異世界に適応する少年 (Yuukiaway)
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魔界コロシアム 編
#1 First Contact


ワァーー!!!!! ワァーー!!!!!

観客席は大歓声に包まれていた。

 

 

『なんという波乱の展開でしょうか!!!

前大会準優勝者にして今大会の優勝候補でもあるゼース選手がいきなりのダウンだーーーー!!!!』

 

『この少年、テツロウ・タナカ選手は 一体 何者なんだァー!!!!?』

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「なぁ、お前は何買ったんだよ?」

「僕?僕はね、このラノベ!今ちょー流行りなんだ!」

 

ぽっちゃりとした少年と痩せ型の少年が今日の買い物の話をしていた。

 

「哲郎、お前は?」

「僕は別に本屋さんには欲しいものはなかったけど。それにあまりあそこに詳しくなくて上手に買い物出来なかったし……」

「そんなことを言うなよな!せっかく1年ぶりにこうして集まることができたんだからよ!」

 

1年ぶりとはどういうことか。そんなことは簡単だ。この少年 田中哲郎とこの2人は別の学校に通っているのだから。

 

田中哲郎(たなかてつろう) 11歳

幼い頃から転勤の多い父のために幼稚園から既に15回の転園、転校を経験してきたのだ。しかし、それも悪い事ばかりではない。

まず、多種多様な人間と交流し、様々な友情を育むことが出来た。彼は転校によって現代人に不足しがちなコミュ力(・・・・)を養うことができたのだ。

 

それに今では離れている人と交流する手段などいくらでもあるし、乗ろうと思えば電車にくらいは乗れる。

実際、こうしてかつての友達とも会うことができているのだ。

 

「そんじゃあな。また遊ぼうぜ!」

「うん!またね!」

 

元気よく返事をして哲郎と3人は別れた。

 

(買い物は出来なかったけど……やっぱり友達と遊ぶのは楽しいな……!!)

 

傍から見れば広く浅い付き合いをしているように見えがちだが、哲郎は友達の顔や名前はただの1人も忘れたことは無い。

もちろん、その全ての友情が同じ程度だといえば嘘になるが、「どうせすぐ転校するんだろ」などという理由で友情を軽視したことは1度もない。

 

しばらく歩いて駅に着いた。

親には少し遅くなることはちゃんと伝えてある。それに転勤ばかりで色んな所を転々とすることを押し付けていることに負い目を感じているのか、こういう遠出には寛容に接してくれていた。

自分はそんなこと全く気にしていないのに。転勤は仕方の無いことだし、父だって大変なんだから。

 

電車はガタゴトと帰路を走っている。哲郎は赤ん坊の頃からこういう電車の揺れを心地よく感じ、眠ってしまうタイプの人間だった。

それに今日は歩き回って疲れていた。いつの間にか哲郎はすっかり寝入ってしまった━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

「うーん……そろそろ着いたかな…………」

哲郎はぼんやりと目を開けた。

 

 

「え…………何ここ…………」

 

哲郎は目を疑った。そこは辺り一面真っ白な場所 少なくとも電車の中でないことは確かだった………

 

「あ……ハハハ

何だ何だ。夢か」

 

哲郎はすぐに夢だと結論づけた。

しかし、夢なら急いで覚めなければならない。現実の自分が乗ってる電車はもうすぐ家近くの駅に着くはずだからだ。

 

『……夢ではありませんよ。』

「ッッッ!!!!?」

 

哲郎は後ろからの声に酷く驚き、ひっくり返った。

 

振り返ったところにいたのは、緑の髪をした女性だった。

年齢は分からなかったが、8回目の転校で訪れた田舎町。そこによく居た女子高生というもの。彼女の雰囲気はそれによく似ていた。

 

『危ない所でした………あなたは死ぬところだったんですよ?』

「……………え?」

 

哲郎は耳を疑った。聞き間違いでなければ彼女は今 『死』というあまりにストレートな言葉を言ったのだ。

 

『ああ。でもご安心ください。死んではいません。死ぬ直前でこの空間に転送しました。』

「死ぬ直前?どういうことですか?」

『あなたが乗っていた電車は脱線して事故を起こしたんです。』

「事故!!? そんなまさか!!!」

『嘘だと思うならそうしてくれて構いません。ここにはそれを証明するためのものは何一つありませんから。』

 

哲郎は頭を抱えた。もしこれが夢だとしてもなんだってこんな夢を見るのか。

しばらく悩んで哲郎は目の前の女性に話を合わせ、色々聞き出してみることにした。元々それが出来るだけの話術は持ち合わせていた。

 

「……わかりました。ひとまずはあなたの言うことを信じましょう。

でもなんで僕を助けたりしたんですか?他の乗客は見捨てたんですか?」

『見捨ててなどおりません。あの事故で死ぬところだったのは 田中哲郎さん、あなただけでした。』

「そうですか……。それで、僕をこれからどうするんですか?

ひょっとして、元の世界に帰してくれたり?」

『私もそうしたいところですか、それは難しいんです。

しかし、あなたを転生(・・)させることはできます。』

「転生?」

 

その言葉に聞き覚えがあった。

記憶が違ってなければ、オタク気質の友達が愛読している小説がそういうテーマだった筈だ。

 

『転生させる世界の名前は【ラグナロク】。

特殊能力や異種族が当たり前に出てくる世界です。

そこで田中哲郎、あなたにもひとつ特殊能力をさずけようと思うんです。』

「僕に?言っときますけど殺し合いに身を投じるなんてまっぴらごめんですからね?」

『そんな野蛮なことは押し付けませんよ。あなたがその力を使ってラグナロクで何をするかは自由です。』

「で?その能力って何なんですか?」

『それなら既にあなたに授けました。』

 

 

ヒュパッッ!!!

ゴトッ

「!!!!?」

 

女性が手刀で哲郎の左腕を切り落とした。

 

「な、何を…………

あれっ!!?」

 

哲郎が左腕を見ると、その腕は切れていなかった(・・・・・・・・)

 

「どういうこと!!!?

確かに今……!!!!」

『それこそあなたに授けた能力

【適応】です。

あなたはどんな攻撃や環境にも適応することが出来る体になったのです。』

「【適応】………!!?」

『そう。あなたの腕は確かに切れましたが、すぐに適応して再生したのです。そしてあなたの左腕はもう何者でもいかなる力を持ってしても傷つけることは出来なくなりました。

今まで様々な人に接することや様々な場所で生活してきたあなたらしい能力と言えるでしょうね。』

 

「宇宙でも……!!?」

『はい。もし丸腰で宇宙に出たとしても最初の一瞬は息苦しく感じるでしょうが、その後は問題なく生きていけるようになるでしょうね。』

 

もう哲郎はこの事実を認める他無かった。再生した左腕を見た時点で既に彼は心のどこかでこのことを認めていたのだ。

 

『ではこれから色んなことに適応していきましょう。』

「………ハァ!!!?何を言ってるんですか!!!?

まっぴらごめんですよ!!!!

第一そんなことしてなんになるんですか!!!

僕を兵隊にでもしたいんですか!!!?」

 

『ご安心を。あなたにもメリットはあります。今、ラグナロクではひとつの巨悪が暗躍しているんです。あなたがそれを倒してくれるなら、あなたを元の世界 元の時間に帰すことができます。

実は私もラグナロクの住人で、死んでここに居座ってるんです。』

「え?住人?

神様とかじゃなくてですか?」

『アハハ。神様と思ってたんですか?私も出世したものですね。

それで、どうしますか?』

「約束を守ってくれるならやりますよ。

ですが、この適応だけで戦えるとはとても思えないんですよ。」

『それならちゃんと策はあります。

運良くあなたの世界には対人用を想定した格闘術が豊富にありますから、あなたにそれを教えこみます。』

 

 

 

 

 

 

あれからどれくらいたっだろう。

 

 

『本当にお疲れ様でした!

これでもうあなたはラグナロクのあらゆる攻撃に適応できるようになりました!』

 

本当に様々な攻撃を受けた。

体を切り刻まれること。

目を潰されること。

絶対零度に晒されること。

焼き尽くされること。

内蔵を中から壊されること。

身体中の骨を折られること。

 

とにかく様々な攻撃に適応する訓練を課せられた。

それでも彼の心が折れなかったのは、その苦痛の全てが一瞬だったからだろう。

 

 

様々な格闘技も仕込まれた。

格闘技だけでなく、相手に効果的にダメージを与える技術もみっちり仕込まれた。

 

 

『では、これよりあなたを異世界 ラグナロクに転移させます。

あなたの異世界生活に どうか加護があらんことを。』

 

やっぱりこの人 神様じゃないのか?

哲郎はそんなことを思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

哲郎は街中を歩いていた。

ラグナロクに来てからしばらく経ち、色んなことがわかった。

あの女性からのアドバイスでは、まずはギルドを作った方がいいらしい。

 

ひとまずそれは後回しにして、哲郎には他にやりたいことがあった。

 

「………この辺りか………」

 

哲郎が向かっているのは、とある大会だ。

 

【魔界コロシアム】

魔神族という種族を中心に様々な種族が集まり、魔法や武器などを使ってその強さを競い合う。ラグナロクでも最も盛り上がるイベントのひとつなのだと言う。

 

修行の成果を試すにも、ギルドの仲間を募るにもこんなにうってつけの機会はないと思った。

 

「……ねぇ、」

「ん?」

 

哲郎が声に振り返ると、そこに居たのは銀髪に青い目をした女の子だった。

 

「あの、僕に何か?」

「…魔界コロシアムの会場って どこか分かる?」

「それなら僕もそこに行きますから、一緒に行きましょう。」

 

哲郎にはこんな 初対面の人ともすぐに話が出来るだけの話術があるのだ。

 

 

 

「僕、テツロウ・タナカっていいます。

あなたは?」

「…ミナ。 ミナ・ブラース。」

「ミナ・ブラースですか。

あなたも大会に参加するんですか?」

「…ううん。出るのは私のお姉ちゃん。」

「へぇ。お姉さんが。」

 

そんな話をしながら哲郎は会場へと向かった。聞くとミナは【天人族】という人間とは違う種族なのだと言う。

人間とほとんど変わらないのに と意外だと思った。

 

 

「…テツロウ そこに出るの……?」

「えぇ。僕、実はずっと田舎で暮らしていてついこの前旅に出たばかりなんです。

ですが、腕に自信はありますから、心配いりませんよ。」

 

田舎で暮らしていたというのはあの女性が考えた設定のようなものだ。

腕に自信があると言うのは嘘ではない。

というか ここで結果が出せなければ今までの努力が報われない。

決して楽な時間では無かった。

 

 

「……おい、そこのガキ!」

「ん?」

 

哲郎が呼ばれて振り向くと、そこに褐色で人相の悪い男が立っていた。

 

「あの、僕に何か?」

「お前、さっきなんて言ってた?この魔界コロシアムに出るって言ったのか?」

「はぁ 出るつもりですけど、それが何か?」

 

「なんだと!!?

てめぇ、このコロシアムをなんだと思ってやがる!!?

これは頂点を決める大会なんだ!!!てめぇみてぇなガキに入る枠はないって言ってんだよ!!!」

「……確かに僕にはこの大会がどんな規模なのかは分かりかねます。

ですが、僕に辞退を命ずる権利があなたにあるんですか?」

「俺が誰かわかってんのか?

魔界公爵家のゼース・イギアだぞ!!!!」

 

「申し訳ないですが、僕はこの前まで田舎で暮らしてたんです。

ですからあなたがどれくらい偉いのか 僕には分からないんですよ。」

「……そうか。だったら今ここで覚えるんだな………」

 

 

 

「身体でなァ!!!!!」

 

チュドンチュドンチュドン!!!!!

 

突如 哲郎を3つの爆発が襲った。

 

「ざまぁねぇ!!!

これくらいも避けられねぇ雑魚なんざハナからこのコロシアムに参加する資格なんざ無かったんだよ!!!」

 

ゼースは勝ち誇っていたが、その表情はすぐに変わることになった。

 

 

「ナッ………!!!!?

バカな………!!!!!」

 

哲郎は問題なく立っていた。

様々な攻撃を乗り越えた哲郎の体にはあんなもの 蚊に刺されるのと大差ない。

 

「危ないですね。他の人に当たったらどうするつもりだったんです?」

「貴様ァ………!!!!

なめやがってぇ!!!!!」

 

ゼースが怒りに任せて拳を振るってきた。

こうなったなら哲郎のペースである。

 

向かってきた拳を受け流し、その勢いを乗せてゼースの体を倒す。

その後は右上を上にあげて組み伏せるだけの簡単な作業だ。

 

「アギッ!!?

イデデデデデ………!!!」

 

流石にあの女性と過ごした時間だけでムキムキの筋肉は手に入れられなかったが、その分彼は対人用に特化した技術を手に入れたのだ。

こういう関節技は、一見は地味だが、実際は危険であり、軍隊にも取り入れられているそうだ。

 

「どうか懸命な判断を。

このまま何もせずに立ち去ってください。」

 

こういうことに哲郎も1度は憧れた。

しかし、自分には到底不可能だと諦めていた。だが、自分は今こうしてできている。

あの女性と頑張った事が あの苦痛が少しだけ報われた気がした。

 

 

ゼースはバツの悪そうな表情でその場を去っていった。彼にとって幸いだったのはこの醜態を誰にも見られなかったことだろう。

 

 

「………テツロウ………

 

………凄い………!!!!!」

 

後ろにいたミナが目を輝かせてそう言った。

 

「…テツロウっていくつなの?結構頑張らないとあんなことできないよ!」

「僕、こう見えてまだ11なんですよ。

でもちょっと訳ありでね。ああいうことにはめっぽう強くなりましたよ。」

 

実際はちょっとではないが。

 

「…ほんとに!!?

私も14だけど、あんなに動けるのは見たことないよ!!!」

 

哲郎は誤魔化すのに必死になった。

そういえば力を得た過程を偽るすべはあの女性から教えられていなかった。



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#2 Ready?

「エントリーはここでいいですか?」

「はい。こちらに名前と生年月日 そして種族をお書き下さい。」

 

哲郎は今魔界コロシアムの受付に来ている。ここで自分の力を試すのだ。

 

「テツロウ・タナカ様

8月10日生まれ

人間族 で間違いありませんね?」

「はい。それでお願いします。」

「しかし、人間族とはめずらしいですね。

人間族ならそれにあった大会があるんですけど……」

「僕、実はずっと田舎で暮らしてまして

そういうことはよく知らないんですよ。

また そこにも行ってみます。」

「では、エントリーを完了するということでよろしいですか?」

「はい。よろしくお願いします。」

 

「終わりましたよ。」

後ろで待っていたミナに哲郎が近づいて言った。

「テツロウって、魔界コロシアムのこと全然知らないの?」

「えぇ。やっぱり大会と言うからには反則とかもあるんでしょうか?」

「うん。魔法も武器も使っていいけど、殺したらダメなの。」

「ハハハ

なら心配はいらないや。今の僕には人を殺す力なんてないでしょうからねぇ。」

 

謙遜と冗談を織り交ぜて哲郎は苦笑いした。

 

 

「よォ、また会ったなぁ。

本当にエントリーするとはな。」

聞きたくない聞き覚えのある声がして振り返ると、案の定そこにさっきのイキリ顔をした男が立っていた。

 

「まだ何かあるんですか?」

 

哲郎は嫌悪感を表情に出し、ゼースに言った。

 

「お前は武器を使うのか?」

「は?」

「答えろよ。武器を使うのかって聞いてんだ。」

「それを知ってどうするというんです?

敵の手の内を知っておきたいのですか?」

「やっぱり答えねぇよな。」

「だったらどうします?

また暴力に頼りますか?」

「いや、今はそんなつもりは無い。

ただひとつ言っておくとだな、

 

俺は同じ手は食わない

肝にでも命じとくんだな。」

 

そう言うとゼースは立ち去って行った。

 

「ミナさん、あなたはあのゼースを知っているんですか?」

「……うん。名前だけなら聞いた事あるよ。」

 

ミナの表情はかなり張り詰めていた。

確かに自分は彼の力量は把握しきれてはいない。油断はしないようにと哲郎は自分に言い聞かせた。

 

 

「ちょっといいかしら?そこの坊ちゃん。」

「坊ちゃん?」

 

哲郎が声の方に振り返ると、そこに一人の少女が立っていた。

透き通る金髪のツインテールに赤褐色の目をした少女だ。

 

「僕に何か?」

「あなた、私の妹に何してるの?」

「妹? あぁ。あなたがミナさんのお姉さんでしたか。」

「質問に答えて。何をしたの?」

「何って……何もしてませんよ。

僕はただここに向かう途中で妹さんが道に迷っていたから一緒に来ただけです。」

 

「そうなの? …ならいいわ。

ところであなた、この世の死因で1番割合が高いのは何だと思う?」

「何が言いたいんですか?」

「答えてくれればいいのよ。」

「……さぁ がん……とかですかね?」

 

「人間のものさしならそれも正解かもしれないわね。だけど、ラグナロク全体で見るならそれは不正解よ。」

「……だったら、何が1番の死因何ですか?」

「それはね、【無知】よ。」

「無知? というと僕がこの大会で死ぬ とでも言いたいんですか?

この大会 殺しは反則だと聞いてますが。」

「何も魔界コロシアムで死ぬとは言ってないわよ。

だけどこれからも戦い続けると言うならあなたは近い将来確実に死ぬわ。

私には分かるのよ。そういう人を何度も見てきたんだからね。」

 

見透かしたような態度をとるその少女に哲郎も言い返す。

 

「警告でもしてるつもりですか?

僕にどうしろと言うのです?辞退しろと言うのですか?」

「素直じゃないわね。そんなんじゃないわよ。逆にあなたみたいな人は1度現実の厳しさを知っておくべきだわ。

もし あなたが勝ち上がったらそれを私が教えこんであげるわ

 

 

体に、ね♡」

「………」

 

「ところであなた、年はいくつ?」

「11ですけど。」

「11。やっぱり子供だったのね。きっと田舎では獣を倒したり鍛えたりしてきたんでしょうけど、それだけじゃ辿り着けない境地。それがこの魔界コロシアムよ。

肝に命じておくのね。」

 

 

哲郎に顔を近づけてその少女は鼻を鳴らした。

 

「最後になるけど、私の名前はサラ・ブラース。

そこのミナとは双子なの。」

「そうですか。」

 

言わずもがな、哲郎の目の前の少女への第一印象は最悪といっても過言では無かった。

 

「ミナ、行くわよ。」

「お姉ちゃん、テツロウを控え室に案内してからじゃ ダメ?」

「……別にいいけど?」

 

そう言ってミナは自分の控え室に向かっていった。

 

「じゃあテツロウ、案内するね?」

「はい。お願いします。」

 

 

***

 

「ではテツロウ選手はCブロックになりますので、出場の時間になったら呼びますので。」

「お願いします。」

 

 

哲郎は控え室であの女性とやってきたことのおさらいをしていた。

これがはじめての実戦の場だ。哲郎も内心緊張はしていた。しかし、あの女性が見守ってくれていると思うと安心できた。

 

少しだけうざったいとは思っていたが、そもそもあの女性がいなければ自分は今頃死んでいた。

その恩義を忘れるほど哲郎も堕落した人間ではない。

 

しばらくそうしていると、控え室のドアが開いた。

 

「テツロウ・タナカ選手

あと10分で出場です。」

「わかりました。すぐに行きます。」

 

 

役員の案内で哲郎が通路を歩いていると、一人の男性が目に止まった。

黒い髪に黒い目をした細身の高身長だが、人間は自分以外には居ないはずなので、彼も異種族ということになる。

 

「彼は?」

「彼はAブロックの選手です。

名前はノア・シェヘラザード。

魔人族の選手です。つい先程1回戦を突破しました。」

「選手も他の試合って見ることができるんですか?」

「もちろんできますよ。魔界コロシアムでは他者の試合を見て対戦相手の対策を練るのがセオリーになっているくらいですから。」

「そうなんですか……」

 

あのサラという女が言った通り、自分はやっぱり無知なのか と哲郎は少し落ち込んだ。

 

 

***

 

 

『さぁ皆様、これよりCブロックを開幕致します!』

 

実況者が元気の良いハキハキとした声で観客達を盛り上げる。

 

『片や魔界公爵家の一族、前大会準優勝者にして今大会の優勝候補の一人、

ゼース・イギアァッッッ!!!!!』

 

『片や初出場にして今大会唯一の人間族の選手、

テツロウ・タナカァッッッ!!!!!』

 

 

なんだ あのガキ?

戦えんのか?

ありゃ かませ 決定だな。

 

そんなアウェーな空気が哲郎を包む。

だがそんなことは全く気に留めない。

この世界に来た時点でこういう困難に直結するのは分かりきっていた。

自分が今できる唯一のことは、目の前にいるこのおちゃらた顔の男に自分が培った技術をぶつける。ただそれだけだ。

 

 

「どうやら俺は神サマに感謝しなくちゃならねぇみたいだな。初っ端から汚名を返上するチャンスをくれたんだからよ。」

 

まだあのことを引きずってるのか。

公爵家の人間にしては随分器の小さい男だ と哲郎は心の中で毒づいた。

 

「それよりお前、武器はどうした?」

 

丸腰の哲郎にゼースが聞いた。

当のゼースの腰には身の丈ほどの大きな剣が装備されていた。

 

「この試合なら素手で十分ですよ。」

「ナメてんだろ?」

「いいえ。僕はこの大会を素手で勝ち上がる所存でした。

もっとも、あなたのことなら舐め腐ってますがね。」

「言ったはずだよな。俺は同じ手は食わないって。まぁいい。その根性ごと潰してやるだけだ。」

 

 

『何とテツロウ選手、この大会を素手で勝ち上がると宣言!!!

これはハッタリなのでしょうか それともぉー!!!?』

 

実況者がちょうどいいくらいに観客達の興奮を煽る。

 

「殺害 以外の全てを認めます!!

両者 構えて!!」

 

 

「初めッッッ!!!!!」

 

 

先に突っ掛けたのはゼースだ。剣を抜いて哲郎に向かっていく。

一瞬で剣の間合いは哲郎を捉えた。

 

「死にな」

 

凶悪な笑顔を浮かべてゼースは哲郎の胸を狙って剣を振った。

「死」とはいっても殺害は反則になる。その程度の分別くらいはついていたようだ。

 

 

ズダァン!!!!!

 

軽く大きな音が場内に響いた。

次に外枠に大きな音が響いた。

 

『な、何だァ!!? 何が起こったァ!!!?』

 

外枠と場内の土煙が晴れていく。

その瞬間、観客達は目を疑うことになった。

 

 

『えぇッッ!!!??

吹き飛ばされたのは ゼース選手!!!!?』

 

続いて場内の土煙が晴れていく。

 

『あ、足です!!!

テツロウ選手、腕1本で逆立ちし、足をまるでナイフのように鋭く向けてます!!!』

 

そう。哲郎は蹴り飛ばしたのだ。ゼースの頬を。

ゼースが斬りかかってきた瞬間、上半身を仰け反らせて剣を躱し、その反動を利用して彼にカウンターで渾身の蹴りを叩き込んだのだ。

 

筋力はさほど鍛えられなかった哲郎だが、それがカウンターでなおかつ急所に直撃したのなら話は別だ。

 

『ゼース選手、立ち上がれないッッ

ダウンしています!!!

 

なんという、なんという波乱の展開でしょうか!!!!!』



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#3 Martial Arts

『なんという波乱の展開でしょう!!!

ゼース選手からいきなりダウンを奪った!!!

このテツロウ選手、只者ではないぞ!!!!』

 

実況に応えるかのように観客のボルテージも一気に最高潮になった。

 

いいぞ小僧!!

やっちまえー!!

ゼースを倒せー!!

 

観客からも哲郎を支持する声援が飛び始めた。

 

「……まぐれだァッッ!!!!」

その声援を振り払うかのようにゼースは怒りに任せて叫んだ。

 

「だったらもう一度仕掛ければよろしい。」

 

『立ち上がったぞゼース選手!!

やはり優勝候補の実力がこの少年を打ち砕くのか!!?』

 

 

ダッッ!!!

外枠付近の地面をバネにしてゼースは再び哲郎に急接近した。

 

今度は突きで哲郎を強襲する。

 

しかし、哲郎はゼースの剣の刃を受け止めた。そしてその勢いを受け流してゼースの体制を崩す。

 

「おアッ!!?」

 

スダァン!!!

そのまま哲郎はゼースの背中を地面に叩きつけた。

 

「ガハッ」

 

背中に衝撃が走ると呼吸が乱れる。

それは魔人族のゼースも例外では無かった。

 

その一瞬を見逃さず、哲郎は仰向けになった彼の喉に狙いを定めて足を踏み入れる。

その攻撃をゼースはかろうじて躱した。

 

「……今度は投げ技かよ」

「僕はね、今日まで対人用に様々な技を得てきたんです。

時にあなた、今まで何と戦ってきましたか?」

「それに答える必要があんのか?

あの時俺の質問に答えてくれなかったのによ。」

 

なんという器の小さい男だ。と 哲郎は最早怒りにもならない呆れの感情を抱いた。

 

「別に構いませんがね。答えてくれなくとも。まぁあなたが今日まで魔物と戦って来たというならあなたは僕には勝てない。

僕の手の中にある技にはね。」

 

哲郎が話し終わるや否やゼースはもう一度哲郎に仕掛けた。

 

哲郎はその勢いを利用し、ゼースの顎を掴んで地面に叩きつける。

 

『す、すごいすごいぞテツロウ選手!!

あのゼース選手がまるで赤子のようにあしらわれている!!!』

 

「……テメッ………!!!」

「言っておきますが僕はあなたを見くびってもいないし慢心もしていない。

だからこそ全力であなたを潰しにかかる。」

ゼースにだけ聞こえるほどの小さな声で哲郎は囁いた。

 

哲郎は離れ、ゼースは再び立ち上がった。

しかし、ゼースを異変が襲う。

 

(グッ………!!!? こいつは………!!!!)

 

「グラグラしますか?当然でしょう。

脳にダメージを負ったんだから。」

 

「クソがッッ!!!!」

 

なおもゼースは仕掛ける。

それを冷静に受け流し、哲郎はゼースの体を倒す。

しかし、ゼースは踏みとどまった。

そのまま強引に哲郎を空に舞わせた。

 

「なッッ!!?」

「かかったな!!!」

 

哲郎の体は地面に叩きつけられ、一瞬の隙ができた。

それを見逃さず、ゼースは哲郎の胸を切りつけた。その胸から血が吹き出す。

 

『遂に、遂にゼース選手が反撃したァー!!!

テツロウ選手の技を切り返し、剣での攻撃に成功!!!

テツロウ選手のダメージは深刻か!!?

果たしてこの勝負、どうなる!!!?』

 

「ハハハ

ぬかったな 小僧ォ!!!

俺達 魔界公爵家にはな、軍隊もいるんだ!!!お前の使った技を沢山持ってる兵隊たちがな!!そして俺はそいつらと実戦を繰り返してきたんだよ!!!」

 

ゼースは勝ち誇り哲郎を笑い飛ばした。

 

「つまり、お前の技を俺は対策できた!!

惜しかったな まぁ、技だけじゃこの魔界コロシアムを勝ち上がることはできなかったってわけだ!!!………!!!!?」

 

そこまで言い終わるとゼースの顔色が変わっていく。

 

「……どうしました?話は終わりですか?」

「バ………バカな お前、血が………」

 

『こ、これはどうしたことでしょう!?

テツロウ選手の出血が みるみるうちに引いていく!!』

 

「そう。僕には盾もあるんですよ。

技だけであなた達に勝ち得るなんて そんな夢を見てはいません。」

 

 

「そしてッッ!!!」

 

今度は哲郎が飛びかかり、ゼースの左頬を狙って蹴りつけた。ゼースはそれを剣を持っている左腕で受ける。

 

そのまま飛び上がり、

 

 

『く、組み付いた!!

テツロウ選手がゼース選手の首に組み付きました!!!』

 

「ウッ クッ ウッ」

「僕が投げ技しか脳のない一本槍使いだとでも思いましたか!?」

 

哲郎は両足でゼースの首を締め上げる。左腕ごと剣も封じられているので反撃ができない。

 

そのまま哲郎は体をゼースの後ろ側に向け、全体重を後ろに預けた。

当然 ゼースは地面に倒される。

 

『これは長い歴史を持つ魔界コロシアムにおいても異様な光景だ!!

本来 魔法などが飛び交うこの試合において、人間族が、寝技で魔人族に対抗しているのです!!!』

 

「終わらせましょう!!!」

「何っ!?」

 

哲郎が次に選択した行動は、

 

『な、何と裏返った!!

果たしてゼース選手、この状態をどう切抜ける!!?』

 

「まだまだッ!!」

 

哲郎はゼースにまたがった状態で仰け反り、ゼースの膝裏を掴んだ。

そのまま起き上がり、ゼースの体を折り曲げる。

 

「あがあァァァァ!!!!!」

 

背骨と股関節を強引に折り曲げられ、ゼースの全身に激痛が走る。

 

『き、決まったァー!!! テツロウ選手、ゼース選手の体を身体を極めることに成功した!!!

 

このラグナロクにおいて 弱者が強者に勝つため、そして軍人が勝つために作り出された魔法と対局をなす技術、マーシャルアーツ!!!

 

その真髄が今、ゼース選手の身体を蹂躙しているのです!!!!』

 

「さぁ、ゼース・イギア。

懸命な判断を。 敗北を認めるのです!!!」



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#4 Strike the ballistae

『これはゼース選手 なすすべなしか!!?

テツロウ選手は鉄壁の固め技でゼース選手を拘束しているー!!』

 

いいぞ 小僧ォー!!!

そのまま決めちまえー!!!

ゼースをぶっ倒せー!!!

 

いつの間にか観客達の声は哲郎のためのものになっていた。

この男、よほど周りから恨みを買っていたのか と哲郎は思った。

 

応援はありがたいが、今はそれどころではない。今 彼ができるのはゼースにさっさと降参を言わせることだけだった。

 

 

「さぁ もう一度言いますよ。

懸命な判断を。 敗北を認めてください!!!」

 

哲郎は追い討ちをかけるようにさらにゼースの両足を引きつける。

 

「………ヘヘッ」

「!!?」

 

今、ゼースは不気味に一笑した。

 

「……お前は……やっぱり未熟だぜ。

相手が勝ちを確信した時に敗北してる。

それが俺のやり方よ。」

「何を言ってるんです!!?」

 

 

「………上を見るんだな。」

 

ゼースの言葉につられて哲郎、そしてアナウンサーや観客達も上を見上げた。

 

「!!!?」

「ヘヘッ 気づいた時にゃ もう遅い。」

 

『あっ、あれはまさか━━━━━━━━』

 

場内全員が見上げた上空に、巨大な魔法陣が展開されていた。

 

 

「食らいなァ!!!!!

 

黒之霹靂(ブラック・バリスタ)》!!!!!」

 

チュドォン!!!!!

 

魔法陣から放たれた落雷が、哲郎を直撃した。

 

『き、決まったァーーーー!!!!!

なんとゼース選手、あの体勢から無詠唱で、高度魔法を放って見せたァーーー!!!!』

 

落雷による土煙がだんだん晴れていき、ゼースはよろけながら歩いてきた。

その背中は酷く爛れている。

 

「ハァハァ………ハハッ ざまぁねぇな。

こっちだってな、ハナから無事で済むなんて思っちゃいねぇよ。それがこの魔界コロシアムだ。」

 

『まさに肉を切らせて骨を断つ

自らの背中を代償に、テツロウ選手の固め技から逃れ、強烈な反撃を決めたゼース選手。

 

そう。黒之霹靂(ブラック・バリスタ)

魔界公爵家 イギア家の血を引くものが、苦痛と難行を乗り越えて初めて使うことを許される高度魔法のひとつ。それを無詠唱で放って見せたのです。

これが大会優勝候補の実力か!!?』

 

落雷による土煙はまだ完全に晴れていなかった。

 

「悪かったなァ 大人気なく必殺しちまってよ。

まぁこれが魔界コロシアムの恐ろしさよ。」

 

ゼースが話している最中も土煙が晴れていく。

 

「……………!!!!? バカな!!!!!」

 

哲郎が立っていた。 服はボロボロだが、体は土の汚れが多少着いているだけで傷らしい傷は付いていなかった。

 

まだ試合が見られることに観客達のボルテージも再び盛り上がる。

 

「……申し訳ない。あの程度の技で勝った気になってしまって。やっぱり僕はまだ無知だったようだ。」

「そんなバカな!!! 一体どんな手を使った!!!?」

 

ゼースは哲郎がノーダメージであることを認めようとしなかった。認めることは彼の中の誇りが許さなかった。

 

「…このラグナロクにあるものは、魔法だけですか?」

「何の事だ!?」

「他に 人知を超えたものは何かありませんか?そう 例えば………

 

特殊能力とか。」

「!!!? ま、まさか………!!!!」

「そう。持ってるんですよ。【適応】。

それが僕が授かった能力の名前です。」

「適応!!?」

 

「僕はその能力と何年もの鍛錬で、いかなる攻撃をも無効にする適応力を手にしたのです。 あなたの黒之霹靂(ブラック・バリスタ)はもう効きません!!!」

 

「嘘だ!!! デタラメだ!!!! そんなものが存在するかァァ!!!!!」

 

ゼースは感情に任せてたくさんの魔法陣を展開した。

 

「食らえ!!! 《迅雷槍(ケラノウス)》!!!!!」

 

魔法陣から無数の雷が槍の雨のようになって、哲郎に襲いかかった。

 

『出たァー!!! またしてもゼース選手、高度魔法を無詠唱で発動。

これはどう切り抜ける!!? テツロウ・タナカ!!!』

 

哲郎はゼースに向かって走り込んだ。

雷が彼の体を襲うが、やはりダメージは与えられない。彼が感じたのもピリッとした感覚だけだった。

 

そのままゼースとの距離を詰め、体勢を崩して拳を叩き込んだ。

ゼースは吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。

 

『こ、ここに来てジョルトブロォーーー!!!!

前かがみに拳を放ち、全体重を乗せる一撃必殺の拳!!!

その随意が今、ゼース選手に炸裂したァー!!!!』

 

 

ゼースはまだ地面に倒れ伏している。鼻から酷く血を垂れ流し、のたうち回っている。

 

『効いています。効きまくっています!!

ゼース選手、立つことができない!!!』

 

その隙を見逃すはずもなく、哲郎は止めを加えようと近づいていく。

 

しかし、ゼースが隙をついて哲郎の足をすくった。体勢の崩れた哲郎に対し、

 

グサッ 「!!!!」

 

『さ、刺した!! 刺しました!!!

ゼース選手 遂にテツロウ選手に決定的な一撃を打ち込んだ!!!』

 

哲郎の腹に剣が深々と刺さっている。

予想外の事態に驚きを隠せない。

 

「さぁ、お前がさっき言ったことがデタラメだって証明してやんよ。

体内を防御してみろ!!!」

 

 

バチバチバチ!!!

哲郎の腹を貫いていた剣から放電が始まった。その電気は次第に大きくなっていく。

 

『こ、これはなんという攻撃だ!!!

相手の体内に直接 魔法を流し込む!!!

これは決まったかァー!!!?』

 

ゴッ!!!!

 

ゼースの顎に哲郎の拳が直撃した。

脳をゆらされてゼースは地面に倒れた。

 

「何………だとォ………!!!!」

「だから言ったでしょ。僕には効かないと。まぁ、あなたが全力を出すというならまだわかりませんがね。」



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#5 Greet Magic Sword

『さぁ、熾烈を極めるゼース選手とテツロウ選手の試合は、果たしてここからどのような局面を迎えるのでしょうか!!?』

 

場内は激しく熱狂していた。

予想外の活躍を見せる哲郎と優勝候補の実力を持つゼースの一進一退の攻防に激しく興奮していた。

 

「…全力を出せ……だと……!!?

この俺にか………!!?」

「えぇ。あなたはおそらくまだ僕を子供だと過信して手を抜いているんじゃありませんか? あなたとの試合は僕にとってデビュー戦のようなものなんです。全力のあなたを倒さなければ意味が無い。

 

それに、

 

 

後で全力を出す前にやられた なんて言い掛かりをつけられては困りますからね。」

「!!!! ………言いやがったな………!!!!!

 

いいだろう。 望み通りにしてやろう!!!!」

 

その言葉に観客達の熱量はさらに上がった。

遂にゼースの本気が見られることと、それを哲郎が如何にして迎え撃つのか。その好奇心を抑えることができるものは観客席に1人もいなかった。

 

 

ぶおおぉぉ!!!!

ゼースの持つ剣から炎が上がった。

 

「驚いたか!!?これこそが俺の一族に代々伝わる魔剣、イフリートよ!!!!

こいつで望み通りに叩き潰してやる!!!!」

「感謝しますよ。それでこそ僕の苦行も報われるというものだ。」

 

『ゼ、ゼース選手 遂に魔剣を抜いたァーーー!!!!!

波乱の幕開けを迎えたCブロックの第1試合が遂に決着を迎えるのでしょうか!!!?』

 

「………行くぜ。」

 

ゼースの足に紫色の電気がほとばしる。

その瞬間、哲郎の胸がパックリ裂けた。

 

(!!!? いつの間に!!!?)

 

連続して哲郎の体から血が吹き出す。

痛みは感じないが、全く見えず 成すすべがない。

 

『い、一体何が起こっているのでしょう!!?

ゼース選手の姿が全く見えません!!!』

 

(ど、どこだ……!!!?)

「ハハハハハハ!!!!

驚いたか!!!? これこそが俺の最強の魔法、黒之霹靂(ブラック・バリスタ)なんざへでもねぇ 【電光石火(スピリアル・ファスタ)】だァ!!!!!」

 

電光石火(スピリアル・ファスタ)

それは、ゼースの最強の魔法の1つであり、黒之霹靂(ブラック・バリスタ)と双対をなす高度魔法。

 

足に電気を纏い、移動速度を格段に上げる魔法である。

 

「さぁ、ここでお前の言葉を返すぜ。

懸命な判断を。 敗北を認めるんだなぁ!!!!」

 

ゼースの笑い声が響き、哲郎の体から絶え間なく血が吹き出す。

 

『これは苦しいテツロウ選手、一気に形勢逆転だ!!! やはりマーシャルアーツもゼース・イギアには通用しないのか!!?』

 

「オラオラどうした 本当に死ぬぜ!!!」

 

ゼースの声に耳を傾けていると、哲郎がある異変に気づく。

 

 

「どうした?やっと気がついたのか。

そうともよ。この魔剣の本当の恐ろしさは傷を焼くことにあるんだ!!!」

 

そう。哲郎に起きていた異変とは、傷が焼け爛れているということだ。

 

「この魔剣でつけた傷は、ちょっとやそっとじゃ治らねぇ。

これ以上体を傷物にされたくなきゃ、さっさと敗北を認めるんだなァ!!!!」

 

『と、止まらない 止まる気配がないぞ!!!

ゼース選手の強烈な猛攻!!! まるで悪魔を見ているようだ!!!! このまま決まってしまうのかァー!!!?』

 

 

その最中、哲郎の体にもう1つの異変が起こった。

 

 

 

「……フフ。」 「?」

「アハハハハ。 馬鹿馬鹿しい。

どうして気が付かなかったんでしょう。こんな簡単なことに。」

「どうした? おツムでもイカれたかよ?」

 

「再びあなたの言葉を返しましょう。

あなたは既に敗北している。」

「何言ってやが……

ッッッ!!!!?」

 

 

『な、何とゼース選手の腹にテツロウ選手の蹴りが突き刺さったァー!!!!!』

 

「な………ッッッ!!!!?」

「あなたに感謝しますよ。これで僕は報われる!!!!」

 

 

哲郎は気づいたのだ。適応できるのはダメージだけではないことに。

イメージは彼にどんな速度で動く物体にも適応し、視認できるだけの動体視力を授けたのだ。

 

「終わりだ!!!!」

 

哲郎は回転してゼースを全力で蹴りあげる。

ゼースの体は軽々と空高く打ち上がった。

 

(!!!? いねぇ!!!? どこだ!!?)

腹にダメージを負ってもゼースの意識は次の攻撃への警戒に集中していた。しかし、その精度が甘かった。

 

ガッ! 「!!!?」

哲郎がゼースの首に組み付いていた。

さらにゼースの腕を気おつけの姿勢で固定する。

 

「テ、テメッ!!!」

「終わりです。」

 

そのまま全体重を乗せてゼースに抱きついた哲郎は急降下する。

 

『こ、これはまさかの━━━━━━━』

 

ズドォン!!!!

「!!!!!」

 

受け身が取れずにゼースは頭から地面に叩きつけられた。そしてゼースは完全に意識を失った。 すぐにレフェリーが駆けつけ、ゼースの脈を確認する。

 

 

「命に別状はありません。 テツロウ選手の勝利です!!!!」

 

哲郎も嬉しさに思わず拳をあげた。

それに答えるかのように観客席からも歓声が沸き起こる。

ゼースを応援していた観客たちも哲郎の勝利を称えた。

 

『決着ゥゥゥーーーーーー!!!!!

テツロウ選手、なんと優勝候補のゼース選手を撃破したァーーー!!!!!

なんという大番狂わせ!!!幕切れは突然でしたァ!!!!

二転三転の逆転劇を制し、今大会初出場にして唯一の人間族の選手、テツロウ・タナカ!!! 2回戦進出を決めましたァーーーーー!!!!!』

 

哲郎は心の底から喜んだ。遂に長いこと続けた苦行が報われたのだ。



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#6 Pride and pride

「テツロウ選手、お疲れ様でした。

控え室でゆっくりお休みください。」

 

レフェリーの1人が哲郎に声をかけた。

哲郎は会釈だけをしてその場を後にした。

 

「……テツロウ………

おめでとう!!!!」

 

闘技場を抜けて少しした所にミナがいた。後ろにサラもいる。

 

「ギリギリだったとはいえあのゼースが白星奪うなんてね……」

 

サラも哲郎の実力を認める他なかった。

 

「…でも私は予想してたよ!

あの時ゼースを組み伏せたんだから!」

「いいえ。 それは違いますよ ミナさん。

その時はただ彼が油断してるだけで、彼の実力は全く出さないまま倒しただけです。

実際、彼の魔剣に防戦一方でしたから。」

 

「随分 謙虚なことね。それをゼースが聞いたらどう思うかしらね?」

 

サラはおそらくゼースが情けをかけられたらどう思うかと言いたいのだろう。

しかし哲郎はそんなこと気にする必要はなかった。この瞬間 彼との因縁は切れたのだから。

 

「さっき言ったこと、覚えてるわよね?」

「この世界の厳しさを教える でしたっけ?

それなら大丈夫ですよ。 たった今彼からたっぷり教わりましたから。」

 

「…ゼースを倒したくらいでこの魔界コロシアムを優勝できるとでも思ってるのかしら?」

「いいえ。それはこれからわかるんじゃないですか。これから戦いを繰り返していくことでね。」

 

哲郎とサラが言い合っていると、レフェリーが駆け寄ってきた。

 

「テツロウ選手、そろそろ第二試合が始まりますので、退場を願います。」

「あぁ。 すみません。」

 

レフェリーに促されて哲郎は足早にその場を去ろうとした。

 

 

その時、

 

 

男の絶叫が聞こえた。

何事だと哲郎が声の方へ駆け寄ると、控え室への通路でゼースの喉を掴む1人の男がいた。

黒の長い髪をオールバックにし、肌はゼースと対照的に色白で、目は彼同様につっていた。

 

 

「あ、兄者………!!! 許してくれぇ……!!!

あいつはいつか必ず俺が………!!!!」

「黙れ。」

 

その黒髪の男は首を掴んでいた手に明らかに力を込めた。

哲郎にも魔法の類であることはわかった。

 

 

ガッ!

 

黒髪の男の手首が掴まれた。

掴んだのは哲郎だ。

 

「……何をしているんだ。」

「貴様、テツロウ・タナカ……!!」

「何をしているんだと聞いている」

 

哲郎は内心激怒していた。 最早この男には敬語すら必要ない。

 

「分からぬか? 処刑だよ。」

「処刑……!!!?」

「そうだ。こいつは貴様という【下等種族】に不覚をとった。

魔界公爵の名に傷をつけた。その罪を処刑以外でどうやって裁くというのだ?」

「そんなことで弟の命を……!!!?」

「甘い事だな。我が一族は力こそ全てだ。」

 

その黒髪の男の言うことは哲郎の怒りに油を注いだ。

 

「人の命を、何だと思っているんだ!!!!!」

 

遂に哲郎の怒りが爆発した。ゼースもいけ好かない男ではあったが、人の命を弄ぶこの男の方がよっぽどの外道だ。

 

「おい貴様、あまり思い上がった口を聞くなよ。まるで貴様が人の命とやらの重要性を知っているかのようだ。」

 

そう。哲郎は知っていたのだ。人の命の重さを。

転校を繰り返した彼は様々な人と友情を育んだ。しかし、その全てが報われた訳では無い。

一人、固い友情を育んだ人が交通事故で死んだ。

一人、固い友情を育んだ人が不治の病に侵されて死んだ。

 

この経験から哲郎は人の命がいかに尊いものであるか思い知らされたのである。だからこそ目の前のこの男を許す訳にはいかなかった。

 

「…貴様の過去に何があったかは分かりかねるが、それは弱者の戯言に過ぎん。

だが、この魔界公爵 跡取りであるこのレオル・イギアに盾突く貴様の度胸に興味が湧いた。」

「……………」

 

レオルと名乗るその男はゼースの首から手を離し、指で哲郎の胸に触れた。

 

「私はCブロック出場だ。

何が言いたいか分かるか?」

「僕が勝ったら彼を許そう。 そんなところでしょ?」

「その通りだ。そして私が勝った暁には魔界公爵家の名のもとに貴様を処刑させてもらう。」

「……いいでしょう。」

 

哲郎の言葉を聞くなりさっきまで怯えていたゼースが立ち上がった。

 

「バカな!!!やめてくれ!!! お前はイキってるんだ!!! 兄者は俺なんかとは比にならねぇ!!!

だから止めて━━━━━━━━━」

 

そこまででゼースの言葉は遮られた。

哲郎とレオルが彼に同時に貫手を向けたからである。

 

「……………」

「……………」

 

2人は見合い、同時に貫手を引っ込めた。

 

「…僕がこの世において絶対に負けない確信のある人間の種類(・・)が何か分かりますか?」

「何だ?」

「あなたのように慢心している人ですよ。」

「馬鹿馬鹿しい。 その心根自体が慢心であろうに。」

 

哲郎がポケットから何かを取り出す。

 

「もしあなたが勝ったなら彼や僕をどうしてくれても構わない。

ただし、」

 

哲郎がポケットから取り出したのは1本のナイフだった。あの女性から護身用にと手渡されていたものだ。

それを哲郎はレオルに向けた。

 

「僕が勝ったらあなたの首を貰いますよ?」

「よかろう。貴様のような下等種族に遅れを取るようなら私の存在価値などない。」

 

そこまで言ってレオルは哲郎に背を向けた。

 

「では私は失礼させて貰うぞ。これから試合が控えているのでな。」

 

そう言うとレオルは去っていった。

さっきまで腰を抜かしていたゼースが哲郎に詰め寄る。

 

「め……面目ねぇ 面目ねぇ!!!!

もうダメかと思った 死ぬかと思った!!!

何て礼を言っていいやら………!!!!」

 

泣きながら差し出してくるゼースの手を哲郎は払った。

 

「これから僕のことは絶対に応援しないと約束しなさい。もし命惜しさに僕を応援するなら、僕はわざと負けることもできる。」

 

その哲郎の言葉にゼースはうなだれた。

その風体に公爵家の威厳は微塵も無かった。

 

 

***

 

 

「聞いたわよ。あなた、あのレオルと一悶着あったようね?」

「えぇ。まあね。」

 

レオルに宣戦布告して戻ってきた哲郎にサラが言った。

 

「大変なやつに喧嘩売っちゃったわよあなた。あいつはやると決めたら絶対にやるやつなんだから。」

 

レオルと面識があるのかサラは親身に哲郎の心配をしてくれる。しかし哲郎にはそんなことは問題ではなかった。

 

忠告に無視を決める哲郎にサラが言う。

 

「じゃあテツロウ。ゼースとあいつ、どっちがクズいと思う?」

「そんなこと考えたくもない。」

 

哲郎は既にレオルへの怒りを押さえ、切り替えていた。

彼の前に来る次の試合に全てを集中させていた。



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#7 The Salamander

「じゃあ僕は控え室に戻りますので。」

「……試合、見ていかないの?」

「大丈夫です。それに手の内を明かした相手を倒したところでさほど意味もありませんから。」

 

ミナに答えている哲郎にサラが口を挟む。

 

「あなた、レオルを見下してるなら痛い目見るわよ。」

「とんでもない。僕は彼のことを見下してはいませんよ。ゼースも弱くはなかった。

彼の実力は計り知れない。それは十分に分かってます。それからあなたのこともね。」

「……そう。 ありがと。」

 

哲郎は2人に背を向けて控え室へと向かった。

 

 

***

 

 

哲郎は控え室へと歩いていく。既にレオルへの怒りに蓋をし、次の試合だけに集中していた。

 

「テツロウ選手、」

 

野太い男の声がして振り返った。

振り向いて哲郎は少し驚いた。そこに居たのは哲郎の身長の2倍、いやそれ以上の体躯を持つ大男だった。

年齢は40代から50代といったところか。

 

「あの、僕に何か………」

「私の名はエティー・アームストロング。

Bブロック出場の選手だ。

先程のレオルに対する君の勇敢な行動、見させてもらった。」

 

そのエティーと名乗る男は哲郎に手を差し出した。

 

「あ……ありがとうございます。」

 

哲郎は彼の握手に応じた。

 

「これはこれは。

さっきまであんな確執があったというのに私に応じてくれるとは、礼を言うぞ。」

 

大男は大げさな反応で哲郎の手を握り返した。 大げさだ それとも自分が心も子供だと思われていたのか。

いや、それも仕方ないことかもしれない。

 

 

「そこにいるもの、テツロウ・タナカとエティー・アームストロングだな。」

 

2人に話しかけてくる者がいた。

「あ、あなたは」

 

その者はさっきのAブロック出場の選手、ノア・シェヘラザードだった。

 

「俺も見させてもらったぞ。お前の勇気ある行動をな。そして心を打たれた。

このラグナロクにおいて、ましてや貴族()に命の尊さを説くお前をな。」

「あ、ありがとうございます。」

 

哲郎は戸惑いながらと礼を言った。

勇敢というよりかは反射的に体が動いただけなのだが。しかし後悔はない。哲郎はあのレオルを許す訳にはいかなかった。

 

 

「ノア選手、エティー選手、テツロウ選手、ここにおられましたか。」

 

3人に1人の役員が駆け寄ってきた。

 

「どうしました?」

「まもなく Dブロックから始まりますので、みなさんにもご報告を。」

「Dブロック?Cブロックはもう終わったんですか?」

「えぇ。残りの試合は全て秒殺でした。」

「そうですか……それで、レオル選手は?」

 

「もちろん 2回戦に進出しました。」

「そうですか………」

 

哲郎は腹を括った。いよいよ退路が無くなったのだ。

 

「それで、僕の2回戦の相手は誰か分かりますか?」

「ホキヨク・ツキノワという、獣人族の選手です。」

 

つまり、次の試合に勝てばレオルと真っ向からぶつかることになる。

そのホキヨクという男を見下すつもりは無いが、レオルの踏み台にさせてもらおうと哲郎は思った。

 

 

***

 

 

「やっぱり見ることにしたの?」

「えぇ。コンディションは既に整いました。」

 

哲郎は試合を控えたサラのそばにいた。

これから起こるサラの試合を見ることにしたのだ。

 

「手の内が見たいと言うなら悪いけど、きっと何も得られないわよ。すぐに終わるでしょうから。」

「…………」

 

サラのこの自信を慢心と捉えたのか、哲郎は何も答えない。

 

「…テツロウ、お姉ちゃんのこれは慢心じゃないよ。お姉ちゃんは前の大会でも勝ってきたんだから。」

「ミナ。その辺にしときなさい。」

 

「サラ・ブラース選手、まもなく試合開始です。」

「わかったわ。 それじゃぁね。」

 

レフェリーに促されてサラは試合会場に向かっていった。

 

 

***

 

 

『さぁさぁ皆様。この魔界コロシアムも盛り上がって参りました。ただ今より、Dブロックを始めたいと思います。』

 

哲郎が盛り上げたCブロックの盛り上がりがさらに大きくなる。

 

『片や 騎士を目指し 鍛錬を積んでこの魔界コロシアルに挑む剣士、

パラル・オーナァァッッ!!!!』

 

パラル・オーナ

銀の短髪に鎧と剣を装備した選手だった。

 

『片や 前大会に引き続き今大会でも勝ち残ると宣言した 魔法使いの天才少女、

サラ・ブラースゥゥッッ!!!!!』

 

哲郎やあのパラルとは比べ物にならないほどの大歓声が沸き起こる。

彼女、それほど人気なのかと哲郎は感じた。

 

 

『殺害 以外の全てを認めます。

両者構えて、

 

 

始めェ!!!!!』

 

試合開始と共に観客達の興奮も最高潮になった。

 

『おおっとパラル選手、剣を構え、サラ選手に詰め寄る。

果たしてこれにサラ選手はどう応える!!?』

 

哲郎達が緊張に包まれる中、試合は唐突に動いた。

 

『パラル選手が先に仕掛けた!!!

それに対しサラ選手はまだ動きを見せない!! どうする!!?』

 

ノーガードも構わず騎士の男は剣を振り下ろす。 しかし、

 

ガッ 「!!!!?」

 

『な、何とサラ選手、片手で剣を受けた!!!』

 

間髪入れずサラはパラルの腹に手をかざす。

 

「惜しかったわね。 まぁ、これがあなたの実力ってわけよ。

 

それじゃぁね。」

 

 

ドゴォン!!!!! 「!!!!!」

 

サラの手のひらから大爆発が起こった。

パラルは観客席まで吹き飛ばされる。

 

「レフェリーさん、確認を。」

 

振り向いたサラに促されてレフェリーが観客席まで走り、パラルの脈を確認する。

 

「命に別状ありません。

サラ選手の勝利です!!!」

 

観客席から大歓声が巻き起こり、サラもそれに答えんと高々に両手を上げた。

 

『サ、サラ・ブラース恐るべしぃー!!!!

Cブロックに引き続き秒殺で試合を決め、2回戦進出を決めました!!!!!』

 

あまりのことに哲郎も愕然としていた。

自分もこんな人達と戦うのかと考えると、自分でも気づかないほど心の奥に一抹の不安が芽生えた。



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#8 Finger snap of the death

哲郎はサラの試合を見終わった後は再び控え室に戻り、心を落ち着けていた。

 

「テツロウ選手、まもなく2回戦が始まります。」

「カードは?」

「ノア・シェヘラザード選手と、ネロ・サムワン選手です。」

 

「ノア…… 分かりました。

観戦しましょう。」

 

哲郎は立ち上がり、試合会場に足を運んだ。

彼は無意識の内に彼と戦うのではないかという予感がしていていたのだ。

 

聞くところによると、サラ以降の試合も瞬殺だったそうだ。

 

「おぉ、小僧 来てくれたのか!」

 

会場に足を運ぶ最中、哲郎はノアと会った。

 

「えぇ。何となくあなたの試合は見ておいた方がいい予感がするんですよ。」

「そういうことなら、お前の前では少し 本領発揮といくか。」

 

ノアが見せた笑顔からも哲郎は彼の強さを感じていた。間違いなく彼は自分に立ち塞がると。

 

「もうすぐだな。失礼するぞ。」

「えぇ。僕もお邪魔しました。」

 

 

***

 

 

哲郎が足を運んだ試合会場は輪をかけて熱くなっていた。

2回戦になり、さらにすごい試合が見られるという期待が膨らんでいるのだ。

 

『さぁ皆様。この魔界コロシアム、早くも2回戦が始まろうとしています。』

 

アナウンサーの宣言は観客達をさらに盛り上げる。

 

『まずはAブロック 第一試合から。

 

片や 魔法と体術を組み合わせた一族特有の格闘術を引っさげて、魔界コロシアムに名乗りを上げた

ネロ・サムワン!!!!』

 

ネロ・サムワンという男は、長めの金髪に特徴的な腕輪を両腕に付けていた。

 

『それを迎え撃つは、1回戦を回し蹴り一発で勝ち上がった今大会一のダークホース、

 

ノア・シェヘラザードォォォ!!!!』

 

ノアは悠々と立っていた。1回戦の印象がそんなに良かったのか、観客達は歓声を上げた。

 

『さぁ 両者とも1回戦をノーダメージで勝ち上がって来ました。

この試合、いや もはやどの試合においても誰が勝ってもおかしくありません!!!』

 

 

2人は初めの位置に立った。

 

「殺害 以外の全てを認めます。

両者構えて、

 

 

初めェ!!!!!」

 

試合開始と共にネロは身構えてその場に静止した。

 

『これはネロ選手、防御に徹した構えをとりました。 両腕には既に魔法陣の展開されています。

この魔力を込めた拳こそがネロ選手の一族の十八番。

 

さぁノア選手、これにどう応える?』

 

身構えたネロに対し、ノアは予想外の行動をとった。

 

『こ、これは予想外だ!

ノア選手、何の構えも見せずにネロ選手との距離を詰めていく!!

 

悠々と、ゆっくりとその間合いが詰まっていく!!!』

 

「………!!!? な、なんの真似だ!!?」

 

警戒して下手に手が出せないネロが啖呵を切った。

 

「一族の誇りを持つ者よ、悪いな。

本命(・・)が見てくれているんだ。

 

だから、」

 

 

「本気を出させてもらう。」

 

ドクゥン!!!!! 「ブフォッッ!!!!?」

 

ネロが全身から血を吹き出した。

 

「な、一体何が起こった!!!??

ネロ選手がいきなり血を吹き出した!!!!」

 

そのままネロが膝をつく。それを見下ろしてノアは口を開いた。

 

「聞こえたか?今の()が。

そう。鼓動だ。魔力を込めた鼓動がお前の体を内側から攻撃した。

 

そして、」

 

ひざまつくネロにノアが手をかざした。親指と中指を伸ばして付けている。俗に言う指パッチンの構えだ。

 

カンっ! ブシャッ!!!!

「!!!!!」

 

その指パッチンが起こったと同時にネロの体がバラバラになって吹き飛んだ。

 

『こ、これはいった………… あれ??!!!』

 

アナウンサー、観客達、そして哲郎までもが目を疑った。バラバラになったはずのネロの体が元通りになっていたのだ。

 

場内にいる全員が呆気にとられていた時、ノアが口を開いた。

 

「おい レフェリー、これで勝負ありじゃないのか?」

「あ、しょ、勝負あり!!!」

 

こうしてAブロック2回戦 第一試合が唐突に終わりを告げた。一瞬のことに観客席から歓声はなかった。

 

『い、一体何が起こったというのでしょう

しかし、これは決して反則ではありません。

確かに、確かにネロ選手は生きています。

そして、これは自他ともに認めざるを得ない完全勝利です!!!!!

 

これほどの差を誰が予測できたでしょう!!!

圧倒的な実力差を見せつけたノア・シェヘラザード選手、3回戦進出を決めました!!!』

 

アナウンサーの言葉が決定打になり、呆然としていたネロも自分が完敗した事実を痛感し、うなだれた。

 

 

***

 

 

(まさか、あんなことが……………………!!!!!)

 

試合を見終わった哲郎は再び控え室に足を運んでいた。

観客達には見えなかった恐るべき事実を彼は目撃していたのだ。

 

あの時、ネロの体がバラバラになった瞬間、彼は手から液体のようなものを飛ばした。

それは血だった。

 

そう。彼はバラバラになって死んだはずの彼を蘇生させてみせたのだ(・・・・・・・・・・)。勿論そんなことができるのならの話だが。

 

この時、哲郎は既に彼と真っ向からぶつかるのだと確信していた。

そしてそのことは、彼の気を十分すぎるまでに引き締めることになる。



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#9 Strength of the wild

哲郎は残りの試合を見る事を止め、再びコンディションを整えることにした。

先程 ノアという男の圧倒的な実力を見せられたのだから。もうすぐ自分の試合の番だ。

 

レオルという男との激突のためにもこの試合には勝たねばならない。

 

「テツロウ選手、まもなく試合開始です。」

 

噂をすれば影とやら。レフェリーが控え室に入り、哲郎に伝えた。

いよいよ試合開始だ。哲郎は気を引き締め直し、試合会場に向かう。

 

 

***

 

 

『さぁ皆様。この魔界コロシアムも後半戦に差し掛かろうとしています!!!

これより Cブロック 2回戦を始めようと思います!!!』

 

アナウンサーが観客席を盛り上げる。

 

『まずは初出場!!

1回戦で優勝候補と謳われたゼース・イギア選手を己の持つ技量で打ち負かした人間族の少年

テツロウ・タナカァァ!!!!!』

 

ゼースを負かした実力に期待してか、観客席から歓声がしばしば聞こえた。

 

『それを迎え撃つは、1回戦をベアナックル一発で制した獣人族の戦士、

ホキヨク・ツキノワァァ!!!!』

 

ホキヨク・ツキノワ

 

哲郎より2回り以上も大きな体躯を持っており、毛に覆われた筋骨隆々の体を持つクマの獣人と呼ぶべき大男だった。

 

『1回戦を相手が初出場で先制だったとはいえ、一撃の元に下して見せたホキヨク選手。

 

それを迎え撃つはイギア家の血を引く者を己の実力のみで倒してみせたテツロウ選手。

 

どちらが勝っても全くおかしくありません!!

3回戦の切符を掴むのは、果たしてどちから!!?』

 

哲郎とホキヨクは対峙した。

 

「前の試合、確と見させてもらったぞ。そして君の力を確認させて貰った。

だから、俺は君を全力で潰す!!!」

「僕も全力でいきます。」

 

哲郎とホキヨクが話し終わり、試合が始まる。

 

「殺害 以外の全てを認めます。

両者構えて、

 

始めェ!!!!」

 

哲郎は手の内を見ようと防御に徹した構えを取る。ホキヨクは構わず突っ込み、右の拳を振るった。

 

『やはり 先に仕掛けたのはホキヨク選手!!

これはテツロウ選手、どう応える!!?』

 

哲郎のやることは変わらない。

まずは大きく屈んで彼の足をすくう。

 

『こ、これは………』

 

ホキヨクが屈んだ哲郎に躓いて派手に転んだ。

すかさず立ち上がり、ホキヨクの拳が向かってくる。哲郎はそれを後方へと捌いた。

 

伸びきった腕をつかみ、崩れた体勢を利用して大男を背負って投げた。

 

ズドォン!!!

ホキヨクは地面に叩きつけられたが、厚い毛皮のおかげかあまり効いていない。

 

『す、すごいぞ テツロウ選手!!!

あの巨体が宙を舞ったァーー!!!!』

 

ホキヨクはすぐに立ち上がり、哲郎に拳を振るう。スピードが上がっているため完全に捌くことは出来ず、弾くことで精一杯だ。

 

『あ、当たらない!! 当たらない!!!

テツロウ選手、獣人族相手になんというディフェンスだ!!!』

 

確かに防げてはいるが、それでは埒が明かない。一撃必殺のカウンターが欲しい所だ。

 

その時、哲郎の腕から血が吹き出した。

見ると ホキヨクの手にある爪が赤く染まっていた。

哲郎は咄嗟に距離をとる。

 

「かなり鍛錬された技術の持ち主らしいが、人間の域を出ていない。」

 

『ホキヨク選手、ここに来てテツロウ選手に攻撃を加えました!!

果たしてこの傷が試合にどう響くのでしょうか!!?』

 

ホキヨクのその一言で哲郎は再確認した。

一体いつから自分が俺TUEEEE系の主人公になったと錯覚していたのか。

自分には油断できるだけの強さも実力もないと言うのに。

 

そして哲郎は確信した。自分に出来るのは、ダメージに体を【適応】させること。そして、自分が培ったこの技術を持って目の前のこの大男に勝つことだけだった。

 

『テツロウ選手、構えを変えてきました。

先程のゼース選手のように、ここから逆転劇が見られるのか。それともこのままホキヨク選手が押し切り、その夢を打ち砕くのか!!?

 

先に動くのはどちらか!!!?』

 

仕掛けたのは哲郎だ。体勢を低くしてホキヨクに全速力で突っ込む。

そこから一気に姿勢を上げ、伸びきった体でホキヨクの顎を掴む。そして浮いた姿勢を利用して頭から地面に叩きつけた。

 

『は、早い!!!

実況が追いつきませんでした!! テツロウ選手、ここから逆転の狼煙をあげるのか!!?』

 

しかし、これで勝てるなら苦労はない。ホキヨクもすぐに起き上がり、哲郎の腹に向けて拳を向ける。

 

拳が哲郎の腹に突き刺さる。しかし哲郎は咄嗟の判断で後ろに飛び、その衝撃を受け流す。

外枠まで飛ばされたが、それだけだ。

 

腕の傷も既に治っている。腹へのダメージは感じる前に適応した。

 

自分にはこうして無敵の適応力がある。だけどそれだけでは勝てない。

だからあの女と何年も鍛錬を続けた。

今こそその成果を見せるのだ。

 

『テツロウ選手が再び仕掛ける!!!』

 

今度は倒すのが目的ではない。哲郎はホキヨクの腕をがっちりと掴み、肩にかけた。

今度は背負うのではなく、それを越えて全力で投げた。

 

背中から地面に叩きつけられたホキヨクは一瞬 隙だらけになる。それを哲郎は見逃さなかった。

掴んでいる腕を上げてひしぎ、体を完全に極める。この体制からは逃れられないと彼女から聞いていた。

 

「レフェリーさん!!! 判定を!!!」

「しょ、勝負あり!!!」

 

レフェリーが手を挙げ、試合は唐突に終わりを告げた。

 

『決着ゥゥゥ!!!!

一瞬の隙を付いたことによる華麗な逆転劇を演じ、テツロウ選手が、3回戦にコマを進めたのです!!!』

 

哲郎が立ち上がり会場を後にしようとすると、後ろから呼ぶ声がした。ホキヨクだ。

振り返って見た表情からは悔しさなど微塵も感じないほどに生き生きしていた。

 

その顔だけで十分だ と哲郎は会場を後にした。これで完全に退路は絶たれた。

 

あの男は必ず上がってくる。いよいよ激突の時が来たのだ。



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#10 Right blind

楽しみを待つ時間は長く、嫌なことはあっという間にやってくる。

これは、哲郎が実感した事実のひとつである。

 

なぜ異世界にいる今になってこんなことを思い出しているかというと、それが今自分に起きているからだ。

 

2回戦のホキヨクという大男との試合が終わり、あっという間に時が来た。

 

宣戦布告したレオル・イギアとの激突の時がだ。

哲郎は今 その試合会場に立ち、黒髪の男と対峙している。

 

 

『さぁ皆様、この魔界コロシアムも佳境に入ってまいりました!!

これより、Cブロックの3回戦 準決勝進出決定戦を始めたいと思います!!!

 

今回もまた異色にして胸踊る対戦カードが実現しました!!!』

 

アナウンサーの言葉が観客席をさらに盛り上げた。

 

『片や 純血の一族 魔界公爵の跡目であり、魔界の王子の二つ名を持つ男、

 

レオル・イギアァァ!!!!!』

 

黒髪で長身の男が悠々と哲郎を見下ろしていた。これから始めるのは公開処刑だとでも思っているのだろう。

 

『片や この魔界コロシアムに突如名乗りを上げ、華麗な逆転劇をいくつも演じてきた少年、

 

テツロウ・タナカァァ!!!!!』

 

哲郎もレオルを見返した。これからこの公衆の面前で彼の間違いを見せつけなければならないのだ。

 

「申し訳ありませんが、約束は破ります。」

「何?」

「あなたの首は必要ないと考え直しました。ここであなたを叩きのめす。それで十分です。」

 

「この私に勝つ気でいるのか?()を弁えろよ。雑種が。」

「あなたがそうやって慢心している内は、絶対に負けませんよ。」

 

2人は互いを睨み合い、それで終わった。

 

 

「殺害 以外の全てを認めます。

両者 構えて

 

始めェ!!!!!」

 

 

火蓋は切って落とされた。

先にしかけたのは哲郎だ。

出方を伺うつもりでいたレオルは一瞬で怯む。哲郎はその隙をつき、

 

 

彼の右目に指を突き立てた。

そのまま指を押し込む。

 

 

ブシュッ!!!

レオルの右目から血が吹き出した。

 

 

「!!!!!」 観客席にも衝撃が走る。

『な、なんといきなり目潰しだァー!!!!!』

 

「ッッッ…………!!!!

貴様ァ…………!!!!!」

 

抑えていた顔を上げたレオルの顔が怒りから驚きに変わる。

視界から哲郎が消えていた。

 

「ど、どこだ!!!?」

 

レオルは動揺し、辺りを見回す。魔界公爵家の彼でも隻眼での戦い方は未経験だった。

 

ドッ!!! 「!!?」

 

レオルの右頬に衝撃が走る。

さらに連続攻撃が彼を襲った。

 

『潰した右目の死角から、怒涛の連続攻撃を仕掛けます、テツロウ選手。レオル・イギア このまま終わってしまうのか!!?』

 

場内から歓声は聞こえなかった。しかし、哲郎を卑怯だと罵る言葉もなかった。

ここにいる全員がこれは立派な作戦であり、『殺害以外の全てを認める』という魔界コロシアムの掟に基づいたものであるとわかっていたからだ。

 

魔界コロシアムの門をくぐった者が五体満足で帰っていく確率は、決して100%ではない。

 

ある試合では、剣の刃が選手の腕を切り落とした。

ある試合では、炎の魔法が体を焼け爛らせた。

 

魔界コロシアムでの負傷は何者であっても罪に問うことはできないし、レオルもその覚悟があってこの魔界コロシアムに挑んでいる。

 

そして、哲郎がこんなにも躊躇い無く目を潰せた理由は他にもあった。

 

『レオル選手、ここでテツロウ選手と距離をとった!』

 

レオルが抑えていた右手を下ろす。その血だらけの瞼に小型の魔法陣があった。

 

『これは、治癒魔法です!!

レオル選手、この局面で右目の治療を試みます!』

 

治癒魔法

この存在故に哲郎は彼の体を容赦なく攻撃出来たのだ。彼のこれからに対する責任までは取れなかったから。しかし、勝ちを譲る気は毛頭ない。治療に時間がかかるのは分かっていた。

 

『テツロウ選手、再び距離を詰める!!!』

 

哲郎が足を構えた。

 

(!! まずい!! 距離感が掴めん!!!)

 

一瞬で脛、腿、腹、顎を蹴る。

レオルの体が揺らいだ。

 

『四段蹴りがクリーンヒットォ!!!』

 

さらに哲郎が一方の足を前に出し、拳を大きく振るった。

 

『こ、これは1回戦でゼース選手からダウンを奪った、一撃必殺のジョルトブローだ!!!』

 

哲郎の拳が顔面にめり込む。吹き飛ばされて外枠に激突した。

 

『ダ、ダウーン!!!

レオル選手、この魔界コロシアムにおける初めてのダウンだァーー!!!!』

 

哲郎は人の命を重んじる人間だが、敵が立ち上がるのを待っているほど人格者ではない。

 

「終わりです!!!!」

 

『テツロウ選手、跳び上がった!!!

決着か!!!?』

 

ガッ 「!!!?」

『こ、これは━━━━━━━━』

 

レオルが哲郎の首を掴んだ。

 

「……惜しかったな 小僧。

そして認めようぞ。自分の間違いを。ゼースが劣っていたのではなく、貴様がそれ以上に優れていたと言うことを。

 

しかし━━━━━━━━━━

 

 

タイムリミットだ!!!!!」

「!!!!」

 

レオルが右目を見開いた。そこには健康な眼球があった。

 

『レ、レオル・イギア 復活ーー!!!!

この短時間で右目を治して見せた!!!』

 

 

「散るがいい!!!!」

 

哲郎の首を掴んでいたレオルの手から、真っ黒い電気が走った。

それは大きくなって哲郎の体を容赦なく襲う。

 

 

「ああああああああぁぁぁ!!!!!」

「これがあの時 ゼースに食らわせるはずだったものだ。代わりに貴様がたんと味わえ!!!」

 

哲郎が叫び声を上げた。ゼースやホキヨクの攻撃とは明らかに格が違う。

 

『つ、遂に恐れていたことが現実に!!

レオル選手の魔法がテツロウ選手に襲いかかる!!! 逆転勝利か!!?』

 

ゴッ!!! 「!!?」

 

哲郎がレオルの顎を蹴り上げ、脳を揺らした。たまらず手を離し膝を着く。

 

『レオル選手の拘束から逃れたテツロウ選手、このダメージからの逆転はあるのか。はたまたレオル選手がその幻想を打ち砕くのか!!?』



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#11 Wave impact

『ダメージは五分。

両雄、再び向かい合った!!

準決勝への切符を掴むのは、果たしてどちらか!!?』

 

哲郎は全身が焦げていたが、すぐに適応するだろう。レオルも右目を治し、身体のダメージの治癒に取り掛かる。

 

 

「テツロウ・タナカ。貴様のおかげで準決勝、そして決勝に向けた攻撃のシミュレーションに入れそうだ。」

「!!?」

 

レオルが右手を上げた。その瞬間、テツロウの上空周りにいくつもの魔法陣が展開させる。

 

『こ、これはまさか━━━━━━━』

「食らうがいい!!!!

 

閃光機銃(フォトンゲイザー)》!!!!!」

 

その魔法陣から一斉にレーザーが放たれ、哲郎に襲いかかる。

 

 

『出たァーーーー!!!!

レオル選手が、前大会で放ったとされる大技、《閃光機銃(フォトンゲイザー)》が炸裂ゥーーーーー!!!!!

 

テツロウ選手、万事休すか!!!?』

 

場内が熱狂する中、哲郎は冷静に構えをとった。

 

『おっと テツロウ選手、両手で手刀を構えました!! テツロウ選手、この猛攻をどう迎え撃つ!!?』

 

哲郎は襲いかかるレーザーに軽く触れた(・・・・・)

そのまま身体をきりもみ回転させる。

 

「ハイヤッッッ!!!!」 「!!!!?」

哲郎が身体を振るい、回転でレーザーの軌道をずらした。レーザーはあらぬ方向に飛ばされ、四方八方を舞う。

 

 

ズダダダダダン!!!!

「きゃっ!!!」 「うわぁっ!!!」 「危ねぇ!!!」

 

ずらされたレーザーは観客席にも飛んでいく。観客席とは障壁があるため、観客には危害はなかった。

 

飛ばされたレーザーはレオルにも向かっていく。しかし、レオルはそれを見切り、躱した。

 

「そうか………。ならばこれはどうだ!!?」

「!?」

レオルが人差し指と中指を伸ばしつけて哲郎に向けた。

 

「《白雷(ハイヴェン)》!!!!」

「!!!?」

 

グサッ

哲郎の胸に白い雷が細い槍となって突き刺さる。

 

『な、何という速さだ!!!

ラグナロク 最速とも揶揄される白雷(ハイヴェン)がテツロウ選手の胸を貫通!!!

 

これは勝負あったか!!!?』

 

しかし、哲郎は難なく立っている。

それをレオルは何の同様もなく見ていた。

 

『テツロウ選手、何のダメージも見せず立っている!! 何という耐久力だ!!!』

耐久力ではなく 適応力だが。

 

白雷(ハイヴェン)!!!!」

「ッッ!!!」

 

次の攻撃は難なく避けた。

最初は不意をつかれて攻撃を受けたが、ゼースの電光石火(スピリアル・ファスタ)に適応した動体視力なら、見切るのはやってやれないことではない。

 

レオルは白雷(ハイヴェン)を避けられても動揺を見せない。

同じ攻撃が2度 通用しないということは分かっていた。

 

『テツロウ選手、攻撃を避けて 攻めの構えをとった!! ここから逆転劇が始まるのか!!?』

 

 

哲郎が地面を蹴り、レオルとの距離を詰めた。

『テツロウ選手、ここに来て間合いに入った!!!』

 

「愚かな!!!」

レオルが再び手を白雷(ハイヴェン)の構えで向けた。

 

バシッ 「!!?」

哲郎がレオルの手を弾いた。不意をつかれて一瞬 隙ができた。

 

その隙を見逃さず、哲郎はおおきく振りかぶって

 

 

バチィン!!!!! 「!!!!?」

 

渾身の掌底突きを叩き込んだ。

 

 

『レ、レオル選手 グロッキー状態になってしまった!! 一体何が起きたのでしょうか!!!?』

 

 

場内も戸惑っている中、ノア・シェヘラザードだけが冷静に答えを出した。

 

今のは、魚人武術に似ている と。

 

 

マーシャルアーツとは、人間族などの魔法の使用が苦手な人種が 魔法に対抗するために発明した技術である。そして、それは獣人族や魚人族も例外ではない。

 

魚人武術 その基礎技のひとつに【魚人波掌】というものがある。

ホキヨクが使ったような肉体を鍛え上げ、相手の身体を破壊する 獣人族の格闘に対し、魚人武術では、生物は液体という考えに基づいている。

 

【魚人波掌】とは、生物に含まれる水分に衝撃を伝える技術である。

人間に含まれる水分が60%であるなら、自分の筋力の1.6倍の衝撃を体内に打ち込むことができる。1番水に携わってきた魚人ならではの技術といえる。

 

 

そして、人間はこれをさらに改良した。

魔王などの魔人族と戦う使命を持つ勇者 が中心になって、魚人族が伝えたこの【魚人波掌】を恐ろしく改良したのだ。

 

人間族は長年の試行錯誤で衝撃の媒体を水分から魔力に変えたのである。

つまり、相手が優れた魔法の使い手であればあるほど伝わる衝撃は大きなものになる。

魔人族の天敵と言うべき技だ。

 

 

レオルは全く動かなくなってしまった。

目は虚ろになって、体が小刻みに震えている。

 

追い討ちをかけるように哲郎は彼の腹にパンチを打ち込み、そして全身のバネを使いレオルの顎を両足で蹴り上げた。

 

レオルは吹き飛び、外枠に叩きつけられた。

 

『レオル選手がダウンだー!!!!

テツロウ選手の逆転劇が、ここから始まるのか!!!?』

 

レオルがはね起き、哲郎と向かい合った。

口から血が漏れ、顎も赤くなっている。

 

「驚いたな………少々貴様を甘く見ていたようだ。 まさかあの【魚人波掌】を対 魔人族用にして放つとはな………」

 

それでもレオルは不敵に笑っている。

まだ 引き出しがあるようだ。



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#12 The source

「"完全決着の定義"が何か知ってるかね…?」

「?」

 

レオルが唐突に口を開いた。

 

『な、何を言ってるのでしょうレオル選手。

話術で混乱をさそっているのか!!?』

 

「それはね、

相手の土俵で戦った上で勝つことだよ。」

レオルが両の拳を上げた。

その拳に魔法陣が浮かんでいた。

 

「………!!!?」

『こ、これは

これは ネロ・サムワン選手が見せた、魔法と武術の合わせ技だ!!!』

 

レオルが両手を構えて哲郎に詰め寄る。

「行くぞ!!!」

 

レオルの魔力を込めた掌底が哲郎を襲う。

それを何とか捌いた。

しかし、その直後 哲郎の背筋を恐怖が貫いた。

 

後ろの外枠が破壊されたのだ。

掌底に乗った魔力が後方の外枠を破壊した。

 

『レ、レオル・イギア 恐るべしィーー!!!!!

一撃でも貰ったら致命傷だァーー!!!!』

 

哲郎も負けじと隙のできたレオルに魚人波掌を見舞う。しかし、同じ手は食わないと躱した。

 

「決着だ!!!」 「望む所!!!」

 

バンッッ!! バンッッ!! バン ッッ!! バンッッ!!

哲郎とレオルが零距離で掌底を撃ち合う。互いに完全に躱し続けている。

 

『こ、これは予想外の事態だ!!!

レオル・イギアとテツロウ・タナカが真っ向から技を撃ち合う!!!

何という光景!!

魔界公爵の血を引く男に、人間族の少年が、1歩も引かずに張り合っている!!!!』

 

観客席からも溢れんばかりの歓声が響いた。どちらが勝ってもおかしくないこの試合に見入っている。

レオルの力を信じる者と、哲郎の逆転に賭ける者とに二分されていた。

 

レオルの掌底は圧倒的だ。それは、哲郎の後方の惨劇からも明らかだった。しかし、哲郎の掌底も一撃でレオルをグロッキーに持っていくだけの威力がある。

場内は熱狂と緊張感に包まれていた。

 

 

攻撃のタイミングが揃い、両者ともに掌底を振り上げた。

 

哲郎とレオルの掌底が、同時に腹を直撃した。哲郎は吹き飛ばされ、レオルの表情も苦痛に染まる。

 

『ク、クロスカウンターだーーーー!!!!!

余波で外枠を破壊する衝撃を腹にくらったテツロウ選手、そして 再び自らをグロッキーに持っていく衝撃をくらったレオル選手!!!

 

ますますわからなくなって参りました!!!

この試合の結末は、果たして!!!?』

 

 

ガハッ

 

哲郎が血を吐いた。レオルの魔力が乗った衝撃は、適応の力を持ってしても堪えるものがあった。

レオルも腹を抑えて膝を着く。

自らの水分、そして魔力に衝撃を叩き込まれたのだ。

 

『さあ、トドメの一撃を加えんと、レオル選手が近づいていく!! 遂に決着の時か!!?』

 

「テツロウ・タナカ。貴様の反抗は生の刺激になったぞ。

さらばだ!!!!」

 

哲郎の顔面に掌底を振るう。しかし、哲郎は意識を取り戻した。

レオルの手首を掴み、身体を捻った。

レオルは宙を舞い、反対側の外枠に叩きつけられる。

 

「こ、ここに来て投げ技だ!!!

テツロウ選手、まだ闘えるのか!!?」

 

息は上がっているが、闘争心は失われていない。彼の中には既に人の命を軽んじた怒りは失われていた。

 

 

土煙が晴れて見えたレオルは既に立っていた。受け身にも精通しているのだろう。

 

「テツロウ・タナカ。

貴様になら見せてやろう。私のとっておきをな!!!!!」

「!!!?」

 

レオルが右手を高く上げた。そこに巨大な魔法陣が形成させる。

 

「兄者、あれを使う気か!!!?」

 

枠の外から見ていたゼースが驚いて言った。

その後 哲郎に言った逃げろという叫びは攻撃音によって掻き消された。

 

 

「貴様となら刺し違えてでも悔いはない!!!!

食らうがいい!!!!!」

 

根源魔法 《皇之黒雷(ジオ・エルダ)》!!!!!

 

「!!!!!」

 

哲郎に巨大な黒い雷が襲いかかる。ゼースの黒之雷霆(ブラック・バリスタ)の比ではなかった。

反応し 両腕のガードを固めたが、その雷は哲郎の身体を容赦なく飲み込んだ。

 

 

『で、で、で、出たァーーーーーーーー!!!!!

根源魔法!!!! 魔力の根源から力を借りて放つ禁断の奥義、それがこの魔界コロシアムで炸裂したァーーー!!!!!

 

これは勝負あったか!!!!?』

 

 

レオルが膝を着いた。その腕は焼け爛れている。根源魔法は、使った者の身体も無事では済まないのだ。

 

(こ、これでは次の試合を戦うのは無理か……

だが 悔いはない。こんなにも熱い戦いができたのだからな………。)

 

レオルの心には悔しさと満足感があった。

 

『さあ、根源魔法の土煙が晴れていきます!!

勝者はどちらか!!!?』

 

土煙が晴れた時、観客席に衝撃が走った。

 

 

「!!!!? バカなァ!!!!!」

 

哲郎が立っていた。服はボロボロになり、髪は先が縮れ、全身に土汚れがつき、そしてガードした両腕は焼け爛れていたが、確かに意識を保ってそこに立っていた。

 

 

『こ、根源魔法 敗れたりぃーーー!!!!!

何とテツロウ選手、あの根源魔法をも、耐えしのいだァーーー!!!!!』

 

観客席が熱狂に包まれる中、哲郎は限界を迎え両腕をダラリと下げた。その腕が小刻みに震えている。麻痺しているのだ。

 

(だ、ダメだ……………!!!

腕が動かない………!!! 適応に時間がかかる……!!!)

 

腕が動かないながらも弱気にはならずレオルに言い放つ。

 

「こ、こんなことが…………!!!!!」

「レ、レオル・イギア…………。

あなたが僕に奥の手を使ったから、僕も奥の手を使う………。

 

武器(・・)を使わせてもらう!!!!!」

「!!!!?」



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#13 I have a weapon

「武器……だと……!!!?」

 

哲郎は確かに自分に武器(・・)を使うと言った。しかし、それはありえない。彼の両腕は今、根源魔法で麻痺しているからだ。

もっとも、麻痺で済むはずのない攻撃だったが。

 

『武器を使うと言いました!テツロウ選手!!

彼の体は既に満身創痍!!!

遂に決着の時か!!!?』

 

アナウンサーの声に応じるように、観客の熱狂も再び最高潮を迎えた。

 

哲郎が何を考えているかは分からないが、それをやらせる訳にはいかない。

根源魔法を使った反動は大きく、全身を激痛が走っているが、魔界公爵家の名にかけて、こんな所で不覚を取る訳には行かない。

 

そのことは、彼の身体をさらに動かした。

 

「終わりだ!! 《白雷(ハイヴェン)》!!!!」

「!!!?」

 

『こ、これは 何という光景でしょうか!!!

 

レオル選手、両手で白雷(ハイヴェン)の乱射を始めた!!!

これは決定打になるのか!!!?』

 

 

何故だ…………!!!!

何故この下等種族(・・・・)は倒れない…………!!!!!

 

レオルの口から、腕から、手からどくどくと血が吹き出した。根源魔法を使った身体は限界を迎えているのだ。

 

両腕を動かせない哲郎の身体に、白雷(ハイヴェン)は確実に当たっている。しかし、彼が倒れる気配も自分が勝つ予想も全くしなかった。

 

 

倒れろ!!!

倒れろ!!!!

倒れろ!!!!!

 

レオルの虚ろな意識は、その一つに集中していた。しかし、それも終わりを告げる。

 

「……タイムリミットだ」 「!!!?」

 

哲郎の意識と腕が、完全に復活した。

 

『テ、テツロウ選手、走り出しました!!

ここから何を見せる!!?』

 

哲郎が一瞬でレオルとの距離を詰めた。そして空高く飛び上がった。

 

そこからは一瞬だった。

 

 

「ッッ!!!? 貴様……ッッ!!!!」

「終わりです。」

 

 

ズダァン!!!!!

「!!!!!」

 

 

哲郎が落ちる反動を乗せてレオルの首に組み付いた。そのまま一回転して全体重をレオルの首にかける。

 

レオルは後頭部から地面に叩きつけられ、辺りに血飛沫が舞い、レオルは完全に動かなくなった。

 

 

哲郎以外の全員、何が起こったのか分からなかった。

 

 

哲郎の体力も尽き、その場に仰向けに倒れた。それが場内に決着を告げた。

 

 

「しょ、勝負あり!!!!!」

『決着ゥゥゥーーーーーーーー!!!!!

テツロウ・タナカ ゼースに続きレオル・イギアを打ち破ったァァァーーーーー!!!!!

彼の言う武器とは、この武道場の地面のことだったのです!!!

 

イギア家の血筋を退けてテツロウ・タナカ

遂に準決勝に駒を進めたのです!!!!!』

 

 

アナウンサーと観客達が熱狂に包まれる中、哲郎はよろけながら立ち上がった。

 

そして、

 

『こ、これはどうしたことでしょう!!?

テツロウ選手、レオル選手を抱えました!!』

 

哲郎はレオルを抱え、レフェリーの元に歩いて言った。

 

「彼を早く医務室へ!!」

『これは驚きました!! 齢11 テツロウ・タナカ!!なんとレオル選手の身体を気遣っています!!! なんと美しい光景!!相手の健闘を称え、敬意を表す これもまた魔界コロシアムのあるべき姿と言えましょう!!!!』

 

アナウンサーの言葉により、観客席の熱狂は次第に拍手に変わっていった。

その観客席に一礼し、哲郎は去っていく。

その姿に命を軽んじたレオルへの怒りは微塵も無かった。

 

 

***

 

 

(……これは どういうことなのだ…………)

 

ベッドの上でレオルは思考を巡らせていた。

自分が負けた事はすぐに理解出来た。

そして、ここが医務室だということも。

 

両手両足はベッドの端に縛られており、口には枷がつけられている。何より分からないのは、魔法を使えないようにされていることだ。

 

「兄者!!!」

 

医務室に男が入ってきた。レオルの実弟 ゼース・イギアである。

 

「返事はしなくていい。ただ、ある奴(・・・)から伝言を預かってんだ!!」

(伝言?)

 

この状況で言う事のある人間は1人しかいない。

 

 

まず、自分をこうするように指示したのは哲郎だった。

きっと目を覚ましたら、自害しようとする筈だから、それをさせないように両手両足の自由を奪うように と。

それから、舌を噛み切ることもないように、口に枷もつけて欲しいとも言ったそうだ。

 

レオルの顔は苦痛に歪んだ。それは肉体ではなく、敵に情け(・・)をかけられた故だ。

 

「それからもう2つ、伝言があんだ。」

まだ何かあるのか とレオルは意識を向けた。

 

「まず1つは、自分の"完全決着の定義"は、あなたとは違い、『相手の思うことを1つもさせずに倒す』ことだと。

 

それから、これは情けではなく、あなたという誇り高い戦士への敬意のためだ と。

 

あいつはそう言ってたぜ。」

 

「………!!!!!」

 

 

レオルはその言葉でハッとした。

自分の考えを、あんな子供に見透かされていたのか と。

そして 瞼から一筋の涙が零れた。

叶うことなら、「完全に私の負けだ」と声に出して言いたかった。

 

 

***

 

 

息を切らしながら、哲郎は廊下を歩いていた。

 

「テツロウ選手、準決勝を戦えますか!!?」

「……休めば 何とかなります…………。」

 

レフェリーに哲郎は息を切らしながら返答した。彼はレオルへの怒りを完全に断ち、意識を準決勝にだけ 集中させていた。



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#14 Semifinal

観客席は、引き続き熱狂に包まれていた。

 

『さぁ皆様 この魔界コロシアムも遂に3試合を残すことになりました!!!

 

ここに集いし4人の戦士は、この魔界コロシアム 出場選手 32名から勝ち上がった、いわば四強です!!!』

 

試合会場には、哲郎を含む4人が立っていた。哲郎は両腕両脚に包帯を巻き、レオルとの試合の負傷を手当している。

 

 

『まずはAブロック!!!

その甘いマスクと圧倒的な魔法技術でこのトーナメントを制したこの大会のダークホース、

 

ノア・シェヘラザードォォォ!!!!!』

 

この大会を無傷で勝ち上がってきたノア。

哲郎、そして観客の歓声に一礼をした。

 

 

『続いてBブロック!!!

圧倒的な巨体と筋肉で魔人族の魔法を打ち破った愛国戦士、

 

エティー・アームストロングゥゥゥ!!!!!』

 

彼は自分の行動を賞賛してくれた男だ。

 

 

『そしてCブロック!!!

 

その五体に培われたマーシャルアーツで並み居る強豪に対し華麗な逆転劇を魅せた人間族の少年、

 

テツロウ・タナァァカァァァ!!!!!』

 

観客席からも惜しみない歓声が沸き起こる。

ゼースやレオルを倒したインパクトが大きかったらしい。

 

 

『最後にDブロック!!!

 

その華麗な身体から放たれる爆発で、この魔界コロシアムを勝利の華で染め上げた 人呼んで【紅蓮の姫君】!!!

 

サラ・ブラースゥゥゥ!!!!!』

 

 

金髪ツインテールの彼女は、歓声に応えるようにその髪をなびかせた。

きっとミナは今頃 自分と彼女のどっちを応援していいか 悩んでいる頃だろう。

 

 

『さぁ、これからこの4人が戦い、そしてこの中からこの大会の優勝者が決定します!!!

この世にいる全員、たとえ神であってもこの4人の誰が優勝するかは分かり兼ねることでしょう!!!!』

 

アナウンサーのその言葉が、観客席をさらに熱狂させた。哲郎を含む4人はそれぞれの形で観客に応えた。

 

 

『では、まもなく準決勝 開始です!!!!!』

 

 

***

 

 

試合会場には、青年と大男が対峙していた。

両者は挑発もデモンストレーションもなく、ただただ見合っている。

 

『ただ今より、セミファイナル 第1試合を行います。』

 

それに応えるように観客席から歓声が巻き起こる。

 

『片や、圧倒的な魔力でこの大会を勝ち上がってきたダークホース

 

ノア・シェヘラザードォォォ!!!!

 

片や、その巨体で様々な相手を打ち破ってきた愛国戦士、

 

エティー・アームストロングゥゥゥ!!!!!』

 

哲郎もこの試合に並々ならぬものを感じていた。エティーの試合は1度も観ていないし、ノアもほんの少しの力しか見れなかった。

 

手の内は知りたくないとは思っていたが、そうも言っていられなくなってきた。

 

『たった今 入ってきた情報によりますと、エティー選手の種族は人間族と獣人族の混血から発展しており、故郷は発展途上国だそうです。エティー選手はこの大会に私が出ることで故郷のためになるなら、出る意味があるものだと言っていました!!

 

その思いが優勝へと結びつくのか!!?

はたまた ノア選手の魔力がその夢を打ち砕くのか!!?

 

決勝にその駒を進めるのは、果たしてどちから!!!?』

 

 

青年と大男が激突する時が遂に来た。

 

「殺害 以外の全てを認めます。

両者 構えて

 

始めェ!!!!!」

『遂にゴングが鳴らされたァァァーーーーー!!!!!』

 

 

先にしかけたのはノアだった。

 

「北国の男よ。全力で行くぞ。」

 

ドクゥン!!!!!

 

『こ、これはノア選手がネロ・サムワン選手を一撃で沈めて見せた、【魔力を込めた鼓動】です!! しかし、エティー選手はなんのダメージも受けていません!!!!』

 

「ほう。これは驚いたな。混血の力がこれほどのものとは。なら これはどうだ!!?」

 

ノアが一瞬でエティーとの距離を詰めた。

 

『は、早い!! そしてノア選手のあの手の形は━━━━━━━━━━』

 

カンっ!!!

 

『出ました!!! ネロ選手の身体を吹き飛ばした強烈な【指パッチン】!!!

しかし、エティー選手の身体は、少ししか出血していません!!!!』

 

これにはノアも面食らった。

後ろの外枠は粉々に破壊されたのに、この大男にこれほどの耐久力があるとは想定外だった。

 

「今度はこちらからだ」

 

その言葉の直後、ノアの腹、そして頬にエティーの拳が炸裂した。

ノアの身体は 外枠に激突した。

 

『ノ、ノア選手 吹き飛ばされたァァァーーーーー!!!!

この大会を通じて初めて攻撃を貰ったのです!!!!』

 

 

隙をつかず、エティーはノアに詰め寄り、そして

 

『つ、掴んだ!!

がっちりと捕獲しました エティー選手。

果たしてここから何を見せる!!?』

 

 

場内が緊張に包まれる中、エティーの取った行動は、仰け反ってノアを空高く投げ飛ばすというものだった。

 

『な、投げたァーーー!!!!

飛ぶ!!! 飛びます!!!! 人間が飛ぶぅぅぅーーーー!!!!!』

 

そのままノアは受身を取れずに地面に激突した。

 

『決まったァァァーーーーー!!!!

ノア選手の頭部に深刻なダメージ!!!

 

これは勝負あったかァ!!!!?』



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#15 Blizzard fist

『さぁさぁ盛り上がっております準決勝 第1試合!! 試合開始からエティー選手の猛攻がノア選手を襲います!!』

 

アナウンサーの実況は、観客席を熱狂させる。

エティーに投げ飛ばされ、ノアは頭から地面に叩きつけられた。

 

誰がどう見てもノアは立てそうにないが、観客席の熱狂はまるで彼の勝利を信じているように聞こえた。

 

『おぉ!立った!立ちました ノア選手!!!

波乱の準決勝は、ここから新たな局面を迎えるのか!!?』

 

「詫びを言うぞ。北国の人よ。

どうやらお前を馬鹿力だけの脳筋だと読み間違えていたようだ。

 

だから、ここからは本気で行く!!!!」

 

ノアの両手に魔法陣が展開された。

 

『ここに来てノア選手、本気を出すと宣言!!!!ここから何が起こる!!!?』

 

遂にノアが本気を見せる と、観客の熱狂はピークを迎えた。

 

「《純白百雷(ジオヴェン・ハイヴェン)》!!!!!」

 

ノアの魔法陣から、レオルの比にもならない程の数の白雷(ハイヴェン)がエティーに飛んでいく。

 

『こ、これは何という攻撃だ!!!

レオル・イギアを凌駕せんとする程の猛攻が、エティー選手に飛んでいく!!!!』

 

対するエティーは両手を手刀にして構えた。

 

哲郎はその構えに見覚えがあった。

 

「ハッッ!!!!!」

 

エティーはノアの魔法に軽く触れ(・・・・)、身体をきりもみ回転させた。

 

『こ、これは、テツロウ選手がレオル選手の閃光機銃(フォトンゲイザー)を迎え撃った動きにそっくりだ!!!!』

 

幾つもの白雷(ハイヴェン)は四方八方を舞い、不発に終わった。

そのままエティーはノアに突っ込んでいく。

 

その勢いのままノアの顎をつかみ、地面に叩きつけた。

 

『こ、今度はマーシャルアーツです!!!

ノア選手、再び脳に深刻なダメージだ!!!!』

 

そしてエティーはノアに馬乗りになり、渾身の拳を振り上げた。

 

『き、決まってしまうか!!!?』

 

場内が一瞬 静寂に包まれた瞬間、ノアの逆襲が始まった。馬乗りになったエティーの腕を、ノアが掴んだ。

 

『こ、これは

下から腕ひしぎだァーーーーーー!!!!』

 

そのままノアは全ての力を回転に変え、エティーの巨体を崩す。

 

『エティー選手 つんのめる!!!

決まったか!!!?』

 

しかし、エティーもこれでは終わらない。

地面に腕を力強く突き立てた。

 

『た、耐えた!!腕1本で耐えている!!!

このままノア選手を持ち上げるのか!!!?

何という怪力でしょう!!!!』

 

エティーが腕にノアをしがみつけたまま立ち上がる。しかし、それもノアは想定していた。

 

ボォン!!!! 「!!!!?」

『ば、爆発魔法!!! エティー選手の腕に爆発魔法が炸裂したァーーー!!!!』

 

一瞬の激痛により出来た隙をついて、ノアはエティーと距離をとった。

 

 

その口が一瞬綻び、

「……やっと一発 まともなものを入れることが出来た。ここから本当の勝負だ そうだろ?」

 

ノアの言葉にエティーも応える。

「……そうだな。私も本気を出そう!!!!」

 

エティーが再びノアに突っ込んでいく。

殴るではなく、ノアの腕を掴んだ。

 

 

『こ、これは一体━━━━━━』

バキバキバキッッッ!!!!! 「!!!!?」

 

『な、一体何が起こった!!!?

ノア選手の右半身が、一瞬にして凍りました!!!!』

 

「こ、これは━━━━━━━━━!!!??」

一瞬の事態に、ノアも驚きを隠せない。

 

「これは魔法では無い。

ブリザードが吹き荒れる国で生き延びてきた我が一族にのみ許された【凍結闘術】だ!!!!」

 

エティーの両の拳には、冷気が立ち込めていた。

 

「お、恐るべき【凍結闘術】!!!

ノア選手、戦闘不能か!!!?」

 

場内が緊張に包まれる中、ノアが口を開いた。

 

「……なるほど… 冷気を拳に………。

恐れ入った。だが、詰めが甘かったな!!!」

「!!!!?」

 

 

『こ、これは信じられない光景だ!!!!

ノア選手の体を覆う氷が、一瞬で溶かされた!!!!

 

この2人、人間業を超越している!!!!』

 

 

 

「さあ、決着だ!!!!」

「望む所!!!!」

 

ノアとエティーは2人とも同じ形で拳を構えた。両者の拳には、炎の魔法と冷気が立ち込めている。

 

『両者、構え直した!!!

その拳には、魔法が込められています!!!

決勝に駒を進めるのは、果たしてどちらか!!!?』

 

ノアとエティーは、同じタイミングで地面を蹴った。

 

ズドォン!!!!!

「「!!!!!」」

『ク、クロスカウンターだ!!!!!』

 

ノアの顔面に冷気を帯びた拳が、エティーの顔面に炎を帯びた拳が炸裂した。

両者は吹き飛び、同時に外枠に叩きつけられた。

 

『な、何という威力だ!!!!

両者 吹き飛ばされた!!!! この試合、果たしてどうなる!!!!?』



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#16 For my homeland

ノアとエティーは両方とも外枠に叩きつけられた。試合は佳境を迎え、観客席はさらに熱狂する。

 

『ダメージは五分!両雄、再び向かい合った!!!

対峙する青年と大男!!魔法と体術!!!

 

決勝に勝ち進むのは、果たしてどちから!!!?』

 

 

立ち上がったエティーは、拳から冷気を解き、拳を下ろした。

 

「? なんのつもりだ?」

「勝つのさ。私の最も得意とする戦法でな。小細工無しで真っ向からな!!!」

「…なるほど。終わらせると言うわけか。」

 

決着の時を迎えようとしているこの試合に、並々ならない歓声が沸き起こる。

 

『いよいよ 決着なのか!!!?

エティー選手は無構えでノア選手と対峙している!!

対するノア選手は魔法陣を展開し、臨戦態勢だ!!! 果たして勝つのはどちから!!!?』

 

最終ラウンドのゴングは、唐突に鳴らされた。

 

『エティー選手、ノア選手に全速力のタックルだーーーー!!!!

ノア選手、腹部にモロに食らった!!!!!』

 

ノアより一回り以上大きなエティーの全体重が乗ったタックルがノアに炸裂した。

重さ200kg近い砲丸を腹にくらったようなものだ。

 

しかし、ノアもこれでは終わらない。

背中に魔法陣から爆発魔法を見舞う。

 

エティーは地面に腹うちで、ノアは外枠に背中から叩きつけられた。

 

『腹と背中にそれぞれ クリーンヒットだ!!!』

 

エティーは外枠に密着したノアに拳を振るう。ノアはその拳をいなしている。

そして飛んできた拳を躱し、その勢いを利用してエティーの顔面に拳を見舞う。

 

『これはすごい!!!

両者譲らず 一進一退の攻防です!!!!』

 

エティーは力任せに拳を振るう。ノアはいなしてはいるが、躱しきれずにダメージを受けている。

 

「この体は、私の存在は、祖国の明日のためにこそ存在する!!!

だから私は勝たねばならない!!! 祖国の明日が明るくあるために!!!!」

「……そうか。祖国のために………

ならば 俺に勝って見せろ!!!!!」

 

ノアの手のひらがエティーの腹に触れた。

 

ドガァン!!!!

 

『き、決まったァーーーー!!!!

エティー選手の腹部に爆発魔法がクリーンヒット!!!!!

 

エティー選手、吹き飛ばされた!!!!

巨体が宙を舞う!!!!』

 

外枠に叩きつけられたエティーは、グロッキー状態になった。終わらせんとノアはエティーとの距離を詰める。

 

「………愛国心………

気高く美しい精神だった。

楽しめたぞ。

 

━━━━━━━終わりだ!!!!!」

 

ノアが手のひらを振り上げ、エティーの頭部に魔法を見舞う。

 

しかし、

 

『エ、エティー選手 間一髪躱した!!!!

まだ反撃する余力がありました!!!

ここから逆転を見せるのか!!!!?』

 

エティーがノアの腰に腕を巻き付けた。

 

『ノア選手をがっちりと捕らえたエティー選手。ここから逆転が始まるのか!!?』

 

「ぬあああああああああああああああ!!!!!」

エティーが渾身の叫びと共に、全力で仰け反った。

 

『な、投げたァーーーー!!!!

 

 

い、いや!!!!』

 

ノアが素早く足を地面に付けて踏みとどまった。

 

『ノ、ノア選手 強引に切り返しました!!!!』

 

そのままエティーの勢いも乗せて、ノアが仰け反った。

 

『エティー選手が飛ばされたァァァーーーーー!!!!!

 

体重 200kg近くある巨体が宙を舞う!!!!

軽々と投げ飛ばしてみせましたノア選手!!!!

決着の時か!!!?』

 

エティーは顔面から外枠に激突した。

しかしすぐに立て直し、ノアの追撃に備える。

 

「わ、私は…………

 

祖国のために!!!!!」

 

エティーは最後の力を振り絞ってノアに拳を振るう。しかし、拳はノアの顔の横の空を切った。

ノアはその手首を掴み、

 

 

『な、投げ技です!!!!

エティー選手、背中から地面に叩きつけられた!!!!』

 

そしてノアの手刀が振り下ろされ━━━━

 

 

 

『こ、これはどういうことだ!!?

ノア選手の手刀が顔面直撃 寸前で止まった!!!!』

 

 

「な、何を…………………」

「お前はもう十分祖国に尽くした。

そうだろ?」

「!!!!!」

 

ノアの一言に、エティーは驚愕した。

自分の思考を見透かされたことに。

 

『ノ、ノア選手 背を向けました

これは一体…………』

 

エティーがむくりと起き上がった。

 

 

「………私の負けだ。」

 

 

エティーのその一言で、準決勝 第1試合は唐突に終わりを告げた。

 

 

「……君は私の理念を認め、それでいて救いの言葉をかけてくれた。

それに、さっきの寸止め。あれは私を戦士と認めての敬意だったんだろ?

 

私の完敗だよ。」

「その通りだ。お前は立派に祖国に尽くした。」

 

そして、ノアとエティーの手が固く結ばれた。

 

 

『決着ゥゥゥゥゥーーーーーーーー!!!!!

魔法vs(たい)体術の対決 ノア選手に軍配が上がりました!!!!!

そして、互いの健闘を認め合うその姿はかくも美しい!!!!

 

ノア・シェヘラザード選手がエティー・アームストロング選手を下し、決着進出を決めたのです!!!!!』

 

ノアがエティーの肩を抱えて試合会場を去っていく。その2人に、惜しみないほどの拍手が送られた。



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#17 Little Flower

『さぁさぁ皆様、これより準決勝 第2試合を行います!!!

 

先程のノア選手とエティー選手の名勝負に続き、これからどんな試合が見れるのかと 場内は盛り上がっております!!!』

 

その2人は試合会場で対峙している。

 

『まずはCブロックの覇者!!!

人間族の少年でありながら、華麗な逆転劇を魅せ、ここまで勝ち上がってきた

 

テツロウ・タナカ!!!!』

 

観客席からは、哲郎にも歓声が送られた。

既に優勝候補として、期待を寄せられているのだ。

 

『対しましてDブロックの覇者!!

類まれなる魔法で相手を打ち破り、ここまで勝ち上がってきた【紅蓮の姫君】

 

サラ・ブラース!!!!!』

 

サラにも惜しみない歓声が送られる。

おそらくミナは今頃 どちらを応援していいか迷っている頃だろう。

 

遂にゴングが鳴らされる時が来た。

 

「殺害 以外の全てを認めます。

両者構えて、

 

始めェ!!!!!」

 

遂にゴングが鳴らされた。

先にしかけたのはサラだ。

 

 

ドカァン!!!! 「!!!?」

哲郎の足元に魔法陣が展開され、次の瞬間に大爆発した。

哲郎はそれを咄嗟に跳んで回避した。

 

『強烈!!!! サラ選手の爆発魔法がテツロウ選手を襲う!!!!

テツロウ選手もそれをかろうじて回避しました!!!!!』

 

哲郎は初手の爆発魔法をかろうじて回避し、地面に着地した。

 

「………フン。

これくらいじゃ終わらないわよね。

今のはちょっとした小手調べよ。」

 

サラは再び哲郎の頭上に魔法陣を展開した。

 

「受けてみなさい!!!

閃光機銃(フォトンゲイザー)》!!!!!」

 

哲郎を幾つものレーザーが襲う。

 

「レオルのとは比べ物にならないわよ!!!」

『サラ選手も閃光機銃(フォトンゲイザー)を使用!!!

万事休すかテツロウ選手!!!?』

 

しかし、哲郎の動体視力()は既にこのレーザーを見切る程に適応している。

襲ってくるレーザー全てを最小限の動きで躱して見せた。

 

『テツロウ選手、かろうじて難を逃れた!!!

何という反射神経でしょうか!!!』

 

哲郎の足元には、レーザーが開けたクレーターがいくつもできていた。それが会場に緊張を走らせる。

 

「へぇ。やるじゃない。」

「今度はこちらから行きます!!!」

 

哲郎は全速力で走り出した。狙いはサラ 1人である。

 

『テツロウ選手が仕掛けます!!!

果たしてマーシャルアーツでサラ選手の魔法にどう対抗するのか!!?』

 

真っ向から向かってくる哲郎に、サラは魔法陣をかざす。しかし、哲郎はそれも想定していた。

 

『こ、これは━━━━━━━━━━━』

 

哲郎はサラの1歩手前で足を踏み込んだ。

そしてその勢いを利用し、

 

『な、何というフットワークでしょうか!!!

テツロウ選手、一瞬でサラ選手の背後をとった!!!!』

 

一瞬のことで反応が遅れたが、サラは振り返って背後の哲郎に魔法陣を向ける。

 

哲郎はそれも予測しており、かざされた魔法陣を手ごと蹴って弾いた。

サラに一瞬の隙ができた。

 

そして哲郎は思いっきり振りかぶり━━━━

 

 

バチィン!!!!! 「!!!!!」

 

サラの腹に渾身の掌底を見舞った。

 

『こ、ここに来て再び魚人波掌です!!!!

相手の体内の魔力に衝撃を流し込む魚人族と人間族の英知の結晶!!!!

その随意が紅蓮の姫君に炸裂したァーーーー!!!!!』

 

サラは顔をしかめてうずくまる。

今頃 彼女の身体には衝撃が駆け巡っているはずだ。

 

『効いています!!効きまくっています!!!!

サラ・ブラースの体内には今、我々の想像もつかない衝撃が走っていることでしょう!!!

 

この技術の考案者はこう言葉を残しています。

相手の力を利用するこの技術は、人間族が異種族に勝つ唯一の希望だ と!!!

 

その言葉が現実のものになるのでしょうか!!!!』

 

しかし、紅蓮の姫君は反撃に転じた。

隙の出来た哲郎の両腕を掴み、

 

 

ドガァン!!!!! 「!!!!!」

 

「ああああああああぁぁぁ!!!!!」

両腕が焼け爛れ、哲郎は絶叫しその場に崩れた。

 

『サ、サラ選手も負けじと強烈な反撃!!!!

テツロウ選手、両腕を持っていかれた!!!!!』

 

プッ とサラは血を吐いた。

 

「……これが魚人波掌っていうものね。

多分 今までで1番痛かったかも。

 

だけど君は所詮 子供だったのよ。

 

……それじゃあね。」

 

サラの手に魔法陣が展開された。

 

『サラ選手の魔法がテツロウ選手を襲う!!!

決まったか!!!!?』

 

バシッ!!! 「!!!?」

 

『ロ、ローキックで足をすくった!!!!』

 

体制が崩れたサラは着地するのに精一杯になった。

その隙をついて哲郎は距離を取る。

 

『負傷した両腕を庇いながら、間合いを取ります テツロウ・タナカ!!

 

この目を覆うような凄惨な試合を止めるものはいません!!!

サラ選手かテツロウ選手 どちらかが負けを認めるか、あるいは動けなくなるまで この試合は続けられるのです!!!!』

 

場内には緊張が走っている。

 

「……悪く思わないでね テツロウ君。」

「?」

「もう二度とあなたの間合いには入らないわ。」



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#18 Flame Engage

「この魔界コロシアムに卑怯なんてものは存在しない。

相手の嫌がる作戦(こと)をやるのが鉄則よ」

「?」

 

言い終わり、サラは哲郎に魔法陣を向ける。

 

『ここに来てサラ選手、自分の土俵に引きずり込もうとしています!!』

 

「食らいなさい!!!

魔炎(グレイ)》!!!」

「ッッ!!!」

 

魔法陣から放たれた炎弾を間一髪で躱す。

「まだまだ行くわよ!!!」

 

サラが矢継ぎ早に炎を打ち出す。

哲郎は何とか全て 避けている。

 

『サラ選手、ここで魔法の連発!!

まるで炎のマシンガンだ!!! テツロウ選手が避けきれなくなるのが先か、サラ選手の体力が尽きるのが先か、

この試合、果たしてどうなる!!!?』

 

(………!!!

……ダメだ………!!!! このままじゃ 根負けする………!!!!

 

やるしかない!!!!)

 

哲郎が勝負に出る。

 

『おっと テツロウ選手、外枠に足をかけた!!!』

 

そのまま哲郎は足の力を外枠にかけ、

 

『と、飛び上がった!!!!

テツロウ選手、外枠を踏み台にして大きく空へ!!!!!』

 

一瞬動揺したが、サラは空中の哲郎に魔法陣を向けた。

 

「なんのつもりかわかんないけど

 

隙だらけなのよ!!!!」

 

上空に撃たれた炎弾を哲郎は身を捩って躱した。

 

『テ、テツロウ選手 急降下していく!!!

ここから何を見せる!!?』

 

サラに急降下した哲郎は、勢いと全体重を足に乗せ━━━━━━━━━━━━━

 

ズドォン!!!!! 「!!!!!」

 

『ど、胴回し回転蹴りィィーーーーー!!!!!

テツロウ選手、サラ選手の弾幕を破って見せた!!!!!』

 

サラの頭上に哲郎の蹴りが直撃し、形成が急変した

 

 

 

かのように見えた。

 

土煙から哲郎が倒れた。

 

「あがぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

『な、一体何だァ!!!?

倒れたのはテツロウ選手!!??

テツロウ選手の足が焼け焦げています!!!!』

 

「………なかなか 小細工を考えるじゃない?

だけど言ったでしょ?

 

相手の嫌がることをやるのが鉄則だってね!!!」

 

土煙から見えたサラの姿に、場内は戸惑いの色を見せた。

 

『あ、あれは━━━━━━━━

 

で、出ました!!! 炎之装甲(フレイム・エンゲージ)です!!!!

全身に高熱を纏い、あらゆる攻撃を退ける絶対防御の鎧!!!!』

 

足を抑えてのたうち回る哲郎にサラが冷たい視線を送る。

 

「私はあなたのマーシャルアーツを見くびってなんかいない。だからこの方法を取らせてもらったわ。

腕は治ってるみたいだけど、その足が治る前に

 

終わりにするわよ!!!!」

 

サラが足を燃やして哲郎の頭上にかざした。

 

『焔を纏ったストンピングだァーーー!!!!

今度こそ万事休すかテツロウ選手!!!?』

 

哲郎は意識をサラに向け直し、2連続のストンピングを首を振って回避した。しかし、サラはそれも想定していた。

 

哲郎の腹に掌をかざす。

 

「!!!!」

「チェックメイトよ♡」

 

 

ドガァン!!!!! 「!!!!!」

『出ました!!!!

1回戦でパラル選手を下してみせた爆発する掌底!!!!

 

まさに眼には眼を、歯には歯を、掌には掌で対抗だァーーーー!!!!!』

 

自らに魚人波掌を見舞った相手に対し、爆発する掌底を見舞う。しかし哲郎は何とか外枠スレスレで踏みとどまった。

 

『ふ、踏みとどまったぞ テツロウ選手!!!

その目にはまだ闘志が燃えている!!!!』

 

観客席はサラの華麗な魔法と哲郎の勇姿に惜しみない歓声を送っているが、哲郎の耳には既に入っていない。

 

「……やっぱり甘いわね。

もう攻撃は始まってるのよ!!!」

「!!?」

 

哲郎の足元から火柱が上がった。

咄嗟に躱したが、避けきれずに左手に大火傷を負った。

 

「アギァッッ!!!?」

 

『テ、テツロウ選手 ここに来て疲労が出たか!!? サラ選手の攻撃を避けきれなかった!!!』

 

体勢は立て直したが、息が切れている。

肉体の疲労とサラの威圧感が限界に達しようとしていた。

 

「もうやめときなさいよ。

あなたは十分 頑張ったわよ。」

 

『サラ選手、ここに来て口撃に入った!!

テツロウ選手、戦意喪失か!!!?』

 

しかし、哲郎の耳には入っていない。

 

 

アスリートの扱う精神回復の方法に、【スイッチング・ウィンバック】というものがある。

ピンチなどに追い込まれた時、ショックや恐怖に蓋をし、闘志だけを引き出すものである。

哲郎は無意識の内にそれを実行していた。

 

『なおも仕掛けます テツロウ選手!!!!』

 

サラは半ば 呆れた顔で魔法陣をかざす。

 

『と、止まった!! テツロウ選手、急停止した!!━━━━━━━━

 

いや、これは』

 

哲郎は振り返る動きを乗せて、無造作に伸ばした腕を

 

ガシッ!

「!!!??」

 

掴んだ。

 

 

ジュウ!!!

「ッッッ!!!!!

ゥアアアアアアアアァァ!!!!!」

「イっ!!? あああっ!!!」

 

サラの腕をつかみ、全力で体を折り曲げる。

もちろん炎之装甲(フレイム・エンゲージ)をもろに掴み、手に激痛が走るが、それも気にかけていられない。

 

 

ズダァン!!!!! 「!!!!!」

 

哲郎がサラを全力で投げた。



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#19 The Evil Eye

『テツロウ選手、ダメージを顧みずサラ選手を投げ飛ばした!!!!!』

 

哲郎の起死回生の一撃に、彼を応援していた観客達は立ち上がって歓声を上げた。

 

しかし、哲郎の表情は苦悶に染まっていた。両手のひらが焼け爛れている。

 

『肉を切らせて骨を断つ。

テツロウ選手の両手は無事ではすみません。

しかし、これを蛮勇とは呼ばせません!!!

これは人間族が異種族に立ち向かう、美しい勇士なのです!!!!』

 

 

これ以上攻撃を貰ったらは身が持たない。

哲郎はトドメをさす決意を固めた。

 

『テツロウ選手、飛び上がった!!!!

サラ選手はまだグロッキーしている!!!』

 

哲郎は体を折り曲げ、全体重を足にかける。

 

『胴回し回転蹴りの動きだ!!!!

決まるか!!!?』

 

その刹那、サラの意識が一瞬早く戻った。

 

ガッ!!!! 「!!!!?」

『こ、これは━━━━━━━━』

 

火竜だ。

炎の竜がサラの腕から伸び、哲郎に噛み付いた。

 

『サ、炎之龍神(サラマンダー)だ!!!!!

サラ選手の大技が、テツロウ選手に炸裂したァーーーーーーーー!!!!!』

 

サラは起き上がり、そのまま体を拗らせる。

 

『な、投げ返した!!!!

テツロウ選手、外枠まで一直線だ!!!!!』

 

そのまま哲郎は外枠に顔面から激突した。

 

「……やってくれたわね。

まさか炎之装甲(フレイム・エンゲージ)の上から掴んでくるとは思わなかったわ。」

 

『遂にサラ選手も本気を出した!!

 

顔面から激突したテツロウ選手、まだ戦えるのか!!?』

 

哲郎は起き上がり、鼻の穴から血を吹いて出した。既に意識はサラ 一点に集中している。

 

 

バギュン!!!! 『な、こ、これは』

 

サラの指から炎の弾丸が放たれた。

哲郎は冷静に躱した。

 

『ま、魔弾の早打ちだ!!!

何という早さ!! それをテツロウ選手は躱して見せたのです!!!!』

 

「次はこれよ!!!」 「!!?」

『す、既に上空に魔法陣が!!!

この術式はまさか━━━━━━━』

 

 

「《炎之弾幕(フレイム・ディァーズ)》!!!!!」

 

『え、炎弾の強襲だ!!!!

これは勝負あったか!!!?』

 

しかし、哲郎はそれも見切り、冷静に躱して見せた。

 

『す、すごいぞテツロウ選手 全てを最小限の動きで躱している!!!!』

 

その瞬間、哲郎の足に炎之龍神(サラマンダー)が噛み付いた。

その牙から高熱が放たれる。しかし、哲郎の足は既にサラの炎に適応していた。

 

噛み付かれた足を軸に身体をきりもみ回転させた。炎之龍神(サラマンダー)と直結していたサラの腕は引かれ、そのまま宙を舞う。

 

しかし、地面に激突する前に炎之龍神(サラマンダー)を腕から離し、空中で難を逃れた。

 

『凄いぞテツロウ選手!!

サラ選手の奥の手を強制的に解除した!!!』

 

サラはその場に着地をした。

 

「……フン。甘いわね。」

「!?」

「決勝まで使いたくなかったけど

まあ 仕方ないわね。あなたがそれほど(・・・・)だったってことだし?」

 

「『な、何を━━━━━━━━━』 ブフォッッッ!!!!?」

 

アナウンサーと哲郎の声が偶然 重なろうと思われた矢先、哲郎の口から血が吹き出た。

 

『な、これはどうしたことだ!!!?

テツロウ選手に何が!!!!?』

 

アナウンサー、そして観客席の疑問はすぐに解けた。

 

「言ったでしょ?この世界の死因 第1位は【無知】だって。あなたに現実の厳しさを体に教えてあげるって。

ま、私が本気を出せばイチコロだったってワケよ♡」

 

開かれたサラの眼に、異様な模様が浮かんでいた。

 

『な、な、何と魔眼だァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

信じられない光景です!!!!見たものの精神、そして肉体を内側から破壊する【破滅ノ魔眼】!!!!! それがサラ選手の眼球()に宿り、テツロウ選手の体を蹂躙している!!!!!』

 

哲郎はおびただしい量の血を吐き出し、

 

『ダ、ダウーーン!!!!

テツロウ選手、ダウンを奪われたァーーーー!!!!』

 

「すぐに治療すれば何とかなるわ。

レフェリーさん、彼を早く医務室へ!」

 

サラの一言で我に返ったレフェリーが手を上げた。

 

「しょ、勝負あ━━━━━━━━━━」

「? どうしたのよ? 勝負あり、でしょ?」

 

ガンッ! 「!?」

ガンッ!! ガンッ!!! ガンッ!!!! ガンッ!!!!!

 

突如 サラの耳に奇妙な音が飛び込んだ。自分の真後ろ、哲郎が居るはず(・・・・・・・)の方向からだ。

 

振り返ったサラの目に飛び込んできたのは異様な光景だった。

哲郎が土下座の体制で、何度も頭を地面に打ち付けている。

 

「な…………!!!??」

「……どこへ行くんです………!!?

 

決着も無しに!!!!!」

 

その一言で、観客席が大熱狂した。

 

『テツロウ選手 立ち上がったァァァーーーーーーーーーーー!!!!!

サラ選手の魔法、そして魔眼まで受け切ったテツロウ選手

 

人間族の少年が、遂に腹を括った!!!!

決勝進出を決めるのは、果たしてどちらか!!!!?』

 

観客席からはまだ試合が見られることを喜ぶ者、サラの勝利を信じる者、哲郎の勇気を讃える者 色々な歓声が鳴り響いていた。

 

 

「ちょっと、もうやめときなさい!

もう十分頑張ったでしょ!?

これ以上 続けたら 死ぬわよ!!?」



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#20 Straight!!!

「もう止めときなさい。

そんなになってまで続ける意味はないでしょ?

これ以上続けたらホントに死ぬわよ!?」

 

サラは本心で、そして哲郎の体を気遣って言った。

しかし、哲郎は聞く耳を持たず、サラに闘争心だけを剥き出しにしている。

 

「……ならしょうがないわね。

もっとキツいのやって、降参させるしか。」

 

サラはおもむろに両の手を向け、そこに巨大な魔法陣を形成した。

形成された魔法陣に大量の魔力が溜まっていく。

 

(………今までもあんまり成功したことはないけど、それでもやるっきゃない!!!

 

成功率 二割……いや、そんなこと考えてる場合じゃない

 

こいつを倒して私は進むのよ!!!!!)

 

「これでトドメよ!!!!!」

『こ、この魔力はまさか━━━━━』

 

 

 

サラは魔法を構成することに全てを集中させた。たとえ哲郎がこれから何をやろうとも。

今の自分に出来るのは、この魔法を成功させる事だけだ。

 

 

 

「《煉獄之豪砲(フラマ・グレイズ)》!!!!!」

「!!!!!」

 

 

サラの魔法陣から巨大な、それこそ太陽に例えて差し支えないほどの火球が哲郎に向かって放たれた。

 

『で、出ました!!!!! 《煉獄之豪砲(フラマ・グレイズ)》!!!!!

炎の魔法において、最上級の威力を持ち、極限までの魔法精度を求められるラグナロクの歴史上においても秘技中の秘技 究極奥義!!!!

 

その真髄が今、テツロウ選手を襲うゥゥゥゥゥ!!!!!』

 

(よし!成功した!!!!)

 

 

しかし、哲郎が動揺を見せたのは一瞬だけだった。次の瞬間には再び『スイッチング・ウィンバック』を使用し、己を奮い立たせる。

あの時の修行の時、彼女から言われた言葉がこれだ。

 

『ピンチをチャンスに変えれば、道は開ける』と。

一見 当たり障りのない薄っぺらい言葉かもしれないが、今の哲郎にはこれ以上に勇気を出させてくれる言葉はなかった。

 

行ける!!!!!

 

そう確信して哲郎がとった行動は━━━━━

 

ダッ!!!! 『「!!!!?」』

 

 

『テ、テツロウ選手走り出した!!!!

ここから何を見せる!!!?』

 

両腕を交差させ、ガードを固める。しかし、それだけだった(・・・・・・・)

 

 

ズボッ!!!!!

 

 

『な、な、な、な、何と飛び込んだァァァーーーーーーーーーーー!!!!!

これは無謀!!!!! テツロウ選手、最上級魔法をその身一つで迎え撃つのか!!!!?』

 

 

 

煉獄の中で、高熱に身を灼かれながら哲郎は極限まで集中していた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━耐えろ。

そして走り続けろ!!!!!

 

少しでも気を緩めたらこの炎に殺られる!!!!

出来る 耐えれる やれる 走り続けろ!!!!!

 

ここで決めなければこっちが負ける!!!!!

 

 

熱さなんて気にするな!!!!!

あとどれくらいなかんて考えない!!!!!

僕は向かっている!!!! まっすぐ!!!!!

 

 

ここで負けたら あの苦労が水の泡だ!!!!!

そんなのは嫌だ だからやる!!!!

走って走って 走り続ける!!!!!

 

 

少しでも足を止めたら根負けする

ここまで来たなら絶対 勝ちたい!!!!!

大丈夫だ 僕には【適応(無敵の力)】がある!!!!

 

 

だから走れ!!!!! まっすぐに!!!!!

 

 

自らを鼓舞し続け、遂にその時が来た。

炎を抜け、サラと合間見えた。

 

 

「!!!!?」 サラは驚愕の表情を見せた。しかし、哲郎には最早それすらも問題ではない。

 

残る力全てを振り絞り、正真正銘 最後の攻撃の準備に入った。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!」

「!!!!! マズっ━━━━━━━━━━」

 

 

「倒

 

 

ろォォォォォォオォォおォォオォォォッッッ!!!!!」

 

 

スパァンッッッ

 

 

攻撃は掌底

箇所は顎。

 

 

力は極限まで抜き、そして最速で彼女の顎をはたいた(・・・・)

その瞬間、サラの意識は遠くなり、地面にバッタリと倒れ、完全に昏倒した。哲郎も体力の限界を迎え、四つん這いに倒れ込んだ。

 

一瞬の内に色々なことが起こり、場内は戸惑いの色を見せた。

 

『テ、テツロウ選手が炎魔法を抜け…………サラ選手に……………

 

こ、これは………………』

 

「し、勝負あり!!!!!」

 

レフェリーが決着を宣言した後、哲郎に駆け寄った。その手には一着の下着(・・・・・)が握られていた。

 

「テツロウ選手、これを。」

「え? ……あっ。」

 

そこまで言って哲郎は気がついた。

衣服が完全に燃え尽きて火傷まみれの全裸体であることに。それでも場内から悲鳴の類が聞こえなかったのは幸いだった。

 

素早く渡された下着を履き、仕切り直す。

レフェリーの肩を借りて立ち上がり、そして高々に腕を上げた。

 

 

その時、我に返ったように観客席から大歓声が巻き起こった。

 

サラの力を信じていた者も、哲郎の勝利に賭けていた者も一様に哲郎の勝利に惜しみない歓声を送った。



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#21 Prince of naked,Princess of burned out

『け、け、決着ゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーー!!!!!

 

我々は今、信じられないものを見ました!!!!

なんと人間族の少年、テツロウ選手が【紅蓮の姫君】 サラ・ブラースの奥義 《煉獄之豪砲(フラマ・グレイズ)》を耐えしのぎ、そして勝利を収めたのです!!!!』

 

観客席から巻き起こるのは大歓声だけで、サラの敗北を惜しむ声は1つも無かった。

ひょっとしたら惜しんではいたが、哲郎の勝利を素直に讃えようと思ったのかもしれない。

 

『その身を纏う衣服は全て燃え尽き、この公衆の面前に裸体を晒そうと、全身 火傷まみれで這いつくばろうと、その姿はかくも美しい!!!!!

 

果たして彼を醜いと罵るものがこの世に居るでしょうか!!!?

彼は弱小種族と罵られ続けた人間族の代表として、その身にマーシャルアーツを引っ提げて、絶対に勝つという信念と執念を持って、【紅蓮の姫君】サラ・ブラースから、勝利をもぎ取ったのです!!!!!』

 

 

顎を揺らされて昏倒していたサラも意識を取り戻し、そして自分が全力を出した上で(・・・・・・・・)負けた事を確信した。

 

そしてその場で動けない哲郎に歩み寄った。

 

「ほら、何やってんのよ。

勝者(あなた)がそんなんじゃ カッコつかないでしょ?」

 

哲郎に肩を差し出し、姿勢を支える。

 

『こ、これは素晴らしい!!!

サラ選手が敬意を持ってテツロウ選手に肩を差し出す!!

 

これぞまさにすがすがしい戦い!!

サラ選手の表情に、悔恨の念は全く見受けられません!!!!』

 

哲郎はサラに抱えられ、背中に大歓声を受けながら会場を後にした。

 

 

***

 

 

「お疲れ様 お姉ちゃん!」

「うん。ありがとう。」

 

サラは控え室に戻り、ミナと合流していた。

 

「凄いこと教えてあげよっか?

私、なんでかちっとも悔しくないのよ。」

「だろうね。 テツロウも全力でやってたから。」

「あいつの【適応】ってマジだったのね。

まさか煉獄之豪砲(フラマ・グレイズ)を耐えきるとは思わなかったわ。」

 

サラは準決勝敗退という無念を味わった。

しかしそれは今まで中々成功しなかった煉獄之豪砲(フラマ・グレイズ)を成功させ、その上での華々しい敗北だ。

だから、彼女の心には悔恨の念は全く無かったのだ。

 

 

***

 

 

「うぅ………ッ くっ…………」

「大丈夫ですか テツロウ選手!!?」

「え、えぇ。

もう少し休んだら決勝に行けます。

ここまで来たんだからやらせて下さい。」

 

哲郎は医務室のベッドの上で唸っていた。

流石に全身を焼かれたのは堪えるものがある。

 

「う、うぅ………!!!」

 

哲郎はベッドから起き上がった。

ようやく前身の火傷が適温してきた。

 

「それで、決勝はいつから……」

「今から30分後を予定しております。」

 

哲郎が役員と話していると、

「邪魔をするぞ。」

 

と男が医務室に入ってきた。

 

「ノ、ノア選手!!」

「彼の容態(コンディション)はどうなんだ?」

「見ての通りです。」

 

起き上がれたものの、全身が包帯まみれで火傷もかなり酷い。

 

「なぁ、彼と話がしたいから、外してはくれないか?」

「かしこまりました。」

 

 

ノアに促されて役員は医務室を後にした。

 

 

「どういうつもりですか?」

「どうもこうもないさ。

ただ これから戦う相手とひとつ 話がしたかっただけの事だ。」

 

哲郎はベッドに座り、ノアと話を始めた。

 

「決勝には出るんだろ?」

「当然でしょう。せっかくここまで頑張ってきたんだから。」

「そうだ。それでいい。

それでこそお前だ。」

 

この男はまるで自分を見透かしているようだと哲郎は嫌悪感を示した。

 

「ところでお前にはこれからやりたいことはないのか?」

「…そうですね。ここに出たのは今の実力が知りたかったからですし、この後は自分でギルドを作ろうと思ってます。」

「自分のギルドか……… 夢があるな。」

「?」

 

何が言いたいのかと思った直後、彼は思いもしない事を言った。

 

「いいだろう。

この後の試合で俺が負けたらお前のギルドのNo.2になってやろう。」

「!!!? 何を!!?」

「それくらいの賭けがなくては面白くあるまい。」

 

何を言うかと思えば と哲郎は馬鹿馬鹿しくなって返しをする。

 

「賭けだなんて……

 

じゃあ僕が負けたら一体何をしたら良いんです?」

「何も求めはしないさ。 強いて言うならギルドを組むための能力を付け直せ とでも言うべきかな。」

 

そこまで言ってノアは立ち上がった。

 

「じゃあ失礼するぞ。」

 

哲郎は言葉を返さない。

 

「もっと仲良くしても良いんじゃないのか?

 

俺たちは同じ運命(・・・・)を辿ってここに居るんだから。」

「??」

 

哲郎の表情が疑問に染まったのを見て、ノアは医務室を後にした。

 

 

***

 

 

『大変長らくお待たせ致しました!!!!

ただ今より、この魔界コロシアムの最終章!!!

決勝戦を行いたいと思います!!!!

 

総参加選手 32名!!

このラグナロク全世界から集められた超人たち、その頂点が今 決定の時を迎えるのです!!!!!』



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#22 Overwhelming

『この世界、ラグナロクの全土から集められた名だたる超人、その中には高度な魔法を扱うもの、五体に筋力を引っさげた者、多種多様な戦士がいました!!!

 

総参加選手 32名!累々たる屍を踏み越えた2人の武士(もののふ)が今、合間見えようとしています!!!!!』

 

 

大歓声の中、2人 田中哲郎とノア・シェヘラザードは試合会場に足を運んだ。

 

『ここに合間見えた2人、青年と少年

この2人こそが魔界コロシアムを制してきた戦士たちです!!!!』

 

 

『片やその甘いマスクから放たれる強力な魔法で様々な完封劇を演じ、ここまで勝ち上ってきた 魔人族

 

ノア・シェヘラザードォォォ!!!!!

 

 

片やその身に引っさげたマーシャルアーツと尋常ではない耐久力で並み居る優勝候補を倒し、大番狂わせと逆転劇を演じてきた人間族の少年

 

テツロウ・タナァァカァァァ!!!!!』

 

 

相対した青年と少年を囲んで熱狂が場を包む。

 

『この試合にはもう1つの大きな意味があると思われます!!

 

準決勝では第1試合は魔法の、そして第2試合ではマーシャルアーツが勝利しました!!!

 

つまり、この試合によって 魔法とマーシャルアーツ、どちらが強いのかが決まるといってもいいでしょう!!!!

 

少なくとも、この一戦がラグナロクの歴史に新たな1ページを刻むのは、想像に難くありません!!!!!』

 

 

魔人族などが得意とする魔法、そしてそれに対抗するために人間族などが作ったマーシャルアーツ

その優劣はラグナロクにおいても最も有名な謎の1つ、そして1部からはタブー扱いされているものだ。

それが証明されるであろうこの試合に ラグナロクの全人類が興味津々であることは言わずとも分かる事だ。

 

 

「殺害 以外の全てを認めます。

それでは決勝戦

 

 

始めてください!!!!!」

『さぁ遂に、火蓋は切って落とされた!!!!!

一戦一戦を全力で勝ちに行ったテツロウ選手、そして並み居る強豪を余力を持って制したノア選手

 

先に仕掛けるのは果たして━━━━━━━━

ああっ!!!!』

 

 

仕掛けたのは哲郎だ。

その指をノアの目に突き立てんと貫手を繰り出す。しかし、

 

 

ガッ! 「!!!」

『と、止まった!!!

テツロウ選手が魔界公爵 レオル・イギア選手に繰り出した初手目潰し

 

それを難なく止めて見せた!!!』

 

 

グリンッ!! 「うっ!!!」

 

ノアが掴んだ哲郎の手首を捻り、体をきりもみ回転させる。

体制の崩れた哲郎の背中に手のひらをかざし、

 

 

ドォン!!!! 「!!!!」

『ば、爆発魔法!!!!

ノア選手、マーシャルアーツで崩したテツロウ選手に、魔法を繰り出しました!!!』

 

吹き飛びはしたが、哲郎はすぐに回転して受身をとる。

 

 

『尚も仕掛けます テツロウ選手!!!

今度は何が繰り出されるのか!!?』

 

今度はノアの直前で立ち止まり、腕を掴んで体を翻した。

 

『こ、これはサラ選手に使った投げ技だ!!!!』

 

ドガァン!!!! 「!!!!!」

 

『ま、またしても爆発魔法だ!!!!

背中にもろに食らったテツロウ選手、叩きつけられて宙を舞う!!!!』

 

今度は受け身が取れず、哲郎は地面に倒れた。

 

『や、やはり無謀なのか!?

人間族が魔人族に勝ち得ることなど有り得ないのか!!!?

しかし、テツロウ選手は試合前にこう言ったそうです!!!

折角ここまで来たんだから やらせて下さい と!!!! 今までどんな逆境にも屈してこなかったテツロウ選手!!! その不屈の闘志を証明するかのように観客席からは惜しみない声援が声援が送られています!!!!』

 

哲郎は再び立ち上がり、ノアと相対した。

 

『立ち上がってくれました テツロウ選手!!!!

彼を支えれいるのは根性 のみ!!!

しかし、彼はその根性で決勝戦(ここ)まで勝ち上がってきたのです!!!!』

 

ボロボロになりながも立ち向かってくる哲郎にノアの口が綻び

 

「なぁ小僧

1つ提案がある。この試合を盛り上げようと思う。」

「?」

 

そしてノアはおもむろに足元を指さした。

 

「ハンデだ。俺はここから1歩も動かない。」 「!!!!!」

 

『ノア選手、ここに来てなんという挑発だ!!!! テツロウ選手の精神を揺さぶっている!!!!』

 

しかし、哲郎はやることを変えることはできない。彼には飛び道具も魔法もなく、遠距離から攻撃する術は無い。

接近戦しか哲郎が勝つすべは無い。

ノアが何を策していようとも、自分の培った技術をぶつけるしか出来る事は無い。

 

『行ったァーーーー!!!!

テツロウ選手、ノア選手に一直線だ!!!!』

 

哲郎は助走のスピードを完全に乗せた最速の拳をノアに見舞う。

ノアは難なく捌いたが意に返す事無く攻撃を続ける。

 

『は、速い!!!! なんという連撃だ!!!!!

両手両足をフルに使った人間族の少年の本気がノア選手に牙を剥く!!!!!』

 

その場その場で最善の攻撃を仕掛けるがノアに当たる気配はない。

 

『ノア選手も驚異的だ!!!!

有言実行!! その場から1歩も動かずにテツロウ選手の猛攻を捌いている!!!!

まるで彼の周りにバリアでも展開されているようだ!!!!!』

 

 

ドクン!!!!! 「!!!!? ガバッ」

突如 音が響き、哲郎が血を吐いた。

 

『わ、忘れていた頃に魔力を乗せた鼓動だ!!!! ネロ・サムワン選手を一撃の下に屠り去った一撃必殺の攻撃を至近距離でモロにくらった!!!!!』

 

 

「……楽しかったぞ 小僧。

だが、これで終わりだ!!!!」

『ノア選手の背側蹴りが襲う!!!!

決まるか!!!!?』



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#23 Rain of despair

ノアの蹴りあげが哲郎を襲う。

しかし哲郎は間一髪 横に飛んで躱した。

 

「ほう。」

『テツロウ選手は冷静です!!

あの猛攻から一瞬で攻撃を回避した!!!』

 

哲郎はすぐに体制を攻撃に移す。

そしてフットワークでノアの背後に回り込んだ。そしてそのまま魚人波掌の構えをとる。

 

『テツロウ選手の反撃か!!? ━━━━━━━━━━━

い、いや━━━━━━━━━━━』

 

ノアは背後に回った哲郎に全身のバネを使った蹴り上げを見舞った。

 

『ノ、ノア選手の蹴りが直撃した!!!!

全身のバネを使った渾身の攻撃!!!

テツロウ選手、これは効いたか!!!?』

 

ノアの蹴りに飛ばされた哲郎だが、すぐに体勢を立て直して受身をとる。

ノアの蹴りを咄嗟に右手で受け止め、上手く衝撃を流した

 

 

 

 

かに思えた。

 

 

ボキッ!!!! 「!!!!?」

哲郎の右腕がありえない方向にへし曲がった。

 

『お、折れたァーーーーー!!!!

かろうじて蹴りを受け止めましたが、その右腕が破壊された!!!!!』

 

哲郎は不意の激痛に顔をしかめるが、すぐに意識をノアへと向け直し、適応する時間を稼ぐために間合いをとる。

 

『やはり無謀なのか!!?

人間族が魔人族に勝つなどというのはできないのか!!?

マーシャルアーツでは種族間の差は埋められないのか!!!?』

 

アナウンサーの声も既に哲郎の耳には入っていなかった。

右腕を抑えて己を奮い立たたせる。

 

 

「…小僧、お前にだけは教えておこう。俺の正体をな。」

「?」

 

ノアが唐突に口を開いた。

 

「さっき、俺が言ったことを覚えているか?」

「…さっき言ったことと?あの『同じ運命を辿ってここに居る』ってやつですか?」

「そうだ。

 

……お前、【転生者】だろ?」

「!!!!?」

 

哲郎は不意に図星を付かれて驚愕した。

別に修行相手の女性から転生者であることがバレてはならないと言われていた訳では無かったが、出会って間もない男に言い当てられて動揺を見せた。

 

「おそらく、何かの事故で死ぬところをこのラグナロクに逃げ延びたというところだろうな。」

「……それが何だって言うんですか?」

 

哲郎は強気を装って恐怖に押しつぶされそうになるのを堪える。

そんなことを気にもとめずにノアは話を続ける。

 

「2000年前、このラグナロクを圧倒的な力と権力で統治した男がいたんだ。

人々はその男を恐れおののき【魔王】と呼んだ。」

「???」

「そしてその魔王と呼ばれた男は実力を出せない退屈という苦痛に耐えかねて、より強い者を求めて自らの魂と記憶を未来に送った。

つまるところ()()だ。」

 

「何の話を…………

 

!!!!! ま、まさか!!!!!」

「どうやら分かったようだな。」

 

哲郎の表情が驚愕に染まった。

今までのノアの話から哲郎が得たのは()()()()()()()()

 

「そうだ。

その魔王の転生体が俺だ。」

「……………………!!!!!」

 

同じ運命とは、転生した者と言う事だったのだ。

転生した魔王なら同じ転生者である自分に注目していたのも、貴族を【貴族()】と蔑称したもの全て説明がつく。

 

「ところで、前の試合でレオル・イギアが根源魔法を使ったな?

あの後 ヤツの腕が焼け焦げたのは 何故か分かるか?」

「?」

「それは()()()()()()()()。魔力の根源からチカラを借りたなら、その体には必ずガタがくる。

 

逆に言えば、()()()()()なら魔力の続く限りいくらでも使うことができる。」

 

哲郎は彼の言葉の意味を理解し、そして身構えた。

 

「そう。いくらでもな」

 

『!!!!! こ、これは━━━━━━━━━━』

 

哲郎の上空に巨大な魔法陣が()()()形成されていた。哲郎はその形に見覚えがあった。

 

『こ、これは絶望的ィーーーーー!!!!!

ノア選手、なんと根源魔法の魔法陣を幾つも展開した!!!!!

ダメ押しの攻撃か!!? テツロウ選手、絶体絶命ィーーーーー!!!!!』

 

 

根源魔法 《皇之黒雷(ジオ・エルダ)》!!!!! 「!!!!!」

 

魔法陣からレオルの時と同じ漆黒の雷が放たれた。

 

『出たァーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

根源魔法!!!!! 決まったか━━━━━━━

 

い、いや!!!!!』

 

哲郎はそれを見切り、横方向に回転して躱す。

 

『テツロウ選手、かろうじて難を逃れた!!!!

し、しかし』

「まだまだ行くぞ!!!!」

 

幾つもある魔法陣からは未だに雷が哲郎を襲う。直感と反射神経で躱しているが、1発でも貰ったら致命傷。

それは哲郎だけでなく場内の全員が暗黙に理解していた。

 

『まさに絶望の雨霰!!!!!

1発でも受けたら命の保証すらないこの猛攻!!!! それなのにノア選手の肉体には何の異変も見られない!!! こんな不公平が許されていいのか!!!!?』

 

 

無限ではない根源魔法の猛攻は、遂に終わりを告げる。

トドメの一撃を加えんとノアは最後の雷魔法を渾身の力で放った。

 

しかし、哲郎はそれを待っていたのだ。

 

ダッ!!!! 「!!!?」

『テツロウ選手 走り出して回避した!!!!

ノア選手に一直線に突っ込む!!!!!』

 

そして哲郎はノアの反射をも上回る程の全速力で彼の背後に回り込み、ノアの首に腕を回す。

 

『こ、これはまさか━━━━━━━━━』

 

そのまま全体重を後ろにかけ、首を締め上げながら仰向けに倒れた。

 

『は、裸絞!!!!! スリーパーホールドだァーーーーーーーーーーー!!!!!

 

ざまぁみろ ノア・シェヘラザード!!!

そう言いたくなるような華麗な逆転劇を魅せました!!!!

 

人はトドメを刺した時にこそ油断をする!!!!

そこに付け入った見事な逆転です!!!!』

 

哲郎は全力でノアの首を締め上げ、そして両足で彼の腹を固定した。

 

『か、完全に極まったぞ!!!!

ノア選手 仰向けで動かなくなってしまった!!!! これでは一回戦でゼース選手が見せたような上空からの魔法での返し技も使えない!!!!!

 

ノア選手、絶体絶命!!!!!』



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#24 Sleeper hold

『さぁテツロウ選手、全身全霊の力でノア選手の首を締め上げる!!!!

このまま決まってしまうのか!!!?』

 

スリーパーホールドとは、脳に血液が大量に送られると誤認させ、急速に血圧を落とさせて気絶に持っていく、肉体の本能を逆利用する技である。

 

哲郎がとったこの体制は初めから地面に背中が密着しているので、投げ飛ばされることも無い。完全に決着はついた

 

 

 

かに思えた。

 

「……見事だ。」

「!!!?」

「だがやはり、詰めが甘い!!」

 

ノアはそう言っておもむろに()を指さした。

 

『!!!!? あ、あれは何だァーー!!!?』

 

上空に、白色の魔法陣が展開されていた。

 

『こ、これはまさか』

「《白雷鎗(レラン・ハイヴェン)》!!!!!」

 

グサッ!!!!! 「!!!!!」

 

魔法陣から放たれた鋭い雷が、ノアを胸を通して哲郎の胸を貫通した。

 

『な、何とノア選手、自分の胸ごとテツロウ選手を攻撃したァ!!!!!』

 

突然の激痛に哲郎の拘束が緩み、ノアは難なく脱出した。

その口からは血が垂れている。

 

「ガハッ!!!」

『テ、テツロウ選手が吐血した!!!

あの傷口は、心臓を撃たれたのか!!!?』

 

足元がふらつく哲郎にノアはゆうゆうと口を開いた。

 

「安心しろ。急所は外してある。

そしてお前に敬意を表して、俺もこの傷を治さない。」

 

『ノア選手、大胆不敵!!!

ここに来て自らにハンデを課した!!!』

 

ノアは一気に地面を蹴り、哲郎に強襲した。

 

『ノア選手が来た!!!!

万事休すか テツロウ選手!!!?』

 

哲郎は首を狙って振られた手刀を屈んで躱し、次の蹴り上げも身を引いて躱す。

しかしノアはそのまま軽いローキックで哲郎の足をすくった。

 

『テ、テツロウ選手 転んだ!!!』

 

地面に蹲った哲郎にノアは手を構えて向けた。 2回戦で彼が見せた人体をバラバラにする【指パッチン】だ。

 

かろうじて回避するが、哲郎がいた地面が大きく割れた。

 

『ゆ、指パッチン!!!

ノア選手の殺人指パッチンが炸裂だ!!!!

1発でも貰ったら無事では済まないぞ!!!!』

 

ノアの追撃は止まらない。

 

『危なァーーい!!!!』

 

連続して指から放たれる衝撃波を地面を転げ回って躱している。

回りきって出来た一瞬の隙をつかれ、哲郎は袖を掴まれた。

 

『テツロウ選手、捕まった!!!』

 

ノアの拳が哲郎を襲うが、この時を待っていたのだ。

掴まれた肩を少し前に出し、急激に引き寄せる。

 

「はいやァッッ!!!!!」 「!!?」

 

ノアの身体はその力に引っ張られて肩を掴んだまま宙を舞った。

 

そして顎から地面に叩きつけられる。

 

『で、出ました!!!

テツロウ選手のマーシャルアーツ!!!!

ノア選手に 強烈なカウンターが決まった!!!!』

 

しかしノアは全くダメージを見せずに立ち上がる。

 

『た、立ち上がりました ノア選手!!!

何という耐久力!! 顎に衝撃を受けても何のダメージも見られないぞ!!!』

 

ノアは哲郎と向かい合って不敵に笑いを浮かべた。

 

「……いいぞ。こんなに早く味のある戦いができるとは。

まだ終わりじゃないだろ?もっと俺を楽しませろ!!!!」

「ッ!!!!」

 

ここに来てもノアの心には余裕しかない。

これが魔王の力を持つ男なのか

 

しかし弱気になりそうな己を鼓舞し、哲郎は再び構えをとる。

 

『テツロウ選手、仕掛けます!!!

ノア選手にどう太刀打ちする!!?』

 

哲郎の出した答えは1つだった。

自分と魔王(ノア)との実力差を埋める唯一の手段がこれだ。

 

『テツロウ選手、振りかぶっている!!!

この構えはまさか━━━━━━━━━━』

 

 

バチィン!!!!!

 

哲郎は全身の力を使って渾身の掌底をノアの腹に見舞った。

ノアの顔も一瞬 苦痛に歪む。

 

『ぎょ、魚人波掌だァーーーーーー!!!!!

体内の魔力に衝撃を流し込んだ!!!!

その手があったか!!! 根源魔法をも易々と使うその規格外の魔力量!!!!

その膨大な魔力に今、常軌を超えた衝撃が走っていることでありましょう!!!!!』

 

しかし、サラとは違ってノアは倒れない。

彼女とも明らかに格が違う。

 

『た、倒れない!!倒れません ノア選手!!!

彼の全身には今、絶叫物の衝撃が駆け巡っているはずなのに!!!!

 

その激痛をも耐え切るのか!!!?ノア・シェヘラザード!!!!!』

 

反撃される前に哲郎が追撃に転じた。

さらに腹に渾身の拳を見舞い、崩れさせた体勢を利用してノアの背後に回り込む。

 

『テツロウ選手の快進撃が止まらない!!!

果たしてここから何が飛び出す!!!?』

 

ノアの身体に腕を回し、がっちりとホールドする。そのまま渾身の力で仰け反った。

 

『こ、これは━━━━━━━━━』

 

ズドォン!!!!!

 

そのままノアは後頭部から地面に叩きつけられた。

 

『何とここに来て、ジャーマンスープレックスが決まったァーーーーー!!!!!

 

齢11 の少年の身体から、こうも豪快な技が飛び出すとは!!!!

脳に直接喰らいました ノア・シェヘラザード!!! これは決まってしまったのかァーーーー!!!?』

 



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#25 Miracle of flying

ハァハァ………

 

哲郎は息を切らしながらノアと距離をとった。

 

『テツロウ選手の体力ももう限界か!?

ノア選手はまだ立ち上がれないぞ!!!』

 

「……ふふっ」

「!!!」

「こうしてみたら初めての経験だな。

脳天に衝撃を食らったのは。

 

だが、こんなものか。」

 

ノアは軽々と立ち上がった。

血が垂れている頭を抑えているが、表情は何一つ変化はない。

 

「その体術……

ますます気に入ったぞ。お前の本気が見たくなった。」

「……………」

「本気を出させてもらおう。」

 

そう言ってノアは自分の足元に魔法陣を展開した。

 

『こ、これは一体何だ!?』

 

アナウンサーや観客席のざわつきをよそに、ノアは話を続ける。

 

異世界(ここ)に来て間もないお前には分からないだろうが、今から起きることは奇跡(・・)以外の何物でもない。」

 

ブオッ!!!

 

ノアの足元から突風が吹き出した。

そしてノアの身体が浮き上がった。

 

『!!!!?

 

こ、これは一体どうした事だ!!!?

ノア選手の身体が 宙に浮いているぞ!!!!』

 

哲郎、アナウンサー、そして観客席の視線が全て上空のノアに集中していた。

 

『あれは、あれはまさか━━━━━━━━』

 

「そうだ。【浮遊魔法】

これはラグナロクの歴史で実現不可能と言われてきた魔法の1つ。

 

前世の俺が作った、俺にしか使えない魔法だ。」

「………!!!!」

 

『さぁ、人間族が魔人族に挑むこの試合、新たな局面を迎えて参りました!!!

突如として空中に浮いたノア選手、果たしてここから何を見せる!!?』

 

 

「…さあ、」

 

ノアの手から巨大な魔法陣が展開した。

 

「第2ラウンドだ!!!!」

「!!!!」

 

魔法陣から、巨大な火の玉が幾つも発射された。

 

『出ました!!!

ノア選手、なんという魔法の猛攻だ!!!!』

 

しかし哲郎の精神は既に冷静な状態にあった。降りかかる火の玉を全て躱している。

冷静な哲郎だったが、ノアが次に何をしてくるかまでは予想していなかった。

 

ドスゥン!!! 「ブッ!!!?」

ノアが哲郎の頬を踏み蹴った。腕でガードはしたが、無視できないダメージが入る。

ノアはそのまま全体重を乗せた蹴りを連続で哲郎に見舞う。

 

(ダメだ…………!!!

反撃 出来ない………!!!!)

 

哲郎は上空からの攻撃にガードするので精一杯になっていた。

 

『これは苦しい テツロウ・タナカ!!

ノア選手の上空からの猛攻に防戦一方だ!!!

このままテツロウ選手、足蹴にされてしまうのか!!!?』

 

ノアが哲郎の顔を踏み台に高く飛び上がる。

 

「終わりだ!!!!」

『ノア選手の無慈悲な一撃!!!

決まるか!!!?』

 

その時に哲郎は攻撃の隙を見出した。

身体を低く屈め、そして横に移動してノアのストンピングを躱した。

そして間髪入れずに反撃に転ずる。

 

左手のひらをノアの腹に密着させ、右手で全力の掌底を見舞う。

 

場内に掌底の衝撃音が響いた。

 

『ふ、再び魚人波掌が決まった!!!!

し、しかもこの動きは振りかぶる時にできる隙を無くし、そして威力を引き上げる いわば改良型の魚人波掌!!!

 

魚人の中でもこの技を使えるのは達人の中でも選ばれた人間にしか使えないと言われる奥義中の奥義!!!

その大技が人間の少年の身体から放たれたのです!!!!!』

 

「……フッ。」 「!!!」

 

「見事!!!!」

 

ノアが唐突に哲郎を蹴り飛ばした。

ガードの上から外枠まで吹き飛ばされる。

外枠に追い詰められた哲郎にノアは無慈悲な強襲をかけた。

 

『魚人族の奥義までも耐えしのいだノア・シェヘラザード。ここに来て人間族の少年に凶悪な猛攻を仕掛けます!!!

テツロウ選手、為す術なしか!!!?』

 

ノアの拳や蹴りが体格の小さい哲郎に斜め上から襲いかかる。

しかし哲郎には体格差を利用する技術も持っていた。

 

ノアの攻撃が一瞬止む隙をついてしゃがみこみ、両腕に外枠をつけてバネにし、ノアの足の隙間を潜り、背後に回り込んだ。

 

振り返ったノアの腕と胸ぐらを掴み、全力で身体を折り曲げた。

 

「せいやァッッ!!!!!」

『テツロウ選手、マーシャルアーツで投げた!!!!』

 

ノアは回転しながら反対側の外枠まで一直線に飛んでいく。

しかし激突寸前で受け身を取った。

 

追撃を加えんと突っ込んでくる哲郎にノアは悠々と魔法陣を展開する。

 

「ッッ!!!!」 ドガァン!!!!

 

顔面スレスレで放たれた爆発魔法を間一髪躱した。

 

ガッ!!! 「!!!」

 

『つ、掴まった!!!

ノア選手、ここに来てテツロウ選手の腕を掴んで捉えた!!!!』

 

バチバチッ!!

 

ノアの手のひらに黒い雷が蓄積されていく。

 

「!!!!」

「青ざめたな。

そうだ。この攻撃はレオルなんぞの比では無い。

改良型の魚人波掌 人間族でそこまでにたどり着いた実力は認めよう。

 

だが、さらばだ!!!!」

 

ノアの魔法攻撃が哲郎の全身を襲う

 

 

 

その前に哲郎の技がノアに炸裂した。

 

「せぇい!!!!!」 ブオォン!!!!!

 

掴まれた腕を振り下ろし、その勢いでノアの腕を回す。捻って下半身を宙に舞わせた。

ノアは背中から叩きつけられ、その反動でうつ伏せに倒れ伏した。



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#26 Come my field , Go your field

『テツロウ選手 起死回生のマーシャルアーツが炸裂!!!

ノア選手 再び地面に叩きつけられた!!!』

 

地面に叩きつけられたノアは全く動かない。しかし哲郎はこれで終わったなどとは微塵も思っていない。

すぐに次の攻撃の準備に入る。

 

『こ、これは一体!!?』

 

哲郎はノアと間合いをとって正座をし、左手首を掴んで構えた。

 

『これはどうしたテツロウ選手!!

まるで観念したかのように 座してしまった!!!』

 

ノアは再びゆうゆうと立ち上がった。

そして座っている哲郎を見て口を緩めた。

 

「…ふん。そう来たか。

 

対人はもちろんのこと、

対異種族 対魔物 対武器 対魔法

その全てに対応出来る究極の武術

 

《オールマイティ・マーシャルアーツ》

 

俺の転生前の時代から存在は謳われていたが、不可能なおとぎ話として本気にする者は1人もいなかった。」

「……………」

 

「だが、お前の身体にはそれが宿っている。

果たして究極の武術がこの魔王(おれ)に通じるのか、確かめさせて貰おう。」

 

ノアはそう言って魔法陣を解き、悠然と歩を進める。

 

『ノ、ノア選手、魔法を使わずにテツロウ選手との間合いをつめる!!

まさかこの無防備の少年に接近戦を仕掛けるつもりなのか!!!?』

 

あの有象無象共は何も分かっていない。

ノアは漠然と心の中で呟いて、哲郎に攻撃を仕掛けた。

 

 

ここからは自分との戦いだ………!!

少しでも集中を切らしたら即座にやられる………!!!!

自分の間合い(フィールド)にいるこの時に勝ちを掴む!!!!

 

 

ブォッ!!!!

ノアの強烈な回し蹴りが哲郎を襲う。

『が、顔面に下段(ロー)!!!!!』

 

哲郎はノアの蹴り足を掴み、蹴りのエネルギーを上方向にずらした。

ノアの身体は足を軸に上半身を弧を描いて舞い、地面に叩きつけられる。

 

『な、何だ!!?』

 

続けざまに左フックを見舞うが、哲郎は拳が達する前に掴み、全力で引いた。

ノアの身体は左腕に引かれ、バランスを崩し地面に転ぶ。

 

しかし意に返さずノアは背後から哲郎の首筋を狙って手刀を仕掛けた。

哲郎は手刀が当たる直前で肩でノアの手首を掴み、上半身を前かがみに折り曲げる。ノアはその勢いに巻き込まれながら宙を舞い、再び地面に叩きつけられた。

 

『な、何が起こっているんだ!!?』

 

場内は哲郎の圧倒的に不利な構えから魅せる捌きに歓声をあげた。

 

『これは凄いぞテツロウ選手!!!

まるで暴風を凌ぐ柳の木のようだ!!!』

 

ノアは再びダメージを全く見せずに立ち上がる。そして座っている哲郎に不敵な笑みを浮かべた。

 

「まるで要塞 さしずめ武術の要塞だな。

 

だが俺は、

 

 

魔法を使わないなどとは一言も言ってないぞ!!!!!」

「!!!!!」

 

ハッとした哲郎の足元には赤色の魔法陣が展開されていた。爆発を避けるために哲郎は正座から立ち上がってその場から身を翻した。

 

「…やはりガキだ。」

「ブッ!!!!?」

 

ノアは哲郎の腹に蹴り(・・)を見舞った。

 

『これは驚きだ!!!

ノア選手が得意の魔法を囮に使い、接近攻撃を決めた!!!

武術という鉄壁の要塞が今、無残にも破られたのです!!!!』

 

哲郎は吹き飛ばされ、外枠に背中から叩きつけられた。

 

『何という皮肉か!

ノア選手を何度も投げ、地面に叩きつけてきたテツロウ選手の背中が今、外枠に深深と叩きつけられたのです!!!!』

 

「ガハッ」

 

哲郎は一瞬呼吸を乱された。

背中の衝撃がここまで呼吸を崩すとは思ってもいなかった。

 

地面をのたうち回る哲郎に対し、ノアはゆうゆうと歩を進める。

しかし哲郎の回復の方が一瞬早かった。

 

『た、立ち上がった!!!

テツロウ選手、再び魔人族に向かい合った!!!』

 

息を切らしているテツロウにノアは不敵に笑いを見せる。

 

「この俺の筋力をも拒絶する武術の要塞………

しかもそれをやってのけたのが人間族の小僧

 

ちゃんちゃらおかしいよな。」

「…………」

 

 

「…だが、もうお前には付き合えない。

もう十分 お前の間合いで戦っただろ?」

「!?」

 

ノアの足元に再び風が巻き起こった。

 

『き、強烈な風!!

これは━━━━━━━━━━━━』

 

ノアの身体は再び宙に舞った。

 

「今度は俺の間合いだ。

お前が俺の間合いで戦う番だ。

そうだろ?」

 

『ふ、再び浮遊魔法を使って見せた!!!

空中という圧倒的アドバンテージ!!!!

この不利状況を、どう迎え撃つ!?テツロウ・タナカ!!!!』

 

 

間合いに入れ………か………

確かに僕にはその義務がある。

 

自分のわがままに付き合ってくれたんだから。

 

浮遊魔法 それがどれだけ凄いのかは分からない。だけど、今の僕でも似たことならできる。

 

 

そう。あの時 動体視力()をあの速さに【適応】させたように

見えない状態(・・・・・・)に【適応】し、克服したように。

 

こうやって飛べない状態(・・・・・・)に【適応】して克服すれば

 

 

『わ、我々は一体何を見ているのか!!!!

夢を見ているのか!!! 幻覚を見せられているのか!!!!

 

テ、テツロウ選手の身体が…………

 

 

 

宙に浮いているのです!!!!!』

 

 

事実、人間族の少年と魔人族の青年とが、観客席最上段にいて尚 見上げねばならないほどの上空で相対していた。

 

「ほう。そう来たか。」

「言われた通り、あなたの間合いに入りましたよ。

決着をつけましょう!!!!!」



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#27 Marlin

『こ、こんな展開を誰が予想出来たでしょう!!!?

突如として、この魔界コロシアムで史上初の、空中戦が始まろうとしている!!!!!』

 

空中に浮かび上がった哲郎を見たノアは口を緩めた。

 

「面白い。そう来るか。」

「これで終わらせます!!!!」

 

そう言って哲郎は構えをとった。

今まで使っていない構えだ。

 

『こ、これは一体━━━━━━━━━━』

「ほう。【カジキの構え】か。」

 

 

カジキの構え

左腕を前方に伸ばし、相手に向け、右腕は折り曲げて発射に備える。

下半身は低く屈め、いつでも仕掛けられるようにする。

伸ばした左腕が吻を、折り曲げた右腕が活きのいい尾びれを(かたど)るこの姿にカジキを見出したため、【カジキの構え】という名が付けられた 魚人武術の高級技と揶揄される構えである。

 

「魚人武術の秘伝と来たか。

 

で?そこからどうするのだ?」

「どうするか ですって?

こうするんですよ!!!!!」

 

哲郎が全身の力をノアに向け、急接近した。

そして伸ばした左手をノアの腹に密着させ、そこに右手で全力の掌底を見舞う。

 

バチィン!!!!!

 

と再び轟音が響き、場内に衝撃が走った。

 

『ぎ、魚人波掌が決まったァ!!!!

2度目は耐えられるか!!? ノア・シェヘラザード!!!』

 

それでもノアの表情には変化が見られない。

それも哲郎の想定内だ。

 

哲郎は再びカジキの構えをとり、

 

 

バババババァン!!!!!

 

と、ノアの上半身に一瞬で5連撃の掌底を撃ち込んだ。

 

「………ッ!!!」

(効いたか!!?)

 

ノアもこの連撃にはたじろいだ。

 

『な、何と魚人波掌 5連撃!!!!

テツロウ選手、どこまでその真価を発揮する!!!?』

 

カジキの構えは、哲郎がラグナロクに来る前の女性との修行で身につけたものだ。

本来 魚人波掌は一撃必殺の技だが、これが効かない者に対して考案された、連撃の魚人波掌 【波時雨】 という技が存在する。

 

この【波時雨】による衝撃は、雨の中の水溜まりの水面が乱れるように、魚人波掌 5つ分(・・・)ではなく、様々な衝撃が一気に体内を駆け巡る。

 

魚人族の中でも過酷な修行を耐え抜いた者にしか使えない高等技術。そしてそれを可能にするのがカジキの構え

 

カジキの構えとは、魚人波掌を撃つためだけに編み出されたものなのだ。

 

 

「………ッ!!!!」

 

ノアの口から一筋の血が垂れた。

これを見逃さない哲郎では無い。

 

「これで終わりだ!!!!!」

 

再びカジキの構えをとった。

 

そして、ノアの腹にアッパーの要領で渾身の魚人波掌を放った。

再び鼓膜を劈く衝撃が響き、遂にノアの身体が吹き飛んだ。

 

 

『決まったァーーーーー!!!!!

 

遂に、遂にテツロウ選手のマーシャルアーツが、執念が、今、

 

化け物 ノア・シェヘラザードに届いたのです!!!!!』

 

ノアの身体は観客席をとうに越えて吹き飛んだ。

 

魔界コロシアムのルールは空中戦を想定していない。故に今のノアの状態を判断する術は無い。

もっとも、ノアの場外負けなどという結末に納得する者などいるはずもないが。

 

 

「…フフ。」

 

「………フフフフフフフフ」

 

 

「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!」

 

その声の主はすぐにわかった。

ノアはそう高笑いしながら武道場に戻ってきた。

哲郎はその様子を不気味な物を見るかのような目で見ていた。

 

「嬉しいぞ!!!

こんな緊張は 高鳴りは!!!!

 

礼を言うぞ!!! テツロウ・タナカ!!!!

 

これでこそ転生した苦労が報われると言うものだ!!!!!」

 

ノアは、その心にある純粋な闘争心や喜びを哲郎にぶつけた。

哲郎も冷静にそれを聞いていた。

 

『………わ、笑っている!!! 笑っています

ノア・シェヘラザード!!!!

 

あれだけの技を受けて尚、戦意が喪失していないと言うのでしょうか!!!?』

 

 

「………戦意喪失するだと?

笑わせるな。 こんなにも

こんなにも良い好敵手に巡り会えたというのに!!!!!」

「!!!!!」

 

遂に本性が見えたか。

これが魔王の裏の顔。強さと強敵を求め続けた一人間(・・・)の表情だった。

 

「……そして」 「!!?」

 

さっきまでの興奮に蓋をし、ノアは冷静に胸の前に手をかざした。そこに魔法陣ができている。

 

『今度はノア選手の反撃か!!?』

 

 

「………!!!!」

 

警戒せんと身構えた哲郎にノアが啖呵を切った。

 

「お前になら、

 

 

本気を出しても良さそうだ。」 「!!!!!」

 

 

厄災豪雨(ディザスゲイザー)》!!!!!

「!!!!!」

 

哲郎の悪い予感は的中した。ノアの魔法陣から放たれたのは、禍々しくて赤黒い、魔力で作られた槍だった。

 

それが何千、何万本も哲郎の上空に展開しており、その全てが哲郎に引導を渡さんかの如く 向けられていた。

 

ぜースの黒之雷霆(ブラック・バリスタ)も、レオルの皇之黒雷(ジオ・エルダ)も、サラの煉獄之豪砲(フラマ・グレイズ)も、全て 魔法の紛い物だとせせら嗤ってしまえるかのような威圧感を哲郎は確かにひしひしと感じていたのだ。



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#28 Revenge of the adapt

「……Check Mate(チェック・メイト)だ。」 「!!!!!」

 

ノアのその無慈悲な一言と共に、哲郎に対して無尽蔵の赤黒い槍が襲いかかった。

そのスピードも段違いである。ゼースの電光石火(スピリアル・ファスタ)より、レオルの白雷(ハイヴェン)よりはるかに速い。

哲郎は何をするべきかを考えるより先に決断した。

 

 

それは、この無慈悲な猛攻を全て受けきると覚悟する(・・・・・・・・・)ことだった。

そして槍が届く寸前で哲郎のガードが固まった。

 

ズドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!!!

 

一体、いつまでそんな音が鳴り響いていただろう。観客席もそしてアナウンサーまでも実況を忘れてその惨劇(・・)に言葉を失っていた。そして、誰もが哲郎の敗北、いや、下手をすれば命すら危ぶまれるという思考に陥っていた。

 

 

『あ、あ、あ…………』

 

思い出したようにアナウンサーが実況を再会しようとするが、目の前のことに呆気に取られてなかなか言葉にならない。

 

 

『圧倒的ィ!!!!! ノア・シェヘラザードォ!!!!!

 

これほどまでの高度な魔法が今まで存在したでしょうか!!!!?

ラグナロクの二大戦力、魔法とマーシャルアーツ!!! その雌雄を決するこの試合に、遂に終止符が打たれたのか!!!!?』

 

 

その実況の最中にも土煙は晴れていく。

これから何を目にしようとも、それが揺るぎない真実なのだ。

 

そして、その場にいた全員がその真実(・・・・)に驚愕した。

 

 

 

哲郎はその場に意識を保って立っていた。

 

両腕は焼け焦げ、顔はケロイドを患ったかのように大火傷を負い、全身から血を垂れ流していたが、それでも確かに意識を保ってその場に、ノアの対峙する空中に立っていたのだ。

 

 

「……驚いたな。」

 

これにはノアも意外と言わんばかりの声を漏らした。

 

 

『死んでいなかったァーーーーーーー テツロウ・タナカ!!!!!

満身創痍とはいえ、何とか踏みとどまっています!!!

し、しかし!! 彼はまだ戦えるのか!!!!?』

 

 

アナウンサー、そして観客席の不安は的中していた。

かろうじて耐えしのぎはしたが、哲郎はもう身も心も限界をとうに超えていた。

 

それでもこのラグナロクに来る前の過酷な修行を思い起こし、自分の原点を思い直す。

 

そして、哲郎は再び構え直した。

 

再び、今まで使っていない構えだった。

 

 

『これは一体何だ!!?

テツロウ選手、大きく振りかぶっていますが、これは魚人波掌とは明らかに違う構えです!!!!』

 

アナウンサー達の動揺を後目に哲郎はノアに対して口を開いた。

 

「…………ノア。

………ノア・シェヘラザード…………。

 

 

……これは…… 最後の技です。

この技を打った後、僕は倒れます。

………だから、その時あなたが立っていたなら、

 

 

 

 

 

あなたの勝ちだ!!!!!」

 

 

ビュゴオオオオオオオオ!!!!!

 

突如、哲郎の周辺から金色の旋風が巻き起こった。それはみるみるうちに肥大化し、コロシアムの場内をも飲み込んでいく。

 

『こ、これは一体何だァ!!!!?

ノア選手の猛攻をまともに受けたテツロウ選手、ここに来て最後の反撃に出るのか!!!?』

 

 

「……なるほどな。

こんな使い方があったとはな。」

 

 

哲郎が今 放とうとしている技は、

《リベンジ・ザ・アダプト》

 

これは、最後に技を放つまでに適応した全てのダメージを手のひらに集中させて、対象に一気に解き放つ、【適応】の能力を持つ者の唯一の必殺技である。

 

哲郎が実戦でこれを使うのは、この試合が初めてである。

 

哲郎の手のひらには今までの魔界コロシアムで受けたダメージが全て集まった。

遂に決着の時が来た。

 

哲郎はノーガードでノアに強襲をかけた。

狙いは彼の腹。そこに向けて今までの試合で受けたダメージを全て打ち放つ。

たとえ勝っても負けても、この一撃にここに来る前での修行、そして今までの試合の相手達の思いも全て乗せる。

それだけだった。

 

 

「全力か。 いいだろう!!! 来い!!!!!」

 

ノアも全身全霊を持って哲郎の最後の攻撃を受ける決意を固めた。

この攻撃を避けるなどという無粋な真似が出来よう筈が無かった。

 

 

ズッドォン!!!!!

 

 

ノアと哲郎を中心に、金色の大爆発、そして大旋風が巻き起こり、そして場内をそれらと轟音が蹂躙した。

 

『き、き、き、

決まったァーーーーー!!!!!

 

テツロウ選手の全身全霊の一撃が、ノア選手に直撃ぃーーーーー!!!!!

遂に決着の時か!!!? この大波乱の魔界コロシアム決勝戦、果たして勝者は 魔法の魔人族か それとも、マーシャルアーツの人間族か!!!!?』

 

遂に決着の時か来た。

旋風によって大量の土煙が場内を包み、試合結果を隠す。

それが晴れた時、結果が明るみに出る。

その時も刻一刻と迫っていた。



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#29 Champion and MVP

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━静まり帰っていた。

 

場内を包み込んだ轟音はとうに止み、そして場内もまたこの迫力に圧倒されていた。

 

 

しかし、それも終わりを告げる。

 

 

『アッ!!!

 

ご、ご覧下さい!!!

あれは━━━━━━━━━━━━━』

 

 

アナウンサーが指さした位置から、哲郎とノアのいた煙の場所から、何かが降ってきた。

 

それは地面に、まるでたんぽぽの綿毛が落ちたかのような静かさで地面に落ちた。

 

それは煙に包まれていたが、それもすぐに晴れた。

そして、場内に衝撃が走ることになる。

 

 

『テ、テツロウ選手!!!!

落ちたのはテツロウ選手です!!!!!』

 

哲郎は完全に力尽きて地面に落ちたのだ。

《リベンジ・ザ・アダプト》を打った右腕は赤黒く焼け焦げ、服も右上が完全に吹き飛んでいた。

 

『と、ということは━━━━━━━━━』

 

場内が次に注目したのは空中、哲郎とノアが激突した場所だった。

答えは明確に、そしてすぐに出された。

 

『ノ、ノア・シェヘラザードが立っているーーーーーー!!!!!

空中で堂々 仁王立ちだァ!!!!!』

 

仁王立ち

 

確かに事実はそうだが、ノアのダメージも深刻だった。

腹から右半身が赤黒く焼け焦げ、右目も潰れているかどうかという状態だった。

 

 

「ガハッ」

 

遂にノアも血を吐いた。そしてたまらず地面に降り立ち、息を切らしながら膝を着いた。

 

 

「しょ、勝負ありィーーーーー!!!!!

 

勝負あり!!!! 勝負ありィーーーーー!!!!!」

 

レフリーの宣言に誘発されたかのように観客席はこれまでにないほど大熱狂した。

 

そして、膝を着くノアにレフリーの1人が駆け寄った。その手にはトロフィーが握られている。

 

「おめでとうございます!!!!

ノア選手!!!!」

 

ノアはよろけながらも立ち上がり、その手でトロフィーを受け取った。そして次に向かったのは哲郎の所だ。

 

「ノ………………ノア…………さん」

 

哲郎はかろうじて起き上がった。既に自分が敗れたことは理解しており、悔恨の念は微塵も無かった。

 

「……互いに胸を張ろう。」 「!?」

 

ノアは哲郎の腕を支え、立ち上がらせた。

 

「……このラグナロクでたった2人の転生者。

俺はチャンピオン、そして━━━━━━」

 

 

ノアは哲郎の腕を掴んだまま両手を上げた。

哲郎の腕も同時に上がる。

 

それが意味していたのは、

 

 

「お前がMVPだ!!!!!」

 

2人の武士(もののふ)が同時に手を上げた。それを包み込んで惜しみない拍手が場内を埋め尽くす。

 

 

『き、き、き、決まったァーーーーーー!!!!!

魔人族 ノア・シェヘラザードが魔界コロシアム チャンピオン、そして、人間族 テツロウ・タナカがMVPに輝いたァーーーーーーー!!!!!

 

 

参加選手 32名!! 試合数 31!!!

 

ラグナロク全土から集められた選手の全員がボロボロになり、そして誇り高く散っていった今大会!!! その頂点が今、決定しました!!!!

 

二度と、二度とこんな大会は見られないでしょう!!!!

 

突如としてこの大会に名乗りを上げ、そして数々の名勝負を繰り広げてくれた2人、そして選手の全員の名は、必ずこのラグナロクの歴史に深く刻まれる事でしょう!!!!!

 

感動をありがとう!!! 熱狂をありがとう!!!

そう言って送り出したくなるような、素晴らしい終幕でした!!!!!

 

ただ今をもって、この魔界コロシアム、閉幕の運びとしたいと思います!!!!

選手の皆様、本当にありがとうございましたァ!!!!!』

 

 

アナウンサーのスピーチがさらに観客を、そしてこのラグナロク全土をも震わせた。

 

 

そして、その大歓声を背に2人の英雄は去っていった。

 

 

***

 

 

 

魔界コロシアムは完全に終わりを告げた。

大会を見終わった観客達の足取りはただひたすらに軽く、そして弾んでいた。

 

 

しかし、そのコロシアムの会場に未だに残っている者がいた。

 

 

「フゥー

 

あそこまで来たなら勝ちたかったなぁー」

 

哲郎は未だに会場の医務室のベッドで横になっていた。まだ傷が完全には癒えていない。

 

「何だ。まだ帰ってなかったのか。」

「まだ歩けないんでね。」

 

医務室にノアが入って来た。

 

「ところでお前は昨日までどこで寝泊まりしてたんだ?」

「その辺の宿を転々としてました。

ここに来てまだ数日も経っていなかったのでね。」

 

「……そうか。 それからこれを」

 

そう言ってノアは哲郎の前に袋を置いた。

 

「なんですかこれは?」

「賞金の1割だ。俺からの礼として受け取れ。」

 

「…………」

 

哲郎は躊躇したが、それでも受け取ることにした。

 

「ところで、明日は何か予定はあるのか?」

「ありませんけど、それが何か?」

 

「うちの両親が優勝を祝ってパーティーを開くと言うんだ。

お前も来てみないか?」



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#30 【Epilogue】 Shall we party?

「……もうすぐだな。」

 

哲郎はノアの家に向かっていた。夜は魔界コロシアムの一室に止めてもらい、試合での負傷を治していた。

 

そして今、ノアの両親がノアの優勝を祝ってパーティーを開くと言い、哲郎もそれに呼ばれたのだ。

 

ノアの家、正確には転生した際の両親の家 は、魔界コロシアムの会場から歩いて行ける距離にあった。

 

「……ここか。」

 

哲郎が着いたのは、木製の一軒家の平屋だった。1階建てだが、見た目では部屋数は二階建てと同じくらいだろう。

 

ラグナロクの家にはインターホンという文化がないので、哲郎はドアをノックした。

 

「あぁ! いらっしゃい!」

 

ドアを開けて出てきたのは、1人の女性だった。見た目は自分の母親より一回り若いくらいだろう。

 

「あの僕、ここに呼ばれてきた 哲郎という者です。」

「聞いてるわ。さぁ。入って」

 

 

***

 

哲郎はリビングに案内された。

そこのテーブルには、自分の誕生日で見た料理より一回り豪華な料理が並んでいた。

 

強いて不振な点をあげるなら、中央の料理がキノコのソテーだったということだ。

聞くところによると、それがノアの好物なのだと言う。

 

哲郎は遠慮なくいただくことにした。

ノアの優勝だけでなく、自分の準優勝までも祝ってくれているようだった。

 

 

しかし、哲郎にとって本当に重要だったのは、その後の話だった。

 

 

***

 

 

 

 

「いいんですか本当に。

ご馳走させてもらっただけじゃなく、泊めてくれて。」

「構わんさ。

俺たちはこのラグナロクでたった2人の転生者なんだ。

これくらいのことはやらせてくれ。」

 

 

哲郎はノアの部屋に来ていた。

そこでベッドの傍に寝て泊まるようにと勧められた。

 

ラグナロクには布団は無いので、クッションを並べてそこで寝ることになった。

 

「ちなみにですが、あの両親(?)に自分が転生者だということは伝えてるんですか?」

「いや。伝えていない。

成長してはいるがな。」

 

「成長?」

「そうだ。産まれてから数年経って、自分が転生者だということに気付いたんだ。

そしたらいつの間にかこの姿になっていたんだ。」

 

「……それでバレたりしないんですか?」

「いや。急成長というのはラグナロク全体で見たらさほど珍しいことではない。

だから俺も珍しい子供 ということで処理されたよ。」

「…そうですか………。」

 

ノアはとてもフレンドリーに話してくれた。

油断すると目の前のこの男が昨日 死闘を繰り広げた魔王であることを忘れそうだ。

 

「ところで、お前はこれから何をやるか決まってないのか?」

「さぁ。ギルドを作ろうと思ってましたが、それはもう少し先にするべきだと思いましてね。」

「……そうか。なら、俺たちの学校に来るか?」

「学校?」

 

「そうだ。あらゆる種族が一同に会して通う学校。俺はそこに通いながら今のラグナロクを調べてきた。

 

ちなみにだが、お前が戦ったサラ と、その妹のミナも学部は違うがそこの生徒だ。」

 

「……それはありがたいですけど、もう既に修行は済ませてますし、僕には通う理由が━━━━━━━━」

「そう言うだろうと思った。

確かに今から通ったところで得られるものは少ないかもしれない。

 

━━━━━━━━━━━━━━━だが、」

 

「?」

 

ノアは懐から1枚の紙を取り出した。

 

「『ギルド』の『依頼』があるならどうだ?」

「依頼?」

 

哲郎が受け取った紙に書かれていたのは、いじめで悩んでいる という旨の以来だった。




第一章 魔界コロシアム 完結


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学園潜入 編
#31 The transfer student


「初めまして!!

3ヶ月の間 ここに通うことになったマキム・ナーダです!!

よろしくお願いします!!!」

 

それは、田中哲郎が学園で言った言葉である。

 

 

 

 

***

 

 

昨夜

哲郎はノアの家に泊まり、そしてとある提案をされた。

 

「……いじめの依頼?

これがギルドに来てたんですか?」

「そうだ。」

「……こんなもの、わざわざギルドに依頼しなくても、教師に相談すればどうにでもなるんじゃないんですか?」

 

依頼の書かれた紙を突っぱねようとした哲郎にノアは話を続ける。

 

「……そうなら苦労はないんだがな。」

「…すると、その加害者に問題があるんですか?

例えば、親が大物で 悪行がもみ消されてる とか。」

「俺も詳しくは知らないが そんなところだろう。

ちなみにそれが受注されてないのは、おそらく割が合わないからだろうな。

だから、ギルドを始めようとしているお前にはいい 依頼だと思ったんだがな。」

 

ノアの話を聞いて哲郎は考えを変える。

 

「……依頼自体はやるべきだと思うんですが、どうやってその学園に入ったら良いんですか?

ラグナロク(ここ)には僕の身内はいないし、それに僕はこの前のコロシアム 準優勝で顔が割れているし。」

 

まさか魔界コロシアム 準優勝という喜ぶべき称号がこんな形で枷になるとは思ってもいなかった。

 

「そういうことなら、俺が協力してやろう。」

 

 

「……ていうかそもそも ノアさんが動けば万事解決なんじゃないんですか?」

「悪いが俺は正義のヒーローとは違うからな。その依頼もギルドのいずれ連中が受けてくれるとふんで手をつけていなかったんだ。」

 

 

***

 

 

「……ここがその学園か…………。」

 

パリム学園 人間 亜人科

それがこの学園の名前だった。

 

亜人族とは、ラグナロクに存在する種族の一種だ。

 

ついさっき知ったことだが、このパリム学園は学科によって校舎も建っている場所も違い、哲郎がこれから潜入するこの人間 亜人科もノアやサラ達が通っている学科とは違う。

 

「この変装でバレないかな………」

 

ノアがしてくれた協力というのは、変装と推薦だ。

 

「このボタンを襟につけていれば大丈夫って言ってたけど………」

 

ノアはボタンに偽装魔法をかけ、身につけている間は容姿が別人になり、他の人には自分が魔界コロシアム 準優勝者であることはバレないだろう ということだった。

 

それから彼は哲郎の短期入学の推薦状を書いてくれた。

 

これで哲郎は気兼ねなく学園のいじめ問題の解決に尽力出来る筈だ。

 

「そうそう。 これも付けてろって言われたんだった。」

 

そう言って哲郎が胸に付けたのはノアのものとは違うカフスボタンだった。

依頼の受注者である目印として依頼書に同封されていたものだ。

 

 

 

***

 

 

 

「と言うわけで彼がこの3ヶ月の間 諸君と共に学ぶことになったマキム君だ。

みんな 仲良くするようにな。」

 

ここの担任教師、見た目からして4、50代の男がそう言った。

 

その日は短縮だったらしく、授業は直ぐに終わった。

 

 

***

 

 

「ここで待ってればいいのか………」

 

依頼書には学園内の講堂の裏で待てという指示だった。

ここにいれば依頼主が来てくれる手筈になっていた。

 

そして、それは直ぐにやって来た。

「「お待たせしました!!」」

 

哲郎は最初に違和感を感じた。

そして、それは直ぐに驚きに変わることになる。

 

やって来たのは2人だったのだ。

金髪 ポニーテールの少女とボブカットの少年だった。

 

少女と少年と言っても哲郎よりは年上だという印象だった。

 

 

***

 

 

「……では、あなた達は依頼を別々にしたということでよろしいですね?」

「はい、そうです。」

「お互い 依頼してることはさっきまで知りませんでした。」

 

哲郎は依頼主の2人と向かい合って 食堂の隅の机に座っていた。

 

少女は名前をアリス・インセンス と言い、少年は名前をファン・レイン と言った。

2人とも今年 入学したばかりなのだと言う。

 

 

「僕がいじめ問題の依頼を請け負ったテツロウ・タナカ といいます。」

「テ、テツロウ!!?」

「それって、この前の魔界コロシアムで準優勝した人間族の………!!!?」

 

案の定の反応だった。

まさかあの大会で成績を残すことがここまで目立つことだとは思ってもいなかった。

 

「……早速 本題に入りますが、いじめはあなた達が受けているんですか?」

「いいえ。今はまだ受けてませんが、いつ火の粉がかかるか分からないし、それに放っておけなくて ギルドに依頼したんです。」

 

「そうですか。では、そのいじめ問題の概要を教えてください。」

「それなんですけど、主犯は女性なんです。」

「女性? と言いますと、いじめは集団での無視 とかそういう類のものですか?」

 

哲郎の問いかけに2人は首を横に振った。

 

「その逆で、いじめの内容は単独で暴力を振るうものなんです。」



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#32 The princess of ogre

「暴力? それはまた野蛮ですね。」

哲郎は少し驚いた様子で言葉を返した。

 

「ええ。これがその生徒の写真です。」

 

ファンは懐から写真を出し、哲郎に手渡した。

その写真にはゴツゴツとした女性の顔が写っていた。恋愛感情の類を持ち合わせない哲郎の目にも別にブサイクには映らなかったが、人相はかなり悪いと感じた。

 

目はかなりつっているし、鼻もまたゴツゴツとしている。そして口には猛獣と錯覚するほど鋭い牙が生えていた。

 

顔つきからも全身が筋肉に覆われているのが分かる。

 

「名前はグス・オーガン。

僕らより3歳上の生徒です。」

「種族は何ですか?」

「「はい?」」

 

「種族は何ですかと聞いてるんです。

亜人族も細分化するとかなり細かく別れると聞きました。

肌は黄緑だし、髪もかなり明るい茶色だ。

おそらくは………」

「そうです。彼女は【オーク族】です。」

 

哲郎の質問にアリスが返した。

 

「それで、この女がいじめをやっているという確かな証拠はあるんですか?」

「証拠はちゃんとあるんです。ただ………」

「ただ 何ですか?」

 

ファンが重々しく口を開いた。

 

「彼女のバックに何やら大きな陰謀(・・)があるとかないとか言われていて………。」

「陰謀? どういうことですか?

詳しく聞かせてください。」

 

 

***

 

 

ファンの話はこうだった。

 

彼女、グスという女はとある学園内の組織の下っ端を務めており、彼女を敵に回すことはその組織を敵に回すも同然である。

だから何者も彼女のいじめに言及できない ということらしい。

 

あくまでも噂の域を出ていなかったが、現実味 という観点で言えばかなり有り得る話だと哲郎は感じた。

 

また、彼女の親もかなりの権力者だが、その素行の悪さでいつ勘当されてもおかしくない状態なのなという。

 

「…そうですか。では、先にその噂の真意を確かめなければいけませんね。

間違いならそれでこちらが出やすくなるし、本当なら、その組織がどれほどのものなのかも知らなければならない。」

 

哲郎は立ち上がり、ファンとアリスに質問を投げかける。

 

「彼女、そのグスという女はどこに?」

「えっ!!? まさか1人で行くんですか!!?」

「もちろんです。この依頼は僕一人で受けたんですから。」

 

それだけを言って哲郎は再び2人に答えるよう催促した。

 

 

***

 

 

哲郎が今いる所はパリム学園の高学年校舎。

その教室の一角にその女はいた。

 

彼女、グスという女は教室のど真ん中で机に行儀悪く膝を組んで座り、友達と思われる女性数人とくちゃべっていた。

 

哲郎が思った通り彼女の五体はかなり筋肉に覆われており、あの馬鹿力に任せて暴力を振るっていたと言われても十二分に納得出来た。

 

服装は制服のシャツの袖をまくっており、そこから丸太のような太い黄緑の腕が見えた。

哲郎はそこから昔 田舎で見たギャル という女性達を連想した。

 

「んじゃ、アタシこれから用事あるから。」

 

そう言ってグスは唐突に立ち上がり、教室を出ようとした。

哲郎は咄嗟に消火栓の裏に隠れてその場を凌ぐ。撒いたことを確認すると、直ぐに行動を尾行に移す。

 

 

グスはしばらく廊下をぶらぶらと歩いていた。ただ普通に尾行していたのではいずれ気づかれるのがオチである。だから哲郎は工夫をして彼女を尾行した。

 

(……どうしたんだ?もう廊下の突き当たりに入るぞ。)

 

そう思いながら懐から学園の見取り図を取り出した。

 

逆さまの状態で(・・・・・・・)

 

そう。哲郎は魔界コロシアムの決勝戦で【飛べない状態】に『適応』して空中に浮くことを覚えた。

 

それを応用して天井スレスレを飛び、擬似的に【天井に張り付いて尾行する】状態を作り出すことに成功した。

 

そして、その尾行も終わりを告げることになる。

 

「グス・オーガン! 失礼します!」

「!?」

 

グスがそう言うと、突如何も無い廊下の床から巨大な扉が出現した。

 

哲郎は まずい! と咄嗟にその閉じかけた扉に飛び込んだ。

間一髪中に入ることに成功したが、そこには既にグスの姿はなかった。

 

とはいえ扉の向こうは下りの階段が1つあるだけなので、哲郎のやることはすぐに決まった。

 

哲郎が階段を降りた先で天井裏に通じていそうな穴を見つけ、これはいいとそこに入った。

 

やっぱり空を飛べるようになっておいて良かった と思いながら、耳を澄ませて状況を確認する。

 

自分がこの空間に入ってきた痕跡は残っていないはずだ。たった今入ってきた穴も踏み台は使っていない。

 

(どうやらこれは、噂は本当らしいな……)

 

哲郎は漠然とそう感じた。でなければ学園内にこんな空間がある説明がつかない。

 

なら、重要なのは彼女のバックにいる組織がどれほどのものなのかということだ。

 

哲郎は天井裏を進み、何か手がかりは無いかと辺りを模索した。

 

そして、彼はその確信を掴むことになる。



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#33 A tiger that borrows the power of a tiger

哲郎は天井裏にいる。

いじめの容疑者、グス・オーガンのバックにどういう組織がいるのかを確かめる為に彼女を尾行していた。

 

そして、彼女が何やら学園内の異空間に移動したので、哲郎も咄嗟にその空間に入った。

 

この時点で彼女のバックに何かがあるのは間違いないが、そうなると重要なのはその組織がどれほどのものなのか ということだ。

 

 

「!?」

辺りを探っていた哲郎はその時、奇妙な声を聞いた。

 

天井裏を器用に這って進むと、開けた所に出た。 ちょうどいい所に外せそうな天井板を見つけたので、それをずらして覗き見る。

 

 

「………!!?」

 

哲郎がそこで見たのは、大広間だった。

内装は低い階段で仕切られた講堂と石造りの座席、そしてそこに複数人の人がいた。

 

「今日も特に問題はありませんでした。」

 

そう言ったのはあのグスだ。

教室とは違って比較的 行儀のいい座り方でそう報告した。

 

「……そうかい。

ところでよ、ラドラさん。

やっぱりここにも警備をつけとくべきじゃないですか?

万が一 侵入者でもいたら………」

「その必要は無い。 ここの扉は人知れない場所にあるし、それに扉自体が厳重な魔法にかけられているからな。」

 

黒髪に小さなサングラスをかけた男の提案を奇妙な仮面を着けたフードの男が切って捨てた。

 

「……そうそう。 グズ。」

「はい。 何でしょう?」

 

そう言って銀色の髪を肩くらいの長さにした男が振り返った。 その腕には何やら奇妙な人形が抱き抱えられている。

 

「お前が私達のメンバーであることは 誰にも知られていないだろうな?」

 

その男はそう 凄んで言った。

その威圧感にグスも哲郎もたじろぐ。

 

「いやいや。 決してそんなことは」

「それならいい。 いじめの噂から足がつくといけないからな。」

 

 

「……………」

 

哲郎も天井裏から見ていた。

あの部屋にいる人数はグスを除いて7人。

 

(……とりやえず 写真を撮っておくか。)

 

哲郎は懐から1つの結晶を取り出した。

ラグナロクではカメラが無い代わりに結晶にデータを記録して紙に転写する技術が存在する。

哲郎は結晶に男たちの顔を記録した。

 

(………で、どうやって戻ろうか。)

 

咄嗟のことで気にかけなかったが、出る時の事を考えていなかった。

 

「ではアタシ、これで失礼します。」

(しめた! これはいい!)

 

そうだ。彼女が出るのと一緒に出て、すぐに天井に張り付けばそれで済む。

早速 哲郎は行動を起こした。

 

 

結論から言うと、作戦は完壁に上手くいった。

 

グスが廊下から離れるのを見計らって哲郎も床に降りた。 今日の尾行はこれで十分。

あとは学園寮の自室でこの情報を整理するだけだ。

 

 

***

 

 

「………こんなものか………。」

 

哲郎は寮内の自室で今日の尾行で得た情報を整理していた。

 

 

・グスがいじめをしているという噂 (確定)

・グズのバックに組織の存在がある (確定)

・組織内で何らかの陰謀がある (要確認)

・組織の人数は7人以上 (確定)

 

「………そして、この男か。」

 

哲郎はさっき現像した銀髪の男の写真を手に取った。

この男が何者かによってグスのバックの組織がどれほどの大きさなのかが分かるはずだ。

 

「………おい、何やってんだ?」 「!!!?」

 

哲郎は咄嗟に振り返った。

 

「ええっと、あなたは確か………」

「ここのバディのマッドだよ。

ま、何はともあれ これからよろしくな、マキム!」

「あ、はい。 よろしくお願いします。」

 

彼の言葉で哲郎は今 自分がマキム・ナーダという別人であると再確認する。

捜査に意識を集中力させすぎて自分が田中哲郎であるとバレれば元も子もない。

 

哲郎に声をかけてきたこの男の名前は マッド・ベネット。

赤い髪と それから今は外しているが黒いバンダナが特徴的だった。

 

「なぁ もうすぐ消灯だぞ。 もう寝ようぜ。」

「あぁ。わかりました。 すみません。」

 

このマッドという男は何かと馴れ馴れしく自分に接してくる。

こういう状況にも対応出来るコミュニケーションが取れることを哲郎は改めて感謝した。

 

「ところで、明日 何か予定はあるか?」

「どうして?」

「ほら、俺たち こうして同室になった訳だろ? だから この学園のこと、もっとしっかり案内しようと思ってよ。」

「ありがとうございます。

それはまたの機会に。」

 

マッドは少し暑苦しくはあるが、真っ直ぐに会って間もない自分のことを気にかけてくれている。

こうした友情こそ 哲郎が最も大切にしていることの1つだ。

 

 

***

 

 

翌日 授業を適度にこなした哲郎は再び食堂でアリス、そしてファンと密会した。

 

「早速昨日 あの女を尾行したんですが、気になることがありまして。」

「「……気になること?」」

 

哲郎は懐から写真を取り出し、2人に見せた。 例の銀髪の男だ。

 

「この男に見覚えはありませんか?」

 

「「えっ!!? こ、この人は…………」」

「何か知ってるんですね?」



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#34 Achievements and evidence

「…まず、この男の名前を教えてください。」

 

哲郎は食堂で2人に質問をした。

 

「はい。名前はラドラ・マリオネス。

この学園でもトップクラスの実力者です。」

「実力者?」

 

実力者とはどういう意味だろうか。

学業か、それとも単純な強さの意味か。

 

「でも、この人が今回の件とどう関係が………」

「わかりました。 順を追って説明しましょう。 僕が昨日見た事を全て。」

 

 

 

哲郎は全てを説明した。

グスがいじめをしており、なおかつ彼女のバックに組織の存在があるという確信を掴んだこと。

人知れない場所にある廊下に秘密の扉が存在していたこと。

そこにあった大広間に複数人の人がいて、そのリーダーらしき男がそのラドラという男だということ。

 

 

「……な、なんて事だ。

まさかラドラさんの手先になってたなんて………!!!」

「こ、これじゃあもう問題解決なんてとても……!!!」

「落ち着いてください。

ひとまず、そのラドラという男が何者なのか、説明願えますか?」

 

動揺を隠せないファンとアリスに哲郎は冷静に説明を要求した。

 

 

結論から言うと、2人も彼のことはあまり知らなかった。それでも2人がくれた情報を整理するとこうだ。

 

 

彼、ラドラ・マリオネスとは、このパリム学園において、一、二位を争う成績と実力を持つ生徒で、彼を取り巻いて大規模な組織が作られているのだという。

その構成員が、哲郎が昨日 あの部屋で見た黒髪黒眼鏡の男や、仮面を着けた男なのだと言う。

 

 

「……なるほど。

………ところで、ファンさん……でしたね。」

「はい。 何でしょうか?」

「確か昨日話してくれましたよね?

このグスという女がいじめをやっている証拠は持っていると。

とりあえず それを見せてくれませんか?」

「ああ。わかりました。」

 

ファンはそう言って懐から1つの結晶を出した。

 

「? これは一体………」

「それは映像結晶です。

そこに入っている映像を見てください。」

 

哲郎が結晶を持って指示通りに操作すると、何も無い空中に映像が流れた。

しかし、その内容はファンが体育館裏で学園紹介のVTRのリハーサルをやっているというものだった。

 

「あの、すみません。

これのどこに証拠が………」

「3分20秒 位の所の左端を見てください。」

「3分20秒?」

 

哲郎が言われた通りにやり、画面の左端に注目すると、そこにうっすらとグスの姿が映っていた。

 

「この時間に体育館裏で………

まさかこれって!!」

「察しの通りです。

彼女はその時、1人の女子生徒を暴行していたんです。」

「な、何と…………!!!!」

 

哲郎は返す言葉を失った。しかし、すぐに話の筋を戻す。

 

「し、しかし、こんなうっすらとしたものを証拠と言うには………」

「証拠は他にもあります。」

 

そう言って今度はアリスが1枚の写真を手渡してきた。

 

「その写真は、その映像が取られた時と同時刻に1つの部活が屋上から校庭を撮ったものです。その端に彼女といじめの被害者が映っていたんです。

それはその場面を拡大して解析したものです。」

 

哲郎が見ると、そこには確かに、表情が分からないとはいえ緑色の肌をした巨漢と女の姿が映っていた。

 

「それから、暴行を受けた生徒も、相手は言ってくれませんでしたが時間帯は証言してくれました。

ちょうど その映像と写真が撮られた時です。」

 

「………なるほど…………。」

 

哲郎は言葉を濁した。

確かに証拠は揃っているが、これを活用する術が見当たらない。

仮に今すぐに教師に突きつけたところで、あのラドラという男にもみ消されるのは火を見るより明らかだ。

 

「今日はこれで失礼します。

もう少し 彼女のことを探ってから作戦を考えようと思いますので、引き続きご協力をお願いします。」

「「わかりました。」」

 

 

***

 

 

(……このままじゃ 埒が明かないな…………。)

 

哲郎は寮の自室のベッドの中で思考を巡らせていた。ちなみにルームメイトのマッドは既に眠りについている。

 

(……何か対策を練らないと、ただひたすらに時間が過ぎていくだけだ………

それに、早くしないとあの女がいつ何をするか分かったもんじゃないし………)

 

結果を急ぐのは良くないと分かっていても焦ってしまう。

 

(……こうなったら、ノアさんにも協力を仰ぐしかないか………)

 

この依頼を勧めてくれたノアだが、哲郎は当初 彼の力は借りないと決めていた。

彼は哲郎がこのラグナロクで初めてぶち当たった壁なのだから。

 

(まぁ、彼への協力は視野に入れるくらいにしておくか………

 

いかんせん 情報が足りないな…………

よし 明日、またあの大広間に潜入してみるか…………)

 

哲郎はそう 明日の予定を決め、今日はもう英気を養おうと眠る準備を進めた。

 

慣れない学園生活の故か、睡魔は存外に早く哲郎の意識を奪っていった。



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#35 BAD agents

(………まだ来ないのか………)

 

翌日

時は放課後

 

哲郎は件の場所の真上の天井 スレスレを浮かび、擬似的に天井に張り付いてグスが来るのを待っている。

かれこれもう1時間が経とうとしている。

 

張り込みにしてはまだまだ短い方なのかもしれないが、何もしない分にはかなり長いと哲郎はぼんやりと感じた。

 

そして退屈の中で自分には刑事は向いていないな と心の中でぼやくのだった。

 

 

カンカンカン………… 「!!!」

 

哲郎の意識はすぐに集中した。

足音がしたのだ。 そして、こんなところに来る必要がある人間は一人しかいない。

 

 

(………来た!!!)

 

グスか来た。

哲郎は息を殺して天井に潜む。

 

人が天井にはあまり注目しないとはいえ、何回も同じ手を使っていれば、いつ気づかれてもおかしくない。

 

「グス・オーガン! 失礼します!」

(よしっ!)

 

この前と同様、床に巨大な扉が現れた。

哲郎は隙を着いて扉の奥に入り込む。

 

 

***

 

 

(よし。まだ変わっていないな。)

 

哲郎には1つ 懸念があった。

それは大広間の警備が厳重になっていないかということだ。

昨日、警備を厳重にしないかという話題があったので、万が一 感じでもつけられたなら一巻の終わりだからだ。

 

(ようし。

この前と同じように………)

 

哲郎は天井の手頃な穴から天井裏に侵入し、例の大広間を覗き見るために移動した。

 

 

「ケッ 相変わらずシケてやがるぜ

この大広間はよォ!!!」 (!?)

 

グスとも、この前の人達とも違うドスの効いた声がした。

哲郎が覗くと、そこには銀色を切り込んだ髪型の男がふんぞり返って座っていた。

 

ちなみにそこにグスはいても、あの ラドラ達はいなかった。

代わりにいたのはグスを含めた3人、どれも知らない顔だった。

 

「なぁグス、お前はそう思わねぇのかよ。」

「んな事 どうだっていいじゃないか。

こういう隠れ家を使わせてもらえるだけありがたいと思いなよ。」

「チィ。 澄ましたこと言いやがってよォ。」

 

 

大広間にいたのは3人、1人は件のグス、そして銀髪の他に物静かな顔で紅茶を飲んでいる男がいた。

髪色は緑が混ざった茶色という印象で、長さは肩にかかるほど。 男がするには長めの髪型だった。

 

 

・グスはこの前のラドラ達には丁寧な態度をとっていた。

・ところが今日の2人にはまるで同級生のような接し方

 

そこから辿り着く結論は簡単だった。

 

 

(あの2人もラドラの下っ端なのか………)

 

確証はないが、十中八九 そうだろう。

 

 

 

***

 

 

以下のことは、哲郎があの後数時間見張って得られた情報である。

 

・今日、あの大広間に来たのはあの3人だけだった。

・あの3人が話していたことは、他愛もない世間話で、手がかりになりそうな事は特に無かった。

・結局 あの紅茶を飲んでいた男は頷きはしたものの声を発することは無かった。

 

つまり、哲郎が今回の捜索で得た情報は、【ラドラの組織にはグスの他に、少なくとも3人以上 配下が居る】 という少し考えれば想定できそうなつまらないものだけだった。

 

しかし、写真を撮ることは出来た。後でこの写真の男達が何者なのか、あの二人に確認せねばならない。

 

こんなことを続けていたらいじめを解決するなんて一体 どれだけ先になるだろう と少しだけ面倒くさくなってきた哲郎だったが、そこに予想外の人物が現れた。

 

 

 

「………おい。」 「!!!?」

 

哲郎が突如声の方に振り返ると、そこには長身の男が立っていた。

 

髪型は前髪を分けた短髪 どこでも見かける髪型だった。

色は右側が黒で左側が黄色 という、哲郎のいた世界ならともかくラグナロクではあまり珍しくないものだった。

服装はこのパリム学園の制服 そのものだった。服装も顔つきも10代に見えるが、同時に哲郎の目には何か得体の知れないものが映ったような気がした。

 

「えっと………僕ですか?」

「お前以外に誰がいる?」

 

一瞬 そんな言い方無いだろう と言いそうになるのを堪えると、哲郎が質問するより早くその男が口を開いた。

 

「お前に話がある。 ついて来い。」

 

警戒はしたものの哲郎はついて行くことにした。もしこの男が自分の敵ならば、こんなまどろっこしいことはせずに有無を言わさず 拉致するはずだからだ。

 

 

***

 

 

哲郎が案内されたのは、どこかの事務所のような部屋だった。

 

「……ここは………?」

「何をしている。早く座れ。」

 

男に促されて哲郎は渋々と椅子に座った。

 

「……まぁ、こんな形にはなったが、俺はお前に危害を加える気は無い。」

「……まぁ、そうでしょうね。」

 

その男はテーブルを挟んで哲郎と向かい合った。

 

 

「……ここ気に来て貰ったのは他でもない。

マキム……いや、テツロウ・タナカ。

お前に手を貸そうと思ったからだ。」

「!!!??」

 

この男、今なんと言ったのか。

自分の耳が正しければ、今確かに自分の本名を言い当てた。

 

自分は今、パリム学園の短期留学生 マキム・ナーダとしてここにいるはずなのにだ。

 

「……俺は全てを知っている。

だが、驚く必要は無い。俺はお前の味方だ。」



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#36 Assistance by the paradhin

「……あなたが僕の味方?

どういうことですか?」

「どうということも無いだろ。

そのままの意味だ。」

 

哲郎は今、謎の男に連れられてどこかの部屋に来ている。そしてその男は今、自分が味方だと言ったのだ。

 

「……そうだ。 自己紹介がまだだったな。

俺はエクス・レイン という者だ。

ここでは学業を積みながら聖騎士(パラディン)としても活動している。

以後 よろしく頼む。」

「はぁ……… ってえッ!!?

今、苗字を何て………」

 

哲郎は驚いて聞いた。 この男は今 確かに自分の苗字を━━━━━━━━━━━

 

 

「もう分かったか。 そうだ。俺はお前の依頼者 ファンの兄だ。」

「やっぱり……………」

 

ファン・レイン

彼が出した依頼を哲郎が受け、そして今このパリム学園にいる。

この男は自分を彼の兄だと言った。

思い出してみればファンの髪には一筋 金髪がメッシュのように入っていたし、この エクスの髪 の金色部分が血の繋がりの証明と言われても不思議はない。

 

「……わかりました。あなたが彼の兄というのは信じましょう。しかし、あなたが僕の味方だというのは何を根拠に信じれば良いのでしょうか?」

「……随分 達者な口だな。まあいい。

お前の望む根拠なら、ここにある。」

 

そうしてエクスは懐から何かを取り出し、哲郎に渡した。

 

「……これは……?」

 

エクスが手渡してきたのは、生徒手帳だった。

 

「中を見てみろ。」

 

哲郎が手帳を開くと、そこに書かれていたのは

 

【エクス・レイン】

パリム学園 人間族 科

エクス寮 寮長

 

「寮長?」

「お前はここに来たばかりで知らないだろうが、この人間族 科だけでなく、このパリム学園は全体的にいくつかの寮に別れているんだ。そして、お前とマッドが暮らしている寮も俺のエクス寮だ。」

 

マッドと生活していることまで知られているとは。この男はどこまで自分のことを知っているのだ。 と言いたくなるのを堪えて話を聞く。

 

「そこでだ、テツロウ・タナカ。

お前の先の魔界コロシアムでの好成績を見込んであることを頼みたい。」

「あること?」

 

「ああ。俺はやつの、ラドラの陰謀を潰そうと思っている。協力してくれ。」

「陰謀? どういうことですか?

詳しく聞かせてください。」

 

 

***

 

 

ラドラの陰謀とは、以下の通りだ。

 

ラドラ・マリオネスは、エクスとは別の寮の寮長で、彼は仲間を募って【七本之牙(セブンズマギア)】なる組織を作り、パリム学園を我がものにしようとしているのだと言う。

 

「それで、僕に何をしろと言うんです?」

「簡単な事だ。手始めにまず、グス達を潰すんだ。」

「潰すですって!? まさか殺せと言うんじゃ無いでしょうね!!?」

 

哲郎は机を乗り上げてエクスに凄んだ。

例えどんな人間であったとしても、人の命を奪うつもりなぞ哲郎にはさらさらなかった。

 

「落ち着け。 話は最後まで聞くものだ。」

「……わかりました すみません。

それで、潰す というのは具体的にどういうことですか?」

「公式戦でヤツらと闘い、そして勝てと言ってるんだ。」

「公式戦?」

 

 

【公式戦】

それは、パリム学園 全体で認められている、生徒同士がその実力を競うものである。

受ける側が対戦を受けるか否は自由だが、【負けた方は勝った方の命令を一つだけ 必ず聞かねばならない】というリスクが存在する。

 

そのあまりにハイリスクハイリターンな条件故に、誰もそれをやりたがろうとはせずに、次第にパリム学園の都市伝説に扱われていくようになった。

 

「あなたがやる訳にはいかないんですか?」

「寮長は対戦を申し込むことができないんだ。それから、成績や実力に明らかな差がある場合も対戦は認められないとこになっている。」

「それで、今の僕の学園での扱いとグスとの差はどれくらいですか?」

 

哲郎の質問に、エクスは苦々しげに答える。

 

「お前は今 マキム・ナーダという生徒としている訳だ。

まだ力量は知れないだろうから、十中八九 対戦は認められないだろう。

 

 

ただ、

 

 

俺がお前を推薦したなら話は違ってくる。

テツロウ・タナカ。俺はお前の実力を信じてこの話を持ちかけた。

俺に協力 してくれるか?」

 

「……この学園で横行しているいじめを許す訳にはいかない。

その1点は、あなたと同じです。」

 

「……なら、」

「やらせて頂きます。」

 

ここに、田中哲郎とエクス・レインの協定が成立した。

 

「それから、僕からもひとつ お願いしたいことが。」

「何だ?」

 

哲郎は懐から写真を出した。

 

「この写真はラドラの隠れ家で撮ったものなんですげと、ここに写っている人のことを詳しく教えて下さい。」

「……分かった。」

 

***

 

 

これは大きな進展だ。

 

哲郎は寮内のベッドの中でそう 喜んだ。

ここまで頼もしい協力者に恵まれたのは、幸運以外の何者でもなかった。

 

明日の放課後、依頼主のファンとアリスを連れてエクスの元に行き、更なる作戦を練るのだ。



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#37 Three weak arrow

「何だって!!!?

お兄様に声をかけられた!!!??」

「お兄様って、あのエクス寮長ですよね!!!?」

 

翌日の放課後、哲郎を待っていたのは案の定 ファンとアリスの驚き の反応だった。

 

「ええ。 昨日もう一度 あの大広間に潜入した後にね。しかし僕も驚きました。

まさか僕の正体も目的もバレることになるなんてね。」

「お兄様の情報力はこのラグナロク全体で見てもかなり大きいです。

そのくらい やってできない事じゃ無いですよ。」

 

そうですか と哲郎は頷き、そして話を昨日の潜入結果へと変えた。

 

「それで昨日の調査で、グス以外に下っ端の人間が 2人以上いることが分かりました。」

 

グスと一緒にいたこの2人が何者なのか、エクスが教えてくれた。

 

1人目の銀髪で人相の悪い男は、名前を【アイズン・ゴールディ】という。

グスの同級生で素行の悪さと対称的に実力は高く、鉄柱を具現化する魔法を扱うのだと言う。

 

2人目の茶髪で紅茶を啜っていた男の名前は【ロイドフ・ラミン】

植物を育て、使役する魔法を扱う

 

「……それからですね、エクスさんが今日これから僕たち3人に部屋に来るようにと言ってるので、来てくれますか?」

「お兄様が?

分かりました。すぐに用意をします。」

 

 

***

 

哲郎は2人を連れてエクスの部屋の前に来た。

 

「エクスさん?哲郎です。

2人を連れて来ました。」

 

哲郎は扉をノックした。

 

「……待っていたぞ。 入れ。」

 

重々しく扉が開いた。 哲郎は違うが、ファンとアリスは遠慮気味に扉をくぐった。おそらく、この部屋は本来 普通の生徒は滅多に入れない所なのだろう。

 

「失礼します。」

 

哲郎は2人と一緒にエクスの前の椅子に腰を下ろした。

 

「お兄様 お久しぶりです。」

「ファン お前はここに来てからも何も変わってないな。」

 

こうしてみるとやはり兄弟だ と哲郎は漠然と思った。

 

「それで、僕たちをここに連れてきた要件は何ですか?」

「そうだな。お前たちに来てもらったのは他でもない。」

 

 

 

エクスは重々しく口を開いた。

 

「お前たち3人に、あの3人と公式戦をやってもらう。」

「「「………………ハッ!!!!?」」」

 

3人は同時に驚きの声をあげた。

 

「バカな!!! 僕はともかく この2人にまで出ろというのはどういうつもりですか!!!?」

「バカはお前だろ。 お前は1度でも2人の実力を見たのか?」

「!!!」

 

同様で興奮した哲郎の抗議をエクスは切って落とす。

核心を突かれて哲郎は言葉を失った。

 

「……ではあなたは2人の実力を信頼していると?」

「そんなことは無い。第一そこのアリスとは初対面だ。」

「……だったら、何を根拠にそんなことを」

 

哲郎の質問をエクスは次々にさばく。

 

「確かに2人の実力は奴らには及ばない。

だが、実力差(そんなもの)は戦略と技術があればいくらでも埋められる。

実際、お前は【慢心している人には負けない】と言ったそうじゃないか。

今の奴らはまさしくその類 そうは思わないか?」 「………!!!」

 

この男には自分の考えを全て見透かされているのか と哲郎は痛感した。

 

「それから、今のお前たちでは公式戦を申し込むことはできない。

だから、俺の推薦でお前たちは俺の差し金で来たということにする。

方式は3対3の団体戦だ。」

「……それは構いませんが、勝算はあるんですか?」

「勝算はこれから作るのさ。

こいつらに奴らの対策とマーシャルアーツを叩き込んでな。」

 

マーシャルアーツ

その言葉に哲郎ははっとした。

この学園の生徒からその言葉が出てくるとは思ってもいなかった。

 

「この学園で、それが通用するんですか?」

「もちろんだ。 この地域、特にグス共にはマーシャルアーツは魔法より劣っている物だという考えが根付いている。

だが、俺はそうは思わん。 むしろ、人間を短期間で強くするにはこれ以上の方法はないと思っているくらいだ。

その鍛錬が相手の対策に特化しているなら、尚更 効果的だ。」

「………なるほど……」

 

シニカルな口振りではあるが、とても理にかなった考え方をするな と感心させられた。

 

「昨日 教えた通り、グスは筋力に物を言わせた格闘を、そしてアイズンは鉄の、ロイドフは植物の魔法を扱う。

それを想定して鍛えれば実力差くらい どうにかなる。

それに奴らは十中八九 お前たちを甘く見て何の対策もしないだろう。

そこに漬け込む隙は十分にある。」

「「「…………」」」

 

当初こそ驚いていた2人もエクスの説明を聞いていくうちに頷いていくようになった。

 

「作戦実行は2週間後だ。それだけあれば十分だと思っている。

それから言っておくが、今までの話は全て あくまでも勝てる可能性が上がる と言うだけで、勝てるかどうかはお前たちに懸かっているということを忘れるな。」

 

哲郎、そしてファンとアリスも首を縦に振った。

いじめに対する方法が依頼するだけだと思っていて、何も出来ないのが悔しいと心の奥底で思っていた彼らにとって、この提案は渡りに船だった。



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#38 Partizan

「……以上で話は終わりだ。

ところでテツロウ・タナカ。 俺と立ち会う気は無いか?」

「?」

 

エクスは突如 突拍子もないことを言い出した。少なくとも哲郎にはそう感じられた。

 

「どうして?」

「あの3人を潰すのはあくまでも段階の1つに過ぎない。その後はラドラ共の目論見も潰そうと考えている。そこでだ、お前の実力をこの身体で体験しておきたいと考えているんだ。」

「………なるほど………。

それで、あなたは自分と彼の、どちらが強いと考えているんですか?」

「もちろん俺だ………と 言いたいところではあるが、いかんせん ヤツの情報も少ないからな。」

 

「……そうですか。しかし、公式戦でもないのに寮のトップと一生徒が立ち会うのはまずくはないですか?」

「それは問題ない。この学園の離れに俺の私有地の場所がある。

そこでなら人目を気にせずに戦える。」

 

 

 

***

 

 

「それでは恐縮ながら、ルールのおさらいをさせていただきます。」

「分かりました。」

「やるなら早くやれ。」

 

場所は変わって学園の離れ。

哲郎達はエクスに案内されて彼の私有地の闘技場に来ている。

 

そこで哲郎はエクスと対峙していた。

 

「ルールは魔界コロシアムと同様、魔法も武器も使用を認めます。

相手が負けを認めるか、あるいは動けなくなった時に試合が終了します。」

 

魔界コロシアム

哲郎がついこの前まで身を置いていた環境だ。あれを乗り越えたならきっと、どんな敵にも負けないだろうと 自分に言い聞かせて己を奮い立たせた。

 

「両者、元の位置へ!!」

 

哲郎とエクスは相対した。

遂にゴングが鳴らされる。

 

「始めてください!!!」

 

試合開始と共に、哲郎は左腕を伸ばし、右腕の弓を引いた。

 

「…ほう。 それが【カジキの構え】か。」

 

哲郎の五体に刻まれた魚人武術 それを武器に魔界コロシアムを勝ち上がったのだ。

しかし エクスは意に返さずにゆうゆうと片手をあげた。

 

カッ! 「?」

 

エクスがとった行動 それは ただの【指パッチン】だった。 しかも、ノアのものとは違って何も起こらない。

 

「………………… ッッ!!!!?」

 

突如、上空に嫌な気配を感じて上を見上げると、何かが哲郎 目掛けて降ってきた。

 

「ッッッ!!!!!」

 

哲郎はほとんど 条件反射で横っ飛びに躱した。 すぐに哲郎のいた場所にそれ(・・)が深深と突き刺さり、轟音と土煙が巻き起こった。

 

「何だ!!!??」

 

土煙が晴れた場所に突き刺さっていた物は━━━━━━━━━━━━━━━━

 

「剣!!!!?」

 

言葉の通りの剣 だった。

勇者の手に似合いそうな大剣が地面に深深と突き刺さっていたのだ。

 

「……ほう。あの1発を避けたか。」

 

哲郎は何とか着地に成功した。

そして、再びエクスと向かい合う。

 

「………今のは………!!?」

「そうだ。今使ったのが俺の魔法(ちから)

具現化魔法 《無限之剣(パルチザン)》だ。」

 

無限之剣(パルチザン)

エクスの扱う 具現化魔法

自分の魔力が続く限り、何も無い所から剣を生み出すことが出来る。

 

「……何をやっている?

