魂魄妖夢は外の世界にある両親の墓参りに行くようです。 (へっくすん165e83)
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第一話「半人半霊とはどのような存在だと認識してる?」

 初めましての方は初めまして、過去作の読者の方はお久しぶりでございます。そして私のファンとかいう数奇な方がいらっしゃいましたら、お待たせいたしました。どうも、へっくすん165e83です。
 過去作との繋がりは全くなく、完全に暇つぶしの一環で書き始めた純粋な東方projectの二次創作作品ですが、どうか最後までお付き合いいただけたらと思います。
 また、各話の最後には東方projectの用語解説を挟みますので、東方projectをよく知らない方も、これを機に東方projectという作品に触れていただけたら幸いです。


 昔々あるところに、幻想郷と呼ばれる人里離れた辺境の地があった。

 その土地には妖怪が多く住みついており、普通の人間は妖怪を恐れて幻想郷に近づくことはなかった。

 だが、そのうち妖怪退治を生業としているような人間が住み着き始め、次第に勢力を広げていったという。

 明応9年、今から約五百年ほど前。

 このままでは人間の勢力が強くなりすぎることを恐れた妖怪の賢者が幻想郷に特殊な結界を張った。

 その結界の名は「幻と実体の境界」。

 この結界は物理的に幻想郷を覆うものではなく、幻想郷の外を実体の世界、幻想郷の中を幻の世界とすることで、幻想郷の外から妖怪を幻想郷内に呼び込む効果があるものだった。

 この結界によって人間と妖怪のパワーバランスは保たれ、幻想郷は妖怪達の楽園としてひっそりと日本の山奥に存在し続ける。

 時は流れて明治時代に入ると、産業革命によって妖怪や神など、非科学的なモノは否定されていき、そのような存在は消滅の危機に晒された。

 事態を重く見た妖怪の賢者達は幻想郷で強い勢力を持っている神社の巫女とも相談し、幻想郷全体に外の世界との往来を遮断する強力な結界を張ることになる。

 「博麗大結界」と呼ばれるこの結界は別名「常識の結界」であり、外の世界で非常識とされているものを幻想郷の常識に、また、幻想郷で非常識とされているものを外の世界の常識に置くことによって、実質的に外の世界と幻想郷の往来を遮断している。

 これも物理的な結界ではないが、その力は強力で、妖怪でも簡単に通ることはできない。

 

 世界から隔離された妖怪達の最後の楽園、幻想郷。

 

 物語は、そんな世界から始まらない。

 

 

 穏やかな風が吹き、満開に咲いた桜の花びらを散らす。

 広大な日本庭園に植えられた桜は、辺り一面を綺麗な桜色で包み、この世のものとは思えない光景を作り出していた。

 いや、「この世のものとは思えない」などというのは正しい表現ではない。

 この壮大な日本庭園は、実際にこの世のものではない。

 ここは閻魔に裁かれた幽霊が転生や成仏を待つ場所、冥界である。

 そしてその冥界に存在している広大な日本屋敷、白玉楼には多数の幽霊の従者とともにこの冥界の管理人である亡霊、西行寺幽々子(さいぎょうじゆゆこ)が暮らしていた。

 

「今年も綺麗に咲いたわねぇ」

 

 桜の花と同じ淡いピンク色の、肩口まで伸ばした髪が風に吹かれて静かに揺れる。

 薄い空色の着物を纏う幽々子の顔はまだ少々幼さが残るが、幽々子は随分昔、それこそ幻想郷に結界が張られるずっと前に死亡しており、この冥界で亡霊として千年以上の時を過ごしていた。

 一般公開されている屋敷の外の庭とは違い、中庭は一般公開されていない。

 静かでのんびりとした時間が流れる屋敷の中庭を眺めながら、幽々子は隣に置いてある湯飲みに入ったお茶を少し飲んだ。

 

「よーむー、おまんじゅうなぁい?」

 

 幽々子が甘えるような声で屋敷の中に声を掛ける。

 決して大きな声ではなかったが、そもそもこの白玉楼には生きているものが1人に満たない。

 静かな屋敷に幽々子の声はしっかりと響き、目的の人物に伝わったようだった。

 

「お饅頭ですか? この前人里で買った大福ならありますけど……」

 

 長い廊下の角から顔を出した少女の名は魂魄妖夢(こんぱくようむ)。

 この白玉楼で剣術指南役兼庭師として働いている半人半霊であり、文字通り半分人間、半分幽霊という特異な体質をしている。

 その為、顔を出した妖夢のすぐ横には、大きな霊魂が浮いていた。

 ボブカットの白い髪をリボンのついた黒いカチューシャで止めており、服装は主人である幽々子とは違い洋風で、半袖のバフスリーブのシャツに緑のベスト、緑のフリル付きのスカートを穿いている。

 

「大福でいいわ」

 

「わかりました。ただいまお持ちいたします」

 

 廊下の角の妖夢の顔が引っ込み、数分もしないうちに上品な皿に懐紙と黒文字とともに盛り付けられた大福が妖夢に運ばれてくる。

 妖夢が運んでいるお盆には、湯気が立っている急須も置かれていた。

 

「本日はこちらでゆっくりなされますか?」

 

 妖夢が幽々子の隣に給仕をしながら正座で座る。

 幽々子は懐紙で大福を包み込むと、結構な大きさのある大福を一口で頬張った。

 

「そうねぇ……それもいいかもしれないわね。今日は来客の予定もないでしょう?」

 

「はい。今のところ来客の予定は入っておりません」

 

「妖夢は今日これから何するの?」

 

 幽々子は視線を庭の桜から妖夢へと向ける。

 妖夢は自分の事を聞かれると思っていなかったのか、少し戸惑いつつも正直に答えた。

 

「いつも通りといえばいつも通りです。剣術の鍛錬をして、そのあとは庭の手入れでも、と」

 

「いつも通りねぇ」

 

「はい、いつも通りです」

 

 ああ、でも……と妖夢は言葉を続ける。

 

「良い天気なので、久々に蔵に空気を通すのもいいかもしれません」

 

 幽々子は庭の隅に建てられている蔵に目を向ける。

 あの蔵には普段使わないものなどが随分乱雑に仕舞われている。

 普段開けることは殆どない為、妖夢は勿論のこと、千年以上をここで暮らしている幽々子も中に何が入っているか完全には把握していなかった。

 

「あの蔵、最後に開けたのいつだっけ?」

 

「去年の今頃じゃないでしょうか。と言っても宴会道具を出しただけなので奥の方までは入っていませんが」

 

「これを機に一回中身を整理するのもありかもしれないわねぇ。妖夢、適当に整理しちゃって?」

 

「私が、ですか?」

 

「ええ、妖夢が要らないと思うものは捨ててしまって構わないわ。例え大切なものなのだとしても、使うこともないものなど無いものと同義よ」

 

 幽々子は妖夢の肩をぽんと叩く。

 妖夢は多少不可解な顔をしながらも、幽々子の言葉に頷いた。

 

「わかりました。それではある程度私のさじ加減で整理致します。最終的に捨てるものを一度幽々子様に確認してもらってもよろしいですか?」

 

「ええ、そうしなさい」

 

 妖夢は一礼すると、先ほどまで大福を載せていたお皿とお盆を持って立ち上がる。

 そしてその辺にいた給仕の幽霊にお盆を片付けるようにお願いすると、倉庫の整理をしに中庭へと向かった。

 

 

 

「やーすーまずに妖夢♪ はたーらくよ妖夢♪ うちーの庭にー全てたーりるまで〜♪ へーこらひー♪」

 

 小さな声でよくわからない替え歌を口ずさみながら妖夢は蔵の中にあるものを一度庭に並べていく。

 手前の方に置いてある宴会道具はそこそこ綺麗な状態だが、奥の方に古くから放置されている箱などは凄まじい程に埃を被っていた。

 妖夢は箱の中身を一つ一つ確認しながら、既に使い物にならなさそうなものを避けていく。

 既に修復が不可能なほど壊れた剣術用の防具や、古びた掃除道具、使うのを躊躇うほどに汚れた食器など、妖夢の思っていた以上に要らないと思われる物は多い。

 

「これは結構すっきりするかもしれないわね。……およ?」

 

 不意に妖夢の手が止まる。

 妖夢が開けた古びた箱の中には、何やら写真や小物が乱雑に入っており、見た限りでは誰かの私物のように感じられた。

 

「幽々子様の私物……なわけないか。そもそも幽々子様がこの蔵に入ることなんて殆どないし」

 

 幽々子様の私物でなければ、過去に勤めていた使用人の誰かの私物だろう。

 妖夢は悪いとは思いつつも、中に入っている写真を手に取る。

 そこには夫婦と思われる男女と、女性に抱かれた赤子が写っていた。

 

「これは……」

 

 妖夢は写真と共に入っていた手紙を手に取る。

 手紙には宛名は書いていなかったが、書かれている文章から祖父であり剣術の師匠でもある魂魄妖忌(こんぱくようき)に宛てたものだとわかった。

 妖夢はもう一度写真の方に目を向ける。

 写っている夫婦に見覚えはないが、その正体を察することは容易だった。

 腰に差している刀は妖夢が所持している楼観剣と白楼剣だ。

 伊達に剣術家と名乗ってはいない以上、自分の刀を見間違うことはない。

 夫婦、赤子ともに白髪であり、写真には写ってはいないが、きっと横には半霊が浮かんでいることだろう。

 

「これはもしや私のご両親?」

 

 妖夢に両親の記憶はない。

 物心つく頃には白玉楼におり、身の回りの世話は祖父である妖忌が面倒を見ていた。

 妖夢は箱を漁り他に写真が入っていないか探す。

 しばらく探すと妖忌が集めていたのであろう小さなアルバムが見つかった。

 妖夢はそれが師匠である妖忌の持ち物であることも忘れてアルバムをめくる。

 どうやら、妖夢の両親は定期的に妖忌に写真を送っていたらしい。

 お腹が膨らんでいる女性の写真、産まれてすぐの赤子の写真、赤子が元気に地面を這っているのであろう写真。

 

「これは……自分のことながら可愛いですね」

 

 妖夢は写真に写っているのが自分であると半ば確信し、アルバムを閉じる。

 妖夢はアルバムを丁寧に横に置くと、興奮さめやらないまま、まだ何かないかと箱の中身を漁った。

 そして、よくわからない小物に紛れて箱の底に張り付いていた一枚の紙を見つける。

 妖夢はその内容を確認し、そして欲をかいたことを半分後悔した。

 それは正式な書類ではなかったが、とある軍人から妖忌に宛てられたもので、魂魄家の当主とその夫人が亡くなられた旨が記載してあった。

 

「私の両親は既に死んでいる……」

 

 妖夢自身、半人半霊という体質上、生きることへの渇望も、死ぬことへの欲望も普通の人間より薄い。

 そして妖夢自身、自分の両親が既に死んでいるのではないかということは、考えたことがなかったわけではなかった。

 妖夢は箱に入っていた両親の写真を勝手に懐に仕舞うと、箱の中身を詰め直し必要な物の方に置く。

 妖夢にとって両親が死んでいるという事実ははショックを受けるほどのことではなかったが、死んでいるなら死んでいるで墓参りの一つでも行かなくてはと思った。

 

「たーんと吹けかーぜーよ♪ じーんたいのそーらーに♪ はーたらけにーわーし♪ やーすまず妖夢〜♪」

 

 またよくわからない歌を歌いながら蔵の整理に戻る。

 両親の墓が何処にあるかは妖夢にはわからないが、幽々子に聞けば何かわかるかもしれない。

 今日の夕食の後にでも聞いてみようと妖夢は心の片隅に記憶した。

 

 

 

 夕食も終わり食後のお茶の時間。

 妖夢は早速ことの経緯を説明し、両親の墓の位置を幽々子に尋ねていた。

 

「難しいんじゃないかしら。だって貴方のご両親、外の世界の住民ですもの」

 

 お茶を飲みながら幽々子は妖夢の問いに答える。

 

「外の世界……ですか?」

 

「ええ。妖忌自体はずっと私の世話を焼いてくれていたけど、貴方のご両親は都で暮らしていたと記憶しているわ。孫ができたと妖忌から報告を受けたのが大体七十年ぐらい前だから……」

 

 幽々子は何かを思い出すように扇子を手に取り、先端で小さく円を描く。

 

「都……というと江戸——」

 

「じゃなくてその前だから京の都ね」

 

 外の世界の京都。

 確かに幻想郷の住民がおいそれと行ける場所ではない。

 妖夢が今いる冥界は厳密には幻想郷の結界の外ではあるが、冥界から自由に行き来ができるのは幻想郷ぐらいしかなく、かといって幻想郷経由でも妖夢は外の世界には行けない。

 幻想郷に張られた結界が、妖夢を幻想郷側の常識と認識しているため、妖夢は結界を越えることが出来ないのだ。

 

「まあ紫に頼めば何とでもなると思うけど……」

 

「いえ、そんなどうしても行きたいというわけでもなくてですね。ただ……その……」

 

 妖夢は自分の気持ちが上手く表現できず、言葉を詰まらせる。

 幽々子はその様子を見て何かを察したのか、柔らかい笑みを浮かべた。

 

「まあ、親の墓を一度も尋ねていないというのもアレでしょうし、紫には私から話をつけてあげるわ」

 

 妖夢は幽々子のそんな言葉に目をパチクリさせると、深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございます!」

 

「そうねぇ……折角だし少しゆっくりしてくればいいんじゃない? ほら、貴方最近働き詰めでしょう?」

 

 白玉楼には妖夢の他にも幽霊の従者が多くおり、妖夢一人に大きな負担が掛かっているわけではない。

 だが、冬から春にかけての時季になると、必然的に庭師の仕事が忙しくなる。

 今でこそ少し余裕があるが、桜が散り始める時季になれば仕事量は倍増するだろう。

 

「白玉楼の桜が散るまではゆっくりしてていいわよ」

 

 となれば今から一週間ほどは余裕があるだろう。

 

「そんなに白玉楼を空けて大丈夫ですか?」

 

「まあ別に家事をする者は妖夢だけじゃないし。別に問題ないと思うわよ?」

 

 幽々子は空になった湯呑みを静かに机に置くと、妖夢がいる方向とは反対の方向を向いて言葉を続けた。

 

「というわけなのよ。お願いできるかしら?」

 

 妖夢には幽々子が虚空に話しかけたようにしか見えなかったが、幽々子が話しかけた相手には伝わったらしい。

 突如空間が裂け、妖夢も知っている顔が姿を現した。

 

「何が「というわけなのよ」よ。聞いてる前提で呼び出さないでくださる?」

 

 空間の裂け目に肘をかけ、こちらに身を乗り出している女性の名は八雲紫(やくもゆかり)。

 幻想郷の創始者の1人であり、幻想郷に張られている結界は彼女が維持、管理している妖怪の賢者だ。

 ロングの金髪が空間と空間の境界に垂れ、中途半端に白玉楼側に垂れていた。

 

「でもちゃんと聞いてたじゃない」

 

 幽々子は紫に対して冗談めいた笑みを浮かべる。

 紫自身あまり人に好かれる性格ではなかったが、長年付き合いである幽々子とは親友のように親しくしていた。

 

「まあでも、聞いていたのは確か。で、ご両親のお墓参りのために外の世界に行きたいと」

 

 紫は品定めをするように妖夢をじっと見る。

 妖夢は背筋に薄ら寒い感覚が走るのを感じたが、じっと堪えて紫の目を見つめ返した。

 

「本当はあんまり良くないんだけど、他ならぬ幽々子の頼みだし……それに妖夢ちゃん別に妖怪ってわけでもないしね。今回は特別よ?」

 

 ここだけの話だが、紫は幽々子と共に小さい頃から妖夢のことを見ている。

 幽々子は妖夢のことを陰ながら実の娘のように可愛がっているが、紫もそれに負けず劣らず妖夢に甘かった。

 もっとも、二人とも幻想郷では名の知れた権力者であり実力者であるため、そのような素振りはおくびにも出さないのだが。

 

「ありがとうござい——」

 

「ただし、勿論条件をつけるわ」

 

 紫は妖夢の浮かれた心を嗜めるように妖夢の言葉を遮った。

 条件と聞き、妖夢の顔が少し強張る。

 幽々子が目線で何かを紫に訴えかけたが、紫は任せておきなさいと言わんばかりに幽々子に目配せすると、話を続けた。

 

「まず一つ目。藍を貸し出すから外の世界の講義を受けなさい。外の世界では幻想郷以上に守らなければならないルールが多いわ」

 

 藍というのは紫が使役している式神の一人だ。

 紫と共に外の世界に出ることも多く、外の世界に関してはかなり詳しい。

 

「二つ目。流石に半人半霊のままでは外の世界で目立つから、貴方には人間になってもらうわ」

 

「人間に……なる?」

 

 紫の言葉に、妖夢の目が点になる。

 それもそのはず、半人半霊が人間になれるなどという話は聞いたことがない。

 

「まさか私の半分成仏しちゃうんですかっ!?」

 

 妖夢は反射的にそばに浮かんでいる半霊を抱きしめた。

 紫はそんな妖夢の怯えた態度を面白がるように首を横に振った。

 

「違うわよぉ、そんなことしたら取り返しがつかないじゃない」

 

「そうだとしたら、どうするのよ。私も半人半霊が人間になるっていう話は聞いたことがないわよ?」

 

 クスクス笑う紫に、少し興味ありげに幽々子が聞いた。

 紫は裂けた空間の狭間に肘をつき、頬杖をつく。

 

「そもそも、半人半霊という種族について、どの程度知っているかしら。そう多くは知らないんじゃない?」

 

 妖夢ははて、と首を傾げる。

 祖父である妖忌から半人半霊という存在について説明を受けた記憶はあるが、あまり印象に残らない程度の内容だったはずだ。

 

「やっぱり。貴方の祖父は半人半霊という存在について多くは語らなかったようね」

 

 紫は裂けた空間の隙間を広げ、白玉楼側へと足を下ろす。

 そして妖夢に向かい合うように、幽々子の隣へと腰を下ろした。

 

「少し長話になるし、私にもお茶淹れてくださる?」

 

「あ、はい。ただいまお持ちします」

 

 妖夢は少し慌てるようにして立ち上がり、空になった急須をお盆に乗せて調理場の方へと歩いていく。

 その後ろ姿を見ながら、幽々子は紫に尋ねた。

 

「危なくはないんでしょうね?」

 

「別にリスクのあるようなものではないわ。魂を元あった場所に戻すだけですもの」

 

 幽々子の心配をよそに、紫は楽しそうに空間を裂き、その隙間に手を突っ込んだ。

 そして引っ張り上げるようにその隙間から自分の式神を引きずり出す。

 引きずり出された式神、八雲藍(やくもらん)は何が起こったのか理解できず目を白黒させていたが、次の瞬間には落ち着きを取り戻し、冷静に周囲を観察しはじめた。

 頭に生えた獣耳がピクリと動き、辺りの音を拾う。

 肩までの金髪を揺らしながらくるりと周囲を見回し、ここが白玉楼であることを理解する。

 そして自分を引きずり出したのが主人である紫だと分かると、わかりやすいほどに大きなため息をついて畳の上に正座した。

 

「紫様、用事があるのでしたら普通にお呼びください。紫様からのお呼び出しでしたらどのような用事にも優先して駆けつけますので」

 

 藍の腰から生えている九本の立派な尻尾が藍の機嫌を表すかのようにゆらゆらと揺れる。

 紫はそんな藍を宥めるようにもう一つ空間を裂き、その隙間に声を掛けた。

 

「妖夢ちゃ——」

 

『うひゃぁ!!』

 

 隙間の向こうから盛大に湯呑みや急須をひっくり返す音が聞こえる。

 幽々子は吹き出しそうになる口を扇子で押さえて必死に笑いを堪えている。

 紫はばつの悪そうに苦笑いを浮かべると、藍に目配せした。

 

「……はぁ。かしこまりました」

 

 藍は立ち上がると勝手知ったるように迷うことなく調理場の方へと歩いていく。

 十分もしないうちにお茶菓子と湯呑みを乗せたお盆を持った藍と、お茶菓子の乗ったお盆を持った少々お茶の香りがする妖夢が帰ってきた。

 

「さて、気を取り直して半人半霊という種族についての説明を始めましょうか。藍も良く聞いておきなさい」

 

 全員に湯呑みが回ったところで、紫が場を仕切り直す。

 妖夢と藍は真剣に、幽々子は新しく登場したお茶菓子のほうに夢中になっていた。

 

「まず妖夢ちゃん。妖夢ちゃんは半人半霊とはどのような存在だと認識してる?」

 

 紫の問いに、妖夢は顎に手を当てて考え込む。

 

「えっと、人間と幽霊のハーフで、普通の人間より寿命が長くて……半霊を操ることができる?」

 

 妖夢は妖忌から聞き及んだ内容と自分の経験からそう答える。

 

「まあ間違ってはいないわね。それと半霊は自分の一部なんだから操れて当然でしょうに……ここから先は昔話」

 

 紫は湯呑みに入ったお茶を一口飲んでから話し始める。

 

「半人半霊の始まりは今から千年ほど前、一人の剣術家から始まったわ。その剣術家は厳しい修行の果てに、遂に人間の魂そのものを斬るまでに至った。けれど、剣術家はそれで満足しなかったの」

 

 紫は懐かしむように笑みを浮かべる。

 

「さらなる高みへと至るため、その剣術家は時間を欲した。寿命を克服する術を求め始めた。そしてある日、不意にあることを思いつく。剣術家は一人の孤児を貰い受けると、その子供の魂のみを二つに断ち斬った。斬り離された魂は、半分は肉体に残り、残りの半分は死に幽霊となって肉体に寄り添った」

 

 そう、剣術家は子供の魂の半分のみを斬り殺し、寿命が延びるかどうか実験を行ったのだ。

 

「剣術家の思惑通り、その子供は途端に歳を取らなくなった。いや、正確には普通の人間の何倍もゆっくり歳を取るようになった」

 

「それでは……」

 

 紫の話に、妖夢は息を飲む。

 

「そう。半人半霊というのは人間の魂を半分斬り殺すことによって生まれる。実験に成功した剣術家は早速自分の魂も斬り殺そうとした。でも、上手くはいかなかったの」

 

 妖夢はその理由がすぐに分かった。剣術というのは他人を斬る術であって、自らを斬るようには出来ていない。

 刀で自らの命を断つことは出来ても、自らの魂を斬るほどの高度なことは不可能だろう。

 

「そう、剣術は自分を斬るようには出来ていない。その事実に気がついた剣術家はその子供を弟子として育て、自らの魂を斬らせることにした。そして、短くない時が経ち、遂に剣術家の弟子は魂を斬るほどにまで剣術を極めた。後は自分の魂を弟子に斬らせるだけ」

 

 紫はそこでクスリと笑い口元を隠す。

 

「でも、そこで制限時間が来てしまった。弟子に自分の魂を斬らせる前に、剣術家は寿命で死んでしまったの。あとに残されたのは剣術を極めた半人半霊の少年ひとり。その少年は師である剣術家の形見の刀一振りのみを持ち、あちこちを放浪した。やがて、少年はその剣術の腕を買われてとある名家に用心棒として雇われることになった」

 

 紫はちらりと幽々子の方を見たが、すぐに話を再開した。

 

「少年はその名家の当主から名字を授かることになる。歌聖とも呼ばれた当主はその少年にぴったりの名をつけた。「魂魄」とね」

 

「では、その少年が……」

 

 藍の言葉に続けるように紫は続きを語る。

 

「そう、魂魄妖忌こそが半人半霊の始まりであり、魂魄家というのはそこから始まったの」

 

 妖夢はぽかんとした顔で話を聞いていたが、不意に口を開いた。

 

「魂魄家って私で三代目なんですね。なんかもっと続いてるイメージありました」

 

「最初に出てくる感想がそれなのね」

 

 紫は呆れたように苦笑いを浮かべる。

 

「で、その時の妖忌が形見として持ち出した刀が白楼剣と呼ばれているわ。魂魄家の当主である証明として妖忌から貴方の父へ、そして今は妖夢ちゃんの手元にある」

 

 妖夢は自室に置いてある白楼剣のことを思い出す。

 特殊な力を持つ刀だとは聞いていたが、まさかあれが魂魄家の証だったとは。

 

「じゃあ私も赤子の頃に魂を斬り殺されて半人半霊になったということですか?」

 

「いえ、貴方の両親はどちらも半人半霊。妖夢ちゃん自体は生まれた時から半分死んでいる生粋の半人半霊よ」

 

「紫、そろそろ本題に入ったほうがいいんじゃない?」

 

 話が大きく脱線する前に、幽々子が話の続きを紫に催促する。

 確かに、魂魄家の歴史に関しては本題ではなく、あくまで前置きに過ぎない。

 紫はひとつ咳払いをすると、話を続けた。

 

「つまり半人半霊というのは本来魂を半分斬り殺された者のことだったのよ。その肉体自体にはひとつ分の霊が収まるスペースがある。亡霊や悪霊が人形や死体に憑依して動き出すように、半霊を無理矢理妖夢ちゃんの身体に押し込むことによって妖夢ちゃんは一時的に人間に近い存在になるわ」

 

 妖夢は膝の上で抱いていた半霊に目をやる。

 妖夢にとっては自分の半分が幽霊として存在していることに何の違和感もなく、それが当たり前だと思っている。

 

「でも、そんなこと出来るんですか? 半分とはいえ生きている魂と死んでいる魂を同じ身体に入れるなんて」

 

「そう。近づいた魂は片方に引かれる。この場合、生きている妖夢ちゃんのほうにね。一時的とはいえ、死んでいる魂も生きている魂と似た性質を持つようになる。ちょっと試してみましょうか」

 

 紫は妖夢の真横の空間を裂き、隙間を作る。

 妖夢はその隙間を覗き込むが、先を見通すことは出来なかった。

 

「このスキマは妖夢ちゃんの身体へと繋がっているわ。この中に半霊を押し込んで見なさいな」

 

「えっ……い、痛くないですよね?」

 

 妖夢は恐る恐る抱いていた半霊をその隙間へと押し込む。

 隙間が閉じると同時に妖夢の身体に変化が起こった。

 身体が薄っすらと熱を帯びたように感じる。

 頬を撫でる白い髪はやがて黒く染まり、肌も心なしか少し赤みがかったような気がした。

 

「これが、生きているということ……」

 

「正確には生きているように見せているだけよ。身体に入ったとしても死んでいる魂が甦るわけじゃないし半霊のほうの魂が生きている妖夢ちゃんの魂に引っ張られて生きているように見せているだけ。本質的には何も変らないわ」

 

 紫はもう一度隙間を開き、その中に手を入れる。

 その瞬間、妖夢は心臓を直接握られているような気分に陥った。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 私の中に手を入れないで!!」

 

 気分が悪いどころの騒ぎではない。

 妖夢は額から脂汗を流して紫を拒絶する。

 

「まあ、こうなるわよね。二つを合わせることは簡単なのよ。くっつけるだけですもの。でも引き離すのは少々大変。何せ自分の魂を自分の身体から引き剥がさないといけないんですもの」

 

「この状態自体にデメリットは?」

 

 幽々子は妖夢の背中をさする様にしながら紫に問う。

 紫は少し考えたあと、その問いに答えた。

 

「身体の外にあるか内にあるかぐらいの違いだけど……強いて言えば通常の人間と同じように歳を取るようになるわ。それと、勿論だけど半霊を使ったスペルカードは使えない」

 

「あまり長い期間半霊を身体の中に入れておかないほうがよろしいですね」

 

 藍は妖夢の寿命を気にしてか、そう呟いた。

 

「えっと……結局元に戻る方法はあるんでしょうか?」

 

 妖夢は落ち着いてきたのか、黒くなった髪をいじりながら紫に聞く。

 紫はそんな妖夢の問いに答えるように幽々子の方を見た。

 

「魂の扱いなら第一人者がここにいるわ。幽々子、お願い」

 

「はーい。妖夢、ちょっとこっちにいらっしゃい」

 

 幽々子は妖夢に後ろから抱きつくと、紫の力も使わずに妖夢の胸のあたりに右手を差し込む。

 妖夢は一瞬身震いしたが、そんな妖夢を幽々子は優しく抱きしめた。

 

「怖くないわよー。よいしょー!」

 

 ずるり、と音はしなかったが、そうとしか表現できないような形で妖夢の胸から半霊が引きずり出される。

 半霊は混乱するように辺りをぐるぐる飛び回ったが、次第に落ち着いたのか普段と同じように妖夢の隣へ戻ってきた。

 次第に黒く染まっていた髪は色を落とし、普段の白髪へと戻る。

 妖夢は隣にきた半霊を掴むと、何かおかしなことになっていないか回したりひっくり返したりしながら確認した。

 

「なるほど。生の方に引かれていた魂を死へと誘って引っ張り出したわけですね」

 

 藍が今行われたことを冷静に分析する。

 幽々子は『死を操る程度の能力』というとてつもなく強力な力を持っている。

 命あるものを死へと誘うことは勿論のこと、幽霊や霊魂までをも操ることができるため、閻魔から幽霊が集まる冥界の管理を頼まれている程だ。

 

「と、まあこんな感じで、身体に入れるのは私が。外に引っ張り出すのは幽々子がやればなんの問題もないわ」

 

「なるほど。で、外の世界で過ごすには人間の状態の方がいいと」

 

「そういうこと。まあ詳しいことは藍に聞きなさい」

 

 紫はポンと藍の肩を叩く。

 藍は訳がわからずぽかんとした顔で主人である紫の顔を見た。

 

「私まだ何も聞かされていないんですが」

 

「ああ、そうだったかしら」

 

 紫はとぼけるようにそう言うと、藍の足元に隙間を開き、藍を何処かの空間に落とす。

 そして自分はというと、普通に立ち上がりその隙間の方へと向かった。

 

「それじゃあ、明日にでも藍を迎えに寄越すわ。明日は藍とお勉強。出発は明後日以降にしましょう」

 

 紫は幽々子と妖夢にそう告げ、藍が落ちていった隙間へと足を踏み出す。

 そのまま下に落ちるようにして姿を消した。

 妖夢は机の上に残された湯呑みやお茶菓子の残りを片付けながら幽々子に尋ねる。

 

「流れで色々と決まってしまいましたが、大丈夫ですか?」

 

 幽々子は残っていたお茶を飲み干すと、湯呑みを妖夢に手渡した。

 

「まあ紫に任せておけば特に問題は起こらないでしょう。妖夢は外に出かける準備を進めておきなさい」

 

「かしこまりました」

 

 妖夢は幽々子に一礼し、二つのお盆のうち一つを半霊の上に置いて廊下の奥へと歩いていく。

 幽々子はそんな妖夢の背中を見送ると、満開の桜が咲き誇る中庭へと目を遣った。

 どの桜の木も競うように花を咲かせ、中庭を彩っているが、その中で一際異彩を放つ桜の木がある。

 花を一切咲かせていない巨大な桜の木は、花を咲かせていないにも関わらず、他の桜の木よりも人々を惹きつける。

 西行妖と呼ばれているこの桜を幽々子は一度満開にしようとしたことがあったが、結局それは未遂に終わり、西行妖が満開になることはなかった。

 幽々子はそんな西行妖を見つめながら、懐かしむように呟く。

 

「孫に何も教えないまま、一体どこに行ってしまったのかしらね」

 

 書き置きのみを残し姿をくらませた元従者の顔を思い出す。

 妖忌は、満開の西行妖を見たことがあるという。

 それはそれは見事なものだったという話だが、幽々子自身、もう西行妖を咲かせる気は毛頭なかった。

 

「何にしても、この旅に何か得るものがあればいいんだけどね」

 

 風が吹き、桜の花と共に幽々子の髪を揺らす。

 第百二十季、日と春と土の年、卯月の初め。

 白玉楼の剣術指南役兼庭師、魂魄妖夢の旅が始まろうとしていた。




幻想郷
 結界によって隔離された陸の孤島。その名の通り、現代社会では幻想となったものが暮らす最後の楽園。東方projectはこの幻想郷を舞台に物語が進んでいく。

冥界
 閻魔によって裁かれた幽霊が、成仏するか転生するまでの間を過ごす場所。幽霊や霊魂を操ることができる西行寺幽々子によって管理されている。

白玉楼
 西行寺幽々子が従者の魂魄妖夢と暮らしている広大な日本屋敷。庭などは一般公開されており、成仏を待つ幽霊の観光スポットと化している。たまに幻想郷の住民を招き宴会が開かれることも。

〇〇な程度の能力
 幻想郷では基本的に能力は自己申告制。

西行寺幽々子
 千年以上前に死んでおり、今は亡霊となって白玉楼で冥界の管理を行なっている。「死を操る程度の能力」を持っており、命あるものなら問答無用で殺すことが可能というある意味チートじみた能力を持つお嬢様。性格はほんわか、飄々としており、つかみどころがない。幻想郷の管理者である八雲紫とは生前からの仲だが、幽々子自身生前の記憶を失っているため、幽々子としては死後からの仲。それでも既に知り合って千年近くは経っている。

魂魄妖夢
 この作品の主人公。白玉楼に住み込みで働いている。幽々子の剣術指南役だが、どう考えても幽々子の方が強い。また、兼任で庭師の仕事もしており、白玉楼の広大な庭は実質彼女1人で管理している。半人半霊という特殊な体質の持ち主で、楼観剣と白楼剣というふた振りの刀を使いこなす。

妖夢の両親
 原作に言及はない。二次創作においてもその作者次第で解釈が分かれる。この作品では、既に死亡している設定。

魂魄妖忌
 白玉楼の先代の庭師であり、妖夢の祖父。剣術の師匠でもある。原作での設定は少ないが、この作品では色々設定を付け足している。

八雲紫
 幻想郷を作り出した妖怪の賢者の一人であり、「境界を操る程度の能力」を持っている。この能力は境界と名のつくものなら何でも操ることができるというある意味チートな能力で、空間を繋げてワープを行ったり次元の壁を移動したりともはや万能に近い能力の持ち主。対策も防御法も一切存在しない、神に匹敵する能力と評されることもある。
 この作品ではあくまで便利な移動手段。彼女が開く空間の裂け目を彼女はスキマと表現している。

八雲藍
 八雲紫の式神であり、最強の妖獣である九尾の狐。高い演算能力と妖力を盛り合わせている実力者だが、抜けているところも多い。普段はサボり癖のある紫に変わって結界の管理を行ったり、主人である紫の身の回りの世話等をしている。また、藍自体も橙(ちぇん)という式神を使役している。この作品では便利な先生役&救援役。

半人半霊の人間化
 この作品のオリジナル設定。実際にできるかは謎(紫なら出来そうな気はするが)

スペルカード
 幻想郷では一般的にスペルカードルールという決闘方式が主流。俗にいう弾幕ごっこであり、実力主義を否定し、妖怪と人間が対等に決闘できるように工夫がなされている。この作品では弾幕ごっこが行われる予定はない。

西行妖
 白玉楼の中庭に植えられている人を死に誘う妖怪桜。幽々子の生前から存在しており、幽々子の死体によって封印され、花を咲かせることはない。幽々子は自分の死体で西行妖が封印されているとは知らずに西行妖の封印を解こうとしたが、結局未遂に終わる(東方妖々夢)。なお、封印が解けていたら幽々子は消滅していたので、結果としては万々歳。

第百二十季 日と春と土の年
 西暦2005年度。原作でいうと永夜抄が第百十九季(2004年度)の10月、花映塚が第百二十季(2005年度)の5月。この物語は2005年4月初旬頃の話。


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第二話「要は情状酌量の余地ありということですね」

登場人物紹介

魂魄妖夢(こんぱくようむ)
 冥界にある白玉楼で働く未熟な剣術家。庭師も兼任している。

西行寺幽々子(さいぎょうじゆゆこ)
 冥界にある白玉楼の主人。冥界で幽霊の管理をしている。

八雲紫(やくもゆかり)
 様々な境界を操る妖怪の賢者。今作では足と財布係。

八雲藍(やくもらん)
 八雲紫の式神(九尾の狐)。今作では教師兼助っ人。

橙(ちぇん)
 八雲藍の式神(化け猫)。マヨヒガの管理を任されている。


「まず始めに、これだけは言っておきます。外の世界は色んな意味で幻想郷よりも危険な場所であると」

 

 幻想郷の中でも相当辺境な場所に建てられた一軒の日本屋敷。

 山の中に不自然なほど溶け込んでいるその屋敷は「マヨヒガ(迷い家)」と呼ばれており、里の人間の間で伝承として言い伝えられていた。

 そんな山奥にひっそりと建つマヨヒガの客間の一つに、幻想郷にはあまりにも似つかわしくないものが多数設置されている。

 足が折りたためる長机にパイプ椅子、その前には教卓が置かれており、その上ではプロジェクターが光を放っている。

 プロジェクターから放たれた光は壁際に置いてあるスクリーンを照らし、その脇に置かれたノートパソコンの画面を映し出していた。

 長机の上にはリング留めしてある小さめのノートと、三色ボールペンが置いてある。

妖夢は慣れない手つきでボールペンを握り、スクリーンに映し出された文字を書き留めていく。

 

「幻想郷の危険度とはベクトル……ようは方向性が違う危険が外の世界には潜んでいます。もっとも、ルールを理解し、それに慣れてしまえば外の日本ほど安全な国もないでしょう。ですが、それはルールを理解していればです」

 

 藍はエンターキーを押し、次のスライドを表示する。

 そこには現代日本の交通ルールについて書かれていた。

 

 

 

 両親の墓参りのために外の世界に行くことになった妖夢だったが、その条件の一つとして外の世界に関する講義を紫の式神である八雲藍から受けるというものがあった。

 両親の写真を蔵の中から見つけた次の日、妖夢はマヨヒガにて藍から外の世界に関する講義を受けていた。

 妖夢は見慣れない外の世界の物を珍しそうに眺めながら必要そうなところをノートに書き留めていく。

 

「幻想郷の危険というのは基本的に妖怪や野生動物によるものです。故に自らが強ければ何の問題もなく回避、もしくは撃退することができます。ですが、外の世界ではこの二つがいない代わりに自動車や電車というものが道を走っています」

 

 スライドには日本の混みあった市街地や、高速道路の動画が映し出されている。

 

「これらの殆どは金属の塊であり、膨大なエネルギーをもって道を走っています。外の世界の人間はこれらに轢かれないように車が通る道と人間が通る道というものを分けています」

 

「質問いいですか?」

 

 妖夢は手を上げ藍に質問する。

 

「なんでそんな危ないものが道を走ってるんです?」

 

 藍は一瞬目をぱちくりさせたが、もっともな質問だと思いその問いに返答した。

 

「それは人や物を素早く大量に運ぶためです。外の世界では幻想郷と比べ物流というものが発達しています。というか単純に人や物が多いので馬や牛では賄えないんです」

 

「だから危険を承知で便利なものを作ったと」

 

「まあそういうことになるでしょう」

 

 妖夢はスクリーンに映し出された映像を見ながら思う。

 確かに、あんな鉄の塊に跳ね飛ばされたらただでは済まないだろう。

 映像の中で人間は、車に轢かれないように道路の端を歩いていた。

 

「また、外の世界では交通に混乱を起こさないように道路交通法という法律が施行されています。この法律によって車や歩行者の動きは統制され、事故の発生を未然に防止しているわけです」

 

 まあ、それでも事故は起きるんですが、と藍は呟く。

 

「妖夢さんが一番初めに覚えないといけないのはこの道路交通法です。といっても全てを全て理解する必要はありません。外の世界で安全に道路を移動できるように要点を絞って説明していきます」

 

 藍は次のスライドを表示させながら説明を続ける。

 スクリーンには信号機のイラストが表示された。

 

「これは信号機と呼ばれるものです。この信号機に表示された色に従い、車は走ったり止まったりします。主に設置してあるのは交差点などで、交差点内の交通を統制しているものが多いです」

 

「不思議な形の立て看板ですね」

 

「まあ、この形になった理由等もあるのですが、今はこういうものだと覚えてください」

 

 藍がエンターキーを押すと信号機の赤が光る。

 

「信号機が赤色の場合、その信号機を越えて進んではいけません。交差点に設置してある場合、自分に対面している信号が赤の場合は交差している道路を横断できないと覚えておきましょう」

 

 妖夢はノートに「赤は進むな」と書き込む。

 藍はもう一度エンターキーを押し、次のスライドを表示させる。

 

「次に青ですが、青は赤とは逆に進んでもよいという意味です。ただし、目の前の信号が青でも曲がってくる車が突っ込んでくる可能性があるのでしっかりと注意してください」

 

 藍はスクリーンに映し出された交差点のイラストを指さしながら説明する。

 妖夢は「青は進んでいい」とノートに書き込んだ。

 

「次に黄色ですが、黄色は基本的に赤信号と同じ意味です」

 

「え? じゃあ黄色いらなくないですか?」

 

 妖夢は黄色の存在意義に関して疑問を持つ。

 まあ確かに、その説明だけでは意味不明だろう。

 藍は、そんな妖夢の返答を予想していたかのように説明を続ける。

 

「黄色にはそのほかに、どうしても止まれそうにない場合はそのまま進んでいいという意味があります。信号機は青、黄、赤の順に色を変えるので、青で進んでいたけど交差点ギリギリで黄に変わり、安全に止まれる速度じゃないからそのまま進むということが可能です」

 

「要は情状酌量の余地ありということですね」

 

 妖夢はノートに「黄色は一応止まれ」と書き込んだ。

 

「なので黄色に変わっても車が突っ込んでくる可能性があることをしっかりと考慮しておいてください。外の世界の住人には、黄色は急いで進めという意味だと勘違いしている人間もいるので」

 

 そんなの情状酌量の余地なしじゃないかと妖夢は思ったが、まあ外の世界にも色々あるのだろうと適当に割り切った。

 

「次に、歩行者用信号です」

 

「二種類あるんですか?」

 

 妖夢はスクリーンに映し出された全く形の違う信号機に混乱する。

 

「大きな交差点にはこのような歩行者用の信号機が取り付けられていることが多いです。歩行者は通常の信号機ではなく、こちらに従って進んだり止まったりします」

 

「黄色がありませんね」

 

 妖夢は赤と青の意味は同じだろうと推測し、歩行者用の信号機に足りないものを指摘した。

 

「はい。そもそも歩行者は速度が付きすぎて止まれないということはないので。ですが、そのかわりに歩行者用の信号は赤色に変わる数秒前に青色が点滅します。青が点滅し始めたら信号機が変わろうとしている合図なので、横断している場合は急いで渡り切らなくてはなりません。また、横断する前に点滅し始めたら渡り始めてはいけません」

 

 このような形で藍による外の世界の講義は進んでいく。

 交通規則が終わると今度は公共交通機関の乗り方、タクシーの乗り方等の移動手段を活用する方法。

 そのほかにも通貨の単位や電話の掛け方、外の世界で名乗る妖夢の偽の住所等、覚えることは多い。

 勿論、藍も妖夢も、一度の講義で全てを覚えられるとは思っていない。

 それ故に外の世界で持ち歩いていても不自然ではないノートにメモを取り、外の世界で見返すことが出来るようにしているのだった。

 

「お茶をお持ちしました」

 

 講義が始まって数時間が経とうという時に、不意に襖の向こうから声が掛けられる。

 

「ああ、橙か。入りなさい」

 

 藍が返答すると、声の主は襖を空け客間に入ってきた。

 声の主の名前は橙(ちぇん)

 藍の式神であり、普段はこのマヨヒガの管理を任されている化け猫だ。

 橙はお盆に乗せられたお茶の「350ml缶」を妖夢に手渡す。

 そして同じように主人である藍にもペットボトルに入ったお茶を手渡した。

 

「それでは、失礼いたします」

 

 橙は丁寧にお辞儀すると襖の向こうへと消える。

 妖夢は手渡されたお茶の缶を見ながら茫然としていた。

 

「あの、藍さん。これは一体……」

 

 藍はいたずらっぽく笑うと、ペットボトルを妖夢の机に置いた。

 

「すみません、少々橙に仕込みました。外の世界では、このような形で飲み物が売られていることが多いです。さて妖夢さん、これは一体どのようにして開けると思いますか?」

 

 妖夢はいきなりの問いかけに、手にもっている缶をひっくり返したり叩いたりしながら頭を捻る。

 そして缶の上に刻印された説明書きを見つけた。

 

「タブをおこす? タブをもどす?」

 

「はい、その通りです。タブというのはその上部につけられた金具のことです。輪っかに指をひっかけて起こしてみてください」

 

 妖夢はプルタブに指をひっかけると、慎重にプルタブを起こす。

 その瞬間空気の漏れる音が客間に響いた。

 

「そのまま金属のふたを押し開くようにタブを起こし、大きく穴が開いたらタブを元の形に戻す。そうすると飲み口が出来上がります」

 

 妖夢はタブをめいっぱい起こし、元の状態に戻す。

 そうすると確かに缶の頭に小さな穴が開いた。

 

「へぇ、よく考えられてますね。でもこれでは一度開いたら元に戻らないんでは?」

 

「ええ、ですからこのタイプの缶の容器は基本的には飲み切らないといけません」

 

「あ、いえ。そうではなく……」

 

 妖夢はアルミ缶を手の中でペコペコ言わせながら言葉を続けた。

 

「この容器って一回使ったら捨てるってことですよね? そんなので採算取れるんです?」

 

 妖夢はもう一度手の中のアルミ缶を見る。

 手で切れるほど金属を薄く加工し、かつ完全な円柱に仕上げている。

 このような工芸品は相当値が張るだろうと妖夢は当たりをつけた。

 

「ふむ、もっともな意見だと思います。確かに外の世界の技術を持ってしても、このアルミ缶をひとつだけ製造するとなると、それこそかなりの金額が掛かるでしょう」

 

 ポイントは大量生産だと藍は語る。

 

「例えばアルミの合金をこのサイズのアルミ缶に加工する機械が一万円(外の世界で一千万円)だとします。この機械で一つだけアルミ缶を作るとなると材料費プラス一万円掛かるわけです」

 

「相当高級な湯呑みですね」

 

 もっとも白玉楼には負けず劣らずな価値の陶磁器が数多く保管されているが。

 

「さて、ではこの機械でアルミ缶を百万個作ったとしたら幾らになるでしょう?」

 

 妖夢は少し考えるように指を動かすと、すぐさま答えを返した。

 

「一つあたり、一銭と材料費になるということですか」

 

「そう、それが大量生産の良いところです」

 

 この後も藍による外の世界の講義は続き、すべての講義が終わる頃には辺りはすっかり暗くなっていた。

 妖夢は藍から渡された外の世界の日用品と着替えが入ったリュックサックを背負うと、マヨヒガを後にする。

 外の世界への出発は明日だ。

 白玉楼内で半霊を身体の中に入れた後、紫が外の世界に送る手筈となっている。

 

「たーかくー空♪ しゅーに染め♪ 火のもーえるごときの幻想郷♪」

 

 沈みゆく太陽に照らされて幻想郷の空を飛ぶ妖夢の髪が赤く染まる。

 妖夢は冥界に向けて飛びながらぐるりと幻想郷を見渡した。

 

「外の世界では星が見えないという話は聞いたことがありますが、流石に太陽は見えますよね?」

 

 妖夢は誰に言うでもなく独り言を溢す。

 妖夢はそんな得体の知れない不安からくる独り言をかき消すように、誰から聞いたかもわからない歌を歌いながら白玉楼を目指した。

 

 

 

 藍による講義があったその日の夜。

 夕食の片付けの手伝いも終わり、妖夢は自室で荷造りを行なっていた。

 妖夢は一度リュックサックの中を空にすると、畳の上に中に入れるものを一つ一つ並べていく。

 外の世界で着用する着替えに日用品、財布、今日まとめたノートなど、妖夢が思う以上に持っていくものは少ない。

 藍の話では、外の世界では金さえあればある程度はなんとでもなるのだという。

 そして財布の中には、妖夢にとって魔法のカードとも言えるクレジットカードとキャッシュカードが入っていた。

 原理は妖夢にはわからないが、この二つのカードを駆使することにより無限にお金が手に入るのだという。

 まあ実際には紫の口座からお金が引き出されるのだが、妖夢が一週間で使う程度の金額など、紫の口座残高からしたら雀の涙ほどだった。

 また、財布にはある程度の纏まった現金の他に原付の運転免許証も入っている。

 免許証には黒髪の妖夢の写真が印刷してあり、住所欄には紫の別荘の一つの住所が書かれていた。

 名前の欄には「魂魄妖夢」と、本名が書かれている。

 

「これによると私は20歳ということらしいですね」

 

 もっとも妖夢の外見上の年齢はもっと若い。

 他人に年齢を尋ねたら、ほとんどの人が高校生ぐらいではないかと答えるだろう。

 だが、女性の年齢というのはある程度誤魔化しが効くものだ。

 実際に高校生にしか見えない成人女性は世の中に多くいる。

 まあ、妖夢の場合、実際の年齢は20歳よりも更に上なのだが。

 あくまで外の世界で不自由なく動けるようにという紫の配慮だった。

 妖夢は並べた荷物を順番にリュックサックに詰め込むと、小さなポケットに両親の写真を入れる。

 

「えっと、あとは……」

 

 妖夢は畳の上に並べた荷物をリュックサックに詰め終わると、忘れたものがないか部屋を見回した。

 といっても普段妖夢が白玉楼で使用しているもので外に持っていくものは限りなく少ない。

 部屋の隅にある刀掛けに置かれている楼観剣と白楼剣も今回は置いていくことになっていた。

 刀を持っていることで回避できるトラブルより、刀を持っていることで起こるトラブルのほうが外の世界では多いのだという。

 妖夢自身、例え丸腰でも普通の人間に負けるとは思っていないが、それでも普段持ち歩いている自分の力の象徴を置いていくというのは些か不安が残る。

 そういえば、と妖夢は藍が今日の講義で言っていた内容を思い出した。

 藍曰く、外の世界で刀とは、法律上武器ではなく美術品として所持できるものとなっているらしい。

 外の世界は、すでに刀は武器としての役割を終えているのだろう。

 もう刀で斬り合う時代ではないのだ。

 だとしたら、楼観剣を手にする必要はない。

 妖夢は一度楼観剣を手に取り、刀身を鞘から引き抜く。

 最後に手入れをしてから一度も抜かれていない刀身は錆一つなく、蝋燭の灯りに照らされて淡く光っている。

 これなら一週間ほど置いておいても大丈夫だろう。

 妖夢は楼観剣を元に戻すと、蝋燭を消して布団に潜り込んだ。

 

 

 

「さて、準備はいいかしら」

 

 太陽がまだ低く、白玉楼の縁側に太陽の光が差し込んでいる。

 妖夢は昨日の講義で読み方を教えてもらった腕時計を覗き、現在の時間が外の世界で言うところの午前八時であることを確認した。

 白玉楼の庭には白Tシャツにジーンズを着込み、すっかり身支度を済ませた妖夢と、幽々子、それに紫が立っている。

 妖夢は改めて身嗜みを確認すると、紫に対して頷く。

 

「はい、大丈夫です」

 

 紫はそれを確認し、妖夢の隣に小さめのスキマを開いた。

 

「それじゃあ、この中に半霊を入れて」

 

 妖夢はスキマの中を覗き込み、その行為に意味がないことを確認すると大きく深呼吸し、半霊をその中に突っ込んだ。

 その途端に妖夢の髪は黒く染まり、体温も多少上昇する。

 妖夢は身体に異常がないことを確認すると、それを知らせるように紫の方を見た。

 

「異常なさそうね。でも普段と感覚が変わるはずだから体調には十分注意しなさいな。藍の電話番号は教えて貰ったでしょう?」

 

 妖夢はポケットに入れておくように言われていた携帯電話を取り出す。

 折りたたみ式の、いわゆるガラケーと言われている携帯電話のアドレス帳には八雲藍の名前のみが登録されていた。

 

「ここに掛ければいいんですよね?」

 

「そう。充電の仕方もちゃんと教わったかしら?」

 

 紫の問いに妖夢はしっかりと頷いた。

 短期間での詰め込み教育ではあったが、しっかりと成果は出ているようだ。

 妖夢は携帯を閉じポケットにしまうと、幽々子の方へと体を向ける。

 

「それでは幽々子様、少しの間お暇させていただきます」

 

「ゆっくりしてらっしゃい」

 

 幽々子は優しく微笑むと、妖夢の黒くなった髪を撫でた。

 妖夢はくすぐったそうに目を細めると、深く幽々子に一礼し、再度紫の方を向く。

 

「紫様、お願いします」

 

「スキマを抜けた先は京都駅のトイレの一室になっているわ。あとは帰郷する日までご自由に」

 

 紫は大きなスキマを妖夢の真横に開く。

 ちょうど歩いて通り抜けられそうな大きさのスキマの中には、洋式の便座が見えた。

 妖夢は既に繋がれている隙間の中へ一歩踏み込む。

 妖夢は振り返りたくなる衝動をぐっと抑え、もう一歩踏み出す。

 そのまま隙間を抜け、妖夢は両足で狭い個室の中へと降り立った。

 

 次の瞬間、音の洪水が妖夢を包み込んだ。




マヨヒガ
 漢字で書くと「迷い家」であり八雲紫が所有している建物の一つ。普段は八雲紫の式神の式神である橙が清掃等の管理を行っている。山の中に存在しており、見つけるのは至難の技。

道路交通法
 藍が教えたのは「安全な道の歩き方」


 八雲藍の式神。化け猫に鬼神の式神をつけることで子供並みの知能を有している。藍や紫からは文字通り猫可愛がられており、良くも悪くもまだまだ未熟。

アルミ缶
 幻想郷の住民から見ると完全に未知の技術で作られた謎の工芸品。そもそも使い捨てという概念があまり定着していない。

運転免許証
 身分証がわりに紫が偽物を発行。偽物といっても妖夢が原付を運転できないこと以外は本物。ようは正規のルートではないが、偽造ではなくちゃんとした免許証。

資金源
 全て八雲紫が持ちます。

ガラケー
 2005年ではガラケーが普通。





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第三話「それ、わかりやすくていいですね」

 2005年の京都が舞台ですが、私自身そんなに京都に詳しいわけでもないので実際の京都とは異なるところもあると思います。
 あくまで幻想郷のある日本での京都です。ご了承ください(人には人の幻想郷ならば、外の世界も人それぞれということで)


 祭りのような喧騒に聞き慣れない機械音をごちゃ混ぜにしたような音が狭い個室に響く。

 白玉楼から京都駅のトイレの個室に降り立った妖夢は、しばらく耳を慣らすようにその喧騒に耳を傾けた。

 硬い地面を歩く大量の足音、金属を打ち鳴らすような甲高い打撃音、荷車の車輪の音を何重にも重ねたような走行音。

 人の話し声も聞こえる気がするが、それらは重なり過ぎて既に言葉とは認識しづらかった。

 妖夢は個室内でもう一度身なりを確認すると、意を決して個室の扉を開いた。

 扉を開けた先は狭い通路となっており、少し進んだ先に大きな一枚鏡が置いてある。

 その横には手洗場と思われる水場と、やはりその上には鏡が設置されていた。

 妖夢はその横を通り抜け、トイレの外へと出る。

 時間帯が時間帯なためか人の流れが出来ており、妖夢は取り敢えず現状を確認すべく人の流れに乗り、建物の外に出る。

 そこには昨日の講義で見た外の世界の光景がそのまま広がっていた。

 先ほどまでの喧騒こそ聞こえないが、道路には大小様々な車が走り、その脇を途切れることなく人が歩いている。

 建物はそのどれもが幻想郷にある建物よりも高く、そして規則正しく四角かった。

 妖夢は人の流れの邪魔にならない場所に移動すると、しばらく何もせず立ち尽くした。

 これはまさしく異世界だ、と妖夢は思う。

 外の世界も昔は幻想郷と変わらない生活様式だったらしいが、この世界が幻想郷の延長線上にあるとは到底思えない。

 例えばあの目の前にある大きな建物。

 あんなものを人力で建造できるなど、誰が考えるだろうか。

 五分ほど立ち尽くしていた妖夢だったが、ようやく外の風景にも慣れ、行動を開始する。

 まずは目的をはっきりさせようと、妖夢は今の状況を整理し始めた。

 最終的な目標は両親の墓参りをすることだ。

 そのためにはまず両親の墓がどこにあるかを調べないといけない。

 といっても全く手掛かりがないわけでもない。

 妖夢は取り敢えず墓のありそうな場所の近くまで移動しようと、講義で教わった特徴が見受けられる自動車に近づいていった。

 車の上に変な置物が乗ってる平べったい車、タクシーに妖夢は近づいていく。

 妖夢があと数歩でタクシーにたどり着くといったところで、タクシーの扉が一人でに開いた。

 いきなり扉が開いたのに少々驚きつつも、妖夢は開いた扉から車内に入る。

 土足でいいのか少し迷ったが、土で汚れているわけでもないのでそのまま上がり込んだ。

 

「どちらまで?」

 

 運転手の問いに妖夢は慌ててノートを引っ張り出し、ページをめくる。

 

「えっと、伏見までお願いします」

 

「伏見のどちらへ行きます?」

 

 四十代ほどの運転手は妖夢の方に振り返りつつ尋ねる。

 妖夢が手掛かりとして持っていたのは伏見という地名だけであり、伏見のどの辺に住んでいたのかまでは全く知らなかった。

 

「……えっと、どこかおすすめあります?」

 

 運転手は予想外の返答に少々戸惑いつつも、妖夢の表情に全く余裕がないことを察し、言葉を続ける。

 

「観光ですか? それとも何処か知人の家へ?」

 

「曾祖父母の墓を探しているんですけど、実は全く手掛かりがなくて……取り敢えず伏見に住んでいたらしいのでその近くまでと」

 

 もっとも、探しているのは両親の墓なのだが、それではあまりにも仮の年齢に釣り合わない。

 運転手はその話を聞き、少し悩むように頭を捻った。

 

「区役所……で調べられるんですかねぇ。いや、ちょっと厳しいか」

 

「当時のことを知っている人に会えればもしかしたらと思ったんですが……」

 

 タクシーの運転手はグローブボックスから地図帳を取り出してめくり始める。

 数秒京都市の地図を眺め、ある程度の当たりをつけたのか地図帳を妖夢に見せた。

 

「伏見ではないんですけどね。左京区に総合資料館があるんですけど、もしかしたら何かわかるかもですねぇ。たしか行政文書も保管してあったと思うんで」

 

「じゃあそこで」

 

 地図で見る限り伏見とは反対方向だが、今のところ何の手掛かりもないため妖夢は運転手の提案に素直に頷く。

 運転手もようやく本来の仕事に復帰でき、安心した面持ちでアクセルを踏み込んだ。

 妖夢は思っていた以上に快適な乗り心地でタクシーは滑らかに発進する。

 妖夢はシートに身を預けながら車内から京都の街を見た。

 背の高い建物がまるで妖夢を威圧するかのように道路の左右に立ち並んでいる。

 地面の殆どが硬い石畳やよくわからない砂利を混ぜた黒い三和土のようなもので覆われており、土が見える部分がほとんどない。

 たまに瓦屋根の日本家屋のような建物があるが、やはりそれも妖夢が見慣れたものとは少々違った。

 

「京都は初めてで?」

 

 興味深そうに外の風景を眺める妖夢に運転手が声をかける。

 

「昔、本当に小さい頃に住んでいたことがあるみたいですが……どうにも記憶になくて」

 

 妖夢は本当のことを運転手に伝える。

 といっても運転手と妖夢の認識は大きく異なってはいるが。

 

「そうでしたか」

 

 それ以上は顧客のプライベートに踏み込みすぎると感じたのか、運転手は運転に集中しはじめる。

 妖夢も妖夢で見慣れない外の景色を楽しんだ。

 

 

 

 タクシーに乗り込んで三十分ほど経っただろうか。

 運転手は道の端にタクシーを寄せハザードを焚く。

 

「三千円です」

 

 タクシーの運転手は料金メーターを見ながらトレーを差し出した。

 妖夢は昨日藍から教わった通りの返答を返す。

 

「カードは使えますか?」

 

「大丈夫ですよ」

 

 妖夢は財布の中からクレジットカードを抜き出し、トレーの上に載せる。

 運転手はそのカードを見て一瞬ギョッとしたが、すぐに何事もなかったかのようにカードをリーダーに入れた。

 

「ではこちらにサインを」

 

 妖夢は示された位置に渡されたボールペンでサラサラと自分の名前を書く。

 普段妖夢は筆を使うことが多かったが、昨日散々ボールペンでノートに文字を書いたため、特に不自由はなかった。

 運転手は妙に達筆な妖夢のサインを見てある種の安心感を抱くと、レシートとカードを妖夢に返す。

 それと同時に運転手は自分の名刺を妖夢に手渡した。

 

「お帰りの際もご連絡頂けたらすぐお迎えにあがりますよ。是非ともご贔屓に」

 

「えっと、この番号に電話すればいいんです?」

 

 妖夢は運転手の名前や電話番号などが書かれた名刺を受け取ると、電話番号を指差しながら運転手に聞いた。

 

「ある程度長距離でも大丈夫ですので」

 

 なんて商売上手な、と妖夢は思ったが、昨日の講義の話ではタクシーは駅にいることが多いらしい。

 道を走るタクシーを捕まえることも出来るそうだが、電話で呼ぶのが確実だと言っていた。

 妖夢は古代ローマの百人隊長が描かれた銀色のカードを名刺とレシートと共に仕舞うと、運転手にお礼を言って自動で開いた扉から外へ出た。

 

「さて……」

 

 妖夢は目の前の建物を見据える。

 門の奥に置かれた長方形の石看板には「京都府立総合資料館」と書かれていた。

 

「総合資料館というぐらいなので、ある程度資料が揃っているのかな?」

 

 藍の講義では、外の世界の建物はガラスの自動で開く扉を使っていることが多いらしい。

 妖夢は意気揚々と一番目立つガラス戸の前に立ったが、一向に扉が開く気配はなかった。

 

「およ?」

 

 妖夢は確かめるように扉についた金具を押す。

 すると多少の重量感とともにガラス戸は開いた。

 

「押し戸か……」

 

 

 妖夢は気を取り直して館内に入り、辺りをくるくると見回す。

 目の前には二階へと続く階段。

 どうやら左右で建物が分かれているようだった。

 取り敢えず入ってみたものの、ここに一体何があるかはわからない。

 手掛かりとなり得るのは蔵で見つけた両親の写真と手紙ぐらいだろう。

 

「すみません」

 

 妖夢はいかにもここの職員そうな女性に声をかける。

 女性は調べ物をしている中学生だと思ったのか、優しげな笑みで振り向いた。

 

「はい、どうされましたか?」

 

 女性の声色は敬語というよりかは小さな子供に話しかけるような感じだったが、妖夢は構わず要件を伝えた。

 

「少々調べ物をしておりまして、手を貸してくださる人を探しているのですが……」

 

 妖夢は少々見上げるように職員の女性を見る。

 身長が140cmに満たない妖夢からすれば、現代の日本に生きる人間は総じて大きく見えた。

 

「どのようなことをお調べで?」

 

 妖夢は鞄を漁り両親の写真と非公式な死亡通知を取り出す。

 死亡通知には死んだ場所や死亡日付等は書かれていなかったが、その手紙が何処から、何日に届いたのかは記載されていた。

 

「戦時中に亡くなった魂魄夫妻について調べているのですが……」

 

 女性は予想外のものが出てきたためか、写真と通知書を見て目を白黒させている。

 しばらく悩むように通知書を眺めていたが、自分ではどうにもならないと察したのか、携帯電話を取り出して電話をかけ始めた。

 

「もしもし、鈴木です。すみません、今大丈夫ですか?」

 

 妖夢は昨日の講義で電話の掛け方は教わっていたが、幻想郷は圏外なため実際に電話をかけたことはなかった。

 妖夢は改めて携帯電話が通信機として機能することを実感すると、ポケットから携帯電話を取り出して両手で開き、充電が切れていないことを確認した。

 

「少々お待ちくださいね。今その時代に詳しいおじいさんがやってくるので」

 

「ありがとうございます」

 

 妖夢は女性に対し礼を言い、小さく頭を下げる。

 女性はふと疑問に思ったのか、女性にとってはある意味当たり前な質問をした。

 

「そういえば、今日は学校はお休みなんですか?」

 

「学校?」

 

 妖夢は女性から言われたことをそのまま繰り返す。

 

