【賛美歌13番】もしも悪役令嬢に○○○○○が転生したら【完結】 (主(ぬし))
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【賛美歌13番】もしも悪役令嬢に○○○○○が転生したら【超短編】

悪役令嬢シリーズの漫画を読んでたら思いつきました。


「え、エリザベート公爵令嬢!今日をもって、お前との婚約を破棄する!」

 

 貴族学園の庭園に若い男の声が広がる。彼こそ、この王国の次期国王であるフリードリッヒだった。彼は許嫁である公爵令嬢より、学園で知り合った平民出身の可憐な少女との初々しい恋を優先しようとした。彼の周囲を取り囲むのは、彼を慕う学園の生徒会役員たちだ。フリードリッヒを始め、誰も彼も美男ばかりであった。しかも、彼らの家柄は高く、宰相の息子や騎士団長の息子といった重要な役職者の血筋に連なる者ばかりだった。彼らは自分たちの子分たちを連れてきており、この庭園で孤立しているのは椅子に腰掛けているエリザベートただ一人だ。

 さすがのエリザベートもこれにはたじろぎ、泣いて許しを請うだろう。フリードリッヒは無理やり頬を歪めて笑ってみせた。

 だが。

 

「………用件は………それだけかしら………」

 

 ぞおおおおおおっっっ!!

 ひと睨み。ただのひと睨みで、その場にいる全員の総身を原初の恐怖が襲った。肉食動物の牙を前にしたネズミの記憶が蘇る。紅茶のカップに薄い唇で触れる金髪美貌の可憐な少女は、少女にまるで似合わない鋼のような眼差しでフリードリッヒを睥睨する。何の価値もない石ころを見るような目に怒りが沸き立つも、恐怖という冷水を浴びせられて脚がすくむ。

 

「そ、そ、そ、それだけ、とは、ど、ど、どういうっっっ!!??」

 

 声が声となって出ていかない。蝶よ花よと育てられた令嬢とは思えない、何百人もの人間を無慈悲に血祭りにあげてきたような冷酷な視線に突き刺され、フリードリッヒの喉は無様に震えるだけで声を形作ろうとはしなかった。

 

 不意に、学園のどこかから、場違いに軽やかな賛美歌が聞こえてきた。魔力による蓄音機から奏でられるどこか機械的な音曲。それは神秘的な音色のはずなのに、なぜだか血生臭いような謎めいた不安な響きが脳髄をざわざわと微震させる。

“我がすべてを主にささげ、罪ととがにうち勝ちて、悩みの日に主を覚え、御心にぞそいまつらん”

 

「これは───賛美歌13番(・・・・・・)?」

 

 教養のある誰かがつぶやく。と、それを追うようにやおらエリザベートがその場からぐんっと立ち上がった。思わずギクリと後ずさりをした生徒会一同に一瞥も与えず、まるで何事もなかったかのように彼らに背を向ける。その態度に、もっとも短気でこの場では一番の新顔のユーリがこめかみに青筋を立てる。

 

「待て!女のくせに、王子に向かってなんだ、その態度は!こいつ───」

「ゆ、ユーリ、ダメだ!エリザベートの背中に近寄るな(・・・・・・・・・・・・・・)!」

 

 騎士団長の息子であるユーリが激情にかられてその長駆を高く跳躍させ、エリザベートの背後へと一挙に迫る。フリードリッヒは、その行為がユーリにどんな結末をもたらすかを身を以て知っていた。次の瞬間には顎を砕かれたかつての美少年が地面に転がっている。

 果たして、結果はそれ以上に酷いものだった。ユーリは顎と鼻の骨を完膚無きまで粉砕され、血反吐を噴き出しながらフリードリッヒの足元に転がってきた。美丈夫だった顔面はもはや元には戻らないだろう。白目を剥いた意識のない眼球がフリードリッヒを見上げている。

 

「………邪魔を………しないで頂けますか………?」

 

 拳で殴ったのか。はたまた足で蹴ったのか。もはやそれすらわからなかった。ひるがえるスカートすら視認できなかった。このなかでもっとも戦闘能力の高いユーリですら、手も足も出せずに半殺しとなってしまった。この場にいる者全員が理解した。誰も、彼女に敵わないことを。

 エリザベートは、いつからか背後に人が立つことを極端に嫌うようになった。ワガママな公爵令嬢ではなくなった幼少期から、背後に人が立つたびに凄まじい形相で暴力をふるい、叩きのめすようになった。誰に握手を求められようと決してその手を握ることはしなくなった。

 

『利き腕を……他人に預けるほど……わたくしは自信家ではありませんわ……』

 

 どんなに年上の、どんなに階級が上の人間に対しても決しておもねることをせず、むしろ悪魔のような気迫で圧倒してみせた。生物としての本能が、己が彼女に匹敵し得ないことを如実に伝え、威厳高き国王ですら数秒と堪えられずに気絶した。

 彼女は、知性は極めて高く、この世界の誰も知らないような知識を秘め、身体能力はずば抜けて高く、魔力による攻撃において狙った標的を外したことは一度もない。誰にも負けたことはなく、誰にも己の内を明かすことはない。

 

「え、え、え、エリザベート!おおおおおおおおお、お前はいったい、なんなんだ!?」

 

 彼女を敵に回してしまったことの恐怖に歯をかち鳴らすフリードリッヒの絶叫じみた問いかけに、エリザベートは顔だけでぐるりと振り返る。肩越しに見据えられた途端、フリードリッヒの股間は温かな小水を派手に漏らした。受け止めきれない恐怖に目の前が真っ白になり、彼はついに泡を吹いて卒倒した。残された者たちには、次期国王の醜態を笑う余裕もなければ、助ける余裕もなかった。地に膝をついて頭を抱えて許しを請う少年少女たちを、やはり何の価値もないものを見る究極の無関心の目で一瞥すると、エリザベートはハイヒールで地を鳴らしながらその場を後にした。

 

 依頼人が、待っている。




完全に勢いで書いたものです。誰かに楽しんでもられば幸いです。


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悪役令嬢(ゴルゴ13)が平民を精鋭兵士に育てて近衛騎士団を圧倒する話 1話

 タイトル通りです。中世ファンタジー世界で、ゴルゴ13が転生した悪役令嬢が現代戦の知識を使って兵士を育て上げ、王国軍をチートばりに圧倒していくお話です。まさか続きを書くことになるだなんて。
 そういえば、デューク東郷の“デューク”がそのまま“公爵”を意味するということを感想コメントで教えていただいて初めて知りました。偶然の一致です。運命を感じましたので、そのままコールサインとして使わせてもらいました。感謝。


 満月の白光が降り注ぐ藍色の夜。美しいホワイトローズが咲き誇る広大な庭園を背景に、二人の男女がささやかな茶会を催していた。一人は、この栄えある王国の大貴族にして、国王を補佐する公爵を務める壮年の男。そしてもう一人は、その娘、エリザベートであった。

 象牙から削り出したような冷ややかな美貌の少女に対し、公爵はげっそりとやつれ、多大な心労に今にも押し潰されかけていることが見て取れる。二人の間に流れる王国随一の専属楽団のきらびやかな音楽も、彼の心労を減じさせるには甚だ無力だった。敬愛する主人の様子を案じた楽団の指揮者はたびたび公爵を振り返り、公爵を幼少期から支えてきた執事長セバスチャンも主人の傍らに寄り添い立って心配そうに血の気の引いた横顔を覗き込んでいる。この場でそのことを気にもとめていないのは、実の娘であるはずの公爵令嬢エリザベートただひとりであった。

 

「……我が公爵家も、私の代で終わりだ」

 

 地面に向かって吐き落とされた弱音は、50歳のものとは思えなかった。死に追いつかれかけた老人のようなそれに、セバスチャンが「旦那様、滅相もないことを」と窘めて奮い立たせようとするも、主人を奮い立たせられるだけの根拠も経験も己のうちにないことを悟り、次の言を紡ぐことができなかった。

 

「……“騎兵合戦”とは、あの王子も姑息なことを考えたものだ」

「真に姑息の極みでございます。130年も前のカビの生えた法を利用してお嬢様に意趣返しをしようなどとは。しかも己の実力によってではなく近衛騎士団を持ち出してくるなど、公私を混同した越権にも程があるというものです」

「それだけ、我が娘が恐ろしいのだろうよ」

 

 力のこもらない笑みで正面の愛娘を見やる。エリザベートは常と同じく、お家の危機などどこ吹く風という無関心な態度で、新しい地方から輸入した紅茶の味を試している。己の娘ながら空恐ろしいほどに頼もしい堂々たる態度だが、それだけに、彼女に歴史ある公爵家を相続させられない悔しさが増した。

 

「しかし!そもそもの発端は婚約者であるエリザベート様を差し置いて別の女生徒と恋仲になった挙げ句に一方的に婚約破棄を言い渡してきた王子殿下であり、恥をかかされた恨みなど逆恨みに過ぎないではありませんか!そんなくだらぬ恨みを晴らすためにこの公爵家をお取り潰しにするなど、もはや正気の沙汰とは言えません!」

 

 珍しく声を荒げた執事長に、楽団の演奏が乱れる。怒れる執事を、公爵はそっと手で制する。

 

「やめよ、セバスチャン。我が公爵家の最後の家宰が、公然と王家を侮辱したなどと後世の歴史家に書かれたらどうするのだ」

「旦那様……!旦那様はまだ王家に忠義を尽くされようとしているのですか。王子殿下の蛮行を掣肘しようともしない陛下にまだ忠義を尽くされようとしているのですか」

 

 現国王は、王子が物心付く前まではそれこそ名君と讃えられていた。だが、なかなか子どもに恵まれなかったため、60歳を過ぎてようやく生まれた一人息子である王子を溺愛し、それが国王の眼を曇らせていた。公爵もまた、子どもをなかなか授かれないと悩んでいた末に生まれたエリザベートを心から愛していたため、国王の内心を理解できた。国王の悩みを間近で聞いていたからこそ、国王を責めることは憚られた。

 

「どうしようもないのだ。せめて忠義を厚く尽くし、それによって少しでも寛大な処置を願い出るしか、もはや我が公爵家にとれる選択肢は残されてはいない。“騎兵合戦”を申し渡された時点で、我らの負けは必定だったのだ」

 

 どんな時も毅然としていたセバスチャンの顔貌が、死人のように暗く陰った。

 “騎兵合戦”。それは、貴族同士が自らの有する領軍を用いて戦う、いわば決闘の代理戦争だ。その昔、肉体に障害を抱えていた有力貴族が嫉妬の対象である貴族に決闘を挑みたいがために成立させたという。両者は同じ丘の上に陣取り、チェスを指すかのように己の兵士を操作し、どちらかが最後の一兵を殺すまで続けられる。この悪趣味な法律は、長い時を経て忘れ去られていたが、此度、王子によって発掘され、利用されることとなった。

 王子は、独力ではエリザベートという個人には絶対に勝てないと理解し、それでも己の非を認めることを拒んだ。そして、それぞれの家が有する独自の兵力を駒として戦わせる方法ならエリザベートに土をつけることが出来ると考えたのだった。そして、エリザベートが敗北した場合には敗者の連帯責任として公爵家を廃嫡するという条件まで突きつけてきたのだ。

 

「我が公爵家には、領軍らしい領軍がないことなど、王子殿下はご存知のはずなのに……」

「だから、であろう。そのことを知っているからこそだ。殿下はそういう御方だ。しかも騎兵合戦の日までわずか1ヶ月の猶予しか与えられぬとは、慈悲のカケラもない。それほどまで私のエリザベートが怖いのだろう」

 

 公爵家はたしかに貴族のなかでも随一の権力と権威を有している。それは、長年王家に忠誠を誓い、領地領民全てで以って王家を支えてきたからである。当然、そこには軍事力も含まれる。つまり、公爵家はその兵力すらも王国に供出しているということだ。王国が盤石である限り公爵家の守護と権益も約束されている。公爵家は、王国と王家とは一心同体であると信じていた。忠誠心はどこの貴族家よりも厚かった。だが、その王国から反故を突きつけられた今、公爵家はもはや己の身を守る術すら持っていないに等しい。

 治安維持を担当する警邏官たちは、戦争が本職である騎士たちとは比べることもおこがましいほど無力だ。せいぜい山賊を追い払うのがやっとの彼らなど、馬に乗って戦場を駆け、剣弓で人間を殺すプロである騎兵たちにとっては単なる獲物でしかない。

 しかも、王子は騎士団のなかでも精鋭中の精鋭が集結する近衛騎士団の主力300名を自らの駒とすることを決めていた。単純な剣技に加えて、魔法スキルを有する者も数多く所属し、チャリオットまで保有する精鋭かつ最新鋭の武装集団である。たとえ財産をひっくり返して世界中から傭兵を集めたとしても、到底勝てるわけがない。近衛騎士団とはそれほど強大な存在なのだ。

 

「エリザベート……」

 

 悲哀に喉をつまらせながら、公爵は己の娘を見つめる。満月の輝きを一身に吸い込んだホワイトローズの化身ともいうべき少女は、今は亡き愛妻にそっくりだった。娘をむざむざ不幸にさせてしまう。妻になんと詫びればいいのだろう。真正面から見ることができなくなり、公爵は重たげに深く俯く。

 

「エリザベート、お前に、兵を育て、兵を扱う技倆が備わっていればなあ。お前にそれが可能であればなあ」

 

 そう願わずにはいられなかった。公爵とて無能ではない。むしろこの王国でもずば抜けて優秀極まる貴族にして官僚だ。だが、それ故に、天から自らに戦術の才覚が与えられていないことがよくわかった。強兵に対し、寡兵で立ち向かうための知恵も経験も持ち合わせていないことは自分自身がよくわかっていた。だからこそ、思う。もしも、この恐るべき愛娘に、その才覚が備わっていたらなら、と……。

 

「………お父様」

 

 カップとソーサーがかち合う軽快な音。

 

それは依頼ですか(・・・・・・・・)?」

 

 異論を挟む余地を許さない、剣閃のような声。ハッと顔を上げれば、エリザベートの鋭い眼差しがこちらを真っ直ぐに射抜いていた。こちらを凝視する視線が1ミクロンとてブレないまま、その口元に再びカップが運ばれる。控えめに立ち上る紅茶の湯気のベール越しに、公爵は一瞬の幻覚を見た。

 そこには、見目麗しい18歳の公爵令嬢はいなかった。葉巻をくゆらせる(・・・・・・・・)岩のように頑健な男(・・・・・・・・・)が、こちらを値踏みする険しい目つきを向けていた。その光景は、まるで流れる雲間に数瞬だけ覗き見えた月のようにかき消え、次の瞬間には美しい愛娘へと戻っていた。だが、その強靭な意志の力を放射する眼差しだけは、なんら変わってはいなかった。

 公爵は、この娘が裏の世界で何をしているのかを朧気にしか知らない。公爵の情報力を以ってしても、エリザベートの裏の顔について見通すことはできない。しかし、()()()()()()()()()()は知っていた。

 

 曰く、“依頼成功率99パーセント”

 曰く、“不可能を可能にする令嬢”

 

 不可能を可能にできるのならば。それならば、最後に必要となるのは、依頼主の度胸だけだ。

 その事実に思い当たった公爵の頭のなかで、プツンと大きな何かが切れる音がした。後生大事にしてきたあらゆるしがらみ全てが千切れ飛んだ。

 

「……賛美歌13番だ」

「は?」

 

 突如、公爵が椅子を蹴飛ばして立ち上がった。

 

「セバスチャン!賛美歌13番を流せ!!」

「は、はいッ!」

 

 セバスチャンが慌てて振り返り、その意向を汲み取った指揮者が頷いて己の楽団に大急ぎで指示を飛ばす。打てば響く反応で、庭園に荘厳かつ重厚な音楽が満ち、怒気迫る緊張がビリビリとみなぎる。

 

「もはや堪忍袋の緒が切れた!!」

 

 押し殺していた感情の手綱を自らかなぐり捨てた公爵が、握りしめた拳をテーブルに激しく叩きつける。公爵は今まで見せたこともないような憤怒の表情を形作り、火山のような勢いでエリザベートに依頼(・・)を突きつける。

 

「エリザベート!あの調子に乗り腐った王子(クソガキ)を、そのプライドごと完膚無きまで徹底的に叩きのめして、二度と日の目を拝めないようにしろ!徹底的に、再起不能になるまで徹底的にだ!いや、それだけではない!一向に子離れ出来ない耄碌した国王の馬鹿野郎も痛い目を見せてやれ!国中がぶったまげるほどの痛い目を見せてやれ!これは正式な依頼だ!報酬は、我が公爵家の資産全てだ!!!!!」

 

 天に向かって獣の如く咆哮した実の父を前に、エリザベートの硬質の瞳は何の感情の機微も表さなかった。しかし、公爵には、彼女の眦がほんのわずかに微笑んだように見えた。

 

「………そのご依頼、たしかに承りましたわ」

 

 それだけ言うと、エリザベートはゆっくりと立ち上がり、優雅な身のこなしで夜の闇へと溶けていった。

 安堵感と、その何千倍もの怖気───自分がしてしまったことへの途方も無い恐怖───を味わいながらも、公爵は顎に力を込めて意味ありげに笑った。

 矢は放たれた。もはや、王子たちに未来はないのだ。




 マーク・グリーニーの『レッドメタル作戦』を読んでてふと思いつきました。「21世紀の総力戦とはこうなる!」というリアルな描写が面白かったです。
 しっかし、どうすれば、何十人もの登場人物を一人ひとりちゃんと動かすことが出来るのか、不思議で仕方がないです。『灼眼のシャナ』の高橋弥七郎先生然り、『ウィザーズ・ブレイン』の三枝零一先生然り。同じ作品で動かせる登場人物なんて、僕は片手分で精一杯です。案外、プロと素人の線引基準は、“同時に動かせるキャラクターの数“なのかも。


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悪役令嬢(ゴルゴ13)が平民を精鋭兵士に育てて近衛騎士団を圧倒する話 2話

悪役令嬢(ゴルゴ)シリーズとして書くか、新しい物語として書くか、とても迷ったのですが、中身がゴルゴの方が現代戦の知識とかあっても説得力があると思ったのでシリーズとして書くことにしました。一発ネタを続けるのは恐ろしいものがあります。楽しんでもらえれば幸いです。


 一ヶ月後、合戦当日。快晴の正午。

 

 小規模な森と平野がまばらに点在する盆地一帯。それらを見下ろす小高い丘の頂上に、2つの陣営が豪勢な観戦所を設けていた。一方は、勝ち誇った顔を浮かべる王子を中心とした、王国旗の翻る天蓋(テント)。もう一方は、彼に騎兵合戦という決闘を申し込まれて窮地に追い込まれているはずのエリザベートを中心とした公爵家の天蓋(テント)だ。

 互いに手を伸ばせば指先が届く程度の間隔をあけて、王子の隣には絢爛な革張りの総指揮官席にエリザベートが座り、すぐ傍らには彼女の父親である現公爵が佇んでいる。お付きの者たちを多く侍らせる王子と違い、エリザベート側はわずか二人のみ。

 

 王子の目論見に反し、エリザベートの顔貌には変化は見られない。さしもの鉄面皮も、実家である公爵家の存亡の危機とあれば歪みを見せると王子は当たりをつけていた。しかしながら、そこには悲哀などカケラも見て取れず、むしろ氷のような美貌の内で、瞳だけがギラギラと剣刃のような好戦的な輝きを放射している。その横顔は例えようもないほどに美しいが、皮一枚下に蠢いているのは恐るべき悪魔だ。自分は許嫁としてこの少女と接するようになってから悪魔の片鱗を何度も目撃していた。か細い肢体の見た目に騙されたユーリが頬骨と顎骨を粉砕されて生死の境を彷徨った半年前の出来事を思い出し、ブルリと背筋が震える。

 王子はその恐怖を乗り越えた。乗り越えた、と自分に言い聞かせた。エリザベートを自らの王国から排除するために知恵を絞り、こうして騎兵合戦を挑むことを決断した。卑劣漢?卑怯者?大いに結構。いかなる(そし)りを受けようと、自分の未来からエリザベート(あくま)を廃するためならどんな汚名も気にはしない。そのために、こちらは恥も外聞も捨て、国王陛下(ちちうえ)に頭を下げて玉座の足を舐めるが勢いでわめき泣きついてまで、精鋭中の精鋭である近衛騎士団を連れてきたのだ。しかも一ヶ月をかけて、国王や大臣が住む宮殿など王国中の重要拠点から屈強な近衛兵を引き抜いてきた。

 対して、公爵家はと言えば。

 

「兵士の数を御覧ください。こちらは総勢311名。相手はたったの80名です。間違いなく勝てるでしょう」

 

 王子の側近兼参謀役でもあり、学園では生徒会の仲間であり学友でもある眼鏡をかけた美形の青年が耳打ちする。耳打ちといっても、明らかにエリザベートに聞こえるような、あからさまに当てこすりをする声量だった。

 

「事前に得た情報ですと、エリザベート様は合戦を申し込まれてすぐに平民たちを集めたそうです」

「平民?そいつらを訓練したというのか?たかが1ヶ月で?」

「いえ。それが、まるでこうなることを予測していたかのように、すでに訓練が完了した様子の屈強な男たちが公爵家に参集する様子が目撃されています。全員が、支給されたらしい大きな緑色の円筒形雑嚢(ダッフルバッグ)を背負っていたと。総数は200名程度だったそうです」

 

 王子は黙したまま次の情報を待ったが、青年がそれ以上語を紡ぐ様子がないので「それだけか?」と怪訝な目つきで隣を見上げた。青年の父親は王国の誇る諜報機関の長官であり、息子であり次期長官である彼にも諜報機関の権能の使用権が与えられていたはずだ。

 

「エリザベートの兵士たちにスパイを何人か紛れ込ませると言っていたじゃないか。当然、あそこに紛れ込んでいるんだろ?」

「……殺されました」

「なに?」

「一人が報告にやってきた日、私の目の前で狙撃されました。締め切った窓に空いていたわずか指先ほどの隙間を狙って、6区画以上離れた建物の屋上から。脳みそが散らばって、即死でした」

 

 王子は思わず身体を捻って青年を仰ぎ、その表情が死人のように青ざめているのを見て、こめかみを冷たい汗が一筋、顎先へと伝い落ちていく。

 

「げ、下手人は?捕まえたんだろう?」

「狙撃されたことすら判明したのは今朝方のことです。そもそも、弓も魔法も届かない距離と隙間から誰かを狙って殺す方法があることすら知られていませんでしたから、とても下手人の捕縛など……」

 

 その通りだ。弓の狙撃でも指先ほどの隙間を狙うことはできないし、魔法の攻撃到達範囲は弓に遠く及ばない。6区画となれば、相手は点ほどの大きさにも見えないだろう。この世界のいかなる遠距離攻撃方法でも不可能だ。

 