攻撃はまだ 続いているぞ?」

「!!!?」

 

哲郎が気配を察して見た方向から再び別の剣が飛んできた。

哲郎は身体を捻って攻撃を躱す。

 

「……かなりのものだな。

だが、これはどうだ?」

「!!!!!」

 

哲郎が上を見上げると、再び上空に幾つもの(・・・・)剣が浮かんでいた。

 

神罰之剣(ジャッジメント・レイズ)》!!!!!

 

哲郎の身の丈ほどもある剣がまるで雨あられのように降ってくる。しかし、哲郎にとっては経験済みの状況だ。

何しろ、この手の攻撃は魔界コロシアム 決勝戦でノアから受けているのだから。

 

哲郎は剣の隙間を縫うようにして躱し、エクスとの距離を詰める。

そして、剣が突き刺さる時にできる土煙を逆利用してエクスとの死角を作り、遂に間合いに入った。

 

「!!!」 突如 目の前に現れた哲郎にエクスもたじろぐ。

その隙を見逃さずに一瞬の動きでカジキの構えを取り━━━━━━━━━━━━

 

 

 

バチィン!!!!! 「!!!!?」

 

魚人波掌を叩き込んだ。

哲郎のメインウェポンだ。

エクスの魔力量が並外れていることは想像にかたくない事。

そこに全力で衝撃を流し込んだのだ。立っていられる筈が無い。

 

 

 

━━━━━━━━━━━と、思われた。

 

 

「!!!?」

 

哲郎の目に土煙が晴れて飛び込んできた光景は、自分の掌が剣に当たっている というものだった。

その瞬間、剣は粉々に壊れる。

 

「……これ程のものか。 魚人武術という物は。 俺の魔力の塊の剣を一撃で破壊たらしめるとはな。」

 

あの煙幕から放った攻撃に対処して見せた

哲郎にはとても受け入れられない自体だった。

 

バチィ!!

 

エクスが剣を振り上げて、哲郎は弾き飛ばされた。我に返り、すぐに体勢を立て直して受身を取る。

 

「魔界コロシアム 準優勝者の実力がこの程度とは笑わせるな!!

これは試合なのだから全力で来い!!!」

 

エクスの一喝が広場にこだました。



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#39 Infinite Sword

観客席に当たる場所で、ファンとアリスは哲郎とエクスの手合わせを見ていた。

 

「……あのお兄様と張り合ってるなんて………!!!」

 

ファンが1人、驚愕の声を漏らした。

自分が1番エクスの実力を知っている。そして、魔界コロシアムというのがどれ程ハイレベルな大会なのかも知っている。

 

だからこそ、この試合に並々ならぬものを感じていたのだ。

 

 

***

 

 

「どうした!!? まだ攻撃は終わっていないぞ!!!」

「!!!?」

 

エクスの一喝が聞こえた瞬間、哲郎は再び嫌な予感を前方に感じ取った。

刹那、鼻先に無限之剣(パルチザン)の鋒が触れた。哲郎はそれをバク転の要領で躱した。しかし、攻撃はまだ終わらない。

 

今度は上前方から7本、剣が飛んできた。

躱すのはやってできないことではない。第一 仮に当たったとしても自分には【適応】がある。しかしながら、それでは一向に勝機がやってこない。

 

飛んでくる7本の剣を続けざまに躱しながら哲郎はエクスの懐に入り込む方法を考えていた。

 

「!!!」

 

その最中、哲郎の視界端に飛び込んできたのは、先の攻撃で地面に突き刺さった無限之剣(パルチザン)の1本だ。

 

(そうだ!! これなら!!!)

 

そして哲郎は隙を見て地面からその1本を引き抜いて構えた。

 

「………そう来たか。」

(………よし、行ける!!!)

 

剣はずっしりと重かったが、戦うには支障のない程度だった。

再びエクスの攻撃が飛んできた。

7本の剣が一気に哲郎に向かって飛んでくる。

 

 

ガキン!! ガキン!!! ガキィン!!!!

 

哲郎は剣をタイミング良く振り上げ、剣を弾いた。

 

(よし!!! いけた!!)

 

ぶっつけ本番だったが、上手くいなすことが出来た。難攻不落の剣の要塞に、1つの突破口が見えた。

 

エクスの攻撃が一瞬 止まった隙を着いて哲郎は一気に距離を詰める。 手に握った剣は両手で大きく振りかぶる。

 

「甘い!!!!」

 

ガキィン!!!!! 「!!!?」

 

その時、哲郎の目に入った光景は、握られていない剣が哲郎の一文字切りを受けた という物だった。

 

(飛ばすだけじゃなくて操ることも出来るのか!!!?)

 

哲郎は一瞬でその事実を理解した。

 

バキン!!! 「うおっ!!?」

 

エクスの剣が哲郎を吹き飛ばした。

哲郎はその場で回転して受身をとる。

2人は再び向かい合った。

 

エクスの無限之剣(パルチザン)の本当に恐ろしい点は生み出した剣の全てを意のままに操ることが出来る点にある。

とある者の分析では、理論上は1つの軍隊すら屠り去ることが出来る と評価されたことすらある。

 

 

軍隊葬列(ミリタリー・パレード)》!!!!!

「!!!!!」

 

エクスの周りに数え切れないほどの剣が展開され、一斉に飛んできた。

しかし哲郎は直ぐに冷静さを取り戻し、対策を講じた。

それは━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

(!? 何だ!?)

 

哲郎は目を閉じた(・・・・・)

そして向かってくる剣を━━━━━━━━

 

 

「!!!!?」

全て弾いている。1本の剣で。

エクスは一瞬 驚愕した、しかし、直ぐに答えを出す。

 

 

(………そうか。

目で見て避けるのでは間に合わないと、そうだ判断したか。)

 

ガン!!! ガン!!! ガン!!! ガン!!!

 

目を閉じ、音と気配だけで避けられる攻撃はよけ、そうでない物だけを剣で弾く。

これで何とかエクスの攻撃に対処出来ている。

 

(………避けれてはいるけど、攻撃に回れない………!!!)

 

このままではいずれ 押し切られる という焦りが哲郎の中に起こり始めていた。

 

どうにかして活路を見いだせないか

その時、哲郎の頭に1つの策が浮かんだ。

 

 

 

バガッ!!! 「!!??」

 

突如、エクスの剣の1本が内部から崩壊した。それに連鎖するように周りの剣も崩壊していく。

 

「……… 何をした!!!?」

「魚人波掌の衝撃を剣に伝えました。」

 

エクスの無限之剣(パルチザン)は魔力の塊。その内部に衝撃を伝えれば、破壊するのはやってできないことではない。

哲郎は魚人波掌の衝撃を剣を媒体にして伝えることが出来るのではないか

 

そう考え、それを実行した。

 

「………確かに、魚人武術の派生技には剣術も存在する。だが、それをどこで知った?

それとも、この場で思いついたとでも言うつもりか?」

「そうです。 たった今、この場で思いついたんですよ!!!」

 

 

適応

それがあるからこそ哲郎はそれを試行することが出来たのだ。

たとえ失敗したとしても自分が怪我こそすれ死んだり敗北することは無いのだから。

 

 

「……いいだろう。

その精神力に経緯を評して、俺が直々に相手をしてやる。」

 

そうしてエクスは剣を抜いた。

今までの無限之剣(パルチザン)より重厚で、巨大な1本だ。

 

「これは今までとは違って 魚人波掌で壊せるような代物じゃない。

全力で来い!!!!!」



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#40 Shining dragon fang

あの剣は本物だ。

少なくともゼースが使った魔剣 名前を確か イフリート と言っただろうか。

それよりも優れていることは、理屈ではなく直感で理解した。

 

そして、哲郎はそれに無意識のうちに萎縮していた。

 

しかし、弱気になってはいられない。

 

魔界公爵の跡取り、紅蓮の姫君、そして、かつての魔王

あの大会で闘ってきた経験が、哲郎を鼓舞させた。

 

そして1つの決断を下す。

 

 

カランカランッ!

「「!?」」

「……なんの真似だ?」

 

哲郎はその手に握っていた無限之剣(パルチザン)の1本を捨てた。

そして魚人武術 カジキの構えをとる。

 

「……あんな使い慣れてないものじゃ、絶対に勝てない。

この身体、あのコロシアムを闘ったこの素手で、闘いたいんです。」

「……なるほど。一番信用に足るのは自分の肉体と言うわけか。

だが、素手がお前のベストだと言うならば、俺も俺のベストのこの剣を使わせてもらうぞ。」

「………はい。」

 

最終ラウンドのゴングが鳴らされる時は刻一刻と迫っている。

エクスもその剣を両手で振りかぶる。

 

「………行くぞ。」 「!!!!!」

 

エクスの一言で、哲郎の緊張は最高値を迎えた。

地面を全力で蹴り、エクスが強襲をかける。

 

それに対し哲郎は━━━━━━━━━━━

 

 

バッチィン!!!!! 「!!!!?」

 

地面に向けて魚人波掌を放った。

地面の中の水分に衝撃を巡らせ、流動した大地は巨大な砂埃を巻き上げ、エクスの視界を封じた。

 

ブォンッッ!!!!

 

とそのまま剣を振り下ろすが、その攻撃は空を切る。

 

視界を封じられ、空振りで隙のできたエクスに哲郎が懇親の攻撃を見舞う。

 

 

《波時雨》!!!!!

 

ズドドドドォン!!!!! 「!!!!?」

 

哲郎が懇親の魚人波掌をエクスに向けて5発、つるべ打ちした。

本来なら1発 直撃すれば体内の水分と魔力に衝撃が駆け巡り、立っていられなくなるほどのダメージを被ることになるが、それを5発、しかもダメージは魚人波掌 5発分 以上(・・)である。

 

これで勝負は決した━━━━━━━━━━

 

 

「!!!!?」 ヒュオッッ!!!!

 

突如 自分に飛んできた何か(・・)を咄嗟に身を引いて躱した。それは直ぐに元の位置へ戻る。

 

 

「ま、まさか…………!!!!」

 

体勢を整えた哲郎は1つの可能性を予測、否、危惧した。

 

土煙が晴れて目に飛び込んだ光景は、自分の闘争心を壊す、それに十二分に足る事実だった。

 

エクスは立っていた。その手に握られた件は所々ヒビが入っている。彼が魚人波掌 波時雨をあの剣でガードしたのはすぐに理解出来ることだった。

 

「………カッ!!!」

 

エクスは血を吐いた。

 

おそらく、微かに手に残っている感触から察するに、最初の1、2発は何とか当たったのだろう。しかし、あの攻撃で倒しきれなかったのは、非常にまずい。

むしろ、自分の負けが既に確定している と哲郎は直感した。

 

「………どうした………。

………何をやっている…………?

俺はまだ立っているぞ…………?」

 

エクスは息で途切れ途切れに哲郎に問いかける。

その一言ではっとした。

 

そうだ。

自分はこんな逆境を何度も乗り越えてあの魔界コロシアム 準優勝に漕ぎ着けたのではないか と。

 

恐怖心に押しつぶされそうになっていた己を奮い立たせ、構え直す。

カジキの構えでは無い。

 

「…………それは………

いいだろう。俺も最後の技(・・・・)だ。」

 

哲郎がとった構えとは、

 

 

【適応】の能力を持つ 田中哲郎の唯一の必殺技

《リベンジ・ザ・アダプト》の構えだ。

 

対するエクスは剣を後ろに引いて構える。

鞘こそ無いが、それは正真正銘 【居合】の構えだ。

 

 

「お、お兄様が………!! あんな………!!!!」

「し、死んじゃうんじゃないの………!!!?」

 

場内にえもいえない程の緊張が走る。

それは場外から観戦していたファンやアリスにまで伝わり、なおかつ2人までも押し潰してしまいそうなほどの気迫だった。

 

 

エクスが角度、タイミング 共に絶好の場所に入ったのを見計らって、哲郎は最後の強襲をかけた。

その手にはあの魔界コロシアムからずっと、この試合だけでない適応してきたダメージの全てが蓄積されている。

 

 

聖騎士 抜刀術

神龍之牙(セイグリド・チザン)》!!!!!

 

本来、実戦では隙だらけで通用する筈のない技術 居合。

それをレインの一族は途方もない歴史の中で少しずつその速度を上げ、隙を無くして行った。

 

今では、抜刀までのタイムラグは、人間の反応速度を追い越し、そこに隙は生まれない。

 

いくらヒビが入っていても聖騎士(パラディン)の一族に代々伝わる剣には変わりない。

 

 

 

ズッドォン!!!!!

 

 

《リベンジ・ザ・アダプト》と《神龍之牙(セイグリド・チザン)

 

両技の激突は場内を金色の旋風と轟音で包んだ。



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#41 The letter induce anger

ゴトッ

 

 

それは、静まり返った武道場にぽつんと響いた。

 

「……………!!!?」

 

驚愕したのはファンだった。

 

地面に落ちたのはエクスの持っていた剣の刃だったからだ。

 

「…………まさか……………!!!!!」

 

彼が危惧したのは兄の敗北。

どちらを応援していると言うわけで無かったが、彼は兄の実力に全幅の信頼を寄せていた。

 

土煙が晴れていく。

真実が明るみになった。

 

 

「「……………アアッ!!!」」

 

哲郎もエクスも立っていた。

 

哲郎の胸は真一文字にパックリと裂け、エクスの胸にも哲郎の掌底が直撃していた。

 

 

ゴトッ

 

唐突に2つの音が同時に鳴った。

哲郎が倒れ伏した音と、エクスが膝をついた音だ。

 

しかし、エクスは踏みとどまり、倒れるのを堪えた。

 

「…………………」

「こ、これは…………」

 

 

動揺が場内に起こる中、レフェリーのおとこが手を挙げた。

 

「勝負あり!!!!

勝者、エクス・レイン様ァ!!!!」

 

「…………違う。」

「!?」

 

エクスが口を開いた。

 

 

「…………引き分けだ。」

 

エクスはよろけながらも立ち上がり、哲郎を見下ろした。その口からは一筋の血が垂れている。

 

「…………お前の今の攻撃、本身じゃ無かっただろ?

あの時のものとは違う。

もし今受けたのが魔界コロシアムで出たものなら、俺は今頃地面に顔を付けていた。」

 

哲郎は何とか意識を取り戻し、立ち上がった。

 

 

「俺とこいつの手当を急げ。

準備が出来次第、すぐに作戦会議に入る。」

 

 

 

***

 

 

「まだ30分も経っていないぞ。

もう 動いていいのか?」

「大丈夫です。もう適応しました。」

 

 

エクスの屋敷の中の一室に哲郎達4人は集められた。

 

「もう一度言うが、準備期間は2週間。

効率を考えて放課後の2、3時間で切り上げることにする。」

「僕は何をしたら……」

「お前には特訓の必要な無いな。

引き続き 情報収集を頼む。」

 

哲郎は二人を見た。

やはり緊張でアガってしまっている。

 

「……どうしてあの二人を選んだんですか?」

「そんなこと 決まっているだろ。

依頼に無関係の人間を巻き込むのはまずいからだ。」

「なるほど。

でもこの2人を特訓させて勝てると思いますか?」

 

哲郎自身 ただの小学生から特訓でここまでの力をつけたが、それは気の遠くなるような時間があったからこそだ。

2週間程度でこの2人が学園の実力者に勝てるようになるとは思えない。

というのが本音だった。

 

「それから、果たし状も必要だな。」

「果たし状?」

「そうだ。公式戦を申し込むにしても、相手が拒否したら意味が無い。

人間というのは中身が薄っぺらい程プライドは無駄に高くなると相場は決まっている。

挑発的な文面でヤツらを絶対に逃がさない。そんなものが必要だ。」

 

「………それを僕が書くんですか?」

「あくまでも戦うのはお前たちだからな。

だが、お前たちは俺の差し金としてヤツらに伝えるから、文章は俺が考える。」

 

 

***

 

 

ごきげんよう

弱者をいたぶることしか脳がない哀れなゴミクズ共よ。

 

貴様らの悪行もここまでだ。

2週間後の公式戦で、公衆の面前で完膚無きまでに叩き潰してくれよう。

 

我々が勝った暁には二度とこの学園でいじめをしないと神に誓ってもらおう。

そして貴様らの醜態を全校生徒の見せしめにさせてもらう。

 

敗北しにむざむざとやってくるがいい。

もっとも 貴様らごときにそれだけの度胸があればの話だがな。

 

 

「………ほんとにこれを送るんですか?」

 

書いてはみたが、露骨すぎて逆に怒らないのではないか と哲郎は率直に思った。

 

「この際 ヤツらが怒るか怒らないかは問題では無い。これはお前たちを小物だと錯覚させるためのものだ。

こうして相手を大したことないと見せかければ、ヤツらは十中八九 こちらの対策はしない。そこに特訓を積んだお前たちがぶつかれば、付け入る隙は必ず生まれる。」

 

そこまで考えているのか という賞賛と、そんなに上手く行くものか という不安が哲郎に生じた。

 

「……それで、これをどうやって送るんです?やっぱりあの大広間の隠し扉がある場所に置くとか?」

「それはまずい。

お前たちはあくまで ヤツらのいじめを止めるために公式戦を仕掛けるという事になっている。

ラドラ達と通じている事は誰も知らないと思っている筈だ。もし 何か大きなものがあるとでも勘ぐられようものならそれは勝機を逃すことになる。」

 

「…………」

 

「果たし状はそんなもので良いだろう。

公式戦の手続きは俺が済ませておくから、お前たちは特訓のことだけを考えてくれ。」

「……それは良いですけど、その前にヤツらのについて知ってることって他にありませんか?」

「それは後で話す。

2人に話は終わったから、これから特訓に入ると伝えてくれ。」



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#42 【Intermission】 The enthusiastic fan club Part 1 ~ Reunion is sweet and bitter ~

拝啓 ノアさん

お元気ですか?

 

早いもので、あの魔界コロシアムからもう1週間が経とうとしています。

 

僕はあれからずっと依頼遂行のために情報を集めていました。それで、いじめ問題以上の陰謀を暴くことになりました。

 

それについては協力してくれる人が現れてくれたので、何とかなりそうです。

知っているでしょうが、名前をエクス・レインと言いまして、人間族科のトップの1人なんですって。

そして、一週間後に団体の公式戦をやることになりました。

 

もし良かったら、ノアさんも来てください。

 

 

 

追伸

この前は魔神族科に招待してくれてありがとうございました。

でもまさか ノアさんにあんなに熱狂的なファンがいるとは思ってもいなかったです。

 

 

敬具

テツロウ・タナカ

 

 

 

「………こんなものでいいかな?」

 

哲郎は寮の自室で手紙を書いていた。

 

「…今日はもう寝ようかな?」

 

哲郎は寝る準備を始めた。

ちなみにルームメイトのマッドは既に寝てしまっている。消灯時間まではあと15分くらいある。

 

哲郎はベッドに入り、灯りを消した。

ベッドの中で考えるのは、あの時の事だ。

 

 

***

 

 

数日前

 

哲郎がいじめ問題の調査でエクスと出会うより前の事。

学園の休日に哲郎は魔神族科の学園に呼ばれた。

 

学科が違って離れているといっても空中に浮かび 飛ぶことが出来るようになった哲郎には行けない距離ではなかった。

 

「ここか…………」

 

哲郎が着いた場所は、見慣れた人間族科の校舎と瓜二つの建物だった。

なお、魔神族科と天人族科がこの校舎にある。つまり、ここにはあのサラとミナもいるという事だ。

 

「よく来たな。 待っていたぞ。」

 

校門でノアが出迎えた。

魔界コロシアムでの祝勝会で呼ばれた時以来だった。

 

「お久しぶりです!」

 

 

***

 

 

「それで、あれからはどうなんだ?」

「調査はやってるんですが、今ひとつ有益な情報が掴めない状態が続いてましてね。」

 

2人は学食に移動した。

そして2人で昼食を食べている。

 

パリム学園は全寮制では無く、希望者だけが寮で生活し、それ以外は自宅から通学する。

哲郎は前者、ノアは後者 だった。

 

 

「それで何ですか?

僕をここに呼んだ理由っていうのは」

「たいした理由はない。

ただ、依頼調査で根を詰めすぎていないかと思って、こんな時間を作っただけだ。」

 

「そうですか………。まあ確かに、授業以外はそれくらいしかやることが無かったですからね。」

 

哲郎は学園での活動を振り返りながら食事に手をつける。

 

「それで、何か分かったのか?」

「えぇ。いじめの主犯の人物は分かりました。名前がグス・オーガンと言ってました。」

「グス………? あぁ。あの女か。」

 

ノアは指で顎を擦りながら言った。

 

「知ってるんですか?」

「噂で聞いたことがあるだけだ。

亜人族科にゴリラのような女がいると言うな。」

「ハハハ……… ゴリラですか…………。」

 

身も蓋もない評価に哲郎は苦笑いを零した。

 

「ところでそれ、今は外しておいていいんじゃないか?」

「それ? あぁ。これですか。」

 

哲郎は胸襟に付けていたボタンを見た。

それはノアが支給してくれた変装魔法を付与したボタンだ。

これをつけている間、哲郎はマキム・ナーダという生徒に変装してパリム学園に潜入することが出来ている。

 

この場合、魔界コロシアム 準優勝という称号は、自らを悪目立ちさせる枷でしか無かった。

 

「…別に変装したままでも良かったんですけどね。 体力を使うわけじゃないし。」

「まぁ そう言うな。

そのままじゃいつアイデンティティが崩壊してもおかしくないぞ。」

「崩壊してたまるもんですか。」

 

冗談交じりの会話を交わしながら哲郎は食事を進める。

 

 

 

「……………え?」

「?」

 

不意に後ろから声がして振り返ると、そこには1人の女子生徒がいた。

 

「………何か?」

 

その生徒はこちらを見つめたまま動く気配がないので哲郎は声をかけた。

 

「!! まずい!!」

「? 何が?」

 

柄にもなく動揺を見せるノアを哲郎が不審がると、

 

「ど、どちら様ですか?

なんでノア"様"と食事を…………」

「え? 僕ですか?

僕は田中哲郎です。彼に呼ばれてこの学園に来たんですよ。」

 

"様"という言葉が気になったが、名前を聞かれたようなのでとりあえず答えた。

 

「彼、ノアさんとは1週間くらい前から仲良くさせて貰ってます。

まぁ 友達みたいなものですね。」

「バッ……止せ!」

「?」

 

 

振り返るとノアはさらに動揺していた。

どうしたのか と哲郎が不審がっていると、突然肩を掴まれた。

 

「!!? 何ですか!!?」

「あなた、今なんて言った?

ノア様の何ですって?」

 

振り返って見た女子生徒の顔はまるで何かに追い込まれたように危機迫っていた。

 

「悪いけど、ちょっと来てくれますか?」

「?? 良いですけど、食べ終わってからにしてくれますか?」

 

 

この後彼は常軌を逸したある物と直面することになる。



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#43 【Intermission】 The enthusiastic fan club Part 2 ~ Who uses the balance? ~

哲郎は半ば急ぎ目で食事を取り、フォークを机に置いた。

 

「……食べ終わりました。

で、何ですか? 僕に用って。」

「終わったの? じゃあ直ぐに来て貰えるかしら?」

「??」

 

やはり分からない。

分かっているのは、この女がこの学園の生徒であり、種族が魔人族か天人族かであるという事だけだ。

 

 

***

 

 

「……あの、一体どこに向かってるんですか?」

「いいから。 私に着いてきて。」

 

この女は、自分が名前を言ってから明らかに態度が険しくなった。それに口調も余裕が無いように見える。

 

哲郎の後ろにはノアも着いてきていた。

『誰なんですか 彼女。

知ってる人ですか?』

『今は何も言えない。着けば否が応でも分かる事だ。』

『??』

 

階段をいくつか昇り降りし、渡り廊下を過ぎると、何やら大きな建物に辿り着いた。

 

「………ここは?」

 

それは、塔 だった。

1つの巨大な塔が哲郎の前にそびえ立っていた。

 

「……ここに入るんですか?」

「そうよ。 」

 

哲郎はしぶしぶと扉を開けた。

中には十数名の女子生徒がいて、その全員が一斉に振り向いた。

 

「いっ…………………」

「?」

 

 

「ぃやあああああぁぁぁぁぁぁぁあぁッッッ!!!!!」 「!!? !!!? !!!!?」

 

その全員が一斉に悲鳴、否、歓声をあげた。

哲郎は面食らってたじろぐ。

 

「ノア様!!!! ノア様が来てるゥ!!!!!」

「嘘でしょ!!!? 私今日 メイクし忘れて来ちゃったんだけど!!!!」

「どどどど どうしよう!!!?

今 ノア様と同じ空気吸ってるってこと!!!?」

「みんな落ち着いて!!! それはみんな同じだよ!!!!」

 

その場にいた生徒の全員がそれぞれ 絶叫と歓声が混ざったような声を上げている。

 

 

「な、何なんだここは…………!!!?」

 

動揺している哲郎が一つ分かったのは、この場にいる全員 ノアしか眼中に無いという事だけだ。

 

「ちょっと!!! 何なんですかここは!!!」

「掛札を見れば分かる。」

「掛札?」

 

哲郎は言われた通りに掛札目を送った。

そして目を疑った。

 

【Noah fan union】

 

そこには確かにそう書いてあった。

 

「ま、まさかここって…………」

「そうだ。俺のファンが集まって俺の魅力を語り合う。

ここはそんなユニオンだ。」

「……それ、よく学園が許しましたね。」

 

ユニオン

それは、パリム学園に存在する いわば部活動のようなもので、生徒が学園の職員に希望書を提出して作ることが出来る。

本来は生徒同士が集まって、剣術や魔法の鍛錬を行うために存在する。しかし、哲郎の目にはこの光景はそれらとは完全に別物に映った。

 

そして内装をよく見ると、壁にはノアの写真がいくつか飾ってあった。

 

「……じゃあまさか…………」

「あぁ そうだ。

今、お前はあいつらの目に【何故かノア"様"と友好を交わしているガキ】と映っているんだ。」

 

 

***

 

 

「だから、さっきから言ってるでしょ!!?

僕はこの前の魔界コロシアムで彼と知り合ったんですって!!」

 

哲郎はユニオンの部屋で、生徒たちに囲まれていた。

 

「バカを言わないで。

証拠がある訳でも無いのに!!!」

 

 

(……全く 何で結果発表が一ヶ月後になってるんだ………!!!)

 

 

そう。魔界コロシアムの結果発表は一ヶ月遅れなのだ。

 

魔界コロシアムの様子は中継されず、リアルタイムで見ることが出来るのは観客席にいる人間だけに限られる。

中継しようとすれば、視聴が集中して追いつかないからだ。

 

結果発表は、大会の翌日に優勝者が発表され、それから整理期間として一ヶ月後に全世界、新聞などを通して準優勝者やその他の成績が公表される仕組みとなっている。

 

そして、この場にいる女子生徒達全員はコロシアムの観客席を取ることが出来なかったのだと言う。

 

つまるところ、今は哲郎が魔界コロシアムで準優勝したという証拠が無い状態なのだ。

 

「貴方みたいな子供がノア様と友達になるだなんて、おこがましい(・・・・・・)とか思わないの!!?」

「おこがましい? 馬鹿な。

僕は彼がこの学園でどれだけ有名かなんて知らなったんですよ。

コロシアムで試合をして意気投合したから友達になった。

 

それのどこがおかしいんですか?」

 

哲郎も引き下がる気は無かった。

自分の友好関係にとやかく言われる謂れも自分がノアと釣り合う人間かどうか勝手に見定められる謂れも無いからだ。

 

しかし、生徒たちは一向に納得する気配がない。

 

「……どうすれば納得してくれますか?」

「どうしてもって言うのなら、あなたがノア様と釣り合う人間かどうか、私たちに見せて見なさいよ!」

 

その一言で、哲郎にも火がついた。

 

「……なら、ここにいる中で1番の実力者を連れて来てくださいよ。

僕がその人に勝ったら、僕の言うことを信じてくれますよね!!?」



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#44 【Intermission】 The enthusiastic fan club Part 3 ~ The Flame pike ~

哲郎は学園 中庭の武道場に立った。

 

 

「……やはりこうなってしまったか…………」

 

ノアは観客席から苦々しげにそう呟いた。

哲郎は既に着替えを済ませ、いつでも闘える状態に身を整えている。

 

武道場に入ってきたのはあの食堂であった女子生徒だった。

 

「……来ましたか。」

「…約束通り、私が勝ったらノア様と友達だと言い張った事を間違いだと認めてもらうわ。

 

そうね。 百歩譲って下僕なら認めてあげる。」

 

この女は一体 友情を何だと思っているのか。

と 言いたくなるのを堪える。

この世界には口で言うより行動で示した方がいい事もあるからだ。これから彼女を叩きのめすという行動によって。

 

「……そう言えば、まだ名前を聞いてませんでしたね。」

「随分 余裕ね。

私はレーナ・ヴァイン って言うの。

大会に出た経験はないけど、実戦なら沢山やってるわ。」

 

彼女は背に身の丈ほどの槍を背負っていた。

恐らくは、あのゼースのように武器に魔法をかけて戦うのだろう。

 

 

「……あら、ノアじゃない。

なにやってんのよ。こんな所で。」

 

校舎から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

「おう。サラか。」

「何? 誰かケンカでもやってんの?」

 

武道場とは、実技授業とは別に生徒同士のいざこざを解決する場でもあった。

 

「そうだな。 あそこを見てみろ。」

「あそこ?

 

 

…………エエッ!!!? テツロウ!!!!?」

 

その一言で、哲郎も振り向いた。

 

「あぁ!サラさん!

お久しぶりです!!」

「なんであんたがここに居んのよ!!?」

 

哲郎は戸惑いを見せるサラに駆け寄り、そして ノアに呼ばれてこの学園に来た事、女子生徒に言いがかりをつけられて立ち会うことになった事 などを順を追って話した。

 

 

「…………あぁ。なるほど。

あれの結果 まだ出てないから無理もないかもね。」

「全くですよ。 結果さえ出せれば彼女たちも納得してくれるのに。」

 

哲郎はサラとの話を終え、再び武道場に足を運んだ。

 

「……ちょっとあなた、まさか サラ"様"とも友達だなんて言うんじゃないでしょうね?」

「そうですよ。 彼女とも魔界コロシアムで知り合ったんです。」

 

「………ますますあなたに負ける訳には行かなくなったわ。」

 

【紅蓮の姫君】という2つ名を持つだけあって、サラ"様"という敬称も持っているのか と漠然とそんなことを考えていた。

 

 

 

「……では、始めましょうか?」

「ええ。 身の程と言うものを分からせてあげるわ。」

 

 

レーナは徐に背中から槍を抜いて構えた。

そして、刃から炎が上がる。

 

(……やっぱりか。)

 

ここまでは哲郎の想定内だ。

しかし、それでも油断は無い。

自分の"技"を全力で振るうだけだ。

 

 

「行くわよ。」

 

レーナは刺突の構えで哲郎に強襲をかける。

しかし哲郎は全く動きを見せない。

 

レーナの放った突きを哲郎は手でずらして躱し、そして刃と柄の付け根を逆手で掴んた。

そのまま拳を回し、レーナの突進の動きを上方向に変換する。

 

「アアッ!!!?」

 

自分の突進力と体重で地面に叩きつけられそうになるのを堪え、何とか着地して危機を逃れた。

 

 

「……………!!!!!」

 

哲郎の方を見たレーナの表情は明らかに驚愕に染まっていた。

自分の身に何が起こったのかを理解するのに数秒の時間を費やした。

 

 

「………私今、投げられたの………!!!?」

「どうです?これで分かったでしょう?

僕の実力がノアさんに認められるものだと言う事が。」

 

これで納得してくれるなら苦労はないが、そんなに上手く行く筈はない。

 

「………バカを言わないで!!?

1回のまぐれで勝った気になるんじゃないわよ!!!!」

 

どこかで聞いたことのあるセリフが飛び出したが、哲郎はあえて反応をしなかった。

挑発は彼女には効かないだろうからだ。

 

 

***

 

哲郎とレーナの試合を ノアとサラは観客席から見ていた。

 

「ねぇ、あなたの口からは何も言わないの?」

「言ったことろでさほど 効果はない。

こういうことは本気でぶつかって冷静になってこそ初めて収まりがつくと言うものだ。」

「……そういうもんかしらね。

ところで、あのレーナって子、どんな人か知ってるの?」

「実を言うとほとんど知らないんだ。

そもそもあのユニオンの事はなるべく見ないようにしてきたからな。」

「……人気者は辛い とでも言いたいの?」

「お前も同じようなものだろ。」

 

ノアと同じように、サラも男女を問わず、その美貌と華麗な魔術で高い人気を得ていた。

 

ちなみに、ノアとサラの2人が同時に魔界コロシアムに出場すると決まった際には、どちらが優勝するか、あるいはどちらがより良い成績を残すのか という議論が両ファンの間で三日三晩 行われたというのはここだけの話である。

 

 

***

 

 

「……飽くまで 認めてくれませんか。

なら、こちらも本気で行かせて貰います!!!」

 

哲郎は、遂に魚人武術 【カジキの構え】を取った。



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#45 【Intermission】 The enthusiastic fan club Part 4 ~ The right to decide ~

(……魚人波掌を直に打つ気は毛頭ない……。

打つのは武器に対して。もちろん壊す気は無いけど、それで戦意を無くすことが出来れば……………)

 

 

哲郎が立てた作戦はこうだ。

・武器に直接 魚人波掌を打ち込む

・その気になればいつでも倒せるのだと分からせ、降参させる

・身体を傷つけることなく、自分の実力を見せる

 

 

(……もっとも、そんなに上手くいくとは思ってないけど、それならそれでいくらでも方法はある………。)

 

哲郎の脳内には様々な策が浮かんでいた。

例えば、武器攻撃が失敗したとしても、魔界コロシアムでサラを下した顎への掌底で脳を揺らすだの 方法はいくらでもある。

 

作戦はまとまった。

 

 

「………次は投げられると思わないでよ!!!!」

 

ゴオオオオオオ!!!!

 

レーナの持つ槍の刃からさらに激しく炎が上がった。

 

「……これが私の本気の力よ!!!!」

(……本気の魔法(ちから)か…………

それは好都合だな。そこに魚人波掌を打ち込めば………!!!)

 

両者の作戦は完全にまとまった。

あとはどちらの作戦が成功するかだ。

 

哲郎は動こうとはしなかった。

この手の戦いでは先手必勝という言葉が存在しないことは、魔界コロシアムに出る前から知っていたことだ。

 

レーナも下手に動く気配はなかった。

今しがた この自分よりも一回りも小さな"ガキ"に投げられそうになったことは揺るぎない事実だった。

 

 

哲郎は攻撃を待つ間、様々な思考を巡らせた。

武器攻撃を仕掛けるのは変わらないとして、どうやってそこまで繋げるかを考える必要があった。

 

その間にもレーナは哲郎に最高の攻撃を仕掛けるチャンスを伺っている。恐らくは、この1発で決めるつもりなのだ。

先程 待ちに徹す姿勢を見せたから、レーナはきっとこちらが仕掛けてくるのを待つつもりでいるのだ。

 

先手必勝は存在しないが、不意打ちは有効であることを哲郎は理解していた。

 

 

バッ!!!! 「!!!!?」

 

レーナの姿勢が傾いた出鼻に合わせ、地面を全力で蹴って強襲をかけた。

哲郎の狙いは瞬間的なことに動揺を誘い、咄嗟の単調な攻撃を誘発させる事だ。

 

案の定 レーナは驚きから真っ直ぐの突きを繰り出した。

 

 

哲郎はそれを読み━━━━━━

べチィン!!!!! 「!!!!?」

 

レーナの突きに合わせて槍に魚人波掌を放った。

レーナは宙を舞い、後方 10数メートルまで飛ばされて倒れ伏した。

 

(……魚人波掌 《引き潮》………!!!

まずは上手くいった………!!!)

 

魚人波掌 《引き潮》

それは、魚人武術の基本戦術 魚人波掌の技の一つである。

相手の攻撃に合わせて掌底を放つことで、衝撃を100%相手に返し、相手はまるで潮が引くかのように後方まで吹き飛ばされる、魚人武術きってのカウンター攻撃である。

 

 

「……どうです?

2回目のまぐれは、勝ったことになるんでしょうか?」

 

哲郎は本心ではない言葉でレーナを揺さぶった。このまま降参してくれれば御の字だからだ。

 

レーナはよろよろと立ち上がった。

 

「………じゃあ何………!!?

今 倒れた私にトドメを刺さなかったのも余裕だとでも言うの…………!!!?」

「さあ。どうでしょうね。」

 

レーナは明らかに冷静さを欠いている。

ここにさらに追い打ちとばかりに演技で煽るような言葉を投げかける。

 

ゼースのような短気さはないが、それでも動揺が攻撃に支障をきたすのは間違いない事だ。

 

「………ノア様はね、この学園のトップなのよ。私たち【Noah fan union】はノア様を崇拝するためにあるの。

あなたみたいなガキが関わっていいお方じゃあないのよ!!!!!」

「馬鹿馬鹿しい。

あなたが彼の何を知ってるんですか?

彼の交友関係に口を出す権利があなたにおありですか?」

「!!!!!」

 

これは半分以上 本心だった。

彼女達がノアをどれだけ尊敬していようとも、ノアが誰と友達になろうとそれに口を出す権利がある筈は無かった。

 

レーナの言葉が放たれることは終ぞ無かった。彼女はとうとう 冷静さを完全に失い、一直線の攻撃を仕掛けた。

 

 

(……もういいか………)

 

レーナ達のノアへの盲信は哲郎の想像を超えていた。最早 武器を攻撃したところで諦めることは無いだろう。

 

レーナは確かに本気を出していた。

それは彼女の槍から上がる炎の大きさが物語っていた。

 

哲郎は心底 残念に思った。

ラグナロクの炎には既に適応 しているからだ。もし魔界コロシアムの準決勝でサラと戦った日とこの日が逆だったなら、哲郎はきっと もっと苦戦を強いられていたことだろう。

 

そんなことを考えながら、向かってくる突きを手で上方向に受け流した。

 

そして無防備になった顎に自身の力とレーナの力の全てを乗せ━━━━━━━━━

 

 

全力で蹴りあげた。

 

ガキン という音が響き、今度こそレーナは地面にうつ伏せに倒れ伏した。



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#46 【Intermission】 The enthusiastic fan club Part 5 ~ Friendship ~

顎を打たれるのはまずいことだ。

このパリム学園に入学して彼女、レーナ・ヴァインが真っ先に教わったことだ。

正確には脳を攻撃されることがまずいのだ。

種族が違えど急所の場所は同じ。人間族でも天人族でも脳は重要な器官。そこを攻撃されることがどれほど危険なことか、理屈で分かっていたつもりでいた。

 

 

間違っていた。

 

 

何かを知ることにおいて、実体験に勝るものはない。

そう。彼女はたった今 脳をゆらされることを【実体験】したのだ。

 

彼女は闇の中にいた。

覚えているのは少年に正論を言われ、激昂してしまった所まで。

 

 

脳内活動の一切合切が完全に停止する。

何かを思い描く事など出来るはずがない。

 

 

 

(…………

……………………………

………………………………………………

 

 

!!!!!)

 

レーナは目を覚ました。

 

起き上がると、目の前で少年が座り込んでいた。自分は待たれていたのだ。

それを痛感した時、自分の中で何かが切れた。それが自分が彼にぶつけたものが如何に薄っぺらく身勝手なものだということだと理解した。

 

 

「………」

 

少年、哲郎はレーナに歩み寄って来た。

レーナはまだ立つことが出来ていない。

哲郎はレーナの前に座り込んだ。

 

「………当初は武器を攻撃して戦意を削ぐつもりでいましたが、こんな荒っぽいことになってしまいました。

……どうです? まだ続けますか?」

「………いや、もういい。

私の負けよ。」

 

 

その一言を聞いて哲郎は背を向け、試合会場を後にした。

 

 

***

 

 

「……嘘でしょ………!!!?」

「レーナさんが負けた……!!?」

「しかも1発で………!!!?」

 

 

哲郎はそんな言葉を聞いていた。

彼の攻撃は顎への蹴り ただ一つだが、哲郎にとっては何よりも重要な1発だった。

 

「…………終わったか。」

「…………お疲れ様。」

 

ノアとサラが迎えた。

 

「……どうだった? 彼女は。」

「……なんというか、虚しいだけでした。

だけど、彼女は間違ってはいませんでした。

ノアさん、あなたが誰と友達になっても自由なら、彼女が誰を尊敬しても それも同じように自由です。 それが今になって分かりました。」

「………面倒なことに巻き込んで悪かった。」

 

哲郎は1回首を左右に振った。

 

「……僕は、今までに何人も友達を作ってきたんです。だけど、その内の2人が死んでしまったんです。だからだと思います。あの時彼にあんなことが言えたのは。

 

友達っていうのは誰とでもなれるとは限らないって 何かにぶつかることもあるんだって、その時知ったんです。

そして、これからもこんな事は繰り返し起きるんだと分かってます。」

 

「……………」

「……………」

 

「だけど、これからも友達を大切にすることを止める気はありません。

そして、誰になんと言われようとも、僕はノアさんと友達を止める気もありません。」

「…………!!!!

よく言ってくれた。 お前のそんな所に 俺は惹かれたのかもしれないな。」

 

哲郎とノアの話をサラは傍で聞いていた。

この少年となら、友情を育んでもいいと再確認できた。

 

「それでこれからどうする?

景気直しにもう1回、軽く食べていくか?」

「いいですね そうしましょう!」

 

 

***

 

パリム学園 人間族科

寮のベッド

 

 

何かを一心に思い続ける姿はかくも美しい

哲郎は友達が作品を愛する姿からそれを知った。そして、その想いが行き過ぎるのは良くないということも同時に知った。

 

あの時のレーナはその両方を併せ持っていた。ノアを一心に思い続ける美しい心と、自分の独り善がりな考えを他人にぶつける醜い心 の両方を。

 

(………僕はこのラグナロクで あと何人友達ができるのかな…………)

 

このパリム学園に潜入してまだ1週間程度しか経っていない。にもかかわらず、既に3人、 ファンとアリス、そして隣に寝ている マッド

 

友達を作ることを止める気はない。

ラグナロクでの生活は充実しているし、たとえいつか元の世界に帰ることになったとしても、元の世界にも友達も家族も待っている。

いずれ選ぶ時が来るということは分かっている。

 

だが、今は目の前の戦いに集中しよう と哲郎は意識を落ち着け、眠る準備に入った。

 

《幕間 終わり》



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#47 Danger game beginning

「……皆さん 覚悟は出来ましたね?

では、行きましょうか。」

 

その一言を2人にかけ、哲郎は門をくぐった。

 

 

***

 

 

哲郎がパリム学園に潜入してから既に2週間以上が経った。

哲郎は今 エクスの自室に来ている。

 

「……いよいよ明日ですね。」

「まるで他人事のような口ぶりだな。

お前も出場者だと言うことを忘れるな。」

 

もう彼のこのシニカルな言動にも慣れた。

 

「……それで、2人は今どんな状態ですか?」

「結果からいえば、2人はかなり真剣に特訓に取り組んでくれた。

決して100%とは言えないが、それでも勝算は十分にある と言って良いだろう。」

 

哲郎は初めて2人と会った時のことを思い出していた。

あの時の2人はギルドの依頼者に頼らねばならない程に弱く、まさに実力に屈している状態だった。

その2人が かつての自分のように特訓を積んでこうして実力を身につけた。それは自分の努力の賜物であり、何物にも変え難い自分だけの力である。

今の2人にもそれだけの力が備わっていると考えると、これ程心強い者は無かった。

 

 

「……ところで、お前の方は今日まで何をやっていた?」

「もちろん 今まで通りに特訓したり、僕なりに情報を集めたりしていましたよ。」

「それで? 何が分かった?」

「色々 分かりましたよ。

彼らの素性とか戦法とか扱う魔法とか

とにかく 有益な情報はたくさん集まりました。」

 

その一言を聞いてエクスは右端の口角を上げた。

 

「そうか。 なら今日は最終の打ち合わせをやってくれ。」

「打ち合わせ?」

「そうだ。 実を言うと2人には今日まで特訓だけをやらせていたんだ。もっとも、対策は練らせておいたがな。

だから今日 お前が得た情報の全てを伝えて明日の公式戦への最終調整に入るんだ。」

「…分かりました。」

 

 

***

 

 

哲郎は門をくぐった。

それは 公式戦試合会場へと続く通路の門だ。

そこを通ると哲郎の両脇から大歓声が巻き起こった。これから何が起こるのかを理解しているからだ。

 

『さぁさぁ皆様 どうぞご静粛に!!!!

一時期は都市伝説とまで言われたこの【公式戦】!!!!

それがなんと今宵 開催される運びとなりましたァ!!!!!』

 

1人の女子生徒のアナウンスが響く。それを起爆剤として観客席の熱狂は更に激しさを増す。

 

 

『……弱気になってはダメですよ?

大丈夫。堂々としていればいいんです。』

 

そう。決して弱気になってはいけない。

この公式戦にはいじめの撲滅 というこの学園の希望になり得る意味があるのだから。

 

哲郎達 3人は毅然として歩を進める。

そして、3つの玉座に向かい合った。

 

そこにはあの3人がふんぞり返って座っていた。

 

「おやおや こんなガキ共がアタシ達にケンカを吹っかけてきたってのかい!?」

「はっきり言って不快だ。

まぁ 見せしめにはさせて貰おう。」

「そうだな。 売ってきたのはあっちなんだから、どれだけぶちのめしても大丈夫なんだろォ!!?」

 

案の定 あの3人はこちらの事を全く警戒していない。むしろ 余裕だと思っている節すらある。

対して自分たちはあの3人をあの玉座から引きずり下ろすためにそれぞれが特訓を積んできた。もちろん 簡単に行くとは思っていないが、それでも全力でやるだけだ。

 

 

『ではこれより、今回の公式戦のルールをお話したいと思います!!!

 

今回は3対3の団体戦です!!

そして、公式戦は勝った方が負けた方にどんな命令も出来ます!!!

そして、公式戦希望者の方々の要望は、【負けた方に今後一切のいじめ行為を禁ずる】というものでした!!!!』

 

その一言で、観客席、特に低学年の生徒が大いに湧いた。 それだけあの3人、もしくはそれ以上の人間に苦しめられていたのだろう。

 

『ではただ今より、公式戦の対戦カードを発表致します!!!!!』

 

先鋒戦

ファン・レイン vs グス・オーガン

次鋒戦

アリス・インセンス vs ロイドフ・ラミン

大将戦

マキム・ナーダ vs アイズン・ゴールディ

 

『ご覧下さい この対戦カードを!!!!

これこそまさに下克上!!! 対戦希望者の3人は今日まで あのエクス・レイン氏の元で特訓を積んでいたのだという情報も入っております!!!!

果たして、その特訓が実を結ぶのか!!? それとも、圧倒的な実力差が打ち砕いてしまうのか!!!!?』

 

 

哲郎達を支持する者も、グス達に服従している者も、観客席にいた全員が大いに熱狂した。この公式戦の行く末に注目していた。

 

 

***

 

 

「作戦はまとまったな?」

 

哲郎達3人がいる控え室ににエクスが入ってきた。

エクスが視線を向けたのはファンだ。

怯えてはいないがその表情には明らかな緊張が見られた。

 

「ファン、お前に一つだけ言っておく。

聖騎士(パラディン)の誇りを胸に戦ってこい。」

「………はい。分かりました。」

 

兄弟の間で交わさせる会話はそれで十分だった。

その言葉を胸にファンは試合会場へと歩いて行った。



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#48 The shield of the tiny courage Part1 ~Impossible to escape~

試合会場

 

グスは入念にウォームアップを済ませていた。

 

(……フフ……

いいねぇ……… これから存分に暴れられるなんてさ……!!!)

 

グスは猛っていた。

これから1人の少年を好きなだけいたぶることを学校公認で出来るのだ。 仕掛けてきたのはあっちなのだから と。

 

この時まではそう確信していた。

 

 

コツコツ……

と 足音が聞こえてきた。

 

「……来たね。」

 

向こう側から対戦相手、 ファンという下級生が入ってきた。その振る舞いはかろうじて(・・・・・)毅然としていた。

 

 

『皆様ァ!!!!

大変長らくお待たせ致しました!!! これより公式戦 先鋒戦を始めたいと思います!!!

両者 出揃いました!!!!!』

 

 

実況者の生徒のはきはきとした声が満員御礼の観客席を熱狂させる。 これでこそやる気が出るものだ とグスは感じた。

 

『さぁ ご覧下さい この対戦カードを!!!!

小柄な人間族に対し、相手は亜人族にして屈指の実力者!!!

 

しかしながら!!! 先程も申し上げました通りファン選手達のチームはあのエクス・レインの元で特訓を積んだという情報が入っております!!!

その特訓の成果が今 花を開くのか、それとも圧倒的な実力差がそれを打ち砕いてしまうのか!!!? 重ね重ね 必見です!!!!』

 

 

***

 

 

小柄の男と大柄の女 が場内に出揃った。

男と女という、倫理観で言えば男性が女性を相手取る 紳士的とは言えないものである。

 

しかし、性別(・・)以外は全てこちらが上。 体格 実績 権力 そして実力差

どれをとっても劣る所が見当たらない。

 

そもそも 女性が男性を出し抜く例はざらにある。性別などというのはハンデにはならない とグスは確信していた。

 

 

『ではただ今より、先鋒戦を始めたいと思います!!! 両者 元の位置へ!!!』

 

2人は距離をとった。

これから 先輩後輩などというものは一切無関係の試合が始まるという確信だけが両者の共通に感じていた事だった。

 

 

二人の間にレフェリーの人間が歩き寄って来た。

 

「武器 そして魔法の使用を認めます。

どちらかが負けを認めるか、動けなくなった時点で試合は終了します。

よろしいですね?」

 

返事の代わりに2人は頷いた。

 

「両者 下がって!!」

 

2人は位置に着いた。

いよいよ 公式戦の幕開けの時だ。

 

『それでは公式戦 第1試合

始めてください!!!!』

 

 

(……あんなガキ、しつこくいたぶってもアタシの評価が下がるだけか………)

 

そう思考を巡らせたグスがとった行動は、

 

 

地面を全力で蹴る事だった。

 

『行ったァーーーー!!!!

グス・オーガン いきなり一直線に突っ込んでいく!!!!

 

対してファン選手は全く動きを見せない!!!!』

 

(……舐めた真似を………

いいじゃないか。 このまま格の違いを………………

 

!!!?)

『こ、これは━━━━━━━━━━━』

 

 

グスの足元が揺らいだ。

見てみると、ファンが視界から消えていた。

 

ファンはその体格差を利用し、身を屈めてグスの足元を掬ったのだ。

 

『グス選手 いきなりつんのめる!!!!

決まるか!!!?』

 

こんな下級生に転ばされるなんて冗談じゃない と言わんばかりに踏みとどまり、ファンに振り向きざまに拳を振るった。

 

ガシッ!! 「!!?」

 

今度は顎に感触が走った。

両手で顎を掴まれたのだ。

 

そのまま身体が宙を舞った。

 

「オアッ!!!?」

 

ズドォン!!!! 「!!!!」

グスは頭から地面に叩きつけられた。

脳に未体験の衝撃が迸る。

 

『な、何が起きているんでしょうか!!?

あの女の巨漢 グス・オーガンが まるで魔法で操られているかのようです!!!!』

 

(こ、これはまさか…………!!!)

 

 

混濁する意識の中でグスは1つの思考を巡らせた。

 

「あれってまさか……」

「マーシャルアーツ?」

「あの 弱小の?」

 

マーシャルアーツ

魔法と対局をなす格闘術

パリム学園の生徒 特にグス達はそれが魔法には劣るものであると決めつけていた。

 

(…よし、ここから!!)

 

ファンの攻撃は止まらない。

倒れているグスをうつ伏せにし、その肩にまたがった。そして右手首を掴み、そのまま上に上げる。

 

 

「アギッ!!? アガガッッ………!!!!」

「よし! 決まった!!」

 

 

『き、決まったァ!!!!

信じられない光景です!! これぞまさに下克上!!! グス・オーガンが下級生に完全に下された!!!!』

 

この世界には、脱出が出来ない技 つまりかけられたらギブアップしかない技が存在する。

今ファンは、あと少しでも体重を後ろにかければ上級生の関節を破壊できる状況下にある。

 

「し、勝負あ━━━━━━━━━━

 

「!!!!?」」

 

グスは突如 片手を地面に着けた。そこに力が加わっていく。

 

そのまま身体はファンを乗せて浮かんでいく。最終的にファンを乗せたまま片手倒立をやってのけた。

 

「………オラァッッ!!!」 「!!!!」

 

グスは力任せに腕を振るった。ファンは吹き飛び、空中で隙だらけになる。

 

 

━━━━━━━━━━そして、

 

ズドォッッ!!!!! 「!!!!!」

 

ファンの顔面にグスの拳が炸裂した。



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#49 The shield of the tiny courage Part2 ~Awaken~

『行ったァァァーーーーーーッッッ!!!!!

グス・オーガン、固め技から逃れ、ファン選手に起死回生の1発を見舞いました!!!!』

 

ファンは強かに回転しながら吹き飛ばされ、反対側の外枠に激突した。

 

「ああっ!!!!」

「ファンさぁん!!!」

 

観客席にいたアリス、そして哲郎も突然の攻撃に動揺した反応を見せた。

土煙が晴れて見えたファンはグロッキー状態になっている。グスはトドメの一撃を刺さんとばかりに歩み寄っている。

 

「ファンさん!!! 早く起きてください!!!!」

 

哲郎は全力で呼びかけた。

この状態が圧倒的に不利だということは哲郎には手に取るように理解出来た。

 

 

「……下級生の分際で……と言いたい所だけど、そうは言ってられないね。

せめて苦しまないように、一撃で倒してやんよ!!!!」

 

指を鳴らしながらそう宣言し、倒せ伏すファンに馬乗りになった。

 

『つ、遂にグス選手、マウントポジションをとった!!!

特訓を積んで一矢むくいたとはいえ、やはり種族間の実力差は埋められないのでしょうか!!!?』

 

会場が緊張に包まれる中、グスはおもむろに拳を振り上げた。

 

「オラァッッ!!!!!」

ズドォン!!!! 「!!!!!」

 

ファンの顔面に、グスの全体重を乗せた拳が炸裂した。

 

「!!!! ファン!!!」

「早く、早く脱出を!!!!」

 

哲郎も冷静さを失いかけていた。

あのままではファンが敗北、下手をすれば死んでしまうことは目に見えていたからだ。

 

「オラッ オラッ オラァッッ!!!!」

 

グスは執拗に拳を見舞う。

その耳を覆いたくなるような鈍い攻撃音に、観客席からは熱狂の声は微塵も聞こえなかった。

 

『グス選手の猛攻です!!!!

いや、猛攻と呼ぶにはあまりに苛烈!!! 壮絶!!! そして、絶対的です!!!!

 

まるで、格の違いを思い知らせると言わんばかりの攻撃です!!!!』

 

哲郎はグスの拳、そして上半身に返り血が飛んでいるのを見た。

このまま終わってしまうのか と再び全力で呼びかけよう

 

とした。

 

 

「……お前たち、騒がしいぞ。」

「「!!!?」」

 

後方から声がして、2人は振り返った。

そこに居たのはエクスだった。

 

「騒がしいですって!!?

これが 騒がずに居られますか!!!」

 

哲郎の声に耳を貸すことはなく、エクスは隣に座った。

 

「お前たち、

黙って見ていろ。」

「「!!?」」

 

「聞こえなかったのか? 黙って見ていろ と言ったんだ。」

 

哲郎は一瞬 戸惑ったが、すぐにその言葉の意味を理解した。

ファンがこの2週間 精一杯頑張ってきたその努力の成果を信じて 見届けろ と

 

エクスはそう言ったのだ。

 

 

(精一杯 頑張って、このパリム学園に入り、俺の手で特訓をつけてもレインの血を目覚めさせるには至らなかった。

 

 

ファン、思い出せ。

お前の身体に流れているのは、レインの一族の、聖騎士(パラディン)の血だ!!!!)

 

 

 

「ガアアッッッ!!!!!」

「「!!!!?」」

 

静まり返っていた場内に突如、 悲痛な叫び声が響いた。

それは、酷くかすれていたが間違いなく グスの声だった。

グスは馬乗りの姿勢から崩れ、ファンの前方の地面をのたうち回っている。

 

『な、一体何が 起こったのでしょうか!!!?

グス選手が鉄壁のマウントポジションを自ら解いた!!!!』

 

「~~~~~~~ッッッ!!!!!

あ、あのガキ、一体 何を…………!!!!!」

 

グスは左の拳を押さえている。

その拳に負った負傷を見て、場内は騒然とした。

 

「きゃあッ!!!」

「何だあれ!!?」

「何が起こったんだ!!!?」

 

グスの左の拳が完全に破壊されていた。

指はあらぬ方向に折れ曲がり、手の甲の手首からは折れた骨が皮膚を貫通している。

 

「ウッ グッ………!!!」

『ファン選手、立ち上がりました!!

彼はまだ戦えるのでしょうか!!!?』

 

「………え? 今僕 何を…………???」

「ファン!!!!」 「!!? お、お兄様!!!」

 

「え? お兄様?」

「本物のエクス様だ!!」

「なんでここに!!?」

 

場内はエクスの存在に気付き、少しばかり騒然とした。

しかし エクスは全く気にとめずに話を続ける。

 

「見てみろ!!! お前の手の甲を!!!!」

「? ………え? これは………」

 

ファンは促されて手の甲を見た。

そこにあったのは 魔法で作られた半透明の装甲のような物だった。

 

「そうだ。 それこそがお前の お前だけの魔法

聖騎士(パラディン)の持つ盾

騎士之盾(イージス)》だ!!!!」

「!!!! ………イージス…………?」

「思い出せ。 お前の身体に流れているのはこの俺と同じ レインの一族の、聖騎士(パラディン)の血だ!!!!!」

 

 

「オォイッッ!!!!!」 「!!!」

 

突然の声にはっと振り返ると、グスが立ち上がっていた。その表情はまるで本物の鬼のように怒りで汚れている。

 

「………よくもやってくれたな このクソガキが!!!! 楽に死ねると思うな!!!!!」

「…………

 

それはこっちの言葉だ。 グス・オーガン。」

「何!!!?」

 

「僕がこれから見せるのは、僕の身体に流れるレインの一族の力、

聖騎士(パラディン)の力だ!!!!」

 

そう叫んで ファンは身構えた。

右手を掌底の形にして右腕を弓のように引いている。

 

「…………騎士之盾(イージス)

(バッシュ)》!!!!!」

「!!!!?」



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#50 The shield of the tiny courage Part3 ~Bash~

騎士之盾(イージス)(バッシュ)》!!!!!」

「!!!!!」

 

ファンがそう叫んで掌底を放った瞬間、グスがその目で見たのは

 

【自分に向かってくる半透明の緑色の巨大な壁】 だった。その後は目の前が真っ暗になった。

 

彼女はその時 いつか聞いたことを思い出していた。

津波とは、水でできた巨大な壁だということを。今 自分に向かってくる物もそれと酷似していた。

 

グスは全身に衝撃を受け、そのまま後方の外枠に激突した。

 

『こ、ここに来てファン選手の起死回生の反撃!!! あの巨体 グス・オーガンが軽々と吹き飛ばされました!!!!』

 

(…………………!!!!

こ、これがお兄様の………………

聖騎士(パラディン)の力……………!!!!)

 

ファンは心の中で愕然としていた。

今まで 何をされてもなんの抵抗も出来ず、挙句の果てにギルドに依頼を出す 弱者そのものの惨めな行動しか起こせなかった自分が 今こうして その上級生を圧倒しているという事実を理解するのに時間を要した。

 

「……………!!!!」

グスはふらふらとしているものの 何とか起き上がった。

 

 

「どうやらもう1回 教え直さなきゃいけないようだね。

上級生への口の利き方 をねェ!!!!」

 

グスの激昂も今のファンにはまるで 野良犬がただ 吠えているだけのような 弱々しいものにしか聞こえなかった。

 

「………もう勝った気でいるんだろうが、こっちにはまだ切り札があるんだよ!!!!」 「!!?」

 

グスは身構えて全身に力を込めた。

 

「……………………!!!!?」

 

ファンはグスの変貌ぶりに呆気に取られた。

その筋肉は肥大化し、そこに女性らしさは微塵も感じられなかった。

顔も豹変し、ゴツゴツとしているもののかろうじて整っていたその表情も 醜く そして理性を失ったかのようにファンを狙っている。

 

正しくオーク

 

それ以外に形容する言葉が見つからなかった。

 

「…………………………フフフフフフフフフフ!!!!

今更 怖気付いたってもう遅いよォ………!!!!

今からお前は 他の下級生共への見せしめに ズタボロにしてやるからな!!!!」

「…………!!!!」

 

そう言い切った瞬間、グスは全力で地面を蹴った。まるで 砲弾を思わせる巨体が ファンに迫ってくる。

 

考えるより早く ファンは前方に騎士之盾(イージス)を展開した。

グスの巨体を丸ごと拒絶してしまえるような巨大なものを。

 

 

しかし、

 

 

バリィン!!!! 「!!!!?」

障壁が粉々に割れた。

 

「クッ!!!!」

 

ファンは身を捩ってかろうじて躱した。

この類の攻撃を捌く技術も エクスから叩き込まれた物の1つだ。

 

 

コヒュー コヒュー

という 最早言葉とも取れない獣のような呼吸音が後方から響く。

振り返ると グスは既に姿勢を直していた。

 

「グフフフフフフフ!!!

今にその身体をズタズタにしてやるよォ!!!!」

 

その下卑た笑顔から放たれる言葉にファンは動揺を禁じ得なかった。

それは、彼の頭に1つの思考があったからだ。

 

(…………そんな………!!!

僕の、聖騎士(パラディン)の一族の力があんなデタラメなぶちかましに負けたのか………………!!!?

 

 

いや、待てよ。 もしかして………!!!)

 

ファンの思考が整うや否や、再びグスの巨大が迫って来た。

 

『再び仕掛けます グス選手!!!!

万事休すか ファン・レイン!!!!』

 

強襲をかけるグスに対し、ファンは両手をかざした。

 

(お願いだ!! これが失敗したら負ける!!!)

 

再び騎士之盾(イージス)を展開する。

ただし、今度は手のひらに収まるほどの小型の物だ。

 

 

ガキィン!!!!! 「!!!!!」

 

ファンの展開した障壁がグスの額と激突した。しかし、今度は砕けない。

 

 

ガァン!!!!! 「うわっ!!!?」

 

グスは吹き飛ばされ、その反動でファンも仰け反る。

しかし、この攻防で彼は1つの結論に至った。

 

(やっぱり 思った通りだ!!

僕の騎士之盾(イージス)は狭ければ狭いほど硬く、 広ければ広いほど脆くなるんだ!!!)

 

ファン・レインの固有魔法 《騎士之盾(イージス)》は実体化した盾とは違い、魔力の塊である。

故に その範囲が狭ければ狭いほど 魔力が凝縮し硬度は上がり、広ければ広いほど 魔力の密度は下がり脆くなる。

 

「~~~~~~~!!!!」

 

言葉としては聞き取れないが、今すぐにでも咆哮しそうな唸り声が鼓膜を震わせる。

グスの顔には明らかな負傷があった。

 

『こ、これはものすごい出血です!!!

グス選手 先程の衝撃で 頭が割れたのでしょうか!!?

まるで蛇口を完全に開いたかのような おびただしい出血です!!!!』

 

「…………よくも、よくも私の顔に傷を付けてくれたなァ…………!!!!」

「……それがどうした? お前は今日まで一体何人の身体に傷を負わせて来たんだ!!!?」



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#51 The shield of the tiny courage Part4 ~Thrilling Almighty~

「……何人…………だと……!?」

「……そうだ。 お前は今日まで何人の人をいたぶって来たんだ と聞いているんだ!!!」

 

グスはファンの言葉を聞くや否や、グスは肩を震わせた。

 

「私が……誰をいたぶったって…………?

私に殴られるしか利用価値の無いクズの下級生共だろう!!!!!」 「!!!!!」

 

「そしてお前もその1人だろうがァ!!!!」

 

グスは再び突進を仕掛けてきた。

しかし、今度は殴るためではない。

一瞬のフットワークでファンの背後に回り込み、腕を首に回して片方の腕で固めた。

 

『な、何と 打撃技を十八番にしていたグス・オーガン ここに来てファン選手を 締めめ技に引きずり込みました!!!!』

 

「このまま 自分の出過ぎた背伸びを後悔しながら死んで行きなァ!!!!」

 

グスは全力で首を締め上げる。

この方が他の下級生への見せしめになると考えたからだ。しかし すぐに違和感に気づく。

 

(…………!!!?

………何だこの硬さ(・・)は………!!!?)

 

グスが感じたのは硬さだった。

それはファンの首の筋力では到底 説明できないほどだった。

 

「……ま、まさか……………!!!!」

「悪い予感は的中だ。

今 僕は首の周りを囲うように筒状の《騎士之盾(イージス)》を展開している。

締める力ならこの大きさでもガードできる!!!!」

「…………!!!!

な、舐めた真似をォ!!!!!」

 

その言葉に誘発されたかのようにさらに力を込めて首を締め上げた。

その時、

 

 

バガッ!!!! 「!!!!?」

 

グスの顔面を謎の衝撃が襲った。

たまらず仰け反り、拘束を解いてしまう。

 

「……………!!!!!」

 

グスは顔を抑えてうずくまった。

そして、今 彼が首のスナップだけで自分に後頭部による頭突きを見舞ったということを理解した。

 

「今ので鼻の骨が折れた筈だ。

これ以上は続ける意味が無い。」

「何!!!?」

 

「………降参しろ と言ってるんだ。」

「!!!!!」

 

まるでその言葉が起爆剤になったかのようにグスはまさにケダモノとしか形容できない咆哮を上げ、ファンに急接近してきた。

 

「思いあがってんじゃねぇ!!!!

人間風情がァ!!!!!」

 

そのまま右手で全身の力を最大限に発揮した拳を顔面に打ち込む。

 

しかし、

 

 

ボキィン!!!!!

「!!!!! あがァァァァァァァァァ!!!!!」

 

左手同様、 右手も完全に砕かれ 絶叫を上げながら地面をのたうち回る。

 

「………無駄だ。

僕の身体に流れているのは誇り高い聖騎士(パラディン)の血だ。

聖騎士(パラディン)の盾は、こんな品性のかけらもない暴力なんかで壊れたりしない!!!!!」

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!!」

 

 

その時、グスの口が綻んだのを彼女以外 気づかなかった。

 

(…………その油断が命取りなのさ、聖騎士(パラディン)!!!!)

 

再びグスは拳を振るった。

しかし それはフェイントで、本当の攻撃は膝による腹への攻撃だ。

 

(これなら間に合わない!!!

地獄を味わいな!!!!)

 

 

ズドォン!!!!! 「!!!!」

 

グスの膝が完全にファンの腹を捉えた

 

 

 

かに思えた。

 

 

「ァガァァァァァァァァァ!!!!!」

『グ、グス選手 再び地面に倒れ伏した!!!!』

 

グスの膝の皿が完全に砕けた。

そこから考えられるのは、ファンのガードが間に合った ということだけだ。

 

「……『なんでガードが間に合ったんだ』って顔だな。簡単な事だ。

まず、無事な武器がもう足しかない事。

それから 僕が局所的なガードしかできない事を知っているということ。

 

それだけの情報があればお前の行動を読むなんて簡単な事だ!!!」

「〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」

 

ファンの言った 局所的なガードでグスのフェイントに対処出来る というのは嘘偽りない事実である。

しかし、それは1回でも失敗すれば命取りになる という極限の集中があってこその産物である。

 

エクスとの過酷な特訓と強靭な精神力を持って初めて成立する荒業

それをファンはこの土壇場でやってのけたのだ。

 

「両の拳は砕け、更には片足も失った。

最早 動くことすらままならない。これだけ言えば分かるだろう?

それに、

 

 

これ以上はお前達と同類になってしまう。

そんなことを僕は求めていない。

だから、降参するんだ。」 「!!!!!」

 

「悪いけど、これからレフェリーさんに報告して来る。」

 

そう言ってファンは背を向けて去っていく。

その時 グスの頭には様々な思考が混濁していた。

 

下級生に完膚なきまでに叩き潰された屈辱

公衆の面前で這いつくばらされた羞恥

 

そして、下級生に情けをかけられた事

 

その感情の全てが起爆剤となった結果、グスの身体は勝手にファンに向かっていった。

残った片足で地面を蹴り飛ばし、全体重を乗せたシンプルなタックルだ。

 

 

(………あぁ、お兄様。

あの時の言葉はこういう事だったんですね。)



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#52 The shield of the tiny courage Part5 ~Stop the pike. Protect the weaker.~

5年前

 

「ファン、お前は《イージス》を知ってるか?」

「? イージス………ですか?」

「そうだ。それは 女神が用いる防具。

つまり、女神を守るという使命を背負う盾 と言うわけだ。」

「……それが、どうかしたんですか?」

 

「厳しいことを言うようだが、お前は剣の腕が立たない。

だから、お前は盾になれ。

自分の大切な人を守るための盾にな。」

「………盾に ですか…………」

 

「それから、あの窓を見ろ。

兵士達がマーシャルアーツの特訓をしてるよな?」

「……はい。」

「マーシャルアーツ、言い換えて《武道》

お前は、《武》という字をどう書くか知ってるか?

 

《戈を止める》と書くんだ。」

「?」

 

「これから成長していく中で様々な理不尽がお前を待ち受ける。時にはそれがお前の大切な人に向くこともざらにあるだろう。

その時、お前は盾としてその理不尽な暴力という《戈》を《止める》

 

そんな聖騎士(パラディン)を目指せ。」

 

 

 

***

 

 

(………お兄様。

僕はあの時、あの言葉の意味がまるで分かりませんでした。

だけど、今ならしっかりと分かります。

 

僕の《騎士之盾()》はこのために、このような理不尽な暴力からみんなを守るためにあったんですね。)

 

グスは今まさに、その五体を砲弾に変えてファンの息の根を止めんと急接近している。

その事さえもファンには手に取るように理解出来た。

 

(………分かりました お兄様。

僕はこの日、この時から 自分の大切な人を守ることが出来る《盾》になります!!!!!)

 

ファンは振り向きざまにグスの顎を掴んだ。

グスの身体に乗っていた凄まじいスピードは顎を支点にして上方向の力に変わり、下半身は中に舞い、対称的に上半身は下方向へ急降下する。

 

 

ズドォン!!!!! 「!!!!!」

 

グス自身の全速力と全体重が乗ったカウンター投げが炸裂した。

グスは後頭部から地面に激突し、その意識は完全に闇に葬られた。

 

 

『こ、これは…………………!!!!!』

「しょ、勝負あり!!!!!」

 

一瞬の事に圧倒されていた観客席はその宣言で我に返ったかのように熱狂の声を上げた。

 

『つ、遂に勝負が決しましたァ!!!!!

なんと、なんとファン・レインがあの筋力の要塞 グス・オーガンに引導を下し、白星を掴みました!!!!

これこそまさに、下克上!!!!

この目で見ても信じられません!!! グス・オーガンが無残にも地面に倒れふしています!!!!!』

 

 

***

 

 

控え室

 

哲郎はアリスと共に待機していた。

そこにファンが歩み寄ってきた。改めて見ると、全身が生傷と鮮血に覆われており、見るに堪えない有様である。

しかし、彼はその状態でこの公式戦の始まりを白星で飾ってくれたのだ。

 

「ファンさん!! お疲れ様でした!!!」

 

哲郎はハイタッチをしようとファンに駆け寄ったが、それは叶わなかった。

ファンはまるであやつり人形から糸が切れたかのように膝から崩れ落ちた。

 

「おおっと!?」

 

哲郎は咄嗟に かろうじてその崩れ落ちる身体を受け止めた。

声をかけようとして、彼の意識が途切れていることに気付いた。

 

「……無理もない。もう既に限界だったんだ。」

「エクスさん!」

 

声の方へ振り返ると、そこにエクスが立っていた。

 

「あの時、最初に受けたタコ殴りの時点で身体は限界だった。

もしあと少しでも受けていれば、あと少しでも精神力が綻んでいたら、結果は違っていた。きっとファンの方が先に地面に顔をつけていただろう。

傍目で見たら圧勝に見えたかもしれないが、実際はどっちが勝ってもおかしくなかった。」

 

「……実の弟の成長を 素直に認める気は無いんですか?」

「過剰な評価は慢心を招くだけだ。

こういう時に叩いてこそ戦士は伸びる。」

 

エクスの冷たくも核心を突いた言葉に哲郎は返す言葉を失っていた。

 

 

***

 

 

ファンとグスの試合から僅か10分と少し

観客席の注目は既に新しい試合に向けられていた。

 

『さぁさぁ皆様 お待たせ致しました!!!

お次もまたまた異色のカードが出揃いました!!!!』

 

 

次鋒線を闘うアリスは、遂に試合会場に降り立った。

視線の先では茶髪の男が澄ました顔をして佇んでいる。

 

「改めて自己紹介しよう。アリス・インセンス君。 僕は ロイドフ・ラミン。

 

先程はあの雌豚(・・)が粗相をして申し訳無かったね。彼女は僕らが責任を取って処遇を決めておくから、安心して。」

「…………………」

 

アリスは彼の言葉に何の反応も見せようとしなかった。その笑顔の奥底に得体の知れない何かを感じ取ったからだ。

 

「……それから欲を言うとね、君にはこんな無謀(・・)な試合は止めて欲しいんだ。

僕はこう見えて紳士な人間だからね。

それでも僕と戦うと言うならば仕方ない。

 

すぐに場外に追い出してあげよう。」

 

ロイドフ・ラミン

彼の背中から無数の蔓が伸びていた。



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#53 Alice in Wonderforest

「…………蔓……!!?」

 

アリスの注意はロイドフの背中から生えている奇妙な蔓に集中していた。

 

『それでは公式戦 次鋒戦

始めてください!!!!』

 

「………最初に言っておこう。

君は僕には勝てない。」 「!!?」

 

 

シュパッ!!!! 「!!!?」

 

その言葉を言い終わった直後、アリスの鼻先に何かが飛んできた。

咄嗟の判断でそれを横に跳んで回避する。

 

「…………!!? 蔓!!!?」

 

アリスの視線の先にあったのは、植物特有の光沢を纏った緑色の球体と、そこに繋がれていたひも状の物体だった。

それを蔓 以外の何物にも形容できなかった。

 

空中で何とか姿勢を立て直し、着地に成功してアリスはロイドフと向かい合った。

 

「……エクス・レイン

彼と特訓したって話は本当だったらしいね。

僕の初撃を躱したのは、あの人(・・・)以来だよ。」

(………あの人……!?)

 

彼の言う《あの人》とは、彼らを束ねているラドラ だろうと結論付けた。

 

「ご褒美に、後ろのヤツを見せてあげよう。」

「……………………………… !!!?」

 

ロイドフの背後から奇妙な風体をした植物が現れた。

その植物の大部分はウツボカズラのようにずんぐりとしており、口にはおぞましい牙が無数に生えていた。

下側には足のように無数の根が生えており、翼まで生えているその姿はまるで植物のようには見えなかった。

 

「嘘だろ!!?」

「あれってまさか!!」

「なんであれが!!?」

 

その異形の姿を見るや否や、観客席からはどよめきの声が響いた。

哲郎はその理由を理解できなかった。

 

「…………?」

「まさかあれを手にしていたとは………

…………まずいな。」

「まずい!? そんなに危険な物なんですか!!?」

 

「……そうだ。異世界(ここ)に来て間もないお前は知らないだろうが、あれは厳重な管理下でしか飼育を許可されていない危険植物

名を《ヘルヘイム》という。」

「………ヘルヘイム………!!?」

 

哲郎はその名前になみなみならない物を感じた。

 

「……あれはまだ下等種の幼体だが、それでも攻略は厄介だぞ。」

「下等種?」

「……そうだな。

人間で例えるなら、あれは俺達から見た猿のようなものだ。 あの種族が進化した人間体が、ある組織の幹部を担っているという話もあるくらいだ。」

 

哲郎は再び試合会場に視線を送った。

あのずんぐりとしたなんとも名状し難い植物に本当にそれほどの危険度があるのか 未だに半信半疑だった。

 

「ラドラの事だ。間違いなくヘルヘイムを完全な管理の下 育て上げたのだろう。

それにロイドフ・ラミン やつの植物飼育の技術の高さはプロを含めてもかなり高い水準にあると聞く。」

「しかし何でしょう あの余裕満々の顔は?」

「それはヤツの《習性》 故だろうな。」

「習性?」

 

 

***

 

 

 

「どうしたんだい? 全然 来ないじゃないか。この《ヘルヘイム》が怖いのかい?

もう分かっただろう? 僕はあの筋力しか能がない単細胞とは違う。

ましてや君と僕との実力差は歴然。

今ならまだ遅くはない。

降参を━━━━━━━━━━━━」

 

その言葉が言い終わる前にアリスは地面を蹴り、ロイドフに向かっていった。

しかしその姿勢が崩れた。

 

「!!!?」

 

咄嗟に見ると、脚に蔓が巻きついていた。

いつの間に巻き付かれたのかという疑念が頭をよぎるよりも早く、その身体は宙を舞った。

 

ズドォン!!!! 「!!!?」

 

アリスは地面に叩きつけられた。

 

 

「何だ!? 何をしたんだ!!?」

「見ただろう。あれがヤツの習性だ。

ヤツは植物だから自我は持たない。ただし、《人間の攻撃の意思》に反応して対象を攻撃したり、場合によっては 捕食することもある。」

「攻撃の意思!!?」

「そうだ。 早い話、あの習性をどうにかしないとあいつに勝機はない。」

 

 

***

 

 

「…………!!!」

 

『土煙の中らアリス選手、再び立ち上がりました!!!

その目には、未だに闘志が失われていません!!!!』

 

「今ので分かっただろう? 僕はこのヘルヘイムをちゃんと育て上げたんだ。

【攻撃しようとした者を場外に落とせ】と躾てね。

そして、僕が植物を武器に使う事しかできない凡才だと思っているならそれもまた命取りだよ。」 「!!?」

 

その突如、ロイドフは地面を蹴り アリスに向かって仕掛けた。その予想外の行動にアリスは一瞬 たじろぐ。

その隙をついてアリスの手首を掴み、捻って姿勢を崩した。

 

ドゴッ!!! 「うぐっ!!?」

 

アリスは地面に叩きつけられ、完全に組み伏せられた。

 

『こ、これは信じられない光景です!!!

あの ラドラ寮のロイドフ選手の身体から、マーシャルアーツが飛び出しました!!!』

 

「……驚いたかい? 言っておくけど僕はマーシャルアーツが下等だというあの人の考えた方を否定してるわけじゃない。

だけど、僕のような人間なら優秀な武器になることは認められている!!

さぁ、おしゃべりはここまでだよ。

降参するんだ アリス・インセンス君!!!」



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#54 Muscle-building collagen

『これは苦しい アリス・インセンス!!

完全に組み伏せられてしまった!!!』

 

場内の熱狂は比較的 穏やかなものだった。

それもあのロイドフの実力をその場にいた全員が理解していたからだ。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!」

「もう一度だけ言おう アリス君。

今すぐに降参するんだ!!」

 

 

アリスがこの口撃に屈する事は決して無かった。否、もしこれが先鋒戦であったのなら 考えは揺らいでいたかもしれない。

しかし、今の彼女には決して屈さないという確固たる決意があった。

 

その支えとなったのは、先程の試合でファンが()せたあの激闘である。

ギルドに一緒にいじめ問題の解決の依頼をした友達が自分達のためにあそこまで奮闘してくれた。

その事実が逆境に立たされている今の彼女を支えていた。

 

「……じゃあ何かい?

さっきの聖騎士(パラディン)の友達が頑張ってたから自分も頑張ろう と言いたいのかい?

確かに育ちが良ければそういうまぐれも起きるかもしれない。だけど君はどうだ?

別に抜きん出た能力があるわけでもないしましてや優れた血が流れている訳でもない。

 

そんな君がたった2週間 努力したくらいで僕たちとの差を埋められるとでも考えているなら

 

悪いけど 君の正気を疑わざるをえないよ!!!!」 「!!!!」

 

 

毎日2、3時間を2週間

合計時間にして約一日とちょっと

上級生との実力差を埋めるにはあまりに乏しい時間だ。

 

しかし、その乏しい限られた時間でも絶対に公式戦に勝って今もどこかで苦しんでいるはずの仲間(・・)達を救い出すという確固たる決意を胸にエクスとの特訓を耐えしのいだのだ。

 

そのエクスへの恩義を返す事も、この公式戦でやらなければならない事の一つだった。

 

 

(………慌てちゃダメ。

《その時》は絶対に来る。気を取られて拘束が緩む時が絶対に…………。

仕掛けるのはその時!!!)

 

 

「………悪いけど、これ以上は待てないよ。

どうしてもと言うなら、あっちにいるヘルヘイムに引導を━━━━━━━━━━━━

 

(今だ!!!!)

 

!!!!?」

 

ロイドフの押さえ込みが緩んだ一瞬を見逃さず、アリスは掴まれていた腕を抜け、脱出した。そして動揺してロイドフに一瞬出来た隙をついて━━━━━━━━━━━━━

 

 

ガッ!!! グイッ!!! 「な、何ッ!!!?」

 

まず、うつ伏せの状態から海老反りの要領で下半身を浮かせ、そのまま足でロイドフの首に組み付いた。

そして背筋を使って起き上がり、その上半身は完全にロイドフより上に行った。

 

あまりにも一瞬の事に、観客席は呆気に取られている。

 

「あ、あれってまさか━━━━━━━!!!!」

「そうだ。魔界コロシアムで、お前がゼースの小僧を切って落とした技だ。

実は俺も、あの観客席に座っていた。

そこで見たあれを、お前には内緒で伝授していたんだ。」

 

 

***

 

『こ、これは信じられない光景です!!!

なんとアリス選手、ロイドフ選手の拘束から脱出し、あまつさえ 逆に技をかけることに成功しました!!!!』

 

「バ、バカな……………!!!!」

「残念ですがロイドフさん、終わらせて貰います!!!」

 

エクスによって哲郎の動きを叩き込まれたアリスが次にとる行動も決まっていた。

 

『ああっ!!

アリス選手、今度はロイドフ選手の後方に回り━━━━━━━━━━━━』

 

そのままアリスの全体重によってロイドフの身体は地面に倒された。

 

『こ、今度はアリス選手がロイドフ選手に対してマウントを取ったァーーーーー!!!!』

 

(哲郎さんは、ここから裏返って相手の足を掴んで折り曲げて関節を極めたんだっけ。

だったら私も…………………………

 

!!!?)

 

その時、アリスが感じた違和感は 【浮遊感】である。

今 寝技を掛けている彼女が感じるはずのない浮遊感を 背中に感じていたのである。

 

 

「…………………………………えぇっ!!!!?」

 

アリスは信じられないものを見た。

自分の両足を掴み、ロイドフが脚の力だけでアリスごと起き上がろうとしているのを。

そして、その両脚に何か緑色の紐状の物が巻きついているのを哲郎は見逃さなかった。

 

「何ですかあれ!!?」

「………《プロテンアロエ》だ。」

「プロテンアロエ!?」

 

 

プロテンアロエ

ラグナロクに存在する植物の一種。

極めて安価でありふれた植物であり、加工することで作られる健康食品は庶民にも広く普及している。

また、人体にコラーゲンの部分を巻き付けることで、一時的に筋力を活性化させる。

 

「………だが、普通ならあれを巻き付けた程度ではあそこまでの力は出ない。」

「え? そうなんですか?」

「ああ。あれのコラーゲンをそのまま摂取して得られる効果など 高が知れている。

元から脚が鍛えられていなければああは行かない。」

 

「だけど、どうするんですか!!?」

「どうするも何も、俺たちにできることは無い。できるのは信じて見守ることだけだ。」



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#55 Fall to the hell

「……あれって………プロテンアロエ だよね………?」

「近所の市場で売ってるの見た事あるぞ?」

「あれであんな事できるのかよ………!!」

 

観客席も目の前で起きている光景に動揺し、あちこちからどよめきが起こっていた。

そして、哲郎も心の中でとはいえ動揺を見せていた。

アリスが今使っている技が自分も得意としていた物だったからだ。そしてその技を見舞ったゼースも決して弱いわけではなかった。

仮にまた立ち合うことがあったとして、楽に勝てる保証はない。

 

それだけの技をいとも簡単に返しているこの光景に肝を抜かれていた。

そして、ロイドフの身体は遂に地面と垂直になった。

 

『つ、遂にアリス選手の寝技を切り返し、ロイドフ選手 立ち上がったァーーーー!!!!』

「………………!!!!」

 

アリスはロイドフの肩の上で呆然としていた。自分の切り札の1つだと自負していた技をいとも簡単に返されてしまった事実は彼女の心に少なからずダメージを残した。

 

いくらプロテンアロエという補助を使っていても、それの基盤となっているのはロイドフ自身の脚力である。

これが上級生()の実力なのか と思考を巡らせた その時

 

バッ!!! 「!!?」

 

アリスの身体は宙を舞った。

ロイドフが彼女を方に乗せたまま飛び上がったのだ。

当然 上半身の方が重いので、アリスを乗せたロイドフの身体は空中で姿勢を変え、アリスの頭が一番下になった。

 

(!!! まずい!!!!)

 

そう思った時には既にアリスは頭から地面に叩きつけられていた。

 

「!!!!! アリスさん!!!!」

 

哲郎はたまらず観客席の柵に乗り出した。

 

『き、決まったァーーー!!!!!

固め技を返されたロイドフ選手が、逆にアリス選手の寝技を返し、そして強烈な投げ技を見舞ったァーーーーーー!!!!!』

 

「頭から行ったよな…………!!?」

「死んだんじゃないのか…………!!?」

「おい誰か!! 医者を呼んでこい!!!!」

 

『さぁ勝負が付いてしまったか!!?

先鋒戦で我々は聖騎士(パラディン)の血筋が勝利を収める奇跡(・・)を見ましたが、奇跡は何度も起こらない!!

 

アリス選手は、ロイドフ・ラミンという圧倒的な力に屈してしまったか━━━━━━━

 

い、いや!!!!』 「!!!!?」

 

ロイドフも咄嗟に振り返った。そして、その目を疑った。

アリスが息を切らしながらも立っていた。

 

『た、立っているぅーーーーーー!!!!

なんとアリス・インセンス!! あの絶体絶命の状況から奇跡の生還だァーーーー!!!!』

 

「バ、バカな…………!!!!

…………!!?」

 

驚愕の後でロイドフの視線は彼女の両手に移動した。その手が赤く腫れていた。

 

「ま、まさか!!」

「えぇ。 何とか受身が間に合いました!!」

 

アリスは頭から激突する直前で両手を後頭部に回してクッションにし、難を逃れたのだ。

しかし、自身とロイドフの全体重を受けた両手が無事で済む筈がない。

窮地に陥っていることに 変わりは無かった。

 

 

「よ、良かった……………!!!」

 

目の前で友人の命が失われたのではないか という不安が払拭され、哲郎はたまらず胸を撫で下ろした。

 

「何が『良かった』だ。

少しは彼女の実力を信じたらどうだ?」

「!? じゃあ何ですか?

彼女が受身を取ることを予測してたって言うんですか!!?」

「当然だ。 誰があいつを鍛えたと思っている。」 「!!」

 

哲郎はその言葉ではっとさせられた。

ファンとアリスの二人を鍛えたのはこのエクスであり、彼は二人の成長も実力も理解しているはずだと 再確認した。

 

「……すみません。

少し熱くなってしまって。」

「構うな。」

 

 

 

***

 

 

『さぁ 両者再び向かい合った!!

一瞬 目をそらすことも許されない緊迫の展開が続くこの一戦!!!

ここから果たしてどのような展開を見せるのか!!?』

 

 

しばし見合った直後、ロイドフの背後から2つの紐がアリス目掛けて飛んで行った。

彼の使役する ヘルヘイム の蔓である。

 

「ッッ!!!」

ガッ!! ガッ!!!

「!!?」

 

飛んできた蔓をアリスは両脇に挟んで固定した。

 

『つ、掴んだ!! ロイドフ選手の秘密兵器 ヘルヘイムの動きが封じられた!!!』

 

それでも構わずヘルヘイムの蔓はアリスの二の腕に巻きついて締め上げる。

 

「ッッ………!!!」

 

既に負傷した腕に鈍痛が走るが、構わずにアリスは身体を振るった。

 

「ヤアァッッ!!!!!」 ブチンッッ!!!!!

「!!!! 何ッ!!?」

 

アリスの回転に巻き込まれてヘルヘイムの両腕に当たる蔓が引きちぎれた。

 

『蔓がブっちれたァーーーー!!!!!』

 

ヘルヘイムの両腕がだらりと情けなく垂れるのをロイドフは呆然として見ていた。

 

「……私もヘルヘイム(それ)のことを全く知っていないわけではないんです。

蔓などの再生には最低でも数時間は掛かるってこともね!

その【武器】はもう使い物にはなりません!!!」



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#56 Big lance of the vine

『ここに来てアリス選手、ロイドフ選手の矛であるヘルヘイムの蔓を奪ったァ!!!』

 

「…………………!!!」

 

ロイドフはしばし 呆然としていた。

余裕では勝てずとも苦戦はしないであろうと高を括っていたこの下級生に自分の頼る【武器】を奪われた事実を受け入れるのは用意ではなかった。

 

「………………!!

ヘルヘイムを奪って、それで勝ったつもりでいるのか………。」

 

ロイドフはアリスの顔を見てそう言った。

その言葉を虚勢に捉える者は1人としていなかった。それは全員がロイドフの実力はヘルヘイムという武器が1つ失われただけで無になる物では無いと理解していたからである。

 

「………確かに君を見くびっていた。

ここからは僕も本気で行こう。」 「!!」

 

ロイドフは懐から種子のようなものを複数個 取り出した。

そしてそれを自分の後ろに投げた。

 

「…………!!!」

『こ、これは……………!!!』

 

種子が発芽してロイドフの背後に巨大な蔓が伸び、彼の周囲を覆った。

 

『ロイドフ選手、今度は巨大な蔓を展開だァーーーーーー!!!!』

 

その直後、アリス目掛けて巨大な蔓が飛んできた。アリスはそれをかろうじて躱す。

しかしその後、

 

ドガッ!!! 「!!?」

 

アリスの腕を衝撃が襲った。

見ると、ロイドフの拳がアリスの両腕のガードに直撃していた。

その腕には件の【プロテンアロエ】が巻かれている。

 

(つ、蔓を牽制に…………!!!)

 

吹き飛ばされる最中、アリスはロイドフの戦法の変化を考察していた。

今までのヘルヘイムに重点を置いた戦法は完全に捨て、背後の巨大な蔓を【サブウェポン】にして本命はプロテンアロエで強化した五体による格闘。

 

詰まるところ、ロイドフは格闘でアリスとの決着をつけるつもりなのだ。

 

(……格闘ですか。 なら、やることは1つ!!)

 

アリスは踏みとどまり、飛んでくるロイドフの拳を受け止め、そして空中でその首を両足で固定し、全体重を掛けた。

 

「おあっ!!?」

『う、腕十字だ!!! ロイドフ選手、再び組み伏せられてしまった!!』

 

「くぬっ…………!!!!」

アリスは寝そべったまま全背筋を使って仰け反り、ロイドフの関節を極めにかかった。

 

『さぁアリス選手、追い討ちをかける!!

このままロイドフ選手の腕を 折ってしまうのか!?

 

い、いや!!!!』

 

その時、ロイドフは固められていない方の腕を地面に付け、そこに筋力を集中させた。

プロテンアロエで強化された腕には筋肉が集まり、やがてアリスの身体に再び【浮遊感】が襲った。

 

そして、

 

ブオッ!!!! 「!!!?」

『な、投げた!!!! ロイドフ選手、再びアリスの寝技を強引に切り返したァ!!!!』

 

アリスは投げ飛ばされ、空中を横断する。

そこにロイドフの追い討ちが襲う。

 

「終わりだ!!!」 「!!!!」

 

空中で無防備なアリスに無慈悲な蔓の槍が襲う。しかし、それでもアリスの思考は冷静だった。

 

ガッ!!! 「!!?」

 

アリスは空中で蔓の槍を受け止めた。

そしてそのまま身体を翻す。

 

『こ、これは一体━━━━━━━━━!!?』

 

 

「あ、あれって………!!!」

 

そう言ったのは哲郎だった。アリスのとった動きに見覚えがあったからだ。

そう。 アリスが今とっている動きは魔界コロシアムで自分がサラの使った《炎之龍神(サラマンダー)》に対して使った技だったからだ。

 

「ハイヤッッ!!!!」 「うおっ!!?」

 

ロイドフは蔓を掴んでいた。その蔓に引っ張られて彼の身体は宙を舞った。

 

ズダァン!!!!! 「!!!!! ガハッ!!!」

 

ロイドフは背中から地面に強かに打ち付けられた。全身に走る激痛と乱された呼吸で地面をのたうち回り、グロッキー状態になっている。

 

その隙を見逃す事無く、アリスは飛び上がった。そしてそのままロイドフの腹に全体重を乗せた蹴りを見舞おうとした

 

 

その時、アリスの脚に件の蔓が巻きついた。

蔓のしなやかで豪快な動きに引っ張られてアリスの身体は空を切る。

 

ドゴォン!!!!! 「!!!!! ガハッ!!!!」

 

今度はアリスが背中から地面に打ち付けられた。

 

『なんという熾烈な勝負だ!!

ロイドフ・ラミンを相手取り、アリス選手、1歩も譲りません!!!

そして凄いのはロイドフ選手も同じ!!

付け入る隙を、全く与えません!!!!』

 

互いにグロッキー状態が続いたが、それも終わりを告げた。

 

『おおっと! ロイドフ選手、立ち上がりました!! しかしこれは一体!!?

彼の背後の蔓が、まるで『黙って見ていろ』と命じられたかのように、その場に静止している!!』

 

「…………………??」

 

ロイドフは地面に伏しているアリスを見下ろしていた。

 

『何をしているのか!? ロイドフ・ラミン!!

あと一撃でも入れればそれで終わるのに、全く動きを見せない!!!』

 

「……………………???」

「何をしているんだ。起き給え。

 

起きて戦い給え!!!」 「!!!」



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#57 Scatter brilliantly

「……………何だって…………!!!?」

 

哲郎は自分の耳を疑った。

もし 間違いがないのならば彼、ロイドフは今『起きて戦え』と言ったはずだからだ。

平気で下級生をいじめるような人間の口からは到底 聞こえるはずのない言葉だった。

 

哲郎と同様に 会場にも戸惑いとざわめきが起こっている。

 

『き、驚愕の一言が飛び出したッッ!!!!

何と、起きて戦えと!!!

下級生を相手取り、正々堂々と決着をつけるつもりなのか!!? ロイドフ・ラミン!!!!』

 

実況の言葉か、あるいは会場のどよめきか もしくはその両方か。

とにかくそのいずれかによってアリスは意識を取り戻した。そして、その身体を地面と垂直にした。

 

『た、立ち上がったァーーーーー!!!!

アリス・インセンス!!! まるで 我々の期待に応えんとばかりに立ち上がってくれました!!!!

 

一瞬も目が離せない展開が続くこの次鋒戦も遂に最終局面を迎えるのか!!!?』

 

アリスは会場の期待に身構えることによって応えた。この2週間 エクスに骨の髄まで叩き込まれた兵士が素手で闘うための構えである。

一方のロイドフも臨戦態勢に入った。

両腕両足に件の プロテンアロエを巻き、その手首からは無数の蔓が伸びている。

 

「………信じていた。必ず起き上がってくれると。」

「…………………」

「約束は守る。

君が勝ったら、僕は、(いや)、グズやアイズンにも二度といじめをしない と誓おう。」

 

『さぁ 両者動きません!!

ある意味ではパリム学園のこれからがかかっていると言っても過言ではないこの一戦!!!

最後に立っているのは、果たしてどちから!!!?』

 

この公式戦のルールは【殺害以外の全てを認める。どちからが敗北を認めるか、動けなくなるまで続く。】というものである。

つまり、殺さなければ武器だろうも魔法だろうと使っても良いということだ。

 

丸腰のアリスに対し、ロイドフは【ヘルヘイム】や【プロテンアロエ】等の植物を多用している。それでも会場にいる全員がそのハンデを肯定している。

 

その逆境の中でアリスに残された選択肢は1つしか無かった。

 

 

「はああああああああッッッ!!!!!」

 

アリスが全力で地面を蹴り、ロイドフとの距離を詰める。対するロイドフはそれを読んでいたかのように蔓を鞭の要領で振るった。

 

バチィン!!!! 「!!!!!」

 

しなやかかつ強固な鞭がアリスの左腕を直撃した。2人分の体重とヘルヘイムの蔓の締め上げを食らっている腕に追い討ちの如く炸裂したその衝撃は彼女の腕を完全に破壊してしまった。

それでもアリスは止まらず、遂に間合いに入った。

 

アリスは負傷した腕は使わず、残っていた両脚を武器に使ってロイドフに渾身の蹴りを何度を見舞った。

 

脚には腕の3倍から4倍の力が備わっていると言われている。加えて射程も上となれば、それを使わない手は無かった。

 

『こ、こんな打撃戦は前代未聞です!!!

アリス・インセンス!! まるで花園に舞う蜂のように、ロイドフ選手の身体にその蹴りを突き刺している!!!!』

 

エクス直伝の蹴りは確実にロイドフの体力を削っていった。ロイドフも腕や蔓を最大限に活用してその蹴りを捌いているが、遂に決定打が放たれた。

 

(!!! そこだッッッ!!!!!)

 

アリスは一瞬見えた右腕の関節に出来た隙を見逃さず、そこに蹴りを突き刺した。

けたたましい音が響いてロイドフの右腕があらぬ方向に曲がってしまった。

 

(よし!!! 次に━━━━━━━━━━━━)

 

アリスは脚を構え、ガードできなくなった右のこめかみにつま先を突き刺そうと構えた。

 

「 !!!! 止せ!!!!」

 

そう叫んだのはエクスだったが、当時のアリスの耳には入らなかった。

 

「!!!?」

 

突如、アリスの姿勢が崩れた。咄嗟に見ると、蹴り足とは逆の脚が蔓に巻き付かれ取られていた。

それは、ロイドフの右手から伸びていた蔓だった。

 

「…………………フフ」「!!!!」

「見誤ったな。アリス・インセンス。

この勝負、

 

僕の勝ちだ!!!!!」 「!!!!!」

 

負傷した右腕の手首を左手首で掴み、両腕の力を使ってアリスを全力で投げ飛ばした。

アリスの身体は一直線に吹き飛び、そしてそのまま試合会場を飛び越えてしまった。

 

『こ、これは━━━━━━━━━━!!!!!』

「じ、場外!! 場外!!!

勝負あり!!!!!」

 

あまりに突然の幕切れに、会場は戸惑いを隠せなかった。

 

『決着ゥゥゥーーーーーー!!!!

アリス・インセンス 公式戦に散る!!!

勝ったのはロイドフ選手だァーーーーー!!!!!』

 

 

「場外!!? 馬鹿な!!!

そんなこと一言も━━━━━━━━━━」

「いや、間違いはない。公式戦だけでなく、パリム学園の全ての試合では場外負けが設定されている。

今更 言う必要も無いという判断だろう。

 

 

それに、この試合はロイドフの完全勝利だ。

 

あの一瞬、自分の右手を餌にしてアリスの隙を作った。その【覚悟】が勝敗を分けたんだ。」

「…………………………!!!!!」

 

哲郎も言う言葉が見つからなかった。

予期していない事態になったからだ。



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#58 Iron fist

「…………すみません!!!!」

控え室

アリスは悲痛な思いの中、哲郎とファンに頭を下げた。

 

「いえいえ!謝ることはありませんよ!

あなたが精一杯頑張ったのは僕らが1番よく知ってますから。

第一、上級生相手にあそこまで頑張れただけで十分 御の字でしょう!」

「……………そうですけど、しかし…………!!!」

 

哲郎にはアリスが何故ここまで気負いしているのか理解出来ていた。

先鋒戦でファンが限界寸前まで死力を尽くして勝利をもぎ取ったのに対し、アリスはまだ余力が残っているにも関わらず【場外負け】という不甲斐ない結果で惨敗したからだ。

 

「………大丈夫です。

僕は必ず勝ちます。そして、このパリム学園を救ってみせます。そのためにここに来たんですから。」

 

哲郎はせめて彼女の心が少しでも楽になればいいと思ってその手をとって語りかけた。

 

「……………ありがとうございます。」

「では、行ってきます。」

 

哲郎は控え室を後にして試合会場(戦場)へと歩を進める。

彼の中には2人の人間 《田中哲郎》と《マキム・ナーダ》の2人分の使命感が混在していた。

 

 

***

 

 

『急展開に続く急展開!

この公式戦、いよいよ結末が読めなくなって参りました!!!

両組共に一勝一敗!!泣いても笑ってもこれが最後の試合!!!

この一線で、全てが決します!!!

それがこのパリム学園のこれからを決するのは、決定づけられた運命なのです!!!!』

 

そのはきはきとした宣言と共に会場が熱狂に包まれた。彼らの注目はこの大将戦に集中していた。

 

『それではただ今より、大将戦を始めたいと思います!!!!!』

 

哲郎改めマキム・ナーダは相手と向かい合った。

アイズン・ゴールディ

 

向かい合って改めて分かるのは、その表情が慢心で構成された下卑た笑顔に汚されているということだ。

 

「こいつがオレの相手だァ!!?笑わせんな!!!

おい!! くたばりたくなかったら さっさと降参するんだな!!!!」

 

哲郎はその罵声に反応しなかった。するとアイズンが歩きよって至近距離で睨みをふっかけてくる。

 

「………チョーシに乗んなよ ガキが。

これ以上オレを怒らせると腕の骨をここに置いていくことになるぞ?」

 

「………今僕に手を出すと、ルール違反で失格になりますよ?」 「!!!!」

 

哲郎は冷静さを崩さず 淡々とした口調でそう言い放った。アイズンもたじろいだがすぐに冷静さを取り戻し、元の位置に戻る。

 

「武器 そして魔法の使用を認めます。

どちらかが負けを認めるか、動けなくなった時点で試合は終了します。」

 

2人の間に立ったレフェリーの発言が試合開始の合図の前座だった。

 

「両者 下がって!」

 

哲郎はアイズンと距離をとった。

これから起こる結果が全てパリム学園の将来に反映されるのだ。

 

『それでは大将戦

始めて下さい!!!!!』

 

(…………まずは様子を……………

!!!!?)

 

その瞬間、哲郎は瞬時に嫌な予感を察した。

 

ズドォン!!!!! 「!!!!!」

 

直後、哲郎の腹に硬い何かが直撃する。

 

(………………!!!? な、何だ…………!!!!?)

 

哲郎はかろうじて冷静に攻撃してきた何かの正体を確認した。

 

(………!!? 鉄柱!!?

…………そうだ!! 思い出したぞ!!!!)

 

瞬時に鉄柱が攻撃してきたことを理解し、そして彼が鉄柱を具現化する魔法を扱うことを思い出し、それが地面から生えてきたのだということを理解した。

 

腹へのダメージはすぐには《適応》出来ず、哲郎はそのまま地面に落ちた。

 

『 き 決まったァーーーーーー!!!!!

強烈な先制攻撃!!! アイズン選手の固有魔法 《鋼鉄之拳(アイアン・フィスト)》が炸裂したァーーーーーーーー!!!!!』

 

哲郎の腹のダメージはほとんど適応していたが、すぐには立ち上がらず 苦しむふりをして出方を伺うことにした。

 

『ダメージは決定的か!!?

マキム選手、立ち上がれない!!!!』

 

「…………こんなもんかよ。呆気ねぇな。」

 

思った通り、アイズンは自分がダメージを負って立てないと思い込んでいる。

このまま油断を誘っていればいずれ 攻撃の機会はやってくるだろう。

 

「…………終わらせるか。」

 

アイズンは悠々と哲郎に近づき、手の平をかざした。そこに小規模だが魔法陣が浮かび上がる。

 

(手の平(あそこ)から魔法か!!)

 

頭の所を狙って放たれた鉄柱を身を翻して躱す。

 

『マ、マキム選手 かろうじて難を逃れた!!!』

 

 

***

 

 

観客席

ファンとアリスが哲郎の試合を見ていた。

 

「テ、テツロウさん 何をやってるんだ!!?

あの時はお兄様と張り合っていたのに!!!」

「ま、まさか手を抜いてるんじゃ……!!!」

 

「そんなはずが無いだろう。」

「「!!! お兄様!!」エクス寮長!!」

 

「あの男、アイズンは戦いにおいては玄人だ。今は舐めてかかっているが、ひとたびやつの実力を知れば 勝率は遥かに落ちるだろう。

だからやつが狙っているのは

 

【一撃での必殺】だ!!!」



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#59 Tidalwave impact

『さぁ マキム選手、負傷をおった身体で何とか間合いを取ります!!

この屈指の実力者を相手取り、如何なる戦法を見せるのか!!』

 

マキムのダメージは既に適応していたが、それを悟られてはいけなかった。

無傷なことに気づいたらアイズンはきっと 今度こそ全力を出して倒しにかかるだろうからだ。もしそうなれば死にはしないにしても場外に追いやられかねない事態に陥るだろうとそう考えていた。

 

「威勢のいい事言ってた割にへっぴり腰じゃねぇかよ!!!!」

 

アイズンはマキムに対して何本もの鉄柱を展開する。 それを何とか避けられているふりをして、一撃必殺のチャンスを狙っている。

 

魔法のない哲郎がこの屈指の実力者を倒す唯一の方法がそれだった。

 

 

「………もう 終わらせっか。」 「!!!」

 

アイズンを取り囲っていた鉄柱が一つに束ねられ、そこから牙や翼が生えてきた。

これには哲郎も動揺を隠しきれなかった。

 

「…………………!!!! 龍…………!!?」

「そうだ。 こいつが鋼鉄之龍(アダマント)だ!!!!」

 

アイズンの宣言を起爆剤とし、会場には熱狂と騒然とが入り乱れた。

 

『で、出ました!!!! 鋼鉄之龍(アダマント)!!!!!

アイズン・ゴールディ きっての必殺技がこの公式戦の場で発動しました!!!!』

 

その龍を見上げて哲郎が考えていたのは サラの《炎之龍神(サラマンダー)》とそっくりだということだった。

 

「この牙を喰らえや!!!!」

 

アイズンは腕を振るって鋼鉄之龍(アダマント)をマキムに襲わせた。

 

(サラさんの炎之龍神(サラマンダー)に似てるなら、対処法も同じはず!!!)

 

哲郎はアイズンに脚を向け、その牙を自分の脚に噛ませた。

鋼鉄の牙が脚の肉に食い込むものの、その激痛に構うことなく、すぐに行動に移った。

 

「はいやァッッッ!!!!!」

「うぉッッ!!!?」

 

哲郎は身体をオーバーヘッドキックの要領で縦に回転させ、脚に繋がった龍に直結しているアイズンの身体は回転に引っ張られて宙を舞う。

 

ドゴォン!!!!! 「!!!!!」

 

サラとは違い、アイズンはそのまま頭から地面に激突した。

あまりに一瞬の事に、会場にも衝撃が走る。

 

『な、何とマキム選手がアイズン選手を投げ落としたァーーーーーーーーー!!!!!』

 

アイズンの下半身は少しの間 静止し、そして地面に大の字に倒れた。

受け身を取れなかったアイズンの身体には少なからずダメージが刻み込まれ、起き上がれなくなっている。

 

『ダメージは決定的か!!? アイズン選手、未だに立ち上がれない!!!

しかし、それはマキム選手も同条件!!

追撃が下されていません!!!』

 

時間にして十と少しの秒数が経った後、アイズンはよろけながらも立ち上がった。

振り返ってマキムに送った視線には、【屈辱】や【困惑】などの様々な感情が入り交じり、表情からは明らかに冷静さが消えていた。

 

「……たった1発 ぶち込んだくらいで 俺を超えたつもりかよォ!!!? エェ!!!!?」

 

哲郎は何の反応も見せない。

その言葉が虚勢である事は火を見るより明らかだった。

 

「………まぁいいさ。

お前は俺を本気で怒らせちまった。」

「試合の場で攻撃して、どうして怒られなければいけないんですか?」

「!!!!!」

 

哲郎の何気ないその一言は、アイズンの心を深深と抉った。こうして 演技によって相手の感情を揺さぶることも重要だと教わっていた。

 

哲郎は棒立ちで怒りに震えているアイズンに対し、跳び上がった。

そして全体重を乗せて彼の鼻先に両足で蹴りを見舞った。

 

『け、蹴ったあああああぁぁぁッッ!!!!!』

 

アイズンは鼻から大量の血を噴き出し、再び背中から大の字に倒れた。

 

「~~~~~~~~ッッッ!!!!!」

 

アイズンは上半身を起き上がらせたもののその鼻からは蛇口を限界まで開いたようにおびただしい程の血が流れている。

 

『一気に形勢逆転だ!!

マキム選手、あの屈指の実力者 アイズン・ゴールディを 完全に圧倒している!!!!』

 

哲郎は試合を終わらせようと、アイズンと距離を詰めていく。しかし その間合いに入る寸前でアイズンが立ち上がった。

その口が何故か綻んでいる。

 

「!!」

「……もう終わりだ。」 「??」

 

「俺がこいつを使ったからにはおまえはもう手も足も出せねぇぞ!!!」

 

アイズンは胸の位置に魔法陣を展開した。

 

鋼鉄之鎧(イエラ・ラグリマ)!!!!!」

「………………!!!?」

『こ、これは━━━━━━━━━━━━』

 

魔法陣からいくつもの鉄柱がぐねぐねも曲がりながら展開していき、身体を覆っていく。

アイズンの姿は騎士が着る甲冑のようになった。

 

『アイズン・ゴールディ、ここに来て奥の手を発動したァーーーーーーー!!!!』

「こいつは魔力の塊だ。

お前のちっぽけな拳骨なんかじゃ ヒビ1つ付けられねぇよ!!!!」

「…………………………。」

 

 

哲郎は誰にも気づかれないように心の中で喜んだ。 これこそが 待ち望んだ 【一撃必殺の機会】だったからだ。

 

哲郎はこのパリム学園の誰にも見せていない(・・・・・・・・・) 【カジキの構え】をとった。

そして地面を蹴り、アイズンに強襲する。

 

「…………んぁ?」

『こ、これはマキム選手、

一体 何を━━━━━━━━━━━!!!?』

 

《魚人波掌 杭波噴(くいはぶき)》!!!!!

バチィン!!!!! 「!!!!?」

 

身体を振るって、アイズンの胸に掌を叩き込んだ。



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#60 Jellyfish Armbreaker

《魚人波掌 杭波噴(くいはぶき)》!!!!!

 

バチィン!!!!! 「!!!!?」

 

哲郎は全身の力を存分に振るってアイズンに渾身の魚人波掌を叩き込んだ。

 

魚人波掌 杭波噴(くいはぶき)

魚人武術の御業の一つ。

攻撃に特化した魚人波掌で、波を1本の柱のようにして叩き込むような衝撃を相手に見舞う。

まともに食らえば全身の水分が衝撃に揺り動かされ、目や全身の毛穴から大量に血を吹き出す。

 

今 食らったアイズンもまさにその状態になっていた。

 

「があぁぁあああああああああぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!!」

 

アイズンは全身 血まみれになり、絶叫しながらのたうち回っている。

 

『い、一体何が起こったのでしょうか!!?

アイズン選手、まるで 赤子のように地面に崩されてしまった!!!』

 

「…………な、何故だァ……………!!!?

俺のこの鋼鉄之鎧(イエラ・ラグリマ)の魔力の密度の前には今まで誰も傷をつけられたことがないのに……………!!!!」

「誰も? それは【ラドラ】さんでもですか?」

「!!!!? て、テメェ

なんでその人の名前を……………!!!?」

 

哲郎は言葉巧みにアイズンの動揺を誘った。

ダメージを負った身体、そして心には今の言葉は酷く堪えていた。

 

「ちなみに教えておくと、僕が今使ったのは 魚人波掌。相手の水分と魔力に衝撃を叩き込む技です。

魚人武術の技 と言えば分かるでしょう?」

「!!? 魚人武術だと!!?

ふざけんな!!! この俺が 俺の魔法があんな貧弱なお遊びなんかに負ける筈があるか!!!!!」

「ふざけているのはあなたの方だ。

自分の力を過信し、ましてやよく知りもしない物をなんの根拠も無しに 貧弱と罵るその慢心!!

 

そんな性根に漬け込むなんて猿でもできる事だ!!!!」 「!!!!!」

 

アイズンの額には既にいくつもの青筋が浮かんでいた。

今、彼の頭の中には【屈辱】や【憤怒】や、【恥辱】など、とにかく様々な感情が入り乱れ、押し潰していた。

 

「…………フフフ。」 「?」

「1回魔力に衝撃をぶち込んで 俺に勝ったつもりか………………?

 

甘いんだよォ!!!!!」

 

アイズンは無詠唱で鉄柱を展開し、それを哲郎の腹に炸裂させた。

身体がくの字に折れ曲がり、外枠まで一直線に吹き飛ばされる。

 

『こ、ここに来てアイズン選手の起死回生の一撃が炸裂したァーーーーーーーー!!!!!』

「ハハハハハハハハハハハ!!!!!

ざまぁねぇ!!!! 一瞬 自分(てめぇ)の力を過信したのが命取りだったなぁ!!!!!」

 

哲郎は大の字に倒れていた。

誰の目からも もう立ち上がることは出来ない

 

 

かのように見えた。

 

スック 「!!!!?」

『た、立った!!!!』

 

「………………!!!!

ま、まぐれだ!!!! 俺の魔法をもろに食らって立ってられる筈が 」

「もろに食らった ですって? 僕が?

一体 何のことですか?」

「~~~~~!!!!

んなら もう1発でそのハラワタ ズタボロにしてやる!!!!!」

「やれると言うならどうぞ」

 

哲郎はそう答え、再び構えをとった。

しかし、それは【カジキの構え】とは違う両腕の力を抜いてだらりと下ろし、全身の重心も下がっている いかにも隙だらけの構えだった。

 

そこにアイズンの鉄柱が容赦なく襲いかかる。その先端が哲郎の顔面に直撃する

 

 

 

直前で身体がまるで 風にあおられる風船のように宙に浮き、鉄柱の強襲を完全に受け流してしまった。

 

「な…………………!!!!?」

 

そのあまりに異様な光景にアイズンは肝を抜かれていた。それに構うことなく哲郎は空中で一回転し、元の位置に着地する。

 

「分かりましたか? あなたの魔法は僕にはただの1回も直撃などしていないんですよ。

これが 魚人武術 最大の防御

 

海月(くらげ)の構え】です。」

「………クラゲ……………!!!?」

 

 

海月(くらげ)の構え

両腕の力を抜き、全身を脱力させ相手の攻撃への迎撃のみに焦点を絞った 待ちの構え。

相手の攻撃と完璧にタイミングを合わせれば 受けるダメージを完全に無効化できる。

 

その際の動きが波に身を任せ漂う海月(くらげ)に似ていることから、【海月(くらげ)の構え】という名が付けられた、魚人武術の防御の奥義と形容される構えである。

 

「……………下らねぇ。」

「何ですって!?」

 

「そんなもん、この手でぶん殴れば終いだろぉがァ!!!!!」

 

アイズンは十八番の鉄柱魔法を使わず、哲郎に強襲した。それは誰の目にも 悪手としか言いようのない行動だった。

 

「くたばれやァ!!!!!」

 

アイズンは鋼鉄のグローブを纏った拳を哲郎の顔面目掛けて振るった。 しかし、哲郎はそれも予測していた。

アイズンの拳が到達する前に掴み、逆に引き寄せた。そのまま横方向に飛び上がり、アイズンの肘を自分の脇腹に掛けた。

 

「はいやァッッッ!!!!!」

ボキンッッ!!!! 「!!!!?」

 

そのまま身体をきりもみ回転させ、脇腹を支点にして てこ の要領でアイズンの右腕を破壊した。

 

「があぁぁあああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁ!!!!!」

『な、何とマキム選手、アイズン選手の右腕を奪ってしまった!!!!!』

 

アイズンは腕を折られた激痛に崩れ落ちた。

 

「これは魚人武術の技ではありませんが、僕が海月(くらげ)の構えから編み出した我流の技

 

安っぽい名前ですが、【ジェルフィッシュ・アームブリーカー】とでも呼ぶとしましょう。」

「~~~~~~~~!!!!!」

 

腕の激痛に苦しみ悶えるアイズンを哲郎は悠々と見下ろしていた。

 

「さて、そろそろあなたにもお見せしましょう。あなたが貧弱なお遊びとこき下ろした魚人武術 その真髄をね!!!」



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#61 The Execution

公式戦の3日前

哲郎はエクスに呼ばれて彼の自室に来ていた。

 

「テツロウ、お前をわざわざここに呼んだのは他でもない。

お前が戦うであろうアイズンについての事だ。」

「はい。 アイズン・ゴールディの事ですよね。それなら僕も独自に調べてあります。」

 

 

以下に記載するのは、パリム学園の生徒の一人アイズン・ゴールディ

彼のいじめの被害者達の証言である。

 

・『偽善ぶったやつの心をへし折るのが好きだ』と言っていた。

・鉄柱で腹を何度も打たれ、危うく内臓破裂寸前まで追い込まれた。

・下級生がひざまつかされて、降参しても殴られていた。

 

 

そして、この証言をした生徒全員が 一刻も早く何とかして欲しい と懇願していた。

 

「……あの男共がどれほど下劣な人間であるかはしっかりと分かりました。」

「一応 聞いておくが、どんな方法で【裁く】つもりだ?」

「あの公衆の面前で赤恥をかかせた後、二度と誰もいじめる気など起こさないよう徹底的にいたぶる。

 

それしかあの男を止める方法は無いでしょう。」

 

哲郎の中には静かに怒りが煮えたぎっていた。その決意を持って、公式戦の場に立つことになる。

 

 

***

 

 

「ハァッ ハァッ ハァッ…………………」

(い、息切れ………!!!?

この俺が あんな下級生のクソガキにビビってるのか……………!!!!? 冗談じゃねぇ!!!!)

 

己を虚勢で鼓舞しても、自分自身の恐怖心を拭うことは出来なかった。

右腕に走っている激痛がそれを遥かに凌駕していた。

 

「……アイズン・ゴールディ。

言うまでもないでしょうが、あなたのやってきた事は到底 許されるものでは無い。それはあなたが一番分かっているでしょう。」

「……ふっ ふざけんな!!!

俺が何をした!!? あのクソの役にも立たねぇ下級生のクズ共を俺のストレス解消として使ってやった(・・・・・・)!!!!

感謝して欲しいくらいだ!!!!」

「………………………………………!!!!!」

 

これはアイズンが恐怖に飲まれんとして口から出した虚勢だが、彼は後にこの発言を強く後悔する事になる。

 

「……………全く持って残念です。

あなたがここで自分の非を認めてその頭を下げてくれたなら、少しでも寛大な処置をしてあげようと思っていたのですが、そのつもりは無いようですね。」

「……………………何…………………!!!?」

「どうせあなた達の事だ。

僕たちのことを侮って、この公式戦を他の生徒たちへの見せしめの公開処刑だとでも思っていたんでしょう?」

 

「………………!!!!

だ、 だったらどうだってんだ!!!?」

 

哲郎は少しの間 目を閉じて、アイズンに一瞥した。その目からは怒りは消え、ただ憐れみだけが残っていた。

 

「…………僕もそうさせて貰います。

これから 神、校則、倫理観、道徳、そして 天。

これら全てを代行してアイズン・ゴールディ 貴様に刑を執行する!!!!!」

 

哲郎はその指を堂々とアイズンへと向け、宣戦を布告した。

その頼もしさに誘発され、観客席、特に下級生の席が大いに湧いた。

そしてあれよあれよという間に、会場はマキム・ナーダを支持する声で埋め尽くされた。

 

「……………………!!!!!

調子こいてんじゃあ ねえェェエエ工!!!!!」

「!!!」

 

アイズンは 駄々っ子のように怒鳴りをあげた。

 

 

「俺を裁くだと!!? 刑を執行するだと!!!?

やれるもんならやってみやがれ!!!!!」

 

アイズンは胸の魔法陣に手をかけ、そのまま力任せに鎧と服を引きちぎった。

彼の 事実上 鍛えられた身体が晒された。

 

『な、なんとアイズン選手、己の鎧を自ら捨てた!!!』

「………お前に出来ることは全部 分かってんだよ!!!! お前はただ魔力に衝撃を流すだけ!!!! つまり!! こうしちまえば お前は俺に手も足も出せねぇ!!!!

悔しかったら この俺を膝まつかせて見せろ!!!!!」

 

アイズンの言葉に 全く反応せず、哲郎は口を開いた。

 

「…………この期に及んでまだ油断するとは。 馬鹿は死なないと治らないとはよく言ったものです。」

「……………!!!!

くだくだ ほざいてねぇでさっさと掛かって来やがれ!!!!」

 

「僕は待っていたんだ。

あなたが()()()()()()()()()()()()のを。

その鎧を脱いでくれるのを。」

 

そして、哲郎がとった行動に場内は唖然とした。

 

哲郎はその身体を弛緩させ、姿勢をゆらりと崩したのだ。

身体はくねくねとだらしなく揺れ動き、まるで骨が抜けてしまったかのような動きをとっていた。

 

到底 戦いには不向きな動きだと そう思われた。

 

(………アイズン・ゴールディ。

執行するのは、《鞭打ちの刑》だ。

この激痛をもって、罪を償え!!!!!)

 

哲郎は豹変したように急速にアイズンとの距離を詰め、その腕を振るった。

 

ビタァン!!!!! 「!!!!!」

 

掌が彼の剥き出しになった背中を捕らえ、けたたましい音が響く。

 

場内が戸惑いに包まれる中、エクスの口が綻んでいた。

 

(………テツロウ・タナカ。

まさかそれ(・・)までも使うとはな。

あの時の言葉、嘘では無かったのか。

 

せめて自分の無事を祈るんだな。 アイズン・ゴールディ。

ここからは地獄。 それが貴様に下される天罰だ。)



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#62 Whiplash octopus

ビタァン!!!!!

 

、と けたたましい音が響き、哲郎の掌がアイズンの剥き出しの背中を捕らえた。

 

 

観客席では、ファンがその様子を困惑しながら見ている。

 

「!!? 何だ!? マキムさん、一体何を……………!!?」

「《蛸鞭拳(しょうべんけん)》だ。」

「「しょうべんけん??」」

 

エクスの口から出たその聞きなれない言葉に 2人は聞き返した。

それに構わず エクスは口を緩めて続ける。

 

「知らなくて当然だろう。

だが、これから爽快なものを見られるぞ。

見てみろ。 アイツを。」

 

 

 

 

***

 

 

 

「アガァああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁ!!!!!

ああああああああぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

 

あぎゃあああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁ!!!!!」

 

 

観客席は、その異様な光景に戸惑っていた。

 

アイズンが、この世の物とも思えない程悲痛に絶叫しながら地面をのたうち回っているのだ。

 

『い、一体何が起こったのでしょうか!!??

アイズン選手が まさに痛がって(・・・・)、 いや、これを痛がっていると形容するべきでしょうか!!??』

 

しばらくして、アイズンの身体から痛みが引き、絶叫は途絶えた。

息を絶え絶えとさせながら起き上がり、観客達はその目に飛び込んできた光景に度肝を抜かれた。

 

『な、一体これは!!?

あの背中の傷は 一体!!!?』

 

アイズンの背中に、真紅の色で掌の跡がべったりと刻み込まれていた。

その痛々しい光景にファンやアリスも思わず目を背けてしまう。

 

「分かったか? あれが《蛸鞭拳(しょうべんけん)》。そしてやつが今取ったのが、魚人武術の御業の一つ、 《(たこ)の構え》だ。」

 

 

(たこ)の構え

海月(くらげ)の構え》とは対極をなす、攻撃に特化した脱力の構え。

全身の筋肉を極限まで弛緩させ、肉体を最大限まで脱力させる。

 

達人の行うそれは、敵愾心にすら蓋をし、攻撃を読むのが困難になる。

 

 

蛸鞭拳(しょうべんけん)

(たこ)の構え》による極限の脱力状態から放たれる、平手打ちの攻撃。

魚人武術の中でも、最上位の妙技と謳われる神技である。

 

 

「そして、この技の考案者はこう 言葉を残している。

『これこそが、全人類の意表を突く技術(わざ)だ』と。」

「「………い、意表??」」

 

「正しくそうだ。 俺もその言葉の意味を理解した時には目が皿のようになったものだ。 このラグナロクに生き、そして強さを希う全ての人類には、【盲点】が存在するんだ。」

 

「「………盲点??」」

 

「そうだ。人間には、例えばグス。ファン、お前はあいつの身体をどう思った?」

「?? …………到底 女性のものとは思えない程に鍛え抜かれて、硬い筋肉に覆われていました。」

「その通りだ。 しかし、たとえその身体であっても、そこには弱点が存在する。

 

それは、《皮膚》だ。」

 

 

皮膚

 

戦闘、特に己の五体のみを用いた格闘や闘争の場では、拳や脚による殴打が重視されるが、有効打は他にも存在する。

 

皮膚とは、人間が持つ最大の広さを持つ器官であり、いかなる方法でも鍛えることは出来ない。たとえ出来たとしても、その完成度は筋肉などには遠く及ばない。

 

仮に生まれて間もない乳飲み子と筋骨隆々の巨漢の皮膚状態を比べても、その状態は酷似している。

 

蛸鞭拳(しょうべんけん)とは、その皮膚を無慈悲に打つ技。つまり、そこには急所、弱点の概念は存在せず、攻撃される場所は全て急所と化す。

 

その激痛は、到底 名状しがたい代物であり、五体のどこで受けても同じだけの激痛が襲う。また、強力な鞭で連打された場合、ショックによって死に至る危険性すらある。

 

今のアイズンには、それだけの激痛が走っていた。

 

 

***

 

 

「ハァッ ハァッ ハァッ ハァッ…………………」

「……………………………………」

 

哲郎はアイズンの恐怖に歪んだ顔を見下ろしていた。頭には慈悲の心は全くなく、あったのはこれから二度といじめをする気を起こさせないように裁かねばならないという思考だけだった。

 

「……………今から味わう地獄の全てが、あなたがやってきた悪行の報いと心得なさい。

そしてせいぜい 祈っておいてください。

また明日 生きてこの地を踏める その奇跡(・・)を。」 「!!!!!」

 

哲郎は再び(たこ)の構えを取り、アイズンの左肩と右の太腿をしたたかに打ち付けた。

 

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッ!!!!!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッ!!!!!」

 

アイズンは再び激痛にのたうち回った。

その絶叫は最早 言葉にならないほどだった。



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#63 Whiplash octopus 2

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッ!!!!!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッ!!!!!」

 

アイズンはのたうち回っている。

彼の左肩と右の太腿には正しく鞭傷のように赤々と一筋の裂傷が刻み込まれていた。

 

「ハァッ ハァッ ハァッ ハァッ ハァッ ハァッ ハァッ ………………!!!!!」

 

アイズンはうずくまりながらもかろうじて哲郎の方を見た。その目には未だに戦意が消えていない。

 

『アイズン選手、再び立ち上がった!!!

怒涛の展開が続くこの公式戦もいよいよ佳境に入ってきました!!!

果たして、このままマキム選手が畳み掛けるのか、それともアイズン選手がここから奇跡の逆転を見せるのか!!!!』

 

哲郎は再び身体を柳のようになびかせた。

 

(!!!!! 来るぞ!!!!)

 

アイズンは残った体力を振り絞って歯を食いしばった。

 

しかし、哲郎の攻撃はその戦略の更に上を行った。

 

 

バチィン!!!!! 「!!!!!」

 

哲郎の脚による打撃はアイズンの腰の部分を捕らえた。

 

「あがあああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁ!!!!!」

 

アイズンは更に絶叫をあげた。しかし、彼の負傷は先程までのものとは格が違っていた。

 

『!!!! あ、あんな負傷は前代未聞です!!!

い、一体マキム選手の身体のどこにあんな力が!!!!』

 

アイズンは腰の皮膚が破られ、赤黒い筋肉が露出していた。そこからは少しづつではあるが血が吹き出している。そのあまりに醜怪な惨劇に会場は騒然とした。

 

「い゙ い゙ い゙ (い゙)でええぇぇえええええええええええええええ!!!!!

あ゙ (あ゙づ)い!!! (あ゙づ)い!!!!!

お゙ (お゙れ)の肌が 焼げて 焼げてるううう!!!!!

 

何でだ!!!? 何であんなガキのビンタなんかがこんなに、こんなに痛てぇんだァああ!!!!?」

 

アイズンが悲痛に訴えた疑問の答えは《脱力》にある。

 

実に奇妙なことではあるが、人間の四肢は脱力していくとそれに反比例して徐々に重さを増していく。 そして、その脱力が完成していくに連れ、人間の五体は《鞭》を超えた《凶器》へとその本性を変える。

 

蛸鞭拳(しょうべんけん)とは、皮膚を【叩く】技ではなく、皮膚を【破り破壊する】攻撃なのだ。

 

「…………………………」

 

哲郎はアイズンの醜態を誰よりも冷酷に眺めていた。

 

実際に彼のやってきたことを見た訳ではないが、このように弱っている下級生を平気でいたぶって今まで生きて来たことは容易に想像できる。

 

(………神様、もし僕を見ているなら、一つだけ僕のわがままを許してください。

僕を、少しの間だけ彼の悪行をなぞる権利を、彼を裁く権利を僕に下さい!!!!)

 

哲郎はトドメに出た。

 

再び腕の鞭を振るってアイズンの顔面に炸裂させた。

頬の皮膚が破れて再び赤黒い筋肉が晒される。

 

「~~~~~~~~~!!!!!」

「終わらせましょう。」 「!!!!」

 

哲郎はアイズンと至近距離に立ち、その両腕を開いて構えた。それは、蛸が獲物を捕食する動きを真似て作られた構えである。

 

 

蛸鞭拳(しょうべんけん) 奥義

蛸壺殴(たこつぼなぐ)り》!!!!!

 

バチバチバチバチバチバチバチバチィン!!!!!

「 !!!!! !!!!! !!!!! !!!!! !!!!! !!!!! !!!!! !!!!!」

 

哲郎は腕を高速で振るってアイズンの全身に八つの衝撃を一斉に見舞った。

その時アイズンが受けた衝撃は、最早 《激痛》という言葉で言い表すことすら難しい程の代物だった。

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ !!!!!」

 

アイズンは三度 地面に崩れ落ちた。

その時彼の頭にあったのは 自分が死んでしまうかもしれないという、純粋な恐怖だけだった。

 

「………ひ、ひぃっ!!!!」

 

哲郎が見たアイズンの表情は正に恐怖 一色に染まっていた。 後に彼はその時 哲郎がまるで死刑執行人のように冷酷に見えた と言葉を残している。

 

「ア、アイズンが 圧倒されてる…………!!?」

「行ける?! 行けるのか?!!」

「このままなら勝てるぞ!!!」

 

このままマキムが勝てばもうアイズン・ゴールディという呪縛から解き放たれるかもしれない 下級生達が切望したその期待はマキムを支持する声に変わって場内を埋めつくした。

 

(…………もう攻撃する必要は無いな。

終わりにしよう。)

 

哲郎は観客席の方へ振り向いた。

 

「パリム学園の皆さん、申し訳ありませんが、一つ 謝らなければならないことがあります。」 「!?」

 

観客席は、哲郎の予想外の行動にざわついた。

 

「………僕は、マキム・ナーダではありません。」 『!!?』

 

(……ノアさん、せっかくここまで協力して頂いたのにすみません。でも、分かってくれますよね。)

 

哲郎は心の中でそう謝ると襟のボタンに手を掛けた。そのボタンを外し、身体を覆っていた魔法を解く。

 

「…………………………!!!!?」

『………あ、あれは…………………!!!!!』

 

「僕はマキム・ナーダではなく、テツロウ・タナカです!!!!」

 

テツロウ・タナカ

その名前と姿に場内にいた者は全員 【魔界コロシアムの準優勝者】という情報を連想した。 それは、アイズンもまた然りである。

 

「………ひ、ひぃッッ!!!!」

 

振り返った哲郎に対し またしてもアイズンは恐怖の声を漏らした。

 

魔界コロシアム

彼にとってそれは今の自分でも挑戦することすらはばかられる未知の領域であった。

それを不完全ながらと勝ち上がったテツロウ・タナカという存在は 彼にとって 必要以上に (おお)きく見えた。

 

「ひ、ひぃっ ひぃっ ひぃっ ひぃっ ひぃっ!!!!」

 

アイズンは近寄ってくる哲郎に対し、地面を転がりながら逃げ惑う。 そして、場外まで追い込まれた。

 

哲郎は再び蛸鞭拳(しょうべんけん)を撃ち込む フリ をした。

 

(!!!! こ、降参したヤツを執拗にいたぶる…………………!!!?)

 

アイズンは、ようやくこの状況が自分のやってきたことと同じであることを理解した。

 

(や、止めろ!! 止めろ!!! 止めろ!!!! 止めろ!!!!!

もう一発も耐えられねぇ!!! 死ぬ!!!死ぬ!!!!死ぬ!!!!!死ぬ!!!!)

 

アイズンは身の危険を感じた。

 

上級生のプライド と 自分の命

その2つを秤にかけた時にどちらか勝るかは火を見るより明らかだった。

 

 

「俺の負けだああああああああああぁぁぁ~~~~~~~~~~~~ッッ!!!!

許してくれぇ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッ!!!!!」

 

アイズンは地面に蹲ってとうとう 降参 の言葉を口にした。

哲郎は振りかぶった手を下ろした。

 

自他ともに認める完全な敗北だった。



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#64 The victory decorated by lamentations

「勝負あり!!!!!」

 

アイズンの降参の言葉を聞くや否や、審判の男がその手を挙げた。

哲郎の勝利を確信した場内はそれまでの熱狂の全てをかき消してしまうほどに大いに湧いた。

 

「け、け、け、決着ゥーーーーーーーーーーーーー!!!!!

なんとアイズン選手が ギブアップを宣言した!!!! これぞまさに完全敗北!! 完全決着!!!

それを決めたのはこの男!! マキム・ナーダという仮面を被った あの魔界コロシアムの準優勝者 テツロウ・タナカ氏!!!!

 

魔界の2番目に立った少年が今、この稀代の卑劣漢に 天誅を下したのです!!!!!」

 

最初こそアイズンが暴れたものの、終わってみれば哲郎のワンサイドゲーム。

そして、これでアイズン達のいじめという今まで逃れられなかった呪縛から遂に開放される という確信は下級生達を喜ばせた。

 

そしてその喜びは拍手という行動に変わって哲郎に降り注いだ。

場内には哲郎への感謝や賞賛の言葉が送られた。

しかし、哲郎には喜びの感情は無かった。

あったのは 少しの罪悪感と虚しさだった。

 

もうこの会場に用は無いはずの哲郎だったが、会場の歓声を気に留めずに跪いているアイズンに歩きよった。

 

「ひ、ひぃっ!!!!」

 

アイズンの心は既に 《テツロウ・タナカ》への恐怖心で埋め尽くされていた。

哲郎はそれを怒りを超えた呆れと哀れみの表情で見つめている。

 

哲郎はアイズンの目の前に座り込んだ。

 

『マ、マキム いや テツロウ氏 一体?』

 

「………もう十分 分かっていただけた筈ですよね? あなたがこれまでいじめてきた下級生達の気持ちが。

これからその気持ちを忘れないのであれば、僕はもう何もしません。」 「!!!!!」

 

アイズンはうなだれた。

その時、彼の中で何かが音を立てて切れていた。

 

これまで暴力の限りを尽くしてきた人間の心を非暴力によって折る という行動に、会場は熱狂と感謝から賞賛の拍手へと変わり、場内を埋め尽くす。

 

哲郎は踵を返し、試合会場を後にする。

これで、田中哲郎のギルドとしての最初の依頼 【パリム学園のいじめ問題を解決する】という依頼は完遂された。

 

 

***

 

 

 

公式戦から3日後

あれから しばらく面倒事が続いた。

 

まず初めに素性を偽って学園に潜入した事を少しだけだが問い詰められた。

 

しかし、それは正式にギルドから依頼を受けた事実と推薦人 兼 協力者 のノアが証人になってくれたおかげで大事にはならずに済んだ。

 

そして、ルームメイトのマッドとも一悶着あった。

 

自分との付き合いは表面上のものだったのか などと様々なことを問いただされたが、これも 依頼とは別の事だと言うことや、ファンとアリスの助言のおかげで穏便に済んだ。

 

そして今、哲郎はエスクの自宅の部屋に来ている。

 

「………やはり、学園は退学になったか。」

「……ええ。 まぁ当然と言えば当然です。

いくら理由があったとしても素性を偽ったのは何かしらの罰がないといけないようです。」

 

過程はどうあれ、哲郎はギルドの初依頼をやり遂げた。 それはあの3人の顛末を見ても明らかだった。

 

グスは公式戦での敗北が決定打となり、無期限での停学を命じられた。

ロイドフもまたラドラ達に責任を取る形で自主的に謹慎したという。

 

肝心のアイズンはあれから人と敵対することにすら恐怖を感じるようになり、これから実技の授業がままならなくなるが いじめを繰り返す危険性は無いのだと言う。

 

哲郎の心には一抹の罪悪感があった。

いくら 彼が卑劣の限りを尽くしてきたと言っても、彼の心に一生消えない傷を残してしまった。

果たして自分にそれだけの権利があったのだろうか と

 

ギルドの依頼で、たくさんの下級生を救うためにやった結果だと割り切っているものの、ふとした時に考えてしまうのだった。

 

「……話は変わるが テツロウ・タナカ。

パリム学園の寮長 としてでは無く1人の対等な人間として一つ お前に依頼する。」

「……はい。」

 

「1週間後、 俺たちはラドラの陰謀を止めるために真っ向からぶつかり合う。

そこでテツロウ お前にも一役かって欲しい。」

「はい。 覚悟は出来ています。」



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ラドラ寮 全面衝突 編
#65 The courage to be warrior


公式戦から一週間

哲郎は依頼料から少し使って格安の宿で骨を休めていた。

 

「……でね、はい。

 

あーそうそう そんなこともありましたよ。

 

……だから僕ね、その時 みんなの前で心をへし折ってやったんですよ。 そう。 もう二度といじめをする気を起こさないためにね。

 

……だって そうでしょ? こっそり再犯でもやられたら元も子も無いでしょ?」

 

今は宿の公衆電話でノアに依頼を滞りなくこなした事を報告していた。

 

「……えー はいはい。

 

……あぁ。 もう電話料金が切れそうです。

じゃあ続きはまた後ほど。 それでは。」

 

哲郎は受話器を置いた。

 

(……さて、そろそろ支度しないとな。)

 

哲郎は宿の一室に戻った。

ひとつの部屋にトイレと台所、そしてベッドが備え付けてある簡素な部屋だ。

 

(………ここで過ごして もう依頼料の半分くらい使っちゃったな。

……まぁ魔界コロシアムの賞金も残ってるし、初めはこれくらいいいでしょ。)

 

哲郎は学校の調理実習では食器の容易や洗い物を請け負い、調理は他の生徒に任せ切りだった。 つまるところ、家事の類はずぶの素人なのだ。

 

次にここで身につけなければならないのは家事力かもしれない と考えながら、リュック1つ分の荷物をまとめた。

 

 

***

 

 

「……では一週間、お世話になりました。」

「……こちらこそありがとうございました。

またのご利用 お待ちしております。」

 

哲郎は受付に鍵を返し、宿を後にした。

止まった部屋こそ簡素だが、温泉も食堂も完備されている かなり快適な生活が出来た と心の中で感謝の気持ちを送った。

 

「………さて、行くか!」

 

哲郎は脇目も振らずに歩を進める。

目的地はとうに決めていた。

 

 

***

 

 

哲郎は目的地に着いた。

エクスの自宅である。

 

「……なんだ もう来たのか。

まだ3日も後の事だぞ?」

「ええ。 もう十分休みました。

それにあのままじゃ 貯金が底をついてしまいますよ。」

 

あの時 全校生徒に自分の正体を明かしたことで、パリム学園に出入りする資格を失ってしまった。 もっとも依頼を完遂した今は必要ないが、これからを考えると少しばかり不便になる と漠然と思った。

 

「まぁ こんな玄関で立ち話もなんだ。

話は中に入ってやろう。」

「はい。」

 

 

***

 

 

「ここには1人で住んでるんですか?」

「そうだな。 親とは離れて暮らしている。

言うならここは俺一人が仕事をするための家と言うべきだな。」

 

哲郎はリビングのような部屋に案内された。

 

「……確認するが、お前が請けた依頼は《いじめ問題の解決》だったよな?」

「はい。 既に依頼料も貰って完遂しています。」

 

「そうか。 だったら何故 今になっても俺に協力することを承諾した?

俺は依頼こそしたが、お前は断ることも出来たはずだぞ?」

「確かにそうですね。

 

……そうですね。 理由があるとすれば、『この学園を放っておけないから』ですかね?」

「……放っておけない?」

 

「ええ。 それから、『自分のやった事を無駄にしたくない』ってのもありますね。」

「それは どういうことだ?」

 

「……僕は、このパリム学園で苦しんでいる生徒がたくさん居る事を知らされました。

例え あの3人を止めたとしても、他から問題が出てきては意味が無いでしょ?

 

だったらせめて 今目の前にある危険だけでも止めておきたい とそう思うんですよ。」

 

哲郎の話をエクスは口を結んで聞いていた。

 

「……テツロウ・タナカ。

俺から言うことは一つだけだ。

 

はっきり言って、お前は《無謀》だ。

だが、それでいてとても真っ直ぐで輝いている。

 

しかし、力のない正義などは無力で虚しいだけだ。 ならば 俺に貢献して、それがはったりでないと証明してみせろ。」

「もちろん そのつもりです。」

 

 

***

 

 

「ラドラ様、 あの敗走した3人の処遇、如何致しますか?」

「今更 何もする必要は無い。 兵力の無駄だ。」

 

ラドラ・マリオネス

アイズン達を配下につけたパリム学園の寮長の1人である。

 

「それよりも皆に伝えろ。 時間はいくらあっても足りない。

作戦実行までもう3日しか無いんだぞ。」



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#66 The chaser underground

「分かっているだろうが、突入は3日後だ。」

「それはもちろん 分かっていますが、どこからどうやって敵陣に入るんですか?」

 

「お前が情報を得るために忍び込んだ隠し階段があっただろう?

あそこはそのまま敵の本拠地に通じている。

俺ならそこを自分で開ける事が出来るから、そこから突入する手筈になっている。

 

ちなみにこれはファンとアリスには既に説明済みだ。 あの二人にも戦力として戦ってもらう必要があるからな。」

 

「………それと、もう1つ良いですか?」

「どうした?」

 

エクスの話をある程度聞いて 哲郎は手を挙げた。

 

「……エクスさんの家庭には軍隊とかもあるって言ってましたよね?」

「ああ。 だが それがどうした?」

「いや、 それなら どうしてその方向の人達から協力を要請しないのか 少し疑問に思っていまして。」

 

「何を言うかと思えば。

頼める筈が無いだろう。 これは学園内の問題だぞ。 第一 軍隊は毎日のように仕事が詰まっている。 俺個人の要請が通るくらいなら初めからそうしている。」

「ああ。 そうですか。

じゃあ 戦力がどれくらいあるのか教えてください。」

「まだ完全には分からないが、少数精鋭で行くつもりだ。 入口が狭いし、何より目立った行動は出来ないからな。」

 

「なるほど。

それで、時間帯は何時ぐらいを予定しているんですか?」

「夜を予定している。

奇襲は成立しないだろうが、それでもなるべく可能性は多くしておきたい。」

「分かりました。」

 

そこまで言って哲郎は質問を止め、代わりに1つの意見を出した。

 

「もし迷惑で無ければ、僕から1人 戦力になりそうな人を推薦したいんですけど。」

「構わないが、 それは誰だ?」

「マキムの時に同室だった マッドさんです。 彼もあなたから見ればかなり荒削りに見えるかもしれませんが、それでも即戦力としては十分だと思うんですが。」

 

「そいつなら知っている。

考えておこう。」

「ありがとうございます。」

 

哲郎は素直に頭を下げた。 彼のこういう表面上に出ない人間性への接し方にも慣れてきた所だ。

 

「ところで、御手洗ってどこにありますか?」

「そこを出て角を曲がったらすぐに見える。

迷うことも無い。」

「分かりました。」

 

 

哲郎は部屋を後にした。

 

 

 

***

 

 

「フゥー」

 

哲郎はトイレから出た。

妙な緊張で催していたのは本当の事だ。

 

(えーっと 角を曲がってすぐだから…………)

 

ドアのすぐ傍にある角を曲がってエクスの部屋に戻ろうとした━━━━━━━━━━━━

 

 

「!!!!?」

 

その時、足元に奇妙な感覚が走った。

まるで地面が消えてしまったかのように身体が傾いたのだ。

 

(!!!!? な、 こ、これは━━━━━━━━━━)

 

地面に視線を送ると、その地面が流動化し、足首が飲み込まれていた。

足首からズブズブとどんどん飲み込まれ、地面に引き込まれる。 哲郎は少なからず 恐怖を覚えた。

 

咄嗟に助けを求めて口を開こうとした時には身体全体が流動化した地面に引き込まれてしまった。

 

 

 

***

 

 

(……………………!!

…………な、 何が起こったんだ……………!!?)

 

全身に冷感が走り、息が出来ずに右も左も分からない状況 それは正しく水中の状況だった。

 

 

『………目ェ覚ましな。

マキム・ナーダ(・・・・・・・)。』

「!!!?」

 

マキム・ナーダ

それは、哲郎がパリム学園で生活するために身につけた仮の姿

公式戦が終わった時点で捨てたその名前を呼ばれて哲郎ははっと 目を開いた。

 

「!!!?」

 

目も呼吸器も【適応】して問題なく視界が鮮明になって動けるようになり、哲郎は前方を確認した。

 

そこには男が立っていた。

そこがどういう状態かは分からないが、 見知らぬ男が1人 立って哲郎を見つめていた。

 

『やっぱり息はできるようだな。

しかしどうだ? 浮力に足が捕らわれている気分は?』

「……………………………………!!!!」

 

その男は 黒色の短髪に 限りなく白に近い肌をしており、服は黒の繋ぎをしていた。

 

『どうやら 俺が誰なのか気になって仕方ないって顔だな?

教えてやるよ。 俺はお前がぶちのめしたアイズンの上に立つ者だ。』

「……………!!!」

 

『お前は出過ぎたんだよ。 ラドラさんの目的を邪魔するお前は 殺す もしくは少なくとも3日間は大人しくして貰わなければならない。 そのために俺は来た。』

 

泡の出る音と水に響きすぎて聞き取りにくいが、彼の目的と素性の大まかな予想はついた。

 

「………あなた、【七本之牙(セブンズマギア)】の差し金ですね?」

『そこまで予想がついたか。

そうだ。 俺はハンマー・ジョーズ。

お前を仕留める男の名前だ。』



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#67 The shark palm

「……………………!!!」

 

哲郎の呼吸器は 目の前の男によって作られた謎の水中空間に適応していき、その中にあった酸素を取り込めるようになって行った。

 

そして眼球も同様に視界がだんだんと聡明になり、目の前の男の様子もはっきりと見れるようになった。

 

(…………魚人………!?)

 

その男の肌は薄い灰色に染まっており、 背中には背びれとしか判断できない物が付いていた。

 

『………どうやらその顔、俺が魚人であることに気づいたようだな?

そしてここは俺の魔法で作られた仮の水中。

俺はあらゆるものをドロドロに液状化させ、その下に水中を作ることが出来る魔法を持つんだ。』

「………そんなにペラペラと自分の力を喋って大丈夫なんですか?」

 

哲郎はこの得体の知れない男への恐怖心を何とか押さえ込んで口を開いた。

 

『分かってないようだな。

俺がこうして話せるのはお前に勝てる可能性が100%あるって事だろうが。

 

それに何より、

 

俺の強さは魔法に無い。』 「!?」

 

哲郎の心の奥には恐怖が滲み出ていた。

不気味な余裕さや得体の知れない何かをひしひしと感じ、足が引きそうになる。

 

それを何とか堪え、 先制攻撃に転じた。

 

(……ここが水中なら、あれ(・・)が使える筈だ!!)

魚人波掌 《海鳴(うみな)り》!!!!

 

バァン!!!!!

(よし!! 出た!!!)

 

哲郎は身体を振るって何も無い所、水中を叩いた。 その衝撃が水中を伝って巨大化して向かっていく。

 

魚人波掌 《海鳴(うみな)り》

水中で魚人波掌を打つ事で周囲の水に衝撃を伝え、遠く離れた相手に攻撃する。

魚人武術だけでなく マーシャルアーツにおいても数少ない遠距離攻撃である。

 

 

本来、 魚人武術とは 魚人が水中で闘うために作り出された格闘術

だからこそこの状況は彼だけでなく自分にとっても 有利

 

 

バシンっ 「!!!」

 

その男、ハンマー と名乗る男は哲郎の放った衝撃を手のひらの動きだけでかき消してしまった。

 

「………………!!!」

『『水中は俺だけじゃなく自分にも有利な状況』だと考えたんだろうが、 そいつァぎゃくだぜ。 マキム・ナーダ。

 

お前が魚人武術を使ってアイズンをぶちのめしたってことは調べがついてる。 だから俺が来たんだよ。』

 

ハンマーは構えをとった。

それは正しく 哲郎が最も得意とする構えの1つ 【カジキの構え】だった。

 

「…………!!」

『もう分かったよな?

魚人武術の戦闘経験(キャリア)なら、俺の方が上だ!!!!

 

魚人波掌 《海鼓(うみつづみ)》!!!!!』

 

ハンマーは魚人波掌を目の前の水に叩き込んだ。 哲郎より大きな衝撃が目の前に迫って来る。

 

 

「うおっ!!!!」

 

哲郎は身体を捻って向かってくる巨大な衝撃波を何とか躱した。

後ろに視線を送ると彼の衝撃波がどんどん大きくなって水中をどこまでも駆けていった。

 

自分の《海鳴(うみな)り》をゆうに超える規模だった。

 

「………………!!!」

 

哲郎は肝を抜かれた。

彼の言ったことは本当だった と理屈で考えるより先に直感した。

 

『おいおい どこを見てんだ?

マキム・ナーダ!!!』 「!!!!」

 

はっとして振り返ると、ハンマーがすぐそこまで迫っていた。 一瞬で距離を詰められた魚人の身体能力に驚く暇もなく、攻撃は襲って来る。

 

魚人波掌 《波時雨(なみしぐれ)》!!!!!

「!!!!!」

 

哲郎も愛用する魚人波掌の連撃が向かってくる。 愛用する故にその威力は誰よりも理解していた。

 

この連撃をもろに受ける訳にはいかない と言わんばかりに哲郎は両手を振るい、 手をハンマーの手首に添えた。

 

魚人武術 《滑川(なめりがわ)》!!!

「!!!」

 

哲郎は両手を巧みに操り、ハンマーの魚人波掌を全て捌いた。 反撃を予想したハンマーは後ろに飛んで哲郎と距離をとる。

 

滑川(なめりがわ)

魚人武術における 防御特化の技術

両手を川が流れるように動かして相手の攻撃を迎撃する。

熟練者となれば武器だけでなく、魔法の軌道を変えて防御することも可能となる。

 

『《滑川(なめりがわ)》まで使うとは…………。 そこまでの魚人武術 一体どこで覚えた?』

「それを僕が教えるとでも思いますか?!」

『………いや。 思っちゃいねぇよ。

いっぺん言ってみただけだ。

 

今度は重いの行くぜ。』 「!!!!」

 

ハンマーは再び【カジキの構え】をとった。

 

魚人波掌 《杭波噴(くいはぶき)》!!!!!

「!!!!!」

 

その時哲郎は 明確に恐怖を覚えた。

地上で人間の身体を容易く破壊してしまう技が水中で放たれたら一体 どれほどの破壊力になるのか 最早 想像もできなかった。

 

「!!!! 杭波噴(くいはぶき)!!!!!」

 

哲郎は掌を水に打ち付けて衝撃を放ち、ハンマーの衝撃波を迎え撃った。

 

『そりゃ悪手だぜ。 マキム君。』 「!!!!」

 

哲郎の衝撃波を破壊してハンマーの衝撃波が哲郎の腹を直撃した。



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#68 The closed room filled with the water

バキンッッ!!!!! 「!!!!?」

 

哲郎の放った杭波噴(くいはぶき)が破られた。 それに驚く暇もなく腹に衝撃が炸裂する。

 

「………………………!!!!」

『本場の魚人波掌の威力はどうだ?

申し分無い(・・・・・)だろう?』

 

水中で放たれた魚人波掌の衝撃は、ミサイルのように変形して哲郎の腹に直撃し、そのまま吹き飛ばした。

 

「…………………!!!

フンッ!!!」 『!!?』

 

哲郎は身体の力を抜いて魚人波掌の衝撃を受け流した。 ミサイル状の衝撃はそのまま哲郎の後ろに飛んでいく。

 

「…………………!!!

ハアッ ハアッ ハアッ………………!!!」

『……《海月(くらげ)の構え》か。 そいつは正解だな。 あのままだったらお前の内蔵がどうなっていたか、俺でも分からなかったぞ。』

 

哲郎は依然として恐怖を隠せずにはいられなかった。 水中 という彼の得意な場で闘うのは悪条件だと それを解決しなければ勝機を見出すのは難しいと 感じていた。

 

(………………!!

そ、それなら………………!!)

 

ブオッ!!! 『!?』

 

哲郎はハンマーに背を向けて上方向に高速で移動した。

 

『………………ほう。』

(…………!! この水中空間を抜け出せば…………!!!)

 

水には重さがあり、水圧が存在することは知識として理解していた。 しかし、適応によってそれを感じなくなった今では 今 自分がどれくらい深いのか 知る方法はなかった。

 

それでも方向感覚は途切れていない。 このまま上方向に進んでいれば水中から抜けられる

 

 

筈だった。

 

 

ガンッ!!! 「!!??」

 

哲郎の頭は水中を抜けるより先に硬い何かに激突した。

 

「………………!!!!

こ、これは…………!!?」

『ハハハハハハハハハ!!!!

残念だったなァ!!!!』 「!!!」

 

哲郎は急接近してきたハンマーの振り下ろされる拳を食らった。 ガードは出来たが 再び水中深くまで飛ばされる。

 

『【上に進んでいれば水中から抜け出せる】とでも考えたんだろうが、甘かったな! 俺がその程度のことを想定していないとでも思ったか!?

 

俺の、この水中空間の範囲は自由に調整出来る!! つまり、 この空間は今 四方を硬い石で囲まれた水槽も同然!! どうやっても脱出は出来ない!!!!』

「…………………!!!!」

 

哲郎は少しだけとはいえ愕然としていた。

あの時 完全に余裕で勝てたアイズンや魔界コロシアムとは違い、この戦いにはルールが存在しない。

 

ハンマーが自分を殺そうとして掛かってくればそうなってしまう。 ましてやどこを対戦場所に選ぼうと、そこをどれだけ自分に都合良く改造しようとも、咎める者は1人としていない。

 

『それから、勘違いしてくれるな。』 「?!」

 

『俺はこの状況に少しばかりではあるが苛立って(・・・・)いる。

 

そうだろ? 考えても見ろ。 魚人族以外の人間はこうしてしまえば あっという間に窒息してお陀仏だ。 この場でここまで俺とやりあったのは《マキム・ナーダ》お前が始めてだ!!!』

「…………………!!!」

 

『どうしてもここから出たいのなら、そのまま硬い(・・・・・・)床を破るしか方法はない。 もっとも、お前如きにそこまでの力があるとは思えんがな。』 「!!!!」

 

哲郎は核心を疲れて一瞬 たじろいだ。

自分にそこまでの筋力か無いことは本当の事だからだ。

 

『俺を卑怯と罵るならそうすればいい。

それでも俺はお前を殺しに掛かるがな!!!!!』

「!!!!」

 

ハンマーが水中を蹴って急接近して来た。

その手の形は魚人波掌の形になっている。

 

魚人波掌《津波叢雨(つなみむらさめ)》!!!!!

魚人武術《滑川(なめりがわ)》!!!

 

ハンマーの魚人波掌の連撃をかろうじて捌いている。 1発でも受けたら致命傷となるこの状況は依然として不利だった。

 

『ほらほら どうした!!?

守ってばかりでは何も変わらんぞ!!!』

「………………………ッッ!!!」

 

(…………ここだッッ!!!!)

 

ガッ!! 『!?』

 

哲郎はハンマーの手首を掴んだ。 そのまま振り返って身体を折り曲げる。

 

(………………………!!!!

み、水が重い…………!!! だけど、 絶対に投げる!!!!)

 

「はああああああああああッッッ!!!!!」

『ウオッ!!?』

 

哲郎は水の抵抗の中 ハンマーを投げ飛ばした。 そのままハンマーは水中深くまで飛んでいく

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━が、

 

ガシッ! 「!!?」

 

ハンマーは何も無いところで着地したように静止した。

 

『考えが甘いと言ったろ!?

ここは俺が自由に変化できる!!! 水に変わる魔法を部分的に解除して足場を作るくらいわけは無い!! どうだ? あんなに苦労して投げた努力が水の泡になった気分は!!!!』

 

哲郎はショックを心の隅に追いやった。

すぐに新しい解決策を考えなければあっという間に負けてしまう。

 

『もう水中にいるのも疲れたろう?

こいつで楽にさせてやる!!!』 「!!!」

 

ハンマーは水中の足場を蹴って急接近した。

手の形は魚人波掌の構えになっている。

 

『終わりだ!!!!

魚人波掌杭波噴(くいはぶき)!!!!!』

「……………!!!

いや、 まだ終わりませんよ!!!!」

 

哲郎はカジキの構えをとってハンマーと向かい合った。

 

魚人波掌 《引き潮》!!!!

 

 

バチィン!!!!!

 

哲郎とハンマーの魚人波掌がぶつかり合った。



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#69 Deep deep diving

『もう一度吹っ飛べ!!!』

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」

 

哲郎の魚人波掌とハンマーの魚人波掌がぶつかってせめぎあい、辺りに衝撃が駆け抜ける。 哲郎の使った防御特化の《引き潮》でもハンマーの身体から放たれる攻撃を跳ね返す事は容易ではなかった。

 

 

バキィン!!!!!

「うわっ!!!!」 『うおっ!!!?』

 

遂にぶつかり合っていた衝撃が爆発し、哲郎とハンマーはそれぞれ 吹き飛ばされた。2人はそれぞれ 体勢を整えて再び向かい合う。

 

(……………!!!

僕の《引き潮》でも弾かれるなんて!!)

 

『…………今のがお前の《引き潮》か。

お前がそれと顎へのケリでレーナ・ヴァインに引導を渡した事は調べがついてんだ。

 

お前、最近天狗にでもなってたんじゃねぇか?』 「!!!」

 

哲郎は魔界コロシアム、そしてエクスとの後はレーナとアイズンの2人に圧勝した。 それは彼の心の奥底、彼自身でも自覚できない所に【慢心】という腫瘍を作ってしまっていたのではないか と 哲郎はハンマーの一言で気付かされた。

 

『俺の言ったことがデタラメだって言うんなら、この状況を何とかして見せろ。

出来なきゃお前はラドラ様の崇高な目的の生贄になるだけだ!!!』

 

ハンマーはカジキの構えを取り、哲郎に狙いを定めた。

 

魚人波掌 《海鼓(うみつづみ)》!!!!

「!!!!」

 

ハンマーは再び水中を叩き、衝撃波を放った。 それはどんどん大きくなり、哲郎を覆う程の大きさとなって迫って来る。

 

哲郎はそれを下方向に移動して躱した。

 

(……………ダメだ。 これじゃ いつか根負けする……………!!! 何か 何か無いのか!?

 

この魔法の弱点が………………!!!)

 

哲郎は必死に思考を巡らせた。

この水中というハンマーに絶対的に有利な状況を何とかしないことには 彼に近づくことすらままならない。

 

(…………!! 待てよ 確かあの時!!)

 

哲郎の頭を過ぎったのは ハンマーの『普通の人間ならあっという間に窒息してお陀仏だ。』という言葉だった。

 

そして哲郎は1つの事に気付く。

 

 

もし自分が普通の人間なら、真っ先にここを出ようとして上方向に浮上するだろう という事を。

 

(……………もし それで上側を念入りに硬くしているとしたら、下側はどうなんだ………。

 

やってみる価値はあるぞ!!!!)

 

哲郎の頭の中で1つの作戦がまとまった。

その直後 身体を翻して下方向に泳いで潜る。

 

((!? 何だ………!?))

 

 

水圧とは、水中でその深さを測る貴重な要素である。 哲郎の身体はそれに【適応】し、それを感じることが(・・・・・・)出来ないが、 それは同時に どこまでも潜っていける身体ということでもある。

 

そして、哲郎は水圧を感じることはできないが、それを利用して攻撃する事は出来る。

 

(………『普通は上に浮上しようとする』と踏んで上を硬くしているなら、 その分 下の方は脆いんじゃないか…………!?)

 

ハンマーはこの水中は自分の意のままに出来る と言った。 それならば深さも自在に調整出来る。

 

それでも哲郎はこの家には地下があるということを知っていた。 どれだけ深くても潜り続けていればいつかは地下にたどり着く

 

哲郎はそう信じて潜り続けた。

 

 

カンッ!! 「!?」

 

哲郎は硬い地面にぶち当たった。その音は天井とは違って軽い音だった。

 

『甘いと言ったろう!!!

俺がそれをやるのを見逃すと思うか!!!?』

「!!!」

 

哲郎がこれからやろうとしていることを察してか ハンマーが血相を変えて急接近して来る。

 

「………いいえ。 もうあなたには付き合えません。 ここは出ていかせて貰います!!!!」

 

哲郎は上方向に腕を上げた。

 

魚人波掌 《水圧轟打(すいあつごうだ)》!!!!!

 

バガァン!!!!! 『!!!!』

 

哲郎は海底に向かって魚人波掌を放った。

そこを中心に亀裂が走り、海底が崩落する。

 

『!!!!』

(よし!!! 上手くいった!!!)

 

魚人波掌 《水圧轟打(すいあつごうだ)

水中で 下方向の相手に対して打つ魚人波掌

掌に水の重量を乗せて放ち、深ければ深いほど 破壊力は増す。

 

 

哲郎は海底に出来た穴を潜り、遂に水中を脱した。

 

「………………

………やっぱり普通の水とは違うのか………。」

 

哲郎は天井に空いた穴と そこから零れない(・・・・)水を見て そう呟いた。

 

(………すぐここに水を引き込まない辺り、 広範囲な分 あまりコントロール出来ない魔法みたいだな……………。)

 

天井の穴からハンマーが降りてきた。

その顔は 怒りに汚れている。

 

「…………全く やれやれですよ。

ようやく あなたの術中から抜け出せました。」

『…………正論だな。 俺もまだまだ改良が必要なようだ。

 

………後 2分もあれば、ここにもあの水を引き込める。 その後はもうお前にターンはやらねぇよ。』

「その心配はありませんね。

【その後】は決して来ない。 2分以内にあなたと片をつける!!!!」



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#70 Demonstrate

「…………じゃあ何だ?

お前、2分で俺に勝つ気でいるのか?

 

アイズンをぶちのめした程度でいい気になるなよ。 俺の強さはアイツとは比にならねぇ。 それは地上(ここ)でも同じだ!!!」

「…………………………。」

 

ハンマーの言葉に偽りは無かった。

アイズンを蛸鞭拳(しょうべんけん)で打ちのめした時のように上手くいく筈は無く、ましてや自分の立てた作戦が全て都合良く通用するとは到底思えなかった。

 

「…………どうした? もたもたしてたら2分なんてすぐに経ってしまうぞ。」

「…………!!」

 

ハンマーは地面を蹴って哲郎と距離を詰めた。

 

「魚人波掌 杭波噴(くいはぶき)!!!!」

「ッッ!!!」

 

ハンマーの掌底を半身で躱した。

そしてその手首を両手で掴む。

 

「はっ!!!」 「!?」

 

哲郎はハンマーの腕に体を掛け、鉄棒の前回りの要領で回転し、そのままハンマーの身体を崩す。

ハンマーは背中から倒れ、哲郎に腕を掴まれたまま仰向けになった。

 

哲郎はハンマーの肩に足を掛け、手首を掴んで身体を仰け反らせ、彼の腕の関節を極めた。

 

「…………………ッッ!!!」

 

ハンマーの腕の関節に痛覚が走り、彼の顔が一瞬 歪む。

 

(…………なるほど。 確かに水から出て動きが格段に良くなってる。

だが忘れてないか? マキム・ナーダ。

 

こいつは公式戦みたいなルールに守られたやわな《試合》とはわけが違う。

どっちかがくたばるまで終わらない ルールもへったくれも無い《潰し合い》だ!!!!!)

 

「!!!?」

 

哲郎の身体が浮いた(・・・)

そしてそのままハンマーの振り上げた腕に引っ張られて宙を舞う。

 

「ッッ!!!」

 

哲郎はハンマーの腕を離し、地面に激突する寸前で踏みとどまった。

 

「……………!!」

「確かに俺の水中から出て 動きのキレは格段に上がっている。

 

が、

 

お前の動きは所詮 人間族の範疇に留まっている。 アイズンを打ちのめして いい気になっていただけだ!!!」

「!!!」

 

ハンマーは魚人波掌の構えで哲郎に仕掛けた。 例え地上であっても彼の身体能力は健在だと 考えるまでもなく分かった。

 

「ッッ!!!」

 

哲郎はハンマーの掌底が直撃する寸前 彼の手首に手を掛け 起動をずらして攻撃を防いだ。 そして 反撃に転ずるために彼の手首を掴む。

 

「甘いぞ!!

このハンマー・ジョーズが 2度も同じ手を食うと思うか!!?」

 

当然 哲郎はそんな甘い事を思ってはいない。ハンマーを投げるのではなく身体を自分の方へ引き寄せた。

 

「!!?」

魚人波掌 《引き潮》!!!!!

 

バチィン!!!!! 「!!!!?」

 

哲郎はハンマーの身体を引き寄せた力を最大限に乗せて腹に掌底を見舞った。

ハンマーの身体は吹き飛び、後方の壁へ激突する。

 

魚人波掌 《引き潮》とは、カウンター特化でも迎撃(・・)特化ではない。

 

その真価は相手が向かってきている時、つまり 自分に向かって動いている時に適応される。

 

「…………………!!!!

ガフッ!!!」

(…………やっと……………………!!

やっと一発まともなのを撃ち込むことができた………………!!!)

 

ハンマーは口から血を吹いた。

その一撃は、哲郎が水中という不利な状況にいた時から耐え抜いて狙い続けていた貴重な一撃だった。

 

(…………間違いなく動きのキレは上がってる。それは認めてやる。

魔界コロシアムを勝ち抜いたってのも頷けるくらいにな。

 

だがな、テツロウ君(・・・・・)よ。

水中じゃなくたって 攻撃の手段はいくらでもあるんだぜ!!!)

 

ハンマーは哲郎に気づかれないようにさりげなく壁に手を当てた。 その壁が次第に流動化していく。

 

魚人武術 《水切り》!!!!

ピジャンッッ!!! 「!!?」

 

ハンマーは手首の動きを使って手のひらに乗せていた流動化した壁を打った。

それは薄くなって刃状になり、哲郎に強襲する。

 

哲郎はそれをかろうじてバク転して躱した。

 

《水切り 時雨鎌(しぐれがま)》!!!!

 

ハンマーは両手で《水切り》を打ち、哲郎の動きを乱す。 そしてついに哲郎の動きに一瞬の隙が出来た。

 

「!!!?」 「貰ったぜ。」

 

一瞬の内にハンマーは哲郎との距離を鼻頭が付くか付かないかの近さまで詰めた。

 

ハンマーの渾身の掌底が 体格差を最大限に活用して上から襲う。 何とか両腕で防御するも、その上からも衝撃が全身に響き、哲郎の身体は床に押して倒された。

 

「今度はこっちの番だな。」 「!!!」

 

魚人波掌 《水圧轟打(すいあつごうだ)》!!!!!

 

ドガァン!!!!! 「!!!!!」

 

ハンマーの掌底は床に巨大な亀裂を走らせる程の威力があった。 それを何とか横に飛んで避けるが、ハンマーはそれも想定していた。

 

ハンマーは哲郎に対して馬乗りになった。

 

「!!!」

「フフフ。 読み違ったな。 マキム・ナーダ。 2分までもう少ししかないが、それを待ってやる義理もないか。

こいつで終わらせてやる!!!!」

 

ハンマーは哲郎に掌底を振り上げた。



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#71 Waterfall strike

「……読み違ったな。 マキム・ナーダ。

こいつで終わらせてやる!!!!!」

 

ハンマーは哲郎に対して掌底を振り上げた。

片腕は哲郎を逃さないように胸ぐらをがっしりと掴んでいる。

 

哲郎はすかさずその手首を掴んだ。

 

「!!?」

 

ハンマーは攻撃に転じるために身体を少し浮かせ、哲郎の身体との間に少しだけだが隙間が出来ていた。

そこから下半身を抜き、両脚をハンマーの首に絡めた。 そのまま身体を下に倒し、ハンマーは背中から倒れた。

 

首から肩へと足を移し、哲郎は再びハンマーの腕の関節を極めた。

 

(……………!!!

ナメてるのか!? この俺に同じ手を2度も使うとは………………!!!!)

 

腕の関節に鈍痛が走るが、それでもハンマーの思考は至って冷静だった。 この状況から逃れる方法を知っているからだ。

 

(……いいさ。 それならこっちも同じ手(・・・)を返してやる。

それにもうすぐ天井から水を落とせるようになる。 その勢いを乗せてその土手っ腹にこの魚人波掌を打ち込んでやる!!!!)

 

「オルァッッ!!!!」

 

ハンマーは掴まれている腕を振るって力任せに哲郎を投げ飛ばした。

ハンマーの思惑通り、哲郎の身体は天井スレスレまで飛ばされる。

 

 

「!?」

 

その時ハンマーの目には奇妙なものが映った。哲郎が天井の穴に手を差し込んでいた。

 

「!!!!! ま まさか!!!!」

「そういうことです。 策にはまったのはあなたの方だ!!」

 

2分が経ち、水はハンマーの予定通り(・・・・)に部屋に流れ込んでくる。

 

ただし、その先端は哲郎が掌握していた。

落ちてくる水の勢いを全て乗せて 哲郎はハンマーに急接近する。 掌には大量の水が握られていた。

 

 

「魚人波掌

《打たせ滝水》!!!!!」 「!!!!!」

 

ハンマーの鳩尾に哲郎の全体重と水の重量を乗せた掌底が直撃した。 苦しむ声を出す暇もなくハンマーの意識は刈り取られる。

 

それによって魔法が解け、流れ込んでくる水は止まり、辺りには固められた土が散乱した。

 

 

哲郎は気を失ったハンマーに近づき、その場にあった紐で彼の身体を縛った。

 

「………早くエクスさんの所に戻らないと………。 ここはどの辺りだ……………? 」

 

肩にハンマーを抱え、哲郎は部屋の扉を開けた。

 

 

***

 

 

コンコン と扉を叩く音が鳴った。

 

「……道にでも迷ったのか?

随分長い便所だった━━━━━━━!!!??」

 

扉を開けて入ってきた哲郎を見て、エクスは一瞬 たじろいだ。

 

全身が傷と汚れに覆われ、肩に一回りも大きな男を抱えていた という状態はどう考えても普通では無かった。

 

「どうした!? 一体何があった!!?」

「……一言で説明すると、 襲撃に遭いました。」 「襲撃!!?」

 

 

***

 

 

「………なるほど。 このハンマー・ジョーズがお前を襲ってきた と そういう訳だな?」

「はい。 それで何とか勝って、その身柄をここに連れてきたんです。」

 

哲郎とエクスの前には椅子に縛り付けられたハンマーがいた。

 

「それで間違いないのか? こいつが《七本之牙(セブンズマギア)》の一味だと言うのは?」

「間違いない とは言いきれませんが、僕の質問にそう答えていました。」

 

ハンマーは未だに気を失っていた。 尤も フリをして追求を逃れようとしているかもしれないが、兎に角 警戒する必要性は見られない。

 

「決戦の前にいい情報が手に入りそうだ。

目を覚まし次第 こいつに情報を洗いざらい吐いてもらう必要がある。 それこそ、場合によっては拷問もやむを得ないが、 手伝えるか?」

「………えぇ。 そのくらいは我慢します。」

 

「なら これからこいつを部屋に連れていく。 お前も着いてこい。 お前からも色々聞いておかねばならない。」

「分かりました。」

 

 

***

 

 

エクスと哲郎がハンマーに近づいていた時にラドラは仲間たちを集めて指令を告げた。

 

「諸君に命ずる。 ハンマーが敗走した。 ついては尋問 及び拷問にかけられる前にハンマーを連れ戻して来い。

 

間違っても戦おうと思うな。 少しでも奪還が不可能と判断した時には 迷わず帰ってこい。 これ以上 欠員を出しては勝てるものも勝てなくなる。」

 

ラドラの呼び掛けに配下たちは腕を上げて応じた。

 

 

***

 

 

「名前はハンマー・ジョーズ

辺りを流動化させる魔法を使って僕を引きずり込んで水中に閉じ込めました。」

「魚人という事は、やはり」

「えぇ。 彼も魚人武術を使ってきました。

彼が油断していなければきっと押し切られていたと思います。」

 

哲郎は彼との死闘を思い出しながら、続いてこう告げた。

 

「……彼が僕に言ってきたんです。『最近 天狗になっていたんじゃないか』って。

無意識の内にそうなっていたんじゃないかとは考えます。 だけど もう二度と ラドラ寮と戦う時には そんな事にはなりません。」



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#72 Help fastest

「………何度も言ってるだろ!?

お前らに話す事なんか何もねぇ!!!」

「……お前、自分の状況を分かってそう言ってるのか?

悪いがこっちには時間が無い。 このままではもっと手荒な手段を選ぶしか無くなるぞ。」

 

エクスの自室でハンマーは椅子に括り付けられて尋問にかけられていた。

哲郎はそれを少し距離をとって見ている。

 

尋問及び拷問には一切関与しない という条件で哲郎は彼に協力した。

 

心が痛む事ではあるが、そんな事を言っていられないという事も十分に分かっていた。

我儘や無理を通さずに解決出来る問題ならば、自分が関わるまでもなく彼が解決していただろう。

 

甘い事を言っている状況では無いという事は十分に分かっている。

 

 

***

 

哲郎は頭の中で少し前にエクスに言われた事を思い出していた。

 

「15分だ。

それ以上 口を割らなかったならヤツの拷問に掛かる。

それを見たくなければ 外に出て怪しい者が来ないか見張りでもしていろ。」

「……分かりました。」

 

 

そして現在、尋問に入って間もなく10分が経とうとしている。

 

ハンマーはエクスの質問に依然として黙秘を貫いていた。

 

(………あと5分か……………。

もし追っ手がいるならもう近くにいてもおかしくないだろうな……………。

 

時間も近いし、外を見回って来るか………。)

 

と、哲郎が部屋を後にしようとしたその時、

 

 

………て貰いに来ました。 「!!!??」

 

と、どこからか声が聞こえた。

聞こえてきた方向が分からず、咄嗟に辺りを見回すが、どこにも誰もいる気配がない。

エクスもハンマーにだけ注目していて、声に気づいていないようであった。

 

「……彼は返して貰いますよ。

マキム・ナーダ(・・・・・・・)さん。」 「!!!!」

 

今度ははっきりと、それこそ方向も鮮明に分かるほどに聞こえた。

 

聞こえてきた方向は部屋に通ずる扉の方向。

そこに視線を送った時、哲郎は一瞬 言葉を失った。

 

 

そこに立っていたのは 全身を赤褐色のマントでおおっていた1人の人間だった。

頭部にもフードがかぶさっていて、顔を見ることが出来ない。

 

「……………!!!」

「何を黙っているんです?

彼を返して欲しいと言ってるんです。」

 

その人間は哲郎に対して敵意の類を一切見せることなく堂々と歩き寄って来た。 その時でさえ 足音は少しもしていない。

 

「!!!」

「……おや? 《これ》が気になりますか?」

 

目に飛び込んできたフードの中のもの(・・)を見て、さらに肝を抜かれた。

それは《仮面》だった。

 

そしてその時 哲郎はその人間がマキムとして学園に潜入してラドラのアジトらしき所に忍び込んだ時に居た人間の中の1人だと言う事に気がついた。

 

「……そんなに強ばった顔をして頂かなくて結構。 さっきも言ったように あなたには用はありません。」

 

 

その人間は哲郎の顔を覗き込んでそう 小声で呟いた。 その威圧感で《後ろのエクスに助けを危険を知らせる》という単純な動作を行う余裕さえ削がれていた。

 

「………私の目的はただ1つ

 

そう。」

 

 

 

突如、 『バオッッ!!!!!』 という突風音が響き、人間が哲郎の前から姿を消した。

 

 

「!!! エクスさん!!!!」

 

ほとんど 反射的に哲郎は後ろのエクスの無事を確認した。 しかし、その姿も土埃に覆われて確認できない。

 

やがて土埃が晴れていき、エクスが無事に立っていることが確認できた。

 

 

 

ただし、そこに居たのはエクスだけ(・・)だった。

 

「 ああっ!!!」

「……………!!!

……お前の言いたいことは分かる。

してやられた。」

 

その部屋からハンマーの姿は消えていたのだ。 彼が縛られていた椅子の拘束は強引に外されていた。

恐らく、何か鋭利な刃物のような物で切断されたのだろう と2人は推測した。

 

「………すみません!!!

せっかく僕があそこに立っていたのに 早くあなたに危険を知らせるべきでした!!!」

「…………いや、 お前のせいじゃない。

俺が油断していたからだ。 ハンマーの自由を奪って、 すっかり慢心していた…………!!!」

 

哲郎とエクスはそれぞれ自分の非を悔いた。

残された2人に出来ることはそれ以外に無かった。

 

 

***

 

 

「………悪い。 あいつらに合わせる面がねぇよ。こんな手間掛けさせちまって。」

「……………………」

 

フードの人間は 抱えているハンマーの謝罪を聞き流していた。

 

「お詫びは後で結構です。それに今 あなたがすべき事は謝罪ではない。

帰ったら 彼 テツロウ・タナカ(・・・・・・・・)について分かったことを話してもらいますよ。」

「………分かってる。

先に言っておくと、不覚を取っちまったのは完全に俺の慢心だ。 安っぽい挑発に乗ってヤツの策に嵌っちまった。

 

だがな、逆を言やァ 対策さえしてれば俺でも負けてなかったって事だ。」

 

「………するとつまり?」

「ああ。 そういうこった。

俺がラドラさんにそれを伝えたら、俺たちの勝ちは磐石になるって訳だ。」



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#73 SCARY ~The first part~

「………まんまとしてやられましたね。」

「ああ。 認めざるを得ない。

今回はヤツらに一杯食わされた。」

 

哲郎とエクスは部屋の中で自分たちが敗けたという事実に呆然としていた。

 

「……恐らくあのハンマー はお前について分かったことを洗いざらい話す事だろう。」

「……返り討ちしたつもりが、逆に彼らに情報を流した という事ですか…………。」

「そういう考えたかをする物じゃない。

万が一 お前という戦力を失うことが一番避けねばならない事だった。」

 

エクスにとって哲郎は、ラドラ達と関わりを持ち、それでいて自分と一緒に戦ってくれる数少ない戦力だった。

 

「……そうだ。 情報と言えば、」

「? 何だ?」

 

「エクスさんは、ラドラ達について何か知ってることは無いんですか?」 「!!」

 

「言い忘れてましたがあの男、何か変な人形のような物を抱えてたんです。

そう。 大きさはこれくらいの、赤ちゃん位の。 顔は泣いてるのか分かってるのか分からないような、 とにかく不気味で気持ち悪かったのを覚えてます。」

「…………………!!!!」

 

「そこで僕なりに考えたんですが、彼ってもしかして━━━━━━━━━━━━」

「正解だよ。」

「!」

 

「ヤツ、 ラドラ・マリオネスは人形魔法の使い手だ。」

「………やっぱり………………。

ですが、その情報は確かなんですか?」

「間違いない。

 

実を言うと、ついこの前、俺の部下がその術中に嵌って返り討ちにあった。」

「!!!?」

 

 

 

***

 

 

 

約1か月前

 

「これより突入するが、その前に、今回の目的をおさらいしろ。」

「はい!ラドラ共の陰謀の手がかりを掴むためであります!!」

「よし! それから 分かってるだろうが、無謀な交戦は絶対に避けろ。少しでも危険だと判断したらすぐに引き返せ。 そして俺に情報を提供しろ。」

 

「「「はっ!!!!!」」」

 

エクスは自分の部下の中でも特に隠密や潜入に優れている者 3人をラドラの元へ向かわせた。

理由は ラドラがこのパリム学園に何かやるという噂を耳にしたからだ。

 

「いいか? ヤツらはこの場所に地下室を作り、そこを魔法で隠蔽ている。

その魔法を こいつで解くんだ。」

「それは?」

 

エクスは懐から水晶のような物を取り出した。

 

「こいつは魔法解除に特化した魔法具だ。

これを使って隠蔽魔法を解き、そこから侵入しろ。

それから分かっているだろうが、こんな大それた物を使えば間違い無くヤツらにもバレるだろう。 だから侵入できる時間は15分と見ておけ。」

 

 

 

***

 

 

「………ラドラ様」

「言わなくても分かっている。

エクスの手先がここに来るんだろう。」

「はい。それで、如何しますか?

入口にて迎撃しましょうか?」

 

「いや。 迎撃よりもいい方法を考えている。」「?」

 

「こちらの戦力拡大と奴らの戦意喪失を同時に行える策がな。」

 

 

***

 

 

エクスの部下たち3人は予定通りに魔法を解除して現れた階段を降り、通路を進んでいた。

 

「エクス様、現在は異常ありません。」

『良いか? 決して気を抜くな。

ラドラ共は間違いなくこちらの侵入に気づいている。

場合によっては攻撃してくることも考えられる。 現にこの近くで生徒複数人が行方不明になっている。

 

奴らの仕業とみて間違いないだろう。』

 

エクスは自室から通話魔法で部下たちに指示を飛ばしていた。

 

「!」

『どうした!?』

 

「何か落ちています!」

『気をつけろ。 有害なものかもしれない』

「はっ!」

 

 

エクスに言われた通りに男は手袋をして落ちているものを拾い上げた。

 

(………これは……………

糸…………?

いや、髪の毛?)

 

『どうした? 何が落ちていた?』

「報告します。 通路に毛髪が落ちていました。」

『毛髪? 分かった。持ち帰って行方不明者の物かを確認するぞ。』

「了解しました!」

 

男は髪の毛を袋に入れ、さらに歩を進めた。

 

 

「報告します。

只今 曲がり角に到着しました。」

『十分に注意しろ。

待ち伏せされているかもしれない。』

 

男は明かりを照らしながら角を曲がった。

そしてその目に奇妙なものが入る。

 

「………?」

『? 何だ どうした?』

 

「……何か、細長いものが見えます。」

『細長いもの?』

「はい。 三本、蛇のように動いているような。」

 

男の目には確かに曲がり角から細長いものが動く という光景を映していた。

 

『馬鹿な。 ここは学園内だぞ。

蛇なんているはずが』

「………近付きます。」

『慎重に行けよ。』

 

男は恐る恐る ゆっくりとその動く何かに近づいて行った。

 

 

 

「!!!!!」

『!? おいどうした!!?

何があった!!?』

 

 

男はその動くものの正体に気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

それは、人間の腕だったのだ。



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#74 SCARY ~The latter part~

「う、腕です!!!!!

に、人間の腕が三本、 動いています!!!!」

『何、腕だと!? どういうことだ!!?』

 

「わ、分かりません!!

とにかく腕があるということしか!!!」

『落ち着け!! 冷静さを失うな!!!

慎重に行動しろ!!!』

 

エクスは侵入した男たちに指示を飛ばした。

彼の言葉だけで そこがどれほど切迫しているか理解でき、それを抑えなければならないとはっきり分かっていた。

 

「…………はい。 すみません。落ち着きました。」

『よし、それで良い。

まずはその腕がどういう状態なのか報告しろ。』

「は、はい。

数は三本 色は………… 赤褐色のようです。

………長さや細さは、不釣り合いのように思われます。」

『待て。その三本はどれも赤褐色なのか?』

「はい。 間違いありません。」

 

〘……長さや細さがバラバラなのに、色は同じだと…………?〙

 

エクスは思考を巡らせながら部下たちに指示を続ける。

 

「………ではこれより、接近します。」

『分かった。 繰り返すようだが慎重に行け。』

「はい。」

 

 

***

 

 

 

「こちらエクスだ。 そっちの状況はどうだ?」

『はい。 ただいま 件の腕のあった曲がり角の直前に居ます。』

「そうか。 俺の指示で突入しろ。 いいな?」

『はっ!

 

 

━━━━━━━━━━━━ウグァッ!!!!!』

「!!!!? おいどうした!? 何が起こってる!!?

応答しろ!!! 応答しろ!!!!」

 

『ガッ…………!!! ギッ……………!!!!

 

や、止め……………!! 止め………………!!!』

「応答しろ!!!! 応答しろ!!!!!」

 

 

『あ゙ あ゙がッ………………!!!!

ラ、ラド━━━━━━━━━━━━』

ブツッ

 

 

 

通信はそこで途絶えた。

後にエクスの耳に入ったのは砂嵐の音だけだった。

 

 

***

 

 

後に、ラドラの地下通路に突入した3人組の内の2名がこう証言する。

 

当時の状況は、彼が前衛に立ち、2人はその後ろで待機していた。

そしてエクスの指示を待っていたその一瞬の間に、件の三本の腕が前衛にいた男を掴み、そして曲がり角に引きずり込んだ。

 

もちろんすぐに2人は後を追ったが、そこには何も無かったのだと言う。

その後、2人はエクスの撤退命令を受け、今に至るのだ。

 

そして2人は口を揃えて、『『その時、カタカタと乾いた木と木がぶつかり合うような音が聞こえていた』』と証言していた。

 

 

 

***

 

 

 

「…………と、言うのがその時の状況だ。分かってくれたか?」

「……………………………………!!!!」

 

哲郎は半ば呆然としていた。

まるで本やテレビで怪談話を1つ聞き終えた後のような気分になっていた。

 

「……すると、あなたはその男の『ラド』という証言、そして色が同じで長さ細さがバラバラの腕とその木と木がぶつかったみたいな音 から推理してそのような結論に至ったと言うわけですね?」

「………そういう事だ。」

 

エクスは躊躇いながら返答した。

それは自分自身の失態を自分でさらけ出して、認めるような行動だったからだ。

 

「……それで、その推理は本当に当たっていると思いますか?」

「……どういう意味だ?」

 

「いえ、 ただ可能性を一つに絞ってしまうのは危険だと思っただけでして。

確かに僕も彼の懐に人形が抱えられてるのを見ましたが、それだけで結論づけてしまってそれが外れていたら勝てるものも勝てなくなってしまうのでは と考えたんです。」

「………そんなに疑うのならその証言をした2人に掛け合ってみれば良い。

嫌でもそれが本当だと分かるだろうさ。」

「いや別に疑ってる訳じゃないですが分かりました。 案内して下さい。」

 

 

 

***

 

 

「……ラドラ様、報告致します。

ハンマーを無事に保護致しました。今は医務室にて待機させております。」

 

「ご苦労だった。 部屋に入ってくれ。」

「失礼致します。」

 

フードを被った男がラドラの部屋に入った。

 

「………その人形、ひょっとして………。」

「そうだ。あの時のエクスの手先共だ。本当は3人とも戦力にしたかったのだが、まんまと逃げられてしまった。

おそらく奴らに私の能力も割れている事だろう。」

 

ラドラは人間程の大きさのある人形を磨きながら悲観的にそう呟いた。

 

「一応聞いておこう。

あれから戦力はどれくらい増えた?」

「はい。 少なく見積もっても250人は戦力にできたかと。 なお、やはり表では行方不明者の多発で随分と騒いでいるようですが。」

「そんなものは捨ておけ。

予定は変えずに今まで通り戦力拡大に尽力しろ。 私の目的さえ完了すれば、誰も何も言わなくなるんだから。」



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#75 The testimonyer

「……もしもし……… そうだ 俺だ。

これからそっちに行く……………

 

そうだ。 そいつがお前らの話を直接聞きたいそうだ。 だから今から用意しててくれ。」

 

エクスは小型の水晶に向かって話をしていた。

 

「それで、どうでした?」

「今から来てもらって構わないと言っていた。」

「分かりました。じゃあ直ぐに行きます。」

 

哲郎は荷物を手に取り始めた。

 

 

 

***

 

 

 

哲郎はエクスに連れられて廊下を歩いていた。

 

「……それでもしその人が襲われなかったら、どうするつもりだったんですか?」

「その時は後続隊も突入させて、さらに深堀りするつもりでいたさ。」

 

「それから考えたんですが、もし仮にラドラ達が侵入に気づいたとして、そこから短時間であそこまでの罠を仕掛けられるかと言われたら 無理があると思うんですよ。」

「………………!!!」

「ですからこう考えたんです。

 

『彼らはもっと前から侵入することを知っていた』と。」

「……その可能性なら俺も考えた。

そして内通者の線も考えて周辺を洗ったが、その可能性は否定されている。」

「どうしてです?」

 

「その侵入作戦は俺が1人で考え、そして数人に伝えただけだからだ。」

「なら、その侵入した人の中にいたという事じゃないんですか?」

「それも無い。

あの時襲われたあいつが近づいたのはあいつが独断で決めたことだ。 それにその2人にも 古臭い方法だが嘘発見器にかけて あいつらは無実(シロ)だと結論が出た。」

 

「そうですか………。

ちなみにその嘘発見器でどうやって見抜くんですか?」

「簡単な事だ。

その装置に魔力を送ってそれを《真偽を見抜く魔法》に変換して使用する。

実際の裁判でも活用されているものを使った。」

「……そうですか。」

 

哲郎は俯きながら答えた。

少しでも薄い根拠で裏切り者を疑ってしまった自分を恥じたくなった。

 

「……だから俺はヤツらが何らかの魔法を使って俺が作戦を考えた所を覗いて情報を掴んだのだ と考えている。」

「………なるほど。」

 

「ほら着いたぞ。 2人はこの中に居る。」

 

気がつくと廊下を歩き終わって大きな扉の目の前に立っていた。

 

 

 

***

 

 

 

「俺だ。 言っていたやつを連れてきた。

入るぞ。」

 

エクスが扉を開けて哲郎が見たのは椅子に座っている2人の男だった。

ほんの少しだけではあるが やつれている印象も受けた。

 

エスクの手指示で哲郎は2人の前にある椅子に座った。

 

「……それではまず、お名前を伺ってよろしいでしょうか?」

「ああ。 私はバウラールだ。」

「私はガイマムという。」

 

「……早速本題に入りますが、ラドラの所に侵入した当時の事を教えて頂けますでしょうか? 彼、エクスさんから大体のことは聞きましたが、あなた方からも直接聞いておいた良いと思いまして。」

「「………………分かった。」」

 

バウラールとガイマムは互いを見合い、同意した。

 

 

 

***

 

 

 

「これで知っていることは全てだ。

これ以上話せる事はないが、何か君の役に立ったか?」

「………ええ。 ご協力 感謝します。」

 

結論から言うと、新しい情報はなく、エクスが話してくれたこと以上の話は無かった。

それでも彼らの口調は当時の状況をありありと思い起こさせ、それを実際に体験したかのような気分にさえさせた。

 

「それでは僕は彼の所へ戻りますので。」

 

哲郎は椅子を立ち、部屋を後にした。

 

 

 

 

***

 

 

 

哲郎がバウラールとガイマムから話を聞いていた頃、ラドラは一室で人形の数を確認していた。

 

「………時に聞くが、」

「はい。 何でしょうか?」

「攫ってきた家畜(・・)共は何匹くらい溜まった?」

「はい。 ざっと見積もっても40()くらいにはなったものと。」

 

40()という数字を聞いてラドラの口元が僅かに緩んだ。

 

「……そうか。ならそろそろ頃合だな。」

「と、仰いますと」

「奴らをこれから私たちの戦力にする。

それからハンマーは動けるか?」

「はい。 腹に1発受けただけですので動くだけなら問題はありません。」

「それから、催眠魔法の用意を急げ。」

 

「かしこまりました。

ですが それで何を?」

「エスクはおそらく彼の強さに全幅の信頼を寄せ、主力だと考えている。」

「と言うことは…………!!」

 

「そうだ。 テツロウ・タナカを拉致し、こちら側に引き込む。」

「………………!!!

かしこまりました。 直ちに準備に取り掛かります。」

 

振り返ったラドラの顔には明らかに勝ち誇っているが故の笑みが浮かんでいた。



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#76 Elite rally

「……何か分かった事はあるか?」

「ええ。 彼が決して内通者などでは無いという事と、彼らの言っている事が紛れもない事実だということが分かりました。」

 

哲郎は来た廊下を戻っていた。

 

「それから あとしばらくしたらここに俺を含めた突入班が集まる手筈になっている。

ファンとアリスにも声をかけてある。」

「分かりました。

僕もマキムの格好で立ち会った方が良いですかね?」

「いや そのままで良い。

お前は【テツロウ・タナカ】として戦力に迎え入れる。」

 

 

 

***

 

 

 

「言いたいことは多々あるが、まずは俺の独断に付いて来てくれる事に心から礼を言いたい。」

 

居間のような部屋にエクスを囲んで数人の人間が集められていた。

そこには哲郎はもちろんの事、ファンとアリスも居る。

 

そして見知らぬ顔が3人程いた。

 

3人とも細身で切れのある顔つきをしており、その表情からはありありと真剣さが伺える。

 

「………君がテツロウ・タナカか。」

「!」

 

その3人の中で1番身長の高い男が哲郎に話しかけた。

 

「あ、はい。 僕がそうです。」

「君の魔界コロシアム及びエクス様との手合わせ、そして公式戦での活躍はかねがね聞いている。

私はエクス様の親衛隊を務めている ミゲル・マックイーンと言う者だ。

私の隣にいるのがトムソン・ハベル そしてその隣がエルコム・ダーリ だ。

よろしく頼む。」

「こ、こちらこそよろしくお願いします。」

 

ミゲルはその硬い表情からは想像もできないほど柔らかい物腰で哲郎に挨拶をした。

 

「あの、エクスさん?

それで 親衛隊というのは一体…………」

「深く気にする必要は無い。

あいつらが自分たちのことをそう言ってるだけでそんなことは思っていない。

あいつらはただの部下だ。」

 

哲郎はエクスの返答を聞いて頷き、再びミゲルに話しかけた。

 

「あの、ミゲルさんと呼べば良いでしょうか?」

「うむ。 どうかしたか?」

「エクスさんから聞いたのですが、前に侵入したバウラールとガイマムと言う人も、あなたの言う親衛隊の人間だったんですか?」

「!!! ……………そうだな。

彼らは親衛隊の中の侵入班として駆り出された。 その時 捕らえられた隊員を救出することもこの作戦の1つだ。」

「…………なるほど。 分かりました。」

 

 

「もういいか?

早く本題に入りたいのだが。」

「ああ。 すみません。」

 

エクスに呼びかけられて哲郎は振り返った。

 

 

 

 

「……これが作戦のあらましだ。

もう一度言うが 俺たちは少数で突入する。 この中の1人でも欠けようものなら 簡単に作戦が瓦解しかねないということを自覚して貰いたい。」

 

その場にいる哲郎を含めた全員が彼の話を鬼気迫る表情で聞き入っていた。 哲郎もまたその一員としての自覚を持たねばならないと自分に強く言い聞かせた。

 

「この後に 各々と個別で話したいことがある。 それからその前にこいつを渡しておく。」

 

そう言ってエクスが懐から取り出したのは透明な大きめのビー玉のような物体だった。

 

「……なんですか それは?」

「こいつには魔力が込められて、三つの用途に使うことが出来る。」

 

哲郎が聞いた説明を要約すると以下の通りである。

 

・魔力を媒体とした通話

・鎖程度を断ち切れる程の衝撃波

・照明程度の発光

 

「そしてこれは個人の証明の意味も兼ねている。 これを持っていれば、たとえヤツらが俺たちに変装しようとも、俺たちは俺たちを区別できる。」

 

 

 

 

***

 

 

 

エクスが哲郎達に作戦を説明するのと同じ時に、彼の部屋の天井裏に一人の男が潜入していた。

 

「もしもし? 潜入に成功しましたぜ。

しっかしザルにも程がありますぜ。 屋根に俺の魔力流し込んでやったらすぐに空いちまってよォ。」

『油断をするな 無駄口を叩くな。

そっちの状況だけを教えろ。』

 

「へいへい。

あー、エクスのやつがなんか人を集めてますね。 何を言ってるのかは分かりませんが、そん中にあいつら、公式戦で暴れやがったガキ共もいますよ。」

『テツロウ・タナカはその中にいるんだな?』

「間違いありません。

あのガキ 一番話に聞き入ってるみたいですぜ。」

 

『………そうか。 確認するが、催眠魔法は準備出来ているな?』

「馬鹿にしてもらっちゃ困ります

バッチリ用意できてますぜ。」

『なら問題は無い。 いいか。 奴を子供だと思って甘く見るな。 奴はマーシャルアーツに精通している。 1回しくじったら二度と機会は来ないと思え。』

 

「もちろん 分かってますぜ。

ヤツの口にこいつを押し当てて意識奪えば俺の魔法で秒でここまで拉致ってこれる。」

『今私は、お前には全幅の信頼を寄せている。 ではこれより作戦を第二段階に移す。

お前はテツロウ・タナカを拉致してこっちに戻って来い。

 

私も準備に取り掛かる。』



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#77 The Disappearance

「何、テツロウが消えただと!!!?」

 

哲郎が消えた

 

それはミゲルが確かに確認し、エクスに伝えた情報だった。

 

 

 

***

 

 

 

「……話はこれで以上だ。

後ほど 個々に詳しい話をするから、それぞれ部屋で待機していて貰いたい。」

 

エクスの言葉に全員が声を揃えて返事をした。

 

「それからミゲル、テツロウを部屋に案内しろ。 テツロウとは最初に一対一で話をするから、時間が来たら迎えに行ってくれ。」

「かしこまりました。」

 

そう言うとミゲルは哲郎を部屋に行くように促した。

 

 

 

***

 

 

 

「……あとこの廊下をまっすぐ進んだら部屋に着く。そこで待っていてくれ。」

「分かりました。

 

それで ミゲルさん。一つお話 良いでしょうか?」

「何だ?」

 

「潜入班が捕まった謎について、ミゲルさんの意見を聞きたいんですけど。」 「!!」

 

哲郎はそこまで言うと一瞬 間を置いて話を続ける。

 

「あなたも知ってるはずでしょうけど、エクスさんはそのラドラという男が人形魔法を持っていて、それを使って拉致したと推理しているんです。

ミゲルさんはどう考えていますか?」

「…………!!」

 

口ごもるミゲルに哲郎は話を続ける。

 

「言っておきますが 別にエクスさんに話を合わせていただく必要はありませんし、それに僕はエクスさんの推理が間違ってると決めつけている訳でもないです。

 

ただ、この段階で結論を急ぐのは危険だと考えているだけで、確かにガイマムさんとバウラールさんの証言も聞きましたけど、やはり決断はまだ早いと考えているんです。」

「………………………」

 

「それで、どうなんです?」

「…………確かに私も結論を出すのは早いと思っている。 だがそれでもエクス様の考えが間違っているとは思えない。 だから我々はラドラが人形魔法を持っている と結論づけると同時にそれ以外の可能性も視野に入れて作戦を立てているのだ。」

「そうですか。 それなら大丈夫です。」

 

「ちなみに言っておくが、ラドラの奴はパリム学園に来てから1度も固有魔法を見せていないのだ。 使ったのはとても高い精度の誰でも使える魔法だけで、素性もひた隠しにしてある。 だから我々も対策に苦戦しているのだ。」

「……なるほど。 肝に銘じておきます。」

 

そうしている間に哲郎は部屋に着いていた。

 

 

 

***

 

 

「準備が出来たらこちらから呼びに行く。

それまで待っていてくれ。」

「分かりました。」

 

哲郎が準備された部屋で考えていたのはエクスから渡された水晶のようなアイテムの事だった。

 

(………さて、まずこれをどうやって持ち運ぶか考えなくちゃな………………。)

 

これが無くとも戦いには支障は無いだろうが、それでも必要になる場面はあるかもしれないし、それにこれが無くなっては戦場で信用が無くなりかねない と哲郎は考えていたのだ。

 

ポケットに入れるという選択肢は真っ先に切って捨てた。 落とす危険性も高いし、何より万が一敵の手に捕まって没収されたりしたらそれこそ戦況を掻き乱されてしまうからだ。

 

(…………でも、それならどうする? どうやってこれを持ち運ぶ?)

 

 

その時 哲郎は身体のある場所(・・・・・・・)を見て、パリム学園で習ったある事(・・・)を思い出した。

 

 

 

***

 

 

 

哲郎が待機している時、潜入した男が哲郎の下(・・・・)に来ていた。

 

「報告します。 配置に着きました。

今ヤツの()にいます。」

『そうか。 もう一度言っておくがくれぐれもしめてかかれ。

しくじったら二度とチャンスが来ないばかりか、お前までハンマーの轍を踏む可能性もある。』

「もちろん分かってます。 手筈は完璧です。」

 

『それで、エクスは何か妙な事をやってなかったか?』

「何を話してるかは分かりませんでしたが、何かを渡しているようでしたよ。」

『そうか。 なら拉致した後で身体検査をする。 ポケットの中身や口の中とかを調べるからこっちに連れて来い。』

 

「分かりました。 では3・2・1でやつにかかります。 通話を切って下さい。」

『分かった。健闘を祈るぞ。』

 

 

 

***

 

 

「テツロウ。 時間だ。エクス様がお呼びだ。すぐに支度をして来てくれ。」

 

ミゲルが時間になって哲郎を呼ぶために扉をノックした。

 

「……………………?」

 

しかし、いくら待っても返事が無い。それどころか支度をする物音一つして来ない。

 

「!!!」

 

不意に嫌な予感を感じ、ミゲルは扉の鍵を開けて部屋に押し入った。

 

「!!! こ、これは━━━━━━━━━!!!」

 

そこには誰一人いなかった。しかも部屋はとても静かで争った形跡もない。

そして、窓や扉にはしっかりと施錠し、許可なく出たりする事は禁じていた。 哲郎がそれを破ったともミゲルには思えなかった。

 

田中哲郎はこの時、完全にこの誰も立ち入ることの出来ない筈のこの部屋から完全に姿を消してしまったのだ。



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#78 HIDE & SEEK

【テツロウが部屋から消えた】

その報告を受け、エクスは一目散に哲郎の待機部屋に足を運んだ。

 

「それは間違いないのか ミゲル!?」

「ええ。 窓にも扉にもちゃんと鍵が掛かっておりましたし、廊下を見張っていた者も テツロウは一歩も部屋から出ていないと証言しておりました。」

「しかしあいつの技はかなりの完成度で磨かれていたんだぞ! 不意打ちであってもそんじょそこらのやつに不覚を取るなんて到底思えん!!」

「エスク様、これを!」

「何だ!?」

 

ミゲルが指さした所には、透明に近い白色の粉のようなものが少しだけ付着していた。

 

「こ、これは【魔素】か!!?」

「………となると敵は床に魔法を仕込んで彼を拐ったという事になりますね。」

 

 

魔素

それは、魔力を構成する物質である。

魔法を使った後の発射部や当たった箇所には必ずそれが付着する。

付着した魔素は少なくとも24時間は持続する。そして、いかなる方法でもそれを取り除くことは出来ない。

 

「エスク様、それからもうひとつご報告が。

テツロウに渡したあの魔法具がどこにも見当たりません!」

「何?! もしかせずとも身体に持った後で拐われたのか?!

よし! ならばその魔法具に通信を繋げ! それでテツロウか敵の居場所は割り出せる筈だ!!

それとミゲル、お前はこの事をトムソンとエルコムに伝え、あいつが屋敷にいる可能性も考慮し、手分けしてこの屋敷の中をくまなく探せ!!

 

俺はテツロウの魔法具に通信を試みる!」

「かしこまりました! 直ちに!!」

 

 

 

***

 

 

 

哲郎を拉致した男は今、本部に戻ってラドラに報告していた。

 

「命令は完璧にこなしましたぜ。

テツロウのガキはちゃんと拉致って今ぶち込んであります。」

「そうか。 よくやってくれた。

それからヤツは何かを受け取っていたんだろ? それはどうなった?」

「それなんすけどね、身体のどこを調べても何も出て来ないんですよ。」

 

男の気の抜けた発言にラドラの眉間のしわが少しだけよった。

 

「……間違いなく隅々まで調べたんだろうな?」

「もちろんすよ。 ポケットの中から口の中までちゃーんとね。 まぁおそらく それを仕舞う前に俺が襲ったってだけでしょうよ。」

 

「……身体のどこかに隠し持っているということは無いのか?」

「そんなバカな。カンガルーみたいに腹に袋がある訳じゃあるまいし。 あのガキも所詮は人間ですぜ。魔法が使えるならいざ知らず、そんな芸当出来る筈が無いでしょう。」

 

終始 納得いかない様子ではあったが、ラドラは話を変えた。

 

「まあいいだろう。 それより、拉致に成功したならすぐに始めるぞ。」

「もう始めちゃうんですかい?

じゃあ今まで後回しにしてたガキ共も一緒にやっちゃうって事で良いすかね?」

「そうだ。 すぐに準備を開始しろ。

その際に、こいつ(・・・)を使う。」

 

 

 

 

***

 

 

 

哲郎は目を覚ました。

そしてすぐにここが広さも分からないほどの暗闇で、両手の自由が奪われていることに気付く。 手首に走る独特の冷感から、鎖のようなもので縛られていることを理解する。

 

そしてその後考えたのは、自分を襲った人物についての事。

 

 

一瞬だった。

哲郎がエクスから貰った水晶型の魔法具をしまおうとした(・・)その時、背後から水が跳ねるような音が響いた。

 

そこからは本当にあっという間の事だった。

口に おそらく睡眠のための薬か あるいは魔法か とにかく自分を眠らせるものを口に当てられ、一瞬 意識を奪われた。 技を使って抵抗する暇さえ与えられなかった。

 

その催眠こそ【適応】の能力ですぐに克服したが、その時には既に両手を縛られて、視界も目隠しで塞がれた。

 

そこからの移動も素早かった。

時間にして1秒かかるかかからないか程度の間、全身に冷感(・・)を感じながら 気がついたら拉致は完了していた。

 

 

(………まんまとしてやられた………………。

きっとあのバウラールさん達の仲間の人も こうやって連れてこられたんだ……………。)

 

そして哲郎は次に身体の隅々を調べられたことを思い出していた。

 

目隠し故にそこがどこかは覚えていないが、大勢の声がする中、服に付いている全てのポケットの中身、そして口や耳の中まで覗かれ、しばらくだった後に再び連れられて今に至る。

 

今は目隠しをされておらず、視界は確保出来ている。 つまりここは《視界があっても大丈夫な空間》だということなのだ。

 

(…………音は聞こえない……………。

ここには見張りとかは居なさそうだな。

拉致されたのは予想外だったけど ここまでは良い。)

 

自分がやるべき事は既に分かっている。

 

心の中でそう呟くと哲郎はうつ伏せの体勢を取った。そしてこの事を敵に見つからないでくれと願う。

 

(……ヤツらはまだこの事(・・・)に気づいていない。

まずは、これを取り出す(・・・・)!!!)



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#79 HIDE in the hand

治癒魔法

 

それは、哲郎が魔界コロシアムの3回戦でのレオルとの試合で見、そしてパリム学園に潜入する中で学んだ事である。

 

治癒魔法とは、基本的にしてとても繊細な魔法である。

そしてそれを未熟な状態で使う事はとても危険な行為としてこのラグナロクの全土に知られている。

 

 

なぜなら、【傷口に異物が入った状態で治癒してしまうと、異物が入ったまま塞がって化膿してしまうから】だ。

 

 

 

***

 

 

哲郎はパリム学園にて治癒魔法のことを粗方教わった。 そして、そのデメリットを逆利用できないかと考えていた。

 

(エクスさんからこれの使い方は教わっていた。 確か、こうやって『飛ばす』イメージを水晶に送り込んで…………。)

 

ブシュッ!!! 「ッ!!!」

 

衝撃波と血が吹き出した。

 

哲郎の手のひら(・・・・・・・)から。

そしてコロンと音を立てて水晶が手の平の傷から転がった。

 

哲郎はそれを両手を縛られた状態で拾い上げる。 先程の傷は既に【適応】している。

 

 

 

***

 

 

待機部屋にて哲郎が考えていたのは、エクスから貰った水晶を持ち運ぶ方法だった。

そこで考え出したのは、【手のひらの傷口に水晶を埋め込んで適応で塞ぐ】方法だった。

 

哲郎の左手にはメス程度の刃物が握られていた。 これが失敗したらまた別の方法を考えれば良い 程度に試しにこの方法をやってみることにした。

 

グサッ!! 「!!!」

 

哲郎は手のひらに刃物を突き刺した。

一瞬 刺痛が走るが、それを意に返す暇もなく、その傷口に強引に水晶を押し込んだ。

その直後、傷口が完全に塞がった。

 

その時は純粋に成功したことに喜んだ。

そして同時にまさかパリム学園で学んだ事を ましてやデメリットを逆利用するとは思ってもいなかったと驚きもした。

 

 

男の襲撃にあって拉致されたのはこの直後である。

 

 

 

***

 

 

ジャキンッ!!!

 

派手な音を立てて手首を縛っていた鎖が断ち切られた。

 

自由になった事を確認するかのように両手首を擦りながら周囲を見渡す。

 

哲郎には時間が無かった。 エクスから貰った水晶があると言っても、もしこの事がバレたらあと何回彼らを出し抜く策を思いつけるか分からなかったからだ。

 

(………よし。 あれやこれやしている間に視界の方も暗さに【適応】してくれたみたいだ………。)

 

そこは、細長い通路だった。

細長いと言っても横幅は人間が3~4人並んで通れるだけの広さがあり、長さは行き止まりすら見えない程だった。

 

(僕一人にここまで広い監禁場所を取るとは思えない…………。

僕の他にも連れてこられた人がここにいるのか?)

 

哲郎は次に振り返って逆方向を見渡した

「!」

 

そして一瞬 息を飲んだ。

そこにはたくさん人が居たからだ。

人種を振り分けると、そのほとんどが哲郎と同年代と思われる女性だった。

 

(僕と同じくらいの女の子ばかり?

拉致に簡単だから選んだのか……?

 

というかなんでみんな僕の方を見ないんだ? アッ!)

 

そこまで考えて哲郎は自分しかこの暗闇に適応していないことに気がついた。

彼女達は今 明るい水槽の中で暗い場所にいる客が見えない魚のように哲郎の事が見えていないのだ。

 

(そうだ。 これには明かりをつける機能もあるんだった。)

 

哲郎が水晶を握ってイメージを送ると、水晶が発光し、通路を見渡せる程度の光源の確保に成功した。

 

(よし。 ここまでは良い。

まずはこの人たちを連れて脱出する方法が無いか探さなくちゃ)

 

「…………明かりを、明かりを消して………。」

「!?」

「早く、早く消さないとあいつ(・・・)が……………」

 

声に振り返ると、そこで一人の少女が涙目で哲郎の裾を引っ張っていた。

 

「早く………!! 早くしないとあいつが………!!!!」

「落ち着いて下さい! 僕は敵ではありません!」

 

「あいつに……!! あいつに殺される………!!!!」

「しっかりするんだ!!!」 「!!!」

 

哲郎に両肩を掴まれて諭され、その少女はようやく正気を取り戻した。

 

「あぁ 失礼しました。 つい焦ってしまって……!」

「………私も ごめんなさい。」

「……では 教えて頂けますか? さっき言っていた《あいつ》とは一体………」

 

 

ガシッ! 「!!!?」

 

質問しようとした直後、哲郎の足を何かが掴んだ。

 

「こ、これは……!!!?」

「いっ 嫌っ 嫌ァッ………!!!」

 

あいつ(・・・)だ……!!!」

「また あいつ(・・・)が………!!!」

 

先程まで話していた少女以外からも悲鳴が聞こえてくる。

 

「てっ 敵か!!?

何者だ!!? 姿を見せろ!!!!」

 

かろうじての啖呵を切って 哲郎は足を掴んでいるものに光を向けた。

 

「!!!??」

 

 

 

そこに居たのは、くるみ割り人形のような顔をした二人の怪物だった。 1人が四つん這いになり、もう一人がその上に覆いかぶさっている。

 

「な、何だ……… こいつらは…………!!!」

 

哲郎に言えるのはそれだけだった。



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#80 Guilt & Responsibility

笑い声なのか顎の木が擦れる音なのか、ケタケタと不気味で甲高い音が暗い通路に響く。

 

(い、一体何だ こいつは……………!!!

 

人間なのか異種族なのか魔物なのか

分類できない…………!!!!)

 

哲郎の意識は目の前の怪物の正体とその分類のみに集中していた。

 

「嫌ァッ!!!! 逃げて!!! 逃げてェ!!!!」

「!!!」

 

さっきまで話していた少女の声でハッと 意識のずれを修正した。

 

その直後、その怪物は哲郎の足を離し 全身のバネを使って哲郎の上半身に飛びかかった。

その窮地は哲郎から恐怖を払拭させ、【目の前のこいつを倒さねばならない】という闘争心を引き出した。

 

 

ゴッ!!!!! 「!!!!!」

 

哲郎は顔面に迫ってきた方の怪物の顎に相手のスピードを最大限利用してアッパーカットを叩き込んだ。 怪物は大きく仰け反り、隙ができる。

 

「くっ!!」

 

ズゴォッ!!!!! 「!!!!!」

 

すかさず身体を翻し、今度は仰け反った体勢の顎を全身のバネを使って蹴り飛ばした。

怪物は吹き飛ばされ、その姿は遠い闇に消えて行く。

 

 

「………フー! 危なかった!

だけど何だったんだ あの怪物は………!!」

「あ あの…………!!」

 

哲郎が視線を送ると、その少女は依然として座り込んだまま呆然としていた。

 

「もう大丈夫です。 さっき言っていたあいつ(・・・)とは あの怪物の事だったんですね?!」

「……う、うん。 それよりあなた、脚 大丈夫なの………?」

「脚? アッ!」

 

哲郎はその少女の左足首が腫れているのに気がついた。

 

「え、ええ。

折れていたのかもしれません(・・・・・・・・)が、大丈夫です。

それより教えてください。 一体ここで何が起きているんですか?」

 

哲郎は議題を変えた。 今 重要なのは自分の足首よりも今の状況だからだ。

 

 

***

 

 

「………わかった。 私の名前は【ミリア・サイアス】 あなたは?」

「ミリアさんですね? 僕は〖マキム・ナーダ〗と言います。」

(僕の顔を知らないって事は、この人はあの公式戦より前からここに居るのか?)

 

哲郎は混乱を避けるため、偽名を名乗った。

 

(考えたくはないが、このミリアさんがラドラ達の手先という可能性も考えられなくはない。 とにかく 孤立している今は慎重に事を運ぶんだ。)

「まず教えて欲しいのですが、ミリアさんはいつからここに居るんですか?」

「いつからかは分からないけど、連れ去られたのは3日前だよ。」

 

(!? 3日前だって?!

あの公式戦があったのは一瞬間前なのに、どうして僕の顔を知らないんだ!?)

「……分かりました。 では どこで連れ去られたか覚えていますか?」

「…その日は職員室に行こうとして、道に迷ってしまったの。 そしてそのまま行き止まりに入ってしまって。」

(行き止まり? あのグスがラドラ達のアジトに入った場所の事か?)

 

「連れ去られたのはそこなんですね? ではあなたを襲った人の顔を見ませんでしたか?」

「顔は見なかった。 後ろから口を押えられて、眠ってしまったの。」

(彼女の言ってる事が本当なら、僕と同一の犯行か。 よし、ここで探りを入れる!!)

 

哲郎にはミリアがなぜ公式戦の事を知らないのか確かめる必要があった。

 

「それから参考までにお聞きしたいのですが、1週間前はどこで何をしていましたか?」

「? 1週間前?」

「はい。 差し支え無ければで良いのですが。」

(もしこれで回答を渋るなら、少なくとも距離をおかないとまずいことになる。)

 

「…その時は風邪をこじらせて家で休んでいたの。」

「なるほど。 分かりました。

では次に、あなたの言う【あいつ】が何なのか 教えて頂けますか?」

 

哲郎は話を変え、このミリアが本当に信頼出来る人なのかの手掛かりを探る事にした。

もしそれが出来ないなら、この場にいる全員を疑わなければならないかもしれない という覚悟も心の中で決めていた。

 

 

 

「………あいつは、時々やって来て 私達を順番に殺していくの。ここには男の人もいたんだけど、みんな足を折られたり縛られたりして身体の自由を奪われて、何の抵抗も出来ずに襲われていくの。」

(……仮にこの人がラドラの手先で 治癒魔法の類を持っていたなら、予めわざと足を負傷させて、僕が油断した時に足を治して襲うという事も考えられる。

油断しちゃダメなんだ。 ところで……)

 

哲郎は再び周囲を見渡し、ミリアの方を向いた。

 

(……ここに男の人は見当たらない。ということは、男性を優先的に襲っているのか?)

「殺されるとは、どういう風に?」

「分からない。 襲われる時は皆 首に薬みたいなものを入れられて眠らされてから連れ去られるから。」

「では、実際に殺される所を見た訳では無いのですね?」

「……そう だけど殺されたに決まってるよ!!

