であるといえそうだ。

 

 この番組に関しても、どうやら姉帯さんだけは一回目の放送を見たという。そこで取り上げられていた清澄高校――特に縁の下の力持ちとして働いていた京太郎君に強い尊敬の念を抱いたそうな。先ほどの発言を鑑みるに、その時にこーこちゃんが言った『雑用のプロ』というフレーズが頭に強くこびり付いているのだろうと容易に想像できてしまう。

 京太郎君にとってはある意味災難だろうけれど、あの内容を見ただけで彼の働きをきちんと評価してくれた人がいるという事実は、彼にとっては決して小さく無い意味を持つはずだ。しかもそれが実際に対局して打ち負かした相手の高校の生徒となればなおさらに。

 

 今大会の宮守女子高校に引導を渡す役目を担っていた対戦相手を挙げるとするならば、それは紛れもなく清澄高校だったように思う。

 一位突破を果たしているのだから当然だ、という意見もあるだろうが、そうではなくて。あの闘いの敗因となってしまったいくつかの場面においてその根源をつぶさに調べていけば、要所要所で浮かび上がってくる大半が清澄絡みの動きであったという理由から来る結論である。

 

 特に彼女たちにとってのオーラスとなった後半戦大将戦南四局、逆転への望みを賭けて望んだ大一番。その出鼻を挫くように、安和了りで試合をきっちり終わらせてみせた宮永咲の嶺上開花は、第三者の視点から見てもド派手な和了ではないあっさりとした決着となったものの、あまりにあっけなさすぎて逆に印象に強く残ってしまうものだった。

 

 故に、彼女らの意識の中で『清澄に負けた』というマイナスの感情が芽生えてしまっていても仕方が無いことだと個人的には思うのだけど。

 ――さて。その黒ずくめの外見とは裏腹に純粋無垢っぽい姉帯さんはともかくとしても、他の部員たちの本音のところはどうなんだろうね?

 

 

 

 ぐだぐだになりかけた初対面ではあったものの、なんとかその場を仕切りなおし、一通りお互いの自己紹介を終えた。

 途中で声が上がったのは、やっぱりこの場に居ることそのものが不可思議な存在である彼のところ。清澄高校の麻雀部一年、そこでまずざわりとなって、さらにその次の小鍛治健夜の弟子という肩書きのところで本格的にどよめきが起こった。

 今はまだカメラが回っていない場所なので遠慮なく晒しているとはいえ、彼女らの反応を見るに、やはり情報を表に出す場合はタイミングをきちんと事前に打ち合わせてからにしたほうが良さそうだ。

 

「小鍛治プロに弟子がいるってことにも驚いたけど……清澄の子だったんだ。トヨネは知ってたの?」

「もちろんだよっ。あれ、言ってなかったっけ?」

「聞いて無いし……さっきだっていきなり『あっ! 雑用のプロの人だ!』とかいって一人ではしゃぎ始めただけだったじゃん」

「えへへ、ごめんねー」

「……あれってこーこちゃんのせいだからね?」

 

 見なさい、このしょぼくれた中年男性から醸し出されているのと似たような悲哀を感じさせる京太郎君の背中を。

 遠く離れた岩手にまで雑用のプロとして名が知れ渡っているという現実に、もはや否定する気力も無いという疲れっぷりである。

 

「いやぁ、メディアの力って怖いよねぇ……風評被害とかの原因って無くして行かないとだね!」

「どの口で言ってるの、それ?」

 

 内容は間違っていないことを言ってるだけに、その発言者の他人事っぷりだけがいただけない。

 そもそも私に対するアラフォーネタを定着させた罪は重いよ? 許されざるよ? そのことが分かってて言っているんだろうか、この子は。

 

「でもなんで清澄の子がここに? 小鍛治プロが弟子だからって全国連れて歩いてるんですか?」

「ううん、さすがにそんなことはしないよ。えっと、今回はね――」

 

 言いかけた私の言葉を遮って、話を始めたのは熊倉先生だった。

 

「ああ、彼は私が呼んだんだよ。福与アナにお願いしてね、連れて来てもらうよう頼んでおいたの」

「えっ?」

「先生が直々に、ですか?」

「ええ。以前世話をしていたことのある子から、ちょっと面白そうなことを小耳に挟んだものだから。あの健夜ちゃんの弟子でしょう? どんな子なのか気になっちゃってねぇ」

 

 ……えっ? あれ、ちょっと待って。最初に私が京太郎君本人から聞かされていた理由とまるで違うんですけど。

 たしか彼の説明だと、今回の取材はどうしても人手が足りそうに無いから交通費とバイト代を出すので助手として手伝って欲しいといって借り出された、という話ではなかったか?

 ちらりと京太郎君のほうを向く。あからさまに目が逸らされてしまった。

 今度はこーこちゃんのほうを向く。にやりとほくそ笑んだその表情を見て、また騙されていたんだとすぐに気が付いた。すぐといってもまぁ既に手遅れなんだけどさ。

 

「もしかして……赤土さん、ですか? 漏らしたの?」

「おや、よく分かったね」

「同じようなことを瑞原プロと戒能プロからも聞かされましたから……」

 

 ええい、また赤土さんかっ!

 部員たちの扱い方を見るにわりとしっかりした人のように感じていたけど……ああ見えてあの人もしかして超絶に口が軽いの? ヘリウムガスの如しなの?

 

「……っと、どうしたのエイちゃん? ん? なにこれ、絵?」

 

 私が頭を抱えているうちに、袖を引っ張られて振り返る鹿倉さん。

 それを行動に移したのは、どうやら会話に入ってくるタイミングを逸していた留学生のウィッシュアートさん。手持ち無沙汰だったのか、手に持っていたスケッチブックに何かの絵を描いていたらしい。

 誇らしげにばーんと提示されたそこには、よく似た二人の似顔絵が描かれていた。

 

「これって片方は須賀くんだよね? じゃあもう片方は――」

 

 全員の視線が、一人会話に混ざろうともせず椅子の上でダラっとしている彼女、小瀬川さんへと向けられる。

 ああ、なるほど。それだけで彼女の言いたかったことを全員が瞬時に理解した。

 

「たしかに。よく見ると似てるね」

「うん。髪型とか髪色は違うけど、姉弟か親戚だって言われても信じちゃうレベルでしょ、これ」

「え、言われるほど似てますか? 似てますかねぇ……どうみても俺なんかより小瀬川さんのほうが十倍綺麗っすよ?」

「ソックリサン!」

「ダルいからどっちでもいい……」

「いいなー、シロ。私も自分のそっくりさんを見てみたいよー」

「トヨネ、ドッペルゲンガーって知ってる? 自分に似た姿をしてるんだけど、それを見たら死んじゃうっていう話なんだ――あ、そういえば昨日トヨネによく似た子がさ……」

「わっ、わーっ! さえ、その先は言わなくていいからっ!」

 

 それぞれに盛り上がる宮守女子の面々と、何故だか既に溶け込み気味の京太郎君。ああ、若干一名だけ盛り上がりに欠けているようだけども。

 このやり取りを見ただけで、私が危惧していたような『清澄の関係者は総じて討つべし』という戦国時代的な空気にはならなさそうだと確信した。

 

 

「へぇ、それじゃ宮永さんを麻雀部に連れてきたのって須賀くんだったってことなんだ?」

「はい、そうなりますね」

「うわぁ……あの魔王をカモ扱いとか命知らずにも程があるよ!」

「コンナカンジ?」

 

 スケッチブックに描かれているのは、どくろマークの描かれた導火線付き爆弾の周りで無邪気に花火をして遊んでいる男の子の絵。

 ……うん。言い得て妙だね。

 

「でもでも、それってとてもすごいことだよねっ。もし須賀くんが宮永さんを連れてきてなかったら全国大会とかどうなってたんだろうねー?」

「その時はたぶん龍門渕高校が上がってきてたんじゃないですかね? 俺は画面のこっち側で見てただけっすけど、あそこの大将の人もたいがい咲とタメ張るくらいの非常識人でしたよ」

「うん、私もそう思うかな。靖子ちゃ――藤田プロのお気に入りなだけあって、天江さんは全国の凄い子たちの中でも強さ的には上から数えたほうが早そうだし。風越女子と鶴賀の子たちだと、ちょっとアレは抑え切れなかっただろうから……」

「そういえば長野の個人一位の、福路さんだっけ……個人戦で戦ったけど、あの人もなんか変だった……」

「変って、たとえば?」

「んー……なんだろう、正解を不正解にされることがある、みたいな……」

「それってシロの能力破られてるってことなんじゃないの!?」

「まぁ、そうなるかな……ダルかった」

「ダルくないよ!? おおごとじゃん!」

「イチダイジ!」

「全部が全部ってわけじゃなかったし、別に……」

 

 小瀬川さんの能力と言うと『迷えば迷うほど正解(高めの和了)に近づく』というあれのことかな。

 たしかに、福路さんならば卓上に存在しているありとあらゆる情報を駆使して、正解を不正解に書き換えるくらいのことはしそうである。実際に小瀬川さんの順位よりも上に福路さんの名前があるのだから、まさしくそれをやってのけたということだろう。破られた本人はあまり気にしている風には見えないけれども。

 

 本当、あの子については不遇という言葉に尽きると思う。風越女子のキャプテンとして県大会での連続優勝記録を途絶えさせるという不名誉な記録を打ち立てたというだけで既に傷がついてしまっている状況なのに、それが二年連続ともなれば、あれだけの実力を有していようが、また例えどれだけ後輩に慕われていようとも、卒業後にOGとして部の中核に関わることは難しくなるに違いない。

 規模の小さな部活に悩みがあるように、大きな部活にもやはり毛色の違う悩みがあるものなのだ。

 

「トヨネは福路さんにもサイン貰ってたよね?」

「個人戦の対局の後で貰おうと思ってたんだけど、サインなんて書けないからって断られちゃったんだよねー……」

「ああ、私その光景実況席から見てたわ。福路さんすごく申し訳なさそうに何度も頭を下げてて、それを見て姉帯さんも水呑み鳥かって言いたくなるくらいすごい勢いで頭下げてたよね」

「そうなの? 私は見てなかったけど、容易に想像できちゃうね、なんとなくその絵がさ……」

 

 福路さんの腰の柔らかさは恐ろしいレベルである。もちろん手触りとかの話ではなくて、物腰のことね。

 一方の姉帯さんについては確認するまでも無いし、二人がお互いに謝り続けている状況というのを想像するのは難しい作業じゃない。そしてそれをすかさず絵にして全員に見せているウィッシュアートさんはさすがと言わざるを得なかった。

 

「天江衣と福路美穂子か。その二人は小鍛治プロが認める程の強さってことでしょうか?」

「実際に戦ってみたわけじゃないからハッキリと断言はできないけど。もしみんなが龍門渕と戦うことになったとしたら、苦戦を強いられる相手であることは間違いないかな。福路さんも個人戦で実際に当たった子は分かってると思うけど、まともにぶつかれば一筋縄ではいかないだろうね」

 

 宮永さんが麻雀部に入っていなかったという前提で、もしも代わりの枠で天江さんが全国大会の個人戦に出場していたとするならば、おそらく三位以内への入賞は確実だったんじゃないかと思うのだ。それくらい彼女自身のポテンシャルは相当高い位置にあるといっていい。

 ただ、確固たる自信を持っていた己の力をも飲み込んでしまうほどに強大だった宮永さんと戦うことで、彼女は麻雀の奥深さを知り、また一つ強さを積み重ねたはずだ。好敵手たる少女が表舞台に姿を現さなかったというIFを前提にしておくならば、即ちそれは新たに得た強さの部分が丸ごと欠落したままであるということでもあるわけで。

 それを考慮に入れれば、メンタル部分にムラがあるというか勝負に対して脇が甘いところ――悪く言えば過信から来る傲慢さ――が残っている天江衣に対してならば、同じようなオカルト能力を持っている姉帯さんとか、和了の目を塞いでしまえる臼沢さんならやりようによっては十分勝つチャンスがあるだろう。

 

 一方、福路さんのほうはどうかというと。

 正直なところ、あの子の状況判断力は脅威である。宮永照のような特殊な力を用いることなく初見で相手の傾向を看破できそうなほどの慧眼の持ち主だし、頭の回転も速い。頑固なわけでも無いから柔軟で対応力もあるし、我が強いわけではないから他家を使うことに躊躇いも無い。

 この手のタイプは正面から対策を打つのが特に難しいのである。相手の脳内で絶えず行われている思考を外部から強制的に停止させるのは正攻法ではまず不可能だし、手を読まれないよう気を付けていたとしても必ずどこかで綻びが生じてしまうもの。

 あえて相性が悪そうなタイプを挙げるとするならば、トリッキーな打ち方で他家の心理を手玉に取ることに長けている清澄高校の竹井久、あるいはトラッシュトークで対戦相手の平常心を翻弄する姫松高校の愛宕洋榎あたりだろうか。ここ宮守女子にはそのての打ち手が存在せず、正面突破でごり押ししなければならない時点で難敵であることは間違いない。

 但し、いくら福路さんが手強い相手だったとしても、風越女子の団体チームそのものは全体的に隙が多いので、宮守側が苦戦を強いられるということは無さそうだ、というのが私の見解である。久保さんには申し訳ないけれども。

 

「まぁ、どっちにしても宮永さんほど問答無用な子はいないから、普通に戦えば勝てない相手ってことはないんじゃないかな。清澄を倒すことを考えたら、相性的にはそっちのほうがまだ楽だったかもね」

「なるほどぉ。ってことはつまり、龍門渕と当たっていれば勝ちぬけていたかもしれないってことで。ウチがあんなことになった原因も元を辿ればキミのせいだってことでいいのかな? んん?」

「うっ……」

 

 ――って確信して気を緩めた途端にこれだよ!

 まぁ臼沢さんが冗談で言っているのは表情を見れば分かるんだけどさ。京太郎君にとってはけっこう笑い事じゃないんだよね。

 

「塞、さすがにそれは責任転嫁しすぎ」

「リフジンダヨ!」

「あはは、まぁそれはさすがにジョーダンだけどさ。あ、ねぇねぇ。あの宮永咲と幼なじみってことは、やっぱり須賀くん麻雀上手なの? だから小鍛治プロの弟子になったのかな?」

「いやぁ、それがさっぱりでして。麻雀始めたのも高校に入ってからですし、最近は小鍛治プロが師匠になってくれたおかげで少しはマシになりましたけど、それでも練習中の対局で十回に一回くらい最下位を免れたりできるようになった程度のもので……」

「……えー」

「あの面子に囲まれたらちょっと基礎を覚えたくらいの初心者なら仕方が無いことじゃない? 特にあの悪待ちの人とかセオリーどおり打ってたら相性最悪でしょ」

「ジホウノヒトモコワカッタ……」

「先鋒のあの子、名前は忘れたけど……東場だけならまぁ、手強かったし」

「ましてや原村和や宮永咲が相手なら、もう原因を語るまでも無いよね」

「そうなんですよね……」

 

 さんざんに言われているようだけど、そのほとんどが的を射ているのだから世話が無い。名前を並べるだけで魔境っぷりが見て取れるというのも何だかな。

 ただ、原村さんって可愛い顔してけっこう容赦ないんだな、と。ある程度の裏事情を知っている私としてはちょっとだけ別の部分に同情を向けてしてしまうのだった。

 

 

 清澄高校のメンバーは、既に引退している元部長の竹井久を除いても、なお粒揃いの精鋭たちだ。強豪犇く全国の舞台を直に経験したことで、各々が着実にレベルアップしているといっていい。半ば置いてけぼり状態だった京太郎君が夏以前よりも勝率を落とすのはもはや仕方が無いことである。

 

 ――が。彼が勝てない本当の要因は実は別のところに存在していて、そのおおよそ全てが、デジタルの化身こと原村和その人によって齎されていたりする。

 というのも、私がさりげなくデジタル思考の防御法を徹底的に叩き込むよう彼女にお願いをしているからなんだけど。

 原村さんが京太郎君と対局をする際、できる限りピンポイントで狙い撃ちをするように徹底しているとのこと。彼女は『相手の当たり牌を察知して振り込みを回避してみろ』という難題を身体で覚えさせようとしているのである。可愛い顔してなかなかになかなかなスパルタ具合だ。熱血ぶりにより磨きがかかっているような気がするのはきっと気のせいだろう。うん。

 

 余談ではあるが、ツモ和了ができないという特性に関してはいくら丁寧に説明しようがお得意の『そんなオカルトありえません』で一蹴されてしまうのだった。肝心要の部分は彼女の得意分野である牌効率と、そこから導き出される相手の手を読み解く手法だからそれに関して問題は無いんだけど、実際に体験してなお認めようとしない彼女のソレにも呆れるばかりである。

 

「エイちゃんもそうだったけど、経験者の中に一人だけ初心者が混ざるのってやっぱ大変だよね? しかもトヨネがいうには清澄って確か指導者っぽい立場の人が居ないんでしょ?」

「そうっすね。最初の頃は部長が親身になって教えてくれてたりしてましたけど、メンバーが揃ってからはそういうわけにもいかなくて。でも部長にとって今年は最後の夏でしたし、その辺りは新入部員としてちゃんと理解してるつもりですよ」

「うーん、他校のやり方についてどうこう言うつもりはもちろんないけどさ、個人的にはそういう切り捨てっぽいのはどうも、なんかこう、ねぇ? モヤっとしちゃうというか」

 

 そういう相手に勝てなかったのも複雑だなぁ、とぽそりと呟く臼沢さん。

 大っぴらに相手を否定するようなことはしないものの、本人の心情としてはあまり肯定したくないのだろう。負け犬の遠吠えにならないように大きな声でこそ言わなかったが、その心情は顰められている眉が雄弁に物語っている。

 

「一人だけ男の子だったからってのは関係ないのかな? 疎外感とか無かった?」

「疎外感は無かったっていうとウソになっちゃいますけど、それはどっちかっていうと性別がってよりは実力差がありすぎてのことで……ああでも、当たり前っちゃ当たり前のことですけど全国前の合同合宿も俺一人だけ参加できませんでしたし、性別の違いが一切関係なかったとも言えないんスけどね」

「えー、ぼっちはよくないよー」

「女子高の人たちが集まる合宿でしたから、そこはまぁ仕方ないんですよ。それにもし俺がみんなに麻雀部分で役立てるくらい強かったら、特例で参加させてもらえてたかもしれないし……そこはほら、自分の実力の至らなさとでもいいますか、もう少し頑張っていれば結果は違ったんじゃないかとポジティブに考えてですね――」

「でも、君が誰の指導も受けずに一人で上手くなるのは無理だったんじゃないかな……」

「うっ……」

「シロッ! そういうことはたとえ思ってても言わないの!」

「胡桃、それはそれで失礼だよ」

 

 小瀬川さんの科白にしょんぼりとしてしまう京太郎君に向けて、その様子を見て焦った鹿倉さんから放たれたフォローという名の追い討ちが華麗に決まった。

 せっかく良い感じの科白を言おうとしてたのに……色々と可哀相な子だね君は。

 

「……私さ、小鍛治プロが須賀くんを教えようと思った理由がなんとなく分かったような気がするわ」

「ボセイホンノウヲクスグッタ、ダネ」

「エイスリンさんってどこからそういう言葉を仕入れてくるのかな?」

 

 まぁ、あながち間違っているとは言いきれないんだけど。母性本能……というべきなのか、どうなのか。

 なんとなく放っておけないという点は事実だけどもさ。

 

「さてと。勝敗を分けた高校同士親交を暖められたところでそろそろ本題のほうに入らせていただきましょうか。すこやんもいいよね?」

「うん。あ、ちょっと待ってこーこちゃん。バッグを取ってこないと」

「俺が取ってきます。師匠は座っててください」

「え、でも――」

 

 止める暇も有らばこそという感じで、さっと動く京太郎君。私が命令したわけでも無いのに自ら動くその行動力を目の当たりにした宮守女子の面々――特に姉帯さん――は、感心したような、あるいは可哀想な子を見る目で彼の後姿を追っていた。

 哀しいかな、風評被害と思われていた『雑用のプロ』という肩書きが確かな響きを伴って彼女らの中で定着した瞬間だったといえる。

 

「どうぞ」

「ありがとう、京太郎君」

 

 その切ない現実に本人が気がついているのかどうかは分からないけれども、部屋の隅っこに置かれていたバッグを持って来てくれた京太郎君にお礼を返し、その中に入れていた手帳を取り出した。これで準備万端、いつ話をこちらに振られても大丈夫のはず。

 いつの間にやら雑談の主題が宮守ではなく清澄高校含む長野県の麻雀事情へとシフトしていたように、たしかにそろそろ区切りをつけて取材に移行しないと雑談だけで日が沈みそうなので。

 

「んんっ。こっちは準備できたよ、こーこちゃん」

「オッケー。ではタイトルコールの後に皆さんのインタビューから始めましょうか。カメラの前で話すのは慣れてないかもしれないけど、あんまり固くならないでいいですよー」

 

 用済みのバッグを持ってカメラの前から捌けて行った京太郎君の後姿を確認しつつ、気持ちをきちんと切り替えて。

 前髪、服の袖、襟元をきちんと正して向けられたカメラへと意識を回せば。

 

「すこやかじゃない小鍛治健夜と――」

「ふくよかじゃない福与恒子の」

 

「「すこやかふくよかインハイティーヴィー第三弾!」」

 

「今回はここ、岩手県代表の宮守女子高校から生中継でお届けしますっ!」

「ちょ、ぜんぜん生中継じゃないよね!? もう初っ端から飛ばしすぎ……お茶の間に届くのはどう頑張っても録画の映像だよ?」

「おっと失礼、つい勢いで。でもさぁすこやん、お茶の間とか最近じゃそうそう使わないよ? さすがアラフォー、時代を感じさせる言い回しだね!」

「アラサーだよっ!」

 

 ――本日の仕事の開始である。




というわけで、今回から宮守編の開始となりました。番外編と一部交錯する感じで進むので、第三弾中は内容が若干オリジナル要素高めでお送りすることになるかと思います。しれっとサブタイトルが先送りになっているのは、内容が後半部分にずれ込んで分割されてしまったためです。ごめんなさい。
てことで次回こそ、『第14局:背向@一人と独りの違いについて』。ご期待くださいませ


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第14局:背向@一人と独りの違いについて

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 ここ宮守女子高校において、麻雀部が正式に活動を始めたのは全国大会から数えておおよそ半年ほど前のことである。

 当初麻雀部に所属していた初期メンバーは、臼沢塞、小瀬川白望、そして鹿倉胡桃の三名のみ。麻雀には三麻と呼ばれる三人打ちのスタイルもあるにはあるが、基本は四人で回すもの。そのための規定人数もおらず、きちんとした指導をこなせる顧問も存在しない、それまでの麻雀部はいってみれば正式な部活動ではなく同好会のようなものだったと論じても、そう間違いではないだろう。

 ――全国大会に出場する。そんな部活動を行う高校生としては当たり前かつ真っ当な目標を掲げようも無いほどの状態であった。

 

 麻雀という競技が全国各地で持て囃されており、実際に競技人口がかなりの数を突破してもなお、場所によってこのような格差が生まれてしまうという状況は、悲しいかな抗いきれない現実としてそこにある。

 人数不足が祟って団体戦への出場が困難だったという高校は今年も多々あっただろうし、これからもたくさん出てくるだろう。今年の場合は、ここ宮守女子高校もそうならば――以前訪れた清澄高校もそうであり、阿知賀女子学院も同じ問題を抱えていた高校の一つ。

 しかし、その上でなお彼女らは強かった。優勝校が阿知賀女子学院、準優勝校が清澄高校だったことを考慮に入れれば、逆境からの大逆転勝利と形容しても過言ではないだろう。

 

 そしてこれらは今年の大会が大番狂わせ(ダークホース)の巣窟やら強豪殺し(ジャイアントキリング)の見本市やらと言われる原因の一つにもなっている。実際に全国大会の常連校と呼ばれる高校が、準決勝かそこに至る前にほとんど姿を消してしまっているのだから、その論調も些か極端ではあるものの、決して間違っているわけではない。

 上位四校のうち実に半数となる二校が常連校と並ぶべくもないような定員数ギリギリの高校だったにも拘らず、決勝まで残っているという現実が齎す結論は、総人数よりも質が重要という至極単純なものでもあった。人数が足りないという問題は深刻ではあるが、人数さえ揃っていれば誰でもいい、という訳にもいかないのである。

 

 人生には儘ならないことというのが多く存在する。そういった際にどのような行動を取るか、というのは難しい。

 先に述べた二校については、共にその責任者たる人物がただひたすらに待ち続けた。片方は己の持つ『悪待ち』という特性を信じ、また片方は昔に培った『絆』を信じて。

 

 では、ここ宮守女子高校ではどうだったのか。

 初期のメンバーでもある臼沢塞と鹿倉胡桃は、その時の心境をこう語っている。

 

「挑戦権が最初から無かったようなものだし、全国大会なんて夢のまた夢って感じだったから別に辛いとかそういうことはなかったなぁ」

「二年間ずっと私たち以外に麻雀やりたいって子が現れなかったってのがすべてを物語ってたもんね」

「そうなんだよね。たまには四人打ちでやりたいなって不満はそりゃ当然みんな持ってたけど……無いもの強請りしたって神様が叶えてくれるわけでもないしって、どこかで諦めてた部分はあったかも。出れないなら出れないで別に私たちは構いませんけど、って感じでさ」

「分かる分かる。あの時は本気でそう思ってた」

 

 彼女たちは四人打ちで卓を囲むための人数集めすらままならない環境であっても、麻雀を打つことを止めたりはしなかった。放課後には部室に集まり卓を囲む。それは集った三人が麻雀そのものを好きだったからこそ続けられた習慣といっていいかもしれない。

 大きな大会への出場というのは目標とするには明確で、部活動を行うにあたりモチベーションを保つという面では大いに役立つものだ。

 反面、麻雀という競技そのものに楽しみを見出している存在にとってそれらは競技を続ける延長線上に置いてあるおまけ程度の認識でしかないということも、もしかしたら真理であるのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

 

 井の中の蛙、大海を知らず。井戸の囲いを飛び越えられるだけの脚力を持ち合わせていなかったが故に抵抗なく受け入れられていた諦観が、やがて覆される時が訪れる。

 その報が舞い込んできたのは、未だ蟄が来たるべき目覚めの時を待ちながら雪化粧の下で安らかな眠りを享受している冬の或る日。来年度から宮守女子高校に赴任することが決まっていた一人の教師が、ふらりと部室を訪れた時から始まった。

 

 

 宮守女子高校は、岩手県遠野市にある。

 遠野地方といってまず最初に思い浮かんでくるのは、やはり有名な遠野物語だろう。故に、河童や座敷童子といった妖怪たちの物語をはじめ、マヨヒガなどの摩訶不思議な伝承の多くはこの遠野に因んだものという印象が強く世間に根付いている。

 岩手の至る所で見受けられる異界やその住人たる妖怪たちに端を発する伝承は、人々の暮らしにも少なくはない影響を与えており、婚姻や葬儀などの独特な風習をはじめとして、今日までの社会基盤を形成する一助を担っている。

 宮守女子の麻雀部員の一人――姉帯豊音は、そんな地方独特の風習が根強く残る山村の一つで生まれ、育てられた子供の一人であった。

 

「え、えと。あのー、何を喋ったらいいのか分からないっていうか、そのー……」

 

 あ、そんなに固くならなくていいからね。普段通り、普段通りで。

 自身にカメラを向けられることに慣れていなかったのだろう。緊張して固くなっている彼女の姿は、こういった場で表現するには不謹慎かもしれないが、実に可愛らしかったためあえてカットせず放送に乗せようと思う(※福与さん談話より)。

 

 そんなインタビュアーの言葉に照れた表情ではにかむ姿が示すように、純粋無垢なままで育てられてきた、いわゆる箱入り娘のような彼女ではあるが、その実態は決してそんな生ぬるい表現が許されるようなものではないくらい、厳しい掟に縛られた生活だったといっていい。

 事実、彼女が村を出るための手続きにはかなりの時間を要したという話も聞いている。風習というのは厄介なもので、それは所謂現代的な観点からいえばナンセンスに過ぎることではあるのだろうが、当の本人たちにしてみれば至極真面目に信仰しているいわば宗教的なものである以上、その常識は簡単に覆されるものではない。

 

 それがさも当然という環境で育てられた彼女自身もそれを辛いと思うことはなかったという。ただ、それでも籠の中の鳥は本能の赴くまま外の世界に広がる大きな青空の下を飛び回ってみたいと願うもの。テレビという箱庭の中の世界に憧れを持ち続けた彼女にとって、それは小さな、しかし望むべくもない分不相応な願いのように思われた。

 

 しかし、そんな諦観を抱いていた少女の前に、望外な出来事が訪れる。

 それは灰被り姫の元にやってきた魔法使いの如く。あるいは茨姫の元を訪れた王子様の如く。

 (しがらみ)を潜り抜け、彼女の元に光を届ける役目を担ったのもまた、後に宮守女子高校麻雀部の顧問となる、件の同じ人物であった。

 こうして、幼い頃から磨き続けてきた強力な特性によって勝利へと導く女神が一人、牌を握り続けた孤独の日々を経て、新たに麻雀部へと加わることになるのだが。その数奇な運命が齎した恩恵は、彼女一人だけのものではなかった。

 

 

 繰り返しになるが、頭数を揃えるために誰でもいいから入部させる、という手段では決して全国まで勝ち上がることはできないものだ。

 そういった意味でのみ語るならば、最後の一人にまったくの初心者であった彼女――エイスリン・ウィッシュアートを加えたことは、苦肉の策という他はない。

 

 麻雀の強豪校としても有名な臨海女子高校のように、積極的に取り入れている学校でも無い限り、留学生というのは稀有な存在だ。

 たとえ本当はそうでなくても、本人がそれを望んでいなくとも、自分たちの生活範囲の外から来た人物に対してはどうしても『特別』であるという意識が働いてしまう。これは国という大きなカテゴリーでの話だけではなく、隣のクラスの人間が自分たちのクラスに紛れ込んでいるだけで違和感を覚えてしまうことがあるように、動物が集団を形成する上で必ず発生する本能といえるのかもしれない。

 

 そして、ここでいう外から内に来た人に感じる『特別』というのは極めて厄介な性質を持つものである。ある程度は持て囃されもするが、安全圏とでもいうべき一定距離からあえて近づこうとも思われない。

 彼女自身のほんわかとした人柄は他人に自分を避けさせるような深刻な事態にこそさせはしなかったが、それでも異文化の壁というのは大きかったのだろう。言葉の違いという埋めきれない境界線もあり、周囲に溶け込むというまでには至らなかった。

 

 特別という意識は時に孤独を生むことがある。そう言った観点から考えれば――後から麻雀部に加わった二人は、等しく『特別であるが故の孤独』に苛まれていた。

 しかし、二人は決して似ているわけではない。むしろ、半強制的に集団の内に篭り続けていたために同年代との交流が阻害されていた姉帯豊音と、本来の集団から外れて別の集団に紛れ込んでしまったエイスリン・ウィッシュアートという構図を見れば分かるように、その境遇は真逆――背中合わせの存在といえる。

 そんな二人が、それぞれに別の人物に誘われて『麻雀』という要素を間に挟む形で出会うことになったのは、果たして偶然だったのか?

 

 古参のメンバーの一人である小瀬川白望は、時に、逡巡に浸ることで限りなく正解に近い答えを導き出すという不可解な特性を見せることがある。

 遠野物語で語られている『迷いの家(マヨヒガ)』に(なぞら)えてそう呼ぶ人も麻雀関係者の中にいるようだが、それは今はいい。

 留学生の少女を麻雀部に見学へ来るよう誘ったのが、その小瀬川白望であったという点こそが重要なのだから。

 

「別に深い意味はなかったけど……ただあの時はそうしたほうがよさそうだって思っただけだし……」

 

 と、本人も言っているように、それは単なる気まぐれに近かったのかもしれない。

 この気まぐれをして、後の県大会団体戦優勝という快挙が成し遂げられることになるとは、当の本人たちは夢にも思ってはいなかっただろう。そも留学生の少女はこの時点で麻雀というものを一切知らなかったのだから、尚更に。

 欠片が足りずに埋められなかったジグソーパズル。そこに最後のピースを嵌め込んだのが小瀬川白望の気まぐれだったとするならば、それが誰にとっての『正解』だったのか――結果だけを見て論じることが許されるならば、その答えは明白だ。

 

 それは、臼沢塞や鹿倉胡桃に大海を望む希望を灯したものであり。

 小さな小さな孤独の歪みに沈みかけていたエイスリン・ウィッシュアートの心を救い上げたものでもある。

 当の本人はその功績を取るに足らない出来事だと感じているようだが……もしかするとその無欲さこそが、富貴へと辿り着くことができる彼女の素養なのかもしれない。

 

 

 これらのことから分かるように、最後の一人として加わったエイスリン・ウィッシュアートではあったが、初めから頭数を揃えるつもりで入部に至ったわけではなかったことが伺える。

 あくまでも彼女に麻雀の楽しさを感じてほしい、また麻雀を通して本当の意味で溶け込みたいと本人が強く願った末の加入であったという点にこそ注目してみれば、見えてくるものもある。

 ニュアンスの違いといえばそれまでだが、あえて言おう。その違いこそが、苦肉の策が転じて値千金の逆転打となった要因だったのだ、と。

 

「トヨネが初めて学校に来た時に、私もシロに誘われてはじめて麻雀部を見学させてもらっていたの。すごく楽しそうな彼女たちを見てると、とても羨ましくて……でもね、麻雀部に入ろうと思った直接のきっかけはトヨネかな。彼女がとても嬉しそうだったのが印象的で――別れ際に悲しそうだったのが、なんていうか、とても心に強く残ったの。私は留学生だからこの学校の中で一人ぼっちだと思っていたけど、彼女はもっと大きな意味でずっと独りぼっちだったのよ。それに気が付いたときに私は、今まで自分から輪の中に加わろうしていなかったことに気づかされたわ。それこそが私にとってとても大切なことだったのにね」(※英語語りです。意訳:小鍛治健夜)

 

 モチベーションというのは、強さにおいて大切な要素の一つである。

 端から期待されずにいる状況と全員で楽しむために牌を握るのとでは、明らかに上達の速度は違ってくる。異文化という点において、理解し合うにはお互いが積極的にコミュニケーションを取らなければならなかったという部分も、絆を深める上で良い方に転がったのかもしれない。

 そしてもう一つに、彼女には麻雀における素養が確かにあったこと。半年間の間に基礎をきっちりと詰め込んで特性を開花させた指導者の手腕もさることながら、それをきちんと吸収して血肉に変えた彼女の努力も見逃すわけにはいかないし、その結果として打ち立てられた『県大会における和了率全国第一位』という記録。地区は違えど絶対王者として参戦した宮永照をも上回るそれは、素直に絶賛されるべきものである。

 

 孤独を乗り越えたその蕾は、『特別』ではないただ道端に生えている普通の花として今、彼女たちの傍で可憐に咲き誇っている。

 忘れてはいけない。学校での部活動において、大会での勝敗というのも確かに重要なファクターではあるのだろうが。本当に大切なものは、もっと他にもあるのだろうということを。

 

 宮守女子高校は岩手県代表として全国大会に進んだ果てに、二回戦で敗退するという結末を以ってその挑戦を終えた。

 これは決して彼女たちにとっては満足できるものではなかったかもしれないが、その過程で得られたものはきっとこの先の人生の中で確かな存在として支えになってくれることだろう。

 

 

 

 ここで、永世七冠でありグランドマスターの異名を持つプロ雀士『小鍛治健夜』に話を聞いた。

 宮守女子におけるキープレイヤーを挙げるとするならば誰を選びますか、という問いかけに対し、

 

「今回の場合はちょっとぱっと見だと分からないような特殊な場面になっちゃうかもしれないんだけど――」

 

 言いながら画面上を眺める小鍛治プロが停止させた場面は、全国大会二回戦・副将戦での一幕だった。

 副将戦――つまり臼沢塞をキープレイヤーとして選択した、ということなのだろうか?

 

「別に宮守に限らないことだけど、全国の団体戦に出てくるレギュラーメンバーなんて一人一人が強いってのはまぁ当然なんだよね。宮守だと特に攻撃的なのは大将の姉帯さんと先鋒の小瀬川さん、あと意外だけど次鋒のウィッシュアートさんもどっちかっていうとそっち寄りかな。この子達はいってみれば、自分の得意な麻雀がきちんと出来るかどうかで成績が変わってくるタイプね」

 

 これについては次鋒戦が分かり易いかも、とデータを示しながら説明してくれた。

 

 次鋒戦、エイスリン・ウィッシュアートは清澄高校の染谷まこにメタ的に完封されてしまうほど、打ち手同士が理想とする麻雀そのものの相性が最悪だった。

 点数の増減は致命傷になりうるほど多くは無かったが、それくらい完璧に抑え込まれてしまったという事実そのものが後の展開的にはひどく重かったように思える。

 本人にとっても予想だにしないレベルで思い通りにならなかったことは、おそらくこの時が初めてだったのではないだろうか?

 

 麻雀初心者にちょっと毛が生えた程度の育成期間しかなかったという点もあってか、自身の信条とする麻雀を封じられた時の応用力に乏しかったのも事実。型から外れた際に足掻くための下地を持たないということは、相性次第で容易に蹂躙されてしまうといった危険を常に孕むということでもある。今回の場合は、その危惧すべき部分がモロに表に出てしまったということなのだろう。

 

「――でね。尖がった強さを持ってる子達は確かに強いけど、安定性には欠けちゃうんだ。エースってことなら最終的に収支が上向いていればそれでもまぁ構わないんだけど、キープレイヤーっていうのはやっぱり戦いの流れそのものに干渉して、なんとかできるかもしれないって思わせてくれるだけの余地を持ってる選手のことだと思うんだよね」

 

 だからこそ、選ぶとしたら彼女だろうと。

 副将戦――特徴的なモノクルの向こう側、厳しめの表情で対面に座った永水女子副将の薄墨初美をじっと見詰め続ける臼沢塞の横顔を指しながら、小鍛治プロは言った。

 

 

 全国大会Bブロック二回戦、副将戦。

 その臼沢塞が卓を囲むことになった他家の面子といえば、デジタル打ちが信条の原村和(清澄)、どちらかといえば感覚派寄りだった愛宕絹恵(姫松)、そしておそらく全国に出場した選手たちの中でも最高峰の火力特化型なオカルト雀士の薄墨初美(永水女子)。

 

 その収支結果だけを見ればマイナスに落ち込んでおり、上位抜けした二校の選手とは遠く及ばない結果であったといえる臼沢だが。

 序盤から終盤に至るまで、実質この卓の流れを終始清流の如く静め続けていたのは他ならぬ彼女であったという。

 

「薄墨さんは特定の条件下で必ず役満を和了できる子なんだけど……ああ、うん。信じられないって人もいるだろうけど、そういうこともあるんだってことで話を続けるけど。その特定の条件が、あの対局中にも何度か成立したことがあったんだよね。例えば――ここ」

 

 前半戦の東四局、前局が親流れでの一本場。親は姫松の愛宕であり、件の永水女子薄墨が北家となっていた場面である。

 薄墨は早々に愛宕から北を、原村から出てきた東をそれぞれ鳴き、自身の得意となる形へと持っていくことに成功した。手牌には南と西が順調に集まってきており、四喜和が成立してしまえば大沼プロがいうところの『裏鬼門』が完成する。

 おそらく北と東を鳴くことができた時点で、本人的にはもう和了したも同然だっただろう。しかし、薄墨は絶対的な信頼を寄せているこの絶好の場面で和了することができなかった。

 

 他にも前半戦南四局一本場、二本場、後半戦東一局、二本場、南一局と悉く得意な形へと持っていった薄墨だが、結果として役満を和了したのは最後の一度のみ。

 とはいえ麻雀という競技の常識に当て嵌めて考えれば、一度でも役満を和了できたのであれば十分凄いと思うのだが……小鍛治プロはその意見を半ば肯定しながらも、この場面に限っては違うとハッキリと否定の意を示した。

 

「あの子の中で形が既に出来ているんだよ。流れ作業っていう表現をしちゃうと肯定と否定どっちの意見もあるだろうけど、この流れを通れば必ずこの結果に通じている、って言う感じでね。東と北が場に晒された後の展開を見てみると分かると思うけど、実際に和了へ向かう流れが確かに永水側に傾いてたはずだったの。それは間違いないと思う」

 

 

 薄墨自身が北家の時に限り、という制限が付いているが。風牌の北と東――つまり鬼門に当たる方角、北東に相当する牌を鬼門(※鳴いた牌を晒す場所は自分の北東に当たる)に置くことで、手の内に裏鬼門たる南西の方角、即ち南と西の牌を集める。それが、薄墨初美の持つ『役満を確定させるためのレシピ』とでもいうべきか。

 事実、薄墨は鹿児島県大会でもその火力で猛威を奮いながら圧倒的な破壊力を対戦校に見せつけている。

 

「でも、彼女にとっての誤算の一つは――その決められた流れを強制的に塞いで止められる人物がその卓の中に潜んでたこと。まぁ、薄墨さん自身も十分そうなんだけど、それを上回るレアケースに当たっちゃったのが運の尽きだったって言う他ないね……」

 

 実に五度に渡る役満和了のチャンスにおいて、四度の失敗。それが偶然の産物ではなく、人の意思によって実行された明確なる阻止だったというのである。

 そして、この話の流れでいうならば、それこそが臼沢の仕業だということになるのでは――という我々の疑問に、小鍛治プロは小さく頷いた。

 それこそが、臼沢塞をこの戦いにおいてのキープレイヤーとする根拠であるのだと。

 

「彼女は多分、オカルト殺しといってもいい能力を持ってるはず。それがどの程度まで対応できるのかは分からないけど――場合によったら、宮永さんの嶺上開花も防ぎきれるのかもしれない。宮守女子における絶対的な防御の要として対戦校のジョーカーを完封すること。たぶん、それが臼沢さんの担っていた役割なんだろうね」

 

 対策を練ったところで止められないオカルトじみた和了に対して、それを確実に封じ込めるということならば、なるほど。それはたしかに絶対的な防御の要と呼ぶに相応しいだろう。

 

 

 しかし、だ。彼女は今大会、一回戦でこそ強敵を完封しその役割を見事に演じきったといえるだろうが、二回戦では薄墨以外の他家の後手に回ることのほうが多かったようにも思える。

 そのことを小鍛治プロに問えば、彼女は苦笑いを浮かべてモニターの中にいるとある人物を指した。

 

「薄墨さんの裏鬼門に対して無防備というか、一切対策を取ろうとしなかった子が一人いたから。たぶん、あれだけレアな能力を使うんだから臼沢さん自身もきっとどこかで無理をしてたはず。それなのに東も北もポンポン捨てていく子がいたら、そりゃ無駄に神経を使うことになるだろうし必要以上に疲れるに決まってるよ」

 

 本来であれば、薄墨が北家の時に限り東と北を不用意に捨てないという至極簡単な対策を取るだけでも、自分の手は遅れてしまうかもしれないが、ある程度は裏鬼門を防げたのではないかという。

 それはおそらく彼女を相手にすることになる副将の選手の頭の中には共通して嵌め込まれていた、対薄墨初美における模範的な対処方法だったはずである。

 

「薄墨さんの天敵が臼沢さんだったとしたら、臼沢さんの天敵が原村さんだったってことかな。北家の時だけでも思惑通り三人で連携できていたら結果もまた違ったのかもしれないけど……でもね、臼沢さんもきっと分かってることだろうけど、それこそが麻雀だから。全員が点棒を取り合う敵同士だってことは、やっぱり忘れちゃダメなんだよね」

 

 その時の点数状況、目指すべき着地点、それにより重なり合う四人の思惑、卓上の様相は刻一刻と変化を見せる。

 それは相手への対策に重点を置くことだったり、あるいは自身の信じる打ち筋を貫き通すことだったりと。千差万別、最重要項目というものが打ち手の数だけ存在しているのだから、卓の上で戦っている限り自分が描いた理想の通りに進むことのほうが稀なのだ。

 

 ただ、今さら()()()()で話しても意味はないけど――と前置きをしておいてから、小鍛治プロは言った。

 

「臼沢さんがもしあの卓で薄墨さんの役満を防ぐ術を持っていなかったら、一位抜けで準決勝に行っていたのはきっと永水女子だったんじゃないかな。それくらい、彼女の力はあの戦いの結末に強く影響を及ぼしていたと思う。結局自分たちは敗退して、その恩恵を一番受けたのが清澄だったっていうのはちょっと皮肉な結果だけどね」

 

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「そういえばさ、あのコーナーに名前を付けようって話になってるんだよね」

「あのコーナーって、もしかして最後にその学校の今後について言及するやつ?」

「そそ。トッププロの小鍛治健夜が注目校の今後をズバッと斬る!みたいな感じでなにかないかなー、と」

「……なんだろう。言葉の響きからして既に嫌な予感しかしないんだけど。そもそもさ、私ってそんなに毒舌キャラじゃなくない?」

「えっ?」

 

 あれ? いやそんな「ちょっと何言ってるか分からないです」的な表情されても困るんだけど。

 どちらかっていえば、こーこちゃんに振り回されている場面しか視聴者さんたちは目撃していないんじゃないかな。この番組内では特に。

 

「それはなに? 自分は愛されキャラ目指してますんでってこと?」

「いやいや、そうじゃなくて。なんていうか、こう……性に合わないっていうか、ね?」

「ね?って言われてもさー……あ、なるほどなるほど。清澄で染谷さんを泣かせたこともなかったことにしようって魂胆だ?」

「違うってば! そもそもあれはお店の手伝いをしたことで手打ちになったじゃない」

「でも泣かせた事実は覆らないんだよね、残念ながら」

 

 うっ。まぁ、あの時は確かにちょっと言い方が悪かったかもしれないけど、間違ったことを言ったとも思って無いし……というかさ、言えって煽ったのが誰だったのか忘れているんだろうか。

 

「いいじゃん別に。最近の流行に乗って毒舌オンリーキャラで攻めてみるとかさ。意外とウケるかもしれないし、芸能界のご意見番的な感じでテレビで引っ張りだこになるかもよ? 代わりにあっちこっちからヘイト集めまくることになっちゃうかもだけど」

「わざと他人を敵に回すようなことをやってテレビのお仕事が増えても、あんまり嬉しくないなぁ……」

 

 芸能関係のお仕事を専門にやっている人ならば生き残るために色んなことをやるんだろうけど、あいにくと私は麻雀プロだから。麻雀界のマ○コ・デラックスでも目指していない限りは、そんなリスクを背負ってまでメディアに露出を増やす意味はないのだ。

 そしてもちろん、私はそんなものを目指しているわけもなし。

 

「まぁ、毒舌云々は置いといても。コーナー名は無難な感じでいいんじゃないかな」

「その無難ってのがあんがい難しいんだよ、無難ってのがさ」

「言いたいことは分かるけど……それならそれで本職のコピーライターさんにでも任せるべきじゃないの?」

「お金かかる、ヨクナイ。ヨサンゲンシュ、ゼッタイ」

「……何で急に片言なの?」

「編成部長にこってり油まみれになりそうなほどこっぴどく怒られたから! 精神的外傷(トラウマ)にもなるっつーの!」

「ある意味自業自得なんだよね、それ……」

 

 おおもう。仕方が無かったって言ってもあんな豪勢なお部屋に二泊三日も泊まるから……。

 

 

 ――と、そんな感じで話をしていた私たちだけど。結論が出ないまま彼女はディレクターさんとの打ち合わせに移ってしまい、途端に私は手持ち無沙汰になってしまった。

 しばらくやることがないというなら、だ。せっかく宮守にまで来て、しかも熊倉先生がおいでなのだから、京太郎君の能力について直接きちんと視てもらっておくべきかも知れない。

 思い立ったが吉日という諺があるように、どうせいつかやらなければならないことなら早いほうがいいだろう。

 

 彼の姿を部室内にいる人影の中に探していくと――部屋の隅っこのほう、絶賛だらけ中の小瀬川さん相手にお茶を煎れている姿が目に留まる。

 ……岩手まで来て一体なにをやっているんだろうか、あの子は。

 思わず呆れてしまった私だけど、そんな二人の近く。私たちのやり取りを遠くで聞いていたのだろう鹿倉さんが、首を捻りながら京太郎君に近づいて問いかけている姿があった。

 

「ねぇねぇ、須賀くん。染谷さんってあの次鋒のメガネの子だっけ? 小鍛治プロに泣かされちゃったって、もしかしてガチで対局でもしたの?」

「ええと、涙目になったって程度の話ですけどね。小鍛治プロが来年の清澄の展望を語る、みたいなコーナーがありまして、そこで染谷先輩にとってちょい厳しめな指摘があったっていうだけの話なんスよ。当の本人も笑い話みたいに言ってますから、二人の間に遺恨なんてないはずなんですけど」

「ふぅん、そうなんだ。なるほど」

 

 納得したのか、素直に頷く鹿倉さん。そこで納得されるのも私としては悲しいものがあるんだけど。

 それにしても対局したら涙目になるのが確定しているプロというのはどうなのだろうか、とちょっと考えてみた上で、この企画中に麻雀を打った時のことをよくよく思い出してみれば、確かにそんなことだらけだったなと思わなくもない。片岡さん然り、原村さん然り、宮永さん然り、松実さん然り……うん、これくらいで名を挙げるのは止めておこう。武勇伝には程遠い事実だし、忘れた方がお互いに幸せになれそうだから。

 

「でもさ、来年のウチってたぶん麻雀部存続できそうにないから、小鍛治プロのありがたい今後の話も意味がないんじゃないのかな。ね?」

「え、そうなんですか? 団体戦に出られなくなるとかじゃなくて、部そのものが廃部になっちゃうってことなんでしょうか?」

「そうなんだよー。私たちみんな三年生だから、後継者がいないんだよね……ちょー寂しいよー」

「ああ、なんかすんません。寂しい気持ちを思い出させてしまったみたいで……」

 

 しょんぼりと肩を落とした姉帯さんと、それを慰めるように頭を軽く撫でる京太郎君。

 涙目の彼女を放っておけないその気持ちはよく分かるし、自然と取った行動なのだろうけれども。悲しいかな、現代の基準に照らし合わせて見てみれば、相手によっては問答無用でセクハラ扱いともなりそうな微妙なライン上の行為であった。

 

「こらそこっ! 女の子の髪をいきなり撫でない!」

「――ハッ!? す、すみません! ついいつもの癖で……」

 

 あ、やっぱり教育的指導が与えられたか。残念だけど妥当だろう。

 あれだけナチュラルに乙女の頭を撫でられる京太郎君に戦慄を覚えないわけでもない。彼の漏らした科白から、おそらくは宮永さんにでもするようについやってしまったのだろうとの推論に辿り着いたことで、なんとか自制できたからよかったものの。代わりに言ってくれた鹿倉さんには感謝をしておこう。グッジョブ。

 

 ただ、撫でられている当の本人さんはというと、別段嫌そうにも見えないし、むしろ喜んでいるように私からは見える。それは素直にちょっと羨ましいなと思ってしまった。

 実際に周囲にいた鹿倉さん以外の宮守の子たちも微笑ましい光景を愛でる視線で二人を見ているところをみても、特に問題はないということなのかな。

 そもそも他の子たちだと立ったままの姉帯さんの頭に手は届きそうにないし、京太郎君の背丈で何とか様になるくらいの身長差なのを考慮に入れれば、ここは彼が適任だったということかもしれない。

 

「胡桃の言い分も分かるけど、トヨネは嬉しそう……」

「ホホエマシイトオモウヨ」

「むっ! エイちゃんまで……そうなの、トヨネ!?」

「えっと、そのー……あのね、も、もうちょっとだけ続けて貰ってもいいかなー……?」

「……!? あっ、はい、喜んで!」

 

 反射的に再び頭を撫で始める京太郎君。これが姉帯さんだからよかったものの、もし京太郎君より背の低い子が上目遣いで同じ科白を囁いていたとしたら――もしかすると私の弟子は、ここ岩手の地で痴漢行為の前科持ちになっていたんじゃないだろうか?

 同じ女性の私でもヤバイくらい可愛いと思ってしまった程なのだから、男性である彼にとってそれはそれくらい破壊力が半端ないお願いだったらしい。

 頭を撫でている最中に彼の口が『天使は岩手にいたのか……』という形に動いたのを、私は見逃さなかった。

 

 

「ありがとう、須賀くん。えへへ、頭撫でられたのなんてちょー久しぶりだったよー」

「いえ、元はといえば色々と短慮だった俺のせいですから。満足してもらえたんならよかったです」

「頭ナデナデの件はともかくさ、トヨネは特に麻雀部への思い入れが強いから、仕方ない部分はあるんだけどね。清澄は引退した三年生ってあの悪待ちの人くらいなんだっけ?」

「竹井先輩っす。そうですね、抜けたのはあの人くらいのもので、他の部員は丸々残ってますからすぐに廃部ってことはなさそうです。まぁ、それでも一人足りないせいで団体戦オンリーの秋季大会にはウチも出場できないらしいんすけどね」

「あれ、秋季大会って団体戦オンリーなんだっけ? 出てないからよく分からないんだけど。塞知ってる?」

 

 呼ばれた臼沢さんが、何かをメモしていたらしいノートから顔を上げる。

 

「うん? 秋季大会? 詳しくは知らないんだけど、たしか団体戦だけだったんじゃないっけ? 個人戦もあるのはコクマのほうでしょ?」

「うーん……? そこらへんちょっとよく分からないな」

「考えても分からないダルい状況なら、プロに聞いてみたらいいんじゃないの」

 

 ……うん? 私?

 そういったことは私に聞くよりも熊倉先生に聞いたほうがより正確だと思うんだけど。

 意図せず会話の矛先を向けられた私はバトンを渡すべく先生のほうを向き――当たり前のようにカップラーメンを片手に寛ぎまくっているその人の姿を見てしまう。

 我関せずを貫こうとするその姿勢、それは「健夜ちゃんが説明しておあげなさい」という科白が思わず脳裏にはっきりと浮かび上がってくる程であった。

 フットワークは軽いくせに細かい部分で面倒くさがりな所は相変わらずか。仕方ないな。

 

「……ええと。秋季大会っていう呼び方の高校の大会だと、大きなヤツが二つあってね。一つは一・二年生を対象とした秋季県大会新人戦で、こっちは団体戦しかやってないの。で、もう一つが秋季地区別高校選手権大会。こっちは団体戦と個人戦の両方をやってるはずだけど、たぶん京太郎君の言ってる大会は地区別のほうなんじゃないかな?」

 

 新人戦というのは、その名の通り引退した三年生を除く一・二年生が戦う大会のことで、だいたい九月の後半に行われることが多い。たとえ優勝しても県一位という称号が与えられる以上のものはないためか、大会の格付けとしては後者に劣る。文字通り新人たちの経験を積むために用意されている舞台、といってしまってもいいだろう。

 

 もう一つの地区別高校選手権大会は規模としてはインターハイに次ぐ大きさで、春季に開催される全国大会の予選も兼ねており、各地方ごとの王者を決めてしまうための大会だ。事実上、ここから引退した三年生を除いた新チームの戦いの火蓋が切って落とされることになるので、夏の全国に打って出るための試金石――ともいえる大会がこれに該当する。

 

 大まかな分類は、北海道地区、東北地区、関東地区A、関東地区B、北信越地区、東海地区、近畿地区A、近畿地区B、中国地区、四国地区、北九州地区、南九州・沖縄地区。各地区の王者、あるいは二位となった高校は春の大会で地区代表として戦うことになり、そこに麻雀連盟によって推薦された八校を加えた計三十二校で春季全国大会が開催されることになっている。

 清澄高校のある長野県は、北陸四県を加えた北信越地方。他の県にそれほど強力なライバルはいないといっていいかもしれないけれど、だからこそ余計に龍門渕や清澄のような凶悪な高校が集う長野県勢の魔窟っぷりが際立つとでもいうか、他県の高校にとっては脅威以外の何者でもないだろう。

 もっとも、京太郎君の言うように、清澄高校に関しては地区別選手権(団体戦)に出場するには人数が足りないため、参加を辞退するしかない状況である。夏の準優勝校としては、春の出場権をも兼ねているこちらの大会にはぜひとも出場しておきたかっただろうけど、こればかりは現状如何ともし難い問題だった。

 

 ちなみにこの大会が行われるのは、地区によりけりだけどだいたい十月中旬~十一月下旬にかけて。期間だけを見るとけっこう長いように思えるけど、実際は地区ごとで二週間弱ずつと考えていい。

 取材交渉で言われていたように、秋季大会に出場する新生白糸台高校は関東A枠での参戦となる。関東圏は他の地域と比べると始まる日程が早いほうなので、もしかするとまさに今戦っている真っ最中でもおかしくなかった。

 

「へー、そういう仕組みだったんだー」

「ん? ってことはだよ、須賀くんは地区別選手権のほうの個人戦には出場できるってこと?」

「そっか。それじゃ次の大会がデビュー戦になるんだね!」

「あ、なんつーかですね……いちおう夏の県大会に出てるんですよ。成績はその、ほとんど何もできずに予選敗退でしたけど……」

「……」

「……」

「……ゴメンね、はしゃいじゃって」

「いえいえ、そんな。こちらこそなんかすみませんでした」

 

 お互いにぺこぺこと頭を下げあう京太郎君と鹿倉さん。

 うっかり失念していただけなんだろうし、京太郎君もさほど気にしている様子はない。とはいえ失言をしてしまった側は居た堪れないのだろう。特に鹿倉さんはそういったことに自他問わず厳しそうな性格だし、自らケジメをつけるようにして彼女は姿勢を正し、その上できちんと表情を作り直して京太郎君と向き直った。

 

「あのね。清澄のことは素直に応援し辛いってのが本音なんだけど……でも、その上で須賀くんには期待してるっていうか、頑張って結果を出して欲しいって思ってるの」

「え……?」

「トヨネとかエイちゃんのことがあるから余計そう感じちゃうのかな? 一人で頑張ってた子が最後まで報われない物語って、私すごくイヤなんだ」

「鹿倉さん……」

 

 真摯な視線が物語るのは、それが本音ということなのだろう。

 

「須賀くんにとっては勝手な意見を押し付けてるだけかもしれないんだけど、たぶん私だけじゃなくてここにいるみんなそうなんだと思う。ね、トヨネ?」

「そーだね。私は須賀くんが清澄の子たちのサポートでちょー頑張ってたのを番組で見て知ってるから、余計そう思っちゃうよ。もちろんあの番組のことが全部ってわけじゃないんだろうけど、今度はやっぱり麻雀で納得のいく結果をもぎ取ってみて欲しいなっ」

「ワタシニモデキタンダカラ、キットダイジョウブ!」

「ダルくならない程度にやってみればいいと思う。まぁ、みんなが言うには似てるらしいから、そのよしみで応援してあげてもいいかな」

「皆さん……」

 

 そのやり取りを静かに見守っていた残る一人が、箱の中に仕舞われていたモノクルを手に取りながら立ち上がる。

 

「――ということで。ここは一つ、君のさらなる成長のためにもお姉さんたちが一局お相手して差し上げようと思うんだけど。どうかな?」

「……っ」

 

 思いもよらぬみんなからの激励に感極まった様子でぐっと握りこぶしを作る京太郎君が、涙を零さないようにとふわりと宙に漂わせたその視線。その眼下には五人の女神たちの姿があって。

 私たちの住むこの世界は、頑張れば必ず報われるという優しいものではないけれど。懸命にもがきながらも頑張って前だけを向いているその姿を見て応援してくれる人たちは、きっとどこにだって存在するものなのだろう。

 そのぶんまた重圧もその身に背負うことになるんだろうけど――男の子だもん、女の子から向けられている期待くらいは背負いきってもらわないとね。もちろん、私の分も。

 

「かまいませんよね、小鍛治プロ?」

 

 京太郎君越しに向けられた彼女の言葉が私の視線と交錯し、コクリと一つ。私は小さく首を縦に振ってみせた。

 

「お手柔らかに、なんて言わないから――存分に」




かくして旧師弟、その弟子同士の対決が賑やかに幕をあげるのでした。
次回、『第15局:瑕疵@遠野オカルト麻雀戦道行』。ご期待くださいませ


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第15局:瑕疵@遠野オカルト麻雀戦道行

 かつて私を導いてくれた師匠のような存在だった熊倉先生の教え子たちが対局相手となれば、この一戦は言うなれば師弟の弟子同士の対決ということになる。

 私のほうからは当然京太郎君が、相手側からはまず麻雀暦の問題からウィッシュアートさんが固定の面子に選ばれて。その他の二人は厳正なるじゃんけんの結果、まず姉帯さんと鹿倉さんが加わって、この四人での半荘戦が行われることになった。

 残った二人が牌譜係ということで。私たち師匠組はただ黙ってお互いの弟子の打ち方を見学することに徹する。

 

 

 宮守の子たちの手で粛々と対局を行うための準備が行われている中。当然のようにそれを手伝おうとして、ほぼ全員からダメ出しを食らって待ちぼうけ状態だった彼を呼んだ。

 

「京太郎君。ちょっとこっちに来てもらえるかな?」

「あ、はい」

 

 素直にこちらへとやってきた京太郎君だったけど、その表情は少しだけ硬い。

 

「緊張してる?」

「……正直、少し」

「大会本番でもないのに?」

「それは、その……」

「まぁ、仕方がないことなのかな。あそこにいる子たちは全員、君にとっての目標そのものだもんね」

「――はい。それにさっきかけてもらった言葉もありますし、不甲斐ないところは見せたくないってのが本音です。そう思ったらちょっと、こう」

「そっか」

 

 全国大会で直接清澄と戦った相手との対局となれば、気負うなというほうが無理だとは思う。でも、気負いすぎて空回ってしまってはせっかくの申し出も水の泡になってしまうし、それでは受験前の貴重な時間を割いてくれる彼女たちに申し訳ない。

 

 それに、今回の先方の提案自体が私個人としては渡りに船な展開で、結果がどう転ぼうとも収穫が得られるのが確定しているような状況とはいえ、やるからにはきちんと京太郎君自身の血肉として今後の糧になって欲しいと思うから。

 ここは一応釘を刺しておくべきだろうとの判断を下して、師匠としての言葉を紡ぐ。

 

「そういうことだったら、今回の対局で一つだけ課題を出しておこうかな」

「課題……っすか? いつもの『できるだけ振り込まないように』ってのとはまた別の?」

「うん。それはもう当たり前のことだから、今回はもう一つおまけでね。もし勝負の結果が惨敗だったとしても、それができてたら多分あの子達を幻滅させるようなことにだけはならないはずだよ――っていっても別に絶対にそれをやれってわけじゃないから、できたらいいなくらいの心構えでいてくれていいんだけどね」

 

 振り込まないように相手の手牌を読む打ち方というのは当然基本としてやるべきことだ。というか、そうしなければまず勝てないのだから頑張って実践して欲しい。

 今回のそれは、京太郎君が持っている今の実力で、もう一つ上の舞台に上がる資格があるか否か――それを見極めるための課題でもある。

 もちろんそんな裏の思惑を馬鹿正直に本人に伝えたりはしないけど。

 

「な、なんか難しそうなんですけど……できますかね、俺に?」

「大丈夫、そんな小難しいことは言わないよ。あのね、どんな時でもその時自分にできる精一杯をきちんとやり切ること。ただそれだけ」

「へっ? っていうかそれって当たり前のことじゃないんすかね?」

「そうだね。でも今回は相手が相手だし、その当たり前がどれだけ通用するのかな……」

 

 京太郎君を含め、五人のうち誰が来ようと特殊な力を持った子ばかりが戦うことになるこの一戦は、対局中にいったいどんな展開が待っているのか、事前の段階だと想像がその先にまで及ばない。

 但し、それでもはっきりとしているのは、京太郎君がかなりの劣勢に追い込まれることは間違いないだろうということだ。

 彼にとっては格上の三人に囲まれる形になる上、相手は多種多様のオカルト使いたちである。ツモ和了を奪われた程度でその和了を完全に抑えきれるだろう相手は一人もおらず、きっと京太郎君から直接多くの点棒を奪っていくはずだ。

 そんな状況だからこそ、彼に最も必要なもの――。

 

「大丈夫っすよ。自分の思い通りにいかないことなんて、普段の部活の時からもう慣れ切ってますんで」

「それはそれで切ないけど……まぁ、いいか。大丈夫だって言うんなら、その課題も楽勝だよね?」

「うっす。師匠の名を汚さないためにも頑張ります!」

「うん、頑張って」

 

 その言葉は素直に嬉しいと思うけれども。

 私の与えた課題の本質に気づいていないだろう彼の自信ありげな横顔を見て、こっそりとため息を一つ漏らすのだった。

 

 

 準備が整い、全員が卓に着く。

 本人たちにはそんな意図はまるでないんだろうけれど、構図的にはリベンジマッチとなる清澄高校VS宮守女子高校の第一戦。その起家となったのは、今回の面子の中ではおそらく一番の強敵となるだろう姉帯さんだった。

 

「よろしくおねがいしますっ」

「よろしく!」

「ヨロシクオネガイシマス」

「はい。よろしくお願いします」

 

 サイコロが卓の中央部分でころころと音を立てて回転し、戦いが始まる――。

 

 

 師匠がこんなことを言うのはダメだろうと思いつつも、断言しよう。まず間違い無く京太郎君は勝てないと。

 個人戦第八位の姉帯さんは当然のことながら、聴牌気配を悟らせないことに定評のある鹿倉さん、さらに地区大会和了率全国一位のウィッシュアートさん。この面子を相手に一位が取れるようならば、それこそ今すぐ秋季大会の男子部で優勝することさえ夢物語じゃないだろう。

 振り込まなければ負けない京太郎君とはいえ、無駄に相手の当たり牌を掴んでくる不運が失われているわけじゃない。特に聴牌の気配を悟らせず他家の振り込みを誘導するのが上手い鹿倉さんに関しては、今の京太郎君にとってはまさに天敵といっていい存在だ。

 

 そのことを端的に示すようにして、卓上が動いたのは東一局の六巡目。配牌からいい感じで順子が出来上がっていた鹿倉さんが聴牌し、彼女の特徴を示すようにリーチはせずにダマで待つ展開となる。

 

 鹿倉さんの雀士としての特徴としてまず真っ先に挙げるとしたら、それは非常に聴牌気配が読み辛いということに尽きる。

 基本的な動作ではあるけれど、ツモってきた牌と面子を構成している牌が同じものだった場合にあえて手の内から牌を抜いて河に切ったり、同じケースであってもある時はそれをせずツモ即切りしてみたりと。他家が自分を観察しているだろうことを前提に、きちんと迷彩を張るようにして打ち回しをする。

 それに彼女はどんな時でもまずリーチをかけるということをしない。その部分だけを見れば、ノリと勢いを重視して序盤から速攻を仕掛ける片岡さんとは真逆のタイプかな。

 現代的な麻雀のセオリーがどちらかというと聴牌即リーチを推奨している節があるというのを考えれば、これは時代に逆行する打ち筋といえるかもしれない。

 まさかとは思うけど、姉帯さんの追っかけリーチに対応するために自然とそうなったってわけじゃないだろうし……いつからそのスタイルなのか、どうしてそんな打ち方をするに至ったのか、個人的には非常に興味深い話だと思う。まぁ、理由のほうの推測はいくつか思い立つんだけどね。

 

 それから五巡後、京太郎君がツモってきたのは索子の1。捨ててある牌からでは振込みの気配が一切読めないその牌は、鹿倉さんが待っている二面張のうちの一枚、しかも高めでの和了となる一気通貫のオマケがついた当たり牌だった。

 京太郎君は何故だか一瞬躊躇するも、素直にそれを切ってしまう。結果、

 

「それロン! 満貫、8000点ね!」

「っはい」

 

 そんな感じで最初に放銃したのは、案の定というか、彼女の打ち筋に一番慣れていないであろう京太郎君だった。

 油断していたわけではないだろう。今のは単純に相手の迷彩が一枚上手だったというだけのことで、やっぱり警戒心を殺ぐようにして待ち受けるあのダマ聴は、デジタル寄りの麻雀を試行している今の彼の思考には抜群に相性が悪そうだ。

 それにしても……自分の能力で自身もツモ和了できない京太郎君としては、初っ端から満貫直撃は点数的にも精神的にも痛いな。

 

 

「健夜ちゃんは胡桃のあれをどう思う?」

「あれっていうと……ああ、ダマ聴ですか? まだハッキリとは分かりませんけど、鹿倉さんの基本スタイルが防御重視型だからなのかなと思ってます」

「ふむ。胡桃の麻雀を防御型とする根拠は?」

「二回戦で竹井さんが調子を取り戻しかけたとき、すぐに永水の滝見さんの意図に気づいて差し込みましたよね? 勢いを殺いでおきたい場面できちんと動いたところを見るに、ダマ聴なのは他家の動きに対する対応力を求めてのことなんじゃないかなって」

 

 常にダマで待つという行為に無理やり意味を持たせるなら、候補はいくつか挙げられる。

 一つは単純に、聴牌した状態から手をさらに高めになるよう変えたいから。当然だけどリーチをかけたら手を変えることはできなくなるし、俗に()()()と呼ばれる安めで聴牌している場合に、あと一手で別の役が成立するといった状態なら、手代わりを待ってあえてダマでいくと判断を下すことは往々にしてあることだ。

 もう一つは、自分の手の内を相手に悟らせないようにするため。ダマで相手を誘い込み、油断を誘っておいて釣り上げるための撒き餌のようなものといえるだろうか。リーチをかけずとも十分な破壊力がある場合には、相手の警戒心を殺ぐという意味でダマ聴を選択するのもデジタル的にはセオリーの一つである。

 だけど、鹿倉さんの場合は過去の牌譜を見る限り、上記の二つに当てはまるようで当てはまらない。

 

 京太郎君のように門前であることで特殊な効力を発揮している能力があるのかどうかというのも、牌譜を見る限りでは分からない。

 であるならば、いっそのこと少しアプローチの方向を変えてリーチをかける際のメリットから考えてみるとしようか。

 まず、飜数を最低一つ積み上げられること。役なしの状態からでも和了できるようになること。あとは裏ドラで点数が上がる可能性もあるかな。そのどれもが攻撃的な恩恵であることは一目瞭然だ。

 逆にデメリットとしては、宣言後に身動きが取りづらくなる点。振り込む確率も上昇し、防御面ではリスクが高い。そして鹿倉さんのダマ聴に限っては、私はこっちに注目した。

 

 彼女の持ち味はおそらく鋭い洞察力と推理力からくる変幻自在の打ち回しだろうと私は見る。攻撃に対しては有効な半面で、防御面では自分が自由に選択することが出来るはずの行動範囲を極端に狭めてしまうリーチ宣言は、まさに諸刃の剣といっても過言ではない。

 だからこそ、不慮の事態に即対応できるように出来る限り自分は門前で自由に動くというスタンスであり、それを生かすためのあえてのダマ聴なんだろうという結論だ。

 

「自分で点数を稼ぐことが出来る子もいれば、敵の点数の上昇を限りなく小さく抑える役割の子だっているからね。そういう意味で胡桃はまさに遊撃手(ショートストップ)といっていいだろう」

 

 そうは言ってもそれ以上に勢いのあった姫松の主将を抑えるまでには至らなかったようだけどね、と熊倉先生は苦笑する。

 でもそれは――と言いかけて、続きの言葉を飲み込んだ。先生の表情はどこか遠くを見るものであり、私に何の返答も求めていないと気づいたから。

 

「実際にその場に立つまで忘れていたというわけじゃないんだけどねぇ……インターハイって元々そういう場所だったのよね。自分たちが当たり前のように自信を持っていたはずの切り札がまるで通用しない場所。当たり前のように止められて、当たり前のように覆される」

「……」

 

 魑魅魍魎たちの集う巣窟――それが全国大会、か。

 宮守の子たちが必死になって戦いながら、半ばで潰えた夢の跡。あるいは清澄の子たちが頂点を目指し、駆け上っていったその軌跡。

 置いてけぼりになってしまった京太郎君が、必死になって辿り着こうを手を伸ばし続けるその先の光景もまた、それらと等しくするものだ。

 それはいつか、必ず乗り越えなければならない鉄の壁。

 熊倉先生が対局に意識を向けられたのを確認して、密やかな声で小さく呟く。

 

「高い壁があるのは想定内。だから頑張れ――一回の振込みで縮こまっちゃダメだよ、京太郎君」

 

 

 東二局、鹿倉さんの親番で始まったこの局は流局親流れ。ウィッシュアートさんの十巡目聴牌と、その後の姉帯さんのリーチで緊迫したムードに包まれる中、点数トップの鹿倉さんは無理をせずすぐさまオリに回り、京太郎君も鹿倉さんの動きを察して振込み回避に専念。結果、二人とも和了できず親がノーテンのため次の局へ移ることになった。

 

 東三局一本場、ウィッシュアートさんの親番。

 展開は東二局と似たり寄ったりな感じで進み、中盤までに聴牌したのはまたしても姉帯さんとウィッシュアートさんの二人だった。

 これは全国で宮守女子の試合を見たことのある人間の中では常識だろうけど、姉帯さんが門前でいる限り他家は先んじてリーチをかけるわけにはいかない。追いかけられて刺されるからね。

 そのためウィッシュアートさんは自然とダマで待つことになったわけだけど、それが上手い具合に手を育てることになり、終盤にはハネ満クラスにまで昇華されていた。

 親のハネ満ともなれば自摸和了だろうとロン和了だろうと破壊力は侮れない。特に点数がいい感じに削られている京太郎君は、直撃を貰えばハコ割れで即終了してしまう。

 その危険を感じ取ったらしい鹿倉さんは、自身の一向聴を崩してツモってきた牌を抱え込み、河には危険な八萬を切った。ウィッシュアートさんへの安牌であると同時にそれは姉帯さんの和了牌であり、

 

「ロン! 30符2翻で、一本場だから2300点だよー」

 

 最低限の出費で逆転負けの危険を即座に摘み取ってみせる、実に遊撃手的な彼女らしい一打となる。

 和了できなかったウィッシュアートさんは残念そうに手牌を伏せ、首を左右に振る動作を見せた。他家の安手で大きな和了を逃した時の切なさ、その気持ちはよく分かるよ。うん。

 

 理想の牌譜を描くことができるというウィッシュアートさんの打ち筋は、本来であれば理想的な形で和了まで向かえるということらしい。

 しかし、その理想を歪めることが出来る相手との相性は悪いようで、染谷さんほどではないにしろ、鹿倉さんの臨機応変な対応とは少し噛み合わない部分があるように見える。完全無欠というには少し無理がある、それでいて平均点以下には決して落ちることがないであろう優秀な力。

 

 ――では、理想的な形での和了とは、そもそもどういうものなんだろうか?

 

 配牌やツモの流れから考えられる上で、限りなく速く高い手で和了すること。条件はいくつかあるだろうけど、それが理想的な形であると仮定してみよう。

 となると当然、理想の上では自分でツモって和了するというのが最善手であることは疑いようがない。出来ればリーチもかけておきたいところだけど、今回のように手が変わって点数が跳ね上がる傾向が強いのであれば、あえてリーチによって自分の手に制限をかける必要はないだろう。

 もちろん相手への直撃が必要な場面においては必ずしもそうとは限らないだろうけど、そういうのは玄人畑に片足以上突っ込んだ人間が考える理屈である。彼女や京太郎君のような半初心者にしてみれば、やっぱり自分で自摸って決めるのが麻雀で一番気持ちいい場面だし、理想的だろうと思うのだ。

 

 彼女らは未だ知る由もないことではあるけれども――この卓には、特殊な能力を持って場を支配している人間がもう一人存在する。京太郎君の持つ『門前でいる限り自摸和了を封じる』能力は、理想的な和了における最大の要ともいえる『自摸和了』を完全に封殺するものでもある。

 最後のピースを持ってこられない理想は中途半端な状態で終わりを迎える。

 故に、強敵揃いの面子の中でもウィッシュアートさんだけは、今の実力でも打ち方次第で抑え込める下地があるほうだと私的には思っていたんだけど――。

 一人を抑え込めたとしてもその隙に残りの二人が躍動するからあんまり意味がない、というのも当然といえば当然のこと。やっぱり早々上手くはいかないよね。

 

「ところで健夜ちゃん、彼のことなんだけど――」

「京太郎君ですか?」

「そう、あの清澄の生徒なのよね? 貴方の番組も見させてもらったんだけど、実際にこうして実物を前にするとよく分かるよ。どうも清澄は学校で行う部活動としてはあまりいい環境とはいえなさそうだねぇ」

「えっと、まぁ……」

 

 そこに対して異論を挟む余地はない。熊倉先生のようなコーチまたは顧問がいたらまた話は違ったのかもしれないが、名門校と違って部のOBやOGが期待できない清澄でそれを望むのは酷というものだろう。

 同じ初心者という括りで言えば、ウィッシュアートさんと京太郎君の麻雀暦はさほど変わらない。それでも彼女は全国大会出場チームの一角として地方大会で申し分ない成績を残しているし、全国大会一回戦でもその名に恥じない戦いぶりを見せていた。県大会の予選で敗退した京太郎君とは雲泥の差で、どちらがより伸びているかは比べるまでも無い結論といえる。

 もちろん本人たちの素養の問題も無視してはいけないが。

 

 清澄と阿知賀、あるいは清澄と宮守女子の違い。そこに指導者の存在を見出すことは容易であり、論議をする上で避けて通れない部分でもあった。

 

「はじめに弟子を取ったって聞いたときは、あの健夜ちゃんがねぇって思ったものだけど……もしかして、見兼ねたってことかい?」

「見かねたっていうのはちょっと違くて……なんていうか、自分でもちょっと不思議なんですけど……そうすることが彼のためだけじゃなくて、私のためでもあるんだろうって思ったからといいますか……」

 

 いつものことながら、上手く説明できない自分がもどかしい。それでも先生は納得したように頷いているから、ある程度の意味は伝わったのかもしれないけど……。

 

「そうかい、それなら私から言うことは何も無いよ。でも――貴方、少し変わったわねぇ」

「そうでしょうか……?」

 

 ええ、と微笑む熊倉先生。そのまま視線は再び対局を続ける京太郎君たちのほうへと向けられる。

 自然と私もそちらを向けば、後は沈黙を保って勝負の行方を見守るだけとなった。

 

 

 場はさらに一つ進んで――東四局、巡ってきた京太郎君の親番である。

 東一局での満貫振り込み8000点、東二局ではノーテン流局による罰符1500点。東三局では蚊帳の外。全国クラスの打ち手たちに翻弄される形で地味に点数が減っていくような展開で、ようやくの親番ともなれば大きく挽回したいところであるけれど。

 そんな彼にとっては懸念材料になりそうな案件が一つあった。

 

 どうも京太郎君が何かしらの特殊な能力を持っていることを既に薄々感づいているらしい人物が一人。京太郎君から見て対面に座る鹿倉さんである。

 探るようにして京太郎君をチラ見しているその眼光は鋭く尖ったものであり、顰められて皺が寄っている眉間の状態が彼女の現在の精神状態を如実に物語っているように思われた。

 

 初見で、しかも数回場を回しただけで具体的な効果にまで考えが及ぶようなことはさしもの鹿倉さんをしてもさすがに有り得ないとは思うけど、微かとはいえ違和感を覚えるだけの理由が東三局までの間のどこかにあったのかな?

 詳しいことは対局後にでも直接本人に聞いてみるとしても。一発逆転のためにはどんな形であれ親での和了が必要なこの場面で、一番厄介な相手に余計な警戒心を抱かれてしまったのは少々どころかかなり痛い。

 

 ただ、実際に最初に動いたのは彼女ではなくて、京太郎君から見て下家に座っている姉帯さんだった。

 

「ポンッ!」

 

 ――っ来たか。

 思わずそう思ってしまった、姉帯さんの鳴き宣言。これがおそらく六曜における友引(※裸単騎で和了確定)と呼ばれる能力の発動を意味するものであることは、私だけではなくて同輩の二人、そしてあの戦いを控え室で見続けていた京太郎君もすぐ気づいたに違いない。

 

 開幕当初から私が密かに注目していた部分、それは姉帯さんとのマッチアップである。彼女が好んで使う裸単騎のような『条件が成立した時点で確定和了』という必殺能力に対して、京太郎君の持つ能力支配圏が上回れるのかどうか。そこに、この対局に向けている興味の大半部分が集結してしまっていると言い切っても決して過言ではない。

 

 能力にも優位性というものがある。もっと分かり易く言い換えれば『相性』かな。

 少なくとも宮永さんの嶺上開花は、一定の条件下で京太郎君の能力を上書きする形で有効らしいという話を聞いているから、京太郎君の能力は決してツモ和了に対して無敵というわけではないということになる。

 その条件に関しては宮永さんが教えてくれない、と言っていたので詳細は不明とはいえ、おそらくは最上位と思われる点数調整能力を介した上でその調整の手段として嶺上開花を用いることで京太郎君の能力を上書きする――つまりオーラスのみ使える方法――といった感じなんだろう。

 

 またもう一つの仮説としては、京太郎君の能力は強力なように思える反面、一点突破和了確定タイプの能力の下位に置かれている可能性。こーこちゃんがよくやるゲーム中の能力紹介なんかで例えると『門前である限り全員の自摸での和了を封殺する。※但し特殊和了系の能力には無効』といった感じかな。

 本当にそうであるならば、とても“アイギスの盾”と呼べるような代物ではないし、本当に盾に穴が開いているならば、こちらもそれを利用することもできるかもしれない。その条件を知るためにも色々な打ち手と卓を囲まなければならず、そういった点でも今回の申し出は彼にとって実に有益なものであるといえた。

 

 

 対局のほうは、姉帯さんがそこから更に二つ鳴き、場には実に三面子が晒された。

 三副露までは順調に手を集めてきた彼女ではあったものの、これ以上鳴かれるのは他家にしてみれば「どうぞ和了してください」と言っている様なものである。できるだけそれを抑えるようにと宮守勢の二人が捨て牌の選択方法をがらりと変えてきたためか、そこからしばらくは卓上が膠着状態に陥った。

 ウィッシュアートさんと鹿倉さんはその恐ろしさを骨身に染みて理解しているのだろう。姉帯さんの『友引』を潰すため、この局は早々に自身が和了することではなく他家の和了を確実に潰すための打ち方にシフトしたのだ。

 

 しかし、親の京太郎君からしてみればその心境は複雑だろう。

 なんとか一向聴までこぎつけた末のオリという判断は、ウィッシュアートさんや鹿倉さんはともかく、ダンラスで親の京太郎君にとっては断腸の思いのはず。

 だけど、親を守るために攻めた結果大物手に振り込んでトビ終了、ではまったく意味が無いわけで。攻めを選ぶ場面か、守りを選ぶ場面か。その状況判断力がここで試されることになる。

 

 悩んだ結果、河に切られた捨て牌が鹿倉さんらの誘導に乗っかる形で選ばれたものであることから、彼が防御を選択したことが伺えた。

 東風戦ならともかく、半荘戦のこの戦いはここで焦らずともまだまだ続く。この場面できちんとその決断を下せたことは成長の顕れと思いたい。

 ――ただ。

 そっちを選んじゃったかぁ、と私が思わず心の中で深いため息をついてしまったのは仕方が無いことだったと思う。

 

 

 黙々とツモっては切り、ツモっては切りを繰り返す面々。

 もしそこに座っていたのが全員宮守の部員であったなら、あるいは最後まで彼女の最後の鳴きを封殺できていたかもしれない。しかし、現在この卓に大きな穴が一つ空いていることを彼女らは自覚しつつも完全に塞ぐ術は見出せないでいた。

 なりふり構わずに行われる鳴き麻雀に対応するのはけっこう難しい。そもそも姉帯さんに関しては対宮永さんとの対戦くらいしか頭の中に印象として残っていないだろう京太郎君をして、チームメイトの彼女らと同じように傾向を理解してすべてを塞げというのがまず無理な話ではあるんだけど……。

 

 ここを凌げばなんとか流局に持ち込める――というところで。

 その穴である、姉帯さんから見て上家に座った京太郎君が、彼なりに細心の注意を払って選んだはずの牌を河に切った瞬間。

 

「チー!」

 

 待ってましたといわんばかりの宣言と共に、それは姉帯さんの手に渡ってしまう。これで四副露――裸単騎の状態が完成し、遂にあと一手あれば和了できるところまで来てしまった。京太郎君を含め、鹿倉さんやウィッシュアートさんにとっては痛恨のミスといっていい一打となって、明暗はくっきり分かれた形である。

 

 さて、しかしこれでお膳立ては整った。

 山には残りわずか四枚、このラスト一枚で和了牌をツモってくることができれば、彼女の勝ち。できなければ――点数上はともかくとして、能力的には――京太郎君の勝ちだ。

 裸単騎成立後、最初で最後のチャンスとなるツモ番が姉帯さんに回ってきたのは、鹿倉さん、ウィッシュアートさん、京太郎君のツモ現物切りが三回続いた後のこと。

 

「ぼっちじゃないよー」

 

 お決まりの科白と共に海底牌を山から引いてくる姉帯さん。ここで和了牌を引いてくるのが彼女の能力であり、半ばそこでの和了を確信しつつ手を伸ばし――しかし自分の思い描いていたものと違う牌の絵柄を見て、呆然としながらも可愛らしく首をかしげた。

 

「……あれ?」

「どしたの、トヨネ? ツモった?」

「あ、ううん。なんでもないけど……ぼっちになっちゃったよー……」

 

 六曜における友引――成立せず。

 ツモってきた牌をそのまま河に切ったことで姉帯さんの和了の可能性は完全に潰え、その時点で東四局の流局が確定した。

 彼女の背後で牌符を取っていた臼沢さんが、驚愕の表情を見せる。そしてすぐさまその原因に辿り着いたのか、その視線は京太郎君のほうへと向けられた。

 

「君は――」

「塞、その先は対局が終わってからにして。まだ終わってないから!」

「あ、うん。ゴメン胡桃」

 

 確信を得たであろう鹿倉さんの態度。大人しく引き下がった臼沢さんは、それでもまだ信じられないといった風に京太郎君を見つめている。

 結局、東四局は姉帯さんの一人聴牌、親のノーテン流れで場は南一局一本場へと進む――。

 

 

 途中にも色々あったけどここでは省略するとして。

 

 最終南四局。中盤で膠着気味の展開となっていた場を動かすきっかけとなったのは、とある人物の鳴き宣言であった。

 

 得点でトップに立っているのは姉帯さんと、それを2000点差で追いかける鹿倉さん。原点近くで停滞気味のウィッシュアートさんも十分逆転を狙える位置で踏ん張っているといっていい。京太郎君だけは一度も和了できないまま鹿倉さんへの振込みやノーテン罰符で地道に点数を削られていき、もはや風前の灯状態ではあるけれども。

 

 そんなダントツ最下位に甘んじている京太郎君に対し、最後の最後で大きなチャンスが巡ってきたのは、配牌の時点で既に明らかだった。

 ここに来て、平和断ヤオ一盃口三色同順にドラ2まで二向聴という好配牌。綺麗に決まって連荘できれば逆転トップすら可能という、まさに最大級のラストチャンスであった。

 しかし、その配牌とは裏腹に八巡目を迎えてもなお有効牌が一つも引けないという有様で。あまりのツモの悪さに痺れを切らした京太郎君は、一発での大逆転を諦めて早和了で親の連荘を狙うべく、ついつい上家のウィッシュアートさんが河に切った有効牌の②筒に即座に食いついてしまった。

 そして、そこからはまるでジェットコースターの如く展開が急加速していったのである。

 

 京太郎君が鳴くということはつまり、全員のツモ和了が解禁になるということでもあり。宮守の子たちには理解すべくもない事実だろうが、その行為は玉砕覚悟で防御の要を捨て去ったということでもある。こうなってしまえばあとは可能な限り速度を上げて誰よりも早く和了を目指す以外に彼が勝つ方法は無い。

 

 ――が。

 流れというのは本当に恐ろしいものだと実感するに余りある光景がそこにはあった。

 たった一鳴き。それだけで、場の空気はがらりと変貌を遂げていた。伸び悩んでいたはずの他家がそこから息を吹き返し、あれよあれよという間に全員が成立すれば満貫以上確定の手となってしまったのだ。

 姉帯さんが門前であることに加え、点数的にも元々リーチをかける必要のない場面。ダマで待つためそこからさらにツモるたびに有効牌を引くこともあり、そして成立する役が増え、際限なく手が膨らんでいくような状況である。

 ただ、そんなフィーバー状態でも誰一人和了牌を引いてくることだけは出来ずに場が進むという、全員の手の内を見ているこちら側からすれば、実に摩訶不思議な光景が繰り広げられており、さらにはあの鳴きを行った京太郎君だけが、逆に一向聴のまま一人取り残される格好となっているのがまた殊更に卓上の光景を異様なものとして演出している一因にもなっていた。

 

 まさに一触即発状態のまま、ともすれば麻雀ではなく黒ヒゲ危機一髪でもやっているんじゃないかというような緊張感抜群の捨牌選択を強いられながら対局が進み。

 ――結果として。

 最終的にトップを取ってみせたのは、最後の最後にダメ元で奥の手を出してきた姉帯さんだった。

 

 

 その勝負に決着が付くことになる少し前。京太郎君の苦闘の様子をどこか楽しげに眺めながら、熊倉先生は言った。

 

「……ふむ。なかなか面白い能力を持ってる子のようだねぇ。ベースになっているのは門前でいる限り誰もツモ和了できなくなる能力ってところかしら? 豊音の友引さえ防ぎきるなんて、塞でもなければできないと思っていたけど――健夜ちゃんも、なかなかの掘り出し物を見つけたものだわね」

「熊倉先生もやっぱりそう見ますか? 良子ちゃんが言うには出雲の須賀の血統で、奇稲田姫由来の能力っぽいって言ってましたけど……」

「奇稲田姫? ああ、なるほど。それで――」

 

 まじまじと私の顔を見ながら、しきりに何度も頷いてみせる熊倉先生。一方の私はしたり顔の先生を見ながら頭の中は疑問符で一杯である。

 

「……? どういうことですか?」

「あら、戒能さんからは聞いていないのかい?」

 

 聞いていないの?って問われても。何のことだか分からないです、としか答えようが無いわけで。

 首を傾げる私に、熊倉先生はお茶目なウィンクを披露しながら言ったのだ。

 

「奇稲田姫命はね、逸話の関係上どうしても夫である素戔嗚尊と一緒に祀られることが多いのよ。でも、中には奇稲田姫命だけを単体で主祭神として祀っている神社があって――名前を稲田神社というのだけどね。その所在地が健夜ちゃんの故郷――茨城県にあるらしいんだよ」

「えっ!?」

 

 思わず反射的に反応してしまう。

 島根と茨城なんて、地理的にも歴史的にも何の繋がりもない場所のはず。そもそも、そんな話を聞いたような覚えもないし……。

 

「合縁奇縁。人の縁っていうのはやっぱりどこかで繋がっているものなのかしらねぇ……」

 

 

「ツモッ! 倍満4000、8000で逃げ切ったよーっ!」

 

 ぽそりと呟いた先生の言葉。それに重なるようにして、ちょうどその時、姉帯さんの勝利宣言が聞こえてきて。熊倉先生の意味深な科白の真意は掴めないまま、弟子同士の対局はある意味どちらの弟子でもない第三者の勝利という形で終局を迎えたのだった。

 

 

 対局が終わり、最初に動いたのは臼沢さんだった。

 惨敗といっていい結果に終わり落ち込んでいる京太郎君に詰め寄って興奮気味にまくし立てるその姿は、恋する乙女もかくやといわんばかりの迫力があり、京太郎君さえも若干引き気味であった程である。

 もっとも、その口から飛び出してきた科白はロマンティックなものでもなんでもなくて、ただシンプルに一言で言い表すのならば。

 

「――っ君も私と同じ能力を持ってるの!?」

 

 これに尽きる。

 

 姉帯さんの友引を封じる程の能力――先ほど熊倉先生も仰っていたように、臼沢さんにはそれを実行することのできる特殊なチカラがある。そして自分と同類か、あるいはそれ以上かもしれない京太郎君を前にして、キャラ崩壊をしてしまうほど興奮してしまったのだろう。

 

「塞、落ち着きなって」

 

 取り成したのは小瀬川さん。心底ダルそうな、ボーっとした表情だけど、彼女もまた臼沢さんと似たような疑問を抱いていることは間違いなさそうだ。

 というか、オカルト能力を駆使した麻雀が当たり前な環境で育ったこの子たちは、その全員が京太郎君の持つ不可思議な能力に多大な疑問と、それと同じだけの興味を抱いているらしい。

 

「そういえば、鹿倉さんはだいぶ早いうちから京太郎君に何かあるって見抜いてたよね? あれってどうしてだったの?」

「東二局でトヨネとエイちゃんが聴牌してたのに和了できなかったから、っていうか。普段ならどっちかが必ず和了できるはずなのにどうしてできなかったんだろう、っていう違和感があったので観察してました!」

「ああ、なるほど。京太郎君の動きから気づいたんじゃなくて、よく知ってる二人の特徴と食い違ってたからってことかぁ……」

 

 彼自身の挙動で知らせているようなら改善しなければと思っていたけど、そっち側から見破られたのならば仕方が無いかな。

 

「あっ。小鍛治プロがそう言うってことは、やっぱり何かしらの能力を持ってるってことですよね!? さあっ、キリキリ吐いたほうが身のためよ、須賀くん!」

「ええと、そのですね――なんて説明すればいいのやら……」

「みんなの気持ちは分からなくもないんだけど。熊倉先生から説明して頂いたほうが早そうだから、今の対局で何かしらの疑問を覚えた子はこっちに注目してくれる?」

 

 収拾が付かなくなりそうなので、助け舟を出す私。

 案の定、その場にいた京太郎君を含めた全員が、私と、その隣でホワイトボードに何かを書き記している熊倉先生のほうに注目してくれた。私もたまに地元の子供たちに麻雀教室で教鞭を振るうことがあるけれど、気分はまさにそんな感じである。

 

「さて。結論からいうと、須賀くんの能力は塞のそれとは明らかに違う能力だと言って構わないだろうね」

「そうなんですか? でも先生、トヨネの友引を不発させたのは間違いなく須賀くんでしたよね!?」

「ええ。それは間違いなくね」

 

 おおっ、とざわめきが広がる。

 

「あっ! あれって須賀くんだったの? さえ以外にそんなことされたことないからちょーびっくりしたよー」

「ワタシモ、フシギナカンジダッタ」

「エイスリンの和了も防がれてた。どういう理屈かは分からないんだけど、後ろで見ててなんかそんな感じがしたし」

「ヤッパリソーナノ?」

「たぶんだけどね。どういうことなのか説明してもらえるんでしょ?」

「そうだねぇ。とりあえず、これを見てもらえるかい?」

 

 指し示されたのは、ホワイトボードに描かれた数種類の牌とその絵柄。それを見て、思わず懐かしさが込み上げてくる。

 たぶん以前に私が聞いたのと同じような能力のカテゴリー分けを説明するのだろう。

 先生の隣のスペースに京太郎君が用意してくれた椅子にちょこんと腰掛けながら、ノスタルジックな気分に浸りつつも私もみんなと一緒に先生の話に耳を傾けることにした。

 

 

「――つまり、塞の能力はここ。相手を妨害する系の能力だから南に当たるわけだね。で、須賀くんの能力はおそらくこっち側――場を支配して対局者全員に影響を及ぼすタイプの能力だから、西ということになる」

「なるほど。まったくの別物っていうのはそういうことなのね……それにしても、何もしなくても門前でいるだけで全員のツモ和了を封じる能力なんて、一緒に打ってるほうはたまったもんじゃないって」

「しかもトヨネの友引を封じられるくらい強力な、ね……相手にしたらダルそうだ」

 

 臼沢さんと小瀬川さんが、揃って深くため息をつく。

 

「はい、ついでに質問です! トヨネの場合はどこになるんですか?」

「豊音は複合系だね。場を支配する西の能力も持っているし、自分の和了確率を上げる東の能力も持っているから。ついでにいうと、須賀くんのところの清澄の大将も同じよ」

「うわっ……まぁそうなるよね」

「やっぱり咲はとんでもないんだな……あ、熊倉先生。そういうことなら俺も質問していいですかね?」

「なんだい?」

「師匠――小鍛治プロは、その組み分けだとどこになるんですか? やっぱり複合系すか?」

「……ふむ。それに関しては本人に聞いてみたらどうだい?」

「え? 私?」

「せっかく弟子が興味を持ってくれているんだから、きちんと説明してあげなさいな」

「……絶対面倒くさいだけだよね」

「何か言ったかい?」

「いいえ、何も」

 

 う、相変わらず地獄耳なんだから。

 しかも何故か京太郎君だけではなくて、全員の視線がこちらに集まっているし。

 仕方が無いので椅子から立ち上がり、ホワイトボードへと向き直る私。空いた椅子にはすかさず熊倉先生が座り、見事に退路は絶たれてしまった。

 

 

 

 一通り講義を終え、メンバーを変えた二回目の半荘戦が終わった頃にふと部室に備え付けの時計を見てみれば。なんと既に夕方近いではないですか。

 収録の部分は粗方取り終えていたとはいえ、少し長居をしてしまったかもしれない。宮守の子達にも予定があるだろうし、これ以上時間を割いてもらうわけにもいかないだろうということで。

 話しかけるタイミングを見計らっていたらしいこーこちゃんがやってきた。

 

「あのね、すこやん。残念なニュースがあって……ちょっといいかな? あ、須賀くんも」

 

 珍しくしおらしいその姿に、思わず眉を顰めてしまう。

 怪訝な表情を隠しきれないまま彼女の話を聞いていくうちに、眉間に寄ってしまっている皺がさらに深く濃くなっていくのが自分でも分かるほどだった。

 

「……つまり、今日泊まる予定だった宿が無くなっちゃったってこと?」

「うん。そういうことになるね。他のホテルもどこも満室で取れそうにないって、さっきスタッフが」

「ちょ、マジすか」

「大マジ」

 

 いやいや、ちょっと待って。じゃあなに? 揃って野宿か、これから急いで撤収準備を終えて日帰りで東京に戻るはめになるってこと?

 この肌寒い風が吹き荒ぶ中で野宿するくらいなら、どんなに窮屈なスケジュールになったとしても日帰りになったほうがまだマシだろう。付き合わされた京太郎君には申し訳ないけれど、それもやむなしか……。

 

「ちょっと話を聞いていたけど、なにか大変みたいだねぇ。健夜ちゃんたちがよければ私の家に泊まるかい? 老人の一人暮らしの割に大きな家を借りてあるから、かまわないよ」

「本当ですか!? いやー、さすがはすこやんのお師匠様! 懐が広いっ!」

「ちょ、こーこちゃん!? 今までのしおらしさはどこへ!?」

「ふっ。このチャンスを逃すほどこの福与恒子、耄碌しているわけではないっ!」

「だったらまず確実に宿の手配をしておいて欲しかったよ」

 

 思わず心の底から漏れ出した私のご最もな意見も何のその。すぐさま条件を詰めるべくすごい勢いで熊倉先生と話をするその後姿には、少しだけ狂気を感じてしまった。

 ちなみに、スタッフさんたちは新幹線で東京まで戻ることになったらしい。

 

「……あのー、師匠。俺はどうすれば?」

「えっと……い、一緒に先生のおうちに泊まる、でいいんじゃないかな」

「……マジすか」

「うん。さっきの対局の反省会もしておきたいし……いや、かな? 嫌だったらスタッフさんたちに頼んで一緒に――」

「嫌じゃないっす! というか師匠たちこそ別々の部屋とはいえ、嫌じゃないんすか?」

「う、うん。別に私は……」

「いやー、なんか田舎に泊まろうみたいで逆にテンション上がってきたよ私はさ! って、どったの二人とも? なんだか微妙な顔しちゃってさ」

「あ、いえ。なんでもないっす」

「……こーこちゃんが楽しそうで何よりだよ、私は」

 

 ハプニングを楽しめる貴女の性格が今日ほど羨ましいと思ったことはないかもしれない。

 

「健夜ちゃん、私はまだ仕事が少し残ってるから晩御飯の買い物はお願いしてもいい?」

「あっ、はい。それはもちろん、お世話になるんですから――なにがいいですか?」

「せっかく人数が多いんだし、今日は鍋にでもしようかねぇ」

「荷物持ちなら須賀くんにお任せを!」

「そりゃ当然持ちますよ? 持ちますけど……福与アナ、竹井先輩じゃないんですから……」

 

 こうして最大の危機は去り、何とかその日の宿を確保した私たちは、麻雀卓の後片付けを手伝いながら撤収準備に取り掛かった。

 

 しかし私は気づくべきだったのだ。

 こーこちゃんの視線と熊倉先生の視線が交差した時、意味ありげに双方の眼がキラリと輝いていたことに。




書いていて思ったのですが、簡易とはいえ麻雀の描写するのちょー久しぶりだよねー。
次回、『第16局:仮装@されど天使は逢魔に舞踊る』。ご期待くださいませ


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第16局:仮装@されど天使は逢魔に舞踊る

 東北地方の中秋の夕刻は、首都圏と比べると遥かに早く寒さが降りてくるような気がする。

 実際に茨城県土浦市と比べると岩手県遠野市は緯度がおおよそ三度――距離にすると約350kmほど北に向けてずれているから、そもそものイメージからして気温差があることに間違いは無いんだろうけど。

 それにしても、地元の子たちは風の冷たさにも慣れているのか、あまりそういった様子は見られない。

 私たちを先導するようにして数メートルほど前を歩いている姉帯さんと鹿倉さんは、特に気にした様子もなく京太郎君と他愛も無い話で盛り上がっているようだし。その京太郎君にしても寒さを感じている風には見受けられないところを考慮すれば、どうやら肌寒いと思っているのは私だけのようである。

 さてはあれか。単純に私が寒冷地仕様に向いてないというだけなのか。それとも松実(宥)さんのアレが伝染してしまったのか。

 前者はともかく後者は危険すぎる。

 

「うう……」

「どったのすこやん?」

「こーこちゃんは寒くないの……?」

「んーん別に」

 

 言葉の通りけろっとしている。お互いに厚着をしているわけでもないのに、どうしてこうも違うのだろう?

 脂肪に覆われている下に程よく筋肉が付いていると冬でも温かいらしいけど、こーこちゃんはどちらかというと細すぎるタイプだし、それに該当するとはとても思えない。

 

「そりゃちょっとは肌寒いかなーとは思うけどさ。そんなプルプル震えるほどじゃないっしょ」

「そうかなぁ……でも、そうなのかも。あっちの二人は分かるけど、京太郎君も特になんでもなさそうにしてるし……」

「そりゃそうでしょ。長野って南のほうはともかく山岳地帯だから冬はかなり寒いらしいよ? 土地勘無いとイメージ沸き辛いかも知れないけど、北のほうとかスキー場いっぱいあるしわりと豪雪地帯らしいから」

「あ、言われてみれば……」

 

 単純に茨城と比べて西のほうにあるから暖かいものだとばかり思っていたけれど、地形とか標高とかも関係してくるんだったっけ。

 ということは京太郎君もある程度寒さには耐性を持っているということかな。羨ましい。

 

「ていうか上着持ってきてないの?」

「ええと、いちおうあるにはあるけど……」

「なんだ持ってるんじゃない。なら着ちゃえば良いのに」

「うん、でも……」

 

 そもそも朝の時点では取材で岩手に来るなんて考えてもいなかったということもあって、鞄の中には上から羽織るタイプの薄手のカーディガンくらいしか入っていない。

 普段から冷房が効きすぎているお店で冷房病対策で使うために常備しているやつだから、それほど防寒に適しているというわけでもないし。

 

 あと問題がもう一つあって、あいにくと私の荷物はいま京太郎君が持ってくれている。お目当ての物はその中に詰め込んであって、つまり取り出すには鞄を持ってきてもらわなければならないわけで。

 先ほどから前を歩く三人は何の話かよく分からないけど凄く盛り上がっているっぽいし、その程度の案件で後ろからは声をかけ辛いというのが本音だった。

 

「あのね。楽しそうに話してるから邪魔したら悪いかなぁ、って」

「……は~。すこやんってホント変なところで遠慮しいだよね。それで風邪でも引いたら目も当てらんないってのにさ」

「う……」

「しょうがないなぁ。おーい須賀くん、ちょいこっちに来てくれない?」

 

 ちょっと呆れ顔のこーこちゃんが、京太郎君を呼び止める。

 立ち止まり、三人ともが振り返る。当たり前だけど、誰一人として不満げな顔を見せる子はいなかった。

 

「どうかしたんですか?」

「すこやんが少し肌寒いらしいから、ちょっとその鞄を――」

「寒いんすか? なら俺のパーカー使います?」

「――って、おおう? まさかの提案きたこれ」

「えっ? いや、だってそれだと京太郎君が寒いんじゃ……」

「これくらいなら別に平気っすよ。長野だと普通に薄着で出歩ける程度の涼しさなんで」

 

 なにそれ。長野って怖い。

 

 って、いやいや今はそれどころじゃないってば。京太郎君が今しがたまで着ていたパーカーを私が借りるということは、脱ぎたてのそれに袖を通すということであって……。

 でも、せっかく差し出してくれたものを受け取らないというのは不誠実に過ぎる。それにこんな道端で鞄の中身を漁るというのもみっともないし。

 ああもう、そこの二人っ! 人の顔を見てニヤニヤしてるんじゃないの!

 姉帯さんは姉帯さんで、まるで憧れのシチュエーションでも見ているかのような輝いた瞳をしないで欲しい。

 私がどんなに抵抗を覚えていようとも、こうなってしまってはもはやそれを受け取る以外の選択肢は存在していないようなものである。

 

 ああ、ううん。別に嫌がっているわけではないんだけど。その、ね? えーと……うん。

 

「……あ、ありがとう」

 

 真っ赤になりかけている顔を伏せるようにしながら、差し出されたそれを素直に受け取ってもぞもぞと袖を通してみた。

 うん……なんていうか、衣服に残った人肌の温もりって絶妙な感じで暖かいよね。これならば肌寒さなんてものとは無縁のまま生活していけそうだ。

 ただ、二人の基本サイズがまるで合っていないせいか、当然ながら袖はぶかぶか、丈はちょっとしたミニスカワンピくらいの長さがある。どことなく高鴨さんを髣髴とさせる格好になってしまった。

 いやまぁ、下にはちゃんとロングスカートを履いているんだから、さすがにあそこまでビジュアル的には際どく無いんだけど。なんていうか、イメージ的にね。

 

「どうせだから直接肩にかけてあげたらよかったのに。気が利かないなぁ、須賀くんは」

「いやさすがにそれは……キザっぽすぎるといいますか」

「恥ずかしい?」

「……ぶっちゃけすげー恥ずかしいっす」

 

 私だってそんなことをされるのは嬉し……じゃなくて恥ずかしいってば。服を借りているだけでも既にちょっといけないことをしているような気分なのに。

 なにより、自分が少し動くだけでふわりと香る、自分とは違う人間の匂いが……こう、なんだか妙に気恥ずかしく感じてしまう。

 ついついフードを被って頬を隠してしまいたい衝動に駆られるものの、それをすれば完全な不審者の出来上がりである。周囲が薄暗くなっているとはいえ、この天下の往来でさすがにそれをするわけにはいかないし、今度は逆に熱くなり過ぎている頬を夜風で冷ましておくためにも、顔を隠すわけにはいかなかった。

 

「ふぅん、そんなもんかねぇ」

「紳士的な所は良いと思うよー」

「うん。仕方が無いからちょっとだけ評価を上げてあげようかな」

「あの、鹿倉さん。それまでの俺の評価って一体どんなだったんすかねぇ……?」

「トヨネの頭を許可なしで撫でたところで若干マイナスに落ちてたけど?」

「うっ……」

「あ、あれは別に気にしなくて良いよっ!?」

「まぁ相手がトヨネだったからこうやって許してくれてるけど、気をつけておかないとダメだからね? 嫌われるのは須賀くんなんだから!」

「はい。肝に銘じておきます」

「ん、よろしい!」

 

 えへんと胸を張る鹿倉さん。京太郎君に対しては、何故かムダにお姉さんぶっているように見えるのは私の気のせいだろうか?

 いや、たぶん気のせいじゃないよね。

 口では厳しいことを言ってはいるけれど、きちんと年上として敬ってくれているような言動をしてくれる京太郎君のことを気に入っているのは間違いないだろう。

 同年代の子たちと比べてあまりにも小柄すぎるあの体型だと、普段から年齢に不相応な子供扱いを受けているということもあるのかもしれない。そのコンプレックスを満たしてくれる京太郎君の態度は素直に嬉しいんだろう。私も似たような部分があったから、よく分かる。

 

「ところで三人はさっきまで何を盛り上がってたの?」

「ああ、鍋の話をしてました。ほら、長野だとさくら鍋とかきのこ鍋とか色々ありますんで、岩手だとどんな鍋があるのかなーって」

「ほほう、なるほどなるほど。それは実に興味深い話題だね。あとすこやん、浸ってるところ悪いんだけどそろそろ戻ってきて?」

 

 別に浸ってるわけじゃないから。京太郎君の優しさに感動していただけで。

 それを口に出して伝えるよりも前に、こっちの心理をどうやって読み取ったのか、こーこちゃんは三人に聞かれないよう耳元で囁いてくる。

 

「そういう言い訳はさ、せめて真っ赤になった顔を引っ込めてから主張するべきだよん」

「う、うるさいなぁ……分かってるんだから言わないで」

 

 いま頑張ってそれをしようとしているんだから、それなら余計なことを言って邪魔をしないで欲しい。

 

「師匠は茨城でしたよね? 茨城県はなにかご当地っぽい鍋ってあるんですか?」

「え、えっと……ご当地鍋? んー、何かあったっけ……あ、強いて言えばどぶ鍋がそうなのかな」

「どぶ……?」

 

 ああ、そうか。それだけ聞いても具体的なメイン食材はイメージできないか。

 

「ええと、分かり易く言ったらアンコウ鍋だね。コラーゲンたっぷりで美味しいの」

「うぇー、アンコウ……」

 

 あまり露骨に表情を崩さない鹿倉さんをして、心底げんなりとした声が漏れる。

 確かにアレは全体を見るとビジュアルもやたらとグロテスクならば、ダシになった際の風味にも若干癖があるため、苦手という人はけっこういるらしい。切り身で出てくると見た目のヤバさも気にならないし、普通に美味しいのに。

 

「ま、まぁたしかにアンコウ自体はアレだけど、きちんとしたお店で食べるのは本当美味しいんだよ……? お肌にも良いし」

「すこやんの言ってるきちんとしたお店って、コースで一人前ン万円とかする老舗の高級店でしょうが。そりゃ美味しいだろうけど、私ら一般人的には高嶺の花過ぎるって」

「わっ、さすがトッププロ! どうしよう胡桃、私たちの予算規模とは桁が違うよー」

「どうもしなくても、それなら無理して食べなくて良いんじゃないかな」

「私だって毎回そんなところで食べるわけじゃないからね!?」

「あ。やっぱりそういうお店に行ったことはあるんだ。さすが元世界ランカー!」

 

 う……たまにくらい贅沢したっていいじゃない。自腹だもの。

 

「そんな高くないお店でもちゃんと美味しいんだけどなぁ……それじゃさ、岩手ならではの名物鍋って何かあるの?」

「どんこ汁っていうのがあるんですけど、我が家では家族がみんな好きじゃないんで食べません」

「うわ、これはまたバッサリ斬り捨てたね……」

「たしかどんこって魚のことなんだよね? 村にいた頃はぼたん鍋とか山菜鍋が主流だったし、お魚ベースの鍋って私まだ食べたこと無いんだー」

「そうなの? まぁ一回くらい食べてみても損はしないと思うけど……それよりもお勧めは今マイブームのもやし鍋かな!」

「もやし鍋っていうのがあるの?」

「ご当地のやつじゃなくて、鍋の素みたいなのがスーパーに売ってますよね? もやしとかキャベツとか鶏肉とか入れるとトンコツベースで美味しいんですよ!」

 

 豚骨ベース……なんだか嫌なことを思い出してしまいそうになるフレーズだけど、たしかに話を聞く限りは美味しそうかも。

 

「まぁ今晩はどう頑張ってもアンコウ鍋ってわけにはいきませんしね。鹿倉さんお勧めのもやし鍋の素がスーパーにあったら、それにしときましょうか」

「ウンウン、それがいいと思う!」

「わー、ちょー楽しみだよー」

 

 まぁ、今日のところはそれが無難かな……って。あれ?

 

「……ん? 姉帯さんと鹿倉さんも夕飯一緒に食べていくの?」

「えっ? というか今日は全員熊倉先生のお家にお泊り予定なんです! こんな大勢で鍋パーティーなんてはじめてだからちょー楽しみ!」

「あ、トヨネ! それ言ったら――ってもう遅いか」

「――は?」

 

 反射的にこーこちゃんのほうを向く私と京太郎君。

 まともに吹けもしない口笛を口ずさみながらどこか明後日の方向を向いているその横顔を見て、二人揃ってため息をついた。

 

「またなんだ……」

「またですか……」

 

 どうやら今回の取材旅行中は、とことん私を騙しつくすつもりでいるらしい。

 それをしたのがこーこちゃんじゃなくて、それをされたのが私じゃなかったとしたら、そろそろ殺傷沙汰になっていてもおかしく無いと思うよ? いや、ホントにさ。

 

 

 

 地元民の彼女らに近場のスーパーまで案内してもらい、鍋の材料を実に九人分も仕入れてから熊倉先生のお家へと向かうご一行。

 

 いくら申し出てくれたからといって、さすがに五袋近くある荷物を全部京太郎君一人に持たせるわけにはいかない。比較的重い野菜類やら飲み物やらの入った二つの袋を任せ、残りの食材を一人一袋ずつに行き渡るよう詰め込んだ。

 中にはカボチャのような「本当にこれ鍋に入れるの?」というような不穏当な食材もいくつかあったような気がするけれど、きっと気のせいだろう。

 

 ちなみに、私は京太郎君に預かってもらっていた自分の鞄を手元に引き取っているため、買い物袋は持っていない。本日の鍋パーティの実質的なスポンサーということもあって、その扱いは上々である。

 買い物袋と一緒に持ってくれると彼は言ってくれたんだけど、さすがにそれは固辞しておいた。

 上着を借りている上に両手が塞がっている相手に私物まで持たせて自分は手ぶらとか、そんな厚顔無恥な真似が大人としてできようはずもなく。

 

 そんなこんなで、姉帯さんにせがまれる形でこれまで行った海外での出来事を話しているうちに、目的地が見えてきた。

 

「ここが熊倉先生のお家です!」

 

 外見は少し古ぼけた一軒家という感じの民家でしかなかったが、敷地も広ければ庭もやたらと広かった。熊倉先生が一人で住むにはちょっと広すぎるというお話だったけど、たしかにこれはそうかもしれない。

 鹿倉さんを先頭に、引き戸を開けて中に入る。私たちを最初に出迎えてくれたのは、意外な人物だった。

 

「オカエリ!」

「ただいまー。って、エイちゃんだけ? 塞とシロは?」

 

 その問いに、彼女は自慢の絵で答える。速筆で描かれた棒人間チックなそれは、どうみても片方は寝転がっており、もう片方は三角巾にはたきを持つという、いかにもお掃除中といった様相だった。

 

「……どっちがどうなのか、確認するまでも無い気がする」

「シロは自分が必要だと思った時にしか動かないからねー……」

「話だけ聞くとナマケモノみたいな子だねぇ」

「でもさ、部室で怠けたいだけのために家からこたつを持っていく実行力とか無駄に持ってたりもするからね、シロ」

「いろんな意味でそれはどうなの……?」

 

 思う存分だらけるためならそれまでの労力を惜しまないというスタンスなのだろうか? 本末転倒な気がするんだけど……いや、先行投資と割り切れば逆に効率が良いのかな。

 

 出迎えに来てくれたウィッシュアートさんが鹿倉さんとこーこちゃんの持っていた買い物袋を回収しつつ、姉帯さんと京太郎君を引き連れて台所へと向かった後、残された私たちはテレビの置いてある居間へと通された。

 そこには事前の情報どおり、座椅子に深く埋もれるように背中を預け、ボーっとテレビを見ている小瀬川さんはいたものの、掃除をしているはずの臼沢さんの姿は見当たらない。

 

「おかえり」

「ただいま! 塞は?」

「たぶんお風呂の掃除中じゃないかな。帰り際に先生に頼まれてたから」

「ふぅん。で、シロは何を頼まれたの?」

「んー……留守番?」

 

 少しだけ考える素振りを見せながら、首をかしげてぽそりと漏らす。

 鹿倉さんがツッコミを入れるまでもなく、誰がどういう風に勘繰ってみたところで、彼女の態度はウソをついているようにしか見えなかった。

 

「――で、本当は?」

「人数分の布団の用意とか……あっち、もう終わらせてある」

「あ、そうなんだ。よしよし」

 

 ああなんだ、さっきの受け答えは彼女なりの冗談だったということかな。

 さっきも玄関でそれっぽいことを言っていたけれど、ダルそうな見た目とは裏腹にやるべきことはきちんとやる子なんだろう。

 私がそんなふうに感心している間に、もう一人のお客様である福与恒子さんはというと。何時の間にやら鞄を部屋の隅っこに置いて、さっさと座椅子の上に腰掛けてテーブルの上のお煎餅に手を伸ばしていた。

 

「ちょ、こーこちゃんっ! お行儀悪いよ!」

「えー、でもお家で寛いでなさいねって熊倉先生も仰ってたじゃん。いやぁ初めてお呼ばれしたはずなのになんかすごく落ち着くわー、この家」

「それはそうだけど、社会人としての体面っていうものも少しは……はぁ、言うだけ無駄っぽいかな」

 

 いやまぁ、私も今さらだとは思うけれども。そこは一応大人なんだから、家主か、それに準じた人から勧められるまでは猫くらい被っておこうよと思わなくもない。

 呆れ顔でため息を一つ。幸いマナーに厳しい鹿倉さんが何も言わなかったので、見て見ぬフリをしてくれると言うことなんだろう。

 ここは一つその高校生の出来た心遣いに甘えさせてもらうことにして、私も部屋の隅っこで荷物を降ろすことにした。

 

 あと、既に建物の中にいる以上、このパーカーともおさらばということになるから……名残惜しいけど、きちんと畳んで荷物の上に置いておこう。

 私が部屋の片隅で色々ごそごそとやっていると、台所へ向かったはずのウィッシュアートさんが一人で戻ってきた。

 

「あ、エイちゃん。熊倉先生は何時ごろ帰って来るって言ってた?」

「バンゴハンマデニハモドルッテ」

「それって、私たちで晩御飯作れってことかな?」

「ウン」

 

 コクコクと頷く。

 ウィッシュアートさんと宮守の子たちがコミュニケーションを交わす際には、片言の日本語か絵を用いて行うのが通例になっているっぽい。でも、それだと伝達情報の齟齬やら曲解やらが出てきてしまいそうなものだけど……大丈夫なんだろうか?

 手持ち無沙汰だったのと、少し心配になったこともあって、横から口を挟むことにする。

 

『ねえウィッシュアートさん。先生、他に何か言ってなかった? できたらこれをやっておいて欲しい、みたいなことを』

『あ、言ってたかな。サエが知ってると思うけど、先生の家にある炊飯器だけだと人数分炊けないから、トヨネの家から持ってきて追加で炊いておいて欲しいって』

『姉帯さん? 家近くなんだ?』

『トヨネは先生が身元引受人のようなものだから。あ、あとお鍋の下ごしらえはトヨネと小鍛治プロに頼みなさいって』

『最初から任せる気満々だったってことだよね、それ……うん分かった、ありがとう』

「オネガイシマス」

 

(※『』部分は英語です)

 

 ふんふむ。なるほどなるほど。さすがは先生、お客様相手にも容赦がないというか。

 まぁ、一夜の宿を借りるのはむしろこちら側なんだし、やれといわれなくても持ち回りのお仕事くらいはこなしてみせるつもりだけどね。

 

 会話を終えてふと気が付けば、鹿倉さんもテレビを見ていたはずの小瀬川さんも、揃って私のほうを向いていた。

 えーと、なんだろう?

 

「ど、どうかしたの二人とも?」

「小鍛治プロ、英語堪能なんですね……」

「ちょっとびっくりしたというか。あ、決して悪い意味ではないですから!?」

 

 あー、ああ。そういうことか。こーこちゃんは私が英語を話せることを知っているからスルーしてテレビに夢中なんですね、分かります。

 これは別に私特有のスキルというわけではなくて、トッププロと謳われている人たちはだいたい英語での日常会話くらいはできるものと思ってもらっても構わない。世界大会に出場する場合に共通言語として採用されている英語が出来ないとなると、いろいろな面で不都合というか、不利な局面が出てきてしまうからだ。

 良子ちゃんは言わずもがなだし、現日本代表として八面六臂の活躍を見せる咏ちゃんなんかもあれでいて英語は凄く流暢に話すことができる。はやりちゃんに至ってはドイツ語とかフランス語とかも普通に喋ったりできるみたいだし……逆にそれが出来ないとなると、世界の中で成績を残すのは難しくなるだろう。

 というかさっきもウィッシュアートさんのインタビューで喋ってたんだけどね。別撮りだったから気づかなかったのかな。

 

「それより、私はちょっとお鍋の下準備をしなくちゃいけなくなっちゃったから、鹿倉さん、こーこちゃんをお願いね。くれぐれも甘やかさないようにビシビシ叱ってあげて」

「分かりました!」

「えー、ぶーぶー!」

「うるさいそこっ!」

 

 ブーイングが飛んでくるけど、即座に撃ち落としてくれた鹿倉さんに満足しつつ。ウィッシュアートさんに案内をお願いして台所へと向かうことにした。

 

 

 宿泊組の中で料理担当班となるのは以下の四名。

 主任は私こと小鍛治健夜で、その助手にエイスリン・ウィッシュアート。宮守側からの代表は姉帯豊音で、その助手に須賀京太郎となった。

 どうしてわざわざこのジグザク配置なのかというと――まぁ、そのあたりの事情は全員が並んで台所に立っている情景を思い浮かべて察して欲しい。お互いの頭の位置に差があると、指示を出すだけにしてもけっこう喋りづらいものがあるんだよね。

 で、お互いのペアが担当する分野を分けて別々に作業をしていたわけだけど。その結果、

 

「スコヤ、デキタヨ」

「ありがとう、エイちゃん」

 

 何故だかすごく懐かれました。

 ……ああ、何故だかというのはちょっと語弊があるか。何故なのか、その部分には十分に思い当たる節があるのだから。

 その時の様子を一部ダイジェストでお送りするならば、こんな感じ。

 

 

『ウィッシュアートさんは普段料理とかしてるの?』

『向こうだとママと一緒に作ることはあったけど、こっちに来てからはあんまり……』

『ってことはホームステイなのかな? 一人暮らしだとある程度は自炊しないとダメだろうし。あ、できれば海老はこんな感じで背わたをちゃんと取ってね』

『うん。パパが大学時代にお友達だったっていう小父さまの家にお願いして。可愛がってもらってはいるんだけど、包丁は危ないからって握らせてもらえなくて……。こう、かな?』

『あはは。大切なお友達の娘さんを預かってるんだから神経質になっちゃう気持ちは分かるけど、ちょっとそれは過保護だね。うん、そんな感じでよろしく』

『小父さまや小母さまに郷土の料理も作って食べさせてあげたいわ。子供じゃないんだからそれくらい平気なのに。この海老はそのまま鍋に入れちゃうの?』

『郷土っていうとニュージーランドだったっけ? それはこっちの蓮根のすり身と合わせてつみれにしようかと思ってるの。鍋といえばやっぱりつみれは欠かせないからね』

『日本と似たような島国でね、綺麗な景色も美味しい食べ物もいっぱいあってとってもいいところなの! つみれっていうと、肉団子みたいな?』

『へぇ、一度行ってみたいなぁ。あっちのほうは海もすごく綺麗そうだし、バカンスにはもってこいかも。そうだね、似たようなものかな?』

 

 というふうに、世間話と料理の指示を交えながら作業を進めていると。ポカンとこちらを見ている残りの二人に気が付いた。

 ああまたこの感じなの。そんなに私が英語を喋ると不思議な光景に見えるんだろうか?

 

「うわー、エイスリンさんがちょー英語喋ってるよー」

「本場の発音ってやっぱ流暢っていうか、綺麗っすねぇ」

 

 って、え、そっち? 母国語が英語(ネイティブ)なんだから喋るのなんて普通だと思うんだけど。

 ……あ。もしかしてウィッシュアートさん、普段はあんまり英語で喋る事がないのかな? 郷に入れば郷に従えとは言うけれど、それだとあまりにも精神的に窮屈なんじゃなかろうか。

 私も一ヶ月単位で海外を拠点にして生活していた経験があるから分かるけど、円滑なコミュニケーションが取れないというのはけっこう心にくるものがあるから、ある程度はストレスを発散しないと辛いはず。

 それでも作り物じゃない自然な笑顔を絶やさない彼女の心は、私が思う以上に強靭なのかもしれないけれど……何処かで無理をしているんじゃなければいいな、と思わずにはいられない。

 

「ヒサシブリダカラタノシクテ」

「うう、ごめんねぇエイスリンさん。私たち、英語喋れないから……」

「ウウン、ワタシモニホンゴオボエタイカラダイジョウブ。トヨネ、ナカナイデ」

 

 涙目になる姉帯さんに、にっこりと微笑みかけるウィッシュアートさん。天使か。

 昼間の京太郎君じゃないけれど、岩手に天使が降臨していたという説が信憑性を帯びてくる、実に微笑ましい光景であった。

 

 

「師匠が英語ペラペラなのは、やっぱりトッププロが英語とか話せないとダメだからなんすか?」

「んー……まあそうだね。少なくとも国際試合に出場するくらいのプロになると喋れないのはマイナス要素かな。チーム内の人相手なら通訳を介してでも良いかもしれないけど、対局中の選手だったり審判だったりに直接ルールの確認とか指摘をできないとお話にならないからね」

「あー、たしかにそうっすね」

「そういう事情もあるから、姉帯さんもせっかく身近にエキスパートがいるんだし、実践で少しでも会話できるようになっておくと将来役に立つかもよ。プロになった後とか」

「プロ!? 私なんてとても、そんな、恐れ多いですっ」

「恐れ多いって、そんな卑屈な……でもじゃあ、何処かのチームから誘いがあったとしてもプロになるつもりはないの?」

「か、考えたことも無かったかもー……」

「モッタイナイ」

 

 そろそろ高校卒業後の進路決めも大詰めの時期だろうに、ちょっとのんびりし過ぎというか。

 例年通りに開催なら十二月中旬にドラフトがあるはずだから、彼女の特異な部分に目を付けているどこかしらのチームから前段階のご挨拶(と言う名の獲得オファー)があってもおかしくないんだけど。たとえ本人が大学への進学を希望しているんだとしても、それを覆すのがスカウトの仕事なんだし遠慮して話を持ってこないということはないはず。

 ……あ、もしかすると熊倉先生のところで話が止まっているのかな? 色々と特殊な事情を抱えているらしいから、彼女に限ってはそれも有り得ない話ではない。

 

「ウィッシュアートさんは、来年は――」

「エイスリン!」

「……って、え? もしかして名前で呼べってこと?」

 

 コクコクと頷くその期待に満ちた瞳の輝きからは逃れられそうにもない。

 国外で生まれ育った彼女的には、たしかにある程度顔見知りの相手にはファーストネームで呼び合うほうが習慣としては正しいということもあるのだろう。

 うーん、でも……ま、いいか。

 

「じゃあ、鹿倉さんみたいにエイちゃんって呼ぶことにしようかな。私のことは健夜でいいよ」

「スコヤ!」

「うん、改めてよろしくね」

「ウン!」

 

 

 ……とまぁ、こんな感じでね。母国語で普通に会話をすることが出来る相手ということで、どこかで安心した部分があったんだろうと思われた。

 姉帯さんのように純粋な尊敬を向けられるのも嬉しいものだけど、親愛的な感情を向けられることにあまり慣れていない私としては余計にドキドキするというか、どうにもむず痒いものがあったりして。

 無論、天使が懐いてくれることに対しては吝かでない私である。

 

 常に隣に引っ付いてくるエイスリンを見て、京太郎君が(私に対して)心底羨ましそうだったのとか。

 ご飯の準備が出来た頃を見計らって帰って来た熊倉先生が、そんな私たちを見て心底驚いたような表情をしていたのとか。

 摘み食いをしに来たこーこちゃんをスケッチブックの一撃で撃退したエイスリンの雄姿とか、妙に似合っていた臼沢さんの割烹着姿とか、語るべきことはまだまだたくさんあるけれども。

 この後も寝るまでに色々とやるべきことは残っているし、まずは晩御飯を食べて鋭気を養うことにしよう。

 

 

 騒々しくもお祭り気分で楽しかった夕飯が無事に終わり、宛がわれた部屋でお風呂の順番が回ってくる前に着替えを準備をしておこうと荷物の整理をしていたところ。

 トントン、と襖を叩く音は二つ。誰かが私を尋ねてきたらしい。

 

「どうぞ」

 

 パジャマ代わりのジャージを一旦畳んでから、声をかける。すると、ゆっくりと空いた襖の向こう側から現れたのはエイスリンだった。

 

「エイちゃん? どうしたの?」

『あのね。コーコからこれを持って言ってあげてって頼まれたから持ってきたの』

「こーこちゃんから?」

 

 なんだか嫌な予感しかしないんだけど。気のせいであって欲しい――という私の儚くも些細な願いは、一瞬にして木っ端微塵に砕かれてしまった。

 差し出された手の中には、実に見覚えのある紙袋が一つ。

 またか……福与さん、また貴方は私にこれを着れと? そしてこれを着させるからには、何かしらの面倒そうな企画を用意していると?

 

『これってメイド服よね? スコヤはこういうのが好きなの?』

『好きじゃないけど、必要に迫られて着るしかないというかね……はぁ』

『ふぅん。私はてっきりちょっと早いハロウィンでもやるのかと思ったのに』

「……ハロウィン?」

 

 ああ、言われてみれば。

 今は十月の下旬。特典用の企画にあえて季節のイベントを盛り込むとしたら、このタイミングだとそれが一番近いのか。

 実際のハロウィンパーティーというのは十月の末日に行うものと相場は決まっているんだろうけれど、少しくらいの誤差はしれっと無視するのがこーこちゃんである。

 

『ほらこれ。私にもこれを着たらって用意してくれたのよ』

 

 廊下に置いてあったもう一つの紙袋を取り出して、中身を見せてくれるエイスリン。その手には何故か、裾がボロボロになっている漆黒色の外套が握られていた。

 さらに、嬉しそうに笑っている彼女の口元には、にゅるりと不自然なまでに飛び出した八重歯が。

 

『ああ、なるほど。吸血鬼だ』

『女性の吸血鬼はヴァンピレスっていうんですって。どうかな、怖そうに見える?』

『うーん、どちらかというと可愛い、かな』

『え、ヴァンパイアが可愛いの?』

 

 マントを羽織ってくるりと回ってみせる彼女。どこから得た知識だか、「がおー」という感じでポーズを決めているようだけれども……怖そうというには程遠い出来栄えだった。

 あと多分その呼称の仕方は日本特有の造語というか、一部界隈でしか使われていないと思う。

 

『そうだ。それに着替えたら一度リビングに集合だって。キョータローを驚かせに行くって言ってたわ』

『京太郎君を?』

 

 今回の被害者はあちら側で私は加害者側に組み込まれることになるのか。それを素直に喜ぶべきか、はたまた彼の師匠としては喜ばざるべきか。微妙なところだなぁ。

 とりあえずその判断は企画の内容を聞いてからということにして、げんなりとしつつもいつもの装い(猫耳メイド)に着替えてから他の子たちが待つ居間へと行くことにした。

 

 

 綺麗な()()()()碧色(アイス)の瞳(ブルー)という、異国情緒溢れる出で立ちのエイスリンが定番中の定番“吸血鬼”ならば、他の子たちはどうなっているのやら。

 

 居間に戻ってきてまず目に付いたのは、その銀白色の髪にちょこんと犬耳(?)っぽい何かを乗せ、茶色のジャケットに合わせて茶色い膝丈のフレアスカートを履いているダルそうな子。両手に肉球付き手袋を装着済みなせいで物が握れないらしく、もう一人のおかっぱ着物少女にお煎餅を食べさせてもらっているところだった。

 ……どうみても“狼女”と“座敷わらし”だ、あれ。

 

 その隣でしきりに自分の腰周りをチェックしているのが、スリットが妙にセクシーなチャイナドレスを纏った臼沢さん。お札の付いた帽子を被っていることから、どうやら中国の“僵尸”(キョンシー)をイメージしているらしかった。

 あの格好が無理を感じさせないレベルで似合うということは、臼沢さんはかなりスタイルがいいということだ。羨まけしからん。

 

 しかし、真打とでも言うべきか。さらに圧巻なのが、その隣に清楚に佇む黒ずくめの淑女である。

 ぱっと見でどの妖怪かは分からないし、他の子たちのようにとっさに候補が浮かんでくるようなことはなかったものの……その姿を見た瞬間、ゾクリと。何故だか背筋を冷たいものが通り過ぎていくような、悪寒にも似た感覚を味わった。

 思わず呆然と入り口付近で佇んでいると、不意に、こちらに気づいたキョンシー(臼沢さん)が首を傾げながら問いかけてくる。

 

「あ、二人とも来たの――って、エイスリンは吸血鬼だって分かるんだけど、小鍛治プロのそれは何の妖怪なんですか?」

「いや、私のは別に妖怪ってわけじゃな――」

「すこやんのはあれだね、妖怪アラフォー(猫耳メイド仕様)ってとこ」

「アラサーだよっ! 何その顔が縦に異様に長くなってそうな妖怪の名――!?」

 

 後ろから聞こえて来たいつもの声に反応して、振り返ってツッコミを入れたところで。真正面からかぼちゃのお化けと遭遇して、思わず反射的にその場を飛び退いてしまう私。

 隣にいたはずのエイスリンに飛びつかれてしまったものの、正直それどころではなかった。

 

「……ジャック・オー・ランタン?」

「へいへい。どうだいすこやん、この私の見事なかぼちゃ野郎っぷりは」

「あ、うん……なんていうか、本格的過ぎて逆にひく」

 

 腕に絡み付いてきているエイスリンも、その言葉に賛同してコクコクと頷いてくれている。

 どうしてこーこちゃんはいつもこう、明らかに間違っている方向にむけて全力疾走するんだろうか? 走り出す前に確認とかすれば良いのに。

 加えてその手に持っている器の中のかぼちゃの煮つけ(臼沢さん作)がやたらとシュールだし。小腹が空いて台所に盗みに行って来たんだろうけど、時と場合は考えようよ。

 

「さて。これで全員揃ったかい?」

 

 最後に登場した熊倉先生は、綺麗な白い色の着物を着て隣の部屋から現れた。

 先生の年齢からするとそれが普段着のようにも見えるし、妖怪のようにも見える……っていうのはさすがに失礼か。仮装というよりは普通に着物を着ているだけだし。

 まぁ、あれがもし妖怪の仮装だとするならば、それはもう思い浮かぶのは一つしかないだろう。さながらそれは、砂かけ――。

 

「先生のそれ、やっぱり砂をかける妖怪ですか?」

「……塞、それは私をお婆と言っているのと同義だね。ご希望とあらば心臓まで凍りつかせてあげても良いんだよ……麻雀で」

 

 ――うん、知ってた。雪女だよね、うん。知ってた。

 

 

 というわけで、熊倉先生の仰るとおりにこれで全員が揃ったことになる。

 但し、今回驚かされる対象になっている京太郎君を除いて、だけど。

 吸血鬼と狼女、座敷わらしとキョンシーに、かぼちゃのお化けと雪女。何故だかその中に平然と組み込まれている猫耳メイドの私と、いまだ名前の分からぬ漆黒の淑女。

 多種多様のこの妖怪たちを前に、一体彼は何をさせられるというのだろう……今回は半分以上他人事ながら戦々恐々である。

 

「こーこちゃんは今回、何を企んでるの?」

「そりゃもちろん、トリックオアトリート! ってことでね、須賀くんにいたずらしちゃうぞー!っていう企画さ」

「京太郎君に悪戯……」

 

 なんだろう、そのちょっとイケナイ雰囲気を醸し出しているフレーズは。

 

「あれ? でもそれって大丈夫なの? 宮守の回の特典に清澄の京太郎君が出ることになっちゃうんじゃおかしくない……?」

「そこらへんは大丈夫。撮影スタッフの新人君ってことでごまかしちゃうから」

「……ごまかしきれるの、それ? だって清澄のところで普通に顔も声も出ちゃってるのにさ」

「そこらへんは何とでもなるって。須賀くんけっこう良いキャラだし、いっそ今回から準レギュラー化しちゃうのも手じゃない?」

「あの子はまだ高校生で普通の一般人なんだから少しは自重しようよ、こーこちゃん……」

「平気だって。カットしなくちゃいけなそうならすればいいだけなんだし。すこやんが料理対決で強権発動したみたいにね!」

「……まぁ、やりすぎた場合はそうさせてもらうかもだけど。それでもいいなら、私は別に……」

「おっけー。んじゃご一同、哀れなる子羊の元へといざ参らぬ!(それに――掴みがそれなだけで、本来の企画は別に用意してあるんだよね)」

 

 というこーこちゃんの心の声には当然誰も気づかないまま。

 一行は、おそらく宛がわれた部屋の中で何も知らされずに普通に寛いでいるだろう京太郎君を襲撃すべく立ち上がった。




ここから恒例の特典パートに入ります。京太郎と健夜さんの対局反省会(?)は番外編にてやる予定。
次回、『第17局:百語@そして誰も居なくなった夜?』。ご期待くださいませ


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第17局:百語@そして誰も居なくなった夜?

※注意事項
今回の内容の一部にちょっと怖いかも?しれない内容が含まれています。苦手な方はご注意ください


「昔々、その偉い人は言いました。可能性を生み出しただけでアウトなのだ――と」

「いきなり何の話?」

 

 京太郎君が休んでいると思われる部屋を目の前にして、ボソリとこーこちゃんが呟いた。

 その意味不明な発言が一体何を指してのことなのかは正直ちょっとよく分からないんだけど、とりあえず不穏な言い回しであることは間違いなさそうだ。

 

「業界で『戒めの日』とも呼ばれる惨劇の舞台。我々はその悲劇を繰り返さぬための教訓として、ある一つの真理へと辿り着いたのだ」

「……あっ、もう特典のナレーション撮りしてるのね」

 

 盛大な独り言かと思ってしまったけど、そういうことならいちいちツッコミを入れるのは止めておこう。

 目的地はすぐ近く。余り大きな声で騒いでいたら気づかれてしまうかもしれないし、気分を切り替えて前を向く。

 ――だからこそ、私は見事に聞き逃してしまった。彼女がその後に呟いた、不穏当な一言を。

 

 

「京太郎君、今ちょっといいかな?」

「師匠ですか? どうぞ……って、あヤベ、ちょっとま――」

 

 うん? なんだか既に疲れ果てているかのような枯れた声で返答が戻ってきたのが地味に気になるけれども。何はともあれ、部屋の主の許可は下りた。

 準備万端、扉の両端に陣取っていた鹿倉さんと臼沢さんのコンビが勢いよく襖を左右に開き――。

 

「「「「「「トリック、オア、トリー……誰!?」」」」」」

 

 ラプンツェルさながらに長い金色の髪を所在無くいじくり返しながら、畳敷きの六畳間の片隅には似合わない洋風の椅子に、ぽつりと座っている彼女――いや、彼(?)の姿に、当初の勢いを完全に殺がれてしまうモンスターご一行。

 というか、あれって京太郎君だよね……? なんでウィッグなんて……?

 

「な、なんすかいきなり……!?」

「えっと、すみません間違えました!」

 

 思わずぺこりと頭を下げて襖を閉めようとする姉帯さん。気持ちは分かるけど落ち着こうか。

 

「いやいやトヨネ、間違ってないからね!? たぶんだけど!」

「……須賀くん、だよね?」

「ノンノン」

 

 ちっちっち、と人差し指を左右に振りながら部屋の中へ歩いて行き、かぼちゃのお化けは中央で振り返る。仮面の向こう側は見えないけど、たぶん盛大なドヤ顔をしているに違いない。

 

「いいかいみんな、彼女はマリーちゃん。間違えてはいけないな」

「「「「……はぁ?」」」」

 

 全員の気持ちが一つになる。彼女はいったい何を言っているのだろうか? と。

 

「あの、福与アナ。マリーちゃんってなんですか?」

「ふふ、よくぞ聞いてくださった。マリーちゃんはかの有名なマリー・アントワネットさんの名言にあやかって作り上げられた神秘の生命体! 『男がダメなら男の娘(女装)にすればいいじゃない!』という観念から誕生するに至った哀れな生贄――もとい、今日のパーティの主役なのだッ!!」

「生贄って言ったよね、今」

「うん、言ったねー」

「訳がわからなさすぎてダルい……」

「Oh、マリーチャンダ。カワイイ」

「こらエイちゃんっ! あの人の悪ノリにのっちゃダメでしょ!」

 

 よかった。意味が分からないのは私だけじゃなかったんだね。

 

「……ハッ!? あの、師匠。違うんスよこれは!」

 

 想定外だった襲来による衝撃から立ち直り、状況を把握するにつれて京太郎君が目に見えて焦り始める。可哀相だと思いつつも、なんとなく可愛いと思ってしまうのは何故だろう?

 

「分かってる。京太郎君に女装趣味があるだなんて思ってないから……そこのかぼちゃのお化け、説明を求めます」

「あっ、ハイ。あのね――」

 

 

 彼女の言い分としては、簡単に纏めるとこういうことだ。

 仮にも女性ばかりの仮装パーティに一人だけ男性が混じっている状態というのは、外聞的にもとてもよろしくないわけで。特典として配布することを前提とするならば、この企画中は何かしらの対策を採っておかなければならない。これは謀らずも先ほど私が気にしていた部分と合致する。

 ――で、こーこちゃんは京太郎君に企画の内容を伏せたままで二つの選択肢を与え、どちらかを選んでおくようにと予め話を通しておいたのだと言う。

 一つは今装着中の金色のウィッグを使って女の子を装うこと。京太郎改めマリーちゃん(?)になるという選択肢。

 そしてもう一つが……部屋の片隅に放置されている、バラエティ番組なんかでよく見かける間抜けな馬面の被り物を使って性別不詳になること。京太郎ならぬ馬太郎にでもなれということか。

 正直どちらもイヤ過ぎるでしょうと思わずツッコミを入れたくなってしまったのは、私だけではなく鹿倉さんも同じようだったけれども。

 

 それで、だ。とりあえずとウィッグのほうを試していた際、ふと我に返って何をやっているんだと自己嫌悪に陥って凹みかけていたところに私が声をかけ、普通に返事をした後になって自分の格好に気がついて、慌てて取ろうとしていたところを襲撃されてしまったというのがマリーちゃん爆誕の真相らしかった。

 

「ええと、つまり纏めると須賀くんには女装をして次の企画に参加してもらうってことですか?」

「うむ。女だらけの仮装パーティーに男はいらん、という視聴者さんたちのご意見も聞き入れている風に見せかけるためにね!」

「見せかけなくても別に不参加で良いじゃないすか……」

 

 心底疲れきった表情で京太郎君が言う。

 まぁ、まさか本人も女の子の格好をさせられてまでハロウィンパーティーに参加させられるとは思ってもいなかっただろう。その気持ちは分からないわけではないけれど。

 しかし……ああ、現実というのはなんて無情なのか。彼女が練ったであろうプランは京太郎君の逃げ場を奪う壁となって、既に背後に聳え立っていた。

 

「じゃあ聞くけど……須賀くん、お菓子持ってる? 持ってないよね?」

「えっ? あ、いや……そりゃ持ってません、けど……げっ」

「クク。そうかそうか、それは残念。これがハロウィンパーティーである以上、お菓子がなければイタズラ(女装)されちゃっても仕方がないよね」

「――ハッ!? こーこちゃん、もしかしてそのためのハロウィンだったの!?」

「その通りッ! さあ皆の衆、思う存分彼にイタズラをしてあげるのです!」

 

 その仮面の下ではきっとほくそ笑んでいるだろうかぼちゃのお化けの号令一下、成り行きを見守っていたモンスター軍団が動き出す。

 

「まぁ、そういうことなら仕方ないかなぁ。ハロウィンだし、うん」

 

 なんて言いながら、ノリノリのキョンシーさんがさりげなく化粧道具を取り出し。

 

「きっとこのドレスとかちょー似合うと思うよー」

 

 どこから持って来たのか、真っ赤なフリル付きのドレスを見せびらかしながら迫り来る漆黒の淑女と、

 

「シロ、鏡お願いね! こらっ、髪がもつれちゃうからもぞもぞ動かないの!」

 

 ウィッグからはみ出している前髪部分(地毛)を丁寧にブラッシングし始める座敷わらしと狼女のペア。

 私の隣でそんな光景を興味深そうに見ている吸血鬼の少女が、ぽそりと私にしか分からない英語(ことば)で呟いた。

 

『キョータロー、あの格好だと本当に女の子みたいに見えちゃうわね。ニュージーランドだときっと男の子からモテモテよ』

 

 それを訳さないでいてあげたのは、せめてもの武士の情けというヤツだった。

 

 

 こうして一行は、新たなる仲間のマリーちゃん(※口裂け女らしい)を加え、ハロウィンパーティーを行うべく一階のとある一室へと集まった。

 パーティーというにはあまりに素朴というか、食べ物もなければそれらしい装飾も無い。唯一用意されているのは片隅にいくつか並べられている布団くらいのものという、企画の意図がまるで分からない風貌の部屋に。

 疑問に思っているのは私だけではないようだけど、全員の視線がこーこちゃんではなくこちらに向けられているのは何故だろう?

 これはあれか。代表して私が質問をしろと言うこと?

 

「ねぇこーこちゃん……ここで何をするの?」

「説明はこれからするって。まずははい、これをみんなに九本ずつ配ってくれる?」

 

 そう言って渡されたのは、仏壇なんかでよく使われる真っ白なひょろ長のロウソクが入った箱。色々と思うところはあるものの、言われた通りに配っていく。

 

「みんなに行き届いた? んじゃ、今回の企画を発表します! 題して――季節外れの百物語、遠野心霊怪奇譚!」

「「「「――!?」」」」

 

 発表と同時に、怪物たちのどよめきが部屋の中に満ちていく。

 でもそれも当然だろう。百物語といえば、肝試し的な要素を兼ねた怖い話を延々と続けるというような内容で、あまり積極的には参加したいと思わない類の催しである。

 そもそも、あれって夏に肝を涼しくするためにやるようなものであって、中秋の肌寒い夜にわざわざ実行する意味なんてまるで無いと思うんだけど。

 和洋折衷、様々な妖怪たちのコスプレをした子たちが秋の夜長に集まってハロウィンパーティー、こともあろうかその中身は百物語で肝試し。訳が分からないにも程がある。

 

「っていうかそもそも百物語って夏にやるようなイベントだよね?」

「だから『季節外れの』なんだってば。遠野といえば遠野物語、遠野物語といえば妖怪、妖怪といえば怖い、怖いといえば幽霊、幽霊といえば百物語。ね?」

「ね?って言われても……私的には後半部分の無理やりさを押し通してくるこーこちゃんこそが恐ろしいよ……」

 

 ドヤ顔なところ申し訳ないけれども。

 まぁおそらく周囲の反対で企画そのものが変更になるだろうと高を括っていた私。

 ――が、意外にも周囲の反応をざっと伺ってみた所、積極的な賛成派は発案者のこーこちゃんのみとはいえ、真っ向否定派は私と姉帯さんの怖がりコンビ二人だけだった。

 他の子たちはというと、どちらかというと否定派なのが鹿倉さんと臼沢さん。どっちでもいい派が小瀬川さん。エイスリンと京太郎君は興味本位からかどちらからといえば賛成派に回ってしまっている。

 最後の砦として君臨している熊倉先生はというと――私の気持ちも知らないで、のんきに臼沢さんと話をしていたり。

 

「ねえ先生、遠野物語と霊的な話ってあんまり関係ないですよね?」

「どちらかというとあれは妖怪と人間のお話だからねぇ……でもいいんじゃないかい? 面白そうだし」

「あ、熊倉先生はノリ気なんだ。ちょっと意外」

「本来ならあまりお勧めはしないけどね。今日は健夜ちゃんもいるし、滅多なことは起こらなさそうだから大丈夫でしょう」

「……? どうしてそこで小鍛治プロの名前が? 戒能プロなら分からなくも無いですけど」

「塞だって、自分に害を及ぼすって分かってる相手にわざわざ近づこうとなんてしないんじゃないかい? 人間であろうと物の怪であろうと同じことだよ」

「分かるような分からないような……小鍛治プロは、麻雀以外だと普通に良い人っぽく見えるけど……」

 

 ふと、臼沢さんと視線が合った。何か言いたそうにこちらを見ているけど、結局何も言わずに視線を逸らしてしまう。何か酷い誤解が生まれてしまったような気がするのは気のせいだろうか。

 ……あとで誤解を解かなければと思いつつ、けれど本題はそこではない。

 熊倉先生が賛成派に回ったことで、人数的には五分と五分。結局どっちでもいい派の小瀬川さん次第ということになるけど……。

 

「んー……じゃあ賛成で」

 

 という否定派にとっては無情な死刑宣告があり、マヨヒガたる彼女の票を勝ち得たこーこちゃんは勝利宣言と共に百物語の開催を高らかに謳い上げるのだった。

 

 

 本来の意味でいうところの『百物語』とは、交霊の儀式である。

 一番目の語り手を北に配し、そこから右回りに順番に話をして、終わったらロウソクの炎を消していく。その繰り返しを百の怪談が語られるまで続けて行き、最後に中央の大きなロウソクの火を消すと――。

 というのが通説ではあるんだけど、九十九番目のお話を終えたら実際には百本目のロウソクには触れずに朝を待つのが良いらしい。

 これは、実際に百物語を進めていくと最後の百話目には実際に身の毛もよだつほどの恐ろしい出来事が待っているからだといわれており、その怪奇現象を避けるためにあえて最後の話はしないという対処法が取られるのだという。

 

 様式としては江戸時代、あるいはそれよりも遥かに以前から続いているらしいんだけど……その作法に則ってきちんと形式どおりに行ってしまえば、何が起こるか分からない。起こらないという保障なんてあるはずもないし、怖いもの知らずのこーこちゃんもさすがにそれは嫌らしく、形式は以下のように差し替えられての開催となった。

 

 全員が円になった状態で順番に話をしていき、終わるたびにロウソクを消すという基本的な部分は変わらないものの、まず最初の一周目には九人全員が一つずつ、自分が怖いと思う話をする。その中で一番評価の高かったお話を披露した人が語り部の輪から抜け、次の周からは完全な聞き手側に回る。残った八人で一つずつ話をして、また一番評価の高かった人が抜けていく――という感じで八周ほど同じやりとりを繰り返していき、結果最後に残るのは誰? という旨の企画となる。

 

 よく考えてみれば分かるけど、実際に百話も話をしていたら普通に夜が明けてしまう。

 一話を上限五分としても百話だと八時間、午後二十二時から開始したとしても終わるのが明け方の午前六時近くである。実際はそんなにとんとん拍子に進まないだろうし、グダグダになってもっと長引いてしまうのが目に見えている以上、本格的にやるなんて選択肢は最初から有り得ないということだろう。

 

 そもそも私には怖い話に関するネタのストックがほとんどないのも問題だ。ネットやらテレビの心霊番組やらでよく語られるようなモノは怖いので自分から集めたりはしないし、自分自身が何かしらの心霊現象に遭遇したというような記憶は、生まれてこの方二十七年、ひとっつもないのである。

 こんなことなら良子ちゃんにでも何か聞いておけばよかったかなぁと思っているうちに、語る順番を決めるためのくじが手元に回って来た。

 この形式でやる以上は後になればなるほど不利になると思われるので、できるだけ早い位置で――と祈りながら引いてきた紙に書かれていた数字は、七。後ろから三番目という、実に中途半端な立ち位置だ。

 

 トップバッターは気持ちが逸り過ぎて既にかぼちゃの仮面を脱ぎ捨てている福与恒子嬢。次いで、小瀬川さん、鹿倉さん、京太郎くん、姉帯さん、エイスリン、私、臼沢さん、熊倉先生という順番に決定した。

 

 全員が順番どおりになるよう配置について、その輪の中央に、最後の一人となってしまった人物が使う用の大きな一本のロウソクを置く。

 最初の語り部であるこーこちゃんがロウソクに火を灯したのを確認して、電気が消され。なんともいえない雰囲気の中、その語りが始まった――。

 

 

○東京都在住、K.Fさんによる一番目のお話

 

 あのね、テレビ局っていうところはけっこうその手の話も多いんだけどさ。

 夏とかによく心霊番組とかやってるじゃない? ああいうのってだいたい『放送しても大丈夫』なところしかやらないわけよ。ちょっと怖いかなっていうレベル?

 ――で、実際に心霊スポットとかにロケに行くとさ、中にはやっぱりとんでもないものが映っちゃったりすることもあるらしくて。そういうのは放送するわけにもいかないから、なんていうか……自主規制? みたいな感じでマスターテープごとお蔵入りになっちゃうのね。

 

 これは私の先輩に聞いた話なんだけど。

 六年くらい前だって言ってたかな……心霊番組で、とある郊外の廃墟を芸人さんたちがレポートするっていう企画があってさ。その芸人さんも本人曰くすごく霊感が強いってのがウリだったらしいんだけど。まぁ、そのロケでやっちゃったんだよねぇ……。

 

 え? 何をやっちゃったのかって?

 あのね。たぶんどこかの霊媒師さんが霊的なものを抑えるために張っておいたらしいお札を、その芸人さんの相方が破っちゃったの。

 もちろんわざとじゃなくて、ああいうところって当たり前だけど暗いじゃない? 段差で躓いた拍子にこう手を突こうとして――バリって。

 

 一緒に行動してた霊能者の人も顔を真っ青にして、早く逃げたほうが良いとか言い出してさ。もう現場はしっちゃかめっちゃかよ。

 でもさ、相方のチョンボでそっち方面の仕事が来なくなるのを恐れちゃったんだろうね。もう一人の霊感の強いほうの芸人さんが、撮影の続行を強く申し出たらしいの。

 霊能者さんは止めたらしいんだけど、自分も霊感があるから危なくなればすぐ逃げられるからって振り切っちゃって。製作スタッフさんたちも番組に穴を開けるわけにもいかないからって、つい承諾しちゃったんだよね。

 

 結論だけを言っちゃうと、そのロケの映像は映っちゃいけないものが映りすぎてたらしくて結局番組で使われずにお蔵入り。で、その芸人さんたちは番組に呼ばれなくなって……っていうまぁ、結末としてはありがちな話になっちゃうんだけど。

 

 ああ、知ってる? そう、あの○○ってコンビ。そのロケの後にしばらくしてコンビ解散しちゃってさ、今はお札破っちゃったほうの相方さんだけがピンでやってるよね。

 ……え? 霊感の強いほうの人? ああ、それがこの話の肝というかさ。これから語ろうと思ってたんだけど――。

 

 四年くらい後――だったかな? 別の局でそっち方面の番組をいっぱい作ってた、専属のプロデューサーをやってた人がウチのテレビ局に移ってきた時に、風の噂で聞いたその二人の事に興味を抱いたらしくって色々と調べてみたらしいのね。

 相方が言うには、コンビを解散してからは連絡すら取ってないから居場所は分からないって言うし。事務所の人も当然知らない。もちろん以前住んでいた場所にはもう暮らしてもいなければ、実家に電話をかけてみても繋がらない。って感じで行方が完全に掴めなくなっちゃってたらしいの。

 

 で、不完全燃焼のままそのプロデューサーさんは例のロケの一部始終を録画してあったマスターテープを片手間に見ていたら……。

 テープの最後にさ。とある光景が映ってたらしいのよね。

 もちろん当時の撮影スタッフさんたちに慌てて確認を取ってみたけど、当時の撮影の時にはそんな事はやってなかったし、そんなことをする許可もしていないって。

 でも、その映像には確かに映ってたらしいの――例の廃墟の中で、狂ったように笑いながらお札をビリビリ破いて回ってるその芸人さんの姿が。

 なによりも不気味だったのが、その芸人さんの顔が――四年前のそれと比べると明らかに歳をとっていたこと。それこそ、四年経ったまさに今、その行為をライブで実行しているかのような感じで――ね。

 

 そのプロデューサーさんはテレビ局のお偉いさんの許可を取った上で、すぐにそのテープをお寺に持って行って焼却処分してもらったらしいんだけど……。

 例の元芸人さんは数ヶ月後、その廃墟の中で何故だか皮膚が炭みたいになった状態で遺体になって発見されたっていう話だよ――。

 

 

「……」

 

 初っ端から飛ばしすぎじゃないかな、こーこちゃん……。

 怖いというか、もはや通り越して寒いよ。鳥肌がすごい立ってるし。

 

「そ、それって本当のことなんですか……?」

「あはは。まぁそんな死体が見つかったなんて報道されてなかったっしょ? この業界ってそういう与太話もけっこうあるからさ。話半分くらいに聞いとけばいいと思うよ」

 

 ただ、都合の悪い情報は極力流さないようにするのが業界内でのお約束でもあるけどね、と。

 後で呟いたせいでフォローのすべてが台無しだった。

 

 

 もはや一周目の勝ち抜けが決まってしまった感があるせいか、二人目の小瀬川さんは誰でも知っているような怖い話をさらっと流して終了。私を含め、他の子たちもわりとオーソドックスな怪談話を適当に挟みつつ、あっさりと一周目が終わった。

 もちろん、満場一致で勝ち抜けたのはこーこちゃん。まさに本職というか、圧倒的だった。

 

「福与アナ強すぎるでしょ」

「語りに関してはプロなんだし、あれにはちょっと勝てそうにないわ」

 

 残るはあと八人。小瀬川さんから始まったその周回で最も高評価を得た語り部は――。

 

 

○ニュージーランド出身、A.Uさんによる十四番目のお話

 

 私がママから聞いた話は、怖いっていうか微笑ましいって感じかな。

 あのね、私のママはお祖母ちゃん(※エイスリンから見て曾祖母)からとても厳しく育てられていたらしいの。礼儀作法もそうだけど、勉強も、女の子として必要な家事なんかの技術もきちんと習っていないと外で遊ぶことも許してもらえないってくらいに厳しかったって言ってたわ。

 

 そんなお祖母ちゃんが、唯一ママの我侭を聞いてくれたのがお人形さんだった。

 そのお人形さんは英国産のビスク・ドール。金髪碧眼で豪華なドレスを身に纏った、絵に描いたような淑女を模したお人形さん。

 ママはその子に名前を付けてとても可愛がっていたんですって。

 でもね、いつだったか――ママがお祖母ちゃんの言いつけを守らなくて、お友達と遊ぶために習い事をサボっちゃったことがあったらしいの。

 お祖母ちゃんはとても怒って、そのお人形さんをどこかへ隠してしまった。ママは泣いて謝ったけど、許してもらえなくて。

 

 それから一ヶ月経った頃だったかな。お祖母ちゃんが急な病で倒れてしまって、救急車で病院に運び込まれたまま……お医者様の治療も実らずに、そのまま帰らぬ人になってしまったわ。

 お祖母ちゃんが死んじゃった事ももちろん悲しかっただろうけど、ママにはもう一つ深い悲しみに包まれる出来事があった。お人形さんの隠し場所を知っていたのはお祖母ちゃんだけで、その場所を教えてくれないまま逝ってしまった以上、それはもう二度とその子とは会えなくなってしまうということでもあったの。

 

 悲しみに暮れているうちに人間って色々な事を忘れちゃうものなのね。

 お祖母ちゃんが亡くなって時間が経てば、ママもだんだん悲しみの淵から立ち直るし、お友達と以前よりも遊ぶ時間が増えた事で、そのお人形さんのことは忘れてしまっていったわ。

 大人になって、恋をして。ママがパパと結婚することになって、そうなるとお嫁さんは当然いま住んでいるお家からは出て行くことになるでしょ?

 ママの故郷からはちょっとだけ距離のある郊外に新居を構えて、新しい生活を堪能しているうちにママのお腹の中には新しい命が宿って――ああ、もちろんそれは私の事だけどね――嬉しいこととか悲しいこととか、色んな出来事がたくさんあったそうよ。その中の一つが、お祖父ちゃんたちが新しいお家に引っ越して、ママの生まれ育ったお家が無くなってしまったことだったらしいんだけど。

 

 あれは私がジュニアスクールに入学した頃の話だったかな?

 私自身はひいお祖母ちゃんのことを知らないし、そのお人形さんのことももちろん知っているわけは無かったんだけど。

 学校から帰る途中に不思議な人と遭ったの。

 真っ赤な靴を履いていて、とても綺麗なブロンドの髪で、透き通るような蒼い色の瞳の女の人。私も似たような外見だけど、その人のはなんていうか……そう、造られた美しさとでも言うのかな? そんな感じで、周囲の景色からはちょっと浮いている感じだったわ。

 

 それでね。隣を通り過ぎようとした時に、その人が私に声をかけてきたの。

 

「あの子がとても大切にしている『お友達』が、捨てられてしまうかもしれないの。だから、私の代わりにあなたがこれを届けてあげてくれないかしら?」

 

 知らない人から突然そんなこと言われても困っちゃうわよね?

 だから私は首を横に振って、できるだけ気にしないようにして通り過ぎようと思っていたんだけど――すれ違ってしばらくしてから、その人が私の名前を呼んだのよ。エイスリン、って。

 さすがに思わず振り返っちゃった。そしたらその人……とっても不思議なんだけど、さっきまで立っていた場所にはもういなくて。代わりに、ぽつんとお人形さんだけが置いてあったの。

 放っておいても良かったのかもしれない。でもどうしてかそういう気分にはなれなくてね。ママに相談してみようと思って持って返ったんだけど……。

 ママは私が抱えて帰ってきたその人形を見て、涙を流しながらこう言ったのよね。

 

「おかえりなさい――マリーちゃん」って。

 

 それが過去に無くしたはずのママのお友達のお人形さんで、名前がマリーちゃんだって知ったのはそれから少し経ってからだったかな。

 思えば、あの女の人って――もしかしたらひいお祖母ちゃんだったんじゃないかなって、そのお人形(マリーちゃん)を見ると今でも時々考えちゃうのよね。

 

 

「マリーちゃん……」

「マリーちゃんねぇ」

「エイちゃん、ちなみに今そのマリーちゃんは――」

「ソコニイルヨ?」

 

 にこやかにそう言いながら、人差し指で示す方角――そこには、京太郎君改め()()()()()()が、座布団の上に胡坐をかいて座っていた。

 その格好は京太郎君としては通常運行でも、さすがにマリーちゃんとしてははしたなさ過ぎる。注意すべきかせざるべきか、問題が複雑高度すぎて私の頭はもはや匙を月面に届くほどの高さまで放り投げてしまっていた。

 

「た、たまたま名前(仮)が一緒なだけだから……」

「ウウン、ミタメモスゴクニテルノ。ビックリシチャッタ」

「っそんなオカルト有り得ませんっ!」

 

 妙に甲高い裏声で原村さんの決め台詞を叫ぶマリーちゃん。普通に女の子に聞こえるのが不思議でならないんだけど……こーこちゃん曰く、男の子ってそういう特技みたいなのを何故か持っているものらしい。

 いずれ会社の宴会芸とかで使うんだろうか。謎過ぎる。

 

「いやぁ……偶然って怖いね」

「……そうだね」

 

 ちなみに、実際のマリーちゃん(人形)は今でもエイスリンのお部屋にきちんと飾り付けてあるらしい。もちろん裏声で叫んだり、勝手に動き出したりはしないそうだ。

 

 

 ――三周目。

 

○岩手県在住、S.Kさんの十八番目のお話

 

 私の名前。白望(しろみ)だっていうのは須賀くん以外は多分知ってると思うけど。

 白望山って名前の山が岩手県にあるのは知ってる? そう、遠野物語に出てくる迷い家があるって言われてる山だけど。地図上だと白に見る山って書くらしいね。

 これは、どうして私が白望って名づけられたのかっていう話……なのかな。

 

 父さんたちがまだ結婚をしてなくて、普通に交際してた頃にハイキングか何かで白望山のほうへ行った事があるらしいんだけど。

 その時に道に迷ったらしいんだ。

 散々迷った挙句に森の中で古い民家に辿り着いて、誰もいなかったけど生活用品一式はきちんと揃ってたらしくて。背に腹は変えられないから、一晩そこで過ごしたんだって。

 

 ……余談だけど、動物って生命の危機に瀕すると子孫を残そうとする本能っていうのが強く働きかけてくるんだってね。何がとは言わないけどさ。

 

 で、何事も無く無事に朝が来て、その民家を掃除してから麓に戻るために森の中を歩き出したら、不思議なくらいすぐ麓の村が見えてきて。二人とも無事に下山できたって話。

 たぶんあれが伝承とかに出てくるマヨヒガだったんだろうって二人して言ってるんだけど。本当にそうならもっと良いものを持って帰ってくれば良かったのに。

 ああ、なんでも私が生まれる一年前くらいのことらしいよ。ダルいからあんま聞きたくないんだけど、父さんも酔っ払うとすぐ同じ話をするからさ……。

 

「ええっと、それってつまり……」

「その時に出来たのがシロだった、ってこと……だよね?」

「なるほど。つまりシロのご両親がマヨヒガから持って帰ってきたものがその時に授かった子供――つまりシロってことになるのか」

「あの人たちの言い分からするとそうらしいね。自分の生誕秘話を聞かされる子供の身にもなって欲しいっての……」

 

 慣れない話題に少しだけ頬が赤くなるのを自覚しつつも、なんとなく思ったこと。

 マヨヒガから持ちかえったものは持ち主に幸福を齎すことができるらしい。それならば、小瀬川さんが持っている不可思議な能力にも納得がいくというものである、と。

 

 

 ――四週目。

 

○岩手県在住、S.Uさんの二十九番目のお話

 

 じゃあちょっと短めなので。

 岩手に限った話じゃないと思うんだけど、例えば山道の道端なんかにぽつんと地蔵が一体だけ祀られてたりするじゃない?

 ああいうのって、だいたいはその場所で昔誰かが事故か何かで亡くなったりして、その鎮魂のために置いてあるっていうのが主な理由だと思うんだ。

 でも、中にはそうじゃないものもあるんだよね。

 

 ――例えば、北を向いているお地蔵さま。地蔵っていうのは南を向いて建っていることがほとんどなのに、何故真反対の方角を向いているのか?

 これはね、特別祀っておきたい建物だとか、その方角に曰くつきの『何か』がある場合が多いんだって。安らかな死者の眠りを見守っているとか、見張っているとか、そういう感じなのかな。

 お地蔵さんの視線そのものがなんていうか、特別な力を持ってるって事なんだろうと思うんだけど――。

 

 じゃあ、首を落とされているお地蔵さんはどうしてそうなっているんだろう?

 諸説はあるけど、そのお地蔵さんはどうやら誰かにそのお役目を奪われたってことらしいのよ。お地蔵さんに見張られていたら都合が悪いことがあるから、その首ごと落としちゃおうって。

 だからね……もしも旅先なんかで不自然な方向を向いている首の落ちたお地蔵様を見かけたときは、気をつけておいたほうが良いと思うよ。

 

 その先に封じられていた、その場所から動いてはいけないはずの『何か』が、あなたの後に付いて来てるかも知れないから。

 

 

 クスクス、と。臼沢さんの話が終わってから間を置いて、柔らかい笑い声を上げた子が一人いた。

 全員の視線がその子に集まっていく。漆黒の帽子から目じりの上がった赤い瞳を覗かせる――姉帯さんへと。

 いつもは朗らかに笑う彼女にしては珍しい、かみ殺したような笑い声。ただ、その表情は何故だか笑っていながらにして笑っていない、そんな風に感じられた。

 

「ど、どうしたのトヨネ。今の話、どこか面白かった?」

「ううん、そういうわけじゃないんだけどー……ふふっ、そうだね。私は北を向いてるお地蔵様ってきっと意地悪してるんだと思うんだ。首を落とされちゃっても仕方がないよね」

「意地悪って、どうしてそう思うの?」

「だってそうじゃない? 外に出たがっている『私』(ダレカ)を無理やり結界で閉じ込めようとしてるなんて――あっ、ううん、ゴメンさえ。今のはなんでもないよ、気にしないで」

「そ、そう……?」

 

 彼女が一体何を言いたかったのか。結局それは分からぬままに。

 えへへといつもの調子で笑うその可愛らしさに毒気を抜かれてしまった私たちは、顔を見合わせて首を捻ることしか出来なかった。

 

 

 四週目に臼沢さんが抜けた後、ここでちょっとした異変が起こってしまった。まぁ異変というか、普通にコクリコクリと舟をこぎ始めた人物が一人いたというだけの話なんだけど。

 その人物は、京太郎君の隣にいた鹿倉さんである。

 

 三周目あたりから様子がおかしいなぁとは思っていたんだけど、四周目が終わった時点で時刻は既に深夜の二時を過ぎていて、三時になろうとしていた。頑張っていたもののさすがに眠気に耐えられなくなったのか、こてんと京太郎君のほうへと倒れこんでしまい、膝枕っぽい形のままスヤスヤと眠りに就いてしまったのだ。

 あらかじめ用意してあった布団にお姫様抱っこで運ばれて行った彼女はここでリタイアということになる。

(女装中とはいえ)京太郎君の膝枕とかお姫様抱っことか、色々と思うところが無いわけではないけれども……見た目相応の素朴な寝顔を見てしまえば、文句をいうのは大人気ないと自制せざるを得なかった。

 

 

 ――五周目。

 

○長野県在住、Mさん(仮)の三十一番目のお話

 

 創作でも良いんですかね? ええ、はい。ま、この話は作り話だということを最初に言っておきます。

 

 とある大学生の二人がドライブをしていた時の話です。造られてまだ間もない新しいトンネルに差し掛かった時、ふと運転をしていたAさん(仮)がこんなことを言いました。

 

「新しい怪談話を作ってさ、それがもし色々な所で広まって、まるで本当にあった出来事みたいに話されるようになったら面白いと思わない?」

 

 助手席に乗っていたBさん(仮)もその話に便乗して、じゃあこのトンネルで幽霊が出るっていう感じの話を作ってみよう、と言うことになったそうで。

 でも、最近の工法だとトンネル作業中に人身事故が起こるようなことってまずないですよね?

 だから背景に納得のいくようなものを仕込もうにも、どうにも薄っぺらくなってしまう。昔の時代に作られたようなトンネルならともかく、新築のトンネルにリアリティを追求するのがそもそも無理なんだと気づいた二人はそれ以上無駄なことをするのを止めて別の話に夢中になっていたそうです。

 

 トンネルの出口に差し掛かった頃、ふとAさんが言いました。そういえば、こんな話を知っている? と。

 このトンネルの北側の出入り口から数えて十三番目の照明だけ、なぜだか明かりが灯っていないことがあるのだと。

 電灯の不備というわけではなくて、次の日に通ったら普通に点灯している。何故だか夜のとある時間帯にだけ、その照明は消えてしまうらしい。その時にその照明の下に立って上を見上げると――聞こえてはいけない声が足元から聞こえるのだと。

 

 その話を聞かされたBさんは、いかにもなその『作り話』を一笑に付したそうです。だって、さっきの会話の流れでいきなりそんな話をされても普通信じたりしませんからね。

 実際にそれはAさんが即興で考えた単なる作り話以外の何者でもなかったわけですが……。

 

 また別の日、そのトンネルを今度は自転車で通り抜けることになったBさんが、ちょうど北側の入り口付近に差し掛かったとき、そのことを思い出してしまいました。

 さすがにあんなあからさまな作り話を信じるわけも無く、普通に通り過ぎようとして――ふと、何気なく上を見てみたそうです。すると、なぜかその一部分だけ明かりが明滅していて、今にも消えそうになっているじゃありませんか。

 とっさに数えてみれば、その消えかけている照明は入り口から数えてちょうど十三番目。

 そうこうしているうちに明かりは完全に消え、Aさんが作り上げようとしていた作り話の怪談とまったく同じような状況に置かれてしまったBさん。

 

 それは好奇心だったのか? それともよりリアルな怪談話として改変しようと企んだのか。

 

 Bさんはその心が赴くままに消えてしまった照明の下に立って上を見上げ――ふと、そこであることに気が付いてしまったんです。それは――。

 

 

「……それで、続きは?」

「え? いや、この話はここでおしまいですよ」

「えー!? マリーちゃん、それはないわぁ……Bさんが何に気が付いたのか分からないままじゃん!」

「不完全燃焼すぎる」

「ええ、そう言われても……これってそういう話ですし」

 

 大ブーイングである。

 

「……マリーちゃん。最初に作り話だって断ったのは何か意味があったの?」

「これって友達(ダチ)から聞いた話なんですけど、どうも最初にそう付けておかないとこの話は他人に語ったらダメなんだそうです。どうしてなのかは聞いても教えてくれないんすけど」

 

 ああだこうだと推論を交わしながら結末について話していたところ。

 別に呪われる系の話じゃないから細かいことはいいんじゃないですか? というその言葉で、けっきょく話が打ち切られる。

 

 

 怖がりな私と姉帯さんの話は言ってみれば凡作で、とても高評価を受けるような話にはならないため、ブーイングがあったとしても勝ち抜けたのはマリーちゃんということになってしまった。

 ちなみに熊倉先生はというと、語るほうが好きなのか、最初の周からずっとわざと評価が上がらないような無難な話を選んでいるような節がある。

 まぁ、だからといって残った三人の中で最高評価をあえて取らないというのは高難易度だと思われるから、よほどの事がない限り次に抜けるのは熊倉先生だと思われた。

 

 ――が。

 この時点でもう一人……というか数名が、抗えない眠気の誘惑に誘われるかのようにして意識を失ってしまった。

 該当者は、残されていたはずの姉帯さんと、既に抜けたことでダルさ満開だった小瀬川さん。それと私の隣で可愛らしく寝息を立て始めたエイスリンの計三名。

 姉帯さんとエイスリンはお互いに寄り添いあうようにして座った状態のまま、小瀬川さんは鹿倉さんがいなくなって空いたスペースをうまく使って器用に丸くなっている。

 

「あちゃー、これはちょっと続行は難しいかなぁ」

「素直にここまでにしておこう。これ以上は臼沢さんも京太郎君だって辛いでしょ?」

「私も地味に受験勉強の時とはまた違う感じの眠気が来てます……」

「正直だいぶ眠いっす」

「だよね」

 

 というわけで。熊倉先生が語った三十四番目のお話を最後に、さすがにここまで寝落ちが続出した状況で話を続けるのは難しいということで、この『季節外れ過ぎる百物語』企画は打ち切りとなった。

 まぁ、ここまでの話の中でも内容としては十分怖面白いものがあったから番組の企画的には問題はないだろう。

 それに――正直なところ、これ以上私には怖い話のネタストックが無かったから、直前で終わってくれたのは助かったしね。

 

 

 既に眠りについている子たちを敷いてあった布団に寝かせ、極力起こさないように配慮しながら脱ぎ散らかされたコスプレ衣装(犬耳とか帽子とかマントとか)やらロウソクやらの後片付けをする私とこーこちゃん。

 

「……あれ?」

「ん? どったの?」

「ううん。なんでも……」

 

 もう一度数えてみると……うん。やっぱり使用済みのロウソクが三十四本で、未使用のロウソクが四十七本ある。

 最初に配ったのは人数かける九本だから、全部で八十一本あればいいということだけど。実際にはもう一本、最後に使うことになっていた大きなロウソクがみんなで描いた円の中央に置かれていたはず。それが何故か、どこにも見当たらなかった。

 

「ねぇこーこちゃん。おっきなロウソクどこかに置いた?」

「んーや、触ってないよ」

「ホントに?」

「ホントだってば。なに、どうしたの?」

「あのね、あの大きなロウソクだけどこにも見当たらないんだけど……ちゃんとここに置いてあったのに」

 

 百物語を始める前にきちんと確認したはずだから、それは間違いない。

 自らの足で布団に向かった臼沢さんはともかくとして、自分から立ち上がることなくその場で眠りについてしまったあの子たちがそれを回収するのは不可能だろう。熊倉先生と京太郎君は部屋の中央に寄る事もせずに各々自分が眠る予定の部屋へと戻っていった。

 

 残るのは私かこーこちゃんかの二択ということになり、既にボケが始まっているならともかく、私自身には一切身に覚えのない事である。

 であれば、誰かが悪戯でどこかに隠したという場合に間違いなく犯人として浮上してくる容疑者は――福与恒子。彼女しかいない。

 ……のはずなんだけど。眉を顰めて訝しげな顔を隠そうともしていない素を曝け出した表情のまま、彼女はポツリと呟いた。

 

「……マジで?」

「大マジで」

「……」

 

 その顔はあくまで自分は知らないと言っているように見えるけど……よく考えてみて欲しい。今日は朝っぱらから散々騙されてきた私としては、そんなモノで簡単に納得できるわけがないのである。

 ジト目でじぃーっと見つめ続けていると、案の定というか、意外にもあっさりとお手上げと言った風に両手を挙げて苦笑しはじめた。

 

「ちぇっ、バレちゃったか。せっかく最後にすこやんを驚かせてやろうと思ったのにさー」

「もう、やっぱり……こーこちゃんのやりそうなことは丸分かりだよ」

「すこやんはからかうと面白いからね、ごめんごめん」

 

 あはは、と笑いながら手に持っていた狼耳やらキョンシーの帽子やらを放り投げて、こーこちゃんは空いている布団に潜り込んでしまう。

 

「あーあ……なんか疲れたし、後片付けとか明日にして私らも早く寝よう」

「心底疲れたっていうのは同意するけど……ま、いいか」

 

 ふと枕元の目覚まし時計を見てみれば、片付けをしている間にもう時刻は午前四時を回ってしまっている。

 明日は東京へ戻るだけの実質オフ日とはいえ、寝不足になるのはお肌にも精神的にも余りよろしくはない。こーこちゃんはまだ大丈夫かもしれないけど、私は一度肌が曲がってしまうと取り戻すのに時間がかかる。故に安眠という至高の時間を妨げられるわけにはいかないのだ。

 心の中でそんな言い訳をつらつらと並べたてながら、集めて束ねたロウソクを足元の箱の中に片付けてから、部屋の明かりを消す私。

 宛がわれている寝床へと戻るべく部屋を出て行くその間際、頭から潜り込んだ布団の中でこーこちゃんが「これはまたお蔵入りかなぁ」とぽそりと呟いた声が、何故だか妙に強く印象に残った。

 

 

 

○後日談的なもの(茨城県在住、S.Kさんの三十五番目のお話)

 

 ――後日。熊倉先生から電話がかかって来た時のこと。

 

「……え? ロウソクがどうかしたんですか?」

「それがねぇ……健夜ちゃんたちが泊まりに来た時に福与さんが探してたロウソクが見つかったから連絡しようとしたんだけど、携帯に繋がらなくて。健夜ちゃんのほうから見つかったって伝えておいてもらえないかい?」

「ええ、それは構いませんけど……あの、ちょっといいですか?」

「うん? なんだい?」

「そのロウソクって、もしかして……」

「ああ、福与さんが百物語の最後の一本にってわざわざ別で用意してたあの大きなロウソクだよ。あの子が言うにはいつの間にか無くなってたらしいんだけど、それがね、ちょっとおかしなことに――」

 

 熊倉先生に伺ったその話では、最後のロウソクは何故か全体の三分の一近くが使用済みの溶けた状態で、仏壇に供えられるようにして置いてあったという。

 

 こーこちゃんにしては手の込んだ悪戯だなぁ、なんて思いつつ――ふと、あの日一番初めに聞いた“一話目”の冒頭を思い出す。

 業界では、映ってはいけないものが映ってしまった時には自主規制でマスターテープごとお蔵入りになるという話。今思えば、あのこーこちゃんがあっさりと自白するのもおかしな話だ。

 

 ……じゃあ、あの時彼女がぽそりと呟いていた『お蔵入り』の意味って……?

 

 肝試しや怪談話の類は夏にやるもの――というのが常識となっているのは何故なのかという疑問の答えを、身を持って知ることになったとある秋の日の出来事であった。




二話に分けられない事情から中盤がちょっと間延びして中途半端になってしまいました。要反省……。
次回『第18局:迷家@少年が持ち帰る富貴のカケラ』。ご期待くださいませ


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第18局:迷家@少年が持ち帰る富貴のカケラ

『……』

 

 ふと。暗闇に沈んでいたはずの頭の中に光が灯る。

 意識が眠りの底から覚めたのだという認識はきちんと自分でも持っているつもりではあるものの、それでいて瞼を持ち上げられるほど甚大な決意はいまだ夢の中でアゲハ蝶よろしく彷徨っているらしく、自らの意思で光を取り入れるまでには到らない。

 有り体に言ってしまえば――すこぶる眠かった。中途半端に覚醒してしまった自分が憎く思えてしまう程度には。

 もう少しだけでもいいから、眠りに就いていたんだという確固たる証が欲しい。

 自分の体温で温もっている布団の、なんともいえない柔らかな春の日差しにも似た心地よさを満喫しつつ。そんなことを思いながら再び意識を手放すべく努力を試みる。

 

「……さい」

 

 うっすらと聞こえてくるのはお母さんの声だろうか?

 お仕事がお休みの日に昼過ぎまで寝過ごしてしまった私をいつも起こしてくれるのはお母さんだし、声の柔らかさもよく似ているような気がするし。たぶんそうだろう。

 でも、何かこう……どことなく違和感を覚えてしまうような……?

 

「……てください」

「んー……もうちょっとだけ寝させて……んっ、昨日遅くて……」

「――やべぇ、なんか色っぽ……っていやいや、さすがにまずい。起きてください――」

 

 ……うん? お母さん今何か言った?

 ふわふわとしている意識の中で、何かが隅っこのほうに引っかかったような気がする。えっと、なんだったっけ……?

 ……まぁいいか。とりあえずあと五分だけ。いや十分だけでいいから今はただ黙って眠らせて欲しい。

 

「って時間増えてんじゃないすか。はぁ……十分経ったらまた来ますからね?」

「うん……ありがとー……おかーさん……zzzz」

 

 いつもと比べてやけに物分りが良い気もするけれど。とにかくこれで眠りを妨げる者はいなくなったということだ。

 せめて許された十分間だけでも快適な眠りに身を委ねるため、私は即座に意識を闇の中へと放り投げた。

 

 

 二度寝というのはどうしてああ気持ちが良いんだろうね。

 たかが十分、されど十分。この差は如何ともし難い程のスッキリ具合を伴って、目覚め後の世界を受け入れやすくしてくれる。

 それが言い訳になるとは思っていないものの、十分後にきっちりとこーこちゃんによって叩き起こされた私は早々に着替えを済ませ、顔を洗ってから熊倉先生が手ずから用意してくれた朝ごはんを食べていた。

 

「ところでこーこちゃん。最初の時によく二度寝を許してくれたね?」

 

 私はてっきり問答無用で叩き起こされると思ってたんだけど。さすがに普段の行いを省みてのことなのか、多少の睡眠時間を確保してくれるくらいの仏心は持ち合わせていたということか。

 だけど、私がそう言うとこーこちゃんは何故かバツが悪そうに視線を逸らして苦笑した。

 

「いやー、最初に起こしに行ったのって私じゃなかったんだよねぇ」

「……うん? もしかして宮守の子達に頼んだの? じゃあれってエイちゃんだったのかな」

 

 そういえば寝ぼけ眼の向こう側にうっすらと見えたのは金色の髪だったような気もする。

 あれがエイスリンだったとしたら、懐いてくれている子に対してちょっと大人として情けない所を見せてしまったような、切ない気分に……。

 ……あれ、ちょっと待って。確かこのお家にはいま、もう一人金髪の子がいたような……?

 ギギギと錆付いた扉を開く時のような擬音を背景に、不安に彩られていく表情そのままこーこちゃんへと向き直る。

 

「ん。なんか暇そうだったからマリーちゃんに行ってもらっちった☆ えへ☆」

 

 ――ピシリ。音を立てて箸を持ったままの身体が綺麗に固まった。

 

 てことは何? 寝ぼけてるところも寝顔も寝相が乱れてるところも全部見られちゃったってこと……?

 え? 京太郎君に? ウソでしょ?

 

「まぁまぁ。いちおうウィッグ被って行ってもらったし、マリーちゃんの枠内でのことだからね。セーフセーフ」

「せっ、セセセセセセセーフなわけないじゃん!? 何考えてんの!? 馬鹿なの!?」

「どうどう、ちょっと落ち着きなってば。中学生じゃないんだから」

「これで落ち着いていられるなら彼氏いない歴イコール年齢なんてやってないよっ!」

「ちょ、すこやん。テンパリ過ぎて物凄いことカミングアウトしたからね、今」

 

 何その凄いことって――ハッ!?

 

「あ、あわわわわわ……」

「むぅ……可愛いけどあざとい。あざといけど可愛い。どうしてくれようかこのアラフォーめが」

 

 アラサーだよっ! といういつものツッコミを入れるのをついつい忘れてしまうほど、この時の私の脳みそはほぼパンク状態だったといっていい。

 なんとか落ち着きを取り戻してもそもそとご飯を食べ終わった頃には、まだ起きたばかりだというのに既に干乾びた老婆の如く疲れ果てていた。

 

 

 歯磨きを済ませ、シャワーを借りる許可を家主に求めるため熊倉先生がいるとの情報を元に台所に赴くと、そこに最大級の核地雷も一緒に置いてあった。

 

「おや健夜ちゃん。朝ご飯はもう食べ終わったの?」

「――あ。おはようございます、師匠」

「う゛え゛!? あ、う、うん……その、オハヨウゴザイマス……」

 

 さっきの今だとさすがにバツが悪すぎる。

 肩身をちぢ込ませてもじもじしていると、呆れ顔の熊倉先生がこれ見よがしにため息を一つ。

 

「まったく。貴方もいい年なんだから一回りも下の男の子に寝ているところを見られたくらいで動揺しすぎじゃないかねぇ。まぁ、あれだけ寝相が悪いと師匠としては格好が付かないってのは確かにそうかもしれないけど」

「うっ……」

「ほら。京太郎もなんとか言っておやり。そもそもの原因なんだから」

「ちょ――トシさん、そこで俺に振るのはやめてもらえませんかね!?」

 

 慌てている京太郎君の態度を見るにつけ、やっぱりよほど見苦しいものがあったんだろうと顔が青くなっていく。

 師匠としては当然のこと、大人の女性としてもそこは保っておきたい矜持というか威厳というか体面というか、そういうものがこれまでは紙一重で守られていたはずなのに……って、いつの間にかお互いに名前で呼び合ってるんだけど。この二人、いつの間にそんな親しい感じになったんだろう。

 昨晩までは確か普通に須賀くん熊倉先生と呼び合っていなかったっけ?

 

「おやおや、そんなポカンとした顔をするなんて珍しいね。京太郎は健夜ちゃんの弟子。なら私にとっては孫みたいなものでしょう」

「孫っすか」

 

 年齢的にはたしかに適齢かもしれないけど、孫っていうのはどうなんだろうか? それだと京太郎君は私の息子ということになると思うんだけど。戦国時代の頃ならともかく、現代において二十七歳の身空で高校一年生の息子を持てば妊娠した時点でニュースになること請け合いである。

 って、現実逃避をしていても仕方がないか。どちらにしろ失ったと思われる威厳や尊敬を挽回しておかなければ後の指導にも響きかねないし。

 弁明……にはならないにしても、きちんと話をしておかなければ。

 

「あ、あのね……ゴメンね、寝ぼけて変なところ見せちゃって……」

「こっちこそすみませんでした。福与アナにどうしてもって頼まれたとはいえ、女性の寝室に勝手に入るような真似を……」

「ううん。起こしに来てくれたんだから、それはいいよ。でも、出来れば前もって言っておいてもらえると……」

「そ、そうっすね。次からはそうします――って次なんてないっすよね! あは、あははははは……」

 

 お互いにからからと乾いた笑いを交わす。暗黙の了解というか、あれは無かったことにしようと二人の間で交渉が纏まった瞬間だった。

 

 

 お風呂から上がって身支度を整えてから居間の隣の大部屋へ向かうと、そこには宮守の子たちが群れを成して集まっていた。

 全員がテーブルを囲いつつ、一冊のノートを前にああだこうだと議論を戦わせているところのようだ。

 はて。全員揃って受験勉強でもやっているんだろうか?

 

「あ、小鍛治プロ。おはようございます」

「「「おはよーございます」」」

「オハヨウ、スコヤ」

「うん。みんなおはよう」

 

 きちんと挨拶ができる子ってやっぱりいいよね。うん。

 

「みんなで集まって勉強?」

「いえ、これは――あー、一応これって小鍛治プロに断っておいたほうが良いのかな?」

「師匠だし、そのほうがいいかも」

 

 こそこそと話しているようだけど、距離がさほど離れていないから会話の内容は丸聞こえだった。

 師匠という単語が聞こえてきたということは、京太郎君がらみの案件と考えて間違いは無いだろう。

 

「実は、昨日の対局で私たちが気づいた所とか思ったことをノートに纏めて須賀くんに渡してあげようかと思いまして。あと牌譜も」

「変な期待背負わせちゃったし、少しでも役に立てたらいいかなって!」

「餞別みたいなもの……かな」

「へぇ」

 

 そんな素敵なものをお土産に持たせてくれるというなら、願ってもない申し出である。

 いろいろな方面からの指摘は助かる部分も多い。もちろんきちんと書かれている情報を取捨選択して混乱を助長しないよう務める必要はあるだろうけど、彼女らの心遣いを受け取らない理由なんて何処にも無いのだし。

 熊倉先生にしてもそうだけど、なかなかどうして。彼は人に愛される才能でも持っているんだろうか?

 

「渡してあげても良いですか?」

「そういうことなら。うん、ぜひ渡してあげて」

「ありがとうございますっ! 須賀くん喜んでくれるといいなー」

 

 心配しなくても、喜ばないわけが無いと思う。昨日初めて顔を合わせた、全国大会で敵同士だったはずの子たちが、自分のためにまさかそこまでしてくれるなんて彼はきっと思ってもいないだろうから。

 

「あ、そうだ。実はそれとは別件で小鍛治プロに聞いてみたい事が一つあったんですけど、いまお時間大丈夫ですか?」

「――うん? 時間は特に問題ないけど……なにかな?」

 

 エイスリンから差し出された座布団に座って、半円を描くように集まった全員に向けて承諾の意を返す。

 代表で話をはじめた臼沢さんの言うところでは、

 

 このメンバーの中で、あるいは今すぐにでもプロ入りして活躍できる子はいるのか否か?

 

 つまりこういうことらしい。

 もちろん正直に話してあげたほうが良いんだろうけど……何かしらこうポキッと折れたりはしないだろうか。それだけが心配だ。

 

「うーん……難しい質問だね。答える前に聞いておきたいんだけど、みんなの中にプロ志望の子はいるの?」

「私と胡桃は大学進学組ですね。シロはまだ進学か就職かで悩んでる最中で、トヨネとエイスリンは――」

「私は大学に行ってみたいかなー、って思ってて。村からの返事次第なところがあるんですけど」

「エイちゃんは?」

『私は……どっちにしろ一度年内にあっちに帰らないといけないと思うし。みんなと離れ離れになるのは寂しいけど、パパもママも心配してるだろうから。でも地元とこっちとどっちの大学も受けておこうかなって思ってるの。サエたちと一緒にキャンパスライフっていうのもとっても楽しそうだものね』

「なるほど。いちおう全員進学が前提でプロ入りはほとんど考えてないってことなのね」

 

 ふむ、それならばまぁある程度真実を語ってあげても大丈夫か。

 半ば好奇心的な感情に突き動かされているであろう五人の受験生を前に、一プロ雀士としての見解を示すのであればとこちらはきちんと姿勢を正す。

 

「高校卒業後にドラフトにかかって即プロ入りできる程の子って、一年に五人いるかいないかくらいだと思ってもらって構わないよ。今年の三年生で言えば、文句なしなのは白糸台の宮永さんと臨海女子の辻垣内さん。あとは――新道寺女子の白水さん、将来性を買うって意味だと千里山女子の園城寺さんあたりになるかな? でも園城寺さんはメディカルチェックで引っかかりそうだから今年は無理かもしれないけど」

 

 という前置きをしておいて。

 その中に名前が挙がらなかった面々に関しては、当然ながら一部リーグで上位指名される程の実力を有する選手はいないということになる。

 

 もちろん例外もいるから必ずしもこの限りではないけれども。

 例えば地元密着型の花形選手としてそこそこの活躍が期待できる姫松の愛宕さんだとか千里山の江口さんなんかはその一例で、マスコット的な意味で広島の佐々野さんあたりはチーム方針に則って指名を受ける場合もあるだろう。地元出身の選手はやっぱり愛され方が違うから、抱えておいて損は無いという事情もある。

 

 ――で、本題の宮守女子の子たちに限って言えば。三年生時のみの出場に留まり、かつ二回戦敗退だったこと等から全体的に評価を下すための情報が少なすぎるという点がある。熊倉先生のコネを使うというのでもなければ、よほど付き抜けた評価を得られるだけの下地でも無いと即お呼びがかかるというのは難しい側面もあるんじゃないかな。

 

 個別で見ていくと、臼沢さんと鹿倉さんは、本人たちの望んでいる通り大学に入ってまずはインカレを目指して腕を磨くべきだと思う。即戦力というには基礎の部分が少し弱いところがあるし、こう言っては何だけどプレイに関しても決して華があるタイプではないから余計に目に付き辛いということもある。

 二人のことは個人的にはとても評価しているけれど、いざプロの舞台へ――となると、残念だけど成功している未来はまだ見えない。

 

 エイスリンは、麻雀の腕前としてはまだまだ未熟な部分がたくさんあるから、今後続けていくにしてももう少し熟成するための時間が必要となるだろう。そして、それを行うのはプロという舞台ではなくその下のカテゴリー、つまり大学リーグや実業団リーグが担うべき役割だ。

 あと、本人も言っている通り地元のニュージーランドへ戻ってから考えるべき事がたくさんあるだろうし、まだプロを意識する段階には及んですらいないという感じかな。

 

 結論としては、この三名に関しては即プロの門が叩けるかと問われればはっきりと無理と答えるしかないということになるか。

 そもそもプロ制度に登録人数の枠指定がある以上、選手の枠も使える予算も限られている昨今、どのチームであってもあれもこれもと人を増やして育成するだけの余裕はないのである。

 いやまぁ、胸を張っていうのは虚しくなるような切ない裏事情だけどさ。特にうちのような弱小チームになるとけっこう切実な問題なんだよね……。

 

 

「はぁ~、やっぱまだまだ実力不足か……分かってたことだけど」

「そうだね。でもさ、小鍛治プロが評価してくれてるっていうのは素直に嬉しいよね」

「うん。これが社交辞令とかそういう類のやつじゃなければ、だけど……違いますよね?」

「もちろん。っていうか私、こういう時はウソとか付けないんだ。だからばっさり斬り捨てちゃって涙目になる子も多いみたいで……嫌な気持ちにさせちゃってたらごめんね」

「あ、それは大丈夫です。熊倉先生からもすぐにプロっていうのはさすがに厳しいだろうとは言われてたし」

「ワタシモ。デモ、マージャンハツヅケルツモリ」

「私ももちろんそうだよ! ……で、名前がまだ挙がってないあとの二人は、もしかして!?」

 

 鹿倉さんがどこか期待に瞳を輝かせながら身を乗り出してくる。

 残りの二人といえば、個人戦上位組の小瀬川さんと姉帯さん。宮守女子の中でも特に異質な打ち手の二人だけに、そこにかかる期待も大きいのだろう。

 

 小瀬川さんについては、麻雀の腕前的にはもう一歩といったところか。ここ数年でプロになった同じような高卒ルーキーたちの中でならば及第点はあげられるけれど、中堅勢レベルのプロの中だと埋もれてしまう危険性もある。上で例に挙げた同期の二人、宮永照と辻垣内智葉と比べると高校時代の実績も圧倒的に少ない。

 ――なにより、プロの生活というのはわりと規律に縛られていたりして何かと面倒な事が多いもの。極度の面倒くさがりの彼女をして、それに耐えられるのかという懸念もあったりするのがね。

 

「あー……」

「ていうかさ、シロは一人暮らしでやっていけるの?」

「大丈夫でしょ。何処に行ったってコンビニくらいあるし、最近はネット通販もあるから」

「三食弁当買うの前提!?」

「ご飯作るのも食べた後で食器片付けるのもダルいし……」

「その気持ちは分からなくもないけどさ……」

「ブンメイノリキ!」

「エイスリンさん、それはちょっと違うかなー」

 

 本当の片田舎になれば最寄のコンビニまで車で三十分とか普通にあるんだけどね。

 まぁそんな環境にプロチームがあるかと言われたらまず無いから指摘するだけ無駄なんだけど。

 そんなことを思いつつ、最後に残された一人を見てみれば。

 

「ドキドキ……」

 

 自ら擬音を口ずさみながら、ちょこんと正座して私の言葉を待っている。

 どうしてこの子はこう、一つ一つの動作が妙に可愛らしいというか、思わず頭を撫でてあげたくなるのだろう?

 一人で勝手にそんな誘惑に抗いながら、コホンと咳払いをする。

 

「――で、姉帯さんだけど」

「はっ、はいっ!」

「本当はね。こんなことを勝手に私が言っていいわけがないんだけど……」

 

 ここまで言っておきながら、最後の科白が出てこない。

 だってそれは、彼女の今後の人生そのものを左右させてしまうかもしれないほどの重要なことだから。

 私個人の案件ならばともかく、チームが絡んでくることでもある。正式な手続きを踏むこともせずに、その場の勢いやノリのまま言ってしまっていいものか……。

 でも、ああ……この期待に満ちた瞳の輝きから逃れる術を私は持っていなかった。

 

「あのね、たぶん姉帯さんにはどこかのチームからオファーが来ると思うんだ。もしかしたらもう来てて、熊倉先生が村のほうと交渉をしてるのかもしれない。そのあたりは私にはちょっとよく分からないんだけど、それは間違いないと思うの」

 

 姉帯さんには、おそらくここ二・三年を目処に強化を目指す、いわば育成枠で獲得を打診するチームが必ず一つはあるはずだ。特異能力を有する打ち手は注目を浴びる場合が多いというのを差し引いても、彼女が持っている六つもの異なる性質を有する特異能力というのは、実はかなり珍しい。

 

 故に、その将来性を買う形で比較的資金に余裕のある横浜だとか、あるいは高齢な打ち手の多い名古屋あたりも獲得に動いていそうなチームの候補に入ると思われる。

 特に横浜には咏ちゃんがいる。あの試合をテレビででも見ていたら、特異能力に関してある程度の知識を持つ彼女に目を付けられていても何ら不思議ではないだろう。

 

 どちらにしても、郷里の岩手を離れることになるのは確実で。だからこそ熊倉先生は話を持ってくるのも慎重になっているはず。

 私がここでこんな期待を持たせる様な事を言ってしまうのは反則かもしれないけれど、そうしたいと思うだけの理由も、確かに私の中には存在していた。たとえその先に続く科白をここで紡ぐ事が出来なかったとしても。

 

「私がプロに……?」

「おお……さすがトヨネ。お墨付きだ」

「やったねトヨネ!」

「う、うん。でも実感が沸かないっていうかー……わ、私なんかで本当にプロになれますかっ!?」

「なれるよ。それは私が保証する。もちろん、この先もきちんと勉強と努力を欠かさないことは前提で。将来的には日本代表も視野に入れられるようになるかもしれないね」

「にっ……!? あ、あう」

 

 まぁそれはその時の監督とか環境次第な所もあるんだけど――と付け足して言う前に。ぶわっと、一気に溢れ出した大粒の涙が瞼を覆う。

 あああ、そんなになるなんて思わなかったから言っちゃったけど……まぁ、嬉し涙ならそれも構わないか。状況判断力に少々未熟な部分を感じるのは確かだけれども、将来性を秘めているのは事実だしね。

 

 大泣きし始めた姉帯さんを囲む宮守女子の面々を横目に、席を立つ。

 たとえ敵同士としてでも。いつかこの子たちが同じ舞台でまた戦えるようになると良いな――と。言うのはとても照れくさいので心の中でだけ呟いてから、こっそりと私はその場を後にした。

 

 

「おやまぁ。豊音を泣かすなんていけない子だね」

「――先生」

 

 そろそろ帰り支度と荷物の整理をしようと廊下に出たところで、熊倉先生と鉢合わせた。

 言葉とは裏腹に表情は笑顔。ということはおそらく、現時点で彼女に来ているオファーもなかなかに好条件ということなのか。それとも何か別に思惑があってのことなのか。

 

「でも、あれでいいのかい? 健夜ちゃんが豊音に言いたかったのはもっと別のことだったように思っていたけど?」

「あー……まぁ、いまの私にそんな権限なんて無いですから。話すにしても、一度は社長と条件を詰めてからでないと――ウチのチームは貧乏なので」

「男関係だけじゃなくてこんなところでまで奥手なのねぇ」

「放っておいてください!」

 

 冗談だと分かっているから良いものの、いつも一言多いんだから。

 

「って、相手とチームの両方に筋を通さないのはスカウトとして失格だって仰ったの、若い頃の先生ですよね?」

「ふふ、なんだ。覚えてたの」

「いくらなんでもそう簡単には忘れませんよ」

「筋を通すのはたしかに大切なことだけど。それで機を逃すようじゃスカウトとしては落第ね。臨機応変、時には我を押し通す強引さも必要なのよ」

 

 今回に限らず、男の子を落としたい時も同様にね――なんて言いながら、熊倉先生は去っていく。

 

「……それができれば私だってとっくの昔に結婚してると思うんだけどな。はぁ……」

 

 

 私の所属しているつくばのチームは、現在二部での戦いを強いられている。

 それは他所と比べると比較的歴史の浅いチームであることや、同県に一部の強豪チームが存在していることも関係しているかもしれない。

 資金繰りも厳しくて、つい数年前には潰れてしまう可能性すら浮上していた程である。

 私が入団したことでスポンサーもある程度付いてくれて、今でこそ何とか経営も持ち直しかけているところではあるけれど。実際に一部に昇格したとして、そこできっちりと成績を残せるだけの基盤があるかと問われると、正直心許ないと答えることしか出来ない。

 

 それでも、二部で燻っているのと一部の下位で鎬を削っているのとでは、集客なんかに大きな影響を及ぼす。あと出場可能なカップ戦の賞金額も文字通り桁が違うし。

 ひいてはそれが経営面にも響いてくるわけだから、とにかく一部に昇格しておきたいと願う二部のチームは多いのだ。

 

 そんな中で、今季の成績でいえば私たちは一部に昇格できる上位二枠の圏内を常にキープしてきている。残る約一ヶ月間の死闘を制すれば、晴れて昇格という日の目をみることだってできるだろう。

 無事に昇格できればすぐにドラフトがある。

 それでなくとも来季は格段に試合数が増えることになるし、そのぶんチームの枠も拡大しておかなければならないというのに、弱小ともいえる二部からの昇格チームに好んで加入してくれるような物好きはそうそうおらず、強化部としても指名先の目処が立たなくて困っているらしかった。

 

 即戦力になりうる、しかし給料は抑えられ、強豪チームのドラフトにかかるほどではない、かつ他所の中堅どころとの競合になりそうにない相手。ついでにいえば強豪からの指名でないとプロにはならない、なんて無駄にプライドが高くない子。

 改めてこう並べ立ててみると明らかに厳しい条件だと思うけど……私にはその心当たりが一人、ここに来て出来てしまった。

 

 ――姉帯豊音。

 彼女は実績が少ないこともあって宮永照のように注目を浴びることも無く、かといってポテンシャルという面においても実力不足ということはない。鼻っ柱が強いタイプでもないし、唯一条件に当てはまらなさそうなのが、他チームとの競合がないという点くらいのもの。とはいえ、これ以上条件に合致しそうな子が見つかるかといえば、今年に限ってはまず有り得ないと結論付けることが容易に出来てしまう。

 できれば彼女にはつくばのチームに来て欲しい。でも、私にはそれを口に出す勇気は無かった。

 

 だって考えても見て欲しい。

 競合相手がいるとして、それがたとえ中堅どころのチームだったとしても一部リーグのチームであることに変わりはない。資金繰りが厳しいうちのチームと比べると、どうしても条件面では比べるべくもない差が出てきてしまうのは避けられないことだろう。

 うちの条件が真っ当な基準から露骨に外れるようなことはさすがにないだろうけど、他所と比べると魅力がとても薄いことは一所属選手としても認めざるを得ないところだ。

 

 そんな中でも、熊倉先生と懇意であるという事情もあって、もしかすると私が声をかけたらあるいは彼女はそのオファーを快く受けてくれるかもしれない。手前味噌で申し訳ないけれども、かつて日本代表として知らしめた『小鍛治健夜』という名前にも、ある程度そういった付加価値くらいはあるだろうと思うから。

 

 ……でも。それが本当に姉帯豊音という雀士にとって正しい道なのかどうか、と言われると……。

 姉帯さんの持つ将来性は疑うまでもない。それをコネを使って安く買い叩くことに抵抗を覚えてしまうのは、元々スカウト畑でもない私が同じ雀士として抱く感情としては、至極当然の帰結だと思うのだ。

 

 

 その一方で、かつて高校卒業を前にして色々なチームから獲得のオファーが来た時、熊倉先生に相談したことがあるんだけど。その時あの人が私に向けた言葉を忘れているわけじゃない。

 

「悩むのは当然でしょう。でもね、最後に決めるのは健夜ちゃん自身。スカウトの仕事は自分たちに用意できる限りの最高の条件を誠意を持って相手に提示することだけ。それをどう受け取ってどう判断するのかは、貴方自身に委ねられているの。自分の人生なんだから、きちんと自分で選ぶのよ」

 

 枝葉の如くたくさんに枝分かれした将来を望む分岐路の前で、決断を下すのはあくまで自分自身であるということ。それはいつの世だって変わらない、子供と大人の境界線。

 あの子がいま、そのどちら側に所属しているのか。私自身がそれを測りかねているから迷うのだろうか?

 見縊(みくび)っているつもりはないんだけれど、思慮の結果としてそうなっているのなら……やっぱりどこか、私は傲慢なのかもしれない。

 そもそもオファーを受けてもらえるとは限らないんだし、熊倉先生の言う通り、希望を伝えるくらいはしておいてもいいのかな、うん……。

 

 荷物の整理を終えた頃になって、私はもう一度彼女たちが集まっている部屋へと向かう。ちょうど顔を覗かせたエイスリンを掴まえて、伝言を頼んでおいた。

 

「あ、エイちゃん。姉帯さんを呼んできてもらえない? うん、ちょっと話しておきたい事があってね――十分後くらいに。私の部屋で待ってるから、って」

 

 

 

 トントン、と。しばらくして扉を叩く音が聞こえてきて、私は手に持っていた携帯電話をポーチバッグの中に仕舞い込み、それを成した人物を部屋の中に迎え入れた。

 一応の承諾は得たし、準備は万端。後は仕上げを御覧じろといったところだろうか。

 

「あのー、お話っていうのは……」

「うん、ちょっとした交渉をね。座って」

 

 おずおすと入ってくるのは黒ずくめの少女。彼女は用意しておいた座布団に正座し、身を整えてから私と向かい合うようにして姿勢を正した。

 見るからに緊張している面持ちであって、向かい合っているだけで泣き出してしまうんじゃないかと思えるほどである。

 ……ああ、もしかして私自身も緊張しているのだろうか? 麻雀を打つ際に出るといういつもの不穏な雰囲気を纏っているのかもしれないと思い、肩の力を抜いてみた。

 

「さっきのプロ入りの話なんだけど。姉帯さんは、どこかここに入りたいっていう希望のチームみたいなのはあるのかな?」

「いえ、特にはないですっ」

「そ、そう。それじゃ――うん、単刀直入に言うね。姉帯豊音さん、来季から私たちのチームに入ってプロになるつもりはありませんか?」

「――っ! あの、あの、それって――」

「私はね、できれば貴方につくばに来てもらいたいって思ってるの。実力、将来性、スター性、あと人柄もかな。私が貴方を評価している部分を挙げたら限がないけど、そのどれを取っても一角の雀士になれる素養が貴方にはあると思う」

 

 大きく肩を震わせながら目を瞠る彼女の様子から、なんとなく理解する。この子はこの部屋に入ってきたその時からその科白を待っていたんだろう、と。

 期待と不安がない交ぜになった梅雨の空模様みたいだった表情が一転して、晴れ渡った秋の空のように澄み渡って行ったことがそれを如実に物語っていた。

 

「私でっ……私でも小鍛治プロのようになれますか!? みんながちょー凄いって思ってくれるようなプロ選手にっ!」

「かつての私と同じくらい活躍できる選手にってことなら、それは貴方の努力次第って答えることしかできないけど――姉帯さんが私をテレビで見た時に感じてくれたような思いを、また別の子供たちに与えられるようなスター選手になれるかどうかっていうことなら、約束する。貴方はそれだけの実力と魅力がある打ち手だって」

 

 プロというのは、当然のことながら実力至上主義であると同時に、スポンサーとの兼ね合いや協会の意向もあってエンターテイメントとしての部分がどうしても切り離せないものでもある。

 各チームの看板を背負う子たちを見てみれば分かると思うけど、だから選手にはある種の華やかさが必要だし、応援してくれている人たちに愛されるキャラクター性というのもけっこう大切になってくる。

 たった一日足らずの交流期間だったとはいえ、その間の動向を見るに姉帯さんはきっと誰もが愛さずにはいられない、そんなキャラになれる素養を持った子だと思った。

 それこそ見た目と言動のギャップが周囲のハートを鷲掴みで、私なんかよりもずっと愛される雀士になれるはず。

 

「ただ……他のチームからも声がかかってると思うし、条件面を考慮に入れてきちんと考えておいて欲しいんだ。ウチのチームは資金的にも余裕はなくて、来季は一部リーグに昇格できると思うんだけど、それもまだ確定しているわけじゃない。条件面で競えば私たちのチームは他所の足元にも及ばないと思うから……」

「は、はいっ」

「その上で、私たちつくばブリージングチキンズは正式に貴方に獲得の意思を伝えようと思います。条件はまた向こうに戻って詰める事になるから、あとで熊倉先生を通じて連絡をすることになると思うけど――って、ああ、泣かないで」

 

 ぽろぽろとこぼれ出した涙を拭おうともせず、ただ笑顔を浮かべ続ける彼女を前にして、本当にこれでよかったのかと疑問が胸の内を掠めていくように思えたものの。

 賽を振ったのは私自身。その結果がどう出るにせよ、その責任だけはきちんと受け止めなければならない。

 ハンカチで彼女の涙を拭いながら、できるだけのことはしようと心の中に決意を刻む。社長とやりあうのも久しぶりだけど、これもチームの未来のためなればとまぁなんとか押し切ろう。競合でくじ引きになったら私が引けばいいだけの話だしね。

 

 姉帯さんには、ドラフトまでの一ヵ月半ちょっとの時間できちんと考えて欲しいと伝えておいた。当初彼女が望んでいたように、大学への進学も含めて彼女には色々な選択肢がある。その場の勢いだけで決めてしまうには重い内容なわけだし、即断することだけはしないで欲しいと。

 その上で、色よい返事が貰えるならば私たちは貴方の加入を歓迎しますと。押しが弱いと言われてしまうかもしれないけれど、今の私に出来る精一杯の勧誘がそれだった。

 

 

 その後はまぁ、色々とあったんだけども。

 襖の向こう側で盗み聞きしていた宮守の子たちが乱入してきてお祭り騒ぎになってみたり、熊倉先生にさんざん冷やかされてみたりと。

 そんなことがありつつも、時計の針が九時を回り帰京への出発の時が近づいて、全員が玄関付近に集まり始める。

 

 時間にすればたった一日足らずのこの取材旅行だったけど、内容はけっこう充実したものだったと思う。それはもちろん私やこーこちゃんの取材陣にとってというだけではなくて、良い経験を得る事が出来た京太郎君についても言える事だ。

 なんだかんだで全員と仲良くなっているし。片岡さんから聞いた入部当初の下心満載な京太郎君だったらこうはいかなかったんだろうなぁと思うと、人と人との巡り合せというのはよく出来ていると感心してしまう程である。

 

 一通り別れの挨拶を済ませ、じゃあそろそろ――というところで、鹿倉さんが声を上げる。

 

「ちょっと待った! 須賀くん、これを持っていって」

「あれ? 鹿倉さん、それなんすか?」

「ふふ、よくぞ聞いてくれました! これはね――」

「――マヨヒガノート」

「……え?」

 

 鹿倉さんの言葉を遮ってぽそりと小瀬川さんが呟き、それを聞いた京太郎君が首をかしげる。それを少し離れた場所で聞いていた私も似たような行動を取ってしまった。

 確かいま彼女、マヨヒガノートって言ったよね?

 

「シロ?」

「昨日の夜に話したと思うけど、遠野物語に出てくる迷家の話。そこを訪れた人は、帰る時にその家のものを一つだけ何か持ち帰る事が出来るから」

「ああ、なるほど。それでマヨヒガノートか。面白いこと言うじゃん、シロ」

「ここは白望山じゃないけど、遠野地方であることは間違いないからねー。さすがシロ、ちょーピッタリな名前だと思うよっ」

「センスイイネ!」

 

 わいわいと賑やかす宮守女子ご一行様。でも、湿りきったお別れよりはこっちのほうがいいよね。

 

 落ち着いた頃を見計らって、全員の代表として鹿倉さんが一歩前に出た。

 こうして京太郎君と並ぶと背丈の違いが明白というか、とても彼女のほうが二歳年上だなんて思わないようなそんな差があるけれど。いま彼の前に立っている彼女はお姉さんらしくとてもいい表情をしている。

 

「はいこれ。シロ命名のマヨヒガノート。受け取ってくれるでしょ?」

「もちろんです! ありがとうございます、皆さん!」

「一年後……はちょっと厳しいかもだから、二年後かな? 須賀くんが全国大会で優勝できるように。その時に私たちはバラバラになって別の場所にいるかもしれないけど、みんな何処にいても君のことを応援してる。それはその証だと思ってその時まで大切にすること! いいね!」

「鹿倉さん……はいっ!」

 

 激励の言葉と共に手渡された、迷い家(マヨヒガ)に迷い込んだ無欲な人間だけが持ち帰ることを許される、富貴の証。

 京太郎君は宝物を扱うようにしてそれを腕の中に抱きながら。こうして私たち三人の宮守女子高校取材の旅行記は、一幕の終わりを迎えたのだった。

 

 

 宮守駅でホームにやって来た花巻方面行きの電車に乗り込む際、京太郎君は遠い岩手の山々を仰ぎながら、小さな声で呟いた。

 ここに連れて来てくれて――どうもありがとうございました、と。

 それがこーこちゃんに向けられていたものなのか、あるいは提案をしたという熊倉先生に向けられていたものなのか。それは分からなかったけれど。

 彼が向いているその方角には、言い伝えを残したかの白望山が聳え立つ。

 

 こうして一つ、成長のための糧を得た弟子の背中を少しだけ頼もしく思いながら見守りつつ。私も一つだけ富貴のカケラを手土産にして、古き伝承が多々残る遠野の里を後にした。




健夜さんがつくばでチーム“百鬼夜行”を結成すると聞いて。
まぁ今の所それは冗談ですが、何はともあれこれで宮守編は終了。次回からは白糸台編へと突入します。
次回、『第19局:姉妹@少女が求めたその一片(予定)』。ご期待くださいませ


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第四弾:西東京都代表・白糸台高校編
第19局:姉妹@少女が求めたその一片


「――小鍛治プロ」

 

 不意にそう呼び止められたのは、いつもの如くファミレスへと向かう途中のことだった。

 

 別番組の打ち合わせのため上京してきたのをどこで聞きつけたのか、仕事終わったらカラオケにでも行こうぜーと誘いをかけてきたこーこちゃん。

 週明け早々にこっちで宿泊したこともあり、私としては今回はこっちに泊まらずに実家へ戻るつもりだったんだけど、宿を貸してくれるというのでお言葉に甘えることにした。

 

 で、彼女の仕事は夕方にならないと終わらないとのことなので、二時間ほど暇を潰そうと行きつけのファミレスに向かうことにしたんだけど。

 声のしたほうを振り返ると、そこには長野辺りで見慣れてしまった彼女とよく似た、それでいて別の高校指定のブレザーを着ている少女が一人、立っていて。

 

「……宮永さん?」

「はい。白糸台高校三年、宮永照です」

 

 ――知っている。

 一昨年、去年と団体戦・個人戦と連覇を果たしていた白糸台高校の――いや、この世代における絶対的なエースといっても過言ではない存在、宮永照。

 

 彼女は東京在住なんだから、こうしてばったり会うというのは別に不思議なことでは無いと思われがちかもしれないけれど。白糸台高校といえば、東京の中でも地図的には中心だけど扱い的には西のほう――知らない人に分かり易く説明すると、いわゆる都心部と呼ばれる二十三区からは少し西側に外れた場所にあったはず。

 郊外と呼ぶほどには離れていない、だからといって何の用事もなしに訪れるようなことはほとんどない。そんな場所である。

 

 電車で一本乗り継げば新宿辺りに繋がっているため、その周辺で出没するというのはまぁ分からなくもない。ただ、高校生くらいの若者が平日の放課後にここ千代田区近辺にまで足を伸ばすというのは少し不思議というか、目的が見えてこないというか……まさかピンポイントで私に会いに来た、なんてことはこちらのスケジュールを把握している状況でも無ければ有り得ないだろうし、どういうことかと首を捻っていると。

 

「少しだけお時間宜しいでしょうか?」

「うん? えっと、時間は大丈夫だけど……どうしたの?」

「折り入って、小鍛治プロに相談――いえ、聞いて頂きたいことがあります」

「――?」

 

 じっとこちらを見つめる宮永さんの視線は、不思議なくらい淀んでいるように見える。

 それはあたかも進むべき道を見失ってしまった迷子が見せる心細さの象徴のようであり、それでいて決意という名の感情の発露を想起させるような、歪んだ力強さを感じさせるものでもあった。

 

 

 宮永照と宮永咲。同じ苗字を戴く血の繋がった姉妹にあって、その歴史と立場には大きな大きな隔たりがあった。

 その確執を生んだ直接の原因は六年以上前に遡るという話を何処かで聞いたことがあるものの、その中身というか、詳しい内容までを私は知らない。

 

 ただ、それからの二人はまるでお互いに姉妹の絆など無いように。姉は姉としての責務を放棄し、妹は成す術も無くただ状況に流され続けた。その結果、二人の間に開いてしまった溝はとても深いものになってしまっており、和解のための第一歩をお互いが踏み出した状況にあるとはいえ、一度の会話でそれらがすべて埋められるようなことは決してなかったという。

 

 かつては仲の良かった、血の繋がっている実の姉妹の中をそこまで拗らせる要因というのが何なのか。

 彼女はそれを明かさぬまま、淡々と現状だけを順序立てて説明してくれた。

 

「宮永さ……あ、妹さんのほうね。清澄の取材の時にあの子と話をしたけど、蟠りは無くなったんじゃなかったの?」

「……」

 

 肯定もせず、否定もせず。ただ能面のような表情で黙り込んだその姿をみるに、どうやら話はそう単純なものでもないらしい。

 方や一年生の頃から台頭し、一昨年・昨年と二連覇を果たした白糸台高校の不動のエースであり、誰もがその名を知っているであろう有名人。もう片方は高校一年生になるまでまったくの無名でありながら、誰もが歩みを止めることすら出来なかったその絶対王者(インハイチャンプ)を打ち倒してみせた新進気鋭の新王者。

 宮永姉妹といえば今では麻雀関係者の中に知らぬものはいないと言うほどの有名人だけど。その実、この素の表情を見たことのある人物がどれほどいるのだろうか?

 

「えっと……それで、私に聞いてもらいたい話っていうのは、妹さんのことで良いのかな?」

「――いえ。実は私、いま進路のことで少し悩んでいて」

「進路? あれ、宮永さんってプロ入りするんじゃなかったっけ?」

「……ええ、まあ」

 

 これまでの態度がウソのように、歯切れが悪くなる。

 この態度を見るに、悩んでいるというのはもしかしてプロ入りするのを止めて大学に行きたい、ということなのかな。

 しかし、それならばまず最初に相談すべきは両親か、次いで白糸台の監督、どちらかにすべきだと思うんだけど……そこで何故私なのかという疑問が浮かんでくる。

 

 私と彼女の間に個人的な付き合いなど皆無であり、去年だったかに一度だけ雑誌で対談したことはあったけれど、それもお仕事上のもの。インタビューが終わればお疲れ様でしたとその場で別れ、特別な会話をするといったようなことも無かったように記憶している。

 当然といえば当然のことを疑問に思っていると、無言のままテーブルの上に差し出されたのは一枚の名刺。そこには覚えのある人物の名前が記されており、少しだけ懐かしい気分にさせてくれるものだった。

 

「これって恵比寿のスカウトの――」

「進路に迷っているのなら相談してみたらどうか、と。小鍛治プロの時も、私と似たような状態だったと伺いました」

「ああ、うん。そういうことなら、なるほどね……」

 

 たしかにここ数年では有り得なかった程の逸材であり、大学リーグ内を含めても確実に一番の注目株と目される宮永さんには、おそらく既に色々なチームから獲得オファーが来ているはず。その中にかつて私が所属していた恵比寿や、一部リーグでは屈指の強豪クラブとされる横浜の名が挙がることは、ほぼ間違いないだろう。

 元々の地元である長野の佐久あたりも獲得に前向きだったりするのかな。たぶん本人は選ばないだろうとは思うけど。

 

 現在どこかのクラブに所属している人間が、こういった際にオファーを出しているクラブの名前を聞くのはマナー違反という風潮があるから具体的な名称は分からない。ただ、似たような状況を味わったことのある私にしてみれば、大体のところは容易に想像できてしまうんだけど。

 

 ドラフトの一位指名が競合に競合を重ねてしまうと、その対象となった人物は対応がけっこう面倒くさかったり、言葉使い一つとっても非常に大変だったりするものだ。

 そのクラブへ入ります、というような確定的な意味に取られかねない返答はしてはいけない。暗に裏金や賄賂を渡そうとするような話に相手が持っていったとしても、決してそれを肯定するような返答をしてはいけない。他にも各クラブごとに出来るだけ対応が変わらないように務めなければならないとか色々とあるけれど、とにかくなにかと神経質にならざるを得ないのだ。

 だからこそというか、その状態から抜け出したいがためだけに、行く予定もない大学への進学という選択肢がちらりと頭を過ぎっていく、というのも普通にありうる状況なのである。

 

 いくら強くても所詮は高校生。大人のルールに雁字搦めになってまで行く先を急かされるのは、その心に大きな負担を抱える要因にもなってしまう。

 リフレッシュになるかどうかは分からないけれども、ここはきちんと話を聞いてあげるべき場面なのだと理解した。

 

「私の時はね、何処のクラブでも別に構わなかったっていうのもあって、競合したのは八クラブくらいだったかなぁ……かなり面倒だった覚えがあるよ。今は一部リーグのクラブ数もあの頃よりも増えてるし、もっと多いのかな?」

「いまの段階で具体的に条件を提示して貰っているのは、全部で五クラブです。名前は――言わないほうがいいんでしたか」

「うん。明確な規定違反ってわけじゃないけど、在りもしないことを色々と疑われるのも億劫だしね」

 

 ホットコーヒーを一口含み、口の中を潤す。

 

「小鍛治プロはどうして恵比寿を選んだんですか?」

「選んだっていうか、さっきも言ったけど別に何処でも構わなかったから。事前にどこのクラブが良いです、みたいなことは一切言わなかったの。くじ引きの結果に全部お任せして、たまたまアタリを引いたのが恵比寿だったってだけなんだよね」

「そう……ですか」

「すごくバカみたいに思えるかもしれないけど、明確にこれって基準がないんだったら運を天に任せるのも一つの方法じゃないかな。

 いくらこっちが入りたいチームの希望を事前に伝えておいたとしても、宮永さんクラスの子だったらたぶん強引に指名に踏み切る所がいくつも出てくると思うし。そうなると結局くじ引きだからね」

 

 ドラフト制度において、プロ入り志願の書類を提出した選手を『指名する権利』はどのクラブも平等に有している。これはルールに則って明確に定められた厳正なものであり、いくら当人が拒んでいたとしてもクラブ側が指名権を剥奪されるなんて事態には絶対にならない。

 事前に入団拒否宣言をされていても、くじを引けば交渉権は自分たちのみに与えられるわけで。だからこそ、強引に指名を強行するクラブは後を絶たないし、ドラフト制度がある限りそれは誰から非難されるいわれもない、とても正しい行為だと個人的には思う。

 

 もちろんそのせいでせっかくの一位指名枠をムダにしてしまうリスクをクラブ側は負うことになるし、あえて競合しそうな選手の指名を避ける形で独自路線の補強を目指すクラブが多いということもまた事実。

 そのあたりは各クラブの方向性でまちまちだから私にはよく分からない部分もあるけれど。少なくとも多少なりとも理解できている恵比寿というクラブの方針に関しては、確実に『競合しようが何しようが、狙った獲物は取りに行く』というスタンスであると断言できる。

 

「大学に進むことも視野に入れてるの?」

「一応は。でもやっぱりプロに進むのが一番……なのかな、と」

「高卒でプロ入りした私が言うのもなんだけど、きちんとやりたいことがあるなら私は大学進学も十分選択肢の一つに入ると思うけど」

「やりたいこと……」

「うん。なにもドラフト関係の煩雑さから逃げたいだけってわけじゃないんでしょ?」

「……」

 

 ……あれ? ここでは即答で頷くものだとばかり思っていたんだけど。もしかして、図星だったのかな?

 

「ああ。いえ、違います。確かに面倒な事が多くて嫌にはなってますが、そっちではなくて……」

「そっちじゃない、っていうと?」

「……今週末、咲がこっちに来ます」

「妹さんが? ああ、交流戦か」

 

 私の言葉に、宮永さんは黙ったままコクリと肯いた。

 

 

 毎年プロ雀士とアマチュア雀士との交流を目的とした親善試合が行われているのはご存じだろうか。

 普通のアマチュア参加型のトーナメント戦とは違って、出場者側が大会側によって選別されることが大きな特徴となっているこの大会は、その名の通り『プロアマ交流戦』として十一月の中旬頃に開催される。

 

 アマチュア側で選ばれるのはだいたい夏の全国大会(インハイやインカレ)で活躍した選手だったり、麻雀協会がこれまでに開催したアマチュアトーナメントで入賞を果たした人たちだったりするんだけど。

 その中でも特別推薦枠というのがあって、その年の個人戦上位三名に関してはよほど都合が悪い場合でもない限り出場義務が発生する。上位陣ならばドラフトでプロ入りだろうから三年生でも問題ないとの判断なんだろうけど、開催時期といい、普通に大学を目指している受験生にとってはいい迷惑というか、わりときつい大会として有名でもある。

 今年の場合は、宮永咲、宮永照、辻垣内智葉の三名を筆頭に、学年に関わらず今年の夏の大会で活躍したいくつかの高校から選抜された子たちが出場選手として何人か登録されていたはず。具体的な名前はリストを見ないと分からないけど。

 

 逆に迎え撃つプロ側の出場者は、ライセンスを貰って三年以内の新人さんが参加する事が慣例となっていて、二部の選手である私はもちろんのこと、一部のトッププロ連中が参加するようなことはまずあり得ない。

 去年の大会は前年に活躍した靖子ちゃんがその一員として選ばれていたみたいだけど、今年はおそらく去年の新人賞を獲った良子ちゃんがプロ側の目玉選手として出場させられることになるだろう。若手のために用意されたステージ、いわば登竜門のような大会であり、プロとしてアマチュアに負ける事が許されないという重圧をきちんと跳ね返す事が出来るか否か――という試金石的な意味もある。

 

 逆に、高校生以外のアマチュア選手側にとってはドラフト前に自分の実力をアピールする絶好にして最後のチャンス。意気揚々と乗り込んでくる大人たちと義務で参加する高校生たちの間の温度差はけっこうなものがあり、たまに必死すぎて引くこともあるほどらしいけど……まぁ、自分より上のカテゴリーの相手と本気で戦うことを強く望む人にとっては有意義な大会といえるんじゃないかな。

 

「今年の個人一位になったあの子は、そのアマ側の選手の一人に選ばれた。そしてそれは私も同じ」

「うん。アマチュア選抜の選手同士がってのは珍しいけど、もし卓を囲むことになったら個人決勝卓の再戦ってことになるね」

「私は――気持ちの上できちんと咲とのことに区切りを付けておかない限り、ちゃんとプロとしてやっていくことができないような気がしています。どんな形になるにせよ……決着を」

「……ああ」

 

 節目となる時期にそういった区切りを欲する気持ちというのも分からなくはない。

 

 麻雀という競技に関わらず、大抵の競技で勝敗というのはその試合でのみ効果を発揮する。

 普通は一度負けたからといって常に同じ相手に負け続けるということには決してならないし、取り返せない敗北というのはあまりない。

 ただ、試合ごとの重要性というか、認識というのはまったく違う。一度奪われた絶対王者の肩書きはたとえ次のなんでもない試合で勝利しようと奪い返すことはできないし、練習試合(エキシビジョン)の一勝と公式戦決勝卓での一勝では、重みがまるで異なるというのも当たり前な話。それはきっと、数多の戦いを超えて王者に君臨し続けてきた彼女ならば理解している道理のはず。

 でありながら、彼女が漏らしたその心情を整理するならば。

 

 たとえ歩み寄るきっかけを得たとしても、ここまで拗らせているとしたらもはや当事者の二人だけでは解決できない問題になっている可能性もある。

 清澄側の宮永さんがわりとこの問題に関しては楽観的に構えているのに比べ、こちらがそうではないように、二人の間にはいまだ詰め切れていない感情の温度差があるようだし。

 第三者――できれば双方をよく知る人物か、逆にまったく把握すら出来ていない空気の読めない人間を間に挟むかしなければ、お互いに前に進めないということもあるのだろう。

 

 彼女に真実必要なのは、一度の勝利か、あるいは二回目となる敗北か。

 ただ一つ推測できることは、実際に欲しているものはそのどちらでもなく、妹へ対して抱いてしまった蟠りを解くための、小さな小さな一切欠――なのかもしれないということ。

 

「……」

 

 無表情の上に無感情にも映る紅玉色の瞳で、じっと私のことを見る宮永さん。

 まさかその役割を私に望むような無謀なことを考えているわけではないだろうに、いったい何を考えているんだろう?

 そんな私の抱いた心の内の疑問に答えを紡ぐべく、彼女はその重い口を自ら開く。

 

「小鍛治プロの目から見て……私は、今のあの子に勝てますか?」

 

 それは、かつて絶対王者と謳われた少女の口から洩れたとは到底思えないような、か細く、風に溶けて今にも消えてしまいそうなほど弱弱しいものだった。

 

 

 

 

 ――その数日前。

 

 高級グランドホテルの一室にて一泊した後、例の企画の打ち合わせと称して行われた雑談の中でこんな提案を受けた。

 

「ええと、つまりはどういうこと?」

「向こう側の要請でね。これまでの物語展開型の取材とはちょっと趣向を変えてみることになってるんだ」

「それが取材拒否とどう関わってくるの?」

「拒否ってわけじゃないんだってば。ただ、やるなら宮永照個人への密着取材にしてもらえませんかってだけの話でね」

「……むぅ」

 

 それって結局、細かい部分にまで突っ込まれるのがイヤだから適当にお茶を濁そうっていうのと何が違うんだろうか?

 そりゃ強豪と呼ばれるような高校にはそれぞれに、長い年月をかけて培ってきたノウハウというか専売的なやり方があるんだろうし、それをタダで公に大公開する内容の取材だと二の足を踏むこともあるだろうけれど。取材の許可を部活動を引退した宮永さん周辺に絞るというのはどうにも厄介払いの意図が透けて見えすぎじゃないかな。

 

 そんな感じで、少し反発を感じる部分も無いわけではない。

 その反面、ここ三年間で白糸台高校が達成してきた数々の栄光は、実質彼女――宮永照によって齎されたものだと言っても過言ではないわけで。そこに焦点を当てて取材をするというのは実に理に適っているともいえる。

 

「うーん、でもそういうことなら基本的に資料を見て批評するしかなくなるんだけど。それだとあっちにデメリットだらけな気もするけどなぁ」

「デメリット? なんで?」

「だってさ。これまでって実際にその子たちと顔をあわせてから話をする、ってスタンスだったじゃない? そうなるとやっぱり情も移るし、どこかで歯止めも利くんだけど……」

 

 選手個々の繋がりとでもいうか、背景みたいなものをまったくの慮外に追いやって、紙面上の情報だけを元に評価を下すというのは容易である。

 容易であるが故に、資料という無機質なものとにらめっこをした状態で話をし始めると、おそらく否定的な見解の部分に歯止めがかからなくなってしまって毒舌どころの騒ぎじゃなくなりそうな気がするのだ。

 

「……歯止め、利いてたっけ?」

「効いてたの! もう、こーこちゃんはすぐ茶化すんだから……それでね? そうなってくると褒められる要素ってたしかに宮永さんくらいしか無いんだけどさ……それって宮永さんが抜けちゃう白糸台に取ってはマイナスでしかないよね」

「ふんふん、なるほどなるほど。すこやんの言い分はだいたい理解したよ」

「よかった。だから、できればきちんと取材を受けてもらって、話を聞いたうえで番組を作った方がいいと思うんだけど」

「むむ、たしかにそれは一理ある。さすがはすこやん、いつでも仕事熱心で大人の鑑だね!」

「おかげさまでね……」

 

 その原因の半分以上は相方に問題があると思うんだけど、そこはやっぱり華麗にスルーなのだろうか。

 

「でもその前にさ、ちょっとその体でやってみようか? それからこの話のまま進めるか再考するかどうかを考えてみよう」

「やってみるって、ここで?」

「そそ。小鍛治プロに聞く『白糸台高校』とは? って感じで――ハイ!」

「はい、って……まぁいいけど」

 

 

 強豪とは、勝つことを義務付けられた存在のことをいう。

 故に勝てばさも当然のように扱われ、負ければボロ雑巾のように叩かれる。

 清澄、阿知賀、宮守女子といった所謂ダークホース的な存在が一つの試合を勝ち残るたびに賞賛を浴びるのと正反対に、これらの高校はどの段階であろうとも負けることが簡単に許されるなんてことはない。

 

 長野県大会における風越女子、奈良県大会における晩成高校。全国大会では二回戦で散っていったシード校の永水女子、準決勝で消えた新道寺女子、姫松、千里山女子。いずれも地元では強豪校と呼ばれる高校であったにもかかわらず、全国前あるいは決勝前に姿を消していて、大会後には少なからず関係者から非難の的にされたという。

 しかし、そういった意味で最も過激な論調で否定的に扱われた高校があるとするならば。それはおそらく戦前の予想で『史上最強』と謳われていた、かの高校ではなかったろうか。

 

 ――西東京都代表、白糸台高校。

 

 個人戦連覇中の宮永照を筆頭に、同校史上最強のメンバーを揃えた万全の状態で夏の全国大会三連覇へと挑む。そんなキャッチフレーズが紙面を賑わわせていたのも遥か遠い昔の出来事で。

 団体戦では三位止まり、個人戦においても絶対王者の宮永照が無名の一年生に破れるといった波乱もあり、結果無冠のまま大会を終えるという事前の予想からはかけ離れた成績だったという事実は、少なからず期待をしていた人々の心に、失望というマイナスのイメージを強く植えつけてしまった。

 期待が高ければ高いほど、それが裏切られた時の失望感は強く高く積み上げられてしまう。

 

 さすがに選手たち個々を標的とした中傷は少なく、むしろ大会直後は健闘を称える声が多く聞こえてきた。それでも学校そのものに対しての地元マスメディアの論調は、手のひらをくるりと翻したかのように些か厳しいものが多かったように思う。

 

 ただ間違えてはいけないのは、白糸台高校はたしかに各地に遍く存在する強豪校の一つではあるが、決して全国大会の常連校ではないということ。

 十年以上もの間連続出場を果たしている同じ東京都の東側代表である臨海女子や北大阪の千里山あたりとは比べるべくもない、強豪校の中でもぱっとしない、所謂中堅レベルに留まる程度の実績しかないという事実をきちんと認識しておくべきだ。

 

 それこそそういった点においては今年は破れてしまったとはいえ、長野の風越女子や奈良の晩成高校のほうが遥かに多くの経験を積み、ノウハウを蓄積しているだろう。

 同校が目に見える形で台頭してきたのはここ三年の話であり、その事実が示しているのはそれらの栄光がすべて……とはいわないまでも、ほぼ『宮永照』という一人の少女の存在によって勝ち得た薄っぺらいものでしかないという現実。

 一人の超高校級の選手におんぶに抱っこの状態で勝ち続けて得た実績は、免許を取ってから十年まったく車に乗っていない運転免許取得者(ペーパードライバー)にゴールド免許をドヤ顔で見せられた時と同じくらいの参考程度にしかならない。

 

 故にかどうかは知らないけれど、監督の采配、選手の選抜方法などの根本的な部分がすごく甘いのは見ていて思う。

 もっとも、それらの科白は私が高校二~三年生だった頃の土浦女子にそっくりそのままブーメランで戻ってきてしまうので、あまり大きな声では言えないんだけど。

 

「おおう……すこやん白糸台に関してけっこう辛辣だね。何か直接的に恨みでも?」

「ないよっ! でも、準決・決勝と強敵揃いだったとは言っても宮永照っていう規格外の選手がいたんだから白糸台が圧倒的に有利だったのは間違いないと思うんだよね。それでも勝てなかったのは選手の問題ももちろんあるけど、大元は監督の問題なんじゃないかなって」

「あー、前に取材した他のプロも似たようなこと言ったわ、そういえば」

「それだけみんな白糸台には三連覇を期待してたってことだと思うよ。失望は期待の裏返しっていうしね」

 

 

 特に今年の成績に関していえば、宮永さんがいなければ準決勝敗退は確実だったと断言できる。

 事前の評判では史上最強の呼び声すら高かった『チーム虎姫』とは、一体なんだったのか。阿知賀や清澄と言ったダークホースの健闘を称える声がある一方で、白糸台がふがいなさ過ぎ、あるいは拍子抜けしたという旨の発言を漏らす関係者も決して少なくはない。

 

 蓋を開けてみれば二回戦以降は先鋒戦を除き常に後塵を拝する結果となっているのだから、そう言われてしまうのも仕方が無い部分はあるのも事実であり。正直なところ、それは実際に戦った選手がどうこうというよりは、レギュラーメンバーに件の五人を選抜した監督の手腕にこそ問題があったんだろうと私なんかは思ってしまう。

 

 聞けば、白糸台ではどうやら単純に部内の実力トップ五に入る選手をレギュラーに選ぶのではなくて、異なるコンセプトを持たせたいくつかのチームを形成し、それを戦わせた上で最も成績の良かったチームをそのままそっくりレギュラーチームとして採用する、なんて手法が採られているという。

 

 いやまぁ、それが白糸台高校における伝統的な選抜方法であるならば私が口出しするようなことではないのかもしれないけど……。

 思うにそれって、どのチームにあってもたった一つの要素『宮永照』が加わった時点でそこがレギュラーチームになるということではないのかな? 公平性なんてどこにも存在しない、とても馬鹿げた選び方だと思うのは私が部外者だからだろうか。

 そもそも他のチームの子達はそれで実力不足で敗れたと納得できているのか否か。宮永照を除いた四人が他のチームに大差で無双できるならばともかく、夏の大会を見る限りでは穴だらけでとてもそうとは思えない。所々で不協和音を奏でていそうな部内の様子が純粋に気になる部分でもある。

 

 それを含めて、白糸台高校の戦略ははっきり言って稚拙に過ぎたと断言せざるを得ないだろう。

 

 準決勝・決勝での戦いを見てみると分かるけど、今年度の白糸台の基本的なゲームプランは、宮永さんを大将から先鋒に配置転換した時点で何を置いても『先行逃げ切り』、これに尽きるはずだった。

 先鋒の宮永照が稼いだ膨大なアドヴァンテージを、後ろの四人で守り抜く。

 抜きん出た選手を抱えるチームのコンセプトとしては至極当然な流れであり、たぶんほとんどの人間がそこに文句をつけるようなことはしないだろう。

 問題は、後ろの四人がそのコンセプトを正しく理解していたのかどうか? という点。

 

 いやそもそも、監督自身が理解していたかどうか? と問うほうが正しいのか。

 

 二軍ですら全国クラスと称される白糸台にあって、伝統的なチーム選びの前提を慮外に置いて考えた時、この五人でなければならない理由が何処にあったのか?

 逃げ切る事が大前提のチーム編成において、後ろの全員が火力特化の防御無視タイプであったことについて、まずはそこから否定的な見解をしてしまう部分は確かにある。

 

 たとえば中堅の渋谷さん。彼女は永水女子の薄墨さんと似ている『特殊なレシピによって成立する一発の役満で収支をひっくり返す』タイプの超火力特化型である。だけど全国準決勝クラスの相手ともなればそう易々と狙い通りに展開が進むということにはまずならない。

 実際に準決勝では役満を和了してはいるものの、それまでのマイナスが大きすぎてほとんど意味無く終わってしまっていたし、その上決勝では三校の徹底的な場の早流しによってそもそも役満なんて聴牌させて貰えてもいない。

 

 中堅の役割は、状況判断をきちんとすること。リードをしている場面においてはリスクを最低限減らす打ち回しで副将へと繋ぎ、他校の背中を追いかける試合展開であればその差を極力縮めるためにある程度勝負をかけるという判断も必要になる。しかし前のめりになりすぎてはいけない。

 故にここは試合巧者が配される事の多い位置であり、火力特化型を置くことのリスクは思っているよりも高いのだ。判断力、攻撃力、防御力と総合的な能力を加味した上で、メンバーを例の五人から一切変更しないというのであれば、せめてここには安定した強さを有す弘世さんを配置すべきではなかったか。

 

「じゃあすこやんはさ、もし弘世さんが中堅だったら準決勝も白糸台が一位抜けだったと思う?」

「ううん、これはそんな単純な話じゃなくて……当たり前だけど、麻雀って自分たちだけでやってるわけじゃないからね。セオリーを無視することもある程度は必要だろうけど、メリットよりもデメリットが大きくなるような奇策は止めとこうよって話」

「ふーむ……ここまで聞いてる限りだと、采配に批判が集中してる感じ?」

「そうだね。選手個々の問題点と、戦略とか戦術部分の欠陥はきちんと分けて考えるべきかなと思ってる」

 

 まぁ任された仕事の内容をきちんと把握できていないのは選手側の問題なんだけど。

 

 出来る限り好意的に解釈をするならば、あるいは「守りきれれば途中経過は問わない」という確固たる信念の元で行われた采配である可能性は捨てきれない。防御を固めて失点を極力抑える打ち手であろうと、それまでの失点を最終局(オーラス)一発の役満で回復してみせる打ち手であろうと。選んだ選手がどちらであっても、最終的な収支結果が同じになるのであればさして問題はないという乱暴な見解もできるのだから。

 

 しかし、それは先行逃げ切りを目指すにしてもあまりにもハイリスクすぎる考え方だ。三連覇を目指す絶対王者として参戦する程の高校が、そんなギャンブルにも似た選手選考をする理由こそが見当たらない。

 

 また大将についても同じで、先行逃げ切りを目指すためにもきちんとクローザーとして試合を締められるタイプを配置すべきだった。

 けど実際にその座に座っていた大星さんは、どちらかというと点数の調整を考えずに自分の思うがまま打ちたいように打つタイプであって、戦術との適正でいえば真逆の打ち手であったといえる。もっとも、他に適材がいたかどうかと問われれば……まぁ、代案はあれど代役はいない、というところだけど。

 

 その大星さんに関してちょっと触れるとすれば、攻撃面に関しての才能にはたしかに一目置ける部分もあった。ただ、彼女もまた能力依存度が極端に高いためか、圧倒的に状況判断能力が足りていない。

 不測の事態を考えれば大将にある程度の火力を持った人物を配置しておくというのは決して間違っているわけでは無いんだけど……それを差し引いても、点数が均衡している接戦の状態でムダなリーチをかけて「点棒くらいくれてやる」的な迂闊な態度はちょっとどころかかなり拙い。

 一年生で即レギュラー入りというのは将来頼もしい存在だとは思う反面、終わってみれば経験不足の面が顕著に現れた成績だったことを考えると、一年生の頃から圧倒的な強さを誇っていた宮永照の後継者というにはちょっと物足りなさを感じてしまうというのが正直な感想だった。

 

 

 ――というように、いちいち配置に問題点が浮上してくるのはもはや采配ミス以前の根本的な方針とその方向性の問題だろう。選手個々の特徴をきちんと把握していたかどうかも怪しいものだ。

 都大会クラスの相手ならば問題なく蹂躙できるのかもしれないが、今回の采配はもはや全国各地から精鋭が集う場を舐めすぎであるとしか言いようがない。

 

 攻撃は最大の防御を地でいくようなオーダーといい、強力な武器を持つが故の落とし穴といえば言い訳にはちょうどいいかもしれない。ただ、二連覇を達成しているという慢心からくるものだと思うけど、仕事もしない監督に存在意義などありはしない。

 

 逆に新道寺女子の監督はそういう意味で実に良い仕事をしていた。先鋒にあえて防御特化型(すてごま)の選手を送り込み、ダブルエースを後半で並べて投入する。宮永照個人の規格外すぎた傍若無人っぷりや、当初は眼中になかったであろう阿知賀の存在が最後まで響いたこともあり、紙一重で圏内に届きこそしなかったが、その意図である『対白糸台用戦術的オーダー』というものがはっきりと見ているこちらにも伝わってきた。

 このあたりは『追う立場』と『追われる立場』としての違いが明確に出ている部分ともいえるけど。副将、あるいは大将戦における両校の戦いぶりをみてみれば、戦術としてどちらが優位だったのかは明白だ。

 

 それでも面白いのが、きちんとした対策を講じて念入りにプランを立てていたであろう側の新道寺が破れ、白糸台が決勝へと進んだという事実。中盤以降の展開は王者が力でねじ伏せたと言うには圧倒的に迫力不足に過ぎるとはいえ、結果を残した時点で白糸台は新道寺よりも〝優れている〟と言われてしまうのが、勝負の世界の常であり、無情なところでもある。

 

 

 以上の点から、今年の白糸台の成績に関しては、単純に絶対王者という戦術兵器の上に胡坐をかいた采配における、実に妥当な結果が出ただけだと私は思っている。

 だから普通の論調で三位という成績がいかにもその実力に見合っていない拍子抜けしたものであるかのように取りざたされたりするけれど、そんなことはない。実に妥当な結果であると。

 大事なことだからあえて二回言ってみたけれども。

 それどころか、最終順位で臨海女子を上回った時点でよくやったと褒めるべき内容だったと言っていいんじゃないかな。

 

 

「――っていう感じになるけど、どうかな?」

「オッケー、わかったみなまで言うな。ここは責任を持って私がきちんと取材できるよう相手側と交渉してみるよ。だから本番ではもうちょっとマイルドにお願いします、小鍛治プロ。どうかこの通り」

「……えー」

 

 珍しく心底疲れたような深いため息を吐きながら、こーこちゃんが言う。

 そんなに厳しめなことを言っただろうか? と首を傾げる私とは実に対照的な光景で。

 いったいどんな手品を用いたのか。それからしばらくした後に『旧・チーム虎姫』ごとの取材許可が下りて、無事取材に向かうことになったんだけど。

 

 

 結局取材のために白糸台高校へと訪れたのは、交流戦が行われる前日のこと。取材班を待ち受けるようにして正門前で佇んでいた生徒たちに声をかけた。

 宮永照と弘世菫。まさかのチーム虎姫最上級生二人によるお出迎えである。

 

「宮永さん直々にお迎えなんだ。弘世さんも、わざわざありがとう」

「はい。先日はお世話になりました」

「こちらこそ、高名な小鍛治プロにご足労頂きまして、光栄の至りです。福与アナも、ようこそ白糸台へ」

「ほへぇ……白糸台ってなんかすごいね。敷地広すぎ」

 

 ポカンと背後の校舎を眺めるこーこちゃん。挨拶くらいはきちんとしようよと心の中で突っ込むものの、その感想には同感だ。

 

「初めて来られた方はそう言います。校舎の中もけっこう広いので、迷子にならないよう気をつけてください。では、部室棟のほうへ行きましょう」

 

 何故か迷子に云々のところでちらりと宮永さんのほうを向く弘世さん。視線を向けられた当人は特にこれといったリアクションを返すことも無く、その後ろについていく。

 ……そういえば、長野の宮永さんも迷子スキルを所得していると言っていたっけ。

 もしかしてこの姉妹、実は凄く似たもの同士なんじゃないの……?

 そんな疑念がむくむくと私の中で膨れ上がってきた頃、「ああ、そういえば」と言いながら先頭を歩いていた弘世さんが振り返り言った。

 

「ウチには、ちょっと礼儀を弁えていない後輩が一人いるので……先に謝っておきます。失礼なことを言ったりすると思いますが、すみません。バカなので大目に見てやっていただけると助かります」

「あ、わかった。それって大将だった大星さんでしょ? あの子けっこう愛すべきおバカ系だってインタビューした同僚からも聞いてるし、大丈夫だよん」

「さすが福与アナ、よくご存知で」

 

 即答するこーこちゃんもだけど、弘世さんもそこは少しは躊躇おうよ。はっきりとバカって言っちゃったし。

 でも、それを聞いて密かに気になるのは、清澄の片岡さんみたいな子犬系なのか、阿知賀の松実さんみたいな天然系なのか。いったいどっちの系統なのかということだ。

 前者だと餌付けで何とかなりそうだけど、後者はなぁ……。

 

「淡は空気読まないけど言動は可愛い。菫はあの子に厳しすぎる」

「そうか? 身内の中でならまぁ許されることでも、部外者の、しかも目上の人たちに無礼を働くのはさすがに看過できないだろう。釘を刺しておいたとはいえ、都合の悪いことに関しての記憶力は鳥並みだからな……」

「私が何とかするから平気。任せて」

「む……わかった。だが一緒になって暴走だけはしてくれるなよ。いくら私でもそうなるとさすがに手に負えなくなるからな」

「付き合いも長いのに菫は私を何だと思ってるの?」

「三年間見てきたからこそその可能性を危惧しているんだろう。特にお前はお菓子絡みだとすぐ暴走するじゃないか」

「……」

 

 あ、そこは否定しないんだね。宮永さんが大のお菓子好きという情報は本当だったのか。

 

 しかし、私と話している時とは真逆のぞんざいな態度で宮永さんが弘世さんと話をしているのを聞いて、不思議に思うことがあった。

 あの不安定に見えた、相談を受けた時の『宮永照』は、本当にこの子だったのだろうか? と。

 いま見る限りでは、特に変わった様子は見受けられない。カメラの前で屈託のない笑顔を見せる『いつも通りのチャンピオン』とは印象が少し違うものの、落ち着いているその姿からは不安の二文字を読み取ることなど出来ない。

 であるならば、あの時に見せていた揺らぎは一体――。

 

「すこやん? てるてるの背中をジッと見つめちゃったりなんかして、どったの?」

「ん、別になんでもな――てるてる?」

「可愛いっしょ」

「……なんか窓際に吊るしておけばゲリラ豪雨の積乱雲でもきっちり吹き飛ばしてくれそうな感じがするのは気のせいなのかな」

「噂のトルネードツモとかいうやつで? あの子なら普通に出来そうだから困るよねー」

「将来気象庁に就職する以外道はないよね、そうなると」

 

 実際にそんなことが出来ようものならきっと引く手数多だろうけどね。

 

 それにしてもまたメンバー全員に変なニックネーム付けていくつもりか、この子は。もしかして私が知らないところでそういったのを考えるコミュニティみたいなのがあるんだろうか? 謎は深まるばかりである。

 

「まー冗談はそのくらいにしてさ。さっき、何か考えてたっしょ?」

「ああ、うん、まぁ……でも本当、たいしたことでは無いから」

 

 言葉を濁しながら会話を切ると、こーこちゃんはそれ以上追求してくることはしなかった。

 

 

 

 宮永さんとファミレスで話をしてから白糸台高校へ訪問することになるまでの数日間、考えていたことがある。

 これまで多くの対局者の敗北と屈辱を引き替えにして積み上げられてきた勝利と名声は、本当に彼女が心底欲していたものだったのか?

 いくら負け慣れていないからといっても、たった一度限りの敗北でそこまで簡単に精神がブレるような弱い子だとは思えなかった。実際に、たぶん別の人物に敗北を喫したとしても彼女はそれを勝負の常と飲み込んで、ほとんど気にしたりしないはず。

 

 文字通りたった一度の敗北が精神的なダメージを負わせている要因。

 ただ、それをやってのけたのが彼女の高く積み上げられた自信も自尊心も根本からへし折ってしまえるこの世でたった一人しかいない、唯一の相手だった……というのは皮肉に過ぎる巡り合わせとでもいうべきか。

 抱えていた確執のこともあるし、姉という立場もある。

 宮永照がおそらくこの世で唯一絶対に麻雀で負けたくなかったであろう相手、それがきっと妹の宮永咲だったに違いない。

 

 これまでに培ってきた技術と実績が、たった一つの目的の為……つまり、その妹に負けないための意地や自尊心をかけた頑張りの果ての副産物だったとしたら。連覇を果たし、王者の称号を手に入れてもなお打ち消せない幼い頃に植え付けられた妹の残像が心の中に巣くってしまっているとしたら。

 あろうことかそれが実体を伴って、半年程度の経験でそれまで自分が必死に築き上げてきた壁をあっさりと乗り越えてきたとしたら――。

 

 ――なるほど。

 宮永照のアキレス腱、自分よりも遙かに()()妹に対するその潜在的な劣等感が解消されなければ。彼女にとっての麻雀そのものが『妹から逃げるための手段』でしかない限り、たしかにその部分に決着をつけないままでプロ入りしたとしても、クラブが望むほどの成績はたぶん残せないだろう。

 

 

 あと、この問題で特に厄介なのが、相手側にまったく敵対意思が見られないことだ。

 妹のほうの宮永さんは、姉に和解するための対話を望むべく牌を手に取ったと聞いている。敵対相手どころか友好を強く望んでいる立場であって、麻雀をその媒介に選んでしまっただけのこと。まぁ、ある意味ピンポイントで姉に的確にダメージを与えられる対話形式を選んでしまったわけだけども。

 お互いの認識のギャップというか、構って欲しくてじゃれついている子犬に対して、じゃれつかれている相手は犬好きだけどアレルギー持ちでできれば近寄って欲しくない。そんな関係のように見えてしまう。

 

 まずは妹さんのほうの認識を改めないとダメっぽいなぁ。何でもかんでも麻雀に頼るのは別に構わないけれど、今回ばかりは吉と出るか凶と出るかさっぱり分からない。

 夫婦喧嘩は犬も食わぬというけれど、姉妹喧嘩の場合は誰かがきちんと処理してくれるんだろうか?

 

 なんだか既に余計な手荷物をいくつも持たされてしまった感が拭えないまま、後に『口は災いの元』との謗りを免れる事が出来ない状況が待ち受けている、この二日間が始まった。




照の無双っぷりと阿知賀の決勝進出という、二つの展開上の都合を一身に背負わされてしまった後ろの四人にはもはや悲哀しか感じられぬ……でもたかみーはとても可愛いと思います。
次回、『第20局:斜陽@〝偶像〟と〝英雄〟の境界線』。ご期待くださいませ


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第20局:斜陽@〝偶像〟と〝英雄〟の境界線

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 かつて絶対王者とまで称された白糸台高校の最大の幸運は、三年前に宮永照を獲得できたことであると小鍛治プロは言った。

 二連覇という偉業を達成したことで、西東京界隈において他校の追従を許さない確固たる実績を築くことができたという現実は、今年の敗北を持ってしても未だ覆されることは無く。

 

 そして、白糸台高校の最大の不運もまた――三年前に、宮永照を獲得してしまったことに他ならないと、小鍛治プロは言う。

 白糸台高校が以前から覆らぬほどの『常勝校』であったならば、話は違ったのかもしれない。

 しかし、急速な発展はいくつかの歪みを伴うものである。

 最初はほんの僅かなものでしかなかったはずの小さな小さな違和感は、彼女がある種の暴力にも似た圧倒的な力で勝ち上がるたびに少しずつ肥大化していき、その周辺をゆっくりと、しかし確実に侵食していった。

 

 そしてその溜まり続けたモノこそが――今年の敗北へと繋がる歪んだ道筋の開始地点、その第一歩だったのだろうと。

 その片鱗、最初の一欠片目は、我々が白糸台高校を訪問したその直後に見受けられた。

 

 ※取材後、福与アナの一部証言から抜粋

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 部室棟の麻雀部の区画に足を踏み入れて最初に思ったことは、()()()()()()。これに尽きた。

 戻ってきた二人の最上級生を迎えるため、廊下の両脇にずらりと並んで頭を下げる三軍以下と思われる下級生たちの列。この異様な光景をさも当然のように受け入れて進んでいく二人の背中に、思わず眉間に皺が寄って行くのを自覚してしまった。

 ええと、これは……私たち取材スタッフを迎える用の特別な仕掛けってわけじゃなくて、こういう感じのお出迎えが常道化しているってことでいいんだろうか。

 

「――どうかしましたか、小鍛治プロ?」

「あ、ううん。これ、いつもこんな感じなの?」

「ええ。そんなことをする必要はないと何度も言っているのですが……私から言っても改まらないので好きにさせています」

「そっか。監督さんとかは何も言わないのかな」

「特には何も。止めさせたいのであれば照か部長の私が何とかしろとだけ」

「そ、そうなんだ……」

 

 渋い顔をしている所をみるに、好んでやらせているわけではないという事だろうけど……。

 それでもこの状況ははっきり言って異常じゃない?

 

 ある程度長きに渡る伝統を持つような部活動では特に上下関係が厳しいということもあるだろうけど、だからといってここまで誰が得するのかすら分からない状況にまで発展していることなんて、今日び他所の体育会系クラブでだってそうそうありはしないだろうに。

 あるいはその筋の人――というフレーズがふと頭を過ぎっていく。

 ここにきて、前にこーこちゃんに向けて述べた見解は一部間違えていたのかもしれないと、わりと本気で思い始めていた。

 

 

 延々と続くんじゃないかと錯覚を起こしてしまいそうな人垣を抜けた先、最奥にある扉の前で二人が立ち止まり、弘世さんが振り返る。

 

「ここが私たち虎姫専用の練習室です。中はそう広いわけではありませんが、どうぞ」

「専用って時点で既に凄いと思うんだけど……ねえすこやん」

「うん……」

 

 素直な感想を漏らしつつ、案内されて扉を潜る取材班御一行。しかし、問題は早々に降りかかってきた。

 ちょうど部屋の真ん中辺りに佇んでいた、一人の生徒が開いた扉に反応してこちらへ向き――ばっちりと視線が交錯した私を見て、いきなり指差し大声を上げたのである。

 

「あーっ! 決勝の実況で私の打ち方バカにした人だ!」

 

 それが、入室しての第一声。

 事前にそれらしい注意を受けていたとはいえ、さすがにいきなり非難の声で迎え入れられたことに対して驚きを禁じ得ない私がいた。

 

「もごもごもごご」

 

 ポカンとする私を含む取材陣を他所に、ベリーショートの背が高い子によって背後から口を塞がれてもがく金髪の子。

 ――亦野誠子と大星淡。

 

「言った傍からこれだ……」

 

 額に手を当てて疲れきったように深くため息を吐く元部長さんと、そんな彼女にお茶を差し出す眼鏡の子。

 ――弘世菫と渋谷尭深(たかみ)

 

「……」

 

 そして、そんな仲間たちの様子を見ながら特にアクションを起こすでもなく実にマイペースな足取りで部屋の奥へと進んでいくかの少女。

 ――宮永照。

 

 大星さんの科白といい、何とかすると言っていたはずの宮永さんの圧倒的スルー力といい、つっこみたい要素はあちこちに散らばっている状態ではあるけれど。

 なにはともあれ、これで今夏までのレギュラーチームとして都大会および全国大会を戦い抜いた『チーム虎姫』と呼ばれる五人が一同に揃ったことになる。

 ……なんとなくこの先に波乱が待ち受けていそうな、なんとも頭が痛くなるような初対面、というか見事な出会い頭ではあったものの。今回の取材対象となる五名を前にして、初っ端から疲れ果てた表情を見せるわけにもいかない。

 それに、事前に予測をしていたにも関わらずまんまと防げなかった弘世さんのあの苦虫を噛み潰したような顔に免じて、先ほどの大星さんの失言はあえて聞いていないことにした。私ってば大人だな。

 

「はじめましての子が多いから、先に自己紹介をしないとね。今回取材でお世話になります小鍛治健夜です。どうぞよろしく」

「同じくアナウンサーの福与恒子です。よろしくどうぞー」

 

 

 全国大会決勝戦、大将戦の後半戦南三局。

 それまでの戦いによってほぼ真っ平らにまで平均化された点数の上を、綱渡りをしながら四校の大将が鎬を削るといった熾烈な展開で進んだかの一戦。それが大会記録に刻まれたような順位での決着へ至った誘因があったとするならば、私はその局で見事な追撃を決めてみせた臨海女子大将ネリー・ヴィルサラーゼの一撃を挙げるだろう。

 

 白糸台大将大星淡が開幕直後から仕掛けたダブルリーチ、そしてカンによる裏ドラ爆撃というお得意の和了パターンへと移行する最中、山の王が統べる深山幽谷の域にまで達した場の流れは、彼女の和了を許さないまま一気にその領域の支配者たる高鴨穏乃へと傾いた――かに見えた。

 

 同卓していた二人の大将、宮永咲と大星淡。そのどちらもが王牌の支配権を有する者であり、いわばそれは嶺の上を制するための戦い。

 と同時に、蔵王権現の支配領域へと変貌を遂げた難攻不落の断崖絶壁へと挑むに等しい無謀な挑戦でもあった。

 当然のことながら、二人のカン使いはその姿を険しくする山の支配に遮られ、己の必勝パターンへと容易に持ち込めむことができない。

 

 三つ巴の戦いは泥仕合の様相を呈し、ただ一人その状態から蚊帳の外にいたネリー・ヴィルサラーゼ――幸か不幸か、その睨み合いの輪から外れた場所、即ち『空』を駆けていた彼女だけが唯一、その牌を手に取る権利を有していたといえる。

 彼女は明らかに狙っていたのだ。

 

 高鴨穏乃の支配によってそれ以上先に進めなくなった大星淡が無防備を晒す瞬間を。宮永咲の点数支配力に上書きされた結果として高鴨穏乃が見せるであろう霧の晴れ間、その隙を。大星淡の先行カンによる槓材の枯渇により手を進められなくなってしまった宮永咲が引き起こすであろう停滞を。

 

 大星淡の安全圏を上回る形で場を支配していた高鴨穏乃の特異能力。

 

 高鴨穏乃の支配すら突破してその和了機会を奪い潰し尽くした宮永咲の点数調整能力。

 

 宮永咲が唯一和了のために必要とする王牌を容易に潰すことができてしまう大星淡の特殊な()()()()

 

 完全な三竦み状態となった彼女らの手は、目に見える形で停滞した。

 白糸台高校が暫定一位のまま迎えたこの一局、あるいは流局となり親流れで順位が変わらぬまま最終南四局へと進んでいく可能性もあっただろう。

 しかし一巡目の攻防における一つの判断が、それを許しはしなかった。

 

 

 以前話したことがあっただろうか。

 

 ――リーチとは、攻撃力を上げる反面防御力を低下させる諸刃の剣であると。

 

 配牌で既に聴牌している状態というのは珍しい。だからこそ、そうあった時の胸の高鳴りはかなりのものがあるし、最初のツモで和了牌を引けなかったとしても、ついそのまま牌を曲げて河に置いてしまいたい衝動に駆られることもあるだろう。

 しかし本来であれば珍しいはずのそんな配牌時即聴牌の状態も、能力を解放した彼女に限っては日常茶飯的なものである。興奮を顕にして判断力を鈍らせるほどの特異な事態ではなかったはずだ。

 さらにいうならば。最初に振られたサイコロの出目が、この局では彼女の目指すべき『角の位置』が深い場所にまで埋もれてしまう事を示唆しており、それは即ち高鴨穏乃の支配圏にどっぷりと浸かり込んでしまうことを意味していた。

 

 これらの状況をきちんと理解していれば分かるように、この場面で僅差ながらトップに立っている白糸台高校にとって必要なのは早期の和了。ここで自分のスタイルに固執して、あえて手が遅くなりかねないいつもの工程(ダブルリーチ)を選択する必要性は皆無である。

 それなのに、大星さんは頑ななまでにその手順に拘ってしまった。抱いていた自分に対する過信故にか、それとも逃げてまで勝ちたくは無いという間違った自尊心のためなのか。

 結果として無防備を晒した背後からヴィルサラーゼさんの直撃を食らってしまい、最終局直前にしてほぼ点差なしの最下位に転落してしまったわけだけど。

 大星淡が、出会い頭に私に向けて言った発言の主な心当たりといえば。

 

「……この場面でもダブルリーチに頼らないと和了の形が見えないようだと、この面子の中で勝つのは少し難しいかもしれません」

 

 ――という、この時に私が思わずぽろりと漏らしてしまった本音によるものだろうと推察された。

 

 

 

 で、いま現在。

 その張本人たる大星さんが別室で弘世さんから教育的指導を受けているため、それが恙無く終わるまで残された私たちは部屋の片隅にある何とも贅沢な休憩スペースで待機している状態である。

 残された人物が比較的大人しい子達ばかりのためか、険悪なムードというには到底及ばない、むしろ全員が渋谷さんの煎れてくれたお茶を飲んでまったり気分になっているのがせめてもの救いだろうか。

 そわそわしている亦野さんはともかくとして、我関せずの宮永さんと動じない渋谷さんのメンタルは流石といわざるを得ない。

 

 というか宮永さんに至っては片隅に置かれていたダンボールの中からいくつかお菓子を取り出してきたと思えば、おもむろにテーブルに広げて置いて摘み始めるという実に見事なマイペースっぷりである。

 いちおう食べ始める前に勧められているので私も摘んでいいんだろうけど、弘世さんが戻ってきたら今度はこっちが怒られるんじゃないかと思うと非常に手が伸ばし辛い。

 実際に、気にせず摘んでいるのは宮永さんと私の隣に座っているこーこちゃんくらいのもの。彼女の神経の図太さがたまに心底羨ましくなる。

 

「あのさ、ちょっと聞いていいかな?」

「なんでしょう?」

「あのダンボールに入ってるお菓子ってここに常備してあるの?」

「いいえ。あれは先日、頑張っている私たちにと宮永先輩が差し入れてくださったもので……」

「そうなんだ」

 

 本人曰く、美味しそうな新商品があったので激励の意味も込めて差し入れたんだとか。

 でも差し入れした張本人が一番がっついて……もとい、有効的に活用しているように見えるのは気のせいだろうか?

 実際にはもう部活動は引退しているはずなのに、さもここにいるのが当然だといわんばかりに馴染みまくっているのは、おそらく三年間積み重ねたその歴史によるものなのか。

 

 というか、この部室が元々のチーム虎姫用だったということは分かるんだけど、引退してしまった二人の三年生の不在によってチームそのものは既に解散しているはずなのだから、次のレギュラーになったチームの子達がここを使用するという世代交代的なやりとりはないのかな。

 仮にその子たちがここを使用しないにしても、部屋の独占権は返却しておく必要がありそうなものだけど……。

 

 未だにこの五人での使用許可が下りているというのは、プロ入りするだろう宮永さんがそれまでの間自主練習をするために必要な場所だからなのかな。その辺りはどうなんだろう?

 その事を質問しようとして、口を開く直前――。

 

「――照、すまん。淡が完全にへそを曲げて……って、おい」

 

 心底面倒くさそうに弘世さんが戻ってきたかと思えば、案の定テーブルの上を見てさらに眉間に皺を寄せた。

 ああ、この子はきっとこれまで取材で出会ってきた子達の中で誰よりも苦労人気質なんだろうなとはっきりと理解した瞬間である。

 

「おもてなしの心は大切」

「いやまぁ、それはそうだが……ああもう、こっちはいいから淡のほうをなんとかしてくれ」

「分かった」

 

 入れ替わりで退出する宮永さんの背中を見送りながら、戻ってきた弘世さんを何気なく見ていると、ふと視線が交錯する。

 瞬間、彼女はそれはもうものすごい勢いで頭を下げた。こちらからみると腰が直角にまで曲がった状態であり、その背中は悲壮感に満ちていて逆に可哀相になるほどだ。

 当事者の私としては、元部長とはいえ第三者の弘世さんがどうしてそこまで必死に謝るのかが正直よく分からなかった。

 生真面目……ともちょっと違うな。なんだろう、白糸台に来てからずっと意識の上にベールがかかっているかのごとく纏わり付いてくるこの違和感。

 

「色々と申し訳ありませんでした、小鍛治プロ」

「え? あ、うん。私は別に気にしてないからそんなことしなくていいよ。決勝であの子の打ち筋に苦言を呈したのも本当のことだし」

「ま、それが解説のお仕事だもんねぇ。言われたほうは思うところもあるんだろうけど、こればっかりはしょうがないってことで。弘世さんのせいじゃないんだし、座って一息ついたらどう?」

「……はい。お心遣い、ありがとうございます」

 

 座ったところにすかさずお茶を差し入れる渋谷さん。なかなか気遣いの上手な子だ。

 ちなみにもう一人の二年生である亦野さんはというと。何故だか知らないんだけど、大星さんが弘世さんに連れられて出て行った頃から借りてきた猫のようにずっと隅っこのほうで大人しく縮こまっていたりする。

 別に取って食べたりしないんだからリラックスしておけばいいと思うんだけど……声をかけようと視線を向けただけで肩を震わせるため、話題を振るわけにもいかず。

 

「ちょっと気になったんだけどね、大星さんは宮永さんの言う事しか聞かないの?」

「いえ。普段はそれほど意固地でも無いんですが……こと自分の麻雀についての話になると、自分を見つけ出してくれた照の言葉しか真面目に聞こうとしない部分がありまして……」

「見つけ出した?」

「淡の実力を見出して連れてきたのは照なんです。そのこともあってか、特にあいつに懐いているもので」

「ふぅん――」

 

 確かに、世界で活躍していた臨海女子の留学生コンビはともかくとして、今年の全国大会にて上位組で活躍した一年生の中で、中学時代から全国規模で名が知れ渡っていたのは全中王者に輝いた原村和、インターミドル出場経験を持つ千里山女子の二条泉くらいのもの。

 高鴨穏乃、宮永咲、大星淡。奇しくも決勝卓の大将戦で相まみえた四人の一年生のうち日本人の三人を含め、阿知賀の新子憧、清澄の片岡優希、有珠山の真屋由暉子、あとは永水女子の滝見春あたりの子たちは、中学時代に名を残すような実績を残しているわけでもない。

 在野に埋れていた逸材を掘り出してきたというのであれば、光り輝くための場所を提供してくれた相手に敬意と親愛を向けるというのも、納得できる話ではある。

 うーん、でも……。

 

 

 

 宮永さんたちが戻ってくる前に、と話を切り出したのは弘世さん。

 あの二人はいないほうが話を進めるには都合が良いと言わんばかりに彼女は言った。

 

「取材を始める前にお聞きしたい事があります。実際の白糸台の内部を見てみて、小鍛治プロはどう思われましたか?」

「へ? どう、って言われてもまだ玄関からここまで歩いてきただけだけど……?」

「そうですね。その間に、私たちはあえて全てを普段どおりに振舞いながらここまで歩いてきたわけです」

 

 普段どおり、という部分に若干力を込める弘世さんの言いたい事がなんとなく察せられた。

 

「ああ、うん。そういう意味だと異常だとしか……正直ちょっと帰りたいなー、って思っちゃったし」

 

 きっぱりと断言して見せる私。

 そうするだけの根拠というか、突っ込み所は至る所に散らばっていた。

 

「まだ校内に入ったばかりでこんな事を言うのはおかしいのかもしれないけど、高校の部活動なのにあの空気はさすがに異常だと思うよ?」

「そう、ですか……」

 

 弘世さんも渋谷さんも、その答えが返ってくることが最初から分かっていたかのように、諦観の色を宿した肯定の頷きを示す。

 そのやりとりを静かに横で聞いていたこーこちゃんが、眉を顰めながら口を開いた。

 

「あの人垣の出迎えも無理にやらせてるわけじゃないって事だけど、それだと余計に危険な気がするね。もしかして、歯止めが利いてないんじゃない?」

「歯止め?」

「君たち――っていうかまぁてるてるのことだけどさ。あの子がこれまでに積み上げてきた功績っていうのかね、それが本人の与り知らぬところで一人歩きしてるような気がしたけど」

「あー、なるほど」

 

 思わず素直に頷いてしまった。

 

 自分たちではどう頑張っても抗えない絶対的な強者とそれが齎した栄光の数々は、もしかすると本人も知らないうちにその価値をどんどんと肥大化させてしまっていて、部内で明らかに間違った方向に向けて蔓延してしまっているのではないか、という疑念。

 それこそ本来であればヒエラルキーの頂点に立って強い立場から指導をしなければならない監督よりも、一部員であるはずの宮永照の発言権のほうが遥かに強いということすら有り得る。

 

 延いては彼女を擁するチーム虎姫全体への、批判が出来ないという風潮。

 敬わなければならないというある種の崇拝にも似た錯覚。

 実際は立場が一番強いはずの監督の発言を軽視しているという部活動以外の面でも自分にとってとてもリスクの高い選択であるにも拘らず、それが許されているかのような空気が蔓延しているのだとすれば。それは間違いなく、宮永照が監督よりも遥かに強く正しい権限の持ち主だと皆が認識しているからだ。

 

 いまだ推測の域を出ないものではあるけれど、それで監督ないし顧問という存在がほとんど表に出てこなかった理由付けにはなる。なってしまうことこそが問題であると私は思う。

 

「英雄、かぁ」

 

 地位と名誉とお金と異性。

 人が求める欲望の証として挙げられるいくつかの要素の中で、一際手に入り辛いものというのはなんだろう?

 私がそう問いかけられたとするならば、もちろん答えは明白であって、検討する余地すらないくらい分かりきった質問ではあるんだけど――。

 

「そりゃすこやん限定なら当然異性じゃないの?」

「――ってナチュラルに人の心を読むのは止めて貰えないかな!?」

「いやぁ、気づいてないかもしれないけどさ、口からダダ漏れてたよ? 地位と名誉とお金と異性、どれが一番手に入り辛いのかなぁってブツブツと」

「……え?」

 

 いやいや、まさかそんな。

 そう思いながら周囲を見回してみると、残っている三人が三人とも「突然何言ってんだこいつ」的な空気を醸し出しているのが分かる。

 

 あああああやってしまった。指先を向けられて「あのプロ痛い!」って言われるのはさすがに辛い。切な過ぎる。

 

「なんでまたいきなりそんな厨二病くさいことを考え始めたのさ」

「あーうー」

「まぁやっちまって恥ずかしいのは分かるけど。すこやんドンマイ、戻ってこーい」

「うう……はぁ」

 

 ぽんぽんと軽く肩を叩かれたので、現実逃避を止めて戻ってくる。

 

「……別に深い意味はなかったんだけど。ただちょっとこう、頭の中で纏めてる話の流れ的に必要だっただけで……」

「ふんふむ。すこやんが必死に何かを考えていたことは理解したよ。それって取材の一環?」

「う、うん。だからね、今の失態は忘れてもらえると嬉し――」

「ならちょうどいいや。冒頭のナレを入れるシーンとして採用しよう。そうしよう」

「こーこちゃん人の話聞いてる!?」

「ハイハイ、聞こえてるよー。具体的にはこう、右から来たものを左へ~ってな感じで」

「それ聞き流してるだけだよね? ていうか若干ネタが古くない? 大丈夫?」

 

 

 と、そんな感じのやりとりをしている間にも、向けられる視線はどこか冷たい。

 ……うん。気を取り直してさっさと本題に入ろうか。

 

 地位や名誉というのはそもそも他人から与えられるものであり、誰かに認められて初めて意味を成すものでもある。

 学校側から、部活動における最高権力者として宛がわれるのが監督という身分を与えられた人物であるとして。

 ピラミッド型の階級社会で頂点に君臨すべき存在ということは、中世西欧あたりの価値観括りで言ってみれば、それはいわば絶対君主制度における君主である。黒も白に変えられる程の絶大な権力を右手に持ち、左手を動かすだけで配下を従えることができる立場ということだ。

 ここ白糸台において、その君主はほんの三年前までは特に理不尽な強権を振りかざすでもなく、問題を起こすでもなく、ある程度安定した支配力を以って民衆を治めていたといえる。

 

 ――さて。

 ではそこに、圧倒的な力以て敵を悉くなぎ倒していく一人の兵士が現れたとしよう。

 彼女は勝利を積み重ね続け、次第に民衆の支持を得ていく。民衆はその強さに狂喜乱舞し、彼女こそが我らの英雄であると高らかに謳い上げる。

 最初は一方向に傾いていたはずの天秤。しかし、彼女が戦功を上げるたびに傾きは緩やかに均等へと向かう。

 国に幾つもの勝利を齎した頃、民衆の支持は君主よりもむしろ自分たちを守ってくれる強く麗しい英雄へと向けられていき。

 やがて天秤の傾きが逆転してしまうまでに名声を高めてしまった英雄たる一人の少女は、当人が望むと望まざるとに関わらず、かくてその国の礎を削り倒す一因となり果ててしまう――これはおそらく、そういった類の傾国の始まりにも似たお話。

 一人の兵士が力と世論の後押しによって、英雄へと祭り上げられていく。それはこれまでの絶対君主制度を脅かしかねない、革命的な危惧すら孕んでいるという現実として確かにそこには存在していた。

 

 

「……なるほど。部内がそういう感じなんだとしたら、取材は宮永さんを中心にしたいって最初の提案も厄介払いが目的ってだけじゃなかったのかもしれないね」

「そうかも。良くも悪くも宮永さんありきだったってことだったり」

 

 実質的な部内の最高権力は引退した今でも卒業するまではあの子のものである、ということか。

 これまでの様子をみるに、宮永さん本人にその自覚があるわけではないだろう。故意にそんな行動を取っていたならば、諸悪の根源が分かり易過ぎて逆に原因を究明するのに助かるくらいだもの。

 けれど、あいにくとこの問題はそう簡単ではないと思われた。

 たとえば彼女が軽い気持ちでした発言や何気なく取った行動でさえも、もしかするとそれが絶対的な響きを伴って部内で共通の常識となってしまっている可能性も捨てきれない。

 

 虎姫に所属している三人の下級生たちが、基礎をおざなり……とはいわないまでも後回しにした状態で、自分の理想とする打ち筋のみをひたすら追求するような状況でいられることも、宮永照という人物による『その方向性で構わない』とのお墨付きがあってこそここまで奔放に許されているというのであれば、納得は出来なくても理解は及ぶ範囲である。

 ああ、もちろん実際に宮永さんがそんなことを口に出して発言しているとは到底思えない、という個人的見解を付け加えておくけれども。

 

 彼女自身の雀士としての基本スタイルは、能力の行使を前面に押し出しているように見えてはいるけれど、実質基礎をこそ重要視している綺麗で緻密な麻雀だ。故に彼女らの短所となりうる部分をあえて肯定してやるような無益なことはしないだろう。

 ただ逆に、宮永さんの普段の様子から考えて、彼女にとって基礎をきちんと学ぶということが『誰に言われるまでもなく至極当然のこと』だという認識があるならば、あえて口に出してそこを指摘するようなことはしないかもしれない。

 

 そもそもコーチでもなんでもない実質単なる一部員でしかない彼女は、聞かれもしないのに自分から教えに行くようなことをする義務も無い。

 彼女がそうとは断言できないけれど、名選手が名コーチになれるとは限らないのだし、本人が良かれと思って行ったアドバイスが逆にその選手に対しては毒になることだって十分有り得る。

 その部分の見極めがきちんとできてこそ、初めてコーチや監督として他人を教えるという行為が正当に成されるのだと私は思うのだ。

 私が京太郎君に対して行っている指導が、きちんとそれを守れているかどうかというのはまた別の話になるんだけど……ま、今はそれはいいか。

 

 しかし、歪んでしまっている認識の中でその常識は通用しない。

 周囲の認識の中では、あくまで宮永照はその言動に監督以上の正当性と説得力を有する〝英雄〟なのである。

 その英雄たる彼女がむしろ何も指摘しないのだからと、周囲が勝手に『言われないなら間違っていないに違いない』と解釈して、それが正しいことであるのだと曲解したまま放置される――という風に。宮永さんがたとえ一切動かなかったとしても、その沈黙にこそ意味があると勝手に勘繰った周囲がありもしない彼女の意向を汲み取って常識として流布してしまう、ということだって十分有り得るのだ。

 宮永照という存在が、あまりにも偉大すぎたが故に起こってしまう弊害ともいえる。

 もし本当に部内の空気がこの通りの状況なのだとしたら、言うまでも無くこれは秩序の崩壊に向かっている危険な兆候だと思う。

 

 

 ちなみに、何故私がそんな細かい事柄からこうも大げさといっていい予測にまで掘り下げて話をするのか――というのには、もちろんそれなりの理由が存在するわけで。

 ふとしたことがキッカケでそんな感じになりかけた高校を、個人的にとてもよく()()()であるからだったりする。

 

「あのさ、すこやんも高校時代はてるてると同じかそれ以上に周囲から別格扱いされたんだよね? もしかして今までの推測って、自分の経験に基づく話だったりする?」

「まぁ、ある程度はそんな感じかな。あの頃の土浦で似たようなことが全然無かったって言えばウソになるし……うーん、それでも私の場合は憧れるってよりも怖がられるほうが多かったみたいでさ。最終的にはそこまで深刻な問題にはならなかったけど」

 

 似たような事態に陥る可能性は、確かにあの頃の土浦にもあった。

 飛びぬけた存在としての私、それが齎す栄光の数々と、変わっていく周囲の認識。

 なるほど、立場としては宮永さんと私はわりと似通ったところがあるのだろうと改めてそう思う。

 ただ一つ、決定的に異なるのが――対象となる人物へ向けられる感情のベクトルだった。

 宮永さんに向けられるのが憧憬に近しいものだったとするならば、私に向けられていたのはただただ純粋なる畏怖である。身内といっても差し支えないであろう部内の同級生連中ですら、英雄なんて大層なものではなくむしろ大魔王扱いだったしなぁ、あの頃の私……。

 

 ちなみに私が在学中の土浦で同じようなことにならなかった理由をいくつか挙げるとするならば。

 それはおそらく、土浦女子が白糸台のような強豪校扱いではなかったこと。顧問の先生が妙なプライドには拘らない、それでいて妙に人脈豊富だったせいで、生徒たちからは別の意味で一目置かれるような人だったこと。

 それに、私が黙して背中で語るような無言実行タイプではなくて、猫を被るべき場面でさえついポロッと本音を洩らしてしまうような人間だったこと。これがまぁ一番大きい部分だろうとは思うんだけど。

 甘い幻想をシビアな現実へと即座に摩り替えてしまう天然毒舌女子高生を崇め奉る奇特な人間なんて、そうそういるわけがないのだ。

 まぁ、それでもそんな私にサインをねだってくれた子もいたんだよね。今ではもはや当時の面影すら無いんだけども。

 

「実際その立場になっちゃうと、こういった問題を解決するのってけっこう難しいと思うんだけどね。集団意識に関わる問題でもあるしさ、それを個人でひっくり返すのは大変だろうし」

「んでもさー、だからって放置はマズいっしょ。大人としてはダメダメじゃない。そこを修正するのが監督とかコーチの役目だよね?」

「まぁね。監督さんがきちんとそこを抑えきれるような人なら、そもそもそんな問題起こってもいないと思うけど……」

 

 でも、だからこそ分からない部分もある。こう言っては何だけど、たかだか高校の部活動に過ぎない場でどうしてここまで歪んでしまっているのかが。

 本来の権力者が管理する事を放棄しているのか。あるいは、それだけ宮永さんの持つカリスマ性に頼り切っていたと言う事なのか。

 ――ただ、来年の春になれば流れが変わる可能性、その種は既に二つ存在している。

 

 一つはもちろん、英雄たる少女がこの学校を卒業していなくなってしまうという避けられない現実。

 戦力的には著しく弱体化するだろうけれど、抜きん出た存在がいなくなれば周囲の雰囲気も正常化する可能性は高い。

 そして、重要なのはもう一つ。

 

 全国大会の三位という結果はもちろん素晴らしいものであるということを前提として、の話だけど。

 白糸台――その統率者――に関しては、三連覇の達成を意味する優勝こそが至上の命題だった。二位以下であれば都大会敗退も同じ――とまではさすがに言わないけど。

 もし夏の全国大会で前人未到の三連覇を達成できていれば、実情はともかく表面的にはそのチームを率いた監督としての名声はもちろん、自分の功績として確固たる形として残す事が出来ていただろう。それは白糸台内部だけに留まらず、麻雀界そのものに名が残るほどの偉業といえたはずだった。

 

 しかし、結果はご覧の通りである。

 実力者の卒業生も多くいるような学校で、他にその後を継げるだけの候補者がいるのであれば、誰もが望んでいたであろう結果を残せなかった監督が続投する理由はないというもの。

 実際の人事権に関しては学校側の問題なので、ここで彼女たちに語って見せたところでどうこうできる問題でも無いわけだけども。

 

「ちなみにさ、すこやんは監督変えたくらいでここから立て直せると思う?」

「んー……そうだね。監督さんだけだと無理だろうね。だから、ここは次期エース候補としての渋谷さん次第ってことにしとこうかな」

 

 言いながら、張本人の渋谷さんへと視線を向ける。

 当の本人は言われた事をすぐに消化できなかったらしく、キョトンとしていたり。代わりに質問を投げかけてきたのは隣に座っている弘世さんだった。

 

「尭深……渋谷がですか? 大星ではなく?」

「うん、まぁその辺りは結局チームの方針次第だと思うけど……個人的には渋谷さんを推すかな。先鋒としての適性とか、能力を考えたら大星さんのほうが向いてるのかもしれないけどね」

「その、理由を伺っても?」

「だってあの子、話を聞く限りだと宮永さんがいなくなった後にきちんと他の人の指導で伸びていけるかどうか怪しいし……天真爛漫なだけならいいんだけど、ちょっと尊大なところがあるみたいだし、そこもちょっと引っかかるっていうか」

「うっ。それは、確かに……」

「でもね。気を付けないと、もし渋谷さんがエースになっても、別の誰かがなったとしても……その子がもし宮永さんみたいな“偶像”(えいゆう)を目指して進んだとしたら……次の船はあっけなく沈むよ」

 

 宮永照は、同年代の中では掛け値なしに別次元、頭一つ抜けた存在だった。

 そんなあの子の代わりを務めるのなんて、白糸台在籍の誰にだってその位置を望むのは無理だろう。

 それはもちろん、私が推薦した渋谷さんであっても、だ。

 

「すこやん相変らず容赦ないねぇ」

 

 そう言いながら苦笑するこーこちゃんだけど、別に間違った事を言ったつもりは無いんだけどね。

 だって考えてみてほしい。

 偉大な英雄が去った後、新しい体制にするためにはどんな資質が必要となるのか。

 仮に同じ土俵で従えようとしたとしても、その比較対象となるのは宮永照。前任者のような圧倒的な実力差を示すことはまず不可能だし、白糸台の部員の誰もがその実績を超えられる可能性を既に失っているわけだから、ちょっと強い程度ではどうしても軽く見られてしまうことになるのは避けられない。

 唯一彼女に打ち勝ってみせた『宮永咲』だけはその資格を有しているといえなくもないけれど、彼女は清澄の部員であって白糸台の部員ではない。

 

 故に、同じ土俵では勝ち目がないのであれば、別の要素で勝負して、そこから周囲にきちんと認められなければならないのである。

 

 だからこそ、宮永照の後継といわれていて〝彼女と比較されるのが当然〟な立場の大星さんでは周囲の期待というハードルが高くなりすぎて、色々と無理があるだろうと私は思う。

 まぁそもそも、白糸台での伝統的なレギュラー選考を今後も続けていくのであれば、虎姫に残った三人がそのまま来季のレギュラーに残れるかどうかも分からないんだけど。

 そういう意味では、私たちの知らない夏の大会では二軍以下に甘んじていた子たちの中に、残った虎姫の子たちと同レベルの実力を有しつつ、渋谷さん以上に別の要素――例えば福路さんのような溢れ出る人徳や、愛宕さんのような一種独特な人間性でもってエースと認められるだけの人間がいるかもしれないし、いないかもしれない。

 そのあたりは私よりも、部長を務めてきた弘世さんのほうが詳しく理解できているだろうから。

 

「まぁ、残った問題は選手の選考方法だと思うけど。それが校内の伝統的なものだとしたら、私が口を挟める問題でも無いんだよね」

 

 というわけで、部内における実際のところはどうなっているのかな? という視線を送ると、私の話をただ黙って聞いていた弘世さんはずっと閉じていた瞳を開いて真正面からこちらを見る。

 直接的な動きや言葉で肯定をするでもなく、かといって否定するわけでもない。ただ、その真摯な視線は私の言葉がそう的外れな指摘をしているわけではないことを告げていた。

 

「なるほど。確かに小鍛治プロの仰るとおり、この学校の今の有り様は……良くも悪くも宮永照、これに尽きるのかもしれません。そして、それを許してしまったのは元部長の私の責任でもある」

「弘世先輩、でもそれは……」

「いや、いいんだ亦野。まずはそれを認めなければ、解決策には繋げられん。そうだろう?」

「……は、はい」

「ちょっと横からごめんね、弘世さん。その解決策っていうのは何のこと?」

「実は――先日、小鍛治プロが今年の白糸台高校についてどう感じていらっしゃるのか、という内容の動画を事前に拝見させて頂きました」

「……え?」

 

 もしかして、それって例の打ち合わせの時に喋った内容の……アレ!?

 

 慌ててこーこちゃんのほうを見るも、当の本人は涼しい顔で微笑んでいるではないですか。

 迂闊だった。プライベートでも常にカメラを所持しているような子があの場面をスルーするわけが無かったというのに……何故私はその可能性を一切考慮に入れていなかったのか。

 

「もしかして、急に取材の許可が下りたっていうのも……?」

「うふっ、おかげで説得する手間が省けたよ」

「……」

 

 なんて恐ろしいことを平然とやってのけるんだ、この子は……。

 こうしてまた私に敵視が集まってくるというわけだね。うん、まぁある意味そういうのにももう慣れっこだから別にいいんだけどさ。

 

「えっと……もしかして全員で見たの?」

「いえ。ここにいる三人と監督だけです」

「そ、そっか」

 

 宮永さんはともかく、大星さんが見ていたら初っ端の一撃もあの程度では収まらなかっただろうし……あと、同時に少し納得してしまった。

 あれが事前に見られていたのなら、亦野さんの挙動が不審すぎる理由もなんとなく察せられるというものだ。

 チーム虎姫のメンバーの中で、大会を通じて最も多く失点を積み重ねてしまったのは他ならぬ亦野さんである。直接彼女を責めていたわけではないけれども、メンバー構成の不備を断じるようなあの内容では、矛先が自分に向けられているように感じられてしまったのだとしても不思議は無い。

 しかも、数字の上ではそう間違ってもいないため「そうじゃないんだよ」と声をかけてあげるのもどこか上っ面だけの取り繕いというか、単なる憐憫のように思えて躊躇ってしまうものがあったりね。

 そんな私の葛藤を置きざりにしたまま、話題は本日の核心へと突き進む。

 

「あの内容と、今日これまでの小鍛治プロのご指摘をふまえて……この取材がいい機会だろうと私は思っています」

「うん? いい機会、って?」

「卒業前の餞別、というわけではありませんが……宮永照という人間をきちんと正しい形で知ってもらうことは、あいつにとってもこれからプロでやっていく上でプラスになるんじゃないかと」

「えーと、つまり番組の企画としてはやっぱり宮永さん中心でいきたいってことかね?」

「はい。あいつにおんぶに抱っこでここまでやって来た私たちです。三人はここに残り、私は大学進学、照はプロ入り……これまでの借りを返すことができる機会もそう多くは無いでしょう」

「これが歪んでいない宮永先輩像をみんなに知ってもらえるチャンスなら、私たちはそれを望みます」

 

 三連覇を達成するためにはあえて必要だったもの、しかし目指すべき場所へと辿り着くための道は既に崩壊し、新しい世代にはこれ以上偶像の上に聳え立つ英雄など必要ない。

 

 マスコミの前で意図的に形作る、明るくて人当たりのいい偶像(アイドル)としての宮永照。

 圧倒的に抜きん出た力以て、対戦校を悉く蹂躙していく英雄(ヒロイン)としての宮永照。

 そして虎姫の子たちの前でだけ見せる、着飾らない本当の意味での宮永照。

 そのすべてが等しく宮永照なのだと理解しているチーム虎姫の面々と、そうではない、一面しか見ていない周囲の面々との認識の差。それを埋めるためにこの番組を利用したい、と。

 

 その申し出を受けて、こーこちゃんはすぐさまディレクターさんに視線を飛ばす。

 一瞬のうちに交わされた、アイコンタクト。

 同じ宮永照に焦点を絞るにしても、ネガティブではなくポジティブに、というのであれば。

 

「そういうことなら、都合のいい幻想と意味の無い伝統に浸っている連中の目をバッチリ醒まさせてやろうじゃない」

 

 切れ長の瞳――その端っこをギラリと輝かせながら、不敵な笑みを携えてこーこちゃんは言った。




ずいぶんと長い間お待たせしてしまいました。白糸台編、なんとかこうとか再開となります。
でも何故だろう。ここまでの白糸台高校(-照)にはポジティブ要素がカケラも見つけられない……っ!
次回、『第21局:交流@選ばれし魔物-モノ-たちの祭宴』。ご期待くださいませ


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第21局:交流@選ばれし魔物-モノ-たちの祭宴

「そういえば、なんだけど」

 

 とある建物の入り口で、二人並んで来るべき人物を待っていた時のこと。

 唐突に何を思ったのか、こーこちゃんがいきなりどこか遠い瞳をしながら空を仰ぎつつ、ポツリと零した。

 

「最近コンビニとかスーパーに買い物に行くとさ、ふと考えちゃうことがあるのよ」

「……うん? 考えるってなにを?」

「きっとたぶん、それっていずれ訪れるべくして訪れるだろう未来への憂いってやつなんだと思うんだけど」

 

 その愁いを帯びた横顔が、何時になく真剣な雰囲気を醸し出しているため、私は思わず背筋を伸ばして意識を彼女の声に傾ける。

 幾ばくかの沈黙が周囲を包み込み――。

 

「身体、大切にね?」

「――……」

 

 そして、再び開かれた唇から漏れた彼女の声と、同時に差し出されていたペットボトルのラベルの銘柄が、そんな真面目な雰囲気を悉くぶち壊した。

 

『特定保健用食品、から○すこやか茶W』

 

 そこに描かれているのは、最近あちらこちらでよく見かけるとある涼飲料水の名前である。

 

「……つまり、何が言いたいのかな、こーこちゃんは」

「アラフォーともなると見えてる部分以外のところも色々と気にしないといけなくなるから、毎日の食事のアフターケアも大変だよね、って話?」

「アラサーだってば! ていうか言われるほど不摂生な生活してないからね!?」

「あそっか。まぁ実家暮らしで上げ膳据え膳ならそうなるよね」

「ぐっ、ぐぬぬ……ああ言えばこう言う」

 

 内容がダイエットなんかの外見的なものの場合、話題そのものからして若年者向けっぽい感じを受けるからまだいいけど、それがこと身体の内側に見る健康面の話となると、話の対象となる年齢層が一気に引き上げられているような気がするのは私の気のせいだろうか?

 

 健康面を気遣ってくれるのは、正直嬉しい。

 でも、そこからあえて年齢弄りに繋げようとする彼女の無駄すぎるまでの心意気は、もはや燃えないゴミ箱へ直行させるべきだと思う。

 

「いやねー、これ見かけるたびにすこやんのことを思い出して仕方が無いんだわ。あっ、これってまさか……恋!?」

「恋じゃなくて変だと思う。主に脳が」

「あっはっは、それは私が変人だとでも言いたいのかね健夜君」

「知り合いの誰もそれを否定できないところがこーこちゃんのアイデンティティだと思うんだよね」

「ひどっ」

 

 ていうかさ、もう変人そのものじゃないかと思ってしまうのは、友人としてはいけないことだろうか?

 いやそもそも、こーこちゃんの場合は血中糖度を気にする前に思考回路の改善を求めるほうが先なんじゃないかな。

 そんなことを考えながら溜息を一つ吐く私。ああ、今日も大変な一日になりそうだ。

 

 

 

 吐息が空に溶けて消えた頃になって、視界の隅にその一団の姿が飛び込んできた。

 それは待ち人とは違うけれども、よく見知った人物であることに間違いはない。

 残った四人のうち誰が来るのかは知らなかったんだけど……そうか、彼女が来たのか。

 

「あれ? 小鍛治プロと福与アナじゃない。おはようございます、どうしたんですかこんなところで?」

「おはよう、竹井さん。宮永さんと福路さんも、おはよう」

「やほー久ちゃん。まぁ私たちがなんでいるかっていったら当然仕事なんだよねぇ」

 

 全国個人戦優勝者である宮永咲と、六位の福路美穂子。

 それに、団体戦準優勝清澄高校の代表枠として来たのであろう、竹井久。

 彼女たち三名は上記の通りの肩書きで召集された、本日この会場で行われるイベント『プロアマ交流戦』の出場者たちである。

 

「おはようございます、小鍛治プロ。福与アナ」

「おはようございます。お二人は解説のお仕事ですか?」

「二人もおはよ。いやいや、今日は例の番組の特別企画用のお仕事でね。ああそうだ、今日は色々あると思うけど頑張って」

 

 ……うん? 今ちょっと聞き捨てならないことをしれっと二人に向けて言わなかった?

 

「ねぇこーこちゃん。色々あるって、なにが?」

 

 思わず言われた宮永さんたちよりも先に聞き返してしまった。

 目の前の子たちも似たような疑問を抱いたんだろうけど、そもそも色々と大変なのが本当に彼女たちのほうであるのか否か、その辺りの疑問のほうが個人的には色が濃かったりもするわけで。

 

「そりゃ色々あるっしょ? だって普段は戦わないような格上の相手とも卓を囲まなきゃいけないんだし」

「ああなんだそっち側ね。よかった……」

「――? だってこの企画ですこやんが色々と大変なことをしでかすのは当然だし、周囲がそれに巻き込まれるのなんて今さら言うまでもないことじゃん」

「何気に他人事っぽく言ってない、それ!? ていうか主犯は私じゃないよね!?」

 

 さっきのツッコミの意趣返しなの? そうなの? そうなんだね?

 思わず持っていた例のお茶を口の中に捻じ込んでやろうかと考えてしまったものの、目の前に満面の笑みを携えた福路さんの顔があったので、寸でのところで思い留まる。

 今のやり取りを見て、何故にそのような菩薩の微笑を携えているのだろうかと。

 

「ふふっ、お二人はいつも仲がよろしいんですね。とても良い関係のようでちょっと羨ましいです」

「でしょー? 分かる人にはやっぱ分かっちゃうかぁ」

「いやそこはドヤ顔するような場面じゃないからね? というか主に被害が及ぶのは福路さんたちだと思うんだけど……そんなんでいいの?」

「あー、美穂子にはそういうのあんま関係ないんですよ、小鍛治プロ」

「え? こう見えて意外と騒ぐのが好きな子なの? 竹井さんの同類?」

「いえ、そうじゃなくて。大変なことでも友達と一緒なら大丈夫っていうか苦にならないっていうか、そういう感じの子なんですよねぇ」

「竹井さんとは真逆で純真無垢ってこと?」

「たしかにそうなんだけど、そこまでハッキリ言われちゃうとそれはそれで……」

 

 思わずポロッと零れた本音が、地味に竹井さんのハートにダメージを与えてしまったらしい。

 

「あ」

 

 そんな不毛な感じのやり取りをしていた最中、そう漏らしたのは五人のうちの誰だったのか。

 竹井さんたちが来たのとは逆方向から歩いてきた、二人連れの高校生。その片方の赤毛の子に向けて無邪気に語りかけている金髪の子が、こちらに気づいて足を止めた。

 

「あれ? ねぇねぇテル、あれってサキじゃない?」

「――……」

 

 躊躇という程のものではない、だけど確実に歩みを遅くした件の女性――宮永照は、後輩の大星淡を伴って、こちらへとゆっくり歩いてくる。

 それぞれが個人戦準優勝と、団体戦三位白糸台高校代表枠として今日のイベントに参加する二人。

 この大会に無関係、かつ例の企画でここへ訪れた私たちにとっていうならば、彼女たちこそが本日のお仕事の本命でもある。

 それ故にか、彼女はまず意図的に竹井さんたちを視界に居れずにおいてから、こちらへ向けて小さく頭を下げた。

 

「おはようございます、小鍛治プロ。福与アナ。本日も宜しくお願いします」

「おはよう、宮永さん。大星さんも、連荘になるけど今日もよろしくね」

「おはよー、てるてるにあわあわ。今日も元気そうで何よりだねぇ」

「むー……おはよーございまーす」

 

 あれ、まだ拗ねてるのかこの子。

 宮永さん程きっちりと挨拶をして欲しいとは言わないまでも、社交辞令的なものでもいいからもうちょっと愛想良くしてもらいたいところではあるけれども……まぁ昨日の取材中にも特に歩み寄ったりしたわけでもないから、今それを望むのは難しいかもしれないなぁ。

 

 こちらへの挨拶を終えた後、宮永さんは竹井さんと福路さんに挨拶を済ませ、大星さんは私に向けていたものとは打って変わった無邪気な笑顔で宮永(咲)さんと挨拶を交わす。

 同学年同士ということで仲が良いのか、それは実に微笑ましいやりとりではあるものの、若干後者のほうは気後れ気味のようにも見えた。

 というよりもむしろ、その背後で竹井さんたちと言葉を交わしている姉の姿をちらちらと視線で追っているところをみるに、実の妹である自分よりもよほど妹ポジションに近い位置にいる彼女には、色々と思うところがあるらしい。

 もちろんそれはあからさまな嫉妬や敵意などというようなどす黒いものではなくて、自分に出来ないことをあっさりとやってのける大星さんが単純に羨ましいのだろう。まぁもちろんその感情の中に嫉妬心が微塵もないのかといえば、そんなことはないだろうとは思うんだけどね。

 

 しかも、その実の姉妹の関係性はどんな感じなのかといえば――。

 

「お姉ちゃん。今日は頑張ろうね」

「……ん。咲もね」

 

 という感じで二言三言ほど言葉を交わして以降、これといったコミュニケーションを取らないまま会場内への移動となったのである。

 ――前途多難。

 それが、二人のぎこちないやり取りを見て感じ取った実直な意見であることに間違いはなかった。

 

 

 

 プロ雀士――。

 それは、連盟で認可された一部・あるいは二部のクラブに現在過去とを問わず一度でも入団したことのある選手のことを指す。

 大人から子供まで、大多数の人間が誰しも自称で雀士を名乗ることができる現状において、その中のほんの一握りの選ばれた者にしか公に名乗ることを許されない称号。それがプロという()()だと私は思う。

 

 そして、プロフェッショナルと呼ばれる私たちがいる以上、そこには当然のことながらアマチュアと呼ばれるそれ以外の人たちもいるということに他ならない。

 近年では恐ろしい数に膨れ上がった麻雀競技者人口とはいえ、至極大雑把にそれを分割すれば、結局はこの『プロ』と『アマ』とに分けられるわけだ。

 とはいえ、一部のトッププロと謳われている人たち――だいたい冠位持ち――と、それ以外の一般的なプロとの間には、隔絶した実力の差というものが存在するのもまた事実である。

 三尋木咏然り、瑞原はやり然り。手前味噌で申し訳ないけれど、そして当然、私こと小鍛治健夜然り。

 

 ――では逆に。

 プロというカテゴリの中で下のほうに存在する人たちと、アマチュアというカテゴリの中で上のほうに存在する人たちの実力差というのは、どうなんだろう?