「ほ、他にもスパイはいたんだろう?腕利きのスパイを何人も潜入させると言っていたよな?そいつらを使って公爵軍を混乱させると」

「全部で8人を潜入させました。敵国のどこにでも潜入できるような手練ばかりです。それが全員、沙汰がありません。以前から公爵家に潜入させていたスパイメイドも、難民を装って公爵領に浸透していた休眠スパイたちも、突如報告を途絶させました。おそらく、殺されています。こちらの工作はすべてバレていたのです。私の眼前でスパイが殺されたのは、警告の意味だったのでしょう。それ以降、どのスパイたちも怖がって公爵領への潜入を拒否するようになりましたので、最新の情報はありません」

 

 どちらからともなく、二人は揃って隣の椅子に腰掛ける少女に目を向ける。二人の視線に気が付かないのか、気付いていても歯牙にも掛けていないのか、エリザベートは常と変わらず無感情の双眸を正面に向けたまま妖艶な唇で紅茶を嗜んでいた。血のように真っ赤な紅を引いた唇がやけに鮮烈に目に焼き付く。わけもなく圧倒されて、王子の喉がゴクリと勝手に震える。それを押し隠して、彼はあえて傲慢な格好で椅子に深く腰掛けなおした。

 この王国は世界最強。そして近衛騎士団は王国最強。つまり、自分の軍は間違いなく世界最強の戦力だ。3分の1以下の相手に負けるはずがない。絶対に。絶対にだ。

 ひくつきかけた口元に全霊の力を込め、王子は傲岸不遜な表情で眼下の自軍を見下ろす。総勢311名。311名だ。相手は80名。3倍以上の差がある。3倍だぞ。

 きらめく王子軍の強壮な眺めに、彼の胸は一気に軽くなった。成人男性の平均身長を軽く超える偉丈夫たちが色とりどりの鉄鎧を全身に帯びて陽光を勇ましく反射している。近衛騎士になるためには、まず生まれながらの頑健な肉体はもちろん、家柄の格式も必要とされる。彼らはそれぞれ麗しい貴族家の出身であり、各家の権威を象徴するためにそれぞれの武器防具が細部にまでこだわった装飾と色彩を具えていた。まるで大地に広がる巨大なタペストリーであり、これほど見事な兵隊は世界広しといえど今この瞬間のここにしか存在しない。

 

「お、王子、心配いりません。役立たずのスパイなどいなくても十分勝てますよ。相手がいくら姑息な仕掛けをしていようと、力で押しつぶせば良いのです。ほら、公爵軍を御覧ください」

 

 促されるままに公爵家の用意した兵士たちに目線を流して、王子の気分はさらに急浮上し、笑みを取り戻すだけの余裕を得た。騎兵どころか騎士でもない。鎧すら着ていなかった。ただの男たちの集まりだ。ゴワゴワと硬そうな繊維でできた衣服は上下とも緑のまだら模様に染まっており、胸や肘膝に申し訳程度の軽鎧がついている。頭には見たこともない、装飾のカケラも施されていない濃緑色の丸兜(ヘルメット)。カカシのように身じろぎ一つしない彼らの姿は、しっかり目を凝らしておかないと背景の平野と森に溶け込みそうになるほど地味だ。

 

「は、ははは。弱そうだな。なあ、お前たちもそう思うだろう?」

「いかにも王子の仰る通り。なんて地味なのでしょう。華美さとは程遠いですな。さすがは平民を集めただけの寄せ集め。剣を揃える費用もなかったと見える」

「貴族家出身の近衛騎士の華やかさとは無縁ですな。武人としての気構えに欠けております」

 

 せせら笑う声が王子の背後でさざ波のように広がる。その台詞の通り、公爵軍の誰も腰には剣を帯びていないし、盾もない。馬にも乗っていないし、チャリオットもない。その代わり、全員が魔力で鉛の小粒を射出するという鉄製の筒を背に担いでいる。

 最近、公爵家で発明されたというその奇妙な道具は、少しずつ世に存在が知れ始めてはいたが、古式ゆかしく伝統を重んじる騎士たちはその有用性を聞く前から鼻で笑って手に取ることすら拒んだ。剣盾のほうが、女々しく弱そうな鉄筒の玩具よりよっぽど男らしく、勇壮であると。

 

 まさにそれを証明しようと躍起になっている男が、王子軍の先陣の馬上で目を血走らせている。真紅の兜で隠した顔に、頬と顎の骨を砕かれてから、かつての美丈夫の面影は見る影もない。“少女に一撃で惨敗した”という不名誉な事実によって後ろ指を指されることとなった騎士団長の息子───王子の学友でもある───ユーリが、復讐の炎を燃え上がらせて双肩を荒い息遣いで持ち上げている。見開かれた眼球は狂人のように血走っており、唇の端には興奮のあまり吹き出た泡がこびりついている。

 

“勝利の暁には、エリザベートを好きにしていいぞ”

 

 王子の約束が何度も頭に蘇る。学園の庭で、公衆の面前で受けた屈辱を何万倍にもして返すため、ユーリは父親である騎士団長に半ば脅迫する勢いで自らの参戦を願い、実現させたのだ。親の権力を利用した彼は、今、王子軍の団長として一際雄々しい巨馬に跨がって鼻息を荒くしている。

 彼自身は、単騎としての能力は高くとも300名にも及ぶ騎士の指揮など経験もなければ知識もない。それを心配した彼の父親である騎士団長は、息子を補佐するという名目で実質的な現場指揮官の役割を果たさせるために己の優秀かつ忠実な副官を送り込んでいた。成人前に騎士となってから初老に差し掛かる今までに2度の戦争と4度の紛争を経験した筋金入りの戦士であるモスコーである。

 

(おいたわしや、ユーリの坊ちゃん)

 

 ユーリの傍に控えるモスコーが気の毒そうな顔を彼に向ける。モスコーは彼のことを幼い頃から知っていた。それゆえに、プライドを砕かれたことの復讐に固執するユーリの姿は見るに堪えないものがあった。これも、貴族学院で仲の良かった王子が、許嫁であるエリザベート公爵令嬢ではなくそのへんの町娘と恋慕を結んだせいだ。ユーリは友人として王子を諌めるべきだったのに、よりによって王子に同調してエリザベート嬢を排除しようと実力行使に出た。それがこの哀れな若者の人生を分かつ分水嶺となったのは間違いない。

 モスコーはチラリと丘の上に厳しい視線を飛ばす。ユーリをこんなふうにしてしまったくせに、そんなことなど気にもせず椅子にふんぞり返る王子の態度に腹が立つ。それに、彼の背後に控え、その(おご)った態度を諌めようともしない騎士団長にも同じくらいに腹が立っていた。昔はまっすぐ過ぎるくらいまっすぐな人間だったというのに、子ども(ユーリ)可愛さか、今ではすっかり権威に尻尾を振る弱腰を見せるようになった。自分と同年代なのに、そうは見えないほどに老けた見た目も見るに堪えない。

 しかし、その騎士団長に渋々ながらも従うしか無い自分も偉そうなことは言えないと悟り、モスコーは周囲にわからない程度に頭を振った。

 

(とにかく、自国の平民への虐殺だけは止めなくては)

 

 彼自身の真の目的は、ユーリの補佐とは別にもあった。いざ戦いに出れば、ユーリの暴走を止めなければならない。かの有名な(・・・・・)エリザベート公爵令嬢が用意したとはいえ、しょせんは平民の集まりだ。どこで訓練したかもわからない烏合の衆がわずかに80名。それに比べ、こちらは最強の近衛騎士団である。しかも王宮や城や重要な各地の宮殿からかき集めてきた精鋭中の精鋭ばかりが総勢300名。歴史的に見ても、近衛騎士がこれだけの数、一箇所に集まったのは前例がない。その上、高位の魔術師を乗せたチャリオットも三台準備している。これでは一方的な大虐殺は免れない。

 ……少なくとも、ついさっきまではそう思っていた。

 

「……副団長」

「ああ」

 

 2度目の戦争から共に轡を並べた古参の騎士の押し殺した呟きに、モスコーは阿吽の呼吸で同意の頷きを返した。

 理性を失いかけているお飾り指揮官(ユーリ)は当然のように気がついていないし、“騎士の中の騎士”とおだてられてきて腕っぷししか能のない若い騎士たちも気付いていない。しかし、古つわ者の騎士たちは肌で感じ取っていた。

 平原を挟んで対峙する、エリザベート公爵軍の異質さ(・・・)を。

 

「装備が全員同じだ。顔にも緑色の塗料を塗っている。これではどいつが大将首かわからん。どいつが指揮官なんだ?」

「体格もだ。どいつもこいつもまったく同じ体格をしている。うちの若い連中よりよっぽど頑健そうだ。おそらく、全員が同じレベルの練度になるように徹底的に訓練されたに違いない。いったいどんな鍛え方をしたんだ」

「上半身がやけに大きい。剣を使うための筋肉じゃないな。あの魔法で動くという鉄筒か?」

「気付いたか。アイツら、一時間前に整列してからピクリとも動いてない。式典専用の騎士みたいに動かないぞ。気味が悪いくらいに躾けられてやがる」

 

 声を潜めて訝しがる騎士たちに、モスコーが威圧感を膨大に含めた一瞥を刺して居住まいを正させる。相手を過小評価するのはもちろん、過大評価することも、士気を低下させて戦いを不利にする結果に繋がるとわかっているからだ。だが、モスコーも内心では相手を不気味に思っていた。激しい戦闘を経験してきた彼の第六感が、「この戦いは違う(・・)」と金切り声をあげて叫んでいた。

 

(あの目つき(・・・)。あれはなんだ。我々騎士とは明らかに違う。あれはなんだ)

 

 緑色のペイントが施された公爵軍の平民兵士の顔に視力を凝らす。まだら(・・・)模様の塗料のせいで目鼻立ちどころか頭部の輪郭もボヤケて見えるが、そのギラついた眼力だけは見て取れた。戦いを前に、子供のように高揚して武者震いをしているこちらとは対照的な、獲物を静かに狙う老練の狩人(ハンター)のような眼力を向けられ、我知らず拳を握りしめる。

 

(俺としたことが、自分もまた相手を過大評価しようとしている。心配ない。大丈夫さ。ここには頼もしい武人たちがいる。“最強の近衛騎士団”の自負を持って正々堂々と挑むのみだ)

 

「ユーリ団長!モスコー副団長!総指揮官より、騎兵合戦を開始せよとの通信です!」

 

 水晶玉そっくりの形状をした通信球の操作を担当する騎士が声を上げる。再び丘を見上げれば、王子が大気を切るように片腕を大きく振り乱していた。同じくそれを見上げていたユーリが獣のような唸り声で歓喜を示し、血の気の多い若武者たちが王族の前で良い格好をして目をかけてもらおうと鬨の声を上げる。

 彼らがやりすぎないように諌めつつ圧勝しなくてはならない。難しいが、やってみせよう。百戦錬磨のモスコーの指揮能力は間違いなく王国最高に違いなく、彼自身もそれを驕りではなく実績として自覚していた。

 

「さて、気が引けるが、エリザベート嬢のお手並み拝見といこうか」

 

 モスコーは右手を平行に前に差し出し、それを今か今かと待ち望んでいた側仕えの騎士が大笛を音高く鳴らして王子軍を前進させる。

 

 そして───虐殺が始まった。

 最初の被害者は、モスコーだった(・・・・・・・)




さあ、現代戦を教育してやろう


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悪役令嬢(ゴルゴ13)が平民を精鋭兵士に育てて近衛騎士団を圧倒する話 3話

書いてると楽しくて、ついつい長くなってしまいました。きりのいいところで投稿します。
200名の兵士のうち、王子軍との戦いに参加してるのは半分と少しです。あとの残りはどこに行っているのかというと………乞うご期待!


 時は少しさかのぼり、丘の上にて。

 

「王子殿下、エリザベート様、騎兵合戦の準備はようございますか?」

「万端だ!」

「………いつでもよろしいですわ」

 

 好戦的な視線で敵意丸出しに睨みつける王子に対し、エリザベートは彼のことなど眼中にないと言わんばかりに眼下の戦場(フィールド)を俯瞰して小揺るぎとてしない。まるで実験を観察する学者(・・・・・・・・・)のような超然とした横顔に、プライドを傷つけられた王子のこめかみに怒りの血脈が刻まれる。

 合戦審議官が始めの合図を発するより前に、己の通信球を掴み上げた王子が感情に任せて指令を大声で吹き込んだ。

 

「始めろ!今すぐ!やってしまえ!真正面から轢き潰せ!!」

『は、はい!ただちに伝えます!』

 

 直後、大笛(ラッパ)の悠々と間延びした音が鳴り響き、ユーリとモスコーを先端とした総勢311名の精鋭騎士が前進を開始した。ほとんどの者が騎馬であり、ファイアボールやアイスランスといった攻撃魔法の達人を乗せたチャリオットが中央と左右に配置されている。かき集められたばかりの騎士たちは、整然とした立派な見栄えの行進は出来ないまでも、堂々とした足取りで大地を揺らしながら勇ましく前進していた。

 鎧の大男たちが地を踏みしめる重奏音が腹の底を心地よく揺らす。奴らが味方でよかった、と王子は心から満足した。たとえ数を倍する敵であっても、奴らならやすやすと勝利を掴み取るに違いない。その勇姿に、王子と側近たちの心には例えようもないほどの安堵感が満ちていった。

 

(さあ、エリザベート!どうする!?)

 

 さすがのエリザベートも騎士団の威容には感じるものがあるに違いない。自分たちとは反対に、自らの兵士たちの末路を想像して怯えているに違いない。王子はニヤニヤと勝ち誇った表情をそのまま隣にぐるりと回して、

 

『デューク総指揮官(アクチュアル)、こちらデューク・エコー指揮官(シックス)。全チーム位置についた(インポジション)

 

 エリザベートの通信球から発せられた聞き慣れない用語の羅列に顔を曇らせた。エリザベートの妙なる女声が淀みなく応える。

 

「エコー指揮官(シックス)最終確認(チェック)。作戦遂行に支障は?」

支障なし(ポジティブ)

よろしい(アクト)。それでは、第一段階(・・・・)を始めなさい」

(ログ)

 

 そして、虐殺が始まった。最初の被害者は、モスコーだった。

 

 

 

 

………

 

 

 

 

 パスパスッ。

 茂みから聞こえてきたのは、風船から空気が抜けるような奇妙に間の抜けた音だった。それに気付いたのは、騎乗していない若い騎士の一人だった。兜の目庇を少し持ち上げると膝の高さほどに伸びた雑草の平野に目を転じる。正午の強い日差しを浴びた緑の平野は、先ほどまでと変わらないのんびりとした景観を広げている。煮染めたような濃厚な草花の匂いが鼻腔に吸い込まれる。その長閑な風景を見渡して、思考が一瞬、故郷に飛んで帰りそうになる。彼の実家は子爵家であったが、三男坊の彼は当主になる教育を受けさせてはもらえず、もっぱら領主の城の裏庭で同年代の領民たちとチャンバラを楽しんでいた。

 

(こんな楽勝な戦争ごっこなんか早く終わらせて、久しぶりに家に帰りてえな───)

 

 そんな呑気な思考は、突然自分の上に倒れ込んできた重量物の衝撃によって中断された。

 

「……モスコー副団長?」

 

 先ほどまで馬上から自信満々に王子軍を指揮していた頼れる男が、自分の背中に全体重を預けて寄りかかっていた。分厚い鉄の鎧を軽々と着込んでいた筋骨隆々の戦士が、まるで風を失った旗のようにぐったりとしている。馬から滑り落ちたのだろうか。この母親の腹の中にいた頃から騎士だったかのような勇者には似合わない失態だ。そんなことが今まであっただろうか。

 

「しっかりしてくださいよ、もういい歳なんですから」

 

 茶化した騎士につられて幾つかの笑いが散発する。が、一向にモスコーは起き上がる気配を見せず、次第に彼らの笑顔は不安に取って代わられることとなった。

 

「副団長?どうされたんですか?」

 

 骨太なモスコーの身体を受け止めた子爵の騎士がその顔を覗き込む。ガラス玉のように見開かれたモスコーの目は、青空を湛えたままこちらを見ようともしない。

 

「───ひいいっ!?な、な、なんだよこれぇっ!?」

 

 ここに来てようやく、彼はモスコーの後頭部が兜ごとごっそりと抉られて消失していることを理解した。モスコーは、彼自身が自覚することなくすでに絶命していたのだ。心理的な衝撃に喉ががばっと開き、絶叫がほとばしる直前、

 

「うわァ──ッ!?中隊長が!中隊長が死んでる!誰か、誰か助けてくれぇっ!」

「え、え、えっ!?」

 

 自分よりも先にあげられた悲鳴が覆いかぶさるようにして平野に響き渡った。

 

「ぼ、ボイエンズ中隊長!?ボイエンズ中隊長が息をしていないぞ!血が出ている!」 

「シャリン小隊長の血が止まらない!死んでる!誰だ、誰がやりやがった!?」

「敵兵とはまだ接触もしてないぞ!矢が飛んできたのを誰か見たか!?」

 

 虚ろな表情のまま首を回してみれば、あらゆるところで混乱が生じていた。次々と仲間の誰かが死んでいるらしかった。

 その内、彼はある共通点に気がついた。突如倒れ始めた騎士たちは、全員がなんらかの階級と責任を帯びた指揮官だった。集団の頭となるべき男たちが次々と馬から力なくずり落ちて、周囲に己の落命を伝えている。彼らは死んだのではない。狙って殺された(・・・・)のだ。

 

「なんてことだ」

 

 彼は絶望の呟きを落とした。なぜなら。

 

「し、小隊長(・・・)!俺たちはどうすれば!?」

 

 すがりつくように顔を寄せてきた若い騎士を愕然と見返す。他でもない彼自身もまた、小さな集団の長であり、上の者が命を落としたら自動的に次席指揮官になる立場の者だったからだ。

 彼がはっとして茂みに生じたわずかな違和感を視認するのと、彼の眉間に風穴が穿たれるのは、まったく同時だった。

 

 

 

 

………

 

 

 

 

『小隊長が死にました、いいえ、殺されました!頭に穴が開いてます!王子殿下、我々は何者かの攻撃を受けています!ここには指揮官がいません、指示をください!!』

「な、何を言っているのだ?要領を得ないぞ。ユーリは?いや、ユーリはいい。モスコーは?モスコーはどうした?こういう時のためにあのジジイがいるんだろう」

『ユーリ団長は無傷です。しかし、副団長は戦死されました!指揮官全員もです!ここには一般の近衛騎士しか残っていません!』

「は……?」

『至急ご指示を頂きたい!我々はどうすれば!?』

 

 「嘘だろう」と身を乗り出して自軍を注視した王子は、目を疑う光景に開いた口を塞ぐことができなかった。さっきまで勇壮に行進していた王子軍が、踏み潰さんとする幼児の足から逃れるアリの群れと化して右往左往していた。混乱する男たちの怒号と悲鳴が空気を震わせながらここまで伝播してくる。息子のユーリが無事であることにホッとした騎士団長を除き、取り巻きたちの顔面から生気がガラリと抜け落ちる。明らかに異常極まる事態が起きていた。

 何をされているのかわからない。わからないが、原因は間違いなく隣の女だ。王子が凄まじい形相でエリザベートを睨みつけるも、彼女は最初から微動だにしないまま戦場を冷ややかに俯瞰するのみだ。その横顔からはなんの思考も読み取れない。

 この女はたしかに“第一段階(・・・・)”と言った。つまり、目の前で起きている事態は、事前に考えて準備していた作戦ということだ。そこまではわかる。そこまでは。だが、何をされているのかがわからなければ手の施しようがない。だてに次期国王としての英才教育を受けてきたわけではない王子は、頭に叩き込まれた過去の戦訓書を脳内でめくって似たような事例を探すも、参考になりそうな知識が己のなかに無いことに気がついて呆然とした。

 

「なんだ───いったい何が起こっているんだ───」

「王子!早急に兵たちに指示を!公爵軍が迫ってきています!ものすごい速さです!」

「なにいッ!?」

 

 ギョッとして側近の青年が指差した方向に視線を飛ばせば、80名の平民兵士たちが全速力で王子軍へと走り迫っていた。恐ろしく速い。重心を低く保った姿勢は、到底疾走には向いていないだろうに、雑草をかきわけながら───というより草木と一体化しながら───蛇のような俊敏さで王子軍との距離を詰めていた。鎧も剣も盾もないからこその常識はずれな進軍速度はまさに目にも止まらず、しかもただ一人とて落伍者はいない。肩で息をする様子も、息を切らせる様子もなく、80名がまるで分身体であるかのようにまったく同じ移動速度を見せつける。どれだけの演練を積めばこんな芸当ができるのか、想像もつかない。

 

『て、敵が来ているぞ!弓が得意な者は射て!射て!魔術師はなにをしているんだ!』

 

 通信球の魔力を切り忘れているらしく、狼狽する騎士たちの声が手元から聞こえてくる。

 慌てた近衛兵が弓矢を放つも、冷静さを著しく欠いた投射は明後日の方向に飛んでいく。弓矢は面での攻撃で威力を発揮するのであり、散発的かつろくな狙いもつけていない矢には、公爵軍を威嚇するほどの力もなかった。ファイアボールやアイスランスについても同様だ。魔法もまた弓矢のように放物線を描く。着弾点を計算していない魔法など子供だましに過ぎない。だが、それでも先んじて排除すべき脅威と判断されたらしい。

 

『おい、どうしてチャリオットが動きを止めるんだ───ああ、クソッ!魔術師が死んでる、死んでるぞ!どうなってるんだ!』

『デューク総指揮官(アクチュアル)、こちらデュークエコー指揮官(シックス)機動力撃殺(モビリティ・キル)敵兵排除(エネミーダウン)目標掃討完了(ターゲットクリア)

よろしい(アクト)、エコー。擾乱攻撃を続けなさい(キープシューティング)

(ログ)

 

 混乱を極める王子軍と反比例するように冷静かつ単調な公爵軍の通信が鼓膜に忍び寄る。堂に入った応答は短いながらも完璧な意思疎通ができていて、否が応でも練度の差を思い知らされる。

 

「お、王子、このままでは」

 

 側近が呻くのも無理はない。彼我の距離がどんどん詰められていく。悪鬼の手のように忍び寄る得体のしれない敵の姿は、王子軍にも王子にも多大なプレッシャーを与えていた。公爵軍の兵士が抱える、一切の艶のない鉄の筒が王子の注意を引く。

 

(魔法の力で鉛の小粒を弾き出す道具!鉛の小粒にそんな威力があったとは……!)

 

 種が分かったからといって今すぐどうにか出来るわけもない。もともと、現場指揮官(モスコー)ありきで編成された王子軍は、モスコーがいなければ組織だって動かすことは出来ないのだ。エリザベートはそれを見抜いていた。さらには、招集された騎士団の顔ぶれを事前に調べ、最初に殺しておくべき騎士を選んでおいた。そして、合戦の火蓋が切られたと同時に刈り取った。だから、お飾りでしかないユーリは生残しているというわけだ。頭のなかでパズルが組み上がれば、自然の帰結として、騎士たちを襲ったものの正体にも行き着いた。

 

「そうか、伏兵(・・)か!合戦が始まる前にこちらの近くに伏兵を忍び寄らせていたのか!卑怯だぞ、公爵殿!」

「はて、騎兵合戦の条項には、どこにも“事前に伏兵を忍ばせてはならない”など書かれておりませんが。そもそも、別働隊(・・・)は昨晩からずっと茂みのなかで待機しておりましたが、そちらの騎士たちはまったく気がつく様子もございませんでした。鍛錬が足りていないのではないですかな。ああ、それと、殿下のお相手をさせて頂いているのは我が愚女であります故、異論がある際はこの娘にどうぞ」

「ぬうう、っく……!!」

 

 父親から水を向けられたエリザベートが、その澄明な眼球だけを爬虫類のようにギョロリと向けてくる。王子は目を合わせることを早々に拒絶し、二の句を告げずに押し黙るしかなかった。ジロリと審議官を睨めあげるが、公爵の話は本当のようで、(かぶり)を降って「公爵の言うとおりです」と口の動きだけで伝えてくる。そもそも「“両者が同じ兵力でなければならない”という条項など無い」と強弁して圧倒的な戦力差をお膳立てしたのは自分であるだけに、同じ論理で相手を責めることができなくなってしまっていた。王子は憤然として椅子を蹴り飛ばす。

 

(くそっ、くそっ!どうすれば………ん?)

 

 ふと、自覚している以上に周章狼狽している王子の目に、中規模の森が映り込んだ。騎士たちから見て真横に立ち並ぶ、立派なモミの木の群生林。鬱蒼としていて身を隠すことも出来る。そうだ、そこに一時撤退して、一旦騎士たちに冷静さを取り戻させたら、奴らは態勢を勝手に整えられるだろう。指揮官たちが殺されたとはいえ、まだ300名近い数が残っている。まだ3倍の戦力差がある。戦いは数だ。それに、お互いが接近するのはむしろ僥倖だ。

 

「し、心配するな。しょせんは寡兵の悪足掻きよ。先手は譲ってやろうではないか。だが、まだ戦力差は天と地ほども離れている。騎士たちもちょっぴり混乱しているだけだ。頭を冷やしてやればすぐに立ち直る。それに、騎士たちはもとより接近戦のプロだ。剣での戦いなら、小癪な仕掛けや卑怯な戦法など鎧袖一触にできるに違いない」

「おお、なるほど」

 

 自分の機転の良さと饒舌さに惚れ惚れしつつ、王子は垂れ下がっていた腕を持ち上げて、通信球に口を近づける。

 

「全員、近場の森に一時後退せよ!態勢を立て直し、応戦の準備を整えよ!敵が迫っているぞ!ただし、相手は剣を持っていない!この意味がわかるな?」

『は……はっ!承知しました!さすが王子殿下です!』

「なあに、しょせんは膨大な戦力差を埋めようとする必死の抵抗に過ぎない!こちらの圧倒的勝利は間違いないのだ!接近戦に持ち込め!ユーリ団長にもそう伝えよ!」

『ユーリ団長も隣で聞いておられました!同じ意見だそうです!騎士たちを鼓舞して元気づけておられます!』

 

 さすがユーリだ。騎士団長の息子なだけはある。根っからの武人だ。友人として誇らしい。勝利の暁には褒美を取らせよう。エリザベートを押し付けてやる。

 友人と意見が一致したこともあり、王子はほっと息をついて額にじっとりと浮かんだ汗を服の袖でぬぐった。大丈夫だ。接近戦となればこっちのものだ。鉛の小粒は、木々に阻まれて届かないに違いない。木々をすり抜けてくるものは盾で防御して、剣の間合いまで入ってくればこっちのものだ。

 自身を元気づける理論を必死に構築した王子はなんとか精神を持ち直すと、どうだと言わんばかりに皮肉な笑みをエリザベートに向けて、

 

『デューク総指揮官(アクチュアル)、こちらデューク・デルタ指揮官(シックス)。敵本隊が隠蔽壕(コールドポジション)接近中(インカミング)戦闘(コンタクト)準備よし(ポジティブ)

よろしい(アクト)、デルタ。作戦を第二段階(・・・・)へ。攻撃開始(クリアードホット)

お任せを(ウィルコ)総指揮官(アクチュアル)

 

 いまだ自分がエリザベートの手のひらの上で踊らされていることに、絶望を味わった。




まだだ、まだ終わらんよ


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悪役令嬢(ゴルゴ13)が平民を精鋭兵士に育てて近衛騎士団を圧倒する話 4話

まさかこんなに好評だなんて……!日間ランキング2位、ありがとうございます!!


 

 この世界ではない別の世界。エリザベート公爵令嬢がかつて生きていた世界にて。

 大英帝国(イギリス)の特殊部隊として有名な部隊に、業界の者に“連隊(ザ・レジメント)“と呼称される特殊空挺部隊(SAS)がある。極めて厳しい訓練を受けた彼らの名は世界中で知れ渡っているが、そんな彼らを隠れ蓑のようにして、もう一つの特殊部隊が存在することはあまり知られていない。SASと同じヘレフォードシャー州に基地を置く特殊偵察連隊(SRR)である。

 彼らはSASと同レベルの高いIQ及び強力な戦闘能力を有しているプロフェッショナルだが、SASとの大きな違いは、SRRは敵地への潜入と破壊工作において極めて高度な技能を誇る点である。“女王陛下の空き巣軍団”とも称されるこの恐るべき連隊は、一人残らず『近接目標偵察(クローズドターゲットリコネンサス)』と『敵地侵入術(メソッドオブエントリー)』の特別な技術を骨の髄まで叩き込まれている。

 彼らは、誰にも見咎められず、誰にも怪しまれず、隠密を保ったまま敵の拠点に忍び寄ることが出来る。そして、その時(・・・)がくれば、彼らのもう一つの特技(・・・・・・・)が火を噴くのだ。

 

 

 

………

 

 

 エリザベートと王子による騎兵合戦が行われる前日、王都。

 にぎにぎしい城下町を侍らせる中心に、巨大な王城が鎮座して、その磨き抜かれた白璧で陽光を鏡のように燦然と反射している。

 馬車と船。陸路と海路から、それぞれ屈強な男たちが王都の地へ降り立った。長旅で身体が強張ってしまった人々のなかで、男たちだけが素早い身のこなしだった。

 日焼けし、なめし革のように分厚くなった(いか)めしい顔貌を目深にかぶった帽子のツバで隠した彼らは、一人ひとりが最低限の荷物を軽々と肩に背負うと別々の場所を目指して歩みだした。傍から一見する限りでは、ただの使節であり、旅人であり、遍歴商人であり、冒険者だった。荷物袋も、衣服も、なんら変哲のないものだった。彼らはまるで目的があるかのようにしばらく王都を歩き回ると、やがて示し合わせていたように、夕方の同時刻、同じ酒場のテラス席で落ち合った。

 もしも彼らを見ていたのが、少し離れた席で日が暮れる前から酒をかっ食らう酔っぱらいでなかったなら、少しばかり疑問を抱いたかもしれない。男たちは4人だった。別々の服装をしていて、別々の仕事をしているらしい。しかし、奇妙に似ていた(・・・・)。盛り上がった肩の筋肉から、贅肉を極限まで排除した腰回りといった強壮な身体つきや、襟足までばっさりと切った刈り上げ(クルーカット)の髪型はもちろんだが、何より似通っていたのは、その雰囲気(・・・)だった。決然としていて、岩のように揺るぎない意思の強さが全身から滲み出ていた。

 彼らが、数分前に注文した麦藁色のピルスナー・ビールを飲み干すと、そのタイミングを見計らっていたかのように一台の中型馬車(キャリッジ)が到着した。彼らはそれぞれが代金を陶器製のビールマグの下に差し込むと、先ほどまでと同じように一言も発さないまま馬車に乗り込んでいく。

 

「おぅい、若いの!良い飲みっぷりだな!」

 

 この店ではすっかり顔なじみになった常連の酔っぱらいが赤ら顔でビールマグを持ち上げる。男たちの一人が振り返り、いかにも人好きのする表情を形作ると、相手が親しみを感じるような会釈をした。そして若いウェイターに手振りで合図をすると、銀貨を一枚、彼に向けて親指で弾いて渡した。すかさず酔っ払いの手元に上等なピルスナー・ビールが届けられ、酔っぱらいの赤ら顔は満面の笑みで蕩けそうになった。エールではなくピルスナーを呑めるのは3年ぶりだった。

 

「若いの、いい心がけだな!そうだ、年輩者は敬え!それと国王陛下もだ!偉大なる国王陛下、万歳!!」

 

 この酔っぱらいの戯れ言のなかで、誰もが反応を示すのはこの掛け声だけである。「国王陛下、万歳!」。若いウェイターからカウンターバーの奥にいる店主まで誇らしげに声を張り上げる。王都では、このフレーズが頻繁に飛び交う。名君である国王を称えているのだ。たとえ、今ではすっかり耄碌して尊敬と求心力を失いつつある国王だったとしても、単純に語呂のいい掛け声として利用されているとしても、この王国に住まう者たちにとっては聞き馴染みのある言葉だった。

 馬車に乗り込む寸前だった男たちも、男らしいバリトンの声音で国王への敬愛の文句を口にした。耳にすると尻穴が思わず力むような堂に入った勇ましい声に、酔っぱらいは感じ入って嬉しそうに破顔するとビールを喉に流し込み始めた。酔っぱらいの意識がそちらへと移ったことを鋭い観察力で確かめると、男たちは速やかに馬車に乗り込み、窓の遮光布(カーテン)を下ろした。決して夕日を嫌がったのではなかった。

 間髪入れずに出発した馬車は、太陽がしっかりと眠りにつくまで何度か回り道をしたあと、ある目立たない空き家で止まった。5秒間だけ止まり、そして鞭を入れて出発した。2頭の馬を巧みに操るプロの馭者は、男たちが降りたことを確かめるために振り返ろうともしなかった。さらに直後、まったく同型の馬車が2台到着し、やはり躊躇うこと無く早々に立ち去った。馭者たちはこの後、馬と馬車をきちんと処分し、ほとぼりが冷めるまで身を隠すという次の仕事に集中しなければならなかった。

 空き家はそれなりに立派で大きかったが、1年ほど前から近所の住人の知らない誰かによって購入されたまま放置されていた。カーテンが締め切られていたが、たまに修理屋らしき人間が道具を手に入っていくし、隣家と接する広い庭の雑草も定期的に処理していたので、新しい持ち主は王都への引越し前に改装をのんびりやっているのだろうと誰にも不審に思われなかった。

 屈強な男たちは12人になっていた。彼らは再会を喜んで抱擁し合うようなことはしなかった。一人の男が馬車のフロアマットの下に置いてあった鍵を使って滑るように空き家に入ると、すでに役割分担を終えていた彼らは、訓練で叩き込まれた習慣に従って2名態勢で各部屋の安全を確認していく。その必須作業を粛々と完了させると、今度はリビングの中央に置かれた色あせたテーブルを横にずらし、敷いてあった埃っぽい絨毯を丸めて部屋の隅に放り投げ、隠されていた地下収納庫への扉を露わにする。樫製の重厚な扉を開くと、そこには彼らが使い慣れた鉄筒型の武器や、緑色の戦闘服、丸兜(ヘルメット)、頑丈な長靴(ブーツ)、鉛の小粒が詰められた革のポーチ、その他諸々の装備が整然と並べられていた。

 ここで初めて、男たちの顔に表情らしい表情が灯った。ゾッとするほどに凄みのある、好戦的な鋭い笑みだった。

 

 “国王陛下万歳”?冗談じゃない。俺たちが心の底から信奉するのは、この世でただお一人だけだ。俺たちを魂から鍛え直してくれたビッグマム───我らが麗しの公爵令嬢(・・・・・・・)ただお一人だけだ。

 

 彼らは各々に割り当てられた装備を点検しながら、薄っすらと開けたカーテンの隙間から目標(ターゲット)を見上げる。その白璧でもって星灯りを明々と反射する巨大な王城を見上げている。王子の指示で近衛騎士が残らず引き抜かれ、護りが極端に薄くなった王城が無防備な(わき)腹を晒している。彼らが潜伏する空き家は、王城の目と鼻の先だった。

 彼らは灯りもつけない状況にありながらまたたく間に装備を身につけると、思い思いの場所に陣取って腰を下ろし、個人携帯食料(レーション・バー)───チョコレート、麦、砂糖、バターを棒状に固めた簡易食料───を齧る。そうして滋養の補給を手っ取り早く済ませると、鉄筒を赤子のように大事そうに抱えてそのまま目を瞑った。彼らは意識を保ちながら肉体を休ませることができる特殊な技能を持っていた。それを見回して満足気に頷いた男が懐から通信球を取り出してそっと声を吹き込む。

 

「こちらデューク・チャーリー指揮官(シックス)。“トーゴーは裏切りを許さぬ”」

『こちらデューク・アルファ指揮官(シックス)。“トーゴーは一人の軍隊である”』

『こちらデューク・ブラボー指揮官(シックス)。“トーゴーは握手をしない”』

 

 打てば響くような反応で通信球から合言葉が返ってきた。男は事前に定められていた通りの合言葉をしっかり確認すると「受信した(コピー)」とだけ返した。それ以上のやり取りの必要はなかった。世界で一番厳しい訓練によって魂の繋がりを結ぶに至った彼らは、徹底的に刷り込まれた同じ思考法に従うことで、離れていてもお互いが考えていることがわかるのだ。

 男たちのチームに割り当てられたコールサインは『デューク・チャーリー』。この瞬間、彼らとまったく同じことをして、違う目標を密かに見つめているチームが2つあった。

 『デューク・アルファ』の12人は首都に常駐する兵力が一挙に集まる騎士団練兵場を。

 『デューク・ブラボー』の12人は治安維持の役割を担う衛兵詰め所及び傭兵詰め所を。

 

 『近接目標偵察(クローズドターゲットリコネンサス)』と『敵地侵入術(メソッドオブエントリー)』の技術を骨の髄まで叩き込まれた彼らは、敵の拠点に気づかれること無く接近していた。あとは、もう一つの特技───恐るべき殺しの技術を披露する時を待つだけだ。

 チーム・デューク・チャーリーの指揮官は、これまで何百回と繰り返してきたように頭のなかでこれから実行する作戦の内容を確かめる。細部まで残らず暗記していたそれを最初から最後まで綿密にシミュレーションし、どんな状況に陥っても対処できるとようやく納得すると、周囲の男たちと同じように分厚い壁の近くに腰を下ろし、肉体を活性状態に置いたまま、その時(・・・)が来るまでレーションバーを齧りながら静かに休むことにした。

 

 その時(・・・)がくるのは、翌日の午後───時間で言えば、13(・・)時ちょうどのことになる。




 日刊ランキングで『起きたらマ・クベだったんだがジオンはもうダメかもしれない』より上位にしてもらえる日が来るとは思ってもいませんでした。大変に光栄なことです。あの作品は大好きです。もう3回読み直しました。ジーク・ジオン。ジーク・マ。


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悪役令嬢(ゴルゴ13)が平民を精鋭兵士に育てて近衛騎士団を圧倒する話 5話

 最近、なろう原作の異世界転生漫画を読み漁ってまして、その影響を大いに受けてます。現代知識で無双するのって面白いですよね。
 火薬ではなく魔法の力で弾丸を発射できるのなら、火薬の爆発音はしないから消音器いらずだし、弾丸の火薬部分もいらないからより多くの弾を持ち歩けるんじゃないかなと考えました。ファイアボールも、使い方次第ではグレネードランチャーや迫撃砲として使えます。ゴルゴがこれに目をつけたら……と思うと妄想がはかどりますね。


 この世界ではない別の世界。エリザベート公爵令嬢がかつて生きていた世界にて。

 アメリカ中央情報局(CIA)───関係者には、本部所在地を示す“ラングレー”もしくは“ザ・カンパニー”と称される世界有数の巨大諜報組織である。この組織における一番の花形である資産(アセット)───スパイの隠語───となるためには、高度な戦闘術はもちろん、あらゆる諜報技術(トレードクラフト)や、外国語習得プログラムに従って様々な言語を身に着け、さらには各国の知識、常識、所得層別の教養を徹底的に叩き込まれ、それらすべてを完璧に習得しなくてはならない。候補生は何度となく困難に晒されるが、最大の関門は最後に待ち受けている。それこそが、尋問耐久訓練である。

 ノースカロライナ州に世界最大の広大な施設を構えるフォートブラッグ陸軍基地に連れて行かれたスパイ候補生は、容赦を知らない陸軍の強面訓練員たちによって実に6日間、地獄のしごきを受ける。強烈な暴力に晒され、差別的な罵倒を浴びせられ、眠ることも食事を摂ることも許されず、激しい疑似尋問に晒される。恐ろしく不潔で狭小な空間に詰め込まれ、普通の人間が一生に経験することはないほどの屈辱を舐めさせられ、精神の限界まで追い込まれる。この地獄の訓練を乗り越えることができた極一握りの猛者だけが、諜報活動の最前線で活動する最前線現場工作員、すなわち『オペレーション・ケース・オフィサー』の資格を与えられるのだ。

 彼らは自国の敵対組織や敵対国に勇敢に潜入していく。映画のような銃弾や爆発が乱れ散る華々しく派手な冒険活劇はまずありえない。泥と汚物とノミにまみれ、何も口にしないまま敵の拠点を何日間も見張ったり、潜入した現地の労働者に交じって粗末な食事をとり、奴隷のような重労働に明け暮れることもある。彼らの任務の第一義は“情報を得る”ことであり、そのためには空気のように目立たず、その場に溶け込まなければならない。

 そんな彼らが任務中にもっとも苦痛だと感じることはなにか。肉体的な疲労や苦痛か、あるいは正体を見破られる恐怖か、もしくは悪臭極まる未開の地の生活環境であるかと思いきや、意外にも、「決まった時間に食事ができないこと」だと彼らは口を揃える。身体が規則的な食事と休息に慣れてしまっているからだ。

 長い時間をかけて染み付いた習慣は、己が自認する以上に己の肉体を縛っている。習慣に従った行動がとれなければ、人間は多大なストレスを受ける。決まった時間に起きて、決まった時間に食事をし、決まった時間に眠る。規則通りの動きをしていれば、何かが狂えばすぐに異常を発見できる。一定のリズムを保った生活は、人間を適度にリラックスさせ、個人と集団のパフォーマンスを常に一定に維持する最善の方法である。

 逆に言えば───そのリズムは、襲撃者にとっては隙をつく絶好の機会となる。オペレーション・ケース・オフィサーは、まさにそういった敵の習慣(・・・・)を探るために密かに目を光らせているのだ。

 

 

 

 

 

 

 13(・・)時になった。

 俺はなるべく鎧をガシャガシャとうるさく鳴らさないように、しかし精いっぱい慌てて持ち場の階段前へと急ぐ。昼飯をたらふく食ったばっかりだからいつもより胃が重い。ムカつく近衛騎士にいびられることがないと思うと、つい気分がよくなってパンを頬張りすぎたせいだ。鐘鳴らし係の坊主が尖塔にある大鐘を力いっぱいに叩く音が耳障りに響く。今日の鐘鳴らしは見習いだったろうか。なんだか鐘の音が重複して聴こえた気がした。下手くそめ、神官の爺さんにまた絞られればいいんだ。

 

「おい、なにしてるんだ、早く来いよ!」

「わかってる、わかってるよ!ったく、なんで非番の俺がこんなこと。近衛騎士どもめ」

 

 最後の愚痴は口のなかでモゴモゴと言ってみただけだ。だだっぴろくて天井も高い王城の廊下はただでさえ静かなのに、今は人数が少ないせいで余計にシンとしているから、ちょっとした独り言も廊下の先にまで聴こえてしまう。

 

「聴こえたぞ」

「げ、マジか」

「ったく、まあいいけどよ。どうせここには俺たちしかいない。うるさい近衛騎士の連中がいなくてよかったな」

 

 長年の相棒の言葉を信じないわけではないが、一応、首を伸ばしてぐるりと自分の目でも確かめてみる。ゆるやかに湾曲した、先が見通せないほど長い廊下にも、背後の大階段にも、人気(ひとけ)はない。驚いたことに、だだっ広いこの区画にはどうやら俺たち二人しかいないようだった。正門側ではなく王城の裏手に位置しているとはいえ、こんなことは衛兵になってから今までなかったことだ。普段は威張り散らした近衛騎士の連中がこれ見よがしに紋章の入った鎧を見せつけて歩き回っているはずなのに。

 ほっと一安心して、俺は少しだけ声のボリュームを上げて、しかし響かないようにトーンは落として、隣で装飾過多な槍を面倒くさそうに左手から右手にヒョイヒョイと持ち替える相棒に言葉の応酬をかける。

 

「全然、よくはねえよ。近衛騎士の連中がみんな急に招集されたせいで俺たちが呼び出される羽目になったんじゃねえか。今日は非番だったんだぜ」

「仕方ねえよ、フリードリッヒ王子殿下が近衛騎士を全員連れてくって言い出したんだから」

 

 「あのバカ王子め」とはさすがに口にはしなかったが、どちらも実際に口にしないだけでしっかりと相手の心の声は聴こえていた。あれはバカだ。バカ王子だ。あのくらいの年頃なら斜に構えて粋がるのもわからなくはないが、さすがに国王陛下も甘やかしすぎだ。バカ王子の好き勝手を許しているせいで国王の求心力まで落ちている。とはいえ、バカ王子が規則や規律にうるさくどうこう言わないおかげで楽ができているのだから、必ずしも王城付き衛兵の俺たちには悪いことばかりじゃないんだが。

 誰も見てないことをいいことに、鉄の穂先を抜いた槍(・・・・・・・・・)をプラプラと振って遊ぶ。ただでさえ長いうえに飾りがジャラジャラと後付けされているせいで、王城付き衛兵の装備はひどく重い。どうせ脳みそまで筋肉の近衛騎士がわんさかいる王城に攻めてくるようなバカもいないということで、仲間内では穂先を取り外して鞘だけをつけることで少しでも装備を軽くすることが暗黙の了解になっていた。これも助け合いというやつだ。

 

「“騎兵合戦”だっけか?そういやあ、俺の爺さまの爺さまが勝った伯爵軍側で参戦したことがあるっつってたな。開催されたのは後にも先にもその第一回だけだったんだとさ。殺した相手の領兵の身ぐるみ剥いで売っぱらったおかげでしばらく裕福な生活ができたそうだ」

「へえ、羨ましい話だな。俺も参加したかったぜ。んで、記念すべき第二回目は王子殿下と公爵家の間で行われてるってわけか」

「ああ、まあ、例の件(・・・)アレ(・・)でな」

例の件(・・・)アレ(・・)か」

 