いずれ私も皆みたいに…………!!!」

 

「もう諦めてしまったのですか?

助かろうとは思わないのですか?」

 

「………!!! 思ってるよ!!!!

でもどうしようもないの!!!!」

「!!!」

 

ミリアは目に涙を浮かべながら哲郎に迫ってきた。

 

「あ! ご、ごめんなさい。

あなたは悪くないのにきつく………!!」

「いえ。 僕も口を慎むべきでした。」

(今の顔、今の涙 嘘は全く感じなかった。

僕は、あの純粋な涙を疑おうとしているのか!!? だ、だけど…………!!!!)

 

哲郎は心の中で頭を抱えた。

ミリアのことを疑ってはならないという罪悪感と、エクスから信頼されているという責任感が揺らいでいた。

 

(もし、ミリアさんでなくとも 誰かから襲撃されたら、それは僕だけの問題じゃない!!

僕を信頼してくれているエクスさんにとても大きな迷惑がかかる事になるんだ!!

 

何か、何かないのか!!?

このミリアさんの言ってる事が本当だと確認する方法は!!!)



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#81 A voice of a crane

「エクス様、この屋敷をくまなく探しましたが、テツロウは何処にもいません!!」

「そうか。 やはり拉致されたと見て良さそうだな。」

 

ミゲルの報告をエクスは冷静に受け流した。

しかし、心の中ではかなり焦っている。

 

(まずい事態になった…………!!

ヤツらはテツロウがハンマーを倒したことを知っている。 それを見込んで戦力にしようものなら、テツロウだけでなく俺達全員に被害が出る………!!!)

 

今のエクスに出来るのは、哲郎に渡した水晶の魔法具と通信を取ることだけだった。

 

 

 

***

 

 

 

哲朗は心の中で頭を抱え、そして苦悩していた。

そして彼が求めたのは、ミリアが信頼できるという確固たる証拠だった。

 

「!」

 

その時、手の中にしまった水晶がぼんやりと光った。 そして初めて、この水晶に通話機能が備わっている事を思い出す。

 

『聞こえるか!? 俺だ エクスだ!!

出ているのは誰だ!!?』

「エクスさん!!! 僕です、 僕が水晶を持ってます!!!」

『……そうか。まずは一安心だな。

一体何があったんだ!? まずはそこを教えろ!!』

「……はい。 分かりました。」

 

哲郎はエクスに部屋で待機している時に何者かに背後から襲われ、その後どこか分からない場所に放り込まれた事を説明した。

 

『そうか。 実を言うとだな、お前がいた部屋から魔素が見つかった。 敵は何かしらの魔法を使って潜伏し、隙をついてお前を襲ったと考えている。』

「なるほど。 ところでエクスさん、

学園内の行方不明者の名前って分かりますか?」

『? リストなら渡されているが、それがどうした?』

「僕のいるこの場所に、拉致されたと主張している僕と同年代の女性たちが十数人いるんです。」

『何?! という事はそこは監禁場所ということか?!』

「ええ。 彼女の言ってることがほんとうならそうなります。 それでエクスさんに頼みたいことがあるんですが、そのリストの中に【ミリア・サイアス】という名前はありますか?」

『? ちょっと待ってろ

…………あるぞ。 ミリア・サイアス 捜索願いも出ている。』

「では、いつ失踪したか分かりますか?」

『3日前だと記録がある。』

「…………!!!」

 

哲郎は心の中で旨を撫で下ろした。

気を張らなくていいという安心と、確証を得られた喜び、そしてミリアを疑ってしまった申し訳なさが一気に彼の心に押し寄せた。

 

「それからもう1つ頼みたいことあるんですが、これに拡声機能は付いてますか?」

『ああ。 お前の操作で可能だ。』

「なら、僕がその機能をつけたらこういって欲しいんです━━━━━━━━━━。」

 

 

 

***

 

 

「━━━━━━━━━━━━では、そういう事ですのでお願いします。」

 

そこまで伝えて哲朗は通話を切った。

 

「………あの、マキム さん?

さっきから後ろを向いて何を…………?」

 

ミリアの声に振り返った。

その目を見て、謝る決意を固める。

 

「………ミリアさん、すみません。」

「?」

「僕はひとつ、あなたに嘘をつきました。

僕の名前はマキム・ナーダではなく、【テツロウ・タナカ】といいます。

あなたが【危険人物】かもしれないという可能性を恐れ、偽名を使ってしまいました。」

「偽名? それに私が危険ってどういう……」

 

ミリアの純粋に疑念を抱く声を聞く度に哲朗の良心は痛んでいく。

そして哲朗は打ち明ける決意も固めた。

 

「言い訳する気はありませんが、理由を言わせて頂くと、僕には【責任】があるんです。」

「責任?」

「はい。 詳しくは【彼】が説明してくれるでしょう。」

 

哲朗は手に持っている水晶を揚げ、【話す】とイメージした。 それで通話は可能になる。

水晶が光り、哲朗は次に【拡声する】というイメージを固める。

 

「エクスさん、もう大丈夫です。」

『そうか。分かった。

諸君、私の声が聞こえるか!!?』

『!?』

 

暗い通路にエクスの声が響き、その場に居た全員が一斉に振り返った。

 

『私の名はエクス・レイン!!!

パリム学園の寮長を務めている。』

 

「エクス!?」

「寮長って言った!?」

「本物!!?」

 

エクスの名前を聞いただけでその場に居た少女達の目に光が戻り、哲朗の方を向き始めた。

 

『私は諸君らが行方不明になっていることを知り、そして救出のために今動いている!!

今腕を掲げているであろう少年も私の仲間だ!! 君たちの救出は約束する!!!

 

どうか今しばらく耐え忍んでくれ!!!!』

 

エクスの鶴の一声は彼女たちに希望を与え、活力を与えた。

 

『これで良いか?』

「はい、完璧です!! ありがとうございます!!! それで、この水晶のある場所が何処かは分かりませんか?」

『それは今 逆探知をやっている所だ。 だが いかんせん時間がかかっている。 恐らくその場所に妨害系の魔法が仕掛けられているのだと見ていいだろう。』

「なるほど。 ではそれまでは僕が彼女たちを━━━━━━━━━━━」

 

 

「嫌あああ!!!!!」

『「!!!?」』

 

通路に絶叫が響き、哲朗がその方向を向くと、そこに居たのは先程 哲朗を襲った2人組の怪物だった。

その怪物が 一人の少女の上に馬乗りになっている。

 

「ば、馬鹿な……!!

さっき僕は確かに………!!!」

『おい どうした!!?

何が起きてる!!? 応答しろ!!!!』



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#82 Jellyfish Suplex

哲朗は目の前の光景に肝を抜かれていた。

さっき撃退したはずの怪物が再び立ち上がっている。

 

「ば、馬鹿な…………!!!

僕は確かに……………!!!!」

『おい! 応答しろと言ってるだろうが!!!

そっちで何が起こってる!!?』

(……さっき僕はあいつの顎を殴って、それからさらに蹴飛ばしたんだぞ………!!!

あの攻撃でどれ程脳が揺れたか……………!!!!)

 

顎を攻撃する事は即ち脳を揺らし攻撃する事である。 それは哲朗が信じて疑わない事の1つであり、彼の戦闘での拠り所にもなっていた事だ。

しかし目の前で起きている光景はそれを根本から否定している。

 

 

哲朗が呆気に取られていると、怪物の目は哲朗に向いた。 するとさっきまで襲っていた少女には目もくれず哲朗の方へ向かって来る。

 

(攻撃目標を唐突に僕の方に変えた!!

もしかしてこいつは男性を優先的に襲うように命令されてるのか!!?)

 

怪物は哲朗に向かって腕を伸ばす。

動揺しているものの怪物の直線的な動きは哲朗に対処出来ないものでは無かった。

怪物の手首を掴み、身体を翻して背中を全力で折り曲げる。

 

「おりゃァっ!!!!」

「!!!?」

 

怪物は自身のスピードに乗って哲朗の背中を発射台にして通路の闇へと飛んでいく。

 

「……!! よし!!

今のうちに………!!」

 

哲朗は隙をついて通路を進み、怪物に襲われていた少女の元へ駆け寄った。

 

「大丈夫ですか!!?」

「う、うん…………!!!

あ、ありがとう………………!!!!」

 

少女の顔は涙でいっぱいになっていた。

彼女もまたこの通路でたくさんの人が怪物に襲われ、自分もそうなる確信があったのだ。

 

「みなさんも僕より後ろに下がってください!! 僕はエクス寮長の部下で、あなた達を助け出す責務を負っています!!

やつはすぐにまた必ず来るでしょう!! やつの狙いは僕です!! やつを僕より後ろへは下がらせません 約束します!!!」

 

先程のエクスの演説で哲朗の信用は確固たるものになっていた。

足を折られたり拘束されているにも関わらず、少女達は必死に哲朗より後ろへと下がっていく。

 

「エクス寮長は必ずあなた達を助け出してくれます!! だからあなた達も諦めないで下さい!!!」

「……………!!!!」

 

(………とは言ってみたものの、それには問題が山積みだ。 どうやったらあの怪物を止められるか分からないし、何より出口のようなものが全く見当たらない。

僕は、こことは違う場所で身体を調べられてここに連れてこられた。 それならどこかにその出入口がある筈なのに………!!!)

 

哲朗はそこまでで考えるのを止め、怪物に対して構えをとった。両腕をだらりと下げて重心を下に取る脱力の構え

 

海月(くらげ)の構え】である。

 

(考えるのは後だ!!!

とにかくこいつを何とかしなくちゃ どうにもならない!!!)

 

怪物は獣のような四肢を地面について屈む体制から全身の力を使って哲朗に飛びかかった。

怪物の顔が哲朗の顔面に接触する直前に怪物の勢いに任せて哲朗は身体を反らせて飛びかかる怪物と並行の体勢を取った。

 

怪物の腰に手を回して手首を掴んで固定し、身体を回転させて怪物の速度を下方向の力に変える。

 

《ジェリーフィッシュ・スープレックス》!!!!!

「!!!!!」

 

怪物は顔面から地面に激突した。

 

ジェリーフィッシュ・スープレックス とは、公式戦で使った《ジェリーフィッシュ・アームブリーカー》 同様 魚人武術の技ではなく哲朗の我流の技である。

 

(こいつを僕より後ろにやる訳にはいかない!! だったら!!!)

 

哲朗は身体を回転させて怪物の首に足をかけた。そして背中の筋肉を稼働させて再び怪物を頭から地面へ落とす。

 

通路にはけたたましい衝撃音が響き渡った。

 

(…………どうだ!? 今度は脳に直接の二連撃だ!!! これでも効かないか!!?)

 

哲朗は油断することなく倒れた怪物に構えを取り直した。

 

(……だけど分からない。

なんでこいつらは1人が背中にしがみついてるんだ………??)

 

「!!!」

 

怪物は難なく立ち上がった。

 

(………何なんだこいつ!!

脳が揺れてない いや、脳が存在して無いのか…………!!?)

 

揺れる脳が最初から存在しないとでも考えなければ説明がつかない程の事を目の前の怪物はやってのけていた。

 

「………………!!!??」

 

しかし、哲朗の疑心はすぐに吹き飛ばされた。 立ち上がった怪物は脳が揺れるか否かなどどうでもいい程に異常な状態にあったからだ。

 

「ば、馬鹿な!!!! こ、こいつは…………!!!!!」

 

怪物は1人がもう1人にしがみついている(・・・・・・・・)訳ではなかった。

怪物の下半身は一人分しか(・・・・・)なかった。

 

 

その怪物は一人の腰にもう1人の上半身がくっついていたのだ(・・・・・・・・)



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#83 The puppet monster

哲郎の頭の中からは脳が揺れる揺れないなどという疑心は消え失せ、目の前の怪物の異常な姿に圧倒されていた。

 

 

「じょ、上半身がくっついてる…………!!!?」

 

『おいなんだ!!? 上半身が何だと!!?』

 

 

今の哲郎にはエクスの声など届く余裕は無かった。哲郎の感覚は目の前の怪物を観察することに集中していた。

 

 

自身の窮地故に余裕がなかったが、良く観察すると口の端から顎へ日本の溝のような線が伸びており、腕の関節は何やら球体のような物で繋がれていた。

 

 

そこから哲郎が導き出した答えはひとつしか無かった。

 

 

(…………人形………………!?

 

!!!)

 

 

そこまで考えて哲郎は思い出した。

 

エクスが話してくれた奇妙な失踪事件の話を。

 

 

男をさらった謎の三本の腕

 

長さや細さがバラバラなのに色は同じ赤褐色

 

男の『ラド』という最期の言葉

 

カタカタという謎の音

 

 

「………そうか。 やっぱりそうだったんだ…………。」

 

『やっぱり? 何がやっぱり何だ?

 

応答しろ!』

 

 

哲郎は水晶を口に近づけた。

 

 

「……エクスさん、報告します。

 

ヤツの、ラドラ・マリオネスの能力の正体が分かりました。

 

エクスさんが推測した通り、やつは人形魔法の使い手です。」

 

『何!? どうしてそんなことが言える!?

 

そっちで何が起こってるんだ!!?』

 

「詳しく説明している余裕は無さそうです。

 

それからもう通信を切ります。 これ以上続ければいつ僕が自由の身であるか分かったものじゃない。」

 

『!! そうか 分かった。

 

なら俺たちはお前の水晶を辿って引き続き逆探知を試みる。 場所が分かり次第、すぐに応援を寄越してやる!!!』

 

「分かりました。」

 

 

その言葉を最後に哲郎は通話を切った。

 

それは同時に退路を断つという事でもあった。 今 背後にいる少女達の身を自分が守らなければならないという責任を自分に課す決意を固めた。

 

 

 

目の前の怪物は未だにケタケタと薄気味悪い笑い声を通路内に響かせている。

 

その最中にも哲郎は思考を巡らせていた。

 

 

(こいつの狙いは間違いなく僕だ。だけど僕とやつの距離が離れていた時、やつは別の人を襲っていた。

 

きっとこいつは近くに男性がいれば優先的に襲い、いなければ近くにいる人を襲うように命令されているんだ!!)

 

 

哲郎はそこまで推測し、作戦を纏めた。

 

 

(こいつから一定以上離れなければこいつは優先的に僕を襲い、その間は彼女達の身の安全は約束される!!)

 

怪物の嘲笑の声は依然として通路中に響き渡っている。 その最中にも哲朗は思考を巡らせていた。

 

(だけどどう対抗する………!!?

こいつには何度も脳を攻撃してるのに全く効いてる気配が無い………!! それにこいつと戦うってことは上半身だけなら二対一と同じだ………。 きっと寝技や関節技を仕掛けても一方を攻撃してる間にもう一方に邪魔をされる………!!! 第一 関節を極めて痛がるって保証も無いんだ……………!!

 

!! 待てよ!)

 

哲朗は一つの策に賭ける決心を固めた。

 

地面を蹴って隙だらけの怪物との距離を詰める。

 

(せめてエクスさんがここを突き止めるまでの時間稼ぎにでもなれば!)

 

哲朗は怪物と接する直前に身を屈めその脚を両手で掴んだ。 そして地面で身体をコマのように回転させて掴んでる怪物の太ももを両足で挟み、全体重を後ろにかけた。

 

怪物の身体は倒され、哲朗はその脚を取って身体をそらし、その関節を極めた。

哲朗は下半身は1人だと気づき、そこを攻撃すれば自分の技も通用すると考えた。

 

しばらく 数十秒の間 怪物は振るえるだけで解こうとはしなかったが哲朗はすぐに怪物が脱出する事を直感していた。

そして作戦を次の段階に移す。

 

「皆さん!!!! 僕がこいつを抑えてる間に早くここから離れて下さい!!!!!」

『!!!』

 

ここにいる少女たちの中には足を負傷したり縛られたりして動くことがままならない状態にあるが、哲朗は彼女達の心に訴えかけた。

 

「皆さんが足を負傷していることは承知の上です!! ですがエクス寮長は必ず皆さんを助け出してくれます!!! 希望はあります!!!

ですから皆さんも諦めずに頑張って下さい!!!!!」

 

エクス・レインというこれ以上ない頼もしい存在に心を鼓舞され、少女達の中に少しずつ助かろうとする決意が固まっていった。

 

怪物に集中しているので聞こえないが少女達の這う音が少しずつ遠ざかっていくのが分かる。 そしてその直後に哲朗の身体は宙に浮いた。 2人の上半身の力が哲朗の寝技を強引に返したのだ。

 

怪物が身体を振るって哲朗の身体は飛ばされた。しかしすぐに体勢を立て直してあまり離れない所に着地する。

 

「やっぱり関節技も効かなかったか。返してくるのは予測できたよ。

だけどもうこの場には彼女達は居ない。これで一対一だ。

目的は僕なんだろ? かかってこい!!!!!」

 

哲朗はそう啖呵を切って己を奮い立たせた。



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#84 The gambler

この通路には哲郎と怪物以外 誰もいない。

足を負傷して思うように動けなかったが、哲郎の演説とエクスの信頼によって拉致監禁されていた少女達はこの場を離れ、怪物の手が迫る危険性は無い。

 

これで自分がこの怪物をせき止め続ければ少女達を守りながらエクス達がここを突き止めて助けに来るまでの時間を稼ぐ事が出来る

 

しかし、言うは易く行うは難しとはよく言ったものである。 哲郎にはこの怪物への有効策が思いつかなかった。

 

(……単純な動きが出来る反面、こいつはそこまでの知能は無い。 僕だけを狙い続けるはずだ。

ミリアさん達を守るにしても、どこまでやれるか…………!!)

 

「…………………うしろ。」

「!?」

 

不意に斜め後ろ側から声がしてその方向に視線を送った。 怪物に不意をつかれないように横目でその方向を見る。

 

「……俺を、解放しろ…………!!

()エクス寮長の仲間なんだろ……!?

俺はあの人の部下だ………!!」

「………!!?」

 

そこには両腕を鎖で縛られた屈強な男が地面に突っ伏していた。

 

哲郎の頭には一瞬で『なぜ他に男がいるのか』 『本当に彼はエクスさんの部下なのか』 『なぜ襲われずにここにいるのか』などという疑問が浮かんだ。

 

「……あなた、どうして襲われていないんです………!!?」

 

哲郎が最初にした質問は【本当にこの男がエクスの部下なのか】と【なぜ襲われずにいるのか】という疑問への問い掛けだった。

 

「……あいつは、君の推理通り 男を優先的に襲い続け、俺が最後の一人だった。

君がここにいなければ今襲われていたのは俺だった…………!!」

 

(そんな偶然があるのか!?

あまりに都合が良すぎる……!!)

(あの時あの怪物は僕の足を掴んだ。

それから僕から離れた少女を襲った。

、と いう事は…………!!!)

 

哲郎は彼の言う事を否定する要素と肯定する要素を一瞬で頭の中に用意した。

 

(だ、だけど簡単に信用していいのか……!!?)

「あなた、名前は?」

 

「ガリウム・マイケルだ。」

 

判断の遅さは更なる災いを招く

その事を知っていた哲郎はすぐに決断を下した。

 

(エクスさん、 僕は賭け(・・)をします。

もし僕がこの賭けに負けたら、その時はお願いします!!!!)

 

哲郎はガリウムと名乗る男のそばに駆け寄った。そしてその鎖に水晶を添える。

 

「ガリウムさん でしたね。

あなたには僕が見えますか(・・・・・)?」

「ああ。 この眼に魔法を掛けてるからな。 テツロウ君。君の顔ははっきりと見えるよ。」

 

哲郎は水晶から衝撃波を流し、ガリウムの鎖を断ち切った。

 

「さっき見てはいたが、エクス寮長はこんなに画期的な魔法具を生み出していたのだな………。」

「ええ。 僕もここまでこれが機能するとは思ってませんでした

 

!!!」

 

 

哲郎がガリウムを解放した直後、怪物が2人に向かって一直線に突っ込んで来た。

 

「………任せろ。」

「?!」

 

ガリウムはそう言った直後、振り向きざまに怪物の顔面に拳を叩き込んだ。 カウンターの直撃をもらった怪物は吹き飛び、闇の中へ吸い込まれる。

哲郎はその様子に呆気に取られた。

 

「………………!!!」

「これが俺の戦い方だ。

身体強化の魔法を扱う。 さっきも眼にそれを使ってこの暗闇の中で君の顔を見たんだ。」

 

(エクスさん、どうやら僕は賭けに勝ったみたいです。 ここを突き止めて助けに来るまで、持ちこたえて見せます!!!)

 

哲郎は心の中で歓声を上げた。

 

 

 

***

 

 

「エクス様、再びテツロウから通信が!」

「今は手が離せない!

ミゲル、お前が通信を取ってくれ!」

「はいっ!」

 

ミゲルが光る水晶に触れた。

 

「こちらミゲル

テツロウか? 何か問題でも起きたか!?」

『その声はミゲルか!?

俺だ、ガリウムだ!!!』

「何、 ガリウム!?

お前、ガリウムか!!?」

「ガリウム!? ガリウムだと!!?

おいミゲル、通信を代われ!」

 

エクスは半ば強引にミゲルから水晶を取った。

 

「通話を変わった エクスだ。

お前、ガリウムか!!?」

『その声はエクス寮長!!

ガリウム・マイケル 敵に不覚を取ってしまい 申し訳ございません!!!』

「それは後だ。 今どこにいる?

テツロウと一緒にいるんだな!?」

『はい! 彼が私を助けてくれたのです。

私もこれより戦線に復帰します!そしてこの失態を少しでも挽回したいと思います!!!』

「頼むぞ。 俺たちは今お前達がいる場所を逆探知しているところだ。 だからそれまで持ちこたえろ。 必ず救出に向かう!!!」

『かしこまりました!!!』

 

 

通信はそれで切れた。

 

 

***

 

 

「……話は終わりましたか?」

「ああ。 それからテツロウ 俺を信じて解放してくれた事、心から感謝する!!」

 

「どういたしまして と言いたい所ですがそんな余裕は無いでしょう。

ヤツはたとえ脳を攻撃してもビクともしない。すぐにまた来るでしょう。

それまでは持ちこたえますよ!!!」



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#85 Unreliable bridge leading to hope

ついさっき この不死身とも思い込んだこの怪物もダメージを与え続ければ魔法が解けて元に戻るという極めて有力な情報を得たばかりでも哲郎の頭からは不安は拭えなかった。

 

たとえ対抗策が見つかっても自分の後ろにいる大勢の少女達を守りながら戦えるかと聞かれれば即答できないのが現実だった。

 

自分は今 例えるなら希望に繋がった脆く弱々しい橋の上に立っているような気分に晒されていた。

 

それでも自分を奮い立たせ、後ろに立っているガリウムに指示を出す。

 

「………ガリウムさん、僕の方を立っているなら後ろを、僕の背後を見張って下さい。」

「………!!?」

「後ろからまだ追っ手が来るかもしれないでしょう!!? 早く!!!!」

「!!! わ、分かった!!!」

 

たとえ厳しい言い方をしてでも哲郎にはミリア達を守って無事にエクスの元へ帰るという責任があった。

 

己の背中を出会って幾許もない男に任せ、哲郎は構えを取った。 ガリウムも構えてくれていると信じて全幅の信頼を寄せる。

 

 

「……………やれやれ。」

「!!!?」

 

目の前の怪物より遠くの闇から男の声が静かに聞こえた。 哲郎はその声に聞き覚えがあった。

 

「………全く、こいつの帰りがやけに遅いと思えば、まさかあの拘束を逃れるばかりかガリウム・マイケルを解放して貴重な戦力を一つも潰されるとは……………。

この【七本之牙(セブンズマギア)】始まって以来の大失態ですよ。」

「……………………………………!!!!!」

 

暗闇から歩いてきたのはあの赤褐色のマントを羽織った男だった。 あの時 尋問にかけたハンマーを哲郎とエクスを出し抜いて一瞬で奪還してみせたあの男だ。

 

 

「……今 黙って投降してくれるのならば手荒な真似はしないと約束しましょう。

しかし、抵抗するのならば どんな手を使ってでもあなたを引き込みますよ?」

「……………!!!!」

 

男の背後からも怪物が十数体ぞろぞろと出てきた。

 

 

「………………ガリウムさん、 彼女を連れて逃げて下さい。」

「!?」

 

「早く逃げろと言ってるんですよ!!!!!」

「!!!! 分かった!!!」

 

その言葉を引き金としてガリウムやミリア達 少女は蜘蛛の子を散らすように後ろへと逃げていく。 最早脚を負傷するなどと言っている場合では無かった。

 

「…………愚かな。」

「!!!」

 

「その程度の策でこのレイザー・ディパーチャーの脚から逃げられるなどと思わないで頂きたい!!!!!」

「!!!!」

 

レイザーと名乗った男の身体はとてつもない速度でガリウム達を襲った。 哲郎の身体は【あの時の動きと同じ】などと反応する暇もなくマントの男を迎撃する。

 

哲郎の脚がレイザーを塞き止め、少女達の眼前でけたたましい音が響く。

 

「ッ!!!」

 

哲郎の脚に鈍痛が走った。

見てみると脚はレイザーではなく棒状のものを捉えている。

先にレイザーの方が引き、哲郎との距離を取った。

 

「………私の()は鋼鉄でできている。

その直撃を受けて立っていられるとは。

それとも『折れているけど大丈夫な状態になっている』のでしょうか?」

「!!!」

 

「何より、ここに放り込む時に既に拘束して脚の自由も奪っているのに、どうやって脱出したのでしょうね?」

「…………………!!!」

 

哲郎は動揺を隠しきる事が出来なかった。身体が勝手に防御反応を示し、後退りをしてしまう。

 

「マキム・ナーダさん。

あなたはあの公式戦でエクス・レインの名目で出場している。 そこから考えるならば、あなたはエクスの一員として私達に探りを入れているのでしょう?」

「……………!!!」

 

「ならば、あなたを拉致した事もエクスに知られ、あなたを助け出すために彼らもここに援軍を送るでしょう!!!

 

その援軍も頂きましょう!!!!」

 

レイザーは鞘から剣を抜き、その先端を哲郎の方に向けた。

 

「……ガリウムさん、聞こえているなら僕の そしてエクス寮長の命令(・・)を聞いて下さい。 彼女たちは任せます。

この男は、ぼくが相手をします!!!!」

 

もうそばに居ないであろうガリウムにミリア達を任せ、哲郎は構えを取った。

 

「逃がす訳にはいきません!!!

やりなさい!!!!」

 

レイザーの指示によって人形の怪物の一体が襲いかかった。 しかし、それを哲郎が食い止める。

 

怪物の顎を打って体勢を崩し、そのがら空きになった腹に対し魚人波掌の構えを取り、

 

《魚人波掌 波時雨(なみしぐれ)》!!!!!

 

怪物の腹を5発の衝撃が一気に襲った。

怪物は吹き飛ばされ地面に倒れ伏し、その姿が2人の人間に戻る。

 

「………既に気づいていたのですか。 ラドラ様の魔法の正体に。 ならばもういくら差し向けても無駄ですね。 いたずらに手駒(・・)を失うだけだ。

やはり私の手で直々に倒す他無いでしょう!!!!」

 

レイザーは剣を構えた。



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#86 The mach edge

「……あなた一人でこの私を足止めしようというのですか? それは愚かな選択だ。」

「………………!!!」

「アイズンやハンマーを倒した程度でいきがっているようではこのレイザー・ディパーチャーには到底 勝ち得る事は無いと言ってるんですよ!!!」

 

哲郎は恐怖を隠しきることが出来なかった。

先程 速度に圧倒されて捕虜を奪い返されたからだけでなく、レイザーの発する一言一言に本能に訴えかける迫力があった。

 

「それでも、我々からハンマーという貴重な戦力を奪ったその力に敬意を表して この私の手で直々に捉えてあげましょう!!!」

 

レイザーは剣を構えていた腕を少し下げた。

次の瞬間にはその剣の鋒は哲郎の眼前に迫る。

 

「ッッ!!!!」

 

その突きを哲郎は咄嗟に身体を仰け反らせて躱した。

それだけで満足することは無く、その手首を掴まんと手を伸ばす。

 

しかし、哲郎が手首を掴む前にレイザーの腕は元の位置に戻った。 間髪入れずに飛んでくる追撃を身を翻して回避する。

 

(…………!!!

もう 一回見てるから避けられないことは無い!! けど、攻撃しても戻りが速すぎる!!!

あれをどうやって捕まえる!!?)

 

哲郎の思考を見透かしたかのようにレイザーは口を開く。

 

「……思考を巡らせるのは無駄というものですよ。 もう理解しているでしょうが私は《加速魔法》を扱う。

魔法も使えない弱小人間の小細工程度にどうこうできる代物では無いのですよ!!!」

「………その弱小人間の小細工に、あなたの部下やお仲間は負けたのではないのですか?」

 

「その身の程知らずの暴挙をわたしが止めると言ってるんですよ。」

 

レイザーはあくまで冷静だ。

わざと怒らせて冷静さを奪う事も、策を考える暇も与えて貰えない。

 

(………確かあの人が言ってたな。

いざという時は《肉を切らせて骨を断つ》戦法が道を開くって。)

 

それを思い出して 次に考えたのはかつての魔界コロシアムの準決勝での サラとの試合だった。

あの時は【適応】に全てを任せて強引にサラとの距離を詰めて辛くも勝利をもぎ取った。

 

(あれと同じ策が試合だけじゃなくて実戦でも通用するなら、賭ける価値はある!!!)

 

哲郎が策を講じている間にもレイザーは剣を向けている。

 

「残念ですが、すぐに終わらせて貰いますよ。 あなたの後にはあの女達を捉えねばなりません。

彼女共の口から我々の作戦が漏れるのは、絶対に避けねばならない事態です。」

「……………!!!」

 

レイザーの剣の突きはとてつもない速度で哲郎を襲った。 哲郎は腕をかざして腕に剣を突き刺せ、強引にせき止める。

 

「ッッ!!!!」

「!!?」

 

哲郎は腕に走った激痛に一瞬 顔を歪め、レイザーも相手のとった予想外の行動に一瞬 面食らった。

 

しかし、哲郎にとって【覚悟した激痛】は既に経験済みのものであり、それを意に返す暇もなく、腕を振るった。

 

「ッ!!?」

(このまま 僕の腕をてこにしてこの剣をへし折ってやる!!!!)

 

レイザーの持つ剣がギチギチと悲鳴をあげてへし曲がる。 しかし 哲郎の考えを察したレイザーは限界まで体制を崩して剣と身体を垂直にする。

 

「!!?」

 

そのままレイザーの身体は哲郎の動きに合わせて地面を滑り、そのまま剣は哲郎の腕から抜け、着地を取った。

 

(……………!!!!?

な、なんだ今のは!!!?

身体を強引に捻って剣を折らないように僕の動きを流した……………!!!!?)

 

自らの身体を犠牲にせんとした策をいとも簡単に封じ込まれ、動揺を露わにする哲郎にレイザーは口を開く。

 

「残念でしたね。 全く冷や汗をかかされました。 この剣を奪われることもまた避けなければならない事態でしたからね。

ですがこれで状況は大きく《好転》しました。」

「??!」

 

「気づかないのですか?

今、 彼女共はとても危険な状況下にあるのですよ?」

「!!!!!」

 

哲郎ははっとして 地面を蹴った。

しかし時は既に遅く、レイザーは身を翻して逆方向、すなわちガリウムやミリア達が逃げた方向へ走る。

 

(しまった!!! 迂闊だった!! 勝ちを急ぎすぎた!!!!

どうする!!? 何か、何かないか!!?

《飛び道具》さえあれば!!!

 

!!)

 

哲郎の頭に浮かんだのはハンマーとの戦いの光景だった。

 

(これをやるしかない!!!!

頼む、決まってくれ!!!!)

 

 

哲郎はそう心に念じると 【カジキの構え】を取った。

 

《魚人波掌 海鼓(うみつづみ)》!!!!!

 

バチィン!!!!!

 

という音が通路内にこだました。

 

哲郎は全力で殴ったのだ。

【空気中の水分】を。



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#87 Ripple

体の位置を入れ替えたレイザーは哲郎と戦うより先に逃げ出したガリウム達を追跡する事を優先した。

 

それに気づいた哲郎は咄嗟に構えを取る。

 

(ガリウムさん達を追わせる訳にはいかない!!! 当たってくれ!!!!)

《魚人波掌 海鼓(うみつづみ)》!!!!!

 

哲郎は全身を振るって【空気中の水分】を打った。 その衝撃は哲郎とレイザーの間にある空気を巻き込んで巨大化し、レイザーに襲いかかる。

 

バシッ!!! 「!!?」

 

空気中の微量な水分ではたとえ巨大化しても決定打には程遠い。 それでもレイザーの動きを一瞬止める事に成功した。

 

「!!!?」

 

哲郎が何をしたのかを確認するために振り返ると、既に目と鼻の先にまで接近していた。

 

(ば、馬鹿な!!! いつの間にこの距離を!!!)

(マーシャルアーツを見下したあなたには分からないでしょう!!

これが魚人武術の『膝抜き』 《(さざなみ)》です!!!!)

 

 

膝抜き

それは、身体の力を抜くことで予備動作を消し去り、相手に攻撃を気づかれないようにする格闘技術である。

 

魚人武術によって行われるそれは、膝だけでなく全身の力を抜き、自然落下のエネルギーを前方への推進力に変換し、短距離を一瞬で移動することが出来る。

 

 

距離を詰める事 一点なら、加速魔法の使い手であるレイザーにも負けていなかった。

 

手の形は魚人波掌を打つ 片方の手の甲が触れている形になっている。

 

《魚人波掌 杭波噴(くいはぶき)・突》!!!!!

 

バチィン!!!!!

「!!!!!」

 

片方の手のスナップで加速が乗った魚人波掌がレイザーの腹に直撃した。 回避する暇もなくまともに貰い、レイザーは仮面越しでも分かるくらい鈍い呻き声をあげ、顔をしかませる。

 

(動きが止まった!!

次に隙をあげたらもう捕まえられない!!!

このまま畳み掛ける!!!!)

 

哲郎は追撃を打ち込むために構えをとった。

再び 膝抜き《(さざなみ)》を使い、レイザーに詰め寄った。

 

《魚人波掌 波時雨(なみしぐれ)(うず)》!!!!!

身体を回転させながらレイザーの全身に何発もの魚人波掌を打ち込む。 その全てを直撃させた。

 

(…………… どうだ…………??)

 

ブシャアッ!!!!!

「!!!」

 

哲郎がレイザーの様子を見ようとした次の瞬間、全身から血を吹き出した。

 

「……………フフ。」

「!!!」

 

「………ここまでとは…………。

テツロウ・タナカさん。 なぜハンマーが、魚人武術(マーシャルアーツ)の使い手が我々と同等の立場に立っているか分かりますか…………?」

「??」

 

レイザーは仮面の口から血を流し、哲郎に口を開く。

 

「マーシャルアーツを弱小とみなすラドラ様が、彼を例外的に強いと認めたからですよ。

だから我々は研ぎ澄まされた魚人武術の恐ろしさをよく知っている。

 

まさか あなた如きが(さざなみ)を使うとは思いませんでしたよ。」

(!!? さ、(さざなみ)を知っている……!!?)

 

「今の攻撃で息の根を止める事が出来なかった あなたの負けです。 しかしあなたの強さに敬意を表してガリウム達を追うのはあなたを仕留めてからにしましょう。

こいつらにも大人しくしていて貰います。」

「…………………!!!」

 

哲郎の頭の中に2つの思考がよぎった。

1つは、ガリウムやミリア達の身の安全をこれで確保出来たという些細な喜び

そして2つ目は これで自分の退路が完全に断たれてしまったという緊張だった。

 

「心配しなくても命を取る気はありません。

あなたはラドラ様の貴重な戦力として使っていただく必要がありますからね。」

「……………………!!!

僕はエクスさんの元へ無事に帰らなければならない【責任】があるんです。

あんな醜い人形になる訳にはいかないんですよ!!!」

 

「………ほう。

既にラドラ様の魔法の正体に気づいていましたか。 ならば、尚更 帰す訳にはいきませんね。」

 

まともに受けた攻撃のダメージも回復し、レイザーは呼吸を整えるとおもむろに剣を構えた。

 

「………あなたが1番分かっているでしょうが、もうあなたに先程のようなチャンスはありません。 一応聞いておきますが、素直に降伏する気はありますか?」

 

哲郎の人生において最大の愚問だった。

言葉に動じないように構えを取って無言を貫く。

 

「………ならば 思い知るといいです。

私の力の真髄を。」

 

その直後、レイザーの周囲に薄い赤色の領域のようなものが展開された。

 

「一瞬で終わらせて差し上げましょう。」

 

展開されたそれは、レイザーの魔法が周囲に影響して起こるものだった。 その言葉の直後に哲郎に向かって四方八方から剣の刃が襲いかかった。



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#88 First look arts

ガリウムは追っ手を哲郎に任せ、脚を負傷した少女たちを連れて少しずすではあるが通路を進んでいた。

 

「…………!!

まだ繋がらないのか………!!」

 

哲郎から秘密裏に通話出来る水晶を預かり、エクスに通話を試みていた。

 

『……………………し』

「!」

 

『応答した。 エクスだ。』

「エクス寮長!! こちら ガリウムです!!」

『ガリウム?! ガリウムか?!

なぜお前が出ている!? テツロウはどうした!? 状況はどうなっている!?』

「彼は今 現れた追っ手を食い止めております!!」

『追っ手だと!!? どんなやつだ!?』

「はっきりとは見ておりませんが、何やら奇妙な仮面を被っていました!」

 

(仮面!? あの時の侵入者か!?)

 

エクスとガリウムが通話をしているさなか、ミゲルがエクスの方へ駆け寄ってきた。

 

『エクス寮長、ご報告します!』

『ミゲル! どうした!?』

「!? ミゲル!? そこにミゲルもいるのですか!!?」

 

『エクス寮長、通話の逆探知ができました!』

『本当か!? それはどこだ!!?』

『それが、場所はこの屋敷の真下の地下通路を表しているんです!』

『それは間違い無いんだな!!?

おいガリウム、聞いているな!? 聞いての通りだ!! 今からすぐに加勢を送る!!!

それまではお前がそこにいる女達を守り通せ!!! いいな!!?』

「!! はっ!!!」

 

ガリウムの返事を最後に通話は途切れた。

 

 

***

 

 

「もう一度聞いておくがミゲル、特定した場所は間違いないんだな?!」

「はっ! 確かに責任をもって断言します!」

「なら話は早い。 さっきも言ったがすぐに加勢を送るぞ。 ファンとアリスにこの旨を伝えろ。」

「? なぜ2人を?」

「皆まで言わせるな!!

加勢は3人 ファンとアリス、そしてミゲル お前だ!!!

俺はここで引き続き奴らの動向を見張る!!」

「!! 分かりました!!!」

 

ミゲルはエクスに背を向けて走っていった。

 

 

 

***

 

 

「ならば思い知るといいです。

私の力の真髄を。」

「!!!」

 

その瞬間、哲郎の目の前からレイザーの姿が消えた。しかし哲郎にはレイザーが自分から逃げていない事は簡単に理解出来た。

 

「一瞬で終わらせて差し上げましょう。」

 

シュパンッ!!!!! 「!!!!?」

 

レイザーの声が響いた瞬間、哲郎の腕が裂けて血が吹き出した。 しかし、既に斬られる攻撃には【適応】しているのですぐに傷口が塞がる。

 

しかしそれでもレイザーの攻撃は目にも留まらぬ速さで四方八方から何度も襲いかかる。

 

「………もうあなたに攻撃の機会はありません。このまま手も足も出ないまま我々の手に落ちなさい。」

 

レイザーの四方八方からの攻撃は収まる所か手が緩まる気配すら無かった。しかし哲郎は冷静にある事を考えていた。

 

(…………す、凄い攻撃だ……………!!!!

だけど、これはあの時と同じだ……!!!)

 

あの時とは彼の日の魔界コロシアムの一回戦でゼース・イギアが奥の手のして繰り出した【電光石火(スピリアル・ファスタ)】による四方八方からの高速の剣の攻撃である。

 

(同じ種類の攻撃なら、対処の仕方も同じ筈だ!! 攻撃が後ろから来る時に…………!!!!)

 

哲郎の目は既にゼースとの戦いで【適応】し、レイザーの攻撃の方向を把握し、攻撃が後ろから来る瞬間を見逃さなかった。

 

(今だ!!!!!)

 

哲郎は全身の筋肉を振るってレイザーの腹目掛けて脚を振り上げた。 目で確認する前に蹴りが直撃する音が響く。

 

「!!!!?」

 

哲郎は自分の目を疑った。 脚はレイザーの剣に受け止められていた。

 

「…………全くお見事ですよ。

この局面でまだこんな技を隠し持っていたとは。 しかし、上を行ったのはこの私です!!!!!」

 

レイザーは一瞬で哲郎の上を通り、数メートル先の地面を蹴り飛ばした。

 

(!!!! 今度は前から来る!!!!

あれを使うしかない!!! 決まってくれ!!!!!)

 

レイザーの剣による突きが哲郎の眼球に迫った。 瞬間 哲郎は身体を一瞬で弛緩させ仰け反り、腰に組み付いた。

 

「!!!??」

(食らえ!!! 魔界コロシアムでも公式戦でも使っていない技だ!!!)

 

哲郎はレイザーが既にアイズンやハンマーとは格の違う敵であることを理解していた。

そんな彼に1度見せた技が2度通じることはないという事は想像にかたくない。 だからこそ哲郎はレイザーに1度も見せていないこの技(・・・)に賭けた。

 

《ジェリーフィッシュ・スープレックス》!!!!!

「!!!!?」

 

ドゴォン!!!!!

 

レイザー自身の圧倒的な速度を下方向の力に変えて、顔面から地面という凶器に叩き落とした。



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#89 We are ONE

(食らえ!!!まだ1度も見せていない技だ!!!!)

 

《ジェリーフィッシュ・スープレックス》!!!!!

「!!!!?」

 

ドゴォン!!!!!

 

レイザーを頭から叩き落とし、周囲に轟音と土煙が舞った。

 

(……………もうこれで終わってくれ……………!!!)

 

「………残念でしたね。」

「!!!!!」

 

極限状態にあった哲郎の精神を突き落とすレイザーの声が聞こえた。 土煙が晴れて目に入ってきたのは刀身を地面に突き立てて受け身を取っている彼の姿だった。

 

咄嗟に反撃に備え、レイザーとの距離をとる。

 

「本当に冷や汗をかきました。 あのまま地面に落とされていたら負けていたのは私の方だった。」

「………………!!!!!」

 

「もう万策尽きたようですね。 ならば今度こそ終わらせて貰いましょう!!!!」

 

哲郎の眼前にレイザーの刃が迫って来た。

 

 

 

***

 

 

ガリウムは通路内を走っていた。 といっても、脚を負傷している少女達に合わせているので少しずつ離れる程度になっている。

 

「諸君! たった今 エクス寮長から援軍を送ると連絡があった! 君達はかならず助かる!! だから、もう少し持ち堪えるんだ!!」

 

長時間の監禁によって精神が半壊しており、なおかつ脚の激痛を耐えている少女達の心に訴えかけ鼓舞する。

 

「彼らを信じろ!! テツロウ君は必ず奴を食い止めてくれる!!! 希望はあるのだ!!諦めずに頑張ってくれ!!!!」

 

微かではあるが少女たちの掛け声が通路に響く。

 

(彼女達も身を粉にして頑張ってくれている。俺もそれに応えなければ

 

!!!!)

 

背後に気配を感じてガリウムは振り返った。

 

「…………!!!! な、何だと……………!!!!」

 

暗視の魔法をかけた眼に映ったのは人形の怪物だった。 それも一体ではなく、二体も三体もぞろぞろと迫ってくる。

 

「い、嫌ァ!!!!」

「た、助けて助けて!!!!!」

「こ、殺させる!!!!」

 

(!!! まずい!!!)

 

かろうじて落ち着いていた少女達の情緒が崩れ、悲鳴が響き渡る。

 

「落ち着け皆!!!! パニックになってはいけない!!! 俺の後ろにつくんだ!!!

 

大丈夫だ!!! 君達の無事は俺が保証する!!!」

 

エクスの息がかかったガリウムの言葉に少女達のパニックは一時的に収まった。

 

(………とはいえどうする!!?

どうやってこの大軍から彼女達を守れば

 

!?)

 

そこまで考えてガリウムは自身の異変に気付いた。 既に暗視の魔法を使い続け、全力とも言える攻撃を何回も使っているというのに、身体の疲労が全く感じられないどころか疲労がじわじわと回復している感じさえしていた。

 

「………こ、これは…………………!?」

「ガ、ガリウムさん…………!!」

「!?」

 

ガリウムが振り向くと、自分の方に手を伸ばしている少女がいた。

 

「き、君は確か……!」

「はい。 このパリム学園のミリア・サイアスです。 今、あなたに強化魔法をかけています。 それに、皆の魔法ももうすぐ掛かる筈です。 だから、あいつらをやっつけて下さい!!!!」

「……………!!! 分かった!!!」

 

自身に掛かっている全幅の信頼を胸に、ガリウムは拳を構えた。

 

(テツロウ君が俺に言っていた、ヤツらが男性を優先して襲ってくるという推理が正しいなら、必ず俺を狙ってくる筈だ。

ならば、そこを叩くだけだ!!!)

 

怪物の内の一体が全身のバネを使ってガリウムに飛びかかった。 その迫力に少女達の間に緊張が走る。

 

「ぬゥン!!!!!」

ドゴン!!!!!

「!!!!!」

 

全身の筋肉を振るって怪物の顔面に鋼鉄の硬さを持つ拳を叩き込んだ。 ミリア達の強化魔法によって攻撃の威力も上がっているのが実感できる。

 

(……………!!!

これならやれる!! 彼女達を守り通せる!!!

 

いや 違うな。 彼女達は庇護者じゃない!!

彼女達も一員だ!!! 俺達は皆で一つなんだ!!!)

 

「皆!!! 俺を信じてくれ!!!

皆で無事に帰るぞ!!!!」

 

今度は微かではなく少女達が一致団結したのが分かる歓声が響き渡った。 既に 少女達も意識しない内に皆が一つになって無事に帰る という目的に向かって進み始めていた。

 

 

 

***

 

 

「 伝えることは以上だ。 総員 すぐに支度をしろ。状況は一刻を争う。ミゲル・マックイーン、ファン・レイン、アリス・インセンス 直ちに拉致監禁された少女達の救出及びテツロウとガリウムの加勢に向かえ!!!」

 

「「「はっ!!!」」」

 

エクスの自室にて、3人の掛け声が響いた。



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#90 No rules

万策尽きた

 

レイザーのその指摘は的を突いていた。

少なくとも今の哲郎の頭の中には彼の高速の剣技に対抗する術を持ち合わせていなかった。

 

「今度こそ終わらせて貰いましょう!!!!!」

「!!!!!」

 

レイザーの剣があらゆる方向から飛んできた。 哲郎はそれを横に飛んで回避する。

 

「無駄です!!!」

「!!!」

 

哲郎の回避に合わせてレイザーは横に剣を振るった。 それもかろうじて回避するが、追撃は止まらない。

 

「策がないならせめてできるだけ時間を稼ごうというのですか!!? ソレなら無駄ですよ!!!

すぐに始末してガリウム共を追うだけです!!! あなたはエクス・レインの足枷として散るのです!!!!」

「…………!!!!」

 

レイザーの攻撃の一つ一つから確実に【自分の命を奪う】気配を感じ取っていた。 そして哲郎は再確認する。

自分が今立っているこの場所は魔界コロシアムや公式戦とは完全に一線を画す【ルール無用】の【戦い】の場であるという事を。

 

(…………………!!!

あの時の言葉に嘘はないし、この人の命を奪う気も最初から無い…………!! だけどこの人は確実に僕を仕留めに来てる!!!!

 

今の僕にできるのは、この人をできるだけ足止めする事だけだ…………!!!)

 

エクスから『援軍を送る』という連絡があった事は知る由もないが、それでも彼が自分を信じてくれいるように哲郎も彼の事を信じていた。

 

「?!!」

ふと足元に ジャリッ という触感を感じて視線を送ると、足元に鎖が転がっていた。

 

(こ、この鎖ってまさか……………!!)

 

哲郎はその鎖に見覚えがあった。

何を隠そうそれは自分やミリア達のような拉致監禁された人間を拘束していた鎖だったからだ。

 

(しまった!! せっかく前進していたのにいつの間にか元の場所まで追い詰められていたのか!!!)

「どこを見ているのです!!!?

マキム・ナーダ!!!!!」

「!!!」

 

鎖に気を取られた一瞬の隙を見逃さず、レイザーは哲郎に剣を振るった。

 

ガキンッ!!!!

「!!!?」

 

剣を握っているレイザーの手首に蹴りを入れて 弾き飛ばした。

その隙をついて後ろに下がり、今までいた場所から距離をとる。

 

ガシッ!! 「!!?」

 

レイザーが哲郎の胸ぐらを掴んだ。

そのまま身体を翻して哲郎を投げ飛ばす。

 

(……………!!!

な、投げ技を返された………!!!)

 

しかし、心の苦痛に気を取られている場合ではない。 すぐに体勢を立て直して着地する。

 

「!!!」

 

その最中にもレイザーが弾き飛ばした剣を拾って哲郎に強襲する。

 

間一髪 放たれた攻撃を躱し、そしてそれは後方の壁を深々と切り裂いた。

 

「甘い!!!」

「!!!!」

 

さらに飛んできた追撃も躱し、壁は十文字に深々と切り裂かれた。

ガラガラ と壁が崩れる音が響いた。

 

「?!!」

 

その直後 哲郎の耳に入ってきたのは【水音】だった。

 

「………この壁は後で始末書を書かなければいけませんね。 それより気づいたようですね。 そうです。ここは地下水路に通じているんですよ。

まぁ、それを知ったところであなたに利点があるとは思えませんがね。」

「……………!!!」

 

しかし、魚人武術を扱う哲郎にとって【水】はとても強力な武器だった。

そしてこの場で見つけた【ある物】を結びつけて、彼の万策尽きた頭の中にさらに一つの【作戦】が浮かび上がった。

 

「これで最後です!!!!」

「!!!」

 

レイザーの鋒が哲郎の眼前に迫って来た。

それを既のところで躱し、この場で見つけた【ある物】へと手を伸ばす。

 

「………!!!!

往生際が悪いですよ!!! いい加減に観念さない!!!!」

 

攻撃を躱され続けて内心穏やかでは無くなり、単調な攻撃を撃ち込む。

 

「フンっ!!!」 「!!?」

 

屈み込んだ体勢からレイザーの足首を蹴り飛ばし、前身を寸断した。

その一瞬の隙をついてレイザーによって開けられた穴から地下水路へと逃げ込む。

 

穴からある程度離れたところでレイザーも追ってきた。

 

「………芸のない事ですね。

ここに逃げ込めば時間を稼げるとでも思ったのですか?」

「…………………」

 

哲郎は答えない。 この状況では肯定も否定も命取りになり得るからだ。

 

(………これはルール無用の【戦い】なんだ。

だけどそれなら僕も策を使って良い筈だ!!)

 

哲郎は手に隠し持った【ある物】を握りしめて自分に言い聞かせた。

 

(卑怯な手なんて存在しない。

僕が考え出したこの《3つ目の作戦》に全てを賭ける!!!!!)



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#91 Tactics No.3

(………今度こそ絶対に失敗は出来ない。

この作戦に僕の全てを賭ける!!!!!)

 

哲郎は手の中に隠し持った【ある物】を握りしめて己を鼓舞した。

その間にもレイザーは冷たく凍りつきそうな鋒を哲郎の方へ向けている。

 

「あなたに稼がせる時間は1秒たりとも無いのですよ。 一瞬で終わらせます。」

(………一瞬か。 僕もそのつもりだよ。)

 

レイザーは鋒を動かして哲郎に狙いを定め 確実に仕留められるタイミングを伺う。

哲郎が自分から仕掛けに行くという無謀な策を取らない人間である事は既に理解していた。

 

 

鋒が射程に入った瞬間、地面を蹴る音が爆発音として響き、レイザーの身体が眼前に迫って来た。

 

( 今だ!!!!!)

 

ジャラッ!!!!

「!!!??」

 

レイザーの足に手に持っていた【ある物】を巻き付けた。

 

(金属音?!! 何だ!?

何をしたんだ!!!?)

「フンッ!!!!!」

「!!!!?」

 

自身の足に起こった異変を確認する暇を与えることなく身体を翻してレイザーを投げ飛ばす。

投げた先は無論 地下水道の水の中だ。

 

ドブン!!!! 「!!!」

(よし!! ここまでは良い

次だ ここからが重要なんだ!!!)

 

 

レイザーも水中ではまともに呼吸ができず、冷静さを乱される。

 

(…………!!! 小癪な真似を!!

脚に巻き付けたのは 恐らくは鎖か!!

地下水道に逃げ込んだのは水中(ここ)に投げ込む為か………!!

だが私がカナヅチだと思っているならとても甘い考え

 

!!!!?)

 

水中から浮上しようとした瞬間、足が何かに固定(・・)されたように動かない事に気がついた。

 

(こ、これは……………!!!!)

 

水中にも慣れ視界が晴れてきたレイザーの目に入ったのは握り拳大の【球体】だった。

 

(これはまさか あの足枷か!!!?)

 

それは紛れもなく自分達が拉致監禁した少女達を拘束していた足枷だった。

 

哲郎はレイザーの攻撃から身を躱し続けている間に自分が水晶の魔法具で切断した足枷を拾って隠し持ち、それと【地下水道】という要素からこの作戦を考えついたのだ。

 

(………この程度の足止めで!!

!!!!)

 

浮上しようと顔を上げたレイザーが見たのは水面の上から構えを取っている哲郎の姿だった。

ぼやけてはっきりとは見えないが、跳び上がって手を上に伸ばし、打ち下ろす(・・・・・)体勢を取っている。

 

(まずい!!! あの構えは!!!!

奴はこれを狙っていたのか!!!)

 

 

レイザーの予感は当たっていた。

《魚人波掌海鼓(うみつづみ) 》!!!!!

 

全体重を乗せて地下水道の水面に全力の掌底突きを叩き込んだ。

その衝撃波は水中を一本の槍となって圧倒的な速度で突き進んでいく。

 

(!!! まずい!!!!)

 

レイザーは慌てて脚に巻きついていた鎖を切断し、自分自身に魔法をかけて衝撃波の槍を躱し、水中から脱した。

 

(なんと抜け目のない少年だ!!

ここまで読んでいたとは ですが今度も上を行ったのは私の方だ!!!)

 

 

しかし、無防備な空中で彼は信じられない物を目にする。

 

「!!!!? なっ………!!!!?」

「それをやると思いましたよ。

上を行ったのは僕の方だ!!!!」

 

哲郎が跳び上がり、水中から飛び出たレイザーの眼前に迫っていた。

その手足はまるで骨が抜けてしまったかのように弛緩しきって(・・・・・・)いる。

 

 

(まずい!!!! あれ(・・)が来る!!!!!)

蛸鞭拳(しょうべんけん) 奥義

蛸壺殴(たこつぼなぐ)り》!!!!!

 

ビタビタビタビタビタビタビタビタァン!!!!!

「!!!!!」

 

両手両足による8回の打撃がレイザーの腹部を集中的に襲った。 そこから全身に激痛が走り、身体が一瞬 硬直する。

公式戦でアイズンの痛がりぶりを見ていたレイザーでも、実体験はその想像を遥かに超えていた。

 

(……………………………!!!!!

つ、次が来る…………!!! ガードを………………!!!!)

「これで最後です!!!!」

 

哲郎は再び手を上に振り上げた。

狙いはレイザーの腹部 一点である。

 

《魚人波掌 打たせ滝水》!!!!!

「!!!!!」

 

レイザーの鳩尾に哲郎の全体重を乗せた掌が突き刺さった。

 

「ぬあアッ!!!!!」

「!!!!?」

 

そのまま手を振り、レイザーの身体を叩き落とす。

レイザーは高速で落下し、そのまま地下水路の水に落ちた。

 

そこからあまりにも巨大な波が発生し、それはさらに大きくなって哲郎の勝利を讃えるかのように響き渡った。



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#92 Why do you respect him?

ガリウムは通路内で襲ってくる人形の怪物達を迎え撃っていた。

 

(………ラドラのヤツめ 一体何人の人間を攫って人形に変えたというんだ!!

いくら倒してもきりが無い それに彼女達の強化魔法だって限りがある!! テツロウ君の足止めもいつまで持つか……………!!!)

 

 

ドドォン!!!!!

「!!!!?」

 

その時、通路の奥からあまりにも巨大な音が響いた。

 

(何だ!? 水音!!?)

 

その奇妙な(・・・)水音を聞いて直ぐにガリウムは1つの結論を導き出した。

 

(そうか。 この地下通路は地下水路に直結しているのか!! これは貴重な情報だぞ!!!)

 

今のガリウムにとってはここが水路直結であると言う事も大切な情報だった。

武器になり得る情報を得て、ガリウムは更に己を奮い立たせる。

 

(テツロウ君、君が俺に信じて賭けてくれたように、俺も君を信じて全てを賭けよう!!!

彼女達の事は任せろ!!!!)

 

そうしている間にも、怪物達はガリウムに迫って来た。

 

 

 

***

 

 

 

「ハァッ ハァッ ハァッ ハァッ………………!!!

や、やった 終わった…………………!!!!」

 

哲郎は水路の陸地で自分の偉業を少しばかりではあるが讃えていた。

既に腕を刺された傷は【適応】しているが、それでも精神的な疲労は隠しきれていなかった。

 

「ガリウムさんは、ミリアさん達は無事なのか…………!?

早く加勢しに行かなくちゃ……………!!!」

「……………………待ちなさい」

「!!!!!」

 

哲郎の背後から聞こえてはいけない(・・・・・・・・・)声が聞こえた。

 

振り返るとレイザーが立っており、傍には水でぐっしょりと濡れたマントが脱ぎ捨てられていた。

水をたっぷりと吸った衣類は重く足枷になると考えたのだろう。

 

「………まだ立ってくるんですか…………!!!!」

「当然です。 ガリウム達の元へ行かせる訳には行きません。 あなたは私がここで止めてみせます!!!!」

「何故ですか!? 何故そこまで彼を慕うんですか!!?

一体何であの男のためにそこまで身体を張って━━━━━━━」

 

哲郎が質問し終わるより早くレイザーのくぐもった笑い声が微かに響いた。

 

「『何故ですか』

お答えしても良いでしょう。 あなたにはその権利がある。」

 

レイザーは被っている仮面に手を掛け、それを外した。

 

「……………!!!?」

 

レイザーは素顔を現した。

真っ先に目に飛び込んで来たのは彼の《目》だった。 その目は赤く、奇妙な模様が浮かんでいる。

 

哲郎はそれに見覚えがあった。

 

「ま、魔眼…………………!!!?」

「これを知っているのですか。 そうです。これは魔眼です。 私のこれは見た者の発動する魔法を強制的に解除する効果を持つ物です。 あなたには必要ない情報ですがね。」

 

(サラさんの物とは違うのか。

よく見たら模様も微妙に違っているな……。)

 

魔眼

それは、忘れもしない魔界コロシアムの準決勝の サラ・ブラースとの試合で哲郎からダウンを奪った数少ない攻撃である。

 

魔眼(これ)は本来 魔人族の一部が持つ物であり、人間の身でこれを持つのは極めて稀。

しかも私はこれを仮面なくしては制御出来ない。 だから つまらない教えに捕らわれた故郷の連中からは白い目で見られましたよ。」

「それを助けてくれたのが 彼だったというわけですね?」

 

「その通りです。

半年前、あの方は私の魔眼()を必要としてくれた。 その時に誓ったのです。

この人になら私の全てを賭けられると。」

 

故郷の人間から白い目で見られる事がどれ程の苦痛かは哲郎には分からなかった。

しかし 敵への同情は身を危険に晒すと言い聞かせて向き直る。

 

「敵の身の上話なんて興味ありませんよね。

あなたは今の私がどう見えますか?」

「別に変わりませんよ。 それには既に出会っていますからね。

《サラ・ブラース》 この名前に聞き覚えはありますか?」

 

「サラ………… 天人族科の女ですか。

我々はここを我が物としたあとでそこもいただくつもりですよ。」

「そうですか。 だったら尚更引く訳にはいきませんね!!!!!」

 

サラは魔界コロシアムで出来た哲郎の大切な友人の1人だ。

彼女と友情を育む事は身の程知らずだと お門違いな罵倒をされた事もある。 それでも哲郎は決して挫けることなく、ただ彼女への感謝を心の中で述べていた。

 

(サラさん、 あなたの魔眼を経験できた事を感謝します。 彼の魔眼に立ち向かう勇気をくれた事を感謝します。

 

僕は、あなた達のためにもこの男に勝つ!!!!!)

 

確信した勝利が崩れ去った精神の負傷は完全に消え、哲郎の中にあるのは純粋な【勇気】だった。



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#93 The another one evil eye

魔眼

 

自分からダウンを奪った数少ない技を前にしても哲郎は落ち着いていた。

それがどれほど危険な物か分かっていたのにも関わらず、 どれほど危険な物か分かっていたからここまで落ち着く事が出来た

初めて経験する代物なら取り乱して落ち着いていた対峙することは出来なかっただろう と考えていた。

 

(ノアさんに呼ばれて学園に遊びに行った時にサラさんが『魔眼を解放したら持続時間が減る代わりに魔法が比べ物にならない程強力になる』って言ってたな。

既に僕の攻撃を全身に受けて身体はもうボロボロのはず。

 

この人は間違いなく この攻撃で仕留めに来る!!!!)

 

レイザーの攻撃は早く鋭く 一発でもまともに貰えば意識を奪われてしまう。 しかも次はさらに威力も速度も上がって襲ってくる。

 

そこから導き出される答えは単純明快な一つ

 

《凌ぎきれば勝ち 出来なければ負け》だ。

 

 

「………ラドラ様もあなたを認めてくれるでしょう。

《万全な状態(・・)》で持って帰れずとも あなたがそれほどの素体(・・)だったという事ですからね。」

「………………………!!!」

 

《人形》 だの 《素体》だのと下級生達を道具とみなすような言動が鼻についた。

 

「私も全力であなたを仕留めましょう。

ラドラ様の計画の礎になれることをありがたく思うのです。」

「…………………………!!!!」

 

その瞬間は唐突に訪れた。

 

「行きます。」

「!!!!!」

 

哲郎の目の前からレイザーの姿が消えた。

そして通路内の壁 全体に蹴って反射する衝撃音が響き渡る。

 

しかし、哲郎は一つ 違和感を感じた。

 

接近してくる気配な何度もあるのに、攻撃が来る気配が全くないのだ。

 

(…………!!!

これは フェイントか!!!

 

隙を生んだ所に剣を打ち込む気だな!!!)

 

周囲の環境を最大限 活用して相手の隙を作り、そこに自身の超高速の剣技を叩き込む

それがレイザーの奥の手だ。

 

(今は耐えているでしょうが危険が何度も襲えばいずれ耐えかねて空振りの抵抗を見せるでしょう。

もうあなたには逃げ場も勝ち目も無い。

これで終わらせる!!!!!)

 

哲郎にはレイザーの高速移動から【逃れる】方法は無かったが、それでも【対抗策】は持っていた。

 

「!?」

 

哲郎は目を閉じて身体を丸め、体制を低く屈めた。

 

(これが魚人武術の秘伝の一つ

(なぎ)の構え】です!!!!)

 

(なぎ)の構え》

魚人武術の一つの流派が生み出した派生技の構え

目を閉じて音を聞く事に集中し、相手の攻撃の迎撃に特化した構えである。

 

また余談だが、魚の名前を冠していないため魚人武術の技とは違うという意見もあるが、哲郎は魚人武術の構えの一つと結論づけている。

 

(凪の構え

まだ完全には物に出来ていないけど、これに賭けるしかない!!!!

反応してくれよ!!!!)

 

 

凪の構えを取っている間 構えている人は周囲に波一つない水面のイメージで音を聞き、攻撃の瞬間や方向を把握する。

今の哲郎にはそれがたった一つのレイザーへの対抗策だった。

 

 

ダッ!!!

「!!!」

 

哲郎の左後方で地面を蹴る音が響いた。

しかしその方向にレイザーはもう居ない。

 

(そっちは囮ですよ!!!

まだそこに気配は残っている!! これで終わりですよ!!!!!)

 

左後方の気配を囮に右後方から急接近し、心臓目掛けて剣を振るった。

その鋒が哲郎の背中を捉える━━━━━━

 

 

ガッ!!! 「!!!!?」

 

レイザーの顎に触感が走った。

それが顎を掴まれた事であると気づくには時間が少なすぎた。

 

「残念でしたね。 今度も上を行ったのは僕だ!!!!!」

 

 

ズドォン!!!!!

「!!!!!」

 

防御の暇もなくレイザーは地面に叩きつけられた。

 

哲郎のマーシャルアーツ レイザー自身のスピード 地下通路の石造りの床

それら全てが凶器となって頭に直撃したのだ。

 

薄れゆく意識の中でレイザーは自身が敗北したことをゆっくりと理解した。

 

 

***

 

 

「………………………………………………………………………

 

 

!!!!?」

 

レイザーは意識を取り戻した。 そして自分が始末されずに生きている事に驚いた。

 

「こ、これは……………!!?」

 

そして自分の身体が縛られているのに気がついた。 縛っているものは自身のマントをちぎって繋ぎ合わせて紐状にした物だ。

 

「あなたを拘束したんですよ。

それからこの剣は僕が預かります。」

「ここに放置するんですか? 情けをかけるつもりですか?」

「情けじゃありませんよ。

あなたへの敬意のつもりです。」

 

その言葉を残して哲郎は背を向けた。

 

「待ちなさい!」 「?」

 

「あなたは、本当にラドラ様を倒すつもりなんですか?」

「そうですよ。」

「何のために? どうしてそこまで身体を張る事が出来るんですか?

教えてください」

 

少しだけ考えて哲郎は口を開いた。

 

「それが【依頼】だから」

「?」

「自分のギルドを作るための立派な第一歩を踏み出したいんですよ。」

 

それを聞いたレイザーの心には最早 この拘束を抜け出ようとする思考すら無かった。

これを甘んじて受け入れようと 心の底からそう思った。



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#94 Final Gong

哲郎は地下水路を進んでいた。 目指すのはレイザーによって開けられたガリウム達の元へと続く穴だ。

 

「………………ぐっ…………!!!」

 

レイザーの視界から外れて たまらず座り込んだ。 絶えず動き回って全身を切りつけられて肉体的にも精神的にも疲労が蓄積していた。

 

「………………!!!

体が動かない…………………!!

こんな所で休んでられないのに………………!!!」

 

自分が今 立たされているのは決して1対1の試合会場ではない。 戦いは依然として進んでいるのだ。

 

ボロボロとなった己の身体に鞭を打ち、通路を進む。 目指すはミリア達を守りながら戦っているであろうガリウムの所だ。

 

 

 

***

 

 

(………………………!!!

あ、あと何体いるんだ…………………!!!!)

 

 

哲郎と別れてどれほどの時間が経ったのか 正確には分からない。

もう1時間以上経ったかもしれないし、まだ数分しか経っていないかもしれない。

 

それでもただ1つ確かなのは自分はその時間 ミリア達を守り抜いたということ。

彼女達の強化魔法に勇気を貰って 襲ってくる人形の魔物達を制しているということだけだ。

 

自分の後ろでは人形に変えられた生徒達がぐったりとしながら眠っている。 彼ら全員、そして自分達もまたラドラ・マリオネスに拉致された者達だ。

 

いくら倒しても次が湧いてくる。

 

今もその内の一体が自分に迫ってくる━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「《騎士之盾(イージス)》!!!」

「!!?」

 

突如、ガリウムの目の前に手の平ほどの大きさの障壁が展開された。 大きさは頼りないが、それでも人形の眉間がそれに激突し、吹き飛ぶ。

 

「ガリウムさん!!!

それと 行方不明になっている生徒の皆さんですね!? 僕達はエクス寮長の手の者です! 救出に来ました!!!」

「ファン様!!! それにミゲル!!!

来てくれたのか!!!!」

 

ファン・レインとミゲル・マックイーン そして見慣れない金髪の少女が通路の奥から姿を表した。

 

ガリウムの後ろにいた少女達からは これで助かった と言わんばかりに歓声が沸き立つ。

 

「ガリウムさん よくぞご無事で!!」

「ええ!これも一重にテツロウ君が私を信じてくれたおかげ━━━━━━━━━━━

 

 

!!!」

 

無事を喜びあっている最中、人形の一体がファンに向かって突進してきた。

 

「!!!

騎士之盾(イージス)(バッシュ)》!!!!!」

「!!!!?」

 

ファンの掌から障壁が打ち出され、人形の鼻っ柱に直撃した。 人形はまたも吹き飛ぶ。

 

「ファン様 それは一体……………!!」

「ああ。 これは僕の固有魔法です。 ついこの前覚えたんですよ。」

「それはそれは 逞しくなられて…………!!」

 

拉致されるついこの前まで気弱ながらも鍛錬を積んでいたファンがついに聖騎士(パラディン)として大成した事実を知り、ガリウムはさらに喜びを募らせた。

 

「それはそうとガリウムさん、行方不明の生徒はここに居るので全部ですか?」

「あ、 はい そうです。」

 

 

それを聞くとファンは話し相手をガリウムからミリア達に変えた。

 

「皆さん 落ち着いて聞いてください!

これより あなた達はトムソンさんとエルコムさんが護衛し、安全な場所までお連れします!!」

「ト、トムソンとエルコム?

確か ここに来るのは5人と聞いていますが」

「僕が提案したんです。 行方不明者の護衛に 腕の立つ人が必要だと思いまして。」

 

既に 力だけでなく状況を見据える能力までファンは手にしていたのだ。

 

「トムソン エルコム 気をつけて護衛してくれ。 彼女たちは皆 足を負傷している。

俺はここに残って哲郎の援護 及び救出に当たる。」

 

それから トムソンとエルコムを挟んで少女達が列を作り、前もって確保しておいた抜け穴から救出する運びとなった。

 

 

「彼女たちひとまずこれでいいとして ガリウムさん、テツロウ君の状況を教えてくれますか?」

「ええ。 彼は追っ手を食い止めて私達を守るために残りました。 それしか私に言えることはありません。」

「そうですか

 

 

!!!」

 

そこまで言って ファンは目を凝らした。

微かにだが 確かに通路内を靴が叩く音が聞こえた。

 

「!!! ガリウムさん、 あれは…………!!!」

「?! おお!!!!!」

 

通路奥から哲郎が姿を表した。

表情は既に疲労困憊の様子であるが、確かに意識を保って立っている。

 

「テツロウ君 無事だったんだね!!!」

「良く戻ってきてくれた!!! 追っ手はどうなった!!?」

 

「…………追っ手は何とか撃退しました。 今は通路内に拘束しています。 それから 奴の持っていた武器も回収しました。

 

それより 彼女たちはどうなったんですか…………?!」

「安心しろ!! たった今 トムソンとエルコムが護衛して救出に成功した!!

さあ 早くここから出るぞ!!!」

 

「………………いえ、 待ってください…………。」

「? 何だ? 水でも欲しいのか!?」

「水は要りません。 エクスさんと通信を繋いでください………………。」

「? わかった。」

 

 

ガリウムは哲郎から渡されていた水晶をエクスへと繋いだ。

 

『こちら エクス ガリウムか。

何か問題か?』

「いえ エクス寮長。 行方不明の生徒達は全員 救出に成功しました。

現在 トムソンとエルコムが護衛しております。

それから テツロウの無事も確認しました。彼が話したい事があるそうなので、通話を代わります。」

 

ガリウムは水晶を哲郎へと手渡した。

 

「…………………エクスさんですか…………? 哲郎です………………。」

『どうした? 何か問題でもあったか?』

「……………ええ。 追っ手が現れたので 僕が撃退しました。」

『そうか。 よく一人で戦い抜いてくれた。 早く戻ってこい。』

「………いや、それはだめです…………。」

『?! どういう意味だ?』

 

「………僕が居て、こんなにも頼もしい人達が5人も()()()()()()()()()()

これは唯一のチャンスなんですよ。」

『何の事だ!? 何を言っている!!??』

 

「帰ることは出来ません。

このまま僕たち5人で ラドラ達と戦います!!!!!」

「「「「『!!!!?』」」」」

 

通路内に衝撃が走った。



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ラドラ寮 全面衝突 編 第二幕
#95 Breaktime in the enemy land


『…………何だと………………!!!?

お前今 なんて言った………………!!!?』

「………ですから このままこの5人でラドラ達と戦うと言ったんですよ。」

 

「バカな!!! 君は今 こんなにもボロボロじゃないか!!!

そんななりでは戦いに行くなど死にに行くようなものだぞ!!!」

「………ガリウムさんも分かりませんか。

これは又と無いチャンスなんですよ………!!」

「!!!」

 

ガリウムは哲郎の身を案じて諭したが、哲郎自身の決死の表情に気圧される。

 

「ここで身を引いたら、奴らはきっと拠点を移すはずです。

そうなってはエクスさんがずっと練ってきた作戦が全て水の泡でしょう………!!?

僕には責任があるんです。 絶対にエクスさんに迷惑をかける訳にはいかなかった。だから僕は戦ったんです。そしてまだ戦いは続いている。今こそ奴らをやっつけるチャンスなんですよ…………!!!!」

「…………………!!!!」

 

ガリウムだけでなく その場にいた全員が哲郎の言葉に聞き入り、そして己を恥じた。

エクスと幾許の面識しかない目の前の少年が長年 エクスに仕えてきた自分達より遥かに固い決心を胸に秘めていた。

 

『戦うと言ってもテツロウ、 勝算はあるのか?』

「…………それに答える前に教えてください。

ラドラ達は7人組ですか? それとも8人組ですか?」

七本之牙(セブンズマギア)の事を聞いてるんだな? それなら7人組だ。

ラドラを頭に6人の配下で7人だ。』

「………そうですか。

なら既に5人に減った訳ですね。」

『?!! まさか!!』

「ええ。 追っ手はハンマーを助けに来たあの男でした。

今は通路内に拘束してあります。 武器を持っていたので回収しました。」

『…………そうか。

たった一人でよく戦ってくれた。』

「………その言葉の続きは帰ってきてからちゃんと聞きますよ。」

 

哲郎とエクスの会話はそれで終わった。

エクスには襲撃のことを考えて待機を続けてもらうことにした。

 

 

***

 

 

エクスとの話も終わり ラドラ達との決着をつけるための作戦会議が始まった。

追っ手を警戒してファンとミゲルが通路の端を見張っている。

 

「それからガリウムさん、」

「? 何だ?」

「ここでたくさんの人形達と戦ったんですよね?」

「ああ。 それがどうした?」

「人形から戻った人の中に エクスさんの部下の人はいましたか?」

「いなかったがまさか、俺の他にも攫われた人がいるのか!!?」

「ええ。 僕の前に潜入した人が おそらく人形の腕に捕まったんです。

十中八九 人形に変えられているでしょう。」

 

ガリウムは息を飲んだ。

まさか自分の他にもラドラの術中に嵌っている仲間がいるとは思ってもいなかった。

 

「それが誰か分かるか!?」

「いえ。 ですが一緒に行動していた人たちの名前が確か 《ガイマム》と《バウラール》だった筈です。」

「………そうか。 ならばそいつの救出もしなければな。」

 

「ガリウムさん! テツロウ君!」

「「!」」

 

ファンの声が聞こえた。

 

「通路を見張ってますが、依然として追っ手のような者は現れてません!」

「こっちも同じだ。」

 

「そうか。」

 

追っ手が来ていないことが分かり、その場にいた全員に微かな安堵の感情が芽生えた

 

その時

 

ガシッ ガシッ ガシッ!!!

 

「「「!!!!?」」」

 

ファン ガリウム そしてアリスの脚を茶色の腕が掴んだ。

 

「な、何だ!!!??」

「ま、まさかこれは!!!!」

 

かろうじて無事だった哲郎とミゲルが思考する暇もなく3人は引きずり込まれた。

 

「い、一体これは!!!??」

「分かりませんかミゲルさん ()()()()()()()()()があったでしょう!!?」

「!!!! ま、まさか!!!」

「そうですよ。 僕も()()()()()あの部屋から攫われたんですよ!!!」

 

 

***

 

 

十数分前

ラドラ達が机を囲んでいた。

 

「…………レイザーが負けた。」

『!!!!?』

 

ラドラが冷静かつ驚愕して告げたその事実はその場に居た者全員を驚かせた。

 

「それから奴ら このまま私達と戦う気でいるぞ。」

 

そこにいた全員に緊張が走った。

どこからとも無く現れてアイズンを全校生徒の前で叩きのめし、あまつさえ襲撃してきたハンマーを返り討ちにし、レイザーすらも倒して見せたのだ。

 

「狼狽える必要は無い。

先手さえ打てば事は有利に進められる。」

「そうか。 ならまた同じように」

「いや、仕掛けるのはテツロウ以外にしろ。 奴に二度も同じ手が通じるとは思えない。」

「分かりました。 すぐに向かいます!」

 

そう先手役を買って出たのは他でもない 哲郎を拉致してみせた男だった。



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#96 Welcome to our judgment

敵地で油断し、のうのうと休んで作戦会議をした事がそもそもの間違いだった

 

哲郎がその事に気づいた時にはあまりに遅すぎた。

既に謎の腕によってファンとアリス そしてガリウムが連れ去られてしまった。

 

「………それは間違いないのか?

お前もあの時 こうして(・・・・)拉致されたのか!!?」

「…………ええ。 突然床から手が伸びて引きずり込まれました。

ほんの一瞬、抵抗する暇もありませんでした。」

「そいつの顔は見てないのか?」

「ええ。 ですが恐らく

 

 

「!!」」

 

話の途中、哲郎とミゲルは通路の奥に気配を感じて身構えた。

しかし、今までの人形の怪物とは明らかに一線を画す【人間の気配】がそこにはあった。

 

「………あ、あいつは……………!!!」

「はい。 恐らくは彼が僕をここへ拉致監禁した男…………!!!」

 

「そうだ 正解だよ。

マキム・ナーダ(・・・・・・・)》。」

 

通路奥から歩いてきたその男はハンマー達と同じように《マキム・ナーダ》の名前を哲郎に向かって言った。

 

「!! あ、あなたは………!!」

「何、彼を知っているのか!?」

 

哲郎はその男の容姿に見覚えがあった。

男は短めの黒髪に小型のサングラスをかけていた。

グスを尾行してラドラ達の隠れ家を突き止めた時にレイザーと話していたあの男だ。

 

「………なるほど。

やっぱり(・・・・)あの時 見られたか。

だから俺は警備をもっと厳重にした方がいいって言ったんだ。」

「…………………!!」

 

追跡がバレてはいなくとも勘づかれていた

その事実は哲郎の心を動揺させるが、すぐに気持ちを立て直して目の前の男に警戒する。

 

「なぁ テツロウ・タナカ君よ。」

「!!」

 

不意に口を開かれて一瞬 たじろいだ。

 

「お前が倒したレイザー

今どこにいるか答えてくれねぇか?」

「…………!!

教えない と言ったら?」

 

「 そうだな。お前をぶっ倒した後で聞き出す事にするな。」

「二対一で勝てると思うんですか?

エクス・レインの側近 ミゲル・マックイーンを知らないわけではないでしょう?」

 

たった今 レイザーに勝ったばかりで 調子には乗っておらずとも精神はかなり研ぎ澄まされている。

加えて エクスが全幅の信頼を置くミゲルが傍にいるとなれば哲郎の心にも余裕が出来た。

 

「………レイザーを倒していい気になってるなら教えてやる。

俺は【ワード・ウェドマンド】

 

ラドラ様の配下の中では俺かレイザーが1番強いはずだからな。」

 

ワードと名乗ったその男は不敵な笑みを浮かべてそう言った。

 

 

***

 

 

「…………だ、大丈夫ですか? アリスさん………」

「う、うん。 何とか…………」

 

ファンとアリスは引きずり込まれて四方を壁に囲まれた一室に落とされた。

壁に窓は無く、一つの通路で繋がれている。

 

 

 

コトッ

「「!!」」

 

先程と同じように通路の奥から足音が聞こえた。

 

「あれ? なーんだ。

こっちには先鋒(センポー)が回ってきたのー?」

「ハズレくじみたいに言うなよ。

こいつらがグスやロイドフと戦ったって事実を忘れたわけじゃないでしょ?」

 

現れたのは金髪を二結びにした少女と緑がかった茶髪を耳の辺りで切りそろえた少年だった。 二人の手にはそれぞれ 身の丈大の杖が握られている。

 

「そもそも ファンはエクスの実の弟

鍛えて強くなるのは当然だよ。」

「分かってるっての!

いつも通りにあんたがサポートして、あたしがぶっ放してやればいいんでしょ!!」

 

2人はそれぞれ 杖をファンとアリスに向けた。 それだけの行動で二人の心に緊張が走った。

 

 

 

***

 

 

「…………あなたの執念にはほとほと感心しますよ。 ガリウム・マイケル。

1度 我々に負けたのに拘束から逃れるだけでは飽き足らず、ラドラ様の大切なコレクション(・・・・・・)を何体もゴミ(・・)に戻そうとは。」

「………その褒め言葉は是非 テツロウ君に言ってもらいたい。

彼を甘く見て敵地にわざわざ送り届けたのが貴様らの運の尽きだったのだ!!!!」

「…………………」

 

ガリウムも同様、謎の腕に引きずり込まれま後、隔離された部屋に落とされたのだ。

 

「それに今だってそうだ。

この ナイク・シュリカン の攻撃をあれだけ受けて(・・・)まだ立っていようとは。」

 

そう。 今 ガリウムの身体には彼の攻撃によって刃物が数本 突き刺さっているのだ。

 

 

 

***

 

 

 

「…………と、まあ そういう訳だ。

七本之牙(セブンズ マギア)全員でお前らを歓迎しようということになった。

楽しんでいけよ。」

「………それは ご丁寧にどうも。」

 

レイザーとの戦いで負った負傷や疲労を隅に追いやり、哲郎はワードと向かい合った。



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#97 The remodeled magic

ワードは不敵な笑みを哲郎に向けた。

 

アイズンやハンマーだけでなく レイザーまでも倒して見せた哲郎を危険と判断し、ここで確実に潰そうと考えたのだろう。

 

そのために今の状況は最適だった。

哲郎は敵地に戦力が揃っている今が唯一のチャンスだと言ったが、それは敵も同じ事だ。

 

 

「………テツロウ君、君は下がっていろ。」

「え?」

「まだ追っ手から彼女達を守った疲労が抜けていないだろう。

ここは私に任せて 君は休め!!」

「…………………!!」

 

ミゲルの指摘は正しかった。

今日だけで既に ハンマーと戦い、そして地下通路ではミリア達を人形達から守り、更にレイザーも撃退した。

控えめに言っても 既に限界に近い状態であり、いつこの戦いが終わるかも分からない状況下に立たされている。

 

これが【魔界コロシアム】と【実戦】の明確な違いなのだと痛感した。

 

「わかりました。 では僕は

 

 

?!!」

「? どうした?!」

 

哲郎は触れている地面に違和感を感じた。

そして見ていると 地面が濡れていた(・・・・・)

そして微弱ながら 震えている。

 

「!!! ミゲルさん 危ない!!!

離れて!!!!」

「!!?」

 

哲郎は咄嗟にミゲルを突き飛ばしてその場を離れた。

 

するとその地面から鋭く尖ったものが何本も発射した。 外見だけで人を簡単に仕留められる迫力を放っていた。

 

「………………………ッッ!!!」

「な、何だあれは!!!?」

 

(……………あれを躱すかよ。

一発で仕留めたかったんだがな。)

 

(濡れていた地面から手や針が生えてきた!!

まさかこの人の魔法って……………!!!)

 

哲郎はこの状況でも必死に敵の謎を解くことに専念し、活路を開こうとしていた。

 

「その顔、どうやら君も分かったようだな。」

「ええ。 間違いありません。 あの人の魔法は【泥】の魔法だ!!

それなら 床下から僕を引きずり込んだのも説明がつく!!!」

「そういうことだ。

恐らくは水系統の魔法か土系統の魔法を改造して作ったものだろう。」

 

「? 改造?」

「君は知らないのか。 ラグナロクに存在する魔法のほとんどは魔法式を改造することで性質を変化させたり改良することができるんだ。

攻撃力を持つ魔法の改造は至難だが、それもラドラの側近ともなれば話は別だ。」

「………そんなことができるんですか………!!」

 

魔界コロシアムで何度も見てきた魔法

それが改造できるなど夢にも思わなかった。

それも 目の前にいるワードは魔法を【泥】という未知の物質へと改良し、それを完全に我が物としている。

 

「テツロウ君!! とにかく君は離れて身体を休めろ!! こいつは私が

 

 

!!!」

 

ミゲルは足元に違和感を感じて咄嗟に視線を送った。

 

「し、しまった!!!」

 

悠長に魔法の改造の事を説明している間に 既にワードは地面に魔法をかけて泥にし、ミゲルの足を捉えていた。

 

「その通りだ ミゲル・マックイーン。

俺は水と土の魔法式を組み合わせて泥の魔法(こいつ)をこしらえた。

だが生憎 お前に構ってる暇はねぇんだ。

 

用があるのはお前だけだよ

テツロウ・タナカァ!!!!!」

「!!!」

 

ミゲルは足を取られて動きを封じられているが、ワードは逆に泥になった地面を滑って移動できる。

その機動力で哲郎の眼前へと迫った。

 

「テツロウ君 逃げろ!!!!」

 

逃げろ と命じられたが哲郎にその選択肢は無かった。

これは自分が冒険者として受けた依頼の一環であり、退く事は即ち依頼を放棄するも同然だ。

 

そして哲郎は既にワードの魔法の特徴を見抜いていた。

 

「!!」

 

魚人波掌の構えを取り、向かってくるワードを待ち構える。

急に止まれないと判断してワードは手から泥を生み出して防具にする。

 

(防御にも使えるのか。

だけど それがあなたの弱点だ!!!)

《魚人波掌 杭波噴(くいはぶき)》!!!!!

 

身体を振るってワードの作った泥の壁に渾身の掌底を叩き込んだ。

 

魔法で作った泥

それは即ち水分と魔力を大量に含んだ土 も同然。 哲郎の得意技 《魚人波掌》との相性は抜群だと 哲郎はそう確信していた。

 

「!!??」

「おう どうした?

もしかして チャンスだとでも思ったか?」

 

掌を通して伝わってきた感触は明らかにただの土(・・・・)だった。

 

「教えておいてやるよ。

俺は今までハンマーには負けたことがない。 なんでか分かるか?」

(!!! ま、まさかあの一瞬で水分と魔力を抜いたのか!!!?)

 

ワードの作った泥には 哲郎の見立てでは魚人波掌の媒介である《水分》と《魔力》が詰まっている。

しかし、その2つを抜かれてはそれはただの土と化し、魚人波掌の衝撃の通りは途端に悪くなる。

 

「お前はガキの分際でテングになりすぎたんだよ。 ここで消えろ。」

「!!!」

 

ワードは腕から泥を固めて槍を作り、哲郎に向けて撃った。

 

(!!! 間に合え!!)

 

全力の魚人波掌を放ち 隙だらけになった哲郎の頭を貫く━━━━━━━━━━━━

 

 

 

バシッ!!! 「?!!」

 

瞬間、泥の槍が弾かれた。

しかし11のガキ(哲郎)の手足では距離が遠すぎると直感したワードの視線の先には

 

 

ミゲルが立っていた。

 

「!?? ミゲル!?」

「隙ありだ ワード!!!」

 

ミゲルは一瞬 硬直したワードの腕を両手で掴み、そのまま身体を捻って投げ落とした。

 

 

 

(………………???!!

一体何が………………??!!)

 

そんな中 哲郎が立っていたのはミゲルが立っていた場所(・・・・・・・・・・・)だった。

 

「…………なぁるほど。」

(!! 地面を泥にして受身を取ったか!!)

「ミゲル お前の魔法

【入れ替える】効果か。」

「!」

 

ワードの反撃に備えて 咄嗟に後ろ跳びで哲郎の側へと移動する。

 

「ミゲルさん!」

「怪我はないか!?」

「ええ。 僕も戦います!!!」

「! 身体は大丈夫なのか?!」

「休息ならもう十分取りました。

エクスさんの仲間として、最後まで戦い抜いてみせます!!!」

 

ミゲルに熱意を伝え、ワードと向かい合った。



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#98 Fairy fly to the great sky Part1 ~Truth ability~

得意げにファンとアリスを倒すと宣言したこの少女の名前を【ユーカ・アムーレ】

その隣に立っている少年の名前を【エドソン・グリムガン】 という。

 

 

***

 

 

「いつも通りにぶっ飛ばしてやればいいんでしょ!?」

 

ユーカはそう勝気に杖を2人に向けた。

 

「!!! アリスさん 気をつけて 来るよ!!!!」

 

ファンは両手を構えていつでも《騎士之盾(イージス)》を発動できるように備える。

 

「ムダムダ! あんたの弱点(タネ)はもうバレてんの!!!」

「…………………!!!!」

 

ユーカの自信は決して(ハッタリ)では無い と警告するかのように彼女の構えた杖に今までに見たことがないほどの量の魔力が溜まっていく。

 

この状況でファンに迫られる選択は二つ

脆くて大きな盾を展開する か 頑丈で小さな盾を展開するか だ。

 

しかし、ユーカはその2つを同時に対策する方法を取った。

 

「《塵旋風槍(トルネイヴ・ランサー)》!!!!!」

「!!!!!」

 

ユーカが放ったのは巨大な横向きの竜巻だった。 瞬間的にファンはどちらにしろこの攻撃を防ぎきれないと理解した。

 

「ッ!!!

騎士之盾(イージス)(クラン)》!!!」

「えっ?!!」

 

咄嗟にファンはあの攻撃を防ぎ切るに十分な硬さを持った盾でアリスを覆った。

2人を同時に包むのでは攻撃を防ぎきれないと判断しての事だ。

 

アリスが状況を理解するより早く、ファンの全身を風、そしてそれに石造りの床が巻き込まれて起こる礫の嵐が襲った。

 

 

「………何? もう終わったの?」

「うーん! そーみたいね!

ま、グスに勝ったやつはともかくロイドフにすら勝てなかったあんな雑魚がのこのこあたしらの縄張りに入ってきたってのが間違

 

 

「!!!!?」」

 

ユーカがそう言い終わるより早く、彼女の腹部に【何か】が撃ち込まれた。

そのままユーカの身体は奥の壁へと激突する。

 

「………まさか……………!!」

 

ユーカの攻撃によって巻き起こった土煙が晴れた所に エドソンの予感通りファンが立っていた。

しかしその身体は既に全身を礫に切り裂かれ打ちのめされ 満身創痍になっている。

 

(…………………こ、これで一人潰した)

「『一人潰した』って思った?」

「!!!!?」

 

その声が聞こえてくるはずは無かった。

たった今 ファンは最大限 小さく固くした【盾の弾丸】を彼女の腹部にある急所へと叩き込んだ。

貫通は出来ずとも意識は完全に断ち切ったはずだった。

 

「…………全く、だから言ったでしょ?

油断しちゃダメだって。」

「ごめんごめん まーいいじゃん

どっち道 あいつらじゃあたしらには勝てないんだからさ。」

 

「………………………!!!!」

 

自分の渾身の攻撃が全く効いていない筈はない。 とても彼女にそんな強靭な腹筋があるとは思えない。

ならば考えられることは一つしか無かった。

 

「あ! そーそー

一応 ご褒美にタネ明かししとかないとねー」

 

ユーカはおもむろに身につけていた上着をまくり、腹部を見せつけた。

そこにはやはり防具があった。

粉々となった岩盤が彼女の腹から崩れ落ちた。

 

(…………………!!!

岩盤をお腹に仕込んで《(バッシュ)》の衝撃を分散したのか!!!

だけど、魔法でこしらえた(・・・・・・・・)岩なんかで防いだというのか

 

 

まさか!!!)

 

『何かおかしいと思ったらその事を根本から考え直せ』

エクスから言われていた事の一つである。

ファンはその言葉を思い出し、エドソンの魔法の謎に自ら迫った。

 

(…………まさか、彼の魔法は岩を作り出す魔法じゃなくて、元々ある岩を硬くしたり操る魔法なんじゃ……………!!!)

「その顔、どうやら分かったようだね。」

「!!!」

 

「確かに僕の魔法じゃ 岩を作り出すことはできない。

だけどその分 元々ある岩や石なら思い通りに操れる。

例えば、こんな事も出来る。」

「「!!!!」」

 

石造りの壁から巨大な腕が伸びてアリスに襲いかかった。

先程 奇襲で《(バッシュ)》を使い、アリスは無防備になっている。

 

騎士之盾(イージス)(クラン)》!!!!!」

 

咄嗟に盾を展開してアリスを防護する。

 

「!!!!?」

 

しかし、その腕はアリスではなくファンに直撃した。

アリスを狙ったのは自分に《(クラン)》を誘発させるためだと気付くには時間がとても足りなかった。

そのまま巨大な腕力に飲まれて反対側の壁へと激突する。

 

「君が僕の魔法を見破ったように、君のタネだってもう分かってるんだよ。

君の《騎士之盾(イージス)》ってやつ、一枚ずつしか展開できないんだろ?

そうでなきゃ あの時のグスの攻撃をあんな危なっかしい方法で防御する筈がない。」

「………………!!!!」

 

エドソンの指摘は誤りでは無かった。

しかし敵にそれを軽々と見破られたことは心にかなりのダメージを植え付ける。

 

「それからさ、聖騎士(パラディン)君、もう分かってると思うけど、君があたし達に勝つ方法は一つしか無いよ?

 

その少女(ザコ)を見捨てるしか方法はないって分かってるでしょ?」

「!!!!!」

 

満身創痍のファンの心にユーカの言葉の槍が深々と突き刺さった。



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#99 Fairy fly to the great sky Part2 ~Legcuffs~

「……………何だって…………………!!!!?」

「何だって じゃないよ。

そのザコを見捨てて自分を守らなきゃあんたもそいつも負けるって言ってんの。」

 

ユーカは客観的な事実を突きつけた。

しかしそれはファンにとって最も刺々しい言葉となって彼の心に突き刺さった。

 

「…………そんなこと出来るわけないだ

 

!!!!?」

 

出来るわけないだろ と言い終わるより早くファンの腹に ユーカが作り出した旋風が弾丸となって直撃した。

そのまま先程のユーカと同様に反対側の壁へと激突する。

 

「あんた今なんて言おうとしたの?

出来るわけないだろ って? グスにまぐれで勝ったくらいで笑わせないでくれる?」

「……………………!!!!!」

 

ファンはユーカの言葉を跳ね除けようと精一杯の闘志を振り絞った。 しかしそれもユーカの目にはただの蛮勇にしか映らなかった。

 

(…………確かに今の僕は《騎士之盾(イージス)》は使えないけど、それでも闘う(・・)方法ならあるぞ!!!

お兄様はこんな僕を見捨てずに鍛えて 力をつける機会を与えてくれた!!

その恩情に応えられないで 何が誇り高い聖騎士(パラディン)だ!!!!!)

 

満身創痍の身体に鞭を打ち、ファンは地面を蹴ってユーカの元へと突進した。

 

「………まだ何かやる気なの?

しつこい男は嫌われるよ?!!」

 

ユーカは杖に魔力を込め、旋風の弾丸を連射した。

それを感覚が研ぎ澄まされているファンは間を縫うように躱してユーカと距離を詰める。

 

「………!!

だったらこれを!!!」

 

ユーカはさらに杖を振り上げて再び塵旋風槍(トルネイヴ・ランサー)を放つ準備を整えた。

そして蓄積した魔力をファンにぶつける

 

「クッ!!!」

「!!!?」

 

瞬間、ファンは上半身を前に屈めてユーカの杖より低い体勢をとって躱した。

 

「でぇえッッ!!!!!」

ズドン!!!!

「!!!?」

 

そのまま身体を前に倒したユーカ自身の力を乗せ、彼女の顎に渾身の掌底突きをカウンターで叩き込んだ。

 

(いける!!!

このまま顎を掴んで叩き落とせば!!!)

 

この強敵を倒す千載一遇のチャンスを絶対に逃してはならない という使命感に駆られてさらにユーカに強襲した。

 

 

「……………バーカ」

「!?!?」

 

体勢が崩れていたユーカは即座に手を地面に付けてファンの強襲を躱し、両脚で隙だらけになったファンの身体を掴んだ。

そして身体を翻し、全身の筋肉を使ってファンを両脚で投げ飛ばす。

 

 

ズドォン!!!!!

「!!!!?」

 

身体が壁に激突する瞬間、衝撃が上から(・・)襲った。

エドソンが壁から巨大な拳を作り、岩の鉄槌でファンを叩き落としたのだ。

 

「…………ガハッ!!!!!」

「ファンさん!!!!!」

 

 

「エドソン ごめんねぇ。

やっぱ油断してたわ こんなヤツから一発貰っちゃうなんてさ。」

「全くだよ。 そんなんじゃ七本之牙(セブンズ・マギア)から除名されちゃうよ?」

「それだけはカンベン

アイツらと同列に扱われるのは流石にキツイわー まーもっとも、

 

そこで護られてる娘はアイツらにも勝てなかったようだけど〜?」

「!!!!!」

 

ユーカはファンの騎士之盾(イージス)の中で座り込んでいるアリスを指差してそう嗤った。

 

その時アリスの頭によぎったのは公式戦での醜態

テツロウとファンが奮闘していたのにも関わらず、自分はロイドフ・ラミンに不覚を取り、足を引っ張ってしまったという醜態。

それは紛れもない事実だった。

 

(………………………!!!!!

私は何も出来てない!!! (あの時)公式戦(あの時)も 今だって皆に迷惑をかけてばかり!!!!!

なのにファンさんは 今だって意識を保ってるのがやっとの筈なのに魔法で私を護ってくれている!!!!!)

 

アリスは己の不甲斐なさを嘆いた。

ファンが満身創痍で立ち向かっていながら何も出来ていない自分を心の底から恥じた。

 

「…………………んな所で、」

「「?」」

 

「こんな所で足でまといになんてなりたくない!!!!!」

「「!!!!?」」

 

 

その時、ユーカとエドソンに驚きの感情が走った。

しかしそれはアリスが叫んだからでは無い。

彼女の身体が金色の光で包まれたからだ。

 

「…………な、なんなのこれ…………!!?」

「…………あの光、まさか!!!!」

 

 

 

光が晴れて顕になったアリスの姿を見て、ユーカとエドソン、そして視界がぼやけていたファンも言葉を失った。

 

 

アリスの背中からは二対の半透明の羽が生えていた。髪も金色に光って長く伸びている。

 

そして決定的だったのは彼女の耳が尖っていた(・・・・・)ということだ。

 

そこからエドソンは一つの結論を導き出した。

 

アリス・インセンス

彼女の正体は《風の妖精(エルフ)》なのだという結論を。



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#100 Fairy fly to the great sky Part3 ~Awaken elf~

アリスの変貌にユーカとエドソンだけでなく、当のアリス自身も動揺していた。

 

「………………………何あれ……………!!?」

「……………風の妖精(エルフ)だよ。」

「!?」

「分からないの!!!?

あいつは風の妖精(エルフ)の血を引いていて、今の君の煽りが引き金になってその力を呼び起こしてしまったんだよ!!!!!」

「!!!?? 何それ!!!!?」

 

 

 

***

 

 

アリス本人が自身の容姿が激変したことに驚いていた。

 

「……………え? 私、どうなって……………………

 

 

!!!!?」

 

それを考えるより早く、彼女の頭に頭痛とは違う奇妙な感覚が走った。

 

(………………こ、これは…………………!!!!?)

 

アリスの頭の中に膨大な情報が一斉に流れ込んできた。

自分が風の妖精(エルフ)の血筋であるという事実 そして自分に眠る力の使い方

 

そして自分の本名が【アリス・インセンス】ではなく、【アリス・インセンス・ジュナイプ】という妖精族であるという事実を理解するより早く痛感させられた。

 

しかしそこに苦痛はなく、彼女はあくまで冷静だった。

その記憶を理解するのではなく、思い出したかのようにはっきりと頭の中に入り込んできた。

 

(………………そうか。 私は妖精族 《風の妖精(エルフ)》のアリス。

今こそ皆の役に立つ時なんだ!!!!!)

 

アリスは閉じていた目を開き、ユーカとエドソンを一瞥した。

その視線には公式戦でファンやマキムが見せたものと同じ【決意】が宿っていた。

 

 

 

***

 

 

「…………何なの その目……………!!!」

 

ユーカは自分に送られているアリスの視線に対してそう言った。

しかしそれは不満からではなく、自分の中で無意識に芽生えた恐怖を抑え込むための言葉だった。

 

「エドソン!! 先にあいつにトドメを刺しちゃって!!」

「分かった!!!」

 

ユーカの指示でエドソンはファンに杖を向け、彼の上部に再び岩の腕を展開した。

 

その時、岩の腕から(・・・・・)風が巻き起こり、ファンを包み込んだ。 岩の鉄槌は軽々と風に防がれる。

 

「!!?? 風魔法!!?

あいつが使ったの!? あたしに当てつけたつもり!!!?」

 

自分と同じ風魔法を使われて、ユーカの動揺はついに頂点に達した。

 

「……………………!!!!

何とか言いなさいよ!!!!」

 

何も答えないアリスに痺れを切らし、ユーカは風の弾丸を数発 発射した。

 

 

フワッ……………

「!!!??」

 

アリスは風の弾丸が直撃する寸前、手を払ってそれを全てかき消した。

 

「…………あたしの風を消した(・・・)……………!!!??」

 

ユーカが動揺を隠せない中、エドソンは思考を巡らせていた。

 

(……………!!! まさか!!!!

あの時、あいつを包む風が岩の腕から、動いた物(・・・・)から出てきた!!!

ますかあいつの魔法は…………!!!!)

 

「分かったぞ!!!! あいつの魔法は君とは違って単純な風魔法じゃない!!!

僕のと同じ種類だ!! あいつは近くにある風の大きさや向きを操る魔法を使うんだ!!!」

「!!? 風を操る…………!!!?」

 

 

エドソンの予想は当たっていた。

アリスの頭に流れ込んできた情報は、自分が風の妖精(エルフ)の血を引く人間であると言う事と、自分の魔法が元からある風を自由自在に操る魔法だという情報だ。

 

「…………魔法の効果や弱点は分かった。 だけど……………!!!」

「!? だけど何なの!!?」

 

「………はい。 多分あなたの考えている通りだと思います。」

「!!?」

 

アリスはその場で指を軽く振った。

その手の平から巨大な塵旋風が巻き起こる。

 

「!!!?? ちょっと!!!

風を作ってんじゃんあいつ!!!!」

「いや違う。 風を大きく(・・・)したんだ。

指を軽く振ってほんの少しだけ空気を動かし(風を起こし)てそれを巨大化させたんだよ!!!!」

「嘘でしょ!!!? そんなの弱点 あってないようなもんじゃない!!!!」

 

ユーカは竜巻を手に佇んでいるアリスに視線を送った。

その顔は笑っていなかったが、目は勝ち誇っているように見えた。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!

チョーシ乗ってんじゃないよ!!!!!」

 

ユーカは冷静さを失い、杖の先端に《塵旋風槍(トルネイヴ・ランサー)》の魔力を込めた。

 

「!!!! バカ 止めろ!!!!」

「!!! し、しまった!!!!」

 

エドソンの予感通り、アリスはユーカの大技の主導権さえも乗っ取って見せた。

 

「うわっ!!??」

 

ユーカは竜巻に巻き込まえて前に吹き飛ばされた。

 

「ユーカ!!! !!!??」

 

ユーカを追いかけようとしたエドソンを分断するかのように竜巻が発生した。

そしてそれは本来の物理法則を無視して壁のように楕円状に変形していく。

 

(こいつ、竜巻の形を変えることもできるのか…………!!!

不味いことになった 分断(・・)させられた……………!!!!)



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#101 Fairy fly to the great sky Part4 ~Irony~

「…………あんたね 反則でしょ あんな風の起こし方(・・・・)………!!!!」

 

ユーカとエドソンを挟んで通常ではありえない楕円形の竜巻が吹き荒れる。

戦況は完全に分担されて孤立した。

今 ユーカが対峙しているのは自分の起こす風を自由自在に操ることの出来る《天敵》なのだ。

 

そして彼女自身が 今自分がファンと同じ(魔法を自由に使えない)立場にあるという事を理解していた。

 

(…………あいつの同じ真似をするなんて耐えらんないけど、それでもやるしかない!!!!!)

「ヤアアアアッッ!!!!」

 

杖を鈍器として振り上げてアリスに向かって全力で走った。

一撃で意識を断ち切れるように狙いを側頭部に定めて懇親の力で振り上げる。

 

しかし今のアリスの目にはユーカの考えている事が手に取るように感じ取れた。

 

ゴッ!!!! 「!!!!?」

 

大振りの攻撃を上半身を反らして躱し、仰け反った体勢を利用してユーカの顎にカウンターの蹴りを叩き込む。

ユーカは吹き飛ばされて地面に倒れ伏した。

 

「………………………!!!!」

「忘れましたか? 今の私はエクス寮長に鍛え上げて貰っているんです。魔法を使うことしか能がないあなた程度に遅れを取ることは決してありません!!!!」

「!!!!」

 

自信に眠る力が目覚め、忘れかけていた事実を再確認した。

ロイドフに不覚を取っても 自分がエクス・レインに鍛え上げて貰ったと言う事実は決して揺るがない。

その事実が心に宿り、今のアリスを支えているのだ。

 

 

さらに追撃を仕掛けるために再び手を振って空気を動かし(風を起こし)た。

そしてそれを大きく、そして長く変形させる。

 

(………あの形、まさか…………!!!!)

 

アリスが起こした風の形はユーカが一番良く知っている()だった。

 

「行きますよ?

塵旋風槍(トルネイヴ・ランサー)》」

「!!!!」

 

アリスは手を振って竜巻を投げつけた。

先程 ファンを襲ったものと同じ巨大な塵旋風が横向きの状態でユーカに襲いかかる。

 

「〜〜〜〜!!!

ふざけんなッッ!!!!」

「!!?」

 

ユーカは杖を地面に突き立て、それを軸に逆立ちをした。そのまま腕の力で飛び上がり、棒高跳びの要領で《塵旋風槍(トルネイヴ・ランサー)》を躱す。

 

さらに上空から足を振り上げて蹴りを試みる。 狙いはやはり側頭部。

一瞬 反応が遅れて完全に捉え━━━━━━

 

「!!??」

 

ユーカの蹴りは空を切った。

それでも彼女が違和感を覚えたのは、アリスが避けようとした動きが無いのにも関わらず、自分が蹴りを外した(・・・)ように感じたからである。

 

「…………今 何をしたの!!?」

 

かろうじて着地をとり、アリスに向かい合って問いただす。

 

「なんの事はありません。

あなたの周りで起こった空気の動き()の流れを変えて弾じき飛ばしただけです。」

「!!!?」

 

唐突に突きつけられたその事実は即ち アリスには物理攻撃すら効かないという事を意味していた。

今のアリスはユーカの風魔法もかろうじて持っているマーシャルアーツも通用しない圧倒的な相手となっていたのだ。

 

「貴女方の仲間に伝えておいて下さい。

『マーシャルアーツを嘗めてはいけない』とでもね。」

「!!!!」

 

ラドラだけでなく、パリム学園 果てはこの地域全体でマーシャルアーツは魔法より劣っているものだと思われていた。 しかし今目の前に立っているアリスはその考えを軽く否定できるだけの実力を持っていた。

 

しかし ユーカは諦めていない。 次の攻撃に打って出る。

 

(………それなら、反応出来ないくらい速い攻撃でその背中をかっ捌いてあげる!!!!!)

 

アリスの真後ろ 20メートル程離れた空間に拳大のつむじ風の刃を二つ展開し、自分が打てる最高速度で打ち出した。

 

(このスピードに反応できるもんならやってみなさいよ!!!!)

 

魔法を発動して打ち出し、敵に直撃する

その時間は1秒にも満たない。

魔法で消滅させる暇もなく完全背中をに捉えた

 

 

 

「無駄ですよ。」

「!!!?」

 

単純な速度だけならレイザーにも負けないと自負していた自分のつむじ風の刃(最高速度の攻撃)が直撃する寸前で消えた。

 

「…………そんなまさか…………!!!!

ちゃんと最高速度で打ったはずなのに………………!!!!」

「ええ。 今のは確かに速い攻撃でした。

ですが如何に速くても それが風の攻撃であるならば速度なんていうのは問題では無いんですよ。」

「……………………!!!!!」

 

ユーカは自分でも気付かない程 心の奥底で 彼女の闘志を煽ってアリスに眠る力を呼び覚ました事を後悔し、そして無意識に慢心して2人を甘く見ていた自分を恥じた。

 

「……もう万策 尽きましたか?

ならもう終わらせてもらいますよ?」

「!!!!」



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#102 Fairy fly to the great sky Part5 ~Railgun~

自分に止めを刺す

 

アリスはユーカに向かってそう宣言した。

そして徐に両手を広げ 前方に掲げる。

 

「はあああああああ」

「……………………??!」

 

しばらく経っても何も起こらず、ユーカは顔を動かした(・・・・)

しかし アリスの口元が少し緩んだのを見てそれが罠であると気付く。

 

(!!! しまった!!!)

「もう遅いですよ。」

 

ユーカの顔から風が巻き起こり、彼女を包み込んだ。

 

 

(…………………!!!

やっぱりあの少しの風を大きくするのはキツい でもやるしかない!!!!)

 

力に目覚めて少ししか経っていないが、自身の魔法の弱点は感覚で理解していた。

小さな風を大きくするにはかなりの魔力を消費してしまう。 しかしそれもファンが身を呈して自分を守って負ったダメージに比べたら問題にはならない。

 

「はああああああああああああああ!!!!!」

(ヤバいヤバいヤバい!!!!

何とかして脱出しなきゃ!!!!)

 

身体にかかる負担によってアリスの鼻から一筋の血が垂れた。

それでも戦意を失う事はなく、ユーカの周りを竜巻で囲む。

 

「はあっ!!!!!」

「うわあああああああああああああ!!!!?」

 

巨大な塵旋風がユーカを囲んで吹き荒れ、ユーカはその風に巻き込まれて空中を高速で回転する。

 

『…………………!!!!』

「無駄です。 今の私に分かる事ですが、その中は軽く見積っても風速60mは超えている。 脱出は不可能です!!!」

 

 

風に振り回されるユーカを他所にアリスは石造り(・・・)の床に視線を送った。

指を振って小さな風を起こし、それを地面に打ち出して床を破壊した。

 

砕けて出来た手のひら大の床の破片を手に取り、再びユーカの方を向いた。

 

突風に振り回されて視界を遮られていたユーカだが、アリスが何をしたのかは理解出来た。 そして、彼女がこれから何をやろうとしているのかも直感した。

 

「………あなたの名前は分かりませんが、終わらせる前に一つだけ聞いておきたいことがあります。

今の私とロイドフ どっちが強いと思いますか?」

『!!!』

 

アリスがこれから繰り出す攻撃にはもうひとつの意味があった。

公式戦で不覚を取ったロイドフ・ラミンという存在を乗り越えて新しい自分を確立する第一歩でもあった。

 

「…………と言ってもこの風の中で答えられるわけ ありませんよね。

では さようなら。」

『!!!!!』

 

アリスはそう言うと軽い力で破片を風の中に投げ込んだ。 止めを刺すにはそれだけで十分だった。

 

石が竜巻の中を進む距離は竜巻の中の何十倍にも跳ね上がる。その間 石はずっと追い風によって加速し続ける。

エドソンが心ゆくまで戦える石造りの空間が今は自分に牙を剥く凶器へと姿を変えた。

 

ユーカは体勢を崩したまま竜巻から吹き飛ばされた。そこに風で大いに加速が乗った石が弾丸となって彼女に襲いかかる。

 

(…………………!!!

こいつさえ防げば!!!!)

 

ユーカは杖を突き出して魔法陣で防御を試みた。 風魔法以外で彼女が唯一使える防御魔法だ。

 

「……………それも読んでますよ。」

「!!?」

 

アリスが指を振ると、石の弾丸は軌道を変えてユーカの下方向に滑り込んだ。

 

「!!!!?」

「これもエクス寮長に教わったことです。

相手の不意を突く事こそ勝利の鉄則だとね!!!」

 

ロイドフの時は出来なかったが、今の自分には簡単に出来る。

彼女自身が自分の成長を実感していた。

 

 

「!!!!!」

 

ユーカの鳩尾に石の弾丸が突き刺さった。

 

(そ、そんな………………!!!

私が 七本之牙(セブンズマギア)の私がなんで ロイドフにも勝ってないやつなんかに……………!!!!)

 

薄れゆく意識の中でユーカは自問自答を繰り返した。 しかし答えを出すには時間はあまりにも少なかった。

 

ユーカの身体はきりもみ回転しながら竜巻の壁を越えて反対側の壁まで吹き飛んで激突した。

 

「!!!! ユーカ!!!!」

 

天井付近で大きな土煙が巻き起こり、そこから落ちてきたものを見てエドソンは取り乱した声をあげた。

 

「ば、ばかな………………!!!!」

 

竜巻に遮られた空間から帰ってきたユーカは無惨な姿に変わり果てていた。

外傷は腹部への打撃と頭部と口からの出血だけではあったが、そこには七本之牙(セブンズマギア)の誇りは微塵も無かった。

 

「!!」

 

背後に気配を感じて振り返ると、部屋を分断していた竜巻は既に消え、そこには悠々と立ち尽くす一人の風の妖精(エルフ)の姿があった。

 

「……………………!!!!

アリス・インセンス……………!!!!」

「………見ての通り、あなたの仲間は片付けました。 それと私の本名は【アリス・インセンス・ジュナイプ】というんです。

これからは間違えないでください。」

「……………!!!」

 

「それと何か誤解しているようですが、あなたを倒すのは私ではありませんよ。」

「何!?」

 

アリスはエドソンの後方を指さした。

その方向を向いたエドソンの目に信じられない光景が飛び込んできた。

 

「………………!!!!?

バカな…………………!!!!!」

「敵は1人片付けました。

後は任せましたよ。」

 

エドソンの後方でファンが立っていた。



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#103 MY SWORD

エドソンは目の前で起こっている光景を理解出来ないでいた。

自分が攻撃を加え続け、既に瀕死の状態にあった。ファンが立っていられる可能性など万に一つもない筈だ。

 

「バカな 何故…………!!!」

(!! いや待て、あいつのが僕と同じ種類の魔法ならまさか…………!!!)

 

「ア、アリス お前まさか………………!!!!」

「ええそうです。 気付いたようですね。」

 

エドソンはファンが立っている謎を解き明かした。

アリスはファンを包み込んだ風に治癒魔法を付与して負傷を回復させたのだ。

 

彼がその結論に至ったのは彼自身が操った石に魔法を付与できるからである。

しかしそれでも腑に落ちない点があった。

 

「……しかし、お前なんかが治癒魔法(そんな物)をどうやって覚えた!!

まさか妖精の力に目覚めたからだとでも言うんじゃないだろうな!!」

「そのまさかですよ。

あなた達と違って私達は学園の授業をちゃんと受けていましたから、治癒魔法の術式は頭に入っていました。それを妖精()の力に目覚めて魔力が増えたことで使えるようになっただけの事です。」

「………………………!!!!」

 

「…………とはいえ私もそろそろ限界が近いのでね、後は彼に任せます…………。」

「!?」

 

それを言ったのを最後にアリスは両膝を付いた。意識は失っていなかったが、力を使い果たしていた。

しかし彼女に止めを刺す訳には行かない。

エドソンの注意はファンに集中した。

 

「………アリスさん、僕の為にありがとう。

あとは僕に任せてゆっくり休んで。」

「……青春ごっこは結構だけど、僕に勝てる保証があるの?」

「勝てるかどうかじゃないよ。彼女の頑張りに全力で答えるだけだ!!!」

 

エドソンは思考を巡らせていた。

今のファンの力の程が全く分からなかった。

(………こいつは瀕死の状態からグスに勝てるだけの実力がある。ユーカはもう戦えないだろう。

だけどこいつにさえ勝てたら僕達の勝利だ!!!!)

 

アリスの治癒魔法でどれほど回復したのか分からない以上、自分に出来る事は全力で戦うことだけだった。

 

 

 

***

 

 

(ここで僕が負けたらアリスさんの頑張りもお兄様の苦心も全て 水の泡だ。

そんな事は絶対にあっちゃいけない。絶対に負けられない!!!)

 

ファンは実兄(エクス)のそして聖騎士(パラディン)の血に全てを掛けて戦いに臨む決意を固めた。

 

「………行くぞ。」

 

先手を打ったのはエドソンだった。

石造りの床から大量の礫を作り出して宙に浮かべ、自身の周りで回転させる。

 

「全部防いで見せろ!!!」

「!!!」

 

礫弾幕(ストーム・ヴァレッジ)》!!!!!

「!!!!」

 

遠心力がたっぷりと乗った大量の礫が弾丸となってファンに襲いかかった。

 

「くっ!!!」 「!?」

 

礫の大群を防ぐでは無く躱す選択を取った。

この状況でエドソンが次に出す攻撃は一つしかない。

 

(これならどうだ!!?) 「ッ!!」

 

ファンの目の前に巨大な石の壁がそそり立った。 一瞬動きが止まるがすぐに体勢を立て直し、次の攻撃に出る。

 

「ッ!!?」

(隙を見せたな!! これならどうだ!!?)

 

ファンは手を大きく振るう構えを取ってエドソンに向き合った。

その手には手の平大の騎士之盾(イージス)が展開されている。

 

(お兄様 見ててください

これが僕の 聖騎士(パラディン)の剣です!!!!!)

騎士之盾(イージス)(タロン)》!!!!!」

「!!!?」

 

腕を振るって円盤状の障壁を投げつけた。

騎士之盾(イージス)は高速で回転しながらエドソンの首に向かって直進する。

 

 

ザシュッ!!!!!

「!!!!! ガッ…………!!!!!」

 

身体を捻って首への直撃を避けたが、高速回転した騎士之盾(イージス)は脇腹を切り裂いた。

 

(………………!!!!

馬鹿な!!! これが防御魔法から生まれた技の威力か……………!!!!?)

 

脇腹から血を吹き出しながらエドソンは膝を付いた。激痛に耐えながら彼は今 目の前の下級生が繰り出した攻撃に驚愕していた。

 

(な、なんてやつだ……………!!!!

盾を薄くして回転させて刃物にするなんてこれが エクス・レインの血筋が成せる技なのか……………!!!!!)

 

「その出血で動くのは命取りだと分かってるでしょう? そこに倒れている彼女を連れてここから離れて下さい。」

「!!!!!」

 

下級生(ファン)のその言葉はエドソンの心を深々と抉った。

 

「…………なめるな。」

「?」

 

七本之牙(セブンズマギア)の一員がこんな所で負けてられるか!!!!!」

「!!!!?」

 

床から石を搾り出し、脇腹に当てて変形し、密着させて傷口を圧迫した。

 

「…………………!!!!」

「……………はァ はァ はァッ…………………!!!

…………どうだ!!! 魔法の使い方は僕の方が上だぞ!!!!」

(…………少し強引だが、ひとまずこれで まだ戦えるぞ………………!!!!)

 

エドソンは止血を成功させた。

その目にはまだ闘志が滾ってきた。



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#104 Grimlock titan

止血を成功させた。

その事実が体力が残り少ないファンに重くのしかかった。

 

「………どうした…………!!? 今の技で万策尽きたか………!!!?

僕はまだ立っているぞ!!!!」

「……………!!!!」

 

エドソンは口から血を垂れ流しながらもそう叫んでファンの心を揺さぶった。

事実、この一発で終わらせるつもりで撃った騎士之盾(イージス)(タロン)》だ。

 

そしてエドソンが2度も同じ手が通じない程の実力者である事も理解していた。

自身の魔法でできることは全て使い果たしてしまった彼に残された勝利の方法は一つしかない。

 

(この戦いの中で騎士之盾(イージス)の新しい攻撃を編み出して、それで勝つしかない!!!!)

 

自分で言っておきながら笑える程に雲を掴むような話だった。しかしそれでも勝つ方法はそれ一つしかない。覚悟を決めてエドソンと対峙する。

 

「今度はこっちから行くぞ!!!!!

岩石傀儡(グリムアーツ)》!!!!!」

「!!!!?」

 

エドソンが手を合わせると石造りの床が変形して巨大な岩石の塊が現れた。

そしてそれはどんどんと形を変えて頭や手足が作られていく。

 

気がついた時にはエドソンの背後に巨大な石造りの巨人が顕現していた。

 

「こいつを喰らえ!!!!」

「!!!!」

 

エドソンが大振りの拳を振ると岩石の巨人もそれに合わせてファンに拳を振るった。

ファンはそれを必要最低限の大きさ、そして最高の硬さの騎士之盾(イージス)で迎撃する。

 

 

ガァン!!!!! 「!!!!!」

 

巨人の拳が障壁に激突した。

ファンの障壁とエドソンの巨人の拳の両方に亀裂が走る。

 

「 おりゃアッ!!!!!」 「!!!?」

 

ファンが障壁を押し上げ、巨人の腕が粉々に割れた。

 

しかしエドソンは動揺することなく次の魔法を展開し、石を巨人の腕の付け根に漂わせると、あっという間に新しい腕が巨人に作られた。

ファンはその光景に気圧されそうになるのを堪える。

 

「行けっ!!!」 「!!!!?」

 

エドソンの一喝で石の巨人が地面を蹴り飛ばして 地面と垂直となった体勢でファンに強襲した。

ファンの目にその姿は巨大な岩石が弾丸となって突き進んでくるように見えた。

 

(!!!! あの大きさでなんて速さだ!!!!

魔法を使う暇がない!!!!)

 

残された時間でファンは咄嗟に魔法無しでこの攻撃を凌ぐ作戦を出した。

向かってくる巨人の突進を身を屈めて躱し、その顎と首の付け根を掴んで身体を捻った。

 

「うりゃアッ!!!!!」 『!!!!?』

 

向かってくる速度がそのまま補助となって巨人が宙を舞って地面に激突した。

かろうじて出来た一瞬の隙をついてエドソンに攻撃しようと構えを取る。

 

「ッ!!!?」

 

背後に気配を感じた直後、岩の柱が背中を襲った。 ファンはそれを間一髪で躱す。

体勢を立て直して見てみると、巨人が自分に向かって蹴りを放っている様子が見えた。

 

 

「ウッ!!」 「!?」

 

エドソンが負った脇腹の傷口から一筋の血が吹き出た。

 

自分がかろうじて勝ち星を取ったグス・オーガンより遥かに大きい岩の巨人

それを操るには身体に大きな負担がかかるのだと結論づけた。

 

自分も何回も岩石の攻撃を身体に受けて満身創痍だが、エドソンの身体も限界が近い。

両者ともにあと一発でも攻撃を受ければ決着が着く状態なのだ。

 

「行けェッ!!!!!」

 

岩の巨人が体勢を直してファンに強襲してくる。その間にもエドソンの鼻や目からは血が吹きでている。

たとえ自分が倒れたとしてもラドラのために戦うという決意が見て取れた。

 

「グッ!!!」

 

かろうじて魔法の展開が間に合い、巨人の拳を障壁で受け止める。

 

ガァン!!!!! 「うおぉッ!!!!?」

 

巨人の拳が障壁の上から強引にファンを吹き飛ばした。 空中を舞う最中に体勢を立て直して壁に着地を取り、激突するのを避ける。

激突を避けたのと同時に図らずもエドソンと距離ができた。

 

(《(バッシュ)》で攻撃する気か!!?

来るなら来い ガードしてやる!!!)

 

エドソンは騎士之盾 撃(飛び道具)が来るのを警戒した。

しかし何も飛んでこない。

 

(……それとも接近戦で来るつもりか!!?

この巨人を突破できるものならやってみろ!!!)

 

 

ファンは地面に着地してから動きを見せない。こんな絶好の機会を逃すとは到底考えられない。

 

(………まさか 止めを刺す機会を伺っているのか…………!!!?)

 

エドソンの予感は当たっていた。

ファンはたった今 エドソンに勝つための方法を思いついたのだ。

 

エドソンに向かって構えを取る。

それは棒状の物(・・・・)を掴んでいるように見えた。

 

「………ま、まさか………………!!!!」

「そうだ。 見せてやる。

これが本当の聖騎士(パラディン)の剣だ!!!!!

 

騎士之盾(イージス)聖剣(オーディン・ソード)》!!!!!」

「……………………!!!!?」

 

構えていた手が光り、障壁が変形していく。

そして出来たのは紛れもない《剣》だった。



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#105 Shining dragon fang Part2 ~The Wrath~

たった今ファンが創り出した物に名前をつけるならばそれ以外に最適な物は無かった。

 

「な、なんだ それは………………!!!!」

「たった今言ったはずだろ。

これが僕にとっての最高の聖騎士(パラディン)の剣なんだ!!!!」

 

先程 彼は障壁を薄く、そして硬くする事でそこに【切れ味】を生み出し、自分に決定的な一撃を見舞った。

それだけでも遥かに程凄いことなのに、あまつさえファンは【盾】から【剣】を創り出して見せたのだ。

 

「…………?!!」

 

そしてファンは奇妙な行動を取った。

剣を構えて身体を屈め、剣を持っている手を後ろに引いてエドソンと向き合った。

エドソン、そしてパリム学園に通う者全員がその構えを知っていた。

 

それは、エクス・レインが得意とする聖騎士(パラディン)の構えだ。

 

「…………何のつもりだ………!!?」

「付け焼き刃だよ。

ただし、最高に鍛え上げられた(・・・・・・・・・・)物だけどね。」

(………今まで剣なんてろくに握ってこなかったけど、それでもこれだけは断言出来る。

お兄様の剣技を一番見てきたのは、この僕だ!!!!)

 

ファンの構えから『この一撃で終わらせる』という決意が見て取れた。

エドソン自身 体力は残り少ない。決着の時が刻一刻と迫ってきているのだ。

 

「………分かったよ。だったら一思いに叩き潰してあげよう!!!!!」

 

エドソンが指を振り上げ、岩の巨人も拳を構えた。狙いはファン一人。

人一人丸々入ってしまいそうな程 大きな拳が発射する時を今か今かと待ちわびているように見えた。

 

岩石正拳大砲(ヒガンテ・ピータム・トムメンタ)》!!!!!

 

足首の関節の動きを腰へ 腰の関節の動きを肩へ 肩の関節の動きを拳へ乗せ、巨大な岩石の塊が最高速でファンに襲いかかった。

 

しかしファンは微動だにしない。

巨人の拳が自分の剣の射程距離に入るのを待っているのだ。

 

(………お兄様。僕は皆を守れる盾で居られれば構わないつもりでした。

だけど今は違います。こんな僕でもみんなの為に戦いたい!!戦える()が欲しい!!!

だから僕に力を貸して下さい!!!!)

 

拳がファンの眼前に迫り、完全に剣の射程距離に入った。

その瞬間 身体を反応させて全身の筋肉を稼働させる。

 

(…………………!!!!

馬鹿な!!! あの動きは…………!!!!)

 

その時間は数字にして一瞬だった。

しかしエドソンの目にはその瞬間がまるでスローモーションのように映り、ファンの動きの一挙一動を完全に捉えていた。

 

(お兄様 行きます!!!!!)

 

聖騎士 抜刀術

神龍之牙(セイグリド・チザン)》!!!!!

「!!!!?」

 

ファンの手に握られた剣が弧を描き、巨人の拳を切りつけた。そしてその衝撃は腕、そして胸へと迸り、巨人の身体を胸から真っ二つに切り裂く。

 

当時のファンは知らなかった事だが、エドソンが生み出した岩の巨人は心臓部に動力源となる特殊な石を内蔵している。

そして奇しくもファンの居合はその動力源である石を切り裂いていた。

 

岩の巨人は動力源を失い、粉々になって瓦解する。

 

「……………………………………………………………!!!!!」

 

エドソンは一瞬の出来事に呆気に取られ、そして自分の奥の手が無惨にも敗れ去った事を理解した。

 

「ッ!!!」

 

気がつくとファンが既に剣を居合の体勢で構えていた。そして自分が窮地に立たされている事を理解した。

 

「………これで終わったと思うな!!」

 

エドソンは再び手を合わせ、残っている力全てを使って石造りの床を変形させる。そしてそれを腕に纏い、迎撃する構えを取る。

 

(向かってきたところを返り討ちにしてや

 

!!!!?)

 

迎え撃とうとしたその時には剣を構えたファンが鼻先に迫っていた。

 

(馬鹿な!!! この距離を一瞬で!!!!)

(そう。これもお兄様が教えてくれた技

膝抜き《(さざなみ)》だ!!!!)

 

ファンは魚人武術の技を使って距離を詰めた。

しかしエドソンにはその事を知る由も理解するための時間も無かった。

 

「…………終わりです。」

「!!!!!」

 

聖騎士(パラディン) 抜刀術

 

 

ガキィン!!!!! 「!!!!?」

 

ファンの腕から剣が放たれ、その衝撃でエドソンの両腕が宙に上がった。

 

神龍之逆鱗(セイグリド・ラース)》!!!!!

「!!!!!」

 

振り上げた剣を振り下ろし、エドソンの身体を袈裟斬りにした。

胸から大量の血を吹き出してうつ伏せに大の字に倒れる。

 

「グッ……………!」

 

ファンも力を使い果たし、その場に膝を付いた。息を切らしながら考えたのは聖騎士(実兄)の事だ。

 

(……………お兄様………………………

これで僕も少しはレインの血に見合う聖騎士(パラディン)に近づけたでしょうか……………。)

 

今 この瞬間からファン・レインはレインの血を継ぐ聖騎士(パラディン)としての第一歩を踏み出していた。



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#106 Chance to recovery

ガリウムに攻撃を与えたナイクという男は依然として悠々と立っていた。

 

「…………あなたにかける時間などないのです。 このまま倒させてもらいますよ。」

「…………………!!!」

 

ラドラが召喚した人形の魔物達との連戦に続き既にナイクの作り出した刃物の攻撃を受け続けて身体は既に限界に近い状態にある。

自分が不利な状態にあるのは間違いない事だ。

 

(……………確かにダメージはかなり受けたが、それでも俺の身体には少しだけだがまだ彼女達の肉体強化魔法の効果が残っている。

これにかけるしかない!!!)

 

ガリウムが己を鼓舞している時に ナイクは既に魔法を展開する準備をしていた。

 

「行きますよ!!!

武器錬成(ラーヴァ・エボルヴ)》!!!」

「!!!」

 

ナイクが展開した魔法陣から大量の刃物が現れ、ガリウムに向かって飛んでくる。

それに対しガリウムは拳で顔面を防御し身体を屈めて低い体勢を取る。

 

(来るなら来い!!!刃物(それ)に自動追尾の魔法が掛けられてることは分かっている!!!)

 

自分に自動的に照準を合わせて向かってくる刃物に対する有効打は既に見つけていた。

 

「フンッ!!!」 「!!?」

 

刃物の鋒が顔面に突き刺さる直前に身体を翻して飛んでくる刃物を躱す。

直進する刃物はガリウムに反応するより早く向こう側の壁に突き刺さって自動追尾の魔法の効力を失った。

 

「!!!」

(こいつを喰らえ!!!!)

 

刃物に避けられた事に気を取られている間にガリウムが眼前に迫っていた。

拳の狙いをナイクの顔面に定めている。

 

「フンッ!!!!!」

「!!!!」

 

ガリウムの拳がナイクへと炸裂し、衝撃音が響き渡った。

しかし、拳に伝わってきた感触は人間の皮膚(・・・・・)を捉えた物では無かった。

 

「!!!」

 

ガリウムの拳はナイクの魔法陣から出てきた金属の棒に阻まれた。

そしてその斜め上から魔法陣を発射台にして刃物が飛んでくる。

 

ガリウムはその刃物を後ろに飛んで躱す。

しかしそれによって拳でしか攻撃の手段を持たない彼にとって命取りになる【間合い】をナイクに与えてしまった。

 

「!!?」

 

ガリウムが着地した場所に魔法陣が光った。

そこから金属の棒に尖った刃物が付いた【槍】が襲いかかる。

ガリウムは槍を横に飛んで回避する。

 

「………………………。」

 

もう既にラドラが生み出した人形の魔物を何体も倒し心身共に限界が近づいている筈だが、全く心が折れる気配がない。

その事がナイクには不可解に感じられた。

 

(………とはいえ不安定なのは間違いない。

心を揺さぶりさえすれば……………。)

「そこまでして諦めようとしないのは、負い目(・・・)があるからか?」

「!!!?」

 

口調を変えて揺さぶりをかけると、ガリウムの表情が目に見えて曇った。

 

(……………やはりそうか。)

「そうだろうな。我々に不覚を取って、さぞエクスに迷惑をかけたのだからな。」

「…………………!!!!!」

 

「しかし運が良いよな。

あのテツロウに助け出されやっと挽回のチャンスを貰えたんだ。負けられないよな。」

 

ガリウムの表情からは目に見えて冷静さが消えていった。

 

(心に隙ができた!! 今だ!!!)

 

動揺を誘う事に成功しできた心の隙をついて心臓部に狙いを定めて刃物を射出した。

顔面が隙だらけになった所に隙をついた攻撃は絶対に反応できない━━━━━━━━━

 

 

ガキンッ!!! 「!!?」

 

ガリウムは胸へと飛んでくる刃物を拳で叩き落とした。

 

(………………!!!

あれに反応するのか……………………

 

まさか!!!)

 

ガリウムが自分の不意を突いた攻撃に反応できた理由は一つしか無かった。

 

(心が動揺していないのか………………!!?)

 

忠誠を誓った相手(エクス)への失態という彼にとって最大の心の溝を着いてもなお、ガリウムの心は動揺していなかったのだ。

 

「…………お前たちの言う通りだ。」

「何!?」

 

ナイクが冷静さを失いかけている中、ガリウムは悠然と口を開いた。

 

「確かに俺はお前達に不覚を取り、あの人形のように利用されるところだった。

だが、それは過去の話だ!!!」

「!!?」

 

「テツロウ君が俺を助けてくれて戦う力を貰って 今俺はここに立っている!!!」

 

ガリウムは拳を構え直した。

エクスに負い目は感じていても、それを意に返す暇もなくあるのはただエクスの役に立って汚名を返上してみせるという決意だけだった。

 

「今の俺の心は絶対に折れない!!!

倒したかったら力でねじ伏せてみせろ!!!!」

「!!!!」

 

ナイクはこのラドラが気に入った相手を完全に倒すには彼の言う通り力でねじ伏せるしかないと理解した。

 

「………そうか。

ならばこいつを喰らえ!!!!」

 

ナイクが作り出した魔法陣から数え切れない程の刃物が発射された。



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#107 Iron fist gatling

今のガリウムの心はしっかりとした背骨(バックボーン)に支えられて、付け入る隙は全く無い。

自分の主(ラドラ)に敵対する彼を完璧に倒すには力でねじ伏せるしか方法は無いと理解した。

 

「………そうか。

ならばこいつを喰らえ!!!!」

 

魔法陣を展開し、そこから大量の刃物をガリウムに向けて射出する。

しかし彼は微動だにしない。

 

ガガガガガガガッ!!!!

「!!!?」

 

ナイクの見間違いでなければガリウムは両手の拳を打ち出して飛んでくる刃物を全て叩き落とした。

 

「………………!!!」

「どうした?もうハサミ(・・・)はおしまいか?」

「!!!」

 

自分の魔法から作られる刃物を《ハサミ》呼ばわりされてナイクの冷静さは一瞬 消失した。

 

「━━━━━━━━━舐めるなッ!!!!!」

 

ナイクは腕をガリウムの方へ伸し、巨大な魔法陣を展開した。

 

凶刃大砲(エスパルド・ジオーレ)》!!!!!

 

魔法陣からナイフを超えた《剣》が打ち出された。狙いは再びガリウムの心臓部に定められ、超高速で飛んでくる。

 

「 フンッ!!!」

「!?」

 

ガリウムは飛んでくる剣を半身で避け、持ち手を掴んだ。そしてそのまま身体を回転させて剣の直線運動を反転させ、スピードをそのまま乗せてナイクへと投げつける。

 

「!!!?」

 

かろうじて反応したナイクは魔法陣から刃物を横方向に顕現させて飛んでくる剣先を受け止める。

 

 

バキンッ!!!! 「!!!!」

 

剣先がナイクの魔法陣を破壊した。

それでも速度の落ちていた剣を既のところで躱す。

なんとか体勢を立て直してガリウムの追撃に備える。

 

「………………………!!?」

 

しかし ガリウムは隙を見せていたナイクを攻撃する素振りを見せなかった。

両の拳を顔面へと持っていき、ナイクヘ向けて狙いを定めている。

 

(………次に繰り出す攻撃に全てを賭けるつもりでいるのか……………!!!

ならば、私もそうしよう!!!!)

 

ナイクも大量に刃物を作り続けて残りの魔力は底を尽きかけている。

彼もガリウムに倣って残りの魔力を全て使って彼を倒す決意を固めた。

 

両手を広げて構えて魔法陣を生み出し、持てる魔力を全て使い輪状の刃物(チャクラム)を生み出す。

 

「私を倒したくばこれを防いでみせろ!!!!

触れれば防ぐ暇もなく身体は断ち切れる!!!!!」

 

両手を振るい、二つのチャクラムをガリウムに向けて一直線に打ち出す。下手に策を弄するより、最短距離を最速で投げつけたほうが確実だと判断した。

 

ガリウムは飛んでくるチャクラムに対し一直線に駆け出す。その拳は依然として顔面のそばで発車の時を待ち続けていた。

しかし、ナイクにはそのチャクラムが拳で防げる代物では無いという確信があった。

 

(防げるものならやるがいい!!!

使える魔法の乏しいお前に何が出来る!!?)

 

 

ガリウムは既にこのチャクラムに対する策を既に導き出していた。

 

「!!!!? ば、馬鹿な!!!!」

 

ガリウムは本来ありえない方法でチャクラムを回避した。

一つ目の刃を身を屈めて躱し、二つ目の刃を飛び越えて躱したのだ。ナイクの考えではそれは絶対に出来るはずが無かった。

 

自分のチャクラムのスピードは万全の状態ならいざ知らず、限界寸前()の彼には到底見切れる代物ではなかったからだ。

 

(ま、まさか━━━━━━━━━━━!!!!!)

 

ガリウムが間合いを詰める僅かな時間でナイクは一つの結論を導き出した。

ラドラが積極的に拉致監禁した【肉体強化魔法】を得意とする女子生徒達がガリウムに魔法を付与し、それをガリウムが視力強化に使ったという結論だ。

 

それは当たっていたが、それが正解だと知るまでにナイクは意識を手放した。

 

 

 

***

 

 

 

「━━━━━━━━━━喰らえ、これは女子生徒達(みんな)が俺にくれた攻撃だ!!!!!」

 

機関銃拳(リヴォルブ・パンチャー)》!!!!!

「!!!!!」

 

ミリア達が託した残りの肉体強化魔法を全て両の拳に付与し、高速の拳をナイクの顔面に叩き込んだ。

さらに両の肩を高速回転させて強化された拳を一発一発 全力で撃ち込む。

 

「 !!!!! !!!!! !!!!! !!!!! !!!!! !!!!! !!!!! !!!!! !!!!! !!!!! !!!!! 」

 

ズドズドという衝撃音と共にナイクの意識はどんどんと薄れて行った。その最中 彼は『どうして一度ラドラに負けた男に自分が負けるんだ』という疑問を浮かべていたが、その答えを出すことは叶わなかった。

 

(見ていてください エクス寮長!!!!!)

 

ガリウムはナイクを倒すことで今までの失態を帳消しにして欲しい などと図々しいことを考えていた訳では決して無かった。

ただ 彼の為に戦いたい という純粋な思いを胸に最後の一撃を叩き込んだ。

 

 

「ぬああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

「!!!!!」

 

拳を振るい、ナイクの身体は吹き飛んで奥の壁へと激突した。

 

 

「や、やった……………………………………!!!!」

 

ガリウムは体力を使い果たし、遂に膝を付いた。その時の彼の頭は『エクスの為に戦い抜けた』嬉しさで一杯になっていた。



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#108 Mud army

「………二対一か………… いや、1.5人分になればいい方か?」

 

テツロウもまた戦うと宣言して尚、ワードの心は揺らがなかった。

 

「少々 慢心がすぎるんじゃないか!!?

この少年は君達が恐れているエクス寮長が選び抜き、そして託して下さった男だぞ!!!」

「………だからどうした?慢心してるのはお前の方だろ ミゲル・マックイーン。

たった2人でこの軍勢(・・・・)に勝てると思ってんのか?」

『!!!!?』

 

どこからどう見ても敵はワード1人だった。その後ろの闇に目を凝らしても、あの人形の怪物が現れる気配はない。

第一、哲郎達に人形は通用しないと分かっているし、これ以上 ラドラが戦力を浪費するとも考えられなかった。

 

「甘いんだよなァ お前ら二人共。

なんで俺が地面に泥を展開してると思ってる?」

 

その理由を明かすかのようにワードの周囲の泥がまるで生きているかのように動き出した。

 

「な、何をする気だ………………!!?」

「気をつけろ! 何か 嫌な予感がする!!!」

 

見た事も無い魔法から放たれる未知の攻撃、そしてワードの表情からありありと分かるその自信が哲郎とミゲルに漠然とした不安を煽る。

 

「……なんで俺がレイザーと張り合えると言ったのか教えてやるよ。

そいつァ あいつのスピードに頭数で対抗出来る(・・・・・・・・)からさ。」

『!!?』

 

ワードの周りで蠢いていた泥が形を変えた。

泥は蠢きながら人の形に姿を変える。

 

「………………………!!!!?」

 

その泥が完全に形を整えると、ワードと瓜二つの姿に変わった。

 

「こ、こいつ、泥を練り固めて分身を作りやがった…………………!!!!」

 

ミゲルも冷静さを失い、目の前の光景にそう言うしかなかった。

これが彼がレイザーと戦えると言った理由である。泥の魔法を使いこなしてここまでの芸当をこなした彼に肝を抜かれていた。

 

「まあ尤も、この分身達の力は俺には及ばねぇ。 だがそれでも このたくさんの兵力と戦いながら俺まで辿り着けるかと聞かれれば無理な話なんじゃないか?」

『……………!!!』

 

既にワードの周囲にゆうに20を超える彼そっくりの大軍が集まっていた。

 

「さあ行け!!!!」

『!!!!』

 

ワードが指を振ると泥の分身が一斉に襲いかかった。

 

 

「奢ったな!! ワード!!!」

「!?」

 

ワードが繰り出した一番後ろの泥の分身とミゲルが入れ替わった。

哲郎のそばにいた分身は勢いそのままに彼の後ろへ直進する。

 

ミゲルはワードの鼻先まで迫った。

その手は片方の手の甲へ引かれ、発車の時を伺っている。

 

(…………………!!!

あの体勢は………………!!!!)

 

哲郎はミゲルの構えに見覚えがあった。自分が一番信頼を置く構えだからだ。

 

「魚人波掌 《杭波噴(くいはぶき)》!!!!!」

「!!!!!」

 

ミゲルの掌底がワードの顔面に直撃した。

 

(ぎ、魚人波掌……………!!!

あの人も使えるのか………………!!!)

 

ワードの慢心に穴を通したミゲルの一瞬の内の勝利

 

 

かに思えた。

 

「━━━━━━━━!!!?」

「…………奢ったな ミゲル。」

「!!!? そ、そんな…………………!!!!」

 

ワードの顔面は茶色く変色し、そしてひび割れていた。哲郎とミゲルはそれを見て顔面を泥で防御したのだと理解した。

 

ガッ! 「!!!」

 

ワードは顔に触れているミゲルの手首を掴んだ。

 

(まずい!! また分身のどれかと入れ替わって)

「させねぇよ。」 「!!!」

 

ズドォン!!!! 「!!!! ガッ…………!!!!」

 

ミゲルの鳩尾に泥で押し固めた塊が直撃した。そしてその首を泥で作った腕で掴む。

 

「…………………!!!!!」

「ハッハ! 苦しいか?

そんな状態じゃあの姑息な魔法も使えねえだろ?」

 

ミゲルの呼吸を奪いながらワードは嘲笑した。

 

「さぁ お前にはこれからやってくるエクスの事を洗いざらい吐いてもらうとするか。

別に断るな とは言わねぇが、後ろのガキはどうなるかな?」

「!!!!」

 

ワードの作り出した泥の分身は依然として哲郎に襲いかかっている。

 

「テ、テツロウ君………………!!!!」

「ミゲルさん、僕は大丈夫です!!!」

 

いくら数が多くても人の姿をしているならば哲郎に倒せない敵ではない。

ミゲルが窮地に陥った動揺を押さえ込んで身構え、分身を迎撃する体勢を取る。

 

「甘ェぜ!!!!」 「!!!?」

 

哲郎に接触する寸前、分身の内の数体が巨大な泥の塊に戻り、哲郎に覆いかぶさんと迫った。 一瞬 反応が遅れた哲郎は全身を泥で拘束されてしまう。

 

「テ、テツロウ君!!!!」

「油断したな ガキが!!!」

 

ワードはそう勝ち誇ると手の指を軽く曲げ、力を込めた。

 

「《干魃破砕(セッコ・ブリーカー)》!!!!!」

「!!!!!」

 

泥が固まって圧縮し、哲郎の身体を押し潰した。



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#109 Wave magnum

「!!!!!」

「テ、テツロウ君!!!!!」

 

哲郎に絡みついていた泥が固まって圧縮し、哲郎の身体を押し潰した。

唯一見える顔からは穴という穴から血が吹き出す。

 

「ああ。 力みすぎちまったか?お前にも聞かなきゃいけない事があんだよ。

あの時俺は確かにお前をひっ捕らえて完璧に拘束して地下に連れてきた。そのお前がどうやって錠から逃れた!!?」

「…………………!!!!」

 

ワードの顔は笑っていたがその口調からは怒りが伝わってきた。

ミリアのような拉致監禁されていた女子生徒が逃れ出たのもガリウムが錠から逃れて自分達に反旗を翻しているのもエクスがここを突き止めたのも そもそもの原因は哲郎にある。

 

「だいぶ お前に好き勝手やられたが、お前からわけを聞き出してミゲルとお前を捉えればこの失態も不問になる!!

洗いざらい喋って貰うぜ!!!!」

「……………………!!!!」

 

「それから一つ気になることもある。

お前がエクスから受け取っていた物があったよな。それを何かしらの方法で隠し持っていた 違うか!!?」

『!!!!』

 

哲郎とミゲルはワードが自分達の作戦会議を見られていた事 そして虚を突かれて動揺を示した。

 

「………どうやら図星のようだな。

俺達が徹底的に調べたのにどうやって持ち込んだ!!?そいつを答えりゃそこから出してやるぜ!!!」

『……………!!!』

 

【適応】の能力を駆使した事まではバレていないが、それも時間の問題だった。

喋らずともこのままでは近かれ遠かれ二人とも意識を刈り取られてしまうだろう。

 

「………喋らねぇつもりならそれでも構わねぇぜ。こんなに良質な素体(・・・・・)を二つ持って帰ればそれもまた挽回には十分だろうからな。」

 

ワードは自信に見合うだけの絶対的な優位を取っていた。哲郎は全身を拘束され、ミゲルも首を掴まれて身動きと魔法の使用を封じられている。

 

 

「さぁ選べ二人とも!!

知ってることを全て話すかこのままラドラ様の傀儡になるかをな!!!!」

『…………………!!!!』

(ま、まずいぞ……………!!!

この泥に対する策を何とか出さないと 僕達二人とも………………!!!)

 

全身を圧迫されたダメージは既に適応していたが、拘束されて身動きが取れない。このままでは意識を奪われてラドラの魔の手に嵌ってしまう。

それを避けるにはこの状態から逃れる策を出す必要があった。

 

 

しかし哲郎は焦っていた。泥は水分を完全に抜かれて 魚人波掌の振動はほとんど伝わらないし、そもそもこの状態では攻撃を出すこともできない。

 

「まずは手の近いミゲル・マックイーン、お前から行くか!?」

「!!!!」

 

ワードはミゲルの首に巻き付けた泥の塊に魔力を込め、全力で締め付けた。

首筋付近の頸動脈を圧迫され、あっという間に意識を持っていかれそうになる

 

その最中、彼が聞いたのは『ビシッ』という何かにヒビが入る音だった。

 

(………………?? 何だ……??)

「!!!!? バ、バカな!!!!」

 

二人が視線を送ると、哲郎を拘束していた泥の塊がひび割れていた。

 

魚人波掌 (つくり)衝波響(しょうはきょう)》!!!!!

『!!!!?』

 

哲郎は固まった泥からの脱出に成功した。

 

(つくり)》とは、魚人波掌の衝撃を身体の動きを変えて全身から打ち出す魚人武術の高等技術である。

固まった泥には水分こそないが、内部には微細な亀裂が沢山入っている。

哲郎はそこに衝撃を流し込み、一気に破壊したのだ。

 

「!!!?」

 

ワードが呆気に取られ、気が付くとそこには既に哲郎の姿は無く、自分とミゲルの間まで急接近していた。

膝抜き (さざなみ)を使って一気に距離を詰めたのだ。

 

哲郎は身体を屈めて掌底を上に打ち出す体勢を取っていた。

上に陣取った敵に対して迎撃するための魚人武術の構え 《(うつぼ)の構え》だ。

 

《魚人波掌 鯉滝昇(りろうしょう)》!!!!!

『!!!!?』

 

全身のバネを使ってミゲルの首を締めている細長い泥の塊に渾身の掌底を叩き込んだ。

水分を沢山含んでいる泥から衝撃がワード自身へと伝わる。

 

瞬間的にそれを察したワードは泥から手を離した。次の瞬間には泥の塊は内部から破裂する。

 

(こ、このガキ なんて無茶苦茶しやがる!!!)

「!!!」

 

ミゲルが既に攻撃の構えに入っていた。

今 ワードの前方にある泥の塊と入れ替わって距離を詰める気なのだ。

接近するミゲルを捕まえようと泥の触手を展開する。

 

(甘いッ!!!)

「!!!!?」

 

泥の塊と入れ替わったのはミゲルではなく哲郎だった。 高身長のミゲルを捕えるつもりで伸ばした触手は哲郎の頭上の空を切る。

 

ゴッ!!!!! 「!!!!!」

 

哲郎が全身の筋肉を使ってワードの顎を蹴り上げた。



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#110 Shuffle rush

ワードは口から血を吹き出し、顔にかけていた小さな黒眼鏡はひび割れながら吹き飛んだ。

受身を取ることも出来ず背中から無防備に地面に倒せ伏す。

 

「…………………ッッ!!!」

 

すぐに意識を取り戻したが顎を蹴り上げられ脳が揺れ動き、立ち上がるのに時間が掛かる。その時間を哲郎は追撃ではなく体勢を立て直すことに使った。

 

「やりましたね ミゲルさん………!!」

「ああ。君が俺の考えに合わせてくれたお陰だ。」

 

ワードの攻防一体の泥の魔法の隙を突いて彼の心にも決定的なダメージを与える事が出来た 哲郎の蹴りは貴重な起死回生の一発だ。

 

「………甘いな ミゲル。」

『!?』

 

口から血を垂れ流し、脳にダメージを負いながらもワードは立ち上がり、不敵な笑みを浮かべた。

 

「俺がキレてるとでも思ったのか?エクスのNo.2とやってんだ。端から無傷で済むなんて思っちゃいねぇよ。

今の隙にトドメを刺さなかった お前らの負けだ!!!」

 

ワードの言葉が虚勢(ハッタリ)とは思えなかった。泥の魔法に絶対の自信は持っていたが、それと同時にミゲルの実力を認め、戦いに臨んでいるのだ。

 

「分かってるだろうが、もう同じ手は喰わねぇぜ。脳天にダメージは負ったが戦う分には問題ねぇ。また振り出しに戻っちまったって訳だ!!!」

『………………………!!!』

 

ワードの言ってる事に反論は出来なかった。

哲郎にもミゲルにも彼の難攻不落の泥の魔法を出し抜く策は浮かばなかった。

しかしそれでもやることは決まっていた。

 

『………行くぞ テツロウ君。動きは君に合わせる。

このチャンスを逃したら勝機は二度と訪れない。一気に畳み掛けるぞ!!!』

『はいっ!!!』

 

意気込みを話し終わった出鼻を突いて哲郎とミゲルは同時に駆け出した。

二人同時に懐に飛び込み、ワードに追い打ちをかける。

 

「ッ!!」

 

ワードも泥を鉤爪の付いた触手に変え、二人を迎撃する。

 

「そこだッ!!!」 「!!?」

 

ミゲルが魔法を発動し、ワードと哲郎の位置が入れ替わった。一瞬の隙を突いてミゲルがワードの顔面に拳を打ち込む。

泥のガードの上から吹き飛ぶが、その間にも意識を取り戻して追撃するミゲルに泥の鉤爪を振るう。

 

「!!!?」

 

ミゲルが立っていた場所に哲郎が居て、触手は哲郎の上空を掠めた。その触手を掴み、身体を捻って投げ飛ばす。

体勢を捻って顔面の直撃は免れたが、肩から地面に激突する。

 

(やっぱり接近戦ならこっちが上だ!!

今なら決まる!!!)

 

ワードがダメージを負って防御できないと踏んで、哲郎は一気に距離を詰めた。

両手を魚人波掌を打つ状態で構え、ワードの腹に狙いを定める。

 

「!!!! 止せ テツロウ君!!!!」

「えっ!!!?」

 

ミゲルはワードの口元が不気味に歪んだのを見逃さなかった。しかし 警告した時には既に距離は十分な程縮まっていた。

 

「もう遅せぇよ バカが!!!!」

「!!!!」

 

ワードは哲郎に向かって手を伸ばした。

その手首は泥状化し、不気味に蠢いている。

 

泥散弾(マッドショット)》!!!!!

「!!!!」

 

ワードの手から無数の泥の弾丸が発射された。かろうじて反応し、両腕を交差させて防御するが、その上から吹き飛ばされ、壁へと激突する。

 

「テ、テツロウ君!!!!」

「次はお前だ ミゲル!!!」 「!!!」

 

ミゲルに向かって先端に巨大な球体が付いた触手を繰り出す。反応が遅れて顎の先端を襲った。

脳が揺れ意識が薄れながらも思考はワードの追撃に集中していた。

 

ワードは隙を見せた自分に向かって止めを刺すために走ってくる。そのタイミングを狙って魔法を発動させ、追撃に備えようとした。

ミゲルの目にワードが地面を踏み込む光景が飛び込んできた。

 

(今だ!!!)

 

駆け出したワードと入れ替わり彼に隙を与える━━━━━━━━━━━━━

 

「!!!?」 「甘いぜ ミゲル!!!」

 

ミゲルが入れ替わったのはワードの眼前だった。彼は泥の触手を切り離し、自分と分離させたのだ。

自分の魔法をこの短時間で対策され、ミゲルは激しく動揺した。

 

「オラッ!!!!」 「!!!?」

 

ワードの回し蹴りがミゲルの脇腹を襲った。

そのまま吹き飛んで地面に叩きつけられる。

 

「………………!!!」

「もう分かったろ?お前の魔法の対策は既に完了してんだよ。でもま、接近戦じゃお前らが強えって事は充分分かった。」

 

ワードは意味深長にそう言いながら足元の地面を泥状化させた。

 

「………どうやらお前らを引っ捕らえるには、少し本気になった方が良さそうだな。」

『!!!』

 

ワードの周囲から無数の泥の触手が生え、二人に狙いを定めて不気味に蠢く。

 

「腹ァ括れよお前ら。

こっからはしんどくなるぜ?」

 

ワードは不敵に笑みを浮かべ、そう宣言した。



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#111 Shuffle rush 2

哲郎とミゲルの頭から一筋の汗が垂れた。ワードが言った『ここからはしんどくなる』という台詞が必要以上に信憑性を帯びていたからだ。

 

泥の触手は依然として哲郎とミゲルに狙いを定めて不気味に蠢いている。

捕まったら動きを奪われるだけでなく、乾かす事で骨を持っていかれるのは目に見えている。

 

「行くぜ!!!!」 『!!!』

 

泥の触手が数本物纏まって哲郎の方に向かって来た。その先端は哲郎の頭を包み込まんと口を開いている。

 

しかしそれでも 哲郎は冷静さを取り戻していた。たとえ頭を掴まれても【適応】があるし、それになにより ミゲルと協力してこの状況を打破する策を既に出していた。

 

「!?」 「テ、テツロウ君!?」

 

哲郎は襲ってくる触手に対し 掌底を撃つ体勢に入った。今自分に出来ることはミゲルが自分の動きに合わせてくれることを信じて迎撃する事だけだ。

 

魚人波掌 《引き潮》!!!!

「!!?」

 

触手の先端が身体に接触する寸前、渾身の掌底でそれを迎え撃った。

魔力と水分がたっぷりと詰まった状態で衝撃を撃ち込まれ、波がワードの方へと駆け巡る。

 

(二度も俺に同じ手を使うなんて ナメてやがる!!!)

 

攻撃の媒体と化した触手は切り離し、ミゲルが入れ替える事を警戒して距離をとる。

入れ替わった所を泥の槍で反撃する

 

 

「!!!!?」

 

ワードの視界に飛び込んできたのは哲郎の姿だった。それだけでは何も問題は無いが、彼が驚いたのはその距離が近すぎたからだ。

 

(入れ替わったのは俺の方か!!

俺が警戒してる間にミゲルがガキに近づいて入れ替わったのか!!)

 

後ろ(ミゲル)の方を気にしている余裕は無かった。目の前の少年に向かって拳を振るう━━━━━━━━━━━━━

 

ガッ!! 「!!?」

 

前に哲郎がワードの手首を掴んだ。

そして膝を肘に当て、身体を反らす。腕に痛みが走るが折るという意思は感じられなかった。

腕が折れるより先にワードの身体は宙を舞い、地面へ急降下する。

 

地面へ激突する前にワードは残った方の腕で着地をとった。

 

「!!??」 「まだです!!」

 

着地をとって尚、ワードの身体は哲郎に振り回される。ワードの腋を潜り、腕を曲げて肘の間接を固める。

 

「おあっ!!?」

 

掴んだ腕を引き落とし、ワードの身体は地面を転がった。泥で受身を取る暇もなく背中から地面へ激突し、表情が明らかに曇る。

激痛に耐えながらもすぐに立ち上がり、向かってくるであろう哲郎を迎え撃つ準備を取る━━━━━━━━━━━━━

 

 

「!!?」

 

その暇もなく、立ち上がった時には哲郎が腹に突進していた。

 

「こ、こいつ………!!」

(寝技に持ち込んでしまえば!!)

「!?」

 

倒れるより先にワードが哲郎のズボンの腰周りを掴み、身体を捻った。体勢が崩れて哲郎の身体は地面へと急降下する。

 

(このままマウント取ってやるぜ!!!)

「ミゲルさん!!!」 「!!?」

 

しまった と思った時には既にミゲルの魔法が発動していた。哲郎とワードの位置が入れ替わり、ワードの身体が地面に急降下する。

 

(あいつ、自分以外の者同士も入れ替えれるのか…………!!!)

 

地面への激突は泥でクッションを作る事で防御したが、哲郎の猛攻は止まらない。両足を掴まれ、四の字で固められ、関節を圧迫される。

 

「ッ!!!!」

 

自分の脚が折れそうになる最中にも攻撃の手は緩めない。寝る状態になった哲郎の顔に向かって泥の触手を飛ばす。

 

しかしワードの触手は空を切った。

すぐに自分がミゲルと入れ替わった事を理解し、後ろに向かって泥の弾丸を飛ばす。

後ろから接近していたミゲルは後ろに飛んで弾丸を回避する。

 

「…………………………!!!」

 

三人の間に相手の出方を伺う読み合いの時間が流れる。

『ここからはしんどくなる』と言っておきながらワードに対して優位を取れているという事実が哲郎の心を支えている。しかしそれでもミゲルの内心は穏やかではなかった。

 

『…………テツロウ君』 「!?」

『こっちを見るな!ヤツに気付かれては行けない!』

 

ワードに聞こえないほど小声でミゲルは哲郎に話しかけた。

 

『このまま一気に決めるぞ。

君も気付いているだろうが、ヤツは着実に私の魔法に慣れてきている。ヤツに対処法を見つけられたら勝てるものも勝てなくなる。

君に全て任せる。ヤツを確実に仕留めろ!!!』

『!!!』

 

哲郎はミゲルの言葉に心の中で頷いた。

その直後、ワードは口元を不気味に歪めた。

 

「……………ミゲル、」

『!?』

 

「残念なお知らせがあるぜ。

たった今見つけたぜ。お前の魔法に完璧に対処する方法をよ。」

『!!!!?』

 

ワードはまるで二人の会話を聞いた上で嘲るように二人にとって最悪の言葉を口にした。

次の瞬間には彼の身体から生えた幾つもの触手や弾丸が二人に向かって飛んできていた。



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#112 Shuffle rush 3

ワードの表情はその言葉が虚勢(ハッタリ)では無いとありありと物語っていた。

二人の間に『ワードの攻撃に警戒しなければならない』という共通の思考が流れる。

 

「ほら余所見すんな!!!」

『!!!』

 

ワードがそう叫んだ瞬間、泥の触手や弾丸が一斉に飛んできた。二人はそれを間一髪のところで躱す。

 

「ミゲルさん 気をつけて!!

次に掴まったら後がありませんよ!!!」

「!! 分かった!!」

 

ミゲルの位置を入れ替える魔法にワードが対応しているなら、次に泥の触手に掴まれたら負け筋が濃厚になる事は感覚で理解していた。

 

「バーカ やんのはテメェからだよ

ガキが!!!」 「!!?」

 

哲郎の視界に入ったのは泥状化した泥に片腕を突っ込んでいるワードの姿だった。

まさか と思った時には既に傍の泥状化した地面から出てきた腕に足首を掴まれ、地面に引きずり込まれる。

 

「テツロウ君!!!」

 

ワードが腕を引き出すと手に哲郎の足首が握られ、無防備な体勢の哲郎が一緒に出てきた。すかさず哲郎の腹に泥の触手の突きを叩き込む。

反応する暇もなく哲郎の身体は軽々と吹き飛んだ。

 

「どうだ!! こいつが俺の秘策 《泥瞬間移動(マデロテーション)》だ!!!」

 

自慢げにそう叫ぶ間にも間髪入れずに距離を詰め、反撃の隙を与えようとしない。

 

「今助けるぞ!!!」

(バーカ テメェのネタはもう上がってんだよ!)

 

ミゲルは窮地に陥った哲郎を助けるために魔法を発動させ、自分とワードの位置を入れ替えた。

 

「そこだッ!!!」 「!!!?」

 

位置が入れ替わった瞬間、胸と腹に泥の弾丸が直撃した。急所に直撃し、苦悶の表情が露になる。

 

(こいつ、私の動きを先読みした………!!!?)

「だから言ったろ!! お前の対処法を見つけたってよ!!!」

 

肉体の苦痛を奥底に封じ込め、ワードへの攻撃に全力を注ぐ。ワードの背後にある泥の一片と自分とを入れ替えた。

 

 

「次はこっちだ!!!」 「!!?」

 

入れ替わった瞬間、今度はワードの回し蹴りが襲いかかった。間一髪 反応して腕で受けるが、関節に鈍痛が走る。

 

「貴様………………!!!!」

「テメェの弱点は二つある。教えてやろうか?」

「何!!?」

 

ミゲルの心にワードの痛烈な言葉が突き刺さる。

 

「一つは、入れ替えた後、1秒か2秒の間待たねぇと次の魔法が使えねぇって事。

もう一つは動きが単調になって読まれやすいって事だ!!」

「!!!!」

「……どうやら図星のようだな?」

 

ミゲルの表情が歪んだのを見て自分の予感を確信に変えた事でワードの心に優越感が生まれた。

 

 

「━━━━━━━━━━━━━僕を忘れていませんか?」

「!」

 

ミゲルに集中していた隙をついて距離を詰めていた。そしてその構えはワードにとって不利な魚人波掌の構えではなく、腕を完全に弛緩させている。

 

蛸鞭拳(しょうべんけん)水蛸撃(みずだこう)ち》!!!!!

バチィン!!!!! 「!!!!!」

 

哲郎の渾身の平手打ちがワードの背中に直撃した。本来 連発する出来る特徴を捨て、一撃必殺に特化した攻撃だ。

 

(━━━━━━━これで………………)

「『これでアイズンみたいに無様にのたうち回れば面白い』ってとこか?」

「!!!!?」

「そいつをアイズンをぶっ倒すのに使ったのは失敗だったな!!!」 「!!!」

 

ワードの背中は泥を乾燥させた防壁に覆われていた。この状態では皮膚の神経を狙って攻撃する蛸鞭拳(しょうべんけん)は全く意味をなさない。

 

「テツロウ君 離れろ!!!!」

「!! はいっ!!!」

 

ミゲルの言葉に咄嗟に反応して、後ろに飛んで距離をとる。

 

「……そう来ると思ったぜ。」 「!?」

 

ワードの口元が歪んだと思った瞬間、後ろから何かが飛んでくる気配がした。

 

「うおっ!!!?」 「な、何!!?」

 

かろうじて後ろから飛んでくるそれを回避した。飛んできたものは回転しながらワードの手中に収まる。

哲郎はそれを見て驚いた。

 

それは、茶色の剣だった。

そして後ろを見ると、空中で泥の塊が静止している。

 

「こいつだけはレイザーと白黒つけるまで取っておきたかったんだがな。

まぁラドラ様をあそこまでビビらせたお礼に使ってやるよ!!」

「………………!!」

 

ワードは腕を振って泥の針を飛ばした。哲郎はそれを難なく躱す。

 

「!!?」

 

泥の針が哲郎の後ろで爆発した。そしてそれは先程 剣を飛ばした泥の塊と同じように空中で静止する。

 

「お楽しみはこっからだぜ!!」 「!?」

 

ワードは哲郎との距離を詰め、後ろの泥の塊に腕を突っ込んだ。引き抜くとその手には匕首程の長さの刃物が逆手に握られている。

それを強引に引き切って哲郎の胸を切りつける。

かろうじて後ろに飛んで回避するが避けきれず、胸に赤い線ができた。

 

これこそがワードの本当の奥の手

泥聖剣(ドロールカリバー)》なのだ。



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#113 The excalibur underground

ワードは両手に剣を構えたまま哲郎とミゲルにじりじりと近づいてくる。その表情からは慢心とは違う絶対的な自信が見て取れた。

彼の両手に握られた二つの茶色の剣こそが彼の強さの象徴であり、彼の努力の結晶なのだ。

 

「……………! おっと」 『?』

「こいつぁ邪魔だな!!!」

 

ワードのつま先から泥が鎌の刃のように伸び、その足による回し蹴りで周囲に飛んでいた泥を薙ぎ払った。これによってミゲルの魔法による動きはかなり制限された。

 

「!!!」

 

ミゲルはワードの口元が緩んだのを見逃さなかった。瞬間に背筋に寒気が走り、咄嗟に隠し持っていた泥の破片を二つ空中に投げる。

 

泥死神鎌(ドロード・シルック)》!!!!!

「!!!!」

 

ワードは足に遠心力を乗せて泥の刃を伸ばし、そのまま二人に向かって振りつけた。

かろうじて魔法の発動が間に合い、二人の身体は空中へと移動した。

 

「飛んで避けるたァ悪手だぜ ミゲル!!!」

 

まるで空中への回避を予測していたかのように二人に向かって剣を向け、その鋒か、泥の弾丸を大量に飛ばした。

弾道はミゲルの胸を狙っていたが、哲郎が手を伸ばしてミゲルを守る。

 

「ここは僕が!!!」

魚人武術 《滑川(なめりがわ)》!!!!

 

両手を巧みに操って泥の凶弾の軌道を全て変え、弾幕を凌いだ。それでも満足することはなく、追撃の準備に入る。

 

「ミゲルさん、僕を蹴って!!」

「! 分かった!!」

 

空中で互いの両足の裏を付けた体勢を取り、ミゲルが両足を全力で伸ばして哲郎をワードの方へと飛ばす。

下方向へと飛びながら、《カジキの構え》を取ってワードへと急接近する。

 

魚人波掌 《打たせ滝水》!!!!!

「!!!!」

 

哲郎の上空から放たれる渾身の掌底をワードは両腕を交差させて受け止めた。衝撃がワードの身体を伝って地面へと迸り、周囲の地面に亀裂が入る。

 

「………こいつがハンマーをぶっ倒した技か!!あまり大したことねぇな!!!」

「いいえ まだです!!!」 「!?」

 

「フンッ!!!!」 「うおっ!!!!?」

 

逆立ちした状態でワードの手首を両手で掴み、ワードを飛び越えて身体を捻り上半身を上にあげた。ワードの身体はそのまま上下が反転する。

 

「やああッッ!!!!」

「!!!!?」

 

ワードの身体は地面へと激突した。

泥のクッションこそ間に合ったが、対応する余裕も無く投げ飛ばされた。

 

「ふんっ!!!」 「ヂィッ!!!」

 

顔面への踏み蹴りを紙一重で躱し、ワードは二人と向かい合った。

その表情からは先程まであった余裕さは消え、息も上がっている。

 

(………よし!イライラしだしたし余裕も消えている!!このまま攻めれば━━━━━━━)

「俺がイラついてるって思ったか?」

「!!!?」

 

哲郎の思考を読んでいるかのようにワードは口元に笑みを浮かべて言った。

 

「笑わせんなよな。そっちにゃエクスの右腕(No.2)がいるんだぜ。端から無事で済むなんて思っちゃいねぇよ。

そして、ラドラ様の右腕(No.2)になるのはレイザーじゃねぇ この俺だ!!!!」

 

ワードは高らかにそう叫んだ。

その直後、彼の足元から大量の泥が溢れ出し、あっという間に周囲の床を埋め尽くす。

 

「テツロウ そしてミゲル

テメェらの実力にせめてもの敬意を表して、全力でぶっ倒してやるぜ!!!!!」

『!!!!』

 

床を埋め尽くす泥の上を滑り、二人に急接近してきた。

 

「まずはテメェだ ガキ!!!!」 「!!!」

 

哲郎の首元を狙って泥の刃を振るう。哲郎はその刃を後ろに飛んで回避しようとする

 

「!!!?」 「バカが ここはもう俺の独壇場だぜ!!!!」

 

哲郎の足首が浸かっていた泥が固まり、哲郎の自由を奪う。身体を反らせて刃は躱せたが、体勢は限界まで仰け反り、隙ができる。

その隙を狙って哲郎の心臓目掛けて刃を振り下ろす。

 

「ふんっ!!!!」 「!!?」

 

ミゲルがワードの脇腹を蹴り飛ばした。そのまま吹き飛び、集中が途切れた事で固まっていた泥も融解する。

両足が自由になった哲郎はすぐにこの泥の地面に対する策を思いついた。

 

魔界コロシアムの決勝戦で空中に浮くノアを見て思いついた技だ。

 

「…………テ、テツロウ君 それは……………!!!?」

「これは魔法じゃありませんが、僕の奥の手です。」

 

【飛べない状態】に【適応】する事で【空中に浮けるようにする】哲郎の技だ。

戦いの最中では思いつかなかったが、これほどワードの泥の床に最適な対抗策もそうそう無い。

 

「ミゲルさん、お願いがあります。」

「!?」

 

「僕が決着をつけますから、ミゲルさんは僕の援護をしてください!!」

「!

分かった!!」

 

ワードはミゲルに蹴られた脇腹を抑えて剣を構えている。最後のゴングが鳴る時は刻一刻と迫っていた。



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#114 Bradamante

「……………!!」

「ミゲルさん お願いです。僕に全てを賭けてください!!」

「………分かった。君に賭けよう。

エクス様の思いを託すぞ!!!!」

「はいっ!!!!」

 

ワードの固まった泥に両足を取られていたミゲルは哲郎に全てを任せて援護に専念するのが最適解だと結論づけた。

 

 

「………空を飛べるって噂 デマじゃなかったんだな。だがな、そんな小細工で俺の魔法を封じ込めたと思ったら大間違いだ!!!!」

「そんな事は百も承知の上ですよ。だからこそあなたを全力で倒すんです!!!」

「やれるもんならやってみろ!!! ハンマーやレイザーに勝ったくらいでテングになるな!!!!!」

 

ワードの足元から大量の泥の触手が襲いかかる。哲郎は空中を縦横無尽に旋回してその全てを正確に躱す。

 

「かかったな!!!」 「!!?」

 

背後から襲いかかった触手の一本が哲郎足首を掴んだ。 しかし哲郎にとってこの状況は既に経験している。

 

「ハッ!!!」 「!!!?」

 

ワードが引き寄せるより先に足を振り上げて触手を引っ張り踵が宙に浮く。

投げられるより先に触手を地面から切り離して難を逃れた。

 

「………………!!!」

 

十数本の泥の触手を身体の周りに展開して次の出方を伺う。今の攻防で目の前の少年がハンマーとレイザーを単独で倒したという信じ難い事実 そして下手に攻撃を仕掛ければカウンターが飛んでくるという事を確認した。

 

泥で両足の自由を奪ったミゲルに攻撃したいのは山々だったが、上空という圧倒的な有利状況に立っている哲郎に集中すべきだと考える。

 

(…………全く動こうとしない…………………。

僕が動くのを待っているのか?空中に浮いたのは良いけど僕は遠距離には弱いし 近づくしかない…………………………。)

(…………あのカウンターはモノホンだ。

下手に近づいて襲いかかろうもんなら真っ先にカウンターから組み立てられてやられるのがオチだ……………………。)

 

((だったら!!!))

 

(懐に飛び込んでこの掌底で一瞬で終わらせる!!!)

(飛び込んで来た所をカウンターを超えるカウンターでぶっ倒す!!!)

 

哲郎とワードはそれぞれ最後の作戦を纏めた。遂に最後のゴングが打ち鳴らされる。

 

「ハッ!!!!」 「!!!」

 

泥の触手の一本が細長い鋭利な触手へと変化し、横方向から襲いかかった。哲郎は軽く見切って触手を避けるが、触手が空中で固まった。

ワードはそれを足場にして滑りながら高速で哲郎に接近する。

 

(自分から向かってくるなんて!!!

 

!!?)

 

不意に足元に妙な気配を感じて足を引くと、さっきまでいた場所を両手に握られた剣とは違う斬撃が横切った。

 

(…………何だあれは!!)

(これも見切るかよ!!)

 

ワードの背中から何本もの泥の触手が生え、その先端に剣が握られていた。その全てが不気味に蠢きながら哲郎を狙っている。

 

「これでテメェのアドバンテージは無くなったぜ!!これこそがレイザーに勝つためにあみ出した俺の奥の手

泥之百連装聖剣(ドロールガリバー・ブラダマンテ)》だ!!!!!」

「………そっちから来てくれるとは感謝しますよ。これで思う存分戦える!!!」

 

宙に浮く哲郎の周囲にはワードの足場となる泥が大量に散布していた。この空間こそが決着をつける最後の舞台なのだ。

 

「行くぜ!!!!」 「!!!」

 

ワードは剣を空中に投げ、自由になった手を泥の内部に突き刺した。次の瞬間には哲郎の背後の泥からワードの手が伸びる。

襟首を狙って伸びる手を躱し、それと同時に降ってくる剣を蹴りで迎撃した。

 

握りを躱されたと見るやワードは再び両手に剣を構えて哲郎との距離を詰めた。公式戦を見た後にハンマーとの特訓で覚えたカウンターを狙われにくい場所から剣での攻撃を見舞う。

 

「……………!!!」

 

レイザーとの戦いで剣に慣れているが、ワードの剣は速さは劣る分手数で圧倒してくる。

一回でも攻撃を貰ったらそこから一気に攻め落とされそうな圧力を感じていた。

 

両足を拘束されているミゲルはその様子を一人 見守っていた。そして彼は二つの事を理解していた。

 

一つは哲郎が負けたら次にやられるのは自分であるという事。

そしてもう一つは自分が位置を入れ替える魔法を発動するのは哲郎が渾身の攻撃を繰り出すその瞬間のみであるという事だ。

 

とはいえ哲郎にワードの全てを任せた訳では無い。いざとなれば自分もいつでも先頭に加わる決意は固めていた。

 

(……ミゲルの入れ替え魔法がいつ飛んでくるか分からねぇ。だが、その入れ替わった瞬間にこの剣で胴を真っ二つにしてカタをつけてやるぜ!!!)

 

「!!?」

 

哲郎の足首に泥の触手が巻きついた。しかし投げようという意思は感じられない。

ワードの思惑はそれによって哲郎の動きを一瞬止める事だった。

 

「隙ありだ ガキが!!!!!」

「!!!」

 

哲郎の眼球を狙って鋒が襲いかかった。



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#115 Squirting Blaster

人間にとって最大の急所の一つ 【眼球】を狙った攻撃を上半身を限界まで反らせて躱す。

 

(! これでも入れ替えねぇのか?!)

 

ミゲルにとって哲郎はエクスのこれまでの作戦の全てを継ぐ人間であり、そして尚且つ自分が責任を持って守らなければならない存在である。そんな彼の身を庇って魔法を発動させると踏んでいたワードは突きを放った直後に後ろを警戒した。

 

「隙ありです!!!」

「!!!?」

 

ワードの伸ばした腕に哲郎が両足を絡ませて組み付いた。そして背中の筋肉を駆動させてワードの身体を宙に浮かせる。

 

「は、離せぇ!!!!」

 

空中で上下が反転した体勢で哲郎に向かって再び泥の剣を発射した。その鋒は哲郎の頬を掠め、顔に赤い筋を作る。

顔を切られた痛みに構うことなくワードを投げ落とした。空中で何度も回転しながら地面へと急降下する。

 

地面に激突する直前、地面を泥状化させて受け身を取った。

 

「……………あのガキ………………!!!

すぐにそっちに戻ってやるぜ!!!!」

「させん!!!!」 「!!!?」

 

ミゲルの声の方を向くと、彼が自分に向かって何かを投げていた。

 

(!!!? まさか!!!) 「!!!」

 

ワードに向かって投げた物がミゲルと入れ替わり、一気に距離が詰まった。

その距離を利用してワードの顎に懇親の蹴りを見舞う。

 

「ぐっ………………!!!!」

(ここまでだ!! もうお前に手番は回ってこないぞ!!!!)

 

咄嗟に顎を固めた泥で防御したが、それでも無視できないダメージが脳へと刻まれる。そしてミゲルをどう対処するかも問題だった。

下手に入れ替える対象を増やす泥の分身は彼には使えない。

 

「!!」

 

後方上空から哲郎も接近していた。今 ミゲルと哲郎の連撃に飲まれると一気に押し切られそうな予感がした。

 

(……!! しょうがねぇ!!)

泥聖剣(ドロールガリバー)》!!!

『!!?』

 

両手に持っていた二本に加えて背中から泥の触手に握られた剣を展開した。

 

泥塵旋風(ディルフィヴァーダ)》!!!!!

『!!!?』

 

両手と背中の触手に握った剣を一斉に振り上げて向かってくる哲郎とミゲルを迎撃した。

ミゲルは横に、哲郎は斜め上空へと吹き飛ぶ。

 

「そこだ!!!」 「!!?」

 

空中に足場として展開していた泥を哲郎の両手両足に絡ませ、水分を抜いて固定した。

 

「……………テメェは後だ。作戦変更だ。

まずはテメェだ ミゲル!!!!!」

「!!!!」

「入れ替わる必要もねぇくらい近づいてやるぜ!!!!」

 

両手に剣を構えてミゲルに接近する。ミゲルは限界まで近づいた瞬間に魔法を発動させて自分とワードの位置を入れ替えた。

 

「バレバレだよ!!!」 「!!!」

 

位置が入れ替わった瞬間、ワードの剣が横方向からミゲルに襲いかかった。ミゲルは身体を横方向に回転させて剣を躱す。

空いた距離を一瞬で詰めて四方八方から剣を振るう。

 

(………もう魔力が少ねぇ……………!!

このまま押し切らせて貰うぜ!!!)

 

最後の一撃を放つ為に手に魔法陣を展開した状態でミゲルの腹へと向けた。

 

泥刺突(ドレロ・フォスト)》!!!!

「!!!!?」

 

魔法陣から放たれた泥の触手の一撃がミゲルの鳩尾を襲った。伸びる触手に押されて吹き飛んで地面を転がる。

 

「………………!!!!」

「こいつで終わらせてやる!!!!!」

 

腹を抑えて立ち上がるミゲルに対してワードは最後の一撃を撃つ魔法陣を展開した。

 

「《泥之百連装聖剣(ドロールガリバー・ブラダマンテ)

聖剣大葬陣(フルーレ・エンハンブレ)》!!!!!」

「!!!!!」

 

魔法陣から大量の泥が刃となってミゲルへと襲いかかった。入れ替わった瞬間を狙って止めを刺すために剣を構える━━━━━━━━

 

 

「!!!!?」 「グッ……………………!!!!」

 

ワードの予想は外れ、ミゲルは入れ替わって逃れる事をしなかった。彼の身体には大量の刃が突き刺さり、大量の血が吹き出す。

 

「バ、バカな………………!!!」

「……………残念だったなワード・ウェドマンド………………………

お前を倒すのは俺じゃない。俺は【囮】だ……………!!!!」

「!!!!?

 

!!!!!」

 

足元に危険な気配を感じて見下ろすとそこには哲郎が身体を屈めていた。そしてその腕は掌底を発射する構えになっている。

 

(こ、こいつ、地面に置いた泥の破片とガキを入れ替えたのか………………!!!!?)

(ミゲルさん、あなたがくれたこのチャンスは無駄にはしません!!!!!)

 

「決めろ!!!! テツロウ君!!!!!

「はいっ!!!!!」

「!!!!!」

 

魚人波掌

岩礁瀑波(がんしょうばくは)》!!!!!

「!!!!!」

 

哲郎の全身の筋肉を使った渾身の掌底がワードの顎に直撃した。



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#116 Triumph

『お前は兄さんを見習ってひたすらに上を目指せ』

 

ワードが彼の父親から言い聞かされていた言葉である。

 

彼はその高い実力を遺憾無く発揮してパリム学園に入学し、そしてラドラ寮に入った。そこで彼は今まで出会ったことの無い【ライバル】と呼べる存在に出会う。

 

 

 

***

 

 

 

(【ライバル】なんて言葉は俺には一生縁のない物だと思ってた。

強いて言うなら兄貴 だがそれも正確には【目標】と呼ぶべきだ。 レイザーだ。

 

あいつに勝ってラドラ様の右腕になることが出来れば兄貴に追いつく事も夢じゃなくなると思ってた。そのためにアイツに勝ったっていうガキの首を持って帰ればレイザーも負けを認めてくれるだろうと そう思った。

 

それなのに━━━━━━━━━━━━━)

 

 

この戦いでミゲル(エクスの右腕)哲郎(レイザーに勝ったガキ)の二人を倒すことが出来れば自分の目標へと近づくことができると確信していた。しかし、考えが甘かった。

 

 

「!!!!!」

 

哲郎の渾身の掌底がワードの顎を一閃する。地面が脆く崩れ去って頭が重力に引っ張られる。

薄れゆく意識の中でワードは理解した。レイザーから白星を奪ったのは哲郎の強さではなく、その強い決意と覚悟なのだという事を。

 

ワードは地面に倒れ伏した。

ミゲルの自己犠牲の覚悟と哲郎のエクスの思いを継ぐという決意が身を結んだ運びだ。

 

「………………………………はーーーっっっ!!!!」

 

哲郎は口から息を吐いて地面に座り込んだ。

今まで練り固めていた緊張が解れ、足から力が抜けたのだ。

しかしいつまでも疲労に身を委ねてはいられない。疲れた身体に鞭を打って立ち上がると地下通路で拾った鎖を取り出してワードの両手と両足を縛った。

 

「…………テツロウ君…………………!!」

「! ミゲルさん………………!」

 

振り返るとミゲルの腰も抜けていた。

魔法を連発し、泥の刃を大量に受けた身体はとうに限界を迎えていた。

 

「…………君のおかげでラドラ達の一角を潰せた。心から礼を言うぞ……………。」

「気にする事はありませんよ。僕はただ一度受けた依頼を責任を持ってこなそうとしただけです。」

「……………そうか……………………。」

 

ミゲルは目を閉じてそう返した。

哲郎の謙虚さ そして冒険者としての心構えに感服した。

 

「………それからテツロウ君、 ひとつ頼みたい事があるんだ。

……見ての通り、俺はもう限界だ。子供の君に頼むのは本当に心苦しいが、」

「最後まで言う必要なんてありませんよ。

ラドラの陰謀は必ず僕が止めます。そしてこの学園の未来を守ってみせます!!」

 

ミゲルの目元から涙が零れた。目の前の少年に思いを託さなくてはならない心苦しさと不甲斐なさ、そしてこの少年になら確実に任せられるという安心感が込み上げてきた。

 

「とはいえ俺も寝てばかりいられないな。

ワードの身柄は俺が連行しよう。レイザーはどこにいる?」

「地下通路の壁が切られて穴が空いている場所があります。そこから出て少しした所に拘束してあります。」

「分かった。そいつも俺が連行する。」

 

レイザーが頷くと彼の懐の水晶が光った。

 

「はいもしもし ミゲルです。」

『ミゲルか 俺だ。

状況はどうなっている?』

「敵を、ラドラの手先のワード・ウェドマンドをたった今黙らせました。これからレイザー・マッハの身柄と一緒に連行します。

それから、テツロウ君に代わります。」

 

ミゲルは何も言わずに水晶を手渡した。

 

「……通話を代わりました 哲郎です。」

『テツロウ お前は大丈夫なのか?

拉致監禁されていた女子生徒たちは無事に保護した。そっちの状況はどうなっている?』

「……僕は大丈夫なんですが、ミゲルさんが負傷して戦える状態ではなくなりました。

それで提案なんですが、僕がラドラと1対1で戦うというのはどうでしょうか?」

「!

………勝算はあるのか?」

「……勝算はありませんが、少なくともチャンスは今しかないと思っています。

今ここで止めなければ必ずまずいことになるのは目に見えています。」

「………そうか。ならばお前に全てを託そう。必ず勝てとはいわない。だが、必ず無事に生きて帰れ!!」

「はいっ!!!」

 

哲郎はそれだけを伝えて通話を切った。

 

 

 

***

 

 

 

「…………ワードも敗れたか……………

期待していたんだが、まああの少年がそれ程だったという事だろうな。」

 

ラドラは地下のアジトで一人 そう呟いた。

 

「既にここに向かっているか………。

見せてもらおうか テツロウ・タナカ。魔王ノアが認めた(・・・・・・・・)その実力を。」

 

壁一面に並んだ人形がケタケタと不気味な笑い声を上げる中、ラドラの口元が微かに緩んだ。



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#117 The entruster

「……テツロウ君、健闘を祈るぞ。」

「はい。 ミゲルさんも気をつけてくださいね。」

 

負傷から歩ける程度にまで回復したミゲルは両手でワードを抱えて通路の反対側を歩いていく。その背中にワード そしてレイザーの身柄も任せられるという確信があった。

 

「………さて、僕も行くか……………。」

 

両手で軽く頬を叩いて己を鼓舞し、哲郎はミゲルと逆の方向へと歩く。疲労に【適応】できるこの身体のありがたさをひしひしと感じていた。

 

 

 

***

 

 

 

「たった今 ミゲルから連絡があった。

ワード・ウェドマンドを確保し、レイザー・マッハと一緒にここまで連行しに向かっている。そしてラドラとは テツロウが直接戦うと報告があった。」

 

自分の部屋でエクスはトムソンとエルコム そしてミリア達 女子生徒にそう伝えた。

 

「………テツロウさん、大丈夫なんでしょうか……………?」

「………………………」

 

哲郎に助け出された女子生徒達は彼の身の安全を心配する。不安が連鎖するようにざわつきが大きくなる中でエクスはかける言葉が見つからなかった。

 

「…………大丈夫かどうかは俺には分からない。 だが これだけは言える。

あいつは勝ったとしても負けたとしても全力でラドラに勝ちに行くだろう。俺はあいつの勝利に全てを賭けた。

 

だからお前達もあいつを信じてくれ。」

「寮長………………」

 

言葉を探して見つけ出したのは『くれ』という語尾で締め括られた懇願の言葉だった。

エクス自身もまた哲郎という年端も行かない少年に自分の思いを託さなくてはならない心苦しさに苛まれているのだ。

 

その苦しそうな表情を見て、ミリア達も哲郎に信じて待つ決意を固めた。

 

 

 

***

 

 

 

「…………この通路、あそこにそっくりだな………………。」

 

哲郎が歩いている通路はグスを尾行している時に見つけた隠された通路に瓜二つだったのだ。

 

 

「!」

 

通路を抜けるとそこは四角形の空間だった。

壁のそれぞれに通路が通されており、その全てが奥が暗闇に包まれるほど長い。

 

コツっ 「!!!?」

 

通路の奥から軽い足音が響き、哲郎は咄嗟に身構えた。

 

「………! テツロウさん!!」

「ファンさんに アリスさん!?

無事だったんですね!!」

 

「! テツロウ君じゃないか!!それにファン様も!!!」

「ガリウムさん!!」

 

左の通路からファンとアリス、右の通路からガリウムが姿を現した。四人共無事出会えた事は哲郎の心に喜び そして余裕を与えた。

 

 

 

***

 

 

 

「………そうか。ミゲルが負傷して離脱したのか………。」

「はい。ですが彼のおかげで彼らの一角を落とすことができたんですよ。」

「分かった。俺も追っ手は倒して部屋の中に拘束して置いてある。」

「分かりました。 それで、ファンさんとアリスさんも追っ手に勝ったんですか?」

 

「はい。彼女が力を解放してくれたおかげで勝つことができたんです。」

「力?」

「そうなんです アリスさんは風の妖精(エルフ)の血を持ってたんですよ!」

 

そして哲郎はアリスの口から彼女の血筋や風を操る魔法の事を聞く運びになった。

そして二人が勝利したという事実は同時にもう一つの事を示していた。

 

「僕がハンマーとレイザーを倒して、ミゲルさんと一緒にワードを倒した。

それでガリウムさんが一人、ファンさんとアリスさんが二人倒したということは、」

「そういうことだ。

残りの七本之牙(セブンズマギア)はラドラ・マリオネスただ一人という事だ。」

『……………………!!!』

 

指折りで数えた指の形が6を示し、この長い戦いが遂に佳境に差し掛かっている事を意味していた。

 

「………それで これはエクスさんに言ったことなんですが、 ラドラとは僕が一対一で戦おうと思うんです。」

『!!?』

 

三人共 一瞬驚きの反応を示したが、哲郎の真剣な表情で彼のエクスの思いを継ぐという固い決心を納得させられた。

 

「………ラドラはこの奥にいるんですよね。

皆さんはエクスさんの先に所に戻ってください。必ず無事に戻ります。」

 

「分かった。健闘を祈るぞ。」

「テツロウさん、必ず戻ってきてくださいね!」

「僕もお兄様の思いをテツロウさんに託します!」

「はい。 ありがとうございます!!」

 

三人に別れを告げて哲郎は残された通路の奥へと入って行った。

自分にはこんなに頼もしい仲間ができたが、この依頼は元々 ソロの冒険者として受けたものであり、自分自身の力で乗り越えると最初から決めていた。

 

 

 

***

 

 

 

ラドラは椅子に座って人形の頭を撫でていた。そうして待っていると、部屋の扉を叩く音が聞こえた。

 

「…………入り給え。」

「…………失礼します。」

 

ついに哲郎はラドラと相対した。

 

「まさか君のような少年に六人共倒されるとは思わなかったよ。手放しで褒めてあげたいくらいだ。」

「……僕一人の力で勝つことが出来たみたいな言い方は止めてもらいましょうか。

ここまで来ることが出来たのはミゲルさん達が支えてくれたおかげなんですよ。」

 

ラドラからの賞賛は最早 嫌味としか聞こえなかった。扉の閉まる音が最終戦の始まりを告げるゴングと化した。



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#118 The crazy marionettes

「………あの時(・・・)と違って素直じゃないな。この私が誰かを褒め称えるなんて滅多にないぞ。」

「………褒めるなら一緒に戦ってくれた彼らを褒めて下さいと言ってるんですよ。」

 

哲郎はラドラと正面から話したのは初めてだったが、この男がたくさんの生徒を拉致監禁し人形へと変えた。そしてグス達を唆していじめへと走らせたのもこの男だ。

気を許すつもりなど少しも無かった。

 

「……ところで、」 「?」

「そこの彼ら(・・)は一体なんですか?」

「ああ。これ(・・)の事か。」

 

哲郎は天井近くに括り付けられた大量の人形を指さした。人間を変えて作ったものであろう人形達をラドラはこれ(・・)と揶揄する。

 

「これは私の作品(・・)の一つさ。

魔法の才能もない劣等生達を私の元で友好活用できるようにしてあげたまでのこと。

勉強不足な君に一つ教えてあげよう。この世界の人間は二種類に分類される。

 

支配する側とされる側 そしてそのされる側も少なからず誰かを支配下に置く。それが世界の仕組みだ。

君のように仲間や友達を作りたいなら地元にでも帰って仲良くぼそぼそと暮らしていればいいんだよ。 ましてや冒険者になるなんてとんでもない。」

「…………………………」

 

ラドラの言葉は哲郎の信条を真っ向から否定するものだった。

 

「第一君に何の義理があるんだ。

君が受けた依頼はグスのいじめ問題を解決するものだった筈だ。そこまでしてエクスに協力する理由はなんだ?」

「依頼はまだ終わってませんよ。グスを止めたとしてもあなたは必ずこの学園に害をなすはずです。それでは依頼をこなした事にはならない。

ここであなたを止めて初めてこの依頼は完遂するんですよ!!」

「……ただの少年が一端の冒険者気取りか。

それと言っておくけど、私と戦いたいなら条件がある。」

 

ラドラは椅子に座ったまま指を鳴らした。

地面にいくつもの魔法陣が浮かび上がって、そこから地下通路で戦った二つ首の人形が現れる。

 

「私と戦いたいならこいつらを退けてここまで来ることだ。それが出来ないなら君もああなる。」

 

ラドラは天井の人形を指さして口元を緩めた。

 

「……その程度の足止めでどうにかなると思うんですか?僕はあなたの信頼するお仲間を三人倒したんですよ?」

「…………………」

 

二つ目の発言は本心ではなくラドラから冷静さを奪うためのものだったが、彼の表情は変わらなかった。

 

指を哲郎の方へと向け、人形の怪物を攻撃させる。人形は空高く飛び上がって上空から哲郎へと襲いかかる。

 

「……無駄だと言っているでしょう。」

「!?」

 

突進してくる怪物の懐に潜り込み、胸の中央を渾身の掌底突きで攻撃する。

人形の身体は少しの間震え、そして二人の人間へと姿を変える。

 

「もうこの手の人形とは何回も戦ってるんです。特性は見切りました。

この人形の心臓部分にはあなたの魔力が集中している。だからこの部分を攻撃すれば一発で人形化は解ける!!」

「…………………」

 

魔法の特性を破って見せてもなお、ラドラの表情はまるでこうなることを予測していたかのように冷静だった。

 

たった今変化を解いた人形とは別の人形の魔物が次々と襲いかかる。哲郎は人形の頭に手を添え、人形の背中を前転して足に力を込めた。

 

魚人歩行術 《水鉄砲(みずでっぽう)》!!!!

「!?」

 

人形の促進力を自分の方向に向け、爆発的な加速でラドラへと急接近する。蹴りの射程に入るや否や、哲郎はラドラの首筋に狙いを定めて足を振り上げた。

 

「……言うだけのことはあるな。

 

まぁ それ以上の感想なんてないが。」

「!!?」

 

哲郎の蹴りが直撃寸前で止まった。

目を凝らすと足、そして全身が細い糸で縛られている。

 

(操り人形の糸か!?)

「所詮 能力(・・)は使いようだよ。」

「うわっ!!?」

 

振り回される糸に操られ、哲郎の身体は宙を舞って再び元の位置まで飛ばされた。

体勢を立て直して着地するが、またラドラとの距離を詰めなければならなくなってしまった。

 

「………!!」

「『振り出しに戻った』なんて甘い事を考えてるんじゃないのか?」 「!?」

「そんな生易しいものじゃない。

君はもう『詰み(チェックメイト)に嵌っている』んだよ。」

 

いつの間にかラドラの右側に巨大な人形の腕が形成され、その掌に巨大な魔法陣が形成されていく。

 

哲郎はその魔法陣の形に見覚えがあった。

 

「ま、まさか……………………!!!!!」

「ああ。その通りだよ。

根源魔法 《皇之黒雷(ジオ・エルダ)》さ。」

 

ラドラの言葉の直後、魔法陣から黒い雷が束になって哲郎に襲いかかった。



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#119 Black lightning shooter

根源魔法 《皇之黒雷(ジオ・エルダ)

哲郎が魔界コロシアムの三回戦でレオルに食らった魔界公爵家に伝わる秘伝の奥義である。

 

それを何故 目の前にいるこの男が使えるのかを考えている余裕は無かった。 必死に身体を捻って目の前に飛んでくる黒い雷を避ける。

既にそれに【適応】している事は自分が一番よく理解していたが、そんな事を考える暇もなく身体は勝手に動いていた。

 

「…………………!!!!」

「……ほう。避けたか(・・・・)。」

 

哲郎がさっきまでいた所、即ち雷が直撃した場所が黒焦げに変色し、煙をもんもんと立てている。その事実がさらに哲郎の頭の中に拭いきれない恐怖を植え付けた。

 

「いつまでそっちを見ているつもりだ?」

「!!!

 

!!!!?」

 

ラドラの方に目をやって 哲郎はさらに驚愕した。 彼の隣にある人形の腕は黒焦げの木の棒に変色している。しかし魔法を打ったラドラの身体にはなんの異変も見られなかったのだ。

 

魔力の根源から力を借りて打ち出す根源魔法を使うと、使った者の身体も無事では済まない。

しかし今の彼の状態はその定義を真っ向から否定していた。

哲郎はすぐにその答えを導き出した。

 

(……人形の腕を使って打ったからか…………!!!)

「その顔、どうやら分かったようだね。

私は今 この腕を媒体にして魔法を放った。単純明快なからくりさ。

拳銃(・・)を使って弾丸を打っても身体には多少反動があるだけで大してダメージがないようにね。」

(? 拳銃??)

 

勝ち誇ったように手の内を淡々と語るラドラを哲郎は恐怖を隅に追いやって見つめる。

あの強力な魔法をどうにかしない限り彼と戦うことはおろか 彼に近づくことさえ叶わない。

 

「…………それから君は勘違いしているかもしれないが、」 「?」

「こんな人形の腕(陳腐な発射台)なら私は何本だって作れる。」

「!!!!?」

 

ラドラの周囲に先ほどと同じ巨大な腕がいくつも形成された。その全ての手の平に《皇之黒雷(ジオ・エルダ)》の魔法陣が浮かび上がっている。

 

「私の魔力をもってすればこれくらいの物を連発する事など造作もない。」

(冗談じゃない!!! あんなのが何発も飛んでくるなんて!!!!)

 

既に【適応】した魔法で死ぬ事は無いと考えていたが、それが何発も襲ってくれば押し切られる可能性は決して低くはない。少しでも意識を失おうものなら、待っているのはラドラの毒牙(人形化)だ。

 

かつてないほどの逆境に更なる追い討ちをかけるように黒の雷が塊になって哲郎に襲いかかる。

 

(………………!!!

こうなったらあれをやるしか!!)

「!!?」

 

哲郎は今までに使っていない構えを取った。

身体を半身に傾けて前の腕を自然に下ろし手の平は上を向けている。

 

(……………………………ここだ!!!!)

魚人武術 滑川(なめりがわ)

(せせらぎ)》!!!!!

「!!!?」

 

魔法の先端が眼前に迫った瞬間、腕を振り上げて魔法の起動を変える。雷は哲郎の寸前で折れ曲がり、後方へと飛んで行った。

 

「……………………!!!」

「既に経験した技に何度もかかる程 僕は弱くありませんよ!!! 何発撃たれようとも捌ききって見せます!!!!」

「………!!」

 

哲郎の精一杯の啖呵でラドラの表情に歪みが見えた。

 

(………熟練されたマーシャルアーツは魔法にも干渉できると聞いていたが、まさかそこまで達しているとはな……………。)

「……魔界公爵家の秘伝を模倣(・・)すれば勝てると思ったんだが、読みが違ったな。

折角 わざわざあの場所に足を運んで(・・・・・)魔法式を見させてもらったんだがな。」

 

「……魔界コロシアムを見ていたんですか。」

(あの魔法式を一目見ただけで覚えたのか!!?)

 

「もう僕にその魔法は効きません!!

今度こそあなたを━━━━━━━━━━━━

 

!!!!?」

 

ラドラとの距離を詰めようとした瞬間、哲郎の足首に激痛が走った。

 

(何だ!!? !!!!?)

 

足首に視線を送ると、そこに魔力の棒が突き刺さっていた。

 

(何をされたんだ!!? こんな事が人形の魔法で出来るのか!!!?)

「……私の手の内の一つを潰した程度でいい気になるとは 噂通りの天狗っぷりだな。」

「……………!!!」

 

激痛に耐えながらラドラの方に目をやると、懐から何かを取り出す所だった。

 

「根源魔法が私の奥の手だと何時言った?

そんな物は数ある攻撃手段の一つに過ぎない。君の次の対戦相手はこれだ。」

「…………………!!!」

 

ラドラの懐から取り出されたものはやはり()()だったが、それは()を糸で縛って《人の形》を象った物だった。

そしてその足首に針が突き刺さっていた。

 

「《藁人形》

これも立派な人形魔法の戦法の一つだ。」



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#120 Cursed straw doll

「わ、藁人形……………!!!?」

「何を驚いている?藁を編んで作った【人形】を使う事のどこがおかしい?

私が【藁人形】を使わないという保証がどこにあった?」

 

あまりに意外なラドラの武器に苦言を示したが、そんな事をした所で助けなどある筈もなかった。

 

「この中には君の髪の毛を仕込んである。さっき糸で君を拘束した時に拝借させて貰った。

魔力を込めたこの藁人形に人間の遺伝子を入れれば遠隔でダメージを与えることができる。

このように!」

「!!!」

 

ラドラが藁人形の腕を差し、哲郎の腕にも同様に魔力を練り固めて作られた針が突き刺さる。

 

「ちなみに親切で言っておくと、この藁人形の攻撃は私から離れれば離れる程効果が弱くなって、一定距離を置けば効かなくなる。」 「!!?」

「………さあ、それを聞いてどうする(・・・・・・・・・・)?」

「……………………!!!」

 

もちろんそれが罠であることは哲郎が一番よく分かっていた。しかし下手に近づいて隙を見せれば何が起きるか分かったものではない。

この状況を打開する方法はたった一つ

 

ラドラの考えている策の上を行くしか無かった。

 

 

哲郎は踵を返してラドラの反対側へと走りした。 足首と腕に突き刺さった魔力の針が消えたのを確認して振り返り、構えを取る。

 

(………やはりそれしか出来ないよな。)

 

哲郎は身体を半身に傾け、両手を後ろにやって隠し、ラドラと向き合った。

 

(多少 構えは違うが十中八九 《海鳴り》を撃つつもりだろう。その隙だらけになった所に《皇之黒雷(ジオ・エルダ)》をぶつけて隙を作ってやろう。)

 

背中(哲郎の死角)人形の腕(魔法の発射台)を作り、反撃の準備を固める。後は哲郎が攻撃してくるのを待つだけだ。

 

 

(来た!!)

 

哲郎が力強く地面を踏み込んで身体を捻る。そして攻撃を撃つ手の平が露になる。

 

「!!??」

 

哲郎の手の平は《魚人波掌》の形では無かった。その手は水滴に濡れていた(・・・・・)

 

(まさかあれ(・・)か!!!)

(もう対応は間に合いませんよ!!!)

「魚人武術 《水切り》!!!!!」 「!!!!」

 

手首の振りを駆使して手の平の水滴を刃に変えて撃ち出す。《海鳴り》よりも遥かに早い攻撃はそのままラドラの顔面へと急接近する。

 

「!!!!!」 「!!!?」

 

咄嗟に首を傾けて水圧の刃をやり過ごす。

水切りはラドラの頬を切りつけて後ろの柱にぶつかり、四散して消えた。

 

(あれを避けられた!!!?)

(……まさかハンマーの技を真似て来るとは!! しかしどこから水を━━━━━━━━━━━━

 

!!)

 

哲郎の傍に空の小さな瓶が転がっているのを見つけた。そして一つの結論に至る。

 

「あの地下通路の水か………………!!!」

「そうです。そしてこの瓶はミリアさんが渡してくれた物。この一撃の為に取っておいたんですよ!!!」

「……その一撃は不発に終わったようだが?」

 

「………彼女達の頑張りであなたに一矢報いることが出来たなら設け物ですよ。」

「…………………!!!!」

 

ラドラの眉間にほんの少しだが皺がよる。

今まで 人形の素体としてしか見てこなかった下級生達の団結が自分の頬に傷をつけた運びだ。

 

「……なるほど 確かにそうだ。

道理でレイザーもワードも勝てない筈だ。

テツロウ・タナカ 君のその強さと覚悟に敬意を表して、チャンス(・・・・)をあげよう。」

「?」

 

ラドラそう言ってが手を上げると、彼の周囲の人形の怪物が宙に浮いた。そしてその姿がどんどんと変わり、巨大な身体の一部分へと変わっていく。

 

「………………!!!?」

「私の人形魔法は一人の人間を複数の人形に変えることは出来ないが、逆に複数の人間を組み合わせて巨大な人形を作ることはできる。」

 

「…………………………!!!!!」

 

哲郎の目の前に現れたのは巨大な【くるみ割り人形】だった。たくさんの人形がくるみ割り人形の部品へと姿を変え、組み合わさって哲郎に立ちはだかる。

 

「こいつの顎にはくるみは勿論 人間の身体すら砕く破壊力がある。

ただし、こいつを退けることが出来たならその時は君と一対一で戦ってあげよう。」

「!?」

 

ラドラの予想外の提案に哲郎は一瞬 動揺を見せた。その隙をついてくるみ割り人形が哲郎に向かって拳を振り下ろす。

 

「!!!」

 

哲郎は人形の腕を飛び越えて肘を掴み、そして身体を捻った。狙いはくるみ割り人形の体勢を崩して投げ倒す あるいは腕を破壊する事。それが出来れば勝機を見いだせると考えての事だ。

 

「……無駄だよ。」 「!!!??」

 

しかし結果はそのどちらでも無かった。

人形の腕は肘の所で真っ二つに外れた(・・・)のだ。



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#121 Nutcracker

「…………………!?!?!」

 

哲郎の目に映った光景は『くるみ割り人形が倒れる』でも無く『くるみ割りの腕が折れる』でも無く『くるみ割り人形の腕の関節が外れる』結果だった。

 

「!!?」

 

哲郎が両腕で掴んでいる腕が強烈な力で引っ張られる。耐えきれずに手を離すと腕はくるみ割り人形の肘にくっ付いて元通りになった。

 

「……………!!!」

(……複数の人間を組み合わせてるから自由に分かれられるのか……………!!!)

 

ラドラは人形の怪物の一体をくるみ割り人形の部品に変えて、それを組み合わせて巨大な人形を組み立てた(・・・・・)

冷静に考えれば自由に分離できるのもさして不自然な話では無い。

 

 

「ッ!!?」

 

哲郎の足元に小さな火の玉が飛んで来た。

片足を上げて躱すと地面が焦げて煙が立ち上る。

 

「…………!!」

「なんだその顔は?私は戦わないと言ってないぞ?」

 

ラドラは哲郎に手を伸ばし、人差し指と中指を立てている。そしてその前に赤い紙を折って人の形を象った物が浮かんでいた。

 

「それは……………!!」

「知らないか? 【式神 《人形(ヒトガタ)》】というんだ。私の魔法で作った紙で作ることで効果を発揮する。

そしてこの裏には魔法陣が描かれていてね、魔力を流すだけで簡単に発動できる。これも立派な人形魔法の戦術だ。

 

君の技が魔法に干渉出来るといってもこの状況なら牽制にはなると思わないか?」

「……………!!」

 

相も変わらず自分の手の内を平気で話す余裕に不快感を覚えながらも哲郎の意識は別の方に集中していた。

 

(どこまであの人形魔法に能力が備わっているんだ!! これも魔法式を改造した結果なのか!!?)

 

ミゲルから聞いた話では攻撃力を持つ魔法の改造は至難の業である。しかしラドラはそれを体現して見せたのだ。

 

 

「ッ!!!」

 

哲郎を覆う影が動き、その方向に目をやるとくるみ割り人形が既に拳をあげて攻撃の体勢に入っている。

 

(上に跳んで避けたらそこを魔法弾で撃ち抜かれる!!)

 

哲郎は跳んで避ける選択肢を捨て両足で地面を踏み込んだ。そして両手を後ろに引き付けて《魚人波掌》を撃つ構えを取る。

 

(━━━━ここだ!!!!)

魚人波掌 《引き潮》!!!!!

 

人形の拳が直撃する瞬間を狙って渾身の掌底で迎撃する。自身の攻撃の衝撃を全て返されて人形の身体は仰け反り、片方の足が宙に浮く。

哲郎はその浮いた足首を飛んで掴み、ラドラの方へと身体を捻った。

 

ラドラの生みだした巨大な人形をそのまま武器に変えて振り下ろす。

 

「!!!?」

 

人形の背中が地面に激突する寸前で止まった。

巨大な人形が障害物になって見えないが、ラドラの方向から魔界コロシアムで何度も聞いた魔力が流れる音が聞こえる。

 

(障壁魔法も使えるのか!!)

 

ノアやエクスから聞かされた魔力を薄く練り固めて盾状の壁を作る技だ。ファンの《騎士之盾(イージス)》はこれの上位種なのだという。

 

「…お返しするよ。」 「!!?」

 

ラドラのいる方向から衝撃が爆発した。人形の身体は吹き飛び、哲郎もそれに連られて大きく吹き飛ぶ。

 

「……………!!!」

「……これを《引き潮》とでも呼べばいいかな?」

 

着地に失敗して尻を地面に付けている哲郎をラドラが見下ろす。彼の言う通り障壁魔法で《引き潮》を返された形だ。

 

「うおっ!!? !!!」

 

ラドラの攻撃は手を緩めず、横方向からくるみ割り人形が下段蹴りを見舞う。それを跳んで避けるとそこを狙ってラドラの式神を通した魔法弾が胸を襲う。

蹴りは避けたものの魔法弾の直撃を胸に貰い、地面に撃ち落とされた。

 

「…………!!!!」

「どうした? レイザーやワードと戦ってもうスタミナ切れか?まさかそんな子供じみた言い訳はしないだろうな?

冒険者(・・・)テツロウ・タナカ。」

「!!!!」

 

哲郎は今 冒険者になるために受けた依頼を完遂するためにラドラと戦っている。本来ならいじめの首謀者であるグスやアインズを叩きのめした時点で報酬は得られるはずだった。

自分は今 自分の意思でラドラと戦っているのだということを自分自身に再確認する。

 

「それとも、くるみ割り人形よりこういうのがお望みかな?」

「!!?」

 

天井から何かが降ってくる音が聞こえ、肩や腕に刺すような痛みが走る。その直後に哲郎の身体は釣り上げられて立たされた。

 

「君の事を甘く見ていた事を謝罪したい。君はあんな木偶人形(・・・・)になるべきじゃない。 私の《操り人形》にしてあげるよ。」

「……………!!!!!

馬鹿にしないで下さい!!!!!」

 

哲郎は久方ぶりに怒りを昂らせ、そのエネルギーを身体の振動へと変える。

 

「!?」

魚人波掌 (つくり)衝波響(しょうはきょう)》!!!!!

 

哲郎の全身から放たれた衝撃が細い糸へと駆け巡り、一気に崩壊させた。

 

(━━━━━━━━━!!

そうだ これだ!!!)

 

ラドラの指示を仰いでいないくるみ割り人形は棒立ちの状態にある。哲郎は目の端でそれを見て口角を軽く上げた。

この巨大なくるみ割り人形に対する策を思い付いた。



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#122 Nutcracker Breaker

操り人形の糸を破壊し、再びラドラと向かい合った哲郎の表情は勝ちを確信した側面が見て取れた。

 

「……忘れてないか? 君の敵はまだ(・・)私ではないぞ!!」

 

ラドラが振り上げた手に反応するように巨大なくるみ割り人形が哲郎の背後で手を振りあげた。そしてラドラは自分の足元で式神に魔力を込めている。

 

 

(どっちが先に来てもいい。とにかくあの人形の懐に潜り込む!!)

 

先に哲郎の足元に式神の火の玉が飛んで来る。それを跳んで避けると横から人形の腕が伸びて哲郎の身体を掴んだ。

 

(………余裕な表情を見せた割にあっさりと捕まったな━━━━━━━━━━━━━━

 

!!!)

 

ラドラの目の前ではくるみ割り人形が哲郎の身体をがっしりと握り締めている。誰の目から見ても哲郎が圧倒的に不利な状況だ。

しかしラドラは違和感に気付いた。人形の拳の下から哲郎の両拳(・・・・・)が見えているのだ。

 

「………引っかかりましたね。

フンッ!!!」 「!!!」

 

哲郎はくるみ割り人形の拳から両腕を引き抜いた。握りしめられた拳に腕二本分の隙間ができる。一瞬の隙を見逃さずに巨大な拳に両手を着いて下半身を抜く。

 

拳の上で逆立ちをして完全に脱出に成功した。そのまま身体を翻して人形の腕を背負って体勢を崩す。

 

(このまま素直に投げさせてくれるか あるいは……………)

(………!! 仕方あるまい!!!)

 

『ガコン』と大きな音がして人形の腕が肩から外れた。哲郎の肩には巨大な球体に繋がれた腕が乗っている。

しかしそれも哲郎の予想通りである。

空中で腕を投げ上げ、掌底を構える。

 

(もう何度も戦ってきたから見切っている。

魔力の中心はここだ!!!!)

 

肘に当たる球体に渾身の掌底を撃ち込む。壁に激突した腕は魔力の流れを乱されて変化が解け、元の人間に戻る。

 

 

「…………………!!!」

 

一瞬の内に人形の腕を潰されてラドラの表情に驚愕が見える。

しかし直ぐに追撃の体勢を取り、人形の左腕を哲郎に向かって振り上げる。

 

哲郎は空中を飛び上がって左手の攻撃を回避する。天井近くまで飛び上がり、人形の真上に立った。

 

くるみ割り人形は真上の哲郎に向かって左腕を伸ばす。哲郎はその手を人形の背中の方向に避け、両手で拳を掴む。

 

「フンッ!!!」 「!!?」

 

落下しながら人形の左腕を背中の方に引き下ろし、人形の体勢を崩す。ラドラは再び人形が倒れることより腕を捨てることを選択した。

再び人形の腕が外れ、哲郎の肩に乗る。

 

肘の球体に蹴りを放ち、地面に激突した腕は元の人間に戻った。

 

 

地面に着地した哲郎は両腕を失ったくるみ割り人形と向かい合った。

 

「………両腕を奪って勝ったつもりでいるようだが忘れていないか? それは《くるみ割り人形》だぞ!!!」

 

両腕を失って震えていた人形は膝をつき、哲郎に向かって口を開いた。

 

「………ようやくくるみ割り人形らしい事をしてきましたね。だけどそれが弱点なんですよ!!!!」

「!!!?」

 

哲郎は地面を蹴って《水鉄砲》を発動し、大きく開けた人形の口に飛び込んだ(・・・・・)

 

(やっぱり口の中は空洞だ!! この中でならいける!!!!)

 

人形は口を閉じた。

しかしくるみ割り人形の強靭な歯ではなく、その奥の空洞に入り込んでしまった。

 

(この中なら決まる!! 今度こそ終わりだ!!!)

魚人波掌 (つくり)

衝波響(しょうはきょう)》!!!!!

「!!!!?」

 

哲郎を飲み込んで勝ち誇るように佇んでいた人形は突如として震え出し、そして中心からバラバラになって崩壊した。

 

「………………!!!!!」

「あなたの用意した《試練》はちゃんとこなしましたよ。約束通り僕と戦って下さい!!」

 

くるみ割り人形の破片は地面に落ち、そして元の人間達へと戻る。その上空で哲郎はラドラの顔を見下ろす。

 

「まさかレイザーやワードだけでなくあの人形までも退けるとはな。

どうやらエクスより警戒しなればいけなかったのは君だったようだな。良いだろう。私の奥の手を見せてやろう!!!」

「!!!」

 

ラドラが指を鳴らすと、彼の上空に巨大な人形が展開された。先程のくるみ割り人形とは違い、細身で上半身のみで腕が長く伸びている。

 

「……君こそ約束通り私と戦いたいならこっちまで下りてきたらどうだ?」

「………………………」

 

ラドラの挑発とも思える言葉には反応せずに哲郎は地面に降り立って彼と相対した。

 

「こいつの名前は《狂乱踊子(テストレイア)》。これだけは使いたくなかったんだ。これを使うとしばらくの間深刻な筋肉痛(・・・・・・)に悩まされる。

なぜならッ!!!!」 「!!!??」

 

ラドラが《狂乱踊子(テストレイア)》と呼んだ人形の両手の指から糸が伸び、ラドラの肩や腕に突き刺さった。

 

 

「……まさか…………………!!!」

「そうだ。この《狂乱踊子(テストレイア)》は【私自身を人形にして操る】技だ!!!!」



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#123 Manipulate myself

『自分自身を人形にして操る』という今までのラドラの言動からは予想だにしなかった言葉が飛び出した。

 

「……さっきまで人を人形扱いしていたのにどういう心境の変化ですか?」

「だから使いたくなかったと言ったんだ。これは私の美学(・・・・)に反する技だからな。君がそれを使うに値する人間だったと言うわけだ。」

 

ラドラは肩や腕から糸を伸ばしたまま近づいてくる。構えてはいないがえも言えない緊張感が漂って来る。

 

「━━━フンッ!!!」 「!!?」

 

自分の脚の間合いに入った瞬間、ラドラの蹴りが哲郎を襲った。哲郎は左側から飛んできた蹴りを右方向に躱し、そのまま身体を捻って下半身を上にあげる。

 

(このまま蹴りで顎を撃ち抜く!!!)

 

ラドラの蹴りにカウンターを合わせて顎を蹴ればダメージを与える事は出来ると考えての行動だ。

 

「………………………甘い。」 「!!!?」

 

ラドラが身体を屈めて哲郎の蹴りは空を切った。空中で隙だらけになった哲郎の腹をラドラの拳が襲う。

哲郎の身体は軽々と壁際まで飛ばされた。

 

「………………………!?!!」

「いくら君が高度な技を持っていようとも、私は君の動きを客観的(・・・)に見る事が出来る。」

「!!?」

 

ラドラの目にサラやレイザーの魔眼とは違う奇妙な模様が浮かんでいた。それは彼の上空の人形の目に描かれている物と同じだった。

 

「その顔 どうやら分かったようだな。

この《狂乱踊子(テストレイア)》を発動している間、私の視界はあの人形の物となる。

君との戦いを上空から見ながら私自身を操って(・・・・・・・)戦う事が出来るのだ!!!」

 

ラドラの言葉で哲郎は既に一つの事実に気付いていた。今の彼に死角は無い。

即ち哲郎の攻撃手段であるカウンターやマーシャルアーツが通じにくくなったという事だ。

 

(………決勝戦(あの時)みたいだ。

だけど身体が人間のままならあれ(・・)が通じる筈だ!!!)