 たとえば同程度の実力だったとしても、ちょっとした誰かの気まぐれっぽいキッカケでプロになれる人もいれば、時機が悪かったせいで運悪くたまたまプロ選考から漏れる人だっている。どちらにせよ前提として一定以上の実力は当然必要になるけれど、それ以上にその時々の巡り会わせが必要になるというのも世知辛い世の真理の一端なのである。

 

 そういう人たちの違いは、『プロ』とか『アマ』とかいう呼び方以上の差はほとんど無いも同然で。

 であればこそ、その人たちの単純な力量差というのを測るには、四の五の言わずにやはり対局をしてみるのが一番だろう。

 と、いうような理由で始まったのかどうかは定かではないけれど。

 

 プロアマ交流親善試合――と称して開催されるこの定例イベントは、その二つのカテゴリを隔てるようにして聳え立つ垣根を取っ払った上で、双方の実力向上を目指して切磋琢磨しましょうね、という感じで企画立案されたものだと聞いている。

 建前と本音のどちらが正しいのかは分からないけれど、この大会が麻雀界の発展に役立っているというのであれば、理由なんてどちらでも構わないよね――というのが私の素直な感想なのだった。

 

 

 プロ雀士側からは、ここ三年以内にプロ入りを果たした新人さんたちが主に選ばれる。

 そしてアマチュア雀士側からは、大きく分けると一般・大学生・高校生という三つの分類の中で選抜された各十数名の選手たちが、それぞれこの舞台で鎬を削ることになるのだ。

 ちなみに、関係各所に配られた出場者リストを見せてもらったところ、今大会に参加することになる高校選抜メンバーは以下の十四名。

 

○個人戦推薦枠

 

  優勝:宮永咲(清澄・一年)

  二位:宮永照(白糸台・三年)

  三位:辻垣内智葉(臨海女子・三年)

  四位:神代小蒔(永水女子・二年)

  五位:荒川憩(三箇牧・二年)

  六位:福路美穂子(風越女子・三年)

 

 

○団体戦推薦枠(各一名)

 

  優勝:松実玄(阿知賀女子・二年)

  二位:竹井久(清澄・三年)

  三位:大星淡(白糸台・一年)

  四位:雀明華(臨海女子・二年)

 

  準決:江口セーラ(千里山女子・三年)

  準決:鶴田姫子(新道寺女子・二年)

  準決:上重漫(姫松・二年)

  準決:真屋由暉子(有珠山・一年)

 

 

 強制的な拘束力のある個人戦上位組と比べると、団体戦での上位校から任意で出てきた選手たちは、これから先の一年間を見込んでか一・二年生組が多いように思う。

 特に姫松と新道寺の両校は、どちらも夏の大会でエースだった三年生の愛宕洋榎と白水哩を参戦させずにこの二人を送り込んできたということを考えると、これを機に次期エース候補となる両名の経験値稼ぎをしようとしていると見てほぼ間違いないだろう。

 逆に三年生の江口さんを送り込んできた千里山に関していえば、おそらくは来月に行われるドラフトを見据えたものである可能性が高い。選出線上ギリギリのところにいるのは当の本人も理解しているはずであり、ここいらでプロ相手に一戦交えておいて評価を底上げしておきたいとの思惑があるのだろう。

 

 そして、そのどちらにも当て嵌まらなさそうなのが清澄である。その将来性を見据えれば、てっきり原村さんあたりが出てくるだろうと思っていたのに、やって来たのが竹井さんとは驚いた。

 こういう場面では自ら一歩退くというか、他の人を動かして本人はあまり表立って行動しないタイプの子だと思っていたんだけど……違ったのかな?

 ちらちらと様子を伺っていたせいか、竹井さんにその疑問が気づかれてしまったらしい。素直に疑問点を口にすれば、何でもないかのように選考理由を明かしてくれた。

 

「話があった最初のうちは、私以外の三人のうちの誰かに任せようかと思ってたんですけどね。元々咲が確定で出る予定だったし、個人枠で美穂子も出ることになってたんで、その二人の間に私が入れば連絡もスムーズに取れるだろうってことで。

 ほら、咲も美穂子も携帯の扱い方に疎くてバラバラに動かそうとしたら色々と心配でしょ?」

「ああ、宮永さんはなんとなく分かるけど、福路さんってそうなんだ……」

「ええ。むしろあの子のほうが厄介というかなんというか。でも辞退した和にはもしかすると別の意図があったのかもしれませんけどね」

「原村さんが? 別の意図、って?」

「長野の個人戦、僅差で咲に負けて私が四位だったっていうのはご存知ですか?」

「うん。資料でだけど見たかな」

「インターハイでは個人戦に出られなかったから、その上位陣と戦える場を最後に譲ってくれたのかな――ってちょと考えたりもするんです。ほら、あの子には来年も再来年もあるわけだし」

 

 たしかに。まだ一年生の原村さんには、年齢的にも実力的にも、こういった場で戦うチャンスがまだ何度も残っているといえるだろう。

 もし出場するとしても、今度は個人戦優勝者としての出場権を己の力で勝ち取るのみ。

 ……なんて、そんなことを考えていても確かに不思議じゃないなぁ。いやむしろあの子の場合、理由としてはそっちのほうがしっくりくるかもしれない。

 

 

 一度中座して、お手洗いから戻ってくると、既に出場者のほとんどが会場内に揃っている状況で、高校生たちは片隅に揃ってそれぞれの知り合いと談笑していた。

 そんな中、ちょうど通り道にある大会本部席あたりで、向かい合って話をしている二人の知り合いの姿を見かける。

 顧問として松実さんの引率でやってきたであろう彼女と、本日のイベントに出場するプロ雀士の中ではおそらく最も世間に名が知られているだろう彼女。

 

「……あれ? 赤土さんと良子ちゃん?」

「ああ、小鍛治さん。おはようございます」

「グッドモーニング。と軽く挨拶をしておいてなんですが、何故小鍛治プロがここに? 今日は中継なんてありませんよね?」

「この大会とは別件の仕事でね、白糸台のほうの宮永さんに密着してるところなの。大会関係者に許可取ったってこーこちゃんは言ってたけど、良子ちゃんは聞いてない?」

「いえ、それは初耳ですね」

「私も」

 

 ……あれ? 大丈夫……だよね?

 既にカメラさんたち含む撮影スタッフ陣も準備を整えているわけで、今さら取材はダメですなんて言われても正直困るんだけど。

 

「てか小鍛治さんなんでそんな不安そうな顔してるの? 福与アナが撮影の許可取ってるんでしょ?」

「……そうらしいんだけど、なんだかすごく嫌な予感がするんだよね」

「そうなの? まぁ関係者っていっても戒能プロは出場選手で、私は玄の付添いでしかないからさ。運営側の人たちはちゃんと理解してるんじゃない?」

「うーん、だといいけど……」

 

 

 そんな一抹の不安を胸の内に抱えつつ、本日の私たちのお仕事はといえば。

 この交流戦での宮永照(と本人の強い希望で大星淡)の奮戦っぷりを密着取材することである。

 放送本編のほうで扱う部分としては、昨日の取材中にも見せてもらった『在りのままの宮永照』というコンセプトで行われることになったんだけど。

 

 いくら素の彼女がちょっと残念な感じの天然系女子高校生でしかないとはいえ、ドキュメンタリー的な構成で番組のことを考えた時、世間一般とのイメージのずれを上手く利用するためにも麻雀を打っている姿も欠かすわけにはいかなかった。

 で、そのバランス維持のために急遽取り入れられたのが、本日のこのお仕事。

 

 まぁ、朝からのあの感じでいえば、こーこちゃん的には特典用の企画も今日の取材の中に混ぜ込んでいくことを企んでいそうな気はするけれど。

 そこはほら、いくらなんでも麻雀連盟が主催のきちんとした大会の中で、彼女が好き勝手やるなんてことは流石にあり得ないはずだ。常識的に考えても、社会人的に考えても。

 

 そんな風に、自分自身に強く言い聞かせていたところ、

 

「あ、小鍛治プロ。こちらにいらっしゃいましたか。探してたんですよ」

「え? 私、ですか?」

「ああ、赤土さんもちょうどいいところに。午後からのことについて打ち合わせをしておきたいんですが、お二人とも今お時間ありますか?」

「「は?」」

 

 思わず声を揃える私たち。

 一体何のことを言っているのかすら分からなかったけれども、その声をかけてきた運営チームの女性の表情を見た時点で、厄介事が舞い込んで来たんだろうということだけは漠然と理解できた。

 

 

 

 彼女曰く。今年の交流戦、午後からの親善試合はこれまでのような個人戦のトーナメントスタイルではなくて、団体戦のレギュレーションで行うことになっているそうな。

 

 まず、プロ勢、一般アマ、大学生、高校生をそれぞれ分けて二チームを形成。

 その計八チームをカテゴリ別の組み合わせで四チーム(プロVS一般アマVS大学選抜VS高校選抜)×二組に振り分けて、それぞれに団体戦ルールで半荘戦×五戦を行う。

 その戦いの一位と二位のチームがそれぞれ決勝戦に進み、三位と四位のチームがそれぞれ五位以下決定戦へと回ることになり、最後の半荘戦×五戦の結果を以って順位が決定される仕組みだという。

 

 団体戦を行うのなら行うで、一度全部をバラバラにしてから組み分けをしてしまったほうがいいんじゃないかと思ったから、素直にそう告げてみたところ……なんとも切ない返答を得る事が出来た。

 なんでも以前それをやった際の話だけど。

 先鋒戦ではプロ同士が、次鋒戦では高校生同士が――というふうに、まるで都道府県別の駅伝大会であるかの如く、結局どの対戦も同一カテゴリ選手同士の潰しあいが主流となり、この大会の主旨でもある他カテゴリの選手たちが鎬を削りあうという思惑通りには一切ならなかったんだそうだ。

 で、その時の経験を糧にした結果、それならばいっそのこと今年は同一カテゴリの面子でチームを組ませよう、ということになったという。

 

 本末転倒にならないためとはいえ、今度は今度で発想が偏っているというべきか……レベル的に言えばどう足掻いても高校生涙目的な状況にしかならないと思う。

 一応そのハンデを埋めるためなのか、参加チームの中で高校生選抜の二組にだけは、きちんとした監督役を据えることが許されていたりはするみたいだけど。

 まぁその辺りで何とか戦力差を整えようというのが運営側の意見であり、今回、その監督役として選ばれたのが全国大会団体戦優勝チームの監督だった赤土晴絵。そして、団体戦準優勝だった清澄高校の顧問さんの二人だったというわけだ。

 

 とはいえ、清澄の顧問はそもそも名前だけの存在でしかないため監督役には使えない。

 そこでなぜか代わりに選ばれたのが――本当に何故だか分からないけれど、私こと小鍛治健夜だったのである。

 いやいやそれなら本職の臨海女子やら千里山やらの監督さんだって会場に来てるじゃないか、とか言いたいことは色々と有ったんだけども。

 どうやらその役を私が請け負うのを条件として今回の取材の許可を取り付けたらしいという話を途中の説明で聞かされた時、視界の隅っこのほうで竹井さんと談笑していたこーこちゃんに向けて、思わず助走から沈み込んでのジェットアッパーをぶちかましてしまった私はきっと悪くない。

 恐るべしこーこちゃん。いったいあの子はどこまで常識はずれだというのか。

 

「はぁ……」

「なんというか、まぁ……ウチの取材に来た時にも思ったけどさ、小鍛治さんほどになるとプロ雀士も色々と大変だね」

「しみじみ言わないで。悲しくなるから」

 

 いくら辞退したくとも、こちらの取材班が会場内での取材を開始している時点ですでに私に逃げ場はない。

 そもそも実際問題として、宮永さんへの密着取材はこーこちゃんが一人付きっ切りで傍にいれば事足りる、というのもまた事実なのである。

 例えば私が高校生チームを率いて監督っぽいことをして遊んでいても、こちらの取材そのものに強く影響が及ぶなんてことはまずあり得ないだろう。そういった点でも、そちら方面から辞退申し上げることもできないでいる。

 八方塞がり、か。

 どんよりとした雰囲気を背負う私とは裏腹に、赤土さんは選手のリストと睨めっこしながら気持ちは既に団体戦の方を向いているようだった。

 ……そうだね。やるからにはそう簡単に負けるわけにはいかないし。

 さっさと気分を切り替えてしまおう。

 

「個人戦と団体戦、全部合わせて十四人だから……七人のチームが二つできるんだよね。勝ち抜けても負けても二戦やることになるから、プロのチーム戦みたいに入れ替えながらやれってことか」

「じゃあまずはチーム分け?」

「そうなるかな。小鍛治さん、なんかいい方法ある?」

「んー、そうだね。できるだけ戦力が両チーム均等になるように分けたいから――」

 

 

 まず、全国大会での順位を元にして、できるだけ振れ幅が小さくなるよう調整するならば。

 個人一位と個人四位と個人五位、個人二位と個人三位と個人六位が同じチームに振り分けられるのが理想だろうか。

 団体戦も同じ感じで順位どおりに組み合わせていき、準決勝敗退チームの四人に関しては戦力差を順位では測れないため、一旦保留にしておいた。

 

 そしてこの結果、謀らずとも宮永姉妹は別々のチームで参加する事が確定。

 

 まぁ花一匁的な決め方よりかは遺恨を残さないだろうし、妥当なところ……なのかなこれ。

 思わず納得してしまいそうになったけれども、実際に出来上がったリストを見てみると、どうにも首を傾げざるを得ない状況がそこにはあった。

 

[Aチーム] 監督:赤土晴絵

 宮永咲  [一年](個人:優勝)

 神代小蒔 [二年](個人:四位)

 荒川憩  [二年](個人:五位)

 竹井久  [三年](団体:二位)

 大星淡  [一年](団体:三位)

 

[Bチーム] 監督:小鍛治健夜

 宮永照  [三年](個人:二位)

 辻垣内智葉[三年](個人:三位)

 福路美穂子[三年](個人:六位)

 松実玄  [二年](団体:優勝)

 雀明華  [二年](団体:四位)

 

[残り]

 上重漫  [二年](団体:準決B)

 真屋由暉子[一年](団体:準決B)

 江口セーラ[三年](団体:準決A)

 鶴田姫子 [二年](団体:準決A)

 

 えーと、均等ってなんだっけ?

 偶然とはいえ、竹井さん以外の三年生がBチーム、逆に一年生が二人ともAチームのほうに集中してしまっているというのはさすがにどうかと思わなくもない。

 いくら学年が戦力の決定的な差ではないとは言っても、実戦経験なんかを含む色々なものを鑑みれば、どうしても片方に戦力が偏っているような印象を受けてしまうのは否めなかった。

 

「どう思う?」

「純粋な成績だけでみれば妥当と言えなくも無いけど、個人個人のネームバリューというか夏の大会での成績を考えたらAチームがちょっち心許無い気がするわ」

「それは私も同感かな……まぁ長野大会で直接やりあった時の成績を見たら、竹井さんと福路さんは同レベルくらいだと思うから、他の子たちもそれくらい細かく考えていけばわりとバランス取れてるのかもしれないけど」

「それを差し引いても、問題は神代さんと荒川さんのところじゃない? 順位差以上にその並びに違和感があるっていうか」

「んー、それは……そうかも」

 

 この面子でいえば、確かに気になるのはその部分。

 神代さんに関しては、間違いなく強者である。強者ではあるんだけども……対局毎の成績の振れ幅が大きすぎていまいちその順位に信憑性がないというか、実力そのものにも懐疑的にならざるを得ないというのが正直な所か。

 もっとも、万が一にもそれらの評価が御付きで来ている永水女子の面々に聞かれでもしたら、それはそれで大変なことになりそうなので、あまり大きな声では言えないけれども。

 

「あーゴメン、自分で振っといて何だけど。あの子に関してはもうさ、その時々にどれくらい『強い』のが降りてきてるか次第なんだから考えるだけ無駄なのかもよ?」

「あはは。身も蓋もない言い方だけど、それは確かに赤土さんの言う通りだよね……あ、じゃあこういうのはどうかな?」

 

 気を取り直して、別方向からのアプローチをしてみよう。

 例えばBチームには臨海女子高校の子が二人、逆にAチームには清澄高校の子が二人いるため、この二人のうちのどちらかを入れ替えてしまおうという提案。

 個人的な思惑もあって、宮永姉妹を同じチームに入れるのはご法度なので……実質こちらに引き取るのは竹井さん一択ということになる。これは確定事項だ。

 そうなると、ただでさえ三年生が偏っているBチームにさらに三年生が増えることになる、というのは流石に防ぎたい。故に二年生の雀さんと交換するわけにはいかないので、必然的に三年生同士=辻垣内さんと入れ替えることになるか。

 

「ああそれとさ、一年生どうする? 準決組の振り分け方次第だろうけど、バラけさせたほうがいいんじゃない?」

「うーん、そうなるとこっちに大星さんかなぁ。でもそうすると白糸台の子がまたこっちに二人揃っちゃうことになるよね」

「宮永さんがそっちのチームに入るんじゃダメなの? まぁそうすると今度は清澄の二人がまた一緒になっちゃうけど」

「嶺上使いの宮永さんは個人一位枠だから動かさないほうがいいと思う。それに……万が一にも宮永姉妹が組んだりなんかしたら、それはもう大変なことになるよ……? 赤土さん、分かってる?」

「うっ……」

 

 対戦相手の一角は、曲りなりにもプロである。但し、それでもやっぱり大惨事とまではいかなくとも、それに近いレベルでの破壊活動が行われるだろうことは火を見るよりも明らかだった。

 赤土さんもその危険性を身に染みて理解しているからか、無理して笑顔を形作ってはいるものの、その口元が露骨に引き攣っている。

 ……コホン。薮蛇になる前に話を元に戻しておこう。

 

「だからもう一年生が同じチームに固まっちゃうのは仕方が無いとして、真屋さんをこっちで引き受けたらいいんじゃないかな。それで江口さんをそっちに入れれば学年的なバランスは取れるんじゃない?」

「ふーむ、ならそうしますか。じゃあ残り、といっても決まってないのは準決組の二人だけだけど」

「私はどっちの子でも構わないけど、どうする?」

「こっちで選んでいいなら鶴田さんかな。夏に戦った事があるぶん特徴も掴めてるし」

「了解。なら私のほうは上重さんをもらうね」

 

 という感じの軽いやり取りを挟みつつ、赤土さんからの了承も得て両チームの組み分けは以下の通りとなった。

 

[Aチーム] 監督:赤土晴絵

 宮永咲  [一年](個人:優勝)

 辻垣内智葉[三年](個人:三位)

 神代小蒔 [二年](個人:四位)

 荒川憩  [二年](個人:五位)

 大星淡  [一年](団体:三位)

 江口セーラ[三年](団体:準決A)

 鶴田姫子 [二年](団体:準決A)

 

[Bチーム] 監督:小鍛治健夜

 宮永照  [三年](個人:二位)

 福路美穂子[三年](個人:六位)

 松実玄  [二年](団体:優勝)

 竹井久  [三年](団体:二位)

 雀明華  [二年](団体:四位)

 上重漫  [二年](団体:準決B)

 真屋由暉子[一年](団体:準決B)

 

「しかしまぁ……まさか小鍛治さんとこんな形で戦うことになるとは、ねぇ」

「ほんとにね」

 

 お互いに苦笑しながらも、思い出すのは十年前のあの日。

 選手として戦ったあの対局で、私は彼女に勝利した。

 だけど今日は違う。選手同士としてではなく、チームを率いて采配を振るう者――そう、監督として雌雄を決することになるのだから。

 なんといっても相手は今年度団体戦優勝校を率いて激戦の中を戦い抜いてきた名将である。

 雀士としての戦いであればこちらが王者として迎え撃つ形であっても、こと監督業に関して言えば逆にこちらが胸を借りる立場といっても決して過言ではないのだ。

 

 もっとも、実際に彼女の率いる高校選抜Aチームと戦うためには、どちらともが第一戦を順当に勝ち抜けるか、あるいはその真逆の結果となる必要がある。

 しかも率いているのが高校生チームである以上、全ての戦いにおいてほぼ格上のカテゴリとなるチームと戦うことになるわけで。

 状況的には正直言ってちょっと不利かな、とは思わなくもないけれど……。

 とはいえ、これだけのポテンシャルを秘めた綺羅星たちを率いておいて、いくら格上相手といえども易々と負けてしまうわけにもいかない。

 加えて、個人的な事情でしかないとはいえ、白糸台高校の采配云々についてアレだけの事を言ってしまった手前、選手に全部お任せだったりおんぶに抱っこの状態でこの戦いを迎えるだなんて、それこそ以ての外である。

 

 自業自得? 

 どちらかというと、あの映像を流出させた人間による陰謀以外の何者でもない気がするけど……。

 ……まぁ兎にも角にも。

 たとえこの場には〝アレ〟を知っている人間がこーこちゃん以外にいないといっても、あの発言を記録媒体という形で世に残してしまった私の自尊心(プライド)と矜持にかけて、ここは相手が例え誰であろうとも膝を屈するわけにはいかなかった。

 

 

 

 私の率いるBチームの面子の中で文句なしに()()()といえる人材といえば、順当に言って彼女しかいないだろう。

 

「というわけで、宮永さんを我がチームの主将に任命します」

「……?」

 

 午前中のプログラムとして現在行われているランダム対局第二戦を終えて戻ってきたようなので、高校生用スペースの片隅で休憩がてらおやつのプレッツェルを齧っていた件の少女にそう声をかけたところ、首を傾げられてしまった。

 それはそうか。

 きちんと説明しておきたいのは山々だけど、時間に融通のきく私はともかく選手側の休憩時間はそう長々と取れるわけじゃない。

 第三戦が始まってまた卓につくことになる前に、用件だけを簡潔に伝えておくことにする。

 

「えっとね、午後からチーム戦をやることになったんだけど。二つに分けたチームの片方を私が指揮することになったの。で、そのチームのキャプテンを宮永さんにお任せしようかなと思って」

「主将なら私じゃなくて経験がある人のほうがいいと思います」

「ああ、うん。言いたい事は分からなくも無いんだけど、はっきり言っちゃうと私の番組のほうの都合なんだ。ごめんね」

「……わかりました。お引き受けします」

「ありがとう」

 

 いちおう承諾はしてくれたものの、いまいち納得はしていないようである。

 そのなんともいえない面倒くさそうな表情から心情がハッキリと読み取れてしまった。

 申し訳ないなぁとか思いつつも、撤回する気はさらさら無いんだけどね。

 

「それでね。まぁ主将だから特別何をしてっていうのはほとんど無いんだけど。チーム名だけ考えておいてもらっていいかな?」

「チーム名ですか」

「うん。白糸台ではチーム虎姫って呼ばれてたでしょ? そんな感じで構わないから」

「……チーム名、チーム名……」

 

 難しい顔をしつつ、名前を呼ばれたので卓の方へと向かう宮永さん。

 彼女も妹さんと同じで文学少女だという話だから、その文学的なセンスでちょちょいと軽く考えて欲しかっただけなんだけど……これから始まる対局に影響がでなければいいなぁ、とどこか他人事のように呟いてしまう私であった。

 

 

 当たり前のことだけど、彼女の言う通り、主戦力がイコール主将に向いているというわけでは決してない。むしろ今回のメンバーの中から適任者を選ぶという観点から言えば、清澄で部長を務めていた実績のある竹井さんか、風越でキャプテンを務めていた福路さんあたりにお任せするのが真っ当な指揮官のすべきことなのかもしれない。

 しかし、真っ当でない私としては、上記の二人ではなくあえて宮永さんを選んだわけで。

 

 チーム作りにおいて、主将というのは軸である。

 しかし、一口に主将といってもそのタイプは多種多様、チームごとにその方向性は異なるものでもある。

 例えば、一人で〝エース〟と〝主将〟という二つの重要なポジションを担う実力派ワンマン社長タイプ。

 例えば、その智略によってチームを底から支えている戦術・戦略家タイプ。

 例えば、チームの中心にあり、その人柄で結束力を向上させる支柱(カリスマ)タイプ。

 etcetc...

 

 一発勝負の短期決戦においてチームの士気を引っ張り上げたい時、戦力差をどうにかしてひっくり返さなければ勝負にならなそうな時、長期に亘ってチームを作り上げたい時。当然ながら、その都度その都度で用途が違えば必要とされる主将の資質も自ずと変わってくるのが道理である。

 

 今回の場合、チームそのものが即日解散してしまうのだから、長期を見据えて土台に拘る必要性は皆無であること。また采配を振るうという立場に私がいる以上、主将が無理に智略で支えるタイプである必要もないといえること。

 

 福路さんの場合、ちょっと度が過ぎているのではと思ってしまうほどチームに対して献身的な面があるから、初対面の下級生たちが逆に恐縮してしまう可能性も決して低くはないだろう。

 また竹井さんのような存在には、ある程度自由な立ち位置にいてもらって、遊撃的な役割を果たしてもらいたいというのもある。

 

 そうなると、主将という肩書きが多くの役割を必要としない今回に限っては、単純に最も強い宮永さんにその背中でチームを引っ張っていってもらいたい、というのが偽らざる本音である。

 まぁ後は先ほどもちらっと言ったように、宮永照イメージチェンジ大作戦(仮)でこの状況を上手く使っていきたい、という裏の思惑もないわけじゃないんだけど。

 

 

 宮永さん以外のBチーム所属となった子たちにも、休憩時間を見計らいつつ挨拶代わりに声をかけて回ることにした。

 まずは臨海女子の雀明華、次いで姫松高校の上重漫、そして有珠山高校の真屋由暉子。この三人に関しては、私は相手の顔を知っているし、相手も私のことを知ってはいるだろうけど、ほぼ初対面といっていい子たちである。阿知賀の時のように根底に悪感情ありきという因縁の相手もいなかったおかげか、意外とあっさりとした対面だったといえるだろう。

 

 で、次に向かったのが、その阿知賀から代表者として唯一赤土さんと共に上京してきているドラゴンロードさん。この松実さんに関しては、例の企画の際、別れの間際に醜態を晒してしまったこともあって、未だに真っ直ぐ彼女の顔を見れなかったり……まぁ当の本人はといえば、いつもどおりのほけっとした顔だったから、できればそのまま忘れてくれるとこちらとしてもありがたい限りである。

 

 最後に、わりと親交のある長野勢に声をかけて回って、ようやく一段落。

 密着取材はこーこちゃんたちにお任せしてあるし、午後の団体戦が始まるまではこれでのんびりできるかなぁ、なんて甘いことを考えていたのも束の間。

 私個人に割り当てられている休憩用のスペースに戻ってきたのを見計らっていたかのようにして、その嵐はやって来た。

 

 金色の長髪を背後でざわざわさせながら、びしっとこちらを指差し仁王立ち。

 その嵐は、完全にその矛先をこちらへと向けていた。

 

「――っ小鍛治プロ!」

「あれ? 大星さん、どうしたの?」

「午後の団体戦っ、はちめんろっぴの活躍をして目にもの見せてくれるっ!」

「え?」

「そんでもってついでにかんるいにむせび泣かせてあげるんだから!」

「……うん?」

 

 何を言っているんだろうか、この子は。

 感涙に咽び泣くって、どんだけ心を揺さぶるつもりなんだろう。ちょっとやそっとじゃそんな状態にならないと思うんだけど。

 というか所々発音がぎこちないのは何故?

 

「……あれ?」

 

 キョトンと首をかしげながら見ていると、あちらもあちらで意図がきちんと通じなかったと理解したのか、首をかしげながらこちらを見ている。

 まるで鏡合わせであるかのような二人の間には、なんとも不思議な空気が形成されていた。

 こちらもあの勢いにノッてあげていればよかったんだろうけど、そんなことは今さらだ。

 あるいは一方的に捲くし立ててそのまま去っていれば、その勢いのままこの空気を押し切れたのかもしれないのに……。

 ああ、たしかにこういうところはちょっとアホな子っぽいなぁ、と思わず納得してしまう私である。

 

「おっかしいなー、宣戦布告するならこう言えば大丈夫だよって福与アナに教えてもらったのに」

「あ、うん。なんかごめん」

 

 自分のしでかした事ではないはずなのに、妙に気恥ずかしいのは何故だろうか。

 元凶には後できっちりと話をつけておいてあげるから、できればその、この間抜け時空から今すぐに脱出させてもらえないかな……。

 私が心の中でそんな呟きを漏らしていたところ、救世主は西の方角からやって来てくれた。

 

「淡……? 何を騒いでるの?」

「あ、テル。対局終わったの? プロに勝った?」

「うん。一位抜けだった」

「おお、さすがテルだねー。でも私も負けてないから!」

「その意気。頑張って」

「テルもねー」

 

「……」

 

 なんというほのぼの空間。さっきまでの間抜け時空とは比べ物にならないくらい居心地がいい。

 まぁそれに伴って、私の存在感は空気レベルになっているんだけれども。ここは下手に敵意を向けられるよりはましだと割り切ろうと思う。

 

「そういえば午後からの団体戦、淡とは別のチームになったね」

「ふっふっふー、テルには悪いけど今日の勝負は私たちが勝ぁぁぁぁつ!」

「そう。でも、私は負けない。淡にも――咲にも」

「そうこなくちゃ。テルと菫先輩が居なくなっても淡ちゃん率いる虎姫は大丈夫なんだぞってとこ、今日ここで見せてあげるからね!」

「うん。そっちは楽しみにしてる」

「任せて! それじゃまた後でねー」

 

 言いたいことを言い終えて満足したのか、大星さんは手を振りながら去っていった。

 当然のように、最後まで私のことはガン無視。というか途中からは存在そのものを忘れ去られていた感じさえする。

 おそらくは故意ではなく、素で。

 

「「……」」

 

 なんというか、本当に嵐みたいな子だと思う。

 寡黙な宮永さんとは真逆のパーソナリティでありながら、そこに何ら違和を感じさせない二人のやり取りを聞いていると――まるで本当の姉妹のようにすら見えてくるから不思議だ。

 しかしそうなると、向こう側でちらちらとこちらの様子を伺っていた妹さんの姿が、今度は逆に痛ましく思えるわけだけど。

 片岡さんくらい気安ければ今の会話にも自然と挟まってこれたんだろうに、あいにくと彼女は私と同じく引っ込み思案な性格っぽいからそれを実行するのは地味にハードルが高いのだろう。

 

 いま現在の立ち位置からすれば、宮永さんも妹さんの動向はきっちり視界の中に捉えていたはず。

 それなのに、彼女に関しては一切自分から歩み寄ろうともしないあたり、こちらはこちらでどうすべきなのかを見出せず、戸惑っているのかもしれない。

 なんとかしてあげたいとは思うけど、こればかりは無関係の他人には如何ともしがたい問題だからなぁ……うーん。

 

 ――あ、そうだ。

 気持ちと空気を切り替えるのにちょうどいい話題を思い出し、私は宮永さんに向き直る。

 

「そういえば宮永さん。チーム名は決まった?」

 

 あれからさほど時間は経っていないし、その間も彼女は対局していたワケである。

 なので、空気を換えるため、ダメで元々――だったはずのその問いに、しかし彼女はコクリと小さく頷いて、どこか誇らしげに胸を張りながらハッキリと周囲に通る声でこう言った。

 

「私たちのチーム名は、お菓子連合軍――でお願いします」

 

 ……えっ、それ本気で?




長らくお待たせして申し訳ありませんでした。
しばらくはまだ不定期更新が続くことになりそうですが、これからも健夜さんの珍道中にまったりとお付き合い頂ければと思います。
内容としては白糸台編というよりは番外編っぽくなってしまいましたが……戦いからは蚊帳の外でも、次回以降はきちんと他の虎姫さんたちも登場する予定です。
次回『第22局:品評@前門の虎姫、後門のお菓子連合軍』。ご期待くださいませ


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第22局:品評@前門の虎姫、後門のお菓子連合軍

※新話投稿に伴いまして、内容との整合性を考えた結果、第21局と第22局のサブタイトルを入れ替えました。少々混乱するかもしれませんのでご注意ください


「特典用企画第四弾! 『小鍛治プロ、監督に就任するってよ』のコーナー、はっじめるよ~!」

「えー、いろいろ突っ込みたいところはありますが……」

「まずそのタイトルはどうにかならないんですか?」

「なりません!」

「あっはい」

 

 清々しいまでの即答。

 それが今回の企画の始まりを告げる鐘の音代わりということから、いろいろと状況を察してほしい今日この頃ではあるけれど。

 

「ってことで。本日の企画はですね、先日行われたプロアマ交流戦ですこやんが監督っぽいことをやったんだけど、特別ゲストをお迎えしてそのVTRを見ながら解説――もとい、いろんな箇所に突っ込んでいこう! といった内容となっております。特別ゲストの皆さんは、こちらの三名でーす」

 

 わー、ぱちぱちぱち。

 

 賑やかしの声が白糸台高校の一室で空しく響く中、特典用企画の撮影が始まった。

 わざわざ学校側に用意してもらった大型のモニターを前にして、司会進行役のこーこちゃん。その隣に、右から順番に弘世さん、渋谷さん、亦野さんが座っている。

 そして私はというと、いつものアレな格好で給仕係を仰せつかっていたりするのだけれども。

 ……なんで私、初っ端からこんな残念な扱いなの?

 

「まずは白糸台高校麻雀部元部長、シャープシューターこと弘世菫さん。曲者ぞろいのチーム虎姫にあって、誰もが認める苦労の人!」

「あー、よろしくお願いします」

 

「その隣、白糸台の癒しの象徴、ハーベスターこと渋谷尭深さん」

「……よろしくお願いします」

 

「最後にチーム虎姫のオチ要因かつ涙目担当、フィッシャーこと亦野誠子さん。以上三名のゲストを迎えてお送りしていきます!」

「私そんな担当だったんだ……」

 

 がっくりと肩を落とす亦野さんだけど、他の二人はフォローをするでもなく黙ってお茶を啜っている。

 人員の扱いの格差に私のほうがちょっと泣けてきた。彼女にはぜひとも強く生きてほしい。

 

「じゃあ早速、企画のほうを進めていきましょうかね」

 

 アイコンタクトで指示を受け、用意されていたリモコンのボタンを押す。

 画面に大写しにされたのは、先週行われた親善試合を取材したときの映像。午前中の個人での戦いを終えて、昼休憩が終わった後の場面からだった。

 

 

 午前中のプログラムが終了し、各々で昼食を食べ終わった後。

 

「はーい、んじゃBチーム改めお菓子連合軍のみんなはこっちに集合しろー」

 

 というこーこちゃんの掛け声に引き寄せられるようにして、チーム所属の選手たちが集まってくる。

 三年生組の三人と、残りの一・二年生組の四人がそれぞれ固まってやってきた。

 全国大会の成績上位者を集めているだけあって、こうして顔ぶれだけ見てみれば、わりと強そうに思えてくるから楽勝のようにも思えるかもしれないけど……最初の戦いで一位抜けするのは難しいだろうというのが正直な感想だった。

 

 というのも今回、運が良いのか悪いのか、私たちが対戦することになる側のブロックに振り分けられたプロ選抜チームBには、あの戒能良子がいるからだ。

 今現在、手持ちの面子とAチームの両方の子を併せて考えても、彼女と互角に点棒を取り合うことができるだけの実力を有している人物が居るとするならば、それはおそらく宮永照ただ一人だけだろう。

 この二年間で双方の実力差があの頃より開いたのか、あるいは縮まったのか。

 実際に対峙してみない事には曖昧なままだけど、そんな不明瞭な点を考慮に入れたとしても、夏の大会で見た状態の彼女であれば、戦い方次第で互角以上の勝負に持っていくことは十分に可能な範囲だと思う。

 

 その一方で、将来的にはともかく妹さんのほうは今のままだと能力的にはちょっと厳しいかなとも思う。

 彼女のように突き抜けたオカルト能力で勝つタイプは対策持ちには滅法相性が悪く、自身の強みが抑えられると極端に(主に精神的に)弱くなってしまうものでもある。

 ここに集ったメンバーは夏の大会で手の内をほとんど曝け出してしまっているような状態であり、逆に彼女はそれを間近で見てきた側の人間だ。

 そんな、格上相手にさらに情報という名のハンディキャップを与えてしまっているような状況で、易々と譲ってもらえるほど戒能良子(トップレベル)相手の勝利は安くない。

 

 さておき、そんな相手と戦うことになること自体、運が悪いことの証左だろうか。

 ただ、能力相性の悪そうな妹さんのほうではなくて、姉のほうの宮永さんがいるBチーム(こちら)側が対戦することになったという意味では、逆に運が良かったといえなくもない。

 ここで()()()()との対局を最低限の損失で凌ぎさえすれば、両チームともが決勝卓へ進める可能性も高くなるということでもあるはずだから。

 まぁそのためには上手いこと試合を進めていかなければならないんだけど……それは監督である私の腕の見せ所ともいえるわけで、それを自覚して主に胃の辺りに重圧を感じる私とは裏腹に、

 

「じゃカントク、私は本来の仕事に戻るんであとはよろしくお願いします!」

「……了解」

 

 そんなことを言う福与さんはというと、かんっっっぺきに他人事ですとでも言いたいかのように、至っていつも通りのにやけ顔。

 二人とも同じ仕事をしているはずなのに、両者の間に蔓延っているこの温度差がなんていうかもう、ね……個人的にあとでちょっと痛い目に会ってもらいたいと切に願う所存ですよ私は。わりと本気でさ。

 まぁ、今回に限っては例のネコ耳メイドモードに着替えさせられなかっただけマシではあるけども、回数を重ねるごとに難易度が地味に跳ね上がっていってないだろうか、この仕事。

 

 ……ああダメ、これはダメだ。

 考えれば考えるほど思考がネガティブな方向へ転げ落ちていってしまいそうなので、気分を無理やり切り替えて選手たちのほうへ向き直り、ぺこりと頭を下げた。

 

「ええっと、みんな知ってるかもしれないけど一応もう一回自己紹介をしておこうかな。

 今回、監督としてこのBチー……コホン、お菓子連合軍を率いることになりました小鍛治健夜です。よろしくお願いします」

「「「「よろしくお願いしま~す!」」」」

 

 ほぼ全員が元気良く返事をしてくれたので、少しだけ沈みこんでいた気持ちが軽くなる。

 とはいえ、一番の懸念事項だったチーム名についてツッコミを入れてくる子が一人もいないのは何故なのか? と、ちょっと別の意味で不安も増してしまった。

 

 まさかとは思うけど、それだけ宮永さんのお菓子好きが世間に広く知れ渡っているのか。

 あるいは高校生雀士が共通の認識として抱いているであろう、その肩書きというか彼女の傍若無人すぎる勇名が、問答無用で反逆する気力を悉く削いでしまっているからなのか。

 気にも留めていないのか竹井さんは我関せずだし、関西出身とはいえ素でボケ倒す側の松実さんにそれを望むのは酷過ぎる。

 残された唯一の希望と言っても過言ではないだろうもう一人の関西系、姫松の上重さんはといえば。

 

「あかん……大阪人としてはツッコまん訳にいかん場面やのに、相手はあの元チャンピオン……くっ、こんな時に躊躇無く()()る主将がいてくれたら……っ」

 

 露骨に表情を引き攣らせながらも、しきりに何かの衝動から耐えるようにして黙り込んでしまった。

 こうなってしまうと最早、このチーム名が改善される機会はこの先ずっと完全に失われてしまったとみて間違いないだろう。

 逆に、せっかく全員が空気を読んでスルーしてくれたのだからと現実逃……気を取り直し、選手同士の自己紹介を軽く済ませてから大会ルールが詳しく書かれているプリントをそれぞれに配る。

 

 持ち点は各チーム十万点から開始で点数は引継ぎ、先鋒戦から大将戦までの半荘戦を一巡りで行う。

 打つ局数が半分になっているとはいっても、それ以外は基本的に全国大会で行われた団体戦とほとんど同じルールであり、夏に似た形式で戦ったばかりの彼女らからしてみればそう違和感は無いはずだ。

 細かく言えばローカル役の扱いだとか赤ドラの枚数変更とか色々とあるみたいだけど……まぁそこらへんは個人で把握しておいてもらえばいいとして。

 あとは何か……あ、そうそう。夏の大会とはちょっと違う形式を採用している、今大会専用の特殊なルールがあったっけ。

 それはどういうものかというと――。

 

『大将戦の南四局終了時点において、一位チームの総得点が十二万点未満であった場合、各チームから代表者を立てて代表者同士の半荘戦にて決着を付ける』

 

 ――という部分。

 簡単に言えば、一般的な半荘戦ルールでいうところの西入する場面と同じような扱いだと思ってもらえばいいかな。

 今大会のルールでは、大将戦がそのまま西入するのではなくて、各チーム一人ずつ選んだ代表がラストの半荘戦を戦って決着を付けることになる、ということ。

 まあ、普通に考えたらそうそうあるような状況じゃないし、対局中の流れに直接関わってくるわけでもない。選手たちにとってはあんまり深く考える必要が無い部分ともいえるので、説明も軽く流しておく程度でいいかなと、あえてそこに詳しく触れるようなことはしなかった。

 

「――ってことだけど、何か質問はある? あと試合が始まる前に言っておきたい事があったら聞くけど」

「ハイ」

「松実さん? なにかな?」

「あのー、お菓子連合って部分でちょっと気になったことがあるんですけど……もしや、ここにいる皆さんはやっぱりきのこよりたけ――」

「まだ試合始まってもいないのに仲間割れする危険性のある話題をいきなり自陣に放り込むのは止めてくれない!?」

 

 迂闊すぎるにも程がある質問を寸前でインターセプトする私。

 下手をすると第三次()()()()()()()戦争αが勃発してしまうところだったじゃないか、まったくもう。

 少し対応が遅れていたらと思うと……やっぱり私にとって松実玄という存在は、こーこちゃんや竹井さんとはまったく別の意味でちょっと危険な相手なのだと今更ながらに理解した。

 

 

「……お菓子連合軍て」

「てるてるが満を持して提示してきたチーム名だったらしいよ?」

「自信満々なドヤ顔が目に浮かぶようだな」

 

 さっそく頭を抱えているのは、まぁ当然というべきか弘世さんだ。

 こういう時の常識人は殊更不憫というか、いらぬ苦労を一手に背負わされてしまうものだというけれど、まさに今がそんな状況である。

 ああ、うん。こうやって他人事を装って語っている私としても、今回の事は正直遺憾というかですね……。

 思わず正気を疑って、咄嗟にその命名を否定しようとした私に見せた、宮永さんのあの悲しそうな瞳が妙に印象に残っていたりだとか。

 あのチーム名が歴代続いていくだろう公式記録として残されてしまったという事実が、如何ともし難い切なさを伴って今でも心の奥底で燦然と輝いていたりだとか。

 ……まぁなにはともあれ、現場にツッコミ要因たりえる人間が一人もいなかったのだから、これはもう避けられぬ悲劇だったと思うしかない。

 

「プライベートだと結構色々な本を読んでるみたいですけど、正直なところ宮永先輩ってあんまりネーミングセンスは良くないですよね?」

「ああ。まぁ、アレがいわゆる天才の感性というやつなのかもしれないが……普段の言動はそれはどうかと思うことがわりと多いな」

「天才とナントカは紙一重、って言いますし。そういうものなんじゃないですかねぇ」

「酷い言われようだな、元チャンピオン」

 

 あ、こーこちゃんが思わず素でツッコんでる。

 たしかに、思わず本音を漏らしてしまったらしい亦野さんの発言に対して、二人ともが揃って納得顔なのはどうなんだろうね?

 もしかして宮永さんって、虎姫の中だとけっこう弄られキャラなのかな。

 もしそうなら色々な意味でこれまで以上に親近感を抱いてしまいそうだ、なんて思いつつも。

 

 そんなちょっと生暖かい雰囲気の室内を他所に、その間も映像はずっと流れ続けているわけで。

 あっちで四人の会話がなされているうちに、場面はちょうど一回戦の先鋒戦の開始前となる頃にまで進んでいた。

 他の対局者たちに先んじて、緊張しているだろうその表情を隠さないまま、試合が行われる卓へと歩み寄る人物が一人――。

 

「……あれ? Bチー……じゃないや、お菓子連合軍の先鋒って宮永先輩じゃないんですね?」

「あー、それは現場で私も疑問に思ったところなんだよね」

 

 全員の視線が、モニターの傍に佇んでいるこちらへと向けられた。

 ただ、私にはこの場での発言権が与えられていないため、それも華麗にスルーするしかない。

 

 解説する側とされる側、立場が入れ替わったかのようなこの企画。とりあえずゲストの三名様には、先日の大会の映像を見ながら好き勝手言わせることになっているらしい。

 しかも、途中で采配に関する意図を問われても、決して自分の考えというものを明かしてはいけない――と事前にディレクターから勧告を受けていたりする。

 つまり、反論する権利はおろか肯定することさえも私には許されていないのである。

 さすがここまで露骨にやられれば、察しの悪い私であってもこれはいつぞやの意趣返しかと理解してしまうわけで……今回はもう、こーこちゃんが主導すると(主に私にとって)碌なことにならないという典型的なパターンだった。

 

「チームのエースが先鋒に、というのがセオリーだとして。この場合、身内びいきな意見というのを除いても宮永先輩以上の適任者は見当たらないと思うのですが」

「たしかにそうだよね。私もそう思う」

「いや、そうは言うがな、二人とも。今年の春まで照は白糸台でも大将だっただろう? 例の小鍛治プロの発言を考慮するならば、配置の問題はチームの事情とコンセプト次第ということじゃないか?」

「あ、そう――ですね」

「ということは……先行逃げ切りじゃなくて、後半で勝負ってことですかね? となると宮永先輩は大将、ってことか」

「おそらくは、な。今回の大会の性質上、各校の攻撃タイプが集まっているはずだから、下手に火力重視で逃げ切りを狙うと()()の二の舞になると踏んだのかもしれん」

「な、なるほど……」

 

 無表情で淡々と喋る弘世さんとは裏腹に、亦野さんは露骨に引きつった表情を見せる。

 こちらとしては、最初からそこまで某チームにあてつけて考えたわけではないんだけども。結果としてそんな感じの配置になってしまっているのは否定できないかもしれない。

 

 最終的には回避している私が言うのもなんだけど、変則的オーダーでもない限りまずは先鋒の部分こそがチームの軸となるという考え方に異を唱えるつもりはないし、そうであれば、そこに手持ちの中で最強の駒である宮永照を据えるべき――という意見は、理に適った考え方だとも思う。

 ただ、弘世さんが言うように、そもそも成績が上のほうの子たちを集めると自然と戦力がエース格……というよりも、先鋒あたりに集中してしまうというのは近年の傾向からすれば至極当然の流れなわけで。

 実際に今回召集された個人戦上位の選抜メンバーの中で、六人中五人もの人間がチームで先鋒を任されていたという事実からもそれは裏付けられるだろう。

 そして元々『先鋒』というのはその特性上、エース云々を差し引いたとしても、他と比べるとより攻撃力が重視されがちな場所でもある。

 

 即ち――先鋒が多く集まっている現状、構成するメンバーが中途半端に火力寄りの傾向。さらに飛び抜けた実力者が一人いる。

 

 こうやって考えてみれば、自ずとこの即席チームの構図が、とある高校の某チームに似ているということに気が付く人もいるだろう。

 別に何某かが企んでそうなった訳ではないはずなのに、いつの間にやらこうなってしまっているのだ。

 これはもはや、こーこちゃんかあるいは白糸台監督か、どちらかの陰謀論を唱えてもいいくらいだと思う。

 そこまでいうならお前がやって見せろ――とでも言わんばかりの状況が、まるで誰かにお膳立てされているかのような状態で、そこにはあった。

 

 

 そんなこちらの心情なぞ露知らず、ゲスト三人の会話はモニターを見ながらも続く。

 

「先鋒が宮永先輩じゃないのはまぁいいとして、あの人……うーん、どこかで見たような?」

「ああ。あれは――長野の個人戦第一位、全国個人で六位だった風越女子の福路美穂子だな。

 これまでの大会や夏の個人戦での戦いを見るに、照や淡のような派手な和了はない堅実派の印象だが……気がつけばいつの間にか点を稼いでいる、そんな感じの打ち手だったか」

「それ、相手にすると一番厄介なタイプですね」

 

 後輩の疑問に対して、さして間を置かず答えてみせる弘世さん。

 こういったところはさすが強豪校の部長さんといったところだろうか。

 まぁ二人とも同世代だし、福路さんの場合はそもそも何度も全国大会に出場している程の実力者なんだから、知っていても別におかしくはないんだけど。

 というかむしろこの場合、彼女を知らなかった側のほうが問題な気もする。

 

 

 高校選抜、大学選抜、アマチュア選抜と、続々と現れる各チームの先鋒たちが卓へ向かうその光景をモニターの中に確認しつつ、現れたメンバーのプロフィールについての雑談を始める一同。

 その中で、まず最初にそれに気づいて小さく声を漏らしたのは、渋谷さんだった。

 

「あ……」

 

 卓を囲むことになる最後の一人――プロチームから送り込まれた人物を周囲が把握したその時点で、モニターの中に広がる会場の空気が凍りついたような気がする。

 それはいま私たちがいる部屋の中も同様であって、モニターに映し出された彼女の不敵な笑みを捉えた瞬間それは最高潮になっていただろう。

 

「うわぁ、いきなり戒能プロが来たよ……」

「いつかはどこかで当たる相手とはいえ……それにしてもこれは、プロチームはもう完全に先行してから逃げ切るつもりと考えるべきでしょうか」

「ふむ。団体戦ということであれば、ある程度は予想通りの展開と言っていいかもしれんな」

 

 画面の向こう側から漂ってくるただならぬ空気に、三人ともが表情を険しくする。

 

 良子ちゃ……いや、ここはあえて戒能プロと呼ぼうか。

 その腕前はもちろんのこと、ネームバリューも群を抜いている彼女。

 しかも昨年度の新人賞、さらにシルバーシューターという二つのタイトルを持っていることが、プロ勢の中でも頭一つ抜けた実力者であることを雄弁に物語っている。

 あの会場に集っていた参加者たちの中で、彼女こそが最も恐れられるべき雀士であるということはまぁ今更言うまでもないだろう。

 

「……しかし、戒能プロか。彼女が今年の参加者に名を連ねるとは、これもある種の因縁なのかな」

「そういえば、二年前のインターハイで宮永先輩はあの人と直に戦ってるんでしたっけ?」

「ああ。この夏までの二年半の高校生活で照が唯一負けた――いや、逆だな。宮永照に公式戦で唯一土を付けた事のある高校生というのが、当時三年生のあの人だった」

 

 天井を仰ぎ、どこか遠くを見ているかのような表情の弘世さん。

 おそらく当時のシーンを思い出しているのだろう。

 

「へぇ、そうなんだぁ。すこやん知ってた?」

「……そりゃ知ってるよ。たしか準決勝の時にちらっとそれっぽいこと喋ったと思うんだけど……言わなかったっけ?」

「え、そうだっけ? ゴメン、ぜんっぜん記憶にないや」

「もう、こーこちゃんはいつもそうな……」

 

 ――って、あれ?

 よくよく考えてみたら喋ってないような気もしてきた。

 先鋒戦が終わった直後だったし、色々とバタバタしてたからその先ぜんぜん会話続かなかったんだっけ……うーん。

 

「いやー、アハハ。実況中は常にハイテンションでぶっ飛ばしてるからさー。

 だいたいその場のノリとかで突っ走っちゃうし、ほら、それでなくてもすこやんの話となると聞き流しちゃうこととかも多いじゃん?」

「それ胸張って言うようなことじゃないし……っていうかせめて試合中の話くらいはちゃんと聞こう!?」

 

 フフンと誇らしげに語るこーこちゃんに、ついつい身を乗り出してしまう私。

 だけど、当然ながらこーこちゃんにダメージはまるで通らなかった。隣で弘世さんや渋谷さんがウンウンと頷いてくれているからまだマシだけど、その無視っぷりは中々に酷いといわざるを得ない。

 ――いや。

 それどころか、いきなり胸ポケットから黄色の紙切れを取り出してこっちに突きつけてきて一言。

 

「おおっと、そこなネコ耳メイドさん。本日に限ってだけど、キミは必要以上に目立っちゃダメなんだわ。てことでイエローカード一枚目を進呈ね」

「理不尽!?」

「ほら~、今回の主役はここの若い三人なんだから。さっさと定位置に戻った戻った」

「いやいやいや! ていうか私に話をフッてきたのこーこちゃんだったよね!?」

「あーあー、聞こえなーい」

 

 思わず飛び出した理沙ちゃんばりの華麗なツッコミも、やっぱりスルーされてしまう。

 さすがに今回ばかりは納得いかない……けど、こーこちゃんの理不尽さは今に始まったことではないし、正直こんな扱いに今更感があるのも事実。慣れって怖いな。

 

「……わかる、みんな? これがダメな大人の典型だからね。間違ってもこんなになっちゃダメだよ」

「まぁ、なんです。小鍛治プロも大変ですね。色々と」

「後でお茶、お入れしますね」

「がんばってください小鍛治プロ! 私も似たような扱いを受ける者として応援してますから!」

 

 ああ、見守る三人の視線が温水プールの水と同じくらい生暖かい。

 これが彼女と組まされた私の抗えない運命というものなんだろうか。人生ってわりと無情だなぁとしみじみ達観してしまいそうになる。

 

「えーと、それでだ。何の話してたんだっけ?」

「先鋒戦の顔ぶれについてと、宮永先輩と戒能プロの昔の対戦についてのお話では?」

「あ、そうだったそうだった。じゃあとりあえずそこに話を戻すとして……ってまぁどっちにしろ戒能プロとてるてるがここで戦うことにはならないんだけどさ。その辺り渋谷さんはどう思う?」

「え――私ですか?」

 

 話を振られた渋谷さん。コホンと一つ咳払いをしてから、湯飲みを下ろしてこーこちゃんのほうに向き直る。

 いや、別にお茶飲んでてもいいけどさ。収録中なのに寛ぎすぎてやしませんか。

 

「私の身内びいきな意見かもしれませんけど、宮永先輩はその頃とは比べ物にならないくらいに強くなっているでしょうし、できれば同卓してリベンジしてもらいたかったというのが個人的な思い……ですかね」

「ふむふむ。渋谷さんとしてはここで二人にぶつかってみて欲しかった、と?」

「はい。勝てるかどうかまでは分かりませんけど、あのチームの中で戒能プロ相手に拮抗した試合ができるのなんておそらく宮永先輩くらいではないかと。他の出場者たちには申し訳ないのですが」

「うーん、でもそれはウチの生徒だけじゃなくてみんなが思うことじゃない? 私も、やっぱり宮永先輩は先鋒のほうがよかったんじゃとも思うんだけど」

「亦野さんも似たような意見なんだね。んじゃこの中で唯一当時の宮永さんを知る弘世さんとしては?」

「……そうですね。ここは、二人の意見とほぼ同じ、と言っておきましょう」

「ほぼ?」

「ええ。あの頃の二人の対局を知る者として――いや、あいつと同世代の一雀士としても、若手ナンバーワンと称されるプロ相手に今の照がどれだけやれるのか、それを知りたいという思いがあるのも確かですね。

 それに采配における定石、先鋒にはエースという流れから考えてもここは照で行くのが妥当だということも理解しています。

 しかし、小鍛治プロはあえてそうしなかった。

 であれば、私たちの想像を超える何か、それ相応の深い理由というのがきっとどこかにあるはずで――個人的にはむしろそちらのほうが少し気になっている、といったところでしょうか」

「ふむふむ、なるほどなるほどなるほどー」

 

 弘世さんのその奥歯に物が挟まっているような感じの意見に、二年生の二人はどこか不思議そうな表情を浮かべる。

 そんな中でただ一人、こちらに向けてちらりと視線を飛ばしてきたこーこちゃんが、意味深な笑みを浮かべていたりするのが不気味で仕方が無いんだけど。

 

「じゃあここで先にお菓子連合軍の一回戦のオーダーを発表してみましょうかね。メイドのすこやん、準備のほうヨロシク」

「……了解」

 

 横にスタンバっていたホワイトボードを、実況解説席に座っている全員に見え易い位置まで引っ張り出して、そこにあらかじめ用意されていた出場者名を順番に貼り付けていった。

 

 [先鋒] 福路美穂子

 [次鋒] 上重漫

 [中堅] 雀明華

 [副将] 真屋由暉子

 [大将] 宮永照

 

 補欠:竹井久、松実玄

 

 えっと、たしか一回戦はこんな感じだったかな。

 並べ終えて一歩後ろに下がると、四人の視線はすぐにホワイトボードへと集中する。

 

 

「ああ、やっぱり宮永先輩が大将なんですね」

「ふむ。大将と次鋒以外のメンバーは各学校で任されている通りの配置だな」

「あー、そういえばそうですね……ってまさかとは思うけど、余ったところをじゃんけんで決めてたり、消去法で埋めてたりはしてないですよね、これ?」

「さすがにそれは無いと思うけど」

「そうだぞ亦野。いくらなんでもそれは小鍛治プロに失礼じゃないか」

 

 なんてやり取りが聞こえてくるけど、否定も肯定もできないルールがある以上、私としては黙して語らずを貫くしかない。

 まぁ、ポーカーフェイスで淡々と与えられた仕事をこなす中、ゲスト席から見えない部分には既に大量の冷や汗が滝のように流れ続けていたりしているんだけども。

 ああもう、こんな心臓に悪い仕事は今回限りにして欲しい。

 ……なんてこっそり一人で思っていた矢先。

 

「さて。それじゃとりあえず先鋒戦の続きを見てみよっかね。すこやんビデオの再生よろ~」

 

 こーこちゃんのそんな呑気な声に反応して、私は一時停止ボタンを解除した。

 

 

 

 先鋒戦。東家に大学選抜チームのインカレ個人戦第三位の子、南家にはアマ選抜の私と同年代の女性で、西家にプロ選抜チームの戒能良子、そして北家に福路さんという並びで対局が始まった。

 

 プロ選抜チームを除く三チームにとって、最も警戒すべき対象は言うまでもなく戒能良子である。

 故に暗黙の了解の上で徹底的に戒能良子をマークして抑え込む、いわゆる共同作戦を仕掛けるのも一つの手段ではあるだろう。

 目的の相違による意図の分散という点で上手くいくかは未知数だけど、現実的に彼女を抑え込もうとするならば最も有効的な作戦ともいえる。

 ただ――それはこの戦いが()()()()()()()()()()()()()、という話でもあった。

 

 形式上は確かにチーム戦として行われている試合かもしれない。

 でも、今回のこれはチーム戦であってチーム戦ではない。少なくともあそこで卓を囲んでいるであろう面子の意識の上では、これは限りなく個人戦に近いモノのはずだった。

 個人として高い評価を得たい彼女らにしてみれば、チームとしての勝利にさほど意味はないのだ。この戦いの意義は同卓したプロと比べて自分がどれだけ稼げたかという一点に尽きるといっても過言ではない。

 だからこそ、彼女らは自分の収支を抑えてまでチームプレーに徹するなんて選択肢はまず選べない……いや、選ばないはず。

 

 試合が進んでいくにつれ、その傾向はより顕著になっていき――その方針の成否が結果として数字にハッキリ示されるようになってきたのは、東場が終わって南入した頃だっただろうか。

 この時点で点数的に浮いているのが、戒能良子を送り込んできたプロ選抜チームただ一つ。

 大小の差は有れど残りの三チームは軒並み原点を割り込んでいて、あろうことか一位のチームと最下位との点数の差は、この時点で既に七万点を超えていた。

 

「圧倒的ですね……」

 

 その仕上がりっぷりには、渋谷さんも湯飲みを片手に感嘆のため息を吐いた程である。

 亦野さんに至っては、引きつった表情で心底気の毒そうに首を小さく左右に振っていたり。

 

「ねぇ尭深。なんだかあの表情とか見てるとさ、インハイで宮永先輩と戦ってた他校の先鋒の人たちを思い出すんだけど……」

「……お気の毒に」

 

 なにがどう、とは言わないまでも同感ですと深いため息を漏らす渋谷さん。

 まぁ、そういう感想になるのは仕方がないかも。

 私も現地で見ていた時に、彼女らの表情を見てちょっと同情してしまったくらいだから。

 それに彼女らにしてみたら、全国大会の時は加害者(?)の側だったけれど、今回の場合は単なる傍観者に過ぎないコメンテーターの立場である。あの時と比べれば遥かに気楽なものだろう。

 とはいえ、そんな対岸の火事を眺めているようなまったりムードの中でただ一人、弘世さんだけは険しい表情を隠そうともせずじっとモニターを睨みつけたまま動かない。

 

「って、どうかしたんですか? 弘世先輩?」

「……恐ろしい女だな」

「恐ろしいって、戒能プロがですか? まぁ若手の中だとぶっちぎりで実力ナンバーワンだって話ですし――」

「いや、違う。私が言っているのは、彼女だ」

 

 亦野さんの言葉を遮って、モニターを指差す。その先には劣勢の展開の中にあってなお、春の日差しを髣髴とさせる柔らかな微笑みを携えて――対の異なる彩を瞳の中に光らせる、福路さんの姿があった。

 

 

 先鋒戦終了時の順位としては、一位のプロ選抜チームが他チームを大きく離してトップに立ち、二位には我らがお菓子連合軍、そのちょっと後ろに三位の大学選抜チームがいて、そこからさらに二万点ほど離れた位置にアマ選抜チームという結果となった。

 収支だけを見れば、まぁ惨敗っぽい感じではあっただろう。

 といっても点数がマイナスなだけで二位に着けているんだし、結果としては御の字だともいえる。

 

 続く次鋒戦、更に続く中堅戦と順調に試合が進んでいく中で、点数の増減に伴って順位の入れ替わりも目まぐるしく展開していく。

 今回次鋒として抜擢した上重さんはというと、インターハイ準決勝で見せたあの爆発力を見せ付けることもなく、とはいえ致命的になりそうなほどの失点もなく、といった感じで淡々とマイナス収支で戻ってきた。

 この時点で順位は三位に転落し、繰り上げで二位にインカレ選抜チーム、一位のプロ選抜は点数を若干減らし、その減収分を取り込んだ最下位のアマ選抜チームが追い上げはじめる。

 

 続く中堅戦では故意か偶然か、序盤から雀さんとアマ選抜の女性二人がインカレチームを狙い打ちにする展開に。点数を積み上げそれぞれが二位・三位へと浮上すると、一気に点数を減らしたインカレ選抜が最下位に落ちてしまう。

 一方トップを維持し続けているプロ選抜は、その間隙を縫う形で次鋒戦で減らした分を取り返し、この時点で既に三位とは七万点差以上に。まだこちらに宮永照が控えているため安全圏とまでは断じないにしろ、残り二人がよっぽど下手な打ち方でもしない限り、二位以上での予選通過はまず間違いないだろうという位置にまで来ていた。

 

 

「はいはーい。それじゃいったん映像を止めて、三人にはここまでの感想を聞いてみましょうかねー」

 

 中堅戦が終了したのを見計らって出されたこーこちゃんからの合図。それと同時に今度はデッキの停止ボタンを押す。

 というか、どうしてこういうところでハイテクを導入せずしてあえて人力を投入するのか非常に謎ではあるんだけど……それはそれで、この仕事が無ければ今回の私ってただ棒立ちなだけの猫耳メイドでしかないという切ない現実もそこにあるというジレンマ。

 その辺りはこう、複雑な乙女心とでもいいますか。

 ただ、そんなちょっぴりセンチメンタルなこちらの心情などいっそ養殖のマグロにでも食べさせてしまえとでもいわんばかりに無関心な状態で、コメンテーターたちの会話は既に始まっていた。

 

「うーん、ここまでの結果でキーポイントになってるのってやっぱ先鋒戦ですよね? あそこで想定以上に他家が沈んでくれたおかげでなんとなく二位で抜けられてラッキーだったっていうか」

「福路さん、でしたか? あの方も頑張ってはいましたけど……親番の戒能プロに連続で高目を振り込んだアマ選抜チームが自滅したことで得た二位、という感じでしたからね」

「というかさ、やっぱり戒能プロが凄すぎるんだよ。収支もそうだけど、和了率も一人だけ別次元だったじゃない?」

「うん、それはそうだね……弘世先輩はどうでした?」

「四人の中で戒能プロが抜きん出ていた、その意見には概ね同感だ……が、先鋒戦二位抜けという結果をラッキーだけで済ますのはどうかな」

 

 後輩二人の導き出した意見に少しがっかりした様子の弘世さん。

 腕を組んだまま首を振ることで、言葉と態度の両方で否定して見せる。

 

「先輩としては実力通りの順位だったように思う、ということでしょうか?」

「実力差どうこうはさすがに一回の対局だけだと分からんが、少なくともプランどおり戦えたのは戒能プロを除けば福路だけだったんじゃないか?

 自分が他家に狙われるのを分かっていて、それを逆手に取るような打ち回しをしていたように思えたが」

「えー? でもあの人ほとんどやられっ放しじゃありませんでした?」

「いや。たしかに東四局の二本場で戒能プロからハネ満の直撃を喰らいはしたが、それ以外に彼女は失点らしい失点をしていないんだよ。

 そこからツモ和了なんかで削られてはいるが、少なくとも一方的な負けという程ではなかった」

「うーん、そうでしたっけ?」

 

 どこかしっくりこないらしく、しきりに呟きながら首を捻る亦野さん。だけど、実際に残っているデータ的には弘世さんの言うことのほうが正しい。

 実際に福路さんが振り込んだのは全体を通して三回ほどあった。

 そのうち戒能プロの狙い通りの一撃を回避しきれず直撃されてしまったのは一度だけで、残りの二回はどちらも想定内、安手に振り込んでの軽い失点だけだったのだ。

 

 データを目の前に提示されれば亦野さんとしても納得するしかない。

 ただ、むしろこの場合の話の焦点は別のところにあるのだと弘世さんは話を続ける。

 

「実際に彼女がずっと狙われていたのは事実だよ。ただでさえたまに飛んでくる戒能プロからの攻撃が厄介だというのに、さらに他の二人からも同時に矛先を向けられていた。

 むしろ、よくあの包囲網の中をかい潜って二位抜けしてみせたと言うべきか」

「そういえば……特にあのアマ選抜の人、大量失点してからは福路さんを執拗に狙ってましたね」

「ああ。私も似たような打ち方をするからよく判るが――あれは完全に福路を狙い撃とうとしていたな」

「え、それってシャープシュートと似たような技術ってことですか? ていうかあの人それを避けきったってことですよね!?」

「少なくとも相手の狙い通りの形で振り込んだことはなかった。一度だけなら偶然だろうが、あそこまで徹底しているのなら狙って避けていたと考えるべきだ。私が阿知賀にやられたように、な」

「うわぁ……やっぱりあの人もあっち側の人間なんですね。さすがは個人戦上位ってことなのか……」

「他人事みたいに言ってるけど、来年は私たちもそっち側にいかないと……」

「いやまぁ、そりゃそうだけどさぁ」

「お前たち、気持ちは分からんでもないがあっち側とかそっち側とか不穏当な言い方をするのは止めろ」

 

 まぁ言いたいことは十分伝わってくるんだけどね。

 ――それはともかく。

 弘世さんの言うとおり、福路さんはわりと早いうちから他家に狙い打たれていた。

 だけどそれは、包囲網を敷いて戦うのではなく個別での戦いになった時点で分かっていたことでもある。

 点数を稼ぐという意味で言えばプロ相手に仕掛けるよりは格下を狙ったほうがよほど効率もいいわけで、そうなると真っ先に狙われるのは誰か――ということになれば、おのずと答えは決まってくる。

 

 そうしてある意味順当に両側から狙い打たれる格好になった福路さんだったけど、その悉くをかわし続けて最後まで見事に凌いでみせた。

 狙いを絞ることなく満遍なく暴れ回ったプロチームの猛威があったから点数こそマイナスになってはいるけれど、一強三弱状態の卓に座ることになってしまった先鋒としての最低限の役割はきっちりと果たす結果になったといえるだろう。

 少なくとも私は、ここまでの結果に関して出てくる文句は一つも……まぁ雀士的に無いわけでもないけど、監督としては無いといってもいいくらいである。

 それは映像を見ていた弘世さんも同意見のようで、いったい何にそんなに感心したのか、しきりに頷いている姿が目に留まった。

 

 ……あっ。

 ちょっと待って。なんかこのパターン、逆に嫌な予感がしてきたんですけど……?

 

「しかし……実際に戦う姿を見て、ようやく彼女を先鋒に持ってきた理由が分かったような気がするな」

 

 そんな私の悪寒めいた予感は、弘世さんがポツリと漏らしたその一言で現実味を帯びてくる。

 

「ほう? さすがは弘世さん。今ので何か気づいちゃった?」

 

 そして何より、後輩二人が試合についての話をしているその横で、小さく囁かれた程度のその声を聞き逃さないあたりはさすがこーこちゃんとでも言うべきか。

 この辺りはアナウンサーの本領か、キラリと目を輝かせながら即座に食いついていく。

 はっきりと誰が悪いともいえないこの状況の中、この時点でもはや予感は確信にまで至っていた。

 

「ええ。今回の先鋒戦のように一人だけが桁外れに強いという状況だと、選手を送り込む側はとても難しい判断を迫られます。

 もし仮に送り込まれていたのが次鋒の上重のような火力特化型の雀士だったなら、逆に呑まれて一切身動きが取れなくなってしまっていたでしょう。かといって送り込まれていたのが防御型の雀士だったとしても、あの猛攻の前では普通に耐え切れずに決壊してしまう危険性が十分あった。

 正直なところ、唯一正面から対抗できそうな照を戒能プロにぶつけなかった以上、先鋒戦での大幅な失点はやむなし、後半で失点を巻き返す腹積もりだろうと考えていたんですが――」

 

 言いかけて、ちらりと私のほうを見る。

 その瞳にある種の尊敬や敬意に値する感情が込められているように感じるのは、たぶん私の気のせいではないだろう。

 いや、むしろ気のせいであって欲しかったんだけど……。

 

「最大の敵に対し、最高の駒をぶち当てて影響を最小限に抑え込む。これは一見効率が良さそうにも思えますが、場合によっては裏目に出る可能性も決して小さくありません。

 それどころか基本的に格上相手との戦いが続くことになるこの試合では、こちら側も最強の駒を失ってしまうこの策は『諸刃の剣』だといっても決して過言ではなかった。

 ――亦野、私が言っていることの意味は分かるな?」

「えっ? ええっと……あー、先鋒で同格の()()()同士が潰し合うってことは、結局残りの四人での勝負になっちゃう。そこで負け越さないことが前提の策だから、プロを相手にしなくちゃいけない今回はそれだと不利だったってことですかね?」

「そうだな。上手くやれば確かに相手の最大の武器を封じ込めた上で後半勝負に持ち込める。だがそれは結局、こちら側も最強のポイントゲッターを防御目的で()()()()()()()()()消費しなければならなかった、ということでもある。

 立場を逆にして、()()に対する他校の傾向から考えれば分かりやすいか。先鋒にエースをぶつけてくるような高校は、どちらかといえば戦い易かっただろう?」

「ああ、確かにそうですね。言われてみれば、苦戦したのってわりと後半勝負の高校が多かったような」

「後半勝負、新道寺……うっ、頭が……っ」

 

 あ、流れ弾で亦野さんのトラウマが抉られてしまったっぽい。

 だがしかし、コメンテーター席にいる人たちは誰も頭を抱えて机に突っ伏してしまった彼女を気にかけぬまま、説明は淡々と続けられていく。

 

「新道寺か。たしかにあそこの今年のオーダーは後半勝負の典型みたいな形になっていたな。

 そしてあのメンバーの中で彼女――福路が先鋒として抜擢された理由は、まさにそこにこそあったのではないかと私は見た」

「ん? それってつまりすこやんは新道寺の対白糸台用戦術をパク……もとい、参考にしたんじゃね? ってこと?」

「参考にされたのかどうかまでは分かりませんが、コンセプトとしては似ていても形は大きく違っていたのではないかと。実際、先鋒に与えられた役割は似ているようで決定的に違うように見えました」

 

 パクりってまた失礼な言い方をあえてしているこーこちゃんはともかく。

 我が意を得たり――とでもいうのか、核心に至って饒舌になった弘世さんの独擅場はもう止まりそうにない。

 

「福路は場の流れを読むのに長けているのか、他家からの攻撃をそのまま別の他家に受け流すのが異様に上手かった。

 あれだけの火力に対して防御し続けるだけではどうしてもジリ貧になるしかない。しかし、ああやって上手く他家に受け流してダメージを負わせることができれば、相対的にそれだけ自分たちは上位に近くなるということでもあります」

「ふむふむ――」

「しかしそうはいってもあれだけの面子です。言うだけなら簡単な話ではありますが、実際にそれだけのことをやってのけるのは、当然ながらかなり難しいと言わざるを得ない。

 小鍛治プロもそれは当然分かっていたでしょう。

 ですが、あえてそれを選択した――彼女に対しての期待値がそれだけ高かったからなのか、予めその特性を見抜いていたからなのか……どちらにせよ、あえて照ではなく彼女に先鋒を任せたことで、結果的に高校選抜Bチームの――」

「あ、お菓子連合軍ね」

「……お菓子連合軍の予選突破の確率を100パーセントへとより近づけることに成功しました。

 相手の切り札は上手く凌いで、こちらの最強のカードは未だ場に伏せたままという状況。

 最後にエースが残っているという安心感を味方に与えるという意味でも、逃げ切りを目指す相手チームにプレッシャーをかけられるという意味でも、これはかなり有利です。

 実際にこうして中盤戦までの戦いを見るに、これはとても大きなアドヴァンテージになっているはず」

「ほぅほぅ――」

「ここまではおそらく小鍛治プロの目論見どおり事が進んできているのでしょう。

 副将に一年を起用した理由もこの一連の流れと関係しているはずなので、個人的なここから後の見所としては、真屋がどんな打ち筋でもって大将まで回すのか――といったところになってくるのではないかと」

「はぁ~ん――なるほどねぇ」

 

 最後まで一気に語り終えた弘世さんは、どこか満足したようにため息を吐いて背もたれに身を預ける。

 というかこーこちゃん、途中のやる気のなさそうな合いの手は逆に喋りの邪魔っぽかったんだけど、いったい何がしたかったのか。

 

「いやはや、さすが強豪校の部長さん。あれだけの映像でそこまで分析しちゃうとはねぇ」

「いえ、その褒め言葉は私ではなく適材適所を見抜く眼力と冷静な状況判断力とを兼ね備えた小鍛治プロにこそ相応しいでしょう。正直、名プレイヤーは名監督にはなれないというジンクスがあるので、映像を見るまで半信半疑ではあったんですが……」

「んふふ、まぁそこはなんといっても私の――わ・た・し・の! すこやんだからね!

 世の中にはさ、アラフォっても鯛っていう諺だってあるじゃない? 伊達に最年少で永世七冠なんてぶっとんだ記録をしれっと達成してるわけじゃないってことよ」

「何気にさらっと小鍛治プロを自分のもの扱いしてる!?」

「しれっとって、実際とんでもない記録なんですけどね……それ」

 

 い、いや。それはさすがに褒めすぎというか、色眼鏡というか……って。

 

「いやいやいやいや、アラフォっても鯛って何!? そんな諺聞いたこともないよ!?

 あとアラサーだから! でもだからって今度は『あ、アラサっても鯛だったっけ?』とか面倒くさいことは言わなくていいからね!? 腐っても鯛! オーケー!?」

「おおう、それはすこやんの三十八の殺人技のひとつ、怒涛の事前ボケ潰しマシンガンツッコミィ!?」

「そんなこーこちゃんにしか通用しなさそうなもの、今すぐハワイの超人宛に送り返したらいいと思う。

 あとその三十八という数字に微妙な悪意を感じるのは私だけ? ねえ私だけ? っていうかそれ以前にどうして誰もあのフレーズにツッコまないの? 明らかにおかしくなかった?」

「いえ、どうしてと言われても……(あの状況でどう触っても共倒れする以外なかったはずなんだが、なんであれを捌けるんだこの人は)」

「圧倒されてというか……(福与アナのあのテンション、二次被害がこっち来そうな予感しかしない)」

「成り行きで……(はぁ。お茶が美味しいです)」

「あ、そう……」

 

 なんだろう。この味方が一人もいない感じ。

 

「っていうかさぁ、せっかく二年生コンビの腕の見せ所だったのにすこやんが全部持ってっちゃったらダメじゃん。ここはあえて自重すべき場面でしょー、いい大人なんだから」

「「――!?」」

「えっ? 今の私が悪い流れなの?」

 

 いやたしかに二人ともなんか凄い微妙な顔してるけど……。

 というかあれ、自分たちに飛び火して困ってるようにしか見えないけどさ。

 そもそもだよ? 私があそこで口を挟まなかったら、むしろボケを放置されたこーこちゃんのほうがスベった感じで切ない子になっていたと思うんだけど……。

 ――ハッ!? そ、そうか。そういうことだったのか。

 そうすれば謀らずとも彼女がダメージを受けることになって、私がここまで文字通り溜めに溜め込んでいた溜飲がどっと小腸の辺りにまで下がっていたはず――つまりあそこはスルー対応こそが正解だったんだ!

 くっ、こんなことも分からないなんて……地味ながら仕返しをする千載一遇のチャンスを逃してしまったのか、私は。

 

「なんかゴメンね、三人とも。せっかくの気遣いを無駄にしちゃって。こーこちゃんのアレがあまりにアレすぎてつい、本能って言うか条件反射で……」

「……パブロフの犬?」

「え?」

「こっ、こら尭深! ――いえ、なんでも。こちらのことは別にお気になさらず、お二人はお二人のペースで進行してくだされば」

「そ、そう?」

 

 なんだか眼鏡の子から不穏当な呟きが聞こえたような気がしたけど、空耳だったかな。

 

「まぁそうは言っても? ツッコミとして相方のボケをつい拾いたくなるその気持ちは分からなくもないけどね」

「ねぇこーこちゃん。そのさ、その都度その都度で私を漫才師かなにかに仕立て上げようとする無駄な努力、やめてもらえないかな?」

「似たようなもんっしょ?」

「ぜんぜん違うよ!?」

「でもラジオでのやりとりとかを聞いていると、あながち間違いでもないような……?」

「――麻雀プロ! 麻雀のプロだから!」

「いや、でもたしかにお二人の掛け合いは見ていて楽しいですからねぇ。ただ何故か、それが他人事に思えない時が稀によくあるんですけども」

 

 不意に遠い目をする亦野さんを見て、ついホロリと涙が零れてしまった。

 立ち位置が似ていると背負う苦労も同じような形になってしまうものなのだろうか。

 

「お二人の仲が良いからこそ成立する関係、ですよね。そういうところ、少し羨ましいと思います」

「あ……うん、まぁ。それはね」

 

 ちょいちょい挟んで来る年齢弄りネタは置いておくとしても。

 実際に先ほどの二人の会話にしてみても、基本的には褒めてくれているんだろうなというのは分かっているのだ。あれでいてこーこちゃんが私を尊敬してくれているというのは、疑いようのない本当のことだし。

 

 ただ、今回に限っては賛辞の言葉をそのまま率直に受け止められない事情もある。

 ――お気づきになられただろうか?

 あの会話の流れにおいてこーこちゃんは、弘世さんの話した内容をさも暗に認めたかのような態度を取っていながらも、結局それに対して言質になりそうな発言は一切残さなかった、ということに。

 しかもそれを誰かに指摘されないよう、周到かつ狡猾に、推測の末尾の賛美の部分だけを切り取って、そこに()()()便()()()()()()もっともらしく褒めてみせたのだ。

 そう、彼女はあくまで『私が凄い』という事実を認めただけに過ぎない。でありながら、一部分を肯定することにより推測の内容そのものを肯定しているかのような印象を三人に残しつつ、会話の流れをいつの間にやら『采配の中身』から『小鍛治健夜自身のこと』へと掏りかえた。

 

 相手に言質は一切与えず、自発的な意識誘導のみを行う。これぞアナウンサーの巧みな話術とでもいうべきなのか。

 私の場合それと分かっていても引っかかることが多いのに、さらにそんな裏事情を一切分かっていないだろう亦野さんと渋谷さんの二人はというと、もはや手遅れとしか言い様がなく……。

 途中でくだらないボケに乗っかる形で会話をグダグダにしてしまい、彼女の目論見の一つだった撹乱を助長してしまったことも完全に私のミスだった。

 結果として、弘世さんが行った解説の内容を二人はすっかり()()()と思い込んでしまったようなのである。

 ――おそらくは、福与恒子の狙い通りに。

 

「はぁ。だけど、あのオーダーにそんな深慮が隠されていたなんて……私はてっきり行き当たりばったりか、そうでなかったら露骨な二位抜け狙いなんだろうと思ってましたよ」

「確かに照の点数調整打法は強力だが、序盤は安手で場を進めてしまうというデメリットもある。大量失点した後にリミットのある大将でその差を完全に埋めきるのは意外と難しいからな。

 まぁ狙いはあくまで通過だろうから、順位に拘りはなかったんじゃないか?」

「今の順位のままならたとえ最後でマクり切れなくても最悪二位抜けは出来ますし、Bチ……お菓子連合軍としてはこの戦いに限れば二位抜けでも一向に構わないはずですから。

 そう考えると、先を見据えた手堅い戦法といえますね」

「うーん、采配を取るってやっぱ難しいんですねぇ……」

「そうだな。だが、慣れない事でもきちんと結果を示すことができる――やっぱりトッププロというのは何においても凄いということだよ。その点、私を含め白糸台の生徒たちはまだまだ甘いということを肝に銘じなければな」

「うっ、は、はい。精進します」

「そうですね」

 

「だってさすこやん。よかったねぇ、誉められたよ!」

「そ、そうみたいだね……」

「んん~? どったの、そんな温水のプールに入ろうとしたら何故か冷水だった時のカピバラみたいな顔して?」

「その例え分かり辛すぎない!? って、別に何でもないよ、うん。何でも」

「ふぅん。ならいいけど」

 

 本当は分かっているくせに、すまし顔でそんなことを聞いてくる。

 正直、こっちは今すぐにでもコンクリートか何かで耳の穴を塗り固めて塞いでしまいたい衝動に駆られているというのに。

 こーこちゃんは、こっちが下手に突っ込めないのをいいことに終始ニヤニヤしている始末。

 さすがにグーで殴らせろとは言わない。

 だけど、仮にも相方を名乗りたいのであれば、もうちょっとさりげなくでも良いからこっちのフォローもしておいてくれてもいいと思うんだけど……。

 

 というか采配を誉められるようなことを言われれば言われるほど、胸の奥がズッキンズッキン痛み出すというのはこれ、何かの病気を患ってしまったのだろうか?

 ……あ、付け加えるならあと胃にも同じような症状が出てきているような……。

 

 尊敬の眼差しでこちらを見つめる三対の瞳と、生温いニヤケ顔でこちらを観察する一対の瞳と。

 相反する彩を携えた四人の思いを一身に受け、人知れず背筋に流れ落ちていく汗の気持ち悪さに眉を顰めつつ――飛ばされた指示に従い、再生ボタンへ手を伸ばす。

 それがある意味、己自身の死刑執行許可証にサインをするが如く、非常に危険なスイッチでもあると知りながら。




ずいぶんと長らくお待たせしてしまい、本当に申し訳なく思いながらも幾星霜。
といってもまだ完全復活というには心許ない感じなのですが……それはともかく。
しばらく『咲-saki-』という作品から距離を置いており、最後に情報を仕入れてからだいぶ経っているため、もしかすると私の知らない新事実が山ほど出てきてしまっている可能性ががが。
そういったこともあって原作との整合性を保つのはとても難しい状況ではございますが、ぼちぼち先を進めていこうかと。どうぞ気長にお付き合いいただければ幸いです。
次回、『第23局:懸隔@姉の自尊心VS妹の無垢なる因循』。ご期待くださいませ


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番外編:大人代表・プロ雀士+弟子編
第01話:天敵@迫り来る怒涛のロリ雀士


本格的にオリジナル設定が出てきますが、本編からするとほぼ蛇足なので後半部分は参考程度に見ておいてくださいね☆


 ――能力、というのは何だろう?

 そんな問いかけを自分自身にしてみれば、それは麻雀で勝ちを得ることにおいて必要だとは思うけれど、決して不可欠ではない要素だと答えることになるだろうか。

 事実、世の中には特別の力など何も持たずに麻雀を打つ人間がほとんどで、そんな中でも強者と呼ばれる打ち手はそれこそ掃いて捨てるほど存在するのだ。

 私こと小鍛治健夜は、おかげさまで?国内無敗だとかグランドマスターだとか色々な二つ名を襲名しているわけだけど。

 こと能力という点において云うならば、天敵と呼べる存在がいるということは――意外と周囲に知られていない。

 

「お~、小鍛治プロ」

「あ、咏ちゃん。久しぶりだね」

 

 収録を終えたテレビ局の廊下で、前から歩いてくる着物姿の少女――もとい、女性とすれ違った。

 彼女は三尋木咏。一部リーグに所属している横浜ロードスターズの看板選手であり、現日本代表団体戦女子メンバーの先鋒を勤めるという、いわば日本を代表するエース格の選手である。

 

「そういえばさ~、小鍛治プロのインハイの時の相方のあの子、なんつったっけ?」

「こーこちゃん? 福与アナのことだよね?」

「あ~、そうそう。その子がなんかこの前えりちゃんに変なこと言ってたみたいでね~、なんかよくわっかんねーんだけどさ」

「――変なこと?」

 

 なんだろう。また私のネタ弄りか何かだろうか?

 でも、例えそうだったとしても咏ちゃんが告げ口みたいな真似で私にそれを話そうとするとは思えない。

 この子はたしかに適当な態度で適当なことを言い、わっかんねーフリをしつつ的確なことを発言したりもする、かつ私と同等かそれ以上の毒舌家であることは世に広く知られているけれど。他人を陥れるような、自分が自分を誇れなくなるような立ち居振る舞いは決してしない人だから。

 てことは別のことだろうと思うんだけど。正直心当たりはありそうでないな。

 

「なんか、小鍛治プロ本人から聞いたって言ってたらしいよ? 小鍛治プロが、自分が負けるとしたら咏ちゃんかもう一人のどっちかじゃないかと思ってる、って言ったとか。知らんけど」

「あー……うん、たしかにそれっぽいことを言ったね」

 

 あの時は確か、ちょっとお酒が入ってた席での話だったと思う。

 正しくは「能力で負ける相手がいるとしたら、咏ちゃんかもう一人、そのどっちかじゃないかと思ってる」と。原村さんは関係ない、残念ながら。

 麻雀で負けるとは一言も言っていないという意図が見事に失われて伝わってしまったようである。

 

「せっかく会えたんだし、本気でそう思ってるのか本人から直接ちょっと聞いてみたかったんだよね~」

「なるほど」

「んで、マジでそう思ってんの?」

 

 じっとこちらを見つめてくる咏ちゃんの瞳が、逃げることを許さないといわんばかりに強く輝く。

 彼女にとってみれば、私は目の上のたんこぶだ。

 日本代表でエースになって、世界で活躍しているのは咏ちゃんのほうなのに。それでも比べられてしまうのである、過去に小鍛治健夜が残した数々の『軌跡』と彼女が刻み続ける『今』を。

 正直あまり良い気持ちはしていないだろう。

 実質的な国内最強は今でも小鍛治健夜だろうと、咏ちゃんを含め、ほぼ全ての麻雀関係者が暗黙のうちに認めているのだから。

 

「ちょっとニュアンスが違って伝わっちゃってるんだよね。私はあの時、『能力で負けるとしたら』って言ったの。こーこちゃんもけっこう酔っ払ってたし、うろ覚えだったんじゃないかな」

「……な~る、それならまぁ、分からなくはないかねぃ」

「純粋な麻雀の勝負だとまだ負けてあげるわけにはいかないけどね」

「……っ、言ってくれるじゃないか、二部でご活躍中の小鍛治プロ」

 

 バチバチと火花を散らしながら交差する視線。ただ、二人とも本気ではないので問題はないだろう。

 仔猫がじゃれあっているようなものである。だからそこの道行くスタッフさんたち、顔を強張らせたままそそくさと逃げるのは止めてもらえないかな?

 

「でもちょっと安心したわ~、まさかもう耄碌始まっちゃったんじゃないかと密かに心配してたんよ。知らんけどさ」

「耄碌はひどいなぁ」

「ま、ほっといてもそのうち一部に上がってくんだろうし、その時を楽しみにさせてもらおっかね~」

「今シーズン終わった頃にはたぶんね。でも、咏ちゃんは私を倒す前にもう一人倒さなきゃいけない人がそのうちプロ麻雀界に現れるんじゃないかな?」

「へぇ~、誰だろう? 宮永照? それとも妹のほうかな? わっかんねー」

「咏ちゃんも解説で気にしてたでしょ? ほら――今年度団体優勝校、阿知賀のレジェンド、赤土晴絵」

「――っ! そうかぃ、あの人やっとこっちに来るんだ。それはそれは――」

 

 ククク、と楽しげに笑う咏ちゃん。扇子で口元を隠しているけれど、嬉しさはまるで隠しきれていない。

 

「まだ口約束なだけだけどね。私を倒しに来てくれるってさ」

「ふぅん、十年越しのリベンジマッチってワケか~、そりゃ弟子たちの活躍に触発でもされたんかね? 知らんけど」

「それも間違いなく理由の一つだろうけど。なにはともあれ――これで私も、もうちょっとだけ麻雀が楽しめそうだよ」

「――……」

 

 おっといけない。つい気持ちが入りすぎたせいか、咏ちゃんの表情が完全に引いてしまっている。

 オカルトっぽい気配を察知できる人によると、どうやら私、こうなった時には周囲に何か奇妙な模様をあちらこちらに浮き上がらせているうように見えるらしい。

 その雰囲気を拡散させて、いつもの自分を取り戻す。

 

「不甲斐ない後輩ですまんね、小鍛治プロ」

「――うん? どうしたの咏ちゃん、いきなり?」

「うんにゃ、ちょっと言っておきたかっただけだから気にしなくていいよ~」

「……? そう?」

 

 ふりふりと着物の袖を振り回す姿は、いつもの咏ちゃんとなんら変わりなく。

 一瞬見せた哀しげな表情は、いつのまにやら飄々としたいつもの笑顔に隠れて消えていた。

 

============================================================================

 

 宮永咲が点数を思い通りに調整する能力を持つように。あるいは、松実玄がドラを自分の手の内に招きよせることが出来るように。

 私にも、麻雀を打つ時には不思議な力を行使することが出来る。

 それは――自分へ向かう弱体化系能力の影響を『倍加して反射する』という能力。あるいは、対局者が自身にかけて行使する能力を『反射させて自分に取り込む』という能力。

 具体的に言えば、天江衣の場の支配は私には一切効かず、それでいて天江衣自身には己の能力である一向聴地獄の倍に相当する遅延が発生してしまう。

 また、新道寺女子の鶴田姫子が使うリザベーション解放の能力、彼女がそれを解放すると同時に私のほうへ反射させ、鍵を奪い取ったこちらが和了することができるといった具合の、そんな能力である。

 私が点数をも支配してみせる宮永咲を相手にしてまず負けないと言い切れるのも、彼女が、嶺上開花で勝負を決めることを本人も気付かぬうちに『悪癖』としているためだ。

 点数調整能力の反射は私自身にとっては毒にしかならないが、オーラスで『嶺上開花で必ず和了する』能力を使うのならば、私はそれを自身に向けて反射すればいい。

 ただそれだけで彼女は最後の頼みの綱を失い、点数調整を行えず勝手に自滅することになるだろう。

 本来であればそんなものを必要としないはずの彼女が、どういう理由から、嶺上開花を己の最重要スキルとして扱い、拘っているのかは分からないけど。

 いずれにせよ、宮永咲――彼女はいまだ精神的に未熟であることに違いはない。

 

 ――話を元に戻そう。

 かつてまだ私が高校生だった頃、一人のプロ雀士と顔を合わせた事がある。

 彼女の名前は熊倉トシ。現在の宮守女子高校で麻雀部の顧問をしている、妙齢の女性である。

 熊倉先生は麻雀打ちが持っている特殊な能力に関する知識が豊富な方で、私の持つ不可思議な能力に恐れを抱いた当時の土浦女子顧問の先生の伝手によって対面することになった。

 その時に言われた言葉を私は今でもはっきりと覚えている。

 

『貴方のその能力はとても強力。怖いくらいにね。言ってみれば三元牌の發といったところかしら』

 

 

 熊倉先生は仰った。麻雀において発症する特殊な能力と言うのは、いってみれば麻雀牌のようなものだと。

 麻雀牌を細かく分類していくと、いくつかのカテゴリーに分けることが出来る。

 大雑把に分ければ数牌と字牌の二種類に。数牌はさらに萬子、筒子、索子の三種類に分けられ、さらに2~8までの中張牌、1と9の老頭牌とに分けられる。

 字牌の場合は東南西北の風牌、そして白發中の三元牌。

 これら全136個の牌の中で、どの種類の牌が一番数が少ないのか――即ち、稀少であるのか。

 中張牌の場合、3×7×4=84。全体の中では約61%もの割合を占めている。

 老頭牌の場合、3×2×4=24。全体の中では約18%の割合とだいぶ少ない。

 風牌の場合は、4×4=16。更に減って、全体の約12%に満たなくなる。

 そして最後の三元牌に至っては、3×4=12。全体では約9%前後しかない。

 

 子供から老人まで、広く遍く存在する麻雀打ちたちをあえてこれらに従って分類するとするならば――オカルトを持たない一般人が数牌側、そしてオカルトを発症させる人間が字牌側、といえるだろうか。

 最も数の多い中張牌は、何の能力も持たずに普通に麻雀を楽しむだけのいわゆる普通の一般人。プロになれる人間はいるものの、トッププロにはなれない。そんな人たちだ。

 老頭牌は、牌効率を極めたり、鳴きの扱いを極限まで突き詰めたり、または運そのものによってオカルト雀士たちと互角以上に戦うことが出来る打ち手たち。プロの中にもこの手の打ち手は数多く存在している。

 

 この数値がそのまま当てはまるのであれば、字牌側の人間、つまりオカルト能力を発現させる者たちは全体の約二割ということになる。

 これが多いのか少ないのか、ということになると、それは議論の余地があるだろうしここで話すようなことでもないので割愛するが。

 オカルト能力が麻雀牌のようなもの、と熊倉先生は仰った。

 というのも、先生のようなオカルト能力に深く関わる関係者の間では、能力の方向性ごとに使い手を分類する際、便宜上、風牌と三元牌がそのまま用いられているらしいのだ。

 言ってみれば言葉遊びの類であるが、具体例で示すとこんな感じか。

 

 

○東:自身に影響を及ぼす能力(特定の種類の牌を集める、打点を急上昇させる、特定の条件で必ず和了する等、自分自身に有利となる能力)

 

○南:他人に影響を及ぼす能力(相手の能力を封じる、特定の相手を狙い打つ等、他家の誰かを妨害して自分に有利にするための能力)

 

○西:場そのものを支配する能力(宮永咲の点数支配や天江衣の一向牌地獄など、複数の相手を同時に支配下に置く強力な能力)

 

○北:自分以外の『何か』の力を使役する能力(極めて特殊なタイプだが、永水女子の神代小蒔など)

 

 

 これらを見れば分かるように、西と北はオカルト能力の中でも更に希少種であるといえるだろう。

 世間一般で浸透しているものに『牌に愛された子』あるいは『魔物』という呼称があるが、あれに該当する打ち手はどちらかの能力を必ず有している上で、同時に東か南の能力をも操ることが出来る存在とされている。

 宮永咲もそう、大星淡もそうならば、天江衣ももちろんそうだ。

 しかし、そんな彼女らを以ってしても、こと能力の性質だけで論じれば叶わない力が存在する。

 それが、麻雀牌の中で最も稀少な牌、三元牌に振り分けられる能力者たちである。

 この能力を有する者はおそらく世界でも数十名いるかいないかと言われており、牌に愛された子と呼ばれるどころか『牌に畏怖される子』と呼ばれるほどの存在になる可能性を秘めた者である。

 先生は仰った。私にはその三元牌の中でも“鏡(反射)”を司る『發』系の力が、よりにもよって槓子ぶん宿っているのだ、と。

 その時私は、麻雀という競技の上では自分が普通で無いことを確信し、諦観と共に静かにその事実を受け入れた。

 

 

 三尋木咏の持つ絶対的な火力の根底にあるものもまた、稀有な能力であることを私は知っている。

 熊倉先生風に言えば、咏ちゃんの能力は三元牌で言うところの『中』である、といったところか。

 その火力の源が、三元牌の中でも“剣(貫通)”を司る『中』系の能力によるものであることは、当人を除けば私と熊倉先生しか知らない事実である。

 彼女もまた、私と同じく牌に畏怖される子の一人であり――今現在、唯一私の能力を打ち破る事の出来る可能性を秘めた打ち手といえるだろう。

 というのも、熊倉先生曰く『發は中との相性が悪く、中は白との相性が悪い』らしいからだ。

 その事実を知っているが故に「能力で負けるとしたら」という言葉となって現れたのが、先ほどの咏ちゃんとの会話に出てきた科白の真相であった。

 

 そして赤土晴絵。彼女もまた、三尋木咏と同じ系統の能力を持っていると熊倉先生によって推測されている人物の一人である。

 十年前、私に直撃させたあの一撃には、微かにだがその片鱗が感じられた。

 長い年月が経過した今この時でさえ、あの一撃に関しては強く心に残っている。

 その可能性を検証するためとはいえ、その後に私が赤土さんに対して行った仕打ちは彼女のことを応援していた人たちからしてみればとても許されないことなのかもしれないけれど。

 それでも、遠回りに遠回りを重ねた結果として、それはもう一度、私の前に立ちはだかろうとしている。

 熟成されて強化されているのか、あるいは縮小してしまっているのか、それは本気の立会いの場にならなければ分からない。だからこそ――。

 

「……ホント、今から楽しみだよ。赤土さん」

 

 終わりの始まりを告げる鐘。

 

 私はあの時からずっと、それが鳴る時を待ちわびている。

 




※ちなみに白は“勾玉(吸収)”を司る能力。相手の能力を奪い取って自分のものとすることができる。
 未だ三分咲きの不完全な状態ではありますが、所持者が誰なのかは何となく分かりますよね?



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第02話:天降@黄泉比良坂怪奇譚?

 阿知賀への取材も終えて、十月も半ばを過ぎた頃のこと。別件のお仕事で、私は一人愛媛県へと赴くことになった。

 もちろん麻雀関係の仕事であるからには、愛媛という地域が出てきただけで関係各所の方々にはある程度分かってしまうだろうけれども。

 一部リーグ松山フロティーラ所属の女流プロ雀士、戒能良子(かいのうよしこ)。今回私にオファーをくれたのは他ならぬ彼女自身だった。

 昨年度の新人賞を含めていくつかの賞を取った程の腕前で、その実力は若手随一ともいわれて色々と期待されている。故に知名度はかなり高いほうのプロといえるだろう。

 その他にも喋り方が独特だったり、なんだかすごい二つ名を持っていたり、噂が一人歩きしていたりと。プロ雀士たちの間でも話のネタが尽きないと別の意味でも有名な彼女。

 笑った噂といえば、実は昔中東で傭兵をやっていただとか、ソロモン王を屈服させるほどのイタコ能力を持っている、だとかそんなものまである始末で。

 前者は眉唾物だけど、後者に関しては……まぁ、ノーコメントということにしておきたい。

 ともあれ、はやりちゃん経由で知らない仲でもなかったし、これまで四国にはあまり縁のない生活をしていたこともあり、軽い気持ちで二つ返事で引き受けた。

 その内容自体は特に難しいワケでもなく、猫耳メイドで買い物に行くこともなければ無駄に料理を作らされることもなくて。

 無難に仕事を終わらせて、さああとは観光とでも洒落込もうかな――なんてことを考えていた時、ぽつりと彼女が私に言ったのだった。

 ――お暇なら明日、須賀に行ってみませんか、と。

 

 

 瀬戸内海には大きく分けて三本の海を縦断していく道がある。

 一つは兵庫県神戸市から淡路島を経由して徳島県鳴門市とを結ぶ、神戸淡路鳴門自動車道。関西圏から四国東部へ、または四国東部から関西圏へと向かう人が主に利用するルート。

 一つは岡山県倉敷市と香川県坂出市を結ぶ、瀬戸大橋。本州と四国を行き来する唯一の鉄道と道路が併設されている橋のため、電車を利用して四国へ訪れる際にはここを通ることになる。

 そしてもう一つが、愛媛県今治市と広島県尾道市の間、実に八つの島々に十本の橋を架けて繋げられている、通称『しまなみ海道』と呼ばれる道路である。

 

 今現在、良子ちゃんが運転してくれている車が走行しているのは、その三つ目のルート。

 愛媛県の松山市から目的の場所まで車で行くには、地理的にこのしまなみ海道を通り広島県を縦断していくのが最も早く到着できる手段なんだそうだ。

 正直な話、茨城生まれの私としては中四国地方近辺の地理にはいまいち疎いため、その辺りの具合はもう完全に現地ガイドさんにお任せするしかないのだった。

 

 橋の上を通っているとよく分かるけど、島々を含む瀬戸内海沿岸部は、海が目の前にあるにも関わらず、道を挟んで数百メートル先は当然のように山の裾野になっていたりする。

 平野部に慣れている首都圏の人間からすると、実に不思議な光景だった。

 窓の向こう側に広がる海と緑のコントラストの鮮やかさに目を細めつつ、せっかく時間があるのだからと昨日からずっと疑問だったことを口にしてみることにした。

 

「それにしてもさ。良子ちゃんは私に弟子ができたこと、誰に聞いたの?」

「もちろん、はやりさんからですよ」

 

 さも当然のように答えてくれた。

 ……何処で聞きつけたんだろう、はやりちゃん。まだほとんど広まっているはずのない情報なんだけど。

 マスコミ連中に無駄に騒がれるのは京太郎君たちの活動の妨げになるかもしれないと、取材に同行していた番組スタッフ陣に対しては緘口令のようなものを敷いた。

 もちろん、そんなことで人の口に戸は立てられぬ。それで完全に安心できるわけがないということは理解している。

 その上で、漏れるぶんには仕方がないけど自分たちから積極的に話すようなことはしないでね、というお願いをしておいた、というのが正しい見解かな。

 業界人の暗黙の了解としてもそうだけど、自分からわざわざライバルの同業者に喜んで話すような人はたぶんいないはず。

 

 ま、そうはいっても別に疚しい関係でも何でもないので、隠れてコソコソ活動しているわけでなし。どちらにしろいずれは目撃談か何かから広まってしまうのは避けられないことだろうとは思うけど。

 所詮は遅いか早いかの違いでしかないとはいえ、それにしてもこのタイミングでの流出はさすがに早すぎやしないかと。

 

「ああ、はやりさんは阿知賀のレジェンドから聞いたと言っていましたね」

「赤土さん……なるほど、情報源はあそこか」

 

 思わず手の甲で顔を覆いつつ、車の天井を仰いでしまう私。

 そういえば阿知賀でも取材中に指導みたいなことをしていたっけ。

 さらにはあの後のお酒の席で色々とその辺の話をしてしまったような気もするし……なるほど、ぐうの音も出ないほどの紛うことなき自業自得だった。

 同時に情報がその界隈で回されていることと、外部に漏れないよう差し止められているだろうことも、なんとなく理解した。

 咏ちゃんや理沙ちゃんあたりも知っていると見て間違いはないだろう。ちょっかいかけてこなければいいんだけど……正直不安しかないな、特に咏ちゃんは。

 

「情報がリークされるとなにかマズいことでもありましたか?」

「ううん、別にそこまで神経質になってるわけじゃないよ。ただ、あの子の周りに迷惑がかからないといいな、ってくらいのことで」

「アイシー。たしかに永世七冠小鍛治健夜の弟子ともなれば、マスコミが放ってはおきませんか」

「個人的にはそんな騒がれるようなことでもないと思うんだけどね……」

 

 中にはいるのだ。頑張って戦っている人間の足を引っ張る事を喜んだり、下世話な推測とかを記事にしてお金を稼いでいるような人間が。

 世界で戦っていた頃には、色々と嫌な思いをさせられたっけ。あまり思い出したくは無いけど。

 もっとも、全盛期とかならいざ知らず、いまの私に地方に追っかけてまで粘着するような価値があるかといわれたら……無いと思うんだよなぁ、正直なところ。

 

「須賀京太郎くん、でしたか」

「うん」

「その彼はそんなに有望株なんですか? 小鍛治プロが目をつけるほどに?」

「麻雀の才能って意味だとそうでもないかな」

 

 私の目から見た彼の雀士としての将来性は、お世辞にも高いとはいえない。

 何故か雀卓上での彼の運は素麺みたいに細くなってしまうし、牌の取捨選択に対するセンスの部分も角が丸くなっている豆腐の如く凡庸に過ぎるきらいがある。

 稀有な能力はあれども防御特化。攻撃に関していえばむしろハンデキャップを背負った状態から始めなければならないというオマケ付き。

 将来有望か?と問われたら、間違いなく一瞬黙り込んで視線を逸らしてしまいかねないスペックであることは否定できなかったりもする。

 

 しかし、だ。それら懸念材料もひっくるめてではあるけれど、私が彼に見出している資質はそこじゃなくて。

 あの真っ直ぐな心根は素直に好ましいし、目標に対して努力する事を厭わない真摯な姿勢も評価できる。厳しい環境にも決して折れない心を持つことが何よりも必要なのだということを、加害者側の視点からとはいえ経験則でよく知っているからこそ、どうしても技術よりそちらに着目してしまうのだけど。

 天性の才を持つものが必ずしも成功を収めるというわけでは無いように、持たざるものが必ずしも失敗するわけではない。

 そういった人たちが成功するために必要不可欠なものを、彼はきちんと胸の中に抱いている。

 ちょっとばかり胸の大きな女の子に弱そうな部分も、まぁ言ってみれば愛嬌だろう。既に累積警告四枚分は溜まっていそうな気がしなくもないけれども。

 

 思い出して、クスリと小さく笑ってしまう。

 別に馬鹿にしてのものではなくて、むしろ迷いながらも一生懸命突き進もうとしている姿が微笑ましく思えるからこそ、つい自然と笑ってしまうのだった。

 

 

 しまなみ海道を抜けた車は、いくつかの高速道路を経由して、広島県庄原市の中間にある松江自動車道を北上する形で進む。

 手元にあるロードマップを眺めていると、興味深い地名を見つけた。

 ちょうど広島県と島根県の県境あたりを通り抜ける手前あたりのサービスエリアにも、似たような内容の書かれた看板が置いてあったのを思い出す。

 

「おろちの里ってなんだろう。まさか蛇がいっぱいいるとかじゃないよね?」

「さあ、私も行ったことは無いのですが――小鍛治プロは、八岐大蛇討伐の神話をご存知ですか?」

「えっと、たしか地上に降りてきた神様が悪さをしてた大蛇を退治する話だっけ?」

「小鍛治プロはこちら方面の話には疎いと聞いていましたが……古い文献にも載っている有名すぎる神話の一つですから、さすがに知っていましたか」

「詳しくは知らないんだけど、大まかには……」

 

 戒能良子、曰く。

 日本書紀や古事記なんかにおいて、古くから伝えられている伝承の中に『ヤマタノオロチ討伐』の神話が残されていることはつとに有名である。

 神々の住む国といわれる高天原を追われたスサノオノミコトが出雲へと降り立ったのち、地元の民と盟約を結び暴れ狂うかの化け物を一本の剣を用いて退治するという英雄譚。

 大雑把に説明すると、なんかそんな感じの話らしい。

 

「その八岐大蛇が暴れていた場所というのが現在の雲南市の東部から奥出雲にかけてのあたりと言われています。通説の通り斐伊川を八岐大蛇と見立てれば、その上流域にあたる場所ですね。

 おろちの里というのはそれに因んで命名された『さくらおろち湖』の畔に作られた、最近よくあちこちでフィーチャーされている、いわゆる道の駅の名前ですよ」

「ああ、道の駅なんだ。それにしてもさくらおろち湖って、なんかすごい名前だね」

「なんでも地元の公募で決められたとか。元々ダムのために作られた人造湖らしいので」

 

 なるほど。それで昔の伝承に因んだ名前を付けたのか。

 桜がどこからきたのかよく分からないけど、インパクトは強いし記憶に残る名前だ。

 

「神話の国と呼ばれる島根は、それこそ日本発祥の地といっても過言ではないくらいに神様に愛されている土地です。十月のこの時期は陰暦で神無月と呼ばれていますが、八百万の神様が集まる島根でだけは神在月と呼ぶ、なんて話はわりと有名ですね」

「あー、なんか聞いたことあるかも。全国から出雲大社に集まるんだっけ」

「年に一度、大国主命による天照大神への国譲りの儀の際に提唱された『(かく)れたる神事』に関する会議を行っている、というのが出雲大社における定説です」

「幽れたる神事ってなに?」

「見えない縁を結ぶことだと考えられていますね」

 

 見えない縁、っていうか縁ってそもそも見えないものだと思うんだけど。

 神様だから普通の場合は見えているのかな。

 もしそうなら、私と未来の旦那様との縁も早急に何とかしてください。切実に。

 出雲大社の祭神様は縁結びの神様だと聞くし、ここはやはりきちんと参拝しておいたほうがいいだろうか。今なら全国津々浦々から神様が集まっているんだし、お願い事を聞いてくれる神様が一柱くらいはいるかもしれない。

 

 そんなことを考えながら運転手をちらりと見ると、鼻歌でも歌いだしそうなほどテンションを上げた良子ちゃんの姿が見えた。

 目に見えて感情を表現している姿は、彼女にしてはわりと珍しいように思う。

 普段は主にビジネスライクな場面でしか会わないからかもしれないけど、ちょっと意外だった。

 

「良子ちゃん、なんだか楽しそうだね」

「私たちのような人間にとって出雲というのは実に興味が尽きない場所なんですよ。知っていますか? 根之堅洲国(ねのかたすくに)と呼ばれるあの世と、私たちの住むこちらの世とを繋ぐとされる黄泉比良坂(よもつひらさか)という場所も、実は島根に実在するんですよ」

「なんかその科白を聞くだけで怖そうな場所なんだけど……」

「実際にミステリースポットとして扱われることもありますし。特殊なパワーを秘めた土地であることに間違いはないでしょう。なんといっても死者の国に繋がっている道、ですからね」

「……」

 

 残念ながら今日行く場所の予定には入っていませんが、という続きの言葉にほっとする。

 心霊スポットとかそういう場所に自ら望んで足を踏み入れる人の気が知れない私としては、お昼時とはいえそんな()()()のありそうな場所に行くのはまっぴら御免だった。

 

 しかし良子ちゃん、こういうところは神職の流れを汲む家系に生まれた子なだけのことはある、とでもいうべきか。

 そういった神様関連の話をするときの活き活きとした饒舌っぷりは、見ていて微笑ましくなるくらいだ。

 もっとも、聞き手役の私としては話の内容を半分ほども理解できていない気がするけど。

 ただ……そんな私をして、話の流れが本題に近づいてきたことを予感させる彼女の表情の変化を見逃すことはしなかった。

 

「良子ちゃんが言ってた須賀っていう場所も、もしかして大蛇とかの神話と関係してるの?」

「もちろん。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇を討伐した後に移り住んだ場所が須賀だと言われています。なんでもその場所にいると気分がすがすがしくなったから、そう名付けられたのだとか」

「……駄洒落?」

「古事記にもそう記されているそうなので、大昔の人たちも案外洒落好きだったんですかね」

「まさかそんな壮大な歴史のあるものだったなんて……」

 

 感心するべきか、せざるべきか。

 ただ、もう気軽に使えそうにないなということだけは間違いない。

 

「これから向かうのは、その『須賀』と呼ばれる始まりの場所――その名を、須我神社といいます」

「須我神社……」

 

 

 神話の国出雲に伝わる八岐大蛇伝説。その由縁により祀られている場所が、ここ島根県雲南市に実在するそうだ。

 ――須我神社。

 大蛇を打ち倒した後に素戔嗚尊により建てられた宮殿で、日本の歴史上初めて建てられたものであることから日本初之宮とも呼ばれるらしい。

 現代においてここは素戔嗚尊と現地の娘との間に儲けられた子供を祭神に祀る神社であり、大蛇討伐の地と並んで歴史に名を残す『須賀』の地とされる場所である。

 その神社を管理・守護している者たちは、この辺りでは代々続いてきた神職の一族として有名なのだそうで。素戔嗚尊によって見初められた娘――奇稲田姫(くしなだひめ)の末裔とも云われるその血筋は、現代においても脈々と受け継がれてきた由緒正しき血統とされている。

 この地に縁を持ち、かつ須賀という苗字を戴いている家系というのは、その分家筋であることがほとんどなのだという。

 

「それってさ、京太郎君がその須賀の一族だってことなの?」

「実際に会ってみなければ分かりませんが、おそらくは。長野に移って久しいのであれば、先祖のどこかにその血が入っているのでしょう」

「でも、須賀って苗字が全部そうってわけじゃないんでしょ?」

「それはもちろん。実は、はやりさんからその名を聞いた時に少し勘に引っかかるものがあったので、本家筋からアプローチして少し調べてみたんです」

「本家っていうと、霧島の?」

「イエス」

 

 こちらを、といって手渡されたのは数枚のレポート用紙が重ね合わされたもの。

 細々と書かれている文字の羅列が目に余り優しくはない。

 

「……こまかっ」

「大半は関係のない部分なので読み飛ばしてもらって構いませんよ。三枚目の真ん中のあたりを」

「三枚目、三枚目……っと」

 

 そこに書かれているのは、瑞原はやりと須賀京太郎の共通点。主に麻雀の打ち筋について、と項目が振られている。

 京太郎君が公式戦で打った麻雀なんて高が知れている。というか長野県大会の個人戦予選の二十局程度のはずなのに、ずいぶんとまぁ細かく精査したものだ。

 そちらに対して出してある結論は、おおよそ私が見極めたものと変わらない。門前状態で全員がツモ和了できなくする類のものだろうと推測されていた。

 

「防御特性が似てるってこと? うーん、でもなぁ……」

 

 たしかに二人とも、防御に特性があるという点では似たタイプといえるかもしれない。

 しかし、だ。

 彼女の防御特性は、どちらかというと場の流れをコントロールした結果に生じるものである。

 突出したいい流れを持つ者、逆に悪い流れを引き寄せている者、卓上には実にさまざまな人間たちの持つ数種類の『流れ』が複雑に絡まりあっている。

 瑞原はやりは、それらが絡まりあっている状況を解きほぐして『流れ』を平坦化し、突出している敵の運気を殺ぎ落とす。

 

 速度の部分で分かり易く例えるならば、平均五巡で聴牌する対局者がいるとする。もう一人は平均速度が十三巡としようか。

 この二人に対して彼女の能力が発動していれば、双方共に聴牌するのは九巡目。前者は四巡手が遅れ後者は四巡手が早くなる。

 あえて分かり易く提示しているだけなので、実際はそんなに単純に推移するものではないけれど、それだけ見ても、メリットとデメリットが同時に発生しているのが分かるだろう。

 彼女はその両方を上手く利用する術に長けている。

 

 流れという目に見えないものの歪みを感覚で視ることができるため、それらに対して敏感に反応でき、ある程度自在に操れるからこそ即座に危険を排してみせ、チャンスを拾い上げて活用することもできるという。

 それこそが、速攻麻雀の下地になっている独自の嗅覚と併せて、彼女の特徴とされる堅守速攻スタイルを支えている柱だと私は思っている。

 しかしそれは京太郎君の能力のように、卓を囲む者に制約を強いて、絶対的な力で場そのものを縛りつけるタイプのものではない。

 

「京太郎君とはやりちゃん、能力としてはむしろ真逆なんじゃないの?」

「発現している能力自体はそのようですね。ただ、その二人に共通するキーワードがあって――それがこの地に深く関わってくるもので、とても無関係とは思えません」

「良子ちゃんがそう言うってことは、確信めいたものがあるんだろうけど……ちなみにそれって?」

「――奇稲田姫」

「クシナダヒメ?」

 

 というと、スサノオと結婚した人のことだったよね。

 

「奇稲田姫は素戔嗚尊が八岐大蛇を退治せんとした時に、彼の手によって湯津爪櫛(ゆつつまぐし)と呼ばれる櫛にその姿を変えられていたといわれています」

「櫛って、髪を梳くあの櫛?」

「イエス。櫛といって最初に浮かぶイメージといえば『髪を梳くものである』というものになるのが当たり前ですが。古来の日本では櫛には別れを招く呪術的な力があると信じられていたのですよ」

「呪術的な力……」

 

 だんだんオカルトっぽい話になってきた。

 元々オカルト能力なんて呼ばれているだけに、巫女の血筋の良子ちゃんが言うとやたらと信憑性があるのがまた困る。

 

「須賀京太郎くんの持つ能力、まさにその『別れを招く櫛』を連想させる力であるとは思いませんか?」

「ええと、ちょっと待ってね……」

 

 一旦整理してみよう。

 スサノオが八岐大蛇を退治して、すがすがしいからと付けた地名が『須賀』であると。

 その須賀にある須我神社を管理している一族が須賀を名乗っていて、その一族は『奇稲田姫』の血を引く末裔だという話で。

 その奇稲田姫はスサノオが戦っている最中はずっと『櫛』に変えられて身につけられていた。

 櫛というのは古来の日本では『別れを招く』呪術的な力があると信じられてきたものである。

 須賀の姓を持つ私の弟子の京太郎君の能力が、手牌と当たり牌との出会いを別つ能力であるということ。これはおそらく櫛=奇稲田姫から来る能力で。

 つまり、京太郎君は奇稲田姫の末裔である須賀一族の可能性が高い――と、そういうことだろうか。

 

「……なるほど。分かったような、分からないような……っていうか、まとめてたらはやりちゃんがどこかに行っちゃったんだけど」

「はやりさんの能力は、場の流れを梳るもの。どちらも同じ『櫛』を連想させるものですよね? そしてあの人の故郷はここ、島根県松江市にある」

「――あ、そういうこと」

 

 方向性はまったく異なっても、祖となる部分は同じものだということか。

 ……あれ? ちょっと待ってよ、それってはやりちゃんと京太郎君は――。

 

 

 思考を巡らせようとしたところで、車が停止した。

 どうやら件の須我神社に到着したらしい。エンジンを停止させ、鍵穴からキーを抜く良子ちゃん。

 のろのろとシートベルトを外して、ドアから外へ出る。

 途中でサービスエリアに何度か寄ったとはいえ、結構長い時間座っていたせいか地味に腰に負担がかかっているのだ。決して歳のせいではなく。

 んー、と伸びをして負担を軽減してやろうとしたその瞬間、視界にとんでもないものが映し出された。

 駐車場の片隅にある、石碑の隣。在ってはならないものがそこに存在しているように見えて、思わず何度か目を擦ってみるものの……それは一向に消えてなくならない。

 隣に来た良子ちゃんにちらりと視線を向け、目で問いかける。

 にやりとしたその表情を見て、諦めた私は思わず天を仰いでため息をひとつ。

 

「はやっ、ようこそ須我神社へ☆」

 

 そこには、いつもとなんら変わらない出で立ちのまま、にこやかに手を振っている――牌のおねえさんが立っていた。

 




※この物語はフィクションです。登場する人物・団体における設定は架空のものであり、現実とは一切関係ありません。

番外編はわりとオリジナル設定ばかりになる予感がしますが、今さらですね。
あらたそが活躍する(予定の)本編はもうしばらくお待ちください。


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第03話:天恵@持ちながらも持ち得ぬもの

 少しだけ、真面目な話をしようか。

 

 私が麻雀という競技に初めて出会ったのは、中学生になったばかりの頃のこと。その頃の私は特に得意なものがあるわけでもなく、さりとて他の誰かに劣るほど不得手なものもないという、とりたてて特徴のない地味めな子供だった。

 勉強然り、スポーツ然り。対人スキルは、下手をすればその頃のほうがまだマシだったと思わなくもない程度に社交的だった……ように思うけど。

 ――さて。そんな私が何故に麻雀牌を握ることになったか、といえば。

 答えは実にシンプルで、中学生になった途端に始まった必修クラブ制度とやらのためだった。それは簡単にいえば、中学校に所属する生徒全員は必ず何かしらの部活動を行わなければならない、という感じのものであって、当然のことながら私も何かのクラブに所属しなければならなかったのだ。

 当時の部活動の花形といえば、男子だとやっぱり運動系では野球バスケサッカー、女子だとバレーバスケテニスという感じだったかな。そんな不動のトップスリーが人気を誇っている中での麻雀部の立ち位置はというと、文化部扱いとなってはいたものの当時から男女問わず人気の高い競技であって、クラスメイトの三人に一人は小学生時代に一度は牌を握ったことがあった程。文化系の部活の中ではダントツで人気があったといっていい。

 

 意外と思われるかもしれないけど、私はその『三人に一人』の中には含まれてはいなかった。

 だから当然最初から麻雀部に入るつもりなんて欠片もなかったし、文芸部にでも入って三年間静かに過ごせたらいいな、なんて打算を働かせながらクラブ誘致合戦を華麗にスルーしていた。

 そんな時、幼なじみであり、当時いちばん仲の良かった友人が言ったのだ。一人で部室に入るのは怖いから、一緒に麻雀部に行ってくれないか、と。結果的にそのお願いに対して強く出られなかった私は、なし崩し的に麻雀部へと入部することになるわけだけど。

 

 人生というのは、いつどこで転機が訪れることになるのか分からない。

 もしあの時友人の願いを聞き入れることなく文芸部に入っていたとしたならば、少なくとも世間的に認識されている小鍛治健夜(いまのじぶん)はあり得なかったはずであって。そこから麻雀という要素を一つ引き算するだけで、あら不思議。それによって名を広く世に知らしめた現在のように、世間のみんなから顔と名前を認知されているような有名人になる要素は皆無となる。

 であれば、そんな一般人な私とは、いったいどんな仕事に就いて、どんな生活を営んでいたのだろう。

 普通にOLとして働いていたとすると、職場で出会った青年なんかと恋をしたりして、もう結婚はしていそうな気がする。そうなれば当然会社は寿退社をしていて専業主婦になり、旦那様が仕事の間は本を読みながら優雅に紅茶の入ったカップを傾けたりしつつ、夕方には腕を振るって料理を作ったり。大好きな人の子供を産んで、育てて、休日には家族で遊びに出かけるとか。そういった幸せの中にいた可能性もあったわけだ。

 まぁ、普通に売れ残って後輩の子たちからお局様扱いされて凹んでいる自分のほうが想像しやすくて嫌になるけど……。

 

 そんな妄想はともかく。

 本人にとってはまるで自覚のないところで人生の岐路に立たされているということは、往々にして存在するものだ。私にとっての最初で最後の分岐点は、まさに中学時代の部活選びにあったという、たったそれだけのお話。

 

 

 麻雀連盟の支配下にあるプロ雀士は、一部と二部とを問わず、まず必ずどこかのチームに所属しなければならない。

(※ライセンスを取得しているフリーのプロ雀士も少なからず存在するものの、彼らは公式的にはアマチュア扱いのためプロ用の大会はノンタイトル個人戦にしか出場資格がない)

 所属のための方法は様々だけど、一部リーグの場合基本はドラフトだ。連盟主催のアマチュア大会で入賞するか、あるいは実業団リーグやインカレ・インハイなんかで目を瞠る活躍をした有力株の選手は、予めプロ入り希望の意思を示す書類を提出しておけばだいたいここで指名される。

 プロ雀士界隈での認識でいうならば、ドラフト入団組はエリート的な扱いを受ける立場かな。

 近年の有名どころでいえば、なんといっても昨年度の新人賞受賞者、戒能良子であろう。

 彼女の名が麻雀界に知れ渡ったのは二年前、高校生活最後の全国大会。大会後にはチャンピオンとして名を馳せることになる宮永照を相手にして、大会を通じて唯一大きな一撃を食らわしたことで実力の程を評価され、高校卒業と同時にドラフトにかかって一位指名でプロ入りしたという経緯を持つ。

 後の活躍ぶりからすると、ここ数年のドラフト組の中では飛びぬけていい成績を残しているプレイヤーといえるだろう。

 

 しかし、プロの中には当然そうでない選手というのも多数存在する。

 そもそも二部リーグ所属のチームには、ドラフト指名権が存在しない。なので基本的に一部のチームで戦力外通告を受けたプロを雇い入れるか、ドラフトから漏れた選手たちを自前で開いたトライアルにかけ、そこで目に適った選手を獲得して育成するのが主流である。

 もちろんそこから一部リーグ所属チームのスカウトの目に留まり、晴れて移籍(個人昇格)をする場合も当然あるわけで。

 今現在一部リーグで活躍しているプロ雀士が、必ずしもドラフト組ばかりという訳では決してない。

 そんな流れが常道化している中、非常に異質なプロ入りへの道を辿ったのが、件の女性。

 ――瑞原はやり。一部リーグ・ハートビーツ大宮に所属するアイドル兼プロ雀士、通称『牌のおねえさん』と呼ばれる彼女であった。

 

 

「健夜ちゃんお久しぶりー」

「あ、うん、久しぶりだね」

 

 彼女とこうして顔を直にあわせるのも、夏の全国大会の時以来だろうか。

 一部リーグ所属の彼女らと二部リーグ所属の私とでは、圧倒的に立場が違う。

 中断期間中に行われたオールスター戦でも組分けが違ったので直接会話をすることもなかったし、ランキングに影響のあるトーナメント形式のカップ戦なんかは開催日やチームの資金の関係上ここのところ私のほうが出場していない。いくら同じプロといっても戦う舞台が異なれば、同じ卓を囲むことなんてそう滅多に起こらないのである。

 仕事の現場で会わないとなれば、更にアイドルとして活動もしなければならない彼女とはプライベートで会う時間もほとんどないに等しいわけで。

 メールでやり取りすることはままあるけれど、顔を見て話をするとなればたしかに久しぶりと言えなくもなかった。

 

「で、どうしてここにはやりちゃんがいるの?」

「せっかくだからと地元の方に案内を依頼してみたのですが、いけませんでしたか?」

「いけないってわけじゃないけど……はやりちゃん、週末の試合大丈夫なの?」

 

 よほどの事態が起こらない限り、一部の試合は土曜日に、二部の試合は金曜日に行われることがリーグ戦のレギュレーションにより定められている。

 今月は連盟主催のカップ戦も開催されないし、リーグ戦も通常通りのスケジュールで行われるはず。

 この二人が仲が良いということは一般的にもわりと広く知られている事実ではあるけれど、次回が地元開催の良子ちゃんはともかく、関東のチームに籍を置くはやりちゃんはシーズン中に里帰りをしているような暇があるんだろうか?

 

「えへへー、実は次のリーグ戦、はやりのチームも松山遠征組なんだ☆」

「あれ、そうなの?」

「うん。だからついでにお母さんの顔でも見ておこうかなってちょっと早めにこっちに来たの。お盆はお仕事が忙しくてなかなかこっちに帰れなかったからね☆」

「レポーター役でインハイに呼び出されている間は仕方ありませんよ」

 

 なるほど。その辺りは普段から両親の顔を見慣れている私とは違う感覚なんだろうな。

 

「でもじゃあ次節は二人の直接対決なんだ?」

「そうなりますね。もっとも両チームとも今シーズンは中位に沈んでいるので優勝争いとは無縁なところでのバトルになるのが残念ですが」

「モチベーション的には微妙なところかもしれないね。でも残留争いに巻き込まれてないだけマシじゃないかな」

「たしかにそれは言えてるかもー」

 

 チーム的にもファン的にもいえることだけど、あれは精神的に相当きついと聞いている。

 一生その感覚を知らなくて済むというのであればそうありたいと、すべてのプロ雀士が願っていることだろう。

 

「では、そろそろ行きましょうか」

「……うん? 行くってどこに?」

「決まっているでしょう? せっかくここまで来たのですから、今代の須我家の御当主にご挨拶を」

 

 

 麻雀界において、特異能力(オカルト)という概念が当たり前に存在するものとして扱われ、常識として根付いてきたのは近年になってからだといわれている。

 それまでは大雑把に感覚派と理論派に分類されていた雀士の性質。

 従来の意味でいうオカルト麻雀といえば、場の流れや運気を重視する感覚派のことを指しており、牌効率や確率論を重視する理論派のことをデジタル麻雀と呼んでいた。後者に関しては今もってそうだから一旦置いておくとして。

 近年、というのがどれくらい最近のことかというと、私が小学校へ入学した頃にインターハイで活躍していた世代――といえば、だいたいの年代は掴めるだろうか。

 

 セオリーのことごとくを無視したえげつない闘牌にも関わらず、何故かとんでもない勝率を残す雀士というのがまず男子部の中に登場した。

 もちろんそれまでにも熊倉先生や大沼秋一郎現シニアプロのように理論重視な打ち筋と併用して特異な力を行使する打ち手は存在していたらしいけど、そういう人たちは主に感覚派として扱われており、頭の凝り固まった古い時代の連盟のお偉方さんたちは頑なにその存在を認めようとはしていなかった。

 そこにきて、純粋混じりっけないオカルト特化型の雀士により古い価値観の破壊が徹底的に行われた。

 良いか悪いかは別として、分類に第三の派閥『異能力派』が加わったのは彼の活躍があったからこそだろうと、話を聞かせてくれた熊倉先生は仰っていた。

 

 なんでもこの頃の協会関係者にはちょうどその頃に麻雀界で活躍していたいわゆるオカルト肯定派の人たちが増えてきていて、従来の保守派を抑え込む形で多数派になりつつあるのだそうだ。今年のように、偏った形式で行われている全国大会のルールは、その影響をモロに受けているといっていいだろう。

 

 ちなみに、何故オカルトと呼ぶようになったのかという疑問をぶつけてみたところ。

 その彼――というのが、鹿児島県にある霧島神宮を含めた神境一帯を治める神代一族の跡取り候補であったため、神社関係者による不可思議な力だと考えられていたが故に『正しくオカルトによる麻雀』として、オカルトと揶揄されることになったらしい。

 オカルト能力の根底にあるものが日本古来の神々の特徴に当て嵌められて考えられるのもまた、その影響といえるかもしれない。

 

 

「……と、いうわけで。八岐大蛇を無事討伐せしめた素戔嗚尊は、湯津爪櫛に変えていた奇稲田姫を元通り美しい娘の姿に戻し、約定通りに娶ることにしたそうです。討伐後、二人で暮らすための地を求めこの地へとやってきた素戔嗚尊は『すがすがしい場所』であるここを居住地と定め、日本最古の宮殿を築き妻と共に仲睦まじく暮らしました」

「はや~、なるほどー」

「その際に素戔嗚尊によって詠まれたという和歌が、敷地内の石碑に刻まれています。当神社は日本初之宮としても有名ですが、同時に和歌発祥の地とも言われているんですよ」

 

 須我神社の巫女さんによるありがたい昔話が終わり、私たち三人は揃って小さく息を吐いた。

 ご当主が来られるまで間があるからと神社の建立に纏わるお話をしてくださったこの巫女さんはどうやら件の人物の奥様らしい。

 しかしまぁ、名前を出しただけでフリーパスなのはさすが良子ちゃんというべきか、それともその背後にいる霧島の関係者がすごいのか。

 

 宗教に疎いとされる民族の私としては、いまいちピンと来ないことではあるけれども。

 日本における神々の歴史において、素戔嗚尊を発端としたものはここ出雲地方から始まった。そして素戔嗚尊の姉、天照大神の子孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は現在の九州高千穂――宮崎県北西部――に降臨めされたといわれている。この神様こそが霧島神宮における主祭神であり、現在の天皇家へと連なる血統の始祖なんだそうだ。

 

 その由緒正しい御宮の管理人が現在の神代家であり、良子ちゃんの背後にいる関係者である。それだけ考えてみても影響力がハンパないということが分かるだろう。

 例の企画もそろそろ次の場所へ取材に行くという話が出ているし、もし行き先が永水女子に決まるようであれば、粗相をしないで済むようにこちらもかなり気を引き締めていかなければ。

 これまでの学校と同じノリで行って神境の姫様こと彼女に万が一のことがあれば、裏の人たちに錦江湾あたりに人知れず沈められて……うん、あの子にもきちんと釘を刺しておこうと今決めたよ、私は。

 

「お待たせ致しました。現在の神主を勤めさせていただいております、須我と申します」

 

 満を持して襖を開いて現れた人物は、想定よりも遥かに御歳を召した好々爺然としているお爺様だった。

 

 

 直系の須我家といっても、特に特別な能力を有しているわけではない。

 からからと豪快に笑いながら、神主さんは開口一番こともなさげにそう言った。

 京太郎君が奇稲田姫の末裔だから特殊な能力に芽生えたなんてのは後付けのようなものであって、一族だからといって必ずしも天恵が受けられるなんてことはないし、結局それは血筋というよりも彼個人に与えられたものに過ぎないと。

 それはまぁ、納得できる。

 私なんかは神様とは何の関係もない場所で生まれ育った人間だけど、誰よりも凶悪なチカラを持っている。オカルト雀士がすべて神社関係者というわけではないし、むしろ先祖のルーツに神様の血が混じっている存在なんてもののほうが、競技人口でみれば稀少なのは間違いないのだから。

 もっとも、それはそれとして彼の能力の根源がこの地の神話に根ざしているかもしれないという以上、興味をそそられないと言えばそれはウソになるんだけどね。

 

「時に小鍛治プロ、彼の写真か何かをお持ちではありませんか?」

「京太郎君の写真? ちょっと待ってね、たぶんあると思うから……」

 

 携帯の中に保存されている画像を表示して、良子ちゃんに手渡す。

 映し出されているのはいつだったかにこーこちゃんから送られてきた、あどけない寝顔の(たぶん盗撮)写真だった。

 他に写真があればよかったんだけど、さすがに現役女子高生の子たちよろしく一緒に撮ろうよなんてことは言い出せなかったため、これが唯一私が持っている彼の写真なのだ。悲しいけどこれがアラサー女の限界なのよね。

 

「わぁ、かわいい子だね~☆」

「この年頃のボーイに可愛いというのは褒め言葉にはならないのでは……っと、小鍛治プロ。彼はこれ自分で髪を染めているのですか?」

「え? ああ、どうもそれ地毛みたいだよ。家族はみんな黒髪なのに自分だけ金髪だったから、中学校の頃から先生とかに誤解されて不良扱いされて困ったって言ってたなぁ」

「ふむ。やはりそうですか」

 

 けっこう綺麗な金髪だし女の子からは羨ましがられそうなものだけど、聞いてみたらそんなエピソードは無かったとも言っていたっけ。

 でも、それがどうかしたんだろうか?

 

「これでまた推測に状況証拠が一つ積み重ねられました。お二人は収穫前の稲穂がどうなるかご存知ですか?」

「何で急に稲穂――あっ、そういえば黄金色に波打つ稲穂とかって表現をするよね?」

「言われて見たらたしかにこの子の頭みたいだね~」

「ふむ。確かに奇稲田姫はその名が示すとおり稲田の神様ですからな。加えて姓が須賀であれば、何かしら縁があるのではと思われるのも頷けます」

 

 なるほど。たしかに説得力のある話だと思う。

 聞けば京太郎君の両親を含めた親戚一同はみんな地毛は黒髪だそうだし、もし本当にこの地の須我家あるいは須賀家と関係があるのなら、髪色も先祖がえりみたいなものということか。

 ……んん? 待てよ。

 例えば良子ちゃんの推論がすべて真実だったとして、そうとなれば京太郎君には奇稲田姫の他に素戔嗚尊の血が流れていてもおかしくはないということになるのでは?

 男の子なんだから、どうせならそっち側の能力が芽生えていたほうがしっくりくるような……。

 

「私もこれでも神境の一員とされていますから、それに関してはなんとなくですが分かりますよ」

「えっ? どうして?」

「それは当事者でもある私から説明することにしますかの」

 

 

 古くから名を残し、そのお役目を受け継いでいる神代家やここ須我家のような家柄において、跡継ぎというのは古くから男児に限るとされてきた。

 これはおそらく、ある程度勢力を保つ大きな家においてはよく見られる相続の形と思われる。

 男の子が生まれたらその子を跡継ぎに。女の子が生まれたらその子は別の家に嫁いでしまう、あるいは外部から婿を招き分家の一員として生きていくことになる。

 規模はともかく、仕組みとしては皇位継承権における男系の重要性と同じようなものだろう。

 

 ――で、だ。

 男系の血が本家に残って須我を継ぎ、女系の血が分家に嫁いで須賀となる。

 つまり、始まりが女児から派生している分家には始祖である素戔嗚尊のY染色体が受け継がれておらず、先祖が分家筋の人間である(と思われる)京太郎君にはそちら側の血がほとんど受け継がれなかったのだろう、というのが関係者二人の言い分であった。

 

「うーん、あの子にとっては良かったのか悪かったのか」

「素戔嗚尊は乱暴者として解釈されることも少なくはありませんから、もしそちら側の血を濃く受け継いでいたらもっと攻撃的な能力が芽生えていたかもしれませんね。もしかすると性格にも影響が現れていたかもしれませんが」

「うっ……それならまだ今のままでいれくれたほうがいいかな」

 

 万が一にも彼が荒ぶる鷹のような性格だったとしたら、まず師弟関係にはなっていなかったと思うし。

 それはそれでちょっと寂しいものがある。

 

「なるほどね~、健夜ちゃんを見てたらはやりもその子にちょっと会ってみたくなっちゃったかも」

「え……!?」

「はや? どうしてそんな顔するの?」

「ううん、別に何も」

 

 言いながらも視線はその果てしなく豊満な部分へ吸い付くように引き寄せられてしまった。

 童顔でかなりのものをおもちのはやりちゃんは、雰囲気こそまるで別物だけど、外見だけを見ればどことなく原村さんの進化後を彷彿とさせるものがある。そんな彼女と彼とを引き合わせるのは、いろいろな面を考えても不安しか浮かんでこない。

 

 といってもそれは嫉妬なんていう可愛らしくも面倒くさい感情から来るものではなくて。

 どちらかというと、躾の至らなさを外出先で如何なく発揮された時にその子供の母親が周囲の目に対して感じてしまう後ろめたさ、とでもいうべきか。

 彼が紳士でいられるボーダーラインなるものがこの世に存在するとして、その境界線がどのあたりに設定されているのか正直さっぱり分からないけれど、少なくとも原村さんと同等かそれ以上の瑞原はやりという女性は、そのラインを遥か向こう側に飛び越える存在であることには間違いない。故に暴走する可能性は捨てきれないのである。

 

 ……まぁ、心配なのは何もそちら側だけというわけでもないんだけど。

 はやりちゃんははやりちゃんでこう、なんていうのか……本人曰く小学生の頃からそうだという、その強烈かつ確固たるキャラクターをどんな時でも崩さない。そのせいか、たまに世間の声として「あのプロはキツい」というような意見を聞くこともある。

 仮にも同年代の、友達と呼んでもいいだろう相手が自分の弟子に痛い人扱いされるのもまたやるせないに違いないのだ。私が本人のいない場ではやりちゃんの話題を出された時に思わず胃が痛くなってしまう原因の大半はこの部分によるものである。

 猫耳メイド姿の私を見て褒めてくれる彼のことだから、大丈夫だとは思うんだけど……二人のダメな部分が組み合わさった際の相乗効果で、展開が思いも寄らない方向に転がってしまう危険がある以上、こちらとしてはどうしても戦々恐々とせずにはいられないのであった。

 

 

 ここまでのお話で京太郎君の持つオカルト能力が奇稲田姫とその周辺の伝承に由来するものっぽいということは、なんとなく納得した。

 それにしても、一個人が有するものとしては話のスケールがだいぶ大きくなってきたと思わなくもない。

 

「あのさ、そもそもオカルト能力って何なんだろうね?」

「一言で済ませてしまえば神様がその者に与えたもうたギフト――才能といえるのではありませんか?」

 

 その問いに即座に返してきたのは良子ちゃんだった。

 

「才能かぁ。霊感とかは関係ないんだ」

「神境の姫様などは巫女としてお持ちの霊力を麻雀用に逆輸入して発現させておられるので、この場合は完全に無関係とはいえないでしょうが。どちらかというとそちらが例外なのであって、霊感がないからオカルト能力が芽生えないかと言うとやはり違うと思うのです。小鍛治プロもその一人ですよね?」

「うーん。たしかにこれまで幽霊とかを見たことは無いけど……」

 

 姫様といえば、永水女子の先鋒――神代小蒔か。

 あの子の麻雀は巫女であるその身に神様を降ろすことによって成立しているらしいという話を聞いたことがある。いっそ清々しいまでに他人(神?)任せなものであり、能力依存度でいえば今大会出場選手の中でも随一な上、それを取り上げられた際の本人のレベルは初心者に毛が生えた程度とも聞く。

 高千穂峡の山頂に瓊矛よろしく突き立てられても困るので、関係者たる良子ちゃんの前で口にすることは無いけれど。正直な話、昨年度の全国大会で宮永照・天江衣と同等な実力者として彼女の名前が挙がったことにも違和感しか覚えなかった。眠ると強くなるって、なんだそれ。

 

「でも才能って聞くとさ、オカルト能力を持ってるってだけでその人たちはみんな天才だって言ってるっぽく思えてきちゃうんだけど」

「それは違うんじゃないかな~? 才能って子供の頃はみんなたくさん持ってるって言うし」

「はやりさんの言う通りですよ。本人が望むと望まざるとに関わらず、人は必ず何かしらの才能を有して生まれてくるものです。バット、才能というのは目に見えるものばかりではない。己自身に理解できるものとも限らない。才能があるからといって、必ずしもその道へと進む人間ばかりではないでしょう?」

「うん、それはまぁそうだろうね」

「己の持っている才能を活かすことのできるものに出会えるかどうか。そして、それを活かし続けようという意思があるかどうか。大切なのはその二点であって、才能という言葉だけで大成が確約されているわけではありませんから」

「継続は力なりって言うしね☆」

「才能は種みたいなもので、芽吹くかどうかはその人の運と環境次第ってことかな?」

「そうですね。そういった意味でも小鍛治プロは正真正銘麻雀における天才と呼ぶに相応しい人だといえますか」

「そういうの褒め殺しって言うんだよね。知ってる」

 

 まぁ、なんとなく言いたいことは理解できたと思うけど。

 たとえば人を魅了することのできる魂の篭った音を奏でることができる音楽界のピアニストしかり。

 独自の嗅覚とも呼べる不思議な感覚の位置取りで得点を量産していくサッカー界のエースストライカーしかり。

 芸術・スポーツ・勉学、どんな分野においても才能のある人物というのは必ず現れるもの。麻雀におけるオカルト能力というのは同じ競技をしている人間に分かり易い結果を齎すという特徴があるだけで、本質はそれらと同じということらしい。

 

 その言葉どおりに解釈するのであれば、私も京太郎君も大会で活躍して見せた宮永さんたちも等しく『麻雀が強くなる才能の種』を持って生まれてきたということになるのかな。

 そして私は麻雀と出会い、その種に栄養をしこたま注ぎ込んだ結果として仏隆寺の千年桜級に育て上げてしまったと。これ、素直に誇って良いものかどうか……。

 

「はや~、たくさんある分野から麻雀と出会うって、それってすごい偶然だよね。運命っていってもいいくらい☆」

「小鍛治プロがもし他の分野でも麻雀と同等のポテンシャルを秘めていたとしたらと、そう考えるだけでも恐ろしいですが……」

「ご期待に添えなくて残念だけど、料理とボウリングに関しては既に凡人クラスだってことが判明してるんだ」

 

 私の場合は麻雀特化型だから分かり易いっちゃ分かり易い。

 良子ちゃんの場合はおそらく巫女としての才能も持っていて、麻雀と霊媒どちらにあっても質の高い力を発揮できるのだろう。

 そしてはやりちゃん。彼女は今でこそアイドルと雀士をかけもちでやってはいるけれど……本来であれば高名な大学や企業なんかで研究者の道を行くこともできた程の才女である。

 

「健夜ちゃんは麻雀が天職みたいなものだからいいんじゃないかなぁ。でも他の競技でも同じような特殊能力で活躍する人が出てもおかしくないのにね~」

「認知されていないだけで、中にはいるのではありませんか? サッカーなどではフィールドを俯瞰で見ているような感覚を持ってプレイする人もいると聞いたことがありますし」

「上から見て敵と味方の位置が全部分かってる状態ってこと? それもなんだかすごいね」

「これは友人からの受け売りですがの。麻雀という競技が国民的にも流行り始めてからの話というのであれば、麻雀の才能を持つ子が目に付くようになる下地が今の日本にはあるということなんでしょうなぁ」

 

 たしかに。私がもし超早い速球を投げられるような野球の才能を有していたとしても、野球という競技に触れなければ、あるいはそれが開花する兆しを見せるまでやり続けなければまったくもって意味がないということになってしまう。

 その点において、今のように麻雀が国民的に人気を誇っている世の中にあっては、触れる機会も多ければ続ける意思も保ちやすい。だからこそ、特異な能力持ちが麻雀に集っているように見えてしまうと。

 予めどんな才能を自分が持っているかを分かっていれば間違えずに済むんだろうけど、あいにくと人間というのはそこまで便利にはできていない。

 でも、そんな中でもし私が出会ったことがきっかけで埋もれていくはずの彼の麻雀に関する才能を見出すことができたというのであれば――それはとても喜ばしいことなのかもしれない。

 

 

 京太郎君の話が一段落したところで、話題は須我神社に関するものへと移っていった。

 お話を伺うには、出雲大社もそうであればここ須我神社の主祭神様もどうやら良縁成就のご利益があるらしい。年齢的にはキャンパスライフを堪能している大学生たちと大差がなく、未来が燦然と輝いているだろう良子ちゃんはともかくとして、お肌の曲がり角の適齢に差し掛かった私とはやりちゃんはここぞとばかりに熱心に手を合わせてお参りをすることにしたのだった。

 お賽銭も奮発して一番大きな硬貨を投入し、念入りに拝み倒すこと数分間。

 ご利益があるかどうかはまだ分からないものの、なんとなく数年以内にいいことがありそうな気がしてきた。うん。

 ……神様への感謝より自分の欲望が大事なこの人はしばらくご利益を受けられそうにないですね、なんて言葉を後ろの良子ちゃんが洩らしていたけれど、きっとそんなことはない。……はずと信じよう。

 




※この物語はフィクションです。登場する人物・団体における設定は架空のものであり、現実とは一切関係ありません。

はやりん含めプロ勢には謎が多すぎる。掘り下げていくにはシノハユも必修科目なのかしら。


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第04話:天蓋@少女が怪物になった夕刻の小景

「どうしてこうなったんだろう……」

 

 季節がら、少しだけ湿った暖かい風が吹く中で。降り立った駅のホームで、私は一人ぽつりと呟いた。

 眼前にどこまでも高く広がる青い空をぼーっと眺めながら、ふと思い起こすのは先日のことだ。新入部員として麻雀部に入部してから一ヶ月ちょっと、普段はあまり話しかけてこない顧問の先生から、いきなりこんなことを言われた。

 

『小鍛治さん。交通費は全部私が出させてもらうから、週末にちょっとこの人に会いに行ってきてもらえない?』

 

 この時点で理由はなんとなく察していた。私の麻雀がどこか特別(おかしい)ということに、現レギュラー陣の先輩たちが勘付いてしまったせいだろうと。

 その中の一人は、新入部員たちに対して常に居丈高というか、色々と無理難題を押し付ける傾向があった。実力は最上級生の中でも抜きん出ていたほうだし、女子校にありがちな人気者だけが許されるある程度の傲慢さというか、そういった態度や言動が許容されていたというのもあながち間違いではなかったけれど。そうでなくとも、最上級生からの半強制的な『お願い』を断れる新入生などそうはいない。

 その結果、中学時代は先生の指導方針により基礎ばかりを詰め込んでいたこともあって決して開かれるようなことの無かった開かずの扉を、その先輩が強引にこじ開けてしまうことになる。

 

 

 ある休日の部活動中。顧問の先生が用事のため退席したこともあってか、その先輩の態度はいつもに増して酷かったように思う。運の悪いことに、その時は私の幼なじみを含む幾人かの子たちがターゲットにされてしまった。

 

 彼女たちに対して出されたお願いは『対局をする』というもので。それだけ聞けばまったく普通の部活風景に見えなくもないけれど、実体は典型的な弱いもの虐めによる単なる憂さ晴らしでしかない。鳴けば舌打ちをされ、和了すれば睨まれる。それでいて勝てなければ延々と厭味を零された挙句の果てに、しばらくは先輩たちの目に届く場所では後片付け以外で牌を握ることさえ許されなくなるというおまけ付き。もちろんすべての上級生らがそうであるわけではなかったけれど、見て見ぬ振りをするのが精一杯な部外者(せんぱい)たちに過度な期待を抱く新入部員は一人もいなかった。

 

 私は普段から地味めというか、部活動中も黙々と牌符の整理とか道具の手入れとかを中心に行っていてほとんど目立つような行動を取らなかったせいか、その人に直接目を付けられるということは一度もなかった。でも、ターゲットとなってしまった子たちの一人――私が麻雀を打つことになるきっかけを作ったその子は、小中に加えて高校でも一緒になった程のいわば腐れ縁であり、必死に助けを訴えてくるその視線を無視することは私にはどうしてもできなかった。

 

 だから、似合わない役回りだと自覚しつつも「一年生には顧問の先生から部活動中に行うメニューを指示されているから対局は無理です」というようなことを角が立たないようにあくまでやんわりと伝えた。

 結果として自分の意に逆らうような発言をした私のことがよほど気に入らなかったのだろう。もしかすると伝え方に問題があったのかな、と後でちょっとだけ思ったりもしたけれど……だったらお前が付き合えといわんばかりにターゲットが私一人に絞られることになってしまい、その上で対局することが強引に決められた。それも『負けたほうが麻雀部を去る』という、最上級生のレギュラーと新入部員との間に交わされるものとしては明らかに歪な条件付きで。

 

 私は別に麻雀が死ぬほど好きというわけではない。でも、だからといって他人に無理やり辞めさせられるのを黙って頷けるわけがなかった。それに、どうせ辞めることになるのであれば、最後に一度だけでもいいから巷で強いと評判の相手に本気で打ってみたいと思ってしまったこともある。もっとも、それがそもそもの間違いだったのかもしれないけれど。

 

 ただ、今になって冷静に考えてみると。私はそれなりに付き合いの長い友人が、理不尽な理由で不当に傷つけられようとしていたことに対して、強い憤りを感じていたのだと分かる。故に――。

 

「――ロンです。四暗刻単騎、大三――あ、たしか高校の公式戦だとダブル以上のルールはありませんでしたね……」

 

 ――東一局、十四巡目。レギュラーメンバーで誰よりも堅固な守備力を有していたその先輩のガードをプライドごとぶち破る役満直撃で、勝負はあっけなく終わった。

 

 呆然とする人、イカサマを疑う人。反応は十人十色という感じではあったものの、その後も色々な人から勝負を申し込まれ、戦った。ほぼ半日ぶっ通しで対局し続けていたように思う。その悉くを私は返り討ちにし、勝ち続けた。

 当然その結果からすれば、負けた先輩のほうが退部しなければならない。だけど彼女を辞めさせたくはない先輩たちがこれまでのことを詫びながら必死に頭を下げる形で条件の撤廃を要求。元々賭けそのものが曖昧な条件だったというよくわからない理由をつけて、私もそれを承諾した。

 

 その先輩は今でも部活に留まっているけど、以前のような高圧的な態度は完全に鳴りを潜め、部活中でも決して私と目を合わそうとはしない。周囲の先輩たちも、私を見るとまるで化け物にでも出遭ったかのようにこそこそといなくなる。

 同級生たちは難癖をつけてきた上級生を返り討ちにした私のことを好意的に見ているようだけど、教室では普通に接してくれはするものの、卓を囲むことだけは頑なに拒否されてしまうという有様で。部活動中に麻雀を打つ相手が見つからない、という実に不可思議な現象が発生してしまっていた。

 

 気まずい関係がこのまま続くくらいなら――と、手にした退部届を顧問の先生にいつ渡そうかとタイミングを伺っていた時、言われたのが先程の科白だった。

 

 

 特別に部活動を休みにしてもらった週末。顧問の先生から渡された件の人物の写真と一万円札を手に数回路線を乗り継いでわざわざ時間をかけてやってきたのが、ここ茨城県鹿嶋市。今現在私が通っている高校の所在地でもある土浦市とは霞ヶ浦を挟んだ対岸に隣接している場所で、茨城県の中ではかなり南端に近い場所に位置している。

 この町にはプロサッカーチームのホームスタジアムがあったりもするらしいけど、全国的に有名どころといえばやっぱり鹿島神宮のほうになると思う。改札を抜けて、本日の待ち合わせ場所に指定されている鹿島神宮へ向けて歩きながら、手にした写真にちらりと視線を落とす。

 どうやら写真に写っている相手の方は現役の麻雀プロだか元プロだか、とにかくその筋ではかなりの著名人だそうで。普段はとても多忙な暮らしをされているためなかなか時間が取れなかったらしいんだけど、たまたまこちらに来る用事(試合?)があって、その合間を縫う形で私と面会することを先方に了承してもらったという話だ。

 なんでそこまで……と思わなくはないけれど。息の詰まる部室で延々と牌符の整理をしているよりかはマシだったから素直に頷いておいた。

 

 大鳥居を抜けて参道を歩き、楼門へと向かう。

 季節柄、参拝客が大勢……というわけにはいかないようだけど。そこそこ人の往来が見られる参道の途中、朱色の建物を見上げるようにして、写真の通り右目にモノクルをかけたおそらく四十代後半くらいの女性が立っていた。私が近づいていくと、その人は背後の様子に気づいていたわけでもないはずなのにゆっくりと視線を落とし、何気ない感じでこちらを向く。

 

「――っ」

 

 蛇に睨まれた蛙の心境とは、こういう感じなんだろうか。

 穏やかな表情を見せているその人の雰囲気とは裏腹な奇妙な緊張感が、私の身体を一瞬にして強張らせた。

 

「ごきげんよう、お嬢さん」

「あ……こ、こんにちは。あの……」

「話は聞いているから大丈夫。あなたが小鍛治健夜さんね? 私は熊倉トシ、今は麻雀プロというよりはスカウトのようなことをしているものだよ」

「スカウト、ですか……?」

「ええ。いちおうプロとしてもまだ現役なのだけど、それと同時に特別な能力を発現させてしまった子たちの面倒を見ているのよ。例えば貴方のような、ね」

「はあ……」

 

 特別な力なんてあったからどうだって話だと思うんだけど。あ。まさか、最初からスカウト目当てに対面させられた訳じゃない……よね?

 そんな風に考えていたはずの私の推測は、後に続いたその人の言葉で綺麗に吹き飛ばされることになる。

 

「さてと。それじゃまずはお参りにでも行きましょうか。せっかくそのつもりで鹿島神宮に来たんだし、ここで話をしているのは時間が勿体ないでしょう?」

「……え?」

 

 ぽかんとする私の手を引いて、その人は参道を歩き出した。

 

 

 その後のその人の言動を見るに、私の考えはまったくの的外れだったということが分かった。だってこの人、本当に観光目的で訪れた人たちみたいにあちこち立ち寄っては目を輝かせて、傍目から見ても明らかなくらいにはしゃいでいるんだもの。むしろ私との面会という理由を使って時間を作り、観光するためにやって来たんじゃないかと疑いたくなる程である。

 まぁ、私も強引に連れまわされながらもそれなりに楽しかったりはするんだけれども。

 

 拝殿で二人揃って参拝した後に、急かされて御神籤を引いた。

 実は私は小さい頃から御神籤で中吉以上末吉未満の結果を引いたことが無かったりする。色々なところでこじんまりと纏まっている私らしい結果だと思う。

 ちなみに今回も例に漏れず結果は末吉だった。どうにもぱっとしないところを引いてきたものだと自分でも呆れるばかりではあったけれど、願い事の欄に書かれていた『望めば結果はついてくる』という部分は少しだけ信じることにしておいた。

 一方の熊倉プロはというと。開いた瞬間に大人げなくもおおはしゃぎで、大吉でも出したのかと横から覗き込んでみれば――。

 

「だ、大凶……!? って、どうして喜んでるんですか!?」

「だって大凶なんて滅多に引くことないでしょう? レア度だけでいったら大吉よりも高いもの。ふふ、まさか今日という日にこんな極端な結果が出てくるとはねぇ……」

 

 ちらりと私のほうを見て、嬉しそうに笑う。

 その物言いだと何故だか私が大凶を引いた元凶であるかのように聞こえるんですけど。

 私から向けられているジト目もどこ吹く風という感じで、機嫌良さそうに歩き出す。ため息一つをその場に残し、私はその後を追った。

 

 並んで歩くわけでもなく、そのまま数歩ほど後ろを歩いていた私に、突然振り返った熊倉プロが言う。

 

「小鍛治さんはあれかい? 女は三歩下がって歩くべし、を持論にでもしているの? もしそうならいまどき珍しいくらいに古風な子だねぇ」

「……え?」

「あら、そういうわけじゃないようだね。そうでないならこっちにおいで。その距離のまま付いてこられたんじゃ世間話の一つもできやしないでしょう?」

「はぁ……すみません」

 

 言われたとおり、早足で隣に並ぶ。

 素直に行動に移したものの、世間話といわれても初対面の目上の方に対してできるような面白い話なんて私には無い。友人からも健夜は少し無意識に吐いてる毒を控えたほうがいいよ、なんて忠告をされるくらいだし。できるだけ失礼の無いように言葉を吟味しなければと思えば思うほど、会話をするというただそれだけの行為が酷く困難なミッションに思えてしまう。

 

「貴方にとってはあまり触れられたくは無い話題かもしれないけど、頼まれていることだし、こうして顔を合わせた以上はきちんと話をしておかないとね」

「……はい」

「そんな思い詰めた顔をしなくてもいいのよ。言ったように世間話のようなものだから」

 

 本題――ということになるはずなのに、熊倉プロの言葉はとても柔らかい。軽いといってもいいくらいに。それがこちらを気遣ってのことだということには、さすがの私でも気が付いた。

 まぁ、だからといって完全に肩の力を抜けるのかといわれたら、また別の話になってしまうわけで。

 

「初対面の時にも少しだけ触れたと思うんだけど、貴方には特別な力がある。ちょっと視させてもらったんだけど、貴方のその能力はとても強力。怖いくらいにね。言ってみれば三元牌の發といったところかしら」

「え……?」

 

 三元牌といえば、麻雀で使う白發中の牌のこと……だと思うけど。特別な能力があるというのが事実だとしても、そこで牌の種類が口から飛び出てくる理由がよく分からない。

 それに関して説明をするつもりは無いのだろうか。頭にエクスクラメーションマークをいくつも点灯されている私をさらっと無視する形で、熊倉プロは会話の間合いの範囲外から一足飛びに距離を詰めると、鋭く本題に切り込んできた。

 

「薄々は気がついているんじゃないかい? 自分の打つ麻雀が、対局相手の運気や力……卓を支配している色々な要素を取り込んで『負けるはずのないモノ』になってしまっていることに。それはイカサマにも似たもので、自分自身の打つ麻雀に忌避感を覚えてしまった。だからこそ麻雀を続けるかどうかで悩んでいる。そうでしょう?」

「――……」

「貴方のその気持ちは分からなくはないのよ。そういった疑問にぶつかって、実際に辞めて行った子たちを何人も見ているからね。でもね、よく聞いてちょうだい。その能力は、正しく認められている貴方自身の強さの証」

 

 だから――と。熊倉プロは続けた。

 

「今日ここで貴方と会えたこと、本当に良かったと心から思うのよ」

「……どうしてですか?」

「だって、もしここで会えなかったら貴方は遠からず麻雀を辞めてしまっていたのでしょう? もしそうなってしまっていたら、日本の将来を担う至宝を失うことにもなりかねなかったということだからね」

 

 至宝……? 私が?

 ただひたすらに相手を蹂躙するだけの私の麻雀が、日本の将来を担う……?

 お為ごかしならそれでもいい。煽てて木に登らせたいだけならば私はそれを一笑に付しただろう。だけど、そう語った熊倉プロの表情は、疑う余地を挟ませないほどに真剣そのものだった。

 

「小鍛治さん。私はこれから、貴方にとってとても残酷なことを言わなければならないわ。貴方が麻雀を好きであればあるほど、それは残酷で耐え難い痛みを齎すかもしれない。それでも、それを聞く覚悟はあるかい?」

「……」

 

 覚悟――なんて、あるはずがない。だって私は、心から麻雀を好きだなんて口が裂けても言えないのだから。

 でも、それを聞かずに麻雀を辞めることはできないと思ってしまった。人に誇れるような取り柄が何も無かった私にとって、この人のその言葉は魅力的に過ぎたから。

 こくりと一つ頷いて、肯定の意を伝える。それが今の私にできる、最大限かつ唯一の意思表示の方法だった。

 

「たとえ貴方自身がそれを望まなかったとしても、その能力に本格的に目覚めてしまった今、どんな相手との対局でもわざと負けない限りは勝ち続けることになる。それはきっと、インターハイに出場して強豪校の子たちと戦ったとしても変わらないわ。貴方のその能力を打ち破ることができるだけの打ち手は今、私が知る限り、少なくとも国内で見出すことはできないからね」

「それって……?」

「ある意味、約束されている勝利といえるかもしれないね。それは貴方に麻雀をつまらないと思わせることになるし、結果嫌気が差すこともあるかもしれない。ただ強いだけという存在はね、それだけ孤独であるということでもあるのよ……麻雀という競技に触れている時に限ってだけど、貴方はこれから常に絶対的強者だけが味わう本当の孤独に苛まれることになるでしょう」

 

 それは宣告に等しい言葉だった。

 これから先、私が普通に麻雀を楽しいと思うことは無くなるだろうという。麻雀という競技を楽しむ資格が、既にお前には無いのだという。

 もし私が麻雀を好きだったら、その事実を突きつけられた時点で絶望していたかもしれないけれど。少しだけ胸の奥がちくりと痛んだような気はしたものの、それを聞かされてなお冷静なままでいられたことが皮肉にも麻雀に対する私の冷めた感情を端的に現しているように思えた。

 

「でもね、それはずっと続くわけじゃないよ。いつかきっと、小鍛治さんですら敵わない相手が現れる――いえ、そうじゃないわね。私が必ず見つけ出してみせるって、ここで約束をしておきましょうか」

「どうして、そんな約束……?」

「それはもちろん――貴方のような子を独りぼっちにしない。それが私の頑張る理由だからだよ」

 

 だから貴方には、麻雀を続けてみて欲しい。

 

 そう言ってにっこりと微笑んだ熊倉プロの表情は、迷子になって泣いていた私を抱きしめてくれた時のお母さんのように、ただ優しかった。

 

 

 

「あれから十二年、か。早いものだね」

 

 ろうそくの火が全部消えて、みんなが寝落ちしてしまった後。縁側でボーっと星々がきらめき続ける夜の空を見上げていた私の背中に、そんな声がかけられた。

 振り返るでもなく、応えるでもなく。

 ただ空を見上げ続ける私の隣に腰掛けて、その人も同じように天を仰ぐ。

 

「今年の夏は、一際暑かったねぇ」

「――はい」

「あの年頃の子達は吸収力が違う。全部が全部って訳にはもちろん行かないんだろうけど、きっとこれから先もあのたくさんの星たちはあんな風にキラキラと輝き続けるんだろうね」

「若いって羨ましいですよね。あの子たちを見てると素直にそう思います」

「おやおや。貴方だってまだ十分若いじゃないの」

「最近特に年齢で弄られることが多いんですよ。まだ二十代なのに……どう思います?」

「ふふ。それは健夜ちゃんがみんなに慕われている証拠でしょう」

「うーん、そんな慕われ方は正直ちょっと……」

 

 秋の夜長に響く、虫たちの大合唱の中。交わされていた言葉たちが、吹き抜けていった風の合間にふと途切れた。

 耳の奥にまで染み込むような沈黙が二人を支配する。やがて――それを破るようにして言葉を漏らしたのは、熊倉先生のほうだった。

 

「私は――貴方に謝らなければならないわね。約束を守れず、長い間、貴方をずっと独りぼっちのままにさせてしまっているのだから」

「……いいえ。その必要は無いです。謝罪の言葉なんていりませんよ」

「そうかい?」

「ええ。私は――プロ雀士っていう立場の今の自分がそれほど嫌じゃないんです。あの約束も、いつも私を助けてくれていました。だから――」

 

 待って、ただひたすらに待ち続けて。挑まれれば戦って、戦い続けるから挑まれ続ける。そのうちに史上最年少でプロ八冠を達成してみたりもした。

 いつの間にか日本の代表として世界にまで飛び出していったあの頃のこと。四位の選手のトビ終了という敗北と呼ぶには不完全に過ぎたリオでの決勝、その果ての銀メダルもそう。

 始まりは――あの日、あの時、あの言葉。

 約束は守られてはいないかもしれない。けれども、私の人生において大切なものは全部――きっとその『約束』があったからこそ、この手の中に生まれ落ちたものだろうから。

 

 最初の出会いから十二年。長いようで短く、短いようで長い年月を私たちは過ごしてきた。

 二十七歳という年齢が物語るのは、私はもうあの頃のように青臭い感情に左右されてしまったりはしないだろうという現実。成長なのか、擦れてしまっただけなのか。それは分からないけど。

 痛いくらいに照りつける太陽の日差しから身を守ってくれるその天蓋(やくそく)は、きっともう私には必要のないものだと思うから。

 

「――だから私はね、先生。いつまでも守られる立場のままいるんじゃなくて、あの時の先生のように、誰かを守れる立場の人間になりたいって、そう思ったんです」

「……そうかい」

「まぁ、とりあえず私の差した傘の下に居てくれるのは、胸の大きな女の子に弱いところが玉に瑕――の、不肖の弟子くらいなんですけどね」

「ふふ、あの子ね。色々と経験が足りないだけで筋はいいみたいだから、これからいっぱい可愛がってあげなさい? 貴方が愛情を注げば注ぐほど、彼はきっと大物になれると思うから」

「大物ですか……そうですね、そうします」

 

 よかったね。この人にお墨付きを貰ったのなら、間違いなく将来は大物になれるよ。

 おそらく今頃はぐっすり夢の中と思われる、件の彼が眠っているだろう部屋に向けて、私は少しだけ微笑んでみせる。

 

 月が沈み夜が明ければ、また忙しない日常が目を覚ます。

 私と熊倉先生だけが知っている、秋の夜長の隙間に落ちた、ちょっとした一幕のそんなお話。

 




健夜さんの昔話その①。
後半のシチュエーション的に意味不明な部分がちらほらあるかもしれませんが、詳しくは本編をお待ちください。


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第05話:天衣@鳴かない金糸雀、鳴く雲雀

「寝ちゃいましたね……」

「寝ちゃったね……」

 

 一夜明け、東京へ戻るためにと乗り込んだ東北新幹線はやぶさ14号の車内にて。

 奈良で使いすぎた予算の都合から三人がけの座席にこーこちゃん・私・京太郎君の順で座っているわけだけど、窓際の席を確保したことで一人ご満悦だったこーこちゃんは盛岡駅を出た直後に夢の中へと旅立っていった。

 まぁ、あれだけの企画をほぼ一晩ぶっ通しでやりきったんだし、寝不足になるのも分からなくはない。

 たださ、昨晩ほとんど寝ていないのはそれにまんまと巻き込まれてしまった私たちも同じなんだけどね。もっとも、同じような睡眠時間だったはずの京太郎君は何故かえらく元気なんだけど……これが若さか。

 とはいえ、まさか半ば無理やり同伴させた張本人たちが、被害者を無視して二人で眠りこけるなんて醜態を晒すわけにもいかない。

 先に眠りに落ちてしまった彼女のことを若干恨めしく思いつつも、限られた環境の中でやれることは何かないかな、と考えた末に取り出したのは一枚のDVD-ROMだった。

 

「ってことで、東京に着くまで中途半端に時間があるし、このDVDでも見てようか」

「これ、なんのDVDなんですか?」

「CSで牌のお姉さんがやってる麻雀番組なんだけど、ちょうど今の京太郎君に必要かなって回をやってたから先生に録画しといてもらったんだ。たぶんいい教材になるだろうと思って」

「マジすか。なんかすみません」

「いいのいいの。これでも師匠なんだし、それくらいはね」

 

 いつも持ち歩いているノートパソコンを取り出し、内臓のドライブにDVDをセットする。B5サイズのノートパソコンでDVDドライブが内蔵されているのは珍しいらしいんだけど、出先で使うことのほうが多いなら外付けは邪魔くさいし内蔵のほうが良いだろうと、こーこちゃんがわざわざ探してくれたのだった。

 

 しかし、だ。問題が一つあるとするならば、画面が小さいため二人で見ようとするとかなり寄り添っていなければならないこと。

 一応熊倉先生のお家を出る前にお風呂を借りてきたから匂いは大丈夫だと思うけど。それでもある程度は気になってしまうこの乙女心。

 ちらりと京太郎君の様子を伺ってみれば、その視線はディスプレイ上で元気に手を振っている牌のお姉さん(のとある部分)に釘付けになっていた。

 

 ……まぁ、そうなるよね。分かってたけどさ。

 ほっとしたような残念なような、少しだけ複雑な気分で私も視線をそちらへ向けた。

 

 

 流れ、運。

 勝負事の世界で、その二つは勝者と敗者の間を隔てる高く聳える壁の如くとても重要な要素を持っている。

 運が悪ければそれだけで理不尽なハンデを背負わされ、流れに見放されてしまえばどんなに腕の立つ人間だろうと不思議と状況は不利になっていくものだ。

 いくら厳格かつ明確なルールによって統制されているゲームだとしても、個々の持つそれらを外的要因を用いて排除したり、まったくの平坦にして無差別化するなんてことはできはしない。

 大切な試合の前には必ずゲンを担いでから勝負に臨む、なんて話を聞くこともあるだろう。それまでたくさんの経験を積み、修羅場を潜り抜けてきただろう元日本代表チームの男子エースだった某選手でさえも、タイトルのかかるような大きな大会の試合では必ずゲンを担いでいたという話はわりとよく聞く逸話である。

 それくらい、勝負の世界において『運気と流れ』というのはとかく重視されてしまいがちなものだといえる。

 

 麻雀という競技で考えていくと、運というのはいわば、最初のスタート位置を決めるための下地といえるだろう。

 というのも、麻雀は最初にサイコロを振るところから始まっており、その段階で既に運の良し悪しが入り込んでくる余地があるからだ。

 全員が同じ位置から揃ってよーいどん!で始まるのは、表示されている点数のみだと思ったほうがいい。誰が一番トップに近い位置から始められるかというのは、最初に振られるサイコロの出目、つまり運の良し悪しでまったく違ってくるものなのだから。一見平等に始まったように見せかけて、まったくもって平等ではない。それが麻雀というものである。

 

 では、流れというのはどうなんだろうか。

 球技なんかで一つのファインプレーから一気に流れが傾くなんて場面が度々見られるように、麻雀にもその卓その卓で流れというものがある。例えば配牌の良さが運によるものであったとするならば、無駄の少ないツモの効率の良さなんかは、流れによって齎されているものと考えていいと思う。

 

 実際の川や海なんかを見てもらえれば分かると思うけど、流れというのは常に一定とは限らない。障害物でせき止められることもあれば、向きが強引に変えられることもある。ちょっとしたことで大きな変化が引き起こされたり、衝突して発生したうねりが色々なものを飲み込んでいく光景、というのを見たことのある人も多いんじゃないかな。

 逆に言えば、流れは自分の行動如何で引き寄せたり変化させたりすることもできるということだ。この点は、最初に保有している総量で結果がほぼ決まってしまう運とは異なる部分といえるだろう。

 

 雀士の中で流れを掴むことに長けている者たちが得意にしている戦法。それが亜空間殺法とも呼ばれている、いわゆる『鳴き』である。

 鳴きと呼ばれるものは、カン、ポン、チーの三種類。上家からしか宣言できないチーはともかく、カンやポンは宣言したプレイヤーの配置によってはツモ番が飛ばされたりすることからも、多用する相手のことは苦手(あまり好かない)という人も昔はわりと多かった。

 用法用量を守って正しくお使いください、というのがこれらの特徴で、実際にプロの中でもこの『鳴きが上手い』というジャンルにカテゴライズされる人というのはそれほど多くない印象がある。

 

 そんな中で名前が出てくるプロというと、やっぱり牌のお姉さんこと瑞原はやりは外せない。ただ、彼女は流れを操るタイプなので鳴くタイミングもかなり上手いほうだと思う反面、彼女自身はあまり鳴きを多用したりはしない。あえていうなら能力の副産物のようなものであって、鳴きの特化型というわけではないからだ。

 なので、私が知っている現プロ勢の中からあえて『鳴き麻雀』というものの第一人者の名前を挙げるとするならば、彼女ではなく別人の名を挙げることになるだろうか。

 

「あれ? このゲストの人って、たしかBブロックの準決勝で解説やってたプロの人ですよね?」

「うん、そうだよ。よく覚えてたね」

「いやまぁ、なんというか受け答えが個性的な人でしたから……」

「あー」

 

 直接オンエアを見ていたわけではないんだけど、その話は決勝前に卓を囲んだ時にはやりちゃんたちから聞いた。

 なんでもアナウンサーの子に注目すべき点を聞かれて、迷って咄嗟に出した答えが「制服!」だったとか。そのへんは実に口下手な彼女らしいエピソードだと思う。

 

「師匠はこの人たちとも戦ったことがあるんですか?」

「うん、まぁね。最近は公式戦じゃご無沙汰だけど――対局した時のことは、ちょっと忘れられないかな」

 

 その人物の名は――野依(のより)理沙(りさ)

 赤土晴絵・瑞原はやりと並び立つ、私にとって因縁深い十年前の準決勝卓の相手であり、現在も第一線で活躍を続けているトッププロの一人である。

 

 

 防御と鳴きは相性が悪い、というのが一般的な見解だと言ってしまってもそう間違いではないだろう。

 鳴けば場に晒される面子が増え、そのぶん手牌が減ってしまう。それはつまり安牌として計算できる枠が減るということでもあり、攻め切れなかった場合に他家に振り込む危険性が増すということでもある。

 

 今年の全国大会をぱっと振り返ってみるに、上位入賞チームの中で鳴きを主戦法として積極的に取り入れていた選手というのは、白糸台の副将亦野誠子、阿知賀女子の中堅新子憧、この二人くらいだったと思う。上手い下手はともかくとして、彼女たちはきちんと自分なりの武器(スタイル)としてそれを確立しており、個々で違いがあったもののその意図は実に分かり易いものだった。

 

 新子さんが鳴く時、それは主に『和了までの速度を上げる』ためのスイッチとして用いていたということ。

 手牌の進みが遅い時、その局面を打破するためには相手の河から牌を掠め取ることのできる鳴きというのは確かに有効な手段であり、ツモの流れが変わるのをじっくり待つよりは遥かに手っ取り早い。

 おそらく事前の情報から、同卓していた他家の三人の中に一人、特殊なオカルト能力を持つ選手がいたことを予め知っていたのだろう。準決勝では特に、火力よりも速度を求める傾向がより顕著に現れていたように見えた。

 

 もう一人、亦野さんに関しては特殊な用例とでもいうか……手っ取り早く言ってしまえば彼女の鳴きは宮永さんのカンと似たようなものであって、独自の打ち筋としては成立するものの、初心者用の教材としてはぶっちぎりの落第点である。これは姉帯さんの友引にもいえることだけど。

 彼女にとってのそれは和了するための段階として必要な儀式のようなもの。たとえば三副露した後で数順以内に必ずツモ和了できるという人が他にもいるなら、まぁ参考にするのも良いかもしれないけど……あまりお奨めはしないかな。

 

 ああいった特殊な条件に縛られてそれに頼りきりになっている麻雀は、必ずどこかで壁にぶつかる。そしてその壁は、依存度と比例して高く分厚くなってしまうものなのだ。

 特化した一部だけを見ればプロと遜色のない実力を備えていた人たちが、その壁を乗り越えられずに消えていった現実を私はこれまで幾度も見てきた。

 私自身がそういう相手に引導を渡す役目を知らずのうちに担っていた――という側面がないわけでもないんだけど。

 

 

『ではここで野依プロに視聴者さんからの質問ですっ☆ 私はいま麻雀初心者から中級者になりかけです。先生からそろそろ鳴きを覚えたほうが良いと言われて取り組んでいるんですが、タイミングが上手く掴めずにどうしても裏目裏目に出てしまって困っています。どうすればのよりんのように鳴きが上手になりますか?』

『――勘!』

『はやっ!? そ、それじゃさすがに抽象的過ぎて分からないと思うよっ。こう、これに気をつけておけばっていうアドバイスが具体的に何かないかな?』

『……っ』

『そんな難しく考えなくてもいいんだよ? たとえば五順くらい自分のツモに有効牌が来なくて上家の河に欲しい牌が連続して出てきたらチーしてみるとか、最初はそういうのでも――』

 

 おおもう、ほとんど質問に答えてるのはやりちゃんじゃないか。

 そもそも理沙ちゃんはどちらかというと感覚派のタイプだから、具体的に理論立てて説明しろっていうのは番組の企画のほうにこそ無理があると思うんだけどね。

 自分で用意しておいてこんなこと言うのもあれだけどさ……これ、本当に役に立つのかな?

 そんな私の心の声が聞こえたというわけではないんだろうけど、牌のお姉さんとゲストに挟まれている生徒役の小学校高学年くらいの少女は、どこか気まずそうにおずおずと手を挙げた。

 

『あの、瑞原プロ。今のってどういうことなんですか?』

『んと。チーをすると当たり前だけどツモ順ってずれるよね? 本来自分がツモるはずだった牌は下家に、下家の牌が対面に、っていうふうにずれていったら、次に自分がツモることになる牌は本来誰が持っていくものだったことになるかな?』

『えーっと……上家、ですよね?』

『うん、正解☆ 自分のツモの流れが良くないって思ってて、それなのに上家からは自分が欲しいところの牌がよく出てくる。なら、いっそ上家のツモと自分のツモを入れ替えられたら都合が良いよねっ?』

『あ、なるほど。よく鳴いた次のツモ順で鳴いたのと同じ牌を持ってきてなんか損した気分になったりするんですけど、あれってそういうことなんですか……』

『はやや、流れの入れ替えが上手くハマればそういうことも起こるかもしれないね~☆』

 

 噛み砕いて教えるのはやっぱり上手いなぁ、はやりちゃん。

 私もあれくらい上手に説明できればいいんだけど。

 

「鳴くタイミングにもセオリーってのはやっぱありますよね?」

「セオリーっていうか、うん。三元牌とか自風牌がドラになってて手牌で対子になってたりすると巡目とか関係なく一枚目から鳴く人は多いね。あと分かり易いのは二~三向聴くらいで染め手がはっきり見えてる時とか、形聴のために終盤で鳴くとか」

「形式聴牌……うっ、頭が……」

 

 あっ。そういえば最初の指導の時にやらかしちゃったんだったっけ。

 あの時はなんでもないような素振りだったけど、やっぱり脳裏にダメージが蓄積されていたんだろうか?

 

「だ、大丈夫……?」

「あはは、まぁそれは冗談ですけどね。でも正直よく分からないんスよ、鳴いて良い場合と悪い場合の違いってのが」

「目的をはっきりさせとかないと迷うってこともあるから。たとえば鳴いて何が欲しいのかとかはきちんと理解しとかないとダメだよ」

「何が、っていうと……?」

「鳴きって一言で言っても用途はいっぱいあるからね。一位逃げ切りのためにとにかく聴牌までの速度が欲しい場合とかさ、あとはさっき牌のお姉さんが言ってたみたいにツモの流れを変えたい時とか。あとは他家の一発を消してしまいたい時とかもそうかな。その鳴きでどんな効果が得られるのか、あとは何を失っちゃうのかってのも大切なの」

 

 考えなければならないのは、その目的は一体何を犠牲にして生み出されるものなのか、ということ。

 火力であったり防御であったり速度であったり、あるいは流れであったり。それは目当ての牌の絵柄だけを見ていては決して掴めない。

 欲しいものと失われるもの、この二つを比べてなおメリットのほうが勝る場面。それをその場その場できちんと把握できてこそ、鳴きという手段が活きてくる。

 

「たとえば食い下がりで飜数が下がっちゃう場合とか、役そのものが成立しなくなっちゃってトップに点数が届かないって時は鳴きたくても鳴けないし。逆に1000点でもとにかく和了しちゃえば一位になれるって時は喰いタンとか役牌暗刻狙いで一枚目から鳴いていくのも戦略としては間違ってないよね」

「それは分かります。和なんかがよくやってますから」

「でもね、早い巡目からそれをやっちゃって、結果的にその後のツモの流れが悪くなっちゃうと本末転倒だったりもするんだよ。特に上家から欲しい牌がいっさい出て来なくなるとこっちの速度も減速しちゃうだろうし、手牌の面子との兼ね合いも考えて動かないとダメだったりするから。その時その時で発生するメリットとデメリット、どっちもきちんと把握しとかないとなかなか上手いタイミングっていうのは掴めないと思うんだ」

 

 ――だからこそ、鳴きの扱いは難しい。

 特に情報があまり表に出ていない序盤におけるそのあたりの判断は、牌効率を重視する原村さんといえども博打の域を出ない行為だろう。今の京太郎君の立ち位置からするとそこまでの理解を望むのはまだ無謀と言わざるを得なかった。

 

「でもその場合だとあれじゃないスか。俺は鳴けば能力が解除されちゃうってトシさんが言ってましたよね? ってことは実戦だと鳴かない方がいいってことになると思うんですけど、それでも鳴きは覚えといたほうがいいんでしょうか?」

「京太郎君の能力的に必要か必要でないかっていうと、必要じゃないってことになるかもしれないけど……あのね、自分が知らないものを対処するってことは意外と難しいんだ。京太郎君自身は鳴くことはないかもしれない、でも他の子達もそれに付き合ってくれるわけじゃない。これは分かるよね?」

「はい」

「そんな時に対応の仕方が分からない、っていうのがどれだけ自分の立場を弱くするのか……京太郎君はそれを宮守の子たちとの対局で嫌って言うほど味わったと思うの。違うかな?」

「……はい、そうでした」

 

 能力を前提に考えれば、京太郎君が対局中に鳴くことは防御の要を捨て去ることと同義である。

 他の子たちよりも鳴きという行為に対してデメリットのほうが大きくなる状況下で彼が鳴けるのかというと、やはり難しいだろうとも思うんだけど。

 でも――それはそれ、これはこれ。理解が及ばない状況に対応するのは、たとえプロと呼ばれる人たちであってもとても難しい。半面、きちんと仕組みを分かっていれば、あるいは対処することもできるようになるかもしれない。この差は僅かなものかもしれないけれど、しかし確実に雀士としての成長速度の根幹部分に深く関わってくる差でもある。

 

 それに、使わないなら学ばなくてもいいという結論に達するのは、麻雀の技術云々に関わらず非常に危険な発想だと私は思うんだよね。

 よく勉強なんかでも、将来使わないから別に覚えなくていい、というような負け惜しみにも似た意見を聞く事があるけれど。

 確かに学校で習う中には、将来の仕事によっては一切使わない知識というのも多いかもしれない。でも、大人になってみれば自然と気づくことだけど、それははっきりと違うと言える。

 知らないということは、例えばその知識を使えば危機を乗り越えられるという場面であってもその可能性にすら気づけないということだ。無知は罪なりと昔の人は言ったけれど、それが間違っているとは思わない。知識を有している人間には当たり前に見えている選択肢も、知らない人間には決して見る事が出来ないのだから。

 時にはチャンスをチャンスと認識することも出来ず、また時には誤りを誤りと捉えられることもないままに、ただただ同じ失敗を重ねるだけの人間。そういった人は頼りなくて周囲から見限られるのもあっけないほど早いもの。

 そしてそれは雀士としても同じことだ。

 

 知識として持っているだけで有利になる情報というのもある。防御における最初の一歩は相手をよく知ることから始まるとさえ言われる事があるほどに、情報というのは重要だ。

 もちろん鳴き麻雀(ソレ)をきっちり実践して使いこなしてみせろなんて無茶ぶりをするつもりは毛頭ない。防御寄りのスタイルがきちんと固まるよりも前に、色気を出して応用を求めて基礎の部分を崩してしまえば、途端に脆く弱くなってしまう危険性もあるわけで。

 なによりも運の細い彼と鳴きとの相性はすこぶる悪い。昨日の対局でその片鱗を見せていたが、鳴き後の流れの激変っぷりは後ろで見ていて唖然とした程だった。

 

 これは熊倉先生の推測だけど、あの鳴き後の流れの激変っぷりも京太郎君の持っている『奇稲田姫由来の能力』によるものではないかという。

 というのも、斐伊川を八岐大蛇に見立てた場合の伝承として、奇稲田姫はその川の氾濫を鎮めるために生贄とされた地元の民の巫女の一族だったのではないかと解釈されているからだ。

 封印を解いて河の流れを鎮める巫女の力が失われたその瞬間、八岐大蛇はここぞとばかりに暴れだし――その一族を食い破る。

 鳴いた後に他家の手を神話級の怪物に仕立て上げるのもまた、彼が持つ()()()()なのかもしれない、と。

 

 言うまでもなく、それは諸刃の剣と呼ぶにも禍々しすぎる副作用である。なので、ある程度スタイルが固まるまではしばらく公式戦での鳴きは禁止しておいたほうがいいだろう――というのが、私と熊倉先生双方共通の見解であった。

 

 それでもあえて鳴きを覚えさせようとしている理由はただ一つ。

 

「相手がどうしてこのタイミングで鳴きを入れてきたのか、それが何を目的としているのか。場に晒された牌の種類と並びから見えてくる情報がどんなものなのか。それを知っておくためにはやっぱり自分の使わない武器についてもきちんと理解しておかないと。京太郎君の場合、これは攻撃のための知識っていうよりも、防御のための知識なの。君の持っている防御力をさらに堅固にするための補強だね」

 

 例えば一般論程度のものでもいい。鳴きというものの性質をきちんと掴み、実際にそれを使ってくる対局者の心理を読み解くことができれば、それは必ずここぞという場面で武器になるはずだから。

 

「その知識がもし俺にあったら、昨日の姉帯さんの四副露目は防げたかもしれないってことですよね」

「そうだね。京太郎君の能力があの子の裸単騎に勝ってたから問題にこそならなかったけど……あの場面で鳴かせちゃうのは余計なリスクを招くことになるし、さすがにまずいかな」

「ですよね……はぁ~、麻雀ってやっぱ奥が深いっす」

 

 二人して深くため息を吐いた時。画面の向こう側では番組の終わりを迎え、こちらに向けて笑顔で手を振っている牌のお姉さんの姿があった。

 

 

 それからしばらくの間、ともすれば舟をこいでしまいそうになるのを必死に堪えつつ、宮守の子たちから別れ際に渡された、通称マヨヒガノートを元に話をしていた私たち。

 新幹線がちょうど郡山駅を通過した頃にやってきた車内販売のお姉さんからコーヒーを二つ買い、一息つくことにした。

 そういえば昨日、熊倉先生と話し終えた後で京太郎君に何かを話しておかないといけないと思ったはずなんだけど、あれってなんだったっけ……と一人で考えていると、ふと脳裏に煌くものがあり。

 

「ああ、そうだ。話はちょっと変わるんだけど、この前ね、地元の子供たちを集めて麻雀教室みたいなことをやった時のことなんだけど――」

 

 週末なんかに予め予定がないと分かっている場合、所属チームが主催となって小学生以下の子供たちを集めて麻雀教室を開くことがある。講師はもちろんつくばに所属しているプロ雀士で、実際に卓について打ちながら教える人もいれば、座学、つまり簡単な理論を黒板を用いて説明する教師役を任される人もいる。(ちなみに私は後者であることのほうが圧倒的に多い)

 先日行われたその麻雀教室で、奇妙な現象が起こっていたのを目の当たりにした。

 カン、カン、カン。どの卓にあっても聞こえてくるのは、その宣言ばかり。もちろん嶺上開花で和了する子は一人もおらず、無駄にドラが増えた状態でゲームが続行するだけという酷い対局ばかりが目についた。

 

「あー……もしかしてそれって咲の真似をしてるんですか?」

「そうみたいなんだよね。とりあえずチャンスがあったらまずはカン、みたいな流れになっちゃってて……明らかに鳴く意味がない場面でも深く考えずにカンしちゃう子が増てるみたいなの」

「インターハイの影響ですか。なんつーか、気持ちは分からなくもないんだけど、教えるほうは大変ですよね。そうなっちゃうと」

「うん。でもそれってヒーローに憧れてるようなものだし、憧れてるものに対して頭ごなしにダメって言うわけにもいかないじゃない? とにかく分かってもらうのに苦労してたみたいだったよ……」

 

 どうしてダメなのか、その理由をきちんと理論立てて教えなければいけないわけで。

 京太郎君ほどの年代ならともかく、小さい子からすれば退屈な話で煙に巻かれるようなものだろうし、興味が沸かなければ子供は一切覚えようとはしないものだ。そんなものよりも見ただけではっきり分かる宮永さんの麻雀が与える直感的なインパクトのほうが、子供たちには魅力的に映るというのも当たり前な話。それは確かにそうなんだけれども……やっぱり教える立場の人間からすれば、間違いは正したいというのが情である。

 

 私は座学担当であり、教え子たちはみんな年長組だったこともあってカンの有用性と危険性をある程度理解していたので、その様子を対岸の火事よろしく眺めている側の人間だったんだけど。その場をきっちりと治めて見せたのは、つくばのチームで二軍の監督をされている元プロ雀士の方だった。

 

 はじめから否定だけを押し付けるのは良くない、とその人は言った。とりあえずやらせてみて、それではまず和了できないということを身を以って分からせるべきなのだと。

 

 実際に教室が終わる頃その方が教えていたグループの子たちは、とりあえず四枚目の牌が見えたらカン宣言、ということは無くなっていた。自分が和了できない上に、手牌が薄くなったところで普通に打っていた他の子のリーチに振り込んでしまい、カン裏のドラまでが乗った手痛い一撃を喰らうことでさすがに割に合わないということを理解したのだと思われる。

 その手腕はさすが監督業を営む人だといわざるを得なかった。心を誘導する術に長けている、とでも言うのか。

 

 ただ、この場は上手く丸め込んだとはいえ、もしかすると此度のインターハイは全国各地に似たような子供たちを量産してしまったのではなかろうか、と懸念を覚えた瞬間でもある。

 人気が出てメディアなんかで取り上げるのは別に構わないと思うけれど、その先にある結果のことをもう少しだけ考えて欲しいとも思ってしまった。

 

「――で、実はここからが本題なんだけど。京太郎君はさ、『宮永さんの麻雀が自分にもできるかも』って思ったりすることってある?」

「え? いや、それは――正直、咲のアレは真似しようとしてできるもんじゃないッスよ。ずっと近くで見てきたからこそ、俺にはわかります。アイツは特別で、何かに許されてるからこそあんなことができるんだって」

「なるほど……」

 

 特別、か。たしかにそうだろう、あれはたぶん素人目に見ても豪華に着飾ったクリスマスツリーに勝るとも劣らないほどの特別感が溢れ出ているはずだ。まぁ、だからこそ子供たちがこぞって真似をしてしまうわけだしね。

 では、それを特別たらしめている理由――というのは何なのか。

 それは間違いなく『稀少価値』によるものだろうと思われる。

 誰にも真似が出来ないほどに特別な和了。だからこそ彼女の嶺上開花は人々を魅了し、憧れさえも植えつける。

 でも――本当にそれは、宮永さんだけが出来る固有のものであるのだろうか?

 

「あのね、私の能力が發だっていうのは昨日話したよね」

「はい。聞きました。なんかすげー特別なんですよね? なんでも日本には一人しかいないとか言ってましたけど……」

「うん、まぁ。でもさ、發はそうかもしれないけど、三元牌には残りの二つがあるじゃない?」

「中と白っすよね。師匠と同じくらいってことなら、やっぱそれを持ってるのも特別すげー人だったりするんでしょうか?」

「中のほうは心当たりが何人かいるんだけど、白のほうは聞いた事がないかなぁ……」

 

 でも、あれはいつだったか――。

 詳しくは覚えていないけど、何気ない世間話の中で靖子ちゃんからとある一人の中学生の噂を聞いた。

 

 それは全国大会の前に行われた長野県上位四校による合同合宿での出来事。靖子ちゃんも所用で参加していたらしいその会に、竹井さんの仲介で二人の中学生が招かれたという。

 原村和、片岡優希、あるいは花田煌の母校でもある高遠原中学校――その麻雀部に所属する三年生の室橋裕子と、二年生の夢乃マホ。

 どちらもインターミドルで活躍するような一線級の子達というわけではないらしいけど、その合宿時のエピソードをこと細かく聞いていくうちに、とある疑念を抱かざるを得なかった。

 

 曰く、片岡優希さながらの東場での爆発力を有し。

 

 曰く、原村和の機械的なデジタル麻雀を完璧なまでに模倣し。

 

 曰く、宮永咲の嶺上開花(ひっさつわざ)をもいとも簡単にコピーして見せたほどの人物。

 

「それでね。実は京太郎君に一つお願いがあるんだけど、いい?」

「師匠が俺にですか? もちろん、福与アナみたいなよっぽどの無茶振りじゃなければいいですよ。なんです?」

「あのね。もしかしたら原村さんたちの後輩の子が清澄に遊びに来る事があるかもしれないから、その時はモニター越しでも構わないから彼女を私に会わせてもらえないかな?」

「和と優希の後輩って……あー、長野県大会の時にも応援に来てましたね。たしか、室橋さんと夢乃さんだったか。でもどうしてその二人を?」

「二人ってわけじゃなくて、夢乃さんのほうだけなんだけど。もし、京太郎君の身近なところに『宮永咲を完全にコピーできる人物』がいたとしたら――その子のことをどう思う?」

「咲を――ですか? いたとしたらそりゃ素直にすげぇと思いますけど、まさかそんなことできるようなヤツが身近に……あ、いや。待てよ、たしか優希のやつが全国の時に同じようなことを話してたような……」

 

 ――やっぱり。

 合同合宿時にお留守番だった京太郎君は直接それを見たわけではなさそうだけど、そういったことがあったというのはどうやら事実のようだ。

 

「って、まさかあの子が師匠並みの実力者ってことすか……?」

「うーん……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないの。だから確かめるためにも実際に見てみたいんだけど、これからしばらく忙しいから長野には行けそうになくてね……それで、お願いなんだけど」

「はぁ、まぁ、その時があれば問題はないと思います。でも、あの子がなぁ……」

 

 あんなほんわかしたちっさい子がまさかそんな。いやいやでも龍門渕の天江さんだってあのナリであれだけの実力を……。

 ――なんてことを一人でぶつぶつ呟いている京太郎君。見た目は関係ないと思うよ、見た目は。

 

 京太郎君の得ている印象が朗らかな子というものなのであれば、それが即ち彼女がまだその闇に囚われていない証左でもある。私の時のように、今すぐに周囲との軋轢がどうこうというような深刻な事態ではなさそうだということは、僥倖と言ってもいいかもしれない。

 そこに関しては安心した反面、いつまでも無垢なままでいられるとも限らないわけだけど……。

 だからこそ、その存在を知ってしまった今、同じ道を歩まざるを得なかった一人の先人として知っておかなければならないと思った。

 その『白』の能力を有するだろう怪物たる資格を持つ少女の――根源を。

 

 

「でも、けっこう細かいチョンボが多い子だって和は言ってたしなぁ……あれ、師匠? 小鍛治プロ?」

「……がとう、京太郎くん……」

 

 こてん、と。

 一つの懸念が取り払われたことで気が抜けたせいか知らないけれど、私の意識はそのままゆっくりと闇の中へ沈んでいく。

 夢の中でくらいはこの束の間の幸せに浸っていても良いよね――と。頬に柔らかな温もりを感じながら、その心地よい誘いに身を任せることにした。

 

 

 ……ただ、終着を迎えて目を覚ました後、ここぞとばかりにからかわれる羽目になるその運命を、この時の私はまだ知らない。




……あ、あれ? 今回のメインのはずだった野依さんは何処行った……?
ま、まぁそのうち番外編が進んでいけばご本人様が出てきてくれるはず。次の予定は咏ちゃん(二周目)ですけども。
カツ丼さん? 本編の清澄編で出てたし、別に良いよね?


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第06話:月楼@夜の到来と夜明けの象徴

 昔から、均衡した状態を現すことの例えとしてよく使われている言葉というものがある。

 三つ巴、三竦み。

 周囲に敵ばかりが存在していた戦国時代なんかではよく見られたであろう状況だけど、現代においてもそれは国家の基盤たる中枢の権力分散、所謂『三権分立』という形で示されている通り、社会のバランスを保つ構図としてはわりとポピュラーな考え方ではないかと思う。

 システムとしてのそれをもっと手近なもので例えるならば、じゃんけんなんかはこの法則を如何なく発揮して、実に様々な場面で有効活用されていたりするものの一つだろう。

 

 『3』、それは均衡を生み出す数字。

 

 ただ、それによって生み出されてしまう均衡は、時に深刻な停滞を引き起こす原因でもあることから、白黒はっきり付けなければならない状況下においては敬遠されがちであるのもまた事実。

 日本国の法の下では夫婦とは男女一組のパートナーが基本であって、そこに加わる三人目の存在は、男女どちらの相手であろうとも世間一般の常識だと浮気あるいは不倫と呼ばれ、不貞で不潔な行為として認識される。

 

 あるいは野球、サッカー、バスケ、バレー、テニス、ハンドボール、ボクシング、柔道、相撲、etc……数え上げればきりがないほどに、対戦相手が存在しなければ成立しないタイプの競技などでは、一対一の構図に拘る傾向が強い。

 トーナメントやリーグ戦を奇数のチーム数で争うことはあっても、三つの異なる陣営が一つの試合中に同じフィールドで三つ巴のまま戦うフットボール、なんて絵面はほとんど見た事がないはずだ。

 これらの事実は、関係性についての理解のし易さを求めるのであれば、トリオで考えるよりもペアで考えるほうが第三者の状況把握と理解を望むには遥かに理に適っている状況である、ということの証左ともいえる。

 

 『3』、それは時に望まれる安定を破壊する悪魔の数字。

 

 

 

 プロアマ交流戦が無事終わり、週が明けての月曜日。久しぶりに顔を合わせた三尋木咏という名の悪戯好きな一人の女性が、私の顔を見るなりこんなことを言った。

 

「あー、小鍛治プロ。ちょーどいいところに。今週末ちょっと長野に行って来るんだけどさ~、弟子の須賀某氏とやらに挨拶してきてもいいかね?」

「……は?」

「いや~、なんか知らんけど藤田プロが言うには清澄がちょうど学園祭らしいんだよね~。で、知り合いの子にお呼ばれしてるっつーんで、ついでに私も行ってみようかと思って」

「ついでにって……ああ、咏ちゃんはっていうか横浜は今週佐久で試合なの? 首位攻防戦っぽい組み合わせだったよね、たしか」

「そそ。ここで一個勝っとけば本拠地で優勝決められるかもしれないってんで、今週は頭からなんかみんな殺気立ってるよ。怖い怖い」

「他人事みたいな言い方だなぁ。しかもその状況なのに試合の後で遊びにいくこと考えてるんだ……」

 

 さすがというか、なんというか。私も人のことは言えない部分があるけれども。

 この週末にかけて清澄高校が学園祭だという情報は、先週の交流戦の折に宮永(咲)さんに聞いて知っていた。ただ、その時にはたしか……そう、麻雀部として何かイベントを行うということは予定していない、みたいなことを言っていたはずである。

 外部の知り合いを招くという事は、予定でも変更して何かやることにしたのだろうか?

 

 それとも……と冷静になって考えてみたところ、一つの結論があっさりと出た。

 この絶好の来季新入部員の獲得チャンスを華麗にスルーすることなんて元部長さんの気性というか性格を考えても絶対に有り得ない、と。

 思い出してみれば心当たりがないわけでもない。実際にその話を横で聞いていた竹井さんが一切リアクションを見せなかったことから考えても、宮永さんだけが聞かされていない秘密の計画が着々と進行している可能性は高かった。

 

「――あ、そういえば松山も今節は横浜と対戦だったよね? ってことは良子ちゃんも?」

「さっすが小鍛治プロ、よく知ってんね~。ま、私はあっちがどのメンバーで来るのかまではさすがに知らんけど、売り出し中のエース候補がこの時期に帯同しないってことはないっしょ」

「そうだよね。でもそれだと良子ちゃんも清澄行きに便乗しそうだな……うーん、まぁ会いに行くのは別に構わないけど。あることないこと京太郎君に吹き込むのだけは止めてよ?」

「へ~い」

 

 ひらひらと着物の袖を揺らしながらニヤニヤと厭らしい表情を浮かべる咏ちゃん。

 あ。前向きに善処する気すらないな、この顔。

 

「……飛行機チャーターしてでも当日行くべきな気がしてきた」

「お? その口ぶりだとやっぱ小鍛治プロは行かんの?」

「うん。この時期は何かと忙しくて……そりゃ時間があったら行ってみたいとは思うけど、それだけのために長野までっていうのはさすがに厳しいよ。金曜日に京都で試合があるんだし……何かしらの理由が別にあるならまだあれだけどさ」

「ふ~ん。へ~、ほう」

「……くれぐれも、お願いするから」

「お任せあれ~ってね」

 

 その言葉を好んで発する相手に限って、お任せするには不安しか浮かんでこないのは何故だろう。

 ――幸か不幸か。

 後にこのなんでもない二人のやりとりが大きな意味を成して来ることになるんだけど……その切欠が私の手元に届くのは、この二日後のことになる。

 

 

 で、その二日後の水曜日。

 話題の中で再び〝学園祭〟というキーワードが浮かび上がってきたのは、ネットでの指導が終わって、京太郎君と近況報告という名の雑談的なやりとりをいくつか交わしていた時のことだった。

 どうやら清澄高校では十一月の中旬頃に学園祭を行うのが毎年恒例になっているようで、今はその準備に大わらわなのだというある種の愚痴のような会話から始まって。そこから話題が派生して、私の高校の頃の学園祭の話だとか、オリンピック後に大学祭で講演に呼ばれた時の話だとか、主にそれ関連の話題に花を咲かせること小一時間。

 京太郎君がふと何かを思い出したかのように、こんな事を言った。

 

「そういえば師匠。例の二人がウチの学園祭に顔を出すって言ってましたよ」

「……うん? 例の二人って――あ、もしかして高遠原の子たち?」

「そうです。和と優希が招待してるらしくて、他にも後輩が何人か来るかもって竹井先輩と二人が話してました。前に師匠、会いたいって言ってましたよね?」

「うん、覚えててくれたんだ。ありがとう」

「岩手の取材の時からまだ一ヶ月も経ってませんから、さすがに忘れたりはしませんって」

 

 照れたように笑う京太郎君。ちょっと可愛いと思ってしまった。

 ただ、いつまでも見惚れているわけにもいかないので、こちらから話題を動かさなければならないのがちょっと勿体ないと思いつつ、後ろ髪を引かれながらも視線を切った。

 

「今週末だよね……ちょっと待ってね」

 

 傍らに置いてあった鞄を漁り、スケジュールの書かれた手帳を広げてみる。

 今週は――うん。週の前半に畳み掛けるようにして取材(私が受ける側)やらラジオや番組の収録やらが待ち受けていたから、目が回るくらい大変だった……。

 それもこれも、金曜日に開催予定の最終節直前のリーグ戦(京都遠征)があるが故の皺寄せで。普段なら週の半ばでも大丈夫なはずの仕事が全部前倒しになってしまって、先週末の白糸台取材と交流戦でのイベントを含めればまさに激動の四日間だったと思う。

 

 ただ、この戦いを勝利で終われれば昇格に向けての山場を完全に越えられるということもあって、日曜日と月曜日は比較的時間が取り易くなるはず。

 土曜日はあっちで仕事が残っているので動けないとして、翌日の朝から電車で移動すれば昼過ぎには目的地へと到着できる。ちょっと強行軍になるかもしれないけれど、長野へ赴く時間が取れないというわけでもなさそうだ。

 彼女と実際に会う機会が作れるのならば、行かない手はない。

 こうやってモニター越しに確認するよりは遥かに精度の高い情報が手に入るだろうし、何よりもその日であれば良子ちゃんや咏ちゃんが同席している可能性が高い。異能力に明るい二人に立ち会ってもらえるのは、こちらとしても心強い面もある。

 

「わかった。もしそっちに行けそうなら顔を出すことにするよ。ところで麻雀部は何か催し物をするの?」

「竹井先輩が色々と考えてはいるみたいっすよ。なんでも咲には内緒らしくて和や染谷部長と裏でコソコソやってるんですけどね、俺と優希はポロッと零しそうだからとかいって具体的な内容は教えてくれないんスよ。謎の作業を手伝わされてはいるんですが」

「うーん、竹井さんがコソコソってなると途端に不安になっちゃうのはなんでなんだろうね……」

「気持ちはよく分かります。でもあの人の立場上、けっこう学校行事に関してはマトモな考え方をするはずですから、大丈夫……ですよ。きっと」

「だといいけど……」

 

 言い淀んでいる時点で、京太郎君の竹井さんに対する感情の種類が分かるというものだ。何かを仕掛けているだろうという点においては信頼度もかなり高いということだろう。

 おそらく何か特別なことをさせられることになるであろう宮永さんには、ただただ同情の念しか浮かんでこなかった。

 

 

 雀士の中には特殊な能力を有する者達がいる、という事に関してこれまでも幾度か触れてきた事があるけれど。

 熊倉先生を含めた能力肯定派の人たちが分かり易く分類した組み分けの、その頂点に立つ三つの符号、白・發・中。所詮言葉遊びでしかないそれらは、しかし最も分かり易い形で私に教えてくれる事がある。

 それは即ち――その素質を有する者達こそが、私の麻雀(こどく)を打ち破る可能性を有している類稀なる打ち手候補なのだということ。

 

 一人は現トッププロの日本代表エース、三尋木咏。

 おそらくもう一人が、来季からプロの舞台へ上がってくるであろう現阿知賀の顧問、赤土晴絵。

 私が『發』、そしてその二人ともが『中』のカテゴリーに属していることから考えると、些か芽生える方向性が偏っているようにも思えてしまうかもしれないが、本来はそう簡単に出現するものではないと言う事はきちんと覚えておくべきであり、同じ時代に三人集うというのは限りなく奇跡に近い特異点のようなものであることを忘れるべきではないだろう。

 ……その上で、だ。

 まさか四人目、それも唯一該当者が確認されていなかった『白』の能力を有するかもしれないその少女の出現には、さすがの私をしても驚愕せざるを得なかった。

 

 

 その少女の名は、夢乃マホというらしい。

 長野県、高遠原中学校に通う中学二年生。容姿は年齢から考えるとどちらかといえば幼い感じであり、小学生……とまでは言わないまでも、小柄でどこか小動物チックな印象を抱かせる快活な少女だという話を弟子からは聞かされている。

 かつて原村和と片岡優希、花田煌らが所属していたという高遠原中学校の麻雀部。

 そこに所属しているかの少女は、しかし牌を握るようになったのも中学生になって麻雀部に所属してからということで、未だ初心者の域を出ていないといっても過言ではないという。

 その互いに食い違いが激しい二つの知識は、あまりにもアンバランスな情報であり、故に余計私の興味を強く惹いた。

 

 昇格のためには勝利が不可欠となる最終節までの最後の一か月。熾烈な戦いが待ち受けるだろう十一月の月中が多忙を極めるだろうことは予め分かっていたし、だからこそモニター越しに確認するだけで致し方なしと自分を納得させていた……はずなのに。ああそれなのに。

 こんな風に大義名分が成立してしまっては、抑えも利かなくなってしまうじゃないか。

 

 未だに成立すらしていない三竦み。その一角を担うかもしれない件の少女との面会を求めて――この数ヶ月で実に三度、私はここ長野県へと足を踏み入れることになってしまったのである。

 

 

 

 

 ――清澄高校学園祭、二日目。

 世間一般的には日曜日と呼ばれる休日の一幕であるためか、私を含め外部から学園祭を目当てで訪れているらしき人たちも多数見受けられる。

 がやがやわいわいと賑わいを見せる雑踏の中、ふとあることに気が付いた。

 それは、先ほどまで隣にいたはずの彼女が、いつの間にやらふらりと視界から消え失せてしまっているという切ない現実。

 

「はぁ……どうしてこう、私の周りにいる子たちは大人しくしていられないかなぁ……」

 

 思わず漏らしてしまう心からの愚痴。それを向けられているはずの少女――いや、一応世間の認識上というか戸籍の上ではれっきとした成人女性ではあるんだけど、その子は既に視界の中には影も形も無く、完全に消え失せてしまっている。

 単純な迷子ならば近くを歩いている実行委員さんにでも声をかけて呼び出してもらえば済むことかもしれないけれど、こと自分の意思で消えてしまった相手に対してそんな正攻法を用いたところで如何ほどの効果があるものか。甚だ疑問である。

 

 ちらりと腕時計に視線を落とせば、約束していた時間まであと僅か。

 仕方が無い。私だけでも待ち合わせの場所に向かっておこう。

 つい先ほど購入したばかりの美味しそうなチョコバナナを両手に持っているという事実を、年甲斐も無いかなとちょっとだけ恥かしく思いつつ。足取りをメールで送られてきた場所――校庭の一角と思わしき場所に設置されたタコスの屋台へと向けた。

 

 

 

「おう、小鍛治プロ。ご無沙汰しとります。京太郎、小鍛治プロが来んさったぞ」

「師匠! お久しぶりです」

「こんにちは染谷さん、京太郎君。ところで……咏ちゃん、三尋木プロはここに来た?」

「三尋木プロ? いや、見とらんが」

「さっき券とカツ丼タコスを引き換えに藤田プロなら来ましたけど」

「おかしいなぁ……咏ちゃんのことだから出し抜いて先に来てると思ってたのに」

 

 まさか本気で迷子になったって訳でもないだろうに。

 しかしここに来ていないとなると、先にもう一つのほうに行っちゃったのかな。

 

「京太郎、ここはわしと紫芝さんらに任せて案内がてらあっちへ行ってきても構わんぞ」

「そうっすか? んじゃあとはお願いします」

「おう。あっちに行ったら咲と久にはあんまりお客を苛めてやるなと言うといてくれ。特にウチの生徒から苦情が絶えんとな」

「はは、了解です。それじゃ師匠、行きましょう」

「うん、お願い。染谷さんたちも頑張ってね」

 

 

 京太郎君たち麻雀部の面々は、麻雀部主催の『タコス屋台』と竹井さんのクラスの有志一同主催による『カジノ喫茶』を組み合わせる形で出展しているという。

 カジノといっても別にお金を賭けるわけではなくて、どうやらゲームに勝てば『タコス引換券』なるものをゲット、あるいは増やす事ができるという仕組みになっているらしい。

 もちろん屋台ではお金を払ってタコスを買うことも出来るし、カジノで得た引換券で出来立てを貰うこともできるという、なかなかに手の込んだシステムだと思う。

 

 高校の学園祭というと、時期的に受験を控えている三年生に関しては任意での参加となるのが通例のはず。推薦で余裕があったりお祭り騒ぎが好きな子達だけでやるにしても、どうしても小規模なものになってしまうのは避けられない。

 それならばいっそ――と、麻雀部を巻き込んだ合同出展という形にしてしまおうというのだから、こういう場面での竹井さんの行動力は実に大したものである。

 

 タコス屋台の責任者は部長の染谷さんで、調理&指導が京太郎君。あとは竹井さんのクラスメイト、あるいはその人脈で借り出されたという生徒会の子たちがヘルプ要員として配されていた。

 あと、何故だかメニュー一覧の中には以前行われた例の企画で作ったチョコレート寒天タコスだったり肉じゃがタコスなんかも含まれていて、その中には私が作ったものもきちんと加えられている。なんかちょっとくすぐったいよね、こういうのは。

 

 で、もう一つのカジノ喫茶という呼び名がついた催し物は、麻雀部の部室がある旧校舎の一階部分にある空きスペースを使っているらしく、こちらの責任者は竹井さん。責任者と催しの名称を並べた時点で不安しかないわけだけど、京太郎君の言葉を信じるのであれば、きちんとしたものであるはず。

 そんな一縷の望みを抱きつつ、開け放たれた入り口の扉に誇らしげに掲げてある『アリスの不思議なタコス屋』と書かれたプレートに若干嫌な予感がしながらも。

 敷居を越えて中に入ると――まず最初に視界の中に飛び込んできたのは、教室の中央に置かれた五つの手積み用麻雀卓と、それを囲むようにして集まっている観客の輪。

 その真ん中の卓に座らされて牌を握るのは絶対王者の冠を戴く宮永咲その人で、まるでハートの女王様のような格好をさせられているかの少女は、真剣な表情で向かい合うお客さんと思わしき一人の子供と捲り捲られの攻防を繰り返しているようだった。

 

 但し、牌を握って一進一退といっても別に四人で囲んで麻雀を打っているというわけではない。

 伏せられたいくつかの牌が卓上に散らばるように置かれていて、それをひっくり返しては一喜一憂を繰り返す二人――つまり彼女らは、麻雀牌を使って神経衰弱をやっているのだ。

 

 その卓を挟んで向かって左側の二つの卓には、ピラミッド状に積み上げられた牌の山。所謂『上海』と呼ばれるゲームを再現しているらしいこちらを担当しているのは、水色のエプロンドレスを着て頭に黒いリボンのカチューシャを装着した状態で、まんざらでもなさそうな表情をしている原村さんと、時計の兎っぽいタキシード姿の見知らぬ男子生徒A。

 向かって右側の二つの卓には、三人のお客を相手にディーラーの真似事をしている猫耳姿の竹井さんと、バニーのウサ耳を付けた見知らぬ女生徒B。どうやらこちらでは麻雀牌を使った擬似ポーカーのようなゲームをやっているっぽい。

 

 部屋の装飾も全体的にメルヘンチックになっていて、アリスが迷い込んだ不思議の国をモチーフにしているらしく何処となく異国風の雰囲気を醸し出している。

 まぁそんな中で部屋の中央ではギャンブルに興じる人がいて、部屋の周囲に置かれた休憩用の飲食スペースでは片手にタコスを持っているお客さんがけっこういるという、実にシュールな空間が出来上がっているわけだけども。

 

 ちなみに片岡さんを筆頭に何人かの女生徒がメイド服を着た状態で店内を子犬の如く走り回っており、私たちの来訪に最初に気づいてくれたのも彼女だった。

 

「あ、京太郎! 小鍛治プロも久しぶりだじぇ!」

「こんにちは片岡さん。こっちも盛況っぽい感じだねぇ」

「うむ。勝てばタコス引換券がもらえるんだからそりゃお客もたくさん来るってもんだじぇ」

「あはは。君は相変わらずだね」

 

 ところで気になったのは視界の片隅に見え隠れしている着物姿の女性の後姿なんだけども。

 あれはどう見ても咏ちゃん……だよね。やっぱりこっちに先に来ていたか。京太郎君が向こうの担当でよかった。

 

「優希、これ染谷部長から追加のタコスな。お前のじゃねーんだから食うなよ?」

「さすがの私でもそんなことしないじょ! まぁ、これは貰っておくが――先輩、追加の出来立てタコスが来たじぇ~」

 

 京太郎君からバスケットを受け取ってくるくると回転しながら喫茶スペースのほうへ消えていく片岡さん。ミュージカルじゃないんだからさ。

 

「京太郎君、ちょっとあっち行って来るね」

「竹井先輩のとこすか?」

「うん。なんだかあそこに見覚えのある背中が見えるから……」

 

 

 麻雀牌を使った擬似ポーカー。

 簡単にいうと、最初に配られた十四枚の牌の中にできている順子または刻子の数で勝敗を決めるというルールらしい。

 また一盃口・一気通貫なんかの麻雀の役が成立している場合、こちらが優先で累計飜数の多いほうの勝ちとなる。牌の変更ができるのは一回のみで、牌五つまで。

 当然ながら、順子よりも刻子のほうが優位性は高いっぽい。

 

 今現在この卓に座っているのは、正面に親の竹井さん。左手に靖子ちゃん。対面に咏ちゃん。そして右手に天江さんというなんとも恐ろしい面子だった。

 龍門渕の生徒である天江さんがどうしてここにいるのかは謎だけど、その顔を見た瞬間、この卓に一般の子が紛れ込んでいなくて良かったと心の底から安堵したのもまた事実。

 普通の麻雀だと相応の時間がかかるところ、一方この形式で行われるゲームなら勝敗は一瞬で決まる。お客さんの回転率を考えてもこちらのほうがよっぽど効率がいいし、よくもまぁ考えたものだとちょっと感心してしまった。

 

「ちっ……順子が一つと刻子が一つか」

「ん~、ちょっと安かったかな。こっちは三色同順のみだねぃ」

「むむ、衣は刻子が二つだ」

「三尋木プロ、それぜんぜん安くありませんよ……ったく、私は刻子が一つだけ。あーあ、今回は私の一人負けかぁ」

 

 四人が一斉に手を開き、結果が衆目の目に晒される。

 配牌の段階で三色同順を揃えるあたり、さすがは高火力雀士の咏ちゃんとでもいうべきか。

 靖子ちゃんはスロースターター、この形式のせいか天江さんの支配力は効いていないようだし、竹井さんの悪待ちも活かす場面がなければ意味が無いということかな。

 まぁ、普段の実力としても頭三つ分くらいは抜けている咏ちゃんが一位というのは実に妥当な結果だろう。

 

「――あ、小鍛治プロ。ようこそ清澄高校学園祭へ」

「ん? ああ、やっと来たんですか、小鍛治プロ。迷子になるなんてらしくないですね」

「竹井さんはこの前ぶりだね。で……靖子ちゃん? 迷子って何のこと?」

 

 視界の隅で、こそこそと場を離れようとしている人物が一人。

 逃げられないように襟首を掴まえたまま、じたばたともがくそれを無視して笑顔で問いかける。

 

「三尋木さんが言ってましたよ? あっちこっちふらふらしてて迷子になったから置いてきたって」

「――だ、そうだけど。咏ちゃん、なにか申し開きはあるかな?」

「い、いや~……あんだけ人が多いと逸れちゃうのは仕方が無いと思うんだよね~。知らんけど」

「散々駄々こねて人にチョコバナナ買いに行かせておいて、よくもまぁ……」

 

 いま思えば、あれも私を出し抜くための作戦だったに違いない。チョコバナナは美味しかったけれども……それはそれ、これはこれ。

 元々私が来る予定が無いと事前の会話から判断していた咏ちゃんは、油断をしていた。

 靖子ちゃんとだけ連絡を取りつつ、私も一緒に行く旨を伝えて彼女には内緒にしてもらうよう取り計らっていたこともあり、お昼が過ぎて駅前で顔を合わせた時のあの苦虫を噛み潰したような表情は今でもはっきり思い出せるほどである。

 ついでにいえば、最初から咏ちゃんと一緒に来る予定だった良子ちゃんはクラブの都合で用事が出来たため後から合流。靖子ちゃんは別の拾い物があるから先に行く、という話だった。

 

 しかしまぁ、そこまでして私抜きで京太郎君に会いたかったんだろうか。

 噂話というのは尾びれを追加したままどんどんと原型を留めない形で流布されていくものだというけれど、本人も知らない間に勝手にハードルを上げられている彼にとっては迷惑以外の何物でもないだろうね。

 

「まーまー、過ぎたことは水に流してほれ、弟子くんを紹介して欲しいんだけど~」

「……それって被害者の側が言うから説得力が生まれるんだよ? まぁ言うだけムダっぽいから別にいいけど――京太郎君ごめん、ちょっとこっちに来てくれる?」

 

 呼びかけに応じて、見知らぬ男子生徒と談笑していた京太郎君がこっちにやって来る。

 そんな彼のことを、上から下まで舐め回す様にしてじっくりと品定めをする咏ちゃん。その視線があまりに怪しかったせいか、さしもの京太郎君をして少しだけ引き気味になっていた。

 臼沢さんの時も似たような態度を取っていたし、もしかしてわりと押しに弱かったりするのかな。

 

「ふ~ん、ほう――へぇ、いやぁ、なるほどなるほど。こりゃちょっとわっかんね~な」

「あ、あの……? 師匠?」

 

 明らかに困惑気味である。

 ……まぁ幼女っぽい和装の大人に絡まれるなんてことはそうそう経験できることではないだろうからね。気持ちは分かる。

 

 私も決して大きいほうではないものの、咏ちゃんはそれに輪をかけて背が小さい。大抵の場合は立って会話をすると自然と上目遣いにならざるを得ないためか、彼女は常にあえて正面から見ず、文字通り斜に構えて相手と対峙する傾向がある。

 おそらくは年下相手に舐められないようにしたいという複雑な心理が働いているのだろう。

 

「ごめんね、ちょっと待ってて。ほら、紹介だけ先に済ませちゃうから咏ちゃんはちょっと下がる。大人なんだから」

「う~い」

「ええと、それじゃまず咏ちゃんからかな。知ってると思うけど、こちらは横浜ロードスターズの看板選手で現日本代表の先鋒を務めてる三尋木咏ちゃん。で、こっちの背の高い子が私の弟子になってくれた清澄高校一年生の須賀京太郎君」

「お~、君があの一部界隈で有名なすこやんの弟子か~。よろしくな須賀少年」

「知ってます。通った後にはぺんぺん草さえも残らない日本屈指の高火力って言われてる三尋木プロですよね。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 差し出された手を躊躇無く取る京太郎君。

 背の高さがあまりにちぐはぐなため、握手の場面というよりはむしろ父親に手を引かれる少女の図に見えて仕方が無いんだけど……そんなことを漏らそうものなら余計な火種になりかねない。

 喉元まで飛び出しかけていた科白をぐっと飲み込んだ自分を褒めてあげたいと思う。

 

「あのー三尋木プロ、ところでその一部界隈ってのは具体的にはどのような……?」

「さあ、わっかんね~。さっぱりわっかんね~」

 

 ケラケラと笑う咏ちゃん。それをみて京太郎君はポカンとしているみたいだけど、それが彼女の通常運転だから突っ込むだけムダだ。

 

「ねえねえ、今度はこっちから質問だけど、君はいつもそんな感じでいんの?」

「へ? そんな感じって言われても……まぁ、だいたいこんな感じじゃないすかね」

「ふぅん」

 

 何が言いたかったのか今一よく分からない、という表情を隠さないまま京太郎君は離れていく咏ちゃんの後姿を見つめる。

 その視線がこちらへと向いて、どういう意味でしょうかと問いかけてくるけど私は答えを返せなかった。

 咏ちゃんが何を考えているかなんて卓に付いていてもそうそう読み取れるものじゃないのだから当然だろう。

 

 

 

「藤田プロも弟子がいるみたいだし、こりゃ私も弟子を持つべきなのかねぃ」

「む。衣は藤田の弟子じゃない。衣のほうが強いのだからそんな相手に師事する必要など――ふにっ」

「そういう科白はプロに上がってきて直接対決に勝ってから言うんだな。ほれほれ、酒も飲めないぐにぐにほっぺのおこちゃまめ」

「ひゃ、ひゃめろー」

 

 天江さんの柔らかそうな頬肉が、引っ張られるたびに形を変える。

 涙目になっているから止めたほうがいいかな、と思いつつもなすがままの彼女があまりにも可愛いので誰も止めようとはしない。

 

 しばらくの間じっくりとその柔らかさを堪能した靖子ちゃんがようやく手を離し、天江さんの抗議が一息ついたところで話を切り出した。

 

「ところで天江さんはどうしてここにいるの? 靖子ちゃんが連れてきたの?」

「だから衣は藤田の付属物では無いというに!」

「付属物って……ああうん、ごめん。それで?」

「莫逆の友である咲とののかから招待状を貰ったからには顔を出さねば傲慢不遜というものだろう、覇王よ」

「ああ、お友達からの招待なんだ……って、覇王?」

「うむ」

 

 それって私のこと……だよね、たぶん。ばっちり視線が交錯しているわけだし。

 覇王、覇王かぁ。魔王とか大魔王って呼ばれるよりはまだ救いがあるのかな。でもあんまりいいイメージがないのはやっぱり覇道と呼ばれる治世の基盤が実力行使ありきだからなのだろうか。そう考えるとどっちもどっちであって、褒め言葉として受け取るにはだいぶ無理があるという結論に達してしまうわけだけど。

 天江さんってもしかして私の事が嫌いなのだろうか?

 ちょっとだけ凹みつつそんなことを考えていると、天江さんは視線を私の隣で部屋の中央の様子を伺っている京太郎君へと移す。

 

「それに――覇王の弟子、たしか須賀京太郎と言ったな」

「……ん? お、俺っすか?」

「咲から聞いたぞ。お前、不完全とはいえ衣でさえ手を焼いたあの嶺上開花を封じてみせる程の打ち手だと」

「え!? あ、いやそれは……」

「お前の能力に些か興味がある。一度、衣と麻雀を打って欲しい」

「俺が、天江さんと……?」

 

 青天の霹靂とでも言わんばかりに驚愕の表情を浮かべる京太郎君。その心中は察するに余りある。

 龍門渕高校の天江衣といえば、県大会から全国大会までの間で対戦した中で最も清澄高校――というか宮永咲を苦しめた、その象徴たる人物の一人だ。

 彼女が自分に対して興味を抱いているというのが信じられないという思いと、そんな泰山の頂を望むかの如き強敵から対局を申し込まれたことへの幾許かの恐怖心。

 

 今年スタイルとして定着させた海底一発自摸ならばまだしも、それがなくとも昨年度のようにただ単純に高火力の手を直撃させることで十二分に押し切れる天江さんは普通に手強い。対宮永戦での凶悪なイメージも強く残っているだろうし、宮守の子たちの時とは少しだけ状況が異なっている。

 それに天江さんはおそらく私と同類……知らないうちに他人の心を折るタイプだろう。指名された当の本人が明らかに乗り気であるならばともかく、少しでも躊躇する気持ちが残るようであれば経験値稼ぎにしても逆効果でしかない。彼女には申し訳ないけれどここはいったん辞退して――。

 

「いやー、そのイベントけっこう面白そうだねぃ。んじゃせっかくだし私も入っていい?」

「ちょ――咏ちゃん!?」

「面白い。奇々怪々な打ち手が増えるというならば衣は大歓迎だ!」

 

 や、天江さんはそうだろうけど。今の京太郎君に咏ちゃんまで相手にさせるのは流石に無謀すぎる。

 

「ちょっと待ってください。三尋木プロ、いつの間にかやること前提になってませんか!?」

「なんだ? まさかかの高名な小鍛治健夜の弟子ともあろうものが、敵前逃亡などと腑抜けた事を?」

「――っ」

 

 あ……まずい流れになってる、止めないと――。

 

「分かりました。天江さんの期待に応えられるかはわかんないすけど、俺なんかでよければお相手します」

「フフ、いい目だ。それでこそ試す価値があるというもの――」

 

 

 ああ、遅かったか……京太郎君、あれでいてけっこう負けず嫌いなところがあるっぽいし、あからさまに過ぎたあの程度の挑発を受け流せなかったのかな。

 バチバチと火花を散らす双方を知り目に、咏ちゃんがいそいそと寄ってきた。

 扇子で上手く口元を隠していて見えないけれど、あれは確実にほくそ笑んでいるに違いない。まったく底意地が悪いんだから。

 

「いやいや、青春だね~。お師匠さんはアレに介入しなくて良いの?」

「……煽っておいてそれはどうかと思うけど。咏ちゃん的にはここで私が止めて対局できなくなっても良いの?」

「まぁ私は別にあの少年の実力そのものはさほど気にしてるわけでも無いからねぃ~」

「え……? じゃあ天江さんのほうを気にしてるの?」

「ぶ~、それもハズレ」

 

 京太郎君でもなくて、天江さんでもない……となると、対象者は空席になっている最後の一人ということになるけれども。今のところ名乗り出ている人もいないし、後ろから戦況を見る事が役目でもある私は最初から対局に加わるつもりなんて毛頭ない。

 靖子ちゃんは我関せずだし、竹井さんを筆頭に清澄麻雀部の子たちは他のお客さんの相手で忙しそうだ。となると他に該当者はいなさそうだけど……。

 

「小鍛治さんさ~、ここに来た本来の目的もうさっぱり忘れてるんじゃね? 知らんけど」

「ここに来た目的……あっ」

 

 そういえばそうだった。

 学校に到着するまでの間に私が来た理由を問うてきた咏ちゃんには、事前にあの子のことは話してある。彼女があの子に対して私と同等の興味を抱くのは別に不思議なことではないんだった。

 

 けど、いくら彼女がその資質を持っているかもしれないと言ってもまだ中学生二年生である。

 いきなり日本代表エースと龍門渕の大将、あと一応京太郎君の中に混ざって麻雀を打てというのは余りにも酷ではなかろうか。下手するとそのまま頭のネジの一本や二本ぶっ飛んでしまっても不思議ではないと思うんだけど。

 幸いまだ姿を現していないようだから、今すぐにどうこうという事態にはならないものの……先輩の高校の学園祭に遊びに来たらそこは地獄の一丁目でした、というのは流石に可哀相過ぎるでしょう。

 

 

 

 結局京太郎君は天江さんが仕掛けた実に分かり易い挑発に乗ってしまい、学園祭が終わった後に時間を作って対局する事を約束させられてしまったようだ。

 精神的にタフな彼だから、できれば必要以上のダメージを負わずに生き延びて欲しいところではあるけれども……易々と挑発に乗るのはちょっといただけないな。

 故意か天然かは置いといても、姫松の愛宕さんのように勝負の最中に精神的な部分を揺さぶってくる相手もいる。あの程度の挑発を受け流せないと敵の術中に嵌まって後手を踏むことにもなりかねないし、そこはきちんと考えて欲しかったかな。

 

「ふ~む……」

「……? どうかした、咏ちゃん?」

「いやね、自分で振っといてなんだけど……あの小鍛治さんが他人のことで悩んでるってのが妙に不思議な光景過ぎてさ~。いやぁ、恋って偉大だよねぃ」

「こ、恋とかじゃないから! 私だって普段から他人を気にすることくらいあるよ!?」

「へ~、ふ~ん、ほ~」

「オッケー分かった。今すぐ勝負したいってことだよね? 竹井さんのところが空いたら一勝負しよっか」

「お、いいねぃ。そりゃこっちも望むところだっての」

 

 意気揚々と戦場へと向かう私と咏ちゃん。

 途中で先ほどの険悪なムードも何処へやらの状態でただひたすらキャッキャウフフとじゃれあっていた二人のうちの片割れ、ウサ耳カチューシャ装着済みの女子高生のほうを拾い上げて空いた卓まで持っていく。

 キョトンとしたまま為すがままの彼女ではあったものの、座らされた場所が場所だけに事態はきちんと把握したらしい。

 

「ほう、覇王直々にご指名とは」

「フフ――天江さんも咏ちゃんも、京太郎君と無事に対局したくばまずはこの私を倒してからにしてもらうよ」

「む……支離滅裂だが面白い! 受けてたつぞ、その挑戦!」

「あ~……さっきのでどこかのネジがぶっ飛んじゃったかな。普段はけっこう冷静な人なんだけどねぃ」

「弟子と戦うために師匠から倒すって……普通それ逆なんじゃないですか?」

 

 呆れ顔の咏ちゃんと冷静に突っ込んでくる靖子ちゃんは置いておく。こういうのは勢いが大事なんだから。

 

「師匠、頑張ってください!」

「大丈夫だよ京太郎君。君に害を及ぼそうとするこの有象無象、すべてを踏み潰して今すぐ無に帰してやるからね――」

 

 幾何学模様を取り込んだどんよりとした重苦しい空気が、周囲の世界を覆い尽くしていく。

 能力をフルで開放するのっていつぶりくらいだろうか。天江さんと竹井さんはともかく咏ちゃんには貫通されてしまうかもしれないけれど、ほぼ配牌での一発勝負ならば問題は無い。

 

「こっ、これは……っ!?」

「おいおい、お遊びで本気出すとか大人気ないっしょ」

「私なんて巻き込まれ損じゃないの……これもお仕事のうちだけど、正直泣きたいわ」

「そろそろストレス発散しとかないと本気でぷちっといっちゃいそうだったから。付き合ってくれるんでしょ――咏ちゃん?」

「あー……これ逆鱗踏んづけちまったっぽい? でも私は悪くないと思うんだけどな~……」

 

 今さら日和ったところで慈悲などあろうはずもなし。

 

「あ、やっぱこのひと覇王だわ」

 

 ぽそりと呟いた私の言葉と、それを聞いて漏らした竹井さんの言葉。

 京太郎君を含むその場にいた全員が、後者を肯定するかのごとくただひたすらに頷いていた。

 ……何故?




ここから番外編の二部スタートとなります。
本編のほうは難航中につき、今しばらくお待ちください。


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第07話:月姫@たかが無茶ぶり、されど難題

 目の前に伏せた状態で置かれていく十四の牌。

 普段のやりとりとは違って、それらは積み上げられた山の中から自分の手によってツモられるわけではなく、ただ機械的に親の手によって配られていく。

 

 これは麻雀ではない。ギャンブルだ。

 こう言っては何だけど……一見すれば運と運の勝負に見えるかもしれないが、実は親の意図や技術なんかが介入する余地が多分にあるゲームである。だからこそというか、胴元によるイカサマ行為すら露見しなければ許される部分も少なからずあるということ。

 それが麻雀での配牌とこの手のギャンブルとの大きな違いだろう。

 無論、純粋に勝負を楽しみたいだけの人間ならばそんな無粋なことはしないだろうけど、麻雀のような己の自尊心を賭けて行う真剣勝負ならばともかく、こういうお遊戯的な場面の時に彼女がどう動くかというのはいまいち読めない部分でもあった。

 

 ――で。実際に竹井さんの手によって各々に配られた牌を表に返して並べてみれば。

 

 {①}{①}{⑥}{⑦}{⑨}{3}{4}{4}{白}{白}{白}{發}{發} {中}

 

 良いのか悪いのか実に微妙な感じである。

 普通に麻雀をやっている時にこの配牌なら悪くはないどころか優秀だろうと思うけれど、今回のこれはポーカーのようなものだということを忘れてはいけない。

 ここから手を変えられる回数は一度のみで、しかも上限五枚まで。

 鳴きで相手の牌を掻っ攫って来るという手段が使えない時点で、すべてを自力で集めなければならないという縛りもあるということだから、狙って刻子を作るのもわりと難易度が高そうだ。

 

 ……ふむ。そういった意味でいえば、能力ゆえに鳴けない京太郎君の打ち方とよく似たシチュエーションといえるのかもしれない。

 ちょいちょい、と手を拱いて私の後ろに立っていた京太郎君を呼び寄せる。

 

「どうかしましたか?」

「例えばこれが普通の麻雀だったとするでしょ? 点数差とかを一切考えないで、最初の配牌からこの手牌だったとしたら京太郎君ならこの状況で何から切る?」

「え? えーと……これです」

 

 他の面子に手の内を悟られないよう配慮をしてか、彼は人差し指で完全に浮いた状態の⑨筒を示した。

 

 それぞれの難易度はともかくとしてこの配牌から形が見えてくる役といえば、役牌・全帯・三暗刻・対々和・小三元・混一色・大三元・四暗刻あたりかな。

 但し、初手に⑨筒を切れば全帯と混一色の成立は難しくなる。現実的では無い全帯は仕方がないといえ、この時点で京太郎君の頭の中には染め手も無いということだ。

 理由はなんとなく分かるけど。

 どちらの役も成立するまで三向聴、とはいえ鳴きを積極的に取り入れることができない彼としては、やっぱり他と比べても採り辛い選択肢なんだろう。

 

 {①}{①}{⑥}{⑦}{3}{4}{4}{白}{白}{白}{發}{發}{中}  {裏}

 

 無言のまま頷いて、交換することを告げるようにして指し示された⑨筒を卓上に引き倒しながら場に伏せる。これであと四枚。

 

「次の候補は?」

「ツモってきた牌が分からないからあれですけど、単純に牌効率でいうと、これかこれ……っすかね」

 

 次に京太郎君が選んだのは、4索と中。思わず眉を顰めてしまう。

 ここで中を切るのであれば、それは早々に小三元と大三元を見切ったということ。さらに4索を切るのであれば、それは三暗刻と四暗刻も見ていないということを示すものである。

 どうやら京太郎君の目指す形というのは、⑥・⑦筒か3・4索の順子狙いからの両面待ち、あるいは①筒または發のシャボ待ち、ということのようだ。

 しかしそれだと最悪和了時の役は白の刻子での役牌1飜のみ。高めでも發を加えた役牌2飜ということになるけれど……。

 

「小三元は見ないでいいの?」

「中が対子になってるか發が刻子になってればまだ狙えそうっすけど、俺の場合鳴かないのが前提ですし自力で二枚引いて来れるとも思えないんで……終盤でトップを追いかけてる展開ならたぶん狙っていきますけど、点数が関係ないならここではまず先に和了ることを目指すべきかなと」

「つまり速度重視なわけだ。それじゃ三暗刻も同じ理由で捨ててるのかな?」

「はい」

 

 この配牌で小三元あるいは大三元を早々に見切るのは些か勿体ない気もするけれども。

 鳴きを入れられない状況下で、それらをツモのみで成立させられるか否かといえば、まあ難しいだろうなというのも分からなくはない。

 次に、4索を切っての3索残し。これは2・5索の両面待ちのほうが4索一枚で待つより確率としては高いという判断だろう。点差を考えないでいいという条件を先に提示してあるのだから、早和了を目指してのこの判断は、妥当とは言えないまでも理解できない程では無い。

 とはいえ、その選択に及第点を上げられるかどうかといえばちょっと難しいかな。

 ただ、今回の場合は提示した条件が曖昧すぎて最適解を見つけ辛かったということもあるだろう。これで落第というのはあまりにも無情すぎる。

 

 そもそもこの質問で私が知りたかったのは、今現在、京太郎君の思考の天秤が攻撃力と効率のどちらにより傾いているのか、ということだった。

 点数的な縛りが存在しない場面で、その時点での最大火力を狙っていくのか、あるいは火力を抑えて効率と速度を重視するのか。それを見極めるための質問だったわけだけども。

 

 結論としては、速度を重視する傾向だということが分かったし、同時に問題点も浮上した。

 防御を重点的に鍛えてきたせいで、ちょっと攻撃に対する意識を削ぎ落としすぎたかな――と思わなくもない。能力に縛られて鳴けないという面を考慮に入れた結果だとしても、対局全体のバランスを考えれば、ここは自力で揃える事が前提となる三暗刻くらいは目指しておくべき場面だった。

 防御に対する意識はだいぶ向上してきたけれど、速度と火力との兼ね合いというか、そのあたりのバランス感覚はまだまだ甘いと言わざるを得ない。

 防御がある程度形になってきたら、次はその辺りを重点的に教えていかないといけないかな。

 

「でも俺の場合がそうなだけで、師匠なら大三元とか普通に数巡で揃えてそうですよね」

「うーん……これが普通の麻雀だったらそうかもしれないけど、今回のルールだと牌の交換ってどうしても他人任せ運任せになっちゃうでしょ? さすがにそれで五枚のうちピンポイントで三枚も三元牌を引いてくるのは難しいかな」

 

 まぁでもできないとは言わないけどね、と心の中でそんなことを呟きながら。

 パタリと人差し指の圧力に屈して卓上に倒れ込む牌は、⑥・⑦筒と3索の三枚。⑨筒と合わせるとこれで四枚選んだことになり、残す牌と交換する牌の内訳はこんな感じになった。

 

 

 {①}{①}{4}{4}{白}{白}{白}{發}{發}{中}(残す側)  {⑥}{⑦}{⑨}{3}(交換する側)

 

 

「順子の両面待ちは全部捨てちゃうんすか?」

「この段階で何かしらの役が成立してるんならともかく、してないでしょ。ルール的にも飜数のほうが優先なんだから、順子はいらないよね」

 

 手元には白の刻子があり、既に役が成立している以上、たとえ交換して役に絡んでこない順子が成立したところで何の得にもならないのだ。

 であればこそ、ここは交換要員の牌の数を増やしてさらに飜数の上積みを狙っていくべき場面。リスクとリターンで考えてもこれは当然の采配である。

 

「いっそのこと四暗刻大三元のダブル役満でも狙ってみようかな」

「ははは……もしマジで成立したら俺さすがにちょっと引くかもしれませんけどね」

 

 乾いた笑いが場を通り抜けていった。

 特に声を潜めていたわけでもないため、会話の内容は他家の面々にも丸聞こえだったらしく、明らかにこちらに懐疑的な視線を向けてくる天江さんと竹井さん。

 そんな中で唯一人、いっさい表情を崩すことなく扇子をパタパタさせながら、さも当然のように咏ちゃんが言う。

 

「須賀少年や。そんなことでいちいちドン引きなんてしてたらこの先身が持たねーと思うぜ?」

「は、はぁ……いや、でもですね? さすがに交換した四枚全部が有効牌になるなんてそんなオカルト……」

「――有り得ないってか?」

 

 ギロリと鋭い視線を向けられ、思わず続きの言葉を飲み込んで素直に頷く京太郎君。

 喉の奥で笑い声を転がすように漏れる声をかみ殺しながら、流れるように閉じた扇子で咏ちゃんは自分の手のひらを数回軽く叩いた。

 

「ありえないなんて事はありえない、って昔誰かが言ってたなぁ~……誰だったのかはわかんねーけど。私はこれまで、そのありえねーことを何度もこの目で目の当たりにしてきたんだよねぃ」

 

 他ならぬその人に、と扇子の先っぽをこちらへと向けてくる。

 いやまぁ確かに状況的には似たようなことがあったかもしれないけどさ、貴方もどっちかといえばこっち側で、大概似たような感想を対戦相手からは抱かれているはずだよね?

 ジト目の私も何処吹く風といわんばかりに彼女の向けた矛先は別の方向へと向かう。

 

「ところで小鍛治さん。さっき面白いこと言ってたね」

「……うん? 何か言ったっけ、私?」

「他人任せ運任せだから三元牌を揃えるのは難しい、みたいな?」

「あー、うん。言ったね」

 

 どうも会話のおかげでこっちの手の内が全部バレてしまったっぽい。

 とはいっても、相手の動向如何によってこっちの手が封じられるということも無いゲームだから別に問題は無いはずだけど。

 

「それってさ~、牌の交換に自分の意思が介在すればきちんと役を揃えられるっつ~ことだよねぃ?」

「だいぶ穿った感じになってるけど、まぁそういうことになるかな」

「ふぅん……それじゃぁさ、そこな清澄の元部長――竹井っつったっけか。ちょい~っとルールを変更してみる気はない?」

 

 

 

 という咏ちゃんの提案で、このゲーム中に限りルールが一部改定されることになった。

 ポーカーを模しているゲームである以上、ルールもそれに準じていると考えてもらって構わない。

 子は交換するだけの枚数を親に向かって宣言し、親の竹井さんが手元の余りの牌から同じ数だけ相手に渡す。これが本来のルールである。

 当然そこには親の技術(すり替えなんかのイカサマ含め)と子の運以外の要素が作用する余地は無いのだから、いかな私であっても役を揃えるのは運任せで難しい、というのが先の発言の真意だった。

 

 さて。変更後のルールを簡単に説明すると、だ。

 牌の交換を親に頼るのではなく、神経衰弱の要領で伏せて置かれている残った牌の中から、交換する枚数と同じだけの牌を任意で選んでオープンしていく、というもの。

 どちらにしろ運の要素が強いという事実は変わらないものの、本来のルールに比べると親の技術の介入を完全に排除する形になり、自己責任の色がより顕著になる形式といえるだろうか。

 

 ちなみに、天江さんと竹井さん、更には新ルール提唱者の咏ちゃんまでもが従来どおりのスタンスを選んだため、まず私を除く他三名が先に牌の交換を済ませ、手をオープンすることになった。つまり、ここまでは従来のルールに則って進行するということだ。

 

 残された私はといえば。

 名目上が私の発言から派生したルールである以上、状況的にも新ルールを適用するしかなくなっていた。

 他の人が乗ってこなかった時点でそれを受け入れる理由もなかったんだけど……徐々に集まってきていた周囲の観客のことも考えれば、多少のエンターテイメント性は必要だろうと咏ちゃんが嘯くので、受け入れざるを得なくなったというほうが正しいか。

 

 咏ちゃんが何かを企んでいる事は間違いない。

 けれどそれが何かを私が把握する前に、既にゲームは進行してしまっていた。

 

 

「まずは衣からだ」

 

 {五}{五}{五}{六}{七}{②}{③}{③}{④}{④}{⑦}{⑦}{⑦} {⑥}  {九}{3}{7}{東}{北}(交換済み)

 

 オープンされた手牌。一見すると役なしに見えるものの、その中には一枚もヤオ九牌がない。

 平和や断ヤオあたりの手牌全体で作らなければいけない役の場合、最終形で聴牌あるいは和了していないと無効になるというルールがある。

 つまり逆に言えば、余りの⑥筒抜きで聴牌しているこの形は役として成立していることになるはずだ。

 

「竹井先輩。この場合は断ヤオで1飜扱いってことでいいんですかね?」

「ええ。最終形で聴牌してるからその解釈で構わないわ。で、次は私の番かしらね」

 

 {一}{二}{三}{四}{六}{七}{八}{九}{6}{9}{北}{北}{北} {九}  {⑥}{1}{3}{5}{南}(交換済み)

 

「む、一気通貫未遂か。しかし実際には順子が二面子に刻子が一面子。衣より下だな」

「なんだか変な響きね、その言い回し……うーん、でも役が成立しなかった時点でこれでまた最下位っぽいかしら」

「まあ大三元狙うっつーくらいだから小鍛治さんは手元に役牌揃えてんだろうしねぃ。知らんけどさ」

 

 言いながら、咏ちゃんが開いた手牌の並び。それを見て、ほとんどの人間が驚きの声を上げたせいか、周辺が異様にざわめいた。

 

 {1}{1}{1}{2}{3}{4}{赤5}{6}{7}{8}{8}{8}{中} {中}  {三}{三}{南}(交換済み)

 

 ここに来て、4索が一枚に中が二枚使われてしまったことに思わず眉を顰めてしまう私。

 しかもこの短い間に混一色をきちんと和了まで持って行くところなんて、さすがは高火力を謳い文句にしている三尋木咏だけのことはあるとでもいうべきか。

 

「うっわ、何気に混一色(ホンイツ)和了ってるし……」

「これが現日本代表不動のエースの実力、か……」

「ちなみに中二枚と四索一枚は交換の時に持ってきたヤツだったんだよねぃ」

「え!? そ、それって……!?」

「順番通りにやってたら、本当なら三枚とも小鍛治さんが持ってった牌だったってこったね~」

「――っ、そういうこと」

 

 ケラケラと笑う発言者の愉快そうな態度とは裏腹に、周囲の学生たちは全員ひきつった表情を見せていた。

 中二枚と四索が一枚こちらの手元にあれば、小三元と三暗刻が同時に成立していたということになるのだから、騒ぐ気持ちも分からなくはない。

 こちらの手を潰しつつ、自分は混一色を和了するところまで手を持っていける。

 同じトッププロ扱いの雀士であっても、鳴きを前提に戦う理沙ちゃんや火力より速度を重視するはやりちゃんではおそらく到達できない境地――といえるだろうか。

 そして同時に、何故咏ちゃんが唐突にルールの改定を申し出たのか。その理由が腑に落ちてしまう私がいた。

 

「やってくれたね、咏ちゃん。何かおかしいと思ってたんだ」

「フフフ、何もしなかったら負けてたからねぃ。弱者の最後の悪あがきだと思って、ここは諦めて欲しいな~」

「まぁ、受け入れた時点で文句をいうのはお門違いか。しょうがない」

「って師匠、そんな呑気な……」

「ここで焦っても仕方がないからね。もう賽は振られちゃった後なんだし、切り替えないと」

 

 どんなに不利な状況に追い込まれようとも、過ぎてしまったことは仕方がないと割り切るしかない。勝負においての鉄則というか、思考の切り替えは最も重要となる要素の一つであるのだから。

 

 

 ちょっと簡単に今の状況を確認してみようか。

 まず、この時点で残った牌の中に眠っている有効牌は都合六枚。内訳としては、①筒が二枚に4索が一枚、發が二枚と中が一枚。

 確率にすると絶望的だからあえて数字にはしないことにしておこうかな、うん……。

 

 ここから三暗刻を成立させるためには、既に対子になっている三種の牌残り五枚の中から二種類を一枚ずつ引いてくる必要がある。

 小三元を目指す場合は、残った三枚の中から發と中を一枚ずつ引いてこなければならない。

 大三元はもはや成立が不可能であり、慮外に置いても問題は無いだろう。

 

 咏ちゃんの手、混一色は3飜役。私が逆転するために必要なのは合計で4飜以上。

 既に白の刻子で1飜が確定しているため、負けないためには最低でもここから三暗刻、勝つためには發の刻子を前提にしていずれかの2飜役を成立させて初めてその条件を達成することができるということだ。

 

「さて、んじゃ久しぶりに間近で小鍛治健夜(グランドマスター)の本気を見せてもらおうかねぃ」

「はぁ……仕方ないか」

「師匠――」

「ま~ま~、状況的に不安なのはわかるけど。今はお前の出番じゃねーから黙って見てな」

「う……はい」

 

 

 

 手を伏せておく理由は既に無いため、観客にも分かり易いように全てを倒して場に晒す。

 

 ――一枚目。

 伏せられた状態で目の前に無造作に置かれた牌の群れ。その中から引き抜いてきた一つ、それは従来の順番通りであれば四枚目の交換で私が引いてきていたはずの牌である。

 ゆっくりと裏返す。

 その瞬間、背後にいた京太郎君がゴクリと息を飲む音がはっきりと聞こえてきた。

 

「發……!」

「もし交換した牌が中、中、四索、發に変わってたら……宣言どおり、四暗刻と大三元のダブル役満だったってことになるわね……」

「――っ」

 

 もちろん今となってはそれは単なる幻に過ぎない。けれど、もしもの可能性の一つとして浮かび上がってきたモノのあまりの非常識さに、周囲の観客のほとんどは二の句が継げぬ状態になってしまった。

 

 そんな中であっけらかんとしているのはそんな光景は見慣れているだろう咏ちゃんと、天江さんの後ろで戦況をジッと見つめている靖子ちゃんくらいのものである。

 もっとも、先行きが明るいように見えて実は暗雲が立ち込めているどころの騒ぎじゃないことに気が付いている人間は二人の他にもいるはずで。おそらくその一人だろう竹井さんは、どこか諦めたような、呆れ返ったような表情を浮かべたまま状況を見守っていた。

 

 あまり結末までを引っ張っても仕方が無いし、さっさと終わらせようかな――と、二枚目の目標に向けて手を伸ばした時。視界の隅っこに映っていた小さな笑い猫(チェシャねこ)がにやりと笑ったような錯覚を起こした。

 

 ていうかそれって咏ちゃんじゃなくて猫耳を付けている竹井さんの役どころなんじゃないの? とつい思考の狭間でツッコミを入れてしまう私。これも一種の職業病だろうか。

 それは集中力を途切れさせる一瞬の隙間となり、ふと耳に届いてきたのは聴き慣れた機械音のメロディ。その音源を辿っていけば、自分が肩からかけているショルダーバッグに辿り着いた。

 

 ……あれ?

 これってもしかして……いや、もしかしなくても社長か三木さんからかかってきた時の着信音じゃないだろうか。

 

「あ~、鳴ってるの小鍛治さんのケータイじゃね? 知らんけど」

「そうみたい。ちょっとごめんね」

 

 慌てて中から端末を引っ張り出して、液晶部分に浮き出ている相手の名前を確認する。

 予想の通り、そこには『つくば 三木さん』と書かれていた。

 あの人から私宛に直々に電話がかかってくるなんてことは普段滅多にないことで、だからこそ逆に不安が募る。もしかすると任せっきりになっている姉帯さんの件で何かしら問題が浮上したのかもしれないと。

 

「ちょっと電話してくるから、えーと……」

「あ。戻ってくるまで待てっつーのはナシで。後ろもつっかえてんだし、サクッとこっち終わらせてかけ直したほうがいいんじゃね? 知らんけど」

「……だよね」

 

 たしかに、周囲には観客が多数いるものの、ゲームの順番を待っているお客さんらしき人も何人もいる。

 案件次第によっては長期化するかもしれない私の電話が終わるまで、この勝負の決着を宙ぶらりんにしたままというわけにはいかないだろう。

 観客として楽しんでくれている雰囲気は伝わってくるけれど、だからといってその人たちをこれ以上待たせるというのもあれだから……仕方が無い、一旦電話の事は忘れてさっさとこっちを終わらせよう。

 

 本来掴もうとしていた牌とあと一つ、近くに置いてあった牌を適当に掴んで両方ともを手元に伏せて置く。

 二枚目と三枚目、ひっくり返した牌の絵柄は――白と發。まったくの不要牌というわけでもなく、それでいて必要かと問われたら首を傾げざるを得ない、二枚ともがそんな微妙な牌だった。

 うーん、集中して吟味できなかったぶん選別の詰めが甘かったかな、これは……。

 

「槓子が二つできちゃったけど。これってカン宣言して追加ドローは出来ないんだよね?」

「ええと、はい。残念ながら」

「そっか。カンできたら三槓子も見えてきてたんだけど、しょうがないかな。でも、あとは対子のどれを引いてきても飜数の差で私の勝ちだね、咏ちゃん」

「余裕綽々ってか。でも、引けなければ私の勝ち。そのまま最後まで上手く行けばいいけどねぃ」

「小鍛治プロ、完全に遊んでますね……その二枚を引いてくる必要なんて無かったでしょうに」

 

 今回の場合は別に引きたくて引いてきたわけでも無いんだけどね。

 さてと、それじゃ最後の一枚を――というところで、一度途切れていたはずの呼び出し音が再度鳴り始めた。これはいよいよ、よほど緊急の呼び出しということかもしれない。

 気が急いてしまうものの、ここで勝負を投げ出すわけにもいかず。

 

「……須賀少年、ちょっとこっちへ来てみ?」

「はい? なんでしょうか」

「あのさ――」

 

 そんな中、咏ちゃんが私の背後で勝負の行方を見守っていた京太郎君を呼び寄せて、こちらには聞こえない程度の小さな声で何かを囁いた。

 ああもう、電話もだけどそっちも気になるじゃないかっ。

 私の弟子に一体どんなデタラメを吹聴しようとしているのか――でも三木さんからの電話の件もあるし、いちいちあの子の行動につっこみを入れて回っていては埒が明かないのもまた事実。

 ええい、こうなったらもう一気にケリをつけてやる!

 

 この場合は第六感とでもいうのか……感覚で『当たり』だと思う牌はまだ四枚ほど散らばっている。その中の一つを選んで、その場でひっくり返した。

 真っ白な背景の中央に浮かび上がる、一際大きな丸い模様――即ち、①筒。

 それは三暗刻を成立させるために必要な牌の一つであり、結果、合計4飜となった私の勝利が確定した瞬間でもあった。

 

 {①}{①}{4}{4}{白}{白}{白}{白}{發}{發}{發}{發}{中} {①}  {⑥}{⑦}{⑨}{3} (交換済み)

 

 

 

「や~れやれ、やっぱこうなるのかって感じだねぃ……な? 私が言ったとおりだったっしょ」

「す、すげぇ……もしかして師匠、マジで牌が全部透けて見えてるんですか……?」

「いやいや、そんなことあるわけないよ……って咏ちゃん、分かってて有り得ないようなウソ言ってるでしょ!」

「いや~、ぜんぜんわかんね~し。小鍛治さんだもん、どんなことやってても誰も驚かないって。現に弟子だって信じてんじゃん」

 

 もはや他人事といわんばかりにケラケラと笑う姿に若干イラっときてしまった。

 なんとなく当たりの牌か外れの牌かが分かる程度というのが本当のところであって、咏ちゃんが言うような透視能力なんて私には一切無い。当然だ、私は人間なんだから。

 

 原理を上手く説明してあげる事は難しいんだけど……あくまで感覚的な話として、例えば周囲が暗闇に包まれている状態だとしようか。なんとなく私には、その時に必要だと思われる牌がその暗闇の中で光を浮かび上がらせているように見えてしまう。

 そして、それを適当に掬い取れば大抵の場面で当たり牌になっている、と。その程度のことだと思ってもらって構わない。

 ……ただ、その的中確率がほぼ百パーセントであるというのが周囲の人間をして私が勝負事においては豪運の持ち主であると言われる所以でもあるわけだけど。

 

 まぁそれでも同じようなシチュエーションだったとしても、トランプを用いた神経衰弱なんかだとこの感覚は一切発動しないんだよね、不思議なことに。

 

「……っと。電話かけ直してくるからちょっと席を外すね。あと京太郎君は咏ちゃんの戯言にはあんまり耳を貸さないように。いい?」

「うっす」

「いってらっしゃ~い」

 

 

 

 廊下を抜けて校舎から外へ出るための出入り口付近で、すれ違いざまに入ってきた二人の女の子を横に避けて外に出る。そのまま静かな場所まで行こうとして――。

 ゾクリ、と。

 背筋を走った悪寒に、反射的に振り返っている私がいた。

 

 人ごみの中に消えていくその後姿。かろうじで視界に捉えられたのは、側頭部に咲き誇る大きなリボンの揺れる様だけ。

 間違いないと確信した。今すれ違ったあの子こそが――白の能力を有するだろう怪物候補、その一人なのだと。

 

 

 

 電話の内容が想像どおり姉帯さんの案件だったこともあり、話がきちんと纏まるまでに少しだけ時間を取られてしまった。

 なんでも、もし彼女が茨城に出てくることになった際に、未成年である彼女の身元引受人を熊倉先生から別の身近な人物に委託する必要があるとかないとか。

 で、その第一候補に見事私が選ばれたという話だったので、一度熊倉先生に連絡をして相談をしつつ。

 声をかけたのも私なんだから、お前が適任だろうと言われてしまえばその通り。それくらいの面倒は見るべきだろうと了承の返答を返し、通話状態を解除した時に後ろから声をかけられた。

 

「グッドアフタヌーン、小鍛治プロ」

「……あれ? 良子ちゃんだ、こんにちは。もしかしていま来たの?」

「ええ、アクシデントのせいで少し遅れてしまいましたね。ところで三尋木プロはどうしました?」

「咏ちゃんなら麻雀部の子たちの出し物のところにいるはずだよ。行く?」

「ぜひ。噂の稲田の姫君にも興味がありますしね」

 

 稲田の姫君……やっぱりこの子も京太郎君目当てか。

 小鍛治健夜の弟子なんていう肩書きさえなければここまで人寄せパンダ的な扱いを受けることも無かったんだろうに……と思うと、少しだけ罪悪感が募るけれども。

 当の本人が苦言を呈しているわけではないのでまぁいいか。有名どころのプロと直接顔を会わせる機会なんて、本来であればそうあることではないんだしね。

 

「あんまり京太郎君たちに迷惑はかけないでね」

「その科白は私ではなく、もう一人のトッププロに向けて言うべきなのでは?」

「あはは。あっちの子にはもう何回も言ってるんだけど効果が薄くてね……さて、それじゃ案内するよ」

「お願いします」

 

 

 

 良子ちゃんを伴って例のアリス部屋へと戻ってきたら、珍妙な場面に出くわした。

 右側に咏ちゃん、中央には天江さん、左側には先ほどすれ違ったと思わしき大きなリボンの小さな子。背後を除く三方向を三人の少女(?)に固められ、詰め寄られているのは――うん、言うまでも無いと思うけれど、京太郎君である。

 

「……なんでしょうね、あの雰囲気は」

「修羅場、なのかなぁ?」

 

 咏ちゃんは明らかに苛立っている風に扇子を手のひらに何度も打ちつけ、天江さんは憮然とした表情のまま仁王立ち、例のリボンの子はといえば、頬を膨らませたまま上目遣いで京太郎君を見上げている。

 一体何がどうなってああなっているのかがさっぱり分からないため、誰かに状況を聞きたいな……と思っていたら、都合よくアリスの格好をした原村さんが近づいてきた。

 

「ああ小鍛治プロ、ちょうどいいところに」

「原村さん。あれはいったい何事なの?」

「実に馬鹿馬鹿しいというか、あの人たちのプライドの問題とでもいうのでしょうか。あそこにゆーきが加わらなかっただけ良かったと言うべきか……と、後ろにおられるのは戒能プロですか? はじめまして、清澄高校麻雀部一年の原村和です」

「これはご丁寧に。戒能良子、イタコではなく一応プロ雀士をやっています」

 

 知っています、と良子ちゃんのちょっとしたお茶目を至極真面目な顔で受け流す原村さん。この子にその手の冗談はあんまり通用しないんだよなぁ。

 

「で、プライドがどうとかちょっと意味が良く分からないんだけど」

「なんと説明すれば良いのでしょうか……噛み砕いて言えば、どちらのほうがより大人に見えるか、と須賀くんに詰め寄っている場面なんですが」

「……は?」

 

 原村さんからの説明を聞くに、始まりは些細なこと。どうやら出会い頭で咏ちゃんとあの子――夢乃さんが衝突事故を起こしてしまったことに端を発するらしい。

 その際に咏ちゃんが夢乃さんを小学生扱いしてしまい、それに気を害した夢乃さんが自分も人の事は言えないだろうと咏ちゃんを煽り返し――挙句、傍観者を気取っていたはずの天江さんまでもを巻き込んで、誰がより大人びて見えるかというどんぐりの背比べも真っ青な難題を京太郎君に突きつけて今に至る、というのが事の真相のようだった。

 実に馬鹿馬鹿しい、という原村さんの第一声に無条件で同意してしまいそうになる私である。

 

「子供に混じって大人が一人、一体なにをやってるんだか……」

「アレも一種の同属嫌悪というやつでしょうか。しかし天江衣はともかくとして、あっちのリボンの子は三尋木プロに真正面からケンカを売るなんて、なかなかに将来有望な子ですね」

「ああ……そういえば良子ちゃんにはきちんと名前を伝えてなかったっけ。三竦みの最後の一人」

「――っ!? ということは、あの子が……!?」

 

 その見た目からは到底信じられないような事実ではあるけれど。

 三元牌の〝白〟の能力をその内に秘め、牌に畏怖されるものの一角たる資格を有しながらもいまだ開花することなく固く閉じている蕾。

 

 ――夢乃マホ。

 

 その初対面がまさかこんな形になるなんて……弟子の災難も放置したまま、さすがの私も少しだけ呆れ返らざるを得なかった。

 

 

 世の中の評論家というかコラムニストとでもいうか、そういった中にはたまにこんな仮説を提唱する人がいる。魔物と呼ばれるほどにまでオカルト能力に特化された人間は、その代償として肉体の成長が著しく阻害されているのではないか――と。

 根拠のほとんどがこじつけだから馬鹿馬鹿しいと頭から取り合わない人間のほうが多いだろうと思うけれど、実際に見てみると「強ち間違っていないんじゃないの?」と言いたくなる程度には心当たりがあったりするのもまた事実。

 

 三尋木咏という大人に見えない大人の筆頭候補をはじめとして、天江衣や高鴨穏乃あたりはまさにこの仮説に信憑性を齎している存在だといえるかもしれない。

 またとある一部分だけをみれば私もそうだし、宮永姉妹もそこに該当しているといえる。阿知賀の松実姉妹は胸こそ驚異的な成長を遂げているといえるものの、身長を見てみれば同年代の平均と比べてもかなり低いほうだろう。

 逆に姉帯さんは松実姉妹とは逆に背の高さは平均を大きく上回っているものの、胸囲のほうはさほどでも無いというか……うん、まぁ成長を阻害されている部分に個人差があるのは確かだと思う。

 そういった意味でいえば、咏ちゃんほどではないにしろ年齢不相応な印象を受ける夢乃さんは、正しく『魔物』扱いされるべき立場の人間なのかもしれない。

 

「良子ちゃんはあの子のことどう思った?」

「ぱっと見ただけではインスピレーションは受けられませんね。小鍛治プロや三尋木プロとの初対面の時のように直接的にこう、こちらに遠慮なく突進して来るようなインパクトもほとんどありませんし」

「そうなの? でも白って能力的には霧島の流れを汲んでるはずじゃなかったっけ。良子ちゃんが一番感知しやすい類の能力だと思ってたけど」

「あちらの姫様ほど強大で分かりやすければそうですが……疑うわけではありませんが、本当にあの子が該当者なんですか?」

「靖子ちゃんたちの話を聞く限りだと間違いないと思うよ。一瞬だったけど、私もそれっぽい力を感じてるし」

 

 私の能力が対局者の性能を著しく低下させる、いわゆる『南』の流れを汲むデバフ系能力の頂点だったとするならば、咏ちゃんの能力は己の性能を極端に尖らせる、いわゆる『東』の流れを汲むバフ系能力の頂点である。

 そして、おそらく彼女が持っている白の能力というのは、己以外の何かしらの力を行使するといわれている『北』の流れを汲む、霧島神境の巫女さんたちが得意としている憑依系能力の頂点。その流れを血筋に持つ戒能良子が最も敏感に察知できる能力のはずだ。

 

「なら、実際に打って試してみるのが一番でしょうか」

「うん。ただ、プロの私たちが総出で中学生を囲むのはさすがに大人気ないからね。天江さんもいることだし、ここは私の弟子に任せてもらえないかな?」

「なるほど、それは確かに……それに稲田の姫君の能力も直に見られるというのであれば、わざわざノーと言う必要もありません」

「決まりだね」

 

 

 

 学園祭が行われている今現在、麻雀部の部室は誰にも使われていないらしく、対局をするならば貸してくれるという竹井さんの好意に素直に甘えることにする。

 

 お互いに自己紹介を終え、私たちプロ勢と天江さん、高遠原からやってきた夢乃さんと室橋さん。さすがに部外者ばかりで部室を使用するのは如何なものかということで、立会人として京太郎君と休憩中の原村さんが加わって、合計九名にまで膨れ上がった一行は学園祭の賑わいからは隔離されたその一角へと集うことになった。

 

「あ、あの。和先輩……あいつ、マホがプロの人たちと打って本当に大丈夫でしょうか? 今でも日に一回は何かしらのチョンボをするような実力なのに……」

「大丈夫。小鍛治プロにも何か考えがあるんでしょうから、心配は要りませんよ」

 

 自分の名前が聞こえてきたようなので、つい後ろを振り返ってしまう。すると、目が合った原村さんがにこりと微笑んだ。

 ……なんだろう。もしかして私って、あの子にすごく信頼されているのかもしれない?

 

 そういえば、同じ恩師を持ちながら、それを害した私への態度も初期の頃から良くも悪くもフラットだったように思う。阿知賀の子たちと比べると思考がドライとでもいうか、きちんとその辺りを割り切って考えられる程度には大人っぽい面があるのかな。

 それもこれも例の転校話がお流れになった件からの印象の変化なんだろうけど、冷静に見えて熱血だったりと、実は情に厚いタイプで人情の人なのかもしれない。

 

「とりあえず東風戦でいいよね? 面子は天江さんと京太郎君、夢乃さんと、あと一人は……室橋さんか原村さん、入ってもらえる?」

「わ、私ですか!? この卓に私が入るのはちょっと……」

「衣さんと須賀くんですか。マホちゃんも調子が良い時は手強いですし、相手にとって不足はありませんね」

「え~、私でいいじゃん」

「咏ちゃんはさっき私に負けたでしょ。それに親番で空気読まずに連荘終了しちゃいそうだから、却下」

「出来ないとは言わないけど、やらないって。あと小鍛治さんに空気がどうとか言われたくないっつーの」

 

 失敬な。私だって空気くらい読め……ると思うよ、最近は。たぶん。

 ただ、それを差し引いてもここは実力差がありすぎる相手を選ぶ必要はない。咏ちゃんだと天江さんの抑えになるどころか、そのまま終わらせてしまいそうな気がするし。

 良子ちゃんの場合は、彼女の検分に徹してもらいたいという事情もあって選択肢にも入らない。

 靖子ちゃんならいい感じに調整してくれそうだけど、当の本人があえて同年代の子たちを押しのけてまで余りの席に座るつもりもないようだ。

 

「衣が指名してもいいならば、最後の一人はののかがいいな。そっちのほうが思う存分力を振るえそうだ」

「……ってことだけど。原村さん、いい?」

「構いません」

 

 はっきりと頷く原村さん。戦闘態勢に入っているっぽい彼女の腕の中には、既にエトピリカになりたかったペンギン、略してエトペンが抱えられていた。

 なんだかんだ言ってやる気満々なのはいいことだ。あとは――。

 

「そうだ、夢乃さん」

「はっ、はいっ!」

 

 私の呼びかけに、勢いよく手を挙げて存在を主張してくれるその子。

 こうして真正面からじっくりと向かいあって見ると、特にそう感じてしまうけれども……咏ちゃんも大概だけど、この子もずいぶんと幼い印象を受けてしまう。

 なるほど。事前に京太郎君から聞かされていた特徴と示し合わせるまでもなく、そうと断定できそうなほど特徴的な容姿とでもいうか、なんというか。

 とてもじゃないが、ものすごい能力を秘めている打ち手には見えないというのが本音だった。

 

「君は色んな人の打ち方を真似できるって聞いてるんだけど、それ本当なのかな? 宮永さんみたいな打ち方もできるとか」

「はいっ、本当です! マホ、和先輩たちみたいになりたいのでいつも頑張ってますから!」

「そっか。それじゃ――この対局でそれを見せてもらいたいんだ。できるかな?」

「が、がんばってみるですっ!」

 

 本質を見極めるためには、手を抜かれては元も子もなくなってしまうからね。

 こうして、卓についている者、観客に回った者、それぞれの大小様々な思惑を乗せたまま自動卓の中央でサイコロが舞う。

 

 ――起家は原村和。

 この場で唯一そうではない、けれどデジタルの化身とまで称される彼女の最初の一打が、壮絶な異能力バトルの始まりを告げる合図となった。




ちょっと照に関して情報収集中につき、本編は投稿待機中でございます。
代わりにオリジナル要素だけで進行できる番外編を進めて行きますので、それまではこちらでお楽しみください。


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第08話:月代@模倣少女は兎耳女の夢を見るか?

 ――己の特異な能力を持って、他人を支配下に置く。

 

 そんなことがもしも許されるというならば、様々なジャンルの戦いにおいて、始まりはもっとシンプルに、終わりはあっさりと告げられてしまうことになるだろう。

 例えば天江衣の持つ『他人の聴牌能力を殺ぐ力』なんかはまさにその典型的なモノであり、基本的に聴牌してからでないと和了の形へと導けないという確固たるルールが麻雀に存在する限り、対局者がそれに抗うことはほぼ許されないということでもある。

 そんな理不尽が罷り通ってしまう、それほどに極めて凶悪な能力こそが、天江衣を高校生というカテゴリー内で全国トップクラスの打ち手であると判断するに足りる大きな要因となっているわけだけど。

 それでも勝てない相手が存在すること、してしまうこと。

 その全てを『相性』というありきたりな言葉で括ってしまうのはナンセンスなことかもしれないけれど――私はたまに、それを強く実感してしまう事がある。

 全国大会団体戦決勝での大将戦しかり、私や咏ちゃんの能力相関に見る三つ巴的な関係性なんかももそう。

 

 では、それとは逆に、支配力から何からまったく同じ系統の能力同士が真正面からぶつかり合った場合、果たしてそれはどちらのほうに軍配が上がることになるのだろうか?

 オリジナルか、コピーか。

 以前に宮永咲と行われた練習上での対局では、一局限定とはいえオリジナルがコピーに打ち負けたという興味深い結果が出ているらしい。

 その原因を追究していくと――考えられる中で最も大きな要因らしきモノは『油断』であったというべきだろうか。

 

 その存在は、自分以外にそんなことをできる人間が居るはずも無い、というオリジナル側のアイデンティティを真っ向から否定するものである。故に、本来であれば有り得ない状況を具現化することができる打ち手の存在は油断を誘い、その隙を穿つ。

 複写された当人にとってはまさに悪夢のような、それでいてふざけた威力を有する()()

 あるいは――それはただ単純に、コピーしているだけではないのかもしれないとすら思わされるほどの凶悪な能力(チカラ)

 

 

 その戦いの推移を追っていくと、四人の対局者それぞれに見せ場が存在した事は事実だ。

 但し、最も凶悪なインパクトを放ったのが誰であったのかという問いかけがなされたとするならば、その場に集っていた四人のプロ雀士はおそらく誰もが満場一致で彼女の名を挙げることになったに違いない。

 

 ――夢乃マホ。

 

 彼女は実に天然自然のエンターテイナーであり、見る側からすれば波乱万丈、突っ込みポイントが満載の雀士であるといえるだろう。

 ……いい意味でも、悪い意味でも。

 

「――ツモ。リーチ一発自摸海底摸月ドラ2。3,000、6,000ですっ」

 

 東三局一本場。

 同じ場で、オリジナルですら為しえなかった所業、京太郎君の防御能力すらをもその一撃で軽くぶち抜きながら――その白の少女はどこか誇らしげに、満面の笑顔で高らかにそう宣言した。

 

 

 

 というわけで、東一局から見ていくことにしようか。

 配牌だけを見れば、開始直後に最も有利な立ち位置にいたのは、北家に座った夢乃さんだった。

 断ヤオ平和一盃口聴牌まで二向聴という好配牌であり、天江衣が持つという強力な妨害能力がなければ、あるいは京太郎君が面子に加わっていなければ、おそらくこの局は彼女が早々に和了していたに違いないとさえ思わされるほどの厚遇っぷり。

 開始直後に食していたタコスとこの好配牌との関係性を疑うに、おそらくは片岡優希の持つ東場における爆発力を模倣したその片鱗だったと思われる。

 

 ――だが。相手は全国きっての化け物と名高い天江衣。いくら東場、しかも東一局とはいえ全力で挑む彼女を出し抜いて和了へ向かうというのは本家本元のタコス神でさえそう容易いミッションではない。

 事実、さほど間を置くことなく彼女の支配域に達した夢乃さんの手は明らかに鈍ってしまい、聴牌直前にも関わらず減速してしまった。

 かつて見せていた、余裕という名の傲慢――序盤の様子見を一切行わない、初手からの全力行使。それが宮永咲との対局、果ての敗北によって天江衣が得た、新しい強さの根源でもある。

 とはいえ中盤までに聴牌するところまでいったのは大したものといえるだろう。ただ、そこから和了にまで至れなかった時点で、結果的に彼女は天江さんや京太郎君との能力バトルに敗北したといえた。

 

「あれが本当に他人のオカルトをコピーできる類の能力だったとして――」

 

 観客が無言のまま粛々と対局を見守っていた中で、ふと靖子ちゃんが小さく呟く。

 独り言に近しいだろうそれをたまたま拾い上げてしまった私は、視線を卓に向けたまま、意識をそちらへと向けた。

 

「この面子、この場面でのその能力は明らかな選択ミス――だな」

「……え?」

 

 おそらく聞こえていたのだろう。

 反応したのは、靖子ちゃんを挟んで反対側に立っている彼女――室橋裕子さん。

 夢乃マホに関しては私たちよりもよく実情を知っているであろう人物であり、その能力のコピー元である片岡優希の東場での強さをその身で嫌というほど理解している人物でもあった。

 

「あ、あのっ藤田プロ。東場に滅法強い片岡先輩の真似をするなら、できるだけ早く……それこそ東一局でするのがいいんじゃないかって、私は思うんですけど……それじゃダメなんでしょうか?」

「ダメとは言わないが、和了るのは難しいな。元々の打ち手同士の相性が悪い――とでもいうべきか」

「相性……ですか?」

「須賀に無警戒なのは、情報をほとんど持っていないだろうからこの場合は仕方がない。原村和はあの手の特異能力の影響を阻害できないタイプだから、これもまぁいいだろう。だが……」

 

 鋭い視線を外さぬまま、小さく刻んだ顎の動きで卓の一角を指し示す。

 この卓にはかの天江衣がいるのだから、と。

 

「あいつは良くも悪くも有名人だ。実際に君らもある程度衣についての情報は持っているんだろう?

 アレや大星淡のような対局相手の足を引っ張ることを前提としたタイプの打ち手に、片岡程度ではおそらくまともに通用しない。

 絶対にしないと言い切れるほど互いに絶望的な性能差があるわけではないだろうが、それでも分が悪い賭けになってしまうのはどうしても避けられない」

 

 片岡優希は決して『弱い』と切り捨てらてしまうほどの凡庸な雀士ではないが、とりたてて強いわけでもない。当人には申し訳ないけれども、それが私たちプロから見た際の共通認識である。

 長野県大会個人予選での東風戦十戦における驚異的な稼ぎっぷりからすれば若干低い評価に思われるかもしれないけれど、能力特性を省いた素の打ち筋がわりと考えなしというか勢い任せというか……一言で現すと『おバカさん』であり、あまりにも脇が甘いというか隙が多すぎるという点。実際に自分が対峙することになっても脅威にはならない、というのが残念な評価の大部分を占めてしまうポイントともいえる。

 

 まぁ国際の公式大会なんかになると東風フリースタイルなる形式もあるんだし、その『東場に滅法強い』という特性自体が持ち得る潜在的な付加価値そのものは、けっこう期待値も高いほうだと思うけど。

 ただ、それを上手く活用できるレベルまで昇華するかどうかは今後の本人次第というか。

 最低でも、せめて東場だけなら宮永照クラスをも普通に圧倒できる――といえる程度にならないことには、宝の持ち腐れ感が半端ない状態でユーティリティープレイヤーたちの波に埋もれて消えてしまうだろう。

 

「まぁ別に賭けに出ることそのものが悪いと言っているわけじゃない。

 ただ、これは東風戦――つまり短期決戦だろう? 一局たりとも無駄にしたくないのなら、賭けに出るにしてもここは無駄になると分かっている片岡じゃない、別の一手を選ぶべきだったんじゃないか? とね」

「藤田プロの仰りたいことは何となくだけど分かりました。でもその、別の一手というのは……例えば?」

「ふっ、それは自分で色々と考えてみるといい。来年あの子たちと同じ舞台に上がって戦っていくつもりなら、それも君には必要なことだよ」

「は、はいっ。ご教授、ありがとうございましたっ」

 

 ぺこりと頭を垂れてお礼を言う室橋さんの行儀のよさに、靖子ちゃんも思わず口の端を持ち上げて満足そうに頷いた。

 そんな感じで会話を終えた二人を横目に、今度は私と咏ちゃんが口を開く番である。ただし、何故かあっちには聞こえないよう声を潜めての会話になったわけだけれども。

 

「藤田プロはああ言ってっけど、小鍛治さんだったらどーみる?」

「え? えーと、清澄の子たちしか真似できないっていうんなら、最適解ではないにしてもまぁ妥当なところじゃない? 逆にじゃあ片岡さんの使い所はどこが良いのかって考えたら、東一局が一番効率良いっていう意見になるのは当然だし」

「でもそれでアレを突破し切れるとは限らないっつーのは事実じゃね?」

「まぁね。そういう意味だと靖子ちゃんの言う通りじゃないかな。相性が悪いのは本当のことだし」

「ん~、じゃあさ。たとえば対象に全国の誰を選んでもいいよ~ってことにしたら、もし仮に小鍛治さんだったら誰を選んでる?」

「うーん……どっちみち分の悪い賭けになっちゃうのは避けられないけど、せっかくの北家なんだし裏鬼門あたりを真似てみるのも展開としては面白かったかも」

 

 現状の片岡さんの特性で天江さんの支配を打ち破れる可能性を確率として算出するとしたら。

 おそらく東一局でも5~10%程度あれば良い方、以降は局を重ねるごとに低下していくことになるだろうと私は見ている。

 そして高々その程度の突破率に過ぎないのであれば、まだ上手く決まれば一撃でKOできてしまう薄墨さんの裏鬼門あたりのほうが浪漫があって面白そうかな、と思わなくも無い。

 

「でも正直なところ、まずはやっぱり『真似出来る限界』が分からないことにはさ、何語っても妄想の域を出ないよね」

「その辺はま~、やってる本人もさっぱり理解してないっぽいしねぃ」

 

 模倣条件というのがもし仮にあったとして。

 単純に初見でも一度見てしまえばコピーしてしまえるのか、あるいは行使する能力に関してある程度の知識や情報を仕入れていなければ再現できないのか。そのどちらなのかによって、この能力が生み出すであろう可能性はそれこそ天と地ほどの差が出てきてしまう。

 そして、話に聞いたその時の状況から考えれば――おそらく前者なのだろうと私は推測する。

 

 身近な例でいえば、宮永さん。彼女の場合は(発動の切欠として)カンをすれば(結果として)嶺上開花になる、といった風に、第三者的にも目に見えて分かりやすい『能力が発動するまでの流れ』と『発動したことで起きた結果』というものが存在する。

 ここでの問題は、カンするまでに至る過程。

 当然のことではあるけれど、それは偶然的にそうなったわけではなく、そうなるよう彼女自身が第一打から牌の取捨選択をした結果として意図的に作り上げられてきたものである。

 後で牌譜を見た時に不自然さを感じてしまう原因の一つがまさにそれだ。

 一見すれば理屈を全部すっ飛ばした状態で嶺上開花を成立させているように見えるかもしれないけど、実際に理屈が存在していないブラックボックスの部分は、カン材になる牌の見極め過程と、引っ張ってくる嶺上牌がどんな牌なのか予め分かっている節がある、という二点のみであり、それ以外の部分は意外にもきちんとしたプロセスに則って進められているといえる。

 

 本来であれば、真似をするに当たって重要なのはそのプロセス部分をきちんと理解していることのはず。だけど、言ってしまえば、その前段階の準備を故意にではなく()()()()()()でやってのけてしまうことこそが、夢乃マホという雀士が持つ本質の利便さなんだろうと思う。

 そして、そこから推測できるのが――彼女は単純に技術(スキル)をコピーして利用しているわけではなくて、対象者そのものを完全に模倣し、再現しているのだろうということ。

 それはつまり、能力そのものの理や発動までのプロセスを本人が一切知らないままであったとしても、十全に使いこなすことができてしまう、ということでもある。

 

 言うまでも無くこれはかなり脅威的なことだ。

 全国の雀士の対局模様をテレビで見ただけであっても、切欠と結果さえ漠然と捉えておくだけで彼女はそれを行使することができてしまうかもしれないのだから。

 もし仮に本当にそうなのであれば、映像で色々なタイプの雀士を確認すればしただけ、抱え込む手札は無限に増やせるということ。

 これはもはや全国各地に散らばっている様々なタイプの雀士たちが持つアイデンティティを崩壊させてしまいかねない由々しき事態である。これを脅威と言わずして何を脅威と言えば良いのか?

 

 ……ま、そうは言っても。

 真似できるのが一局につき一回だったりするみたいだし、年齢や麻雀暦から考えても、その判断を適切に下すことができる程、場数を踏んでいる訳でもない。

 今の状態をみれば、仮にそんな感じで彩とりどりのカードを手にすることが出来たとしても、彼女がきちんと適性を考えた上でそれらを活かしきれるかどうか、というのはまた能力云々とは別の問題というか。

 

「逆に聞きたいんだけど、たとえば咏ちゃんが夢乃さんの立場だったとしたら誰の手札をここで使ってた?」

「う~ん? まぁ……そだねぃ。()()()()()()()()のことはさっぱり考えなくていいっつ~んなら、私が初手に選ぶのは当然――」

 

 そう呟いて歪めた口元を扇子で隠しながら、その視界に捉えたのは――件のコピー少女から見て対面に座る、よほど機嫌がいいのかウサ耳を小刻みに揺らしつつ自信満々な幼女(※高校二年生)の姿。

 目には目をということなのか。

 頭にドが付くほどの精神的サディストっぽい咏ちゃんならではの発想というか、相手の出鼻を挫くという意味でも実にそれらしい選択といえるけどさ。

 ……まぁこんな風にね。

 この底意地の悪さとでもいうべき悪辣さを彼女自身が手に入れられるのは、まだまだ先の話だろう。

 

 

「――リーチ!」

 

 この局の進行そのものは、天江さんの一向聴地獄の影響を受けてか、親番の原村さんを含めた他三家にとってはどこか重苦しい状況が続いた。

 手を伸ばそうにも伸びず、流れを変えようにも鳴けず、ただ山の牌だけが消費していくようなどん詰まり。

 ここでまずプロ勢の注目を浴びることになった最大の要点が、流局直前のラスト一巡における場を支配下に置く異能力同士の攻防戦だったという時点で、いかに静かな場だったかというのが見て取れると思う。

 

 その片翼を担ったのは、いうまでもなく私の弟子たる須賀京太郎君。

 といっても、彼自身はこれといった特別な行動を特に起こしたわけでもなく。先にアクションを仕掛けた側は、京太郎君から見て上家に座った天江さんである。

 ラスト一巡直前で、力強い宣言と共に河に曲げられる捨て牌。それは紛れもなく、天江衣が持つ必殺の和了パターンへと移行するためのいわば必勝宣言だった。

 

「さて――まずは御戸開きといこうか。須賀京太郎、その力とやら存分に見せてみるがいい」

「……」

 

 ちらりと横目で私のほうを見る京太郎君。不安なのは分かるけど――その守りは姉帯豊音の必殺技をも耐え抜いて見せた程。満月の夜に万全の状態というのであればともかく、今の中途半端な状態の天江衣に破られるような薄っぺらなものではないはずだ。

 天江衣と姉帯豊音。

 どちらも全国上位クラスの特異能力者ではあるが、宮永咲と対した状況で比較してもこの二人、基礎的な部分の積み上げによる力量差なんかは別として、保有している能力の強弱そのものに関してはさほど差があるというわけでもない。

 

 大丈夫だと小さく頷いて、その先に訪れるであろう光景を見守ることにする。

 この局は最初から最後まで戦いの波にまったく乗り切れなかった京太郎君だけど、たとえば加治木さんや宮永さんのように特性やその思考力によって強引に流れを変える事は出来なくても――特異能力によって意図的に作り上げられるその結末を覆すことはできるのだから。

 誰も鳴かないまま終盤まで進んでしまった東一局、その最後の牌を掴むのは――南家に座った、夜と海とを統べる王。

 

「終わりだ!」

 

 天江さんが絶対の自信と確信を持って掬い上げた最後の一枚、海底牌。本来であれば和了へと向かう必殺の一撃である。

 しかしそれは、彼女の思惑通りの結果を卓上に齎すような事はなく――虚しく河の底へと沈んでいく。

 京太郎君と天江さん、双方の想定通りとでもいうか、結果は不発。東一局は流局で終えた。

 

「……成る程。満月どころか月も出ていないような生半可な状態では、その安閑恬静を齎す力は破れないというわけか」

 

 天江さんはそう言ったものの、この局で聴牌しているのが彼女と夢乃さんの二人だけという事実は変わらない。

 東一局での二人の直接対決は、能力的には京太郎君が。しかし点数的にいえばリーチ棒分を差し引いたプラス500点で天江さんの勝利ともいえる微妙な感じの結末になった。

 とはいえ勝負はまだ序盤である。親の原村さんもノーテンだったため、罰符を1500点支払った状態で親流れ東二局一本場へと進んでいくことになる。

 思わぬ強敵の出現に心底嬉しそうな、それでいてどこか壊れた暗い輝きを髣髴とさせる微笑を浮かべ、天江さんが言った。

 

「――だがその程度の実力では所詮宝の持ち腐れ。少なくとも、咲のように相手を貫き殺す程の鋭い牙を同時に持たないのなら、勝利など盲亀浮木――何れ唯海床へと沈むのみだ」

「分かってます。それでもっつーか、天江さんほどの人の必殺技を防げたってだけでも、実績も何も無い俺にとってはけっこうな自信になりますからね。

 あー、もちろん最終的には勝負にも勝つつもりっすけど」

「勝負事ですからね。その意気です――と言いたい所ですが。その割には須賀君、自信のなさそうな顔をしていませんか?」

「それはまぁ、相手が相手なんだから仕方ねぇって」

 

 その言葉はおそらく、天江さんにだけ向けられているわけではないだろう。

 問いかけてきた張本人の原村さんだって、京太郎君にとってはものすごく高い壁だし、何より――。

 

「……それに、隠し玉もあるみたいだしな」

「――?」

 

 意識せざるを得ない対象として、実力の程がさっぱり掴めない雲のような存在がもう一人、この場にはいるのだから。

 ちらりと京太郎君の視線が夢乃さんへと向けられる。本人は分かっていないのかキョトンとしているみたいだけど、この場で彼が今一番警戒しているのはおそらく件の彼女だろう。

 

 彼にとって、これまで実際に卓を囲んだことがある相手というのは原村さんだけである。

 ただ、天江さんの場合は実質的に初対戦とはいえ、まだ県大会での決勝をリアルタイムで見ているぶんだけ打ち筋なんかや有り得ない強さであることもきちんと理解しているはず。この二人に関しては、確実に自分より格上であるという事が分かっているぶん、戦い方を弱者のそれへと切り替えることにもある程度は割り切れる余地がある。

 

 しかしそこで問題になってくるのが、初対戦の上にさほど情報を有していないであろう相手、夢乃マホ。

 彼女に関しては、宮永さんたちからの又聞きという形で仕入れたであろう、正確ではない歪な情報しか得られていない状況だ。

 それに加えて面子の中で唯一の年下相手ともなれば、いくらなんでもそう簡単に負けてしまうわけにもいかないという自尊心的なものも多少は働くことだろう。

 さらに付け加えれば、周囲には年上の怖いお姉さんたちが多数目をぎらつかせながら自分を見守っているという状況。明らかに自分ともう一人の少女に注目が集まっていることには当然気が付いているっぽいので、重圧もそこそこあるはず。

 ……まぁ、咏ちゃんあたりに言わせると『年頃の男の子は色々と考える事が多くて大変だなぁ』って感じで軽く済まされてしまいそうなものだけど。

 個人的にも頑張れとしか言いようのない状況ではあった。

 

「しかし、あれですね。これといったアクションを行うことなく、ただそこに居るだけで天江衣の海底一発をシャットアウトしますか……」

「ありゃ俗に言うパッシブスキルってヤツだねぃ。いろいろ制限が付いてるぶんだけ効果も高いんかな~」

「でも衣が言うようにそこから攻撃に転じられないんだったらジリ貧でしょう。出上がりが防げないなら、せめて信頼のおける攻撃手段の一つでもないとあのレベルの相手に勝ちを拾うのは難しいのでは?」

「それはもちろん本人も分かってると思うよ。ただ椅子に座って牌を並べ替えてるだけじゃどうにもならないってことくらいは――ね」

 

 対局を観戦する第三者にとっては非常に見栄えのいい必殺技ともいえる『海底一発』だけど、天江衣の打ち筋というのは、それに拘らなければ勝てないというような底の浅いものでもない。

 あの県大会決勝卓において風越女子の大将池田さんがどうやって点棒を毟り取られていったのかを考えれば、それはすぐに理解できることだろう。

 特に25,000点から始まる通常ルールの対局においては、単純な高火力なだけの直撃を一度でも食らえば即座に瀕死状態に陥ってしまうという現実も、普段片岡さん相手に東場を戦っている彼にしてみれば身に染みて分かっているはず。

 第一、モニター越しだったとはいえ、彼はその脅威を確実に目の当たりにしているのだから尚更だ。

 ただ、そんな警戒心を抱きながら迎えた次の東二局一本場。潮はいまだ引く気配を見せず、ここは親番となった天江衣の独壇場となる。

 

 

「ふぅむ……ここまで見たところでの感想ですが。彼の特性は生粋のオカルト雀士、なのに打ち筋はどちらかというとデジタルに近いようですね」

「なぜか相手の有効牌を攫まされやすいっていう運の悪さもあるっぽいから、今はまだ防御を中心に基礎固めをしてる段階なの。それでもまったく反撃する余地がないってわけじゃないとは思うけど……」

「ま~今のままだと天江衣相手に一撃食らわすってのはちょいっとハードル高いだろうねぃ。最低限、原村クラスの超効率重視な打ち回しくらいできるようにならないとさ」

「最低限、で全国トップレベルの和先輩クラスになれってそんな軽く言われても……」

 

 横で話を聞いていたのだろう室橋さんが、そうあっさり言い放った咏ちゃんに対して絶望的な顔を向けた。

 昨年度の全中王者への憧憬を間近で抱く人物なだけに、今の彼女にとってそれはあまりにも高度すぎる要求なのかもしれない。

 けど、正直なところ、全国大会で勝ち抜きたいならそれくらいはできて当然というか、できなければお話にならないレベルなのは紛れもない事実である。

 室橋さんに軽く絶望を与えた本人はといえば、涼しげな表情のまま、ただ気を抜くとすぐにでも吊り上りそうになる口元をさりげなく扇子で隠しながら言う。

 

「そりゃ~今年はその上を行く化けモンがいたから地方大会の準優勝に甘んじてはいるけどさ、もともと天江衣だって全国トップレベルの実力者っしょ。そいつご自慢のオカルト防壁を真っ正面から相性の悪いデジタルタイプでぶち抜きたいっつーんなら、必然的に全国上位クラス以上の力量はとーぜん必要になるんじゃね? あの京太郎少年にそこまでの技術が習得できるかどーかは知らんけど」

「そ、それは確かに……でも、デジタル打ちってそんなにオカルトと相性が悪いものなんですか?」

「悪いというか、デジタル雀士がこつこつと積み上げてきた努力を一撃で粉砕できるのがオカルト雀士って奴なんだよ」

 

 台詞の途中に気になるフレーズがあったのか、どうやら室橋さんの疑問はそちらに向いたらしい。

 それに答えてあげたのは、話題を振った咏ちゃんではなくて彼女の隣にいた靖子ちゃんのほうだった。

 外見はおっかない感じの彼女だけど、実は面倒見がいいんだよね。

 

「もともとデジタル雀士っていうのは一発勝負のトーナメント形式の大会にはあまり向かないんだ。特に今年の大会ルールは露骨なくらいオカルト持ちが有利だったようにも思えたしな」

「ルールについてはともかく、オカルト一点突破で対抗するタイプのほうが、天江衣のアレ相手に土をつけるのはイージーでしょうね。それこそあの嶺上モンスターのように」

 

 特異能力を持つ打ち手が活躍の場を広げる昨今の麻雀界において、原村さんのようなデジタル打ちに特化した雀士が全国大会で上位に食い込むというのは珍しいことだといえる。

 というのも、彼女らの真骨頂は何千何万局と対局を重ねていく中で発揮される、常にブレない安定した強さを見せるというところにあるから。

 リーグ戦のように長期に渡って安定が求められる場合ならともかく、特に一発勝負に近いトーナメント形式の大会などではデジタル型の強みでもある平均的な〝負け難い強さ〟というのはあまり意味を成さない。

 異能力特化型の人間が持つ爆発的な最大火力は一撃で彼女らの強みを覆してしまうほどの破壊力を持ち、例えば臼沢さんのように完全にソレを抑えきれる下地でも無い限り、必ずどこかで破綻してしまうことになるからだ。

 

「でも、和先輩は個人戦でもけっこう上位のほうでしたよね?」

「まぁ、それがあの子のある意味すごいところでもあるんだけど。とことんブレないっていうか、なんていうか……とはいっても、順位に関しては組み合わせの妙ってこともあるけどね」

 

 

 私たちがそんな会話をしているうちに、東二局一本場は天江さんが京太郎君に狙い定めて見事満貫を直撃させ撃沈、二本場には夢乃さんから30符3翻の手をロン和了してみせた。

 というわけで親の連荘中、現在は三本場の中盤まで進んでいたりするんだけど。

 

 状況としては相も変わらず、一向聴地獄の支配下にあって天江さん以外の手がほとんど進まないという中で、ただこの局においてはそれまでとは若干風景が異なり、その影響を極力受けない形で手を進めていく人物が一人。

 しばらく会ってもいなかった幼なじみ達にすらイコールで結び付けられるほどに浸透している『そんなオカルト有り得ません』というキャッチフレーズでおなじみの、原村和その人である。

 配牌時点では四向聴で他家と比べると若干出遅れていたものの、天江さんの影響下で伸び悩む京太郎君たちを横目に彼女は実に見事な牌の取捨選択を見せて既に聴牌まで持ってきていた。

 

「なんだろう。天江さん自身もしっくりきてないのかな」

「まぁ……本人が言うに、衣の能力の効き具合は月の有無や満ち欠けによって左右されるらしいですから。月も出ていないような真っ昼間だとある程度隙ができるんでしょう」

「たしかにアレだねぃ。前に録画で見た県大会決勝の時に比べると迫力不足っつーか、明らかに詰めが甘い」

 

 今宵は三日月――ああいや、まだ夕刻にも満たないのだから宵の刻には早すぎるけれども、月の恩恵をほとんど受けていない本日の彼女は、言ってみれば足枷をつけたまま戦っているような状態なのかもしれない。

 それでも他家の手と流れをある程度支配することができる程に効果的なその能力は、ただただ素直に他家にとって脅威的だという他にないわけだけども。

 とはいえ、そういうことならば京太郎君を含む他三人に反撃のチャンスがないわけでもない。

 

 月の満ち欠けが海の満ち引きに深く関わってくるように。靖子ちゃんが指摘した通り、その影響を受ける天江衣の能力はバイオリズムのような満ちと引き、つまり底という名の隙がある。

 例えば彼女の能力を潮の満ち引きで表現するならば、対局中に必ず一度は『引き潮』に相当する場面が訪れるはず。

 要するに、その引き潮の場面を逃さず利用できるか否か。

 他家の三人としてはその機を逸するようでは反撃の機運は永遠に訪れないだろうというくらいに、それはこの戦いを勝利へと導くためには大切な見極めとなるはずだ。

 

 そして、そのチャンスを虎視眈々と狙い、確実に掴もうとしている人物が卓上に一人。

 個人的には京太郎君にその役目を果たしてほしいところだったけど――それは、先ほどから話題に上っていた人物、一年目にして個人戦第七位という成績を残した原村さんだった。

 

「――ロン。三本場の8,000は、8,900です」

「は、はい」

 

 振り込んだのは、原村さんから見て上家に座った夢乃さん。

 二連続、それも高めの振り込みで彼女自身は涙目になっているけど……なにはともあれ、これで天江衣という凶悪な親の連荘からは脱出したことになる。

 京太郎君はあからさまにホッとした表情をしているし、天江さんは天江さんで分かりやすいほどムッっとしているのが見て取れた。

 

「ふむ。今のをわざと振り込んだ……というわけでもなさそうですか」

 

 疑問を呈する良子ちゃんだけど、すぐさまそれを却下する。

 たしかに同じような差し込みは全国でも幾度か目にしたことはあるし、彼女がそれらの中の誰かを模倣しているのであれば、その可能性もあったろう……けど。

 

「わざとにしちゃ支払いの額がちと大きすぎんでしょ。打ち込む牌によっちゃ翻二つ分は点数下げられたんだしさ~」

「まぁ咏ちゃんの言う通りだろうし、あの子のあの顔を見てもそれはないだろうね。単純に原村さんのデジタル思考が天江さんの支配力を上回ったっぽいのかな」

 

 デジタル特化型といっても過言ではない原村さんの場合、牌効率におけるセオリーを重視しがちなぶんだけ、効率を極端に削ぐタイプの能力との相性はすこぶる悪そうな印象を受けるけれども……意外にもわりと素直に対応できているように見える。

 基本の軸はブレていない、それでも対応は可能というか。この辺りは夏頃の彼女と比べれば、明らかに目に見えて成長した部分ともいえるかもしれない。

 とはいえ、全盛の天江さんの能力下ではどんな取捨選択をしても結果聴牌までは絶対に辿り着けない状況に陥ることもあるようだから、これは正しく支配力が緩んだ隙を突いた一撃ということになるだろう。

 

「衣の支配が弱まったタイミングで、相対的にあの娘たちの純粋な力量差が目に見える形で現れたのでは? しばらく前まで衣は能力に打たされているだけの雀士でしたし、純粋なスピード勝負だと原村の速度には適わんでしょう」

「それも然り。ですが、あるいは……もっと根本的な、別の理由があるのかもしれませんよ」

「っていうと?」

「原村和――メディアや皆さんの話では、彼女はいっさい()()()()を持たない打ち手だという話ですが……あいにくと私からはそう見えていないということです」

 

 そんなことを言いながら、鋭い視線で原村さんの横顔を睨みつける良子ちゃん。

 昨年度、インターミドル覇者として名を馳せていた彼女ではあるけれど、完全なデジタル打ちというには判断ミスなどの隙が多く取りこぼしの多い打ち筋、というのが関係者各位からの評価だった。

 その時点で既に有力者達からは実力が懐疑的な目で見られていたにも関わらず、僅か一年足らずの間に成長を見せてあの成績を残せたという部分とその頑張りは、素直に賞賛すべきだろう。

 

 しかし、全国という舞台で原村さんを見ていたであろう良子ちゃんは、常々その見解に一部疑問を抱いていたらしいのだ。彼女が成し得たその成績は、本当にデジタル打ちに拘って、ただそれだけの力で綱上を渡り続けた果てに得た栄光なのか――と。

 

「あの子は単なるポーズとしてオカルトなんて有り得ないと言い続けているわけではなくて、実際に心の底から頭の隅までそう信じきっているのでしょう。信じる者は救われる、とはどこかの宗教家の言葉でしたか」

「ええと、つまり……なんだ? オカルトを一切信じないからこそ、逆に自分に影響を及ぼすタイプの他人のオカルトを軽減することに繋がっている、とでも?」

「イグザクトリィ。神々への信仰を力に換えているのが神代の系譜だとするならば、彼女もまたオカルトなど有り得ないと信じる心を己の力に換えているのでは、ということです」

「ふんふむ。つまり、否定の心そのものが自分専用のバリア的な効果を生み出してるっつーことかね」

「あるいはこう考えてもいいかもしれません。あの子はデジタルに特化している――だからその身にデジタルの神様を宿すか、それに準じた何かに己を変化することで能力者たちと互角に戦っている、と」

 

 何事も極めれば極めるだけ途轍もないパワーを生み出すものなんですよ、と良子ちゃんは言い切る。

 

「……うん? それって結局原村さんも神代さんと同じような能力の持ち主だってことにならない?」

「逆説的に考えるなら、そういうことになるでしょうね。

 無意識のうちにできるだけオカルトの影響を受けないで済むような選択肢を選び、導くモノが彼女の中に存在しているとしましょうか。そのおかげで自身はオカルトの影響をさほど受けずにいられる訳ですね。

 そしてその事実が、己の提唱する『そんなオカルト有り得ません』という思想と言葉に強い説得力を与えることになる。いわゆる言霊というヤツです。

 故に、彼女の中の()()は強い力を以てそこに存在し続けることが可能であるため、オカルトを遮断するためのパワーとなる。以下それの繰り返し、といった所でしょうか」

「いやいや、そんなオカルトあるわけが……」

 

 って思わず流れで彼女の科白が口を付いて出て行きそうになってしまった。

 だってそうでしょ?