 これもやはり口にはしないが、婚約破棄を突きつけた王子がとんでもない恥を晒して、その復讐を願っているということは周知の事実だった。箝口令も敷かれてはいるものの、人の口に戸は立てられぬとはよく言ったもので、城下でもその噂で持ちきりだ。不敬罪を問われてもおかしくはない噂だが、取り締まると事実だと認めてしまうようなものだし、本当にそうすると牢屋がいくらあっても足りない。

 

「合戦相手はエリザベート公爵令嬢だっけ?美人だって聞いてたけど、気の毒になあ」

「ああ。まず勝てんだろうな。近衛騎士の奴ら、威張ってて気に食わない連中だけど、態度もでかい分、図体もでかいし、実力は本物だしな」

「騎士団長の息子だって、顔を大怪我する前も強かったのに、怪我から復帰したあとは気が狂ったみたいに修練に打ち込んでてさ。モスコー副団長の旦那も驚いてたよ。単騎なら、近衛騎士でも勝てる奴はいないんじゃねえかな」

「そこまでかよ、たまげたな。まだ18歳だろ」

「ああ。だがな、ありゃあもう狂戦士だな。気が触れちまってるよ。強いけどな。しかも王城付きの魔術師まで連れていくときた。公爵軍は終わりだぜ。この世のどんな兵隊を連れてきたって、王子軍には敵わねえよ。明日には公爵家も潰されちまって、令嬢はどっかの人売りに売られちまうかもな」

 

 魔力持ちなら、訓練を積めばファイアボールといった基礎的な魔術は普通に使うことが出来る。火球をポンと放り投げる程度の威力で、日常的な火起こしとしても使える。それが魔術師ともなると、アイスランスやサンダーフォールといった見た目も派手な魔術を複数行使できる。この世界では、一つの魔術を極めることはあまり推奨されていない。というより誰もやらない。一つのことしか出来ない魔術師なんて役に立たないからだ。むしろ、いかに多くの種類の魔術を使えるかで魔術師のランクが決まると言われる。王国トップの魔術師にもなると8つの魔術を覚えているそうだ。“魔術師一人で衛兵100人分の戦力になる”というのは、衛兵を嘲るときによく言われる言葉だ。腹が立つが、まあ事実だろう。

 

「じゃあさ、エリザベート公爵令嬢様もいつかは娼館に売られちまうかな?」

「おお、かもな。そうなったら、お可哀そうな元令嬢様に恵みを与えてやりにいこうや」

「おう、お優しい俺たちのぶっといお恵み(・・・・・・・)を咥えこませてやろう」

 

 いかがわしい酒場で交わす下品な会話を楽しむ。本当は酒場でやるように腹を抱えてゲラゲラと笑いたいが、さすがに場所は弁えておいた。クビにされてはたまらない。こんな割の良い仕事、他にはないからだ。“背格好と見た目が良い”ことが王城付き衛兵になるための絶対条件で、俺も相棒もそれに見事に合っていた。おかげで俺たちはこうして楽な仕事ができて、夜の街でも引っ張りだこだ。

 やんごとなき王家の方々を始め、お貴族様といった(みやび)な人間たちが行き交う王城は、夏は魔法で涼しいし、冬になったら各所で暖炉が焚かれる。城壁の歩廊や胸壁を守っている連中は暑さや寒さ、風雨に晒されるが、俺たちには無縁だ。ただ階段の前に突っ立っていればいい。決まった時間になったら、あっちを見回ってこっちを見回って、昼飯を食ったあとの眠気を堪えていれば一日が終わる。たまにある御前試合だって、八百長で誰を勝たせるかは決まってるから、頑張っているふりをすればいい。実際に戦うことなんかありえない俺たちが必死こいて武芸を磨く意味なんかない。ここを辞めるときになればある程度金も貯まっているだろう。そのくらいになったら、遊んでいる女の誰かを選んで嫁にしてやって、王都で気ままに暮らしていけばいい。

 エリザベート公爵令嬢も俺の嫁候補にしてやってもいいな、などとニヤけ顔を浮かべていると、相棒が俺の横腹を肘で小突いてきた。顎で促された方向に目をやると、王城に相応しくない見窄らしい格好をした男がヨタヨタとおぼつかない足取りでこちらに向かって歩いて来るのが見えた。

 

「おい、見ろよ。ウンコ(・・・)が来たぞ」

「おっ、今日はいつもみたいにくせえ臭いをさせてねえじゃねえか、ウンコ好きな農夫さんよぉ。昼飯食ったあとに来やがって、このクソ(・・)野郎が」

 

 城の肥溜めの回収係を任された農夫だった。王城にはいくつか便所が設置されていて、上階から落とされた排泄物は一階にある肥溜め室に溜まっていく。近衛騎士たちは大飯食らいだから溜まっていく糞尿の量は半端ではなく、週に一度は王城に出入りすることを許可された専門の農夫が回収に来るのだ。いつもと同じ時間、いつもの同じ農夫が来る。王城では誰が何時にどこでなにをしていなければならないか、きちんと決められている。面倒くさいことだ。

 農夫が薄汚れた桶を片手に近づいてくる。柳みたいに痩せこけてヒョロヒョロとしている。1年前から出入りするようになった男の年齢は俺たちと同じくらいで、20代半ばだろう。「あんな仕事はしたくないもんだな」と相棒がわざと農夫に聞こえるような声量で言う。俺も同意見だった。俺も農家の出だ。美味いもんを食ってる贅沢な奴らの糞尿が良い肥料になるということは理解できるが、衛兵の生活を知ってしまえば二度と戻りたいとは思わなかった。それに、自分は誰かより上の存在で、自分より価値の低い人間がこの世にいると思いたがるのが人間のサガだ。実際、俺たちだって近衛騎士の連中から毎日のように嫌味を吐きかけられている。俺たちが同じことを他人にやって悪い道理はない。

 いつもやるように憂さ晴らしで小突いてやろうと、俺は槍をこれ見よがしに勢いよく振ってみせる。どうせ抵抗はしない。抵抗をすれば王城に入れなくなるから、こいつは何をされてもヘラヘラと黙っているだけなのだ。自分が意地の悪い笑みを浮かべていることは自覚している。それでも、開き直ることができるのが俺たちの特権だ。農夫の前に立ちふさがり、俺は槍を振りかぶって、

 

「えっ」

 

 いつもの気弱な農夫の顔はそこにはなかった。暗く冷徹な狩人の目がこちらを睥睨していた。桶から何かを取り出す。手斧くらいの鉄の筒。艶のない黒で塗られた筒の先端の穴がこちらに向けられる。

 そこで思考は途切れた。

 

パスッパスッ

 

 鼓膜はたしかに音を捉えたが、理解するための機能がすでになかった。情報信号は神経を虚しく走ったあと、行き止まりである穴の空いた脳みそで立ち往生し、やがて呆気なく消えた。

 

敵は排除した(クリアード)安全を確保(グリーン)進め(ゴー)

(ログ)

 

 農夫───オペレーション・ケース・オフィサーの冷徹な声が、懐に隠した小型の通信球に静かに吸い込まれた。彼の目の前で、急激に弛緩していく衛兵二人分の肉体が壁に背を預けたままずるずると床に崩れ落ちていく。彼は電光石火の早撃ちで一秒の間に二人の衛兵を処理(・・)したのだ。ぶちまけられた赤とピンクの肉片がなんともおぞましいロールシャッハテストの色彩を壁面に描いたが、この程度の景色は、信奉する公爵令嬢(ビッグマム)による地獄の訓練に比べればちっぽけな羽虫の死体を見るに等しく、不快感にもならなかった。

 二人同時に仕留められなかった場合に備えて手首の袖口に隠していたナイフを流れるような動作でスネ裏のナイフホルダーに収納する。次の瞬間、彼の背後の物陰から、緑色の戦闘服に身を包んだ12人の男たちが足音も立てずに姿を現し、猫のような静寂かつ迅速な足取りで階段を登っていった。どちらも顔を合わせようともしなかった。その必要がないからだ。上階の目的地に向かって突き進んでいく友軍の背中を見届け、ケース・オフィサーは緊張を緩めないままにふっと小さく息を吐いた。

 これで、しばらくぶりに規則正しい食事と休息にありつける。




 CIAの描写については、クライブ・カッスラーの『オレゴンファイルシリーズ』の作品数冊及びフレデリック・フォーサイスの『ザ・フォックス』から情報を頂きました。
クライブ・カッスラーは、今年に亡くなられた、僕が大好きな海洋冒険小説家です。あなたの作品に出会えてよかった。ありがとう、クライブ・カッスラー。あなたが実際に生きていた時代と僕が生きていた時代が重なっていた、その奇跡に感謝します。

 なお、次回からは再びエリザベート公爵令嬢と王子軍との戦いに戻ります。ユーリくんが頑張ります。集中射向束、用意!効力射!


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悪役令嬢(ゴルゴ13)が平民を精鋭兵士に育てて近衛騎士団を圧倒する話 6話

 ゴルゴ令嬢が育てた、CIAでありMI6でありSASでありSRRでありグリーンベレーでありネイビーシールズでありフォースリーコンであり海兵隊であるゴルゴ軍団VS中世ファンタジー世界の最強近衛騎士団との戦いをお楽しみくださいませ。



総指揮官(アクチュアル)、こちらデルタ観測班(スポッター)。敵集団、目標制圧位置に到達』

確認したわ(アファーム)、デルタ観測班(スポッター)。フォックストロット指揮官(シックス)、迫撃砲“極地点(ポーラー)”射撃任務に備えなさい」

『こちらエコー射撃統制(ファイアズ)特別緊急報告(フラッシュ)特別緊急報告(フラッシュ)特別緊急報告(フラッシュ)。デルタチーム数名が着弾点に近い。危険範囲(デンジャー・クローズ)繰り返す(リピート)危険範囲(D・C)

『こちらフォックストロット指揮官(シックス)危険範囲(D・C)了解。総指揮官(アクチュアル)の認証まで射撃を保留(スタンバイ)

『こちらデルタ先任下士官(パパ)。自分の小隊は心配無用です。総指揮官(アクチュアル)、どうぞ認証して下さい』

「こちら総指揮官(アクチュアル)(デルタ)(チャーリー)の実行を許可します。迫撃砲、準備。デルタ観測班(スポッター)、射撃要求数値を伝達」

『デルタ観測班(スポッター)命令を受領した(ウィルコ)

『こちらフォックストロット指揮官(シックス)、デューク総指揮官(アクチュアル)の認証を確認。観測班(スポッター)より射撃諸元(ファイアリング・データ)を受領。危険範囲(D・C)任務の準備完了』

よろしい(アクト)第3段階(・・・・)を始めなさい」

 

 

 

 

………

 

 

 

 

「女を敬え、ユーリ」

 

 父親の口癖だった。ユーリは、それが大嫌いだった。

 

「女は強い。身体は早く成長し、精神は早く成熟する。病気に負けず、痛みに屈せず、長生きもする。観察力に長け、思慮深く、大胆で、肝っ玉が据わっている。人間としてもっとも完成されている」

 

 誰よりも強いはずの父親とは思えない台詞だった。騎士のなかの騎士と讃えられる男とは思えない台詞だった。悔しくて、認めたくなくて、幼いユーリはこう反論した。「しかし女は男より腕力に劣ります」。父親は幼い怒り顔に微笑みを向けて、こう諭した。

 

「だから我々は女を護ってやれるのだ。彼女たちを護ることを許されているのだ。護ることすら出来なくなったら、我らの存在意義はない。騎士道とは、あけすけに言ってみれば、ただ男が女を護るためにあるのだ」

 

 「お前にもきっとわかる日がくる」。納得しかねて頬をふくらませるユーリの頭を撫でながら、若き日の父親は優しく言った。その後ろではモスコーが春のように穏やかに笑っていた。ユーリには、結局、わからなかった。

 ユーリは強かった。まだ騎士として叙勲される前だというのに、並の騎士では歯が立たないほど強かった。それはひとえに、「力が強いだけでは駄目だ」としつこく諭してくる父親への反発故だった。自ら家を出奔して魔物の森で武者修行を行ったかと思えば、治安の悪い酒場に殴り込みをかけて腕に覚えのある悪漢を半殺しにすることもあった。どんなに強面の用心棒にも一歩も引かずに勝利を勝ち取ってきた。父親に当てつけるような無茶を何度もしでかした。

 

「女にこんなことが出来るか?たった一人で魔物や悪漢無頼に立ち向かえるか?出来やしない、絶対に。出来るのは男だけだ。俺だけだ」

 

 ユーリは増長していた。不幸にも、彼は増長が許されるだけの天賦の才を備えていた。さらには戦いの才能だけでなく、容姿端麗という二物をも持っていた。これが良くなかった。彼の周囲の女性は、彼を表面上でしか評価しなかった。ストイックな美人顔の少年はいつの時代も女心を惹く。家柄と容姿という甘い匂いに惹かれて自身に(たか)ってくる年増の香水臭い女たちを、ユーリはいつしか嫌悪の対象として見るようになっていった。

 

「騎士道とは、こんな奴らのためのものなのですか?顔を突き合わせては部屋の隅で誰かの陰口を叩いて悦に浸るような奴らを護ることに、なんの意味があるのですか?俺にはわかりません」

 

 父親は悩んだ。自慢の息子になるはずだったのに、どこでどうして掛け間違えたのか、強情なまでに捻くれてしまっていた。優しく嗜めるはずだった母親はユーリが物心つくまえに天上に旅立っていたので、母親の代わりをどうしてやればいいのかわからなかった。彼は近衛騎士団の団長として優秀だったが、父親としては未熟だった。

 あまりに頑なな息子を見かねた彼は、自分で諭すことを諦め、ユーリを貴族学校へ編入させることにした。そこには貴族家出身の女子生徒も大勢が通う。成績優秀かつ身辺がしっかりとした者ならば、平民の子も特例で通うことができる。国王が名君としての最盛期に肝いりで作らせた貴族学校で視野を広めれば、ユーリの青臭く生硬い性根も次第に治ってくれると期待し、父親はすでに肩の荷が下りたとばかりに安心してさっさと送り出した。

 それに、貴族学校にはあの令嬢(・・・・)も入学する予定だった。10歳の時、背中に近付いてきた幼女趣味の変態司祭をはり倒して危うく殺しかけたという公爵家の少女がいる。噂によると、背後に立たない限りは彼女の逆鱗に触れることはなく、普段は極めて聡明で壮麗な淑女(レディ)であるらしい。彼女を見れば、女を下に見ようとするユーリの意識も変わるだろう。上には上がいる、と知ることになるだろう。不幸なことに、この選択はもっと良くなかった。

 

 ユーリは出会ってしまった。決して女に媚びない男───フリードリッヒ王子に。

 

 彼は女を見下していた。見下したくて仕方がなかった。騎士道など彼の辞書には載っていなかった。「力こそ全てだ」と平然と豪語し、男は女を蹂躙するものだと躊躇いもなく口にしていた。王子もまた、“女”に対してなにかしら敵愾心のような、複雑に捻くれた悪感情(トラウマ)を抱いていた。

 ユーリとフリードリッヒはまたたく間に友人となった。ユーリは、身分の違いを越えて心根を通わせられる初めての友を見つけられた。フリードリッヒは、腕っぷしの強い脳筋な配下を得られた。認識のズレはあっても、お互いがお互いを必要としていたのは間違いなかった。権威を笠に着た傲慢な態度で周囲から辟易される王子の姿も、ユーリから見れば「女に媚びない一人前な姿勢だ」と好感を抱かせるものだった。

 だから、「俺は許嫁と離縁する」と意を決して椅子から立ち上がったフリードリッヒを見ても、「女をやすやすと切り捨てられる立派な男だ」と無責任に褒めて何も知らないままに背中を押した。「も、もう少し様子を見たほうがいいのでは」と青い顔で自重を促す眼鏡の側近を「弱腰な奴だ」と鼻で笑いもした。婚約破棄を突きつけるフリードリッヒの膝がなぜか震えていることにも気が付かなかった。その許嫁という女が誰なのか、どんな人物なのか、世間知らずのユーリは知る由もなかった。エリザベートのことを知ったのは、顔面の約半分を破壊され、併発した感染症による高熱によって生死の境を3度も彷徨った末に、父親が手配した最高級の医者の熱心な治療によってようやく峠を越えたあとのことだった。

 鏡を見たとき、かつての美人顔の少年の面影はなかった。死にかけたことで髪からは健康なメラニンがごっそりと抜け落ち、完璧だった顔面のパーツバランスは子どもの落書きのように歪んで、見るも無残な醜男(ぶおとこ)を晒していた。そんなこと(・・・・・)は問題ではなかった。問題なのは、女に敗北したという事実だった。自分が手も足も出なかったという事実だった。

 その日から、ユーリは修羅となった。全身を襲う激痛を物ともせず、騎士団の精鋭である近衛騎士を相手に毎日のように訓練に身を捧げた。あまりに苛烈な修行の様子を心配した父親が縛り付けてでも休息をとらせようとしたが、それを引きちぎってまで彼は己を研ぎ澄ますことを選んだ。復讐の鬼と化した息子が“騎兵合戦”に最前列で参加させてくれと願い出てきたとき、父親は、ただ頷いて願いを叶えてやることしか出来なかった。どこで息子は間違えてしまったのか。その原因は自分ではないのか。父親は手で目を覆って苦しんだ。

 そんな父親の苦悩など、ユーリは知る由もなかった。彼はフリードリッヒとの約束で頭がいっぱいだった。“騎兵合戦で俺が勝利した暁には、エリザベートをお前の好きにしていい”。この約束が果たされた時、ユーリの屈辱は晴らされるのだ。傷の痛みの何百倍も心を蝕む屈辱を帳消しにできるのだ。そのために、ユーリは密かに魔術まで習得した。もともと素質はあったが、剣のほうが性に合っているからと見向きもしなかった魔術を必死に修練し、ファイアボールで敵を火だるまにできるほどまで高めた。ユーリほど優れた剣技の持ち主が魔術まで行使できるというのは前代未聞だった。

 

「見ていろ、エリザベート!男を舐め腐った売女め!この力でお前の陳腐な公爵軍をなで斬りにして、その顔を恐怖と絶望に歪ませてやる……!!」

 

 悪鬼のような顔の映る鏡を素手で殴り割る。騎兵合戦前夜、ユーリは気が狂ったような高笑いを響かせていた。騎兵合戦が始まる直前までユーリの気分は絶好調だった。今はもう、違う。

 

 

(どういうことだ───こんなはずでは───)

 

 

 酸素不足に陥った頭の中では、その二文節のみが繰り返されるばかりだった。視界の両端にいたはずの護衛の近衛騎士はいつの間にかいなくなり、振り乱される自分の両腕だけが映っている。荒い呼吸で木々の間をすり抜けながら、王子軍団長であったユーリは今、なにか(・・・)から必死で逃げ惑っていた。

 どこから、どうやったのかはわからない。そのなにか(・・・)は、最初に騎士団から20人を排除した。無作為ではなく、明らかに意図して、指揮官や次席指揮官、そして経験豊富な猛者を狙っていた。お節介な副団長(モスコー)のジイさんが殺され、すぐ隣にいた団長であるはずの自分が狙われなかったのは腑に落ちないと思いかけたものの、殺されるよりずっとマシだと思い直した。なにか(・・・)はお飾りの自分ではなく、実質的な指揮をとれる者を真っ先に排除した。強力無比な戦闘集団を、ただの一瞬で烏合の衆にしてしまったのだ。

 激情してはいても、ユーリは自身に将の才がまだ伴っていないことを承知していた。だから、鬱陶しいほどに心配性の父親から「モスコーをつけてやる。忠言に耳を傾けろ」と言われても、渋々それを了承したのだ。

 その父親は今、王子の背後の観戦席で身を乗り出して驚愕しているに違いない。息子の醜態に目を覆っているに違いない。その様子を想像してしまい、己の情けなさに思わず顔がうつむき、足が太ももから重くなる。自分はいったい、何をしているのだろうか。

 

「ゆ、ユーリ団長!お待ち下さい、ご指示を、ご指示をくださフパっっ」

「ひいいいっ!?」

 

 歩みが遅くなったユーリにようやく追いつくことができた騎士の顔面が突如、血の霧と蒸発してユーリに降り掛かった。彼の後頭部に無遠慮に侵入した小さな何かが、脳みそのなかで散々暴れまわった末に前頭部に皿ほどの穴を開口して飛び去っていったのだ。ミンチ肉となった頭部から垂れ下がった下顎がブランコのように前後に振られたあと、騎士は支えを失った棒のように大地に身体を預けた。永遠に。

 

「ひぎゃっ!」

「ア゛ッ!?」

 

 背後から、ユーリを追い立てるように誰彼かの最期の悲鳴が散発する。貴族家の紋章が施された分厚い鎧に、直前まで存在しなかった鋸歯状の穴がガパッと開き、大輪の赤い華が咲く。空気中には鉄の臭いが満ち、思わず胃液が逆流しそうになる。

 

なにか(・・・)に、いや、誰か(・・)に狙われている!しかも待ち伏せだ!)

 

 遅まきながら、ユーリはようやく事実に気がついた。この森こそ狩り場(・・・)だったのだ。混乱を抑えるために森に隠れて態勢を立て直そうとすることはやすやすと見抜かれていた。いや、そうするように仕向けられた。自分たちと相対(あいたい)していた80名の平民兵士の本隊こそ実は囮であり、獲物を追い立てるための狩猟犬であった。本物の本隊(ハンター)は伏兵として自分たちのすぐ近くにずっと潜んでいたのだ。

 手の甲で血に塗れた顔を拭い、文字通り必死の思いで思考を回転させる。眼前には、雨季には小さな池が出来るのであろう開けた場所がある。囲まれている状況で、焦って平静を見失った兵に出来ることはユーリには一つしか思いつかなかった。

 

「ぜ、全周防御!あの開けた場所で防衛戦だ!盾持ちは外周を固めろ!槍持ちはその後ろだ!急げ、早く、早く!グズグズするなウスノロ共!」

 

 特権を振りかざして年上だろうとかまわず尻を蹴り上げる。爵位の高い者に従順に従うという貴族の習慣が染み付いた近衛騎士たちは狼狽しながらもその指示にならい、自らを肉の壁と化す。大盾で外周を覆い、長大な槍をその隙間から外に向かって突き出すことで攻防一体の防御陣を形成していく。さすがの鉛玉も分厚い鉄の盾を貫くことは出来ないらしく、虐殺の連鎖をいったん食い止めることに成功した。しかし、それまでだ。

 本来、このような防御陣は救援が駆けつけるまでの時間稼ぎでしかないのだが、もはやここにはそれを指摘できる経験者はいなかった。よろよろと、しかし現時点での彼らに可能な限りの早さで、ユーリを取り囲むように人間の城壁が築かれた。中央にはユーリのみならず、盾を持たない者や負傷した者が肩を寄せ合って、いかにも気息奄々としている。

 

「これだけか?100人も残っていないじゃないか」

 

 ほうきで掃き寄せられたかのように虚しく集まった近衛騎士たちは、すでに100名を割るまでその数を減じられていた。当初の三分の一だ。しかも、その内2割は怪我をしたり、武器をなくしたりして役に立ちそうにもない。

 

「ゆ、ユーリ団長!どうしましょう!?」

 

 貴族としても、肩書の上でも、最上級の爵位を持つ指揮官であるユーリに、生き残った全員の視線が縋り付く。ユーリはその目をまともに見返すことができずに顎を引いて臍を噛んだ。どうしましょうかと聞きたいのはこっちの方だった。

 死にものぐるいで習得した剣も魔術も、なんの役にも立ってくれなかった。そもそも、戦争の常識が違っていた。戦力の次元が違っていた。戦争に関しての理解度(・・・)が違いすぎていた。子どもの(いくさ)ゴッコに大人が乱入してきたような理不尽な大人気なさすら感じる。エリザベートは、いったいどこでどのようにしてこんな非常識な戦い方を学んできたのか。思いつくことができたのか。

 

「な、なあ。ちょっと上から覗いてみてるんだけどさ、敵の姿がどこにも見えないぞ。もしかして撤退───」

「ば、馬鹿野郎ッ!」

 

 「不用意に頭を出すな」という仲間の注意は遅きに失した。彼の兜には実家の特産物である闘鶏を模した派手な羽根飾りが施されていた。「どうぞ撃ってくれ」と言っているようなもので、事実、彼の兜は持ち主の頭蓋骨ごと後方の空にバラバラに飛び散った。血肉を浴びせられた男たちの情けない悲鳴があがり、色とりどりに染められた闘鶏の羽根が儚く舞い落ちる。

 これでは、誰に殺されたのかもわからない。戦人(いくさびと)の誇りのカケラもない。まるでヒトを人間(ひと)と見ていない戦い方だ。少なくとも、自分たちは“武人”として戦場(ここ)に立っていた。だが、これはたが(・・)の外れた戦い方だ。奴らは、敵を人間として認識してはいない。敵は“ひとの形をした物体”であり、死ねば“地面に転がった物体”でしかない。

 

(や、奴らにとって、俺たちは、同じ人間とも思われていないのか……!?)

 

 この戦場における一つの真実にようやく思い至り、ユーリは己の末路を予想して全身から冷や汗が噴き出した。名誉も誇りもなく、ただの死体となって打ち捨てられる最期など、想像したこともなかった。

 こんなはずではなかった。本来なら、エリザベートの軍をやすやすと打ち破り、配下の騎士たちの期待と称賛の雄叫びを一身に浴びながら、悔しがり絶望するエリザベートを抱きかかえて王都に凱旋するはずだった。こんな、勝てるはずの戦いで無様に追い詰められるなんて、あってはならないことだ。

 そうだ、あってはならないことだ。あるべきではないことだ。だったら───なかったこと(・・・・・・)にすればいい。

 ユーリの醜い顔がことさら醜く歪んだ。悪鬼のような陰惨な笑みだった。彼は、なけなしの誇りをも捨て去ることを決めた。近くにいた近衛騎士から通信球を力づくでもぎ取り、暗く淀んだ声で囁く。

 

「王子殿下、いや、フリードリッヒ。我が友よ、俺に名案がある」

『おお……おお、そうか!さすがだ、ユーリ!それで、どんな名案なんだ!?』

援軍(・・)を寄越してくれ」

 

 通信球の向こう側で、フリードリッヒがぽかんと口を開ける気配がした。それも無理はない。相手より圧倒的に大勢の戦力を用意したうえで追い詰められているのに、さらに加勢を寄越せと言っているのだ。負けを認めたに等しく、恥知らずな要求に聞こえるかもしれない。しかし、それしかもう現状を打破する方法はなかった。現状を無理やり塗り潰すにはこれしかなかった。

 

「フリードリッヒ、聞いてくれ。俺はお前たちほど頭は良くないが、それでも字は読めるし覚えられる。騎兵合戦の法律には“援軍を用立ててはならない”なんて決まりはなかった。そうだろう、メガネ野郎」

『それはたしかにそうだが……』

 

 側近の青年が端切れ悪そうに答える。顔は見えないが、ユーリはフリードリッヒが悩んでいることがわかった。

 

「歴史は勝者が作るものだ。どんな過程を経ようと、ようは勝ってしまえばいいんだ。負けたらそこで終わりだが、どんな方法でも勝つことができれば選択肢はある。そうだろう、フリードリッヒ!」

 

 沈黙思考の気配が続く。だが、フリードリッヒが悩んでいるのなら、その意志はほとんど“イエス”で固まりかけているということをユーリはよく知っていた。あとひと押しだ。

 

「父上!そこには父上もいらっしゃるのでしょう!貴方の息子が卑しい平民どもに殺されようとしているのです!どうか急いで騎士たちのご手配を!どうか!」

『ユーリ……貴様、どれほど浅ましい姿を晒せば』

『近衛騎士団長、援軍は可能か?』

『で、殿下!?我が愚息の戯れ言など聞き入れられますな!いくらなんでも、それは卑怯です!この上恥を晒すような真似は……!』

『可能だよな?え、騎士団長。高邁たるお前が、まさか息子を見殺しになどしないよな?』

 

 目と歯を剥いて威圧するフリードリッヒの鬼気迫る声。しばしの重苦しい沈黙のあと、騎士団長の身体が萎むような諦めのため息が聞こえた。

 

『……可能です。王都の練兵場にいる配下の騎士たちに招集をかければ、騎馬兵200程度がここまで半刻程度でたどり着けるでしょう。しかし、それは王都防衛戦力のほぼ全てだということをよくよく心にお留め置きください』

『無駄口はいいから早く呼び寄せろ!』

『……畏まりました。そこの君、練兵場に繋がる通信球を準備してくれ』

 

 通信球の向こう側では小間使いの「はい、ただいま」という声変わり前の返事がかすかに聴こえた。いい兆候だ。

 

『聞こえたな、ユーリ!半刻だ、半刻堪えろよ!』

「ああ、任せてくれ!これで形勢逆転だ!」

 

 任せてくれもなにも盾槍を支えているのはユーリではないのだが、そんなことはお構いなしだった。自分に向けられる不平不満の視線を感じることすら出来なくなったユーリは、騎士たちを鼓舞するために腕を振り上げる。

 

「よおし、あと半刻だ!ちょっとの辛抱だからな、そうすれば───」

『ゆ、ユーリ!何かされる(・・・・・)ぞ、気をつけろ!』

「───はあ?なんだそれは?」

 

 あまりに抽象的な注意喚起に思わず不敬極まりない生返事が漏れる。王族に対してさすがに目に余る口の悪さに周囲の騎士がギョッと剣呑な表情を浮かべたが、彼らにそれ以上の衝撃が降り掛かってきたことでウヤムヤになった。精神的な衝撃ではなく、肉体的な衝撃(・・・・・・)によるもので。

 盾だったものが木っ端微塵に砕け散り、空中を無数の小さなブーメランとなって飛び去っていく。人間がぬいぐるみのように空中に飛び上がる光景がひどくゆっくりと見えた。まるで巨大な手にはつられたかのような痛みを全身に満遍なく知覚する。左右どちらかの鼓膜が破れたらしく、残ったほうの耳もキンキンと耳障りな異音を再生するだけで何も聴こえてこない。狂乱する三半規管をかろうじて制御しながら、ユーリは努めて何が起こったのかを把握しようとする。

 

「な───なにが───?」

 

 防御陣の一角が、まるでワンホールケーキから一人分を分けとったかのように削り取られていた。その一角にいたはずの近衛騎士たちはすでに存在していなかった。グチャグチャに捻り潰された筋肉と骨と内臓が散らばり、血の池に浮かんでいた。腕や足がなくなった男たちが大きな傷口を押さえて地面を激しく転がっている。弾け飛んだ石礫や鉄片に切り裂かれたのか、首の裂傷から多量の血を流して絶命している者もいた。むせ返るような血の臭いが充満している。

 想像を絶する地獄の光景を前に、ユーリの思考は真っ白になった。聴力がだんだんと回復するにつれ、断末魔と阿鼻叫喚の怒号が洪水のように鼓膜に流れ込んできて、彼の混乱は拍車をかけて悪化した。

 

 ヒュルルルルルル

 

 尾を引くような鋭い音が聴こえた気がして、ユーリはハッと上空を見上げた。その場にいるユーリただ一人だけには、その正体が理解できた。理解できて、絶句した。彼が剣技と合わせて体得した攻撃魔術、ファイアボール。それが、数え切れないほどの凶悪な輝きを見せ付けながら、ユーリたちの頭上へと降り注ごうとしていた。

 そして、それらは炸裂した。容赦なく。呵責無く。慈悲もなく。




 ファイアボールも、通信球も、使いようによっては現代兵器よりチート武器として使いうると思うんです。ファイアボールなんて、擲弾発射機や迫撃砲を持ち歩かなくても、人間がその代わりができるわけで。きっとゴルゴもそう考えるんじゃないかな、と思って、そう書いてみました。
 さてさて、そろそろ次回で終わりでしょうか。綺麗にまとめられるようにがんばりますので、温かく見守って頂ければ幸いです。頑張れ王子。フリードリッヒって名前をつけてたことを忘れてたのは内緒だぞ。


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悪役令嬢(ゴルゴ13)が平民を精鋭兵士に育てて近衛騎士団を圧倒する話 7話

いよいよクライマックス!残り一話!

……タイトルの超短編を外したほうがいいのだろうか。


 雷神が天上から鉄槌を振り落としたというのか。否、その怒号は大地から発せられていた。そして、その鉄槌を落とした神は、王子の隣に泰然と座る少女、エリザベートに他ならない。

 

「な……なにが、起きて……」

 

 王子の呟きをかき消す轟きが津波のように大地を伝播していく。見下ろす森の一点から、噴火の如く土くれが巻き上がり、灰色の煙の塔が天をつくように立ち上がる。驚いた鳥の群れが一斉に飛び立って雲霞のごとく一帯の上空を逃げまどい、キイキイと甲高い悲鳴をあげている。無数の翼が乱れるバサバサという音と大気を揺るがす轟音が不気味な交響曲(シンフォニー)を為す。

 その場にいる全員が、何が起きたのかは理解できなくても、悪いことが起きたに違いないことは理解出来た。

 一様に顔を青ざめさせて重く静まり返る王子たちの陣営をよそに、無表情を保つエリザベートの通信球からはプロフェッショナルの会話が途切れることなく続く。

 

『こちらデルタ観測班(スポッター)。敵集団への命中を確認。効果は限定的。修正射(アジャスト)を要請。新たな諸元を送る。観目方位角(DIR)距離(RNG)座標(GRID)、送信』

『こちらエコー射撃統制(ファイアズ)、デルタ先任下士官(パパ)、次は近いぞ。遮蔽物に隠れろ(テイク・カバー)

『こちらデルタ先任下士官(パパ)(ログ)。いつでもいいぞ』

『こちらフォックストロット指揮官(シックス)、新たな諸元を受領。修正射(アジャスト)準備完了、発射まで3……2……1……発射(ショット)

 

 再び地表で雷光が炸裂する。鼓膜を聾する爆音が大地を波紋のように伝わってくる。豪奢な椅子の脚が折れんばかりに振動する。揺さぶられ、胃が喉まで持ち上がってきたような錯覚に青ざめる王子をよそに、呵責のない攻めはなおも続く。

 

『こちらデルタ観測班(スポッター)。敵集団への命中を確認。続いて手前に30ミル、左へ50メートル修正。“効力射”(ファイア・フォー・エフェクト)を要請』

『フォックストロット指揮官(シックス)、修正諸元を受領。全迫撃砲班、効力射(FFE)準備完了。総指揮官(アクチュアル)、認証を』

 

 エリザベートの最高等級の陶器を思わせる白い繊手が通信球をそっと持ち上げる。 

 聞いたこともない言葉ばかりで、彼女が何をしようとしているのかなど見当もつかない。この世界の住人は、“効力射”が『正しい射撃諸元を得たあとに行われる本格射撃』ということなど知らないからだ。知らないが、それが無慈悲な攻撃の合図であることは今までのことから嫌でも予想がついた。エリザベートは今、トドメを刺そうとしている。なんの呵責もなく、遠慮もなく。顔も知っているだろうユーリを、極めて無関心に、路傍の雑草を刈り取るかのような心の籠もらない表情で、この世から消し去ろうとしている。

 

 

「こちら総指揮官(アクチュアル)発射しなさい(オープンファイア)

 

 

 森の周囲の茂みから次々と眩しい光球が打ち上がった。ほとんど垂直に打ち上げられたそれらは、攻撃魔法のファイアボールだった。一つ一つは見慣れたものだが、そこにこめられた魔力の圧縮濃度は誰も見たことがなかった。とてつもない破壊力が凝縮されたファイアボールの大群が太陽に負けじと激しく燃焼し、青空に脈打っている。

 それらは個々に違った放物線を空中に描いた。だが次の瞬間、驚くべきことが起きた。ファイアボールは森のなかのある一点を目掛けて、まるで意思を持っているかのように寄り集まり、落下のタイミングを合わせ始めた。それは度重なる訓練によって極限まで高められた練度による弾着タイミング調整の成果だったが、王子たちの目には魔法か奇跡にしか映らなかった。

 

「ユーリ───」

 

 赤ん坊の頃から今までの息子の姿が走馬灯のように頭をよぎり、たまらずに歯の間から漏れた騎士団長の悲痛な呟きは、稲妻のような爆音にかき消された。

 皿のように見開かれた彼らの目に、再び爆炎が写り込む。今まで誰も目にしたこともない、世界を捻じり切らんばかりの大爆発だった。今度の轟音は度を超えて凄まじく、王子の頭上では天幕の生地が音波によってビリビリと振動し、ところどころに音を立てて切れ目が生じた。反射的に噛み締めた顎がガクガクと震えて激痛が走る。視界に映る平野全てから鳥たちが弾けるように一斉に飛び去る。DNAレベルで経験したのない大地の大激震に王子の取り巻きたちが腰を抜かして尻もちをつくも、エリザベート側には魔法の障壁が最初から張られていたらしく、風のそよぎすら感じていないようだった。彼女の手にする紅茶の水面にはしぶき(・・・)一つ立たなかった。こうなることを最初から予測していた証拠だった。

 着弾点にあった太い木々がバキバキと音を立てて根本から傾き、先ほどよりも激しい土煙の柱が立ち昇る。まるで火山の噴火のようだった。数拍ほど遅れて、平原を激しく波立たせながら突風が殺到してきた。破れた天幕を石礫がバタバタと叩きつけ、隙間から大量の土塊が降り落ちてワイン瓶や菓子を叩き潰す。

 それは衝撃の度合いを連想させ、爆心地にいたユーリたちの末路をも容易に連想させた。王子はあんぐりと口を開けて硬直している。風に混じって、生臭い臭気が漂ってきた。動物の血と内臓の臭いだ。側付きの女が「酷すぎる」と呻いて眼下の惨状から目を背け、背中を丸めて足元の野原に嘔吐し、そのまま硬直した。

 もはや、これは対人魔法などではない。この攻撃には正々堂々という思想は一切介在していない。騎士道精神も、武人としての情けも、すべて欠如している。今までこの世界の誰も考えたことのない、敵の集団をこの世から完膚無きまでに抹殺し尽くす、世紀末の終焉を覗き込んだ世界の残虐極まる戦術だった。

 

「……おい、誰か返事をしろ。この俺の命令だぞ。王子だぞ。返事をしろ……おいっ!返事をしろよ!」

 

 手が白ばむほど通信球を握り締めた王子が唾を飛ばす。しかし、通信球は無言を返すのみで、その沈黙が向こう側の様子をなによりも如実に伝えてきた。返事が出来るような生命は、もう残っていないのだ。

 見るに耐えない醜態を晒す王子を見兼ねて肩に手を掛けようとした騎士団長に、不意に王子がサッと振り返る。多量の脂汗にまみれた顔は狂人のような怪しい笑みに乗っ取られている。

 

「ふ、フリードリッヒ殿下……?」

「騎士団長、お前の息子は無駄死にじゃなかったぞ。最期に活路を開く策を残してくれたのだからな───おいっ!援軍はまだか!通信球はまだ繋げられないのか!?」

 

 なんと、王子はまだ潔く敗北を受け入れる覚悟を決められていなかった。ここに来てなお、卑怯な手を使ってでも勝とうとしていた。道を違えたとはいえ、たった一人の愛息子の命が犠牲になったというのに、王子の心境はなんら変わってはいなかった。ユーリの命がなんら役立てられることなく無駄になった事実を突きつけられ、騎士団長は怒りを覚えると同時に巨大な虚しさに襲われ、喉を詰まらせた。

 一方、援軍の要請をするために騎士団練兵場に連絡を取るよう言いつけられた小姓は、王子の口汚い叱咤をぶつけられて涙目になりながら、必死に通信球に魔力をこめていた。

 

「そ、それが、練兵場にまったく繋がらないのです。予備の通信球も何度も試したのですがどうしてか反応がなくて───」

「言い訳をするなっ!早くしろ!さもないと貴様もたたっ切るぞ!」

「ひいっ!?も、申し訳ありません!」

 

 …………予備の通信球が?

 遠くから聞こえてくるような王子たちの会話の意味を遅まきながらに理解して、騎士団長は眉をハの字にして訝しむ。騎士団練兵場は王国騎士団の本部であり、備品はすべて最新のもので統一されている。特に通信球は騎士団長である彼自身の命令によって、つい先日に予備も含めて新しい魔術を付与したばかりだ。なにより、今朝も通信球を使って練兵場と連絡をとったばかり、なの、に───

 

 考えが及ぶに連れ、思考が尻すぼみになっていく。胸中に最悪の予測を導き出してしまった騎士団長の顔面が見る見る蒼白になり、どっと頭から滝のような汗が流れ落ちる。

 “エリザベートの戦術には、騎士道精神も、武人の情けもない”。先ほどそう論評したのは、自分ではないか。

 操り人形のようなぎこちない動きで、彼はエリザベートの氷像のような横顔に見開いた目を向ける。

 

「……エリザベート公爵令嬢、我が騎士団に、何をした?」

 

 氷のような殺気をケープのように纏うエリザベートは、彼の言葉が耳に入っていないかのように泰然として何も応えない。しかし、彼女の背後に立つ老公爵の喉が緊張にグビリと上下したことが明確な答えになった。答えになってしまった。後ろ手に手を組んでピンと顎を上げ、一見すると平然を装っている公爵のシャツの襟首は、じっとりと汗に濡れていた。王国有数の傑物である公爵が緊張と後悔に恐れを抱くほどの行為が、この合戦の背後で行われたのだ。いや、そもそも、この愚かな騎兵合戦そのものが“背後(おとり)”で、本当の目的は───

 

「まさか……」

「お、おい、騎士団長。いったい何の話をして───」

「小僧、貴様ッ!王子殿下の御前であるぞ!無礼であろう!」

「至急!至急の伝令なんだ!頼みます、通してください!通してください!」

 

 背後から怒号が飛んできて、騎士団長の追及は乱暴に中断された。エリザベートと公爵を除く全員が驚いてそちらに視線を転じれば、まだ騎士叙任前の年若い少年が馬から転がり落ちて、護衛の騎士を押しのけてこちらに駆け寄ってきていた。全速力の鞭を入れ続けられたのだろう馬は臀部に痛々しい血が滲み、ヒューヒューと喉から苦しそうな息を吐いている。

 騎士団長はこの少年に見覚えがあった。騎士団練兵場で騎士見習いをしている、14歳の少年だ。武に優れ、特に馬の扱いに長けた将来有望なこの侍従は、実家が大領主であることを鼻にかけて増長しやすいところが玉に瑕な美少年だった。それが今や見る影もなく、見開かれた眼球の瞳孔は死人のように開いて上下左右に激しくブレている。

 必死の形相には護衛の騎士を思わずたじろがせるほどに鬼気迫るものがあり、護衛たちが後退(あとずさ)って王子の足元へ道を開ける。王子の目の前まで辿り着いた侍従の少年がほとんど転がるような勢いで膝をついた。何が起きたのか、彼の(リネン)の衣服は他人の血でべっとりと赤く染まっている。顔貌は恐怖に引きつり、ボロボロと涙が勝手にこぼれ落ちている。尋常でない何かを直視したに違いないと、誰もが彼の口にする報告に嫌な予感を感じた。

 果たして、現実はその予感を遥かに上回って、地獄(・・)だった。

 

王都が襲撃(・・・・・)されました(・・・・・)!王城も、騎士団練兵場も、衛兵傭兵詰め所も!全滅です!騎士の方々が、みんな、みんな殺されてしまいましたぁ!」




ゴルゴの魅せ場、長距離狙撃は次回!異世界版アーマライトM16が火を吹くぜ!


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悪役令嬢(ゴルゴ13)が平民を精鋭兵士に育てて近衛騎士団を圧倒する話 8話

感想より抜粋

三芳さん
「読者ももうすっかり頭の片隅に追いやってるけど、第一話を見るにこの世界って乙女ゲームの世界っぽくてエリザベートは悪役令嬢ポジなんだよな…。
主人公からしたらようやく王子を落として悪役令嬢追放イベント終わらせて、このままハッピーエンドかと思いきや死屍累々の地獄みたいなバッドエンドが待ち構えてたわけで。
もうROM叩き割るレベルのクソゲーですわ。」

ありがとう。貴方のこの感想にインスパイアされて、今回の話が出来ました。書いてて楽しかったです。なお、主人公の名前は三芳(みよし)さんの名前の響きを参考にしています。


私は今、ゲロを吐きながら、ギリースーツの男(・・・・・・・・)と、目を合わせている。

 

 

 

 

 乙女ゲームの世界に転生した!

 今の私は主人公のミレーヌ。城下町に暮らす、平民のかわいい女の子。だけど実は1000年に一人現れる『聖女』の力を天から与えられていて、真実を見通し、魔物を滅することができるの。

 前世、日本人のOLだった頃の記憶は、散々なものだった。就職したばかりの会社で、冴えない私は奴隷のように朝から晩まで休みもなくこき使われて、過労死寸前だった。あんなに受験に苦労して良い大学を出たのは、こんなところで消耗品みたいに使い潰されるためじゃなかった。頭の中には「どいつもこいつもみんな死ねばいいのに」という呪詛ばかりが渦巻いていた。

 そんな前世の私が絶命するときの記憶は、実は曖昧にしか覚えていない。テンプレみたいにトラックに撥ねられたことでないのは間違いない。覚えているのは、夜の東京のオフィスに一人で残業していたこと、突然そこが激しい一対多数の銃撃戦の応酬に見舞われ、最後には爆撃機が落とした爆弾によってオフィスビルの建つ区画ごと吹っ飛んだことだけ。

 

『つ、ついに奴の伝説も終わる』

 

 ビルの残骸に下半身を下敷きにされた私が意識を失う寸前、いかにも悪役らしい年重(としかさ)の男の声が聞こえ、次の刹那、“ズキューン!”という鋭い銃声にかき消されるのを聞いた。その声の主が崩れ落ちた直後、私の隣にドサリと大きな肉体が倒れてきた。傷ついてなお頑健さを失わない四肢と岩のように険しい顔つきがボンヤリとした視界に映り込む。おびただしい量の血が流れてきて、瓦礫の絵皿(パレット)のうえで私の血と交わる。むせ返るような濃い血の臭いが漂ってくる。獣のような男の血。生まれながらの戦士の血。薄れゆく視界に映るのは、男のゴツゴツとした手が握り締めていた、黒くて大きな銃(ブラックライフル)。私は、物騒な物を握った知らない誰かと添い遂げるような格好で、死んだ。

 

 ちょうどその時、私は胸元にこの乙女ゲームの世界の原作ゲームを忍ばせていた。そのおかげなのか、私はこの世界で、主人公として新しいスタートを切ることが出来たのだ。中世ヨーロッパを模したファンタジー世界を舞台に、主人公の女の子ミレーヌが、身分が異なる貴族や王子様といった容姿端麗な男の子たちと甘酸っぱい恋愛を交わす、大人気の女性向けRPG。私はその主人公、ミレーヌなのだ。そう、主人公(・・・)!消耗品なんかじゃない!私こそこの世界の中心!私がいなくてはなりたたない世界!

 8歳の誕生日に前世の記憶を思い出した私は、さっそく行動を開始した。このゲームは静止画(スチル)が目に焼き付くまでやり込んだから、攻略対象のことは知り尽くしていた。もちろん、ライバル(・・・・)のことも。もうすでに勝負は始まっていた。

 

 エリザベート公爵令嬢(・・・・・・・・・・)

 ジャケ絵には黒いシルエットでラスボスの如く描かれたキャラクターは、この世界において、主人公ミレーヌの恋路をことごとく邪魔してくる恋のライバルにしてヒール的存在の女の子だ。同い年の王子とは幼い頃からの許嫁という設定だ。国王に次ぐ権力を持った公爵家の権威と、類稀なる魔力を秘めた才能を傘にしてやりたい放題のワガママお嬢様は、見た目は完璧な美少女には違いなく、周囲からは“薔薇姫”と呼ばれている。天真爛漫で正直者の主人公とは正反対の高慢ちきで腹黒なお嬢様で、フリードリッヒ王子の前ではお淑やかな女の子を演じて、その裏では主人公に陰湿な嫌がらせをしてくる。「おーほほほほほ!」という高笑いが聞こえるたびに、プレイヤーたちはムカッとした感情を抱いたものだ。子どもじみた性格だけど、高い教育のおかげで知恵は回るし、取り巻きも多い。嫌な意味で、とっても女らしいキャラクターだ。

 私が前世で一番の推しだったのは他でもないフリードリッヒ王子。そしてこの新しい人生でも、私が狙うのはフリードリッヒ王子一択だ。オレサマ系男子だと、フリードリッヒの友人で騎士団長の息子であるユーリと性格設定がちょっと被っているんだけど、見た目のキラキラ感と、実は寂しがり屋や性格が私のツボにハマったのだ。王子さまと結婚すれば私は自動的に王女さまになり、権力も持てるし、贅沢もできるようになるというわけだ。それに、ユーリは『女嫌い』という設定があって、攻略がちょっと面倒くさかったりする。RPGのキャラとしてはステータスが高くて使い勝手がいいけど、面倒くさいのは願い下げだ。なにより騎士団長の息子と結婚したところで旨味はあんまり無さそうだった。

 ということで、フリードリッヒの許嫁であるエリザベートはまさに私にとってライバルというわけだ。でも、私には原作の知識がある。この世界がこれからどうなっていくのか、世界情勢からキャラクターの生き死に(・・・・)まですべてをイベントとして知り尽くしている。この知識を活かせば、すべては私の思うがままだ。神になったも同然だ。

 私は万能感を胸に秘めながら、そのことを周囲にはおくびにも出さず、あくまで健気な平民の女の子を装って行動した。純粋無垢な女の子を演じるのは疲れると思ったときもあるけれど、王子様にチヤホヤされる日のためだと思えば忘れられた。

 ある時は、お忍びで平民街をお散歩しているフリードリッヒ王子に親切にしてあげて、純粋無垢な表情と仕草で接したり。ある時は、フリードリッヒ王子の馬車が通り掛かるタイミングを見計らって、あらかじめ私が仕掛けていた紐につっかかって転倒した不運なお年寄りに親切にしたり。極めつけに、王子が入学してくる貴族学校に入学するために勉強も頑張った。とはいえ、もともと高学歴だった私にとっては中世世界のレベルの勉学はへそで茶を沸かすような内容でしかなく、この世界独自の歴史と法律と魔法の基礎理論について理解してしまえば、上の下ほどの成績に調整(・・)して合格することなんか苦でもなかった。

 

 

 この世界という盤上で駒を動かしているのは、間違いなく私だった。

 私はプロのチェスプレイヤーになったかのような自負と自信に充溢していた。

 すべての選択に手ごたえがあり、すべてのルートが順調だった。

 そう、あの日(・・・)までは。

 

 

 王都に暮らす子どもたちは、10歳になると『神の加護』が与えられる。ただし、“与えられる”と言っても、それはこの世界の最大宗教である聖教会の権威を保つための方便だ。実際は人間は生まれたときからすでに何かしらの加護が与えられていて、大司祭は古代の秘宝である巨大な水晶球を通じて、その子どもにどの神さまの加護が備わっているのかを見て、それをいかにも自分が付与したかのように仰々しく発表するだけだ。

 

(でも、『聖女』の私にはお見通しなのよね)

 

 心のなかであざ笑う。この世界で唯一、神から『聖女』の加護を与えられた私だけが、肉眼でそれぞれの加護の正体を見破ることができる。姿を隠していようと私にはステータスまで看破できるのだ。こういった、本編とはあんまり関係のないちょっとダークな裏設定だって私は知っている。4冊も発行されたファンブックをすべて熟読したからだ。

 平民も貴族も関係なく、王都に住まう子どもたちが聖教会の大ホールに一堂に会している。ホワイトウッドの鏡板張りの大ホールは、ゲームでも細部まで描き込まれていて見事だったけど、生で見るとさらに荘厳だ。

 ここで、すべての子どもたちの一番最初に水晶球の前に立つ栄誉を浴するのがエリザベート公爵令嬢だ。10歳とは思えない厚化粧をして、無理やり背伸びしたハイヒールを履いて、見るからに高そうな服と装飾品を身に着けて、金長髪をギラギラさせながら子どもたちの列の間を偉そうにな態度で歩いていくエリザベートのスチルが目に浮かぶ。ここでエリザベートは、大司祭に金を握らせて、自分が最高の美の女神の加護を受けていると嘘の発表をさせるという流れが生じるはずだ。そのことを知っている私は内心に怒りを覚えながら、それを顔には出さずに平民たちの集団に紛れていた。私はちょうど大ホールの中央、エリザベートが通るだろう通路に面するところに立っている。ここでライバルの顔を見てやろうという寸法だ。

 

(……なんか、空気がおかしいわね)

 

 ホールの後ろ側におしくらまんじゅう状態にされている平民の私たちは座ることも出来ないが、貴族は親も同伴が許され、贅沢なマホガニーの長椅子が用意されている。だけど、なんだか雰囲気が奇妙だった。あんなに広々とした椅子で柔らかそうなクッションに腰を下ろしているのに、貴族たちはみんな肩をピンと固く強張らせて、いかにも居心地が悪そうだ。なかには首筋まで青ざめている貴族もいる。こんな描写は原作ゲームやファンブックにもなかったはずだ。

 

「え、え、エリザベート公爵令嬢の、お、御成(おなり)でございますっ」

 

 緊張を隠せずに不自然に抑揚する教会関係者の声が大ホールに響いた。ザワリと貴族の子どもや親たちに感情の波が走ったかと思いきや、弾かれたかのようにズバッと音を立てて一斉に立ち上がった。一瞬で空気がピリッと引き締まり、気温までグッと下がったような不安感が足先から這い上がってくる。落ち着かない様子だった平民の子どもたちですら喉を詰まらせたかのように一瞬で押し黙り、大ホールは鼓膜が突っ張るような沈黙に満ちてシンと静まり返った。

 

(こ、これは、いったい)

 

 

───カツン(・・・)

 

 

(ッッッ!!??)

 

 視界の最端で金髪が翻るまで、私は彼女(・・)の接近に気づけなかった。否、誰も気づけていなかった。

 

 いつのまに?いつから?どうやって?

 

 答えのない疑問をあざ笑うかのように、ヒールが大理石を蹴る硬質な音が大ホールの空気を微震させる。空間に金色の尾を引いて、彼女が通路を歩いていく。顔を俯ける私にはそれしか見えない。好きで床を見つめているんじゃない。頭を上げることが出来ないのだ。

 恐怖のあまり目が勝手に潤む。直視してやりたいのに、直視できない。本能がそれを頑として拒んでいる。皮膚の下の神経がザワザワと震える。横隔膜が勝手に上へ上へと迫り上がり、呼吸を圧迫する。荘厳だったはずの空間が、一転して悪夢のような寒々しい空気に取って代わられていた。

 

(これが───エリザベート───!?)

 

 逃げ出したい衝動は耐えず湧き上がってくるのに、身体は根が生えたみたいに動こうとしない。ライオンやクマと目を合わせることを恐怖しているような、原始時代から蘇った被捕食動物の胸騒ぎが私の行動を強制的に縛り付ける。“逃げろ”と叫ぶ肉体と“動くな”と呻く脳みそが相反して板挟みとなった私は硬直することしか出来ない。命の危機を訴える本能がせめぎあい、役に立たない矛盾した指令を狂ったように発するばかりだ。

 違う。こんなストーリーじゃなかったはずだ。こんな流れは原作にはなかった。こんな描写も、設定も、私の記憶にはない。エリザベートは、こんな迫力(・・)を撒き散らすキャラクターじゃなかったはずだ。

 

「え、え、エリザベート公爵令嬢。よ、よく来てくれた」

 

 大司祭の声も緊張に裏返っている。その司祭の言葉に、エリザベートはにべもなく応えない。差し出された握手を求める手にも応えない。それはとてもとても非礼なことのはずなのに、誰も咎めようとしない。咎められる人間がいない。息をするのも躊躇うような気まずい沈黙が全員の肩にのしかかるなか、誰かがおずおずと大司祭に耳打ちをする気配がした。

 

「あ、ああ。そうか、君は握手をしない主義だったな。いやいや、いいんだ。いいんだよ。さサ、さあ、水晶球の前に立ちなさい」

 

 この世界では十分に高齢とされる60代後半の大司祭が、8歳の少女に対して明らかに恐れおののき、子犬のように怖気づいている。まるでいきなり爆弾を解体することになった素人のように情けない。そのことを貴族の誰も笑うこともせず、不審に思うでもなく、むしろ少女と面と向かい合うことになった大司祭を気の毒そうに遠目に見ている。この大司祭の反応は、貴族社会では当たり前のものなのだ。あの少女に戦慄しない人間は、いないのだ。

 

 違う(・・)。違う、違う、違う。エリザベート一人だけ、世界が違う(・・・・・)

 まるで作風も画風もまったく異なる作品のキャラクターが紛れ込んできたかのような不躾で異質な存在感の塊が少女の皮皮(ひかわ)を被っている。あんな少女がいていいはずがない。あんな目をしていいはずがない。“世界には捕食者(じぶん)被捕食者(じぶんいがい)かしかない”なんて完璧に割り切った目は、たった8歳の女の子のものじゃない。人間の顔を見ているけど、()()()()()()()()()()。ギロチンの刃がそのまま目玉になったようだ。

 

「さ、さあ、エリザベート公爵令嬢。君の守護神を見てしんぜよう」

 

 大司祭の震える声が聖堂に響く。直後、聖なる水晶を覗き込んだ彼がうめき声ともとれない悲鳴をあげてザッとすり足で後ずさった。唇からみるみる血の気が引いて濃い紫色に色落ちしていく。

 

「大司祭様………どうかなさいましたか………?」

「え、あ、う、あ、ああ、ああっ!ああ、そうだとも!ききき君の守護神は、イバラ(・・・)の、い、いや、バラの神だ!そう、バラのように美しい女神だ!そうだとも!」

 

 そう言って賞詞を授ける大司祭の顔はこれ以上ないほどの恐怖に引きつり、青ざめきっていた。エリザベートは今にも気絶しそうな大司祭を念押しをするような一瞥で刺し貫いたあと、コマのようにするりとその場で踵を返して去っていった。エリザベートは周囲に目もくれることもなく、悠然と私の真横を歩いていく。このエリザベートは、公爵家(じっか)の権威を笠に着るなんて考えてもいない。何者にも縛られず、己の流儀と道徳律にのみ従っていることがその決然とした足取りから伝わってくる。

 地面に突き立っているかのように腰のブレない強靭な体幹と、つま先を少し浮かせて踵を強く踏み、足裏を必要最低限しか持ち上げない摺り足のような足運びは、淑女の礼儀作法というより武の達人のそれを連想させる。視界の端をはためくドレススカートの裾が過ぎていく。手を伸ばせば触れることができそうなほどの濃密な殺気が小さな背中から滲み出ていて、現実の冷気となって床を這っている。あてられた(・・・・・)子どもが白目をむいてぐらりと気絶する。

 私はその顔を直視することもできず、目を伏せたまま、全身を汗でぐっしょりと濡らし、一刻も早くこの女が立ち去ってくれることを願っていた。

 大司祭は嘘をついた。いや、言えなかった(・・・・・・)

 たしかに、原作ゲームではエリザベートは“黒バラの美姫”という二つ名で呼ばれていた。エリザベートの守護神は“花の女神”だったし、有り余る魔力で薔薇を操っていたりした。でも、このエリザベートは、違う。聖女の私には、見えた(・・・)のだ。ギシリギシリとむき出しの関節を軋ませながらエリザベートの後ろを歩く神の姿が、私には見えてしまったのだ。

 奥歯がガチガチとかち鳴る。激しく吐きだす息が白い靄となる。ボタボタと恐怖の涙を落としながら、私はエリザベートの背後を聖女の力で透かし見る。

 

 茨の冠を頭に戴く(・・・・・・・・)白骨の男(・・・・)

 アレがエリザベートの守護神。アレがエリザベートの正体(・・)

 

 

(排除しなくては!!)

 

 私は唇に血を滲ませて決意した。原作のあつかましくて小賢しいエリザベートとはまったく違う。もっと悪質なものだ。あれはバグ(・・)だ。脅威だ。なんとしても打倒しなくてはならない。私の盤上から排除しなければならない。そうしなければ私の希求する幸せは手に入らない。

 でも、現時点ではただの平民に過ぎない私にはそんな力はない。私はたしかに未来の『聖女』だし、原作でもその力で暴走したエリザベートを返り討ちにしているけれど、そうなることを悠長に待っていようとは到底思えなかった。ヤラなければヤラれる、という危機感と焦燥感が全身を駆けずり回っていた。

 この日この瞬間から、私の新たな人生にもう一つの明確で困難な目標が生まれた。不気味で強大なエリザベートを速やかに私の世界から掃滅するという目標が。そのために私は持てる全てを投入した。私にはこの世界(ゲーム)の知識がある。チェスの駒を握っているのは、私なのだ。

 

 幸運なことに、このあとの世界の流れは原作ゲームのとおりに進んだ。学園でイベントの起こる時期も内容も同じだった。目には見えないけれど、フリードリッヒからの好感度が日に日に上がっているという手応えを感じていた。私は頭のなかの攻略本に従ってストーリーを誘導してやるだけでいい。エリザベートの婚約破棄と追放シナリオさえ実現させれば、あの女は実家の公爵家ごと没落し、私の目の前から消えてくれる。

 

 

 

「え、え、え、エリザベート!おおおおおおおおお、お前はいったい、なんなんだ!?」

 

 

 

 いなくならなかった(・・・・・・・・・)

 あの女は規格外だった。文字通りの無敵だった。シナリオに沿って学園から追放されるイベントを起こした。戦闘ステータスがもっとも強いユーリをけしかけた。それでも、何の痛手を負わすことも出来なかった。フリードリッヒ王子は小便を漏らして気を失うという大醜態を晒して、役立たずのユーリは死にかける羽目になった。エリザベートは、原作では持て余していたはずの魔力を自分の肉体に全投入することで超人的な膂力を身に着け、それを十全に使いこなしている。ユーリが歯が立たないのも当然だった。

 あの女の底の知れない不気味さが私の選択肢を狭めた。絶対の優位にいるはずなのに、エリザベートを相手にすると私の行動は制約を課せられた。あの女がどこまで見通しているのかわからない以上、下手な策略を練って貶めようとすれば、それを逆手に取って私にまで辿り着く恐れがあった。あの化け物に追い詰められてしまえば、いくら『聖女』でもひと捻りに違いない。想像するだけで血が凍りつく。

 今のままじゃ駄目だ。もっと強力な手段をとらないといけない。乙女ゲームのやわな対処では勝てない。

 

 

「フリードリッヒ様ぁ。こんな法律があったって、ご存知でしたぁ?」

「ん?どうした、我が愛しのミレーヌ」

 

 もはや身体に馴染んだ猫なで声で、私は古い法律書を大きく広げて王子の前に差し出す。

 

「これは……『騎兵合戦』……?」

「偶然この本を読んでたら偶然この法律を見つけたんです。“領兵を用いた代理決闘”だなんて、なんだかすごい法律ですね~」

 

 嘘だ。現代知識の化粧技術で目の下のクマを巧みに誤魔化しているだけで、本当は三日三晩、図書館で徹夜して見つけ出したのだ。はっきり言って、単騎でエリザベートに勝てる人間はいない。水牛のような体格の木強漢をぶつけても勝てるイメージが湧いてこない。たしかに、原作でのエリザベートの魔力量は最高クラスという描写があった。けれど、ユーリを一撃のもとに叩きのめしたあの戦闘力は、紛れもない純粋な技術(・・)によるものに違いなかった。どれほど激しい修練を積み重ねればあの粋に達せるのか想像もつかない。あの死神の鎌のような体術に魔力のブーストがかけられたなら、もはや鬼に金棒どころの話じゃない。

 

(だから、軍隊(・・)をぶつけてやる)

 

 バカ正直に一対一で戦う必要なんかない。個人では敵わないとしても、数の力で押しつぶせばいい。こっちは王子様の権力があるんだ。エリザベート個人をどうにもできないのなら、実家の公爵家ごと完膚無きまで失墜させればいい。強引な手を使ってでも、二度と私の理想世界の舞台に上がってこられないところまで蹴落としてやる。そのためには多少の血が流れようと知ったことじゃない。私以外(モブキャラ)の血がいくら流れたって、どうでもいいことだ。

 

「なるほど……この手があったか!さすがは我が天使ミレーヌだ!よくぞ見つけてくれた!では、さっそく俺の直属の私兵たちに参集をかけよう。公爵家の兵士どもと十分戦えるくらいには精鋭だし、数も同じくらいは揃えられる」

 

 何を甘いことを言ってるんだ、このお坊ちゃんは。思わず怒鳴り散らしたくなる衝動を、奥歯を噛み締めてぐっと抑え込み、いかにも無知で思慮の浅そうな女の子の笑顔をむりやり顔面上に再現する。

 

「でもでも、この法律をずっと読んでみても、取り決め(・・・・)には言及されていないみたいなんです」

「取り決め?」

「はい。“両者が同じ兵力でなければならない”って取り決めです」

 

 フリードリッヒの表情がハッと緊張を帯びる。

 

「ということは……」

「えーっと、私は難しいことはよくわからないんですけれど、圧倒的な戦力差(・・・・・・・)を用意したとしても、法律上はなんら非難される謂われはない、ってことかもしれませんね~」

 

 頬に人差し指を当てて斜め上を見つめながらそう言った私の前で、ようやく私が言外に言わんとしていることを察した王子の顔がさっと青ざめ、一瞬の後に鋭い笑みに取って代わられた。狂気すら滲んだ笑顔が顔いっぱいに広がっていく。これでいい。これでエリザベートを叩き潰せる。あの女を相手に、出し惜しみなんて無用だ。私のチェス盤からさっさと排除してやる。

 数日後、顔を合わせたフリードリッヒは、少しやつれていたものの、それに倍する強い意志を漲らせていた。ただしそれは、覚悟を決めた男の顔というより、あとには引けないところまで追い詰められて開き直ったガキの顔だった。

 

「父上───国王陛下に、近衛師団をかき集めて貸してもらうようお願いをした。言われたよ、“これが最後だ”と」

 

 一人息子に甘かった国王がついに最後通牒を突きつけたわけだ。そしてフリードリッヒも、それが最後通牒だということを理解したということだ。国王からすれば、“ここまでやるのならもう終わらせろ”と言いたかったのだろう。エリザベートの底知れない脅威は国王も理解しているはずだ。敵に回すことがどれほど恐ろしいことか、知らないはずがない。そんなエリザベートと明確に敵対するというのなら、長引かせず、完璧な勝利でもって決着をつけなければならない。中途半端な勝利ではダメだ。相手はあのエリザベートなのだから。

 後世の歴史家たちは、たった18歳の少女にそこまでするかと過剰に思うだろう。あの女をじかに目にしたことがない、無責任な立場だから言えるのだ。

 

「フリードリッヒ様、お可哀そうに!エリザベート様のせいで大変な思いばかりさせられて、フリードリッヒ様はなにも悪くないのに……!」

 

 私はさっとフリードリッヒの胸に飛び込んで彼を抱きしめた。私は、私のために恥を忍んで行動したこのキャラクターに隠しきれない愛着を感じていた。私の手のひらの上でくるくると踊る美少年の苦悶に、私は胸に押し付けた顔をにんまりと笑みの形に歪ませた。腰がゾクゾクと震え、下半身が疼く。なんて愛おしい、馬鹿な男の子なんだろう。

 そんな私の真の感情など知る由もないフリードリッヒが、私のうなじの髪の毛を口元に持ち上げて熱っぽく囁く。

 

「我が愛しのミレーヌ。合戦当日は君も来て欲しい。普通、こういう場合に平民が随従することは許されないが、俺の傍付きの侍女としてなら君の観戦も問題ないはずだ」

「わ……わかりました。もちろんですわ、フリードリッヒ様。ご勇姿をしかと目に焼き付けさせていただきます」

 