 

壁を蹴ってラドラの方へと走り出す。

 

「君の攻撃は無駄だと言ったつもりだったんだがな。」

「それはこれから分かりますよ!!!」

 

ラドラは向かってくる哲郎を迎撃するために拳を伸ばす。哲郎は飛び上がってラドラの腕に手をかけ上空を飛び、彼の後ろに回った。

 

「!!?」 「【人間】ならこれは効くでしょ!!?」

 

背後に回るや否やラドラの首に腕を回して全力で締め上げた。視界を人形に依存していようとも頸動脈()を締め上げれば意識を断ち切る事が出来る

 

「━━━━━━━━━意識を断ち切れるとでも考えていたんだろう?」

「!!!?」

 

ラドラの身体は背後に哲郎が組み付いていることで上の方に重心が寄っている。その状態を利用して体重を後ろに預けて飛んだ。哲郎の身体は重力に引っ張られ、頭が地面へと接近する。

 

仕方無しにラドラから離れ、地面への激突を避ける。攻撃を回避した哲郎の頭には既に【一つの最悪の可能性】が浮かんでいた。

 

「何故【視界】が人形に依存できるのに【呼吸器】が依存していないと考えた?

誤解の無いように言っておくと私の五感もダメージも全てあの人形の物だ。私を倒したければあの人形を破壊するしか方法はない!」

「!!!」

 

ラドラの言葉が偽りでない事は先のカウンターの蹴りと哲郎の絞め技が聞かなかった事で既に証明されている。そしてもう一つ、目の前の操り人形(ラドラ)には自分の技が通用しないという事も証明されてしまった。

 

「……ちなみに私が何故マーシャルアーツが魔法に劣ると考えていた(・・)か教えてやろう。この状態になった私にそれが通用しないからだ!!!」

「……………!!」

 

「まぁここにエクスがいたならば話は違っていたかもしれないがな。」

「!!!!!」

 

ワードに敵地に拉致された今が最大の好機であり、エクスが長年積上げてきた計画を引き継いで果たす責任があると自分に言い聞かせてきた。自分の意思で参戦したこの依頼の佳境に入ったラドラとの戦いに負けることは許されない。

 

「……エクスさんならいますよ。」 「何?」

「僕はエクスさんの意思を継いでここに立っているんです!! 僕の心の中で一緒に戦ってくれてるんですよ!!!」

「………だったらどの道私には勝てないな。」

「それはこれから分かりますよ!!!!」

 

悠々と佇むラドラに対し哲郎は恐怖心を精神の隅に追いやって魚人波掌を構えた。狙いはラドラの後ろの巨大な人形 ただ一つだ。

 

 

魚人波掌 《海鼓(うみつづみ)》!!!!!

「!!!」

 

哲郎の掌から放たれた衝撃波がラドラを操る人形へと一直線に襲いかかった。



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#124 The Unbreakable Marionette

空気中の《海鼓(うみつづみ)》の衝撃は肉眼では視認できないが、それを撃った哲郎にはその軌跡を確認することが出来た。

掌から放たれた衝撃波は細長い槍となってラドラの後ろの操り人形へと急接近する。

 

視界を人形に共有している(奪われている)ラドラの身体は振り向かないが、それでも哲郎の攻撃が弱くなる道理はなかった。

 

(急所に当たらなくてもいい! 手でも腕でも攻撃出来れば操り人形(ラドラ)の動きを妨げられる!!!)

 

 

「……………甘いな君は。 本当に甘い。」

「!!!?」

 

ラドラを操る人形の前方に糸を編み上げて盾が作られ、《海鼓(うみつづみ)》の槍を防いだ。

哲郎の頭の中ではっきりと勝機が崩れる音が響いた。

 

「…………………!!!!」

「なぜ私があの人形の秘密をペラペラと喋れたと思っている?それを知られた所で私が不利になる事は決してないからだ。」

 

今のラドラは巨大な人形に操られる哲郎との攻防を客観的に見る《操り人形》だ。そして彼を操る人形も哲郎の《海鼓(遠距離攻撃)》を容易く防いでみせた。

この状況で哲郎に出来ることは最早 一つしか無かった。

 

地面を全力で蹴ってラドラとの距離を詰める。

 

「このままあなたを通してあの人形を破壊する!!!!」

「それが出来ないと説明したつもりだったんだが?」

 

ラドラの言葉は耳に入れずに彼の顔面目掛けて左手の掌底を見舞う。ラドラはそれを顔色一つ変えずに右に流して哲郎の体勢を崩す。

崩れた体勢を逆に利用して身体を翻し、顎を狙って懇親の蹴りを見舞う。

ラドラはその蹴りを上半身を仰け反らせて躱した。

 

「それを待ってたんですよ!!!!」 「!!?」

 

哲郎は空中で身体を縦方向に回転させてラドラの上に陣取り、下方向に掌底を構えた。

 

「魚人波掌 《打たせ滝水》!!!!!」

「!!!」

 

ラドラの胸に哲郎の掌底が直撃した。そのまま全体重を乗せて地面へと激突させる。

 

 

━━━━━━━━━ピシッ 「!!」

 

哲郎が音のした方に視線を送るとラドラを操る人形の胸にほんの少しだけひびが入って欠け、破片が一つ崩れて落ちた。

 

(やっぱり ラドラを攻撃すればあの人形にダメージがあるぞ!!)

「…………何を嬉しそうな顔をしている?」

「!!」

 

人形にダメージがあった事を確認している哲郎目掛けてラドラの拳が下から襲う。哲郎はそれを半身で避けてその手首を掴み、体重を後ろにかけて腕を取って倒した。

 

「!!」

(この腕を奪えばあの人形の腕が動かなくなるかラドラの腕が動かなくなるか とにかく事態は好転するはずだ!!!)

 

今の哲郎には最早身体を傷付ける云々の問題を考慮している余裕はなかった。とにかく全力を尽くしてラドラの身体の動きを奪う事に専念する。

 

 

「!!?」

その直後、哲郎の背中に浮遊感(・・・)が走った。見てみるとラドラは腕に哲郎をしがみつけさせたまま立っている。凝視するとラドラの腕はもちろん 哲郎の身体も糸で吊り上げられていた。

その状況は完全に公式戦の時のアリスと同じだった。

 

(………だったら次は………………!!!)

「そうだ。」 「!!!」

 

人形に操られるラドラの腕は容易く哲郎の身体を振り回し、そして軽々と投げて見せた。

地面に激突するのを避けるためにラドラの手首を離し、空中で回転しながら体勢を立て直して着地を取る。

 

「!!!」 「終わらせて貰う!!!」

 

着地を取る時には既に哲郎とラドラとの距離が詰まっていた。そしてラドラは拳を握りしめた右腕を引いて哲郎に向けて構えている。

それこそが哲郎が待ち望んでいた好機だった。

 

眼前に飛んでくる拳を半身で避けてその手首を掴み、自分の方へ引き寄せる。

 

魚人波掌 《引き潮》!!!!!

「!!!」

 

前方に寄ってくるラドラの鳩尾を狙って渾身の掌底を放つ。人形の腹部を破壊せんばかりの衝撃を叩き込んだ

 

 

つもりだったが掌から伝わる手応えは今ひとつ足りなかった。

 

(!!? こ、これは……………………!!!)

 

哲郎は確かにラドラの手首を掴んで身体の自由を奪っていた。しかしラドラの上半身は宙に浮いて哲郎の掌底の衝撃を受け流している。そして彼の両脚も宙に浮かんでいた。

 

ラドラの上半身は糸につられていたのだ。

 

 

「!!」

 

攻撃が不発に終わって動揺している哲郎の鼻を狙ってラドラの蹴りが襲う。それを間一髪の所で躱して再び距離を取る。

 

「………君のその奇妙な攻撃 レイザーやワードには効いても今の私には全く効いていないぞ。

そもそも君の攻撃で受けるダメージなんて私の治癒魔法ですぐに回復できる程度しかない。」

「!!!」

 

哲郎が必死の思いで食らわせたラドラの後ろの巨大な人形のひび割れが即座に修復されていく。

 

(……………………!!!!

小技を重ねていても一向に埒が明かない!!

やっぱりあれ(・・)しかない!!!!)

 

哲郎は再び構えを取ってラドラと相対した。



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#125 The defect of perfect marionette

哲郎は次の攻撃で確実にラドラを倒してみせると決意を固めて構えを取った。それもラドラの目には今までと同じような構えに見えた。

 

「……一体何度言わせれば分かる?君では今の私にはどうやっても勝てないんだぞ?」

「そっちこそ何度も言わせないで下さい。

さっき言った筈ですよ。 それはこれから分かるとね!!!」

「…………だったらすぐに分からせてやろう。」

 

ラドラも痺れを切らし始め、人形に操られるがままに構えを取った。

地面を強く踏みしめて哲郎と向き合う。

 

最後の攻防の開始の準備が整い、二人の間にとてつもない緊張が走る。

 

先に仕掛けたのはラドラだった。足を振り上げる体勢のまま哲郎との距離を詰める。

哲郎は急接近するラドラを冷静に待ち構える。彼の蹴りが右と左のどちらから飛んでくるかを見極め、それに合わせて体勢を変える。

 

(左!!!!)

 

哲郎の予測通りにラドラの蹴りは左から飛んできた。それに合わせて右足で彼の蹴りを受ける。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」

「幼体の筋力でこの《狂乱人形(テストレイア)》の蹴りを受け止められると思うな!!!!」

(違う!! 僕は蹴りを受け止めたいんじゃない!!!)

 

哲郎は右足をラドラの蹴りと同じ方向に振り上げてラドラの蹴りを受け流した。そのまま身体を回転させて再びラドラの顎を狙って蹴りを放つ。その蹴りはあえなくラドラの右腕で受け止められた。

 

「!!」

「身体の動かし方は悪くないが遅い。」

(違う! それは囮だ!!)

 

ラドラの右腕に脚をつけたまま左脚もラドラの首の方へと回し、脚を交差させて右腕の自由を奪う。魔界コロシアムの初戦でゼースに使った拘束技だ。

 

「おりゃっ!!!」 「!!?」

 

哲郎は背中の筋肉を稼働させて下半身に連結しているラドラの身体を地面へと投げる。

 

(地面にぶつければあの人形の頭も割れるでしょう!!?

 

!!!?)

 

哲郎の想定とは裏腹にラドラの身体は地面に直撃する寸前で止まった。目を凝らすとラドラの身体から伸びている糸がぴんと張っているのが見えた。

 

(あんな細い糸で身体を支えている!!?

 

!!!!)

 

空中でうつ伏せの体勢の哲郎の背中をラドラの蹴りが襲った。地面に腹から激突し、全身を鈍痛が襲う。

 

「終わりだ。」 「!!!」

 

無防備になった哲郎の鳩尾に再びラドラの前蹴りが襲いかかる。哲郎は両腕を交差させて辛うじて受け止めた。

狂乱人形(テストレイア)》によって強化された脚力は哲郎の身体を軽々と蹴り飛ばす。地面を転がりながらも体勢を立て直して着地を取る。

 

「…………………!!」

「どうした? その腕が痛むのか?」 「!!」

 

ラドラの指摘は当たっていた。痛みにはすぐに【適応】したものの蹴り飛ばされた感覚が錯覚のように哲郎の腕にじわじわと走っている。

 

 

「………君は『これから分かる』とか何とか言っていたが満更間違いでは無かったようだな。

私の勝ちという結果がはっきりと見えた。」

「!!」

(………それは違う。僕は勝とうとして戦ってたんじゃない。

僕は探していただけだ。この技(・・・)を確実に叩き込むチャンスがどこにあるか探していただけなんだ。遂に見つけたぞ。

 

その人形になる魔法の弱点を!!!!)

 

 

「…………何だ? 一体何が嬉しくて笑っている(・・・・・)?」 「?!」

(……そうか。 いつの間にか笑ってたのか。

無理もないか。やっと勝機(・・)を見つけられたんだから。)

 

哲郎は己の中の喜びを押さえ込んで構えを取った。

 

「………何のつもりだ それは?」

「これであなたと決着をつけるということですよ!!」

「………………………………」

 

ラドラには哲郎が勝機を見出したことはまだばれていない。哲郎の残りの体力から見ても最初で最後のチャンスだ。

 

(………エクスさん。あなたが今まで練り上げてきたこの計画を僕が果たしてみせます!!!!!)

 

哲郎はなんの小細工をするでもなく全力で地面を蹴り飛ばしてラドラとの距離を詰める。

 

「………馬鹿正直に突っ込んで来て何の利点がある?」

 

ラドラはため息をつきたくなるような気分で拳を構えた。一直線に向かってくる少年如きに自分が出し抜かれる筈がないと考えていた。

 

(…………あの人形の距離と顎の傾き そしてラドラの身長から死角になる場所(・・・・・・・)は)

「ここだ!!!!!」 「!!!!?」

 

哲郎はラドラを操る人形の死角になる場所で地面を踏み込み、膝抜き 《(さざなみ)》を発動してラドラとの距離を一気に詰めた。

そして哲郎の右手には黄金に輝く光が握られている。

 

「何だと━━━━━━━━━━━━!!!!?」

「これで終わりです!!!!!

《リベンジ・ザ・アダプト》!!!!!」

「!!!!!」

 

エクスとの手合わせから受け続けたハンマーの魚人武術 レイザーの剣 そしてワードの泥の魔法による猛攻

そのダメージを全て乗せてラドラの腹に全力で叩き込んだ。



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#126 The Overture of catastrophe Part1 ~Face of Fake~

ドカァン!!!!! 「!!!!!」

 

けたたましい音を立ててラドラの身体は反対側の壁へと激突した。それを確認すると哲郎はたまらず膝を付いた。

今の攻撃で自分の中の体力を全て使い果たしてしまった。

 

(…………お願いだ もう終わってくれ……………………!!!!)

 

息を切らしながらぼやける視界で目の前の土煙の中に期待するのは敗北したラドラの姿 ただ一つだ。

 

 

「………!!!!」

 

しかし哲郎の眼は土煙の中に人影が揺らぐのを確認した。その瞬間に自分の事実上の敗北が決定した。

 

(…………ここまで来たのにダメなのか……………!!!!!)

 

哲郎は地面を拳で打ちたい衝動に駆られた。

そんな彼を見下ろすかのように土煙の中の人影(・・)が口を開く。

 

「━━━━━━━━━あーあ、これ(・・) 結構お気に入り(・・・・・)だったんだけどなー。」

「!!!!?」

 

 

土煙の中から聞こえてきたのはラドラとは違う少女の声(・・・・)だった。

 

「まー とりやえずおめでとう。マキム・ナーダ君。君の勝ちだよ。」

「………………!?!?!」

 

土煙の中から出てきたのはラドラではなく哲郎と同年代の派手な格好をした少女だった。

金髪を頭の上で二つに結わえ、左目に眼帯を付け、身の丈程の巨大な傘を手に持っている。

 

そして最も異様だったのはもう一方の手にラドラの生首(・・・・・・)を持っている事だった。

 

「『あれ? 何こいつ? 何でラドラの生首持ってんの?』って顔してるね?」

「…………………………?!!!」

 

哲郎は目の前で起こっている異様な光景に圧倒されていた。しかし冷静さを取り戻して一つの違和感(・・・・・・)に気が付く。

 

「…………そういう事ですか…………………。」

「アレ? もう分かっちゃった?」

「ええ。あなたが手に持ってるその首から全く血が出ていない!つまり、それは精巧に作られた人形であなたがそれに入って《ラドラ・マリオネス》という全くの架空の人物をでっち上げてこの学園に悪さをしようとしていたと言う事でしょう!!!?」

 

体力が回復せず、未だに立ち上がれない中で哲郎は辛うじての啖呵を切った。目の前の少女はそれを涼しい顔で聞いている。

 

「んー ちょっと違うね〜

65点ってとこかなー?」 「?」

「ラドラはね、ちゃんと実在する人間だよ?ボクがそいつに成り代わってたの!」「???」

 

目の前の少女の話を聞けば聞くほど頭の中が混乱する。てんで少女の言葉の真意が掴めない。

 

「あーあ、後ちょっとでこの学校の連中全員人形に変えてあの人(・・・)に使ってもらおうと思ってたのになー。」

 

ラドラ(の人形)の生首を地面に転がして頭の後ろで手を組みながらわざとらしく残念がる。その様子すら哲郎の事を嘲ているように見えた。

 

その事を隅にやって少女から手掛かりを引き出す為に口を開く。

 

「………ラドラは、本物の《ラドラ・マリオネス》は何処です……………!!?」

「あー、あいつなら【封印】させて貰ってるよー?」 「!!」

 

悪びれる様子もなく平然と呟いた。

 

「心配しなくてもボクの正体なら教えてあげるよ!だからちゃんと話を聞く姿勢を取ってね?」

「?

 

!!!??」

 

少女の言葉の意味が分からずにいると哲郎の身体は後ろから強烈な力で引っ張られた。

 

(………………!!!

これは糸か……………!!!)

 

ダンッ!!! 「ガハッ」

 

糸に引っ張られていると気づいた時には既に反対側の壁まで引っ張られ、そのまま磔になった。

 

首と両腕に糸が掛けられているのが危険だと理解した哲郎は逃れようと必死にもがく。しかしそれでも糸が緩むことは無かった。

そこに少女が歩を進める。

 

「そんなに慌てなくても大丈夫だよ?別に今の君をどうこうするつもりなんて無いよ?

言ったでしょ? ボクの正体を教えてあげるって。」

「そんな言葉を信用するとでも思ってるんですか!!!?」

「なーんだ 案外捻くれてるねー。」

 

哲郎に向かって少女は煽るような視線を送る。

 

「じゃあさ、一つ質問に答えてよ!」

「???」

 

「ボクの人形魔法さ、【魔法】にしては()()()()()()()()()と思わなかった?

()()()()()。」

「………………………………………………………………?

 

!!!!! ま、まさか……………………!!!!!」

 

哲郎の頭の中に一つの可能性が浮かんだ。

人形化に藁人形、くるみ割り人形に式神の人形(ヒトガタ)、そして極めつけには自分を操り人形に変える奥の手まで使って来た。

 

哲郎はその全てをワードのように魔法式を改造した魔法だと結論付けていた。

しかしそうでないなら残された可能性は一つしかない。

 

「分かったみたいだね? ()()()()君?

そ! ボクの名前は《姫塚(ひめづか)里香(りか)》。君と同じ【転生者】だよ!」



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#127 The Overture of catastrophe Part2 ~Fact of Fake~

目の前の姫塚(ひめづか) 里香(りか)と名乗ったこの少女は自分を【転生者】と宣言した。しかしそれを疑う事は出来なかった。

先程までの魔法とは思えないほどの戦闘法の多さがそれを証明している。

 

「あれ? その顔は『何で僕も転生者だって知ってるんだ』って顔だね?

じゃあ逆に聞くけどさ、そもそも何でノアは君が転生者(・・・・・)だと分かった(・・・・・・)んだと思う?」 「!!?」

 

その言葉で思い出すのは魔界コロシアムの決勝戦での出来事。

対戦相手のノアは哲郎が転生者だと簡単に見抜いてみせた。哲郎は単純に彼にその能力があると根拠も無く結論づけていた。

 

「………何かちゃんとした理由があるって言うんですか……………!?」

「ちょっとちょっと! 少しくらいは考えないと勉強にならないよ〜?」 「!!!」

 

哲郎の四肢の自由が封じられているのをいい事に里香は至近距離で煽り立てる。

 

「まぁボクは親切だから教えてあげるよ。

それは【転生者には転生者を見抜く】能力が備わってるからだよ!」 「!!??」

 

一瞬 突拍子も無いことを言われて驚いたがすぐに意識を里香の方へと向ける。

 

「…………でたらめを言うのは止めてください。」

「?」

「すぐにバレるような嘘をつくなと言ってるんですよ!!!!」

 

人を食ったような里香の言動に怒りが臨界点を超え、怒鳴り声を上げてしまう。

 

「え〜? 何でそう思うの?」

「僕はそんな経験一度もした事ありませんよ!!!

今だってあなたからは何一つ感じない!!」

「君こそ何言ってるの? そんなの当たり前じゃん。」 「?!」

 

里香は哲郎の言っている事が分からないというような表情を浮かべた。

 

「まぁ君が異世界(ここ)に来て少ししか経ってないってのもあるけどさ、君達は【不完全な転生者】だもん。」

「??!!」

 

哲郎の表情が更なる疑念に染まった。【不完全】という言葉の意味が掴めない。

 

「じゃあ聞くけど君、死んでないのに(・・・・・・・)転生してきてるじゃん?」「!!!」

 

哲郎の記憶が正しければ自分は列車事故から救われて(・・・・)このラグナロクにやって来た。哲郎自身 【異世界転生】という物にそこまで詳しくはないが、友達が熱弁してくれるその手の主人公達は例外なく《一度死んでいた》。

しかし今の哲郎は死んでおらず容姿も記憶も年齢もそのままに【適応】の能力を持ってこのラグナロクに来ている。

 

今考えてみればそれは明らかにおかしい事だ。

哲郎は一命を取り留めたことが嬉しくてその事に今まで意識を向けてこなかったのだ。

 

(………何で気が付かなかったんだ………………!!)

「やっと分かった? それはね、君の【死んでいないこと】と【容姿記憶年齢が前世のまま】って点が不完全だからなんだよ。」

「………………………!!!」

 

里香の言葉の一つ一つに圧倒されていた。そして同時に何故敵であるはずの彼女がこんな事を教えてくれるのかという疑問も抱いていた。

少なくともラドラという無関係の人間を巻き込んでまで人間を無差別に人形に変えるような人間が善人である筈がない。

 

「あ、それから何でわざわざこんな事を教えてくれるのかも教えてあげるね!

ボクもよく説明されて無いんだけど、『どうせすぐにバレるしバレても問題ない』って言ってたよ!」

(……………!!!

この人のバックに更に誰が居るというのか!!!)

 

哲郎はそこまで考えてから更に里香の発言に違和感があった事に気付いた。

 

「待って下さい!」 「ん?」

「先程 君()と仰いましたね!という事は━━━━━━━━━━━━━」

「ん? あー、ノア?

あいつはね、【自分の意思で転生した】ってのと【ラグナロクで死んでラグナロクにもう一回生まれ変わった】ってのが不完全なんだって。」

「だけど彼は僕が転生者だって事を見抜いたんですよ!?」

「それはあいつが単純に転生してから年月経ったからだよ。君にも遅かれ早かれその力がつくよ。」

「そうですか………………。」

 

「あれ? 聞きたいのはそれだけ(・・・・)?」 「!!!?」

 

安堵の息を漏らしそうになった哲郎に更なる追い討ちが襲った。里香の『それだけ』という言葉は【哲郎とノア以外に転生者がいる】という事を意味していた。

 

「なーんだ。てっきりもうとっくに気付いてると思ってた。」

「一体誰なんですか その転生者は…………!!」

「んー 別にヤダって断っても良いんだけど君はボクに勝ってるからねー。

分かった!特別に教えてあげる!」

「…………………」

 

教えてくれるのが素直にありがたい反面、恩着せがましい態度が少しだけ鼻についた。

 

「エクスだよ! 君が必死に恩返ししようとしてたあいつも転生者だったの!

 

ってあれ?あまり驚かないんだね。」

「……ええ。 何となくそんな気はしてました。

わざわざ聞いたのは早くその確信が得たかったからですよ。たとえ断られても自分で確認を取るつもりでした。」

「もー! そんな事言わないでよー!

じゃあさ、もう一つ耳寄りな情報教えたげよっか?」 「?」

 

「あー! やっぱりその顔 気づいてなかったんだねー!

ノアとエクスはね、君に自分達がお友達だったって事を隠してた(・・・・)んだよ!」

「??!!!」

 

哲郎に最後にして最大の衝撃が襲った。



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#128 The Overture of catastrophe Part3 ~Friends of Fake~

ノアとエクスが友人同士である事を哲郎に隠していた(・・・・・)と里香は哲郎に言った。

 

「………………………!!!」

「あれ? ボクの言ってる事がそんなに信じられない? それこそ後で本人に確認すればいいんじゃないの?」

「!!」

 

里香は哲郎に向かって煽り立てる視線を送る。

 

「…………言われなくてもそのつもりですよ。」

「あーそ〜?」

 

精一杯の虚勢を張るが哲郎の頭の中は動揺で埋め尽くされていた。今考えれば哲郎が最後にノアと接触したのはエクスに出会うより前の事だ。

初めてエクスと会った時に彼は『全てを知っている』と言った。今になってなぜその理由をしっかり聞かなかったのか自分に問い質したくなる。

あれがノアから自分が学園に潜入する事を知らされて自分を見て転生者だと見抜いたからだとすれば全てに辻褄が合う。そもそもマキムに変装する術を与えてくれたのは他でもないノアだ。

 

思考を巡らせれば巡らせるほど表情が猜疑心に染まっていく。

 

「あれ? どうしたのその表情()

もしかして転生者の事もよく知らないのに『巨悪を倒す』とかイキっちゃってたの?」

「!!!!?」

(な、何であの事(・・・)まで知っているんだ!!!!?)

 

他でもない哲郎がラグナロクに行く前の事

自分を事故から救ってくれた女性は『ラグナロクで人知れず暗躍している巨悪』の存在を話した。そして哲郎の最大の目的はその巨悪を倒して元の世界に帰る事だ。

 

(ま、まさかさっき言っていたあの人(・・・)って……………!!!)

「それとさ、もうどうせすぐにバレる事だし教えてあげよっか? ボク達はね

 

!」 「?」

 

哲郎に話しかける途中で里香は突然 背中を見せた。そして懐から水晶を取り出す。

 

「…………………はいはい。

…………え? 喋りすぎだって? はい スミマセン。

…………はい 分かりました。すぐに向かいますね。」

 

里香は水晶を懐にしまって哲郎の方を向いた。

 

「あー ごめんねー。

すぐに戻って来いって怒られちゃって これから戻らないといけないんだー。」 「!!」

「心配しなくてもその糸なら解いてあげるよ。そもそもその糸はボクから離れすぎると勝手に消えちゃうからさ。」

「…………………。」

 

ひとまず拘束が外れることに一安心し、そして彼女の言っている事がどこまで本当なのか思考を巡らせる。

 

「あ、それから哲郎君。

ボクに勝てたご褒美にいい物をあげるね! あの中に入れといたからさ!」

「?」

 

後ろのラドラの生首を指さして言うと里香は後ろに手を伸ばし、魔法陣のようなものを展開した。そこに足を突っ込むと里香の半身が見えなくなる。

 

「それじゃ哲郎君 ボクはこれで帰らせてもらうね。出口はあそこにあるからエクスやあの七本之牙(バカ達)に宜しく言っといてね!」

「………………………!!!」

 

終始 人を食った言動が鼻についたが今の哲郎が彼女を引き止めて得をすることは何も無い。

里香の姿が魔法陣に消え、その魔法陣も消えると哲郎を縛っていた糸が消え自由の身になる。

 

頭の中が謎や疑念で埋め尽くされていたが今出来ることは一つしかない。彼女が自分に残していったラドラの生首に入れられた《ご褒美》を手に取る。それが罠である可能性も十分に考慮して慎重に手を伸ばす。

 

「……………これは……………………!!!」

 

生首の空洞に入っていたのは里香がラドラの人形を抱えた自撮り写真と《N:46.957》と《E:55.263》という奇妙な数字が書かれた紙だった。

 

 

 

***

 

 

 

(………僕への挑戦状なのか? 正体がバレても問題ないというのは本当みたいだな……………………。)

 

これをどう捉えて良いのかは分からないが、とりあえず危険な物では無かったと胸をなでおろし、里香が指し示した出口へと歩を進める。

これも罠である可能性があったが、哲郎に残された道はそれしか無かった。

 

「!」

 

何も無い壁に手を当てると先程と同じ魔法陣のような物が展開され、腕がスルスルと入っていく。そのまま全身を入れると広い通路へと出た。

そして哲郎の目に入ってきたのは地面に置かれた水晶 そして傍に置かれた紙だった。そこには『おめでとう エクスに迎えに来て貰ってね!』 と記されてあった。 慎重に手に取ってエクスを呼び出す。

 

 

「…………もしもし。」

『その声はテツロウか!? ラドラはどうなった!!?』

「……ひとまず安心してください。彼には何とか勝ちました。部屋の中で人形にされた人達も無事に保護しています。」

『……そうか。よくやってくれた。

お前なら出来ると信じていたぞ。 ならラドラの身柄を持って戻って来い。』

「…………………すみませんが ラドラの身柄(・・)はありません。」 『?』

 

「ラドラはラドラでは無かったんです(・・・・・・・)。」

『何だと!!!? 一体どういうことだ!!!?』

「詳しい事はそっちに戻ってから話します。それから僕の力ではそっちに戻れそうにないのでこの水晶の反応をたどって迎えを出して欲しいんですが」

『わ、分かった すぐに手配する。』

「それから一つお願いしたい事があるんです。」 『?』

 

「僕とエクスさんと あと水晶からノアさんを呼び出して話したい事があるんです。僕の質問に正直に答えて下さい。」



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#129 The Overture of catastrophe Part4 ~Faith of Fake~

『……質問に答える?』

「言葉の通りです。僕の質問に嘘偽り無く答えて下さい。」

『………分かった。とりあえずそっちに迎えを送る。』

「お願いします。」

 

言葉の中に『何の事か分からない』と言っているのが手に取るように分かった。エクスはまだバレていない(・・・・・・・・)と考えている。それがあまりに気味悪く、そしてそもそも何の為に隠していたのかも分からない。

 

迎えを頼んだ後の哲郎の頭の中では里香の言葉から得られたあまりある程の謎が渦巻いていた。その場に座り込んでこのラグナロクに来てから得られた情報を頭の中で必死に整理し取っ掛りを掴もうと苦闘する。

 

 

「テツロウさん!」 「!」

 

座り込んでしばらく思考をめぐらせていると通路の奥から一人の男が走って来た。

 

「遅くなって申し訳ありません。エクス様のご命令でお迎えに上がりました。」

「こちらこそわざわざお手数を掛けさせてすみません。それでここから屋敷まではどれくらいかかりますか?」

「幸いにもこの通路を真っ直ぐに進めば地下水路から屋敷に出られます。 さぁ行きましょう。」

「分かりました。」

 

本来なら勝利を祝う帰路の筈だが心做しか足取りが重く感じられた。ノアやエクスが自分に何を隠しているのか気が気では無かった。

 

 

 

***

 

 

 

「テツロウさん!!!!」

「ラドラに勝ったんですね!?」

「君なら勝てると信じていたぞ!!!」

 

屋敷に戻った哲郎を待っていたのはファンやアリス達の勝利を祝う言葉だった。しかし今はその言葉すら心に響いてこない。 ラドラが偽物だった衝撃と自分に隠し事をされた驚きとで後味は最悪と言っていいほどだ。

 

「……ありがとうございます。

エクスさんの計画が台無しにならなくて本当に良かったです。」

 

軽く流すセリフを言ったがこれは本音だ。

自分の初任務が問題なく成功し、エクスの計画を継ぐ責任も果たした 結果だけ見れば最高と言って良いほどだ。

 

ファン達を適当に相手してエクスに視線を送る。

 

「……エクスさん、七本之牙(セブンズマギア)は今どこに居ますか?」

「今は尋問室に入れている。もう抵抗する意思もないから拘束もしていない。」

「……そうですか。 それは好都合です。」 『?』

 

哲郎は目を閉じてラドラとの戦いで得た真実を話す決心をした。それは即ちこの場にいる全員を自分の目的に巻き込みかねない事だ。

 

「……皆さん 僕と一緒に尋問室に来てください。そこでラドラの正体(・・)をお話します。」

 

 

 

***

 

 

 

エクスに連れられて尋問室に入るとそこにハンマーやレイザー達 七本之牙(セブンズマギア)の面々が座らされていた。

最低限の手当を受けて観念したのか大人しくなっている。

そしてその前方にファンやガリウム達が座り、哲郎が二組を挟んで机の端に立った。

 

哲郎を見た七本之牙(セブンズマギア)は何故ここにラドラが居ないのか疑問に思ったのか少しざわつく。

 

「……皆さん ここに集まって貰ったのは他でもありません。 どうか今だけは敵味方は関係なく今から僕が話す【事実】を聞いてください。

 

到底 信じられないでしょうがこれは正真正銘の事実です。僕自身 今も信じられません。」

『?』

 

もったいぶった言い回しにその場にいた全員が疑問を抱く。

 

「………結論からお話します。

七本之牙(セブンズマギア)の皆さん あなた達は騙されていた(・・・・・・)んです。

あなた達が忠誠を誓ったラドラ・マリオネスは全くの別人でした。」

『!!!!?』

 

突如として告げられた事実に部屋に衝撃が走る。

 

「こちらがその証拠です。この女性がラドラそっくりの人形に身を包んで彼に成り代わっていたのです。」

『……………………!!!!』

 

哲郎は机の上にラドラの人形の生首と里香が映る写真を置いた。その事実が信憑性を帯びていくにつれて七本之牙(セブンズマギア)の面々の表情が目に見えて青ざめていく。

 

「……それであなた達にひとつ提案があります。これからあなた達は多かれ少なかれ責任を問われるでしょうが 僕に偽ラドラ(この女性)があなた達に何を言っていたのか教えていただければ酌量出来るように掛け合うと約束します。」

 

突然の事実を受け入れられないのか全員が生首や写真に釘付けで哲郎の方を見る者は一人もいなかった。

 

「……今の心中はお察しします。

すぐに答えは求めません。よく考えておいてください。

では僕はこれで失礼します。」

 

彼らのした事の全てを許した訳では無いが彼らこそが偽ラドラ(姫塚里香)の事を一番良く知る人間である以上 彼等から情報を得ることが唯一の手掛かりの入手方法だ。

 

 

 

***

 

 

 

「………テツロウ 今の話は間違いないんだな?」

「はい。姫塚里香(リカ・ヒメヅカ)と自分で名乗っていました。詳しい事はまた後ほどお話します。」

 

哲郎はエクスと一緒に通路を進む。目的地は三人(・・)だけで話せる部屋だ。

 

表面上は落ち着いているが頭の中では手掛かり一つ無い謎が渦巻いている。哲郎は無意識の内に安心を欲していたのだ。



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#130 The Overture of catastrophe Part5 ~Fear of Fake~

哲郎が案内されたのは丸い机が中心に置かれた簡素な一室だった。

 

「……ここに来たのはいいが一体何をしようというのだ?」

「……………………」

 

エクスは心から【哲郎がなぜ自分と二人きりになったのか分からない】という表情をしていた。哲郎はなぜ自分に転生者であることを隠していたのか その理由を欲していた。

 

「……エクスさん、僕はもう全て分かってるんですよ。」 「?」

「……水晶からノアさんを呼んで下さい。

その後で里香から聞いた事を話しますから。」

「分かった。」

 

若干 納得がいかないまま机に水晶を置いた。

そこに魔力を通して通話を試みる。

 

『………おう。 エクスじゃないか。お前から掛けるなんて珍しいな。

あのラドラとの決着が着いたのか?』

 

水晶からノアの声が聞こえた。この一言でようやく里香の言った【ノアとエクスが友人である】とい確証を掴めた。

 

「………ノアさん お久しぶりです。

僕です 哲郎です。」

『おお! テツロウか! 久しぶりだな。

お前がエクスの水晶から話しているという事はあの事(・・・)は本当だったんだな。』

「……」

 

ノアというあの事とは、哲郎が公式戦の直前に書いた【エクスという協力者が見つかった】という報告の手紙だ。

 

『何だ? 随分元気が無いな。

公式戦は圧勝だったんじゃないのか?』

「ええ。 それにたった今ラドラの計画も阻止に成功しました。」

『なんだ。だったらもっと嬉しそうにしろよ。めでたく冒険者としての初依頼が成功したって事じゃないか。』

「………ええ。 滞りなく完遂しましたよ。

あなたが(・・・・)勧めてくれた(・・・・・・)依頼をね。」

『? 何が言いたい?』

 

少し間を置いて本題に入る。

 

「……結論からお話します。

ラドラ・マリオネスは偽物だったんです。」『!?』

「僕と同じくらいの少女がラドラそっくりの人形に身を包んで仲間を募ってパリム学園に悪さをしようと画策してたそうなんです。」

『………それは本当なのか?』

「はい。 これがその証拠です。」

『これは……………!!』

 

哲郎は水晶の前にラドラの人形の首と里香が写った写真を置いた。

水晶越しにそれを凝視するノアの表情が少しずつ曇っていく。自分と対称的に常に自信に満ち溢れた彼のこんな表情を見るのは初めての事だ。

 

『……こいつの名前は分かるのか?』

「はい。 姫塚里香(リカ・ヒメヅカ)と自分で名乗っていました。 彼女が僕に色々と話してくれたんですよ。今日はその確認がしたくてお呼びしました。」

『確認?』

「彼女はノアさんとエクスさんが友人だと言っていたんですが、それは本当ですか?」

『そうだが?』

 

あまりにもあっさりと本当だと認めた。やはりただ言う機会が無かっただけで隠している気は無かったのだと解釈する。

 

「という事はエクスさんに僕の事を伝えたのはノアさんですよね?」

『ああ。 エクスにとってはまたと無い戦力になると思ってな。

話はそれだけか?』

「いいえ。 里香はもう一つ重大な事を言っていました。」

『重大な事?』

 

ノアの表情は依然として変わらない。

哲郎は恐れながらも質問に入る。

 

「………魔界コロシアムが終わって家に泊まった時に『俺たちはこのラグナロクでたった2人の転生者(・・・・・・・・・)なんだ。』と言ってましたよね?

どうしてそんな(・・・・・・・)嘘をついた(・・・・・)んですか?」

『!!!?』

「この写真の女は僕達と同じ転生者でした。

そして僕達が【不完全な転生者】だとも言っていました。 それにエクスさんも転生者だと言っていたんです。」

『……………………!!!』

 

ノアの視線が哲郎から外れた。それでも哲郎には質問を止める選択肢は無い。

 

「どうして僕にそんなくだらない嘘をついたんです? 教えてくださいよ!」

『……………………済まなかった。』

「!」

 

ノアの口から謝罪の言葉が漏れた。

申し訳なさがその引き攣った表情からありありと見て取れる。

 

『言い訳になるかもしれないがべつにお前に悪気があった訳じゃない。

そのラドラには妙な気配を感じていたんだ。恐らくはその身を包む人形に何か自分が転生者であると悟らせない為の仕掛けが施されいてんだと思う。』

「という事は 僕に余計な緊張を与えない為に?」

『そうだ。 お前の性格からしていじめの問題を解決したらその背後にあるラドラにも首を突っ込むであろう事は予測していた。それにラドラが転生者であるという確証は掴めなかった。

だから一旦 その事を伏せておいたんだ。』

「…………そういう事だったんですか。」

 

哲郎は異世界で初めて出来た友人に悪意を持った嘘をつかれていた訳でなかったことをしって胸を撫で下ろした。

 

『テツロウ』

「? 何ですか?」

『お前さえ良ければ明日にでもエクスと俺の家に来ないか? 三人でもっと詳しく話がしたい。』

 

初依頼という肩の荷が下りた今 断る理由などある筈も無い。

哲郎はその誘いを快諾した。



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国王 謁見 編
#131 【Intermission】Bouillabaisse


予期せぬラドラ寮との戦いが開けた翌日 哲郎とエクスはノアの家に向かっていた。

 

戦いが開けたその日はエクスの家で入浴や食事を済ませ、戦いの疲れを存分に癒した。

 

「……エクスさんはノアさんの家に行ったことはあるんですか?」

「ああ。最近は忙しくて行けてなかったが知り合った当初は毎日のように互いの家に行っていたな。」

「それはどれくらい前なんですか?」

「初めて会ったのが入学してすぐの事だったから 8年くらい前だな。」

 

そうなればエクスはノアの母とも面識がある筈だが家に行った時にはその事を一言も言っていなかった。それもノアが自分に緊張を与えない為に伏せていたのだろう。

 

「!」

 

そうこうしている間にノアの家が見えてきた。

最後に行ってからまだ数週間しか経っていないのにまるで何年かぶりに来たような感覚を覚える。 それほどまでにパリム学園での日々は色濃いものだった。

 

 

 

***

 

 

 

「いらっしゃい テツロウ君!!

エクス君も久しぶりね!!」

『お久しぶりです。』

 

チャイムを鳴らすとこの前と同じようにノアの母が扉を開けて出てきた。エクスが隣にいること以外は初めて来た時と全く同じだ。

そしてそれと同時にエクスが敬語を使うのを初めて見たと目の端で頭を下げる彼を見る。

 

「もうすぐお昼時でしょう?

ご飯作ってるから早く上がって!」

 

リビングの方を指さして上機嫌に誘う。

 

「また作ってくれたんですか?!」

「ええ! ノアちゃんから全部聞いてるわよ!

学園の公式戦 大活躍だったそうじゃない!」

(ちゃん付け?! しかも公式戦の事しか知ってないの??!)

 

哲郎にとって公式戦でやった事といえばアイズンを公衆の面前で叩きのめした事くらいで本当に頑張ったのはその後のハンマー、レイザー、ワード そしてラドラの四連戦の方だ。

一気に情報が入ってくるがとりあえずリビングに足を運ぶ事にした。

 

 

 

***

 

 

リビングに入って哲郎の目に最初に入ってきたのは机に置かれた鍋料理だった。鍋の中にはトマトベースのスープで煮込まれた魚の切り身や海老が入っていた。

哲郎の記憶が正しければそれは家族旅行で行ったホテルで食べた料理に酷似している。

 

「………これって【ブイヤベース】ですか?」

「そうよ! よく知ってるわね!

テツロウ君がお魚が好きだって聞いたから作ってみたのよ!」

 

異世界(ラグナロク)にもソテーがあるのだからブイヤベースがあってもべつに不思議は無い。しかしてっきりキノコ料理が出てくると思っていた哲郎は一瞬 面食らった。

ましてや自分の口に合った料理が出てくるなどと予想もしていなかった。

 

「ほら 遠慮しないで! テツロウ君の為に作ったんだから!

公式戦の疲れをここで癒して行ってよ!」

「は、はい。」

 

哲郎の中の感覚では異世界に来てから随分と経つがそれでも自分の家族に会えない辛さが完全に拭えた訳では無い。

今は母親の温情がありがたかった。

 

 

 

***

 

 

料理に舌鼓を打った後に哲郎はエクスと一緒にノアの部屋に足を運んだ。

 

「あのブイヤベース とても美味しかったですね!」

「ああ。 あの料理の腕は家の給仕にも習って欲しいくらいの物があるからな。」

 

エクスの表情も心做しかラドラと戦っていた頃より穏やかに見えた。

ラドラとの戦いで気が詰まっていたのだろうと解釈する。

 

そんな事を考えている間にノアの部屋の前に着いた。

 

「ノア 来たぞ。」

「もう準備は出来ている。上がってくれ。」

 

部屋に入ると部屋の中央に二つの深皿が置かれているのが見えた。その中にはポップコーンとピスタチオが山盛りに入っている。そしてその脇には様々な飲み物も置かれていた。

今日は既にこの家に泊まる事は決まっていたが、それでもかなりの量が入っていた。

 

「……いかにもこれからお泊まり会を始めようという感じですね…………。」

「もちろんそのつもりで用意した。

今日はゆっくりと骨を休めてくれ。」

 

公式戦とラドラ寮との戦いで疲弊していた精神にはありがたい限りなので 哲郎は素直に部屋に入った。

ボウルを囲んで三人で床に座る。

 

 

「…………さて、まずは何から話せばいい?」

 

扉を閉めるとノアの顔付きが急に険しくなった。 ここに来たのはあくまでラドラ扮する里香から得た情報交換が目的だ。

 

「そうですね。では昨日送った里香が残した物について何か分かったことはありますか?」

「お前が小包にして送ってきたあの生首と二枚の事だな。あの紙については大した情報は入ってなかったが、この首からはなかなかの情報が手に入った。」

 

ノアは目の前にラドラの人形の生首を置いた。

 

「この人形はただの木偶人形なんだが、二つ魔法式が組み込んであった。

一つは【神経に鑑賞して表面の食感を人間の肌触りに錯覚させる】魔法式 もう一つは俺の立てた予想通り 【転生者に自分が転生者である事を悟らせないようにする妨害魔法】の魔法式だ。」

「!!」

 

ラドラの人形は哲郎の方を凝視していた。

生首になって全く動かない今でも戦った時の威圧感を放っているように感じた。



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#132 Mening of the strange number

哲郎は目の前の生首を凝視する。

ついこの前 この人形と死闘を繰り広げたという事が信じられないほどにラドラの表情には生気が無かった。

 

「………木の触感を人肌に変える魔法式ですか………………。」

 

ラドラとの戦いで数回は彼の素肌に触った。

その当時はこれが木でできているなどと夢にも思わなかった。

 

「………にわかに信じられないと言いたげな顔だな。 まぁそれも無理はない。

こいつに組み込んであったのはかなり高精度の魔法式だったからな。」

 

生首を囲んだ三人の表情は依然として曇っていた。依頼の延長として身を投じたこの戦いが思わぬ方向に転じた運びだ。

 

「あぁ そうだ。」

「? どうした?」

 

哲郎が突然 何かを思い出したかのように口を開いた。

 

「ノアさんは学園の生徒として ラドラに会った事は無いんですか?」

「それなら一回だけある。魔人族科と人間族科との交流会少しだけだがな。」

「その時 なにか違和感とか、ただならない雰囲気とか感じたりはしませんでしたか?」

「……そうだな どこか変わった奴だとは思ったが、これといって変な物は感じなかった。

少なくとも 奴が転生者だとは全く分からなかった。」

「そうですか。」

 

ノアとエクスは交流会でラドラと会った時のことを思い出していた。当初は無口で無愛想な男 程度にしか思っていなかった彼が人間そっくりの人形に身を包んだ少女だったと考えるとなんとも言えない気分になる。

 

(………この人形の首からも大した情報は得られなかったな………………) 「アッ!」

「何だ? 今度はどうした?」

 

再び哲郎ははっとして口を開いた。

 

「確か僕はこの生首と一緒に二枚 紙を送りましたよね?」

「ああ。あの女の写真ともう一つ紙が入っていたが、それがどうした?」

「そこに書いてあった文字の意味って分かりましたか?」

「文字の意味だと? ちょっと待ってろ。」

 

立ち上がって机の引き出しを探る。

数秒もしない内に手に紙を持って戻ってきた。

 

「紙とはこれの事だよな?」

「そう それです。」

 

ノアが持ってきた紙には《N:46.957》と《E:55.263》いう奇妙な数字が記されている。

哲郎にはその意味が分からなかった。

 

「……………………!」

「どうした? エクス」

「もしかして 何かわかったんですか!?」

 

紙を見つめていたエクスの眉が上がった。

 

「これ、もしかして【座標】じゃないのか?」

『【座標】?!』

 

哲郎は再び紙に視線を送った。

エクスの言葉を踏まえて考えると《N:46.957》の《N》が北を表す《North()》の頭文字

《E:55.263》の《E》が《East()》の頭文字を指しているように見える。

 

「【座標】って地球をマス目状に区切って二つの数字で場所を決めるっていうアレですか!?」

「ちょっと待ってろ! いま地図を取ってくる!」

 

 

 

***

 

 

 

ノアが持って来た異世界(ラグナロク)の世界地図はやはりち地球の物とは全く違う物だった。

マス目状に線が引かれており、座標を調べるには最適な物となっている。

 

「………この地図の形って、【ミラー図法】ですよね?

方位は正しくないけど面積は正確っていう」

「そうだ。

この数字が座標を表しているのだとしたら、この紙の数字は【北緯46.957°】と【東経55.263°】を意味することになるが、」

「早速 やってみましょう!」

 

二本の定規を北緯47°と東経55°の位置に合わせ、線を引っ張る。

 

(もしその場所が海に当たったら座標だという考えは間違いかもしれない だけど) 「!」

 

二本の線が交差した所に点で印をつけると、その場所は大陸を指していた。

二つの数字は座標を意味していたという仮説が一気に信憑性を帯びる。

 

「やっぱりあれは座標だったんだ!

だとするとこの場所に里香が何かを残していったとみて間違いなさそうですね!」

 

気持ちが昂って二人の方を見ると、何故かその表情から動揺が見て取れた。

 

「えっ? どうかしたんですか?」

 

「おいエクス この場所は…………」

「ああ。 間違いない。」 「?」

 

エクスの頬からも汗が垂れているように見えた。ラドラとの戦いが終わって初めて見る表情だ。

 

「この場所、パリム学園の人間族科だぞ!!!」

「えっ!!!!?」

 

哲郎は再び地図に書かれた点に目をやった。

その場所は白い多角形の中心部分を指していた。

 

「そんなまさか!! 僕もマキムとして学園でしばらく過ごしましたけどそんなおかしな物なんて落ちて(・・・)いませんでしたよ!!」

「落ちていないとなるとどこかに埋まって(・・・・)いるんだろう。

こうしては居られない。すぐに学園を探すぞ!!!」



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#133 The sonar

哲郎達は最短距離を行く為に人目を避けながら空を経由してパリム学園 人間族科の校庭に着いた。

 

「………確かに地図の点はここを指していますね。だけどここからどうやって探すんですか?」

 

偏にパリム学園の校庭という限られた範囲からから探すと言っても地下に埋められた小さな何かを探すとなれば話は困難を極める。

 

更に地図では座標の数字を四捨五入してかろうじてパリム学園の位置を割り出しただけで詳しい位置が分かった訳では無い。

 

「ノアさん、地下に探索魔法とかかけられませんか?」

「かけること自体は簡単だがそれは簡単じゃないな。一点ならともかくこの校庭全部にそんなものを掛けたら人目に付く。

人に見つかったらこんな場所で首を揃えて何をやっているのか聞かれでもしたらどう言い訳をつけるんだ?」

「そうですよね。」

 

現状 ラドラが姫塚里香(偽物)である事を知っているのはこの場にいる三人を除いてはファンやアリス達と七本之牙(セブンズマギア)しか居ない。

無関係の人間に本当の事を言える筈はない。

 

「ならどうやって探します?

まさかこの校庭を全て掘り返す訳にもいかないでしょう?」

 

里香が残した座標から分かったのはパリム学園の校庭 という【場所】だけで【深さ】が分かった訳では無い。

里香の残した【何か】を探し出すためには《校庭のどこに埋まっているか》そして《どれくらいの深さに埋まっているか》を知る必要がある。

 

「それで考えたんだが、」 「?」

 

後ろからエクスが声を掛けた。

 

「《魚人波掌》を地面に打ち込んで探す事は出来ないのか?」 「!」

 

エクスの提案は即ち 波を潜水艦のソナー音のように利用して伝わる波の違いから埋まっている場所を割り出すという物だ。

 

「上手くいくかは分かりませんがやってみる価値はあると思います。この校庭の中心地はどこか分かりますか?」

 

 

***

 

 

 

哲郎が案内されたのはマキムの時もご飯を食べていたベンチが置かれた中庭だった。

 

「……じゃあ今からここに打ち込みます。

終わったらすぐに地面に耳を当てて音を聞いて下さい。」

「分かった。」

 

哲郎は地面に片膝を付いて手を当てた。

 

「行きます!!」

 

地面に手を付いた状態で肩と腕の関節を稼動させて地面に渾身の衝撃を打ち込んだ。

石造りでない普通の土は魚人波掌の衝撃を良く通す。 衝撃を撃ち込むとすぐに三人とも寝そべって地面に耳を当てた。目も閉じて聴覚に全神経を注ぐ。

 

傍から見れば異様かつ人目に付きかねないこの状態はそう何度も続けられない。一度で場所を割り出す必要がある。

 

 

『……………………!』

 

三人の耳に違和感のある音が伝わった。

 

「二人共、今の音 聞こえましたか!」

「間違いなく聞こえた! ここから八時の方向! そう遠くないぞ!!」

 

三人はすぐに立ち上がって校庭を駆け出した。

 

 

 

 

***

 

 

 

「………ここだな。」

 

三人が着いたのは校舎裏に近い人目につかない場所だった。

 

「周囲は木に囲まれている。 物を隠すにはなるほど最適な場所だな。あの程度の深さなら俺の剣で十分 掘り起こせる。」

 

エクスは手の魔法陣から剣を召喚し、地面に向けて鋒を向けた。

 

「あの エクスさん、確認しておきたい事があるんですけど」

「? 何だ?」

「エクスさんも【転生者】という事は、その剣も魔法じゃなくて僕と同じような【能力】なんですよね?」

「ああ そうだな。

世間には《無限之剣(パルチザン)》という魔法として通しているが、本当は《聖剣》という能力だ。

聞きたい事はそれだけか?」「はい。」

「そうか。 なら始めるぞ。」

 

地面に向けたエクスの剣が光り、そこから光が伸びて地面に突き刺さった。

 

「このまま慎重に地面に向けて伸ばしていくぞ。物に当たったら先を曲げて掘り返す。」

 

哲郎とノアは首を縦に振った。

そこからの数分は動きも音もない異質な緊張感が続いた。

 

「…………………!

何かに当たった! このまま剣を回して掘り起こすぞ!」

 

剣先を曲げて地下の物をすくい上げた状態で剣を回しながら刀身を短くしてなるべく土を傷つけずに掘り起こす。

 

 

「出たぞ!!」

「こ、これは………………?!」

 

曲げられた刀身に包まれていたのは土の塊だった。里香が残していった何かはこの土の中にある。

 

「エクスさん、その土 見せてくれますか?」

「分かった。」

 

刀身に包まれていた土の塊を指で崩しながら慎重に調べていく。

 

「! 何か入ってます!」

 

哲郎は土の中に薄い紫色の物体を見つけた。

掘り返すとそれは半透明の紫色の正八面体だった。

 

「………これが彼女が残していったご褒美(・・・)…………………?

 

!!!!?」

「どうした!!?」

 

哲郎の表情がみるみるうちに青くなっていく。

 

「こ、この中の物を見てください…………!!!」

『!!? これは……………!!!?』

 

正八面体の中に入っていたのは()()()()()()()()()だった。



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#134 Release the pretender

里香が残していった紙を頼りにパリム学園の校庭から掘り出した物は紫色の正八面体だった。

そしてその中にはラドラが小さくなって封じ込められていた。

 

そして哲郎は里香が『本物のラドラは封印した』という言葉を思い出した。

 

 

 

***

 

 

 

三人は校庭に立ち尽くす訳にもいかず正八面体を持ったままエクスの家に足を運んだ。

 

「………つまりその里香か あるいはその仲間が本物のラドラをこの中に封じ込めて埋めたと そういう事だな?」

「そうだと思います。 もっと早くその事を言っておくべきでした。」

 

「という事はその里香は恐らくパリム学園を乗っ取った後で人形の身体を捨てて本物のラドラに全責任を擦り付けようとしていたという事か…………」

 

哲郎は封印されているラドラをまじまじと見つめた。その顔は間違いなくついこの前 死闘を繰り広げた男 そして里香が残していった人形の生首と同じ物だ。

 

「ところでこれ、どうしたら良いですかね?」

「どうするも何も 開けるしかないだろ?」

 

哲郎の質問にノアが気の抜けた返答をした。

 

「確かにそうですけど、こんなにがっちり封印されてるのにそう簡単に開けられる訳が

 

!」

 

ダメで元々の精神で八面体に力を入れるとまるでペットボトルの蓋が開くかのように少しだけ横に回転した。

 

「二人共 開きそうですよこれ!

どうしたら良いですか!? もしかしてこれが罠で開けたら爆発とかしませんかね!!?」

「落ち着け。 それが罠である可能性は低い。

本来それは里香かその仲間の手で開けられる筈だった物なんだ。そんなものにわざわざ罠を仕掛けるとは考えにくい!」

「あ、す、すみません。

取り乱してしまいました。」

 

エクスの言葉で我に返った哲郎は一旦 大きく息を吸って再び八面体に手を掛ける。

 

 

「………じゃあ開けますよ? 一応の警戒はしておいて下さい。」

「問題ない。もしもの時は俺達で防御する。」

 

哲郎は意を決して八面体に手を掛け、全力で捻った。その空いた口から放たれた眩い光が三人の目を襲う。

 

「うおっ!!!?」

 

八面体から光と共に爆風が吹き荒れ、そばに居た哲郎は強く突き飛ばされた。風にあおられる身体をエクスが受け止める。

 

「大丈夫か!?」

「ええ。風だけで罠の類ではありませんでした。 それよりも━━━━━━━━━━━━」

 

目の前に立ち込める紫色の土煙に視線を送る。

少し時間が経って煙が晴れていく。

 

「…………………!!!」

 

煙が晴れた場所に居たのは紛れもないラドラ・マリオネスだった。しかし身体を丸めて地面に寝そべるその姿はついこの前死闘を繰り広げた男の物とは完全に違っている。

 

「…封印の解除には成功したようだな…………。」

「と、とりあえずベッドのある部屋に運びましょうか…………………

!」

 

様子を伺っている間に目の前のラドラの目が開いた。まるで深い眠りから覚めた時のようにまるで緊張を感じない。

 

「ここは僕がなんとかします! 早く水を持ってきて下さい!」

 

咄嗟に二人に指示を出して哲郎は起き上がるラドラの元へ駆け寄った。

 

「………………!!」

 

すぐに駆け寄らなければならない事は理解していたが一抹の恐怖は拭い切れなかった。

目の前の男の顔はやはり戦いを繰り広げたラドラと瓜二つである。

 

(………落ち着け……………!!!

この人はこの前のラドラとは別人なんだ…………!!!)

 

震える腕を抑えて恐怖を心の隅に追いやる。

 

「…………ここは………………………?」

「!」

 

その口から出た言葉はあまりにも弱々しく、今まで戦ってきたラドラの物とは別物である。

 

「ここは《レイン》という家の屋敷です!あなたは封印(・・)されていたんですよ!!」

「ふ、封印………………!!?」

「そうです! 僕は田中哲郎(テツロウ・タナカ)といいます!

一体何があったんですか!!?」

「な、何が…………………??!

!!!!」 「!!!?」

 

突如 ラドラの表情が豹変し、頭を抑えて蹲ってしまった。

 

「……そ、そうだ……………!!!

()は後ろから襲いかかられたんです!!!」

「襲いかかられた? それは何時ですか?」

「いつ…………!?」

 

しばらくしてラドラが言った日付は今から半年ほど前の物だった。

 

「は、半年!!??

僕は半年も封印されていたというんですか!!!?」

「残念ですが それは本当です。(半年前という事はレイザーが言っていた事と一致するな。)

どこで襲われたか そして襲ってきた人の顔は分かりますか?」

「……顔は分かりませんが襲われたのはパリム学園の寮内でです。僕はそこで憚りながも寮長をやっていました。」

 

(寮長? という事は一応の実力は持っていたのか?だから里香達に目を付けられた?)

 

「分かりました。どこか身体が痛む所はありますか?」

「身体は痛くないけど頭が少し痛みますね。」

「そうですか。ではベッドを用意しているので案内します。 付いてきて下さい。」



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#135 The mothership

「………あの、テツロウ さんで良いでしょうか?」

「はい。 何ですか?」

 

エクスが用意したベッドのある部屋に向かう途中でラドラが哲郎に声をかけた。

気を張っていないと彼が死闘を繰り広げた姫塚里香(偽物のラドラ)とは違うという事を忘れかねない。

 

「……僕は一体 どうしてしまったんでしょうか?」 「!」

 

哲郎は返答に困った。

ついさっき目覚めたばかりの彼にとって自分に成り代わっていた偽物が学園を乗っ取ろうとしていたなどと知ったら何が起こるか分かったものでは無い。

 

「それは部屋に着いてからお話しします。

それと、一つ僕の質問に答えてくれますか?」

「はい。 何でしょうか?」

「あなたは半年以上前からパリム学園の人間族科で高い実力を見せていたそうですが、それは本当ですか?」

「それはあまり分かりませんが、少なくとも試験はしっかりとこなしていましたよ?」

 

「……そうですか………。」

(後でラドラさん(・・)が半年前からおかしくなかったか生徒達に聞いておく必要があるな…………。)

 

哲郎は歩きながら思考を巡らせる。

姫塚里香の正体はもちろんの事、彼女が何故 ラドラに白羽の矢を立てたのか など分からないことは山のようにある。

 

 

「ウワッ!!?」 「ヒャッ!!?」

 

哲郎の身体が何かにぶつかった。

痛む身体を擦りながら目を開けるとぶつかったのは給仕服に身を包んだ哲郎と同じくらいの年齢の少女だった。

黒髪を肩甲骨の辺りまで伸ばし、その毛先は赤く染っている。

 

「あぁ すみません!」

「こ、こちらこそすみません!!

!」 「?」

 

給仕服の少女は哲郎を見て一瞬 目を丸くした。

 

「あの、エクスさんの屋敷(ここ)の給仕ですよね?」

「は、はい!」

「エクスさんがベッドを用意している筈なんですけど、こっちの方向で合ってますよね?」

「はい。 もう既に用意はできています!」

 

少女は通路の奥の方を指さした。

 

 

 

***

 

 

 

「………じゃあここで休んでください。」

「………分かりました。」

 

哲郎はラドラを用意された簡易ベッドに寝かせた。

 

「それとひとつ聞いておきたいんですけど」

「? 何です?」

「《七本之牙(セブンズマギア)》って聞いた事ありますか?」

「? ………せぶんず………まぎあ…………?

何ですかそれは?」

「そうですよね…………。」 「?」

 

ラドラの まるでてんで何を言っているのか分からない というような表情を見て姫塚里香(死闘を繰り広げたラドラ)とは別人であるという事を再び心に刻みつけた。

 

 

 

***

 

 

 

哲郎は広間に戻ってエクスとノアと接触した。

 

「……そういう訳で、ラドラのベッドへの案内が終わりました。」

「「そうか。」」

 

(……給仕の人に会った事くらいわざわざ言う事もないよね。僕を見てちょっと驚いてたのもきっとエクスさんから聞いてたからだろうし。)

 

里香の残していった八面体を探すためにノアの家を出てから既に数時間が経過している。何も知らされていない母親に疑われる事を避ける為にはすぐにでも家に戻る必要がある。

 

七本之牙(セブンズマギア)の方はどうなっています?」

「まだ軟禁室で大人しくしてもらっている。

あいつらはまだ自分達が騙されていたという実感が持てていないようだ。」

「……それならまだ本物の(・・・)ラドラに会わせる訳にはいきませんね。」

 

本来 そんな気を遣うような義理など無い人間達だが彼等もまた姫塚里香(偽物のラドラ)に騙されていた被害者でもあるのだ。

 

「………もう日も傾いていますし、この場はミゲルさんにでも任せてそろそろ家に戻るとしましょうか。」

「そうだな。」

 

 

 

***

 

 

 

「もう! 突然家を出ちゃって 心配しちゃったじゃないの!」

「あ、あぁ すまない。

学校に忘れ物があったのを思い出してな。」

 

家に戻った三人を待っていたのは頬を膨らませる母親の姿だった。

 

「もうすぐご飯できるから手を洗って来てね!」

 

部屋に戻る母の後を追うように三人も玄関に上がった。

 

「…………あんなにタジタジする事あるんですね。転生前()魔王もこれじゃ形無しですね。」

「うるさい。 俺も今はただの一人の学生に過ぎないんだ。」

 

今まで見せていなかった顰め面をしながら歩を進める。 そんな姿を見て哲郎は忘れかけていた母親という存在が息子にとってどれほど強大かを再確認した。

 

「あ そういえば」 「?」

 

エクスの方を見て質問を仰ぐ。

 

「エクスさんの両親ってまだ会ってないですよね?あの屋敷にいないんですか?」

「ああ。家族の中であの屋敷に住んでるのは俺とファンだけだ。

こんな危なっかしい仕事をしているからな、安全な田舎に別荘を建てて、そこに住んでもらっている。」

「そういう事だったんですか。」

 

いずれエクスの両親とも話がしたい とそんな気楽な事を考えていた。



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#136 Excuse me?

「えっと…………

2と8のツーペアですね。」

K(キング)のスリーカードだ。」

 

哲郎達三人は夕食 そして入浴を済ませ、ノアの部屋で夜の時間をポーカーで過ごしていた。

 

「ノアさんの役は何です?」

「もたもたしてないで早く出せよ。」

 

ノアはカードを持ったまま目を閉じている。

そのきつく結んでいた口元が緩んだ。

 

「………悪いな。」 『?』

 

ノアが2人の目の前に5枚(・・)のカードを見せた。哲郎とエクスの表情が少しだけ青くなる。

 

「は、ハートのフラッシュ………!!?」

「これで24戦中俺が12勝だな。」

 

3人のそばに置かれた番付表にはポーカーの戦績が記されていた。24戦やって哲郎が5勝 エクスが7勝 ノアが12勝だ。

 

「何かだんだんノアさんだけ出せる役が強くなってませんか?さっきもK(キング)J(ジャック)でフルハウス作ってたじゃないですか。」

「だったら何だ?こんな金も賭けないゲームでイカサマしたというのか?」

「そういう事じゃないですけど……………」

 

ポーカー自体は友達に勧められて多少の場数を踏んでいる為にこのあまりに低い勝率は認められない物があった。

 

「………さて、もう十分骨は休められただろ。

そろそろ本題に入るぞ。」

「! は、はい。」

 

ラドラ寮との戦いでの疲労を少しでも癒すために始めたこのポーカー勝負も気がつけば二時間が経とうとしている。目の前に盛られたポップコーンとピスタチオも既に3分の2以上を食べてしまった。

 

「それでだ エクス。

あれからミゲルから何か聞いている事は無いか?」

(あ、 やっぱりミゲルさんの事も知ってるんだ。)

 

ミゲルにとって哲郎との関係は主君(エクス)がスカウトした少年であり、共にワードと戦った程度の関係である。しかしそれでも哲郎にとっては大切な友人の一人となっている。

 

「ラドラの事なら あれから寝入ってしまって未だに目を覚ましていないらしい。半年間封印され続けた負担が頭にきているんだろう。

それからもう一つ、無視できない事を言っていたな。」

『無視できない事?』

 

エクスの含みのある言葉に二人が同時に反応した。

 

「ああ。ラドラを封印していたあの八面体の容器だが、あれは魔法具ではなくただの容器だと報告を受けた。」 「!!」

 

人間を完全に封印し、その状態を半年も継続させるなどという事は普通ではない。三人 共にあの紫色の八面体の容器は魔法具の類であると確信していた。

 

「つまりだ、ラドラに化けていたあの姫塚里香(リカ・ヒメヅカ)か あるいはその仲間の中に【物や生物を封印できる】魔法を扱える人間がいるという事だ。」

「…………そうか。他には無いか?」

「今はそれくらいだな。

七本之牙(セブンズマギア)の奴らにも目立った動きは無い。」

「分かった。

テツロウ、お前は何か質問はあるか?」

「はい。聞いておきたい事が結構あります。」

 

哲郎は頭の中で里香に言われた事を整理していた。その全てがこれからの生活を大きく左右する可能性がある。

 

「まずおかしいと思ったのはファンさんとアリスさんの反応です。」

「あの二人がどうかしたか?」

「はい。初めて二人に会った時 僕の名前を聞いて魔界コロシアムの準優勝者だと驚いていたんです。その時は気付きませんでしたけどそれはおかしいじゃないですか。

それってつまり」

「ああ。それは俺がエクスに話したんだ。」

「やっぱりそうですか。

それと、学園の魔人族科に行った時にレーナって人が凄く怒ってたじゃないですか。それももしかして」

「恐らくは俺がエクス位の人間しか友達に選ばないと勝手に思い込んだんだろう。」

「そういう事ですよね。」

 

哲郎はレーナとの立ち会いを思い出していた。今考えればあのいざこざさえも自身の中の友情の定義を再確認する貴重な出来事だ。

 

「聞きたい事はそれだけか?」

「いえ。もう一つあります。

里香から聞いたんですが、僕とノアさんは《不完全な転生者》らしいんですが、それは本当ですか?」

「不完全か。確かに俺は自分の意思でここにいる訳だからそういう言い方もできるな。

あと、エクスもその不完全な転生者だ。」

「えっ、そうなんですか?」

 

哲郎はエクスの方に視線を送った。

 

「ああ。前世()の俺は貴族の聖騎士(パラディン)として高い地位を築いていた。だから現世()の俺には《聖剣》の能力があるんだ。 それと、俺の不完全な所は《他の転生者の正体を察知する事が出来ない》という点だ。」

「察知できない?」

「そうだ。 だからお前がパリム学園に行く時にエクスに言ったんだ。

『これからそっちにラドラ達と一戦やる上で頼れるやつを送る』とな。」

 

哲郎は返事もできずただ頷くしかできなかった。これでエクスが初めて自分に言った『全てを知っている』という事にも合点がいった。

 

「他には聞いておきたい事は無いか?」

「いや 今の所はありません。」

「そうか。 ならもう寝るとしよう。」

 

その言葉にはっとして時計に目をやると既に針が11時を超えていた。



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#137 Beginning of the Tempest Part1 ~Reunion is sweet and bitter 2~

「そうか もう11時か。

俺達はともかく11歳の少年(テツロウ)はそろそろ寝た方がいい時間帯だな。」

 

エクスの言った事は間違いではない。

哲郎は異世界に来る前は遅くとも夜の11時までには寝るように心掛けていた。

そして今は偽ラドラ(姫塚里香)達と戦った疲れも完全に取れていない。遅い位の時間だ。

 

「それは良いんだがエクス、テツロウは寝るとして 俺達はどうする?」

「別に寝ても問題は無いだろ?それにこれ以上起きてたら食べ過ぎてしまうぞ。」

 

エクスの言葉で哲郎とノアは地面に置かれた容器に視線を送った。そこには依然として少しだけ盛られたポップコーンとピスタチオが入っている。

 

「寝るのは良いとして、どこで寝れば良いんですか?」

「それは問題無い。お前達が来ると伝えたら母さんが折り畳み式のベッドを借りてきたんだ。今取ってくる。」

 

「あ、ちょっと待って下さい。」 「?」

 

部屋を出ようとするのを哲郎が呼び止めた。

 

「今ので思い出したんですけど、学園の魔人族科に居るなら その ご両親 も魔人族なんですよね?」

「そう見えなかったか? 二人共鍛えていないから魔力は低いが純血の魔人族だ。」

「そうですよね…」

「話はそれだけか? 無いならベッドを持ってくるぞ。」

「お願いします。」

 

 

 

***

 

 

 

午後11時15分

ベッドの用意が終わって哲郎達三人は床についた。

 

布団の中で考えるのは今までこんなに遅くまで起きた経験がないという事 そして里香から聞いた内容で聞き忘れた事が無いかの確認だ。

 

(里香が根源魔法を使ったのは機会を見つけてレオルさん本人に聞くとしよう。そのついでに何でノアさんがそれを使えるのかも聞いておくとするか…………。)

 

偽ラドラこと姫塚里香率いる七本之牙(セブンズマギア)との戦いでの疲労は容易に哲郎の意識を睡眠へと持って行った。

 

 

 

***

 

 

 

……………………さい。

「?」

 

「…………………テツロウさん、起きてください。」

「!」

 

目を開けた哲郎の周囲に広がっていたのは一面真っ白な空間だった。しかし哲郎がそれを経験するのは初めてではない。

 

「お久しぶりです。 テツロウさん。」

「………あなたですか。」

 

振り返るとそこには哲郎が異世界(ラグナロク)に行く前に出会った緑の髪の女性だった。

彼女こそが哲郎を事故から救い(・・)、異世界に行くきっかけを作った人物である。

 

「もう少し優しくしてくれてもいいじゃないですか。せっかくまた会えたんですから。」

「………分かりましたよ。」

 

その言葉で女性の表情に笑顔が戻る。

 

「まずは何よりも 魔界コロシアムの準優勝 そして初依頼であるパリム学園のいじめ問題とラドラ寮に勝ったことを おめでとうと言っておきましょう。」

「はい ありがとうございます。」

 

哲郎は素直に頭を下げた。

そしてすぐに口を開く。

 

「僕としてもちょうど良かったです。

色々と聞きたい事があったんですよ。」

「はい。言われなくとも分かっています。今言える事は全て話すつもりです。

そのためにあなたの夢に干渉して話していますから。」

「……あの世の次は夢への干渉ですか。

ますます神様じみてますね。」

「…褒め言葉と受け取っておきましょう。」

 

目の前の女性は一息置いてから話を本題に移す。

 

「まずは私の名前と正体(という程の物じゃないですけど)から話しておきましょう。

私の名前は【ラミエル】。

今 私は幽霊と精霊の中間のような状態でこの世界に留まっています。」

 

元々ラグナロクの住人であることを踏まえれば容易に推測できる内容だ。

 

「……それは良いとして、僕が聞きたいのは彼女(・・)の事ですよ。」

「はい。 その事にもちゃんとお答えします。

テツロウさん、あなたは既に自身の目的の取っ掛り(・・・・)を掴んでいるんです。」

 

ラミエルは先程までの笑みを押し込んで真剣な面持ちで目を開いた。

 

「と いうことはやっぱり………………」

「はい。偽ラドラ・マリオネスこと姫塚里香(リカ・ヒメヅカ)はあなたに倒して欲しい【巨悪】の一員です。」

 

哲郎はさほど驚かなかった。

里香が言った『あの人』という単語と自分の目的を知っていた事を踏まえれば簡単に想像出来る事だ。

 

「テツロウさん、今この場でそのあなたに倒して欲しい【巨悪】についての事を私の知っている範囲で全てお話します。」

「はい お願いします。」

 

ラミエルは真剣な顔付きを崩さない。

 

「と言っても私に話せることは程度が知れていますが、それでもお伝えしておきたいのです。

あなたに戦って欲しい【巨悪】の正体

 

それは このラグナロクの破滅を目論む【悪の転生者の集団】なのです。」

「!!!」

 

予め想定していた事だがいざ言われると衝撃が走る。哲郎の頬からは一筋の汗が流れていた。



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#138 Beginning of the Tempest Part2 ~The Unwanted Reincarnation~

「ラグナロクの 破滅……………?!!」

 

ラミエルから告げられた事実は哲郎の予想を超えている物だった。

 

「申し訳ないですが彼らの目的について知っているのはそれだけなんです。

その代わりと言ってはなんですが、【転生者】について気になってるであろう事を全てお話します。」

「気になってるであろう(・・・・)事?」

「はい。私の口から言うのもおかしいですが、どうして【適応】という能力が与えられたのか分かりますか?」

「どうしてって それは僕が【今まで様々な人に接することや様々な場所で生活してきた】からで………………

え!!? まさか!!?」

「そのまさかです。あなたに【適応】が与えられたように、そしてエクスさんが【聖剣】を持っているように、転生者に与えられる能力はその人の前世によって決まるのです。」

「じゃあつまり……………!!」

「そうです。あの姫塚里香(リカ・ヒメヅカ)は【人形】に関係する前世(過去)を持っているという訳です。」

「人形に関係する過去ってどんなのですか?」

「それは私にも分かりません。」

 

哲郎の一言で二人の間になんとも言えない空気が流れる。

 

「……じゃあ今度は僕から質問させて下さい。」

「はい。 何ですか?」

「その巨悪と戦うのをどうして僕に任せたんですか?僕なんかよりノアさんやエクスさんの方が頼りがいがあるように思うんですが。」

「それは彼らが転生する際に私と会う事が無かったからです。そしてあなたに任せた理由がもう一つあるんです。

それは あなたの【適応】の防御力が必要だからです。」

「【適応】の防御力?」

「いずれその必要性が分かる時が来る筈です。」

「分かりました。

それで、その戦いで二人に協力してもらう事はできませんか?」

「あの二人は里香(リカ)の正体を知りたがっていますから、きっと力になってくれる筈です。」

 

「……そうですか。 じゃあもう一つ

里香以外の構成員は分かりますか?」

「申し訳ないですが、それは私にも分からないんです。」

「そうですか。だったら」

「?」

「だったらそもそもなんでそんなに謎の多い組織の存在をあなたが知ってるんですか?」

「!!」

 

ラミエルの顔が見る見るうちに青くなっていく。

 

「……まさかとは思いますが……………!!」

「いいえ。 それにはちゃんとした理由があるんです。」

 

哲郎の頭の中によぎった最悪の想定を否定するかのようにラミエルが口を開いた。

その表情は真剣そのものになっている。

 

「それは、その組織(巨悪)の一番上にいるのが死んだ私の関係者だからです。」

「!!!? 関係者!!?

どういう事ですか!!?」

 

「…………田中哲郎(テツロウ・タナカ)さん。

改めてあなたにお願いしたい事があります。

私の、私の恋人(・・)を止めて欲しいのです!!!!」 「!!!?」

「あ、す、すみません!

単刀直入に言いすぎました。順を追って説明します。」

 

必死になっていたラミエルの表情が哲郎の驚愕する表情で我に返る。

 

 

 

***

 

 

生前のラミエルは川に面したしがない村の住人の一人として農業をしながら細々と暮らしていた。そんな彼女には恋人がいた。

物心つく前から村で苦楽を共にし、いつしか二人共に惹かれあっていた。

彼女自身 このささやかな幸せがこれからも続くと思っていた。

 

 

そんな時、村を悲劇が襲う。

 

 

王都の暴君の利己的な策略によって村が襲われ、焼き払われたのだ。

ラミエル そしてその恋人を含む村民全員が帰らぬ人となった。この一件は表向きには盗賊団の仕業として処理されている。

 

そして運の悪い事に、ラミエルの恋人だけが望まぬ転生(・・・・・)を果たした。

自分が死んだ事、そしてもう最愛の人に永遠に会えない未来に絶望した彼はラグナロクの破滅、そして元の世界に帰って復讐する事を誓ったのである。

 

 

 

***

 

 

 

「これが私の今際の話です。」

 

ラミエルの今際の際の話を聞いた哲郎の表情は青ざめていた。人が死ぬという事がどういう事かを身をもって知っているからだ。

 

「………そんな酷い話が実際に起きていたんですか………………!!!」

「…人の命には過敏だと思ってましたがそんなに真剣に聞いてくれるとは思っていませんでした。ありがとうございます。」

 

ラミエルは哲郎に向かって頭を下げた。

 

「それはそれとして、他に分かってることは無いんですか?少なくとも名前くらいは知ってる筈でしょう?」

「名前 は最早問題ではないでしょう。

転生してる以上変わっている筈ですから。」

「ああ そうか。」

 

「……ただ、一つだけ分かっていることがあります。

私の彼、もとい組織のボスは二人組です。」

「二人組?」

 

「はい。同じようにラグナロクの破滅を目論む誰かと手を組んで、ラグナロク中の転生者を仲間に引き込んでいる。

それが巨悪の正体です。」



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#139 Beginning of the Tempest Part3 ~The three strongests~

ラミエルから巨悪の正体 そして彼女の過去を聞いている哲郎の顔は少しずつ青ざめていた。

倫理観も常識も全く違う異世界(ラグナロク)で起こっている事とはいえとても人間がやっている事とは信じられなかった。

 

「………それから最後になりましたがテツロウさん、これはこのラグナロクだけでなくあなたの世界にも危険が及ぶ問題です。」

「!!? 僕の世界に!!?

それってまさか…………!!!」

「そうです。姫塚里香(リカ・ヒメヅカ)は元々あなたの世界に居た人間がラグナロクに転生してきたのです。

ですから彼女も元の世界に戻って復讐を目論んでいます。それが人一人なのか世界全体なのかその規模は最早把握できるものではありません。場合によってはあなたの関係者にも危害が及ぶ恐れがあります。」

「そ、そんな事………………!!!!」

 

【復讐】

哲郎もその言葉の意味自体は理解していた。

そして、それを題材にした作品も一定数存在することも知っている。

しかしそれはあくまで創作物の中の話であり、現実で人の命がむやみやたらに奪われる事が起きていい筈がない。

ましてや自分の関係者(無関係の人達)が巻き込まれていい訳が無い。

 

「………それを止められるのが僕しかいないという訳なんですね?」

「その通りです。転生者に持たされる能力はみんな魔法を凌駕するものばかりです。転生者に対抗できるのは転生者しかいないんです。」

「そういう事ならもちろんやらせてもらいますよ。だって、その為の【適応(この能力)】なんでしょ?」

「………………!

ありがとうございます!!」

 

必死に頭を下げ、そして顔を上げたラミエルの目は悲痛に染まっていた。

自分の恋人 そしてこの世界(ラグナロク)の全てをたった一人の少年に任せなければならない事を心苦しく思っているように見えた。

 

「……まだあの世界にいて少ししか経ってないですけど、それでもあそこにはいい人もいい場所も沢山ありました。それを壊されていい筈がありません。守りたいのは僕も同じです。」

「……やっぱりあなたに賭けた私の目は狂ってはいなかったようですね。

重ねて言いますがよろしくお願いします。」

 

ラミエルの表情からはいつの間にか最初にあった頃の女神じみた胡散臭さは消え、ただ純粋に自分に思いを伝える女性へと変わっていた。

 

「ではそろそろあなたを(この空間)から出したいと思います。目が覚めても記憶は全て残っていますのでそこは安心してください。」

「分かりました。」

 

 

ラミエルを中心に白色の淡い光が広がっていき、哲郎の意識を少しずつ遠のかせていった。

 

 

 

***

 

 

 

「…………………………………………………ん」

 

意識を取り戻して目を開けると視界に入ってきたのはノアの部屋の天井だった。

やはりラミエルとの会話は夢の中の事であると理解し、それでいてその時の事は全て覚えているという奇妙な感覚が起きる。

 

(今何時だ?)

 

時計に目をやると6時53分を示していた。夜の11時に寝て少なくとも7時間30分以上は眠っていた計算になる。実際に哲郎の頭は寝起きとは思えないほどに冴え渡っていた。

 

「おお テツロウ、もう起きたのか。」

「ノアさん おはようございます!」

「あぁ おはよう。」

 

声の方に目をやると窓の前でノアが朝日を浴びていた。

 

「なんだテツロウ 随分と早い目覚めだな。」

「エクスさん! おはようございます。」

 

扉を開けるとエクスが首にタオルを巻いて歩いてきた。朝起きて顔を洗ってきた後と見える。

 

「……………? どうしたテツロウ。

そんなに難しい顔をして。」

 

哲郎は二人に自分が異世界(ラグナロク)に来た理由を説明する決意を固めた。

 

「………ノアさん、エクスさん、この前僕は隠し事をされてると言いましたけど、僕もまだ二人に言ってなかった事があったのに気付きました。今話しても良いですか?」

『?』

 

疑問を示した後、二人は首を縦に振った。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

哲郎は自分が異世界に来た経緯

ラミエルという女性とラグナロクの破滅を目論む組織の存在

そして里香がその組織の一員であると言う事を順を追って丁寧に説明した。

 

二人は動揺は見せずに淡々と相槌を打って話を聞いている。

 

「…………なるほどな。それが本当ならリカ・ヒメヅカ(あいつ)がわざわざあんな回りくどい方法を取ったのも納得がいくな。」

「だがそいつが言ってる事は本当に信用出来る事なのか?」

 

「信憑性は問題ありません。 少し性格に難はありますが、彼女は信頼出来る女性です。

それで頼みたいんですが、この世界(ラグナロク)を救う戦いを一緒に引き受けてくれませんか!?」

 

哲郎は必死に頭を下げた。その頭上から『何を言っている?』という声が聞こえ、咄嗟に頭を上げると二人の笑みが見えた。

 

「俺はもちろん一緒に戦うつもりだがエクス お前はどうする?」

「愚問だな。お前が思っているようにこいつは俺にとっても大切な人間になった。

断る理由など無い。」

 

哲郎の口からは意識するよりも早く感謝の言葉が出ていた。



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#140 Maid isn't first meeting

朝食を取り終えた哲郎達三人は場所をエクスの家に移した。

目的は二つ 本物のラドラの現状を把握する事とかれからどんな証言が得られたかを確認する為だ。

 

居間でくつろいでいると、ドアを叩く音が聞こえた。

 

「失礼致します エクス様。」

 

ドアを開けてミゲルが入って来た。

 

「ミゲルさん! お久しぶりです!!」

 

ラドラ寮のワードとの激闘以来の再開に喜ぶ哲郎に一瞥を送り、ミゲルはエクスの前に座った。

 

「……ミゲル、あれから1日経った訳だが何か新しく得られた証言はあるか?」

「はい。ご報告します。

まず、本物のラドラ・マリオネスですが、彼が扱う魔法は人形魔法でこそありますが、それは人形を数体程度具現化させて使役するといった簡易的な物であると分かりました。」

「……………」

 

哲郎にはそれがどれくらい凄いことなのか分からなかったが二人の表情を見るにさして凄い物ではないと感じた。少なくとも偽ラドラ(姫塚里香)の【能力】よりは劣っている事は間違いない。

 

「それから、状態が落ち着いたのを見て、ラドラと七本之牙(セブンズマギア)を面会させました。」

「…………それで結果は?」

「まるで初対面かのような反応でした。」

「? 待って下さい ミゲルさん。」

 

反射的に哲郎は手を挙げた。

 

「? どうした テツロウ君?」

「彼 レイザー・マッハは僕に『ラドラ・マリオネスとは>半年前《・・・》に出会った』と言ってました。という事はレイザーは学園の生徒として寮長(ラドラ)を知っていたんじゃ無いですか?」

「学園の生徒であっても寮長の事を詳しく知っているとは限らないだろ。それにそいつは人間属飲みで【魔眼】を持っているせいで人と距離を置いて生きている。初めてラドラと会ったのが姫塚里香の(入れ替わった)時であっても不思議は無い。」

「! そ、そうか。分かりました。」

 

横目で送られたエクスの言葉で我に返る。

レイザーがラドラにスカウトされた半年前が里香に体を奪われた直後と考えれば辻褄は合う。

 

「それで、今ラドラはどうしている?」

「肉体の疲労は完全に回復しましたので、今は来客用の部屋で待機してもらっています。レイザー達は現在も拘留中です。

彼らの処遇はグス達と一緒に後日行われる学園内の会議にて決する予定です。」

「そうか。」

「報告は以上になります。」

 

ミゲルが報告を終えるとエクスが合図をして退出するように促した。

 

「あぁ それから、

あいつをテツロウに会わせたい(・・・・・)から適当なお茶と茶菓子でも持ってくるように言ってくれ。」

「かしこまりました。直ちに。」

 

ミゲルは深く一礼をして部屋を後にする。

 

その直後、エクスがノアの傍に近づいて指で話し始めるように合図した。

 

『…………エクス、テツロウにあいつ(・・・)を会わせるのか?』

『ああ。もう既に粗方の事情は話している。それにこうした方が二人の為(・・・・)だろう。』

『そうだな。』

 

哲郎の耳には二人の小声の会話は入らなかった。代わりに考えていたのは昨日ぶつかった給仕の事だ。

エクス程の人間が給仕を雇う事はおかしくは無いが彼女は自分と同じ位の年齢だった。

異世界(ラグナロク)の倫理観がどうなっているのかは知らないがどういう経緯で働く事になったのか位は聞いておいても良いだろう と思ってエクスに話しかける。

 

「あの、エクスさん。」

「? どうした?」

「突然で申し訳ないんですけど、この家って給仕とか使用人ってどれくらいいるんですか?」

「使用人? 何の話だ?」

「言うほどの事じゃないと思って言わなかったんですけど、昨日本物のラドラさんを部屋に連れていく時に給仕(メイド)の格好をした女の子とぶつかってしまったんですよ。

ですから、やっぱりこれだけ広い屋敷だとそういうお手伝いさんとか沢山いるのかも思いまして。

あぁ すみません。こんな時につまらない事聞いちゃって。」

 

哲郎が笑い紛れに誤魔化そうとしていると、ドアを叩く音が耳に入った。

 

「来たか。 入って来て良いぞ。」

(お茶とお菓子を持って来るって言ってたけど、やっぱりお手伝いさんくらい普通に居るよね

 

!!!?)

 

ドアを開けて入って来た人物を見て、哲郎の表情が驚きに染まった。

その人物は哲郎が昨日ぶつかった給仕の少女だったのだ。

 

「あ、あなたは昨日の……………!!!」

「はい。改めてご挨拶させて頂きます。

田中哲郎(・・・・)さん。」

「?!」

 

哲郎を更なる驚きが襲う。

目の前の少女はたった今 哲郎を前世の呼び方(名字、名前の順番)で呼んだ。

 

「? どうかしたか?」

「さっき 給仕の女の子とぶつかったって言ったでしょ!? この子がそうなんですよ!!」

「……そうか。だったら話は早いな。」

「それに彼女の今の僕の呼び方! 一体…………」

 

「少し落ち着け。順を追って説明する。

彼女は朝倉彩奈(アヤナ・アサクラ)

この家で給仕として働いて貰っている【転生者】だ。」



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#141 The teleportation girl

エクスの口から出た言葉

それは目の前の給仕(メイド)姿の少女が自分と同じ世界から来た【転生者】であるという事実だった。

 

「あ、あの エクスさん、」

「? 何だ?」

「昨夜見た夢で、転生者は前世(過去)の経験で能力が決まるって事を聞いたって言いましたよね? じゃあその 彩奈 さんにもそういうのがあったりするんですか?」

「ああ。こいつはお前と違って口下手で話せば長くなるから俺が話そう。

 

「は、はい。 お願いします。」

 

エクスの後ろで彩奈がたどたどしい口調で頭を下げた。

 

 

 

***

 

 

 

朝倉彩奈 14歳

彼女の半生は壮絶なものである。

 

小学生時代は普通の生活を送れていたが、中学生になった時に彼女の運命は一変する。

内気で暗い性格が災いしてクラスの素行の悪い生徒に目をつけられ、いじめを受けるようになってしまった。

 

そして災いが畳み掛けるかのように彼女の父親が交通事故で非業の死を遂げた。

 

母親は精神を病んで家にも学校にも居場所が無くなってしまった彼女は『どこか遠くの場所に飛んでいってしまいたい』と思うようになった。そんな事を考えていたある日、通学路の駅のホームから足を滑らせて線路に転倒し、電車に轢かれて死んでしまう。

 

 

 

***

 

 

 

「………と、いうのがこいつの前世の話だ。」

 

哲郎が話を聞いて考えたのはいつか見た学園ドラマのような話のように現実感が持てないという事だった。

 

「それで、そんな彼女がどうしてこの屋敷で働いているんですか?」

「それは簡単な話だ。このラグナロクに転生してからは右も左も分からなくてな、ギルドの中で靴磨きをして日銭を稼いでいて、俺がギルドに訪問した時にこいつと出会ったんだ。その時ノアも一緒に居たから転生者だと分かった。

そしてすぐに俺の屋敷の給仕として住み込みで雇う事が決まったんだ。」

「えっ?! 待って下さい!

【転生】してすぐに(・・・)ギルドの中で靴磨きを始めたってことはつまり………………」

「ああ。そういう事だ。

アヤナも俺たちと同じ《不完全な転生者》だ。記憶と年齢が前世と一緒という点が本来の転生者と比べて不完全なんだ。」

 

哲郎は頭の中で今までに得た情報を整理していた。

自分は死んでいない事と容姿、年齢が前世のままであるという点

ノアは元々ラグナロクの住人で転生して尚ラグナロクで生活している点

エクスは転生者を見てもその者が転生者であるという事が分からないという点(自分にも当てはまるが時間が経てば使えるようになるらしい)

 

そして彩奈は年齢が前世と同じであるという点が本来の転生者と違っている。

 

この事から哲郎が導き出した転生者の定義は、

①転生者はもちろんの事 一度死ななければならない

②転生すると前世とは違う世界に飛ばされる

③赤ん坊の状態で転生する

④容姿が前世とは異なる

⑤転生者は前世に起因する【能力】を持たされる

というものであった。

 

「エクスさん、説明をありがとうございました。 それで、彩奈さん。」

「は、はいっ!!」

 

不意に声をかけられて彩奈は裏返った声を出した。

 

「一つ、あなたから教えて欲しい事があります。彩奈さんも【転生者】という事はやっぱり持ってるんですよね?

前世(過去)に基づいた能力》を。」

「………!! は、はい。

それは もちろん。」

 

彩奈はたどたどしい口調で哲郎と会話を試みる。哲郎は何回も転校を経験したことで沢山の人間と触れ合い、人と会話をする能力が養われたが、その能力が乏しい人間も少なからず存在するのだという事を理解する。

 

「……とは言っても私の能力なんて、何の使い道も無いような弱々しい物なんです。」

「弱々しい?」

 

哲郎も自分の【適応】が最強だとは微塵も思っていないが、それでも弱いと思った事は一度も無い。自分で弱々しいというからにはよっぽど自信が無いのだろう。

 

「……はい そうなんです。

見せた方が早いと思うので、手を出してくれますか?」

「手を? はい。」

 

哲郎が彩奈に向かって手を差し出すと、彩奈はポケットからコインを1枚取り出した。

 

「…………行きますよ。」

 

哲郎は彩奈の手の平に乗ったコインを見つめていた。すると、そのコインが突如として消えたのだ。

 

「!? 消えた!!?

━━━━━━━━━━あっ!!」

 

消えたコインは哲郎の手の平の上に乗っていた。

 

「もしかしてこれは…………!」

「そうです。私の能力は【転送】

触った物を行ったことがある場所や自分の見えている範囲に移動させる事が出来るんです。

多分 前世()に遠くに飛んでいってしまいたいって考えてたからこんな能力が身に付いたんだと思いますけど。

 

まぁ 折角転生してもそれしか出来ないんですよ。弱々しいでしょ?」

 

彩奈は自嘲気味に小声でそう笑った。

後で『日常生活なら役に立ちそうじゃないですか』と言って慰めようと 哲郎は思った。



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#142 Invitation from the king

哲郎にとっての彩奈の能力を見た第一印象は《自分と似た系統の能力》だというの事だ。

彼女の【転送】にも自分の【適応】にも、ノアやエクスのような圧倒的な攻撃力がある訳では無い(ラドラ(里香)はどちらともいえない)が、哲郎はその能力を最大限利用して魔界コロシアム、そして初めての依頼をこなして見せたのだ。

 

だから後で『その能力にも必ず出番がある筈だ』と慰めようともと思った。

彩奈が哲郎の質問に答えてしばらく静かな時間が流れた後、エクスの通話水晶が光った。

後ろを向いて懐から水晶を取り出す。

 

「…………あぁ ミゲルか。どうした?

……………そうか分かった すぐに向かう。

 

……何? ……分かった。ちょっと待っていろ。」

 

数十秒の通話を終えてエクスは水晶を元の位置に直した。

 

「エクス、今のはミゲルからか?」

「ああ。」

「どういう用件だ?」

「何でも、俺宛への手紙が結構来たから確認のためにそれを客間に運んだからそこに来て欲しいと言うんだ。」

「客間に?居間(ここ)じゃだめなのか?」

「何だか秘密裏に送られてきた物もあるから人目に付く所じゃ開けられないらしい。それで、お前宛ての物もあるから一緒に来てくれと言っていた。」

「俺に?分かった。」

 

「そういう事だからアヤナ、お前はテツロウにしばらく紅茶でも振舞っていろ。直ぐに戻る。」

「はい。 かしこまりました。」

 

給仕としての仕事は慣れているのか彩奈の返事はつかえることはなかった。

哲郎と彩奈を残して二人は部屋を後にした。

 

 

 

***

 

 

 

「…………」

「…………」

 

二人部屋に残された哲郎と彩奈は話をする事が出来ずにいた。

彩奈に聞きたい事を全て聞き終わった今、これといって話す事も無い。

 

「あ、あの 哲郎さん。」 「! はい。」

 

口下手な筈の彩奈の方から口を開いた。

 

「私、エクス様から色々聞いたんです。

その、ラドラさん(・・)転生者(偽物)だったんですよね?」

「はい。姫塚里香と自分で名乗っていました。」

 

「………実は彼女(・・)、この屋敷にも一度来たんですよ。」 「!!?」

 

不意に事実を告げられて哲郎は驚きの声を漏らした。

 

「その時私がここの給仕(メイド)としてお茶を出したんですよ。なのに何も感じなかった。転生者(偽物)だって見抜けなかったんです。」

「…………何が言いたいんですか?」

 

過剰に神妙な彩奈の表情を不審に思って問いを投げ掛ける。

 

「エクス様は転生者を見抜く事が出来ないって事は知ってますよね?だからその役目は私がやらなきゃいけないのにそれさえも出来なかった。私はこの屋敷に拾ってくれた恩さえも返せなかったんですよ。」

「何を言ってるんですか!それはノアさんも同じ事ですよ!

あいつの魔法がみんなの上を行っただけの事です!」

 

彩奈の目に涙が溜まっているのに気付き、半ば冷静さを失って迫った。

 

「……エクス様達もそう言ってくれてました。

理屈では分かってるんですけどやっぱり不甲斐ないって思っちゃって。」

「……………」

「それで話は変わるんですけど、哲郎さんも日本(私と同じ前世)なら【異世界転生】の事 知ってますよね?」

「は、はい。 それはもちろん。」

「こんな事言うのも恥ずかしいんですけど私、少しだけ憧れてたんです。」

「憧れてたって、異世界に?」

「さっきも言いましたけど前世()はとにかく生きるのが辛くなっちゃって、異世界で平和に暮らしたいって 本気で考えてたんです。

だけど、折角転生出来ても手に入ったのはこんな弱々しい能力で(チートを振りかざして威張る気なんて無かったけど)、エクス様のお屋敷の給仕(メイド)位しか出来ることも無くて、やっぱり小説みたいには上手くいく訳ないですよね。」

「………………………」

 

「アヤナ、もうその辺にしておけ。」

「!!!! エ、エ、エクス様!!!」

 

扉を開けてエクスが入って来た。

その呆れたような表情から察するに、先程までの話は全て聞こえていたようだ。

 

「そうやって直ぐに卑屈になる癖 止めろと言ってるだろ。」

「もも、申し訳ありません!!!

お茶を出さなければいけないのについ話し相手にさせてしまいました!!!」

「いや、それは問題じゃない。それよりテツロウ、お前に用があって来た。」

「? 僕に?」

 

「ああ。俺宛の手紙の中に一通お前宛ての手紙があったから渡しに来た。」

「それはどうも。それで差出人は?」

 

質問に答えること無くエクスが手渡したのは豪華な便箋だった。

そこに書いてあった内容に目を通すと途端に表情が驚きに染まる。

 

「…………………!!? こ、国王…………!!??」

「ああ。俺もまだ中を見ていないがおそらくラドラ寮に関することだろう。

つまりこれは【国王からの招待状】という訳だ。」



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#143 Pescatore party

「お待たせ致しました。

ペスカトーレ ファミリーサイズです。ごゆっくりどうぞ。」

 

エクスの屋敷で国王からの招待状を受け取った翌日、哲郎は近況報告の為に自分とエクス、ノア、ファン、サラ、ミナ の計六人をパリム学園 魔人族・天人族科の食堂に集めた。

 

「僕がみんなの分よそいますね。」

 

そう言ってパスタと一緒に出された六人分の小皿を手に取り、麺を巻き上げて器によそう。

それぞれの性別や体格を考慮して麺の分量を調節し、そこに均等に具を盛っていく。

 

「随分手際が良いな。」

「昔 食事の席ではこういう事は僕がやっていたので。 はい サラさんどうぞ。」

「ありがと。」

 

サラは表情一つ変えずに盛られたパスタを受け取った。彼女と最後に会ったのはこの魔人族科でレーナに決闘を申し込まれた時以来である。

 

「………それで、どこから話せば良いでしょうか? 僕達が公式戦で勝った事はもう知ってますよね?」

「ええ。こっちでも記事になってしばらく大騒ぎしてたわよ?〖公式戦にて史上初の下克上が達成された〗なんて仰々しい見出しと一緒にね。 あんたがアイズンに大口叩いた事もしっかり書かれてたわ。」

「………そこは触れないで下さいよ。

ちょっとかっこつけ過ぎたなって後悔してるんですから。それにあれは彼に二度といじめをやる気を起こさせない為に演技でやっただけですから。」

「その割には随分とノリノリだったそうじゃない。冒険者より子役にでもなった方が安定して生活できるんじゃないの?」

「お姉ちゃん! その辺にして早く食べよう!

パスタ冷めちゃうよ?」

「! わ、分かったわよ。」

 

ミナに諭されてサラはしぶしぶと麺を口に運んだ。その様子を見て『助かった』と軽く胸を撫で下ろす。

 

「それでテツロウ、今度は私から質問良い?」

「? どうしました?」

 

食事の席とは思えない程神妙な面持ちでミナが口を開いた。

 

「……公式戦の後で聞いたんだけど、あの(・・)ラドラが偽物だったっていうのは本当なの?」

「!!」

 

突然 本題に入られた哲郎は一瞬たじろいだ。

横目でエクスに視線を送ると表情を全く変えずに黙々と麺を口に運んでいる。エクスがミナに伝えたらしいと判断した。

 

「それは間違いありません。彼になりすまして学園に良からぬ事をやろうとした女が居ます。証拠もあります がそれは後で見せます。

 

人形とはいえ精巧に作られた【生首】ですから。」

「!!」

 

【生首】というあまりに直接的な単語に食欲を乱されたのか、サラの喉が震えた。

むせるには至らなかったらしいが水を一口飲んで一息をつく。

 

「サラさん! 大丈夫ですか!?」

「え、ええ 大丈夫よ 心配ないわ。

ちゃんと証拠品が人形の首だって事も知ってたから 安心して。」

 

サラの顔がほんの少しだけ青くなっているのを見て『表面を触感を人肌に見せ掛ける魔法を掛けて再現していた事』や『眼球や唇や歯が本物そっくりに作られていた事』や『首だけになった今ですら本物そっくりに見える事』など色々言おうと思っていたが止めておこう と思った。

 

「だけどやっぱりとてもじゃないけど信じられないわね。いくら魔法とは言っても所詮は人形でしょ?それを人間そっくりに動かしたり見せかけたりするなんて聞いた事ないわ。」

「?! (里香が【転生者】だって事は教えてないのか?)」

 

「ねぇテツロウ、あんた何か聞いてないの?

その偽者の目的が何なのかとかそいつがどこの誰なのかとか そもそも何でラドラに目をつけたのか とかさ。」

「いや、彼女については何も聞いていませんね。強いて言えばノアさんとエクスさんが友人だったと知っていて(学園内での生活で知ったんだと思う)、それを僕に教えてくれた事くらいですね。」

 

他にも自分が転生者である事や、哲郎達が実は【不完全な転生者】である事などを教えていたが、伏せておく事にした。

 

「それに付けても気になるのはこれからよね。

好き放題いじめをやってたグスやアイズン達はもちろん、レイザー達まで捕まえたんでしょ?

まぁ退学や国外追放は免れないだろうけど。」

「その事についてなんですけど、どうやら僕が重要な役割担わなければならないかもしれないんですよ。」

「? どういう事?」

 

哲郎はフォークとスプーンを皿の前に置いて、持ってきた鞄から礼の便箋を出した。

 

「!!!? そ、それってまさか…………!!!」

 

豪勢な便箋の内容を察したのか、サラだけでなくミナの表情も驚きに染まっていく。

 

「そう。【国王からの招待状】です。これがつい先日送られてきました。

何でも、ラドラ・マリオネスが偽物だった事に関して、一番事件に関与した人物として証言して欲しいらしいんです。」

 

哲郎は表情を崩さない。

依頼を完遂した後始末も冒険者の立派な務めであると理解していた。



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#144 The eve of the King's Audience

哲郎はサラ達が招待状の内容を読み終えた事を確認してからそれを自分の懐にしまった。

この食事の席を設けたのは初めての依頼を完了した事と招待状を受け取った事を伝える為であり、そのためこれで哲郎の目的の殆どは完了した。

 

「………? どうかしましたか?」

 

哲郎はサラの表情が予想より遥かに動揺に染まっている事に気が付いた。その事を不審に思って質問を投げかけると、彼女の口が大きく開いた。

 

「どうしたもないわよ! あんたそれがどういう事か分かってるの!!?」

「え? どういう事も何も『事件の事を証言してくれ』っていう事でしょう?それ以外の何があるっていうんですか?」

 

哲郎が純粋にそう答えると、今度はサラの表情が『やれやれ』と言わんばかりに呆れた表情に染まった。

 

「知らないの!? 国王様はね、殆ど滅多に国民に姿を見せたりしないのよ!!?」

「えっ!? 会った事無いんですか!?

紅蓮の姫君(あなた程の人)が!!?」

 

【紅蓮の姫君】などという異名を持ち、他の生徒から《様》付けで呼ばれる程のサラなら国王に会っているものだと思っていた。

 

「そうよ。 私たちが知ってるのはせいぜい名前と素性くらいの物よ。」

「素性? そんなの王家に産まれてそのまま先代の後を継いだとかじゃないんですか?」

「そんなありふれたものじゃ無いわよ。

もっともっと壮絶な人生を送ってるんだから。」

 

 

 

***

 

 

 

国王 名前を【ディルドーグ・バーツ・ヴルガン】 という。

元々王家の血筋ではなく、騎士の一家に産まれ、物心付くより前から剣の修行を積み、その類まれなる才能を発揮して十代後半の頃には一隊の騎士団を率いるほどになっていた。

 

彼が二十歳を越えた頃、王家ヴルガン家との縁談が持ち上がり、彼もそれを受け入れた。

そしてその高い剣と統率力の高さを先代国王に買われ、息子に恵まれなかった先代の跡を継ぐ形で国王の座に就いた。

 

 

 

***

 

 

 

「………ってのが国王様の素性よ。

? どうしたの?なんか納得いかないみたいな顔をしてるけど。」

「今の話を纏めると、騎士の家に産まれた男が王家に『婿養子』として行ったってことになりますよね?

いくら先代様に息子が居なかったからといって後を継げるものなんですか?それこそ娘を女王にでもするという選択肢くらいありそうですけど」

「もちもん王家の間でもそんな話はあったわ。

実際先代様の王女とその座をかけてどっちが相応しいか国民の声を聞いたくらいよ。」

「国民の声を聞いた?(それって選挙って事か?)」

「ええ。それで倍近い票数の差で今の国王様に軍配が上がったって訳。まぁ完全に実力で勝っていたって事ね。」

「そうなんですか………………(案外僕のいた世界と変わらないのか…………)。」

 

「ってか、これくらい常識で知ってるもんじゃないの?」

「すみません。 コロシアムに出てから色々な事が立て続けにあったものですから。」

 

哲郎は質問に答えたが、サラの表情は納得いかないと言っているように見えた。

 

「………ねぇテツロウ、あんたって何か無知過ぎない(・・・・・・)?」 「!!!」

「ってかもう無知を通り越してまるでついこの前までラグナロクの事を何も知っていないように見えるんだけど?」

「な、何を言ってるんですか!!!

そんな事ある筈ないでしょ!!! 変な事言わないで下さいよ!!」

(別にラミエルさんにバレちゃいけないって言われてる訳じゃないけどやっぱりマズイよね!?

僕の戦いに不用意に巻き込む訳にも行かないし!!

それにノアさんもエクスさんも自分が転生者だとは言ってないみたいだし………)

 

偽ラドラ・マリオネスこと姫塚里香 そして彼女のバックにいるこのラグナロクの破壊を目論む《悪の転生者の集団》 自分がそれと戦うことになるであろう事は目に見えている。

転生者でもない彼女達を巻き込むのは避けねばならない事だ。

 

「………まぁ別に言いたくない事があるなら別に今すぐ言わなくても良いのよ?」

「あ、ありがとうございます。(いつかは言わなくちゃいけないのか………………

まぁそれはそうだよな……………。)」

 

コロシアムで一戦を交え、今もこうして一緒の食事の席に座っている。自分とサラ達との関係性は決して浅くはない。

いつの日か打ち明けなければならない日が来るのであろう と感じた。

 

そして熱が抜け始めた残り少ないパスタの麺を口に運びながら考える。

国王に謁見するという時間が様々な人間の運命 ひいてはこのラグナロクの運命も左右しかねないという事を。

 

そしてこの近況報告を兼ねた食事会が終わった数日後、哲郎は国王立ち会いの元行われるパリム学園 人間族・亜人族科のいじめ問題の判決を決める裁判へと足を運ぶ事になる。



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#145 EMPEROR

「ここか…………」

 

小声でそう呟いた哲郎の目の前にはそれこそ漫画やゲームでよく見るような白い壁に青い円錐状の屋根が沢山並んだ巨大な白がそびえ立って居た。

招待状に同封されていた地図には城への行き方が詳細に記されてあったが空を飛べる哲郎にとってはそんな物が無くても雲にも届きそうな程高い建物を見つけて飛んで行くのは不可能ではなかったが、国王の善意を無駄にするまいと歩いて行くとこにした。

 

「!」

 

哲郎の目が身の丈の何倍もある巨大な門の両端には鎧に身を包んで槍を構えた男が二人並んでいるのを認めた。この城の門番と見て間違いない。

その二人の内の一人が槍を下ろしたまま哲郎の方へと向かってきた。

 

「テツロウ・タナカ様でございますね?

御手数ですが招待状をお見せ下さい。」

「あ、はい。」

 

その屈強な見た目からは想像もできないほどの穏やかな口調に戸惑ったが、懐から招待状を取り出して見せた。

 

「……………確かに。 では待合室を用意しておりますので、そちらでお待ち下さい。」

 

 

 

***

 

 

城に入った哲郎を待っていたのはそれこそ見渡しきれない程広い大広間だった。そして驚かされたのは(異世界の)城にエレベーターがある事だ。

ラグナロクには当然電力はなく、歯車によって動くという古風な物であったが、それでも哲郎の体をかなりの速さで上の階へと連れて行った。

 

どれくらい昇ったのかも分からなくなる程上の階についてエレベーターを出ると、一流ホテルの一室と間違えそうになるほど豪華な部屋へと案内された。

 

「………ここが待合室ですか?」

「はい。時間になりましたら迎えに参ります。

テツロウ様にはパリム学園のいじめ問題 及び寮長ラドラのなりすまし事件に関して証言して頂きますのでそのつもりでいて下さい。」

「………分かりました。」

 

城の人間が部屋を出た後、哲郎は用意されていた椅子に腰を下ろして思考を巡らせた。

前世からは考えられない程豪勢な扱いで忘れそうになるが、これは裁判であり、ひいてはこの世界全体に関わる事でもあるのだ。

 

学園のいじめ問題だけではここまでの大事にはならなかった筈であり、裁判が国王立ち会いの元行われているのは偏に姫塚里香(ラドラになりすましていた人間)の存在があるからに他ならない。国王は里香の正体 そしてその理由を知りたがっている。

 

里香のバックにいるであろう組織の存在を話していいのかは分からないが、それでも言える事は全て言おうと決めてここに来た。

 

 

 

***

 

 

 

豪勢過ぎる部屋で落ち着けないまま数十分待っていると、不意に扉を叩く音が鳴った。 「どうぞ」 と許可を出すと、城の人間らしい畏まった服装の男が入って来た。

 

「テツロウ様、国王様がお呼びです。御手数ですが招待状を持って一階までいらして下さい。」

「(いよいよか………)

分かりました。すぐにいきます。」

 

鞄の中に入れた必要最低限の荷物も殆ど出さなかったので鞄を持ち上げるとすぐに部屋を出た。

 

 

***

 

 

エレベーターに乗って下の階に降りる時は少しだけ浮遊感を感じるものだが、哲郎の11年に及ぶ人生にとってそれを感じた時間が一番長かったのは誇張無しにこれが最長であろう。

この時間に他にエレベーターを利用する者は居らず、エレベーターは元いた階から国王の待つ客間のある一階まで一直線に哲郎を送った。

 

エレベーターを出ると今度は身の丈より少しばかり大きな扉の前に案内された。

 

「こちらが客間となります。

僭越ながら、くれぐれも粗相の無いようにお願い致します。」

「……もちろんです。」

 

城の男が扉を開ける その短い時間の中で哲郎は緊張する身体に必死に言い聞かせた。

自分は別に交渉や意見申し立てをしに来た訳では無い。ただ裁判で証言をする為だけに来たのであり、今の自分なら必ずやり遂げられる と。

 

 

「…………………!!!」

 

扉を開けて哲郎の目に飛び込んできたのは大きな椅子に座る黒い革服に身を包んだ初老の男性だった。短めに切りそろえた黒髪と逞しい髭、そしてその切れ長な目だけで哲郎の心に緊張感を植え付けた。

 

「………遠路はるばるよくぞ来てくれた。テツロウ・タナカ君。

私が国王 ディルドーグ・バーツ・ヴルガンだ。宜しく頼む。」

「初めまして。 田中哲郎(テツロウ・タナカ)と申します。本日はお招き頂き誠にありがとうございます。」

 

一回もつかえる事無く返事の言葉が出てきた事に安堵した。このコミュニケーションの力を育ててくれた数多くの転校、そして親や友達達に心の底から感謝したくなる。

 

「謙遜は要らぬ。呼びつけたのは私だ。そんなに謙る必要も無い。

おい、お前はもういいぞ。席を外したまえ。」

「はっ!」

 

城の男に少しばかりきつい口調で退出するよう命じ、部屋には国王と哲郎の二人だけとなった。これから言わなければならない証言の内容を必死に思い返す。

国王の手の合図に促されて彼の目の前の椅子に腰を下ろした。

 

「………ではテツロウ君よ、早速だが本題に入りたい。君がパリム学園の寮長 エクス・レイン君と協力してラドラ寮の企み、 ひいては彼の正体を明かしたというのは本当かね?」

「はい 間違いありません。」

「……そうか。 では聞かせてくれるかね?

ラドラ・マリオネスになりすましていた《転生者(・・・)姫塚里香(リカ・ヒメヅカ)について知っている事を。」

「!!!??」



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#146 The Kingship

哲郎はたった今 国王が言った言葉を頭の中で整理し、そしてその上で理解出来ずにいた。

自分の耳が正しければ国王は『姫塚里香が転生者である』と言ったのだ。

 

「ん? どうした?

姫塚里香(リカ・ヒメヅカ)について知っている事を教えてくれ と言ったのだが?」

「ど、どうしてそれを…………!!!?」 「?!」

 

「どうして彼女が転生者だと知っているんですか!!!? ま、まさか国王様も━━━━━━」

「いや違う。 私は転生者では無い。

ただ私の世話係の一人が 『こんな事は魔法では到底出来ない。 転生者の能力でなければ説明がつかない』と言っていた。そいつは転生者だったからな。」

 

哲郎は心の中で『そうですか』と安堵し、質問を重ねる。

 

「………国王様は転生者の存在を信じているんですか?」

「信じるも何も転生者の存在は公式に確認されている。古い書物の中とはいえ その存在は伝説として語り継がれているからな。

 

それよりもテツロウ君、君はたった今 『国王様()』と言ったが もしや」

「!!

…………はい。僕も里香と同じ転生者です。隠すような真似をしてすみませんでした。」

「構う事は無い。他言はしないから安心してくれ給え。

それで、私の質問にまだ答えていないが━━」

「! 分かりました。知っている事を全て(・・)お話します。」

 

 

 

***

 

 

 

哲郎は時間を掛けて 自分を転生させてくれたラミエルの存在

里香が所属するラグナロクの破滅を目論む組織の存在

そしてその組織のトップの前世(正体)をラミエルが知っている事を順を追って説明した。

 

 

「━━━これで知っている事は全てです。信じて貰えますか?」

「無論 信じよう。この世界には転生という物があるのだ。その位の事は不自然ではないだろう。それで、それを証明出来る物は何かあるか?もしあれば私以外の誰かに説明する時にでも使いたいのだが」

「申し訳ありませんがこれといってありませんね。彼女 ラミエルさんは既に死んで僕にだけ干渉出来る幽霊のような状態になっていますから。」

 

残念だ という様子は顔に出さず、国王は首を縦に一回だけ振った。

 

 

「では、話を次に移したいのだが、そのリカがなりすましていたという証拠は持ってきているかね?」

「それはちゃんと持ってきました。 こちらです。」

 

哲郎は鞄に入れていたラドラ(の人形)の生首と里香が写る写真を机の上に置いた。

国王はその生首を手に取ってまじまじと見つめる。

 

「…………ふむ なるほど。実に精巧に出来ている。これではみんな騙される筈だ。

眼球は水晶を加工した作ったのか………………。

テツロウ君、報告ではこの表面には触感を偽造する魔法が掛けられていたと聞いているが、それも本当かね?」

「それも間違いありません。それ(・・)と戦って実際に触れた僕ですらまんまと騙されました。まだ魔法式の痕跡は残ってる筈ですから後で確認をお願いします。」

「分かった。 ではこの二つは裁判で使うからそのつもりでいてくれ。」

 

哲郎は目を閉じて頷いた。 これから本当に裁判が始まるのだと実感させられる。

 

「それで最後に言っておかなければならない事があるのだが、判決は既に決まっている(・・・・・・・・)。」

「エッ!!?? 決まっているってどういう━━━━━━」

「というのもだな、君に証言してもらいたいのは私ではなく学園生徒や国民に対してなのだ。

ラドラになりすましていた女がいるという事をな。」

「………理屈は分かりますが、その判決というのはどういうものになっているんですか?」

 

哲郎の質問に対し、国王は返事の代わりに丸めた紙を懐から取り出した。

 

《主文

グス・オーガン ロイドフ・ラミン アイズン・ゴールディ

レイザー・マッハ ワード・ウェドマンド エドソン・グリムガン ユーカ・アムーレ ナイク・シュリカン ハンマー・ジョーズ

 

計九名をパリム学園 退学及び国外追放に処す

但し ラドラ・マリオネス成りすまし事件の調査協力を条件にのみこの裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予する。》

 

「………これってつまり執行猶予って事ですよね?」

「そうだ。ラドラになりましていたリカに一番接触していたのは彼らだから是が非でも協力してもらいたいのだ。

リカ達がこの世界の破滅などを目論んでいるのならば尚更だ。」

「…………………………!!!」

 

国王の表情は真剣そのものだった。

これから裁判にかけられるのが学生(未成年)とはいえ執行猶予をつけたりすればいじめの被害者から反感を買う可能性もあるかもしれないが、国王は全く恐れていない。

国王は自分の地位や身よりこの世界の安全の為に行動している。

 

これが王家の血を引いていない彼が国王になれた理由なのかもしれない と哲郎は思った。



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#147 The Black Agent

国王との話が一段落ついた哲郎は壁に掛けられた時計に目をやった。裁判が始まるまであと二時間を残すのみとなっている。

 

「それでやっぱり、裁判はここの城でやるんですよね?」

「うむ。ここの十階には大広間があって、そこに色々な人間を呼んである。傍聴席も抽選を出した翌日には埋まってしまった。」

 

まるで自分で開いたパーティーに沢山人が来てくれたかのように得意げに話す。

 

「……そこまで大々的にやるということは、やっぱりやっぱりあの事(・・・)は伝えてるんですよね?」

「もちろんだ。ラドラのなりすましくらい伝えているに決まっているだろ?たかがいじめ問題如きの裁きを何故私の城でやる必要があるのだ?」

 

『如き』という表現は不適切だと感じたが、学園のトラブルをいちいち城の中で解決していたら日にちがいくらあっても足りないだろうと納得付けた。

パリム学園はあらゆる分野においてエリート校であり、その生徒 ましてや寮長のなりすましとなれば生徒にとっては一大事件といえる。国王の立ち会いの元で裁判にかけるのは自然な運びだ。

 

そう思考を巡らせている最中、扉を叩く音が哲郎の耳に入って来た。

 

「国王様、オルグダーグです。

招待状を持つ者が国王様とお話がしたいと言って 待たせております。」

「そうか分かった すぐに向かう。

それから部屋の中に証人を読んでいるからお前も挨拶しなさい。」

「畏まりました。」

 

「…………………

あっ!」

 

扉を開けて入って来たのは黒のローブに身を包んだ黒髪短髪で高身長の青年だった。哲郎はその外見に見覚えがあった。

 

「紹介する。彼が私の親衛隊の《オルグダーグ・ヴェドマンド》君だ。」

 

国王から聞かされたその苗字で確信した。

 

「分かると思うが今日裁判にかけられる一人のワード・ウェドマンドの兄だ。」

「………………!!」

 

哲郎はオルグダーグの顔をまじまじと見つめる。その顔立ちの所々に彼の面影が見えた。

 

「ちなみにだが、姫塚里香(リカ・ヒメヅカ)が転生者だと見抜いた転生者が私の部下にいると言っただろう?彼がそうだ。」

「えっ!!!?」

 

哲郎は驚いてオルグダーグの方を見た。

その表情は事実を否定する様子もなく淡々としている。

 

「ではオルグ、私は面会をしてくるからテツロウ君の相手をしていてくれ。」

「畏まりました。」

 

無機質な返答の後で国王が部屋を出た。

 

 

 

***

 

 

 

(……………またこの状態か………………。)

 

初めてあった人と二人だけで部屋に残されるという状態を、ついこの前彩奈と体験したばかりだ。

 

「…………テツロウ・タナカ君だな。」

「! は、はい。」

 

意外にも先に口を開いたのはオルグダーグだった。不意を突かれて返答が一瞬詰まった。

 

「色々聞きたいことはあるだろうが、まずは私の愚弟が迷惑を掛けた事を謝らせて欲しい。」

「いえいえ そんな事は。」

 

その冷たそうな表情からは想像もつかない程の腰の低さに哲郎の方がたじろいだ。

エクスの屋敷から自分を攫ったのは他でもないワードだが、哲郎は別に迷惑は感じていないが、それは言わないでおいた。

 

「……あの、オルグダーグさん。」

「オルグで良い。ここにいる人はみんなそう呼んでいる。」

「じゃあオルグさん。あなたはラドラになりすましていた少女が転生者だと見抜いたそうですが、今の僕はどうですか?」

「君が転生者か分かるか という事か?

それなら君が転校をたくさん経験した学生だ という点を含めて全て分かっている。」

「………………」

 

こうまで自分の生い立ちを言い当てられたのはコロシアムの決勝でノアに当てられた時以来だ。

 

「テツロウ君、君もエクスと関わっているなら当然そのノア(友人)アヤナ(給仕)とも会っているんだろう?」

「はい それはもちろん。二人とも会った事があるんですね?」

「ああ。君は二人を見てどう思った(・・・・・)?」

「どう思った というのは能力の話ですか?

ノアさんは恵まれてると思ったし、彩奈さんも特徴的だと思いましたよ。もちろん僕も《適応(この能力)》は気に入ってます。」

「気に入ってる か。そうだろうな。

転生者の能力にはその人の前世(全て)がそのまま反映されるから、馴染まない道理は無いんだ。」

「そうですか……………………(彩奈さんは気に入ってるようには見えなかったけどな)。」

 

彩奈と初めて会った事を思い出した哲郎は《あの質問》を投げ掛ける事に決めた。

 

「………あの、オルグさん。

もし宜しければあなたの能力を教えて欲しいんですけど。」

「? あぁそうか。

()不完全な転生者だから私の前世が分からないのか。

分かった。」

 

オルグダーグは哲郎に自分の手に注目するように促した。

 

「………………… あっ!」

 

オルグダーグの指先から焦げ茶色の細かい粒がどんどんと溢れ出した。哲郎はその正体に直ぐに気が付いた。

 

「もしかしてそれは………!」

「私の能力は《砂塵》。世間ではこれを土魔法として通している。」



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#148 The Sand Master

国王親衛隊 オルグダーグ・ウェドマンド

彼の前世(過去)は現在の華々しい経歴と対照的に平凡な物である。魔王などになって脚光を浴びることも、いじめを受けるといった過酷な目に合うこともなかった。

 

彼の前世は成年になって土地を調査する仕事に就き、そして生涯その道を貫いた後 天寿を全うして彼なりに充実した人生を終えた。

 

 

 

***

 

 

 

「…………………それだけですか???」

 

予想に反してあまりに早く終わってしまったオルグダーグの身の上話につい拍子抜けしてしまった。ましてやその長さは人一人が数十年生きてきた物とはとても思えず、自分の前世(11年)の方が長く語れる自信すらあった。

 

「そうだ。今のが私の過去話だ。

味気無いと思うならそうしてくれても構わない。」

「いえいえそんな風には思ってませんよ。」

 

オルグダーグも人生の全てが土地の調査だった訳では無い。自分に必要最低限の事を伝えた結果があの短さなのだ。

 

「それで次は、私のどこが《不完全》なのか話すとしようか。」

「え? 不完全? オルグさんがですか?」

「さっき『君()』と言っただろう?」

「あ、ああ。」

 

完全に聞き逃していた。

 

「オルグさんの不完全な点って何なんですか?」

「今 私の前世は地質調査員だと言っただろ?

現世()の私はその前世を実感(・・)できていないんだ。」

「実感できていない?」

「君は異世界(ここ)にいる今 自分の過去をはっきり 《実体験》として覚えているだろ?

私は自分の前世を 例えるなら伝記を読んだ時のように《知識》としてしか知らないんだ。」

「そうですか。ちなみに自分が転生者だと分かったのは何時頃の話ですか?」

「十年程前だな。」

「なるほど…………(早いのか遅いのか分からないな……………)。」

 

 

 

***

 

 

 

出された飲み物に一回口をつけた後、哲郎は話題を変える事にした。

 

「オルグさん、もう一つ聞きたい事があります。」 「?」

「弟さんの事、どう(・・)思ってますか?」

「!!

……………それはどういう意味だ?」

「そのままの意味です。これから裁判にかけられる事になるんですよ?」

 

オルグダーグは目を閉じて数秒した後に口を開いた。

 

「………熱心でこそあったがついて行く男を間違えた それだけの事だ。」

「…………………………」

 

オルグダーグの目は家族に対する物とは思えない程冷たかった。ワードのただ 兄を見習って上を目指す という言葉が思い出される。

 

「ちなみに聞いておきたいんですが、魔法式を改造して新しい魔法を作るのって具体的にどれくらい凄いことなんですか?」

「……魔力の才に恵まれていればさして難しいことでは無いが、そうでなければ途方も無い労力を要することになる。」

「…………それはどういう意味ですか?」

「それはあいつと戦った君がよく知っている筈だ。」 「!!」

 

ワードの泥の変幻自在の猛攻は哲郎とミゲルが協力して初めてどうにかできた代物だ。もし哲郎単独なら万全の状態でも押し切られていた可能性すらある。

彼の泥の魔法が磨き上げられていた事は火を見るより明らかである。オルグダーグの言葉は 弟の力を肯定している と解釈することにした。

 

そして話題を最後の質問に移す。

 

「それでオルグさん、最後に聞いておきたい事が、」 「?」

 

「僕達は偽ラドラ(リカ・ヒメヅカ)達と戦う心積りでいますが、オルグさんはどうですか?」

「………それをわざわざ私に聞くのか?

この世界の破滅などという思い上がった考えは何としても止めなければならないだろ。

それに、」 「!!」

 

その瞬間、哲郎の目にはオルグダーグの視線が冷たく光っているように見えた。

 

「私の弟を良いように利用した代償は耳を揃えて返してもらう必要があるからな。」

「………………………!!!」

 

哲郎は最後までオルグダーグが弟をどう思っているのか分からなかった。

 

 

 

***

 

 

 

オルグダーグとの対談からしばらく経ち、哲郎の場所は城の十階の大広間へと移った。

 

大広間の奥の玉座に国王が座り、その両端に大量の傍聴者が座っている。そのどれもが豪華かつかしこまった服装をしていた。

哲郎は呼ばれた時に証人台に立つ手筈になっている。

 

その広間に偽ラドラ(姫塚里香)配下の九人が入って来た。拘束されるでもなく強制されるでもなく この状況を甘んじて受け入れているように見えた。 実際に傍聴席からも避難の声は少しも聞こえなかった。

 

「皆の者 静粛に。

これより パリム学園いじめ問題 並びにラドラ・マリオネス寮長成りすまし事件の裁判を執り行う物もする。」

 

国王のその言葉だけで元々静かだった大広間にさらに緊張が走った。

 

(……いよいよ始まるのか………………!!!)

 

哲郎にとってはこの裁判は自分が敵対する巨悪と戦う事において重要な役割を担う。その裁判がこれから幕を開けるのだ。



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#149 Marionette Knight

普段滅多に国民に姿を見せない国王が姿を現した。その一つの出来事だけで会場にざわめきが起こった。

哲郎は国王の国民への影響力を再確認した。

 

「皆の者 静粛に。

本来 このいじめ問題は学園内の会議でその処遇を決める筈であった。何故ここまで事が大きくなったかと問われれば偏に寮長 ラドラ・マリオネスが成り済まされていたからである。

この裁判では主に成り済ましについての議論に重点を置く為、諸君もその心づもりをしておくように。」

 

既に学園内に成り済まし事件が知れ渡っていたのかその場に居た制服に身を包んだ学生達の中に不満を吐露する者は一人としていなかった。

 

 

 

***

 

 

そこからの数十分は 始めはアイズン達の被害者の生徒の証言が続き、その次に偽ラドラ(里香)に拉致監禁された生徒達が順番に証言台に上がっては降りをしばらく繰り返した。

 

そして最後に哲郎のよく知る顔が映った。

 

(! あれって…………!)

 

学園の地下で出会った少女 ミリアだった。

彼女もまた 自分を危険に晒したラドラが偽物だったと言う事は知っている筈だが、その動揺は一切感じなかった。

 

(ミリアさんも招待状を貰ってたのか? いや、そんな筈は……………)

 

そこまで考えて哲郎は結論に至った。

ミリアも招待状を貰っているなら国王から紹介があるはずであるため、学園から証言の依頼があったのだろうと考えた。

自分に招待状が来たのは自分が偽ラドラ(里香)に一番近しい人間だからであろう。数多くいる被害者の一人であるミリアにわざわざ招待状を送るとは考えにくい。

 

ミリアの証言は哲郎が地下通路で聞いた話と全く同じ 職員室に向かう途中で迷ってしまった結果何者かに眠らされたと言うものだった。

哲郎はその様子を冷静な感情で眺めていた。

 

(もうすぐ僕の番だよな…………)

 

時計に目をやると国王に予め伝えられていた予定の時間が少しづつ迫っていた。脳内で改めて自分がやらなければならない事を整理して繰り返す。

 

(大丈夫。 僕のやる事なんて簡単な事だ。

偽ラドラ(里香)の事について話せる事を全部話して その後で写真と(人形の)生首を見せればいい。

落ち着いてやればきっと大丈夫………………

 

?!)

 

開いた哲郎の目は奇妙な光景を捉えた。

国王の後ろに立っている甲冑に身を包んだ護衛の男達 その内の一人の顔色が明らかに悪い。

まるで何かに恐怖しているような印象を受けた。

 

 

「!!!」

 

次に哲郎の視界に飛び込んできたのは男の右腕が不自然に動く光景だった。その手元には金属の光沢が光る。

その瞬間 哲郎の身体は勝手に動いていた。

 

 

「国王様 危ない!!!!」 「!!?」

 

ドゴッ!!! 「ウグッ…………!!!」

 

人にぶつかる事の無い最短距離を全力で駆け抜け、剣を抜いた男に体当たりを見舞った。

剣の軌道は僅かにずれ、国王の肩の数センチ先の空を切り裂く。

鉄の塊にぶつけた肩が痺れるように痛むがそんな事を気にかける暇もなく男の剣を持つ手首を掴み、身体を捻って関節を固めて床に倒す。

 

金属の塊が石造りの床に叩きつけられて辺りに轟音が響き、それに連鎖するかのように場内がざわめきに包まれる。

哲郎が男の凶刃から国王を守り床に組み伏せるまで僅か6秒程の時間だ。

 

「おい ザフマン!!

なんのつもりだ 国王様に刃を向けるなど!!!」

「わ、分かりません!!

先程から身体が勝手に(・・・)動くんです!!!」

「何!?」

(!! 身体が勝手に(・・・)!?

まさか

 

!!!)

 

哲郎が考えを巡らせる暇もなくザフマンと呼ばれた男の眼前に赤色の魔法陣が展開された。

 

(こ、これはまずい!!!)

「国王様!!! 早くお逃げ下さい!!!!」

 

その願いも叶わずザフマンの魔法陣から放たれた一筋の大きな火柱が国王に迫っていく。ザフマンを組み伏せている哲郎はその光景を見ているしか無かった。

 

しかしその火柱は国王の身体を蹂躙することは無く、奥から高速で伸びて来た黄褐色の触手のようなものによって食い止められた。

その触手が動きを止めた瞬間 そこから粒のようなものが零れるのが目に入った。

 

(…あれって()!? って事は………)

「何とか間に合ったようで何よりです。国王様。」 「!!」

 

哲郎や騎士たちの視線の先にはオルグダーグが立っていた。その背中から砂を押し固めた触手が伸びている。

 

「オルグさん!!!」

「テツロウ君 何も話す必要は無い 状況はもう分かっている。ザフマンは操られている(・・・・・・)ようだな。ひとまずこいつで縛って動きを止めろ。」

「分かりました。」

 

オルグダーグの手には鎖が握られていた。

ザフマンの表情は『早く縛って動きを停めてくれ』と訴えかけているように見えた。

 

 

シュンッ!! 『!!?』

 

哲郎が拘束するために体重を緩めた瞬間、ザフマンの身体が宙を舞った。

 

「あーあ もうちょっとだったんだけどなー。国王サマを騎士が殺したってなったら大スキャンダルだと思ったのに。

ま、何でもボクの思う通りには行かないよね。」

 

ザフマンの身体が宙に吊るされた先で 姫塚里香が天井近くの装飾に腰を掛けて軽薄な笑みを浮かべていた。



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#150 The Crazy Beauty

「や! 久しぶり…………………って程時間も経ってないか。

まぁとにかくまた会えて嬉しいよ 哲郎君!」

「里香……………!!!」

 

国王の玉座の上 天井近くの装飾の上に少女が座っている。その異様な光景はその場に居た全員をパニックを通り越して沈黙させた。

そして国王に携わる人間は皆 その少女が哲郎が持ってきた写真の人物であると理解した。

 

しばらくの沈黙の後、状況を理解できない人々のがやがやとした声が場内に少しづつ発し始めた。

 

(そうか! みんなまだ里香の顔を知らないんだ!!

どうする?! この何も知らない大勢の人達を一斉に外に出すのは無理がある!!

だけど間違いなく里香は沢山人が居るこの場所で何かやるつもりだ!!!)

 

 

「おい貴様!!! ザフマンを離せ!!!」

「!!!」

 

国王の護衛をしていた騎士の内の一人が里香に向けて弓を構えた。哲郎が止せと言う間もなくその矢は放たれ 里香の眉間目掛けて一直線に突き進む。

 

シュパッ!!

「!!!? 何!!!?」

 

里香の顔面で何かが光り、矢が縦に二つに割れ彼女の左右を素通りした。

哲郎は直感的に里香が細い糸を巧みに使って飛んでくる矢を真っ二つに割ったのだと理解した。

 

「答えろ!! ザフマンをどうするつもりだ!!?」

 

自分の放った矢が縦に真っ二つに割れた

その異様な光景を見せつけられてなお彼の戦意は折れず、里香に更に凄んだ。

 

「……その台詞、先に攻撃してから言う??

まぁ 答えてあげると、良い素体(・・)がないか探しに来たんだよ。」

「?! 素体?!!」

 

(!!! まさか━━━━━━━)

「今すぐその場所から離れて!!!!」

「?! 何を言って━━━━━━━

グエッ!!!!?」 「!!!!」

 

哲郎の警告も虚しく矢を放った騎士は苦しそうに首に手をやったかと思うとその身体が宙に吊るされ、里香の目の前で止まった。彼女の左右にザフマンと弓の騎士が吊るされている。

 

「ん〜 結構丁寧に鍛えられてるね。流石は国王サマを守る騎士さんってトコかな。

これならそこそこの(・・・・・)ができそうかな!」

(!!! やっぱり!!!)

 

「させるか!!!!」 「!!!」

 

哲郎の真横からオルグダーグの砂の触手が里香目掛けて一直線に伸びた。しかしその砂は里香の前方に作られた交差する二本の巨大な人形の腕に阻まれる。

 

「ッ!!」

「凄い凄い!! やっぱり国王サマの護衛を任されてるだけのことはあるねー!

(ワード)と使い方は同じでも精度が段違い! 分かってたけど魔法と《能力》でここまで差があるとはねー!」

 

嫌味を混じえてオルグダーグを褒めたたえた後、里香の表情が険しくなっていく。

 

「……………だけどボクの芸術(・・)の邪魔をするのは止めて欲しいかな。この服や人形達を砂でドロドロにされたらたまんないし。」

「……………!!」

 

「あ! そうだ!

折角哲郎君が居てくれてることだし、サービスしてあれ(・・)作っちゃおっか!」

「!!?」

 

人が変わったように明るい表情になった里香が指を縦に振り上げるとザフマンと弓の騎士の表情が苦痛に染まり、その喉から声にならない程の呻き声が漏れ出した。そして二人の顔面や身体がガタガタと木が揺れるような音と共にどんどん変形していく。

それが始まった直後には哲郎と国王達以外の人間は皆 混乱と共に一斉に出口になだれ込み、大広間から逃げ出した。

 

そして大広間が静かになった頃には里香の変形は完了していた。彼女の左右に《五体満足のくるみ割り人形》と《上半身だけのくるみ割り人形》が浮かんでいる。

 

「よしよし悪くない出来栄え!そんでもってこの二つを

ガッチャンコ っと!」

「!!!!」

 

里香が両手を組んだのを合図に彼女の製作(・・)は完了した。作られたのは哲郎が地下通路で襲われた《上半身が二つくっ付いている人形の怪物》そのものだった。

下手に里香を刺激出来ない哲郎達は二人の騎士が人形に変えられていくのをただ 指をくわえて見ている事しか出来なかった。

 

「…あー、 驚いてるとこ悪いけど、君達への用はもう済んだよ?」

(!!! それってまさか!!!)

「さ! まだ遠くには行ってないよ!

素体(・・)を沢山捕まえて来て!!」

(やっぱり!!! 狙いは弱い傍聴者達か!!!)

 

哲郎が振り向いた時には怪物の姿は既に大広間の入口近くにあった。

 

(だ、ダメだ 間に合わない!!!)

「行かせるか!!!!」 「!!」

 

その瞬間、大広間の出入口を砂の壁が塞いだ。

人形の怪物は砂の壁に強かに打ち付けられる。

 

「おー 反応早いねー。」

 

その様子を里香は驚きもせずに見つめていた。

 

「オ、オルグさん!!」

「テツロウ君、しっかりと聞け。

今ので奴をこの大広間に閉じ込めた。最早援軍は望めない。今ここに居る私達だけで奴を倒す。 戦えるな!?」

「はい、もちろんです!!!」

 

オルグダーグに助けられてばかりではいられない と言わんばかりに哲郎は己に喝を入れた。



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#151 PHOENIX

レイザーやワードを含む大広間に居た人間は哲郎と王宮の職員を除いて全員 退出した。これで哲郎達の懸念要素は無くなったが、里香は全く表情を崩さない。

 

『オルグさん、油断はしないで下さい。

この前言っていたように里香は根源魔法を模倣して使いこなすような人間です。

転生者(僕達)が崩されたらあっという間に全滅してしまうでしょう。』

『………だろうな。』

 

里香の知識においてはオルグダーグより哲郎の方が一枚上の状態だ。

 

「……………んまー、これだけわんさかひとが集まってくれてるわけだし? やっぱこれが無難(ベタ)だよね?」

『!!!!!(いきなりか!!!!)』

 

里香が徐に手を伸ばすと前方に巨大な人形の腕が現れ、その掌に黒い魔法陣が展開された。

 

「《皇之黒雷(ジオ・エルダ)》」

「!!!!!」

 

里香の気の抜けた詠唱とともに魔法陣から巨大な黒い雷が一直線に放たれた。瞬間的に哲郎は考えるでもなく騎士達の前に出た。

 

「テ、テツロウ君!!?」

「皆さんは早く伏せて!!!! (忘れるな!!! こんな物 僕以外が触ったら一瞬で消し炭なんだ!!!)」

 

前に出した右腕の力を一瞬で抜き、脱力したまま振るって雷の先端にぶつけた。《(せせらぎ)》で弾き飛ばす算段に出る。

 

「…………………… グッ!!!!? こ、これは…………………!!!!

(あの時より格段に強くなってる……………!!!!?)」

「………あのさー、その技で弾こうとするのは良いけどさ、なんで君はあの時のボク(・・・・・・)が全力だって思ったの?」

「!!! (だ、ダメだ 押し負ける…………………!!!!)

ウワッ!!!!?」

 

雷の圧倒的な威力に押し負け、哲郎の身体は下方向に弾き飛ばされた。雷は上方向に弾かれ、大広間の天井に風穴を開ける。しかしこの場には城へのダメージなど気にする者は一人としていなかった。

 

「テツロウ君!! 大丈夫か!!?」

「僕の事は気にしないで下さい!!すぐに次が来ます!!! それに間違えないで下さいよ!!!

里香にとっては身体を媒介にしてない根源魔法なんて何発でも撃てるんですよ!!!」

 

国王から聞いた話では根源魔法は本来 威力と引き替えに杖などを媒介にして放つ物である。

魔界公爵家のイギアの家系は媒介を使わずに威力を落とすこと無く放つことができ、尚且つ肉体への反動も後遺症が残らない程度に抑えることが出来るのだ。

 

「そ。よく分かってんじゃん。 つまり、

これでお終いだよ。」 「!!!!」

 

先程と威力も大きさも遜色無いほどの黒い雷の塊が哲郎目掛けて一直線に突っ込んでくる。

哲郎は真っ先に自分では無く後ろの騎士達を庇わんと踵を返し走り出した━━━━━━━━

 

バリバリバリバリッッ!!!!! 「!!!?」

 

雷は哲郎に当たる前に炸裂する音を響かせた。

振り返るとそこには国王が剣を抜いて里香の黒い雷を真っ向から迎え撃っていた。

 

「ぬああっ!!!!!」 「!!!」

 

バチィン!!!! と強烈な音が響き、雷が剣に打ち上げられた。奇しくも雷は哲郎が弾いた場所と同じ穴を通過する。

 

「こ、国王様!!!」

「心配は無用だ!!! 君は早く体勢を立て直すんだ!!! 彼奴はすぐに次を撃ってくるぞ!!!!」

 

哲郎の心配を無用と切って捨てたが国王の顔からは目に見えて汗が流れていた。

 

「……こりゃ驚いた。

まさか国王サマが家臣(騎士さん)達を助けるなんて。」

「戯け!!! 今でこそ一国の王だが元より私は騎士の家系の生まれ!!

その誇りも剣術も一切捨ててはおらぬわ!!!!」

 

国王の表情は真剣そのものだったが、哲郎にはそれは虚勢にしか感じられなかった。

国王の持っている剣が無残なまでに黒く焦げていたからだ。

 

「………そんな黒焦げの剣 片手に凄まれても別に何とも思わないよ?」

「……………………」

 

剣が焦げている事は事実と認めたのか反論はしなかった。しかし後ろにいる騎士達の心配や怯え視線を感じ取ったのか、すぐに口を開いた。

 

「………確かにこの剣は黒く焦げている。最早用をなさないだろう(・・・)

ただし、この一発(・・・・)を撃った後の話だがな!!!!!」

「?!!!」

 

国王が一声と共に剣を里香の方向に向け、そこに黒い魔法陣を展開した。しかし里香の物とは違い、周囲が赤く光っている。

 

「テツロウ君!! そして皆の者!!! 離れておれ!!!

この魔法の衝撃波を受けるだけで、火傷では済まんぞ!!!」 「!!!」

 

国王の言葉が真実だと確信した次の瞬間には哲郎は国王との距離を取っていた。そして直ぐにそれが正解だったと思い知らされる。

 

「喰らえ!!!!

根源魔法 《皇之焔鳥(ジオ・フェザード)》!!!!!」 「!!!!!」

 

国王の剣から放たれた炎は左右に大きく広がり、鳥の翼の形を作った。そして鋭く尖った炎の嘴が既に黒焦げになって用をなさない人形の腕を軽く消し炭にしながら里香へと一直線に飛んで行った。



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#152 RETURN The PHOENIX

根源魔法 《皇之焔鳥(ジオ・フェザード)

皇之黒雷(ジオ・エルダ)と同じ 魔力の根源より力を借りて繰り出す炎の魔法である。

その形は名前の通り炎で出来た巨大な鳥の姿を象る。

 

国王こと現役の騎士であったかつてのディルドーグは奥の手のしてそれを持ち、巷では《炎鳥の騎士》という異名を持っていた。一国の王の地位に就いた時に返上したが、現役の騎士であった当時を知る者達によってその異名は語り継がれている。

 

 

***

 

 

 

(あれが炎鳥………………!!!!)

 

サラでも把握していなかった元騎士の国王の異名の所以の魔法である根源魔法

その威力は誇張無しに里香をも消し炭にしてしまいそうな心強さがあった。

 

「………これがあの《炎鳥》!

確かに凄い火力だねぇ。直撃(・・)したらボクでも一溜りもないかも。

…………………だけど、」 「!!!?」

 

里香は炎の嘴が直撃する寸前のわずかな時間で両の手を嘴の下へと滑り込ませた。哲郎はその動きに見覚えがあった。

 

(あ、あれはまさか………………!!!)

「魚人武術 滑川(なめりがわ)

(せせらぎ)》」 「!!!!!」

 

里香が脱力した状態で両手を振り上げると炎の鳥の起動が縦方向に変わった。嘴が天井に直撃して大爆発が起こる。

 

「ば、馬鹿な…………………!!!!」

「あれ?根源魔法を流されたのがそんなに信じられない? 魔法が武術(マーシャルアーツ)やり優れてるって古臭い考えが性根に染み付いてたのかな?

まぁとにかくその剣はホントに使えなくなっちゃったね〜。」

「!!!」

 

里香の言っていることは正しかった。

国王の持っている剣は根源魔法の反動で完全に黒焦げになってしまった。そしてオルグダーグが砂で閉じ込めたこの空間では新しい剣は手に入れられない。

 

「国王様!お気を確かに!」

「! オルグ!」

 

オルグダーグが国王に声を掛けて気を戻させた。

 

『これから扉を塞いでいる砂を少し開けます。国王様はその隙に脱出してください。

あの人形の怪物は私の砂で拘束しています。

何とか私とテツロウ君で奴を撃退します。』

『そうか。 無理はしてくれるなよ。』

『はっ!』

 

オルグダーグの合図で国王 そして彼の付き添いの騎士数名が踵を返して走り出した。

 

「あのさー、小声でぼそぼそ話してるけど、全部聞こえてるんだよ?」

「!!!」

 

国王の前には上半身を二つ持つ人形の怪物が立ち塞がっていた。

 

「こ、此奴、あの砂の拘束を抜け出たというのか!!?」

「いえ、違います! こいつは別個体です!!!」

 

ザフマンと弓の騎士を素体とした人形は依然としてオルグダーグの砂に捕らわれている。

 

「そ!ここに来る時にいい素体(・・・・)があったから急拵えで作らせてもらったの。それを転移魔法でそこに送ったって訳!

ほらほら、そいつを何とかしないと国王サマを逃がせないよ〜?」

「…………………!!!」

 

騎士達が手を出せないでいる中、その人形の怪物に立ち向かう者がいた。

それは他でもない哲郎である。

 

「テツロウ君!!!」

「こいつは僕が相手をします!!

皆さんは国王様を早く案内してください!!! 大丈夫です!!こいつの弱点は知り尽くしています!!!」

 

哲郎の言葉に嘘は無かった。人形の怪物が飛びかかってくる瞬間に合わせて一気に距離を詰め、怪物の懐に潜り込む。

 

 

魚人波掌

波時雨(なみしぐれ)(うず)》!!!!!

 

ドゴゴゴゴゴォン!!!!!

「!!!!! !!!!! !!!!! !!!!! !!!!!」

 

身体を回転させて人形の弱点に五発の掌底を一気に叩き込む。

人形の怪物は吹き飛び、そして地面に落ちる前には元の二人の騎士へと戻った。

 

「これで敵はいなくなりました!!!

さぁ早く!! 逃げて下さい!!!」

 

大広間から出ようとする国王の背中を守るようにして哲郎は再び里香の前へと立ちはだかった。今度こそ国王の役に立つと固く決心しての事だ。

 

「よくそんな会って間もない国王サマの為に身体なんか張れるね?」

「……………!!」

 

里香は依然として自信満々の表情を崩さないが、哲郎は全く意に介さない。

 

「ところで哲郎君、ボクさ、見つけちゃったんだよね。君から隙を作る方法。」

「?!」

「それはね、『今まで経験したことない攻撃を一気に撃ち込む』事だよ。」

「!?」

 

里香は再び人形の腕を展開して哲郎の方へと向けた。

 

「彼奴、何をしようとしているのだ!?」

「国王様! 奴はテツロウ君に任せて早くお逃げを!!!」

 

国王が大広間から出るまでの時間は5秒ほど。

その僅かな時間でそれ(・・)は起こった。

 

「哲郎君、この大広間を全部吹き飛ばすくらいの攻撃をここでやったらどうなると思う?」

「!!!!?」

 

人形の腕の掌から赤黒い魔法陣が浮かび上がった。

 

「ボクさ、物覚えが良いんだよね。

それじゃあね。

 

根源魔法 《皇之焔鳥(ジオ・フェザード)》」

「!!!!!」

 

人形の掌から国王が撃ったものと全く同じ炎の鳥が発射された。



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#153 STEAL The PHOENIX

里香の魔法陣から先程 国王が放ったものと全く同じ根源魔法が放たれた。その瞬間哲郎の目は周囲の光景をゆっくりと捉え、そしてその時間で様々な思考を巡らせた。

 

里香が根源魔法を模倣した事

あまりにも広大な攻撃範囲

そして この状況でこの場にいる全員をどうやって助けるか

 

しかし、それを行動に移すにはあまりに時間が足りなかった。

 

 

「《砂塵要塞(サーヴ・プレジャー)》!!!!!」

「!!!!?」

 

炎の嘴が哲郎達に直撃するより前に爆発音が響いた。哲郎が目を開けると、そこには黄褐色の巨大な壁が展開されていた。

 

「オ、オルグさん!!!」

「………………………ッッ!!!」

 

オルグダーグは哲郎達を背にして顔を歪ませていた。瞬間的に大量に砂を出した反動が身体を襲っている。

 

「おー これも受けるか!

やっぱ魔法じゃ能力には分が悪いねー。」

 

里香は依然として表情を変えることは無かった。哲郎には砂の壁に阻まれて彼女の顔は見えないが声からその余裕ぶりがありありと理解出来る。

 

「…テツロウ君、早く国王様を連れて逃げろ!!

ここは私が何とかする!!!」

「は、はい!!!」

 

国王と大広間の出入口とは目の鼻の先だが、まだ十分に里香の射程距離に入っている。ここで哲郎ができる事は国王の護衛が関の山だろう。

 

哲郎が国王に近づこうとした時、オルグダーグは攻撃に転じるために砂の壁を解除した。

様子を伺う為に振り返った哲郎の目に余裕たっぷりの里香の表情が入る。

 

オルグダーグと里香との間には一触即発の緊張感が走っている。哲郎はそう感じていた。

 

「ん〜………………

もういい(・・・・)かなぁ。」

「!!!?」

 

里香の一言はその場にいた全員を動揺させた。

 

(そうか!!

こいつの目的は人形じゃなくて国王様の根源魔法の魔法陣だったのか!!!)

「……おいお前、ここまで好き放題やっておいておめおめと返すとでも思っているのか?」

「ん?何?

この状況でボクと戦えると思ってるの?

分かってるだろうけどボクはまだまだ根源魔法くらい(・・・)撃てるんだよ?」

 

里香は皇之焔鳥(ジオ・フェザード)を撃ち終わって黒焦げになった人形の腕を崩し、新しい腕を作りながら自信満々に言った。

 

「お前こそ分っているのか?

たった今 その鳥を私の砂が防いだんだぞ!!!」

 

里香の呼吸に合わせてオルグダーグが砂の触手を尖らせて里香の心臓目掛けて繰り出した。

 

「! よっと。」 「!!!」

 

人形の腕を振るって砂の槍を叩き落とした。

 

(あ、あれは(せせらぎ)!!?)

「おー。 一度弾いたら軌道は直せないみたいだねぇ。」

「!!! (こいつ、人形の腕で技を繰り出せるのか!!?)」

 

オルグダーグは砂の槍が床に穴を開ける前に槍の形を崩した。

 

「あ、そうそう。 こいつは返しとくね。」

『!!!?』

 

オルグダーグは背後の砂に引っ張られる感触を覚え、振り返るとザフマン達を素体とした人形の怪物がオルグダーグの砂から解放され、里香の方へと引っ張られている所だった。

そして怪物は里香の腕の中に入った。

 

「おい!! そいつを放せ!!!」

「言われなくてもそうするって!

結構良い素体だけどこんなの持ち運んだら嫌でも目に付いちゃうからね。

それにもう欲しい物は貰ったからね。国王サマは《炎鳥》の異名、返上しちゃったんでしょ?これからはボクが《炎鳥の人形使い》って名乗るのも悪くないかもね。

 

じゃあね。」 「!!!」

 

里香は腕を放してザフマン達の人形を地面へと落とした。オルグダーグや騎士達は咄嗟に人形を受け止めようと駆け寄った。

その時、国王だけが里香の口元が緩むのを見逃さなかった。

 

「お前達止せ!!! そいつは罠だ!!!

その場から離れろ!!!!」

『!!!?』

 

次の瞬間、里香の身体が強烈に光った。

その場にいた全員が動きを止め、目を塞ぐ事に神経を集中することを強いられる。

 

「それじゃ失礼するね。国王サマ達に哲郎君。

次に会う時はこの世界が終わる時かもだけもね。」

「!!!」

 

 

光が晴れた時には既に里香の姿は無かった。

それでも国王は動揺すること無く騎士達に激を飛ばす。

 

「おい!! すぐに王宮の周囲をくまなく捜せ!!!

まだ遠くには行っておるまい!!!」

「いえ、国王様。その必要はありませんよ。」

「!? オルグ!!」

 

オルグダーグは既に砂を足場にして里香が座っていた場所を調べていた。

 

「ここに魔素が付着しています。

この色は恐らく転移魔法の類でしょう。」

「転移魔法だと!? そんな高度な代物をあんな小娘が!!?

………………クッ!!!」

 

国王はやり場のない悔しさに顔を歪ませた。

 

「………おいお前達、避難させた人間 そして国民をできるだけ集めろ。

謝罪会見、並びに真実を全て(・・)話す。」

「こ、国王様!!? 何を言って━━━━━━━━」

「当然だろうが!!!!

この大失態を、一体どうやって弁明できる!!!!?」



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#154 Abomination

「━━━んで、どういう事なのよテツロウ!!

昨日国王様のお城で何があったのかちゃんと説明してよ!!」

「ちょっとお姉ちゃん!少し落ち着いてよ!」

「いえ良いんです ミナさん。ちゃんと全部話します。その為に皆を集めたんですから。」

 

国王の城で里香の襲撃にあった翌日

哲郎はパリム学園の魔人族 天人族科に足を運んで食堂にノアとサラ ミナの三人を集めた。

 

 

 

***

 

 

里香の撤退から物の数時間で城に沢山の人が集められた。国王はそこで初めに決めていた判決文を読み上げ、レイザー達に里香の正体を調査させる事を条件に刑の執行を猶予する事を認めさせた。

里香の存在そしてその恐ろしさを目の当たりにした者達やそれを聞かされた者達は皆国王の判決に異議を唱えることは無かった。

 

そして国王は里香について現時点で分かっている事を洗いざらい話した。

この世界には転生者という者が存在し、里香がそれに該当している事

世界を破滅させようとしている組織が存在している事

大広間の天井の穴は根源魔法を模倣した里香によって開けられた事

ラドラ・マリオネスはその組織の単なる犠牲者に過ぎなかった という事

その全てを説明した。

 

しかし国王は哲郎が転生者である事は明かさなかった。

 

 

 

***

 

 

 

「………テツロウ君。此度は君を危険な目に合わせて本当に申し訳無かった。」

「いえいえ そんな事気にしないで下さい。国王様が悪い訳はありませんよ。

悪いのはあの里香なんですから あいつがここを襲撃するつもりでいたならいずれにしろこうなっていましたよ。」

 

国民達への報告が終わった後、哲郎は城の一室に呼ばれてそこで国王からの謝罪を受けた。

 

「否、私が頭を下げるのはそれだけでは無い。

君が居てくれたからこそ彼奴からの被害を最小限に抑えることが出来た。もし君がいなければ それこそ私や騎士達だけでなく国民から死人が出ていた可能性すらある。

本当に心から感謝したい。」

「………………………」

 

国王 そして騎士達は自分達の自尊心すら投げ捨てて哲郎に頭を下げた。

ここまで来ると最早 謙遜すら失礼に当たるのではないかと思えてくる。

 

「それはそうと、ここに呼んだという事はまだ僕に用があるんでしょう?」

「……実を言うとそうなんだ。ここまで迷惑をかけた君に頼むのは心苦しいのだが、」

「という事はつまり、僕じゃなきゃ頼めない案件だという事なんですね?」

「ああ。世間に顔が割れている我々ではやりにくい事なんだ。」

「分かりました。これから何をするか決めている訳でも無かったですし、引き受けましょう。

それで、具体的に何をすれば良いんですか?」

「君にある所に行ってもらいたいのだ。」

 

 

 

***

 

 

 

「……なるほどな。それでどこに行ってくれと言われたんだ?」

「それがよく分からないんですけど、《鬼ヶ帝国》って所に行ってくれって言われましてね」

『お、《鬼ヶ帝国》!!!!?』

「え!? は、はい。」

 

サラとミナだけでなく、ノアまでもが驚きの表情で哲郎に迫った。

 

 

 

***

 

 

 

哲郎は三人が何故驚いたのかその理由を聞かされた。それは鬼ヶ帝国が世界から孤立した鎖国国家だからである。

そこには世にも珍しい《轟鬼(ごうき)族》という種族が生活しているという。

 

 

「鎖国って、他の国と関係を持たないっていう あれですよね?」

「そうよ!そんな得体の知れない場所にこんな子供を寄越そうだなんて国王様は一体何を考えてんのよ!!」

「いやそれがですね、その鬼ヶ帝国には滅多に近付くことはできないらしくて それで腕があって顔が割れていない僕に行って欲しいという事になったんです。

僕は全然大丈夫なんですよ?学園の問題を解決した後の予定なんて全然立っていませんでしたから。」

「そうなの? だったら別に良いんだけど。

で?その間は?」

「? その間?」

 

哲郎が質問の意図が分からないでいるとサラが呆れたように口を開いた。

 

「決まってるでしょ? 今すぐに帝国に行くって訳じゃないんでしょ?」

「はい それはもちろん。

出発は今から一週間後ですね。」

 

それを聞いたサラの口元が少し綻んだ。

 

「? 僕何かおかしな事言いましたか?」

「テツロウ、その一週間で一つ依頼を受けて欲しいって言ったらどうする?」

「依頼? それって冒険者としてですか?

どうして僕に?」

「あんたにしか頼めないって事よ。

結構小さい(・・・)依頼だから。」

「小さい?」

「小さいってのはギルドにとっての話よ。

私達には大きな問題だから。」

 

サラは懐から一枚の写真を取り出して哲郎に手渡した。

 

「誰ですかこの人? サラさんの知り合いですか?」

「ええ。私の友達の一人よ。

その娘の妹を助けて欲しいっていう依頼なのよ。

宗教団体(・・・・)から。」

「宗教団体?!」



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新興宗教 編
#155 Jailed Heart


宗教団体

その四文字を聞いた哲郎が真っ先に思い浮かべたのは昔学校で受けた道徳の授業だ。

そこでは宗教を利用した詐欺などの恐ろしさを嫌というほど学んだ。しかし哲郎もまさかそんなに問題が今この状況で絡んでくるとは思わなかった。

 

(嘘でしょ!? この世界でそんな生々しい問題持ってくんの?!!)

 

「ん? どしたのテツロウ

そんな難しい顔しちゃって。」

「どうしたもこうしたも、この人や妹さんの名前が分からなきゃ何も出来ないでしょ?」

「ああ。 そうね。」

 

哲郎が呆れた表情で写真を指さし、サラは場が悪そうな笑みを浮かべた。

 

 

 

***

 

 

 

「今写真に写ってるそいつの名前が《セリナ・ウィンザー》 クラスは違うけど私と同学年よ。んで、こっちの左に写ってるのが妹の《アリナ》。

妹とはあんまり仲良くないからこれしか写真が無かったのよ。」

 

サラが渡してきた写真に写っていたのは栗色の髪を短めに切りそろえた《セリナ》と黒髪を頭頂部で二つに結んだ《アリナ》だ。

 

「それで、この人は今どこにいますか?出来ればサラさんよりこの人の口から話を聞きたいんですが。」

「そう言うだろうと思って人セリナを人間族科からこっちの部屋に呼んであるわ。もうすぐ部屋に着く筈だからそろそろ向かった方がいいわね。」

「そうですか。 分かりました。」

 

 

 

***

 

 

 

「ここか……………」

 

哲郎が案内を頼りにやって来たのは学園の小さな客室だった。扉を二回 軽く叩いてから部屋に入る。

 

「失礼します。 サラ・ブラースさんの紹介で来た者です。」

「お待ちしてました!私が依頼主のセリナです!」

 

部屋には小さな机と椅子が用意され、そこに写真に写っていたセリナが座っていた。

 

「……では早速ですが依頼内容を確認して良いですか? サラさんの話ではアリナという妹さんが宗教に嵌って帰らなくなってしまったと聞いたんですが、間違いありませんか?」

「間違いありません。 名前は《ジェイル フィローネ》という 恐らくは新興宗教だと思います。」

「ギルドとかには相談したんですか?」

「相談はしました。でもそんな小さな問題 誰も取り合ってくれなくて。それに私じゃ払える報酬額もそんなにありませんから。」

「………………(生々しい問題だなぁ………………)。」

 

哲郎はセリナの話を黙って聴きながら、職場にしようと考えていたギルドにもまだまだ知らない部分があるかもしれない と考えた。

 

「それで、そもそも妹さんはなんと言ってるんですか?」

「アリナは自分の意思だって言ってるんですけど、ずっと上の空で様子がおかしくて、無理に連れ出そうとしたらものすごい剣幕で追い返されて…………」

「……なるほど(様子がおかしいって事は、洗脳の魔法でも使ってるのか………………)。

じゃあご両親はなんと言ってるんですか?」

「実は私の両親とセリナは仲が良くないんです。」「?!」

 

哲郎はこれから何か込み入った話が始まるかもしれない と身構えた。

 

「仲が良くない? それは一体どうして?」

「……アリナは両親の反対を押し切って学園に行かずに魔法使いとして冒険者登録をして勇者のパーティーに入ったんですよ。だけどすぐに戦力外通告(クビ)になってしまって、自分自身に失望してすごく落ち込んでしまって、その時にお友達の紹介で例の宗教団体を知ったんです。」

「そのお友達と会ったことは?」

「ありません。そもそもそのお友達がどんな人かも分かりませんし、アリナにどんなお友達がいたかも知りませんでしたから。」

「……そうですか(あの時受けた授業で聞いた手口にそっくりだな)。」

 

「それにその宗教団体、とても閉鎖的でどんな活動をしてるか全く分からないんです。」

「分からない……。 だけど場所は分かってるんですよね?」

「はい それはもちろん。 これが住所です。」

 

セリナはポケットから一枚のメモを取り出して哲郎に渡した。そこに書かれてした住所はパリム学園から少しだけ離れているだけだった。

 

「……他に知っている事は?」

「……恥ずかしい話なんですが、これ以上は何も分からなくて……………。」

「そうですか。 では今日は一旦失礼します。」

「あ あの、依頼は受けてくれるんですよね!!?」

 

セリナは縋るような表情をしながら立ち上がった。

 

「もちろんその方向で話は進めますが、もしかしたら誰かにも協力を要請するかもしれません。何か匂いますから。

だけどこれだけは約束します。あなたの妹さんは必ず連れ戻します。」

 

その一言を残して哲郎は部屋を後にした。

 

 

 

***

 

 

 

(……あぁ言ったは良いけど何から始めて良いか分からないな………。とにかく慎重に物事を進めるしかないな。

どうにもこうにもあの宗教団体 なにか裏がありそうだからな…………。)

 

哲郎は思考をめぐらせながら歩を進めた。



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#156 Parasite the filone

「………それで、その宗教団体が《ジェイル フィローネ》と言うらしいんですけど、何か知っている事はありませんか?」

 

「……いや、名前くらいしか分からないな。」

「俺もだな。ここは広告も出していないような閉鎖的な場所だからな。」

「そうですか…………。」

 

哲郎は学園を出た後 どうやって宗教団体に接近するかの助言を乞う為にエクスの家に足を運んだ。そして偶然そこにノアも居合わせていたため 三人で作戦を立てる運びになった。

 

「そう言うが哲郎、お前の事だからもう何かしらの作戦は考えてあるんじゃないのか?」

「はい 一つだけですが。

その前にエクスさん、その写真に写ってるセリナさんって知ってますか? 人間族科の生徒だって聞いたんですが。」

「こいつなら知ってるぞ。

ファンとの繋がりで一回だけ会ったことがある。」

「そうですか。

で その人が言ってたんですよ。『無理に連れ戻そうとしたら』って。

ですから閉鎖的とは言っても面会か何かで接近する事は出来ない事は無い筈なんですよ。だからそれを利用すればどうにかなるとは思うんです。」

 

エクスは写真を机に置き、哲郎の話をじっくりと聞いている。

 

「……にしてもそいつの妹も不憫な事だな。

両親の反対を押し切ってまで夢を叶えたのにその矢先に蹴躓かされるなんて。」

 

エクスの置いた写真を覗きながらノアが口を開いた。

 

「……やっぱり多いんですか?そう言うパーティー関係のトラブルって。」

「ああ。こういう職業は人気かつ簡単に就職出来る分 人数も多くて生き残りも激しい。

それにパーティーは依頼の達成度だけが収入源だから足切りもさして珍しい事じゃない。」

「………………。」

 

ノアの口から出る生々しい話を哲郎は黙って聞いている事しか出来なかった。

 

「それよりも哲郎、そのセリナって奴から他に聞いてない事は無いのか?」

「いや 大した事は何も。

ただ、セリナさんがそこに足を運んだ時に大量に花が飾ってあったのを見たと言ってました。

それと、訪問した時に出迎えたのは皆 女性だったらしいですけど。

こんな事 大した情報にはならないでしょう。」

 

三人は共に俯いて頭を悩ませた。現状では件の宗教団体に近付く手立てが全くと言っていい程無い。

その時突然部屋に扉を軽く叩く音が聞こえた。三人共に音の方へ反応する。

 

「あの、エクス様

彩奈です。郵便物が来ていたのでお届けに来ました。」

「分かった。 入っていいぞ。」

「失礼します。」

 

扉を開けて彩奈が入って来た。

 

「あ! 哲郎さんいらしてたんですね。

…国王様への謁見、大変だったみたいですね。」

「はい。 それは確かに。」

 

国王はその権力を利用して翌日の新聞の記事を里香の銃撃に差し替えたのだ。

 

「……それでアヤナ、届いていた手紙というのは?」

「は はいっ!

えーと、《シーフェル・パシフィック》という人から 三日後に偲ぶ会に出席する と報告の手紙です。」

「ああ あいつか。」

 

『ノアさん、シーフェルって誰ですか?』

『エクスの家が贔屓にしている魚人族の資産家だ。』

『魚人族の!』

 

小声で話す哲郎とノアに構う事無くエクスは質問を続ける。

 

「それは誰の送別会なんだ?」

「《セイン・ヴィンロール》という巨匠の人の送別会だと書いています。エクス様が来たいと言っても良いようにちゃんと場所も書いてますよ。」

「場所といってもどうせどこかのホテルだろ?」

「いえ、最初はホテルだったらしいんですけど急遽予定が合わなくなってしまって、ここから近い宗教団体が部屋を一日貸してくれる事になったらしいんです。」

『宗教団体!!!?』 「ひっ!!?」

 

宗教団体

突然出てきたその単語に三人共 驚いて彩奈に接近してしまった。

 

「どど、どうしたんですか!!?

私何かおかしな事言いましたか!!?」

「アヤナ、手紙にはその宗教団体の名前は書いてあるか?」

「も、もちろん書いてますよ。

この近くの…… 《ジェイル フィローネ》という所らしいです。」

『「ビンゴ!!!」だ!!!』 「!!?」

 

願ってもいない好機に三人は一斉に興奮した表情を浮かべた。

 

「ビ、ビンゴ………?? 一体何の話ですか?」

「彩奈さん、その送別会について他に何か分かりませんか!!?」

「え、えっと、

団体の活動は内密にするという条件で入信者が送別会の食事の用意や案内も手伝ってくれるとも書いてました。」

 

たじろぐ彩奈を置いて三人は頭の中で次々に作戦を立て、口元を緩ませた。

 

「…………あの、その宗教団体がどうかしたんですか?」

「アヤナ、今からレイン家の人間として一つお前に命じたい事がある。」 「?」

「実はテツロウは依頼でその宗教団体から人を連れ戻そうとしている。それでその偲ぶ会を利用してそこに潜り込む作戦を立てた。

そこでアヤナ お前はテツロウの隠れ蓑としてその宗教団体に入信するふりをして潜り込め。」

「………………………

 

エエッ!!!!?」

 

静かな部屋に彩奈の驚く声が響き渡った。



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#157 Parasite the filone 2 (Visiter and Chaser)

ジェイル フィローネ

エクスの屋敷の少し遠くにある大規模の宗教団体である。そこは高い塀で覆われ、中の様子は殆ど分からない。分かっているのはその塀から多種多様な花が見えているという事だけだ。

 

そして今日 そこに一人の尋ね人が現れた。門の近くを掃除していた二人の少女が尋ね人を出迎える。

 

「……あの、ちょっと良いかしら?」

「はい! どういったご要件ですか?」

「あ! もしかして入信希望の人ですか!?」

「いえ 違うの。実は人を探してて、もしかしたらここに居るんじゃないかと思ってね。」

『………あ、そういう事ですか。

分かりました。ご案内します。』

 

そして門が開き、尋ね人が中に入った。

ほんの少しだけがっかりした感情が二人の顔から漏れたが尋ね人は構う事無く二人の後をついて行く。

 

「それで、どこに行けばいいのかしら。

あの中に入ればいいの?」

「いえ、あそこ(・・・)は『家族』しか入れない決まりになってますので 庭にある面会室に来ていただきます。それで、お名前と誰を探さているのかを先に教えていただけますか?」

「ええ 私は《サラ・ブラース》。

《エリア・エルメス》って人を探してるの。」

 

尋ね人はサラだ。サラは二人の少女の後に続き、庭の奥へと進んでいく。そしてある程度まで行った段階で二人の目を盗んでポケットに入れた通話水晶を起動し、小声で指示を出した。

 

『ほら、ここまで来ればもう大丈夫でしょ!?

さっさと入っちゃいなさい!!』

 

その合図でサラと共に開いた門から侵入した人物が行動を起こした。なるべく音を立てないように、そしてなるべく早く 本来『家族』しか入れない屋敷の扉の近くの植え込みの茂みに身を潜める。

 

『サラさん、成功です!

予定通りの配置に着きました!!』

『よくやったわ。後は頼んだわよ。

私は折を見て適当に帰るから。』

 

その人物は他でもない、潜入の為に黒い服に身を包んだ哲郎である。

 

 

***

 

 

サラが宗教団体を尋ねる前日 エクスの屋敷で作戦が立てられた。

 

「……アヤナが承諾してくれたのは良いとして、やはり問題はどうやってその状況(・・・・)に持っていくかだよな。」

「そうなんですよね。僕が入り込んで調査するのは決定事項として、何とかその閉鎖的な空間に穴を開ける事が出来れば話は早いんですが……………。」

 

エクスと哲郎は考えを巡らせていた。

いくら考えてもこの三人(・・・・)で彩奈の潜入に繋げる方法が全く浮かばない。

 

「……フン。 頭が固いな 二人共。」 「えっ?」

 

二人が考えを続ける中、ノアが口火を切って話を始めた。

 

「何だ? お前は何か考えが浮かんだとでもいうのか?」

「当然だろう。要は哲郎が入り込めるように事を運べば良いんだろう? だったら話は簡単だ。

哲郎以外の誰かが『面会』と称して注意を引き、テツロウがその隙に潜り込めば良いんだ。」

「なるほど! それなら潜入出来そうですね。」

「だが、誰がその役を受け持つんだ? 面会とは言っても男の俺達が近付くのは怪しまれるぞ。」

 

ノアはエクスが示した懸念要素にも笑みを浮かべて対応する。

 

「一人いるじゃないか。俺達が簡単に声を掛けられてこの作戦に喜んで乗ってくれる女性が。」

「えっ!? それってもしかして━━━━━━━━━━」

 

 

 

***

 

 

サラが注意を引いている隙に哲郎は屋敷の目と鼻の先まで接近した。

 

(……よし。何とか上手く行ったな。

後はこの扉が空いた隙に中に潜り込んで、天井裏に身を潜めれば………………。)

 

茂みに身を隠して数十分が経つと、その時が訪れた。箒を持った女性が今か今かと待った扉を開けた。その女性が扉のすぐ側の茂みを通過するや否や、全速力かつ音を立てないようにして閉じかけた扉を越えて屋敷の中に入り込む。

喜びに浸る暇もなく哲郎は重力に逆らって飛び上がり、天井に張り付いた。

 

(やったぞ!! これでそうそう見つかる事は無いだろうけど、なるべく早く見つけなくちゃな…………。)

 

人はあまり天井に気を向けないものだが、哲郎は決して油断はしなかった。天井を沿って飛びながら天井裏に通じる穴を探す。

 

(! あったぞ!)

 

哲郎はものの数分で天井に蓋を見つけた。見つけるや否や構う事無く入り込む。

 

(! あれ、ちょっと待てよ。

ここって………………)

 

哲郎が入り込んだのは天井裏ではなく通気口(ダクト)だった。しかしそこはかなりの広さがあったため小柄な哲郎は這うだけなら簡単に出来る。

 

身を潜める場所を見つけた哲郎は懐から水晶を取り出してエクス達に通話を試みる。

 

『………テツロウか? 潜入に成功したんだな?』

「はい。最初の予定とは少し違いますが、何とか通気口に入り込むことが出来ました。ここならかなり広く動けそうです。これからこの屋敷のだいたいの広さを調べます。

それで頼んでいた物は何とかなりそうですか?」

『ああ 問題ない。今準備をしている所だ。』



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#158 Parasite the filone 3 (Provisions)

哲郎は今 屋敷の天井裏の通気口から通話を掛けている。それはある物(・・・)を手に入れる為だ。

 

『それでテツロウ、その通気口からはどれくらい移動できそうなんだ?』

「……まだ動いていないので何とも言えませんが、恐らくはかなり広く動けそうです。だけどここは一階ですので上に行きたければ一度ここを出て階段を昇って行くしか無いでしょうね。」

『いや、その必要は無いぞ。

シーフェルの手紙ではその会は屋敷の一階だけを使うらしいからな。それでも奴らを探りたいというなら慎重に動け。』

「? やけに念を押して言いますね。何か不安な事でも?」

『一つだけな。そこを調べていく内に妙な噂を聞いたんだ。

『そこを卒業した人間は例外なく消息を絶っている』とな。』「!!?」

『これだけ言えば俺の考えている事が分かるだろう? この一件には何かとてつもない裏がありそうだ。』

「………………なるほど。

分かりました。 あくまで情報収集に専念すれば良いんですね?」

『そうだ。 そろそろ準備が出来たようだから通話を切る。 すぐにそっちに行く(・・)はずだ。』

「分かりました。」

 

哲郎は通話を切った。上下左右を金属で囲まれた閉鎖的な空間でうつ伏せの姿勢は節々に響くが、作戦上ではこの状態が明朝まで続く。

この程度の痛みは妹を奪われて為す術もないセリナに比べたらどうという事は無いと言い聞かせた。

 

「!

……どうやら上手く行ったようだな。」

 

哲郎の手の中に例の物(・・・)が握られていた。水が入った水筒だ。

 

 

 

***

 

 

 

サラが面会希望人を偽って宗教団体を訪ねる事を当人は快諾してくれた。そして三人の議題は次の段階に移った。

 

「………いいか二人共。 今立てた俺の作戦が成功すれば、テツロウはあそこに入り込んで探りを入れる事が出来る。ここまでは良い。

すると問題はテツロウの食事と排泄な訳だ。この問題をどうにか出来れば後はお前の根性がどうにかしてくれるだろうと信じている。」

「はい。それはもちろんです。

妹さんが帰って来ないセリナさんの苦しみに比べたら待ち続けるくらいは耐えてみせます。」

「それを聞いて安心したぞ。

それで話を元に戻すがお前の食事をどうするかだな。食事以前に水分補給はしっかりとやっておかなければいざという時にまずいことになるからな。」

「そうですよね。何とか………………………

!」 「ん? どうした?」

 

哲郎はハッとしたように表情を変えた。

 

「こういうのはどうでしょう?

僕のご飯を、彩奈さんに送って貰うというのは。」

「エッ!!!?」

 

エクスの後ろの彩奈が予想だにしない事を言われ驚いた声を上げた。

 

「テツロウ、それはつまりアヤナの《転送》を使ってお前の飯を送るという事か?」

「はい。」

「いやいやいや!! 無理ですよそんなの!!!

私なんかに務まるようなものじゃないです!!!」

 

彩奈が顔を青くして迫る。

 

「そうですか?僕は出来ると思いますよ?

そもそも初めて僕に能力を見せてくれた時、コインを僕の手の中(・・・)に移したじゃないですか。それなら僕がどこに居ても僕の所に送ることは出来るんじゃないですか?」

「いやぁ……………

私なんかにそんなに都合のいい事…………………」

「それならやってみましょうよ。

今から部屋の外に出ますからここから僕の手にコインを送ってみて下さい。」

 

***

 

結果からいうと一回目は失敗し、そして二回目で成功した。二回目で哲郎は位置情報を教える魔法具を持ち、彩奈がその場所を見る事でコインを送り届ける事に成功した。

 

「……どうやら行った場所が移動していても、それがどこにあるか分かっていれば送る事が出来るみたいですね。

とにかくこの方法なら潜入している間のごはんはどうにかなりそうです。」

「それはいいとして、問題はお前の用足しだよな。」

「それなんですがね、たった今 良い方法を考えつきましたよ。

女性(彩奈さん)を頼る事ができない以上、宗教団体の屋敷のトイレを使うしか無いでしょう。だからそこのトイレを使っても怪しまれないようにすれば良いんですよ。」

「……何が言いたいんだ?」

「セリナさんに聞いた話ではその宗教団体の信者は同じ服を身に付けているらしいんです。

だからノアさんが僕をマキムに変えた時みたいに信者の女性に姿を変えれば怪しまれずに用を足せると思うんですよ。」

 

 

 

***

 

 

哲郎は水筒に入った水を一口飲み、頭の中で状況の整理を始めた。

 

(水は無くなったら彩奈さんがその都度送ってくれる。

これからやらなければいけない事は二つだ。

この通路の中を通ってどれくらい動けるのかを正確に把握する事と人目につかない場所を探してそこで一夜を明かす事だ。

作戦が動くのは明後日の偲ぶ会の日だ!!)

 

 

 

***

 

 

 

哲郎が屋敷に潜入した翌日 更に状況が動いた。

 

門の前に立った尋ね人(・・・)を黒い服に身を包んだ長身の女性が出迎える。ジェイル フィローネの制服は基本は白で、リーダーのみが黒い服に身を包むのだ。

 

「……あれ? また(・・)お客様かしら?

こんな場所に何の御用でしょう。ここにはお花くらいしかありませんけど……」

「あ、あ、あの 私………………」

「あ もしかして入信希望の方ですか?

もしよろしければ見学だけでも可能ですよ?」

「は、は、はい。 入信 希望です…………

アヤナ、アサクラって 言います…………………。」

 

慈悲に満ちた表情を浮かべる女性を前に、顔を真っ赤にして上がり倒した彩奈が潜入を開始した。



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#159 Parasite the filone 4 (Gate to the Heaven. Gate to the Hell)

「あらそう やっぱり入信希望だったのね。

ならこちらへどうぞ。」

「は、はい……………。」

 

彩奈は緊張した足取りで黒服の女性について行く。その様子を彼女が隠し持っている水晶を通して聞いていた人物が三人居た。

通気口に潜入する哲郎 そして自分の屋敷から彩奈に指示を出すエクスとノア である。

 

***

 

『テツロウ こちらエクスだ。聞こえるか?

たった今 アヤナが接触に成功した。 オーバー?』

『こちら哲郎。 確認が取れました。 オーバー。』

『テツロウ、お前が掴んでいる情報をできる限り教えてくれ。 オーバー。』

『はい。一日かけて一階の様子はかなり掴めました。まず眠っても見つからないような人目につかない場所を見つけました。そしてトイレは個室にあるのと公共用の二つがあるようで、その近くに運良く出入口も見つけたので人目を盗めば用を足す事は出来そうです。

一度通信を切ります。 オーバー?』

『ああ。 また連絡する。』

 

***

 

「あ、そういえばまだ自己紹介してなかったわね。私はマリナ。 一応幹部って事になっているわ。

アヤナさん。あなたにもきっといい名前を頂けるわよ。」

「は、はい。」

『『(…………幹部?)』』

「それと……」

『マリナ様! 新しい仲間(家族)の人ですかーっ』 「ひゅいッッ!!!?」

 

彩奈は突然駆け寄ってきた四人の少女達にたじろいでしまった。

 

「あらあなた達、 もうお掃除は終わったの?」

『はいっ!』

「そう。なら丁度いいわ 紹介するわね。

新しい家族のアヤナ・アサクラさんよ。」

「は、はい。 アヤナ・アサクラです……。

よろしく お願いします……………。」

『はーい! よろしくします!!』 「っ!!!」

 

***

 

『……やっぱり彩奈さん コミュニケーション苦手ですね。 オーバー。』

『ああ。 だがお前は何もしなくていい。

俺が指示を送る。』

 

***

 

「それでアヤナさん、あなたはどうしてここに?」 「えっ!!? (志望動機って事!!?)」

「? どうかしたの?」

「あ、あの えっと………………」

『アヤナ!!』 「!?」

 

返答に詰まる彩奈を見かねてエクスが水晶越しに指示を出す。屋敷にいるエクスは水晶から彩奈の様子を見ることが出来るのだ。

 

『振り返るな アヤナ!!

『いじめられていてここに逃げてきました』と言え!!』 「!」

 

「じ、実は私、学校でいじめられていて、誰も助けてくれなくて……………

!」

 

マリナと名乗った女性が彩奈を優しく抱き寄せた。

 

「それは怖かったわね アヤナさん。

だけどもう大丈夫よ。ここには女性しか居ないわ。」

「は、はい。 ありがとうございます…………。

(気を許しちゃいけない。 早く哲郎さんと合流しないと…………)」

 

彩奈はマリナの胸の中で形だけの感謝の言葉を口にした。

 

「あの、それでマリナ様、ここにいる人達って新しい名前があるみたいですけど、名前をくれるのはどんな人なんですか?」

「マリアージュ様の事?

どうと聞かれると難しいんだけど、 まぁ教祖様みたいな方と考えてくれればいいわ。」

 

『『(教祖?)』』

 

「そ、そうですか。 分かりました。」

「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。優しい方だから。」

 

彩奈の緊張を解きほぐすようなマリナの優しい声が鼓膜を震わせた。

 

***

 

『テツロウ、今の話は聞いたな? オーバー?』

『はい。今の段階ではそのマリナという人物か教祖が怪しいと感じます。オーバー。』

『ああ。今からアヤナが取得したマリナの顔を送るから確認しろ。』

 

哲郎が持つ水晶からマリナの顔写真が表示された。声に違わず優しそうな表情の人物だ。

 

『確認は済んだか? オーバー?』

『はい。他にも何人かその場に居るようですが、どういう人かは分かりますか? オーバー。』

『待ってろ。今から顔写真を送る。』

 

哲郎の前に表示されたのは黒髪を首の所で二つに下げた少女 栗色の髪を切りそろえた少女 薄緑の髪を長く伸ばした大人しそうな顔立ちの少女 そして褐色で金髪を巻いた少女の四人だ。

 

『この人たちの名前は分かりますか? オーバー。』

『今の所はまだ分からない。それにこの場で唐突に名前を聞くのは不自然だ。折を見てからで良いだろう。』

 

***

 

 

「それじゃあアヤナさん、御屋敷の中に案内するわね。 着いてきて。」

「はい……。」

 

マリナに連れられた彩奈を待っていたのは大きな女神像 そしてそれを囲うように咲き誇る無数の花だった。

 

「うわぁ……………

すごい花園ですね……………。」

「そう言ってくれて嬉しいわ。 だけど花園は他にもあるの。あそこの温室にもっと大きな物があるわ。」

「へぇ………………」

 

『おいテツロウ、今の聞いたな? オーバー?』

『はい。この前のセリナさんの話にもあるように、何か《花》に拘っているように感じます。それに女性だけを対象にしているもの何か狙いがあるように思います。 オーバー。』

『ああ。一先ずこれで直近の目的ができたな。

これからアヤナには教祖 マリアージュとの接触 そして明日の偲ぶ会に職員として参加する意志を見せてもらおう。』



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#160 Parasite the filone 5 (Lonely Flower)

「さぁ着いたわ。 ここが私達の花園よ。

これでも自慢のお花達よ。」

「……………!!」

 

マリナに連れられて温室に入った彩奈を待っていたのは両の壁に一面に咲いた無数の花だった。

 

「私達の主な仕事はお花を育てる事よ。このお花を売ったお金で私達は生活しているの。

 

? どうかしたの?」

「あ、いや、 それにしては働いてる人が少ないように感じまして。」

 

彩奈の言う通り、温室で花の世話をしていたのは数人程度だった。

 

「ああ。それは他に仕事を請け負ってるからよ。」

「仕事?」

「ええ。 実は外の世界で有名な人を偲ぶ会が開かれる事になったんだけど、そこが急に使えなくなっちゃってここの一階を会場として一日だけ貸す事になったのよ。

それがもう明日に迫ってるからみんなそっちに忙しくしてるの。」

「そ、そうなんですか。 それは大変ですね。」

 

彩奈は予め知っている事を悟られないように初めて知ったような反応を示した。その一方で哲郎とエクスは『よし、上手く本題を引き出した』と喝采した。

そして間髪入れずにエクスが彩奈に指示を飛ばす。

 

『アヤナ、『自分は料理ができるから給仕の仕事を手伝わせてくれ』 と言え!!』

「(はい! 分かりました!)

あ、あ、あのっ!」 「ん?」

「そのお仕事、私にも手伝わせて欲しいです!

私、こう見えてもお料理は出来ますし、 その 給仕のお仕事なら出来ますから!」

「そう言っても…………… いいわ 分かった。

なら明日 お願いしようかしら。」

『『(よしっ!!)』』

 

「だけどそんなに焦らなくてもいいのよ?

まだここに来て少ししか経ってないんだから。今日はここの案内をして、その後はゆっくり休みなさい。 分かった?」

「は、はい すみません。

今まで誰にも必要とされてなかったからみんなの役に立ちたくて…………」

 

焦りを見せる演技(フリ)をする彩奈の肩にマリナが優しく手を置いた。

 

 

「……それで、マリナ様、」

「ん? どうかしたの?」

「その、早速で申し訳ないんですが、先に給仕場(?)があったら見せて欲しいんですけど。」

「厨房の事ね?。分かったわ。」

 

 

 

***

 

 

 

「ここが厨房よ。」

 

彩奈が案内されて最初に抱いた感想は『給食センターにそっくりだ』という事だ。

そこでは温室より多くの人がせっせと作業をしていた。

 

「給仕といっても本来の会場から料理や材料は送られてだいたい出来上がっているからやって欲しい事といえば盛り付けとか最低限のおもてなしとか それも会場の人達がやるのを手伝ってくれればいいわ。

だけど粗相だけはしないでね。明日は()の中でも偉い人達がたくさん来るから。」

「は、はい。 分かりました。」

 

マリナは急に険しい表情になり、そしてその顔には一筋の汗が浮かんでいた。主人(エクス)の関係者が出席するような大規模な会に関与するなら当然だろう と納得する。

 

「その、少しだけ中の様子を見てみても良いですか? 明日の仕事をやりやすくしたいので。」

「そういう事なら別にいいわよ。 でも今から出来る事はあまり無いと思うけど。」

 

マリナの言葉に首を縦に軽く振って彩奈は厨房に足を運んだ。目的は部屋の把握ではなく哲郎への食料を確保するためだ。

 

(……………あった!

水は空になったって報告は無かったからこれで…………)

 

皆の死角になる場所に籠に入れられたパンを二個見つけた。隠し持っていた水晶で哲郎の位置を把握し、その場所に《転送》で送り届ける。

 

***

 

『テツロウ、たった今 アヤナがそっちに食料を送った。確認しろ。オーバー。』

『はい。 二個のパン、問題なく受け取りました。オーバー。』

『それが朝飯という事だろうが、それで足りるか?水はまだ空になっていなかった筈だが。 オーバー。』

『大丈夫です。あまり動いていないのでこれだけあれば何とかなります。』

 

***

 

 

『アヤナ、テツロウは問題なく食料を受け取った。引き続き事を進めろ。』

 

心の中で「はい。」と答えた彩奈は厨房を見て回った。そして彼女は予想だにしない物を目にする。

 

「『ッ!!?』」

『!? エクスさん、彩奈さん、どうかしましたか!? オーバー!? 応答して下さい!!!』

『……喜べテツロウ。事は思ったより早く進みそうだぞ。 件のアリナが見つかった!!!』

『!!?』

 

彩奈の目の前に立っていたのは写真で見たアリナだった。彼女は彩奈に気を向ける事無くせっせと厨房で明日の為の作業をしている。

 

『アヤナ、分かっているだろうが勇者パーティーの件は伏せろ。そしてあくまでも新入りとして『初めまして』とでも言って慎重に距離を縮めるんだ。』

 

返事の代わりは彩奈の足音だった。

音しか聞こえず、彩奈の周囲の状況が分からない哲郎にも言うまでもなく、明日に向けて準備が着々と進んでいる事が理解出来た。



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#161 Parasite the filone 6 (RENAMED)

「あ、あ、あの!!」 「ん?」

 

彩奈はあくまでこれから家族になる者を演じてアリナに近付いて行った。そんな彩奈に対しアリナは何の警戒もなく接する。

 

「わ、私、今日からここで生活する事になりました、 《アヤナ・アサクラ》と言います!!

これからよろしくお願いします!!」

「あ、そう。 よろしくお願いします。

私は《ミアーナ》と言います。」

 

彩奈は顔が赤くなるほど緊張しながらも何とか自己紹介を終わらせた。哲郎やエクスにとっては単純な会話でも彩奈にはかなりの難題だ。

 

その後も彩奈はミアーナことアリナから明日する具体的な仕事内容を聞き、そして怪しまれる事の無いように他の信者からも仕事内容を聞いてある程度の親睦を深める。

 

そしてトイレの場所を聞いて公衆の個室に入った。一人の時間を作って水晶を取り出しエクスに繋ぐ。

 

「………エクス様、ご覧になっていただいた通り アリナさんとの接触に成功しました。 オーバー。」

『ああ。ちゃんと見ていた。

初日の成果としては上出来だ。それと分かっているだろうが、くれぐれもアリナを本名で呼ぶなよ。それでバレてしまえば元も子も無いからな。』

「はい。もちろん分かっています。」

『待っていろ。 今 テツロウにも繋ぐ。』

 

数秒経って 哲郎も応答する。

 

『……テツロウ、そっちの状況はどうなっている?オーバー。』

『はい。今はまだ動いていません。

時々通気口から様子を見てはいますが午前中の為か人気の無い場所を選んだんですけどそれでも時々人が通ってまして、この状況で人目を盗んで下に降りたり移動するのは難しそうです。オーバー。』

『分かった。ならその場で聞いてくれ。

アヤナ、今までの事で何か気になった事はあるか?』

「はい。 そもそもの話なんですけど、どうしてこんな閉鎖的な宗教団体が エクス様も誘われるような大規模な会の開催を請け負ったのか分からなくて…………。」

『それは僕も同じ事を考えていました。

それにこの前エクスさんの言ってた『消息を絶っている』という噂も気に掛かります。

もしそれが本当なら何か思いもしない事に繋がっているような気がして……』

『その噂の出処なんだがな、ギルドに未解決の人探しの依頼がかなりあって、そこから生まれた噂らしい。

そこでだテツロウ、後でそっちに具体的に誰を探しているかのリストを作って送るからお前はどうにかしてここを《卒業》した人間が誰なのかを突き止めてくれ。』

『……それで行方不明の人達とここを卒業した人達の名前が一致すればこの噂は一気に信憑性を帯びてくる とそう言いたい訳ですね。』

『ああ。もし一致すればまずい事態になりかねない。それこそ明日来る大物達の身も危険にさらされるかも━━━━━』

 

コンコンっ! 『『「!」』』

 

エクスの言葉をかき消すようにトイレの扉を叩く音が三人の耳に飛び込んだ。

 

「ちょっとアヤナさん?

長く入ってるみたいだけど大丈夫? もしかしてお腹でも痛いの?」

「あ、い、いや、大丈夫です!!

もう少しで出ますから気にしないで!!」

「そう?ならいいんだけど。

さっきも言った通りこの後は《受名の儀》だから。」

『(!! 《受名》!! と言う事は、)』

『(教祖の面が拝めるな!!)』

 

訪れた願ってもない出来事に二人は心の中で喜んだ。

 

 

 

***

 

 

 

彩奈がマリナに連れてこられたのは屋敷の別館の教会のような建物だった。

 

「……ここって礼拝堂ですよね?ここにその教祖様が?」

「いいえ。ここにはいないわ。

ちょっと待っててね。」 「?」

 

マリナは彩奈を置いて奥の彫刻に手を伸ばした。そして彼女の手に魔法陣が浮かんだ。

直後、地響きが起こったと思うと彫刻が動き、そして階段が姿を現した。

 

「………………!!!!」

「あら? 驚かせちゃったかしら?

いいのよ。いつもの事だから。」

「あの、これって魔法ですよね?それもかなり強い…………」

「そうね。偶然にもそういう才能に恵まれちゃって。それなら折角という事で使わせて貰ってるの。」

「そうですか………………。」

 

マリナに流されるままに彩奈は階段を下りて地下室へと進んで行く。

 

「(何だろう。お花の匂いが強くなってるような…………)

………それでその教祖様 どうしてこんな地下室で過ごしてるんですか?」

「身体が弱いのよ。地下室で過ごしてる分には天寿を全うできるだろうけど 特に日光がダメでね、数時間も居るだけで倒れてしまうの。」

「そ、それは大変ですね……………」

 

彩奈とマリナの会話を哲郎とエクスもしっかりと聞いている。少しでも怪しい点は一つも聞き逃さないと注意を寄せる。

 

「さぁ着いたわ。この奥にマリアージュ様が居るわよ。」

「はい……

 

 

!!!!?」 『『「!?」』』

 

彩奈の顔色が突如 真っ青になった。

 

「ど、どうかしたの!?」

「す、すみません。

ちょっと気分が悪くなっちゃって。少し一人で外の空気を吸ってきても良いですか?

儀式はちゃんと受けますから。」

「あらそう? お花の香りが強すぎたかしら。

分かったわ。無理はしなくて良いからね。」

 

首を縦に軽く振って 彩奈は足早に地下室を後にした。

 

 

 

***

 

 

礼拝堂で彩奈は水晶を取り出し エクスと哲郎の二人を呼び出した。

 

『おいアヤナ、一体どうした!?』

『何かあったんですか!?』

「………エ、エクス様、哲郎さん、

まずい事になりました………………」 『『?』』

 

明らかに彩奈の声が恐怖で震えている。

 

『彩奈さん、あの地下室で何があったんですか? 教えてくださいよ!』

「ま、まずいですよ これ……………!!

この宗教団体の中に 《転生者》が居ます!!!!」

『『!!!!?』』



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#162 Parasite the filone 7 (RENAMED 2)

ジェイルフィローネ

ただのしがない宗教団体であるはずのその場所に《転生者》が居る

その事実を哲郎とエクスは同時に聞いたがそれを早く処理したのはエクスだった。

 

「エクス様 一体どういう事なんですか!!!?

教えてくださいよ!!!!!」

『落ち着け アヤナ!! 一度冷静になれ!!!』

『「!!」』

 

エクスの一喝で哲郎と彩奈ははっとして 冷静さを取り戻した。

 

『良いか 一度落ち着くんだ。

冷静にあの地下で何があったのか 順を追って話せ。 オーバー。』

「……………はい。」

 

 

 

***

 

 

転生者における決まり事の一つに転生者は転生者に出会うとその人物が転生者だと気付く事が出来るというものがある。不完全な転生者である哲郎は例外的にそれが機能しないが彩奈は機能する。

初めて二人が会った時に彩奈が哲郎に反応したのがその証拠だ。そしてそれが再び 宗教団体の地下室という場所で機能したのだ。

 

『まずは具体的にどういう物を感じたのか教えろ。そいつについて何か分かった事はあるのか?』

「……いえ ただ地下室に降りた時に『何かが居る』と何となく(・・・・)感じただけで、どこの誰なのかは分かりませんでした。」

『………という事はそいつ(・・・)はかなり遠くに居るようだな。少なくともあのマリナが案内したあの扉の奥に居る可能性は無い。

アヤナ、一先ずは儀式を受けろ。これ以上燻ってたら不審に思われる。

転生者が居たとしてもそいつは入信者が転生者だと分かっただけで俺達の存在はまだバレてはいない。

落ち着いて事にあたれよ。まだこっちの有利は揺らいでいないんだ。』

「………………はい。」

 

 

 

***

 

 

エクスの屋敷の一室で通話が終わった。

 

「おいエクス、そっちで何があった?

かなりヒステリックに話していたぞ。」

「ノア。 かなり状況が変わりそうだ。

たった今アヤナから報告があって、 どうやらこの一件、転生者が絡んでいるようだ。」

「何っ!?」

 

ノアの表情が驚きで少し歪んだ。

 

「それならまずいんじゃないか!?

今からでも俺が行けばそんなやつ魔王(おれ)の敵じゃないが」

「それはダメだ 危険すぎる。

まだそいつの情報が何ひとつ手に入っていない。それに信者の女達に危害が及んだらどうやって転生者の事をを隠す!? 国王の時とは訳が違うぞ!!」

「! おう。」

 

かつての魔王も親友の言うことには素直に耳を傾ける。

 

「苦しいが予定は変えない。テツロウとアヤナに頑張ってもらう!!」

 

 

***

 

 

彩奈は呼吸を整えて地下室に戻った。

幸いにもマリナには不審に思っている様子は無い。

 

「アヤナさん、大丈夫なの?」

「は、はい。 もう落ち着きました。

心配掛けてすみません。」

「そう。 なら始めるわね。」

 

マリナが扉を開けると、そこには花壇に囲まれた一つの玉座があり、そこに女性が座っていた。彼女こそが教祖 マリアージュなのだ。

エクスの言葉を思い起こし少なくとも彼女が転生者である可能性は無いと心を落ち着かせる。

 

「………アヤナ・アサクラさん こちらへ。」

「は、はいっ!」

 

不意に名前を呼ばれて一瞬たじろぐが冷静さを取り戻して教祖に近付く。緊張で固くなっている彩奈に対し教祖は表情一つ変えずに手近の花壇から花を一つ摘んだ。

 

「……………?」

「………《リネン》

今日からこれ(・・)が貴方の名前よ。」

「………………………あ!

はいっ!」

 

教祖の言葉を聞いてから儀式が終了した事を理解するまで三秒ほど掛かった。

 

 

 

***

 

 

儀式を終えて彩奈は礼拝堂の地下通路を進む。

 

「………あの、これで良かったんでしょうか?」

「え? 何が?」

「上手くは言えないんですけど何か、失礼な事をしちゃったかもって思っちゃって」

「……()の影響が出てるのね。

それなら大丈夫よ。マリアージュ様は滅多な事で怒ったりはしないから。

少しづつ慣れていけばいいわ。これからよろしくね 《リネン》さん。」

「………………………!!」

 

自分は《朝倉彩奈》だという自覚は決して捨てていない。両親から貰った名前を捨ててまで宗教に縋る人の気持ちが分かる時は絶対に来ないのだろうと思った。

 

 

***

 

 

昼食と親睦会を終えて、彩奈は自分に宛てがわれた部屋に案内された。そこで渡された制服に袖を通す。異世界に来てからしばらく給仕服以外の服を着ていたなかった為か少しばかり似合っていると思ってしまった。

 

怪しまれる事無く潜り込めたしアリナとも接触する事が出来た

初日にやりたい事は全てやり終えたから大丈夫だ と自分に言い聞かせる。

 

「!」

 

懐の中で水晶が光っているのに気が付いて手を伸ばす。

 

『彩奈さん 今は一人ですか? オーバー?』

「あ、哲郎さん。 はい 今は部屋で一人です。

さっきこっそり転送(おく)ったお昼ご飯、ちゃんと食べられましたか? オーバー。」

『はい。問題ありません。

それから今日も動かずにここで過ごします。合流は明日にしましょう。』

 

彩奈にはもうこれからの予定は無い。

後は明日に備えて身体を休めるだけだ。



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#163 Parasite the filone 8 (Midnight Strategy)

哲郎との通信を終え、彩奈は明日に備えて早々に休むことを命じられた。元よりジェイルフィローネは規則正しい生活を送り体調を崩さない為に遅くとも日付が変わる前には消灯する規則なのだ。

しかし唯一 その中で消灯時刻をすぎてなお活動する人物が一人居た。

 

全ての照明が消え月の光が照らす通路に小さく 『トンっ』 という着地する音が鳴る。

 

(ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!

あー 背中とか肩とか色々痛い………………)

 

音を立てて下手をして見つかれば一巻の終わりのこの状況でも哲郎は一度通気口から脱して身体を伸ばす事を選んだ。 当然だが潜伏していたこの二日間 入浴どころか気を緩めることすら出来なかった。

 

(昨日 この時間は誰も来なかったしそもそもここの近くには人が近づくような場所も無い。

少しだけゆっくりしていくか…………)

 

暗闇に適応した目で周囲を見渡した後で彩奈から貰ったエネルギー補給用のチョコレートバーに手を付ける。ただ待ち続けるという苦行の前には単純な味覚すら貴重な精神安定剤として機能する。

 

(歯磨きはノアさんがくれた魔法を使ってどうにかするとして、問題は…………)

 

エクスも彩奈も明日に備えて休んでいる。

哲郎はこの状況で寝るべきか否かの選択を迫られているのだ。

 

(彩奈さんが言っていた《転生者》の正体を探るなら今しか無いよな。だけどこの状況で見つかったらたとえ変装していたとしても絶対に怪しまれる…………

やっぱり寝た方が良いか……………

 

ッ!!!)

 

哲郎の耳に右方向から歩いてくる足音が飛び込んできた。瞬間に哲郎は反射的に音を出す事無く天井へと張り付いて歩いてくる者に備える。

 

(誰だ!? こんな時間に出歩く人が居るなんて(僕に言う資格は無いかもだけど)………!!

 

!?)

 

蝋燭の淡い光が黒い服を照らしていた。そしてその人物がマリナであると理解する。

 

(あの人 こんな時間に何やってるんだ?

それに持っているのは……………)

 

マリナは両手でトレーを持っていた。そこに乗っていたのは件の蝋燭、そして一人分の食事だ。

 

(……ご飯…………… だよな? 一体誰の………

とにかく後を付けるか。)

 

マリナは慣れた足付きで足音一つ立てず歩を進め、そして屋敷を出て外 礼拝堂へと向かって行く。哲郎も植え込みを巧みに使って身を隠しながら備考を続ける。

 

(礼拝堂? あんな場所になんの用があるんだ?

エクスさんに画像を送って貰ったけど一階にも地下にも怪しい所なんて

 

!!!)

 

不意にマリナが後ろを向いた。すぐに前を向いて歩き出すが哲郎はそこで尾行を断念した。

 

(〜〜〜〜〜〜〜!!! 危なかった……………!!!

僕の存在に勘づいたのか!? それとも普段からあんなに気を張ってるのか……………!?

と、とにかくこれ以上の尾行は危険だな。帰って休もう……………。)

 

マリナが戻って来るのを待たずに哲郎は通気口を辿って元いた場所に戻った。マリナが何をやっていたのかが気になって眠れないかもしれない と思ったが疲労は意外に強く 早い段階で意識を睡眠へと持って行った。

 

 

 

***

 

 

 

ガンッ と起き上がった時に低い天井に頭を打ち付ける という事も無く哲郎は横になったまま目を覚ました。目をこすって眠気から脳を剥がし懐に入れた水晶でエクスとの通信を試みる。

 

『…………テツロウか。おはよう と言っておこうか。オーバー。』

「はい おはようございます。

今何時か分かりますか? オーバー?」

『安心しろ。今は7時前だ。

起床時間は7時からだからな。顔を洗いたいならノアを起こして水の魔法でも送って貰うがどうだ? オーバー。』

「いえ それは結構です。

それよりも大変なんですよ。みんなが寝た後で重大そうな情報を手にしたんです。オーバー。」

『……重大な情報 だと? それは何だ?』

 

哲郎は昨夜に見たマリナの不振な動きをこと細かく説明した。

 

『……それは間違いないのか?何かの見間違いという可能性は?』

「……いえ。ちゃんと見えていました。少なくともここの幹部の服を着ていたのは間違いありません。そして彼女は礼拝堂へと向かって行きました。

その後に(恐らく)勘づかれて そこで尾行は断念しちゃいましたけど。

 

………やっぱりおかしいですよね。この一件。

あの行動ももちろん どうして偲ぶ会なんて目立つ事を引き受けたのかや例の噂の事もですけど。まず間違いなく何か裏があるとは思うんです。

昨日も触れましたけどそれこそこれから来る重役達に危険が及ぶ可能性もあります。それだけは絶対に止めなければいけませんから。」

『俺達も元よりそのつもりだ。

もう7時になるから通話を切るぞ。

後はアヤナの様子を見ながら潜伏に徹し、何か異常が起きたらすぐに連絡しろ。』

「分かりました。」

 

哲郎が通話を切った直後、屋敷に朝を告げる音が響き、信者達が次々と目を覚ました。



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#164 Bloody Party

哲郎の耳には静かに食べ物を噛む音がずっと聞こえている。彩奈からの連絡事項が正しければ7時30分の現在は朝食を取る時間だ。

ちなみに食事の用意は当番制で二ヶ月に一回 一週間の間通常より一時間早く起きて全員分の料理を作る決まりになっているらしい。

そして哲郎はこの時間は片手を開けて手の平を上に向けておく必要があった。

 

(………もうすぐ来るな………………

 

!)

 

哲郎の手の中にソーセージを挟んだロールパンが三個転送された。送られてくるや否やもう片方の手に持っていた水と一緒に朝食を始める。その最中にも水晶から聞こえてくる声に耳を傾ける。

 

『え! リネンさんお代りしたの?!

結構食べるんだねー。』

『は、はい。昨日は忙しくてお腹空いちゃって……………』

(…………この声は昨日彩奈さんがここに来た時の女の人の物か。

恐らくあの栗毛の人 名前は確か 《ポンノ》さんだったっけ。)

 

彩奈が少しづつ集めた情報で最初に出てきた四人の顔と名前は分かっている。

黒髪の少女は《シリカ》

薄緑の髪の少女は《レスタ》

金髪褐色の少女は《パレナ》 という。

 

(………あと僕がやらなきゃいけないのは………………)

 

哲郎はロールパンを食べながら水晶から映し出される屋敷の見取り図に目をやった。彩奈がマリナに渡された偲ぶ会で自分の役割を理解するために会場や客室にする場所を書き込んだ物だ。

そして哲郎が今いる場所は誰も寄り付かない(予定の)空き部屋の上にあたる。

 

(偶然ここには覗ける通気口があるけど まぁ使い道は無いだろうな……………。)

 

人の気配はおろか埃一つ無く整然とした部屋を見下ろしながら哲郎は最後の一口を飲み込んだ。

 

 

 

***

 

 

朝食を終えた信者達はマリナを先頭にして全員 広い庭に集められた。

 

「初めまして ジェイルフィローネの皆さん。

本日は父の為に無理を言ってもらって感謝します。私が娘の《セイナ・ヴィンロール》です。

よろしくお願いします。」

「こちらこそよろしくお願いします。

ここの 責任者をやっているマリナといいます。

お父様とのお別れの時を良くするために私たち全員で尽力致します。」

 

水晶からは今までの誰でもない 少し深みのある女性の声が聞こえてくる。

 

(………今のが巨匠の娘さんか。

もしマリナさんが何か企んでるならこの人も危険にさらされる可能性がある。

取り敢えずエクスさんを伝って情報を集めるか…………。)

 

水晶からエクスを呼び出す。

 

「エクスさんですか 哲郎です。

今 巨匠の娘さんがここに来ましたよね?その人の顔をこっちに出せますか? オーバー?」

『ああ 待っていろ 今そっちに送る。』

「!」

 

哲郎の前に金髪の大人の女性の顔写真が映し出された。

 

「あと、出来れば死んだっていうセインっていう人の顔も送ってくれませんか?」

 

エクスは返事の代わりにセインの顔写真を映し出した。 元は金色であったであろう髪はほとんど白く染まり、髭もたくましく生えている。

 

「……これはいつ頃の写真ですか? オーバー。」

『ざっと三年くらい前だ。俺が会ったのはその時が最後だ。後の事は良く知らない。

そもそも俺の家はそいつとそこまで仲良くなかったからな。』

「この人がなんで死んだのかは分かりますか?具体的に何が死因とかはあるんですか? オーバー?」

『招待状にはただの老衰と書いてあったぞ。

80歳まで生きたそうだ。天寿を全うしたと考えて間違いないだろ。』

「老衰? にしてはこの娘さん、かなり若そうですけど」

『そりゃそうだ。セインはずっと子供に恵まれず、やっと出来た子供がそのセイナで、50の時にできたそうだ。』

「なるほど 結婚って色々な形があるんですね…………

 

『!』」

 

哲郎とエクスの耳は同時に状況の変化を捉えた。

 

 

 

***

 

 

 

「……ではお呼びしているゲストの皆様はもう少ししたら来るはずですので。

これから本来のホテルの人達が数名来ますのでその人たちの指示を受けて下さい。」

「分かりました。 でしたら私達はそれまで会場の準備や掃除を済ませておきます。」

「よろしくお願いします。」

 

セイナと名乗った女性が外に向かって歩を進める。哲郎の耳にはその足取りは少しだけ重々しく感じられた。

天寿を全うしたといっても実父の死は堪えるものがあるのだろう。

彼女が退出したのを見届けてマリナは

 

「さぁみんな! 今日は忙しくなるわよ!!

手筈通りに厨房と会場を準備して、残りの人は全員でお外や他の階の掃除に取り掛かって!

それと、忙しくなるから作業は必ず二人一組で担当してね!」

「えっ!? 二人一組!?

あの私 何も聞かされて無いんですけど…………」

 

後ろの方に立っていた彩奈が手を挙げた。

 

「あ! そうだったわ。 すっかり忘れてた。

じゃあとりあえずリネンさんには………

ミアーナさん、悪いけどリネンさんと組んでくれるかしら。 あなた達仲良さそうにしてたから。」

「はい。 分かりました。」

 

ミアーナ ことアリナは嫌な顔一つせずに快諾した。哲郎とエクスはそれを 状況が大きく好転した と喝采を上げた。



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#165 Bloody Party 2 (Caterpillar)

リネンこと彩奈とミアーナことアリナが二人一組を組むことが決まり、彩奈は厨房へと案内された。そしてそれから数十分後、宗教団体の屋敷に本来来る事の出来ない人々が集められた。

 

しかし、哲郎と彩奈はとある事で拍子抜けさせられてしまう。

 

人数が思っていたより少ないのだ。

彩奈が料理を出しに会場に向かった時も制服以外を着ている人は数える程しか居なかった。

 

「………あの、エクス様?

かなぁり数が少ないんですけどこれって一体…………」

 

トイレ休憩と称して一人の時間を作ってエクスに通信を試みる。

 

『ああ。さっき会ったセイナの意向でな、出来れば信者達の負担を軽くしたいという事で、セインと本当に親しかった人だけを呼んだらしい。』

「え? 確かセインさんの家とは親しくなかったって言ってましたよね?」

『それは俺達の家が特別扱いを受けたからだ。

正確に言えば俺やファンはセイナの奴にかなり気に入られたからな。

まぁそれもお前が家に来る前の話で、あいつはお前の事は知らない。だからこそお前を潜入させる事が出来たんだ。』

「そ、そうなんですね……………」

 

彩奈は直感でトイレにこもっていて怪しまれる時間は過ぎたと悟り、再び厨房へと戻っていった。

 

 

 

***

 

 

偲ぶ会に参列している人は数こそ少ないがその一人一人が錚々たる顔ぶれである。その事は哲郎も理屈ではなく直感で理解していた。

 

(………えーと、彩奈さんが集めてきた人達の情報は………………)

 

哲郎は通気口の中で水晶を光らせ、十人の顔写真を浮かび上がらせる。

 

《シーフェル・パシフィック》(59)

エクスの家と親密な関係にある鯨の魚人族の男

職業 海洋学者

 

《レオーネ・サンバルド》(43)

体格の良いライオンの獣人族の男

職業 元冒険者 現獣人族の村の議員

 

《ロベルト・プンチーノ》(39)

白い紙を短髪にした褐色の人間族の男

職業 神父兼教誨師

 

《アギジャス・カリバー》(21)

黒い短髪の人間族

職業 勇者 親は実業家

 

《ヴィン・スモーキン》(71)

灰色の髪と髭をたくわえた人間族

職業 弁護士(近く引退を考えているらしい)

 

《ペリー・モルバーナ》(46)

全身白い羽で覆われた鳥人族の男

職業 新聞会社社長

 

《アリネ・カルメラ》(77)

修道服に身を包んだ老婆

職業 シスター

 

《ゴスタフ・ダウホット》(58)

筋骨隆々の身体にスーツを着込んだゴリラの獣人族の男

職業 元格闘家 現外交官

 

(………僕が初めて知ったのはこの八人

で、問題はこの二人か……………)

 

哲郎が目を向けたのは端の方に映された二人の顔写真。それを見た時哲郎は自分の目を疑った。

 

《レオル・イギア》と《エティ・アームストロング》

この二人も偲ぶ会に参列していたのだ。

 

(エクスさんの話ではレオルさんの公爵家はセインさんの家にかなり融資していたらしいし、エティさんの故郷は金銭補助をかなり受けていたみたいだけど、これは予測できなかったな。

彩奈さんにも話したけど、僕を知ってる人がここに居たらかなり動きにくくなる………。)

 

ちなみにサラは今 セリナの側にいて安心させている。この場に彼女がいなくて良かったと安堵した。彩奈の口から出た《転生者》という言葉を聞かれる訳にはいかないからだ。

 

水晶から聞こえてくる音を聞く限りは厳かな雰囲気でセインの冥福を祈っている。

 

(………僕がやらなきゃいけないのは何とかしてここを《卒業》した人達のリストを手に入れる事だ。それが出来ればあの噂の嘘か本当かはっきりする可能性はかなり高い。)

 

哲郎は既にリストの場所の目星を付けていた。在処は恐らくマリナの部屋だ と。

恐らく教祖 マリアージュは彼女が怪しまれずに動く為の隠れ蓑であり、ジェイルフィローネにいる転生者と通じているのはマリナであると予感している。

 

(問題はここを動くタイミングだな。

いつここを出て上に行くか それを間違えたら何が起こるか分かったもんじゃない。

マキムの時とは段違いだなぁ…………)

 

自分の存在はまだ誰にも知られていない。それが逆に哲郎の行動の自由を大きく阻んでいた。

学園に潜入した時は《マキム・ナーダ》という偽りの姿を利用してかなり自由に動く事が出来た。しかし今はそれが出来ない。

実際に今は空き部屋の上で燻っている状態だ。

 

(やっぱりこの状況を利用するしかないか。

あまり気は進まないけど……………………)

 

哲郎の立てた策は、《レオルに事情を話して自分が動きやすくなるように強力して貰う》という物だ。

 

(宗教団体の事だけじゃ断られるかもだけど、根源魔法の事を話に出せば 何とか………………)

 

哲郎はこれを利用して、前々からやろうと思っていた《何故里香がイギア家の奥義である根源魔法を使えるのか》の理由を聞こうともしていた。



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#166 Bloody Party 3 (PAST and FATE)

哲郎は尚も水晶を耳に付けて会場から聞こえてくる音を聞いている。

依然として彩奈は厨房と会場を行ったり来たりしているのが聞いて取れる。

 

(…………えっと、もうすぐだよな………)

 

自分の体内時計の中ではもうすぐ11時を迎えようとしている。その時間になれば偲ぶ会は一旦の休憩を挟む手筈になっていて、参列者たちは割り当てられた部屋で各々休む事になっている。レオルと接触する機会があるとするならその時間しか無い。

ちなみに彩奈は休憩時間はミアーナことアリナと二人一組で厨房の掃除の仕事を宛てがわれている。

 

『では皆様、ただ今より二時間の休憩時間を取ります。』

(! 来た!)

 

本来の会場であるホテルから派遣されたであろう職員の声が聞こえた。それからしばらくして無数の足音が水晶から聞こえて来る。

 

(確かマリナさんはこの時間は参列者達と話をする筈だったよな。順番は…………)

 

彩奈からの話を思い出して順番を整理すると、最初はレオルで次はエティの番になる手筈だ。

残りは問題にならないと思って覚えずにいた。

 

(えーっと、確かレオルさんの客室は確か…………)

 

彩奈から貰った見取り図を見て、レオルの部屋がこの空き部屋の隣にある事を確認する。今いる下の空き部屋は廊下の突き当たりにあり、そこから並ぶように客室が宛てがわれている。

 

 

コンコンっ 「!」

 

哲郎が今いる所の右隣から扉を軽く叩く音が聞こえた。その後に扉を開ける音が聞こえた。

 

 

 

***

 

 

 

レオルとマリナの話は物の数分で終わった。休憩時間が終わった後の別れの挨拶をどうするかを確認するという内容だった。

その後に再び扉が閉まる音を聞いて話が終わった事を確認する。

 

(よし、今だ!)

 

哲郎は通気口の中を這ってレオルの部屋の上に移動する。既に客室の天井には通気口が空いているのは確認済みだ。

穴から覗くとコロシアムで戦った長い黒髪の男が椅子に座って紅茶を飲んでいる。

 

「レオルさん!」

「!!!?? なっ…………!!!?

お、お前は!!! なんでここに!!!」

「驚かないでください。今から話します。

とりあえずそこに降りても良いですか?」

 

急に天井から声を掛けられて紅茶を零しそうになるレオルをなだめ、哲郎は通気口から彼の客室に降り立った。

 

 

 

***

 

 

「………なるほど。ここの信者を説得に来たというわけか。いじめといい今回といい、地味な依頼ばかりこなしてるんだな お前は。」

「まだ始めて少ししか経ってないんですから良いんですよ それで。」

 

哲郎はレオルの前に座り、出された紅茶に口をつけた。

 

「それにしてもだ、いきなり天井から声を掛けてくるとはどういう了見だ?あれで驚かない人がいると思うか?」

「しょうがないでしょ。まさかあんなに人が通ってる廊下からノックする訳にもいきませんし。」

「……まぁいい。それで私に何の用だ?

まさか潜入してる事を報告しに来ただけという事もあるまい。」

「………はい。前々から確認したかった事があるんです。

パリム学園の寮長の一件は知ってますか?」

「!!!」

 

寮長という言葉を聞いた瞬間、レオルの表情が一気に険しくなった。哲郎が次にする話の内容を察したのだ。

 

「……なるほど。その事を聞きに来たのか。」

「はい。あなた達の公爵家の根源魔法が奪われた事についてです。」

「それは私も王国経由の新聞で見たさ。その時は自分の目を疑ったな。」

「それついて聞きたいんですが、ラドラ(扮する里香)があなた達を訪ねたという事はありますか?

あるいはラドラから根源魔法の話を聞かれたという事は」

「どちらも無い。だから酷く驚いたんだ。

パリム学園は私にとっても母校だが積極して関わるという事は無かった。もちろん根源魔法の情報が漏れたなどという事も有り得ない。」

 

「………という事は考えられる可能性は一つですね。」

「あぁ。 ラドラに扮していたあの女は魔界コロシアムのあの試合を見ていた という可能性がな。」

 

話が終わったちょうどその時に哲郎は出された紅茶を飲み干した。この部屋に誰も来ないという保証は無いのですぐに席を立つ。

 

「それじゃあ僕は元の場所に戻ります。

この会の邪魔はしませんので気にしないで下さい。」

「もちろん誰にも言う気は無い。お互いに昔の事は水に流すとしよう。」

「あ、それと」 「?」

 

「これから《妹》を説得するにあたって聞いておきたいんですが、もし弟さんが胡散臭い宗教に入ったら、レオルさんはどうしますか?」

「………昔の私なら放っておいただろうが今はそうとはいかない。誰かのおかげでな。

今は別々に特訓を積んでいる。二度と初戦敗退なんて無様な結果を残さないようにな。」

「………そうですか。」

 

命を軽んじる人間では無くなったと信じ、哲郎は元の通気口へと戻って行った。



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#167 Bloody Party 4 (Suddenly Corps)

レオルとの接触を終えた哲郎はこれといって進展が無かった事を残念に思っていた。しかしそれもすぐに心の隅にやって彩奈から聞こえて来る音を聞いている。

 

(………この静かさ、それに一定に聞こえてくる擦れる音、 庭をほうきで掃除しているんだな………

 

!)

 

耳に当てた水晶から彩奈の声が聞こえ始めた。

 

『………あの、ミアーナさん、』

『ん? 何ですか?』

『ほんの興味で聞きたいんですけど、ミアーナさんってここに来る前は何をやってたんですか?』 『!!』

(………彩奈さん、核心ついてきたな。

これでどう答えるかで説得のしやすさが変わってくる…………)

 

ほんの数秒 ほうきの音が聞こえた後、ミアーナことアリナの声が水晶の向こうから聞こえてくる。

 

『………実は私、外で失敗しちゃったんです。』

『失敗?』

『はい。それで自分が大嫌いになってやけくそになってた時にここに拾ってもらったんです。

だから私はここが大好きなんです。』

『………家族は?』『えっ?!』

『……信者(みんな)の言う《外》に誰か 大切な人は居ないんですか?』

『……………

いや、私にはそんな人居ませんよ。もし居たとしてもここの生活を捨てる気はないです。』

『………そうですか。』

 

彩奈とアリナの話しが終わって再び掃除の音だけが聞こえるようになると、哲郎は水晶を耳から離した。

 

(……あの()は間違いなく迷ったんだ。お姉さんや両親が居ることを話すかどうか。

折角家族がいるのに もったいない…………。)

 

哲郎は異世界に飛ばされた事で家族や友だちと離れ離れにされ、彩奈は父が早死し母は精神に異常をきたした。

哲郎はこの年で既に親や友達という存在の有り難さを十分すぎるほど理解しているのだ。

 

(えーっと、今はまだ休憩中だよな。

少なくともあと一時間はある筈だから…………… よし、少し寝よう。)

 

昨日は睡眠自体は十分に取れたが二日以上 寝転がった体勢でずっと気を張っている事はかなり身体に疲労をきたす。

 

(まぁアリナさんは彩奈さんがそばに居てくれてるし 大丈夫だろ…………。)

 

休憩時間中に騒ぎなど起こらないだろう と考えた哲郎はうつ伏せの体勢を仰向けにするために通気口から空き部屋に降り立つ。

降り立った哲郎が空き部屋に対して最初に抱いた印象は『とても綺麗だ』という物だ。全ての部屋は毎日のように掃除されているし、何より誰も使っていないのだから当然ではあるが。

 

(えーと、今の時間は…………、11時28分か。)

 

空き部屋の中には時計があり、静まり返った部屋の中で規則的な音をたてている。哲郎が覗ける通気口からでは床の大半しか見えず、扉や壁の様子は分からなかったのだ。

 

(とりあえず、エクスさんに連絡しとくか。)

「あー、エクスさんですか?哲郎です。

今のところ 変わった事は何もありません。オーバー。」

『ああ。こっちにも異常は無い。

アヤナは今 件のアリナと一緒に居る。オーバー。』

「ええ 分かっています。

それで僕はこれから空き部屋の上の場所で 休憩時間が終わるまで休もうと思います。何かあったら連絡を下さい。 オーバー。」

『分かった。お前もずっと寝たまま気を張り続けて疲れただろ。ゆっくりしていろ。』

「ありがとうございます。」

 

エクスとの通信を早めに終わらせた哲郎は飛び上がって通気口から 仰向けになるように入り、そのまま目を閉じた。

 

 

 

***

 

 

 

「キャーーーーーーーーーッッッ!!!!!」

「ッッッ!!!??」

 

ガンッ!!! 「!!!?

ーーーッ!!! な、何だ…………!!?」

 

目を閉じて意識が微睡んでいた哲郎は少女の悲鳴で叩き起され、咄嗟に起き上がり低い天井に額をぶつけてしまった。

 

(さ、騒がしいな 一体…………

!!!!?)

 

通気口から空き部屋を覗き込んだ哲郎は自分の目を疑った。そこには胸を酷く損傷した少女の死体があったからだ。その周囲にはおびただしい量の血が散乱している。そして、哲郎が覗く通気口の真下には椅子が倒れていた。

 

(ダメだ!! ここからじゃ部屋の様子が分からない!!!

だけどこの声は、信者達だけじゃなくて 偲ぶ会の参列者達も居るってことか!!

 

と、とにかく エクスさんに連絡を!!!)

 

焦る手で水晶を取り出し、エクスとの通信を試みる。

 

「もしもし、エクスさんですか!!?

異常事態です!! 死体が、僕の下の空き部屋に死体があるんです!!! オーバー!! 応答して下さい!!!」

『狼狽えるな!! そんな事はこっちも分かっている!!』

「わ、分かりました。

で、彩奈さんは今どこに居るんです!?」

『アヤナならその部屋の前に来てる筈だ。だが、いくら聞いても『何が何だか分からない』の一点張りでパニック状態だ。

無理もないだろ。女が死体に直面したんだからな。』

「そ、そうですか……………

(一体何が起こったんだ……………………!!!!)」

 

潜入している哲郎には少女の死体の虚ろな目と腐敗臭を知る事しか出来なかった。



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#168 Shelling Ford

哲郎が叩き起されてから十数分も経たない内にギルドの人達(哲郎の世界でいう警察)が駆け付けた。その職員の話を水晶越しに聞いて哲郎は初めて状況を把握する。

 

(本当はみんなが集められてる大広間に行きたいけど気付かれたら疑われかねないし、ここから音を聞くしか無いな……………

 

!)

 

何十人もの人々のざわめく声が止み、今まで聞いた誰でもない男の声が聞こえる。

 

『えー、遺体の身元はここの元信者 エレナことパルナ・ミューズさん 17歳で間違いありませんね?』

『は、はい。そうです。

つい先日 ここを卒業(・・)して、なのにどうして…………………』

 

ギルドの男の声とマリナのすすり泣く声が聞こえる。その他にも信者達 少女の泣き声や参列者達の戸惑う声が聞こえてくる。

 

『それなんですがね、あの遺体 どうもおかしいんですよ。』

『? おかしい?』

『あの遺体から魔素が検出されました。つまり、何者かが腐敗を遅らせる類の魔法を掛けて保存していたという訳です。それを踏まえて考えた結果、死亡推定時刻は今日から約一週間前という結論に至りました。』

『!!!? 一週間前!!!?

そ、それって彼女がここを卒業した時ですよ!!!』

『!? それは本当ですか!!?』

 

水晶からはマリナを初めとしてたくさんの少女の動揺する声が聞こえている。しかし哲郎はそれを冷静に聞いていた。

 

(……この騒ぎ、昨日僕が見たマリナさんのあのおかしな行動と関係があるのか?

まぁ それはそれとして分かっているのは それが行われたのは僕がこの部屋の上で仮眠を取った11時半から起こされた12時半の間という事だ。)

 

哲郎は水晶から聞こえてくる声に耳を傾けながら惨状と化した空き部屋を見下ろす。

その床にはいつかドラマで見た場面と同じようにパルナが寝ていた場所が白いテープで囲まれ、周囲には魔力で構成された紐状の物が張られている。

 

『……それでもう一つおかしな点があるんです。

遺体は胸を酷く損傷し、心臓は抜かれてしまっていました。ですが現場に飛び散っていた血は明らかに少なかった。 つまり、何者かが何らかの方法で既に死亡した彼女を部屋に運び込み、周囲に血液を撒き散らしたとしか考えられません。』

『そ、そんな!!

一体何のために………!!』

『……今はなんとも言えませんが、恐らくは愉快犯による犯行でしょう。聞くところによると被害者は天涯孤独だったらしいじゃないですか。』

『は、はい。 確かに彼女には家族も親戚も居らず、そのせいで世間ではいじめを受けていました。 それで、助けを求めてここに入信して………

じゃあまさかこれは無差別殺人だというんですか!!?』

『いえ、結論を出すのはまだ早いです。

それで参考までにお聞きしますが、現場の空き部屋を最後に確認したのはいつですか?』

『わ、私達です。』

(! この声は……………)

 

哲郎は水晶から聞こえてきた声に聞き覚えがあった。彩奈が厨房で給仕の仕事の内容を聞いていた時に知り合った信者の一人 名前は《ベリア》と言った。

 

『あなた方が? それは何時ですか?』

『朝の八時、会のために掃除したんです。

その時は異常なんてありませんでしたし、窓にはちゃんと鍵も掛けました。』

(…………… 鍵、ね。)

 

現場の空き部屋は密室とまではいかずとも、出入口は扉とその向かいの窓だけであり、窓には鍵が掛けられていた。そして窓には魔法を使った痕跡は何一つ無い。

つまり外部犯の可能性が無くなったという訳だ。

 

『………窓は完全に閉ざされていて外部からの侵入は不可能。そして入信者達は全員二人以上で作業を続けていた。

つまり、犯行時刻にアリバイが無く 犯行が可能なのは あの時休憩で一人だった この会の参列者である貴方々七人しか居ないという訳です。』

『!!!!?』

 

哲郎はその会話を冷静に聞いていた。

ギルドの男の言っている事は何ひとつ間違ってはいない。犯行が可能だったのはあの七人を置いて他にはいない。

 

『何を馬鹿な!! 冗談じゃない!!』

『そうです!! 一体私達に何の動機があると!!?』

『見ず知らずのここの人間を殺してなんの得があると言うんだ!!?』

 

ギルドの男の発言に動揺したレオーネ、ロベルト そしてペリーが次々に抗議を始めた。

彼らが宗教団体 ジェイルフィローネに来たのは偶然であり、それだけで殺人鬼だと疑われているも同然なのだから無理もないだろう。

 

(………動機 か。

それは多分ここの《転生者》と絡んでいる。

誰かにこの宗教団体には何かがある と伝える為にこんな事を……………

 

!)

 

耳に当てている水晶が通信を受信した。

 

「……もしもし、」

『テツロウか 俺だ。なにやら大変な事が起きてるらしいな。』

「! ノアさん! 来てくれたんですね!」

『ああ。エクスから知らせを受けてな、飛んできた。それで、今はどうなっている?』

「今はギルドの人が事情を聞いています。その結果、犯行が可能なのはこの会に参列していたあの七人しか居ないと言うんです。

そして、恐らくこれは………………」

『ああ。ほぼ間違いなく、昨日 アヤナが言っていた《転生者》が絡んでいる。』



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#169 Shelling Ford 2 (Barren)

『………その《転生者》についてだが、アヤナがその気配を感じ取ってから 何か進展は無いのか?』

「……いえ、今のところは何とも。

僕もここからまだ一歩も動けていないので。」

『…そうか 分かった。

ところで、お前が欲しがっていた人探しのリスト、ギルドに掛け合って 連中が目を付けそうな十代くらいの女の中で行方不明になっている奴の名前と顔写真をリストアップした。

今からそっちに送る。』

「お願いします。」

 

哲郎の水晶に数十枚の顔写真が送られ、そしてその下には名前が刻まれている。

 

『……俺の勘が正しければ連中が女に拘るのにもその《転生者》が絡んでいる。』

「でしょうね。じゃあ僕は事情聴取の声を聞きながら、この屋敷のどこかにある《卒業者》のリストを探します。」

『分かっているだろうが慎重に動け。

もし見つかって戦闘になれば誰に何が起こるか分かった物では無いからな。』

「はい。分かっています。」

 

哲郎は通話を切り、再び大広間から聞こえてくる声に耳を傾ける。

 

『………では、レオルさんとエティさんはマリナさんと話をしてから一歩も外には出ていないのですね。』

『ああ。私はセインの話を終えたあとは部屋に設置されている通話水晶を使ってずっと話をしていた。

記録を確認すれば、俺のアリバイは証明される筈だ。』

『私も右に同じだ。

彼女と話を終えた後は設置されていた水晶で祖国と通信をしていた。』

『……つまり、お二人のアリバイは完璧という訳ですね。

となると容疑者は残りの八人に絞られるという事に。』

『!!! な、何を!!!』

 

ギルドの男の声の直後に 残りの八人が一斉に抗議の声を出した。

 

『落ち着いて下さい。まだ話は終わっていません。

犯行の手口ですが、犯行を終えてあの部屋を出る時にそれを誰かに見られる危険性があります。ですか、あの部屋には安全に出る事が出来る経路があります。

天井にある通気口を伝って出れば、誰にも気付かれる事なく脱出できます。通気口の真下に椅子が倒れていたのがその証拠です!!』

『「!!!」』

 

ギルドの男の発言にレオルと哲郎だけが顔を顰めた。それは不可能であると分かっているからだ。

 

『そしてそれを含めて考えると容疑者はまた絞れてきます。

まず体格的に通気口を通れないシーフェルさん、レオーネさん、そしてゴスタフさんは容疑者から外れます。

さらに年齢、そして体力的にヴィンさんとアリネさんも外して良いでしょう。

つまりそれが可能なのはロベルトさんとアギジャスさん、そしてペリーさん、

あなた方三人だけと言う訳です!!!』

『そ、そんな!!!』

 

容疑者だと疑われ、真っ先に口を開いたのはペリーだった。

 

『それなら私にもアリバイがある!!!

私は医務室で治療を受けていたんだ!! ほら、この脚をな!!!』

『医務室で治療? それはどうして?』

『階段から足を滑らせてしまったんだ。幸い 捻挫ほどの怪我ではなかったがな。』

『ん? ちょっと待って下さい。

今《階段》って言いましたか?おかしいじゃないですか。

この偲ぶ会は一階だけを使って行われていたんですよね?なのに何故上に行く必要があるんですか?』

『そ、それは一階のトイレが混んでいたから、二階のトイレに行ったんだよ。

とにかく私は犯行時刻には医務室に居たんだ!!』

 

一拍置いて ギルドの男は話し相手を変える。

 

『……ペリーさんの治療をしたのは誰ですか?』

『私達です。』

 

哲郎の耳に今まで聞いた事のない声が入ってくる。

 

『その治療はいつで、ペリーさんはどれくらい医務室に居たんですか?』

『確かエティさんの後がペリーさんで、マリナ様との話が終わった後にトイレに行って、医務室に来たのが12時50分で、治療が終わった後は念の為 安静にしていた方が良いと考えたので、休憩時間が終わるまでは医務室で休むように言いました。

ですからペリーさんには犯行は絶対に出来ませんよ。』

『……確かに、それだと彼に残された時間はほんの数分か。

どこかに隠した遺体を現場に運んで血液を撒き散らし、椅子に乗って通気口から出るのに最低でも10分から15分は掛かる。

ペリーさんのアリバイも完璧か。

……と いう事は……………』

『!!!』

 

哲郎は聞こえてくる声から ギルドの男がアギジャスとロベルトに視線を向けたと察する。

その時、水晶が再び ノアからの通信を受け取った。

 

「はい。 哲郎です。」

『ノアだ。お前も聞いているのか。

この不毛(・・)なやり取りを。』

『……言いたい事は分かりますけど 不毛は無いでしょう。みんな僕がここに居ることなんて知らないんですから。

確かに犯人が通気口を通って部屋から出たという可能性はありません。』

『そうだ。つまり犯人は通気口の真上に倒れた椅子を置き、犯人が通気口を通って部屋から出たと思わせる事で容疑を逃れる事が出来る、あの五人の中にいる可能性が高いという訳だ。』



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#170 Shelling Ford 3 (Escape route of fake)

ギルドの男の事情聴取 そして彼の推理の話をノアは《不毛》と表現した。そう言いたくなるのは理解できるし表現自体は的を得ている。

 

なぜなら犯人が哲郎で塞がれていた通気口を通って現場の空き部屋から出た可能性は万に一つも無いからだ。

 

『………それでテツロウ、お前が大広間の会話を聞けるということは、アヤナもその部屋にいるという事だな?』

「はい。例のアリナさんがそばに居るかは分かりませんが、僕も事情聴取を聞く事は出来ています。」

『というかそもそもお前は何も気づかなかったのか?

例えば何か物音を聞いたとか、犯人の独り言を聞いたとか 何か無いのか?』

「………いえ、残念ながら何も。

ずっと寝たままの状態で疲れて ついぐっすり眠ってしまったようで。」

『……そうか。なら遺体発見の時の状況だけでも教えろ。それで何か分かるかもしれない。』

「分かりました。」

 

哲郎は通気口からでは遺体と周囲に飛び散った血、そして倒れた椅子しか見えなかった事を話した。

 

『………なるほど。犯人は遺体を部屋に置き、血を撒き散らして偽装を終わらせたという訳か。

その時人はどれくらい居た?』

「良くは分かりませんが、僕が現場を見たのは悲鳴が聞こえてすぐだったのでその時はあまり人は居なかったと思いますよ。その後もしばらく足音や悲鳴が聞こえてましたから。」

『分かった。ならお前はこれから

!』

「!? どうしました!?」

『お前も聞け!! 今その遺体発見の時の話を始めたぞ!!!』

「は、はいっ!」

 

 

 

***

 

 

「……では参考までに皆さん全員にお聞きしますが、遺体発見の時に何をしていたか教えて頂けますか?

まずレオルさん、あなたは現場のすぐ隣にいましたが 最初に現場に駆けつけたのはあなたで間違いありませんね?」

「もちろんだ。」

「そしてエティさん、あなたの部屋は現場の向かいにあるのに駆け付けたのは少し遅いようですが、何か理由があったんですか?」

「それはその時 まだ通話中だったからだ。

それを切っている時間があったからな。」

 

最初にアリバイが証明されたレオルとエティの確認が終わった。ギルドの男の話では駆け付けたのはレオルが最初でエティは四番目だ。

 

(哲郎達から見る)容疑者全員の現場に駆け付けた順番はレオル、アギジャス、シーフェル、レオーネ、エティ、ロベルト、ゴスタフ、アリネ、ヴィン、ペリーの順番だ。

だがギルドの男を始めとする大広間にいる全員はアギジャスとロベルトにのみ容疑を向けている為、(哲郎達にとって)疑わしい六人の遺体発見時の状況はあっさりと聞き終わってしまった。

 

『なるほど。

話をまとめると皆さん全員 ばらつきはあれど悲鳴が聞こえてすぐに駆け付けて、医務室に居て尚且つ足を怪我していたペリーさんは少し遅れて現場に駆け付けたと。

と なると問題はやはり動機、そして害者の遺体をどこに隠していたかという事になりますね。』

 

ギルドの男も言ったように、哲郎もこの二つの問題に取り掛かっていた。

 

動機の方は この宗教団体に潜む《転生者》が絡んでいるとみて間違いないとしても問題は遺体の隠し場所だ。

哲郎は教祖 マリアージュが居る地下室のように公にされていない隠し部屋があり、犯人がそこにある遺体を見つけ、この事を白日の元に晒そうとしてやったのだと推理した。

 

(……動機は本人に直接聞くとして、その犯人が誰なのかが分からない。

さっきの話でもこれといって怪しい点は無かったし………………)

 

『では皆さん、申し訳ありませんが遺体の隠し場所などを調べる必要がありますので、指示があるまで部屋で待機して下さい。』

 

水晶からは参列者や信者達のしぶしぶ受け入れる声やまばらな足音が聞こえてくる。

彩奈も部屋に行かざるを得ないため、これで哲郎達がギルドの男の話を聞く事は出来なくなった。

 

(……彩奈さんも動く事は出来そうにない。

やっぱりあの手(・・・)しか無いな。)

 

哲郎は通路を這って空き部屋の隣の部屋(・・・・)に移動した。

 

「来ると思っていたぞ。 入れ。」 「!」

 

哲郎が部屋に降り立つと、レオルが椅子に座り、そしてその側にエティも立っていた。

 

「おお、テツロウ君!!

本当に来ていたのか! 久しぶりだな!!」

「エティさん お久しぶりです。」

「事情はたった今 レオル殿から全て聞いた。

君があの部屋の通気口を塞いでいたから、犯人は通気口を通って出たのでは無いとな。」

「はい。現場に倒れていた椅子は犯人が通気口を通って出たと思わせる為の偽装。

つまり犯人は通気口を通れないという理由で容疑を逃れることができ、尚且つアリバイが無い人物、アリバイの無いお二人、そして今疑われているロベルトさんとアギジャスさんを除く、あの六人の中にいる可能性が高いという訳です。」

「……………………」

 

レオルとエティは哲郎の話をじっと聞いている。

 

「……しかし、私にはどうも分からない。

偶然来る事になったここの女を殺して、一体犯人に何の得があるというのだろうか。」

「………それは僕にも分かりません(転生者の事を言う訳にはいかないな………)。

 

それでレオルさん、相談なんですが」

「何だ?」

「『僕に協力して欲しい』と言ったら どうしますか?」

「……ちょうど私もそれが必要だと思っていた。」



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#171 Shelling Ford 4 (BAD BLADE)

「……テツロウ、今なら大丈夫だぞ。」

「はいっ!」

 

哲郎は通気口から降り立ち、一気に階段を駆け上がった。その階段の前にはレオルが立っている。

二階に上がり、近くの通気口に身を隠した後でレオルが持つ通話水晶に連絡をする。

 

「………レオルさん、二階に上がれました。」

『そうか。私は部屋に戻る。

何かあったらまた呼べ。 尤もお前を助けるのはこれで最後にしたいがな。』

「………一言余計ですよ。

それよりあの事 忘れないで下さいね。」

『分かっている。』

 

レオルは哲郎との通信を切った後、ギルドの男達が集まる大広間へと向かって行く。

 

「あ! 困ります レオル氏!!

容疑者は部屋で待機していて貰わないと!」

「先刻 事情聴取をしていた男は何処だ?

そいつに話さなければならない事を思い出してな。」

「そういう事でしたら こちらに…………」

 

 

 

***

 

 

「………なるほど。ロベルトさんは普段から様々な宗教団体で説法をしていたのですね?」

「ああ。可能性の話ではあるがそこからここの情報を掴み、元々のホテルに圧力を掛けて我々がここに来るように仕向けたという事も考えられる と思ってな。」

「……分かりました。

では、この事が本当かどうか彼に確認をとって参ります。無論、あなたからの情報ということは伏せておきますので。」

「よろしく頼む。」

 

ギルドの男が背を向けた瞬間、レオルは指で水晶を弾き、男の服に付けた。

 

(水属性の魔法式を改造して粘着力を持たせた。

急ごしらえだが上手く行ったな。

 

これで貸し借りは無しだぞ 小僧。)

 

 

 

***

 

 

『違います!! 確かに私は様々な場所で説法はしていました!! ですが神に誓ってそんな事はしていません!!

第一証拠がどこにあると言うのですか!!!』

『いえ ただ噂で聞いただけで、確認したかっただけですので。』

 

哲郎が持つ水晶からギルドの男とロベルトの声が聞こえて来る。レオルは約束を守ってくれたのだ と口元に笑みを浮かべる。

 

(……これでギルドの声も聞けるようになったけど、問題は彩奈さんとノアさんとこの人の声を二つ以上同時に聞く事が出来ないって事だな。

まぁ取り敢えずは……………)

 

哲郎は彩奈の水晶に繋ぐ。

彩奈と話す為ではなく彩奈の周囲にいるであろう信者の少女達から情報を得る為だ。

 

(! 哲郎さん!

という事は…………)

 

彩奈は哲郎からの通信を受け取り、水晶の中の魔力を最大限抑えて哲郎の声が周囲に聞こえないようにして 哲郎の話に耳を傾ける。

 

「彩奈さん、他の信者の皆さんが何か気になる事を言ってましたか?

『はい』なら水晶を一回、『いいえ』なら水晶を二回叩いて下さい。」

『コンコンっ』

「そうですか。

僕は今 二階にいるんですが、昨日彩奈さんがマリナさんから服を受け取ったのは彼女の部屋でしたよね?」

『コンっ』

「その部屋は二階にありますか?」

『コンっ』

「……じゃあ その部屋がどこにあるか、今 抜け出して教える事は出来ますか?」

『コンっ』 「!」

 

数秒を置いて彩奈が少女達に話す声が聞こえる。

 

『あ、あの、この近くのトイレってどこにありましたっけ?』

『ん? あぁ、 それならここを出て真っ直ぐ行けば突き当たりにあるけど………』

『わ、分かりました。』

 

ついこの前しばしの別れを告げた仲間と今生の別れを強いられた為か、水晶から聞こえてくる声はいずれも意気消沈していた。

 

 

 

***

 

 

 

『………つまりはノア様が作った行方不明者のリストとここを卒業した人を照らし合わせて、ここの秘密を掴もうとしているという訳ですね?』

「はい。そしてそれは恐らくマリナさんの部屋にあると思うんです。

実は彼女 昨夜 地下室に居た誰かに食事を持って行ったんですよ。僕はそれも関係していると考えていて。」

『そうなんですね。

分かりました。彼女の部屋は…………』

 

 

 

***

 

 

 

「………ここか。」

 

彩奈が言った経路に案内された哲郎を出迎えたのは二階の部屋の突き当たりにある茶色い扉だ。

 

(えーと確かここに…………

あった!)

 

哲郎はズボンのポケットから特殊な形で曲げられた二本の針金を取りだした。ここで調べる物が出てきた時の為にエクスとノアの二人から渡された物だ。

暗闇に《適応》した目で鍵の中の構造を確認し、鍵穴に針金を差し込む。

 

(さっき見たらこの部屋の天井には通気口が無かった。つまり鍵を掛けなければならない程の物がこの中にあるという事。

だとしたら見られちゃ都合が悪い物がこの部屋の中に…………………

 

!!!?)

 

「うわっ!!!!?」 ズバンッ!!!!!

 

哲郎が反射的に後ろに飛ぶと、今まで居た場所を鋭い斬撃が襲った。

 

(な、なんだこいつは…………!!!)

 

哲郎の前には濃い桃色の髪を肩で揃え、黒い制服に身を包んだ女性が立っていた。その手には長い棒に刃物が取り付けられた《薙刀》が握られている。

今までの信者と違っているのはその表情が険しく歪んでいるという事だ。

 

「こんな所に一体何の用だ? 小僧。」

「……………!!!」



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#172 Shelling Ford 5 (Lonely Struggle)

黒い制服は宗教団体 ジェイルフィローネの幹部である事を意味する。見立てではマリナより一回りくらい若い 高校生くらいのその女性は薙刀の切っ先を哲郎の方へと向けていた。

 

(…………この人、今完全に僕の事を殺すつもりで剣を振ってきた…………!!!

刃物を向けられるなんて地下水路のレイザーさん以来だな…………!!!)

 

切っ先が反射して目に飛び込む光が思い起こすのは、レイザー・マッハとの戦いの記憶だ。

ルールで守られたゼースの魔剣より命を奪うという意志を強く感じた。

 

(……とにかく ノアさんに伝えないと…………!!!)

「うわっ!!!!?」

 

ズボンのポケットにしまった水晶を取り出した左手目掛けて 薙刀の刃が襲いかかった。その拍子に手から水晶が零れ落ちる。

 

「………………!!!」

 

水晶を拾う余裕は無い と判断して哲郎は薙刀の女性の方に向き直った。その最中にも思考を巡らせる。

 

(………何でだ!? さっきの一回で床に振動があった筈なのに、何で誰も来ないんだ!!?

ま、まさか!!! いや、それしか考えられない……!!!)

 

哲郎が導き出した結論は 一階の天井全体に 音を消す類の魔法を掛け、下の人間に騒ぎを気付かれなくした というものだ。

偲ぶ会は一階のみで行われており、(ペリーなどの例外を除いて)上には誰も来る事は無い。

 

「………何者ですか?あなたは。」

 

哲郎の得意技の一つである《恐怖を押し殺して啖呵を切る》 をやり、女性の正体を探る。もちろんそれで口を割るとは思っておらず、時間を稼げれば儲け物だと考えての行動だ。

 

「『何者』だ?ここは俺たちの()だぜ。

勝手に乗り込んできたお前が先に名乗るべきじゃねぇのか?」

「………!!

だったら結構です。どうせここの教祖の手先か何かでしょう?」

 

哲郎にとっての不安要素は、丸二日 ほとんど狭い通路で寝たきりだった身体が本調子で動いてくれるかどうか という事だ。

大方 この女性はこの宗教団体に潜む《転生者》を探る者を迎撃する為に鍛えられた信者だろう と結論付ける。哲郎にとってはこの女性が転生者(教祖)に忠誠を誓っていようと騙されていても どちらでも問題では無い。

 

「………こいつぁ通話水晶だな。

こいつで外部と通信を取ってここの事を探ってたって訳か。 移動経路は 多分通気口だな?

小僧のお前はそこを自由に通って 度胸ゼロで探ってたって事か。」

「…………(度胸ゼロ とはかなり言うな。)

あなたに聞きたいことがあります。 今下で起こってる騒ぎ、あの死体はあなた達の仕業ですか?」

「………教えねぇ、つったら?」

「………別に構いませんよ。その手は僕も使った事がありますから。」

 

切っ先を哲郎に向けた状態から動こうとしなかった女性は、唐突に薙刀を振り上げた。しかしその刃は哲郎ではなく転がった水晶を両断した。

 

「まずは連絡通路を断ったぜ。

これでお前は完全に孤立(・・)しちまったって訳だ。」

「………………

(孤立? それはどうかな?

あなたは墓穴を掘った!!!)」

 

 

 

***

 

 

 

エクスの屋敷に居たノアは宗教団体の屋敷の二階で哲郎の水晶が壊れた事を理解し、すぐに彩奈の水晶に繋ぐ。

薙刀の女性にとって誤算だったのは、哲郎の背後には彼女の想像を超える人間が付いているという事だ。

 

「アヤナ!! テツロウの水晶が破壊された!!!

敵襲を受けた物と思われる!! すぐに応援に向かえ!!!」『!!!』

 

返事の代わりにノアの水晶に一つ 『コツッ』という音が鳴った。

 

 

 

***

 

 

 

「……………………!!!」

「オラオラどうした!? 避けてばっかりか!!?」

 

女性は哲郎に向かって薙刀を縦方向(・・・)に振り続けている。長い柄の中心を持つ事で天井が高くない廊下でも長物で戦う事が出来るのだ。

哲郎も襲いかかる刃を避け続けているが、一向に反撃の芽が見えない。哲郎にとって不利なのは自分がいる事を誰にも見られてはいけないという事だ。

 

(僕がまた隠密行動を続ける為には この人をここで倒すしか無い!!!

お腹に魚人波掌を打ち込めば終わるだろうけどその隙が無い!! 首を絞めるしか無いか!!!)

「!!」

 

気がつくと廊下の突き当たりにある階段まで追い込まれていた。

 

「このまま皆がいる一階まで落としてやろうか!?

そうなったら一気に追い込まれるな!!!」

「!!」

 

女性の薙刀の突きが襲いかかる瞬間、哲郎は得意技の 集中力を発揮して迫り来る刃を紙一重で躱し、女性の背後に回り込んだ。

そして飛び上がって彼女の首に両腕を回し、固定を試みる。

前方に伸ばされた薙刀が背後に回った自分に対処出来る筈は無い と考えての事だ。

 

(頼む!! 決まってくれ!!!

首を絞められるチャンスはこれが最初で最後だ!!!!)



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#173 Shelling Ford 6 (Chain Armor)

哲郎は猛攻を受けている最中でも自分の技の威力を疑う事は無かった。

目の前の女の耐久力では自分の魚人波掌を耐える事は叶わないだろうと。しかし薙刀の猛攻という鉄壁の防御、そして自分の存在は誰にも知られてはならないというハンデに阻まれてそれは実現には至らなかった。

哲郎に残された道は彼女の首を締め上げて気絶させるしか無かった。

 

(頼む!! 決まってくれ!!!)

 

哲郎は自身に出せる全開の速度を以て女性の首に腕を回す。今の自分の腕力でも女の細い首なら薙刀の刃が自分に届く前に意識を断ち切れるという確信があった。

 

 

ヒュッ!! 「!!!」

 

女性は自分の首が締められる前に身を屈めて哲郎の腕を躱した。

 

「ぐっ!!?」

 

腕を交差させて隙ができた腹に薙刀の石突が襲いかかり、鳩尾に当たった。身体をくの字に折り曲げて直撃を回避するが吹き飛ばされて再び間合いができてしまう(・・・・・・)

 

「…………!!!」

「どうした? 今のが最後の切り札か?それが不発に終わっちまったって訳だ。」 「!!!」

「最後に聞いておくぞ。

ここに潜り込んだ目的、そしてそのバックに誰がいるか洗いざらい吐け。そしたら命は助けてやるよ。」

「………教えない と言ったら?」

「そん時ァぶちのめして マリアージュ様の前に晒してやるぜ。」

「…………………!!」

 

哲郎は自分の《適応》の能力の実力を良く知り、そして目の前に立っている女には自分の命を奪うだけの力は持ち合わせていないという事を理解していた。

だが同時にその能力に頼り切る事は出来ないという事も理解している。意識を奪われたら待っているのは死とは別の 敗北だ。

 

(………落ち着け。考えてみればあの人が持っているのはレーナさんが持ってた槍と同じような物なんだ。

あの時みたいに刃の付け根を掴んで投げ飛ばせば勝つ事は出来る。)

「そんじゃあ行くぜ!!!!」

「哲郎さん!!!!」 「!?」

 

薙刀の女性は後ろから聞こえてきた彩奈の声に一瞬 気を取られた。

 

(彩奈さん!! 今だ!!!) 「!!!」

 

哲郎は一瞬 出来た隙を見逃さずに駆け出して一気に間合いを潰しにかかる。

 

「!! こ、このガキ!!!」

「もう遅いです!!」

魚人波掌 《杭波噴(くいはぶき)》!!!!

「!!!!」

 

哲郎の渾身の掌底が女性の腹に直撃した。哲郎はこの一撃で女性の意識を完全に断ち切れるという確信があった━━━━━━

 

ジャリッ 「!!?」

 

哲郎は小さな金属音と細かい金属の感触に異変を覚えた。それを意に返す暇も無く女性は吹き飛んで彩奈のそばで倒れ伏す。

 

「━━━━━━━━━━

カハッ!!!」 「!!」

 

女性は息を切らしながらも立ち上がって再び 哲郎と相対した。彼女の腹部の凹みも普段見る物とは違っている。

 

「………ハアッ ハアッ!!

なんつー腕力だよ 小僧テメェ………………!!!

けど、こいつ(・・・)のお陰で助かった見てぇだな………!!!」

「!!」

 

女性が服を剥がすと肌着や腹ではなく、複雑に巻き付いた鎖が現れた。哲郎はエクスの屋敷で一度 それを見た経験があった。

 

(あれは確かエクスさんの屋敷に保管されていた………名前は確か 《鎖帷子(くさりかたびら)》!!!)

 

女性の腹を覆う鎖が 魚人波掌の衝撃を受け流し彼女の腹の水分に響くのを防いだのだ。

 

「………それはそうと……………」

「!!!

も、申し訳ありません!!! 一階のトイレが混んでて二階のを使おうと思ったんですが 邪魔をしてしまいました!!!」

 

彩奈は女性が睨みつけるや否や階段を駆け下りて下に降りて行った。少なくとも女性の目にはそう見えた。

 

「……全く余計な邪魔が入っちまったな。

お陰で受けなくてもいい一発を受けちまった。」

「………邪魔 ですか。」

 

 

 

***

 

 

 

彩奈が階段を降りる直前、哲郎は彼女に連絡を送った。エクスに『砕けた欠片の状態でも水晶を握ったりして身体に密着させれば腹話術でも連絡を取る』事が出来ると言われたのを土壇場で思い出し、それを実行したのだ。

 

『彩奈さん、落ち着いて下さい!

大丈夫です。この人には僕達の関係はバレていません。一度階段を降りて、踊り場辺りで待機してて下さい。

僕が合図をしたら階段を上がって━━━━━』

 

 

***

 

 

「小僧、今の動きは魚人族のそれだよな。

流派はどこだ? ってかそんな物を誰に習った?」

「知ってるんですか。

だけど流派とかはありません。これはとある女の人に教わった物ですから。」

「そうかい。そんな女がいるなら是非会ってみてぇな。」

 

薙刀の女性は勝利を確信したように笑みを浮かべている。哲郎の技を二度も防いだ事がその確信を確固たる物にしているのだ。

 

「言っとくが俺はお前を殺さなくてもマリアージュ様はそう優しくはねえぞ。

教祖様に楯突いた事を後悔したって知らねぇからな。」

(………あなたが思っている程優しくないのは僕も同じですよ。)



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#174 Shelling Ford 7 (How to use?)

薙刀の女性は階段の前で哲郎に向かってその切先を向けている。その表情はまるで自分の勝利を確信しているようだ。

 

「どうした? さっさと掛かって来いよ。」

(……………今度もチャンスは一回しか無い。

彩奈さんを信じて全部を掛ける!!!)

 

レーナの時と同様に女性の体勢が屈んだ瞬間を狙って哲郎は一直線に駆け出した。しかし狙いは女性でも薙刀でも無い。

 

(………ガキにしちゃ速ェ!!!

だが一直線に来るならこんな簡単な事はねぇ!!!)

「!!!」

 

一直線に向かって行く哲郎に目掛けて薙刀の刃が迫って来る。女性は刃が完全に哲郎の喉を捉えたという確信があった。

 

 

「今だ!!!!」

ズザッ!!! 「!!?」

 

薙刀の刃が自分の喉を捉える瞬間、哲郎は体勢を屈めて地面を滑り、薙刀の刃を回避した。

再び女性の背後に回り込む事に成功した。

 

「それをやると思ったぜ!!!!」

 

女性は薙刀の刃を前方に出し切った訳ではなかった。背中の筋肉を駆使して振り返り、後方の哲郎に薙刀を繰り出す。

今度こそ 哲郎の背中を捉えた と、女性はそう確信した。

 

「………僕もそれをやると思ってましたよ。

彩奈さん!!!!」 「!?」

 

哲郎が声を出すと、階段の陰から彩奈が姿を現し、哲郎の手を触った(・・・)

 

 

 

***

 

 

哲郎が彩奈が二階に上がって再び下に向かうふり(・・)をするその短い時間である作戦を立て、それを彩奈に伝えた。

 

哲郎の立てた作戦は、合図をしたら彩奈が飛び出して哲郎に触れ、薙刀の女性の背後へ《転送》し、彼女の首を締め上げて落とす という物だ。

 

 

 

***

 

 

「お、お前はさっきの!!!」

 

新入りの信者が再び姿を見せて哲郎(侵入者)の手に触れた。その行動にどんな意味があるか考えるより前に彼女の前方で優先して意識しなければならない事が起こった。

 

ドスッ!! 「!!? なっ!!!?」

 

女性の耳に薙刀の刃が刺さる音が聞こえた。

しかしそれは人体に刺さる時のそれとは全く異なっており、案の定 薙刀の刃が刺さったのは哲郎の背中ではなく廊下の突き当たりの壁だった。

 

女性は侵入者の少年がどこに消えたのか、何故新入りの信者が再び現れたのか、突き刺さった薙刀をどうするべきか など一瞬の内に様々な思考に取り憑かれた。しかし次の瞬間その全てを放棄しなければならない事が起こる。

 

ガシッ!!! 「!!!?」

(よしっ!! 今度は決まった!!!)

 

彩奈の《転送》は成功した。哲郎は彩奈に自分自身を転送させ、女性の背後に回り込んだ。そして両腕を彼女の首に回し、固定して締め上げた。

 

「……………!!!! こ、このガキ………………!!!!!」

(この人はゼースさんやノアさんみたいに魔法で打開する方法は無い!!!

このまま一気に行く!!!!)

 

豊富な筋肉に恵まれなかった哲郎の肉体でも女性の細い首の中にある血管を圧迫できない程では無かった。

首を絞めている間、女性は哲郎の腕を引き剥がそうとしたり壁に刺さった薙刀を抜こうとしたり奮闘したが少しづつ意識が遠のいていき、そしてその腕はだらりと垂れた。

 

「…………ハァハァ…………………

か、勝った……………………!!!」

 

哲郎が腕を解くと女性は膝から崩れ落ちてうつ伏せに倒れ伏した。

 

「て、哲郎さん、 これって殺しちゃったんですか…………!?」

「そんなまさか。首を絞めて気を失わせただけですよ。それより彩奈さん、あなたの能力(転送)のおかげで難を逃れることが出来ました。ありがとうございます。」

「あ、は、はい。」

 

彩奈の神妙な顔付きが少しだけ緩んだ。

咄嗟の事とはいえ自分の能力に少しも自信が持てなかった彼女が人の勝利に貢献出来たのだ。

 

「………で、問題はこの人をどうするかだな…………。」

 

警戒しながら女性の首に触ると、一定の振動が指先に伝わってくる。自分の存在を知られた彼女をこのまま野放しにしておく事は出来ない。

 

「彩奈さん、何か 紐とか縛る物を持ってませんか?」

「紐? 一階に行けば何かしらあると思いますけど…………」

「それなら急いで下さい。

この人を縛ったら、彩奈さんの《転送》でエクスさんの部屋に送り届けたいので。」

「わ、分かりました!」

 

彩奈は踵を返して階段を下りていく。その間に女性が意識を取り戻さないでくれ と願いながら彩奈から渡してもらった水晶に向かって声を出す。

 

「ノアさん、今言った通りです。ですから、」

『言われずとも分かっている。

そいつを調べて素性や教祖との関係を洗い出して欲しいんだろ?』

「そうです。

僕はこれからマリナさんの部屋に入って例のリストがあるか探しますから。」

『分かった。それで、壊された水晶はどうすれば良い?』

「ギルドの人にくっ付けた物がありますのでそれを何とか回収します。」

『そうか。

じゃあ鍵はどうする?また針金で開けるのか?』

「それも大丈夫です。良い方法を思いつきましたから。」



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#175 Shelling Ford 8 (Binder and Stealer)

「哲郎さん! 紐ってこんなので良いですか?」

「十分です。 ありがとうございます。」

 

彩奈が持ってきたヒモを受け取って、哲郎は薙刀の女性の方に向き直した。女性は依然として意識を失ったままだ。

 

(えーと、確かこうやって…………)

「……………!!」

 

哲郎はまず 女性の両腕を縛り上げ、両足を曲げて繋いで更に縛り、完全に全身の自由を奪った。淡々と行われるその光景を彩奈はただ見ている事しか出来なかった。

 

「よし!これで大丈夫だ。」

「……………」

 

哲郎の捕縛は完全に終了し、その足元には先程まで自信満々の表情を浮かべていた女性が無様な姿で横たわっていた。

 

「ん? どうかしましたか?」

「いや、よくこんなの知っていたな って思いまして…………」

「これはエクスさんが教えてくれたんですよ。いざという時の為に身につけておけって言われましてね。」

「そうですか…………。」

「はい。それじゃあ お願いします。」

「分かりました。」

 

彩奈は縛られた女性の身体に触れ、その身体をエクスの屋敷の部屋に《転送》した。

これで侵入者である自分の存在を知る敵はこの宗教団体には居なくなった。懐から水晶を取り出して通信を図る。

 

「ノアさん、聞こえますか?

たった今そっちに敵の女性が来た筈です。確認して下さい。」

『ああ。たった今来た。わいせつ物がな。』

「? わい……? 何ですか?」

『いや、何でもない。(こいつはまだ子供だったな。)

で、どうやってリストを探すんだ?』

「決まってるじゃないですか。彩奈さんの力を借りるんですよ。」 『「!」』

 

哲郎は彩奈の方に視線を向けた。その表情は彼女を信頼した穏やかな顔だ。

 

「彩奈さん、確か初めてここに入った日にその制服を貰う為にマリナさんの部屋に入りましたよね?ならこの中に僕を《転送》出来ますよね?」

「は、はい。

でもその後どうするんですか?」

「部屋はみんな内側は鍵を開けられるから大丈夫ですよ。」

「で、でもそれじゃ鍵が開けっ放しになるじゃないですか!もし部屋にマリナさんが帰ってきたら…………」

「その前に事件を解いて彼女の正体を暴けば何の問題もありませんよ。」

「あ………!」

 

彩奈は完全に忘れていたが、一階下では遺体を誰が部屋に置いたのか騒いでいるのだ。

 

「それじゃあ私が哲郎さんをあの地下室に送りますよ!そしたらあの教祖様の事とかも分かるかもしれないじゃないですか!」

「それは危険ですよ。まだあの人みたいな手練が居るかもしれないですし。それに僕が地下室に行った後、魔法で施錠されたあの部屋からどうやって出るんですか?」

「ああ。 そ、そうですね。」

 

質問を終えた彩奈は哲郎に促されて彼の身体に触り、頭の中に制服を受け取ったマリナの部屋を浮かべた。

一瞬の内に哲郎の視界は廊下から屋敷の部屋に変わった。

 

(よし。上手くいったな。 さて…………)

 

哲郎は窓際に置かれた大きなたんすに目を向けた。見られて都合の悪い物を鍵をかけた部屋の中に隠すならこういう場所と相場が決まっている。

 

 

「…………………

ど、どこにも無い…………!!」

 

たんすや部屋の中にはリストらしい物は何も無かった。リストともなれば分厚い紙の束になり、目立つ筈だ。

 

(………この部屋には無いのか?

いや、そんな筈は無い。昨夜の行動からしてマリナさんがこの宗教団体の《転生者》と絡んでいる事は間違いないんだ。この屋敷の中であの人のプライベートが守れる場所は限られてる。

だけど、もし彩奈さんの言った通り 地下室にあるとしたら厄介だぞ…………………

 

!)

「何だこれ…………?」

 

哲郎はたんすの引き出しの奥に光る物を見つけた。引き出しを外して奥を除くと、そこには水晶のような物があった。

 

(! 動かない? 固定されてるのか?)

「あっ!」

 

哲郎は動かない水晶に手を伸ばし、それを動かそうと様々な方向に力を掛けた。すると水晶はその場で回転(・・)した。

 

ズゴゴゴゴ!!!!! 「!!!!?」

 

哲郎が居る部屋全体が轟音と共に揺り動く。立っているのもやっとな程だ。

 

「…………!!! い、一体何だったんだ…………!!

!!!」

 

背後に気配を感じて振り返ると、扉の側に飾ってあった絵が心做しか前方に迫り出していた。

手を伸ばすと、それは簡単に外れた。

 

「こ、これは……………!!!」

 

絵の裏柄には壁ではなく絵と同じくらいの大きさの長方形の穴が開いていた。暗くて良くは見えないが、かなり奥まで続いているように見える。

 

(そんな馬鹿な!!

ここに穴があるなら、この先は廊下に通じてる筈だぞ!!!)

 

哲郎の目の前の穴の向こうは廊下にしてはあまりにも暗く、そして深かった。

彩奈から一時的に借りた水晶を使ってノアとの通信を試みる。

 

「ノアさん!聞こえますか!?

マリナさんの部屋で、リストとは違う異変を見つけました!!」

『一体何をやってるんだお前は!!!』 「!?」

『早くその場を離れろ!!!

今の震動を一階の奴らが嗅ぎつけてどんどんそっちに上がってきてるぞ!!!!』 「!!!」



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#176 Shelling Ford 9 (Disturbance)

哲郎が今持っているこの水晶は彩奈から借りた物であり、彩奈の周囲で起きていることは今 ノアには分からないはずだが、その事を質問している時間は無かった。

哲郎の耳にも扉の向こうから複数の足音が近付いてくるのが聞こえて来る。

 

「!」

哲郎はズボンのポケットの中に入っていたノアから借りたある物(・・・)の存在を思い出し、そして咄嗟に一つの作戦を立てた。

 

『とにかくその場を動け!! 今度見つかったら一巻の終わりだぞ!!!』

「いえ。助かるかもしれません。

良い作戦を思いつきました。 一か八かやってみます。」『!?』

 

 

***

 

 

「どうやら今の震動は地震とは違うようだ!!

恐らく、二階で何かがあったんだ!!二階に何か異常か無いかくまなく探せ!!!」

 

一階から上がってきたと思われるギルドの職員達がこぞって二階へと上がり、そして部屋を虱潰しに探している。

 

哲郎が今いるマリナの部屋は二階の突き当たりにある為定石通りに行けば彼らがここに入ってくるのは少し先になるはずである。しめた と思った哲郎はたんすの奥にあった水晶を元の角度に戻した。

すると後ろにあった絵が元の角度へと回転してがっちりとはまった。しかも幸運な事に戻る際にはあの震動は起こらなかった。

 

更に素早い手付きでリストを探す為に引き出しから出した荷物を元通りに戻し、引き出しを入れて部屋を荒らした痕跡を完全に消す。

 

「!」

 

部屋を元通りにした直後、扉からギルドの男を中心にした話し声が聞こえて来た。

 

「残るはこの部屋だけです。ここの幹部のマリナさんの部屋です。」

「うむ。幹部の部屋か。どうも匂うな。

良いか。俺が合図したら一斉に飛び込むぞ。」

(よし! 行くぞ!!)

 

マリナの部屋の窓ははめ殺しになっていて開かない。つまり、ギルドの職員達からの視点ではこの部屋は完全に袋小路になっている。哲郎はそれを逆手に取って作戦を立てたのだ。

 

(そうらっ!!!)

バリンッ!!! 『!!!!』

 

哲郎は武器になると思って庭で拾っておいた石を投げて窓を割った。そしてすかさずある物(・・・)を胸に着けて素早く扉の側に移動する。

 

「い、今の音はまさか!!」

「何をしている急げ!! 早く突入するぞ!!!」

 

信者の誰かから貰ったと思われる鍵を使って入ってきた職員達の視線は真っ先に目の前の割れた窓に集中した。

 

「ま、窓が!! まさか…………」

「逃げられたんだ!! ここに潜んでいたけど追い詰められて、窓を破って逃げたんだ!!!」

「くそう!!!」

(…………よし!! ひとまずやり過ごせた!!!)

 

『窓を破って逃げた』と発言したのは哲郎だ。

ノアから貰っていた かつてマキムに成りすました変装の道具を使ってギルドの職員に姿を変えたのだ。

 

 

 

***

 

 

『良い作戦!? なんだそれは!?』

「ノアさんから貰ったあれを使うんですよ。」

『!? まさか変装する気か!!?』

「はい。それと同時に水晶の数を元に戻す方法も思いつきました!!!」

 

 

***

 

 

「外部班に連絡しろ!! 何者かが外に逃げた!!!

警備を固めて、絶対に逃がすな!!!!」

『はっ!!!!』

 

ギルドの男が指示を飛ばすために背を向けたその一瞬を狙って哲郎は彼の背中に付いた水晶を回収した。これで再び水晶の数が元に戻った。

 

ギルドの職員達が外へと出て行くのを最後列から付いて行くふりをしてさりげなく外へ出る。

彼らが二階から降りて行ったのを見計らって、胸に付けた変装道具を取り、哲郎の姿に戻って再び通気口に身を隠す。

 

全てが上手くいった と心の中で喝采を上げて再びノアへと繋ぐ。

 

「ノアさんやりましたよ!!

ギルドの人達をやり過ごして水晶も回収出来ました!! これで元通りですよ!!!」

『落ち着け。お前の気持ちは分かる。

だがこれは最善策とは言い難いぞ。今ので奴らの中に外部犯の可能性も出てきた。一階で起きてる事件の犯人を更に探しにくくなったぞ。』

「………はい。それはちゃんと分かってます。

ギルドの人達から情報を集める事はもう出来ないでしょうね。」

『それで、その部屋には本当にリストは無かったんだな?隅々まで探したんだろ。』

「はい。一応 床下とか天井とかに隠してるかもと思いましたが、そんな物はありませんでした。」

『…………そうか。

よし。リストは後回しだ。まずは一階の事を片付けて、それからまた探す。

それからそいつの動機次第では俺達に協力させる事も出来るかもしれない。積極的に近付いて行け。』

「分かりました。

ちなみに《転生者》の事は話した方が良いでしょうか?」

『そいつが次第だな。

どこまで知っているかによってお前の判断で決めろ。』

「分かりました!!」

 

哲郎は再び一階に戻る為に階段を目指す。

行きとは違ってレオルの協力を頼めないのが少しだけ心細かった。



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#177 Shelling Ford 10 (Change the transceiver)

哲郎は二階の通気口を這って進み、階段に一番近い出入口の真下まで来た。穴から覗いた分では階段の近くには誰も居ない。

 

(………ここには誰も居ないか。

問題は一階に人が居るかだよな。 よしっ!)

 

既に最大限 人目につかないように一階に降りる方法を思い付いていた。空中に浮いて階段の上の天井を這うようにして進み、誰にも見つかる事無く一階の天井まで戻る事に成功した。

 

(ここにも誰も居ない。僕が戦ってる間に何かこっちでも動きがあったのか…………。)

 

直ぐに一階の天井に通じる通気口を見つけ、身を隠す。リストを探す事を後に回した今は二階に上がる理由は無い。

 

(ここで何があったのか知りたいな。とりあえず 大広間に行ってみるか。)

 

 

 

***

 

 

(!)

 

哲郎が大広間にある通気口まで行って哲郎が見たのはそこにひしめき合ってすすり泣いている信者の少女達の姿だった。

 

(………皆はここに待機しているように言われたのか。ギルドの人達は…………外か。)

 

ギルドの人達は哲郎が窓から石を投げてしまった事で混乱し、外部犯の可能性も疑いだしている。しかし今の哲郎には外に出れるだけの自由は無い。

今の哲郎に残された課題はどうやって彩奈にもう一つの水晶を渡すか そして事件の解決 の二つだ。

 

(………ここに彩奈さんは居ないみたいだな。

じゃあ今度はあの現場(空き部屋)に行くか。)

 

 

 

***

 

 

哲郎は物音を立てないように慎重に通気口を這って引き返し、元の持ち場である空き部屋の真上まで戻って来た。意外だったのはその部屋から話し声が聞こえてきた事だ。

 

(………あの人の声は聞こえない。

ここと外とを同時に調べてるのか。)

 

「おい、何か分かった事はあるか?」

「一通り調べてはみましたが、やはり遺体から漏れ出た保存魔法以外の魔素は検出されませんでした。」

「そうか。外部の報告では、割れた窓の近くには足跡も魔素も見つからなかった。あそこは二階。人間が飛び降りたらかなりの衝撃が地面に掛る筈なのにだ。」

「それはつまり………」

「ああ。先程の窓の一件は我々を撹乱させる為の物であった可能性があり、現時点では外部犯の可能性は五分と五分だと言わざるを得ない。」

 

哲郎はギルドの職員達の話をじっと聞いていた。恐らく彼らは窓の一件が捜査を撹乱する為の物なら一階の事件と同一犯だと考えている筈であり、更に状況は混乱してしまう。

 

(……事件の解決はまだ出来そうにないな。

とにかく、彩奈さんにこれを………)

 

懐から二つある水晶の内の一つを取り出して心の中で呟く。彩奈という情報源を確保する事が今の哲郎には必要不可欠だ。

 

 

***

 

 

しばらく探し回って哲郎は彩奈を見つけた。

人目につかない廊下でミアーナ ことアリナと二人で話している。

 

「リネンさん どうしたの?こんな所に呼び出して。 ギルドの人達に待機しておくように言われたのに。」

「あ、あの ミアーナさん。」

「?」

「一つ 聞いておきたい事がありまして。

その、エレナさん って どんな人だったんですか?」 「!!!」

 

彩奈の言葉を聞いてアリナの表情が一気に険しくなった。たどたどしい口調ながらかなり人と話す事ができている。

 

「…………とてもいい人だった。」 「!」

「私がここに入った時にはもうここの中ではかなり有名になってて、だけどあっという間に《卒業》しちゃって…………。」

「…………………。」

 

(ここでは二人一組の行動が鉄則化しているから彩奈さんが一人になるのはかなり難しい。

それにギルドから待機しておくように言われたから、今すぐにでも戻らなきゃ不審に思われる。

すぐにでも行動を起こさなきゃな。)

 

彩奈が通気口の後ろに来た瞬間、哲郎は頭で考えている事を実行に移した。

 

(頼むから、割れないでよ……………)

 

通気口から静かに水晶を落とした。水晶は『コツン』と軽く音を立てて床に落ちる。

哲郎の危惧は現実にはならず、ヒビひとつ入る事無く床に転がった。

 

「! 何あれ!?」

「あ! こ、これは………」

 

彩奈は咄嗟に気付いた振りをして水晶に覆いかぶさり、それを拾い上げた。

 

「リネンさん、それってあなたの?」

「は、はい。大した物じゃないんですけど 子供の頃から持ってる物で……………」

 

彩奈は苦笑いを浮かべてアリナの追求をやり過ごした。この通話水晶はいわば自分たちを繋ぐ物であり、絶たれる事は決して防がねばならない。

 

「それよりリネンさん、そろそろ戻った方が良いよ。話はもう終わったんでしょ?」

「!! は、はい。そうですね。

すみません 付き合わせちゃって。」

「良いの良いの それくらい。」

 

二人は廊下を進んでいく。哲郎はその様子をじっと見つめていた。

 

「………彩奈さん。早速ですがお願いしたい事があります。

………ギルドの人に事件の事を聞いて欲しいんです。」



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#178 Shelling Ford 11 (Things to do)

『ギルドの人に事件の事を聞いて欲しい。』と彩奈に伝えると、水晶から彼女の返事の代わりに『コツン』と軽い音が一回鳴った。

今の哲郎にとって最優先すべきはこの一階で起こった事件の解決だ。リストはマリナの部屋には無く、更に彼女の裏の顔を仄めかすような怪しい要素が出てきただけだった。

 

ギルドの職員達は十中八九マリナに『貴女の部屋に何者かが潜んでいた』と報告した筈であり、それを彼女は警戒している筈である。

今の哲郎が再び彼女の部屋に入る事は自殺行為はおろかこの屋敷に居る信者の少女達や偲ぶ会の参列者達の身を危険に晒しかねない行動なのだ。

 

(今ここに居る人の中で僕に協力してくれるのは彩奈さんとレオルさん、エティさん。そして、動機次第ではこの事件の犯人にも協力をお願いできる可能性がある。

今の僕に必要なのは《動きやすさ》だ。協力してくれる人を集めてこの屋敷で動きやすくする。リストを探すのはその後だ。)

 

とは言ったもののこの《動きやすさ》には一つ問題がある。それはレオルとエティが彩奈の存在を知らない事だ。二人にとって彩奈は《リネン》という信者の少女であり、全く気にもしていないだろう。それに今の彩奈はアリナと二人一組の行動を義務付けられている。彩奈の口からそれが打ち明けられる事は考えられない。

 

(………こんな事なら最初に接触した時に彩奈さんの事を話しとけば良かったな…………。

まぁ現状把握はもう十分か。さて………………)

 

哲郎は水晶を取り出して通信をかける。

 

『………テツロウか! 俺だ。 エクスだ。

俺が席を開けている間に随分な騒ぎがあったようだな。』

「エクスさん。 ええ。騒ぎなら既に解決しました。 エクスさんは今までどちらに?」

『ミゲルと一緒に家の用事を片付けていた。

ちなみにだが、ノアなら俺が戻ってきたのと入れ違いに帰って行った。』

「そうですか 分かりました。

それで、頼まれていた卒業者のリストなんですが、彼女の部屋にはありませんでした。

代わりに見つかったのは絵の裏に隠してあった大きな穴だけで………」

『それも全部あいつから聞いた。

恐らくそれは亜空間を作る魔法だろう。マリナという奴は魔法を使って地下室に錠をかける事をやってのけたのだから、それくらいはおかしくない。』

「はい。ちなみに、その亜空間ってどれくらいの広さになるんですか?」

『それは使う者の魔力に依存している。

だがあいつならそれなりの広さの穴は作れるだろう。例えば、死体(・・)を隠せる位の穴は簡単にな。』

「!!!

…………つまりエクスさんは、あの遺体は彼女の部屋の穴に隠してあった と考えているんですか?」

『いや、そうは言ってない。

仮に犯人が前にその屋敷を家捜しして偶然穴に隠してあった遺体を見つけたとして、今日 犯行時刻に遺体をあの部屋から空き部屋に運ぶ余裕は無かった筈だ。

第一、その穴を出す時には物凄い音がしたんだろう?今日お前の前にそれが開けられたのなら、屋敷に居た全員がその音を聞いている筈だ。』

「………………」

 

哲郎はエクスの話を聞きながら考えを巡らせる。

犯行が可能な参列者達が人目を盗んで二階へ上がる余裕があるとは考えにくいし、そもそも遺体があの中に隠してあったという証拠はどこにも無いのだ。

 

『とにかくだ、これからはもっと慎重に事に当たれ。次また誰かに見つかったらそれこそ言い逃れることは出来ないぞ。この部屋が縛られた女で一杯になるのはごめんだ。』

「そ、それは すみません。」

 

ほとんど完全に忘れていたが、今 エクスの部屋には縛り上げられて気を失った女性が居るのだ。

 

「僕は優先して事件の解決に専念します。

そうすればこの屋敷のどこかにある筈のリストを探しやすくなると思いますから。」

『ああ。 だが部屋に無かったとなると考えられるのはその隠し穴に遺体ではなくリストが隠してある可能性、そしてもう一つ幹部のあいつがプライバシーを守れる所、』

「…………教祖が居る地下室しか無い という訳ですか。」

『ああ。もし地下室にあるとなったらかなり厄介だぞ。そこには彩奈の《転送》で行く事はできても、帰る方法が無いからな。』

「僕も同じ事を考えましたよ。だからあそこを探すのは最後にするつもりです。」

『そうだが、リストさえ手に入ればこっちの物だ。そこに書いてある人間とギルドが捜索願いを出している行方不明者が一致すれば あいつの悪巧みが白日の元だからな。』

「はい。そしてもちろん、アリナさんを連れ戻す事も忘れていません。

サラさんとセリナさんに伝えて下さい。

『僕が絶対に妹さんを連れ戻して来る』とね。」

『分かった。だが無茶はするな。

お前には《鬼ヶ帝国》に行くという国王直々の依頼が控えてるんだからな。』

「もちろんそれも忘れてませんよ。」

 

必ず自分の役目を果たす とエクスに誓い、哲郎は通話を切った。



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#179 Shelling Ford 12 (Guilt & Responsibility 2)

この宗教団体 ジェイルフィローネにはまず間違いなく裏がある。そしてその鍵を握っているのは幹部であるマリナ、そして何故か地下室で生活している教祖 マリアージュの筈だ。

そしてもう一つ、哲郎は心の中で直感していた。今一階で起きている事件がこの宗教団体と関係しているなら、その謎を解き明かす事が即ちここの裏を暴く事に繋がるのだ。

 

(………彩奈さんからはまだ連絡が来ない。

まだ行けてないのか?それとも断られちゃったのか…………?)

「!」

 

手に持った水晶が彩奈とは違う通信を拾った。

エクスから追加の連絡が来たのだ。

 

「はい。もしもし。」

『テツロウか。たった今アヤナがこっちに送ってきた女の身柄を魔力に掛けて調べてみた。

そうしたら興味深い事が分かったぞ。』

「興味深い事? 何ですかそれは。」

『こいつの記憶の中に、幹部のマリナという奴から支持を受けていた痕跡があった。『二階を見張り、侵入者が居たら迅速に対処しろ』とな。』

「やっぱり彼女が……………

それで、他に何か分かった事はありますか?」

『別にお前が期待してるような物は出てこなかった。そのマリナについてもあいつの本性が分かるような物は何一つな。』

「………つまり、あの人はただマリナさんに命令されて動いていたという訳ですか?」

『多分な。あとこいつの名前や素性も分かったが、聞いておくか?』

「はい。念の為に聞いておきます。」

 

 

薙刀の女の名前は《リーチェ・ピークチャース》、そしてジェイルフィローネでの名前は《フェルナ》という。

彼女は元々孤児で兄との二人暮しだったがある日 その兄が冤罪に問われてしまい、途方に暮れていた所をジェイルフィローネに拾われた のだという。

 

『手短に言うとこんな所だ。 何か質問はあるか?』

「いえ何も。ちなみに━━━━

!」

 

哲郎は話を途中で切った。遠くの方でぞろぞろと足音が聞こえてきたからだ。

 

『? おいどうした?』

「すみません。こっちに動きがありそうです。

また折を見て連絡します。」

 

急ぎ目に通信を切り、通気口を這って大広間へと進んで行く。自分の勘が正しければ大広間に皆が集められているだろうと思ったからだ。

 

 

 

***

 

 

 

(………思った通りだ。)

 

哲郎の予想通り、大広間には信者の少女達、偲ぶ会の参列者達、そしてギルドの職員のほとんどが集められていた。

 

「……一体いつまで待たせるんだ!」

「あの地震が何か関係してるんですか?」

「早く説明してもらいたいですね。」

 

長時間 部屋での待機を命じられ、この大広間でも膠着状態が続き、全員 気が立っている。

ゴスタフ、アリネ、そしてロベルトが口々にギルドの職員達に問い詰める。そして職員の一人がようやく口を開いた。

 

「皆さん落ち着いて聞いて下さい。

まず、先程の震動に関してですが、震源と思われる部屋には魔素が大量に付着していました。つまり、あれは何者かが魔法を使って引き起こした物と考えられます。」

「………………。」

 

男の言う大量に出てきた魔素というのは、哲郎がたんすの中にあった水晶を弄って絵の裏に隠したあった穴が出てきた時に魔法が発動しており、それが部屋に付いたのだろう。

 

「そして、その部屋に我々が突入しようとした瞬間、窓が破られ中には誰もいませんでした。

これについては二つの可能性が考えられます。

一つは、部屋に潜んでいた貴方達以外の誰かが窓を破って逃走した可能性。そしてもう一つは同じく部屋に潜んでいた誰かが石などを投げて窓を破って逃げたと見せかけて我々の捜索をやり過ごした可能性 この二つです。」

 

男の話を聞けば聞くほど哲郎の胸に何とも言えない罪悪感が刻まれていく。ギルドの捜査を混乱させているのは、間違いなく自分自身だからだ。

 

「だったら、この事件の犯人もそいつに決まってますよ!! 僕達には動機が無いんですから!!」

「いえ。結論を出すのは早すぎますよ。

確かにこの屋敷に侵入者が居たのは明白ですが、貴方達の潔白が証明された訳ではありません。もちろん、その侵入者が犯人である可能性も大いにありますが、その侵入者はまだこの屋敷に居る可能性が極めて高いです。」 「!?」

 

男の言葉で 盛んに抗議していたアギジャスの顔が更に険しくなる。

 

「当時、屋敷の周辺にはくまなく捜査員を配置して警備に当たらせていました。彼等の報告では、この屋敷から出た者は誰も居なかったと。

つまり、侵入者はまだこの屋敷のどこかに息を潜めていて、我々の操作を掻い潜ろうとしている訳です!!!」

「………………!!!!」

 

哲郎の罪悪感は最早 限界を迎えようとしていた。もし『アリナを連れ戻す』という責任感が無ければ今すぐに名乗り出てもおかしくはない。

ギルドの男が言った通り、侵入者である自分はこの屋敷の通気口に身を潜めているのだから。



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#180 Shelling Ford 13 (The Lost Guardian)

「つまり、話を纏めると二階に何者かが潜んでいた事は確実ですが、その人物がここで起こった一件に関係していたから現在の所では分かりません。」

「……………………」

 

ギルドの男の声を聞けば聞くほど哲郎の心に申し訳なさが溢れて来る。今の哲郎がやっている事は自分の物差しで言うなら完全に《公務執行妨害》だ。

 

「あ、あの。」

「ん? 何ですか?」

 

後ろに居た信者の少女の一人が手を挙げた。

 

「あの、フェルナさん 知りませんか?」

(!!!! ま、まずい!!!!)

 

《フェルナ》

その単語がこの場で出る事を哲郎は一番恐れていた。

 

「フェルナ? 誰ですかそれは。」

「二階を見張ってたここの幹部ですよ!

さっきから姿が見えないんですよ。」

「いいえ。我々が二階に上がった時には誰も居ませんでしたよ。」

「そ、そんな!! まさか侵入者に連れ去られて……………!!!」

(まずい!! まずいぞ………!!!

やっぱりあの人をここから遠ざけたのは間違ってたか………!!!)

 

「落ち着いて下さい!もしその人が侵入者に連れ去られていたとしても、侵入者がここから出ている可能性は低いのです。

後でこの屋敷を徹底的に探します。そうしたら見つかる筈です。」

(それは困る!! 見つかる訳は無いんだよ!!)

 

フェルナはもうこの屋敷のどこにも居ない。自分の存在を知られたからといって直ぐに外に追いやったのは軽率過ぎた。

 

「失礼ですが、そのフェルナという人の特徴を教えて頂けますか?」

「はい。本名は《リーチェ・ピークチャース》。

濃いピンク色の髪をして目が釣っていて、そしていつも薙刀を持っています。」

「薙刀? それはまたどうして?」

「あの人はここの警備を担当してるんです。だから多分さっきもその侵入者と戦ったんだと思います。」

「我々が行った時にはそんな物どこにもありませんでしたよ。

しかし変ですね。もし侵入者が彼女を連れ去ったのだとしたら、そんな荷物を一緒に持っていくとは考えにくい。それに薙刀なんて隠し場所が限られるのに…………。」

(……だんだんボロが出てきたぞ…………!!

これじゃ事件を解決する所じゃない…………!!!)

 

哲郎は手に汗を握りながら男の話を聞いている。事実が明るみになればなるほど自分の存在がばれる危険性が上がっていくが、かといってエクスの屋敷に《転送》させたフェルナをここに連れ戻す方法もメリットも無い。

侵入者である自分の存在を知るフェルナがここに来れば、それこそ自殺行為だ。

 

「……あの、もしかしたら、」 「ん?」

 

今まで神妙な顔付きで座っていたアリネが手を挙げた。

 

「もしかしたらですけど、これってその人の ここの信者だけを狙った連続殺人 って可能性はありませんか?」 「!!!」

(ちょっとお婆さん!! お願いだからこれ以上話をややこしくしないで!!)

 

言うまでもない事だがアリネの言った事はただの憶測だが、この状況なら理に適ってはいる。だからこそ尚更厄介なのだ。

 

「いえ、それは考えにくいですよ。

もし犯人がその侵入者なら、遺体をあの部屋に置いてからすぐに逃げる筈です。事件発覚から数時間も間を置いて留まる理由はありません。

第一、今までずっと閉鎖的な活動をしていたここの信者の女の子達が、俗世の人にどんな恨みを買うっていうんですか?

まさか、内密にやましい事をしている訳ではあるまいし。」

「!!!!!」 (!!)

 

その瞬間、哲郎の目はマリナの目が『かっ』と見開かれたのを見逃さなかった。この時 疑惑が確信に変わる。

 

「そうですよね?マリナさん。

強いて言うならここでは花を育てて それを売って生活費を稼いでいるらしいですが、まさか やましい事なんてやっていませんよね?」

「も、もちろんですよ!!」

「! し、失礼。 では質問を変えます。

この屋敷に、他に人目につかない場所はありますか?」

「そ、それなら地下室がありますけど。」

「地下室ですって!!? どうして今まで黙っていたんですか!!」

「そ、それは、あそこは教祖様がいる所ですので。それにあそこは私の魔力で施錠してありますから、無理に開けようとしたら凄い音がしたりその跡が残る筈です。

さっき見て来ましたがそんな物はありませんでした。」

「……….なるほど。 ですが一応調べさせて頂けますか?もしかしたらフェルナさんがそこに監禁されている可能性もありますから。」

「はい。構いませんが。」

 

哲郎の行動が災いして一向に話が進まない。しかし一つだけ、少しだけだが大きな進展があった。

間違いなくこの宗教団体には想像もつかない裏がある。そしてその鍵を握るのは幹部のマリナだ。

 

この宗教団体に潜む転生者、行方知れずの卒業者、マリナの異常な反応、そして異常な殺され方をした遺体。

状況はかなり悪いが、それでも手掛かりは着実に集まって来ている。



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#181 Shelling Ford 14 (Fragrance and Hair)

(………手掛かり自体は集まってるんだけど、それを繋ぎ合わせる事はまだ出来ないんだよな……。

それもこれもここの事件を解かないとどうにも…………

? あれっ?!)

 

哲郎はそこまで考えて目の前の大広間の異変に気付いた。偲ぶ会の当事者であるセリナの姿が見当たらないのだ。

 

「エクスさん! エクスさん!」

『何回も言わなくとも聞こえている。どうかしたのか?』

「あの、セインさんの娘のセイナさん どこに行ったか知りませんか!?」

『ん? あぁそうか。お前は上で派手にやってたから知らないのか。』 「?」

 

 

 

***

 

 

エクスの話ではセイナは遺体を見て気分を悪くしてしまい、事件発覚からずっと医務室で横になっていたのだという。そして哲郎が二階でリーチェと戦っていた時にその事が説明されたのだ。

 

「なるほど そうだったんですね。

安心しました。 ちなみに、セリナさんのアリバイは分かりますか? ギルドの人の声をずっと聞いてなかったので。」

『あいつにもちゃんとしたアリバイがある。

大広間でずっと信者たちと午後の部の準備をやっていたんだ。あいつも潔白(シロ)だ。』

「………………。」

 

セイナの無事と身の潔白が証明されて分かったのは、状況は全く変わらず 通気口を出れない事で容疑を逃れる事が出来る五人の中に犯人がいる可能性が高いという事だ。

 

『……聞きたい事は全部か?』

「はい。」

『そうか。 分かっているだろうが、勝ちを急ぐなよ。何度も言うようだが 次見つかったら今度こそ終わるかもしれないからな。』

「もちろんです。これからは慎重に━━━━

 

!」

 

哲郎はエクスとの通話から視線を外した。ギルドの男が口を開いたからだ。

 

「………では、今一度皆さんの事件当時の状況をお聞きしたいと思います。

まずはレオルさん。先程もお聞きしましたが、事件当時はずっと部屋で通話していて真っ先に駆けつけた。それで間違いありませんね?」

 

レオルは首を一回縦に振った。

 

「……その時何か気付いたことはありませんか?

例えば、何かの音を聞いたとか、変な匂いがしたとか。」

「これといって無い。強いて言うならすぐにギルドに連絡を取ったという事くらいだな。

死体を見るのは初めてじゃ無いからな。」

「…………」

 

ギルドの男は一瞬 顔を顰めたが、すぐに二番目に現場に来たアギジャスに話を振る。

 

「アギジャスさん、あなたは?」

マリナ(この人)との話が終わった後はずっと部屋で本を読んでいました。それを証明出来る人は居ないから、アリバイは無いという事になるんでしょうね。」

「まぁそうなります。ちなみにその時気付いた事は?」

「……そういえば、妙な匂いがしましたね。」

「匂い?血の匂いでは無く?」

「はい。もちろん血の匂いも沢山したんですが、それに混じって酸っぱいような匂いがしました。まるで毒々しい花のような。」

「ああ!それなら私も感じたぞ!」

 

二人の話に割って入る形でレオーネが手を挙げた。彼は獣人族であり、鼻が利くのだ。

 

「レオーネさん、あなたも?

それはここの庭に咲いていた花の匂いですか?」

「いや違う。もっと強い、それこそ血にも負けないような強烈な匂いだ。」

「………… 分かりました。匂いがしたんですね?

また詳しくお聞きします。

では次に 三番目に入ったシーフェルさん、あなたは?」

 

哲郎はシーフェルが犯人である可能性はかなり低いと考えている。自分が今ここに居るのは彼からの招待状ゆえだからだ。

 

「私も彼女との話の後は部屋で一人で午後の部で友人代表のスピーチの原稿の仕上げをしていた。」

「なるほど。ですが、その原稿の仕上げを前もってやっておけば、話の後は自由に行動できますよね?」

「………確かにそうかもしれない。

ちなみにだが、匂いとか そういった類の物には気付かなかった。」

 

シーフェルは匂いに気付かなかったというが、アギジャスとレオーネが口を揃えて言っているのだがら事実なのだろう。

 

「レオーネさん、先程も伺いましたが、事件当時は何を?」

「マリナと話した後は昼寝していた。昨日は遅くまで起きてたからな。 あぁ そう言えば、その前にトイレに行ったな。」

「トイレに? その時廊下に人は?」

「いや、誰も居なかったよ。その後は寝入ってしまって、悲鳴に叩き起されてあの部屋に飛び込んだって訳だ。」

(僕と同じだな……………)

 

「仮眠を取っていた と。

その時、匂いの他に気付いた事はありませんか?」

「いや。匂い以外には何も。

仮にあったとしても死体やら匂いやらに気を取られてそれどころじゃ無かった。」

「なるほど………………」

 

ここまでで初めの方に現場に入った四人の聴取が終わった。哲郎の耳には今のところおかしい部分は無いように聞こえた。

そして同時に悔やむ。こんな事ならあの時眠ったりしなければ良かった と。



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#182 Shelling Ford 15 (Nonfiction Mystery)

「エティさん、先程も聞きましたが、あなたは事件当時 マリナさんと話し終えた後はずっと自分の部屋で通信していた。

間違いありませんね?」

 

エティは一言 『ああ。』とだけ言った。これで彼のアリバイも証明された。

 

「ちなみにその時、何か気付きましたか?」

 

ギルドの男の質問に首を横に振る。

男は手を顎に当てて少し唸った。

現状取れた手掛かりは謎の花の匂いだけだ。この証言の信憑性はほぼ確実である。レオーネとアギジャスという二人が証言している為、偽証の可能性は考えにくいからだ。

 

「ロベルトさん、あなたは事件当時、何をしていましたか?」

「私も彼らと同様にマリナ氏と話し終えた後は部屋で一人で作業をしていました。

今度 遠くの刑務所で説法するので、その原稿を仕上げていたんです。」

「……………………。」

 

ギルドの男の顔をロベルトは神妙な顔付きで聞いていた。自分にはアリバイが無いと分かっているからだ。

 

「………あ、そういえば、」

「!? 何ですか?」

「ドアの側に髪の毛が落ちていたので拾って、ゴミ箱があったら拾おうと思って入れていたんです。

これです。」

 

ロベルトはポケットから髪の毛を一本取り出した。それはかなり長く、そして明るい黄色をしていた。

 

「……長い金髪…………………

容疑者の中には該当する人は居ない……………。

!!」 「!!!」

 

ギルドの男は信者の一人に視線を向けた。それはマリナだ。彼女の髪もまた長い金髪である。

 

「もしかしてですがこの髪はマリナさん、貴方の物ではないんですか?」

「た、確かにそうですが………………」

「あの部屋は確か今日の朝八時に掃除されていましたよね?という事はこの髪は貴方がその後に部屋に入ったという証拠になります。

参考までにお聞きしますが、何をしに行ったんですか?」

「私はただ 部屋の掃除がきちんとされているか確認に行っただけです。」

「それはいつ頃ですか?」

「参列者の皆さんと話す前についでに…………

確か、11時半くらいでした。」

「………………………………」

 

哲郎はマリナの話を聞き、そしてそれが真っ赤な嘘だと見抜いた。哲郎は午前中はずっと例の空き部屋の上に居て中を覗いていた。

結果、掃除が行われた八時以降 部屋に入った人は誰もいなかった。

 

ベリア達には申し訳ないが、マリナの髪はもっと前に部屋に落ちたものであり、掃除の時に彼女達が取り損ねたのだ。

 

「どなたか、彼女が部屋に入る音を聞きましたか?」

 

信者達は顔を見合うが、それにうんと言う人は誰も居ない。

 

「………ここの部屋は防音性があるから聞こえなかったんだと思います。」

「………まぁ、この髪はそこまで重要では無いでしょう。

そもそもここの人達とずっと話していた貴方は潔白(シロ)です。」

「…………………」

 

マリナはバツが悪そうに俯いた。しかし哲郎の目にはそれが本心には見えなかった。

確かに遺体をあの部屋に置いたのは彼女ではないが、この宗教団体に潜む陰謀に彼女が絡んでいるのはまず間違いない。

昨夜の謎の食事、部屋に隠してあった謎の穴、そして今の嘘などという怪しい要素が山のように出てくる。

さらに哲郎は同時に この事件を解けば自動的に宗教団体やマリナの謎も明らかになると理解していた。

 

「では次にゴスタフさん、あなたは当時 どうしていましたか?」

「俺も話の後は部屋でのんびりと、それこそセインさんとの思い出に耽っていたよ。例えばほら、この写真とかだ。」

 

ゴスタフは懐から生前のセインと二人で写った写真を取り出した。しかしそれが自分のアリバイを証明する物でない事は彼が一番良く分かっている。

 

「その時何か気付きましたか?」

「いや、これといって何も。

少なくとも花の匂いには気付かなかったな。」

「そうですか…………………。」

 

ギルドの男は再び唸った。

新たに髪の毛という状況証拠は出てきたものの、少なくとも彼等にとっては重要なものでは無い。

しかし哲郎はそれも重要な手掛かりと捉え、エクスに連絡を繋ぐ。

 

「……エクスさん。今の話、聞いていましたか?」

『ああ。一言一句逃さずな。

髪の毛の事だろ?その時お前はあの部屋の真上に居た。それは間違いないな?』

「はい。ですからあの髪の毛はもっと前に部屋に落ちた、つまりマリナさんは今日の八時より前に部屋に入った事になります。それが何の為だったのかは分かりませんが…………」

『……………』

 

水晶の向こうでエクスも唸った。髪の毛が事件に関係しているかは現状 分からないのだ。

 

『ちなみにお前は誰が怪しいと思ってるんだ?』

「いやぁ今の所はなんとも。何せ全員にアリバイが無いし、それに推理物みたいな手掛かり(トリック)が全くありませんから……………。」

『? 推理物? トリック? 何の話だ?』

「あぁいえ。なんでもありません。気にしないで下さい。」

 

哲郎は忘れかけていたが ここは異世界であり、推理小説も無ければトリックという概念も無いのだ。



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#183 Shelling Ford 16 (CHECKMATE)

哲郎は自分の滑らせた口をごまかすのに少しだけ慌てていたが、それも直ぐに終わる事になる。ギルドの男がアリネに質問を始めたからだ。

 

「エクスさん、一旦切ります。

何かあったらまた連絡しますので。」

 

水晶の向こうから小さく自分を不審がる声が聞こえたが、哲郎は構わずに通話を切った。

 

「…では次にアリネさん。あなたはどうですか?」

「私もロベルトさんと同じ様なものですよ。

部屋で作業の仕上げをしていて、あの部屋から悲鳴が聞こえたので急いで駆けつけたんです。

まぁ 私も歳ですから遅れましたがね。」

「そうですか……

その時何か気付きませんでしたか?」

「さぁ………………。これといっては何も…………」

 

アリネの表情もまた暗く沈んでいた。自分よりかなり若い少女がこの世を去った事に心を痛めているのだ。

ギルドの男は既にヴィンに視線を向けている。

そして彼もまた説明する為に口を開いていた。

 

「わしも、彼らと同じじゃ。

実はセインの家族の遺産相続の詳しい事をわしが担当していてな、その時はその作業をしておった。」

「作業を。 その時に気付いた事はありますか?」

「いやぁ 仮にあったとしても気づかんかったのぉ。何せあんな遺体を目の当たりにしたんじゃからな。

まったく酷い事をする女も居たもんじゃ。あんなに優しい娘子の胸を よもや抉ろうとは……………………。」

「………………………」

 

ヴィンも険しい表情で受け答えをした。

アリネが神に仕える立場であるように、ヴィンもまた法律の立場からこの事件を見ているのだ。

 

「では最後にペリーさん」

「だから、それはさっき説明しただろう!

私はあの人と話した後は二階のトイレに行こうとして、階段で足を滑らせて怪我をしてしまった。だから医務室に行ったんだ!!

その私にどうやって犯行ができるというんだ!!!」

 

ペリーはすっかり冷静さを失っていた。それこそギルドの男が面食らってしまう程にだ。

 

「お、落ち着いて下さい。

一応参考までにお聞きしているだけですから。」

「どうだか。私にはどうも あなたらが私を疑ってるような気がしてならんのですよ!」

 

鼻から息を吹き出すことで不満の感情をギルドの男達に見せつける。

 

「それはただの被害妄想ですよ。

犯行時刻に医務室に居たのならあなたは確実に潔白(シロ)なんですから。」

 

ペリーをなだめた後、男は顎に指を当てて考えを巡らせる。

 

「………話をまとめると、レオルさんとエティさん、そしてペリーさんには完璧なアリバイがあり、アリバイの無い人たちの中でシーフェルさん、レオーネさん、ゴスタフさんは体格的にあの通気口を通る事は出来ない。

さらにヴィンさんとアリネさんも年齢、体力から同様の事が言える。

 

という事はやはりアギジャスさんとロベルトさん、あなた達二人の中に この事件の犯人が居るようですね!!!」

「!!!」

 

ギルドの男に視線を向けられ、二人は再び顔をしかめた。髪の毛や花の匂いなどの手掛かりは出てきたが状況はまるで変わっていない。

 

「待ってください!さっきも言ったでしょう!

私にも、そしてこの人にもここの信者の女性を殺す動機なんてありませんよ!」

「そうですよ。第一、犯人がその通気口を通ったっていう証拠がどこにあるんですか!?

もしかしたら通れない人が、僕達に罪をなすり付ける為にやったかもしれないじゃないですか!!」

 

ロベルトもアギジャスも口々に抗議するが、ギルドの男達は涼しい顔で聞いている。それに足る根拠があるからだ。

 

「いいえ。人が通ったという証拠ならちゃんとありますよ。先程調べた結果、あの部屋の上の箇所だけ不自然に埃が無くなっていました。

これこそが犯人が通気口を通って脱出したという動かぬ証拠です!!」

(………………!!!

それは僕なんだよ……………!!!)

「それに、あれが偽造だとは考えられません。あの部屋には鍵が掛かっていませんでしたし、仮に鍵をかけて犯行に及んだとしても、誰かが部屋に鍵が掛かっている事に気付いてしまえば一巻の終わり。つまり、この犯行は時間との勝負。

そんな偽造をするくらいならさっさと終わらせて部屋を後にした方が安全だと思いませんか?」

「………………!!!」

 

二人は黙り込んでしまった。二人の間に共通しているのは通気口を通ったのは自分ではないと考えているという事だ。

 

(………僕のせいだ…………!!!

僕のせいで、せめてあの部屋の上に居なければもっと早く解決できたかもしれないのに………!!

こうなったら僕が責任を持って事件を解くしかない………!!)

 

哲郎は必死に考えを巡らせる。唯一分かっているのは犯人は通気口を通って出ていないという事だけだ。

 

(………とはいえ、怪しい人なんて居ないぞ………。

みんなアリバイは無いし、これといっておかしな事も言ってないし………………

!!!!!)

 

その瞬間、哲郎の頭に閃光が光った。

ある人物の異様な発言に気が付いたからだ。

すぐさま水晶を取り出してエクスへと繋ぐ。

 

『………テツロウ、どうした?

何かあったか?』

「………エクスさん、落ち着いて聞いて下さい。

僕、犯人が分かりました。」 『!!!!?』



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#184 Shelling Ford 17 (Direct Confrontation)

『何!!? 犯人が分かっただと!!!?

お前にか!!!?』

 

エクスは柄にも無く冷静さを欠いた声を出した。自分よりもかなり年下の少年が自分、ましてやギルドの職員達をも出し抜いた形だからだ。

 

「落ち着いて下さい。これはあくまで僕の推測です。

ですから今からそれを話します。それでエクスさんが確認して下さい。」

『あぁ 分かった。』

 

落ち着きを取り戻した声を聞いて、哲郎はエクスに自分の推理を事細かに話した。

 

 

 

***

 

 

『………なるほど。確かに筋は通っている。

だが証拠が無いな。肝心の証拠が。』

「確かにそうですが、もし僕の推理が当たっているならきっとあの人の部屋のどこかにある筈ですよ。なにせ誰もここから出ていないんですから。」

『……それはそうだが、しかし驚いた。

お前がギルドの連中を出し抜くとはな。』

「それは違いますよ エクスさん。 ギルドの人達が気付けなかったのは、通気口に拘っていたからです。

それを引き起こしたのは他でもない僕なんですから。」

『…………………』

 

エクスは哲郎の言葉に肯定も否定もしなかった。

通気口の痕跡といい二階の部屋の窓といい、図らずも哲郎はギルドの捜査をかなり撹乱してしまった。それが無ければ彼らの操作はもっと円滑に進んでいた筈だ。

 

『お前がそう思うなら、この事件に終止符を打って責任を果たして来い。』

「はい。もちろんそのつもりです。

それと、彩奈さんと、できればノアさんにもこの事を話しておいて下さい。」

『分かった。』

 

哲郎は通話を切り、そして再び大広間に視線を向けた。後に自分が出来ることは時が来るのを待つだけだ。

 

 

 

***

 

 

 

「報告します。

ロベルトさんとアギジャスさんの部屋を調べましたが、特に怪しい物は何も出てきませんでした。」

「そうか………………。 仕方ないか。」

 

ギルドの男は容疑者達に視線を向け、そして哲郎が待ち侘びた言葉を口にした。

 

「では皆さん、申し訳ありませんが 今一度部屋に戻って待機していて下さい。

我々の捜査が終わるまでは勝手な行動は慎むようにお願いします。」

(よし来た!!!)

 

容疑者達は顔を見合い、不満そうな声を漏らすが全員がそれに応じた。同じく信者の少女達もそれぞれに散って残った作業を片付けに戻る。

 

「ようし! 今一度 この屋敷をくまなく探すぞ!!!

犯人は必ずここのどこかに痕跡を残している筈!!そして行方不明のフェルナという女性も同時進行で探す!!!

彼女からも証言を貰うんだ!!!」

 

ギルドの職員達は駆け足で大広間を後にする。

それが無意味な行為だと知る者は一人として居ない。

 

(僕も急がないと!!

あの人に証拠を消されちゃったら終わりだ!!)

 

哲郎は急いで通気口を進む。

犯人に証拠を隠滅されるという結末だけは避ければならない。

 

 

 

***

 

 

自分の部屋の中で、その人物(・・・・)は最後の準備をしていた。

 

(………ギルドの人達は上手く騙せたな。

あの娘には悪いが、ここの闇を白日に晒すためなんだ。悪く思わないでくれ。

後はここを出てこの屋敷の中で妙な物を見たから調べて欲しい とでも言えば……………)

 

コンコンっ 「!!」

 

《証拠》を部屋に隠している最中に扉を叩く音がその人物(・・・・)の耳に入った。咄嗟に証拠を当たり障りのない場所に隠し、扉へと向かう。

 

ガチャ 「?

!」

 

扉を開けた視線には誰も居らず、少し視線を下げるとそこには一人の少年の姿があった。

 

「き、君は?」

「初めまして。 僕、レオル様の従者のマキム・ナーダと言います。

レオル様に届け物があったので、折角ならと皆さんにセインさんの事をお聞きしているんです。

もしよろしければ、お部屋でお話させて貰えませんか?」

「あぁ、構わないよ。」

 

証拠は人目につかない所に隠したから と、その人物(・・・・)は哲郎を部屋に招き入れた。

出来れば避けたかったが、他の皆が部屋に入れているのに自分だけが拒むと余計な悪目立ちを引き起こしてしまうからだ。

 

「失礼します。

………それで、セインさんの事をお聞きする前に、何か大変な事になってるみたいですね。

レオル様から聞きましたが、なんでも女の子の遺体が部屋にあったとか。」

「…そうみたいだね。 全く酷い話だ。」

「全くです。レオル様は言ってましたよ。

『偲ぶ会が人の死を招くなんて 全く縁起の悪い話だ』って。」

「………そうなのか。だけど安心して良いよ。

君も知ってると思うけど、今 ギルドの人達が調べてくれているから、きっと見つかるよ。

少女の命を弄んだ非情な犯人がね。」

「は???」 「!!!?」

 

哲郎は目の色を変えてその人物(・・・・)を睨む演技(フリ)をした。その人物(・・・・)は哲郎のあまりの変貌ぶりにたじろいで椅子で床を鳴らしてしまう。

 

「………何を言ってるのか分かりませんね。

あの人達がどれだけ血眼になっても見つかる訳がありませんよ。

 

だって、その犯人は僕の目の前に居るんですから。」 「!!!!?」



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#185 Shelling Ford The FINAL

「そうでしょう?

この屋敷で事件を起こした犯人の、

 

ヴィン・スモーキンさん。」 「!!!!!」

 

哲郎の目の前に座っているヴィンこそが哲郎が推理によって導き出したこの事件の犯人なのだ。

 

「…………アハハハ

一体何を言ってるのか分からんね 君。

レオル氏から話を聞いてるなら君も知ってる筈じゃろ?

犯人はあの部屋の天井にあった通気口を通って出たんじゃよ。そんな芸当、わしみたいな腰の曲がった老人にはとてもとても……………」

「それはヴィンさん、あなたの作戦の一つでしょう?

そう。あれは偽装(フェイク)です。

あなたはあの通気口の真下に椅子を倒して、まるで犯人がその椅子を踏み台にして部屋から脱出したように見せ掛けたのです。」

「それは君の憶測だろう?一体何を根拠に……」

「根拠はありますよ。扉の鍵です。

おかしいじゃないですか。犯人が本当に通気口から出たなら、どうして扉に鍵を掛けなかったんだと思いますか?

それは犯人が通気口以外の場所から出たからですよ。だから僕はあの椅子が偽装だと考えたんです。」

「……………………」

 

ヴィンはしばらく険しい表情を浮かべていたが、軽くため息をついた後で更に言葉を連ねる。

 

「………いいじゃろう。仮に君の言う通りだったとして、わしに一体なんの動機があるというのだね?

この閉鎖的な宗教団体の信者の娘を殺す(・・)動機が。」

「!」

 

哲郎は心の中で軽く口を緩めた。

ようやくヴィンを追い詰める材料が出てきた。

 

「いいえ。彼女を殺したのはあなたじゃありませんよ。」

「何!!?」

「あなたが今日ここでやったのは殺人なんかじゃありません。

あなたが今日ここでやったのは、、この屋敷のどこかにあった遺体をあの部屋に置いた。ただそれだけですよ。

そもそもあの遺体は胸を酷くやられて心臓は喪失していました。そんな派手な殺し方を何の痕跡も残さずにあの短時間で実行するのはまず不可能ですからね。」

「…………………

馬鹿馬鹿しい。何の為にそんなことをしなければならんのだね。」

「…………………。」

 

哲郎はあえて答えなかった。

先程の間で完全に確信した。

 

「………第一、君がさっきから言ってるのは単なる憶測で何一つ証拠はない。私があの遺体をあの部屋に置いたという証拠なんてね。」

「………ですが、あなたが以前ここに来た事があるという証拠なら、さっきあなたの口から出ましたよ。」 「!?」

「さっき 大広間であなたはこう言ってましたよね?

『まったく酷い事をする()も居たもんじゃ。あんなに優しい(・・・)娘子の胸を よもや抉ろうとは……………………。』

とね。」 「!!!!!」

 

ヴィンはようやく自分の失言に気付き、その顔がどんどん青ざめていく。

 

「被害者の女性を殺した人物の性別や彼女の人柄を、どうしてあなたが知ってるんですか?」

「そ、それは…………………………

ち、直感じゃよ。彼女の顔や哀しんで泣く姿を見て なんとなくそう思ったんじゃ。」

「…………(もう限界か。)

それなら普通、『優しそうだった(・・・・・)』とでも言うんじゃないですか?」 「!!!!」

 

ヴィンの目が見開き、汗が滝のように流れる。

哲郎はギルドの操作の邪魔をした責任、そして自分の目的を果たす為に容赦はしないと決めていた。

 

「あなたがそれを知っていたのはおそらく以前、そう、パルナさんが卒業した日にここへ忍び込んだんです。何かの目的があって、ここを家捜ししに来たんでしょう。」

「…………………!!!!」

「まぁ、決定的な証拠なら、この部屋にちゃんとありますけどね。」

「ギルドの人達は真っ先にあなたを容疑者から外し、まだこの部屋は調べていない。ですから犯行に使った道具はまだこの部屋にあるはずです。

もしこの部屋を調べられても簡単に見つからないように そう、小さく(・・・)したんじゃありませんか?」「!!!!」

「実は僕の友達に魔法に詳しい人が居ましてね、その人に聞いたら教えてくれましたよ。

『ものを小さくしてしまうような簡易的な魔法具は金を出せば誰でも買える』ってね。

ですからこの部屋にある筈ですよ。あの遺体を乗せて部屋まで運んだ 彼女の血と魔素がたくさん付いた台車がね!!!」

「………………………………!!!!!」

 

しばらく唸った後、ヴィンは遂に項垂れた。

心の中で犯行を認めたのだ。

 

「………君の探してる物ならわしの鞄の中に入っている。君の言う通り、あの遺体を載せて運んだ台車を魔法具に入れてしまってある。

……だがその前に一つ教えてくれないか?どうしてあの通気口が偽装だと分かった?君は根拠を言ったが、扉の鍵とてそう見せ掛ける為の偽装かもしれないではないか。」

「確かにそうですが、僕は最初からあの通気口は使われなかったと分かっていたんですよ。

僕は事件当時、あの空き部屋の真上にいたんですから。」「!!!?」

 

「……僕はレオルさんの従者では無く、哲郎という駆け出しの冒険者なんです。

それで、友人の友達から依頼を受けてこの宗教団体から妹さんを連れ戻す為にここに来たんです。

………そしてもう一つ、調べていくうちにここには何か裏があると分かったんです。あなたがこんな事をした動機もそこにあるんじゃないですか?」

「そんな事まで気付いていたのか。

分かった。全てを話そう。わしがこんな事をした動機も、以前ここに来た時に見た物も全てを。」



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#186 The Repentance

「……まず、わしは確かに以前この屋敷に忍び込んだ事がある。 そう その日はたまたまあの娘が《卒業》した日で皆 それに集中しておった。」

「なるほど。それで信者の人達の話を聞いて あの女性の人柄が分かったんですね?

しかしどうしてそこに? それにどうやって?」

「忍び込んだ方法はこれじゃよ。」 「!」

 

ヴィンは懐から奇妙な形をしたブローチのような物を取り出した。

 

「それって、もしかして魔法具ですか?」

「ああ。身に付けると姿を隠す事の出来る魔法具じゃ。これをつけて門が開いた瞬間に忍び込んだんじゃ。わしの知り合いにも魔法に詳しい者が居て、その伝手を頼って手にしたんじゃよ。

今日の犯行もこれを付けて行った。」

「という事は、今あなたの身体には………」

「もちろん付いとるじゃろうな。胸の所にに魔素が。」

「………………」

 

ヴィンはまるで憑き物が落ちたような表情で話を続ける。

 

「それで、どうして忍び込んだりしたのか だったね。

実はわしの孫娘も変な宗教にのめり込んでしまってね。それがどこか分からなくて、心当たりがありそうな宗教を片っ端から探してたんじゃよ。ギルドははぐらかすだけだったからね。

尤も、ここには孫娘は居らんかったが。」

「……それならあなたはこことは無関係じゃないですか。なのにどうしてこんなに大それた事を…………?」

「……到底見逃せん事が起こったんじゃよ。」

「!?

それは、今日ここであなたがやった事よりですか?」

 

ヴィンの表情が先程とは打って変わって険しくなる。その豹変ぶりがその事(・・・)の酷さを物語っていた。

 

「………『お前が言うな』と言われても仕方ないじゃろうが、少なくともわしの目にはそう見えたよ。

………そうじゃ。あの女は血も涙も無い外道じゃ!! 卒業した少女を何故か殺してたんじゃからな!!!」

「!!!? それってまさか!!!!」

「そうじゃ。あの遺体をあの部屋に置いたのがわしなら、あの《マリナ》という女はあの娘を殺したのじゃ…………!!!」

「……………!!!!」

 

先程まで余裕のある態度でヴィンを問い詰めていた哲郎の頬に一筋の汗が流れた。

今まででも十二分にマリナを疑う材料は揃っていたが、いざその事実が明らかになると受け止め切れない物がある。

 

「…………失礼ですが、その証拠は?」

「証拠になるかは分からんが、わしが見た物を包み隠さず話そう。」

 

 

 

***

 

 

ヴィンの話を要約するとこうだ。

パルナの卒業パーティーが終わった後は信者達は解散し、マリナはパルナを連れて地下室(彩奈が案内された教祖のいる場所とは別の場所)に入り、孫娘が居ないと分かり用の無くなったヴィンも興味本位でそこに忍び込んだ。

 

そこでヴィンは 暗くて良くは見えなかったが地下深くの一室で巨大な何かが背中を突き刺す音、大量の血と庭とは違う花の強烈な匂いを感じた。

それ以上は詮索出来ないと判断したヴィンはマリナが出て行くのと同時に地下室から出てそのまま逃げるように屋敷を後にしたのだと言う。

 

「それならどうして その時点でギルドに報告しなかったんです?」

「わしの証言だけでは信じて貰えんと判断したからじゃ。何よりわしのやった事は紛れも無い《不法侵入》。

強くは出られんよ。」 「!!」

 

哲郎もまた大義名分はあれど《不法侵入》、更には《公務執行妨害》 同然の事をやってしまったのであまり強い事が言えない。

 

「………それで、遺体はどうやって手元に?」

「昨夜 ここに再び忍び込んだ時に見つけたんじゃ。なにかに利用するつもりだったのかは知らんがすぐに開けられる場所に隠してあった。」

「!!? 来たんですか!?

昨夜、ここに!!?」

「そうじゃ。その前にシーフェルから偲ぶ会の場所がここに変わったと手紙が来たんじゃ。

その時に今回の計画を思い立ったのだよ。」

「その時、マリナさんは何をしていましたか!!?」

「!!? いやぁ、彼女には会わんかったよ。

その時は遺体の場所を把握してすぐに戻ったからな。」

 

哲郎はマリナが昨夜 どこかに料理を運んでいた事を伝えるべきかどうか一瞬悩んだが、止めることにした。

 

「………そうですか。

じゃあ、マリナさんがどこの誰かは調べなかったんですか?」

「それはもちろん調べたが、大した事は分からんかった。

とある事故の被害者遺族 としかな。」

「被害者遺族!!? どういう事ですか!!!?」

「じ、十五年前に起こった コントロールを失った馬車が姉弟に衝突した事故じゃよ。

亡くなったのは弟の方で、その姉が彼女だったらしい。だがまだ子供で名前は分からんかった。」

 

そこまで言ってヴィンは再び神妙な表情になった。

 

「………まぁ兎にも角にもわしのやった事は到底許されん事 それは分かっておる。

何を隠そう 恩人のセインの最後の別れをあんな形で穢してしまったんじゃからな。

最早セイナだけでなく あの九人にも合わせる顔がないわ。」

「!!!」

 

《セイナ》

その言葉を聞いた哲郎の頭の中にとある懸念がかなりの現実味を帯びて浮かんだ。



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#187 The Inferno Tentacle

「ん? どうしたんじゃ?」

 

ヴィンがそう声を掛けたくなる程に哲郎の顔は青ざめていた。とある懸念が頭の中に現実味を以て現れたからだ。

 

(………今、セイナさんは医務室に一人!!

もしこの宗教団体が、マリナさんがこの偲ぶ会の会場を引き受けた理由がセイナさんにあるとしたら…………………、)

「ま、まずい!!!!」

「!!? な、何がじゃ!!?」

 

ヴィンの問い掛けにも答える暇無く哲郎は椅子から立ち上がって部屋を後にしようとしていた。それ程の事が起こっているかもしれないと思ったからだ。

 

「待ちたまえ! どこに行くんじゃ!?」

「ヴィンさんはここで待機してて下さい!!

見つけるんですよ!! 彼女の本性(・・)を!!!!」

「!?」

 

ヴィンがさらに質問を重ねてくるかもしれないと言う可能性は当時の哲郎の頭には無かった。

ドアを蹴破らんとする程の勢いで力強く開けた。

 

 

***

 

 

「何だ何だ!!?」

「何!? 今の音!?」

「ヴィンさんの部屋から聞こえたぞ!!」

 

他の部屋に待機していた参列者達は、この状況で聞こえる筈のない扉を力強く開ける音に驚いて次々に様子を見に扉を開ける。

しかし参列者達の目には誰も映らない。哲郎は面倒事を避ける為に瞬時に天井近くまで飛び上がり、天井を沿うようにして飛びながら水晶を取り出して連絡を繋ぐ。

 

「エクスさん!! 彩奈さん!!」

『テツロウ! 事件は解決したのか!?』

『犯人はあの弁護士さんだったんですよね!?』

「はい。僕の推理は当たっていました!

ですがまだ事件は終わっていません!!」『!!?』

「今僕は医務室に向かっています!! ですから彩奈さんも何とかそこに向かってください!!

エクスさんはノアさんと、出来ればサラさんにもこの事を伝えて下さい!! もちろん、サラさんには《転生者》の事は伏せた上でね!!」

『待てテツロウ!一体何を焦っている!?

何か分かったのか!?』

「分かったかもしれないんですよ。なんでこのジェイルフィローネがこの偲ぶ会の会場を引き受けたのかがね!!!」

『!!?』

 

 

***

 

 

《エクスの屋敷の一室》

 

(何が何だか分からないが、あいつが言うならそうするべきだろう!!)

 

エクスは水晶に魔力を送り、ノアが持つ水晶に連絡を試みる。

 

『━━━━おう エクスか。

どうしたこんな時間に?なにか動きでもあったのか?』

「ああ。動きはあった。 テツロウが事件を解決したんだ!!」

『本当か!? それで犯人は!?

動機は何だったんだ!?』

「犯人はヴィンだ。 この前話した弁護士だ。

動機はまだ聞かなかった。テツロウのやつが慌てていたからな。」

『? 慌てていた?』

「詳しくは分からないが、なんでも『ジェイルフィローネがこの偲ぶ会を引き受けた理由が分かった』とか言っていた。

ノア、お前はこの事をサラにも伝えてくれ。

もちろん、《転生者》の事は伏せた上でな!!」

「サラに? あぁ 任せろ。」

 

 

***

 

 

《ジェイルフィローネの屋敷 一階》

 

(哲郎さん 医務室に向かえって言ってたけど、そんなのどうやってやればいいの………!!?)

 

立て続けに出された指示を必死に処理しながら、彩奈はとある行動に出た。

 

ドテッ!! 「あたっ!」

「!? リネンさん 大丈夫!?」

「…だ、大丈夫ですけど…………、

もしかしたら怪我してるかもしれませんし、ちょっと医務室に行ってきて良いですか? 念の為冷やしたいので……………」

「じゃあ私も行くよ!」

「だ、大丈夫です!! これくらい一人で行けますから!」

 

わざと転んで足を怪我をしたフリをして何とか一人で医務室に向かう口実を作った。

 

(……な、なんの事かまるで分からないけど哲郎さんの考えが間違ってたことは無いし、急がないと…………!!)

 

急がなければならないと頭の中で思っていても、不審に思われないように片足を少し引きずる演技(フリ)は忘れない。

 

 

***

 

 

哲郎は天井スレスレを飛んで医務室の前に着いた。その前にも信者の少女が数人居る。

少女達と戦う時間も利点も無いと判断した哲郎は懐から小瓶を取り出した。中には黄緑色のポーションが入っている。地面に投げて割ると気化してそれを吸うと物の数秒で眠ってしまう。

エクスからいざという時のために渡されていた物だ。

 

(あの薙刀の人には使う隙が無かったけどこの人達になら行ける!!

上手くいってくれ!!)

 

ブンッ!!

パリンッ!! 『!!?』

 

天井から床に目掛けて小瓶を投げつけると、地面に激突した瓶は粉々に割れて中から薄い黄緑色の煙が溢れる。

何が起こったのか理解するより早く 扉の前にいた少女達は意識を失った。

 

本来、これを使った者は口を布で覆っていなければならないが《適応》を持つ哲郎はその限りではない。少女達が倒れるのとほぼ同時に扉を開けて医務室へと飛び込む。

 

「!!!? こ、これは…………………!!!!」

 

扉を開けた哲郎を待ち受けていたのは彼の想像を超える光景だった。

セイナの四肢と口が濃い緑色の()に縛られて、壁に磔になっている。



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#188 The Inferno Tentacle 2 (The Transporter)

哲郎は目の前の光景を把握しきれずにいた。

謎の蔓がセイナの四肢と口を縛り、壁に張り付けている。それが何であるかを理解するのに時間を要し、少しの間 立ち尽くしてしまったのだ。

セイナの表情は苦しんでいるというほどではなかったが死んでいるようには見えなかった。目を凝らすと呼吸で身体が軽く動いているのが分かる。

 

(………そういう事か。ここにいる《転生者》はどういう訳か女性ばかりを狙っている。

マリナさんは転生者の手駒で、卒業した信者の女の人達を捧げていたんだ!!!)

 

平気で女性の命を捧げるマリナの蛮行への怒りはすぐに心の隅に追いやった。今の哲郎に求められるのはどうやってセイナを救出するかだけだ。

 

(どうする? どうやってセイナさんを助け出す?

あの蔓(恐らく転生者の物)に人質を取られてる以上、下手な手出しができない…………!!)

 

蔓は依然としてセイナの身体を縛り上げるだけ(・・)で哲郎には見向きもしない。まるで自分の事が見えていない(・・・・・・)かのようだ。

 

「哲郎さん お待たせしました

って うわっ!!!? な、何これ!!!?」

「!! 彩奈さん!!」

 

少し遅れて彩奈が医務室に入って来た。彼女も同様に蔓に縛られたセイナ という異様な光景に面食らった。

 

「! そうだ!!

彩奈さん、セイナさんに触れて下さい!!!」

「えっ!? あっ はいっ!!」

 

哲郎からの激ではっとした彩奈はすぐに哲郎の言葉の真意を理解し、そして走り出した。蔓はそれに気付いたかのようにセイナを縛り上げて壁に引きずり込む。

そして壁に亜空間ができたかのようにセイナの身体が壁に埋まっていく。

 

「ふんっ!」

 

彩奈が飛び掛ってセイナの身体に触れて《転送》を発動した。蔓に縛られていた彼女は一瞬にして哲郎の側へと移動する。女性の身体一人分の空間が出来た蔓は勢い余って収縮し、彩奈の目の前で絡まった。

セイナを拉致するという作戦が失敗したと理解したのか蔓は壁の中に潜って姿を消した。

 

「……な、何だったの 今の蔓………!!

あっ て、哲郎さん!! セイナさんは、セリナさんは大丈夫ですか!!?」

「安心して下さい。彼女は無事です。

何かで眠さらせているんでしょう。」

「そ、そうですか 良かった。

でもあの蔓は一体……? それになんでセイナさんを…………」

「……あの蔓は、恐らく彩奈さんが地下室で気配を感じたという《転生者》の物でしょう。」

「えっ!!!?」

 

彩奈は酷く驚いた反応を示した。

そして哲郎は昨夜見たマリナの奇妙な行動、そしてヴィンから聞いた彼女の凶行を順を追って説明する。

 

 

「そ、そんな……………!!!!

じゃああの人を殺したのはマリナさんだって言うんですか!!?」

「はい。少なくともヴィンさんはそう言っていました。それが本当じゃなきゃあの人もあんな事はやらないでしょう。

……それじゃあ彩奈さん、始めますよ。」

「えっ!? 始めるって 何を!?」

「《転送》を使って僕をあの地下室に送り届けて下さい!」

「!!? 何を言ってるんですか!!

そんな事したらどうやって戻ってくるんですか!?」

「それは後で考えます!! あの人のしっぽを掴むのは今しか無いんですよ!!!」

 

 

 

***

 

 

「お、弟さんの事故死…………!?

そのお姉さんがあのマリナさんだっていうんですか………!?」

「はい。もちろんこれは犯人(ヴィンさん)の調べですから全幅の信頼は置けません。ですがそれが本当なら全てが繋がってきますよ。」

「……全てが 繋がる…………?」

 

「ええ。つまりこういう事ですよ。

恐らく、ここに潜む転生者はマリナさんの弟さんを何かしらの形で利用していて 女性の血を養分にしている植物のような何かなんですよ。

そしてマリナさんは弟さん関係の事で唆されて利用されてここを《卒業》した人達を殺してその血を捧げているんです。多分、『血をくれるなら弟を蘇らせてやる』とでも言われたんでしょう。」

「し、死んだ人を蘇らせる………!?

そんな事が出来るんですか…………!!!?」

「いや、ただの嘘でしょう。そもそもこれ自体僕の憶測ですし。

つまり、僕の言った通りなら マリナさんはその転生者に利用されているという訳です。

………尤も、仮にそうだったとしても彼女のやった(であろう)事を許す訳にはいきませんけどね。」

「…………!!!」

 

彩奈は哲郎の険しい目付きに面食らった。

彼が友人を二度も亡くした経験があり、それ故に命の重さを良く知る人間だとは知っていたが、いざ直面すると背筋に来る物がある。

 

「………あ! そうだ!

哲郎さんが地下室から戻ってこれる方法を思い付きましたよ!

レオルさんです。あの人が水晶に魔力を流せば外からあの地下室を開ける事ができるんじゃないですか!?」

「なるほど。それは名案ですね。

それじゃ…………」

「はい。分かりました!

……行く前に言っておきますけど、絶対に無理だけはしないで下さいね。」

「もちろんです。」

 

その返答を聞いた彩奈は哲郎の身体に触れて《転送》を発動し、マリナと共に訪れた地下室へと送り届けた。



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#189 The Inferno Tentacle 3 (Return The Wonder Forest)

彩奈の手が触れた瞬間、哲郎の視界は一瞬で彼女から暗闇に変わった。ここが彩奈の入った地下室であり、今は明かりが消えているという事を理解する。

 

(………よし、結構適応(見え)て来たな。

………なるほど。あの地下室はこうなってたのか…………

! これは……………!)

 

哲郎が地下室の内装より注目したのはそこに立ちこめる強烈な《花の臭い》だった。少しづつ地下室へと向かっていた彩奈はそこまで強く感じなかったが、一瞬で来た哲郎の鼻には尚更強く感じられた。

臭いを確認した次に哲郎が視線を送ったのは地下室の内装、そして奥にそびえ立つ大きな扉だった。

 

(………この扉か………………

さっきはこの奥に教祖が居たけど…………………。)

 

すぐに扉を開ける事はせず、耳を当てて中の音を聞く事を試みる。

 

(………何も聞こえない。見た所防音加工はしてないみたいだけど…………。

ここでも通信は生きてるなら、エクスさんに………………)

 

懐から水晶を取り出し、エクスに通信を試みる。しばらく水晶は反応しなかったが、淡い光を発した。

 

『━━━━━━テツ ロウか。』

「エクスさん! 聞こえますか!?

たった今、例の地下室に入りました!」

『━━ああ。 アヤナか ら全て聞 いた。』

 

少し通信が悪く音が飛んでいるが、何とか会話はできる状態ではある。

 

「これからマリナ(・・・)と転生者を探し出して拘束しようと思います。 エクスさんも万が一の時に備えて準備をしてて下さい。」

『あ あ。 分か った。

任せ ておけ 。』

 

通信状態は悪かったが一応要点は伝えられた と一安心した哲郎は水晶を懐にしまう。

 

(………やっぱり何も聞こえない………

もしかして中に居ないのか?

!)

 

扉に体重を掛けすぎた結果、鈍い音と共に何の抵抗も無く傾いた。

 

(鍵が掛かっていない!?

………もうこうなったら突入するしかないか……!!!)

 

哲郎は意を決して自分が通れるだけの隙間を空け、扉の向こう側へ飛び込んだ。鍵が掛かっていた場合にも備えて水晶から衝撃波を出してボルトを切断できるようにはしておいたが、それは不要に終わった。

 

暗闇に完全に《適応》した目は教祖が座っていた(と聞いた)玉座を捉えたが、そこに教祖の姿は無かった。

 

(………本当ならこの部屋は真っ暗だから教祖の人が居ないのはおかしくないけど、じゃあどこに……………?)

 

候補としてマリナの部屋にあった謎の穴を挙げたがすぐに却下した。陽の光に弱いという教祖(それはマリナの言った事だから信憑性は微妙)が地下室から出るとは考えにくいし、そもそも出て移動する時間は無かった筈だ。

 

(……教祖の人が地下室から出たとは考えにくいけど、じゃあどこに……………

!!)

 

玉座に近付いた哲郎の目は《ある物》を捉え、一瞬 血の気が引いた。玉座のそばで血溜まりが固まっていた。

 

(血!!? 何でこんな所に……!?

もしかして……………!!)

「んんっ!」

 

玉座の横側にもたれ掛かり、そして全体重をかける。すると『ズルズル』と鈍い音を立てて玉座が動き、その下に階段が現れた。

 

(地下室の中に更に階段……!

礼拝堂の入口に魔力で鍵を掛けておいたからここには必要ないって思ったのか…………。)

 

哲郎は慎重に階段を降りる。引きずる音に誰かが気付いた様子は無い。

 

(! これは………!!)

 

階段を下った哲郎を待っていたのは先程より更に大きな扉だった。

 

(………これは鉄でできてるみたいだな。

重いし鍵も掛かってるみたい…………

 

!!!)

『………あぁ主よ、あと何人の血を捧げれば弟は蘇るのでしょうか………………!?』

 

扉を調べるために身体を引っ付けた哲郎の耳に女性の話し声が入って来た。紛うことなきマリナの声だ。

 

(間違いない!! マリナはこの中にいる!!!

強行突破するしかないか!!)

 

扉の間に水晶を付けて衝撃波を流し、中の鍵の部分を切断する。そして扉からほんの少し距離を取り、両手を例の形(・・・)にして振りかぶる。

 

魚人波掌 《杭波噴(くいはぶき)》!!!!!

 

 

バゴォン!!!!! 「!!!!?」

 

哲郎の全身の力を乗せた掌底は重い鉄の扉を強引に開けて壁に叩きつけた。部屋の奥から聞こえてきたのは紛れもないマリナの驚く声だ。

 

「な、何!!!?」

(居た!! 近いぞ!!!)

 

マリナの声をはっきりと聞いた哲郎は部屋の奥へと走って行く。

 

「!!!?」

 

部屋の奥で哲郎が見たのは蝋燭を持って跪くマリナ そして巨大な植物の怪物だった。

上部に上裸の教祖 マリアージュの上半身があり、その下にはずんぐりとした身体と大きな翼が生えている。哲郎はその姿に見覚えがあった。

 

「な、何よあなた!!!?」

(こ、こいつはまさか……………

《ヘルヘイム》!!!!?)

 

マリアージュの下に居たのは かつてパリム学園の公式戦でロイドフが繰り出した植物の魔物 《ヘルヘイム》 そのものだった。



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#190 The Inferno Tentacle 4 (Creature Of Plant)

マリナの持つ蝋燭の淡い火がその植物の魔物の醜悪な姿を照らしていた。口から無数の牙を生やし、濃い紫色の悪臭を伴った唾液を垂れ流す様はかつて公式戦でロイドフが繰り出した個体の比ではない。

 

「こ、子供!!??

一体どうやって!!? あそこにはちゃんと魔力で鍵を━━━━━━━!!!」

 

以前までの落ち着きはどこかへ消え、突然現れた哲郎に慌てふためく。哲郎も同様にヘルヘイム(であろう魔物)に内心穏やかではなかったが、その感情を隅に追いやってマリナに口を開く。

 

「………ジェイル・フィローネの幹部 マリナさんですね? あなたにエレナ ことパルナ・ミューズさん 殺害の疑いがあります。失礼ですが、あなたを拘束させて━━━━━━━━━

!!!!?」

 

発言を途中で遮って哲郎は身体を横に捻って跳んだ。巨大な蔓がまるで鉄球のような勢いで迫ってきた。

 

(ま、魔物が攻撃してきた!!? 僕は今 あれ(・・)に攻撃しようとはしてないのに!!!

公式戦で見たのとは種類が違うのか!!!)

 

公式戦でロイドフが繰り出した個体は自分への《敵意》に反応して攻撃してきた。しかし今目の前にいる個体は明らかに哲郎に向けて先制攻撃(・・・・)を仕掛けてきた。

 

(それに今 明らかに僕の足を狙って蔓を伸ばしてきた………!! 僕を捕まえて口に放り込むつもりだったのか……!?

さっきのマリナの発言といい、こいつまさか、人の血を栄養にしているのか!!?)

 

最初に伸ばした蔓が魔物の身体へと戻った瞬間には次の攻撃が哲郎に向けて伸びていた。

既に攻撃を見切った哲郎は身体を半身にして避け、身体の横で伸びている蔓を両腕でしっかりと掴む。

 

「フンっ!!!」

 

そのまま全力で身体を捻り、蔓を支点にしてヘルヘイムを投げ飛ばそうとする。

 

『スポンッ!』 「!?!」

 

軽い音が鳴った直後、哲郎の目に映ったのは一本の太い蔓だった。

 

(ち、千切れた!?!

……いや、今の音と感触は千切れたというよりは…………!!)

 

哲郎が自分の身体で感じたのは、蔓が千切れた(・・・・)というよりは蔓が抜けた(・・・)感覚だった。

 

「!!」

 

勢い余って投げ飛ばした蔓は魔物から離れた瞬間、くすんだ茶色に染ってあっという間に朽ち果ててしまった。

 

 

「!?」

 

哲郎が振り向いた時には既にマリナの姿は無く、一本の蔓を構えた植物の魔物が佇んでいた。

 

(居ない!? 奥の方に行ったのか!?

まさか転生者はこいつじゃなくて……………!!!)

 

目の前のヘルヘイムの上部に付いた教祖 マリアージュは依然として生気の無い表情を浮かべている。そしてその胸は異常なまでに平ら(・・)だった。

 

(この教祖の人は男だな…………。

やっぱりヴィンさんの言ってた事故の被害者がこの人なんだ!!

つまり転生者はこの人を利用して……………!!!)

 

哲郎はこの宗教団体の全貌の殆ど(・・)、そして転生者は他に居るという事を理解する。

 

(となれば、こいつは公式戦の時と同じようにヘルヘイムの幼体!転生者がそれをどこかで操ってるんだ!!)

 

転生者との戦いが控えている以上、徒に体力を消耗する事はできない。目の前のヘルヘイムは攻撃を掻い潜ってやり過ごし、一刻も早くマリナの元へと急ぐべきだと判断する。

 

(今 あいつの蔓は右側しか無い!!

左側をダッシュすればやり過ごせるかも…………!!

 

行くぞ!!!)

 

哲郎は身体を前方に傾けて一気に地面を蹴る。狙いはヘルヘイムの左側。一度は飛んでくるであろう攻撃もいなす事は出来ると踏んだ。

 

 

ズドォン!!!! 「!!!!?」

 

哲郎の目の前に巨大な人型(・・)何か(・・)が落ちて来た。

 

「な、何だ……………!?

!!!?」

 

哲郎の前に立っていたのは全身濃い緑色で花が変形したような顔を持つ人型の魔物だった。

背中からは二対の翼と大量の蔓が蠢いている。

そしてそれは一体だけではなく、通路の奥の闇からどんどんと出て来る。

 

(こ、こいつまさか ヘルヘイムの上位種か……!!?

完全に僕を足止めする気だな……………!!

 

だけど植物なら身体中に水分が詰まってる筈!!

あれをやるしかないか…………!!!)

 

人型の植物の魔物は喉を鳴らして(眼らしきものは見当たらないが)哲郎を凝視している。その爪や蔓が自分の命を狙っている。

 

(仕掛けるのはヤツが攻撃しようと動いた時!!

いつもやってるようにそこにカウンターを合わせる!!!)

 

急がなければならないと分かりつつも下手に動くことは出来ず、少しの間 魔物の動きを伺う。

そしてその時は訪れた。

 

「今だ!!!!」

 

魔物の動きに合わせて《(さざなみ)》を使って地面を蹴り、一気に距離を詰める。その手は魚人波掌を発射する構えで魔物の腹部を狙う。

 

バチィン!!!!! 「!!!!?」

 

哲郎の渾身の掌底が魔物の腹に炸裂した。



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#191 The Inferno Tentacle 5 (The unthink soldier)

哲郎の全身全霊の力を込めた掌底が植物の魔物の腹へと炸裂した。魔物の口から苦しそうに歪み、全身が小刻みに震える。

身体中の水分に衝撃が駆け巡っている。

 

ドパァン!!!! 「うっ!!?」

 

魔物の上半身が黄緑色の体液を吹き出しながら破裂した。その体液が毒である可能性を考慮した哲郎は咄嗟に後ろに跳んで距離を取る。

 

「………………!!!」

 

人間とはかけ離れた魔物とはいえ人の姿をした生物を殺してしまったことに多少の罪悪感を覚えるが、すぐに体液や残った身体に集中する。

体液がかかった石造りの床は溶けておらず、残った身体も動きは無い。完全に命を絶った。

 

(………こいつも恐らく《転生者》に操られて僕を足止めに来たんだろう。

一体一体は大した事ないけどあと何体居るか分からない以上、徒に時間を稼がれるのは避けたいな……………)

「!!!?」

 

背後から襲ってきた攻撃の気配を察知し、上方向に跳んで躱す。その攻撃は二本(・・)の蔓だった。

 

(……………!!

後ろのヤツが追い付いて来たか!!!)

 

背後には公式戦で見たヘルヘイム、そして前方に数体の人型のヘルヘイムが居るこの状況で哲郎が選んだのは空中に浮いて怪物達から距離を取る。空中戦を選んだ。

 

(空中に浮かんだは良いけどここからどうする?

このまま空を飛んで逃げたとしても蔓に足を掴まれたら終わりだ。やっぱり個々で確実に倒すしかない!!)

 

翼を持つヘルヘイム達は無論の事 空中の哲郎に向かって飛んでくる。その中の最前列の魔物が哲郎に向けて拳を突き出す。それも哲郎は予測して天井のすぐ近くまで飛び上がっていた。

 

「フンッ!!!!」 「!!!?」

 

向かってきた拳を半身で躱し、その手首を掴んで身体を捻り、そのまま投げ飛ばして天井へと叩き付ける。植物の魔物は人間とは違って腕に骨や関節は無かったが、敵の速度を利用した投げが上手く決まった。

そしてそのまま魔物の手首を掴んで振り抜き、魔物の身体を次に向かってくる人型とウツボカズラ型のヘルヘイムに纏めて叩き付ける。

哲郎の遠心力と魔物の体重、そして当人達の速度が全て乗った衝撃は凄まじく、二体を一気に床へと激突させた。

 

「!!」

 

哲郎の手首が違和感のある動きを訴えた。視線を向けると息を吹き返した魔物が哲郎に向けて拳を構えている。その拳が発射させるまで一秒と掛からなかったが、哲郎の脳はその一秒未満の間に最適な行動を導き出した。

 

「フンッ!!!!!」 「!!!!!」

 

自分の顔面目掛けて飛んで来た拳を身を屈めて躱し、その攻撃に合わせて渾身の掌底をカウンターで叩き込む。植物の魔物の身体中に衝撃が流れ込む。

 

ドパァンッ!!!!

 

というけたたましい音と共に魔物の身体は体液を吹き出して腹の部分から破裂した。残った首と両腕、そして下半身が力無く床へと落ちる。

 

「……………………」

 

たった今床に落ちた魔物の残骸はもちろんの事、先に落ちた人型とウツボカズラ型も動きを見せない。命は絶っていないが意識はもう無い。

息を吹き返すかどうか見極める為に時間を浪費するよりは先を急ぐ方が懸命だと判断し、後ろに注意しながら廊下を進む。

 

(また足止めさせる前に、エクスさんに連絡しとくか…………)

 

懐から水晶を取り出してエクスに通信を繋ぐ。

 

「エクスさん、聞こえますか!?

今の状況を報告します!!!」

『テ ツロウ か。大丈 夫だ 。何 と か聞こえ ている ぞ 。』

「(大分通信が悪くなってきたな…………!!!)

たった今 三体のヘルヘイムに遭遇し、全員を撃退しました。恐らくこの宗教団体に潜む《転生者》の差し金だと思います。」

『そ うか 。 分 かっ た。

俺 はど うすれ ば良 い ?』

「とりあえず彩奈さんにこの事を伝えて欲しいのと、セリナさんの身の安全の確保をお願いします。彼女を襲った蔓がまたいつ襲ってくるか分かりませんから。」

『分 かっ た。

任 せ て お━━━━━━━━━』

 

そこでエクスとの通信が完全に途切れた。

 

 

***

 

 

《エクスの屋敷の一室》

 

「!!」

(完全に通信が途切れた。距離の関係からして通信に影響する妨害魔法があの部屋に仕掛けてあったか!!)

 

哲郎の事が気にはなるが、言われた通りに彩奈に通信を繋いだ。

 

 

 

***

 

 

《ジェイル フィローネの屋敷》

 

屋敷では依然として事件の捜査が続いていた。

 

「!」

 

彩奈の水晶が淡く光った。アリナの目を盗んで応答する。

 

『アヤナ、聞こえるか。

そこにアリナが居るだろうから返事はしなくて良い。黙ったまま聞け。

テツロウからの知らせでは、転生者は植物の魔物を従えている可能性が非常に高い。いつまたセリナを襲ったという蔓が出てくるか分からない。お前も気をつけろ。』

「…………!!!」

 

彩奈は『はい。』と答える代わりに水晶を軽く一回 叩いた。



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#192 The Inferno Tentacle 6 (Alraune)

哲郎は天井のすぐ近くを飛んで移動している。

ついさっき倒した魔物達を最後に追っ手も足止めも居ない。

 

(………さっきので全部倒したのか?それなら話は早いんだけど そう上手くいくとは思えない…………。

それにこの一本道はいつまで続くんだ?もう何メートルも移動してるのに曲がり角も分かれ道も全然無いし………………)

「!」

 

哲郎の目に先程よりも遥かに大きな扉が飛び込んで来た。遠くからでもその重厚な金属光沢からその重さが手に取るように分かる。

 

(………マリナと《転生者》はあの奥に居るのか!!

あの重そうな扉をこじ開けるには あれ(・・)しか無いか!!!

まだ実戦で使った事は無いけどやるしかないか!!! よし!!!)

 

空中で体勢を変えて両足を扉の方に向ける。そのまま速度を限界まで上げる。

 

(行くぞ!!! 僕の我流技(オリジナル)だ!!!!)

 

魚人波掌 蹴撃

滝壺蹴踏(たきつぼしゅうとう)》!!!!!

ドゴォン!!!!!

 

全速力で扉に急接近し、扉に当たる瞬間に両脚を全力で伸ばして渾身の蹴り(足の平による掌底突き)を叩き込んだ。

脚には腕の数倍に及ぶ力が備わっており、哲郎はそれに目を付けた。そして自分に出来る事を総動員させて長い時間を掛けて改良を重ねていたのだ。

 

今の哲郎に出せる最高速度と脚力を全て乗せた衝撃がもろに扉に伝わり、鍵の部分の金具から悲鳴が響き渡る。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!!!!

行けェ!!!!!」

バゴォン!!!!!

 

横方向に飛ぶ(落ちる)哲郎の渾身の蹴り(掌底突き)が扉の鍵を破壊し、強引にこじ開けて壁に激突し、周囲に轟音を響かせた。

 

「!!!!?」

 

瞬間、哲郎の目に様々な情報が一気に飛び込んで来た。ここが地下である事を忘れさせるかのように高い天井を持つ礼拝堂のような広い部屋。そしてその部屋を埋め尽くさんばかりの巨大な植物の魔物。更に床でマリナが膝まづいていた。

 

「!!!? あ、あなたどうやってここに!!!?

まさか、あの人達(・・)を倒したって言うの!!?」

(!!? あの人達(・・)!!?)

 

哲郎は一瞬 マリナの言葉の真意を考えたが、それ以上に考える必要のある事があった。

この場には弟(と思われる人物)が居ない事、そして目の前の巨大な怪物が本当に《転生者》なのかという事だ。

 

(どうする!? 今ここでマリナを拘束するか!?

それとも目の前のこいつを何とかするか!? そんな事僕に出来るのか!!?)

「!!!? うわっ!!!!」

 

巨大な植物の魔物の身体から二本の蔓が哲郎目掛けて飛んで来た。それを間一髪の所で身体を捻って躱す。

 

(!!!? こ、これは……………!!!)

 

蔓が僅かに掠った袖の部分が破れていた。そして哲郎が攻撃を躱した後ろの壁には大穴が二つ空いている。物凄い速度で攻撃が飛んで来た証拠だ。

 

(……………!!!

やっぱりこの場でマリナを捉えるのは無理だ!!

この化け物を何とかしないと………!!!)

「!!!

うっ!! くっ!! うっ!!!」

 

哲郎の考えを見透かし、その上でそれを完全に打ち砕くかのように何本もの蔓が一気に襲い掛かる。その全てを辛うじて躱すが完全に足を止められてしまう。

 

(ダメだ!! 全然動けない!!! さっきとは全然違う!!!

こ、こうなったらあれ(・・)を使って一気に決めるしか……………!!!)

 

頭の中で作戦を立てた後、哲郎はある瞬間(・・・・)を待って数秒間蔓の攻撃を躱し続けた。

 

(!! 来た!!!)

 

哲郎は蔓の先端が自分の足裏に来る瞬間を狙っており、それはようやく訪れた。足が蔓に接した瞬間、脚に最大限の力を込めて《(さざなみ)》を発動し、追撃が来るより早く距離を詰める。

 

(顔が隙だらけだ!! 行ける!!!!)

魚人波掌

杭波噴(くいはぶき)(とつ)》!!!!!

 

バチィン!!!!!

 

ウツボカズラの形をした巨大な顔に渾身の掌底を叩き込んだ。掌から植物の顔面が小刻みに震える感触が伝わる。

 

(植物(その顔)にはたっぷり水分が詰まってるだろ!! その全部に衝撃が響き渡る!!!

粉々に弾けてしまえ!!!!)

『ん〜? なんや(やかま)しいなぁ?』

「!!!??」

 

バゴッ!!! 「!!!?」

 

その声は植物の魔物が言ったというよりは魔物の内側(・・・・・)から聞こえてくるようだった。その声に気を取られて上空から襲ってくる蔓の攻撃に気付かなかった。

そのまま地面に墜落する。

 

「〜〜〜〜〜!!!

な、なんだ一体………………!!!」

「ああ()よ!!! 申し訳ございません!!!

私の詰めが甘いばかりにこの神聖な場所に部外者の侵入を許してしまって…………!!!」

(!? ()!? 今の声の主の事か!?)

 

地面に墜落した哲郎に構う事無くマリナは一心不乱に祈りを捧げている。そして上に視線を向けると魔物のウツボカズラ型の部分に人一人の身長くらいの長さの割れ目が入っている。

 

「………………!!!」

「おん? なんやワレ?

なんでガキがこんなとこにおんねや?」

「!!!!? (な、なんだこいつは………………………!!!!!)」

 

割れ目をかき分けて出てきたのは女性の姿をした何か(・・)だった。

何かと言ったのはその何かの肌は黄緑色をしており、髪が濃いピンク色をしていたからだ。そしてその背中からは翼が生えていた。

《ヘルヘイム》と全く同じ翼を。



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#193 The Inferno Tentacle 7 (Atonement)

(い、一体何なんだこいつは……………!!!!

こいつがここの《転生者》なのか………………!!!?)

「おん? なんやワレ。《転生者》やないかい。

しかも昨日来たガキとは違うみたいやのぉ?」

(僕の正体に気付いた!? って事はやっぱりこいつが………!!

それにこのしゃべり方は…………!!!)

 

哲郎はその何か(・・)の独特の口調に聞き覚えがあった。前世()に経験した転校の内の一回で訪れた日本 近畿地方に住む人々が話す方言だ。

 

(って事はこいつは僕と同じ日本(世界)から転生して来た可能性が高い!! 元々人間だった人が違う種族に転生したのか!!?)

「おい(アマ)、次のメシ(・・)はまだまだ先の筈やぞ。それにこんな男の(くっさ)い血ぃ 飲め言うんかい オォ?」

((アマ)!? マリナの事か!? それに今 ()メシ(・・)って言った!!!

って事はやっぱり…………!!!)

 

哲郎は自分の立てた仮説が真実味を帯びていくのを頭で実感する。そして同時にここで何人もの少女が徒に殺されていた(であろう)という事実が怒りをふつふつと滾らせる。

それでも哲郎は頭を冷静にさせて何か(・・)と対峙しようとする。

 

「も、申し訳ございません!!!!

私の信仰心が足りないばっかりに侵入者の存在を許してしまって…………!!!」

「なら話ァ早いやないか。そのガキとっとと摘み出せや。 ケツァ拭いたるさかい。」

「か、畏まりました!!! 直ちに!!!」

(摘み出す(・・・・)!? ボクを殺そうとしないのか!?

それとも殺す以外の対処法でもあるのか!?

例えば、僕の記憶を消す方法とか……………。)

「!」

 

マリナは目を見開いて哲郎に向かって来ている。そしてその手にはなにかの薬品を染み込ませたであろう布が握られている。

その立ち姿だけで『自分の口に布を当てて眠らせる』という作戦が手に取るように分かる。

 

見開かれた目は哲郎を凝視していた。

『今ここで自分を撃退するしかない』と強く心に決めた目だ。

 

「うわああああああ!!!」

「…………………………………………」

(………たとえ弟さんに不幸があったとしても、何かにすがる道しか無かったとしても、それでもあなたに同情する事は出来ません。

代償(・・)は払ってもらいますよ!!!)

 

ドゴッ!!! 「!!!!」

 

マリナが哲郎の口目掛けて伸ばした布を握った手を躱し、それに合わせて首筋に手刀を振り下ろした。痛いと感じる暇も自分が倒されたと感じる暇も無く白目を向いて倒れる。

哲郎は倒れる彼女を受け止めた。そこにはなんの感情も無かった。

 

「…………お仲間が一瞬で倒されたって言うのに表情一つ変えないんですね。」

「お仲間ァ? 笑わせんなや。

何が悲しくてそんな人間(・・)と仲良しこよしせなあかんねや?」

「………………… (あなただって人間だった(・・・)でしょうに。)」

 

人型の植物の魔物の何か(・・)はマリナが倒された光景を顔色一つ変えずに見ている。それが二人の関係が薄っぺらい物である事を物語っていた。

 

「………ってかワレ、何処の馬の骨や?

何処でここの事を聞き付けおった? この(アマ)の管理はそこまで杜撰やったっちゅうんか?」

「………僕の名前は田中哲郎(・・・・)。この世界で駆け出しの冒険者をやらせて貰っています。

ここへはとある人から依頼を受けて来ました。それで貴方達の事を掴んでここまで辿り着いたんです。」

「……そうか。 で、昨日ここに入信し(入っ)たガキはワレの連れか?」

「……彩奈さんは僕の友達の一人です。彼女のおかげで貴方の存在を知る事が出来ました。

それと、僕も二つ聞きたい事があります。

 

………この宗教団体から《卒業》した人達はみんな行方不明になっています。彼女達を殺してその血を飲んでいたのは貴方ですね?」

「………そうや。

っちゅうたらどうすんねん?」

「……………………………」

 

哲郎は昂る頭を冷静にさせて話を続ける。

 

「………ならもう一つ、

…………貴方の仲間に派手な格好で傘をさした人形使いの女は居ますか?」

「せやから 居る っちゅうたらどないすんねやって聞いとんねや。 答えろやカス。」

「……………里香を知ってるんですね。 それなら僕の取る行動は一つです。」

「……………」

 

哲郎は構えを取って目の前の何か(・・)と相対する決意を固めた。それを何か(・・)は冷めた目で見ている。

 

「この場で貴方を倒して、貴方の後ろに居る人達の事を全て教えて貰います!!!!」

「………魔法も使えん(・・・・・・)人間がワシに勝つつもりでおんのかい?

調子乗っとんちゃうぞ クソガキが。」

 

何か(・・)は初めて表情を歪ませ、背中から大量の蔓を伸ばし、哲郎に狙いを定めた。



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#194 The Inferno Tentacle 8 (Against the Human)

「………………!!!」

「なんや? 大口叩いといて来んのかい?

それともワシの攻撃を待っとんのか?まぁ無理もないわな。そんなひょろひょろした腕でワシに勝てる訳ないしのォ。」

(こいつ、僕の戦い方を分かってる!!

里香が教えたのか!!)

 

公式戦の後の戦いで哲郎は里香(偽ラドラ)に自分の手の内の大半(・・)を見せてしまった。目の前の《転生者》が里香と通じているなら手の内が漏れているのは必然だ。

 

「ま、ワレから来ぉへんっちゅうんやったらこの場でワシが最初に取る行動は一つやけどな。」

「!!!」

 

《転生者》は一本の蔓を哲郎目掛けて物凄い速さで伸ばした。辛うじて身を躱すが《転生者》の狙いは哲郎では無かった。

 

(!! しまった!!!)

「こいつは返してもらうで。ワシと繋がってもうてるからな。」

 

蔓は哲郎ではなく気を失っているマリナを掴んで引き戻し、あっという間に《転生者》の腕の中へと戻った。

 

「………ずいぶん大切に扱いますね。

それともその人が捕まるのがそんなにまずいんですか?あなたの事をバラされるのが怖いんでしょう!?」

「さぁな。こいつがワシ()の事を漏らすか言われたら五分五分やろうな。

こいつはこいつなりにワシに忠誠(惚れ)てくれとるさかい。こいつのお陰で安全にメシが飲めた(・・・)しのぉ。」

(何なんだこいつは!! 所々で口を滑らせる!!!

それともバレても問題無いとアピールしてるのか!?)

 

目の前の《転生者》の不気味なまでの余裕溢れる表情と口ぶりが哲郎の頭の中にどんどん《疑心暗鬼》の感情を植え付ける。自分は相手の手の内が分かっていない為、下手に動く事が出来ない。

 

「ああせや。足元には気を付けた方がええぞ。」

「!?

うわっ!!!!?」

 

哲郎の足元から蔓が伸びて襲い掛かった。それを横に飛んで再び辛うじて避ける。

さっきまで足があった場所でとぐろを巻いている蔓が自分の足を掴んで地面に引きずり込もうとしていたと証明する。

 

「……………!!!」

「ほーん。こいつを避けおったか。

やっぱこの手(・・・)の攻撃は対策出来とるみたいやのぉ。何処ぞのお嬢サマのお陰でな。」

(………コロシアムのサラさんの話か!!

一体どこまで僕の事を把握しているんだ………!!!)

 

哲郎がここまで手出しが出来ないのは目の前の《転生者》が自分に先制攻撃を仕掛けて来ないからであり、もし来てくれる(・・・)なら今すぐにでもその頭を地面に叩きつけたいと思っている。

 

「なぁガキ、こんなんやってても時間が無駄になるだけでしゃァないやろ?

ずっと地下暮らしで退屈してたさかい、ワシから仕掛けたってもええぞ?」

「!!

(こ、これはどっちだ!? 嘘か本当か!!?)」

「オラ 余所見すんなや!!!」

「!!!」

 

マリナを地面に下ろしながら話し続け、そして地面に下ろし終えた直後、《転生者》は地面を蹴って哲郎目掛けて襲い掛かる。しかし哲郎は冷静にこれから《転生者》が何をするのかを見極めようとする。

 

(何で来る!!? 蔓か!? それとも拳か!!? 蹴りか!!?)

「オラァッ!!!」

(!!!! (パンチ)!!!!)

「くっ!!!」

 

哲郎が《転生者》の攻撃の種類を認識する事と回避の動作を取ったのはほとんど同時だった。

自分の鼻目掛けて飛んで来た拳を横方向に身を引いて躱す。

そのまま手首を掴み、全力で身体を捻った。腕を折るか、その身体を地面に叩き付ける事が目的だ。

 

「…………!!!?」

「やっぱりな。里香(アイツ)が言うてたようにワレは甘ちゃんやなぁ。」

 

哲郎の思惑はどちらも現実にはならなかった。哲郎は間違いなく手首を掴み、その手を下方向へと向けている。本来なら腕の関節が破壊されているか、それを拒否した腕が宿主の身体を地面へと送り届けている筈だ。

 

「!!!?」

 

目の前の光景を認識した哲郎は面食らった。《転生者》の黄緑色の腕がありえない方向で曲がっている。先程の植物の魔物と同様に《転生者》の腕にも関節は無い。そこまでは今までの事から説明出来る。

しかし、今起きている光景はそれだけでは説明がつかない。

 

(う、腕が曲がって伸びている(・・・・・)………………!!!)

「そういうこっちゃ。」

「!!!」

 

哲郎の背後から蔓が槍のような速度で飛んで来た。《転生者》の手首を離し身体を引いて何とか事無きを得る。

 

「…………………!!!」

「今ので分かったやろ?ワシの身体は人の()をしとるだけで腕にも脚にも関節は無い。更に自由に伸びると来とる。

分かるよな?この意味が。

ワレが馬鹿の一つ覚えみたいにポンポン使う投げ技も関節技も所詮は人間相手(・・・・)専用の中途半端な戦い方や。んなもんはワシには通じへんぞ!!!」

「!!!」

 

《転生者》の言葉に動揺しつつも哲郎は頭の中で次にやるべき事を考えていた。



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#195 The Inferno Tentacle 9 (The Ground Hammer)

「ワシの腕にも脚にも骨も無ければ関節も無い。ワレの技はワシには通じへんぞ!!!」

(………そうか。考えれば普通だな。こいつは植物なんだから。

だけどその身体がカラカラって訳は無いだろ!!!関節がダメならその身体に詰まってる水分に攻撃するだけだ!!!)

 

哲郎は脚を低く屈めて掌を構え、目の前の《転生者》を狙う。その腹は引き締まっているが、哲郎の目にはその下に沢山の水分があるのが分かる。

 

(……たとえどんな力を隠していても、僕のこの掌は身体を水分(内側)から攻撃する。ミイラじゃあるまいし、それに耐えられる生物なんて居るわけないんだ!!!!)

「!!!」

 

《転生者》の動きに隙が出来た瞬間を狙って脚に力を込めて《(さざなみ)》を発動し、一気に距離を詰める。そして身体を振りかぶって渾身の掌底を叩き込む━━━━━━━━━━

 

バァン!!!! 「!!!?」

「ワレはホンマにアホやなぁ。

そんくらいの対策はハナからできとんのじゃ。」

 

哲郎の掌底突きは決まったものの、それは《転生者》の腹ではなくその前に展開された蔓の壁に阻まれた。

 

パァン!!! 「!!」

 

哲郎渾身の魚人波掌をもろに受けた蔓は少しの間震え、黄緑色の体液を噴き出して破裂した。

そして間髪入れずに噴き出した体液を切り裂きながら飛んでくる《転生者》の蹴りを身体を引いて躱す。

 

「………………!!!」

「やっぱなまじ避けんのは一端やのう。

ワレの戦法は避けな始まらん(・・・・)からな。」

「!!」

 

《適応》の能力であらゆる攻撃を耐えられる哲郎が攻撃を避ける事に特化している(・・・・・・)のはダメージを避ける為ではない。哲郎の身体能力で敵を倒す方法が相手の攻撃を避けて隙をつき、相手の力を利用するしかないからだ。

 

「……とはいえ蔓を使うんも飽きてきたな。こっからは本気で動いてみようやないか!!!」

「!!」

 

《転生者》はそれまでの蔓を使った攻撃を止め、地面を蹴って再び哲郎との距離を詰める。その片方の脚がありえない方向に曲がっている。

咄嗟に脚を構えて蹴りの攻撃に備える。

 

「オルァッ!!!!」

バチィン!!!! 「!!!?」

 

哲郎の脚に今まで感じたことの無い衝撃が走った。骨の無い脚による蹴りはまるで鞭のようにしなって脚の筋肉と骨に鈍痛を響かせる。

さらに《転生者》は体勢を翻してもう片方の脚で哲郎の脇腹を狙う。軸足を変えて脚で防御する暇が無いと判断した哲郎は咄嗟に腕で腹を守る。

 

ゴッ!!!! 「!!!!」

 

《転生者》の鞭のような蹴りは哲郎の腕の関節の部分に直撃した。腕を曲げて関節が折れるのを防ぐが、それでも痺れるような痛みが内蔵に容赦無く襲い掛かる。

 

「…………………ッ!!!!」

「そんまま吹っ飛べや!!!」

「!!!!」

 

蹴りを振り抜いて、哲郎の身体は回転しながら壁付近まで吹き飛んだ。壁に激突する寸前で体勢を立て直して追撃に備える。

 

(………………!!!

腕は折れてない!! まだ何とか闘え)

ズッドォン!!!! 「!!!!?」

 

哲郎の目は一瞬 《転生者》の爪先が自分の方向に伸びてくるのを捉えた。咄嗟に身体を横に躱した瞬間、轟音と共に爪先による蹴りが哲郎が今まで居た所に深々と突き刺さる。

躱し損ねたら頭が潰れていたかもしれない という危険性が哲郎の頭に問答無用で恐怖を植え付ける。

 

「…………………!!!!」

(チィ!! 頸動脈ぶった切ったった 思うたのに!!!)

(!!! こ、これだ!!!)

 

哲郎は壁に刺さって動かない脚を見た瞬間、頭の中である作戦を立てた。そして間髪入れずに作戦を実行に移す。

 

ガシッ! 「!!?」

 

哲郎は《転生者》の足首を両手で掴み、身体を捻ってその足を背中に負う。脚を伸ばして逃れる暇も無く《転生者》の上半身は脚を軸にして宙を舞う。

 

(…………!! このガキ…………!!!)

(骨を抜いて脚を伸ばす隙は与えない!!

この一瞬は絶対に逃さない!!!!)

「おりゃあッッ!!!!!」 「!!!!!」

 

《転生者》の身体は宙を舞い、そして顔面から地面に叩き付けられた。両手は地面から離れており、受け身を取った様子は無い。投げ技は完全に決まった。

 

ビシュッ!!!! 「うわっ!!!?」

 

《転生者》の踵から茶色の()のような物が飛び出した。それをなんとか身を引いて躱す。

 

(こ、これは……………… ()!!?)

「やってくれるやないか こんのクソガキが。」

「!!」

 

《転生者》は地面に付いた両腕の間から哲郎を奇妙な表情で凝視している。その目は怒りに燃え、対称的に口は引きつってはいるものの笑みを浮かべている。

そして頭や鼻からは(黄緑色の体液)が流れていた。それが哲郎の技が決まった事を証明している。

 

「……………!!!」

「……まぁそうカリカリすんなや。

ワシに一発ぶち込んだんや。褒美に教えてやろやないか。

ワシの名前を。」 「!!」



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#196 The Inferno Tentacle 10 (Guillotine of the Tentacle)

「………名前を教える?」

「せや。出血大サービスやぞ。

自分(ワレ)の名前が割れんのは首締めるくらい危険やからのぉ。」

「………それは、どっち(・・・)の?」

「ア?」

 

《転生者》はまるで『何を言ってるのか分からない』というような表情を浮かべた。しかし哲郎はそれが嘘だと確信している。

 

どっち(・・・)のだと聞いてるんですよ。

現世()前世()か。それとも里香みたいに名前を変えてないんですか?」

「ワレ何言うとんのや。 名前は一人一つに決まっとるやろが。

《トレラ・レパドール》 それがワシの名前や。」

「………………(七割型嘘の方向で行くか…………)。」

 

《転生者》は自分の名前を《トレラ》と名乗ったが、哲郎にはそれが偽名である可能性の方が大きく感じられた。前世が(元々)人間(それも日本人(哲郎と同じ)である可能性が高い)でありながら徒に少女達の血を貪っている。そしてなおかつ前世の名前をひた隠すなら 今名乗った名前も怪しむのが定石だ。しかし今の名前以外に目の前の《転生者》を象徴する名詞は無いので、取り敢えず《トレラ》と呼ぶ事にする。

 

「……ではトレラさん。聞きたい事がもう三つあります。」

「おん?」

「つい先程 屋敷で行われた偲ぶ会の遺族の女性が攫われかけました。それをやったのはあなたですね?」

「あぁそうや。別にガキの血でも十分なんやけど、久しぶり(・・・・)に脂の乗った女性(ヤツ)の血ぃも飲んでみたくなったんや。

なんやったらワレも飲んでみるか?コクがあって旨いんやで。」

「………………………!!!!!

……聞かれた事にだけ答えて下さい。

あなたが洗脳(従え)てるマリナの部屋にあった何かの異空間、あれは何ですか?」

「あぁ。あれもここに通じてるんや。」

「!!」

「こいつが礼拝堂に行けんくなった時の為の勝手口みたいなもんや。

……ってか何やワレ、その『ついてない』みたいな表情(ツラ)は。仲間が今の話聞いたら援軍に来てくれるとでも思たんか?

それをさせんためにこの部屋全体に妨害を仕込んだんやないか。」

 

トレラは既に止血を終え、依然として人を食ったような態度で哲郎に接している。そんな彼女(の可能性が高い)に対し哲郎は冷静さを取り戻しつつ最後の質問を投げ掛ける。

 

「……では最後にもう一つ、この目立とうとしない宗教団体がこの偲ぶ会を請け負った理由は何ですか?」

「それァ流石に言えんなぁ。」

「なら答えなくて結構です。見当はついてますから。上に命じられたんでしょ?

あなた達の上にいる、この世界の破滅を目論む人()に!!!」

()やと?何を根拠に言うとんのや?」

「とぼけても無駄です!!!

分かってるんですよ!! あなた達の上にいるのは二人組だ!!そいつらはあなたのような《転生者》を仲間に募ってこの世界を滅ぼそうとしてるんでしょう!!?」

「なんのこっちゃ分からんな。

根拠も無しにそんな絵空事ばっかぐたぐた並べんなや。」

「………飽くまでとぼけるつもりですか。

なら良いんですよ。あなたの身体に聞きますからね!!!!」

 

トレラへの怒りが限界に達しかけていた哲郎はそれが最善策ではないと分かりつつも地面を蹴って彼女の方へと強襲した。それ以外にトレラと戦う方法が思い付かなかったからだ。

 

「《樹枝巨槍(グングハスタ・ラムス)》」

「!!!!?」

 

哲郎がトレラとの距離を詰める間の一瞬でトレラは目の前に魔法陣を展開し、そこから鋭く尖った太い幹が再び槍のように哲郎に襲い掛かった。胸を狙って伸びて来たそれを間一髪で避ける。幹の先端が掠って服に一筋の切り込みが入った。

 

「…………………!!!!

(この心臓を一突きにしようと狙って伸びて来る攻撃!!! まさか………………!!!)」

「外れてもうたか。いつもやってる(・・・・・・・)ようにやったんやけどな。」

(!! やっぱり!!!)

 

咄嗟に幹を避けて崩れた体勢を空中で立て直し、トレラの斜め左側に着地する。着地するや否や哲郎はトレラに再び質問を投げ掛ける。

 

「………今のを使ってやった(・・・)んですね。」

「オン?」

「今の幹の槍を使って女性達の心臓を抜き取ったんでしょう!!!?そのお腹を満たす為だけに!!!!」

「さぁ?そりゃどうやろな?

ワシの作るこの木にそいつらの血でも付いとったら認めたってもええねんけどな。」

「!!!!」

 

「あ、せや ガキ。

そこ、気ぃつけた方がええぞ。」

「!?」

ズバッ!!!!! 「!!!!!」

 

トレラの忠告は現実となって哲郎に襲い掛かった。どこからともなく蔓が物凄い速度で振り抜かれ、そして哲郎の首を両断した。

 

「………………!!!!」

「さ、こいつで終いや。」

「!!!」

 

傍から見れば完全に命を絶たれた哲郎に対し、トレラは更に無数の蔓を伸ばした。



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#197 The Inferno Tentacle 11 (Pride and Ashamed)

トレラの蔓の一振が哲郎の首を両断した。傍から見ればそれだけで決着はついているが、トレラは更にそこに蔓を大量に伸ばす。その蔓は哲郎の身体から離れた頭を狙っている。

トレラはそこまでしてもまだやり過ぎだとは感じなかった。哲郎の《適応》も然る事ながら、彼の目がまだ死んで(・・・)いないからだ。

 

「ウッ!!!」 「!!?」

 

哲郎は空中で頭を掴み、身体の方に引き寄せて強引に蔓の攻撃を凌いだ。そして一瞬で頭を接合し、間髪入れずにトレラへと強襲する。

蔓を大量に出したトレラには哲郎の攻撃を防御する手段は残されていない。

 

「フンッ!!!」 「!!」

 

トレラの顎目掛けて掌底を伸ばすが、手で起動を変えて難なく躱される。そして逆に隙だらけになった腹目掛けてトレラの蹴りが飛んでくる。

それを哲郎は強引に身体を捻って横に跳んで躱した。そのままトレラとの距離を取る。

 

「………………!!!」

 

哲郎の息は目に見えて上がっていた。

それは肉体の疲労も然る事ながら、ラミエルとの特訓からずっと受けていなかった《肉体の切断》という体験によってその精神が著しく疲弊しているのだ。

そしてもう一つ、哲郎の頭の中に一つの疑問が浮かんでいた。

 

(………こいつの能力は何なんだ………………!?

植物を生み出して操る!! それは多分ヘルヘイムの能力だし………………!!

じゃあこいつはまだ僕に能力を隠してるのか!! それとももう使っている(・・・・・・・)……………!!?)

 

哲郎が頭の中で立てた仮説は、トレラの能力は『魔物の身体を乗っ取る』という物だ。(それに関係する前世はどんな物か分からないが)《憑依》の類なら植物であるヘルヘイムの身体を乗っ取ってその能力を行使する事は出来る。

 

(それにこの仮説ならエクスさんの公式戦での発言とも矛盾は無くなる!! あの時エクスさんは『ヘルヘイムが進化した人間体が、ある組織の幹部を担っているという話もあるくらいだ』と言った。その組織は絶対に里香達じゃない。あいつらは秘密を死守している。

あいつが直接ヘルヘイムの人間体に転生したなら絶対に誰かが知ってるはず。そうじゃないなら後天的にヘルヘイムになったって事だ!!!)

「お? その顔、気ぃ付いたんか?」

「!!!」

 

トレラの言葉に反応した直後、哲郎の足元から攻撃の為では無い(・・・・・・・・)蔓が四本伸び、一瞬の内に哲郎の両手両足を縛り上げ、完全に身体の自由を奪った。

まるでそれを嘲るかのようにトレラは不自然なまでにゆっくりと歩み寄る。

 

(…………!!!

こ、これは……………!!!)

「ワレの考えとる事は当たりや。この蔓はワシの力やない。ワシが身体を貰っとるバケモンのもんや。」

「そ、それはつまり…………!!!」

「せや。ワシの《転生者》としての能力は《憑依》。この身体には何十年も世話になっとるわ。尤も、この植物のバケモンは死体になった時に貰ったもんやけどな。ワシの《憑依》は死体にしか効果が無いさかい。」

「………………!!!」

「ま、こないな事ワレに言うたとて無駄やけどな。なんせワレはこれから永遠に(ずぅっと)ここで燻るんやからな。」

「!!?」

 

トレラの歪んだ口元と『燻る』という言葉の意味が分からず、不気味さが哲郎の心に伸し掛る。

 

「分からんか?ワレのその不死身さを何とかするにはここに磔にするしか無いやろ。

…せやな、その胸に蔓をぶっ刺して血をチューチュー吸い取るのが良えやろか。」

「!!!! (それはまずい!!! この蔓をどうにかしなくちゃ!!!!)」

「血ぃ吸うとる間は眠って貰おか。それこそこいつとか使うてな。」

「!!」

 

トレラの肩から醜悪な形の花が現れた。直感的にその花粉に麻酔の作用があると結論付ける。

 

「ほな、そろそろお寝んねして貰おうか。

二度と目覚める事は無いけどなぁ。」

「!!!!!」

 

トレラが哲郎の鼻に花粉を振り撒き、哲郎を眠りに落とす━━━━━━━━━━━━━

 

 

バリバリバリバリバリバリッッ!!!!!

『!!!!?』

 

トレラが近付けた花、そして哲郎を縛る蔓が突如として黒い雷に包まれ、一瞬の内に黒焦げになった。

 

「だ、誰や!!!?」

(この技は まさか…………!!!)

 

「おいテツロウ、その情けない姿はなんだ。

初めてこの私に舐めた口を聞き、ましてや不覚を取らせた小僧はその程度で根を上げるような奴じゃない筈だぞ。 違うか?」

「!! ワレは…………!!!」

「レ、レオルさん!!!!」

 

暗闇から姿を現したのはレオルだった。その後ろに彩奈も居る。

 

「何処ぞの公爵家のボンボンが何の用や!!!?」

「………テツロウ、事情はお前の連れのこの娘から全て(・・)聞いた。そいつが今日の事件、そしてこの屋敷で起こった行方不明騒ぎの黒幕なんだろう?

ならば話は早い。

お前に加勢してやるぞ!!!」



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#198 The Inferno Tentacle 12 (Bind Electro)

『転生者には転生者でしか太刀打ち出来ない』

それがこの世界における常識の一つであり、哲郎も(ノアを除く)魔界コロシアムや公式戦での面々と里香や目の前のトレラとの差からそれは感覚で実感していた。しかしそれでもレオルの加勢は否が応でも魅力的に映る。

 

「………ハッ。

ただのボンボンが何を言うてんのや?こいつに加勢する(・・・・)やと?おもろいやないか!!!

それやったらワシからこいつを守ってみろや!!!!」

「!!!」

 

トレラは再び哲郎の首を狙って蔓を振りかぶる。首を切断した後、空中で身動きが取れなくなった頭に麻酔の花を繰り出すつもりだ。

 

「ああ。 言われなくてもそのつもりだ。

十白雷(ハイヴェン・セロ)》ッ!!!!!」

ズドドドドドドドドドドドドォン!!!!!

「ッ!!!!?」

 

レオルの両手の十本の指から一斉に白い線の雷が撃ち出され、トレラの全身を次々に撃ち抜いた。不意をつかれて全ての攻撃をもろに食らったトレラの身体は後方遠くまで吹き飛んだ。

 

「哲郎さん! 早くっ!!」

「は、 はいっ!!!」

 

彩奈の声ではっとした哲郎は疲労困憊の身体に鞭を打って二人の所まで移動する。

 

「…レオルさん、よくここに来てくれましたね。

本当に助かりました。」

「礼には及ばない。この娘の転移魔法(・・・・)のおかげで迅速にここまで来れた。」

「そうですか。」

 

彩奈は施錠された礼拝堂の地下までしか来ていないので、そこから足で来たのだ。

 

「推し量るにここは地下、 それもあの礼拝堂の下だと考えているが、違うか?」

「いえ、そうです。

あいつは屋敷の地下にこの場所を作ってお腹が空いたら好きな時にここにいる女の子を殺してその血を吸ってたんですよ!!!」

「………………」

 

レオルはトレラを咎める言葉は発しなかった。かつての哲郎との確執がそれを拒んでいる。

 

「……奴の顔にこびり付いている血(であろうもの)を見るに、一方的に嬲られていた訳では無いようだな。一発は攻撃を入れたのか?」

「それはもちろんですよ。」

「……ということは、また地面に投げたのか?」

「はい。僕にできることは少ないですから。」

「そうか。 では奴の能力を分かっているだけ教えろ。そこから作戦を立てる!!!」

「分かりました!!」

 

 

***

 

 

哲郎はトレラが《転生者》であることは伏せ、彼女は人間体のヘルヘイムであり蔓や枝を駆使して戦い、更に格闘能力も高いと説明した。

 

『……なるほど。あの植物の怪物か。道理であんな醜怪な面をしている訳だ。』

『はい。もしかしたら僕の思い違いの可能性もありますから頼りきるのはやめて欲しいですけど。それにやつはまだ力を隠してるって事もありますし。』

『それは勿論だ。

それで、何か奴を倒す算段はあるか?』

『………それに答える為に一つ聞きたい事があります。今から僕が言う事を出来ますか?』

 

***

 

『……本当にそれで奴を倒せるのか?』

『はい。可能性はあると思います。出来ますか?』

『その程度で良いなら易い用だ。誰かのおかげで自分の力を一から鍛え直す羽目(・・)になったからな。』

『…………………』

 

『この人のこの嫌味な所は変わってない』と心の中で言った後、哲郎は再びトレラに向き直った。トレラは自分の周囲で蔓を振り回して攻撃の準備を整えている。

 

「………………どした?ワシのダメージ治す為に黙りしとったけど、もう言い残す事は無いんか?」

『……レオルさん、彩奈さん、僕が合図したら手筈通りにお願いします!!!』

 

二人はトレラに気付かれないようにして首を縦に振った。

 

「シカトかい? なら良えわ。

三人仲良く串刺しになれや。」

 

トレラは三人目掛けて蔓を曲げて発射する準備を整えた。その瞬間を哲郎は待っていた。

 

「今ですっ!!!!」

「おう!!!」「はいっ!!!」

「!!!?」

 

哲郎の合図でレオルは地面に、彩奈は哲郎にそれぞれ自分の手を触れた。

 

「《迅雷縛鎖(バインダ・トロルニア)》!!!!」

「!!!!?」

 

レオルの手が雷に包まれ、トレラの全身も同様に帯電して動きを封じられた。哲郎の計算では動きを止められる時間は数秒にも満たないだろうが、それだけで十分だ。

 

「(〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!

クソボケが!!! こんなヤワな電気でワシを止められると思うとるんか!!!?)

ッ!!!!?」

「これで全て終わらせますよ!!!」

 

両手を構えた哲郎が一瞬でトレラの眼前に移動した。

彩奈が手を触れて哲郎を彼女の側まで《転送》させた。

 

(こ、このガキィ…………!!!!

動け!!! 動かんかい ワシの身体ァ!!!!)

これ(・・)を周到に対策してるって事は、身体に当たったら効くって事ですよね!!?」

「!!!!」

 

魚人波掌 奥義

海嘯(かいしょう)》!!!!!

ドパァン!!!!! 「!!!!!」

 

哲郎の渾身の両手の掌底がトレラの腹に直撃し、地下室内にけたたましい音を響かせた。



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#199 The Inferno Tentacle 13 (The Yggdrasil)

海嘯(かいしょう)

本来 片手で加速を付けて打ち出す魚人波掌を両手で撃つ奥義の一つである。同時に体内に響き渡る二つの衝撃はスピードは落ちる分魚人波掌二発分を遥かに上回る威力を誇る。

 

今までの戦いの中で出会った者達の中にはこれを繰り出せる隙のある者はいなかったが、今回はレオルと彩奈の補助が哲郎の身体にこの技の成功をもたらした。

 

 

『…………ど、どうなったんですか…………!?』

『分からん。分からんが、寸分の狂いなく決まったのは確かだ。』

 

レオルと彩奈はこれから何が起こるのかを固唾を飲んで見守っていたが、哲郎は自分の勝利を確信していた。至近距離でしか分からない事だが、トレラの目が虚ろになり全身が小刻みに震え出している。

そしてその瞬間は訪れた。

 

「!!!!!」 ドパァン!!!!!

『!!!』

 

トレラの左肩が空気を入れすぎた風船のように破裂し、左腕が天高く舞い上がった。《海嘯(かいしょう)》によってトレラの身体に響き渡った衝撃は身体中を駆け巡った後、左肩を逃げ道に選んだのだ。

 

「ウガァッ…………………!!!!

このっ………………!!!!!」

「!!」

 

トレラは右手で左肩を押さえ、くぐもった声を上げながら周囲に蔓を振り回した。その苦し紛れの攻撃を哲郎は難無く躱す。そして再び二人の側まで距離を置いた。

 

「━━やっ……………!!

やりましたね 哲郎さん!!!」

 

彩奈が状況の把握を終え、そして喝采の声を上げた。レオルも『同感だ』と言うように口元を緩ませている。

 

「二人の補助があったからこそ出来ました!!

この分なら拘束してあの人の後ろにいる人達の事を聞き出すのも━━━━━━━━━━」

「なめんなァ!!!!! クソボケ共がァ!!!!!」

『!!!!?』

 

トレラの背後、そして両隣に巨大な木が生えてきた。それは不気味に蠢いて哲郎達を狙っている。トレラの表情は屈辱と怒りによって醜く歪み、顔中に血管(葉脈かもしれない)が浮いていた。

 

「二人共 気をつけて下さい!!

ヤツはまだ戦う気です!!! また僕が攻撃しますから二人はその援護に━━━━━━━━━━━」

「人を舐め腐んのも大概にせぇよこのクソガキィ!!!!!」

「!!」

「下手に出とったら舐め腐った真似 晒しやがってからに!!!!!

もう上の命令(・・・・)なんか知った事やあるか!!!! おどれら全員ここでぶち殺したらァ!!!!!」

『!!!!?』

 

まるでトレラの感情がそのまま響き渡るかのように地下室の地面全体が激しく振動する。そして同時に二つの事が起こった。

一つはトレラの身体が 植物が急成長するかのように激しく膨張した事。もう一つは三人が立っていた地面が崩壊し、その下から無数の蔓が顔を出した事だ。

 

 

 

***

 

 

「な、何だこの凄まじい力は……………!!!」

「ど、どうすればいいんですか これ!!!」

「落ち着いて下さい!! あまり動かない方が良いですよ!!」

 

地面から無数の蔓が伸び、三人を巻き込みながら上へ向かっている。周囲を蔓に覆われて今何が起こっているのかを確認出来ない。

 

 

バゴォン!!!!! 『!!!』

 

蔓が何か(・・)を破る音が聞こえた直後、三人の視界に飛び込んできたのは青空(・・)だった。地下室に潜入した哲郎が久しく見る太陽の光が飛び込んできた。三人は今蔓の上に座らされている。

 

「そ、空!!? って事はまさか…………!!!」

「テツロウ、下だ!!」

「!!」

 

レオルの指差す方に視線を向けると、そこには半壊したジェイルフィローネの屋敷が遥か下にあった。トレラの蔓が地下室や屋敷を破り、地上へと出てきたのだ。

 

「それでレオルさん、トレラは!!?」

「……奴なら恐らく あの中(・・・)だ。」

「!!!」

 

再びレオルの指差す方に視線を向けると、一本の巨大な木がそびえ立っていた。茶色い幹と緑色の葉を持った普通の木の筈なのに、哲郎の目にはそれが異常なまでに不気味に映る。

 

 

━━━バキバキバキッ!!!!

『!!!?』

 

木の幹の枝が別れる場所にけたたましい音を立てながら亀裂が入った。その中から十本の指が入り、こじ開けるようにしてそれ(・・)が姿を現す。

 

『…………………!!!!!』

 

幹からトレラの上半身が姿を見せた。

その髪は長く伸び、そして額には縦に目が開いている。さらに哲郎が吹き飛ばした左腕は元通りに戻っていた。

 

「これがワシの本気を出した時の格好や。

……どないしたんや? まさか腕一本持ってっただけで勝ち確信しとったんか?ホンマにおめでたいヤツらやで!!!!」

 

トレラは哲郎達を指差しながら勝ち誇ったように高笑いを上げている。そんな状況でも哲郎は冷静にレオルにある事(・・・)の確認を取る。

 

『………レオルさん、屋敷にいた人達がどうなったか分かりますか?』

『あれで死人が出たかどうかは分からないが、血の匂いや苦しむ声はした。少なからず怪我人が出たのは確かだ。』

『………………そうですか。

ならまず先に全員の避難を済ませましょう!!!』



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#200 The Inferno Tentacle 14 (Re:use ~Murder Weapon~)

『市民の避難を済ませるだと!!?

一体どうやって━━━━━』

『彩奈さんの魔法(・・)を使って皆をエクスさんの屋敷に避難させます!!』

『エクス!? お前が公式戦で関わったというあいつか!!?』

『はい!! 実は彼女、元々エクスさんの所で働いてて、今日はこの宗教団体の裏を暴く為に僕と一緒に潜入していました!!

今から彼女自身に屋敷の所まで行ってもらって全員を避難させます。その間の時間稼ぎを僕とレオルさんでやります!!

彩奈さん、行けますか!!?』

『は、はいっ!!!』

 

彩奈も今日起こった様々な出来事の中で自分の《転送》で出来る事を掴み始めている。これからやる事もきっと出来ると無意識の内に確信していた。

 

『……それじゃあ僕達でヤツの攻撃を引き付けます。彩奈さんはその間に。』

『 はいっ。分かりました!!』

 

彩奈がたどたどしくもそう答えた直後、事態は急に動いた。

 

グラッ!!! 『!!!?』

 

三人が立っていた蔓が突如として波打つように動き、転びそうに足を取られる。

 

「レオルさん、これって!!」

「奴だ!! 一気に勝負を決めるつもりだ!!!

おい娘!! 下にいる奴等は任せていいのか!!?」

「 はいっ!! なんとかやってみます!!」

「そうか。なら信じて任せるぞ!!!」

 

「……………おい。」『!!!』

「何をごちゃごちゃくっちゃべっとんのや!!!

このハエ共がァ!!!!」

『!!!!』

 

トレラの横から巨大な木の槍が三本 一気に襲ってくる。それが届くまで数秒と掛からなかったが、哲郎達は瞬時に最適解を導き出した。

 

白雷障壁(ハイヴェン・コルナーデ)》!!!!

(せせらぎ)》!!!!

ドゴォン!!!! 「うわっ!!!?」

 

向かってくる巨木を哲郎は手で、レオルは雷の壁で上方向に弾き飛ばした。その衝撃は強く、彩奈は蔓の外へと吹き飛ばされて地面へと急降下する。

 

「!!! しまった!!」

「彼女なら大丈夫です!! この状況でも助かる方法を知ってますから!!!」

「!?

!!? き、消えた!!? これはもしや…………!!!」

「そうです。これで最初の目標は達成出来ました!!!」

 

 

彩奈は地面への加速が掛かるより前に身体に触れて自分自身に《転送》を発動させた。そして半壊した屋敷の中に移動したのだ。

そのすぐ後に哲郎の水晶が通信を拾う。レオルの背後に隠れて応答する。

 

「彩奈さん!そっちの状況はどうなっていますか!?」

『大丈夫です!! ケガをしてる人は結構いますけどギルドの人達のおかげでもう避難が始まってます!!

この分なら何分もかからずに避難を終わらせられそうです!! それに、もう隠す必要も無いですよね?』

「はい!ヤツは僕達で何とかしますから、そっちは任せましたよ!!」

『はいっ!!!』

 

彩奈の勇気を振り絞った声を聞いて大丈夫だと確信した哲郎は水晶を懐にしまい、再びトレラと向き合った。彼女の巨大な木の槍は依然として不気味に蠢き 自分達の隙を狙っている。

 

『……テツロウ、私が合図したら一斉に飛び出すぞ。私達が立っているこの蔓もいつどうなるか分からない。』

『はい。じゃあタイミングはヤツがもう一度攻撃を仕掛けてきた時に。』

『ああ。そしたら奴の攻撃をお前が引き付けろ。私はその時に大きいのを叩き込む。』

 

蠢く木が哲郎達の隙を伺う時間が数秒続いた。それが終わった瞬間、再び木の槍が上方向(・・・)から二人を狙う。

 

「今だ!!!!」「はいっ!!!!」

「!!!?」

 

哲郎とレオルは木の槍が届くより早く蔓の足場から飛び降りた。そして哲郎は空を飛び、レオルは空中に魔法陣を展開して足場にして横に飛び出す。

レオルの両手に黒い雷が迸り、その前に哲郎が陣取った状態でトレラへと向かって行く。その少ない情報でトレラは哲郎達が何をしようとしているのかを瞬時に導き出した。

 

(…………!!

そういう事かい!!!)

 

トレラの身体から木より早い蔓の槍が発射される。

 

「来ましたよ!! 僕から離れないで!!!」

「おう!!!」

 

 

バシバシビシバシビシッ!!!!

「!!!!?」

 

あらゆる方向から一斉に襲いかかって来る蔓を的確な動きで全て受け流す。既に何回も見てその動きの特徴を知っていた事がこの技を可能にした。

 

(…………!!!!

ざけんなや!!! なんでこんなガキにワシの技が受け流せんのや!!!!)

「テツロウ!! もう十分だ!!!

後は私に任せて離れろ!!!」

「!!?」

 

哲郎がレオルの進行方向から離れた直後、レオルは急加速してトレラの身体である木の幹に両手を付けた。その両手から黒い雷が迸る。

 

(!!! こいつ まさか……………!!!!)

「これはあの時(・・・)に封印しようと心に決めたが、貴様のような外道にはそんな遠慮も要るまい!!!」

 

バリバリバリバリバリバリバリバリッ!!!!!

「!!!!!」

 

レオルの両手から放たれた黒い雷がトレラの全身を包み込んで焼き尽くした。



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#201 The Inferno Tentacle 15 (Guillotine of the Electro)

バリバリバリバリバリバリッ!!!!!

「!!!!! グアーーーーーーーーッ!!!!!」

「苦しいだろう!!? 貴様が食い物にした女達の魂を抱いて黒焦げになれ!!!!」

「……………!!!」

 

レオルの雷がトレラの全身を蹂躙している。

その光景を見た哲郎が抱いた感想は『このまま勝てる可能性は五分五分』という物だ。哲郎が全力を出して倒し切れないトレラが自分に負けたレオルに倒せるとはどうしても思えない。

そしてそれを証明するトレラの行動を哲郎の目は捉えた。

 

「………………!!!!

こんの ロン毛野郎がァ!!!!」

「!!!!?」

「レオルさん 危ない!!!!」

 

トレラの身体から生えてきた蔓の横薙ぎの攻撃がレオルの首目掛けて襲いかかった。このままでは先程の哲郎と同様にレオルの首が切断されるのは必至。そして待っているのはレオルの確実な死だ。

 

 

ヒュオッ!!!! 「!!!!?」

「…………………ッ!!!!」

「テ、テツロウ!!!」

 

空中を飛ぶ哲郎がレオルの上半身を倒し、蔓の攻撃から彼を救った。レオルを攻撃からかばった結果、蔓の攻撃が背中に掠って血が吹き出す。

レオルは咄嗟の判断で空中に魔法陣で足場を作り、哲郎を下ろした。

 

「テツロウ!! 大丈夫か!!?」

「 はい。大丈夫です。掠っただけですよ。

これくらいなら直ぐに戻ります。それより危なかったですよ。あのままだったらレオルさんの首が飛んでいました。」

「!!! ああ。あの状態からの攻撃は失念していた。

だが奴への攻撃は確実に効いた。今も攻撃してこないのがその証拠だ。」

「……はい。 それは確かに。」

 

トレラの身体、そしてそれを包む木は所々 黒く焦げて煙が上がっている。彼女の表情も同様に虚ろな目をして苦痛に顔を歪ませている。それが演技の類ではないと自分の直感が訴える。

 

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」

 

トレラは湧き上がる哲郎とレオルへの怒りを下唇を噛むという行為にぶつける。あまりの咬合力に血管が切れて(黄緑色の体液)が滝のように溢れ出る。

 

『………あいつには赤い(人の)血が通ってないんだ。だからこそあんな所業ができるのだろう。』

『…同感です。もしかしたら昔は通っていた(・・・・・)かもしれませんけど。』

「遊びは終いじゃ カス共!!!!!」

「!!!!」

 

次の瞬間、トレラの全身の大木から無数の蠢く枝が現れ、二人目掛けて襲いかかった。その予備動作だけで屋敷の周囲の花や木が吹き飛ばされる。

 

「死に晒せェ!!!!!」

「!!!!」

 

哲郎とレオルに襲い掛かった巨木の槍は十数本。その全てを軌道を哲郎が受け流して捻じ曲げた。

それでも攻撃の手は止まず、哲郎の腕の皮に攻撃が届き始める。

 

「………………!!!」

「そのまま潰れてまえ!!!!」

(……まずいな。テツロウは屋敷に居る奴等のことを気にして下手に攻撃が出来ない。あいつと私が全力を出せば あんな材木 捻り潰せん筈は無いというのに……………!!!)

「テツロウ!!! あの女の避難が終わるまで耐えろ!!! それが終わるまでの辛抱だ!!!」

「はいっ!!!!」

 

哲郎は気力を振り絞るがあまり効果は無く、木の槍の先端が哲郎の両腕に傷を増やしていく。

 

(やはり駄目か!! このままではこいつが潰れるのが先!!!

奴を仕留める為に魔力を温存したかったが致し方無い!! かくなる上は!!!)

 

「!!!!」

「もらったァ!!!!」

 

執念深い槍の猛攻が遂に哲郎の防御を突破し、次の槍が哲郎の腹目掛けて襲い掛かる。

 

バチィン!!!!!

「!!!?」 「ナッ…………!!!!」

 

哲郎に襲い掛かる木の槍の先端をレオルの黒い雷が焼き切った。

 

『レ、レオルさん!!』

『お前の撃ち漏らしは私が対処する!!!

屋敷の奴等の避難が終わるまでこいつを引き付けるぞ!!!』

『はい!! なら確実に倒すために一発重いのを入れたいんですが、僕に合わせてくれますか?』

『?』

 

(……………!!!

あかん!! あのガキとボンボンが手ェ組んだらぶち抜くんは無理や!!!

こうなったら!!!!)

『!!!』

 

トレラの猛攻が一瞬だけ止まった。しかしそれは次の攻撃の合図でもある。

彼女の左側に無数の幹を束ねて形成された極太の鞭が現れた。

 

「でかいのが来るぞ!!! 持ち堪えろ!!!!」

「はいっ!!!!」

「無駄じゃ 消し飛べェ!!!!!」

 

トレラは身体を振るってしなる木の鞭を哲郎達に炸裂させる。先端には既に自分達を確実に仕留める威力があったが、哲郎はその対処法に気付き、そして直ぐに実行に移した。

 

バチィン!!!!

「!!!!?」

 

哲郎は魔法陣の足場から飛び出し、そして鞭の中心部分に体当たりをかました。途中で攻撃の力を捻じ曲げられた鞭の先端はレオルの前方の空を切った。

 

(鞭が一番早いのは攻撃する先の方!! それ以外の場所を攻撃すれば勢いは殺せる!!!)

「今です!!!!」 「おう!!!!」

 

ボンッ!!!!! 「!!!!!」

 

トレラの一瞬の隙をついて放たれたレオルの雷が彼女の身体の木を真っ二つに切り裂いた。



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#202 The Inferno Tentacle 16 (Prince or Princess)

「………………………!!!!!」

 

レオルが放った黒い雷がトレラの身体を被う木を真っ二つに切り裂いた。それがトレラの本体(・・)を切った事になるのかどうかは分からないが、表情を見る限りはダメージを受けているのは間違いない。

 

「ッ!!!!

こんの クソ共がァ!!!!!」

「甘い!!!」

 

トレラは怒りに任せて空中で身体を回転させてしなる木の鞭を哲郎達に向けて振りつけるが、空中で踏ん張りの効かない状態で二人を正確に狙うのは至難の業だ。

 

「テツロウ、やれ!!!」

「はいっ!!!」 「!!!?」

 

哲郎は空中であらぬ方向に空を切る鞭を掴み、そして全力で振り上げた後 振り下ろした。その振動はトレラの身体にも完全に伝わり、身体を天高く持ち上げる。

 

「おりゃあッ!!!!!」

 

蔓を掴む両腕を下に振り下ろし、重りと化したトレラの巨体は地面へと急降下する━━━━━━━━━━

 

 

ビタッ!!! 「!!!?」

 

トレラの身体は地面に落下する事は無く、まるで空中に固定(・・)されたかのように静止した。

 

「テツロウ!!! 上だ!!!」

「!!! なっ…………!!!!」

 

上に視線を送った哲郎の目に飛び込んできたのは背中に巨大な翼(・・・・)を携えたトレラの姿だった。

 

(あ、あれは《ヘルヘイム》の翼!!!?

それを巨大化させて………………!!!!)

「ッ!!!」

 

下にいる哲郎の腹を目掛けて鋭い木の槍の突きが飛んでくるが、間一髪躱してレオルの方に合流する。

 

『………どうやらあれがあいつの本気のようだな。』

『はい。まるで公式戦で見たヘルヘイムがそのまま木になったみたいです。』

 

哲郎の抱いた感想に偽りは無かった。

目の前にいるトレラの姿はそれまでに驚異となっていたヘルヘイムの特殊な生態、人間体の頭脳と戦略、そして巨木の身体から繰り出される攻撃の凄まじさ のそれら全てを兼ね備えているように見えた。

 

「…………おどれ等、ワシを本気でブチ切れさせたからには楽に死ねると思うんちゃうぞ…………!!!

その身体中に管ぶっ刺してワシのメシにしたろやないかい!!!!」

 

トレラはそう絶叫したが、哲郎達の注意はトレラの発言には向かなかった。その最中に巨木の両側から二本の茶色の巨大な豪腕が顔を出したからだ。

 

ピシッ 「!!」

 

哲郎の耳が微かに捉えたその音は自分が立っているレオルの魔法陣の足場にヒビが入った音だった。先程のトレラの身体を切断した攻撃で著しく魔力を消耗したのだ。

それでも全く容赦無くトレラの拳が飛んでくる。回避出来たとしてもこれ以上レオルに魔法陣を出させるのは避けねばならない事態だ。そう考えた哲郎が取った行動は一つだった。

 

「!!!」

「なっ!!?? お、お前何を!!!?」

「動かないで下さい!! レオルさんはこれ以上魔力を消耗しちゃいけません!! 確実にヤツを仕留める為にはなるべく動かないで!!

それと危ないですからしっかり掴まって下さい!!」

 

哲郎はレオルをお姫様(首と膝に腕を)抱っこの(回して持ち上げた)状態で空を飛んでトレラの拳を躱してみせた。レオルも哲郎の言う通りに彼の首に両腕を回すが自分の情けない姿に顔が歪む。

 

「…………!!!

こんな様を誰かに見られたら末代までの恥だぞ…………!!!」

「ただのお葬式に出たら戦いに巻き込まれて死んじゃいましたってなったらそっちの方のが恥でしょ!」

「それはまぁ良い!

それよりあの娘はまだ避難を終えていないのか!!? あいつが終わらない限りこっちはずっと下手な手出しが出来ないんだぞ!!」

「そんな事は分かってますよ!

彩奈さんだって頑張ってるんですよ!あの屋敷の壊れ方を見たら分かるでしょ!」

 

「おい!!!!」『!!』

 

二人の世界に入りかけていた哲郎とレオルをトレラの一喝が呼び戻した。

 

「何をごちゃごちゃ言うとんねや このハエ共ォ!!!!」

「!!! 来るぞ!!!」 「はいっ!!!」

 

トレラが身体を振るって飛ばしてくる縦横無尽の蔓の鞭を空中を飛び回って全て躱す。哲郎は既にレオルの体重にもそれを抱えて飛び回る疲労にも《適応》していた。

 

「彩奈さんは今も頑張って避難をさせている筈です!! それが終わるまでは動かないで魔力を温存して下さい!!!

避難が終わったら一気に終わらせますよ!!!」

「おう!!!」

 

 

***

 

 

《ジェイルフィローネの半壊した屋敷》

 

彩奈はトレラの巨大化によって様変わりした屋敷の中を苦労しながらもけが人達を《転送》させて避難させていた。彼女を苦しめたものは通りにくくなった内部だけでなく、パニックに陥っている信者や参列者一人一人を宥める事だった。

 

(逃げ遅れた人はもう何人もいないはず!

哲郎さん、待ってて下さい。あなたが『使える』と言ってくれたこの力でみんな助けますから!!!)



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#203 The Inferno Tentacle 17 (Brave Can't Communicate)

当時の屋敷の中は依然として偲ぶ会で起こった謎の事件の捜査が続いていた。内部はギルドの職員達だけが動き、信者や参列者達は全員 部屋で待機するように指示されていた。

それを忠実に守り緊張こそあれど何も起こらないだろうと油断しきっていた人々にトレラの巨大化という破壊行為が襲いかかった。哲郎達は知る由も無いが、床が割れて天井は崩落し、屋敷の人々はパニックに陥った。

 

彩奈が《転送》を用いて逃げ遅れた人を避難させようと入った時には既にギルドの職員達によって瓦礫の下敷きになったりした人々の救出はほとんど完了しており、後は出られる場所を見つけて避難させるだけだった(もちろん屋敷の外に巨大な木の怪物と化したトレラが居る事など知る由も無い)。

 

 

***

 

 

「………………………!!!」

 

彩奈は屋敷に戻り、怪我を負った少女を抱えているギルドの職員を目の当たりにした。言うまでもなく彼女は緊張していた。

無論 そんなことを言っていられる状況で無い事は重々承知していたが過去に人との会話が苦手な事が災いして壮絶ないじめを受けたかつての心の傷が一歩を踏み出そうとする彼女の足をせき止める。

 

(………………………………!!

分かってるよ!! そんな事言ってる場合じゃ無いなんてことは!! 私がやらなきゃいけないんだ!!!

その為にここまで来たんでしょ!!!)

「………………………ウゥ………………!!」

「!!!」

 

横顔を見せて初めて分かったが、信者の少女は頭から血を流して呻き声を上げていた。図らずもそれが彩奈の出かかっていた《勇気》を呼び起こした。

 

「あっ、あのっ!!!」

「んっ!?

おう! 君は怪我を負わなかったのか!!

丁度良い!レオル・イギア氏を知らないか!? 総力を挙げて探してはいるがどこにも見当たらないんだ!!」

「…… ああっ!

そ、その人なら私と一緒で怪我は無いから外に助けを呼ぶって言って外に出ようと行きました。私はここに居る…… か、家族(・・)が心配で…………!!」

「そうか。なら一安心していい。

怪我人こそいるが犠牲者は確認されていない。出入口は崩落して出られる場所は見つかりませんがどこかからは出られる筈です!!」

「!!! (そ、それはまずいよ!!!

だって今 外には………………!!!)」

 

彩奈が見た限りでは窓も瓦礫で塞がれて外の様子は分からない。恐らくまだ外にトレラが居る事も知らないのだろう。

 

「………? どうしたんだ?」

(……やっぱりやるしかない!!

ちょっと強引だけど何とかしてここから気付かれずに(・・・・・・)出すしかない!!!)

「あ、あのっ!!

わ、私、実は少しだけ魔法が使えて、私が触った物を《転送》させる事が出来るんですっ!!」

「!!?」

 

ギルドの男は『とても信じられない』という感情を包み隠さず顔に出した。

 

「だっ、だからっ ここは危ないですから私がこれからみんなに触って安全な場所まで避難させようと」

「……リ、リネンさん…………!!?

今の話、どういう事…………!!?」

「!!!」

 

彩奈の背後からアリナが驚きの感情を含めて声を掛けた。

 

「ア、 ミ、ミアーナさん!

聞いてたなら話は早いよ。今話した通り、私は触った人を安全な場所に送り届けることが出来るの。だから私に触って早くここから………!!!」

「…………!!!」

 

アリナはすぐに返事は出せなかった。

それは彩奈の言葉の信憑性が完全では無かったからだけではなく、自分だけが我先に助かろうとした事になる事に対しての罪悪感があったからだ。

 

「…………… 分かった。

私、リネンさんを信じるよ。」

「ミアーナさん………!!! ありがとう!!!」

 

アリナの承諾の言葉を聞くや否や 彩奈はすぐさま誰にも聞こえない程の小声で懐に入れた水晶を介してエクスとの通信を試みる。

 

『エクス様! 今お聞きになった通りです!

これからそっちにみんなを避難させます!! 準備をお願いします!!!』

『コツッ』 「!!!」

 

水晶から聞こえてきたのはエクスの承諾を意味する水晶を叩く音だった。たったそれだけの事ではあるがその音は彩奈の心に確かな希望を見せた。

 

「……… じゃあアリナ(・・・)さん、行きますよ。」

「えっ!!? リ、リネンさん、今 私の事━━━━」

 

アリナの身体は彩奈の《転送》によってエクスの屋敷まで送り届けられた。

彩奈が最後にアリナを本名で呼んだのは偏に今まで正体を隠してきた罪悪感があったからだ。そして彼女の返事を聞くより早く《転送》を発動させたのは哲郎達が粉骨砕身の思いで頑張ってくれているからに他ならない。

 

直後、アリナが閉鎖的な宗教団体にも名が知れるようなエクスが目の前にいる事、そして自分が尊敬する幹部であるリーチェが縄で縛り上げられている事に心底驚いたのは言うまでもない。



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#204 The Inferno Tentacle 18 (Muscle-building Electro)

彩奈が今 やらなければならない事は言うまでもなく一刻も早い避難の完了であり、それは哲郎とレオルが自分を信じて身を削る思いでトレラを引き止めているからだ。

それ故にたとえ相手が自分の能力(・・)を信じなかったとしても構っている暇はなく、それこそ機械のように人々に触れて避難させる事だけが求められる。

 

僅かな時間とは言っても寝食を共にした少女達との間には決して浅くない絆があり、皆 彩奈に親切に接してくれていた。そんな彼女達に自分の素性をひた隠し、あまつさえ何も言わずに触って視界が住み慣れた屋敷から一瞬で見た事も無い部屋に変わった彼女達の驚きは計り知れないだろう。いくらエクスが居るとはいっても彼女達の胸中を考えると心に刺さる物がある。

それでも彩奈は心を無にして屋敷中を駆け巡り、逃げ遅れた人がいないかどうか大声で呼びながら探し回った。その間自分が体力の限界をゆうに超えていた事を知るのは後の話である。

 

 

 

***

 

 

彩奈が屋敷に入ってまだ数分程度しか経っていないが、哲郎達にはそれが果てしなく長い時間に感じられた。それは偏に目の前の巨大な植物の怪物を自分達が引き付けていたからである。

 

『テツロウ!! まだなのか!?

このままだと体力を温存する前に殺られてしまうぞ!!!』

『そんな事は分かってますよ!!

彼女の事です!! きっともう避難を始めてますよ!!

だから今は僕を信じて身体を預けてください!!!』

 

レオルは口から『変な言い回しをするな』と言いそうになったが相手が年端もいかない少年だと思い直して喉の奥に押し込んだ。

 

そして何が二人をここまで苦戦させたかと言えば、トレラの注意が自分達に完全には(・・・・)向いていないということだ。

屋敷の安全を確保しようとして距離を取ったとしてもトレラが屋敷の破壊を優先させようものなら状況は一気に悪化する。それを危惧しているからこそ一定の距離を保ってトレラの攻撃を一身に受けて時間を稼ぐ以外に出来ることがないのだ。

 

そして攻撃を一向に当てられない事に業を煮やしたトレラは片手で小技を重ねる裏で確実に二人を仕留める為の攻撃の準備を完了させていた。

 

「テツロウ 後ろだ!!! でかいのが来るぞ!!!」

「!!!」

 

哲郎が後ろに視線を送ると、トレラの背後で蔓が丸くなって固まった巨大な球体が回っていた。速度といい重量といい二人を仕留めるには十分過ぎる威力がそこにはあった。

 

「地平線の向こうまで吹っ飛ばしたらァ!!!!

オルァッ!!!!!」

「!!!!」

 

トレラは身体を振るって全体重を乗せて蔓の塊を投げつけた。それが哲郎に届くまで一秒とかからなかったが 哲郎はその一瞬で最適な行動を導き出して実行する。

 

 

ガッ!!!! 「!!!」

 

一直線に飛んでくる蔓の塊を脚を振り上げて迎え撃った。攻撃を防ぐ為ではなく攻撃の方向を変えて受け流す為だ。

しかし哲郎の脚力ではそれは叶わず、脚の筋肉や骨に振動が響き渡る。

 

(〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!

重い!!! 攻撃が重い!!!!

やっぱり脚で受け流すなんて無茶だった!!! このままじゃ弾き飛ばされる!!!

彩奈さんも屋敷の皆もやられる!!! 何とかして………………!!!)

ガッ 「!」

 

レオルが哲郎の腰に触った。その手には弱い(・・)電流が走っている。

 

「レ、レオルさん 何を!?」

「やむを得ないだろう!! 私の電流でお前の筋力を一時的に強化する!!!

効果は一瞬だからしくじるんじゃないぞ!!! 失敗したら全滅は必至だ!!!」

「……………!!! はいっ!!!」

 

トレラは依然として執念深く蔓の塊の攻撃に全神経を注いでいる。その振動が上に向いた時に勝機は訪れた。

 

「やるぞ!!!」「はいっ!!!」

 

レオルの電流が哲郎の脚の筋肉を震わせ、一瞬 脚力が爆発的に強くなる。その脚力と哲郎自身の技量を持ってすれば受け流すのは訳ない事だと哲郎は確信していた。

 

「うりゃあッ!!!!!」

バチィン!!!!! 「!!!!?」

 

哲郎の振り上げた脚が蔓の塊を弾き上げ、繋がった蔓は切れて塊は空高くに消えた。確実にしとめられるという自負のあった攻撃を凌がれたトレラは呆然と空を見上げる。

 

『………やりました!! なんとかやりましたよ レオルさん!!』

『ああ。良くやってくれた。

だがあいつの事だ。すぐに追撃を仕掛けてくるぞ。せめて今避難とやらが終わってくれれば…………』

「「!」」

 

哲郎の懐の水晶が光った。通信の相手は言うまでもなく彩奈だ。

 

『哲郎さん!!! 屋敷の人達の避難 今終わりました!!!! これから私もそっちに戻ります!!!』

 

その二言は希望に満ち溢れて聞こえた。そして哲郎は既にトレラにとどめを刺す算段を固めていた。

 

『……レオルさん、今の聞きましたよね?

次の攻撃で終わらせますよ!!!』

『ああ。無論そのつもりだが、どうやって奴に引導を渡す?半端な攻撃では返って逆撫でするだけだぞ。』

『それなら心配は要りません。

レオルさん、僕を()にして下さい。』

『!!?』



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#205 The Inferno Tentacle 19 (The Origin)

「………杖!? 魔法の杖の事か!?」

「そうです。説明の前に聞いておきたいんですが、コロシアムでレオルさんが使ったあの黒い雷、あれは全力でしたか?」

「……いや、私の腕が何とか形を保っていられる寸前の所で止めた。私の全魔力ならあんなものでは無い(それでも意識を保って耐えられたのには心底驚いたがな)。」

「そうですか。それを聞いて安心しました。

僕の作戦はこうです。『僕の体を介してレオルさんの全力の《皇之黒雷(ジオ・エルダ)》を撃って欲しい』んです!!!」

「!!!?」

 

レオルは頭の中では哲郎の立てた作戦は理に適っていると認めていた。本来 発動者にとてつもない反動を伴う根源魔法は何かを触媒にして放つ事で反動を最小限に抑えようとするのが通例である。コロシアムでレオルがそれをやらなかったのは自分に相性の良い杖がまだ見つかっていない事、そして杖を用意する必要など無いと過信していたからだ。

かつて《炎鳥の騎士》の二つ名で呼ばれた戦士であった国王 ディルドーグも炎の根源魔法《皇之焔鳥(ジオ・フェザード)》を剣を介して撃っている。それを見たからこそ哲郎はこの作戦を立てることが出来たのだ。

しかしレオルの頭の中には同様にその作戦に対する懸念があった事も確かだ。

 

「………残念だがテツロウ、その作戦には大きな穴が二つあるぞ。

まずお前の身体だ! いくら私の攻撃に耐えたからといって私の全力、しかもそれを身体に直接受けて五体満足でいられる保証など無いだろう!!!」

「…………………」

「それにお前は《人を殺さない事》を信条にしていたんじゃ無いのか!!? この私にあんな不遜な口を聞いてまで!!!

それともあいつが私の全力を受けて耐えられるという確信でもあるというのか!!!」

 

哲郎はレオルの言いたい事を全て理解していた。

本来ならばただの子供に過ぎない自分が人の家庭の事情、ましてや権力者に啖呵を切るなどあってはならない事態だ。それでもその彼と曲がりなりにも関係が築けているのは自分が勝負に勝って信念を貫き通したからに他ならない。自分が今やろうとしている事はその信念を曲げることだと、少なくともレオルの耳にはそう聞こえたのだ。

哲郎はレオルの全力を持ってしても目の前のトレラの命を完全に絶つことはどうあがいても出来ないだろうと考えていたが、彼の自尊心に傷を付ける事になるだろうと思って声には出さないでおいた。そしてこれから彼が言うこともまた本心である。

 

「………それでもやるしかないんですよ!!

もし今から撃つ攻撃で彼女(多分)が死んでしまったら、その時は僕が責任を取ります!!!」

「……戯け。魔界侯爵の後取りが子供一人に全責任を被せたとなったら末代までの恥だろうが。

最早私とお前は一蓮托生!!! この件には最後まで付き合ってやるぞ!!!!」

「…………!! ありがとうございます!!!」

 

二人が話していた時間を使ってトレラは再び二人を仕留める為の攻撃の準備に出た。彼らの話の内容は理解出来たが、それは不可能だという結論に至った。

里香から仕入れた情報ではレオルは自分の身体が壊れる以上の攻撃は出来ないし、仮に出来たとしても自分の力を持ってすれば耐えられるという算段だ。

 

「作戦は纏まったんか?

まぁ何をやろうが無駄やけどな。こいつで蜂の巣にしたるからな!!!」

 

トレラが用意した最後の攻撃は、全身から捻り出した何本もの鋭い幹の槍でめった刺しにするという単純明快なものだ。目の前の二人は策を弄すれば弄するほどその上を行く人間だと分かっているからだ。

 

『………テツロウ、あの辺はどうだ?

準備に当たるには最適だと思うが。』

『………そうですね。』

 

レオルが提案したのは崩壊した屋敷の屋根の平坦になっている部分だ。哲郎は徐にそこに降り立ち、レオルを下ろした。

振り返るものの トレラに動く様子は無い。

 

『………あいつ、全然動きませんね。』

『先手を打っても無駄だと分かっているんだろう。私達が攻撃してきた所を狙っているんだ。

………じゃあ行くぞ。覚悟はいいな!?』

『はい。』

 

レオルは哲郎の後ろに回り、両手で哲郎の二の腕を掴んだ。その両手の裏に魔法陣が浮かび上がる。

哲郎は両腕を伸ばし、両手を合わせて攻撃を撃つ体勢に入った。

 

「やるぞテツロウ!!!!!」

「はいっ!!!!!」

バリバリバリバリバリバリバリバリッ!!!!!

「!!!!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!!」

 

レオルの黒い雷が哲郎の両腕を覆い尽くし、その全てが哲郎の身体に溜まっていく。その様子は傍から見ればとてつもない暴挙に見えただろう。それはトレラも同じだった。

 

「ハハハハハハハハハハァ!!!!

このアホ共 最後の最後で頭イカれよった!!! ガキを電気責めにするのがワレ等の作戦かい!!!」

 

トレラの嘲笑に耳を傾ける事は無かった。

今の二人の頭にあるのはトレラに勝つ事だけだ。



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#206 The Inferno Tentacle 20 (Black Ballista Blaster)

当時の二人の耳には《トレラが自分達の事を悪く言う何か(・・)を言っている》という程度にしか感じていなかった。トレラの言っている事を正確に聞き取るという行動を全身に響き渡る電流とそれによる苦痛が遮っていたからだ。

それでも二人の心が折れる事は無かった。あるのは自分の腹を満たすが為に何人もの少女の命を侮辱した目の前の化け物(・・・)を許してはならないという義務感と、必ずここで倒しきるという強い使命感だ。

 

「………一体いつまでそうしてるつもりや?

そんなちゃちな電気でワシを倒し切れるとでも思とんかい!?」

 

全身に雷を溜め続ける二人に痺れを切らしたトレラは軽い挑発に出た。二人のすぐ側の部分を幹の槍で貫く。このままではまずいと焦って不完全な状態で攻撃に出てくれれば儲けものだと考えての事だ。

しかしその予想は完全に外れる。二人はまるで取り憑かれたかのように同じ体勢を保って動こうとしない。その様子を見たトレラは『この屋敷が崩れても動かないのか』とか『今目の前で人を殺せば流石に動いてくれるか』といった事を考えた。

 

そして、二人に動きがあった。

と言ってもそれは左の方向に目を向けるというだけの物であったが、二人にとって、そしてトレラにとってもその行動(状況の変化)は非常に重要なものだった。

二人が目を向けた先に彩奈が立っていたからだ。

 

「てっ、ててっ、哲郎さん!!

わわ、私、 やりましたよ!!! 皆を 避難させることができました!!

だから、だからもう本気で戦っても━━━━」

 

持って生まれてしまったコミュニケーションの苦手さとこの状況に対する緊張も相まって彩奈の口調はいつにも増してたどたどしかった。しかしその言葉だけでレオルは次に何をすべきかを導き出し、それを実行する。

 

 

バチッ!!! 「!?」

 

彩奈の足元でレオルの雷が光った。そして彼女はその()を見て驚く。そこには焦げ跡で文字が彫ってあったからだ。『ココヘコイ』と彫ってあった。

 

「あっ はい!分かりました!」

 

レオルの指示の意味を理解した彩奈は身体に触れて自分自身に《転送》を発動させ、二人のすぐ側へと移動した。そしてその二人の様子をコロシアムや公式戦、そして国王の話を総括してすぐに理解する。二人はこれから撃つ根源魔法に全てを賭けている と。

 

『哲郎さん、レオルさん、私は一体何をすれば━━━━━』

『僕達がこれから撃とうとしている魔法は下手をすれば全てを吹き飛ばしてしまうかもしれないくらいの威力です!!

それこそ屋敷に直撃すれば欠片すら残らないくらいの凄まじさがあります!! ですからそれを防ぐ為に、彩奈さんは僕が合図したら僕達をヤツの()に転送させて下さい!!!』

『!!! わ、分かりました!!!』

 

全身にレオルの魔力を溜め込む過程で哲郎は何度も電撃とそれによる激痛で意識を持っていかれそうになった。しかしその全てを《適応》によって克服して何とか意識を保つ。全てはこの植物の怪物を倒さなければならないという使命感からだ。

 

『テツロウ!!

今の私の残る魔力を全てお前に注ぎ込んだ!!!

後は私達でタイミングを合わせて撃つだけだ!!! 分かっているだろうがチャンスは一度だけだ!!!

抜かったら私達全員奴の食い物だぞ!!!!』

『はいっ!!!』

 

いくら哲郎の身体を媒介にしていると言ってもコロシアムで放った物より何倍もの魔力を溜め続けたレオルの両腕にはコロシアムの時と大差無いくらいの激痛が走っているだろう。それでも弱音一つ吐くこと無く自分の作戦に乗ってくれたレオルに無意識に感謝していた。

そして遂に待ちに待った瞬間が訪れた。トレラが哲郎達に出来た隙を付いて全ての幹の槍を振り上げた。

 

 

「今ですッ!!!!!」「はいっ!!!!」

「!!!!?」

 

彩奈が哲郎達に触れるとその姿が消えて槍は全て何も無い地面に突き刺さった。敵がどこに消えたのか探し、すぐに哲郎達が自分の真下に居ることを確認した。

しかし、そのすぐの時間はトレラの命運を完全に終わらせた。

 

「テツロウ!!!!! やるぞぉ!!!!!」

「はいっ!!!!!」

「!!!!!」

「行っけェーーーーーーーーーーー!!!!!」

 

哲郎達の勝利を願い、彩奈も自分でも出した事の無いくらいの大声で叫んだ。

哲郎達の最後の攻撃はそのすぐ後に始まった。突き出した両手に魔法陣が形成された。そしてトレラの身体と同じ位の大きさの黒い雷の塊が形成され、一気に炸裂した。

 

 

「「根源魔法 《皇之黒雷(ジオ・エルダ)》!!!!!」」

「!!!!!」

 

炸裂した雷は大砲になって上に向かって放たれ、トレラの身体に襲いかかった。周囲には雷が突き進み空気を切り裂く時の轟音が通常の何倍もの大きさになって響き渡った。

しかし最早哲郎には耳に襲いかかる轟音も腕に襲いかかる激痛も感じなかった。心にあるのは必ず勝つという強い思いだけだ。



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#207 The Inferno Tentacle 21 (Horizontal spear)

「…………………………………………………………………………

!!!」

 

レオルの身体に残る全ての魔力を注ぎ込んで放たれた《皇之黒雷(ジオ・エルダ)》はその周囲にも衝撃波を巻き起こした。その側にいた彩奈も衝撃波に吹き飛ばされて意識を失ってしまった。どれくらい意識を失っていたかは分からないが、それよりも重要なことはこの戦いの行く末の方だ。

 

「!!!

て、哲郎さん!! レオルさん!!!」

 

最初に彩奈の目に飛び込んで来たのは黒雲に覆い尽くされた暗い空だった。そして彼女の目は次に屋敷だったもの(・・・・・)の中心で倒れている哲郎とレオルの姿を捉える。

当時の彩奈は吹き飛ばされたことで脚に怪我を負っていたがたどたどしくも気にせずに二人に駆け寄った。

 

「!!! 哲郎さん!!!!」

 

彩奈は近付いて初めて哲郎の両腕が所々(・・)黒く焦げていた。《適応》の存在、そしてそれが始まっている事は分かってはいたがそれでも動揺してしまう。レオルも同様に意識を失って倒れていたが、その身体にはさっき見た以上(・・・・・・・)の負傷は見られなかった。根源魔法の反動は彼の身体には来なかったのだ。

 

「…………………うぅっ…………………!!」

「グッ………………!!!」

「!!!」

 

哲郎とレオルは顔を顰めたものの無事に意識を取り戻した。それを見た彩奈の顔にも再び希望が宿る。

 

「…………あ、 彩奈 さん………………」

「哲郎さん!! その腕、大丈夫ですか!!?」

「は、はい………。

もう少しで動かせるようになると思います。身体はまだ動きませんが………………………」

「そ、そうですか。良かった……………………」

「……おいお前達、少しは私の事も心配したらどうなんだ?」

「!」

 

レオルも意識を取り戻し、顰め面で二人に話し掛けた。

 

「………何を言ってるんですか。

自分の魔力の反動を全部僕に擦り付けておいて。」

「………人聞きの悪い事を言うんじゃない。お前が提案した事だろうが。」

「二人共! 言い合いなんかしてる場合じゃないですよ!

倒せたにしろ倒せなかったにしろ、早くここから離れないと━━━━━━━━━━━

 

!!!!!」

 

二人を宥めている最中、上空背後にただならぬ気配を感じた彩奈は振り返り、そこにあってはならない(・・・・・・・・)物を見た。

 

「あ、あ、あ、あ…………………!!!!!」

「………………?

どうしたんですか? 彩奈さ━━━━━━━━

!!!!!」

「な、何だと…………………!!!!!」

 

 

三人の目は濃い雲の中に一つの影(・・・・)がある事を捉えた。三人はその正体が何なのかすぐに理解した。

 

「ハッハッハッハッハッハァ!!!!!

残念やったな ボンクラ共ォ!!!!!」

『!!!!!』

 

両腕を振るって黒い雲をかき消し、トレラが姿を現した。雷の直撃を受けて身体は元の姿に戻り、そして身体中が傷だらけになってはいたがその表情には依然として闘志が滾っており、哲郎達を確実に倒せるという確信があった。

哲郎達は一瞬にして絶望的な状況に突き落とされた。

 

「……な、なんという事だ…………………………!!!!

私の全力を持ってしても倒せなかったというのか………………!!!!!」

「いや。そりゃ違うなァ。

流石の転生者(ワシ)でもあれをまともに食ろたら為す術もなくオダブツやった。せやからワシは残りの力全部を使ってガードした。おかげで間一髪 耐える事が出来たわ。

そんでもって誤解の無いように言うとくとな、今のワシの身体には体力は無い。せやけど今のワレ等を仕留めるのに体力なんて要らん。

 

この()を心臓に突き刺して終いじゃ!!!!!」

『!!!!!』

 

トレラの三本の指が茶色く変色し、三人それぞれの心臓に向かって伸びて行く━━━━━━━

 

 

 

 

「はーい、そこまでだよ トレラちゃん。」

『!!!!?』

 

トレラの首に背後から()が突きつけられ、そして人を食ったような飄々とした少女の声が聞こえた。

 

「な、何者だ…………!!?」

「だ、誰ですかあの人……………!!」

「…………………!!!

り、里香…………………!!!!」

「「!!!!?」」

 

トレラの背後に立った少女は顔も格好も哲郎の知る里香とは違っていたが、哲郎の耳はその声を覚えていた。

 

「あー! 哲郎君 久しぶり!

ボクの声覚えててくれたんだ 嬉しいなー!

……ならこんなもの、着てる(・・・)必要も無いね。」

『!!!』

 

少女の姿が一瞬光り、そして国王が出した新聞に載っている里香が姿を現した。

 

(……………リカ・ヒメヅカ………………!!!!

奴が私の根源魔法を奪った(・・・)女……………!!!!!)

 

「…………おい 里香(・・)。ワレ どういうつもりや?

これは一体なんの真似や!!?」

「真似もなにも、そんな言い方ないでしょ!

助けてくれた(・・・・・・)仲間に向かってさ!」



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#208 Don't Abandoned

里香が止めを刺そうとするトレラを止めた。

その事実は決して哲郎達を救ってくれると言えるものではなかった。里香もまた自分達の命を狙う存在であり、今の彼女がその気になれば疲労困憊で動けない哲郎達など簡単に仕留められてしまうだろうからだ。

 

「何の真似やて聞いてんねや。

あとワシがちょっと動けばあのくたばり損ない共に引導渡せる言うのによォ!!」

「それが出来ないって言ってるの!

全くキミってば熱くなるとすぐ周りが見えなくなるんだから。」

「なんやとコラ。今のワシがそんなにボロボロや言うんか!! 見てみぃ! 雷に打たれたから言うてもまだピンピンしとるぞ!!」

「いやいや、身体の状態(コンディション)の話じゃないよ!

さっきの雷を不審がってここにたくさん人が集まって来てるから連れ戻しに来たんだよ。ボクだけじゃなくてキミの顔まで割れる訳にはいかないでしょ?」

「……!!」

「まぁそういう訳だからさ、今日のところは引き分けって事にして今日は大人しく帰ろ?

この二人(・・・・)はちゃんと保護したしさ!」

『!!!!』

 

里香の側に糸で巻かれて吊るされたマリナとマリアージュが現れた。身体の所々に擦り傷こそあるが胸の動きから生きていることが分かる。

 

(…………奴が、奴等がこの屋敷で起こった行方不明事件の張本人か………………!!!)

(………トレラが巨大化してからどこにも姿が見えないと思ったら いつの間に……………!!!)

(………あ、あの人がマリナ様の弟………!?

生きてるのか死んでるのか分からない……………!!!)

 

「ごめんねぇ。この二人にはボク達の事を色々教えちゃってるからそっちに渡す訳にはいかないんだー。

って訳だからさ、こんなにボロボロにやられちゃってるんだよ? キミも聞き分けの無いクソガキじゃないんだから、黙って首を縦に振ってくれるよね?」

「……………………………………………………

あぁ。」

『!!!』

 

その瞬間、哲郎の頭に浮かんだのは『トレラを逃がす訳にはいかない』という強い意志だった。そしてそれを実行に移すために治りかけの身体に鞭を打って身体を起こそうとする。

しかし、それが実現する事は無かった。

 

(!!!? これは……………!!!)

 

哲郎の両手両足と首にはいつの間にか糸が巻き付いていた。里香の使う操り人形の糸だ。肉体が回復していないレオルと空中に浮かぶ二人の所まで向かう方法を持たない彩奈は何もされていない。

 

「にしてもごめんねぇ 哲郎君。

この前『次に会う時はこの世界が終わる時かも』って言ったのに外しちゃって。ま、それもこれもこのバカが無茶ばっかりやっちゃったからなんだけどねー。」

「!!!!」

 

その言葉でトレラのこめかみに『ビシッ』と青筋が立ったが理性でそれをどうにか抑え込む。

 

「って そんな怖い顔しないでよ!

帰ったらキミの傷、ボクが縫って治してあげるからさ。」

「!

………… 吐いた唾は飲み込むんとちゃうぞ。」

 

里香とトレラの二人がここまで悠長に長話をしているのは哲郎達がもう戦えないと分かっているからだ。

(………だけど、だけど何で僕達を殺そうとしないんだ………!? ずっとこいつらには僕の命を本気で奪う気が感じられない……………!!)

 

「!

………あー、もうあんまり時間が無いねー。

エクスとかノアとか、それにさっきの雷を見てガヤがうじゃうじゃやって来てる。

多勢に無勢だよやっぱ。早く帰った方が良いって。」

「………………… せやな。」

 

哲郎は力を使い果たし、これから引き返そうとするトレラ達を止める方法が無い と心の中で諦めていた。しかし彩奈だけは違った。

彼女は自分の胸に手を添えようとしていた。

 

『!

…………… 彩奈さん、何を……………!?』

『私が自分を《転送》させてあの二人の所まで行って、何とか足止めしてみます。

一秒あるか、それか一瞬しか止められないかもしれませんが、それでもしエクス様やノアさんがここに来てくれたら きっと……………!!!』

『ならん!!!』 『!!!』

 

彩奈の言葉に口を挟んだのはレオルだった。

 

『レ、レオルさん!? 一体………!!』

『それは私()が許さんと言ってるんだ!!!

人の命も自分の命も粗末にしてはならんと私はこの不遜な小僧(・・・・・)に諭された!!!

そうだろ テツロウ!!!!』

『……………!!! はい!!!』

『それにここは奴等を泳がせるのが懸命だ!!

たとえ命を懸けたとしても奴等を足止めし、救援が来る時間を稼げる保証は無い!!! それよりはここで生きて仲間達にあの植物の怪物の事を伝え、対策を練る!!!

それが我々の勝率を上げる最善策だ!!!』

『!!!』

 

「……なんか話聞いた感じ一旦は帰してくれそうだね。」

「……せやな。こっちも上にワシらの想像を超えた根源魔法が撃てるって伝えなあかんしな。」

 

そうして里香とトレラは姿を消し、宗教団体での長い戦いは終わった。その数分後、三人は駆け付けた人々に保護された。



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#209 Postwar Processing

宗教団体 ジェイル フィローネへの潜入及び戦いから二日経った。

哲郎のダメージはその日の内に全快し、今はエクスの家に住まわせてもらっている。

 

その二日の内で一番忙しかったのはやはり潜入から一夜開けた翌日だ。

その日は朝からギルドに呼び出され、まるで機関銃のような質問攻めにあった。その大半がジェイルフィローネで起こった事の証言だ。

依頼を受けて潜入したというのは本当なのか。遺体を移動させる騒ぎを起こしたのがヴィンであるというのは本当なのか。度々起こっていた行方不明事件の犯人はマリナなのか。そして屋敷を破壊したのが人間体のヘルヘイムであるというのは本当なのか といったものだ。

 

様々な人間と交流してきた哲郎でもここまで立て続けに質問された事はなかったが、そこは自分が転生者である事以外の全てを包み隠さず話す事で何とか納得して貰った。

ちなみにだが、その聴取は朝から始まって夕方までかかった。

 

 

***

 

 

『コンコンっ』 「!」

「テツロウ君、私だ。

コーヒーを淹れたが、良かったら飲むか?」

「あぁ はい。砂糖だけ入れて下さい。」

 

扉を開けてミゲルが入っていた。その手に皿に乗ったコーヒーを持っている。角砂糖を二つ入れて混ぜた後に受け取り、一口啜った。

 

「………………」

「アヤナ君からも聞いているよ。

今朝からずっとそれを読んでいるそうじゃないか。」

「はい……。」

 

哲郎が読んでいるのはペリーの会社が発行した新聞だ。そこには見開きでジェイル フィローネで起こった事件が事細かに書かれている。客観的な事実と自分自身の実体験とが絶妙な割合で合わさっており、それまで新聞に疎かった哲郎の目にもそれが優れているのだと分からせる。

その新聞には犯人はヴィンで、その動機はやはりマリナの罪を白日の元に晒す事だったとされている。ヴィンについてはやった犯罪といえば不法侵入くらいであり、それも執行猶予が付く可能性が高いらしい。

そしてその中には信者の少女達や参列者達の証言も載っている。レオルの証言も載っていたが 哲郎や彩奈の事、そして屋敷を破壊したのは『人間体のヘルヘイム』だとしてトレラの名前は出ていなかった。

 

(………この世界にはテレビもラジオも無いから情報源は新聞くらいしか無いんだな…………。)

「………それで、レオルさんは今どうしてるんですか?」

「彼ならギルドからの事情聴取を終えて今は自宅で大事を取って療養中だ。」

「……療養 ですか……………。」

 

受けたダメージなら彼より自分の方が遥かに大きいのにと思ったが、口には出さないでおいた。

 

「それより問題はアヤナ君の方だ。

レオル氏は口を閉じてくれてはいるが彼女が避難の為に使った《転送》の事はそうはいかない。

今でこそ彼女が隠し持っていた魔法という事で誤魔化せているが それもいつまで続くかどうか…………。」

 

ミゲルは残念そうに顔を歪めていたが、哲郎は彼女を咎める気もあれ以上の策があるとも思っていなかった。あの状況で怪物と化したトレラから屋敷に居た人を全員 安全に避難させる方法があるとすればそれは彩奈の《転送》をおいて他には考えられない。仮に自分が彩奈の立場でもそうしただろう。

ちなみに彩奈は事件の後 ギルドに半ば強制的に呼び出されて《転送》の事を執拗に質問されて人命救助の功で賞賛された。それだけなら良いが彼女の能力(魔法)の有用性を見抜いた冒険者のパーティーからの執拗な勧誘を受けた(それはエクスの力によって阻止されている)。

 

肝心のアリナ、そして信者の少女達はマリナの起こした事件とは無関係である事が証明されて各々 身寄りのある者は親元に、無い者は他の施設へと移された。

尤もそのほとんどが尊敬してやまなかったマリナが平気で人を殺すような悪人であった事、そしてこれからも続くと信じて疑わなかった日常が突然終わってしまった事を嘆いていたが、哲郎には他にどうする事も出来なかった。

 

「アリナさんは今 サラさんが仲を取り持って家族の所に戻るように説得していると聞きましたが、その後どうなりました?」

「………順調 と言いたい所ではあるがこれが中々上手く行っていなくてな。

それも始末が悪い事に、意地を張っているというよりは『今更戻る訳にはいかない』といった感じなんだ。」

「そうですか………。

まぁ 家族がいる事すら人に黙ってた訳ですからね。

ところでもう少しですよね? ノアさんがこの家に来てこの前の事をちゃんと聞きに来るのは。」

 

哲郎の頭には里香とはまた違う異様な悍ましさをその身に宿したトレラの情報が話しきれない程染み付いていた。

そしてこの一件で哲郎は事件は解決するよりその後処理の方が大変な事もあるのだという事を心に刻んだ。



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#210 Who is the horriblest?

『ピンポーン』

『!』

「どうやら来たようだな。」

「はい。 僕が出迎えます。」

 

哲郎は既にエクスの家の勝手をほぼ完璧に把握しており、迷う事無く玄関の場所まで辿り着いた。そして迷う事無く扉を開ける。それが出来たのは扉の向こうの相手が分かっているからだ。

 

「テツロウ、約束通りあの事を聞きに来たぞ。」

「さ、どういう事か説明して貰うわよ。

なんで人一人引き戻しに来ただけで事件に巻き込まれて屋敷が全壊する羽目になったのかを!!」

「………とりあえず、お疲れ様。」

 

扉を開けるとやはりそこにはノア、サラ、そしてミナが立っていた。

 

「待ってましたよ。

エクスさんは中で待ってますから入ってください。」

 

まるで自分の家のような口振りで哲郎は三人を中に案内した。

 

 

 

***

 

 

エクスの家の大広間に以前 学園の食堂で集まった時と同じように哲郎達にファンを加えた六人が椅子に座った。

 

「………それで、一番最初に聞きたいですが、

サラさん、アリナさんの今の状況はどうなっていますか。」

「この前伝えた所から何も変わってないわよ。

アリナは帰りたくないってよりは帰れない(・・・・)って感じで全然進展はないわ。

それよりその新聞で読んだけど本当なの?

その宗教団体の女が殺人鬼だったってのは。」

「はい。それは間違いありません。

その時起こった事件の犯人のヴィンさんが証言してくれましたし、何より マリナ(・・・)が 植物の怪物と里香に連れ去られるのを僕が見ています。レオルさんや彩奈さんも一緒に見ているので信用出来る証言になりますよ。

ちなみに彼女の動機もヴィンさんの言っていた 事故死した弟さんが関係しているという事で間違いありません。その弟さんと思われる人も一緒にいましたから。」

「…………そう。

それで、そのラドラに化けてた女とつるんでたヤツがヘルヘイムの人間体っていうのも本当なのよね。」

「そうです。名前は《トレラ・レパドール(偽名の可能性あり)》。

自分の身体の特性を利用して他のヘルヘイムを操ったり身体を巨大な植物と同化させたりしました。」

 

いつもの事ながら哲郎はトレラが《転生者》である事は伏せて話をした。トレラは《憑依》の能力を持ち、何十年も前からヘルヘイムの身体に住み着いている。

その話が全て本当ならトレラを倒すのはかなり困難になってくる と《転生者》の事情を知る三人は考えていた。

 

 

 

***

 

 

哲郎達が情報を共有している頃、とある場所(・・・・・)とある扉(・・・・)を叩く者がいた。

 

「…………おう。入れや。」

「大丈夫? あれから二日経つけどケガの調子はどう?」

「大丈夫なわけあるかい!

まだ身体中が痛くて焦げ臭くて適わへんねや!それにこの左腕かてまだ本調子が出ぇへんしよォ!

あのクソガキ アホみたいにぶちまけおってからに…………!!」

 

扉を叩いたのは里香であり、トレラの様子を確認しに来たのだ。トレラは花に身を包んで床に座って不貞腐れた表情を浮かべている。

その顔には依然として哲郎とレオルの渾身の攻撃で付いた焦げ跡が残っている。

 

「それにあの(アマ)はあれからアホの一つ覚えみたいに『申し訳ない 申し訳ない』って喧しいしよォ。

んで なんの用や。ワシを笑いに来ただけなんやったらワレも今ここで干物にしたるからな。」

「そんなんじゃないよ!

キミから哲郎君達のことで分かったことがあるなら聞いてこいって()に言われたんだよ。」

「!

……………せやな、一つ挙げるとしたらあのガキの異常なしぶとさやろうな。ワシが首ちょん斬っても毛程も怯まんと向かって来おった。」

「同感だね。

ボクもあいつの事 何回もボコボコにしたけど全然挫けなかったし!」

「ああ。事によるとあいつはどれだけボコボコにしても殺れんかもしらへん。

それこそあの二人(・・・・)の攻撃力すら耐えきってまうかもしれへんぞ。」

「………さすがにそこまでだと思いたくないけど哲郎君が強いのは間違いないね。あのコロシアムを見るまではノアやエクスが脅威だと思ってたけどもしかしたらそれも間違ってるって思わなきゃいけないかも。

それに、ボクはまだ会った事ないけどあのメイドちゃんも危ないかもって言ってたよ?」

「メイド?あの彩奈っていうガキの事か?」

「そうだよ! だってその子がいなかったら哲郎君も屋敷の奴らもみんな片付けられてた筈なんだよ!」

「! …………そうやな。」



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#211 EMPEROR 2 (MAD and FEAR)

ノア達の訪問から一夜明け、哲郎は満を持して国王 ディルドーグの城に赴いた。既に城の中に入りそこで国王達を守る活躍を見せた哲郎の顔は城の者達全員に知れ渡っており、顔を見せるだけで門を開けてくれた。

 

そして以前とは違って哲郎は今 応接室に案内されて国王を待っている。今日ここに来た目的は言うまでもなく転生者(里香)と関係がある疑惑(・・)のあるトレラについての情報を話す為だ。

 

「!」

 

これから話す事を頭の中で整理していると、唐突に扉を開く音が鳴った。その前にノックが無かったのはその入ってきた人間がここの()であるからに他ならない。

 

「おお、テツロウ君。変わりは無いようだな。

何やらまた大変な事件に巻き込まれたらしいな。」

「国王様! オルグさんも、お待ちしてました。」

 

国王の後ろにはオルグダーグも居た。

表面上は国王の警備として来たのだろうが、彼もまた哲郎の複雑な事情を正確に把握する数少ない人物の一人だ。

 

「……さて、早速本題に入ろうと思うが、なにか飲み物はいるかね。何でも作らせるが。」

「大丈夫です。喉は乾いていませんから。」

 

国王は『そうか』と一瞬 拍子抜けしたような顔を浮かべた後、すぐに真剣な表情になった。

その表情を見て哲郎もこの為に持ってきた新聞記事を取り出す。

 

「これは昨日の新聞ですが、国王様はもう読みましたか。」

「無論だ。新聞会社 モルバーナは十二分に信頼に足る情報を発信しているからな。しかし心底驚かされた。あの穏やかそうな宗教団体(ジェイル フィローネ)であのような残忍な事が行われていた事ももちろんだが、ヴィンのような男が騒ぎを起こした事もな。」

「……知っていたんですか。」

「名前くらいはな。時々俗に出て花を売るような女達 くらいの認識しか無かったがな。

 

………して、テツロウ君。その新聞記事に書いてある事は全て真実だと思っていいのだな。」

「はい。それは間違いありません。何しろ僕がこの目で見てますし、他の証言も十分過ぎるくらいありますから。」

「そうか。ならばその前提で質問する。

この一件に《転生者》が絡んでいた事は間違いないのだな。」

「はい。間違いありません。」

 

哲郎は認めたくはないその事実を声に出してはっきりと認めた。その行動だけで頭の中にトレラのあの下卑た笑みが浮かんでくるように感じられる。

 

「では教えてくれるかね。その《転生者》について知っている事を全てな。」

「はい。本名はどうかは分かりませんが━━━━━━━━━」

 

その前置きの後に《トレラ・レパドール》と自分で名乗っていた事、《憑依》の能力を持ちヘルヘイムの人間体の身体を乗っ取っていた事、マリナを唆して自分に《卒業》した少女達を食事として捧げさせていた(であろう)事を話した。

 

「………それで戦闘になり、レオルさん達の力添えもあって何とか撃退には成功したんですが、逃げる際に里香が現れて そしてマリナも敵の手に渡ってしまったんです。」

「………そうか。それはまた散々な一日になったな。

ところでそのマリナという女だが、ヴィンの言っていた十五年前の事故のデータから姉弟(その二人)の本名が分かったぞ。」

「!? 本当ですか!?」

「うむ。姉の方は《エリアナ・カラデラ》。弟は《バルバト・カラデラ》という名前だった。

両親は早くに亡くなっており、事故の後 姉の消息がぱったりと途切れたという話だ。」

「…………そうですか………………。」

「即ち、マリナことエリアナはそのトレラという者に弟を生き返らせてやるとでも唆され、その口車に乗って(仮死状態となった)弟を教祖にする事で自分の一番近しい所に置き、宗教団体 ジェイル フィローネを創設した。

そしてトレラに言われるがままに《卒業》した信者の少女達を殺害、その生き血を捧げていた。

これが全ての事情を知る(・・・・・・・・)我々が出したこの事件の真相だ。」

「…………………!!!」

 

哲郎は震え、顔からは汗が吹き出していた。それは《怒り》というよりは《恐怖》の占める割合が大きかった。

無論 何人もの罪も無い少女を手にかけたマリナ(エリアナ)を許そうという気持ちは毛頭ないが、自分も大切な人を喪って誰に救いを求めれば分からなくなってしまえばトレラのような人間の毒牙に掛かっていたかもしれない。その恐怖が頭を覆い尽くしている。

 

「……………申し訳ないがテツロウ君、そろそろ次の話に移りたい。

事件に巻き込まれた直後の君にこんな事を頼むのは酷な話だが、《鬼ヶ帝国》について━━」

「もちろん行きますよ。」「!」

「その国にもあいつらのような奴らの手が回っているかもしれないという話なんでしょ。

だったら迷ってる暇なんてありませんよ。それが出来るのは僕だけなんですから。」



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鬼ヶ帝国 編
#212 The Empire of Ogre


「………そうか。そう言ってくれて嬉しいよ。

ならばまずは君に行ってもらいたい《鬼ヶ帝国》の詳細を今一度説明するとしよう。」

 

《鬼ヶ帝国》

世界的に見ても極めて希少な種族 《轟鬼(ごうき)族》が暮らす国であり、一つの巨大な島が丸々 国土になっている。島の周りには特殊で複雑な海流があり、空を飛ぶか、あるいは帝国にのみ伝わる特殊な航海術が無ければ島に近付く事すら容易では無い。

帝国は数百年以上前から鎖国体制を続けており、権力者の中には帝国は無法地帯だと決めつける者も少なくない。

 

 

「…………以上で全てだ。

国王の私でも帝国の事を知るのは容易では無くてな。帝国がどれくらいの広さなのか、どれくらいの人々が住んでいるのかは分からん。」

「それは予想出来ていましたが、そもそもなんで僕にその国に行って欲しいんですか?」

「そうだそうだ。大切な事を言い忘れていたな。

…………実は《鬼ヶ帝国》が何者かに乗っ取られようとしているかも知れないという疑惑が浮上したんだ。」

「!!!?」

「疑惑の種はこの一通の手紙だ。

本来 鎖国体制にある帝国は国民が他の国に文書を送る事は厳しく監視されているが、この手紙はその監視さえもすり抜けて私の手元に入って来た。」

「それで、その手紙には何と?」

「それが拙い墨の文字で、『このままだと国が無くなる。助けて下さい。』とだけ書いてあったんだ。

根拠としては薄いかもしれないが万が一これが本当で帝国が滅ぼされた場合、近隣の国々にも何が起こるか分かったものでは無い。

だからテツロウ君、君には帝国に赴いてその疑惑が本当かどうかを確かめて欲しいのだ。」

「それは全然大丈夫ですけど、どうやって潜入するんですか? もし不法入国がばれたりしたらそれこそ国を乗っ取ろうとしている人がどんな事をするか分かりませんよ。」

「安心してくれ。その点なら既に手を打ってある。 オルグ、例の物を。」

「はい。」

 

そう国王はオルグダーグに指示を出した。哲郎は こういう所はやはり良くも悪くも王様らしい と思ったが、その思考は目の前に出された物によって跳ね除けられた。

オルグダーグは懐からカフスボタンを取り出して哲郎に見せた。哲郎は反射的にそれ(・・)を見てある事を連想した。

 

「……これってもしかして…………………」

「そうだ。君が以前使った 着けると任意の姿に変装できる魔法具。これを付けて姿を轟鬼族に見せかけて欲しい。」

「それは全然大丈夫ですけど 肝心の姿はどうなってるんですか?鎖国してる国の人の姿をどうやって再現するんですか?」

「それについては抜かっておらん。

轟鬼族の姿なら古い文献に記録があるからな。」

 

国王の話では、轟鬼族は基本的に背格好は人間と大差は無く、肌は人間のような者も居れば白い者も居り、そして頭には一本から三本の角(基本的には二本らしい)が生えている との事だった。

 

「それから君にこれも渡しておく。」

 

そう言って国王は懐から丸められた紙を取り出した。リボンで結んでありその上には特殊な模様で固められた蝋の塊が貼ってある。

 

「これは君が私の命令で帝国に来た事を証明する物だ。貼ってあるこれは蝋印(シーリングスタンプ)といって、この城以外には出回っておらん。」

「だからこれが証明書になる と…………」

「そういう事だ。だが、これを国に着いて直ぐに見せるのは危険だと考えている。

国王である私に目を付けられたと知られたらその者(・・・)がどんな行動に出るか分かったものでは無いからな。」

「………………………」

 

哲郎は国王の持つ証明書をまじまじと眺めながら漠然とこれからの戦いがジェイルフィローネよりも過酷になるかも知れないと考えていた。

 

「何しろ我々が握っている情報が現状 とても少ないのが難点だ。

分かっているのは帝国である島がどこにあるのかとその島がどれ程の広さなのかという事だけで、信頼出来る情報がほとんど無い。

しかしそれでも」

「『それでもやるしかない』 ですよね。」

「!

無論だ。私が何故ここまであの国を疑うのかの根拠もある。

君には分かり辛いかもしれないが、鬼ヶ帝国(鎖国国家)は連中にとっては非常に好都合なのだ。何かを謀るならあそこ以上に最適な環境はあるまい。

それで無くとも鬼ヶ帝国の周囲には容易に近づけない海流が囲い、天然の要塞と化している。

そんな場所に奴等の手が回っているのであればそれは世界中が危険に晒される由々しき事態だ!!

だからこそテツロウ君、君には━━━━━━」

「分かっていますよ。帝国に行く気はずっと変わっていません。

今日は一日中予定を開けています。ですからもっと作戦を練って、絶対に帝国を助けましょう。」

「………………!!!」

 

国王は哲郎の返答に少年には過剰すぎる程の頼もしさを感じた。そして哲郎の能力を見抜き招待状を送った自分の目は確かだったと再確認した。



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#213 Pseudonym & Ex-Girlfriend

「……………… と いう話になったんですけど、二人はどう思いますか?」

「「……………………………」」

 

国王との話を終えて哲郎は再び 半ば拠点となっているエクスの家に戻り、エクスとそこに居たノアに国王から聞いた事を全て話した。二人は哲郎が国王から貰ったカフスボタン(変身の魔法具)を手に取ってまじまじと見つめている。

 

「このボタンは付けてみたのか?」

「ええ 一度だけ付けてみましたが特に問題はありませんでした。それこそこの前のマキムみたいに身体に違和感も無く。

ただ国王様が持っている轟鬼族の姿の情報がかなり古いですから、そこから進化とかして姿が変わってない事を祈るばかりですけど。」

「轟鬼族 か………………。

テツロウ、そいつらの姿なら一度だけ見た事があるぞ。」

「え!? 本当ですか!?」

「ああ。会ったのは前世(かなり前)だが、その国王の文献より新しい情報なのは確かだ。」

 

ノアの話を端的に纏めると、前世で現役の魔王だった時に轟鬼族に興味を持って一度だけ鬼ヶ帝国に足を運んだ との事だった(その時から鎖国は始まっていたらしい)。

 

「………それって 問題にはならなかったんですか?」

「本来は不法入国という事で多少 白い目で見られはしたが大事にはならなかった。尤も その時の俺に歯向かう事は即ち魔界の全部を敵に回すようなものだったからな。あの国にそんな阿呆はいなかった。」

「……………………」

 

今でこそ人の子として学校に通っているが目の前の男はやはり魔王なのだと実感する。

 

「それで質問の答えだが、一度このボタンを付けてその変装を見せてみろ。俺の持つ情報と違いがあったら都度 国王に伝える。」

「分かりました。」

 

哲郎はノアからボタンを受け取ると襟に付けて変身魔法を発動した。哲郎の姿が淡い光に包まれて変わって行く。中でも目を引いたのは頭の上から生えてくる二本の角だ。

 

『……………………!!』

「……どうでしょうか? 何か間違っているところは…………」

 

哲郎の姿はマキムの時とはまた違ったものとなっていた。服装は(哲郎の世界で言う)和服そのものになっており、髪は濃い茶色の短髪となり、そこから二本の角が伸びている。

 

「……いや、何処も間違えている所は無い。遜色無く轟鬼族だ。これなら帝国の平民に紛れる事も可能だろう。」

「そうですか。 それは良かったです!

そう国王様にも伝えておきます!」

「それで、偽名(名前)の方はどうするつもりだ?あそこには決まった名前の法則があるが。」

「それも国王様から聞きました。なんでも僕や彩奈さんと似てて(漢字)二文字が普通みたいなんですよね。

ですから僕の名前から取って《虎哲(こてつ)》で行く事にしました。」

「!!!」「!!?」

 

瞬間、ノアが血相を変えて哲郎の肩に掴みかかって来た。

 

「えっ!!? な、何ですか!?

僕何か変な事言いました!!?」

「テツロウ、今お前 偽名を《コテツ》にすると言ったか!!?」

「は、はい そうですけど、それが何か…………!?」

「悪い事は言わない。その偽名は止めておけ。

名前から取るなら そうだ、《哲哉(てつや)》、哲哉(てつや)で行け。」

「は、はい。 別にいいですけど どうして………」

 

ノアは数秒 苦い顔で目を閉じた後で口を開いた。

 

「…………黙っていても分かる事だから本当の事を言うが、帝国には一人 俺の知る《転生者》が居るんだ。《虎徹(こてつ)》という転生者がな。」

「!!? どういう事ですか!?」

「落ち着け。順を追って話す。」

 

ノアの話を纏めるとこうだった。

ノアは前世の時に帝国に来た時に一人の轟鬼族の少女から一目惚れされたのだという。

無論 その恋は叶わずその少女も別れを受け入れ、少女は自分の人生を全うした。そしてノアも転生し哲郎と出会う数日前に自分の元に手紙が来た。それがかつての少女の転生者からの物で、今は《虎徹》と名乗っている という物だった。

 

「………と言うのが俺が今言える事だ。

つまりだ、お前が帝国に行けばほぼ間違いなくそいつと関係を持つ事になる。だから何とかそいつ以外に自分の正体はバレないように努めろ。」

「……それはどうにかなると思いますけど、でもどうしてその人だけ(・・)分かったんですか?

どうしてノアさんはその人の事に気付かなかったんですか?」

「それもその手紙に書いてあった。なんでも普通より転生者を感知する範囲が広いようでな。俺が今の世界の様子を確認する為に各地を回っている時に気付いたそうだ。

つまりそいつも俺達と同じ《不完全な転生者》、俺と同じで死んでも同じ世界に転生して来たと言う訳だ。」

「そうなんですね。

にしても不完全な要素が全く同じなんて 案外運命とかで結ばれてたりするんじゃ

!!!」

 

哲郎が冷やかしのつもりで冗談を言っているとノアの人差し指が口に向かって伸びた。

そして今までに見た事が無い程の険しい表情で一言だけ言う。

 

「…………それ以上喋ると縁を切るぞ。」

「…………………………

は、はい。 すみませんでした。

………それにしてもそんなに苦手なんですか? その人の事。」

「お前も会えば分かる。」



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#214 Girl in the bottle

「…………エ、エクス様………………………

私、やっぱり行かなくちゃダメなんですか……………?」

「当然だ。哲郎にはお前の力が必要なんだ。」

 

日にちが経って哲郎が鬼ヶ帝国に行く時、彩奈は哲郎と同様に胸にカフスボタン(変装の魔法具)を着けて轟鬼族の町娘の《杏珠(あんず)》として帝国に潜入する事になった。

 

 

 

***

 

 

「何、彩奈を連れて行きたい?」

「そうです。サラさんのお陰で僕の今の力の程を知る事が出来ました。

あの施設の件でも彩奈さんの力が無かったらトレラに負けていたかもしれませんし、勝てたとしても被害が大きくなってた事は否定出来ません。

帝国で国王様に言われた事をやる為には彩奈さんの協力が必要だと思うんです。」

「………そうか。 なんとか俺が説得しよう。」

 

エクスに帝国の事を聞かされた彩奈は驚き、そしてもうあんな大役はこなしたくないと反発した。哲郎も宗教団体への潜入を終えた彩奈の心中は考慮していたがそれでも譲歩する訳にはいなかった。

そして数時間を掛けて彼女をなだめ、どうにか潜入に協力してもらうという条件を飲んでもらった。

 

国王にも事情を話し、彩奈用にもう一つ魔法具を作ってもらった所で出発の時間になった。

 

 

 

***

 

 

 

「というか、そもそもその帝国に住んでいる鬼の種族の姿って これで合ってるんですか?」

「それは間違い無い。文献に書いてあった情報を頼りに作った姿だからな。」

 

彩奈扮する轟鬼族 杏珠(あんず)の姿は哲郎扮する哲哉(てつや)と同様に和服に身を包んで黒髪の頭から二本の角を生やしたものである。ノアがかつて帝国で見た轟鬼族の姿と遜色無く同じだ。

 

「………それと、本当なんですか?

帝国に行く為に私を魔法具に詰め込んで行くっていうのは。」

「残念だがそれも本当だ。

確かに魔法具ではあるが詰め込むという大層なものじゃない。本来 罪人を連行する為に作られた物だがお前に使うのは広さを十分に確保した改良型だ。不自由はさせない。」

「……………………… (そういう話じゃないんだけどな……………………)」

 

彩奈は前世でいじめを受けていた時に一度だけトイレに閉じ込められた経験があり、それ以来一人で狭い所に入る事を恐れるようになった。

広さを確保してくれると言うが、そもそも彩奈にとっては閉じ込められる事自体が苦痛になり得るのだ。

 

「それがこいつだ。

長旅になるだろうから中に横になれる設備も整えてある。少なくとも便所のような思いはさせないのは確かだ。」

「は、はい…………………。

(その帝国に行ったことさえあれば哲郎さんと一緒にすぐに行けるのにな…………………。)」

 

エクスは小瓶の形をした魔法具を手に取って彩奈に見せた。

彩奈の《転送》は目に見えている範囲か行ったことのある場所にしか移動出来ない。いつもは正当な条件に感じるこれが今は厄介な足枷に感じられた。

 

「エクスさん、僕も準備 終わりました。」

「! て、哲郎さん その姿は……………!」

「いや、今は哲哉(てつや)って呼んでください。」

 

轟鬼族に変装した哲郎がエクス達の前に姿を現した。既に心身共に鬼ヶ帝国に行く準備は整っている。肩から下げている鞄には数日分の食料と着替えが入っている。

 

「彩奈さんも準備は出来てるみたいですね。

本当にすみません。事件終わりで疲れてるのに無理を言わせてしまって。」

 

流石に『本当ですよ』とは言えず、彩奈はただ黙って頷いた。受け入れたのは帝国に行くのはこの世界にとって非常に重要という部分も大きかった。

 

「テツロウ、お前にこれを渡しておく。使い方は昨日説明した通りだ。

後はお前に全て任せる。」

「はい。任せて下さい。」

 

帝国に行く方法は既に整えてあった。

まず 彩奈が魔法具の中に入ってもらって哲郎の鞄の中に魔法具を収納する。そして哲郎が空を飛ぶ事で帝国を囲む海流という問題を解決しようという手筈となった。

 

「……それじゃあ行きますよ 彩奈さん。

安心して下さい。絶対に落としたりしないって約束しますから。」

「……はい。 気持ちの整理はついてます。」

 

哲郎は小瓶の魔法具に『しまう』という意志を込めて魔法を発動し、彩奈は小さくなって魔法具の中に吸い込まれた。

 

「……この中ってお部屋みたいになってるんですよね?」

「ああ。彩奈の声は聞こえないがこちらから話し掛ける事は出来るはずだ。」

「分かりました。

彩奈さん、中に不満な点はありませんか?『はい』なら一回、『いいえ』なら二回 魔法具の壁を叩いて下さい。」

 

哲郎がそう言うと、中から『コンっ』という軽い音が一回鳴った。

 

「これは大丈夫 って事ですよね?」

「そうだな。その鞄の中には二重ポケットを拵えてある。魔法具はその中に入れろ。」

「分かりました。」

 

それで 哲郎のエクス達への出発の挨拶は完了した。国王への連絡を終え次第 帝国に向かう。



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#215 Connection with King

結論から言うと、小瓶の魔法具の中は彩奈が恐れていたほど劣悪な環境ではなく、むしろ実家よりも快適と言っても過言ではないと言える程だった。

 

(………本当にこの変装で大丈夫なのかな……………)

 

彩奈は少しの間 魔法具の中に配置されたベッドに寝そべった後、姿見で再度 轟鬼族 《杏珠(あんず)》となった自分の姿を確認していた。

彩奈が一番気にしている事は本当に上手く鬼ヶ帝国に潜入出来るかどうかであり、転生者として哲郎達に協力しようという気はあっても自分が作戦の渦中に入る事になるとは思ってもいなかった。宗教団体 ジェイル フィローネのような活躍がそう何度も出来るかどうかが彼女にとって気掛かりなのだ。

 

(当たり前と言えば当たり前だけど やっぱり暗いなぁ……。それに(暇とは言わないけど)帝国に着くまでやる事ないし………………。)

 

彩奈が今居る魔法具は哲郎が下げている鞄の中にあり、外部からの光は完全に遮断されて中は光の魔法で淡く照らされているだけである。睡眠時間をしっかりと取ったから眠くはないが今が夕方ではないかと錯覚しかねない状態だ。

 

「彩奈さーん! 彩奈さん、聞こえますか?

国王様の所に着きましたよ! 聞こえてたら壁を一回叩いて下さい!」

「! ああ、はいっ。」 『コンッ』

 

自分の返事が届かないのは分かっているので彩奈は魔法具の壁を一回 叩いた。

 

「今 お城の前にいるんですけど、彩奈さん 今から出れますか?」

コンっ(あ、はいっ)!』

「分かりました。」

 

哲郎は小瓶の蓋を開け、彩奈を外に出した。

彩奈は初めて目にする国王の巨大な城に心底 驚き、そして自分がこれから国王からお願いされるような重要な任務を担うことになるのだという事を再確認する。

 

「さ、早く行きましょう。」

「えっ!? い、行くって、ここ 国王様のお城ですよ!?」

「大丈夫ですよ。国王様にはもうみんな話してますから。」

「えっ…………」

 

この時の彩奈はまだ知る由もないが、哲郎は既に一端の使用人か あるいは彼等以上の信頼関係を築いていた。

 

 

***

 

 

「………こ、こんなにスイスイ入れちゃうなんて……………!!」

「だから言ったじゃないですか。

鬼ヶ帝国に行くこの作戦は僕と国王様で考えたんですから。」

 

カフスボタンを外して本来の哲郎の顔を見せただけで門番達は哲郎、そして彩奈を疑いもせずに通し、豪華絢爛な内装に驚く暇もなく(歯車式)エレベーターで上へと昇っている。

 

「一体どんな事やったらこんな厚い待遇を受けられるんですか…………!?」

「……あまり大声では言えませんが、この前このお城で公式戦の裁判があった時に里香が攻めてきたんですよ。それを僕と、これから会う国王様の付き人の オルグダークっていう人でなんとかしたんです。それが一番ですかね。」

「あ、はい…………

(そういえば新聞にそんな事書いてあったな…………)」

 

彩奈は新聞の事と同時にエクスから聞かされた国王の親衛隊として働く転生者が彼だと確信した。

 

 

 

***

 

 

 

エレベーターから外に出ると、あれよあれよという間に国王が待つ部屋に着いた。

 

「国王様、哲郎です。

鬼ヶ帝国に出発する準備が整いました。」

『分かった。

こちらも準備は出来ている。入ってくれ。』

「失礼します。」

 

彩奈の目から見ても完璧な挨拶を経て哲郎は扉を開けて部屋に入った。部屋には椅子に座る国王と傍に黒服の男が立っている。

 

「日を置いて見てもやはり遜色ない変装だな。

して、隣の彼女が……………」

「はい。今回 僕と一緒に帝国に来てもらう事になった朝倉彩奈(アヤナ・アサクラ)さんです。」

「あっ、はっ、はいっ………!!

わ、私、アヤナといいます…………!! ほ、本日は よろしく お願いします…………!!」

 

国王に挨拶をする事になるとは分かっていたので緊張しないように練習は積んだが、(元)ただの女子中学生に一国の長との会話はやはり荷が重過ぎた。

 

「緊張してもらわんで構わん。

それより早速本題に移るがテツロウ君、何か鬼ヶ帝国について新しい情報を掴んだというのは本当かね?」

「はい。鬼ヶ帝国に少なくとも一人、転生者が居るとの情報を掴みました。

情報源はエクス・レインさんのお友達です。その人の話では名前は《虎徹(こてつ)》と言うそうです。

それで国王様、これは僕の考えですが、その人にも事情を説明して帝国の問題の解決に協力して貰うというのは 可能だと思いますか?」

「………………………」

 

国王は少し 目を閉じて考えてから「否、」と口を開いた。

 

「可能性としてはあるが、確実でない以上 下手な事は出来んだろう。その情報源を疑る訳では無いが、或いはその転生者が我々にとって不利益な思考を持っている可能性もあるからな。」

「……なるほど 分かりました。

ではその人の状態を確認した上で臨機応変に対応する という事で良いですか?」

「うむ。」

 

一国の王と 張り合いはしなくとも自分の意見を遠慮なく示す哲郎に 彩奈はただただ圧倒されていた。



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#216 Beginning ~Welcome to Empire~

「テツロウ君、君から話す事はそれで全部かね?」

「はい。帝国に転生者が居るという情報を得たので報告したいと思いまして。」

「そうか。 ならばこれを君達に渡しておく。」

 

国王は懐から四つ(・・)の水晶を取り出して二人に手渡した。

 

「君達も良く知る通話用の魔法具だ。

君達の間で連絡を取り合う事も私達に報告する事も出来る。それを使って少なくとも一日おきには私達の所に報告してもらいたい。」

「………………」

「? どうかしたか?」

 

水晶を品定めするようにまじまじと眺める哲郎を不審に思った国王が口を開く。

 

「報告はもちろんしますが、この魔法具に通話以外の機能とかはありますか?」

「一応 君達が使い慣れている物を参考にして照明機能と あと衝撃波を飛ばす機能も付けておいた。他に欲しい機能があるのか?」

「いえ、十分です。これだけあればどうにか出来ると思います。」

 

この言葉は嘘ではなく、実際にこの本来 通話用の魔法具の照明と衝撃波の機能が哲郎達の窮地を何度も救っていた。

 

 

「………じゃあそろそろ帝国に行こうと思います。着いたら直ぐに報告します。」

「ああ。 だがくれぐれも慎重に行動しろ。

着いても数日、少なくとも二日は帝国の現状の把握に尽力し、間違ってもこの証明書を誰かに見せようとはするな。」

「もちろんです。新しい情報は掴め次第 国王様に報告します。」

 

口から出た言葉は嘘では無いが、不法侵入の次は不法入国に手を染めなければならない事に少しだけ不安も感じていた。

 

 

 

***

 

 

 

「…………この方向だよな…………………」

 

哲郎は轟鬼族 哲哉(てつや)の姿で鞄を下げ、手に方位磁石を持って何も無い海の上を飛んでいた。出発して数時間が経ち、周囲には水平線だけで自分の進んでいる方向が正解なのか知る術が無い。

 

(………あの時(・・・)から時々 当たり前みたいに飛んでるけど、これが無かったらどうなってたのかな………………)

 

哲郎が空を飛ぶ事を覚えたのは魔界コロシアムの決勝があったからに他ならず、それが無ければ今頃 船に乗って向かっていたのかと そんな事を考えながら方位磁石が指す方向をひたすらに進んでいる。

 

「━━━━━━━あっ!!」

 

そんな時に哲郎の視界に変化が現れた。

ひたすらに続いていた水平線の一部が不自然な形で揺れ動いているのを目撃した。

 

「見えましたよ 彩奈さん! 帝国はもうすぐです!!」

『コンっ!』

 

出発から数時間ぶりの哲郎の声に安心したのか返事(壁を叩く音)が少しだけ軽快に聞こえた。

 

 

 

***

 

 

 

「……………これは………………………………!!」

 

哲郎の眼下には直径が何十メートルもある巨大な渦潮が大きな音を上げて波を立てていた。その渦潮は一つではなく複数の渦潮が組み合わさって水平線まで続いている。

 

(………これなら船で来れないってのも頷けるな…………。 ってかこんな波を乗り越えられる航海術なんてあるのか………………?)

 

海の上には巻き上げられた砂粒や石が点在しており、その全てが渦潮の中心へと引きずり込まれていく。この渦潮こそが鬼ヶ帝国を何者も寄せ付けない要塞へと変えた所以なのだ。

 

(ノアさんもこんな渦を越えて帝国に入ったのか…………。)

 

哲郎がこの渦潮を越えて帝国に着く事で自分はノアの次に鬼ヶ帝国に入国した人間という事になる。自分と彼の共通点は原理は違えど《空を飛ぶ》方法を持っているという事だ。

 

「彩奈さん。帝国はもうすぐですよ。」

 

彩奈の返事を待ってから哲郎は渦潮を越えて更に空を飛んだ。

 

 

 

***

 

 

 

「……………………!!!!」

「て、哲郎さん、 これって………………!!!」

 

結論から言うと、哲郎達は何の変哲もない海岸に降り立った。青い海と白い砂浜という極めて平凡で平和な光景が広がっていた。

 

「………あの、私達、これから何をすればいいんですかね……………?」

「国王様にも言いましたけど、当分は帝国の状態を把握する必要があるでしょうね。まずはこの国で使えるお金をある程度稼いで、この国の地図とかを手に手に入れる事を優先しましょう。」

「そ、そうですね…………………」

 

そこまで言って哲郎は水晶を取り出し、国王と通信を繋いだ。その様子を彩奈はただ黙って見ている事しか出来ずにいた。

 

(………私、本当に哲郎さんの役に立てるのかな……………? この前の宗教のやつみたいな事が何回も出来るの……………?)

 

彩奈は自分の手を眺めながら不安げに思考を巡らせる。自己評価が低いのは自覚はあるし直さなければならないと分かっているが、自分がこの国を救える光景がどうしても浮かんでこない。

 

「………彩奈さん? 彩奈さん、聞こえてますか?」

「っ!!? あ、な、なんですか!!?」

「国王様に『到着しました』と報告しましたから行きましょう。 お金は……………

そうですね、靴磨きでもしますか。」

「…………… そうですね。」



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#217 The Bandits

「……まぁ 靴磨きより稼げる方法があるならそれにしますけどね。 例えば…………、

それこそ冒険者みたいな。」

「そうですね。 とりあえず人のいる場所に着いてから考えましょう。」

 

海岸から森へ入り、歩き続けて数十分が経過したが、未だに帝国の人間が見つからない。

 

「僕が空を飛べれば楽なんですけどね…………」

「それは仕方ないですよ。私達はただの平民にならなきゃいけないんですから。」

 

哲郎と彩奈 改め 哲哉と杏珠は国王の許可を得ているとはいえ帝国に無断で侵入している状態である。その状況で空を飛ぶ所を誰かに目撃されれば誰に何をされるか分からない。

今の二人に要求される事は慎重に慎重を重ねて行動する事だ。

 

 

「━━━━━あ! 彩奈さん、あれ!」

「!」

 

森の中を進み続けた二人は遂に待ち望んでいた物を見つけた。

 

 

 

***

 

 

 

森の側に轟鬼族の村はあった。

木でできた家が数軒建ち、その全てから料理によるものと思われる煙が上がっている。

哲郎達がすぐに村に入らないのはそこに住む轟鬼族を観察する為だ。

 

『………本当に出てくるんですかね?』

『間違いなく出てきますよ。ここは帝国の中でも田舎の村みたいですし、待っていれば絶対に狩りをする為に男の人が家から出てきますよ。

━━━あ! ほら!』

『!』

 

 

二人が待っていると村の家から一人の男が出てきた。幸いな事に哲郎(哲哉)彩奈(杏珠)と同様に肌色の顔に黒髪、そして二本の角が生えた姿をしている。

 

『良かったです。これならこの国の人になりすませますよ。

彩奈さんはここで待っていて下さい。出稼ぎに向いている町がないか聞いてきますから。』

『それは良いですけど……………

もし私達の格好が帝国の人達の違ってたらどうするつもりだったんですか…………?』

『その時は……………

国王様の所に戻って調整する事になったかもしれませんね。』

 

言葉の外に『今だから言えるけど』と聞こえたが、その上で彩奈は『良かった』と胸を撫で下ろした。

 

 

 

***

 

 

 

(………よし、田舎から出たばかりの町に行きたい子供 って設定で行くか……………)

 

森の茂みから出て村に向かう短い道のりで自分の役(哲哉)の設定を練り、それになりきる用意を終えた。

 

「(第一印象が一番大切。まずはこの人の性格を最優先て把握する!!)

…あの、すみません。」

「おん?」

 

哲郎が話し掛けた轟鬼族の男に哲郎を警戒する様子は見受けられなかった。

 

「なんだおめぇ? ここらじゃ見ねぇ顔だな。

どこのもんだ?」

「(言葉がかなり訛ってる。やっぱりここは帝国の中でも辺境なのか!)

僕、ここから少し離れた所に住んでる《哲哉》っていいます。それで、僕も大きくなったのでそろそろ出稼ぎをしようと考えてるんですけど、この近くに良い町って ありますか?」

「そんならここを出て真っ直ぐ行った所にでっかい町があるべよ。おめぇ たっぱもあるし冒険者でも酒屋でも靴磨きでもなんでも雇ってくれるべさ。」

「そうなんですね。 ありがとうございます。」

「んだ。おめぇもその年で出稼ぎなんて大変だなぁ。 頑張れよ。」

「はい!」

 

哲郎がそう言うと轟鬼族の男は上機嫌で森の中に入って行った。その様子を背中で見届けると哲郎の胸は一つの小さな罪悪感に締め付けられた。

 

(……………めちゃくちゃいい人じゃないか。

それなのに僕ってば『あの人から帝国の事を聞き出すのは難しいな』なんて思っちゃって。ダメだな。この国を助ける為に来たってのは分かってるんだけどずっと悪い事をしてる気分になってる……………)

 

思えば哲郎の依頼の殆どは《罪悪感》と《責任感》の間で揺れ動くものだった。

 

(まぁでも事態は一刻を争うのも間違いないし、とにかく彩奈さんにこの事を伝えないと………)

「てぇへんだ てぇへんだ てぇへんだァ!!!!」

「!!!?」

 

たった今 森に入った男が血相を変えて引き返してきた。村中に轟く大声に反応して家に居た村民達も次々に顔を出す。

 

「どうしたぃ 与一さん んなに血相ば変えて!!」

「どうしたもこうしたも無ぇべよ!!

あっちの森に山賊ば現れで、そばに居た()ば攫っちまったんだよォ!!!」

「!!!!!」

 

与一の言葉を聞いた瞬間、哲郎は殆ど反射的に駆け出していた。与一や他の村民が制止する声が聞こえた気がするが反応している余裕すら無かった。

 

(そんなまさか!!! 彩奈さんだって《転生者》だぞ!!

そんな普通の人達に簡単に攫われる訳が無い!!!!)

 

しかし、哲郎の懸念は現実となっていた。

 

 

 

***

 

 

 

《村の森の中》

 

五人の轟鬼族の男達が巨大な豚の魔物の上に乗って自分達しか知らない道のりで町へと向かっていた。

 

「兄貴ィ、今日は収穫でしたね!!

乗り物に使える魔物だけじゃなくてこんな活きの良い女まで手に入ったんスから!!!」

「そうさな。こいつを差し出せば俺等の地位も上がるってもんだ!!!」



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#218 How to chase?

「おいおめぇ!! 不用意に森に入っだらいけねぇよ!! 迷ったら出れなぐなって日干しになっちまうべよ!!」

「!!」

 

冷静さを失って森へと駆け出した哲郎を必死になって追いかける者がいた。与一の呼ぶ声がようやく哲郎の耳に届いた。

 

「あ、あなたは…………!!」

「落ち着くべよ!!

おめぇ 一体なんだって血相変えて森の中なんかに………!!」

「(そうか!! この人まだ彩奈さんの事 知らないんだ!)

さっき 山賊が現れて女の子を攫って行ったって言いましたよね!? その女の子が僕の 家族 かもしれないんですよ!!!」

「!!? んだってぇ!!?」

「そういう事です!! あなたは山賊を見たんですよね!? そいつらがどこに居たか分かりますか!?」

「分かるぞ!! こっちだべ!!!」

 

与一に誘導されて哲郎は森の中に入って行った。

 

 

 

***

 

 

 

「この辺だべ!!」

 

与一について行って数十秒でその場所に着いた。哲郎が不審に思ったのは彩奈に待っているように行った場所から離れている事だ。

 

「与一さん、あなたが見たのは女の子が連れ去られる瞬間でしたか?」

「いんや。おらが見たのは攫われてるとこだったべよ。確か豚の魔物さ乗っで━━━━━━

おぅ!! こいつだ!!!」

「!!」

 

与一が指さしていた地面には蹄の深い足跡があった。そしてその足跡は森の奥へと続いている。

 

(この人の前で通話の魔法具は使えない!! わざわざ教えて貰っておいて悪いけど 山賊との戦いには巻き込めないし………………!!!)

「山賊は向こうに行ったのか…………!!

分かりました!!! 僕はこのまま山賊を追いかけますから 与一さんは村に戻って下さい!!」

「な、何を馬鹿な事を!!!

危険だべよ!!! 山賊ってのァおっかねぇんだ!! おめぇなんざ一捻りに━━━━━

あ!!! おい!!!」

 

与一の静止を振り切って哲郎は再び森の中へと駆け出した。

 

 

 

***

 

 

 

「……………………!!!

ムググ…………………!!!!」

 

哲郎が村に向かって行った直後、彩奈は背後から何者かに口と目を覆われて担ぎ上げられた。

風の感触と上下の規則的な運動からすぐに自分が誘拐されて動物に乗った何者かに運ばれている事に気付く。

 

『彩奈さん!! 彩奈さん、聞こえますか!!?

森の中に山賊が現れたみたいです!! 危険ですからすぐにその場を離れて下さい!!!

それとも今 山賊に攫われて声が出せないなら水晶を叩いて下さい!!!』

は、はいっ(コツンッ)!!!』

「!!!」

 

返事の代わりの水晶を叩く音で哲郎は山賊に攫われたのが彩奈である事を確信した。そしてその直後、豚の魔物に乗っている三人の轟鬼族の男達を見つける。当時の哲郎は知る由もないが山賊達は誰にも追いかけられる事は無いと高を括って全速力を出さないでいた。それは魔物の体力を温存させる為でもあった。

 

 

「兄貴、大変です!!

誰かが後ろから追ってきてますぜ!!」

「んだと!? 誰だ!? 数は!!?」

「村のヤツらみたいじゃありゃせん! 一人のガキです!!」

「ガキが一人!? ならビビる事ァねぇ!!!

飛ばすぞ 野郎共!!!」

『へぃ!!!!』

 

山賊達は豚の横腹を蹴り飛ばし、魔物に速度を上げるように促した。筋肉が詰まった豚の脚力は凄まじく、哲郎を簡単に突き放して森の奥へと姿を消す。

 

 

「…………………!!!!」

 

哲郎は追跡する手段を走りから飛びに切り替えて更に速度を上げたが、山賊達との差は一向に変わらなかった。

 

(……………………………!!!!

まずい!! どうしても追い付けない!!!

こんな所で彩奈さんを連れ去られる訳には……………………!!!!

 

!! 待てよ!!!

追い付けない(・・)って事は………………………!!!!

 

そうだ!!! これなら、この方法ならいけるかもしれない!!!)

 

哲郎は山賊達に追い付く方法を考え付き、すぐにそれを実行に移した。

 

 

 

***

 

 

 

「兄貴、ガキの足音はしなくなりゃした。もう普通の速さに戻してもいいんじゃないですかい?」

「いやまだだ。念の為に森を抜けるまではこのまま飛ばす。森を抜けたら豚共を休ませるからそれまでは速度を落とすんじゃねぇ!!」

「へ、へぃ

!!!!?」 『!!!?』

 

二人の山賊が視線を送ると、そこには(彼等にとって)有り得ない光景が広がっていた。一人の少年が山賊の足首を掴み、その体勢を崩していた。

 

「おりゃあっ!!!!」

「ドワァッ!!!!?

!!!!?」

 

少年に足首を掬い上げられ、山賊は落馬(もとい落豚)して地面に激突した。

 

『…………み、みんなが止まった………!!

哲郎さんが来てくれたんだ!!!』

「ば、馬鹿な!!! てめぇ 一体どうやって………!!!!」

(やった!! 上手くいったぞ!!!

追い付けない(・・・・・・)状態に《適応》出来た…………………!!!!!)

 

この時、哲郎は《豚の魔物の速度に追い付けない》という状態に《適応》する為に自分の速度を引き上げる事を考え付き、それを実現させた。

この瞬間、哲郎は《適応》によってどんな速度で動く物体にも追い付く事が出来る《無限の速度》を手に入れたのだ。



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#219 The beast and intelligence

三人居た山賊の内の一人は豚の魔物から転げ落ちて背中を地面に強打し、呼吸もままならなくなって悶えている。哲郎はその様子にかつて公式戦で自分の蛸鞭拳(しょうべんけん)の激痛にのたうち回るアイズンを重ねていた。

一方で二人の山賊達はこのまま逃げ切れるという確信が簡単に打ち破られてしまった目の前の光景を処理しきれずに仲間を助ける事も忘れて固まってしまっている。今の哲郎にこの隙を見逃す理由は無い。

 

哲郎は鞄の中から縄を取り出すと悶える男の腕を掴んで捻り上げ、両腕を背中に回して縛り上げようとした。縄は国王に頼んで用意してもらった物だ。

 

「 おいっ!!! そいつから離れやがれ!!!!」

「!!」

 

声の方向に視線を向けると、山賊の内の一人が腕の長さ程もあるナタを振り上げて哲郎の方向に走って来ていた。哲郎が何故追い付けたのかを考えるよりも仲間を助ける事を優先したのだ。

しかし、男の行動は哲郎の目から見れば無謀としか言いようのない物だった。

 

 

「おあっ!!!?」

ズダンッ!!! 「!!!!?」

 

男のナタが身体を捉える瞬間、哲郎は身体を半身に移動させてナタを握っている手首に手を掛けてそのまま体重を乗せた。その行動だけで男の身体は手首の関節を支点にして風に扇られたかのように宙を舞い、その側頭部を地面に叩き付けられる。

脳への直接的な衝撃は男の意識を簡単に闇へと葬ってしまった。

 

「………………………!!!!!」

 

山賊の頭らしき男は自分が信頼を置く仲間二人がいとも簡単に制圧されてしまった事に驚きを隠せなかった。この状況で仲間を助ける事は不可能と判断し、せめて()への土産物だけでも死守せんと彩奈を担いだまま豚の魔物に乗ろうとする。

 

「!!!!? な、何ぃっ!!!!?」

 

男が驚愕したのは、豚の魔物が死んだように動かなくなっていたからだ。魔物が死んでいない事は呼吸(微かな振動)で分かるがそれでも逃走手段として機能する可能性は皆無だ。そして次の瞬間に男は魔物が動かない理由を見抜く。

豚の魔物の側腹部には針が刺さっていた。山賊達に追い付いて一人を引きずり落とした時に投げて刺した針だ。

この針には麻酔薬が塗ってあり、並の魔物はもちろんの事 人間ですらも機能停止に追い込める程 強力な物となっている。

 

哲郎が国王に帝国でも人は殺しなくないと要望を出した結果、国王は縄と麻酔針を哲郎に渡したのだ。それらが早速その真価を発揮した形である。

 

「〜〜〜〜〜!!!!

クッソォ!!!! う、動くんじゃねぇ!!!!!」

 

仲間を立て続けに制圧されて逃走手段も失った男が取った行動は攫った女をを人質に取るという物だった。

男が乱暴に引き寄せた拍子に顔を覆っていた麻袋が取れて彼女の顔が露になる。その顔はやはり彩奈だった。

しかしその状況でも哲郎は自分が驚く程に冷静だった。

 

「おいお前、こいつはお前のツレか?」

「……そうです。」

「そうかよ。 よく聞きやがれ!!!

俺の姿が見えなくなるまでそこから動くんじゃねぇ!!! 逆らったらこいつの首が飛ぶぞ!!!!」

「…………………………

(嘘だな。この人に彩奈さんを殺す気は無い。

攫ったって事は大方人身売買か上への貢ぎ物ってところだろう。

仲間を二人も失って手ぶらで逃げ帰ったとなったら思い罰を受けるのは分かりきってる。)」

 

「…………………………フフ。

よぅし いい心掛けだ。そのまま絶対に動くんじゃねぇぞ!!」

 

男は哲郎が命令通り動かない事に心の中で喝采し、哲郎の目をじっと見たまま後退りを始めた。その様はまるで山の中で出くわした猛獣相手になるべく刺激せずにやり過ごそうとする登山客のようだった。

しかし哲郎は猛獣とは違って既に男を制圧する方法を考えつき、それを言葉を使わずに彩奈に伝えた。

 

(…………や、やった やったぞ!!

下っ端とはいえ二人もやられたのは痛いがそれでもこんないい女を差し出しゃ あの方(・・・)からのお咎めも無)

「!!!!?」

 

自分の勝利を確信した瞬間、男の神経は三つの変化を認識した。

一つ目は視界が少年から()へと変わった事、二つ目は地面に何か(・・)が叩き付けられるけたたましい音、そして三つ目は後頭部の激痛だった。

自分の身に何が起こったのかを認識する暇もなく男の意識は閉ざされた。

 

 

 

***

 

 

「彩奈さん! 大丈夫ですか!?」

 

山賊達を全員制圧した事を確認した哲郎は彩奈に駆け寄って彼女の無事を確認した。

 

「私は大丈夫です。哲郎さんは?」

「僕もなんともありません。

山賊達は全員伸びているので安心して下さい。僕の考えが伝わったみたいで良かったです。」

「は、はい…………」

 

哲郎が彩奈と実行した作戦は、彩奈が男の身体に触れて男を哲郎の目の前に《転送》させて哲郎が男の顔を掴んで地面に叩き付けるという物だった。



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#220 BOUNTY

「………彩奈さんが無事だったのは良いんですけど、この三人どうしましょう?」

「そうですよね。このままここに放っておく訳にもいきませんし………………」

 

哲郎と彩奈の目の前には縄で縛られて眠っている三人の山賊が居る。投げ落としたりして意識を刈り取った上で完全に抵抗する力を奪う為に麻酔針を耳の辺りに刺したのだ。

 

「当分目を覚ます事は無いと思いますけど、彩奈さんを助けるのに必死でその後の事を何にも考えて無かったですね。

身柄を引き渡すにしても何をどうすれば良いか全く………………」

 

今の哲郎には既に山賊達をこのまま放置するという選択肢は無く、何かしらの形で役場(の役割を果たす場所)に突き出そうという所までは確定事項となったが、それにも色々と問題があった。

それはどういう過程を踏めば悪目立ちせずに済むかという事だ。

 

「そうですよね。 それにこの人達を引き渡せる場所がどこにあるかも分かりませんし……………

…………

? 哲郎さん? どうかしましたか?」

「………彩奈さん、どうやら役場がどこにあるか探す必要は無くなったみたいです。

ついでに僕達に過程を選ぶ権利も無くなりましたけど。」

「???」

 

彩奈は哲郎の意味深長な言い回しに疑問符を浮かべたが、すぐにその言葉の意味を理解した。

森の奥から武装した轟鬼族の男達が走って来たのだ。

 

「鬼鎧組の者です!!

この近辺で山賊による誘拐事件があったと通報を受けたのですが━━━━━━━━」

「(……無理に嘘をつくのも危険だな。)

…ああ、その山賊ならここに。僕が拘束しました。」

『えっ!!?』

 

 

 

***

 

 

 

哲哉(哲郎)達が鬼ヶ帝国に入国して約 三時間が経過した。当初の予定ではこの頃には情報を得やすい都市に入っている手筈になっていたが、現実ではそれより一時間も早く近くの都市の役場に入る事が出来た。

本来なら喜ばしい事だが、今二人は役場の椅子で成り行きで捕らえた山賊達についての報告を待っている。そしてその待ち時間はまるで歯医者の待ち時間のよう(あるいはそれ以上)に居心地が悪く、状況がどんどん悪化しているように感じられた。

 

 

「………哲哉様、杏珠様、いらっしゃいますでしょうか?」

「!! はいっ!」

「奥にどうぞ。」

 

『詳しい事は奥で話します。』という言葉を言外に聞き取り、二人は女性に促されて足を進めた。

 

 

 

***

 

 

 

「………こうして目の前にしてもにわかに信じられないな。いくら下っ端とはいえあの我々でも手を焼いていた《荒河(あらかわ)山賊団》を君のような少年が制圧したとはな。」

 

鬼門組 華町(かちょう)支部長 《臺巌(だいげん)

それが奥の部屋にいた男の名前と現在の役職だ。

 

役場に入った時点で既に鬼門組という組織が日本でいう警察にあたり、案内された村に近いこの街が帝国の都市の一つの《華町(かちょう)》という名前である事を知った。

 

「早速だが本題に入ろう。

荒河(あらかわ)山賊団 構成員 《黎井(くろい)》、《岾奇(やまき)》、《蒲薪(うらまき)》 計三名。

この三名を制圧し、身柄を届けたのは君。これは間違いないんだな?」

「……はい。 哲哉(てつや)といいます。」

「まずは聴取から始めたい。奴等を取り押さえる事になった詳しい経緯を話してくれ。」

「分かりました。」

 

哲郎は彩奈(杏珠)が山賊達に連れ去られそうになって必死に彼等を追いかけた事、持っていた麻酔針や縄を使って彼等を捕縛した事を細かに話した。

 

「……なるほど。

ここからは個人的な質問も混ざるが、君達の関係は?」

「僕達は姉弟(・・)です。」

「……そうか。 道理で………」

 

もしかしたら臺巌に姉弟(・・)ではなく兄妹(・・)と思われたかもしれないが、構わずに話す事にした。

 

「次の質問だ。君達はどこの出身だ?」

「海沿いにある名もない村です。僕達も働ける歳になったので出稼ぎを始めようと思った矢先の事件でした。

……申し訳ありませんが村の名前は伏せさせて下さい。家族を巻き込みたくないので。」

「……分かった。

話題を変えるが荒河山賊団の構成員には全員 懸賞金が掛けられている。三人合わせて三十(ごん)だ。」

 

鬼ヶ帝国には独自の通貨単位が定められている。最小単位が《(げん)》で、日本円に換算して約一円、その上に《(がい)》(日本円で約百円)、更にその上に《(ごん)》(日本円で約一万円)が設定されている。即ち哲郎達はこれから三十万円を手にする事になる。

 

「……三十艮は全額君たちの物になるが、その前に一つ質問させて欲しい。

何故、奴等を追いかけた?」

「!!」

「別に非難する訳では無いが、参考までに聞いておきたい。下手に手を出せば君の命は無かったかもしれないんだぞ?」

「(………非難してるじゃないか………………)

………確かにそうかもしれません。ですがそんな事を考えている余裕はありませんでした。

一刻も早く助けよう と、その考えに取り憑かれていました。」

 

この発言はほとんど本心だった。

しかし同時に今の哲郎にとってこの山賊騒ぎ(任務に無関係の事)をなるべく早く終わらせたいという考えも本心だ。



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#221 REWARD

哲郎の事情を聞き終えると臺巌は机の下から書類と筆を取り出した。

 

「………大まかな事情は分かった。

後はこの書類に名前だけ書いてくれれば懸賞金を払う事が出来る。後は全て私がやっておく。」

「分かりました。」

 

哲郎は出された書類に《哲哉》と《杏珠》の名前を書いた。それを確認した臺巌は首を一度 縦に振って懐から少し分厚い封筒を取り出した。

 

「これが彼等三人の懸賞金の三十艮だ。」

「失礼ですが、確認しても良いですか?」

「ああ 構わない。」

 

哲郎は封筒を開けて中身に目をやった。そこには三十枚の紙幣が入っている。

 

(……この図柄、ノアさんの話とは違ってるな。

まぁ無理もないと言えばそうか……………)

 

鬼ヶ帝国で使用されている通貨である《玄》《亥》《艮》は玄のみが硬貨であり亥と艮は紙幣で流通している。貨幣の図柄だけがノアの情報と違っているが、何年も経っている事を踏まえれば容易に想像出来る事だ。

 

三十艮も(それだけ)あれば故郷の村の助けにもなるだろう? お節介を承知で言うが今日は村に帰ってしばらく外に出ない方が良い。

山賊共がどこで目を光らせているか分からないからな。」

「…分かりました。」

 

哲郎はそう言ったが心の内には罪悪感があった。自分達には帰る故郷の村など無いからだ。

 

 

 

***

 

 

 

三十艮(三十万円分)が入った封筒を懐に入れて二人は鬼門組の本部を後にした。

 

「………哲郎さん、これからどうするんですか?

やっぱりあの人の言う通りに大人しくしてるんですか?」

「そんな時間はありませんよ。国王様は今か今かと待っているんですから一日だって無駄にはできません。

今からこのお金を使ってさっき言っていた地図を買って、各地を巡って情報を得ます。」

「情報?」

「はい。そもそもこの国に危険が迫っているのかどうか明確な証拠がある訳ではありませんから。」

 

国王が鬼ヶ帝国に危険が迫っていると考えた根拠は厳しい監視の目をすり抜けて国王の元に入ってきた一通の手紙のみであり、哲郎達はその疑惑の真偽を確かめる為に潜入する事になった。そして哲郎はそれが本当ならば自分の手で解決したいと考えている。

また、根拠は無いが哲郎はこの疑惑が本当ならば《転生者》、それもラミエルの言う巨悪の息がかかった転生者が絡んでいると睨んでいる。それでもノアと旧知の仲の転生者である《虎徹》を仲間に引き入れる事が出来れば自分の手で解決する事も不可能ではないと考えている。

 

「その情報を手に入れる為の方法も考えているんですか?」

「もちろんそれも考えてあります。

帝国が乗っ取られようとしているという確証を得たらすぐに行動を起こします。具体的には屋敷、理想を言えば皇帝の所に就職(潜入)しようと思ってます。」

「!!!!?」

 

この国が《帝国》ならば長が《皇帝》である事は想像の範疇だがそこに就職する(入り込む)事は予想外の事で彩奈は驚愕の声を漏らした。それに反応した哲郎はすぐに「あくまで理想ですよ。」と付け加える。

 

「疑惑が本当ならその犯人の人物像はいくつかに分ける事が出来ると思うんです。

一つ目は皇帝の身体を乗っ取っているパターン。二つ目は皇帝やその関係者を脅して自分の思い通りに国を動かしているパターン。三つ目は皇帝の関係者になりすまして皇帝の命を狙っているパターン。

今思い付くのはこの三つくらいですかね。」

 

哲郎は指を伸ばしながら自分の考えを口にした。それを彩奈は頷きながら聞く。

 

「とにかく今は情報を集めますよ。

それには帝国の体制が急に変わって影響をモロに受ける所、例えば都会の中の貧民街が一番理に適っているでしょう。その為にも地図を、この国の地図を買わなければいけません。

お店を探しましょう!」

 

哲郎は彩奈の手を持って華町の道を走り出した。自分が急遽 帝国に行く事になって戸惑っている間に哲郎は様々な事を考えている事を理解し、彩奈はまるで自分に兄が出来たような気分になっていた。

 

 

その時に哲郎と彩奈は既に帝国に渦巻く陰謀に想像以上に首を突っ込んでいる事にはまだ気が付いていない。

 

 

 

***

 

 

鬼門組の本部から出てきた哲郎と彩奈を見ている人物が居た。その人物は帝国内で流通している通話の道具を使って自分が手にした情報を共有していた。

 

『…………はい。 ええ。確認できました。

今回 パクられたのは《黎井(くろい)》、《岾奇(やまき)》、んでもって《蒲薪(うらまき)》の三人です。

やったのはガキ、妹を連れてます。そいつらがたった今出てきました。

それでどうします? 俺ァあんな下っ端くらい捨て置いても良いと思うんですけどね。

 

え? あぁはい。 分かりました。』

 

その人物の通話相手からの返事は『大の山賊三人がかりでただのガキ一人に不覚を取るとは考えにくい。助けなくても良いが警戒は怠るな。』という物だった。



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#222 Geographic of Empire

「………国全体の地図なら…… そうさな……………、

これなんかおすすめだよ。」

「そうですか。 じゃあこれを下さい。」

「はいよ。 五亥(=500円)ね。」

 

哲郎は華町から少し離れて近くの観光地に足を運び、売店にあった地図を手に取った。それを店員に手渡すと懐から一枚の紙幣を取り出した。

 

「五艮札!? その年で結構羽振りが良いね。」

「あぁ、細かいのが無くて、これしか持ち合わせが無いんですよ。 これでお釣り下さい。」

「へい。 四艮九十五亥のお返しだ。」

「ありがとうございます。」

 

そう言って哲郎は売店を出て彩奈の元へ向かった。たった五百円の買い物でここまで気を遣ったのは数年前に貯めた小遣いで漫画雑誌を買った時以来だ とそんな事を考えていた。

 

 

 

***

 

 

 

「彩奈さん、上手く行きました。これがこの帝国の地図です。」

「は、はい。それは良いんですけど、さっきちょっと聞こえてきた話、まるでお母さんの買い物みたいでしたね。『持ち合わせ』とか『細かいの』とか………」

「あぁ、それは昔お買い物に行った時に聞いた事を使ってそれっぽく受け答えしただけですよ。」

「そ、そうですか…………………」

「そんな事は良いでしょう。早く地図を見て作戦を立てましょう。」

「あ、は、はい………………」

 

人目に付かない場所を探そうと歩を進める哲郎を見て彩奈は自分では何も考えたり行動出来ずに自分より三歳も下の少年に引っ張られている自分の不甲斐なさに嫌気を覚えた。

 

 

 

***

 

 

「こ、これが……………!!」

「そうです。これが僕たちが今いる《鬼ヶ帝国》なんですよ。」

 

結論から言うと、哲郎が買った地図は想像以上に精巧なものだった。

 

鬼ヶ帝国は巨大な島国で、川を隔てて八つの地方に別れている。中心に首都である《豪羅京(ごうらきょう)》、そしてそれを囲うように七つの地方があり、首都の真上から時計回りに《茨辿(してん)地方》、《八重宮(やえみや)地方》、《一矻(いっこつ)地方》、《陸善(りくぜん)地方》、《萬瑪(よろずめ)地方》、《丒吟(ちゅうぎん)地方》、《惇圖(とんず)地方》となっている。

 

そして哲郎達が上陸した浜辺や与一達が住んでいた村、更に華町や今いる観光地(名前は《蕐朶(はなだ)》)は全て八重宮地方にあるという事も分かった。

 

「しかも親切にそれぞれの地方の説明まで載ってますよ。どうやら今いる八重宮地方は一年中結構暖かいみたいですね。」

 

地図の情報が全て正しければ八重宮地方は温暖な気候という特徴を持ち、それより北の茨辿地方は浜辺が多く漁業や観光業が盛ん。

一矻地方は農業、陸善地方は林業、萬瑪地方は寒冷な気候と酪農、丒吟地方は物流、惇圖地方は工業 とそれぞれの役割や特徴を持っている。

 

(それぞれの地方の役割が上手く噛み合って鎖国国家でもやって行けてるって感じか…………)

「……なんというか、日本みたいな国ですね。

そういえば哲郎さん知ってます? 日本も昔はこの国みたいに鎖国ってのをやってたって。」

「もちろん知ってますよ。確か国を強くしたり宗教絡みが理由でしたよね。

大まかな事な授業で習いましたし詳しい事も図書室に置いてあった本で読みました。」

「あっ………! そ、そうですか…………」

「??」

 

彩奈はバツが悪そうに顔を下に向けた。

その顔が羞恥心で紅潮し今にも泣き出しそうになっている事を哲郎が知る事は無い。

 

「………それはそうとして弱りましたね。

この地図には肝心の豪羅京(首都)の事が何も書いてませんし、この国が乗っ取られそうになっているかどうか確かめる方法も分かりません。」

「そ、そうですね……………」

「まぁこの国の勝手が分かっただけでも良しとしましょう。さっき言った貧民街は自力で探すとしま━━━━━━━」

 

ドサッ 『!』

 

哲郎達が人目に付かない場所として選んだのは茂みの中であり、前方には林が広がっている。その方向から何かが倒れ込む音が聞こえた。

 

「て、哲郎さん! 行ってみましょう!!」

「はい!」

 

この国に来て初めて自分で判断して哲郎に指示を出せた彩奈だったが、それを喜べるような余裕は無かった。

 

 

 

***

 

 

倒れ込んだ何か(・・)とは子供だった。

全身が汚れて痩せこけた子供が林の中で気を失っていた。

 

「だだ、大丈夫ですか!!!?」

「待って下さい!! 下手に動かしたら危険ですよ!

それにこの人は死んではいませんよ。さっき倒れ込む(・・・・)音がしたってことはさっきまで歩いてて体力が尽きてここに倒れたって事です!!」

 

子供の状態を分析して彩奈に伝えた後、哲郎は子供に触れないように近寄って『大丈夫ですか』などと声をかけたが苦しそうに呻くだけで返事は無い。

 

「どど、どうするんですか!? 救急車呼びます!?

国王様に119を━━━━!!!!」

「落ち着いて下さい! 僕達が動揺してどうするんです!!

とりあえずさっきの観光地まで戻りましょう!!」



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#223 Porridge and charity

「すみません!!! すみません!!!」

「おう、どうした⁉」

「こっ、この人に、この人がお腹を空かして倒れてて、だから、だからご飯を………!!」

 

哲郎と彩奈は倒れていた子供を連れて蕐朶にある飲食店に飛び込んだ。子供を抱えている哲郎より一足早く店に入った彩奈だったが会話の苦手さと動揺も相まって話したい事を全くと言っていいほど伝えられない。

 

「彩奈さん 待ってください!

すみません、彼女が言ってるのはこの子の事です!」

「そ、そそ、そうです!!

だからこの人に、この人に料理を━━━━!!!」

「待って!

店長さん、もしかしたらこの人は胃袋が空っぽになってるかもしれませんからもっと食べやすい物、おかゆとかあったらそれをお願いします!!」

「粥だな!? 待ってろ、すぐに作ってやる!!!」

 

店長である轟鬼族の大男は厨房に駆け込んで行った。

 

 

 

***

 

 

 

「……………………………………

ッ!!!! ゲハッ!!!!」

「!! 哲郎さん! 目を覚ましましたよ!!!」

「本当ですか!」

「………ここァ………!!?

そうだ!! 早くあそこ(・・・)に行かねぇと━━━━━

!!?」

 

鬼の子供は走り出そうとしたその瞬間にその場で膝をついてしまった。先程まで意識を失う程の空腹状態だった身体で歩く事を試みるなど不可能に等しい。

 

「待って!あなたはさっきまで腹ペコで倒れてたんだよ!

そんなんで歩くなんて無理だよ! とにかく落ち着いて」

「離せよ!! おらぁこんなとこでぐずぐずしてる暇ぁ無ぇんだ!!

早く、早くあそこ(・・・)に行って」

「おい! 粥、できたぞ!」

『!』

 

店長の男が椀に盛られたお粥を持ってきた。それをまだ事態が飲み込めていない子供の前に置く。

 

「あの坊ちゃんに胃に負担はかけないようにって言われたけど、梅干しだけ乗せてやったぜ!

さ、早く食いねぇ!」

「く、食いねぇ って、こんなもん出されても金なんて持ってねえし」

「馬鹿野郎! 俺がいつんなケチくせぇ話をした!!

そいつぁ施しだ!! さっさと食いやがれ!!!」

「………………………!!!!」

 

鬼の子供はそれまで抑え込んでいた理性の箍が外れたかのようにお粥を口の中に搔き込み始めた。

 

 

 

***

 

 

 

「…しっかしあんちゃん 良く知ってたな!腹が減り切ってる時に食いすぎちゃいけねぇなんてよ!」

「たまたま知ってただけです。その事で一度ひどく怒られた事もありますし。」

 

これはもちろん嘘であり、哲郎がその事を知っていたのは以前前世(日本)で読んだ小説に載っていたことを思い出したからだ。

 

「あぁ、申し遅れました。僕、哲哉っていいます。」

「私は彩…… じゃなくて杏珠っていいます。」

「おう。俺ぁ《満臣(みつおみ)》ってんだ。

こうやってあったのも何かの縁だ。よろしく頼むぜ

ってお!」

 

視線を客席の方に向けると、子供がお粥を食べ終えてバツが悪そうに座っていた。

 

「…………。」

「んだお前ぇ、んな所で縮こまってどした?」

「………だってよ、おら金も持ってねぇのにこんないいもん食っちまって……」

「まだんなこと言ってんのか! いいもんって、んなもんで良かったら毎日でも作ってやんよ!

そんなに申し訳ないんならそいつぁツケにしてやるからよ、金が出来てから後で払え。それで気が済むだろ?」

「お、おう。」

 

満臣の本心は言うまでもなくお粥の代金など微塵も気にしていないという物だ。

その満臣の前を通って哲郎が子供の前に座った。

 

「……初めまして。僕は哲哉っていいます。あなたはこの近くの道で倒れていましたけど、何があったか教えてくれますか?」

「お、おう。

おらぁ《金埜(かなや)》ってんだ。ただ飯食わしてもらったことに関しては本当に済まねえと思ってる。

けどおらには時間がねえんだ。早く村のために金を稼がねぇといけねぇんだよ!

ウッ!!」

 

机に身を乗り出そうとした瞬間に金埜は机に手をついてしまった。一杯のお粥程度では回復できる体力の量など高が知れている。

 

「落ち着いてください! まだとても動けるような状態じゃないんです。

一体何をそんなに焦っているんですか⁉ どうしてお金が必要なんですか!? それを教えてください。それからでも遅くはないでしょう?」

「!

…実は、おらの村で病気が流行っちまったんだ。それでおらの家族も村のみんなも寝込んぢまって、早く医者に見せねぇと死んじまうんだ。

だから、だからおらが、動けるおらが金を稼がねぇといけねぇんだよ!!!」

「つまりは伝染病って訳ですか。それで、あなたの村はどこのなんていう村なんです?

この八重宮地方なんでしょ?」

「いや、ここじゃねぇ。

おらの村はもっと遠くの一矻って地方(とこ)にある《樫梛(かしなぎ)村》ってとこだ。」

「!!!? そ、それってつまり別の地方から川を渡ってここに来たってことですか!!? 歩いて!?!」

「んだ。乗り物に乗る金なんてねえからこの足で来たべよ。おらにあんのはこの馬鹿力しかねえからな。」

「………………………………!!!

(そりゃぶっ倒れる訳だ…………!!)」

 

目の前の明らかに非力そうな子供の隠された能力に哲郎はただただ驚くしかなかった。あるいはこれが轟鬼族の標準的な身体能力なのかはまだ分からない。



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#224 Participation as substitute

目の前の金埜(かなや)と名乗った少年は自分の足だけで川を渡って隣の地方からこの八重宮(やえみや)地方にやってきたと言った。

山賊三人を軽々と制圧できる哲郎でもそれが出来るかと聞かれて自信満々に首を縦に振れる自信はない。

 

「……それで、お金が必要だって言ってましたけど、この地方にお金を稼げる当てがあるってことですか?」

「んだ。もうすぐこの近くで武道会(・・・)があんだ。

そこで優勝したらば一気に300艮(300万円分)手にできんだ。その金で村のみんなを言い医者に診てもらうんだよ!!」

「武道会!? それに出るんですか!?」

「そうだ。おらにあんのはこの腕っぷしだけだからな。こいつで一つ村に恩を返してぇんだよ!!」

「………………」

(この国にも《魔界コロシアム》的なものがあるのか。

この人をうまいこと説得して代わりに僕が出場すればこの国のことをもっと深く知れるんじゃないか…………!?

よし!!)

 

哲郎は金埜に不利益を与えないことを最低条件にしてこの武道会を利用できないかと考えた。

 

(まずは武道会のことを詳しく聞くことから始めるか………………)

「と言っても、おらの村がこんなに貧しくなっちまったのはあいつら(・・・・)の所為なんだ。」

「!!?」

「昔は病気が流行っても医者に見せるくらいは簡単にできたのによ…………!!!」

「ちょ、ちょっと待ってください!! その話、詳しく教えて下さい!!!」

「?! お、おう。」

 

不意に金埜の口から無視できない言葉が出てきた。

 

 

 

 

***

 

 

 

かつてこの国を治めていた皇帝は全ての国民に平等に税金を使って医療などを提供していたが、その皇帝が新しくなると税金が使われる割合は首都である《豪羅(ごうら)京》が高くなりその結果 金埜の《樫梛(かしなぎ)村》などが犠牲となった。

それが金埜の話の要約だった。

 

「んまぁ そういうこった。この辺はまだ恵まれてるみてぇだけどな。」

「……………………!!!!」

『て、哲郎さん!! これって……!!!』

 

この瞬間に直近の目標の一つである『貧民街の住人から疑惑の真偽を確かめる』ことが達成された。

 

「ってかそんなこと国に住んでる奴なら皆知ってると思ってたけどな?」

『!!!!』

 

金埜にとっては何気ない一言だったが哲郎達にとっては小さくても自分達の秘密が明らかになりかねない危険な綻びだ。

 

「あぁいや、実は僕達 この辺に住んでる訳じゃないんですよ。

僕達も元々は村の出身で、最近出稼ぎのために町に出てきたんですよ。だから僕達もこの辺の勝手はよく分からなくて…………」

「そっか。おらとおんなじか。」

「そうなりますね。

(……疑惑の信憑性もかなり高くなったしこの人ともだいぶ打ち解けたな。ここらで仕掛けるか!!)

あの、それでこれは僕からの提案なんですが、その武道会、僕が代わりに出るという訳にはいきませんか?」

「は??!」

「…戸惑うのも無理はないと思いますけど、話だけでも聞いて下さい。

さっきも言ったように僕達は出稼ぎを考えていて、それこそ長期間 安定した収入が必要なんです。その為には少しでも良い就職先が必要なんです。だけどただの村人に過ぎない僕達じゃそれも難しいじゃないですか。

ですから僕が武道会で優勝すれば有名になっていい所に就職できると思うんです。

もちろん賞金は全てあなたに渡します。別にあなたは試合がしたいわけではないでしょう?こういう言い方は失礼かもしれませんけど悪い話ではないと思いますが……。」

「そりゃおらも願っても無いけどおめぇの腕は確かなのか?

悪ぃけど少なくともおらよか強くねぇと代わりは任せらんねぇぞ。」

「……確かにもっともな疑問ですね。

これは証拠になるかは分かりませんが…………」

「!!!!? お、おめぇ、そりゃ…………!!!!」

 

哲郎は懐から手持ちの一艮札 三十枚を取り出した。金埜はそれを神聖なものを見るかのような目でまじまじと凝視している。

 

「す、すげぇ…………!!!

紙の金なんて実在したのか…………!!!」

「じつはここに来る前にちょっとしたトラブルに巻き込まれてしまいましてね。その過程で山賊を三人、成り行きで取り押さえることになりまして。

これはその三人の首にかかっていた懸賞金なんです。」

「さ、山賊をとっ捕まえて懸賞金を…………!!!

信じらんねぇ…………!! まるで絵物語みてぇだ………………!!!」

(絵物語? マンガみたいなものか。)

 

哲郎のこの話は何一つ嘘ではないが何も知らない金埜の耳には現実味のない話として聞こえたのだろう。

 

「それで、どうでしょうか? 別に無理にとは言いませんが………」

「なに戯けたこと言ってやがんだ!! この話ば聞いてやだと言わねぇ奴ぁいねえよ!!!

おめぇになら全部任せられそうだ!! 一緒にお互ぇの村ぁ助けようじゃねえか!!!」

「 はいっ!!」

 

こうして哲郎が金埜の代わりに武道会に出場することが決まった。

自分がこれからやろうとしている事は金埜にはメリットしかないし帝国やその他の国々を救う事にも繋がるのは間違いないが、その一方で金埜に嘘をついていることに対する罪悪感がないわけでもなかった。



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#225 GIVE AND TAKE

金埜(かなや)に武道会に代わりに出場するという事に同意してもらった哲郎は心の中で喝采した。

武道会といえば自分の能力を最大限に発揮できる場所である事はほとんど間違いなく、帝国の要人達の注目を集める可能性もある。(違法)入国した哲郎達にとって最短距離と呼んで差し支えない程の方法だ。

 

「金埜さん、まずはその武道会の事を詳しく教えていただけますか?」

「おう。この八重宮地方のな━━━━━━━」

 

*

 

刹喇(せつら)武道会

それが金埜が出場しようとしていた武道会の名前である。その開催地は八重宮地方の《呑宮(のみみや)》という都市である。

鬼ヶ帝国では魔法よりも武術の方が発達しており、武道会は数年に一度 国中から選りすぐりの武道家が集まってその腕を競い合う場所である。

そして武道会で優秀な成績を修めた者は帝国の権力者の目に留まり、警護や奉仕などの職に就ける可能性もある。金埜のような人間にとっては正しく一発逆転も狙える魅力的な場所だ。

 

それが金埜が知っている武道会の情報だった。

 

*

 

「呑宮……

聞いたことない場所ですね。ここから近いんですか?」

「さぁな。おらもここに着いたばっかだからどこにあるかなんて分からねぇ。

お前ぇは知らねぇのか?」

「この国の地図ならさっき買ったんですけど、これに載ってるかどうか……」

 

 

そう言って哲郎は懐から地図を取り出した。ついさっき購入して金埜を見つける直前まで見ていたものだ。

帝国の全体像が書いてあるページを開いて八重宮地方の紹介を見るが蕐朶の事も呑宮の事も名前は書いてあるが詳しい場所は分からない。

分かったのは今いる蕐朶と呑宮とがそう遠くないという事だけだ。

 

「……やっぱりこの地図じゃ詳しいことは分かりませんね。せめてここまでの行き方くらいは分からないと……

(そもそもこの国の交通がどれくらい発達してるかも知らないし……………… せめて鉄道くらいあればいいんだけど……………)」

「んだ。おらも呑宮の事ぁほとんど知らねぇからな。」

「………………」

 

自信満々にそう言う金埜の姿を見て哲郎は村に危険が迫っているとはいえ流石に無鉄砲すぎるだろう。自分ならもっと準備を整えてから出発する と思った。

尤もここまでの冷静さはこの世界で潜り抜けた経験によるところが大きいが。

 

「それでもうすぐ夕方ですけど、今日はどこで寝るんですか?」

「そうさな。最初はあそこでごろ寝してやろうと思ってたんだがな。」

「(やっぱりか…………)

分かりました。僕も今日はこの辺の宿に泊まる予定ですからあなたの部屋も一緒に取りますよ。」

「!!? ほんとか!!?

ああいや 出来ねぇよそんなこと!!ただでさえもう粥を一杯ご馳走になっちまってんだから!!」

「そしたら野宿するんでしょ?

夜の寒さに当てられたり魔物に襲われたりしたらどうするんですか?それこそさっきのお粥が無駄になりますよ。」

「………それもそっか。じゃあ言葉に甘えさせて貰うか。」

 

首を縦に振った金埜を見て何で自分は腹を空かせて行き倒れていた子供を相手にこんなに不機嫌な気持ちになっているんだろうか と自分に問いかけた。

 

 

 

***

 

 

 

満臣の店を出て数時間後、しばらく歩いて哲郎達は蕐朶の町の外れにあった格安の旅館に着き、そこの二部屋を取った。

金埜の身体状態を考慮して寝巻や洗面具が予め用意されていることは確認済みだ。

そして今は三人で机を囲んで夕食を口に運んでいる。宿泊費には不揃いなほどしっかりとした御膳料理だ。

 

「済まねぇなぁ。寝床や食事まで世話になっちまってよ。

おら人にこんなに親切にしてもらったのなんて村の奴以外じゃ初めてだ。」

「(…僕もあんな大金を手に入れたのも人に奢ったのも生まれて初めてだよ。)

いいんですよ。あなたのおかげで僕達の予定もスムーズに進みそうですから。」

「? すむうず?なんだそのすむうずってのは。」

「!(あそっか。この国にはスムーズって言葉がないんだ。)

スムーズっていうのは僕たちの住んでるところの方言みたいなもので、物事が順調に進むことですよ。」

「そっか。まだまだおらの知らねぇ事があるんだなぁ。」

(うん。主にアウトドア関係がね。)

 

金埜の能天気ぶりに疲れつつもまだまだ帝国民の振りをする努力が足りていないと自省した。このままでは自分達がよそ者である事が見抜かれてしまうかもしれない。

 

「しかしよ、部屋は二つだったわけだけど、お前ら二人で寝んのか?

ってかそもそもお前らってどんな関係なんだ?もしかして家族か?」

「そうなんです。実は僕達姉弟(・・)なんですよ。」

「へぇ。そうには見えねぇなあ。」

「はい。よく言われます。」

「………………。」

 

武道会の話題から一言も話せずにいた彩奈はこの時料理を口に運びながら『絶対にこの人にも兄妹(・・)だと思われた』と心の中で嘆いた。



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#226 The Busiest Day

それからしばらく三人とも言葉を発さずにただただ出された料理を口に運ぶ時間が流れた。全ての皿が空になり、後は風呂に入り寝る支度を整えるだけとなった。

 

「………じゃあ僕達はこれで。お風呂の方は部屋にあるのと温泉と両方あるみたいですから好きな方を使って下さい。」

「おう。ほんとにありがとうな。

おら 今日の事ァ一生忘れねぇよ。」

「……………」

 

金埜の笑顔が眩しいくらいに感じられたが、今の二人にはその事に浸っている余裕は無かった。彼と離れたらすぐにでもやらなければならない事があるからだ。

軽く頭を下げて『おやすみなさい』と言外に伝え、そして自分達の部屋へと戻る。怪しまれてはならないと分かりつつも逸る気持ちを抑えるのに苦労した。

 

 

 

***

 

 

 

━━━━━━━パタン。

『っフーーーーッ!!!』

 

部屋に戻って扉を閉めて、そこでようやく二人は安堵の息を漏らした。今日一日を振り返っても山賊に彩奈が連れ去られそうになった騒ぎや行き倒れた金埜との騒動など、帝国の土を踏んでからこの時まで気が休まった時は一度たりともない。彩奈はもちろんの事、哲郎にとってもここまで気苦労の多い一日は珍しいと言えた。

 

『…………彩奈さん、この部屋の防音具合は?』

『一応 この部屋のドアの枠にゴムが付いていたのは分かってます。あと、今日はこの部屋の隣はどっちも空いているそうです。』

『そうですか。なら大丈夫ですね。

いきますよ!』

『はいっ!』

 

そこまで言って哲郎は懐から水晶を取りだして机の上に置いた。国王との定期通信を行う為の水晶だ。

 

「…………国王様、哲郎です。」

『おお! ようやくか。だいぶ遅かったから心配したぞ。』

「すみません。色々と予想してない事が起こって立て込んでしまいまして。」

『何。 どういう事だ。

まさか………』

「いえ。予定に支障が出る程度ではありません。むしろ、足掛かりが見つかりました。」

 

哲郎は帝国に入ってすぐに山賊に攫われそうになった彩奈を助け出し、副産物として懸賞金を貰った事、空腹で行き倒れた少年を助け出し、彼から帝国を乗っ取ろうとしている存在の疑惑が現実的になった事。彼の代わりに帝国の中でも《刹喇(せつら)武道会》という大きな武道会に出る事になったことを順を追って説明した。

声に出しても今日というこの一日がどれだけ波乱に溢れていたかが分かる。

 

『…………なるほど。事情は良く分かった。

その《樫梛(かしなぎ)村》については私達の方でも調べを入れておくとしよう。

して、その《刹喇(せつら)武道会》とやら、替え玉出場という事になるが、問題は無いのか?』

「それは心配ありません。まだ金埜さんはエントリーしてないみたいですから。空いている枠に金埜さんじゃなくて哲哉()が出場するだけの事ですよ。」

『そこも考慮済みか。ならばその後の事も視野に入れているのだな?』

「もちろんです。

武道会を勝ち抜ければ帝国の重要人物達に最短距離で接触できます。それを使って帝国の屋敷、あわよくば皇帝の所に就職(潜入)しようと考えています。」

 

そこまで話終えると部屋が少しの間 無音になった。国王が驚き、すぐに返答できなくなったのだ。

 

『……………………なるほどな。』

「はい。取りあえずそこまでを当面の目標としています。その後の事は、まだ……………」

『否、十分だろう。そこからの行動を決めるとするならばその皇帝の屋敷に《転生者》が関わっているのか否か だな。』

「そうなりますね。

ですけどその武道会まではまだ時間があるんです。当分は金埜さんと一緒に行動する事になりますから、逆に言えばその時まで事を前に進ませる事が出来ない とも言えますけど………」

『それも心配はあるまい。

数日でそこまで近付けるなら儲け物と言っても過言ではない。

テツロウ君、言うまでもないとは思うがあまり無理にことを運ぼうとしてはならん。確かに時間は無いかもしれないが今日明日で転生者(その者)が行動を起こすとも考えにくい。

焦りは禁物だ。国家転覆を謀るような輩に対して慎重になってもなりすぎる事はない。』

「………もちろん僕もそう思ってます。」

『ならば良いのだ。となればこれからはその少年と四六時中 行動を共にする事となるな。』

「…はい。明日からは定期的に報告する事は難しくなりそうです。それでもなるべく報告するようにします。

何か異常な事が起こった時は、特に。

(………その異常な事が起きなければそれが一番なんだけどな。)」

『分かった。引き続き健闘を祈るぞ。』

「はい。」

 

そこまで言って ようやく国王との通信は終わった。既に時刻は十一時を回っている。一日中走り回って疲労困憊の身体は既に睡眠が必要だと訴えかけている。

 

「………哲郎さん、そろそろ…………」

「そうですね。寝る準備をしますか。」

 

彩奈と共に洗面台へと歩を進める哲郎だったが、明日ですら何が起こるのか分からないこの状況では眠りにつけるのかすら心配になった。



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#227 The adulty paradise

結論から言うと、眠りにつく事自体(・・)は出来た。

洗ってから鏡で見た顔には隈はもちろんの事疲労の色は見受けられず、朝食を胃に詰め込めば今日一日動き回れるだけの体力は確保できるだろう。ただそれは肉体面での話であり、精神面の疲労はまるで回復できていない。昨日のような騒動に巻き込まれる可能性はかなり高く、それを思うと自分の視界が暗くなりそうな錯覚に襲われる。それでなくとも哲郎の中には一つの懸念があった。

 

(……昨日のあの山賊達、ギルド(的なもの)に突き出したはいいけど、あれで本当に終わったとは思えない。もしかしたら、もっと上に狙われるかもしれない。

だけど………………)

 

哲郎は いわば一種の《賭け》に出ていた。

昨日の山賊団と《転生者》とに繋がりがあればこれ以上の手掛かりは無い。哲郎の直感ではかなり分の悪い勝負ではあるが手がかりが皆無である現状では試してみる価値は十分にある。

その場合、大前提として彩奈の安全の確保が最優先事項となる。無論 それ目当てではないが彼女の能力 《転送》が重要な役割を果たす事は グランフェリエや昨日の戦闘で十分すぎる程実証済みだ。

 

(…………まぁ 考えてもしょうがないか。今はご飯を食べて、武道会の準備をしよう。)

 

 

 

***

 

 

 

哲郎と彩奈は部屋から出て金埜と合流し、そして食堂に入った。

朝食はいい意味で単純と呼べるものであり、朝起きたばかりの人間が口にするには良い塩梅と言えた。

 

「うんめぇなァ!

こりゃ精がつくぜ!ありがてぇこった!!」

『………………』

 

金埜は朝一番の食事時でも喋る事を止めずに良い意味でも悪い意味でも元気に溢れていた。気分が哲郎達と正反対と言える程に違っているのはただ 自分たちのこれからの行動が帝国の運命を左右するという事を知らないからだ。

 

「んでお前ら、これからどうするんだ?」

「これを食べ終わったらすぐにここを出て、その後は、その《呑宮(のみみや)》ってところに行ってみようと思ってます。

武道会ももうすぐなんでしょ?」

「そだな。そこに行きゃ色々分かんだろ。」

「…………………」

 

哲郎は何も言わずに再び口の中に料理を運び始めた。金埜が本当に事の重要性に気付いていないのか分かっていながらも能天気(気丈)に振舞っているのか現状では分からないからだ。

 

 

 

***

 

 

 

朝食を終えてからの事の経過を簡潔に纏めるとこうなる。

今日一日動き回る為の活力を溜め込んだ三人は食事後すぐに旅館を出て、そして近くを走っていた路面電車(のような乗り物)に乗った(呑宮への運賃は一人 十亥(約千円)だ。)。

電車に揺られている最中も金埜は気さくに哲郎達に話しかけてきた。それが村が救われる可能性が現実味を帯びてきた喜び故である可能性もあると思った哲郎達はそれを無下にせずにある程度の受け答えをした。しかし思考のほとんどをこれから何をすべきかに充てていたので何を言われたかはほとんど覚えていない。

 

そうしている内に電車の放送は遂に目的地である《呑宮》の名を口にした。

 

 

 

***

 

 

 

駅の改札を出て呑宮の町に出た哲郎達が最初に感じとったのは視覚でも聴覚でもなく嗅覚だった。強い酒の匂いが三人の鼻腔を突き、人々の楽しそうな声が聞こえるのを理解したのはその後だった。

それを理解した瞬間に哲郎は一つの事実を悟る。呑宮は酒場を中心とした歓楽街なのだ。本来 帝国において観光業に秀でているのは浜辺を中心とした茨辿(してん)地方だが、この呑宮もまた酒造業で生計を立て、それを観光に活かしているのだろう。

 

「……とにかく、まずは武道会の会場に行ってみましょう。あと数日で開催なんですから、もう場所は確保されてるはずですし。」

 

金埜と彩奈はそれぞれの仕草で首を振った。

 

 

 

***

 

 

呑宮は八重宮地方における歓楽街で、歩を進める度に様々な種類の酒場が視界に飛び込んでくる。それ故に新たな問題が発生した。

哲郎と彩奈(哲哉と杏珠)と金埜の三人が呑宮において非常に場違いな存在となってしまっている事だ。本来、この呑宮という所は大人達が様々な酒に舌鼓を打つ為の場所なのだろう。それが証拠に外で酒を飲んで笑っている観光客達は哲郎達に奇妙な物を見るかのような目線を向けてくる。

しかしそれでも呑宮に溶け込む為に法律を破る(酒を飲む)気は哲郎には全くと言っていいほど無かった(帝国の法律が飲酒は二十歳以上からと決めているかは分からないが)。

 

そもそも今の哲郎に呑宮の観光客に成り済ます必要は無く、ただ武道会の会場へと歩を進めれば良いだけだ。

 

「! あ、あれは……………!!」

 

数十分程進むと三人の視界に飛び込んで来たのは今までの木造建築とはまるで違う頑丈な石垣に囲まれた建物だった。

 

『て、哲郎さん、あれって……………!!!』

『間違いありません。あれが武道会の会場ですよ!!!』



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#228 Encounter is unpredictable

武道会の会場に入る直前で分かった事だが、武道会は予選と本戦に別れており、予選は明日 登録を行う事になっている。

それでも哲郎達が訪れた時には既にかなりの男達が集まっていた。彼等曰く、前もって武道会の会場の下見や対戦相手の把握をしようとしているとの事だ。

 

そして哲郎も同様に武道会の受付にいた女性に自分の顔を見せに行った。

 

「………刹喇武道会への出場希望ですね。」

「はい。そうなんですけど、ちょっと早かったみたいですね……。」

「そうですね。登録できるのは明日からですが、前もって顔を見せて登録を円滑にしようと来る人は結構居ます。まぁ、実際に明日来るよりも円滑になるのは事実ですが。

兎にも角にも、まずはお名前を教えていただけますか。」

「あぁはい。 僕は 《哲哉》っていいます。」

「畏まりました。哲哉様ですね。」

 

受付の女は紙の上に筆を走らせた。

 

「失礼ながら哲哉様、参考までにどのような経歴を持っているか、あるいは何か武功になり得る要素はありますでしょうか。」

「………経歴 ですか。

出身は言えないんですけど、昨日 《荒河(あらかわ)山賊団》の構成員を三人捕まえて懸賞金を貰いました。」

「!!!?」

 

受付の女はそれまでの貼り付けたような笑みを崩して手に持っていた筆を落とした。乾いた音と紙に墨の染みが付くのを見た瞬間、自分が言ってはならない事を言ってしまったと気付いた。

そこから受付の女を中心に連鎖するかのように周りで呑宮の酒を飲んでいた男達も哲也に注目し始める。

 

「……えっ? 今なんて…………」

「あの小僧、今 荒河って……………!!」

「山賊団を捕らえたって…………!!?」

 

周囲の男達のざわめきが大きくなる度に哲郎の顔に冷や汗が流れる。そんな中でもここまで平常心を掻き乱されたのはいつ以来だろうかと冷静に考える自分がいた。

 

「……………えっ? えっ?? えっ???

い、今、山賊団って…………………!!!?」

「す、すみません!!! その話は奥でさせて下さい!!!!」

 

哲郎は辛うじての冷静さを取り戻し、受付の女を押しながら受付の奥へと逃げるように駆け込んだ。それに釣られるように彩奈と金埜も後を追う。その最中、彩奈は哲郎の取り乱した顔を横からまじまじと見つめていた。

 

 

 

***

 

 

 

咄嗟に受付の奥に駆け込んだ哲郎は女を座らせ、自分が昨日初めて故郷の村から出てきた事、彩奈(杏珠)が山賊に捕まって死に物狂い(嘘)で助け出してその身柄を鬼門組 華町支部に引き渡した事、その三人の首に掛かっていた懸賞金 三十艮を貰った事、これらの事を臺巌(だいげん)が証言してくれる事を事細かに説明した。

 

「…………そういう事なんです。僕の強さの証明になるかは分かりませんが、昨日そういう事があったのは事実なんです。」

「は、はい。 畏まりました。

それでしたら問題はありませんよ。その人から証言を貰ったらすぐに手続きを行いますので。」

「はい。 お願いします。」

 

哲郎はこの場はなんとか切り抜けたと心の中で胸を撫で下ろした。同時に山賊団の名前が出ただけであそこまで取り乱した男達への疑問を禁じ得ない。下っ端(恐らく)とはいえ三人は哲郎にとっては力を出すまでもない格下だったからだ。

 

「……それで、お時間を取らせてすみませんでした。明日の予選の時にまた改めて伺いに来ますので、その時はよろしくお願いします。

それじゃそろそろ行きましょうか

?」

 

哲郎が帰るために腰を上げようとすると、彩奈が哲郎の袖を掴んでそれを引き止めた。視線の先では彩奈が顔を真っ青にして震えていた。

哲郎は彼女のその反応に見覚えがあった。

 

『てっ ててっ てて、哲郎さん……………!!!!』

『どうしたんですか 彩奈さん!! まさか…………!!!』

『は、はははい…………!!!

まずいです!!! 《転生者》が、《転生者》が一人こっちに近付いています………………!!!!

こっちに真っ直ぐに向かってきてます……………!!!!』

「!!!」

 

哲郎は咄嗟に自然な動きで彩奈の顔を隠した。

彩奈の動揺ぶりを金埜にも受付の女にも知られてはまずいと判断したからだ。

そして同時にこちらに向かって来ている《転生者》にも警戒の姿勢を取る。場合によっては今この場で戦闘になる可能性も皆無では無い。

 

「? どうかされたのですか?」

「いえ、大丈夫です。

ちょっと気分が悪くなってしまったみたいで。

お酒の匂いを嗅ぎすぎたんですかね」

「おい翰廼(はねの)!!! 来てやったぞ!!!」

『!!!!!』

 

哲郎達 四人しか居ないはずのこの部屋に野太い女の声が響いた。その声の主が《転生者》であると哲郎も直感で悟る。

恐る恐る振り返るとそこには白い髪に褐色肌の身長の高い女がいた。その頭には二本の大きな角が生えている。

 

虎徹(こてつ)!!

久しぶりね! そろそろ来てくれると思ってたの!」

「!!!!?」

 

翰廼(はねの)と呼ばれた受付の女の言葉を聞いた瞬間、哲郎はその目を見開いて驚愕した。

この帝国にいる間、その名前を忘れる事など出来るはずも無い。

 

「ああ、大変失礼致しました。

紹介します。彼女は虎徹(こてつ)

私の幼なじみで、この刹喇武道会の殿堂入り者なんです!」



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#229 The Black Tiger

虎徹(こてつ)

それはノアが面識を持つ数少ない《転生者》である。この鬼ヶ帝国において哲郎が信頼を寄せる事の出来る唯一と言える人物だ。

その彼女が今この場で哲郎達の目の前に立っている。《転生者》の特徴上 既に自分達の正体にも気付いているだろう。ここから彼女がどのような行動を取るのかで状況は大きく変わって来る。

 

「翰廼、外で男共がごった返しておるぞ?」

「ああ、そうだったわね!

失礼致しました 哲哉様。私は他の仕事が御座いますので今日はこの辺りで失礼します。明日また詳しくお話して下さい。」

「はい。 分かりました。」

 

そう言って翰廼は受付へと走って行った。しかし哲郎達はすぐに部屋を出る事は出来なかった。金埜に怪しまれる事は承知の上で、二人は虎徹の出方を伺うという選択をした。

 

「…………おん? なんじゃお主等。出ないのか?」

「!!!」

「ここは本来立ち入り禁止じゃ。ワシは翰廼と繋がりがあるがな。

ほれ、とっとと出ぬか。」

「…………………………」

 

哲郎達は虎徹に促される(演技をして)受付の奥の部屋から出た。虎徹の表情は飽くまで自分達を一般の帝国民として扱っていた。

 

 

 

***

 

 

「………………………………」

「………………………………」

「おいおい、どしたお前ら、さっきから黙りこくっちまってよ。

…んであんた、武道会の王者なんだなぁ!会えて嬉しいべよ!」

「おう! お主にワシの偉大さが分かるとはな!」

『……………………!!!

((金埜さん!! お願いだからあまり喋らないで!!!))』

 

受付を出て場面は変わり、哲郎達は虎徹を先頭にして呑宮の通りを歩いている。その最中にも二人の懇願虚しく金埜は(どういう訳か)気さくに虎徹に話し掛ける。二人はまるでいつ爆発してもおかしくない爆弾の前に座らされている気分になっていた。

 

「してお主等、この後の予定は何かあるのか?」

「あ、ああいえ、特に考えていませんでした。

今日は受付に顔を出す事しか考えていませんでした。」

「ならばワシと共に来い。話したい事があるからな。」

『!!!』

 

哲郎と彩奈は目を丸くさせた。

既に精神的疲労度ではこの数十分だけで昨日の合計を上回っている気さえして来る。

 

 

 

***

 

 

 

『………………………!?!』

「此処がワシの薦めの場所じゃ。」

 

虎徹が案内した場所は甘味処(いわゆるカフェ)だった。今まで娯楽施設は酒場しか無かった呑宮においてこの光景は異常に見える。

 

「……………………あー、甘味処…………………」

「? どうかしましたか?」

 

意外にもこの場に立ち込める沈黙を破ったのは金埜だった。

 

「悪ぃけどよ、おらは外させてくれねぇか?

こういう場所は苦手でよ。」

「? ああ、はい。」

「おうよ。話が終わったら連絡くれ。

それまで土産もん屋でも見てるからよ。」

 

そう言うと金埜は踵を返して呑宮の繁華街へと走って行った。酒場しかない呑宮の土産店など酒かそのつまみ程度しかないだろうと思ったが、それは言わないでおいた。

 

「ささ、早く入るぞ。

会計はワシが持ってやるから好きな物頼め!」

『あ、はい……。』

 

虎徹は体格に見合わない程 無邪気な笑みを浮かべて甘味処の暖簾をくぐった。

 

 

 

***

 

 

 

「お待たせ致しました。

宇治金時になります。 ごゆっくりどうぞ。」

「おう 済まんな。

ほらどうした。 主らも食え。」

『……………』

 

甘味処の個室に入り、そして三人の前に宇治金時(抹茶と餡子を乗せたかき氷)が置かれた。傍から見ればこれが帝国の危機を救いに来た二人とその鍵を握る女であるとは誰も思わないだろう。

しかしその空気は店員が出払った直後、虎徹の発した言葉によって一変した。

 

「…………………………………………

さてと、早速本題に入るとしようか。

主らはどこの差し金じゃ?」

『!!!』

 

虎徹は顔に貼り付けたような笑みを浮かべて宇治金時を口に運びながら哲郎達にそう問い掛けた。単刀直入なその質問に一瞬たじろぐが哲郎はすぐに冷静さを取り戻して会話の主導権を取りにかかる。

 

「………それは、具体的にどこ(・・)から?」

「……そうじゃな。先ずは主らの真名と姿を示してもらうとするか。」

『!!!』

 

二人は顔を青くさせた。

本名を明かすならともかくこの鎖国国家の帝国の中で異国民(本当)の姿を見せるなど何が起こるか分かったものでは無い。

 

「………そのたじろぎぶりだとこの国の現状も分かっておるようじゃな?

じゃが安心せい。今この部屋は襖を閉めて外からは見えん。一時ならば分かりゃせんよ。」

「…………………その言葉を信じていいんですね?」

「無論じゃ。」

 

虎徹の貼り付けたようにすら見える笑みを見届けてから、哲郎は徐に服の下に付けたカフスボタン(変装の魔法具)を外す。それに続いて彩奈も同じ動きをした。

 

「……………ほう。其れが主らの」

「はい。僕は《田中哲郎》といいます。そしてこちらが《朝倉彩奈》さんです。

僕達はこの国を助けに来た《転生者》です。」



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#230 The Black Tiger 2 [Cherry Don't Know Love Yet]

哲郎達が虎徹に自分達の本当の姿を見せたのは実際の所 かなりの賭けだった。場合によっては今この瞬間に《巨悪》側の転生者達が襖を破って襲撃に来てもおかしくは無い。

 

しかし、哲郎達が危惧したような事は起こらなかった。虎徹は何回か二人の姿を見回した後に何かに納得したかのように目を閉じて頷いた。

 

「…………成程な。此ならば信用出来る。

彼奴(・・)とは根本から気配が違う。良い者の気配じゃ。」

「彼奴? それってやっぱり……………」

「うむ。主らも勘づいている通りこの帝国にも奴等の魔の手が伸びておる。もう既に国の都、即ち《豪羅京(ごうらきょう)》に忍び込んでおる。このワシが直接感じ取ったんじゃ。間違いあるまいて。」

『……………………!!!』

 

哲郎達の懸念はほとんど当たっていた。

里香やトレラが所属する《転生者》の集団の一人がこの帝国で何かを企んでいる事が確信に変わった。

 

「………虎徹さんの事はヤツにバレていないんですか?」

「うむ。ワシの気配を感じとる範囲が普通より広い事が幸いしてな、どうにか都から距離を取って難を逃れておる。ちなみに最初に其奴の事を感じ取ったのは三月程前じゃが、それが奴がここに来た時かは分からん。ワシはずっと武道会以外は山奥で過ごしておったからな。」

『…………………………』

 

虎徹は宇治金時を流し込みながら淡々と話し続ける。氷である以上 溶かす訳にもいかないので哲郎達も食べ進めながら虎徹の話を聞く。奇しくも餡子の甘味と糖分が話の理解を促した。

 

「して話を次に進めるが、主らは何処の者じゃ。其の魔法具といい知識といい、裏に並大抵では無い者が居るのじゃろう。」

「はい。僕達はとある国の国王様の依頼を受けてこの国に来ました。それと味方の《転生者》が僕達の他に三人居ます。

国王様の下で働いている砂の能力を持つオルグダーグさん。彩奈さんが働いている屋敷の主人で剣の能力を持つエクスさん。そしてエクスさんの友達のノアさん」

「!!!!?」 『!!?』

 

哲郎の話を聞いていた虎徹が不意に持っていた匙を落とした。ほとんど無くなりかけた宇治金時が入っている器に匙が当たる音が個室内に木霊する。

 

「? どうかしたんですか?」

「〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!

ノノノノッ ノノノノッ……………!!!!

ぬぬ 主、今なんと言った…………!!!?」

(あーしまった!! 昨日色々ありすぎてこの事(・・・)すっかり忘れてた!!)

 

褐色の頬に紅をさして持っている匙を振るわせて動揺する虎徹を見て哲郎は頭の中から抜けていた一つの事実を思い出した。

ノアが虎徹に前世で惚れ込まれていたという事実をだ。

 

「はいそうです。

実は色々あってノアさんとは仲良くさせて貰ってるんです。彼からあなた達の事も聞いてます。

かなり惚れ込んでいてお手紙を受け取ったと聞いていますが」

「ちちち、ちょっと 哲郎さん!!!

一体なんの話ですか!!!?」

「ああ、彩奈さんにはまだ話していませんでしたね。

虎徹さん、話しても良いですか?」

「う、うむ……………」

 

 

 

***

 

 

哲郎は彩奈にノアが聞いた彼が鬼ヶ帝国に来た時に起きた虎徹とのエピソードを事細かに説明した。

 

「は、はわわ……………!

ほ、本当なんですか それ……………!」

「はい。間違いないですよ。

っていうかなんでそんなに赤くなってるんですか?」

「て、哲郎さん、何も思わないんですか?」

「? 何をですか?」

 

口元を抑えて顔を赤くさせる彩奈とは対照的に哲郎は自分の口でこの(彩奈曰く)甘酸っぱい恋物語を説明してなお顔色を変えていなかった。

哲郎は《恋》という物の存在を知ってはいてもそれを実体験した事は未だに無いのだ。

 

「し、して、哲郎や、

そ、その、ノア の現世()の顔が分かる物は何か無いのか…………!?」

「顔が分かる物?

写真なら一枚持ってきてますけど………… これです。」

「!!!!!」

 

哲郎はノアから手渡されていた彼とエクスが写っている写真を手渡した。異世界であるラグナロクにも紙に魔法を利用して投射する技術があるのだ。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!

こ、これが現世()のノアか………………!!!」

「あ、ちなみにですけど髪が全部黒い方がノアさんで、その隣がさっき言ったお友達のエクスさんです。もしかしたら転生して顔が変わってるかもですけど」

「そんな事くらい見れば分かる!!! 顔だって全く変わっていない!!!

ああ やはりかっこいい………………!!!」

「あ、そ、そうですか…………………」

 

一枚の写真をまるで我が子のように頬に擦り寄せて身体をくねらせる虎徹に哲郎は干渉してはいけない何かを感じ取っていた。

 

「よし決めたぞ!!

主、この国を救った暁にはワシとノアを合わせるように仲を取り持ってくれ!!!

さすれば主らに力添えしてやると約束しよう!!!」

「は、はい。 分かりました。」

 

こうして紆余曲折を経て虎徹との接触に成功した。



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#231 The Black Tiger 3 [Ink of the almighty]

虎徹に帝国の救済への協力を承諾してもらい、話は次の段階に入る。哲郎がこの場でどうしても知っておきたいのは彼女の《能力》だ。

 

「虎徹さん。そんな写真で良いならいくらでも用意出来ます。ですから教えて下さい。

虎徹さんの《前世(過去)》と《前世(それ)に関係した能力》を。」

「!

……良かろう。じゃがそれならば主らからも明かして貰わねば困る。それを知らねば彼奴を倒す術も考えつかんじゃろうて。」

「!! 分かりました。

彩奈さん、聞いた通りですが良いですね。」

「………はい。ですけど私の口からは…………

哲郎さん、代わりにお願いします。」

「…………………

分かりました。」

 

俯く彩奈を見て哲郎は彼女の申し出を快諾した。哲郎にとって《いじめ》とは人伝に聞いただけの縁の無い存在だが、彼女がそれを経験している以上 無闇に口に出させる訳にはいかない。

 

 

 

***

 

 

 

「……………成程。

中々に見込みのある《能力》のようじゃな。」

「はい。僕もこの能力に何度助けられたか分かりません。もちろん彩奈にもね。」

 

十分以上をかけて哲郎は自分と彩奈の能力と過去を簡潔にではあるが説明し終えた。全てを事細かに話してしまうとゆうに数十分は超えてしまいそうだからだ。

 

「次は虎徹さんの番ですよ。

ちゃんと教えて貰いますからね。貴女の《能力》を。」

「逸るで無いわ。物事には順序というものがあるじゃろう。

それにじゃ、ワシはそれを既に主らの前で使っておる。」

『!!!!?』

 

その言葉を聞いた瞬間、哲郎の頭の中では虎徹と出会った時点から今までの情報が物凄い速さで再生されていた。彼女が何かをした(能力を使用した)気配など少しも感じなかった。

しかし一つだけ哲郎の頭の中で一つだけ引っかかっていた事が候補として浮上した。

 

「………………もしかして、あの時(・・・)ですか?」

「お、気付いたのか?」

「はい。ここに入る前に金埜さんが見せたあのおかしな動き。可能性があるとしたらそれ以外にありません。 そうでしょう!?」

 

哲郎の推測を聞き終えた虎徹はしばらくの間 目を閉じて沈黙を続けた。

そして徐に口を開く。

 

「正解じゃ。こうして転生者(ワシら)だけで話す為にあの小僧にはワシの術を受けてもらった。

此奴(・・)を使ってな。」

『!!?』

 

その瞬間、虎徹の指先に変化が訪れた。

彼女の指の爪が黒く変色し、そこから黒い液体が染み出す。

 

「そ、それは…………!!?」

「何の事は無い。これは《墨汁(すみ)》じゃ。ワシの能力の名は《墨汁》。

無論じゃがただの墨汁とは訳が違う。こんな風にな。」

「!!?」

 

虎徹は指を弾いて指先に溜まっていた《墨汁》を哲郎の目に向けて飛ばした。墨汁が眼球に当たった瞬間、彼の視界の半分が黒く染まった。

 

「!!!!?

こ、これは………………!!!!」

「そうじゃ。主の眼を塗り潰して(・・・・・)視覚(見え)の機能を封じた。

まぁそう案ずるでない。ワシの一存で解除は出来るしそも主の《能力》ならば━━━━━」

「言われなくてももう《適応》しましたよ。」

「そうか。流石 使い慣れているだけあるな。」

 

虎徹の能力は《墨汁》。

その墨で塗り潰された物はその機能を失い、そして彼女の支配下に置かれるのだ。

 

「でも、それでどうやって金埜さんを操ったんですか?」

「逸るで無いと言っとるじゃろうが。ワシの能力にはもう一つ効果があるのじゃ。

先刻ではあの小僧を少しだけ塗り、そこに墨で書き加えた(・・・・・)んじゃ。『甘露を好かん』とな。」

『!!!?』

 

虎徹の能力は大きく分けて二つあり、金埜に使った能力が大きな役割を果たす。

彼女は墨で塗り潰し支配下に置いた物に新しい性質を《書き加える》事が出来るのだ(この時に支配下に置く事は出来なくなる)。

 

「尤も後者は多用は禁物じゃがな。先刻は他愛も無い事じゃったから少なく済んだが下手な性質を書き加えようものなら多量に体力を持って行く。そもこの《墨汁(すみ)》はワシの血液も同然じゃからな。絞り続ければ(やが)て果ててしまう。」

『………………………!!!!』

 

虎徹は謙虚そうな表情で能力の弱点を口にするが二人の耳には最早それも弱点にすら聞こえなかった。仮にそれが弱点であったとしても、能力自体がそれを補って有り余る最強(デタラメ)ぶりだと思った。

こと攻撃力が弱点の哲郎と自分の能力にまだ自信が持てない彩奈の耳には尚更の事である。

 

「して、そこまでの強さを持ちながら何故 この国を救う為に動いていないのかと疑問に思っておるじゃろう。

実を言うとじゃな、主らが来るより前から行動自体は起こしておるのじゃ。彼奴が来てからは毎日のように身体から《墨汁(すみ)》を搾り出して溜めておる。此を使ってこの国を救い出す目処を立てておるのじゃ。」

 

再び指先に墨汁を溜めながら虎徹は徒にそう呟いた。



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#232 The Black Tiger 4 [Trust is no cost]

「ワシの能力の事で話せるのはこれくらいじゃ。他になにか聞いておきたい事はあるか?」

「新しい事ではありませんが、詳しく聞いておきたい事はあります。その《書き換える》能力は具体的にどんな負荷(デメリット)があるんですか?」

「ほう。良い目の付け所じゃな。」

 

そう感心したような一言を前置きとして虎徹は再び口を開いた。

 

 

***

 

 

虎徹の能力《墨汁》の《書き換える》能力による弱点には具体的な尺度がある。それは『文字数』と『性質の強さ』だ。金埜の場合は文字数は六文字と多かったが書き加えた性質がほとんど無害だったために彼女にかかる負荷も大したものではなかった。

 

それが虎徹の説明だった。

 

 

 

***

 

 

 

「………あの小僧の場合はワシの反動も高が知れていたが帝国の奴相手に事を起こそうとなればそうはいかん。無闇に能力を行使すれば立ち所にお陀仏じゃよ。」

「……なるほど。

ちなみに溜めている《墨汁(すみ)》はどれくらいですか?」

「……………そうじゃのう。

ざっと百人程度かの。」

『十分ですよ!!』

 

虎徹が返答を口にした瞬間、哲郎と彩奈は口を揃えて思い切り突っ込んだ。皇帝の近辺にどれくらいの人間がいるのかは分からないが百人もの人間を意のままに操る事が出来れば敵は無い。

 

「戯けが。墨の全てを使う筈が無かろうが。ワシはその先(・・・)も想定しておる。

いるんじゃろ? 其奴に帝国の転覆を命じた不届き者が。」

『!!』

 

虎徹の言う不届き者と哲郎達が狙っている巨悪は十中八九 同一人物である。虎徹はいずれ来るであろう世界全体を救う戦いを見据えているのだ。

 

「………早く質問に答えて欲しいのじゃが? ワシの言う不届き者が居るのか居らんのかどちらかと聞いておるんじゃ。」

「……はい。実は………………」

 

 

 

***

 

 

 

哲郎は今まで戦った《転生者》である里香とトレラ、そして彼女達を従えてラグナロクの崩壊を目論んでいる(と聞いている)存在が居る事を説明した。

 

「…………それは誠なのか。」

「はい。その人の話が全部本当ならですけど。

それでなくても現に学園の寮生や団体の信者に被害が及んでいる訳ですから、間違いありませんよ。」

「………なるほどな。」

 

しばらく話し続けて渇いた喉を温くなった水で潤し、最後の質問を投げ掛ける。

 

「…………最後に一つ聞きますが、本当にその組織と戦ってくれるんですか?」

「無論じゃ。それでなくとも《転生者》に対抗出来るのは《転生者》のみぞ。奴等の好きにさせてはどの道 この国も一巻の終わりなのじゃろう。

ならば一肌くらい脱いでやろうではないか。

…………………………………………それにじゃ、」

『?』

「そ、それに、主の人脈があればノ、 ノアの奴とも再び会えるのであろう………………?」

『………………………』

 

まるで人が変わったかのように顔を赤らめて身体をくねらせる虎徹を見て哲郎は『絶対にそっちの方が本命だろ』と心の中で思ったが口には出さないでおいた。

そして哲郎の懸念はもう一つ、虎徹は会える(・・・)前提で話を進めているが肝心のノアは虎徹の事をどう思っているのかはかなり怪しいという事だ。しかしそれは今考えるべき事では無いと頭の隅に追いやった。

 

「………して、主らの方は皇帝に近付く術は何か考えてあるのか?」

「それはもちろん考えてありますよ。

あの武道会に出ていい成績を修めればこの国の偉い人達の目に止まりますから、それを利用して皇帝に近付くつもりです。」

「ほう。随分と荒い策じゃな。そこまで言うならば勝算はあるのか?」

「はい。実は昨日、山賊団の男を三人を成り行きで捕まえたんです。それと、海外にもこの国で言う武道会みたいなものがありまして、それの決勝戦で僕、ノアさんと戦ってるんです。」

「!!!!!」

 

その言葉を聞いた瞬間、虎徹は胸を抑えて再び顔を紅潮させた。それはさながら天使の矢に胸を撃ち抜かれて恋に落ちるかのようだった(この世界には天人族なる種族があるが)。

 

「? どうかしましたか?

ッ!!?」

 

哲郎が疑問を呈するより早く虎徹が両手を掴んできた。

 

「それは誠か!!? あいつと戦ったというのは!!!!」

「え!? あ、はい。 本当です。

まぁ、惜しい所まで行ったんですけどギリギリで僕が負けちゃいましたけど。」

「渡り合ったという事か。ならば安心じゃな。

主の腕は確かなようじゃ。それならば武道会にも通用するぞ!!」

「は、はい。ありがとうございます。」

 

(再び)まるで人が変わったかのように今度は同年代のように掴んだ手を上下に振る虎徹を見て彩奈は彼女は本当にノアに惚れ込み、そして全幅の信頼を寄せているのだと理解した。

 

「武道会は明日じゃが、今日はあの小僧と一緒に過ごすのじゃろう? ならばそろそろ開きにして明日またここで落ち合うとするか。」

「あ、そうですね。金埜さんにかけたって言う能力(文字)もそろそろ切れるでしょうしね。」

「そういう事じゃ。

ところでじゃが、主らはどういう関係なんじゃ?」

「!!!!!」 「?」

 

虎徹の質問に彩奈は爆発したかのように顔を赤くさせ、対称的に頭に疑問符を浮かべた。

 

「なんじゃ? 色恋の仲では無いのか。ワシは主に着いて来た年下の娘じゃと思ったのじゃが。」

「え? 違いますよ。というか彩奈さんの方が年上ですよ。僕が11で彩奈さんは14です。」

「誠か! とてもそうは見えんな。」

「!!!!」

 

虎徹のこの一言が彩奈の崩れかけていた心に完全に止めを刺した。しかしその事を二人はこれから先ずっと知る事は無い。

 

 

 

***

 

 

 

哲郎達が個室に入ってから既に一時間以上が経過している。この時の会話を甘露を食べながら客のふりをして聞いている人物がいた。

その人物は昨日哲哉(哲郎)に出し抜かれた荒河山賊団に属する人間であり、会話の内容を知った時は心底驚いた。そしてその人物は山賊団の本部にこう伝える。

 

『帝国内に密入国者が居る』と。



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#233 Prolog of The Colosseum ~Higher Arts~

「《哲哉》選手、

刹喇武道会への出場登録を受け付けました。」

 

時間は経って鬼ヶ帝国の一大行事である武道会が行われる日となった。そして哲郎が昨日 顔を見せに来た受付に昨日の受付嬢(翰廼)とは違う受付嬢の声が響いた。

 

 

***

 

 

虎徹との接触を完了させた哲郎達は残った時間を消費する事になった。

甘味処を出た時に虎徹とは一旦別れ、明日また落ち合う事で話が付いた。その後に虎徹は金埜に書き加えた《文字》を解き、合流した三人は呑宮の町を散策して時間を潰した。その際、金埜は甘味処に入ろうとしなかった事を覚えていたが、その事を気にも留めていなかった。

また、金埜の信用を得るために散策を続ける間も帝国の内情を少しでも把握するために観光客のふりをしてそれとなく聞き込みを続けた。しかし金埜の樫梛村とは違い首都から回ってくる税金の割合が高いのか帝国の現状を肯定する意見が多く、哲郎が期待したような収穫は得られなかった。

 

そして夕方に山賊団を捉えて得た三十艮を再び崩して呑宮の格安の宿に泊まって夜を過ごした。彩奈から無闇に使いすぎでは無いかと言われたが帝国に長居する気は無いし国を出たら艮札など紙切れ同然になってしまうから出し惜しむ意味も無いだろうと言って納得してもらった。尤も哲郎も彩奈の言い分を分からない訳では無かった。故にこの一件を片付けたらお金の使い方を勉強しようと思い、それを謝罪の代わりとした。

 

そしてその部屋で国王と通信をし、明日武道会に出る手筈が整った事、そして例の《転生者》虎徹との接触に成功した事を報告した。国王は虎徹の名を聞いた時は首を傾げていたが『エクスさんに聞けば分かります』とだけ言って多くは語らないでおいた。

 

そして十分な睡眠を取って現在に至る。

 

 

 

***

 

 

 

「哲哉選手、控え室はこの奥になります。

なお、付き添いの方達はこの先には入れませんのでご了承ください。観客席へご案内します。」

 

哲郎は哲哉として何人もいる受付嬢の一人に案内され、付き添いで来た彩奈(杏珠)と金埜は一旦別行動になった。なお、まだ虎徹とは合流出来ていない。

控え室に行くまでの道中で様々な轟鬼族と出会い、その全員が哲郎を訝しむ視線を向けて来た。本来 哲郎扮する哲哉は武道会に出場する条件も正式な手順も踏んでいるので問題は無い。故に彼等は自分を人生逆転を狙って武道会に挑戦したしがない村の子供と思っているのだろうと結論付けた。

 

「━━━━━━━━━━━━━おい、

おいコラ、お前だよお前!!」

「?」

 

控え室に通じる廊下は全くの静寂という訳ではなく多少の話し声は常に聞こえ、それ故に不意に聞こえてきたその声が自分に向けたものであると気付けなかった。

声の方向に視線を向けると筋骨隆々の大男が哲郎に睨みを効かせている。

 

「……失礼ですが、あなたは?」

「俺ァ岱輻(だいや)ってもんだ!! 一矻(いっこつ)地方じゃ少しは名の通った武道家だぜ!!!」

「そうですか。そんな人が僕に何の用ですか?

(確かゼースさんに会った時もこんな感じだったな。だとしたらどうせここはこんな子供が来る場所じゃないって難癖を付けて………………)」

「試合まで待ちきれねぇんだよ!!

少しで良いから俺と手合わせしようぜ! な!」

「?!」

 

予想と正反対の岱輻の申し出に哲郎は面食らった。無論試合時間以外の選手同士の闘いは小規模であっても厳禁となっている。

 

「だ、駄目ですよそんなの! もう少しで大会が始まるんですから━━━━━━━━━━━」

「そうですよ。その子の言う通りです。

大の大人がみっともありませんよ。」

『!?』

 

通路の奥から四十代程と思われる女性が歩いて来た。穏やかな表情に加え、着物に身を包んでいるその風貌は武道会の選手とは一線を画している。

 

「あ? なんだよオバさん。あんたみてぇなひょろひょろの女じゃ遊び相手にもならねぇよ。ケガしたくなかったらさっさと━━━━━━━」

「まぁまぁ そう仰らずに。」

「?

ッッ!!!!?」

「!!!?」

 

着物の女性は徐に岱輻の手首を掴んだ。

すると次の瞬間に岱輻の両足が崩れ、大きな音を立てながら片腕を上げてうつ伏せに倒れた。

 

「痛でででででででででででででで!!!!!」

「…………………………!!!!!」

 

哲郎は目の前で起こる光景に圧倒されていた。

たった今 着物の女性が行った事自体(・・)は哲郎が一番良く知って全幅の信頼を寄せる合気(マーシャルアーツ)そのものだが、彼が圧倒されたのはその精度(・・・・)故である。《適応》を抜きにすれば哲郎のそれをも上回る可能性すらある。

 

「ただのオバさんだと思ったら大間違いですよ。

私は《磯凪(いそな)》。憚りながらもこの武道会で殿堂入りさせて頂いてます。」

「!!!」

「お騒がせして申し訳ありません。こういう場所には血の気の多い人が時々現れるんですよ。哲哉選手、控え室へは私がご案内します。」



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#234 Prolog of The Colosseum 2 ~The eight entourages~

岱輻

彼は刹喇武道家が始まる前に闘争衝動を持て余し、その結果哲郎(哲哉)にその衝動をぶつけようとしたという騒動を起こす。それが行われるより早く磯凪に制圧されて本戦出場の資格は守られたがそれ以上の羞恥を味わうことになる。

そして磯凪に取り押さえられた瞬間の出来事を彼は後日、次のように語っている。

 

 

「…………ええ。 こう、手首を掴まれたんです。

そしたらですよ、全身が痺れてものすごい痛みが襲ったんです。

次の瞬間には地面が消えたんです。そしたらもう倒されていましたよ。

 

え? 起き上がろうとなんてできませんよ。腕の関節が完全に極まってたんですから。

起きようとなんてしたら腕がへし折れてしまいますから。」

 

 

***

 

 

 

「…………では哲哉選手、こちらが控え室となっております。何かございましたらなんなりとお申し付け下さい。 それでは。」

「………待って下さい。」

「?」

 

徐に踵を返して離れようとする磯凪を哲郎は呼び止めた。彼の頭の中に一つの可能性が浮かんでいるからだ。

 

「…………さっきの、こっちの言葉では《合気》って言うのかもしれませんが、とにかくあの技、一体どこで覚えたんですか?」

「どうしてそんな事を聞くのですか?」

 

その磯凪の返答にも満たない聞き返しによって哲郎の表情は更に険しくなった。彼女の貼り付けたような表情の裏に触れてはいけない何かを感じた。

 

「あぁいえ、答えたくない訳ではありません。

この国に来た(・・・・・・)魚人族の人に師事した事がありまして、これはその時に身に付けたものです。」

「!!?」

「それを聞くのは恐らく、あなたも私と同じだからでしょうね。

話は以上ですか? ならば私はこれで━━━━」

「いえ、まだ二つ聞きたい事が。

……あなたは、《虎徹》という人に会った事はありますか?」

「虎徹? 彼女ならもちろん知っていますよ。

なにせ彼女は私に勝ってこの大会の殿堂入りを果たしたのですから。

彼女を知っているならすぐに会えますよ。今日、彼女は帝国の重役達と一緒の席でこの武道会を観るのですから。」

「そうです。僕がもう一つ聞きたい事は。

……その重役達の事を、教えて頂けますか?」

「はい。 それは構いません。が……………、

それを知りたいという事は、成り上がりを狙っての出場ですか?」

「…………はい。 そう考えて貰っても構いません。」

「…………………」

 

帝国の首都 《豪羅京》にある皇居に入り込もうとしている以上、磯凪の冷ややかな目に視線を背ける事は出来ない。

兎にも角にも虎徹と接触しているという判断材料によって目の前の磯凪が《転生者》である可能性がかなり低くなった(虎徹に知られないように細工している可能性があるため)事に胸を撫で下ろした。

 

 

 

***

 

 

「……………………これが……………………」

 

哲郎が手に持っている書類には今日、刹喇武道会を観戦する人間達の名前と顔写真が記されていた。いずれも鬼ヶ帝国で皇帝に仕え、側近として国の運営に携わる人々だ。

 

糜沙(みさ)

紫色の髪を頭頂部で纏めた女性

 

趙姩(ちょうねん)

茶色の髪を立て、切れ長の目をした男性

 

骨頗(こっぱ)

禿頭で彫りが深い顔をした老人

 

䴇臍(れいさい)

青い肌と白い髪をした男性

 

餞郝(せんせき)

赤い肌に髭を蓄えた男性

 

廠桓(しょうかん)

釣った目に黒髪を頭頂部で束ねた男性

 

櫟菇(いちこ)

桃色の髪と垂れた目をした女性

 

嬨珱(しおう)

赤い髪に穏やかな顔をした淑女

 

(……………この八人か………………………)

 

哲郎は椅子に座って何度も八人の名前と顔写真を何度も見つめていた。その理由は言うまでもなくこの八人の中に国家転覆を狙う《転生者》、あるいはそれと繋がっている人間がいる可能性が高いと考えているからだ。

無論、皇帝に仕える人間は他にも居るだろうが国家転覆を狙うならば注目するべきは皇帝の近辺ではなく平民の中に強い人間がいるかどうかだ。即ちこの武道会を注目する可能性は十分にある。少なくとも哲郎が仮に国家転覆を目論むならばそう考える。

 

(問題はこの八人が虎徹さんと一緒に武道会を見るのかどうかだな。もし一緒に見るなら絶対に自分が《転生者》だとバレない方法を何か用意するはずだ。

まぁそれならこの国の人間全員に可能性は出てくる訳だけど……………)

 

心の中でそう思いつつも哲郎は同時に金埜と磯凪が《転生者》である可能性は切って捨てていた。それは行動を共にした事による情からでは無く、あくまでも国家転覆を狙う人間が皇帝と遠い存在にある平民ではありえないという論理的な根拠ゆえだ。

 

そしてこうしている間にも武道会の開始の時間は刻一刻と迫っている。それは即ちこの国で起こっている事の中枢に踏み入る時間が迫っているという事だ。



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#235 Prolog of The Colosseum 3 ~Information or Nap~

「さぁさぁ皆様、大変長らくお待たせしました!!! 只今より、《刹喇武道会》の開催をここに宣言致します!!!!

全国各地から我こそはと集まった腕に自信を持つ者達、その数なんと六十四名!!! 今日この日、彼等は己が誇りを掛けてぶつかり合うのです!!!

その目的は様々、賞金を狙う者、成り上がりを狙う者、それ以前に自身の腕を見せ付ける者も居るでしょう!!!!

しかしその目的は問題ではありません!!! 勝ち抜いた者だけが目的を実現できる!! それのみがこの武道会の掟なのです!!!

 

ただ一つ確信している事は、今日この日が帝国のこの一年で最高の一日になるという事です!!!!!」

 

拡声器を持ってその歯の浮くような口上を叫んだ男に誘発されるかのようにその場に居た者達、観客席に座っていた者も武道場に立っている者も、哲哉(哲郎)杏珠(彩奈)以外が大歓声を上げた。

そして例外は他にも居る。観客席の一番上にある玉座のような椅子に座っている九人(・・)の男達だ。

 

(…………あの人達がそう(・・)か……………………)

 

その九人とは、哲郎が先程見た皇帝に仕える八人の男達と虎徹の九人だ。この武道会において、特別扱いの人間としてあの椅子に座っているのだ。そしてその場に居た全員が拡声器を持つ男を見ている中、哲郎だけがその九人を見ていた。本来なら目立つ行為のはずだがこれから始まる武道会の盛り上がりに当てられたのかそれを指摘する者は一人もいない。

 

(…………僕の番はしばらく後だよな。

少し轟鬼族同士の試合を見たら、少しだけ寝ようかな…………………)

 

欠伸を出す事こそ無かったが帝国に入ってからの哲郎はずっと緊張続きで睡眠の時間()は取れても質はかなり悪い状態なのだ。

だからこそ哲郎は轟鬼族の情報をある程度仕入れたら残りの時間は全て仮眠(体力の回復)に努めるべきだと判断したのだ。

 

 

 

***

 

 

武道会の開催から数十分後、最初の試合が始まろうとしていた。

 

『さぁさぁ皆様、遂にこの刹喇武道会の最初の試合を始めたいと思います!!! 武道会の一の集、第一試合から目が肥えるような組み合わせが揃っております!!!』

 

武道会の闘技場で二人の筋骨隆々の男が相対している。

観客席に座った哲郎もその様子をまじまじと見つめている。闘って負ける事はまず無いだろうが、闘い方を見て得られる物はあるという事も確信している。それが来たる《転生者》との一戦に役立つ情報ならば尚更だ。

 

『さぁ東の方角にはこの男!!!

陸善(りくぜん)から名乗りを上げる豪傑、彌槌(みづち)!!!

片や西の方角にはこの男が立っている!!!

萬瑪(よろずめ)から殴り込みを掛ける、弥剱(やつるぎ)!!!

 

両名共にこの大会で優秀な成績を収めている実力者です!!! その実力は皆様も知る事でしょう!!

しかし彼等が拳を交える事は今日までありませんでした!! どちらが勝つのかは誰にも分かりません!!!!!』

 

二人の間に体格差は無く、彼等の身体の筋肉も見せかけのそれではなく闘う事の為に鍛えられたものであると哲郎も理解した。

この武道会で優秀な成績を収めてもなお 皇帝の近辺で働いていないのは偏に彼等が生粋の格闘家だからだろう。

 

『さて皆様、この武道会の唯一絶対の掟はご存知ですね?

そう。殺害。それ以外の全てが肯定されます。今日の試合での負傷は勲章として誇るべきであると、ある高名な武道家も残しています。』

 

この《殺害以外の全てを認める》というルールは哲郎が経験した魔界コロシアムと全く同じだった。この鬼ヶ帝国では格闘術だけでなく武器術も武道として認められているのだ。

 

『さぁ遂に闘いの火蓋が切って落とされようとしております!!!』

「殺害以外の全てを認めます。

両者 構えて!!」

 

審判の男の口上は奇しくも魔界コロシアムのそれと全く同じだった。それに従うように二人が各々の構えを取った瞬間、会場に張り詰めたような緊張が走る。

 

「始めぇ!!!!」

「おりゃあああああああああぁぁぁ!!!!!」

「でりゃあああああああああぁぁぁ!!!!!」

ドゴォン!!!!! 『!!!!!』

 

始めの合図と共に二人は地面を蹴って距離を詰め、彌槌の正拳突きと弥剱の回し蹴りが激突した。攻撃がぶつかり合う炸裂音と爆風が観客席まで届き、先程まで熱狂に包まれていた観客を、哲郎を含めて全員を黙らせた。

観客達の感情は一瞬にして熱狂という興奮から緊張へと変わったのだ。そしてそれは哲郎も例外では無い。魔法の才が無い分、轟鬼族という種族の筋力や格闘術の水準の高さを実体験として理解させられた。

 

 

 

***

 

 

哲郎が最初の試合を見ている時と同時刻、杏珠(彩奈)と金埜も観客席でそれを観ていた。

 

「…………………………!!!!

す、凄い…………!!! これが(轟鬼族の)試合……………!!!!」

「んだ!!! おら、こんな所に出ようとしてたんだなぁ…………!!」



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#236 The Four Exceptions 1 [The Emperor of Ogre]

『決着!!! 決着です!!!

一瞬も気の抜けない緊迫した死闘を制したのは弥剱選手です!!!!

なんと言っても勝敗を分けたのは最後の間一髪で蹴りを避けた所の蹴りでしょう!!! 延髄を撃ち抜いた剣のような蹴りが弥剱選手に勝利の二文字をもたらしたのです!!!!!』

 

数分に渡って彌槌と弥剱の二人は一進一退の攻防を繰り広げた。実況が言う通りに軍配は弥剱に上がり、決まり手は首を狙った蹴りだった。

哲郎の目から見ても二人の試合は高水準で緊迫したものだった。その全てを観察して吸収しようとしたが、それにはかなりの体力を消耗した。その体躯からは想像もつかない程に二人の動きは鋭くて速く、観客の中で試合の中で何が起こっているのかを把握出来た者は恐らく半数も居ないだろう。

 

観客席から拍手が巻き起こり、その中心で二人が互いの健闘を讃えあっている中、哲郎は踵を返して自分の控え室に引き返す事にした。当初から身体の中に溜まっていた疲労に加えて集中して試合を見続けた身体は既に一刻も早い休息を求めていた。

 

 

 

***

 

 

 

「…………………フゥーっ!」

 

控え室に到着して扉を閉めた哲郎は操り人形の糸が切れたかのようにその場に座り込んだ。この帝国の中では常に哲哉という原住民を演じている自分にとって一人になれるこの場は田中哲郎に戻れる数少ない機会なのだ。

 

(……………僕の出番は三の集(≒Cブロック)だよな。って事はまだ僕の番は結構先だろうし…………

寝れるな。うん。)

 

頭の中でその結論に至った瞬間、哲郎は横になった。完全な睡眠状態には至らずとも目を閉じて横になっているだけでも十分な回復が見込めるだろうと、ある種の楽観的な考えの元に目を閉じた。

 

 

 

***

 

 

 

「…………………さい。

テツロウさん、起きてください。」

「!

……………ああ、またですか。」

「はい。 もう驚きもしなくなりましたね。」

「当たり前ですよ。だってもう三回目ですよ。」

 

哲郎はその声を聞いて目を開けた瞬間に理解した。またラミエルの手によって夢か現実かも分からないこの一面真っ白の空間に呼び出されたのだ。

 

「………それで、今日は何の用ですか? もう少ししたら試合に出なければいけないんです。」

「もちろん分かっています。ですから話は簡潔に済ませます。まずは宗教団体、ジェイルフィローネの依頼の達成をお疲れ様でしたとでも言っておきましょう。」

「はい。ありがとうございます。」

 

前もこんなに始まり方だったな と思いながら軽く会釈をした。

 

「今日の用件は何です。わざわざ誘ったって事は急ぎの用事か何ですか。」

「まぁ、そんなところです。私が話したいのはこの国の()の事です。」

「? 後の事?

何言ってるんですか。僕は今この国を助けるのに精一杯なんですよ。そういう話はこの国を出た時にして下さい。」

「いいえ。そうは行きません。

あなたは既にその事に片足を踏み入れているも同然なんですから。」

「片足を? どういう事ですか?」

 

哲郎は苛立ちを(ほんの少しだけ)顔に出しながらラミエルにそう訪ねた。初めて会った時から彼女には要点をなかなか話そうとしないというきらいがあり、哲郎はそれが苦手だった。

 

「鬼ヶ帝国に踏み入った時点であなたは既にその問題に直面しているのです。

良いですか。この世界の崩壊を目論む組織(巨悪)。彼等はその過程の一環として四人の男達(・・・・・)を潰そうとしています。そしてその内の一人が鬼ヶ帝国に居るのです。」

「四人の男達? 誰ですかそれは。」

「それも順を追って説明します。

『転生者には転生者でしか太刀打ち出来ない』。このルールとも呼べる法則は既に知っていますね?」

「もちろん知ってますよ。もう何回も戦ってるんですから。」

「はい。《転生者》の能力はこの世界に産まれ生きる魔法や膂力とは一線を画します。

ですが、それには例外(・・)があるのです。」

「例外!?」

「そうです。この世界に圧倒的な力を持って産まれ落ちた《例外的存在》と呼べる人達が四人居ます。彼等の力はそれこそ《転生者》にすら届き得る程です。

巨悪(組織)は彼等の力が敵の手に渡る事を恐れ、その前に彼等を叩こうとしています。

組織が鬼ヶ帝国に刺客を送ったのはその為です。」

「そうだったんですか……………!!

それで、一体誰なんですか!? 帝国に住むその例外は!!」

「落ち着いて下さい。

良いですか。《転生者》に対抗出来る以上、それは帝国の中で一番の力を持つ存在でなければいけません。」

「じ、じゃあまさか…………!!!」

「その通りです。

鬼ヶ帝国の皇帝に位置する者は代々、《羅皇(らおう)》という称号を受け継ぐそうです。

つまり現皇帝 七代目羅皇(らおう)、名前を《魍焃(もうかく)》。彼が組織が狙っている《例外的存在》です。」

「…………………!!!」

 

ラミエルの話の全てが真実ならば確かに自分は既に彼女の言った問題に首を突っ込んでいる。

それを理解した哲郎はごくりと口の中に溜まった嫌な唾を飲み込んだ。



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#237 The Four Exceptions 2 [I Know Only Your Vision]

「…………その皇帝、魍焃(もうかく)という人の命を狙っている人がいる って考え方で良いんですか?」

「はい。国王に送られた手紙は国家転覆という《巨悪》の真の目的を隠す為の偽の計画であり、その手紙が図らずも彼等にとって都合のいいミスリードになってしまったのです。」

「そうだったんですね。ならすぐにでもこの事を他の人に伝えなければ」

「それはいけません!!!」

「!!?」

 

それまでの冷静さが嘘のようなラミエルの感情的な声が哲郎の言葉を遮った。突如として発せられた大声は何も無いはずのこの白い空間に反響し、居心地の悪い余韻を響かせる。

 

「ああ、すみません。柄にも無く取り乱してしまいました。

と、とにかく、今の話を他の人に漏らすのは危険です。」

「それはどうしてですか?」

「良いですか。言うまでもない事ですがここでの私と貴方との会話が誰かに漏れることは万に一つも有り得ません。ですが国王に話すにしても帝国民の誰かに話すにしても、それが万が一にも《転生者》の耳に入ればその者は焦り、そして強引に事を進めるでしょう。彼等の狙いは皇帝の首だけで、その後の帝国など気にする必要も無いのですから。」

「!」

 

ラミエルの言葉を聞いて哲郎はようやく彼女が言わんとしている事を理解した。彼女の話を聞いてなお、《転生者》の狙いが国家転覆であるという前提で話を進めていた。

 

「あと、これも貴方だけに言いますが、貴方が帝国民の哲哉ではなく密入国者である事が山賊団にバレてしまっています。」

「!!!!?」

「知る由もない事でしょうが、昨日の甘味処での話を聞いている人間が居たんです。その人のは名前は《藤雄(ふじお)》といい、荒河山賊団の構成員の一人です。」

「………………!!!!」

 

哲郎の頭には最早、その人間の所属や名前など問題では無かった。代わりに頭にあったのはその人間に何処まで情報が漏れたのかという事だ。

最悪なのはこの世界に《転生者》という概念がある事がその人間に知られる事だ。

 

「心配は要りません。その藤雄という人間にバレたのは貴方が帝国の出身ではないという事だけです。」

「そ、それでも…………!!」

「はい。この状況は良いとは言えません。

ほぼ確実(・・・・)に《転生者》の耳にも入っているでしょう。」

「!? ほぼ確実(・・・・)に!? どういう事ですか!? 確信がないって事ですか!?」

 

哲郎は質問しながら自分に問い掛けて再確認していた。目の前のラミエルは神や超人とは訳が違う。死んでいる事を除けばただの人間と遜色無いのだ。

 

「………はい。伝える時を逃してしまいましたが私は私と接触した者を通してしかラグナロクの様子を知る事が出来ません。即ち、現状では貴方が見た物しか知る事が出来ないのです。

ラドラ寮の一件(リカ・ヒメヅカ)宗教団体(トレラ・レパドール)の一件を知っていたのはそれが理由です。」

「………だから確信が持てなかった と?」

「そういう事です。

ですから帝国に居る《転生者》がどんな者なのかを知る為には貴方が直接目で見るしか方法は無いのです。」

「………………」

 

帝国の《転生者》が重役の内の誰なのかをラミエルが知っているか期待している訳では無かったが、哲郎の心中は穏やかでは無かった。頼れるのが自分自身の目だけであるという事が分かっただけだった。

 

「さて、そろそろ時間ですね。」

「えっ? もうそんな時間ですか?!」

「いえ。それはまだですが、起きて直ぐに闘って貰うのは酷だと判断しまして、少し余裕を持った方が良いかと。」

「あ、そういう事ですか。

………じゃあ僕からも、聞こう聞こうと思って聞けずにいた事があります。」

「…なんでしょうか?」

 

質問する という決意を固める為に一呼吸を置いて哲郎は口を開いた。

 

「最初に会った時に言っていた『ラグナロクの元住人』というのは嘘だったんですね?」

「!!

………………はい。あの時はテツロウさんの動揺が大きかったので落ち着ける為にそう言うしか無くて、誤解を解くことを忘れていました。それは申し訳ないと思っています。」

「……………」

「それではそろそろこの世界(眠り)から覚ましましょう。

それと最後になりますが、健闘を祈ります。」

「………はい。ありがとうございます。」

 

頭を下げた時には既に視界は白く染まり、意識も薄くなりつつあった。その最中に考えていた事はラミエルとの心理的な距離が中々縮まらないという事だった。

 

 

 

***

 

 

 

「━━━━━━━━━━━ !

んーーーっ!」

 

目を覚ました哲郎は現実世界に帰ってきた事を確認するかのように背を伸ばした。目を覚まして最初に思った事は今は何時で何時間程寝ていたのか という事だ。

一つ分かっているのは前日と前々日の疲労はかなり回復出来たという事だ。

 

(……あの人の事だからちゃんと余裕を持って起こしてくれたと思うけど、多分三の集(Cブロック)は始まってるだろうな。

とにかく行ってみよう━━━━━)

『ウオオオオオオオ!!!!!』

「っ!!!?」

 

遠くから微かではあるが観客達の熱狂の声が聞こえて来た。その声に誘発されるかのように哲郎は慌てて観客席へ歩を進める。

 

 

***

 

 

「い、一体何だ━━━━━━━━

っ!!!!?」

 

試合会場に着いた哲郎の視界に飛び込んできたのは異様な光景だった。水色の髪を下で二つに纏めた少女の傍で少女の倍ほどの体躯のある大男が倒れ伏して居た。

 

「勝負あり!!! 勝者、透桃(すもも)選手!!!!」

『決着!!! 決着です!!!! 我々は今、信じられない光景を目にしています!!!!

三の集 第二試合、勝ったのは今大会初出場の透桃選手!!! なんという大番狂わせ!!! 今大会の優勝候補とも噂された《崹按(だいあん)》選手が一撃を入れる事すら叶わずに、地面に倒れ伏したのです!!!!!』



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#238 The Peach Sisters

崹按(だいあん)

彼は陸善地方出身の豪傑であり、前の武道会で準決勝進出という健闘を見せた結果、現在は首都である豪羅京で警備の仕事をして以前とは見違えるような生活を送っている。

しかし彼は今大会で初出場の選手に一撃も入れる事すら叶わずに一回戦で敗退するという結果となる。それまでの信用故に生活への支障は無かったが、仕事の同僚から試合の事を根掘り葉掘りと聞かれる事となる。

 

彼は、試合の事を同僚に次のように語っている。

 

「…………一言で言うなら、ありゃ《風》だ。

俺の力と同じ方に吹く風を相手にしてるってぇ感覚だった。

殴っても蹴っても突っ込んでも、全部の攻撃がいなされてまるで手応えがねぇ。それで業を煮やして無理な攻撃をしようとしたそん時にだ、投げられたんだよ。俺が。それが決まり手になった。

前の大会でも強ぇ奴ァ居たが、あのガキはそれとは別の強さがあった。俺に言える事があるとすりゃそれくらいだ。」

 

また、崹按はこの経験を活かして警備の仕事の質を更に上げる事になるが、それはまた別の話である。

 

 

 

***

 

 

『さぁ、両者が会場を去ります!

今大会初出場でありながら崹按選手を無傷で退けた、透桃選手の更なる活躍に期待したいところです!!!』

 

実況の煽りに触発されたかのように会場の熱気は最高潮に達していた。透桃という少女がこの大会をどう掻き回すのか、それに期待が高まっている。

そしてそれは哲郎もまた例外ではない。哲郎は直感していたのだ。透桃が自分と同じ戦法を取る人間であるという事を。

 

そして当の透桃は胸の辺りで拳を握りしめ、小声で『よし!』と呟いていた。彼女の中では今、勝利が実感に変わっているのだろう。

 

「………………!!」

「あ! あなた、哲哉さんですよね!?」

「っ!!」

 

普段は人と話す事は慣れている哲郎だったが、図らずも虚をつかれた透桃の呼び掛けに一瞬 たじろいでしまった。それでも冷静さを取り戻して彼女との会話を試みる。

 

「僕を知ってるんですか?」

「はい! 昨日登録の時に会ったんです。

……………実は、あなたに聞きたい事があって。」

「?!!」

 

透桃はそれまでの明るい話し方が嘘のように神妙な顔付きで呟いた。

 

「………哲哉さん、昨日言っていた荒河山賊団の事って、本当なんですか?」

「!!!」

 

荒河

それは帝国に居る哲郎が最優先で警戒する必要のある単語だ。それらしい動きはまだ無いが、(成り行きとはいえ)構成員を捕まえた以上、山賊団の怒りを買ってしまっている。

哲郎は常にその事を頭に置いて行動していた。

そして透桃の口からその言葉が出た瞬間、哲郎は身構えていた。透桃が仇討ちに来た構成員であるとは無い話だと思ったが山賊団の話題が出た以上 用心しすぎる事は無い。

 

「………確かに、攫われそうになった姉を助ける為に夢中になって、三人を倒して鬼鎧組に引き渡したのは僕です。

それで、僕に何を聞きたいんですか?」

「…………………………!!!

お願いします!!! お姉ちゃんを、姉を助けて欲しいんです!!!!」

「!!!?」

 

まるで堰を切ったかのように大声を上げながら透桃は頭を下げた。あまりに予想外な彼女の行動に哲郎もたじろいでしまう。

 

「あ、す、すみません! これだけじゃ分かりませんよね。ちゃんと説明します!!」

「はい。 だけどあんまり時間はかけられないですよ。次は僕の試合ですから。」

「分かりました。」

「お願いします。

(とは言っても、もう大体の目星は付いてるけどな…………)」

 

 

 

***

 

 

 

透桃が話した身の上は哲郎の予測と遜色無かった。

荒河山賊団が仕切っている酒場の従業員として透桃の姉(名前を李苑(りおん))が強制的に連れて行かれた。李苑が払えずにいた借金がその口実だった。

 

「………なるほど。それでこの大会の賞金で借金を返して、お姉さんを連れ戻そうと。」

「いや、それは無理です。最初は私もそれを考えましたけど、あいつらはきっと難癖を付けて返さないに決まってます。あいつらにとっては貴重な人手ですから。」

「………それならどうやってお姉さんを助けるんですか?」

「考えはあります。この大会で勝ち進んで、鬼門組に入ろうと思っています。それで山賊団やそれに繋がってる奴らをみんな捕まえたいと思ってるんです!!」

「………………」

 

哲郎の耳には透桃の考えは美しくはあるが非現実的に聞こえた。透桃の力量の程は分からないが、彼女の力と鬼門組が合わさったところで山賊団を一網打尽に出来るとは思えない。山賊団の上に更に強い組織が絡んでいると仮定すれば尚更だ。

 

「………分かりました。あなたに協力しましょう。もう山賊団の怒りを買っているようなものですから。」

「!!! あ、ありがとうございます!!!!」

「……………ですが、一つだけお願いしたい事があります。」

「!? な、何ですか!?」

「…………もしお互いに勝ち進んで闘う事になったら、手加減せずに全力でぶつかってくると約束して下さい。

詳しい訳は言えませんが、あなたの強さを経験しておきたいので。」

「え? あ、はい。」

 

透桃の試合が終わってから十分以上が経過している。哲郎の出番の時間は迫っていた。

 

(………もう体力の回復は十分だ。

ここからは闘って情報を集める!!!)



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#239 The Experiment No.1 [Return The Iron Fist]

「! 哲哉選手、もう準備が整いましたか。」

「はい。少し早かったでしょうか。」

 

哲郎の問い掛けを邪推したのか男は『いえいえ』と手を軽く振って後ろを向き、軽く話した後、再び哲郎の方を向いた。

 

「たった今 確認を取りましたが、相手方も準備を終えているようです。すぐに試合を始めますか?」

「分かりました。 そうして下さい。

(申し訳ないけど、その人には僕の実験(・・・・)に付き合ってもらうか…………)」

 

 

 

***

 

 

 

『さぁさぁ皆様!! 少しばかり予定を前倒しにしますが、三の集 第三試合を取り行います!!!

今回は打って変わって両者共に初出場の青い武道家が名乗りを上げました!!!

 

東の方角からはこの男!!! 敏腕の警備員を父に持ち、その血を拳に宿した男、《鋼欒(こうらん)》選手!!!

そして対する西の方角!!! 素性経歴は一切不明!!! しかし山賊団と闘い、勝利したという噂も立っています!!! それが誠か否か、この試合で明らかになる事でしょう!!! 哲哉選手が遂に登場だ!!!』

 

鋼欒

それが哲郎の前に立ち、これから自分と試合をする男の名前だった。頭に角が生えている事以外は人間となんの遜色も無い。それが哲郎が鋼欒に抱いた印象だった。

そして二人は今 武道場の中央で相対している。本来、この時間に選手が話す事はあまり無いらしいが、哲郎の場合はそうはいかない。これから起こるであろう事があまりに利己的であると分かっているからだ。

 

「…………一つ、聞かせて下さい。」

「?!」

「鋼欒さん、でしたね。

あなたがこの武道会で勝ち進んで、やりたい事は何ですか?」

「………………?

そうですね。もし勝ち進んだら警備の仕事が出来るようになりたいと思ってますけど。」

「…………そうですか。それは良いですね。

ですが、僕にも譲れないものはあります。全力(・・)で行きますよ。」

「!! はいっ!!」

 

武道会においては珍しい選手同士の会話に観客席は少しだけざわめいた。しかしそれを気にしないかのように審判の男は話を前に進める。

 

「殺害以外の全てを認めます。

両者 元の位置へ!」

 

哲郎と鋼欒は中央から一定の距離を取って再び向かい合った。この試合で轟鬼族の力の程を見極める。

 

「両者 構えて!!」

「!」

 

哲郎は特にこれといった構えを取らなかったが、鋼欒は違った。左半身を前に出して左腕で上半身を庇い、右腕は拳を握り締めて発射の準備を整えている。そして下半身は腰を落として力強く地面を踏んでいた。それだけで哲郎は鋼欒が何をしようとしているのかを理解した。

 

(………試合が始まったら一気に距離を詰めてびっくりした所を右手で殴ってくる ってところか…………。

じゃああれ(・・)が出来るな。)

 

「それでは第三試合、始めて下さい!!!」

「!!!」

 

試合開始を告げる銅鑼が鳴った瞬間、哲郎の予想は現実となって迫って来た。地面を蹴り飛ばして腕を振り、ほんの数秒で哲郎と鋼欒との距離は腕一本程まで縮まった。

その怒涛の展開は実況すら反応出来ずに見届けるしか無かった程である。

 

 

(この一発で終わらせる!!!)

(まずは実験その一!!)

 

 

━━━━━━━ズドォン!!!!!

「!!!!!」

『!!!! い、行ったァーーーー!!!!

開始早々、鋼欒選手が仕掛けました!!! あまりの速さに何が起こったのかさえ分かりませんでした!!!

声を出すよりも早く距離を詰めて放たれたその拳は正に神速と形容するに相応しい!!!

これは哲哉選手、ひとたまりも無いか━━━━

!!! い、いや!!!!』

『!!!!!』

 

観客の目は予想外の光景を捉えた。

 

『な、何事だァーーーー!!!? 倒れたのは哲哉選手では無く鋼欒選手!!!!』

 

実況の言葉の通り、土煙が晴れて地面に倒れたのは鋼欒だ。鼻から血を流し、顔を抑えてのたうち回っている。

 

『こ、鋼欒選手、深刻なダメージを負っています!!!! 顔面に諸に貰ったのでしょうか!!!

しかし、哲哉選手も無事ではありません!!!

顔には擦過傷、拳からは出血している模様です!!!

一体何が起こったのでしょうか!!!』

 

「~~~~~~!!!!

~~~~~~~~~~~~!!!!!」

「…………………フゥッ!!!

(結構危なかったけど、上手く行った!!!)」

 

観客のほとんどが視認出来なかったが、哲郎の実験は成功した。

拳を放つ瞬間、鋼欒の目は奇妙な光景を捉えた。それは哲哉が首を曲げて自分の右頬(・・・・・)を見せた事である。そこに拳を当てさせた(・・・・・)哲郎は攻撃に合わせて首を振って衝撃を受け流し、その勢いを乗せて逆に拳を繰り出して鋼欒の鼻を正確に撃ち抜いたのだ。

本来、純粋な筋力など有って無いような哲郎だが、鋼欒の攻撃の威力を乗せて急所を撃ち抜いた攻撃は相手の鼻の骨を砕き、決定的なダメージを与えた。

 

「~~~~~~ うぐっ!!!」

『た、立った!!! 鋼欒選手、立ち上がりました!!!

そして哲哉選手もそれに応えるかのように初めて構えを見せました!!!

この試合、先手を取ったのは哲哉選手ですが、まだ分かりません!!! ここから何が起こるのか!! それによっては試合の行く末など誰にも予測は出来ないのです!!!!』

 

鼻から血を垂れ流しながらも鋼欒の表情から闘志以外の感情は読み取れなかった。鼻を砕かれても尚、彼はまだ闘うつもりだ。

そして哲郎にとってもこの試合は重要な意味を持つ。たった今、哲郎は打撃による攻撃に成功した。これまで投げ技や掌底でしか攻撃を狙えなかった哲郎にとってこれは大きな進歩となる。

そして次の実験を成功させる事で哲郎は弱点である筋力の無さを完全に克服するつもりでいる。



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#240 The Experiment No.2 [Finger snap of the Mach]

『さぁ、波乱の幕開けを迎えた刹喇武道会 三の集 第三試合!!!

先手を取って大きく突き放したのは哲哉選手!!!

しかし、鋼欒選手も諦めてはいません!!! 未知数の初出場同士のぶつかり合いは、果たしてここからどのような局面を見せるのでしょうか!!!!』

 

実況の煽りに乗せられて観客席からは熱狂の声が巻き起こった。そしてそれは最上段で見ていた重役達、そして全体会殿堂入りの虎徹も例外では無い。腕を組んだり口を抑えたりして哲郎の試合をまじまじと見つめる様子を目の端で捉えた。

 

(…………さっきのパンチは一撃で終わらせるつもりの全力だった。掠っただけで頬っぺたが焼けるみたいに痛む(もう《適応》したけど)。

轟鬼族の力はやっぱり凄い。でも、だからこそこの《実験その二》が大きな意味を持つ!!!)

『あーっ!!? て、哲哉選手 これは━━━━!!?』

 

観客達が固唾を飲んで見守る中、哲郎は構えを取った。腰を低く落とし、右腕を後方に伸ばして人差し指を立てている。左手は右手首を握って右腕を固定している。

実況や観客達の目には哲郎の構えはとても攻撃を繰り出す為のものには見えなかった。

 

『ここまで無構えだった哲哉選手、ここで初めて構えを取りました!! しかし、これはあまりに奇妙な構え!!! ここから一体何を見せるのか』

ズドォン!!!!! 「!!!!!」

『!!!!? ああっ!!!!!』

 

その瞬間に様々な事が起こった。しかし観客のほとんどが何が起こったのかを理解出来ずにいた。彼らの目が捉えたのはそれまで鋼欒が居た場所に空中で足を伸ばしている哲郎が居る事と、闘技場の端の壁に鋼欒がめり込む勢いで激突して意識を失った事だ。

ほんの数秒、その場にいた全員が呆然としていたが、審判を務める男がはっとしたように闘技場に降りて鋼欒に駆け寄った。

鋼欒に触れ、意識は疎か試合続行すら不可能だと判断した審判は試合の終了を告げる。

 

「━━━━━━

こ、鋼欒選手、試合続行不可能です!!!

勝者、哲哉選手!!!!」

『し、試合終了!!! なんと哲哉選手、先程の透桃選手と同様に一撃も貰わずに対戦相手を下しました!!! しかも、試合時間は脅威の四十九秒!!! この刹喇武道会における試合時間の最短記録を更新しました!!!! どうやら山賊団を拿捕したという噂は本当だったようです!!!!

しかし最後の一撃には謎が残ります!!! 我々の目には何が起こったのか確認出来ませんでした!!! 文字通り目にも止まらぬ蹴りが鋼欒選手を撃ち抜いたのです!!!!

しかし、それも含めて哲哉選手はこの大会に爪痕を残してくれる事でしょう!!! 今大会はどうやら、初出場の者達がそれまでの序列を引っ掻き回す事になりそうです!!!!』

 

あまりに突然の幕切れと謎に包まれた決まり手によって観客席からは哲郎を称える言葉は聞こえず、ただ手に汗を握って座っている事しか出来なかった。その中で哲郎だけが心の中で喝采していた。自分の《実験その二》が成功したからだ。

 

 

***

 

 

 

哲郎の実験その二は山賊団が騎る豚の魔物に追い付けない(・・・・・・)状態に《適応》して移動速度を上げる事に成功した時に発案した。

それは、指を鳴らして発した音の速度に《適応》する事で音速で移動し、その勢いのままに攻撃を繰り出す というものだった。

 

(………音速で移動するなんて無茶だって思ったけど、案外出来るもんだな。

ノアさんの指パッチンが攻撃の為なら、僕のは攻撃に繋げる為の指パッチンってところか……………)

 

同時に哲郎は音速で体重を全て乗せた攻撃を繰り出せば最早、筋力の有無など問題では無いという事を確信した。

筋力の無さを補って有り余る速度を身に付けたのだ。

 

(…………勝ったのは良いけど、まずいのはこの戦い方が《転生者》にもバレてしまったって事だな。まぁ それはそれで良いけどな。

皇居に入り込むのは選択肢の一つで、その前に潰しに来るなら真っ向から━━━━━━━)

「ね!」

「?!」

 

歩きながらも考え事をしていた哲郎は前方から聞こえて来た女性の声に気付かなかった。黒く切りそろえられた髪の上に金髪が編まれて左右の側頭部から伸びている。

 

「…………あなたは?」

「あたしは《寅虎(いんこ)》! 次の試合に出るの!」

「ああ、そうですか。それですれ違いに挨拶をしようと。それはどうも。」

「うん。それはそうなんだけど用はもう一つあってね。さっきの試合、早かった(・・・・)ね! 最短記録だったって!」

「あぁはい。そうなんですか。ありがとうございます。

作戦が上手くいったものですから。」

「うんうん。そういう時って気持ちーよね。

………でも、残念だけどその記録はあたしが破るから。」

「?」

「それじゃあね。」

「…………………………」

 

試合(実験)を終えて少し休息を取るつもりだったが、寅虎の態度が(ほんの少しだけ)鼻に付いた哲郎は次の試合を観る事にした。



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#241 Thief on the Colosseum

哲郎は控え室で休息を取るという当初の予定を変更して寅虎の試合を見届ける事にした。その理由の一つに彼女の強気な物言いが鼻に付いた事も挙げられるが哲郎がそれを認める事は無い。

 

『さぁ皆様!!! 波乱の展開が続く刹喇武道会 三の集一回戦も折り返しの第四試合に差し掛かっております!!!』

 

実況が『折り返し』という言葉を使ったのは武道会の参加者が魔界コロシアムとは違って六十四人だからである。そのために一(ブロック)の一回戦の試合は八つあるのだ。

 

『今回もまた初出場の選手が頭角を現しました!!!

東の方角からは彼女!! 惇圖地方から現れた事以外の全てが謎に包まれた今大会の大穴的存在!!!

寅虎(いんこ)選手の登場だ!!!』

 

先程 哲郎と接触した少女が闘技場に姿を見せた。貼り付けたような笑み(少なくとも哲郎にはそう見えた)を観客席にも遺憾無く振り撒く。

 

『そしてそんな彼女を迎え撃つのはこの男!!!

前大会では初出場ながら三回戦進出と大健闘を見せた棒術使い、《煌箏(おうそう)》選手!!!!』

 

頭に被った兜と高い鼻が特徴的な男が寅虎の前に立った。後ろ手に構えた身の丈以上もある棒が目立つが、武道会では事前申請さえすれば武器の使用が認められる。

 

「…………君、得物は?」

「? 得物? 武器の事?

一応持ってるけど、それは()に取っておこうと思ってねー。」

「!!」

 

寅虎が口にした『次』という言葉は即ち哲郎との試合を意味している。彼女は言外に勝利宣言をして見せた。

 

「…………申し訳ないが私は一つの戦い方しか知らない。たとえ相手が素手の女だとしても加減は出来ないぞ。」

「もちろん平気だよ。それくらい分かっててきてるし。 それに、

それを使う事は多分無いと思うから。」

「?」

 

煌箏は寅虎の言葉に疑問符を浮かべた。横から見えた寅虎の細い目の笑みが哲郎の目には不気味なものに見えた。

数秒 両者が言葉を発しなかった事を合図と受けとり、審判の男は口を開く。

 

「殺害以外の全てを認めます。

両者、構えて!!」

 

煌箏が棒を相手に突きつけた構えに対し、寅虎は身体を半身にずらしただけの構えとは呼べない代物だった。

 

「始め!!!」

「おらぁぁぁぁ!!!!」

「!!!」

『行った!!! 煌箏選手、持ち前の棒術を寅虎選手に振るう!!!!

━━━━━━━━━━━あぁっ!!!』

「!!!?」

 

煌箏が棒を振りかざす瞬間、寅虎は懐に飛び込んで間合いを潰し、煌箏を背負って投げ飛ばした。しかし哲郎の目はそれよりも重要な事実を捉えた。

寅虎は煌箏の棒を握っている部分のすぐ側を握り、そこを支店にして投げ飛ばした。それは相手を投げると同時に相手の武器を奪う《太刀取り》という技だ。

 

唐突に投げられた煌箏は必死に受身をとって後方を向いた時にようやく自分の手に頼りの武器が握られていない事に気が付いた。しかしその時には全てが遅く、彼の目は最後に棒を振りかぶる寅虎の姿を捉えただけだった。

 

「じゃあね。」「!!!」

ドゴッ!!!!! 「!!!!!」

 

寅虎の遠心力を乗せた棒の一撃が煌箏の脇腹に無防備に炸裂した。寅虎の身体が横を向くに連れて煌箏のくぐもった呻き声と彼の肋骨がひび割れる音が闘技場内に木霊する。

 

「やっ!」 「!!!!!」

 

遂に煌箏の足の踏ん張りが無くなり、寅虎は棒を振り抜いて彼の身体を闘技場の端へと弾き飛ばした。壁に激突した煌箏の意識は完全に断ち切れる。それは即ち試合の終了を意味していた。

 

「し、勝負あり!!!!」

『き、決まったァ!!!!!

試合時間、なんと十三秒!!!! 先程の哲哉選手の記録を大きく塗り替える結果となりました!!!

しかし、しかしこれは審議です!!!!』

 

(哲郎を含めた)その場に居た全員が熱狂ではなくざわめいていた。審議の内容は言うまでもなく寅虎の勝ち方が反則か否かという事だ。その中で寅虎だけが余裕の笑みを浮かべていた。まるでこうなる事を予測していたかのようだ。

 

 

 

***

 

 

審判達の会話が数分程続いた後、実況の男が口を開いた。

 

『えー、審議の結果、先程の寅虎選手の決まり手は反則とは見なされませんでした。

『相手の武器を奪う』事もまた立派な武術の一つであるというのが専門家の結論です!!! よって、寅虎選手の勝利は変わりません!!! 大会の最短記録を大きく塗り替える結果となりました!!!!!』

 

脇腹を抑えながら審判の男に肩を貸してもらいながら何処か羞恥心に歪んだ表情を浮かべて闘技場を去っていく煌箏を寅虎は含みを持たせた笑みを浮かべて見送った。そして彼女もまた闘技場を後にする。

一瞬で終わった試合に拍子抜けしたのか もしくは圧倒されたのか、二人を称える行動は観客席からは起こらなかった。それは哲郎も例外では無い。

そして彼は同時に確信していた。次の試合で自分と闘う時は更なる力を発揮するという事を。



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#242 REASON TO FIGHT 1 [The Tiger Family]

「…………………ふぅ。」

 

寅虎の試合を見届けた哲郎は再び控え室に戻り、腰を下ろした。そして頭の中で先程の光景を振り返る。彼女の試合時間は十三秒だったが、それは今までで一番密度の濃い十三秒だった。

 

(………相手の武器を奪って攻撃 か………………。

あんな闘い方があったなんて……………。)

 

寅虎の試合を見た哲郎の結論は一つの闘い方に拘る事が危険だ という事だ。煌箏がそうであるように、哲郎もそれまでの戦い方は素手での近距離に縛られていた。それは棒術を封じられた煌箏が為す術も無く敗北した事が物語っているように、哲郎にも当てはまる事である。

ルールで守られた試合の場での話だが、哲郎が身を置く実戦に活用出来る事もある。そういう点では寅虎に感謝するべきだ と哲郎はそんな事を考えていた。

 

「…………………ん?」

 

しばらく目を閉じていた哲郎は、控え室の畳に封筒が一つ落ちているのを見つけた。前世(日本)で見た茶封筒より一回りほど大きく、糊などで封をされた形跡は無い。

 

(…………特に何も書いてないな。

でもなんで僕の控え室(部屋)に封筒なんて……………………)

 

しばらく考えた結果、哲郎は罪悪感がありながらも封筒の中身を見る事にした。それで内容が分かれば本部に届けるつもりだ。

 

(? 何だこれ? 新聞記事……………………??)

「!!!?」

 

封筒の中身は新聞記事の切り抜きだった。日付は(帝国の暦で)十五年程前となっている。哲郎が驚いたのは日付では無く、その内容だった。

その内容は一人の男が領主の家を襲撃し、領主とその息子、そして彼等を警護する警備員の殆どが殺害されたという衝撃的なものだった。

 

(ぎ、犠牲者の数は、181人……………!!!

領主の名前は《繪縲(えなわ)》、息子の名前は《繪雅(えみや)》………!!

ん? もう一枚あるぞ…………………?)

「!!!!」

 

もう一枚の新聞記事を見た哲郎は更なる驚愕に襲われた。その記事に書かれていた内容も同じく十五年前の領主 繪縲に関する事柄だった。

内容は男の襲撃の数日前に起こった事件で、領主の息子 繪雅が襲撃犯と競り合いを起こし、激昂した繪雅が警護の男達を使って民間人を人質にとって襲撃犯の男に自分の要求を通そうとした。しかし襲撃犯がこれを無視し、あろうことか警護の男達を人質の民間人ごと(・・・・・・・・)斬り捨てて殺害し、逃走した というものだった。

この事件で八人の警護の男達と六人の民間人が犠牲になった と新聞記事は報じた。

 

「………………!!!! ウプッ!!」

 

あまりに衝撃的な内容に哲郎は記事の文字を呼んだだけでその場に実際に居合わせたかのような錯覚に陥り、吐き気を催した。

一つ不可解なのは二枚目の記事の日付が一枚目より後になっているという事である。

 

「………………!!! ハァ、ハァ、ハァ、……………!!」

(落ち着け………!! つまりはこんなところか…………!!)

 

二つの記事を見た哲郎が導き出した結論は、あくどい事を行っていた繪縲は情報機関に圧力をかけて不祥事を揉み消していたが、襲撃犯に殺害された事が逆に発端となって不祥事が明るみに出て新聞に記される事となった という事だ。

これを当てはめれば逆転した時系列にも説明がつく。

 

(……………落ち着け……………!!

鬼ヶ帝国だって《国》なんだ。歴史の中ならこんな事件だって起こるだろ。)

「…………にしても一体誰が、誰がなんの為にこんな記事を僕の部屋に…………!!!」

「あたしだよ。」

「!!!!?」

 

記事に夢中になっていた哲郎が振り返ると、そこには寅虎が立っていた。緊張状態にあった鉄壁は咄嗟に身構えて彼女と相対してしまう。しかしそんな事は気にも留めずに寅虎は哲郎の控え室に足を踏み入れる。

 

「あーダメダメ。試合以外でバトったら失格になっちゃうよー。」

「…………人の控え室に入って来るのは良いんですか!!?」

「うん。そんくらいなら大丈夫だよー。

あたしは話しに来ただけだから安心して?」

「……………………!!

分かりました。入って下さい。」

 

寅虎に攻撃の意志が無い事を冷静に見極め、哲郎は彼女の入室を許可した。

 

 

 

***

 

 

 

「…………それじゃあ確認しますが、僕の部屋にこの新聞記事を置いたのはあなたなんですね?」

「そうだよ。君には知って欲しくてね。」

「? 知る? 一体何を?

そもそもどうしてこんな事を?」

「その前にさ、あたしがなんで武道会に出たか、君に分かる?」

「待ってください。質問してるのは僕なんですよ?」

 

哲郎は不意に心の中の苛立ちを表情に出してしまった。そしてようやく得心する。

寅虎の人を食ったような話し方はかつて敵対した《転生者》姫塚里香と似ているのだ。哲郎が彼女を苦手とする理由がそれだ。

 

「その質問が君の質問の答えになるの!」

「~~~~~!!

もしかして、この記事に書いてある事件と関係があるんですか?」

「━━━━━そうだよ。」

「!?」

 

その瞬間、寅虎の顔から貼り付けたような笑みが消えた。まるでそれまでの笑顔が嘘のようだった。そして哲郎の手から二枚目の新聞記事を取って口を開く。

 

「……………この記事に民間人が六人殺されたって書いてあるよね?」

(!!! まさか…………!!!)

「………この事件で殺されたのがあたしの両親なの。」

「!!!!」



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#243 REASON TO FIGHT 2 [The Agents of Ogre]

哲郎のような人間でも生きていれば面倒事に遭遇する事はあり、テレビや新聞を見れば様々な情報も入って来る。そしてその中には目を覆いたくなるような悲惨な出来事も含まれる。過去に起こった事を改めて紹介するならば尚更だ。

しかし哲郎にとってそれは情報の範囲に留まり、記憶に残る事は滅多にない。先程の新聞記事に書かれている事も例外では無い()だった。寅虎の口からある事を聞くまでは。

 

 

 

***

 

 

新聞記事に書かれている犠牲者の中に自分の両親が居る。

寅虎の口からその事実が飛び出てからしばらくの間 居心地の悪い沈黙の時間が流れた。その最中にも哲郎は彼女の表情をじっくりと観察する。

先程までの貼り付けたような笑みは消え、押し潰されそうな重苦しさが顔から滲み出ている。

 

「…………あなたの両親が、殺された…………!!?」

「だからそう言ってるでしょ。

………そうだよ。繪雅のクズもそうだけど、何にも悪くないあたしのパパとママを、あいつは真っ二つにしやがったんだよ……………!!!!!」

「………………!!!!」

 

新聞記事の顔写真と寅虎の話だけで哲郎は再び、その現場に居合わせたかのような錯覚に襲われた。我が儘を通したいが為に無関係の民間人を人質に取った繪雅を肯定する要素は何一つとして無いし、その民間人達も纏めて殺害したその襲撃犯の男も避難されて然るべきである。

そして哲郎の頭には繪雅の卑劣に歪んだ笑みも血を撒き散らして胴が斬られる民間人達の惨劇も追体験するかのように想像出来た。

 

「…………という事はあなたが僕の部屋にこの記事を置いたのは、この事を知って欲しかったからなんですね?」

「そうだよ。これで分かったでしょ?

そんであたしがなんの為にこの大会に出たのかも。」

「………………………」

「この大会に優勝して鬼門組に入って、あたしの両親を殺したヤツに地獄を見せてやる(・・・・・・・・)為だよ。」

「!!!!」

 

その言葉を聞いた瞬間、哲郎は寅虎の瞳の中に闇を見た。身近な人の死を経験しているのは哲郎も同様だが、彼女の感情を理解する事は今の自分には不可能だと直感で理解した。

 

「………………その男を殺すんですか?」

そんなん(・・・・)で済ます訳ないでしょ? 捕まえてぶち込んで、今までやった事全部 後悔させてやるんだよ。」

「…………………!!!

(地獄を見せるってそういう意味か……………!!)」

 

この時の哲郎は知らない事だが、鬼ヶ帝国は死刑廃止国であり、その代わりに犯罪者への締め付けが強くなっている。

 

「(でもこれはいい機会だ。この人との話でこの国の実態を少しでも把握する!!!)

………仮に就職出来たとして、そんな凶悪な男を捕まえるような仕事を任せられるとは思えませんが。」

「確かにそうだね。 だからあたしは上を目指してる。知ってるかな? 鬼門組の一番上を。

鬼門組最高機関《陸華仙(ろっかせん)》。あたしはそこを目指してる。」

「ろっかせん……………!!?」

 

鬼門組最高機関 《陸華仙》

帝国の首都 豪羅京に本部を置く治安維持を目的とした組織であり、殺人などの凶悪犯罪の取り締まりや国民の監視を主な仕事とする。

一般国民にはひた隠しとなっているが任務の為とあらば拷問や自白の強要(裁判で証拠として扱うには裏付けが必要だが)も場合によっては肯定され、国民からは信用と恐れの感情を抱かれている。

そして新聞記事に書かれた事件を切っ掛けとして監察が強化され、揉み消しや隠蔽などを断じて許さない強固な組織へと成長した。余談だが、その結果としてそれまでひた隠しになっていた犯罪が軒並み明るみに出た事により、襲撃犯の男は犯罪者達からも憎悪の念を向けられている。

 

「…………あなたが大会に出た理由は分かりました。でもどうしてその事を僕に話したんですか。

もしかして、僕に負けろ なんて言いに来たんじゃ無いですよね。」

「まさか! そんな事じゃないよ。

あたしはただ知って欲しかっただけ。あたしには負けられない理由があるって事を。」

「…………それで僕が勝ちを譲る気になると思うなら、残念ですけどそれは期待しないで下さいよ。

実はさっきもあなたと同じような事を言う人に会いました。だけど僕の考えは変わりません。

あなたともその人とも、全力で相手をするだけです。」

「……………………」

 

寅虎の口角がほんの少しだけ上がった。哲郎の目にはそれが不気味な物に映った。

 

「君と話せて良かった。これで思いっきり闘えそうだよ。」

「………僕が出た理由は聞かなくて良いんですか?」

「それは試合が終わってから聞くよ。

賞金(お金)目当てでも成り上がり目当てでも、別に悪い事じゃないしね。」

「……………………」

 

その言葉を最後に寅虎は踵を返して部屋を去った。彼女の背中を見ながら哲郎は二つの事を考えていた。

一つは寅虎の印象。それは悪い人では無いが(悪い意味で)意志の強い人間だという事だ。そしてもう一つは彼女の口から明かされた《陸華仙》という組織が《転生者》との戦いに大きく関係してくるかもしれないという事だ。



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#244 The Gangster

「…………………………………」

 

寅虎が部屋を出てから、哲郎は座り込んで思考を巡らせていた。

彼女に勝ちを譲る気は毛頭ないが、彼女の人生を狂わせた事件とその犯人がこれから起こるであろう《転生者》との戦いに関係してくる可能性は十分にある。場合によってはその襲撃犯と《転生者》が深い関係を持っている可能性もある。

 

『━━━━━━コンコンッ』「!」

『おい哲哉(・・)、ワシじゃ。開けてくれ。』

「ああ、はい。 ただ今。」

 

扉を叩く音が聞こえ、向こうから虎徹の声がした。扉を開けると彼女の姿が視界に入る。

 

「虎徹さん。 どうしてここに?」

「厠と偽って時間を作った。少しばかり伝えておかねばならん事が出来たからな。兎も角中に入れてはくれんか。こんな所を人に見られたら面倒事になる。」

「分かりました。 どうぞ。」

 

虎徹を部屋に招き入れ、哲郎は扉を閉めた。時間が少ない事はすぐに理解出来た。

トイレと偽って作った時間など高が知れている。よく見積っても十数分が限界だろう。

 

「……それで、伝えたい事ってなんですか?」

「うむ。主が次に当たるあの娘の事じゃ。」

「!!!」

「あの娘、何処かで聞いた名じゃと思ったんだがな、この記事に載っとった事件の被害者遺族の一人じゃった。」

「!!!」

 

そう言って虎徹は懐から新聞記事の切り抜きを取りだした。寅虎が封筒に入れて哲郎に渡した二枚目の新聞記事と全く同じ切り抜きだ。

 

「む? どうした?顔色が悪いぞ。」

「…………虎徹さん、その事件ならもう知ってます。これですよね?」

「!!?」

 

哲郎も同じように二枚目の新聞記事を虎徹に見せた。それを見た虎徹は哲郎の予想通りに目を丸くさせた。

 

「な、何故 主がそれを!?」

「ついさっき本人(・・)が来たんですよ。記事を見せて事件を事細かに話して、そして犯人への恨み辛みを僕に話しました。」

「なんと…………!!

して、その後どうなった? 八百長でも持ち掛けられたか?」

「いえ。それはありませんでした。

ただ、なんの為に優勝するかを話したんです。鬼門組の陸華仙(トップ)に入って、犯人を捕まえるんだと息巻いていました。」

「………そうか。陸華仙か………………」

 

虎徹は目を閉じて驚きを消化するようにしばらくの間 唸った。《転生者(しかも哲郎が知る中でも飛び抜けてデタラメな能力の持ち主)》である虎徹にとっても陸華仙は強大な存在なのだろう。

 

「………………否、それは叶わんじゃろうな。陸華仙に入る事も彼奴を捕らえる事もな。」

「………そんなに狡猾なんですか。その犯人は。」

「そうでは無い。寧ろ彼奴に組を撒く頭は無い。顔も名前も既に割れとる。」

「!!!? ど、どういう事ですか!!?」

「そのままの意味じゃ。あろう事か奴は領主と倅を殺した時に、組に顔の写し絵と自らの名を明かしおった。

そして其奴の首に懸賞金も掛かっとる。ほれ、此が手配書じゃ。」

「………………!!!」

 

虎徹は丸めた少し大きめの紙を手渡した。そこには肩ほどに伸びたざんばら頭の彫りの深い顔立ちの男の顔が載っている。

 

(なんて顔だ………!! まるでこの世界の全部を恨んでるみたいだ…………!!! 名前は《鳳巌(ほうがん)》………………)

「!!!!?」

 

そして更に哲郎の目を引いたのはその下に書かれていた金額だった。そこには『二十万艮』と書かれていた。

 

(に、二十万艮 って事は…………、二十億円……………!!!!?)

「これで分かったであろう。彼奴にあるのは強さだけじゃ。どんな警備も跳ね除け、単独で鬼門組さえも相手取るほどの圧倒的な強さがな。

現に九年程前、奴と今の鬼門組の総監()と真っ向からぶつかって引き分けておる。

その長もこの武道会の優勝者なんじゃ。膂力だけならワシらとも張り合えるじゃろう。」

「…………その人の名前は?」

「其奴の名は《凰蓮(おうれん)》。其奴も元々は茨辿のしがない漁村の生まれじゃ。

故にこの武道会は勝てば人生逆転出来ると言われておるんじゃ。」

「……………………」

 

哲郎の頭はほんの数分で飛び込んできた様々な情報を処理していた。ラミエルは帝国の中に《転生者》と同格の存在は皇帝だけだと言った。その言葉に嘘は無いと確信しているが、それでもその二人に脅威を感じる。鳳巌の(正しく)鬼のような顔は背筋に冷たいものが走るような錯覚すら植え付けた。そして彼と引き分けた凰蓮も同様と考えられる。

 

「おう、いかんいかん。もうそろそろ時間じゃな。ワシは戻らねばならん。

………分かっておるじゃろうが、ワシから主に言える事は一つだけじゃ。向かってくる奴が何が為に闘おうとも、主は全力で迎え撃て。

其れがこの国の為になると信じるならばな。」

「…………………はい。」

 

その言葉を最後に虎徹は部屋を出て行った。

その背中を見て哲郎の決意は確固たるものになった。寅虎と真っ向から闘うという決意を。



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#245 The Silver Darkshadow 1 [Assassin on the Colosseum]

「……………………………

よし!」

 

虎徹が出払った後、哲郎は座り込んでしばらくの間 思考を巡らせていた。しかし意を決して立ち上がる。これ以上考え込んでも埒が明かないと思ったからだ。

 

(とりあえず、外の空気でも吸って来るとしよう。それにそろそろ試合も近づいているでしょ。)

 

 

 

***

 

 

(…………うわぁ、分かってはいたけどやっぱり凄いなぁ………………。)

 

外に出た哲郎を待っていたのは痛々しい負傷した武道家達の姿だった。腕を吊っている者も居れば顔に包帯を巻いている者も居る。

 

(………そう言えばこの国の医療ってどうなってるんだろ? 回復魔法が使える人とか居るのかな?

それとも轟鬼族が頑丈なのかな……………)

 

哲郎はかつて魔界コロシアムの場でレオルの目を潰した経験がある。そんな事が出来たのは偏に回復魔法という存在があったからだ。それが無ければ決意は固まらなかっただろう。

 

「おいおい早く急げ!!」

「さっさとしねぇと見れなくなっちまうぞ!!」

「!?」

 

怪我人達に気を取られている所に前方から慌てる様子の声が聞こえて来た。視線を向けると手当を施された男達が試合会場に向かっている。

 

「すみません。 どうかしたんですか?」

「どうしたもこうしたもねぇよ!! 次の試合は凄ぇぞ!!! 透桃って奴がまた暴れるんだ!!!」

「!!」

 

透桃

彼女はつい先程 大金星を上げて哲郎と接触した少女だ。彼女もまた武道会に勝利する目的があり、同じ三の集に振り分けられた武道家だ。

彼女の試合が見れる事も無論の事だが哲郎は別の事に驚いていた。

もう既に三の集の二回戦が始まろうとしているという事だ。

 

 

 

***

 

 

『さぁ皆様!!! 波乱の展開が続く二回戦もいよいよ折り返しに差し掛かろうとしています!!!

そして、その始まりを飾るに相応しい対戦がここに実現しました!!!

東の方角には彼女、前試合にて優勝候補 崹按選手を華麗な動きで打ち破って見せた若き新星!!

透桃選手!!!!

続いて西の方角!!! 黒い服に身を包み、流れるような動きで勝利を掴んだ、《灘馳(せば)》選手!!!』

 

透桃の前に黒い服に身を包んだ男が立っていた。顔の下半分も黒い布で覆い、前髪も長く片目が隠れている。

 

『そしてこの灘馳選手には驚くべき秘密が隠されていたのです!!! 彼の要望でこれを明かすのは二回戦以降となっておりました!!!』

「!?」

 

実況の男の口から出たのは試合開始の合図ではなく灘馳という男の謎を明かすというものだった。それに触発されたのか観客席からは少しばかりざわめきや野次が起こった。

 

『なんと!!! この灘馳選手、かつて鬼ヶ帝国に栄えた伝説の忍、《灘驍(せぎょう)》の血を引く男にして、妖術使いだと言うのだから驚きです!!! そして事前申請した事により、この武道会の場でも使用が認められております!!!!』

(!!? 忍!? 妖術使い!?

それって確か……………!!)

 

実況の男の口から出た『忍』と『妖術使い』という単語に哲郎は聞き覚えがあった。それは帝国に行く前の事前情報としてノアから聞いた情報だ。

二千年前の帝国には忍という職業があり、彼等は諜報や用心棒などを生業としていた。そしてその第一人者の一人として帝国の歴史には《灘驍》という人物が偉人の一人として語られている。

もう一つの情報である妖術使いは結論から言うと魔法使いと同義である。轟鬼族は魔力が乏しく筋力が優れているのが普通だが、例外的に魔力に恵まれた種族が存在する。帝国では魔法を妖術と呼んで扱い、鎖国体制によってそれは独自の進化を遂げた。そして灘驍も優れた忍であると同時に優れた妖術使いとして名を馳せていた。

 

「殺害以外の、全てを認めます。

両者、構えて!!」

 

透桃と灘馳は構えという構えは取らなかった。

両者共に身体を半身に移動させただけの構えとは呼べないものだったが、臨戦態勢に入った事は明白だ。

 

「始め!!!!」

 

試合開始の銅鑼が鳴ったが、両者は動きを見せなかった。ここまで言葉らしい言葉は全く発していない灘馳だったが、思考を巡らせていた。

 

(………さぁて、どうしたもんか…………………

もう妖術使っても良いんだがな。いかんせん手の内が見えねぇし。やっぱ小手調べから━━━━━━━)

「ッ!!!?」

 

後に灘馳は透桃から目は離していなかったと語っている。しかし透桃は一瞬で灘馳との距離を詰め、懐に飛び込んだのだ。

 

「うおわっ!!!?」

 

武道会の場で初めて灘馳は声を出した。

透桃は灘馳の首を狙って指による攻撃を放った。それを灘馳は上半身を引いて躱す。

 

『い、行ったァーーーーー!!!!

先手を仕掛けたのは透桃選手!!! 一瞬で距離を詰め、強烈な貫手を繰り出しました!!!

しかし灘馳選手はそれを躱す!!! なんという早業!!! 我々の目には何が起こったのか確認できませんでした!!!!』

 

「………………ッ!!」

 

透桃の貫手は急所は外れたが頬に切り傷を与えた。そして灘馳だけが透桃の異常な速さの謎を理解した。

 

(………………!!!

今の、間違いなく忍がやってる動き方だった…………!! ここまでやられちゃ仕方ねぇ。

ちょっと早いけど妖術 解禁するか!!!)



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#246 The Silver Darkshadow 2 [Blood is Continuable]

かつて鬼ヶ帝国に栄えた忍という職業。

彼等が使用する失われた基本技術が存在する。それを身に付ければ武術において圧倒的な有利を獲得する事が出来る。

 

そして哲郎もそれを視認し、そして理解する事が出来た。それが忍特有の技術である事は知る由もないが、透桃の移動の謎を解く事が出来た。

 

(…………さ、《(さざなみ)》だ…………!!!

今の透桃さんの動き、漣にそっくりだ…………!!!)

 

それは哲郎が身に付けている魚人武術の技の一つであり、その正体は精度の高い《膝抜き》である。身体の力を抜いて一瞬浮かぶ事で全身の関節を自由にし、移動したい方向に身体を傾ける。そうする事で筋力で動くよりも素早い移動を可能にする。

魚人武術によって高められたそれは更なる速度を獲得した。そして帝国、延いては忍も同様に独自の移動方法を可能たらしめたのである。

 

 

 

***

 

 

 

(す、凄い…………!!! 首に当たったと思ったのに……………!!)

(すっげえな。絶対に躱したと思ったのによ。忍の特訓をサボったつもりは無いんだがな……………

にしても今の動き、こいつまさか…………………)

「なぁ、あんた……………、」

「っ!?」

 

灘馳は先程 武道会の場で初めて声を出し、この時に初めて言葉を発した。

 

「もしかしなくてもあんたの先祖様、《透臶(とうぜん)》だったりしないか?」

「!!? と、とうぜん…………!!?」

「だったらそんな名前を聞いた事が無いか? その界隈じゃ結構有名な名前だと思うんだが。」

 

透臶

その名前が灘馳の口から出ると観客席から再びざわめきが起こった。帝国の歴史に詳しい者にとって有名な名前だからだ。

彼は灘驍と同年代に活動した忍であり、歴史上の偉人の一人として語られている。歴史愛好家の間では灘驍と透臶のどちらが優れた忍かというのが格好の議題となっている。

 

「そ、そういう名前なら一回だけ聞いた事ありますけど……………

一回 ご先祖さまにどんな人が居るか調べた時に……………」

「……………………

(やっぱりそうかよ……………)」

 

試合が突如として中断し、そして明らかになった(本人も知らなかった)透桃の秘密に観客席からは更なるざわめきが起こった。その事が事実ならば時を超えて帝国に名を馳せた二人の忍の血を引く者の対戦が実現した事になるからだ。

そして灘馳は今のやり取りで全てを確信した。目の前の少女は透臶の血を引く者であり、現代に復活したくノ一と呼べる存在であるという事を。そして自分の全力を以て迎え撃って然るべき相手であるという事をだ。

 

『なんと!! まだ可能性の範疇ではありますがなんと!! 透桃選手にあの透臶の血が流れている可能性が浮上しました!!!

現代に復活した二人の忍が相対するこの対戦は、ここからどのような展開を見せるのでしょうか!!!』

「………あの、すみません。」

『!?』

 

緊迫した試合の最中、灘馳は徐に手を挙げた。

声を掛けながら審判の男が灘馳に駆け寄る。

 

「灘馳選手、どうかしましたか?」

「ちょっと早いとは思うんですけど、もう妖術を使っても良いですよね?」

「はい。事前申請は完了しておりますので問題はありません。」

「はい。」

 

その言葉を聞いて透桃は身構えた。灘馳が妖術を解禁する、即ち全力を出すと宣言したからだ。

灘馳は懐から紫色の巻物を取り出し、広げた状態で空中に留まった。鬼ヶ帝国では妖術(魔法)を使う際には魔導書の代わりに巻物を使い、魔法陣の代わりに手で特殊な印を結ぶのだ。そして灘馳が巻物を広げると観客席は静まり返った。この武道会の場で妖術(魔法)が使われた事は数える程しか無いからだ。

 

「…………透桃さん だったか?

あんたは俺が思ってた以上に強そうだから、こっからは加減は無しで行くぞ。」

「…………………!!!」

 

数秒の間、息を飲むような緊迫した時間が流れた。透桃自身 妖術(魔法)がどのようなものであるか知識が無いからだ。

そしてそれは突然に訪れた。

 

金属創成妖術

(しろがね)手裏剣》!!!!!

「!!!! うわっ!!!!?」

(!!! これを躱すのかよ!!!)

 

灘馳の妖術(魔法)は後ろに構えた手で構築され、そして放たれた。灘馳が扱うのは金属を生み出し自在に操って刃物を作り出す魔法であり、巨大な手裏剣を作り出して透桃に繰り出したのだ。

そして透桃は上半身を引いて手裏剣を躱した。手裏剣は反動で闘技場端の壁に突き刺さった。その事が示していたのは灘馳の妖術(魔法)は人を簡単に死に至らしめる威力を持っているという事だ。

 

『しゅ、手裏剣だァーーーーー!!!!!

なんと灘馳選手、妖術で手裏剣を作り出した!!! なんという妖術の精度!! これが灘驍の血を引く者の実力なのか!!!!』

 

透桃は背後に広がる光景に愕然としていた。自分の妖術の威力に驚愕する透桃に灘馳は追い討ちと言わんばかりの言葉を掛ける。

 

「………………!!!!」

「悪いけどこれくらいの事は簡単に出来るぞ?

武器術も武術の内なら妖術だって忍が持つ立派な技だ!!!」



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#247 The Silver Darkshadow 3 [Win To Dream Come Ture ]

透桃は幼少の頃に両親を事故で亡くしており、武術に長けた壮年の女性が李苑が成人するまで親代わりとなり、そして武術の才能があった透桃の教育も行った。そんな彼女の教えの一つに『力を入れずに立つべし』というものがある。それが意味するところを透桃は一人立ちをしてから数年後にようやく理解した。

その教えは加速の為の教えだった。力んで踏み出したのでは加速に時間がかかる。それを解消する為の技術を端的に例えた教えである。

 

そしてもう一つ、その女性は透桃に教えを託した。どうにもならない事に直面した時には、指を組んで(・・・・・)冷静さを取り戻すように と。

 

 

***

 

 

「悪いけど手加減は出来そうにない。妖術も武器も全部使うぞ。」

「……………!!」

 

灘馳は広げた巻物に手を乗せ、その手を握った。握った手が光り、それを引き抜くと彼の手には小型の刃物が握られていた。創作物の中での話だが、哲郎はその形に見覚えがあった。

 

(………あれはクナイ……………!!!)

金属創成妖術

(くろがね)苦無(くない)》!!!

『こ、今度は苦無だ!! 灘馳選手、忍の十八番の一つ、苦無を何も無い所から作り出した!!!』

 

菱形の錐の形状をした両刃の刃に手の平大の柄が付き、反対側の先には金属の輪が付いている。創作物で得た情報だが、哲郎の知るそれの使い方は手裏剣とは違って近距離で斬り付けるための武器だ。

そして近距離戦を仕掛ける事を透桃も予想した。

 

(…………小型の刃物…………!!

なら、近付いてくるはず……………!!!)

(そうすぐには近づかねぇー)

「よっ!!!!」

「!!!!?」

 

灘馳は距離を詰める動きで透桃を騙し、その動きで身体を捻って苦無を投げ付けた。辛うじて躱すが咄嗟の動きによって大きな隙が生じる。灘馳が用いた苦無の用途がそれだった。

 

「!!!」

「お望み通り来てやったぜ。 オラッ!!!」

 

透桃の体勢が崩れた瞬間を狙って灘馳は膝を抜いて関節に自由を与え、身体を倒して一気に距離を詰めた。透桃の眼前で跳び上がり、体重を乗せた蹴りを放つ。

 

「はっ!!!」「!!?」

『すっ、透桃選手、蹴りを捌いた!!!』

 

実況の言う通り、透桃は灘馳の蹴り足に手を添えながら身体を並行に滑らせ、蹴りの力を下方向にずらした。そのまま足首を掴んで強引に地面に投げ付ける。

 

「!!?」

『せ、灘馳選手 受身を取った!!!』

 

灘馳は投げられる瞬間に手を付いて腕で衝撃を吸収し、投げを切り返した。足首が透桃の手から離れ、灘馳は逆立ちの状態で自由になった。

 

「おらぁっ!!!」

「!!!」

『灘馳選手の強烈な蹴り!! まともに入った!!!』

 

灘馳は地面に付いた両手を交差させてそれを戻す動きを回転に変え、遠心力を乗せた蹴りを透桃に放った。咄嗟の攻撃に反応しきれず、透桃は両腕で防御する。

しかし灘馳の蹴りは強く、踏ん張り切れなかった透桃は闘技場の端まで吹き飛ばされた。

 

『透桃選手、吹き飛ばされた!!!

実力が未知数の初出場の二人が相対するこの対戦、先手を打ったのは灘馳選手です!!!』

 

互いに有効打を打てずに膠着状態が続く対戦だったが、透桃にダメージが入り灘馳が一歩前に出た。しかし灘馳は勝利を確信していない。

 

(………今の蹴り、まともに入ったにしちゃ手応えが弱かった(・・・・)。多分 咄嗟に足を浮かせて衝撃を少しだけ流しやがった。

まだ安心は出来ねぇな……………)

 

灘馳は透桃の射程の外に居る状態で巻物を広げ、大きな手裏剣を作り出した。透桃の戦意が途切れておらず、まだ何かを仕掛けてくるという確信があったからだ。

 

(……………つ、強い…………!! このままじゃ負ける…………!!!

そんなの、そんなのダメだよ…………!!! 負けたら、私が負けたらお姉ちゃんが……………!!!)

 

透桃が恐れた事。それは哲哉(哲郎)の気が変わり、自分もまともな成績を残せずに敗退する事だ。そうなれば姉を救う事は絶望的となる。

 

「透桃さんよ。あんたも理由があってここに来たんだろうが、強くなけりゃ意味がねぇよ。

これは挑発じゃねぇ。俺も武道会に敗けて行く奴を沢山見てきた。だからこれから起こる事は単純だ。

俺かあんた、どっちかの()が終わるって単純な事だけだ!!!」

「!!!! (違う!! 終わるのは夢だけじゃない!!!)」

 

透桃の勝利に掛かっているのは姉の人生。それが自分の我儘である事は分かっていた。言うまでもなく八百長がまかり通る筈も無い。だからこそ姉を助ける方法は勝利しかない と直感で理解した。

透桃は立ち上がり、それを見た灘馳も苦無を握って備える。

 

『た、立った!! 透桃選手、立ち上がった!!!』

(これ以上長引かせるのは危険か。

地面に組み伏せて苦無を突き付け、負けを認めさせる。これで行くか。)

 

誰もが灘馳の勝ちが濃厚だと思っている中で、透桃の思考だけがその逆を行っていた。



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#248 The Silver Darkshadow 4 [RAKSHASA]

逆境に立たされた透桃は姉の顔を思い浮かべていた。本来 精神的苦痛になり得るはずのその行動は逆に彼女の心を奮い立たせた。

 

(━━━そうだ。勝つしかないんだ。

勝たなきゃお姉ちゃんは一生捕まったまま!!! お姉ちゃんと離れ離れになるくらいなら、

私は武道家にでも何にでもなってやる!!!!)

『!!!?』

 

透桃は全員の反応速度を超えてかつての師匠の教え(・・・・・)を実行した。冷静さを取り戻す為に指を組む教えだ。

透桃にとっては心を冷静にする為の所作に過ぎないものだったが、灘馳の目はそれの正体を理解した。

 

(し、忍の印!!!?)

 

それは、魔力(妖力)をもつ帝国民が魔法(妖術)を使用する方法の一つである《印》だった。

人差し指と中指を伸ばして残りの指を全て組む印、両手を広げて親指と人差し指で輪を作る印、全ての指を組んで祈りを捧げるように握る印の三つを一秒にも満たない速度で組む。

 

(こ、こいつぁヤバい!!!)

『出たァ!!! 鐐手裏剣!!!

このまま決まるのか!!!?』

━━━━━ガッ!!! 「!!!!」

『なっ!!!? つ、掴んだ!!!!』

 

透桃は飛んでくる手裏剣を片手で掴んで止めた。その動きのままに身体を回転させて手裏剣を投げ返す。灘馳は咄嗟に躱したが、体勢が崩れて隙が生まれた。

 

「!!!」

 

透桃は膝抜きを使って灘馳との距離を詰めた。その手は拳を発射する構えで握られている。灘馳は咄嗟に回避ではなく防御を選択した。

 

金属創成妖術

赤銅壁(しゃくどうへき)》!!!!

ドゴォ!!!! 「!!!!」

『は、入ったァーーーー!!!!』

 

灘馳は咄嗟に腹の前に金属の板を展開し、防御を試みた。しかし完全に発動出来なかった事もあり、透桃の拳は金属板を凹ませて灘馳の腹に炸裂した。

攻撃を受けて吹き飛ばされた灘馳はくぐもった息を吐きながら顰めた顔で透桃を見る。今の攻撃で彼女が何をしたのかを理解した。

 

(ま、間違いない!!! 今のは忍の歴史に伝わる身体強化妖術の最高峰、《羅刹(らせつ)の術》……………!!!!)

 

羅刹の術

それは身体機能を底上げする妖術において一番高度な術であり、それを発動した者は人体の常識を超えた能力を発揮する事が出来る。透桃の先祖(と灘馳は推測した)である透臶もこの羅刹の術を体得したと言われている。

 

(━━━━私は、私はお姉ちゃんの為に!!!!)

(まさかあんたがこんなに面白い(・・・)奴だったとはな!!!)

『止めぇーーーーーーーっ!!!!!』

『!!!!?』

 

透桃が更に追撃を掛けようとした瞬間、審判の男の野太い声が闘技場全体を震わせた。それに反応した全員が一斉に実況の方を見る。直後、実況の男が口を開いた。

 

『た、ただいま確認しました結果、透桃選手の身体から身体強化妖術を使用した形跡が確認されました!! しかし透桃選手は妖術の使用の事前申請を行っておりません!!!

よって、透桃選手を反則と見なし、彼女を失格とします!!!!!』

「!!!!!」

 

刹喇武道会の場で武器や妖術を使う際には受付の際に事前申請が必要となる。それを行えず(・・・)に妖術を使用した透桃を審判は反則による失格と判断した。

 

「そ、そんな………!! 私……………!!!」

「ちょっと待ってくれ。」

『!!?』

 

しかし、灘馳はそれに意を唱えた。

 

「灘馳選手、何か?」

「審判さん。そいつぁ失格じゃねぇ。

多分そいつはたった今(・・・・)妖術をモノにしたんだ。だから事前申請なんか出来る訳が無い。それに、確か規則にはこうも書いてあった筈だ。

『事前申請が無くとも武器や妖術の使用を相手が承諾した場合には此を肯定する』ってな。」

「た、確かにそう書いてあります。ですが、貴方は━━━」

「もちろん答えは是だ。失格負けなんかでこんなに面白い(・・・)相手を失いたくない。」

「り、了解です。

続行!! 反則負けは撤回!!! 試合続行です!!!」

 

灘馳の承諾によって反則負けは覆り、試合の続行が決まった。まだこの見応えのある試合が見られる事に観客達は興奮し、熱狂の声を上げる。

 

「…………い、良いんですか!? 私、もしかしたら(・・・・・・)ズルをしてしまったかもしれないのに………………」

「良いさ。無意識にやった事だったんだろ?

━━━だけどな、あんたが妖術が使えるって分かった以上、もう加減は出来ない。

俺の全力を以て相手をする。それで公平だ!!!」

「……………!!! はいっ!!!」

 

灘馳は広げた巻物に両手で触れ、妖術を発動した。腕や脚を金属の装甲で覆い、両手に苦無を握って背中では巨大な手裏剣が回転して発射の時を待っている。

 

『さ、さぁ 波乱の展開が続くこの対戦、灘馳選手が遂に本気を出しました!!!

二転三転するこの試合、いよいよ最終局面を迎えるのでしょうか!!!』



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#249 The Silver Darkshadow 5 [LAST ASSASSIN]

灘馳は妖術(魔法)を駆使する事で全身を装甲で覆い、両手に苦無を構えた忍へと姿を変えた。最早これを武術と呼ぶべきかすら怪しいが、透桃を含めてこれを卑怯と呼ぶものは居ない。

透桃も灘馳と同様に力をつける方法を持っているからだ。

 

(………先生が教えてくれたこの動き、まさか妖術の印だったなんて……………!!!

だけどこれで闘える。哲哉さんをあてにしすぎちゃダメだ。私が、私がお姉ちゃんを助けるんだ!!!!)

「《羅刹の術》!!!!!」

『!!!!』

 

透桃は印を組んで再び《羅刹の術》を発動した。使えるという確信と共に発動したそれは先程よりも遥かに強く、透桃の髪は気流に乗ったように逆立ち、その気流は灘馳の所にまで到達した。

 

『出たァーーーー!!!! 透桃選手、再び羅刹の術を発動させた!!!

両者 臨戦態勢に入りました!!! 大波乱の展開が続くこの試合、果たしてどのような結末を迎えるのでしょうか!!!』

 

羅刹の術を発動した透桃が一番最初に感じた事は、『自分が研ぎ澄まされている』というものだった。感覚は鋭敏になり、肌や鼻はあらゆる物の気流や匂いを正確に察知し、眼は灘馳の全てを正確に捉えた。

心の中にあるのは恐怖では無く『動ける』という確信だけだ。

 

『━━━━━う、動きません!!! 両者、全く動きを見せない!!

あっ!!!』

 

先に動きを見せたのは灘馳だった。しかし攻撃の意思はなく、ただ出方を伺ってじりじりと距離を詰めるだけだ。そしてそれは透桃も同様である。上半身の構えを保ったまま地面を摺り足で進み、二人の距離は少しづつ縮まってくる。

 

『━━━つ、遂に両者がお互いの射程距離に入った!!! 必ず攻撃が相手に届きます!!!!』

 

静まり返り、一瞬が何分にも何時間にも引き延ばされたかのように感じる時間が闘技場の中に流れた。しかしそれは唐突に終わりを告げる。

攻撃が届く軌跡を見出した灘馳は透桃の肩に苦無を振るった。

 

「!!!」

『ああっ!!! 透桃選しゅ━━━━━ッ!!!!』

 

感覚が研ぎ澄まさた透桃の眼は灘馳の動きを正確に捉え、苦無を握る手首を払い、身体を倒して地面へと急降下させた。

しかし灘馳はそれを想定し、隠し球を放つ。

 

(それを読んでたぜ!!!!)

「!!!」

金属創成妖術

《鐐手裏剣・炸裂乱刃》!!!!!

 

灘馳の背中で回っていた巨大な手裏剣が爆発し、大量の小さな手裏剣となって透桃に襲いかかった。苦無に集中させて手裏剣での奇襲を狙う。それが灘馳の作戦だった。

 

(凌げ!!! 手裏剣を弾いて隙を作れ!!!

それを利用して俺はあんたを組み伏せて負けを認めさせ━━━━━━━)

「!!!!?」

『なっ!!!? 透桃選手━━━━━━━!!!!』

 

灘馳の予想は完全に外れた。

透桃は目や首などの急所へ飛んでくる手裏剣のみを弾き、残りの手裏剣を全て身体で受けた。

その間、透桃の片手は灘馳の後頭部を常に掴んでいる。反撃する余裕は完全に絶たれた。

 

 

ズドォン!!!!! 「!!!!?」

『な、投げが決まったァーーーーー!!!!!』

 

投げによる土煙が晴れた所に広がっていた光景は透桃が灘馳を組み伏せ、喉元に貫手を突き付けているというものだった。武道会においては実戦で止めが刺せる状態にあれば勝利が認められる。

 

「勝負あり!!!! 勝者、透桃選手!!!!!」

『き、決まったァーーーーーーー!!!!!

武器、妖術、そして規則!! 全ての要素を兼ね備えて怒涛の展開を見せたこの大一番を制したのは透桃選手!!!!

現代に蘇った二人の忍がぶつかり合ったこの試合は、帝国の歴史に刻まれる事でしょう!!!!!』

 

観客席は熱狂に包まれ、素晴らしいものを見た後の目をしていた。そして哲郎もこの試合から様々なものを得た。互いの矜恃をぶつけ合う事は、やはり素晴らしいものだと再確認した。

 

「~~~~あークソッ、負けたァ…………!!」

「か、勝った…………!!!!」

 

灘馳は地面に倒れたまま手で額を抑えて敗北を実感し、透桃も自分の勝利を実感出来ないままに頽れ、灘馳の隣に仰向けに倒れた。

その時間がしばらく経った後、両者は身体を起こして座りながら小声で言葉を交わす。

 

『いやぁ完敗だ。

なぁ、もし差し支えなかったら教えてくんねぇか? あんたはなんでこの大会に出た?』

『!!!

…………あまり大声じゃ言えないんですけど実は、お姉ちゃんが悪い奴らに捕まってて、だからこの大会で勝って鬼門組に入ろうと思ったんです。

そうすればお姉ちゃんも助けられると思って……………』

『!!!

━━━なるほどな。そりゃ勝てねぇ筈だ。

そんなに芯がはっきりしてる奴に勝てるわけねぇや。』

『き、恐縮です…………』

 

両者の健闘を称える声が響く中で灘馳と透桃は闘技場を去って行く。その様子を見ながら哲郎は決意を固める。

これから対する寅虎と全力でぶつかる事を。



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#250 Tiger Triple Stinger 1 [Unfair or not]

『ただ今より、刹喇武道会 二回戦第十試合を開始致します!!!

先程の手に汗握るような組み合わせに見劣りしないような対戦が実現しました!!!』

 

透桃と灘馳の試合から十数分が経ち、闘技場には哲郎と寅虎が向かい合って立っていた。

 

『先ずは東の方角!!! 一切の無駄の無い動きで鋼欒選手をたった四十九秒で沈めて見せた、哲哉選手!!!

対する西の方角!!! 刃物のような切れ味のある身のこなしで哲哉選手を超えるたったの十三秒で試合を終わらせた、寅虎選手!!!』

 

哲郎の前には寅虎が貼り付けたような笑みを浮かべながら立っている。しかし哲郎の目にはそれが不気味なものに映った。彼女の目の奥に執念と呼ぶべき薄気味悪い何かを感じていた。

 

「………始める前に、一つ答えて下さい。」

「?」

「あなたが両親の仇を討つのに、僕は邪魔ですか?」

「まさか!そんな事思ってるならこんな所に出てないよ。 ってゆーかさ…………、

━━━あんまり人前でその事話さないでくれる? 同情とかして欲しくないから。」

「!!!」

 

寅虎の顔に一瞬の内に影が差し、凄むような、それでも相手にしか聞こえない程の小声で哲郎を黙らせた。彼女のその豹変ようで確信する。

彼女に勝利する事は容易ではないという事をだ。

 

「殺害以外の全てを認めます。

両者、元の位置へ!!!」

 

哲郎と寅虎は踵を返し、闘技場の中心から一定の距離を歩いた。その後に振り返るその行動が試合開始の合図となる。

 

「それでは二回戦 第十試合、始めて下さい!!!」

 

遂に哲郎と寅虎の試合が始まった。しかし両者共 動きは見せない。哲郎も寅虎も相手の手の内がほとんど分かっていないからだ。

 

『………う、動かない!!

両親、全く動きを見せません!!』

「…………武器はどうしたんですか?」

「?」

「確か言ってましたよね? 『武器は次に取っておく』って。今使わないんですか。」

「……別に申請は終わってるから使えるけど、良いの?君は使わないっぽいけど。」

「気を遣ってくれるのは嬉しいですけど、出し惜しみして負けたりしたら後悔しますよ。

もしかしたら一瞬であなたを抑えて負けを認めさせる事が出来るかも知れませんし。」

「……………………………」

 

哲郎は自分の言葉が寅虎の神経を逆撫でする事を分かっていた。そして両親の仇を求めて奔走する彼女を止める事に対して罪悪感と言えるものも感じていた。

 

(………なんか異世界(ここ)に来てからの僕って、ずっと罪悪感と戦ってるよなぁ………………)

 

哲郎は依頼を受け、その度にそれと罪悪感を天秤に掛け続けている。しかしそれでも彼の意思が揺らぐ事は無い。寅虎から勝利をもぎ取ることが帝国を救う為に必要ならばそれを達成するのみだ。

それならば哲郎が彼女の為に出来ることは一つしかない。彼女の憎しみが少しでも和らぐ為に全力を受け止めるだけだ。

 

「哲哉選手! 寅虎選手!!

あと一分以内に攻撃を開始しなければ、試合放棄と見なしますよ!!」

『!』

 

膠着状態が続く中、審判の男からの檄が飛ぶ。

武道会の場は闘う為にあるのであって会話を交わす為の場所で無いのだから当然の指摘だ。

 

「………本当はこんなもの使いたくなかったんだけどな。

だってこれはパパとママが生きた証(・・・・・・・・・・)なんだからさ。」

「!?」

『い、寅虎選手 背中に手を掛けた!!!

武器の使用を決意したのでしょうか!!?』

 

寅虎は背中に手を伸ばし、後頭部で拳を握った。背中に仕込んだ武器に手を伸ばしたのだ。

 

「もしかしたら手足のどっかが飛んじゃうかもしれないけど、ゴメンなんて言わないから

ねっっ!!!!!」

「!!!!?」

『!!!! あ、あれは━━━━━!!!!』

 

その時の哲郎と寅虎の距離は腕二本分以上離れていた。本来なら攻撃など届くはずもないが、哲郎の眼前を超高速で何か(・・)が飛来した。上半身を反らせてそれを強引に躱す。

その時、哲郎の目は奇妙な光景を捉えた。頭上を通過する物体は刃物だった。しかし刀とは違って鍔は無く、太い棒に大きな刃が付いた奇妙な形の武器だ。

 

(は、刃物!!?

でも馬鹿な!! この距離から届く程長い武器をどうやって隠し持って━━━━━━)

「!!!? な、何だ……………!!!?」

「どう? 驚いた? 良いでしょコレ。」

 

寅虎が取り出した武器は奇妙な形をしていた。

三つの腕程の長さがある金属棒が短い鎖で繋がり、端の棒に反った形の刃物が取り付けられている。

 

(三つの棒を束ねて短くしてたから背中に隠せたのか………………!!)

『さ、三節棍だァーーーーーーー!!!!

その昔、限られた部族のみが扱ったと言われる幻の武器!!! それがこの武道会の場で火を吹いたァーーーー!!!!』

(!!? 三節棍!!?)

 

哲郎は耳馴染みのない単語に警戒心を強めた。

寅虎の隣では大きな円が不気味な音を立てながら回っていた。



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#251 Tiger Triple Stinger 2 [Father’s rod. Mother’s blade.]

(剣とは戦った事があるけど、あんな変な形の武器、見た事ない………!!

それに気になるのは……………)

 

哲郎の注意は二つの事に向いていた。

一つは寅虎が持つ《三節棍》と呼ばれた武器の事。そしてもう一つはそれを見た観客席からざわめきが起き始めた事だ。

 

「━━━おい、あの模様(・・)、まさか………………!!!」

「なんであの子が持ってるんだ…………!!?」

「まさか、娘…………!!?」

(娘!!? 誰の!?)

 

哲郎の耳は『娘』という単語に反応した。

そして頭の中で一つの可能性を見出し、その真偽を確かめる為に寅虎に問い掛ける。

 

「…………もしかしてその武器、お父さんかお母さんの形見か何かですか?」

「!!」

「同情して欲しくないと言うなら、それはしません。ですがあなたが何の為に戦うのかを知らなければ、僕は本気で戦えないんです。」

「……………………… 分かったよ。

だけど君のさっきの考えは間違い。

()じゃない。 さっきも言ったでしょ。

これはパパとママが生きた証だって!!!!」

「!!!」

 

寅虎は棒を振り回し、先端に付いた刃を哲郎に何度も見舞う。その傍らで実況の男は一つの事実を口にする。

 

『し、試合が激しくなっている最中ですが、ここでたった今入ってきた情報です!!!

なんと寅虎選手!! あの《寅號(いんごう)》氏と《琳虎(りんこ)》女氏の間に産まれた娘であると判明しました!!!』

『!!!?』

 

 

***

 

 

「……………ええ。人目見てはっきり分かりましたよ。何年経ってもあの棍の模様は忘れません。

今でもなんであの場(・・・)に居れなかったんだって後悔してるんですから。」

 

記者からの質問にそう答えたのは刹喇武道会の観客の一人である《盾輟(じゅんや)》という男である。彼は当時 凄腕の武道家として尊敬された《寅號》に憧れて武の道に入った。

寅號は成年すると、修行先の萬瑪地方で刀鍛冶の家出身の女性《琳虎》と恋に落ち、そしてその間に寅虎という娘が産まれた。それが十八年前の話である。

 

「本当はあの時、繪雅の思い通りになる筈は無かったんですよ。寅號さんはあんな腰巾着なんて蹴散らして人質を助けられる筈だったんです。あの男さえ居なければね。」

 

盾輟の頭に浮かぶのは十五年前の日の事である。

繪雅の暴挙の犠牲となった民間人の中には寅號と琳虎の夫婦も居た。寅虎が居なかったのはその日が二人の結婚記念日であり、夫婦水入らずの外出を楽しんでいたからである。

家庭を持ったとはいえ寅號の実力は衰えず、繪雅が隙さえ見せれば人質を全員助け出す事は造作も無い事だった。その様子を伺う時間が彼と家族の運命を分けた。彼の誤算は繪雅と対峙する男がどのような人間かを知らなかった事であろう。

 

「結果は知っての通りです。抵抗する暇すら無く斬り殺されたんですよ。

なんであんな残酷な事が出来るのか。情けない事を言うようですが、一刻も早く捕まって欲しいと願うばかりですよ。」

 

盾輟は無力感に顔を歪め、拳を握り締めた。

その発言は即ち自分では犯人である鳳巌に敵わないと認める事になるからだ。

 

 

***

 

 

「…………………!!!」

「君は武器とか使わないの!? それならこのまま押し切っても良いけど!!?

ママの刃(・・・・)の錆にしてあげる!!!」

(!!? ママの!!?)

 

哲郎は知る由もない事だが、寅虎が持つ三節棍は改造された物である。

彼女の母 琳虎は刀鍛冶の才能に恵まれていたが、それを娘に教える事は無かった。しかし母の才能は娘の身体に刻まれており、寅虎は独学で刃を作る技術を身に付け、遂には父の形見の三節棍に自作の刃を取り付けた。

それをやった理由は『父の形見』を『両親が生きた証』に昇華させる為である。

 

ドゴッ!! ドガッ!!!

「!!!」

『こ、棍と蹴りが入った!!!』

(違う!! 入れさせた(・・・・・)んだ!!!)

 

哲哉(・・)は棍の先に付いた刃にばかりに注意し、棍棒と蹴りを甘んじて受ける事を許した。

そう寅虎に思わせる為に敢えて攻撃を受けた。それは次の一歩間合いを開ける(・・・・・・・・・)動作を自然に見せる為だ。

空いた間合いを詰める為に寅虎は地面を蹴って更に加速した。その時に彼女が講じた策が横から回り込んで攻撃を仕掛けるというものだ。

 

(かかった!!!!)

「!!!?」

『い、寅虎選手が飛んだァーーーーーーー!!!!?』

 

寅虎は哲郎の右側から刃の突きを見舞った。

それを哲郎は左手で払い、できた隙を突いて右手で彼女の肘を掴み、上方向にかち上げた。

肘という関節を支点にして寅虎自身の速度は上方向への運動に変わり、彼女の身体は空を舞った。

 

ドガッ!!!! 「!!!!」

『い、寅虎選手が観客席に突っ込んだーーーーーーー!!!!』

 

実況の言う通り、寅虎は吹き飛んで観客席に激突した。しかしこの武道会に場外負けは無い。

試合はまだ続いている。

 

(ここまでは作戦通り。ここから第二ラウンドだ!!!)



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#252 Tiger Triple Stinger 3 [The Changed Battlefield]

哲哉(・・)の横顔だった光景が一瞬にして闘技場全体を見下ろして(・・・・・)いた。

当時の寅虎の視界を説明する言葉はそれ以外に無いだろう。

そして背中に痛みを感じた時点でようやく彼女は自分が投げられた(・・・・・)事を理解した。

 

(…………………!!!

投げられた………!? って事はここは観客席………!!?

なんかうるさいし、ドダドダ逃げ回ってるし……………)

 

目を開けた寅虎の視界には混乱して逃げ惑う観客達の姿が映った。彼女は直感的に自分の身体が観客に衝突はしなかったと悟る。そしてそれを少しだけ喜んだ。

危険行為によって対戦相手が失格になるのは彼女の本意では無い。

 

(さて………、こっからどうする? あいつはどう動く?

悠長にあたしが戻って来るのを待つ? それとも観客席の階段を駆け上ってあたしの所まで来る?

いや!!!)

ドッガァン!!!! 「!!!!」

『うわぁーーーーっ!!!!』

『か、観客席最上階!!!

両者の戦場がそこに移ったァーーーー!!!!』

 

哲郎は空中を飛んで観客席に居る寅虎の所まで瞬時に移動し、攻撃を見舞った。観客への被害は無いが、混乱は更に激化する。

 

「哲哉選手!! 寅虎選手!!!

早急に闘技場まで降りて下さい!!! 観客への攻撃は過失であっても即刻失格処分となります!!!」

『………………』

 

哲郎と寅虎の耳には審判の男の警告が聞こえており、彼の言葉の意味する所を理解していた。

寅虎は刃物(得物)を抜いており、そんな物をこの狭い密集した場で振り回したりすれば起こる被害は計り知れない。

 

「…………ああ言ってますけどどうします?

律儀に中断して戻りますか?」

「冗談。要は人を巻き込まなきゃ良い訳でしょ?

なら!!!」

ガァン!!! 『!!!』

 

寅虎は武器を上に振り上げて哲郎を弾き飛ばし、それによって出来た時間を使って三節棍を束ね、背中にしまった。

 

「巻き込まないように素手でコンパクトに()れば良い!!!」

「間違いありませんね。」

 

寅虎は武器を仕舞い、拳を構えて哲郎に向かい合った。観客席での試合の続行を宣言するも同然のその行動に審判や実況だけでなく観客達も困惑する。

 

「…………見てぇ。」

「えっ!!?」

 

しかしその困惑は観客席の最上段、哲郎達から少し離れた場所に居た男が零した一言によって一変した。

 

「………危ねぇけど、それでも見てぇよ。

こんなすごい試合をこんな間近で見れる機会なんてそうそうねぇぞ!!!」

『!!』

 

その男の呟きを起爆剤として他の観客の口からも彼の意見を肯定する声が聞こえ始め、それは次第に興奮へと変わった。

観客席に座っている彼等は凡庸な日常の中に試合という刺激を目当てに来ている人間であり、名勝負への好奇心は計り知れない。

それこそ自分の身を危険に晒してでも観たいと思うのが観客達の心情だ。

 

『こ、これは前代未聞の展開だ!!!

なんと観客席での試合の続行を宣言しました!!!

もはやこの試合、何が起こるか分からない!!! 果たして失格処分という結末は避けられるのでしょうか!!!』

 

本来なら割って入ってでも中断するべき状態だが、審判の男達は試合の妨害が出来なかった。観客達の熱狂は最早 『怪我をしてもそれは自己責任にしてやる』と言っているように感じられた。

そして哲郎と寅虎の下に居る観客達は走り出し、一人でも多く反対側に移動する事で観ようと試みた。奇しくもその行動が安全確保と一致した。

 

「………だけど大丈夫なんですか?」

「? 何が?」

「武器をしまっても大丈夫なのかと聞いてるんですよ。必要なら使えるようにしますけど。」

「…………君って動けるけど頭は足りないみたいだね。分からないの?あたしは武道家なんだよ?

武道家なら素手で動けなきゃダメでしょ!!!!」

「!!!」

『行ったァ!!! 先に仕掛けたのは寅虎選手だァーーー!!!』

 

寅虎は空中高く飛び上がり、身体を半回転させて仰向けの状態で哲郎との距離を詰め、振り下ろす蹴りを見舞った。

 

「!!」

『て、哲哉選手 躱した!!!』

 

哲郎は寅虎の蹴りが繰り出させる瞬間、後ろの足を前に出して軸足にして回転し、寅虎の蹴りを紙一重で躱した。そしてその回転の動きは回避だけでなく攻撃にも転じる。

蹴りを躱す瞬間、哲郎の手は持ち技である魚人波掌を打つ構えになっている。

 

魚人波掌

瀑渦(ばっか)》!!!!

「!!!!」

『更に哲哉選手の反撃だァーーーー!!!!

なんという強い音!!! 一体この技はなんだァーーーー!!!?』

 

回転の遠心力を全て乗せた哲郎の渾身の掌底突きが寅虎に炸裂した。その攻撃を腕で受けた彼女が最初に感じたのは『痺れ』だった。

轟鬼族の寅虎の身体に魔力は無いが、掌底の衝撃は彼女の腕を震わせた。

 

そしてその攻撃の正体を試合を見ていた磯凪だけが理解していた。哲哉(・・)の攻撃が魚人由来のものであるという事を。



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#253 Tiger Triple Stinger 4 [Shotgun of Drop]

魚人波掌

それは鎖国国家に住まう轟鬼族は磯凪という唯一の例外を除いてその存在すら知らない代物であり、何故哲哉(哲郎)がそれを使えるのかと聞かれれば『ラミエルに教えられたから』と答える他に無いだろう。彼女はこれこそが哲郎の乏しい筋力を補う唯一の方法だと考え、哲郎にそれを教えた。事実、哲郎の魚人武術の熟練度自体(・・)は全世界で見ても下から数えた方が早い程度に留まっている。

 

そして哲郎が寅虎との試合の場で使った技 《瀑渦》は相手の身体を傷付けることよりも身体を吹き飛ばす事に特化している技である。

そしてそれが寅虎の身体に当たった時、彼女の身体は浮いていた(・・・・・)。この事は重要な意味を持つ。

 

 

 

***

 

 

 

━━━━━━━バチィン!!!!! 「!!!!?」

『ふ、吹っ飛んだァーーーーーーーーーー!!!!!

聞いた事の無い爆音と共に寅虎選手の身体が飛んで、そして、そして観客席の反対側まで飛んで行きました!!!!!』

 

引っぱたく(・・・・・)轟音が聞こえた瞬間に観客達は蜘蛛の子を散らしたようにその場から離れ、寅虎の落下地点を作った。そこに激突した事により、再び危険行為による失格という憂き結末は免れた。

 

 

(━━━━━何が起こったの? また吹っ飛ばされたの………?

もしここが今まで居た場所の反対側だってんなら今度こそすぐには来られないはず。

…………いや、あいつの事だ。また何か変な事して)

「ッ!!!!?」

『な、何だ!!!?

哲哉選手が━━━━━━━!!!!!』

 

その瞬間、寅虎は三つの感覚と行動を同時に行った。

一つ目は耳が弾けるような軽い音を感じ取った事。二つ目は目が哲哉の姿が消える光景を捉えた事。三つ目は上半身を前に倒した事だ。

寅虎は自分が何故その行動を取ったのか瞬時に理解出来なかった。上を向いた目が空中で足を伸ばした哲哉の姿を捉えて漸く自分の行動の意味を理解した。

 

(そうか。私は避けたんだ(・・・・・)

これって前の試合で見た変な蹴りと同じ……………)

(す、凄い!!! これを躱すのか!!!

僕が思ってたよりこのやり方は万能じゃないのか……………)

 

哲郎が取った行動は寅虎の推理通り、観客席の反対側に飛んで行った寅虎に向かって指を鳴らし、その音に追い付けない(・・・・・・)状態に《適応》して自分の速度を音速にまで引き上げ、その勢いのままに蹴りを放つというものだ。

しかし寅虎はその蹴りを躱して見せた。

無意識の内に相手の力量を人間族(自分)の尺度で計ってしまっていた哲郎の予測を寅虎、延いては轟鬼族の反応速度が上回った形だ。

 

(避けられたから隙だらけになっちゃったね。

悪いけど逃がす訳にはいかないよ!!)

(避けれた(・・・・)なら撃って来るでしょ。

だけど、避けられたなら避けられたなりの対策は考えてますよ!!!)

「!!?」

『あーーーッ!!!

こ、これは━━━━━━!!!』

 

寅虎は上半身を倒した体勢を利用して上の哲郎に向けてかち上げる蹴りを放った。それを哲郎は躱して足首を掴み、身体を捻って寅虎の身体を宙に浮かせた。

 

「うりゃあっ!!!!」 「!!!!」

『な、投げたァーーーーーーー!!!!

寅虎選手の身体が一直線に地面に飛んで行く!!!!』

 

哲郎は寅虎を投げ飛ばし、彼女の身体を闘技場に向かわせた。強制的に闘いの場を観客席から闘技場に戻す。しかしそれに利点がある事を寅虎は投げられる最中にも見抜いていた。

それは武器が使えるという事だ。

 

(ありがたいね。わざわざこっちがやりやすい所に投げてくれるなんて。

こっちに来たと同時にママの刃で沈めてあげる!!!!)

 

寅虎は投げられて落下している最中にも背中から武器を取り出し、哲哉(哲郎)を迎え撃つ準備を整えていた。

しかし哲郎はそれを予測した上で寅虎を闘技場へと投げたのだ。この時に哲郎は既に寅虎を出し抜く策を講じていたのだ。

 

(地面に着いたら武器を抜くでしょう。それは僕も織り込み済みですよ!!! だから!!)

「それ貰います!!!」

「えっ!!?」

 

哲郎は寅虎を投げた瞬間に観客席に居た男が持っていた水筒を半ば強引にひったくった。心の中で申し訳ないと思いながらと水筒を一瞬傾け、出てきた数滴の飲み物で掌を濡らす。

哲郎が求めていたのは自分の掌が濡れるという状況だ。

 

(さぁどう来る?

どこから突っ込んで来ても対応してみせるよ!!!!)

魚人武術 《水切り》!!!!!

「!!!!?」

『な、何だ!!!?

哲哉選手の掌から━━━━━━━!!!!』

 

哲郎は手を振って掌を濡らしていた水滴を飛ばした。脱力した動きは速く、速さはそのまま威力となって水滴を弾丸という武器へと変えた。

 

(水を引っ掛けて目潰しでも?

甘いよ!!!)

ズバババババッ!!!!

『!!!

い、寅虎選手 水滴を弾いたァ!!!!』

 

寅虎は持っていた三節棍を振り回して盾を作り、哲郎が飛ばした水滴を弾いて防いだ。

しかし、哲郎はそれも予測していたのだ。



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#254 Tiger Triple Stinger 5 [The Outlet Fof Hate]

予め言っておくと、武道会において水を利用した攻撃は反則とはされていない。

過去には自分の汗や血を利用して相手の視界を塞ぎ、その隙を付いて逆転勝利を収めた試合も存在する。

後に哲哉が行った攻撃も一応 表面上の審議が行われたが、規則の範囲内という結論となった。

 

 

***

 

 

(さぁ、(飛び道具)は防いだよ。次は何をやる? また何か投げてくる? それとも突っ込んで来る?

どっちでも無駄だよ。そんな小細工なんかで私達家族(・・)の思いは━━━━━━━)

「!!?」

 

寅虎の視界は予想外の光景を捉えた。

観客席から哲哉(哲郎)の姿が消えていたのだ。しかし目の端で動く物を捉えた瞬間、寅虎は対戦相手の居場所を理解した。

 

「!!!」

『そ、空です!!!

哲哉選手、空高く跳び上がっている!!!!』

 

哲郎は観客席から跳び上がり、寅虎の真下に落下地点を定めた。観客席の最上段と闘技場との高低差は概算しても十メートル以上はある。

自由落下の速度を十分に稼げる《高さ》が哲郎が求めていた勝利条件の一つだ。

 

(高さを利用して落ちてくる!!! それなら乗ってあげるよ!!!

ギリギリで躱して着地を狙ってこいつをぶち当てて━━━━━━━)

 

魚人波掌 踏撃

滝壺蹴踏(たきつぼしゅうとう)》!!!!!

ドパァン!!!!! 「!!!!?」

『な、何だァーーーーー!!!!?

と、闘技場の地面が、波打った(・・・・)ァーーーーーー!!!!!』

 

哲郎が求めていたもう一つの勝利条件は《地面が濡れる》事だった。

哲郎は全体重を掛けた蹴り(掌底突き)によって地面に染み込ませた水分に衝撃を与えた。地面に染み込んだ水分が震えた事によって闘技場の地面が液状化して波打ったのだ。

 

地面が液状化した事で寅虎は足を掬われ、体勢を崩した。その瞬間に彼女の頭の中には様々な思考がよぎった。

何故地面が液状化したのか。哲哉は何をやったのか。すぐに体勢を立て直さなければならない。などの兎に角 様々な思考がだ。

そして、その思考が致命的となった。

 

ブォンッ!!!! 「!!!!」

『あーーーーーーっ!!!

て、哲哉選手が━━━━━━━!!!!』

 

能力によって空中に浮く事の出来る哲郎は液状化した地面の上でも問題無く行動でき、体勢が崩れた寅虎の手首を掴んで一気に背を向けて身体を折り曲げた。

地面に背中から叩き付けられた寅虎は肺の中の空気を全て吐き出し、意識を朦朧とさせた。

 

 

「━━━━━━━━━━━━━━

!!!」

「━━━━僕の勝ちですね。」

 

哲郎は寅虎の上に馬乗りになり、手を貫手の形に変えて彼女の喉元に突き付けていた。

先程の透桃同様、勝利が認められる格好だ。

 

「勝負あり!!! 勝者、哲哉選手!!!!」

『き、決まったァ!!!! 先程と同様、戦況が目まぐるしく変わり続けるこの一戦を制したのは、哲哉選手でした!!!

史上初めての観客の眼前で繰り広げられたこの激闘は、今この場に居る我々全員の記憶に刻み込まれる事でしょう!!!!』

 

「…………………………!!!」

「…………………………」

 

寅虎は悔しがったりする事は無くただ 呆然としていた。何が起こったのかを理解するより前に敗北したのだから当然の反応だ。

哲郎は立ち上がり、寅虎に会うのはこれで最後のつもりで声を掛ける。

 

「………………あなたにも譲れないものはあったのでしょうが、勝ったのは僕です。

僕は先に進ませて貰います。」

「━━━━━━なんで?」

「?」

「なんで最後、私の刃を奪って使わなかったの?そうしなかったら私も抵抗してたかもしれないのに………!!」

「そんな事出来る訳ありませんよ。

だってその武器は、親御さんの形見なんでしょ? そんな物を奪って()のあなたに突き付けるなんて、そんな大それた事出来る訳がないでしょう。」

「!!!!」

 

寅虎は項垂れ、そして身体を震わせた。

顔は見えないがすすり泣いている事は分かる。

 

「………………………ありがとう。」

「?」

「ありがとう………………!!!

ありがとう!!! 諦めさせて(・・・・・)くれて━━━━━━━━!!!!」

「諦めさせる? そんな事を強要したつもりはありませんよ?

僕は命の価値は分かっていても親が死ぬ経験まではありません。そんな僕がどうして『仇討ちを諦めろ』なんて言えるんですか。

そもそも、あなたはどこも間違えてなんかいませんよ。平気で人を殺すような人間を野放しにしておく訳にはいかないというのは、間違ってはいないんですから。」

「………………………!!!!!」

 

寅虎の表情を見て哲郎は彼女に必要だったのは親を喪った悲しみを受け止める存在なのだと悟った。自分がそれになれたのなら御の字だろうと結論付け、闘技場を後にする。

最早 自分には立ち止まっている余裕は無いのだと気付いていた。

 

 

***

 

 

(…………あれが《CHASER》の本当の力って訳か。

道理であの二人がみっともなく負けた訳だ。)

 

心の中でそう言ったのは帝国の重役に成り済ました《転生者》だった。彼は重役の立場を利用して堂々と試合を鑑賞し、哲郎の情報を目で見て入手した。

 

しかし哲郎もその《転生者》もまだ知らない。

これからこの場にいる誰にとっても最悪の出来事が起こる事を。



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#255 The Backside

「……………ふぅ。」

 

寅虎との試合を終えた哲郎は自分の控え室に戻り、そこでようやく一息ついた。

帝国の行く末を担っているという目的故に勝利した事に対する罪悪感は無いが、逆に勝った事に対する喜びも感じない。

 

(…………なんと言うか、変な感じだな。

コロシアムの時とも公式戦の時とも違う。

と言うより、僕はこの勝ちを喜んじゃいけない(・・・・・・・・)って、自分で思ってるみたいな………………)

 

寅虎は言うまでもなくこの大会に自分の信念を賭けていた。仮に哲郎がこの国に来るのが一日でも遅れていたら、偶然 金埜と出会っていなければ、哲郎は武道会に出る事は無かった。

そういう意味では自分は寅虎(と鋼欒)の人生に大きく干渉してしまった と言える。

 

(…………まぁ、考えても仕方ないか。

僕には最早 勝つ以外の選択肢は無いんだから。)

 

そこまで考えて、哲郎は腰を下ろして寅虎から渡された新聞記事を手に取った。その行動にどんな意味があるのかと聞かれれば、この複雑な感情にこれ以上向き合いたくないという逃げの意味とこの記事から何か得られる情報があるかもしれないという使命感の両方だろう。

 

(……………特に何も無いな。

ハァ。)

 

新聞にはもう新しく得られる情報は無いと分かった哲郎は記事を置いて横になった。それは疲労からではなく自分の行動の意味を噛み締めているからだ。

後 小一時間もすれば自分は透桃と闘う事になる。そして哲郎が全力を出せばかなり高い確率で自分が勝つ。それの意味する所は必ずしも喜ばしいものであるとは限らない。

 

(……………異世界(ここ)に来てからずっと戦って勝ってきたけど、ここらで一回 勝つって事の意味を考えなきゃいけないかもな…………………)

「ん?」

 

哲郎は床に置かれた新聞の切り抜きに再び視線を向け、直感的に変化を認識した。一秒と掛からずにその変化が記事が裏向きになったからだと理解する。

 

(…………裏か。

どうせやる事も無いし裏面でも読んで時間を潰すとするか…………………)

「!!?」

 

裏面に書いてある文章に目を落とした哲郎はそこに書いてあった単語に目を見開いた。切り抜きの左下端に「荒河」の文字が書いてあったのだ。

文章はその「荒河」の単語で止まっていて、詳しい内容は分からなかった。しかしその記事に書いてある内容が今の哲郎にとって有益である可能性は十分にある。

 

それを理解した瞬間、哲郎は行動を起こした。

立ち上がって控え室を飛び出す。直近の目的を達成する為には時間が無いからだ。

 

 

 

***

 

 

「すみません!! すみません!!!」

「はい。 どうかされましたでしょうか。」

 

哲郎は控え室を飛び出し、武道会の受付に駆け寄った。

 

「僕、この大会に出ている哲哉ですけど、寅虎選手は今 どうされていますか!!?」

「寅虎選手ですか!?

彼女は今なら控え室に居らっしゃると思いますが━━━━━」

「まだ外には出ていないんですね!!?

ありがとうございます!!!」

 

受付の返答を聞くや否や、哲郎は踵を返して走り出した。時間的な猶予はあるがそれでも気が逸っていた。

 

 

***

 

 

「━━━━━ここか……………!!!」

 

哲郎は受付に言われた番号の部屋の前に立っていた。参加者が他の人間の控え室に入る事は認められているが、それでも哲郎は一度 逸る気持ちを押し込めてから扉を叩く。

 

『━━━はい? 誰?』

「寅虎さん!! 僕です!! 哲哉です!!

ここを開けて下さい!!!」

『哲哉? ちょっと待ってて。』

 

十数秒後、控え室の扉が開いた。

扉の前に立っていた寅虎は腕や脚に湿布や絆創膏を貼っていた。哲郎との試合によって負った怪我だ。

 

「━━━で、何? 今更何の用?」

「折り入ってお願いがあります。

あなたが僕に渡してくれたこの切り抜き、これを切り抜いた新聞記事って今ありますか!!?」

「記事? それなら一応持ってるけど?」

「そうですか。 それを見せてもらう事って出来ますか!!?」

「………別に良いけど?」

「助かります!!」

 

哲郎に敗れた事によって憑き物が落ちたのか、寅虎は表情一つ変える事無く哲郎に従った。数分と掛からず寅虎は持っていた鞄から袋に仕舞われた紙を取り出して哲郎に手渡した。

 

「それが何だっていうの?

そこ以外はとっくに解決してる事件ばっかだよ?」

「いえ。僕が読みたいのはこれの裏側ですよ。」

「裏側?」

 

哲郎は寅虎から渡された穴の空いた新聞記事を床に置き、その穴に合わせて持っていた切り抜きを置いた。

 

(さてさて、鬼が出るか蛇が出るか…………………)

「!!!」

「えっ!!? これって━━━━━━━━!!」

 

結論から言うと、その記事に書いてあったのは今の哲郎にとって重要な内容だった。

そこには荒河山賊団の発足に関する内容が書いてあったのだ。



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#256 THE GANGBUSTER

新聞とは今の哲郎にとっては唯一と言っても過言では無い程重要な情報源であり、それは鬼ヶ帝国に居る今も例外では無かった。

そして今 哲郎は今までで一番とも言えるほど重要な情報を新聞から得ようとしている。

 

『帝国全体の脅威!! 新たな犯罪組織の発足か』

 

それが、寅虎が持つ新聞記事の裏面に載っていた記事の見出しだった。山賊はそれ以前からも山奥に拠点を構えて様々な悪事に手を染めていたが、十五年前から不自然なまでにその動きに組織性が出た事や被害の規模の拡大が取り上げられていた。

山賊団の名前はまだ不明だと書かれていたが、前後の内容から考えてそれが《荒河山賊団》についての内容である事は容易に想像出来た。

 

「…………これって多分荒河山賊団ってヤツの話だよね?

確か君がトラブったって言う。」

「はい。成り行きとはいえ構成員を三人 捕まえてしまいました。言うまでもなく奴等は僕を逆恨(うら)んでますよ。最悪、何かしらの攻撃が来てもおかしくありません。」

「そうかな? そんな下っ端の為にわざわざ戦力を減らすような危険を犯す?

こんな事言ったらあれだけど下っ端ならちょくちょく捕まってるよ?」

「かもしれません。ですが楽観的な考えはあまりしたくないんです。もしかしたら僕以外の人にも危険が及ぶかも知れないでしょう。」

「危険 ねぇ。

━━━━━私に言わせりゃ人間生きてるだけで危険に晒されてるようなものだけどね。」

「!!」

 

寅虎の暗い表情を見て哲郎は彼女の言葉の意味する所を理解した。寅虎の両親も哲郎の友達も予想だにしない所でこの世を去ったのだ。

 

「……話を戻しますけど、僕と荒河山賊団(こいつら)との対立はもっと激しくなる予定(・・)なんですよ。」

「予定? どういう事?」

「はい。 実は━━━━━━━」

 

 

哲郎は透桃の姉 李苑が山賊団に連れていかれた事、そして姉を助ける事を彼女と約束した事を説明した。

 

「透桃ってアイツだよね?

ついさっきドンパチやってた忍者の末裔だってあいつ。」

「そうです。まぁ、忍者の子孫って事は試合の時まで知りませんでしたけど。」

「約束したのは良いけどさ、どうやってお姉さんを助けるつもりなの? アイツらゲスいから何言っても聞かないと思うけど?」

「それはあなたと同じ考えですよ。

この大会で勝ち上がって《上》に目をつけて貰うんです。」

「………そう。じゃあ私と君は相手が違うだけで目的はほぼ同じだったって訳ね。」

「……………いや、強ち違うとも限らないかも知れませんよ。」

「え?」

 

寅虎との話が山場を迎え、哲郎は口にするかどうか迷っていた爆弾(考察)を落とす事を決意した。

 

「これは僕の予感なんですけど、荒河山賊団の上には更に強い組織が居るかもしれないと考えています。結論から言うと、そのトップは《鳳巌(あなたの両親の仇)》の可能性があると思っています。」

「!!!!」

 

鳳巌

その名前を聞いて寅虎の表情は目に見えて豹変した。帝国の最悪の犯罪者としてその首に二十万艮(=二十億円)もの大金を懸けられるような男の名前を国民が知らない筈は無い。

両親を理不尽に奪われている寅虎ともなれば尚更だ。

それまでの膝に手を当てて覗き込む体勢から座り込み、険しい顔付きで口を開く。

 

「…………一応聞いておくけど、その根拠はあるの?」

「根拠 と呼べる程のものではありませんがそう考えた理由はあります。僕が捕まえたあいつらの慌てようです。」

「どういう事?」

「あいつらはまるで是が非でも杏珠さんを連れて行こうと必死な様子でした。言い方が悪いですがあいつらにとって彼女にそこまでの魅力があるとも思えません。それで思ったんです。

あいつらは次にミスをしたら何かしらの罰を受けるのでは無いか とね。」

「……………………………」

 

寅虎は口を押えて考え込んでいた。

根拠としては薄いが可能性は十分にあると考えているのだろう。

 

「━━━もし、もし君の言う通りだったとしてだよ、君はそいつと戦えるの?」

「それはあなたも同じでしょう。」

「!!」

 

寅虎は両親を殺された恨み故に、そして哲郎も同様に帝国を救う為に鳳巌(そして《転生者》)と戦う意志を固めていた。

 

「私はそれこそ《陸華仙》の力を借りた上でだよ? 君も鬼門組に入るつもりなの?」

「いや、僕は勝ち上がったら皇帝の所に入り込むつもりです。後、賞金の使い道も決まってますね。」

「賞金 か。

ちなみに何に使うつもりなの?」

「それは言えません。

一つ言えるとすれば僕だけ(・・)の為じゃないって事ですかね。」

「…………そう。」

 

今日だけでラミエルとの会話や透桃との約束、寅虎との激闘などの出来事が立て続けに起こっているが、哲郎はこの大会に出る事になったそもそもの理由を忘れてはいない。

金埜は哲郎を信頼して託してくれているのだ。



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#257 THE KUNOICHI 1 [Innocent]

哲郎は部屋の中で寅虎から受け取った記事の裏面を読んで得た情報を反芻していた。

そして哲郎は心のどこかで近々 鳳巌とも相見える事を確信していた。帝国を狙っている《転生者》が最悪の犯罪者である鳳巌に目をつけない道理は無い。或いは既に二人が癒着している可能性すらある。

 

(もし仮に《転生者》と鳳巌、そして荒河達が繋がってるとしたら敵勢力はかなりの規模になるよな。

そして、こっちの戦力は━━━━━━━━)

 

哲郎は握った指を広げながらこの国に居る味方の数を数え始めた。差し当たって思い付くのは自分と彩奈、虎徹、透桃、そして寅虎程度だ。

味方の数を数え終わって視界に入ったのは開いた手の平だけだった。これは即ち味方の数の乏しさを意味している。

 

(たったの五人か………………。

いや、場合によったら透桃さんや寅虎さんは当てに出来ない可能性もある。そうなったら頼れるのは《転生者》の三人だけか。)

 

哲郎は手の平を握りしめて深い息を吐いた。

気が付けば自分は《転生者》だけでなく一つの国を舞台にした大きな戦いに巻き込まれている。そしてその台風の目に居るのは紛れも無く自分だ。

既に荒河山賊団に大きな損失をもたらし、自分が異国の人間である事も知られている。更に《転生者》は帝国の重役になりすまして堂々と武道会を観覧している。即ち自分の存在は完全に知られているのだ。

 

(………彩奈さんも虎徹さんも《転生者》がどこに居るかまでは分かってない。だけど向こうは完全に把握されている。

僕達もこう、《転生者》かどうかバレないようにする方法が必要なのかもな。

━━━━いや、もう無駄か。)

 

途中で自分の考えが間違っている事を認めた。

里香とトレラがそうであるように敵の《転生者》同士は互いに接触している。既に自分の存在や情報は共有されているだろう。

そこまで考えて哲郎は思考を切り替えた。

これからどうするべきか をだ。

 

(━━━まずは透桃さんとの戦いに勝って、そして武道会で優勝する。そしたら次は皇帝の所に潜入して少しでも情報を身に付ける。

問題は《転生者》がいつ行動を起こすかだな。こっちの準備が不完全な時に動かれたらかなりまずくなる。せめて《転生者》が誰でいつ動こうとしているかが分かれば良いんだけどな。)

「哲哉選手!」

「!」

 

《転生者》への対策を練っている最中、扉の向こうから自分を呼ぶ声が聞こえた。

 

「哲哉選手、透桃選手との試合の時間が近付いております。

準備をお願い致します。」

「はい! 分かりました。」

 

哲郎は立ち上がって控え室を出て扉を開けた。

その最中にも思考を巡らせる。どうすればこの状況を少しでも好転させられるか。この国を救う鍵はそこにこそあると考えていた。

 

(…………敵がいつ動く(・・・・)か分からないなら、こっちで動かす(・・・)か………………

でもどうやって………………)

 

哲郎の思考は透桃ではなくその先の対《転生者》に占められていた。しかし、これから《転生者》が自分の意思とは関係無く動かされる(・・・・・)事を哲郎はまだ知らない。

 

 

 

***

 

 

 

『さあ、いよいよこの刹羅武道会 三回戦も後半戦に差し掛かろうとしております!!! そしてこの節目に相応しい対戦がここに実現しました!!!』

 

実況の男が高らかに宣言し、観客席の熱狂は最高潮に達した。会場の中心には哲郎と透桃が立っている。お互いに手には何も持っていない。

哲郎は透桃は自分と同じ系統のものを感じていた。

 

「殺害以外の、全てを認めます。

両者、構えて!! 始め!!!」

 

試合の火蓋が切って落とされたが、二人の足が前に出る事は無かった。代わりに透桃の手が動く。

三つの形を高速で組み、魔法(妖術)を発動した。髪の毛が逆立ち、周囲に風が巻き起こる。

 

『出ました!!! 《羅刹の術》です!!!!

かつての忍の一人、透臶が遺した至宝が再びこの武道会の場で火を吹きました!!!!』

 

出し惜しみをする気配のない透桃に対し、観客席は更に湧き上がった。その中で透桃だけが冷静だった。姉を助け出すという決意と灘馳との試合が彼女の中に眠っていた何かを呼び起こしたのだ。

 

「…………………………!!」

「哲哉さん、言ってましたよね? 私と全力で闘いたいって。

なら、なら私も全力でお相手しますよ!!!!!」

「!!!!」

 

透桃は地面を陥没するほどの脚力で蹴り飛ばし、一瞬の内に哲郎との距離を詰めた。試合の初手は透桃の攻撃で始まった。

 

 

 

***

 

 

哲郎と透桃の試合が始まった頃、その人物(・・・・)は塒から姿を現した。その人物(・・・・)の目的地は刹羅武道会の会場だった。

その行動にこれといった理由も目的も無かった。更に言えばあの日(・・・)から起こった全ての出来事には意味などなかったのだと理解していた。

その人物(・・・・)の望みは一つ。ただ終わる(・・・)事だけだ。



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#258 THE KUNOICHI 2 [Edge on the leg]

ドゴォン!!!!! 「!!!!」

『行ったァーーーーーーーー!!!!!

先手を取ったのは透桃選手!!! 彼女の蹴りが哲哉選手を吹き飛ばした!!!!』

 

実況の言葉の通り、試合は透桃の攻撃によって始まった。《羅刹の術》によって強化された脚力は強く、哲郎を防御の上から弾き飛ばした。

吹き飛ばされても即座に意識を取り戻し、両手で地面を叩いて身体を加速させ、回転して体勢を立て直す。

身体が外枠に激突するより早く着地に成功した。

 

「!!!」

 

着地には成功したものの、哲郎は回転する視界の中で移動している透桃の姿は捉える事が出来なかった。透桃は吹き飛ばした(距離が開いた)哲郎に急接近し、着地の瞬間を狙って攻撃を仕掛けた。

 

(甘いですよ!!!) 「!!!」

『ああっ!! 哲哉選手━━━━━!!!』

 

着地の瞬間は身体が硬直し、隙を見せるものだが哲郎はその限りではなかった。透桃の攻撃を最小限の動きで躱し、顎を掴んで体勢を崩す。

上半身は哲郎の手によって堰き止められ、下半身は移動する。その方向は上半身を支点にして横方向から上方向に変化した。

これで決められるなどと好都合な事は考えていなかったが有効打にはなるという確信はあった。

 

 

━━━━━━ビュンッ!!! 「!!!?」

『なっ!!!

透桃選手、哲哉選手から逃れた!!!』

 

透桃の身体は後ろ向きの回転を更に加速させて、哲郎の手から逃れた。その隙を見逃さずに透桃は更なる攻撃を試みる。

透桃の横薙ぎの攻撃を哲郎は上半身を引いて躱した。そのまま後ろに跳んで透桃との距離を稼ぐ。今度は距離を詰めては来なかった。

今の攻防で下手に距離を詰める事は危険だと判断したのだ。そしてそれは哲郎も例外では無い。

 

(……………やっぱりだ……………!!

透桃さんは初めて話した時とは別人みたいに変わっている!!

さっきの試合が透桃さんの何かを外したんだ!!

ただの身体強化魔法の使い手を相手にするのとは訳が違う!!)

 

哲郎は心のどこかで認識していた事を再確認した。自分がそうであるように、目の前の少女は実戦を通して急成長を遂げたのだ。そして今の透桃は最早 魔界コロシアムで戦ったような人間とは比べ物にならない程の存在になっている事を悟った。

 

「━━━━哲哉さん、」

「!」

「初めて会った時から、いや、山賊団の事を聞いてから私は、私とあなたは同じ存在(・・・・)だと思っていました。」

「………それは"戦い方"という意味ですか?」

「そういう意味もあります。」

 

哲郎は透桃の言葉に含まれている意味を瞬時に理解した。

哲郎も透桃も身体に筋肉は付いておらず、体格は華奢と呼ぶ他ない。そんな彼等が体格が上の山賊団や選手を相手にするとなれば頼れるのは《技術》しかない。透桃の言った『同じ』とはそういう意味なのだ。

 

「………僕は全く(・・)同じとは思いませんけどね。僕の目から見たらあなたはさっきの試合で何かが変わったように見えますよ。」

「私の妖術の話ですか? 確かにさっきの試合で私は新しい戦い方を手にする事が出来ました。

だけど、今までのやり方を忘れた訳じゃ無いんですよ!!!」

「!!! (来るっ!!!)」

『再び透桃選手が仕掛けた!!!』

 

武器を持たない透桃にとって、相手に攻撃する為には距離を詰めるしか方法は無い。例えそれが危険な事であったとしてもだ。

しかしその危険性を減らす事は出来る。透桃は接近の仕方に工夫を凝らした。

 

哲郎の目は一瞬、透桃の身体が溶けた(・・・)ように誤認した。それは個体だった人体が一瞬で溶解して液状になって地面に落ちたようだった。哲郎の耳は同時に『ドプっ』という水音を意識の中で聞いた。一瞬、透桃の身体の状態変化を誤認させられる(・・・・・・・)程だったが、哲郎はその正体をすぐに理解した。

それは透桃の《脱力》だ。一瞬で全身の力を抜き、体勢を出来る限り低くさせた。そして透桃の行動は《脱力》から《接近》に転ずる。脱力によって生じた身体の下方向の速度を足を踏み出す事によって前方向の速度に変換する。二歩目を踏み出す頃には既に透桃と哲郎との距離は彼女の射程距離に入った。それを認識出来た者は誰一人として居なかった。

唯一、対戦相手の哲郎を除いては。

 

「はあっ!!!!」

『ふ、再び透桃選手の蹴りだ!!!!』

 

透桃は上半身への蹴りという攻撃を選択した。地面と平行に近い体勢を利用して両手を地面に付き、倒立に近い体勢で哲郎の顔面に向けて足を振るった。速度と体重は全て蹴りに乗り、その威力は哲郎にも、そして山賊団にも通じると確信していた。

 

━━━━━━━ヒュカっ!!!

(!!!!? 空振り━━━━━━!!!?)

『て、哲哉選手 躱した!!!!』

 

哲郎は一切無駄の無い動きで透桃の蹴りを躱した。透桃の蹴りが当たる瞬間、上半身を後ろに引いて地面を蹴り、身体を後方に回転させて蹴りを躱したのだ。

 

「━━━━━━━!!!!」

「あなたももう分かってるでしょう?

この試合は《技術》が上の方が勝つ!!!」



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#259 THE KUNOICHI 3 [GYRO SPINNER]

透桃は自分の足が到達点を通過して初めて自分の蹴りが空振りした事を理解した。哲郎が自分の蹴りを躱した事に気付いたのはその後だ。

 

「て、哲哉選手 透桃選手の蹴りを躱しました!!!

しかし奇妙な動きです!! 今までの武道会の場においてこんな動きを見せた選手は誰もいませんでした!!!」

 

哲郎が取った身体を後ろ縦方向に回転させるという回避行動は鬼ヶ帝国に存在する武術には存在しない動きであり、実際に彼等が『哲哉が回避した』と認識するまでに数瞬の時間を要した。

ただ一人(・・)の例外を除いては。

 

(ま、まさか………!!

あれは、【海月の構え】………………………!!!?)

 

その例外の一人とは磯凪だ。彼女は哲郎の回避行動の正体を一瞬で見抜いた。彼女が驚いたのはそれが極めて高難度の技だからだ。それこそ彼女には実戦での使用は出来ないほどだ。

 

(ば、馬鹿な………………!!!

あの人(・・・)以外で【海月の構え】を使いこなせる人がいるなんて!!

あの子は一体………………!!!)

 

磯凪は拳を握りしめて闘技場を見下ろしていた。そしてもう一人の例外(・・・・・・・)も哲郎の【海月の構え】を見抜いてみせた。

重役になりすまして武道会を観ていた《転生者》がその例外だ。

 

 

***

 

 

「……………………………!!!

ッ!!!」

 

透桃は自分の蹴りが躱された事に驚いていたが、直ぐに意識を持ち直した。そしてこの状況における自分の有利な点を見付けた。

それは自分の身体が地面に付いているという事だ。哲郎は回避行動を取ったことにより空中にいる。それは隙だらけだという事だ。

 

「やっ!!!!」

『す、透桃選手 更に━━━━━━!!!!』

 

透桃は更なる攻撃を試みた。

地面に倒立している状態を利用して地面に付いている腕を交差させ、身体に《捻れ》を作る。それを解除する事によって生まれた回転運動を利用して哲郎に蹴りを見舞った。

《修羅の術》によって強化された脚力は強く、直撃すれば相手を簡単に吹き飛ばせると、そう確信があった。

 

 

━━━━━━ヒュッ!!!! 「!!!!?」

『て、哲哉選手更に躱した!!!!』

 

実況の男の言葉の通り、哲郎は透桃の追撃を躱して見せた。身体に脚が直撃する瞬間、哲郎は身体を透桃の蹴りと同じ方向に回転させて蹴りの衝撃を受け流した。

透桃には彼女に知る由のない誤算があった。哲郎は能力によって空中に浮かぶ事が出来る。それを知らない事がこの回避を生んだ。

 

「━━━━はっ!!!」

ドゴン!!! 「!!?」

『当たった!! 哲哉選手の蹴りが当たった!!!』

 

哲郎の身体は透桃の蹴りによって加速し、攻撃に十分な速度を確保していた。その速度を利用して体重を全て乗せた蹴りを透桃に見舞った。

透桃は逆立ちの状態で脚で哲郎の蹴りを受けた。しかし腕では踏ん張りが効かず、簡単に吹き飛ばされた。

 

(試合を通して吹っ切れた透桃さんがこれくらいで折れるとは思えない。着地を狙って攻撃してくるかも━━━━━━━)

「!!!」

 

哲郎の思考は現実のものになった。

透桃は敢えて闘技場の端まで吹き飛び、外枠を蹴り飛ばして更なる強襲を掛けた。《羅刹の術》で強化された脚力は外枠を破壊するほどの強さがあった。

 

「せいやぁっ!!!!」 「!!!」

『行ったァーーーーー!!!!

今度は透桃選手が哲哉選手を吹き飛ばした!!!!』

 

透桃は哲郎には正攻法は通じないと判断して攻撃に工夫を凝らした。身体を縦に回転させて繰り出した上方向の蹴りによって哲郎の両腕による防御をこじ開け、がら空きになった身体に蹴りを撃ち込む。

哲郎は【海月の構え】による回避は難しいと判断し、地面から足を一瞬 浮かせる事で身体に自由を与え、透桃の蹴りの衝撃を最小限にまで押しとどめた。

しかし哲郎にも誤算があった。それは透桃の脚力だった。

 

(こ、この強さは………………!!!!)

 

哲郎の胸ははっきりとした《痺れ》を覚えた。

それまで哲郎は透桃の妖術をそれまでの《魔法》と同程度のものと考え、必要以上に警戒する必要は無いと思っていた。それが彼の誤算だった。

拳で金属を容易にひしゃげさせるその威力は哲郎の想定を超えており、直ぐに直撃すれば無視出来ないダメージを負う と思い直した。

 

辛うじて身体を回転させて着地には成功するが、哲郎の目には透桃の姿はそれまでとは違って見えた。彼女の姿は《くノ一》のように見えた。漫画や小説などでしか見なかったくノ一の姿が透桃と重なって見える。

そんな幻覚を透桃の背後に見た。

 

(透桃さんが僕と同じような戦い方をする人と思ってたけど、それは間違いだった!!

やっぱり透桃さんはさっきの試合を通して変わったんだ!!!)

 

哲郎は試合に出るまではその後(・・・)の事しか頭に無かったが、それは自分の慢心だったと思い直した。今だけは『透桃に勝つ事』だけを考えなければならないと理解した。



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#260 THE KUNOICHI 4 [CHASER]

『さぁ哲哉選手と透桃選手、再び向かい合いました!!! しかしなんという激しい蹴りの応酬でしょうか!!!

どちら共に、直撃すれば一撃で試合を終わらせかねない威力が彼等の脚には備わっているのです!!!!』

 

実況の男の言う通り、この試合では哲郎も透桃も蹴りを主体にして闘っている。哲郎は速度を利用して威力を底上げした蹴りを、透桃は羅刹の術(身体強化魔法)を使った蹴りを繰り出している。

 

(…………多分だけど、透桃さんは僕を完全には当てにしてない。出来る限り自力で優勝して、お姉さんを助けるつもりだ。

それに重たい蹴りだ。よく考えたら身体強化魔法を使う人とは闘ってこなかったな。避けられれば良いけど、もし直撃したらどうなるか分からない。)

 

哲郎と透桃は体格は殆ど同じであり、透桃が攻撃する時には哲郎の射程の中に入り、同時に哲郎も攻撃する時には透桃の射程に入ってしまう。つまり勝つ為には透桃の蹴りを凌ぐ必要があるという事だ。

 

(…………さっき僕は『技術が上の方が勝つ』って言ったな。それなら、隙を出させて(・・・・)みるか!!!)

「!!!」

『こ、今度は哲哉選手が行ったァ!!!』

 

透桃の身体が前に傾いた瞬間を狙って哲郎は地面を蹴った。唐突に距離を潰された透桃は一瞬 身体を硬直させるが直ぐに思考を切り替えて哲郎を迎え討つ体勢を取る。

 

(━━━ここは敢えて捌きやすい所を狙う!!)

「!!!」

『喉を狙った一撃!! 決まるか!!!?』

 

数え切れない程の回数 あらゆる攻撃を捌き続けた哲郎の頭にはどんな攻撃が捌きやすいかが刻み込まれている。今回は彼女の喉を狙って貫手を見舞った。

 

「━━━━はっ!!!」

『て、哲哉選手の身体が宙に浮く━━━━!!!!』

 

透桃は哲郎の攻撃を半身で避け、手首を掴んで身体を捻った。肘を支点にして哲郎の身体は空に煽られる。

誰の目から見ても哲郎の身体はこのまま地面に激突する未来しか無いが、哲郎の思考だけがその限りでは無かった。

 

「!!!?」

『な、何だ!!!?』

 

透桃に肘を支点にして投げられる事を予見していた哲郎は直ぐにその危機に対する最適解を導き出した。身体より早く片手を地面に付けて衝撃を吸収し、そのままの回転運動で両足を着地させて透桃と正対した。

しかし危機を逃れただけでは哲郎の欲は満たされない。着地に成功するや否や直ぐに反撃に出る。

 

「━━━はっ!!!」 「!!!」

『こ、今度は透桃選手が浮いたァ!!!』

 

哲郎は腕を下に下げる事で手首を握っている透桃の手の関節を曲げた。唐突に曲げられた関節を支点にして透桃の足は地面を離れ、下半身は空に向けて舞い上がった。

 

「やぁっ!!!!」

ズドォン!!!

「!!!! ぐっ━━━━━━!!!!」

『決まったァ!!!! 地面に叩き付けられたのは透桃選手です!!!!』

 

厳密に言うと実況の男の言葉は正確ではなかった。透桃は投げられる瞬間、頭の下に左腕を敷いて衝撃を軽減させた。技は決まっているが勝負を決める決定だとはならなかった。

 

「くっ!!!!」 「!!!」

『す、透桃選手も強烈な反撃!!!

鋭い蹴りが顎を襲った!!!!』

 

地面に身体を叩き付けられて朦朧とした意識を強制的に切り替え、透桃は反撃に出た。両手を地面に付けて身体を浮かせ、哲郎の顎を目掛けて蹴りを放つ。

反撃を予想していた哲郎はこれを難なく避けた。

 

「………………!!!」

(………あの顔、どうやら僕の技は無駄じゃなかったみたいだな。)

 

透桃は腕を緩衝材として哲郎の投げの衝撃から身を守ったがその代償は高くついた。頭と地面に挟まれて衝撃を全て受けた腕には痺れるような痛みが走っている。辛うじて骨は無事なようだがこの差は大きかった。

 

(……透桃さんの腕と投げた時の速さから考えて、左腕が動くようになるまで数十秒ってところか。

出来ればそれまでに勝負を決めたい所だけど、そう上手く行くかどうか………………)

 

透桃は左腕の痛みに顔を歪ませているがその目にはまだ光が消えていない。まだ勝った気でいる訳にはいかないと思い直した。

 

『更に試合は白熱しております!!!

透桃選手が蹴りを打ち込めば、哲哉選手も投げで返す!! 初出場者同士の対決とは思えない、手に汗握る展開となって参りました!!!!』

 

 

***

 

 

(…………まどろっこしいんだよ《CHASER》。

さっさとシッポを出せよ。お前だって分かってんだろ? この試合が見られてる事をよ。)

 

感情を少しも表に出すこと無く、その人物(・・・・)は心の中で毒づいた。その人物は今日が計画の山場になると思っていた。

自分達の危険人物になりつつある哲郎を排除し、敵になり得る皇帝を始末するという計画がだ。

しかしその計画が大きく狂う事になる現象がこれから起こる事はその人物も知らない。この帝国全体を巻き込んだ大きな戦いの台風の目となる人物がこの場に来るという事を。



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#261 THE KUNOICHI 5 [SHOOTINGSTAR]

透桃は左腕を後ろに向けて庇う構えを取りながらも、哲郎に勝つ気は全く落ちないでいた。寧ろ 投げ倒されるという窮地を脱した事で闘争心が刺激され、勝利が更に遠のいた感じさえ哲郎の頭の片隅には浮かんでいた。

 

(………さぁ、どうやって左腕を庇いながら闘う?

それとも、庇わなくても良いようにするか?)

 

哲郎はもし 自分の左腕が使えない状況、つまり今の透桃の心情を想像しながら彼女の次の一手を予測していた。その結果 浮かんだのは左腕の回復を待つ耐久の一手、そして左腕の回復を待たずに一気に勝負を決める攻めの一手だ。

 

闘技場に立っていた二人はそこから数秒間 全く動きを見せなかった。そして実況の男も自分の役目を忘れ、固唾を飲んで見守っていた。

そんな彼等が唯一確信している事は、決着の時が迫っているという事だ。

 

(!!! 来た!!!)

『透桃選手が動いたァ!!!!』

 

哲郎の目は透桃の行動を目視した。

身体を前方に傾けて右手を地面に付き、下半身を空中に浮かせる。哲郎は瞬時に透桃のやろうとしている事を理解した。

 

(頭に蹴りか!!! なら!!!)

 

哲郎の頭は瞬時に透桃の攻撃に対する有効打を弾き出した。透桃と同様に身体を前方に傾け、地を這うように両手両足を地面に設置させて透桃の蹴りを躱す。透桃が自分の蹴りが躱された事を認識するより早く、哲郎は迎撃の為の策を実行に移す。

 

バシッ!!! 「!!!」

 

哲郎は地面につけた腕を軸にして身体を地面スレスレで独楽のように回転させ、地面についた透桃の右腕を蹴って払った。地面との接地点を失った透桃の身体は空中に放り出され、自由を失う。それは致命的な状態と言える。

 

「終わりです!!!!」

「!!!!」

『哲哉選手が行ったァ!!!!』

 

実況の男の言う通り、哲郎は最後の行動に出た。空中で身体の自由を失っている透桃の右腕を掴み、上に跳んで身体を入れ替え、全体重を掛けた。

 

『こ、これは━━━━━━━!!!!』

 

次の瞬間、闘技場に居た全員の目が捉えたのは透桃を抑え込んでいる哲郎の姿だった。武道会において相手の行動を完全に封じ、生殺与奪の権利を手にする事は勝利の条件として認められる。

すなわちこの瞬間に哲郎の勝利は確約された。

 

「し、勝負あり!!! 勝者、哲哉選手!!!!」

『き、決まったァーーーーー!!!!!

初出場にして膨大な存在感を放つ二人が、己の身一つでぶつかり合ったこの大一番、制したのは哲哉選手!!!!

正に現代に忍が蘇ったかのような流れるような技の応酬は、今日 この場に居る我々の記憶に深く刻まれる事でしょう!!!!』

 

突然の決着に観客席は理解が追いつかずに居たが、それは透桃も同じだった。またしても蹴りが外れた事も認識出来ない間に組み伏せられ、そこで漸く自分が負けた事を理解した。

 

「……………………!!!!」

「勝ったのは僕です。」

 

口ではそう言って勝ちを認めさせながらも哲郎の心中は穏やかでは無かった。勝つ事が出来た安心感と彼女の成長を肌で実感した。

もし自分と灘馳の試合の順番が違っていたらここまで苦戦する事は無かっただろう。とそう考えていた。

 

(ま、負けた………………!!!!

折角 妖術まで使えるようになったのに…………!!! あと一歩が届かなかった……………!!!)

「透桃さん、僕は…………」

「止めてください!! 同情なんかしないでください!!!」

「!!!

………そんなつもりじゃありませんよ。お姉さんを助けるのは透桃さんの為じゃなくて僕の意志です。それに、僕はもうあいつらの怒りを━━━━」

 

 

ズドォーン!!!!!

『!!!!?』

『な、なんだァ!!!!?』

 

試合が決し、観客達がその事を認識しかけた瞬間、上空から巨大な何かが飛来し、闘技場全体を震わせた。大量の土煙が舞い上がり、奇しくもその姿を隠す。

そして煙が晴れた瞬間、会場全体は驚愕の感情 一色に染った。そしてそれは哲郎も例外では無かった。それはその人物(・・・・)の顔を哲郎も知っていたからだ。

 

『あ、あれはまさか……………!!!!

まさかそんな…………………!!!!!』

 

その人物が土煙の中から姿を現した瞬間、観客席は大混乱に陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。その理由はその人物(・・・・)がそれ程までに危険な人間だったからだ。

 

その人物(・・・・)は哲郎の倍以上とも取れる巨体を濃い赤色の衣で包み、その顔は刻み込まれたように彫りが深く、身体中に傷が刻まれていた。哲郎がその顔を見たのは虎徹に写真を見せられた時だ。

 

(ほ、鳳巌………………!!!!?)

「…………懐かしい(・・・・)な。時代が移り代わっても、此の場だけは変わる事が無い。

………して、貴様だな。我等を出し抜いた度し難い愚者は………………!!!!」

「………………………!!!!!」

 

この時、哲郎にとって予想外にして最悪の事態が起こった。そしてそれはこの武道会を観ていた《転生者》も同じである。



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#262 The Garuda And Tiger 1 [REVENGER]

鳳巌

それはここ数十年において悪虐の限りを尽くした鬼ヶ帝国における最悪の犯罪者である。そして無論の事、その恐ろしさは情報を文字を通してしか知らない哲郎よりも日常生活の中で幾度も知らされた帝国民の方が良く知っている。

 

実際に、鳳巌の姿を見た観客達はその事実を理解した瞬間に混乱に陥り、泡を食ったように逃げ惑う。武道場を警備していた人間は皆 逃げ惑う観客達を宥め、誘導する事に必死で現場である闘技場には目もくれない。それが無意味な行為である事を警備の人間達は知る由もない。

 

鳳巌がここに来た目的は一人の人間(・・・・・)であるという事をだ。

 

 

 

***

 

 

「………………………!!!!!」

「もう一度だけ聞く。

先刻 我等を出し抜いた愚者は貴様かと聞いている。」

「!!!」

 

鳳巌を目の当たりにした哲郎は無意識の内に透桃の前に腕を伸ばして庇い、そして喉に唾を通していた。そして目に映る鳳巌の全体像(・・・)を頭の中で処理する。

手配書で見た凶悪な面構えはもちろんの事、見上げる程の巨体を深紅の衣で包んでいる。そして一際 目を引いたのは背中に携えた巨大な薙刀だった。一目見て哲郎はその薙刀こそが新聞で読んだ事件の凶器なのだと根拠も無く直感した。

 

そして頭の中にその事件(・・・・)を思い浮かべた哲郎は次の瞬間、これから起こるであろう出来事を直感した。そしてそれは直ぐに現実になる。

 

「!!」

ガキィン!!!!! 『!!!!』

 

突如、上空から一つの影が鳳巌目掛けて飛来し、その手に持っていた物を彼目掛けて振り下ろした。

 

「━━━━なんだ貴様は。」

「初めまして だよね。

あの時の事、覚えてる?」

『寅虎さん!!!』

 

上空から襲撃したのは寅虎、そして手に持っていた三節棍の刃物を振り下ろした。両親の仇を目の当たりにした彼女なら当然の行為と言える。それが叶ったのはそれを止める者が居なかったからだ。

しかし哲郎はそれ以上に異常な事態が目の前で起こっている事を理解した。

 

鳳巌は寅虎の刃を持っている薙刀では無く、指で彼女の攻撃を受け止めたのだ。そしてそれは即ち力が寅虎の刃と鳳巌の指に集中しているという事である。鳳巌が軽く指を傾けると力の拮抗は崩れ、寅虎の体勢は大きく傾いた。

鳳巌が指を振ると寅虎の身体は紙屑のように簡単に吹き飛んだ。

 

「………其の顔、其の武器、貴様もしや彼の時(・・・)殺した奴等の娘か。」

「…………そうだよ。覚えててくれたんだね。嬉しいよ。

━━━このクズ野郎!!!!!」

「戯けが。」 「!!!」

 

飛び掛って振り下ろされた寅虎の刃を、鳳巌は指で挟んで軽く受け止めた。驚くべき事に、鳳巌はまだ武器を抜いていない。それ以前に刃物を生身で受け止めるなど普通では有り得ない事だ。

 

「━━━大方、我が何故 貴様の親を殺したのか、知りたいのだろう。」

「………………………」

「邪魔だったから死んで貰った。それ以上の理由などない。恨むならば無関係の者を危険に晒すという愚行に走った繪雅とかいう愚図を恨め。

尤も、其奴も既に我が殺したがな。」

「!!!!!」

 

自分の行為を棚に上げる鳳巌のあまりに傲慢な物言いに寅虎の怒りは臨界点を超えた。顔や腕の筋肉に筋が浮かび、鳳巌の顎目掛けて足を振り上げる。しかし、その脚が鳳巌のあごに届く事は無かった。

 

哲郎が彼女の首筋に一撃を見舞い、その意識を断ち切ったからだ。突然の事に一瞬 気を取られた鳳巌の指が緩み、その隙をついて寅虎の刃を抜いた。

 

透桃の方向に跳んで距離を取り、哲郎は彼女に指示を飛ばした。

 

「透桃さん!! この人を連れて逃げて下さい!!!

早く!!!」

「!!!」

 

目の前で立て続けに起こる出来事に圧倒されていた透桃は哲郎の一言で我に返り、気を失った寅虎を抱えて闘技場の方へと走り出した。

哲郎はその行動が理に適っていると直感していた。鳳巌の目的は自分一人だと予想していたからだ。

 

「…………彼の娘を助けたつもりか。」

「助けるも何も、寅虎さんをどうするつもりもなかったんでしょう? あなたの目的は僕一人。違いますか?」

「ならば認めるのだな。」

「そうです。ついこの前、荒河山賊団の人達を捕まえたのは確かに僕です。だとしたらどうだって言うんですか?

わざわざ僕を殺しに来たって言うんですか?

そんなにあの人達が大切だったんなら、こんな所に来ないで鬼門組の所にでも行って連れ戻せばいいでしょう。」

「………其の質問に答える理由は無し。

我の要求は一つ。我と共に来て貰う。」

「其れはならんな。」

『!!!』

 

二人が声の方向に視線を向けると、そこには虎徹が立っていた。彼女もまた寅虎と同じように鳳巌が現れた事による混乱の中、人混みの中を逆走してこの場に馳せ参じたのだ。

 

「…………貴様、王者の《虎徹》だな。」

「ほう。ワシの事を知ってくれておるのか。なんの知性も無い獣も同然の男と思っておったのだがな。

ま、貴様如きに知られていたとて何の光栄も無いがな!!」



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#263 The Garuda And Tiger 2 [BLACK ARMOR]

今にも鳳巌と虎徹がぶつかり合おうとしている。目の前で起こっているこの状況は哲にとって喜びと不安が混ざりあったような印象を与えた。

虎徹の助力は今の哲郎にとっては願ってもない僥倖と言えるが、一方で一抹の不安もある。それは虎徹と鳳巌の二人にどれ程の力の差があるのかという事だ。

 

無論、哲郎は虎徹の実力も能力も既に把握している。その上での哲郎の彼女の評価は間違いなく最強格だ。しかし一方で鳳巌の実力が不確かなのも間違いない。情報と言えば寅虎の刃を生身で受け止めた事くらいだ。

 

哲哉(・・)。主は下がっておれ。

此の場はワシが食い止める。此のような外道、ワシ一人で十分じゃ。」

「…………………外道 か。

『道を外れて』いるのは貴様も同じでは無いのか?」

「戯けが。ワシは長生き(・・・)してはいるが人を殺した事などないわ。尤も、貴様が最初になる可能性はあるがなっ!!!!」

ガァン!!!!!

『!!!!』

 

言葉を重ねる事で隙を生み出し、虎徹は一瞬で距離を詰めて鳳巌の首筋に回し蹴りを見舞った。そして鳳巌はその蹴りを持っていた薙刀で迎撃する。本来なら虎徹の足が切られるだろうが、それは現実にはならなかった。

 

「!!? (此は……………!!)」

「切れんのがそんなに信じられんか。血を吸いすぎて斬れ味が落ちているのではないのか!!?」

「ヌッ!!」

 

力の拮抗は崩れ、弾かれた両者は後ろに跳んで一定の距離を取った。そして鳳巌は虎徹の足が切れなかった謎を既に見抜いていた。

 

「………貴様、妖術使いでもあるのか。それも謎めいた物を足に纏っている。」

「………ほう。今の一瞬で見抜いたか。どうやら脳まで肉で出来ているなどという憂いは無いようだな。組を出し抜く知恵は持っておらんのにな。」

 

虎徹は能力で生み出した《墨汁》を足に纏って硬化させ、刃に切られるという負傷を回避したのだ。

 

「知恵。

其れが何の役に立つ。必要なのは力のみだ。

此の世界においては力のみが全てであり、力のある者が全てを手に入れるのだ!!!」

「耳が痛いな。貴様のような外道が説法とは臍が茶を沸かすわ。

力が全てと言ったな。ならば貴様を上回る力で打ち砕くのみだ!!!」

「!!!」

 

虎徹は満を持して自身の能力の真価を発揮した。

指に溜めた墨汁を鳳巌に向けて発射する。鳳巌は咄嗟に薙刀の刃で防御した。

 

「………これしきの水鉄砲で我を討てると思ったか。」

「戯け。貴様の頭を狙ったのでは無い。

狙いは貴様の武器じゃ。もうその得物は用をなさんぞ。」

「!?」

(能力を使った!!!)

 

先程 虎徹の《墨汁》を防御した鳳巌の薙刀には異変が起こっていた。刃の部分に墨がこびり付き、真っ黒に染まっている。

 

「…………何をした………!?」

「其れを態々教える阿呆が居ると思うてか。

それ以前に貴様の目は硝子玉か何かか。」

「!?」

「既に何をしたか(・・・・・)は其処に書いてある(・・・・・)わ。」

「!!!」

 

鳳巌は薙刀の裏側(・・)を見て、そこに書いてある物に目を見開いた。

刃の部分には白い文字で『脆』と書いてあった。この瞬間に、鳳巌の薙刀は用を成さない叩けば簡単に砕け散る『脆』い塊に変わったのだ。

 

「………下らん惑わしは止めろ。

こんな餓鬼の落書きでこの我の動揺を誘えると思っているのか。」

「嘘だと思うなら其の刃で一太刀に斬り捨てて見るが良いわ。其れが出来んと言うならば貴様の首に懸かった二十万艮(=二十億円)の金こそ惑わしという事になるぞ。」

「抜かせ!!!」

 

虎徹の挑発に乗ったのかどうかは定かでは無いが、兎に角鳳巌は強襲を掛けた。巨体には似合わない速度で急接近し、虎徹の身体を両断する事を想起しながら薙刀を見舞う。

 

━━━━━バガァン!!!!

「!!!!?」

(つくづく) 度し難い(けだもの)じゃな。

折角ワシが武器を守る機会を与えてやったものを

なっ!!!」

「!!!」

 

その数秒の内に二つの出来事が立て続けに起こった。

鳳巌が虎徹に向けて薙刀を振るうと、案の定 その武器の刃の部分が粉々に砕けた。これこそが虎徹の能力の真髄だ。

そしてそれによって出来た隙をついて虎徹は鳳巌に向けて回し蹴りを見舞った。しかし鳳巌はこれを身を引いて躱し、そのまま虎徹との距離を取った。

 

(なまじ)すばしっこい奴じゃな。

目に障る図体で飛び回る蝿ほど質の悪い害虫は居るまいて。」

「害虫と思うならば一撃で屠ってみてはどうだ。害虫駆除も出来ん猫こそ無用な存在だと思うがな。」

「面白い。ならばこの場で屠ってやろう。

さすれば帝国一の富豪じゃ!!!」

「待って下さい!!!」

『!!!?』

 

挑発の応酬も酣に虎徹と鳳巌がぶつかり合おうとした瞬間、哲郎が待ったをかけた。

 

「鳳巌。あなたの目的は僕一人でしょう。

そんなに連れて行きたいならどうぞそうして下さい!! 僕は逃げも隠れもしません!!!」

『!!!?』



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#264 I AM THE LURE

虎徹と鳳巌は自分の耳を疑った。

哲郎は確かに『自分を連れて行け』と言ったのだ。

 

「何を言っておる哲哉!!!

主は自分が何を言っておるのか」

『分かってますよ。 もちろん。』

「!」

 

動揺する虎徹を哲郎は小声で窘めた。

その表情は落ち着いていた。先程の大それた申し出にもちゃんとした理由があると言外に語っていた。

 

『確かに、今ここで鳳巌を倒すのはやって出来ない事ではないかもしれません。ですがそれでは根本的な解決(・・・・・・)にはならないでしょう。』

『何が言いたいのだ!?』

『つまりこういう事ですよ。

敵の《転生者》は僕の存在を知っています。そして(哲哉)は鳳巌に目を付けられる程 重要な存在になっている。例えるなら台風の目です。』

『まさか……!!』

『そうです。

ここで僕がわざと攫われる(・・・・・・・)という有り得ない行動を起こして、《転生者》を動揺させる(動かす)んです!!』

『!!!』

 

哲郎の作戦はこうだった。

敵の《転生者》にとって最重要人物である自分を敢えて鳳巌に拉致させるという有り得ない行動によって《転生者》の動揺を誘い、無理に行動を起こさせるというものだ。

 

『自分自身を囮にするつもりか………!?』

『危険な事は分かってます。だけどこれが上手く行ったら事態は大きく動きます。もちろん、僕達の方に。』

「………………おい。」

『!!!』

 

話し込んでいる二人に対し、鳳巌が薙刀の柄の先で地面を震わせて威嚇した。虎徹の『脆』の字の影響は刃の部分にのみ向いている。

 

「一体いつまで待たせるつもりだ。

我はどちらでも良いのだ。過程が変わるだけで結果は変わらんのだからな。」

「話はつきました。

僕を連れて行きたいならそうして下さい。」

 

哲郎は両手を上に上げながら鳳巌の所へ近づいた。傍から見れば命を捨てるに等しい危険な行為だが、哲郎には一つの確信があった。

 

「童。名を哲哉と言ったな。

我等の怒りを買い、我らの元へ攫われる事。其れが意味する所は分かっておろうな。」

「…………もちろんです。まぁ、間違った事はやってないと思ってますが。

(違う。この人には僕をどうこうするつもりは無い。もしそうなら出てきた時に攻撃してる筈だ。

理由は分からないけど、とにかくそれは確かだ。それにメリットもある。)」

 

哲郎は既に頭の中で鳳巌に拉致される事で得られるものを二つ見付けていた。

 

一つは安全。

哲郎が鳳巌の手の内に居れば《転生者》は迂闊に手出し出来なくなるという安全だ。逆に無理に行動を起こす可能性もあるが、それを予測出来ていれば対策を立てることは出来る。

そしてもう一つは情報だ。

鳳巌が率いる組織がどのような存在か《転生者》は既に知っている可能性が高い。ならば自分もそれを知り、同じ条件になる事は勝利の為には必須と言える。

 

「其の覚悟と度胸だけは認めてやる。攫うからにはそれ相応の処置を取らせてもらう。」

「…………………」

 

鳳巌はそう言って懐から長い縄と大きな麻袋を取り出した。

 

「此の縄で手足を縛り、そして袋に詰める。」

「………場所を知られたくないからですか?」

「其れに答える必要は無い。

抵抗すれば容赦なくその首をへし折るぞ。」

「今さらそんな事する訳がないでしょう。やるなら早くやって下さい。」

「言われんでもやってやる」

「哲哉さん!!!」 「哲哉ァ!!!」

『!!!』

 

その時、闘技場に姿を現したのは彩奈と金埜だった。

 

「!!!? て、哲哉さん!!?

その人は━━━━━━!!!!」

「主等 動くな!!!」

『!!!』

 

不用意に近付こうとする二人を虎徹の一喝が止めた。それを見て鳳巌は以外そうに片方の眉を上げる。

 

「懸命な判断だったな。あと半歩でも其奴等が近付いていれば此奴の首をへし折っていたぞ。」

『!!!!

こ、虎徹さん!! どういう事ですかこれ………!!!』

『騒ぐな。下手に刺激してはならん。

彼奴の名は鳳巌。この国最悪の犯罪者じゃ。そして昨日 主が攫われそうになった山賊団の長じゃ。』

『!!!?』

『哲郎は奴の怒りを買い、奴はこの場に来た。そして哲郎は今、奴に攫われようとしておる。』

『!!!!?

じゃあなんで!! なんで止めないんですか!!!?』

『落ち着け!! ワシは止めようとした!!

だが哲郎自身が連れて行けと言ったのじゃ。』

『な、何の為に!!?』

『其れも奴から説明を受けた!! 其れは後で話す。兎に角今は大人しくしていろ!!』

『……………!!!!』

 

彩奈は虎徹に窘められ、その場に留まる事を選択した。自分の能力で哲郎の所まで移動し、救出する事を考えたが、それは却下された。

一瞬見せた哲郎の目に光が消えていなかった。

 

 

***

 

 

彩奈に一瞬 視線を送った後、哲郎の視界は闇に閉ざされた。しかしそれでも他の感覚を総動員させて情報をかき集めた。

 

手足に伝わる縄の締め付ける感触や耳に入ってくる麻袋が身体に擦れる音。そしてもう一つ重大な情報を得た。

それは身体に伝わる浮遊感、そして耳に入ってくる羽撃く音だ。鳳巌は大型の飛ぶ生物を移動手段に使っていたのだ。



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鬼ヶ帝国 編 第二幕
#265 The Commissioner


「………私、鬼門組の麻棋(あさぎ)ともうします。

これより事情聴取を行いますが、襲撃の際に現場に居たのは貴女方で間違いありませんね。」

「そうじゃな。」

 

鳳巌の襲撃から数時間後

虎徹、彩奈、金埜、透桃、寅虎の五人は呑宮の都内にある鬼門組の署で事情聴取を受ける事になった。

 

「まず、透桃さん。貴女達の試合が終わった直後に鳳巌が襲撃したという情報がありますが、これは間違いありませんか。」

「は、はい………!!」

 

透桃は俯きながらもそう答えた。

まだ最悪の犯罪者を目の当たりにした事実を受け止めきれずにいるのだ。

 

「彼による死者や負傷者は無し。しかし、一人だけ拉致された。それが」

「ワシの連れの哲哉じゃな。下手に抵抗すれば逆に不味いと思って敢えて連れ去られる事を選んだのじゃろう。」

「なるほど……………。

そしてその哲哉さんの姉が杏珠さん、哲哉さんに刹喇武道会を紹介したのが金埜さんですね。」

「はい………」 「んだ。」

 

彩奈は俯きながら、金埜は額に汗を浮かべながらも堂々と受け答えをした。彩奈も透桃と同様に鳳巌が襲撃した衝撃を受け止めきれずにいる。

 

「では次に、哲哉さんがこの武道会に出場する事になった経緯を説明していただけますか?」

 

 

彩奈と金埜は哲郎が山賊団の男達と交戦して捕らえた事、その後に金埜に出会って介抱したこと、金埜が哲郎の実力を見込み、利害の一致の結果 金埜の代わりに出場する事になった事を順を追って説明した。

 

「……なるほど。

金埜さんは優勝賞金を故郷に使う為に、哲哉さんは豪羅京に自分の実力を誇示する為に武道会に参加されたという訳ですね。」

「んだ。 別に悪い事じゃねぇだろ?」

「……はい。 まぁそれは良いでしょう。

では次は、鳳巌が襲撃した当時の状況を詳しくお聞かせ願えますか? 透桃さん。そして、寅虎さん。」

 

 

透桃は哲郎との試合が終わった直後に空から鳳巌が飛来してきた事、寅虎は(衝動的に)鳳巌に襲い掛かった事を説明した。

 

「……他の証言とも一致しますね。

そして寅虎さん。勝手ながら貴女の素性を調べさせていただきました。

貴女のご両親、《寅號》さんと《琳虎》さん、この二人は鳳巌が起こした事件の被害者だったそうですね。」

『えっ!!?』

「………………………」

 

麻棋の口から出た事実に彩奈と金埜、透桃が驚いた声を出した。対称的に寅虎は口を閉ざしている。

 

「そして貴女は鳳巌の被害者遺族。

だからあんな事を……………」

「だったら何? あたしを捕まえるの?

傷害? 銃刀法違反? 殺人未遂?」

「いえ。貴女の勇気ある行動(・・・・・・)によって鳳巌が足止めされていなければ、もっと被害が拡大していた可能性もあります。賛成は出来ませんが、不起訴で済むでしょう。」

「………………」

 

麻棋の判断は寛大と言えるが、寅虎はその判断に満足とも不服とも思っていない様子だった。その時に彩奈は『帝国にも日本(自分の前世)に似た法律があるのか』と思っていた。

 

「では皆さん、これより━━━

!」

 

言葉の途中で麻棋は自分の懐に目を向けた。

懐の中で通話の水晶が光った。

 

「失礼します。

━━━━こちら、麻棋です。

はい。 はい。

━━それで、今どちらに? はい。

分かりました。すぐに。」

 

数十秒 背を向けての受け答えの後、麻棋は再び虎徹達の方を向いた。

 

「どうかしたのか。」

「皆さん、言うまでもない事ですがこれは鳳巌が関わっている事件です。故に、皆さんには鬼門組の凰蓮総監の聴取を受けて頂きます。

そして総監殿がたった今、この呑宮支部に到着しました。」

『!!』

 

彩奈以外の全員、即ち話を聞いている帝国民の表情が強ばった。彼等にとってそれほどまでに凰蓮は大きな存在なのだ。

その直後、聴取を行っている部屋に一人の女性が入って来た。濃い茶髪を左耳の側で束ねた弱々しい表情をした、彩奈より少しだけ年上に見える女性だ。

 

「き、鬼門組陸華仙 一番隊の菰里(こもり)です!! 凰蓮総監がご到着しました!!」

「分かりました。入って貰って下さい。」

「はいぃ! こちらです!」

「フフフ。お待たせしましたねぇ。」

『!!!』

 

菰里と名乗った女性に呼ばれ、鬼門組の最高位に就く男である総監 凰蓮がその姿を表した。その姿を見て、彩奈だけが驚いて身体を震わせた。

その男は顎に長い髭を蓄え、オールバックの頭に兜を被り、そして身体は重厚感のある青色の鎧に覆われていた。

体格は鳳巌と殆ど同格。彩奈が首を持ち上げないとその顔が見れない程だった。

顔つきも鳳巌と遜色無い程に彫りが深い。しかし鳳巌とは違ってその表情は貼り付けたような笑みを浮かべていた。

 

「初めまして皆さん。私が鬼門組総監 凰蓮です。この度の皆さんの情報提供、誠に感謝しております。」

「…………………!!!!」

 

凰蓮の圧倒的な迫力に虎徹達も緊張していたが、彩奈は輪をかけて緊張していた。寧ろ精神的に動揺していた鳳巌の時より落ち着いている今の方が緊張が強いと思った。



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#266 OUTSIDERS UNDERGROUND

彩奈が呑宮の支部で事情聴取を受けている頃、哲郎は鳳巌の手によって連れ去られていた。

目を開けても視界に入ってくるのは麻袋の裏地のくすんだ茶色だけだったが、他の感覚から得られる情報を必死にかき集めていた。

 

 

***

 

 

(…………結構息苦しくなって来たな。かなり高い所を飛んでいるのか。

音は………、羽撃く音と風を切る音以外は特に聞こえないな。 時間は、もうすぐ三十分くらいか。

この鳥(みたいな魔物)がどれくらい速く飛んでるのかは分からないから、距離は分からないけど、かなり離れてるみたいだ。)

 

哲郎の予想が正しければ、鳳巌は今 麻袋に詰めた自分を魔物の身体に括り付け、その上に乗って上空を飛んでいる筈だ。そしてその時間は不意に終わりを告げる。

 

「!!」

 

その瞬間、哲郎、延いては鳳巌と鳥の魔物の身体が急に傾いた。さらに速度を上げ、地面へ向かっているのが分かる。

鳳巌の目的値が近くなっている。

 

 

***

 

 

それから起こった出来事は、単純な連行だった。

光源のない空間で麻袋から出され、目と口を布で塞がれ、腰と手首に縄を括り付けられて鳳巌の手によって歩かされている。

 

(………結構じめじめしてるな。ここは地下なのか?)

「目隠しを外してやるぞ。」

「!?」

 

鳳巌の口から意外な言葉が出たかと思いきや、次の瞬間には哲郎の網膜を光が刺激していた。

 

「━━━━━!!!」

 

哲郎の目に飛び込んで来たのは、自分の予想以上に広い空間、そしてその中で騒いでいる男達だった。哲郎は今高台に立ち、その高台を囲うように空間が広がっている。

彼等は山盛りの料理を囲み、酒を浴びるように飲んでいる。その顔は真っ赤に染まり陽気な笑みを浮かべていた。

 

「…………おい、戻ったぞ。」

『!!!』

「おお!! 大親分!!!」

 

一人の男が鳳巌をそう呼んだ事がきっかけとなって広間は更に湧いた。そしてその騒ぎに乗じて一人の男が階段を駆け上がって鳳巌の元へと近付いてきた。

 

「大親分、もしかしてそいつが黎井の兄貴達を縄にかけやがった糞ガキですかい?」

「そうだが?」

「分かりやした。

………おい糞ガキ!!! この荒河山賊団様に随分と舐めたマネしてくれたな!!!

死んで償えや」

「おい。」

「!!!!!」

 

その男は哲郎に拳を振り上げたが、それが最悪の手だった事を鳳巌の表情で理解した。

 

「じ、冗談ですよ!!!

黎井の兄貴をやられちまったから、一言文句を言いたくて━━━━!!」

「………肝に銘じておけ。此奴の処遇は我が決める。

貴様等も聞け!! 我以外誰にも此奴に手を出す事は断じて許さん!!! 違えた者は其の魂を失うものと心得よ!!!!」

『!!!』

 

鳳巌の一言によって広間に一気に緊張が走った。それを見届けた鳳巌は持っている縄を引き、哲郎に歩くように促す。

そして高台を歩き、広間を超えて奥の通路に入る時、哲郎の耳に微かな声が入った。

 

『━━流石は大親分だ。自分に逆らう奴は自分の手で始末する気なんだ。』

『━━そうだそうだ。俺達を怒らせる奴ァ死んで当然なんだよ。』

『━━にしてもあの糞ガキ ひでぇ目に遭うぞ。黎井の百倍は苦しんで死ぬな。』

「…………………」

 

しかし、哲郎はその言葉を本気にはしなかった。それに足る根拠があったからだ。

 

 

***

 

 

「貴様は此処に入れ。」

「…………………」

 

哲郎が連れてこられたのは小さな牢屋だった。赤い錆に覆われた鉄格子を隔てて小さな部屋が広がっている。

 

「此処が貴様の墓となるのだ。

此の場で貴様の残りの時間でも数えているが良い。」

「………下手なお芝居はもういいんじゃないですか?」

「何?」

「理由はまだ分かりませんが、貴方は僕を殺す気なんか無いでしょ? 違いますか?」

 

絶望的な状況にも関わらず気丈な表情を見せ続ける哲郎を鳳巌はしばらく見詰めていた。

 

「………唯の小生意気な餓鬼では無かったか。

何時それ(・・)に気付いた。」

「最初からですよ。本当に僕を殺したいならすぐにやっているはずですから。平気で無関係な人間を斬り殺す人間なら、尚更です。」

「…………………」

 

鳳巌は口を閉じて哲郎の問の意味する所を探していた。心当たりが沢山ありすぎて答えが見つからないのだろう と哲郎は考察した。

 

「…………確かに貴様を殺す気は毛頭無い。

だが、温情などでは無い。貴様には生きて()になって貰う。」

「餌!?」

「そうだ。この場に鬼門組を誘い込む為の餌にな。」

「誘い込む。つまり、鬼門組を潰そうと考えてる訳ですか。」

「…………喋り過ぎだぞ小僧。

何れにしろ、貴様はこの檻の中から一歩も出れはしないのだからな。」

「………………」

 

鳳巌は哲郎を牢屋に押し込み、檻を閉めて鍵を掛けた。そして通路の奥へと姿を消した。牢屋の中に窓は無いが、手首や腰の縄は解かれた。

 

(…………縄を解くなんて油断もいい所だな。だけどなんで『潰す』と答えなかったんだ?

まぁそれはおいおい考えるか。まず僕がやらなきゃいけないのは……………、)

 

檻に監禁されてなお、哲郎の心は全く折れていなかった。偽ラドラ(姫塚里香)達に拉致監禁された経験が大きく活きている。

心の中で言ったやらなきゃいけない事とは、檻からの脱出、そして彩奈達との通信だ。そして哲郎は既にその手段を持っている。



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#267 The Strong Prisoner

牢屋の中には学校にあったような和式のトイレと木で組み立てられたベッドが置いてあった。

哲郎はベッドの上に座り、《やらなければならない事》の一つ目に取り掛かる。

 

(………彩奈さんは今 どうしてるかな?

帝国の事だから、今頃鬼門組が話を聞いてる頃か。とにかく僕がやらなきゃいけないのは……………)

ブシッ!!! 「!!!」

 

その瞬間、哲郎の手の平から鮮血が吹き出し、その傷跡から水晶が転がって落ちた。それはエクスから受け取った通話の為の水晶(魔法具)だ。

この方法はラドラ寮の面々に地下水路に拉致された時に身に付けた知恵だ。水晶には通話だけでなく衝撃波を出す機能と明かりを照らす機能も付いている。余談だが、哲郎はこの水晶に対して『アプリとカメラの無いスマホにナイフがくっ付いた様なもの』という認識を持っていた。

 

(そもそも、通話が繋がるかが問題だよな。確か宗教の所の地下に居た時はエクスさんと話せなくなったんだよな。

だから繋がるか繋がらないかでここと呑宮がどれくらい離れてるか分かるな…………)

 

繋がるにしろ繋がらないにしろ何かしらの収穫があるという心持ちで哲郎は彩奈との通信を試みた。

 

 

***

 

 

《鬼門組 呑宮支部》

哲郎が牢屋に監禁されている頃、凰蓮は彩奈達にこれからやる事を伝えていた。

 

「皆さんにはこれから豪羅京にある本部で聴取を受けて、そのまま今日はそこにある客室で寝泊まりして頂きます。」

「おい待たんか。何を勝手に決めておるんじゃ貴様。」

「!!! こ、虎徹さん!!!」

 

凰蓮の提案に難を示した虎徹が立ち上がり、凰蓮の眼前に立った。二人が至近距離で向かい合っている光景は彩奈の目には脅迫めいたものに映った。

 

「何か問題でも?」

「理由を言えと言うておるんじゃ。ワシらの行動を勝手に制限するつもりでいるのか。」

「もちろん理由はあります。一言で言えば皆さんの安全を確保する為です。

良いですか。そもそも皆さんが此処に居られる事自体が奇跡と呼んで差し支え無いんです。」

「なんじゃ。此奴等が鳳巌に狙われるとでも言いたいのか。」

「その通りです。彼は極めて凶悪な犯罪者です。最早一度(ひとたび)外に出れば後ろから斬り捨てられてもおかしくはありません。

それと、《此奴等》ではありません。もちろん貴女も例外ではありませんよ。虎徹さん。」

「………………」

 

凰蓮の理屈が通っていると認めたのか、虎徹は椅子に腰を下ろした。

 

「皆さんも聞きましたね。

出発は一時間後。それまでに準備を整えて置いてください。心配しなくても、寝泊まりする場所は衛生面は完璧にしてあります。留置所のような場所ではありませんので安心して下さい。」

「わ、分かりました………………

!」

 

凰蓮に返答した瞬間、彩奈の懐でエクスの通話の水晶(魔法具)が光った。

 

「どうかしましたか?」

「あ、いえ、一時間後ですよね?

なら、ちょっとお手洗いに行っても良いですか?」

「もちろん大丈夫ですよ。ここを出たりしなければね。」

「あ、ありがとうございます!!」

 

彩奈は席を立ち、早足で(トイレ)に向かった。事態が一刻を争う事が分かっていたからだ。

 

 

 

***

 

 

(………繋がるか…………………………?)

『て 哲郎 さ ん …… ……?』

「!!

彩奈さん!! 聞こえますか!!?」

 

小声で話す事を心掛けながらも哲郎は通信が取れた事を心の中で喝采した。

 

「あまり時間をかけずに話します。

僕は今 どこかは分かりませんが鳳巌のアジトみたいな所の檻の中に居ます。

彩奈さんは今どこに!?」

『今 は鬼 門組 の、呑 宮の支 部に 居ま す。』

「分かりました!!

(かなり通信が悪いから、ここと呑宮の支部との距離はエクスさんの屋敷と宗教の場所と同じくらいの距離か。)」

『良 かった です! !

話せ るなら、 すぐ に助け に………!!』

「いや、まだその時じゃありませんよ。」

『!!?』

 

水晶の向こうからでも彩奈の『何を言ってるんだ』という感情を読み取った哲郎は自分の考えを伝える。

 

「落ち着いて聞いて下さい。ちゃんと理由はあります。

良いですか。僕が捕らわれているこの状態は敵の《転生者》にとってはとても都合の悪い事です。ですからそれを利用して、《転生者》にこの状態から抜け出そうと強引な行動を起こさせる(・・・・・)んですよ。」

『そ、そ れって つま り ……… …!!!』

「そうです。追い詰められているようで、これはチャンスです。

鳳巌()鬼門組(味方)も出し抜いて、この国を脅かそうとしている《転生者(黒幕)》の化けの皮を剥がすんです!!!」

『!!!』

 

水晶から聞こえてくる途切れ途切れの声だけで、彩奈は哲郎が自分が囚われの身であるにも関わらず、少しも心が折れていない事を理解した。



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#268 Ogre Priority Agents

『ですか ら、彩 奈さ んはそ のま ま鬼門 組の言 う通り にして じっ として て下さ い。』

「は、はいっ!!」

 

彩奈がそう答えると、哲郎との通信は切れた。

一見 状況は何も変わっていないように見えるが、この通信から得られた情報はあった。

 

(………確かこの前宗教の所で通信してた時、その地下とエクス様のお屋敷の距離で話したらさっきと同じくらい声が飛んでたって言ってたよね。

って事は、あの悪い人の居場所はここからお屋敷と宗教の場所と同じ距離を半径にした円の中にあるって事だよね。哲郎さんはああ言ってたけど、この事は虎徹さんに伝えなきゃ……………)

『━━━━コンコンッ』

「ひゃんっ!!!?」

 

彩奈は不意に聞こえた(トイレ)の扉を叩く音に跳び上がった。

 

「杏珠さんですか? 先程の菰里です。

随分長く厠に入ってますが、大丈夫ですか?」

「あ、は、は、はい!!

もう出ますから心配しないで━━━!!」

 

彩奈は慌て気味に水晶を懐にしまい、覚束無い手で(トイレ)の扉を開けた。

 

 

***

 

 

彩奈が鉄郎との通信を終えてから五十分が経ち、彼女達は呑宮支部の門の前に集められた。

凰蓮が彩奈達の前に立ち、その後ろには巨大な馬車が用意されている。車は鋼鉄製で外部からの干渉を一切許さないという気概が見て取れる。

 

「………皆さんお揃いですね?

ではこれより私の車で陸華仙の本部へ護送します。皆さんの身の安全はこの菰里が守りますからご安心を。」

「なんじゃ。主は乗らんのか。」

「私には馬を操るという役目があります。

この呑宮から豪羅京の中央までですから、時間は二、三時間といった所でしょうね。

他に質問のある方はいらっしゃいますか?」

 

誰も手を挙げないのを見て、凰蓮は振り返って馬車の扉を開けた。

 

 

***

 

 

しばらくの間 振動に揺られた彩奈が最初に理解したのは、この馬車は帝国民にとってパトカーのようなものだという事だった。

窓の外から見える、馬車を見た帝国民が迷わずに道を開けるのがその根拠だ。

 

(………二、三時間って、その間ずっとこんな事してじっとしてなきゃいけないの?

こうしてる間にも哲郎さんは今すぐにでも殺されてもおかしくないっていうのに?)

 

馬車に乗って護送されている面々は皆 心中穏やかでは無いだろうが、彩奈の精神状態は輪をかけて揺れ動いていた。さながら今の自分の状態を《護送》ではなく《連行》だと錯覚してしまいそうになる程だ。

 

(やっぱり、やっぱりあの時無理をしてでも《転送(能力)》で哲郎さんを助けておけば良かったかな? そもそも、わざわざ敵の中に潜り込まなくても良かったんじゃ…………………)

「━━━━珠さん? 杏珠さん?」

「っ!?」

「見えましたよ。あれが《陸華仙》の本部です。」

「!!!」

 

菰里が指さす方向に視線を向け、彩奈は窓の外から見える光景に目を見張った。

そこに建っていたのは巨大な要塞だった。歴史の教科書でしか見なかった《城》が聳え建っていた。

 

「すっげぇ城だなぁ!!!」

「こいつが《陸華仙》か。実物を見るのは初めてじゃな。」

 

金埜と虎徹は初めて見る巨大な建造物に目を見張り、透桃と寅虎は言葉を失っている。彩奈もその威圧感に圧倒されていた。

 

「あと何分かで着きますから、降りる準備をしておいて下さい。」

「は、はい!! 分かりました!!」

 

『…………彩奈よ。締めてかかれ。

哲郎の奴がそうであるように、ワシ等の手にも帝国の命運が握られておるぞ。』

『……………はい!!』

 

既に哲郎の現状と心中を知っている虎徹は彩奈に激励の言葉を掛けた。

 

 

***

 

 

《鳳巌の根城の檻の中》

 

哲郎は檻の中に備え付けられたベッドの上に腰を下ろし、これから何をするべきかを思案していた。

 

(…………今は、閉じ込められてからだいたい二時間くらい経った頃か。彩奈さんは今 どうしてるか。鬼門組に居るって言ってたけど、もしかしたら凰蓮(トップ)が動いてるかもしれないな。なんだか凰蓮と鳳巌の二人、因縁があるみたいだったし…………)

 

哲郎は虎徹から聞いた九年前の話を思い起こしていた。そして根拠も無く鳳巌の過去を知る事が帝国を救う手掛かりの一つになると感じていた。

 

(どうやら僕を殺す気は無いって考えは当たってたみたいだな。檻の外に監視すら置いてない。万一 脱走しても支障は無いって事か。

なら、思い通りにやってやろう!!)

 

哲郎のその思考は即ち 檻から脱走する事を実行する意思があるという事だ。そして哲郎はすでにその方法を思い付いていた。



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#269 The Prison Breaker

檻からの脱走

哲郎はその方法をすでに三つ 思い付いていた。しかし最優先で使いたい、そして上手くいって欲しい(・・・・・・・・・)と思っているのは一つだけだ。残りの二つは別々の意味でリクスが大き過ぎるからだ。

 

(………ここから出る方法は三つ。

まずは一つ目から試してみるか。出来れば上手くいって欲しいけどな!!)

 

哲郎は檻の格子に近寄り、屈んで根元に水晶を近付けた。そして作戦を実行に移す前に唾を飲み込み、精神を落ち着ける。

 

(……………さぁ、行くぞ!!!)

『ガキィン!!!!!』 「!!!」

 

水晶から放たれた衝撃波が錆び付いた鉄格子に直撃した。甲高い衝撃音が鼓膜を震わせ、その余韻が頭から消えると哲郎は自分の運の良さに喝采した。

自分の作戦が滞りなく成功したからだ。

 

(よし!!! 根元からポッキリ折れてる!!!

これなら抜け出せる!!!)

 

哲郎は鉄格子の切断された部分を掴み、斜め上方向に思い切り引っ張った。すると錆び付いて脆くなった鉄格子は少しづつ曲がり、哲郎が抜け出せるだけの空間が出来た。

 

(縦の方はこれで十分。そして横は格子一つ分隙間が空いたから子供の僕ならギリギリ抜け出せる!!!)

 

心の中では喜んでいたが、時間が無い事も理解していた。鉄格子を切断する程の大きな音を広間にいた男達が聞いていないとも限らない。

曲がった格子をすり抜けて檻の向こう側に手を伸ばし、四苦八苦しながらも外へ脱出した。

 

「………………よし!!!」

 

檻からの脱出を最善の方法(・・・・・)で実行出来た事を、小声ながらも喝采した。頭に浮かんでいたもう二つのやり方は非常に危険だったからだ。

 

(………今だから言えるけど、残りの二つをやる事にならなくて本当に良かったな。)

 

二つ目の方法は水晶から出る衝撃波で身体を細かく切断し、講師の隙間を通して脱出するという離れ業。

そして三つ目の方法は水晶から出る光で組織の人間を誘き出し、自分は天井近くに浮かんで檻の中に誰もいないように見せかけ、入ってきた所を攻撃し、空いた檻から脱出するというリスクの大きい方法だ。

 

(二つ目のは出来るならやりたくなかったし、三つ目のも失敗したら脱出の可能性が無くなる賭けだったからな。

このやり方が上手くいって本当に良かった。

さて!!)

 

檻からの脱出に成功した事を喝采した哲郎は気持ちを切り替え、新たな行動を起こす。敵地の中心に居るこの状況は危険が伴いながらも立ち回り次第で大きな成果を生み出せると分かっているからだ。

 

 

***

 

 

鬼門組最高機関 《陸華仙》

豪羅京に本部を構え、その建物は皇居に次いで最高峰の規模と堅牢さを兼ね備える。その中に入る事が出来るのは本来、鬼門組で高い実力を持つ者か、凶悪な犯罪を犯した者かのどちらかだ。しかし今ここに例外が居る。

鳳巌という最悪の犯罪者の襲撃を受け、彼の脅威から保護される存在が五人居る。

 

「…………………!!!」

「驚いていますか? これが《陸華仙》です。

………して菰里さん。彼女(・・)は今どこで何をしていますか?」

「はい!! 今の時間ならあの仕事(・・・・)をしている筈ですが………!!」

「そうですか。 では行きましょう。」

「?」

 

凰蓮は彩奈達を連れて階段を登った。

 

 

 

***

 

 

凰蓮に連れられて彩奈達がやって来たのは堅牢な鋼鉄の扉の前だった。

 

「…………ここって、取調室ですよね?」

「その通りです。彼女はここに?」

「はい。その筈です。」

 

菰里が扉を開けると、そこはやはり取調室だった。三畳ほどの広さの部屋の中心に机があり、犯罪者らしき初老の男と黒髪の小柄な女性が向き合っている。しかし彩奈はその光景に目を見開いた。

その理由は犯罪者らしき男の顔が血にまみれて居たからだ。

 

「こ、この糞餓鬼が…………!!!!!

この私を一体誰だと━━━━━━

ッ!!!!!」

「貴様こそ今の立場を弁えろ。それに私は餓鬼ではないわ。戯けが。」

 

鬼門組の女性が犯罪者らしき男の頭を掴み、机に叩き付けた。その光景、そして鼻が潰れ血が吹き出す音が彩奈の背筋を凍りつかせた。

 

「い、苺媧(いちか)隊長!!」

「む? 菰里か。」

「はい!! 凰蓮総監と重要参考人の人達を連れて参りました!!」

「分かった。直ぐに行く。お前は此奴の取り調べを代われ。」

「はいっ!!」

 

苺媧という小柄な女性は菰里と交代するように取調室を後にした。

 

 

***

 

 

「苺媧隊長 お疲れ様です。何か分かった事はありましたか?」

「いいえ。あの愚図 頑として知らぬ存ぜぬを通しておりまして。」

「……そうですか。彼は凶悪犯であると同時に極めて重要な情報を持っている男です。是が非でも情報を引き出すのですよ。」

「分かっております。

して、彼女達ですね。あの(・・)鳳巌の襲撃を受けた者達というのは。」

「そうです。彼女達の身の安全を必ず確保するのです。」

「あ、あの…………!!」

『?』

 

話し込んでいる凰蓮と苺媧の二人に彩奈が声を掛けた。

 

「どうかしましたか?」

「さ、さっきの……!! なんであんなひどい事(・・・・)を……………!!!」

「!? ひどい事だと? 貴様、あの男が何をしたか分かっていないのか?」

「え!?」

「その通りじゃ。此奴は俗世に疎くての。

彼奴、《鴻琴(ぐきん)》じゃろ?なんでも音楽学校の講師じゃったが、行き過ぎた指導が原因で生徒を一人自殺に追い込んでしまったとか。」

「!!?」

 

虎徹の口から語られた鴻琴の情報に彩奈は再び目を丸くさせた。

 

「その通りです。いかなる理由があれど、そのつもりが無くとも、人の命を奪う事は決して許されません。ですが、私達が彼を締め上げている理由は他にもあるんです。」

「!?」

「これは極秘情報ですので他言無用にお願いします。

あの鴻琴被告、鳳巌と繋がっている疑惑があるのです。」

「!!!?」



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#270 The Illegal Teacher 1 [MUZZLE]

鬼ヶ帝国の法律において、殺人罪は最も重い罪として扱われている。それは轟鬼族が他の種族に比べてその絶対数が少ないが故であり、種族の保護を目的としたものである。

それが故意であろうと過失によるものであろうと、その後の対応によって差はあれど厳しい処分が下る。

 

鴻琴という男は音楽学校の講師であったが、暴力的な苛烈な指導で生徒達からは恐れと反感の感情を買っていた。そして遂に被害が出る。生徒の一人が耐え兼ねて自らの命を絶ってしまった。鬼門組はこれを断固として許さず、鴻琴を起訴。そして厳しい取り調べを掛けた。しかしそれを断行した理由は他にもある。

鴻琴には鳳巌の仕切る賭博場に入り浸っていたという疑惑があるのだ。

 

 

***

 

 

「………無論、賭博行為自体が重罪ですが、私達が注目しているのは鳳巌との関係です。

鳳巌との関わりがあるのならば、是が非でもそれを聞き出す必要があります。

まぁ、こんな事を皆さんに言っても意味はありませんけどね。」

 

凰蓮は貼り付けたような笑みを浮かべながら彩奈達に鴻琴の事を説明した。

 

「………じゃが、情報をべらべらと喋って良いのか。」

「構う事はありません。皆さんにはそれを知る権利があります。それに無意味な同情をされたらいけませんからね。」

「無意味?」

「総監の仰る通りだ。」

『!!』

 

凰蓮の後ろから苺媧が口を開いた。近付いて分かるが彼女の身長は彩奈と同じ程しかない。

 

「無知だったのならば先の言葉は聞き逃してやるが、それでも同じ事を宣うならば貴様はあの男に殺された者の命を嘲る事になる。それでも同じ事を言うか?」

「……………!!!」

「苺媧さん。その辺にしておいて下さい。彼女達は大切な参考人です。これ以上の愚弄こそ見過ごせません。

とはいえ、彼に口を割ってもらわねばならないのもまた事実。ここは強めに行きますか。菰里さん、あれ(・・)の用意は出来ていますか?」

「はい! 出来てます!!」

「そうですか。では、行くとしましょう。」

 

手で彩奈達に待っているように指示し、凰蓮は菰里を連れて取調室へと入って行った。

 

 

***

 

 

「━━お初にお目にかかります。鴻琴被告(・・)。」

「!!! き、貴様は━━━━!!!」

「勿論、この鬼門組の総監です。私がここに来た理由は分かりますね?」

「~~~~~!!! わ、分からん!!!」

 

鴻琴は苦し紛れに顔を背けたが、凰蓮は調子を崩さずに話を続ける。

 

「分かりませんか。ならば貴方の罪状を逐一話す必要がありそうですね。

まず、罪の無い生徒の命を奪った《自殺教唆罪》。次に指導の過程で生徒の頬を幾度も張った《暴行罪》。そしてその時に生徒に椅子を投げつけた《殺人未遂罪》。

証拠も証言も揃っています。言い逃れは出来ませんよ。」

「で、出鱈目だ!!!! 私はただ仕事をしていただけだ!!!!!」

「いいえ。話はまだ終わっていませんよ。これは飽くまで表面上(・・・)の罪状です。最も重い罪は他にあります。

菰里さん、あれを。」

「はいっ!」

「!!!!!」

 

凰蓮の横から菰里が懐から写真を複数枚取り出して机の上に並べた。それを見た鴻琴は顔を更に青くさせた。

その写真には鴻琴と太った大男が会っている様子が写っていた。

 

「この男性は鳳巌の配下の一人、《珂豚(かとん)》です。彼には違法賭博を仕切っている容疑が掛かっています。

つまり、この写真は彼が切り盛りしている賭博場に貴方が入り浸っているという証拠です。」

「~~~~~~~~!!!!」

「貴方が頑なに口を割ろうとしなかったのはこの事を連中に知られたくなかったから。恐らく珂豚は賭博場をやって小遣い稼ぎをしている事を鳳巌には隠している。貴方から情報が漏れるのを恐れて口を封じる可能性は十分にある。

だから貴方はどれだけ締められても何も言わないのですね。」

「~~~~~~~~~!!!!!」

「ですがそんな事は関係ありません。

絶対に喋ってもらいますよ。その賭博場で何があったのかを、包み隠さず全てね。」

「……………!!!!」

 

凰蓮は貼り付けたような笑みのままに鴻琴に凄んだ視線を向けた。

 

 

***

 

 

「~~~~~~~!!!!

まずいまずい!!! まずいでぇ!!!!」

 

凰蓮が鴻琴を取り調べている頃、とある場所で一人の男が青い顔で頭を抱えていた。彼こそが違法賭博場を仕切っている珂豚である。

彼が頭を抱えている理由は一つ。鬼門組に自分の情報を持っている人間が居るからだ。この事が鳳巌に知られたら容赦なく粛清される。鳳巌の人間性は彼も良く知っている。

 

「クソォ!!!!

あいつが口を割りおったらワシは破滅や!!!

………こうなったら殺るしか無いか。あいつには死んでもらうしか……………!!!」

 

珂豚は立ち上がり、とある場所へ通信を行った。鴻琴の口を封じる為の準備が進んでいた。



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#271 The Illegal Teacher 2 [Unforgivable Gamble]

凰蓮は再び鴻琴に向き直った。その表情には笑顔がありながらも是が非でも鴻琴から情報を聞き出すという強い気概が浮かんでいる。

 

「まず大前提として鴻琴被告、傷害や自殺教唆はもちろんの事、賭博行為も歴とした犯罪行為。これは分かっていますね?」

「………………!!!」

「その上でもう一度質問します。この写真に写っているのは貴方で、賭博行為に手を染めていた。この事に間違いはありませんか?」

「~~~~~~!!!!」

 

鴻琴は唇を噛み締めて顔を背けている。凰蓮の目にはその行為自体が肯定も同然に映っている。そしてここで情報を引き出す為の最後の札を切った。

 

「…………ここまで言っても口を割りませんか。そんなに私達が信用なりません(・・・・・・・)か。」

「!!!?」

「そもそも、鬼門組(私達)が捉えた被疑者を他人の暴力に晒す事を許すと思いますか?

それならば提案しましょう。包み隠さず真実(・・)を話して頂けるなら、貴方の身の安全を保証します。」

「……………!!!」

 

その言葉によって鴻琴の目に光が戻った。凰蓮の予想通り、鴻琴が口を閉ざしている理由が《珂豚の口封じ》ならば、その可能性を潰せば鴻琴が黙秘する理由はなくなる。

 

「………全て話せば助かるのか?」

「もちろんです。そもそもすぐに認めていれば血に塗れる事も無かったんですよ。」

 

その凰蓮の一言で鴻琴は遂に折れた。しかし凰蓮はそれを貴重な情報源が手に入った程度にしか思っていなかった。

 

 

***

 

 

鴻琴が話した内容は凰蓮の予測通り、賭博行為を認める内容が殆どだった。珂豚は慎重な男であり、そんな彼が一客である鴻琴に易々と情報を喋ったりする事はないと予測していた。

 

「…………では、貴方はお金を賭けただけで、珂豚から何か聞いた訳ではないのですね?」

「そうだ!! 私は余った金を使って遊んでいただけだ!! 鳳巌なんて知らない!!!」

「………犯罪行為を遊びと言うとはやはり面の皮の厚い人間ですね。」

「!!!」

「まぁいいでしょう。ならばその時他にどんな人が居たか、覚えていませんか?」

「そ、それは分からない……!! 賭博は個室でやっていたから………!!」

「でしたらその賭博場が何処にあるか、それなら分かりますよね? まさか目隠しされてそこに行った訳じゃないんですから。」

「あ、そ、それなら覚えている!!!」

 

鴻琴はようやく自分の立場が改善されると分かり、堰を切ったように口を開いた。

 

*

 

「………なるほど。丒吟地方の地下に本拠を構えていたんですね?」

「そ、そこで間違いない!! あと海沿いだった!!!

鉄の蓋で塞がれた出入口があったんだ!!!」

「そこまで分かれば十分です。明日にでも突入隊を編成し、一網打尽にしてみせましょう。」

 

鴻琴の表情には他言無用の賭博場の情報を喋ってしまった罪悪感や恐怖とこれで身の安全が保証されたという安堵感が共存していた。

 

「そ、それで、私の事は…………!!!」

「心配しなくとも貴方の身の安全は私が保証します。連中の口封じなどという蛮行は決して許しません。

━━━貴方にはこれから生きて罪を償って貰わなければなりませんからね。」

「!!!」

 

鴻琴の表情が再び青くなったのを見て凰蓮は部屋を後にした。

 

*

 

取調室の外では苺媧と彩奈達が凰蓮を待っていた。そして扉が開いた。

 

「凰蓮総監!! 鴻琴は吐きましたか!?」

「ええ。概ねの罪状を認めました。

自殺教唆の件も賭博行為の件もね。苺媧さん。これから忙しくなりますよ!!

今日明日には賭博場の検挙と鴻琴被告の起訴を終わらせます!!」

「はいっ!!!」

 

苺媧が張りのある声を上げる光景を見て、彩奈はやはりここは《警察》なのだと再確認した。

 

 

***

 

 

「…………成程。この鴻琴ってジジイを始末すりゃ良いんだな?」

「そういうこっちゃ!! やつが口を割おったらワシは破滅や!!! せやから…………!!!」

「分かっている。報酬(カネ)は確かに受けとった。お前は今まで通りふんぞり返ってれば良い。」

「お、おう!! 信じてんで!!」

 

鴻琴の自供と同じ頃、珂豚は一人の男と会っていた。高い鼻と長い銀髪の黒い服に身を包んだ男だ。

その男の手には一枚の写真と札束が握られていた。男の名は《簸翠(ひすい)》。帝国の裏社会において有数の暗殺者である。

 

珂豚は簸翠に鴻琴の暗殺を依頼した。報酬として一万艮(=一千万円)を支払った。しかし彼等は知らない。その暗殺が無意味である事を。

 

時刻は既に夕方に差し掛かっている。これから波乱の夜が、そして帝国の運命を左右する決戦の一日が始まろうとしている事を帝国民の殆どは知らない。知っているのは鬼門組と鳳巌達、そして哲郎、彩奈、虎徹、そして帝国を狙う《転生者》だけだ。



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#272 The double circle

《鳳巌の根城》

 

檻から脱出した哲郎は次にどのような行動を起こすべきか思案に暮れていた。次の行動を決める要素は『何時自分の脱走が明らかになるかが不透明』な事と『この根城で自分一人が孤立している』事だ。

 

(今の僕に起こせる行動は二つ。この根城を観察してどれくらいの広さがあるか調べるか。それか鳳巌が今どうしてるかを調べに行くかのどちらか。

メリットが大きいのは一つ目だけどリスクも大きい。この根城に居るのは僕一人だから下手をすれば逆に自分の首を絞める事になる。だけどこのままほとんど動かずにこの根城の状態を何一つ知らないままなのも危険だ。もし見つかって行き止まりに追い詰められたりしたらそれはそれでまずい。)

 

哲郎の行動を決定する要素はどの行動が有益で安全かだ。

 

(………いや、最初から二つしかないと決めてかかるのがいけないのか。

だったら━━━━━━!)

 

哲郎は懐から通話水晶を取り出し、彩奈との通信を試みた。この行動によって哲郎が得る情報はこの根城と彩奈が居る(であろう)鬼門組 陸華仙との更に具体的な距離だ。

 

(前の通信は辛うじて話が出来る程度だった。つまりこの根城があるのは彩奈さんが居た呑宮の支部を中心に、この水晶の通信が届く最大距離を半径にした円の範囲内のどこか。で、次にこの通信で彩奈さんが僕から離れたのか近づいたのか、つまりこの根城が首都(豪羅京)に近いのかどうかが分かる!!

もし通じればこの根城は最初の通信で分かった呑宮の円と豪羅京の円が重なる範囲にあるって事になるからかなり絞れる。もし通じなくても、通じないって事は豪羅京に行った彩奈さんはこの根城から離れた事になって、それでも範囲は絞れる。)

 

哲郎は祈る気持ちで彩奈の着信を待つ。こうしている間にも自分の脱出が割れる恐れがあるのだ。

 

『━━━━━━━━━━━

ブッ』

「(!!! 繋がった!!!)

彩奈さん!! 聞こえてますか!!? 今どこですか!!?」

『哲 郎さ ん… …!!

私は 今、陸 華仙 の 所に 居ま す… …!!』

「なるほど。そこで安全を確保したまま一夜を明かそうというのが彼等の考えなんですね?」

『は い。

そ れで 、人に 会い ま した 。鬼 門組 で一 番偉 い 人ら しく て…………』

「(凰蓮の事か!!!)

分かりました!! 彩奈さんはそのまま待っていて下さい!! 僕は辛うじて自由に行動できるようになりましたから、出来る限りの情報を集めます!!!」

『は い …… …!! !』

 

彩奈との通話は切れ、哲郎は頭の中に観光地で買った地図とそこに浮かぶ二つの円を思い浮かべていた。

 

(今の通信も声は途切れ途切れだった!!

って事は僕が居るここは最初の通信の時に彩奈さんが居た呑宮の支部を中心にこの水晶が繋がる最大距離を半径にした円と、次の通信の時に彩奈さんが居た陸華仙の所を中心に水晶が繋がる最大距離を半径にした円がぴったり重なる場所にある!!!

つまり、ここは呑宮の支部と陸華仙を結んだ直線の真ん中にある可能性が高い!!!)

 

地図上の呑宮の支部と陸華仙の正確な位置は分からないが、今の情報から絞れた範囲は帝国内の地図全体に比べると一パーセントにも満たない。少なくとも自分が今いる場所は帝国内で豪羅京を中心に北東の方向にある事は揺るぎない事実として確定事項になった。

 

(この情報は大きいぞ!!

━━━だけど、一番の問題はこの情報をどうやって生かすかだな。この情報を生かせるなら、やっぱりあれをやるしかないな!!!)

 

哲郎が次に起こす行動として選んだのはこの根城の正確な広さの把握、そして鳳巌がどこで何をしているかを確認する事の二つだ。

移動手段として人目につかない《適応》を利用した浮遊で天井近くに浮かんで移動する。

 

(重要なのは鳳巌が今どこで何をしてるか だな。さっきみたいにお酒を飲んで騒いでるって事は無さそうだし……………)

 

 

***

 

 

鳳巌は哲郎を監禁した檻から離れた小さな部屋に居た。彼は机に一人の人物と向き合って座っている。そして鳳巌は徐に口を開いた。

 

「…………分かっているな? 凰蓮はいずれ此処を見つけ出し、攻め入ってくるだろう。我にとってはお前以外(・・・・)の人間が捕らわれようがどうなろうが一向に構わない。

我は、明日死ぬ可能性が高いと思っている。お前は十分に育った(・・・)。我が死んだとしてもお前は生きろ。其れが我の最後の望みだ。」

 

凰蓮達は鴻琴から、そして哲郎達は通話の魔法具から鳳巌の根城の手掛かりを掴み始めている。鳳巌の予測通り、この根城が戦場となる時は刻一刻と迫っているのだ。



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#273 Lunchtime in BattleField

哲郎は天井近くの空間で顎に指を置いて思考を巡らせていた。敵の根城に単独でいる以上、自分の一挙一動がそのまま帝国の明暗を左右すると分かっているからだ。

 

(………さて、出てきたは良いけど問題は山積みだ。一番危険なのは今すぐにここに人が来て僕が出たのがバレる事だ。

とにかく、僕がやらなきゃいけないのはまずこの根城の全体像の把握と、鳳巌がどこに居るか。それを知らない事にはなんとも━━━━━)

「あ〜~~~

ったくよォーーー」

「!!」

 

通路の奥から一人の男の声が聞こえ、哲郎は身構えた。目を凝らすと暗闇の中に人影が浮かぶ。盆を手に持った太った男だ。

 

「━━━━かったりぃなァ。ったく。

なんであんな糞餓鬼の為に貴重な食いもん割いて飯なんか作ってやんなきゃなんねぇんだよ。

生かしとく理由なんざねぇだろ。即刻処刑以外有り得ねぇだろうがよォーー!!」

(ハァ。言いたい放題だな。

ま、貴重な食べ物を使ってくれたって言うならありがたくいただくとするか。)

 

哲郎が捕らえた黎井と親しかったのか、男の愚痴はその類を超え、哲郎の尊厳を真っ向から否定するものだった。しかし男の愚痴(暴言)を全て聞き流し、哲郎は最も建設的な行動を選択する。

 

 

***

 

 

太った男はブツブツ愚痴を零しながらも哲郎が収監されていた(・・)檻の直前で声を荒らげた。

 

「オラ糞餓鬼ぃ!!! メシの時間だぞォ!!!

残りの人生の数少ねぇ食事だ!!! せいぜい感謝と後悔しながら食いやがれ

ッ!!!!?」

 

男は檻の異常を認めるや否や盆を床に置き、檻の前へと駆け寄った。鉄格子が根元から断ち切られ、檻の中が空になっている光景を視認した男は檻の前で硬直する。その一瞬が男の明暗を分けた。

 

(今だ!!!)

「!!!? ナッ━━━━━!!!」

「もう遅いですよ!!!」 「!!!!」

 

男が硬直した一瞬の隙をついて哲郎は天井から強襲を掛けた。男は辛うじて反応したが、それ以上の事は出来なかった。

哲郎は両足を腰に巻き付けて組み付き、両腕を首に回して思い切り締め上げた。

 

数秒もしない内に男は白目を剥き、その意識を手放した。両膝を着いた事を確認してようやく哲郎は両腕を解いた。

 

(ふぅ。武道会の経験が活きたかな。ロープとかは持ってないからとりあえず檻の中に入れとくか(どうせ起きたら出てくるだろうけど)。

さて、)

 

哲郎は床に置かれた盆に視線を送った。そこには男の言った通り椀に盛られた白米と焼き魚、味噌汁、漬物、即ち一人分の食事が置かれていた。哲郎が考えていたのは果たしてこの食事に手を付けて良いのかと言う事だ。

 

(……………!!

ひ、久しぶりの日本食(ご飯)だ…………!!!

正直に言えば食べたい!! だけどそれで良いのか………!?

もしかしたら毒とかが入ってるかもしれないし━━━━━)

『グーーッ』「!」

 

自分の欲求と葛藤している最中、哲郎の内蔵は収縮して空気を押し出して音を鳴らした。それをきっかけとして哲郎は盆の前に腰を下ろした。食事に手を付ける事に決めた。

 

(うん。食べよう。

武道会後でかなり疲れてるし。エネルギーが足りてないと後々になって困る事になるかもしれないし。

それにもし毒が入ってたとしても僕には《適応(能力)》があるんだからどうとでもなるだろ。)

 

 

 

***

 

 

「━━━━━━ふぅ。ごちそうさまでした。」

 

哲郎は白米、焼き魚、味噌汁、漬物の全てを胃袋に詰め込み、箸を置いて両手を合わせた。しかし口から出た『ごちそうさま』とはこの料理を作った鳳巌達にではなく、この料理の為に命を落とした動物や植物に対してだ。

 

(━━━毒は、もう入ってたのかさえ分からないな。何も感じないなら大丈夫って事にしておこう。)

 

腹を拵えた哲郎は立ち上がり、奥に広がる通路に目を据えた。悠長に食事を取っていたが、残された時間が少ない事は分かっていた。いずれ食事を運びに来た男が全く来ない事を不審に思って様子を見に来る者が現れる。そうすれば哲郎が脱走した事が明らかになる事は目に見えている。

 

(そうなったらこの根城にいる人達は大パニックだろうな。まぁ、きっと鳳巌はこうなる事を見越して僕をこうしたんだろうけど。)

 

鳳巌の心中は全く分からないが、今の哲郎に出来る事は帝国の為に情報を集める事だけだ。既に《転生者》が動き始めている可能性が高い以上、事は一刻を争う。

 

 

***

 

 

哲郎が鳳巌の根城に居て、彩奈達が陸華仙にて保護されている頃、武道会にて帝国の重役に成り済ましていた《転生者》は鳳巌に対して毒を吐いていた。

 

「━━━━クソッ!!! 鳳巌の奴め!!!

寄りにも寄って《CHASER》を攫うなんて大それた真似をしやがって!!!

………こうなったら予定を早めるしかねぇな。あの作戦(・・・・)をやるしか……………!!!」



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#274 The another one princess of ogre 1 (CRIMSON)

食事を終えた哲郎は次にどうやってこの根城の様子を見るか。その方法を考えていた。

 

(………そもそも僕が見たのはまだあの大広間と檻の中の部屋だけだからな。それがこの根城の何分の一かも分からないし。

移動するならやっぱり人目につかない場所、ならやっぱりあそこしかないか!!)

 

哲郎は天井を見渡し、人目につかない場所(・・・・・・・・・)の出入り口を探した。そして一分も経たない内にそれは見つかった。

それは通気口への入口だった。つい先日 宗教団体の屋敷に潜入した際に移動経路に使ったものだ。蓋となっている鉄格子を奥に押し込んで通路に身体を潜らせる。

 

(………広さは、宗教の時と同じくらいだな。これなら動く事は出来る。 で………………、)

 

通路内は殆ど暗闇だったが、哲郎の目は数秒も経たない内に《適応》し、その内装を視認した。通路は奥まで広がっており、根城の全体に通じている可能性が高い。

 

(さぁここからどこに行こうか。

まずは、あの宴会場みたいな大広間所から!!)

 

 

***

 

 

哲郎は大広間を目指して通路をひたすらに進んでいた。手掛かりとなるのは通路に響く声だ。

あれだけ大騒ぎしていたなら通路まで聞こえる筈だと哲郎は予想していた。

 

「!」

『ギャハハハハハ!!』

(あの方向か!)

 

哲郎の耳は男達の野太い騒ぎ声を捉え、その方向に移動した。しばらくしてその声が一番よく聞こえる地点を見付け、そこに陣取った。

運悪くその地点に覗ける場所は無かったが、哲郎は地面に耳を当てて聞こえてくる音を拾った。

 

(ここに来るまでだいたい十分くらい掛かってる。僕が動く速さから考えて、あの通気口からここまでだいたい数十メートル位か…………)

『━━━おい、あいつ遅くねぇか?』

「!!」

『そういやそうだな。あれからもう十分以上経ってやがる。俺、一度見てくる。』

『なら俺も行くぜ。』

『俺も俺も。』

「………………!!」

 

予測の範疇とはいえ、遂に哲郎にとって不都合な事が起ころうとしていた。

 

(………まずいな。あと何分かしたら僕が脱走した事がバレる。とにかく、ここに居るのは危険だな………!!)

 

 

***

 

 

『━━━ギャアアア!!! 何だこりゃ!!?』

『おい大変だ!!! あの餓鬼が居ねぇぞ!!!!』

『ヤベェぞ!!! 絶対にバレちゃいけねぇ!!!!

早く探すんだ!!!!』

 

 

***

 

 

後方から微かに聞こえてきた男達の絶叫によって哲郎は自分の脱走が明るみになった事を認識した。

 

(………遂にバレたか。分かってはいたけどこれで尚更動きにくくなるな。まぁ、ある程度なら襲ってきても倒せる自信はあるけどな………………)

 

三人の男達が大広間から食事を持ってきた男の様子を見に行くまでの数分間で哲郎は大広間を離れ、別の部屋に通じている出入口の鉄格子の上に来ていた。

 

(………退路はちゃんと用意出来てる。まずはこの部屋から調べてみるか!)

 

明確な根拠は無いが、帝国の危機を救う為には鳳巌の過去を探る事が鍵になると、哲郎はそう確信していた。

 

 

***

 

 

(! ここは…………)

 

鉄格子を開け、哲郎が下に降り立って最初に驚いたのはその部屋の狭さ(・・)だった。その部屋は意外な程狭く、床は六畳程しか無かった。そこには棚と机と椅子だけがあった。

それはさながら子供部屋(・・・・)のようだった。

 

(後ろにドア、前に窓 か。ってかこれじゃ完全に子供部屋じゃないか。なんで悪党の根城にこんな場所があるんだ?)

「!」

 

哲郎は棚にある本に挟まっている写真を見つけた。意を決してそれを引き抜く。その内容を見て哲郎は驚愕した。

 

「!! (な、何だこれは………………!!!)」

 

その写真に写っていたのは赤い髪の一人の少女と大男の後ろ姿だった。そして哲郎は瞬時に後ろ姿の男の正体を見抜いた。

 

(この髪型に服装、間違いなく鳳巌だ!!! じゃあ前に写ってるこの女の子は誰だ………!!!?)

「ねぇ、人の部屋(・・・・)で何やってんの?」

「!!!!? うおわっ!!!!」

 

後ろから声が聞こえた事を認識した瞬間、哲郎を不意の攻撃が襲った。それが刀の突きであると分かったのは視認した後の事だ。

その突きを躱して跳んだ勢いで窓に激突し、硝子を破ってそのまま奥へ落ちてしまった。

 

「………………!!!」

「ねぇ君、一体どういうつもり?

勝手に人の部屋に忍び込んだ挙句窓まで破るなんてどういうつもりだって聞いてるのよ。」

「………あなたこそ背後からそんな物騒なもので襲いかかるなんて穏やかじゃないんじゃないですか………!?」

 

割れた窓に足を掛けて現れた人物の姿を見て哲郎はようやく理解した。その人物は年齢こそ違っているが写真に写っていた少女と同一人物だった。

赤い髪は長く伸び白い和服に身を包んでおり、手には身の丈程もある刀が握られていた。先程哲郎を襲った刀がそれだ。

 

「その写真を見たのね。じゃあもう分かってる筈よ。」

「…………………!!!」

「私は《黐咏(ちよ)》。鳳巌の娘よ。」



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#275 The another one princess of ogre 2 (The Window Underground)

黐咏

目の前の赤い髪の女性はそう名乗り、持っていた刀を持ち直した。刃が震え、『チャキッ』という乾いた音が哲郎の鼓膜と彼が立っている空間を共鳴させる。

哲郎が咄嗟に窓を破って落下した黐咏の部屋の向こう側の空間は床に畳が敷き詰められた彼女の部屋より数段広い空間だった。黐咏の出方を伺う意味も兼ねて、哲郎は彼女に疑問を投げかける。

 

「……一体何なんですか。この部屋は。」

「? どういう意味?」

「(この国の建設技術は分からないけど)おかしいじゃないですか。部屋と部屋が窓で区切られているなんて。

普通、窓は廊下や外と部屋を区切るためにあるんじゃないんですか!?」

「死ぬかもしれないってのにそんな下らない事が気になるの?

それに、質問する時にはもうちょっと考えた方がいいんじゃない?」

「?」

 

黐咏は嘲るでもなく、小馬鹿にするでもなく、純粋な質問を投げ掛けていた。

 

「この()が普通の建物だとでも思ってるの? この家は地下に建ってるの。地下(この家)じゃ窓は太陽を取り込むためにあるんじゃない。逃走経路を確保するためにあるの。」

「質問の答えになってませんよ! 僕はこの部屋は何だと聞いてるんです!」

「この部屋は《道場》よ。皆が身体を鍛えたり余った血の気を発散させる場所なの。まぁ、今日初めて本来の使い方(・・・・・・)をするかもしれないけどね。」

「!?」

「この道場の本来の使い方はね!! あんたみたいな奴を始末するための場所なのよ!!!

パパ(・・)を怒らせるあんたみたいな奴をね!!!」

「!!!」

 

黐咏は剣先を哲郎に向け、一気に距離を詰めた。

 

 

 

***

 

 

《陸華仙》

鴻琴の苛烈な取り調べを見せられた彩奈は、割り当てられた部屋に案内された。部屋の広さは五畳程であり、少し大きめの布団と手洗いが備え付けられている。彩奈に一つ言えるのはこの部屋は少なくともいつか刑事ドラマで見た《留置所》よりはまだ快適な環境だという事だ。

その部屋まで彩奈を案内したのは苺媧だった。

 

「……………」

「おい、」

「ひゃんっ!!!?」

 

部屋の内装を見回していた彩奈は甲高い声を上げてしまった。

 

「あ、あ、あ━━━!!!」

「……なんだその阿保丸出しの声は。私はずっと後ろに居ただろう。たった今背後を取った訳じゃないぞ。」

「は、は、はい!! そうですよね!! すみません私、昔っからこんな感じで━━━!!」

「人と話すのが苦手という訳か。それは気にする必要はない。

少なくとも今日はもう人と話す必要はないからな。」

「そ、そうですか……

(……はぁ。やっぱりこのコミュ障、治した方がいいのかな。

そもそもいじめられるようになったのもこんな世界に飛ばされたのも、元はと言えばこのコミュ障が原因だし………。)」

 

彩奈の頭にはかつて学校でクラスにまるで馴染めなかった過去が思い起こされる。人との会話がまるで出来ず、自分の居場所が教室に見出せなかった事を覚えている。

そして彼女は無意識のうちに自分と哲郎とを比較していた。哲郎と会ってからまだ数日ほどしか経っていないが、彩奈は彼の会話力の高さに感服していた。そして彩奈は思う。自分も彼と同じように子供の頃から引っ越しを繰り返して様々な人間と交流していれば或いは自分の状況も変わったかもしれない と。

数秒の間でそこまで考えた彩奈は、意を決して苺媧に問いを投げ掛ける。

 

「あ、あの………」

「? どうした。」

「…どうでもいい事だとは思うんですけど、さっきあのお爺さんを取り調べてる(?)時に『私は子供じゃない』みたいな事言ってましたけど、苺媧さんっておいくつなんですか?」

「来月の誕生日で二十三の歳になるが?」

「そ、そうなんですか……。」

 

帝国に向かう前にエクスから轟鬼族の寿命は人間(族)とほとんど同じであると聞いていた。

 

「……何だ? 私が禿(ちび)で童顔だとでも言いたいのか?」

「あ!!! い、いえ!! 別にそんな意味じゃ━━━!!!

(お、怒らせちゃった!! ちょっと話そうとしただけなのに……!!)」

 

哲郎を見習って会話を試みて投げ掛けた質問を邪推されて苺媧を怒らせてしまった と、彩奈は頭を抱えた。

それを見て彩奈の真意を見抜いた苺媧は懐に入れていたものを取り出した。

 

「……確か君、《杏珠》と言っていたな。」

「あ!!? は、はい!!」

「凰蓮総監からこれを預かっている。今日は一日暇を持て余すだろうから目を通しておくといい。」

「こ、これは……?」

 

彩奈が苺媧から受け取ったのは古い新聞と分厚い本が入っていた。新聞の方は先程の鴻琴が起こした事件の記事が、そして本には様々な事件の新聞記事の切り抜きが纏められていた。

彩奈はその記事の写真に写っていた男の顔に見覚えがあった。つい数時間前に見た凶悪な顔の男だ。

 

「こ、これって………………!!!」

「見ればわかるだろう。あの憎き鳳巌が起こした事件を纏めたものだ。

……特に、十五年前は最悪の年だった。一週間も経たない内に軽く百人以上が殺されたのだからな。

君も奴の被害者の一人なら知っておくべきだ。奴の凶悪さをな。」

「………………!!!」

 

苺媧の表情は取調室で見た時と変わっていなかったが、その中に悔しさや無力感などの様々な感情を彩奈は見い出した。



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#276 The another one princess of ogre 3 (The Sluggish World)

黐咏が刀を構え、哲郎に向けて突きを繰り出した。その事実を認識した瞬間、哲郎も行動を起こした。

彼女が狙っている上半身を屈ませて黐咏の突きは空を切り、決定的な隙を晒した。

哲郎は柄を握っている黐咏の手首を両手で掴み、身体を翻して黐咏の身体を背負う。肩を支点にして黐咏の身体の運動方向は変わり、手を離すと黐咏の身体は宙を舞った。

 

「うわぁっ!!!?」

(そのまま壁にぶつかれ!!!)

 

哲郎は必ずしもこの戦いによる勝利を望んではいなかった。単独で敵の根城に侵入しているこの状況ではたとえ自分が《転生者》であったとしても多勢に無勢という結論に至る。

帝国の救済という目的を達成するならば出来る限り余計な戦闘は避け、体力を温存する事が最も懸命な選択である。たとえ敵からの逃走という選択肢を選ばねばならないとしてもだ。

 

「甘いわよ!!!」

「!!?」

 

黐咏は空中で身体を回転させて体勢を立て直し、壁に激突する前に着地した。それだけなら哲郎が道場から逃走する時間は十分にあったが、黐咏は追撃を繰り出した。

哲郎が逃走する方向に向けて小さな刃物を投げつけた。一瞬 身体が硬直して黐咏との戦闘を避ける時間を完全に奪われた。

 

哲郎に向けて投げられた刃物は身妙な形をしていた。黒く先が尖った細い金属の棒のように見えた。

 

(こ、これってもしかして━━━━━━━!!!)

「ほらどこ見てんの!!!」

「!!!」

 

壁に刺さった小型の刃物に気を取られた一瞬の隙をついて黐咏が手に持つ凶刃を振りかざした。しかし彼女の刃が鳴らしたのは哲郎の筋肉を切りつける音ではなかった。

刃が鳴らしたのは甲高い金属音だった。

 

「~~~~~!!!」

「へぇ、うまいこと考えるじゃない?」

 

哲郎は咄嗟の判断で黐咏の攻撃を受け止めた。壁に刺さった小型の刃物を引き抜き、彼女の凶刃は阻まれた。

哲郎と黐咏が持つ刃がぶつかり合い、鼓膜を劈くような金属音が鳴り響く。しかし、哲郎が望んでいるような結果は起こらなかった。

 

「ッ!!?」

「だけどね、腕力でこの私に勝てると思ってる!!?」

 

黐咏の体格は哲郎より少しばかりではあるが大きく、その差が決定的な不利を生み出した。

黐咏は上から体重を掛け、刃で哲郎を圧し潰さんばかりにする。女性だから膂力で勝てると思っていた自分の見込みが間違っていたと認めた哲郎は別の方法を取った。

 

「ヤァッ!!!」

「!!?」

 

力の押し合いでは勝てないと判断した哲郎は持っている刃物を黐咏の刀と同じ方向に滑らせて力を受け流した。

黐咏の刀の刃が哲郎が持つ刃物の刃の上を滑り、甲高い金属音を立てながら黐咏の身体は再び宙を舞った。

 

黐咏は地面に激突する寸前で辛うじて着地に成功するが、哲郎との間に距離ができた。距離によって生まれた時間を使い、哲郎も黐咏も自らの体勢を立て直した。

 

「……………………!!!」

「………………………………

やっぱりダメですね。」

「!?」

 

哲郎はそう言うと手に持っていた刃物を敢えて捨てた。そして素手の状態で黐咏に向き直す。

その行動はあまりに愚かで無謀なものであると、少なくとも黐咏の目にはそう映った。不審や警戒の感情を抱いた黐咏は哲郎に質問を投げ掛ける。

 

「……何のつもり?」

「つい拾ってしまったけど、これは僕が持っちゃいけない物だと思ったって事ですよ。

練習もなしにこんな慣れない物を持つべきじゃないし、それに、

 

こんなものを使ったらあなたを殺しちゃうかもしれない(・・・・・・・・・・・)ですからね。」

「!!!!

…………あんたに私が殺せると思ってるって事?」

「そう言ったつもりだったんですけどね。」

 

これは哲郎の作戦だった。黐咏は平静を装っているが、哲郎の目には彼女の心の底が見えた。

散々 辛酸を舐めさせられた挙句、素手で倒して見せると息巻いた事で彼女の心中は決して穏やかではない筈であり、あわよくば自分に激昂してくれれば万々歳であると、哲郎は心の中でそう思っていた。

 

「………………………… そう。

あんたが度を超えたバカだって事はよく分かったわ。

黎井達をとっ捕まえた事と言い、態々捕まったり脱出した事と言い、折角の武器を自分で捨てた事も諸々ひっくるめて本当に擁護の仕様の無い大バカよ。」

「………………………」

「じゃあそれが出来るかどうか!!!!

自分の命賭けて確かめてみなさいよォ!!!!!」

 

黐咏は哲郎への感情を全て両脚に込め、渾身の力で畳を蹴り飛ばし、哲郎に急接近した。

その脚力に裏打ちされるように、黐咏が蹴り飛ばした畳は陥没し、その下の床板にまでひびを入れていた。

爆発的な脚力から生み出される推進力は凄まじく、瞬き程の時間で黐咏と哲郎との距離は埋まった。しかし、その状況下にあっても哲郎の精神は極めて冷静だった。

 

(…………見た目の迫力に騙されるな。あの時(・・・)を思い出せ。

この考えが正しいなら、僕にはもうどんなスピード(・・・・・・・)もへっちゃらなはずなんだ。

僕ならできる。僕なら、やれる!!!!!)

 

 

その瞬間、哲郎の周囲の時間は限りなく遅くなった(・・・・・・・・・)



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#277 Vain Withdrawal and New Information

哲郎の時間が限りなく遅くなった(・・・・・)

正確には哲郎が感じる時間が長くなった。それも《適応》の能力による産物だ。

 

「!!!?」

(やったぞ!! この人の速さに適応(追い付け)た!!!)

 

昨日哲郎は圧倒的な速さで駆ける豚の魔物の速度に適応して追いついた。

数時間前の武道会では自分で鳴らした音に追いついた。

そして今回、哲郎は黐咏の突進の速度に《適応》し、反応して躱して見せた。

 

言うまでもなく、哲郎の《速度への適応》はこの二日で目まぐるしく成長していた。

哲郎は自分より速いものの速度に《適応》して追いつく事を編み出した。そして今回は自分に向かってくる攻撃の速度に《適応》して躱す事を編み出したのだ。

 

「うわぁっ!!!?」

『ズガァン!!!!』

 

哲郎に命中させる事を前提としていた突きを躱された黐咏は、その勢いのままに部屋の壁に激突した。

 

「~~~~~~~~~~~~!!

(ぬ、抜けない……………!!!)」

「…………!!」

 

彼女の身体は無事だったが、持っていた刀は別だった。刀は壁に深々と突き刺さり、その機能を失った。

これを認識した哲郎は瞬時に二つの選択肢を頭の中で組み立てた。

一つは丸腰になった黐咏に追い打ちをかける事。もう一つは割った窓、通気口と道を逆行して撤退する事だ。

あらゆる状況を鑑みて哲郎は数秒と掛からずに最適解を導き出した。

 

ダッ!!!!

「!!! あちょっと!!! 待ちなさい!!!」

 

『待てと言われて待つバカは居ない』などというような小物臭いセリフは言わなかったが、とにかく哲郎は後者の《撤退》を選んだ。

壁に足を掛けて体重を掛けていた黐咏だったが、哲郎が割れた窓を乗り越えた時点で黐咏は刀を諦めて哲郎を追う事を選んだ。

黐咏は自分の部屋まで追ってきたが、重力への《適応》による浮遊を兼ね備えた跳躍により通気口に飛び込んだ時点で哲郎の逃げ切りは確定した。

 

「……………!!! クソッ!!!」

 

自分の身の丈の倍もありそうな天井にある通気口に消えた哲郎を見て、黐咏は腿の付け根あたりを叩いて毒を吐いた。

それは父に楯突いた憎い敵を逃がしてしまった事と自分から挑んでおきながら完全にあしらわれてしまった事によるものだった。

 

「お嬢!! お嬢!!!」

 

ようやく異常を感じ取ったのか、数人の大男が彼女の部屋に現れた。

めったに開く事のない通気口と割れた窓を認識した男達はただならぬ事が起こったと理解した。

 

「お、お嬢!! 一体何が………!!!」

「あのガキよ!!! さっきまでここに居て逃げられた!!!

皆に伝えて!!! あいつをここから逃がしちゃだめよ!!!!」

「!!! へい!!!」

 

黐咏の一喝によって、男達は踵を返して駆けだした。遂に哲郎の脱走が現実として鳳巌達の耳に届く事になった。

 

 

 

***

 

 

 

「━━━━━━━ハァッ!! ハァッ!! ハァッ!! ハァッ!!

フゥッ!! ここまで来れば……………!!!」

 

必死に腕で通気口を這い、数分経ってある程度離れたと結論付けた哲郎はようやく一息をついた。

幸いにも黐咏との戦いによる目立った負傷は無かったが、かと言って得られたものも無かった。殆ど無益に体力だけを消耗しただけだった。

 

(………一つ分かってるのは、あの黐咏って人が鳳巌の実の娘(・・・)である可能性はほとんど無いってだけだな。

平気で人を殺すような人間が誰かと結婚なんかできるとも思えないし。多分あの人は捨て子か何かで、鳳巌が保護して育てたんだろう。

 

………でも、だから何だって言うんだ。鳳巌が子供を保護したところで、ただのあいつの気まぐれでしかない。少なくとも帝国を救う手立てにはならない………………)

「!!」

 

立ち止まって考え込んだ事により、哲郎の耳にかすかな音が聞こえた。野太い男の唸るような声だ。

 

(この声は向こう、あの方向からだ!)

 

哲郎は鼓膜をかすかに震わせる音の方向へ這って進む。幸運にも通路は入り組んでおらず、迷わずに声が鮮明に聞こえる地点に着いた。

部屋には通気口があった。そこから覗くと部屋には男が居た。太った男が部屋の中心にある椅子に座り込み、通話系の魔法具を手に持って誰かと話し込んでいた。

 

(……何だあの人。何をやってるんだ?)

「ええいまだか!! まだなんか!!!

こっちは一万艮も出したんやぞ!!! まさかワレ、しくじったんとちゃうやろうな!!!

……あぁ? 奴らの警備が厳重で夜しか行かれんやと!? ほんまやろな!!

 

絶対に、絶対に殺してくれよ!!! 鴻琴の老いぼれには死んでもらわなあかんのや!!」

「!!!?」

「ああ、遠慮はいらん。ガキ一人殺して捕まったあいつが悪いんやからな!!!

ほな、頼むで!!」

 

男はそこで通話を切った。魔法具を机に放り投げると自分自身を安心させるかのように椅子に座りなおした。

そこに数人の男が駆け込んできた。

 

「兄貴!! 珂豚の兄貴!!」

「!! お、おう! なんや。」

「脱走した餓鬼が見つかりやした!! さっきまでお嬢と交戦した後、また逃げよったそうで!!!」

「ほんまか!! ほなわしも行く!!!」

 

珂豚も部屋から抜け、無人になった部屋に哲郎は降り立った。

それが危険な行為であるとは分かっていたがそれをやらずにはいられなかった。それは好奇心からではなく純粋な使命感からだった。

 

(今の話、あの珂豚とかいう人は誰かを殺す気だ!!!

この部屋を調べて、この事を彩奈さんに伝えないと…………!!!)



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#278 The Wrinkled Clue

哲郎は自分が何をやっているのかも、その行動がどれほど危険であるかも分かっていた。

しかしそれでも、その行動が自分が取るべき最善の選択だと信じて疑わなかった。

その理由は大きく分けて二つ、『この行動が帝国を救うカギの一つになるかもしれない』という希望的観測と『たとえ一人でも自分の周囲で死んで欲しくない』という正直な欲求からだった。

 

(……調べるなら、まずはこの机か。)

 

部屋の中央には、複数の引き出しが付けられた机があった。常識的に考えるならこの中に何かしら重要なものが入っている可能性が高い。しかし、それが楽観的な目測であることも分かっていた。

 

『ガチャッ!』

(! やっぱりダメか。)

 

案の定、引き出しには鍵が付けられており、引き出しを開けるという行為は閂によって阻止された。

漫画やテレビではこういう場合は細い棒か何かで開錠する場面が多々見受けられるが、それはまず不可能だと割り切った。

 

引き出しは無理だと割り切った哲郎は、次に部屋の隅にあるごみ箱に目を向けた。中を覗いて哲郎はそこに目当てのものがある事を瞬時に理解した。

丸められた塵紙や食べかすに交じって灰色の紙が捨てられているのを見つけた。

 

(あったこれだ!)

 

哲郎が拾い上げたのは丸められ、破られた新聞記事だった。丸められた破片を広げ、ジグソーパズルの要領で破り目を繋ぎ合わせ、ものの数分で記事を復元した。

記事の内容は一人の音楽学校の教師が生徒苛烈な指導を繰り返し、自殺に追い込んでしまった、所謂(いわゆる)『教師の自殺教唆』を報道するものだった。

見出しの次の文章を読み始めてすぐに哲郎はその内容が先程の珂豚に関係している事を理解する。その教師を報道する為に、漢字表記の名前の直後に読み仮名を括弧で括る形で《鴻琴(ぐきん)》と記してあった。

 

(『ぐきん』って確かあの人が言っていたな。生徒が自殺するなんて、まるで学園ドラマみたいな内容だな。

でもなんで鳳巌の仲間(だろう)のあの人がただの(・・・)先生を殺そうとするんだ?)

 

哲郎は様々な創作(現実との差異を考慮しつつ)から人が人を殺すのにも様々な理由がある事を理解していた。

 

(…………あの人、確か珂豚って呼ばれてたな。

あの人の必死さからして、理由があるとしたら口封(何かがバレる事を)(恐れてる)だろうな。

多分、あの人と鴻琴って人はどこかで繋がってて

!!)

 

哲郎の思考は半ば強制的に中断させられた。複数の足音が近づいてきた。

その音を聞いて記事を拾い集め、咄嗟に天井に張り付く。机の陰に隠れるのは論外であり、通気口に隠れる時間も無いと分かった結果の行動だ。

 

『次はこの部屋か!!』

『いや、この部屋ならさっきまで珂豚の兄貴がおったからここには』

『油断するな!! あの餓鬼は神出鬼没や!! 隅々まで探さんとあかん!!!』

『へ、へい!!!』

 

扉を開けて四人程の男達が入って来て、哲郎は扉の近くに移動した。そして新聞記事以外の痕跡は何も残していないと自分を安心させる。

そんな哲郎には気付かず、男達は血眼になって部屋中を探して回る。

しかし哲郎が隠滅した新聞記事以外の痕跡は無く、数分も経たないうちに捜索を止めて部屋を後にした。

 

(………ふぅやれやれ。天井を見られてたらまずかったな。)

 

咄嗟の行動故に仕方のない部分はあったが、危険な行動をとってしまった と、己の行動を省み、次なる行動に打って出る。

 

(………ゴミ箱は探したし、机の引き出しは開かないし、もうこの部屋から情報を探す事は出来ないな。だったら……………)

 

哲郎は部屋の通気口に潜り込み、部屋からしばらく離れて思考を実行に移した。

通気口の中で通話の魔法具を取り出し、彩奈との通信を試みる。

 

(…………もしかしたら、鬼門組の人と一緒に居て電話(?)に出れない可能性もあるけど、とにかくこの事を伝えないと………………)

『ブッ』(出た!!)

『て 、哲 郎さ ん です か ?』

「そうです! 僕です!!

今はどうしてますか!? 話せる状態ですか!?」

『い、 今 は部 屋で 一 人で い ます 。  何 かあ った ん で すか ?』

「話すと長くなりますから、要点だけを言います。

彩奈さん、《鴻琴》って人を知ってますか?」

『!!?  ぐ、 鴻 琴!!?

そ、そ の人 な らさ っき 取 り調 べら れ てる (と言っていいのか分からないけど) の を見 ました けど 。』

「そうですか!! なら話は早いですね!」

『な、何 かあ った ん で すか ?』

「訳あって聞いておきたいんですけど、あの人について、公にされてない情報とかありませんか?」

『情 報?  確 か、ギャ ンブ ルを やっ て たと かで、 鳳 巌と の繋 がり を 疑わ れて まし たけ ど。』

「(!!! それだ!!!)

なるほど。それで分かりました。」

『?』

「彩奈さん、これから言う事をどうにかして誰かに伝えてください。

(おそらく)そのギャンブルを仕切ってた男の人が、誰かにその鴻琴って人を殺すようにお願いしてるのを聞いたんですよ!!!」

『!!!!?』

 

これ以上ないほど通信状態の悪い途切れ途切れの音声だったが、彩奈が驚愕する声を認識できた。

 

「でも安心してください。その人の話を聞く限りでは、お願いされた人が鴻琴って人を殺すのは夜になってからのようですから、今から何かしらの対策を取れば、暗殺を止める事は出来ますよ!

お願いしますね!!」

『(えっ!!!? ちょっと待)』

『ブツッ』

 

彩奈が聞き返そうとしている事など知る由も無く、哲郎は通話を切った。そうした理由は一つ、これ以上留まっているのが危険と判断したからだ。

 

(よし! これで一先ず安心だな。

でも、これからどうするか…………)

 

哲郎にとって、あのまま檻の中に留まっているのは論外的だった。自分が考えるべきはどうすれば鳳巌についての情報を得られるかという事だ。

 

 

 

***

 

 

《鬼門組 陸華仙》

 

彩奈は部屋の中央で呆然としていた。その理由は二つ、哲郎から唐突に告げられた情報を処理できていない事、そして哲郎が唐突に通話を切ってしまった事だ。

 

(て、哲郎さん、切っちゃった………!!

でも伝えるって言ったって、どうやって伝えればいいの………!!!!?)

 

彩奈がそう心の中で言ったのは、自分が会話が苦手だったからだけではなく、自分がこの情報を得ることが出来た理由がまるで思いつかなかったからだ。



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#279 The Poisonous Doctor

彩奈は数分の間、自分に宛がわれた部屋の中央で立ち尽くした。

その理由はたった今哲郎に言われた内容を頭の中で処理しきれなかったからだ。

最初の内容である『今夜、鴻琴を誰かが殺そうとしている』という発言はもちろんの事、次の『その事を鬼門組に伝えて欲しい』という要請が極めて無理難題だと思ったからだ。

 

(つ、伝えるって言ったって、どうやって伝えればいいって言うの……………!!!?)

 

彩奈がそこまで狼狽えた理由は、普通に伝える事が不可能だと思ったからだ。

今現在、この鬼門組の中で鴻琴の暗殺の可能性を知っているのは彩奈ただ一人であり、その事を知る事が出来たのも哲郎から聞いたからだ。

 

(い、今、哲郎さんが私と話せるのをここの人は誰も知らないのに、どうやって……………!!!!?)

 

彩奈は頭の中であらゆる状況を組み立てていた。

普通に『誰かが鴻琴を殺そうとしている』と伝えたとしても、『どうしてそんな事を知っている』と聞かれるのが普通だ。

 

(そ、それならいっそ哲郎さんから聞いたって正直に言った方が……………

いや、そんな事をしたらあの人達は強引に攻めようとするかも……!! そんな事になったら哲郎さんも危ないし、《転生者》を見つける事も出来なくなっちゃう………………!!!)

 

彩奈は心の中で頭を抱えた。今自分の手には『今夜殺される鴻琴の命を救う』か、『帝国を《転生者》から救うか』の選択を握らされている と、彩奈はそう感じた。

 

(………《転生者》から救う…………………?)

「あ!!! そうだ!!!

虎徹さんになら……………!!!」

 

その時彩奈はここにもう一人事情を全て知っている《転生者》が存在する事を思い出した。今、この部屋のすぐそばには自分と同じように虎徹が待機している。

彼女にならこの事を相談できる と判断した彩奈はすぐに行動を起こした。

 

 

 

***

 

 

 

「…………なるほどな。あの爺の口が封じられようとしているという訳か。」

「そ、そうなんです! ついさっき哲郎さんがそう言ってました…………!」

 

彩奈は人目を盗んで虎徹の部屋に入り、たどたどしい口調ながらも哲郎から聞いた情報を伝えた。

 

「そ、それで、その殺すのを頼んだ人が分からないんですけど……………」

「案ずるな。そこ迄聞けば凡その見当はつく。」

「えっ!!?」

「恐らくじゃが、陰で賭博場を仕切り、裏金を蓄えるなどという汚い真似をするのは《珂豚》くらいしかおらん。」

「《珂豚》!!?」

「うむ。鳳巌の命令で貸した金の取り立てを行っておる男じゃ。随分と金に汚い男でな、前々から様々な噂を掛けられておって、組の奴等も水面下で調べを進めておったそうじゃ。

即ち、鴻琴の爺から証言が取れれば、其れを基にして札(≒捜査令状)を取れる可能性は十分にあるという事じゃ。

そして、恐らく珂豚の奴はこの事をひた隠しにしておる。其れが明るみになれば自身の身も危うくなる。故に奴は鴻琴の口を封じようとしておるのじゃろう。」

「そ、そんな……………!」

 

彩奈は顔を青くさせて虎徹の話を聞きこんでいた。まだ顔すら見たことがないというのに、自分の名誉や命にために人の命を(自分の手すら汚さずに)奪おうとする珂豚の心中は永久に分からないだろうと思った。

 

「罪をひた隠す為に更に大きな罪を犯そうなどと如何にも愚の骨頂と呼ぶべき事じゃ。

尤も、それも無駄な事じゃとは思うがの。」

「え!?」

「組の奴等は今頃、鴻琴の爺から情報を聞き出しておる頃じゃろう。奴等にとってはこれ以上にない貴重な情報源じゃ。そう簡単に諦めるとは思えん。

それに、連中も面子を何よりも重く見ておる奴等じゃ。捉えた奴を余所者に殺させるなどという失態は断じて許さんよ。」

「そ、そうですか。で、どうやってこの事を伝えれば良いんでしょうか………?」

 

虎徹の話を聞き終えて、彩奈はようやく本題に入る事が出来た。

彼女にとって一番重要なのはこの暗殺計画をどうやって阻止するかという事だ。

 

「だ、大前提として、この事を止めるためにはあの人達の力を借りないととは思うんですけど、その事をどうやって伝えれば良いかが分からなくて……………」

「その事じゃが、別に伝える必要など無いと思うぞ。」

「え!!?」

「当然奴等とて次に連中が何をしてくるかなど予測出来ておる。凰蓮も情報を引き出した者を使い捨ての様に見殺しにするような男ではないわ。」

「そ、そういうものでしょうか……………………」

「そんなに気を病むならばあの娘辺りにでも聞いて、『夜になったら狙われるかもしれませんから警戒したほうが良いですよ。』とでも言えば良かろう。」

「! わ、分かりました!」

「待て待て。儂も行く。」

 

善は急げとでも言わんばかりに部屋を出ようとする彩奈を虎徹が追いかける。

 

 

 

***

 

 

《陸華仙 門の前》

 

「………おい、誰も居らんのか。」

「!」

 

門の前に一人の白衣に身を包んだ女性が多くの護衛を従えて現れた。黒い髪を眉の下で揃え、後ろを腰まで伸ばしている。

彼女は鬼門組の人間ではないが、彼等から絶対的な信頼を寄せる人物である。

 

「しゅ、《蕺喬(しゅうきょう)》様!!! お疲れ様です!!!」

「おう、菰里の童か。今日も患者(・・)を引き取りに来たぞ。あの男、とことん絞られておるのじゃろう?」

「はい! 今は取り調べも終わって手当てを受けています!」

「良かろう。ならば妾の病院(・・)に移すとしよう。死ぬ迄死んでもらう訳にはいかないからの。」

 

菰里に軽口を叩くこの女性は《蕺喬(しゅうきょう)》。鬼ヶ帝国一の名医である。



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#280 The Poisonous Doctor 2

蕺喬(しゅうきょう)

彼女は鬼ヶ帝国一の名医である。しかし、彼女は常に病院で勤務している訳ではなく、毎日のように鬼門組の最高機関 陸華仙に出向いている。

医師である彼女が(日本でいう警察に当たる)鬼門組に出入りしている理由は、取り調べ(とは名ばかりの拷問)によって負傷した被疑者を治療する為だ。それも帝国の犯した罪は生きる事によって償うという理念に基づいた行動だ。

 

今回の彼女の目的は鴻琴である。彼の音楽学校での苛烈な指導だけではなく、珂豚が運営する賭博場での疑惑も鬼門組を通して彼女の耳に入って来ていた。それも彼女が鬼門組から絶大な信頼を得ているが故である。

 

「して、鴻琴の爺から何処じゃ。まだ留置所の中か。」

「はい! ご案内します!」

 

蕺喬は護衛の男達に手で待っているように指示を出し、菰里についていく形で建物の中に入っていった。

無論、何度も出入りしている蕺喬は内装の殆どを把握していたが、彼女なりの気遣いで菰里に案内をさせた。

 

 

***

 

 

 

《陸華仙 内部》

 

「ではどうする。すぐに伝えるのか。」

「そ、そうしましょう! 急いだほうが対策を立てる時間が多く取れますし!」

 

虎徹との話が纏まった彩奈は、鬼門組の人間達に自分の考えを伝える為に彼女の部屋の扉を開けた。

 

『!』

「い、苺禍さん!」

「杏珠!? 何故君が他の部屋から出てくるんだ!?

勝手に部屋を移動されては困るんだが? 君達は今命の危険にあるんだぞ!?」

「あ、す、すみません!!」

 

扉を開けるとばったりと苺禍に出くわし、彼女から叱責を受けた。

 

「此奴は儂と話しておったのじゃ。 あの鴻琴の爺についてな。」

「鴻琴? あの男がどうかしたのか。

まさかまだあの取り調べだけを見て可哀想だとか思っているのか?

良いか? あの男は人一人を自殺に追い込み、(あまつさ)え賭博に手を出す度し難い悪漢だぞ?」

「待て待て。別にあの男を憐れんで居る訳ではない。あの男の身を案じてはおるがな。」

「?」

 

苺禍は虎徹達の心中が自分の予想と外れていた事、そして彼女の言葉の意図に疑問符を浮かべた。

 

*

 

虎徹と彩奈は賭博場の主人が鳳巌の仲間の珂豚であると考えた事、彼が鴻琴の口を封じようと考えているかもしれないと考えた事、彼が狙いそうな夜を警戒したほうが良いかもしれないと考えた事を順を追って伝えた。

 

「………あの話を聞いた者なら誰でも考えそうな憶測だな。」

「ならばどうする。素人の下らん妄言だと嗤うか。

万一儂等の言うとおりになった場合、目も当てられないと思うがな。」

「………否、一応上にも其の話はしておこう。それに、珂豚程の男なら()が出で来ないとも限らないからな。」

「奴?」

 

数瞬後に苺禍の口から出た『奴』という言葉に彩奈は反応した。

 

「………もしや《簸翠(ひすい)》の事を言うておるのか。」

「ひ、ひすい?」

「そうだ。まぁ、杞憂だとは思うがな。」

「あ、あの、誰ですか? その、ひすいって。」

「簸翠というのは此の帝国に悪名を広げておる暗殺者じゃ。近年の不審死の殆どには奴が絡んでおるという噂が絶えんという。」

「……………!!!」

 

彩奈にとって、前世(日本)では《暗殺者》などという単語は創作物の中だけでの存在であり、その存在を目視する事は全くなかった。

その紙の上だけの恐ろしい存在がこの国には実在するという事、そしてその脅威が目前に迫っているという事実が彩奈の顔を青くさせた。

 

「隊長! 苺禍隊長!!」

「! 菰里か。」

 

通路の奥から暗殺者ではなく菰里が走ってきた。その様子からして何か重要な事が起こったのだと、その場にいた三人は直感した。

 

「何があった?」

「蕺喬様が到着しました! 鴻琴被告の下へ案内しろと仰っております!」

「ああ、分かった。すぐに行く。」

 

彩奈と虎徹に部屋に戻っているように伝え、苺禍は菰里の後ろを追って通路の奥へと姿を消した。

二人の姿が見えなくなると彩奈は虎徹に問いを投げ掛けた。

 

「だ、誰ですか? さっき言ってた《しゅうきょう》っていう人は。」

「この国一の名医じゃ。昔から奴等に絞られた者の治療も請け負っておる。大方鴻琴の爺の治療の為に来たのじゃろう。」

「そ、そうなんですね……………」

 

何気ない会話の中にも暗殺者や名医の名前が出て来る事からもここが帝国の問題の渦中にあるのだという事を、彩奈は再確認した。

 

 

 

***

 

 

蕺喬が陸華仙に入る事を知った人間は鬼門組の人間だけではなかった。

入口の奥の木の陰から蕺喬が本部に入る光景を監視していた人物が居た。その人物は監視用の道具を目から外すと、軽く歯を食いしばって心の中で悔恨の念を発した。

 

(クソッ。 この陸華仙に狙いを定めたのァ間違いだったか。

作戦変更か。狙うのは蕺喬(ヤツ)の病院だ。夜になって、連中が油断したら一気に…………………)

 

その人物は頭の中で自分が任務を遂行する光景を組み立てていた。その視界の中では鴻琴の胸から鮮血が噴き出している。

彼こそが虎徹や苺禍が警戒する、暗殺者《簸翠》である。



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#281 THE DIALY OUTSIDER

苺禍が菰里の後をついて行く形で場を離れた後、彩奈は部屋に戻るより先に虎徹に質問を投げ掛けた。

 

「…………あの、蕺喬さんってどんな人なんですか?」

「なんじゃ主。興味があるのか。」

「い、いや、興味があるというか、こんなすごい所に来るようなお医者さんが居るんだなって思っただけで…………」

「そうじゃな。経歴や素性の一切を公表しておらんが、兎にも角にも腕の立つ医者じゃ。」

「そ、それはさっき聞きましたから、その、どんな姿なのかとか、男の人なのか女の人なのかとか、そういうのを教えて欲しいんですけど…………」

「そうか。其れすらも知らんのか。

奴は女じゃよ。尤も、この儂と競える程上背があるがな。」

「なんじゃ娘等。妾の事で盛り上がっておるのか。」

「そうそう、こんな風な女じゃよ

「ッ!!!?」」

 

そこまで話してようやく彩奈と虎徹は自分達の前に女性が立っている事に気が付いた。

白い着物に身を包んだ黒髪の女性だ。黒い髪は長く、その表情は能面の笑みの様に張り付いていた。

 

「な、な、何ですかこの人…………!!!?」

「おや、今の話を聞いて分からんのか、娘よ。」

「えっ!!? まさか…………!!!」

「………初めまして と言うべきかのう。蕺喬女医。」

「妾は(そち)の顔を見ておるがのう。王者虎徹よ。」

「……………!!!」

 

虎徹と蕺喬は殆ど変わらない身長だった。

その二人の女性の対面は年端の行かない少女である彩奈にとってはかなりの迫力だった。

彼女の目には二人の間に張り詰めたような何かが走っているように見えた。

 

「し、蕺喬様! あまり先に行かないで下さい!」

「君達! どうしてまだ外に居るんだ!! 早く中に入らないか!!」

「あ、す、すみません!! すぐに………!」

「構わぬ。妾が呼び止めたのだ。時に、」

「!!?」

 

蕺喬が出し抜けに彩奈と顔の距離を詰めた。その目は彩奈の顔や肌を凝視していた。

 

「娘よ、其方は怪我は無いか? 鳳巌の阿呆の襲撃を受けたと聞いておるが。」

「あ、はい! 大丈夫です………」

「そうかそうか。

万一怪我や病気があったら妾に言えよ。この場で会えた縁で安く診てやっても良いぞ。」

「は、はい。ありがとうございます…………」

 

彩奈の頭の中は困惑の一色だった。

年上の女性と話すだけでなく、顔を至近距離まで近づけさせられた事は彩奈にとって初体験の出来事だ。

そしてこの状態に終止符を打つと言わんばかりに苺禍が口を開いた。

 

「では蕺喬様、鴻琴被告はこの奥の突き当りにある留置所に居ますので、ご案内します。

その事で一つ我々からご提案があるのですが、蕺喬様の病院に警護の者を配置したいと思うのです。」

「む? 我々(・・)だと。 其れは其方以外の誰の提案だ。」

 

苺禍は遂に蕺喬に対して本題を口にした。その提案に蕺喬は少しばかり怪訝そうな表情を浮かべた。

 

「其れは儂等じゃよ。

鴻琴の爺の口が封じられるやも分からんから警備をつけるべきじゃと思っての。」

「……気持ちは有難いが要らん世話じゃな。妾の病院の安全如き妾自身でどうにでもできる。」

「えっ!!? そ、そんな事…………!!」

「……………

そうかそうか。不毛な節介というやつじゃったのか。ならば良いのじゃ。

………ただし、万一鴻琴の暗殺を許すような事があったならば、主がどの様に始末をつけるのか儂には見当もつかんがのう。」

「………………………!!!」

「ちょ、ちょっと虎徹さん…………!!」

 

辛うじて保たれていたその場の均衡は、蕺喬と虎徹の売り言葉と買い言葉によって完全に凍り付いた。

 

 

 

***

 

 

《鳳巌の根城》

(………ふぅ。ここに居ればしばらくは見つからないだろう………。

彩奈さんはあのことをちゃんと伝えてくれた頃かな。虎徹さんに相談すれば、何かしら良い方法を教えてくれるとは思うけど………。)

 

哲郎は様々な方法で鳳巌の配下からの追跡を逃れ、地下(というよりは今までいた場所よりさらに下の階にあった場所)にある空間に身を隠した。

その空間の広さは四畳半ほどであり、中には様々なものが置いてあった。

 

(………ここって多分、倉庫か何かだよな。きっと使わなくなったけど捨てないようなものをこの部屋に詰め込んだんだな………)

「ん?」

 

様々なものが埃を被って無造作に詰め込まれている中で、哲郎の目は一つのものに注目した。

そこには一際埃を被り、古くなっている一冊の本があった。

 

(なんだこれ。本? っていうよりはノートみたいだな)

「ッッ!!!!?」

 

その本に書かれていた内容を見た瞬間、哲郎の喉から微かな声を含んだ息が漏れ出た。

しかし、哲郎はそれを間違った事だとは思わなかった。寧ろその程度(・・・・)の反応に抑え込んだ事を誰かに褒めて欲しいとすら思った。

 

(な、な、何なんだこれは…………!!!!

なんで鳳巌の所にあるノートにあの人(・・・)の子供の頃の事が書いてあるんだ…………!!!!?)

 

その本の中には帝国の暦で数十年程前の日付と鬼門組総監の《凰蓮》の名前が記してあった。

それを見た瞬間、哲郎はこの本が鳳巌の幼少期の日記なのだと理解した。



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#282 THE DIALY OUTSIDER ~Description~ (Nightingale)

哲郎は自分が開いているノート(のような本)が鳳巌の少年時代の日記である事を瞬時に理解した。

それだけならばここまで驚く事は無かったろうが、哲郎が驚いたのはそこに書かれていた内容だ。そこには『凰蓮』の文字があった。哲郎は何故その名前が鳳巌の日記にあるのか。その理由を解明する事に集中していた。

 

(お、凰蓮って虎徹さんが言ってた鬼門組のトップの人じゃないか!!!

確かに九年前にぶつかり合ったって聞いたけど、まさかこの二人は幼馴染なのか………!!!!?)

 

哲郎は凰蓮の顔は知らないが、それでも日記に書かれている内容は彼を驚愕させるには十分だった。

字は拙く、書かれている内容も辛うじて内容が分かる程度の支離滅裂さだった。この事から哲郎はこの日記が書かれた年代を鳳巌の幼少期だと推測した。

 

(まさか、まさか偶然入り込んだこの部屋でこんな手掛かりを掴めるなんて!!!

国に向かう前にノアさんに帝国の言葉を教えてもらって本当に良かった…………!!!)

 

哲郎は懐から自作の帝国の言葉の早見表を取り出し、日記の解読に努める。

幸いにも日本語と文体は似ており、読めるようになるまで時間はかからなかった。

 

(今更だけど、あの地図も寅虎さんの記事を読んだ時も、これが無かったら終わってたな。

どれどれ………………)

 

 

***

 

 

〇月✕日

今日は珍しい魚が取れた。凰蓮の親御さんに見せると褒めるように頭を撫でてくれた。

煮付けが美味しかった。

 

〇月△日

今日はまるっきりのボウズだった。鶯蘭(おうらん)やその家族達は笑っていたが、それが逆に安心できた。

明日は雨だから干した魚を焼いて食べよう。

 

□月●日

今日は都で大きな武道会があるらしい。そこで勝てばいい仕事ができると聞いた。

俺もいつかそこに出て人生逆転したい。

 

 

***

 

 

「……………」

 

数分掛かってその内容を読み終えた哲郎はそこから得た情報を整理する。一見 ただの少年の日常を綴った他愛もない内容だが、そこから得られる情報は少なからずあった。

 

(確か、凰蓮は小さな漁村の生まれだって虎徹さんが言ってたな。だから日記の中の鳳巌も毎日のようにお魚を獲って生活してたのか。

で、最後の武道会は刹喇武道会の事だよな。凰蓮は漁村の息子から鬼門組のトップになったんだから武道会で優勝(あるいはそれくらいの優秀な成績)したと見て、まず間違いないよな。

んで、この鶯蘭っていうのは誰なんだ………………?

 

少しペース上げて読んでいくか。)

 

そこからしばらくは昼間に漁に出て夜に魚料理を食べるという変わり映えのしない内容が続き、十数ページ後に変化があった。

 

 

***

 

✕月□日

夕方、俺は凰蓮と日が沈む波打ち際で約束した。

『今度都で開かれる武道会に出て、勝った方が鶯蘭と付き合う』と。

 

✕月✕日

鶯蘭が大きな仕事があると言って村を出て行った。前に言っていた料理大会の日がようやく訪れた。

俺達は笑顔であいつを送り出した。

 

「!!!

(鶯蘭は女の人だったのか! そして凰蓮と鳳巌の二人はこの人を巡って三角関係にあった。

それを穏便に決める為に武道会に出る事になった…………!!

? ここからしばらく日付が開いてるな……………)」

 

 

△月○日

おかしい。もうとっくに料理の大会は終わってるはずなのに鶯蘭が帰って来ない。

こんな俺達じゃ鬼門組に相談しても取り合ってもらえない。

そろそろ武道会の日も近づいているが、はっきり言ってそれどころじゃない。

明日になったら自分の足で鶯蘭が向かった場所に俺も行こう。

 

 

***

 

 

「……………………!!」

 

哲郎が読み終えた△月○日の内容はノートの最後のページに記してあった。

即ち、このノートに記された内容はそれで最後という事だ。

 

(何かがあったんだ!! この△月○日の後に、何かが………………!!!)

 

哲郎はノートを閉じて再び埃を被った本棚に視線を向ける。彼の目的は一つに絞られた。この後に起こる何か(・・)が鳳巌の過去に大きく関係している可能性が高い。

既にここが古い倉庫である事は分かっている。ならばこの日記の続きもこの倉庫にある可能性が高い。

 

「何はともあれ、その何かを調べるには続きの日記を見つけないとな……!!

でも、これの近くにはそれらしいノートは無かったし、どこに……………」

「否、其れが最後の日記だ。」

「!!!!?」

 

続きの日記を探している哲郎の耳朶を彼にとって最悪の声が叩いた。哲郎は反射的に振り向いて身構える。

その視界には鳳巌が立っていた。

 

「~~~~~~~~~~~~!!!!!」

「…………懐かしい(・・・・)な。よもやこのような場所を見つけ出すとはな。

して、何だその面は。貴様が忍び込んで嗅ぎ回っておきながら、我が悪いと言うような面だな。

だが安心しろ。我が言う条件を全て飲むならば危害は加えん。」

「!!!!?」



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#283 The Ogre Captains

「…………じょ、条件……………?」

「そうだ。別にその日記の内容が我の身の安全を脅かす訳でもあるまいからな。」

 

鳳巌の口から出た予想外の言葉を聞いてもなお、哲郎は警戒から来る両手の構えを下す事が出来なかった。

最初に脳裏に過った『秘密を知った自分を真っ先に殺しに来る』という懸念を払拭出来なかったからだ。

 

「この状況でどんな条件を出すっていうんですか?」

「黙れ。会話の主導権が貴様にあると思うか。」

「…………!!」

「貴様に出す条件は二つ。

『今読んだ内容を誰にも話さん事』、『今日一日、此の部屋から出ない事』。

其の二つが守れるならば、貴様の身の安全を保障してやる。」

「………………!!!!」

 

哲郎の頭には相反する感情が渦巻いていた。

鳳巌の言葉を真っ向から信じられるとは微塵も思っていないが、彼が自分の命を狙っている訳ではないと断言できる根拠がある事もまた事実だ。

 

「…………分かりました。言う通りにしましょう。」

「……其の言葉を忘れるなよ。言っておくが、此処に貴様の安息の場は無い。

貴様は我の()として生かされているという事を忘れるな。」

「………………」

 

鳳巌は倉庫の扉を閉めて鍵をかけて哲郎を監禁した。

哲郎はその場に座り込んで頭の中で次に何をするべきかを考える。

 

(この場で彩奈さんにすぐにこの日記の事を伝えるのはさすがにまずいよな。

しばらくは大人しく(・・・・)してるか……………)

 

哲郎は鳳巌の出した要求を表面上は(・・・・)飲んで大人しく(・・・・)している事にした。

 

 

 

***

 

 

 

《鬼門組 陸華仙》

 

「………以上の事から、鴻琴被告が搬送される蕺喬様の病院に警備を配置すべきだという案が出ました。

これはこの最終会議の場で過半数の賛成を得れば実行に移されます。

それでは、皆さんの意見を聞きましょう。」

「……………!!!」

 

場所は陸華仙の中央にある小さな会議室。

彩奈はそこで凰蓮が主催する鴻琴が行く病院に警備を配置するか否かの決定を行う会議に関係者として同席した。

 

その会議が行われる事になった経緯は哲郎が倉庫内で日記を読んでいた間に起きていた。

 

*

 

「……と、此奴は言っておるのじゃが、帥はどう思う。凰蓮。」

「……成程成程。確かに鋭い意見ですね。一考の余地はあると思いますよ。」

 

結論から言うと、蕺喬と虎徹との確執は大事にはならなかった。

完全に納得はしないが(あくまでも彩奈達が提案したという事で)凰蓮達に相談し、彼等が賛成すれば警備を置くという事で話が付いた。

 

凰蓮は陸華仙の中央にある会議室に隊長達全員を集め、意見を募ることを決めた。

そして会議室に隊長達が集まり、今に至る。

 

*

 

「私は全面的に賛成です。もし仮に暗殺を許すような事があれば、鬼門組全体の信用が地に落ちる事になりましょう。」

 

陸華仙 四番隊隊長(組織犯罪調査課)

苺禍(いちか)

 

「私も、素人の意見だと蹴るのは如何なものだと思いますね。珂豚の奴も必死でしょうから。」

 

薄い茶髪を撫でつけ、眼鏡をかけた男性

陸華仙 一番隊隊長(殺人課)

菊嘛(きくば)

 

「………確かに、簸翠程の暗殺者を捉える事が出来たとしたら、裏社会の連中への見せしめにもなりますね。」

 

桃色の髪を頭頂部で束ねた女性

陸華仙 二番隊隊長(民事調査課)

璃楪(りちょう)

 

「いずれにせよ、鳳巌共との衝突は避けられないでしょう。士気を高める意味でも、この作戦は有効かと。」

 

白い髪を逆立てた初老の男性

陸華仙 三番隊隊長(交通課)

驍梔(ぎょうし)

 

「仮に簸翠ではないにしろ、暗殺者を捕らえ情報を吐かせる事が出来れば、奴等に有利が取れるでしょうな。」

 

黒髪を刈り上げた面長の男性

陸華仙 五番隊隊長(未解決事件調査課)

橘臣(きつおみ)

 

 

全員の賛成の旨を聞いた凰蓮は徐に口を開いた。

 

「……では、全会一致でこの作戦は承認されたという事で話を進めます。

それで苺禍隊長、作戦を実行するにあたって現在動ける捜査官はどの程度居ますか?」

「はい。非番の捜査官を含めれば、五十人程は警備に置けると思います。」

「そうですか。では直ちに準備を進めますよ。無論、鴻琴被告の起訴と同時進行で。」

「畏まりました。」

 

苺禍のその一言はその場に居た者達にとっては解散の合図も同義だった。

隊長達は即座に足早に会議室を後にし、残ったのは凰蓮と彩奈、虎徹、そして蕺喬だった。

四人だけになった部屋の中で浅いため息をつきながら口を開いたのは蕺喬だ。

 

「……実に無常なものよのう。久方振りに帥等隊長が揃う光景を見る事が出来たというのに。」

「申し訳ありません。何分我々も多忙を極めるものですから。

それこそ、貴方の病院と同じくらいにはね。」

「別に帥等を責めている訳ではない。致し方無い事は分かっておる。」

 

張り付けたような笑みを浮かべる凰蓮と蕺喬の会話を聞いていた彩奈は二人の間に絶妙な緊張感に似た何かを感じた。

彩奈は二人には聞こえないような声で虎徹に話しかける。

 

『あの、虎徹さん、これで良かったんでしょうか………』

『悪くなる事はないじゃろう。大概の事はやらんよりやった方が良いと相場は決まっておる。』

『……………』

 

虎徹の言葉で心を落ち着かせながらも彩奈は自分に言い聞かせていた。

自分のこの決定がこの帝国の運命を大きく左右するかもしれないという事を。



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#284 The Openly Spy

彩奈は部屋の隅で自分の出した意見が通った事の顛末を見届けた。そしてそれが如何に凄い事なのかを自分に言い聞かせる。

前世(日本)の基準で言うならば警視庁が一般市民である自分の話を聞いてくれた事と同じくらい大それた事なのだ。一般市民ならばまずありえない事だ。

 

(……ほ、本当に私がこの国の事を動かしてるんだ……………!!!)

 

無論、彩奈も自分の行動の理由がまだ見ぬ《転生者》の魔の手から帝国を救う為であると分かっていた。

しかし、国の政治に関係しているという事実は彩奈の心にほんの少しの高揚感と溢れんばかりの緊張感を植え付ける。

 

その上で彩奈は自分の意志で手を挙げた。意識した時には口から『凰蓮』の名前が出ていた。

 

「どうかしましたか。杏珠さん。」

「!!! (わ、私、本当に自分から人に話を……………!!!

ダメダメ!! ちゃんとはっきり言わなくちゃ…………!!)

わ、私も、その病院に連れていって下さいっ………!!!」

『!!?』

 

彩奈の予想外の提案にその場に居た全員が表情筋を駆動させた。

 

 

***

 

 

《鳳巌の根城 倉庫内》

哲郎は鳳巌が出した身の安全を保障した上での軟禁という処置を表面上は(・・・・)受け入れた。

そして次に取った選択肢も、大人しく(・・・・)しているというものだった。ただし、それはほとんど建前のようなもので、哲郎には何もしない(・・・・・)気などさらさらなかった。

 

(……鳳巌はあの日記を最後の(・・・)日記だって言った。でもそれは逆に前の日記(・・・・)はあるって事だよな。

それが見つかれば何か分かるかも…………)

 

倉庫内には照明と呼べるものは無く、中は完全に暗闇状態だった。しかし、哲郎の目は既に《適応》し、探し物が出来る状態が整っている。

本棚に目を向ける直前、哲郎の頭にふとある事が思い起こされた。

 

(……そういや人は暗闇の中じゃ全然耐えられないって何かの番組で見た事あるな。

もしかしてこうなるかもと思って閉じ込めたのか? ………いや、そんなこと考えてもしょうがないか。)

 

頭に過った詮無い思考を頭の隅に追いやり、哲郎は倉庫内の物色を開始する。

目的は言うまでもなく鳳巌の日記だ。

 

*

 

「………ハァ。やっぱりそう上手くは行かないか。」

 

哲郎は胸にたまった息を吐きながら座り込み、ノートを足元に置いた。

結論から言うと、鳳巌の日記は程なくして見つかった。そしてしばらくかかって全てを読んだ。

しかし、収穫は皆無だった。前の日記に書かれていたのは朝起きて魚を取り、夜に魚料理を食べたという内容が殆どだった。

 

そして哲郎はこの倉庫内に軟禁されている状態の問題がもう一つある事を見抜いていた。

それはこの倉庫内には時計がない事だ。

 

(………今、日記を探して読み終わって、大体一時間くらい経ったかな。まぁ、こういう時の体内時計って当てにならないのが普通だけどな。

で、次は何を探すか…………)

 

哲郎は日記を見つけた本棚の隣の棚に目を向けた。

哲郎の次の目的は写真だった。哲郎の頭の中にはアルバム(帝国にアルバムがあるかは分からないが)の姿が像を結んでいた。

それに狙いを定めたのは先程、黐咏の部屋で見つけた一枚の写真が切っ掛けだ。

無論、たった一回の成功を当てにしてそれに全てを賭ける事は危険性も高く、非効率だと分かっている。故に哲郎は様々なものを探す傍らで写真を探すという選択をした。

 

(!

……この棚、本棚じゃない。ここにあるのは、木箱…………!?)

 

目当てのものが近くに無いことが分かったが、構わずに木箱に手を伸ばした。

木箱は手の平に乗るほどの大きさしかなく、施錠もされていなかった。しかし、哲郎はそれを幸運だとは思わなかった。

それは即ちこの箱の中身が隠さなくてもいいような重要ではないものだという事だからだ。

 

(…やっぱり…………。)

 

箱の中には大小様々な石が転がっているだけだった。色が薄い所を見ると海岸にあった石なのだろうかと考えたが、哲郎はそこで思考を断ち切った。

とてもこの石について考察する時間はないと考えたからだ。

 

(……………僕の体内時計が正しかったとすれば、今は大体二時から三時の間ってところだろう。

鳳巌が本当に今日一日僕をここに軟禁するつもりなら、(それに従うなら)僕に残された時間は大体六時間くらいって事になる。

ここにあるものを全部調べるくらいは出来るだろうけど、全部を詳しく調べるなら、全部見てから優先順位をつけた方が良さそうだな………)

 

哲郎は木箱に蓋をし、再び棚の調べ始めた。

果たしてその行動の何割が有益な情報に結びつくのか、今の哲郎には分からない。

しかし、今の(大人しくしている(・・・・・・・・))自分に出来る事はこれしかないのだ と、哲郎は自分に言い聞かせながら作業に没頭する。



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#285 The Near And Far Enemy

場所は鬼門組 陸華仙。その内部にある極秘の会議室内で帝国の歴史上、初めての事態が起こっていた。

その総監である凰蓮は一般市民(に成りすましている)である杏珠に対し、怪訝な表情を浮かべた。

 

「………なんですって? 杏珠さん。今、何と仰いましたか?」

「わ、私を、私もあの病院に連れていって下さい………………!!!!」

「……………!!!」

 

彩奈の話を聞いても尚、凰蓮の表情は険しいまま崩れなかった。

そもそも凰蓮は一回目で彩奈の言葉も、そして彼女の真意も漏らす事無く理解していた。

彼の怪訝な表情は既に彼の頭の中である思考が固まっていたからだ。どうしても彼女の申し出を受ける訳にはいかないという思考が。

 

「………その言葉に首を縦に振る訳にはいきませんが、せめて聞くだけ聞いておくとしましょう。

どうしてそんな事(・・・・)をしたいと思ったのですか?」

「……………!!!」

 

かつていじめにあい、あらゆる角度から圧力を受けていた彩奈にとって、凰蓮の突き刺すような視線は彼女の心に少なからずの負担を掛けた。

その彼女の心中を知ってか知らずか、虎徹が小声で彩奈に話しかけた。

 

『おいおい。何を大それた事を言うておるんじゃ主は!

いくら主が《転生者》じゃというても帝国一のこの組織に加担出来る筈が無かろうが!!』

「…………わ、わ、私、もうこそこそ隠れていたくないんですよ……………!!」

『!!?』

 

彩奈は意を決して凰蓮と、背後に居た虎徹に自分の本心を吐露した。

そして虎徹にだけ聞こえる程の小声で彼女に更なる本心を伝える。

 

『………こ、虎徹さん。この人に哲郎さんの事、話しても良いですか。』

『!!?』

『そうすれば、この人を仲間に出来る(・・・・・・)と思うんですッ…………!!!』

『…………………!!!』

 

背中越しでも伝わる彩奈の気迫に、虎徹は何も答えなかった。

それを肯定と受け取った彩奈は凰蓮に最後の言葉を伝える決意を固める。

 

「一体それはどういう意味ですか 杏珠さん。言いたい事があるのならば確りと言って頂けなければこちらも何も言えませんよ?」

「……………!!!

はい…………………!!!」

 

遂に彩奈は凰蓮に自身の心中を伝える決心を固めた。

それと同時に彩奈は過去を乗り越える為に自分から人に話す事を実行した。それには偏に哲郎の多大な影響があった。

 

 

***

 

 

「………成程。そんな事が。

もしそれが本当なら、確かに有力な情報になりますね。」

「は、はい……………。」

 

彩奈は数十分もの時間を掛けて哲哉(哲郎)が鳳巌に攫われた事、その哲郎が監禁された場所から二回通話してきた事、その通信状態から鳳巌の根城の場所を絞り込んだ事を順を追って話した。

 

「拉致された被害者の少年から通信があったというのは疑いません。

ですが、何故鳳巌の根城の場所が絞り込めたのか。その根拠を教えていただけますか?」

「わ、分かりました。それを説明しますから、この国の地図を持ってきてくれませんか?」

「はい。それならこちらに。」

 

凰蓮は壁にある小さな本棚の中から折り畳まれた紙を取り出した。

広げるとそこには帝国の地図が描かれていた。昨日哲郎が購入したものと同じ地図だ。

その地図が机に置かれ、彩奈は深い呼吸で心を落ち着ける。頭の中にある事を伝える事は彩奈にとっては相当の難題だった。

 

「(……………お、落ち着いて話さなくちゃ。ちゃんとしないとこの人を味方に出来ない……………!!!)

ま、まず、最初に、呑宮にあった待合室で、哲哉さんから通信がありました。

そしてさっき、ここからも通信がありました。」

「……成程。しかしそれでどうして彼の居場所が分かるんですか?」

「それは、その通信が、どっちも途切れ途切れ(・・・・・・)だったからです。」

「途切れ途切れ?」

「はい。私が持っている通信の道具には、話せる距離に限界があります。

通信はどっちも途切れ途切れだったから、通信は話せる限界の距離だったっていう事になります。」

「………成程分かりました。そういう事ですね。」

 

凰蓮は懐から小型の道具を取り出した。

その道具はくの字に折れ曲がり、片方には針が、片方には黒鉛の芯が付けられている。

それを見た瞬間、彩奈はその道具に自分が知っている《ある物》を連想した。

 

「コ、コンパス…………!?」

「こんぱす?」(!!! し、しまった!!!)

「私達はこれを《円規》と呼んでいますが。

それより、さっきあなたが言っていた《限界の距離》がこの地図の上だとどれ位の長さになるか分かりますか?」

「! は、はい………!!」

 

彩奈は地図を見ながら手渡された道具(コンパス)を広げ、地図上での通話可能な限界の距離を再現した。

 

「大体、こんな感じだったと思います……………。」

「分かりました。という事は……………………」

 

凰蓮は彩奈の手で広げられたコンパスを手に取り、その針を呑宮の支部(凰蓮は正確にその地図上での位置を把握していた)に刺し、地図上に黒い円を書いた。その円の端は豪羅京の端に接している。

そしてコンパスの針を陸華仙の位置に刺し、再び地図上に黒い円を書いた。

そして地図上に現れた目印にその場に居た全員は目を丸くした。

 

「……………………!!!」

「ほう。これが……………。」

「やはりこういう事でしたか。」

 

机に置かれた地図には二つの黒い円が書かれ、重なっていた。

そしてその重なりは豪羅京の端、八重宮地方の方向にあった。

 

「そうです。この場所が哲哉さんの居場所です。

つまり鳳巌()のアジトはこの豪羅京の地下にある可能性が高いって事です………………!!!」



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#286 THE Uncertainty Treasure In The Junk

地図に浮かび上がった二つの円をその場に居た全員が凝視していた。

その二つの円が重なる一点が鳳巌の根城であるという確証は無いが、逆にこの地点が鳳巌の根城ではないという事も証明できない。

彩奈達の目には、この地図の点が中身の分からない宝箱の様に見えた。張り詰めたような沈黙が数十秒続いた後、口を開いたのは蕺喬だった。

 

「………万一此れが本当ならば、鳳巌の奴も随分と思い切った事をする男じゃな。

よもや敵地の真下に己の塒を構えようとは。」

「待って下さい蕺喬さん。まだこの情報を鵜呑みにする訳にはいきません。

そもそも拉致された哲哉という人が彼の根城に監禁されているとは限りませんから。」

「…………………!!

(や、やっぱり…………………!!!)」

 

凰蓮の極めて合理的かつ冷ややかな見解を耳にした彩奈は内心 圧し潰されそうになるほど追い込まれた。

その一方でこの情報だけで信用を勝ち取れない事も予測の範疇だった。

 

「…………とは言え、この情報から拉致監禁されている哲哉さんの場所が割り出せた(可能性が限りなく高い)のも事実です。

杏珠さん、心配しなくても早急に腕の立つ隊員をこの場所に向かわせます。もしそこが奴の根城だったならば、それは素晴らしい僥倖だと私は思いますがね。」

「!!!」

 

彩奈は凰蓮の言葉に素直な感謝の言葉を心の中で口にした。

規律を十分に重んじていながらも彩奈の気持ちを理解しているからこそ出せる言葉だ。

 

「杏珠さん。心配する必要は何もありません。私達は一般市民(貴方達)の味方です。

貴方の大切な人を助け出す準備はいつでも整っています。」

「…………………