 つまりそれって、肯定と否定、向かう方向は真逆でもやっている事は同じということになるのだから。

 オカルトを真っ向から否定することで、特異能力と似たような状況を手に入れているというのであれば、それをこそオカルトと呼ばずして一体何を特異能力と呼べば良いというのだろうか。

 

「まぁ、これらはあくまで可能性として論ずれば、という話であって断定は出来ませんよ?

 本人が意識して切り替えられないというか、自覚症状なんかはまるで無いと思いますし。

 そもそも認めてしまえば効力が失われてしまう類のものなのですから、たとえそれが真実であっても彼女自身は真っ向から否定するしかないわけで」

「うーん、理屈は分からなくも無いけど……ややこしいってレベルじゃないんだけど」

「ノーウェイ、とんでも能力の持ち主なんてそれこそ今更じゃないですか?」

「う……」

 

 それを言われちゃったらその筆頭っぽい位置にいる私としては、もう黙るしかないんだけどさ。

 それにしても、八百万神――だっけか。

 古来から様々なものに神様が宿ってきた日本ならではの発想とでもいうべきなのか。デジタルな世界に特化している神様が新しく何処かで誕生していたとしても何も不思議は無いのかもしれないけれども。

 ああ、そうか。既に()()には将来のタコスの神様がいるくらいなのだから、同僚にデジタルの神様がいたとしても別にさして問題は無い……のかな。

 

 

 原村さんの和了によって、舞台は東三局へ。

 月の姫の支配が緩んだその間隙を突いて、チャンスは更に続く。

 デジタルの化身となった原村さんが序盤から遠慮なく鳴いて手を進めていくことで、場の流れに歪みができてしまったのか。

 本来ならば、彼女の下家に座っている天江さんこそがその影響を受けて手が進んでいてもおかしくはないんだけど、何故かその恩恵を受けて最も手を伸ばしているのは対面に座っている京太郎君だった。

 たまたま山の配列的に噛み合わせが良かったんだろうとは思うけど。

 原村さんが動けば動くほど、面白いように彼の手牌が充実していくというか……コンビ打ちでもやっているのかと疑いたくなるくらい、流れが完全にハマっていた。

 

「――ッそれ、ロンです! 40符2翻で、えっと……親だから3,900か。へへ、やったぜ」

 

 そして、想定通りに手が進まないことにイライラしていたのか、ちょっと雑な感じで牌を切った天江さんから京太郎君が和了る。

 集中力を保っていれば防げた失点なんだけど、トップをひた走る彼女にとってみればそれも詮無きことだった。

 事実、天江さんとしては渡す点棒のことよりも京太郎君の無邪気なまでに嬉しそうな態度のほうがよほど気になったらしく、こてんと可愛らしく首を傾げながら呟く。

 

「ずいぶんと嬉しそうだけど、まだ負けてるよ?」

「え? そりゃ分かってますけど、それよか俺があの天江さんから和了れたんですよ? そんなの嬉しいに決まってるじゃないスか。

 ウチの一年生連中とやってもボロクソにやられて負けが込むことのほうが圧倒的に多いですけど、こういう瞬間があるからこそ、やっぱ麻雀ってやってて楽しいっていうか」

「……それって、衣と麻雀を打ってて、楽しい……ってこと?」

「ええ、もちろん楽しいです。天江さんの言うとおり今はまだ負けてますし、こっからマクって勝てればもっと楽しいんでしょうけどね。

 ――ってことで一本場、行きましょうか!」

「そっか……ふふっ、でも衣も最年長のおねーさんとして簡単には負けてやれないな。乾坤一擲、かかってくるがいい、きょーたろー」

「望むところです、衣さん」

 

 さっきまでの不機嫌が何処へやら。ニコニコ顔の天江さんとやる気満々の京太郎君。

 なにやら二人の間に友情が芽生えたらしい瞬間である。若いっていいなぁ。

 

「ああ、やっぱり衣は可愛いなぁ……」

「靖子ちゃん、そればっか言ってる気がするんだけど」

「意外と子煩悩なんですね、藤田プロ」

「そんなに子供が好きならさ~、他人の子供に懸想してないでさっさと自分で産みゃ~いいのにねぃ」

「三尋木プロ、ブーメランになって別の人の頭に突き刺さり兼ねませんからそれ以上はダウトです」

「別の人って誰のことを言ってるのか、非常に気になるね……ねぇ良子ちゃん?」

「うっ……ノー、ノープロブレム!」

「いや問題だらけだから。動揺しすぎっしょ」

「元凶が他人事でケラケラ笑いながら語ってる場合じゃないでしょうに」

 

 凄む私。動揺する良子ちゃん。他人事で笑いっぱなしの咏ちゃん。そして呆れ顔の靖子ちゃんと。

 初々しい若者と比べてみれば、擦れきった大人の友達付き合いなんてこんなもんですよ。所詮はね。

 

 なにはともあれ、そんな大人たちを置き去りにしたまま、舞台は問題となる東三局一本場へと移っていくのだが――その局はまず、静寂と共に幕を開けた。

 

 

「……むっ」

 

 最初から異変に気が付いていたのは、その場で唯一天江さんだけだった。

 後で聞いた話によると、この時、本来であれば得られるはずの場を支配しているような感覚が、まったく感じられなくなってしまったのだという。

 いや。より正確にいうと、自身のものよりも更に強力な支配力によってそれが抑え込まれてしまった、と。

 思えばこの時から、既に始まっていたのだろう。

 ――この場における最大の鬼札、夢乃マホによる()()()()()が。

 

「(なんだこれは……場が、重い……二向聴から一切手が進まない。これ……まさか……?)」

「(うは、また天江さんの支配が強まったか。くそっ、最初っからバラバラすぎてどうしようもねぇ……)」

「(流れが来ませんね。となれば、できれば鳴いて手を進めたいところですが……さて)」

 

 誰も鳴かない。聴牌しない。

 いや、誰も鳴けない。聴牌できない。

 卓を囲む誰しもにそう感じさせるだけの重苦しさを伴って、一打ごとにどんどんどんどん、世界は海の底へと近づいていく。

 親が京太郎君である以上、誰も鳴かず、そのまま場が進んでいったとすれば――海底牌を掴むことになるのは、当然ながらその下家に座っている――。

 

「(くっ、このままでは海底牌を持っていかれてしまう……っ!)」

 

 彼女が何をやろうとしているのか、今自分に降りかかっているものが何なのか。

 確信を抱いた様子で、天江さんは対面に座る夢乃さんを見やる。

 自身の能力を完全に被せてくる相手と戦うことなんて、早々あることじゃない。動揺するなというほうが無理だろう。

 しかも、自分のそれと比べても、相手から発せられているそれのほうが遥かに強力なのは効果が上書きされていることからみても明らかだった。

 

「(……いや待て。たとえそうであったとしても、きょーたろーの能力で防げる……かな?)

 

 何かしら考えている表情で、天江さんがちらりと京太郎君の様子を伺う。

 彼も手牌の散々っぷりに頭を悩ませているようだけれど、おそらく最後にやってくるであろう海底ツモに関しては自分が面前であれば防ぎきれると理解しているが故に、彼女ほど焦っている様子はなかった。

 そこで少し安堵したのだろうか。

 冷静さを幾分か取り戻し、そのまま場は最後の一巡へと向かう――その直前。

 

「――リーチ、っ!」

 

 ゾクリ、と。その場にいた全員の背筋を凍らせるほどの雰囲気を纏い、宣言と同時に瞳をギラリと光らせながら、夢乃さんは牌を曲げて河に置いた。

 天江さんのお株を奪うラスト一巡前ツモ切りリーチ。

 とはいえ、東一局で本家がそうであったように、模倣されたそれも京太郎君の能力に阻まれて不発するだろうと誰もが思った。

 ……だけど。結果は想像とは異なっていたのである。

 

「――ツモ。リーチ一発自摸海底摸月ドラ2。3,000、6,000ですっ」

 

「「「――!?」」」

 

 びっくりしたのは京太郎君だけではなかっただろう。

 私も、良子ちゃんも、天江さんも。

 少なくとも彼の能力の強力さを直接的に知る面々は、それでいてなおその防御をぶち抜いていった彼女の非常識っぷりに、完全に面食らってしまっていた。

 

「わぁ! マホ、やっと和了れました!」

 

 もっとも、それを成した当の本人はそんな感じでぽやぽやと喜んでいるだけだったけど。

 その対称的な温度差の中で、ただ一人平常心を保ち続けていた原村さんは眉を潜めて夢乃さんのほうに向き直る。

 

「マホちゃん。今のはたまたま上手く行きましたけど、そもそもあのタイミングでリーチをかけるのはどうかと思いますよ」

「はうっ!? ご、ごめんなさい。でも、ああしたら県大会の決勝戦の天江先輩みたいに格好よくアガれそうな気がして……」

「そんなオカルトあり得ませんから。いま和了れたのも偶然です」

「は、はい……」

 

 ハネ満を和了した直後だというのに、先輩から愛のある(?)ダメ出しを受けてシュンとなる夢乃さん。

 なんというか、微笑ましいんだか空気が読めてないんだか、よく分からない空間になってしまっている二人はともかく……いま問題なのは最も衝撃を受けたであろう、私の弟子のほうである。

 明らかに動揺しているのが丸分かりの表情で、捨てられた子犬のようにこちらを見上げる京太郎君。

 

 あ、なんかこの角度ちょっとヤバいかも……。

 

 そのまま拾ってお持ち帰りしたくなる衝動を抑えつつ、邪魔にならない程度に近づいていく。

 

「師匠、今のって……?」

「あー、ゴメン。すぐ原因の究明はできそうにないから、詳しいことは対局終わってからでいいかな。まだ勝敗決まってないし」

「あ、はい。すんません」

「動揺しちゃう気持ちはよく分かるけど、そこで平常心崩しちゃうほうが良くないんだ。海外とかの試合だと予定外のことが起こるなんて当たり前だし、そこは特に気をつけて欲しいの」

「う、うっす……」

 

 

 そんなこんなで東三局一本場が終了し、場は最終局へ。親の夢乃さんがサイコロを振り、対局は静かに始まった。

 最終局、先ほどの一撃から未だに動揺が治まっていない天江さんの調子が崩れてしまったことで、他家は有効牌を掴みやすい状況になっているらしい。

 京太郎君は現状最下位に沈んでおり、逆転するためにはかなり大物手を作り上げなければならないため、初手から一か八かの取捨選択を繰り返しているせいか一向に伸びていかない。

 冷静に考えたらもうちょっとやりようはあるはずなんだけど……まぁ、あれだけ綺麗に貫通されたら動揺するなってほうが無理か。

 

 そんな中、最速で聴牌したのは――前局の勢いをそのままに持ち込んだ夢乃さんだった。

 ラス親ということもあってイケイケ状態になっているのか、迷わずリーチをかけていく。

 

{二}{三}{四}{③}{③}{③}{④}{④}{赤⑤}{⑥}{白}{白}{白}

 

 聴牌の形は②④⑤⑦筒待ちの綺麗な四面張。ただしこの場合、初っ端に何故か⑤筒を捨ててしまっているのが完全なネックになりそうな感じだけど……さて。

 

「ふむ……?」

 

 私と一緒に夢乃さんの後ろでその打ち方をじっと見ていた良子ちゃんが、何を思ったか小さく首を傾げて呟いた。

 

「どうかしたの?」

「いえ。何というか……非常にエキセントリックというか、ミステリーな子ですね、彼女は」

「まぁ今の初っ端⑤筒切りといい、さっきの一撃といい、十分すぎるほどミステリーなんだけどさ」

「ああ、さっきのあれですか。

 あの後の彼女自身の何気ない発言からすると、思い描いた天江衣の姿は県大会決勝戦の頃のものだったと。それはイコール満月が昇りほぼ全盛期状態の天江衣――ということになりませんか?」

「あ、それってもしかして……?」

「イエス。彼女がコピーするのはオリジナルのコンディションに左右されることのない状態、常に最大限効果を発揮している際のものである、と考えられます」

「なるほど……それならまぁ、京太郎君のガードが抜かれちゃっても不思議はない、か」

 

 常に全速全力状態の力を模倣することができるのなら、要所要所で本家のオリジナルより効果が上回るというのも理解できる。

 それと同時に、やっぱり全力状態の天江さんの力は京太郎君では抑えきれない、ということも思い知らされてしまったわけだ。

 

 ――で、それはそうと何を以って良子ちゃんは夢乃さんのことをエキセントリックだと感じたんだろう?

 

 そんな疑問を抱いている最中、天江さんが河に切ったのは⑦筒。当然それも当たり牌ではあるけれど、夢乃さんとしてはスルーするしかない現状――って。

 

「あっ! それロンですっ!」

「「「「あ……」」」」

 

 止める暇もあればこそ。

 夢乃さんが和了宣言をして手を開いた時、その光景を見守っていたプロ雀士の全員が同じ単語を脳裏に思い浮かべていたに違いない。即ちそれは――。

 

「ああああああっマホ、このバカ! ⑤筒捨ててるのにその待ちでロン宣言なんてしたらどう足掻いたってフリテンになるに決まってるだろ!」

「ええっ!? ……あっ、ホントです!」

「マホちゃん、さすがにそれは有り得ません」

「あ、あう。ごめんなさい和先輩……」

 

 ――フリテンでのロン宣言。牌を既に卓に倒してしまった以上、チョンボ扱いは免れないだろう。

 形としては、阿知賀の鷺森さんを髣髴とさせるピンズ多面張からの先制リーチ。

 上手い具合にトップの天江さんから見事な直撃――というところまでは良かったんだけどね。残念ながら狙いどころはそこではなかった。

 ここまでの手の進み方から考えると、本命は他家の捨て牌は完全スルーしてからの、そのうちツモって来るだろう白をカンして嶺上開花――的なシナリオだったんじゃないかと。

 

 当の本人が自分の待ちの形をきちんと把握できていなかったところで、この勝負は既に決着が付いていたということなんだろう。

 たとえばネット麻雀なんかだとフリテンの場合にはロンできないよう、予めシステムがそう作られている事がほとんどなので初心者でも間違える事は無い。だけど、実際に卓を囲んで打つ場合にはその待ちの形を自分で判断しなければならず、見落としたりして間違えるということは往々にしてあることだ。

 

 通常のルールに則れば、夢乃さんだけアガリ放棄のツモ切り状態で最後まで進めていくわけだけど。

 現在二位の原村さんは夢乃さんのリーチ宣言の際に一つ面子を崩していて、残りの巡目で再び和了へと向かうのは少々厳しい状態だ。

 京太郎君は天江さんの能力をまともに受けている影響で一向聴のまま手を動かすことも出来ずにいるし、その天江さんはこのまま終わりまで何もしなくても一位をキープできてしまうという状況。

 

「うーむ、小鍛治さんさぁ。ありゃ~なんつーか、特異能力云々以前の問題っぽいんだけど……私の気のせいかねぇ?」

「えっと、まぁ、うん……そう、みたいだね……」

 

 先ほどまでの独特な対局中の張り詰めていた空気は一気に霧散してしまい、当人以外の卓上の面子も外野で見守る人たちも、揃って小さくため息を吐く。

 そのまま弛緩した状態で東四局は天江さん一人聴牌の流局で終了。

 結局この勝負は、そのまま天江さんが一位、原村さんが二位、京太郎君が三位、そして直前にチョンボの罰符12000点を支払った夢乃さんが最下位に沈む形で終了したのだった。

 

 

 対局終了後にひと段落してから、みんなで『アリスの不思議なタコス屋』へと戻ってきた時。

 煌びやかな衣装を纏った宮永さんが、部屋の隅っこで涙目になっている事実に気がついた。

 よくよく話を聞いてみれば、どうやらこの後、ステージの催し物としてインハイチャンプによる麻雀独演講習会をやることになっているらしい。

 しかもこれ、清澄高校学生議会の主犯……もとい主催らしく、そうなってくると誰の差し金なのかは火を見るよりも明らかだ。

 こうやって公の場で啓蒙活動をすることによって、来年の人員確保をと目論んでいるのだろう。

 そのために選ばれた人員の適正というか是非はともかくとして、やろうとしていることは分からなくもない。

 

「竹井さんが企んでた本命は、こっちのほうかぁ……うん。宮永さんも大変だ」

 

 完全な他人事ではあるけれど、何故かそう思えないということもあって同情を禁じえないわけだけども。

 しかし、だからといって基本内気なこの私、ほいほいと手を差し伸べてあげられるほど積極性を持ち合わせているわけではないのだ。

 戻ってきた京太郎君に縋って救いを求めるその哀れな姿を背に残しつつ、私たちプロ連中は揃ってここでお暇することになった。

 

 

 チームに合流して別の遠征先に飛ぶ良子ちゃんと、そのまま天江さんを自宅に送っていくらしい靖子ちゃんとはその場でお別れして。

 遠征も終わって関東圏に戻ることになる残った二人は、別々に帰る理由も特にないので同じ新幹線で帰宅することになった。

 道中の話題はほとんどが麻雀のことではあったけど、特に花が咲いたのはやっぱり例の対局のことだろう。まさに採れたて新鮮な話題の上に、一局一局を見てみてもネタになる部分は山ほどあったしね。

 

「いやぁだけどまさかまさか、直前の海底ツモからあんな結末になるとはさすがに思わなかったねぃ」

「あ、あはは……初心者だって話は聞いてたんだけど、さすがにあれはちょっとビックリしちゃったね」

「ま~潜在的な能力はこの目でしっかり確認できたし、今日のところはいいもん見せてもらったっつーことで。私としては大満足ってところかな~」

「そうだね。室橋さんだっけ? あの子との関係性を見ても、今すぐどうこうなるって感じじゃなさそうだったし、ちょっと安心かな」

 

 凶悪な力を持つものが陥り易い、周囲との温度差による軋轢……という感じは今のところなかった。

 夢乃さん自身の性格もあんな感じなら、増長して高飛車になるようなこともないだろう。

 

「ああ、そうそう。それと気になることがあともう一個あんだけど~」

「うん? どうかしたの、咏ちゃん」

「あの須賀少年だけど――ちょい気負い過ぎじゃね? わっかんね~けどさ、アレ相当猫被ってるっしょ」

 

 猫を被ってるのは咏ちゃんのほうじゃないの? という突っ込みは、彼女の殊更に真剣な表情を見て引っ込めざるを得なかった。

 

「そうかな?」

「目上に対して敬う態度ってのは常識の範疇かもしれんけど……なんつーか、こう。あいつの立ち居振る舞いに余裕ってのがあんま感じられんのよね」

「余裕……それは咏ちゃんから見てって事だよね? でも初対面じゃなかったっけ。それでそういうことが分かるものなの?」

「やれやれ。人間観察が足りて無いねぃ、小鍛治さんは。それとも当事者だから気づかないだけか」

 

 そりゃ確かにその手の分野には疎かったりするけどさ。自覚もしているし、その科白自体は否定できない事実でもある。

 それでも数ヶ月交流を続けてきた私よりも今日出会ったばかりの咏ちゃんのほうが、京太郎君についてきちんと理解しているという旨の発言を許容することはできない。

 普段温厚な私がちょっとだけイラっとしてしまったのも仕方が無いことだと思うんだ。

 

「咏ちゃんは京太郎君の何が分かってるっていうの?」

「そうだねぇ。詳しいことまではわかんねーし、見当違いかも知れんけど。たぶん小鍛治さんの持ってる国内無敗って肩書きに余計なプレッシャーを感じてるってことだけは事実だと思うよ」

「……え?」

「もちろんあいつ自身が言われてるわけじゃない。でもさ~、仮にもしさっきみたいに『あの小鍛治健夜の弟子の癖に』なんて言われちゃったら弟子としてはどうよ? 須賀少年の内面まではさすがによくわかんね~けど、自分のことならともかく、自分を助けてくれる相手を悪く言われて黙っていられるようなヤツじゃないんじゃないの?」

「それは……そう、かも」

 

 さっきの天江さんとのやり取りなんてその典型だったわけだし。そういえば岩手で宮守の子達と対局する前に話をした時にもそれっぽいことを言ってくれていたっけ。

 片岡さんのタコスや清澄の麻雀部に対してもそうだし、あの子はたぶん情が深いタイプなんだと思う。期待には応えなければ、という考えが基本的概念として精神の中枢に根付いているのだろう。

 私はそういうところも、まぁ、うん。けっこう好きだけど……。

 

「でも、別にそんなこと気にしなくても――」

「小鍛治さんはもちろんそうだろうけどねぃ。つーかあんたは自分の肩書きに無頓着すぎ。もちっと、せめてどれくらいの重みがあるのかくらいは自覚したほうがいいと思うよ? 知らんけどさ」

「うっ」

 

 自覚が無い、わけじゃないと思う。それでもまだ足りていないと言われてしまえば、そうなのかもしれないけれど。

 でも、それを京太郎君が背負う必要なんて何処にも無いということだけは確かだろう。

 例えばこの先で私があの子の師匠である事が世間に知れ渡ったとしても、あの子の敗北が即私のそれまでの功績に傷をつけるなんてことにはならないんだから。

 

「でもさ~、それでも背負っちまうのが弟子なんじゃね? 師匠が思ってるよりあっちは重く考えてるかもしれんしょ。少しでも尊敬してくれてるんなら尚更にさ」

「そう、なのかなぁ……」

「もしかしたらアレがあいつの素なのかも知れんけど、普段の生活からムダに肩肘張って生きてくのって正直すげーダルいよね。私はそんなこと頼まれたってしたくないけどな」

「そうだね、それは私も同感」

 

 でも、もし本当に咏ちゃんが言う通りなんだとすると……私が師匠としてあの子にできることって、一体なんだろう?

 重く考えなくてもいいよって言葉で伝えた程度で何かが変わるくらいなら、そもそも咏ちゃんが気にするほどのことにはなっていないだろうし……。

 いっそのこと目に見える形で天秤にでも掛けられたら、私の中でその肩書きがどの程度の重さなのかを相手にすぱっと伝えられるだろうに。

 

 それっきり咏ちゃんは京太郎君の話題には触れようともしなかったけれど。

 心に芽生えた一抹の不安を抱えつつ、新幹線は終点の東京駅へ向けて順調に進んでいくのだった。




健夜さんの麻雀暦が高三からだったという衝撃の事実を知った今となっては、もはや独自の路線をノンストップで突っ走るしかなくなった感のある番外編シリーズなのですが。
前からとっくにそうだったじゃんと言う話もあったりするのでまぁいいかと思わなくもない今日この頃。
今後の展開もオリジナル設定だらけっぽいと割り切って見て頂ければ幸いでございます。

次回タイトルは未定ですが、たぶん京はや交錯編その①となります。ご期待くださいませ。


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[新] 第09話:天運@とある雀士の後継問題

 ――11月上旬、某日。

 

 その日の午後練を終えた直後のことである。

 事務員の女性から声をかけられ応接室へ行ってみると、中には見知った顔のお客様が二名ほどいて、その内の一人は社長と談笑中。もう一人はこちらに気付き、食べかけの芋羊羹を片手に空いた左手をフリフリさせていた。

 その面子を見るに、どうやらまた厄介事が降りかかってきそうな気配がプンプンしているんだけど……。

 

「おお小鍛治君。やっと来たかね」

「……失礼します」

 

 その予感を華麗に回避するには、ちょっと手札が足りそうにない。

 渋い心内を表情には億尾にも出さず、手招きされて社長の隣へと腰を下ろす。

 私の目の前に座っているのは、いつものけったいな……もとい、特徴的な格好をしているみんなの憧れ牌のおねえさんこと瑞原はやり。その隣に座っているちょっとダンディなお髭のおじ様は、彼女が抱えている冠番組『はやりんのパーフェクト☆麻雀教室』のプロデューサーさんである。

 以前一度だけゲスト出演したことがあるので、顔見知りではあるんだけど……正直、だからといってどうして二人が雁首揃えてこんな茨城くんだりまでやって来たのかが分からない。

 某番組への出演をオファーするだけなら事務方同士のやりとりだけで終わるはずだし、仮に新番組を立ち上げるにしても、業界の中で私はどちらかというとこーこちゃんが勤めているテレビ局寄りっぽい立ち位置に置かれているので、局の違う彼の番組でメインを張るというのはちょっと考え辛い。

 そんな感じで頭の中に疑問符をたくさん飛ばしていた私の前に、はやりちゃんの手によって一組の冊子が差し出された。

 

「……なにこれ?」

「んーと、はやりが今日ここに来た理由?」

「うん、それはまぁなんとなく分かるけど……」

 

 表紙の中央ちょっと上の部分に書かれているタイトルらしき文字列に、若干頬が引きつってしまう。

 そこには、『次世代の牌のおねえさん候補を探せ!(仮題)』と書かれていた。

 これってやっぱり、新番組の企画書か何か……なのかな?

 

「あ、別に健夜ちゃんをその候補者にしたいって話じゃないよ?」

「いやあのね、それも言われなくても分かってるから」

 

 ウィンク一つまともにできやしない私を晒し上げる目的でもなければ、まず有り得ない話である。

 というかさ、もし仮にそんなチャレンジャーにも程がある人選をゴリ押ししようとする輩がいるのなら、まずその人にこの番組編成から手を引かせるべきだって話になると思う。

 何気にこーこちゃんあたりならサラッとやりかねないことではあるけれど、さすがに本職の人がそんなことではダメだろう。

 

 結構真面目にそんなことを考えながら、ぺらぺらと企画書を捲っていく。

 斜め読みするよう文字を目で追っていたら、何気ない文字列の中のとある部分が引っかかった。

 

================================

[内容]

牌のおねえさんとして馴染みの深いアイドル雀士瑞原はやりが、インターハイで活躍した全国各地の高校を巡る旅の中で、各校の紹介をしつつ次世代のアイドル雀士の候補になりそうな子を探し出す

 

※もしも該当者を見つけられた場合、番組内ではやりんの後継者として育てて行く継続企画とする

================================

 

 ……うん?

 企画意図の部分に書かれているその文章を読むに、この企画の流れって今も現在進行中で行われている某局の某番組とよく似ているんじゃないだろうか。

 若干趣が異なっているといえるのは、各学校の麻雀部そのものをピックアップするのではなくて、そこに所属しているアイドル的な容姿の子を発掘することのほうを主目的にしているという点。

 あと番組を担当する雀士の違いもあるけど、まぁそれはいいだろう。

 

 確かに今年のインターハイで見た高校の中には個性的な子が多く存在していて、その中にはアイドル雀士『瑞原はやり』の後継者になり得る程の将来性を秘めた子というのが何人かいた。

 それを考えても企画意図としては理解できるし、十分に実行可能な部類だろう。

 この内容で放送すれば、普通にヒットする余地のある良企画だと思うけど……ただそれも、そのままの形で放送することができるのであれば、という仮定の上での話。

 仮に放送するにしても、企画書を読んだ限りの印象だと、番組内部の進行とその流れなんかが某番組そのままの二番煎じっぽい作りになっているというのが最大のネックとなるのは明らかだった。

 さすがにこれを企画段階そのままの形で放送してしまうと、後に某テレビ局との間で色々と権利関係の問題が生じてしまうかもしれない。

 

 というのも、一昔前のテレビ全盛期時代……今からだと大体四十年位前の話かな。

 その頃に起こったひと悶着というか、ヒットした他局の番組を露骨に真似してソックリな形式の番組を山ほど量産し続けた結果、視聴者のマンネリ感を増大させ加速度的なテレビ離れを助長した挙句に放送業界そのものが存亡の危機に陥った、なんてものすごく笑えない時代があったそうで。

 まぁそんな状態からなんとか持ち直して現在に至る訳だけど、それまでの過程の中で『似たような形式の番組を異なる局で同時期に放送するのは基本的にアウト』といった感じの理念が放送業界全体で採用されることになったのだという。

 

 ……まぁこれはお酒の席でこーこちゃんから聞いた話だから、それが嘘なのか真なのかは正直よく分からないんだけど。

 私もプロ雀士になって日本代表に選ばれて、それなりにこの業界でお仕事をさせてもらうようになってはいるものの、そもそもテレビ業界のコンプライアンスなんてものはほとんど理解できていないし、基本的に畑違いな立場にいるのはいつまで経っても変わらない。

 ただ、普段視聴者としてテレビ番組なんかを見ていると、たしかに近年のテレビ局同士というのはわりとそういう被り事には特に煩くなっているように感じる、というのも確かなのだ。

 そういったことから照らし合わせてみると、わりかし本気でそういった類の不文律があるんだろうなぁというのはなんとなく察せられた。

 

 

 全部読み終わり、視線をプロデューサーさんのほうへと向ける。

 

「企画としては普通に面白そうだとは思いますけど、このままの内容だと放送するのはちょっと無理なんじゃ……?」

「ええまぁ。お察しの通り、その企画はもうとっくにお蔵入りになってるんですよ。さすがに小鍛治プロが担当なさっている例の番組に似すぎだってことで、会議の結果没企画ってやつになりましてね」

「はぁ。それはどうも、なんだかすみません」

 

 特に必要はないだろうと思いつつも、軽く頭を下げる私。

 全国大会が終わってすぐ、あまりにも超速スケジュールで番組の収録が始まったと思ったけど、あの裏にはこういう理由があったんだと今更ながらに理解してしまった。

 早い者勝ちという面もあるんだろうけど、その迅速に過ぎる行動力には半ば呆れてしまう程である。

 そんな思いもあったから一応謝ってはみたものの、当たり前だけど相手のほうもさほど気にしている様子は無かった。

 

「いえいえ。それは出足の遅いウチの担当が自業自得ってだけの話なんで。

 まぁでも、そうは言ってもこちらとしては勿体無いので、内容の一部だけでもこっちの番組で引き継ごうって話になってまして。それでですね、ここからが本題なんですが――」

 

 

 別に用意されていた新しい企画書やら契約書やら、色々なものを用いて説明を受けること約十分。

 なんとかかんとか、相手の言いたい事はある程度伝わってきたように思う。

 

「はぁ……つまり、私にアイドル雀士候補の一人を擁立してもらいたい、ってことですか」

「ええ、まぁ。掻い摘んでしまえばそういうことです」

 

 こちらから探しに行くのでは内容が似通ってしまうので、いっそのこと推薦人を指定してその人に候補者を連れてきてもらったらどうか?

 ……といういっそ清々しいまでの逆転の発想で生まれたっぽいその新企画。

 幾人かの立場が異なる推薦人によって連れて来られたアイドル候補生達を、様々な内容でオーディションしながら競わせつつ、その中から将来の牌のおねえさん候補を絞り込んで行くという形式となっている。

 そして今回その推薦人の一人として白羽の矢が立てられたのが、既に某番組で各地の高校を巡って色々な可能性を見て来ているであろう当事者の一人――つまり私であると。

 簡単に言ってしまうと、今回の依頼の肝はそこにあった。

 

「あの……これ、推薦者が私じゃないといけない理由ってありますか?」

「勿論。当然理由もあります」

 

 恐る恐る聞いてみたら、わりとはっきり肯定の返答が戻ってきてしまった。

 かろうじで麻雀って付いてるだけまだマシとはいえ……正直、次世代アイドル発掘なんて異なるどころか掠りもしないって感じのジャンルなんですけれども。

 

「たしかに、発掘しようとしているのが普通のアイドルなら、そもそも麻雀プロの小鍛治さんを起用することはありません。しかし、今回は可愛いだけではなく雀士としても相応の実力者でなければならない。

 小鍛治プロにお願いしたいのは、現国内最強の女流雀士の視点から見る候補者の選定なんです」

「う、うーん……」

 

 未だに最強扱いされちゃうのはどうかと思わなくもないけど……まぁ、雀士目線でということなら理解できないことも無い、か。

 それにしたってこういう感じの依頼なら適任者は他にもいるだろうと思うんだけどね。例えば日本代表の先鋒の人とかならノリノリでやってくれそうな気がするし。

 

 そんなことを漠然と考えていたのが顔に出ていたのだろうか?

 煮え切らない私を前に、二枚目のカードを切ってきた。

 

「まぁそれに加えて、実は今回の小鍛治さんへのオファー、瑞原さんたっての希望だったりするんですよ。一応三尋木プロや野依プロ、戒能プロあたりの名前も会議で出てはいたんですが、その中でなら小鍛治さんが良いと」

「……はやりちゃんが?」

 

 眉と眉の間に皺が寄るのを自覚しながらも、唐突に名前を出された張本人へと向き直る。

 視線が合うと同時に、いつもと何ら変わらない様子でふにゃりと笑みを溢す当事者がそこにはいた。

 

「えへへ、ちょっとワガママ言っちゃった☆」

「我侭って……あのね」

 

 ()()()と言ってしまえばそれまでなのかもしれない。

 メールのデコ絵まみれの件といい今回といい、そろそろもういい大人なんだからしっかりして欲しいと切に願う今日この頃……なんて。本来であれば躊躇無くそう思うところなんだけど。

 そんな呆れの彩が詰まった呟きとは裏腹に、付き合いの長い友人ならではというか。不自然すぎる状況から読み取れてしまう無色透明な情報というのもある。

 

 名前が出ていたと言うのなら、何故に普段から仲の良い良子ちゃんではなく、あえて不適格な私をその役目に指名するというのか?

 たぶんだけど、彼女なりの何かしらの思惑がその内に秘められていて、推薦者が私でなければならない相応の理由というのがあるのだろう。詳しいことは本人に聞いてみないことには分からないけど。

 ただ、一つ感じるのは……もしかすると、この企画に関してはキャストスタッフ一同揃って一枚岩という訳ではないのかもしれない、ということ。

 

「引き受けてもらえないかな?」

「うーん、企画に参加すること自体は別に構わないけど、この時期になっちゃうとスケジュールの調整とか難しいかも」

「はや~、健夜ちゃんもやっぱり年末忙しい?」

「まぁ普通にそうだね。麻雀関係のお仕事だけでも結構予定詰まっちゃってるし、向こうの取材も十二月には二校行く予定らしいから、結構ぱっつんぱっつんなはずだよ」

 

 現時点でさえ既にそうだけど、これから年末にかけてなんてそれはもう忙しくなることが確定しているような状況にある。

 月の半ばには白糸台へ取材に行くことになっているし、後半のリーグ戦は地方への遠征が続く。

 週二とはいえラジオの収録もあれば、細かい取材なんかも空いた時間に入れてあるという有様だ。

 だから、忙しい時期に突入して自由になる時間がどんどん減って行く中、できるだけ向こうの撮影のほうを優先させたいという気持ちが私の中に存在していて――。

 向こうの番組スタッフとはちょっとした意識のすれ違いで殴り倒してしまいたくなるような出来事もほんのちょっと……いや、けっこうあったかもしれないけど、それでも同じ苦労の中を共に歩んで来た仲間という意識が何だかんだ強いんだと思う。

 

 オファーがあるのは有難い話ではあるけれど、さりとてこの身体は一つしかない訳で……。

 タスクごとに優先順位を決めるというのであれば、それは既に着手している現在進行形のお仕事のほうを重視すべきだろう。

 まぁ、だからといって付き合いもそれなりに長いはやりちゃんをここで見捨てるというのも後味が悪いけど、抱えているものの内容が分からないのだから仕方が無い。

 そういった理由で依頼をお断りしようとしていた矢先。それまで事の成り行きを黙って見守っていた社長が、唐突に口を開いた。

 

「そのことなんだがね、小鍛治君」

「――はい?」

「向こうの番組プロデューサーとは私も話をしてスケジュールを調整してみるから、この話、少し前向きに考えてみてもらえないかい?」

「え?」

 

 社長が直々にこんなことを言うというのはとても珍しいことなので、ちょっと驚いてしまう。

 ただ、その視線に込められているであろう切実な思いを読み取ってしまい、すぐに事の次第を理解した。

 

 こういった細かいことで色々な勢力にパイプが出来るというのは決して悪い話ではない、という打算があるのだろう。元々が貧弱な資本のクラブだし、活かせるものは活かしたいと。

 自分で言うのもおかしな話ではあるけれど、私もいい加減いい大人なので、クラブ運営の裏側でそういったいわゆる()()()()()というモノが存在すること自体には、さほど文句があるわけでもない。

 でも本音で言えば、そういったドロドロした部分に直接関わりたくなんて無いわけで……。

 

 微妙に断り辛い雰囲気が周囲によって形成されていく中。

 そんなことをグルグルと考えているせいか、なかなか了承の返事を口にしない私に対し、だけどプロデューサーさんもまた元々即答するとは考えていなかったのだろう。

 テーブルの上に置かれていたクラブの折り畳みカレンダーに手を伸ばし、

 

「正式な返答のほうなんですが、そうですね……できれば遅くても今月末までにお願いできますか。小鍛治さんにも色々と調整するべきこともあるでしょうし、撮影の開始は十二月の半ばからになりますので」

 

 一番最後の日付の部分を何度か中指でノックする。

 今月いっぱいは考える猶予を与えてくれるということだろう。

 進むも退くも出来ずにいた私に、その配慮は正直とてもありがたく――。

 

「わ、分かりました」

 

 ――なので、淡々と進んでいったその話し合いで断るだけの材料を得られぬまま、私としては素直に頷くことしかできなかったのである。

 

 

 

 話を終えて席を立つ二人の来客者。

 プロデューサーさんは先に社長と出て行ってしまったので、残っていたはやりちゃんに話の最中ずっと気になっていたことを問いかける。

 

「あのさ、これってつまり、その……はやりちゃん近々牌のおねえさんを辞めちゃうってことなの?」

「う~ん……まぁ、企画がそのまま順調に行けば、そう遠くない未来にそーなっちゃう可能性は高いかも」

「そっかぁ」

 

 そう語るはやりちゃんの表情は、どことなく疲れているようにも見えた。

 

 

 ――後継者探し。

 それは確かに、何がしかの頂点に立ったことのある人物ならば誰もが何時かは考え始めなければならないことではあるのだろう。

 

 瑞原はやり。

 古今東西、老若男女、麻雀を志すものでその名を知らない人はたぶんいないだろうとまで称される、麻雀界きっての著名人。

 知名度という点においては私こと小鍛治健夜も引けを取らないものがあるとは思うけど、幅広い層からの人気という点で私は彼女に勝てるなんて微塵も思っていない。

 アイドル兼雀士ということで軽く見られがちな腕前のほうも、最高峰のデジタル雀士と相対してなお速度で勝り、直撃が売りのオカルト雀士と相対してなお回避しきるほどの堅守を誇る。

 まるで草原を駆け抜ける疾風のようなその打ち筋から付けられた二つ名は『Whirlwind(ワールウィンド)』。

 また一方で、アイドルとしての活動は小学生の頃から既に始まっていたという年季の入り様。その頃はさすがに地元島根での活動が主だったみたいだけど、当時からそこそこ人気は高かったらしい。

 そもそも彼女が何故そんな小さな頃からその道を志したのか――詳しいことを私は知らないけれど。

 つくばのクラブに入るまで、ただひたすら麻雀を打ち続けることしかしなかった私と比べると、よほど将来の麻雀界にとって大きな貢献をしてきているはずだった。

 

 そんな、これまでずっと頑張ってきた立場ではあるものの、最近はキャラと年齢が不釣合いになりつつあることもあってか、どちらかというと『痛い人』扱いされてしまうことのほうが多い彼女。

 それでも、だからといって自分の都合でその役目を中途半端に放り投げるようなことをするようなタイプでは絶対にない。

 直接知っている私だけではなくて、きっとこれまでの活動の中でファンになったであろう全員がそう言い切れてしまうことこそが、瑞原はやりという存在の凄い所なわけで。ということはつまり、この企画そのものが世代交代を図りたいマスコミ側の主導であるという推測が成り立つことになる。

 麻雀人気が最高潮に達しようとしている中、注目を浴びやすい今だからこそ若くて旬なアイドル候補を売り出したいという意向も当然あるだろうし、推測とはいえそれはほぼ間違いないだろう。

 

 功労者を切るタイミングというのは、どんな系統の集団においても難しい判断を迫られるものだ。

 私自身もそうだけど、人間である以上、はやりちゃんもまた迫り寄る年齢の波というものからは決して逃れられない。

 しかも、一雀士としてはそれも強みにできようけれど、ことこれがアイドル活動ということになると話は別だ。デメリットのほうが先行し易く、考えなければならないことも多くなる。

 ある程度、整った容姿や処女性からくる貞潔さで人を惹きつける職業である以上、一年経っていくごとに需要が伴わなくなってしまうのも致し方ないことであり……結果としてアイドルとしての地位が後輩に脅かされることになるとしても、それもまた避けようのない現実なのかもしれない。

 

「世代交代――か」

 

 何かに想いを馳せるよう、ポツリと呟かれたその言葉。

 漢字にすればたった四文字程度のそれに含まれていた幾重もの苦味と重みに、この時の私は気付きもしなかった。

 

 

 

 その日の夜。

 プロデューサーさんと一緒に東京へ戻るのかと思っていたはやりちゃんが、急遽ウチに泊まりたいと言い出した。

 実家暮らしでそこそこ肩身の狭い身分の私としては、友人を泊めるのはともかく、まさか晩御飯までお母さんに作らせるというわけには流石にいかない。

 ――ということで。

 私は基本あまり外食をしないので常連と言うほどではないけれど、こーこちゃんが遊びに来た時なんかによく連れて行く居酒屋さんへと二人でやって来た。

 積もり積もった話もあるけれど、まずは先に何か頼もうということで、飲み物には定番のとりあえずビールを二つ。あとは飲みながら摘めそうな一品料理を適当に注文して、ようやく一段落付くことが出来た。

 

「このお店、けっこういい雰囲気だねー」

「まぁね。店長さんが昔つくばの職員だったみたいで、色々と融通を利かせてくれるの。クラブで忘年会とか打ち上げする時とかは大体ここかな?」

「はや~、そうなんだ~」

 

 地元で顔や人となりが既に割れまくっている私はともかく、こーこちゃんはあれでもれっきとした在京キー局の新人アナウンサー。さすがに酔っ払ってハメを外しまくった姿を一般人に晒すのは忍びない。

 そういったプライベートの時には一般席とちょっと離れた個室を使わせてくれるから、けっこう重宝していたりするのである。

 あと値段もわりとリーズナブルだしね。

 

 そんな感じでお店のことを話していると、店員さんがビールを持ってやってくる。

 一つは私の前に置かれ。

 そして差し出されたもう一つのグラスをはやりちゃんが笑顔で受け取った――直後の出来事だった。

 

「かんぱーい☆」

 

 そのまま一人で乾杯の音頭を取ったかと思えば、結構な勢いでぐいぐいと飲み進めて行くはやりちゃん。

 止める暇も有らばこそ、といった感じでそのまま一気に飲み干してしまった。

 私とその場に残されたアルバイトの女の子は、もはや唖然とするしかない。

 

「ちょっ、はやりちゃんちょっとペース速くない?」

「んー、今日はとことん飲むって決めて来たからね☆ 店員さーん、ビールお代わり☆」

 

 いつもと同じはずなのに、どことなく背後に圧力を感じる笑顔を見せる。

 店員の女の子は逃げるように個室から消え去り、残されたのはアラサー女子会中の二人だけという有様になってしまった。

 

 うーん……お酒には弱いほうだし、知ってる限りだと前はこんな豪快な飲み方するような子じゃなかったはずなんだけどなぁ。

 やっぱり夕方の話の影響で何がしか鬱憤が溜まっていたりするんだろうか?

 正直な話、そういう物騒な黒はやりん★モードの時は親友の良子ちゃん辺りにでも対処をお任せして、ちょっと距離を置いておきたい所なんだけど……。

 頼れる人は此処に在らず。

 空になったグラス片手にぐいぐいと突っ走って行くアイドルの男前に過ぎる姿を、真正面という特等席で眺め続けるしかない私という実にもの悲しげな景色がそこにはあった。

 

 

「――それでね、健夜ちゃんにちょっと聞きたいことがあったんだ☆」

 

 空いたグラスの代わりに二杯目が手元に届き、お酒の当ても揃い始めた頃になって、ようやくいつも通りのはやりちゃんが顔を出す。

 いつも通りなんて言いながら、既に頬が赤く染まっているのは気にしない方向で。

 というかこのペースで本当に大丈夫かな?

 

「んー……なに、聞きたいことって?」

「弟子になったっていう須賀京太郎くんだったっけ? 例の彼のこと☆」

 

 うっ……なんとなく方向性がそっちの話になりそうな予感はしていたけど、まさか初っ端にぶっこんで来るとは正直思ってもみなかった。

 恐るべきアルコールパワーとでもいうか……いや、今日の彼女のテンションは最初っからどこか暴走気味な気がするから、下手をすると素面でも変わらなかった可能性もあるか。

 これはもはや下手に逆らうと危険な感じがするので、素直に頷く私。

 

「まぁ、答えられることになら答えるけど……」

「はやっ、さすが健夜ちゃん。よっ、太っ腹☆」

「ビール飲んでる時に太っ腹はやめて!」

 

 じゃあ別の時なら良いのかと言われると、そういう訳でもないんだけどさ。

 ケタケタと笑う酔っ払いには既に突っ込み所すら把握できていないようで、完全にスルーされてしまう。

 ああダメだ。こうなってしまうともう理屈も道理も通用しない。

 どんな質問が来てもいいようにと、気を落ち着けるためグラスに口を付けた――まさにその瞬間。

 

「彼って、健夜ちゃんのいわゆる若いツバメ君ってヤツなの?」

「――ブッ!?」

 

 想定外の質問が真正面から剛速球で飛んできたので、含んだ分だけ華麗に噴き出してしまった。

 若いツバメって表現、今時こーこちゃんくらいしかしないと思ってたのに……って、そうじゃなくて!

 

「ちっ、違うから! 弟子、ちゃんとした弟子だからっ!」

「――? 何処が違うの?」

「え? えーと、それは――って、もはや何から何まで全然違うよ! ちょっとそこの酔っ払い、少しでいいから正気に戻って!」

「はや? 大丈夫、はやりは正気だよっ☆」

「その笑顔がもう全っ然正気に見えないんだってば!?」

「う~、そんなことないと思うけどなぁ?」

「あるんだって……はぁ。あのね、京太郎君はまだ十五歳なんだよ? 仮に囲って愛人にするにしてもそれじゃちょっと若すぎるでしょ……」

「そっかぁ……じゃあ、健夜ちゃんはまだ結婚したりしないの?」

「うん、まぁ。そういう予定は今のところ全然ないけど……」

 

 世間一般で言うところの結婚適齢期的には若干の遅れが生じている気がしないでもないけれど、無いものは無いんだからしょうがない。

 お母さんが近所のおばちゃん連合の人たちとグルになってお見合いか何かを企んでいる節はあるものの、幸いと言うべきか、今のところ具体的な形になっているわけでもないし……。

 

「でもなんで急にそんなこと言い出したの?

 ……って、もしかしてまたこーこちゃんに何かよからぬ妄想でも吹き込まれたとか?」

「ううん、そんなことないよ。でも……健夜ちゃんにまで、って思うとさすがに焦っちゃうっていうかね……」

 

 俯き気味だった表情から、スゥ――っと色が消える。

 うん? ()()()()、ってどういうこと……?

 一体何が起こっているのか……逃げ出すわけにも行かないので、恐る恐る尋ねてみた。

 

「な、何かあったの……?」

「……地元の友達から、結婚式の招待状が届いた。それも二通」

 

 あっ……。

 それは辛い。とても辛い。

 当の本人たちは示し合わせているわけではないんだろうけど、経済的な面と精神的な面という点においても見事なまでのダブルパンチである。

 そりゃ飲まなきゃやってられないわけだわ。うん、その気持ちはよく分かる。分かってしまう自分がとても悲しいけれど。

 想像以上にヘビーな展開に、思わず残っていたビールを一気飲みしてしまった。

 

「よし、飲もう! 今日はとことん付き合うから! 店員さーん、焼酎ロックで」

「――っさすが健夜ちゃん! それじゃ私も同じので☆」

 

 

 という感じで盛大に酒盛りが始まったのはいいけれど。

 案の定というか、さほど時間もかからずに酔い潰れてしまった牌のおねえさん。

 例の番組の新コーナーについて何も語らなかったことから考えても、たぶん結局本当の悩みは打ち明けることなくそのまま眠りに就いてしまったということなんだろう。

 酒の席での話だし、愚痴りたいなら思い切り愚痴ればいいのにと思わなくもない。

 だけどそれさえもお酒と一緒に飲み込んでしまう不器用な性格なのは、ちょっと私と似ているのかもしれないとも感じるわけで。

 もしかすると、私が頼りないから寄りかかられる程の弱みを見せてもらえなかった、というちょっと切なくなる類の話なのかもしれないけど……。

 

 ……まぁ、でもそれも然りか。

 十年前――準決勝で相まみえた頃からの付き合いとはいえ、ここ数年はお互いにお互いの立場があるからこそ、近くもなければ遠くもないといった微妙な距離感を行ったり来たり。

 私は日本代表の常連として、彼女はアイドル活動を重視して。

 良子ちゃんのように特にウマが合うというわけでもなく、かといって趣味が合うわけでもない。

 生まれた場所も目指したモノもその生活様相もまるで異なる。

 かろうじで似ているといえるのは年齢くらいのものであって――それでもきっと『麻雀』という要素が介在していなければ、一生こうして向かい合うことは無かったであろう、そんな二人。

 

 だけどその『麻雀』という要素を抜きにすれば、様々な分野において、はやりちゃん自身を含めた他の人たちに比べると私のほうが劣ってしまうというのは皮肉なことだろう。

 頭脳明晰で意外としっかりしている彼女からすれば、麻雀界隈の世界しか知らず、どこか言動が世間知らずで幼く映ってしまうらしい私はきっと、それはもう頼りない子供のように見えてしまうに違いない。

 どちら寄りの立ち位置かと言われたら、頼られるというよりは頼る側。れっきとした大人の女性としては情けないことだけど、それがあの集団の中での私というものでもある。

 というか、これまでは別にそれでも良かったはずなのだ。

 無理に他人の抱える厄介事に首を突っ込んで苦労するくらいなら、日和見と言われてもいいから傍観者を決め込みたいタイプの私としては、それはむしろ願っても無いことで……。

 

 改めて記憶を辿ってみると、誰かに頼られるのも悪くないと考えるようになったのは、きっとここ最近のことなんだろうと思う。

 恵比寿時代、日本代表として世界と戦ってきた私としては、信頼や期待を込めた視線を受けたことはそれこそ頻繁にあった。

 だけどそれは求められる結果ありきの()()()()()()()()に対して向けられるものであって、素の私自身としてはどこかピンと来なかったというのが正直な感想でもあったのだ。

 

 それが――あの番組で各地を回るようになってから、少しだけ変わった。

 雀荘でのアルバイト、ボウリング大会、皆で集まってのお泊り会。

 あまり人付き合いが良いとはいえない私が、様々な場所で若い子たちと色々なことをやっていく中で、麻雀以外のことで頼られるという場面がちょっとずつだけど増えてきた。

 やっぱり、なんだかんだ嬉しかったんだろうと冷静に振り返ればそう思える。

 

 そんな風に、自分自身、少しは成長したんじゃないかと思うところではある反面――それが同年代の友人相手となるとまた勝手が違ってくるものだ。

 お互いに自分の得意分野に対する自尊心というのもあるし、立場上そこに踏み入られたくないという思いも少なからずあるだろう。

 そこにズケズケと突っ込んでいけるほど図太い神経を持っているわけでもなく、かといって黙っている人の態度から事情をすぐさま察してあげられるほど鋭くもない私。

 時にはちょっと無神経なくらいのほうが相手を助ける役に立てるって話を聞いたことがあるけど、こんな状況に陥った今となっては本当にそうなんだろうなと実感してしまう。

 今の私には、彼女の抱えている心の秘匿部分に土足で立ち入るような真似は出来そうにないのだから。

 

「……ふぅ」

 

 グラスに残っていたお酒を飲み干して、一息つく。

 ちょっとしたことですぐ変な方向に深く考え入ってしまうのは悪い癖だぞ――ってこーこちゃんにも言われたことがあったっけ。

 特にお酒が入っちゃうといつもこんな感じみたいだし、気をつけたほうがいいかもしれない。

 ネガティブな方向へスイッチが切り替わって深みに嵌ってしまう前に、思考を元に戻すためにと店員さんを呼ぶ。

 

「すみません。温かいお茶とおしぼりか何かを持ってきてもらえますか? あ、二つずつお願いします」

 

 

 

 ちょっと可哀相ではあるけれど、完全に寝入ってしまう前に起こして家に連れて帰るべきだろう。

 既にお母さんには電話して布団を用意してもらう手筈になっているし、お店の人に言ってタクシーも呼んでもらってある。

 帰宅さえすればそのまま即夢の中へダイブしようが特に問題はないはずだ。

 ま、そうなったらそうなったでスキンケア的なものは諦めてもらうしかないけど……それは自業自得ということで、事後の抗議は受け付けない方向で行こうと思う。

 そんなことを考えながら揺り起こすために肩に手を伸ばしたところで、ふと動きが止まってしまった。

 

 客前で笑顔を絶やさないことがアイドルとしての嗜みだと言うのであれば――今この時だけは、素のまま在りのままの瑞原はやりでいられる数少ない貴重な瞬間なのかもしれない、と。

 私も彼女も、この十年間で抱え込んできたものが、あの頃とは比べ物にならない程たくさんたくさん増えてしまっているだろうに。

 テーブルに突っ伏してしまった状態の横顔を覗き込んでみれば、あの頃のあどけなさが今でも十分すぎるほど見て取れてしまう。

 ……同時に、うっすらと目尻の端に滲んで光る涙の存在も。

 

「……」

 

 もう少し――せめてお店の前にタクシーが到着するまでの間くらい、寝かせておいてあげたほうがいいのかもしれない。

 そう思って、寄せていた身を少しだけ離れた場所へ移動したのとほぼ同時だったろうか。

 

「……真深、さん……」

 

 グラスの中でカタリと傾いた氷の向こう側。寝言で呟いた彼女の声が消えて行くと同時に、頭を飾っている二つのヘアピンが天井のライトを受けてきらりと光る。

 それは、普段から常に装着している、アイドル雀士『瑞原はやり』としてのトレードマークの一つ。

 それが何故か、なんとなく、呟かれた言葉に対して返事を返そうとしているかのように見えた気がした。




連続で番外編更新となりました。
白糸台編は予定よりも話数が増えそうなので調整&思案中につきちょっとだけお待ち頂ければと思います。

次回、『第10話:天命@これがカノジョの活きる道(仮)』。ご期待ください


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特別編:すこやかこぼれ話
第XX話:生誕@健やかなる夜に祝福を


[???]

 

- PM4:00 -

 

 とっておきの香水を化粧箱の中から取り出すのはいつぶりくらいになるだろう?

 そんなことを考えながら、爽やかな甘みを伴う柑橘系の香りを首筋や手首に纏っていく。

 あまりきつい香りにしてしまうと相手も困ってしまうだろうし、食事の時に鼻に付くのは困るから、基本私はそこまで大量に香水を振りかけたりはしないんだけど。

 

 ――今日はトクベツな日。

 

 そんな意識がついいつもよりもより強く気合を入れて、お化粧から服装の選別から何から入念な準備に取り掛かる原因となっているのは間違いない。

 一番のお気に入りでもある若草色のフレアーチュニックワンピの上から薄手のカーディガンを羽織り、年齢からするとちょっと甘めのイメージで。首には薄桃色のストールを巻いて、野暮ったくならない程度に防寒もバッチリこなしつつ。

 ちらりと壁掛け時計の針の位置を確認すると、もう家を出なければ約束の時間に間に合わないかもしれない所まで迫っていた。

 

「――っと。お財布もあるし、携帯も持ったし、あとは――あっ、チケット!」

 

 机の上に丁寧に畳んで置いてあった封筒に手を伸ばし、中身を確認。うん、確かに間違いない。

 中身の確認をしてからバッグに押し込んで、鏡台の上に出しっぱなしにしてあった桜色のリップを引っ手繰るようにポケットに入れて部屋を飛び出す。

 今日だけは、何が何でも遅れるわけにはいかない。

 そんな決意を持って臨むことになった本日最大のイベントは、ここ数年に及ぶ惨めな独身女の一日(いちじつ)を振り返る余裕すら奪い去ってしまうほど希望に満ち溢れたものだった。

 

 

 

 眼下に夜景を望む展望レストランの一角にて。

 私は一人、煌びやかな夜の町並みを眺めながら優雅な食事を摂っていた。

 ――ああ、実際にはまだ食前のワインを少し喉の奥に流し込んだ程度のことではあるんだけれども。

 ちらちらと視線をお店の入り口のほうへと飛ばしてみるものの、そこには望んだ人の姿はまだ見えない。まだかな――と考えては頭を振って、考え直す。

 この程度の待ち時間、どっしりと構えていられないで何が淑女かと。

 

 私のほうが年上ということもあるのだから、常に余裕は見せておきたい。

 もう一口ワインを流し込む。鼻腔を擽るようにして甘さと渋さが仄かに香ると同時に、不意にグラスに歪んだ待ち人の姿が浮かび上がった。

 その人物は入り口の店員さんに小さく手をかざして案内を断ると、まっすぐとこちらに向かってやってきた。

 口の端が歪んでしまうのを堪えつつ、唇に残ったワインの残滓を身近なテーブルナプキンで掬い取る。

 

「すみません、遅れてしまいました」

「少しだけだよ。当日の急な呼び出しなんだから、仕方が無いことだよね」

「それでもこんな特別な日に主役の女性を待たせるのは男としては失格ですから。どうかお許しいただけますか、姫?」

「……クスクス。いいけど、それはちょっと似合わないかな」

 

 恭しく首を垂れる彼に、小さな笑みで答えを返す。

 普段着慣れないであろうピシッとしたスーツ姿に少しだけ見惚れながら、席に座るように促した。

 

 未成年の彼にワインを飲ませるわけにはいかないので、代わりにノンアルコールのスパークリングジュースを注文しておいたのが正解だった。

 私にとってはちょうど良い、けれども大きな手の彼にしてみれば少し小さく見えてしまうシャンパングラスに注ぎ込まれていく液体を見つめていると、ふと彼――京太郎君と視線が合った。

 

「どうかした?」

「やっぱり大人の女性――なんですよね。普段近くにいるように感じるぶん、すごく新鮮というか……」

「ちょっとは見直してくれたってことかな?」

 

 注いでくれた男性給仕(ギャルソン)にお礼をして、小さく笑みを湛えながら並々と注がれたグラスを手繰り寄せる。

 

「――じゃ、まずは」

「――乾杯」

 

 チン、とグラスが音を立てる。

 コース仕立てになっている料理は、野菜がふんだんに使われているオードブルからはじまって、白身魚のカルパッチョ、カボチャのスープ、魚料理、口直しのシャーベット、メインの肉料理と続く。しばらくはお互いの近況を話しながら美味しい料理を堪能し、とても楽しい時間を過ごす事が出来た。

 最後のデザートが運ばれてきた頃、京太郎君が表情を引き締めたのが見て取れて。

 ドキリと胸の鼓動が高鳴るけれど、それを表情に出したりはしない。

 ゆっくりと懐に忍ばせた右手が、握られた何かを伴って緩やかな灯りの元へと晒される。

 

「誕生日プレゼントです。本当は郵送しようかと思ってたんですけど――少しトラブルがあって。でも不幸中の幸いっていうか、手元に残っていて良かったです。こうして直に手渡せましたから」

 

 テーブルの上で交差する二人の右手。差し出されたそれを受け取って、手のひらの中に抱え込む。

 

「ありがとう。開けてもいいかな?」

「どうぞ」

 

 送り主の許可を得てリボンを解く。包装紙を丁寧に剥がし、中から出てきた小箱を開ける。そこには、星を模った台座の中央で煌びやかに輝く淡い薄桃色の宝石が誇らしげに鎮座していた。

 

「これ――」

「クンツァイトっていう宝石らしいです。店で見たとき、健夜さんに似合いそうだなと思って」

「付けてみて良い?」

「もちろん。そのために贈ったものですから」

「ありがとう、京太郎君。えっと、あのね、これはどの指に填めれば良いのかな……?」

「そ、そうっすね。できれば、薬指にでも……」

「――っ、そ、そっか。うん、分かった」

 

 皆よく知っているだろうと思うけど、指輪は填める指によって意味が異なってくるといわれている。

 最もシンプルで有名なのが婚約指輪と結婚指輪。これらは決まって、左手の薬指に填める事が習慣として決められているという。

 京太郎君は薬指にでもと言っただけで「左手の」とは言わなかった。

 

 もしかすると彼は――私を試しているのかもしれない。ここで右に填めるか左に填めるかによって、私が京太郎君のことをどう想っているのかを知る事が出来るから……彼は本当にそれを知りたいと、そう思ってくれているのかな。

 ドキドキと胸の鼓動が高鳴る中で、私はその指輪を右手で摘む。その時点で、ごくりと息を呑む音が聞こえてきた。

 左手に填めるためには、まず右手で掴む必要がある。故に私が取った初動が既に、抱えている気持ちのすべてを表現してしまっているということに遅ればせながらに気付いてしまう。

 一気に頬の温度が上昇し、真っ赤になっていくのが自分でも分かった。

 

 そのまま微動だにできなくなった私。

 そんな様子を見て、京太郎君は意を決したかのように手の中から指輪を抜き取ると、まるで壊れ物を扱うような柔らかい手つきで私の左手を引き寄せる。

 

「あっ……」

「こっち、でいいんですよね?」

「――」

 

 こくりと頷いて、俯いた。

 それはあたかもシンデレラに与えられたガラスの靴であるかの如く。まるでサイズを予め知っていたかのようにして、ぴったりと薬指に嵌まりこむ薄桃色の輝き。

 それがあまりにも眩しすぎて……思わずだらしない笑みが零れてしまいそうになるのを必死で堪えながら、精一杯の笑顔を浮かべて私は言った。

 

「……どう、かな」

「はい。とてもよく似合ってます」

「ありがとう。大切にするね」

 

 雀士というのは主に指を使う職業だから、牌に傷をつけないためにも本来であれば指輪というのはあまり好んでつけたりはしないもの。結婚指輪のようにシンプルで引っかかるような装飾が付いていないのは別だけど、お洒落アイテムでデザイン重視のものは対局時に外すよう求められることも少なくない。

 でも、これは普段から填めていても厭味にならないくらい清楚な色とデザインで、とても可愛らしい。何よりこれを贈ってくれた彼の心が嬉しすぎて、この指輪を外すなんて選択肢はもう容易に選べそうもなかった。

 プロとしてのケジメもあるかもしれないけど、それ以上に私は女だったということか。

 注意されたらされた時のこと。いまはただこの幸せな気持ちを堪能して、後のことはその時に考えよう。

 

 

 まるで夢のような時間。しかし、ディナータイムは永遠には続かない。

 二人してデザートを食べ終わってしまった今、これ以上ここに留まっている理由はもはやない。話を続けるにしても、場所を変える必要があるだろう。

 彼が勇気を振り絞って渡してくれたというのなら、今度は私の番。

 決意を固めた拳を握り締め、ルームキーをテーブルの上に置く。

 

「あ、あのね。実は、お部屋の宿泊も……できちゃうんだけど……。一緒に……ど、どうかな?」

「俺のほうこそ聞きたいです。本当に、俺でいいんですか?」

「……私は、京太郎君じゃないと……イヤ、だから」

 

 それだけ搾り出すのが精一杯で。俯いた顔も頬が熱を持っているせいか、とても熱かった。

 

 

 

- PM11:00 -

 

 窓の外に広がる夜景を二人並んで見つめながら、どれくらいの時間が経過しただろうか?

 語る言葉は少なくても、伝わる思いはとめどなく。

 不意に、肩に回された彼の長い腕が少しだけ力を込めて私の身体を引き寄せる。

 

「改めて言わせてください。誕生日、おめでとうございます。健夜さん」

「あっ、ありがとう……京太郎、くん」

 

 じっと見つめ返される視線。ここには真実、私と彼と、その二人しか存在していなくて。

 ふわり――と身体が宙に浮いたかと思えば、近くには彼の胸板が。所謂お姫様抱っこというものだとすぐに気が付いて、おずおずと両腕を彼の首筋に巻きつけた。

 宙を浮かぶような感覚で、少しずつ視界がその場所へと近づいていく。

 一歩、また一歩と近づいていく。

 全体が綿毛に包まれるかのように、ゆっくりとベッドの中央へと沈む私の身体。

 目の前には真剣な表情をした弟子の――ううん、一人の男の人としての、京太郎君の顔がある。

 

「あ、あのね。私、こういうのは……その……は、はじめてのことで……」

「大丈夫、むしろ嬉しいっす。健夜さんの初めてを俺が――」

「あっ、京太郎く――」

 

 ――――――――――――

 ――――――――

 ――――

 ――

 

 ――バンッ!

 

 どことなくふわふわとした、夢のようなまどろみに落ちかけていた時、部屋の扉が豪快に開いた。

 

「ちょっと待ったすこやん! 東京でやっちゃうと条例違反だってあれほどいったでしょ――!」

「こっ、こーこちゃん!? な、なななななななんでここに!?」

 

 

『スクープ! 小鍛治健夜プロ(28)に熱愛発覚!? 誕生日のお泊りデート!!』

 

 目の前に突きつけられる新聞の一面。

 なんでも私と若い男が連れ立ってホテルの一室に入って行く姿をたまたま別件でそこを訪れていた記者が目撃し、スクープとして掲載したらしい。

 ハッ! と飛び起き――たつもりではあったものの、そこでふと大いなる矛盾に気が付いた。

 ていうかついさっきのことなのにいつの間に記事にして売り出したの?

 それよりこーこちゃんはどうして私と京太郎君がこの部屋に泊まっていることを知ってるの?

 いやいやちょっと待て。そもそもどうして私は長野で高校に通っているはずの京太郎君と、平日にこんな場所で優雅にディナーなんて味わっていた!?

 

 あれ、なんか状況が全体的におかしくない? てことは、もしかしてこれって――。

 

 

「――ッ!」

 

 ……あれ?

 キョロキョロと周囲を見回してみると、そこはよく見慣れたJR常磐線の車内だった。ついでにいうと、目の前には車掌さんらしき人物がいる。

 

「……?」

「お客様、終点の上野駅に到着いたしましたよ」

「上野、駅……?」

 

 ホームについてだいぶ経っていたのか、車掌さんと私以外には誰もいない車両の中で。

 椅子にもたれ掛かったまま、呆然と事態を反芻する私。

 アレが全部夢の中の出来事だったとようやく気が付いたのは、それからたっぷり五分ほど経過した後のことだった。

 

 

 

 

[現実]

 

- AM8:00 -

 

 子供の時にはただ単純に嬉しかったことなんかでも、大人になると憂鬱にならざるを得ないことがある。

 小学生の頃は大喜びで追い掛け回していた昆虫なんかを大人になって見てみたら、予想以上にグロテスクな構造で思わず引いてしまったり。

 あるいは大きな容器に入ったアイスや水飴なんかを思う存分食べてみたいという願望を大人になって実行した時に感じる「あの時の夢ってこの程度か」という失望感にも似た感覚。誰もが一度は味わった事があるものだと思うけれど。

 

 今回の()()は、それらとはベクトルが違うものの……似たような環境にある女性はおそらく皆一様に感じている虚しさというか、焦りというか。そういったものを共感してもらえるのではないかと思うわけ。

 できればしれっと回避したいという願望、でも私が人である以上は避けようとしても避けられない現実との板ばさみ。まさにその人一人分の隙間がようやく開いているかどうかといった感じの隙間に挟まれた状態で、今朝方の目覚めは訪れた。

 

 ……はぁ。

 目覚めと共に深いため息を付くいまの私は、おそらく幸せからはほど遠い存在であるといえるだろう。

 ちらりと目覚まし時計を見てみると、デジタルの数字の隣に小さく刻まれた『11月7日(MON)』の文字。

 ああ、また今年もこの日がやってきてしまったか……。

 もやもやとした感情が渦巻いている心内を無理やり晴れ渡らせるようにして、ベッドから身を起こし、伸びをする。

 

「ん~……っ!」

 

 ふと、ベッドの枕元に置かれっぱなしになっていた一冊の小説のタイトルが視界に映った。

 ――特別でないただの一日。

 あの物語に登場していた二人の女の子たちのように、私にとっても今日という日がただの一日になってくれることを祈らんばかりだと思いつつ、お母さんの作ってくれた朝ごはんを食べるために部屋を後にした。

 

 

 月曜日。それは悪魔の誘いであるかの如く――というのは若干大げさに過ぎるけど。

 週休二日制が主流になってからこっち、特に月曜日に対する世間様の風当たりは強い。金曜日のそれと比べると目も当てられないくらいに。事実、私も小瀬川さん程ではないにしろ、月曜日の朝の出勤は正直とてもダルかった。

 それでも今日は朝からクラブハウスに行かなければならない理由もあって、憂鬱な気分を引きずっていながらも朝も早くからきちんとこうして出勤してきているんだけど。

 

 特にイレギュラーが発生しない場合、月曜日のスケジュールはだいたいこんな感じかな。

 午前九時を回る頃に選手スタッフコーチ陣のほぼ全員が揃って、定例のミーティング。だいたい週内の練習スケジュールの調整だったり、次の対戦相手の情報を交換をする場だったりするんだけど、社長のムダに長い社訓という名の自分語りだけはどうにかして早々に打ち切りたいというのがその場に集う全員の共通した認識である。

 午後は練習という名の後輩指導――だけど、私個人が実際に卓に付くことはあんまりない。コーチ陣曰く「小鍛治さんにこいつらと同じレベルの練習とか必要あんの?」だそうで。むしろ指導役に借り出されることのほうが多い。選手分のお給料しか貰ってないはずなのに、この辺は普通に理不尽だよね。

 

 まぁ、その代わりといっては何だけど、私はよほど他にやることがないという状況でもない限り、月・火曜日の練習に顔を出すことは強制されていない。といっても完全なオフというわけではなくて、やるべきことは色々とあったりするけれど。お昼過ぎから練習に合流することもあれば、雑誌の取材を受けたりラジオの収録を行うために都内へ行くこともあるし、お仕事に応じて自由行動が許可されているといったところかな。

 

 

 ――で、本日の小鍛治健夜さんのご予定はというと。

 まず、来季のチーム編成における補強に関する最終的な打ち合わせ――という名前の雑談というか、聞き取り調査が待っている。

 このまま一部リーグに昇格したとして、きちんと運営が出来るかどうかなんてことは正直なところ私にはさっぱり分からない部分だ。そういうところは専門職の事務員さんたちにお任せしておいて、私が主に担当する部分は来季のチーム分けに関するアドバイスというか、意見を述べること。

 

 現状のレギュレーションに則ると、試合は一週間に二度行われる。と言っても二日に分けるのではなくて、朝十時~昼過ぎまでの半荘戦×五戦、三十分の休憩を挟んでそこからまた半荘戦×五戦を行うという風に、一日に二ゲーム行われるのが今の主流となっている。

 この形式が来季も採用されることはほぼ確実で、そうなると一つのレギュラーチームだけで回していてはどうしても疲労の蓄積具合がハンパないことになってしまう。

 

 今は午前と午後で二人メンバーを入れ替えて何とか回している状態だけど、わりとプレッシャーが緩々な二部リーグでならばともかくとしても、精鋭が集う一部リーグでそれをやると連続で戦う選手に大きな負荷がかかってしまうことになるのは確実だ。

 そこで、一部の常連クラスに名を連ねる各クラブなんかは、だいたい常に動かせるよう三チームくらい持っていて、トップチームを固定しつつ以下のサブチームを疲労具合によってローテーションで使う、という形式を採用している所が多い。

 

 まぁ、トッププロと称される人たちは連続で試合に出続けるなんてことも普通にこなすものなんだけど……それは逆に言えば、疲労を抱えた状態でも万全な状態のサブ選手よりもチームにとってより高い効果を発揮できるという確固たる信頼を勝ち得ている選手、つまりはエースと呼ばれる者たちにだけ許されている特権ともいえる。

 今つくばの若い子達にそれを望むのは少々酷というものだ。将来的には別としても、実際にその重圧を受けたことのない未知数の状態で一期丸々対策も講じずにポジションを任せ続けるなんてチャレンジャーなことはさすがにできないし、保たないのは試すまでも無く分かりきっていることだった。

 

 まずは一部に残留すること――うちのような昇格クラブにとってはささやかながらもそれが間違いなく第一目標となるのだから。

 

 

 ま、そんな感じで来季はつくばも内部にチームを二つ、ないしは三つほど抱えてシーズンを戦おうという流れになっているらしく、予想される激しい戦いに耐えうる人材を広く集っているのが現状である。

 週明けに行うチームミーティングを終えて、先日持ち込んだ案件の最終打ち合わせをする時間がやって来た。

 

「……私もインターハイの試合は見ていました。だけど小鍛治プロ、この選手はつくばのチーム方針に合いますかね?」

 

 メガネをかけたいかにも仕事が出来ます的な雰囲気を醸し出している妙齢のこの女性、クラブお抱えスカウトの三木さん(元プロ雀士)というんだけど。

 彼女が言うところのチーム方針というのは、所謂『地元との繋がりを大切に』というものだ。子供たちへの麻雀教室もその一環。ただし、選手もできるだけ茨城に所縁のある人を取りたがる部分があって、少しだけ融通が利きづらい部分でもある。

 もっとも、ここ数年は地元から有力なスター候補選手が出てこないため、外部から招き入れざるを得ない状態が続いてはいるんだけどね。

 

「地元密着型を目指すのも大切ですけど、肝心の人材が地元から出てこないことにはどうしようもありませんから……ただ、彼女の将来性は私が保証しますし、我が極端に強いタイプでもないので方針から外れてスタンドプレーに走るようなこともしないと思います」

「ふむ……問題は競合先がありそうなところですか。まぁ、他に宛もないような状況で小鍛治プロ直々の案件を袖にする理由もありませんけど」

 

 ほっとため息を漏らす私。元から許可を取っていたにも拘らず、こうしてチクチクやってくるのがこの人の悪いところだと思う。

 まぁ、名の知れた私が表立って派手に青田刈りのような行為をしないようにと釘を刺しているんだろうから、それが分かっている以上もちろん口答えはしないけど。

 

「将来性がある、実に結構な話じゃないか。でも小鍛治君、育ってから強豪チームに引き抜かれてゼロ円移籍でハイさよならっていうのはクラブとしても非常に困る。その辺はどうなんだね?」

「それは、まぁ……」

 

 ない、とは言えない部分も確かにある。

 いくら人が良さそうで情に篤い人間であっても、将来的にずっとそのまま変質しないでいてくれるとは誰も保障なんて出来ないのだから。

 今は彼女にとってプロの舞台というのは憧れそのものであって、煌びやかなステージに見えているのかもしれないけれど。実際に自分の足でそこに立つ事が増えて来た時、彼女がその胸の内にどんな彩の感情を抱くのかは未知数だ。

 もしかすると私のようにそこに灰色で無機質なモノを見てしまって舞台から去って行くかも知れないし、虹のような輝きを見つけ、より豪華なステージに上り詰めたいという野心――いや、あえて向上心と評しようか。を抱いて別のクラブへの移籍を希望することもあるかもしれない。

 

 でも、それは仕方が無いことなのだと割り切るしかないのである。

 私は彼女を再び窮屈な茨の檻に閉じ込めるがためにここに呼びたいわけじゃない。彼女の才能が大きな黒翼となって大空へと羽ばたくことができるなら、それを繋ぎ止める理由こそが私にはないのだから。

 もちろんそれがクラブを応援してくれているファンの人たちの信頼をも裏切る行為になってしまう可能性はどうしても捨てきれないことだけれども。

 

「大きな獲物を逃がさないですむように――将来的に、つくばが魅力のあるクラブになっていれば問題は無いんじゃありませんか?」

「……それはその通りだがね。難しいことを簡単に言ってくれるなぁ」

「そうですね。でも、私はあの子は義理堅いと思いますよ。もちろんそれに胡坐をかいていいわけではないとも思いますけど、最後はやっぱり誠意と誠意じゃないですか。少なくとも、あの子が最初からここを踏み台にするつもりがあるような野心家じゃないということだけは、小鍛治健夜の名前と一緒に保障しておきます」

「そうか。実際に背負う必要も無かった義理を果たしてこのクラブを救ってくれた他ならぬ君の言葉だ。私がそれを信じないというのはさすがに恥知らずに過ぎるだろう……分かった。三木くん」

「――はい」

「女子一位指名は姉帯豊音でいく。条件面は上限一杯、きちんと詰めて先方にはできるだけ早く連絡を入れておいてくれ」

「了解しました」

 

 

 想定通りの言葉をきちんと引き出せたこともあって、肩の力を抜いてソファにもたれかかる。

 一礼して会議室を出て行った三木さんの後姿を眺めながら、ふと。社長が懐から丁寧に装飾が施された何かを取り出したのを見て、何度か瞬きをしてしまう。

 にっこりと笑いながら、それは私の目の前のテーブルに置かれた。

 

「あの、社長?」

「誕生日プレゼント、というやつだ。君はあまり喜ばないかもしれないが、私からの個人的かつささやかなお礼だと思って受け取ってくれないかね」

「い、いえ。ありがとうございます」

 

 正直、この歳になって家族以外の誰かから祝福の言葉を貰えるなんて思ってもいなかったから普通にビックリしてしまった。しかもプレゼント付きである。

 手のひらに乗るくらいのサイズで、きちんと包装されてリボンまで掛けられている四角状の物体。

 こういう場合って、すぐに開けてしまうのはマナー違反だよね? それとも開けずに仕舞ってしまうほうが失礼なのかな……ど、どうしたらいいんだろう?

 

 まさかの事態に思考は定まらず、受け取ったまましばらく呆然としてしまう。そんな困惑気味な私の様子を見てか、社長は苦笑しつつもう一つ何かをテーブルの上に置いた。

 封筒のようにも見えるそれは、皺一つ無い状態で目の前に置いてある。これは、もしやこれもプレゼントということだろうか?

 

「うむ、なかなか面白い反応を見せてくれたからもう一ついいものを君に渡しておこう。東京の某高級ホテルペア宿泊券、ディナー付きだ」

「――!? ホテルのペア宿泊券!?」

「ディナー付きだ」

 

 いやそこを念押ししなくてもちゃんと聞こえてますから!

 ええと、ペア宿泊券ってことは当然二人で泊まる事が前提になっているということだから、つまり……。

 

「小鍛治君もそろそろ良い歳だし、どこかにホテルに連れ込みたいような好い男はいないのかね? ん? ああ、でもゴシップ的なスキャンダルは困るがね」

「つ、連れ……っ!?」

「――社長、それは普通にセクハラですよ」

 

 私がまともに対応できていないのを見かねてか、扉の向こうから三木さんが現れる。

 お盆を右手に乗せた状態で持ちながらも、いくつかの書類を左手に持っているところをみるに、もう先ほどの案件を処理してきたのだろうか。さすがにちょっと早すぎない?

 

「まったく、小鍛治プロが初心なのをいいことにおからかいになるなんて。そういうのはせめて私がいる時になさってください」

「すまんな。つい待ちきれずに始めてしまった」

 

 って味方じゃなかった!?

 ニヤニヤとしながら私の前に紅茶の入ったカップとケーキを一つ置いていく。

 そのケーキは表面が艶々としたチョコレートによって綺麗にコーティングされている、オーストリアの銘菓ザッハトルテ。私の好物の一つだった。

 

「小鍛治プロは今日は練習に参加しないと聞きましたので先にこれを。ああ、チームの皆さんが誕生日プレゼントにと色々と買って来て冷蔵庫に冷やしてあるので、退社の時に持って帰るのを忘れないようにしてください」

「え? これだけじゃないの?」

「ええ、シュークリームから瓶入りプリンまで、なんだか色とりどりたくさんありましたね。一番好きそうなものを持ってきましたが、まだあと十個くらい箱の中にありましたよ。きいちゃんが言うには全部小鍛治プロのものだそうで」

「十個も……」

 

 きっと面と向かって「誕生日おめでとう」と言わないのは、普段からこーこちゃんによる風評被害で過敏なほど年齢を気にしている私に気を使ってくれたのだろう。

 それでも皆がケーキを買って来てくれたというのは、なんだろう。ちょっと嬉しい。

 

「あとこれは姉帯豊音さんに提示する条件です。一応担当として確認をしておいてください。食べた後で構いませんので」

「あ、はい。ありがとう三木さん」

「いいえ。同じ女性として複雑な気持ちはよく分かりますから、あえて続きの言葉は納めておきます」

「う、うん。でもそれって言っちゃうとあんま意味無くないですか?」

 

 そんな素朴な疑問にあえて返答をすることなく、一礼して去っていく。

 やっぱりあの人曲者だなぁ、なんて心の中で漏らしつつ、まずは目の前のザッハトルテを切り崩す作業に没頭することにした。

 

 

 

 社長から頂いた二つのプレゼント。片方は東京の高級ホテルの宿泊用チケットで、もう一つは、薄い白銀色のチェーンの先端部分に十字の飾りがあしらわれているネックレスだった。

 ああいや、正確には十字というよりは中央に据えられた無色透明の宝石(ホワイトトパーズ)を中心にして、そこから三枚の小さな羽根と一枚の大きな羽根が四方に向けて咲き誇っているといった感じだろうか。それぞれの羽根の部分には大小四つもの眩い黄金色の宝石が填め込まれていて、その周辺を飾り付けるようにしてオレンジ色と無色透明の小さな宝石たちが交互に鏤められている。

 羽根の部分に用いられている黄金色の宝石は、おそらく黄玉(トパーズ)と並んで十一月の誕生石といわれている黄水晶(シトリン)だろう。

 メインの宝石の大きさといい、あしらわれている周囲の宝石の数といい……これ、けっこうお高いんじゃないの? と思わず手を引っ込めてしまったのもご愛嬌。デザイン自体は可愛らしくも上品で、とても気に入った。

 

 もし社長がもう少し若くて独り身だったとするならば、思わずコロッといっていたかも知れないけれど……それはまず有り得ない。相手は六十過ぎのお爺さんだし、娘さんは私よりも年上だ。

 さらには箱の中に添えられていたメッセージカードに「次は彼氏から貰える事を願っているよ」なんて丁寧な楷書体で書かれていれば千年の恋も冷めるというもの。まぁ、一年未満ほども恋心は芽生えてすらいなかったけどさ。

 

 近くに置いてあったパソコンで調べてみたら、パワーストーンとしてのシトリンには幸運を齎してくれる力があるという。

 暗にドラフトのくじ引きの時はお願いするよと言われているような気分になってちょっと億劫になったものの、アクセサリに罪はない。せっかくの心遣いなのだからここはありがたく貰っておくことにして、本題のほうに入ることにしようかな。

 

 姉帯さんへ提示される条件をぱっと読んでみたところ、高校卒業と同時に指名される新人のものとしては、わりといい感じの契約内容になっていた。

 私自身がお給料を限度額一杯まで下げていることもあって、もし私が連れてきた子ならば似たような境遇でも許されると勘違いしていたらどうしてくれようかと思っていたけれど、そんな危惧は綺麗さっぱり消え去ったといえるだろう。

 社長が限度一杯と言ったように、初のドラフト参戦ということでここは妥協せずにきちんと頑張ってくれたのが契約内容からも見て取れる。感謝しないとね。

 

 帰り際に室内練習場に寄ってチームの皆にケーキのお礼をしておきつつ、帰路に着く頃には十二時を軽く超えていた。

 

 

 家に着いてからお母さんが用意してくれていたお昼ご飯を食べ、皆から貰ったケーキを冷蔵庫の空いた部分に強引に詰め込んでから部屋に戻った。

 ついでに社長から贈られた例の宿泊チケットを取り出してみる。

 そこには、東京の中でも老舗であり超有名どころのホテルの名前がはっきりと書かれていて、しかも超スイートルームっぽい部屋番号が記されていた。

 

 社長は一体これをどういう経緯で入手したのか……素直に私のために用意した、と考えるのは素人のすることだ。あの人は私がこれを貰ったところで一緒に行くべき人物が不在であるということをよく分かっているはずで、だからこそ最初からその目的ありきで手に入れたわけがないと断言できる。

 まぁそれを差し引いても、この『ディナー付き』というのは大変に魅力な部分ではあるけれども。あそこのレストランは全体的にお高いけれど、値段に見合うだけのお味だそうだし。

 私にこれをくれたということは、宿泊というよりはそちらがメインということなのだろう。ああ、念を押すように二回言っていたな、そういえば。

 

「……食事だけでも行ってみようかな」

 

 そこまで言われるほどの料理となれば、一度くらいは食べてみたいという欲求は私にもある。この場合は自腹ではないというところがミソだね。

 花より団子と言う無かれ。相手がいないんだからしょうがないでしょ。

 連れ込みたい男――なんて、いたら速攻結婚に向けてまっしぐらだっていうのに。

 そもそも携帯電話に登録されている自分と同年代か年齢以下の男の子なんて数人しかいない。それも全部つくばのクラブ関係者、つまりビジネス上の定期連絡網だというのだから世も末だ。

 となると、最初に候補として思い浮かぶ異性は必然的に京太郎君ということになる。でもなぁ……。

 

「今晩暇? 暇だったら私と一緒にディナーでもどうかな? もちろんお金はこっち持ちだし、宿泊場所も提供するよ」

 

 ――なんて。

 いくら京太郎君が寛容でも、いきなりそんな意味の分からない電話をかけたりしようものならさすがにドン引きされること請け合いである。

 週明けの月曜日に食事のためだけに長野から出て来いというのは、傲慢にしても酷すぎるでしょうよ。

 それにたぶん、あの子は今日が私の誕生日であることを知らないはずだ。催促のような電話をかけるのは非常にみっともないし、なんというか自尊心のようなものが許さない。

 大人としてのものなのか、はたまた女としてのものなのか、あるいは師匠としてのものなのか。

 ……まぁなんでもいいや。どれでもたぶん残念具合は似たようなものだろう。くすん。

 

 だがしかし、そうなるとペア宿泊券を活かすために誘いをかけられそうな相手というのは、性別に関わらず一人しか該当者がいない。

 友好関係が狭いのは事実だけど……はぁ、こういう時に面倒くさい選択肢が発生しないというのは果たして喜ぶべきなのか、それとも悲しむべきなのか。

 慣れた操作で見覚えのある番号を呼び出して、コールする。しばらく待って相手が電話口に立ったのを確認して、

 

「――あ、突然ごめんね。今大丈夫? あのね、今晩なんだけど――」

 

 

- PM5:30 -

 

 というわけで、私はこうして普段着に毛が生えた程度のお洒落をしつつ電車に乗って上京してきたわけだけども。

 特に疲れていたということもないのに、まさか電車の中で夢を見るほどの眠りについてしまうなんて……しかもなんだ、あの内容。願望垂れ流しにも程があるじゃないか、私の頭よ。

 肝心の部分があやふやなのも実にそれらしいというか……言ってて虚しくなるからそれはもういいや。

 切ない事実は夢の内容もろともに記憶の隅にでも封印しておくことにして。約束の時間までもう少し余裕があるから、喫茶店にでも行って頭をきちんと冷やしておこう。

 

 

 

 

- PM9:00 -

 

 綺麗な夜景を望む高級ホテルの一室にて、ふと思う。

 ……こんな調子で私は本当に恋愛結婚できるのだろうか、と。

 料理は確かに美味しかったし、この部屋から見える景色も一流だ。でも、傍らに佇むのは理想的な男性というには程遠く――。

 

「うっわー、なにこれ! さすが一泊ン万超えのスイートルーム……格が違うぜ。いやぁ、これはシャチョーさんに感謝しないと」

「……そうだね」

 

 ベッドの上でぴょんぴょこと跳ね上がりながら、嬉しそうに笑い転げている相方の福与恒子さん。

 

 彼女の言うように、たとえ自腹でも二度と泊まることはなさそうなほどに豪華な装丁の部屋であることだけは間違いない。

 それが余計に惨めというか、切なさを醸し出している要因でもあるんだけども……。

 ただ一つ、あの夢で見た光景が欠片一粒ぶんでも良いから現実の光景であればと願わなくも――ああでも、そうなれば条例違反待ったなし! になるわけで。どちらにしろ一夜の()()で終わるなら、このままのほうがいいのかもしれない。

 

 悲しいけど、これが二十八回目の誕生日の現実なのよね。はぁ。

 

「すこやんなにしょぼくれてんの?」

「ううん、なんとなくこうなるんじゃないかなと思ってただけ……気にしないで」

 

 結局、社長からの粋なプレゼントはこうして女二人で慎ましやかに消費されていくことになった。

 まぁ今はまだ、こんな感じでも良いのかなと思わなくもない。

 ――だって、あの子が一人前の紳士になるまでには、まだまだ時間がかかりそうだから。私が淑女になるまでにもね。




という感じで、作中で無事(?)に28回目の誕生日を迎えた健夜さんでしたとさ。


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第XX話:爾今@彼方に望み、此方へと至る頂

須賀京太郎、高校三年の夏のお話


 ジンジンと肌に突き刺すような日差しが世界を包み込む、八月。

 仲間と共に駆け抜けたあの夏の思い出たち、あれから幾度か目のそれが過ぎ去っていき、早いものでもう十二年もの歳月が流れようとしている。

 明日から始まる男子団体戦を皮切りに、女子団体戦、男子個人戦、そして女子個人戦が行われることになる試合会場を前にして。

 

「ついに始まっちゃうのか。あの子にとって、最後の――」

 

 ――インターハイが。

 そう呟いた私の囀りは、風に溶けて消えていく。

 

 

 今年は女子部だけでなく、男子部の解説もやって欲しいと頼まれた。

 私の相方となるのは毎度おなじみ福与恒子さんで、私たちのほかにも幾つかのプロとアナウンサーが組んでローテーションで実況解説を行うことになるそうだ。

 私たちが解説することになるのは、まずは男子団体戦Bブロックの二回戦。次いで女子団体戦のAブロック準決勝、決勝。男女共に個人戦最終日本選の午後からの部を引き受けることになる。

 わりと働きっぱなしになる気がしなくも無いが、この時期はもはやそういうものだと諦めるしかないだろう。

 せめて男子個人の日だけでも休めないかと打診してはみたものの、どうしてもそこだけは引き受けて欲しいと編成部長さん直々に頭を下げられては断る術を私は持たなかった。

 

「ほい、コーヒー」

「ありがと」

 

 こーこちゃんから差し出された紙カップのアイスコーヒーを受け取り、一口。

 ほぅと思わず漏れたため息を見逃すような子ではない。

 私が何故こんなにもアンニュイな気分に浸っているのか、その理由も当然気が付いているのだろう。肩を竦める彼女の表情は若干の呆れを伴っていた。

 

「ま、見守ってあげるなら観客席じゃなくてもいいんじゃない? むしろ特等席だと思うんだけどね」

「……あの中だと私、解説者じゃないといけないから」

「公私混同はしたくない?」

「そうじゃないと、また去年の二の舞になっちゃいそうで……」

 

 去年、彼は県大会を総合三位で勝ち上がり、見事全国への切符を自らの手で手繰り寄せてみせた。

 その時の嬉しそうな、はちきれんばかりの笑顔を私は今でも強く覚えている。

 けれど――全国に至る過程で彼の指導者として私が付いているという事実が、とある週刊誌の記者によって白日の元に晒された。

 

 別段隠していたわけでもなかったのに、いざ全国大会へというタイミングで齎されたその情報。

 それだけならばまだそう大した問題にはならなかったかもしれないが、その内容が私と京太郎君の有りもしない恋愛事情……というか、下世話な部分の憶測記事にまで及んでいたおかげで騒動が三割り増し以上の勢いで周囲に拡大したのである。

 意図的なのか、そうでは無いのか……今となっては真実は分からないけれど、結果としてそのことが彼の調子を狂わせてしまったのは紛れも無い事実だった。

 連日のように宿まで押しかけてくる取材陣と、その対応に追われる清澄高校麻雀部員たちは、必要以上に疲弊した状態で大会へ臨むことになってしまったのだから。

 

 それでも団体戦を優勝してみせた女子部の面々に関しては、流石に場慣れしているなと唸らされるものがあったけれど。ただでさえ初めての全国大会出場で浮き足立っていた彼にしてみれば、実力を出し切るために必要な精神力が保たれるわけもなく。

 それなのに、本選まで勝ち抜ける事ができなかったのは、単純に自分の実力がまだ足りていないせいだった、なんて。

 そんな風に言わせてしまったのは、報道陣から彼を護りきれなかった私の責任によるところが大きかったはずだと今でも悔やまずにはいられない。

 

 とはいえそれからの一年間、それまでしていたのと同じように、長期の休暇があれば私が長野へと赴いてみたり、彼が土浦まで来てくれたりと、師弟関係は良好のまま続いてきた。

 師匠としても、またちょっとばかり年上のお姉さんとしても、いつも傍でというわけにはいかなかったけれど、ずっと彼の成長を見守ってきたという自負がある。

 どれだけの努力を積み上げて、再びこの地へとやってきたのか。挑戦権を得ることが出来たのか。その強い執念にも似たなにかを、私は直にこの目で見つめ続けてきたのだ。

 だからこそこの大会期間中は何よりも優先して彼のことを護ってあげたいという思いがあった。

 去年の二の舞にはしたくはない。だけど――私が近くにいることで、逆にまたあの五月蝿いハエのような連中が集ってくるかもしれないと思うと……近づくことすら憚られる。けれど近くで見守りたい。

 そんな風にぐるぐる回る思考が行動を縛りつけ、動けないまま時間だけが過ぎていく。

 ヤマアラシはいつもこんなジレンマを抱えたまま生活しているのだろうか?

 だとしたら少しだけ尊敬し、過剰なほどに同情しよう。

 

「ね、すこやん。あの子の立場だって去年とはまるで違うよ。今さら小鍛治健夜の愛弟子だからって、特別騒がれたりもしないっしょ」

「分かってる。でも、また似たようなことが起こるかもしれないって、そう思うと……」

「だからこっち来てだいぶ経つのに京太郎くんとは会ってないって? すこやんさぁ、ちょっとナーバスすぎるんじゃない、それ」

「う……うるさいなぁ、もう。こーこちゃんには分かんないんだよ」

「そりゃわっかんねーってなもんですよ。アラサーを超えて三十路に片足突っ込んでるいいお年のくせにグジグジしてるすこやんの気持ちなんてさ」

「いま年齢は関係なくない!?」

「お、ちょっと復活した? ま、でも気持ちは分からなくはないけどね。同じマスメディアに関わる人間として、去年のあれは流石にムカついたから」

「そ、そうでしょ? だったら――」

 

 この期間中私は近くに居ないほうがいいのかもしれない、とつい考えてしまうのだって分かってもらえるはずである。

 くだらない――本当にくだらないゴシップなんかで最後のチャンスを潰すようなことだけは、絶対に避けなければならない。

 近くで護るのか、遠くで見守るべきなのか。その答が出ない今は、いくら近くにいても顔をあわせることはできそうにないのだから。

 

「――でもさ。ね、小鍛治プロ。私はアナウンサーとしてでも友人としてでもなくて、貴方の一ファンとして、その弟子一号くんのことをちゃんと信頼してあげてるよ? それなのにあの子の師匠だなんてって言ってる貴方は、弟子のことを信頼してあげないの?」

「……え? ち、違――」

「違わないって。師匠って立場でずっと近くにいたから分からないのかもしんないけど、あの子だってもう自分の面倒くらい自分で見られる年齢なんだから。麻雀関係ならともかくさ、こと日常においてはすこやんと比べたら彼のほうがずっと頼りになるっての」

「う……」

 

 それは……ちょっと悔しいけど、紛れも無い事実だ。

 京太郎君と出会ってほぼ二年近く経過したけれど、その中でずいぶんと思い知らされた部分でもある。

 

「それにほら、この一年で彼、麻雀についても本当に強者の余裕みたいなものを感じるようになってきたからね!

 ……だからさ、会ってあげなよ。せめて大会始まる前くらいなら、面と向かって激励の言葉をかけてあげるくらい許されて然るべきなんじゃないかな? 面倒なもんは全部とっぱらっちゃって、したいようにしたらいいよ。私はいつでもどんな立場になったとしても、ずっとすこやんの味方だっ!」

「こーこちゃん……」

 

 ニカッと笑うその表情が、いつものからかう時のそれとは違って真剣な印象を与えてくるからこそ。

 私は膝に力を入れて、椅子から立ち上がることもできたのだろう。

 

「ん、ちょっと行って来る」

「おー、頑張ってね! ってところで清澄が宿泊してる宿の場所は知ってるの?」

「知らない。けど電話で呼び出すから平気」

「強気だねぇ。それでこそ永世七冠小鍛治健夜ってなもんよっ! いってらっしゃ~い! お土産話期待してるからね!」

「んもう、こーこちゃんは……」

 

 行ってきます、と手を振って私は廊下を走り出した。

 

 

 大会が行われる会場から五分ほど裏手に歩いた場所に、少し大きめの公園がある。

 メールでやり取りをした結果、そこで待ち合わせようということになったので、今は一人で噴水の前に待ちぼうけの状態だ。

 夕暮れに染まる空の色がとても綺麗で。

 不意に目を瞑って空を仰ぐ私の耳に、砂が擦れて出す小さな音が聞こえてきた。

 

「すんません、遅くなりました」

「――大丈夫、そんなに待ってはいないから」

 

 閉じていた目を開き、声のしたほうに向き直る。

 咄嗟に視界が捉えたのは、風に棚引いて揺れる黄金色の草原で。金髪というのはやはりよく目立つんだな、と再認識させられた。

 出遭った当初からただでさえ大きかった上背も、この二年で更に伸びたものである。

 普通に向かい合っていると見上げなければならない分、ちょっと首が辛いんだけど、そう見せないのも大人の女性の嗜みだ。

 

「直に会うのは久しぶりだね」

「そうですね。ゴールデンウィークの時に師匠が家に泊まりに来た時以来でしたっけ」

「あの時は楽しかったよね。豊音ちゃんと照ちゃんに咏ちゃんまでなんでか一緒に集まって……騒ぎすぎて、お父様とお母様には御迷惑だったかもしれないけど」

「あはは。まぁアレはアレでけっこう楽しんでましたんで、あの人らのことは気にしなくて大丈夫ですよ」

 

 思い出すのは、楽しかった日々の出来事だ。

 恵比寿の宮永照、横浜の三尋木咏、つくばの私、最後に佐久の藤田靖子。この四人で卓を囲んだ佐久フェレッターズのホームで行われた一戦が終わった後のこと。

 靖子ちゃんが自宅へ帰って行ったあとにチームメイトの豊音ちゃんを加えた残りのメンバーで須賀家へお邪魔した時の大騒動は、今でもはっきりと覚えている、小鍛治健夜暦の中でも大失態に数えられるものの一つである。

 豊音ちゃんが初めてのお泊りに緊張しすぎて三つ指付いてご両親にご挨拶を始めてみたり。

 咏ちゃんがペットのカピちゃんを大層気に入り、京太郎君ごと横浜に連れて帰ろうと画策したり。

 また照ちゃんがお母様秘蔵の高級お菓子をほぼ一人で全部食べきってしまったり。

 私が夜中に寝ぼけて京太郎君の布団に潜り込んだまま寝込んでしまって、朝方に起きて大パニックを引き起こしたりと。

 他にも大小細々と色々なことがあったけれど……あれは今思い出しても酷い一日だった。猛省しよう。

 

「とりあえず、ちょっと歩こうか」

「うッス」

 

 公園を並んで歩く。

 話すべきことは沢山あれど、なんとなく、口を開くのは躊躇われるような空気が流れているせいか。

 お互いに無言のまま、ただ歩いているだけで公園を抜けてしまった。

 こういう間抜けなところがそっくりなのも、師弟だからといえるんだろうか?