 本心では行きたくなんかなかった。自分が水を向けたとはいえ、男たちの野蛮な殺し合いを鑑賞する趣味なんて無い。勝手にやっていればいい。でも、エリザベートの屈辱と絶望に沈む姿を眺められるのなら、行ってやってもいい。この時、私は自分の勝利を疑ってなどいなかった。自らのチェックメイトを信じていた。美しく刈り揃えられた平原の戦場を舞台に、私とエリザベートの対決は終わりを告げるのだ。

 

 

 

「ユーリ───」

 

 

 

 騎士団長の呆然とした呟きが耳にこびりついていた。力なく大地に四肢をついた彼が見つめる先に、ユーリはもういない。きっともう、原形なんて留めていない。

 チェス盤はひっくり返っていた。私がそそのかして組織させた史上最強の騎士軍団は、惨敗を喫していた。惨敗なんて次元じゃない。ボロ負けだった。ズタボロだった。地獄だった。文字通り、一兵も残らず全滅だった。

 血の臭いが漂ってくる。木々が焼ける臭いに混じって、生き物の肉が焼ける焦げくさい臭気がつむじ風に乗って鼻腔を突き上げてくる。このなかに、顔を知っているユーリの肉片から発せられたものがあると想像してしまった瞬間、不快が頂点を越えた。内臓が狂ったポンプのように誤作動を起こして胃液が勢いよく逆流し、私は足元の草むらにゲロを盛大にぶちまけながら膝をついた。

 

「酷すぎる………え?」

 

 ゲロを浴びて異臭を放つ雑草に何気なく目をやり、そしてギクリと総身が硬直した。

 

 目が合った(・・・・・)

 

 草の形をした人間(・・・・・・・・)の一対の目が、私を凄まじい眼力で睨み付けていた。限りなく訓練された獣の目つき。人間より人間らしい獣の目つき。

 目と鼻の先から明確な殺意を突きつけられ、全身の毛穴から汗が噴き出る。こんなに近くにいたのに、どうして気が付かなったのか。幻覚だと思いたかったのに、兵士が構える鉄筒(ライフル)の銃口はこれが紛れもない現実だと私を威嚇している。緑のまだら模様に塗られた唇が声のない言葉を発する。

 “動くな、喋るな、さもないと殺す”。

 殺気が目に見えるなんて、知りたくもなかった。実像のない手が私の喉輪を締め付ける。これほど“死”を身近に感じたことはなかった。

 その時、生存本能に刺激された私の聖女の力が発動した。私の頭のなかでレーダーのような画面が展開し、周囲一帯を自動で索敵する。そして、ようやく理解し(わかっ)た。一見すると何者もいないはずの草原に、何人、何十人もの姿の見えない男たちが潜んで、私たちを一分の隙もなく取り囲んでいた。何の変哲もない草むらにしか見えない景色に、姿と殺気を巧妙に隠した兵士(・・)たちが完璧に溶け込んでいる。前世でもたどたどしくしか知らない知識だけど、男たちが身を包んでいるのは───完全迷彩服(ギリースーツ)に違いなかった。

 なんということだ。私たちは、この戦いが始まる前からすでに負けていたのだ。自らがチェスプレイヤーだと思いこんでいた私こそ、ただの盤上の駒に過ぎなかったのだ。

 私は身を潰すような後悔に絶望しながら、永遠とも思える時間、目の前のギリースーツの男に射抜かれ続けるしかなかった。




他作の宣伝になってしまいますが、ビッグ・オーのロジャー・スミスが悪役令嬢に転生した『悪役令嬢に転生した交渉人(ネゴシエーター)のお話』という小説を先々週に投稿しました。そちらも読んで頂けると嬉しいです。それでは、2021年もよろしくおねがいします。


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悪役令嬢(ゴルゴ13)が平民を精鋭兵士に育てて近衛騎士団を圧倒する話 9話(最後)

前話に登場した『いばらの冠を頭につけた白骨の男』の元ネタが、ゴルゴ13コミックスの裏表紙に描かれてるイラストだとちゃんと気づいてくれました?


「王都が、王城が、襲撃───?」

 

 

 にわかには信じがたい、受け入れがたい報告に、さしもの騎士団長も何も言えなかった。頭脳は回転を諦めた独楽のように動いてくれない。他の誰も、何も言えない。王都が襲われることなど、それこそ建国初期である1000年以上前の魔族との戦争でしか経験のないことだった。ましてや、魔王を討伐した勇者の末裔たる国王の居城に弓引く禁忌に手を出す人間がいるとは、誰も予想していなかった。

 ショックのあまり、血液が間欠泉の如く頭に昇り、王子の側近のほとんどが泡を吹いて卒倒した。王子は椅子を蹴飛ばして反射的に立ち上がったものの、真っ白になった頭では衝撃でバラバラになった思考を繋ぎ止められず、直立不動のまま口をパクパクと開け閉めするだけだった。彼の2倍以上の年月を生きて、そのほとんどを戦場で過ごした騎士団長といえども、ひどい目眩を覚えてたたらを踏まずにはいられなかった。

 

(全滅?騎士も、衛兵も、傭兵も、全滅?)

 

 騎士団練兵場には虎の子の騎馬兵を含めて300人は下らない騎士が控えていた。一流の近衛ではないが、精強には違いない丈夫(じょうふ)たちだ。王城には王城専属の衛兵が100人は詰めているし、衛兵と傭兵の詰め所にも100人が待機している。これらは王国の頭脳であり心臓である王都を護るための全戦力であり、国王直轄の兵力全てだ。体格も体力も装備の質も、どこに出しても恥ずかしくない兵士たちだ。それらが、少し目を離した隙に全滅させられたなど、到底信じることは出来ない。常ならば一笑に付していただろう。……眼下の惨状を見せ付けられていなければ。

 

「え、え、え、エリザベート………よもや、まさか、貴様、まさか、父上を………!?」

 

 わなわなと全身を震わせる王子の声もまた酷く震えていた。王城が襲われたなら、襲撃者の目標が“誰”なのかは否応なしに想像がつく。それは王城の頂上部におわす御方以外にありえない。自然と全員の視線がエリザベートに吸い寄せられる。覆すことなど到底不可能に思えた戦力差をいとも簡単にひっくり返してみせた少女がすぐそこにいるからだ。全員の胸中に、「この少女ならやりかねない」という共通の確信と畏怖が芽生えていた。

 瞠目する王子に対し、娘の代わりに毅然と応えたのは公爵だ。

 

「失礼ですが、殿下がなにを仰っているのかわかりかねますな」

「公爵、貴様、俺を(たばか)る気か!?これは王国に対する明確な反乱だぞ!一族郎党、処刑される覚悟はあるのだろうな!?」

「はて、この老骨には一向に話が見えませぬ。それは、我々が何かした(・・・・・・・)という証拠(・・・・・)があっての物言いなのでしょうな?」

「は、はああっ!?これだけの大罪をしでかすのだから、当然、大兵が動いたに違いないのだ!それを誰にも見られていないはずがなかろう!そいつらが誰で、どこから来て、どこへ逃げたのかなど、調べればすぐにわかるのだぞ!」

「ほお。本当にそうですかな(・・・・・・・・・)?」

「は……?」

 

 あくまで強気な姿勢を崩さない公爵の双眼がいよいよ鋭い光を放った。溜め込んでいた怒りを隠すことを止めた、相手を圧倒する男の目だ。次の瞬間には喉笛に喰らいつく覚悟を決めた父親(ちちおや)の迫力に気圧され、王子はそれ以上の語を紡げなくなった。公爵の鋭すぎる眼力は、到底、自らが仕える上位者へ向けていいものではなかった。この娘にしてこの父あり、ということか。いや、彼はよく堪えた。王子に娘をひどく侮辱されてなお国王に敬慕と献身を捧げ続けた宰相がついに愚かな上位者を見限ったとしても、おかしくはない。

 

「君、殿下は下手人の情報を求めていらっしゃる」

 

 息苦しいほどの沈黙が降り満ちるなか、報告を促す騎士団長の視線を察した少年が肩と胸をふいごのように上下させながら息も絶え絶えに続ける。伏せられた目はいかにも気まずそうで、良い報告が彼の内にないことを如実に現していた。

 

「も、申し訳ありません。下手人の姿は、消えました。いえ、そもそもハッキリと目にした者がいないのです。下手人がどこから出現したのか、どこへ消えたのか、どんな者どもだったのか、誰もわかりません」

「わ、わからない?君、それは本当か?下手人が何者だったのか、姿形や規模など、それもわからないのか?」

「誓って真実です、騎士団長閣下!決して我々が眠りこけていたわけではありません!食堂で、13時の鐘が鳴ったと思ったら、どこからともなく激しい光と音の塊が一斉に投げ込まれて、目と耳が役に立たなくなって……そして、き、気がついたら、騎士の方々はもう穴だらけになっていて……。下手人の行方を追おうにも、姿形すら見えませんでした。残されたのは我々のような騎士叙任前の未熟な侍従だけです。ど、どうして我々だけ生き残ったのか……」

 

 混乱する少年をよそに、騎士団長の目が我知らずエリザベートに向けられる。彼女は、この事態がまるで違う次元で起きているかのように我関せずと振る舞っている。いや、事実そうなのだろう。全てが計画通りなのだ。まるで自邸の庭園にいるかの如く完璧にリラックスをして紅茶を嗜んでいる彼女は、たしかに我々とは次元が違う世界を見ているのだ。住んでいる次元が、思考の次元が、戦法の次元が、違うのだ。

 蝶よ花よと手塩にかけて育てられ、ワガママな箱入り娘となるはずだった少女が、裏で稀代の権謀術数を用いて王国のどてっ腹に巨大な風穴を開けたなどとは信じられない。だが、間違いなくそうなのだ。下手人たちの親玉は目の前の座る少女に違いない。このタイミングで、これだけのことを成し遂げられるのは、世界広しといえどこの公爵令嬢と配下の兵士しかいない。しかし、その真実には未来永劫、決して辿り着くことはないだろう。老公爵の言うとおり、この完全無欠の少女は何一つ証拠を残してはいないだろうからだ。

 王子の言うとおり、大軍を動かしていれば必ずその正体は看破されるはずだ。不審な武装集団が王都に近づけば、それだけで騎士団長である自分の耳に必ず情報が入っているはずだ。船着き場にも馬車の停留広場にも衛兵は目を光らせているし、街中も騎士が巡回している。彼らに見つからずに王都の重要拠点に接近するのは不可能だ。特にそれらの近くでは、護身用のショートダガーを帯びているだけでも衛兵からきつい詮議を受ける。

 だが、装備と潜伏場所を先に手配しておき、後から少数精鋭の兵士だけを丸腰で入都させれば話は別だ。

 

 

 

『事前に得た情報ですと、エリザベート様は合戦を申し込まれてすぐに平民たちを集めたそうです』

『平民?そいつらを訓練したというのか?たかが1ヶ月で?』

『いえ。それが、まるでこうなることを予測していたかのように、すでに訓練が終了した様子の屈強な男たちが公爵家に参集する様子が目撃されています。全員が、支給されたらしい大きな緑色の円筒形雑嚢(ダッフルバッグ)を背負っていたと。総数は200名程度だったそうです』

 

 

 

 先ほどの王子と側近の会話が思い出され、現在の事態と糸が繋がる。どうして今の今まで気が付かなかったのか。ここにいる公爵軍の兵士は、多く見繕っても150名程度だ。残りがどこで何をしているのか、なぜ考えを巡らせなかったのか。このエリザベートがむざむざ遊兵を作るわけがないだろうに。

 彼女は準備(・・)していたのだ。こうなることをずっと前から予期していたのだ。だからこそ、周到に、念入りに、徹底的に、備えをしていたに違いない。そうして、王都から近衛騎士が残らず引き抜かれる時を今か今かと待っていたのだ。少人数で、短時間に、徹底的に、完膚無きまでに、立ち直る余力さえ与えない一撃を与えるために。

 最強戦力(このえきし)の投入を待ち望んでいたのは、王子ではなく、他ならぬエリザベートだったのだ。

 

「エリザベート令嬢、貴女は───」

 

 ここまで(・・・・)するのか?どこまで(・・・・)するのか?

 その疑問を言葉にすることは出来なかった。答えを聞いてしまうのが恐ろしかったからだ。

 騎士団長は今さらながらに激しく後悔し、額に手をやって呻いた。なんて恐ろしいことになってしまったのだろう。いつの間にか、我々は自分たちの度重なる失敗のせいで崖っぷちに追い立てられていたのだ。悪辣な手口で彼女を罠に嵌めたはずの王子は、実は彼女の手の平の上で道化のように藻掻いていたに過ぎなかったのだ。いや、王子だけではない。王子に逆らうことなく唯々諾々と従ってしまった周囲の大人(われわれ)もまた、エリザベートにとっては愚者の片棒を担いで自ら死地へ向かう道化でしかなかったのだ。共に地獄の淵に追い詰める愚者の片割れでしかなかったのだ。

 王国は、敵にしてはいけないものを敵にした。獅子身中の虫どころではない。虫身中の獅子(・・・・・・)だ。王国はその体内に、到底抱えきれない強大な獅子を宿していたのだ。

 

「き、騎士団長!なにを黙っておられるのですか!?国王陛下が殺されたかもしれないというのに!」

 

 大きすぎる絶望感に打ち震えるしかない騎士団長の足に突然何かがしがみつく。それは先ほどの少年侍従だった。

 

「お願いします!至急、近衛騎士の方々を王都にお戻し下さい!近衛騎士の方々さえ戻って頂ければ───」

 

 少年特有の甲高い声が語尾に至るにつれて先細っていく。皿のように見開かれた彼の眼球に映り込んでいるのは、緑の草原をマーブル模様に染めて広がる騎士たちの血溜まりだ。刈り込まれた黄緑色の平原に、物言わぬ先鋭芸術品となった男たちの(むくろ)が水玉模様のように点々と散らばっている。誰一人として、動く者はいない。

 

「あ、あの、まさか……もしかして……ぜ、全滅……?」

 

 震える瞳が周囲の大人たちに否定の言葉を求めて彷徨う。けれど、当の大人たちこそがそれを認められず、思考停止をして目を伏せることしか出来なかった。自らの師が、古参たちが、歳の近かった新任騎士が、なんの栄光もない戦いで無残に殺された。現実を受け止めるには少年には荷が重すぎ、彼は氷像のように顔面を蒼白にした。

 そんななか、唯一、目の前の現実を認めることを拒めたのは、大人になりきれない王子(ガキ)だった。

 

「おい、侍従!貴様、丸腰で何をしに来た!?」

「は、はいっ!?」

 

 王族に絶対忠誠を誓うよう教育をされている最中の少年侍従が反射的にピンと背中を伸ばして立ち上がる。この事態を収拾する気になってくれたかと一秒だけ期待した騎士団長は、フリードリッヒが血走った眼で通信球を掴み上げるのを見て、それが叶わぬ期待であることを思い知った。口角から泡混じりの唾を飛び散らせながら、フリードリッヒが絶叫とともに通信球を地面に叩きつけて粉々に割る。それは王都の騎士団練兵場に繋がる通信球だった。

 

「見習いとはいえ王国に忠義を尽くすと決めたのなら、武具を手にとってここへ来るのが当然だろう!戦え!生き残った奴らは、侍従だろうと見習いだろうと誰でもいい、全員連れてこい!次期国王である俺が命令する!総攻撃だ!公爵の討伐令を発する!王国に付き従うすべての貴族は兵を挙げよ!証拠など知ったことか!公爵領に攻め込むのだ!命を懸けて撃攘せよ!なにをしている、早く伝えよ!行けッ!行けえ───ッッ!!」

「は、はいッ!承知いたしました!」

「「「な───!?」」」

 

 さしもの公爵もこれには度肝を抜かれたようだった。まさか、フリードリッヒがここまで常軌を逸して錯乱するとは思ってもいなかったのだろう。だが、それ以上にショックを受けたのは騎士団長自身だった。忠誠を捧げた王族の醜態を見せ付けられると同時に、命令の正悪を自分の頭で考えることなく盲目的に従い、愛馬に跨がって破滅の道に馳せ参じようとする若き騎士の背中に失望を覚えたからだ。否、そのように彼に教え込んだのは他ならぬ自分たちだ。まだ14歳の子どもなのだ。善悪の区別がつかない従順な彼に、理不尽な命令に従う以外の選択肢はなかった。失望されるべきは彼ではなく、彼ら若者をむざむざ死地に送り込む最悪の事態に向かって舵を切ってしまった我々大人なのだ。忸怩たる思いを振り払った騎士団長が素早い動作で立ち上がり、見る間に小さくなっていく少年と馬の背中に叫ぶ。

 

「待て!君、待ちなさい!行ってはならん!これは殿下のご乱心だ!戻れ!その命令を撤回する!」

「気でも狂ったか、騎士団長!」

 

 横合いから胸ぐらをつかんできた王子の胸ぐらを逆に掴み返し、騎士団長はギョッと驚く彼に凄まじい剣幕で詰め寄る。

 

「それはこちらの台詞です!陛下の安否も不明のまま統帥権を干犯などして、反乱疑義の誹りも免れませんぞ!そもそも、そんなことをすればどれほどの惨事になるか、殿下はこの合戦の結果を見てもまだおわかりにならないのか!」

 

 力づくでフリードリッヒの頭を丘の下の惨状に向ける。騎士たちの死体が散らばる平原を見せ付けられて、フリードリッヒの首筋が引き攣る。

 

「このまま事態(こと)が発展してしまえば公爵家との正式な戦争になるのですぞ!我が王国の最強兵力で勝てなかった相手にひよっ子たちをぶつけて何の意味があるというのです!殿下はこの国を灰燼と化すおつもりか!?そもそも、事の発端は殿下によるエリザベート令嬢への一方的な無礼侮辱でありましょう!ご自分の尻拭いのためにいったいどれほど犠牲を払えば気が済むというのか!?」

「え、ええい、うるさいッ!うるさいうるさいうるさいッ!!こうなったらもう、全部なかったことにするしかないんだ!それにはもう戦争しか───」

 

 王子が台詞を言い切ることは出来なかった。騎士団長の拳が彼の横っ面を捉えて思い切り殴りつけたからだ。バキッと嫌な音を立てて王子の鼻の骨が折れ、鮮血の飛沫が飛び散る。前代未聞の不敬な行為に、王子専属の衛兵二人が緊張と衝撃に顔面を引き攣らせる。しかし、堪忍袋の緒が切れた騎士団長が王子と鼻っ柱を突き合わせて大火のように激昂しても、彼らの間に入って制止しようとはしなかった。彼らもまたフリードリッヒの傍若無人っぷりには辟易していた。

 

「いい加減にしろ、小僧!そうすれば我が息子の死もなかったことに出来るのか!?ユーリは帰ってくるのか!?貴様一人の横暴に付き合わせて、あといったい何人の若武者たちを無駄死にさせれば気がすむのだ!!」

「う、うるさい……ちくしょう───うるさいんだよ───俺は他にどうすれば───ちくしょう……!」

 

 顔面をくしゃくしゃに歪め、ボロボロと涙を流し始めたフリードリッヒの身体から力が抜けていく。ついに地に膝をついて崩れ落ちた彼には、もう抗弁する気力すら残っていなかった。厳しい現実を突き付けられ、子どものように喉をしゃくり上げて惨めに嗚咽する王子の小さな背中を周囲の大人たちは呆然と見つめている。彼を擁護する者も肩を貸して助け起こそうと駆け寄る者も現れなかった。フリードリッヒの求心力は、今まさに当人もろとも地に落ちたのだ。

 鼻血混じりの鼻水と涙をこぼす情けない姿は見る者の胸を打って思わず観衆の涙を誘うほど悲劇的な哀れさだったが、騎士団長には彼のことなど捨て置いてやらねばならないことがあった。腕を振り乱して少年を指差し、必死に声を張り上げる。伝令役を仰せつかった少年侍従はがむしゃらに前だけを見ていて、後ろの騒ぎに気づいた様子もない。

 

「誰か、誰でもいい、あの伝令を止めろ!早く追躡(ついじょう)するのだ!このままでは戦争になるぞ!魔法でも、弓を射てでも、とにかく止めろ!」

「も、もう間に合いません。声も届きませんし、この距離では弓もファイアボールも届きません。なにより、ここに騎兵はおりません」

「なんだと!?」

 

 首を左右に回して馬を探す騎士団長に、衛兵の一人が苦しげな顔で望まぬ報告をする。それは事実だった。衛兵はあくまで身辺警護専門のプロフェッショナルであり、騎乗能力はそこまで求められない。一方、遠征もする騎士団は騎兵としての高いスキルを求められるが、快速を誇っていた近衛騎兵の戦馬たちは乗り手とともに眼下の合戦場で無惨な挽き肉になってしまった。ここに残っているのは、王族や大臣を乗せた馬車を引っ張るための見映え重視の引馬だけだ。見せ掛けだけの白馬たちは、軛を解いて跨がられたとしても、いつもと違う慣れない動作に戸惑うばかりだろう。しかも、よりによって少年侍従の馬は騎士団最速となることが約束された若い駿馬だった。体格が小さく軽い騎士の卵が手綱を引く駿馬に、大人が跨がる駄馬が追いつける道理はない。

 衛兵や側近たちが大音声を揃えて少年侍従に「止まれ」と身振りしながら呼びかけるも、一途な少年は振り返ることもせずに懸命に王都へと去っていく。拳ほどだった背中はついに親指の爪ほどの大きさにしか見えないほど遠のいてしまった。

 王城にて国王の身が害され、意識不明の状態か、万が一にも亡き者とされていた場合、慣例に基づいて自動的にフリードリッヒが国王もしくは国王代理となる。そうなればフリードリッヒの命令が絶対のものとして効力を発するようになる。先回りして命令を阻止しようにも通信球を破壊されたためそれは叶わない。追いつく手段もないとなれば、王子本人が撤回しないかぎり、王命は覆らずに実行されてしまう。

 

(王子は───使い物にならない!)

 

 フリードリッヒに翻意を促そうと考えたが、地べたにうずくまって滂沱する子どもとなった彼にそれが出来るとは思えなかった。そのまま視線を横に滑らせてフリードリッヒが熱心に懸想する平民の娘に目を向ければ、足元に嘔吐したまま何故か石のように硬直して動こうとしない。事態の打開にはどちらも役に立つとは思えなかった。

 

「ダメだダメだダメだ!あの伝令を王都に行かせてはならん!取り返しのつかないことになるぞ!」

 

 騎士団長の脳裏は恐怖一色に塗り潰されていた。頭頂部から顎先まで滝のような汗がどっと流れ落ちてくる。王都への襲撃がエリザベートによって実行されたという確かな証拠がないまま軍を進めて有力貴族の領地に攻め込んでしまえば、それは王国が先に弓を引いたと同義だ。しかも、よりによって相手は王国最大の貴族であり、名実ともにナンバー2なのだ。歴史に禍根を残す大変な動乱の引き金となることは避けられないうえに、それはエリザベートに正当な防衛の権利を与えることになる。攻め込んできた相手に対して、彼女は遠慮会釈もすることはないだろう。火に油を注ぐことは避けられない。そうなれば、今日の地獄が何百倍、何千倍にもなって王国全土で再現されることになる。

 

(勝てるわけがない!犬死にしに行くようなものだ!)

