システマティックな少女と一般サラリーマンな俺 (伊駒辰葉)
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Q&A

地雷などあったら困るので、ざっくり内容を先に説明します。
説明など要らぬ! 何でもOK! という剛毅な方はここは飛ばしてもらって大丈夫です。


Q.ぶっちゃけ内容って?

(判りやすく!w)

 

A.近未来? SFぽいものです。

 

 男性一人称、会社系。

 性格はロボのような、でも生身の女の子っぽいのが出てきます。

 (注!! ロボではないです)

 

 乱暴に言うと、主人公が仕事で女の子(見た目だけ)を販売する話です。

 

 

Q.R-15指定だけどどーして?

 

A.『女の子を販売』の時点でR-18かなあ、と。

 いったんR-18にしたのですが、性描写はないのでR-15に設定し直しました。

 (広告がうっとうしかった(本音))

 

 あ、エロシーンはないですw

 

 

Q.タイトルの少女はいつ出てきますか?

 

A.けっこう先です。

 見るだけは6話、主人公が実際に会うというか……関わるのは7話からです。

 

 

Q.少女の年齢は?

 

A.合法ロリです、とだけ言っておきます。

 

 確かめたら15歳くらい、ということになってましたので、いっそのことと10歳くらいにと、変更しました。

 

 下げたら辻褄合わないかも!(汗)

 ということで15歳くらいに戻しました……。すみません。

 

 

Q.文体とか設定とか、古くないですか?

 

A.投稿したやつをUPしてるだけなので、あんまり修正してません。

 古くてごめんなさい。

 

 

Q.これってどういう経緯で書いたもの?

 

A.どこぞの賞獲りで一次落ちしましたw

 今は賞獲りメインの人はいないと思いますがそういう意味では参考にはならないと思います。

(すみません。いらっしゃいますよね(汗) 勘違いでした)

 

 あ。電撃だけは一次通過したかも。うろ覚えですが……

 

 詳しくは『レッツ! 華麗なる賞獲りレース!!』をご覧頂ければと思います。

 https://syosetu.org/novel/234868/1.html

 

 

Q.え、これっていわゆるVR?

 

A.主人公がシステマで観たものは、VRに近いものだと思います。

 

 言い訳になりますが、書いた当時はそんなものなかった!!! のです!!!(泣)

 某SA○とかもなく、ばーちゃるどーとかの作品も存在してませんでした……。

 

 

Q.商品名が歯ブラシ?w

 

A.歯ブラシで同じ名前のがあると後で気付きました。

 登録商標じゃなかった気がしますので許してください。

 

 

Q.連載ってなってるけどつまり分割投稿?

 

A.はい、その通りです。

 一気に投稿してもいいものか判らないのと、改行を多めに入れるのが今風みたいなのでそこだけ修正します。

 

 

Q.あらすじがネタバレ全開なんですが!

 

A.投稿時に梗概として書いたものなのです。

 梗概は内容もですが、オチまで全部書くものなのでごめんなさい。

 1,000文字制限のため一部変更してます。

 

 あらすじを変更しました。

 キャッチーなもののがいいですよね?

 

 梗概は連載終了したところで公開します。

 

 

 

 

最初はQ&Aは別の作品として投稿していましたが、話の間に突っ込めると気がついたので、これも突っ込むことにしました。

地雷を避けてもらうためのものですが、余計なお世話だったらすみません。

 

この辺りは無理矢理、文字数が1,000になるように小細工しています。

蛇足なのでマジ飛ばして頂いても大丈夫です。

正直、文字数制限あるとか思ってませんでしたw

 

改行入れるだけでATOK様が休めと言ってきました。

長時間キータイプしていると手が疲れるのは判りますけど、目の方を休めないとかも(深刻




話の間にぶっ込む、ということが出来たのでQ&Aは話の冒頭にくっつけました。

あらすじも他の方のを拝見して、変更してみました。
こんな感じでどうでしょう?


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一章
夏のある日 1


システマという商品(歯ブラシじゃないよ!w)と、それを巡るサラリーマンの話です。


 笑顔がタダだなんてどこの誰が言い始めたことかは知らないが、営業スマイルが無料だなんて考え方はいいかげんになくなって欲しい。こうして営業に回ってる俺だって人間な訳で、気分のいい時もありゃ悪い時だってある。なのに接客する時だけはにっこり笑顔。俺ら営業ってのは気分の善し悪しに関わらず、笑顔を作れる訓練してるんだよ。つまり、俺を含めてうちの社の営業連中の愛想の良さは本社研修の賜物って訳だ。

 

 なのに客はちょっとでもこっちの愛想が悪いとすぐにケチをつけてくれる。やっぱ客の考え方って昔っから変わってねえのな。売ってるものが野菜だろうが酒だろうがシステマだろうが、やっぱり客は営業の愛想の振りまき方をしっかりチェックしてる。じゃあ、客は客らしく対価を支払えよ。営業スマイルはタダじゃねえ。俺らはそれを身に着けるために金も時間も使ってんだ。

 

 俺はシステマの営業の端くれだ。俺の売り歩いてる商品、システマが非人道的だと騒がれまくったのが数年ほど前か。なのに今じゃ、システマはごく普通に社会に浸透してる。企業だけじゃない。一般家庭にだってシステマが入っちまうご時世だ。だから道端で座り込んでシステマ反対なんざ叫んだとこで無意味だよ、おばちゃん方。

 

 商店街の入り口でシステマ反対と書かれた看板掲げてる連中の傍に俺は車を停めた。非難の目で見られても困るな。何なら営業許可書と駐車許可書でも見せましょうか? そんなことを思いながら反対運動に勤しんでる連中を眺め、俺は悠々と車を降りて商店街に向かった。営業車にはしっかり社名が入ってるしな。連中に親の仇でも見つけたみたいな顔で見られるのも、まあ、当然か。

 

 この辺りだと俺の担当区域は五番町商店街。ちょっと前までならこんなとこにシステマの営業が来るなんて考えられなかったことだ。何しろシステマって言えば、置かれてるのは大企業とか物好きな大学限定だったからな。つまるところ、そんなばかげた大容量の端末なんて必要がなかったってことだ。今でも勿論、一般のご家庭にそんなもんは必要ないと俺個人は思う。幾ら壊れる心配が少ないって言っても、まだまだシステマは高価だ。ま、金の価値なんて人それぞれだから、高いって思ってるのは薄給の俺くらいかも知れんけどな。

 

 営業先に向かう前にまずは身だしなみチェック。ファンシーショップなる店先に出てるでかい鏡の前で、俺はきっちりネクタイを締め直した。学生の頃はそれほど気にしなくても済んだ髭もばっちり剃り済み。ちょっと緑の入ったグレーのスーツは新調したばっかりの代物。この梅雨のうっとうしい季節をものともしない爽やかな見てくれは、友達連中のお墨付き。自慢じゃないがスポーツはしないしこれと言った趣味もない俺が、どれだけ酒をかっくらってもこの体型維持出来てるのってかなり奇跡的だと思う。

 

 格好は良し。忘れ物なし。鞄の中身をざっと思い浮かべてから、俺はスーツの内ポケットに入ってる名刺入れを出して中身を改めた。能戸(のと)浩隆(ひろたか)って俺の名前が入った名刺がばっちり三十枚。白い紙にシンプルに黒い文字で印刷された名刺をケースに戻し、ポケットに入れる。これだけシステマが普及してるってのに、未だに紙で出来た名刺を持って歩かなきゃならないってのも不思議な話だ。俺は最後に自分の顔色を確かめてから鏡の前を離れた。

 

 ふと、涼しげな音色が聞こえてくる。どこの遺物ですかってくらい古びた荷車が俺の傍を行過ぎる。荷車には風鈴が文字通りの鈴なりになっていた。爽やかな心地のいい音色に誘われ、俺は風鈴屋が過ぎるのを見送った。今時あんなの買うやつがいるのかね。俺がそんなこと考えてる間に、荷車を引いた背中の曲がった老人が商店街の向こうに消える。

 

 さてと。俺は心の底で気合を入れて歩き出した。ここが正念場だ。成功すれば昇給間違いなし。が、下手をすると取引先の客が離れかねない。こんな度胸があったってのも正直、俺自身意外に思ってるが仕方ない。何しろシステマ販売は他企業との競争なのだ。多少の無茶は承知の上、これは早い者勝ちの生き残り競争だ。

 

「こんにちは。IISの能戸と申します。いつもお世話になってます」

 

 俺はとびきりの愛想の良さを発揮しつつ、店頭に立ってた販売員の女性に話し掛けた。俺と同じくらいの年かな。大学卒業したばっかですって感じの女の子がお世話になります、と微笑んでみせる。なかなかいい子じゃないですか。俺好みの可愛い顔にめりはりの利いたスタイルの女の子が店の奥に案内してくれる。接客中の販売員の邪魔にならないよう、俺は出来るだけ通路の隅に寄って女の子について歩いた。この店はシステマの委託販売店って割に、店頭にはシステマそのものは置かれていない。そりゃ当然だ。何しろさっき見たおばちゃん連中みたいのがごろごろしてる世の中、貴重な商品をかっぱらわれてもたまらない。どこの店だって店頭にわざわざシステマを飾るようなばかな真似はしない。

 

 色んなカタログの置かれた明るいフロアを通り過ぎる。硝子の壁で仕切られた店の奥では一人の男が机についていた。こいつがここの店長兼、技術屋だ。女の子が開けてくれたドアのとこで俺は店長に一礼した。お世話になります、と声をかけると店長が笑顔で立ち上がる。しかし暑苦しいな。空調がばっちり利いてるってのにその汗はどうよ。

 

「いやあ、暑いですなあ。これからもっと暑くなるんでしょうが」

 

 流れる汗をハンカチで拭きながら店長が言う。小太りの店長は重そうに身体を動かして机から離れると応接用のソファを俺に勧めた。嫌な季節ですね、と適当に答えながら俺は店長の勧めに従ってソファに腰掛けた。




作品タイトルはサブタイ入れて今風に変更しました。
元々は『システマ』というシンプルなタイトルでした……。
システマだけでは内容が全く判らないと思いますので、サブタイ入れました。

……タイトル変更って後から出来るのかなあ。


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夏のある日 2

文字数が多いので分けました。


 工具が散らばった机の真ん中に置かれている、一見するとヘッドホンみたいのがシステマのインターフェイスに使われる機器だ。この店長はインターフェイスの調整とか修理を受け持ってたりもする。俺はさっきまで店長が張り付いてた机を見てから目を戻した。

 

 たった一台のシステマが地球を救ってから十年足らず。当時の騒ぎは今でもはっきり覚えている。小惑星が地球に衝突するって大騒ぎになって、人々はパニックに陥った。各国の偉いやつらが束になって小惑星を撃ち落すだの何だのって計画した。でも余りにも急にこの小惑星ってのが沸いたらしく、計画を建てようにも、あらゆる計算が間に合わなかったらしい。

 

 そこで登場したのが、当時極秘に開発されていたシステマだった。世界中から集められたコンピュータの能力でも足りなかった部分をシステマはものの見事に補った訳だ。

 

 それまでひた隠しにされていたシステマが認知されることになったのはその事件がきっかけだった。で、あれよあれよと言う間にシステマは市民権を得た。この国だと真っ先にシステマを導入したのがフリーのプログラマだってんだから笑える話だ。企業や大学は尻込みして最初は手を出さなかったってわけ。そりゃまあ、びびるよな。何しろ宗教団体だの環境団体だの、わけわかんねえ連中がこぞって反対してたんだもんよ。

 

 最新の技術を用いて開発されたシステマには正式名称ってのがある。小難しい話をすると右に出る者はないってくらいやかましい、うちの開発部の勝亦の言葉を借りればシステマってのは都合よく略された愛称なんだと。横文字のずらっと長い名前がシステマの本来の名称らしいんだが、それについて説明を求めた時の勝亦のやかましいこと。その名前があんまり長くて覚えられなかった俺は、正式名称なんざどうだっていいんだよ。客にはシステマって愛称のが馴染んでんだから。って、勝亦に言い返しちまった。わざわざ営業先で、その正式名称とやらを舌噛みそうな思いしてまで連呼しろってのか。っと、これは俺が勝亦に言い返す時の決まり文句な。大体、考えてもみろ。開発の連中がどれだけ偉いっても、売れなきゃお話にならんだろ。

 

 ああ、判ってる。俺だってたかが一介の営業だ。しかも二年目のペーペーだってのは自覚してる。俺が喋くってるシステマについての意見ってのは、はっきり言えば上司の受け売りだ。確固たる信念なんぞねえ。

 

 営業所に今年入った連中の中にはシステマに拒絶反応示して辞めてった奴もいる。俺と同期で入った奴なんて半分残ってるかどうかってとこじゃないか? そんな中で俺はこうして残ってるんだから、少なくとも辞めた奴らよりは営業については理解してるつもりだ。受け売りだろうが何だろうが、上司の言ってることは正しいと思うんだから仕方ない。それが正しいと思えない奴らが辞めてったってことだ。

 

 汗を拭き拭き、店長が商品の売れ行きについて語る。あー、もううっとうしい。うちの商品が売れてるのは百も承知だ。おべんちゃらの混ざった店長のせりふなんて聞かなくても判ってる。何しろうちの社がこの国では一番最初にシステマに手を出した企業なんだ。知名度もあるし、商品開発だって余所よりはるかに進んでいる。何てなことを思いつつも俺はぐっと堪えて笑顔のままで合鎚を打つ。無駄話を笑顔で聞くのも営業の仕事だ。

 

 店長の無駄話は十分ほど続いた。一区切りついたところでさっきの女の子が冷たい麦茶を運んできてくれる。そこで買ったものですけど、というせりふをおまけにつけて茶と一緒に出されたのは苺の乗ったショートケーキだった。甘いものは駄目なんだけどな。とは思っても俺は笑顔で女の子に礼を言った。まあ、営業先でケーキなんて出されることは滅多にないし、ありがたく貰っとくのが礼儀ってもんだよな。

 

「あの、実は折り入ってお願いがあるんですが」

 

 添えられた小さなフォークを手にしたところで店長に話し掛けられる。ああ、何か変だと思った。こっちが営業開始する前にくっちゃべってくれてたもんな。いつもは俺の言うことにも、はあ、とか曖昧に返事してるだけの癖に。

 

「何ですか?」

 

 ちょっとだけ身を乗り出して俺は訊ねた。店長が言いにくそうに視線をあちこちに彷徨わせる。出来ればさっさと用件言ってくんないかな。俺もここの営業片付けたら次の店に行かなきゃならないし。俺はちらっと腕時計見て舌打ちしたい気分になった。

 

「いえ、IISさんのところで新商品を開発してるって噂をちょっと耳にしたもので」

 

 是非、うちに入荷して欲しいんですけど。熱心に言った店長の顔を俺はつい、まじまじと見てしまった。何だってあんたがそんなこと知ってるんだ。そう思ってから俺は上司の憎たらしい訳知り顔を思い浮かべた。あのやろう……。

 

「そのことなんですが」

 

 思ってることは一切、顔に出さずに営業スマイルを維持して俺は鞄からカタログを取り出した。覚えてろよ、くそったれ。最初っから情報流してるんじゃねえかよ。上司に心の中でだけ悪態を吐きながら俺は新商品の解説を始めた。



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西江田営業所 1

2話目投稿テストも兼ねて。
投稿システムをまだ理解していません……。


 整然と並んだ机を眺めて俺はため息をついた。やっぱり俺が最後らしい。くそ、と呟いて俺は自分の席に向かった。週末ということもあってみんなは飲みにでも出かけているだろう。何で俺だけが、と口の中で文句を垂れてみる。

 

 上着を脱いで椅子に引っ掛けてから薄型の端末を鞄から引っ張り出す。机の端に置いた物入れには携帯用の電話が山と積まれている。一つずつ着信履歴をチェックしつつ端末の電源を入れたところで俺は椅子に腰掛けた。

 

 俺のいる会社というか、この営業所は本社ビルの三十五階にある。本社のビルの中にあるってのに、わざわざ西江田営業所って名前がついてるのは俺も不思議に思ってるところだ。しかも俺の所属する西江田だけじゃない。このビルの三十四階と三十六階にはまた別の営業所が入ってたりする。でも営業所って名前がついてるんだから営業エリアが被っちゃまずいだろ。普通はそう思うよな。ところが何故かこの三つの営業所の営業エリアは全く違うんだな、これが。じゃあ、でかい一つの営業所にしちまえよ、とも俺は思うんだが、まあ、お偉いさんの考えることは俺らみたいな底辺の人間には判んないってこったな。俺も未だにその理由は知らない。

 

 今日の営業日誌をいつものように苦心しながら書く。これ、よく思うんだが無駄なんじゃないだろうか。営業日誌ってのは今日一日で回った営業先を書いて、客の手応えなり、商品の売れ行きなりを書き込むわけだ。が、そんな真似しなくてもシステマが何台発注されたとか、何台売れたってのは商品管理システムが全部チェックしてる。つまり、わざわざ営業の俺らが日誌なんぞ書かなくても、誰がどこでどれだけ商品を売ったなんてことは事細かにチェックされるってことなんだよ。

 

 唯一違うのは、俺たちが書いたこの営業日誌は社内の誰でも見られるってことか。つまり下手なことを書けば、上司やライバルの営業所の連中に見つかって自分の首を締める羽目になるってことだ。頭の中ではじき出した結論にうん、と頷いて俺は画面に目を戻した。

 

 薄い端末越しに見慣れた光景が目に映る。システマの小売店の奥まった場所では当り前に見かける光景なんだが、俺はつい何となく硝子の壁の向こうをじっと見つめてしまった。硝子の壁で仕切られた小さな部屋に置いてあるのは一台のシステマだ。このシステマがうちの営業所のデータを全部管理しているのだ。

 

 この営業所に配属された新人は、まずこのシステマを見て仰天する。変な話だ。今ではもう、一般家庭でも買えるほどに値段は下がっているというのに、大抵はこのシステマに新人はびびるのだ。そりゃ当然だ。何しろうちのシステマは管理者の趣味でまるで人のように着飾られているのだ。一見するだけなら幼い子供にしか見えないモノがシステマだなんて、俺だってぱっと見には信じられなかったさ。

 

 これがうちに来る新人の一の試練ってわけ。つまり、システマと人は明らかに違うのだと研修で叩き込む傍らで、各自の耐久度を試してるってこと。ちなみにうちのシステマは感情スイッチはもちろん入ってるし、当り前の話だが人と同じように食事もすりゃ排泄もする。昼休憩になれば社員と同じように飯も食いに食堂に行くし、トイレもシャワーも使うってことだ。

 

 まずこの段階でシステマがシステマに見えなくなる奴が出てくる。まあ、所定のカバーに突っ込んでないって時点で営業所長の悪意を感じるけどな。で、商店街の入り口でたむろしてたおばちゃんみたいなことを言い出す奴が出てくる訳だ。そうなった奴はその時点でくび。つまり、ろくに仕事も出来ない奴と判断される。

 

 要は人形と同じなのだと俺に最初に言ったのは先輩の中條って人だった。どうしてもシステマと思えないなら、人と同じ動きを模す人形だと思う方が早い。理屈的にはシステマと観賞用であるところの人形では全く異なるのだが、それでもくびになるよかましだろう。そう言って笑ってた中條先輩はこの営業所では成績は常にトップ。あくのないどこにでもいるようなタイプの容姿してる癖に、営業成績だけはすこぶるいいんだよな、中條先輩は。二位以下にめちゃめちゃな差をつけたぶっち切りの一位だ。ちなみに俺の成績は……言うまい。何か空しくなる。

 

 俺の場合は実にあっさりとこのシステマをシステマと認識してしまった。ほら、よくいるだろ。物に妙な執着を持つ奴。俺ってどうもそういうタイプではないらしい。システマを愛でる趣味もなけりゃ、個人的に収集する趣味もない。ついでに言えば人間と同じカッコをさせて連れ歩くって趣味もない。どう転んだってシステマは道具以外の何物でもない。道具に夢見る趣味はないね、俺は。

 

 システマが世界を危機から救って十年足らず。専門家用に作られたはずのパーソナルコンピュータが、家庭に当り前の顔で入ってきた時と似ているんじゃないかな。最初はシステマも家庭とはかけ離れたところで開発された。システマの基礎理論を構築したのは有名な何とかって博士らしいが、俺の耳はその辺りのややこしい話についてはざるだ。勝亦の奴に何度も聞いたんだが、右から左に耳を素通りしちまう。

 

 ただこれだけは俺にも判る。システマってのは本来は研究機関でプロが使うために開発されたんだと。でもそれがとある国の軍部の人間に知れて、試作機が一台だけ外に出ることになった。その一台ってのが世界を救った例のシステマだ。

 

 硝子の壁の向こうに居るシステマに表情はない。だがシステマには人と同じ五感がある。クライアント次第だが、その気で学習させればシステマも泣いたり笑ったりするらしい。……らしいってのは、俺自身も聞いた話で試したことなんざないってことだ。もし個人でシステマを持ってたとしても俺だったらわざわざそんな面倒な真似はしない。便利な道具としてきっちり活用出来ればそれで十分だ。道具を擬人化しちまう連中ってのの気持ちはやっぱりどう転んでも俺には判らん。

 

 俺がここまでむきになって道具道具と主張する理由は簡単だ。開発の勝亦って奴は学生の頃からの腐れ縁なんだが、こいつがまた根っからのシステマ狂いなんだよ。昔からコンピュータとかが好きな奴だったんだが、システマが世に知れた時、俺の周りではこいつが一番喜んでた気がする。

 

 今からきっと面白い時代になる。あいつの言った通りかどうかは知らないが、現実にシステマは世間に認知され一般社会に出てくることになった。そして明るく派手な生活を望んだ俺と、システマに関わることを望んだ奴は大学まで同じになった。……正直なところ、まさか職場まで同じになるとは思わなかったがな。ここまで来ると腐れ縁としか言いようがないだろ。しかも同じ本社ビルで勤務、その上、何かと仕事上で関わりあるってのは……もう、何て言うんだ? 腐れ縁ってレベルすら超えてるんじゃないかと俺も時々思う。




文章がみっちり詰まってるので、苦手な方はごめんなさい。
分けてます~(2020/11/19現在


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西江田営業所 2

文字数多かったので分けました。


 で、その腐れ縁な勝亦は事あるごとに俺にシステマの解説をしてくれやがるわけだ。確かに勝亦の所属してる開発部がなけりゃ、うちの商品は出来てない。だがだからと言って何で俺がいちいち奴のうんちくを聞かされにゃならんのだ。そりゃ、友達かって聞かれればそうだとしか答えようがないが、だからって奴の考えてることが全て俺に理解出来る訳じゃない。もっと言えばだ。

 

「おっ。まだ居た。どうした? 営業先でポカでもしたか?」

 

 唐突にドア開けて入ってきたのは……うわ。考えてることでも見抜きやがったのか? 背の低いひょろっとした男がフロアに入ってくる。黒縁の眼鏡のつるを神経質に指で押し上げながら俺に近付いてきたこいつが勝亦(かつまた)だ。陰気くさい奴、と中学だったか高校だったかの頃に誰かが勝亦のことをそう言っていた。どこが。俺は勝亦をそう評した奴に即座にそう言い返したことだけ覚えてる。

 

 勝亦の頼りなげな見かけに騙されて散っていった奴は多い。中学時代にこいつを苛めようとしてた連中は、物の見事に粉砕された。高校の時は確か退学になった奴もいたっけな。こいつは陰気なんじゃない。俺みたいに強い者にへつらうタイプじゃないだけだ。何かを、誰かを従えて見下げたい連中ってのはどうして人の忠告を悉く無視してくれるかな。なんてなことを俺は当時よく思ってたもんだ。勝亦を陰気で根暗なひ弱いやつ、と勝手に理解した連中が喧嘩を売って散る様を何度俺は見たことか。

 

 友達の割に俺はこいつのことが未だによく判らない。小学生の時からだから……ええと、何年だ? ざっと二十年近くか。うへえ。改めて考えるとけっこう長いこと腐れ縁やってるな、おい。まあ、とにかくだ。こいつの趣味に関しては俺は未だに納得も理解も出来てないわけ。システマが世界を変えるなんざ、夢だろただの。道具が世界を変えてたまるかい。んなもん、ただの幻想だ。道具を使うのはあくまでも人間で、例え世界が変わったとしても道具そのものが変えるわけじゃない。変えるのはあくまでも人間だ。

 

 って、この点でこいつと俺は意見ががっつり衝突しちまうんだな。昔から。だから俺は道具は道具ってやたらと主張する癖がついちまった。

 

「その逆だ。ミスってぼろ出さないように気を遣ってたらこんな時間になっちまったんだよっ」

 

 怒りに近い苛立ちを込めて俺は勝亦に答えた。するとよしよし、と勝亦が偉そうな顔で頷く。くそ、とぼやいて俺は途中になっていた日誌を書き始めた。勝亦が興味ありそうに後ろから画面を覗き込む。

 

「へえ。能戸ってけっこう真面目だね。今日だけで殆どクリアしてるじゃないか。持ち客」

 

 感心したという口調で勝亦が言う。あのな。お前は出来の悪い生徒を見守る教師かなにかか? うんざりした気分でそう言いながら俺は勝亦を睨みつけた。悪い悪い、と大して反省してない顔で勝亦が答える。てめえ、邪魔しに来たんじゃねえだろうな。そんなことを思いながら俺は端末に向き直った。

 

 画面の向こう、硝子の壁の向こうにシステマが見える。着飾られたシステマをちらりとだけ見てから俺はのろのろと文字を打った。昔から文章を書くのは大嫌いなんだよな、俺。相変わらず下手くそ、と勝亦に笑われつつも俺は何とか日誌を書き終えた。そんなに日誌が見たけりゃ、自分の机で見れるだろうが。そんなことを思いながら俺は勝亦に目をやった。いつの間にか奴は俺の机を離れてシステマの納まってる部屋の前に立っている。

 

「あ、悪い。代わりに落としてくれ」

 

 どうせ暇ならそのくらいはしろよ、というニュアンスを込めて俺は勝亦に言った。勝亦がおう、と返事をして硝子のドアの横にあるナンバーキーを押す。それを見計らって俺は硝子のドアに寄ってガードボックスにIDカードをかざした。ロックを解除するナンバーはこの本社ビルに入ったうちの社では統一されている。だが、ただ番号を正確に打ち込むだけでは扉は外からは開かない。各社員に支給されるIDカードがなければこのドアはこちらからは開けないのだ。

 

「本日の業務終了。処理業務に移れ」

 

 開いたドアから顔を覗かせた俺はシステマにそれだけ言った。後はここを出ればいい。システマは夜間は別の場所で管理されるのだ。

 

「おいおい。もっと愛想よくしたらどうなんだ」

 

 呆れたような勝亦の声に俺は思い切り顔をしかめた。阿呆。何でただの道具に営業用の愛想をわざわざ振り撒かなきゃならないんだ。システマを硝子張りの部屋から出しながら勝亦が笑う。

 

「そんなだから能戸は女が出来ないんだよ」

「うるせえ」

 

 訳知り顔で言いやがった勝亦に俺は低い声で言い返した。大きなお世話だこのやろう。大体、女がいないってのはてめえも一緒だろうがよ。とは思ったが俺はそこまでは言わなかった。今さらだしな。

 

 システマを管理室に戻してエレベーターに向かう。一緒に歩いてた勝亦を俺は何となく睨みつけた。こいつもよくよく暇人だな。

 

「飲みに行くだろ?」

 

 ……あのな。毎度毎度俺を誘うなよ。お前、友達いないのか? そうは思ったが俺は黙って勝亦に頷いた。奢ってもらう約束もしてたしな。ま、俺も人のことは言えないくらい暇だし。



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西江田営業所 3

分割しました。


 終業時刻を過ぎるとエレベーターを使う奴の数は極端に減る。他に誰も乗ってこないエレベーターで地下に降り、俺たちは本社ビルを出た。本社ビルの地下二階は地下鉄の駅に繋がっている。電車で一駅ほど行くと繁華街だ。少し時間は遅いがまだまだホームにはたくさんの人がいる。人の波に紛れて移動しつつ、俺と勝亦は流行りのゲームの話をした。趣味と呼べるほど熱中してる訳じゃないが、仕事以外の話って言ったらこの程度のことしか思いつかない。我ながら無趣味だなあ、とも思うが仕方ない。こんなとこで仕事の話ってのも周囲が引きかねないしな。

 

 行きつけの居酒屋に入ってつまみを食いつつ、ビールの三本ほどを飲んだ辺りでようやく俺は本題に入った。

 

「で? 結局、その……何だ。2wayって何なんだよ。いや、意味は判るけど」

 

 周囲の客は賑やかでこっちの会話に注意してるとも思えないが、俺は一応は声を落として勝亦に訊ねた。ビアジョッキを傾けていた勝亦が呆れたような顔をして俺を見る。悪かったな。物分りが悪くて。

 

「前に何度も説明したじゃないか」

 

 まだ判らないのか、と呆れた口調で言って勝亦がジョッキを置く。へえへえ、すみませんね。俺はどうせ技術的なことはからっきしだよ。いつものように文句を垂れるとやれやれと言ってから勝亦が説明を始める。

 

 システマを作っているのはうちの会社だけじゃない。システマを開発している会社は幾つもある。で、各社が色んなタイプのシステマをリリースしてるわけだ。最近のヒット商品って言うとあれじゃないかな。軽量化を図った小型のシステマ。出た当初はそりゃあもう人気があった商品で、小売店にも注文が殺到したらしい。でも冷静に考えてみればすぐに判る。システマは自力で動くんだ。命令さえ入れてやれば邪魔にならないように退かすなんてことは簡単だ。機能を削ってまで小型化する理由はないわけ。しかも小型化したが故にシステマの世話に手間取られてりゃ、本末転倒ってもんだ。見た目が赤ん坊の形をしていた件のシステマは結局、すぐに廃れた。今はもう店頭で商品検索かけても出てこないんじゃないかな。

 

 多機能を売りにするやつ、見てくれを変化させたやつ。中には標準装備ですげえかっこしたのもあったな。ゲームの世界から飛び出して来ましたかってな、とんでもないのだったが、そんな、一部のコアな客層を狙ってどうするよ。まあ、その商品は俺の予想通りにヒットはしなかったがな。

 

 で、うちの社も当然のことながらいろんな商品を開発してるんだが、今度のは少しこれまでと毛色が違うらしい。二台で一台の仕事をさせるってのがコンセプトだそうだ。それを最初に聞いた時、俺はうへえって思った。ただでさえ高い能力を誇るシステマだぞ。そんなもん、二台もどうするってんだ。そう訊いた俺に勝亦は言うんだな。バックアップ機能になる、と。

 

 システマはそれまでの端末などよりはるかに壊れにくい。これは生物の自己再生能力を活かす、という観点で開発されたから当然だ。つまり、機械で出来ていない分、壊れにくいのだ。実はこの点、判っていない奴も多い。機械の方が生身より頑丈だろうって言うんだな。ばか言っちゃいけない。機械だからこそ部品は劣化しやすいんだよ。ご家庭で使う家電製品なんかに例えりゃ判りやすいか? 使ってるうちにどこぞにