スカイダイバー (高田正人)
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第1話:Transfiguration

 

 

◆◆◆◆

 

 

 “野武士”は下層都市「ボーダーライン」にあるハッカー専門のバーだった。さして広くもない暗い店内は、娯楽薬物の煙の刺激臭と、漏電した配線の焦げた臭いと、合成アルコールと人間と〈異族〉の体臭で満たされている。エルフが飲んだくれ、フェアリーの給仕がスシもどきを客に投げつけ、〈旧人〉が頭のイヌに似た耳を掻きつつ床で寝ている。

 

 仮想スクリーンに写るアイドルを礼拝するハッカーたち。賭けに負けて武器を差し出す機甲ガーディアン。舌戦を繰り広げている違法テクノロジストと急進的リビジョニスト。騒音。とにかく騒音。まさにここは、ボーダーラインの縮図だった。けれども、突如店内が静まりかえった。全員の目が、ドアを開けて入ってきた二人の人物に注がれている。

 

 一人は礼服を着た長身の青年。一目見て〈人造〉だと分かる人工的な整った造作をしている。彼が執事のようにしてそばに控えるのは、一人の小柄な少女だ。華奢、という言葉を体現したような姿。細く長い銀髪。雪のように白い肌と、折れそうなくらいに細い肢体。手には凝った装飾の杖。身につけているのは、明らかに上層都市の学校の制服だ。

 

 伏し目がちの目の色は薄い赤。華奢な肢体に釣り合うかのように、彼女の容貌は優しく儚げだ。薄い唇と細い眉。清楚で可憐なその顔立ちは、あたかもガラス細工のバラのようだ。こんな無防備な少女が下層都市をうろついてたら、速攻で身ぐるみはがれて売り飛ばされ……はしないものの、誰も相手にしない。どう見ても馬鹿丸出しの観光客だからだ。

 

 自分の人造を隣に控えさせた少女は、周囲の好奇と嘲笑の視線を完全に無視し、杖をつきつつカウンターに近づいた。

 

「こんばんは、素敵なバーテンダーさん」

 

 甘やかな彼女の声をかけられたオーガのバーテンダーは、露骨にため息をついた。仕事中に突然やって来た親戚に赤ん坊の世話を押しつけられたら、きっと同じトーンのため息をつくだろう。

 

「注文は?」

 

 嫌々尋ねたバーテンダーに対し、少女はにっこりと可愛らしく笑って言った。

 

「ダーティー・オールドマンをノンアルコールで下さいな」

 

 彼女の返答に周囲は爆笑した。その名のカクテルは、名前の通り下品で粗雑な味の代物だ。およそ少女が口にする代物ではない。ましてノンアルコールは、酒の代わりに入れるある液体が凄まじいのだ。

 

「ねぇ~え、お嬢ちゃん、ちょっといいかしらぁ~?」

 

 一通り皆が笑い終えた頃、一人の襟ぐりの深いドレスを着た化粧の濃い女性が少女に近づく。一見すると娼婦のように見えるが、実はこの店の用心棒である。

 

「パパとママの眼を盗んで、こっそりいけないことをしようって気持ちはよく分かるわぁ~。でもぉ、ちょっとイキがりすぎじゃなぁ~い?」

 

 ねちっこく話しかけつつ、用心棒の女性は腕を少女の肩に回して顔を近づける。

 

「あんまり悪いことしてると、お姉さんが怖いところにご案内しちゃうわよぉ~?」

 

 女性は自分の片手を見せつける。あちこちに走る生体パーツの境目。戦闘用〈機体〉、つまりサイボーグの証である。こんな少女など、子猫同然に弄べる腕力の持ち主だ。

 

「そりゃ困るな」

 

 次の瞬間発せられた声に、機体の女性は自分の強化された聴覚を疑った。確かにその声は少女のそれだ。声紋も一致する。

 

「え……?」

 

 しかし、その声音は違っていた。少女が杖をカウンターに立てかけ、女性を一瞥して笑う。先程のような可憐で上品な笑みではない。サメのような挑発的な笑み。わずかに動く少女の指先と揺らぐ光線。そして――

 

 女性の両腕の付け根。ちょうど肩の関節がある部分。そこの生体パーツの境目が一瞬光った。続いて、何かが落ちる音。

 

「そんなぶっそうなものを突きつけられたら、おちおち飲んでられないな」

 

 床に落ちたのは、女性の両腕だった。切断されたのではない。勝手に生体パーツがメンテナンス状態になり、両腕が取りはずされたのだ。

 

「……なっ!! えっ! な、なんでっ!?」

 

 血は一滴も出ないが、無骨な接合面が露わになった女性は、大慌てでしゃがみ込むと体をねじって腕をはめ込もうとする。だが接合できない。関節が休眠していて、肩からの信号を受け付けない。対象を破壊するのではなく〈構文〉や〈整式〉に侵入して掌握する〈数理〉。――すなわちハッキングだ。

 

「おいおい、何やってるんだ? ここは機体専用クリニックじゃないぞ?」

 

 どうにかして腕を元に戻そうと悪戦苦闘する女性を、少女はカウンターに寄りかかってあざ笑う。先程までの清楚で儚げな様子はどこへやら。そこにいたのは、嘲笑されたら倍返しにすることをためらわない、凶暴な一人のハッカーだった。

 

 けれども。

 

「おい」

 

 少女が顎をしゃくると、そばに控えていた人造が動いた。女性の両腕を拾い上げると、女性の肩にはめ込んだ。再び光の線が踊り、すぐさま少女の指に戻る。

 

「ほら、もう大丈夫だ。それと、関節のフィードバック構文が少し劣化してるから治しておいたぜ。笑えるもの見せてくれたから特別にタダだ」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 




 ジャンルをSFにしようかファンタジーにしようか迷いましたが、本編に出てくる〈数理〉が科学的根拠のない超常現象のため、ファンタジーとなりました。


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第2話:Transfiguration2

 

 

◆◆◆◆

 

 

 粗野に笑う少女の隣で、用心棒の女性は接合した両腕を呆然と動かしてから、きっと彼女を睨んだ。

 

「あ、あなた……!」

 

 さらに言葉を続けようとした女性を手で制し、少女はやってられないと言わんばかりに天を仰いだ。

 

「なんだよ、この店は注文しても代わりに説教が出てくるのか? いつからグレートマザー教会がここを乗っ取ったんだよ」

 

 苛立たしげに少女はカウンターを拳で叩く。

 

「もういい。ちょっと借りるぜ」

 

 少女がそう言い放つのと同事に、向こうに立っていた接客用の人造が突然動き出した。カウンターの中に入ると、勝手にボトルを物色し始める。

 

「お、おい!」

 

 少し遅れてオーガのバーテンダーが反応した。

 

「なんだよアンタ! なんでうちの人造を……」

 

 バーテンダーが驚くのも無理はない。この店のハッカー対策のセキュリティは万全である。けれども、それらの防犯機能を軽々とかいくぐって、この少女は自分の意のままに店の人造を操っている。そもそも少女は、情報デバイスである〈教書〉さえ開いていない。その技量に空恐ろしささえ覚えて、バーテンダーは少女を見る。

 

「あら、心外です。あなたがずっとぼんやりしていて、いつまで経っても私のオーダーを作って下さらないからですよ」

 

 対する少女の口調は、いつの間にか元に戻っていた。先程の凶暴さは鳴りをひそめ、今は小さな淑女の顔ですましている。そうしているうちに、少女のハッキングした人造は彼女に完成品を差し出した。

 

 ノンアルコールのダーティー・オールドマン。何種類かの天然果汁ゼロのジュースは、単なるカモフラージュ。その本命は合成アルコールの代わりに混入している「エッセンス」だ。果たして何から抽出したのか。それを敢えて下層都市の住人は詮索しない。だが、誰もが予想している。――あれは最下層の汚水に多数生息する、軟体動物の体液だ、と。

 

「これこれ、この下水道にたまった汚泥のような下品さ。ずっと飲みたくてたまらなかったんです。懐かしの味、とはまさにこれですよね。では、いただきます」

 

 沈殿した謎の液体が混ざって不気味な色をしたそれを、少女は受け取ると同事にうっとりとした表情で匂いを嗅ぐ。鼻を突く異臭がするはずだ。

 

「ボーダーラインに乾杯」

 

 少女はグラスを掲げてそう呟き、次いでひと息で飲み干した。固唾を呑んで、誰もが少女の動向を見守っていた。

 

「――――あ」

 

 そして間髪入れずに、少女の目から焦点が失われた。大方の予想通りかどうかは不明だが、とにかく少女はものの見事にぶっ倒れた。たった一杯で即気絶である。……しかしなぜか、その表情はとてつもなく嬉しそうだった。

 

 

 

 

 上層都市「スカイライト」。「グレートウォール」によって下層都市ボーダーラインから隔離された、優良な市民の住まう場所。狂った情報科学と汚濁の支配する下層都市とは違い、この都市は自由競争こそを至上とする企業の戦場とはなっていない。人も、エルフやドワーフなどの異族も、この都市では安寧と平穏を満喫している。

 

 さんさんと降り注ぐ日光。庭園の芝生と常緑樹の鮮やかな緑。爽やかな朝の空気。聖アドヴェント女学院の典雅なデザインの校門を、今日も良家の子女たちが上品な挨拶と共にくぐっていく。汚染も猥雑も退廃もない、絵に描いたように上等な朝の生活の一コマ。

 

「おはようございます」

「あら、ご機嫌よう」

「今日もよいお日柄ね」

「お会いできて光栄ですわ」

「まあ、喜ばしいことね」

 

 生徒たちの可憐な肢体を彩る制服。清純さを引き立てつつ、わずかなおしゃれやアレンジもちゃんと許す寛容さを内包したデザイン。スカイライト随一のお嬢様たちが通う学校、聖アドヴェント女学院の生徒たちは、今日も優雅で淑やかだった。たった一人を除いて。

 

(頭が痛い……)

 

 寮を出て校舎へと向かう通学路を、俺はたった一つのことだけを考えて歩いていた。頭痛。その二文字が今の俺の全部だ。今のこの体じゃ、酒なんて一滴舐めただけで卒倒するのは確実だ。だからダーティー・オールドマンをノンアルコールで呑んだんだが、結果は多分二日酔いより悪い。懐かしの味との邂逅は、最悪しか残らなかった。

 

 ただでさえ細くて弱くて虚弱そのものの体が悲鳴を上げている。ふらつく両脚を何とか制御して歩く。杖をつく手に力が入らない。俺の隣を、絵に描いたようなお嬢様の生徒たち通り過ぎる。満面の笑みで挨拶してくるから、こちらも何でもない風に頭を下げてやった。我ながら、化けの皮が厚くなってきたのが分かる。

 

 そう。昨日バーで一杯引っかけた女はこの俺だ。口調で分かるだろうが、俺は元々は男で、下層都市じゃ腕の立つハッカーだった。それが何の因果か、今は上層都市でお嬢様たちと一緒に勉学に励む身だ。笑えるだろう? これは俺の――シェリス・フィアの物語。下層都市のハッカーが、お嬢様のペルソナを取り繕って悪戦苦闘する物語だ。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第3話:Knight hood

 

◆◆◆◆

 

 

「あら、おはようございます、シェリスさん」

「おはようございます、先輩」

「お体の調子はいかがですか?」

「ええ、お気遣いありがとうございます」

 

 寮から自分の教室まで、いったい何度俺は同じ挨拶を繰り返さなくちゃいけないんだ? どいつもこいつも、判で押したように人の体調を心配する。そんなに俺は死にそうな顔をしてるのか?

 

 内心の苛つきはとうの昔に頂点に達しているのだが、俺は完璧に「病弱でか弱く穏やかな少女」を演じきっている。これは俺の演技力のおかげじゃない。俺に刻み込まれた矯正整式のせいだ。こいつが俺の言動のほぼすべてを規制しているせいで、俺はお淑やかにしていられる。憎まれ口一つ叩けない凄まじい息苦しさ。想像以上にこいつは苦痛だ。

 

「……あ」

 

 指一本動かすだけで矯正される鬱陶しさと、昨日呑んだ劇物が化学反応を起こし、俺はふらついた。握力が消失し、杖を手放す。俺の人造は自室で整備中だ。支える奴は誰もいない。

 

(また周りがうるさいだろうな……)

 

 俺が他人事みたいに思いつつ、自分の体が倒れていくのを感じていたその時。

 

「――大丈夫ですか、シェリスさん!?」

 

 耳元で聞こえる頼もしい少女の声。それと同事に、脱力していた俺の体が優しく抱きとめられる。けれどもまだ、足に力が入らず立てない。それに気づいたのか、俺に触れた手は離れることなく自然な形で全身を抱きしめる。人肌の感触とぬくもりが不快だ。

 

「すみません、驚かせてしまったでしょうか?」

 

 俺の顔を声の主の少女がじっと見ていた。

 

 編んで長く垂らした髪の色は、目を奪われるほどに鮮やかな金。意志の強さを感じる碧に輝く目。健康的にほどよく色の付いた白い肌。見ようによっては中性的にも感じるが、確かに女性らしい淑やかさを失わない容貌。背も高いし俺を抱く腕に力も感じるので、一件美少年にも見間違えそうにもなるが、着ているのは俺と同じ女子の制服だ。

 

「あ、いえ……どうもありがとうございます」

 

 俺は矯正整式に沿った穏やかな声で少女に礼を言う。男装したら絶対似合う美形の少女の腕に抱かれるという、この学院の女子たち垂涎のシチュエーションだが、あいにく俺は何とも感じない。俺はこんな姿だが今もハッカーだ。ハッカーにとって、肉体なんてどれもこれも下らない贅肉でしかない。

 

「立ちくらみですか?」

「ええ、恥ずかしながら」

 

 俺は矯正整式に沿って、頬を赤らめてうつむく。以前の男だった俺がやれば吐き気がするほど気色悪い仕草が、今の女の俺がやれば様になるのが想像できて恐ろしい。

 

「あはは、私にそんなにかしこまらないで下さい。同級生じゃないですか」

 

 少女はあくまでも爽やかに笑う。憎たらしいくらい爽やかに。

 

「では……お言葉に甘えて」

「はい、どうぞいっぱい甘えて下さい」

 

 何がおかしいのかくすくす笑う少女に、俺はわざとしかめ面を作って言い放った。

 

「ストリンディさん、いつまで私のお尻を撫でているつもりなの?」

「えっ? あ、ああっ! す、すみません!」

 

 効果覿面。少女は一気に顔を真っ赤にし、慌てて俺をそっと立たせてから手を離す。

 

 ストリンディ・ラーズドラング。女子校の聖アドヴェント学院における女子の王子様。騎士として日々研鑽を重ね、誰よりも高潔に振る舞い文武両道にして非の打ち所のない模範的な生徒。簡単に言えば、こいつは俺とは正反対、対極に位置するような優等生だ。だからこそ、俺としてはついつい意地悪に振る舞いたくなる。

 

「ええと、たまたま私の手がお尻の位置にあっただけですが、その、配慮が足りず申し訳ありません!」

 

 必死になって謝る優等生を見て、俺も少しは頭痛と不愉快さがおさまっていく。

 

「……あ、あはははっ!」

「シェリス……さん?」

 

 急に笑い出した俺を見て、きょとんとするストリンディ。

 

「大丈夫よ。嫌に思ってないわ。安心して」

「ではどうして……」

「冗談よ冗談。あんまりあなたが物語のナイトみたいに完璧そうに見えたから、ちょっとからかっただけ」

 

 俺のこいつに対する不快感を、矯正整式は聞こえがいいように翻訳する。

 

「も、もう……シェリスさんは意地悪です」

 

 俺がこう言っても、ストリンディは困った顔をするだけで怒りはしない。

 

「でも、助けてくれてありがとう。その気持ちは本当よ」

 

 俺が一歩下がると、わずかなふらつきに気づいたのか、ストリンディは心配そうな顔になる。

 

「もう大丈夫ですか? 医師を呼んだ方が……」

「平気よ。体が弱いのは仕方がないことだから」

「ですが……」

 

 まだこいつは食い下がる。なので俺は恥ずかしそうな顔で囁く。

 

「その……あんまりお医者様でも、肌を見せたり触られるのは恥ずかしくて……」

「あああっ! すみません、私ったらまたデリカシーのないことを!」

 

 また頭を下げて謝るストリンディを、俺は「本当は恥ずかしいけれど、こうして皆の王子様を独占できる機会を嬉しく思う少女」を演じつつじっと観察していた。品行方正で清廉潔白な騎士。つまり俺からすれば、実に蹂躙しがいのある企業の防壁とまったく変わらない存在だ。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第4話:School marm

 

◆◆◆◆

 

 

 教卓で、白髪の女性教師がまじめくさった顔で数理について説いている。

 

「これが基礎的数理のアーキテクチャとなります。続いて……」

 

 生徒たちはそろって机に向かい、教師の言うことを一言も聞き漏らすまいと、熱心に教書を開いてペンを走らせている。退屈だ。さっきから延々と続く授業の内容は、俺からすれば時代遅れも甚だしい低レベルだ。

 

 片手間どころか寝ながらでも解ける数理を、まるで難解な理論のように論じているのを見ると、笑いを通り越してため息が出てくる。

 

「……退屈なお話ですこと」

 

 俺はとうとう内心を口に出してしまった。前の生徒たちが振り返り、びっくりした顔をする。睨んでやりたいが、その行動は矯正数式に引っかかるため、俺はすました顔しかできない。

 

 平然としている俺を見て、生徒たちはひそひそと囁いている。

 

「それではシェリスさん、質問です」

 

 いきなり、教師が俺を指した。

 

「はい、どうぞ」

 

 おおかた、授業中に私語を口にした俺をたしなめる目的だろう。

 

「第三肯定数理における遊離構文についてですが……」

 

 聞いていて俺は内心鼻で笑った。何だその単純な問題は。

 

「こちらに整式をどうぞ」

 

 教師が招くが、俺は首を左右に振る。

 

「いえ、必要ありません」

 

 代わりに俺は片手を伸ばした。その指先から〈有線〉が飛ぶ。こいつは思考フィラメントで構成された疑似物質で、ハッキングを行う際の媒体となる。宙を這うそれを教師の持つチョークに接続すると、手から奪い取って仮想スクリーンに整式を記していく。

 

「――いかがでしょうか?」

 

 書き終えた俺は、チョークを教師の手に戻すと有線を引く。その場から一歩も動かずに解答した俺を見て、教師はあっけにとられていた様子だったが、やがてうなずく。

 

「……正解です、よくできました」

 

 歯切れの悪い口調だ。

 

「補足が必要ですか?」

 

 俺がわざと問うと、教師は露骨に目を逸らした。

 

「いいえ。さあ、次に進みましょう」

 

 けれども、授業はそのまま何事もなく再開というわけにはいかなかった。

 

「では、続いてストリンディさん、質問です」

 

 続いて教師が指したのはストリンディだった。

 

「……ストリンディさん?」

 

 しばしの沈黙の後……

 

「は、はいっ! な、何でしょうか!?」

 

 俺の斜め後ろの席から、大慌てでストリンディが返答した。かなりうろたえている。

 

 俺は手元の教書を開き、ペンを走らせる。教室の固有情報網を経由して、ストリンディの教書に無断アクセス。中身をのぞき見てみた。授業の記録は途中で途絶えている。さては居眠りしてたな。

 

「――この整式の形態は何でしょうか?」

 

 質問を終えた教師が促す。ストリンディは慌ただしく教書の仮想ページをめくっているが、答えは出てこない。

 

 ちょっと恩を売ってみるのも一興だ。俺はすかさず回答を私信にしてストリンディの教書に送り込む。自動的に開封する仕様にしたから、開く手間も省ける寸法だ。次に教室の天井に設置された監視カメラをハッキングする。映像を直接脳内に投影し、ストリンディの動作を注視する。拡大した映像の中、ストリンディは自分の教書を見たように思えた。

 

 しかし――

 

「申し訳ありません、少し寝ていました。分かりません」

 

 ストリンディはそう言うと、頭を下げて謝った。

 

「次からは注意して下さいね」

 

 言い訳せずに自分の落ち度を認めたストリンディに、教師は優しく注意する。

 

「はい、気をつけます」

 

 釈然としない俺の内心をよそに、ストリンディは悄然としつつも落ち着いた様子で前を向いていた。

 

 

 

 

「シェリスさん、先程は助力をありがとうございました」

 

 授業が終わるとすぐ、俺はストリンディに声をかけられた。

 

「あら、一応見てくれたようね」

「ええ、驚きましたよ。いきなりシェリスさんから答えが送られてきたんですから」

 

 俺はストリンディの顔を見つめ、彼女も俺の顔を見つめる。怒ってはいないようだ。ひたすら真面目な顔をしている。

 

「私の回答が間違ってると思ったのかしら?」

「いえ、そうではありません」

「でしたら……」

 

 俺の言葉を遮り、ストリンディは首を左右に振る。

 

「答えを盗み見てはカンニングのようなものです。それに、授業中に居眠りしていたのも事実です。不正はよくありませんから」

 

 怖じることなく、ストリンディははっきりと俺にそう言った。

 

「――なるほど。高潔でいらっしゃるのね」

 

 ややあって、俺は何とかそう言えた。

 

「そうありたいと願う身です」

 

 どこまでも実直に、ストリンディは答える。人間を相手にしているというよりは、むしろ人造に話しているかのようだ。

 

「けれども、あなたの好意には感謝しています。それだけは知っていただきたかった。それでは」

「ええ、ご機嫌よう」

 

 一礼してから去っていくストリンディの後ろ姿を見つめつつ、俺は内心床に唾を吐き捨てたくて仕方なかった。こいつはとことん俺と相容れないだろう。正義を信じ、高潔を美徳とし、優雅で健全。意地悪に振る舞うのも、恩を売るのも結局は同じことだ。俺はこいつを無視できない。どう足掻いても、こいつの一挙一動が気になって仕方がないのだった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第5話:From the first

 

 

◆◆◆◆

 

 

 強固な数理によって周囲から秘匿された個室。窓の外は上層都市の古典的建築物を見下ろす絶景。俺がベッドに腰掛けていると、ノックの後ドアが開いた。

 

「気分はどうだね、シェリス・フィア」

 

 入ってきたのは、金縁の眼鏡をかけ、髪を七三に分けた不気味なほど無個性の男だった。

 

「これ以上ないくらいに最悪と言っていいわ」

 

 俺は自分の口から発せられた言葉に、耳を疑った。自分の言葉が勝手に添削され変えられる。

 

「……矯正整式。それも重犯罪者が法廷で証言する際に課すようなすこぶる付きの強力な代物ね」

「そのとおり。その整式は、企業が用いるレベルの戒護が設けられている。君は単身で企業の防壁を突破できるとうぬぼれてはいないだろうね」

 

 俺は口を閉じて男を睨む。いや、きっと眉をやや寄せた程度の表情だろう。

 

「……本当に悪口は何一つ言えないのね」

「当然だろう。今の君の顔でかつての君が喋ったら悪趣味以外の何ものでもない」

 

 男は平然と言い、近くの椅子に座る。

 

「自己紹介しよう。俺はエードルト。そして俺たちは『シーケンサー』という」

「聞いたことがない名前ね。何者かしら。教区カルテル? 四鏡会? まさかRONIN連合?」

「知る必要のない情報だ」

 

 予測通りの返答だった。

 

「我々は君の雇用者であり、恩人でもある。君が今こうしていられるのは、我々が新しいボディを与えたからだ」

「人を牢獄に閉じ込めておきながら、恩人とは笑える話ね」

「牢獄とは心外だ。鏡を見たまえ」

 

 そう促され、俺の視線が鏡の方に向く。鏡に映っているのは、高級そうなネグリジェを着た銀髪の少女だった。

 

「今までの野卑な男性だった君より、今の可憐な君の方がずっと素敵だろう?」

 

 エードルトの言葉に、俺はため息をついた。

 

「あなたこそ悪趣味ね。ええ、本気で嫌いになりそう」

 

 矯正整式が許した表現で、これが精一杯の抗議だった。

 

 

 

 

「……最悪の夢」

 

 俺はベッドから起き上がった。視線だけで信号を飛ばして教書を開き時刻を確認。深夜二時半。場所は寮の自室。また、この体になった時の夢を見た。裸足で床を歩きながら、寝間着を脱いで放り投げる。寝汗で体に張り付いた下着も、同様にその辺に脱ぎ捨てたまま。衆目はないから、だらしなく振る舞っても矯正整式は反応しない。

 

 

 

 

 ――夢が記憶の呼び水となる。

 

「率直に言おう。君は間違いなくクズだ」

 

 あの邂逅からしばらく後。エードルトは額に青筋を浮かべて俺を睨みつけていた。場所は上層都市の洒落たオープンカフェだった。

 

「お褒めにあずかり光栄ですわ」

 

 エードルトの怒りで赤らんだ顔が傑作で、俺はわざと丁寧に一礼する。

 

「いくら欲しいんだ? さっさと言え」

 

 俺の挨拶を無視し、エードルトは吐き捨てる。

 

「何のことかしら?」

「とぼけるな。農業プラント奪還の手引き、機密部品警護の補助、試作数理兵器の理論破却。そんなに金が要りようか?」

 

 なぜかエードルトは、ここ最近の俺の仕事を羅列してきた。生身を得た現在、俺は今まで通りハッカーとして企業に雇われている。それが気に入らないらしい。

 

「あなた、何一つ分かっていないわね」

 

 俺は心底こいつを軽蔑した。ハッカーの俺が、ただ金の為だけに野良犬のように下層都市をうろつき、虫けらのように企業に媚びていると本気で思っているのか?

 

「ハッカーの腕は常に使ってないと三日で鈍るのよ。しかもこれは私の生き甲斐」

 

 矯正整式に干渉。破却構文の注入。攻勢反駁へ二重迂回路を作製。

 

 俺は身を伸ばし、対面に座るエードルトの耳元で囁く。本来の俺、シェリク・ウィリースペアの声音で。

 

「本気で俺を止めたければ、なりふり構わず殺す気で来い。墓穴に頭から叩き込んでやる」

 

 間近の驚愕と恐怖で見開いた目が、俺には痛快だった。

 

「……君の言動すべてが不快だ」

 

 エードルトの声には、不思議なことに俺を上回る侮蔑と怒りがあった。

 

 

 

 

 ――追憶は終わる。全裸で俺は浴室に入ると、頭から一気にシャワーを浴びる。大人の男の体に比べて、呆れるくらい少女の体は華奢でか弱い。この程度の悪夢とストレスで体が悲鳴を上げている。そして逆に、ただ温水に打たれているだけで何となく幸せに感じてくるから安いものだ。汗を流し終えてタオルで体を拭く俺の視線の先に、鏡がある。

 

 銀髪のか弱そうな少女が、鏡の向こうからじっと俺を見ている。見慣れない顔。でも見慣れつつある顔。アレは誰だ。お前は誰だ。アレは俺だ。お前は俺だ。俺にシーケンサーが与えた、性別さえ異なる新しいボディ。

 

「単身で企業の防壁を突破できない……か」

 

 エードルトの言葉が、まだ耳元に残っている。俺は鏡を殴りつけて怒鳴った。

 

「馬鹿が! 俺はできるんだよ! オーバーロード作戦も知らないド素人ども! 一人残らず叩き潰してやるから覚悟しておけよ!」

 

 この俺を捕まえて脆弱なボディに閉じ込め、しかも首輪を付けて飼おうなんて一兆年早いってことを教えてやる。鏡の向こうでは、裸の少女がサメのような顔で敵意をむき出しにしているのが見えた。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第6話:Clear a ditch

 

 

◆◆◆◆

 

 

 ――これは、シェリスがストリンディに答案を送りつけた日より、少し過去の出来事だ。

 

 アドロという男は、下層都市ボーダーラインでそこそこ敏腕として知られる情報屋である。不健康に痩せた長身にゴーグルと人工ドレッドヘア。そして頭蓋骨の内側には増設デバイスという、やや流行から後れた典型的ボーダーラインの住人の姿をしている。

 

 彼が根城にしているのは、企業のフロント建造物のすぐ真下だ。日常的に企業間闘争の戦火にさらされるそこは、真っ当な神経の人間ならすぐに引っ越すような物件である。しかし、元よりアドロは真っ当ではない。彼が自分の唯一の貴重な財産である頭部を守りつつ、後ろに追っ手がいないことを確認してから、自宅のドアを開けた時だった。

 

「遅かったわね」

 

 知らない声が中から聞こえた。ボーダーラインに似つかわしくない、優しげな少女の声だ。同事に勝手に照明が灯る。足の踏み場もないほど、ゴミと数理関連の機器とその他諸々で埋め尽くされた狭い室内が照らし出される。薄汚れたコーヒーメーカーを机に置き、欠けたマグカップを手に、一人の少女が椅子に座ってこちらを見ていた。

 

「ひぃッ!」

 

 思わずアドロは悲鳴を上げてしまった。華奢な銀髪の少女だ。上層都市スカイラインの学校指定とおぼしき制服を着ている。足が悪いのか単純に体が弱いのか、隣には凝った装飾の杖。こんな不潔な場所よりも、高級な喫茶店にいる方が余程様になる少女だ。そしてその後ろには護衛のように、礼服を着た人造が無言で控えている。

 

「勝手にくつろがせてもらっているわ」

 

 少女は平然とコーヒーを一口飲んだ。

 

「あ、あんたが連絡があった“コンフィズリー”か?」

「うん、まずまずね。あなたも一杯どう?」

 

 アドロの疑問を無視し、少女は別のカップにコーヒーを注ぐと彼に差し出す。

 

「俺の家のコーヒーだろ……」

 

 抗議しつつも、雰囲気に飲まれてアドロはそれを口に運んだ。

 

「どう?」

「まずい」

 

 味は自分で煎れた時と変わらなかった。しかし、少女は嬉しそうに笑う。思わず見とれてしまいそうな可愛らしさだ。

 

「それがいいのよ。“上”は駄目ね。どこの店もお上品でお高くとまって砂糖とクリームをたっぷり入れて、時間をかけてじっくりと焙煎した豆を使って……ああ、本当に口に合わないわ」

 

 彼女は首を左右に振る。

 

「コーヒーはこういう、泥水と大差なくて、おがくずを濾過したような、単純に苦くて、死ぬほどまずくて、しかも胃が荒れるようなものじゃないと」

 

 そう言いつつ、急に少女は顔をしかめた。

 

「あ、本当に胃が痛い……」

 

 彼女が視線で信号を送ったのか、人造が錠剤の入った瓶を差し出した。すぐに少女は蓋を開け、中の薬をいくつか飲み下す。

 

「何なんだよあんたは……」

 

 強固なセキュリティを施したはずの自分の家に平然と居座る、整った身なりの可憐な少女。どこのハッカーのいたずらか? と思いつつ、それでもアドロは尋ねた。

 

「コンフィズリー」

 

 少女は胃の辺りをさすりつつ名乗る。

 

「あんたが? 本物かよ?」

 

 アドロは身を乗り出す。コーヒーが床にこぼれても気にならない。

 

 コンフィズリー。最近突然現れた凄腕のハッカーの通称がそれだ。砂糖菓子という可愛い名前とは裏腹に、その手腕は大胆不敵かつ容赦のないものだ。好き放題に様々な企業の依頼を受けては、後方から強力な数理で支援を行う。幾度となくこの辣腕のハッカーの乱入により、趨勢が決まったはずの戦場がひっくり返されてきた。

 

「本物かどうかなんてどうでもいいでしょ? 大事なのは、私が今ここにいることよ」

 

 その正体がまさかこんなに小さな、しかも可憐な少女だったとは……。もちろん外見を偽っている可能性は大いにある。しかし、アドロのゴーグルに搭載された数理でスキャンしても、少女の小さな体には生体パーツが見あたらない。どうやら正真正銘の生身らしい。

 

「あんたくらいなら通信で充分じゃないか」

「古巣を散歩したついでよ。深い意味なんてないわ」

 

 本物のコンフィズリーかどうかはさておき、この少女は自宅のセキュリティをすべて無効化している。その事実だけは確か故、アドロは少なくとも彼女を腕利きのハッカーとして扱うことにした。

 

「私は仕事の依頼に来たの。はい、まずは報酬の先払いよ」

 

 少女はポケットから〈原画〉を取り出してアドロに放る。受け取ったアドロはまずゴーグルでスキャンする。いきなり教書に入れて中身を確認するような真似はしない。時限式の論理病源が仕込まれている可能性もあるからだ。

 

「これは?」

「行方不明になっていたローズウィンドウの未発表作品」

「本当にこれを見つけたのか!?」

 

 アドロは叫ぶ。その名前は上層都市の有名服飾ブランドだ。

 

「もし本物ならいくらになると思ってるんだよ!」

「どうでもいいわ。私が欲しいのは情報だけ」

 

 少女はこともなげにそう言う。その姿を見て、アドロは全身に鳥肌が立つのを感じた。目の前にいる少女が、彼には地獄から這い出してきた恐れを知らぬ魔物か何かに見えてきたのだった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第7話:Clear a ditch2

 

 

◆◆◆◆

 

 

 再び現在に時刻と場面を戻す。ハッカー専門のバー、野武士は今夜も満員だった。来客は増える一方で、退店する客はほとんどいない。入り口のドアが開き、また一人客が入ってきた。不健康な痩身に人工ドレッドヘアとゴーグル。情報屋のアドロだ。まっすぐにカウンターへ向かった彼に、オーガのバーテンダーは尋ねる。

 

「注文は?」

「スシを。なんでもいい。それとサケ」

 

 ウサギの旧人と甲殻種族の間に割り込むようにして、アドロはカウンターにもたれ掛かる。

 

「人待ちかい?」

 

 合成焼酎をグラスに注ぎつつ、バーテンダーはアドロに尋ねる。

 

「聞いて驚け。あのコンフィズリーの依頼だ」

 

 アドロはゴーグルを輝かせて得意げにしたが、オーガは特に反応しなかった。

 

「お待ち。養殖エビとゲル肉、それに富栄養藻のスシだ」

 

 やがて、グラスを傾けるアドロの前に、フェアリーの給仕が寿司の載った皿を雑な態度で置いた。

 

「スカイマグロはないのか?」

「品切れだ。我慢しろ」

 

 三白眼のフェアリーはふわふわと空を飛びながら、そっけなくそう言い放つ。

 

「ちぇっ、運が悪い」

 

 アドロが肩をすくめる。

 

「その代わり培養イクラがあるぜ。ここにな」

 

 フェアリーがスシの一つを指差した。

 

「いいねえ。ほらよ、チップだ」

 

 アドロが投げた四つ折りの紙幣を素早く受け取り、フェアリーはにやりと笑う。

 

「景気がいいな、お前」

「一仕事片づけたばっかりで財布が重くてね」

 

 アドロも同様に笑いつつ、不気味な外見のスシを口に運んだ。

 

 

 

 

「さて、と……」

 

 小腹を満たしたアドロは周囲を見回す。コンフィズリーの姿は見えない。しかし――

 

「ここにいるわ」

 

 いきなりそばから声が聞こえ、アドロは跳び上がった。

 

「おい! いたのかよ!?」

 

 すぐ近くのテーブルに、見慣れた姿が二つ。礼服を着た無表情の人造。そして杖を側に置いた制服姿の華奢な銀髪の少女。

 

「ステルス迷彩か?」

「違うわよ。最初からここに座っていたわ」

 

 コンフィズリー――つまりシェリス・フィアは無愛想にそう言うと、すぐに下を向いてしまった。教書を開き、忙しげにペンを走らせている。

 

「……何してるんだ?」

 

 見たところハッキングではないようだ。シェリスの態度は明らかに不承不承といった感じで、全身から不機嫌なオーラを発している。

 

「学校の宿題。結構難しいの。ちょっと待っててくれる?」

 

 あ然とするアドロをよそに、先程のフェアリーがシェリスに近づく。

 

「なんだよお嬢さん、また頭捻ってるのか?」

「そうよ。歴史に倫理と家政。こっちはさっぱりだわ」

 

 大きくため息をつくシェリスを見て、フェアリーは曖昧な表情で肩をすくめた。

 

「ま、よく分からんが頑張れよ」

 

 

 

 

「よし、終わったわ」

 

 しばらくして、シェリスは教書を閉じて晴れ晴れとした顔でそう言った。

 

「お待たせ。よく来てくれたわね」

 

 杖をつきつつ隣に来たシェリスに、アドロは歯を見せて笑う。いい感じにアルコールが回ってきた。

 

「まあな。あのコンフィズリーからの依頼だ。すべてをなげうっても優先する価値はあるぜ」

「嘘ばっかり。一仕事終えたその足でこっちに来たのに」

 

 くすくす笑いながら、シェリスは教書を開くと仮想ページの一枚を指差した。つい先程終結した企業間闘争の速報がそこに載っている。一方の企業の作戦が、他方の企業に筒抜けだったらしい。

 

「負けた側の企業傭兵たちが相当怒っているわよ。あなた、結構派手にやらかしたみたいね」

 

 

 

 

 夜の街を歩く。下層都市は文化と能力と思想と人種の混在する魔女の釜だ。通りを数分歩けば分かる。建造物の様式は、ありとあらゆる時代のパターンがすべて入り混じったモザイクだ。その混ざり方は上層都市の比じゃない。発展に次ぐ発展。拡大に次ぐ拡大。この惑星を覆い尽くした超巨大都市は、多層に入り組んだ奇怪なミルフィーユだ。

 

 ボーダーラインは眠らない。通りは人また人。人間、異族、機体、人造、その他。仕事を終えた騎士くずれ。どれだけ人体から逸脱できるかを競う機体至上論者。周囲の空間を極彩色に変え、道路を占拠する唯識アーティストたち。

 

「メンターを讃えよ!」

「アジェンダに服せよ!」

「リアリティと同化せよ!」

 

 雑音同然の狂った妄言が耳に心地よい。

 

 俺はアドロと連れだって通りを歩いている。はた目から見れば異様な光景だろう。人造の執事を連れた上層都市のお嬢様が、下層都市の情報屋と一緒にいるのだから。俺がこの男に依頼したのは、俺の雇い主を気取るシーケンサーについての情報提供だった。俺は矯正整式によって丁寧かつ優雅になった物腰と声音で、改めてアドロに尋ねてみた。

 

「それで首尾は? まさか皆無じゃないでしょ。ニンジャにも手伝ってもらったんだし」

「……なんで知ってるんだよ?」

「私があなたを指名したのもそれが理由なの。この街でニンジャとまともに連絡できる人間なんてごくわずかよ。私だって無理だもの」

 

 向こうから教書と接続しっぱなしのエルフが来たので、俺は道を譲りながらそう言う。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第8話:Enclave

9月19日22時の段階で、オリジナル日間ランキング24位を獲得しました。
評価してくださった方、お気に入りに登録してくださった方、
ありがとうございました!


 

◆◆◆◆

 

 

 企業の手駒として戦う傭兵の上位に騎士がいるが、それに匹敵、いや凌駕する間諜と暗殺の達人がニンジャだ。連中は独自のネットワークで動いているため、交渉や依頼が困難を極める。

 

「一宿一飯の恩って奴さ。たまたまだよ」

 

 だが、このアドロはニンジャと繋がりがある数少ない人間だ。

 

「あんたは本当になんでも知ってるな。何者なんだ?」

 

 俺は呆れた顔をアドロに見せる。

 

「それをハッカーに聞く?」

 

 ハッカーの素性について聞くのは無粋の極みだ。企業間闘争では実際に戦場に姿を現すことも多いが、騎士や傭兵と違ってハッカーはあくまでも正体不明が原則だ。

 

「巷じゃあんたはこう噂されてるぜ。三年前に突然失踪した凄腕ハッカー“グレイスケール”の後継ってな。違うか?」

 

 グレイスケール。その名前は俺のかつての通称だ。俺がまだ男だった時、俺がシェリク・ウィリースペアという本名だった時の通り名だ。俺はその通称で戦場を攪乱し、防壁を破壊し、機密を奪取していた。そして最後には――

 

「ご想像にお任せするわ」

 

 俺は今回ばかりは矯正整式に感謝した。こいつのおかげで、俺は平静を装ってそう言えたからだ。

 

 

 

 

 それからしばらく、俺はアドロが収集した情報を聞いていた。結論から言うと、俺が期待していたよりも情報は得られなかった。腕利きの情報屋がニンジャの力を借りても、入手できた情報は俺でも手に入りそうなものばかりだ。これはどういう意味か。アドロが手を抜いているのか。それともシーケンサーは相当情報の機密に長けているのか。

 

 アドロが俺に渡した原画には、シーケンサーの直近の取引が一覧となって載っていた。ニューロサイエンス協会、ラインエイジ生命科学、アイワ生体工業、悪名高きアポセカリー。いずれも生体パーツを主な商品とする企業だ。シーケンサーは企業の間を渡り歩いては必要とするものを売りさばき、ミツバチよろしくせっせと小金を稼いでいるらしい。

 

 取引の場に現れるのはいつもエードルト一人だ。原画には奴の写真もあった。果たして、シーケンサーはまともに機能している一つの組織なんだろうか。どこかの企業のダミーという可能性も高くなってきた。しかし、だとしたらいったいなぜ俺に干渉してくる? なぜ、わざわざこんなボディと矯正整式まで付けて俺を飼っているんだ?

 

「さして代わり映えのない内容ね」

 

 俺は通りを歩きつつ、隣のアドロに冷めた視線を向けた。

 

「いやいや。最後に一つだけ面白い情報が手に入った」

「教えてもらえる?」

 

 俺がそう言うと、アドロはもったいぶることなく口を開いた。

 

「毒にも薬にもならない取引ばかりのシーケンサーだけどな、一つだけ妙なところから妙なものを受け取っている」

 

 アドロの説明によると、この情報はニンジャがシーケンサーの扱った生殖腺関連の取引を辿っていた際に偶然得たものらしい。方法は単純かつ古典的。ニンジャが取引に携わった人間を尋問していた時に、恐慌状態の相手が聞かれもしないことまでしゃべり出したのだ。どんなにハッキングの対策をして情報を秘匿しても、人の口に戸は立てられず。

 

 不運にもニンジャに尋問されたその人間も、詳しいことを知っていたわけではない。けれども、アドロはその後取引を辿り裏打ちとなる情報を手に入れた。密輸組織を三つも経由した、異様なほど念入りに下層都市に運び込まれた物品がある。

 

「まあ、見てくれ」

 

 アドロは教書を開くと、仮想ページの上に映像が浮かび上がった。

 

「休眠水槽?」

 

 俺は首を傾げる。これは重症患者の搬送などに使う医療器具だ。口さがない連中は「棺桶冷蔵庫」と呼ぶこともある。まあ、実際外見は柩に似てるんだが。

 

「そう。そして送り先はここだ」

 

 映像が切り替わる。上層都市を俯瞰する簡略化された図画。その上空に新たに書き加えられたものがある。

 

「『エンクレイブ』……」

 

 俺はそれの名を口にした。

 

「大正解。武装コミュニストたちに焼かれた、旧王朝の最後の安息地。植民群島、浮遊王城、閉鎖空域。そして何より、我らが偉大なる〈公議〉と敵対する数少ない石頭たちの隠れ家だ」

 

 アドロの芝居がかった口調での説明を半ば聞き流しつつ、俺はじっと図画を見ていた。上層都市のはるか上空。そこには空中を浮遊する群島が描かれている。

 

 エンクレイブ。上層都市とも下層都市とも交流を持たない、究極の孤立主義者たちが住まう宙づりの王国がここだ。嘘か本当かは知らないが、古代から連綿と続く王朝が今も支配する化石のような僻地らしい。当然都市の管理者である公議とは仲が悪く、都市の住人が受けられる恩恵のいくつかが、エンクレイブの住人には適用されていない。

 

「中身は?」

「残念ながら、そこまでは分からなかった」

 

 俺はアドロの顔を見る。もったいぶって追加料金を期待しているようには見えない。

 

「黒パンと天然キャビアとウォッカを休眠水槽に入れて、こっそり送ってもらったってわけじゃなさそうね」

「たった一回だけの取引だ。興味あるだろう?」

「多少はね」

 

 俺は一応そう答えた。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第9話:Gig

 

 

◆◆◆◆

 

 

 正体不明、という一点において、アドロの目から見たシェリス・フィアはまさにハッカーの鑑と言える存在だった。分かりやすく自分を機体化し、奇抜なデザインの武装を誇示し、グロテスクなまでに改造した教書を持ち歩く。そういった凡百なボーダーラインのハッカーとは、彼女は一線を画していた。あんな凡夫どもとは、正真正銘レベルが違う。

 

 出で立ちはどこから見ても上流階級のご令嬢。細くて華奢な体つきと、温室で丹念に育てられた花のように可憐な容貌。ちなみに、アドロはシェリスの外見を可憐だとは思っているが、異性として魅力的とは思っていない。彼の好みは自分よりも年上でかなり太めで、一緒にアニメ「空想科学サムライ少女パンデミック」を見てくれる大柄な女性だ。

 

 しかしながら、一度彼女が口を開けば、あるいは教書を開けば、そこにいるのは歴戦のハッカーそのものだ。不敵な自信に裏打ちされた豪胆さと、思わず舌を巻くような軽妙で皮肉の効いた口振り。狂人一歩手前の面々がたむろする下層都市を、彼女はまるで自分の家のリビングのように平然と闊歩し、思いのままに振る舞っている。

 

 アドロは危険な情報屋として生計を立てつつも、どこかで安全と平穏を求めている節がある。機会があれば足を洗い、安穏と暮らしたいと願っていた。しかし、シェリスと出会ったことにより、彼は自分の願いがちっぽけで貧相なものだと思い知らされた。この少女の姿をした魔物は、危機と狂気のカクテルを飲み干してなお、悠然とほほ笑んでいるのだ。

 

 

 

 

「一つ聞いていいかしら?」

 

 教書を閉じたアドロにシェリスが尋ねる。

 

「なんだよ」

「この後予定はある?」

 

 アドロは耳を疑った。

 

「おいおい、俺を口説こうなんて困るな。俺たちはあくまで依頼人と情報屋。そうだろ?」

 

 アドロはシェリスに異性としての魅力は感じない。どう反応していいか分からず、アドロはおどけてみせた。

 

「あなた……もういいわ」

 

 シェリスは一度大きくため息をつき――

 

「伏せろ。さもなきゃ死ぬぞ!」

 

 突如豹変したシェリスに驚く暇もなく、アドロはつんのめった。彼女の杖に転ばされたと理解した後、近くの壁に何かが突き刺さった。クロスボウの矢だ。転ばなければそれが自分に刺さっていたとアドロは理解し、背筋が寒くなる。周囲の人間が怯えた表情で逃げていく。

 

 攻撃されている。けれども、教書とゴーグルに仕込んであるはずの警報が作動していない。こんな時に故障したのか、あるいは攻撃する側が念入りに迷彩を施しているのか。

 

「ヴィディキンス!」

 

 シェリスは怖じることなく誰かの名前を叫ぶ。

 

「ようやくお呼びですか、我が愛しくも愚かしいマスター。私はいい加減待ちくたびれていたところです」

 

 それまで無言だった人造が口を開いた。閉じているのとほぼ変わらない細い目で彼女を見ている。情緒権利が何も開放されていない人造特有の平板なしゃべり方だが、妙に気に触る物言いだ。

 

「やかましい! 減らず口を叩く前にまず仕事をしろ!」

「了解です。それがあなたの切なる願いならば」

 

 人造は静かにシェリスの前に立ち、周囲をうかがう。

 

「あんたは隠れてろ! きっと俺を追って――!」

 

 生き馬の目を抜く下層都市の住人だが、アドロはさすがにこの少女を盾にして逃げることはしたくなかった。立ち上がって彼女をかばおうとするアドロだったが、驚くことにシェリスは彼を押しのけた。

 

「隠れるのはお前だよ。報酬に上乗せしてサービスだ。その頭の中にある商売のネタを守ってやる」

 

 可憐な少女の口元が、釣り針で引かれたように吊り上がる。その笑みは凶悪かつ凶暴な形だ。

 

「まずはそこだ!」

 

 シェリスが手を振り上げる。その五指から細い有線が宙を舞い――

 

「それで迷彩を施したつもりか!? 雑すぎるぞ!」

 

 絶叫が夜気をつんざく。建造物の陰から両手を滅茶苦茶に振り回して出てきたのは、先程すれ違ったエルフだった。

 

「はははっ! 視神経経由で大脳をシェイクされる気分はどうだ!?」

 

 エルフは手に持っていたクロスボウを投げ捨て、教書と接続したゴーグルをはずそうと掻きむしる。恐らくシェリスは有線をエルフの教書に接続し、数理暴走を引き起こしたのだろう。膨大かつでたらめな論理を脳髄に流し込まれ、エルフはその場に倒れた後全身を引きつらせる。

 

 その首筋に、シェリスは一枚の原画を貼り付ける。たちまちエルフの全身は、原画に組み込まれた封鎖数理の光に覆われた。言わば冷凍されたスカイマグロのような状態だ。これは相手を無力化させるだけではない。致命傷を負った人間を自動的に分解かつ転送する、公議が都市に組み込んだ〈転移〉というシステムを起動させないためでもある。

 

「ほかの方々もいらっしゃい。本命がいなくては舞踏会は盛り上がりませんもの」

 

 シェリスは丁寧な口調で挑発する。口調が普段のそれに戻っていた。

 

(こいつ、違法アドレナリンをインプラントから垂れ流しているのか?)