 

 3倍の戦力差がありながら最強戦力を完膚無きまで滅ぼし尽くした公爵軍はいまだ実力の底が見えない。どんな訓練を施されているのか。どれほどの練度なのか。何ができて、何ができないのか。そもそも、本当に兵力は200人だけしかいないのか。彼らの武器は鉄筒だけなのか。まだなにか隠しているのではないか。こちらは何もわからないのに、向こうはこちらを隅々まで知り尽くしている。そんな相手に、虎の子の近衛騎士団を欠いた王国が矛を交わしても勝てる見込みなど皆無だった。たとえ王国側に与してくれる貴族家が参戦したとしても、結果は変わるまい。万に一つも勝利はなく、無駄死にした死体の山が増えるだけだ。ユーリの後を追って天界の扉をくぐる若者が増えるだけだ。

 

(止めなければ!我々が止められないのなら、止められる人間を探さなければ!)

 

 彼がここまで戦争を回避しようとするのは、もしも開戦となれば真っ先に自分が前線に立たせられるという我が身可愛さからではなかった。その心中には息子を失った悲哀が去来していた。この果てしない永劫の痛みを味わう親を無駄に増やすべきではない。戦争はなんとしても防がなければならない。戦端が開かれる前に、あの伝令を止めることのできる者を探さなければならない。

 慌てふためく騎士団長の視界に、金長髪の輝きが差し込んだ。動転してオロオロとするばかりの周囲の大人たちをよそに、さざ波一つ無い山中の湖面のように落ち着き払って静かに紅茶を嗜んでいる。己を鍛え上げてきた超一流の兵士の風格と、不可能を可能にする絶大な自負心が全身からオーラとなって迸っている。騎士団長は、裏社会における彼女への評価を思い出した。

 

曰く、“依頼成功率99パーセント”

曰く、“不可能を可能にする令嬢”

 

 瞬間、彼は決断した。

 

「エリザベート公爵令嬢!貴女に依頼(・・)する!あの伝令を止めてくれ!」

 

 ギョッと驚く周囲の反応を捨て置いて、騎士団長はいまだ冷徹に黙したまま鷹揚な態度を崩さないエリザベートの傍まで駆け寄る。エリザベートに接近するほどザワリと全身に突き刺さってくる無数の殺気(・・・・・)を無視して彼女の正面に進み出ると、地べたに両膝と両手、そして頭をついて喉を震わせる。

 

「貴女にこのような依頼をすることが筋違いであることは認める。都合のいい話に違いない。だが、これ以上の犠牲はもう誰も望んでいないのだ!報酬は私のあらゆる全てだ!命も、財も、全てくれてやる!だから頼む、止めてくれ!もう、止めてくれ……!」

 

 騎士団長の悲痛な願いが青空に吸い込まれて霧散していく。大の男が───ただの男ではなく、王国有数の地位と権力を有した男が、年端も行かぬ少女に土下座をして頼み事をする。傍から見ると奇っ怪な姿は、しかしながら誰も奇妙だとは思わなかった。エリザベートの影の噂(じっせき)については王子の取り巻きたちも耳にしていたからだ。だが、自分が陥穽に陥れようとした相手に助けを求めて、素直に手を差し伸べてもらえるとは思えなかった。

 

「………そのご依頼、たしかに承りましたわ」

 

 周囲の予想を裏切り、エリザベートはおもむろに立ち上がった。ドレスを颯爽とはためかせ、少年侍従の背中に(たい)を振り向ける。無関心の極致だった双眸がザッと強く引き絞られて険しげに小さな人馬のシルエットを睨む。それはまさに了承の意を示していた。騎士団長の渾身の依頼は聞き入れられたのだ。彼女の内でどういう打算が働いたのか定かではないが、とにかく聞き入れてもらえたのだ。大人たちが息を呑み、草原の丘に沈黙が満ちる。

 

(や、やってくれるか。しかし、)

 

 依頼を受け入れてもらえたことにわずかに安堵すれど、騎士団長の気が楽観することはない。鉄筒を所持したエリザベートの配下の兵たちは依然として丘下の合戦場に展開しているし、彼女自身は当然のように丸腰だ。もはや信じるほかないが、騎士団長の目にはやはり成功の目は少ないように思えた。

 騎士団長がハラハラとして見守るなか、サラマンダーもかくやというエリザベートの鋭い視線がギリギリとキツく引き絞られていく。人間の域を超越した感知能力を備えた目と鼻と耳と肌と経験と直感が、目標との距離と温度と湿度と風速と重力と空気抵抗と自転慣性力(コリオリ)といった射撃諸元を瞬時に計算しているのだ。目標に対して左足の外側面がざっと地を踏みしめ、肩幅ほどの間隔を開けて右足は支柱のようにぐっと踏ん張る。堂に入った所作は、その動きを何千回、何万回と繰り返していることを如実に示している。だが、相変わらずその手に武器はない。

 

「エリザベート令嬢、いったいどうやってあの少年を止め───は?」

 

 すでにその手には(・・・・・・・・)鉄筒が握られていた(・・・・・・・・・)

 騎士団長は自分の眼球の精度を疑った。不意に草むらから鉄筒が生えてきた(・・・・・)ように見えたのだ。なんの魔法を使ったのか、まるで茂みのなかに透明人間がいるように、鉄筒が銃把(グリップ)を手前にして恭しく差し出された。エリザベートは視点を目標に固定したまま、腰の後ろに回した手でそれを受け取る。鉄筒は彼女の手に吸い付くようにして、一瞬後には彼女の懐に収まっていた。

 その鉄筒は、他の公爵軍兵士のものとは形も色も明らかに異なる特別仕様だった。大きく、頑丈で、力強く、なにより洗練されていた。誰も知る由もないことだが、それはエリザベート公爵令嬢が前世で愛用していた『アーマライトM16Gカスタム(G13A3SV)』と瓜二つだった。エリザベートが、ひと刹那、己の胴体ほどもあるその黒い鉄筒(ブラックライフル)に懐かしげな柔らかい表情を垣間見せた束の間───彼女は鉄筒を立射の姿勢に構えて完璧な照準を整えていた。目にも留まらぬ早さで薬室に弾丸が叩き込まれ、ジャキンと金属的かつ攻撃的な音色を奏でる。その場の誰も、彼女が照準を終える動作を判別できる動体視力を備えていなかった。人間が、「目のまばたきはどうやってするのだろう」といちいち考えないのと同じように、彼女は鈍重なはずの鉄筒を軽々と持ち上げ、構え、照準をつけ、弾丸を装填し、引き金に指をかける一連の動作をコンマ単位で完了させたのだ。

 通常、ライフルの最適な重量は体重の5.6パーセントであるとされている。体重49キロのエリザベートにとって3700グラムの鉄筒は最適値より1300グラム以上も重すぎることになる。しかし、並々ならぬ魔力によって身体能力を極大に向上させているエリザベートには、まさに肉体の延長であるかのように心地よく感じられた。肉体の延長であるのだから、脳が意識せずとも脊髄が勝手に射撃姿勢を構えられるのだ。

 その場の全員に呼吸することも躊躇われる極度の緊張が走った。鼓膜がピリッと張り詰める。静まり返る草原に、場違いなほど爽やかな風の音だけが通り過ぎる。気温は16度。湿度は60パーセント。風速は右から4メートル。視界の限界まで広がる草原が海原のようにザアザアと靡いて、波をかき分けるように少年と馬の背中が小さく遠ざかっていく。目標までの距離は500メートル。すうっと、エリザベートが浅く小さく息を吸い込む音がして、止んだ。その結果、彼女の肉体において振動しているのは巨獣のような胆力でゆっくりと拍動する心臓だけとなった。まるで周りの世界から彼女だけ切り離されてしまったかのように超然としていて、その姿はまさに神のようだった。人間の生殺与奪を決定する死神。

 エリザベートが、先台(フォアグリップ)を支える腕の肘を腰骨にぐっと引きつけ、銃床(ストック)を肩にぴったりと付けて、頭をほんの少しだけ傾げて長大な照準器(スコープ)を覗き込む。その玉虫色の瞳がカッとひときわ大きく見開かれたかと思いきや、引き金(トリガー)に添えられた人差し指にピクリと力がこもる。断頭台の如き輝きを放つ視線はまっすぐに少年侍従の頭部を射抜いている。

 

(これで……これでいいのか……!?あの少年を犠牲にしていいのか……!?)

 

 騎士団長は覚悟を決めきれずにいた。少年侍従はただ王子の命令に従っているだけだ。命まで奪われることはしていない。

 

 

『どうして我々だけ生き残ったのか───』

 

 

 少年の台詞が脳裏に蘇る。思えば、手を下されたのはすべて大人の戦闘員だった。非武装の子どもは含まれていなかった。たしかに容赦はなかったが、情けはあった。生き残ったのではなく、生き残らされた(・・・・・・・)のでないか。そこから先は、直感だった。

 

「彼はまだ14歳だ!」

 

 くんっ、と。鉄筒の先端が、わずかに───ほんのわずかに───右に動いたように見えた。

 引き金が引かれた。撃鉄(ハンマー)と雷管の役目を担うエリザベートの膨大な魔力が弾丸の一点に急衝突し、稲妻のような紫電を発する。ミリ秒以下の刹那、薬室(チェンバー)内で荒れ狂う魔力爆発の速度は毎秒8000メートルの爆速に達していた。銃身(バレル)を震撼させながら初速毎秒995メートルで銃口から解き放たれた重弾丸は、次の瞬間には音の壁を突破(ソニックブーム)して耳をつんざく大音響を空間に爆発させる。

 ズキューン!世界そのものを包み込むような轟音が地平線まで響き渡った。この世に生まれ落ちたばかりの“右回転の死”が大気を切り裂いて500メートル先の目標に向かって一途に飛翔していく。この世界の重力は前世とまったく変わらない。この場合、500メートル先の目標を狙えば、着弾点は目標の1メートル半ほど下に逸れる。また、風速4メートルの横風を受ければ、500メートル先の着弾点では68センチの偏差(ズレ)が生じる。この横風は銃口のすぐ先に吹くものだけ考えればいいものではなく、100メートル先、200メートル先の風速も計算する必要がある。加味しなければならない要素はそれだけではない。気温が高くなれば銃身内の腔圧が上昇して弾速が過剰に早くなり、逆も然りとなる。湿度が高ければ空気の密度が小さくなり、弾道落下率が下がる。逆もまた然りだ。さらに、使用する弾丸は当然、一方向にしか回転しないため、必然的に回転誤差(スピンドリフト)が生じる。ここまで計算したとしても、目標との間に隠れていた小さな沼を見逃していれば、そこから蜃気楼が沸き立って、弾道が歪み、全てが狂う。それほど正確無比な緻密さが求められる狙撃を───エリザベートは、完璧にやってのけた。

 剣や魔法では発生し得ない轟音に、ある者は身を竦めて見窄らしく縮み上がり、ある者は悲鳴を上げてひっくり返る。彼らが無様に尻もちをつく時には、すでに銃弾は目標を貫通してさらに100メートル進んでいた。強烈な衝撃を受け止めきれず、少年侍従の矮躯が馬上から強制的にはたき落とされる。鮮血がパッと花びらのように飛び散ったが、たかが知れる程度のものだった。

 

「………右上腕の三角筋を削ぎ落としました………出血も大したことはない………致命傷ではありませんわ………」

 

 幼子が泣き叫ぶような甲高い悲鳴が地面を転がりまわる。突然、乗り手を失った駿馬が混乱してその場を行ったり来たりする足元で、少年侍従が右肩を押さえてゴロゴロと泣き喚いていた。騎士団長は今度こそ腹の底から安堵の息を吐き出してその場に崩れ落ちた。彼の直感は当たった。エリザベート令嬢は冷徹で無慈悲だが、必要でない殺人はしないのだ。それは情に厚かったり、思いやりがあるわけではなく、彼女自身が定めた原則(ルール)が彼女を厳格に律しているだけなのだ。

 

「……感謝する」

 

 騎士団長の呟きにエリザベートからの返答はなかった。チャッ!と小気味よい金属音を鳴らして愛用の鉄筒の構えを解くと、肩に担いだそれの重さを感じさせない素早い身のこなしで踵を返す。「感謝される謂われはない」ということだろう。彼女は依頼に応じただけだ。彼女にとってはただのビジネスに過ぎないのだ。平野に吹く風が彼女の長髪とドレスの裾を豊かに膨らませ、昼の陽光に煌めかせる光景は、まるで一流の絵画のようだった。麗しい美少女と鉄筒の凶悪な輝きとの対比に頭がクラクラしそうだった。

 

「騎士団長、これでいいと思っているのか」

 

 掠れた声が低く小さくボソボソと囁かれた。そちらに首を回せば、項垂れたままのフリードリッヒ王子が地面を見つめながら呪詛のように言葉を紡ぐ。

 

「父上を、国王殺しを画策した張本人なんだぞ。王都を襲撃した大罪人なんだぞ。そいつのせいで何もかもが狂ったんだ。その女を野放しにしていいと思ってるのか。お前は自他ともに認める王家の忠臣だろう。忠臣なら、今すぐにでもその腰の剣でエリザベートに斬り掛かるべきだ、違うか……!」

 

 この愚かな王子は、自分たちを刺すような無数の殺気(・・・・・)にまだ気がついていないらしい。鼻から深くため息を落とし、騎士団長は頭を二度ほど左右させる。そして腰に帯びていた立派な拵えの剣を鞘ごと放り投げた。同じことをするように衛兵二人にも視線で促し、彼らもそれに倣って武装を解く。ガシャンと槍と剣が乱暴に重なる音が虚しく響く。

 

「それは出来ません」

「臆病風に吹かれたか、貴様ら!」

「それもあります。私は恐怖を感じている。同時に、己の鍛錬不足を痛感している。私は殿下の身をお守りしなければならないのに、囲まれていた(・・・・・・)ことについ先ほどまで気がつけなかった」

「は、囲まれ……?お前、何を言って、」

「ご令嬢、もういいだろう。我々にはもう貴女に抵抗する(すべ)も意思もない。部下をお引き願いたい」

 

 エリザベートが父親の顔を一瞥する。公爵が「もう十分だ」と頷く。それを確認したエリザベートが右手を少し持ち上げ、パチリと指を鳴らした。

 

 平原が立ち上がった(・・・・・・・・・)

 エリザベートと王子たちを取り囲むようにして、人間大の野草の塊がザッと一斉に姿を現した。魔物か森の妖精かと思われたそれらは、よくよく見れば人間の男だった。その数はおよそ12人。肩幅の広い頑健な肉体を濃淡のある緑色で縞模様に染められた戦闘服で包んでいる。服の表面は無数の布の輪っかに覆われ、そこに本物の雑草と見紛うほど精巧に作られた帯布の束が結ばれて、全身を海藻のように覆っている。今すぐにでも撃てるように腰だめに構えられた鉄筒は、塗装の隅から隅まで艶消し加工が施され、さらに濃紺の粗布に包まれていた。たとえ朝日を浴びても光を跳ねないだろうそれは、明らかに白兵戦ではなく暗殺のための処置だった。

 突如現れた兵士たちに、その場にいるほとんど全員が度肝を抜かれて唖然とするなか、騎士団長だけは吹っ切れたように冷静だった。歴戦の騎士である彼だけは、完全迷彩(ギリースーツ)の兵士たちの存在に気が付いた。彼らはエリザベートたちを護り、同時に敵対勢力をいつでも排除できるようにずっと監視していたのだ。誰にも勘付かれること無く、エリザベートが武器を欲したらすぐに手渡せるほど近くで。

 

「我々はとっくの前から囲まれていたのです、殿下。おそらくは合戦が始まる時からすでに。エリザベート令嬢は、殺そうと思えば我々をいつでも殺せた。指先の合図一つで、私たちを一人残らず、瞬きする間もなく殺すことが出来た。そうしなかったのは、依頼(・・)が王族の殺害ではなかったから。おそらく、国王陛下も殺されてはいない。我々に痛い目(・・・)を見せることが目的だった……そうだろう?」

 

 予想通り、エリザベートは応えない。依頼人であろう公爵も黙して応えない。それは肯定の意だった。沈黙は時に言葉より雄弁なのだ。要は、手加減されていた(・・・・・・・・)ということだ。殺そうと思えば出来たが、あえて死なない程度に殴りつけただけに過ぎないのだ。どこまでも忠義厚い公爵らしい依頼だ。

 騎士団長である自分にすら察知できない凄腕の兵士をこれほど多く配下に持っていれば、何が起きようと表情が動揺に崩れることなどないだろう。そして、おそらく、エリザベート一人だけでも、この場にいる全員を殺すことなど造作も無いのだろう。これほどまで力の差がありすぎると、不思議と悔しいという感情も浮かんでこなかった。苦笑をひとつこぼし、騎士団長は歯に衣着せぬ物言いで、フリードリッヒに現実を突きつける。

 

「殿下、完敗です。何をしても勝てなかった。殿下は、いえ、我らが誉れ高い王国は、エリザベート令嬢に、負けたのです。これまでも、これから先も」

 

 もはや、フリードリッヒには反応する精神力は残されていなかった。砂城が崩れ落ちるように四肢を投げ出して呆然と仰臥するしかなかった。突き抜けるように澄んだ青空を眼球に映してただただ放心する彼の心は完膚無きまで砕け散っていた。彼が溺愛していた平民の少女は、落とした肩を小さく震わせるだけの気力はかろうじて有していたが、その場から動くことは出来なかった。絶望的な力の差を見せつけられて精神的に叩きのめされたからだ。

 

「嘘よ、嘘よ、嘘よ、嘘よ……」

 

 枯れ枝垂(しだ)れのようにガックリと首を項垂れさせた彼女は、もうエリザベートに楯突くことはないだろう。仮に彼女が再戦を望んだとしても、待ち受ける結果は芳しくはないだろう。王子の側近たちにもそれを予想できるだけの知性は残っていた。ドレススカートを典雅にはためかせて去りゆくエリザベートを、彼らはうやうやしく(かしず)いて見送った。誰が格上なのかを身に沁みて理解したからだった。畏怖と畏敬の眼差しを一身に受けながら勝利を片手に歩んでいくその堂々たる背中は、全員の記憶に鮮烈に刻まれた。

 

 

 

 

 こうして、王家と公爵家との第二次騎兵合戦は幕を下ろした。結果は、大勢の予測を裏切って、あろうことか公爵家の圧勝であった。王国を構成する領土の一つに過ぎない公爵家が、王国そのものを相手取り、これに完勝したのだ。

 第一次騎兵合戦と比べて半分以下の時間で終わったこの合戦で、敗北者となった王家は尋常ならざる犠牲を背負うことになった。王国虎の子である近衛騎士団が、文字通り壊滅させられたのだ。重要施設の護りを担い、有事には精鋭部隊として活動する歴史ある王国近衛騎士団は、この日をもって組織ごと抹消となった。息子が騎士団に所属していた貴族家から王家への怒りの突き上げは怒涛の勢いであり、小規模な紛争まで発生しかねないほどだった。これらの賠償総額はまさに国家予算規模となった。さらに、この合戦と同時刻に謎の勢力(・・・・)が王都を襲撃し、王都の防衛戦力のほとんどが失われたことも王家の衰退に拍車をかけた。下手人が判明すれば、まだ王家への信頼も微回復しただろうが、どんなに捜索しても襲撃者の服の切れ端一つ発見できなかった。彼らは、いつの間にか、どこからかやってきて、どこかへ消えてしまったのだ。

 さて、失墜する臣民からの支持と兵力再建の目処を立てることが現国王には求められたが、そんなことは誰が考えても土台不可能だった。終わりの見えない賠償によって財政は一時的に破綻寸前まで追い込まれ、この弱みにつけ込もうと隣国が侵略の兆しを見せるなど、国民の不満と不安は爆発寸前まで高まった。そして、国王はついに腹をくくった。

 

「余は、すべての臣民に、謝罪する」

 

 一連の経緯の責任は自身と息子にあることを正式に認め、謝罪し、速やかに退位する流れとなったのだ。これは(てい)の良い逃走であったが、精神的に追い込まれつつあった国王に心を病んだまま玉座に居座られても何も解決しないことは誰の目にも明らかだった。

 

「我が王位を継ぐのは、フリードリッヒではない。我が一族の誰でもない。……王国を頼んだぞ、宰相(・・)

「承知致しました」

 

 そう言って王冠を手渡されたのは、果たして、王家を打ち破った公爵その人であった。

 この決定には誰も異論を唱えなかった。異論を挟む度胸がある人間などいなかった。なぜなら、この時、近衛騎士団に成り代わって王都の防衛任務一切を任せられていたのは、公爵軍───エリザベートが鍛え上げた世界最強の軍隊だったからだ。

 公爵家は、騎兵合戦によって発生するはずだった王家からの多額の賠償金について、その請求権を放棄し、むしろ積極的な財政支援を約束した。その代わりとして、王都及び王城を含む重要施設すべての警護任務を公爵家が取り仕切ることを王家に同意させたのだ。公爵軍は、怒りに燃える貴族家と王家のあいだに勃発しかけた紛争を事前に鎮圧したり、侵略行為に及びそうになった隣国に睨みを効かせるなどの実績と信頼をすでにいくつも積み重ねていた。王都を護る兵士を根こそぎ失った王国にとっては渡りに船な申し出だった。公爵軍の兵士は、無愛想だが実直で、極めて仕事熱心で、なにより練度が極めて高かった。また、手にしている武装や、戦闘への理解度もずば抜けて優秀だった。こうして、王国の臣民が公爵に対して好感情を抱くことになるのは既定路線だったと言える。公爵が新しい国王として先王から任ぜられたことにも、誰も反対しなかった。先王は廃人となった息子を連れて地方へと隠居し、新王による新しい春の時代が王国に訪れようとしていた。

 そこにエリザベートの姿はなかった。

 

 光があれば、影もまた必ず生じる。人間が人間である限り、誰かが誰かの死を望む限り、影は必要とされ続ける。孤高(フリー)の暗殺者は、どんな時代でも、どんな場所でも、人知れず必要とされ続けるのだ。

 今日もまた、世界の街のどこかで、賛美歌13番の旋律が妖しく揺蕩う。




これで終わりです。書きたいことを勢いに乗せて書きまくったので、詰め込みすぎた感じがあります。でも僕は満足してます。書いてて楽しかったです。最後の最後に、ゴルゴらしい狙撃シーンを入れてみました。ゴルゴと言えば狙撃ですが、部下の見せ場ばっかりでしたから、最後にいいところを見せつけられたのではないかと思ってます。ただ、僕はミリオタではないので、ライフルの構造などなどでいろいろ不備があるかもしれません。ダメなところは教えて頂けるとありがたいです。それでは。


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