ありがとうございます!!!」

 

彩奈は目に涙を浮かべながら精一杯の感謝の言葉を口にした。

しかしそれでも凰蓮にとってはそれも見慣れた光景だった。鬼門組(警察組織)総監(トップ)である彼にとっては人から感謝される事など日常茶飯事なのだ。

頭を下げる彩奈を凰蓮が強かかつ穏やかな視線で見つめる。そんな時間は扉を叩く音によって終わりを告げた。

 

「凰蓮総監! 蕺喬様! 苺禍です。

鴻琴被告の護送の準備が全て整いました!!」

「分かりました。

…………では杏珠さん。行きましょうか。」

「! は、はいッ!!!」

 

自分の名前を呼ぶ。凰蓮のその動作だけで彩奈は彼の真意と自分がこれから取るべき行動の全てを理解した。

そして同時に、自分がこれから取る行動とこの夜に起こる出来事の全てが帝国の運命を左右する事を理解していた。

 

 

 

***

 

 

(……ふぅ。この棚は収穫なしだな。(少なくとも僕にとっては)ガラクタばっかりだ…………………。)

 

倉庫の中に軟禁されてから(哲郎の体感時間で)約一時間。哲郎は壁沿いの棚をひたすらに調べていた。

現在は小一時間を掛けて一つの棚の中にあったものを全て調べ終えた。しかし出てくるのは使い古して埃に塗れた武器や道具ばかりだ。

 

(………多分この棚はもう使えなくなった道具を置いておくためのものなんだな。

へたに捨てようとしたら、そこから足がつくかもしれないからな。)

 

哲郎は埃に塗れた道具を見ながらかつて見たドラマの一場面を思い出していた。

その場面とはある刑事が捨てられていたゴミから手掛かりを見つけ出し、そこから事件を見事解決するという王道的なストーリーだ。

果たして鳳巌達がその危険予測の心理が働いたのかは分からないが、とにかくこの棚がゴミの温床となっていた事とこの棚から得られる情報が望み薄な事だけは確かだ。

しかしそれでもこのゴミの中に鳳巌達の手掛かりが埋もれているかもしれないという一抹の期待を拭い切れない哲郎は一応全てのゴミを調べてから次の棚の捜索にかかるという決断をする。

 

(ええと、紙切れに棒切れにナイフに

!!!)

 

紙切れと棒切れの次に手に取ったナイフは柄だけが見える状態で、哲郎が拾い上げて初めてその全貌があらわになった。

見えたその刃にはべったりと血がこびりついていた。

それを見ただけで哲郎の脳内にはこのナイフが誰かを殺傷し、血が付いたがために切れ味を失い、お役御免になったという事が鮮明に浮かんだ。

 

(…………………!!!

お、落ち着け!! 落ち着くんだ!!!

ここはこの国で一番の犯罪組織のアジトだぞ!! そりゃ見たくない物も見なきゃいけない!!!

きれいごとやわがままばっかり言ってられない

「ッ!!!!」)

 

目を固く閉じて心を落ち着ける事に没頭していた哲郎は不意に網膜を刺激した光に酷く驚いた。

その光は懐に忍ばせた通話の魔法具の光だった。その光は彩奈から通信を受け取った証拠だ。

一瞬迷ったが、小声で話せば問題ないと結論付けて哲郎は通話に応じる。

 

『彩奈さんですか? どうかしたんですか?』

『て、 哲郎さ ん 。  状 況が 変わ っ た ので、 報告 し よ うと 思い まし た。』

『? 状況が変わった? どういうことですか?』

『わ、私 は 今、 人を 助 ける 為に 、病 院 に向 かっ てま す…… …… …… !! !』

『!!!?』



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#287 The Black Camouflage

哲郎は彩奈の口から出た言葉に一瞬たじろいだが、すぐに彼女の真意を理解した。

鴻琴が始末される事を良く思わなかった彩奈は鬼門組に何らかの方法で暗殺が起ころうとしている事を伝えた。そして鬼門組の作戦に同行する事になったのだ。

しかし、それだけでは分からない事がある事も事実だった。何故彼女の口から『病院』などという単語が出てきたのか。それを知らない訳にはいかなかった。

 

「分かりました。だけど何でそれで病院に行く事になるんですか?」

『あ !   言 い忘 れ てま し た。 実 は━━━━━━━━』

 

*

 

十数秒のたどたどしい説明だったが、哲郎はその説明で帝国には《蕺喬》という凄腕の女医が居る事、鴻琴が治療の為にその病院に移される事になった事、彩奈がその病院に行く事になった事を理解した。

 

「…………分かりました。じゃあそっちは任せます。頑張ってください。」

『は い…… …』

 

彩奈との通話は唐突に終わった。

数分の通話だったが、哲郎はこの内容が自分の状況を大きく変えるものである事を既に理解していた。

蕺喬の存在や鴻琴が病院に行く事も大きいが、一番重要な情報はやはり彩奈が病院に行く事だ。哲郎はそれが意味する事を理解していた。

それは即ちもう彩奈と通話できないという事だ。

 

(……あの地図はちょっと見ただけだけど、確か陸華仙と大きな病院(多分そこが蕺喬っていう人の病院だろう)は反対方向にあった。

で、今陸華仙に居る彩奈さんと僕は魔法具で話せるぎりぎりの距離にある訳だから、彩奈さんが病院に行くって事はつまりもっと僕より離れる事になる。

って事は、もう通話の魔法具で話せなくなるって事だ………。)

 

恐らくだが、彩奈もそれが分かっているからこのタイミングで最後の通話をしてきたのだろう と、哲郎は推測した。

そして哲郎は、先程手に入れた日記の情報を敢えて明かさなかった。決して鳳巌の言いつけを守ったつもりは無いが、それには明確な理由があった。

最も大きな理由は、彩奈には病院での活動に集中してほしいという事。下手に情報を渡して混乱させてしまうと、最悪の場合命の危険もある。その病院に珂豚が差し向けた暗殺者が来る事は目に見えているからだ。

 

(多分だけど、(彩奈さんの口から)暗殺の事を聞いたなら、鬼門組の人達も病院に警備のために行っただろう。ならきっと大丈夫だ。

仮にも僕と同じ《転生者》の彩奈さんなら、能力を使えばそうそう危ない事にはならないだろう。

……まぁ、そうならない事が一番だけど……………………)

 

哲郎が彩奈の危険の次に懸念している事が帝国民に《転生者》の事が明らかになる事だ。

それは即ち帝国に混乱を招くだけでなく、敵の《転生者》に余計な緊張を与え、思いもよらない行動を取ってしまう可能性がある。

 

(まぁ、エクスさんやオルグさんは能力を魔法だって言ってごまかしてたから、彩奈さんもその方法を知っている筈だ。

彩奈さんにそんな高度な事が出来るかは分からないけど…………………)

 

そこまで考えて、哲郎はこれ以上彩奈の事を考えるのは無駄だと考え、思考を切り替えた。

しかし、哲郎の懸念は限りなく非現実的なものになっている(・・・・・)事を哲郎はまだ知らない。

 

 

 

***

 

 

《彩奈の通話の数分前》

(……………とてもではないが、あの娘一人に任せる訳にはいかんな。

こういう時の為にこそ、儂の能力は存在するのじゃ。それに、此処で活躍すれば或いは………………)

 

自分に宛がわれた部屋の中で自分の能力を入れ物の中に絞り出し(・・・・)、作戦の準備を進めている人物が居た。

その人物は入れ物の中に一杯になった《能力》を頭から浴びた(・・・・・・)

そしてその人物は、自分の身体にある文字を書いた。

それによってその人物の姿は変化した。正確には、他の人物の自分への認識を捻じ曲げた(・・・・・)のだ。

 

その行動の理由はただ一つ。誰にも怪しまれずに病院に向かう為だ。

 

(………此れで儂の姿は鬼門組の人間に見える。

彩奈が身体を張っておるというのに、儂だけがこの中で燻っておれというのか。冗談ではないわ!)

 

部屋の外に誰もいない事を確認してからその人物は部屋から出て、鴻琴を乗せて病院に向かおうとしている車に向かった。

そしてもぬけの殻となったその部屋には文字が書かれた(・・・・・・・)丸太が置いてあった。

 

(……此れで奴等は此れを儂じゃと思う。かなりの量を搾り出したが、其れに足る値打ちはあろう。

否、値打ちは此れから作るのだな。彩奈の奴に助力する事でな………………。)

 

その人物は本来部屋から出る事を禁じられているが、この場に居る人間は全員、それを認識する事は出来ない。部屋から出たのは鬼門組の誰かであり、部屋にはその人物が居ると誤認させられるのだ。

その丸太には、黒い文字でこう書いてあった。『虎徹』と。



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#288 The Black Camouflage 2

虎徹は身体中に自分の能力である《墨汁》を被り、その姿を鬼門組の人間に誤認させた。

その上で虎徹は彩奈が乗る病院に向かう車に向かっていた。

そのような方法を取った理由は彩奈に同行する為だけではない。同行するだけならば鬼門組を説得すれば可能だと予測していたが、この方法を取った一番の理由は他にあった。

 

 

***

 

 

彩奈は車の席に座り、出発の時を待っていた。

哲郎と同様に、これから戦地に赴き、帝国の運命を左右する重要な戦いに身を投じるのだ。

その事は少なからず彩奈の心に緊張をもたらしたが、それ以上の使命感と闘志でそれを抑えつけた。

それがただの虚勢に過ぎない事は彩奈も分かっていたが、それでも行かねばならないと己をひたすらに鼓舞した。

 

「………………」

「…おい杏珠。徐々出発するぞ。」

「! は、はい━━━」

「! ………何だ君は。

見ない顔(・・・・)だが、君もこの車に乗るように言われているのか。

………そうか。なら早くしろ。直ぐに出発の時間だ。」

「…………?」

 

彩奈は苺禍の言葉に怪訝な表情を浮かべた。

その一番の理由はやはり彼女の口から出た『見ない顔』という言葉だ。

しかし、彩奈はすぐにその謎の答えを理解する事になる。

 

「!!!!?」

「おう彩奈。儂も同行する事にしたぞ。」

 

車に乗り、彩奈の隣に座った人物の姿は彩奈の目には虎徹に見えた(・・・・・・)

一番驚いた事は彼女が《墨汁(能力)》を使ったであろう(・・・・)事だ。

先程の苺禍の言葉からもそれは明確だった。彩奈は一番にその理由を聞いた。

 

『こ、こ、虎徹さん!!!? どうして………………』

『決まっておるじゃろう。主にばかり任せるのは余りに酷じゃと思っただけの事よ。』

『そ、そうじゃなくて、なんで能力を使ってまで…………』

『見抜いておったか。其れも簡単な事よ。

此の方法が一番道理に適っておると思っただけじゃ。』

『!!?』

 

彩奈は小声で話していた。

それは瞬時に虎徹の姿が自分以外(・・・・)には鬼門組の人間に見えている事を理解しているからだ。

傍から見れば『杏珠と鬼門組の隊員が大声で話している』という光景は不審なものに映るだろう。

 

『良いか彩奈。此れは自慢でも慢心でもなく、只の事実として言うぞ。

儂と主が居れば、敵襲を撥ね退け、鴻琴の爺を救う事など造作も無い。じゃが、其れだけじゃと敵に警戒される。

考えてもみぃ。病院に主だけではなく儂迄居るとなれば、それは如何に奇怪なものに映るじゃろう。』

『!』

『じゃが、儂の姿を鬼門組の雑兵に偽ったならば、無駄な警戒もされんよ。

彩奈、分かっておるじゃろうが、この作戦も非常に重大じゃ。

帝国の法の面子にかけても鴻琴の暗殺などという卑劣な所業を断固として許さんのは無論の事、あわよくば敵襲を生け捕りにし、珂豚や鳳巌の事を聞き出せれば良い。

……否、主の我儘を通したならば、其れ位の成果が無ければ申し訳が立たんじゃろう。』

『………………!!!

は、はい………………!!!』

 

虎徹の言葉によって、彩奈は自分が如何に大それた事をしているのかを再確認した。

そして自分がこれからやろうとしている事は帝国の命運を左右する極めて重大な作戦である事を改めて理解した。

鬼門組に迷惑をかけている以上は彼らの役に立つのはもちろんの事、自分の失敗で彼等の顔に泥を塗る事は万に一つもあってはならないと自分に言い聞かせた。

 

「苺禍隊長。出発の準備、全て整いました。」

「分かった。

おい君達。今聞いた通りだ。出発するぞ。」

『はい!!!』

 

二人の言葉に誘発されるように馬(のような生物)は足を前に出し、車輪は回転した。

それは即ち帝国の運命を掛けた作戦への前進が始まったという事だ。

 

 

 

***

 

 

《鳳巌の根城 倉庫内部》

 

(………もうそろそろ彩奈さんは病院に向かい始めた頃かな…………。)

 

哲郎は情報収集の為の倉庫物色を進めながら、頭の中でそのような思考を巡らせていた。

頭の中は彩奈に関する希望的観測で埋め尽くされている一方、肝心の情報は最初に読んだ日記以降は皆無だった。

しかし、哲郎は焦ってはいなかった。それはこの倉庫には日記以外の情報は全く無い事とこれから何をするべきかが分かったからだ。

 

(……もうここには用は無いな。

ここから出られるとしたら………………、あそこか。)

 

哲郎はこの倉庫から出る事を決断した。体内時計しか頼れるものは無いが、それでも軽く数時間はここに居る。これ以上悠長に構えていられないのは火を見るよりも明らかだ。

とはいえそれは鳳巌の言いつけを破る事になる。哲郎もそれは理解していた。

しかし、それを実行するにあたって哲郎の頭にあったのは鳳巌の約束を無碍にする罪悪感でもなく、危険性故の恐怖でもなかった。

彼の心にあったのは使命感だけだった。帝国に居る人間の中で一番鳳巌の秘密に近いのは自分であり、この状況で鳳巌の尻尾を掴む事が出来るのは自分を置いて他に居ないからだ。



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#289 Like a Centipede

「………ん。んしょ。」

 

本来、普通の人間にとっては腕の力だけで重力に逆らって身体を持ち上げる事すら容易ではない重労働だが、重力に《適応》している哲郎はいとも簡単に倉庫の天井の通気口から抜け出した。

哲郎にとって人目につかない通気口からの脱出が出来たのはかなりの幸運だった。

もう一つの策として出入り口から(見張りが居た場合は不意打ちで気絶させて)脱出するつもりだったが、それは余りにも危険すぎる。

その方法を取る必要が無くなった事を哲郎は素直に喜んだ。

 

(………さて、ここからどうするか………………)

 

これから取るべき行動が完全に決まっていた訳ではないが、大前提として決まっていた事が一つだけある。

それは、何があっても鳳巌に会う事があってはいけないという事だ。

 

(………(僕の体内時計基準だけど)ここに居座ってから少なくとも一時間以上が経っている。

ここまで誰も一回も様子を見には来なかった(他の人には内緒にしてたから当たり前だけど)。

でも、逆に言えばいつでもここに誰かが来る可能性は十分にある。

何はともあれ、いつこの脱出がバレてもおかしくはない。急ぐか………………)

 

哲郎は慣れた動きで通気口を這って進む。

どうでもいい事だが、ここまで匍匐(ほふく)前進に慣れた子供が自分以外に居るだろうかと、そんな場違いな事を考えていた。

 

(………今更だけど僕って、異世界に来てから普通じゃない事を山のように経験してるよな………

まぁ、匍匐前進(こんな事)を代表にするのは間違いだと思うけど…………………)

 

余談だが、哲郎が初めて匍匐前進を行うのは今回でも宗教団体(ジェイル・フィローネ)の時でもない。

哲郎が初めて匍匐前進を行ったのは学校での避難訓練の時だ。

教師が火災時、上方に煙が充満した状況でより安全に移動する為の方法として教えられた。

しかし、自分がこの短時間でここまで迅速に移動で来た理由は他にもあるという事を哲郎は理解していた。

 

*

 

時はジェイル・フィローネでの戦いの翌日に遡る。

哲郎は半ば拠点と化しているエクスの屋敷でとある提案をしていた。

 

「何? ストレッチの相手をして欲しいだと?」

「はい。もっと言えば今の僕に足りないのは体の柔らかさだと思うんです。」

 

身体の柔軟性

哲郎がその欠如と重要性に気付いたのは最初の潜伏の時だ。

二日間ほとんど同じ姿勢でいた哲郎が外に出て身体を伸ばすと、自分の身体から折れるような音が鳴った事に心底驚いた。

その音の正体も鳴る仕組みも理解していたが、自分の身体からそんな音が鳴るとは予想だにしていなかった。

 

そして理解した。自分の身体が十分に柔らかくないからこのような結果を招いたのだと。

更に哲郎はこの現状が良くないものだと理解していた。簡単に身体の節々が痛くなるのは戦闘が続くであろうこの状況には悪影響を及ぼすという事を。

 

「………成程。それで身体を柔らかくしたいという訳か。」

「そういう事です。もちろん、僕一人でできる事はちゃんとやりますけど、二人でできる事もあると思いますので………」

「……名案だとは思う。だが、悪いが俺は付き合えない。これでもかなり忙しいからな。

そういう事はミゲル辺りにでもあたってみればいい。あいつはその手の知識も豊富だ。」

「! はい!分かりました!」

 

それを聞いた瞬間、哲郎は善は急げと言わんばかりに踵を返して走り出そうとした。しかし、エクスの言葉がそれを止めた。

 

「? どうかしましたか?」

「どうでもいい事だとは思うがお前、筋肉(身体)を鍛えるつもりはないのか?」

「……いや、太る気はありませんけど今のところはないですね。

今更無理にやったとしても急に強くなれるとは思えませんし。」

 

*

 

結論から言うと、哲郎が実践したストレッチは功を奏した。

全身の筋肉を常に駆動させる匍匐前進という運動を行っても前回ほど疲労していないのは関節の可動域が広がった事が大きいとそう確信していた。

 

(………………さて、ここから行った方が良い場所と言ったらやっぱり身を隠せる場所(かと言ってあれ以上あの倉庫に留まっている気はなかった)か、情報がたくさんある場所か…………………)

「うわああああああああ!!!!!」

「ッ!!!?」

 

その瞬間、哲郎の鼓膜を野太い悲鳴が震わせた。それを聞いた瞬間哲郎の身体は動き出していた。

その理由は、哲郎がその声に聞き覚えがあった事とその声の発生源がすぐ近くにあると直感したからだ。

 

 

***

 

 

(た、確かこの辺りに………………… あった!! あそこなら━━━━━━━━━━)

「!!!!?」

 

通気口から件の部屋を覗き込んだ哲郎はその目を見開いた。

その部屋には二人の男がいた。哲郎は二人共に見覚えがあった。

その二人の内の一人は鳳巌だった。そしてもう一人、傷だらけになって座り込んで涙を流している男が居た。

その男は先程、覗き込んだ部屋で見た珂豚だった。

 

「ゆ、許してくだせぇお頭!!!!

俺ぁ疚しい事なんて何もなら━━━━━━━━━!!!!!」

「黙れ。貴様が我に黙って泡銭を稼いだ事は調べがついておる。

剰え貴様はそれによって余計な情報源を作り、此の場に居る者全員の安全を脅かした。

万死に値する。」

『!!!!!』

 

鳳巌はそう宣言し、手に持っていた巨大な薙刀を両手で振り上げた。

珂豚の一生はこの瞬間に終了すると、鳳巌はそう確信していた。

 

『!!!!?』

 

鳳巌が振り上げ、珂豚の首目掛けて繰り出した刃は哲郎によって止められた。

哲郎は刃の付け根を両手で掴んだ。自分に到達する瞬間、両手の動きで刃の勢いを吸収したのだ。

 

「な、何やお前は…………………!!!!」

「……貴様、一体どういうつもりだ?」

「それはどっちの意味ですか? あの倉庫から出た事か、それともこの事ですか?

この事(・・・)なら簡単ですよ。僕は、僕の周りで人を殺すのを許さない!!!」



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#290 The Mysterious Berserker 1 [Foreign Martial Arts]

哲郎はこの帝国に潜入して以来の最大の悪手を打った。哲郎も理屈の範疇ではそれを理解していた。

しかし、哲郎の心には微塵も後悔は無かった。

この国に居て何を最優先に行動するべきかを理解している。自分がたった今助けたこの珂豚があくどい男である事を知っている。

しかし、哲郎の信念が彼の死を許さなかった。彼の心にあったのはレオルとの確執の時と同様の直情的な衝動だけだ。

 

「……貴様の周囲での殺しを許さんだと?

意味が分からんな。珂豚が死んで貴様に不都合があるのか。」

「……そんな汚い話をしているんじゃない。

僕は、人の命がどれほど大切なものかを知っている。少なくとも、あなたよりはね!!!!!」

「!!!!?」

 

鳳巌の力が一瞬緩んだ瞬間を見逃さず、哲郎は攻撃を仕掛けた。

身体を沈め曲げた腕の下に通し回転させ、後ろを向いた瞬間に腕を振り下ろした。

鳳巌の身体は哲郎の腕と持っていた薙刀の柄を支点にして浮き上がり、天井に身体を擦りながら宙を舞った。

 

何が起こったのかを理解した瞬間、鳳巌は身を守る行動を起こした。

持っていた薙刀から手を放し、床に手をついて受け身を取った。

すぐさま自分を投げた不遜な少年に粛清を加えるべく、鳳巌は体勢を立て直した。

 

しかし、彼の思惑は現実にはならなかった。

 

「!!?」

 

鳳巌が哲郎の方向を向いた瞬間には既に哲郎の追撃は始まっていた。

身体を半身に構え、両手は片手の掌と甲を合わせ、腕は横に曲げられている。

哲郎の得意技である《魚人波掌》を撃ち出す構えだ。

 

『━━━━━バチィン!!!!!』

『!!!!!』

 

その音は、哲郎の掌底が鳳巌の腹に直撃した音だった。

壁や天井は震え、音は衝撃波と化して珂豚の鼓膜や脳を震わせた。

哲郎の脳内には身体の中の水分と魔力にもろに衝撃が走った結果、体中から血を吹き出す鳳巌の姿が浮かんでいた。

 

しかし、哲郎の目がその思い描いた未来を認める事は無かった。

 

「ぬぅん!!!!」

「!!!」

 

目に闘志を蘇らせた鳳巌は反撃に転じた。哲郎の首を狙って鎌のような横薙ぎの蹴りを繰り出す。

哲郎は寸での所でそれを身を引いて躱し、その勢いのままに跳び上がり、後ろの壁の天井近くに着()して距離を取った。

 

「…………………」

「…………………」

「~~~~~~~~~~!!!!!」

 

哲郎が啖呵を切りながら鳳巌を投げてから壁に足をつけるまでの時間はほんの数秒程度しかなかった。

しかし、その濃密な時間の中で立て続けに様々な事が起こった。珂豚の脳は問答無用で流れ込んでくる膨大な情報を処理していた。

最早彼の頭の中からはついさっきまで命の危険にあった事など消えかけていた。

 

(━━━━━い、い、今何が起こった………………!!!!?

鳳巌のお頭を投げ飛ばして一撃入れおった!!! このガキ、一体………………)

 

珂豚が場違いな思考に頭を埋め尽くされている最中にも、哲郎と鳳巌の視線は交わっていた。

そして哲郎が徐に壁から足を離し床に着地した瞬間、その沈黙は破られた。

床に落ちた薙刀を拾い上げながら、鳳巌は口を開いた。

 

「………(かつ)て、外海の果てに伝わる奇怪な武術の話を聞いた事がある。

その武術は、身体に巡る魔力(妖力)を震わせる事を旨としていると聞いた。

そう、たった今貴様が使ったような技をな。」

「!!!」

「だが、其の技では我は殺せん。

我は妖術使いではない。攻撃を通す妖力は微々たるものだ。

貴様の細腕如きが我の息の根を止める凶器になる事は万に一つも有り得んと思え。」

「………」

 

哲郎は頭の中で鳳巌の言葉の意味を理解していた。

哲郎が戦闘の場で重きを置く魚人波掌は相手の強さ(魔力)に依存している。最後にそれを使った寅虎との試合でもそれは実感していた。

もし仮に寅虎の身体に魔力が満ちていたならば、瀑渦が与えた衝撃による身体への影響は何倍にも膨れ上がっていた。

哲郎の目算では少なくとも受けた腕の麻痺、延いては腕を使えなくなる程度の負傷という結果は得られていた。

 

「………そして、この一件で貴様に聞きたい事が山の様に増えた。

黎井共を捕らえ、我の城に忍び込み、そして我の命令を容易く破る其の胆力。並のものではない。」

「………嫌味を言っているようにしか聞こえませんね。

それに、あの黎井という人達は彩奈さん(僕の姉)を連れて行こうとしたんです。助けようとして当然でしょう?」

「……そうか。では奴等はその娘を我の機嫌取りに選んだのか。では寧ろ運が良かった(・・・・・・)のか。」

「………どういう意味ですか?」

「……我に足る女は古今東西を探したとしても唯の一人しか居らん。

仮に女一人を捧げたならば、奴等の首は身体と生き別れていただろうな。」

「………その女というのはもしかして、鶯蘭(おうらん)とかいう

!!!!」

 

命を軽視する事ばかりを口走る鳳巌への怒りを抑え込んで問いを投げ掛けようとした瞬間、哲郎の喉元に薙刀の刃が突き付けられた。

 

「………貴様の其の矮小な口如きで、その名を口にするな……………………!!!!!」

「……………………!!!

(今までの中で一番に動揺している。鶯蘭という人は一体…………………)」

 

喉笛に凶器を突き付けられても尚、哲郎の心は揺れ動く事は無かった。

彼の頭にあったのは鳳巌の謎を解く鍵になり得る鶯蘭という人物の事だけだった。



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#291 The Mysterious Berserker 2 [Impossible Cross-cultural Understanding]

鶯蘭

哲郎の口から出たその名前が鳳巌という虎の尾を踏み抜いた事は火を見るよりも明らかだった。

これ以上の深追いは危険だと判断するが、哲郎は強く確信していた。その鶯蘭という(十中八九)女性が帝国を救う鍵になり得る人物であるという事を。

 

しかし、そのあまりに危険な深追いを行う人物がこの部屋の中に居た。

 

「……お、おうらん?? 誰ですか? そいつぁ

!!!!?」

 

珂豚がその質問を言い切る直前、彼は自分の上半身に凍り付くような何かを感じ取った。

視線を下ろしてようやく、その感触の正体を理解した。

 

それは、鳳巌の薙刀の石突(柄の先端部分)だった。鳳巌の目にも止まらぬ突きが珂豚の心臓目掛けて襲い掛かっていた。

しかし、その突きが珂豚の心臓を打ち抜く事は無かった。哲郎が薙刀の柄を握り、寸での所で鳳巌の意思の実現を阻止した。

 

「~~~~~~~~~~~!!!!!」

「…………………」

「……随分と速く動くのだな。確実に屠る為に態々軽い方を使ったというのに。」

「……残念ですが、僕にその手の自慢は意味がないと思って下さい。」

 

哲郎は鳳巌の突きを横から阻止した。その上での哲郎の鳳巌の今の攻撃の評価は『とてつもなく速い』というものだった。

哲郎の目は、鳳巌が自分に突き付けていた薙刀を引いて回して持ち直し、再度珂豚に向けて突きを繰り出すという一連の攻撃の流れの全てを正確に捕らえていた。鳳巌がその動作を完了させるのに掛かった時間は僅か一秒未満だ。

しかし、哲郎は瞬時にその素早さに《適応》し、薙刀の柄を握るという防御策を瞬時に実行した。

それでも鳳巌の動きが速かった事は疑う余地も無い。防御が間一髪で間に合った事がその証拠だ。

 

「……其の技量は称賛するとしても、甚だ解せんな。

貴様のような小僧が何故其処迄して珂豚を庇う。よもや貴様が賭場の客という事もあるまい。」

「言ったはずですよ。僕は僕の周りで人を殺すのを許さないって。」

「…其れは貴様の欲か?」

「あなたにわがままを言ったところで、誰にも怒られないと思いますけどね。」

「……………………」

 

哲郎は鳳巌を前にしても一歩も引き下がる様子はなかった。

彼が唯一理解できたのはこの男の思考回路は自分とは根本から異なるというものだった。

 

(…………昔学校で、『自分と違う考え方の人とも仲良くするべきだ』って教えてもらった事があるけど、今だけは『嫌だ』って言わなきゃいけない(・・・・・・・・・)

平気で人を殺すような人ならなおさらだ!!!!)

 

哲郎はこの思考を浮かべた時、彼の脳内には二つの光景が浮かんでた。

一つは学校での光景、そしてもう一つは数時間前に読んだ悲惨な事件を書いた新聞記事の切り抜きだ。寅虎がそうであるように、鳳巌の犠牲になった人達が山の様にいるのは確実だ。

彼の思考を肯定する事はもちろんの事、この状況で怖気づく事すらその人達への侮辱になると、哲郎はそう確信していた。

 

哲郎がそのような事を思考している間に数秒程が経過していた。

その緊張状態は鳳巌の言葉によって終了した。

 

「………………何か言いたげな顔をしているな。」

「…………それはあなたの方でしょう?」

「………そうか。なら聞いておこう。二度目の問いだ。

……………………貴様、一体何者だ。」

「!!!」

 

その質問を聞いた瞬間、哲郎の頭に浮かんだのは《転生者》の事だ。

もちろんの事、鳳巌がその事を知らない事は分かっていたが、彼の質問の真意が分からない事もまた事実だ。

 

「……それはどういう意味ですか。」

「其の儘の意味だ。

我等に正面から挑み、我の命令を当然のように無碍にするその心の強さ。

五十羅貫(帝国に伝わる重さの単位。約150キロ)程もある我を投げ飛ばし、そしてその身に刻まれた外海の奇怪な技術体系。普通の餓鬼と考える事の方がおかしい。

……否、最早此の国の産まれ(・・・・・・・)かどうかすらも怪しいな。」

「!!!!」

 

その鳳巌の言葉で、哲郎の全身の汗腺は遂にその容量を超えた。

『鎖国国家である帝国において、何者にもその正体を知られてはならない』という最優先の機密事項がこんな形で覆ろうとするとは、哲郎にとっても想定外だった。

 

「……其の顔は図星と捉えて差し支えは無いか。」

「……………………!!!」

「ならば聞きたい事は山の様に増える。

特殊な海流に囲まれているこの国に如何にして侵入した。何の理由でこの国に侵入した。

唯の餓鬼が此の国に入国する方法も理由も、持ち合わせている筈がない。

…………否、唯の餓鬼と考える事すら愚行になり得るか。」

「……………………!!!!」

「……随分と速く舌の根が乾いたな。先程までの不遜極まる物言いはどうした。

 

………………答える気はないのか。

ならば今一度聞くとしよう。貴様一体何者だ(・・・・・・・)。」



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#292 The Mysterious Berserker 3 [The Emptiness Emperor]

『貴様一体何者だ』

鳳巌のその問いは哲郎にとってこれ以上ない程に聞かれたくない質問だった。

しかし、その質問を投げ掛けられている原因が自分にある事も分かっていた。その上でも哲郎は自分の行動を後悔するつもりは無かった。

 

(……………!!!

やっぱり怪しまれたか。だけど、後悔はしたくない(・・・・・)!!

むざむざと殺されそうになってるあの人を見殺しにして喜ぶような人間には、絶対になりたくない!!!)

 

哲郎は頭の中であらゆる回答、そしてそれに対する鳳巌の返しを想起していたが、この状況に対する有効な回答が口から出てくる事は無かった。

鳳巌に自分が唯の帝国民である事はほぼ完全に読まれている。唯一分かる事は下手な事が言えないという事だけだ。

 

「…………答える気が無いのか。

それとも、答えられん状況に立たされておるのか。」

「!!!」

「図星が当たったか。ならば、我もそれ相応の対応を取る。」

「?!!」

 

その時、鳳巌は意外な行動に出た。

この部屋の唯一の扉を背にして座り込んだ。哲郎は一拍後にその行動の意味を理解した。

 

「貴様が答える迄、我は此処を動かん(貴様を出さん)

そして、珂豚を屠る事を止める気もない。」

「!!!」

 

鳳巌の言葉に珂豚は顔を青くさせたが、哲郎はその言葉に隠された真の意味を見抜いた。

 

「…………僕が答えれば、あの人を見逃してくれるんですか?」

「…………貴様の話に聞き入っている間に誰が何をしようとも、我が気付く事は無い。」

「!!!」

 

その言葉の意味を理解した珂豚の表情は少しばかり明るくなったが、哲郎はその言葉の真意に顔を青くさせた。自分の退路が完全に断ち切られた事に気付いたからだ。

 

「言っておくが、此処からどのような行動を取るかは貴様の自由だ。

我の問いに答えるもよし。此処を正面から出ていこうとするもよし。其の通気口から尾を巻いて逃げるもよし。

尤も、貴様が出て行った後に我がどのような行動を取るかは分からんがな。」

「!!!!」

 

哲郎が心中で察していた鳳巌の真意が直接的な言葉となって襲い掛かった。

哲郎にとっての安全策はすぐにでもこの場から撤退する事だが、それは即ち珂豚を鳳巌の凶刃に晒す事を意味する。そして哲郎にとってその選択は論外的だった。珂豚を見捨てる事は即ちこの凶悪な男と同じ穴の狢になる事を意味しているからだ。

しかし、鳳巌も哲哉(哲郎)がこの状況下で部屋から出ようとしない事は分かっていた。態々危険を冒してまで自分の邪魔をした、その一つの材料だけで容易に推測できる。

 

「……………………………………ッ

……………分かりました。秘密にしてる事を話します。ただ、それは二人きりでにさせて下さい。」

「構わない。」

「!!!」

 

その言葉を聞いた瞬間、珂豚は何者かに背中を押されるかのように部屋から逃げ出した。鳳巌はそれを気に留めようともしなかった。つい先程彼に凶刃を振るっていたのが嘘のようだと、哲郎はそのような印象を抱いた。

そして小部屋の中は異常な状況へと変化する。部屋の中央に少年と大男が向かい合って座っている。哲郎は座高からも鳳巌の迫力を再認識していた。

 

「……………此処迄譲歩してやったのだ。今更違える事はあるまいな。」

「そんな事しませんよ。あなたにこれ以上悪い印象を持たれたくありませんからね。」

「そうか。ならば話せ。貴様は一体何処の誰だ。」

「………………結論から言いますと、僕はこの国の人間でも轟鬼族でもありません。」

「!」

 

*

 

哲郎は自分が《転生者》である事、この国に来た理由、この国を狙っている存在が居る事を順を追って話した。哲郎は敢えてその説明に嘘は含めなかった。それは後で辻褄を合わせる必要をなくすためだ。

 

「………………外海には魔法(妖術)とはかけ離れた能力を持つ存在がおり、貴様もその一人で、帝国を狙う魔の手から救う為に此処に来た。

貴様の話はこういう事だな。」

「そういうとらえ方で大丈夫だと思います。」

「……………………して、其の荒唐無稽な戯言を我に信じろと言うのか。」

「別に無理に信じて欲しいとは思ってません。ただ、一つだけ聞いておきたい事があります。

………………この国を滅ぼそうと考えている《転生者》とあなたは繋がっているんじゃありませんか?」

 

哲郎にとってこの質問は賭けも同然の行動だった。

敵の《転生者》狙いはほぼ間違いなく帝国の皇帝の首だ。そしてその首を狙う過程として犯罪組織も同然である鳳巌と関わりを持つ事は有効であると、哲郎は考えていた。

 

「何を抜かしているのか皆目分からん。」

「!」

「そも、貴様の今の言葉には間違いがある。

国が滅ぶ事など有り得ん。唯、国の名や土地を統べる者が変わるのみだ。寧ろ、首が挿げ変わる事によって此の腐り切った体制(・・・・・・・)が変わる可能性があるならば、其れに賭ける事もまた良しとすべきだ。」

(腐り切った体制!!? 何を根拠に!?

まさか、鶯蘭とかいう人と関係してるのか!?)

 

ここまでの数分足らずの会話だけで哲郎は鳳巌には会話をしようとする意思がまだある事、そしてこの会話から得る情報が如何に重要かを理解していた。



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#293 The Mysterious Berserker 4 [The Difference of Recognition of the Life]

鳳巌と敵の《転生者》が繋がっているという哲郎の予測は外れていた。しかし、《転生者》の目論見を聞いても尚、鳳巌は無頓着な姿勢を崩さなかった。帝国を統べる者が変わろうと、帝国が誰のものになろうとも、鳳巌にとっては些事なのだ。

哲郎にはどうしても納得いかない事だった。

 

「……本気で言ってるんですか?」

「何?」

見させてもらいました(・・・・・・・・・・)が、この国の周りには複雑な海流があって、簡単には入れないようになっています。」

「何が言いたい。」

「分かりませんか。いうなればこの国は《天然の要塞》と言っていいくらい外からの侵入が難しいんです。何かをするにあたってこれ以上適した場所は無いと思いませんか?」

 

哲郎は《転生者》がこの鬼ヶ帝国を襲撃する理由を明確に示したつもりだった。しかしそれでも鳳巌の心動かすには足らなかった。

 

「……貴様の話には最も重要な部分が欠如している。

仮にそのような輩が存在するとして、其奴はこの地で何をしようとしておるのだ。」

「………………それはまだ。その正体が分からないと知りようがありません。」

「紙より薄い根拠だな。

して、貴様は自らを能力を持つものだと嘯いたが、貴様の側に居たあの見慣れん小娘もそうなのか。」

「!!!!

……………………答えられません。そもそも、あなたの質問は僕に関する事だけだったはずです。それ以上の事を答える理由は僕にはありません。」

「話にならん。聞くだけ時間の無駄だったようだ。」

「その時間を取るように言ったのはあなたじゃないんですか?」

「……………………………………」

 

哲郎の話を鳳巌は真っ向から信じようとはしなかった。或いは自分の話が本当であろうとも噓であろうとも問題はない。故に半信半疑というような印象を受けた。

そしてこの瞬間、哲郎の鳳巌に対する印象がはっきりとした像を結んだ。ここまで後手に回っていた哲郎だが、遂に反撃に打って出る。

 

「……あなたの質問には全て答えました。次は僕が質問する番です。」

「質問 だと?」

「そうです。僕は今まで、あなたの行動に違和感しか覚えませんでした。だけど今の話でそれが何なのかはっきりと分かりました。」

「何を抜かしておる。言いたい事ははっきりと言え。」

「分かりました。では言います。

あなたはもしかして、自分がいつ終わっても良いと考えているんじゃありませんか?」

 

哲郎は鳳巌の心に大きな爆弾を落とした。そのような表現が相応しい程にこの発言の意味するところは大きかった。実際に鳳巌の眉は目に見えて動いた。今の発現が的外れならばこれほどの反応は期待出来ない。自分の予測は当たっていたと、強く確信した。

 

(この人はどんな時も僕を殺そうとはしなかった。僕を生かしておいても得をする事は何一つ無い筈なのにだ。

まるで、僕をきっかけにここがバレても構わないと言っているみたいだ。だからこの人はきっと、自分も仲間もどうなっても良いと考えてる!!!)

「……どうなんですか。僕の言ってる事、的外れだと言い切れますか?」

「………………否。当たりだ。」

「!!!」

 

鳳巌はあっさりと哲郎の予測を肯定した。

しかし、哲郎はその言葉に拍子抜けするどころか逆に身体を震わせて身構えた。最早哲郎にとって鳳巌の一挙手一投足は彼の身体に緊張を走らせる。

 

「………だとすると、あなたのさっきの『餌になってもらう』という言葉の意味も変わってくる。あれはてっきり、鬼門組をここにおびき出して叩き潰そうとしているんだと考えていました。だけどそうは言わなかった。

そしてようやく、その理由が分かりました。あなたは鬼門組に潰される事を望んでるんじゃありませんか!?」

 

哲郎がその結論に至った理由は、この根城で得た情報を総合した結果だ。

かつての鳳巌はしがない漁村の出身だったが、鶯蘭に関する不幸があった。それをきっかけとして彼は悪の道に進んだ。ここまでが彼の日記と現状を照らし合わせて構築した推測だ。

しかし一方で鶯蘭のいない前途に悲観し、華々しく終わる事を望むようになった。これが哲郎が今生きていられる理由だ。

 

「…………自惚れも大概にしろ小僧。貴様、自らを妖術使いか何かと履き違えておるのか。

我の心中を貴様が如何にして推察するというのだ。」

「!!!

………………分かりました。この質問(・・・・)はもう十分です。ただ、もう一つだけ答えて下さい。

あなたは一体、人間の命をどのようなものだと考えているんですか。」

 

この質問を投げ掛ける際、哲郎は心の中の感情を極限まで抑え込むように努めた。そうでもしなければ語尾が荒くなるか、鳳巌へ飛び掛かろうとしてしまいそうだったからだ。

しかし、鳳巌の返答はあまりに空虚なものだった。

 

「脆きもの。

唯の鉄板の一太刀(・・・・・・)で断ち切れるような、脆く儚いものだ。」



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#294 The Mysterious Berserker 5 [Liberation and Expulsion]

人間の命をあろうことか脆いものであると断定した。鳳巌のその言葉を聞いた瞬間、哲郎の心は一瞬ではあるが、確かに沸騰した。

しかし、その激昂に身を任せて行動を起こすという愚は犯さなかった。鳳巌の言葉が全くの的外れではないと思える心当たりがあるからだ。

 

「…………なんだ其の顔は。何か思い出したか。」

「!!!」

 

哲郎にはもういない(・・・・・)友人が二人いた。

一人はある日突然、交通事故によって命を落とした。もう一人は病気に身体を蝕まれ、遂にはその息の根を断ち切られた。故に哲郎は人間の命の尊さを心の底から理解した。しかしその一方で、人間は何かの拍子で突然破壊されるものであると心のどこかで認識していた。

その観点から言えば、目の前の鳳巌は自分とは逆に人間の《尊さ》よりも《脆さ》を、自分より遥かに強烈に思い知ってしまったがために生まれた成れの果てであると言う事もできる。

 

故に哲郎は鳳巌に激昂しつつも冷静さを保つ事が出来た。そして同時に恐怖もした。

悲しみに圧し潰されない強い心が無かったら自分もこの心の底から嫌悪する悪漢と同じ段階まで落ちていた未来があったかもしれないと思うとその他全ての感情を食い潰して恐怖が全身を埋め尽くしてしまうような感覚に襲われた。

しかし、その懸念が現実になる事は無かった。奇しくも鳳巌の言葉がそれを阻止した。

 

「………貴様が此処迄我に逆らう以上、此れ以上貴様をここに置いておく訳にはいかんな。」

「!?」

「そうであろう。大人しくしていろと言うても当然の如くに脱しこうして我の前に顔を晒す。

其の様な危険な小僧である貴様を此れ以上我の手の近くに置いておくわけにはいかん。この時より、貴様を外に出す。」

「!!

…………解放してくれるって事ですか?」

「此れは叩き出すというのだ。」

 

鳳巌は今、哲郎をこの根城から遠ざけると言った。この言葉からも有力な情報を得た。それはこの根城にはやはり鳳巌の核心に関わる情報があるという事だ。しかし、哲郎は敢えて従順に行動する事を選択した。

 

「………………分かりました。ここから出されましょう(・・・・・・・)

ただ、僕をどこに解放するかくらいは教えてくれませんか。」

「黙れ。どの口で命令をしている。貴様が何処にいるかなど目覚めて(・・・・)から確かめろ。」

「………………」

 

 

***

 

 

数分後、哲郎は両手両足を麻縄で縛られていた。鳳巌が直接、部屋に置いてあった縄で哲郎を縛り上げたのだ。

 

「………どうやら今度は嘘ではなかったようだな。後は貴様を眠らせれば終いだ。」

「………………」

 

鳳巌が哲郎の心中を推察出来た根拠は紛れもなく哲郎を拘束出来た(・・・・・)が故だ。哲郎にほんの少しでも抵抗する意思があれば拘束しようと近付いたその瞬間に攻撃を受けている。

その懸念が現実とならなかったが故に鳳巌は己の仮説を確信に変える事が出来たのだ。

 

「………此れで最後だ。本当に我に従う意思があるならば、此れを飲め。」

「!」

 

鳳巌は懐から盛られた白い粉を取り出し、それを哲郎の前に置いた。

 

「それは眠り薬だ。万一に備え、山の薬草を煎じて拵えたものだ。其れを全て飲めば貴様の意識は闇に落ち、安全にここから叩き出される事が出来る。」

「………………これが毒である可能性は?」

「我が貴様を縛った(・・・)事が其の証明。先の一瞬で締める事も捻り潰す事もせんかった。其れ以上の信用材料は有りはせん。」

「………………分かりました。

ただ、万が一僕が目覚めなかったら、その時は覚悟してもらいますからね。」

「………………」

 

この言葉は全くの虚言だった。仮にこの薬が毒であったとしても、哲郎の命を断ち切る事は万に一つもないだろうという確信があった。

 

 

***

 

 

(…………………どうやら毒ではなかったようだな(もしかしたらその上で《適応》したかもだけど)。

どのくらい眠ってたかは分からないな。あんな薬、《適応》にそう時間はかからなかっただろうけど。)

 

哲郎の意識は薬による昏倒から覚醒した。その上で現状把握に全神経を注ぐ。

 

(…………暗い。というよりは何かに目を塞がれてるって感じだな。

空気はジメジメしてる。外ではないな。匂いもあの時(・・・)と全く同じだな。ここはまだ地下か。

それにこの定期的な揺れ、これは、台車か…………)

 

哲郎は闇の中でも尚、あらゆる情報を総動員させて自分の現状を完全に把握した。そしてこの台車は自分を安全圏へと送り届けると同時に貴重な情報源を奪うものなのだ。

 

*

 

一時間か数時間か経った頃、哲郎は草が敷き詰められた地面の上に転がされた。

安全を考慮して数十分経った頃に哲郎は自分が何処にいるかを確認した。

 

しかしそのころ、この帝国の命運を左右するもう一つの戦いが幕を開けようとしていたのだ。



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#295 The Poisonous Hospital

帝国大病院《(どくだみ)

それが、彩奈達が今居る場所の名前だった。

 

帝国の首都《豪羅京(ごうらきょう)》の都内にある、蕺喬が運営する帝国最大規模の病院である。帝国に存在する最新の手術技術、回復妖術(魔法)、そして薬草を利用した高度な薬剤を全て利用し、高い成功率を叩き出す高い実績を持つ。

 

この病院を訪れる患者の大半は身体を病んだ帝国内の富裕層であるが、例外が存在する。それが鬼門組最高機関《陸華仙》に収監され、受けた取り調べ(拷問)の治療を受けさせられる(・・・・・・・)犯罪者である。蕺喬は陸華仙で生まれる負傷者の治療を引き受けるという契約を結んでいる。

死刑を廃止し、犯罪者の死であっても良しとしない帝国の秩序が生み出した警察組織と医療組織の関係である。

 

そして今、その大病院に患者でもない、かと言って負傷した犯罪者でもない更なる例外が病院の大広間に待機している。

本来鳳巌の被害を受け、陸華仙に庇護されるべき存在、朝倉彩奈だ。

 

 

 

***

 

 

 

場所は病院《蕺》の鴻琴が入院している病室の前、彩奈は扉を隔てた椅子の上に腰を下ろしていた。そして彼女の隣にはもう一人女性が座っているが、それは虎徹ではない。彩奈の隣に座っているのは陸華仙の隊長の一人、苺禍である。

 

「……………………」

「一抹でも不安の感情があるならば今からでも引き返して我々の手厚い保護を受けるべきだ。もう一度言っておくが今から襲ってくる奴は君が本来存在すら知る必要もない人間なんだからな。」

 

両手で膝を抑えて小刻みに震える杏珠(彩奈)の隣で半ば呆れながらそう呟いた人物こそが苺禍である。本来の彼女の配置はこの鴻琴の病室の前の扉であるため、予定に変化はない。変化は後からこの場所に配置される事が決まった彩奈の方だ。

両者共に理解し始めている事だが、鴻琴の事と言い鳳巌の事と言いそして今回の事と言い、彩奈と苺禍の間には奇妙な関係性が芽生え始めていた。

 

(~~~~~ お、重い!! 空気が重苦しい……………………!!!

な、何か話さないと!! あの時みたいに人を怒らせないような、そんな当たり障りのない事でもいいから……………………!!!)

「あ、あの!!」

「? 出し抜けにどうした。やはり引き返そうという気になったか。」

「あ、い、いえ!! そ、そういう事ではなくて………………!!!」

 

苺禍の邪推によって彩奈の勇気ある発言はその出鼻を挫かれた。それでなくとも自分の言いたい事を一発で言い出せない事は早急に解決しなければならない事だと心の中での猛省を済ませ、彩奈は言葉を重ねる。

 

「だとしたらなんだというのだ。分かっているだろうが此処は警察(鬼門組)ではなく《病院》なのだ。私語は禁止されていなくとも過度な大声は避けた方が無難だぞ。」

「わ、分かりました。

それで、聞きたいんですけど、苺禍さんはあの、お医者さんの人をどう思ってますか?」

「蕺喬様の事か。何故今更そんな事を聞く。」

「!!」

 

彩奈がその質問をした理由は病院の看板に彼女の名前と同じ《蕺》の文字が書いてあったからだ。

彩奈はその文字の読み方も意味も知らないが、態々自分の名前を仕事場の名前に流用する事からもその厚顔さが伺える。それでいて鬼門組と深い信頼関係を持つ(であろう)蕺喬を当事者の一人である苺禍はどう思っているのだろうかと、そのような純粋な疑問を持った。

その旨を十数秒かけてたどたどしくも話すと、苺禍の返答の言葉が彩奈の耳に届く。

 

「………………そうだな。

生憎私は、蕺喬様の事を正確に知っている訳ではない。だが少なくとも、私が凰蓮総監の御側で働くようになった頃には既に我々と太い関係で結ばれていた事は確かだ。そして、確かな腕がある事もな。」

「………………!!!」

「それに、あの人は自らの素性、経歴を全てひた隠しにしている。」

「? それは、虎徹さんから聞きましたけど、それが一体……?」

「分からないのか。この国において、医療の世界でのし上がっていくには本来は上の者との関係や信用が不可欠だ。そしてそれを可能にするのは産まれやその道程の質だ。

だのにあの蕺喬様はそのようなものを一切使っていない。即ち、己の実力のみでこの帝国の医療の頂点に立った。蕺喬様とはそういう人間だ。」

 

彩奈はそれ以上の疑問は口にしなかった。恐らく鴻琴がそうであるように、今までにも数々の重病、そして重傷者の命を救ってきたのであろう。

苺禍の真剣な表情がそれを物語っていた。そして彼女もまた鬼門組の一員としてそれを目撃した生き証人なのだ。

 

「………暗殺者の人、来ると思いますか?」

「ああ。翡翠だとは限らないが、必ず誰かは来る。珂豚は身の破滅を何よりも恐れ、その手の人間にまず間違いなく縋りつく。

そこまで言えば分かるだろう。珂豚は必ず鴻琴の口を封じに来る。それを未然に防ぐ事の意味も、君ならわかるだろう。」

「は、はい…………………!!!」

 

《暗殺者》も《口封じ》も《警察》も全て、生前(日本に居た頃)の彩奈には縁遠い要素だった。それらが身近に迫っているという事実を彩奈はひたすらに噛み締めていた。



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#296 The Poisonous Hospital 2 [No Face Assassin]

大病院《蕺》にて、彩奈は依然として苺禍の隣に座っている。そしてその緊張した状況の中でもその時間は刻一刻と迫っている事も心の中では理解している。窓の外では空が赤く色付き始めていた。

 

「……………綺麗に思うか?」

「えっ!!?」

「この時期は空気も澄んで雲も少ないから夕焼けも鮮明に見える。故郷では空なんか見ている余裕は無かったんだろうな。」

 

そこまで言われて彩奈はようやく苺禍が夕焼けの話をしている事を理解し、そして今自分は田舎町から出てきた娘《杏珠》を演じている事を再確認した。

 

「あ、はい!

ただ、この病院じゃ他に見るものも無いから見ていただけで━━━━」

「この状況を暇だと考えているなら、とても君にこの手の仕事が向いているとは言えないな。」

「!」

「………だが、この状況なら窓の外に気を向けておくのは賢明な事だ。

それこそ、今この時に不届きな輩が乗り込んで来るかも分らんからな。」

「え!? いやまさか!

殺し屋とかそういう人が来るのは夜になってからじゃないんですか?」

 

彩奈にとって『殺し屋』などという情報は決まって創作物を介して入ってくる。その中では殺し屋は決まって夜、皆が寝静まった時に暗躍するものだと決まっていた。

しかし、苺禍の発言はその先入観を否定するものだった。

 

「そんな決まりは存在しない。夜だけに狙いを定められるならこの国の犯罪はもっと検挙出来ている。それにだ、」

「それに?

! ま、まさか居たんですか!? 昼に活動していた犯罪者が!!」

「ああそうだ。少し長くなるがそれでも良いなら話そう。私が初めて担当した連続殺人事件の話だ。」

 

 

 

***

 

 

時は今から二年程前に遡る。

首都 豪羅京にて、経済運営に関して高い地位を持つ人間達が立て続けに五人殺害された。この事件の奇妙な点は被害者の死亡推定時刻が全て正午から昼方にかけてなのである。

 

この奇妙な事件の第二の被害者《彪僮(ひょうどう)》の警備を担当していた《嘉喃(かのう)》という元警備職の人間は事件に関する新聞社からの取材にこう答えている。

 

 

「………………ええ。確かに見てました。一部始終を、一瞬も目を離さずに。

あの時、旦那様は料亭で取引先の方と一緒に会食をしておられたんです。はい、魚料理で有名なあの料亭です。

事は旦那様が厠に用を足しに行った時に起こりました。数十分経っても戻ってこない事を不審に思った私は、様子を見に行きました。するとです、厠の入り口の側で旦那様が首から血を流してこと切れていたんです!!

 

私ですか? もちろん潔白が認められましたよ。何せ私は旦那様が厠に立った時はずっと料亭の中に居たんですよ!? どうしてついて行かなかったのかですって? それは旦那様の指示ですよ。『厠にまで干渉されるなんて冗談じゃない』って仰っていました。それに料亭から誰かが出ないかを見張る方が合理的だと判断しましたからね、疑いはしませんでした。

 

でね、鬼門組の人達が妙な事を言うんですよ。その料亭には、旦那様が入る前も入った後も、不審な人間が出入りした形跡は全く無いと言うんですよ。」

 

 

***

 

 

「………以上が事件関係者からとれた証言だ。」

「…………つまり、犯人は姿を消してしまったという訳なんですか?」

「その通りだ。因みにだがその時料亭に居た人間には全員潔白が認められた。そのとき一人だった人間は一人も居なかったんだ。」

「そ、そうなんですね。(この国に『アリバイ』って言葉は無いんだ………………。)

それで、どうなったんですか? 解決はしたんでしょう?」

「無論だ。何の事は無い。犯人は変装術を利用して暗殺を成功させていたんだ。

犯人は《般儺(はんな)》という暗殺者だった。奴は幼少の頃の事故で顔を手酷く負傷し、それを逆に利用して頑なに素顔を隠し、変装術を使って誰にも怪しまれずに白昼堂々と暗殺を実行して見せたんだ。」

 

彩奈は次第に事件への興味を持ち始めていた。それは単なる好奇心からではなく、この話を聞く事がこれから起こるであろう修羅場を乗り越える鍵になり得ると考えたからだ。

 

「……その事故というのは………………」

「所謂火災だ。その事故で奴の両親は死に、奴の顔は焼け爛れた。少なくとも私は、それが奴が殺しの道に進むきっかけになったのだと考えている。

 

まぁ話は少し脱線したが結局何が言いたいかと言うと、白昼に活動するような輩も居るから油断はならないという事だ。奴等の心理を読むならば、星や月が昼の光で隠れるのと同じように、凶行を昼の明かりが隠す事もある。だからこそ私達は昼だろうと夜だろうと油断してはならないのだ。

何の罪もない人間が昼も夜も命を脅かされる恐怖に震える世界など、悪夢以外の何物でもないだろう。」

「………………………!」

 

苺禍のその言葉に、彩奈は違和感を覚えた。彼女の横顔に別の感情を見出した。

 

「………………もしかしてそれって、般儺という人だけの話じゃありませんか?」

「………………どういう意味だ。言っておくが鳳巌の事を言っているならばそれは全くの的外れだ。

奴に殺しの道に進むきっかけなどある筈がない!! そんなものがあってたまるか!!

奴は根っからの外道だ。否、そうでなければならない!! そうでなければな…………………!!!」

 

本当は『昼も夜も』の部分に掛けた話を振ったつもりの彩奈だったが、その指摘の言葉を飲み込んだ。それが出来なくなる程に苺禍の表情は鬼気迫っていた。



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#297 The Poisonous Hospital 3 [NOT SMALL SIN. TOO BIG PUNISHMENT.]

彩奈は苺禍の鬼気迫る横顔を見つめていた。そしてその表情の意味する所は彩奈が予測するまでもなく苺禍の口から発せられた。

 

「鳳巌の奴は根っからの腐り切った外道だ!!! そうでなければならない!!!

そうでなければ奴に殺された罪無き人達の魂が浮かばれないッ………………………!!!!」

「……………………!」

 

苺禍の表情は最早それ(・・)を断定する事を通り越してそれが真実であると自分に言い聞かせているように彩奈には感じられた。彼女の顔には汗が浮かび始めていた。

 

「今迄奴に殺された人々は百や千にも届き得る!!! そしてそれによって多くの人々の人生は崩壊した!!!

それに見合うだけの境遇や切っ掛けがあると思うか!!? 断じて否だ!!!!

そんな事があってはならない!!! ならないんだ!!!」

「騒々しいぞ苺禍。此処は病院であるぞ?」

『!!!』

 

半ば理性を失いかけて言葉を連ねていた苺禍と彩奈に蕺喬が声を掛けた。

 

「し、蕺喬!! 何故此処に!? 業務は山積みの筈でしょう!?」

「戯けが。妾が己の業務を後に回すと思っているのか。全て終わった後じゃ。

して、随分と的外れ(・・・)な事が聞こえておったがのぉ。」

「!!!!」「!?」

 

蕺喬のその言葉で苺禍の表情は目に見えて青ざめた。彩奈はその言葉の意味も分からず、唯呆然としているだけだった。

 

「い、苺禍さんの言葉が的外れって、どういう意味ですか!?」

「何じゃ知らんのか。此奴等は若き日の鳳巌の事を良く知っておる。何故なら奴は凰蓮の━━━━━━━━

!」

 

蕺喬が言葉を重ねようとした瞬間、苺禍が立ち上がって蕺喬の前に立った。

 

「えっ!!? ちょっと何してるんですか!?」

「その先を言う事はたとえ蕺喬様だとしても許す訳にはいきませんよ。軽はずみで無責任な言動は慎んで下さい。」

「……………もう二度と貴様等がいたぶった奴等を診てやらんと言うてもか?」

『!!』

 

苺禍はその言葉に顔を青くさせた。今の自分の行動が鬼門組の命運を大きく分けるのだ。

しかし蕺喬は苺禍の表情を見ると表情を緩めて笑い声をあげた。

 

「はっはっはっはっは。冗談じゃよ。帥がそう思い込みたくなるのも無理はない。

叔父を徒に殺された帥ならばな。」

「!!!」

 

蕺喬の言葉で、苺禍の表情は汗を浮かべた引き攣った顔に変わった。それは彩奈もまた然りだった。

 

「ど、どういう事ですか!!? 苺禍さんの叔父さんが殺されたって━━━━!!!」

「言葉の通りじゃ。此奴の叔父も鳳巌の犠牲者の一人じゃよ。奴が起こした《強盗殺人事件》のな。帥の口から話すとよい。事件の内容を話す事は慣れたものであろう?」

「………………………

はい………………。」

 

 

***

 

 

今から約二十年程前の事、帝国では違法賭博場を狙った連続強盗殺人事件が発生した。容疑者として浮かんだのは鳳巌であり、推測された動機は金目当てであった。

手口は非常に凄惨であり、見張りの者も警備の者もその手に持った薙刀で斬殺し、賭博場に押し入ると職員も客も纏めて殺害し、その場にあった金を纏めて奪って逃げるというものだった。

 

悲運にも苺禍の叔父もその賭博場に居合わせ、胴を切り離されて殺害された。

 

 

***

 

 

苺禍の口から語られる凄惨な内容を彩奈は息を飲んで聞き入っていた。度々意識しなければ、それが作り話ではないのかと錯覚しかける程に信じ難い内容だった。

 

「…………………私が話す事は此れで全てだ。」

「………………………!!!」

「まるで信じ難いというような顔じゃな。じゃが事実じゃ。金欲しさに奴は殺しを働いたのじゃ。尤も、殺されたのは金に汚い連中ばかりじゃがな。」

「!!!!」

「!! ちょ、ちょっと蕺喬さん!!」

 

蕺喬のせせら笑うような物言いに彩奈は不穏なものを感じ取った。場合によっては今度こそ苺禍の感情が溢れ出す可能性すら予測した。しかし、苺禍は拳を握り締めるばかりだった。

 

「………………確かに、私の叔父は法に背いてまで金を求めるような汚い男でした。輩に『自業自得だ』などという言葉を受けた事もあったが、それも否定はしない。

だが、命を奪われるまでの罪だとは微塵も思っていない!!! 何より叔父を殺した鳳巌が何の罰も受けずに生きている!!! 其れが何より我慢ならない!!!

だからこそ私は奴を捕らえると決意したんだ!!!」

「あ、あ、あの、待って下さい!!

そんな事私に言われてもどうとも言えませんよ!」

「!」

 

感情を吐き出し始めた苺禍を彩奈の言葉が押し留めた。直ぐに彼女は感情をぶつける相手を間違えた事を理解した。

 

「………………す、すまない。取り乱してしまった。

だが、奴を許さないのは本心だ。奴を捕らえて裁きを受けさせる。その為なら私はどんな努力も惜しまない。」

 

感情の波が凪いでも尚、苺禍の言葉には強い意思があった。それを傍目で見ていた蕺喬も口を挟む。

 

「……………その事件で賭博業界は殺される事を恐れた客が頻発し大きく衰退した。それを恨む声が妾の耳にも入って甚だ五月蠅かった事を覚えている。その借りを返すくらいならしてやっても構わんよ。」

「………………………」

 

彩奈、苺禍、蕺喬の三人は扉の前で話し込んでいる。そしてそうしている間にも決戦の時は刻一刻と迫っている。



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#298 Kingfisher In The Sunset 1 [Elusive]

時は日が傾き始めた正しくその頃、その人物(・・・・)は木の上から病院の窓を覗いていた。望遠鏡越しに見ていたが程無くしてそれも無駄な事だと悟る。その人物の目に見えたのは窓に掛けられた一枚の布だけだった。外部に視覚情報を漏らす事を未然に阻止しているのだ。

 

((どくだみ)の構造から見ても、鴻琴とかいう爺があの場所のどこかに入れられているのは間違いない。あの辺りで取り調べ(拷問)された人間が治療されているのは何度も見てきた。間違いなく鴻琴はあの辺りのどこかに居る。

必ずその寝首を掻いてやる。暗殺者《簸翠》の名にかけてな…………………)

 

木の上から大病院《蕺》を覗いていたのは珂豚から鴻琴の暗殺を依頼された暗殺者《簸翠》である。彼は今回の依頼を普段とは違うものであると考えていた。それは異様なまでの《早さ》である。

珂豚から依頼を受け、その日の内に実行に移すというこの状況は異常と言える。通常は最低でも数日は準備期間を設けるのが通例だ。それが通用しないが故に簸翠は下準備を必要としない方法を選択した。それが病院に潜入して寝首を掻くという方法だ。

 

(あの辺りの病室は決まって個室ばかりだから確実に一人だけを狙う事が出来る。鬼門組の連中は窓や入り口を見張ってれば問題は無いと考えてるだろうが、そりゃ甘い考えだ。お前らが知らない事がある。それを使えば簡単な事だ。)

 

蕺喬が経営する《蕺》は様々な分野の重要人物が入院する大病院であるため、その分警備も厳重となっている。数日を掛けて入念に計画を練るならばともかく、依頼を受けたその日の内に潜入、暗殺を実行できるとは考えていなかった。しかしそれでも簸翠には潜入できるという確信があった。

程無くしてその時は訪れた。

 

(━━━━よし、そろそろ頃合いだな。この中途半端な時点(・・・・・・・)を待っていたんだ。奴等の警戒が次に向いている(・・・・・・・)であろうこの時点をな。)

 

太陽の半分が山に被っている光景を見ながら簸翠は心の中でそう呟いた。現在は日が傾き、夜になる直前。その時点を簸翠は暗殺の成功率が最も高くなる時間帯であると判断した。

暗殺者が最も活動的になる夜の直前(・・)であるこの時点は警備に当たっているであろう鬼門組の警戒は『あと少し(・・・・)で襲撃してくるであろう』という状態にあり、それは即ち『()襲撃してくる事は無い』という心理状態を意味する。

中には真昼間を選んで行動する物好きも居るが、その時間は前例があるが故に選ぶ事は出来ない。

 

そこまでの思考を目的の場所(・・・・・)に移動しながら完了させ、簸翠の暗殺は遂に実行の段階に入った。

 

*

 

(………………差し当たってはここが一番良いか。ここから入って(・・・・・・・)、その後に探せば………………)

 

簸翠が移動したのは病院の屋上だった。その位置は先程彼が見ていた窓の真上に位置する場所だ。覗いていた時にこの場所に警備の人間が居ない事は確認済みである。しかし屋内に通じる扉をくぐる事はしなかった。屋内に入った所を狙っている警備が居る可能性があり、それ以前にもっと安全な入り口を簸翠は持っているからだ。

 

(………過去に何人も俺の正体を探っていた奴は何人も居た。だが、その誰もがこいつ(・・・)に辿り着く事は遂に叶わなかった。

天が俺に与えてくれたこの力(・・・)をな!!!)

 

簸翠は手に魔法陣(・・・)を浮かべ、それを屋上の床に張り付けた。次の瞬間には屋上の床ごと魔法陣が消え、床に大穴が開く。しかし屋上を破壊した訳ではない。

そうしてできた穴を簸翠は悠々と潜り、猫のようにしなやかな足さばきで音も立てずに着地した。

 

(ここは天井裏か。ふっふっふ。だが、鬼門組の連中は俺がこうして侵入した事にさえ気付いていない。俺の手に掛かれば侵入した痕跡さえ残らないんだからな。)

 

自分の周囲に人影が無い事を確認した簸翠は魔法陣を解除した。するとたった今簸翠が通った大穴が綺麗に消え、そこには元通りの天井があった。これこそが簸翠が暗殺を成功させた理由である。

簸翠は空間に干渉する妖術(魔法)使いなのだ。彼の魔法は壁や天井に一時的な通り穴を開通させる効果を持つ。

簸翠にとって幸運だったのは、鬼ヶ帝国には外国とは違って魔法の認知が浅く、魔法を使用した場所に残る《魔素》という物質の存在が認知されていない事である。無論、簸翠が請け負った暗殺事件はその殆どが不可解な密室殺人事件として帝国の記憶に深く刻まれている。それでも鬼門組の捜査が簸翠に辿り着く事は無かった。

 

即ち簸翠の正体とは魔法を悪用しどんな警備も潜り抜ける神出鬼没の暗殺者なのだ。

 

(さて、床から聞こえる音から見ても今は近くには誰も居ない。あと二、三回床をぶち抜けば鴻琴の首に辿り着くか………………。)

 

自分が鴻琴の寝首を搔くその光景を脳裏に描きながら簸翠は再び床に妖術を発動させる。今こうしている間にも帝国の未来を左右する暗殺事件は始まろうとしている。



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#299 Kingfisher In The Twilight 2 [The Invisible Blade]

帝国の裏社会に君臨する暗殺者《簸翠》の正体

それは壁や天井に穴を開ける妖術(魔法)を駆使し証拠も痕跡も残さずに堂々と暗殺を成功させる神出鬼没の男だ。

かつての帝国には諜報や用心棒を請け負う《忍》という職業が存在していたが、その中には暗殺に手を染める者も居た。簸翠を含めた帝国の誰もが知らない事だが、簸翠はその種の忍と酷似していた。

 

(…………さて、確か陸華仙から入れられた奴等が入院してるのは五階から三階だったな。

とはいえこの下には流石に警備の奴等も居るだろう。なら、こいつの出番だな…………)

 

心の中でそう言って簸翠は懐から小型の道具を取り出した。それは小さな胸章(バッジ)の形をしていた。それを胸に付けると、簸翠の姿は突如として消えた。正確には簸翠の身体に周囲の風景を投影したが故に発生した現象だ。

帝国では魔法具の事を『妖術を込めた道具』という意味を込めて《妖具(ようぐ)》という名前が付けられている。簸翠が胸に付けたのは周囲の景色を投影する事で自分の姿を疑似的に隠す、光学迷彩の妖具なのだ。そして簸翠にとっては暗殺を成功させるための下準備はそれで十分なのだ。

 

自分の姿を隠したまま、簸翠は階段を下りる。しかし警備の者の耳には何の音も入らない。簸翠程の人間がその気になれば足音を全く立てずに移動する事は造作も無い事である。故に簸翠にとって必要なのは視覚情報を偽装させる、その程度の小細工で十分である。

 

(不要に焦る必要はない。連中は『もうすぐ(・・・・)暗殺者が此処に来る』という思考に陥って、『()暗殺者が来る事は無い』と考えている。ゆっくりで良い。慎重に奴を探してその首を狩れば良いんだ。)

 

簸翠にとっては神経を使うこの行動さえも毎日のように繰り返している手慣れた行為なのだ。

 

 

 

***

 

 

 

「━━━━こちら四階 西階段。異常はありません。」

『了解。こちら六階 屋上会談。同じく異常はありません。』

 

階段を下りた簸翠の耳に入ったのは隊員同士の会話だった。その内容は全六階ある病院《蕺》の簸翠が通った四階にも六階にも異常は見受けられないというものだった。無論、この隊員達は簸翠が通ってきた事など知る由も無い。簸翠は四階に降りる際には姿を隠しているし、そもそも屋上階段は通ってすらいないのだ。

現在、簸翠は足音を立てないように努めながら病室を覗いて回っている。これも彼にとっては手慣れた作業だ。窓の向こうから鴻琴の姿が見えた瞬間、暗殺は始まる。そして彼が捜索を始めて数分後、その時は訪れた。

 

 

(!! 居た……!!)

 

四階を捜索し終わり三階に降りて漸く、簸翠はその姿を発見した。窓の向こうに見える顔は間違いなく珂豚から渡された写真に写っていた鴻琴の顔だ。しかし直ぐに押し入って強引に暗殺を実行する事は愚行と言える。故に簸翠は安全策を取った。

 

 

***

 

 

(…………あの窓の真下は、この辺りだよな。)

 

簸翠が暗殺対象である鴻琴の居場所を特定してから数分後、彼は再び屋上に立っていた。警備の目がある場所では堅実に階段を上り、それ以外の場所では天井に穴を開ける近道を使ってものの数分で屋上へと舞い戻った。

そして今、彼は屋上の縁の柵の前に立っている。すると簸翠は迷う事無く柵の向こうへ身を乗り出し、飛び降りた。妖具(魔法具)の効果によってその様子は誰の目にも止まらない。そして無論、彼のその行動は自殺の類とは全く異なるものである。

その証拠に、簸翠は目当ての場所(・・・・・・)に自分の身体が到達した瞬間、壁に妖術で穴を開けて手を掛け、身体の落下を止めた。簸翠の腕には彼の全体重が圧し掛かるが、彼の筋力でその体重を支える事は造作も無い。

 

その筋力にものを言わせて壁をよじ登り、妖術で開けた穴から病室へと侵入する。言うまでもなくそこは鴻琴の病室だ。簸翠が妖術使いであるという可能性が頭にない鬼門組の人間達は内側(・・)の警備に力を入れている。故に簸翠は自分の妖術を駆使し外側(・・)から侵入する選択を取り、これを成功させた。

部屋の中は一人分のベッドが備え付けている事以外は何もない質素な空間だった。本来、大病院である《蕺》の設備は富裕層向けに豪華にしているが、犯罪者用に拵えられた治療だけが目的のこの病室は例外なのだ。

 

簸翠は足音を立てずに備え付けられているベッドに近付き、標的の顔を確認した。顔に手当てを施されているが、その顔は確かに鴻琴のものだった。それを確認し、簸翠は懐から小型の刃物を取り出す。彼にとってはこの時まで共に仕事を共にしてきた相棒とも呼ぶべき存在だ。

 

(ふっふっふ。お前が鴻琴か。

拷問終わりでお疲れのところ悪いが死んで貰うぜ。恨むんなら裏賭博に手を出した自分の馬鹿さ加減を恨むんだな!!!)

 

心の中でそう餞別の言葉を叫びながら、簸翠は手に持った刃物を鴻琴の胸目掛けて振り下ろした。



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#300 Kingfisher In The Twilight 3 [The Mask as Culmination of The Medical]

簸翠の武器は丹念に磨き込まれ、様々な人間の血を吸い続けた短剣である。今回の依頼でも例に漏れずにその短剣を鴻琴の心臓に突き立て、その一撃によって全てを終わらせる、少なくとも彼の手筈ではそうなっていた。

 

「ッ!!!!?」

 

その瞬間、簸翠の目は鴻琴が眠っている布団が不自然な動きを見せる光景を捉えた。それを認識した次の瞬間には布団を破って刀の切っ先が彼の視界に飛び込んで来た。

簸翠はたじろいだものの刀の突きを淀みの無い動きで躱す。その最中、彼の心中にあったのは『この男が何者か』という事だ。

 

「ッ!!!」

「……私は優しいから一度だけ言ってやる。その目障りな面を外せ!!!」

 

突きを躱し、空中で回転するその数瞬の間に簸翠は懐から仮面を取り出し、顔を覆った。最早一撃で暗殺を終える事は叶わず、目の前の人物と一戦交える事になる事は避けられない。故に素顔を隠す為の仮面を被った。

 

(………どういう事だ。姿は紛れもなく写真で見たあの鴻琴だ!! 声も相応にしわがれた爺のもの!!)

「……妖術の類か。お前こそその化けの皮をさっさと剥げ!!!」

「否。妖術ではない。医術の結晶と呼ぶが良い。」

『!!!?』

 

扉を開けて病室へと入って来たのは蕺喬だった。彼女のその行動に簸翠も、そして変装した鴻琴も動揺の色を示した。

 

「な、何をしているのです蕺喬様!!! 此処は危険です!! 早くお逃げに!!!」

「戯けが。此処は妾の病院であるぞ。此の生命を繋ぎ止める神聖な場であろうことか生命を断とうとする神をも恐れぬ卑劣の輩を、この妾が許さんで如何とする。

のう、苺禍の娘よ。其の(まやかし)も最早必要あるまいて。」

『!!!』

 

そう言って蕺喬は手に取った瓶の中身を鴻琴に向けてかけた。中身を浴びた瞬間、目の前に居た鴻琴の姿が変わり、小柄な女性の姿に変わった。簸翠はその女性に見覚えがあった。

 

「………陸華仙の苺禍か………!! 姿を変える薬か!!」

「否じゃ。此奴に掛けた薬は周囲の認識に干渉する薬じゃ。」

 

簸翠はその一言だけで蕺喬の言葉の意味を理解した。苺禍に掛けられた薬は周囲の人間の視神経に干渉し、その姿を鴻琴に見せる薬なのだ。

 

「どちらでも良い事だ。医者如きがよくものうのうとこの俺の前に姿を晒せたな。命が惜しくないのか?」

「戯けが。貴様のような卑劣の輩などに臆する値打ちなど毛程も無い。此の状況は貴様を確実に捕らえる為の罠じゃ。」

 

部屋に簸翠が乗り込んで来ているのに鬼門組の隊員が誰も入って来ないのは二つの理由があった。一つは半端な戦闘力しか持たない隊員が返り討ちに会う事を防ぐ為。そしてもう一つは逃走した簸翠を確保する事に専念させる為。万が一苺禍達が敗走し簸翠が逃走した場合、隊員達が簸翠と戦闘できる機会はその一瞬以外には無いからだ。

 

「蕺喬様!! 易々と手の内を明かすのはお控えください!!」

「此の状況がそのまま其の事実を吐露しておるようなものであろう。尤も妾は時間を掛ける気など更々無いがな!!!」

「!!!」

 

蕺喬は話し終える瞬間の隙をついて懐から注射器を取り出し、簸翠目掛けて投げ付けた。注射器の中に薬は入っていなかったが、簸翠は咄嗟に身を引いて躱す。蕺喬が求めていたのはその一瞬だった。

 

『!!!』「ほう。伊達に鍛えてはおらんようじゃな。」

 

蕺喬は簸翠が注射器を躱したその一瞬を突いて彼の脇腹に蹴りを見舞った。しかし簸翠の体力を奪う事は出来ず、反撃の刃物が飛んでくる。蕺喬はその一撃を躱し、再び元の位置へ舞い戻った。この一撃だけで簸翠はこの状況下で警戒すべきは苺禍だけでなく蕺喬も例外ではないという事を実感させられた。

 

「妾の目指した此の道は立ちはだかる者が多くての、常に嫉妬の輩に狙われ続けた。其の邪な輩から此の手を守る為に鍛え上げた此の両脚の切れ味、押して知るが良い。」

 

蕺喬が身を置く医療業は鬼ヶ帝国においてはのし上がる為には血統や権力がものを言う。しかし蕺喬は例外的に実力のみで医療の道を進み続けた。そして元から権力の椅子に座っていた者達は自らの地位を脅かす蕺喬という例外を断固として許さなかった。

在りし日の蕺喬は数多くの妨害を受け、雇われの暗殺者に命を狙われる事も珍しくは無かった。しかしある時は武力を、ある時は法の知識を味方に付け、あらゆる妨害を撥ね退けた。その過程で若き蕺喬と凰蓮は知りあい、現在も協力関係を結ぶに至る。

 

(………つまり、蕺喬の正体は薬の技術と蹴り技を駆使する戦士の一面も持っている医者だったという訳か。蕺喬の技量なら一撃で意識を断ち切るような(劇薬)を拵えていてもおかしくはない。

一瞬でカタを付けて、その後に拷問でもして鴻琴の居場所を聞き出すとするか。それこそ、こいつらがやってるように(・・・・・・・・・・・・)な…………。)

 

ほんの数分でしがない病室は血生臭い戦場へと変化を遂げた。帝国の運命を握る夕暮れはここから新たな局面を見せる。



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#301 Kingfisher In The Twilight 4 [The Bloody Strawberry]

広さ六畳ほどの病室は一瞬にして熾烈極まる戦場へと変化を遂げた。現在、病室には帝国の暗殺者 簸翠と鬼門組の隊長 苺禍、そして大病院《蕺》の院長 蕺喬が向かい合っている。

帝国の命運を左右する一夜の戦いの火蓋は切って落とされるその瞬間を今か今かと待っている。

 

「……姿を化かして奇襲を仕掛け、剰え複数人で襲い掛かろうとは、誇り高い鬼門組には卑劣な連中しか居ないのか。」

「黙れ下郎が。貴様のような血に飢えた獣に手段を選ぶ義理があると思うのか。」

「血に飢えた だと? 徒に殺すような気の触れた奴等と一緒っくたにするのは止めろ。

俺は依頼された奴を殺すだけだ。そしてそんな奴等は生かしておくような値打ちの無い奴だと相場は決まっている。例えば、此処に居る鴻琴だとか、『裏賭博に出入りするような奴』とかな。」

「ッ!!!! 貴様……………ッ!!!!」

 

簸翠が例に挙げた話は言うまでも無く在りし日の鳳巌が起こした違法賭博場を狙った『強盗殺人事件』だ。帝国の歴史の中で賭博という職業を選ぶ人種は恨みを買い、暗殺者の対象になり続けた。実際に簸翠も賭博場を仕切る人間の暗殺を成功させた事実がある。

そして苺禍の叔父も『賭博場の客だった』という事実のみで鳳巌の凶刃に倒れるという憂い目を見た。叔父に落ち度が無かったとは思わなかったが、苺禍はその理不尽を許さなかった。故に彼女は鬼門組に進むという決断をした。

簸翠は苺禍の心の傷を抉ったつもりだったが、苺禍が激昂して向かって来る事は無かった。一気に距離を詰めて来る苺禍を斬り捨てるという簸翠の企みは実現しなかった。

 

(……甚だ面倒な。組に身を置いて日の浅い唯の餓鬼がと思っていたが、無駄に理性の働く奴だ。無駄に奴の神経を逆撫でしただけだったな。だがこれで奴は是が非でも俺を殺しに来るだろう。

そうなってくれればやり易い。反撃を合わせて一撃で息の根を止めるだけだ。)

「━━━━この病室は些か手狭だが、貴様の年貢の収め場としては丁度良いだろう!!!」

(!!! 来たか!!!)

 

苺禍は地面を蹴り飛ばして簸翠との距離を詰めた。傍目には感情が昂ったが故の突発的な行動の様に見えるが、簸翠の目にはそうは映らなかった。簸翠は苺禍の情報を前もって把握していた。

 

(苺禍は俺のような妖術使いじゃない。唯 身体能力に任せて刀を振るうだけだ。

だが、真っ向から襲い掛かるような愚図でもない。ならば━━━━━━━━)

「ぬぅんっ!!!!」

「!!!」

 

苺禍の攻撃は彼女が持っていた刀の射程の外で炸裂した。刀身の倍程の距離の地点で刀を振り下ろし、その動きのままに刀を投げ付けた。しかし、苺禍の搦め手を予測していた簸翠は最小限の動きで迫ってくる刀を躱した。

その動きのままに簸翠は地面を蹴り飛ばして手に持つ短剣の射程に飛び込んだ。

 

『━━━━━━━━ガァンッ!!!!』

「!!!」

 

部屋の中央で簸翠が持つ短剣が炸裂した。しかしその刃は苺禍の急所には届かなかった。苺禍が懐から出した小型の刃物によって阻まれた。簸翠はその刃物の名前を知っていた。

 

「━━━━其の『苦無』がお前の本命か!! まるで《忍》(さなが)らだな!!!」

「忍とは闇に紛れて輩の命を断ち切る者だ。貴様の方が似合いだと思うがな。

尤も、金に目が眩みその手を地に染める貴様如きでは到底不揃いな二つ名だがな!!!」

「ヌッ!!!」

 

部屋の中央、刃と刃がぶつかり合い周囲に火花が散った。しかし、互いの身体には一つも傷が付かない。それ程までに両者の技量は拮抗していた。

 

(━━━━この餓鬼!! 俺との体格差をものともしない!! これが鬼門組の為せる技か!!!)

(何という事だ!!! この私が傷つける事すら叶わんなどと、そんな莫迦な事があるのか!!!)

 

簸翠はこの病室など一瞬で脱するつもりでいた。しかし彼の頭にあった二人を一撃で沈め鴻琴の居場所を聞き出すという算段は完全に潰えた。簸翠にとっては正直に苺禍達に付き合う必要は無かったが、彼は脱出の方法を思い浮かべられなかった。

彼が持つ空間に干渉する魔法(妖術)は論外的に却下された。その能力は彼の暗殺者としての活動生命に直結する問題であり、それをおめおめと苺禍達の前で使うつもりは無かった。逆に言えば彼は次がある事を、即ちこの依頼を達成出来る事を確信しているのだ。

 

*

 

この病室における両者の勝利条件の難易度は異なる。

簸翠は苺禍と蕺喬を撃破し鴻琴の居場所を聞き出し、彼を殺害して依頼を達成する事。対して苺禍ないし鬼門組は簸翠の仮面を剝ぎ取りその素顔を晒せば鴻琴の生死は別問題としても簸翠を捉える目的達成に大きく近付く。

そして状況でも鬼門組は有利を取っている。簸翠は窓から脱出する方法も危険だとして斬り捨てていた。既に外には敗走した自分を狙う鬼門組の隊員が居るだろうという事を予測しているからだ。

 

帝国の命運を左右する一夜の戦いの火蓋は切って落とされ、そして新たな局面を迎えようとしていた。



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#302 Kingfisher In The Twilight 5 [The Fatal Knife]

簸翠が居る場において、苺禍以外の隊員が加勢に来ない事は他でもない苺禍本人が決めた合理的な判断である。数々の暗殺を成功させた腕を持つ簸翠に対し実践経験の低い隊員が前に立つ事は不合理であると苺禍は考えた。

故に彼女は広い包囲網(・・・・・)を張った。簸翠との戦闘は苺禍本人が引き受け、他の隊員達は全て病院を内側から固める事に徹する。隊員達は万が一苺禍が簸翠を逃がした場合に備え、逃走、或いは鴻琴暗殺に動き出した簸翠を確保する役割に従事する。

 

苺禍の張った包囲網は自分自身の実力を低く見積もっても簸翠を捕らえて逃がさない罠として機能する事を鬼門組の誰もが確信していた。しかし、その包囲網の中で簸翠を狙う別の罠(・・・)が機能を発揮する時を待っていた事を、苺禍も蕺喬も、そして簸翠も知らなかった。

 

 

***

 

 

『━━━━ガァンッ!!!!!』

『!!!』

 

場所は大病院《蕺》の一室。それまで網膜を傷付けんばかりの火花が散っていた惨劇は鼓膜を劈くような猛烈な金属音によって一時の平穏を取り戻した。しかし、また直ぐに火花が散る憂い目を見る事は目に見えている。一時の平穏は偏に苺禍と簸翠が距離を取ったが故に生まれたに過ぎない。

そしてその一時の平穏さえも蕺喬の一言が搔き乱した。

 

「苺禍よ。帥ほどの者の刃が薄皮一枚剝ぐ事も叶わんとは由々しき事態じゃのう。妾が他の者を呼んで来るか。或いは妾も加勢に入るが。」

「何を言っているんですか!! この状況は絶対に変えません!!

それよりも蕺喬様は早く離れて下さい!! 万が一貴方の腕に傷でも付けばそれこそこの国の損害ですよ!!!」

「ふっふっふ。憂いてくれるか。だが心配は要らん。

此の《蕺》には妾が見込んだ腕利きが少なからず居る。切れた腱を縫合できる医師も切れた腕を元に戻す妖術使いも取り揃えておる

!」「!!!!」

 

蕺喬が自身に満ち溢れた言葉を言い終わる直前、簸翠は再び地面を蹴り飛ばしていた。手に持った短剣はその剣先を前に向けている。しかし、その剣先が指していたのは苺禍ではなかった。簸翠の剣は確かに蕺喬に向いていた。だが、簸翠の殺意は蕺喬に向いてはいなかった。

 

(この餓鬼が蕺喬の身を案じているのは十分に分かった!!! ならば蕺喬に刃を向ければ苺禍は守ろうと無理な行動を起こす!!

その隙を突いて奴の喉笛を切り裂く!!!!)

 

蕺喬に向けて突進しているにも関わらず、簸翠の意識は後方の苺禍へと向いていた。次の瞬間には簸翠を狙って攻撃が起きた。しかし、それは苺禍の行動ではなかった。

 

「全く御しやすくて助かるのぉ 鉄砲玉よ。妾を嘗めて掛かった帥の負けじゃ。」

「ッ!!!?」

 

簸翠の短剣が蕺喬の身体に届くより早く、蕺喬は目にも止まらぬ速さで懐から液体が入った小瓶を取り出し、その中身を簸翠の顔に掛けた。蕺喬が苺禍に話し掛けた理由は簸翠を誘う為だった。簸翠に自分を攻撃させ、液体を顔に掛ける射程内に誘い込む事が蕺喬の作戦だった。

 

(クソッ!! 甘く見ていた!!! 掛けられたのは酸の類か!! 或いは睡眠薬か━━━━)

「安心せい。酸は酸でも帥の身体に傷は付かん。但し、其の酸は帥の化けの皮を剥ぐ(・・・・・・・)酸じゃ。」

「ッ!!!?」

 

蕺喬のその一言で漸く簸翠は自分に起こっている異常事態を察知した。痛覚には異常は無いが、聴覚は煙が出るような音を捕らえていた。そこから簸翠は自分に起きている最悪の事態(・・・・・)を瞬時に理解した。

 

「帥の其の忌まわしい仮面は木を削って作っているのであろう。妾にとっては其の程度、塵紙にも等しい。ほれ、既に面は割れておるぞ。」

「!!!!!」

 

蕺喬の言葉で簸翠は自分の推測が当たっていた事を確信した。次の瞬間には何か(・・)が音を立てて崩れ、床に落ちた。蕺喬が掛けた酸は簸翠の仮面を溶かす為の酸だった。蕺喬の一手によって簸翠は暗殺者として死活問題に直結する素顔を二人に晒してしまった。

 

(!!!!! 殺す!!!!!)

 

素顔を見られた事を認識した瞬間、簸翠は蕺喬と苺禍の息の根を止める(口を塞ぐ)事の必要性を真っ先に理解し、それを実行した。彼にとっての奥の手である《毒を塗った苦無》を蕺喬の喉に向けて最小限にして最速の動きで投げ付ける。直撃は勿論の事、掠っただけでも生死にかかわるほどの猛毒が刃には塗られてある。

 

(焦ってはいない!! 元より早急に決着を付けるつもりだった!! 素顔を見られた以上、こいつらを生かしてはおかない!!! 蕺喬!!! お前の行動は唯只管に自分の残っていた寿命を溝に捨てるだけの愚行だった!!!!

作戦を成功させて悦に浸っているお前には確実に刺さる!!!!)

「ッ!!!!?」

 

蕺喬の死を確信した瞬間、簸翠の身に再び異常事態が起こった。彼の痛覚が脳へと肩の激痛を伝達した。

それは肩を刺された事による激痛だった。蕺喬に向けて投げた筈の苦無が消え、簸翠自身の肩に深々と突き刺さったのだ。



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#303 Kingfisher In The Twilight 6 [Invisibility Trap]

蕺喬に向けて投げた筈の苦無が自分の肩に突き刺さった。その事実を認識した瞬間、簸翠は自分が何をしなければならないのかを瞬時に理解した。

それは苦無が刺さった理由を考慮する事でもなく蕺喬や苺禍に追撃を加える事でもなかった。

 

「ッ!!!!」

『!!!』

 

簸翠は手に持っていた短剣で苦無が刺さっている肩の部分、その周囲の筋肉を纏めて切除した。簸翠がそのような行動を取った理由は彼が持つ苦無の特徴故だ。彼が持つ苦無の刃には猛毒が塗ってあり、それは掠っただけでも生死に関わるほどに強力である。しかし、その加工を行ったのは他でもない簸翠自身だ。故に彼はその猛毒から逃れる方法を知っている。

それは、猛毒の効き目が全身に回るより早く刃が触れた部分、即ち毒に侵されている部分を切除する事だ。

 

全く接点の無い人間から依頼を受けて暗殺を実行する簸翠にとって戦況下での優先順位は目まぐるしく変わる。依頼達成を優先する事もあれば戦線の離脱や眼前の敵を撃破し、少しでも状況を有利にする為に動く事もある。場合によっては自分の身を守る為に行動する事もある。今回の肩の肉の切除がその最たる例だ。

 

しかし、苦無の毒から逃れる為のその行動も唯の悪足搔きに過ぎなかった。自らが調合し苦無の刃に塗った猛毒から逃れる為に消費されたその一瞬が、簸翠の運命を分けた。

 

「!!!!」「終わりだ。」

ドゴッ!!!! 「!!!!」

 

肩の筋肉を無理矢理切除した激痛から強引に意識を前方に向けた時には既に病室の一戦の決着を告げる一撃が始まっていた。苺禍が身体を浮かせ、その足を簸翠に向けて振り上げている。そして体重と遠心力を纏めて乗せた渾身の蹴りを簸翠の顔面に撃ち込んだ。

顔面という急所が集中する部分に蹴りをまともに食らった簸翠の身体は吹き飛び、病室奥の壁に背中から激突してそのまま意識を失った。

 

苺禍は苦無の位置が突如として変わった事態に対応したという事実に息を切らしながら驚き、蕺喬は簸翠には目もくれず彼が自ら切除した肩の筋肉を苦無に刺して拾い上げ、値踏みするように見つめていた。

 

「………………終わった のか。」

「その様じゃな。此の下郎は最早縄で縛っておけばよかろう。

其れよりも問題は二つ(・・)ある。先ずは、此の肩の肉じゃな。」

 

医者である蕺喬にとって切除された人間の筋肉は料理の際に調理する動物や魚の肉と同様に身近なものである。蕺喬が簸翠の身柄より肩の肉に注目した理由はそれに詰まっている情報だ。

 

「……蕺喬様、如何されましたか。」

「やはり妾の目算通りじゃった。此の肉片は情報の塊じゃ。ほれ。」

「!」

 

簸翠の両手首を縄で縛っていた苺禍は蕺喬が見せた肩の肉片を見て目を丸くさせた。苦無が刺さった肉片は緑と紫の斑模様に染まっていた。

 

「此れを見れば分かるであろう。苦無の刃に毒が塗ってあったという事じゃ。いかにも下郎の思いつきそうな事じゃ。加えてこの特徴的な模様、間違いなく《ハラブカズラ》という毒草を煎じて作ったものじゃ。其の毒は強力で即効性も強く、消化器官や血管に入る事で一瞬の内に症状が出て死に至る。其処迄言えば何故此奴が真っ先に肩に刃を刺したのか合点が行くであろう。

そして其の毒草は陸善地方の北部にしか生えん。其のような掘り出し物を何故奴が知っていたのか、至極興味があるな。」

「……………!!」

「さて、此の肉片から得られる情報は此れで全てじゃ。

…………いい加減、もう一つの問題に触れねばならんな。おい、姿を見せろ。」

「!?」

 

蕺喬が何もない空間に声を掛けた瞬間、壁に面する空間が不自然に歪み、上部から液体が垂れるかのようにその人物の姿が露わとなった。

 

「!!! な、何故………………!!?」

「ほほう。此れはとんだ伏兵が居ったものじゃな。」

「……苺禍さん、蕺喬さん…………!! 上手く行って良かったです……………!!」

 

その人物とは、本来別室で庇護を受けている筈の杏珠だった。そもそも彼女がここに居る事自体が異常事態だが、二人、特に苺禍が目を引いたのは彼女の腹部に記されていた文字(・・)だった。

そこには大きく『隠』の一文字が記してあった。

 

「一体どういう事だ!!? 何故君がこのような場所に居る!!?

それに『上手く行った』とはどういう意味だ!!?」

「!!!」

「これこれ。命の恩人達(・・・・・)に苛烈な口を利くものではないわ。」

「ほう。其処迄見抜いておったとは、流石は実力のみで医療の頂点に立っておるだけの事はあるな。」

「!!?」

 

その言葉と共に病室へと姿を見せたのは虎徹だった。そしてその指先は黒く染まっている。能力である《墨汁》を使用したが故の現象だ。

 

「何が起きたかは言わんでも分かる。儂が仕掛けた罠は寸分の狂い無く発動したようじゃな。

此の不埒の輩を捕らえて離さん罠がな。」



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#304 HIDE AND FIND

時は簸翠を捕らえる罠が発動する数時間程前へと遡る。大病院《蕺》の病室の前で待機していた彩奈は緊張故の尿意を覚え、大事を取って早めに用を足す為に病院の(トイレ)へと足を運んだ。それだけでは話題にすら上らない程他愛もない出来事だったが、その彩奈を待っている者が居た。

 

「おう、漸く来たか。」

「ッ!!? こ、虎徹さん!!? 何でここに!?」

「大声を出すな戯けが。今、儂の姿は『墨汁』の力で主以外には組の一隊員に見えておる。連中を言いくるめて此の厠の前を勤務場に宛がった。主と内密に会う為にな。」

「そ、それってどういう━━━━」

「其の話は後じゃ。早く用を足してこい。主が厠の前に来る理由など一つしか無かろうが。」

「あ! そ、そうでした! 失礼します………………!」

 

自分の目的を思い出すとそれに誘発されるかのように再び尿意を覚えた。虎徹の横を通過し、彩奈は足早に厠の中へと歩を進める。

 

*

 

数分後、手拭い(ハンカチ)を片手に姿を現した彩奈を見て虎徹は漸く自分の話を始める。

彼女は自分に残された時間が少ない事を理屈で察していた。本来、彩奈は苺禍にトイレ休憩の許可を得て此処に居る。時間が掛かって咎められる事は無いだろうが、不審に思われる可能性は十分にある。それは秘密裏に病院に居る虎徹にとっては避けるべき事態だ。

 

「お待たせしました。それで、私に用って言うのは━━━━」

「悪いが前置きをしている時間は無い。故に一度で理解しろ。

今から儂と主とで此処に来る不埒の輩(十中八九簸翠であろう)を捕らえる罠を張るぞ。」

「!!!?」

 

虎徹は一度で聞き分けろと言ったが、彩奈にとってそれはとても無理難題だった。彼女の言葉をそのまま鵜呑みにするなら、病院に襲撃してくる暗殺者に攻撃すると言ったのだ。

 

「ど、ど、どういう事ですかそれ!!!」

「声が大きいと言っておろうが。良いか、儂は断じて鬼門組(奴等)の力量を甘く見てはおらん。輩に不覚を取るか否かで言えば後者の方が十二分に高いと儂は考えておる。だが万が一という事は何事にも存在する。故に儂等が其の万が一を補う為の罠となるのじゃ。無論、其れを使わん可能性の方が高い。気負わずに構えておれば良い。」

「な、なるほど。それで、一体どんな罠を……………」

「其れはな、此れじゃ。」

「!!?」

 

その瞬間、虎徹は出し抜けに彩奈の腹部に手を伸ばし、その上で指を躍らせた。指の爪は黒く変色している。『墨汁』の能力を使用している証だ。

 

「えっ!!? こ、これって━━━━━━━━」

 

虎徹が指を離すと、彩奈は自分の腹部に文字(・・)が書かれている光景を認めた。そこには『隠』の文字が記してあった。

 

「一般教養のある主ならば分かるじゃろう。其れは『隠す』という字じゃ。知っておるように儂が書く字には特別な力が宿っておる。一度儂が力を込めれば主の姿は立ち所に見えなくなる。

後は言わずとも分かるじゃろう。主の『転送』の力を用いて不埒の輩に裁きを下すが良い。」

「!!!!? な、何を言ってるんですか!!!」

 

彩奈は三度 甲高い声を発した。虎徹の言葉が余りに物騒だったからだ。

 

「何じゃ。奴と相対するのは気が進まんか。」

「当り前じゃないですか!!! 私が人を傷付けるなんてそんな事出来る訳が無いでしょ!!!」

「この国に無断で立ち入って哲郎(あの小僧)に尽力しておる奴の物言いとは思えんな。ならばこう考えるが良いわ。儂が先刻言った『万が一』とは即ち組の奴が窮地に立たされるという事じゃ。

其れを主が能力で救う(・・)のじゃ。」

「!!!」

「どうじゃ。此れならば多少は気概が湧いて来たであろう。」

「た、確かにそう言われれば助けたいとは思いますけど、でも………………!!」

「………ならば儂が一つ知恵を授けてやる。主の『転送』の使い方(・・・)じゃ。」

 

 

***

 

 

「━━━━で、虎徹さんが言ってくれたその妖術(・・)の使い方が、飛び道具が手に触れる瞬間に『転送』するっていうものだったんです。」

 

彩奈は「転生者の能力」を「妖術」と言い換え、虎徹との会話の内容を事細かに話した。その話を苺禍と蕺喬は険しい表情で聞いていた。

その表情は独断で行動を行った二人を咎めたい心情とその作戦によって窮地を救われ、簸翠を捕らえる事が出来た負い目がせめぎ合っている事を意味していた。数秒の思考の後、口を開いたのは苺禍だった。

 

「……………私達に黙って勝手な作戦を実行した事は誠に頂けないが、それによってこうして簸翠を捕らえられたのは事実だ。だからもう何も言わない。

だが君の掌が苦無に塗ってあった毒に触れている可能性がある。血管に入っていなければ大事は無いだろうが、早急に病院の精密検査を受けるんだ」

「隊長!!! 苺禍隊長!!!!」『!!?』

 

苺禍の言葉が言い終わるより早く、一人の隊員が青い顔をさせて病室に飛び込んで来た。

 

「君は《唐麻(とうま)》か。何の用だ。我々はたった今、簸翠の確保に成功した。」

「わ、私からもご報告する事が。す、数時間前に刹喇武道会会場にて、鳳巌によって拉致された少年《哲哉》が、発見されました!!!!」

『!!!!?』



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#305 Strange Migration 1 [Hornet Poison]

ハラブカズラ

陸善地方の北部にのみ生息する強力な毒草である。しかし、陸善地方に住む人々はこの毒草を危険視はしていない。ハラブカズラの毒素は体内に入って初めてその効果を発揮するものであり、草に触れる程度では毒に侵される事は無いからである。

故にハラブカズラの外見を脳裏に焼き付けん程に把握している現地の人間達は容易くその危険から身を引く事を可能とした。例外は無知な人間が誤って草を直接摂取する事程度である。しかし、不埒な人間がその摂理に新たな例外を作った。

 

それが、ハラブカズラを直接煎じる事でその毒素だけを毒液にして抽出する事である。それでも元来のハラブカズラ同様、毒液は皮膚には阻まれ、血管や消化器官に入って初めてその効果を発揮する。しかし、ずる賢い人間達は刃や鏃などの武器に毒液を塗る事によってその弱点を克服した。

この悪しき発明によって簸翠が奥の手として持っていた苦無などの武器はたった一撃を入れるだけで対象を確実に死に至らしめる必殺の武器へとその地位を急上昇させたのだ。

 

 

***

 

 

場所は簸翠を捕らえたその病室、彩奈はその掌を蕺喬に診られていた。

 

「━━━━━━うむ。やはり刃の先が薄皮に触れただけで毒の反応は無いな。軽く消毒をして治癒の妖術でも掛けておけば良かろう。」

「確かに君に助けられたのは事実だが、絶対に肯定出来るやり方ではないぞ。

いいか、ハラブカズラの毒は強力で即効性も強い。少しでも妖術(・・)の発動が遅れてこれが一滴でも体内に入っていればそれこそ君は今頃死んでいたぞ!!」

「は、はい。ホントにごめんなさい………!! (あれにそんな強い毒が塗ってあったんだ………!!!)」

 

彩奈は《転送》の能力を『何かが掌に触れれば自動的に発動する』ように設定していた。それ故に簸翠の苦無が掌の薄皮に触れた瞬間に《転送》を発動させ、簸翠の肩へ方向を変えて《転送》させる事に成功したのだ。

対象がほんの少しでも掌に触れれば能力は発動する。故に彩奈は能力の発動の遅れによる不測の事態を恐れてはいなかった。寧ろ、苦無に猛毒が塗られていた事実を認識して恐怖したのは簸翠が毒の効果から逃れられずに彼が毒に侵される、即ち自分が簸翠の命を奪う結果を招いたかも知れないという事実だ。

 

「━━━━さて、帥の傷はもう憂うには値せんじゃろう。問題は帥の言伝じゃな。」

「は、はい!! そうですね!!」

 

彩奈の傷の状態の診察も終わり、彼女達の話題は唐麻が伝達した『哲也(哲郎)が保護された』という衝撃的な事実へと移った。寧ろその話題に一番関心を示すべきは彩奈である。

この場において哲郎と一番関係を持っているのは彩奈であり、虎徹は昨日哲郎と対面したばかりである。そしてそもそも苺禍や蕺喬は哲郎と面識すらないのだ。

 

「唐麻さん、でしたよね!? てつ、じゃなくて哲也さんが見つかったって本当ですか!!?」

「はい!! 間違いありません!!」

「……哲也と言えば確か鳳巌の阿呆に攫われた小僧であろう。何処で見付かったのだ。」

「所轄の隊員からの報告では、丒吟地方の郊外の林の中で倒れている所を発見、保護されたとの事です!!」

「何!? 丒吟地方だと!?」

 

唐麻の口から出た『丒吟地方』という単語に疑念を抱いたのは苺禍だった。陸華仙で彩奈からの情報から推測した敵の本拠地は豪羅京の八重宮地方の方向ヶ所の地下という事になっていた。しかしたった今唐麻は鳳巌達に攫われた哲也は丒吟地方で発見されたと言った。

 

「有り得ん………!! 八重宮地方に近い豪羅京に居た筈の人間がこんな時間に丒吟地方に居るなど、考えられん!!」

「そ、それってさっきの私の予測が外れてたって事ですか!?」

「否、それ以前の話じゃ。」

「えっ!?」

 

苺禍に声を掛けようとした彩奈の肩を虎徹が掴み、彼女を窘めた。虎徹は帝国の地理を彩奈より遥かに把握しているが故に、苺禍の言葉の意味する所を察知していた。

 

「虎徹さん、それ以前ってどういう意味ですか!?」

「其の前に一つ確認させろ。主が先刻、彼の小僧から通信があったというのは真か。」

「は、はい!! もちろんです………!!」

「そうか。ならば主が持っている通信の妖具の通信距離に誤りはないのか。」

「それも多分大丈夫です……………!!!」

 

虎徹は彩奈から聞いた情報を脳内で反芻させていた。数秒掛けて自分の予測が外れていなかったことを再確認する。

 

「……という事はじゃ、主が陸華仙に居た時に哲郎は確実に通話の妖具の通信可能距離の中(・・・・・・・・・・・・・・)に居た事になるな。」

「そ、そういう事になりますけど、それが一体……………」

「主には分からんか。良いか、主の奴等の本拠地云々の予測が当たっていようと外れていようと、つい数時間前まで主と通話できる環境下にあった哲郎が今、丒吟地方に居る事など有り得んのじゃ。」



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#306 Strange Migration 2 [How To Transport?]

鬼ヶ帝国の運命を分ける戦いは暗殺者 簸翠の一戦が終わった直後、新たな局面を迎えた。鳳巌の根城へと拉致され、(本人にとっては敵の情報をかき集めるつもりだったが)音信不通になっていた哲郎が発見されたのだ。そして彩奈や虎徹だけでなく、苺禍や蕺喬も簸翠の事など忘れてその問題に夢中になっている。その理由はその事実が余りに不可解だったからだ。

 

「ど、どういう意味ですか? 哲郎さんが丒吟地方に居る訳が無いって………」

「まだ分からんのか。良いか、主の記憶が一切合切正しければ、哲郎は先程まで通話の妖具の通信可能距離に居ったという事になる。その状態で丒吟地方に居るなど有り得んのじゃ。」

「それって、距離が遠すぎるって意味ですか………?」

「そうじゃ。陸華仙の辺りから丒吟地方へ行く為には最低でも半日は掛かる。仮に最後の通信の直後直ぐに移動が開始されたとしても今現在其の場に居るのは不可能じゃ。」

 

虎徹は頻りに『不可能』という意味合いの言葉を口にしているが、彩奈は釈然としない様子でその話を聞いていた。その『不可能』を覆すものの存在を彼女は知っているからだ。

 

「あの、さっきから『不可能』とか『有り得ない』とか言ってますけど、本当にそうですか?」

「其れはどういう意味じゃ。」

「だって、方法ならいくらでもあるじゃないですか。例えば、魔法(虎徹さんが言う妖術)を使って瞬間移動するとか、速く移動するとか色々━━━━━━」

「否、その可能性は無い。」

『!!!』

 

彩奈の鼓膜を背後から震わせたのは苺禍の声だった。彼女の言葉はまたしても否定の意味合いを持っていた。

 

「い、い、苺禍さん!!! い、いつから━━━━━━!!?」

「申し訳ないが今の一言を立ち聞きさせてもらった。その上で言わせてもらうが、長距離移動を可能たらしめる妖術は少数ながら確かに存在する。だが、拉致された哲也にその類の妖術が使われた可能性は皆無だ。」

「えっ!? どうしてそんな事が分かるんですか!? どうやって調べたって言うんですか━━━━!!?」

「調べたのではない。他でもない哲也自身がそう証言したんだ。」

「!!!?」

 

 

 

***

 

 

 

鬼門組 丒吟地方 俔剴(げんがい)町支部

それが今現在、哲郎が居る場所の名前である。哲郎はそこで椅子に座り、一人の男と向かい合っていた。鬼門組 俔剴町支部長 《萩樷(はぎむら)》。それが哲郎が今向かい合っている男だ。

 

「━━━━では、改めて事実を確認させて頂きます。

哲也さん、貴方は今から数十分前に町の郊外の林の中に倒れていたところを発見された。これは間違いありませんね。」

「ここが本当に丒吟地方だと言うなら、それで間違いありません。」

「分かりました。では次に、その状況に至った経緯を詳しく話してください。」

「分かりました。」

 

口ではそう言いつつも、哲郎は鳳巌の根城で得た情報の全てを話せない事を理解していた。目の前の萩樷という男に何を話せ、何を話せないのかを慎重に吟味しながら回答に応じる。

 

*

 

結果、哲郎は昨日 成り行きで山賊団の下っ端を捕らえた事、それが原因で鳳巌に拉致された事、そしてつい先程、何故か(・・・)解放された事を順を追って話した。敢えてその根城で得た情報は口にしなかった。

 

(今伝えられる事はこれくらいだろ。根城の位置やあの日記の事はまだ伝えられない。情報が不確か過ぎて混乱させてしまうかもしれないからな。

取り敢えず僕に出来る事は何とかして彩奈さん達と合流して情報を伝えて、その後の事はその時に考えれば………………)

 

哲郎はこの状況下においては必要最低限の事だけを伝え、不確実な(かつ帝国の命運を握るような)事柄は一先ず伏せておく事を選択した。彩奈達と合流する光景を思い描いていた哲郎を現実に引き戻したのは萩樷の声だった。

 

「分かりました。即ち貴方は刹喇武道会の参加者だったという訳ですね。」

「はい。選手として参加していました。」

「哲也さん、貴方の拉致現場に居合わせた被害者達は今、安全を鑑みて豪羅京にある《陸華仙》という鬼門組の本部にて保護を受けています。」

「そ、そうなんですね。(彩奈さんがそこに行く前に拉致された僕がその事を知ってるのはおかしいな。ここは知らないふりをしておこう。)」

「その上で提案しますが、今から陸華仙に行く事が出来ますが、どうしますか。」

「そうですか。もちろん行きます!」

 

その言葉を聞いた瞬間、哲郎は心の中で喝采していた。早くも自然な形で彩奈達と合流する方法が見つかったのだ。しかしその感情は萩樷の言葉によって吹き飛ぶ事になる。

 

「分かりました。直ぐに手配を行います。なお、今からですと陸華仙に着くのは半日後(・・・)となりますので、そのつもりでいて下さい。」

「えっ!!!!? い、今なんて━━━━」

「? 陸華仙に着くのは今から半日後だと言ったのですが、何か問題でも? 差支えがあるならば時間をずらす事も出来ますが。」

「ああいえ、そういう意味じゃないんです。今からでお願いします。」

 

哲郎はそう言って茶を濁した。しかし彼の脳内は一つの疑問に埋め尽くされていた。

 

(ど、どういう事だ!!!? 僕の計算が正しければ鳳巌のアジトと陸華仙って場所とは目と鼻の先の筈だ!!!

僕は鳳巌に追い出されてからここに連れてこられるまで多く見積もっても数時間しか経ってない筈なのに!!! それに魔法が使われた感触も無かった!!! そんな不自然な事があったら気付く筈だ!!!

じ、じゃあまさか、まさかそんな━━━━━━━━━━━━!!!!!)

 

その瞬間、哲郎の脳裏にある可能性がよぎった。自分を丒吟地方へと移送する際に転生者の能力が使われたという可能性を。



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#307 Strange Migration 3 [Clock In The Mind]

少年 田中哲郎に関して、次のような逸話がある。

数年前、彼は海沿いの田舎町で数か月を過ごした経験がある。その町には子供達にとっての娯楽が少なく、哲郎が通っていた小学校ではとある遊びが流行していた。それは目を閉じた状態でストップウォッチを起動させ、目標の値で止めるというものだった。

哲郎も当時を振り返ってこの遊びを単純なものであったと考えているが、下らないものであったとは考えていない。その理由は偏に哲郎がその遊びで優秀な結果を修めたからだ。

 

この経験を切っ掛けとして、彼は自身の体内時計はある程度の正確性を秘めているという確信に至った。無論一秒一秒を正確に把握できるとは思ってはいないが、半日という長い時間と数時間とを誤認するなどという事は考えられないと、今までの彼は思っていた。

 

その確信に近い思いを根本から覆そうとしている出来事こそが今現在、俔剴町にてとある事実を聞かされた事である。

 

 

***

 

 

俔剴町にて聞かされた事実とは、哲郎が居た鳳巌の根城(の予測位置)と今居る俔剴町とは早くても移動するには半日は掛かる距離であるという事である。哲郎がこの事実を信じられなかった理由は鳳巌の根城から移動させられ、俔剴町に着くまでの体感時間は多く見積もっても数時間程度だったからである。

今の哲郎にとって帝国内で起こる全ての事は貴重な情報源であり、それは視界を塞がれていようとも例外ではない。故に彼は視界が不自由な移動中であっても情報収集に注力していた。しかしその上でも移動の際一定間隔の揺れがある事と周囲が湿気に覆われている事以外の情報は得られなかった。ましてや移動時間は数時間だと信じて疑わなかった。

 

しかし目の前の萩樷という男の発言に嘘があるとも思えないというのが哲郎の率直な見解である。哲郎の体内時計に大幅な誤差が無く、その一方で萩樷の発言も真実であるならば、考えられる可能性は限られてくる。哲郎は二つの可能性を思い浮かべたが、その一方はすぐに切り捨てた。

 

(僕に魔法が使われた、って可能性は考えにくいよな。僕は今まで色んな魔法を受けた。もし時間感覚を狂わせるような強い魔法が使われたら気付く筈だ。それにそもそも誰がそんな事をする? 鳳巌の部下か? それはない。僕にそんな事をする理由が無い。(鳳巌の言葉を鵜呑みにするならだけど)僕はアジトから追い出され、無関係な人間になったんだから。それに鳳巌達も帝国の人間なら国の地理は分かっている筈だ。僕に時間を錯覚させて得をする事なんて何もない。

 

じゃあ後考えられるのは転生者の能力くらいだよな。つまりあの時、敵は堂々と僕の前に居たって事だ。その時能力を使って、僕を━━━━━━━━

 

!! いや待てよ。それはおかしい!!)

 

脳内で思考を巡らせていた哲郎は自分の発言にある違和感を覚えた。

 

(僕が移動していた時に敵の転生者が居たなら、なんで攻撃してこなかったんだ!!? わざわざ僕の前に現れるって事は(哲也)が敵の正体だって事は分かり切っている。ならその場で攻撃したほうが確実だ!!

それをせずにわざわざ移動させたって事は敵の転生者は鳳巌に従うしかなかったって事か!? って事は敵の正体は鳳巌の仲間の中の誰かって事か………………!?

それになんで移動に数時間を掛けた(・・・)!!? 彩奈さんみたいに一瞬で移動させる事は出来なかったって事なのか……………!!?)

「━━━━━━━━さん、」

(だとすると僕を数時間で移動させたのは、僕の《適応》が空を飛べる(重力に《適応)する》ようになったみたいに能力の応用って事なのか……………!?)

「哲也さん!」

「!!? あっはいどうしましたか!?」

 

移動の状況を振り返り様々な思考に囚われていた哲郎を現実へと引き戻したのは鬼門組俔剴町支部長 萩樷の声だった。

 

「どうしましたかって、陸華仙に向かう為の準備が完了したから声を掛けたんですよ。向こうまで半日かかりますからね、中で睡眠を取れるように寝台付きの馬車をご用意しました。」

「そうですか。わざわざそんな贅沢なものを用意してくれるなんて。」

「いえいえ。貴方は鳳巌の被害者なんですから。せめて手厚い保護をさせて下さい。今から出発すれば明日の明け方には目的地へと着きます。凰蓮総監には話を付け、残りの被害者全員を陸華仙にて待機させてもらうよう手筈を整えております。」

「そうなんですね。それは安心しました。」

 

萩樷の言葉で哲郎は今の自分の行動が最善ではない事を理解した。今の自分に求められているのは一刻も早く彩奈達と合流する事だ。

 

(そうだ。そうじゃないか。ここでただ考えていても出来る事なんて限られてる。今はそれより早く彩奈さん達と合流してこの事を正確に伝えるんだ。)

 

そう思い直して哲郎は立ち上がった。少しづつではあるがこの帝国を運命を分ける戦いが始まろうとしている予感をひしひしと感じていた。



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#308 Strange Migration 4 [Moving And Shooting]

萩樷が用意した馬車の窓から、哲郎は太陽が山の裏へと沈んでいく光景を見ていた。そしてそれによってようやく認識する。自分はまだ一日しかこの帝国で生活していない事を。

 

帝国について早々彩奈を山賊達から助け出し、その後金埜と出会い成り行きで武道会に参加する事になった、その初日すら一番忙しい日だと感じていたにも関わらず、今日という一日は多忙という点において昨日を遥かに凌駕した。

 

(朝に呑宮に着いて、武道会に出てそこで色々な情報を得て、鳳巌に連れ去られて、それで今か。ここまで忙しい日は今までなかった。ってそれは昨日も思ってた事だけど、これから今日以上に忙しい日ってあるのかな。

…………まぁそれはそれとして、問題は━━━━━━)

 

哲郎は早めの夕食として渡された白飯の塊(おにぎり)を数個口に運びながら一つの思考に捕らわれていた。それは言うまでも無く、自分が遥かに早く俔剴町に着いたその謎である。

 

(そもそも鳳巌が僕を俔剴町に追い出す気だったのかって話だよな。僕が()ここに居る方法が転生者の能力なのはほぼ間違いないとして、問題はどうやって、そしてなんでそんな事をしなければならなかったのか だよな。)

 

哲郎は犯人は敵の転生者であると断定し、思考をその先、即ち方法と理由に集中させていた。

 

「哲也さん、大丈夫ですか? 拉致事件に巻き込まれたばかりでお疲れでしょう? 私には構わず、どうぞ休んでください。」

「ああいえ、大丈夫ですよ。 眠たくなったら寝ますので。」

 

哲郎の隣には、鬼門組の制服に身を包んだ女性が座っている。哲郎の護衛役として馬車に同乗している。

 

「分かりました。長い旅路になります。ですが必ずもう一度ご家族に合わせる事を約束します。ですからどうぞ

ッ!!!?」

「!!?」

 

話の途中で女性が耳に手を当てて驚愕の声を漏らした。彼女の耳には通信の魔法具が装着されている。その通信機が異常な何かを傍受したのだ。

 

「━━はい。 はいはい。

━━━━ええっ!!!? ほ、本当ですか!!?

……はい。分かりました。直ぐに萩樷支部長にも共有します。 はい。」

「……………!!」

 

女性の受け答えの声しか聞こえないにも関わらず、ただならぬ事を聞いたのだと、哲郎は察知した。そして鬼門組(警察組織)に入ってくる情報は事件関係であると相場は決まっている。

 

「あの、どうかしたんですか? もしかして事件ですか?」

「はい、実はその通りで、殺人事件なんです!!!」

「ええっ!!?」

「ここから東に大きく進んだ場所で、一人の男性の遺体が発見されたと通報があったんです。

頭部を横から撃ち抜かれて即死状態。死後一時間弱との事です。ただ妙な事に、それだけの損傷があるにも関わらず、凶器も、それが使われた痕跡もどこにも見つかっていないそうで━━━━!!」

(それだ!!!)

 

女性の話を聞いた瞬間に哲郎はその殺人事件の被害者が哲郎を移動させる役目を受けた男であり、犯人が敵の転生者であると確信した。今の話の中においてもそれを確信させるだけの情報が含まれていた。

 

(死亡推定時刻が一時間程度なら僕が追い出(解放)された時期とも一致する!! それに凶器も痕跡も残さずに殺すなんて転生者の能力でもないと不可能だ!!

……だけど、『速く動く』事と『頭を撃ち抜く』事なんて一つの能力で出来るのか………?)

 

(殺人事件の犯人が敵の転生者であると仮定した場合)今まで得た情報を統合すると、敵の転生者の能力は最低でも『速く動く』事と『頭を撃ち抜く』事が出来る事になる。問題はその無関係に思える二つの事を一つの能力で出来るのかという事だ。

とはいえ哲郎は転生者の能力は応用次第で様々な事が出来るようになる事を身を以て体験している。実際に哲郎は最初から出来ていた『状態への《適応》』だけではなく、浮遊(重力への《適応)》や加速(速度への《適応)》などを行えるようになった。しかしそれを考慮した上でも今の二つの事を本当に出来るのかという確信に至らない。

 

(この二つから敵の能力を推理出来ればと考えたけど、それは難しそうだな。

……そもそも、そこまでして敵がこんな事をする理由って何なんだ? 僕がここに居る(・・・・・)事で得られるメリットなんて移動に時間が掛かる(・・・・・・・・・)くらいしか━━━━━━━━)

「ッ!!!!!」

「!!? ど、どうしましたか!!?」

(ま、まさか!!! まさかそういう事(・・・・・)か!!!!?)

 

哲郎が至った結論とは、哲郎に時間を掛けて移動させる事によって出来た隙を利用して敵の転生者が別行動を取っている彩奈達に奇襲を掛けるという可能性だった。その最悪の可能性が脳裏に過った瞬間、哲郎は半ば反射的に隣の女性に迫っていた。

 

「あ、彩、 杏珠さんは!!? 杏珠さんは無事なんですか!!!?」

「!? ろ、陸華仙の方から異常があったという報告は受けていませんが……………。それでなくとも鬼門組の名にかけて、必ず何物にも手出しはさせないと約束します。」

「あ、は、はい。 そうですよね。すみません。」

「?」

 

そう言って哲郎は女性から離れたが、哲郎の心中は全く穏やかではなかった。彩奈達の無事を祈ると同時に一刻も早く彼女達と合流したいという思いが強く働いていた。

 

 

 

***

 

 

その時、哲郎が乗る馬車を遠くから見ている人物が居た。その人物は哲郎の発言も正確に聞き分け、その上で哲郎を嘲笑った。

 

(フッフッフ。勝手に早とちりしてくれて助かるよ。精々神経を擦り減らしてろ。

だが、今日やる事はもうない。勝負は明日だ。明日、お前らも皇帝もこの国も全て潰してやるよ………………)



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#309 Nightingale Elegy Part1 ~Prolog~

(……あぁ。やっと太陽が沈んで夜になった……………。いや、もうって言うべきかな。

今日中には哲郎さんに会えると思ってたのにな……………)

 

時刻は()。彩奈は陸華仙(・・・)の部屋の窓から見える山の裏に沈む太陽を見ながらそのような事を心の中で発した。哲郎は帝国において最悪の犯罪組織に囚われた身であり、今日中(・・・)に会う事は疎か本来ならば再び会う事すら疑うべき事態だが、哲郎ならばどうにかしてくれるのではないかと思わせるような何かを彩奈は感じていた。

しかし、哲郎に会えないと決まった訳ではない。丒吟地方を出発し、明日の朝には陸華仙に着けると連絡はあった。

 

鴻琴と鬼門組の面目を簸翠から守る為の戦いに勝利した彩奈達は《蕺》に蕺喬、そしてある程度の警備を置き、虎徹や苺禍を含むその他全員は皆 簸翠の身柄と共にこの陸華仙に舞い戻った。到着後すぐに彩奈達はそれぞれの部屋に移動され、食事と入浴が済み次第早急に就寝するようにという指示を受けた。

他人に食事や就寝の時期を強制されるのは面白くは無いが、彩奈は理屈の範疇で彼等の気遣い(・・・)を快く思うべきだと理解している。今日だけでも彩奈は武道会の観戦し身内の拉致現場に巻き込まれ、そして陸華仙(警察組織)(大病院)の往復と暗殺者との戦闘を経験している。彼等が彩奈の身体が休息を欲しているという推測へ至るのは自明の理だ。

 

(ご飯も食べたしお風呂にも入ったし、もう起きててもしょうがないかな。やる事やってもう寝よう……………)

 

就寝する為の完全な準備を行う為に彩奈は腰を上げた。そして部屋に備え付けられた洗面台へと足を運ぶが、それを扉を叩く音が呼び止めた。

 

(? 誰だろ。虎徹さんかな。それとも苺禍さん……………?)

「は、はい。 今出ます

ッ!!?」

「おや、もしや寝るところでしたか?」

 

扉を開けた彩奈はその予想外の来客を見上げた(・・・・)。訪問者は虎徹でも苺禍でもなく、陸華仙の総監(トップ)の凰蓮だった。あまりに予想外にして迫力満点の来客に対し彩奈は面食らい、声にもならない声を出してしまうが、凰蓮は穏やかな口調で言葉を重ねる。

 

「杏珠さん、貴方さえ宜しければ少しお付き合い願えませんか。是非ともお話ししたい事がありまして。」

「えっ? あ、はい……………。」

 

穏やかさの中に迫力を内包した凰蓮の表情に気圧され彩奈は咄嗟に否定とも肯定ともつかない返事を発する。凰蓮はその言葉を後者の意味で受け取った。

 

「そうですか。では、行きましょうか。」

「えっ!? こ、ここじゃ出来ない話なんですか!?」

「いえ、そういう訳ではなくてですね、是非ともお見せしたいものがあるものですから。」

 

鬼門組に保護されている身で今の時間から外出する事は憚られると考えたが、結局のところ彩奈は凰蓮の後について行く形で部屋から出た。

 

 

 

***

 

 

 

「……………………………!!!」

「どうです? 貴方には此れがどう(・・)見えますか?」

 

彩奈は上を見上げ(・・・・・)、喉の奥から感嘆の感情が乗った息を漏らしていた。凰蓮に連れられた彩奈は知らぬ間に屋上へと足を進めていた。凰蓮が彩奈に見せようとしていたものとは大量の眩いばかりの星々が浮かぶ夜空だったのだ。太陽が完全に沈んだ後にも関わらず、まるで照明に照らされているかのような光が彩奈に降り注いでいた。

天文学に明るくも無ければ日常的な多忙さで星や夜空にまともな関心など示した事の無い彩奈だったが、率直に、それこそ気取った理屈や根拠など無く『綺麗』という感想を抱いた。

 

「ど、どうって、とてもきれいだと思いますよ!! 私、星に詳しくはありませんけど……………!」

「…………… そうですか。

私もそう思います。確かに(・・・)この国にはこのような美しいものも少なからず存在します。しかし、それだけではないのですよ。」

「えっ?!」

 

不意に発せられた意外な言葉に彩奈は咄嗟に視線を凰蓮の方へと向けた。彩奈の目に映った凰蓮の横顔は帝国の首都 豪羅京を眺めている筈なのにどこか遠くを見ているような感想を抱かせた。そして彼の目は寂し気な印象を内包していた。

 

「それって、豪羅京(この町)の事ですか……………!? 夜空とは違いますけど、これもきれいだとは思いますけど……………!」

「確かに、此の豪羅京も見方によっては美しいものだと言えるでしょう。ですがそれだけではない。そのような綺麗事一つでこの国の全ては語り尽くせません。 世の中には政治の陰で涙を流している者も居るのですよ。

例えば、鳳巌(・・)とかね。」

「ッ!!!!?」

 

凰蓮の口から発せられるとは思いもしなかったその言葉に、彩奈は先程とは比べ物にならない程の声を発した。思いもしないを通り越して、発せられてはならない(・・・・・・・・・・)とすら思える程の発言だった。

 

「驚くのも無理はありませんね。ですがこれこそ貴方に話したかった事なのですよ。

杏珠さん、貴方に私と鳳巌の事(・・・・・・)を全てお話しします。」



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#310 Nightingale Elegy Part2 ~Oath in the Sunset~

彩奈は一瞬、自分が何を聞いたのかを理解出来なかった。聞き取れなかったのではなく、自分が聞いた言葉の意味を理解出来なかったのだ。

しかし、凰蓮の発言をそのまま飲み込むのならば、凰蓮は自分が鳳巌と関係があると言ったように聞こえた。

 

発言に対し不用意に聞き返すのは失礼にあたると分かっているが、彩奈は聞かずにはいられなかった。或いは凰蓮の発言が本意ではないと信じたかったが故の行動だった。

 

「そ、そ、それって、どういう意味ですか!!? まるで鳳巌と関係があるみたいな……………!!」

みたいな(・・・・)ではありません。これは誰にも他言していない事ですが、私は彼の幼少期(・・・)を知っているのです。」

「……………!!!!」

 

最早彩奈は現実を受け入れる他無かった。ようやく彩奈が目の前の事実を受け入れられた時、凰蓮の話が始まった。

 

 

 

***

 

 

 

時は数十年前、場所は茨辿地方の海沿いに建てられた地図にも載らないようなしがない小さな漁村。これはその村に住まう、帝国の運命に翻弄された三人の少年少女の半生を辿る話である。

 

その村に三人の少年少女が生活していた。二人の少年、名前を《凰蓮》と《鳳巌》。そして一人の少女、名前を《鶯蘭》という。彼等は物心つくより前から知り合った関係である。鳳巌と鶯蘭は他の村から引き取られた孤児であり、村長の息子だった凰蓮の家に居候する形で生活していた。

村での日常は毎日のように昼に漁に出て魚を取り、夜に取った魚を調理して食べ、余った分は乾燥させたり加工したりして他の村で肉や調味料と交換する毎日が続いた。村では金銭という概念はあって殆ど意味を成しておらず、しかしそれ故に村民は皆 生き生きとした毎日を送っていた。

 

凰蓮、鳳巌、鶯蘭の三人もその生活に携わり、漁業に従事する事で漁村の経済の運営に尽力する毎日を送った。しかし、彼等三人の感情は全く変化しない訳ではなかった。年齢を重ねる度に、凰蓮と鳳巌の心には二つ(・・)の変化が訪れた。

 

一つは村の外にあるより高い水準にしてより帝国の中枢に関わる生活への欲求、そしてもう一つは三人の中で唯一の女性である鶯蘭に抱く感情の変化だった。

 

前者への解決策は簡単に見つかった。それは数年に一度行われる刹喇武道会という大会である。これは帝国民の娯楽である一方、権力者達が全国から集められた腕自慢を品定めする為に行われている。優勝すれば賞金が貰えるのは勿論の事、優秀な成績を修めた者は権力者の目に留まり、厚い待遇の下で要職に就ける可能性がある。幸いにも凰蓮も鳳巌も日常的な漁業で培った腕力には自信があり、二人にとっては正に一発逆転の可能性がある魅力的な大会だった。これを知った瞬間に二人はいつの日か大会に出場する事を固く心に誓った。

 

しかし、後者は決して簡単ではない問題だった。三人は幼い頃から家族同然の関係を送っていた。だが年を重ねるに連れて凰蓮も鳳巌も鶯蘭に対し次第に恋慕の情を抱き始めた。二人はその感情を露わにする事を許さなかった。それをしてしまえば今までの関係が崩壊してしまうという恐怖に駆られていた。

しかし、年齢を重ねる毎にその感情は大きくなり、更に凰蓮も鳳巌も互いに相手が自分と同じ感情を抱いている事を悟り始めた。そして悟る。このまま感情を内に押し込み続けてしまえば更に良くない事態を招きかねない事を。故に二人はある方法を取った。凰蓮はこの時の事を今でも鮮明に覚えている。

 

 

 

***

 

 

 

太陽が水平線へと沈み海が橙色に輝く頃、若かりし頃の凰蓮と鳳巌は太陽を前にして立っていた。そして互いの顔を見やり確信に至る。相手も自分と同じ事を考えている と。

そして凰蓮の方から口を開く。彼はその時の言葉を今でも一言一句正確に覚えている。

 

「…………鳳巌君。最後に確認しておこうか。

ここで自分の本心を曝け出すのと、本心をひた隠しにして今まで通りの生活にしがみ付くのだったら、どっちが良い。」

「…………それはやっぱりここで全て口にしておいた方が良いだろうな。下手に押し込めるとぼろが出る。」

「それは良かった。なら僕から言おう。

……僕は鶯蘭の事を好きになっている!!」

「俺もだ。俺も鶯蘭が世界で一番大切だ!!」

 

それは、親友が恋敵に変わった瞬間だった。しかし二人の表情は底抜けに明るかった。相手の本心を知る事が出来た嬉しさもさることながら、この問題を穏便に解決する方法を既に思い付いていたからだ。

 

「……大変な事になったな凰蓮。この関係の始末、どうやってつけるつもりだ?」

「それは君も分かっている事だろ。こんな小さな村に生まれて腕力くらいしか取り柄の無い僕達が取れる方法なんて一つしか無い。」

「………間違いないな。」

 

『━━━━鶯蘭に告白するのは、次の武道会で勝った方だ!!!』

 

水平線へと沈む太陽を背にして二人の声が重なった。この刹喇武道会への出場が二人の運命を大きく変える事になる。



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#311 Nightingale Elegy Part3 ~Triangle Pendulum~

互いの胸の内を曝け出し合った凰蓮と鳳巌は憑き物が落ちたかのようにより一層生き生きと明るくなり、活発的に村の漁業に従事した。そしてその傍ら、いつか来るであろう刹喇武道会で対戦するその時の為に互いを高め合った。この時、凰蓮達は十代の半ばであり、武道会への出場資格の獲得まで日を数える。

 

 

━━━━━━━━ボキィン!!!!

『!!!!』

 

その音は、二本の木の棒が圧倒的な膂力に耐え切れなかったが為に折れた音だ。

とある日、海の状態は近年稀に見る大時化で漁師達はその日の出航を断念し、村民は皆つかの間の休息に浸っていた。村では皆日々の激務の疲労を癒す為に家から出ようとはしなかったが、その中で例外が二人居た。それこそが凰蓮と鳳巌である。既に二人は村一番の力自慢としての地位を確立していた。

二人は村の小屋に移動し、その中で手に棒を持っての組み手を行っていた。しかし小屋から響く音はとても木と木が衝突して鳴るものではなく、傍から見れば金属製の真剣がぶつかり合う音にしか聞こえなかっただろう。

当時の二人の実力は互角だった。互いの(武器)が同時に破壊されたのがその証拠だ。

 

「……………ふぅっ!!

此れで五百三十四勝五百三十三敗六十一引分。僕に追いつくには至らなかったね。」

「ふん、言ってろ。俺が何回お前を追い抜いたと思ってる。また直ぐに追い付いてやるさ。」

「そんな吞気な事言ってられるのかい? 武道会に出られるようになるまでもう時間は無いよ?」

 

互いに刺々しい言葉を飛ばし合っているが、二人の表情は穏やかだった。その理由は大きく分けて二つ、組み手による疲労が感情の起伏を抑えた事、そして武道会の場で実力を示す自分達の姿を思い描いていたからだ。

 

「それより聞いたか? 今年も優勝者が出たらしいぞ。」

「僕も外から聞いたよ。確か一矻地方の農家の長男だって話だったよね。」

「おうよ。今やそいつも豪羅京のお偉いさんの目に留まって、用心棒の道を進み始めたって聞くぜ。それに噂じゃそいつの故郷で作られた野菜を料亭で使うって話も浮かんでるってよ。」

「僕も聞いたよ。それできっとその村も潤うだろうね。村から一人優勝者が出るだけで此処迄変わるんだから、全く夢のある話だよねぇ。」

 

刹喇武道会で優勝延いては優秀な成績を残した者は権力者の目に留まるばかりではなく、首都の人間がその者の故郷の産業を利用する事に前向きになる場合もある。帝国から経歴や生まれなどの色眼鏡無く優秀な人材を見つけ出す為の仕組みだ。

無論、二人も簡単に優勝できるとは思っていないが、少しでも優秀な成績を残す為に死力を尽くすつもりなのは変わらない。

 

「━━━━なぁ、もしお互い一度も試合出来ずに一回戦で負けたら、その時はどうする?」

「今からそんな弱気な事を言ってどうするんだい? じゃあ逆に聞くけど、どうしたら良いと思う?

二人共に身を引くか、それとも決着が付くまで未練がましく続けるか。」

「そりゃもちろん身を引くべきだろうよ。そんな情けないやり方で勝ち取った所で嬉しくもなんとも━━━━」

「あー! やっぱりここに居た!」

『!』

 

凰蓮と鳳巌が顔を流れる汗を拭いながら話し込んでいる所に雨風を凌ぐために笠や蓑で身を包んだ少女が入って来た。雨に濡れた笠や蓑を脱ぐと茶髪を肩の付近で切り揃えた快活な顔が露わになる。その少女こそが凰蓮と鳳巌の思い人である《鶯蘭》だ。

尚、凰蓮と鳳巌は武道会の件を他言してはいない。知っているのは二人だけだ。

 

「全く。こんな時くらいゆっくりしてればいいのに。

ほらこれお昼ご飯。どうせ戻ってくる気無いだろうからここで済ませとけって。」

「おう! これは……!」

 

そう言って鶯蘭は笹の葉を加工して作られた包を二人に手渡した。中には大きなおにぎりが三個ほど入っている。一目見て二人は鶯蘭の手作りだと理解した。

 

「なぁ、中に入ってるこの漬物ってお前の手作りだったよな? 確か半年前に漬けてた。」

「あー 覚えててくれたの? そうなの。やっとご飯に合う味になってね。お母さんから教わった作り方だけど、ちゃんと漬かってるかな?」

「うんうん。ぴったりな味になってるよ。全くこんな料理を毎日のように作ってもらえるなんて僕達って幸せ者だなぁ。」

「ちょっとちょっと? いくら褒めてもそれ以上は持ってきてないよー?」

 

先程まで二人の少年がぶつかり合い木と木が衝突する音が響いていた小屋の中に、今度は三人の少年少女の笑い声が響く。この三人の関係こそ凰蓮と鳳巌が約束を交わしてまで壊したくなかったものだ。

しかし次の瞬間、鶯蘭の口から三人の運命を大きく左右する言葉が発せられる。凰蓮は今でもこの提案に反対していればどれ程良かっただろうかと考える。

 

「ねぇ、二人って何かの武道会に出る気なんだよね? 別にそのまね事って訳じゃないんだけどさ、私も料理の大会に出ようと思ってるんだけど、どうかな?」



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#312 Nightingale Elegy Part4 ~Departure Of The End~

鬼ヶ帝国において年に一度、一矻地方にて大規模な料理大会が開かれている。全国から選りすぐりの腕自慢が集められ、地方一の料亭にて出場者が作った料理を国の権力者達が食べ、その勝敗を決めるのだ。

そしてその大会には二種類、全国の精鋭達が鎬を削り合う《精鋭の部》と無名の人達が己の実力を示し合う《一般の部》が存在する。一般の部では毎年のように実力者達が権力者の眼鏡に適い、全国でその実力を遺憾なく発揮している。

 

しかし、その料理大会の歴代出場者の名簿には本来ある筈の名前が無い。凰蓮は鬼門組に入団して大会の出場者の名簿を見て初めてある事件(・・・・)の真相を知った。

 

その名前こそが《鶯蘭》である。

 

 

***

 

 

凰蓮達が住む屋敷の中で、様々な音が響いていた。包丁が食材を切る音、鍋の中で出汁が煮える音、火に食材が焙られる音。それらは全て一人の少女の動作によって鳴っている。

 

「━━━━ふぅっ!! 出来た!!」

 

少女がそう完了の宣言の言葉を発した。彼女の眼前には机一杯に料理が並べられている。しかしそれらは誰かに振る舞う為だけに作られたものではない。料理は謂わば《予行演習》の意味合いを兼ねていた。

 

「ねぇ、今で何分くらい?」

「四十三分だね。時間ぎりぎりだから、もう少し効率良くした方が良いかな?」

「確かにな。野菜の切る早さと日の通し方は改善できるな。最低でも四十分には抑えるべきだ。」

 

料理を作っていたのは鶯蘭であり、彼女の前には凰蓮と鳳巌が居た。しかし、彼等は料理の《味》ではなく鶯蘭の《効率》に改善案を呈した。その理由は、鶯蘭が出場しようとしている料理大会にある。

その大会で競われるのは料理の味だけではなく、制限時間が設けられている。出場する者はその部を問わず指定された料理を五十分以内で作る必要がある。その為、大会出場者は四十分程度で料理を仕上げる必要があるのだ。

 

「ん~ 三分か……。火の通し方はこれ以上短くできないし、やっぱり包丁捌きだね。

で、肝心の味の方はどう?」

「うんうん。とても美味しいよ。野菜に確り出汁が染み込んでるし、お米も粒が立ってる。」

「……今日も肉の火の通りは問題ないな。万が一にも食べた奴等が腹を壊したりしたら失格では済まないからな。優勝できなくてもそこだけは抜かるなよ。」

 

今回の審査員は凰蓮と鳳巌だが、鶯蘭が大会に出場すると決まった日から僅か数日で村中の人間が鶯蘭の料理に舌鼓を打っている。皆一様に絶賛しているが、鶯蘭はそれでも安心していない。

 

「まぁ、お前は何を言っても安心はしないだろうがな。村一番と持て囃されて出場したにも関わらず、身の程知らずと蔑まれて一回戦敗退などという目に遭う気は無いだろ。」

「そんなの当たり前でしょ。その点君達は明確な物差しがあるから良いよね。こないだ二人共一人でこんな大魚を釣ったって聞いたよ?」

 

鶯蘭はこんな(・・・)と言いながら、両手を広げて見せた。実際に二人が船釣りにて釣り上げた魚は体高、体重共に二人の倍以上もある大物だった。余談だが、その魚の肉は村だけでなく村外にも売られ、かなりの金額を村に納めた。

 

「はっはっは。確かにあの魚はついこの前までの僕達だったら手に余る大物だったろうね。」

「そうでしょ? 自分の実力が分かるって幸せな事だよ? まぁ、私も全く通用しないとは思ってないけど……………」

「大した自信じゃないか。そこまで言うなら大会で思う存分その実力を発揮して来い!」

 

鶯蘭特性の料理を囲んで再び三人の笑い声が部屋中に響いた。そうしている間にも各々が自らの夢の一歩を踏み出す時は刻一刻と迫っている。それでも三人は自分達の進む道は平坦ではなくとも希望に満ち溢れていると信じて疑わなかった。しかし彼等は直ぐに、その思い込みが余りに空虚な幻想だった事を思い知らされる。

 

*

 

それから数年後、遂に三人はそれぞれが出場しようとしている大会への参加資格を満たした。最初に村を出たのは鶯蘭だった。それは単純にその料理大会が刹喇武道会より早く開催されるからだ。凰蓮は当時の事を強く後悔している。この後に起こる事が分かっていたならば、自分はきっと三人の関係を犠牲にしてでも鶯蘭を強引に止めただろう と。

 

 

*

 

「━━━━とまぁ前置きが長くなりましたが、此れが私の故郷の話です。」

「………………!!!」

 

数分に渡って綴られる衝撃的な事実の数々に、彩奈は唯々圧倒されていた。凰蓮と鳳巌が幼馴染だった事実もさる事ながら、一際関心を寄せるべきは鶯蘭という女性だ。

 

「……………そ、そ、それで、その鶯蘭っていう人はどうなったんですか? 勝てたんですか!? というか今はどこで何を━━━━!?」

「……………残念ながら、その質問には答えられません(・・・・・・・)。鶯蘭はその大会には出場しなかったのです。

……………鶯蘭が生きている姿を見たのは、その時が最期でした。」

「ッ!!!!?」



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#313 Nightingale Elegy Part5 ~Forever Lost Wing~

「~~~~~~~~~~~~ッッ!!!!

一体何がどうなってんだよォ!!!!」

 

凰蓮が住む屋敷の部屋で、そう叫んだのは鳳巌だった。その絶叫と共に彼は手に持った新聞の記事を床に叩き付けた。本来何の非も無い筈の新聞記事がそのような仕打ちを受けた理由は、その記事が鶯蘭が出場した料理大会の試合の結果が載っている記事だからだ。しかし、鳳巌は決して記事の優勝者(・・・)の欄に鶯蘭の名前が載っていなかったから取り乱していたのではない。その記事のどこにも(・・・・)鶯蘭の名前が無かったから取り乱していたのだ。

 

「落ち着くんだ。今ここで僕達が暴れても何にもならないだろ。」

「これが落ち着いてられるか!! こんな馬鹿な事があるか!!!

お前も分かってるだろ!! 何でここに鶯蘭の名前が無い!! それにもうとっくに大会は終わってる筈なのに当の本人も帰って来てない!!! これが異常事態じゃなくて一体何だ!!!?」

「……………!!」

 

鳳巌は昂る感情に任せ凰蓮に掴みかかって問い詰めた。しかし凰蓮は鳳巌の狼狽を当然の成り行きと認めて受け止めた。

現在は鶯蘭が料理大会へ出場する為に村を出た日から数日後である。凰蓮達が住む茨辿地方の村から料理大会が開かれる一矻地方へは最低でも一日以上は掛かる。しかし今は凰蓮達の手元に件の料理大会の結果を報じる記事がある。つまり今は料理大会が終わって数日が経っているという事である。

だというのに記事に鶯蘭の名前は無く、それどころか今頃健闘の結果を持ち帰って来る筈の鶯蘭 本人すらが全く姿を見せない。誰がどう見ても異常事態だ。

 

「クソッ!!! クソクソッ!!!!

こんな事になってんのに連絡する方法すら無いなんておかしいだろ!!! 馬なり鳥なり妖具なり何かしら方法があんだろ!!!!」

「馬鹿言っちゃいけない!! 僕達みたいな平民がそんな贅沢なものを使える訳が無いだろ!!

だから(・・・)僕達は皆 大会に勝とうとしてるんじゃないのか!!」

「~~~~~~~~~ッ!!!」

 

鬼ヶ帝国には連絡方法が大きく分けて二つある。馬や鳥などの動物を利用する方法と、妖具、即ち妖術(魔法)が刻まれた道具を使う方法だ。この場合、鶯蘭の位置が分からないため必然的に後者の方法が取られる。しかし妖具は高級品であり、辺境のに住む鶯蘭の手に届くものではない。鶯蘭の状態を確認する方法が何一つとして無いのだ。

 

「じゃあどうするってんだよ!!! 鬼門組は碌な戸籍も持ってない、しかも管轄外の俺達の事なんざ取り合っちゃくれねぇぞ!!!!」

 

帝国では行方不明などの事件の捜査は鬼門組に一任されている。しかし凰蓮達の村から一番近い鬼門組の支部は数キロは離れており、運悪く村はその支部の管轄外である。実際、村の者が支部に被害を訴えた時も様子見という意味合いの言葉で門前払いを食らった。

 

「分かっている!! だから村の皆が人探しの張り紙を作ってるんじゃないか!!」

「お前こそ馬鹿を言うな!! 大会に出てない鶯蘭は俺達以外誰も知らないんだぞ!!! そんな奴等に鶯蘭が見つけられると思ってるのか!!!」

「!!!」

 

鳳巌の言い分は正しい。料理大会に出ていない(・・・・・)鶯蘭は村外の人間にとっては名も知らない唯の少女でしかない。そのような少女が一人行方を眩ました所で村外の人間は誰一人関心を寄せる事は無いだろう。

 

「……見つけられるのは俺達しかいないだろ!! 明日だ!! 明日の朝、鶯蘭を探しに行く!!!」

「!! な、何を馬鹿な!!」

「止めるな!!!! 邪魔するならたとえお前だろうと容赦はしねぇぞ。さもなければ刹喇武道会の試合を此処でやる!!! 真剣の斬り合いだ!!!!」

「……………!!!

分かったよ!! 君に見つけられるものなら、気が済むまで探すと良い!!!」

「………お前は来ないのか?」

「僕は君の様に無鉄砲の馬鹿じゃない!! もっと堅実な方法で鶯蘭を探すさ!!」

 

その言葉を最後に、鳳巌は凰蓮の屋敷を出た。そして翌朝、鳳巌は漁村を出た。そしてそれが鳳巌と村との今生の別れとなった。

 

 

***

 

 

ここに一人の老人が居る。名前を《宰淙(さいぞう)》。

かつて一矻地方にて鬼門組の支部長を行っていた男である。しかし、彼は十数年前に自らの職を退いている。彼の最後の仕事は鬼門組の新米(・・・・・・)になった凰蓮に自分が知る事を伝えた事である。

一線を退いた今も彼は自分が知る情報を全て記憶している。

 

「…………何故、私が鬼門組の職を自ら退いたか ですか。

……………私はね、取り返しのつかない過ちを犯してしまったんですよ。下らない権力に屈し、正義を捻じ曲げてしまった。その所為でこの帝国にとんでもない悪魔を産み落としてしまったのです。

ほら、貴方も知ってるでしょう。鳳巌という男を。彼が殺した人間は、最早私が殺したも同然なんですよ。」



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#314 Nightingale Elegy Part6 ~Old Soldier’s Monologue~

鬼門組支部長経験者 宰淙

 

彼の最後の仕事は林の中で起こった未解決の通り魔殺人事件である。一人の少女が林の中で遺体で発見された。通報者は偶然山奥まで猟に来ていた男である。鬼門組が駆け付けた時には死後数日が経っていた。通報者が利便な連絡手段を持たず、最寄りの支部に来るだけで数時間を要した事が主な理由だ。

 

*

 

「……………はいそうです。年端も行かない少女が殺されていたんです。

ええ。こう首を、刃物で一太刀でした。死亡推定時刻はさっきも言ったように、死後数日と言った辺りです。

でね、奇妙な事に、大きな荷物を背負っていたのに、それが荒らされていた形跡が微塵も無いんですよ。つまりです、あれは物取りじゃなくて、ただ殺したいから殺した(・・・・・・・・・・)という感じの動機の事件だったという訳です。

 

え? 被害者の身元ですか?

………これは他言無用でお願いしたいんです。というのもこれは何の裏付けも無い不確かな情報なのでね。公には身元不明で処理されましたが、被害者の関係者だと名乗る人物は一人居たんです。」

 

*

 

殺人事件の現場検証を行っていた時、一人の少年が現場に踏み込んで来んばかりの勢いで詰め寄って来た事を宰淙は記憶している。遺体の顔を確認し、その少年は『確かに自分の友人だ』と言った。

 

*

 

「ええ。その少年は自分を《鳳巌》だと名乗っていました。そして彼は事件の被害者を自分の友人の《鶯蘭》だと言っていました。しかし決定的な確証は得られなかったので、公にはしませんでした。

被害者の身内ですか? 勿論探しましたけど見つかりませんでした。彼女は天涯孤独だったんです。

……………そしてここからは私の罪滅ぼしだと思って聞いて欲しいんですが。実は私達は犯人に辿り着いていたんです。その犯人は非常に凶悪で強大な人間でした。それこそ、鬼門組にすら圧力を掛けられるほどにね。

言っても大丈夫なのか ですって? 勿論ですよ。だって、その犯人はもう死んでいるんですから。」

 

*

 

「捜査を打ち切れですって!? 本気で言ってるんですか!!?

もう少しで真実にたどり着けるっていうのに、こんな凶悪な事件を揉み消せと言うんですか!!!」

「上からの命令だ。そもそも揉み消すなど人聞きの悪い事この上ない。あの鶯蘭(仮)という少女の死は目的地に向かう途中で林の中の獣に襲われた不幸な事故死だ。」

 

宰淙達が辿り着いた犯人は一矻地方に本部を構える富豪の息子 《吽侏(ほす)》という男だった。彼は自室に大量の刃物を集めていた。そこから宰淙達は犯行の動機は殺人欲求と刃物の切れ味を確かめたいという極めて利己的なものだと推測した。

 

*

 

「はい。私達は確かに証拠を掴もうとしていました。令状を取り、後は家宅捜査を残すだけという所で上からそう言われました。後で分かった事ですが、その富豪は露骨に辺境や貧民を見下していました。きっと自分達は優れていると思い上がり、自分達の役に立って死ねる事を有難く思えとか考えていたに決まっています。でなきゃ今頃あいつらは檻の中で、私もこんな所には居ませんよ。

 

それで、結局私は従ってしまったんです。私に直接命令してきた、私の当時の上司だったのですが、その人に『家族を養えなくなるぞ』と半ば脅しを掛けられ、それに屈してしまいました。それが間違いだったんですよ。

間違いだと気付いたのはそれから数年経って、ある事件を聞いた時です。誤解の無いようにして欲しいんですが、私は当時鳳巌に鶯蘭は獣による事故死だと言いました。しかし、鳳巌は自力で真実に辿り着いたんです。知ってるでしょう? その富豪の家が襲われ、吽侏とその家族が殺害されたあの事件を。私はそれをやったのは鳳巌だと考えているんです。

 

それを知って私は激しく後悔しました。言い訳でしかありませんが、私は直ぐに鬼門組を去り、家族とも別れを告げました。因みに私に命令をした上司もそれ相応の罰を受けたそうです。どうでもいい事ですがね。

 

 

……………後これは、誰にも言っていない事なんですが、実は鶯蘭の関係者を名乗る人間は鳳巌の他にもう一人居たんです。

 

当時は刹喇武道会での実績が認められ、鬼門組の一隊員であり今現在は鬼門組総監をしている《凰蓮》です。」

 

 

 

***

 

 

凰蓮は鶯蘭の死について一頻り話し終えると、星を見上げながら一つ息を吐いた。彩奈は彼の顔に確かに『やるせなさ』を見た。鳳巌がそうであるように、彼もまた鶯蘭の死よりも我が身を優先した宰淙を悪く思って然るべき人間なのだ。

 

「……………私が宰淙さんから聞いた鶯蘭の死についての話は此れで以上です。それから話は十五年前まで進みます。」

「!! きゅ、十五年前って確か……………!!!」

「ええ、貴方が虎徹さんから聞いている通りです。寅虎さんの御両親が殺され、繪雅の屋敷が血の海に沈んだ日、そして私が再び鳳巌の存在を認知した日です。」



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#315 Nightingale Elegy Part7 ~The Disasterful Night~

ここに一人の男が居る。彼の名前は《矛俥(むぐるま)》。彼は十五年前に起こった殺人事件の目撃者だった男である。

繪雅の護衛だった兵士、そして彼等が人質に取った一般人複数名が一人の男に殺害されるという極めて凄惨な事件は帝国中を恐怖に落とし込んだ。しかしその中でも矛俥はその恐怖を最大限に受けた男だと断言出来る。

 

「…………今でこそこうして農家をしている私ですが、本来は父の精肉店を継ごうと思っていたんです。それをしなくなったのはやはりあの事件でしょうね。あれを見て以来、動物の肉が食べられなくなりました。こう、人の死って言うか、生命の消失ってヤツをもろに感じてしまうんですよ。

 

話が逸れましたが、あの事件ですよね。もう十五年になりますか。ですが私は今でも昨日の事のように思い出しますよ。

ええ。まさかと思いましたよ。私の町であれ(・・)以上の事が起こるだなんて思いもしませんでした。」

 

 

 

***

 

 

時は十五年前へ遡る。場所は領主の圧政が敷かれた小さな町。そこに一人の男が少女を連れて訪れていた。残酷な運命は徒にその悪魔(・・・・)と町の人間達とを引き合わせた。更に重なる不運がこの町から膨大な犠牲者を出す事へ繋がった。

 

*

 

「ええ。私は一部始終を見ていました。最初は見慣れない男が歩いているなと思っていたんです。全身を赤い布で覆った大男でした。次の瞬間ですよ。その男と繪雅が鉢合わせたのは。

繪雅は開口一番に『金を貢げ』といった事を言いました。多分あの大男も領民だと思い込んだんでしょうね。知っての通り、あの男は町から領民から金を絞り尽くす下衆の極みです。しかも、誰もがそれに逆らえませんでした。だからこそあいつは金を必ず手に入れられるものだと信じて疑わなかったんだ思います。

しかしね、あの大男にも問題はありましたよ。そいつも返す言葉で一言、『失せろ』といった事を言いました。だけど今考えれば、それも一種の恩情だったんじゃないかと思います。あの後に起こった事を考えればそんな突拍子もない考えにもなるでしょう。

 

事件は次の瞬間に起こりました。男の態度に逆上した繪雅は侍らせていた警備達を使ってその場に居た人達を人質に取り、再び要求を通そうとしました。後で分かった事ですが、運命はなんて残酷なんだと思いましたよ。その人質の中に(確か寅號とかいう)腕利きの武道家が居たと知った時にはね。

 

………そして次の瞬間です。その時私は最初、何が起こったのか分かりませんでした。ただ、視界に《赤の割合》が増えたとしか。血の匂いと上半身と下半身が生き別れになった人達、そして露出した内臓を見て初めて私は何が起こったのかを理解しました。たった一回の刃物の一振りで、十人以上の命が失われたんです。

 

その後ですか? それは分かりませんよ。だって気を失ってしまったんですから。」

 

 

 

***

 

 

白昼堂々 公衆の面前で行われたこの大量殺人事件の全貌が紙に載って帝国へ発信されるのはそこから数日を要する。無論、一人の悪辣な男の手によって十数人が殺害されるという凄惨な事件をひた隠しにする方法など何者にも持ち合わせない。しかし、繪雅についての情報、特に彼が民間人を人質に取ったという事実は猛烈な圧力によって隠された。

繪雅の父である繪縲と彼等と癒着し甘い汁を吸っている権力者達が身の破滅を恐れた結果だ。

 

しかし、この事が逆に繪縲達を破滅へと追い込む。その日の夜、繪縲達が住む屋敷は大災害(・・・)に見舞われた。

 

 

 

***

 

 

 

「……………はい。確かに私は十五年前に、繪雅から解放されて今は自由に暮らせています。だけど私は常々思うんです。私はあの人に助けられたんじゃなくて、ただあの屋敷を襲った災害(・・)から偶々助かった(・・・・・・)だけじゃないかって。そう思うんです。

私が言って良いのか分かりませんが、あの人に私を助ける気は微塵も無かったんじゃないかと思うんです。ただ、繪雅を殺したかっただけじゃないかって……………」

 

そう答えたのは《弍啊(にあ)》という女性である。当時の彼女は繪雅に目を付けられ強引に屋敷へ連れてこられ、そして尊厳を破壊されるような扱いを毎日のように受けていた。

 

「はい。毎日のように殴られ、蹴られていました。あの男にとって私は留飲を下げる為だけの存在だったんだと思います。あの夜もそうでした。特に酷く殴られたり蹴られたりしました。

理由ですか? 確か、私を殴りながら『あいつのせいだ』とか、『何故俺が怒られなければならない』とか、そんな事を言っていたと思います。」

 

弍啊の予測は当たっている。昼の事件の後、繪雅は事の鎮圧に奔走した父 繪縲から激しく叱責を受けた。特に八人もの警備を失った事を激しく問い詰められた。

 

「後、『見つけ出して絶対に殺してやる』とか、そんな事も言っていました。その時です。屋敷が災害(・・)に襲われたのは。

最初は何か大きな影が私を飲み込んだとしか感じませんでした。何が起こったのかは上を見て初めて分かりました。

繪雅の後ろに大男が立っていたんですよ。そしてこう言ったんです。

 

『良かったな。探す手間を省いてやったぞ』と。」



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#316 Nightingale Elegy Part8 ~The Disasterful Night 2~

十五年前まで繪雅の屋敷に囚われていた女性 弍啊の証言は続く。彼女が語るのは屋敷の中に鳳巌という災害(・・)が発生した悪夢の日だ。

 

「………はい。それはもう見上げるような大男でした。全身を真っ赤な布で覆って物凄い表情を浮かべていました。最初は何が起こってるのかまるで分かりませんでした。あの部屋は屋敷の最上階にあったんです。ですからあの大男はそこまで跳ぶかよじ登るかして部屋まで来たって事になるんです。

 

次の瞬間にはこう、首を掴んで、片手で軽々と繪雅を持ち上げたんです。繪雅の体重ですか? 多分ですけど、二十羅貫(約60キロ)くらいはあったんじゃないですかね。それを顔色一つ変えずに片手で持ち上げたんです。並の力じゃないですよ。

その時の繪雅ですか? 勿論大男が入って来た事に驚いて、暴れて抵抗していました。最初は大男に向かって『なんだこの手は』とか『さっさと離せ』とか、そんな高圧的な事を言ってました。だけどあの大男は一言、『貴様がさっさと消えろ』と言うと、手に力を込めた(・・・・・・・)んです。そうです。それが繪雅の最期でした。

 

その後ですか? 私の番だと思いましたよ。だって目の前で人が殺されたんです。私も殺されると思うのが当然じゃないですか。だけどあの大男は私には目もくれずに部屋から出て行きました。

その後すぐに私は気を失ってしまいました。その時私は手酷く殴られて虫の息でしたからね。目を覚ました時には町の病院でした。その事件で私が知ってるのはこれで以上です。」

「そこからは私が話しましょう。」

 

弍啊の証言を捕捉する形で口を開いたのは《埔斑(ほむら)》という男である。彼は元鬼門組の隊員であり、十五年前の当時は通報を受けて繪雅の屋敷へと駆け付けていた。

 

「ええ。通報してきたのは繪雅の屋敷の人間でした。最初はまさかと思いましたよ。彼等は我々鬼門組をまるで信用しておらず、面倒事は自分達で解決していましたから。今となっては恐らく、後ろ暗い事を嗅ぎつけられるのを恐れていたんでしょうね。

ですが通報の声が尋常ではなかったのでね、只事ではないと思いましたよ。まぁ尤も、通報がある以上は駆け付けますけどね。兎にも角にも、そういう訳で私はあの屋敷に駆け付けたんです。」

 

埔斑が屋敷に到着した時間は日が沈んでから数時間が経過した頃だった。彼等は到着して屋敷を見て激しく驚愕した。そこにある筈の光景が全く異なっていたからだ。

 

「通報を受けてから駆け付けるまでの時間ですか? ええ。早馬を飛ばしてほんの十数分で。

………ですから、あの屋敷で起こった惨劇も、一人の男の手によってその十数分で行われた事になります。」

 

まず埔斑達が見たのは屋敷の庭に転がる大量の男達の遺体だった。いずれも鳳巌の手によって命を奪われた繪雅直属の傭兵である事が後の捜査で判明している。

 

「ええ。月明かりに照らされて、庭一面に赤い血が染み付いていました。一目見た時、私は何か《統一感》みたいなものを直感的に覚えました。それが何故なのかはすぐに分かりました。

その遺体は全て同じ鎧に身を包んで、全員が斬り殺されていたんです。全員が繪雅の傭兵で鳳巌の手によって切り殺されたんだから、当たり前ですけどね。」

 

後で判明した事だが、埔斑達が駆け付けた時には既に鳳巌の手によって屋敷の人間の殆ど(・・)が殺害されていた。繪雅も彼の父の繪縲も、そして彼等が雇っていた傭兵達も全員が数分の間に命を奪われた。

 

「これは現場の状況や遺体の状態から推測した結果なのですが、まず鳳巌は繪雅を扼殺し、その後駆け付けた傭兵達を次々に返り討ちにして、その最後に繪縲を殺害したと我々は考えています。それが僅かな時間の中で行われたのは間違いありません。現場に飛び散った血痕は全てまるで乾いていませんでしたから。

 

その時鳳巌が何処に居たかですって? 直ぐに見つけましたよ。奴は屋敷の屋根に立っていたんです。片手に奴の身の丈程もある大きな刃物を持っていました。あれがあの屋敷に居た人間達の命を奪った凶器と見てまず間違いありません。

その後奴は我々の姿を見るや否や踵を返して走り去りました。ええ。屋根から屋根へと飛び移って。あの巨体で考えられませんよ。勿論追いかけましたが、結局追い付く事は出来ませんでした。

 

その後は追跡を諦めて事後処理に専念しました。ええ。てっきりもうあの屋敷には遺体しか残されていないと考えていました。ですが事実は知っての通りです。あの屋敷に囚われていた町の女性達は無傷でした。ええ。彼女、弍啊さんもその一人でした。つまり鳳巌は何故か女性に危害を加えなかったんですよ。

ですから鳳巌を繪雅から女性達を救ったと考える人達も一定数居るんです。

 

それからしばらくしてですよ。その鳳巌という男が再び我々に見つかったのは。その後は、ええ。皆さんも良く知るあの事件の始まりです。」



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#317 Nightingale Elegy Part9 ~Disasterful Night Returns~

凰蓮が刹喇武道会に出場したのは鳳巌の手によって繪縲達が血の海に沈んだ忌むべき日ー後に《繪縲事件》という名称が付いたーの数年前である。かつて武道会の選手であり凰蓮と試合をした経験を持つ《侃銘(かんめい)》という男は当時の凰蓮の様子を次のように語っている。

 

「はい。私は惇圖の方の生まれで、武道会に出た理由も単純に自分の実力を売り込みたいというものでした。凰蓮氏との試合はその大会の二回戦です。ええ。ご存じの通り、惜敗しました。

凰蓮氏の第一印象ですか? 色々とありますが、強いて言うなら何か、強い使命感に囚われているような印象を抱きましたね。具体的にはこう、是が非でも優勝しなければならないというような強い執念めいたものを感じました。

 

実はその後凰蓮氏と少しだけ話が出来たんです。その話によると彼には共に出場する筈だった友人がいて、自分はその友人の分まで勝ち続けなければならないと言っていました。

いや、その友人が誰なのかは聞きそびれました。恐らく言いたくなかったんだと思います。出場直前に不慮の事故で亡くなってしまったとか、そんなところでしょう。

 

それでも彼の執念というか、信念というか、兎に角彼の思いは本物でした。私はその次の大会で勝ち進んで実力を買われて警備職に就く事が出来ましたが、ご存じの通り、彼は私と闘ったその大会で優勝し、見事鬼門組に入る事が出来たんですから。何というか、格の違いというやつを思い知らされましたね。何を隠そう彼はそれからたった数年で鬼門組の総監に就いた訳ですからね。」

 

侃銘が挙げる凰蓮が総監に就いた出来事とは繪縲事件から六年後、鬼門組の支部長補佐まで上り詰めた凰蓮と犯罪組織を束ねるまでに成長した鳳巌が激突した日の事である。

 

 

 

***

 

 

「━━━━━━━━い凰蓮。

━━━━おい凰蓮! 返事をしないか!」

「! あぁすみません支部長。」

 

場所は《匯御谷(えごや)》という首都 豪羅京の南東海沿いの地域に建つ鬼門組の支部。支部長である《愼會(じんかい)》という男の呼び声に答えたその男こそ当時 鬼門組匯御谷支部長補佐という肩書きを持っていた凰蓮である。

 

「……………お前、またその手配書を見ていたのか。こいつを許せん気持ちは重々察するが身の丈に合わん背伸びは身を滅ぼすだけだ。」

「……………はい。」

 

凰蓮が見ていたのは二十年以上前に離れ離れになった親友であり今は最悪の犯罪者である鳳巌の手配書だった。繪縲事件の後その凶悪さに戦慄した帝国の政府は彼の首に二十万艮(約二十億円相当)という常識外れの懸賞金を懸けた。しかしそれから五年以上、鳳巌の足取りは掴めていない。その現状に鬼門組は焦燥感を覚えていた。

 

凰蓮は自分と鳳巌の関係を周囲に明かしていない。繪縲事件の後、凰蓮は自分の手で鳳巌を止めなければならないという決意を強く固めた。その為に周囲に自分の過去を伏せた。私情を持ち込んでしまっている事は彼が一番良く理解していたが、鳳巌を犯罪者に変えてしまったのは自分であり、自分がその責任を取らねばならないと強く言い聞かせていた。

 

「凰蓮、俺はな、お前には少しでも長く生きて帝国の平和の為に尽くして欲しいと思っているんだ。お前も知っての通り、武道会の叩き上げは就職しても精々一線で身体を駆使する事が精一杯だというのに、お前はこうして俺の補佐として色々な仕事をこなしてくれている。腕っぷしだけの叩き上げには出来ない事だ。

勿論そういう奴等のお陰で帝国が回っている事は事実だが凰蓮、お前はそれ以上の事が出来ると俺は信じている。だから━━━━」

「支部長!!! 愼會支部長!!! 通報です!!!」

『!!!』

 

愼會が凰蓮と話している最中、匯御谷支部勤務の女性隊員が青い顔をさせて凰蓮達の許へ駆け寄った。彼女の表情からしても尋常ではない事が起こったのは明白だ。

 

「た、たった今通報があり、大勢の武装勢力が領主の屋敷を襲撃していると━━━━!!!」

「何だと!!? 首謀者は誰だ!?」

「つ、通報者によれば、武装勢力を束ねているのは、あの繪縲事件の鳳巌だと━━━━!!!!」

「!!!!」

 

鳳巌という名前を聞いた瞬間、凰蓮は女性より、そして愼會よりも早く駆け出していた。その場に居た誰もがこれから繪縲事件と同等、或いはそれ以上の被害が出るという懸念に囚われたが、凰蓮の活躍によって被害はそれより遥かに抑えられる事になる。

 

 

 

***

 

 

 

通報を受けてから僅か数十分。凰蓮は件の領主の屋敷に誰よりも早く到着した。そして自らの目ではっきりと鳳巌の姿を視認する。嘗て村に居た頃とはかけ離れた、憎悪によって醜く歪んだ、しかしそれでも自分の記憶情報と確かに合致する鳳巌の姿がそこにはあった。

犯罪者となってしまった鳳巌の姿を視認した瞬間、凰蓮は半ば反射的に地面を蹴って鳳巌へ肉迫していた。武装勢力の誰もが凰蓮の強襲に反応出来なかった。反応するよりも早く凰蓮は手に持っていた武器ー巨大な刃物ーを鳳巌に向けて振るった。

 

『━━━━━━━━ガァン!!!!!』

 

それは、凰蓮と鳳巌が持つ刃が衝突した音、そして二人の再開と開戦を告げる音だった。



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#318 Nightingale Elegy Part10 ~Loathful Reunion~

九年前 それは鬼門組の支部長補佐へ上り詰めた凰蓮と犯罪組織の元締めへと成り果てた鳳巌が真っ向から激突した日である。鬼門組匯御谷支部勤務の隊員であり、件の事件の解決任務に当たっていた経験を持つ《俜劵(へいげん)》という男は当時の様子を次のように語っている。

 

「いや、もう一発で。右の大振りでした。

私が駆け付けた時には既に始まっていたんですよ。当時の凰蓮総監は鳳巌の姿を見るや否や真っ先に飛び出して鳳巌に向けて持っていた刃物を渾身の力で振り下ろしたんです。それで終わっていれば話は簡単でしょうが、そうはなりませんでした。鳳巌も総監の攻撃を正面から受け止めたんです。

 

はい。それはもう物凄い轟音でした。とても金属同士がぶつかったとは思えないくらいの。その場に居たかなりの人間がその音だけで昏倒したんですよ。私は辛うじて耳を塞いで難を逃れたのですが、隣に居た隊員や総監の側にいた組織の男達が大勢意識を失いました。後で判明した事ですが、彼等全員の鼓膜が破れていたんですよ。」

 

 

 

***

 

 

俜劵は事件の証言を行っているが、彼も知らない事が件の事件には隠されている。それは凰蓮と鳳巌が交わした言葉の数々である。それを知っているのは凰蓮と鳳巌だけだ。

 

「……………久しい、と言うべきかな。鳳巌。」

「……………そういうお前は随分と小汚い衣を身に纏っているな。帝国の言いなりに成り下がったか。」

「………一つ答えてくれるか。六年前、大勢の人を殺した殺人犯は本当に君なのか。」

「ああ。()が殺した。あの下卑た面が目に障ったからな。」

「答えを期待してはいないが、敢えて聞こう。一体何故なんだ。」

「知れた事だ。此の国が如何に腐っているかを思い知ったからだ。」

「鶯蘭の事か。それなら私も聞いた。其れが何故人を殺す理由になるんだと聞いているんだ。」

「理由などない。刃の一振りで耐えるような脆い者に掛ける温情などありはしない。」

 

そこまで聞いて凰蓮はようやく、目の前の男はかつての親友からは変わり果ててしまっている事を理解した。最早鬼門組の一員としてこれから起こるであろう惨劇を未然に防ぐ為には取れる方法はたった一つしか無い事を理解し、それを実行に移す。

 

凰蓮と鳳巌は戦場には似つかわしくない緩慢とした動作で持っている武器を上段に振り上げた。

 

「………命の価値すら見失ってしまったか。

ならば()は鬼門組の一員として、君を止めなければならない。」

「千七百四十九回目の勝負だな。

…………否、真剣での斬り合いは此れが初か。」

「そうだね。」

 

鼓膜を劈くような重厚な金属音と共に、再び凰蓮と鳳巌の攻撃が衝突した。泣き叫ぶような金属音が響く鍔迫り合い後、鳳巌が身体を沈め均衡を崩し、凰蓮の体勢を崩す。そしてかち上げるような動きで凰蓮の身体は宙に舞った。

凰蓮はそのまま体勢を立て直して着地し、再び鳳巌と向き直る。

 

「…………俺の手で投げられるなどと、随分と軽くなったな。その図体は張りぼてか何かか。」

「其れはきっと鬼門組の仕事で彼方此方走り回ったからだろうね。」

「……至極残念だ。ならばお前はもう俺には勝てない。吹けば飛ぶような紙屑に成り果てたお前にはな。」

「……………!!!」

 

凰蓮が鳳巌と衝突している中、鳳巌の下に就いた武装勢力の男達は目の前で起こる光景に圧倒されていた。自らの目的を達成しようとしている最中、突如として始まった自分達の統率者の一騎打ちを呆然と見ていた。

そして凰蓮は不意を突かれる。鳳巌と武装勢力達とには浅からず関係があったのだ。

 

「貴様等は早く向かえ!!! 此奴の相手は我がする!!

貴様等の手で己が自由を掴むのだ!!!!」

「!!!」

 

その言葉に誘発されるように武装勢力は一斉に屋敷に向けて駆け出した。凰蓮の誤算は鳳巌と彼等の間に関係が結ばれていた事、そして武装勢力達の目的を見逃した事だ。更に何故鳳巌が態々 このような事件を起こしたのか、その理由も彼の頭からは抜け落ちていた。

 

 

 

***

 

 

「……………はい。私達も後で調べて分かった事ですが、あの武装勢力の目的は所謂《自由》を求めて事を起こしたんです。あの領主は常識外れの高い税金を徴収し、人々から反感を買っていたんです。それが何故か鳳巌という協力者を得て、あの大反乱に発展したんです。

ですが鬼門組も負けてはいませんでした。私達も彼等の確保に向けて動き出していたんです。

 

………これは私の見解ですが、あの事件は凰蓮総監にとっても一種の転機だったと思いますよ。

知っての通り、あの事件を切っ掛けとして凰蓮総監は総監となったのですからね。」

 

俜劵の証言によって明らかになる事件は凰蓮と鳳巌の激突から始まり、そして新たな局面を見せる。程無くしてこの一連の事件は鬼門組だけでなく帝国の歴史に深く刻まれる事となる。



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#319 Nightingale Elegy Part11 ~Holy Top and Dirty Top~

「……はい。私を含め、当時あの場に居た誰もがあの《繪縲事件》の再来だと思ったと思います。つまり、これから山ほどの人間が死ぬ羽目になるとね。ですがそうはなりませんでした。尤も、死人無しとは行きませんでしたが、それでも被害は遥かに抑えられました。

それもこれも、偏に凰蓮総監があの鳳巌を単独で足止めして下さったお陰ですね。彼は帝国の英雄ですよ。」

 

俜劵の証言は続く。彼は凰蓮と鳳巌が再開し、そして激突した事件を今でも機能の事のように覚えている。

 

「二人の戦いの顛末ですか? 申し訳ありませんが私も事件の鎮圧に奔走していましたからね。そうです。鳳巌が手下達に檄を飛ばした時に、私も自分の職務を全うせんと必死になっていました。手前味噌にはなりますが、かなりの数の男達を確保しました。勿論私だけじゃなく、他の隊員達も活躍してくれました。

とはいえ手放しに喜ぶ事は出来ませんけどね。何人か取り逃がして突撃を許してしまって、警備の人が死んだり逆に返り討ちをさせてしまった例もあります。ええ。今言った死人が其れですよ。」

 

結果的にこの事件で九人の犯人グループと三人の警備員が犠牲になった。因みに犯人を返り討ちにした警備員は全員正当防衛が認められた(尤も、その他の犯罪で逮捕され、例外なく起訴されている。)。

 

「話を戻しますが、戦いの顛末ですね。過程は全く見ていませんが、逆に最後は辛うじて目撃しました。……ええ。ご存じの通り、決着は引き分けでしたよ。

私が粗方の犯人を確保し、鳳巌の所に行った時には既に全てが終わっていました。あの壮絶な光景は生涯忘れませんよ。

お互いの持っていた武器の刃が、お互いの身体を貫通していたんです。そうです。こう、お互いに突きを放って、相討ちって奴です。

 

しばらくした後、両者が同時に武器を抜きました。私ですか? その場に居た私を含めた全員が動けずにいたんです。何かこう、干渉してはならないものを感じてしまってね。

抜いた後は、そうです。刃という栓が抜かれた訳ですからね。腹部から夥しい出血ですよ。それまでの戦いでかなり斬り合ったからでしょうね。二人共大小様々に切り傷塗れの血塗れで、限界が来ていたんでしょうね、二人とも膝を突きました。それでようやく動けたんです。全員で鳳巌を確保しようとね。

 

ですがしぶといのがあいつです。我々を吹き飛ばして逃げ出し、そして仲間、襲撃とは別の仲間が用意していた馬に乗って逃走を許してしまったんです。ええ。逃走したのは鳳巌一人でした。 ……………逆に鳳巌は逃がしてしまったとも言えますけどね。

凰蓮総監ですか? 重傷だった訳ですから勿論病院に救急搬送ですよ。因みにその時総監の治療を行ったのはあの蕺喬女医でした。そういう訳で今、陸華仙と蕺は協力関係を結んでいるんですよ。

 

その後は皆さんも知っているように、新しい鬼門組総監の誕生ですよ。」

 

 

 

***

 

 

「……………其れが、私が最後に鳳巌の顔を見た日でした。」

「…………………………!!!!」

 

凰蓮の口から語られる数々の衝撃的な事実に彩奈は唯々 圧倒されていた。時折、自分は何処かの創作物の世界に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥った。それ程までに凰蓮の口から語られる話は非現実的だった。

 

「生死の境から目を覚ました後は兎に角大変でした。先ず、上から激しい追及を受けました。まぁ、独断で勝手に襲撃の主犯と一戦交えたのですから自業自得と言われれば其れ迄なのですけどね。其れで私は敢えて自分と鳳巌の関係を洗いざらい話しました。庇っていると思われないために、鶯蘭の事も含めてね。

其の後は綱渡りのような毎日でした。鬼門組を追われるか否かの瀬戸際に何度も立たされました。」

「だ、だけど、そうはならなかった……………」

「運が良かっただけです。誠意を持って鳳巌を自分が捕まえると言った事と、鳳巌(主犯)を足止めしてその事件の被害を最小限に抑え込んだ事が功を奏したのでしょう。そして世論に背中を押される形で先代が引退すると、私はこうして総監の椅子に座る事となりました。

其れからは今日迄、帝国の治安維持と鳳巌の足取りを辿る生活を続けました。そしてつい最近、鳳巌が巨大な犯罪組織の頭になっている事を突き止めたんです。尤も、私と同じで唯の成り行きでしょうけどね。」

 

彩奈は頭の中で点と点を繋げていた。昨日の山賊団と珂豚と翡翠と鳳巌は全て繋がっているのだ。

 

「……………杏珠さん、最初に私が言った事を覚えていますか? 私は此の国には美しい部分も汚い部分もあると言いましたね。ならば私は此の国の美しい部分を少しでも増やそうとし、鳳巌は汚い部分を憎悪したのだと思っています。それこそ、今この場に居て貴女と話しているのが鳳巌だった未来もあったのではないか とね。」

「えっ!!? そ、そんな訳ありませんよ!!

鬼門組の総監(トップ)は、凰蓮さんにしか出来ません!!!」

「そう言って頂けると、この道を選んだ甲斐が有るというものです。」

 

「総監!! 凰蓮総監!!!」

『!』

 

凰蓮と彩奈の前に現れたのは苺禍だった。

 

「やはり此処に居ましたね! まだ年端も行かない少女を連れ出して! 一体今何時だと思ってるんですか!!

もう日付が変わってます!! 就寝時間はとっくに過ぎてますよ!!」

「おやおや。ついつい話が長くなってしまったのですね。分かりました。

杏珠さん、私が誘っておいてなんですが、行きましょう。」

「は、はい……………」

 

日を跨ぐまで起きているという人生初の体験をした彩奈は苺禍に連れられて自分の部屋に向かった。こうしてようやく鬼ヶ帝国の激動の二日目は各々の感情や陰謀を内に秘めたまま、終わりを迎えた。



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#320 Repatriation ~Time of Counterattack~

時刻は朝、時計の針が(日本基準で)午前七時三十分を指し示す頃。彩奈は鬼門組 陸華仙にて用意された朝食を口に運んでいた。

献立は焼き魚を中心とした纏まりのあるものだったが、彩奈の舌は漠然としかその味を認識出来ず、半ば機械的に料理を箸で掴み口に運ぶという行為を繰り返していた。その理由は大きく分けて三つ、その直前に取った睡眠が不十分であった事、凰蓮から聞かされた話が余りに衝撃的であった事、そして哲郎の安否が気掛かりだった事だろう。

 

(……………哲郎さん、もうすぐ帰ってくるはずだよね? 大丈夫かな? 鳳巌に捕まって何時間も閉じ込められて……………

いくら頼もしいと言っても私より子供なんだから、何かこう、ストレスみたいなもの感じてるんじゃ………!!)

 

鬼ヶ帝国への潜入は三日目に突入した。初日以上に昨日(二日目)は波乱を極めた。

特に哲郎が(本人の意思とはいえ)敵の手に落ちた事が彩奈にとっては少なからず衝撃だった。彼女が憂いていた事は哲郎の精神状態だ。

彩奈はこれまで何度も哲郎に助けられた。そしてその状態は帝国に潜入した今も変わっていない。しかし哲郎は自分より年下の少年である事も彩奈は理解していた。更に彩奈には敵の手に落ちた哲郎の精神状態を想起させる要素がある。

 

日本(前世)での彩奈はいじめに遭い、閉鎖的な空間に閉じ込められた経験がある。その時の精神的負担を彼女は今でも昨日の事に用に覚えている。そして彼女は敵の手に落ちた哲郎と自分とを重ね合わせていた。周囲は敵ばかりで味方は一人も居ないという孤独な状況を想像するだけで彩奈は吐き気にも似た負担を覚える。

 

「…………………………ず?

……………おい、杏珠(・・)!」

「ッ!!?」

 

不意に横から聞こえた声に彩奈は肩を震わせて反応した。声の主は虎徹だ。彩奈と同様、鳳巌による刹喇武道会襲撃事件の被害者という立場にある虎徹もまた陸華仙の保護を受け、彩奈の隣で食事を口に運んでいる。

 

「こ、虎徹さん………!」

「随分と呆けておるようじゃったぞ。

凰蓮に色々聞かされたと聞いたぞ。其れに中てられて寝れておらんのではないのか?」

「そ、それは大丈夫です。あれから一応六時間くらいは寝れましたから。ただ……………」

「凰蓮の身の上が余りに衝撃だったか?」

「!!」

 

虎徹の一言は余りにも正鵠を得ていた。凰蓮の口から語られた数々の事実は彩奈の精神を大きく揺さぶった。或いは昨夜の出来事は現実に酷似した夢かもしれないという感覚に今でも陥っている。それ程までに凰蓮が語った鳳巌との関係は余りに現実離れしていた。

凰蓮は自分がかつて鳳巌と旧知の仲であった事や鳳巌が犯罪に走った理由などを語った。恐らく帝国民がそれを聞けば全員が大混乱に陥るであろう事を彩奈は手に取るように想像出来た。

 

「……………どうやら主も分かっておるようじゃな。

《繪縲事件》を筆頭に、奴は帝国を騒がせ過ぎた。最早奴にどのような訳があろうと許す人間は此の国には居るまいよ。

……………親友(凰蓮)を含めてな。」

「!!

……………じゃあなおさら、この国を助けなきゃいけませんね。それが出来るのは私達しか居ないんですから。」

「そうじゃな。」

 

彩奈は帝国を誰から(・・・)助けるかという主語を明かさなかった。しかし虎徹はその事を追及はしなかった。鳳巌か敵の《転生者》か或いはその両方か、いずれにしろ帝国に不可視の危機が迫っている事は紛れもない事実だ。

 

その事を肝に銘じつつ半ば作業と化した食事を口に運んでいると一人の隊員が一つの吉報を携えて食堂へ飛び込んで来た。

 

「杏珠さん!! ご報告があります!!

たった今、哲也さんを乗せた車が豪羅京に入ったとの事です!!」

「!!」

 

その一言を聞いて彩奈は目を輝かせた。次の言葉で食事が終わる頃には馬車が陸華仙に到着するという旨を聞かされた。

 

 

 

***

 

 

朝食から約一時間後、彩奈達は陸華仙の入り口に立っていた。つい数時間前に聞いた凰蓮の話が頭から抜けそうになる程に彩奈の気持ちは昂っていた。焦る必要など微塵も無いと自分に言い聞かせつつも体内時計は一秒一秒を緩慢に刻んだ。

その時の彩奈は一秒一秒が余りに冗長に感じられ、精神の動揺を抑え込む事に全力を尽くさねばならなかった。それをしばらく続けた後、その時は訪れた。

 

「!!!」

「……ようやっとの帰還じゃな。」

 

何時間にも錯覚しそうな待ち時間の後、森の奥から一台の馬車が姿を現した。彩奈にはそれが輝いて見えた。その馬車の中に希望を見出していたからだ。

そして馬車が停車し、遂に扉が開いた。

 

「………………………!!!!」

「……杏珠さん(・・・・)、遅くなりました。」

 

鬼門組の隊員達の付き添いを受け、哲郎の姿が彩奈の視界に入った。それを認識した瞬間、彩奈は半ば衝動的に哲郎に駆け寄った。最早彼女の脳裏には自分は帝国民の《杏珠》であるという認識は頭から抜けていた。

 

『て、哲郎さん……………!! 良かった……………!! 本当に良かった……………!!!

もう、もう二度と会えないかもって、私……………!!!』

『落ち着いて下さい。他の人に聞こえますよ。

それに僕はこんな事で死ぬわけにはいきません。なにより良いようにされるのはもう十分です。ここから反撃開始ですよ!!!』



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鬼ヶ帝国 編 第三幕
#321 Juvenile and Garuda


鳳巌の根城から解放(追放)された哲郎は鬼門組の人間達に簡単な聴取を受けた後、彩奈の部屋へと向かった。そしてそこには虎徹も居る。時刻は午前中、彩奈の部屋にて緊急会議が行われようとしていた。

誰が言及するでもなく、今日この日が鬼ヶ帝国の運命を左右する一日になるだろうという事を確信していた。

 

「…………じゃあまず、お互いの情報を擦り合わせる事から始めましょうか。

まずは僕から。色々ありましたが一番大きな事は、やっぱりあの根城で鳳巌の日記を読んだ事ですかね。」

「日記……………?」

「はい。鳳巌の根城の中の倉庫のような場所で見つけました。具体的には鳳巌の子供の頃の様子が書かれていました。」

「!」

 

日記の内容を話し始めた瞬間、彩奈の顔色が変わった。

 

「? どうかしましたか?」

「わ、私、聞きましたよその話! 凰蓮さんから、子供の頃の話を!!」

「えっ!!? 本当ですか!?」

「は、はい! 小さな海沿いの村で暮らしてたって……………!!」

「(あの日記と同じだ…………!!)

すみません。一度僕が読んだ日記の内容を全部話してからにして下さい。その後に凰蓮っていう人から聞いた話と一致しないところが無いか判断しましょう。」

「あ、は、はい……………!」

 

*

 

哲郎は日記の内容を文字を一文字一文字読み上げるように、凰蓮と鳳巌の在りし日の日常、鶯蘭という女性が料理の大会に出ようとした事、その鶯蘭が一向に帰って来ない事が記載されていた事を順を追って話した。

 

「………で、残念ですが日記はそこで終わっていました。ここまでで何か彩奈さんが聞いた話と間違ってるところはありませんか?」

「いえ、あの人から聞いた通りです。後私、その後(・・・)の事も色々聞きました………!」

 

哲郎が話し終えると次は彩奈の番だった。人と話す事に慣れていない彩奈は凰蓮から聞いた話を神に箇条書きにしていた。それを基に数分以上を掛けて凰蓮の過去話を哲郎に話し終えた。

 

「━━━━で、その事件の後に、凰蓮さんは鬼門組の総監(トップ)になったっていう訳なんです……………!」

「なるほど。これでようやくあの記事の事件の全容が分かりましたよ。それで、他に分かった事はありませんか?」

「い、いえ、それ以外は……………」

「そうですか。では僕からもう一つ、

鳳巌の娘を名乗る女性に出会いました。」

『ッ!!!?』

 

 

 

***

 

 

哲郎が言った鳳巌の娘を名乗る女性とは、彼が鳳巌の根城内で交戦した《黐咏》である。哲郎は彼女の容姿や言動を話した。交戦から半日以上が経過した現在でも彼女の印象は哲郎の脳裏にはっきりと記憶されている。

 

「━━━━で、隙を見てその人から逃げて来たという訳なんです。」

 

哲郎が話し終える時には彩奈も、それまで一言も話さなかった虎徹も動揺を隠しきれないというような顔をしていた。哲也はその反応を予測していた。今この場に居る者の中で他でもない哲郎本人がその事実を受け止め切れていないのだ。

驚愕の一色に染まった空気を変えたのは虎徹の言葉だった。

 

「………一つ確認するが、其の娘が現に彼奴の娘を名乗っていたのか。」

「はい。それに鳳巌を『パパ』と呼んで完全に肩を持つ行動を取っていました。僕の事を殺しに来たくらいですから。」

「……………そうか。ならば儂に言えるのは唯一つじゃ。

其の娘が彼奴の実娘である可能性は皆無という事じゃ。」

 

黐咏と交戦した直後の哲郎も虎徹が言った結論に辿り着いた。そしてその根拠も同じだった。

 

「……やっぱり虎徹さんもその結論に辿り着きますか。」

「うむ。彼の獣同然の男に言い寄る女子など居る筈も無い。其れに加え血縁が居るならば血眼になって探しておる鬼門組の者共が気付かん道理も無い。ならば考えられるのは其の娘が鳳巌に拾われた者であるという可能性だけじゃ。尤も、その経緯は知る由も無いがな。」

「僕も全く同じ事を考えました。後これは僕の勝手な空想ですが、もしかしたら鳳巌はその黐詠という人に鶯蘭さんを重ね合わせたんじゃないかと。」

『……………!!!』

 

哲郎の推測は全く根拠の無いものだった。哲郎は日記の記載から、彩奈は凰蓮の話からしか鶯蘭の情報を得ていない。この場に居る全員が鶯蘭の顔すら知らないのだ。

そしてその話を聞いていたのは彩奈と虎徹だけではなかった。

 

「……皆さん、此処にいらしていたんですね。」

「!!?」「お、凰蓮さん!!」

(凰蓮!!? この人が、鬼門組の総監(トップ)……………!!!)

 

哲郎の背後には凰蓮が立っていた。この時が哲郎と凰蓮の初対面だった。

哲郎は鳳巌と同等の体格を持つ凰蓮に鳳巌とは異なる迫力を見出した。

 

「………こうして顔を合わせるのは初めてですね。初めまして、鬼門組 陸華仙の現総監の凰蓮です。

時に哲也さん、何やら非常に興味深いお話が聞こえましたが、私にも詳しくお聞かせ願えますか?」



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#322 Juvenile and Garuda 2 ~Rotten Friendship~

帝国潜入の二日目の昼頃に鳳巌に拉致された哲郎と凰蓮が対面するのはこれが最初である。哲郎もそれまでに凰蓮についての様々な事前情報を仕入れてはいたが、それでも実際に顔を合わせると想定を超えた衝撃が哲郎を襲った。

 

そして現在、彩奈の部屋にて哲郎と凰蓮が座って対面して口にしたのは凰蓮だ。

 

「色々とお聞きしたい事は在りますがまず、貴方は其の娘と交戦したと言いましたが、鳳巌に拉致された後拘束されなかったのですか?」

「最初は狭い檻の中に入れられました。ですが隙を見て脱走しました。それで安全な場所を探していたらその娘を名乗る人に出くわしたんです。」

「成程。では次に、その女性について分かっている事を出来る限り教えて下さい。」

「分かりました。」

 

哲郎は黐咏の情報として彼女の容姿服装と使用した武器を鮮明に話した。哲郎にとってその行為は簡単なものではなかった。記憶を辿って黐咏の情報を思い起こす度に当時の緊張が克明に蘇ってくる。

 

「……………赤い長髪に和服、そして装備は長い刀と投擲用の小刀 ですか。

分かりました。ではその女性の似顔絵を作るとしましょう。担当の者を呼んで参ります。」

「!!」

 

凰蓮は黐咏の似顔絵を作ると言った。哲郎はその言葉を聞いた瞬間、次に起こるであろう事を察知し顔を青くさせた。

哲郎も(テレビドラマの中の話とはいえ)こういう場合はそのような方法を取る事があるという想定はしていた。しかしそれでも動揺を示したのはそれによって哲郎の無根拠な推理が当たっているか否かが分かるからだ。

 

哲郎は黐咏を鳳巌の実の娘ではないと考え、そして鳳巌が黐咏を義娘にした理由を黐咏に鶯蘭を重ね合わせたからだと推測した。この推理にまるで根拠は無く、他の誰かが聞けば一笑に付されそうになる程に荒唐無稽な考えである事を他でもない哲郎自身が自覚している。

しかし今、その推理が正解か否かが問われようとしている。黐咏の顔を知っている哲郎と鶯蘭の顔を知っている凰蓮が対面するという状況がその条件を満たしていた。

 

*

 

似顔絵担当の鬼門組隊員の男ー名前を峨彩(がさい)と名乗ったーの質問に哲郎は出来る限り正確に答えた。目の形、髪型の詳細、鼻立ち、口の形状、そして轟鬼族特有の特徴である角の形状。数分を掛けて哲郎は様々な情報を峨彩に開示した。

哲郎が詳細を話す度に峨彩の筆を持つ指が紙の上を滑らかに動く。そして哲郎が持てる情報を残らず開示し終わる頃には紙の上に一人の少女の顔が完成していた。それは哲郎の記憶に深く刻まれている黐咏の顔と瓜二つだった。

 

「……………!!!」

 

哲郎には全く絵の才能が無いという訳では無い。少なくとも図画工作の授業で苦労した記憶は哲郎には無い。

しかしそれでも峨彩の技術の高さに言葉を失っていた。峨彩が描いた黐咏の顔は実物をそのまま克明に描写していた。それは(モノクロの)写真と見間違う程だった。哲郎にそこまでの技量が無いが故に圧倒される他無かった。

 

「哲也さん、貴方が見た娘を名乗る女性はこの顔で間違いありませんか?」

「あ、はい! こんな顔でした。」

「成程成程。これは……………」

 

哲郎と同様、凰蓮も峨彩が描いた黐咏の似顔絵を吟味するように見つめている。それを見た哲郎は満を持して凰蓮に問い掛ける。

 

「……………凰蓮さん、僕は鳳巌が黐咏という女性を娘にした理由は鳳巌がこの人と鶯蘭という人を重ね合わせたからではないかと考えています。凰蓮さんはどう思いますか。」

「……………そうですねぇ。全くの瓜二つとは言えませんが、それでも雰囲気に共通する部分は見受けられます。哲也さんの考えが当たっている可能性も無いとは言えないでしょう。

 

……………ところで今、《鶯蘭》と言いましたね。その情報源はもしや鳳巌の日記ではありませんか?」

「!!? どうしてそれを!?」

 

凰蓮は哲郎がまだ彼に開示していない情報を平然と指摘して見せた。哲郎は面食らったが凰蓮は更に言葉を重ねる。

 

「やはりそうでしたか。この時になってもまだ保管していたとは。因みに其れは何処で?」

「鳳巌の根城の中に倉庫のような部屋がありました。日記はその中に。ちなみにですが、その日記は鶯蘭という人が失踪した時期で終わっていました。」

「!! そうですか……………」

 

鳳巌の日記が最後に書かれた時期は哲郎にとっては何気ない情報の一つだが、その事実に凰蓮は少しばかりではあるが顔を顰めた。その時期は若かりし日の凰蓮と鳳巌が鶯蘭の捜索について確執を生み、道を違えた時だ。

 

誰にも言っていない事だが、凰蓮はその日が自分達の運命を大きく分けた日だと考えている。その日、もし凰蓮が村外に出て鶯蘭を捜索し死の事実を知っていたならば道を踏み外していたのは自分の方だったのではないかと毎日のように考えている。

凰蓮のその胸中を知ってか知らずか、哲郎は核心に迫る質問を凰蓮に投げ掛けた。

 

「……………凰蓮さん。鳳巌と接触のある人間として一つ聞かせて下さい。鳳巌の事を、どう考えて(・・・・・)いますか?」

「どう考えて? 決まっているでしょう。あの男は最早私の友ではない。早急に捕らえねばならない極悪人以外の何者でもありませんよ。今日迄其の為に全力を尽くしてきました。

そして其の努力は今日報われるでしょう。我々鬼門組は今夜、鳳巌の根城に奇襲を掛けます。」

『!!!』



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#323 The Black Covert

「鳳巌の根城に奇襲を掛ける」と、凰蓮はそう言った。しかし哲郎はその発言に真っ向から驚く事はしなかった。それは哲郎が凰蓮が鳳巌の根城の位置を予測している事を予測していたからだ。

 

「おや。存外に驚かないんですね。」

「そうですね。あの場所(・・・・)の見当は付いているのは分かっていましたから。」

「間違いありませんね。何より貴方が提供してくれた情報で辿り着いた候補地ですから。」

 

哲郎は鳳巌の根城に拉致された時に彩奈に二度通信を行っている。そしてその時の地点から鳳巌の根城(の候補地)はその通信の最大距離を結んだ点であるという推測がなされた。それは他でもない哲郎が考えた推測であり、自分より遥かに長く人生を経験している凰蓮をはじめとする鬼門組の面々が同じ結論に至る事は容易に予測できる。

 

「兎にも角にも、皆さんは事件の被害者。我々には全力で皆さんの身の安全を保障する義務があります。今日は一日此の陸華仙の中で保護します。此の鉄壁の城の中に居れば絶対に安全です。」

「……………」

「言うまでも無い事でしょうが、くれぐれも此処から出て首を突っ込むなどと言うような気は起こさないように願いますよ。

譬え我々の中の誰かが奇襲から生きて帰れなかったとしてもね。」

『!!!!』

「少し長くなりましたが、私から話す事は以上です。皆さんから話す事が無ければ私は此れで失礼します。私は此れより今夜の奇襲の作戦を練らねばならないのでね。」

 

凰蓮はそう言って立ち上がり、彩奈の部屋を後にした。凰蓮が姿を消し、数分以上哲郎達は口を閉ざして黙り込んでいた。奇しくも彼等の心中は全く一緒だった。

そして静寂を破ったのは虎徹の言葉だった。

 

「…………………………彼奴、今夜死ぬ気じゃな。」

「!!!!」

 

虎徹の一言に対し、彩奈だけ(・・・・)が驚愕の声を唇の間から漏らした。彩奈も全く同じ事を考えてはいたが、実際に言葉にされると受け入れがたい衝撃が彼女の胸中を襲った。そして哲郎は目を閉じてその発言を聞き入っていた。

 

「……て、哲郎さん……………?」

「どうやら主も心当たりがあるようじゃな。」

「ええ。実は鳳巌も同じような事を考えていると、僕は考えています。鳳巌の今までの行動からそう推測しましたし、彼自身がそう言ってました。」

 

*

 

哲郎は自分が鳳巌が鬼門組に潰されて終わる事を望んでいると考えていると推測した事、鳳巌の言動を根拠にそう推測し、鳳巌自身もその推測を認めた事を話した。

 

「鳳巌は僕を拉致したというのに全く殺そうとも危害を加えようともしませんでした。そして彼は『鬼門組を誘き出す為の餌』と言いました。」

「それって、鬼門組を呼び寄せて、その、倒す為なんじゃ……………!!」

「いえ。それなら『誘き出して潰す』とか言う筈です。そうは言わなかった。きっと彼は珂豚みたいな仲間も仲間と思わず、自分がいつ終わっても良いと思ってるんですよ。その結果仲間達がどうなっても構わないとね。」

『!!』

 

哲郎の言葉には(犯罪者とはいえ)仲間である人間達を顧みない鳳巌の傍若無人さを糾弾する意図が込められていた。

 

「ならばどうする。此の儘凰蓮が死地に飛び込む事を指を咥えて見ている主では無かろう。何かしらの行動を起こすつもりの筈であろう。」

「もちろんですよ。とはいえこれ以上(・・・・)人との約束を破るつもりもありません。ここから出ずに行動を起こします。」

「此処から出なければ何もしても良いという腹積もりか。傍から見れば唯の屁理屈じゃな。

じゃが今は其れでも構わんじゃろう。儂に一つ心当たりがある。」

「!

……………もしかして、鴻琴を殺そうとした暗殺者ですか?」

「ほう。既に其処迄予測しておったか。ならば話は早い。付いて来るが良い。」

 

 

***

 

 

「…………しかし今迄簸翠の名を知らなんだとは驚いたな。其れであるというのに何故儂等が奴の目論見を封じたと分かった。」

「そんな事は簡単ですよ。」

 

哲郎が言った暗殺者とは《簸翠(ひすい)》の事である。哲郎はそれまで珂豚に雇われて鴻琴の口を封じようとする暗殺者が居るという情報しか知らず、簸翠という名前はたった今虎徹の口から聞いた。しかし哲郎はそれ以前から鬼門組がその男の身柄を手中に収めていると確信していた。

 

「僕は彩奈さんを通してその簸翠と言う人が動こうとしている事を伝えました。そうすれば鬼門組の人達は何かしらの行動を起こすでしょう。そしてそれには虎徹さん達もまず間違いなく同行する。

ここまで言えば分かるでしょう。」

「聞くだけ野暮じゃったようじゃな。其れにしては主は随分と儂等の事を高く評価しておるようじゃな。」

「儂等?」

「その通りよ。此の娘も目を引くような活躍じゃったのじゃぞ。なぁ?」

「えっ!!? そ、それは、その……………」

 

彩奈は虎徹の評価を否定はしなかった。簸翠との戦いを決着させたのは簸翠の毒の苦無を彩奈が《転送》させた事だ。虎徹は寧ろあの戦いの功労の割合は彩奈の方が大きいと考えている。

 

「おお、無駄話をしている間に着いたな。

……此処からは締めてかかれよ。儂等は此れから奴から情報を吸い出すのじゃからな。」

 

哲郎達は今、彩奈の部屋から抜け出し、虎徹の能力である《墨汁》を利用して姿を隠した上で秘密裏に行動している。そして哲郎達は今とある部屋の前に居る。

そしてその扉の向こうには鴻琴の命を狙った暗殺者《簸翠》が拘留されている。



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#324 The Black Investigation

哲郎は凰蓮から『今夜の夜襲に首を突っ込むな』という意味合いの忠告を受けた。哲郎はその言葉を表面上は守った。

裏を返せば、陸華仙の中(・・・・・)で自由に行動する事を選択した。そして今、哲郎達はとある部屋に居る。珂豚の依頼を受けて鴻琴の首を狙いに来た暗殺者、《簸翠》が拘留されている部屋だ。

 

簸翠は彩奈達の活躍によって捉えられ、現在は鬼門組の手の中に居る。簸翠は現在最も有力な情報源だ。珂豚の事にせよ鴻琴の事にせよ、何かしらの情報を握っている事は想像に難くない。

 

「…………言っておくが哲郎、なるべく早く済ませよ。いくら儂の《墨汁(すみ)》で姿を眩ませておると言っても見つかればどうなるか分かったものではない。」

「分かっていますよ。ですがその簸翠という人は絶対に情報を握っている筈です。それが分かれば何かしら対策は立てれます。敵の《転生者》に対してね。」

「………でも、どうやって聞き出すんですか? もしかして、あの時(・・・)みたいに手荒な方法を……………!!?」

「否、そんな方法は取らんよ。儂には選ぶ余地がある。より穏便で迅速な方法を取る余地がな。」

 

彩奈が言ったあの時(・・・)とは、彩奈が初めて陸華仙に足を踏み入れた時に目の当たりにした苺禍が鴻琴を取り調べ(拷問)した時の事である。苺禍が如何に鴻琴が(自殺教唆と違法賭博という)悪辣な人間であるかを説明しても尚、彩奈はあの過激さを看過する事が出来ていない。今回もまたそのような事が行われる事を彩奈は危惧した。

 

しかし虎徹はその可能性を否定した。そして簸翠が拘留されている部屋の前に立ち、その鍵穴に《墨汁》の能力で文字を書く。書いたのは《解》という字だ。

 

「よし。此れで突入出来るぞ。」

『!』

 

虎徹がそう言って戸を引くと扉は簡単に開いた。哲郎は扉を施錠する閂が戸に埋まっている光景を認めた。虎徹の能力が鍵を開錠したのだ。

 

「…………………………!!」

「何を呆けておる。さっさと終わらせるぞ。」

(………改めて見てもこの人の能力、本当に何でもありだな………………………!!

この人が敵に回らなくて本当に良かった……………!!)

 

たった一文字書くだけで帝国一の警備すら容易く突破してしまえる虎徹の《墨汁(能力)》を目の当たりにして哲郎は虎徹の無法な強さを再確認した。そして彼女と敵対していたかもしれない可能性に恐怖し、彼女と自分達とを仲立ちしてくれているノアに対し心の中で感謝の言葉を述べた。

 

「お、居ったな。奴がそうじゃ。」

「! あの人が……………!」

 

哲郎達は部屋の奥で拘束されている男を見た。彼こそが鴻琴を狙った暗殺者《簸翠》である。

簸翠は檻に入れられ、その上で全身を拘束衣に包まれていた。哲郎はまだ知らない事だが、鬼ヶ帝国は死刑廃止国であり、それ故に犯罪者、取り分け凶悪犯への締め付けはより強くなっている。加えて今回の場合は簸翠が空間に関係する妖術(魔法)の使い手であった事も大きく関係している。簸翠の妖術は壁などを硬度を無視して抜け穴を開け、簡単に移動、脱出が出来る。

故に鬼門組はこうでもしなければ簸翠を捕らえておけないという結論に至り、それを実行した。

 

現在、当の簸翠は(蕺喬作の)麻酔薬で眠らされている。凶悪犯であるという自覚を持って警戒をしながら、哲郎達は檻の前まで近付いた。

 

「………この人も鳳巌みたいに何人もの人を……………!!

! 何ですかこの肩の傷は。」

「ああ。其れは彩奈が付けた傷じゃ。」

『えっ!!!?』

 

哲郎が見つけた簸翠の肩の傷とは、彩奈が簸翠の(毒付きの)苦無を《転送》し肩に刺さり、簸翠が毒から逃れる為に肩の肉ごと切除した時の傷である。虎徹の言う通り、それは彩奈が付けたと言って間違いはない。

しかし、彩奈は咄嗟にそれを否定した。

 

「あ、い、いや、それは、私のせいじゃないっていうか、でも、私が原因っていうか、その……………!!」

「分かってますよそんな事。彩奈さんが理由も無くそんな事する訳ないじゃないですか。

虎徹さん、早く済ませましょう。やり方はもう思い付いてるんでしょ?」

「うむ。」

 

哲郎の言葉を聞いた虎徹は口元にニヒルな笑みを浮かべながら指先に《墨汁》を溜める。因みにその時彩奈は『理由があればやるって思われてるんだ……………!』と少なからず傷付いていた。

 

「では始めるとしよう。儂流の取り調べをな!!!」

 

虎徹は指を振り指先の《墨汁》を簸翠へと飛ばした。簸翠の胸元辺りが黒く塗り潰され、そこに文字が浮かび上がる。虎徹が書いたのは《誠》という文字だ。

それを確認し、虎徹は檻の外から簸翠に呼び掛ける。哲郎はその様子を固唾を飲んで見守っていた。これからの数分に今夜の命運が掛かっている。

 

「さて簸翠よ。今から儂の言う事に嘘偽り無く答えよ。先ずは主に此度の暗殺を依頼した者について知っている事を洗いざらい話せ。」



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#325 The Black Honest

虎徹は簸翠の身体に《墨汁》の能力で『誠』の字を書き込んだ。その上で虎徹は簸翠に彼の依頼主について答えるよう言った。既に(虎徹流の)尋問は始まっているのだと哲郎は理解した。

 

(……………『(せい)』。つまり『(まこと)』……………!!

これで恐らくこの簸翠っていう人は嘘が付けなくなっている。 だから……………!!)

「━━━━あ、あ、か━━━━━━━━!!」

『!!!』

 

蕺喬作の薬の効果で意識を奪われている簸翠の口からか細くはあるが言葉が発せられた。その瞬間、哲郎達は押し黙ってその言葉を一言一句逃さないように注力する。その言葉の全てが帝国の運命を握る情報の塊も同然だ。

 

*

 

数分を掛けて、たどたどしい口調で簸翠はいくつかの情報を喋った。

 

まず、自分に依頼をした珂豚という男は違法賭博を仕切っておりそれが明るみになる事を防ぐ為に自分に依頼をした事。自分に依頼をした場所は豪羅京内だった事。

そして自分は珂豚以外に数人 鳳巌の直属の部下が居る事を話した。

 

そしてそれを話し終わると簸翠は再び意識を失った。

 

「……………彼奴から絞れる情報は此れで全てか。思ったよりも少なかったな。」

「確かにそうですね。珂豚が違法賭博を運営しているのは分かり切っていましたし、最後に言った数人の部下というのもそのような人達が居ると言っただけで名前やどんな人なのかが分からない。」

「じゃな。じゃとすると有力なのは此奴が珂豚から依頼を受けた場所(・・)じゃな。つまり主らの目算は当たっていたと考えて間違いは無いな……………。」

「ですね……………。」

 

簸翠は珂豚からの依頼を豪羅京内で受けたと言った。それが意味する事を哲郎達は瞬時に理解した。

哲郎達は鳳巌の根城の位置を豪羅京の地下にあると推測した。そして哲郎は珂豚が簸翠に依頼をした(恐らく)数時間以内に鳳巌の根城の中で珂豚の姿を目撃している。即ち珂豚が居た簸翠に依頼をした場所と鳳巌の根城は同じ豪羅京内である可能性は十二分にあるという事だ。

 

「やはり鳳巌の根城は此の都にある可能性は十二分にあるな。ならば問題は━━━━」

「はい。この事をあの人が━━━━━━━━」

『!!!』

 

哲郎達は話を途中で終わらせ、背後にある扉へ視線を向けた。その理由は扉の向こうから微かに足音が聞こえたからだ。大前提としてこの行動は他の誰にも明るみになってはいけない。簸翠との接触はそれ程までに危険を伴う行為だ。言うまでもなく部屋に入った時に施錠はしていたが、鬼門組の人間に対しては無いも同然の対策だ。

 

 

(ど、どうする!!? とりあえず天井に浮いて隠れるか!?

それより僕達がここに来た痕跡は何か残ってないか━━━━)

「哲郎さん!! 虎徹さん!! 私に!!」

『!?』

 

*

 

簸翠の身柄は鬼門組にとっても最重要事項である。故に数時間おきに経過を確認する対策が取られた。彼等が確認する主な事項は簸翠に投与した睡眠薬の効き目の確認である。空間魔法の使い手である簸翠が意識を取り戻すだけで脱走の危険性が格段に高まるのだ。

 

哲郎達が簸翠に接触した時間に重なるように彼の状態を確認しに来た二人の隊員達の報告書の記載は次の通りである。

 

『〇月△日

陽刻 巽之時(帝国の暦で午前九時頃)

以下、暗殺者 簸翠被告の身柄の状態

簸翠被告に意識無し。睡眠薬の効果 正常。侵入者の痕跡(・・・・・・) 無し。』

 

*

 

「はぁっ!! はぁっ!! う、上手く行った……………!!!」

 

場所は陸華仙内の彩奈に宛がわれた部屋。そこで彩奈は安堵の声を漏らした。そしてその部屋には哲郎と虎徹も居る。先程まで簸翠が拘留されている部屋に居た哲郎達がその部屋に居る理由は一つだ。

 

巡回の者が留置部屋に入ってくる瞬間、彩奈は『私に』と言いながら哲郎と虎徹に触れ、《転送》の能力を発動した。そして哲郎と虎徹を自分の部屋へ《転送》した後、自分の身体も同様に部屋へ《転送》した。

 

「主にしては随分と早い頭の回転であったな。じゃが此れが出来るならば行きも其の方法で良かったのではないか?」

「ああいや、それは無理なんです。私の能力は見えているか一度行った事のある場所にしか転送できないので……………!」

「そんな事よりですよ。あんなに急ぐ事は無かったんじゃないですか?足音から考えても後三十秒くらいは余裕がありました。せめて僕達があそこにいた痕跡があるかどうかくらい確認してからでも遅くなかったんじゃ」

「!!」「!」

 

そこまで言ってから哲郎はようやく自分の発言の不適切さに気が付いた。哲郎は単純に今回の行動が如何に秘密裏に行われなければならないかを重要視していた。哲郎は簸翠の留置部屋に侵入した事実が鬼門組の人間に発覚する事を危惧したが故に出た言葉であり、そこに彩奈の判断を非難する意図までは含まれていない。しかし彩奈の耳にはそう聞こえた事をようやく理解した。

そして哲郎の意図を代弁したのは虎徹だった。

 

「心配は要らんよ彩奈よ。此奴が今更主を詰るような言葉を抜かす筈が無かろう。此度の事が明るみになる事が如何に危険か考えての事じゃ。

じゃが哲郎、其れは杞憂というものじゃ。儂が書いた二つの文字は既に消え、何の痕跡も残ってはおらん。奴等が此度の事に気付く可能性は有りはせん。」

「……………そう、ですか。すみません。神経質になりすぎました。」

「良い良い。では話を戻すぞ。此度の事が組の者共に知られる事を危惧する必要はない。ならば恐れるべくは━━━━」

「はい。今回の事が、敵の《転生者》に知られているかどうかですね。」



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#326 Assassinate The Emperor

哲郎達は簸翠と接触し、彼から得た情報によって鳳巌の根城がこの豪羅京の中にあるという推測を殆ど確実なものとした。秘密裏の行動を終えた哲郎達は話を次の段階に移す。それは帝国を狙う敵の《転生者》についての話だ。

 

「ならば先ず一番に考えるべくは其奴が如何にしてこの国を討ち取ろうとしておるかという事じゃな。」

「………そうですね。やっぱり一番ありえそうなのはその人と鳳巌が組んでいるって可能性じゃないですか? ほら、鳳巌の力というか、武力というか、とにかく手を借りればどうにか出来そうじゃないですか。」

「いや、それはありませんよ。」

『!』

 

哲郎はそう言って虎徹と彩奈の仮説を否定した。それは自分が得た情報に基づく確信に近い考えだ。

 

「確かに僕もそう考えていました。そもそもその可能性に賭けて《転生者》にぼろを出させる為に鳳巌にさらわれた訳ですからね。それで、訳あって鳳巌に直接その事を聞いたんです。すると彼はその事を完全に否定しました。」

「……其れを根拠とするのは些か薄いのではないのか。奴が嘘をついている可能性は考えなかったのか。」

「それも考えましたが、可能性は低いと思いました。

理由としては二つ、さっきも言ったように鳳巌の行動が《転生者》の目的とかけ離れている事ですね。」

「其れはつまりどういう事じゃ。」

「虎徹さんも分かっている通り、鳳巌は僕を拉致しました。もし敵の《転生者》がその事を知り、それでいて鳳巌と接触出来る立場にあったなら、僕を生かしておくはずが無い(・・・・・・・・・・・・・)じゃないですか。真っ先に鳳巌に僕を殺す事を命じるか、それか自分で殺そうとするはずです。

それをしなかった、いや、出来なかった(・・・・・・)って事はつまり、鳳巌と《転生者》の間に接点は無いと考えられませんか。」

「成程な。ならば二つ目の理由とやらを話してみろ。」

「はい。実は鳳巌は━━━━」

 

哲郎は二つ目の根拠を話し始める前に目を閉じて一呼吸を置いた。彼の脳裏には鳳巌の余りにも無機質な表情が浮かぶ。あれ以上に感情が籠っていない顔を哲郎は生涯で見た経験が無い。

 

「実は鳳巌は、帝国が討ち取られてもどうでもいいと言ったんです。」

『!?』

「正確に言いますと、《転生者》の思惑通りに行ったとしても国が滅ぶのではなく『首が挿げ変わるだけだ』と言ったんです。《転生者》の目的から考えると、この言葉は少し違和感があると思ったんです。」

 

《転生者》と鳳巌が関わり合っていた場合、鳳巌は《転生者》の目的を知り尽くしている事になる。そして《転生者》の目的から推測した帝国の結末は『首が挿げ変わる』程度では済まされない事は容易に想像できる。それが哲郎が立てた二つ目の理由だ。

 

「…………確かに筋は通っておるな。その可能性は五分五分と考えるのが良かろう。

ならば次に考えるべくは其奴が今夜何をするか(・・・・・・・)という事じゃな。」

「………………はい。」

 

凰蓮はつい先程、今夜鳳巌の根城を襲撃すると言った。それは言うまでも無く帝国の根幹を揺るがす事態であり、その混乱に乗じて敵の《転生者》が何かしらの行動を起こす事は火を見るよりも明らかである。

それが何であろうとも帝国を破滅たらしめる事なのはまず間違いない。

 

「して、其の()が何であるかと聞かれれば、儂は凰蓮か鳳巌か、或いは此の国の皇帝(羅王)である《魍焃(もうかく)》の何れかの首であると考えておる。」

「!! 魍焃…………………………!!!」

 

魍焃

哲郎はその名前を丸一日ぶりに聞いた。哲郎は最初にその名前をラミエルの口から聞いた。彼女は『転生者には転生者でしか太刀打ちできない』というルールにも似た持論を立てた上でその例に漏れる存在を四人挙げた。そしてその中の一人が魍焃である。

哲郎はラミエルの口から《転生者》の目的が魍焃の首を取る事であるという推測を聞かされた。しかし哲郎は現状においても虎徹にその事を話そうとはしなかった。

 

(ラミエルさんは魍焃(皇帝)転生者(僕達)にも勝てるような《例外的存在》だと言っていた。それが本当で、もし敵の《転生者》も同じ事が言えて、その上で事を起こそうとしているならそいつは魍焃に勝てる算段があるって事になるな。

それ程の力を得るか、もしくは皇帝に近付く人脈的な何かを手にするのか、何にせよ正体を暴いてそれをさせない事が最優先だな……………。)

 

哲郎は武道会に出た時に《転生者》の正体は武道会を観ていた国の重要人物の内の誰かでは無いかという推測を立てている。

 

(確か候補は《糜沙(みさ)》、《趙姩(ちょうねん)》、《䴇臍(れいさい)》、《餞郝(せんせき)》、《廠桓(しょうかん)》、《櫟菇(いちこ)》、《嬨珱(しおう)》の八人だったよな。この話が終わったら、その八人の事も調べておかなくちゃいけないな……………。)

 

哲郎は心の中でそう呟いた。

哲郎の予測は当たっている。その八人のうちの誰かに成りすました《転生者》は現在も皇帝 魍焃の首を虎視眈々と狙っている。



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#327 Indulgence and Obligation

哲郎にとって刹喇武道会での記憶は鬼ヶ帝国での出来事においてもかなりの割合を占めて印象に残っている。透桃や寅虎との試合、更には鳳巌や凰蓮の存在を初めて知った場所も同様に武道会の場であった。

そして鳳巌の根城で様々な事実を目の当たりにした現在でも武道会で得た様々な情報は哲郎の脳裏に深く焼き付いている。特に敵の《転生者》の容疑者として目を付けた八人の帝国の重役達が現状において最も注目すべき情報である事を哲郎は察知していた。

 

(凰蓮さんが行動を起こす夜まではまだ多少なりとも時間がある。たった今行動を起こしたばかりでまた下手に動くのはまずい。今はこの部屋で出来る事をすべきか。

…………それで、そのこの部屋で出来る事(・・・・・・・・・)と言ったらやっぱりこれから何をすべきか だよな。それはまず今言った八人の情報を何とかして手に入れる事だよな。

 

例えば、鬼門組の人達に聞いてあの八人の情報、具体的には生い立ちとか経歴とかを調べるくらいだよな。もし敵が、里香がラドラさんに成りすました時みたいに成り代わっていたとしたらどこかにその痕跡が残っていてもおかしくない。

 

とにかく、敵が今夜、凰蓮さんが鳳巌達に奇襲を掛けた時を狙って行動を起こす事はまず間違いない。それまでにどうにかして敵の正体を明らかにしないと)

『カァン!!! カァン!!! カァン!!! カァン!!! カァン!!!』

『!!!?』

 

その音は鬼門組 陸華仙の屋根に備え付けられた半鐘の音だった。鬼門組において半鐘が鳴る時は唯一、本部内において異常事態が発生した時だけだ。

 

「な、な、な、何ですかこの音!!!?」

「狼狽えるな!! 此れは組の半鐘の音じゃ!!

じゃが有り得ん!! 此の陸華仙において異常事態の報せが鳴るなど━━━━」

「!!? 哲郎さん!!?」

「おい、何処へ行く!!?」

「決まってるでしょう!? もしかしたらこの一件に敵が絡んでるかもしれない!! 今からそこに行くんですよ!!!」

 

先程までの下手に動く事はまずいという思考を真っ向から否定するかのように哲郎は半ば衝動的に駆け出していた。

 

 

***

 

 

哲郎は半鐘の音が鳴り響く陸華仙の廊下を一心不乱に走っていた。

鬼門組の人間達は聞き慣れない半鐘の音に過敏に反応し、緊急事態の対処に奔走していた。彼等にとって半鐘の音が聞き慣れないものである理由は一つ、帝国において最大規模を誇る陸華仙を襲う人間などまず居ないからだ。

奇しくも鬼門組の人間達の意識は半鐘が報せる異常事態に集中し、その中を走る哲郎に意識を向ける者は居なかった。

 

しかしそれも、たった一人の例外を除いての話だ。一人だけ、事態収束に専念していた陸華仙の中で哲郎に声を掛けた人物が居た。

 

「君!! こんな所で何をしている!!」

「!? あなたは━━━━」

 

哲郎に声を掛けたのは苺禍だった。哲郎と彼女が対面するのはこれが初だったが、互いに互いの事を彩奈から得た情報で知っていた。

 

(この人は確か、陸華仙の苺禍という人……………!!)

「何をしているんだと聞いているんだ!! 今は緊急事態だ!! 大人しく部屋で待機しているんだ!!」

「緊急事態だと聞いたから動いてるんです!! 一体何があったんですか!?」

「何故君にそんな事を教えなければならない!! 早急に部屋に戻れと言っている!!」

 

苺禍の主張は帝国民である《哲哉》に対しては非常に道理の通ったものだった。しかしそれを分かっていても哲郎は苺禍に対して折れる訳にはいかなかった。哲郎にとってこの緊急事態は謂わば情報が詰まっている可能性のある箱も同然のものだ。

無論、この事態に鳳巌や敵の《転生者》が関係していない可能性もあるが、そうでなければそれを、この事態から情報を見つけ出す契機を見逃す事は今すぐにでも事が動きかねない現状では非常に致命的な遅延行為だ。

 

「(わがままなのは分かってる!! だけどここで引く訳にはいかない!!!

彩奈さん達の、この国のためにも!!!)

……………僕に関係してる事かもしれないじゃないですか。」

「!?」

「もしかしたら、一昨日の山賊や鳳巌の手下が僕を恨みに思ってやった事かもしれないでしょう!!? だとしたら僕が原因って事になる!!

それなのに僕が動かない訳にはいかないんですよ!!!」

 

この主張は今までの哲郎には珍しく破綻した論理による暴論だった。しかし今ここで足を止めてしまうと《転生者》の思惑を阻止するという勝利から目に見えて遠ざかる気がしていた。

そしてその暴論によって遂に苺禍が折れた。ここで哲郎を説得するより哲郎の要求を飲んだ方が早いと判断しての事だ。

 

「……………十数人の侵入者が裏門から襲撃したと聞いている。此れを聞いてどうするかは君の自由だ。君の勝手な行動で君がどうなろうと私は責任を負えないがな!!!」

「……………!! ありがとうございます!!!」

 

苺禍から情報を得た哲郎は裏門に向けて走り出した。

 

*

 

「……………!!!」

 

裏門から外に出た哲郎の目に飛び込んで来たのは屈強な男達と鬼門組の人間達が乱戦している光景だった。数は鬼門組の方が遥かに多いが、襲撃者達は圧倒的な身体能力で鬼門組の人間達を蹴散らしていた。

しかしそれよりも哲郎の意識は襲撃者達の様子に集中していた。彼等は全身に青筋が浮かび上がり、そしてその目は真っ赤に充血していた。



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#328 The Invisibility Malice

非常事態の発生を報せる半鐘の音を耳に挟みながら、哲郎は目の前に広がる光景を認識する事に終始していた。眼前の状況から得られる情報を細分化し、少しでも多く情報を得ようと努めていた。

 

例えば人数は軽く見積もって十数人の鬼門組の人間達と僅か数人の屈強な男達という状況である事。

例えば戦況は圧倒的に人数的有利を取っていながら鬼門組の方が侵入者の男達に圧倒されているという事。

例えば侵入者達の様子は明らかに正気を失い全身に青筋が浮かび上がり白目が真っ赤に充血しまともな言葉を口にしていない事。

 

僅か数秒の時間で哲郎は様々な情報を目の前に広がる光景から得た。

 

(何なんだこれは……………!! 鬼門組(帝国の警察)を襲うなんて考えられない!! それにあの人達の様子、どう見てもまともじゃない!!

あの人達が敵の《転生者》の仕業の可能性はかなり高い。何にせよ!!!)

 

目の前に広がる状況を独自に分析し、哲郎は駆け出していた。自分の立てた仮説が当たっていようと外れていようと、今自分が取るべき行動はたった一つしか無い事を哲郎は理解していた。

 

*

 

言うまでも無く、鬼門組の最高機関である陸華仙の実力は誰にも疑う事は無い。しかし彼等の実力が発揮されるのは専ら本部の()だ。本部の中での彼等の行動は殆どの場合、確保、拘留した犯罪者の警備や取り調べ、情報管理に終始し、戦闘を行う事は殆ど無い。

それは最高機関である陸華仙を襲う人間などまず居ないからだ。

 

たった数人の暴徒達に精鋭である筈の彼等が苦戦を強いられた理由は大きく分けて二つ。本部内での緊急事態の対処に全くの不慣れである事、そして侵入者達の正体が掴めず下手に手が出せない事だ。

 

「本部の中で暴れさせてはならない!! 絶対に中に入れるな!!!」

「敵は操られているだけの一般市民の可能性もある!! 傷付けずに無力化させるんだ!!!」

「麻酔銃だ!! 催眠の妖術使いでも良い!! とにかく応援を頼め!!!」

 

陸華仙の門の前で、突如として起こった不測の事態に対処しようとする男達の怒号が飛ぶ。図らずも彼等の目的は侵入者たちの無力化に行きついた。

 

「し、しかし、敵の力が強すぎてとても━━━━━━━━

グワッ!!?」

 

一人の男を吹き飛ばしたのは唯の腕の大振りだった。それは戦術も技術も入る余地のない無造作な攻撃だった。しかし無造作であるが故に戦術を頭に刻み込まれた精鋭の虚を突いた。

その攻撃一つによって男は地面を転がりながら吹き飛び、身体を木の幹に叩き付けて止まった。

 

(な、何なんだこいつは!!! 確かに身体は作られてはいるが、それでもこんな馬鹿力、隊長にも届き━━━━━━━━)

「ウギュルアアアアアアアアア!!!!」

「!!!!」

 

背中に走った衝撃に顔を歪めているその一瞬で侵入者の男は全力疾走で隊員の男との距離を詰めた。あろう事か鍛えられた精鋭である自分が何処の馬の骨とも分からない人間一人に敗北する。その荒唐無稽な話が実現する光景が隊員の男の脳裏に過った。

 

 

『━━━━━━━━ゴッ!!!』

『!!?』

(間に合った!!)

 

侵入者の男の攻撃を止めたのは哲郎だった。片腕を垂直に構え、それを片腕で補強する形で男の攻撃を防御する。筋肉と骨に少なからず衝撃が走るが、即座に《適応》し次の行動を選択する。敵の攻撃を防御し即座に反撃に転ずる。それが哲郎の十八番だ。

 

「セイッ!!!」

ドゴッ!!!! 「!!!」

 

哲郎は攻撃の為に自分の身体と接触していた男の腕の手首を掴み、身体を翻した。男の身体は宙を舞い、地面へ激突した。

突如として現れた一人の少年が侵入者を圧倒する光景に意識を奪われていた隊員に哲郎は言葉を飛ばす。

 

「…………………………!!!」

「すみません!! 早く何か!! 手錠とか縄とか!! 何かこの人を縛るものを!!!」

「!! 分かった!!」

 

*

 

両手と両足を拘束し、哲郎が持っていた麻酔針を刺して侵入者の一人は完全に無力化された。

 

「……………良し!! これでこの人はもう暴れる事はありません!!」

「あぁ。本当に助かった。 しかし君は確か……………」

「僕の事は良いです。それより出来る限り詳しく状況を教えて下さい!」

「!

━━━━分かった。今確認出来る侵入者は最低でも五名だ。今の所は死傷者は出ていない。それに応援も来始めている。だから君は早く━━━━

!? おい、何処へ行く!!?」

 

隊員の男から侵入者はまだ居るという事実を聞かされた哲郎は駆け出していた。それは彼の脳裏にある予感があったからだ。

 

(これが、これがもし敵の《転生者》の仕業ならこんな程度で済ます訳が無い。絶対にまだまだ増える!! こんな所でじっとしていられない!!!)

 

哲郎にはこの状況はまだ見ぬ敵の悪意が具現化されたもののように感じられた。これから敵が起こそうとしている事を一つたりとも実現させてはならないという使命感に駆られていた。



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#329 Battleform of Crab

哲郎は走った。彼が目指しているのは今居る陸華仙の外だ。本来彼等の庇護対象にある哲郎が外を目指している理由は大きく分けて二つ、内部は自分以外の面々に任せて問題無いと考えた事と自分が今求める事は陸華仙の()にあると考えたからだ。

 

(もしこの騒ぎが敵の《転生者》の仕業なら、こんな程度で終わらせる訳が無い!! 絶対に第二、第三と援軍が来るに決まっている!! それを僕が止めなくちゃならない!!!

それにもしかしたら、外に出れば《転生者》の情報を何か掴めるかもしれない!!

 

……………だけど、そうだとすると分からない事が増えるな……………。)

 

哲郎は心の中でこの一件が敵の《転生者》の仕業であり、何かしら状況が好転する事を望んでいた。しかし、その仮定に基づくと説明出来ない事が出てくる。

 

(あの暴れていた大男、どこからどう見てもまともじゃなかった。まるで何かに操られている(・・・・・・)みたいな……………!!

いや、みたいな(・・・・)じゃない!! これが《転生者》の仕業なら絶対にあの人は敵に操られてここに来たんだ!!!

………だけどやっぱり分からない。これが《転生者》の仕業だとして、一体どうやったら人を操るなんて事が出来るんだ…………………………!?)

 

哲郎は敵の《転生者》の能力をそれまでに起こった現象から『高速移動』と『人体を撃ち抜く』という二つの事が出来る能力だと推測した。しかしこの二つの芸当に関連性は無く、果たして一つの能力でこれら二つが出来るのか、哲郎は猜疑心を抱いていた。

そして現在にて更なる謎が増えた。加えて『人を操る』などという更に無関係の現象が増えたのだ。走っている途中にも関わらず、哲郎の頭の中には得体の知れない不気味な印象を覚える疑心が増えるばかりだった。

 

(どう考えてもおかしい。確かに僕だって『回復能力(ダメージへの《適応)》』とか『浮遊(重力への《適応)》』とか『加速(速度への《適応)》』とか、色々な事が出来るようになったけど、それにしたって敵の能力で起こってる(多分)事に全く関連性が無い。

 

……………まさか、敵の《転生者》は一人じゃないって可能性は無いか……………!!?)

 

哲郎達は今まで帝国に潜む《転生者》は一人という前提で話を進めていた。しかしそれは根拠の無い唯の推測に過ぎない事を哲郎はこの時点で漸く理解した。

敵が一人という確証は無いという事実に加え、敵の能力によって起こっている(であろう)現象に全く関連性が無いという二つの要素が哲郎の脳裏に現実的にして最悪の可能性を呼び起こさせた。

 

それは敵の《転生者》は複数いるという可能性である。

 

(……………いやいや、これは今気にする事じゃないな。

今の時点じゃ確認する方法が無いし、一人なら万々歳で、何人も居たとしても対応するしか方法が無い。考えても無駄だ。

それに今気にしなきゃいけないのは━━━━━━━━

 

「!!!」)

 

哲郎の思考は途中で中断させられた。それは彼の眼前にその気にしなければいけない事が広がって(・・・・)いたからだ。

 

「やっぱり来たか……………!!!」

 

哲郎の前に五人以上の男達が現れた。その時点で漸く、哲郎は今自分は陸華仙の門を抜け郊外の森の中に居る事、そしてこの騒ぎがやはり《転生者》の仕業である事が殆ど確定した事を理解した。

その根拠は言うまでも無く、その男達が先程と同様の身体的異常が現れていたからだ。

 

(……………身体中に血管が浮かんで白目も真っ赤に充血してる……………!! あれが《転生者》の能力によるものと見て間違いないよな。

……………もしかして、敵の能力は身体に関係するものなのか? ……………いや、それだとやっぱり残り二つの現象が説明出来ない。やっぱり敵は二人以上居るのか…………………………?)

『ウゴオオオオオオオッ!!!!』

「!!!

(ダメだ!! 今は余計な事を考えている場合じゃない!!!)」

 

この帝国に居る以上、帝国に潜む敵の《転生者》の詳細が最重要事項である事は疑う余地も無い。哲郎もそれは十分に理解している。

しかし現状における最優先事項は目の前の暴徒(被害者)達を如何にして無力化させるかという事だ。それを再確認した哲郎は懐にしまった装備を確認した。

 

(……………麻酔針は後十本。縄は後四、五人は縛れる長さが残ってる。これでこの状況を切り抜けられるか━━━━━━━━)

「グガァッ!!!!」

「!!」

 

装備を確認している哲郎の懐へ男の一人が飛び込んだ。しかしそれが自殺行為も同然である事を男は知る由も無い。

自分の技の射程距離に男が入った事を理解した瞬間、哲郎は男の腕を掴み身体を翻した。男の身体はその動きに巻き込まれる形で宙を舞い、地面へ叩き付けられた。哲郎は即座に男の首筋に麻酔針を刺し、その動きを封じた。

 

「━━━━フゥッ!!

(これで残りは四人。こうやって一人一人襲い掛かってくれれば楽なんだけど━━━━)

!!」

 

単身突撃した男が瞬殺された光景を見て、残りの男達は立ち止まり、哲郎を凝視していた。その行動に出方を伺うような慎重さを哲郎は垣間見た。

果たしてその行動が敵の能力によるものなのか男達の本能によるものなのかは定かでは無いが、状況が悪化した事だけは確かだ。

 

(━━━━やっぱりそう上手くはいかないよな。なんにせよ、やるしかないか━━━━!!!)

 

心の中で一言そう呟いて、哲郎は残りの男達に対して構えを取った。

その構えは身体を半身にし、片方の腕は大きく振り上げ攻撃用に、もう片方の腕は胸の付近で防御用に特化させる《(ガザミ)の構え》と呼ばれる構えである。



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#330 Battleform of Crab 2

(ガザミ)の構え

それは、哲郎の得意技である魚人武術において最も攻守の均衡の取れた構えである。

 

片方の腕は身体の前方、胸の付近へ防御に専念させ、もう片方の腕は身体の後方で大きく振り上げ、攻撃用に特化させる。両腕のそれぞれに明確な役割を与える事により戦闘の組み立て方が鮮明となる。

加えて身体は半身に構える事によって必然的に敵から見える攻撃可能箇所の面積は減り、急所を狙われる危険性は激減する。

 

哲郎は今までこの構えを選択する事は無かった。その理由は今までの戦闘では攻撃に専念する方が得策な場合が多かったからだ。しかし今は違い、攻撃だけでなく防御にも気を配る必要性がある。何故なら今回は一対多である事に加え下手に相手を傷付けられない状況下にあるからだ。

 

*

 

哲郎は今、敵の《転生者》の能力(であると半ば断定していた)によって操られ、凶暴化した男達と相対している。その最中にも、哲郎は脳内で様々な事を考えていた。

 

(……………この人達が敵の《転生者》に操られているなら、出来る限り傷付けたくはない。だけど僕にそんな難しい事が出来るのか……………!? 考えてみればこの世界に来てからはほとんど、全力で戦ってれば良いだけだったからな。傷付けない戦いなんてやった事が無い。

 

じゃあどうする? 気付けたくないからと言ってそれにこだわって余計なけがしたり負けたりするなんて論外だし、それなら最悪、首を絞めて気絶させるくらいは覚悟しておいた方が良いか……………?)

『ウゴオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!』

「!!!」

 

それまで様子を窺うように微動だにしなかった男達が籍を切ったかのように金切り声を上げ、その内の一人が地面を蹴り飛ばして一気に哲郎との距離を詰めた。それに続くように他の男達も攻撃を開始した。

 

『グガァッ!!!』

ズガァンッ!!! 「!!!」

 

先に攻撃を開始した男は拳を振り上げ、哲郎へ向けて無造作に振り下ろした。哲郎はその攻撃を防御に特化させた腕を頭上に移動させて受け止める。その衝撃は少なからず強く、哲郎の身体を伝わって地面に亀裂を生んだ。

 

攻撃の衝撃を完全に受け止めるや否や、哲郎は即座に反撃に出た。半身の状態で攻撃を受け止めていた状態から身体を反転させ男の懐に潜り込み、攻撃に特化させた腕で男の二の腕付近を掴む。更に防御に特化させた腕にも男の手首を掴むという役割を与え、半身の状態で両手で男の腕を広く掴む状態に持ち込んだ。

その状態に持ち込んでしまえば後は簡単な話である。身体を捻り男を地面へ投げ落とせば良いだけの話だ。しかし今回は訳が違う。それは後数秒後には複数人の男の攻撃が自分へ届くという事だ。

 

「くっ!!」

ぶおっ!! 「!!」

 

残された時間が限りなく少ない事を理解した哲郎は片方の腕をかち上げ男の身体を宙へ吹き飛ばすのみに行動を止めた。両手を男の腕から離し再び臨戦態勢に入る頃には既に男の一人が哲郎の射程距離に入っている。

本来ならばその状況は恐れるに値せず一発で決着を付けられる筈だが、男達を下手に傷付けられない事と後数秒後には更なる攻撃が哲郎を襲う事がその約束された筈の決着を妨げていた。

 

「ふっ!!」

 

哲郎はこの帝国での戦いの経験により、周囲の速度への《適応》を完全にものにしている。故に自分に向けた攻撃が如何に圧倒的な速度を誇っていようと、《適応》が成功した時点で完璧な対応が可能となる。

今回の場合、その攻撃は男の一人の直線的な拳の攻撃だった。哲郎の顔面に向けて無駄の無い動きで襲い来るそれは直撃するまでには一秒と掛からず、とても少年に避けられる代物ではない。しかし哲郎は即座にその拳の速度に《適応》し、身体を加速させ屈め、男の腕の下を掻い潜りその背後へと移動した。

 

哲郎の狙いは今攻撃を繰り出した男ではなく、その後ろに居る男だった。その男は今、身体の体勢を攻撃のみに特化させ、完全に無防備状態となっている。

今回のように複数人で連携を取る場合、一人でも戦闘不能にすれば後は脆く、意外に簡単に瓦解する事が多い。哲郎はこれまでの戦闘経験と己の直感からそれを察知していた。

 

「━━━━はぁっ!!!」

バチィン!!!! 「!!!?」

 

哲郎は屈んだ体勢で男の懐に飛び込み、一気に跳び上がってその勢いを乗せた掌底を男の顎に叩き込んだ。コロシアムでのサラとの試合がそうであるように、哲郎は顎は人体において最も有効な急所の一つであるという持論を持っていた。

ましてや歴戦の猛者でもなく《転生者》でもないこの男に対してはこの一撃で意識を完全に奪える可能性も決して低くは無い。一発で戦闘不能に出来るならば出来る限り(・・・・・)傷付けないという哲郎の希望的観測にも反しない。

 

しかし、その望みが完全な形で(・・・・・)実現する事は無かった。

 

「うわっ!!?」

 

掌底を撃ち終えた哲郎は自分の望みが実現する事を確信していた。その理由は目の前の男が確かに膝から崩れ落ち始めた(・・・)からだ。

しかし男は倒れ込む直前で踏み止まり、再び哲郎に攻撃を繰り出した。哲郎はその攻撃を半ば直感的に避けたが、勝利を確信していた哲郎は目の前の出来事に言葉を失う。

しかし即座に意識を現実に引き戻し、一つの推測を立てた。

 

(確かに攻撃は決まった!! 立っていられる訳が無い!!!

それにこの動き、まるで無理矢理動かされている(・・・・・・・・・・・)みたいな━━━━!!

間違いない!! この人達は操られている!!!)



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#331 Battleform of Crab 3

哲郎は孤立無援の乱戦状態であっても冷静に状況を分析し、出来る限り多くの情報を得ようと努めた。結果、操られている(可能性が濃厚)男の不自然な身体の動きから、自分が今相手にしている男達はやはり何者か(そしてそれは十中八九敵の《転生者》)に操られているという結論に至った。

それだけで哲郎の精神状態は大きく好転する。今この状況において正体不明の敵の情報は喉から手が出る程に欲するものだ。

 

(………良し! 一歩前進だ。状況が良くなった訳じゃないけど、それでもこの一件に敵の《転生者》が関わっているなら何か得られるものがある筈だ!!)

 

哲郎は心の中で喝采を上げたが、その願望を実現する為にはまず目の前の現実に対処せねばならない。たとえ裏に控えている黒幕の情報に手が掛かっても敵は依然として哲郎に拳を振るっている。そして哲郎は敵の情報を掴みかけた事を喜ぶ一方である事実が浮き彫りになった事も理解していた。

それは目の前の男達は気絶させても止まらない(・・・・・・・・・・・)可能性があるという事だ。

 

哲郎はつい先程、確かに男の一人の顎を攻撃し、その意識を断ち切った。しかし男はそれでも止まらず、哲郎に襲い掛かった。それでいて哲郎が自分の攻撃が効いたという確信が持てた理由は、その男の奇妙な挙動にある。

哲郎が男の顎を攻撃すると、男は一度は確かに膝から崩れ落ち始め(・・)、そして再び(・・)体勢を立て直して哲郎に襲い掛かった。男がそのような奇妙な行動を取った理由を哲郎は男が敵の《転生者》に操られているからだと推測した。

 

(━━━━つまり、話をまとめるとこうだ。

➀男は最初、敵の能力+男本人の身体能力で動いていた。

②→僕が攻撃する。

③→男が意識を失う。

④→敵は自分の能力だけ(・・)で男を動かす方法に切り替えた。

って訳だ。その証拠に、今攻撃した男の動きが鈍くなってる。能力だけで男の身体を操って(動かして)いるからだ!! 言ってしまえば、糸で動かす人形と電気とモーターで動くロボットの動きに差があるのと同じようなものだ。

つまり、僕が今やった事は無駄じゃない!! このまま攻撃を続ければ状況は少しづつでも好転する!!!)

 

哲郎は最初、男が再び動き出したその一瞬の時だけは自分の攻撃が効かなかったと考えた。しかし直ぐにそれは間違いだったと考えを改める。こうして攻撃を続けている限り、状況が悪化する事は有り得ないのだ。

しかし、悪化は有り得ない状況も目に見えて好転した訳では無い。危機は未だに続いている。そしてそれは哲郎の背後から襲い掛かった。

 

「!!!」

 

哲郎の周囲には今、六人の男達が居る。そしてそのうちの一人が背後から、哲郎の後頭部目掛けて拳を振るっていた。加えて目の前に居る男も攻撃を加えようとしている。事実だけを言えば、哲郎は完全に挟み撃ちにされた格好だ。

しかし哲郎は即座にその危機を好機に変える方法を考案し実行した。

 

「ふんっ!!」

「!!?」

 

哲郎を救った事、それは背後の男の攻撃の方が数瞬速かった事である。哲郎は素早い足遣いで無駄の無い動きで身体を反転させ、背後に居た男と相対する。そして男の攻撃を捌き、男の手首を掴んで身体を再反転させて捻った。

 

━━━━ドゴォン!!!!

「!!!!」

 

それは男の攻撃が身体に直撃する音だった。しかしその攻撃を受けたのは哲郎ではない。

哲郎の背後に居た男の身体は哲郎の肩を支点として宙を舞った。そして手首を哲郎に掴まれ、逆さまの状態で攻撃しようとする男に背を向ける格好となった。男の攻撃は哲郎に投げられた男の背中に直撃したのだ。

殆ど無防備の状態で渾身の攻撃を背中に受けた男は口から言語化すら困難なくぐもった声を吐き出し、その直後に意識を失った。

 

(━━━━良し、上手く行った!! そして僕の読みが正しければ━━━━

!!! 来たっ!!)

 

哲郎の予測通り攻撃を受けた男の身体は再び(・・)動き出した。地面に片手を突き、逆さまの体勢のまま身体を反転させ哲郎の頭部に蹴りを見舞う。哲郎はその攻撃を完全に予測、見切り、身体を屈めて蹴りを避けた。

そして懐から縄を取り出し、男達の手首足首に潜らせ、一気に引いた。縄が引き絞られ、男達の身体の自由が奪われる。それ以降、二人の男達の身体は全く動かなかくなった。

 

(━━━━良し!!! 僕の予測通り、身体の自由を(物理的に)奪ってしまえば操る事も出来ない!!!

後、四人!!!)

 

二人の男を攻略したという事実と体の自由を奪ってしまえば敵は操る事が出来なくなるという情報により、哲郎が今置かれている状況は目に見えて好転した。その変化は哲郎の精神状態にも作用する。

状況は好転しても哲郎の目的は依然として変わらない。この男達を陸華仙へ行かせずこの場で攻略する事、そしてこの一件から少しでも敵の《転生者》の情報を掴む事だ。



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#332 CRIMSON BURST

哲郎は戦闘続きの場に身を置いてからは一度も《油断》というものを経験した事が無い。相手が誰であろうともその時その時の自分に出来る最善を尽くす事を哲郎は徹底していた。

そして今も例外ではない。《男達を傷付けずに無力化させる事》と《少しでも多くの情報を手に入れる事》を全力で取り組んでいた。この状況下の哲郎に油断は一切ない。しかし、全力を尽くしている限り負ける事は有り得ないと感じてはいた。

 

男達は転生者特有の能力を持っている訳でもなければ動きにも隙が多い。自分が故意に手を抜きでもしない限りは不覚を取る可能性は一切ないと哲郎は心の奥底で感じていた。それは慢心ではなく、それまでの戦績に裏付けされた冷静な分析であった。

 

(今の僕に出来る事は負ける確率を出来る限り下げる事だ。その為にはしっかりと状況を把握しなくちゃいけない。

二人を動けなくして、残りは後四人。このまま堅実に動いていれば負ける事は有り得ない。とは言え、ここで何か有力な情報を掴むのは難しいかな……………)

「!!」

 

哲郎が思考を巡らせている内に、残る四人の内の一人が既に哲郎の眼前に迫っていた。しかしそれは男にとっては自殺行為も同然である。

哲郎は感情の波を微塵も揺らす事無く攻撃してきた男の手首を掴み、そのままその小柄な身体を男の下へ潜らせた。哲郎に掴まれている男の腕の関節は最大限まで曲がり、悲鳴を上げる。

 

「ほっ!!」

「!!?」

 

哲郎が身体を折り曲げると、男の腕は遂に限界に達した。骨折を避ける腕は男の身体を宙に浮かせ、哲郎の動きに巻き込まれる形で空を舞った。進行方向を逆行する形で舞った男の身体は砲弾と化して彼の背後に居た男達三人に直撃した。

四人の男達は纏めて倒れ込み、とても反撃出来る体勢では無くなった。哲郎はこの瞬間を千載一遇の好機と捕らえ、懐から縄を出して一気に距離を詰める。四人を捕縛すればこの状況を鎮圧出来ると判断しての事だ。

 

しかし、その行動が完全な裏目に出た。

 

『━━━━━━━━ドパァンッッ!!!!!』

「!!!!?」

 

その瞬間、哲郎の視界が真っ赤に染まった。そして同時に鈍い破裂音が彼の鼓膜を叩く。一瞬何が起こったのか理解出来なかったが、顔に走る感覚(・・)がそれを哲郎に教えた。

 

(この感触、僕の顔が濡れてる(・・・・)!!? ま、まさか…………………………)

「!!!!!」

 

哲郎は半ば反射的に袖で顔を拭った。そして袖に着いた赤い染み(・・・・)を見て、自分に血が掛かったという推測が的中していた事を悟る。しかしそれすら些事に思える事態が目の前で起こっていた。男の一人の足が破壊されていたのだ。

 

(い、い、一体何が!!!? 足が爆発した!!!!? まさか、敵の《転生者》が!!!!?

い、いや待てよ!!!)

 

男の足が破裂した事は哲郎の精神に著しい衝撃を与えた。しかしそれと同等の事態が目の前で起こっている事を理解する。それまで四人居た筈の男が三人になっていた。

 

「グルアァッ!!!!」

「!!! うおっ!!!」

 

消えた男は哲郎の横から襲い掛かった。しかし野太い掛け声が功を奏し、哲郎は男の攻撃を避ける事に成功した。すぐさま後ろに跳んで距離を取り、辛うじて窮地を脱する。しかし哲郎は既に追い詰められていた。一つの事実が哲郎の行動を著しく制限した。

 

「…………………………!!!!!

(今の爆発、まさか敵が起こしたのか!!? 僕が追い詰めたから………!!!?

それじゃあ、それじゃあもう僕は…………………………!!!!)」

 

それは、哲郎の脳裏に刻み込まれた《死》の想起だった。足を破壊された男は辛うじて息をしてはいる。しかしこれから哲郎が攻撃を仕掛けると敵が男達の身体を破壊すると仮定した場合、男達が生きていられる保証は何処にも無い。寧ろ死亡すると仮定した方が賢明である。

その可能性がほんの少しでも脳裏に浮かんだだけで哲郎はまともに動けなくなった。無論、自ら負けに行く気は起っていないが男達にこれ以上攻撃する事は出来なくなった。

 

(ど、どうする!!? どうすればあの人達をこれ以上傷付けずに済む!!?

一旦逃げて応援を頼むか!? そ、そうだ!! 虎徹さん!! あの人の能力なら爆発させない事くらいは……………!!!

だけど、僕が離れた後この人達が何をさせられる(・・・・・)か分からない!! もし無関係の人達が傷付く事になったら、それこそ本末転倒だ!!!)

「!!!」

 

哲郎が意識を向けると、既に男の一人が跳び上がって哲郎に襲い掛かっていた。この攻撃自体は隙だらけであり、哲郎にとっては対処する事など造作も無い。しかし今の哲郎はその次(・・・)の策を講ずる事が出来ずにいた。如何にしてこの窮地を脱するか、その方法を考え付けずにいた。

 

『━━━━━━━━ドゴドゴッ!!!』

「!!!?」

 

その音は、哲郎の行動によって鳴った音ではなかった。男の蟀谷と脇腹に石のような物体が衝突して鳴った音だった。男は意識を失い、地面に倒れ伏した。

 

(だ、誰!!?

!!!)

「やはり第二陣が居ましたか。様子を見に来て正解でしたね。」

 

哲郎が石が飛んできた方向に視線を向けると、そこには凰蓮が立っていた。



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