「今日って平日ですよね?」

 

 それを聞き、妖夢はノートを取り出し、昨日書き留めたした自分の身分についての欄を見る。

 そこには高校卒業(18歳で卒業)後、庭師として働いていると書かれていた。

 

「ああ、そういうことですか。もう卒業してますよ」

 

 妖夢はさも当たり前かのように答える。

 女性は目をパチクリさせると、妖夢の足先から頭頂部にかけて確かめるように妖夢の全身を観察し、恐る恐る質問した。

 

「申し訳ありませんが……今おいくつですか?」

 

 妖夢は改めて自分の外見年齢がどの程度かを思い出す。

 半人半霊は普通の人間に比べて老化する速度が遅い。

 傍目から見れば十代前半程度に見えるだろう。

 

「いくつに見えます?」

 

 妖夢は誤魔化すように戯けてみせる。

 免許証を見せて設定上の年齢を教えることに妖夢は拒否感は抱かなかったが、ここはあえて教えないことにした。

 設定上無理がないギリギリの年齢が二十歳なだけであって、二十歳前後の年齢では世間一般からしたらまだまだ子供だ。

 

「う〜ん……大体十三、いや十五ぐらいですかね」

 

「ふむ」

 

 妖夢はその評価を甘んじて受け止める。

 

「こんなナリでも一応就職してます」

 

「あ、すみません……」

 

 身体的なコンプレックスに触れてしまったと思ったのか、女性は申し訳なさそうに謝った。

 

「あ、いえ。遺伝的なものなのでそこまでお気になさらず」

 

 まあ、半人半霊であることはある意味遺伝的なものなので間違いではない。

 女性は妖夢のそんな返答に納得したのか、それ以上の追求はしなかった。

 

「ごめん鈴木さん、待たせたかな?」

 

 電話を掛けて五分もしないうちに通路の奥から初老の男性がこちらに歩いてきた。

 

「お時間大丈夫でしたか?」

 

「多少事務仕事が残ってるが、まあ俺じゃなきゃできない仕事でもないしね。こっちのが大事」

 

 妖夢は現れた初老の男性を観察する。

 髪には白髪が目立ち、顔にも皺が寄っているが、顔つきからかそこまで老いているようには見えない。

 姿勢がいいからだろうか、見た目よりも歳をとっているだろうと妖夢は当たりをつけた。

 

「それで、戦時中の資料を探していると聞いたけど、何を探しているんだい?」

 

 優しげな笑みを浮かべる初老の男性に、妖夢は写真と通知書を見せる。

 初老の男性は胸ポケットから老眼鏡を取り出すと、つるを持って振り開き、片手で老眼鏡をかけた。

 

「昭和二十年。終戦の年だね。魂魄夫妻……」

 

「聞き覚えが?」

 

「いや、珍しい名前だったから」

 

 男性は丁寧な手つきで写真と通知書を妖夢に返す。

 

「この写真に写っている魂魄夫妻のお墓を探しているのですが……」

 

「ご親戚で?」

 

「ええ、そんなところです」

 

 初老の男性は少し考えてから、妖夢についてくるようにいって通路を歩き出す。

 妖夢は初老の男性の後ろにつく形で後を追った。

 

「その年代の資料は他の年代に比べて保管している数も多いと思うから何か見つかるとは思うよ。珍しい名前だし」

 

「何か少しでも手掛かりがあるといいのですが……」

 

「ま、最終手段として伏見の老人ホームを片っ端から回るっていうのも手だがね」

 

 老人ホームというものが妖夢にはわからなかったが、老人とついているということは年寄りが集まる場所なのだろうと勝手に解釈する。

 初老の男性はしばらく通路を歩くと、一般には開放されていない扉を開く。

 そこには天井近くまで伸びるガラス戸の棚が人一人通れる隙間を開けてびっしりと整列して設置してあり、いかにも情報が詰め込まれているという雰囲気を醸し出していた。

 

「そのご夫妻が何をされていた人かっていうのはわかる?」

 

 妖夢は写真を取り出して少し眺める。

 妖夢の父は三尺近くある楼観剣を帯刀しているが、流石に常に持ち歩いていたわけではないだろう。

 

「何の職についていたかはわかりませんが、私の家は代々剣術家の家系ですので、多分それ関係だとは思います」

 

「剣術家ね。それだったら道場か」

 

 初老の男性はいつくかの資料を棚から出すと、順番に目を通し始める。

 

「それにしても、ご親戚にお墓の位置を知ってる人はいなかったのかい?」

 

 初老の男性は興味本位に妖夢に聞く。

 妖夢は何と答えたら良いか少し悩んだが真実を織り交ぜつつ適当に誤魔化すことにした。

 

「父と母は私が小さい頃に既に。育ての親であった祖父も、未熟な私を残して旅立ってしまいました」

 

「……」

 

 予想外の答えが返ってきたためか、初老の男性はバツの悪そうな顔をして押し黙る。

 妖夢は文字通りの意味で祖父が旅立ったと言っただけだが、初老の男性は完全に妖夢の祖父はもう死んでいると解釈した。

 妖夢が語った父と母というのが今調べている魂魄夫妻だとは露程にも思わないだろう。

 

「ああでも、今の職場でも良くしていただいてますし、独りってわけでもないんですけどね」

 

 妖夢は初老の男性が気に病まないよう、そう言葉を続けるが、妖夢の期待とは裏腹に初老の男性は驚いたように書類から顔を上げた。

 

「あんたその歳でもう働いているのか?」

 

「え? はい。住み込みで庭師の仕事を」

 

「住み込みってあんた……専属ってことか?」

 

「まあそうなりますね」

 

 こんな歳の少女が住み込みで庭師の仕事をしている。

 初老の男性の頭の中で一つのストーリーが勝手に構築されていった。

 幼い頃に両親を亡くし、祖父に育てられた少女。

 その祖父も亡くし天涯孤独孤独になった少女を祖父の知り合いのどこかの金持ちが庭師として雇うという大義名分で少女を納得させ、保護したのだと。

 

「いい雇い主じゃねぇか。大切にするんだぞ」

 

「ええ、というかそれも仕事のうちですから」

 

 事実とは大きく異なるが、認識がすれ違っていることに両者とも気がついていないので特に問題はないだろう。

 初老の男性は妖夢に気が付かれないように小さく鼻を啜ると、何かを見つけたのか腰ぐらいの高さの棚の上に書類を広げた。

 

「その時代にもし武道家一筋で生きていけるとしたら十中八九軍の関係者だ。でも死亡通知書に階級が書いてないところを見るに軍に所属していたわけでもなさそうでね」

 

 妖夢は書類を覗き込む。

 その書類には『大日本帝国軍第十六師團部外協力者一覧』と書かれていた。

 

 「ほら、ここ。部外講師として魂魄師範との記載がある」

 

「珍しい名前ですし間違いさなそうですね。大日本帝国軍……」

 

「その頃の日本の軍隊だよ。十六師団だと……」

 

 初老の男性は違う棚から一枚の地図を取り出すと、狭い部屋の中で広げる。

 その地図には『軍関連施設一覧』との記載がしてあり、作られた年代自体は新しいようだった。

 

「あった、伏見区だ。当時伏見区に第十六師団っていう大日本帝国陸軍の大きい部隊が駐屯していたんだが、そこで部外講師として士官に剣術を教えていたようだ」

 

「十六師團……」

 

「終戦間近のこの頃だったら十六師団はレイテ島か。新人教育に追われていたんだろうな」

 

「昔の戦争で刀を使うことがあったのですか?」

 

 刀は既に美術品として扱われていると聞いていた妖夢は、確認するように初老の男性に質問する。

 

「流石に主体というわけではないけどな。指揮官クラスの人間が半分装飾品として刀を所持していたんだ。勿論、刀自体は刃がついている本物だから、白兵戦になったら普通に武器として使う」

 

 この頃の日本では剣術を極めている軍人があまりにも少なく、軍が剣術の指南書を作成するほどだった。

 そんな時世では剣術を教育できる人材というのは貴重だったのだろう。

 それこそ、徴兵されないほどに。

 

「この資料じゃどこに住んでいたかはわからないが……伏見区に道場があれば……」

 

 初老の男性は伏見区の詳細な地図を棚から持ってくる。

 その地図は昔の地図をプリントアウトしたもので、調べ物用に資料館が用意してあるものだった。

 

「……これだ。文字が潰れて読みにくいが、多分魂魄って書いてある」

 

 妖夢は初老の男性が指さした地図を覗き込む。

 そこには確かに小さく『魂魄流道場』との記載があった。

 

「今の地図と照らし合わせると……住宅街になってるな。伏見区の道場を虱潰しに周ればもしかしたら昔の門下生がいるかもしれないが……」

 

「それ、わかりやすくていいですね」

 

「は?」

 

 初老の男性はそんな面倒くさい方法よりもいい方法がありそうだと言おうとしたが、妖夢にとってそれ以上にわかりやすい方法もなかった。

 

「伏見にある道場の一覧ってありますか?」

 

「そりゃ調べりゃリストアップできるが……そんなのでいいのか? 時間かかるぞ?」

 

「急がば回れですよ。それに私も剣術には覚えがあります。この時代の剣術がどうなっているのか興味がないわけじゃないので」

 

 初老の男性は現在の京都の地図を持ってくると、部屋の隅に置いてあったコピー機でコピーを取る。

 妖夢はその様子を興味ありげに見ていた。

 

「絵を高速で複製する……写真みたいなものなんですかね」

 

 今のデジタルカメラとの比較だとしたら似たようなものだが、妖夢の知っている幻想郷にあるようなカメラとは全く仕組みが異なる。

 初老の男性はコピーした地図のめぼしい施設にペンで丸を打っていった。

 

「まあ伏見に限定したらそこまで数はないか。剣術の道場が三つ、剣道の道場が九つだ。今が戦後六十年だから、最低でも七十五、いや八十歳ぐらいの武道家、もしくは軍の関係者なら何か知っているかもしれないな」

 

 初老の男性は地図を折りたたむと妖夢に手渡す。

 妖夢は深く頭を下げて地図を受け取った。

 

「手を貸していただいてありがとうございました」

 

「あまり力に慣れてないかもしれないが、頑張れよ。何かあったら資料館に電話をかけてくるといい。山岡って言えばわかるはずだ」

 

 山岡と名乗った初老の男性は、玄関ホールまで妖夢を見送る。

 妖夢はもう一度丁寧に初老の男性にお礼をいうと、資料館を後にした。

 

「さて」

 

 妖夢は空を見上げて太陽の位置を見る。

 日は登り切っておらず、まだ時間の余裕はありそうだった。

 

「取り敢えず片っ端から向かいましょう」

 

 妖夢は携帯電話を取り出すと、財布の中に入れておいた番号を辿々しい手つきで打ち込み始めた。

 

「何でこんなに小さなボタンなんだろ。もっと大きくすればいいのに」

 

 ボタンが大きくなればその分携帯電話自体が大きくなるから仕方がないと言えば仕方がないのだが、そんな事情は関係ないと言わんばかりに妖夢は誰にいうでもなく文句を言った。

 苦労の甲斐もあり、無事携帯電話からコール音が鳴り始める。

 妖夢は携帯電話を耳に当て、相手が出るのを待った。

 

『はい木下です』

 

「私は魂魄妖夢というものです」

 

『あ、はい。それでどう言ったご用件で?』

 

「いやその、総合資料館まで迎えにきて欲しいなと思いまして……」

 

『今朝のお客様ですね。ここからですと二十分ほど掛かりますので少々お待ちいただけたら』

 

 電話に出たタクシーの運転手はようやく事情を察したのか、妖夢だと分かった途端に口調が変わる。

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 妖夢はそんな態度を気にすることなく電話を切ると、初老の男性から貰った地図を広げた。

 

「魂魄流の道場があった位置がここで、一番近い道場がここ。何処から回るのがいいのかな」

 

 それこそ運転手と話し合うのが一番なのだが、妖夢は時間を潰す意味合いも兼ねて道場を回る順番を考察した。




タクシー
 ある意味妖夢にとっては一番わかりやすい移動手段

区役所
 実を言うと役所には妖夢の両親の戸籍謄本がある。ただ妖夢の年齢(外見)と役所が何処まで相手をしてくれるか考えた結果、役所での手続きを踏んでの戸籍入手は難しそうだと考え、運転手は総合資料館を勧めた。

京都府立総合資料館
 老朽化に伴い2016年に閉鎖した資料館。現在は京都府立京都学・歴彩館がその役割を引き継いでいる。作中は2005年なのでまだ存在している。

妖夢の外見
 幻想郷の中でも身長が低い。有志の考察では130cmほどと言われているが、この作中では135cm。それでもめちゃくちゃ小さい。明治時代の十二歳の子供の平均身長がこれぐらい。

16師団
 大日本帝国の師団の一つ。作者も詳しくは知らない。


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第四話「これで文句ないでしょう?」

 タクシーの運転手に電話を掛けてから二十分ほど経っただろうか。

 妖夢が京都の地図を見ながら門の前で唸っていると、妖夢の目の前にハザードをつけたタクシーが停車する。

 妖夢がそちらに視線を向けると同時に後部座席の扉が開き、運転手の声が聞こえた。

 

「お待たせ致しました」

 

「あ、どうもありがとうございます」

 

 妖夢は窓越しに運転手に一礼すると、開いた扉からタクシーに乗り込む。

 妖夢が乗り込むと同時に、運転手は後部座席の扉を閉めた。

 

「どちらまで向かいましょう」

 

「えっと、取り敢えず手掛かりは見つけたんですよね」

 

 妖夢は運転手に総合資料館での簡単な経緯を説明し、初老の男性に貰った地図を運転手に見せる。

 運転手は渡された地図を数秒眺めると、何かに気がついたのかボールペンを取り出した。

 

「ちょっと書き込んでもいいです?」

 

「はい、大丈夫です」

 

 運転手は地図をバインダーの上に乗せ、ペンを走らせながら説明を始める。

 

「まずここの剣道場ですが、ちびっ子向けの道場です。大体小学校卒業ぐらいまでの子供が対象だったはず。んでこっちの道場は剣術や剣道ってよりかはエクササイズ系の道場なんで、そんなお歳を召してらっしゃる人はいないでしょうね」

 

 そのような感じで、運転手はわかる範囲で妖夢の地図に注記を行なっていった。

 

「何にしても平日の昼間から開いている道場は無いと思いますよ。平日でしたら大体十九時から二十一時がメインの時間帯じゃないでしょうか」

 

 妖夢は手首を捻りそこに巻いてある腕時計を覗き込む。

 

「長い針が八で短い針が十一……まだ正午にもなってない」

 

「もう本日の宿はお決めで?」

 

 運転手の言葉に、妖夢は藍の言葉を思い出す。

 外の世界、特に京都は宿屋が多く宿泊場所には困らないだろうが、どこか都合のいい宿屋を見つけてそこを拠点としてしまえば楽だと。

 

「いえ、そういえばまだです。どこかおすすめの宿屋はありますか?」

 

「職業柄ホテルには詳しいですよ。予算はどれぐらいで?」

 

「あ、特に気にせず」

 

 妖夢はクレジットカードから無限にお金が湧いてくると思っているので特に何も気にせず運転手にそう答える。

 運転手も妖夢がアメリカンエキスプレスのプラチナカードを持っていると知っているので、特にお金の心配はしていなかった。

 運転手の頭の中では、妖夢は世間知らずの御令嬢ということになっている。

 

「わかりました」

 

 運転手は地図を妖夢に返すと、右ウィンカーを出してタクシーを発進させる。

 妖夢は返された地図をリュックサックに仕舞い込み、座席に身を沈めた。

 

「っと、チェックインに関してはコンシェルジュを通すとスムーズだと思いますよ。未成年のチェックインには同意書が必要だったりしますから」

 

 運転手は今向かっているホテルの名前を妖夢に教える。

 妖夢は取り敢えず教えてもらったホテルの名前をノートに書き留めた。

 

「コンシェルジュ?」

 

「ああ、えっと……コンシェルジュっていうのは……簡単に言ってしまえばホテルやレストランを探したり予約したりとかを代わりに行ってくれるサービスですよ。アメックスのプラチナだったら家族カードでも利用できたと思いますので」

 

「それは便利な」

 

 流石に昨日の講義ではクレジットカードの特典の説明まではされなかった。

 便利であることには変わりないが、それ以上に覚えないといけないことが多かったからだ。

 

「ん? 家族カードと言ってもカード自体は本人名義だから……あの、失礼ですがご年齢は?」

 

 運転手は今頃気がついたのか、妖夢に年齢を聞いた。

 クレジットカードは家族カードと言えども十八歳以上でないと所持することができない。

 ということは必然的に妖夢は十八歳以上と言うことになる。

 運転手はルームミラーで妖夢の顔を再度確認したが、とても十八歳には見えなかった。

 

「二十歳ですよ」

 

 妖夢は何か問題があるといけないので正直に年齢を答える。

 運転手は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに表情を取り繕い妖夢に謝罪した。

 

「申し訳ありません。成人されているのであれば何の問題もなくホテルにチェックインできると思います」

 

 これが二十歳の力か、と妖夢は自分の設定上の年齢に関心する。

 見た目通りの年齢という設定だったらそもそもホテルを取るのにも苦労しただろう。

 

「まあ、若く見られる自覚はありますよ」

 

 妖夢は少し得意げに胸を張るが、若く見られるというレベルを完全に超えている。

 運転手は妖夢が自分の失言をあまり気にしていないことに胸を撫でおろすと、事故を起こさないようにハンドルを握りなおした。

 

「お、見えてきましたね。あそこのホテルです」

 

 運転手はホテルのエントランス前に静かにタクシーを止めると、妖夢に料金を提示する。

 妖夢は今朝と同じようにクレジットカードを運転手に手渡した。

 

「では、また何かありましたらいつでもご連絡ください。他のお客様を乗せているときは電話に出られないかもしれませんが」

 

 運転手はクレジットカードをリーダーに通しながら妖夢に言った。

 妖夢は運転手から手渡されたレシートにサインを書き入れ、運転手に返す。

 

「都合が合うときだけでもありがたいです。右も左もわかりませんので」

 

 妖夢は改めて運転手にお礼を言うと、リュックサックを手に取り自動で開いた扉から外に出る。

 タクシーから降りた妖夢の目の前には、あまりにも巨大な建造物がそびえ立っていた。

 エントランスの自動ドアの上には『Leah Ford Hotel』と書かれている。

 このホテルの名前だろう。

 そしてガラス戸にはこのホテルのシンボルマークなのか、少女だと思わしき女性の顔のシルエットが印刷されていた。

 

「えっと、どうすればいいんだろう?」

 

 妖夢はあまりにも幻想郷とは異次元なその空間に思わず立ちすくむ。

 幻想郷にも紅魔館という洋館は存在するが、ここまで煌びやかではない。

 ある意味、仏教でいうところの極楽浄土を再現したかのような建造物だった。

 

「えーい! ままよ!」

 

 妖夢は意を決して自動ドアの前に立つ。

 透き通るガラスの大きな扉は、妖夢の小さな体に反応して静かに左右に開いた。

 

「おお、これが自動扉ね」

 

 妖夢はある種の感動を覚えつつ、受付と書かれた札が置いてあるカウンターまで進む。

 カウンターの向かい側にいる女性は妖夢の姿に気が付いたのか、丁寧にお辞儀をした。

 

「いらっしゃいませ。リアフォードホテルへようこそ」

 

「ああ、どうも、じゃなくて、えっと……ここに泊まりたいんですが」

 

「ご宿泊ですね。少々お待ちください」

 

 受付の女性には妖夢の姿は首から上しか見えていないはずだが、丁寧な接客態度を崩さない。

 受付の女性はカウンターの裏から書類を取り出すと、妖夢の前に差し出した。

 

「こちらにお名前、ご年齢、ご住所、電話番号のご記入をお願いします」

 

 そしてカウンターからペンを抜き取ると、妖夢に手渡す。

 妖夢は名前と年齢、昨日散々練習した仮の住所と電話番号を書き込むと、少し背伸びして受付の女性に手渡した。

 

「お願いします」

 

「申し訳ありませんが、本人確認ができる書類等はお持ちでしょうか?」

 

 受付の女性は記入された名前と年齢を確認し、身分証の提示を求める。

 妖夢は財布の中から免許証を取り出すと、受付の女性に手渡した。

 受付の女性は免許証を受け取り、書類と照らし合わせる。

 そして書類に書かれた内容が正しいことを確認し、妖夢に免許証を返した。

 

「ありがとうございます。本日から一泊のご宿泊でよろしいでしょうか」

 

「えっと、はい。取り敢えずそれで」

 

 妖夢は支払いのためにクレジットカードを取り出す。

 受付の女性はそのカードの種類とグレードを一目で確認すると、カウンターの裏にあるモニタで空室を確認した。

 

「本日スイートルームに空きがございますので、スタンダードの料金でお部屋をアップグレードすることができますが、いかがいたしましょうか?」

 

 受付の女性が気を利かせた形だが、妖夢には完全に暗号にしか聞こえなかった。

 妖夢はあからさまに視線を泳がせ、誤魔化すように頬を掻く。

 受付の女性はその妖夢の仕草に何かを察したのか、わかりやすく言い直した。

 

「通常料金でいいお部屋にご宿泊することが出来ますが、いかがですか?」

 

 ああ、と妖夢はようやく受付の女性が言いたかったことを理解した。

 

「是非お願いします」

 

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

 受付の女性は手続きを済ませると、妖夢に部屋の鍵を手渡す。

 妖夢は丁寧に部屋の鍵を受け取ると、右手に握りしめた。

 

「お部屋は向かって左側にあるエレベータで最上階に上がっていただき、エレベータを降りて右手奥です」

 

 妖夢は受付の女性に示された方向を見る。

 そこには装飾の施されたエレベータの扉が二つ並んでいた。

 

「えっと、右と左どっちです?」

 

 妖夢からしたらある意味当たり前の質問を受付の女性にする。

 

「え?」

 

 だが、受付の女性からしたらそれは全く予想していなかった質問だった。

 

「ああ、えっと……左右どちらのエレベータでも大丈夫ですよ。どちらのエレベータも最上階まで向かうことができます」

 

「およ? ああ、そういうものですか」

 

 妖夢からしたら同じ用途のものを二つ同じ場所に並べることに疑問しか感じなかったが、そういうものなのだろうと無理やり納得する。

 

「ご精算はチェックアウト時にまとめて行います。それでは、ごゆっくりお過ごしください」

 

 受付の女性は気を取り直してマニュアル通りの応対に戻る。

 妖夢は受付の女性に小さくお辞儀をすると、エレベータのほうへ歩いて行った。

 

「エレベータ……確か上下移動をするための機械でしたっけ」

 

 妖夢はエレベータの扉の横につけられたボタンの矢印を見る。

 矢印は上に向かって伸びているので、このボタンを押せばいいのだろうと妖夢は推測した。

 妖夢がボタンを押すと、そのボタンに明かりが灯る。

 そして数秒もしないうちに重厚な扉が開き、小さな部屋が現れた。

 

「……」

 

 妖夢はその小さな部屋を警戒するように隅々まで覗き込む。

 部屋の中には沢山のボタンと鏡が設置されており、人の姿はなかった。

 妖夢は少々警戒しながらエレベータの中に足を踏み入れる。

 そして沢山配置されたボタンの前に移動すると、そのボタンを注意深く観察した。

 数字が書いてあるボタンの他に、『開』と『閉』のボタンがある。

 

「最上階ってことは一番上よね?」

 

 妖夢は数字が書いてあるボタンの中で、一番数字が大きいものを押した。

 しばらくすると、エレベータの扉はひとりでに閉まり、上へと動き出す。

 妖夢は無事エレベータが動き出したことに安堵しつつ、結構な勢いで数字が増えていくエレベータのモニタをじっと見ていた。

 30秒もしないうちに軽い電子音とともに扉が左右に開く。

 妖夢はエレベータから少しだけ身を乗り出し、到着した場所を観察した。

 

「ここで……いいんですよね?」

 

 妖夢は身を乗り出したまま握りしめていた鍵をよく見る。

 鍵には札が取り付けられており、札には三桁の数字が振られていた。

 

「501……このホテルに五百も部屋があるんですかね?」

 

 次の瞬間、エレベータの左右の扉が妖夢の首めがけて閉まり始めた。

 妖夢は閉まる直前に気が付き、咄嗟に頭を引っ込める。

 だが少し間に合わず、妖夢の頭はがっちりエレベータの扉に挟まれた。

 

「いたっ……くもないか」

 

 妖夢の頭を挟んだエレベータは異物を挟んだと判断し、そのまま開き始める。

 妖夢はエレベータに早く降りろと急かされたと思い、急いでエレベータの外に出た。

 

「そんな急かさなくてもいいじゃないですか」

 

 妖夢はつい敬語でエレベータに文句を言う。

 エレベータはそんな妖夢を無視するように扉をぴしゃりと閉じた。

 

「くっそー、機械のくせに……」

 

 妖夢は挟まれた頭を軽くさすりながらエレベータホールを後にする。

 ホールを出て廊下を少し歩くと鍵と同じ数字が掛かれた扉を見つけることが出来た。

 

「501。ここでしょうか」

 

 妖夢は鍵穴に鍵を差し込み、軽く捻った。

 カタン、と重たい音が響き、扉の施錠が外れる音が聞こえる。

 

「よし、ここだ」

 

 妖夢は意気揚々と扉を開き、中へと入る。

 そして、そのまま妖夢は固まった。

 

「なんだここ」

 

 広々とした室内に配置されている家具はどれも高級感に溢れているが、嫌みな感じはしない。

 いくつかの部屋に分かれているのか、いくつかの扉があるのが見て取れる。

 外の世界のことを知らない妖夢から見ても、最高級の部屋だということがすぐに分かった。

 妖夢は背負っていたリュックサックをおろすと、震える手で携帯電話を開き、電話帳に一つだけ登録されている番号を選択する。

 携帯電話は数回電子音を発すると、すぐに目的の人物に繋がった。

 

『はい、藍です。何かありましたか?』

 

「あれよあれよという間にとんでもない部屋に案内されてしまったんですけど、どうすればいいんでしょう?」

 

『お金に関しては気にしなくていいですよ? ちなみに今日はどこに泊まるんです?』

 

 妖夢は握りしめていた鍵についている札のロゴマークを見る。

 

「えっと、りあふおーどほてるってところです」

 

『リアフォード、ですか。そりゃまた随分なところに案内されましたね』

 

 藍の口ぶりからも分かるように、今妖夢がいるホテルは京都でも一二を争う最高級ホテルだった。

 正規の値段でスイートルームに宿泊したら、一泊二百万円はくだらないだろう。

 

「ああでも、料金はスタンダードでいいと受付の人は言ってました」

 

『うーん、まあそのホテルならありえなくはないか。まあ折角の機会なのでゆっくりするといいと思いますよ? 外の世界の人間でも早々体験できるものでもないですし』

 

 妖夢はそう言われて部屋をもう一度見回す。

 正直、妖夢としては和室のほうが居心地が良かった。

 

『っと、そういえば墓参りの進捗はどうですか? お墓の場所は見つかりましたか?』

 

 妖夢は両親が軍の関係者で、今日の夜から伏見にある道場を回る予定だと伝えた。

 

『確かに外の世界の道場は平日は夜しか開いていないことが多いです。門下生も昼間は学業や仕事に励んでいるので』

 

「まあそりゃそうですよね。私だって四六時中修行しているわけでもないですし」

 

『その時間帯だったら私も手が空きますので、車出しますよ? 何件か回るなら移動時間は短いほうがいいですし』

 

「え? いいんですか?」

 

 藍の提案に妖夢は少なからず驚く。

 そういった手助けはしてくれないと思っていたからだ。

 

『道場が開いている二、三時間ぐらいなら全然大丈夫ですよ。その時間帯なら紫様の夕食も済んでますし』

 

「是非お願いします!」

 

 妖夢は藍と時間の打ち合わせをしたのち、携帯電話を閉じる。

 そのまま恐る恐るソファーに腰掛け、机の上に地図を広げた。

 

「現在地がどこか皆目見当もつかないけど、まあ藍さんなら大丈夫よね」

 

 今後の方針も決まり、今日の宿も確保したところで妖夢はようやく一息つく。

 部屋の内装は落ち着けたものではないが、それにもすぐに慣れるだろう。

 妖夢はリュックサックの中から財布を取り出すと、ポケットに入れる。

 夜まではまだ時間があるので今のうちに腹ごしらえをしておいたほうがいいと妖夢は判断し、部屋の鍵を持って部屋を出た。

 妖夢は鍵穴に鍵を挿し、開けた方向とは逆の方向に回す。

 手ごたえはなかったが、ドアノブを捻っても扉が開く気配がなかったため、施錠できたと妖夢は判断した。

 

「えっと、ホテルから出かけるときは……」

 

 妖夢はエレベータの到着を待つ間にズボンのポケットに入れてあったノートを取り出して確認する。

 

「鍵をフロントに預ける。……フロントってどこだろう。まあ受付で聞けばいいか」

 

 その受付がフロントなのだが、妖夢は気が付くことなく到着したエレベータに乗り込んだ。

 妖夢は一番小さな数字が掛かれたボタンを押し、扉が閉まるまで待つ。

 少し待つと扉は自動で閉まり、エレベータは動き始めた。

 そこまで長い時間も掛からずにエレベータは一番下の階層に到着する。

 妖夢は扉が開くと同時に急ぎ足でエレベータから出た。

 

「これで文句ないでしょう?」

 

 妖夢は小さく振り返りエレベータに声をかける。

 エレベータはまたもや無視するようにぴしゃりと扉を閉じた。

 

「……まあいいか」

 

 妖夢はフロントの場所を聞くために受付のほうへと歩き出す。

 受付の女性は妖夢に気が付いたのか、少し姿勢を正した。

 

「あの、すみません。フロントってどこですか?」

 

「こちらがフロントです」

 

 受付の女性は予想外の質問に少々動揺したが、率直に答えを返した。

 

「あ、フロントって受付のことだったんですね。外出するので鍵をお願いします」

 

 妖夢はカウンターの上に部屋の鍵を置く。

 受付の女性は少々手を伸ばして鍵を受け取った。

 

「かしこまりました。お戻りの際にまたお声かけください」

 

 妖夢は小さく頭を下げると、ホテルの外へと足を向けた。

 

 

 

 ホテルは大通りに面しており、軽く見回すだけでもいくつか飲食店を見つけることが出来る。

 妖夢は迷子にならないようにホテルの外見を睨みつけるように記憶すると、周囲を見回しながら大通りを歩き始めた。

 

「どの店が飯屋かぐらいは分かるけど……あんまり変なものは食べたくないな」

 

 でも珍しいものも食べたいというある種の矛盾じみた判断基準で妖夢は店を探す。

 幻想郷でも馴染み深い蕎麦やうどんの店、最近人里にもできたというカフェ、たまに紫が白玉楼に持ってくる海の魚を専門に扱う店、色彩がカラフルな中華料理店など。

 妖夢は十分ほどホテルの周りを探索し、最終的にはホテルの横にあるカフェへと足を踏み入れた。

 妖夢自身人里にカフェが出来てからずっと気にはなっていたが、結局店に入ったことはなかった。

 人里のカフェは外来人が始めたという話を妖夢は聞いていたので、一足先に本場である外の世界のカフェを体験し、流行りを先取りしようと考えたのだった。

 妖夢は店の扉を押し開けて中に入る。

 店員は妖夢の姿に気が付くと早足で近づてきた。

 

「いらっしゃいませ。一名様ですか?」

 

「はい、私一人です」

 

 妖夢は店員と話しながらも、店の中を観察した。

 お昼時だというのに客の姿はあまりなく、旅行中だと思われる男性客が一人に、外国人のカップルが一組、あとは店主と思われる男性が一人に今話しかけてきている女性店員が一人。

 

「お好きな席へどうぞ」

 

 店員はにこやかにそういうと、キッチンのほうへと歩いていく。

 妖夢はもう一度店内を見回し、人口密度が低くなるように少し他の客と席を離して二人用のテーブルについた。

 

「ご注文がお決まりになりましたらお声かけください」

 