 

「京太郎君、お腹空いてる?」

「実は結構。つーか聞いてくださいよ、今日は朝からずっと女子連中の最終調整の相手をさせられてて……おかげでまともに昼飯も食べてないんスよ」

「それじゃちょっと軽く食べていこうか? 晩御飯前だから軽くになっちゃうけど、いいお店知ってるんだ。ウェイトレスさんの制服も可愛いって評判なんだよね」

「そういうことならぜひお供させてください!」

 

 こういう素直なところは本当に変わらないな、と小さく笑ってしまう私。

 今となっては当然のように受け入れてしまっているけれど、ふとしたところで出てきてしまう思春期の男の子っぽい性質が昔は少し苦手だったりもしたものだ。

 そういう意味では、私もだいぶ慣れてきたんだなぁと。同じ時間を歩み始めた年月の長さに、ちょっとだけ懐かしさを覚えてしまった。

 

「そういえば、宮永さんたちの二連覇がかかった団体戦が先に始まるんだっけ?」

「はい。いちおうシード校なんで、実際の試合はまだだいぶ先みたいですけどね。新人のマホ、覚えてます? あいつが去年の俺みたいな感じでガチガチになってて大変なんすよ」

「へぇ、中堅のあの子……夢乃さん、か」

 

 聞き覚えのある名前に、ふと足を止める。

 夢乃マホといえば――忘れるわけがないだろう。今はまだ開花するに至ってはいないものの、あれが私たちと同等の化け物になる可能性を秘めた器だと判明してからこっち、その動向に注意を払い続けてきた相手なのだから。

 だけど、そうか。今年の清澄には白い悪魔とデジタルの化身、タコスの神に加えて彼女も居るのか。

 もう一人の団体戦メンバーである室橋さんも、実力的には二年生時の染谷さんと同等程度には育ってきているらしいし。

 ライバルの高鴨穏乃が所属する阿知賀女子学院が、松実玄と鷺森灼が抜けた今年は晩成に負けて団体では出場できなかったこともあり、そう考えると清澄の優勝は今年も磐石なのかもしれない。

 あとは大星淡の白糸台がどこまで粘れるかと、千里山女子の隠し玉と噂される昨年度の全中王者が絶対王者相手にどの程度対抗しうるのか、というのも注目すべき点である。

 ――っと、いけない。ついつい思考がお仕事モードになってしまうあたり、私もだいぶ毒されてしまっているらしい。

 

「マホがどうかしましたか?」

「ううん、筋のいい子だから今後が楽しみだなってちょっと思っただけ。さ、行こう」

 

 

 すっかりと日が暮れたところで、喫茶店を出た。

 あれやこれやと他愛の無い話を続け、笑ったり呆れたり、自然と表情を崩すことが多い時間だったと思う。

 京太郎君は紳士を目指しているらしいので、ホテルまで送ってくれるそうだ。こういったところはポイントが高いよね、君は。

 もっとも、喫茶店の中ではその視線が定期的に横を通るウェイトレスさんの胸元へ注がれていたので総合的にはマイナスなんだけど。

 

「――京太郎君」

 

 ホテルの全景が確認できるところまでやってきた時、立ち止まってその名を呼ぶ。

 少しだけ先を歩いていた彼が振り返り、こちらを向いた。

 

「ついに開幕、だね」

「そうですね。正直、二年連続でインハイに出てる自分ってのに不思議な感じもしてますけど」

「……いろいろあったもんね」

「そう、でしたね」

 

 去年の全国大会の時のような辛い出来事も、忘れられない思い出として残っている。

 心の底から怒りを覚えたこともある。心底呆れ返ったことだってある。

 けれど、それ以上に一緒にいる時間が楽しかったこともまた事実で。

 

「私は明日から、小鍛治プロにならなくちゃいけない。だから、面と向かって特定の子を応援したりは出来なくなる、と……思うの」

「……はい」

「でも、今日はまだ、ただの小鍛治健夜で……何より君の師匠だから」

 

 ぐっと息を飲み込んで、視線を彼の瞳に定めて固定する。

 薄暗いせいでこちらの頬の色までは確認できていないだろう。それがせめてもの救いだと思う。

 

「だから、今言っておくね。

 ――頑張って。今の君なら、きっと望んだ場所で戦えるはずだから。私はそれを――誰よりも信じてる」

「師匠……」

「そ、それだけ言いたかったのっ。あ、ここでいいから、送ってくれてありがとう。お休みなさいっ!」

 

 言い終わると同時に駆け出してしまう。何故だろう? 自分でもよく理由が分からないまま、ただ足を動かしている自分が居て。

 

「師匠っ!」

 

 少し遠目から聞こえたその呼びかけに、つい足を止めて立ち止まってしまった。

 

「――っ必ず!」

 

 それは、とても短かったけれど。ともすれば聞き逃してしまいそうなほど、短かったけれど。

 突き上げられた拳の力強さが、夜の闇を吹き飛ばしてその想いを私に伝えてくれていた。

 

 

 

 それ以降、彼と顔を合わせて話をすることはなかった。

 故意にというよりは、お互いの時間がすれ違い気味でその機会が無かったといったほうが正しい。

 伝えるべきことはあの時きちんと伝えられたし、それでも構わないという思いが強く、連絡を取るようなこともしていない。

 そんな中で私は一プロとして男子団体戦の解説を無難にこなし、翌週の女子団体戦においては清澄高校麻雀部の二連覇を見届けて。

 ついに全国大会という名の元にて繰り広げられている闘いは、男子個人戦へと舞台を移す。

 

 

「……」

 

 私の解説は明日に行われる本選の午後だけなので、予選が行われる日の午前中ともなれば、言ってみればただの暇人である。

 とはいえ外に出てやるようなこともないわけで。

 こーこちゃんとの打ち合わせを終えて、解説の女流プロ雀士用に宛がわれている控え室で休んでいた時のこと。

 あらかじめ渡されていた個人戦出場者の名簿リストを無言のまま眺めていると、目の前に見慣れた扇子が差し込まれた。

 

「咏ちゃん?」

「必死すぎ。そんなじ~っと見てたら京太郎少年んとこだけ穴が開いて消えちまうんじゃね? 知らんけど」

「うっ……」

「心配なんは分かるけどさ~、あいつももうガキじゃないんだし。今回は大丈夫だと思うんだよねぃ」

「うん、そうだね」

 

 そこにはきっぱりと頷いて見せる私。

 すると咏ちゃんは、おや?という表情を覗かせた後で、何か得心がいったのかニヤリと笑った。

 

「そっかそっか~、いやいや。あの小鍛治プロがね~、ふ~ん」

「なんかその顔、馬鹿にされてるような気がするんだけど……?」

「知らぬは本人ばかりなり、ってか」

「――?」

 

 まさかわっかんねーと知らんしが口癖の人にそんな諺を言われることになるとは露にも思っていなかった。

 しかし、ぱたぱたと扇子を仰ぐ仕草を見せるということは暑いんだろうか?

 たしかに冷房は効いているけど、設定温度が高めなためか、あるいは陽が昇って外気が上昇してきているためか、部屋の中は若干生温い状態だといえる。

 着物なんて見るからに保温性が高そうだし、季節によっては色々と大変なんだろうな。

 温度を少し下げようか、と言いつつキョロキョロとエアコンのリモコンを探していると、呆れ顔の咏ちゃんにそうじゃないと釘を刺されてしまった。

 

「ま、いいさ。私もアイツとカピちゃんのことは気に入ってるし、本選に残れるように特別に応援しといてやろっかね~」

「あれ? そういえば咏ちゃん午前中の解説担当じゃなかったっけ? なんでここにいるの?」

「いんや? 私の担当は小鍛治プロと一緒で本選のほうだけど?」

「そうだったっけ? じゃあ今日は誰なんだろ? はやりちゃんはレポーターやってるから違うだろうし……あ、もしかして理沙ちゃん?」

「わっかんね~。でも野依プロならさっき相方の子と朝ごはん食べるっつって出て行ったから違うんじゃね? 知らんけどさ」

 

 今日の午後担当の良子ちゃんが違うのは分かってるから、あと目ぼしいところで残ってるのは……あ。

 

「そっか、赤土さんかな?」

「おお、阿知賀のレジェンドは今年から解説呼ばれてんだっけ? そいやそーだったか」

「アナウンサーは誰なんだろう? 咏ちゃん知ってる?」

「いや知らんし」

「にべもないなぁ」

 

 ま、そういう答が返ってくるだろうことは八割方分かってはいたけどさ。

 それにしても――初っ端の担当は赤土さん、か。それならまだ、目の前にいるこの子よりは空気を読んで発言してくれるから安心して見ていられるかもしれない。

 ここに篭っているのも不健全に過ぎる。そうと決まれば。

 

「んじゃ、行こっかね~」

「……あれ? 咏ちゃんもどこかに行くの?」

「例の喫茶店、小鍛治プロも今から行くんっしょ? お腹空いたしど~せだから一緒に行くかって思ってねぃ」

「奢らせようとか思ってないよね?」

「なんのことだかさっぱりわっかんね~」

 

 ケラケラと笑ういつもの咏ちゃん。

 奢らせる気満々じゃないか。恵比寿時代ならともかく今は私よりぜんぜん多く稼いでいるはずなのに、この子ときたら……。

 それでもまぁ、一人でいるよりかは全然マシだ。奢ってくれと言うならば喫茶店の全メニュー制覇するほどの勢いで奢ってやろうじゃないか。

 そんな無駄に力強い決意を胸に、連れ立って喫茶店へと向かう私たちだった。

 

 

 結果だけを簡潔に述べるとするならば、予選は無事に突破できた。

 ただ、予選での戦いにおける京太郎君はどこか本調子とはいえなかったように見えたのが多少気懸りではあったけれど。

 東風戦二十戦での総合順位が十八位に留まっていたことが、それを裏付ける証拠になるだろうか。

 今の彼ならば、きちんと実力を出し切れていれば一桁順位に入れない理由は無い。もしかすると、また何か問題でも――と思ってしまいそうになる自分の心を、必死になって否定する。

 ともあれ明日へと繋いだわけだし、きちんと褒めておくべきだろうかと携帯を手に取って。

 

「……」

 

 文字を打つよりも先に身体ごとベッドの上に投げ出してしまった。

 どんな内容の文を送ればいいのか、さっぱり頭に浮かんでこない。

 もしかして私、疲れているんだろうか?

 覚えの無かったはずの疲労感は、そんな風に自覚をした時点ですぐさま身体中に広がっていく。

 ぼんやりとした頭の片隅で、なんとなく理解した。

 ああ、私は今日一日中、結果が出るまでずっと緊張したまま過ごしていたんだろうな――と。

 このまま心地よい微睡の中に身を任せてしまいたい衝動に駆られるものの、せめてシャワーを浴びて着替えくらいは済ませておかないと。

 そう思いつつ、私の意識はそのまま闇の中へと沈んでいった。

 

 

 

 一夜明け、遂にその日がやってきた。

 朝からえもいわれぬ緊張感が会場の至る所に立ちこめ、否が応にも表情を引き締めざるを得ない中。

 

「おはようすこやん。昨日はぐっすり眠れた?」

「おはようございます、小鍛治プロ」

「こーこちゃん。針生アナも、おはよう」

 

 控室に入ったところで、本日実況を担当するアナウンサーの二人がいつも通りに出迎えてくれた。

 お互いに違う局のアナウンサーだったと思ったけど、仲のよろしいことである。

 午前の実況を担当することになる針生アナは咏ちゃんとペアを組む事が多く、この界隈では珍しく常識的なアナウンサーとして有名だ。

 相方が相方だからなのか、それともそれが生来のものなのか。時には生真面目すぎると揶揄されることもあるけれど、こーこちゃんみたいに常時メーター振り切っている人より安心して見ていられるのは間違いない。

 

「咏ちゃんはまだ来てないの?」

「そのようです。あの人は基本時間にちょっとルーズなところがありますから」

「そういえばそうなんだっけ……針生アナも大変だね」

「ええ、本当に……あ、いえ。実際に遅刻をするということはないので、そのあたりは」

 

 本音がポロリとこぼれたように思えるけど、大人としてそこはスルーしておくべきだろうか。

 二人が話をしている間、なぜだか少し離れた場所で黙り込んだままじっと私の方を見ていたこーこちゃん。

 不思議に思いつつも、近づいていく。

 

「……? どうかした?」

「いやね、さすがに今日は気合入ってるなぁと思ってさ。勝負用ってことかな」

「ちょっと待ってこーこちゃん。今どこ見て言った?」

「さっき屈んだ時にちらっと見えた下着」

「どこから見えたの!?」

 

 胸元が開いている服を着ているわけでもないし、ロングサイズのフレアスカートを履いているのに中が見える訳がないんだけど。

 もしかしてどこかに穴でも空いているのかと思わず自分の身なりを確認していると、呆れ返った表情の針生アナがぽそりと呟く。

 

「お二人も相変らずですね……」

「んふふ、まぁこんな人だからこそ弄りがいがあるってもんですよ」

「あっ、まさかこーこちゃん!?」

「その通りっ! まだまだ修行が足りないね!」

 

 くっ、まんまとブラフに騙されたということか。

 

「っていうか、今の反応を見るにやっぱ勝負下着とか履いてきてるんだ?」

「……ノーコメントです」

「小鍛治プロが試合に対してそんなゲン担ぎのようなことをするというのはちょっと意外ですね。もしかして、試合の時はいつもやっているんですか?」

「私も別に自分の試合の時ならそんなことしないよ」

「ほうほう、つまり今日はそれ以上に特別な試合ってことなんかねぃ」

「――!?」

 

 のんびりとしたそんな声が背後から聞こえ、振り返る。そこには着物姿の少女――じゃない、女性が扇子を片手に立っていた。

 どうしてこう、来なくていい話題の時に限って面倒な人が揃うかな。

 

「おはようございます、三尋木プロ」

「お~えりちゃん、おはよ~さん。小鍛治プロと福与アナも、おはよ~」

「おはようございます」

「……おはよう」

「そう辛気臭い顔しなさんなって。別に私は小鍛治プロがどんなド派手な下着つけてようと何も言わないからさ~。まぁあの少年には少々目の毒かもしれないけどねぃ」

「その話題を続けられることにこそ辛気臭い顔をしちゃうんだって、咏ちゃんは気付いてるよね?」

「くくっ、わっかんね~。さっぱりわっかんね~」

 

 おおもう。

 ニヤニヤと笑っているその締りのない顔のどこを見てその言葉を信じろというのか。

 ちなみにそんなド派手な下着なんて持ってすらいないワケだけど。どうせ知っててからかっているんだろうからもう好きにしてもらおう。

 

「時に小鍛治プロ。本選に残った他の連中、どう見る?」

「問題になりそうなくらい強い能力持ちはいなさそうだったけど……京太郎君より上手い打ち回しをする子が何人かいる感じだったかな」

「京太郎少年も防御だけなら今年の女子部トップクラスにも通用するくらいなんだけどね~。男子部としたら今年はなんかデジタル打ちに偏ってるけど豊作つってもいいくらいだし、課題の攻撃がどれくらいやれるかでだいぶ順位も変わってくるか」

「そうだね。でも――だからこそ、京太郎君は嬉しいんじゃないかな?」

「あ~、たしかにアイツは根っからのマゾだからな~」

「咏ちゃん、その言い方はさすがにどうかと……」

「それはどういうことでしょう? 強い相手が多いなら、それだけ優勝からは遠ざかるということですよね? 喜ぶ理由が見つかりませんが」

「えりちゃんは分かってないね~。相手が弱っちいのばっかだと張り合いないっしょ?」

「……?」

 

 いまいち理解が及んでいないのか、咏ちゃんの言葉に首をかしげる針生アナ。

 たしかに、相手が強ければ強いだけ京太郎君の優勝の確率は低くなっていくだろう。

 でも、彼の場合はそれでもいいのだ。弱い相手だけを倒して得られる栄冠など、端から求めてなどいないのだから。

 

 あの子の目標でもある、二年前の清澄高校団体戦女子メンバー。彼女らが力を振り絞って戦ったあの舞台で、自分も力いっぱい戦ってみたい。

 それこそが彼の根幹にある思いであり、目指すべき頂でもある。

 無論優勝を狙わないわけではなく、そういった強敵と戦った上で勝ち取ったものにこそ価値がある、と京太郎君は考えているのだ。

 

「ともかく、あとはあの子次第――ってことだよね?」

「うん。あと半荘十回、泣いても笑ってもそこで決着が付くことになるんだよね」

 

 午前八時半を回った今現在、試合会場には本選に出場する選手たちが集まり始めている頃だろうか。

 ドクン――と、心臓の鼓動が高鳴る。

 麻雀を本格的に打ち始めてから、約二年。この期間を長いと取るか短いと取るかは人それぞれに異なる部分だろうけれど。

 こうして高校生活最後の全国大会の出場権を自ら勝ち取り、本選まで進んで見せた彼のがんばりは誰よりもよく理解しているつもりだ。

 不安がないといえば嘘になる。けど、それ以上に彼ならやってくれるだろうという期待が胸の鼓動を高鳴らせ、それが余計に落ち着かない原因にもなっていて。

 こんなことならまだ自分が卓に座ったほうがよほど冷静でいられるだろう。

 見ているだけというのはいつになっても慣れるものではない。昔も今も、国を背負って団体戦を戦っていた時にすらあまり感じたことのない名状しがたい感情が、胸の中を渦巻いていた。

 

「私たちはそろそろ行きましょうか、三尋木プロ」

「そだね。んじゃそういうことで先に行ってくるぜ~」

「うん、よろしくね」

「三尋木プロ、いつもみたいな面白い解説期待してますよ!」

「あっはっは、わっかんね~けどまぁ任せとけ~」

「……はぁ」

 

 能天気に笑う咏ちゃんと、先が思いやられるせいか深いため息をつく針生アナ。二人が控え室から退出して、中には二人だけが残された。

 

 

 

 ――男子個人戦本選。

 全国でも地方大会と同じレギュレーションで行われるため、本選となる今日は半荘戦が十戦ほど、抽選によるランダムな組み合わせで行われる。

 47都道府県の中で、東京や大阪のように東西あるいは南北に分かれている地域も含めれば、予選時の参加者総数は160名前後だったということになるだろうか。

 そこからある程度絞り込まれ、現在残っている48名が今日の本選へと進んできているわけだけど。

 総当りという訳ではないので、運が悪ければ上位の相手ばかりと卓を囲むことにもなりかねないこのシステム。過去にも色々と物議を醸してきたものではあるものの、別に同じ人間と二回対戦するようなことは起こらないため、見直されることはなく今日までやってきた。

 そして今現在、そのシステムによって組まれた最初の対局となる試合の組み合わせが、電光掲示板に表示されている。

 

「ふむふむ、初戦の京太郎くんの卓はあんまり名前の知られてない子ばっかだね」

「そうだね。でもみんな本選まで残ってる子たちなんだし、油断は禁物だけど」

 

 兵庫二位、北神奈川三位、青森一位、そして長野一位の京太郎君。

 同じ地方一位の子が同卓することになったとはいえ、近年は魔境とすら呼ばれている長野と青森とでは、同じ一位同士でも基礎部分の強さがまるで異なる。

 普通に考えると、三位までの全員が本選に残っている地域は全体的に手強い相手ともいえるだろうか。

 特に一年生で団体戦優勝メンバーの先鋒を担っていた南大阪二位の狭山陽彦選手は要注目の選手の一人だと思われる。

 直接対局することになるかどうかは別としても、総合得点の上ではおそらく直近で競うことになるだろう相手。

 

「さて。全員卓に着いたみたいだし、ようやく始まるか――長い長い一日が」

「……(頑張れ、京太郎君)」

 

 私たちだけでなく、テレビの前にいる視聴者も、観客席に集ったお客さんたちも固唾を呑んで見守る中――開始のベルが鳴り響き、半日に渡る戦いの火蓋は切って落とされた。

 

 

 

「――小鍛治プロ」

 

 少しお腹が空いたので売店に軽食を買いに来た際、背中越しに声をかけられた。

 振り返るまでもなく、声で誰かは理解する。

 本来であればこの会場にいるはずのない人物――だけど、後輩の応援に来たというのであればここにいても不思議ではない、そんな子だ。

 サンドイッチを片手に振り返れば、そこにはにこやかな笑みを浮かべた清澄高校元部長――竹井久の姿があった。

 

「竹井さん」

「おはようございます。珍しいですね、解説のプロが一般客がたくさん来るこっちの売店に出てきてるなんて」

「こーこちゃんがお腹空いたって煩くてね。お昼からは仕事だから外食するには時間もないし、じゃんけんで負けた私が買いに来たの」

 

 個人戦の中継というのは、決まった選手だけを追いかける訳ではない。

 始まったばかりの午前中は特に順位の変動も激しく、今の順位というよりは、前大会で入賞していたり団体戦で活躍したりした前評判の高い選手が主にカメラに追われることになる。

 私の弟子という触れ込みではあるものの、実績という面では明らかに不足している京太郎君が注目されることはほとんどなくて。

 だから今のうちにじゃんけんで負けたほうが買いに行こう、と言うこーこちゃんの甘言に見事乗っかってしまった結果が今の私といえた。

 

「福与アナは相変わらずなのね……」

「竹井さん、女子部の応援に来てたのはちらっと見たから知ってたんだけど。まだこっちにいたんだね」

「そりゃ、須賀くんだって立派な清澄高校の一員なんだから応援するに決まってますよ」

 

 もっとも――と続けた彼女の表情が、少しだけ沈んだ。

 

「私にそれを言う資格があるかと問われたら、はっきりと頷くことはできませんけど」

「……二年前のこと、後悔してるの?」

「まさか。前の時にも言いましたけど、後悔なんてしてたら他の子に何を言われるか分かったもんじゃありませんよ。

 ただ……そうですね。私は一つ、小鍛治プロに謝らなくちゃいけないことがあるんです」

「私に? って、一つだけなの?」

「あー、そこに食いつかないでいただけません? ちょっと真面目な話なんで」

 

 ふぅん、まぁいいか。竹井さんが素直に謝りたいというのであれば、話は聞いておかなければならないだろうし。

 サンドイッチを元の場所に戻し、竹井さんを連れて今日は使われていないはずの、もう一つの控え室へと向かった。

 

 

「ここなら平気かな? それで、私に謝りたいことって?」

「……まこの店でバイトをした時のこと、覚えてますか?」

「忘れたくても忘れられないよ、さすがにあれは」

 

 メイド服を着させられて、挙句猫耳を付けた状態のまま人通りの多い場所までお使いに行かされたのだ。忘れようにも忘れられない。

 他の学校でもわりと滅茶苦茶な企画で苦労したけれど、その中でも一二を争うほど内容の濃い一日だったと思う。タコス事件も含めて。

 

「あの時、須賀くんを小鍛治プロに指導してもらえるように裏で企んでいたの――私、なんですよね」

「……うん?」

 

 どういうこと、だろう?

 

「最初の取材の時、須賀くんのことを気に入ってもらえるよう事前に言葉遣いをきちんとさせたりして、色々と企んでたんです。上手くいけば、須賀くんを通じて清澄にトッププロのコネができるかもしれない――って。だから次の企画の時に福与アナに手伝ってもらったり、須賀くんをけしかけたりもして」

「……」

「小鍛治プロに指摘された問題点、私にも分かっていましたから。それを補って余りある存在がいるとしたら――それは」

「私だった、ってことか」

「……はい。小鍛治プロの善意を利用しようとしたこと、本当に申し訳ありませんでした」

 

 竹井さんが頭を下げる。私は無言のままその頭頂部を見つめながら――ともすれば噴出しそうになる笑いを堪えるのに必死だった。

 転んでもただでは起きなさそうなこの子がこうして頭を下げている姿が、現実味から剥離しすぎていてある意味滑稽だったというのが主な原因だ。

 もしこの姿まで計画のうちだというのであれば、一周回って逆に尊敬さえするかもしれないけれど……真面目な場面で申し訳ないが、正直言って似合わない。

 

「……っ、頭を上げて、竹井さん」

 

 笑い顔を見られないよう、とっさに表情を消す。

 これまで散々振り回してくれたお礼だ。一度くらいはこちらからちょっとした悪戯を仕掛けてみてもいいだろう。

 

「……」

「今更になってそんなことを言い出すなんて、どういうつもりなの?」

「そ、れは……」

「京太郎君は全国大会に出られるくらい強くなった。女子部のほうも団体戦二連覇を達成したし、宮永さんは個人三連覇も間違いないと思う。竹井さんの目論見はこれでほとんど達成されたわけでしょ? なら今になってそれを告白して懺悔する必要なんてないじゃない」

 

 古来より軍師は策が成った暁にはその成功を高らかに謳い上げるものではなかったか。

 

「……須賀くんが言ったんです」

「うん? 京太郎君が?」

「小鍛治プロのお陰で自分はこうして戦えるって。一人だけ仲間はずれだったはずの自分が、全国の舞台で輝けるのはあの人のお陰だから。

 だから、小鍛治プロと師弟になれるチャンスをくれて感謝してる、ありがとう――って」

「――……」

 

 ああ、そうか。まったく本当に彼らしいというか何というか。

 演技をするのを忘れて、ついつい頬を緩めてしまった。

 

「ああやって楽しそうに麻雀を打ってる須賀くんを見てたら、その思いすら利用していた自分がなんだかすごく……」

「ふふっ」

「……小鍛治、プロ?」

「しっかりしてるように見えてたけど、そっかそっか。竹井さんもやっぱりまだ子供だったんだねぇ。よしよし」

 

 思わず近づいて頭を撫でくり回してしまう。

 

「ちょ――や、止めてくださいっ! 私は一応今年で成人なんですから!」

「年齢はそうだろうけど。だって竹井さん……なんか完全に思い違いをしてるみたいだから」

「思い違い……?」

「そう。私が京太郎君に麻雀を教えてあげようと思った理由、なんだと思う?」

「それは――須賀くんのことを気に入ったからで――」

「それは当然そうだけど。でも、それだけじゃなくてね。あの子は最初から正直な気持ちを私に伝えてくれたよ。仲間に置いていかれるのは嫌だ、寂しいって。

 だから私は――その心の叫びを掬い取った。ただそれだけのことなんだ」

「……」

「私と京太郎君の関係の裏には黒幕なんて存在しないの。あの子が信じて手を取ってくれたから、私は今ここにいる」

 

 そこに第三者の意思なんて介在しない。する余地なんて有りはしない。あの時に魅せられた真剣な瞳は、真っ直ぐにそれを教えてくれていたのだから。

 だから私は、竹井さんの謝罪を受け入れる訳にはいかなかった。

 平然とありもしない罪を被せてしまえるほど、私は傲慢にはなりたくない。

 

「だから私も一つだけ、愚痴の代わりに竹井さんにちゃんと言っておかなきゃいけない言葉があるんだ。聞いてくれる?」

 

 言葉での返事の代わりに、視線が交差する。

 

「――私に京太郎君と向き合うキッカケをくれて、ありがとう」

 

 

 私たちがどれだけのことを積み重ねてきたのか。

 それはきっと、当事者の二人にしか分からないことで。

 二年間という期間の中で、いろいろな人たちと出会い、関わり合いになる中で育まれていった絆は、きっと偽物なんかじゃないと思う。

 だからこそ、私はこうして解説者として言葉を並べ、一プロとしての仕事を全うすることさえできている。

 真剣な表情で牌を握る彼らの戦いを、きちんと見つめていられる。

 決着はそう遠くないうちにつくだろう。

 その時どんな光景を目の当たりにすることになるか、それは分からないけれど。

 ただ一つ言えることがあるとするならば――。

 願わくばこの物語の終焉は、彼の若者の心を救いたもう結末であらんことを。

 

(中編に続く)




11月7日は健夜さんの誕生日!

……てことで、本格的な投稿再開の前に読み切りっぽい三部作でございます。

特別編のカテゴリーに加えてありますが、実際は本編→番外編と続く本筋のラストに組み込まれるはずのお話であり、『健夜さん主人公の京太郎√最終話』を想定しております。
ただ、二ヶ月近く更新できなかった現状と、そのまま健夜さんの誕生日が来てしまったこと、あと本編が恒子ちゃんとの掛け合いが主流で√確定になっても別にいいかー的なノリで発表することになりました。
この後も本編と番外編はまったり続けていきますので、限りなく正史に近いIF的な未来のお話と捉えてお楽しみ頂ければと思います。

※この√における個人戦ルールは長野県大会のものを採用しております。


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第XX話:宿望@勝ち得た物と成し得た者

「さあ、謀らずともこの一戦が勝者と敗者を分けるための天王山となりましたっ! 男子個人戦本選第十局、実況は福与恒子でお送りしておりますっ!」

 

 CMが開けた瞬間、それまでのテンションがウソだったかのように爆発するこーこちゃん。

 隣の席に座っている私こと小鍛治健夜はその様子を横目で眺めつつも、意識はしっかり中継されている画面の向こう側――彼が囲んでいる卓の上へと向けられている。

 

 ――須賀京太郎。

 私が初めて自ら踏み込み、手を差し伸べた子。

 清澄高校の須賀といえば、昨年夏の全国大会で初の出場を果たした際一躍時の人となったことがあるため、その名前を覚えている麻雀関係者は多いだろう。

 ただその成績は女子部の活躍の影に霞み、覚えている人間のほうが稀だろうけれど……。

 その彼が今年、高校三年生という集大成において長野県大会を勝ち抜き、個人戦予選をも駆け抜けて――ついにやってきた大舞台。

 彼が一年の頃から憧れて、ずっと夢見ていただろうこの煌びやかなステージの上で。

 京太郎君は今、彼自身が望んで止まなかったはずの場所で熾烈な戦いを繰り広げている。

 

「解説の小鍛治プロ、現在までの卓の動向を見てどういった感想をお持ちになりますか!?」

「清澄の須賀選手が座っている卓らしい、静かな戦いになりましたね。ここまでも自摸和了が一切無い、横でのやり取りばかりでしたから」

「ほほう、それはやはり須賀選手が持っているというオカルト能力によるものですかね?」

「はい。他家の選手もたぶんデータとして把握していると思いますけど、彼が門前でいる限り誰も自摸和了できないために、ここまではどうしても出アガリを待つしか無い状況が続きました」

「たしかに、これまでずっとそんな感じですよねぇ。特にこれといった見せ場も無い、といいますか」

 

 全国大会男子個人戦本選、第十局。

 機械のトラブルによって他の卓よりも開始が遅れてしまったこの卓では現在、総合ランキング上位者同士の潰し合いが行われている。

 総合得点で二位につけている長野代表の須賀京太郎。三位の南大阪代表狭山陽彦。六位の東東京代表大越明。そして九位の福岡代表高槻勲夫。

 

 総合一位と二位の差は、最終戦開始前で+5とほぼ横並び。大混戦の中犇めき合う上位陣同士の戦いと、そこに食らいついていきたい中位陣と上位陣との攻防も自然と激化する。

 そんな周囲の熱気とは裏腹に、対局そのものは東一局が開始してからというもの実に淡々と進んで行った。

 女子部で起こる様なド派手な和了があるわけでもなく、満貫にならない程度の点数のやり取りがいくつか行われただけで場が進み。

 ――南四局。

 泣いても笑ってもすべてが決まる、最終局である。

 

 

「須賀選手は対局相手の当たり牌をピンポイントで握り潰すのが得意な打ち手として前評判の高い選手です。それを警戒してか、他家の選手たちは東一局から徹底して安手でもリーチをかけずに闇で待つ場面が多かったように思います。

 そのおかげでここまで点数自体もあまり高くならずに淡々と場が進んでいった印象がありますね」

「つまり聴牌気配を察知させないためにあえてリーチをかけずにいたということですか! しかしそのわりに須賀選手だけはこれまで一度も振り込んでいないんですよねー。まぁ逆に彼一人だけ和了ってもいないわけですが」

「防御に回らされてしまえば、どうしても攻撃の手は一歩遅れてしまいますから。手が整う前に他家三人が示し合せるように安手で和了って場が流れていったので、一人だけ置いてけぼりのような状況になってしまった、と言えるでしょうか」

 

 それが今の京太郎君の弱点であることを当然認識している私としては、淡々と、ただ目の前にある事実だけを解説する。

 テレビ局側にどんな思惑があってこの一戦の解説を私に回してきたのかは分からないけれど、ここで弟子を贔屓するような解説だけはするわけにはいかないのだ。

 とはいえ、強すぎるその意識が逆に表情と一緒に言葉尻まで硬くしてしまう原因であることは自分でも理解はしていた。

 有体に言ってしまえば、大一番を前にして緊張しているのだ。私も。

 

「でも、この卓の勝敗だけじゃなくて、個人戦の最終結果のためにもここで和了が必要なのは誰も一緒。この場面ではできれば高めの手が欲しいでしょうから、今回に限っては山の深いところまで勝負がもつれる可能性は高そうです」

「ふむふむ、つまり小鍛治プロはこれまでのようにすぐには決着が付かないんじゃないか、と思ってるわけですね?」

「高い手を作るとなると、どうしても浅い巡目だと難しいです。門前清自摸和が役として成立しない前提で高めに仕上げなければなりませんから、余計に」

 

 門前清自摸和が成立しない――というよりも、むしろ問題なのは単騎待ち以外の四暗刻は対々三暗刻で満貫にしかならないという現実のほうかもしれない。

 その場合、リーチをかけて裏ドラが乗ってようやく狙い通りの大物手に化ける可能性が出てくる、といったところだろう。

 倍満以上が必要な京太郎君はもちろんのこと、親で一発逆転を狙う狭山選手あたりも、連荘するにしてもこの局でできるだけ高めの手を揃えたいはず。

 そこにきて比較的お手軽な役満である四暗刻が使えないというのは少々きつい。

 

 この段階で考えられるのはドラか二飜以上の役を絡めていくのが前提となる染め手系あたりか。ドラの表示牌は⑨筒、つまり筒子の①がドラとなる。

 その恩恵を有効活用するためにも、できれば刻子系の役と絡めて揃えたいところではあるけれども……そう簡単にはいかないだろうな。

 

 京太郎君を含め、いま卓に着いている選手はド派手な一撃必殺で勝利を掴み取るタイプというよりも、堅実に点数を重ねるタイプの打ち手ばかりという印象を受ける。

 こういった対局の場は荒れない事が多い。

 せめて一つだけでも豊音ちゃんのような確定和了系の攻撃手段を授けておけばと悔やまないわけではないけれど……無い袖は振れないしな、と気分を切り替える。

 

「現状のおさらいをしますと、現在総合トップの神前選手と総合二位につけている須賀選手との差は現時点で+33! 今の彼の持ち点を考えれば、一撃で逆転まで持っていくためには最低でも倍満以上の大物手が必要、と……うーん、数字的にはちょっと厳しいかな、と思わなくもないですが。小鍛治プロ的にはそのへんどうなんでしょ?」

「ハネ満程度ならともかく、倍満以降は狙ってやるのはちょっと難しいですからね……厳しいのは事実かと」

 

 この卓での現一位はオーラスで北家に座る大越選手で、30700点。

 南家の京太郎君が28000点で、卓のトップと総合一位の座を共に追いかけるという展開。

 親の狭山選手は三位で22500点、総合三位入賞のためにはマイナスのまま終われないといった様相だ。

 最下位に沈んでいる西家の高槻選手は18800と戦況的には不利な立場に追いやられ、あとは如何に大物手をぶつけて総合での順位を上げていくか、という一か八かの戦いへと移っていた。

 

 実質的に総合優勝の目が残されているのは総合一位から三位までの三名となり、その内の二名がこの卓で鎬を削るという展開となっている。

 しかし、別の卓で対局していた総合一位東東京の神前良太は既に対局を終えており、終了時点での総合得点は+191。

 こーこちゃんが言ったように、現段階で点差は+33まで開き、対象選手から直取りが出来ないこの場面において、一度の和了で総合二位の京太郎君が逆転で一位に躍り出るためには、倍満以上で和了すること、かつトップでこの対局を終える必要がある。

 総合三位の狭山選手は総合得点的に逆転優勝は厳しい、しかしラス親のためここで役満でも出れば何とか総合一位にも手が届くか、という感じ。

 お互いに狭いところでぎりぎり蜘蛛の糸一本分優勝の可能性が残っている状況ではあるものの、どちらにとっても見通しは実に厳しいと言わざるを得なかった。

 

 さらにもう一つの懸念に、この卓でトップに立っている大越選手の動向がある。

 彼は現時点で総合六位につけている上、暫定一位の神前選手のチームメイトである。

 彼の立場が難しいのは、もう一つ大きめの和了を狭山選手から直撃で奪う事ができたとするならば、最終戦の一位抜けは当然として総合三位までもが圏内として狙える範囲に自身がいること。

 しかし、同僚の総合優勝を後押しするためにここは安手で流すことも視野に入る場面であることも確か。

 勝負にいくのかあえて退くのか、その判断が他家の運命を左右することにもなりかねない。

 

「なるほどなるほど。たしかにそれは逆転で優勝を狙う二人の選手にとってかな~り致命的な状況といえるのではないでしょうかっ! それに二人の間で最後に順位が逆転するような和了があったら、総合でも二位三位の入れ替わりが起こる可能性も十分ありますからね!」

「ラス親というのはそういった面で有利だと思います。ただ、順位を上げるために直撃を取りたい相手の須賀選手は滅多に振り込まない堅守の選手として知られています。彼から当たり牌が出てくることはまず無いでしょうけど」

 

 この二年間で、防御に関しては及第点をあげられる程度には上手になった。

 彼の能力は、今では本気モード時以外の宮永咲の嶺上開花や満月時以外の天江衣の一発海底すらも防ぎきる上、原村さん譲りの危険回避能力で放銃率は一割を余裕で下回る。

 咏ちゃんが言っていたように、それこそ女子部の上位ランカーたちの中で闘ってもある程度は善戦できる程にその盾は磨きをかけられてきた。

 

 ただ、彼がこの対局で一度も和了できていないという事実もある。防御に比べて些か攻撃面で課題が残るのは、その能力ゆえにどうしても避けられない問題だとは思うけれど。

 点数は流局での他家のノーテン罰符で原点からマイナスにこそなっていないが、他家による能力への対策を受け、速い展開で流れに乗れないまま苦境に立たされているのは間違いない。

 

 そんな個人的に重苦しい展開が続いてきた中で、十巡目が過ぎたあたりでこちらの想定に限りなく近い手が出来上がった選手がいた。

 ――清澄高校、須賀京太郎。

 彼はここにきて同校所属の宮永咲もかくやという恐るべき引きで手を整えてきたのである。

 

 {2}{2}{3}{4}{4}{5}{赤5}{6}{6}{6}{8}{8}{8}

 

「これはっ……リーチをかけなくても他家から索子の2・3・6が出てくれば清一断ヤオ(一盃口)赤1で倍満確定の手になったァ!」

「ほぼ無駄のないツモで、ここに来てしっかり大物手を仕上げてきましたね。

 2索は山に一枚、東家の河に一枚。3索は山に三枚全残し。6索は最後の一枚を西家が順子で使っていますから、出てくるとしたら3索になると思うんですけど……」

 

 自分で引いて来れないぶん他家から出てくるのを待つしかないとはいえ、展開としては上々。

 しかし、対面の大越選手も山から筒子の③を引いてきて、同巡で聴牌する。

 

 {二}{三}{三}{四}{四}{五}{③}{④}{⑤}{4}{4}{發}{發}

 

 点数を稼ぐにしても、この卓を一位のまま逃げ切るためにもリーチをかけるという選択肢はあったんだろうけど、彼はこれまでと同じように捨て牌に選んだ②筒を曲げることなくそのまま置いた。

 形としては4索と發の双ポン待ち。けれど、ダマで待つ場合手としては役なしのため4索ではロン和了できないし、どちらにしろ二枚とも京太郎君の手の中にあるのでまず出てこないと見ていい。

 残る可能性は、發の暗刻による役牌1翻での和了くらいか。しかしこちらも一枚は一巡前に狭山選手が引いてきて手牌に抱え込んでおり、残りの一枚は山の中。

 例え京太郎君の能力影響下になくとも、リーチをかけたところで和了れる可能性は限りなく低いと言わざるを得なかった。

 

「あらら? ねえ小鍛治プロ、いくらなんでもここは即リーチに行くべき場面なんじゃないの?」

「一盃口か三色同順への手代わりを見て、でしょうね。全員の手を確認できる私たちだからこそ分かることだけど、今の形のままであればリーチをかけても当たり牌四枚のうち三枚までが他家に握られている状況ですから、判断としては決して間違ってるわけじゃないんですよね」

「なるほどねぇ。狙いはあくまで総合で順位を上げること、というわけですか」

「卓のトップで終わることももちろん大切なことだけど。まぁでも、手代わりを待ってるうちに他家から發が出たらそのままロンするとは思いますよ」

「それは順位を上げるのをあきらめてこの卓での一位死守に回るかもってこと?」

「これまでの手の進み具合から考えて、ここから大きな手が出来上がるとはちょっと思えませんし。それに、現在総合一位の神前選手が彼のチームメイトということもあります。

 出来うる限りは手代わりを待って、最悪自身の和了で対局を終わらせるつもりでいるはずです」

「なるほどー、仲間のアシストに回るわけですかぁ。って、言ってる間にこれは――」

 

 巡目が進んで、京太郎君のツモ番。山から持ってきた牌は――彼の特性によるものだろうか。この場で一番引いてきてはいけないはずの、眠っていた最後の發だった。

 思わず席から腰を浮かせそうになる。けれど、今この時、解説者の立場としてはもはや彼がどうするのかを無言のままで見守るしかない。

 何事か呟いてから、瞼を閉じて天を仰ぐ京太郎君。ここが勝負の分かれ目であることに、彼は気付いているのだろう。

 

「ここで最後の發を掴まされたのは清澄高校須賀選手っ! 發は生牌とはいえ、自身は逆転手を聴牌中! これはさすがに回避しきれず振り込んでしまうか!?

 大チャンスの直後にまさかの大ピンチ到来! 絶体絶命ともいえるこの状況を切り抜ける事ができるのか――っ!?」

「……っ」

 

 平静を保っているフリをしながら、それでもこーこちゃんから見えないところで拳を握り締めてしまうくらいは許して欲しい。今この時に引っ張ってきた生牌の役牌が危ないことくらいは、自身の能力を把握しきっている今の彼ならば当然理解しているはずだ。

 そして、その牌が導くことになる、別たれた二つの結末もまた――。

 

「見えるはずだよ、君には――」

「……小鍛治プロ?」

 

 それは君の勝利を手繰り寄せるために必要な、大切な一片だから。だから捨てちゃダメ。

 思わずマイクに拾われない程小さな声で、呟いてしまう私がいた。

 

 

 

 

「……」

 

 硬く目を閉じて天井を仰いでいた京太郎君が、強い眼差しを込めて瞼を開いた。

 ――ッタン!

 力強く打ち付けられたそれが、彼の手から離れてカメラ越しに周囲へと晒される。

 

 河に切られた牌は――逆転手のはずだった倍満聴牌を崩すことになる、赤5索。

 

 この闘牌を固唾を呑んで見守っていた、たった一人を除いて誰もが予測しなかったであろう、發を抱え込んでの赤5索切りである。

 事実上この時、須賀京太郎は逆転一位を諦めた。諦めたように誰の目にも映った。

 

「こ、これは……!? 独自の嗅覚で見事に振り込みを回避してみせた須賀選手! しかしながら逆転一位が遙か彼方へ遠のいてしまう痛恨の一打となりました!」

「……ううん、これでいいんだよ」

 

 彼は二つの分かれ道の、一つを選んだ。

 ただ一人、この場で私だけがその意図を理解している。それがたまらなく嬉しくて、そしてたまらなく――誇らしい。

 

「だ、だけどこれって倍満を捨てて聴牌を崩したってことになるよね!?

 發は対面が二つ、上家の子が一つ握ってる。これを抱えたままでいるってことは、事実上和了を諦めたってことになるんじゃ――」

「そうだね、福与アナの言うとおり發を引いた時点で須賀選手は倍満を諦めるしかなくなった。それは、紛れも無い事実」

 

 ここで切られた赤5索に関して他家からの声はかからず。試合はそのまま続いて行く。

 西家の子は今の京太郎君が見せた逡巡から大越選手の聴牌気配を察したか、オリに回った。

 総合順位ではもはや上位に入れないことを理解しているため、これ以上順位が下がらないよう無理をするべきではないと考えてのことだろう。

 そして聴牌中の北家は不要牌の南を引いてきたためそのままツモ切り。

 親ではあるが二向聴のままの狭山選手は、やはり彼にとっては何の意味も持たない3索をツモってきたため、これを即ツモ切りした。

 聴牌を崩した直後にピンポイントで飛び出した当たり牌に、観客もこーこちゃんも悲愴なため息を漏らす。

 だが――。

 

 下家の染め手を最も警戒していなければならないはずの彼にしては、あまりにも無防備すぎるその一打。

 直前に見せられた赤5索切りが、いくらかの逡巡を孕んだ末のオリの一手に見えたことで、彼の心理を揺さぶっていたのだろうか?

 あるいは、データとして頭に入れていた『須賀京太郎はその能力故に門前を崩すことは有り得ない』という固定観念による、ある種の見切りがあったのか。

 

「チー」

「――なっ!?」

 

 その驚愕に染まった表情から察するに、どちらの感情も彼の心の中に確かに存在していたのだろう。

 そしてそれは、他家の面々についても同じだった。

 京太郎君はあえてこの場面で自ら門前を捨て、上家の捨てた索子の3を鳴いてみせたのである。

 これにより、京太郎君は再び聴牌。逆転手だった倍満を捨てて代わりに手にしたのは、發を雀頭に単騎で待つ――。

 

「り、緑一色聴牌っ!! ここにきて須賀選手、なんと門前を捨てての役満聴牌ですっ! しかしこれは――」

「さっき福与アナが言ったように發はもう対面と上家に握られてるから、ほぼ和了れない形にならざるを得ない。攻撃は手詰まり、さらに絶対的な強さの盾を捨てた形、か。絶体絶命はまだ続くってところだろうけど」

 

 {2}{3}{4}{6}{6}{6}{8}{8}{8}{發} {横3}{2}{4}

 

 唯一逆転のために残された一手は、發単騎待ちの緑一色。

 しかも持ち持ちで出れば和了の対面からはほぼ出て来ないだろうし、晒した牌と河から索子の染め手が容易に想像できるこの場面においては上家からもまず出てこないだろう牌である。

 

 それでも京太郎君は前を向いている。下を向いたり、視線を伏せたりなんてしない。

 必ずどこかで發を掴めると、その瞳が告げている。

 時にはとても可愛らしくて、時にはとっても情けなくて。おもち狂いでお調子ノリで、それでも根底にある優しさと強さでとてもいい笑顔でニコッと笑う。

 ここ二年で見慣れていたはずのその横顔は、何故だろう?

 眩しくて眩しくて、なんだかすごく――格好良かった。

 

 

 京太郎君がその能力を解除したことで、場の空気はがらりと変わった。

 手代わりできていない北家の大越選手に当たり牌が流れないことは確定している状況だったけれど、代わりに親の狭山選手の手が大きく膨らんでいく。

 

 {①}{①}{赤⑤}{⑥}{⑦}{東}{東}{西}{西}{中}{中}{中}{發}  ツモ{東}

 

 十六巡目にして自風牌の刻子が完成し、さらに聴牌。

 自摸和了できない能力が解除されている今、混一色門風牌中ドラ2赤1に加え、リーチをかけて高めをツモればリーチ面前清自摸和三暗刻に更にドラが一つ増えて数え役満すら狙えてしまう絶好の手牌が揃った。

 ――いや、揃ってしまった。

 

「おおっとここに来て狭山選手、親の倍満聴牌となる自風牌をツモってきたっ! しかしこれは余りの發を出さざるを得ない状況になってしまったかーっ!?」

「先ほどの須賀選手と似たような状況になりましたね。振り込みを回避した上で勝負手を残すためには既に場に一枚切れている西の対子落としが有効な場面ではありますけど……」

 

 これを和了することができれば卓の一位はもちろん総合で逆転二位すら射程圏内に捉えることが可能なのだから、本来であればこれを僥倖と取るのが普通だろう。

 須賀京太郎が自ら防御を解き、結果として流れは自分へとやってきた。麻雀というのは一つの鳴きにより得てしてこういうことが起こりうるものだ。

 しかし逆にこの機を逃すようなことがあれば、流れは再び他家へと流れていくかもしれない。そんな強迫観念にも似た暗示が、次第に彼の心を支配していくのがその表情から見て取れた。

 次の一手で自摸るだろうという自信が確かにあるのだろう。

 真実、今の流れのままであれば、まず間違いなく自力で①筒を引いてくるだろうという奇妙な確信が私にもあった。

 

 だが、その激流にも似た流れを堰き止めるかのようにして手牌に紛れ込んでいる生牌の發。

 本来であれば、ここまで深い巡目になってしまえば絶対に切れない牌である。

 ただでさえそうなのに加え、オリたように見せていた京太郎君が3索を鳴いて5索を連続で河に切ったことにより、まさかとは思いつつも緑一色がちらりと頭を掠めたはずだ。

 だからといって、流してしまうにはあまりに惜しい――。

 いつの間にかそれは、激流へと変化した場の流れによってそんな至宝ともいえる大物手になってしまっていた。

 

「あそこで卓を囲んでいる誰にとっても、ここが正念場かな……」

 

 今大会で採用されているルールだと、最終局でのあがりやめが認められているため、親の彼には逆転手を和了した時点で対局を終えるかどうかの決定権が発生する。

 ――故に、選ばなければならない。

 ラス親での連荘、あるいは一撃必殺となりうる数え役満で総合一位を狙う道か。

 ここは倍満で妥協して、連荘時における振り込みのリスクを回避した上で総合二位で満足する道か。

 ……あるいは、次で①筒を引いてくる確信があればこそ、あえて發を抱え込んだまま聴牌流局して次の一本場に改めて役満和了を賭ける道か。

 

「正解を選べる確率は限りなく低いけど、それをしないとこの対局そのものが終わってしまうわけですから。狭山選手にとっては試練ですね」

「ねえ小鍛治プロ、実際にこんな手が揃っちゃった場面で流局を選べるものなの?」

「どうかな……少なくとも、今の彼の中だと一番選び辛い選択肢なのは間違いないと思うけど。でも、ここまで来たらあとはもう狭山選手の選択を見守るくらいしか私たちにできることはないよ」

「むむ、それはたしかにそうでしたっ! 総合得点上位を目指すすべての選手の命運を分かつ一打となるだろう狭山選手の選択は――っ!」

 

 三つの選択肢のうちどれが正解なのか、答えを知っている私たちであれば選ぶべき道は決まってしまっているように見えるけど。

 しかし彼はそれを知らないのだ。

 ここに来て一年生という浅いキャリアが仇になっているのかもしれない。京太郎君のように確信めいたものを感じ取れるような特殊な経験もなく、他家の聴牌を察知できるわけでもない。

 どう転ぶにせよ賭けになる要素の高い場面であることに間違いは無く。

 

 勝負をかけるべきところで動けない雀士にどれだけの価値があるのだろうか?

 以前、誰だったかにそんな風に問いかけられた記憶があるけれど。

 それも然り。どれが正解でどれが間違いなのかなんて、しょせん先に進んでみなければ分からないものなのだから。

 攻めるべきか、退くべきか。

 悩みに悩んだ上で――彼は引いてきた東を手牌に迎え入れ、ずっと右端に留めておいたはずの發を曲げて河に置いた。

 

「――リーチ!」

 

 これまでかけられなかった鬱憤を晴らすかのごとく、力強いリーチ宣言。

 彼の下した決断は――数え役満の和了によって総合一位を奪取する道。

 

 ざわり、と。

 同時に観客席がざわめいた。

 彼の本来のスタイルが攻撃重視だったこと。ラス親だったこと。そして何より状況がすべて自分寄りだと信じ込んでしまい、欲を出したことが裏目に出てしまった瞬間。

 北家の大越選手が思わず腰を浮かして、ロン宣言をしようと口を開きかけた――その時、だった。

 

「そ、それ――」

 

「――ロン」

 

 静寂に包まれる試合会場と、観客席と。実況をすべきこーこちゃんは言葉を失い、ただ呆然とその光景を眺めるだけ。

 パタパタと手牌が卓上に晒されていく音だけが辺りに響く。

 やがて、全ての牌が倒れきったところで唯一状況を完全に理解しているだろう京太郎君の声だけが。

 

「かっ攫うみたいで申し訳ないけど――緑一色、32000」

 

 その空間にゆっくりと染み渡るように広がった。

 

 

 

「きっ……決まったぁぁぁぁぁぁっ! なんとなんとなんとぉっ、清澄高校須賀選手、この追い詰められた土壇場でなんとまさかの役満和了――っ!」

 

 我に帰ったのか、隣でマイクを片手に叫びだすこーこちゃん。

 ふぅ、と小さく溜め息をついて椅子の背もたれに寄りかかる私。

 そんな対照的な二人の向こう側の世界では、静寂を切り裂くようにして大歓声が巻き起こっていた。

 

「これにより須賀選手はオーラスで逆転トップ、さらに総合得点でも現一位の東東京代表神前選手を抜いて全国個人戦逆転優勝~っ!!」

 

 なお続く雄たけびが鼓膜を震わせ、少しだけ機能を停止させていたはずの脳がその言葉の意味を噛み砕きながら理解していく。

 ――ああ、そっか。優勝したんだ。

 そんな風にどこかで納得する私が視界に捉えたのは、解説用のモニターの向こう側で喜びを爆発させている無邪気な男の子の姿だった。

 

「あっはは! やったよすこやん、あの子ついにやってみせたんだっ!」

「……福与アナ」

「――っとと、失礼しました小鍛治プロ。ええっと、では今の最後の場面の解説を――ってあれ、どこに行くの?」

「解説としては失格だけど。ちょっと出てくるから、あとよろしく」

「えっ!? ちょ、すこや――」

 

 止める暇も有らばこそ、というやつで。

 背中越しの声を無視して実況用の仮設スタジオから出て行く私。

 これまで散々テレビ局には勝手を許してあげてきたのだから、今日この時くらいはわがままを言う権利を認めてもらおう。

 そんなことを一人思いつつも、少しずつ、少しずつ歩く速度が早くなる。

 意図してのものではない。ただただ、もどかしいというか……私の足ってこんな短かったっけ?と思ってしまうくらいに普通の歩幅ではなかなか前に進まないのだ。

 

 階段を下りて、廊下の角を駆け抜ける。

 幸い誰かとぶつかるようなことは無かったし、お行儀は悪いが許してもらいたい。

 もはや歩くというより走っているという表現のほうが正しそうな気もするけれど。目指す場所へ向けて一直線に向かう私にしてみれば、そんなことは些細な事実だ。

 

 やがて――開け放たれた扉の向こうから、顔を真っ赤にして泣きながら出てくる選手――狭山くんを見つけた。

 最後の最後で攻めた結果、一番してはいけない振り込みをしてしまった彼。おそらく総合で三位からも転落し、だいぶ順位を下げてしまったはずだ。

 視線を伏せているため私のことには気づいていない。彼とすれ違う少し前にようやく私は歩調を緩め、淑女としては面目を保てる程度の速度となった。

 仮にも勝者の身内である私が、敗者である彼にかける言葉はない。

 振り返ることなく扉を潜り――周囲を見回して探すまでもなく居場所が割れる。

 こういう時、背が高いっていうのは探す側からするととても便利だと思う。

 人だかりの中心部分、自分の周囲にたくさんの記者が集まっているという慣れない状況に若干困惑気味の京太郎君がそこにいた。

 

 いつか見た事があるのと、似通った光景――だけど、周囲の喧騒の意味はあの時とは真逆だった。

 ちくりと痛んだ胸に突き刺さっていた小さな棘。ずっと片隅で(わだかま)っていた曇りが、スッと溶けて消えていくような錯覚に陥り、思わず苦笑いする私がいた。

 お調子者ではあるけれど、基本は素直で優しい子だ。

 こういった場でどういった振る舞いをしたら良いのか分からないのだろう。失礼の無いように丁寧に対応しようとするものの、興奮気味に語りかけてくる記者たちはヒートアップしていく一方で。

 困り果てた様子で周囲に視線を飛ばしている彼が、不意にこちらへそれを向けた。

 

「――あっ、師匠!」

「師匠? あ、小鍛治プロだ!」

 

 声に出すなと視線で訴えておくべきだったか。

 それまで京太郎君に向けられていたフラッシュが一斉にこちらへと向けられてしまい、その眩しさに思わず顔を顰めてしまう。いつになってもこれ慣れないんだよなぁ、なんて。

 そんなどうでもいいことを考えていたら、目の前に京太郎君がやってきた。

 

「お疲れさま。見てたよ」

「……っ、あ、ありがとうございます。俺、やったんスよね……?」

「うん。見事な緑一色だった。ようやく京太郎君は、ずっと望んでた場所に辿り着いたんだね。誇っていいよ、やっぱり君は私の自慢の弟子だ」

「師匠……っ」

 

 ぽんぽんっと肩を叩いてあげると、だんだんと彼の目尻に涙が溢れ出してくる。

 膝から崩れ落ちるようにして嗚咽を漏らし始めた京太郎君を、記者のカメラから護るようにして胸の中に抱き入れてあげた。

 仕方が無いなぁ。君が好きな大きい胸というわけにはいかないけれど、今はこれで満足してもらおう。

 

 震える頭を抱きしめながら、ふと思う。

 私はこれまで、麻雀はつまらないものだと思ってきた。それでも私に出来る唯一のものだったから、なんとなくそれに関わり続けて来ただけで。

 それはずっと続いていくものだと思っていた。

 麻雀を心から楽しめる日が来るわけが無いと、諦めてきた。

 そんな私だったから、勝ち試合だろうとリオでの負け試合だろうと、たかだか麻雀の試合の一つや一つで悔し涙を流したり感涙に咽び泣くなんてことは有り得なくて。

 それなのに――どうしてだろう?

 頬に少しだけ冷たい感触があるように思えるのは。

 視界がだんだんと悪くなっていっているのは。何故なのだろう?

 胸の中で震える彼が、愛おしくてたまらないのは。どんな感情から来るのだろう。

 分からないフリをしてやり過ごすことは簡単だ。でも、それでもいずれ追いつかれてしまうというのであれば――仕方が無い、認めよう。

 私はきっと、彼に――須賀京太郎君に、恋をしているのだろうと。

 だからにもこんなに胸が痛いのだろうし、こんなにも幸せな気分を味わえる。

 

「俺、やっと……っ! やっとあいつらに並ぶ事ができたんですよね……?」

「うん。そうだよ。君はもう、置いてけぼりにならなくていいの。清澄高校麻雀部の一員なんだって、胸を張って高らかに叫んでいいんだよ」

「でも俺、師匠が手を差し伸べてくれたから、だから俺はこうして……っ」

 

 いつだったか、そうしてみたいと思ったことがあったように。

 人差し指でゆっくりと、彼の唇と塞いでやる。

 

「ここまで歩いてきた道は私が用意したわけじゃない。京太郎君が選んで、自分の足で駆け抜けてきた道でしょう? だからほら――胸を張って、男の子。君は勝者、膝を付いて泣いてばかりじゃ格好が付かないよ」

 

 差し出したハンカチを受け取り、目尻に溜まった涙を拭き取る京太郎君。

 泣いてスッキリしたのか、次に見せてくれたのはニッコリととてもいい笑顔だった。

 

「そ、そうッスね。すみません、なんかかっこ悪いとこ見せちゃって……」

「ううん、そんなことは――」

「お~、さすがすこやん。まさかこの大衆とカメラのど真ん中でそんな大胆行動をとるなんて――いやぁ、一年ちょっとの間に成長したねぇ」

「って、カメラ!? 福与アナまでいるし!?」

「こっ、こここここここーこちゃんっ!? 何故ここに!?」

「いや何故って来ないわけないっしょ? 今年度個人戦チャンピオンの須賀京太郎君がいる場所にさ。んふっ、なかなかいいお姉さんっぷりだったよ!」

「あ、あぅ……」

 

 涙で化粧がどうとかよりももう今の現場を見られていた恥ずかしさのほうが先に立つわ。

 どうも遠慮ナシに今の光景をカメラに収められてしまっていたらしく、カメラマンさんはこちらに向けてぐっと親指を立てていい笑顔を見せている。

 あのカメラ群を全部破壊したら弁償額は幾らくらいになるだろうか?

 預金で足りればいいんだけど。足りなかったらもういっそもう一度世界戦に打って出て稼いでくるしかないかな。

 ――なんてことを本気で思っていたら。

 いつの間にか周囲には、こーこちゃんとお付きのカメラマンさんだけが残り、他の人たちは波が引いていくようにして居なくなっていた。

 

「さて。それじゃ落ち着いたところで勝者へのインタビューってことで、いいかな?」

「あ、はい」

「ほらほら、すこやんはこっち側っしょ。もしかして師匠として一緒に受け答えするつもりなの? まぁウチの局としてはそれでもいいけ――」

 

 全部を言い終わる前にカメラの後ろ側に避難する私。これ以上の恥の上塗りだけは避けなければ。

 その光景に満足したのか、こーこちゃんによる京太郎君へのインタビューが始まって。一つ一つの質問に笑顔で答えていく彼の表情をぽけっと眺めていたところ、何故かこーこちゃんの視線が一瞬こちらに向けられたかと思えば、ニヤリと唇の端を歪めて微笑んだのが見て取れた。

 

「さて。それじゃー須賀選手、最後になるけど一つ質問してもいいかな?」

「な、なんスか?」

「ズバリっ! この勝利を誰に捧げたいですか!?」

「――ああ、なるほど。定番ッスね」

 

 こーこちゃんの唐突な質問に、それでも京太郎君は既にその答えを用意していたかのようにあっさりと頷くと。

 

「それはもちろん、師匠であり――大切な人でもある、健夜さんに」

「――っ!?」

 

 私のほうを見て、微笑みながらそう言った言葉の意味を理解して。

 ああ、なんだ。私もちゃんと麻雀を楽しめているんだ、って。

 そう気付かせてくれた彼に、自然とこぼれたとびっきりの笑顔で返してあげた。

 

 

(後編に続く)




予想以上に文量が増えてしまったので、前後編の二部仕立てから急遽三部作になりました。
あくまで健夜さん視点による進行なので闘牌もダイジェスト気味に……。
このあたりの戦いの推移は、もしかするとライバルキャラまで掘り下げた状態で作品の完結に目処がたったあたり(番外編の進行次第)でリメイクすることも考慮に入れております。予定は未定ですが。

※この作品での個人戦ルールとしては、原作一巻における『開始25000点で30000点返しの順位点なし』を採用しています。


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最終話:福音@健やかなる永夜の調べ

 その夜。

 こーこちゃんの部屋でお祝い用のビールを片手に今日の最終戦について語らっていると、視界の片隅に放置されていた携帯電話が微かに震えた。

 ディスプレイに浮かんでいる名前は、須賀京太郎。

 ここには居ない、けれど紛れもなく本日の主役であろう彼のものだった。

 何度か震えてすぐに収まったということは、メールか何かだろうか?

 

「どったのすこやん?」

「ん。京太郎君からメールみたい」

「ほほう。どれどれ」

「ちょっ、覗き込んでくるのはマナー違反だよ!?」

「まーまー」

「まーまーじゃなくてっ! もう……ちょっとあっち行って見てくるから」

「ちっ」

 

 ヒラヒラと手を振っている辺り本気じゃないとは分かるけどさ。そこで舌打ちってどうなんだろう?

 リビングの隣にあるキッチンにやってきて、件のメールを開いてみる。

 件名の『夜分遅くにすみません』というのを見るに、緊急の用事か何かだろうか?

 嫌な予感というほどではないにしろ、胸にざわめきを覚えつつ開いた本文にはたったの一文。

 

 ――今から会えませんか?

 

 それだけが書かれていた。

 

「……? 祝勝会終わったのかな」

 

 気になって携帯で時間を見てみれば、現在時刻は夜の八時をちょっと過ぎたあたりである。

 たしかに高校生が、しかも明日以降に女子個人戦を控えている子が阿知賀側も含めれば合計五人もいる状況で、この時間以降まで馬鹿騒ぎすることはないか。

 本格的な祝勝会はおそらく個人戦で宮永さんが勝った後にもやることになるんだろうし。

 なんてことを思いつつ、現実逃避をしていても仕方が無い。

 これって、呼び出し……だよね?

 そう理解して鼓動が高鳴ってしまった時点で、行かないという選択肢は既に私の中には存在していなかった。

 

 

「あれ? すこやんどこかに出かけるの?」

「うん、ちょっと。あ、こーこちゃんは飲んでていいよ。ただ帰ってきた時に私に絡むのは止めてね?」

「それはちょっと約束できかねますね~、うへへへへ」

「うわぁ、既に出来上がってたよ……」

 

 果たしてこの状態のこーこちゃんを置いたまま出かけてしまっていいものだろうか?

 ――ってここ彼女の家なんだから酔いつぶれて眠ってしまったところで別に構わないか。締め出されても最悪ホテルに戻ればいいんだし。

 酔いのせいかは知らないが、終始ニヤニヤと笑っている家主に見送られつつ、部屋を出た。

 そういえばお酒を飲んでいたのは私も同じ。未成年を前にして酒臭いのはさすがに不味い。

 途中で目に付いたコンビニに寄りブレスケア用のタブレットを買ってから、彼が待っているだろう場所へと向かう。

 マンションからは少し離れた場所にあるそこには、ここ数週間の間だけで何度も足を運んだ記憶があった。

 全国高等学校総合体育大会、麻雀の部。

 連日行われている熱戦の舞台となっているその建物の前に。来るべき待ち人を望みながら佇む一つの影がそこにはあった。

 

「……お待たせ。ちょっと遅くなっちゃったね」

「いえ、そんなに待ってはいないんで」

 

 いつかとは逆。

 待たせる側と、待たされる側。あるいは呼び出した側と、呼び出された側と。

 かける言葉もかけられる言葉も、ほとんど同じ。けれど発する側は正反対で。

 一歩ずつ、彼へと近づいて行く。

 街灯の光だけでは二人の姿を映し出すには少しだけ心許ないが、個人的にはそれくらいでちょうどいいかな、と思わなくも無い。

 駆けてきたことによる二次的な意味合いでのものではない、頬を赤く染めている感情を覆い隠してくれる為にはきっとそれくらいが適任というものだろうから。

 

「それよりすみません、こんな時間に呼び出してしまって……」

「ううん、構わないよ。それより、まだきちんと言ってなかったよね」

 

 本題に入る前に、言っておこうと思った。

 そうしなければ、この後の展開がどうであれ、もう言えなくなるような気がしていたから。

 

「個人戦、優勝おめでとう。すごく感動した」

「ありがとうございます。師匠の……健夜さんのお陰ですよ」

「カメラの前でもそう言ってくれてたね。素直に受け取りたい気持ちももちろんあるんだけど、それでもやっぱり、今回の勝利は京太郎君ただ一人のものだと思うんだ」

「そんなことは!」

「ううん。去年の時も思ったけど、私はやっぱり、人を教えることには向いてないんじゃないか、って。口にはもちろん出せなかったけど、でも……ずっと、思ってたんだ……」

 

 思わず声が震えて、尻すぼみに小さくなってしまう。

 麻雀が強くなったのは私のお陰なんだ、なんて。そんなおこがましいことを言える程、私は自身のやってきたことに自信を持てる訳じゃない。

 こと麻雀という競技の上において私は強者であると同時に、欠落を抱えた存在でもあるのだから。

 それは、負ける側の気持ちを理解できないという、教えを授ける師としてはあるまじき欠陥。敗戦のたびに無神経な態度や言葉で彼を傷つけてきたはずだ。

 

「でも、京太郎君はそんな私についてきてくれた。私はね、それがなによりも嬉しいの。だから私のほうからこそ言いたいんだ。ありがとう――って」

「健夜さん……」

 

 それでも、彼は一途なまでに懸命な努力を重ね、そんな私についてきてくれたのだから。

 目標に向けて頑張ってきた彼の姿は眩しすぎるくらいで――私の側からありがとうと感謝を述べることこそあれど、彼からそれを贈られるのは……なんていうか、申し訳ない気分にすらなってしまうから。

 これはもう性分なんだろうと思う。

 

 そして、だからこそ考えなければならない事があった。

 

 いまの私の心の中に満ち溢れているのは、目標へと辿り着いたという充足感たりえるもの。それと同時に一抹の寂しさが混在している状態だった。

 京太郎君を全国の舞台で戦えるまでに成長させることこそが師としての私に課せられていた課題であり、契約だった。それをクリアした今――もしかすると私は、この人の師匠であるための理由を喪失してしまったのではないか?

 心の内に巣食っている、そんな疑問。

 無論、心情の大半ではそんなことはないと信じたいし、信じているつもり。でも……肝心の京太郎君に、そう思われているのだとしたら。正直言って今の私では耐えられそうにない。

 これから先、これまでと同じ関係でいるためにも、きちんと彼の気持ちを聞いておかなければならない。師と、弟子としての関係を続けるためには――避けては通れないことだから。

 

「あのね、もしも……だよ? もしも京太郎君が私との師弟関係をここで終わりにしたいって、そう言うんなら、私……」

「えっ!? ち、ちょっと待ってくださいっ! どうしてそういうことになるんスか!?」

「だって、私たちが師弟になるきっかけだった目標は今日達成できたんだし、もう京太郎君は私がいなくても立派に一人でやっていけるくらい強くなって――」

「――っふざけたことを言わないでください!」

「――!?」

 

 滅多に聞いた事のなかった京太郎君の怒鳴り声に言葉を遮られてしまい、つい呆然としてしまう私。

 あれ、なんで京太郎君はそんなに怒っているんだろう? という疑問が頭の中に過っていき、今までの自分の発言を鑑みて見た結果――。

 

 あ、これもしかして私が師弟関係を解消したがっているように思われてる?

 

 慌てて訂正をしようとするものの、動転しているせいかまともに口が回ってくれない。続きの言葉まできちんと聞いてもらわないことには、私の真意が一切伝わらないというのに。

 

「あ、ち、違――」

「さっきから黙って聞いてれば……いいですか!? 俺が緑一色和了って今日優勝できたのは全部ぜんぶぜ~んぶ、健夜さんのお陰なんだよ!」

「――へっ?」

「あの時俺、躊躇した! 發が当たるだろうって確信はあったけど、だからってここでせっかくの勝ちの芽を捨ててしまってもいいのか、って本気で悩んだんだ」

「――……」

 

 そういえば、で思い出す。あの時確かに、京太郎君は躊躇していた。

 それでもきちんと正しい方向を選び取れたのは、偏に彼の慧眼によるもので――私は一切関係なくない?

 

「あの時もし、相手の当たり牌が發じゃなくて別の牌だったら、勝負に行ってその時点で俺は振り込んで負けてましたよ。対面のヤツの待ちが發だったから……あの時ツモってきた牌が發だったからこそ、俺は勝者になれたんだ」

「……え? ど、どうして?」

「忘れたんですか? 俺が前に宮守でトシさんに能力を見てもらった時のこと。俺、あの時教えてもらいましたよね? 健夜さんの能力が何にカテゴライズされているのかって」

「……あ」

 

 呆れたような表情の京太郎君に言われて思い出す。

 てことはもしかして、あの時京太郎君が發を取り込んで緑一色に切り替えた原因って――私を象徴とする牌だった、から?

 真意を伺うように彼の瞳を覗き込んでみる。

 ふいっと逸らされた視線と僅かに赤くなった頬が、その推測が正しいんだということを教えてくれていた。

 頬に集まる熱が増し、再び心臓がバクバクと音を鳴らし始める。ああもうこの大事な時に五月蝿いな、いっそのこと止まってくれてもいいんだぞ私の心臓。

 ――あ、ごめんやっぱダメ。今この時に死んでしまうのは流石に困る。

 そんな場違いなことをパニクった頭でぐるぐると考えていると。

 真剣な表情を携えた彼が、その視線を私のほうへと向けてきた。

 

「俺にとって健夜さんは師匠であって、それ以上に大切な人だったから。だからあの時、どうしても切れなかった――いや、切りたくなかった。俺を勝たせてくれる存在がもしいるとしたら、健夜さん以外に居ないって分かってたから」

「京太郎、くん」

「その気持ちは優勝できた今でも変わってません。それどころかもっと強くそう感じてるくらいなんですよ?

 だから――そんな哀しくなることを言わないでください。俺にはまだ、貴方に教えてもらいたい事が山ほどあるんだ」

「……っ、うん」

 

 思わず溢れ出す涙が、熱くなりすぎた頬を少しだけ冷ましてくれる。

 そんな私を優しく抱きしめてくれる京太郎君。またあの時とは逆の構図になってしまった。

 夜とはいえ真夏の今、大柄の男の人に包まれているというのは暑苦しい状況ではあるけれど。

 急上昇して行く体温とは裏腹に、とても心地のいい気分に満たされている私が居て。離れたくない、と思ってしまった私は密かに背中に回した腕に力を込めた。

 

 

「今すぐは無理かもしれませんけど……俺、できれば将来はプロになりたいって思ってるんスよ。やっぱり麻雀好きだし、実力の片鱗くらいは今日示せたかな、って」

「京太郎君なら、なれるよ」

「師匠にそう言ってもらえるのは自信になりますね。今から楽しみになってきた」

「同じチームになれたらいいのに」

「つくばでチームメイトになるんですか。それもいいかな」

「そうなったらまた蓮根料理作ってあげる」

「今度はタコスに挟んであるのじゃない、正式なやつが食べてみたいです」

「遠征で色んな所に行けるかもしれないね」

「宮守に行った時みたいにっすか。今度は福与アナは留守番かもしれませんけど、それも楽しそうですね」

「それまでには白水さんたちとの決着も付けておかないと」

「龍門渕さんなら声をかければ文字通り飛んで来てくれると思いますよ。自家用ジェットで」

「ふふっ、そうだね――」

 

 涙が止まるまでの間、色々な事を話したと思う。

 今日までのこと、今日の試合の最中に考えていたこと。思い通りにいかない展開への不安だったり、逆に上手く嵌まった場面での自信からくる余裕だったり、教えてくれた話の中には色々な感情の彩が渦巻いていて、そのどれもが心の中に優しく響いて来るようだった。

 二人で居られるからこその、至福の時。

 

 そして、叶うならばこれから先もずっとこのままで――。

 

「……」

「……」

 

 そう思ってしまったら、もう止まらなかった。

 少しだけ緩んだ腕の中、濡れたままの顔を上げる。

 瞳と瞳がぶつかって、言葉は自然と口から漏れて空へと刻まれた。

 

「――好き、なの」

 

 何時からなのかは、もう分からない。でもずっとそうだったような気もする。

 

 返事を聞くのが怖い。こんなにも心が躍り、こんなにも心が怖気づくことがあるなんて思いもしなかった。

 

 見つめあう視線は、逸らさない。彼の瞳がずっと見続けてくれているから。

 

 やがて、ゆっくりと京太郎君の唇が開かれて――。

 

「俺も。あなたのことが好きです」

 

 その一文字一文字の意味を脳が理解して、驚愕に瞳が開かれていくのが自分で分かる。

 

 師匠として慕われていたのは分かっていた。でも、女性としてどうなのか――といわれると、京太郎君にとっては範囲外だとずっと思っていたのに。

 年齢にしてもそう。スタイルにしても、彼好みにはほど遠いものがあるし。

 

 自分から告白しておきながら、信じられない風に彼の瞳を凝視し続けている私を見てか、京太郎君はさも可笑しそうに笑っだ。

 

「自分でもどうしてか分かんないんスけど、もう自分でもどうしようもないくらいこの手をずっと離したくない。それくらい貴女の事が好きなんです」

「私、もうおばさんだよ? いいの……?」

「姉さん女房は金の草鞋を履いてでも探せ、って昔の人は言ってましたね。正直もったいないくらいだと思います、俺なんかには」

「もう……なんか、なんて言わないで。私は君が――京太郎君だから、好きになったの。だから……」

「健夜さん」

「あ――」

 

 言葉はもう必要ないと言わんばかりに、一層強く抱き寄せられる。

 それがごく自然な行為だと理解して、少しだけ背伸びをしながら彼の求愛を受け入れた。

 

 唇の触れ合うその感覚が、頭頂からつま先まで続く身体のすべてを宙に舞い上がらせるほどの衝撃を与え、頭の中を真っ白に塗り替えてしまう。

 抱きしめられている腕から伝わる温もりと、少しだけ震える唇の感触と。

 改めて、思う。

 彼を好きになって良かった、って。

 

 満月には未だ満たない上弦の月が見守る中で――二人の影はいつまでも、一つの線のまま重なり合って揺れていた。

 

 

 

 

 

-epilogue-

 

「さて、今年もやって参りましたインターハイ女子団体戦Bブロック準決勝! 解説はあの一躍大騒動を巻き起こした交際報道から早二年、半年前についに結婚して幸せ満載、小鍛治改め須賀健夜プロ、実況は福与恒子でお送りしますっ!」

「よ、よろしくお願いします」

 

 いつもと同じハイテンションで、のっけから全開なこーこちゃんの声を聞きながら。

 手元にある資料をパラパラとめくって対戦校四校について眺めていると、

 

「そういえば須賀プロ、なんでもこのたび第一子となるお子さんをご懐妊されたとか! いやぁ、おめでとうございます!」

「――ぶっ!?」

 

 放送開始初っ端から盛大な爆弾を放り込んできた。

 

「ちょ――そ、それまだ内緒っ! っていうか京太郎君にもまだ言ってないのになんでこーこちゃんが知ってるの!?」

「えっ? 旦那さんにまだ言ってなかったの?」

「だって今ちょうどU-22世界選手権で海外に……って違うから! 誤魔化されたりしないよ!?」

「えへへ」

 

 なにがえへへだなにが。いったいどこからそんなネタを――ハッ!?

 

「ま、まさか……お母さんから!? 直になの!?」

「さあそうこうしているうちに注目のBブロック準決勝先鋒戦、前半戦の開始ですっ! この対局での注目選手は数年ぶりに全国大会へやってきた島根県代表の――」

「ちょっと!? 勝手に爆弾放り込んどいて今度はスルー!?」

 

 

 いつまで経っても変わらない日常というのは確かに存在していて。

 私と彼女、旧姓小鍛治健夜と福与恒子はたしかにその象徴であったといえる。

 私が須賀健夜となっても、お腹の中に赤ちゃんが宿ったとしても、たとえ出産した後でもきっと私たちの関係は変わることなく続いていくのだろう。

 親友と呼べる存在がほとんどいない私にあって、彼女だけは、きっといつまで経ってもこんな感じで隣にいてくれるのだと。

 そんな風に信じられる、素敵な関係。

 

 そんな中でも、たしかに変化している関係というのがある。

 私と彼、旧姓小鍛治健夜と須賀京太郎はその最たるものであったといえる。

 出会った当初は取材対象。彼の苦悩を知ってからは麻雀の師として。

 触れ合い刻んでいく時間の中で、いつしか私は、彼のことを好きになってしまっていた。それは彼も同じだったらしいけれど。

 それまで異性に対する感情を募らせたことのない私にとって、それはまさしく初恋だった。

 そんな私は今、長年慣れ親しんできた苗字を変えて、須賀健夜となって最愛の人の隣で幸せを享受していたり。

 

 変わっていく関係――その象徴たる証の指輪を左手の薬指に嵌めたまま、私は今も変わらぬ日常の中で生きている。

 

 

-了-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

===================================================

■余禄@如何にして彼は栄光を掴むに至ったか

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 翌々日の女子個人戦の終了を以って、宮永咲は姉の成し得なかった夏の個人戦三連覇を達成した。

 小鍛治健夜の再来で後継者とすら呼ばれるようになった彼女は、京太郎君の隣でぱちぱちと手を叩いている私を見て困ったような笑顔を見せていたのが印象的だった。

 別にアラサーになるまで結婚できないって言われてるわけじゃないんだから、その目で見るのは止めて欲しい。

 

「それじゃ、グラス持ったわねー? 見事、清澄高校二連覇達成&須賀くんと咲の個人戦優勝おめでとうってことで、かんぱ~い!」

「「「「かんぱ~い!」」」」

 

 グラスを片手に音頭を取るのは、開催期間中ずっと自腹で応援にやってきていたらしい長野在住の大学生、竹井久である。

 他にも染谷さんとか阿知賀の関係者御一行様とか鶴賀の東横さんとその応援にやってきた旧鶴賀の面々とか、ほぼ無関係とはいえ色々と見覚えのある子たちが所狭しと並んでいたりするのだが。

 インカレの開催と重なっているため、そっちで解説やっているはずの豊音ちゃんと、大会参加組の旧宮守の子達がこっちに来られないのが些か残念ではあるけれど、それを踏まえても大所帯なのは間違いない。

 

 そんな中で、特別ゲストとして迎え入れられた私とこーこちゃんは、何故だかお互いが端っこと端っこに分けられて座らされていたりする。

 私の隣には京太郎君、こーこちゃんの隣には竹井さん。あの二人、確実に何かを企んでいるだろうこの配置である。

 それだけならまだしも。

 

「そうそう。例のアレさ、私も見てたよ? 小鍛治さんもけっこうやるもんだね」

「うっ……」

「いやぁ、あれは一人身には目に毒だったよね~。知らんけどさ~」

「ぐぬぬ」

 

 テーブルを挟んで向こう側、目の前には赤土さんが、その隣には何故か咏ちゃんまでいる始末だ。しかも話題は間髪いれずに私の恥部を容赦なく攻め立ててくるものだし。正直泣きたい。

 

「時に京太郎少年や」

「は、はい。なんでしょう三尋木プロ」

「小鍛治プロの胸の感触はどうだった? この人こう見えて実はけっこう着痩せするタイプなんだよね~、しらんけど」

「ちょ、咏ちゃ――」

「すげー柔らかかったです!」

「きょ、京太郎くん!?」

「おお、素直でよろしい」

「よろしくないよ!? っていうかアルコール入るの早っ!」

 

 ケラケラと笑っている咏ちゃんは、手にしていたビールの中ジョッキが既に空になりつつある。

 未成年がほとんどなんだからちょっとペース考えようよ、大人たち。

 

「ったくもう……京太郎君も変なこと答えないのっ」

「す、すみません。つい素直な感想が口からポロッと」

「――っ、す、素直な感想ならしょうがないかな、うん。でもあんまりそういうのは人には言わないでね、恥ずかしいから……」

「小鍛治さん、もうすっかりやられちゃってるんだなぁ……なーんかイメージ違うけど、ま、こっちのほうがトラウマ出てこなくていいか」

「そんなこと言って、赤土さんとはリーグで何度もやりあってるじゃない。全部私が勝ってるけど」

「くっ……そりゃまぁそうなんだけどね。って灼、どうした?」

 

 二人で話をしていると、咏ちゃんの向こう側から鷺森さんがやってきた。

 赤土さんと会うの久しぶりなのかな?と思いつつその様子を眺めていると、鷺森さんは咏ちゃんの代わりに赤土さんの隣に座って、じっと京太郎君のほうを見た。

 

「鷺森さん? どうかしたんスか?」

「試合見たよ。あの緑一色、すごかった」

「あ、ありがとうございます! でもあれはさすがに出来すぎッスよね」

 

 あははと照れ隠しに笑う彼を見ていたら何故だか胸がキュンとなった。

 おかしいな。私ってこんなキャラじゃないはずなんだけど……。

 もしかしたらお酒が回ってきたのだろうか。まだ半分しか飲んでないし、そんな訳は無いはず。うーん。

 

「正直な話、赤5索を切ったところで諦めたかなって思ったけど……それで、あの時のことで一つ聞きたいことがあって」

「聞きたいことですか?」

「ああ、それは私も。でもたぶん灼と同じことだろうから、任せようかな」

「ん。あのね――あの時發を切らなかった理由、教えてほし……」

 

 ぴくっ。

 私が一人で首を捻っている間に、鷺森さんと京太郎君との会話は核心部分へと進んでいたらしい。

 それを問いかけられた京太郎君はというと。

 何故だか落ち着きを無くした様にそわそわとし始め、そのせいか京太郎君より向こう側の清澄勢と阿知賀勢も何事かと耳をこちらに傾ける始末である。

 しかも、話を聞き及んだと思わしきこーこちゃんがよりにもよって余計なことを言い始めた。

 

「あー、あれねー。私も実況してて避けたのはナイスだけど諦めたんかい!って思ってたんだけど、そうじゃなかったんだよね? すこやんもなんかそんな風なこと言ってたし」

「小鍛治プロが、ですか?」

 

 話に食いついてきたのは原村さんだ。

 

「んー、なんかね。マイクが拾えないくらい小さな声で、あれなんつってたっけ……えーと」

「こっ、こーこちゃん? 思い出せないなら言わなくていいと思うよ?」

「――あっ、そうそう! 發は京太郎くんに勝利を手繰り寄せるための大切な一片だから手放しちゃダメ、とかなんとか」

「なんでそうはっきり覚えてるかな!?」

「勝利を手繰り寄せるための……」

「……大切な一欠?」

 

 部屋中の視線が一気にこちらへと集中する。

 京太郎君にはそのフレーズだけで先日の夜のことを思い出してしまったのだろう。頬が少し赤みを帯びてきているように見える。

 なんて冷静に構えているフリをしている私も同じで。すぐにでも顔が真っ赤になりそうだったので、お酒を飲んで誤魔化すことにした。

 

「たしかに、結果的にあの対局は發が決め手になった訳ですけど……では、小鍛治プロはあのような展開になると、あの時点で気付いていたのでしょうか?」

「うっ、うん。まぁ、京太郎君が勝つにはそれしかないだろうな、とは思ってた、かな」

 

 これは別に、暗喩が云々というのは別にした、理論的に根拠のある話である。

 發を抱え込まなければ京太郎君の振り込みで負けが確定したあの場面。

 生牌の三元牌をあのタイミングで引いてくる、というのはそれが即ち能力と不運のコンボによって取り込まれた相手の当たり牌だろうということは私たちの中では確信めいたものだった。

 

 しかしあの時点で、京太郎君は逆転手となる倍満クラスの手を既に揃えていたわけで。

 能力に関して詳しく知らない一般的な視点からすると、逆転優勝のためにはあえて勝負に出る必要のあった場面、ともいえる。

 だけど、当たり牌と分かっているものをむざむざ捨てて負けるというのはアホのすることだ。いや、別に最後に振り込んだ彼のことを言っているのではなくてね。

 

 となれば、勝つためには發をなんとか取り込んだ上で手を揃え直さないといけないし、そうなるとどうしてもこちらの聴牌を一度崩さなければならない。

 トップの対面が聴牌している状況で、手をあえて遅くする。焦る気持ちをぐっと堪えてそれを選択する必要が、あの場面ではあったのだ。

 もっとも、私から見えている限りでは対面の当たり牌は發一枚を除きすべて京太郎君が握りつぶしている状態。ここで發を出さないのであれば振り込む危険性はほぼなかったといえたけど。

 

 さて、そこから手を作り直すとして、総合で一位を取るためには倍満以上の手が必要だった。

 發を持ったままでは清一が混一にまで下がり、断ヤオも消える。あの時点で倍満以上に仕上げるために一番現実的で有用そうだったのは、どう考えても緑一色しか選択肢に浮かんでこない状況。

 しかも聴牌に持っていく前に他家から最後の一枚が出てきた時点ですべてが終了という、非常にギャンブル性の高い状態で、だ。

 だからこそ、上家から即座に索子の3が飛び出した時、京太郎君は確信を込めてこう思ったに違いない。

 ――やはりあれこそが、自分が勝つためには絶対に必要な一打だったのだ、と。

 

「發が超一級の危険牌ってことは引いた時点でもう分かってましたんで。どうしても切るわけには行かなかったっていうのがあったんですよね」

「ですが京太郎くん、あの場面で5索が完全な安牌というわけでもありませんでしたよね? 捨て牌からすると決して安牌というわけではなかったはずですが」

「あー、まぁ。たしかにそこだけ見れば和の言うとおりだけどさ。対面が聴牌したのは雰囲気で分かってたし、發が当たりってことなら俺のあの手牌で5索も相手の当たり牌なんて事はまずありえねーだろ。

 つーか和、お前そこんとこちゃんと分かっててあえて言ってるな?」

「ふふっ、さすがは京太郎くんですね。ではマホちゃんは今の彼の見立てがどうしてそうなるのかがきちんと理解できていますか?」

「えっ? あ、えーと……」

 

 静かに聞き入っていたはずなのに突然話題を振られ、目を丸くして視線を泳がせるその表情からは、素直に「分かりません」と読み取れた。

 救いを求めて向けられたそれに、小さくため息を吐く私。

 お酒でちょっと唇を湿らせてから、続きの解説を引き受ける。

 

 数牌のみでの多面張というのは、待ちの形が複雑怪奇に絡み合うこともあってなかなか読み通りというわけにはいかないものだ。

 ただ、この話の大前提として、字牌の發が当たり牌の一つであるということ。

 雀頭の単騎待ちならば他の牌は全て安牌になるわけだし、仮に發が対子状態にある多面張での待ちというのであれば、5索を河に切る際に()()()可能性を考えなければならない場合の相手の聴牌の形というのは、実はそう多くない。

 

 {5}{5}{發}{發}

 

 {2}{2}{2}{3}{4}{發}{發} or {6}{7}{8}{8}{8}{發}{發}

 

 {3}{4}{5}{5}{5}{發}{發} or {5}{5}{5}{6}{7}{發}{發}

 

 意外かも知れないけれど、この形に限られるのだ。

 京太郎君の手牌には2索が2枚と5索が2枚、さらには8索が3枚あった。上の双ポン待ちはともかくとして、この時点で四つの三面張に関してはまず準備段階から成立が不可能であることが判るだろう。

 

 そして、プレイヤーの京太郎君側からは直接見えていなかった情報ではあるけれど、下家の子の手牌の中には567索の順子が一つ存在していた。5索を一枚ここで消費している以上は、対面の手に5索の対子が存在しているはずが無い。

 京太郎君はおそらくその事実を、それまでの下家の捨て牌、視点移動と理牌の癖なんかの情報からきちんと察していたのだろうと思われる。

 故に彼の視点からいえば、5索はある意味で完全なる安牌だったというわけだ。

 

 ちなみに、仮に聴牌していない状態の下家が動いたとしても、できることといえばせいぜい赤ドラ食い換えのチー止まりだっただろうし、それくらいなら別に問題無かったことも添えておこう。

 

「ふわぁ、あの一瞬の中でそんなことまで……京太郎先パイはやっぱりすごいです!」

「まあその辺の読み方ってのは師匠からも和からも散々っぱらに叩き込まれたからなぁ。でもあの場面でどっちかを絶対に切らなきゃいけないってんなら俺は迷わず5索を切ったと思うぜ?」

「確実に当たるものか、当たるかもしれないものか、選ぶなら当然そうなりますか……それだけ發が当たり牌だっていう強い確信があった、ということですね」

「まぁ確信そのものに関しては勘としか言い様が無いんだけど、そういうこったな。っていうような理由ですけど、鷺森さんは納得いきました?」

「ん。少しまだ気になるところはあるけど、だいたいは」

「ねえ京ちゃん、私からもいいかな? 赤じゃないほうの5索も持ってたのに、どうして赤から切ったの?」

「えーと……しいて言うならありゃ竹井先輩の真似、だな」

「ん? 私の真似ってどういうこと?」

「部長の好きな悪戯みたいなもんッスよ。他家を引っ掛けるための囮と言うか、撒き餌というか。あんだけ迷ったあとに赤5索を切ったとなれば、相手も油断するんじゃねーかなって」

「ああ、なるほど。わざと赤から切ることで他家……っていうか上家から索子を引き出しやすくしたってことね?」

「まんまと食いついてくれたんで正直助かりましたよ」

 

 ニヤリ、と竹井さんに向けて笑う京太郎君。それ以上そっちに行ったらいけない、戻れなくなる。

 

「んでもさー、須賀くんあの時点で誰かから發が出てくるかもって思ってたの?」

 

 と、今度は阿知賀勢からだ。もぐもぐとつくね串をほうばりつつ高鴨さんが問いかける。

 

「ま、普通は出てこないよな。山に残ってれば、って感じで待つくらいで」

「だよね? でも私には須賀くんは上家が發を出すって確信してたように見えてたんだけど――」

「うーん、確信してたってわけじゃないぞ? でも下家から出てきたら負けちまうし、どうせなら自摸るか上家から出てきて欲しかったってのはそうだけど」

「小鍛治プロはその点、どう考えてたんですか?」

「私? 私は京太郎君が鳴いた時点で上家から出てくるだろうとは思ってたよ」

「「「「「えっ?」」」」」

 

 キョトンとした視線をほぼ全員から向けられる。そんな可笑しなことを言ったつもりはなかったんだけど。

 

「いやだって私はほら、上家が發を持ってたの見て知ってるから。京太郎君の能力が解除された時点で上家もすぐ大物手を聴牌するだろうな、とは思ってたし」

「え? どうしてですか?」

「それを話すとなると能力についてから話さないとダメなんだけど……聞きたい?

 原村さんなんて二年近くかかっても京太郎君のオカルトを信じてくれなかったから答えなんて分かりきってる気がしなくもないけど」

「当然です。オカルトなんてありえません」

「うっわぁ、和ってまだそう言い切れるんだ。三年間ずっとあのオカルトの温床清澄で麻雀してたくせに……なんか一周回って尊敬しちゃうわね」

「何を言っているんですか。憧だってオカルトなんて信じていないでしょう?」

「え? いや、私はなんていうか……オカルトだらけでむしろ困ってるわよ。つか阿知賀だと黄金期のメンバー私以外全員そんな力持ってるしっ!

 ドラばっか掻き集めたり赤い牌ばっか掻き集めたり筒子ばっかり掻き集めたり……しずに至っては深山幽谷の化身とかなんなんだっつーのよまったく」

「偶然です。全ては確率の偏りに過ぎないんですよ」

「宮永さんの嶺上開花での和了率を知っててそう言い切れる和の将来が心配だよ、私はさ」

 

 呆れ顔でそう零すのはかつての師であった赤土さんだ。

 私もここまで来ると君自身がもはやオカルト筆頭だよ、って言ってあげたくなってしまうけど……まぁそれはいい。

 

「コホン。話を元に戻してもいい?」

「あ、ごめんなさい。どうぞ」

「うん、ありがとう。原村さんは映画でも見てる気分で聞いてくれたらいいから。

 えーと、阿知賀の子たちは京太郎君が門前だと全員自摸和了できなくなるってことは知ってる?」

「知ってます! 合宿とか遠征とかで何度も打ったことがありますから!」

「そっか、そうだよね。じゃ、鳴いたらどうなるか知ってる子は?」

「……自摸和了できるようになる、じゃないんですか?」

「半分正解だけど、それじゃ不完全なの。ええと、京太郎君が今まで堰き止めていたモノが一気に放出されちゃうって言うのかな。つまり相対的に相手側に有効牌が入りやすくなるってことだと思ってもらえると」

「え、でも下家も対面の人にもそんなことありませんでしたよ?」

「単純に考えると分かるけど、対面のあの子の場合は当たり牌も伸びシロ部分も両方既に握りつぶされてたから。下家の子の場合はオリに回ってて手遅れだったし、だから入り込む余地が残ってた親の子にいい流れが集中してるように見えたんだろうね」

「ああ、なるほど……」

 

 堰き止められていた流れが急に解放されて、水位の低いほうにどっと流れ込んでくるイメージだろうか。

 つまり、いい流れが集中すれば自然とツモも良くなってくる訳で。

 上家の手がその勢いのままぐんぐんと伸びていき、結果的に大物手となりすぎて不要牌の發を手放さなければならなくなった。

 以前、取材で訪れた際に行った宮守での対局でも、京太郎君が鳴いたことで同じような現象が起こったことがあるのを私は知っていて。

 無論あの頃の彼にとって、それは単純にデメリットでしかなかったわけだけど。

 

 しかし――今回はそれを逆手に取った形となった。

 能力に拘りすぎて、それを捨てきれない打ち手は山ほど居る。それを適切な場面でひっくり返せるかどうか、それこそが真のオカルト雀士として上位に至れるかどうかの境界線だと私は思う。

 そして、あの土壇場で京太郎君はその一歩を踏み出して見せた。

 

 彼もまたそのことをきちんと理解していたからこそ、あの場面であえて防御の要であったはずの自身の能力を解除することを選択したのだろう。それは自分の能力の特性と、それが齎すメリットとデメリットをきちんと把握した上で、能力を自分の意思の中できちんと使いこなしたということでもある。

 以前私が言った「能力に振り回される事の無い打ち手になって欲しい」という願いを、彼は忘れずに覚えておいてくれた。それだけでも師匠としては鼻が高い。

 そして、だからこそ、京太郎君が倍満を捨てて緑一色を選んだあの時点で、おそらくいずれ上家が發を切ることになるだろうことが私には分かっていたのである。

 

「――とまぁ、そういった理由でね。なんとなく發が決め手になるだろうなって思ってたわけ」

「ほー……」

 

 大半の子が尤もらしく説明したそれを素直に受け入れて感心してくれている中。

 本来ならばいるはずのなかった合法ロリ……じゃない、咏ちゃんがぽそりと口を滑らせる。

 

「あー、そいえば小鍛治プロは能力發なんだっけ。なるほど~、そりゃ京太郎少年もあの場面で發は捨てらんないよね~」

 

 ぎくっ。

 大げさに肩を震わせるのは、私と京太郎君の二人である。

 

「……ん? どういうことですか三尋木プロ?」

「私も詳しいことはよくわっかんねーんだけどさぁ、なんでもその筋の関係者とかってオカルト能力者を選別するのに符号として字牌を使ってるらしいんだよね~。

 ほれ、幼稚園でも花の種類とかで組み分けしたりしてるっしょ? なんかそういうの」

「あわわわわわ咏ちゃん、飲み物もうないよね!? ほらなにか注文しなきゃ!」

「おっとと、まぁまぁ小鍛治さん。いいからいいから。三尋木さん、それで?」

 

 いつの間に背後に回っていたのか、ぐぐっと口ごと身体を押さえ込まれてしまう。

 赤土さんはけっこう身長が高いので、ちみっちゃい私が多少抵抗してもそうそう抜け出せるものでは無い。

 ああそこのこけし少女や、羨ましそうに見ているくらいならいっそ助けていただけないだろうか?

 そんな無言の訴えも届くことはなく。お酒で口が滑らかになっていて、かつ得意気になった咏ちゃんはずんずんと秘密を漏らしていく。

 

「たいていの能力者は風牌で分けてるらしーんだけど、小鍛治プロとか私みたいになんかよくわっかんねー特別な能力だった場合には三元牌が使われるとか言ってたかな~。詳しいことは知らんけど」

「ふむ、つまりその符号というか、組み分けでいうところの發に小鍛治プロは分類されてるってことでいいんでしょうか?」

「ま、そーゆーこったね~」

「「「「「ほほー」」」」」

 

 ギラリと輝く少女たちの瞳。光りすぎてて怖いよ君ら。

 

「なるほどなるほど、なるほど~。つまり須賀くんが發を切らないって言ってたのは――」

「小鍛治プロとの絆を信じた結果だった、ってわけだ」

「あったか~い」ポワポワ

 

 今現在、物理的に暖かいのはむしろ赤土さんに抱きかかえられている上に頬が上気している私のほうなんですけども。

 

「ちょっと羨ましい話ではありますね。それだけ強い絆があるというのは」

「うん、そうだね。私が嶺上牌を信じてるみたいに、京ちゃんは小鍛治プロを信じてるんだね」

「咲ちゃん、それはちょっと違うと思うんだじぇ」

 

 当の本人たちをそっちのけで盛り上がる女子高生及び女子大生たち。

 やばい。いい感じでお酒が回ってきているせいか抑止力がまるで働いていない成人組には、もはやあのパワーを止められる程の常識は持ち得ないだろう。

 せめて貝になろう。

 貝のように噤んでいさえすれば、からかわれた挙句に余計なところまで探られるようなことになりはしまい。

 

 ――そんなふうに思っていた時期が、私にもありました。

 

 打ち上げの名目が『清澄団体二連覇達成、須賀君宮永さん個人優勝おめでとう』というものから、『小鍛治プロ&須賀くん、祝!交際スタート』という、顔から火が出そうなほどこっ恥ずかしいものへと換えられるのは、そのしばらく後のことだった。




――というわけで。
これにて小鍛治健夜生誕記念特別恋愛成就編は終幕にございます。
最終話と銘打ってはいるものの、もちろんこれからも本編やら番外編は普通にまったりと続いていくわけですけども。
この『すこやかふくよかインハイティーヴィー』としての物語の終幕はここに向かうんだよ、という意味であえてそう付けさせて貰いました。すこやん末永くお幸せに!

さて。次回からはようやく本筋の白糸台編へと戻る予定です。
お待たせしてしまった皆様には申し訳ございませんが、今しばらくお待ちくださいませ。


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