 

 とアドロが思ったほどの、両極端な態度と言葉遣いだ。しかしすぐ、彼はシェリスが完全な生身だったことを思い出す。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第10話:Gig2

◆◆◆◆

 

 

 その挑発に乗ったのか、数人の企業傭兵たちが虚空から姿を現した。先程倒したエルフが、彼らに迷彩の数理を施していたらしい。揃いの耐蝕スーツにヘルメットとマスクにゴーグル。手には対数理のシールドと格闘ロッド。アドロは生唾を飲み込んだ。明らかに、自分が介入した企業間闘争の後始末に来た連中だ。負けた企業が報復を仕掛けている。

 

 報復によって転移させられても、さして困りはしない。約二十四時間で再生は終わる。けれども増設デバイスに改竄病源を流し込まれるのは困る。貴重な仕事の情報が漏洩するか、破壊されてしまう。アドロが手持ちの教書の中にある逃走用の数理のいくつかを見繕っていると、傭兵たちが動いた。アドロではなく、シェリスにロッドを振り上げる。

 

「あら、乱暴な人ね」

 

 ヴィディキンスと呼ばれた執事の人造がシェリスをかばい、ロッドを手で受け止める。同事にシェリスが手の杖を捻るようにして振った。その杖が蛇腹のような形状に変形し、先端が一人の傭兵のゴーグルを打ち据える。マスクの内側からくぐもった怒声が聞こえた。傭兵は苛立たしげにゴーグルを取ろうとするができない。

 

 シェリスの杖が残りの傭兵の盾を打つと、たちまち対数理コーティングが点滅して消えていく。シェリスは肉体的には華奢な少女でしかない。しかし確かに、彼女はコンフィズリーと名乗るハッカーだ。様々な装具で数理的に強化された傭兵の、その装具を触れるだけで一時的に無力化していく。外科手術の正確さと、テロリストの残忍さがそこにある。

 

 傭兵たちが連係を取って行動する前に、ヴィディキンスが動いた。エラーを吐き続けるゴーグルをはずそうとする傭兵が、彼の背を向けた体当たりに豪快に吹っ飛ばされる。気を扱う拳法を思わせる奇妙な身のこなしだ。突き出された格闘ロッドを紙一重で交わし、逆にその手に自らの腕を回す。関節を捻られ、たまらず傭兵はロッドを取り落とした。

 

 地面に落ちたロッドを、ヴィディキンスは器用に蹴り上げ、素早く手でつかむと、間髪入れずに傭兵のうなじに振り下ろす。悶絶する同僚を目くらましに、他の傭兵が勇敢にも動いた。だが、繰り出されるナイフをヴィディキンスはロッドで弾き、隙のできた胴体に強烈な蹴りを食らわす。まさに八面六臂の活躍だ。

 

 最後の一人となった傭兵が逃走しようとした隙を見逃さず、ヴィディキンスはすくい上げるような足払いをかけた。尻餅をつく傭兵に、まるで起き上がらせるかのように手を伸ばす。しかし、その手が握ったのは傭兵の手ではなく、傭兵が腰に下げていた小型のクロスボウだった。それを抜き取り、数理を展開して矢を装填し、彼は躊躇せず引き金を引く。

 

 電流を帯びた矢を浴びた傭兵が痙攣する様を見もせず、ヴィディキンスは倒れた他の傭兵にも次々と矢を打ち込んでいく。

 

「終了いたしました。我が愛しくも人使いの荒いマスター」

 

 数分で企業傭兵を一人残らず無力化した人造は、丁寧に一礼する。

 

「ご苦労様。いい仕事っぷりね」

 

 慇懃無礼な人造を、シェリスは不快そうにしつつも一応評価した。

 

 それからシェリスが行ったのは、迅速な隠蔽工作だった。彼女は傭兵たち全員に原画を貼り付けてその場に固着させ、さらに有線で接続するとその記憶に改竄病源を侵入させた。そして教書を開き、周囲に論駁パルスを放射して監視デバイスがないかを確認する。その手慣れた様子は、明らかに企業間闘争を何度も経験したハッカーのものだ。

 

「まったく、あんたは絶対に企業間闘争で敵に回したくないな」

 

 改めて、アドロは彼女に空恐ろしさを感じた。歴戦のハッカーのような泥臭い実戦を、虫も殺せないような少女が行うのだ。違和感が凄まじい。

 

「その時は手加減して欲しいわ。私、見ての通りか弱くて、スプーンだって持つのも一苦労なのよ」

 

 シェリスが冗談めかして言ったその時。

 

「企業警察です! そこのお二方、どうぞ抵抗しないでこちらに出てきていただけないでしょうか!?」

 

 命令口調だが妙に丁寧な声が周囲に響き渡った。アドロとシェリスが一緒に声の方向を見るのと同事に、宙に浮いた数冊の教書が投光の数理を展開した。

 

「ここで非公式の闘争が行われていたという通報がありましたがそれはほんとええええっっ!?」

 

 逆光の下、上層都市の騎士とおぼしき金髪の少女が驚愕の表情を浮かべている。

 

「知り合いなのか?」

 

 アドロがシェリスに尋ねる。対するシェリスは、何を思ったかアドロを突き飛ばすと、飼い主にすり寄るネコのように騎士の少女にすがりつく。

 

「助けてストリンディさん! 私、この人に誘拐されそうなの!」

 

 続けてシェリスはそう叫ぶ。

 

「どういうことですか?」

 

 騎士がアドロを睨む。見る見るうちに、その総身から殺気が噴き上がっていく。

 

「嘘だ! 嘘だろ! 俺は無実だ!」

「犯罪を犯そうとする人は皆、そう言いますね」

 

 冷えきった騎士の返答に、アドロは自分の命運が尽きたことを否応なく理解させられた。

 

 ――ちらりとシェリスが彼の方を見て、口元に薄く笑みを浮かべていた。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 





9月22日0時の段階で、日間ランキング90位、オリジナル日間ランキング15位を獲得しました。
擬似サイバーパンクのファンタジーですが、
読んで受け入れて下さった皆さん、ありがとうございます!


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第11話:Dawn chorus

 

◆◆◆◆

 

 

 ボーダーラインの夜が明ける。けばけばしい数理広告が次々と光を失い、消えていく。あれほど人とそれ以外が行き交っていた通りも、いつの間にか殺風景なものに変わっていた。野武士も営業を終え、フェアリーの給仕も先程大あくびをしつつ自宅に帰っていった。店の前の道路の端で紙巻きの香草を吸っているのは、オーガのバーテンダーだ。

 

 そのバーテンダーの目が、こちらにやってくる人影をとらえた。すっかり疲労困憊した様子のアドロだ。

 

「もう閉店だ」

 

 ふらふらと手を上げて近づくアドロに、バーテンダーはそっけなく言い放つ。

 

「見りゃ分かるって」

 

 と言いつつも、アドロはたかるように彼の隣に立つ。

 

「何かないか?」

「ないぞ」

 

 しかし、アドロは手を出す。

 

「一本くれ」

 

 バーテンダーは断らずに、アドロの手に香草を一本渡す。

 

「安物だぞ」

 

 礼も言わずにアドロはそれをくわえ、指先から出した数理の火で軽く炙ってから揉み、清涼な芳香を吸い込む。これは合法かつ、ニコチンなどの有害物質を含まない安全な嗜好品だ。

 

「幽霊がいる」

 

 疲れ切ったアドロを見て、バーテンダーはそう言う。

 

「なんだそりゃ?」

 

 首を傾げるアドロを横目で見つつ、バーテンダーは吸い終えた香草を丸めてポケットにしまう。

 

「あんたは企業傭兵にやられたはずだ」

「お生憎様。見ての通りぴんぴんしてるぜ」

 

 痩せた胸を張るアドロだが、バーテンダーはつまらなそうに見るだけだ。特別彼のことを心配している様子ではない。

 

「あんたがコンフィズリーと一緒に店を出たすぐ後にな、企業傭兵が大挙して押し寄せてきたんだよ。もう店を出たって言ったら、一通り店内をスキャンしてから慌てて出て行ったがな」

「どうせなら、トゥジュール・ヴェールにバカンスに行くって吹聴してたって言ってくれよ」

「あんたをそこまでかばう理由はない」

 

 バーテンダーは冗談の通じない顔で答える。確かに、そこにアドロが逃げた可能性を考慮に入れれば、傭兵たちは彼を捜すのに手間取ったことだろう。

 

「よく逃げ切ったな。今までどこにいた?」

「企業警察の所だ。性根の腐った悪女に売られたんだよ。まったく、あいつはとんでもない性悪だぜ」

 

 アドロは吸い終わった香草を地面に捨てて指を弾く。吸い殻はたちまち数理の火によって細かな灰になった。

 

「おかげで今まで護送車に缶詰だ。クソ、危うく取り調べで大脳の中まで覗かれるところだったぜ。あの女、俺を企業警察に放り投げてから、自分は騎士様に護衛されてもらいながらお家にお帰りだ。世渡りがお上手すぎて拍手したくなるね」

 

 バーテンダーが知るよしもないが、彼の言葉は事実だ。シェリスの「私、誘拐されそうなんです」という虚言により、ストリンディは問答無用でアドロを企業警察に引き渡した。護送されたアドロが嫌疑を晴らせたのがつい先程。その理由も、ストリンディから「誘拐されそうだったとはこちらの勘違いだったと言っている」との報告があったからだ。

 

 苛立たしげなアドロをよそに、バーテンダーは自分の教書を開くと何やら仮想ページを繰り始めた。そして――

 

「見ろ。昨夜の企業警察の戦闘記録だ」

 

 アドロはバーテンダーの教書を見る。そこには、ボーダーラインの有象無象のハッカーたちによってまとめられた、昨夜のいざこざや抗争や戦闘が一通りまとめられている。

 

「これって……」

 

 バーテンダーの指は、その中の一つを指している。それは、企業警察の護送車を襲撃した傭兵たちが、反撃を受けて撤退したという情報だ。「どうせやるなら徹底的にやれよ! この臆病者ども! 死ね!」とのハッカーたちのコメントを無視し、アドロは体が震えだすのを感じた。

 

「あんたを追っかけていた連中が返り討ちになったようだな」

 

 バーテンダーの言葉に何とかアドロはうなずき、その場にしゃがみ込む。脳裏に、杖をついた華奢な銀髪の少女の姿が浮かび上がる。彼女はこちらを見てあざ笑っていた。服装と容貌に似合う清楚で恥ずかしそうな笑みではなく、サメのように歯を見せた挑発的で凶悪な笑みだ。

 

「あんた、あの悪女に助けられたな」

「……そうなるな」

 

 アドロを誘拐犯扱いしたのは、ただの悪ふざけではない。巧妙に企業警察を彼の護衛に仕立て上げた彼女の狡智だ。まんまと企業警察は彼女の虚言に騙され、無料でアドロを傭兵たちの報復から守ったのだ。昨夜のすべては、コンフィズリーと名乗ったあの少女の手の平の上で起きていた。アドロも警察も傭兵も、彼女によって踊らされていたのだ。

 

「なあ、もう一本くれよ」

 

 背筋に寒いものを感じつつ、アドロはバーテンダーにたかる。寛大なバーテンダーはもう一本彼の手に香草を握らせた。

 

「あの女に深入りするなよ」

 

 バーテンダーの忠告に、アドロはただうなずくことしかできなかった。

 

 ――ボーダーラインに朝が来る。無数の秘密と策謀と汚濁は、次の夜を待って息を潜めようとしていた。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 




9月22日23時の時点で日間ランキング55位、オリジナル日間ランキング11位を獲得しました。
ニンジャも驚く快挙です。
一読してくださった方、評価してくださった方、感想をくださった方。
皆さん本当にありがとうございます!



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第12話:Dawn chorus2

 

 

◆◆◆◆

 

 

 上層都市スカイライン。日の出を迎えた早朝の公園。俺は隣に杖を立てかけてベンチに腰を下ろしていた。ヴィディキンスは無言で俺の後ろに控えている。アドロが企業警察に引きずられていくのを見送ってから、俺はストリンディに甲斐甲斐しく付き添われつつボーダーラインを後にした。そして今、俺たちはグレートウォールを越えた先にいる。

 

 下層都市と上層都市は、グレートウォールによって物理的にも数理的にも遮断されている。では、この二つの都市は上下の位置関係にあるのか。実にそれは説明しにくい。この惑星を覆い尽くす都市の空間は、数理によって拡張と歪曲を繰り返し、複雑に絡み合っている。それこそ二つの都市は、平行世界の同じ惑星にあると言ってもいいくらいだ。

 

 もっとも俺からすれば、事実上層と下層を行き来できるのだから、さして問題ではない。それよりも問題なのは、押し寄せてきた空腹の方だ。男の時なら一日絶食しても別段支障はなかったのに、少女の体になったら一食抜いただけで体調が悪くなる。俺は先程買った板チョコの包装を破ると、焦げ茶色のそれを口に入れた。

 

「……美味しい」

 

 ついつい、そんな小声がチョコレートを噛む口からもれてしまった。顔が「にっこり」と「へらへら」の中間、まさに「にへら」という感じになってしまう。嗜好がだんだんボディに引っ張られているのだろうか。甘いものは男の頃は好きじゃなかったのに、今は口に入れるだけで幸福感が押し寄せてくる。ほんのりと幸せな半面、少し怖くなる。

 

 先程ストリンディを通して、企業警察にアドロを解放するよう頼んでおいた。これで後始末も終わりだ。傭兵も暇じゃない。朝が来れば次の仕事に移る。いちいち情報屋一人にかかずらうこともあるまい。せいぜいアドロはこれからも、ニンジャと繋がりのある情報屋として俺に利用されてもらいたいものだ。

 

 ベンチに座る俺の目の前を、上層都市の住人たちが通り過ぎていく。仲睦まじいカップル。礼拝帰りと思われる親子。孫の手を引く祖父母。どこもかしこも健全で明るく、優しげだ。俺の住む場所は、住みたい場所はここじゃない。

 

「ここは息が詰まりそうです……」

「だからといって、ボーダーラインで夜遊びはよくないですよ、シェリスさん」

 

 俺の独り言に反応があった。立ち上がって杖を手に取り、振り返る。そこには教書を閉じたストリンディが立っていた。一見時代錯誤に見えるアーマーはその実、生半可なハッキングなど受け付けない高度な数理が施されている。何よりもそれを着ているのがあの騎士だ。身体的な観点で見れば、俺などどう足掻いてもかなうわけがない。

 

「あら、ストリンディさん。少しいかがですか?」

 

 俺は矯正整式によって丁寧になった口調と態度で、板チョコを差し出す。

 

「ありがたくいただきます」

 

 即答されて俺は少し驚く。こいつの律儀な性格からして、断るものとばかり思っていた。

 

「もしかして、お腹が空いているのかしら?」

「あはは、は、恥ずかしながら……」

 

 ストリンディは頬をかく。

 

「これ、どうぞ。私には少し甘すぎましたので」

 

 俺が板チョコの残りをそっくりそのまま手渡すと、ストリンディは分かりやすく目を輝かせた。

 

「い、いいんですか?」

「ええ、もちろん」

 

 いそいそと受け取って、しかしすぐに彼女は渋面を取り繕う。

 

「それはともかく」

 

 クソ、買収されておきながらお説教はきっちりと行うとはいい度胸だ。

 

「あ、今舌打ちしましたね」

「いいえ、そんなはしたないことはしませんよ」

 

 事実俺は舌打ちしていない。矯正整式でそういう行動はできない。整式の深部にまでハッキングし、緊急事態という警報を送り込み、さらに幾多の拘束を事前に作っておいた破却構文で一時的に焼灼してようやく、俺は自然に振る舞える。それも短時間だけだが。

 

 ストリンディは、俺が舌打ちしかねない雰囲気を感じ取っただけに過ぎない。やれやれ、さすがは騎士様。遺伝的にも数理的にも徹底的に洗練された、戦闘用競走馬の行き着く先。未来予知の数理を反応速度で上回り、企業要人を警護するハイクラス剣豪とただの金属製のブレード一本で渡り合う人外の身体能力は今日も健在らしい。

 

「いいですか。シェリスさんも重々承知とは思いますが、一人でボーダーラインに行くのは危険すぎます」

 

 こちらを覗き込むような姿勢で、ストリンディは俺に注意してくる。

 

「一人ではないですよ。ヴィディキンスがついていますから。ねえ?」

 

 俺は後ろの人造に視線をやる。

 

「私は人造ですので一人とは数えられません。我が愛しくも浅慮なマスター」

 

 返ってきたのは、妙に人を苛立たせるいつもの慇懃無礼な言葉だ。こいつはシーケンサーが俺の護衛兼監視として送りつけてきた人造だ。情緒権利が何も解放されていないはずなのに、変に人間臭くて困る。

 

「事実、シェリスさんは開口一番私に助けを求めてきたでしょう? お忘れですか? もう一歩で取り返しがつかなくなるところだったんですよ」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 




ハッカー「未来予知の数理を使えば騎士の剣術にも対応できる!」
騎士「ならば予知された自分よりもさらに早く動けばいいだけのこと」
↑このような脳筋思考が騎士という戦闘人類。しかもこれでハッカーに勝ってしまうのが恐ろしい。


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第13話:Dawn chorus3

 

 

◆◆◆◆

 

 

 ああ言えば正義漢の強いストリンディがすぐ反応すると踏んでのことだったが、後々まで引きずるとは厄介だ。

 

「あれはその……ちょっとした思い違いでした。思い返してみると、あの人はボーダーラインの面白い場所を案内してくれた、ただのいい人でしたよ。ええ、誘拐犯なんて誤解でした」

 

 俺はでまかせが半分で本当が半分の言葉を並べ立てる。

 

「それはたまたまです。いいですか? ボーダーラインは日常的に企業間闘争が行われる危険地帯なんです。傭兵やハッカーの戦いに巻き込まれたら一大事です。決して面白半分で観光できる行楽地などではないんですよ」

 

 ストリンディは正論を並べ立てる。まるで企業の防壁のようにとりつく島もない。

 

「おっしゃる通りね。返す言葉もないわ」

 

 だから、俺はさっさとしおらしく振る舞う。舌戦程度でこの騎士の主張を折るのは難しいだろう。もちろん、適当に謝ってこの場をやり過ごすこともできる。しかし、俺は絶対にそうしたくなかった。こいつに言い負かされたら沽券に関わる。何としてでも、多少の犠牲は覚悟してでも、俺はストリンディの主張を打破したいのだ。

 

「納得していただいてほっとしています。では……」

「では、これからは本腰を入れて自衛しましょう」

 

 安堵しかけたストリンディの表情が驚きに変わる。

 

「……え?」

 

 きょとんとする彼女をよそに、俺は教書を開くとある企業の連絡先を呼び出す。間髪入れずに仮想スクリーンがでかでかと広がり、にこやかすぎる人造の受付が映し出された。

 

「いらっしゃいませ! ご購入者様の自由と安全と正義を二十四時間守る全都市アーマメント普及商会スカイライン支部です!」

 

 スマイル&ウェポン。清涼なる死の商人。全自動戦線拡大兵器庫。カタログと銃を持って布教する武装聖職者。あらゆる通称で侮蔑されつつも重宝される武器商人の受付が、決まり文句を口にしつつとびきりの笑顔を浮かべる。

 

「商品を購入したいけれども、まずはこちらに試供品を取り寄せたいの」

「かしこまりました! 現在サービス期間中につき対象商品を大幅に増やしております! カタログはお持ちですか? では商品名をどうぞ!」

 

 大音量で怒濤の如く繰り出される受付の支持に従い、俺は隣に表示したカタログから次々と試供品を列挙していく。

 

 三重詠唱有機ブレイン。硬化粒子射出パイル。携帯式アサルト重力砲。高速演算スタッフ。疑似流体装甲スーツ。誰も買いそうにない規格外重装甲裁断超過駆動動力鋸。見る間に俺の目の前で構文が組み合わさり、整式となり、無数の武器となって具現していく。質料ホログラムだ。一体の強化外骨格を注文すると、受付が満面の笑みを浮かべて宣伝する。

 

「こちらの商品は現在無料レンタル期間中です! ご使用後は是非アンケートにご協力下さい!」

 

 まったくもって商魂たくましい。

 

「前回閲覧されたアンチ海産物斥力水着もご一緒にいかがでしょうか?」

「それ、サイズが合わなかったのでいらないわ」

「かしこまりました!」

 

 魔が差してちょっと試着してみたのだが、あれは二度と思い出したくない。

 

「さて、ストリンディさん。これでどうかしら? これらに加えて現在セール中の初心者用企業傭兵雇用パックも購入すれば、ボーダーラインでも大手を振って闊歩できると思わない?」

 

 注文を開始して数分後。俺は地面にずらりと並べた数々の武器を見せつけつつ、ストリンディに問う。

 

「シェリスさん……」

「何かしら?」

 

 さて、こいつはどう出るか。もし「試供品ではなく、実際に購入しないと信じられません」と言われたら、躊躇なく全部買う覚悟くらいはある。だが、俺はこだわりのあるハッカーだ。あれこれと数理を用いた武器を持ち歩くのは趣味じゃない。教書と有線があれば生身で事足りる。できれば買いたくないが、あの特大チェーンソーだけは少々惹かれる。

 

「……かなり裕福なんですね」

 

 ストリンディはしばらくあっけにとられた様子だったが、やがて妙なことを口にした。俺が貧乏とでも思っていたのか? 確かに俺は上層都市の住人じゃないが、シェリク名義で貯金はそこそこあるぞ。

 

「必要と判断したら出費は惜しまないだけよ」

「分かりました。では……」

 

 ストリンディは胸に手を当ててほほ笑む。

 

「これからもしボーダーラインへ行かれるのでしたら、どうぞ私もお呼び下さい。僭越ながら、このストリンディ・ラーズドラング、あなたの盾となってあなたを危険からお守りしましょう」

 

 悔しいが気取った仕草が様になっている。

 

「あら、名高き騎士様が直々に護衛について下さるなんて、私も随分とセレブリティになったものね」

 

 別に毎回こいつを呼びつける気はないが、気が向いたら護衛になってもらおうか。そう思った俺だが……

 

「もちろん有料ですけどね。報酬は応相談ですよ」

「え?」

 

 おいおい、金を取るのかよ。この騎士、案外がめついらしい。俺は笑顔のストリンディを前にして、どう反応したらいいかしばらく悩んでいた。彼女の発言の理由に、気づくことなく。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第14話:No admittance

 

◆◆◆◆

 

 

 〈大綱〉。都市のすべての人間がアクセスする超巨大の通信網。ハッカーのホームグラウンド。共感する幻想。膨大な情報が日々行き来するその大河の上層には、〈天蓋〉と呼ばれる未踏の領域が広がっている。幻想と書いた通り、大綱にアクセスする俺たちはただ情報を得るだけではない。情報が作り出す仮想の空間を、幻だが五感で体験するのだ。

 

 殺風景な事務所を模した仮想空間の内部に俺はいる。

 

「お気に召したかしら?」

 

 俺の視線の先で、机に向かい書類に目を通すエードルトがいた。俺に組み込んだ整式を通して、こいつは俺の学院での生活を見ていた。肉体ではなく情報だけで、俺たちは顔を合わせている。

 

「正直に言って、大いに期待はずれだ」

 

 エードルトは不快そうな顔で俺を見る。

 

「あなたが勝手に期待しているだけでしょう? いい加減目的をはっきりさせてもらいたいわね」

 

 実際、こいつは俺にボディを与えて学院に通わせ、その後はほぼ放置している。

 

「ならば、君に手近な目標を提示しよう」

 

 いらいらした様子でエードルトは机を指で叩く。不思議なことに、こいつはどれだけ腹を立てても俺に手を上げたことはない。

 

「君の通う学院には『シークレットガーデン』という、推薦された生徒しか入れない会合がある。これに参入しろ。正確には、この会合の拠点である秘匿庭園に入れるよう段取りを付けろ」

 

 やれやれ、ようやくまともな仕事だ。秘密の会合に入り込むこと、封鎖された場所に侵入すること。いずれもハッカーの十八番じゃないか。

 

「報酬はおいくらかしら?」

 

 俺がそう言うと、エードルトの顔が怒りで引きつった。ハッカーに仕事を依頼するなら報酬が不可欠だろう? こいつの世間知らずには本当に驚かされる。

 

「君の腐った性根には呆れかえる。守銭奴め」

 

 しかし、結局エードルトが提示した金額は思ったよりも気前がよかった。つくづく、こいつの考えは分からない。

 

「名簿を改竄して潜り込むわ」

 

 報酬の額に納得した俺は、次にやり方を教える。

 

「やめろ。君たちハッカーは、何を命じても悪辣な方法しか取らない。ゴミどもめ」

 

 エードルトはそう吐き捨てると俺を睨む。まるで、俺に自分の大事なものを踏みにじられているかのような顔で。とんだ被害妄想だ。

 

「身を切られるほど不愉快だが、その顔で媚びを売って推薦されろ。いいな?」

 

 

 

 

「申し訳ないけれども、あなたをシークレットガーデンに推薦することはできないわ」

 

 授業が早めに終わった午後。俺は学院の中庭にあるあずまやにいた。テーブルにはケーキと紅茶。椅子に座る俺に向かいには、二人の上級生がいる。ふわふわの茶色の髪を長く伸ばした人なつっこそうなキツネの旧人と、黒髪で褐色の肌の落ち着いた物腰の人間だ。

 

「……ど、どうしてですか?」

 

 エードルトから依頼を受けてからすぐ、俺は噂好きな同級生の伝手を使い、シークレットガーデンへの参入を希望した。結果が通知されたのは一週間後の今日。しかも不合格だった。

 

「私、こんなに頑張ったのに……先輩たちに近づきたくて、少しでもいいから先輩たちのお役に立ちたくて、私努力したんです!」

 

 俺は健気な後輩を演じるが、シークレットガーデンに属する二人の上級生、茶色の髪のキツネの旧人であるミューノと黒髪の人間であるジェレヴは頑として首を縦に振らない。

 

「シークレットガーデンは選ばれた生徒たちだけが入れるサロン。人格、品性、作法、様々な点において優雅さが求められるわ」

「でもあなた、矯正整式を入れてるでしょ?」

「はい。生まれつき体が弱くて、急に興奮したり激しい運動をして心臓に負担がかからないよう、医療用の整式で行動を矯正しているんです」

 

 俺はもっともらしい理由を並べ立てる。

 

「それが問題なの」

 

 ミューノがうなずく。

 

「聖アドヴェント学院の生徒は、優雅を旨とすべし。それは構文によって書かれ、整式によって形作られたものでは駄目なのよ」

「そんな……それじゃ、体の弱い私はどう頑張っても無理ってことじゃないですか?」

 

 ただでさえ忌々しい矯正整式が、ここでも足を引っ張るとは腹が立つ。

 

「違うわ、よく聞いて」

 

 ジェレヴが首を左右に振る。

 

「頑張ってこの学院にいる間、礼儀正しさと他人を敬う気持ちを培いなさい? そうすればきっと、あなたは素敵な淑女になれるわよ」

「先輩のような……ですか?」

「ええ。私たちも最初は右も左も分からないただの一生徒だったけれども、日々の努力を惜しまなかったから、ここまで成長できたのよ」

「入学したばかりは紅茶一つまともに煎れられなかったけれども、今はこうしてあなたをもてなすこともできるわ」

 

 話を教訓的にまとめようとする二人だが、俺は徐々に苛ついてきた。

 

「よく分かりました。先輩方はシークレットガーデンに属する生徒として、いついかなる時でも、どのような茶会であろうと、優雅に振る舞えるということですね。そしてその優雅さが、矯正整式を入れた私には足りない、というわけですか」

 

 媚を売っていても埒があかない。ならば、はっきり俺の実力を見せつける必要がある。

 

「いえ、そこまでは……」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 




9月25日22時の段階で、オリジナル日間ランキング8位を獲得しました。
ついにベスト8到達です。
読んで下さった皆さんに厚く感謝申し上げます。
皆さんのおかげで、本作の主人公シェリスは大胆不敵なTSハッカーとして、
電脳世界を駆け巡ることができました。
本当にありがとうございました!


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第15話:Cybercafe

 

 

◆◆◆◆

 

 

 言いかけたミューノの額に、俺は指先から飛ばした有線を突き立てた。神経を経由してポケットの教書にも接続。意識を丸ごと大綱の中に転送する。

 

「シェリスさん!?」

 

 驚愕するジェレヴの耳孔にも、同様に有線を差し込む。

 

「では一つ、お二人に茶会での立ち居振る舞いをご教授願いたいですね。ご招待いたしましょう“サイバネティック茶道”へ」

 

 

 

 

「ミューノ……しっかりしてミューノ!」

 

 耳元でジェレヴの声が聞こえ、ミューノははっと目を覚ました。

 

「え? 私……ここ……どこ?」

 

 記憶が徐々に鮮明に蘇ってくる。シェリス・フィアに、シークレットガーデンへ入園できないと伝えたこと。彼女の悲しそうな顔と声。突然額に何かが突き刺さる感触。それは五体に一気に広がり、そして……

 

「いったいここ、どこなの……?」

 

 ジェレヴが不安げに身をすり寄せてくる。それも無理はない。いつの間にか二人は学院の中庭から、“詫び&寂び”の精神溢れる建物の内部にいるようだった。一定の間隔に灯るボンボリドローン。ずらりと並んでポーズを取る屈強なリキシの彫刻。寂寥感をいやが上にも高める竹林ジオラマと、リアルタイム描画石庭。

 

「オカエリナサイマセ」

「イラッシャイマセ」

 

 廊下の奥から出てきた二体の人造に、ミューノとジェレヴは息を呑んだ。キモノの意匠が服装のあちこちに取り入れられたメイド。しかもその顔は奥ゆかしく能面によって隠されている。彼女たちは案内役にして給仕。不必要に注目されないために顔を隠すとは、まさに“禅”の精神の体現である。

 

「コチラヘドウゾ」

「アチラヘドウゾ」

 

 メイド二体は一礼すると、くるりと向きを変えて来た方向へと歩き出す。思考が停止した二人は、メイドの後に続くしかなかった。広い建物の中は、他にもスピリチュアルなオブジェに溢れている。墨絵で描かれたカテドラル。ムービング狛犬。ホログラム浮世絵。仁王スタチュー。どこもかしこも趣が深すぎる。

 

 

 

 

 そしてついに、メイドは突き当たりの潜り戸の前で立ち止まった。

 

「ゴユックリドウゾ」

「オタノシミクダサイマセ」

 

 促されるまま、二人は潜り戸を身を屈めてくぐる。そして再び二人は息を呑んだ。足に伝わるタタミの感触。極限まで無駄を省いた質素ながらも勇壮な造りの室内。まさにここはあの神秘の儀式である“茶道”を行う“茶室”に違いない。

 

「ようこそ、お二方」

 

 二人を出迎えたのは、シェリスだった。彼女の出で立ちに二人は目を見開く。シェリスの着ていたのは、学院の制服ではなくキモノだった。白い肌と銀髪、そして赤い瞳に似合う艶やかなキモノ。描かれているのは散るサクラ。髪に挿したきらびやかなカンザシと相まって、シェリスはまるで可憐なオイラン少女のようだった。

 

 シシオドシの音が響き渡る。同事に「資本還元」「経営戦略」と書かれた掛け軸がその表示を変える。『ブラックアウト様が入室されました』『ポーラーベア様が入室されました』『コークスクリュー様が入室されました』。表示と同事に、次々と茶室に現れる正座した男女。ここは大綱の仮想空間だ。彼らは皆、シェリスに招かれたハッカーである。

 

 『ティーセレモニー様が入室されました』。最後にキモノ姿の老齢の男性が悠然と座る。二人は理解した。あれが亭主、つまり茶道マスターだ。左右には人造サムライが二人控えている。じろり、とマスターがこちらを見、二人は震え上がった。どうしていいのか分からない。これが普通の茶会ならともかく、サイバネティック茶道について二人は素人だ。

 

 立ったままの無礼な二人をすぐに無視し、マスターは悠然と茶を点てると一番近くに座るシェリスに茶碗を渡した。丁寧にシェリスはそれを受け取った。華やかながらも実に慎み深い態度だ。

 

「頂戴いたします」

 

 シェリスは静かにその中身を干す。

 

「如何か?」

 

 スカイマグロも怯える雷鳴のようなマスターの問いに、シェリスははっきりとこう答えた。

 

「――もののあはれ」

 

 物の哀れ。禅の精神の体現たるその返答に、満足そうにマスターはうなずいた。

 

「天晴れ、なり」

 

 マスターの賞賛の言葉に唱和し、一斉に正座したハッカーたちがシェリスに敬意を示す。

 

「お見事」

「お見事」

「お見事」

 

 何という調和。何という奥深さ。確かにシェリスはこの瞬間、詫び&寂びを体現していた。

 

 ミューノとジェレヴは理解した。自分たちは何と愚かだったのだろう。矯正整式などという枝葉末節に目が曇らされ、シェリスが本物の淑女、いや禅の本質を知る賢女であることに気づかなかった。今や二人も茶室の末席に座り、奥ゆかしく茶碗の中身に口を付けている。シェリスをシークレットガーデンに迎えることに、ためらいは何一つなかった。

 

 

 

 

「無事入園できたわ」

 

 その後。俺の説明を聞いたエードルトは目を剥いて怒鳴った。

 

「こんな滅茶苦茶な方法で参入しろとは一言も言ってないぞ!」

「自分でも少しそう思うわね……」

 

 お高くとまった上級生の鼻をへし折ってやろうと思って催した茶会だったが、結果的に入園を勝ち取れたのだから一挙両得だろう……とはさすがに俺も言えないのだった。

 

 

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サイバーパンクと言えば、勘違いしたニッポンが欠かせません(断言)


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第16話:Angelic

 

 

◆◆◆◆

 

 

 旧式の数理で隔離された空間と、単純な構文で施錠された扉を抜けた先にあるのは、規模こそ大きいものの普通の庭園だった。恐らくここは数理で空間を拡張&歪曲させた、学院の上階に位置する空中庭園だ。今日はシークレットガーデンの開催日ではない。今、俺はミューノの名義を使って密かに侵入している。

 

「天使ってのはどこにいるんだ?」

 

 俺が参入したシークレットガーデンには、生徒たちの間である噂が囁かれている。この庭園にいると“天使”と会えるという下らない噂だ。エードルトが俺をここに送り込んだのも、その噂の真偽を確かめるためか? だとしたらあいつも、ここの生徒と同レベルの暇人だ。そもそも、シークレットガーデンはただのお嬢様たちのお茶会だった。

 

 危険な秘密や陰謀の匂いもなく、放課後集まっては無害なお喋りとお茶を楽しむだけの集まりだ。俺としては一度顔を出したらそれ以上出席したくなかったが、なぜかミューノとジェレヴの二人は俺に毎回出席して欲しいらしい。そしてなぜか、庭園の隅には小さな力士像がある。サイバネティック茶道がシークレットガーデンを侵蝕しているようだ。

 

 飽きてきた俺は、そろそろここを出ることにした。生徒が誰もいない時に侵入してみたのだが、結局ここはただのバラ園でしかない。外に出て扉を閉じ、周囲の監視システムに偽装構文を流せば終わりだ。履歴は書き換えられ、ミューノとして入園した誰かどころか、最初からこの庭園には誰もいなかったことになる。

 

 教書を開いたその時だった。

 

「……くっ」

 

 一瞬だけ、認識がずれる。間断なく進む時間に、刹那差し込まれるプレパラート。一秒前と一秒後。世界がわずかに違って見える違和感。

 

(……この感覚は?)

 

 不気味なことに、これは大綱に接続した時、時折感じる違和感だ。ハッカーの間では“余震”と呼ばれる感覚に近い。しかしなぜそれがリアルで?

 

「――やあ、君が今日のお客さんかい?」

 

 それまで誰もいなかったはずの空間に、見知らぬ少女がじょうろを手に立っていた。ショートカットのボーイッシュな少女だ。いや、ボーイッシュどころか、制服のスカートをはいていなければ本気で性別が分からない。快活な少女にも、もの柔らかな少年にも見える。少女はふらつく俺を見て首を傾げた。

 

「おかしいね。今日お茶会はないはずなんだけど?」

 

 確かにここには、俺以外誰もいなかった。ずっと監視システムに頭の片隅で接続していたが、入園した人間はいなかったはずだ。俺と同じく不正に入ってきたのか、それとも今までステルス迷彩で隠れていたのか。

 

「すみません。鍵が開いていたので……」

 

 すぐさま俺は、困った顔を取り繕う。

 

「何だそうか。ジェレヴが鍵をかけ忘れたのかな? 珍しい」

 

 少年のような少女は気さくに笑うと手を振る。

 

「僕はキシア。君は?」

 

 やれやれ、一人称まで「僕」か。ストリンディも中性的だったが、体つきは隠しようもなく少女だった。一方こいつは、ストリンディに輪をかけて性別がはっきりしない。

 

「シェリス・フィアといいます。どうぞよろしく」

 

 

 

 

「これが十年前の卒業生が植えたバラ、そしてこっちが、先生方がお金を出し合って買ったバラだよ。ああ、それと向こうは――」

 

 俺はキシアと名乗った少女の後を、杖を突きながら付いて歩く。あの後、俺は「こっそり忘れ物を取りに来た下級生」を装った。それにキシアが納得したかどうかは不明だが、今彼女は上機嫌でバラ園を案内している。

 

「君、上の空だよね?」

 

 しかし、先を行くキシアは急に振り返るとそう言う。

 

「あら、分かりました?」

 

 俺は素直に認める。

 

「へえ、面白い。大抵の子は、そう言われたらすぐに『そんなことありませんわ。とても興味深く聞かせていただいています』って弁解するのに」

「あなたでしたら、正直に認めても怒らないと思いましたから」

「面白いなあ、君は」

 

 楽しそうにキシアは笑う。一見すると快活で人好きのする感じだが、目が笑ってない。

 

「そうですか?」

「だってそうじゃないか――」

 

 立ち止まった俺に、キシアは近づくと顔を寄せる。

 

「本当は男なのに女の子の格好をしちゃって、しかもそれが板についている。僕も人のことを言えた義理じゃないけど、不自然が服を着て歩いてるみたいで滑稽だね」

 

 ――何だこいつは? なぜそれを知っている、いや分かる? 

 

「……そうですか」

 

 幸い俺は矯正整式の力で取り乱すことはなかった。辛うじてそう言った俺に、キシアは満足したらしい。

 

「また会おうね。今度は、正式に招かれて欲しいな」

 

 その言葉と共に再び余震の感覚が襲う。ふらついた俺が目を閉じて再び開けた時、そこに彼女の姿はもうなかった。

 

 俺はキシアの消えた空間から目を離し、周囲を見回す。そして気づいた。近くのバラの垣根の中に手を入れると、中から一冊の教書が出てきた。

 

「これが種明かしか。下らないな」

 

 恐らくこれが、キシアの姿を投影していたのだろう。

 

「こんな三文芝居で騙せるのは、ここの箱入りお嬢様たちだけだぞ。天使さん?」

 

 俺は鼻で笑うと、教書を放り投げた。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第17話:Entre nous

 

◆◆◆◆

 

 

 模範的なスマイルを浮かべる人造の店員が差し出すトレーを、俺は手に取る。ここはバーガーアーキテクチャーというハンバーガーチェーンの店舗だ。俺はさっさと席につくと、「楽しくて! 速くて! 設計図通り!」というキャッチフレーズ通りの、本物の肉も野菜も一切用いられていない合成食品を口に運ぶ。漂白されたような食べ慣れた味だ。

 

「打ち合わせにここを選ぶなんて嫌みだね、コンフィズリー」

 

 俺の向かいの席に座る金髪の男がそう言う。外見はどう見ても少年、それも可愛らしくて人なつっこそうな美少年だが、れっきとした成人だ。

 

「諧謔って言って欲しいわね、アシッドレイン」

 

 何しろこいつの種族はドワーフだ。ドワーフは成人しても背丈がヒトの子供程度しかない。

 

 こいつは「イカレた」アシッドレインにして「お優しい」アシッドレイン。大脳周辺に生体融合させた医療用パーツがメーカーの不備で暴走したあげく、この歪で分裂した、でも有用で奇妙に柔和なハッカーが生まれた。傷つけ、癒し、絶望させ、慰撫する。全部を一人でできるスタンドアロンの狂人だ。信奉者も多いらしいが、俺には微塵も関係ない。

 

「仕事の話をしようか」

 

 アシッドレインは教書を開くと数枚のページを質料ホログラムで実体化し、ファイルにして渡す。

 

「ええ、そうしましょう」

 

 俺はそれを受け取って暗証コードを入れる。仮に第三者がこれをのぞき見ても、ただの食べ歩きの情報にしか見えないよう巧妙に偽装されている。ドワーフが種族的に数理に長けているのは本当らしい。

 

「依頼主はバンプ・ピザ。目標はここ。理由は……まあいつものことだよね」

「自由競争」

「そう。自由万歳」

 

 アシッドレインは気のない返事をする。この都市において企業同士の競争とは、単なる宣伝やキャンペーンや新商品の開発にとどまらない。武力による干渉は選択肢の一つだ。重要な点として、都市の支配者である公議はこれを容認している。

 

 商戦を文字通りの戦闘に変える是非など、汎愛モラリストたちに死ぬまで論じさせておけばいい。ハッカーが考えるのは、どうやってその商戦に乗じて荒稼ぎするかということだけでいい。今回の依頼も単純だ。バンプ・ピザは憎き商売敵を物理的に牽制したいらしい。ボーダーラインでは、側溝を這うスライム並みにありふれた依頼だ。

 

 アシッドレインがよこしたファイルには、バーガーアーキテクチャーのとある食品プラントを襲撃して欲しいとの依頼が書かれている。そこでは今やっているキャンペーンの目玉である、ミスター・ビーフマンのバブルヘッドが秘密裏に保管され、配送の準備が整いつつあるらしい。バンプ・ピザはこのキャンペーンを中止にしてもらいたいようだ。

 

「報酬はそこに書いてある金額と、もう一つ」

 

 アシッドレインは説明を付け加える。ちなみに、俺たちの密談はアシッドレインが展開した誤訳数理によって、当たり障りのない会話となって周囲に聞こえている。

 

「目標の近くを“偶然”空っぽのトラックが沢山通る可能性があるらしいんだ。いろいろ、積み込みたくなるよね」

 

 いたずらっぽくアシッドレインは俺にウインクする。きっと今の発言は誤訳数理によって「今度遊園地でデートしようよ。いいでしょ?」とでも周りの客には聞こえているのだろう。つまり、食品プラント内の商品をこちらの裁量で売りさばいていいとのことだ。これもれっきとした企業間闘争の一形態だ。おまけに俺たちの懐も潤う。

 

「マーケットの商品棚も多めに空いているでしょうね」

「うんうん。これは博愛精神のあらわれさ。僕たちは親切だからね」

 

 アシッドレインは無駄に爽やかに笑う。まあ、確かに安価で大量のファーストフードが市場に流れれば、食うや食わずの連中は助かるだろう。

 

「でも、悪いニュースもある」

 

 しかし、すぐにドワーフは表情を引き締める。

 

「何かしら?」

 

 確かにこいつは狂っているし悪趣味だが、仕事には真面目に取り組む。俺がこいつをある程度買っているのはそこだ。

 

「企業警察に凄腕の騎士が雇われているのは知っているよね。たぶん、彼女が勤務している日時とこのイベントは重なる」

 

 このように、ちゃんと依頼の問題点も指摘するのが、こいつがただの愉快犯ではない証拠だ。

 

「リスクは無視できないよね」

「あらそう。私は受けるわよ」

 

 神妙な顔をするアシッドレインに、俺は平然と答える。頭の中には、時代錯誤のアーマーに身を固めたストリンディの姿があった。

 

「上層都市の騎士様にあなたの作品が通じるかどうか、試してみたいと思わないの? ねえ可愛いドワーフさん、あなたの首から上は何のためにあるのかしら?」

 

 わざと棘で彩った俺の言葉に、アシッドレインの顔が半分だけ引きつった。この分裂した表情。間違いなく、こいつの精神は今も暴走した医療用パーツの影響から脱していない。

 

「君、見かけによらず挑発がすごく上手だね」

 

 ドワーフが無駄に可愛い顔を近づける。娯楽薬物で濁ったような片目が俺を舐めるように見る。

 

「一度泣かせてみたくなるよ」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第18話:Chattering

 

 

◆◆◆◆

 

 

 あまりに直球の脅しに、俺は失笑した。意識だけで矯正整式に破却構文を送り込んでから口を開く。

 

「失せろ雑魚が。その役立たずのお荷物を今軽くしてやろうか?」

 

 有線を接続して医療用パーツをハッキング。希代のボマー、インスペクターから拝借した高濃度揮発構文を流し込めば、炸裂する大脳花火のできあがりだ。店内は拍手喝采間違いなし。

 

 俺の返答に、今度はアシッドレインの反対側の顔が引きつった。笑える表情だ。アシッドレインの濁った方の目が動く。視線をワイヤリングしているのが丸わかりだ。俺はフライドポテトをつまんでいた指から有線をちらつかせる。この緊迫感。力士が土俵で向かい合った状態に近いだろう。行司がどこにいるのかは知らんが。

 

「――やだなあ、冗談だよ冗談。僕が身内には優しいのは知ってるだろう?」

 

 先に折れたのはアシッドレインだった。

 

「もちろん知ってるわよ。今のは演じてみただけ。格好良かったでしょう?」

 

 空々しい笑顔を向けられ、俺もお淑やかにほほ笑む。

 

「最悪だね」

 

 気に食わない答えが返ってきたので、俺も率直に答えてやった。

 

「あなたこそ最低よ」

 

 

 

 

 授業を終えて帰り支度をする俺の近くで、ストリンディ・ラーズドラングを取り囲む女生徒たちという毎度おなじみの光景が繰り広げられている。

 

「ストリンディさん、これからお茶会ですのでご一緒しません? ラズベリータルトを用意しましたの」

「ストリンディさん、ご一緒に乗馬を楽しみません? 今日は湖畔の方に行こうと思っているんです」

「ストリンディさん、是非ご一緒したい美術館がございますの。素敵な夕べにいたしましょう?」

 

 女子たちは口々にまくし立て、ストリンディを自分たちの会合に参加させようとしている。我が校の王子様は今日も人気者だ。

 

「皆さん、大変申し訳ありません。これから騎士としての治安維持活動の予定が入っているんです。お気持ちだけ、いただきます」

 

 しかし、済まなそうな顔でストリンディは女子たちの申し出を断った。

 

「まあ、そうでしたの」

「ストリンディさんは騎士ですものね」

「なんて高潔なんでしょう……」

 

 女子たちは残念そうにしつつも嬉しそうだ。

 

「でも、皆さん誘って下さりありがとうございます。嬉しかったですよ」

 

 そのフォローと微笑で、たちまち女子たちは頬を真っ赤に染めていた。

 

「ああ、今日もストリンディさんは気高いわ。下品な男子とは大違いよ」

「あの凛々しいお姿、有象無象の男子なんかよりもずっと素敵だわ」

 

 俺の隣に二人の女生徒が立ち、うっとりとストリンディを見つめている。

 

「それなのに、危険な下層都市に出向されるなんて……」

「ストリンディさんを貶める騎士団の陰謀かしら。もしそうなら許せませんわ」

 

 しかし、やたらと二人があいつを持ち上げるので、俺はつい丁寧な皮肉を口にしてしまう。

 

「箒とちり取りは壁に立てかけて飾っておくのではなく、実際に使ってこそ意味のあるもの。騎士も肩書きだけでは無職と変わりないでしょう? 適材適所ではないかしら?」

 

 案の定、俺を見る二人の視線が一気にきつくなった。

 

「あら、シェリスさん。常々ストリンディさんに助けていただきながら、そんな言い方は無礼ではないかしら?」

「それともあの方々に嫉妬してるのかしら? まあ、随分と見苦しいわ」

「見逃せない非礼よ。謝罪しなさい」

「そうよ。ちゃんとストリンディさんに謝るべきよ」

 

 俺の一言に対し、十倍の騒音が二つの口からまくし立てられる。

 

「私の非礼など可愛いものよ。何が“下品な男子”“有象無象の男子”かしら」

 

 だが、上層都市のお嬢様が気色ばんでも怖いどころか笑えるだけだ。俺は笑みを深くする。よく見るとこの二人、一つの共通点があったからだ。その口を黙らせる格好のネタがあった。

 

「ほかでもないお二人こそ、その下品で有象無象な男子に熱を上げているのに――ねえ?」

 

 俺がそう言うと、一瞬で二人の顔が青ざめた。

 

「な、何のことかしら」

「へ、変な言いがかりは止めて下さる?」

 

 やはり図星だ。外面は異性なんて眼中にない純潔を気取っても、内面は青春まっただ中らしい。悪いが俺は下層都市のハッカー、追い詰める時は徹底的にやるのが主義の人間だ。

 

「まあ、この学院は異性との交遊が厳禁ではないけれど……」

 

 教書を開き、俺は二枚の写真を質料ホログラムにして二人に差し出した。そこには、人目を忍んで他校の男子と密会する二人が写っている。以前校内の監視カメラをハッキングして入手した映像だ。別に、取り立てて珍しくもないカップルの写真だ。

 

「少なくとも、なし崩しで二股をかけるような浮気性の男子とは付き合わない方がいいと思うわ」

 

 ――ただし、そこに写っている彼氏が同一人物であることを除いて、だが。

 

 今度こそ顔面蒼白になって絶句し、恥辱と憤怒で全身を振るわせる二人を横目に、俺はその場を後にした。親しい友人だと思っていたのが実は恋敵であり、こっそり付き合っていた彼氏が実は浮気者だと知った二人が今後どうするかなど、俺には心底どうでもいいことだった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第19話:Prearrangement

 

 

◆◆◆◆

 

 

 企業。上層都市を拠点とし、下層都市を競争の場とする、飽くなき経営と発展と成長の主体。狂いきった管理者である公議に代わり、彼らこそが都市とそこに住まう市民に直接的な影響を与えている存在だ。だが、狂気という一点に絞ってみれば、公議も企業も大差ないと言えよう。何しろ企業同士の競争とは即ち、武力による戦闘行為にほかならない。

 

 企業によるこの戦争は、企業間闘争と聞こえよく呼ばれていた。しかもこの戦争は、自由競争の名目で看過されている。企業傭兵が一般人を誤射し、ハッカーが関連組織のデータバンクを手当たり次第破壊しても、全部経済活動の一環として扱われるのだ。元より企業警察とは名ばかりの法の番人であり、彼らもまた破壊による経済に組み込まれている。

 

 確かに企業は狂っている。だがそれを知ってなお、都市と市民は企業による運営をよしとしている。下層都市にまともな奴など皆無だ。誰もが自由競争という名の戦争を当然のものとして受け入れ、美味なパイを貪り食おうと我先に群がる。もちろんハッカーも右に同じだ。ハッカーにとって企業とは、高額の報酬を支払ってくれる上得意でしかない。

 

 

 

 

 深夜。下層都市のとある区画。隣接する古風なカジノと劇場の照明に照らされながら、一台の大型タンクローリーが路肩に駐車した。都市の燃料を運搬する貨物自動車だ。運転席に座るクマの旧人は、一般的なそれに比べて動物の要素が色濃く体に出ている。運転手は窓を開け、喧噪に満ちた夜気を吸い込んでから大あくびをする。

 

「やれやれ、これで終わりか」

 

 大きく張り出して今にもボタンが弾け飛びそうな下腹を掻きつつ、運転手は呟く。

 

「さて、と」

 

 いそいそと彼は助手席に置いてあったものを膝に乗せる。

 

「やっぱりハンバーガーみたいな女子供がちびちび食うものより、男は黙ってコレだよなあ」

 

 彼が手で愛おしげに撫でるのは、包装されたバンプ・ピザの超特大サイズだ。

 

 パッケージに貼られた放熱の原画を起動。数秒待ってから運転手が蓋を開けると、そこにあるのは湯気の立つギガンテスミートピザだ。肉、ミートボール、サラミ、ソーセージ、ハム。あらゆる肉が山盛りのピザだが、本物の肉だけは一切ない。

 

「この腐った街に乾杯」

 

 ノンアルコールのビールの缶を掲げ、運転手が上機嫌でそう言った時だった。

 

「へえ、おいしそうだね」

 

 誰もいないはずの助手席から声がする。運転手が驚愕の表情で横を向くと、いつの間にか金髪のドワーフが座っていた。

 

「でもおじさん。夜食は肥満の元だよ」

 

 彼が握っていた手を広げると、そこにはホログラムの大きなクモが乗っている。そのクモはわずかに身じろぎすると、大きくジャンプして運転手の首筋に張り付いた。

 

 

 

 

 同時刻。バー“野武士”で、カウンターにいた一人の客がテーブルの上にコインを置いた。

 

「ごちそうさま」

「もう行くのか」

 

 勘定を受け取ったオーガのバーテンダーが尋ねる。

 

「これから仕事なんだ」

 

 客の外見は耐蝕コートで覆われ、顔はフードを目深に降ろしている上に簡易迷彩が施してあり目視できない。

 

「そりゃ大変だな。せいぜい気張れよ」

 

 しかし、野武士にはこの手合いが山ほどいるので、バーテンダーは少しも気に留めない。

 

「“善く游ぐ者は溺る。善く騎る者は堕つ”」

「何だそりゃ。禅か?」

 

 客が何やら呟いたが、酔漢の戯言だろうと思ったバーテンダーは肩をすくめるだけだった。彼がフェアリーの給仕に注文のカクテルを渡してから再びそちらを見た時、既に客の姿は消えていた。

 

 

 

 

 ボーダーライン。数理と情報によって形作られ、欲望と狂騒によって彩られた混沌の都市。野武士の出入り口を背に、ギルズリー・オーディルは大きく息をついた。深呼吸して胸と肺に夜気を満たしていく。ちょうど、遠く離れたカジノと劇場のすぐ側で、太った運転手が今まさにそうしているように。

 

 通りを行く者たちは誰も、彼に目を留めることはない。全身に光学的な迷彩を施しているからではなく、彼がニンジャのように気配が希薄だからだ。その手が耐蝕コートのフードの付け根に触れ、簡易迷彩を消去する。現れたのは、青年と壮年のちょうど中間くらいの年齢の男性の顔だ。髭面だが、不思議と気品のある優しげな顔をしている。

 

 見る間に、彼の耐蝕コートが着物を意匠に取り入れた形状へと変形していく。あたかも果たし合いに赴くサムライの装束だ。だが、ギルズリーの腰に大小はない。代わりに彼が軽く手を動かすと、その指先から有線が舞い、同事に両脇からステルス迷彩を解いた二体の機甲文楽人形が姿を現した。

 

「さあ行こう。彼が待ってる」

 

 彼は穏やかに自分の人形たちに話しかける。外套の袖とフードが外骨格となって生身を覆い隠し、今やギルズリーの姿はメカニカルな単眼のサイバネティック傀儡師となっていた。

 

「いや……今は“彼女”かな?」

 

 外骨格の下でかすかに笑いつつ、彼は自分の教え子の姿を脳裏に思い浮かべていた。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 




 スカイダイバーは別世界を舞台にしていますので、本来はステイルメイトが操る文楽人形も、彼が引用する淮南子も存在しませんが、一種のフレーバーということでお願いします。


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第20話:Overselling

 

 

◆◆◆◆

 

 

 全都市アーマメント普及協会の標榜するスローガンはいくつかあるが、その内の一つが「過剰なる戦力は過剰なる勝算を生む」である。その言葉の通り、この死の商人が企業間闘争に参加する時、大抵の場合多すぎるほどの人員と兵力を送り込んでくる。まさに質より量を地で行く戦法である。しかも当人たちはこれを楽しんでいるからたちが悪い。

 

 深夜。場所はバーガーアーキテクチャーが所持するとある大型食品プラント。本来ここはバーガーアーキテクチャーが販売するファーストフードを合成し出荷する場所だが、今は秘密裏に運び込まれたある景品の保管場所となっている。その景品とは、ボーダーラインで流行している子供向けアニメ、ミスター・ビーフマンのバブルヘッドだ。

 

 既に大綱では、このバブルヘッド一式が高額で取引されている。特にシークレットのキング・サーロインのバブルヘッドに至っては、オークション形式で今も値が吊り上がり続けている。バーガーアーキテクチャーが、景品を食品に偽装して保管しているのも当然だ。このバブルヘッドは、言わばサメが群れを成す海に投げ込まれた生肉同然である。

 

「どうです見て下さいこの勇敢にして壮観な光景を! これぞ我が全都市アーマメント普及協会の精神が具現したものです!」

 

 景品の管理状況を視察に来たバーガーアーキテクチャーの重役の隣で、全都市アーマメント普及協会のエージェントが熱弁を振るっている。方や小太りで禿頭の人間の男性、方や鉛筆のような細身のデーモンの男性だ。

 

 二人の視線の先。プラントを取り囲む防壁の内側にずらりと整列しているのは、機械化歩兵の一団である。手足を軽量化したそのボディの形状は甲殻種族に近い。デーモンのエージェントが手に持った教書で信号を送ると、機械化歩兵は一斉にライフルを掲げてポーズを取る。一糸乱れぬ動きは一見すると壮観だが、構文通りに動いているに過ぎない。

 

「いや、君。私はこれほどの警備が必要だとは言ってないのだが?」

 

 重役は禿頭に汗を滲ませる。明らかに協会がよこした戦力は、こちらの提示した予算以上だ。こちらは単に景品を秘密裏に警備して欲しかっただけなのに、これからどこかのプラントを強襲できるほどの戦力が送られてくるとは思わなかった。これでは目立ってしょうがない。

 

「何をおっしゃいます!」

 

 重役の突っ込みに、エージェントは大げさに反応する。

 

「ミスター・ビーフマンのバブルヘッドを守るためならば、これくらいの派兵は当然ですよ! いえ、むしろ足りません! この程度の戦力では到底足りませんよ!」

 

 手足を振り回して叫ぶエージェントだったが、突如彼の教書が着信のベルを鳴らす。

 

「……私です」

 

 すぐに誰かと通話するエージェントだったが……。

 

「おお、来ましたか。よかったです! ええ、はい、当然今すぐここにお願いします!」

 

 教書を閉じたデーモンは、そのヤギに似た顔に満面の笑みを浮かべて言った。

 

「お喜び下さい! 今ここに我が協会の精鋭が到着いたしました! どうぞご覧下さい!」

 

 その言葉に重役はのけぞった。

 

「え? いや、これ以上はもう……」

 

 このトリガーハッピーはまだ何か送りつけてくるのか。

 

「さあ、クライエントに見せて差し上げましょう!」

 

 重役の否定を完全に無視し、エージェントはあたかもコンサートの指揮者のように両手を振り上げる。それと同事に、近くに駐車してあった協会の大型輸送機が反応した。

 

「どうですこれを! あらゆる地上戦力と単体で比肩しうる機動装甲“蛮勇52型”です!」

 

 内部に展開した転送の数理が終わったのか、コンテナが開く。そこからのっそりと姿を現したのは、あたかも金属製の二足歩行する昆虫……あるいはヒトの要素の混じった恐竜だ。

 

「究極! 無敵! 最強! 万能! ステキ! カッコイイ! キンボシ!」

 

 テンションが上がりすぎたエージェントはともかく、こちらに向かってきた二体の機動装甲は、その全貌を照明の下に露わにした。生身で相対するだけで恐怖を覚えるその巨躯。滑らかな輝きを放つ流体装甲。両手に備え付けられた大口径の機関銃と肩にマウントした数理榴弾砲。さらに腕の装甲に隠れた近接戦闘用のドリルとチェーンソー。

 

 生身のヒトが搭乗する“重機”とは異なり、この機動装甲はヒトの脳髄がパーツとして組み込まれている。言わば特大サイズの機体である。二体の機動装甲は、自らの武力を誇示するかのようにその場でゆっくり回転してから、こちらに背を向けた。その両肩の砲身が何度か位置を微調整し、そして……。

 

「……は?」

 

 重役は目を疑った。

 

 何を思ったか、機動装甲は突如プラントの防壁に向かって発砲したのだ。轟音と共に、堅固なはずの防壁に大穴が空く。

 

「……君」

「……何でしょうか?」

 

 ぎこちなくこちらを向く協会のエージェントに、重役はすがるように尋ねた。

 

「あれも……君たち協会のパフォーマンスの一環なのかね? そうだろうね?」

 

 残念ながら返答はなかった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 




ボーダーラインでしのぎを削るファーストフードのキャッチフレーズ
 *バーガーアーキテクチャー:「楽しくて! 速くて! 設計図通り!」
 *バンプ・ピザ:「おいしさはメガトン! ボリュームはギガトン!!」
 *ニンジャ・スシ:「ニンジャも驚く! ニンジャが握る! それはスシ!」


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第21話:Sabotage campaign

12月2日まで毎日投稿いたします


◆◆◆◆

 

 

 ボーダーラインでも、とりわけごみごみした工業地を俺は歩いている。周囲の建築物は強引な機械化により、生身と機械が混じった不格好な機体のような異形となっている。煙突から昼夜を問わず吐き出され続ける煤煙。道路を掃除しているのかさらに汚しているのか分からない清掃用のマシン。空気はオイルと煤と塗料の匂いで満ちている。

 

「よう、小さい迷子ちゃん。お外まで案内してやろうか?」

 

 職人や機械工が大多数を占める通行人の中で、人造のヴィディキンスを執事のように連れた俺は相当目立っていたようだ。周囲に個人経営の金属加工工場が目立つようになってきたところで、とうとう知らない顔に呼び止められた。全身に流動タトゥーを移植したスキンヘッドの大男だ。

 

「不要よ。ここに用があるの」

 

 視界に入れるだけで目が回る流動タトゥーから目を逸らし、俺はそっけなくそう言う。

 

「ペットのワンちゃんにキレイな首輪でも買ってやるのかよ。ははっ!」

 

 嘲りを隠さない口調に、俺はため息をついた。面倒くさい。

 

「欲しいのは仕事用の外側だけキレイな車。コールドフィッシュの八本腕に依頼して作ってくれたのよ」

 

 コールドフィッシュという店名。八本腕というあだ名。二つが符牒となり、大男の表情が嘲笑から賛嘆に変わった。

 

「驚いたな。あんた、こっち側の人間か。また人畜無害に偽装したボディだな。金がかかっただろ?」

 

 俺の体を機体だと勘違いしてるらしい。まさか。こいつは完璧に生身だ。

 

「支払いよりもっと面倒なものがつきまとって頭が痛いわ」

 

 

 

 

 一気に親しげになった大男から「面倒事があったら呼んでくれよ」と提案されたが、それを「気が向いたらね」と返し、俺は一件の店の前に立った。スクラップがうずたかく積まれた、周囲の店と変わらない外観だ。看板さえない。だが俺は知っている。ここは報酬次第で、どんな車種でも職人が手ずから作ってくれる小さな自動車工場だ。

 

「お邪魔するわ、モンダーノおじさん」

 

 巧妙に隠された入り口から入ると、乱雑な外観とは裏腹に中はきれいに整理されていた。一台の自動車の下に潜り込んでいた店主が姿を現す。

 

「おや、わざわざ来てくれたのかい、娘さん」

 

 ボーダーラインに似つかわしくない優しい老人の声音。ただしそれは、ヒトとタコの混じった外見から発せられている。

 

 エミグラント。水生種族とは異なる、深淵からの移民。人間らしく服を着てエプロンをつけ、さらに金縁の眼鏡をかけているが、その姿はまさにあってはならない異形そのものだ。根源的な恐怖が背筋を這い上がってくるのを止められない。

 

「失礼だが、ハンドルを握ったことはあるかね?」

「運転は人造がするから問題ないわ」

「ほほう、ならばよい」

 

 やはりプロ。自作がいい加減に扱われないよう確認してくるのは好ましい。

 

「注文の品はこちらにあるよ」

 

 車庫に案内された俺が目にしたのは、一台の高級車だ。ただし偽物だが。しかし、単に外見を似せただけじゃない。きちんとセキュリティを通れるように数理的にも完璧に偽装してあるはずだ。

 

「ええ、これが欲しかったの。ありがとう」

 

 

 

 

 ヴィディキンスが運転する車に乗り、俺は続いてとある屋外闘技場に向かった。生身にこだわる徒手空拳のバトルが毎夜開かれている、ボーダーラインではおなじみの娯楽の場だ。車を停めて偽装数理で外見を変えてから、俺は見物客に混じってバーリ・トゥードの戦いを眺めていた。しばらくすると、横から太い声をかけられる。

 

「一貫いかがかね?」

 

 隣をちらりと見ると、一人の板前がいた。ニンジャ・スシの遊撃店員だ。肩には金属の増設アームが二本。四本の腕がその場で握る寿司は、ボーダーラインの面々に好評だ。ちなみに遊撃と言うだけあって、店員は皆武装している。簡易契約を結べば、企業傭兵として雇うことも可能だ。そうなれば、合成食材ではなく敵をネタにしてしまうだろう。

 

「おすすめは?」

「ネギカモが入った」

 

 頑固一徹、といった顔の店員は腕を組む。

 

「五貫もらおうかしら。ワサビ大盛りで」

 

 俺の注文を聞くと、途端に店員は相好を崩した。

 

「ご指名ありがとう、コンフィズリーちゃん」

 

 なよなよした女っぽい口調。「タダ乗り」ジェノート。性別も外見も記憶も、全部滅茶苦茶になった成れの果ての元人間だ。

 

「はい、依頼の品よ。大事に使ってね」

 

 先程の注文は合言葉だ。依頼主を確認したジェノートは、俺に一枚の原画を渡す。

 

「ありがとう。これは報酬よ」

 

 俺も素早く有線を増設アームに接続し、そこから大綱にある口座に料金を振り込んだ。

 

「無断使用は一度が限度よ。すぐに対策されちゃうから。タイミングに気をつけてね」

「もちろん。それで十分よ」

 

 ジェノートがバーガーアーキテクチャーの本社の認証を盗取し、俺は報酬を支払う。取引は終了だ。

 

「じゃあね。また何かあったらよろしく」

 

 そう言って去っていく板前の背中を見ることなく、俺はヴィディキンスを伴って歩き出した。熱狂する群衆をすり抜け、出口へと向かう。仕事前のこの緊張感がたまらない。

 

 ――企業間闘争の準備は整った。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第22話:Sabotage campaign2

 

 

◆◆◆◆

 

 

 一台の大型タンクローリーが道路を爆走している。

 

「そうそう、上手上手。頑張れ頑張れ」

 

 運転席でハンドルを握るクマの旧人の耳元で、可愛らしいドワーフが心底楽しそうに囁く。アシッドレインだ。

 

「……! ……!!」

 

 運転手は、歯を食いしばって正面を見据えたまま答えない。

 

「あはは、ほらほら、そろそろゴールだよ。よかったね」

 

 肝臓の医療パーツを通じて生きた操り人形にした運転手に、アシッドレインは目標を指し示す。

 

「そのまま全速力であそこに体当たりだ。このタンクローリーを丸ごと特大の砲弾にしようじゃないか」

 

 見えてきたのは、バーガーアーキテクチャーの所持する食品プラントを取り囲む外壁だ。

 

「5……4……3……2……1……ゼロ♪」

 

 

 

 

「な、な、な、何の爆発ぅ!?」

 

 機動装甲の発砲に続いて発生した第二の爆音に、今度こそバーガーアーキテクチャーの重役は跳び上がった。普段彼は上層都市スカイライトで経営に勤しんでいるため、下層都市ボーダーラインの馬鹿騒ぎと同義の荒っぽさには恐ろしく不慣れである。

 

「敵襲です! ただちに迎撃の用意を!」

 

 幸い、隣の全都市アーマメント普及協会のデーモンは冷静だった。企業間闘争が始まったと理解した彼は、すぐに教書を開き配下の機械化歩兵たちに指令を飛ばす。マスターのコマンドを受けた機械科歩兵たちは一糸乱れぬ動作でライフルの安全装置をはずし、ただちに――その銃口をお互いに向けた。

 

「ちょっと君! これはどういうことだねぇ!?」

 

 突如始まった機械化歩兵の同士討ちに、重役は限界まで高まったオクターブで叫ぶ。もはや事態は完全に彼の理解を超えていた。

 

「ハ、ハッキングですって!? あり得ません!」

 

 だが、それはエージェントも同様だ。機動装甲に引き続いて機械化歩兵までハッキングされるとは、大金をつぎ込んだセキュリティがこれでは紙切れ同然である。

 

「オペレーター! 何をしています、敵の攻撃ですよ!」

 

 デーモンのエージェントは後頭部にインプラントした情報デバイスにアクセスし、別所で待機する協会のオペレーターに連絡を入れる。本来は彼らが機動装甲と機械化歩兵の補助を行うはずだ。ハッカーの攻撃には彼らが対処するよう分担されている。

 

「オペレーター! 応答しなさい!!」

 

 完全な無反応にぞっとしたエージェントは、オペレーターのいるルームのカメラに視覚を接続する。そして彼は見た。ずらりと並んだ専用の椅子に座るオペレーターたち。でたらめな文字を延々と映し出す仮想スクリーンと、床にまき散らされた白紙の質料ホログラム。一人の手は、ミネラルウォーターのボトルを握り潰したまま固まっている。

 

(全員昏倒している。そんな馬鹿な!?)

 

 協会所属の優秀なオペレーター。その全員が一人残らず無力化されていた。明らかなハッキング。恐らくオペレーターたちはデバイスを通じて、意識に論理病源を流し込まれたのだろう。助けを求める暇さえ与えない、しかしはっきりと蹂躙の痕跡は残す数理攻撃。

 

「南無三! 仕方ありませんここは私が――!」

 

 だが、エージェントは諦めない。義肢の親指から有線を伸ばすと教書に接続。暗証コードを入れて機械化歩兵の制御ネットワークに介入。指揮権に巣くう病源の種類を見分けるべく、薬理整式を送ったその時だった。

 

「“他の過ちは見易けれど、自れのは見難し”」

 

 その声が聞こえたのを最後に、エージェントの意識は虚空に消失した。

 

 

 

 

「なんで……なんで……!?」

 

 重役は食品プラントの正門前で息を切らしていた。目の前でくずおれるエージェントを見た後、彼のメンタルは限界を突破していた。もう彼の頭には逃げることしかなかった。真っ当に企業警察に通報したり、本社に指示を仰ぐことさえ思いつかない。

 

「ひぃっ!?」

 

 突然教書が着信を告げ、彼は跳び上がった。

 

「ど、どういうことだ……?」

 

 教書を開くとそこには、どういうことかバーガーアーキテクチャーの社長の繋累が今ここに到着したとの私信があった。送信先は一応バーガーアーキテクチャーの本社となっている。なぜ今ここに? 完全に混乱した重役は、それでも普段の習慣に従い、上役の機嫌を損ねないよう大慌てで正門の施錠を解除した。

 

 分厚い扉が開くと同事に入ってきたのは、一台の高級車だった。運転しているのは人造だ。停車してから後部のドアが開くと、中から一人の少女が姿を現す。銀髪に赤みがかった瞳の、見るからに可憐な少女だ。足が悪いのか杖をついている。重役の脳に疑問符が浮かぶ。確かに外見は育ちのいい少女に見えるが、顔にまったく見覚えがない。

 

「失礼ですが、お嬢様は社長のご親戚ですか?」

 

 おずおずと尋ねた彼に、少女は平然と答える。

 

「いいえ」

 

 同事に指先の有線が閃いた。

 

 ――外耳の補助デバイスを介して、一瞬で重役の意識を封じたシェリス・フィアは、サメのように獰猛な笑みを浮かべて叫んだ。

 

「さあ同業者諸君、お仕事だ。今夜も鳴かないナイチンゲールを縊り殺そうじゃないか!」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第23話:Sabotage campaign3

 

 

◆◆◆◆

 

 

 炎上するプラントの外壁と、消火活動を行うプラントの人造たち。

 

「この……」

 

 その二つを見つめながら、クマの旧人の運転手は地べたに座り込んだまま拳を振り上げ、怒声を張り上げた。

 

「このクソガキどもがぁぁぁっ!」

 

 隣にはピザの箱とノンアルコールのビールの缶がある。

 

「遊ぶなら勝手に自分たちだけで遊んでろぉ! 俺を巻き込むなぁっ!」

 

 先程まで操り人形にされていた運転手だったが、タンクローリーが外壁に衝突する直前にアシッドレインと一緒に脱出していた。もっとも、今彼ができることと言えば、企業間闘争のとばっちりを受けた我が身を呪いつつ悪態をつくのが関の山だ。彼を放置してプラントへと歩き出したアシッドレインが、その罵声を背に浴びて振り返る。

 

「ゴメンゴメン、後でバブルヘッドをあげるから許してよ。ね?」

 

 いたずらっぽくウインクするアシッドレイン。その可愛らしい仕草に、運転手は不服そうだが拳を降ろす。

 

「……レディ・レタスとミセス・コールスローのセットを揃ってよこすなら許してやる」

 

 精一杯の要求に、アシッドレインはにっこりと笑って見せた。

 

「了解。探しておくね♪」

 

 

 

 

 シェリス・フィアによって開けられたプラントの正門。そこから次々と突入してきたのは、思い思いの武装に身を固めた企業傭兵たちだった。ハッカーが数理を駆使して情報戦を仕掛けるなら、企業傭兵たちは数理を駆使して物理的な戦闘を担当する。迎撃するプラントの武装警備員たちとたちまち銃撃戦が始まった。だが、事態の趨勢は既に明らかだ。

 

「はいはい、パートの方々は向こうに退避して下さいね。危ないですよ」

 

 プラント内部。いつものことだと言わんばかりの顔で怠そうに避難していくパートたちを横目に、一人のエルフの男性が通路の真ん中に仁王立ちになる。エルフ特有の涼やかな容貌と長身、さらに穏やかな口調。

 

「今から――」

 

 しかし、彼が今まさにトリガーを引いたのは……。

 

「――コイツが文字通り火を噴いちゃいますからねぇっ!」

 

 違法な強化パーツを手当たり次第に搭載し、利便性や機能性など完全に捨て去った馬鹿でかい異形の火炎放射器だった。燃料とあらゆる発火と炎上と高熱の数理が滅茶苦茶に混ざり合い、問答無用の業火となって廊下を覆い尽くし、今まさに突撃してきた武装警備員たちの一団を丸ごと呑み込む。

 

「ビンゴォ! ほらほらどうしましたぁ? もっと焼けに来て下さいよぉ!」

 

 炎の数理に取り憑かれた放火魔の表情でエルフは叫ぶ。優美な顔が台無しだ。

 

「やり過ぎだ、ファイアアラーム」

 

 呆れた声を上げるのは、隣にいる彎曲した二振りのブレードを持つドワーフの女性だ。背格好と顔立ちは子供だが、香草をくわえた立ち姿は渋い成人のそれだ。

 

「閉所ならこの方法が最適でしょう!? 気取るのは無しですよソードフィッシュ!」

 

 異常に高まったテンションで抗議する相方に、ドワーフはため息をついた。火炎放射器の凄まじい高熱は廊下そのものを融解させ、直撃を受けた武装警備員たちの姿はどこにもない。

 

「お前の無差別すれすれの放火癖に付き合う身にもなれ。私は大いに迷惑だ」

 

 業火の放射が終わると同事に、片手に盾を、もう片手に拳銃を構えた武装警備員が突撃してくる。装填の合間を縫って強引に間合いを詰めてくるつもりだ。

 

「結局私が尻ぬぐいだ」

 

 即座にドワーフは走り出す。自らの矮躯を活かし、すれ違い様に体を回転させて武装警備員の足を斬る。倒れたその首筋に、さらに容赦なく彼女はブレードを振り下ろした。

 

 武装警備員の腕の汎用デバイスに表示されていた体力がゼロになるのと同時に、その体は無数の情報キューブとなって四散しつつ消えていく。これが転移。寿命以外の死を認めない公議によって組み込まれた数理だ。武装警備員の肉体と情報は別の場所に送られ、二十四時間かけて再生されるだろう。この都市での闘争はあたかもゲームである。

 

 

 

 

「どうかしら?」

 

 プラントの制御室に入った俺を出迎えたのは、一人のオーガのハッカーだった。

 

「ああ、コンフィズリー。目標達成だぜ。ほら」

 

 オーガは一枚の仮想スクリーンを指で弾いて俺によこした。

 

「あんたもどれか持って行けよ」

 

 そこに写っているのは、せっせとバブルヘッドの入った箱を開けて中身を掻き出すハッカーと企業傭兵たちだ。

 

「食品を運ぶトラックの方はどうなってるの?」

 

 なかなかに浅ましい光景から俺は目を逸らし、俺はさらにオーガに尋ねる。

 

「そっちは遅れてる。まずいな。いつまでも本社を欺くのは無理だ。何しろ依頼通り派手にやってるからな。そろそろ企業警察が本格的に動き出すはずだぜ」

 

 柱のように太い腕でオーガは腕組みし、俺を見る。

 

「撤収するか?」

 

 戦闘に長けた種族に似合わず冷静な判断をする奴だが、俺は首を左右に振る。

 

「いいえ。待つわ」

 

 そう言うと、オーガは牙を見せて獰猛に笑う。前言撤回。やはりこいつは戦闘に長けた種族だ。

 

「おいおい。企業警察に喧嘩を売るのかよ。相変わらずあんた、ぶっ飛んでるな」

 

 俺は澄まし顔でこう言ってやった。

 

「こう見えて私、あれが嫌いなの」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第24話:Sabotage campaign4

 

 

◆◆◆◆

 

 

 真夜中の大通りを、数台の企業警察の車両がのんびりと走っている。バーガーアーキテクチャーが、食品プラントの異常に気づき通報した結果がこれだ。

 

「すみません、もう少し速くお願いできますか?」

 

 先頭の車両の助手席で運転手を急かすのは、騎士の装束に身を固めたストリンディだ。

 

「無茶言うなよ騎士さん。俺はさっきまで寝てたんだぜ」

 

 運転席でハンドルを握る、肥満体の警官は大あくびをしつつそう言う。

 

「ああそうですか。じゃあもういいです」

 

 プラントの被害を抑える気も、実行犯を逮捕する気もさらさらない警官に、ストリンディは業を煮やしたらしい。

 

「いいって何だよ。まさか降りるのか?」

 

 警官の嘲笑に、彼女は大まじめにうなずいた。

 

「ええ、そのまさかです。それでは」

 

 次の瞬間、ストリンディは平然とドアを開けて外へと身を躍らせた。

 

「っておい!」

 

 まさかの奇行に警官は目を剥いた。拍子にハンドル操作を大きく誤り、対向車からクラクションを鳴らされる。そして警官は見た。道路を疾走し、パトロールカーを追い抜いて走り去るストリンディの勇姿を。

 

「……マジかよ。生身なのにあれじゃ機体以上だろ……」

 

 

 

 

「企業警察です! 今すぐ破壊活動を中止し投降して下さい!」

 

 バンプ・ピザの依頼を叶えるべく、プラントの施設を適当に破壊して回っていた企業傭兵たちがその声を聞いて手を止めた。宙に浮かぶ教書が投光の整式を発動させ、声の主の姿をはっきりと周囲に知らしめる。剣を地面に刺してその上に手を置き、真正面を見据えるのはストリンディだ。

 

 正々堂々たる名乗りに、一瞬企業傭兵たちは不審そうに顔を見合わせ、次いで攻撃の態勢に移った。彼女が企業警察お抱えの騎士と知っても、破壊活動を止める理由にはならない。銃口、ボウガンの矢、ロッド、高周波ハンマー。殺意の具現であるそれらを向けられても、ストリンディはひるまない。

 

「……そうですか。警告はしましたからね!」

 

 彼女の姿がその場からかき消える。ステルス迷彩ではない。純然たる膂力の加速だ。遅れて空気を歪ませる衝撃波。同事に、ボウガンを構えた傭兵の一人が袈裟懸けに上体を斬られた。耐蝕スーツを紙切れのように切断され、驚愕する暇さえ与えられずに傭兵は全身を情報キューブに変えられ四散する。これで二十四時間は完全に活動不能だ。

 

 周囲が反応する暇もあらばこそ。一人の傭兵を無造作に屠った刃が、そのままの勢いで真横に振るわれる。次の犠牲者は盾を持った機体。金属の腕は盾ごと刃の餌食となり、チームの防御を担当していた彼の上半身と下半身はあっさりと泣き別れとなる。分離しようとも結果は同じだ。それぞれの部位は情報キューブにまで還元され消えていく。

 

 そして三人目が喉笛に剣を突き刺され、モズの早贄となって四散するのを見て、ようやく他の傭兵たちが反応した。突撃と同事に、手練れの傭兵三人を瞬時に倒したストリンディの容赦ない剣術。それは、視神経を機械的にも数理的にも強化しているはずの企業傭兵たちであっても、防御も回避もできない神速の域だった。だが――

 

「兄様!」

「応よ!」

 

 方や青竜刀、方や狼牙棒を持った男女の双生児であるサイバー武人が彼女に攻めかかる。六手の幻惑に、緩急を織り交ぜた本命となる四手が左右同事に着弾する「八卦天網四韻殺」。機体至上論者のボディですら瞬時にスクラップにするオートメーション武術は、しかし兄の狼牙棒が鞘で押さえられ、妹の青竜刀が鍔で受け止められたことで破られる。

 

 閃く金属の閃光が二つ。

 

「絶技……」

「見事……」

 

 情報キューブになっていく双子を見もせずに、ストリンディは残りの企業傭兵たちに刃を向ける。浮き足立つ彼らを逃すまいと、ストリンディが剣を振り上げたその時。何かに気づいた彼女は大きく跳躍する。一瞬遅れて、耳をつんざく轟音。地面の舗装が砕け散り、破片が舞う。

 

「機動装甲!?」

 

 脅すような機銃掃射を終え、こちらへ向かってくる機械仕掛けの巨躯を視界にとらえ、ストリンディが驚きの声を上げた。ブースターを吹かして突進してきた機動装甲が、彼女と傭兵たちの間に立ちはだかる。その手からせり出したチェーンソーとドリルが、凶悪そのものの音を立てて回転を始めた。

 

「……相手にとって不足無しです」

 

 怖じずに剣を構えるストリンディの目が、不意に驚きで見開かれた。二体の機動装甲。その間に一人の人間が立っている。着物のようなデザインの耐蝕コート。生身を覆う外骨格。鈍く光る単眼。両手の五指から伸びた有線が、機動装甲の各所に接続されている。

 

「人形遣い……?」

「いかにも」

 

 律儀に人形遣い――ギルズリー・オーディルはうなずく。

 

「“幽玄の風躰のこと、諸道、諸事において幽玄なるをもつて上果とせり”」

 

 彼の引用にストリンディは少し不思議そうに首を傾げてから、すぐに大きく首肯した。

 

「よく分かりませんが、つまり私と戦いたいという宣言ですね!」

「……全然違うけど、今はそれでいいよ」

 

 納得しきった顔でそう宣言され、ギルズリーは譲歩するしかなかった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第25話:Sabotage campaign5

 

 

◆◆◆◆

 

 

「皆さんパーティーはお開きよ! 怖い怖い企業警察の騎士様がお越しになったわ!」

 

 外で雑に暴れていた企業傭兵からの通信を受け、俺は教書を開いたまま大声を上げた。もっとも、この華奢なボディが出せる声量なんて限られている。制御室からプラント内部のシステムを借用し、各所に設置されたスピーカーから声を出している。

 

「急いで積み込め!」

「はあ? 私まだカルビボーイ全種コンプリートしてないんだけど!?」

「面倒だから丸ごと持っていくぞ!」

 

 案の定、さっきまで適当にやっていた企業傭兵とハッカーたちは、尻に火がついたような速度で撤収を始めた。制御室を出て倉庫の方に向かうと、そちらでは大慌てで何人かがトラックに食品を積み込んでいる。

 

「ああ――今夜もよい炎上でした」

「仕事と娯楽をはき違えるな。不快だ」

 

 その脇を、満足しきった顔で巨大な火炎放射器を担いだエルフと、心底あきれ顔の二刀流ドワーフが通り過ぎていく。界隈ではそこそこ有名なファイア&ソードの凸凹コンビだ。すれ違いざまに、エルフの方が満面の笑顔で俺に一礼した。戦闘時以外のこいつはとことん柔和だ。

 

「ちょっとは手伝ってくれよオイ!」

 

 倉庫を通り過ぎがてら横目で搬入を見ていると、とうとう一人の企業傭兵が近くでゲームをしているパートたちに声を上げた。

 

「嫌ですよ。面倒くさい」

「そうですよ、勝手にどうぞ」

 

 身勝手な文句に対し、パートたちは目の前で自分たちの職場が荒らされているにもかかわらず、まったくやる気を見せない。

 

 何しろこれは企業間闘争。パートにとっては、職場を舞台にした珍しくもない抗争だ。

 

「クソ。ほら、これやる」

 

 舌打ちしつつ、傭兵はリュックからバブルヘッドを取り出してパートに投げる。

 

「はいはい、ちょっと車を動かしますからどいて下さいね」

 

 報酬を与えられ、ようやくパートたちが重い腰を上げた。下層都市の連中は、誰もがしたたかだ。

 

 

 

 

 傭兵よりも先に逃げていくハッカーたちの中に、俺はようやく目的の人物を見つけた。

 

「あ、コンフィズリー。こっちこっち」

 

 俺を見つけたドワーフが笑顔で手を上げる。

 

「ようやく見つけたわ」

「ごめんね。僕もちょっとバブルヘッドの予約があったんだ」

 

 手に持ったバブルヘッドを側の機材の上に置き、アシッドレインは教書を開いて操作する。

 

「ほらこれ、あげる」

 

 即座に俺の教書に通信があった。開いてみると、中には転送されたファイルがいくつかある。

 

「これは?」

「僕の新作の一つ。よかったらどうぞ」

 

 開いたページの中に俺は手を入れ、ファイルをつまみ上げる。丁寧に隔離整式によって包装された数理。こいつは機械や数理に働きかけるのではなく、人の精神に作用する劇毒だ。

 

「あなたはどうするの?」

「僕はこれで失礼するよ。今回は無料で使わせてあげる。試供品だと思ってよ」

 

 俺としては、アシッドレイン本人をストリンディにぶつけるつもりだったが、どうもそうはいかないようだ。先に作品を押しつけてきたのはうまく逃げるためか。

 

「ありがたくいただくわ。アーティストさん」

 

 仕方なく俺はそう言うしかなかった。

 

 

 

 

 首から上を一撃で切り落とされた機動装甲が、前のめりに倒れた。両手のドリルとチェーンソーが地面の舗装を砕きつつめり込んでいく。今頃パーツとして組み込まれた脳髄はハッキングから解放され、混乱していることだろう。

 

「機動装甲二体がただの足止めにしかならないか。さすがは上層都市の騎士だね。単体で完成した、恐ろしい戦闘力だ」

 

 宙に有線が舞い、複雑な光の軌跡を描く。十指から伸びたそれを収納し、賞賛の声を上げるのはギルズリーだ。人形遣いの異名の通り、彼は二体の機動装甲を操りストリンディを牽制した。だが、今その人形は完全に活動を停止している。

 

「ありがとうございます。ですが、これ以上の敵対行為は無意味です」

「僕が君と敵対する理由はないよ」

 

 脳髄ではなく駆動システムそのものをハッキングすれば、たとえ首から上がなくても機動装甲を動かすことはできる。しかし、ギルズリーは首を左右に振る。

 

「ご冗談を。私は企業警察に所属する身として、企業間闘争に介入する理由があります」

 

 ギルズリーが丁寧に話しかけてくるので、形式的にストリンディも応じる。

 

「故に君は剣を振るうのかい?」

 

 外骨格の単眼を光らせつつ、ギルズリーは尋ねる。

 

「はい。それが騎士道です」

「……難儀だね」

 

 躊躇なく肯定する彼女の姿勢を見て、なぜかギルズリーはため息をついた。

 

「“馬上に居て之を得たるも、寧んぞ馬上を以て之を治むべけんや”」

 

 そう呟いた後、演者が舞台袖に消えるかのように後方に跳躍したギルズリーに、ストリンディは追いすがる。

 

「待ちなさい!」

 

 剣が横薙ぎに振るわれ、ギルズリーの胴体を両断する――と思いきや、彼女が斬ったのはスクラップを組み合わせて作った人形だった。

 

「替え玉!?」

 

 いつ入れ替わったのか。幻惑の数理だとすれば、あまりにも鮮やかな手並みだった。

 

「……ただの時間稼ぎでしたか」

 

 地面に散らばる鉄屑を見つめ、ストリンディは残念そうにそう呟いた。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第26話:Go to pieces

 

 

◆◆◆◆

 

 

 逃げた企業傭兵とハッカーを追跡するのは企業警察に任せ、ストリンディが向かったのはプラントの事務所だった。

 

「皆さん大丈夫ですか!? 企業警察です!」

 

 ドアを開け放った彼女は、周囲を見回してから片手に持った教書の画面に目を落とす。そこには、企業警察から彼女に向けられた緊急メッセージがある。

 

「誰もいない……?」

 

 連絡によると、事務所に何人かが人質になっている、とのことだった。しかし、事務所は不気味なほど静まりかえっている。煌々と光を放つ照明の下には、人っ子一人いない。嫌な予感がする。あまりにも作為的な静けさだ。油断なく彼女が剣を鞘から抜いたその時。

 

「……けて」

 

 騎士の聴覚がか細い人の声を捕らえた。

 

「誰かそこにいますか!?」

 

 方向はすぐに分かった。先程目に入った隣の部屋のロッカーの中だ。

 

「おね……がい。……たすけ……て」

 

 小さな少女の声だ。変声の数理を行使されているのか、声は奇妙なエコーと雑音によって個人を特定できない。

 

「分かりました! すぐ行きます!」

 

 ストリンディは事務所を突っ切り、隣の部屋のロッカーに向かう。

 

「ご無事ですか……!?」

 

 ロッカーを開け放ったストリンディが見たのは、空っぽの中身だった。いや、正確には一番下。ストリンディが視線を落としてようやく見えるそこに、一冊の教書が開いた状態で置かれていた。仮想スクリーンが瞬くや否や、膨大な量の構文が流れ整式を形作っていく。

 

「――かかったな、馬鹿が」

 

 彼女に偽のメッセージを送り届けた者の声が、後ろでした。

 

 

 

 

 瞬間、ストリンディ・ラーズドラングの意識に処理不可能な量の映像と音声が叩きつけられた。それらは大綱に流れる大量の情報を悪意をもって編修し、意識下に強烈なトラウマを発生させるために形作られた汚染数理だ。生理的嫌悪を催す軟体や色彩やマネキンや人体やその他諸々の暗示と隠喩が、時間を何十倍にも遅滞させて脳内を汚染していく。

 

 背筋の凍るような絶叫が上がった。到底人の声帯が出す音とは思えない、ヒトというより捕食される獣が恐怖のあまり上げた断末魔のようなそれは、ストリンディが上げたものだった。明らかにとてつもない恐怖によって発せられたその絶叫は、聞いた者も同様の狂気に引きずり込まれるような、吐き気を催すおぞましさに満ちていた。

 

 糸の切れた人形のように、ストリンディはその場に倒れた。限界まで見開いた焦点の合っていない目に、ゆっくりと涙が溢れていく。ガタガタと全身を不規則に振るわせながら、彼女は子宮の中にいる胎児のように自分の体を抱きかかえる。アシッドレインの作品は、予想をはるかに超える形で、彼女の精神を一時的な不定の狂気にまで墜としていた。

 

 

 

 

 

 ボーダーラインの朝は、雨が降る寸前の曇天だった。通りを行く人々は空を見上げ、やがて降って来る毒性雨を予感して足早に歩いていく。俺は公園とは名ばかりの不法居住者が要塞化した場所の入り口で、屋台のホットドックとコーヒーを買って朝食を済ませる。パンは湿っぽく、ソーセージは乾ききっていて実にまずいが、これが下層都市の味だ。

 

「アナタの人造が投票する権利を解放するのはいかがでしょうか?」

 

 俺の隣に立つ人造のヴィディキンスを視認したからか、人が食事中にもかかわらずドローンのセールスが俺につきまとってくる。

 

「静かにして。食事中よ」

 

 まともに取り合うのも馬鹿馬鹿しいので、有線をカメラに接続して視界を奪取。俺の姿を強制的に消去してやり過ごした。

 

 不機嫌。今の俺の感情はそれだった。不愉快。疑惑。苛立ち。そういった負の感情が胸の奥で渦巻いている。工場の煤煙を吸い込んでしまった後のような感覚だ。

 

「いつまでも眉間に皺を寄せていた場合、顔面がその状態を基本とする可能性があります。我が愛しくも外面のいいだけのマスター」

 

 ヴィディキンスが下らないことを言っているが無視する。

 

(どういうことだ……?)

 

 頭の中で何度も再生するのは、恐怖のあまり一時的に廃人になったストリンディの姿だ。あの獣のような絶叫が耳からしばらく離れなくて、非常に気分が悪い。お高くとまった上層都市の騎士様のプライドを粉微塵にしてやったにもかかわらず、胸中に飛来したのは予想した高揚感ではなくじくじくとした違和感だけだった。

 

(あれは「深淵帰り」だ)

 

 俺は紙コップのコーヒーをすすりながら断言する。口内に残るのはコクも風味もない雑な苦味だけ。そんなことはどうでもいい。あのストリンディの姿。俺は、あれと同じものを下層都市の底で見たことがある。禁忌の領域に踏み込んだ愚者の末路。精神そのものを破壊されたヒトの抜け殻が、そこにあった。

 

(気に食わないな)

 

 思い過ごしという可能性もある。偶然の一致という可能性もある。だが、下層都市の深淵帰りと上層都市の騎士という二種に接点など、本来は絶対ないはずだ。考え込みながら朝食を終えた俺が再び歩き出そうとした時、行く先を塞ぐ形で数人の男たちが立っているのに気づいた。その内の一人が口を開く。

 

「コンフィズリーだな」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第27話:Tin god

 

 

◆◆◆◆

 

 

「お仕事の依頼かしら?」

 

 俺は男たちを上から下まで素早く確認する。見たところ、ハイエンド教会の武装宣教師に近い外見だ。だが、宗派が違うのかデザインが微妙に違うようだ。少なくとも二人は機体。全員が武装していることは間違いない。

 

「我々と一緒に来てもらおう」

「聞こえなかったのかしら? 私は仕事の依頼なのかどうかを聞いたの」

 

 俺は杖で地面を突く。

 

「君が余計なことを言う必要はない」

 

 苛立ちを態度で表しても、連中は傲慢に構えたままだ。

 

「我々は君の頭の中はいらない。その体だけが入り用だ」

 

 何者だ? 新手の誘拐犯かと思ったが、ボーダーラインの連中ならもっと面白い方法を取る。体――と聞けば思い出すのは一つ。あのエードルトのまじめくさった腹の立つ顔だ。

 

「まあ恐ろしい。どうか手荒なことはしないで下さい」

 

 俺はわざと怯えた態度で男たちに近寄る。男たちは顔を見合わせ、一人の明らかに機体の奴が俺の腕をつかんだ。

 

「――とでも言うと思ったかよ!」

 

 腕に這わせておいた有線を機体に接続。面倒臭いから破壊構文を一気に暴れさせる。そいつは感電したネコのように、悲鳴を上げて俺を離した。

 

「こ、こいつ何をする!?」

「大人しく捕まるかよ! お前ら阿呆か!?」

 

 居丈高に出れば、相手は何でも従うと思っている。間違いない、こいつらはエードルトと同類のクズどもだ。俺を捕まえていた奴は、怒りで顔を真っ赤にさせながら両腕を変形させる。中の銃身を俺に向けた瞬間、肩口付近のパーツが爆音と共に爆ぜた。破壊構文の効果だ。

 

 両腕を失ってあ然としたそいつの首筋に有線を突き立て、意識をセントラル銀行の防犯回廊に強制的に飛ばして無力化する。

 

「お前らを見ていると思い出すんだよ。俺をこんな体にした気に食わない奴のことをな」

 

 くずおれるそいつの後頭部を蹴ってやると、ほかの奴の顔色が変わった。一丁前に仲間意識はあるらしい。

 

「やれヴィディキンス!」

 

 上半身のアーマーを展開して突進してくる機体の巨漢に、俺は自分の人造をけしかける。

 

「相変わらずあなたは私を戦闘にしか用いませんね。我が愛しくも脳まで筋肉のマスター」

 

 馬鹿の一つ覚えのように下らないことを言いつつ、ヴィディキンスは正面からそいつを受け止め、見事な一本背負いで地面に叩きつけた。

 

 別の一人が、俺の前で腰のブレードを抜いた。俺も自分の杖を振るい、蛇腹の形状に変形させる。鞭として使うように見えて、実際は接触することで起動する攻勢整式が本命の武器だ。相手は俺の構えを見て、明らかに侮った顔になった。そりゃそうだろう。か弱い女の子が、大の大人に武器を構えているんだからな。だが、別にどうでもいい。

 

 そいつは俺に向かってブレードを振り上げ――そのまま絶叫を上げた。

 

「緊急事態! 緊急事態! 当社の権利が侵害されています! 訴訟! 訴訟!」

 

 キンキンとやかましい声が響く。そいつに高出力スタンガンの電流を浴びせたのは、先程俺につきまとっていたセールスのドローンだ。もちろん、俺がハッキングして操っているのだが。

 

 何かが足首に触れ、俺は視線を下に向けた。右脚にヘビのように黒いワイヤーが巻き付いてきている。その先端がポケットの教書に強引に接続する。ヘビならば尾のある方向に目をやると、法衣を着た一人が機体化した手首からワイヤーを伸ばしている。

 

(ハッカーか。面白いじゃないか)

 

 教書を通じて、俺の意識にハッキングが仕掛けられてきた。

 

 蛇毒のように放たれる論理病源。真っ先に俺の五感を封じようと、神経を経由して攻撃を仕掛けてくる。そのことごとくに迂回路を形成しつつスキャン。構成する構文を読み取り自動的に抗体を形成。その間にこちらから反撃する。帯電構文をこれ見よがしに教書のメモリーから引き出して読み込ませると、相手のハッカーが分かりやすく焦った。

 

 感電しないように専用防壁を構築していくが、それ自体が致命的な間違いだ。俺が帯電構文を捨て、代わりにアシッドレインからもらった汚染数理を流し込んでやると、ハッカーは上体をのけぞらせて白目をむいた。あっさりと気絶している。

 

(専用防壁では精神に作用する数理は防げないんだよ!)

 

 俺は力を失ったワイヤーを脚から振り払って笑う。

 

 残るは三人。内一人は最初に俺に話しかけてきた、恐らくはリーダーだ。二人は武装宣教師の法衣を硬質化させて装甲に変え、リーダーを守る姿勢に入っている。重い音がしてそちらを横目で見ると、ヴィディキンスが完全にノックアウトされた機体の巨漢を無造作に放り投げた音だった。両手両脚の関節が全部粉砕されている。

 

「綺麗になりました」

 

 なぜか嬉しそうな声でそう言うヴィディキンス。こいつ、何かおかしな情緒権利をインストールしているんじゃないだろうな。

 

「……ここまで乱暴な悪漢だとは思わなかったぞ」

 

 そのリーダーがいきなりとんでもないことを言ってきた。

 

「はあぁあ!? いきなり何を受信していらっしゃるんですか!? 今すぐ病院に入院されてはいかが!?」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第28話:Tin god2

 

 

◆◆◆◆

 

 

 あまりにもふざけた内容で、つい口調が矯正整式に則ったものになってしまった。今は正真正銘の非常事態で、本来あの忌々しい矯正整式は沈黙しているはずなのだが。

 

「自分たちが仕掛けてきたにもかかわらず原因をこちらに押しつけようなんて図々しいにも程があるわ! 虫がよすぎて思わず殺虫したくなるけどよろしいですよね!?」

 

 間違いない。絶対に、十割、天にまします機械仕掛けの神に誓って、こいつらはエードルトと関係がある一派か何かだ。わけの分からない自己完結した非常識極まる異常な思考は、エードルトそのものだ。

 

「待て、我々は君の非礼に対しある程度譲歩を……」

 

 何やら言いかけたリーダーだったが、幸いそれ以上の妄言を俺が聞くことはなかった。

 

「撃て」

 

 突如遠方から乱射された機関銃の弾丸が、法衣を貫いて三人をでたらめに撃ち抜いたからだ。この公園は不法居住者が大勢住み着いて、要塞化している。要塞には、当然外敵を迎撃する銃座があちこちに備え付けてあった。その中の一つを借用させてもらったのだ。ハッカーはわざわざ重たい武器を持たない。武器など、その辺にいくらでもあるからだ。

 

 

 

 

「気分はどうだ?」

 

 射撃を止め、俺はボロ雑巾のように地面に転がった三人の方に杖をつきつつ近寄った。救護モードになった法衣が、傷を覆って治癒している。リーダーを除く二人は重傷らしく意識はない。こちらを憎々しげにリーダーが睨んできたので、俺はその頭を踏みつけてやった。

 

「……その体勢だとこちらから下着が見える。今すぐ止めろ」

 

 妙な忠告をリーダーはしてきた。

 

「どうでもいいな」

 

 強がりではなく、本心からそんなことは恥ずかしくも何ともない。そもそも、なんで女子の下着はあんなに多彩で派手なんだ? 俺としては安価で丈夫なら何でもいいんだが、上層都市ではどれもこれもやたらと凝っていて繊細なデザインの下着しか売っていなくて困る。

 

「ハッキングして情報を引き出すつもりか?」

 

 リーダーが問うが、俺は首を左右に振る。

 

「どうせ、機密保持の自爆構文を脳に仕込んでいるんだろう?」

「答える必要はない」

 

 みっともなくリーダーは格好をつける。

 

「だからこれで終わりだ、負け犬。尻尾を巻いてみっともなく逃げろ」

 

 俺がそう言うと、リーダーが悔しそうに歯がみした。いい表情だ。

 

「その代わり、お前たちの雇い主に言っておけ。『今度コンフィズリーがこちらからうかがわせていただきます』ってな」

「……後悔するぞ」

 

 俺の寛容な申し出にもかかわらず、リーダーは捨て台詞を吐く。

 

「そうかよ。やっぱり今死ぬか?」

 

 指先から有線を伸ばすと、リーダーの怒りの表情に怯えが混じった。だったら、最初から強がりなど言うな。

 

「行くぞ、ヴィディキンス」

 

 俺は人造を促してリーダーから背を向ける。

 

「……待て」

 

 まだ絡んでくるつもりか。うんざりしつつも俺が振り返ると、リーダーはじっと俺を見てこう言った。

 

「くれぐれも、その身に危険が及ぶようなことはするな」

 

 なぜかその声に敵意はない。だから、俺は仕方なく丁寧に一礼してやった。

 

「賢明なご忠告、感謝するわ」

 

 

 

 

 通りを外れて裏路地へ。建物と建物の間にあるわずかな空き地。そこで俺は立ち止まった。あちこちに人造のパーツが捨てられている。

 

「……僕が出るまでもなかったな、シェリク・ウィリースペア」

 

 意味深な俺の行動に、やはり答えはあった。背後から聞こえるのは、懐かしい声。

 

「いいえ、いざとなったらあなたがいると思えるのは心強いわ」

 

 声は俺を本名で呼ぶ。なぜ俺がシェリクであることを知っているのか、それをいちいち聞く必要はない。この声は俺の味方だ。不思議な律儀さで、彼は俺を教えてきた。きっとそれは、彼が常々口にする「禅」の精神なんだろう。

 

「殊勝なことを言うんだね」

「あなたには虚飾も虚言も無意味だからよ」

 

 俺が振り返ると、そこには想像通りの姿があった。

 

「――久しぶりだね、グレイスケール。今の名前はシェリス・フィアだったかな」

 

 着物をモチーフにした耐蝕コート。両手と頭部を覆う外骨格。鈍く光る単眼。

 

「ええ、本当に久しぶりね。ギルズリー・オーディル。いえ――」

 

 俺はひと息ついてから、彼のハッカーとしての通称を口にする。

 

「――『人形遣い』ステイルメイト」

 

 

 

 

「くそっ……滅茶苦茶だ」

 

 ようやく法衣の治癒が一段落し、何とかリーダーは立ち上がった。相手を生身のハッカーと侮ったのがこの結果だ。まさかここまでえげつない戦い方をするとは思わなかった。それも――あの清らかな体で。

 

「……救護の人員を呼べ。作戦は失敗だ」

 

 ふらつきつつも彼は教書を開き、どこかへと連絡をする。

 

「……分かっている。だが、決して我々は無礼な方法を取るわけにはいかないのだ」

 

 何かを向こうから提案され、彼は首を左右に振る。

 

「もちろん、シーケンサーの好きにはさせない。大義は我々にある」

 

 彼は教書を閉じ、シェリスの去った方を見つめる。

 

「……何とおいたわしいことか。その心痛、察するに余りあります」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第29話:Like father,like son

 

 

◆◆◆◆

 

 

 シェリスが初めてギルズリー・オーディル――通称ステイルメイトに出会ったのは、まだ男性、つまりシェリクだった頃だ。その時、ボーダーラインのハッカーたちの間で“ウェイシージー”という補助ドラッグが流行っていた。ウイスキーという意味のこの薬物は无人製薬が販売し、後にこの企業は悪名高きアポセカリーと合併することになる。

 

 “レイクベッド”。その名の通りかどうかは分からないが、このオフィスの所在地は水生種族たちの居住地の地下にある。表向きの仕事は、水生種族たちが陸上で生活する際の補助デバイスの製作と販売だが、裏ではハッカーたちの仕事の斡旋もしている。必然的に、レイクベッドはハッカーを目指すルーキーたちのたまり場にもなっていた。

 

「あらぁ、ステイルメイトじゃない。珍しいわねぇ」

 

 レイクベッドの主人は、マダム・ベッザーという水生種族だ。彼女の種族は人間に魚類の要素が一部組み込まれたタイプではなく、俗にスラグ――ナメクジ、と呼ばれるタイプである。見た目はまさに、人間と巨大なナメクジと両生類の混合だ。普通の人間が見れば、醜悪と感じる者が大多数だろう。

 

「こんばんは、マダム・ベッザー。少しお邪魔するよ」

 

 肥大しきった巨躯を特製のベッドに横たえた彼女の私室に、今一人の男性が訪れた。皮膚を湿らせるために噴霧される生温かいミストにも、少しも嫌がる様子はない。メカニカルな外骨格で顔面と両手を覆い、単眼を光らせているのはステイルメイト、つまりギルズリー・オーディルだ。

 

「おほほほ、相変わらずあなたって奥ゆかしいわねぇ」

 

 頭部の外骨格を展開して素顔を覗かせたギルズリーに、マダム・ベッザーは全身を振るわせて愛想よく笑ってみせる。ハッカーとして卓越した技術を誇るギルズリーだが、彼は気に入った依頼しか受けない変わり者として知られている。そんな彼と親交が深いのが、この水生種族の女性だ。

 

「それで、ご用の趣は?」

「ああ。少し、みんなの様子を見てみようと思って」

「あらあら、あのステイルメイトがヘッドハンティングなんて、素晴らしいわぁ。珍しいわぁ」

 

 肉厚の短い手でベッザーは拍手する。ギルズリーがルーキーをスカウトするなんて、今まで一度もなかった。いそいそと彼女は教書を操作し、近くの水槽を仮想スクリーンに変える。

 

 そこに映し出されたのは、レイクベッドの別室だ。ハッカーに仕事を斡旋するそこは、典型的なハッカー専門のクラブとなっている。思い思いの場所でたむろするハッカー見習いたちがそこに写っている。だが、そのほとんどは同じスタイルだ。違法改造した教書。金をつぎ込んだ機体。そして何よりも、補助ドラッグによって思考が加速している動作。

 

「どうかしら?」

「无人製薬が儲けている、ということはよく分かったよ」

 

 ざっと見渡したギルズリーは気のない返事をする。

 

「ええ、本当。揃いも揃って流行りに感化されちゃって。あれじゃアンチボディ整式を作られたら軒並み全滅よ。企業のいいカモね」

 

 ベッザーもため息をつく。そろそろ他の企業が対抗策を打ち出し、この流行も終わるだろう。

 

「……あれは?」

 

 しかし、ギルズリーの視線が一人の青年に留まった。

 

「ああ、あの子ねぇ」

 

 “あれ”だけでベッザーも理解したらしい。すぐに画像が拡大された。

 

「興味あるかしら。あの中で一人だけ補助ドラッグにも改造ボディにも全然関心のないストイックでクールな男の子。まっさらな生身よ」

「生身なんだ」

「そう、あなたと同じ」

 

 青年は周りを無視し、一人でグラスを傾けている。灰色の髪を雑に短く刈り込んだ、見るからに無愛想な青年だ。雪原を一匹だけで歩むオオカミのように、彼は喧噪の中で孤立していた。

 

「うふふ、やっぱりあなたの目に留まった。私のカンに狂いはなかったわぁ」

 

 青年を観察するギルズリーを見つめ、ベッザーは沼が泡立つような声で笑うのだった。

 

 

 

 

 あのステイルメイトが弟子を取った、という噂がボーダーラインのハッカーたちの間で瞬く間に広まった。ステイルメイトの活動そのものに変化はない。禅めいた不可思議なルールで仕事を選び、確実に依頼を達成する。その脇に、あたかも彼が操る人形のように、もう一人ハッカーが増えただけだ。そのハッカーは“グレイスケール”と名乗った。

 

 

 

 

「あの時なぜ僕の誘いに乗ったんだ? 君の腕前ならほかのハッカーからもスカウトはあっただろう?」

 

 二人で本格的エアリアル・スモウを観戦した帰りのこと。駐車した自動車を背にし、汚染された湾の水面に映る朝日を見ながら、彼はグレイスケール――シェリク・ウィリースペアに尋ねた。

 

「企業に尻尾を振るような連中には興味がない」

 

 シェリクは相変わらず無愛想にそう言った。

 

「でも、あんたは別だ。あんたは皆にこう呼ばれていた」

 

 彼はギルズリーを見据える。

 

「天蓋の踏破に成功した命知らず。つまり――――“スカイダイバー”」

 

 ギルズリーは、その目の奥に渇望に近い熱を感じた。

 

「俺もそれを目指している」

 

 珍しく、少しだけ恥ずかしそうにシェリクはそう言ったのだった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第30話:Sumou

 

 

◆◆◆◆

 

 

「Hakkeyoi!」

 

 巨大な球状のドヒョウに、豪放にして繊細なるギョウジの声が響き渡る。単分子シメナワと核爆発にも耐える数理防壁によって囲われたそこは、地上最強のヒューマンであるリキシたちが競う神聖にして不可侵の戦場である。こここそ都市の全住民が最も注目するスポーツ、本格的エアリアル・スモウの競技場だった。

 

「Nokotta!」

「Nokotta!」

「Nokotta!」

「Nokotta!」

 

 スフィア土俵をぐるりと全方向から取り囲む座席。そこに座るすべての観客が一斉に叫ぶ。あらゆる人種、種族、信条、経歴の垣根を超え、観衆は今一つになって、無重力の土俵でがっぷり四つに組む二人の力士を応援する。二人の全身から放たれる極彩色のオーラが衝突し、競技場そのものを振るわせる。

 

「あれが僕たちの縮図だ」

 

 俺の隣で土俵を見つめるギルズリー・オーディル――ステイルメイトがそう言う。

 

「どういう意味?」

 

 彼はこの競技の熱烈なファンだ。今日も俺を誘って観戦に来ている。

 

「双方が相手を負かそうと全力を尽くすが、互いがいなければ自己が成り立たない。僕たちは負かすべき相手そのものであり、鏡に映る自分と格闘している」

「膠着状態、というあなたの通称そのものね」

 

 俺の言葉にステイルメイトはうなずく。しかし、力士たちは突如手を離した。間髪入れずに、秒間二十回を超える速度で繰り出される張り手の連打。彗星のように尾を引くオーラを放ちつつ、二人の力士は土俵を飛び回り、一進一退の攻防を繰り広げる。

 

「一つ、僕は君に是非伝えたいことがある」

 

 ステイルメイトの怜悧な単眼がこちらを見据え、俺は我知らず身構えた。

 

「ええ、何かしら?」

 

 俺にとって師と呼べる存在は彼だけだ。その口からどのような叱責や説教が出てこようが、俺は頭を下げて聞かなければならない。それができる有無を言わさぬ実力を、このハッカーは有している。

 

「……僕はどうやら君の姿に恋してしまったらしい」

「ほ、ほぁあああああ!?」

 

 俺は矯正整式を解除して叫んだ。何を真顔で言い出すんだこのハッカーは!?

 

「あ、あ、あんた正気か!? この中身が誰か知ってるだろ!? シェリク・ウィリースペア! 正真正銘の男だぞ!?」

「それはよく知っている。君は確かにシェリクだ」

 

 神妙な様子を外骨格に漂わせつつ、ステイルメイトは何度もうなずく。

 

「しかし、こうして君の可愛らしい顔立ちやあどけない仕草を目にすると、なぜか胸がときめく。これはまさしく初恋だよ」

「お願いだから冗談だと言ってくれ。このままじゃあんたと絶縁するしかない」

 

 俺は内心泣きたくなった。密かに尊敬さえしていた師が、中身が男と知ってなお少女の外見に惚れる真正の変人とは知らなかったし知りたくなかった。

 

「それより、本題に入ろうか」

 

 言うだけ言って勝手にスッキリしたらしく、ステイルメイトはけろりとした様子で話題を変える。

 

「キュレーター大隊の拠点からこちらに戻った時、君が今のボディにおさまっているのを見つけたよ」

「すぐに分かったかしら?」

「君が自作する構文には末尾に特徴がある。企業間闘争の形跡を辿る依頼で君だと分かった」

「今度からもう少し注意するわ」

 

 剣豪が刃を交えただけで相手の力量を読み取るように、彼は大綱に残った構文の残滓だけで俺を特定したのだ。

 

「それで、こちらでも独自に情報を集めたよ」

「あなたに情報収集は依頼してないわ」

「君だって知りたいだろう?」

 

 そう言うと、ステイルメイトの足元に一体の機甲文楽人形が姿を現した。

 

「これを見てくれ」

 

 彼の教書である文楽人形が、俺に一枚の原画を差し出した。それを受け取り、自分の教書に入れる。俺とステイルメイトしか知らない暗証コードを入れると、中身が判明した。一枚の写真だ。念のため原画を教書に入れ、教書に有線を接続する。

 

「……これは?」

 

 有線を通じて意識の中で視認したその写真には、一人の少女が写っていた。

 

 茶色の大型犬を足元に座らせ、彼女は椅子に座っている。背景は雪の積もった庭園。ふんだんに装飾が施された見るからに上等な服装。スカイライトでもめったにお目にかからない古風なデザインだ。ほほ笑んでいるものの、表情はやや固くどこか苦しげでさえある。年齢は恐らく十代前半。そして何よりもその顔は、今の俺のボディと瓜二つだった。

 

「彼女の名前はノヴィエラ・ネクレーリャ・セレフィスカリヤ」

 

 意識だけの俺の耳に、ステイルメイトの声が聞こえる。聞いたことのない名前だ。俺にとっては赤の他人でしかない名前。しかし、その名前の持ち主は、今の俺と同じ顔だ。俺の知らない少女が、俺と同じ顔で、俺の知らない場所にいる。

 

「――浮遊王城エンクレイブの正当なる王女だ」

 

 ステイルメイトの声が遠い。まるで他人事のように、俺はその事実を奇妙に乖離した意識で認識していた。俺の精神がおさまっているこのボディ。その正体は、ステイルメイトの手によってあっさりと判明した。エンクレイブ。浮遊王城。閉鎖空域。植民群島。この都市の上に浮遊する孤立した領土。そこの王女が、俺と同じ顔で写真に写っていた。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第31話:Mikoshi

 

 

◆◆◆◆

 

 

 原画にはノヴィエラの写真だけでなく、種々の情報が添付されていた。エンクレイブの前身は、都市の管理者である公議に最後まで抵抗したとある王国らしい。都市の一部に組み込まれることを拒絶した王族は、最終的に国土の一部を数理によって空中に浮かべ、公議の同化政策から逃亡することとなる。これが、浮遊王城エンクレイブ誕生の原因だ。

 

 地上を都市が覆い尽くした後も、エンクレイブは完全に閉鎖した環境に引き籠もり続けていた。経年劣化によりかつての栄光は衰え、誰の目から見ても年老いたその王国に、一人の王女が生まれる。その王女の名は、ノヴィエラ・ネクレーリャ・セレフィスカリヤ。美しく賢く優しい彼女は、陰りつつある王国の最後の輝きだったのかもしれない。

 

 折しも、エンクレイブの政情は不安定の一途を辿っていた。開国派と鎖国派が論戦を重ね、それはたやすく物理的な闘争へと変わる。可憐なノヴィエラは、どの派閥でも担ぎたい神輿となった。

 

 ――彼女が血髄病を発症する日までは。

 

 この病は王家が潜在的に有している難病であり、しかも「汚れた血が成せる」病という根拠のない迷信を伴っている。

 

 それまで蝶よ花よと愛でられていたノヴィエラは、発症を契機に罪人のように忌避されていく。

 

「寂しくなどありませんよ。今の私には心を許せる友がいるのですから」

 

 誰が撮影したのか不明の映像で、ノヴィエラはそう言っている。

 

「友が手助けしてくれます。不便はありません。ええ、その友情には報償をもって応えなくてはいけませんよね?」

 

 賢く美しかった王女が汚れた血による病に冒され、おまけにわけの分からないことを口走っている。地位も名誉も将来も失ったショックで、気が触れたと周囲は判断したのだろう。臭いものに蓋をするかの如く、ノヴィエラは血髄病の進行を抑える名目で凍結保存されることとなった。かつての神輿が、今や出荷前の冷凍スカイマグロというわけだ。

 

 

 

 

「――制作者不在の状態で第三者が改変を繰り返して、誰も全貌が掴めなくなった管理構文みたいな話ね」

 

 一通り情報を閲覧し終えた俺は、有線をはずして現実に戻る。その拍子に、自分の白く繊細な指が目に入った。このボディはノヴィエラの複製だろう。いくらエンクレイブの政情が滅茶苦茶でも、王女本人のボディを都市に送り込むはずはあるまい。

 

 俺は得られた情報から思考を巡らす。エンクレイブの目的として第一に考えられるのは、血髄病の治療だ。俺のボディには血髄病の因子があるに違いない。学院で受けたメディカルチェックでは「虚弱体質」以外警告されていないから、今は潜伏状態なのだろう。エンクレイブは公議と対立している故、住民が受けられる恩恵のいくつかが受けられない。

 

 だから複製を送り込み、公議の目をかすめて密かに治療を行わせる気だろうか。そのためには俺が血髄病を発症するまで待つか、それとも因子を活性化させる薬剤でも投与するかもしれない。エンクレイブが欲しいのは血髄病の治療薬か、快癒したこのボディだろう。だが、血髄病の治療が目的ならば方法が回りくどい。なぜ俺がこのボディにいる?

 

 あるいは、ノヴィエラの亡命が目的という可能性もある。お飾りの王女もついに祖国に愛想を尽かしたのか。俺という先鋒を送り込んで地盤を固め、やがて何食わぬ顔で本物と入れ替わる。血髄病の治療はその後ゆっくりと、という具合だ。可能性としてはあり得るが、やはり俺という要素が意味不明だ。そもそも、事故という可能性だってある。

 

 何か正当な理由でノヴィエラの複製を作ったが、それが手違いや妨害で地上に落下してきたという感じだ。ならばシーケンサーとエードルトは何者だ?

 

「とにかく、情報料を支払うわ」

 

 俺は一通り可能性を追求してから思考を打ち切る。

 

「その必要はないよ」

 

 教書を開いて口座に接続しようとする俺の手を、ステイルメイトは即座に止める。

 

「困るわ。報酬無しで仕事を依頼するハッカーなんてクズ以下よ」

 

 俺はタダ働きが大嫌いだ。そして、それを他人に強要する気もない。しかし、ステイルメイトは頑として一銭たりとも受け取る気はないようだ。

 

「弟子の行動に責任を持つのが師匠の務めだ。これは譲れない」

 

 俺の目と、ステイルメイトの外骨格に備え付けられた単眼がかち合う。

 

「……それがあなたの“禅”なのね」

 

 結局、折れたのは俺の方だった。

 

「いかにも」

「やはり、あなたは少しも変わっていないわ」

 

 ため息をついて教書を閉じる俺に、ステイルメイトはさらに言葉を投げかける。

 

「一方で、君は外見だけ変わったね」

「ええ、理由は分かるでしょう?」

 

 自嘲を含んだ俺の返答に、少しだけステイルメイトは沈黙し――

 

「君の悲願は遂げられなかったのか」

「恥ずかしいけれど、そのとおりよ」

 

 俺は正直に答える。

 

「私は天蓋を踏破できなかった。私のスカイダイビングは完全に失敗だったのよ」

「代償は肉体だね」

 

 的確なステイルメイトの指摘に、俺はうなずくしかなかった。

 

「あの日、シェリク・ウィリースペアの肉体は消失したわ。天蓋への一方通行の代金として」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第32話:Gild the lily

 

◆◆◆◆

 

 

 ホログラムによって映し出された王城の大広間。窓の外は暗闇。煌々と輝くシャンデリア。弦楽器の奏でる無駄に感傷的なメロディー。俺が着ているのは、可憐な装飾がふんだんに施された真紅のドレス。裾が長すぎて、普段着にしたら転倒すること請け合いだ。そして向かい合って立つのは、金糸の縫い取りもきらびやかな白い礼服を着たストリンディ。

 

「今こそ君と 共に歌おう

 さあこの手を どうか取って欲しい

 悲しみに満ちた 夜を乗り越え

 ほら朝日が 僕たちを照らす」

 

 背景に流れる旋律に合わせてストリンディが歌う。

 

「あなたのことを ずっと信じていたわ

 ただ一人きりの時も

 あなたのことを ずっと待っていたわ

 夢ならば お願い覚めないで」

 

 台詞を引き継いで俺が歌う。

 

 もうじき開催される聖アドヴェント学院の学院祭で、俺のクラスはミュージカルを発表する。内容はテンプレートに忠実な恋愛もの。幻想の国の王女が人界に流れ着き、そこで数々の不遇を乗り越えながらその国の王子と結ばれるというハッピーエンドの話だ。主役の王子様を演じるのはストリンディ。そしてヒロインが俺だ。……なぜか俺なんだよ。

 

「恐れなくてもいい 僕はここにいる どんな時でも君を守ろう」

 

 気取った歌詞と共に、ストリンディは俺に手を差し出す。

 

「私はもう 迷いはしない だから伝えるわ 胸に溢れる愛しさを」

 

 俺もまた歌いつつその手を取る。はた目から見れば、見事に庇護欲をかき立てるヒロインの姿だろう。

 

「共に行こう世界の果てまでも 愛という灯火を頼りに」

 

 俺はミュージカルが描く甘ったるい恋愛模様には一切興味がない。そもそも俺はハッカーで、ミュージカルなど未経験だ。それなのに、まがりなりにも俺がヒロインを演じられる理由。それは、外耳の補助デバイスに増設した叙述インターフェイスのおかげだ。これが台本に沿って、俺の動作や発声を誘導してくれる。ゆるい矯正整式のようなものだ。

 

「君と一緒ならそれ以外何も要らない だから僕はここに誓う」

 

 音楽が最高潮に達した。ストリンディが俺の華奢な体を抱きしめる。

 

「君を愛する 永遠に」

「あなたを愛する 永遠に」

 

 俺とストリンディの歌声が重なる。互いに見つめ合い、俺の方が恥じらいから目を閉じる。頬に感じるストリンディの唇の感触。そしてキスと共に幕は下りていく。

 

 

 

 

「もう、ストリンディさん。そこで遠慮しちゃダメでしょダぁ~メ」

 

 さっさと俺が目を開けると、こちらを不満げな表情で見るフェアリーの女性講師がいる。ホログラムが消失し、俺とストリンディがいるのはただの舞台だ。

 

「ここでお客様が期待しているのは、王子様とヒロインが永遠の愛を誓って、それを情熱的なキスで示すシーンなんだから。ね?」

「すみません。でも……」

「でも?」

 

 講師は首を傾げる。

 

「恥ずかしくて……はい」

 

 ストリンディは顔を真っ赤にしてそう言う。舞台の袖から「可愛い!」「素敵!」という歓声があがった。一緒に演技していたクラスの連中と、勝手に練習を覗きに来たよそのクラスの連中だ。本番が近いのに、未だストリンディの演技にはOKが出ないままだ。

 

 特に、この最後のキスシーンの評価がかんばしくない。俺に気を遣っているのか、彼女のキスは唇ではなく頬や、唇でも端をついばむような遠慮がちなものだ。どうせ「演技であっても、女の子にとって大事な唇を恋人ではない私が奪うわけにはいきません」などと思っているんだろう。ご苦労様としか言いようがない。

 

「いい加減にして欲しいわ……」

 

 講師の駄目出しを傾聴するストリンディをよそに、俺は近くの椅子に腰掛ける。

 

「シェリスさん、すごく可愛かったわよ」

「いいなあ、私もヒロインになりたかったなあ」

「無理よ。シェリスさんが一番叙述インターフェイスを使いこなしているんだから。格が違うわ」

 

 クラスメートの言葉を聞き流しつつ、俺は今になって急に恥ずかしくなってきた。

 

 考えてみれば、なんで男の俺が可憐な乙女として扱われてキスされなくちゃいけないんだ? ステイルメイトに見られたら、自分の頭を揮発構文で爆破したくなる構図じゃないか。

 

「シェリスさん? 具合が悪いの?」

「いえ、大丈夫。疲れただけよ」

 

 クラスメートが近づくのを制し、俺は外耳の補助デバイスを取る。元凶はこの叙述インターフェイスだ。

 

 使われている動作構文の古臭さにハッカーの血が騒ぎ、徹底的にチューニングしたのが仇だった。どの生徒よりも滑らかな演技が講師の目に留まり、いつの間にか俺は王子様に恋するヒロインだ。我が身の恥ずかしさにめまいさえ覚え、俺はポケットに手を入れた。中からボーダーライン製のキャンディーを一つ取り出すと、包装を解いて口に入れる。

 

 脳と舌に馴染んだ安っぽい味が、気持ちを少し落ち着けてくれる。上層都市のお嬢様が下層都市の嗜好品を舐めている状況だが、誰もそれを指摘する者はいない。それも当然だ。このキャンディーの出所を知る奴など皆無に違いない。上層都市の住人にとって、下層都市は蓋の開いたゴミ箱同然だ。わざわざ出向く酔狂な奴などいるはずがない。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 




シェリスとストリンディが歌う場面は、「The Phantom Of The Opera」の「All I Ask Of You」をイメージしています。


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第33話:Enfant terrible

 

 

◆◆◆◆

 

 

 ボーダーラインのアーケード“ハート・粉砕”。時代後れのゲーム機が所狭しと置かれた店内で、俺はライオンの旧人の姿をしたタダ乗りジェノートと会っていた。依頼されていた集積コアをジェノートに渡すと、奴は真新しい紙幣を俺に渡す。

 

「チャオ、またよろしくね」

 

 なれなれしく手を振りなら去っていくジェノートの背中を見送っていた時だ。

 

「すげえ、ぶっちぎりでハイスコアだぞ!」

「なんだよあれ。本当に生身か!?」

 

 アーケードの奥から怒濤のような歓声が聞こえてきた。

 

「生身……か」

 

 向こうで凄腕のゲーマーが活躍中らしい。俺もステイルメイトも、ハッキングの腕を研ぎ澄ますために生身だ。わずかに感じた共感を確かめたくて、俺はアーケードの奥へと歩き出した。

 

 

 

 

 アーケードの奥は人だかりができていた。投影ドームの中に入ると、目の前にゲームの映像が不自然なほどリアルに映し出される。等身大サイズのニンジャが走りつつ手裏剣を投げ、最終ボスのマネキネコ・エクス・マキナが強制散財ビームを両眼から放つ。シューティングゲーム“ニンジャ・オブ・ザ・アポカリプス”の最高難易度“オヒガン”。

 

 誰もがプレイヤーの一挙一動を食い入るように見守っていた。俺の前にいた巨漢がさらに前に移動し、ついでに俺も前に進む。ゲーム機の前に座り、一心不乱にカードを繰りながらボタンとコントローラーを操作するプレイヤーの姿と横顔が見えた。それは、俺と同じ聖アドヴェント学院の制服を着た、一人の少女だった。

 

「意外だな……」

 

 小柄なくせに発育のいい体形。長い金髪。エルフ特有の尖った外耳。小生意気そうな顔を今は真面目一辺倒にし、彼女はゲームに集中しきっていた。しかし、その目がわずかに横に動き、俺の姿を見た。

 

「……先輩?」

 

 彼女の唇がそう動き、彼女の目が俺の目と合うほんの一瞬。けれどもそれは、ニンジャがビームを浴びるのに充分すぎる時間だった。

 

 

 

 

 リエリー・ロイル。聖アドヴェント学院の学生。年齢は俺よりも一歳年下。父親はセントラル銀行の重役。有線でハッキングした学生証から得た情報だ。

 

「惜しかったわね、もう少しでクリアだったのに」

 

 今俺とリエリーは、アーケードの隅にあるテーブルを囲んで座っている。

 

「うぅ……かなり悔しいです。本当に、あとちょっとだったんですよ!」

 

 残念がるリエリーの頭上には、静音数理とステルス迷彩によって隠された護衛ドローンが浮遊している。先程放った俺の有線に反応したから分かる。制服には防犯数理。さらに恐らく血中を巡回する警備血球。仮にこいつが犯罪に巻き込まれれば、騎士クラスが出動するだろう。

 

「同情するわ。同校のよしみで一杯奢ってあげる。はい、どうぞ」

 

 俺は先程買ったソーダの瓶をリエリーに差し出した。

 

「クリアを邪魔したお詫びよ。気に入ってもらえたら嬉しいわ」

 

 素直にリエリーは受け取り、中身を一口飲む。

 

「お、お詫びなんて……。ギャラリーの声援や野次でプレイが乱れても、そのせいにするのはゲーマーとしてあり得ませんから!」

 

 リエリーは首を左右に振って、俺の謝罪を否定する。

 

「あら、プロとしての矜持があるのね」

「こう見えても私、ゲーマー歴長いですから」

 

 リエリーは得意げに胸を張る。発育のいい上半身を強調するような仕草だ。

 

「私、実はジョッキーなんです。ゲーマーとしての活動はその一貫ですね」

 

 チャプターという大綱の情報空間を個人で所有し、ゲームの実況や食べ歩きや歌を配信する連中がジョッキーだ。

 

「先輩はどうしてここに?」

 

 ぼかすのも面倒臭く、俺は正直に教えることにした。

 

「私はハッカーよ。ここが終生の仕事場ってところね」

「……本当ですか?」

 

 急にリエリーは疑わしそうな顔になった。確かに、こんな華奢な生身の少女がハッカーと言われても信じにくいのは当然だろう。

 

「あら、疑うなら証拠を見せようかしら」

 

 俺は指先から有線を振るった。接触と同事に防壁を融解。ステルス迷彩を解除。本社への緊急連絡を疑似スクランブルで強引に遮断。数秒で全機能を休眠させられた護衛ドローンが、俺とリエリーが囲むテーブルの上に落下して音を立てる。リエリーは目を見開き、次いで……

 

「カッコイイです先輩! クールでクレイジーですごくカッコイイです!」

 

 身を乗り出してリエリーは叫ぶ。

 

「だから先輩だけ、叙述インターフェイスの使い方が上手だったんですね! ハッカーですから構文をいじったんですよね!? やっぱり先輩の演技がみんなの中で一番です!」

 

 なるほど。俺がハッカーだと分かれば、叙述インターフェイスの構文をチューニングしたと推論するのか。

 

「ストリンディさんよりも?」

 

 俺はわざと意地悪くそう尋ねる。

 

「え? え~と、それは……」

 

 さすがに我らが王子様よりも上、とはとっさに言えないらしい。困った顔のリエリーを見て、俺は小さく笑う。

 

「冗談よ。私は別にストリンディさんに勝とうなんて思ってないから」

 

 だが、それはそれとして、あの騎士様にはさっさとスランプから脱却してもらいたいものだ。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第34話:Obstreperous

 

 

◆◆◆◆

 

 

 リエリーと出会った次の日の夜。俺はヴィディキンスに傘を差させ、毒性雨の中一軒の店に入った。

 

「押忍、いらっしゃいませ」

 

 ユカタ風の制服を着た巨漢のウエイターが一礼する。ここはスモウ・バール“ジンセイ”。引退した力士たちの働く料理店の一つだ。エアリアル・スモウの世界は厳しい。角界を去った彼らは、こうして第二の仕事に勤しむ。

 

「エスカルゴ・ナベとイカスミ・ソバ。それとグレープジュースワインを白で」

「押忍、銘柄は?」

「ミケネコ・ゲンキがいいわ」

 

 俺は手早く注文を済ませる。彼ら元力士が作るのは、地上最強のヒューマンの肉体を作り上げるセキトリ・グルメの内、力士以外が食することを許されたごく一部の料理だ。アレンジされたそれは、秘伝の言わば影である。

 

「少々食べ過ぎではないですか。我が愛しくもこぢんまりとしたマスター」

 

 俺の隣に座ったヴィディキンスが忠告する。

 

「ストレス解消よ。たまにはいいでしょ?」

 

 外見だけは執事のようにかしこまった人造は、思案するかのように宙を見上げてから、納得したようにうなずく。

 

「娯楽薬物や数理サプリメントに比べれば、安全な方法だと判断いたします」

 

 やがて料理がテーブルに並べられ、俺が箸を手に取った時。

 

『ヤッホー! みんな見てる~! 暁レプレだよっ! とってもぐらーちぇっ☆』

 

 突如店内に展開した仮想スクリーン。そこに写っていたのは、髪の色が蛍光のブルーで服装の露出が高いのを除けば、明らかにリエリー・ロイルだ。暁レプレの名義で、ジョッキーの配信を開始したらしい。

 

「うぉおおおお!」

「きたぁああああ!」

「ブラボォオオオオ!」

 

 近くの席に座っていた派手なスーツ姿の数人が、一斉に立ち上がると歓声を上げる。胸元には紫のバラのマーク。欺瞞の忠誠と真正の虚飾が特徴のクラン、ヴィオーラのメンバーだ。一部の企業傭兵はクランと呼ばれる組織を形作り、企業間闘争以外にも独自の勢力争いに忙しい。

 

『それじゃー今夜はね、前回みたいにロストホライズンのシーズン8を進めていくよ。そろそろレプレもランク上げたいな~』

 

 脳が溶解しそうな甘ったるすぎる声音。媚びに媚びた仕草。だが、それらは完璧にヴィオーラの面々を虜にしていた。

 

「頑張れレプレちゃん!」

「君ならできる! できるよ!」

「俺たちも応援するから! うおおおお!」

 

 教書から躊躇なく送金しようとする彼らに、突如冷笑が浴びせかけられた。

 

「――馬鹿馬鹿シイ。う゛ぃおーらモ落チタナ」

 

 店の一番奥の席。機体の一団から立ち上がった異形がいる。床に届くほど長い銀色に輝く複数の義手。せわしなく動く回転式ゴーグル。肩に彫られた獰猛なハチのマーク。

 

(ビーハイヴのサイバネ蜂か。今夜は運が悪いな)

 

 俺は内心舌打ちする。これは完食できない可能性が大いに高くなってきた。違法人体改造を何よりの美徳とし、話が通じない狂人の掃きだめとして有名なクラン、それがビーハイヴだ。

 

「おい、今なんて言った? もう一回言ってみろよ」

 

 ヴィオーラのワーウルフが、特大クロスボウを手に持ち犬歯をむき出す。

 

「馬鹿馬鹿シイ、ト言ッタダケダ」

 

 ビーハイヴの機体は機械的な笑い声をもらす。

 

「縄張りへの不法侵入は目をつぶるが、我らの推すジョッキーを愚弄されるのは我慢ならん!」

 

 他のヴィオーラの面々も、リーダーらしきヴァンパイアを筆頭に武器を手に取る。

 

「コレダカラ初心者ハ困ル」

 

 金属が軋る音と共に、ビーハイヴの他の機体が警戒色を体表に点滅させつつ立ち上がった。

 

「教エテヤロウ。都市デ一番ノじょっきーハ、村雨あると、ニ決マッテイル」

 

 即座に乱闘が始まるかと思いきや、機体は三対の腕を大げさに広げてそう宣言する。

 

「はぁ? あのゲーム下手すぎのジョッキーのどこがいいんだよ!?」

 

 しかし、ヴィオーラのワーウルフは彼が推すジョッキーを鼻で笑った。

 

「下手スギナノガ可愛イニ決マッテルダロ!」

 

 側頭部の装甲を展開して放熱しつつ、機体は怒鳴る。そして始まるのは、互いが推すジョッキーの押し付け合いだ。

 

「暁レプレ最高!」

「村雨あると最高!」

「レプレ!」

「あると!」

 

 舌戦は容易に肉弾戦に移行する。ワーウルフの撃ったクロスボウの矢を機体の義手が弾き飛ばし、遅まきながらヴィオーラとビーハイヴの抗争が始まった。

 

 ヴァンパイアの血液がコウモリとなって店内を飛び回り、機体の義手から伸びた丸ノコが家具を滅多切りにする。罵声に混じり、自分が推すジョッキーの美点を叫ぶ激論。論戦も忘れないとは器用な奴らだ。右往左往する店員と他の客をよそに、俺は丼と鍋を手に持つと、ヴィディキンスと共にさっさとテーブルの下に避難する。

 

「あら、早速あるわね」

 

 教書を開き、ハッカーへの依頼が書かれるチャプターを閲覧。早くもここの店長が抗争の鎮圧を依頼していた。十分以内に、店はハッカーと企業傭兵の狩り場になるだろう。俺は指先の有線を確認した。ならば、俺が一番乗りになってやろうじゃないか。そうだ。何も難しく考える必要はない。よろず厄介事は、ちょっと強引に押し通すのが一番だ。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第35話:Obstreperous2

 

 

◆◆◆◆

 

 

 突如始まったクランの抗争に、ジンセイの店員は接客を止め迎撃を始める。

 

「Ha,Hakkeyoi!」

 

 ややへっぴり腰ながらも元力士のウエイターがかけ声と共に突進する。

 

「ラージャオ・ザ・レッド最高ぉぉぉっ!」

 

 店の奥から、契約していた警備員がボウガンを撃ちつつ出てきた。ご丁寧に、自分の推すジョッキーの名まで叫んでいる。

 

「土俵ニ送リ返セ!」

「異端者だ! 火刑にしろ!」

 

 直ちにビーハイヴとヴィオーラの両名が動きを合わせて迎撃する。たちまち警備員がワーウルフのクロームの鉤爪にまとめてなぎ払われ、元力士がフレキシブル注射器から猛毒を流し込まれて痙攣しつつ跳びはねていく。オドリコ・タランチュラの毒を合成して再現した、異常なほど悪趣味な毒薬だ。

 

「た、助けてぇ……っ!」

 

 腰を抜かした警備員へアームを伸ばすビーハイヴの機体。その顔面に、ホノオ・テキーラの酒瓶がぶつけられた。次いで、虚空に複雑な軌跡を描いて有線が走る。その先端がテキーラに濡れた機体の顔に触れると同事に、発火数理が発動。機体の全身が炎に包まれた。

 

「誰ダ!」

 

 機体はダメージを受けた様子もなく平然と叫ぶ。

 

 

 

 

「……上の学生か。道を空けろ。レディのお帰りだ」

 

 ホノオ・テキーラの瓶を両手でいくつも抱えたヴィディキンスを従える俺を見るや、ヴィオーラのワーウルフが鉤爪を収納する。つくづく、ヴィオーラというクランは淑女に優しい荒くれ者を演じるのに余念がない。

 

「その必要はないわ。私は学生じゃなくて――」

 

 だが、俺はそれに付き合う気はない。

 

「――店内の清掃を依頼されたハッカーだからなあ!」

 

 言葉と同事に俺は両手の十指から同事に有線を放つ。俺が手ずから書いた戦闘用の構文を伝導するそれは、猛毒のワイヤーとなってビーハイヴの機体に襲いかかった。過積載アーマーが弾け、義手の丸ノコが持ち主の頸部を削り始め、義眼経由で脳と神経系を焼かれた何人かが床の上でのたうち回る。

 

「あ、ありがとうございますハッカーさん! 早くこいつらを――」

 

 地獄でブッダといわんばかりに、元力士のウエイターが俺にすがりついてくる。情けない上に邪魔だ。

 

「なら、店員らしく少しは清掃を手伝え」

 

 抗議の暇を与えず、俺は有線をウエイターのうなじにあるコネクターに差し込む。角界を去ってからだろうが、こいつは機体になっている。

 

「Ha,HahahahaHakkeyoi!」

 

 脊柱の制御フレームに狂暴病源を感染させた俺が有線を引き抜くと同時に、ウエイターは両目を光らせ口から蒸気を噴きながら店内で戦う連中に突撃する。

 

「Dosukoi!」

 

 腐っても元力士。強烈なドロップキックでワーウルフを壁に叩きつけ、次いでその両脚をむんずとつかむや回転して投げ捨てる。あんな技が相撲にあったか?

 

「刮目セヨ!」

 

 どこに収納していたのか、ヌンチャクを振り回してヴィオーラと渡り合うヴィディキンスをよそに、突如ビーハイヴの一体が四つに分解した。複雑にパーツを折り畳み、分解した部位は手足に似た形状になる。

 

「コレガびーはいう゛!」

 

 続いてもう一体が、四肢を胴体に収納し、大きく展開した口から円筒形となった多数の銃身を突き出す。

 

「脅威ノ技術!」

 

 最後の一体が宙に飛び、その両手両脚がアーマーとなって胴体を覆うのと同事に、最初の一体の部位が合体して新たな手足になる。本来の頭部が真後ろに折れ曲がり、胴体から装甲に覆われた顔が出てくる。その手が武器となった仲間を掴む。

 

「我ラ武凱機皇・ボーグンガー!」

 

 高らかな名乗り。三人が変形合体した巨人があらわれた。

 

「ここは子供向けアニメの世界じゃないわよ」

 

 俺の感想と同事に、

 

「……同感だよ。シニョリーナ」

 

 という声が隣で聞こえた。そちらを見ると、無数のコウモリが寄り集まり、多機能サングラスをかけたヴァンパイアの姿になった。ヴァンパイア特有の匂い立つような色男だが、スーツの下に着ているのは、水着の暁レプレがでかでかと描かれたシャツだ。

 

「一つ聞くが、君は暁レプレ派か? それとも村雨アルト派か?」

 

 しつこく聞いてくるので、俺は仕方なくこう答える。

 

「どちらかというと、レプレ派ね」

 

 そう言った途端、ヴァンパイアは多機能サングラスを取って目を輝かせた。

 

「ブラボー! 君は見る目があるな。どうだね。ここは一つ共闘して、あの愚かな異教徒を審問しようじゃないか?」

 

 ホルスターから大口径の拳銃を抜いて構えるヴァンパイア。

 

「魅力的なお誘いね」

 

 俺はヴァンパイアと並び、有線を伸ばす。

 

「でも、私は掃除中なの。ゴミが喋らないでくれる?」

 

 有線経由で聖言構文を血管に流し込まれて悶絶するヴァンパイアをよそに、俺はヴィディキンスにコマンドを送り込む。あの粗大ゴミは、片づけるに手間がかかりそうだ。

 

 

 

 

 ジンセイに駆け込んできた企業警察と企業傭兵が目にしたのは、スクラップにされたビーハイヴのサイバネ蜂と、プライドを粉砕されてしょげたヴィオーラの伊達男だった。確保の手間が省けて喜ぶ企業警察の怠け者たちをよそに、傭兵たちは悔しがった。出動が無駄足となり、報酬をコンフィズリーが全部持っていってしまったことを理解したからだ。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第36話:Gild the lily2

 

 

◆◆◆◆

 

 

 学院の食堂で昼食を終え、中庭で休憩しているストリンディに声がかけられた。

 

「ストリンディさん。あなたの演技について、少しいいかしら」

 

 彼女がそちらを見ると、少し離れた柱の陰にシェリス・フィアが立っている。

 

「はい、もちろんです」

 

 そう言うと、シェリスは小さな手で手招きする。誘われるまま、ストリンディは彼女の方に近づいた。

 

「……シェリスさんの足を引っ張っている、とおっしゃりたいのでしょう」

 

 ストリンディはため息をつく。

 

「王子として毅然と振る舞うほど、講師の方から言わせれば、役から遠ざかっているとのこと。あの方もヒントは出されますが、私の方で読み解く力が足りないようです」

「そのようね。でも私は、あなたが自力で会得するまで待つ気はないわ」

 

 シェリスの返事はそっけない。ストリンディにとって、この少女は不可思議な万華鏡のようだった。外見や振る舞いは可憐な淑女でありながら、好きこのんで下層都市で遊び回っている。手を差し伸べたくなるか弱さと、大胆不敵な異常さが見事に同居していた。

 

「ねえストリンディさん、あなた、男性というものを誤解しているわ」

 

 おもむろに彼女は語り始める。

 

「あなたが演じているのは、高貴、清廉、気品。そして足りないのは、欲望、劣情、卑俗といったところかしら」

「そんな……」

「そんなものよ。人間を人間たらしめるものは高邁な理想じゃなくて、感情と情欲じゃない?」

 

 シェリスがこちらを見る。その目には、嘲笑とも侮蔑もつかない剣呑な光が宿っていた。

 

「恋い焦がれた女の子に愛を囁き、女の子から愛を囁かれ、抱きしめ、触れられ、ゼロ距離で全身が密着する。ビスクドールの王子様はどこまでも平静かも知れないけれど、血の通った一人の男性の王子様はどう思うのかしら?」

「わ、私は……」

「こう思うはずよ。『この女は俺のものだ。誰にも渡さない。俺だけが触れていい俺の女だ』って」

 

 シェリスが唇の端に笑みを浮かべる。アイスクリームに添えられたミントのような清涼な笑みではない。獲物に齧り付き、肉を食い千切るサメのような笑みだ。

 

「い、いくらなんでもそれは……」

 

 さすがにストリンディは抗議したくなった。高潔で貞潔な王子が、ヒロインを抱きしめつつお尻を撫でて鼻息を荒くしているようでは示しが付かない。

 

「“それ”は? 女性をモノ扱いするなって言いたいの? ええ、そうよ。ヒトはモノじゃない。でもね、どんな男性の心の奥底にも、いいえ、どんな人間の心の奥底にも、建前で飾れない本音があるのよ。それを卑しいとか下品とか醜いとか言うのは勝手だけど、それがなかったらヒトじゃないわ。ええと…………多分“ホトケ”って言うんじゃない?」

 

 不意にシェリスの口から出た宗教の用語に、ストリンディは首を傾げた。

 

「仏とは、悟りに至った聖人のことでは?」

「まあそうだけど。俗語で仏って何を意味するか知ってる?」

 

 シェリスがこちらに歩み寄る。彼女の方が背が低いため、こちらを見上げる形になった。我知らず、ストリンディは一歩下がる。シェリスがまた近づく。

 

「……知りません」

 

 ストリンディの背が、壁に軽くぶつかった。すかさず、シェリスが体を密着させ、顔を近づける。喉元に噛み付くかの如く。そして囁く。

 

「――死人よ」

 

 ストリンディは息が止まった。

 

「あはははっ! 笑えるでしょ? 人間風情がリビドーを全部削いで神聖になろうとすればするほど、逆に死体に成り下がるわけよ。まさに無様なパラドックスね」

 

 シェリスが笑う。それは、およそ可憐な少女に似つかわしくない、聖人気取りの死体を足蹴にする悪意に満ちた嘲笑だ。

 

「だからストリンディさん。私はあなたに死体になって欲しくないわ」

 

 シェリスの手が、そっとストリンディに伸びる。

 

「王子様は私が欲しいはずよ」

 

 その細く華奢な体が寄り添う。

 

「さあ、手を伸ばして」

 

 手が重なる。

 

「見つめ合って」

 

 目が合う。

 

「息づかいを感じて」

 

 シェリスの呼吸と、ストリンディの呼吸が重なる。

 

「心臓の鼓動に耳を澄ませて」

 

 強化された騎士の聴覚には、シェリスの心臓の拍動がはっきりと聞こえる。不気味なことに、彼女の鼓動は少しも早くなっていない。

 

「私を求めて、私に触って」

 

 甘やかな声が耳元で囁く。

 

「私はあなただけのものよ」

 

 ごくり、と我知らずストリンディは生唾を飲み込んでいた。シェリスの小柄な体躯とはちぐはぐな艶っぽい挑発。しかしそれは、初心なストリンディにとって、脆い防壁に叩き込まれた砲弾の如き衝撃的な価値観の破壊だった。王子とはかくあるべき、魅力的な男性とはかくあるべし、そして騎士とは、自分とは――――。

 

「――まあこんな感じね」

「――え?」

 

 不意に、すべてに飽きたかのようにシェリスはストリンディの手から自分の手を離し、密着していた自分の体もさっさと離す。

 

「キスでも期待していたの? 私は別にあなたの演技に持論を言っただけよ。そもそも私、スキンシップは嫌いなの」

 

 右へ左へと振り回され、ストリンディは苦笑するしかなかった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第37話:Gild the lily3

 

 

◆◆◆◆

 

 

「あなたは、見かけよりもずっと混沌とした方ですね」

 

 シェリス・フィアはまるで台風の目だ。彼女だけが平然としているよそで、周囲は振り回され、当惑し右往左往する。その様子を見て、彼女は薄く笑みを浮かべているのだ。

 

「そうかしら?」

「まるでご自分が男性の心の機微を知り尽くしているかのような言葉です」

「まあ、いろいろあったのよ」

 

 シェリスは肩をすくめる。

 

「でも、何だか少し分かったような気がします。ありがとうございました、シェリスさん。必ず最高の演技で応えてみせます」

 

 深々と一礼するストリンディだったが、彼女が顔を上げて目にしたのは、既に無関心になっているシェリスの顔だった。

 

「そこそこ期待させてもらうわ。もっとも、私は演劇には興味がないけどね」

 

 

 

 

 本番の舞台。講堂に集まった満員の観衆。自校の生徒のみならず他校の生徒、そして学校関係者に学生の親族に一般の人々まで。スポットライトにストリンディとシェリスが照らし出される。今まさに情熱的なデュエットを歌い終え、最後に幕が下りる。だからこそ、ストリンディがするべき事はただ一つだけ。

 

(さあ、皆に見せてあげなさい)

 

 シェリスの目がそう言っているように見えた。

 

(王子の、いいえ、あなたの思いの丈を)

 

 その目が閉じられる。促されるまま、心の命じるまま、欲求のけしかけるまま、ストリンディはシェリスの唇にキスをした。それはもう、がっちりとしっかりと熱烈に激しく猛烈にがっつくようなキスをしたのだった。そして、万雷の拍手が講堂を埋め尽くしていく。

 

 

 

 

「……ビーハイヴ製の脂肪吸引ポンプを口に突っ込まれた気分だわ」

 

 広い湯船の中で、俺は五体を伸ばす。ここは寮に設けられた温泉だ。ミュージカルは大成功だった。ストリンディも本番で最高の演技を見せ、リハーサルよりも数倍情熱的なキスを口に押しつけてきた。今までが上品な紳士のキスなら、本番は十代の少年が恋人に勢いだけでするキスだ。

 

「ええ、真に迫ったディープキスよ。おかげで観客も大喜びだったじゃない」

 

 湯に浸かる俺の近く。タイルの上でストレッチをしているストリンディが俺の言葉に反応した。叙述インターフェイスをはずした今、ストリンディは顔を真っ赤にして照れている。

 

「今にも死んでしまいそうなくらい恥ずかしいですが、これもあなたのおかげです」

 

 ちなみに、二人とも水着を着用している。ストリンディは、競泳用を思わせるラインの入った濃紺の水着。俺は白とピンクでフリルいっぱいの愛らしさに特化した水着だ。誰の趣味だって? ステイルメイトのプレゼントだよ。俺は何となくストリンディを見つめる。アーマーを装着している時は分からなかったが、この騎士は非常にスタイルがいい。

 

「どうかしたのかしら?」

「そんなに見つめられると……少し恥ずかしいです」

 

 俺の視線に気づいたのか、ストリンディは居心地悪そうに手で体を隠そうとした。ぴったりとフィットした水着が嫌みなく上半身の豊かさを際立たせているし、腰から脚のラインはモデルのようにすらりとしている。

 

「あら、気にしないで。深い意味はないから」

 

 俺は適当なことを言いつつ、お望み通り目を逸らして天井を見つめる。男子禁制の寮の温泉施設で、水着の少女を遠慮なく眺めているという状況だったが、俺はあいにく嬉しくもなければ感慨も湧かない。ハッカーにとっては肉体も肉欲もノイズだ。健康的な少女の肢体も、土俵で四股を踏む力士と同程度の関心しかない。

 

 別に俺はミュージカルを成功させたかったわけではない。ストリンディの煮え切らない演技に付き合うのがうっとうしくて、強引に吹っ切れさせようとしたに過ぎない。彼女に語った長広舌は、ステイルメイトが以前語っていた人間の本質についての論議に、適当なでまかせを混ぜたものだ。やはり、厄介事は多少強引な手段を取った方が手早く片付く。

 

「そういえば、ストリンディさん」

「はい、何でしょうか」

 

 もじもじするストリンディに、俺は少し意地悪なことを聞いてみた。

 

「少し前に学院を休んでいたけれど、まさか企業間闘争で不覚を取ったのかしら?」

 

 彼女にアシッドレイン製の汚染映像を流し込んで心神喪失にしたのはこの俺だが、あの一件をどう処理しているのか興味があった。

 

「……え?」

 

 しかし、返ってきたのは敗北に対する反省でもなければ悔恨でもない、怪訝な顔と声だった。

 

「いえ、そんなことはありませんよ。幸い相手はこちらを侮っていましたので、手傷を負うことなく任務を終えられました」

 

 すぐにストリンディは笑顔に戻り、爽やかな声で俺にそう言う。

 

「じゃあ、どうして休んでいたの?」

「……え?」

 

 再び怪訝な顔。だが、すぐにそれは快活な笑顔で上書きされる。

 

「ええ、騎士団に呼ばれて事務処理を手伝っていたんです。ご心配をおかけしました」

 

 虚勢や虚言ではない。ストリンディ・ラーズドラングは、本心から自分の発言を信じている。まるで定期的に調整される機械だ。熱い湯に浸かっているはずの俺の体に、寒気が這い上がってきた。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第38話:Anachronism

 

 

◆◆◆◆

 

 

「サンドピット自治区のルーツは、鉱化パンデミックから逃れた難民たちの活動拠点です」

 

 俺の隣で、褐色の肌の小柄な少年が喋っている。目の前を異族のジンの一団が通り過ぎた。千年前から変わらない服装に、背中に背負った砂まみれの通信デバイス。

 

「ここはかつて東西両国の文化が衝突する突端であり、めまぐるしく統治者の変わる大都市でした」

 

 サンドピット自治区。ボーダーラインから列車を経由してたどり着いた、海と砂漠に挟まれたアーコロジー。悪疫からの復興の象徴は、公議の進歩的思想さえも無に帰す歴史の砂塵に埋もれつつある。この街で最初に壊れるのは最新の数理デバイスで、最後まで残るのは太古からの建造物だ。前回のミレニアムと今回のミレニアムに変化などない。

 

「そもそも始まりは、八十八賢帝の一人、皇帝――」

 

 少年が続けようとしたが、突如横槍が入る。

 

「その棒読みの台詞、なんだよ」

 

 痩せぎすの体躯にゴーグルと人工ドレッドヘア。ボーダーラインから出張してきた情報屋のアドロだ。

 

「観光ガイド協会のマニュアルだよ。知らないのか?」

 

 少年は不満げに頬を膨らませる。

 

「黙ってろ。耳障りだ」

「あんたの意見なんてどうでもいい。オレはあんたの観光ガイドじゃないからな」

 

 アドロの文句を少年は聞き流し、次いで俺に期待に満ちた視線を向ける。カモフラージュのために雇ったこいつの名前はウズムクという。

 

「続けるだろ? なあ?」

 

 俺の少女の外見が気になるのか、ウズムクは初対面からずっとなれなれしい。

 

「いらないわ。黙ってて」

 

 生憎、俺は思春期の少年の純心を弄ぶ気は毛頭ない。

 

「じゃあ、なんでオレがいるんだよ」

「さあ、ね。自分で考えたら?」

 

 俺は肩をすくめる。荷物は隣のヴィディキンスに持たせているため、こいつは荷物持ちにもならない。

 

「……暑い。臭い。砂だらけだ」

 

 アドロのうんざりした顔を見つつ、俺はうなずいた。

 

「故郷が懐かしくなるわね」

 

 

 

 

 一週間前のことだ。俺はスカイライトの喫茶店でエードルトと顔を合わせていた。彼が俺を呼びつけたのはいつもの嫌みや注意ではなく、所属するシーケンサーが依頼主の仕事の依頼だった。

 

「――ようやくハッカーらしいまともな仕事ね」

 

 サンドピット自治区に建つデザートローズ考古学博物館に収蔵された、とある聖遺物の奪取が依頼だ。

 

「浅ましい上に乱暴なやり方だ」

 

 エードルトは何が気に入らないのか、苦い顔でそう答える。対立する企業を強襲してデータや貴重品をかすめ取るのは、企業間闘争の日常であり常識だ。いったい何が気に入らないのか。

 

「じゃあ、素直に大金を詰んでお願いしたら? どうかそちらの展示品の一つを売っていただけませんか? って頭を下げてね」

 

 自分の依頼内容に渋面を見せるエードルトだが、俺の忠告に首を左右に振る。

 

「取引の情報が残るのは望ましくない」

「あら、そう」

 

 俺は聞き流す素振りを見せつつ、内心で少し驚いた。

 

(誰に、いや何に警戒している?)

 

 シーケンサーは誰かの目を気にしている。つまり、この依頼は明らかにこいつらの核心に触れる何かということだ。

 

 

 

 

「ほら、やるよ。オレの奢りだ」

 

 バザールの人混みに揉まれつつ歩いていた俺に、ウズムクがアイスクリームを差し出した。そちらに目をやると、店先にいたひげ面の太った店主が笑顔で手を振る。いつの間に買ったのか。

 

「俺にはないのか?」

 

 地物の香草を吹かすアドロがすかさず顔を近づける。

 

「あんたはオレの雇い主じゃないだろ? 黙ってろよ」

 

 にべもなくウズムクはアドロをあしらいつつ、手に持ったアイスを俺に押しつけてくる。

 

「ほら、早く。そこらのガイドも知らないオレの一押しだぜ」

 

 プレゼントでこちらの気を惹こうという思いが見え隠れしてる。

 

「ええ、せっかくだからもらうわ」

 

 ウズムクの思いなどどうでもよく、俺は受け取りつつもう片手で教書を開く。待ち合わせ場所は近い。

 

「――コンフィズリーだな」

 

 アイスクリームを食べ終わるのとほぼ同時に目的地に着く。閑古鳥が鳴いている人造の中古パーツショップの裏手に、俺と同郷の異邦人たちがたむろしていた。不健康な白い肌と薄汚れたジャケット。地べたや階段に腰掛けた体のあちこちは無骨な機体。後生大事に膝の上に置くのは、違法改造した大型の教書。

 

「現地で合流か。いつものことだな」

 

 リーダーの女性が俺に声をかけた。目の下の隈が凄まじい。全身の各所に刺したクローム鍼が、見るからに危険な奴という雰囲気を出している。

 

「だ、誰だよお前ら!?」

 

 ゾンビのような一団を目にし、ウズムクが悲鳴を上げる。怯えるその横顔を見つつ、俺は丁寧にガイドに紹介してやった。

 

「紹介するわ。こちらの方々はベアリングウォール。私と同じ、奪取と破壊が大得意のハッカーのチームよ」

 

 ハッカー、と聞いてさらにウズムクの顔が引きつった。

 

「あ、あんた、ハッカーなのかよ……」

 

 まるで凶悪犯罪者を見る目で、ウズムクは俺を見る。その怯えた子犬のような視線を浴びるのは、このボディになってから本当に久しぶりだった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第39話:Wicked Dealer

 

◆◆◆◆

 

 

 サンドピット自治区の東に建つホテル・マルジャーン。かつては華やかだったこのホテルも立て続けに経営者が変わり、今や砂と錆と埃に彩られた廃墟の予定地となりつつある。照明もろくに点いていない暗い廊下を歩くのは、スシ・カバブを配達するウズムクだ。

 

「悪徳者だ……悪徳者。あいつらは悪徳者」

 

 ウズムクは一人で何度も呟いている。

 

 朝の礼拝で教父が行った説教が脳裏に蘇る。悪徳者。異教の輩たち。聖典に従わず、悪行に身を染めたよそ者。付き合うのは危険だと分かっている。それでも、ウズムクの目には一人の少女の姿が焼き付いていた。細い肢体と銀色の長髪。赤みがかった双眸。今まで一度も見たことのない、可憐な花のような少女だ。その名は――コンフィズリーという。

 

 指定された部屋の前で、ウズムクは足を止める。

 

「誰だ」

 

 ノックするとハスキーな女性の声で返事があった。

 

「オレだよ。昼食だ」

 

 ややあって鍵が解錠され、ドアが開いた。部屋に足を踏み入れると同時に、鼻をつく化学物質の異臭にウズムクはむせそうになった。床に目をやると、大量のブーストスイーツの包み紙が散らばっている。

 

「適当に置け」

 

 ベッドの上で大型の教書を広げた女性が、目も上げずに命じる。ホテルの一室はハッカーたちの魔窟になっていた。壁に向かって何人ものハッカーが座り、延髄のコネクターに教書を有線接続させている。ほとんどの調度品は隅に詰まれ、空いた空間を数理機器が占拠していた。割れた空き瓶に突っ込まれた、ケミカル配合の香草の毒々しい色と臭い。

 

「……少しは片づけろよ」

 

 無数の仮想スクリーンに流れる構文や描画された図面を手で払いのけつつ、ウズムクは積み上げられた空箱の上にスシを置いてぼやく。

 

「用が済んだらさっさと帰れ」

 

 先程の女性はにべもなく言う。

 

「おい、オレはガイドだぞ。配達ならほかの奴にもでき……」

 

 ウズムクが抗議しようとしたのと同時に。

 

「黙れ」

 

 初めて女性が顔を上げた。目の下の異常に濃い隈。乾ききった短髪。不健康かつ不機嫌そうな顔。耳と眉と唇の端を貫くクローム鍼。そして何よりも、こちらに突きつけられたニードルタイプのクロスボウ。

 

「スカイライトのイタマエが捌いたバイオレットフグの毒入りだ。肝臓で味わうか?」

 

 無造作に向けられた残忍さに、ウズムクは背筋が凍った。

 

「――マンティス、ここじゃ故郷の挨拶は刺激が強いわ」

 

 横から聞こえた忠告に、マンティスと呼ばれた女性はクロスボウを下げる。

 

「部外者を黙らせるにはいい薬だろ?」

 

 マンティスが充血した目を向ける先。教書を開き硬筆を走らせるシェリスの姿がある。毒物と大差ない香草の煙で燻されたその目に、彼女の姿はまともに映っているのだろうか。

 

「分かった? 仕事場を土足で歩かれても許せるほど、私たちは寛容じゃないの」

 

 次いでシェリスはウズムクの方を向いて、作り笑いの顔でそう言う。

 

「あ、ああ……」

 

 こんな狂人たちと付き合う義理はない。退室しようとしたウズムクの目の前で、突如壁を向いて座っていたハッカーの一人が絶叫と共に立ち上がった。

 

「あら、侵入に失敗したみたいね」

 

 ハッカーの全身が帯電してスパークを放つのと同時に、右の義眼が爆ぜてタンパク液が飛び散る。

 

「びょ、病院に連れて行かないと!」

「余計なことをするな」

 

 助けを呼ぼうとしたウズムクに、マンティスは再びクロスボウを突きつける。

 

「でも……!」

 

 おろおろするウズムクをよそに、シェリスが立ち上がるとスパークが収まったハッカーに近づく。

 

 背筋を反らせて硬直したハッカーの側頭部に手を伸ばし、多段ソケットから基盤を引き抜いた。その細い指から光る線が伸びると、基盤に差し込まれる。

 

「……スケダチ・コーポレーションの感応防壁、種別は恐らく遊離マクロファージタイプ。アサルトソフトウェアがやや特殊ね。未だに八卦型のスペルバインダーを使ってるなんて予想外だわ」

 

 基盤に記録された感応防壁の迎撃を読み取っているなど、数理に疎いウズムクは知るよしもない。

 

「手間が省けたわ。これを手がかりにしましょう」

 

 マンティスがうなずくと、クロスボウの数理端子を操作してからハッカーに向けて引き金を引く。

 

「やめろよ!」

 

 ウズムクが血相を変えるが、マンティスはうるさそうに説明する。

 

「アドレナリン投与だ」

 

 その言葉の通り、ニードルを首筋に撃ち込まれたハッカーは大きく喘鳴すると、生身の方の目を見開いた。

 

「気分はどうかしら?」

 

 シェリスがそう尋ねると、ハッカーは苦しげに笑い返した。

 

「て、天蓋が見えたぜ……」

「お馬鹿さん。死にかけた程度で天蓋が見えたら苦労しないわ」

 

 シェリスのその声には、ウズムクには分からない苦々しさがあった。

 

「まだいたの?」

 

 不意にシェリスがウズムクの方を見た。その目つきのよそよそしさに、ウズムクはたじろぐ。

 

「じゃ、じゃあな!」

 

 捨て鉢にそう言い放って出て行くウズムクを、シェリスもマンティスも、他のハッカーも誰一人見ていない。

 

「やっぱり悪徳者だ……あいつら」

 

 階段を下りつつ呟くウズムクに同意する者も、やはり誰一人いなかった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 





情報記録媒体を指す語である〈原画〉を〈基盤〉に変更します


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第40話:Wicked Dealer2

 

 

◆◆◆◆

 

 

 ハッカーの仕事は地理を選ばない。俺が今わざわざサンドピット自治区にいるのは、今回のターゲットが情報ではなく現実の物品だからだ。

 

「おい、コンフィズリー」

 

ウズムクが退室してすぐ、マンティスが俺の方を見た。

 

「何かしら?」

 

 俺と彼女が率いるチームはここに到着と同時にホテルにこもりきりとなり、ハッキングの糸口を探り続けている。

 

「あの子供は仕事の邪魔だ」

 

 無愛想にマンティスは言う。

 

「同感ね。私としては、首にしても構わないわ」

「なら……」

 

 マンティスは意気込む。主義主張のないハッカー集団を率いるだけあって、彼女は粗暴で無慈悲だ。趣味がネコカフェ巡りというのが信じられない。

 

「でも、依頼主の要望よ。カモフラージュとして雇ったみたい」

「付き合う義理はない」

 

 マンティスは多感アルカロイド溶液に浸した香草をくわえて吹かす。爆発物のようなギリギリの代物だ。俺の少女のボディだと、側にいるだけでめまいがしてくる。

 

「マンティス、私たちはハッカーよ。私はフリー、あなたはリーダーという違いはあるけど、一山いくらのアウトロー気取りとはわけが違うわ」

「何が言いたい?」

 

 マンティスは唸る。

 

「連中のようなごっこ遊びじゃなくて、私たちは仕事でここにいるの。依頼主の要望は裏切り以外極力叶えるつもりよ」

 

 矯正整式に則った優しい声音で俺が説明すると、マンティスの濁った目に生彩が戻った。こいつは自壊する勢いで摂取した薬物と数理の力を借りたハッキングを戦法とするが、見た目以上に頭の中はロジカルだ。実力も申し分ない。

 

「プロの矜持か。やはりお前はグレイスケールの後継だな」

 

 挑戦的な笑みをマンティスは浮かべる。またその名を聞いた。

 

「そんなご大層なものじゃないわ」

 

 俺は心中で肩をすくめる。いつの間にか俺は、同業者の間ではグレイスケールの後継として扱われている。

 

「仕事を続けましょう」

 

 俺が香草の激臭から顔を背けつつ、そう言った瞬間だった。

 

「――っ」

 

 空間が重たい水のように揺らぐ。一秒前と一秒後。間隙に差し込まれる違和感。

 

(余震……?)

 

 大綱に接続した瞬間に時折感じる、ハッカーなら誰もが知る違和感。それが現実に表出してくるということは……。

 

「そうだよね。君は後継じゃない。グレイスケールその人だ」

 

 静止した無音の室内。聖アドヴェント学院の制服を着た少女がいる。

 

「『天蓋が見えた』ってこの人の言葉を君は一笑に付したけど、あながち間違いじゃないかもしれないよ」

 

 先程、博物館のセキュリティに引っかかって悶絶していたハッカーの隣。この少女はそこに、滲むようにして姿を現した。短い髪。起伏の少ない体躯に細い手足。少年とも少女とも取れる顔立ち。ただ、着ているのは女子の制服だ。

 

「あなたは……」

「久しぶり、また会えたね」

 

 中性的な少女は、まるで旧知の間柄のような親しげな笑みを浮かべる。

 

「学院では雲隠れしていたのに、今日は自分から登場とはね、キシア」

 

 俺はその名を呼ぶ。以前学院の空中庭園で会った少女の名を。その庭園には一つの噂があった。

 

 ――天使に会える、という噂が。

 

「僕の名前を覚えていてくれたんだ。嬉しいなあ」

 

 キシアは静止した世界の中で一人動き、俺に近寄る。

 

「異族のデーモンは古来より名前を重要視していた。契約を結ぶ時は、秘密の名を触媒に数理による束縛を施したんだ」

「古いしきたりよ」

「大綱が世界を覆い尽くし、人々がインプラントしたデバイスを使って接続するこの時代でも、数理の本質は変わらない。君もまた、真名を知るべきだ」

 

 一歩後じさる俺に、キシアは囁きかける。まるで、千年の封印を解く秘密の呪文の如きその名を。

 

「――ホワイトノイズ」

 

 刹那、視界が呼応するかのように震えたのは俺の錯覚だろうか。

 

「それはあなたの名前?」

「僕はキシア。そして今回の依頼主だ」

 

 キシアは俺の質問をはぐらかす。

 

「シーケンサーとエードルトはあなたの手足ってわけ?」

「少し違う。僕は君たちハッカーと同じだよ。依頼を受けて、それを果たす。そして今回は、僕の方がハッカーに依頼しているってこと」

 

 思わせぶりなことを口にするキシアだが、目的は単純極まる。要は俺たちの所に視察に来たのだ。

 

「あなたが人体のコレクターだとは知らなかったわ。報酬さえ支払ってもらえばどうでもいいけど」

 

 そもそもこいつは何者だ? 凄腕のハッカー、疑似パーソナリティが付与された“チューニング”の追跡構文、物好きの富豪、あるいは――天使? 天使なんて種類の異族はいない。聖遺物を欲しがるのは、天使を気取るロールプレイの一環か、自宅のコレクションに加えるのか。

 

「そう言わないで。これは君にも関係があるよ。これを手に入れれば……」

 

 キシアは親しげに笑う。俺の知らない親密さをその瞳にたたえて。

 

「……君に、もう少し真実を話せるようになる」

 

 そして、フリーズしていた映像が再び動き出すかのように――

 

「どうした、コンフィズリー」

 

 世界に動きと音が戻った。

 

「何でもないわ」

 

 キシアの消えた室内で、俺はマンティスのいぶかしげな視線から逃れるようにそっぽを向いた。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第41話:Heroism

 

 

◆◆◆◆

 

 

「ほら、これが十年前に発掘されたエウレキュラス文明の“太陽の碑文”だぞ。これは元々――」

 

 二日後。俺はウズムクとデザートローズ考古学博物館を訪れていた。目的は観覧ではなく現場の下調べだ。サンドピット自治区が誇る観光の中心地だけあって、セキュリティはなかなか堅牢だ。

 

「随分と饒舌ね」

 

 俺は展示物の説明に忙しいウズムクに言う。

 

「悪かったな。仕事の邪魔か?」

 

 博物館に入った瞬間から水を得た魚のように生き生きしていたウズムクは、自分の長広舌に気づいたのか恥ずかしそうな顔をしつつも頬を膨らませる。

 

「単なる感想よ。考古学に興味があるの?」

 

 何気なく俺が聞くと、彼の顔つきが二流ガイドの顔から、見果てぬ夢を追う決意を秘めた顔に変わった。

 

「この砂漠の下に、まだ誰も発見したことのない古代遺跡があるんだ。オレはいつか絶対に発掘してみせる」

「誰も見たことがないのに、なぜ存在するって分かるの?」

「伝説に語り継がれているんだ。古代熱砂戦争の記録にも残ってる。みんなただの伝説だって言ってるけど、オレはそう思わない」

 

 なるほど。このガイドは未来のトレジャーハンターか。

 

「それで、将来に向けてこうやってガイドで稼いでいるのね?」

 

 ウズムクが進学するにせよ、知識増設の生体パーツを埋め込むにせよ、多額の費用が入り用だ。身なりや振る舞いからして、彼の実家は貧しいのだろう。果たしてこの少年の見果てぬ夢が日々に忙殺されて消えていくのか、それともいつか叶うのか。俺としては後者を願いたい。

 

「悪いかよ」

「まさか。前人未踏の開拓者には共感できるわ。リスクは大きく共感者もいないだろうけど、頑張りなさい」

 

 俺が率直にそう言うと、ウズムクは目を見開いて驚いた。

 

「そう言われるなんて思わなかったよ。てっきり、ほかの連中みたいにバカにすると思った」

「私は夢追い人には寛容なの」

 

 俺はこいつをバカにできるほど堅実じゃない。むしろ同類だ。

 

 

 

 

 下調べを終えてホテルに戻る帰り道。

 

「……あのさ」

 

 道路に通行人が減り始め、周囲の建物の外見がくすみ始めた辺りで、後ろを行くウズムクが俺に話しかけた。

 

「何かしら?」

 

 振り向くと、ウズムクは博物館のはつらつとした様子はどこへ行ったのか、思い詰めたような顔で俺を見ている。

 

「……あんたたち、悪徳者だろ」

「悪徳者?」

 

 知らない単語だ。

 

「そうだ。教父様が言ってた。眠らない機械都市からやって来た異邦人で、この街の知らない悪徳を教える悪い奴らだって」

 

 なるほど。確かに俺たちはよそ者だ。おまけにハッカーで頭の中には悪だくみが満載。そしてやることといえば抗争と奪い合いと破壊工作。確かに、この自治区の宗教関係者が渋面になるのもうなずける話だ。

 

「違う……よな?」

 

 なぜかすがるような目でウズムクは俺を見るが、知ったことかとばかりに俺は肯定してやった。

 

「事実よ。その教父はまともね」

「わ、悪いことはダメだぞ!」

「それは発狂した公議と、それを利用する企業に言いなさい。私たちハッカーは企業間闘争の代理人よ。依頼を受けて侵入し、破壊し、盗取する。これは人倫では悪徳でも、経済では取引なのよ」

 

 俺はボーダーラインでまかり通っている常識を説明してやる。ウズムクにとっての悪徳は、ハッカーにとっては経済活動でしかないのだ。

 

「なあ、そんな悪いことやめないか」

 

 俺の自説にウズムクは愕然としていたが、やがて妙になれなれしい態度で忠告してきた。

 

「その、なんて言うか、オレはあんたに、悪いことはして欲しくないって言うか……」

 

 汎愛モラリストのようなパワー溢れる倫理観ではなく、押しつけがましい親しさがある。

 

「……うまく言えないけど、オレが力になれるんだったら、言ってくれよ。あんたは、悪徳者になんかなっちゃダメだって」

 

 俺は鼻で笑った。ああ、そうだった。こいつはハッカーの何たるかを知らず、俺が見かけ通りの脆弱な少女だと思っているんだった。

 

「ねえ」

 

 か弱い女の子は、危ない連中と手を切って花でも愛でていろと言いたいのか。そしてあわよくば、自分が故郷に錦を飾るまで待っていて欲しいと妄想しているのか。一方通行の恋愛感情にも困ったものだ。

 

「な、なんだよ」

 

 俺がぐっと顔を近づけると、ウズムクは顔を赤くしてたじろいだ。

 

「――調子に乗りすぎよ、世間知らずのお坊ちゃん」

 

 俺は人差し指から有線を伸ばし、ウズムクの右目の網膜に突き立てた。器官を一切損傷させずに眼球に接続。大綱を構文の形状で表示。

 

「なっ!? なんだよ!? なんだよこれぇ!?」

 

 ウズムクがひっくり返って手足をばたつかせるのを、俺は見下ろす。初心者が膨大な情報をいきなり視神経に流し込まれれば、前後不覚になるのも当然だ。

 

「――それが私にとっての、発掘するべき古代遺跡」

 

 俺は聞いているのか聞いていないのか不明のウズムクに語りかける。この俺自身が、ノヴィエラ・セレフィスカリヤの肉体に囚われた俺の魂が、その願いを決して忘れないように。

 

「あなたと同じように、私にもたどり着きたい場所があるの。全身全霊を賭け金に積んでも、なお届かないあの蒼空が」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第42話:Pyramid Structure

 

 

◆◆◆◆

 

 

 午前零時。作戦決行の当日。閉館したデザートローズ考古学博物館が見える古びた建物の屋上。そこに俺はヴィディキンスを隣に控えさせて立っている。防壁を無効化して警備用の人造をハッキングし、聖遺物を奪取するのが今回の作戦の概要だ。俺はその聖遺物を受け取るためにここにいる。

 

「ベアリングウォール、配置についたぜ。ヒヒッ」

 

 勝手に乗っ取った教説放送の回線から、陽気なハッカーの声が聞こえてきた。ケミカルな方法で情緒と思考を底上げしている。もっとも、専用の肝臓と演算真菌を共生させた神経系を有するハッカーにとって、薬物によるブーストは正攻法の一種だ。

 

「準備は万全かしら?」

「絶好調。ソレイユ・ルヴァンの新作メニュー表だって盗ってこられるぜ」

 

 スカイライトの有名ケーキ店の名を上げて、甲殻種族のハッカーは軋るような笑い声を響かせる。

 

「それはよかったわ。幸運を」

 

 そう言うと俺は回線を切断し、教書を開く。表示されるスクリーンにはカウントダウン。さあ、仕事を始めようか。

 

 ――三、二、一。

 

「――接続」

 

 意識を分断。五感の残滓を現実に残しつつ、俺は大綱の虚空へと潜行する。

 

 現実の博物館にオーバーラップするようにして、博物館のセキュリティが視覚化される。徘徊するスフィンクスタイプの情報ガーディアンが四匹。下層保護構文の形状は流砂整式。そして何よりも、正式な企業に依頼して制作された防壁と追跡素子。無策で飛び込めば脳をテンプラにされるどころか、極秘だった口座の残金まで丸わかりという代物だ。

 

 俺は防壁の末端に近づき、侵蝕ゴーストを接触させる。意識が先鋭化し、延長されていく。雨粒の一滴。乱反射する光の一筋。弦楽器の旋律の一音。それらに思考が重なるのは、大綱という情報空間をシンボライズする人の性か。指先が動いて教書内部の構文を呼び出し、もう片手が握る硬筆がリアルタイムでそれらを書き換え最適化していく。

 

 俺がゴーストを忍び込ませている間に、マンティスの率いるベアリングウォールはスフィンクスの排除に取りかかった。連中が使うのは“ハリガネムシ”と名付けたお手製の論理病源だ。本来は対人用の武装であり、対象の制御を乗っ取った後は自殺に追い込むえげつない劇毒だが、今回は対人ではなく対防壁用に偏執的な改造を施してある。

 

 影か霧のようにして、侵蝕ゴーストは防壁に取り付いて形質を同調させていく。防壁にもその制御システムにも違和感を感じさせない侵入こそ、ゴーストの本領だ。だが、俺は流れていく防壁の警戒構文の中に、わざとノイズの一文を混ぜる。外部からの侵入ではなく、スケダチ・コーポレーションの製品に特有のほつれを再現。スフィンクスが近づく。

 

 一匹のスフィンクスがノイズを削除するその一瞬を見逃さず、ベアリングウォールがハリガネムシを寄生させた。巡回を再開するスフィンクスの内部で論理病源は増殖し、他のスフィンクスに感染していく。今回の作戦で、俺たちが防壁よりもスフィンクスに注目している。いかにこれをスマートに無効化しつつ利用するかに、俺たちはこだわっていた。

 

「オミゴト! 次はこいつらに水浴びさせてやろうぜ」

 

 勝手に回線がつながると、ベアリングウォールのハッカーの笑い声が聞こえる。言われるまでもない。ハリガネムシの活動が活発になるのを確認しつつ、俺は侵蝕ゴーストに仕込んだサブスクリプトを起動させる。防壁から染み出るようにして、悪性構文が流砂整式の上に流れ出ていく。

 

 ヒトを自殺させるのに凝った手順は要らないが、スフィンクスが突然自死したら通報される。自殺の方法は入念でしかも様式美。既にハリガネムシに思考ルーチンを乗っ取られたスフィンクスたちは、悪性構文を削除するどころかそれに身を浸していく。内部の免疫系整式を手動で封鎖。自立行動の主幹を麻酔。ソフトランディングな死が訪れる。

 

 スフィンクスの自死と共に、ハリガネムシは行動パターンを次段に移行させた。ゾンビとなったスフィンクスは、何事もなく巡回を再開する。あらゆる警備システムに「異常なし」と連絡しつつも、その中身は既にベアリングウォールの手の内だ。そのうちの一匹に、俺は防壁をすり抜けた侵蝕ゴーストを憑依させる。目となり手となる端末が完成だ。

 

「――成功だ」

 

 現実に置き去りにしたボディの口元が自然と吊り上がって笑みを浮かべ、舌と口腔が言葉を紡ぐのを意識の片隅で感じる。己の存在さえ気づかせず、セキュリティに致命的にして決定的な一撃を書き込む。ハッカーの真骨頂、ハッキングの醍醐味だ。今や博物館のセキュリティは獅子身中の虫を抱えつつ、頼みの綱の外壁を崩されている。

 

 俺のゴーストが侵入したスフィンクスは、一階のロビーを巡回する。現実の監視カメラに視野を共有すると、次の獲物となる警備用の人造が歩いてきた。硬筆を走らせ、動線を描き込む。スフィンクスから監視カメラを経由して、ゴーストが人造に憑依。本格的に警備システムを乗っ取り始める。これを防ぐ防壁は、徐々に蟷螂の斧となりつつあった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第43話:Pyramid Structure2

 

 

◆◆◆◆

 

 

 ベアリングウォールがいるホテルの一室に夜食を投げ込み、ウズムクはロビーに降りてきた。シェリスの姿はどこにない。あの日、シェリスが可憐な淑女の仮面の裏をかいま見せてから、ウズムクは一度も彼女と話していなかった。あの冷酷な態度に驚いたのは事実だ。けれどもそれ以上に、ウズムクは彼女に不思議と惹かれていた。

 

「お疲れさん、子供は寝る時間だぜ」

 

 色褪せたソファに座る、痩せぎすでドレッドヘアの男がウズムクに声をかけた。情報屋のアドロだ。彼はここを訪れたその日から、後ろ暗そうな連中と何やら話してばかりだった。

 

「あんたも寝ろよ。夜更かししすぎだ」

「仕事でね。バイヤーとの橋渡しだ。そろそろ商品が発注できますよって、な」

「商品?」

 

 ウズムクが関心を示すと、アドロは持っていた教書を大げさな仕草で閉じた。

 

「おっと、それ以上は秘密だ。関わるなよ」

 

 露骨に遠ざけられ、ウズムクはむっとした。

 

「オレだってガイドだぞ。知る権利がある」

 

 悪徳者の集団に囲まれているのに、物怖じするどころか悠然と振る舞うシェリスに少しでも近づきたかった故に、そんな強がりを言ってしまう。

 

「あのなあ、俺たちがもしへまをして、全員捕まったらどうなると思う? 誰に捕まるかが重要だ。企業警察なら口座の中身を要求される。クソ野郎のチューニングなら、ミイラになるまで情報を搾り取られる。だがもし、博物館がニンジャを雇っていたら――」

 

 そう言いつつ、意味深な沈黙でアドロは語尾を濁す。

 

「いたら?」

「――オコノミヤキ」

「は?」

「好きに焼け、というニンジャの古い暗号だ。俺たちは問答無用でオコノミヤキにされる」

 

 ウズムクは背筋が凍った。いくら悪徳者とは言え、オコノミヤキはひどすぎる。伝説のアサシンであるニンジャは、そんなに恐ろしい存在なのか。そして、アドロもベアリングウォールの連中も、あのシェリスもそんな危険と隣り合わせの日々を送っているのか。

 

「だから深入りするな。何も知らなければニンジャも見逃してくれるさ」

 

 アドロが優しくそう言うが、ウズムクとしては子供扱いされているようで気に食わない。

 

「ニンジャなんかただの神話だろ。怖くないね」

 

 古代文明の壁画に描かれたニンジャを見たことはあるが、実物は未見だ。精一杯粋がるウズムクを、アドロはゴーグル越しに見ていたが……

 

「……さてはお前、コンフィズリーに惚れたな?」

 

 突如アドロが投下した高密度の論理爆弾に、ウズムクは文字通り跳び上がった。

 

「なぁあああああ!?」

「お、図星か。そりゃそうだよなあ。そうでなくちゃ、ただのガイドがよそ者の俺たちに入れ込むわけないよなあ」

「か、勝手に決めるな!」

 

 ウズムクが必死に否定するが、アドロはにやつくだけだ。

 

「可愛い彼女のピンチに颯爽と登場。白馬の王子様になって可憐なハッカーちゃんを悪の手から救い出す最強無敵主人公の活躍を脳内でシミュレート中ってわけか。いやぁ若い若い」

 

 以前ほんの少しだけしてしまった妄想を恐ろしいほどの精度で言い当てられ、ウズムクは我慢の限界を迎えた。

 

「う、うるせぇえええ! そんなんじゃない! ないから!」

 

 つかみかかったウズムクの手を、アドロは難なく払いのける。瞬間、にやにや笑っていたその顔が真面目なものに豹変した。

 

「おいお前、まさかあいつをただのか弱い女だなんて思ってないよな」

 

 その声に怯えのような感情を察知し、ウズムクは手を引っ込めた。

 

「思い上がるなよ。あいつはお前みたいな青二才に守られるガラス細工のレディじゃない」

 

 アドロはくしゃくしゃの箱から香草を引き抜いて口にくわえ、即座にむせた。

 

「……マンティスの奴こんなの吸ってるのか。狂ってるだろあの女」

 

 香草を丸めてテーブルに放り投げ、アドロは人工ドレッドヘアの頭を掻きながら天井を見上げた。

 

「――あいつは、あのグレイスケールが作り上げた傑作だ。下層都市ボーダーラインの申し子って奴だよ」

 

 

 

 

 能動ホメオスタシス機構が俺の制御下に入った。視野を埋め尽くす多角モニターに映るのは、次々と沈静化されていく情報伝達構文のログ。重要度が低いものを手動でサブダクション・ゾーンへと追いやり、なおも警戒域へと浮上しようとするものは偽証トランキライザーを注入して強引に抑制する。企業の作り出した防壁は、今まさに決壊した。

 

「よくやってくれた、コンフィズリー。上出来だ」

 

 仮想の耳元でマンティスの賛辞が聞こえる。

 

「あなたのハリガネムシがあったからよ。後で情報ゲノムを教えてくれないかしら」

「悪いが断る。いつお前と敵対するか分からないからな」

 

 マンティスの含み笑いを聞きながら、俺も笑う。

 

「あら残念。いい感じに育てられたら逆輸入するつもりだったのに」

 

 俺は硬筆を走らせ、侵蝕ゴーストに内蔵していた病巣を解放した。この防壁に合わせて添削した論理病源が情報レセプターに群がり、仮想エンドルフィンに溺れさせていく。今の防壁は、警備員が全員眠りこけたゲートのようなものだ。つまり、密輸品を満載したトレーラーが大手を振って通り抜けても、とがめる者もいなければ気づく者さえいない。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第44話:Quality Service

 

 

◆◆◆◆

 

 

 アドロが待つホテルにやってきたのは、堅苦しいスーツを着たビジネスマンの一団だった。

 

「――申し分ない成果でした。皆様に我々セイバイ・カンパニーが協力させていただきます」

 

 埋没タイプのゴーグルのソケットから一枚の基盤を抜きつつ、男性が満足げにうなずく。彼はこの一団のチーフである。

 

「そりゃ結構。俺たちの手際、なかなかだろ?」

 

 ソファにふんぞり返ったアドロが応える。彼が渡した基盤に記されているのは、博物館の防壁に施された偽装を解除する暗号だ。チーフには、今の防壁の惨状が視認できただろう。アドロの不作法を無視し、彼は部下たちに命じる。

 

「ウチイリの時間だ」

「オシゴト!」

 

 複製のように同じ外見のビジネスマンたちは、一斉に合掌して一礼して唱和した。

 

「ぜひ、次回も有益なビジネスを行いましょう」

 

 下半身のみを動かして疾駆するシノビ・フォームで走っていく部下を尻目に、チーフは笑顔で去っていった。

 

「一件落着だ。なあ?」

 

 その姿がロビーから消えてから、アドロは隣に座るウズムクに話しかける。

 

「あいつら、ニンジャか?」

 

 ウズムクがやや怯えた目つきで尋ねた。

 

「企業所属のサイバネ工作員だ。本物のニンジャは格が違うぜ」

 

 アドロは自分の仕事に悦に入りながら答える。博物館のセキュリティを担当するスケダチ・コーポレーションのライバル企業が、今のセイバイ・カンパニーだ。彼はこの二つの企業を引き合わせた。これも企業間闘争の一環。博物館の防壁を担当する企業が、今夜の一件で変わることだろう。

 

 

 

 

「コンフィズリー、予定通りセイバイ・カンパニーの工作員たちが入館した。そちらはどうだ?」

「こちらも問題ないわ。既に目標は入手済みよ」

 

 俺は警備用の人造を一体操作しつつ、マンティスの通信に答える。人造の手には、保全フィルムに覆われたこの博物館の収蔵品が一つある。既に館内では、スーツ姿の工作員が隠蔽工作を開始していた。

 

 防壁の脆弱な箇所に関する情報を報酬に、セイバイ・カンパニーは俺たちに協力してくれる。適度に館内を破壊し、適度に展示品を盗み出し、嘘八百の犯行声明を発表する。かくして俺たちは本命を安全に持ち出すことができ、セイバイ・カンパニーは信用が失墜したスケダチ・コーポレーションに変わり当館のセキュリティを担当できるというわけだ。

 

「――やあ、待っていたよ」

 

 余震の感覚と共に、博物館の玄関口にキシアが姿を現した。

 

「仕事場にまで顔を出すなんて、学院に引きこもっていたのが嘘みたいな勤勉さね」

「依頼主として、早く実物を見たいんだ」

「ボーダーラインに着くまでお待ちなさい」

「そんな固いことを言わないでよ。依頼主として、本物かどうか確認するのは当然でしょ?」

 

 万事を意味深に笑って受け流すキシアにしては珍しく、執着心に近いものを見せてきた。仕方なく俺はうなずく。

 

「確認するわ」

 

 視界を現実と大綱の二重構造に保ったまま、俺は人造を操作して保全フィルムをはがしていく。中に入っているのは、細かな装飾が施された金色の箱だ。

 

「箱は近代のものだから、さほど価値はないよ。問題は中身だ」

 

 その言葉に促されるように、俺は箱を床に置いて蓋を開けた。

 

「……羽根だ」

 

 クッションの敷かれた箱の中に安置されていたのは、不思議な光沢を放つ白い羽根だった。金属のような生物のような、何とも言えない質感だ。明らかに生物ならば朽ち果てる時間を経ているにもかかわらず、無機物では再現できない生物特有の生々しさをたたえている。

 

「ああ、そうだよ。これが欲しかったんだ」

 

 満足げにキシアは呟く。その声には隠しきれない喜悦があった。

 

「これで、僕はようやく……」

 

 キシアが羽根から目を上げてこちらを見る。その目は確かに、大綱の向こうにいる俺を見ていた。そして分かった。この女は、俺を通じて別の誰かを見ていることに。俺の操作する人造の指が、羽根に触れた――

 

 

 

 

 冷えきった空気。灰色の雲に覆われた空。屋敷の庭は雪に覆われ、訪れる人もいない。

 

「――お体に障ります、そろそろお戻りを」

 

 知らない声であるにも関わらず、聞き覚えのある声が後ろで聞こえる。

 

「大丈夫よ、イヴァーニン」

 

 俺の声だ。いや、正確には俺のボディの声だ。矯正整式では作れない、本物の上品さと作法によって作られた完璧な抑揚。

 

「“遺産”について進捗はあった?」

 

 俺の視線は曇天を見上げたまま固定されている。

 

「……申し訳ありません。父君もこの件については難色を示しておられます」

「ええ、お父様はいつもそう。でも、それならば私たちは、この空でゆっくりと壊死していくだけなのよ」

「心中、お察しいたします」

 

 視線が左右に動く。首を振っているようだ。

 

「何とぞこのイヴァーニン・ミルケーリッチ・アルバレフを、あなた様の手足としてお使い下さい」

 

 俺の視線は声の方向へと動いた。

 

「その専心、心から感謝します」

 

 そこには、一人の若い聖職者がひざまずいていた。その糸のように細い目に、俺は見覚えがあった。ヴィディキンス――俺の見張りとして押しつけられた、あの人造と同じ目だ。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第45話:Rumormonger

 

 

◆◆◆◆

 

 

「実を言うと、俺はグレイスケールに会ったことはない」

 

 ソファに座り、テーブルに脚を乗せたアドロが、隣のウズムクに話しかける。

 

「でも、奴の噂はボーダーラインで情報屋をやっていれば嫌でも耳に入る。今時珍しい完全に生身のハッカー。オーバーロード作戦の当日、単身で企業の防壁を破った“企業殺し”。師があの人形遣いステイルメイト」

 

 アドロは教書を開き、数枚の仮想スクリーンを展開する。そこに写るボーダーラインの光景は、こんな僻地で暮らすウズムクにとって始めて見るものばかりだろう。肉体をこれ見よがしに機体化した傭兵たち。炎上する大企業のフロント建造物を背景に、笑顔でダブルピースをするハッカーたち。全身を外骨格に包み、機甲文楽人形を従えた傀儡師。

 

「正真正銘の一匹狼だったが、噂には事欠かない奴だった」

「“だった”?」

 

 ウズムクが食いつく。

 

「もう何年も奴は姿を消している。でかい作戦を計画しているとか、天使にさらわれたとか、農業プラントで働いているのを見たとか、真相は誰も知らん」

 

 ボーダーラインの情報は日々刷新される。しかし、グレイスケールの動向は時折噂になるのだ。

 

「だが、グレイスケールが雲隠れしてから、企業間闘争に殴り込んできたハッカーが一人いる」

 

 それは半ば願いでもある。誰にも媚びず、何にも従わないあのハッカーは、ボーダーラインという乱痴気騒ぎの坩堝に染まらずにいながら、そこを体現していたのだ。彼が人知れず消えてしまうのは、あの街の住人にとって認めたくない現実だったのだろう。

 

「それがあのコンフィズリーだ」

 

 あの日、アドロの自宅で勝手にコーヒーを飲んでいた可憐な少女。彼女こそが、グレイスケールを継ぐハッカーだったとは。

 

「奴のやり口はグレイスケールそっくりだ。完璧な生身、どの企業にもクランにも属さないフリー、そして精密かつ冷酷なハッキングの手腕。奴こそは、グレイスケールが後継者として育てた傑作だ」

 

 仮想スクリーンが切り替わり、コンフィズリーの姿を映し出す。四鏡会のサイバー武人と取引する姿。自らが作り上げた機械化歩兵の残骸に寄りかかる姿。補助ドラッグで加速するハッカーたちをよそに、紅茶を一杯キめる姿。アップルパイを口にして頬が緩んでいる姿。最後の一枚だけを見ると、彼女が凶悪なハッカーとは思えない可愛らしさだ。

 

「グレイスケールって奴があの子じゃないのか?」

 

 コンフィズリーの様々な姿に目を輝かせていたウズムクだが、不意にそんなことを言ってきた。

 

「違うな。これがグレイスケールだ」

 

 アドロは教書を操作し、グレイスケールの姿を仮想スクリーンに映し出した。その姿は、髪を短く刈り込んだ痩身の青年だ。猛禽かオオカミのような鋭い目をしている。

 

「カゲムシャかもしれないだろ? それか、整形してあの子になったんだよ」

「いや、コンフィズリーは生身だ。共生真菌どころか生体パーツさえ一片もない。俺の予想だと、あいつは上層都市スカイライトのお嬢様が下層都市の陰謀で没落し、復讐のためにハッカーになったんだよ」

 

 持論を披露するアドロを見て、ウズムクは呆れ顔で鼻を鳴らす。

 

「あんた、マンガの読み過ぎだぜ」

「ロマンの分からん子供だな、お前」

 

 そう言いつつ、アドロは仮想スクリーンを消す。

 

「さて、コンフィズリーの奴はそろそろ帰ってくるかな……」

 

 博物館の館内の映像を、彼はゴーグルに投影し、そして……

 

「……おい」

「なんだよ」

 

 ウズムクにアドロは簡潔にこう告げた。

 

「お前はクビだ。もう俺たちと関わるな」

 

 

 

 

 雨。雨音。雨の匂い。目を開ける。闇を切り裂くサーチライトを放ちつつ、場違いな聖歌を垂れ流す物体が上空を通り過ぎていく。ハイエンド教会の宣教飛行船だ。

 

「――何があった」

 

 ふらつく足で俺は立ち上がる。なぜか、自分の体に違和感がある。急に五体が大きくなったような感じだ。俺の体は、もっと細くて華奢だったはず。いや――

 

 毒性雨が降りしきるボーダーラインの通りを、俺は耐蝕コートのフードを降ろして歩き出す。記憶が混乱する。今まで、俺は何をしていた? 口の中に苦い唾がこみ上げ、俺は側溝にそれを吐き出す。企業間闘争でへまをして、数理攻撃を脳神経に食らったか? 補助ドラッグや数理サプリメントを入れた記憶はない。ずっと悪い夢を見ていたのか。

 

「よう、グレイスケール。ひどい顔だな」

 

 行きつけの飯店“火山口”に転がり込むと、ウシの旧人の店主が俺を見て顔をしかめた。

 

「何か呑むか?」

「映日果酒をくれ。それと何か簡単なものを」

「模造炸蝦丸なんてどうだ?」

「素敵だ」

 

 厨房に引っ込む店主の背から目を上げて、俺は椅子にもたれ掛かった。妙に体のバランスが取れない。

 

「意識が混線しているね。大丈夫かい?」

 

 天井を見上げていた俺は視線を下げる。カウンターに並ぶ椅子に足を組んで座っているのは、赤い旗袍を着た中性的な顔立ちの少女だった。

 

「初めまして。グレイスケール」

 

 聞き覚えのある声。見覚えのある顔。しかし何もかもが異なる。

 

「僕はホワイトノイズ。お話ししようよ、飛べなかったスカイダイバー」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第46話:Idle Talk

 

 

◆◆◆◆

 

 

「第一種接触禁止対象の〈人智〉が、〈隔壁〉を越えて何の用だ」

 

 人智。大綱から思考のプロセスを移植して作り出された推論機能。本来はヒトの制御下にあるが、時折制御を外れる危険な個体がある。その中の一体がホワイトノイズだ。

 

「僕のことを知ってるんだ。アレも口が軽くて困るなあ」

 

 少女は見せつけるように、旗袍からのぞく脚を組み直す。

 

「用事は言ったでしょ。お話ししようよ?」

「女子の無駄話に付き合うほど俺は暇じゃない」

 

 徐々に意識が明瞭になっていく。ここは現実じゃない。大綱の情報空間だ。人を無断で自分のホームグラウンドに引きずり込むとは、やはりチューニングが毛嫌いする人智だ。俺が舌打ちしながら立ち上がろうとした時、キシアと同じ顔の少女は口を開いた。

 

「――ノヴィエラ・ネクレーリャ・セレフィスカリヤ」

 

 以前ステイルメイトから聞いたエンクレイブの王女の名が、今度は危険な人智の口から発せられる。

 

「彼女と僕は面識がある」

 

 カードを先に切ったのはホワイトノイズの方だった。渋々俺は席に座りなおす。注文した料理はまだ来ない。

 

「楽にしていいよ」

 

 ホワイトノイズは偉そうにわざわざ言う。

 

「君には心から同情するよ。騒動の渦中にいるのに、必要な情報が何一つ与えられない。今の君は、真っ暗闇で孤独に踊るバレリーナだ。可哀想だね」

 

 弄ぶような口調と目つきに、俺は心底苛立った。ヒトに敵対する人智とはいかほどの存在かと思いきや、神経を逆撫でするしか能がないとは予想外だった。

 

「お前、人を煽る能力だけは一丁前だな」

「そうでもないよ。これを見て?」

 

 俺の皮肉に一瞬ホワイトノイズは眉を寄せたが、すぐに気を取り直した様子で右手を広げる。整式が一瞬で組み上がった後、その手の平には集積コアが一つ載せられていた。

 

「デザートローズ考古学博物館の防壁の集積コアだ。これにちょっとノイズを流すだけで、君たちが眠らせた警備システムが起きちゃうよ?」

 

 俺は内心失笑した。人を煽るためなら口八丁手八丁というわけか。こうも分かりやすく俺を脅そうとするなんて、古典的を通り越して化石と言ってもいいやり方だ。

 

「ハッキングも一丁前ですって見せびらかしたいお年頃か。思春期のガキかお前は」

 

 俺が躊躇なくあざ笑ってやると、ホワイトノイズの顔からこちらを見下す笑みが消えた。

 

「その思春期のガキに、ヒトはいつも助力を求めている」

「俺には関係ない話だ」

 

 どこの誰か知らないが、こいつが増長したのは人間のせいらしい。確かに、自立した人智が大綱で貪婪に情報を吸収した結果、並みのハッカーでは歯が立たないモンスターに成長する場合がある。そしてもちろん、そのモンスターを利用するのは企業であり人間だ。

 

「僕はエンクレイブと契約している身でね。彼らの望みを叶える代わりに、対価を求める」

「エードルトとシーケンサーはお前の関係者か。道理で根性がねじ曲がっているわけだ」

 

 面倒な話だ。俺の今のボディであるノヴィエラという王女。この少女が誘蛾灯のように、気に食わない石頭から煽りにパラメーターが特化した人智まで引き寄せている。

 

「君の周りにも変な連中が多くいるでしょ。特にあの騎士気取りの女の子には深入りしない方がいい。あの子は正真正銘の劇物だ」

 

 突然ホワイトノイズは話題を逸らす。騎士気取りと聞いて思いつくのは一人しかいない。ストリンディ・ラーズドラングだ。

 

「どういう意味だ?」

 

 しばらくの沈黙の後、ホワイトノイズは意地悪げな笑みを浮かべて呟いた。

 

「――プロジェクト・オルカ」

 

 ホワイトノイズは、なぜこの名称を口にしたのか。俺が知っていると踏んで、揺さぶりをかけたかったのか。それとも、俺が知らないと思って、嫌みで言っただけなのか。俺はその名称を知っていた。

 

「『盤上の子供たち』!? やはりあの女は深淵帰りか!?」

「おっと、口が滑ったよ」

 

 すぐに取り繕うホワイトノイズ。

 

 俺の脳裏で、あの企業間闘争の夜が再生される。アシッドレインの汚染映像を脳内に流し込まれたストリンディの、あの身の毛もよだつような絶叫と退行した姿は忘れようにも忘れられない。

 

「用件を言うと、君が今持っている聖遺物を、僕に渡して欲しいんだ」

 

 何食わぬ顔でホワイトノイズは俺に言ってきた。やはりお喋りは建前か。まあ、当然だな。

 

「お前の言うアレが欲しがってるぞ」

「アレと僕は違う。はっきり言って、アレにはもったいない代物だよ」

 

 嫌悪感を隠さずにホワイトノイズはそう言う。外見は瓜二つなのに、この人智とあのキシアという存在は別物らしい。

 

「お前の都合など知ったことか」

 

 俺がはっきりと拒否すると、ホワイトノイズは見せつけるように手の平の上で集積コアを転がす。

 

「強がらないでよ。君が承諾するなら、これには手をつけないで……」

 

 俺は戯れ言が終わるのを待たず、人差し指から伸ばした有線を集積コアに突き立てる。

 

「黙れ粗大ゴミ。次までに交渉の仕方を勉強しておけ」

 

 警備システムをノイズで作動させた俺を見て、第一種接触禁止対象の人智は目を丸くして絶叫した。

 

「え……えぇええええええええええ!?」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第47話:Idle Talk2

 

 

◆◆◆◆

 

 

「どうしてこんなことするの!?」

 

 立ち上がった俺の背に、ホワイトノイズの余裕の消えた声が浴びせられる。

 

「さあな。当ててみろよ」

「あの集積コアは本物だよ!」

「だからなんだ?」

「警備システムが作動したんだよ! 企業警察が押し寄せてくる!」

 

 俺は適当にあしらいつつ、がらんとした厨房に入り込む。店主はどこかに消えていた。

 

「そうだな。一本もらうぜ」

 

 よくできた情報空間だ。俺が知らない厨房まできちんと構成されている。俺は冷蔵庫を勝手に開け、中からビール瓶を一本取り出した。

 

「エンクレイブとそこの王女に乾杯」

 

 カウンターに寄りかかって瓶の中身を空ける俺を見て、ホワイトノイズは頭を抱えた。

 

「ああもう! 泣き付いても絶対に助けてあげないからね!」

「不要だ。もう用は済んだからな」

「……え?」

 

 きょとんとするホワイトノイズに、俺は拍子抜けした。

 

「お前ポンコツだろ。俺の操作する人造がもう依頼の品を持っているんだぞ。後は逃げるだけだ。今さら警報を鳴らされてもたいしたダメージじゃない」

「で、でも……」

 

 俺はつい説明を続けた。久しぶりのビールがひどく美味く感じたからだろうか。

 

「後始末は既にセイバイ・カンパニーのサイバネ工作員に頼んである。連中だってプロだ。俺たちが逃げる時間くらい稼いでくれるし、こういうトラブルだって初めてじゃない」

 

 腕利きの傭兵とハッカー同士が激突するのが企業間闘争だ。ありとあらゆる予想外の問題が、戦場では頻発する。せいぜいセイバイ・カンパニーの優秀なお手並みを期待しよう。

 

「お前は警備システムに干渉できることをネタに俺を脅そうとした。仮に俺が屈して聖遺物を差し出したとしても、さらにお前がふっかけてくる可能性だってゼロじゃない。だったら、盤をひっくり返してご破算にする方が気分がいいだろう?」

「僕はそんなことをするつもりはなかったよ。ちゃんと君が応じてくれたら、手を引くつもりだった」

 

 俺は飲み終えたビール瓶をカウンターに置く。右手の五指から伸びた有線がビール瓶に絡みつき、一瞬でデータに還元する。

 

「俺を脅しておきながら『僕は約束を守る人道的な人智です』って主張が通ると思うか? そもそも、だ――」

 

 俺が聞こえるように舌打ちすると、露骨にホワイトノイズは身を引いた。

 

「――お前の一挙一動が鼻につくんだよ」

 

 気に食わない。俺がホワイトノイズに邪険なのはこの一点に尽きるし、この一点だけで充分すぎるほどだ。

 

「は、話にならない人だよ、君は……」

 

 怯えと呆れが混じった顔でホワイトノイズは俺を見る。

 

「そうか。残念だったな。次までに、人間がどれだけ無鉄砲で無作為で無軌道か勉強しておくんだな。俺は帰る」

「待ってよ、どうやって――」

 

 俺はホワイトノイズの疑問を聞き流し、飯店の壁に手を当てる。

 

「こうやって、だ」

 

 その瞬間、人智の表情が怯えの一色になった。現実と見まごう精度の情報空間。その一部がただのオブジェと化してリアリティを消失し、描画さえ剥がれて構文がむき出しになっている。その先に足を踏み出せば、俺の意識はボディに戻る。

 

「……スカイダイバー」

 

 ホワイトノイズが消え入るような声で呟く。第一種接触禁止対象が作り上げた情報の牢獄さえも、俺の有する数理は打ち砕く。それは以前、俺が天蓋に挑んだ際の付録のようなものだ。ただの参加賞でしかない。

 

「違う。俺はそこにたどり着いていない。間違えるな」

 

 俺はスカイダイバーではない。俺のスカイダイビングは、成功しなかったのだから。

 

 

 

 

「――ベアリングウォール、聞いてるかしら? トラブルよ」

 

 意識が肉体に戻ると同時に、俺はマンティスたちに連絡を取る。今の俺はノヴィエラの華奢な少女の体だ。久しぶりに男だった頃の自分を味わえたが、その記憶を反芻する暇はない。

 

「コンフィズリー、もうとっくに承知だぜ。どうした? あんたもへまをする人間だってアピールか?」

 

 回線の向こうから、甲殻種族のハッカーの軋るような声が響く。

 

「野良の人智に絡まれたの。依頼の品をよこせ、さもなければ警報を作動させるって脅されたわ」

「おいおい、そりゃ恐ろしいなあ。で? か弱いお嬢ちゃんは屈してしまったってわけか」

「まさか。私自身の手で警報を作動させてやったわ。手間を省いてあげた私ってとても親切よね」

「そのとおりだ! ぎゃはははは!」

 

 ボーダーラインの悪趣味なジョークは同郷の甲殻種族に通じたらしい。しかし無遠慮に響く下品な笑いは、マンティスの冷静な声に上書きされる。

 

「無駄口はそれくらいにしろ、コンフィズリー。さっさと戻れ」

「ええ、早急にここから出ましょう」

 

 俺は通信を切り、意識を博物館内の人造に向ける。

 

「アアーッ! セキトリ! セキトリがいる! 撃てないーっ!」

「ウワーッ! リキシがロビーで四股を踏んでる! オミゴト!」

 

 既に館内は企業警察と、セイバイ・カンパニーがばらまいたバイオ・リキシが交戦中だ。サイバネ工作員はいい仕事をしてくれた。これなら今夜の一件は、過激なタニマチによる巡業テロとして片づけられるだろう。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第48話:Tearjerker

 

 

◆◆◆◆

 

 

 砂漠に面したサンドピット自治区の港。ここには砂上船という砂漠を航行する船が係留されている。周辺の住宅に住むのは、砂漠の生物を捕らえて生計を立てている漁師たちが多い。その中の一軒。ロロルカという名の漁師が住む家の扉が、施錠されていたにもかかわらず音を立てて開けられた。勝手に照明が点けられ、室内が明るく照らし出される。

 

「なっ!? なんだぁ!?」

 

 寝室から小型クロスボウ片手に飛び出してきたのは、ペンギンを思わせる体形のイルカの旧人だ。

 

「こ、こんばんは……おっさん」

 

 彼の目が、見知った少年の姿を捕らえる。ロロルカは漁師だが、砂漠の遺跡の調査に向かう考古学者たちを送迎することも多々ある。その一団に、この少年はよくアルバイトとして混じっていた。

 

「ウズムク!? お前今何時だと――」

「こんばんは、ロロルカ」

 

 ウズムクを怒鳴りつけようとしたロロルカが固まった。二人の間に割り込んできたのは、知らない一人の少女だったからだ。

 

「だ、誰だあんたは!?」

「私はコンフィズリー。あなたの親しいお友だちよ」

「は? はあ?」

 

 彼女の後ろから、どやどやと危険そうな連中が家に入ってくる。

 

「手短に言うわ。私はこのウズムクのお友だち。あなたはウズムクのお友だち。そうなると、私とあなたはお友だちね。そして、あなたはお友だちのためなら何でもしたいと思っている。つまり、あなたは今から親友のために砂上船を出してくれる。OK?」

 

 ロロルカは開いた口が塞がらなかった。明らかに自分は今、強引かつ勝手に話を進められている。

 

「ウズムク、いったいどういうことだ?」

 

 ロロルカはとりあえず既知の人物に助け船を求める。だが、ウズムクもすがるような顔でこう言った。

 

「……お願いだよ。船、今すぐ出して欲しいんだ」

 

 ロロルカは合点がいった。

 

「悪い連中に捕まったな」

 

 彼のため息混じりの言葉に、少女は悪びれもせずに笑う。

 

「悪徳者よ。時間外だから料金は割増で払うわ」

 

 

 

 

 夜明け前の砂漠を、古びた砂上船が疾走する。操舵室で舵を握るのはロロルカだ。考古学博物館の方角が騒がしくなり、大勢の企業傭兵や企業警察の面々が武器を手に走っていくのをよそに、一行は闇に紛れてサンドピット自治区をこっそりと後にした。今頃向こうは大騒ぎだろう。つくづく、コンフィズリーたちは悪事に慣れているとウズムクは思う。

 

「……滅茶苦茶だよ、あんたたち」

 

 簡略な防砂と防寒の数理に守られた甲板で、ウズムクは隣に立って空を眺めていたシェリスに言う。

 

「悠長に交渉していたら『今は眠いから朝まで待ってくれ』って断られるわ。退路を断って『仕方ないから出航するしかない。せいぜいふっかけてむしり取ってやれ』という選択肢しかないようにするの」

 

 強制も強要もしない。しかし、強引な手段で交渉の席に着かせる。彼女の手法は違法ではないが真っ当ではない。

 

「やっぱりあんたたち、悪徳者だ」

 

 甲板に杖をつきつつ、シェリスはこちらを見る。

 

「その代わり、ちゃんと料金は払うわ。これは絶対に譲れない」

 

 実際、ロロルカも報酬の額で船を出すことに同意したように見える。一応正統な取引だ。

 

「――お世話になったわね、ガイドさん」

 

 遠ざかるアーコロジーの明かりに目をやり、不意にシェリスはそんな言葉を口にした。その淑やかな仕草と声に、ウズムクの心臓が跳ね上がる。シェリスは確かに悪徳者だ。でも、それを納得した上で、それでもウズムクは彼女の可憐さに目を奪われて止まなかったのだ。

 

「べ、別に。オレはガイドだからな」

 

 照れ隠しに格好をつけて甲板の手すりに寄りかかるウズムクを見て、シェリスは薄く笑う。丹念に育てたバラから、一枚の花弁が落ちるかのような仕草だ。

 

「あなたの口利きでこの船に乗れたのよ。朝まであのアーコロジーにいたくなかったから、本当に助かったわ」

 

 その言葉が、ウズムクの心に染み渡る。初めて、自分は彼女の役に立てたのだ。

 

「こ、これくらいガイドとして当然のことさ。なあ?」

 

 賢明にクールに振る舞ったウズムクだったが、シェリスは静かに言葉を続ける。

 

「お別れね。あなたはあなたの夢を死に物狂いで叶えなさい」

 

 ああ、そうだった。彼女は眠らない機械都市の住人だ。奇跡のようなこの出会いは、もうじき終わってしまう。

 

「応援……してくれるよな」

「気が向いたらね」

 

 ウズムクの心臓の鼓動が早くなる。ならば、別れる前にこれだけは伝えておきたい。

 

「その、オレはあんたのことが……」

「最後に一つだけ、私の秘密を教えてあげる」

 

 勇気を振り絞ったウズムクの言葉を、シェリスは遮る。

 

「え?」

 

 シェリスは自分の頭を指差す。

 

「――俺のここは、正真正銘の男なんだよ」

 

 哀れなウズムクの衝撃は、計り知れなかった。

 

 

 

 

 操舵室のロロルカは一部始終を見ていた。ウズムクがシェリスに惚れているのは一目で分かった。彼を応援したくて船を出したのは事実だ。だが、今シェリスは甲板を去り、ウズムクは一人手摺りにすがりついて泣いている。少年の恋は実らなかったらしい。真相を何も知らず、けれどもロロルカは気を利かせ、一切を見なかったことにするのだった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第49話:Phototaxis

 

 

◆◆◆◆

 

 

 スカイライトの駅。ボーダーラインでベアリングウォールの面々と別れた俺は、杖をつきつつ一人でプラットホームに降り立つ。線路をチェックしていたイグアナの旧人の駅員が、爬虫類そのものの顔で笑みを浮かべ俺に頭を下げた。上層都市の駅は掃除が行き届いていて、清潔で健全だ。ここには下層都市でありふれている猥雑も喧騒もない。

 

 ボーダーラインの駅を思い浮かべる。通行人を爆薬で脅して施しを強要するホームレス。視界をジャックしてくる広告。「私を食べて♪ 私を食べて♪ 食べろオラァ!」と叫びつつ試食を強要してくるケンカ・フライドチキンのマスコット。違法数理デバイスの売人たち。やにわに始まる銃撃戦。飛び散る情報キューブ。俺の故郷はあの混沌だ。

 

 誰かが言っていた。「俺たちは前の世界では一人だった。けれども今の世界に生まれた時二人に別れてしまった。だから伴侶を求めるんだ」と。生憎、俺は生まれてこの方恋愛とは無縁だ。だが、分からないでもない。センチメンタルな言い方をするならば、きっと俺は前の世界で鳥だったんだろう。太陽に向かって羽ばたき続けた、愚かな一羽の鳥だ。

 

 

 

 

 初めて大綱に接続した時のことはよく覚えている。データの沃野が開け、無限に広がる事象の領域。制限まみれの五体を離れ、意識が想像力によってどこまでも上昇していく。ああ、帰ってきたんだ、と俺はその時確信した。俺の魂と呼べる何かは、きっとここに戻ることを欲し続けていたんだ。そう、何よりも強く、理屈を超越して理解していた。

 

 生まれて初めて熱中できるものを見つけた。どこに行くべきか、何を手に入れるべきかも分かった。必要なのは頭蓋骨の中身と、一冊の教書。俺にとってはそれだけだ。ボーダーラインを戦場とする企業も、縄張り争いを続けるクランも、若手のハッカー見習いはいくらでも必要としていた。実際、俺の周囲も次々と傭兵やハッカーになって稼いでいた。

 

 連中が求めているものは同じだ。金銭、名誉、武力。そのためなら手足を切り売りして機体に変え、大脳に生体パーツを埋め込み、数理サプリメントをオーバードーズする。ボーダーラインに適応した生き方も悪くない。でも、俺はやはり鳥だった。餌を見つけることも、巣を作ることも興味がなく、太陽目がけて飛んでいくのを止めなかった。

 

 天蓋。俺の太陽の名がそれだ。大綱の最上層にある人跡未踏の領域。あらゆるハッカーがその踏破に挑戦し、ほとんどが敗れ去った鉄壁の処女地。俺が鳥であるゆえんだ。鳥は籠の中で飼われていても、いつも空を見上げて羽ばたくのを止めない。なぜなら、あの蒼空こそ自分がかつていた場所であり、この魂が帰るべきただ一つの故郷だからだ。

 

 天蓋への挑戦は、スカイダイビングと呼ばれている。情報の大海にして大空へと、あたかも落ちるようにして上昇していく様から付いた呼び名だ。ごくわずかだが、これに成功したハッカーが存在する。彼らが有する至上の名誉にして至高の技術の象徴こそ、この称号だ。すなわち“スカイダイバー”。比類なきヴィルトゥオーソ。生ける伝説の具現。

 

 俺がギルズリー・オーディルに師事したのも、彼が本物のスカイダイバーだったからだ。幸い、彼と俺はハッカーとしてのスタイルが似通っていた。機体やインプラントに頼らず、生身が操る数理のみを頼りとする彼のストイックな姿勢は、俺も大いに学ばされた。彼の元で経験を積み、技術を磨いた俺は、満を持してスカイダイビングに挑戦した。

 

 スカイダイビングのあの瞬間。データの断崖から仮想の一歩を踏み出し、天蓋目がけて上昇と落下を同事に味わう感覚は、今もはっきりと記憶している。加速していく思考。巨大な意識の中に飛び込んでいく躍動と恐怖。押し寄せる攻勢整式に似た無数の波濤。ミクロコスモスとマクロコスモスとが交錯する刹那と永劫。情報の処理が追いつかない。

 

 

 

 

 鳥は、太陽に焼かれ事切れて落ちた。そう、俺のスカイダイビングは惨敗という結果に終わった。スカイダイビングは単なる大綱への接続ではない。究極と言ってもいい神秘への啓蒙だ。その道程は危険そのものであり、失敗の代償はあまりにも大きい。俺が失敗して支払ったものは、己の肉体だ。あの日、シェリク・ウィリースペアの肉体は消失した。

 

 肉体を失った俺は、精神だけの存在になって大綱をさ迷っていたらしい。それ自体は悪くなかった。元よりハッカーにとって肉体は贅肉だ。このまま大綱にいるのも面白いと思っていた。しかし、唐突に俺の精神は捕らえられ、現実世界へと引き戻された。今、俺はエンクレイブの王女の複製とおぼしきボディに意識を封入された状態でここにいる。

 

 どうやって俺の精神をノヴィエラ・セレフィスカリヤの体に入れたのか。そもそも、俺が大綱をさ迷っていることをどうして知ったのか。キシア、あるいはホワイトノイズがどれだけこの件に関わっているのか。知らないことはまだ多いが、俺の目標は一つしかない。

 

 ――――今度こそ失敗しない。俺は絶対にスカイダイバーになってみせる。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第50話:Mountaineer

 

 

◆◆◆◆

 

 

 廃墟となった教会の礼拝堂。一人の聖職者の青年が、シンボルさえ失った祭壇の前でひざまずき祈りを捧げている。

 

「ホワイトノイズが贋作と接触した」

 

 その背に声をかける機体の一団がいた。以前公園でシェリスに蹴散らされた面々だ。

 

「知っています」

 

 どこ吹く風といった青年に、リーダーとおぼしき男は歯がみする。

 

「司祭、我々はもう待てない」

 

 怒気をはらんだその言葉に、青年は立ち上がると振り向く。

 

「皆さんの憤慨はもっともです。私も行動しましょう」

 

 端整な容貌と、閉じているのと大差ない細い目は、シェリスに仕えるヴィディキンスという人造と瓜二つだ。

 

「行きましょう」

「……承知」

 

 彼に促され座席から立ち上がったのは、鉱化症候群が四肢の末端にまで進行したサムライだ。

 

「待て、イヴァーニン」

 

 その背に、リーダーの言葉が投げかけられる。

 

「我々は祖国を、エンクレイブを何よりも敬っている。それを忘れるな」

 

 わずかに振り返り、青年は肩越しにリーダーを見た。

 

「もちろん。私も敬っております」

 

 呼吸器をつけたサムライを連れて立ち去る青年は、誰にも聞こえない小声でこう付け加えた。

 

「――あの方を」

 

 

 

 

 聖アドヴェント学院の空中庭園。入園した俺を待っていたのは、ティーセットをテーブルに用意したキシアだった。

 

「お帰り、シェリス。座りなよ」

 

 俺が席に着くと、いそいそとキシアはティーカップに紅茶を注ぐ。

 

「今まで僕は、いわゆる肉体というものを持っていなかったんだ。でも、あの聖遺物を触媒に受肉が叶った。だからこれを君に渡せる」

 

 キシアは一枚の紙を質料ホログラムで具現し、そこにペンを走らせる。

 

「大綱ではホワイトノイズが聞き耳を立てている、というわけね」

「そういうこと」

 

 紙を受け取り俺は目を通す。

 

「これは起動キーね」

「次の依頼だよ、ハッカー」

 

 天使は俺を指名した。

 

「報酬は?」

 

 俺は紅茶を一口飲んで尋ねる。

 

「まず現金。ほかにもあるよ。そして何よりも――」

 

 キシアの口が笑みの形になる。教会の彫刻で表現される天使のアルカイックスマイルに似た、得体の知れない笑みだ。

 

「君の夢を一つ叶えてあげよう」

 

 天使のように中性的な少女の口から聞こえたのは、むしろ異族のデーモンが言いそうな内容だ。

 

「私の願いが何か、知っててそう言ってるの?」

「もちろんさ。君はね――」

「――その口を閉じろ」

 

 調子づいて言葉を続けようとするキシアに、俺は強い不快感が押し寄せるのを感じた。廃油のような粘ついた怒りが上乗せされる。

 

「どうして?」

 

 困ったような顔でキシアが首を傾げるが、その白々しい仕草が苛立ちを加速させた。

 

「人の願いに土足で踏み込んでくると虫酸が走る。知ったかぶりの天使風情が何様のつもりだ? 身の程を知れ」

 

 痛罵に鼻白んだ様子のキシアに、少しだけ怒りの温度が下がった。

 

「今まで随分と御しやすいヒトばかり相手にしてきたようね。夢を叶えるって言葉をちらつかせれば、みんな媚びへつらってきたのかしら?」

 

 こいつが何者だろうと、ここまで調子に乗ったのは需要があるからだ。さぞかしこいつの甘言に心酔した連中は多かったのだろう。気に入らない。

 

「つまり君は、チートを嫌う健全な精神の持ち主ってことかな?」

 

 キシアの見当はずれの指摘を俺は嘲笑した。矯正整式でその笑いは穏やかな笑みになる。

 

「本当にお馬鹿さんね。言わば私は最高の登山がしたいの。自分の脚で麓から山頂まで踏破するから意味があるのよ。航空機から山頂上空へ突き落とされて、登山家が喜ぶとでも思っているの?」

 

 俺は自力で天蓋を踏破したい。それでこそ、俺はスカイダイバーを名乗れる。キシアの押す乳母車に乗って天蓋を遊覧したいわけじゃない。

 

「正論だね」

 

 意外にもあっさりとキシアは認める。

 

「でも、助力なら歓迎するわ。私が挑むのは、下準備なしでは中腹にさえたどり着けない天蓋よ」

「チートでも?」

「ハッカーがチートを嫌悪するとでも?」

 

 俺もまたあっさりと認める。チートも反則も異能も技術も使い方次第だ。

 

「君は複雑な精神の持ち主だ」

「人間なんてみんなそうよ」

 

 何やらキシアは呆れているが、天使とやらは随分と単純な精神らしい。

 

「それで、これは何の起動キーかしら」

 

 俺が一番肝心な点を尋ねると、キシアは真面目な顔で囁いた。

 

「――『セレフィスカリフの遺産』だよ」

 

 

 

 

 下校しようとした俺を、校門で三人の人間が待ち構えていた。

 

「チューニングよ。同行してもらいます」

 

 俺にそう告げたのはリーダーとおぼしき短髪の女性だ。若作りしているのが丸わかりの、赤い唇だけが目立つ冷たげなネコの旧人だ。その後ろには、眉毛も頭髪もない無表情の双子が控えている。揃いの白いスーツが目に眩しい。

 

「嫌だと言ったら?」

「このミッションを他のハッカーに任せるだけです」

 

 女性は教書を開くと、一枚の仮想スクリーンを俺に突きつけた。そこには、満面の笑顔でダブルピースをするリエリーが写っていた。ただし、周囲ではビーハイヴの機体が彼女に銃を突きつけているのだが。明らかにリエリーの目には涙が浮かんでいる。

 

「あのバカエルフ……」

 

 俺はため息をついた。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第51話:Tuning

 

 

◆◆◆◆

 

 

「あなたの名前は、シェリス・フィア。聖アドヴェント学院所属。ハッカーとしてのコードネームはコンフィズリー」

 

 その後チューニング所属の三人は、図々しいことに俺の自室に押しかけてきた。

 

「あなた方は?」

「私はレニア・ボンダヌーリュ。チューニングのエージェントです。こちらはダンパーとファインダー」

「まあ、お会いできて光栄ですわ」

 

 俺の皮肉たっぷりの挨拶に対し、スキンヘッドの双子は機械的な動作で一礼しただけだ。

 

「先にイニシアチブをはっきりさせましょう。あなたの本名は、シェリク・ウィリースペア。ハッカーとしてのコードネームはグレイスケール。これに間違いはありませんか?」

 

 レニアが俺の本名を切り札のように得意げに言う。俺は内心ため息をついた。

 

(……チューニングならば知っていてもおかしくはないか)

 

 情報統制機関チューニング。公議の手足となって行動する大綱の警察組織だ。やる気のない企業警察と違い、チューニングは冷酷で合理的な働き者で構成されている。そして、俺たちハッカーとは致命的に仲が悪い。

 

「ああ、正誤を言語化する必要はありません。事実でしょうから」

 

 過去を暴かれて俺が驚いたように見えたのか、レニアは畳みかける。

 

「ハッカーは自分たちが大綱で好き勝手に振る舞えると思い込んでいますが、あなた方のお遊びはチューニングに筒抜けですよ」

「たいした自信ね。自分たちが大綱の管理者になったつもり?」

「公議による都市の円滑な運営のために、私たちは存在しています」

 

 レニアの態度は気に入らないが、今は依頼を持ってきた相手である以上、ハッカーである俺が門戸を閉じるわけにはいかない。

 

「仕事の話をしましょう? あのお馬鹿なエルフの救出がミッションでしょう? 報酬を支払ってくれるなら手伝ってあげるわ」

 

 なぜ俺を指名したのかは不明だが、チューニングは俺と組みたがっている。

 

「私が欲しいのは情報。それも表には出回っていない情報が欲しいの」

「……公議に反抗するものでなければ」

 

 レニアが露骨に不快そうな顔をするがお笑いぐさだ。チューニングが狂った公議を出し抜こうとしていることくらい、ハッカーの間では常識だ。

 

「プロジェクト・オルカ。深淵を覗き込んだ愚か者たちの末路を、詳しく教えてくれないかしら?」

 

 

 

 

 用意された車両に乗り込んだ俺は、レニアに渡されたファイルに目を通す。案の定リエリーはビーハイヴに誘拐されていた。両親にあの映像が送られてきたのは先日。企業警察や騎士団に通報しないようビーハイヴは脅していたが、チューニングが独自の経路でこの事件を知ったらしい。「独自の経路」とは気になる表現だ。

 

「どうかしましたか?」

 

 レニアが窓の外からこちらに視線を向ける。既に外の風景は、下層都市ボーダーラインの見慣れたものに変わっている。

 

「失敗の許されないミッションね。私でよかったのかしら?」

 

 試しに俺は謙遜してみせる。

 

「あなたを雇用したのはこちらの都合です。仮にあなたが不良品でも構いません。この件は本来私たちだけで解決可能ですから」

「楽な仕事ね。横でお三方の仕事っぷりを見ているだけでいいなんて」

「どう取るかはそちらの自由です」

 

 レニアの言葉は無愛想でとりつく島がない。こいつらはなぜ、わざわざ俺を指名した? チューニングがビーハイヴの狂人程度に手こずるはずはない。明らかに裏がある。

 

「それに、私たちが雇用するのはあなただけではありません」

 

 ここが目的地なのか、車両がジュエルキンギョ専門店の正面に横付けする形で停車する。

 

「早く来なさい」

 

 窓を開けてそう告げるレニアに応じるように、店内から人影が二つ出てきた。

 

「コンフィズリーか」

 

 一人は、眼光の鋭い女性のドワーフ。背中に背負った二振りのブレードが目立つ。もう一人は、虫も殺さぬ顔の柔和そうなエルフだ。

 

「あなたがチューニングの依頼に一枚噛むとは珍しいですね。どういう風の吹き回しですか?」

 

 そのエルフがストローで飲んでいるのは、飲用ガソリンという理解不能の代物だ。

 

「直々のご指名よ。久しぶりね、ファイア&ソード」

 

 今回の仕事仲間はこの凸凹コンビらしい。せいぜいビーハイヴごと丸焼きにされないよう気をつけるとしよう。

 

 

 

 

 廃棄された工業プラントを占拠したビーハイヴのアジト。

 

「はい、左手縛りダンス・ジュツ未使用ノーマルカードだけで隠しボスをノーダメージクリア」

 

 得意満面でコントローラーを置くリエリーに、ギャラリーから喝采が浴びせられる。仮想スクリーンには「成功は狩猟です!」という文字がプレイヤーであるミコ・ハンターと共に写っていた。

 

「じゃあ次は、最初から難易度“疫病神”で武器強化無しアイテム封印でやってみようかな。見る?」

 

 ジョッキーの顔になったリエリーに、周囲は揃ってこう叫んだ。

 

「見タイデス!」

 

 人質でいるのがあまりにも暇で、自分を捕まえたビーハイヴの面々とゲームを始めて数時間。リエリーのプレイはすっかり異形の機体たちを虜にしていたのだった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第52話:Warm oneself at the fire

 

 

◆◆◆◆

 

 

 廃棄された工業プラントの外で、見張りらしき一人のビーハイヴがあくびをしつつ立っている。俺はそいつの気を惹くため、側のスクラップの上に配管を伝っていたスパイダーを飛び降りさせた。

 

「ナンダ?」

 

 地上版ドローンとでも呼ぶべきメカが立てた物音に気を取られたビーハイヴに、すかさず俺はゴーストを憑依させて起動させる。

 

 昏倒したビーハイヴの制御フレームを乗っ取ると、俺はまず小脳付近の埋め込みデバイスを精査し、思考が他のビーハイヴとネットワークで共有されていないことを確認した。

 

「さて、アジトの内部はどうなっているのかしら」

 

 続いて脇腹のコネクターに五指の有線を接続して、メモリーに侵入していく。既に潜入した連中の後方支援が今回の仕事だ。

 

 

 

 

 元々、エルフとドワーフはあまり仲が良くない。平均身長が高いエルフからすると、ドワーフは実年齢よりもずっと幼く見えてしまい、ドワーフからするとエルフは痩せてバランスが悪く見えるらしい。互いを見下す傾向のある二つの種族だが、このファイア&ソードのコンビは別だった。もっとも、そこにあるのは友愛ではなくドライな信頼だが。

 

「向こうから三人来るわ。注意して」

 

 ソードフィッシュの視野に、コンフィズリーから転送されてきたアジトのマップと、ハッキングした監視カメラの映像が表示されていた。こちらに接近する三人のビーハイヴは分厚い装甲に身を固め、二人は脚部を増設して六本足にしている。手に持った皿に載っているのは、重油で焼いたハンバーグの山だ。

 

「了解」

 

 ソードフィッシュは先手を打った。一気に加速し、曲がり角から姿を現すと同時に、ドワーフの小柄さを活かした転がるような動きで壁を駆け上がる。

 

「ナ、何ダオ前タチハ――!」

 

 壁を蹴ると同時に二振りのブレードを抜刀。体を回転させ、一瞬の交錯で一人の延髄を切断する。武装を何一つ活かせず、そのビーハイヴは情報キューブになって爆ぜる。

 

 ソードフィッシュは着地することなく、片方のビーハイヴの増設した脚部を蹴って跳躍。ボールが弾むような動きで高さを得、残る二人の側頭部をブレードで同時に殴打する。切断ではなく打撃だ。彼女の武器がいくら鋭利とはいえ、無駄に硬い機体の積層装甲を一撃で切り裂くことはやや難しい。最初の一人は、延髄という急所を正確に狙えたからだ。

 

 だが、彼女の役目はこれで充分だ。強烈な打撃によろけたビーハイヴの顔に、そっと触れる者がいた。それは美麗な容貌のエルフ、すなわち彼女の相棒であるファイアアラームだ。

 

「焼かれなさい」

 

 囁きと共に、ファイアアラームは愛おしむかのような仕草でビーハイヴの側頭部を撫でた。その五指の軌跡が濡れたような光を放つ。

 

「――枯葦の如く」

 

 瞬時にビーハイヴの頭部は灼熱の炎に包まれ、一瞬でクロームの骨格のみとなる。

 

「オ、オ前ハ連続凶悪放火魔ノ……!」

 

 ファイアアラームを見たもう一人が慌てて後退したが、彼は逃がさない。その手が振られ、ビーハイヴに何かが浴びせられた。それはたちまち高温で燃え上がり、悶絶する暇さえ与えずビーハイヴの胸部に風穴を開けた。

 

「各個撃破とは面倒だ。そう思わないか?」

 

 散らばる情報キューブに目もくれず、ソードフィッシュはブレードを鞘に収める。対するファイアアラームは手をハンカチで拭いつつほほ笑んだ。二人のビーハイヴを焼灼したのは、ファイアアラームの可燃性人工血液だ。彼は全身の血液を、酸素の運搬もできる生体ナパーム液にそっくり交換してある。

 

「私は放火ができれば満足ですよ」

「お前に聞いた私が馬鹿だった。コンフィズリー、お前はどう思う?」

 

 ソードフィッシュは外耳の通信デバイスを通じて賛同を求めた。ファイアアラームは有能な傭兵だ。しかし、この相方は放っておくと敵味方を問わずすべてを焼こうとする度し難い放火魔でもあるのだ。こと火が絡むと正常な受け答えは期待できない。

 

「私たちは陽動よ。元々こんな一件、チューニングだけで解決可能じゃないかしら?」

 

 通信デバイスから聞こえてきたのは、ドライな少女の声だ。グレイスケールの後継だけあって、その思考は打算的だが同時にプライドにこだわらない爽快さもある。

 

「景気のいい話だな。私も仕事道具を買い換えたかったところだ。さっさと片づけて報酬をもらおう」

 

 

 

 

「ようこそ、チューニングの方々。皆様に、神の祝福がありますように」

 

 アジトの奥。めぼしいパーツを奪われてほぼ骨組みだけになった機動装甲が何体も横たわる倉庫。神聖さや敬虔さとは無縁のそこで、一人の聖職者がチューニングのエージェントたちを待ち受けていた。ヴィディキンスと同じ顔をした青年だ。

 

「信仰は自由ですが、時間は有限です」

 

 レニアは小型サイズの短銃を青年に突きつける。

 

「あなたのことは知っています。イヴァーニン・ミルケーリッチ・アルバレフ。エンクレイブ開国派を地上から支援する組織“リェースニツァ”所属の司祭」

 

 すらすらと個人情報を口にするレニアに対し、青年は笑顔を崩さない。

 

「手短に事を進めましょう」

 

 レニアは銃口を彼に向けたままそう言った。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第53話:Imbroglios

 

 

◆◆◆◆

 

 

「問題ないわ。合流地点まで行くわよ」

 

 俺が操作するスパイダーの後ろを、リエリーがおっかなびっくりついてくる。

 

「先輩、本当に大丈夫なんでしょうね?」

 

 ファイア&ソードの陽動にビーハイヴが引っかかり、俺のスパイダーがリエリーの部屋にたどり着くと見張りは皆無だった。

 

「狂人とゲームを楽しんでいたジョッキーの台詞とは思えないわね」

 

 リエリーからビーハイヴと遊んでいたと聞いて、俺は少しだけ感心した。どうやら彼女のジョッキーとしての姿勢は堂に入ったものらしい。

 

「だ、だって……あの人たち、さっきまで私に人工ケンタウロスのカタログを見せてげらげら笑ってたんです。絶対『逃ゲタラオ前ヲコウシテヤル!』っていう脅しですよ!」

 

 脅し、か。特盛りの違法人体改造が大好きなビーハイヴの趣向だ。むしろ、リエリーは連中に気に入られたのかも知れない。

 

「安心しなさい。このスパイダーは武装してるし、私のいるところからでもハッキングは可能よ。何かあったら私が守ってあげるから」

 

 俺が請け合うと、急にリエリーはもじもじとして笑顔になる。現金なものだ

 

「せ、先輩がそう言うなら、私、先輩を信じちゃいます。いいですよね?」

「はいはい。でも、マップくらいは共有してもらうわよ。私に頼りきりじゃなくて――」

 

 俺がスパイダーを通じて、リエリーの体内にある警備血球にアクセスしようとしたその時。

 

「先輩!? ねえ先輩どうしたんです!?」

 

 俺の教書にソードフィッシュからの緊急連絡が入った。

 

 

 

 

「コンフィズリー、予定変更だ」

 

 ソードフィッシュは外耳のデバイス越しに通信する。隣には、胸に短刀が突き刺さり、深々と斬られた片手を押さえるファイアアラームがいる。

 

「手練れのサムライと戦闘中だ。お前だけで人質を逃がせ」

 

 彼女の視線の先にいるのは、鉱化症候群に冒された一人のサムライだった。

 

「……退け」

 

 呼吸器ごしにくぐもったサムライの声が聞こえる。病が膏肓に入っていながら、なおも彼は肉体を捨てて機体になろうとしない。その自己の肉体へのこだわりに、ソードフィッシュはコンフィズリーを連想しつつ跳ぶ。ボールが弾むかのような、ドワーフの矮躯を活かした走法。跳躍と同時に体を回転。

 

「それはできない相談だな!」

 

 次々と空中で繰り出されるブレードの急撃を、サムライはゆらりと立ったまま片手の刀でいなす。あたかも、降りしきる毒性雨を濡れずに躱すかのような信じがたい技量だ。攻撃と攻撃の隙間を縫い、無造作に刀が差し込まれる。その切っ先がソードフィッシュの小指を見事に切り落とし、彼女の右手からブレードがすっぽ抜ける。

 

「まだだ!」

 

 ソードフィッシュは右手をポケットに入れ、中身を放り投げる。奥歯に仕込んだデバイスを噛んで多機能ゴーグルを一瞬だけ展開。外耳の通信デバイスを耳栓の機能にする。強烈な閃光と爆音が迸った。ポケットの中身はスタングレネードの効果を構文にした基盤だ。ブーツの数理を起動させ、空中に足場を作り彼女は斬りかかる。

 

 金属音が響き渡る。サムライの首を狙ったブレードは、かざされた刀によって完全に受け止められていた。ソードフィッシュが目を見開くのと同時に、サムライは人工繊維ワラジのローラーで素早く後退した。一瞬遅れて、彼がいた場所を燃え盛る飛沫が襲う。ソードフィッシュがそちらを見ると、ふらつきつつファイアアラームが立ち上がっていた。

 

「……耳目を封じようなどスマイル・ストップ」

 

 サムライの口調にソードフィッシュはずっこけそうになった。渋い声質とは不釣り合いな、矯正整式で強引に言葉遣いを変換したものだ。

 

「……某の五識は既にロスト済み哉」

「見た目はフェイクで中身は機体か」

「……ノー。空空寂寂の境地でソードを振るえば、自ずと真仮の別を判然してオフ・コース」

 

 何を言っているのか分からない。なので仕方なく、ソードフィッシュは一切を片づける魔法の言葉を口にした。

 

「ゼンだな」

 

 改めてソードフィッシュは片手だけでブレードを構える。

 

「私はソードフィッシュ。お前は?」

 

 ゆらりと刀を正眼に構えたサムライは、彼女に応える。

 

「……三柴アンノウン斎徒好。いざ、為合いをトゥギャザー」

 

 ――しかし。

 

「おいサムライ、また遊んでいるのか?」

 

 張り詰めた空気に突如乱入した者がいる。

 

「……リターンされよ。ここはシュラ・スペース哉」

「だからなんだよ」

 

 胡乱な雰囲気を漂わせてやって来たのは、ビーハイヴの一人だ。首筋のケーブルに指を突っ込んで油まみれのカスをほじりながら、彼はアンノウン斎と名乗ったサムライに言う。

 

「帰るぞ」

「……ノー哉」

「知るか。これは伝言だ。さっさと戻れって言ってるぞ」

 

 いぶかしげなアンノウン斎に、ビーハイヴは歩み寄ると顔をぶつけるようにして近づける。

 

「あぁ? こっちの命令を聞けないのかよ。ブシドーはどうしたんだ?」

 

 ビーハイヴの義眼とサムライの濁った両眼がぶつかり合い、やがてアンノウン斎は刀を鞘に収めた。

 

「……イエス哉」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第54話:Rescue mission

 

 

◆◆◆◆

 

 

「助かりました、コンフィズリー。あなたのおかげです」

 

 チューニングの双子の片割れが運転する車の後部座席。リエリーの護衛として乗る俺が教書を開くと、仮想スクリーンにファイアアラームの顔が映し出される。

 

「あなたの無差別放火に救出対象を巻き込みたくなかっただけよ」

「いくら何でも私はそこまで愚かではありません」

 

 しれっとファイアアラームがそう言うと、もう一枚の仮想スクリーンが勝手に展開される。

 

「おい、こいつの言うことを信じるなよ」

 

 渋面でそう言うのはソードフィッシュだ。

 

「放火は可能な限り派手に。然れども不必要に味方を巻き込むなかれ。火炎放射器愛好会の基本的信条です」

「それが守られているならば、私もここまで苦労せずに済むんだがな」

 

 ソードフィッシュはため息をつく。彼女の苦労はともかく、今回の作戦は成功した。リエリーは無事救出できたし、ファイア&ソードも撤退できた。あの鉱化症候群のサムライを呼びに来たビーハイヴは、俺が制御フレームをハッキングして操っていた奴だ。アナログなサムライは偽の情報に引っかかり、二人が逃げる隙が生まれたということになる。

 

「全部冗談よ。本気にしないで」

 

 俺は隣でこっちを見つめるリエリーに言う。

 

「え? あ、その、なんだか……」

 

 その顔は完全に驚きと憧れで染め上げられていた。

 

「何かしら?」

「皆さんクールで格好いいな……って思って」

 

 仮想スクリーンの向こうから苦笑する気配が伝わってきた。すかさず助手席のレニアが突っ込みを入れる。

 

「企業傭兵は契約によって企業間闘争を代行する職種です。それ以上の特筆すべき価値はありません。彼女たちが今回あなたを救出したのは、私たちチューニングが雇用したためです。誤解なさらないで下さい」

「そういうことよ。私たちがあなたに関わったのは報酬のため。金銭と契約だけで結ばれた一期一会よ」

 

 俺はチューニングに同意する。

 

「そういうドライなところが格好いいんですけど……」

 

 俺のすげない言葉にも、リエリーの目から憧憬の光は消えない。そういうものだ。否定は憧れの炎を燃え立たせる燃料となる。だが、俺はリエリーを笑えない。天蓋がヒトの侵入を拒めば拒むほど、俺は己をスカイダイバーとして証明したくなる。人間とは非合理だが、その非合理こそが人間性だ。

 

 

 

 

「本当にありがとうございました、先輩」

 

 スカイライトに建つ大聖堂の前で、俺は車から降りた。

 

「気をつけて帰りなさい。まあ、チューニングが一緒ならば安心でしょうけど」

 

 頭を下げるリエリーに軽く手を振って挨拶し、そのまま俺は走り去るチューニングの車に背を向けた。リエリーについてはもう心配いらないだろう。

 

「……さて」

 

 俺がポケットから取り出したのは、リエリー救出の際に使ったスパイダーに入れてあった基盤だ。スパイダーのメインフレームはチューニング所属だが、ソケットには俺が操縦するための基盤が差し込まれていた。俺は近くのベンチに腰掛けると、指先から有線を伸ばして有線を基盤に接続する。加筆されていた構文をアサルトソフトウェア越しに起動。

 

「――さすがはあのステイルメイト唯一の直弟子。もうお気づきになりましたか」

 

 構文の内容は単純な通信だ。耳障りな世辞と共に、俺の視界に一人の聖職者の全身像が投影される。アサルトソフトウェアが反応しないことから、改竄病源や譫妄ウイルスの類は皆無らしい。

 

「チューニングが私を雇ったのは、これが目的なのかしら?」

 

 ボーダーラインのマニアどもに人気があるジョッキーが狙い澄まして誘拐され、その奪還のために動いたチューニングが、わざわざ俺のようなフリーのハッカーを雇う。その背後で糸を引くのはやはり、偶然ではなくエンクレイブ関連の連中だ。

 

「いつぞやみたいに、ひざまずいてくれないの? あなたの忠誠心もそろそろ投げ売りの時期かしら?」

 

 俺の皮肉に、聖職者ことイヴァーニン・アルバレフはこう答えた。

 

「そうお望みならば」

 

 そして流れるような動作で、彼は俺の前にひざまずく。悪びれもしないどころか、心からの敬意が込められた態度に、俺は鼻で笑うことができなかった。

 

「……聖職者の癖に腰が低すぎよ、あなた」

 

 神ではなく人にひざまずく。やはりこいつは真っ当な聖職者ではない。

 

 

 

 

「……またここね」

 

 意識がわずかに揺らいだ後、俺とイヴァーニンが立っていたのは曇天の下だった。辺りには雪が積もり、振り返るとそこに建つのは重厚なレンガ造りの屋敷だ。無論レンガといっても合成品だろうが、その建築様式も外見も、この世界が都市で覆い尽くされる以前の伝統が引き継がれている。何もかもが寒々しく、陰鬱で、薄暗い。

 

「こここそが、あなたの居場所です」

 

 立ち上がったイヴァーニンがそう言うが、俺は今度こそ鼻で笑った。

 

「お前が勝手に決めるな」

 

 矯正整式をねじ伏せ、俺は本来の口調で奴を煽る。

 

「で、用件は何だよ。このボディから出て行けってクレームか?」

「ご存じないのですか? そのお体にあなたがいられるのは、ほかでもない彼女の意志であることを」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第55話:Apotheosis

 

 

◆◆◆◆

 

 

「ご存じないな」

 

 俺は平静を装って答えたが、内心では驚いていた。

 

「複製とはいえ、見ず知らずの男に頭のてっぺんから爪先まで貸与するとはいい度胸だ。皮肉じゃなくて本気でそう思うぜ」

「さて、どうでしょうか」

 

 イヴァーニンの閉じているのか開いているのか分かりづらい細い目がこちらを見る。その目に苛立ちや嫉妬のような負の感情は何一つない。

 

「自己紹介が遅れました。私の名前はイヴァーニン・ミルケーリッチ・アルバレフ。東方正真教会の司祭にして、開国支援組織リェースニツァのアドバイザー、そしてノヴィエラ王女の相談役です」

「随分と多忙だな。見た感じ、最も大事なはずの聖職を一番サボっているようだが?」

「耳が痛いご意見です」

 

 俺の皮肉にもイヴァーニンはほほ笑むだけだ。

 

「どうぞ、おかけになって下さい」

 

 促されるまま、俺は近くの椅子に腰掛けた。仮想空間特有の雑な速度で、テーブルの上にサモワールとティーカップ、皿に載った茶菓子が出現していた。

 

「ご存じかも知れませんが、エンクレイブは開国派と鎖国派によって真っ二つに引き裂かれた国です。私たちは開国派を支援していますが、あなたの上は違います」

 

 俺は砂糖漬けの合成フルーツを口に入れる。強烈に甘いが、少々上品すぎる味だ。

 

「エードルトとシーケンサー? あれは上じゃないわ」

 

 熱い紅茶でその上品さを洗いつつ、俺は反論する。

 

「しかし、あなたに命令していることは事実です。エードルトはエンクレイブ鎖国派の人間、そして彼の属するシーケンサーは鎖国派を地上で支援する組織です」

「それが押しつけてきたのが、あなたと瓜二つの人造とは笑えるわね。あなた、二重スパイ?」

 

 まったくもってこの司祭はうさん臭い。息をするかのように八方美人に振る舞い、対立する複数の組織に取り入っているのが手に取るように分かる。そして、当然こいつは俺にも取り入ろうとしている。仮にも神に仕える司祭がそうするとは、歪そのものだ。

 

「私が仕えるのはただお一人です」

 

 大まじめにイヴァーニンは首を振る。

 

「……主宰、というわけではなさそうね。ますます、あなたは聖職者にしてはきな臭すぎるわ」

 

 聖職者が敬うのは主宰であって人ではない。だが、どう見てもこいつはノヴィエラ王女その人に入れ込んでいる。こいつにとって俺は、恐らくノヴィエラの付属パーツでしかないのだろう。

 

「私の望みはただ一つ。ノヴィエラ王女の願いをあなたが果たすことだけです。どうかエンクレイブにお越し下さい」

 

 大きなパイを悠々と平らげたイヴァーニンが、改めて俺にそう告げた。リエリーを餌にして俺を釣り上げた理由は、直々に仕事を依頼したかったからだろうか。

 

「それが、私にどんな利益があるの?」

 

 イヴァーニンは指を一本立てる。

 

「私が今、あなたに伝えることは二つあります。まず一つ――」

 

 そして続けられた彼の言葉は、にわかには信じがたかった。まあ、信じる必要もない。だが本当だとしたら――

 

「……クレイジーな話だ」

「これは、シーケンサーが知らないことです。切り札となることでしょう。そしてもう一つ――」

 

 イヴァーニンは二本目の指を立てる。

 

「我々はエンクレイブの防壁の破却を人形遣いステイルメイトに依頼しました。あなたも協力ができるのでは?」

「真正のスカイダイバーに助力が必要とでも?」

「あなたのかつての失敗は、純然たる経験の不足ではないかと師は推論しているようです」

「まあ、部外者如きが賢しいのね」

 

 イヴァーニンの視線と俺のそれが、テーブルを挟んでかち合う。

 

「それ以外に報酬も用意しております。さらに事が終われば、あなたの精神をボディから摘出し、複製にはなりますが本来の体に戻して差し上げましょう」

「なるほど。あなた方が行った施術を反転して行えばいいのだから、楽なものね」

 

 俺は言外に「俺をこのボディに入れたのはお前たちか?」と探りを入れた。だが、イヴァーニンは失言を発しない。

 

「あなたは本来男性。女性の体は不快でしょう。私たちならば、あなたを過不足なく元の体に戻せると約束します。既にご自身のアイデンティティの喪失に苦しまれているのでは?」

 

 ――いや、やはり失言か。確かにイヴァーニンは、俺がノヴィエラの体に入った経緯はもらさなかった。だが、こいつは俺からのわずかな信用さえ得ることはなかった。

 

「……いかがされましたか?」

 

 イヴァーニンは細い目をわずかに開く。

 

「馬脚を現したな。『戻して差し上げましょう』じゃなくて『戻って下さい』だろう?」

 

 背景がかき消えていく。雪が溶け、屋敷が構文となって崩壊し、サモワールが地面に落下して砕ける。

 

「お前はハッカーのことを何も分かっていない。俺じゃない、ハッカーのことを、だ」

 

 俺はこいつに理解を求めない。だが、ハッカーのイロハも理解できていない奴の口車に乗る気は毛頭ない。イヴァーニンに興味が失せた俺は、椅子から立つと背を向けた。もうこの情報空間も消える。

 

「俺が俺である根幹は肉体じゃない。俺が俺だという意志だ。お前たちの手を借りなくても、俺は俺を失わない。――俺は俺だけが目指すべき場所に行く」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第56話:Manierisme

 

 

◆◆◆◆

 

 

 上層都市スカイライトの大通りを、美麗な甲冑で身を固めた騎士たちの行列が行く。公議による都市の支配以前から存在するという、由緒正しいギルドが前身の“フェニーチェ財団”主催のパレードだ。かつては鍛え上げた体に板金の鎧をまとった騎士たちは、今は機体に改造された体に生体工学とサイバネティクスの融合したアーマーを装着する。

 

「成金趣味の俗悪な連中たちだ」

 

 上層都市の秩序と優等の象徴である騎士たちを、通りを埋め尽くす観衆たちは歓呼の声で迎える。渋面なのは俺の隣でそう呟くエードルトくらいだろう。

 

「あなた、いつも自分だけが特別で健全で高尚だって主張するわね。そんなに優位を主張しないと不安なの?」

 

 俺の皮肉に、エードルトは当然のような顔で答える。

 

「我々には大義がある。ここのような日々享楽に耽るしか能のない連中にはないものだ」

 

 俺からすれば退屈なくらいにまともなこの上層都市も、エードルトのお眼鏡にはかなわないらしい。きっと、こいつの目に下層都市ボーダーラインは地獄そのものに見えることだろう。

 

「その大義とは、エンクレイブを外界から閉ざし続けること?」

 

 エードルトが眼鏡越しに感情のない目で俺を見る。

 

「……驚かないのね」

「お前がキシアと接触した時点で、情報の漏洩は想定の範囲内だ」

「それは助かるわ。一から説明しなくて済むもの」

「我々は祖国を地上に落とそうとする裏切り者と戦ってきた。そのために地上に降り、祖国の雄大な大地とも別れたのだ。これを大義と言わずして何と言う?」

 

 心なしかエードルトは誇らしげにそう言う。俺は内心舌打ちした。こいつの話の通じない自己完結した石頭の理由は、時代後れのケチな愛国主義に染まっているせいだ。

 

「その大義のために王女さえも利用したの?」

 

 だから、俺はこいつの一番聞きたくないであろうことを口にする。大義のためなら王女を地上に落とすとは、見上げた愛国心じゃないか。

 

「あれは苦渋の決断だ」

 

 おやおや。人様を散々けなしておいて、自分たちの不忠は「苦渋の決断」の一言で解決済みとは笑わせる。こいつもこいつの所属するシーケンサーという組織も、結局は愛国主義者の皮をかぶったナルシストどもにしか見えない。自分たちが愛国心で気持ちよくなることが第一で、肝心のエンクレイブはどうでもいいのだろう。

 

「あの天使の甘言に乗ったことが本当に正しかったのか、俺は時折分からなくなる。お前のような俗物が、あの方の中にいると想像するだけで吐き気がする」

 

 エードルトの目に感情がこもる。俺を焼かんばかりの憎悪と嫌悪だ。どうせ、俺が王女の体を生肉の着せ替え人形にして遊んでいたとでも妄想しているんだろう。

 

「落ち着いて。これは複製よ」

 

 適当に俺がそう言うと、エードルトは自分を落ち着けるように深呼吸する。

 

「そうでなければ、俺は自分が許せない」

「お気の毒ね」

 

 まったく心のこもらない俺の慰めだが、エードルトが気にする様子はない。恐らく、こいつは俺のことなど最初から思考の埒外なのだ。王女の複製を動かすただの使い捨てデバイス程度の感覚なのだろう。

 

「最後の仕事だ、ハッカー。『星辰僧院シンハ・ギリ』の蛇たちと組み、祖国の裏切り者を拠点ごと粛清しろ」

 

だが、そんなことはどうでもいい。俺たちの主な雇用主である企業もまた、ハッカーを使い捨てデバイスのように扱う。それでも俺たちと企業の縁が切れることはない。理由はただ一つ。

 

「報酬は? 私はあなた方の大義じゃ動かないわよ」

 

 報酬。その二文字だけが、ハッカーが信じるに足る真理だ。たとえ使い捨てでも報酬が納得できれば俺たちは働く。そして誰であっても、俺たちは無報酬では働かない。大義なんて代物は、それがいくらで換金できるかどうかだ。

 

「即金だ。受け取れ」

 

 開いた教書に表示された銀行口座。そこに振り込まれた金額は、ハッカーの大仕事としては妥当な額だ。

 

「これが終わればお前をその体から自由にしてやる。喜べ、あとは勝手にしろ」

 

 エードルトは吐き捨てる。

 

「まあ、ご厚意に感謝するわ」

 

 俺の白々しい笑顔を忌々しそうに見てから、彼は深々とため息をついた。

 

「これで――俺たちはようやく帰ることができる」

「帰る場所があるのは素敵なことね」

 

 俺が肯定したからか、エードルトは珍しく俺に問う。

 

「お前にはないのか? ハッカー」

 

 俺も気の迷いか、珍しく正直に答えた。

 

「不思議なことに、私は自分の生まれ故郷に一度も行ったことがないのよ」

 

 絶対理解されないと分かっていて、俺はそれでも続ける。

 

「だからこそ、私はどうしても行ってみたい」

 

 俺の熱望にエードルトはしばらく沈黙した後、分かりきった答えを口にした。

 

「理解に苦しむ」

 

 

 

 

 エードルトと別れた後、俺はボーダーラインに降りた。車両の違法取引が行われているマーケットの前を通り過ぎたとき、俺の教書に通信があった。送り主はチューニング。内容に目を通したい気持ちを抑え、俺は後ろを振り返った。俺の逃げ道を塞ぐ形で、ハイエンド教会の武装宣教師に似た服装の一団が立っていた。

 

「コンフィズリーだな」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第57話:Blaze up

 

 

◆◆◆◆

 

 

「我々と一緒に来てもらおう」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「また同じシチュエーションね。お断りよ」

 

 石頭のエードルトと別れたら、今度はこの連中だ。

 

「イヴァーニンに伝えて。私の邪魔をするなら二度と神様にお祈りできなくさせてやるって」

 

 あの司祭の名を口にしたら、全員の顔色が変わった。やはりこいつらは、開国支援組織リェースニツァの構成員だ。

 

「なぜ奴を知っている?」

「知らないの? 彼、裏切り者よ」

 

 俺が適当に言ってやると、連中は顔を見合わせている。口から出任せではあるが、嘘ではない。イヴァーニンはあの後、俺に情報を横流ししている。リェースニツァが俺のボディを狙う理由は、しごく単純明快だ。組織の神輿としてノヴィエラを祭り上げ、大義は我らにありと宣言したいらしい。

 

「なぜ抵抗する? お前の一挙一動がエンクレイブにどれだけ損害をもたらしているのか分からないのか?」

 

 リーダーとおぼしき奴の言葉に、俺は耳を疑った。エンクレイブの損害など知ったことか。部外者である俺が、なぜ余所の利害を気にしなくちゃいけないんだ? つくづく、エンクレイブの連中は自分の価値観でしかものを見ない連中だ。

 

「金額を提示しなさい。報酬無しで人を動かそうなんて虫がよすぎるわよ」

 

 俺は親切すぎることに、一応交渉の席には着いてやった。するとリーダーは隣の同僚と有線接続して会話していたが、少ししてうなずいた。続いて、一枚の仮想スクリーンが俺の前に表示される。

 

「これが妥当だろう」

 

 そこに金額が写っている。――俺は淑女のようにほほ笑んだ。

 

「二度と来るなド素人ども!」

 

 手を伸ばして俺は仮想スクリーンを握り潰す。形成する整式にハッキング。全情報を強制アクティビティにさせ、過負荷として逆流させる。悲鳴と共にリーダーが延髄のコネクター付近を掻きむしった。肉と金属の焼け付く異臭がする。こいつが俺に提示したのは、呆れるほど安い金額だった。

 

「き、ききき貴様ぁ!」

 

 怒声と共にリーダーが小型クロスボウを俺の方に向けるが、オーバードーズで狙いが定まらない。

 

「本性を現したな似非愛国者! 弑逆はいけないよな!」

 

 俺の小指が動いて有線にコマンドを送り込むのとほぼ同時。クロスボウに矢が撃ち込まれて地面に縫い付けられる。スナイパーが使う大型の矢を見た他の連中が目を見開く。

 

「何をする!?」

 

 袋小路を取り囲む建物の上階。そこの一室の窓から大型クロスボウの一部が見える。リェースニツァのスナイパーだ。あの場所に待機して俺を狙っていた奴を、少しジャックして利用してやっただけだ。奴の義眼に写る拡大された視界を目の端に表示しつつ、俺は次の矢をつがえさせる。

 

「お前たちハッカーは卑怯な搦め手ばかりだな!」

 

 怒りに震える構成員を俺は鼻で笑った。

 

「搦め手も捌けない三流が負け惜しみか!?」

 

 相変わらず地上の戦いに慣れない奴らだ。そのくせ、多勢に無勢とばかりに連中は機体の武装を露わにし、か弱い女の子を腕ずくで拉致しようとしてくる。ゴーストを憑依させた手駒のスナイパーでは捌ききれない物量だ。

 

「――九界天網雷公真君にコマンド」

 

 だが好都合だ。一網打尽こそが俺にとって最適の布陣。俺が教書を開いたのを見るや否や、数人の機体が多項数理防壁を展開。既存の攻勢整式を一通り網羅したアクティブノイズコントロール機能はたいしたものだ。もっとも、俺が今召喚する整式には対応していないだろうが。

 

「不可無疆殃慶天尊にコネクトし奉る。――『異型山河写像俯瞰図』」

 

 空間が歪む。ボーダーラインの雑然とした風景がかき消え、白紙に水墨が流れ落ちるかのようにして別世界の天地が描き出される。壷中に天を見いだすかのようにして形成される異界は、しかし真像として具現することなく瞬く間に消えていく。世界に世界が創出された際の反動が、あらゆる防御の整式を歪ませてリェースニツァの構成員を直撃した。

 

 電算仙術。千年かかるという神仙への道を、数理とサイバネティックスで千時間にまで縮めた無茶と合理のテクノロジー。ちなみに目標は千分らしい。仙道の神秘を数理で再現し、仙人の肉体を機械で再現するこの技術は、その過程で種々の整式を開発して市場に流通させている。一般の構文と文字からして異なるこれを修得するハッカーは数少ない。

 

「大がかりなのが玉に瑕だな……」

 

 俺もステイルメイトの手慰みで修得しただけだが、この種の整式が効果のわりに大仰なことくらい分かる。防御無視の全方位攻撃をするだけで小世界を創り出すなど、燃費が悪すぎるだろう。防御整式を歪曲され、フィードバックで神経を擾乱されたリェースニツァの構成員たちを俺が踏み越えようとしたその時だ。

 

 倒れていた三人。全身を法衣ですっぽりとくるんでいた連中が立ち上がった。まるで上から強引に引っ張られたかのような動きだ。その全身が痙攣し、見る間に巨大化していく。法衣が破れ、中から出てきたのは昆虫と動物が混合した奇怪な四肢だ。独特の光沢は甲殻と外皮が装甲粘菌と共生しているからだろう。

 

「機甲キメラまでいたのか……」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第58話:Snake charmer

 

 

◆◆◆◆

 

 

 機甲キメラ。生物工学を結集して作り出したボーダーラインお手製の生体兵器だ。脊椎に共生する演算真菌の力で、生半可な数理攻撃は逆に吸収するらしい。電算仙術にまで対応するとは予想外だ。機動装甲に匹敵する筋力に、対数理攻撃にも長けた装甲。まったく、リェースニツァの連中は俺に安値をふっかける癖に金欠でないところが腹立たしい。

 

 ようやく俺とリェースニツァの戦闘がただの喧嘩でないことに気づいたらしく、車両の違法取引をしていた連中が騒ぎ出した。古びた戦車に腰掛けたウサギの旧人が、俺を指差して周りに呼びかけている。あれが元締めか。まあ、機甲キメラの戦闘なんてめったにお目にかかれないから、いい見せ物だと思っているんだろう。賭けでも始めるのか?

 

 しかし。有線を五指から引き出した俺に対して、機甲キメラたちが一斉に威嚇の吠え声を上げたその時だった。連中の動きが突如停止する。人造が強制的にフリーズさせられた時のような不自然な止まり方だ。違和感を俺が覚えたのと同時に、脊椎動物と無脊椎動物が混合した巨躯が液化した。舗装された道路に未だ脈動を続ける集積コアが転がる。

 

 向こうでは拍手と歓声が上がる。ウサギの旧人を筆頭に、俺が機甲キメラを一瞬で片づけたと勘違いしているんだろう。足元を水のように流れていく機甲キメラの生体パーツを見つつ、俺は内心舌を巻いた。信じがたい精密さと即効性の強制アポトーシス。ゲノムそのものをハッキングするとはまさに神業だ。これほどの腕前はもしかすると――。

 

 俺は後ろから近づいてくる気配に振り返った。

 

(……ステイルメイトか?)

 

 弟子のピンチに呼ばれもしないのに手伝いに来た人形遣いを想像した俺だったが、その思考は不正解だった。

 

「……ヴィディキンス?」

 

 そこに立っていたのは、機能を停止させておいたはずの人造、ヴィディキンスだった。

 

 あの人造がイヴァーニンの傀儡と分かった以上、俺の身の回りに置く必要はない。どうせ人畜無害を演じる人造の目を通して、こっちの一挙一動を監視していたんだろう。今さら怒る気にもなれない。そう判断した俺は、リエリーを救出した後ヴィディキンスの機能を停止させて寮の一室に放り込んでおいた。だがそれが今ここにいる。

 

「お困りかと思い、助力いたしましたが――不作法でしたでしょうか?」

 

 いや、違う。ヴィディキンスの首に、一匹のヘビが巻き付いている。その体は半透明で、向こう側が透けていた。本物ではなくホログラフィだ。あからさまな、人造をハッキングして操っていると見せつけている行為。

 

「傭兵の売り込みでもなければ、ボランティアでもなさそうね」

「お察しの通りです」

 

 うやうやしく人造は一礼する。

 

「お迎えに上がりました。シェリク・ウィリースペア様。我々はシンハ・ギリの観測者です」

 

 ヘビのホログラフィ。自分を「我々」と呼ぶ統合された自我の暗喩。そしてシンハ・ギリの名。情報生命体、ナーガがそこにいた。

 

「送迎なんて至れり尽くせりね」

「アクセス地点は少々不便な場所ですので」

 

 イヴァーニンやヴィディキンスとは違い、細い目を普通に見開いた顔で、人造は俺を見る。

 

「それと、伝言が一つ」

 

 どこまでもにこやかに人造は続ける。

 

「『高世の巧を有する者は必ず遺俗の累を負い、独智の慮り有る者は必ず庶人の怨を被る』とのこと」

「誰から?」

 

 俺は分かりきったことを尋ねた。

 

「さる人形遣いから」

 

 

 

 

「大綱とは何なのか、君は知っているかな?」

 

 それはまだ、シェリスが本来の性別である男性だった頃のことだ。メカニカル禅寺のリアルタイム描画石庭を歩きつつ、ステイルメイトがシェリクに尋ねてきた。

 

「あんたが知らないことを、俺が知っているとでも?」

 

 外骨格のモノアイに見つめられつつシェリクはそう言い、次いで師の意図を理解した。

 

「……手形の件は気の毒だったな」

 

 つい先刻のオークションでのことだ。ステイルメイトがひいきにしていた、エアリアル・スモウのヨコヅナの手形が競売にかけられた。その値は瞬く間に吊り上がり、泣く泣くステイルメイトは購入を断念したのだ。どうやら彼は気晴らしの雑談に付き合って欲しいらしい。

 

「いや別に気にしてないけど! 本当だよ!」

 

 真正のスカイダイバーであり、比類なきハッカーである人形遣い。その彼がうろたえる様子は稀少だ。

 

「それはともかく」

 

 ステイルメイトはキモノ風の耐蝕コートの襟を正す。

 

「大綱は、ただの情報ネットワークじゃない。あれは、一つの巨大な生命体の脳内そのものだ」

 

 師が白と言えば黒でも白だ。

 

「じゃあ、ナーガはその脳の寄生虫か?」

 

 ゼンの精神をくみ取り、シェリクは手形の話題には触れないことにした。律儀に話に付き合うシェリクに、安心した様子でステイルメイトは持論を述べる。

 

「彼らは、その分霊だよ」

 

 全ての数理は大綱に接続して行使される。ならば数理とは現実を侵蝕するその生命体の夢、ナーガは夢の登場人物なのかも知れない。シェリクはうっすらとそう思った。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第59話:Sigiriya

 

 

◆◆◆◆

 

 

 星辰僧院シンハ・ギリ。「獅子の山」を意味する名とは裏腹に、そこは爬虫類の上半身にヘビの頭部と下半身を有するナーガたちの観測所となっている。観測所、というものの、シンハ・ギリとは大綱の中に遍在する特異点だ。外部から観測した瞬間に跳躍し、他の地点に出現する揺らいだ場所。その中に入るには、住人のナーガに招かれるしかない。

 

 

 

 

 ナーガの操るヴィディキンスがたどり着いたのは、カレー専門店の裏にある非合法スパイスの取引所だった。ナーガは隅にある神像に俺を案内した。像のうなじの部分にコネクターが隠されている。そこに有線を接続した途端、俺の意識は大綱に飛ばされた。ブラックアウトの後俺が目にしたのは、山脈とそれに沿って建てられた巨大な建造物だった。

 

「歓迎しよう、若きハッカー」

 

 遺跡のような生活感のない建物の一室。大広間とおぼしきそこには、おびただしい数の風化した書籍が積み上げられている。それに埋もれるようにしてとぐろを巻いているのは、数十メートルはある大蛇だった。建物の内部を行き来しているナーガたちと違い、こちらは正真正銘のヘビの姿形をしている。だが、同族らしい。

 

「あの墜ちた天使から助力を依頼された。僧房を一つ貸そう」

 

 大蛇は無数の書籍に目を通しつつ俺に話しかけてくる。ナーガとはこの大蛇が本来の姿で、よりヘビに近い方が貴ばれるそうだ。大蛇の前には何体ものアンデッドが控え、本のページをめくっている。古代のナーガが優秀なネクロマンサーだったことを俺は思い出した。古式ゆかしい様式だ。

 

「一つ訊きたい」

 

 俺は口を開く。矯正整式が沈静されているらしく、本来の口調で喋れる。

 

「キシアは何者だ?」

 

 俺の言葉に、大蛇の瞼のない目がこちらを見た。

 

「閉鎖空域エンクレイブには、王族が代々受け継いできた遺産がある」

 

 ナーガは低く落ち着いた声音で話し始める。

 

「〈封域〉を穿つそれが、公議にとって禁忌であることは理解できるか?」

 

 封域。公議が展開した惑星を保護する数理の防壁。だが実際は、ヒトの宇宙進出を否定する鉄格子なのは周知の事実だ。

 

「かつて、王族は遺産を起動させるための演算装置を求め、我々の手ほどきの元大綱に接続した。人智の作製方法を説明する必要はあるまい」

 

 人工知能の構文を一から書くのではなく、大綱の思考プロセスを移植して人智は作られる。

 

「だが、彼らの企ては失敗し、器となるはずの卵は二つに割れた。その時に大綱へと解き放たれた者と、律儀に器に残った者。二つの存在が産声を上げたのだ」

「ホワイトノイズとキシアか」

 

 俺の脳裏に、学院の制服を着た中性的な少女の姿が蘇る。ホワイトノイズが彼女にそっくりだったのは、ただの嫌みではなく正真正銘の片割れだったのか。

 

「いかにも。我々とあの天使とは言わば同郷である。よしみで助力するのもやぶさかではない」

 

 大蛇は含み笑いをもらす。建物が揺らぐ地響きのような笑いだ。

 

「キシアの目的は、その遺産を起動させることか?」

「さて、どうだろうか」

 

 大蛇は答えない。それともホワイトノイズが遺産の起動を願っているのか。どちらにせよ、これは相当危ない橋だ。

 

「公議が黙ってないな。下手をすると空の上が火の海になるぞ」

 

 もしこの件が本当ならば、公議はなりふり構わずエンクレイブを消去しようとするはずだ。

 

「お前たちハッカーにとっては荒稼ぎの機会だな」

 

 大蛇の気のない返事に俺はわずかに苛ついた。

 

「他人事だな。自著の執筆に忙しくて下界の雑事には構っていられないってスタンスか?」

 

 ナーガは森羅万象の観測者を自称する。ごく稀に企業間闘争に干渉する個体もいるが、大抵は何か計り知れない目的で行動する理解しがたい連中だ。性別がなく、自我を共有し、肉体を持たない情報生命体。そんな異族とまともに会話できるはずがない。俺はそう思ったが、大蛇はなぜか怒りも呆れもせずに真摯な様子で俺に問いかけた。

 

「お前もそうではないのか? 天蓋に挑む鳥よ」

 

 大蛇の顔が俺に近づく。

 

「地を這う蛇と空を飛ぶ鳥。この二つの意匠が融合するとすなわち竜となる」

「何が言いたい? 煙に巻くな」

 

 再び含み笑いが建物を揺らす。

 

「お前は我々の手を借りて――いや、この個体に手はないが――蒼空へと再び舞い上がるだろう」

 

 ナーガが冗談を言うとは思わなかった

 

「俗塵を振り捨て、どこまでも遠くへ、どこまでも高みへと。そしてお前は望んだ場所へと到達するだろう。お前はその時竜として思考し、竜として観測し、竜として世界を定義するのだ」

 

 一方的に全てを見透かすようなその言動に、俺はため息をついた。

 

「……俺は俺だ。鳥でもなければ竜でもない。勝手に人の立ち位置を決めるな」

 

 この手合いは否定しても肯定してもしたり顔をするだけだろう。それでも俺ははっきりそう告げた。

 

「――先程言った通り、僧房を貸そう。肉体を守るための護衛が必要になるな」

 

 俺という玩具に飽きたように、大蛇はゆっくりと顔を離し、アンデッドが持つ本に再び目を通し始める。

 

「心配するな。当てはある」

 

 ちょうどよかった。俺はヘビが苦手だ。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第60話:Behavior therapy

 

 

◆◆◆◆

 

 

 強襲タイプの機動装甲に率いられ、企業傭兵たちがバリケードを越えて突入していく。共通する多機能ガスマスクにはヤマネコのエンブレム。彼らを銃弾と矢と数理の炎で迎え撃つのは、フェニーチェ財団お抱えの企業傭兵たちだ。機動装甲のチェーンソーを数理による即席の防壁で受け止め、機体の馬に騎乗した騎兵が電撃スピアを手に突貫する。

 

「二人ともついてきてるわね。このボディ、後頭部に視覚デバイスを増設してあるから後ろも見えるわよ」

 

 フェニーチェ財団と市場が重なるリンクス師団が引き起こした企業間闘争。ボーダーラインでの深夜の日常を背景に、俺たちはリンクス師団の傭兵たちの後ろからフェニーチェ財団の敷地内に潜入していく。案内役はタダ乗りジェノートだ。

 

「わざわざ見せなくてもいいわ」

 

 今夜のジェノートのボディは全身の八割を機械化した巨漢だ。後頭部に付属する二対の義眼を瞬かせるジェノートに、俺はそう告げる。

 

「あら、コンフィズリーちゃんもしかしてテクノフォビア? だから全身生身なのねえ。凄腕のハッカーさんが初々しい反応だわぁ」

「私が言いたいのは――」

 

 俺はジェノートの戯れ言を遮り、右手の五指から伸びた有線を振るった。ステルス迷彩が施された警備システムに強制侵入。短命かつ即効性の論理病源を感染させ、一瞬で内部の回線を焼き切る。

 

「――そのまままっすぐ進んでいたら、あなただけスカイマグロのタタキみたいになってたってことだけよ」

 

 呆然としたジェノートの顔が痛快だった。

 

「あははははっ! その顔傑作だよ、タダ乗りジェノート」

 

 戦場をドローンで撮影しているアシッドレインが、俺の隣で爆笑した。相変わらずこいつは、他人の失敗や弱みをゴキブリ並みの速度で嗅ぎつける奴だ。

 

「止まれ! そこを動くな!」

 

 だが、警備はシステムだけで終わらない。建物の陰や街灯の上から姿を現したのは、コボルトの傭兵たちだ。

 

「あ~あ、結局ばれちゃったか」

 

 いくつものクロスボウが自身を狙っているにもかかわらず、アシッドレインはわざとらしくため息をつく。こいつの爆笑のせいで俺たち位置がばれたのに、まったくもってふてぶてしい奴だ。

 

「僕に任せてよ。せっかくだから新しい作品を試してみたいんだ」

 

 その言葉と同時に、アシッドレインの義眼が数理の光を灯した。

 

 

 

 

「どう? コンフィズリー、目的のものは見つかった?」

「もちろん。収穫はあったわ」

 

 フェニーチェ財団の所有する建物の図書室。俺はそこの情報端末をハッキングしてデータを吸い上げていた。アドロの伝手で手に入れた偽証アカウントがいい仕事をしてくれた。

 

「面倒なことに首を突っ込んでるみたいだけど、手が入り用なら教えて」

「ええ、その時はお願いするわ」

 

 義眼に教書を有線接続して何やら編集しているアシッドレインに。俺はそう答える。このドワーフは悪趣味で狂っているが腕は立つ。先程のドワーフの傭兵たちは、アシッドレインが三次元投影した汚染映像で残らず幼児退行している。数時間限定とはいえ、精神の変容が物理的に肉体を退行させるのは初めて見た。

 

「じゃあ二人とも、帰りましょう。今度はきちんとエスコートしてあげるわ」

 

 俺が教書を閉じて作業の終了を伝えると、そそくさとジェノートが帰り支度を始めた。彼――もしくは彼女――に続いて廊下に出ると、あちこちで仮想スクリーンが明滅してはでたらめな映像を流している。制御システムに適当に放り込んだ改竄病源が増殖しているらしい。

 

『ヤッホー! みんな見てる~! 暁レプレだよっ! 今夜もとってもぐらーちぇっ☆』

 

 その中の一つが暁レプレの顔を大写しにした。リエリーのジョッキーとしての配信が始まったらしい。元々なかなかの美人だったリエリーだが、暁レプレとしての過剰に数理メイクされた容姿や服装も挑発的で悪くない。声が媚びすぎていることをのぞけば、だが。

 

「あ、レプレちゃんだ。ユニゾン★ぐらっちぇ」

 

 隣を歩くアシッドレインがいきなり妙なことを口走る。恐らく、ジョッキーとリスナーとの間の合言葉のような挨拶だろう。

 

「あら、あなたもリスナーなの?」

「みんなには秘密だよ。恥ずかしいからね」

 

 美少年の顔でそう言うアシッドレインだが、こいつの本性を知る俺にとっては気色悪いだけの発言だ。

 

「何を愛好しようとハッカーは自由よ」

 

 後でアーカイブ見ないと、とうきうきした様子のアシッドレインは、俺の言葉など聞いていないようだ。暁レプレの顔を舐めるように映していたスクリーンは、次いで恐ろしげな廃墟を写す。灰色の霧につつまれた病院とも刑務所ともつかない場所。徘徊する異形。灯火の数理と鉄パイプを片手に歩く人物の背中。

 

『今日はダークパノプティコンの続きをプレイしていこうかな~。怖いよね~。主人公みたいに、いつの間にか自分が自分じゃなくなって、過去が全部作り物だってことになってたら。レプレがそうなったらリスナーさん、みんなで助けてね♪』

 

 表示される激励のコメントの羅列を横目で見つつ、俺は一人で呟いた。

 

「残念。誰も助けてなんてくれないわ」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第61話:Behavior therapy2

 

 

◆◆◆◆

 

 

 プロジェクト・オルカ。この計画は、都市の最深部に広がる深淵の攻略を目的としていた。深淵の攻略とは即ち、そこに住まう〈震源〉の討滅あるいは封印である。かつては異界の蕃神として崇敬された彼らに対し、公議は徹底して最大の敵性存在という評価を変えない。故にこそ、公議に取り入るためにあるクランによってこの計画が組まれた。

 

 震源が生得的に有する数理は、ヒトの精神そのものを破壊する。あらゆる生命体が、異界のオブジェクトを前に正気を保つことはできない。だが、計画の立案者はそれを百も承知の上でこう提言した。

 

「しかし、狂気の侵蝕を最小限に抑えられる思春期もしくはそれ以前の子供ならば、深淵の攻略において一定の戦果を挙げられるのではないだろうか」

 

 提言は受理され、予算は通り、計画は実行された。素材となったのは遺伝的に徹底してデザインされた騎士の子供たち。本来公議を守護する為に生み出されたはずの少年兵は、あらゆる対震源の処理と改造を施され、深淵へと投入された。そして結果は――惨敗だった。子供たちは深淵に呑まれ、震源は千の口を開いて彼らを一人残らず咀嚼した。

 

 深淵帰り。震源の狂気に触れ、正気を失ったヒトの形をした残骸。ほぼ再生不可能となった「盤上の子供たち」は、内々に失敗作として処理された。これがプロジェクト・オルカの顛末だ。だがこれには続きがある。後にある病院で、人智による深淵帰りの人格補完プログラムが組まれたという記録が残っている。その成功例はたった一人だけだった。

 

 

 

 

「あなた、ものの見事に弄ばれたものね」

 

 俺は教書を閉じて仮想スクリーンを消した。今読んでいたのは、チューニングからリエリー誘拐事件の際に報酬として得た情報だ。俺の網膜にはまだ一枚の写真が焼き付いている。人格補完プログラムによる唯一の成功例。その人物のバストアップ。――目元がストリンディ・ラーズドラングによく似ていた。

 

 

 

 

 全身が映る姿見に、自分の姿があますところなく映っている。普段は着ない、動きやすさよりも可愛らしさを重視したコーディネート。頭には帽子と首元にはアクセサリーまで。ストリンディ・ラーズドラングは騎士である前に一人の少女でもある。しかし、こうやっておしゃれをして出かけるようなことは、彼女の人生の中でもそう多くはなかった。

 

「よし。準備完了。いつでも出撃できます」

 

 自分で自分にそう言い聞かせて軽く気合いを入れてから、ストリンディは整理整頓が行き届いた寮の自室を出る。今日は休日。騎士としての仕事も、夜に駐屯地で書類の整理だけとなっている。つまりほぼ一日がフリー。太陽が沈むまで、ストリンディはただの女の子でいられる。その開放感がくすぐったい。

 

 上層都市スカイライトの朝は今日も清涼だった。ストリンディは道行く人々に挨拶し、空を飛んでいくハトの群れを見上げ、公園で奏でられるチェロの演奏に耳を傾ける。何でもない一日の一コマ。それなのに、なぜかどれも心を踊らせる要素となっていく。

 

「お待たせしました。すみません」

 

 待ち合わせ場所とした教会の前で、その原因が立っていた。

 

「大丈夫、謝る必要はないわ。こうやって待つ時間もそれなりに楽しいもの」

 

 スカイライトで流行っているトラディショナルなスタイルよりも、やや過激なフィールドロックスタイルの上下を着た銀髪の少女がわずかに笑う。シェリス・フィアだ。

 

「そう言っていただけると肩の荷が下りた思いです」

 

 建前ではなく本心からストリンディはそう言う。

 

「じゃあ、今日一日エスコートをお願いするわ。素敵なナイトさん」

 

 当然のようにそう求めてくるシェリスに、ストリンディははにかみつつうなずく。

 

「はい。不慣れですが精一杯務めさせていただきます」

 

 そして二人は並んで歩いていく。何しろ今日はただの学友同士の親交ではない。今日はシェリスが望み、ストリンディが応えたデートの日なのだから。

 

 

 

 

「いつもお疲れ様、ストリンディさん」

 

 二人がデートする数日前。寮へと帰ろうとするストリンディを呼び止めたのはシェリスだった。

 

「ああ、あなたでしたか」

 

 ストリンディが歩を緩めると、シェリスは杖をつきつつ彼女の隣に並ぶ。

 

「……何か?」

 

 いつになく熱心にシェリスがこちらの顔を見つめてくるので、ストリンディは首を傾げた。

 

「少しお疲れかしら? 騎士の身体能力はたぐいまれなものでも、メンタルは鉄壁というわけにはいかないようね」

 

 見事に言い当てられてストリンディは驚いた。このところ学業と騎士の仕事が両立できず、やや心労がたまっているのは事実だ。

 

「はい。私も未熟者です。もっと鍛錬が必要ですね」

「私には適度な余暇が必要なように見えるけど?」

 

 シェリスは呆れたと言わんばかりに肩をすくめた。つくづく、真面目一辺倒なストリンディと、ネコのように自由闊達に振る舞うシェリスは対照的な二人だ。

 

「ということで、ひとつお願いがあるの。聞いてもらえる?」

 

 不意に肩を寄せるシェリスに、わずかにストリンディの心臓が高鳴った。

 

「次の週末、私とデートしてもらえないかしら?」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第62話:Behavior therapy3

 

 

◆◆◆◆

 

 

 エスコート、と言ってもそれはあくまでも形だけのものだった。二人で行き先もほとんど決めずに街を歩き、面白そうなものや素敵なものを見つけていく。無目的と言われようと、それはストリンディにとってデートだった。市街を警邏するのでも、一人で散歩するのでもない。彼女の隣にはシェリスがいた。二人で楽しいことを見つけていく。

 

 広場で野外バンドの体験セッションに飛び入り参加した。防音数理が施された空間の中に入り、音楽データの入った叙述インターフェイスを借り受ける。もっぱらストリンディは聞く専門だったが、シェリスはボーダーラインで活動するワンアップマンシップの「Steel Heart」を熱唱した。メロディアスでヘヴィな音を好むバンドからも喝采だった。

 

 開館したばかりの美術館を二人で訪れた。古典的な絵画や彫刻については、主にストリンディが解説する側だった。静物画や風景画に見入るストリンディだが、シェリスは主に絵画の来歴や値段の方に関心があるようだった。けれども最後にきっちりとポストカードを買い、そこに二人が並んで写っている写真を合成して互いの教書に保存した。

 

 クマドリ・キャンペーン中のアイスクリーム店に誘われた。ボーダーラインにも出店しているカブキ・ジェラートだ。好きなアイスの組み合わせを数理的にチューンアップしてくれるとのことだが、ストリンディは当たり障りのない組み合わせしか選べない。その横で、シェリスは口に入れたら冷たい炎を吹くアイスを満面の笑顔で錬成していた。

 

 ランチは予定していたパスタ専門店が行列ができるほど混雑していたため、急遽予定を変更した。代わりに二人が入店したのはラーメン店「キタグニ」だった。着飾った女の子二人のランチにはこれ以上ないくらい不似合いな選択だったが、結果は大成功。ギガニボシの出汁が香るオーシャン・ラーメンを二人で啜り、速やかにお腹も心も満たされた。

 

 不思議な気分だった。騎士として何度もスカイライトの市街を歩いたことはある。けれども、今日シェリスと一緒にストリンディが見るスカイライトは、その時とまったく違う顔を見せていた。こんなにも、この都市は明るく輝いていたのだろうか。その輝きに魅せられると同時に、ストリンディはふと、自分があまりにも不釣り合いにも思えてきた。

 

 

 

 

「何かしら?」

 

 キタグニを出てから並木道を歩いていると、シェリスはこちらの視線に気づいたのかいぶかしげな顔を向けた。

 

「あの、楽しまれているでしょうか?」

 

 ストリンディが恐る恐るそう言うと、シェリスはさらにいぶかしそうな顔になる。

 

「そうは見えないの?」

「いえ、その……私は騎士です」

「分かりきった事を言うのね」

 

 自分でも何を言っているのだろう、と思いつつもストリンディは不器用に言葉を続ける。

 

「剣を振るい人々の盾となるのは慣れていますが、こうしてその、デ、デ、デートのような、人並みの女の子のようなことをするのは、ええと……不慣れなのです」

 

 相手はシェリスという同性とでもこうなのだ。これで男性とデートしたらどんな惨劇になるのか。

 

「私では力不足だったでしょうか? 退屈でしたらごめんなさいとしか言いようが……」

 

 口ごもるストリンディを一瞥し、シェリスはこれでもかと大げさにため息をついた。

 

「あなたねぇ……」

 

 心底呆れた目がこちらを見る。

 

「単純に脳髄に快楽物質を叩き込みたいだけなら、私はボーダーラインの娯楽薬物を頸動脈に注射しているわ」

「それは……」

「安心して。きちんと合法よ。もっとも、そんな代物は無用だけど」

 

 シェリスは服の襟を指で引っ張って首筋を見せる。ほっそりとした白いそこには、生体パーツも補助デバイスも見あたらない。正真正銘の生身だ。

 

「少なくとも、ちやほやされたかったらそれ専用のゲイシャ・メイドでも雇ってるわ。なぜ私があなたとデートしてるか分かる?」

「その……護衛とか、でしょうか?」

「寝言はベッドの上で言って。ここはスカイライトよ」

 

 杖を手でいじりつつ、シェリスは歩みを止めてしっかりとストリンディを見つめる。

 

「まあいろいろあるけど、理由の一つはあなたにリフレッシュしてもらいたかったからよ。私を楽しませるんじゃなくて、あなたに楽しんでもらいたいの」

「い、いいのでしょうか……?」

「生殺与奪の権は他人に握らせないのに、娯楽に関しては随分禁欲的ね。今のあなたは騎士じゃなくて一人の市民よ。少なくとも、今だけはね」

 

 シェリスの言葉が、耳朶を通して心に流れ込んでいく。不器用な自分に歩調を合わせてくれる彼女の気遣いが、ストリンディにはただただ嬉しく、眩しかった。

 

「ほら、行きましょう。太陽は日没を待ってくれないわ」

 

 歩き出そうとしたシェリスに、ストリンディは遠慮がちに声をかける。

 

「あの、でしたら……」

「え?」

「実は、ちょっとだけ行きたいところがあるんです」

 

 それは一人の騎士――単身で機動装甲をも圧倒する戦闘に特化した生物ではなく、一人の女の子としてのささやかな願いだった。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第63話:Behavior therapy4

 

 

◆◆◆◆

 

 

 入店と同時にストリンディとシェリスに浴びせられる「いらっしゃいませニャ~♪ 旦那様ニャ~♪」という糖蜜を煮詰めたような店員の挨拶。メイド姿の店員は全員ネコの系統の旧人と思いきや、カチューシャにネコの外耳をつけた人間やドワーフもいる。彼女たちにかしずかれているのは、誰も彼もリキシと間違えそうな肥満体ばかりだ。

 

 レストラン「ド・プリムヴェール」。過剰なカワイイを提供する店員と、過剰なカロリーを提供するメニューが売りの店だ。ちなみに「ド」は「ど」阿呆や「ど」ぎついと同じ接頭辞の「ど」である。

 

「はいニャ。お待たせニャ。ご注文のスーパーデリシャスダブルヨコヅナパンケーキニャ。美味しく食べて楽しく盛り上がってニャ、お二人さんニャ」

 

 恐らく「とにかく語尾にニャをつけてお客さんに媚びるニャ」と店のマニュアルにはあるのだろう。店員の過剰すぎる「ニャ」付きの説明と共に、向かい合わせに座るストリンディとシェリスの目の前に巨大なパンケーキが置かれた。フルーツやらクリームやらチョコソースやらアイスやらがデコレーションされ、パンケーキがほとんど隠れている。

 

「行きたいところって……ここなのね」

 

 少し――いや、かなり引いているシェリスとは裏腹に、ストリンディは満面の笑みで大きくうなずく。

 

「はい! ここのお店の特大パンケーキはペアかカップル専用なんです。いつも一人で側を通り過ぎては、ため息をつくだけだったんですが、今日はシェリスさんがいます。やっと完食できますよ!」

 

 今さら説明するまでもないが、ストリンディは大食いである。戦闘に特化した騎士という人種だからかどうかは不明だが、大抵の山盛りの料理は苦もなく平らげてしまう。そんな食のコンキスタドールであるストリンディにとって、ここの特大パンケーキはぜひ挑戦したい目標だった。その夢が今叶い、ストリンディは今まさに幸せを謳歌していた。

 

「カップルねえ……」

 

 しかし、その多幸感に突如白刃が差し込まれる。ブラックのコーヒーをたいして味わいもせずに口に運ぶシェリスを見て、ストリンディの燃え上がっていた情熱が急速に冷めていく。

 

「あ、いえ、違います! その、シェリスさんはお気になさらないで下さい! そそそそれとももしかして、シェリスさんには意中の殿方が……」

 

 将来を誓ってもいなければ親友でもない相手とペアやカップル扱いされれば、シェリスとしては迷惑なだけだろう。慌てて弁解するストリンディに、シェリスは心底興味のない目を向ける。

 

「私は恋をしたことがないわ」

「即答ですね」

「他人に関心が一切ないのよ、私は」

 

 あっさりと彼女はそう言ってのける。強がりではなく本気でそう言っている。

 

「そんなことはないですよ」

 

 だが、ストリンディはシェリスの主張を退ける。

 

「即答ね」

「だって、こうして今日は私を誘ってくれました。嬉しいです」

 

 アイスが溶けてしまう前にパンケーキを切り分けつつ、ストリンディはほほ笑む。今日一日側にいただけだが言える。シェリスは彼女が自分で思っているほど、鉄面皮でもなければ冷酷でもないのだ。

 

「楽しんでもらえたかしら」

 

 否定も肯定もせず、シェリスはあくまでも淡々と尋ねる。

 

「はい。私、今日のことは忘れません」

 

 大きめに切り分けたパンケーキを皿に載せてシェリスの方に差し出してから、ストリンディは心を込めてうなずく。

 

「果たして本当にそうかしらね……」

 

 彼女には、シェリスがなぜ冷めた様子でそう呟くのか、分からなかった。

 

 

 

 

 一斉に「また来てニャ~♪」と見送る店員たちを背に、二人がド・プリムヴェールを出た後。

 

「あれ、あの子……」

 

 すっかり満腹になったストリンディの満足しきった顔が、突如真面目なものに変わる。

 

「迷子のようね」

 

 人気のない骨董店の近くで、一人の少年が途方に暮れた顔で周囲を見回してる。

 

「放っておけません。少しよろしいでしょうか?」

「構わないわ。一応、エスコートはあなただもの」

 

 シェリスは平然と応じる。

 

「ありがとうございます」

 

 軽く一礼してから、ストリンディはシェリスから離れると、柔らかな笑みを浮かべて少年に近づき、膝を曲げて視線を合わせる。

 

「お父さんかお母さんとはぐれてしまいましたか?」

 

 少年は突然そう言われて少しおろおろしていたが、やがてうなずいた。

 

「大丈夫です。私が一緒に捜してあげますから安心して下さい」

 

 少年の頬に指を当てて涙を拭ったストリンディの背に、声がかけられた。

 

「ああ、せっかくだから手伝ってあげる」

 

 振り向くと、シェリスが指先から有線を伸ばしてた。

 

「ちょっと失礼するわ。耳孔経由で大脳から直接短期記憶をメモランダム化して……」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

 慌ててストリンディは立ち上がると、恐ろしいことを言うシェリスと少年との間に立ちはだかる。しかし、自分の行動の方が不審だと気づき、彼女はぎこちない笑顔を少年に向ける。

 

「だ、大丈夫ですよー。この人は少し手っ取り早いだけで、恐い人じゃないですからねー」

 

 言いつつ、ストリンディは自信がなくなってきた。

 

「……たぶん、ですけどー」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第64話:Behavior therapy5

 

 

◆◆◆◆

 

 

「――この時間が好きです」

 

 迷子を親元に送り届けてから、時は過ぎ――。

 

「一日が平和に終わろうとする夕暮れと、楽しげに家路を歩く子供たち。人々の平穏を守護する騎士でよかったと、心から思える一時です」

 

 橋のたもとから、ストリンディはシェリスと一緒に赤々と輝く夕日を眺めていた。川の流れは淀みなく、時の流れは気怠げで心地よい。

 

 素晴らしい一日だった。こんな楽しい日を過ごすことができるなんて、ストリンディは想像だにしていなかった。穏やかで、優しく、それでいてどこか刺激的で、花火のような驚きに満ちていて。それは、ストリンディ一人では到底味わうことのできない甘味だった。けれども、そんな一日を与えてくれた当のシェリスは、夕日に背を向けてこちらを見た。

 

「私にとって一日は、まだ終わってないわ。むしろ、これから始まるの」

 

 冷徹さを消さない彼女に不安めいたものを感じて、ついストリンディは小言を言ってしまう。

 

「ボーダーラインで夜遊びですか? それはあまり誉められることでは――」

「私の本職を教えてあげるわ、ストリンディ・ラーズドラング」

 

 シェリスの赤みがかった双眸が、彼女を見据える。

 

「私の出身はボーダーライン。私のコードネームはコンフィズリー。私は思想・信条・人種の区別なく、ただ報酬のみを雇用の条件とするフリーのハッカーよ。あなたとは一度企業間闘争で戦ったわ、企業が保有する個人での最高戦力さん」

 

 その一言一句を、果たしてストリンディは予期していたのだろうか。それは彼女自身にも分からない。ただ――

 

「――そうですか」

 

 ただ、ストリンディは深々とため息をついた。一日が終わっていく。楽しかった夢から覚める時が来た。

 

「私にとってあなたは、何でもない一日を突然色とりどりに変えてくれる、不思議な花火のような人でした。それに驚かされるのと同時に、そんなあなたと過ごす日々こそが、かけがえのないものなんだと強く感じたんです」

 

 人造の目のように硬質で感情を見せないシェリスの両眼。それに負けないよう、ストリンディもまた力強く彼女を見つめ返す。思いの丈を言葉に込めて、届かない願いをそれでも届くように心を込めて。

 

「あなたは、私の日常でいて欲しかった」

 

 シェリスと会いたかったのは、ここスカイライトの日常の中でだ。ボーダーラインの戦場のただ中ではない。

 

「ご意向に添えなくて残念だわ」

 

 言葉の内容とは裏腹に、シェリスはまったく残念そうな様子を見せることなくそう言った。ああ、そうなのか。ストリンディはかすかに理解した。シェリス・フィアにとっての日常とは、ここスカイライトにないのだ。平穏とは虚妄でしかない。ボーダーラインの喧騒と狂騒の中にこそ、彼女の日常はあるのだろう。

 

「でも、私はセンチメンタルな話をしたいんじゃないの。仕事の依頼よ」

 

 デートの誘いと同じ声音と調子で、シェリスはストリンディに告げる。やめて下さい、とストリンディは言いたかった。その姿で、その顔で、その声で。日常をまったく区切ることなく破壊と打算に満ちた戦場に塗り潰さないで、と叫びたかった。しかし声は出ない。

 

「あなたは以前、報酬は応相談で護衛の依頼を受けてくれると言ったわね。まさにその依頼がしたいの」

 

 いつぞやの約束をシェリスは掘り返してきた。

 

「ストリンディさん、私を守るために一緒に『オヒガン』に来ていただけないかしら?」

 

 その誘いに、簡潔にストリンディは答えた。

 

「大変申し訳ありませんが、その依頼を受けることはできません」

 

 

 

 

 オヒガン。涅槃を意味する名がついたそこは、エンクレイブと同じく上空に位置するコロニーだ。タカハタ・グレート・ザイバツの私有地にして政治的中立地帯であるそこは、あらゆる先進的技術が実験されるマッドサイエンティストのフラスコだ。俺のようなハッカーには少々綺麗すぎるが、スカイライトに比べればまだ馴染みのある場所だ。

 

 キシアが俺に伝えた計画。それは、虚数海を浮遊するエンクレイブをオヒガンに受肉させることによって強制的に現世に引きずり出すというものだ。あの天使が聖遺物を依代に受肉したのと同じ理屈だ。コロニーが丸ごと実験場であるオヒガンは、計画にうってつけの場所だ。ボーダーラインで同じことをしたら、複数の企業から袋叩きにされるだろう。

 

 コロニーの防壁を突破して干渉するのだ。作戦を決行する時、俺のボディは恐らく完全に無防備になるだろう。そこを狙われたら一巻の終わりだ。そのための最高の矛にして盾として、俺はストリンディ・ラーズドラングに白羽の矢を立てたのだが――。フェニーチェ財団の騎士として、スカイライトを留守にするわけにはいかないとのことだった。

 

「振られちまったのかよ、コンフィズリー。女の子を口説くのはなかなか難しいだろ?」

 

 ストリンディに別れを告げてボーダーラインへと歩き出す俺に、アドロからの通信が入る。進捗を手短に告げたらすぐにこれだ。俺は鼻で笑って言い返した。

 

「まさか。これからが本番よ。あの優等生の仮面を引き剥がす、楽しい楽しいイベントが待ってるわ」

 

 

◆◆◆◆

 

 

 



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第65話:Parasitology

 

 

◆◆◆◆

 

 

 シェリスと別れたストリンディが向かった先は、フェニーチェ財団に所属する騎士団の駐屯地だった。今日の仕事は簡単な事務。もやもやとした気持ちを抱えていても、淡々とペンを走らせればいいだけだ。

 

「遅かったわね。ストリンディ・ラーズドラングちゃん」

 

 建物の扉を開けたその先にいたのは、見知らぬ女性だった。

 

「どちら様でしょうか?」

 

 一目でボーダーラインの住人と分かる異相だ。流動タトゥーの蠢く頭に毛髪は一本もない。金属が露出した顔半分。右手の爪は無骨なクロームに対し、左手の爪は赤いマニキュアが塗られている。「蟲」の漢字が浮かび上がった学者の白衣。

 

「はぁい。それじゃあメンテの時間よ」

「メン……テ?」

 

 ストリンディの意識は、その一言であっさり暗転した。

 

 

 

 

 下層都市ボーダーラインに建つハイエンド教会の建物。今ここはヴィオーラの面々によって占拠されていた。聖典や教訓を映すはずの大型仮想スクリーンは、高画質でゲームを実況するジョッキー、暁レプレことリエリーの動画を流している。

 

『やったー!ボスの隠しドロップアイテムの条件達成!援護してくれたみんなのおかげだよ!ありがとーっ!』

 

 画面の向こうで、数理メイクされたリエリーが手を振る。一斉に周囲から上がる歓声と口笛。伊達男の集うこのクランは、丸ごとリエリーの大ファンだ。

 

「お前さんも、暁レプレのファンかね?」

 

 狂乱に加わらず信徒が座る長椅子に座る俺に、教会関係者らしき外見の老人が話しかけてきた。

 

「私は仕事よ、タダ乗りジェノート。今日の体はそれね」

「聡いのう。そのとおりじゃ」

 

 俺の言葉に老人は旧知の仲の表情を浮かべる。本来の自分を何もかも失った人間の成れの果ては、腕利きの情報屋としてボーダーラインで活躍している。

 

「ほれ、受け取るがよい」

 

 ジェノートが基盤を俺に渡し、俺は教書を開いて指定の口座に料金を振り込む。

 

「ありがとう。報酬よ」

「即金は助かるわい」

「当然よ。私は貸しも借りも作らない主義なの」

 

 俺は基盤に有線を通し、中の情報を直接脳内に投影していく。

 

「――ドクターパラサイト。元ラインエイジ生命科学所属の生物学者。専門分野は寄生生物。各種寄生デバイスの販売元として現在は活躍中。リンクス師団が血眼になって追う、レウコクロリディウム・レプリカの製作者が彼女のようね」

 

 俺の視覚に、異相の女性学者の姿が映し出される。

 

「恐らく、お主が執心している騎士も、その寄生デバイスによって制御されているのじゃろう」

 

 ジェノートの口調に俺は眉を寄せる。

 

「いい加減その口調疲れない?口調の強制って、他人事に思えないのよ」

「あらそう、あたしは苦にならないわ」

 

 たちまち、老人の口調はなよなよとしたものになる。

 

「いずれにせよ、あたしの調べによると、ドクターパラサイトは現在フェニーチェ財団の客員として在籍しているわ。雇用の理由は――」

「――ストリンディ・ラーズドラングの制御。メンテナンスによって記憶や情報を改変し、財団に都合のいい騎士として運用するためね」

 

 都合の悪い情報を定期的にリセットしてこき使うとは、気に食わない財団だ。

 

 その時ようやく、ハイエンド教会の武装聖職者たちが到着した。

 

「この罰当たりの不心得者ども!」

「神聖なる聖堂を貴様らの推すジョッキーの布教場所に変えおって!」

「自分の縄張りで勝手にやれ!」

 

 さすがに虎の子の機甲異端審問官はいないが、聖別数理で武装している。

 

「うるさい! 布教くらいさせろ!」

「今日の配信は特別なんだよ!」

「そうだそうだ!暁レプレ最高!」

 

 案の定、厄介なファンとなったヴィオーラの連中と、武装聖職者たちの抗争が始まった。銃撃とクロスボウの矢と数理の爆発から退散しつつ、ジェノートは俺に尋ねる。

 

「あなた、彼女を助けるつもり? 柄じゃないわねぇ」

 

 俺は鼻で笑った。

 

「単なるスカウトよ。久しぶりの大仕事には、相応の役者が必要じゃない?」

 

 

 

 

 深夜。機甲キメラが野生化してさ迷う廃墟に、一台の大型トレーラーが駐車している。いや、トレーラーではなく改造を重ねた移動ラボだ。空間拡張整式で外見より遙かに広い室内。そこで自作の蛔虫入りスムージーを飲むのはドクターパラサイトだ。

 

「うふふ、フェニーチェ財団もこんなに素敵なオモチャをくれるなんて思わなかったわ」

 

 人倫などとうの昔に虫に食わせた彼女の思考は、上層都市にあるフェニーチェ財団とは相性が悪いように見える。だが、財団の目的はストリンディの快癒ではなく制御だ。一度粉砕され、人智によって統合されたストリンディの精神を癒すのではなく、寄生虫による外部からの操作によって運用することを財団は選んだ。

 

「財団も所詮は企業よね」

 

 口から這い出そうとする蛔虫を飲み下し、ドクターパラサイトは笑みを浮かべる。大量の標本や書籍に埋もれるように、一台の休眠水槽がある。そこに満たされた人工羊水に浸されて眠るのは、簡易な水着を着させられたストリンディだった。

 

「今夜も楽しみましょう。アタクシの苗床ちゃん♪」

 

 騎士の優秀な肉体は、寄生デバイスの苗床に最適だった。

 

 

◆◆◆◆

 

 



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第66話:Interaction

 

 

◆◆◆◆

 

 

 サーチライトの白光が、下層都市ボーダーラインの粘ついた闇夜を切り裂く。空中を飛行する企業警察所有の重装甲ホバークラフトがその光源だ。ラインエイジ生命科学所有の高層ビルディングの窓から、迎撃の一斉射撃が放たれる。

 

「皎潔星、沈黙!」

「白頭星、こちらも応答ありません!」

「峨峨星、撃破されました!」

 

 ビルディングの上層に設けられたゼン・リラクゼーション用の人工庭園で、モウセンチェアに腰掛けた一人の男性が歯がみする。

 

「くそ、財団の飼い犬が……」

 

 羽扇の形状をした教書を持つ、テクノクラート儒官風の男性だ。彼の周りで瞬く無数の仮想スクリーンに映るオペレーターたちが、異口同音に窮状を訴えている。

 

「こちら百端星、奴じゃ!」

 

 不意に一枚の仮想スクリーンが痩身の老爺を写した。

 

「儂が少しでも足止めを……は!?」

 

 だが、その映像はすぐに乱れて消える。

 

「“列宿侠客六十六星”が形無しね。熊猫汎用義肢公司と契約したこと、今になって後悔してるかしら?」

 

 近くの池でメカニカルコイを見ていたシェリスが振り返ってそう言う。

 

「他人事だな、コンフィズリー」

 

 男性は不愉快そうに応じた。今夜、この建物はラインエイジ生命科学と熊猫汎用義肢公司による企業間闘争の戦場となっている。最初は列宿侠客六十六星の獅子奮迅の活躍により、熊猫汎用義肢公司が優勢だった。だが、今やこの星の名をコードネームとしたクランは、ラインエイジ生命科学が投入した一人の騎士によって制圧されつつある。

 

「まさか。あの騎士の剣の切っ先が喉元に迫っているのよ。私だってフェニーチェ財団の秘蔵っ子と面と向かって戦う気はないわ」

 

 シェリスは軽い調子でそう言うが、男性は羽扇を手で弄びつつ苦笑する。

 

「グレイスケールの後継が何を言う。数体の機甲キメラを一瞬で白湯スープに変えたその凄腕、虚報だとは言わせないぞ」

「ああ、あれね……」

 

 男性が曖昧な表情のシェリスにさらに畳みかけようとしたときだ。

 

「恵林軍師! もう作戦続行は不可能です!」

 

 一枚の仮想スクリーンが展開し、写っている女性オペーレーターが叫んだ。

 

「潮時ね」

 

 シェリスにそう促され、恵林と呼ばれた男性はうなずく。列宿侠客六十六星の軍師として、これ以上ビルにとどまる理由がないことは分かっている。

 

「このようなことを君のような少女に頼むのは不義理だと分かっているが……」

 

 そしてやはり軍師として、彼は非情な指令を下さなければならない。

 

「気に病む必要はないわ。そういう契約で私はここにいるのよ」

 

 シェリスは気安くそう言うが、恵林としては内心忸怩たるものがある。これから自分たちは戦場から撤退し、しんがりを彼女に任せるのだ。

 

「……分かった。後を頼む。一秒でも長く奴を足止めしてくれ。そうすればそれだけ、目的のデータを安全に転送できる」

「了解。引き受けたわ」

 

 まるでニンジャ・スシのデリバリーを注文するかのようなリラックスしたシェリスに、恵林は内心舌を巻いた。

 

「くれぐれも無理はするな。我ら六十六星さえ鎧袖一触なのだ。お前が敵うわけがないぞ」

 

 あまりにも落ち着いたシェリスの様子に、恵林はつい老婆心から忠告する。

 

「私につきまとう暇があるなら、さっさと撤退しなさい。お人好しの軍師さん」

 

 対する彼女は既に恵林の方さえ見ていない。ようやく恵林は理解した。彼女は今、武器を構えて経絡ケーブルをアクティブにしたサイバー武人と同じなのだ。シェリスは、戦う用意ができている。

 

 

 

 

「無駄にまともな人ね」

 

 恵林の姿が消えてから、俺は率直な感想を独り言で口にする。

 

「さて……」

 

 教書を開きビルディング内部の情報網に侵入。人工庭園のセキュリティを表示。こちらに向かってくる生体反応が一つある。

 

「ノックはして下さらないのね。ストリンディ・ラーズドラングさん」

 

 合成樹脂の松の陰から姿を現した騎士に、俺はそう言う。

 

「……した方がよかったのでしょうか?」

 

 洗練されたデザインの甲冑に身を包んだストリンディが、露骨にうろたえた様子を見せる。

 

「冗談よ。気にしなくていいわ」

 

 その右手が無造作に持つ一振りの剣を見つつ、俺はあっさりと前言を撤回した。変なところでこの騎士は生真面目だ。

 

「安心しました。おかげで心おきなく、あなたに投降を薦められます」

 

 最初から戦う気のないストリンディの発言も当然だ。俺は少女のボディのハッカー。対するストリンディは単身で機動装甲をも撃破する騎士だ。肉弾戦で、俺がストリンディに勝つ確率は万に一つもない。

 

「あら、そう」

 

 だが、俺は側の庭石の上に置いてあった小型の拳銃を手に取った。ろくに狙いも殺意も込めずに引き金を三回引く。金属音が三回響いた。

 

「――無駄です。あなたでは私に傷をつけることはできません」

 

 自動照準の数理が込められた拳銃が放つ弾丸は、ストリンディのかざした剣によって三発とも弾かれていた。

 

「弾丸を斬る離れ業を生身で可能にするなんてね」

 

 俺はため息をついて、まだ弾が入った拳銃を放り投げた。こんながらくたは俺のスタイルには似合わない。

 

 

◆◆◆◆

 

 



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第67話:Interaction2

 

 

◆◆◆◆

 

 

「気は済みましたか?」

 

 俺が拳銃を捨てたことで、少しだけストリンディは安心した表情になる。彼女にとって、まだ俺は敵対勢力ではなく学友の分類らしい。学友に剣は向けられないということか。

 

「こっちも仕事なの。あっさり投降するとアセスメントに響くのよ」

 

 俺が指を鳴らすと、側からステルス迷彩を解除した鎧武者が二体姿を現した。

 

「メイジン・ファクトリー製の最新カラクリ・ソルジャーですか」

 

 同時に合掌して一礼する武者を見ても、ストリンディの目に焦りはない。

 

「実戦データの収集も兼ねているわ」

 

 俺は有線を武者の四肢に接続する。師であるステイルメイトの真似事だ。指先さえ動かさず、脳からの信号のみをコマンドとしてタチアイ・モードに移行。しかし――

 

「脆い」

 

 騎虎の勢いで左右に展開した抜刀済みのカラクリ・ソルジャーは、次の瞬間同時に撃破されていた。一体は一太刀で袈裟懸けに深々と斬られ、もう一体は鞘で喉笛を突かれ延髄を粉砕されていた。生身の俺の視覚では、ストリンディがいつ動いたのかまったく分からない。神経強化した機体でも同様だろう。結果だけがそこにある。

 

「あらあら。これじゃろくにデータも取れないわ。意地悪ね」

 

 傷口から人工血液を垂れ流してくずおれる武者から、俺は有線を引き戻す。

 

「あなたには、こんな危険な兵器は必要ありません」

 

 なぜかひどく不快そうにストリンディは剣を振って保護液を振り払う。

 

「断言するのね」

 

 初めて、ストリンディが俺を非難するような目で見た。

 

「なぜです? なぜあなたはこんな不道徳な場所に入り浸るのですか?」

 

 いきなりモラルを問われても、俺にはこう答えるだけだ。

 

「あなたには関係ないわ、騎士さん」

「……たしかにそうです」

 

 たった一言でひるんだストリンディに、俺は五指の有線を振るう。思考フィラメントで構成された擬似物質の糸が、彼女の全身に巻き付いた。

 

「避けないのね」

「これであなたが満足するのなら、存分にどうぞ」

 

 受難を甘受する信仰者のようなストリンディの態度が、ささくれのように俺を苛つかせる。

 

「不愉快な反応ね」

 

 一切のドーピングも機械による補助もなく、ただ生まれ持った意志と肉体のアドレナリンだけで俺は思考を加速させる。

 

「あなたに同情されるいわれなんてないわ」

 

 制御できる限界量の論理病源を、有線に触れた素肌を通じてストリンディの神経系に殺到させる。最新のセキュリティで保護された機械化歩兵の一団さえ、一分と経たずにスクラップに変える数理の劇毒。俺が手ずから筆記したそれと、騎士の有する免疫が激しく衝突した。

 

「……まったく、これが生物の免疫機能? 企業の防壁の方がよほど脆弱よ」

 

 ――俺は焼け焦げた有線を指から振り払ってため息をついた。舌打ちできるならしたいくらいだ。危うくバックドラフトでこちらの脳神経が焼かれるところだった。生体ハッキングに対する完璧な耐性。俺の攻撃をこいつは苦もなく打ち払った。いや、そもそもストリンディが手加減してくれなければ、有線を触れさせることさえ不可能だったはずだ。

 

「これは都市の平和を維持するため、弱い人々を守るための盾です。私利私欲で与えられたものではありません」

 

 相変わらずストリンディの言動に傲慢さは皆無だ。

 

「ご高説ありがとう。私とあなたじゃ価値観が違うの。でも、否定する気はないわ」

「それなのに、あなたは――」

 

 剣を人工庭園の床に音を立てて突き刺し、ストリンディは俺を睨んだ。

 

「――あなたはなぜ、そうやって平然としているんですか!?」

 

 それは初めて聞く、ストリンディの血を吐くような叫びだった。

 

「あんなに私に笑ってくれたのに、私に寄り添ってくれたのに……どうして当然のように戦うんですか!? あれは全部嘘だったんですか!?」

 

 品行方正な騎士ではなく、一人の少女になってストリンディは声を張り上げる。

 

「私は……私はあなたを、初めてできた気がおけない友人だと思ってしまいました。それなのに……なのに!」

 

 友人、か。どうやら俺とのデートは、相当この騎士の心に残っていたらしい。だが次の瞬間、ストリンディは憑き物が落ちたように平静さを取り戻した。

 

「――そこにいるのは分かっています。動かなければ斬りません」

 

 明後日の方向を見て、彼女はそう釘を刺す。俺はその隙にストリンディの方へと近づく。

 

「シェリス……さん」

 

 俺はすがるような彼女の声を無視し、杖を変形させた。歩行の補助から、数理攻撃に用いる蛇腹の形状へと。そしてそれを振り上げ――

 

「どうしても、続けるんですか?」

 

 だが、杖はあっさりと弾かれ、俺の喉笛に剣が突きつけられる。

 

「あ~あ、そうやってお友だちに“また”武器を向けるのね」

「また……?」

 

 いぶかしげな顔をするストリンディ。

 

「あなたは高潔な騎士じゃないわ。ただ上書きされているだけ。それを教えてあげる」

 

 手にした教書が開く。

 

「――深淵のVSAMより姿色の一片を見せ給え」

 

 ページに記されていく整式。発現する電算仙術。

 

「大禍絶遠――――渾沌道人」

 

 

◆◆◆◆

 

 



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第68話:Abyssal

 

 

◆◆◆◆

 

 

 幾重にも包帯が巻かれ、何重にも鉄扉で隔てられた過去が、こじ開けられていく。そこにいるのは、ストリンディ・ラーズドラングを名乗る前の誰かだ。甲冑の代わりに耐震スーツとジャケット。剣の代わりにアサルトライフル。整列する同年代の少年少女。戦闘訓練に明け暮れた基地。休眠水槽。メス。液体が伝う管。無数の医療術士。祈祷構文。

 

「これより我々はプロジェクト・オルカを遂行する。冥界の底へと潜行するシャチとなれ」

 

 上官の言葉に敬礼。多機能ガスマスク。携帯食料。弾薬。通信用の教書。背負い慣れた重たいリュックが体に馴染む。潜行艇内部の空気の冷たさ。いつもの錠剤。扉が開く。作戦の開始。――深淵に投入された少年兵たちを待っていたのは、真正の地獄だった。

 

 

 

 

「本部! 本部! 応答して下さい本部! なんで!? なんで通じないの!?」

「嫌だ嫌だ嫌だ! あんなのになるなんてやだ! 帰して! 基地に帰してよぉ!」

「誰なの!? 誰がそこにいるの!? 見えない! 何も見えない見えない見えないぃぃいい!」

「あああああああ! あああああああああ!!」

「……おねがい……たすけて」

 

 発狂。発狂。発狂。深淵の闇はヒトの精神には深すぎた。最高の素材である騎士を用い、最高の数理を施してなお、深淵はヒトの侵入を拒む。狂いに狂いきった異界の法則は、たやすく少年少女たちの精神を打ち砕いた。そこは人知を越えた千古の遺跡であり、狂気によって研ぎ澄まされた荒土であり、何よりも異質にして異形の生命体の体内だったのだ。

 

 

 

 

「なんで……なんでこんなことに……」

 

 彼女はもうずっと、一人で肉質の迷宮をさ迷っていた。今自分がどこにいるのか、戦友がどこに行ったのか分からない。ただ分かるのは、途方もなく恐ろしい何かと出会ったことだけだ。それについては、基地内に招かれた自動仙人が心底嫌そうに語った記憶がある。けれども、仮の名さえ思い出せない。

 

「ああ……副隊長……来てくれたんですね?」

 

 脈動する臓物の行き止まりで、彼女はそれを見てしまった。辺りに散らばる戦友たちの装備。そのどれもがまったく損傷してない。吐き気を催す粘液が、耐震スーツにこびりついている。恐ろしいことに、その粘液はどうやら外から吐きかけられたのではなく、内部から染み出したように見えるのだ。

 

「ど、どうして……」

 

 既に数え切れないくらい嘔吐したため、もう胃液さえ残ってない彼女の胃が、それでも揺さぶられる。蠕動する外壁とほとんど一体化していたのは、彼女の戦友の一人である少女だった。辛うじて人間だと分かるのは顔と上半身の一部であり、残りの半分は外壁と融合し、もう半分は名状しがたい何かへと変態を終えていた。

 

「すみません。もう私は駄目みたいです。でも……みんなみたいになるのは嫌なんです」

 

 這いずる音が聞こえる。かつてヒトやヒトに類する存在だった者の成れの果て。深淵の囁きによって自己を破砕された戦友たちだ。そして目の前の少女も、遠からずその後を追おうとしている。

 

「それ以上言わないで」

 

 何を求められたのか、彼女は理解していた。

 

「……ごめんなさい、最後まで私、副隊長の足を引っ張ってばかりでした」

 

 額に銃口を押しつけられてようやく、少女は安堵したようにほほ笑んだ。

 

「ありがとう……ございます」

 

 銃声の後、閉じた少女の目から粘ついた涙が糸を引いて落ちた。そして同時に、少女を撃ち殺した彼女の目からも涙が落ちる。こちらの涙はまだ、ヒトの涙のままだった。

 

「ッ!!」

 

 だが次の瞬間、彼女は全身を激しく震わせた。

 

「何か……いるの……?」

 

 這いずる音が凄まじい勢いで遠ざかっていく。肉の迷宮が捩れ、歪み、変形していく。何かが来る。何かがいる。これまで彼女が見てきたあらゆる異形とはその存在の規模からして違う、圧倒的にして冒涜的な何かが、こちらを見ている。

 

「そこにいるんでしょ!」

 

 たまらず彼女は叫んだ。音が聞こえる。フルートのような吐息のような、耳孔を通じて脳細胞をすり潰すかのような狂った音色が聞こえる。

 

「出てきて! 出てきなさい! 出てこいぃぃぃい!」

 

 今来た方角に絶叫しながら銃を乱射した彼女だったが、その手が止まる。まだ弾丸は残っている。手の方が勝手に止まったのだ。

 

「あなた……様は……?」

 

 

 

 

 ――六十四卦――八卦――四象――両儀――太極――無極――

 

 

 

 

 仙人の示す万象の図解が脳裏に蘇る。秩序の極北。深淵の王。それは震源。世界を揺るがすもの。万象の癌細胞。それは脈動する虚無であり、永遠に廻転する天体であり、異質な豊穣の肉塊であり、矮小なヒトが知覚するならば顔の無い神像であり――――

 

 

 

 

『我――――渾沌道人哉』

 

 

 

 

「失敗してごめんなさい役立たずでごめんなさい期待を裏切ってごめんなさい全然駄目でした私は無価値ですみんなを見捨てました副隊長失格です許して下さい許して下さいなんでもします本当ですだから見捨てないで下さいお願いですだから見せないで見せないで許して許してお願いもうやめてやめて私が悪いんですだから殺して死なせてぇええええ!」

 

 

◆◆◆◆

 

 



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第69話:Abyssal2

 

 

◆◆◆◆

 

 

 ――なぜ、自分はこんな大事なことを忘れていたんだろうか。記憶が思考に殺到して飽和する。自分は高潔な騎士なんかじゃない。期待に応えられず、敵前から逃亡し、挙げ句の果てには戦友を撃ち殺した惨めな敗残兵だ。裏切り者だ。生きる価値のない死に損ない。かつての上官が、深淵に呑まれた戦友が、自分が殺したあの子が一斉に責め立てる。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 どれだけ謝っても、どれだけ悔いても許されるはずがない。途方もなく死にたい。誰でもいいから殺して欲しい。意識が破裂しそうになる。震源が記憶の底から今も見ている。あの、名状しがたい這い寄る――

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

「うるさい、黙れ」

 

 ストリンディの目に光がゆっくりと戻っていく。

 

「え……?」

 

 ようやく、雲散霧消していた思考が正気にかえる。自分は全身を胎児のように丸めて横たわっていたらしい。喉がおかしいのは、延々と絶叫していたからだろう。自分の行動が思い出せない。

 

「なるほど。これが盤上の子供たちの末路ね。想像を絶するおぞましさに吐き気がするわ」

 

 硬直した体を脱力させつつ、目を上げる。

 

「でも、はっきり言っておくわ。あなたはこれっぽっちも悪くない」

 

 ストリンディを見下ろす形で、シェリスが立っていた。杖はもう蛇腹から本来の形状に戻っている。彼女が指を鳴らすと、忽然と椅子とテーブルが姿を現した。学園の庭園に置かれているような、装飾が施された場にそぐわない椅子とテーブルだ。

 

「座りなさい」

 

 そう促され、ふらつきつつストリンディは立ち上がると椅子に腰掛ける。質料ホログラムではないようだ。

 

「ここは……?」

 

 一見するとさっきまでいたラインエイジ生命科学の高層ビルディングだが、どうも違うようだ。

 

「自閉した情報空間よ。あなたと私と……一応もう一人いるけど、基本的に隔離された場所になっているわ」

 

 続いて、テーブルの上に真っ黒な液体が満たされたティーカップが出現した。促されるままにストリンディは口をつける。焦げた苦味は一応コーヒーに近い。カップを持って初めて、ストリンディは自分の全身が小刻みに震えているのに気づいた。

 

「無理もないけど錯乱しているわね。私が分かる?」

「は、はい」

「私の名前は?」

「……シェリス・フィア」

「あなたの名前は?」

「……ストリンディ・ラーズドラング、です」

 

 これは本当に、自分の本名と言えるのだろうか。

 

「ええ、そうよ。あなたと私は今夜、企業間闘争で戦っていた。思い出せる?」

「……なんとか」

 

 まずいコーヒーが胃に落ちていき、ようやくストリンディは人心地がついた気がした。まずさがかえって脳をはっきりさせる。

 

「どうしてこんなことを……?」

 

 当惑をそのままストリンディは口にする。シェリスの行動が彼女には理解できない。生身でありながら平然と騎士に挑みかかり、突然過去のトラウマを見せつけたかと思えば今度は「あなたは悪くない」と言いつつ手を差し伸べてくる。

 

「あなたに勝つためよ。まさかあなた、私が腕力で騎士を上回るとでも?」

 

 シェリスは先程自分が放り投げた拳銃を拾い上げ、手の中で弄びつつ気のない返事をする。

 

「電算仙術で描画した渾沌道人。震源はただの図画でも現世を侵蝕する。それを現実化する一歩手前で画素単位で制御したのが、さっきの整式よ。精神を攻撃する汚染映像のようなものね、私のもくろみ通り、これはあなたに特効となる切り札だった」

 

 ストリンディの心臓の鼓動が不規則になる。そうだ。あの時自分は、剣を突きつけたシェリスの背後に“何か”を見ただけだ。目にしただけでそれは精神の奥底にまで触手を伸ばし、厳重に蓋をした過去をたやすくこじ開けた。

 

「あなたのことは調査済みなのよ、盤上の子供たちのたった一人の生き残りである深淵帰りさん」

 

 体の震えが激しくなる。

 

「クソ、人智も虫女も使えないな。これのどこが唯一の成功例だ? 割れた花瓶に雑なテスクチャを貼っただけだろうが。あの役立たずども」

 

 不意にシェリスが吐き捨てた。心底苦々しげに、まるで別人のような顔でそう言うのでストリンディは驚愕した。

 

「あの……あなたは……本当にシェリスさんですか?」

「私のことはどうでもいいの」

 

 不愉快そうに毒づいたシェリスだが、すぐにその表情は普段に戻った。

 

「もう一度言うわ。あなたは何も悪くない。誰もそう言わなかったかもしれないけど、私は断言する。あなたは悪くないわ」

「……優しいんですね、シェリスさんは」

 

 ストリンディはほほ笑む。

 

「客観的に判断しただけよ。私はプロジェクト・オルカで不利益を被っていないから」

 

 あくまでも部外者として意見するシェリスに、ストリンディは勝手に奥ゆかしさを感じてしまった。やっぱり、この人は優しい人だ。不器用に励まそうとしてくれている。でも、その差し出された手を掴むことは、自分には許されていない。

 

「でも、私はあなたの親切にすがるわけにはいきません。私は確かに高潔ではなく――裏切り者なんですから」

 

 

◆◆◆◆

 

 



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第70話:Abyssal3

 

 

◆◆◆◆

 

 

「あなた、自分がブッダかメサイアとでも勘違いしているのかしら?」

 

 俺は内心うんざりした。さっさと百害あって一利なしの自罰的思考から、ストリンディを引っ張り上げなくてはならない。こいつは自分がへまをしなければ、味方を全員救えたとでも思っているんだろうか。コミックで活躍する最強無敵でチート満載の主人公でも無理な相談だ。

 

「誰かに言われたの? 作戦が失敗したのはお前のせいだ、責任を取れって責められたのかしら?」

「いいえ。少なくとも、そういう記憶はありません」

「なら――」

「これは私の問題です。私はあの時、部隊の副隊長でした。私には、共に戦う仲間を守り、本部と連絡を取り、作戦を遂行、あるいは遂行不可能ならば撤退を提言する義務がありました」

 

 俺がここまでストリンディ・ラーズドラングにこだわるのは、この騎士を俺のボディガードにするためだ。エンクレイブの防壁を破る大仕掛けを実行するとき、意識をシンハ・ギリの僧房に置いた俺のボディは完全に無防備になる。ファイア&ソードの話によると、リェースニツァには手練れのサムライがいるらしい。俺にはこいつの戦闘力が必要だ。

 

 だが、騎士道精神に骨の髄まで染まったストリンディは、オヒガンには出張できないと俺のスカウトを断った。だからこそ、俺はこいつに「お前は騎士じゃない」と突きつけるまでに至ったのだ。こいつは所属するフェニーチェ財団に恩義を感じているが、それは外付けの妄想だ。ドクターパラサイトの寄生虫に偽の記憶を封入されているにすぎない。

 

 いろいろと綱渡りの作戦だった。ストリンディとデートしたのも、こいつが俺に好意を抱くためだ。そうでなければ、企業間闘争で対峙した際に「学友と言えども今は敵同士。お覚悟を」とか言われて一刀両断にされるのがオチだろう。俺に絆されたストリンディは案の定手加減し、こちらは起死回生の電算仙術で渾沌道人の図画を召喚できたのだ。

 

「多忙な副隊長ね。隊長さんは?」

 

 そして待っていたのは、トラウマとPTSDで滅茶苦茶になったストリンディのメンタルケアだ。面倒なことこの上ないが、こいつが再起不能になったら困るのは俺だ。仕方なく俺はストリンディの愚痴に付き合う。

 

「深淵から湧くものたちの、最初の犠牲者に」

「無能な隊長ね。いの一番にやられては世話がないわ」

「そんなこと言わないで下さい!」

 

 血相を変えてストリンディが叫んだ。しまった、口が滑った。ストリンディの目が据わり、体ががたがたと震えだす。

 

「……あんな恐ろしい怪物が……深淵を覆い尽くすくらいに群れているなんて誰も思いもよらなかったんです。……あんなものがこちら側に進攻してきたならば……どれほど多くの犠牲が出るか……!」

 

 世ニ三聖在リ。曰ク九界天網雷公真君、曰ク不可無疆殃慶天尊、曰ク大禍絶遠渾沌道人。即ち人種の守護たる公議、大綱にて夢見る大蛇“擬態”、そして深淵の闇にのたうつ震源。電算仙術と数理の知識を組み合わせるとそうなるが、公議は発狂しているし、擬態は眠る爬虫類、そして震源は悪質なモンスターだ。

 

「悪かったわ。少し口が過ぎたわね」

 

 ストリンディの怯え方を見れば、三聖とは口が裂けても言えない。

 

「いいえ、私も冷静さを欠きました」

 

 俺が謝ると、何とかストリンディは恐慌状態から収まる。

 

「隊長が真っ先に犠牲になった以上、私が部隊の指揮を執るべきだったんです。でも、私はできませんでした。いいえ……私はしなかったんです!」

 

 ああ、駄目か。またトラウマが蘇っている。

 

「私は逃げたんです! 私は……私は……私はみんなを見捨てました! 最初は大丈夫だったんです。深淵と言っても知覚可能な太古の遺跡のようなものだろうって全員が思ってました。隊長も大丈夫だって、何かあったら私を頼ってくれって笑ってたんです!」

 

 役立たずの隊長が。ただのトラウマ発生装置の分際で隊長を名乗るとは呆れた話じゃないか。

 

「でも……でも……今思えば、あれは罠でした。私たちは、奴らに深淵へ誘い込まれていたんです。少しずつ少しずつ深みにはまっていったんです。気づいたときには遅すぎました。深淵の眷属たちが突然本性を出して……あの狂気には私たちは誰も耐えられませんでした。真っ先に隊長がやられ、負傷した仲間が見る見るうちに変わっていって……」

 

 ストリンディの手からカップが落下して割れる。自分の体を抱きしめて、ストリンディは限界まで目を見開く。その目には俺どころか何も映っていない。

 

「私たちは本部に通信しようとしました。でもできませんでした! 私たちはもう、どこにも逃げ場がなかったんです! どこにも!」

「そして待っていたのが、部隊の壊滅だったというわけね」

「それでも私は……逃げました。部隊は散り散りになって、もう統制なんてどこにもありませんでした。後ろからはみんなの悲鳴が……『助けて!』って声が聞こえました。あんなの訓練になかった! 私のせいです! 私が逃げなければ! 私がもっとちゃんとしていれば! 私が正気を保って指揮を執っていれば、みんな狂わないで済んだんです!」

 

 

◆◆◆◆

 

 



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第71話:Abyssal4

 

 

◆◆◆◆

 

 

 これが、ストリンディ・ラーズドラングの心の奥底に眠る、見てはいけない記憶だ。

 

「私のせいでみんな狂ってしまいました! ヒトではなくなってしまいました! 私が悪いんです! 私がみんなを裏切ったんです! なのに私だけが今生きています! どうしてですか!? どうして一番悪い私が、こうしてのうのうと生きているんですか!?」

 

 簡潔に「知るか」と言えれば一番楽だが、そうもいかないのが現実だ。一通り錯乱してわめいた後、がっくりとストリンディは肩を落としてうつむく。

 

「これでもまだ、あなたは私が悪くないと言いますか?」

 

 分かりきった返事を俺は口にする。

 

「ええそうよ。どう控えめに見てもあなたは悪くないわ」

「そんなことはありません」

「いいえ、悪くないわ」

「私のせいです」

「違うわ」

「違いません!」

 

 俺が即答を繰り返したのが気に障ったのか、とうとうストリンディは顔を上げて叫んだ。その声には悲嘆や自嘲よりも、むしろ怒りの感情が込められている。

 

「あなたは悪くないわ」

 

 頑なに俺は同じ答えを繰り返す。

 

「なぜですか!? な、な――何様のつもりであなたは私に説教するんですか!?」

 

 やれやれ。ようやく本音が出たな。あれだけ温厚で健全で辛抱強くて柔和な騎士様も、やっと――本当にやっと、俺に対して怒りの感情を露わにしたようだ。

 

「部外者のくせに、関係ないくせに! 余計なお世話です、私を放っておいて下さい!」

 

 首を左右に振ってストリンディは叫ぶ。まるで駄々っ子の返答だ。

 

「……ああもう」

 

 本当に面倒臭い。

 

 

 

 

(もう……全部終わりです)

 

 ストリンディは、自分でプライドも自信も礼儀もペルソナも踏みにじっていくのを自覚していた。それは奇妙な快感でもあった。自分で築いた砂の城を自分で崩す感覚のようなものだ。それは確かに背徳であり堕落であり、少し前の自分ならばこの行為を非難しただろう。でも、所詮自分はこの程度の器だったのだ。

 

 なにが騎士だ。よくもまあ、あんな虚飾にすがって騎士道を邁進しているとうぬぼれていたものだ。実際の自分は何だ? ただの学園の生徒でさえない敗残兵だ。シェリスに怒ったのもただの八つ当たりだ。どうにもならない自分が腹立たしく、それを指摘したシェリスを逆恨みしているだけに過ぎない。案の定、シェリスは呆れ果てた顔をして――

 

 

 

「――どうして“俺”が、グレートマザー教会のシスターの真似事をしなくちゃいけないんだ?」

 

 

 

 その口調。その態度。その物腰。沸点に達したストリンディの意識が、一瞬で冷えていく。

 

「ホワイトノイズかキシアか知らないが、手抜きにも程があるぞ。あのドクターパラサイトもだ。いつかペットを一匹残らず殺虫剤漬けにしてから丸焼きにしてやる」

 

 何から何まで違う。そこにいるのは確かにシェリス・フィアだ。華奢な細身を聖アドヴェント学園の制服に包んだ、銀髪と赤みがかった瞳が特徴的な可愛らしい少女。それなのに、心底うんざりしたかのように口の端を歪め、誰かに対して侮蔑の言葉を口にするその辛辣極まる仕草。まるで、人格だけがそっくり誰かと入れ替わったかのようだ。

 

「いいかよく聞け、ストリンディ・ラーズドラング。お前が騎士だろうと深淵帰りだろうともうどうでもよくなった。大負けしたギャンブラーみたいにみっともなく泣く時間はたった今閉幕だ」

 

 テーブルに身を乗り出し、シェリスはこちらに顔を近づける。その睨め付けるような態度に、思わずストリンディは身を竦ませる。

 

「お前にはつべこべ言わずに俺と一緒にオヒガンに行ってもらう。もちろん報酬は出す。いくら欲しい? 言い値で払ってやる。即金でだ。だからそんな一銭にもならないこだわりなんか捨てて、さっさと正気に戻れ」

 

 こんな少女など、その気になれば小指一本で押さえ込める。それなのに、ストリンディは完全に気圧されていた。

 

「シェリス……さん?」

「久しぶりの大仕事だ。いや、一世一代の大仕掛けになるかもしれない。相手はあの閉鎖空域エンクレイブの防壁だ。虚数域に浮かぶあの領地をオヒガンに受肉させ、セレフィスカリフの遺産に接触するのがミッションだ。迎え撃つのは一国の防衛システムだぞ。手練れのサムライだっているって話だ。分かるか? 最高のステージが俺たちを待っている」

 

 熱に浮かされたかのようにシェリスは力説する。その言葉の強さを肌で感じ取り、ストリンディは理解した。彼女は――シェリス・フィアの魂は、決して揺るがない至純のハッカーなのだということを。何物にも染まらない。何者にも従わない。何があろうと、何になろうと、彼女はハッカーで在り続ける。

 

 ――大綱こそが、彼女の永遠の領土なのだ。

 

「何としてもお前には、ハッキング中の俺のボディを守ってもらう。俺は本気だ」

 

 なんて眩しいんだろう。こんな可憐で華奢な少女がいったいどのような経験を経て、これほどまでに強固な自我を築いたんだろうか。それに比べて、剣の折れた騎士となり果てた自分がどうしようもなく惨めだった。

 

「私には……できません。あなたとは違って」

 

 

◆◆◆◆

 

 



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第72話:Grief Work

 

 

◆◆◆◆

 

 

「私は、ハッカーとして千差万別なミッションをこなしてきたわ」

 

 シェリスの口調が元に戻る。

 

「クラン秘伝の武技を個人的にインストールしたサイバー武人の追跡、ビーハイヴの縄張りで意図的にばらまかれた違法パーツの調査、自己進化したアサルトソフトウェアのサルベージ、ウマイ・ラーメンのスープの出汁となるショーグン・ニワトリの捕獲」

「あなたは、みんなの役に立ってきたのですね」

 

 ストリンディの率直な感想に、シェリスはつまらなそうに答えた。

 

「どうでもいいわ。私の行動が都市を生かそうと殺そうと関心がない。依頼を果たし、報酬をきちんともらう。それだけで充分よ」

 

 それはハッカーの規範と言うべきスタイルだ。その赤みがかった瞳が、静かにストリンディを見据える。

 

「私が取り組んだミッションの道義的な是非は、ハッカーである私にはない。それはハッカーを雇った企業が負うべきものよ。ハッカーは装置。引き金を引けば弾の出る銃と同じ。銃そのものに理由はない。銃を握る者に理由が生じるの」

 

 こともなげにシェリスは言う。ストリンディには未知のその理論は、シェリスの人生を貫いてきた指針なのだろう。

 

「そして私からすれば、あなたも同じよ。ストリンディ・ラーズドラング」

 

 けれども、シェリスはただの持論を述べて終わらない。

 

「あなたが負おうとしている責任とやらは、あなたではなくあなたの上官が負うべきものよ。上官が命令し、部下が遂行する。どんな時も、命令の責任は命令した者が取らなければならないの。それが責任者の存在理由よ」

 

 そこまで言うと、シェリスは真面目な顔から一転して笑みを浮かべる。

 

「だから私は、あなたは悪くないと言ってるの。むしろずいぶんと頑張ったわね。地獄の底からよく帰還したわ。たいしたものよ、あなたは」

 

 その温かな言葉に、ストリンディはすがってしまいそうになる。いや、そこですがってしまえば楽だっただろう。

 

「私は――逃げただけです」

 

 でも、ここでシェリスにすがってしまえば、戦友たちはどうなる? 彼らの正気も人生も将来も、何の意味もなく深淵に呑まれたのか? 自分だけが幸せになることなど許されるのだろうか?

 

「私は、あなたのように強くなれません。一兵卒でもなく、騎士でもなく、ましてハッカーでもない私は、これから何をよすがに生きればよいのでしょうか?」

 

 それでも、ついストリンディはシェリスに問うた。人生の屋台骨をシェリスにあずけるような質問。それこそがすがっていると言われても仕方がない行為だ。

 

「仕方がないわね。私が教えてあげるわ」

 

 だが、シェリスは彼女の質問をはぐらかしはしない。

 

「――これからあなたは、もう二度とあなたたちのような犠牲者を出さないために戦うのよ」

 

 シェリスの答えをストリンディは予想していたのだろうか。期待していた答えだったのだろうか。それは、彼女自身でさえ分からない。

 

「欺瞞でも偽装でも鍍金でも構わないわ。あなたはこれからも騎士であり続けなさい。ただし、少しだけ柔軟性があって、少しだけ融通が利く賢い騎士になるのよ」

 

 ストリンディを置き去りにして、シェリスは続ける。

 

「プロジェクト・オルカは、公議に取り入ろうとするクランが提言したもの。当のクランはプロジェクトの失敗によってとっくの昔に解散したけど、肝心の公議は今も深淵の攻略を諦めてはいないでしょうね。あらあら、そうなると第二、第三のシャチが深淵を目指してもおかしくないわ」

 

 白々しい態度でシェリスはストリンディを横目で見る。

 

「ああ、可哀想な子供たち。誰かが助けてあげなくちゃ、震源のエサになってしまうでしょうね。どこかに是を是、非を非とはっきり断言できて、正義を実行できる力を有した騎士様がいないかしら。ねえ?」

 

 意味ありげな視線でシェリスはストリンディを見る。

 

「あなたは、私をけしかけるつもりですか?」

「まさか。でも、ここで剣を折って戦いに背を向けてしまったら、何のために皆が犠牲になったのかしら。こうも考えられない? あなたは皆に託されたのよ。『深淵に呑まれる犠牲者は、自分たちで最後にして欲しい』って。少なくとも、あなただけが彼らの犠牲の価値を知っている」

 

 シェリスは椅子から立ち上がると、ストリンディに顔を近づける。

 

「だからあなたは、深淵から帰ってきたのよ。たった一人の帰還兵さん」

 

 キスする寸前の距離でシェリスの顔がある。耳朶に彼女の吐息を感じる。けれども、その仕草に艶美さはない。柔らかなまつげに縁取られた彼女の瞳に宿るのは、どこまでも鋭利で怜悧な意志の光だ。その光が、言葉を通じて深く深くストリンディの心の最奥にまで突き刺さっていく。

 

「わ、私は――そのために……?」

 

 シェリスはかすかに笑う。けれどもはぐらかすことはしない。

 

「どう取るかはあなたの自由よ。『主宰は乗り越えられない試練はお与えにならない』。ハイエンド教会の聖職者ならば、もっともらしくそう言うでしょうね。でも私は、とあるグレート・ケンゴーの言葉の方が好きだわ。『神仏を崇びて、神仏を頼らず』」

 

 

◆◆◆◆

 

 



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第73話:Grief Work2

 

 

◆◆◆◆

 

 

 盤面に駒は出そろった。出し惜しみせず、俺は乾坤一擲の弁舌に自己の進退を賭ける。当たり前だが、俺はハッカーだ。万人を博愛に漬け込むグレートマザー教会のシスターでもなければ、理路整然と信仰を解説するハイエンド教会の聖職者でもない。他人の人生に知ったようなことを言えるほど偉くないのは分かっているし、そもそも関心がない。

 

 だが、俺は俺なりにストリンディを評価したつもりだ。人智の人格補完プログラムの助けを借りたとは言え、深淵の底から浮上したこいつのしぶとさはたいしたものだと思う。そして、どう足掻いてもこいつは根っから生真面目な奴だ。だからこそ、俺はストリンディが一番納得しそうな「戦友の犠牲を無駄にしないために生きろ」と囁いてやったのだ。

 

「……あなたは、本当に口が上手ですね」

 

 ややあって、ストリンディは俺を見て困ったようにほほ笑んだ。一瞬、反論されるのかと俺は身構えた。

 

「ハッカーですもの。手練手管には自信があるわ」

 

 内心の動揺を押し隠し、俺は至極当然と言わんばかりの顔をする。

 

「でも、今はそれに感謝します」

 

 そしてストリンディは静かに椅子から立ち上がると――

 

「情けないところをお見せしました。あなたは惨めな私に、再び剣を握る意味を与えて下さいました。心から感謝致します」

 

 流れるような動作で俺の前にひざまずいた。まるで、子供が読む絵本に出てくる、清廉潔白な騎士のように。

 

「そしてどうか、私の忠義をお受け取り下さい。あなたこそ、私の主君です」

 

 どうやら、俺は賭けに勝ったようだ。

 

「ならば、あなたは私と一緒にオヒガンに来てくれるわよね?」

 

 俺が関心があるのはこの一点だけだ。忠義なんてどうでもいい。

 

「ええ、どこであろうと。たとえ死地であろうと、私が必ずあなたを全身全霊でお守りいたします」

 

 百点満点のストリンディの返答を聞き、俺はそれこそ主君のような顔でこう言ってやった。

 

「それでこそ、私の騎士よ」

 

 

 

 

 約一時間後。ハッカー専門のバー、野武士にて。

 

「進捗はどう?」

 

 人混みを掻き分けてカウンターに近づいてきたのは、アシッドレインだ。

 

「問題ないよ。彼女はコンフィズリーの護衛を引き受けてくれたそうだ」

 

 多重展開された仮想スクリーンに映るメタ将棋の盤面。そこから顔を上げたのは、外骨格に頭部と両腕を覆ったステイルメイトだ。

 

「ああ、よかった。これで一安心だね」

 

 アシッドレインはステイルメイトの隣に腰掛け、近くを浮遊するフェアリーの給仕に冷光タコのアヒージョを注文する。

 

「君はなぜシェリス・フィアを気遣う?」

 

 仮想スクリーンを消し、改めてステイルメイトはアシッドレインの方に向き直る。その外骨格に搭載された単眼がドワーフの矮躯をとらえる。

 

「僕が気にしたのはあの騎士の方だよ。だって僕の数理があの子の心を壊したんだ。アフターケアはきちんとしないとね」

 

 発端は確かにこのドワーフだ。彼が大綱をあさって作り上げた悪趣味な汚染映像。そこに偶然紛れ込んでいた震源の映像こそが、ストリンディのトラウマを呼び起こしたのだ。だから彼は、彼女が立ち直るまでこの件に関わってきた。

 

「まさに君は『イカレた』アシッドレインにして『お優しい』アシッドレインだ」

 

 ステイルメイトは納得したように一人うなずく。

 

「そういうあなたこそ、通り名にふさわしいハッカーだ、『人形遣い』ステイルメイト。あなたの繰糸は震源さえも操るんだね。さすがスカイダイバー」

 

 アシッドレインは尊敬の念さえこもった眼差しで彼を見る。

 

「買いかぶりだよ。僕は深淵という大海に釣り糸を垂らし、小エビの影を釣り上げたに過ぎない」

 

 二人が話しているのは、シェリスが使った震源の図画を召喚する数理についてだ。あの整式の執筆者はこの二人である。ステイルメイトが震源を制御し、それをアシッドレインが精神に作用する数理として形に留めた。

 

「普通は逆に呑み込まれるけどね」

 

 他者の記憶を共有できるアシッドレインの数理も驚くべき内容だが、恐ろしいのは真正の混沌さえ御するステイルメイトの技量だ。

 

「ところで、天蓋の上層にまで到達したハッカーは、己の流儀に沿った超越数理を授かるらしいね」

 

 アシッドレインが語るのは、ハッカーたちが囁くまことしやかな噂だ。この異能欲しさに天蓋に挑むハッカーもいる。

 

 だが天蓋は、スカイダイバーの称号はそのような生中な連中がたどり着けるものではない。大綱という情報空間に在る人跡未踏の聖域は、単なるチートが欲しいだけの凡人をことごとく拒絶してきた。むしろ、この超越数理は天蓋の踏破という偉業に対する付録だ。仙人を目指す過程で電算仙術が作り出した、数多くの数理やデバイスのようなものだ。

 

 ステイルメイト。本名ギルズリー・オーディル。通称人形遣い。二体の機甲文楽人形を教書として従える天才ハッカーにして真正のスカイダイバー。彼が有する超越数理は、その流儀である「操作」に関連したものだ。そして彼の弟子グレイスケール。本名シェリク・ウィリースペア。天蓋に挑んだ彼が、言わば参加賞として手にした超越数理は――

 

 

◆◆◆◆

 

 



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第74話:Reprisal

 

 

◆◆◆◆

 

 

 廃墟に駐車した大型トレーラー兼移動ラボ。それが今、数理の炎によって燃えていた。炎が闇夜を明るく照らし出す。空間拡張整式によって車内に展開されたラボもまた炎上していた。壁に並べられた寄生デバイスのサンプルや標本が燃え上がり、不気味な蟲たちがのたうち回りながら縮んでいく。

 

「そんな……アタクシの可愛い可愛い坊やたちが……」

 

 床にくずおれ、両手を掲げて放心したように呟く異相の女性、ドクターパラサイトの前に俺は立つ。防火の数理によって、俺のボディの肌は火傷一つ負っていない。

 

「こんばんは、ドクターパラサイト。あなたの専門よろしく、あなたの傑作に寄生させてもらいに来たわ」

 

 俺の言葉に、ようやくドクターパラサイトは正気に戻る。

 

「……狙いはこの子ね?」

 

 彼女が這いずった先は、休眠水槽の中に横たえられて目を閉じたままのストリンディだ。

 

「ご名答。あなた、ラインエイジ生命科学にかなりの借りがあるようね。あそこの碩学たちに知恵を貸してもらったわ。サンプルの持ち逃げ、研究費の着服、さらにトリグリセライド掃討作戦でのアポセカリーとの内通。あなた、今までよく無事だったわね」

 

 俺も無策でこのマッドサイエンティストのラボに突撃したわけではない。こいつの素性を少し調べてみれば、あちこちから恨みを買っているのがすぐに分かった。その中の一つにして最大の企業であるラインエイジ生命科学の知恵を少し拝借し、俺はこのラボを一人でほぼ制圧していた。立つ鳥跡を濁さずとは正反対の人生を送るからこうなるんだ。

 

「レウコクロリディウム・レプリカ! アナタの出番よ!」

 

 だが、ドクターパラサイトはまだ抵抗する。彼女の義眼が光って信号を飛ばすと同時に、休眠水槽の蓋が開いた。中のストリンディが目を開き、上体を起こす。

 

「油断したわねハッカー、この子こそがアタクシの傑作よ! さあ――」

 

 彼女が俺の迎撃を命じることは分かっていた。だが……

 

「申し訳ありませんが、あなたの実験に参加するのは今夜が最後です」

 

 人工羊水で濡れた髪を軽く手で絞りつつ、ストリンディは平然とそう言う。

 

「そんな……なんでアナタ自分の意志で動けているの? 体内にアタクシの虫がいるのよ!?」

 

 ドクターパラサイトは呆然としてそう呟く。今のストリンディは、完全に自分の制御下だと思っていたのだろう。

 

「あなたが行った私への治療を一通り拝見しましたが、いささか私用が過ぎると思われます。私にはもう必要ありません」

 

 あくまでも淡々とそう言うと、ストリンディは休眠水槽から出てきて後ろを向く。

 

「少々失礼します」

 

 俺たちに背を向けたまま、ストリンディは自分の胸を強く何度か叩く。続いて、何かを喉の奥から吐瀉する聞き苦しい音がした。

 

「ふう、すっきりしました」

 

 ややあって口元を手で拭いながら、ストリンディはこちらに向き直る。その足元では、極彩色の大きなイモムシのような生体デバイスがのたうち回っている。

 

「あ……ああ……」

 

 ドクターパラサイトの目が限界まで見開かれる。

 

「なんてヒドイことをするのよぉ! アナタそれでも人間なのぉぉおお!?」

 

 彼女は俺たちのことを無視し、四つん這いでイモムシに這い寄る。

 

「しっかりして!? ママよ、ここにママがいるわ! お願いだから目を開けてぇぇぇええ!」

 

 イモムシを持って絶叫するドクターパラサイトを見て、ストリンディが不思議そうに俺に尋ねた。

 

「あの寄生虫に目はあるのでしょうか?」

 

 俺は当然こう答える。

 

「さあ、どうでもいいわ」

 

 

 

 

 燃え盛るラボと号泣するドクターパラサイトを捨て置き、俺たちはスカイライトの公園で一休みしていた。

 

「あなたも優しいわね。あんな狂人をこれくらいで許すなんて」

 

 俺がベンチに腰掛けると、ストリンディが隣に座る。

 

「確かに彼女は私的な実験を繰り返していました。でも、私に治療をしていたことも事実です。そこには感謝していますから」

「私だったら、持ち主とラボを両方アポセカリーに売り渡してやるわ。そこそこの額で売れるでしょうね」

 

 俺がラボを襲撃したのはストリンディの依頼だ。彼女としては、ドクターパラサイトを再起不能にするのではなく、せいぜいちょっと懲らしめるくらいで満足だったらしい。少なくとも、これでストリンディは彼女から解放されたことは間違いない。

 

「気持ち悪くなかった? 自分の体内を虫が這っていたのよ?」

 

 俺は先程の光景を思い出す。まさかこいつが、自力でインプラントされた寄生デバイスを吐き出すとは思わなかった。

 

「たいしたことありませんよ。震源を目視したことに比べればあの程度、不快の内にも入りません」

「さすがは騎士様」

 

 俺は半ば呆れつつ感心する。

 

「……何だか嬉しそうね」

 

 それにしても、心なしか以前よりも俺とストリンディの距離が縮まっている。俺の隣に座るストリンディの体が近い。

 

「はい。あなたが私の主君でよかったと思っています」

「私はハッカーだけど。仕事のためにあなたを雇っただけ。契約が終われば私たちの関係は終わりよ」

「ではその間だけでも、あなたを主君と思ってよろしいでしょうか?」

 

 

◆◆◆◆

 

 



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第75話:Migratory Bird

 

 

◆◆◆◆

 

 

 俺は当惑した。元より騎士としての使命が服を着て歩いているような存在が、このストリンディ・ラーズドラングだったはずだ。それがなぜか、今は親しげに俺に体をすり寄せる寸前まで近づいている。まるで人形を親として刷り込まれたひな鳥だ。

 

「勝手にしなさい」

「ふふ、はい」

 

 俺がつれない態度を取っても、ストリンディは浮かれたままだ。

 

 だが、考えてみれば、こいつは孤独な存在だ。騎士という公議に仕える兵器としてデザインされたにもかかわらず、プロジェクト・オルカに徴用されて深淵で発狂し、そのくせ今は騎士として運用されている。見た目は高潔な騎士だが、中身は周囲の都合で振り回され続けた少年兵のままなのかもしれない。そう考えると、何だか少し哀れにも思える。

 

「正直に言って、実は私、男性が少し苦手なんです」

 

 俺がいい加減な反応をしているにもかかわらず、ストリンディは何やら人生相談めいたことをしてきた。

 

「もちろん嫌悪しているわけではないですよ。ただ、接し方が分からなくて。時には好意を抱いて下さる方もいらっしゃいましたが、交際の申し込みは全て断らせていただきました」

「あら、そう」

「だから、あなたが同性でよかったと思っただけです」

 

 俺にとってはストリンディが誰と付き合おうと興味がないが、今は一応俺がこいつの雇い主だ。

 

「――私のご主人様、って思ってもいいですか?」

 

 俺は改めてストリンディを見る。どことなく熱っぽい視線でストリンディは俺を見る。

 

「……ああ、その、なんて言うか、大変申し上げにくいんだけど」

 

 何となく分かってきた。どうやら俺は、こいつの心の欠けたピースに当てはまる存在になってしまったらしい。この元少年兵の騎士が、表面上は誰に対しても親切で健全だが、その実誰とも親しくできないでいるのを俺は知っている。こいつのトラウマにまで踏み込み、さらにそれを知ってなお肯定する。確かに、我ながら白馬の王子のような行動だ。

 

「はい?」

「百聞は一見にしかず。ちょっとこれを見てもらえる?」

 

 俺は教書を開いて整式を起動させる。有線を指から引き出してストリンディに握らせる。前回はこいつの免疫に阻まれたが、俺を無邪気に信じきっているストリンディは、こちらからのアクセスを無防備に受け入れた。もっとも、俺が今攻撃に転じても、即座にかわされるだろう。

 

 

 

 

「ここは……?」

「前と同じ自閉した情報空間よ。ちょっと、他人には知られたくないことを話すから」

 

 俺たちが立っているのは、仮想空間で再現されたボーダーラインだ。もっとも、背景は張りぼてで動きはほとんどない。

 

「ご安心下さい。私、口は堅いので」

 

 胸を張るストリンディを無視し、俺は一人の人間の姿形を映像で再現した。

 

「これを見て」

「どなたですか?」

 

 俺の目に写るのは、くたびれた耐蝕コートを着た痩身の青年だ。短く刈った髪の下の鋭い目には、何も写ってない。完全な生身。肉体のみで機体と渡り合うハッカー。少しずつ記憶から薄れつつある、昔の俺の姿だ。

 

「名前はシェリク・ウィリースペア。通称グレイスケール。それがこの私、シェリス・フィアの正体よ」

 

 ストリンディの反応には、たっぷり五秒を費やした。常人を遙かに上回る反応速度を誇る騎士が費やす五秒は、いったいどれだけ思考を無駄にした結果だろうか。

 

「…………はい?」

 

 俺は矯正整式をねじ伏せ、笑顔を見せつつ自分の頭を人差し指でつついた。

 

「端的に言うと、だ。この俺は見てくれこそ女だが、脳髄の中身は正真正銘の男なんだよ」

 

 

 

 

 それから、俺は事細かに説明してやった。俺がかつては男だったこと。スカイダイバーを目指して天蓋に挑戦して失敗し、肉体を失ったこと。その精神を少女の体に移植され、今はこうして女の姿をしていると言うこと。全てを理解してしまったストリンディは、あたかも震源を目にしたかのようにその場にくずおれ、ぶつぶつと何やら呟いていた。

 

「そんな……嘘です……そんなことが……なんで……?」

「かくも世の中は不思議と不条理と不義理で満ちている。といったところだな。ご愁傷様だ」

 

 俺がそう言うと、ストリンディは非難がましい目で俺を睨む。

 

「……ひどいです」

「何がだ?」

「一緒に温泉に入りました」

「水着を着ていたな」

「着替えを見られました」

「俺もお前に着替えを見られたな」

「何も感じないんですか?」

「ハッカーにとってボディは贅肉だ。肉欲なんて、脳神経のノイズ同然でしかないんでね」

 

 強がりではなくて事実だ。心底関心がない。

 

「あなたは……いえ、やめておきます」

 

 何かを言いかけ、ストリンディは首を左右に振った。

 

「これからはしばらく仕事仲間だ。忌憚のない意見を聞かせてくれ」

 

 俺が促すと、ストリンディは少しためらってから言葉を続けた。

 

「あなたはまるで渡り鳥のようですね。つがいを捜すことも巣を作ることにも目を向けず、本能の促すままに遠くへ飛んでいく方に思えます」

「……感傷的な意見だな」

 

 俺は小さく呟く。それはきっと、俺に対する正しいイメージだ。

 

「だが、俺はきっとたどり着ける。これが終わればな」

 

 

◆◆◆◆

 

 



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