 店員は妖夢の前に水の入ったコップを差し出すと、にこやかに笑ってテーブルから離れていった。

 妖夢はテーブルの端に立てかけられたメニューを手に取り、テーブルの上で開く。

 そこにはコーヒーや紅茶が何種類かと、簡単な軽食が写真と共に載っていた。

 妖夢は少しメニューを見ながら悩み、最終的にはコーヒーがセットになっているオムライスを注文した。

 

「……ふぅ」

 

 妖夢は口の中を濡らす程度に水を口に含むと、小さく息をつく。

 そして思い出したかのように外を見た。

 道行く人はみな洋服に身を包み、道路には大きな車が凄い速度で通過していく。

 異質な光景ではあるが、妖夢はその光景に慣れつつあった。

 もっとも、京都は法律によって建物の高さが制限されている。

 他の主要都市と比べれば、京都の町並みはまだ幻想郷のそれに近いのだが、比較対象が人里しかない妖夢からしたらそんなことはわからない。

 

「幻想郷もいつかこうなるのかなぁ」

 

 幻想郷の文明が進んだとして、いま妖夢が見ている風景に行きつくのかはわからない。

 だが、妖夢としては多少不便でも今の幻想郷のままがいいとぼんやり思った。




アメックスのプラチナカード
 アメリカンエキスプレスという会社のプラチナカード。年会費は十数万円と高額だが、それに見合う会員特典や保証が付く。コンシェルジュサービスやホテルの優待特典など。ブラックカードよりかはグレードは下がるが、持っているだけでステータスになるカードの一つ。

Leah Ford Hotel
 全世界に展開しているホテルグループ。基本的に富裕層を対象としており、スタンダードといえど結構な値段がする。

エレベータ
 エレベータは自分の仕事を全うしているだけであり、全部妖夢の一人芝居。

人里のカフェ
 文々。新聞が人気らしい。


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第五話「さあ、遠慮なく注文してくれ」

少し仕事が忙しくなるので次回の投稿は少し先になりそうです。


 白玉楼ではこの季節、外を眺めれば嫌でも桜が目に入るが、カフェの窓越しに眺める風景には、印刷物の桜しかない。

 もっとも、京都にも桜の名所は数多くあり、そのどれもが競わんばかりに花を咲かせているのだが、少なくとも今現在妖夢の見ている風景には桜の木はなかった。

 妖夢が道路の反対側の建物に貼ってある桜が施されたポスターを眺めていると、ふと店内から視線を感じ、その方向を向く。

 そのまま視線を辿ると少し離れた位置にいた外国人のカップルが、妖夢の方をチラチラと見ながら何かを楽しげに話しているのが見えた。

 妖夢には英語はわからないが、雰囲気から察するに、敵意は感じないし、罵倒されているようにも思えない。

 外国人カップルは妖夢が自分たちの方を向いたのが嬉しかったのか、妖夢に対して笑顔で手を振ってくる。

 妖夢にはその笑顔の意味はよく分からなかったが、取り敢えず手を振り返した。

 

「oh! very cute!」

 

 外国人の男性が、身をよじるようにして小さい声で呟く。

 外国人の女性はその様子に少し呆れながらも、妖夢に対し微笑んだ。

 妖夢自身全く外国人を見たことがないわけではない。

 霧の湖の辺りに建つ紅く窓の少ない館、紅魔館の主人であるレミリア・スカーレットは日本語こそ話すもののバリバリの外国人だ。

 妖夢はレミリアと親しい間柄ではなかったが、全く接点がないわけでもなかった。

 

「ど、どうもー」

 

 妖夢はどうしていいかわからず、ぎこちない笑みを返す。

 そうしているうちに、妖夢の前に料理が運ばれてきた。

 

「お待たせいたしました。オムライスと、セットのコーヒーです。お砂糖とミルクは卓上のものをご自由にお使いください」

 

 女性の店員は妖夢の前にオムライスとコーヒーを置くと、伝票入れに伝票を丸めて差した。

 妖夢は目の前に置かれたオムライスをマジマジと見る。

 オムライスという料理自体は知っているし、なんなら幽々子の要望に妖夢が答え、白玉楼で作ったこともある。

 だが、それはあくまで人伝てに聞いたものを再現したものに過ぎなかったため、妖夢自身本物のオムライスがどういうものかは知らなかった。

 妖夢の目の前に置かれたオムライスは、丸く盛られたチキンライスの上に半熟の卵がかぶせられており、ケチャップベースのソースが掛けられている。

 そしてオムライスの頂点にはイギリスの国旗が付けられた爪楊枝が刺さっていた。

 

「おお、私が前に作ったオムライスと比べると凄いキラキラしてるわね。卵は半熟がいいのか」

 

 妖夢はスプーンを手に取ると、端のほうから少し切り崩し、口に運ぶ。

 

「中の味ご飯にしっかりと出汁が聞かせてあるし……もしかして卵にも少し味がつけてある?」

 

 妖夢はノートを取り出すと、オムライスを食べて気が付いたことをメモしていく。

 白玉楼には主に紫が食材を届けているので、幻想郷にはない食材を手に入れることも可能だ。

 妖夢は冥界へと帰ったら主人の幽々子にも外の世界の料理を食べてもらいたいと考えていた。

 

「上に掛けてあるものは……赤茄子のタレかな。中の味ご飯もこのタレで味付けされてる?」

 

 なんにしても、再現はそう難しくなさそうだと妖夢は思った。

 妖夢は味の研究をしながらオムライスに舌鼓を打ち、食後の締めにコーヒーカップを手に取る。

 妖夢自身あまりコーヒーは飲まないが、全く飲んだことがないというわけでもなかった。

 

「確かコーヒーって苦いんだっけ。香りは……まあいい感じ」

 

 妖夢は恐る恐るコーヒーカップに口をつける。

 確かに苦いが、飲めないほどではなかった。

 

「お客様、こちら、イチゴのショートケーキになります」

 

 不意に店員から声を掛けられ、妖夢はコーヒーカップを取り落としそうになる。

 妖夢はすぐさまカップを持ち直し、何事もなかったかのように店員のほうを向いた。

 

「あれ? 私ケーキなんて頼みましたっけ?」

 

 妖夢が店員に問いかけると、店員は外国人のカップルのほうを見る。

 

「あちらのお客様からです」

 

 外国人のカップルは店員と妖夢の視線に気が付いたのか、こちらに笑顔で小さく手を振っていた。

 

「えぇ……いいのかなぁ」

 

 妖夢はお人好しな外国人のカップルに少々呆れながらも、小さく頭を下げる。

 外国人のカップルはそんな妖夢の礼に返すように仲良く同時に親指を立てた。

 妖夢は机の上に置かれたショートケーキを見る。

 飾り気はないが、それ故に上に乗せられた苺の赤がクリームの白地に映えていた。

 

「何か引っかかるけど、まあいいか」

 

 妖夢は添えられたフォークを手に取り、上に乗せられた苺を突き刺す。

 そして盛られたクリームをつけ、口に運んだ。

 

「うん、いい感じ。初めから自分で頼んでおけばよかったかな」

 

 妖夢は甘い後味を流すようにコーヒーを飲む。

 少々苦すぎると感じたコーヒーの苦みは、程よくケーキの甘さで中和されていく。

 コーヒーをより楽しめるよう、このケーキの味は調整されているのだろう。

 

「まあ、お茶請けってそういうものよね」

 

 妖夢はケーキを平らげると残ったコーヒーを飲み干す。

 余韻を楽しむように一息つくと、妖夢は伝票を手に取り立ち上がった。

 そしてまっすぐレジには向かわず、外国人カップルのもとへと向かう。

 

「あの、ケーキごちそうさまでした」

 

 妖夢が頭を下げると、外国人の女性が妖夢の頭を撫でる。

 男性のほうは凄い良い笑顔で親指を立てた。

 妖夢もそれを真似して親指を立てる。

 

「頑張ってね」

 

「あ、日本語喋れるんですね」

 

 女性は非常に流暢な日本語で妖夢に話しかける。

 妖夢はそんな女性に呆気にとられつつ、改めて頭を下げると、今度こそレジへと向かった。

 

『なああの子、小学生ぐらいの歳だろう? こんな平日の昼にどうしてこんなところで昼食取ってるんだろうな』

 

 妖夢がレジで店員にクレジットカードを渡し、少々驚かれているのを横目に見ながら男性が英語で女性に話しかける。

 

『多分彼女そんな歳じゃないですよ。ほら、平然とカード使ってるし。もう成人してるんじゃない?』

 

『わっはっは、そんなまさか。きっと親のカードだろうさ』

 

 妖夢は会計を済ませると、ガラスの嵌められた重たい扉を押し開け、店の外に出る。

 腹も膨れたことで妖夢としてもだいぶ余裕が出てきたのか、ホテルへは帰らず夜までこの土地を観光しようという気になっていた。

 

「とすると、どこに行こう。誰かに聞いたほうがいいのかな」

 

 今連絡できるとすれば藍かタクシーの運転手の二択だろう。

 だが、今の妖夢には少し気になる場所があった。

 

「一番初めにこの地に降り立ったあの建物。『きょうとえき』だっけ?」

 

 あの時はとにかく人込みを避けるため早々に立ち去ったが、思い返せば京都駅はかなり面白い構造をしていたと妖夢は思い出す。

 妖夢は携帯電話を取り出すと、タクシーの運転手に電話を掛けた。

 

『お電話ありがとうございます。木下タクシー株式会社の木下です』

 

「あ、先ほどはどうも。魂魄妖夢です。京都駅まで行きたいんですけど……」

 

『現在地はどの辺かわかりますか?』

 

 妖夢は周囲をぐるりと見回すが、そういえば先ほどのホテルから殆ど動いていないことに気が付く。

 

「さっきのホテルから殆ど移動していません」

 

『リアフォードから? あー……』

 

 運転手は何かを思い悩むように唸る。

 妖夢は場所を思い出しているのだと思ったが、運転手はもっと違うことで思い悩んでいた。

 

『魂魄さん、そこからなら徒歩で向かったほうが早いですよ。そこから西に向かって道沿いに五分ほど歩いたら京都駅です』

 

「あ、そうなんですね」

 

 運転手は正直に妖夢に伝える。

 妖夢は空を見上げ太陽を見た。

 

「西は……あっちか。あ、どうもありがとうございます」

 

「いえいえ、何かありましたら些細なことでもお電話を」

 

 ぷつりと軽い音がして通話が切れる。

 妖夢は携帯電話を丁寧に折りたたむと、ポケットに仕舞い直し、歩道を歩き始めた。

 

 

 

 

 運転手の言う通り、歩き始めて五分も経たないうちに妖夢は京都駅に到着した。

 妖夢は改めて京都駅を見る。

 京都駅は周囲の建物と比較し、かなり特殊な構造をしていると妖夢は思った。

 ふんだんに使われたガラスは空の光を反射し、大きな鏡のようになっている。

 そのほかにも屋根が三角形を複雑に組み合わせたような形になっていたり、壁の一部が複雑な形に盛り上がったりしていた。

 

「やっぱりここに来てよかったわね」

 

 妖夢は中に入ろうと、出入り口を探す。

 昨日の藍の授業では、駅というのは電車という乗り物に乗るための場所だという話だった。

 妖夢は駅に近づいていき、人の流れを見た。

 頻繁に人が利用する施設ならば、中に入るには人の流れに乗るのが一番だと妖夢は判断したからだ。

 妖夢は人が頻繁に出入りしている出入り口から駅の中へと入る。

 そこは妖夢が想像していたよりもかなり大きな空間が広がっていた。

 中は細かい階層で区切られているわけではなく、天井まで続く吹き抜けになっている。

 正面には電車に乗るための改札があり、入り口側の壁の左右には自動で動く階段、エスカレーターが設置されていた。

 ひとまず電車には用事がないので、妖夢は入って右側のエスカレーターを観察する。

 地面から階段が湧き上がり上へ上へと勝手に登っていくその光景は、仕組みを知らない妖夢からしたら騙し絵とそう変わらない。

 

「階段を上に持ち上げるだけならまだしも、永遠と生み出し続けるっていうのはどういう仕組みなのかしら」

 

 そもそも妖夢からしたら階段は動くものではない。

 階段が勝手に動いたら便利だなんて発想がそもそも妖夢にはなかった。

 妖夢は恐る恐るエスカレーターに向かう人の流れに乗る。

 前の人の動きをよく観察し、妖夢はエレベーターに乗り込んだ。

 

「おっと」

 

 当初平らだった地面は傾斜がつくと同時に段差ができ、そのまま階段になる。

 妖夢は段差が出来るちょうど間にいたため若干バランスを崩したが、すぐさま手すりを握って踏ん張った。

 

「おお、なるほど」

 

 咄嗟に掴んだ手すりだが、よく見ると手すりもエスカレーターと共に動いている。

 確かに手すりも一緒に動いていないと体だけがどんどん前に進みバランスを崩してしまうだろう。

 妖夢を乗せたエスカレーターはそのまま上へと登っていき、やがて階段部分が平らな地面へと変わる。

 妖夢は降り損ねないよう慎重にタイミングを見計らってエスカレーターから降りた。

 エスカレーターを降りた先にはさらに上へと続くエスカレーターがあり、その左手にはカフェが見えた。

 先程昼食を食べたばかりの妖夢はカフェには目もくれず、次のエスカレーターへと乗り込む。

 その調子で二つほどエスカレーターを登ると妖夢にとってはある意味見慣れた光景が見えてきた。

 幅の広い階段が建物の一番上までまっすぐ伸びている。

 京都駅ビルの大階段だ。

 

「白玉楼までの階段みたい」

 

 妖夢はエスカレーターを降りると、その階段の真正面へと移動する。

 催し物があるときは客席にも使われるこの階段は若干の弧を描いており、威圧するような存在感がある。

 この駅ビルの目玉の一つなのか、階段の途中では階段を背に写真撮影をしている家族連れもいた。

 

「お二人とも、もっと笑ってくださーい!」

 

 三人の中で唯一長髪の少女が、カメラを構えながら前に立つ二人に声を掛ける。

 

「十分笑ってるだろう?」

 

 ぎこちない笑みを浮かべている長身の女性は更に歪に顔を歪ませた。

 長身の女性とは逆に、横に立っているまだ小学校を卒業してなさそうな背丈のチューリップ帽を被った少女は笑顔は気味が悪いほどに完璧な笑顔を作っている。

 

「もう、お二人ともふざけないでくださいよー」

 

 長髪の少女は一度カメラを目から離すと、二人を引っ張ったり軽くしゃがませたりしながら位置を微調整する。

 そしてまたカメラを構え、被写体が上手く写るよう少しずつ後退を始めた。

 

「あれって天狗が持ってるカメラかな。やっぱり外の世界は進んでるわね」

 

 妖夢はそんな女性の三人組を見ながら階段を登り始める。

 半霊を身体の中に入れているためか、普段より疲れにくいように感じた。

 

「うーん、もう少し後ろかな?」

 

「落ちるなよー」

 

 少しずつ後退する長髪の少女に、チューリップ帽の少女が茶化すように声をかける。

 

「大丈夫ですよー!」

 

 長髪の少女は元気よく答えるが、確かに小さな少女が注意するように、長髪の少女のすぐ後ろは階段だった。

 あと半歩でも後ろに下がればそのまま階段を転がり落ちるだろう。

 

「にしてもカメラか。盲点だったな。今からでも手に入れば幽々子様へのお土産が……」

 

 ブツブツ言いながら妖夢はロクに上も見ずに階段を登っていく。

 

「上の方が見切れ……——ッ!?」

 

 次の瞬間、カメラを構えていた少女が段差から足を踏み外した。

 

「——ッ」

 

 少女が足を踏み外したことに気がついた妖夢は咄嗟に地面を蹴り階段を駆け上がる。

 

「やばぁあああ!!」

 

 緊張感のない悲鳴をあげる少女の真下に入り込むと、倒れてくる少女の背中をそっと支えた。

 

「ああああぁぁぁ……あ?」

 

 少女は一瞬何が起こったのか理解していない顔をしていたが、何か納得したように後ろに倒れ込みながら前に立っている二人に対して親指を立てた。

 

「お二方、ナイスです! そのままもうちょっと引き寄せてください」

 

 妖夢は少女が何を言っているかわからなかったが、そのまま少女の背中を押して少女を立たせていく。

 そして少女が自分の足でバランスを取ったことを確認すると、そっと背中から手を離した。

 

「ほら言わんこっちゃない……すまなかったね。ありがとう」

 

 長身の女性が頭を掻きながら妖夢に礼を言う。

 長髪の少女はようやく自分が後ろから支えられたことに気が付いたようだった。

 

「って、え? あ、ああ! すみませんありがとうございます!!」

 

 長髪の少女は慌てて振り返ると妖夢に対して深々と頭を下げる。

 妖夢はそんな少女の態度に慌ててそれを制した。

 

「あ、いやいやそんな。たいしたことでは……」

 

 まあ確かにあのまま階段を転がり落ちていたら怪我は免れないだろう。

 

「いやいやいやいや、本当にありがとうございます!」

 

 コントのようなやり取りを繰り返す二人を見ながら、被写体になっていた二人は何かを話し込んでいる。

 やがて長身の女性が妖夢の方へと近付いてきた。

 

「うちのを助けてくれてありがとう。もしよかったら近くのカフェでお茶でもしていかないかい? 礼に奢るよ」

 

 妖夢はちらりと腕時計を確認する。

 藍との約束の時間まではまだ随分ある。

 時間を潰すという意味合いもかねて、妖夢は女性の誘いに乗ることにした。

 

「ええ、それは素晴らしい提案ですね」

 

「よし決まりだ。私の記憶が正しければ少し上がったところにカフェがあったはず」

 

 長身の女性の先導で妖夢は大階段の横の扉から駅ビル内に入る。

 長身の女性の記憶通り、扉を抜けてすぐのところにおしゃれな雰囲気のカフェがあった。

 

「平日のこの時間だから席は空いていると思うんだが……」

 

 女性は一人店の中に入っていくと、店員の女性と話し始める。

 良い返事がもらえたのか、女性はすぐに店の外に出てきた。

 

「四人掛けのテーブルがちょうど空いているらしい。すぐ入れるよ」

 

「んじゃいこー!」

 

 チューリップ帽の少女は見た目相応の笑みを浮かべて意気揚々と店の中に入っていく。

 その後を追うように店の中を歩いていき、開いている四人掛けのテーブルへと腰掛けた。

 妖夢の前には長身の女性。

 その横に長髪の少女。

 妖夢の隣にはチューリップ帽の少女が座った。

 

「何にする? 私はどうしようかなー、パフェもいいしケーキも美味しそうだし」

 

 チューリップ帽の少女は妖夢に見せるようにメニューを開くとあれこれ指さしながらページをめくり始める。

 

「あ! 私パフェがいいですパフェ!」

 

「お前は少し反省しような」

 

 長髪の少女を長身の女性が嗜める。

 

「さあ、遠慮なく注文してくれ」

 

 長身の女性に促されるまま妖夢はメニューを覗き込む。

 昼に入ったカフェに比べて料理が少なく、スイーツが充実している印象を受けた。

 

「じゃあ、私もその「ぱふぇ」っていうのにしようと思います」

 

「どれにする~?」

 

「なので「ぱふぇ」を……って、え?」

 

 チューリップ帽の少女がメニューを妖夢のほうへと突き出す。

 そこには色とりどりのパフェの写真が十種類以上並んでいた。

 

「え、えぇ~……こんなにあるの? えっとぉ……」

 

 妖夢はメニューを眺めながら目を回す。

 そんな妖夢の様子を察したのか、チューリップ帽の少女は妖夢のほうに体を寄せると、くっつくようにしながらメニューを指さした。

 

「私のおすすめはこれ! 全体的に全部甘いんだけど控えめなのがこれでー、今の一番人気はこれじゃないかな?」

 

「私苺がいいです!」

 

 長髪の少女は身を乗り出すようにしてメニューを覗き込む。

 妖夢はそんな二人に挟まれながらチューリップ帽の少女が勧めたパフェを指さした。

 

「じゃあ、私はこれで」

 

「あんたはどうすんの? パフェ?」

 

 チューリップ帽の少女は長身の女性に向かって不躾に問う。

 長身の女性は既に何を頼むか決めていたのか、端的に返した。

 

「私はガトーショコラで。みんな飲み物はどうする?」

 

 長身の女性は少し手を伸ばしてメニューの最初のほうのページを開く。

 

「私抹茶ラテ!」

 

「私キャラメルホイップカフェラテのシロップ添え!」

 

 チューリップ帽の少女と長髪の少女が同時に指さす。

 妖夢は少し迷ったが、チューリップ帽の少女が指さした抹茶ラテが気になったのでそれを指さした。

 

「よし決まりだ。店員さーん!」

 

 長身の女性は大きく体を捻り振り返ると、店員を呼ぶ。

 そしてメニューを指さしながら飲み物とスイーツを注文した。

 

「さて、改めてうちの子をありがとね。昔からそそっかしい性格ではあるんだが……」

 

 長髪の少女は照れるように頭を掻く。

 

「いやぁあはは、ほんと助かりました」

 

「今年は春休みがちょっと長くてね。いい機会だから京都まで観光に来たんだ。そちらさんは?」

 

 妖夢は本当のことを話すか少々悩んだが、ある程度正直に話すことにした。

 

「曾祖父母のお墓を探しに京都まで来たんですけど、あまり手掛かりがなくて」

 

「お墓参りか。立派なことで。でも場所も分からないっていうのはどういうことなんだい?」

 

 妖夢は当たり障りのない程度に事の顛末を話す。

 長身の女性は死亡通知と写真を交互に見ると、ふむ、と顎に手を添えた。

 

「魂魄流剣術か……実際に見たことはないが、昔小耳に挟んだような気はするな。確か三尺近い刀を巧みに操る剣術とかなんとか」

 

「ご存じなので?」

 

「ああそういうの詳しいもんね」

 

 チューリップ帽の少女が茶化すように笑う。

 

「いや、詳しいことは何もわからん。すまないがそれ以外の情報は何も……」

 

 長髪の女性は思い出すようにこめかみを何度か叩く。

 

「些細なことでもいいんですけど……」

 

「確か京都御所の警備の雇われ武士がどうとか聞いたが……だいぶ昔の話だしなぁ」

 

 京都御所という情報は全く新しいものだった。

 妖夢の両親が京都御所の警備についていたということだろうか。

 それとも魂魄流剣術の門下生が警備についていただけだろうか。

 妖夢の頭の中にいくつもの可能性が浮かび上がるが、どれも憶測の域を出なかった。

 なんにしても妖夢の両親は昭和の時代まで生きていたのだ。

 それ以前にどんな職についていようがあまり関係ない話だろう。

 

「でもその妖夢ちゃんのご両親がお亡くなりになったのは戦時中なんでしょ? なら当時のことを覚えてる人間も結構いるんじゃない?」

 

 届いたパフェをつつきながらチューリップ帽の少女は言った。

 

「まあ、それも期待しての道場訪問というわけで……」

 

「はぁ、なるほど。今戦後何年ぐらい経ったんでしたっけ?」

 

 長髪の少女は首をかしげるが、その様子に長身の女性はため息をついた。

 

「お前は学校で何を学んだんだ。今が2005年、終戦が1945年だ」

 

「えっと……六十年ですか。なら結構生きている人多そうですね!」

 

「お前単純に六十歳以上とか考えてないよな?」

 

 長身の女性の言葉に長髪の少女はきょとんとする。

 

「当時十歳だとしたらそこまで詳しい話は分からないだろう? 最低でも十五歳以上でなければ詳しい話は聞けないはずだ」

 

「だとするとプラス十五で御年七十五歳以上ですか」

 

「七十五歳以上で魂魄流の門下生となると、自然と人数は限られてくるだろうな。そうだとしたら確かにこの辺の道場を回るというのは効果的な方法かもしれない」

 

 長身の女性は一口コーヒーを飲むと、鞄からメモ帳を取り出しペンを走らせる。

 そしてその紙を妖夢に差し出した。

 

「あと二日は京都にいるつもりだから何かあったら連絡してくれ。古い武術や政治のことに関してなら多少は相談に乗れるだろう」

 

 妖夢は電話番号が掛かれた紙を貰うと、ノートに挟む。

 

「ありがとうございます。それと、お茶とお菓子ご馳走様でした」

 

 妖夢は椅子に座ったまま小さく頭を下げる。

 唐突な出会いだったが、非常に有意義な時間だった。

 

「んもうカナコ様ったら普通に赤外線で連絡先交換したらいいじゃないですか。ほら妖夢ちゃんも携帯出して!」

 

 長髪の少女は自分の携帯を取り出すと、なにやら設定を始める。

 

「セキガイセン?」

 

「ああ、こっちでやりますよー」

 

 そして妖夢の携帯ももぎ取るとあっという間に連絡先を交換した。

 

「ああ、なるほど。携帯買ったばっかりだったんですね」

 

 長髪の少女は妖夢の連絡先一覧を見て何か納得したように頷くと、妖夢に携帯電話を返した。

 

「ここのさなえちゃんっていうのが私ですので、多分カナコ様に直接かけるより早いと思いますよ」

 

 妖夢には話の半分も理解できなかったが、取り敢えず連絡先一覧の藍の名前の下に「さなえちゃん」の項目が増えていることを確認する。

 藍と同じようにここを選択すれば電話を掛けれるのだろうと妖夢は判断した。

 

「色々ありがとうございます。何か聞きたいことがありましたら電話掛けますね」

 

「ああ、私らはもう少しここでゆっくりしていくから。京都駅ビルを探索しに来たんだろう? 暗くなる前にあちこち回ってみたほうがいい」

 

 長身の女性はそう言って妖夢に微笑む。

 妖夢はもう一度パフェのお礼を言うと、会計を任せて店を出た。




オムライスに旗
 お子様ランチかな? 店員の勝手な気遣い

赤茄子
 トマトのこと

外国人カップル
 再登場の予定は今のところない

京都駅ビル
 中々面白い構造してます。気になる方はGoogleマップのストリートビューで内部の見学が可能

大階段
 観客席にもできるように設計された幅の広い階段

家族連れらしき女性三人組
 長野から京都へ観光に来たらしい。今後再登場するかは未定


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第六話「そういう時代ということです」

パソコンを新しくしてキーボードが打ちやすくなりました。それだけ。


 歩き疲れるほど京都駅を散策し、ホテルに戻るころには日が沈みかけていた。

 妖夢はフロントに預けていた鍵を受け取ると、エレベーターに乗って最上階へと移動する。

 エレベーターを降りて右手奥の客室の鍵を開け、部屋の中へと入った。

 

「あぁ、そうだった」

 

 扉を開けると無駄に広いスイートルームが妖夢を出迎える。

 妖夢は半ば諦めの精神で部屋へと踏み込むと、水場を探すために部屋を探索し始めた。

 妖夢は順番に扉を開けていき、大きな鏡と手洗い場が設置してある部屋を見つける。

 その横にある扉を開くと、大きな浴槽が設置してあるバスルームがあった。

 

「なんとハイカラな」

 

 何にしても使い方がわからないので色々と試す必要があるだろう。

 妖夢は服を脱ぎ丁寧に畳むとバスルームの前に整頓して置く。

 近くにタオルがあることを確認し、再度バスルームに入った。

 

「浴槽があるってことは風呂は沸かせるのよね? 流石に火を焚いて沸かすわけではないだろうし……」

 

 妖夢はバスルーム内を見回し、動きそうな部品を見つける。

 何かしらのカラクリなら、何処かを弄れば作動するはずだ。

 妖夢は動きそうな部品を掴み、取り敢えず奥に捻る。

 次の瞬間、冷水が妖夢の頭上から降り注いだ。

 

「冷たいっ!!」

 

 冷水から逃げるように妖夢は縮み上がって後ろに飛び退く。

 だが、いくらスイートルームのバスルームといえど飛び跳ねれるほど広くはない。

 妖夢は後ろの壁に激突すると、滑って転んで盛大に背中を床に打ち付ける。

 追い討ちをかけるように妖夢の全身に冷水が降り注ぎ、半ば混乱しながら水の入っていない浴槽に逃げ込んだ。

 

「取り敢えず水は出たけど……」

 

 冷水から逃れたことで妖夢は次第に落ち着きを取り戻す。

 妖夢はシャワーヘッドから水が出ていることを確認すると、浴槽の中から手を伸ばし先程捻った部品を反対方向に捻った。

 

「なるほど」

 

 妖夢が部品を捻ると同時に今度は蛇口から水が流れ出す。

 取り敢えず、冷水の雨は止めることができた。

 

「流石に修行でもないのに冷水なんて浴びてられないわ。でも流石に外じゃこれが普通ってわけではないわよね?」

 

 妖夢は温度を確かめるように蛇口から溢れ出る水に手を突っ込む。

 すると先程までの冷水が嘘だったかのように、流れ出る水は温かかった。

 

「次第に温まるのか……でもこれなら」

 

 妖夢は先程と同じ方向に部品を捻り、シャワーヘッドからお湯を出す。

 先程までの冷水の雨が、温水の雨に変わっていた。

 

「おーなるほど!」

 

 浴槽にお湯を張る方法はわからないが、取り敢えず身体を清めることはできそうだと妖夢は納得し、頭と身体を洗う。

 お湯の止め方も中間に回しておけばいいことがわかり、妖夢は上機嫌でバスルームから出た。

 身体を拭いて着替えた頃には、藍との約束の時間になっていた。

 妖夢はいつ藍が空間の裂け目から現れてもいいように身構える。

 別に脅かしに来ているわけではないだろうが、妖夢にとっていきなり現れる八雲のスキマというのは、恐怖の対象でしかなかった。

 待ち合わせた時間は午後六時。

 妖夢は腕時計を睨みつけて今か今かとその時を待つ。

 

「六のところまで……三、二、一……」

 

 ピロロロロロロと軽い電子音とともに妖夢のポケットが震え出す。

 あまりの不意打ちに妖夢は半霊が飛び出そうになるほど飛び上がると、咄嗟にその振動の正体をポケットから引っ張り出した。

 

「で、電話か……」

 

 妖夢は小さく深呼吸を二回し、丁寧に両手で携帯電話を開く。

 そして受話器を上げるボタンを押し、携帯電話を耳に当てた。

 

『あ、もしもし。私です。藍です』

 

 予想はしていたことだが、電話の主は藍だった。

 妖夢はほっと息をつくと携帯電話に向かって話し始める。

 

「驚かせないでくださいよー。直接客室に来ると思って身構えてた私が馬鹿みたいじゃないですか」

 

『驚かせるつもりはなかったんですが……取り敢えずホテルのエントランスで待ってます。準備が出来次第降りてきてください』

 

「ありがとうございます」

 

 妖夢は通話が切れたことを確認すると携帯電話を折りたたんでポケットの中に入れる。

 そして資料館で貰った地図を持つと、部屋の鍵を閉めてフロントに降りた。

 

「お忙しい中すみません。よろしくお願いします」

 

 妖夢はエントランスの隅にあるソファーに腰掛けている藍の姿を見つけると、駆け寄って声をかける。

 藍は変化の術を行っているのか、耳と尻尾はなく、髪の毛も不自然ではない金髪になっていた。

 服装も普段の和服ではなく、外の世界で不自然ではないジーパン姿になっている。

 

「いえいえ、丁度仕事のない時間帯でしたので。ではいきますか」

 

「あ、ちょっと待ってください」

 

 妖夢はパタパタとフロントに駆けていくと、フロントにいる女性にルームキーを預ける。

 そして改めて藍の元へと向かった。

 

「お待たせしました」

 

「では改めて。どこから行きます?」

 

 二人はホテルから出ると前に停めてある車に乗り込む。

 藍の車は特別高級車ということはなく、よくある国産の軽自動車だった。

 

「地図にあるここからお願いします」

 

 藍は助手席に座る妖夢が持つ地図を覗き込むと、車のエンジンを掛けて車道へ出る。

 藍の運転は人が運転しているとは思えないほどスムーズで無駄がなかった。

 

「どうです?」

 

 藍は前方から目を離すことなく妖夢に尋ねる。

 妖夢はフロントガラスから見える京都の街並みを見上げながら答えた。

 

「怖いです」

 

「怖い……ですか」

 

 予想外の答えだったのか、藍が聞き返す。

 

「特に理由があるわけじゃないんですけど……この世界は少し怖いです」

 

 妖夢の答えはあまりにも漠然としていたが、藍にも思い当たる節はあるらしい。

 納得するように頷いた。

 

「確かに。ここ数百年の人間の進化は恐ろしいものを感じます」

 

 藍が握っているハンドルを持っている手に力が入る。

 

「人間の生活なんて普通は早々進化するものではないんです。幻想郷がいい例でしょうね。あそこは千年以上生活様式が大きく変わっていない」

 

 幻想郷の文化レベルはよくて江戸時代で止まっている。

 外の世界から幻想郷に入ってきた外来のものがないわけではないが、それらの修理方法は乏しい。

 また、里にいる人間がおいそれと近づける場所には落ちていないため、あまり浸透はしていなかった。

 

「特にコンピュータの進化は目覚ましいものがあると言わざるを得ないでしょう。かつては屋敷一つほどの大きさだったものが、今ではポケットの中に収まるサイズにまで小さくなっています」

 

「こんぴゅーた?」

 

 あまり聞き慣れない言葉のため、妖夢は繰り返すように聞き返した。

 

「幻想郷で言う式神みたいなものです。算盤が高度になったものとも言えるかもしれません」

 

「式神、なるほど……」

 

 妖夢の頭の中に大きな巨人が小人となってポケットの中で算盤を弾いている光景が思い浮かぶ。

 

「小さくなると力仕事はしにくいでしょうね」

 

「あ、いえ。そういうものではなくてですね……例えば……そう! 妖夢さんの持っている携帯電話。あれも立派なコンピュータです」

 

「え? そうなんです?」

 

 妖夢はポケットから携帯電話を取り出すと、ひっくり返したり透かしたりしてよく観察する。

 とてもじゃないが人が入っているようには見えなかった。

 

「最新の機種は凄いですよ。電話やメールは勿論のこと、インターネットも使えますし写真だって撮れます」

 

「これカメラなんですか?」

 

 藍は妖夢の携帯電話を手に取ると、手元を見ることなくカメラ機能を開き前方の写真を撮る。

 画面には車内から見た京都の街並みが広がっていた。

 

「まあこんな感じで。後で使い方教えますね」

 

「ぜひお願いします。幽々子様にもこの光景をお見せしたいので」

 

「それぐらいならいいですけど、携帯電話をそのまま持って帰るのはダメですからね。こちらで写真だけ現像します」

 

 幻想郷の無縁塚にはよく外の世界のモノが紛れ込むが、そういったモノは外の世界で忘れ去られたものが多い。

 流石にガラパゴス化が進んだ最新機種を幻想郷に持ち込むわけにはいかないのだろう。

 

「私としても紙で貰えたほうが助かります。携帯電話は電気がなくなると使えないんですよね?」

 

 妖夢は一度携帯電話を開き充電の残量を確認する。

 外の世界に来てから一度も充電を行なっていなかったため、残量は半分ほどまで減っていた。

 

「はい。それも電気ならばなんでもいいわけでもないので、外の世界でないと使用するのは難しいと思います」

 

 妖夢は携帯電話を見ながら、なんて不便な、と思う。

 環境が整えられていることが前提である道具というのは、その環境が少しでも変わってしまえば一瞬で使い物にならなくなる。

 

「それに幻想郷には基地局もないですし」

 

「基地局?」

 

「ええ。携帯の電波……まあ要は携帯が発する聞こえない声のようなものはそこまで遠くまで届くものじゃないんです。なのでどこかでそれを中継しないといけないんですよ」

 

「なるほど、この小さいのでどこまで届くか少々不安でしたが、そういう仕組みでしたか」

 

 妖夢はそのスケールの大きさに半ば呆れながらも、ある種の感心を覚える。

 どのようなとてつもない技術だろうと、結局は作り出したのはこの世界に住む人間であって、神様などではない。

 

「ですから、携帯自体その基地局が近くにないと使えないものだと認識しておいてください。山の中では圏外になりますので……っと、ここが一件目です」

 

 藍は道路から敷地内に入ると、駐車場に車を停める。

 

「なんだか道場っぽくはないですね。どちらかというと今朝行った資料館に似てますが……」

 

 妖夢は車の中から目の前にある建物を見据える。

 確かに現在いるところは妖夢の想定とはかけ離れたところだった。

 

「ここは小学校、まあ簡単に言えば寺子屋のようなところです」

 

「寺子屋に道場が?」

 

 妖夢は車から降りようと車のドアをあちこち触る。

 今まで乗った車は全てタクシーだったため、妖夢は自分で車のドアを開けたことがなかった。

 

「あれ? これどうやって……」

 

「あ、今開けますね」

 

 藍は運転席から降りると、ぐるりと回って助手席のドアを開ける。

 

「ここの取っ手を手前に引くと扉の固定が外れるので、あとは押し開けてください」

 

 妖夢は言われたとおりに何度かドアの開け閉めを行い、ドアが開くことを確認する。

 面白い手ごたえだと思いながら妖夢は車の外に出た。

 

「にしてもかなり立派な寺子屋ですね。あ、えっと……しょうがっこう、でしたっけ?」

 

 妖夢は目の前の建物を見据えながら藍に確認する。

 

「まあ確かに幻想郷の寺子屋に比べたら規模がかなり違いますからね。外の世界の学校では平均ぐらいの大きさですよ」

 

「生徒の数は何人ぐらい?」

 

「一学年大体百人で、六学年あるので六百人程度でしょうか。大きい小学校だと全校生徒千人を超える学校もありますよ」

 

 それは何とも規模の大きい話だと、妖夢は思った。

 妖夢自身幻想郷の寺子屋に通ったことはないが、人里におつかいに行ったときに覗いてみた限りでは生徒数は三十人程度だったはずだ。

 

「子供だけで六百人もいるなんてやっぱり外の世界の人口は多いですね」

 

「いや、この規模の小学校は町の至る所にありますよ」

 

 妖夢が考えている以上に外の世界には人間がいる。

 人込みなど博麗神社で行われる祭りなどでしか見たことのない妖夢からしたら、考えるだけで頭が痛くなるような規模だろう。

 

「これ以上考えても理解が及びそうにないので、道場のほうへと行きましょう」

 

「まあ道場というよりかは、小学校の体育館を借りて練成している剣術道場って感じでしょうか」

 

「体育館?」

 

 幻想郷にはそもそも体育という言葉が存在しない。

 藍はそのことを察すると、妖夢にもわかりやすいように言葉を選んだ。

 

「多目的に使える大部屋……まあ剣術でいう道場のようなところです」

 

「道場とは違うんです?」

 

「武道以外の運動や、集会等にも使用しますので」

 

 妖夢は藍の説明に納得すると、改めて目の前にある建物を観察する。

 扉についている小さな窓からは、木刀で型の稽古を行っている人間が確認できた。

 

「では行きましょうか」

 

「はい」

 

 藍の後に続いて妖夢は体育館の中に入る。

 体育館の中では師範でありそうな男性に指導されながら十数人の人間が木刀を振っている。

 稽古の邪魔をするわけにはいかないので、藍と妖夢は隅のほうに座ってしばらく稽古の様子を観察することにした。

 

「どうです? 彼らの練度は」

 

 藍は稽古している者たちをじっと見ながら妖夢に聞いた。

 

「そうですね……決して練度が高いとは言えないですけど、一生懸命さは伝わってきますね。あと、あそこで剣術を教えているご老人は結構な腕だと思います」

 

 師範と思われる老人はたまに手本として木刀を振っていたが、その一振り一振りが堂に入っている。

 人を斬ったことはなさそうだが、人生の決して少なくない時間を剣術に費やしてきたのだと感じ取ることができた。

 

「まあ私ほどじゃないですけどね」

 

 妖夢は張り合うようにぼそりと付け足す。

 藍はそんな妖夢の様子に少々苦笑しつつ言葉を返した。

 

「まあ外の世界で剣術というものは既に競技に近いものですから」

 

 妖夢は改めて木刀を振っている門下生に目をやる。

 服装こそ袴を着ているが、普段から体を真剣に鍛えていそうなものはあまりいなかった。

 

「そういう時代ということですか」

 

「そういう時代ということです」

 

 妖夢の問いに、藍がしみじみと答える。

 妖夢はなんて平和な世界なんだと漠然と思ったが、藍からしてみたら日本にもようやく平和な時代が来たという意識が強い。

 戦い続きの日本だったが、ついに戦争に敗れ、結果として平和な時代が来た。

 戦いに敗れて平和が訪れるとは、藍からしてみたら複雑な心境だった。

 そのあとも二人で他愛もない会話をしていたが、十分もしないうちに稽古の休憩時間に入る。

 先ほどから気にはなっていたのか、師範代と思われる中年の男性が二人に話しかけた。

 

「こんばんわ。師範代の藤木です。見学の方ですか?」

 

 師範代は二人に対しにこやかな笑顔を向ける。

 妖夢は単刀直入に話を聞くことにした。

 

「いえ、少々調べものをしていまして。昔の剣術に詳しい方をかたっぱしから訪ねて回っているんです」

 

 妖夢の言葉に師範代は少々考えるように顎に手を当てる。

 

「調べもの……ですか。ちなみにどのような?」

 

「魂魄流剣術について調べていまして」

 

「魂魄流……聞いたことない流派ですね」

 

 師範代は少し待っているように妖夢に伝えると、師範の元へと走っていく。

 師範は師範代の言葉に少々驚いたような顔をすると、二人のほうへと歩いてきた。

 

「魂魄流、そう申されましたか?」

 

 師範は武人らしい綺麗な立ち姿をしており、肌にこそ老化が見受けられるが、体力的に衰えている様子はあまりなかった。

 

「はい。調べてみた限りでは大戦前までは活動していたらしいのですが、戦時中に師範が死んでしまったらしくて」

 

 いきなりあたりを引いたかと、妖夢は期待を込めて師範に聞く。

 師範は懐かしむように目をつむると、静かに語りだした。

 

「懐かしいですな。今ではその名前はすっかり聞かなくなりました。少人数ではありましたが、私が若い頃はまだ魂魄流を名乗る剣術家がいたものです」

 

「今でも門下生が?」

 

「まだ生きている者もいるとは思いますが、私の知り合いにはいないですな」

 

 師範の年齢から察するに、当時を生きていた人間ではないだろう。

 だが、戦後数十年はまだ魂魄流を名乗る剣術家がいたということだろう。

 

「そうですか……」

 

 妖夢は分かりやすく気を落としたような顔をする。

 師範は申し訳なさそうに頭を掻くと、ふと思い出したかのように言葉を続けた。

 

「ですが、私よりも当時のことに詳しい方を紹介することはできますよ。私より十歳は年上の方ですので私よりも詳しい話が聞けるかと」

 

「本当ですか!?」

 

 妖夢は今度は分かりやすく目を輝かす。

 狙ってやっているのか天然なのか。

 いや、妖夢に限っては天然のそれだった。

 

「はい。その方は魂魄流というわけではありませんが、昔から多くの流派と立ち合っている方ですので私よりかは詳しいかと」

 

「どこへ行けばその人物に会えますか?」

 

 妖夢はポケットから地図を取り出して師範に見せる。

 師範は地図に顔を近づけると、既に丸が付いている場所の一つを指さした。

 

「この道場ですな。今日は稽古は行っていないと思いますが、明日の日中なら誰かしらいるかと。近藤という方です。藤木の紹介で来たといえば話が早いでしょう」

 

 妖夢は地図に「藤木さんの紹介の近藤さん」と書き込むと、師範に丁寧にお礼を言う。

 

「もし興味がありましたら是非また見学していってください。うちの道場は火曜日と木曜日にこの小学校の体育館で稽古をおこなっておりますので」

 

「はい! 色々ありがとうございました」

 

 妖夢はもう一度師範に頭を下げる。

 藍も一緒に頭を下げると、静かに立ち上がった。

 

「さて、では行きましょうか」

 

 二人は再開した稽古を横目に見ながら体育館を後にする。

 

「さて、この後どうします? もう一軒回りますか?」

 

 車へと戻る道中に藍が妖夢に聞く。

 有益な情報は手に入ったが、確かに時間の余裕はある。

 

「いや、今日は取り敢えずここまでにしておきます。あまりやることを増やしても仕方がないので」

 

「じゃあご飯でも食べに行って今日は解散しますか。何か食べたいものはありますか?」

 

 藍は時計を見ながらそう提案する。

 妖夢も腕時計を確認するが、確かに夕食を食べるには良い時間帯だった。

 

「う~ん……お任せします。私ではあまりにも外の世界の食べ物を知らないのでそもそもあまり提案できないです」

 

「では寿司なんてどうです? 幻想郷ではあまり生魚を食べる機会は少ないでしょうし」

 

「寿司って、鱒寿司とかの寿司です?」

 

 幻想郷には海がないため、生魚を食べる習慣がない。

 寿司といえば押し寿司が主流だった。

 

「まあ似たようなものですが、川魚ではなく海の魚の寿司です。そうですねぇ……わかりやすさもかねて回転寿司に行きましょうか」

 

「寿司が回転?」

 

 妖夢は丸い鱒寿司がくるくると回っている光景を想像する。

 

「はい、寿司が回転しているのが回転寿司です」

 

「回転に何の意味が……」

 

 妖夢は回転している寿司の様子を想像しながら助手席に乗り込む。

 藍も運転席へと乗り込みシートベルトを締めた。

 

「まあ行ってみてのお楽しみということで」

 

 藍は車のエンジンをかけると、小学校を後にする。

 そのまま十分ほど車を走らせ、大きく回転寿司と看板に書かれた店の駐車場に車を停めた。

 

「あまり高い店じゃありませんが、これぐらいの店のほうが居心地いいんですよ」

 

 藍と妖夢は店の中に入ると、二人並んでカウンターへと座る。

 妖夢は店内の様子を見て、ようやく回転寿司というものを理解した。

 

「なるほど、寿司が川のように流れているということですか」

 

 妖夢は藍のわかりやすさという言葉を理解する。

 確かにこれなら海の魚をよく知らない妖夢にも選びやすかった。

 

「ちなみに直接注文することもできますので美味しかったネタがあったら頼んでみるのもありかと」

 

「おすすめとかあります?」

 

 妖夢は流れていくネタを目で追いながら藍に聞いた。

 

「定番はマグロとかサーモンだと思いますよ。多分サーモンのほうが馴染みがあるとは思います」

 

「サーモン?」

 

 藍は板前にサーモンを二皿注文する。

 

「へいサーモン二つね!」

 

 板前は数十秒もしないうちに二人の前にサーモンの握りを差し出す。

 藍はその間に醤油皿に醤油を用意していた。

 

「こんな感じでネタに少し醤油をつけるのが一般的です」

 

「なるほど」

 

 妖夢は箸で寿司を掴むと、器用にネタの先端にだけ醤油をつけ、一口で頬張る。

 

「……なるほど」

 

 妖夢は納得するように小さく呟いた。

 

「これは鮭ではないですか?」

 

 妖夢は寿司をじっくりと咀嚼すると、静かに飲みこむ。

 

「はい。サーモンは鮭です」

 

 藍はいたずらっぽく笑う。

 

「え、鮭って寄生虫が危ないから生食はできないんじゃ……」

 

「こういう寿司屋で握られている鮭は養殖されたものなので寄生虫の心配はないんです。ただ鮭という名前のままだと生食に忌避感を感じる人も多いためサーモンと名称を変えているんです」

 

「そういうものですか」

 

 妖夢はもう一つのサーモンも口に運ぶ。

 普段は焼き魚ばかりなので、生魚というのは非常に新鮮に感じられた。

 

「生魚ってこんなに美味しいんですね。焼いたものとは完全に別物じゃないですか」

 

「寿司、いいものでしょう?」

 

 妖夢は流れている寿司の気になるものを手に取り、自分の前に置く。

 先ほどのサーモンはオレンジ色の切り身だったが、今妖夢の目の前にあるネタは赤色と白色の切り身だった。

 

「これは何です?」

 

「ああ、タコですね。美味しいですよ」

 

 妖夢は先ほどと同じように醤油を少しつけ口に運ぶ。

 先ほどとは全く違う口当たりに少々驚きつつも、しっかりとした旨味に思わず頬が緩んだ。

 

「タコって全く聞いたことのない魚ですけど、どんな魚なんです?」

 

「タコは魚じゃないですね。まあ海の生き物なのは確かですが」

 

 妖夢はタコが何者なのか気にはなったが、美味しいいからまあいいかと、適当に見切りをつける。

 実際タコはかなりグロテスクな見た目をしているが、知らぬが仏というやつだろう。

 その後も妖夢は藍に色々話を聞きながら寿司を堪能した。

 幻想郷に海がないことを考えれば、かなり貴重な経験ができたといえるだろう。

 

 

 

「今日は色々ありがとうございました」

 

 ホテルへの帰り道、車の中で妖夢は藍にお礼を言った。

 

「いえいえ、大したことでは。明日の日中は仕事があるので付き合えませんが、何かあったら連絡してください。携帯ぐらいは取れますので」

 

「助かります」

 

 妖夢は様々な光に照らされる町並みを眺めながら明日のことを考える。

 明日は取り敢えず教えてもらった道場へと行ってみようと妖夢は考えていた。

 流石に朝一番は迷惑だろうと考え、ゆっくり朝ご飯を食べてからの出発になる。

 

「あ、そういえば。お風呂のお湯ってどうやって溜めればいいんです?」

 

 妖夢は思い出したかのように藍に尋ねる。

 

「お風呂のお湯……ああ、確かに勝手があまりにも違いますよね。リアフォードのスイートだったらフルオートなので電源を入れて自動ボタンを押すだけですよ。ああ、栓はしておいてくださいね」

 

「電源を入れる?」

 

「運転と書かれたボタンがありますので、それを押してから自動ボタンを押してください。そしたら自動的にお湯が溜まります。入り終わったらもう一度運転ボタンを押して、栓を抜けば大丈夫です」

 

 妖夢はノートに栓、運転、自動、運転、栓と書き込む。

 

「風呂に湯が満ちたら音楽が流れますので、それが聞こえたら入れます。掃除はホテル側が行ってくれますので特に考えなくて大丈夫ですよ」

 

 そういえば、と藍は続ける。

 

「取り敢えず明日もリアフォードに宿泊するのであれば、今日帰った時にフロントに言っておいたほうがいいですよ。基本的にはチェックアウト……要は十時には部屋を出ていかないといけないので」

 

「わかりました。伝えておきます」

 

 宿泊日数の延長は一日でいいだろうと妖夢は考える。

 明日以降も京都にいるかどうかはわからない。

 もしかしたら手掛かりを求めて違う土地へ行くかもしれないからだ。

 

「さて、そろそろですね」

 

 藍はハザードを焚いてホテルの前に車を停める。

 先ほど車のドアの開け方を教わった妖夢はノブを手前に引っ張りロックを解除すると、ゆっくりと扉を押し開けた。

 

「ありがとうございました」

 

「今日はお疲れさまでした。ごゆっくりお休みください」

 

 妖夢は静かにドアを閉めると、もう一度頭を下げてホテルのエントランスへと歩いていった。

 藍は妖夢が自動ドアを抜けてホテルの中へと消えていったのを確認すると、半ドア状態のドアを一度開け、再度締め直した。




バスルーム
 最新式のフルオート給湯器が付いたユニットバス。白玉楼では薪で風呂を沸かすため、妖夢には全く使い方がわからない。

よくある国産の軽自動車
 どこにでも走っていそうな軽自動車。ちなみにレンタカー。

無縁塚
 幻想郷で無縁仏が埋葬される場所。だがそもそも人口の少ない幻想郷では無縁のものなど殆どいないため、ここに埋葬されている者の多くは外の世界から幻想郷に紛れ込んだ人間である。その特性上外の世界と繋がりやすくなっており、外の世界のものが紛れ込みやすい。

幻想郷と海
 幻想郷は山奥に存在しているため、海は存在しないが、海に繋がっていると思われる川は存在している。だが、この川をいくら辿ろうが幻想郷の外に出ることはできない。


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第七話「あ、いえ。また近いうちに」

少々短いですが今回も概ねこんなもん
山無し落ち無しな話が続きますが、この話はそういう話です
ああでも、「私の世界は硬く冷たい」のような話をもう一度書きたい気もする今日この頃。リメイクしようかな……


「寝れない」

 

 窓から街明かりが差し込み、部屋の中をぼんやりと照らしている。

 妖夢はクイーンサイズのベッドから起き上がると、忌々しげにベッドマットを叩いた。

 

「柔らかすぎでしょこれ」

 

 普段ある程度しっかりとした硬さのある敷布団で寝ている妖夢からしたら、マットレスの入ったベッドは少々柔らかすぎて違和感があった。

 

「布団はまだいいにしても枕がなぁ……」

 

 そして何より頭の座りが悪い。

 妖夢は普段使っているそばがらの枕を恋しく思いつつベッドから降りると、薄暗い室内を歩きソファーに座った。

 

 

 

 昨日藍と別れた後妖夢は、ホテルのフロントでもう一泊して行くことを伝え客室へと戻った。

 藍に言われた通りに風呂を沸かし身を清めた妖夢は、部屋もすっかり暗くなっていたので早々に寝ることにする。

 壁の隅にあったコンセントに充電器を挿し携帯電話に繋いでからベッドに潜り込んだ妖夢だったが、思った以上に布団と枕が合わず、十分もしないうちに寝ることを諦めてソファーに移動したのだった。

 妖夢は窓から見える街明かりをぼんやりと見つめる。

 外の世界には夜が来ないという噂を人里で聞いたことがあったが、なるほどこういう事かと妖夢は納得する。

 窓から見える夜の街には煌々と街を照らしている自動車が、昼と変わらないほどの数走っている。

 道ゆく人々も忙しそうに歩き回っており、暗くなければ夜だとは思わない程には活気があった。

 

「もしかして外の世界の人間は眠らなくても生きていけるのかしら」

 

 妖夢は眠そうに大きな欠伸をすると、そのままソファーに倒れ込む。

 ソファーもソファーで十分柔らかくはあったが、ベッドよりかは少々寝心地が良かった。

 

「まだこっちの方がいいか」

 

 妖夢は足を曲げて完全にソファーの上で横になると、肘掛けを枕代わりにして体を預ける。

 数分もしないうちに、妖夢は小さく寝息を立て始めた。

 

 

 

 日が登ると同時に目が覚めた妖夢は、部屋がすっかり明るくなっていることを確認すると、大きく伸びをしてソファーから立ち上がる。

 確か昨日フロントの女性は、朝食は六時半から九時までの間だと言っていたことを思い出し、妖夢は腕時計を覗こんだ。

 

「五時三十二分。六時半は六時三十分だから、朝食まで一時間。……一時間ってどれぐらいの時間なんだろう」

 

 一日を二十四で割った時間が一時間であると妖夢は理解しているが、頭では理解していても体感としてどれぐらいかは実際に経験してみないとわかるものではない。

 妖夢は携帯電話の充電がされていることを確認すると、充電器のコードを外してベッドの上に置く。

 実は昨日助けた少女からメールが一件来ていたのだが、妖夢には知る由もなかった。

 とにもかくにも身支度を整えようと、妖夢は洗面所に向かう。

 洗面所はまだ薄暗かったが、夜目の利く妖夢からしたらあまり気にするようなことでもなかった。

 

「うわ、寝ぐせが……」

 

 妖夢は鏡に映る自分の姿を見て、苦笑を浮かべる。

 昨日はベッドの寝心地が悪く、結局妖夢はソファーの上で眠りについたが、寝相が悪かったのか後ろ髪が変な方向に跳ねていた。

 

「朝から湯浴みは贅沢か……いや、いいか」

 

 妖夢はもう一度腕時計を覗き見て時間があることを確認すると、服を脱ぎ丁寧に畳んでバスルームに入る。

 冷水を浴びないようにシャワーヘッドを壁側に向けると、レバーを奥へと捻った。

 

 

 

 妖夢は身支度を整え終わると、リビングに戻り携帯電話を手に取った。

 

「えっと、カメラ機能は……」

 

 藍から昨日教えてもらったカメラ機能を練習しようと、妖夢は携帯電話を開く。

 そして画面に『新着メール一件』の文字を見つけた。

 

「メール? メールってなんでしたっけ?」

 

 一昨日の講義では電話を取る、掛けることしか練習しなかったため、妖夢自身メールというものが何かは分かっていない。

 だが画面に映し出されている手紙のマークを見て、何かしらの手紙が携帯電話に届いたのではないかと推測する。

 妖夢は手探りで携帯を操作し、何とか新着メールを開いた。

 

『こんばんわ! せっかくなのでメールしちゃいました(*^-^*) 昨日は本当にありがとうございますm(__)m 私小さいころからよく転ぶ子供だったらしいんですけど、今でもよく転ぶんですよね(; ・`д・´) 妖夢さんもお気をつけて! って私ほどおっちょこちょいじゃないか_(:3」∠)_』

 

「なんだこれ」

 

 あまりにも慣れない表現方法に妖夢は十秒ほど固まる。

 書いてある内容は理解できるし、横の記号が表情を表しているのも理解できる。

 だが、あまりの文化の違いに、内容を理解するのに数回読み直さなければならなかった。

 

「携帯で手紙が送れることにはもう驚かないけど……」

 

 幻想郷では文語体と口語体という形で、話し言葉と書き言葉は異なっている。

 話し言葉で文章を書くという話を聞いたことがないわけではなかったが、ここまで違和感のあるものだと妖夢は思っていなかった。

 

「手紙だったら返事を書かなきゃだけど……これどうやって返事を書くんだろう」

 

 電話をするなら手っ取り早いが、まだ早朝だ。

 起きていない可能性が高いため、妖夢は取り敢えずメールの件は保留することにした。

 そうこうしているうちに朝食の時間になったので、妖夢は必要最低限のものだけ持って客室を後にした。

 

「えっと、確か一階って言ってましたっけ?」

 

 妖夢はエレベーターを待ちながら昨日フロントで聞いたレストランの場所を思い出す。

 フロントを挟んでエレベーターの乗り口の反対側だとフロントの女性が言っていたが、実際に入り口を確認したわけではなかった。

 

「まあ受付の女性に聞けばいいか」

 

 妖夢は到着したエレベーターに乗り込むと、ボタンを押して扉が閉まるのを待つ。

 十秒もしないうちにエレベーターの扉は閉まり、下へと動き始めた。

 

 

 

「はい、レストランはここから廊下を奥に進んでいただいて突き当りです」

 

 エレベーターを降り受付にいる女性にレストランの場所を聞いた妖夢は、指し示された方向を見る。

 廊下は途中で左に曲がっており奥を見通すことはできなかったが、受付の女性がそう言うならそうなのだろう。

 

「ありがとうございます」

 

 妖夢は受付の女性にお礼を言うと、廊下を奥へと歩き始める。

 そこまで長くない廊下を左に曲がると、妖夢の目の前にレストランが現れた。

 

「おはようございます。朝食はビュッフェスタイルとなっております」

 

 レストランの出入口でコック帽を被った男性が妖夢に恭しくお辞儀をする。

 

「びゅっふぇ?」

 

 聞きなれない言葉に、妖夢はコック帽の男性に聞き返す。

 男性は妖夢の容姿をちらりと見ると、丁寧に説明を始めた。

 

「あちらでお盆とお皿をお取りいただき、自分の食べたい料理を好きなようにお盛り付けください」

 

「おお、なるほど」

 

 妖夢はコック帽の男性にお礼を言うと、お盆の上に皿を数枚置き、料理の前を歩き始める。

 

「ん? 結構見たことあるわね」

 

 目の前に並ぶ料理の中には妖夢の見たことのない料理も多かったが、半分は妖夢にも馴染み深い和食だった。

 妖夢は見たことない洋食にも興味を惹かれたが、ついつい見慣れた和食ばかり皿に盛ってしまう。

 茶碗に白米を盛り付け、味噌汁をお椀に注ぎ、箸をお盆の上に置くと、妖夢は鼻歌交じりにテーブルについた。

 

「まあ、外の世界の料理は少し違うかもしれないし」

 

 妖夢は綺麗に巻かれた卵焼きをひと切れ口に運ぶ。

 優しい味付けの卵焼きは程よく火が通してあり、硬くなりすぎていない。

 

「凄い丁寧に火が通してある。火力の調整が難しいのに。焦げも全くないし」

 

 もっとも、妖夢とここのホテルのシェフでは使っている道具に差がありすぎる。

 繊細な火加減ができるコンロにフッ素コーティングされたフライパンなど、幻想郷にはない便利な道具が外の世界には多く存在しているため、妖夢から見たらここのホテルのシェフが超絶な技術を持っているように思えた。

 

「この焼き鮭も絶品ね。脂の乗りといい焼き加減といい。味付けもちょうどいいし」

 

 白玉楼で働いている幽霊も料理は相当に上手だが、一歩ここのシェフには負けていると妖夢は感じた。

 妖夢はその後も和食の朝食を楽しむと、最後に味噌汁を飲んでほっと息をつく。

 外の世界に来てまだそれほど時間が経ったわけではないが、妖夢は既に少し白玉楼が恋しくなっていた。

 

「おっと、いけないいけない」

 

 半分旅行のような感覚で外の世界に来ているのに、帰りたくなっていては何の意味もない。

 妖夢は気を取り直すと、案内をしているコック帽の男性に軽く会釈をして客室に戻った。

 

 

 

『お電話ありがとうございます。木下タクシー株式会社の木下です』

 

「あ、お世話になってます。魂魄妖夢です」

 

 妖夢はホテルの客室にあるソファーに姿勢を正して座りながら、タクシーの運転手に電話を掛けていた。

 

『おお、妖夢さん。毎度ありがとうございます。本日はどちらまで?』

 

「一応行きたい場所は決まってるんですけど、もしかしたらその後もあちこち回るかもしれないんですよね」

 

『んー、そうなりますと……』

 

 タクシーの運転手は近くにいる誰かと何かを相談し始める。

 数十秒もしないうちにタクシーの運転手は電話口に戻ってきた。

 

『うちの若いのの研修も兼ねて、そいつを一日貸し出すっていうのはどうでしょう? 知識や能力分お安くしときますよ?』

 

「一日貸し切りということです?」

 

『何なら軽い雑用を押し付けても大丈夫です。いい修行になります』

 

「なるほど……」

 

 妖夢は携帯電話を耳に当てたまま、少々考え込む。

 確かに一日貸し切りは魅力的だ。

 だが、新人というところが少々引っかかる。

 

「その若いのさんは、道はちゃんとわかるんですよね? 私土地勘は全くないので二人して迷子は困るんですけど……」

 

『あ、いや。流石にその辺は大丈夫です。ただ、渋滞に巻き込まれにくい裏道の知識や操縦技術はベテランには数段劣るというだけで』

 

「ならいいか。それでよろしくお願いします」

 

 妖夢的には別に安くなくても全く問題ないわけだが、一日タクシーを貸し切りにできるというのは大きなメリットだ。

 妖夢はタクシーの運転手にまだホテルにいることを伝える。

 

『リアフォードですね。何時にお迎えに上がりましょうか』

 

「今が七時前だから……九時にホテルの前で待ってます」

 

『九時にリアフォード前ですね』

 

 妖夢は希望の時間を提示し、電話を切る。

 これで今日の足は確保できた。

 妖夢は携帯電話をポケットに仕舞うと、昨日教えてもらった道場をもう一度地図上で確認する。

 この地図の縮尺がどれほどかは妖夢にはわからないが、そこまで離れているようには見えなかった。

 

「って言っても資料館まで結構掛かったからなぁ……」

 

 あの時は車で移動したからそこまでの時間は掛からなかったが、歩いていくとしたら相応に時間が掛かるだろう。

 それを思えば、タクシーを一日レンタルできたのは大きかった。

 妖夢は一度ホテルをチェックアウトするために、荷造りを始める。

 一度リュックサックの中身をひっくり返し、忘れ物がないが一つ一つ点検し始めた。

 

 

 

 あと十分あまりで九時になろうかという時間に、妖夢は客室を出て一階に降りる。

 エレベータを降りた妖夢はそのままフロントに向かった。

 

「すみません、宿代の支払いはここでいいんでしたっけ?」

 

「チェックアウトですね。お部屋の鍵をお預かりします」

 

 妖夢は言われた通りに部屋の鍵をフロントにいる女性に手渡す。

 女性は手元のモニターを確認すると、電卓を取り出して宿泊料金を妖夢に提示した。

 

「お支払いはどうなさいますか?」

 

「カードでお願いします」

 

 妖夢は財布から渡されていたクレジットカードを引き抜くと、フロントの女性に渡す。

 フロントの女性はカードをリーダーに通しながら妖夢に聞いた。

 

「お支払い回数はご一括でよろしいでしょうか」

 

 こう言われた時の返答は一昨日の講義で教わっている。

 妖夢は教わった言葉の通りにフロントの女性に伝えた。

 

「はい。一括で大丈夫です」

 

「こちらにサインをお願いします」

 

 妖夢は差し出されたレシートにサラサラとサインを書き込むと、カードを受け取る代わりにレシートをフロントの女性に渡す。

 フロントの女性はサインを確認すると、深々と頭を下げた。

 

「ご利用ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」

 

「あ、いえ。また近いうちに」

 

 今日またここに泊まる可能性もある妖夢は、小さく会釈すると、そそくさとフロントから離れる。

 そろそろタクシーが来る時間ということもあり、妖夢はそのままホテルを後にした。




薄暗いホテル
 妖夢は部屋の照明の付け方がわかっていないので、夜になると部屋は相当暗くなります。

メール
 今で言う既読無視だが、そもそも既読機能自体がない。

顔文字
 当たり前だが幻想郷に顔文字の文化はない。あったとしても「へのへのもへじ」

木下タクシー株式会社
 従業員数名の小さなタクシー会社

タクシー貸切
 時間貸しだと大体一時間七千円ほど

宿泊料金
 スタンダード料金でも一泊十万を超えている


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第八話「斬れと言われたら斬りますよ、私は」

 ホテルのエントランスを出ると、まだ九時になっていないにも関わらず、ホテルの前には見覚えのある看板が付いたタクシーが停まっていた。

 妖夢はそのタクシーが自分が貸し切ったタクシーだと当たりをつけ、近づいていく。

 タクシーの運転手も近づく妖夢に気が付いたのか、運転席から降りると、妖夢のほうへと歩いてきた。

 

「お待ちしておりました。魂魄妖夢様ですね? 運転手を務める村井と申します」

 

 初々しくお辞儀をした運転手の青年を妖夢は気づかれない程度に観察する。

 清潔感のある短髪にキッチリとしたスーツ、顔立ちは悪くないが、その顔には若干の緊張と困惑の色が見て取れた。

 歳は二十代前半だろう。

 

「あ、どうも。本日はよろしくお願いします」

 

 妖夢も釣られて運転手の青年に頭を下げる。

 

「取り敢えず、ここに向かいたいんですけど……」

 

 妖夢はポケットから京都の地図を取り出すと、昨日教えてもらった道場の位置を運転手の青年に指し示した。

 

「……なるほど。道の混みようにもよりますが、ここから大体三十分ほどで到着すると思います」

 

 運転手の青年は地図を妖夢に返すと、タクシーの後部ドアを開ける。

 妖夢は乗れと言うことだと判断し、タクシーの中へと乗り込んだ。

 運転手の青年は妖夢が乗り込んだことを確認し、静かにドアを閉める。

 そして半時計回りに運転席まで進むと手慣れた感じで運転席に滑り込んだ。

 

「では発進します」

 

 運転手の青年はエンジンを掛けると、タクシーを滑らかに発進させる。

 運転に関する技術が未熟だと言っていたが、妖夢には違いはわからなかった。

 タクシーが走り出してしばらくは二人の間に会話はなかったが、やがて運転手の青年の方から口を開く。

 

「社長からはドライバー以外にも手伝えることがあれば手伝ってこいと申しつけられていますが、目的地に到着した後はいかが致しましょう」

 

 運転手はちらりとバックミラーに映る妖夢を見る。

 

「そうですねぇ……じゃあ一緒についてきてください」

 

 運転手の青年にどこまでの仕事を頼むか妖夢は少々迷ったが、最終的には出来る限り手伝ってもらうことに決めた。

 妖夢は今までの流れを簡単に運転手の青年に説明する。

 

「曾祖父母の墓参り……ですか」

 

「はい。昨日から色々調べていまして。取り敢えず最初の目的地は紹介してもらった道場というわけです」

 

 運転手の青年は納得するように相槌を打つ。

 

「魂魄流剣術ですか……魂魄様も剣術を?」

 

「あ、別に様付けじゃなくてもいいですよ。こっちが息苦しいので」

 

「それでは魂魄さんで。魂魄さんも魂魄流剣術を修得しているのですか?」

 

 運転手の青年は興味本位で妖夢に聞く。

 妖夢は少々得意げに運転手の青年に答えた。

 

「ええ、勿論です。私こそが魂魄流剣術の正統な後継者です」

 

「なるほど……」

 

 運転手の青年は、納得したようなしてないような顔をしながら首を傾げる。

 そして何かに気がついたかのように妖夢に聞いた。

 

「あの、これは完全に私の興味本位なんですけど、魂魄さんはどなたに魂魄流剣術を教わったのですか? 剣術から曾祖父母のお墓を辿るなら、そちらから辿った方が早かったのでは?」

 

 ある意味当たり前のような指摘に、妖夢は答えられず固まってしまう。

 

「ああ、ええっと……」

 

 妖夢は昨日資料館の初老の男性に話した身の上話を思い出し、それをベースに話を作ることにした。

 

「剣術自体は祖父から教わりました。幼い頃に両親を亡くした私は、剣術家である祖父に育てられることになりまして」

 

「あ、えっと、その……」

 

 予想以上に重たい話になってきた為か、運転手の青年はわかりやすく狼狽する。

 

「あ、いえ。そこまで気にしなくて大丈夫ですよ。私自身小さすぎて両親のことなど全く覚えていないので。両親が死んで悲しいと思ったことすらないぐらいです」

 

 妖夢は手をパタパタと振りながら慌てて付け足した。

 

「では、剣術を教わった祖父から何か詳しい話は聞けなかったのです?」

 

 青年は改めて妖夢に聞く。

 

「祖父も、未熟な私を残して遠いところに……」

 

「あぁ……」

 

 もっとも妖夢の祖父である妖忌は死んでいない、と妖夢自身思っている。

 そもそも殺しても死なないような半人半霊だ。

 今頃はまだ見ぬ境地へ向けて修行へ励んでいるだろう。

 

「まあ、それに関しても今では殆ど気にしてません。そのあと紆余曲折あって、今に至るわけですよ」

 

「なるほど、親族の方から手掛かりを得ることはできないと」

 

 運転手の青年は妖夢の話に納得したのか、一度ハンドルを握りなおす。

 

「ええ、それで元々道場があったらしい伏見で魂魄流に関する情報を集めているわけです」

 

「これから訪問する道場にいる方が、何か知っていると……」

 

「知っているかも、ぐらいですけどね」

 

 妖夢自身、これから訪問する道場で確定的な情報が得られるとは思っていない。

 だが少しずつ情報を辿れば、次第に詳しい情報が得られると妖夢は思っていた。

 

「まあでも確かに、その人より詳しい人を紹介して貰えれば、少しずつ情報量は多くなっていきますね」

 

「そういうことです」

 

 運転手の青年も妖夢がこれから何をやろうとしているのか概ね理解する。

 そうこうしているうちに、タクシーは目的地に到着した。

 

「駐車場は……ここか」

 

 運転手の青年は窓を開けて駐車スペースを確認すると、素早くタクシーをバックで駐車する。

 

「到着しました」

 

 運転手のそんな報告と共に、後部のドアが開いた。

 

「じゃあ行きますか」

 

 妖夢はリュックサックを持たずにタクシーを降りる。

 運転手もタクシーのキーを抜くと、運転席から車外に降りた。

 妖夢は改めて道場の外見を観察する。

 建物自体はかなり古いが、手入れが行き届いているのか風化しているようには見えない。

 昨日訪れた体育館と比べると随分小さいが、妖夢からしたらこれぐらいの大きさの道場の方が見慣れている。

 道場自体には活気はないが、中で数人が稽古しているであろう声が外からでも聞き取ることが出来た。

 

「人はいるみたいですね」

 

 運転手の青年が道場の方を見ながら言った。

 妖夢は小さく頷くと、靴を脱いで道場の中に入る。

 

「すみませーん! 近藤さんいらっしゃいますか? 藤木さんの紹介で来たんですけど!」

 

 妖夢は少々声を張り上げて道場で稽古をしている人たちに聞く。

 流石に妖夢が道場に入ってきた時から意識を向けていたのか、稽古の統制を取っていた男性が「止め」の一言を掛けた。

 

「どうも、ここで師範代を任されている近藤健です。自分に何か?」

 

 師範代を名乗った男性は優しい声で妖夢に話しかける。

 妖夢は師範代の男性を上から下まで眺めると、小さく首を傾げた。

 

「およ? 思った以上に若い……ああ、なるほど」

 

 妖夢は昨日聞いた「既に稽古は行ってない」という言葉を思い出し、改めて師範代の男性に聞いた。

 

「えっと、八十歳前後の近藤さんっていらっしゃいますか?」

 

「ああ、義父の方でしたか。少々ここで待っていてください」

 

 師範代の男性はスリッパを履いて裏口から出て行った。

 妖夢は師範代の男性を待っている間、手持ち無沙汰に道場の中を見回す。

 道場自体は妖夢自身も見慣れた内装で、使われている木々にもある程度の歴史を感じる。

 だが、窓にはガラスがはめ込まれ、照明には蛍光灯が使われているあたり、全く改修せずに使用しているわけでもなさそうだった。

 

「自分はあまりこういうところには縁がないのですが、道場はどこもこんな感じなんですか?」

 

 妖夢と同じように道場内を見ていた運転手の青年が妖夢に聞く。

 

「まあ、正統派な内装って感じじゃないでしょうか。私も道場と言われて思い浮かべるのはこういう場所です」

 

 妖夢は白玉楼にある道場を思い浮かべながら運転手の青年に言った。

 

「すみません、お待たせしました。家内が今案内します」

 

 そうこうしているうちに師範代の男性が裏手から顔を出す。

 その横には師範代の男性より少し若い女性が立っていた。

 

「あら、可愛いお客さん。裏手から回ってください」

 

 師範代の妻と思われる女性は妖夢を見て微笑むと、スリッパを持って一度道場内に入ってくる。

 そしてそのまま妖夢たちの靴が置いてある出入り口でスリッパを履き、外に出た。

 妖夢はついていけばいいと判断し、女性の後を追って外へ出る。

 

「こちらです。ついてきてください」

 

 女性は妖夢と運転手の青年が靴を履いたのを確認すると、道場をぐるりと回り裏手へと入った。

 そこには道場に隠れるようにあまり大きくない一軒家が建っており、二人は女性に案内されるまま家の中に入る。

 

「こちらでお待ちください」

 

 女性に案内された部屋は白玉楼にもあるような、和室の客間だった。

 妖夢と運転手の青年は用意されていた座布団に座って女性が戻ってくるのを待つ。

 数分もしないうちに女性は一人の老人を連れて戻ってきた。

 

「お待たせいたしました」

 

 老人は確かな足取りで部屋の中に入ってくると、妖夢の対面に座る。

 女性はお茶を淹れてくるといって再度部屋を出ていった。

 

「で、私に何かようですかな?」

 

 老人は真っ白なあごひげを撫でながら運転手の青年にそう訪ねた。

 

「あ、いえ。用事があるのはこちらの女性で……」

 

「いきなりの訪問にお相手していただき、本当にありがとうございます。魂魄流剣術に関して聞きたいことがございまして……」

 

 妖夢は名乗ることなく、単刀直入に老人に魂魄流のことを聞いた。

 

「ふむ、魂魄流ですか……そもそもどういった経緯で私を?」

 

 老人はもっともなことを妖夢に聞く。

 妖夢は、今までの簡単な経緯と、昨日訪ねた剣術道場で紹介されたことを伝えた。

 

「なるほど、藤木の紹介ですか。確かにこの辺で私以上に歳を取った剣術家はおりませんからな。藤木は正しい判断をしたと言ってよいでしょう。」

 

 老人は少々得意げにあごひげを撫でる。

 だがすぐに真剣な顔つきになった。

 

「して、魂魄流剣術でしたな」

 

 老人は昔を懐かしむように目をつむる。

 

「懐かしいですな。私が剣術を始めたのは魂魄夫妻がご逝去されてからですので直接ご指導を受けたことはなかったのですが、それでも何かと世話になったものです」

 

「お二人をご存じで?」

 

「ええ、この辺ではそこそこ名の知れた人格者でしたので。知らぬものはいないほどでした。特に当時は徴兵のせいで男手も少なく、腕の立つ剣士でありましたご夫妻は頼りにされていたのです」

 

 当時の日本では二十歳以上の男性は徴兵検査を受け、問題がなければ徴兵対象者として軍隊に入ることが多かった。

 だが、軍への剣術指南という役割を与えられていた妖夢の父は、兵役の対象者ではなかったので京都に残っていたのだろう。

 

「私は魂魄家に縁のあるものなのですが、ご夫妻のお墓を探しておりまして。当時を知る方なら何かご存じないかと」

 

 妖夢は単刀直入に老人に聞く。

 だが老人は妖夢の言葉に何か引っかかる部分があったのか、少し驚いた顔をした。

 

「魂魄家に縁のある……ということはお二人の娘の魂魄妖夢さんのお孫さんですかな?」

 

「ん? 魂魄妖夢?」

 

 魂魄妖夢と聞き運転手の青年は妖夢のほうを見る。

 妖夢は誤魔化すように咳払いすると、老人の言葉を肯定した。

 

「はい、魂魄夫妻は私の曾祖父母にあたります」

 

「そうでしたか……では、魂魄流の継承は貴方が?」

 

「はい、私が魂魄流剣術の継承者です」

 

 老人は感心するように妖夢を見つめる。

 だが、ふと我に返り本題に戻った。

 

「おっと、墓の場所でしたな。申し訳ありませんが当時は終戦直後の混乱もあってどこに埋葬されたかまではわかりません。お力に慣れず申し訳ない」

 

「どなたか知っていそうな方は?」

 

「ふむ、そうですなぁ……魂魄流の門下生の殆どは大戦にて戦没されたか、戦争を生き抜いても既に亡くなっている方が殆どですので……」

 

 老人は少々考え込むと、何かを思い出したのか静かに立ち上がる。

 

「少々待っていて貰えますか。剣術家ではないですが、ご夫妻の指導を受けたであろう若い士官が知り合いにいたような気がしますので。少々年賀状を探してまいります」

 

 老人はそのまま客間を出ていく。

 その老人と入れ違いになるような形で先ほどの女性がお茶とお茶菓子を盆に乗せて客間に入ってきた。

 

「あら、お父さんったらどちらに向かわれたのかしら」

 

 女性は困ったように笑うと、妖夢と運転手の青年、そして老人が座っていた場所の前にお茶とお茶菓子を置く。

 

「何か資料を取りに行くと言っていました。すぐに戻ってこられると思います」

 

 妖夢がそう言うと、女性は納得したように相槌を打った。

 

「ああ、そうでしたか。最近少しずつ物忘れが多くなってきていますので、娘の私としても心配で」

 

「そうは見えませんでしたが……」

 

「来客時にはそうでもないのですが、気が抜けるとどうも」

 

 生活水準が外の世界と比べて低い幻想郷では、そもそも老人の数が少ない。

 妖夢自身人里でたまに見かける程度で、あまり老人と接したことはなかった。

 それこそ妖夢の祖父の魂魄妖忌はかなり歳をとった見た目をしているが、身体は健康そのもので、失踪する前もまだ衰えやボケは見られなかった。

 

「お父さんとはどのようなお話を? ……ああ、すみません。お父さんにこんな若いお客さんがくるのは初めてで」

 

 女性は苦笑しながら妖夢に聞く。

 

「剣術家に関してお話を伺いたくてご訪問させていただきました」

 

「剣術家……学校での研究テーマか何かなんです?」

 

 女性の問いに、妖夢は少し首を傾げる。

 

「研究てーまというものが私にはよくわかりませんが、とある剣術家夫妻のお墓を探しているんですよ」

 

「とある剣術家夫妻、ですか。よろしければお話をお聞きしても? 私もこのような家に生まれた身なので、少しばかりは力になれるかもしれません」

 

 女性は老人が座っていた場所の横に座り込む。

 

「とある剣術家夫妻というのは伏見に道場を構えていた魂魄夫妻のことです。戦死されてからどこに埋葬されたのかが知りたくて当時のことを知っている人を訪ねて回っているんですよ」

 

「魂魄夫妻って、あの魂魄夫妻? 半人半霊の」

 

 半人半霊という単語が出てきた瞬間、体の芯が凍ったような感覚が妖夢を襲う。

 運転手の青年は聞き慣れない言葉が出てきたためか少々眉を顰めた。

 

「すみません。半人半霊……というのは武道用語か何かでしょうか。いかんせん勉強不足で」

 

 運転手の青年は頭を掻きながら女性に質問する。

 

「半人半霊というのは半分人間、半分幽霊という特殊な体質を持った方のことです」

 

「半分幽霊? そもそも幽霊なんて存在するんですか?」

 

 運転手の青年の当たり前の問いに、女性はいたずらっぽく笑いながら答える。

 

「あくまでお父さんが言うには、ですけどね。そういう精神の教えの流派というだけかもしれませんし。無の境地とかと同じような感じで」

 

 話し方から察するに、女性自身も本気で信じているようには見えなかった。

 妖夢はほっと胸を撫で下ろすと、改めて女性に聞く。

 

「魂魄夫妻に関して何かご存知ですか? どこで戦死されたのかとか、どのようなことをしていたのかとか」

 

「戦死という話は初耳ですね。私が聞いた話は竹槍でB-29を堕としたとか、焼夷弾を素手で弾き飛ばしたとか、機銃掃射を全部斬り落としたとかという、ある意味冗談みたいな武勇伝だけですので」

 

 その話もどこまで本当なのやら、と女性は半分冗談混じりに答える。

 妖夢には単語の半分も理解できなかったが、運転手の青年の呆れた表情を見るに、かなり非常識な武勇伝なんだろうと思った。

 

「お父さんったら凄く真面目に語るものだからおかしくって。でも聞いてるうちにあながち冗談でもないのかもと思えてきたんです。そのような逸話がつくほどには優れた剣術家であったそうですよ」

 

「機銃掃射が何かは私にはわかりませんが、斬れと言われたら斬りますよ、私は」

 

「あらあら、頼もしい限りですわ」

 

 妖夢は至って真面目だったが、女性は冗談だと捉えて笑い飛ばす。

 そうしているうちに、老人が一枚のハガキを片手に部屋に戻ってきた。

 

「すみません、少し遅くなりました」

 

 老人は先程座っていた場所にゆっくりと座り込む。

 女性は老人が無事に座れたことを確認すると、お盆を持って立ち上がった。

 

「それでは、ごゆっくり」

 

 女性はにこやかに笑いながら部屋を出て行く。

 老人はハガキを妖夢に見えるように机の上に置いた。

 

「この方です。当時22歳ですので、現在82歳のはずです」

 

 妖夢は指し示された住所をじっと見る。

 

「運転手さん、この住所ってどの辺かわかります?」

 

「三重県ですのでここから車で三時間ほどの距離ですね」

 

「三時間か……」

 

 妖夢は腕時計で時間を確認する。

 現在午前の十時なので、今すぐ出れば午後一時には目的地に着くだろう。

 

「あの、取り敢えず連絡してみません? 現地まで訪ねるにしてもアポは取った方がいいでしょうし」

 

 運転手の青年はハガキに書かれている電話番号を指差す。

 妖夢は一瞬運転手の青年が何を言っているかわからなかったが、すぐにどういうことか理解した。

 

「おお、なるほど。それは盲点でした」

 

 幻想郷で人に用事がある場合は、直接会いに行くことが殆どだ。

 そもそもそんなに広くない幻想郷なので移動にそこまで時間が掛からないという理由もあるが、そもそも電話のような遠距離の通信網自体が存在しない。

 無線機のような相互通信を可能とする魔道具がないわけではないが、そういうものは互換性が殆どなく、常に連絡が取りあえるものでもない。

 

「なら、私が連絡しましょう。そちらのほうが話が早いはずです。携帯をお借りしても?」

 

 妖夢は携帯電話を取り出すと、老人に手渡す。

 老人は老眼鏡をかけると、割と慣れた手つきで携帯電話を操作しだした。

 

「……もしもし、奥村さんのお宅でしょうか。奥村正志さんはご在宅ですかな? 伏見にいる藤木といえば伝わるはずです」

 

 老人は携帯電話を耳元に当てながらじっと相手が出るのを待つ。

 数分もしないうちに目的の相手は電話に出た。

 

「奥村か? 俺だ、近藤だ。久しぶりだな。元気にしてるか?」

 

『近藤? ああ、久しいな。最近は少し腰を痛めてな。もう昔ほど無茶ができる歳でもないのかもしれん』

 

 携帯電話から漏れる音は非常に小さいものだったが、耳の良い妖夢には十分聞き取ることができた。

 

『それで、いきなりどうした? もう何年も会ってないだろう。誰か死んだか?』

 

「やめろよ縁起でもない。リアルすぎて笑えねぇよ。そうじゃなくてな、お前に少し聞きたいことがあるんだ」

 

『聞きたいこと? この頃物忘れが激しいから、覚えているかどうかは保証しないぞ』

 

「それに関しては大丈夫だとは思うぞ。お前、魂魄師範覚えているか?」

 

『随分懐かしい名前が出てきたな。忘れるわけがない。それがどうした?』

 

 老人は妖夢のほうをちらりと伺う。

 

「魂魄師範の曾孫さんが訪ねてきてな。師範の墓を探しているらしい。何か知らないか?」

 

『魂魄師範の? それなら門下生が遺体を引き取って埋葬したんじゃなかったか?』

 

「なに!? ほんとか! 今どこにいるかわかるか?」

 

『比叡山延暦寺で坊さんをしてるはずだ。遺体も比叡山に埋葬されたと聞いたが』

 

「門下生が坊さんか」

 

『いや、坊さんが門下生だったんだよ』

 

「まあどっちでもいい。なんにしても助かった。また飲みに行こう」

 

『歳を考えろ。流行り病には注意しろよ』

 

 老人は携帯電話を耳から話すと、通話を切る。

 そしてそのまま携帯電話を妖夢へと返した。

 

「長く待たせて申し訳ない。結論から言えば、魂魄夫妻の墓は比叡山にあるようです」

 

「比叡山……というと……」

 

 妖夢は尋ねるように運転手の青年の顔を見る。

 

「ここから約二十キロほどだったと記憶しているので一時間も掛からないと思いますよ。京都の東側にある山です」

 

「私自身その坊さんとは面識はありませんが、当時生きていた坊さんとなれば自然と絞られてくるでしょうな」

 

 老人は軽く咳ばらいをすると、喉を潤すようにお茶を飲む。

 

「どうも私が力になれるのはここまでのようです。あとは現地を訪ねてみるとよいでしょう」

 

「色々とありがとうございます。本当に助かりました」

 

 妖夢は深々と頭を下げる。

 老人はまんざらでもなさそうに頭を掻くと、朗らかに笑った。

 

「わしはもう引退してしまった身ですが、いつでも道場を訪ねてください」

 

「はい、機会があれば是非」

 

 妖夢はもう一度頭を下げ、座布団から立ち上がる。

 運転手の青年もそれに合わせるように立つと、妖夢に尋ねた。

 

「妖夢さん、ではこの後は延暦寺に?」

 

「はい、そのつもりで――」

 

 運転手の青年が何気なく発した妖夢の名前に、老人は反応する。

 

「ん? あんた今妖夢って……まさか、貴女は……」

 

 老人は信じられないものを見る目で妖夢の顔を見る。

 

「……小さかったので当時のことは覚えていません。申し訳ない」

 

 妖夢は一度老人のほうを振り返ったが、そのまま部屋を後にした。

 運転手の青年もすぐにその後を追っていったので部屋には老人一人が取り残される。

 

「生きていたのか……半人半霊だとしたら今の見た目にも説明が付く……」

 

 老人は心を落ち着かせるようにお茶を一気に飲み干す。

 しばらくそのまま放心状態で湯呑を握りしめていたが、大きく息を吐くと同時にその手を緩めた。

 

「そうか……生きていたか……本当に良かった」

 

 当時赤子だった妖夢は両親が出兵する際に白玉楼へと預けられた。

 妖夢の両親はそのまま戦争にて戦死したため、近所の間では妖夢は行方不明扱いになっていたのだ。

 

「あら、お客さんはもう帰られたんですか?」

 

 様子を見に来たのか、女性がお盆を持って客室に現れる。

 

「ああ、延暦寺に向かうらしい。どうやらそこにご両親のお墓があるようだ」

 

「そうでしたか……」

 

 女性は机の上を片付けながら老人の話を聞く。

 

「そういえば、先ほどの客人、魂魄夫妻のお子さんの魂魄妖夢さんだったみたいだ。全く、半人半霊は歳を取らないと聞いていたが、六十年経った今でもあそこまで若い見た目とはな」

 

 老人はカラカラと機嫌がよさそうに笑う。

 

「もう、またそんな冗談を言って」

 

 女性は老人の言葉をいつもの冗談だと思い、軽く受け流す。

 だが老人はそんなことは気にせずに笑い続けた。



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第九話「え? もう斬りましたよ?」

少々遅れましたが第九話。物語もぼちぼち終盤です。


「そういえば妖夢さん」

 

 運転手の青年は曲がりくねる山道に合わせてハンドルを切りながら妖夢に質問する。

 先ほどの道場から今までタクシー内は静寂に包まれていたが、運転手の青年がその静寂を破った形になる。

 

「件の魂魄夫妻は貴方の両親……そうですね?」

 

「……」

 

 妖夢は何かを考えるように窓の外をじっと眺めたまま動かない。

 

「……妖夢さん、貴方は一体何者なんですか? 先ほどの道場の女性の話を聞いた限り、自分には魂魄夫妻がとても普通の人間とは思えない」

 

「……」

 

 妖夢はバックミラーに映る運転手の青年の顔をチラリと見る。

 運転手の青年の表情は真剣そのもので、とても冗談で言っているようには見えなかった。

 

「まあ、この先もついてきてもらう手前、事情は知っておいた方がいいかもですね」

 

 妖夢は小さくため息をつくと、座席から体を起こす。

 

「あなたの推察通り、墓を探している魂魄夫妻は、私の実の両親です」

 

「でも、魂魄夫妻は戦時中に亡くなっている。つまりは……」

 

「ええ。私は今年で七十歳になります」

 

 バックミラーに映る運転手の青年の目が見開かれる。

 逆に妖夢は若干目を細めた。

 

「七十歳には見えませんか?」

 

「それはそうですよ。どんな若作りだとしてもそうはならない……」

 

 運転手の青年はバックミラー越しに妖夢の容姿を観察するが、道がカーブに入ったこともあり慌てて視線を前方へと戻す。

 

「それが半人半霊です。魂の半分が既に死んでいることにより、普通の人間と比べて非常に歳を取るのが遅いんです。私を育てた祖父なんて千歳を超えています」

 

「では、墓を探している魂魄夫妻も……」

 

「それに関してはわかりません。九歳まで伏見で暮らしていたらしいんですけど、何せ昔のことなので。両親のことなんてつい先日まで顔はおろか名前すら知らなかったぐらいですし」

 

 運転手の青年の表情は驚愕を通り越して困惑している。

 そんな運転手の青年に妖夢はあっけらかんと言った。

 

「まあ、信じるか信じないかは貴方が決めてください。どちらにしてもこの先あまり影響はないと思うので」

 

「あ、いえ信じていないわけでは……」

 

「こんな身なりで七十歳ですと言われてはいそうですかとはいかないですもんね。それは理解しているつもりですよ」

 

 妖夢としては運転手の青年が信じようが信じまいがあまり気にすることでもなかった。

 逆に信じすぎて根掘り葉掘り聞かれても妖夢自身が困る。

 

「墓を探しているというのは本当の話ですよね?」

 

「ええ。それ以外に特に目的もありません。偶然両親の写真を見つけて、思いつきで墓参りに来ただけですので。緊急でも重大でもない用事です」

 

 勿論、両親の墓を見つけることが第一目標ではある。

 だが、それを見つけるために何かを犠牲にしなければいけないのなら、別に諦めてしまってもいいと妖夢は考えていた。

 

「ですので、あくまで半分旅行気分で。史跡巡りぐらいの軽い気持ちでいきましょう」

 

「はあ……」

 

 運転手の青年は状況が飲み込めないと言わんばかりに生返事をする。

 

「取り敢えず、延暦寺に向かうというのは変更なしで大丈夫ですよね? 延暦寺に到着後の行動を教えてもらってもよろしいでしょうか」

 

「そうですね。まずは話にあった葬儀を行った門下生のお坊さんを探しましょう」

 

 もっとも、葬式を行った門下生がまだ生きているとは限らない。

 だとしても何かしら記録は残っているはずである。

 

「かしこまりました。お、まもなく到着です」

 

 運転手の青年は看板に従って駐車場にタクシーを停める。

 妖夢は扉が開くと同時に外に出た。

 

「……なんというか、想像していたお寺とはちょっと違います」

 

 妖夢の中でのお寺とは、信仰と修行の場で観光地ではない。

 だが現在二人がいる東塔駐車場には案内の看板が立ち並び、大きなバスからは観光客と思われる団体が列を成して降りてきていた。

 

「どのようなお寺を想像していたかは分かりかねますが、京都の有名なお寺や神社は大体こんな感じですよ」

 

「なるほど……これお寺に入るにはどうすればいいんでしょう?」

 

 妖夢は広い駐車場をキョロキョロと見回す。

 

「あそこでお金を払って巡拝券を購入すれば中に入れます」

 

「あ、お金掛かるんですね」

 

 妖夢は受付に歩いていき、上に書かれた料金表を見る。

 

「この場合どれを買えばいいんでしょうか」

 

「国宝殿には用事がないので共通券のほうですね」

 

「となると二人で二千円ですね。……すみません、大人二枚お願いします」

 

 妖夢は運転手の青年に言われた通り受付の女性に話しかける。

 

「中高生は六百円になっておりますが大丈夫ですか?」

 

「中高生? あ、いえ。大人二枚で」

 

 受付の女性は妖夢を見て確認を取ったが、妖夢の返答を聞いて素直に大人の券を二枚差し出す。

 

「大人二名様で巡拝料二千円になります」

 

 妖夢は財布からお札を数枚取り出すと、数字を確かめて千円札を二枚受付の女性に渡し、代わりに巡拝券を受け取った。

 

「で、これをもってあそこの門を潜る感じですよね?」

 

 妖夢は巡拝券を運転手の青年に手渡しながら聞く。

 

「そうです。基本的にはその券があれば今日一日は自由に出入り出来るはずです」

 

「なるほど。そういう感じですか」

 

 二人は巡拝券片手に門を潜る。

 そしてそのまま道なりに大講堂の方へと歩き始めた。

 

「取り敢えず誰でもいいので話を聞いてみましょうか」

 

 妖夢はキョロキョロと周囲を見回し、参道の掃除をしている若い僧侶に話しかける。

 

「あ、すみません。今少しよろしいですか?」

 

 掃除をしていた若い僧侶は妖夢のほうへと振り返ると、少々驚いたような顔を見せる。

 だがすぐに笑顔になり、丁寧に返事をした。

 

「どうされましたか?」

 

「あるお坊さんを探しているんですが、如何せん勝手がわからず困っているんです。お力になっていただけませんか?」

 

 予想外の質問だったのか、若い僧侶は少し困った顔をする。

 

「ええっと……何か手掛かりはおありでしょうか。お名前やご年齢など、何かそのお坊さんについて分かることはおありですか?」

 

「戦前から生きている方で、魂魄流剣術を嗜んでいた方のはずです」

 

「お年を召している方で剣術を嗜まれている……白井大阿闍梨かな?」

 

 若い僧侶は心当たりがあるのか、手帳を取り出し何かの予定を確認している。

 

「魂魄妖夢が来たといえば通じるはずです」

 

「わかりました。白井師なら今日は講習会も入っていないはずですので、近くにいらっしゃると思います。こちらで少々お待ちください」

 

 若い僧侶は箒を片手に建物の一つへと駆けていく。

 

「今白井大阿闍梨っていいました?」

 

 運転手の青年は若い僧侶の呟いた名前を聞いていたのか、妖夢に聞き直した。

 

「有名な方なんです?」

 

「物凄く有名な方ですよ。最近二回目の千日回峰行を終えられたという話をテレビのニュースで見ました」

 

「千日回峰行?」

 

「簡単に言ってしまえば七年がかりの命がけの難行です」

 

「そのような修行を二回もですか。さぞ徳の高い方なんでしょうね」

 

 二人が十分ほどその場で待っていると、先ほどの若い僧侶が一人の年老いた僧侶を連れてこちらに歩いてきた。

 

「では、私はこれで失礼致します」

 

 若い僧侶は深々と頭を下げると、箒を取りにまた建物のほうへと駆けて行った。

 年老いた僧侶は妖夢の前に立つと、何かを確かめるように妖夢の頭の先から足のつま先までを見る。

 

「ふむ……私に何か御用でしょうか」

 

 年老いた僧侶はじっと妖夢の目を見て聞いた。

 

「お忙しいところ申し訳ありません。私、魂魄妖夢と申すものです。両親のお墓を探していたところこちらに埋葬されたという話を聞きまして伺った次第です」

 

「なるほど……魂魄妖夢さんですか……」

 

 年老いた僧侶はにこやかな笑みで数回頷く。

 だが、年老いた僧侶はどこか訝しむ目で妖夢を見ていた。

 

「魂魄師範のお墓は延暦寺の山の奥にございます。一般の方は立ち入ることができない場所ですので」

 

「娘の私でもダメなんです?」

 

 妖夢は年老いた僧侶が自分を訝しんでいることに気が付いていたが、その理由までは分かっていない。

 年老いた僧侶は少し悩んだような表情を浮かべたのち、単刀直入に妖夢に聞いた。

 

「では妖夢さん。貴方が本当に魂魄妖夢である証拠を出してください」

 

 年老いた僧侶の言葉に、妖夢は固まってしまった。

 

「私の知る魂魄妖夢という方は半人半霊です。ですが貴方は普通の人間にしか見えない」

 

「それは……えっと……」

 

「もし半人半霊という体質が遺伝しないものだとしても、それはそれでおかしいですね。貴方はどう見ても七十代には見えない」

 

 もっともな話だと妖夢は思う。

 外の世界に馴染むために半霊を体の中に入れた今の妖夢は一見普通の人間だ。

 

「それとも他に何か身分を証明できるものはお持ちですか?」

 

 年老いた僧侶の言葉に、妖夢は思い出したかのように財布から免許証を取り出す。

 

「ふむ、お名前は確かに魂魄妖夢さんらしいですね。ですが私の記憶が正しければ魂魄妖夢さんが生きていらしたとしたら今六十九歳のはずです。ですがこの免許証では貴方は二十歳のようですが」

 

「あ」

 

 妖夢は慌てて免許証の年齢を確認する。

 そういえば見た目に違和感がないように生年月日が弄られていることを忘れていた妖夢は、まいったなと言わんばかりに頭を掻く。

 

「そうだ白楼剣……は、白玉楼だし……藍さんに連絡入れてみるか……」

 

 妖夢は携帯電話を取り出すと、登録されている藍の電話番号に電話を掛ける。

 だが、何コール経っても藍が電話に出ることはなかった。

 

「出ない……」

 

「申し訳ございませんが、ご本人だと証明できるものがないのであれば、本日のところはお帰りください。では、私はこれで」

 

 年老いた僧侶は綺麗な姿勢でお辞儀をすると、踵を返して建物のほうへと歩き出す。

 

「待ってください!」

 

 妖夢は年老いた僧侶を呼び止める。

 

「確かに今の私は自分が魂魄妖夢であるという確たる証拠は持ち合わせていません。ですが、自分も剣術家の端くれ。自分の身分ぐらい、自らの剣術で証明して見せます!」

 

 妖夢の言葉に年老いた僧侶は足を止める。

 そしてゆっくりと妖夢のほうへと振り返った。

 

「ほう、刀で証明すると」

 

「どのようなものでも構いません。何か振れるものはありませんか? なんなら先ほどのお坊さんが持っていた箒でも構いません。私が魂魄妖夢だということは、この腕で示します」

 

 年老いた僧侶はじっと妖夢の目を見る。

 

「そこまで言うなら見せてもらいましょう。ついてきてください」

 

 年老いた僧侶はそれだけ言うと、境内の奥のほうへと歩き出す。

 妖夢と運転手の青年は慌ててその背中を追いかけた。

 

 

 

 

 年老いた僧侶に案内されたのは、山道を数十分ほど歩いたところにある道場だった。

 今は殆ど使われていない施設らしく、清掃こそ行き届いているものの人の気配は全くない。

 

「昔から僧兵の修行に使われていた道場です。今は使われていませんが道具だけは揃っておりますので」

 

 二人は年老いた僧侶に続いて道場内に入る。

 年老いた僧侶はそのまま道場の奥の部屋へと二人を案内した。

 その部屋には所狭しと刀や槍などの武具が吊るされており、そのどれもが相当な年季の入ったものに見える。

 年老いた僧侶はその中から無造作に一本の刀を手に取りながら妖夢に言った。

 

「先ほどは箒でも構わないとおっしゃってしましたが、剣術家の方にそのようなものを振らせるわけにはいきません。こちらをお使いください」

 

 年老いた僧侶が妖夢に差し出したのは、刃渡りが一メートルはあろうかという大太刀だった。

 その長さは柄まで含めると妖夢の身長と変わらないほどある。

 

「あの……素人が口出しするようなことではないのは重々承知なのですが、この刀では妖夢さんにはあまりにも大きすぎるのではないでしょうか」

 

 運転手の青年は困惑するように年老いた僧侶に言う。

 だが妖夢は鞘から少し刀を引き抜き、刀身を確認すると静かに鞘へと納めた。

 

「かなりの業物とみました。こちらをお借りしても?」

 

「この大太刀を見ても物怖じしないところを見るに、確かに魂魄流剣術の覚えがあるようですね」

 

 年老いた僧侶は壁に立てかけてあった竹を一本持つと、道場のほうへと戻り、道場の真ん中に竹を立てる。

 竹の太さは直径十センチほどあり、何の支えもなしに道場の床に自立していた。

 

「それでは、私は正面から見ておりますので」

 

 そういうと年老いた僧侶は竹を挟んで妖夢と向かい合うように立つ。

 妖夢は大太刀の柄を右手で、鞘を左手で握ると、居合の形に構えた。

 

「運転手さん、あと数歩後ろに下がっていてください」

 

 妖夢は運転手の青年を少し後ろに下がらせる。

 

「いきますよー」

 

 妖夢は特に緊張する様子もなく、気の抜けた合図を送る。

 だが次の瞬間には、妖夢は刀を鞘に納め始めていた。

 

「あれ? 切らないんです?」

 

 その様子を見て運転手の青年は不思議そうな顔をして妖夢に尋ねる。

 妖夢も不思議そうな顔をして運転手の青年に言った。

 

「え? もう斬りましたよ?」

 

 妖夢は刀を片手に立ててある竹の元まで歩いて行く。

 そして竹の上半分だけを軽く持ち上げた。

 

「ほら、この通り」

 

 中心で綺麗に両断された竹は、まるで斬られたことすら気が付いていないかのように動いた形跡はなかった。

 運転手の青年には妖夢が刀を少し抜いたようにしか見えなかったが、この竹が物語るように、確かに妖夢は抜刀し、竹を両断していた。

 

「いかがでしょうか?」

 

 妖夢は竹の上半分を道場の床に立てる。

 水平にまっすぐ斬られているためか、竹は床に対して垂直に立った。

 

「この太刀筋、とても人間業とは思えない。では……貴方は本当に……」

 

 年老いた僧侶は溢れ出る涙を隠すように顔を伏せる。

 

「生きておられたのですね……私はてっきり既に死んでいるものかと……」

 

 年老いた僧侶は袖で涙を拭うと、改めて妖夢の姿を観察する。

 

「ですが妖夢さん、貴方半霊はどうしたんです? 赤子の頃から白髪で半霊が側に浮いていたと記憶していますが」

 

「変装みたいなものです。普段は白髪に半分幽霊ですよ」

 

 道場を出てきた道を戻りながら妖夢は今までの経緯を幻想郷や冥界のことをぼかしながら年老いた僧侶に話した。

 物心ついた時には白玉楼にいたこと。

 剣術に関しては祖父に教わったこと。

 蔵で両親の写真を見つけ、墓参りに行こうと思い至ったこと。

 一通りの話が終わるころには妖夢たち三人は大講堂の近くまで戻ってきていた。

 

「それで色々調べているうちにここに埋葬されたということがわかったんです」

 

「なるほど、そうだったのですね。確かに貴方のご両親はこの山に埋葬されています」

 

 年老いた僧侶は事務所から延暦寺のパンフレットを持ってくると、そこに載っている地図を指さしながら言った。

 

「場所でいうと……ちょうどこの辺りでしょうか。ここから三十分ほど山道を歩いたところに入り口があります」

 

「入口?」

 

「はい。先ほども申し上げた通り一般の方は立ち入りできないようになっていますので。……今から向かわれますか?」

 

 年老いた僧侶は懐から懐中時計を取り出し、時間を確認しながら妖夢に聞く。

 妖夢もその懐中時計を覗き見た後、空を見上げた。

 太陽は傾きかけてはいるものの、すぐに沈むことはなさそうだ。

 だが、妖夢は自分が今手ぶらであることに気が付く。

 

「準備もありますし、また後日伺います。明日はお時間大丈夫ですか?」

 

 年老いた僧侶は手帳を取り出すと、予定を確認する。

 

「申し訳ありません。明日は少々立て込んでおりまして。明後日の午後ならご案内できます」

 

「では明後日のお昼にこちらに伺いますね」

 

「裏口から入れるように話を通しておきます。受付で私の名前を出してください」

 

 年老いた僧侶に見送られて妖夢と運転手の青年は駐車場まで帰ってきた。

 

「そういえば妖夢さん。本日の宿泊先はもう決まっているんです?」

 

 運転手の青年は後部座席のドアを開けながら妖夢に聞く。

 妖夢はタクシーに乗り込みながら運転手の青年に答えた。

 

「いや、それが全く決まっていないんですよね。今日まで泊まっていたホテルに戻るのもいいですが、できれば洋室じゃないほうがいいですし」

 

「ここから一番近いのは延暦寺会館ですが、明日のご予定次第で場所をお決めになるのがいいと思います」

 

「明日の予定かぁ……」

 

 そもそもこの辺りの土地勘がない妖夢からしたら、京都に何があるのかもわからない。

 かといってただ無意味に時間を潰すもの勿体ないと感じていた。

 

「ちょっと電話掛けますね」

 

「え? あ、はい。どうぞ」

 

 妖夢は携帯電話を取り出すと一番上に登録されている藍の番号に電話を掛ける。

 先ほどは繋がらなかったが、今度は数回のコール音ののち、無事藍の携帯電話へと繋がった。

 

「あ、妖夢さんどうしました?」

 

「お忙しいところすみません。取り敢えずお墓の場所は見つかりました」

 

「おお、それはそれは。おめでとうございます。では、帰郷の準備を?」

 

「あ、いえ。案内ができる僧侶の方の時間が空くのは明後日の午後らしく……それまではこちらにいる予定です」

 

 ふむ、と藍は何かを考えているように声を漏らすが、その考えを口に出すことはなかった。

 

「では、今回のこの電話はどういったご用件で?」

 

「明日一日時間ができたんでどうしようかと。特にやりたいこともないですし」

 

「時間を持て余すなら一度幻想郷に戻ります? 私としてはそれでも全然大丈夫ですよ?」

 

「あ、それもありなんですね」

 

 確かに無理に外の世界に留まる必要もないと妖夢は考える。

 一度白玉楼に戻って幽々子様に現状を報告するのもありかもしれない。

 

「じゃあそうします。どちらに向かえばいいですか?」

 

「今どこにいるんです?」

 

 妖夢は運転手の青年に現在地を確認すると、藍に伝える。

 

「延暦寺……だとしたら一度山を下りたほうがいいですね。むやみやたらと干渉したら面倒ごとになるかもしれませんし。リアフォードホテルの前で待ち合わせましょう」

 

「わかりました。よろしくお願いします」

 

 妖夢は通話を切ると、携帯電話を両手で折り畳みポケットに仕舞う。

 

「運転手さん、先ほどのホテルまでお願いします」

 

「確かリアフォードは洋室しかありませんよ?」

 

 運転手の青年はタクシーのエンジンを掛けながら妖夢に聞く。

 

「待ち合わせをするだけなので大丈夫ですよ」

 

「かしこまりました」

 

 運転手の青年は滑らかにタクシーを発進させる。

 京都に戻るまでの数十分の道を、妖夢は物思いに耽って過ごした。




比叡山延暦寺
 天台宗の総本山

大阿闍梨
 簡単に言ってしまえば滅茶苦茶凄い称号。作中の白井大阿闍梨のモデルは調べればすぐ出てきます

試し切り
 ぶっちゃけた話、竹ぐらいなら素人でも両断することは難しいことではない。ただ固定されていない竹をだるま落としのように全く動かさず真横に両断できる者は殆どいない。また、それ以上に驚異的なのは三尺以上の大太刀を見えない速度で振るうこと



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第十話「死ぬ時にわかるんじゃないかしら」

「あ、妖夢さんこっちです」

 

 比叡山を降りた妖夢たちをホテルで待っていたのはスーツに身を包んだ藍だった。

 藍は黒塗りのセダンの横で妖夢に対して軽く手を振っている。

 

「お、藍さんだ。今日はここまでのようですね。そういえばお金は今払えばいいんです?」

 

 妖夢は運転席の方に身を乗り出して運転手の青年に尋ねる。

 

「あ、はい。社長からは二万円と伺っております」

 

 妖夢は財布を取り出すと、クレジットカードを運転手の青年に手渡す。

 運転手の青年はクレジットカードをカードリーダーに通しながら遠慮がちに言った。

 

「明後日ですが、連絡を頂けたらすぐに車を出せるように社長の方に伝えておきます。ご利用の際はご連絡ください」

 

「それはどうも。でもまだなんともわからないのでまた連絡しますね」

 

 妖夢は帰ってきたカードを財布に仕舞い直し、領収書にサインをする。

 青年は名残惜しそうに領収書を受け取ると、後部座席の扉を開けた。

 

「本日はありがとうございました。それでは」

 

 妖夢は運転手の青年に一礼し、藍の元へと駆けていく。

 

「あっ…… 妖夢さん!」

 

 そんな妖夢を運転手の青年は慌てて呼び止めた。

 

「リュック忘れてます!」

 

 運転手の青年の言葉を聞いて急停止した妖夢は、若干顔を赤くしながらタクシーへと戻った。

 

「いやはや、すみません。ありがとうございます」

 

 妖夢はリュックサックを受け取ると、今度こそ藍の元へと向かう。

 藍は黒塗りのセダンの助手席のドアを開けると、自分は運転席のほうへと回り込んだ。

 

「もう忘れ物はないですか?」

 

 藍が茶化すように言う。

 妖夢は少し頬を膨らませながら答えた。

 

「荷物はこれだけです。この車で幻想郷に向かうんですか?」

 

「あ、いえ。小移動するだけですよ。逆に何処か寄りたい場所あります?」

 

 藍は車のエンジンを掛けると、まるでレールに沿って進んでいるかのような動きで車を発進させる。

 今日一日タクシーに乗っていたからこそ、妖夢は藍の運転があまりにも無機質なことに気がついた。

 

「取り敢えず今のところは大丈夫です」

 

「じゃあそのまま幻想郷に向かいますね」

 

 藍はしばらく車を走らせると、機械式立体駐車場へと車を滑り込ませる。

 

「ん? もう到着ですか?」

 

 場所的にはホテルから数分ほどしか離れていない。

 藍は駐車場の機械を操作しながら言った。

 

「車はここに置いていきます。流石に幻想郷には持ち込めないので」

 

「なるほど。ではここから先は歩きですね」

 

 妖夢はリュックサックを持って車から降りる。

 それと同時に、自動的に車は建物内へと運ばれていった。

 

「あれ? どこかに持って行かれてしまいましたが……」

 

「ああ、あれでいいんです。あとは機械が勝手にやってくれます」

 

 藍はそのまま建物の中へと進んでいく。

 妖夢はしばらく運ばれていく車に気を取られていたが、慌てて藍を追いかけた。

 

「あ、そうだ妖夢さん。携帯電話を預かりますね」

 

 妖夢はポケットを探って携帯電話を取り出すと、藍に手渡す。

 藍は受け取った携帯電話を開きデータを確認すると、不思議そうに妖夢に聞いた。

 

「新しいアドレスが増えてますね。どなたかと交換なされたんですか?」

 

「あ、そういえば京都駅で女性の三人組と連絡先を交換しました。そのあと連絡は取りあっていないですが」

 

「おお、なるほど」

 

 藍は納得すると、妖夢の携帯電話をポケットの中に仕舞いこむ。

 そしてどこにでもあるような何の変哲もない事務所のドアを開いた。

 

「お先にどうぞ」

 

「あ、どうも」

 

 妖夢は促されるままに真っ暗闇な部屋に入る。

 藍も妖夢の後を追って部屋に入ると扉を閉め、部屋の明かりのスイッチを入れた。

 

「ん?」

 

 パチンという軽い音とともに辺りが明るくなるが、妖夢は目の前に広がる光景に目を見開く。

 そこは木々が生い茂る山の中だった。

 空を見上げると夕焼けで紅く染まっており、既に日が沈みかけていることがわかる。

 

「もう幻想郷です。現在地は……妖怪の山のふもとですね。白狼天狗の警戒範囲外なので追いかけまわされることはないと思います」

 

 妖夢は藍の方を振り向くが、藍はいつの間にかスーツ姿からいつもの着物へと姿を変えていた。

 

「現在地が妖怪の山で、太陽の位置があっちということは……冥界は向こうの方向ですね」

 

 妖夢は少し飛び上がり、木々の上へと出る。

 

「次はまた白玉楼から出発で大丈夫ですか?」

 

「ええ、白玉楼で大丈夫です」

 

「それでは明後日の正午前に白玉楼にお迎えに上がりますね」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 妖夢は深く頭を下げると、冥界の方向へと飛ぶ。

 真っ赤に染まった夕日を横目に、暗くなる前に白玉楼へ帰ろうと妖夢は帰路を急いだ。

 

 

 

「幽々子様ー? ただいま戻りましたー」

 

 妖夢は白玉楼の庭に降り立つと、普段幽々子が良く桜を見ている縁側の方へと歩いていく。

 妖夢の予想通り幽々子は縁側に腰かけており、大福を頬張っていた。

 

「あ、幽々子様、またこんな時間にお菓子食べて……もう夕食の時間になりますよ?」

 

「あらー? もう一週間も経ったかしら」

 

 幽々子は口いっぱいに頬張っていた大福をお茶で流し込むと、人差し指の腹で唇についた片栗粉を拭う。

 

「いえ、両親の墓の位置がおおよそ判明したので、墓参りの準備をするために帰ってきたんです」

 

「あら、そうなの」

 

「はい、そうなんです」

 

 妖夢はリュックサックを縁側に置いて幽々子の隣に座る。

 幽々子は無造作に妖夢の頭の上に左手を置くと、そのまま半霊を引き抜いた。

 

「う、うひゃあぁ!」

 

 妖夢はいきなりの出来事に身を震わせて飛び上がる。

 

「ぬ、抜くなら抜くって言ってください」

 

 妖夢の髪が元の白色を取り戻していく。

 妖夢は体温が落ちていくのを感じながら名残惜しそうに半霊を胸に抱えた。

 

「あまりその状態に慣れないほうがいいわ。今は一時的に体内に半霊を入れているだけだけど、そのうち元の魂と癒着して引き剥がせなくなるから」

 

「そうなった場合、どうなってしまうのですか?」

 

「普通の人間になる……とは言い切れないわね。妖夢の半霊は霊と名がつくだけあって死んでいるわけだし」

 

 まあ、いいことがないのは確かよ、と幽々子は付け足した。

 妖夢はやや暖かい半霊を抱えながら呟く。

 

「お師匠様は後天的な半人半霊であったと聞きましたが、半身を殺された時、どのような感覚だったんでしょう」

 

「そうねぇ……もう半分死ぬ時にわかるんじゃないかしら」

 

 妖夢と幽々子は縁側に座りながらぼんやりと散りゆく桜を眺める。

 白玉楼の桜は未だ満開に咲き誇っており、もう少しの間花見が楽しめそうな様子だった。

 

「……さて、それじゃあご飯にしましょうか。妖夢の分あるかしら」

 

「お米とお味噌があれば十分です」

 

「冗談よぉ。私のおかず半分分けてあげる」

 

「ありがとうございます。食事の前に着替えてきますね」

 

 妖夢は小さく頭を下げると玄関口に回り靴を脱いで屋敷の中へと入る。

 そして自室に荷物を置くと、いつもの洋服へと着替えた。

 

「……魂魄流剣術の後継者、か」

 

 妖夢は刀掛けに置かれている白楼剣を手に取る。

 写真に写る妖夢の父親は白楼剣と楼観剣を帯刀していた。

 ということは少なくともこの刀は一度両親の手に渡っていたというわけだ。

 

「ずっとおじいちゃんの持ち物だと思っていたけど、実際は両親の形見だったわけね」

 

 妖夢は白楼剣の刀身を鞘から引き抜く。

 錆一つない綺麗な刀身は行燈の光を受けて淡く光を放っている。

 妖夢は白楼剣を元の場所に戻すと、給仕の幽霊を手伝いに台所へと向かった。

 

 

 

 

「えっと、何が必要なんだっけ? 五供っていうのは覚えてるんだけど……」

 

 妖夢が幻想郷に帰ってきて一晩明けた昼。

 妖夢は墓参りに必要なものを買いに人里に来ていた。

 

「お花とお線香は必要だよね? これで二つ。あと三つ……」

 

 半人半霊として長い時間を生きてきた妖夢だが、墓参りに行った経験はなかった。

 冥界にはそもそも住民が殆どおらず、一時的に滞在する幽霊たちも既に死んだ後の存在だ。

 故に妖夢は親しいものと死別した経験が殆どなかった。

 

「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥って言うしお線香屋さんで色々久けばいいかな」

 

 妖夢は活気に満ちている人間の里を鼻歌交じりに散策する。

 普段よく行く和菓子屋や小物屋の場所はよく知っていたが、法事に使うものがどこで手に入るかは妖夢はよくわかっていなかった。

 

「あ、西行寺のところの従者さん。お買い物ですか?」

 

 あてもなく里をふらふらしていた妖夢だが、不意に後ろから声を掛けられる。

 

「およ? 貴方は確か……月の異変の時の……」

 

 妖夢が振り返った先には里で寺子屋を営んでいる半妖、上白沢慧音が立っていた。

 

「この里で寺子屋を運営している上白沢慧音です」

 

「あ、これはどうもご丁寧に。私は白玉楼で剣術指南役兼庭師として従事している魂魄妖夢です」

 

 以前の異変の時は敵として対峙した二人だが、その時とは打って変わって丁寧な挨拶を交わす。

 

「なるほど、庭師の方でしたか。よく里には買い物に来られるんです?」

 

 妖夢と慧音は往来の邪魔にならないよう、少し道の脇に寄る。

 

「そうですね。幽々子様の指示でたまにお菓子等を買いに来てます」

 

「なるほど、菓子ですか……最近は洋菓子を取り扱う店も増えてきましたよね。ご存じです? この通りを少し行った先に最近カフェができたんですよ」

 

「カフェですか……噂には聞いたことがありますね」

 

 妖夢は昨日行った京都のカフェのことを思い出す。

 

「もしお時間あれば、少しお茶していきませんか?」

 

 慧音の提案に、妖夢は少し考える。

 急ぎではないにしても、時間が無限にあるわけではない。

 だが、どこで線香を買えばいいかすら検討のついていない現状、慧音とお茶をしながら店の場所を聞いた方が早いと考え直し、妖夢は首を縦に振る。

 

「いいですね。是非行きましょう」

 

「良い返事が貰えてよかった。こちらです」

 

 慧音は少し安堵したような顔を見せると、妖夢の手を取って歩き出す。

 妖夢は手を引かれたことに少々驚いたが、特に何も言うことなく慧音の横を歩き始めた。

 

「いやぁ、実をいうと前々から興味はあったのですが、なかなか一人で入る勇気がなかったんですよね」

 

 慧音は開いている手で頭を掻く。

 そんな慧音に、妖夢は少し意外そうに言った。

 

「あれ? そうなんですか? てっきり常連なのだとばかり……」

 

「稗田家にお呼ばれされることはよくあるのですが、それ以外ではほとんど家で済ませてしまうもので……」

 

「稗田家……」

 

 妖夢は稗田家が何だったか必死に思い出す。

 少し考えて、確か里にある名家の一つであるということは思い出した。

 

「職業柄よく話を聞きに行くんですよ。っと、ここですね」

 

 妖夢は慧音に案内されたカフェを観察する。

 周囲の建物と同じような日本建築だが、内装は洋風になっており、京都で入ったカフェを思わせた。

 

「いらっしゃいませ。二名様ですか?」

 

 店員の女性が妖夢と慧音を二人掛けのテーブルに案内する。

 妖夢は椅子に座ってテーブルを指で撫でた。

 

「へえ、かなり拘ってますね。テーブルも全て統一されていますし」

 

 外の世界から流れてきたものを使用する場合、よっぽど運がよくないと同じものが複数手に入ることはない。

 テーブルや椅子が全て統一されているということは、全て里の職人に頼んで特注したものだろう。

 

「わかりますか? テーブルを揃えるの結構大変だったんですよ」

 

 店員はにこりと笑うと、二人にメニューを差し出す。

 

「めにゅ……お品書きを置いておきますね。ご注文がお決まりになりましたらこちらのベル……鐘でお知らせください」

 

 店員はそういってテーブルに置かれた卓上ベルを指し示した。

 

「ここを押すと音が鳴るようになっていますので」

 

 そういって店員は卓上ベルを数回鳴らす。

 その音色は法具のお鈴を少し高くしたような澄んだ高音だった。

 

「なるほど……いい音色ですね」

 

「でも、こればっかりは拾い物なので全部同じものというわけにはいかなかったんですけどね」

 

 そう言われて妖夢はほかのテーブルを見る。

 ほかのテーブルの上には紐のついた鈴が置かれていたり、それこそ法具のお鈴が置いてあるテーブルもあった。

 

「まあでも音色でどのテーブルかわかるので、これはこれでいいのかなとも思ってます」

 

 それではごゆっくり、と店員は頭を下げてテーブルから離れていく。

 妖夢は向かいに座る慧音にも見えるようにメニューを横向きに開くと、内容を確認した。

 

「飲み物はコーヒーと紅茶、それとお茶ですか。あと軽食が少しとお菓子が少しって感じですね。どうします?」

 

 妖夢はメニューを確認しながら慧音に聞く。

 慧音は少し悩むように唸ると、コーヒーを指さした。

 

「私はこの珈琲とやらを試してみます。実はまだ飲んだことがないんですよね」

 

「じゃあ私もそれにします。あとはお菓子ですが……」

 

 メニューにはクッキー(洋風せんべい)と大福、団子と書かれている。

 

「クッキーがあるみたいですね。それにしますか」

 

「ほう、洋風せんべいですか。どのようなものなんでしょうね」

 

 妖夢は軽く二回卓上ベルを鳴らす。

 客の数がそこまで多くないためか、店員はすぐに二人の元までやってきた。

 

「ご注文をお伺いします」

 

「えっと、コーヒー二つに、クッキーをお願いします」

 

 妖夢はメニューを指さしながら注文をする。

 

「コーヒー二つにクッキーですね。少々お待ちください」

 

 店員は注文を復唱すると、店の奥へと消えていった。

 

「そういえば、寺子屋の運営を行っているという話でしたが、本日は授業のほうは?」

 

 店の内装に興味深そうに眺めている慧音に妖夢は話を振る。

 慧音は少し我に返ったのか、軽く咳払いをして話し始めた。

 

「寺子屋といっても毎日開いているわけでもないんです。五日に一度ほどの感覚で休みの日を設けています」

 

 妖夢にはその頻度が多いのか少ないのかはわからなかったが、妖夢自身の感覚では比較的多い方なんじゃないかと思った。

 

「まあ、全ての授業に参加している生徒は殆どいません。各人来れる日の来れる時間に授業に出席しているような感じですね。家の仕事等もありますので」

 

 外の世界でならまだしも、幻想郷では子供は立派な労働力だ。

 子供であっても暇ではないということだろう。

 

「なるほどですね。どのようなことを教えているんです?」

 

「幻想郷の歴史や算術、あとは読み書きでしょうか。特に算術や読み書きは習得すれば生活を豊かにできますので、特に力を入れています」

 

 それを聞いて妖夢は祖父である魂魄妖忌から教育を受けていた時のことを思い出す。

 読み書きは勿論のこと、簡単な算術等も妖夢は妖忌から教わっていた。

 

「確かに読み書きは大切ですよね」

 

「よく使う漢字、使わない漢字を取捨選択して教えるのは大変ではあるんですがやりがいもありますね。ある程度大きくなるまでには大体の書物を読める程度には教えています」

 

 幻想郷の識字率は意外と高く、現代日本と比較することはできないが、殆どのものが読み書きができる状態にある。

 人間の里自体そこまで大きくはないということもあるが、識字率の高さはひとえに慧音の頑張りの結果であるとも言えた。

 

「そういえば貸本屋等もありますもんね。私自身あまり本は読まないですが……」

 

「あら、そうなのですね。里の貸本屋は外来の本なども取り扱っているので一度訪れてみるといいかもしれませんね。これぐらいの小さな少女が良く店番をしてますよ」

 

 外来の本と聞いて妖夢は少しその貸本屋に興味が湧いてくる。

 また時間のある時にでも立ち寄ってみようと心にとめた。

 

「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」

 

 妖夢と慧音が他愛もない会話をしていると、店員がコーヒーとクッキーを運んでくる。

 慧音はカップに入ったコーヒーの色に少々警戒しているようだったが、妖夢が先に一口飲むと慧音も恐る恐る口にした。

 

「ふむ……ふむ? うん。これは……」

 

 慧音は目を白黒させながら首を傾げる。

 妖夢は味を確かめるようにもう一口飲んだ。

 

「おお、凄いですね。相当こだわってるんじゃないですかこれ。向こうで飲んだものと遜色ないですよ」

 

「ありがとうございます。焙煎から店内で行っているんですよ」

 

 妖夢自身あまりコーヒーには詳しくないのでそもそもコーヒーとは何なのかすらわかっていない。

 だが焙煎ということは何かを炒っているんだろうと当たりをつけた。

 店員は小さく一礼すると、店の奥へと消えていく。

 慧音は恐る恐るもう一口飲み、また眉を顰めた。

 

「これは何とも……少々苦くないですか?」

 

「そうですか? こんなものだと思いますが……あ、クッキーは甘いと思いますよ」

 

 妖夢自身外の世界でクッキーは食べていなかったが、幽々子の親友である紫がよく持ってくるため食べたことがないわけではなかった。

 

「クッキー……これですね。どれ……」

 

 慧音は小さなクッキーを一口で口の中に入れる。

 

「おお、これはいいですね」

 

「クッキー美味しいですよね。私もあまり頻繁には食べないのですが、たまに主人のご友人が持ってきてくださるのですよ」

 

 妖夢も白い皿に並べられた小さなクッキーをつまんで口に入れる。

 甘さは控えめだが、しっかりとバターが効いており、若干の塩気もあった。

 

「西行寺家のお嬢様ともなれば、交友関係も広そうですね」

 

「案外そうでもないんですよ? 冥界は閉鎖された空間ですので」

 

 交友関係と言われて、妖夢は改めて幽々子の交友関係を考える。

 親友である八雲紫にその従者の八雲藍、あとは仕事の関係で閻魔だろうか。

 だが、今こうして妖夢が慧音とお茶をしているように、異変で知り合った者たちも交友関係に入れてしまってもいいのかもしれない。

 だがこれ以上幽々子の話を幽々子の許可なしにすることもできないので、妖夢は話を変えることにした。

 

「あ、そういえばなんですけど、お線香って里のどの辺で売っているかわかりますか?」

 

「お線香ですか?」

 

 慧音は少し首を傾げたが、すぐに答えを返した。

 

「そうですね。職人から直接買うこともできますが、霧雨店で小売りしてますよ」

 

「霧雨店?」

 

 妖夢は予想外のところで聞いたことのある名前が出てきたため、ついそのまま慧音の言葉を繰り返していた。

 

「はい。里ではかなり大手の道具屋です。様々なものを取り扱っているので利益率が低い商品等も取り扱っていて他で買うより少し安く手に入ったりします」

 

「道具屋ですか。いや、すみません。聞きなじみのある名前でしたので」

 

 妖夢の言葉に、慧音は合点がいったように頷いた。

 

「ああ、それでしたら関係がないわけではありません。あの魔法使いの実家でもありますので」

 

「なるほど。てっきりあの白黒は木の根元から生えてきたものとばかり思ってました」

 

 彼女も人の子なら、親がいるのは当たり前かと、妖夢は改めて認識する。

 幻想郷には浮世離れした人間が多いが、人間であれば親はいるのだ。

 

「寺子屋には通ってはいませんでしたが、小さい頃は里で何度か見かけたことがあります。まあ、方向性の違いから今は家を飛び出して魔法の森で生活しているようですが」

 

「なるほど。変わり者だとは思っていましたが、やはり相当な変わり者ですね。大手道具屋ということはかなり裕福な家庭でしょうに」

 

 人間の里自体極端な貧富の差はないものの、それでも上流階級というものは存在する。

 実際霧雨家は稗田家には及ばないものの、里の運営に関わる程度には発言権もある家だった。

 

「私もそれに関しては不思議に思っていたんですが……まあ余裕があるからこそ色々と考える余裕があるということでしょう」

 

 そういって慧音はもう一口コーヒーを口にする。

 もう苦さには慣れてきたのか、苦そうに顔を顰めることはなかった。

 

「それにしてもお線香ですか……」

 

「はい。あとはお花と……五供ってあと何でしたっけ?」

 

 妖夢の疑問に、慧音はスラスラと答えた。

 

「五供は香、花、灯明、水、飲食の五つですね。香はお線香、花は菊が一般的です。灯明は蝋燭等でよいでしょう」

 

「ふむ、なるほどなるほど……」

 

 妖夢は藍からもらったノートにメモを取る。

 

「五供……ということはお墓参りですか? もし差支えなけばどなたのお墓参りに行くかお聞きしても?」

 

「ああ、えっと。私の両親です。私が小さい頃に戦争で亡くなったみたいで。最近になって墓の位置がわかったんですよ」

 

 妖夢は外の世界の話は伏せつつ、ここ数日の経緯を説明する。

 慧音は相槌を打ちながら妖夢の話を聞いていた。

 

「なるほど、それでお線香を。非常に良いことだと思います」

 

「まあといっても私の記憶にない程度には昔の話ですので。大体六十年ほど前らしいです」

 

 六十年という言葉を聞いて、慧音は少し驚いたような顔をする。

 だが、軽い咳払いとともにすぐに元の表情に戻った。

 

「六十年前といえば、花の異変が起こった時ですね。あの時は幻想郷中の花が一斉に開花したのでかなり異様な光景でしたよ」

 

「へえ、花の異変ですか」

 

 幻想郷で起こった騒動のことを幻想郷の住民は異変と呼んでいるが、慧音の話の通りちょうど六十年ほど前に幻想郷中の花が一斉に開花するという異変が起こった。

 

「どうも外の世界から大量の幽霊が幻想郷に入り込んだらしく、あの時はあの世も相当混乱していたという話を聞きました」

 

「なるほど、外の世界から幽霊が……」

 

 帰ったら幽々子様に当時の話を聞いてみようと、妖夢は心にとめた。

 

「っと、話がだいぶ逸れましたね。お墓参りでしたらお花も必要でしょう。この時期ですので自分で摘むこともできますが、霧雨店の向かいに花屋がありますのでそちらで買われるのが良いと思います」

 

「えっと、菊の花……でしたっけ? 何か理由があったりするんですか?」

 

「単純に長持ちするというのが一つ。あと菊は邪気を払うとされているのでそのためでしょう。また、お墓にお供えする際は奇数が良いとされています」

 

「なるほど……」

 

 やはり教師という職業柄知識は豊富だと妖夢は単純に感心する。

 もっとも妖夢自身無知というわけでもなく、今まで知る機会がなかっただけだが。

 その後二人は小一時間世間話を交わし、またお茶をしようと約束して別れた。

 妖夢は慧音に教えられた店に向かって人里の通りを歩く。

 人里自体そう広くないこともあり、目的の店にはすぐにたどり着くことができた。

 

「ここがあの白黒の実家か」

 

 妖夢は少し遠目に里の大手道具屋、霧雨店を観察する。

 店構えはいたって普通で、店内には所狭しと商品が並べられている。

 中では気のよさそうな男性が商品を熱心に客に説明していた。

 

「お客さん目の付け所が鋭いねぇ! この商品は他の店のものとはものが違うよ!」

 

 妖夢は変に顔色を変えないようにしながら店内へと入る。

 中は思ったよりも広く、魔術的な何かかと妖夢は思ったが、単純に奥に広いだけだった。

 妖夢は店の商品を眺めながら目的のものを探す。

 展示の仕方が良いためか、目的の商品はすぐに見つかった。

 

「あった」

 

 妖夢は数種類ある線香の中から、一番高い商品を手に取る。

 物の善し悪しがわからない場合、取り敢えず一番高いものを買っておけばよいというのは、妖夢が数十年生きてきて見つけた一つの真理だ。

 と、妖夢は思っている。

 

「すみませんこれください」

 

「はいよ! 三銭ね」

 

 妖夢は財布を取り出すと、中を開けて少し固まる。

 財布の中には外の世界のお金が少しとクレジットカード、免許証が入っていた。

 

「えっと、こっちの財布じゃなくて……」

 

 妖夢は財布を一度仕舞い、幻想郷のお金が入っている巾着を探す。

 数回その場でジャンプし、音を頼りに妖夢は巾着を引っ張りだした。

 

「三銭三銭……っと」

 

 妖夢は巾着から一銭銅貨と二銭銅貨を取り出して店主に渡す。

 店主は銅貨を受け取ると、線香を手早く紙で包んで妖夢に渡した。

 

「まいどー! 今後とも御贔屓に!」

 

 店主に見送られて妖夢は道具屋を後にする。

 妖夢は店を振り返り少し考え事をした後、そのまま次の目的地へと歩を進めた。

 

 

 

 

「ただいま戻りましたー」

 

 もう日も暮れるという時間帯に妖夢は白玉楼の門を潜った。

 玄関で靴を脱ぎ、買ったものを自室に置くと、ついでに買った茶菓子を置きに台所に向かう。

 

「あ、すみません。ちょっと通りますよ」

 

 屋敷中の行燈や灯篭に火をつけて回っている幽霊の横を通り抜け、台所がある土間へとたどり着いた。

 台所では既に熟練の幽霊が料理を行っており、既に美味しそうな香りが周囲には漂っていた。

 

「あ、すみません。これまたいつもの場所にお願いします」

 

 半透明でぼんやりとしか実体がない幽霊に妖夢は饅頭の入った包みを渡す。

 幽霊は妖夢から包みを受け取ると、棚の奥の方に包みを置いた。

 

「さて、私は自室で明日の準備をしてきますので、料理のほうはよろしくお願いします」

 

 妖夢は深く頭を下げると、台所を出て自室へと戻る。

 白玉楼に仕えている者の中では妖夢は一番の若輩者のため、妖夢は屋敷に仕えている幽霊には自然と敬意を払っていた。

 現在白玉楼には妖夢の他に二体の幽霊が幽々子の世話や屋敷の清掃、料理などの家事を行っている。

 大きな屋敷に対して家事を行う幽霊が二体というのは少ないように感じるが、冥界にある白玉楼では、そもそも溜まる汚れというのも少なく、一番大掛かりな庭の手入れは妖夢が全て行うためそれほど仕事があるというわけでもないようだった。

 

「さて、必要なものは……」

 

 妖夢は今買ってきたものを畳の上に並べる。

 線香に菊の花、お供え物の煎餅にそれを置く半紙、蝋燭。

 水やそれを入れる桶は向こうで借りればいいだろう。

 

「あとそれと」

 

 妖夢は箪笥の奥に入っている正装用の紋付袴を引っ張り出す。

 黒一色のそれは半霊の紋が入っており、祖父である妖忌から冠婚葬祭用にと渡されていたものだった。

 

「虫食いとかは……まあ冥界に虫はいないか」

 

 妖夢は穴が開いていないか一通り観察すると、畳の上に並べる。

 

「お墓参りに行くだけだし、向こうの服装に合わせる必要はないよね?」

 

 そもそも妖夢自身外の世界の喪服がどのようなものかはわかっていなかったが、黒色の紋付袴は外の世界でも十二分に通用する喪服だった。

 

「さて、忘れ物もなさそうだし……」

 

 妖夢はもう一度畳の上に並べられたものを確認し、幽々子の様子を確認しに自室を後にした。




人里
 幻想郷で人間が集まって生活している里。逆に言えば、人里に住んでいない人間は大体普通じゃない。

上白沢慧音
 人里で寺子屋の教師をやっている半妖。人間と白沢のハーフであり、歴史を隠したり創造したりする程度の能力を持つ。また人柄もよく頭も良いため、里の人間からも慕われている。だが授業は難解でつまらないらしい。

稗田家
 幻想郷にて幻想郷の歴史を調べ、それを幻想郷縁起という書物として編纂している。また、その編纂作業を行うため、当主である稗田阿求は転生者であり、初代である阿礼から始まり阿求で九代目となる。

カフェの店員
 ここだけの設定だが、カフェの店員は幻想入りした外来人。

人里の貸本屋
 本居小鈴という少女が店番を行っている貸本屋。東方鈴奈庵という名前で書籍化されている。

霧雨店
 人里の大手道具屋であり、霧雨魔理沙の実家

霧雨魔理沙
 東方projectの主人公の一人。白黒の魔女服に身を包み、箒で空を飛ぶこてこての普通の魔法使い。

花の異変
 今現在花の異変というと東方花映塚の際に起こった異変を指すことが多いが、その異変が起こったのは2005年の五月。作中は2005年の四月のため、まだ起こっていない。ここで話している花の異変というのは六十年前に起こったものを指す。

幻想郷の貨幣価値
 ここでは明治時代の貨幣価値を適用。

白玉楼に仕える幽霊
 白玉楼には現在二体の幽霊が仕えており、妖夢が覚えている限り、増えたり減ったりすることなく、ずっと同じ幽霊が家事を行っている。


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第十一話「大変お世話になりました」

 桜の花びらが舞い散る白玉楼の庭を、妖夢は縁側に腰掛けてぼんやりと眺める。

 綺麗に整えられた枯山水に花びらが積もり、庭師の意図しない芸術を作り上げていたが、手入れをする妖夢からしたら作業量が増える要因でしかなかった。

 

「帰ってきたら手入れしないとな……」

 

 妖夢は手持ち無沙汰に腰に差した楼観剣の頭を撫でる。

 そしてふと思いついたかのように立ち上がると、桜の花びらが舞い散る場所へと移動した。

 

「よっと」

 

 妖夢は楼観剣を引き抜き、そのままの勢いで舞い落ちる花びらを斬り裂く。

 黒い紋付袴に白い髪、腰に差した二本の刀、そばで妖夢に合わせて動く半霊。

 

「あらよっと」

 

 演舞のように刀を振るい、その度に花びらが一枚斬れる。

 妖夢の気の抜けた掛け声のせいか締まっては見えないが、行なっていることは達人のそれだった。

 

「あら、楽しそうなことをしているわね」

 

「あ、幽々子様」

 

 先程まで妖夢が座っていた位置にいつのまにか幽々子が腰掛けており、妖夢の暇つぶしを楽しそうに眺めている。

 妖夢は腕を目一杯伸ばし器用に楼観剣を鞘に戻すと、幽々子のもとへと駆け寄った。

 

「そんな紋付袴持ってたのね。着てるとこみたことないけど」

 

 幽々子は妖夢の服装を物珍しそうに眺める。

 妖夢は少し恥ずかしそうに頭を掻いた。

 

「実は袖を通すのは初めてです。今まで着ることがなかったもので……」

 

「まあそうよねぇ。基本白玉楼から出ることもないのだし」

 

 妖夢は幽々子の隣に腰掛け、先程までと同じように庭を眺める。

 

「ねえ妖夢。貴方は今回の墓参りで、何か思うことはあったのかしら」

 

「思うこと……ですか。半ば義務的に始めた墓参りでしたので、割と淡々と墓を探していたように感じます」

 

 妖夢は視線を庭から自分の膝下へと移す。

 

「不思議と、物心ついた頃から親を意識したことはありませんでした。幽々子にお師匠様、屋敷にいる幽霊さん。それが私の周りの人達で私の世界は冥界の、白玉楼の中で完結していたので」

 

 妖夢は幽々子の方を少し窺い、また視線を庭に戻した。

 

「それは異変の後も変わってはいません。交友関係も少しは広がりましたが、あくまでそれだけ。狭い世界が少し広くなった程度です」

 

「まあそうよねぇ。でも、墓参りしてもらえるだけであの二人は喜ぶと思うわよ?」

 

「そういうものですかねぇ……」

 

「そういうものよ。私には子供はいないから偉そうなことは言えないけど。妖夢もいい男がいたらその刀でスパッとやって結婚しちゃいなさい」

 

 そう言って幽々子は刀を振るう真似をする。

 

「まだそこまでの練度には達してないです」

 

「じゃあ大人になるまでにはできるようにしておかないとね」

 

 幽々子の言葉に、妖夢は困ったように頭を掻く。

 妖夢自身異性と付き合う自分など、異次元の話すぎて全く想像が付かなかった。

 

「妖夢さん、お待たせしました」

 

 妖夢が男性を一刀両断している想像をしていると、庭の方の空間に隙間が開き、そこから八雲藍が出てくる。

 藍は妖夢の格好を上から下まで眺めると、感心したように数回頷いた。

 

「今回はその格好で行くんですね」

 

「親に会うのに変装していくわけにも行かないので。半霊だけどうしましょうか」

 

 妖夢は自分の横に浮かぶ半霊の尻尾を掴んで引き寄せる。

 

「幻想郷では普通の人間でもはっきりと見えますが、外の世界ではよっぽど霊感が強くなければ見えないと思いますよ」

 

 ならいいか、と妖夢は半霊を掴んでいる手を開く。

 半霊は数回妖夢の周りを逃げるように回ると、元の位置に戻った。

 

「忘れ物がなければ出発しますが……」

 

「あ、ちょっと待ってください」

 

 妖夢は履物を脱いで屋敷の中へと駆けていく。

 数分もしないうちに妖夢はリュックサックを抱えて縁側から庭に降りる。

 

「荷物に関してはお預かりしますね」

 

 藍は妖夢からリュックサックを取り上げると、隙間を開き中にしまってしまった。

 

「せっかく正装をしているのにリュックを背負っていくこともないですから。それでは向かいましょうか」

 

 藍は白玉楼に来た時と同じように空間に隙間を開く。

 妖夢は一度幽々子の方を振り返ると、何も言わずに隙間を潜った。

 

 

 

 

 隙間を潜った先は真っ暗闇の空間だった。

 夜目が効く妖夢でも一寸の先も見えないが、音の反響からそこまで広い空間でないことがわかる。

 

「さてっと……」

 

 藍の声が聞こえると同時に薄明かりが一つ狭い空間に灯った。

 妖夢は無意識にその光源を目で追う。

 

「部屋の明かりのスイッチは……、ここですね」

 

 藍はその決して明るくない光を頼りに部屋の明かりをつける。

 パチンという軽い音ととともに、人工的な光で室内は満たされた。

 そこは小さなガレージだった。

 中央には黒塗りのセダンが一台停まっており、車に全く詳しくない妖夢ですら高級な車なのだとわかるほどには気品がある。

 

「なんだか高そうな車ですね」

 

 妖夢は藍の方をちらりと見ながら呟く。

 藍は妖夢に合わせてか、いつの間にか紋付袴に着替えており、先ほど光源にしていた携帯電話を懐に仕舞いながら妖夢に答えた。

 

「実際結構高いですよ。まあ高いといっても所詮は車なので限度はありますが」

 

 藍はガレージの壁にかかっている車の鍵を手に取ると、鍵のかかっていない車の扉を開ける。

 妖夢もそれに倣って反対側の扉を開いた。

 

「それじゃあ出発しましょう。ここから大体車で一時間ぐらいですので」

 

 そう言って藍はエンジンをかけて車を発進させる。

 それと同時にガレージのシャッターが開き、太陽の光がガレージに差し込んだ。

 

「ここは……里?」

 

「まあ、里ってよりかは、住宅街といったところでしょうか。人の住む家が集合しているようなところです」

 

「なるほど」

 

 妖夢は京都の町並みとはまた少し違う住宅街の光景を眺めながら相槌を打つ。

 二人を乗せた車は、そのまま住宅街を抜けて山道へと入っていった。

 

 

 

 

 二人が延暦寺の駐車場に着いたのは、昼を少し過ぎたぐらいの時間だった。

 藍は駐車場に車を停めると、車から降りる。

 妖夢は刀が引っかからないように注意をしながら慎重に車から降りた。

 

「確か受付に言えば中に入れてくれると昨日言っていました」

 

「受付……あのチケット売り場でいいんでしょうか」

 

 藍は車に鍵を掛けると、そのまま受付のほうへと歩いていく。

 妖夢もすぐにその後を追った。

 

「すみません。白井さんに御用があるのですが、何か聞き及んでいますか?」

 

 藍は簡潔に受付に尋ねる。

 受付は何かの書類を確認すると、どこかに内線を掛けた。

 

「すぐに案内しますので少々お待ちください」

 

 受付の女性はカウンターのすぐ横を指し示す。

 藍は笑顔でお礼を言うと、妖夢と共に受付の横へと逸れた。

数分もしないうちに若手の僧侶が受付の横にある扉から現れる。

 

「魂魄様ですね。こちらにお願いします」

 

 若手の僧侶は妖夢と藍の姿を確認すると、受付の女性に声をかけ、そのまま受付の奥へと二人を案内する。

 

「白井大阿闍梨は大黒堂の前でお待ちになっております」

 

 若手の僧侶は事務的にそう言う。

 端的な言い方だったが、それだけ妖夢が今から訪ねる年老いた僧侶には客が多いのだろう。

 数分もしないうちに若い僧侶に連れられた二人は大黒堂と呼ばれるお堂へとたどり着く。

 大黒堂の前には年老いた僧侶が佇んでおり、じっと二人の到着を待っていた。

 

「すみません、お待たせしましたか?」

 

 妖夢は少し頭を下げながら年老いた僧侶に近づく。

 年老いた僧侶は妖夢の服装や見た目をちらりと観察すると、何か納得するように頷いた。

 

「なるほど。変装していたというのはこういうことですか」

 

 妖夢は年老いた僧侶にそう言われて改めて自分の服装を確認する。

 確かに今妖夢は一昨日訪れた時とは別人のように髪も服装も変わっている。

 なにより腰に差してある二本の刀は今の妖夢の服装にこそ合ってはいるものの、この現代日本ではあまりにも浮いていた。

 

「うーん、刀を差してきたのは失敗だったかもですね」

 

 妖夢は気合の入りすぎた自分の服装に少し恥ずかしくなったのか、軽く頭を掻く。

 

「いえ、そんなことありません。剣術家にとって刀は命。特に今回は参る相手も剣術家。是非後継者としての姿を見せてあげてください」

 

 ではこちらです、と年老いた僧侶は二人を連れて境内の奥へと歩き出す。

 

「そういえば、そちらの式神さんは?」

 

 年老いた僧侶は藍の方を伺いながら妖夢へと聞く。

 

「私が今回の墓参りでお世話になっている方の式神です」

 

 藍は年老いた僧侶に向かって小さく頭を下げる。

 どうやら藍自体名前を名乗るつもりはないようだった。

 

「なるほど、そうでしたか」

 

 年老いた僧侶は藍のこれ以上踏み込んで欲しくないという表情から察したのか、それ以上藍の素性を尋ねることはなかった。

 

「ここから先は山道になりますが、大丈夫でしょうか?」

 

 念のためといったニュアンスで年老いた僧侶は二人に尋ねるが、歩を止めないあたりあまり心配はしていないようだった。

 二人は静かに頷くと、年老いた僧侶の後を追って山道を歩く。

 数十分も人通りのない山道を歩いただろうか。

 

「ここですね」

 

 年老いた僧侶は何もなさそうな山道の途中で歩を止める。

 年老いた僧侶はそのまま道すらない藪へと進んでいった。

 妖夢は顔に枝が当たらないように気を付けながら僧侶の後を追うと、そこには山の斜面に巧妙に隠された古びた金属製の扉があった。

 

「貴方のご両親を埋葬してから月に一度ほど寺の者が手入れを行っています。もっとも、ここに眠っておられる方がどういった方なのか知っている者は少ないですが」

 

 年老いた僧侶は懐から大きな銀色の鍵を取り出し、金属製の扉に差し込み、引っかかりながらも時計回りに回す。

 ゴトンという重たい音と共に施錠が外れる音が響き、金属を引きずる音と共に扉は開いた。

 中は暗く一切の明かりもないが、外から差し込む光でぼんやりと中が照らされる。

 中には大きな石碑があり、その前には水鉢や花差しといったよくある普通の墓にあるようなものが備え付けられていた。

 

「ほう、なるほど。確かに結構しっかり手入れがなされているようで……妖夢さん?」

 

 藍はよく手入れされた墓の外見に感心していたが、ふと妖夢の様子を伺う。

 妖夢は墓をじっと見つめたまま、口をぼんやりと開けていた。

 

「まさか……、いや、でも」

 

 妖夢はブツブツと墓を見つめながら呟く。

 そのままゆっくり石碑へと近づいていき、冷たい石碑に手の平を当てた。

 

「白井さん。ここには私の両親の遺骨、もしくは体の一部が埋葬されているんですよね?」

 

 妖夢は石碑に手を当てながら年老いた僧侶に尋ねる。

 

「はい、遺骨を納骨してありますが……」

 

 妖夢は年老いた僧侶の答えを聞くと、確認するように藍に尋ねた。

 

「1945年。外の世界は戦争の影響で多くの戦死者が出た。外の世界に満ちた幽霊は溢れるように幻想郷へと迷い込んだ」

 

「そうですね。その幽霊が花に憑依したりして結構な大ごとになりました」

 

 妖夢は何かを確かめるようにもう一度石碑を見ると、数歩後ろに下がり静かに手を合わせる。

 そしてそのまま何事もなかったかのように墓の掃除を始めた。

 

 

 

 

 墓参りを終えた妖夢は藍と年老いた僧侶と共に駐車場の前まで戻ってきていた。

 妖夢は別れ際に年老いた僧侶に深々と頭を下げる。

 

「今まで両親の墓を大切に管理して頂きありがとうございました。これからもよろしくお願いします」

 

「いえ、こちらも貴方のご両親には大変お世話になりましたので」

 

 年老いた僧侶は何かを懐かしむように妖夢を見ると、にこりと微笑んだ。

 

「それでは、私たちはこれにて失礼させていただきます。貴重なお時間を頂きましてありがとうございました」

 

 藍は年老いた僧侶にそう言うと、車の鍵を開けて運転席に乗り込む。

 妖夢はもう一度小さく頭を下げ、後ろの席に刀を放り込むと助手席に乗り込んだ。

 

「それでは幻想郷に帰りますが、何か心残りはありませんか?」

 

 藍は横目で妖夢の様子を伺いながらそう尋ねる。

 妖夢は少し考えこんだが、軽く首を振って答えた。

 

「いえ、大丈夫です。そのまま幻想郷に帰りましょう」

 

 藍はちらりと妖夢の白い髪を見て、何事もなかったかのように前を見る。

 そして車のエンジンを掛けると、駐車場を出て山道を走り始めた。

 

「なんにしても、無事にご両親のお墓が見つかってよかったですね」

 

 藍は山道に合わせてハンドルを切りながら妖夢に尋ねる。

 

「はい。思ったよりもちゃんと管理されていてびっくりしました。あの寺の方に感謝しなくてはいけませんね」

 

 妖夢は藍の言葉にそう答えたが、どこか上の空だった。

 藍はそんな妖夢の様子に少々首を傾げつつも、話を続けた。

 

「この後はそのまま白玉楼に送り届ける形でよろしいですか? それとも、どこか寄りたい場所はあります?」

 

「いえ、そのまま白玉楼で大丈夫です」

 

 藍は妖夢のそんな淡泊にも聞こえる返事を聞くと、道の曲がる方向とは反対にハンドルを切る。

 車は道を外れ木々の間を物凄い速度で走り抜け、道路が見えなくなったところで藍は車を止めた。

 

「さて、では白玉楼に戻りましょうか」

 

 藍は車から降りると空間に大きな隙間を開ける。

 妖夢は車から降りると、もう慣れたものだと言わんばかりに隙間に飛び込んだ。

 

 

 

 

「……っと」

 

 妖夢は白玉楼の庭に両足で着地する。

 後ろを振り向くと、そこにはもう隙間は存在していなかった。

 

「あら妖夢ちゃんおかえりー」

 

 声を掛けられ振り返ると、そこには縁側でお茶を飲んでいる幽々子と紫の姿があった。

 

「ただいま帰りました。幽々子様、紫様」

 

 妖夢が縁側に近づくと、紫が意味ありげに微笑む。

 

「墓参りはできたのかしら」

 

「紫様、貴方は分かっていたのですか?」

 

 紫の質問に、妖夢は質問で返す。

 紫は口元を扇子で隠しながらクスクスと笑った。

 

「いいサプライズだったでしょう? 妖夢ちゃんがお墓を見つけられなかったらどうしようかと思ったわ」

 

 妖夢は文句ありげに紫に対し頬を膨らませたが、紫は意にも介していないようだった。

 

「あら二人で楽しそうねぇ。なにかあったの?」

 

 幽々子は妖夢のふくれっ面を見ながら紫に聞く。

 

「なんにもないわよ。私はただ妖夢ちゃんのお墓参りを手伝っただけ。妖夢ちゃんは勝手にお墓参りに行っただけ」

 

「なによけちー。妖夢、それでちゃんとお墓参りはできたのよね?」

 

「あ、はい。ちゃんとお墓参りしてきました。お供え物して、墓を掃除して……」

 

 妖夢は思い出すようにブツブツと呟く。

 そんな様子の妖夢に対し、幽々子は小さくため息をついた。

 

「そうじゃないわ。私はちゃんと貴方が貴方のご両親を弔うことができたのかと聞いているの」

 

 妖夢は幽々子のそんな言葉を聞いて、少し目を丸くする。

 そしてふと我に返ったかのように慌てて返事をした。

 

「……っ! はい、それは勿論」

 

「ならよし。それじゃあご飯にしましょうか。その前に袴を着替えてらっしゃい」

 

 幽々子はそういうと、ふわふわと屋敷の中へと飛んでいく。

 妖夢は幽々子の背中を見送ると、紫に正対した。

 

「紫様、改めて今回はありがとうございました。大変お世話になりました」

 

「私と妖夢ちゃんの仲じゃない。いいのよこれぐらい。それじゃあ、私ももう行くわね」

 

 紫は自分の座っている足元の地面に隙間を開くと、すっと立ち上がる。

 そしてそのまま隙間の中へと落ちていった。

 夕日が差し込む白玉楼の庭に、妖夢一人が取り残される。

 夕食の準備は既に済んでいるのか、幽霊二体が庭の石灯篭に火を灯して回っていた。

 妖夢は縁側に座り込み、ぼんやりと二体の幽霊を眺める。

 姿かたちがはっきりしない幽霊二体はふわりふわりと庭を飛びながら競い合うように石灯篭に火を灯していく。

 何気ない普段通りの光景だが、妖夢には不思議と二体、いや二人の幽霊が寄り添い合うように飛んでいるように見えた。

 

「……ただいま。お父さん、お母さん」

 

 妖夢は小さい声でそう呟くと、赤みが差した頬を隠すように自室へと駆けた。

 

 

 

 

 妖夢は外の世界にある両親の墓参りに行ったようです。

 

 

 

 妖夢は外の世界にいた両親の墓参りに行ったようです。




 どうも、へっくすん165e83です。妖夢が外の世界にある両親の墓参りに行くようです、これにて完結でございます。ここまでのご愛読ありがとうございました。

Q 結局この話ってどういう話だったの?

A 両親の墓参りに行ったけど、実はずっと一緒に暮らしていたって話

 最後にこの話の裏設定をつらつらと書き連ねていきたいと思います。



魂魄妖夢
 今作の主人公にして白玉楼の庭師。白玉楼に仕えている幽霊のことはぼんやりと姿が確認できるだけで、その幽霊が自分の両親とは露とも知らず六十年一緒に生活していた。墓参り後、二人が自分の両親と気が付いた後も二人にはそのことを話さず、胸の内に秘めながら生活を送ることにした。

魂魄妖磨
 妖忌の息子であり妖夢の父親。幻想郷に結界が張られる前から道場で剣術を教えており、戦時中は軍の幹部要員に向けて剣術の指導を行っていた。
 戦況が悪くなり、ついに軍から召集命令が掛かる。妖夢を父である妖忌に任せ、沖縄へ。本土防衛に向かう。

魂魄夢乃
 妖夢の母であり、後天的な半人半霊。妖磨と共に数百年を生きており、妖磨の妻であり一番弟子でもある。妖磨が戦争へ赴く際に一緒に戦うためについていった。

両親の死と花の異変
 妖磨と夢乃は凄惨な沖縄戦で奮闘するのものの、最終的には戦死。世界に溢れかえる幽霊の流れに任せて漂っていると、花の異変に巻き込まれいつの間にか幻想郷へと迷い込んでいた。閻魔、四季映姫・ヤマザナドゥの裁きを受け、輪廻転生待ちとして冥界へ。二人は転生を待つ間白玉楼で静かに我が子の成長を見届けようと従者として働き出した。


魂魄妖忌
 妖夢の祖父であり妖夢の父。白玉楼に妖磨と夢乃の幽霊が来たときは相当驚いたが、結局のところ半人半霊が全霊になっただけなのでそこまで気に留めることでもないと思い直し白玉楼の従者として向かえ入れる。

西行寺幽々子
 二人の幽霊が妖夢の両親であることを知っており、妖夢も知っているものと思っていた。なので妖夢が墓参りの話を出した時も「あ、お墓の手入れに行ってくるのねー、仕事が忙しくなる前に休暇がてらいってらっしゃーい」ぐらいの感覚。

八雲紫
 二人が両親であることも、妖夢が気が付いていないことも、妖夢が両親の墓に残る霊気を感じ取って気が付くことも全て想定して陰から覗いていた今回の黒幕。

八雲藍
 純粋な気持ちで妖夢の墓参りを手伝っていた優しい式神。紫の使いで外の世界に頻繁に赴いており、各地に隠れ家や車を所持している。

上白沢慧音
 花の異変の話題が出したかったから出した。それだけ



素晴らしきモブたち(代表選出)

タクシーの運転手
 京都でタクシー会社を経営している男性。妖夢の足&案内役として登場。便利な相談役

初老の男性
 資料館に勤める初老の男性。妖夢に情報と地図を与える役

女性三人組
 八坂神奈子と洩矢諏訪子と東風谷早苗。純粋に京都に旅行に来ていたちょい役。出した意味は特になし

ホテルのカップル
 外国人のようだが、実は二人とも日本語が堪能。リアフォードホテルの関係者だが、ホテルの経営には全く関わっていない。

運転手の青年
 足件、相棒件、リアクション役。実は最後に紫によって記憶が消されているかわいそうな人

老人
 戦時中から生きている剣術家。そこそこの腕。妖磨や夢乃と面識があり、延暦寺までの道しるべ役

年老いた僧侶
 モデルは酒井大阿闍梨。妖磨の弟子であり、戦後妖磨と夢乃の葬式を取り仕切った。剣術の腕は伝説級であるが、人前ではめったに刀を握らない。最初は黒髪で半霊も従えていない妖夢に対し疑念を持っていたが、刀の実力を見て妖夢本人だと悟る。二回目に会った時には白髪に半霊を従えていたので確実に本人であると確信した。彼は紫に記憶を消されていない。


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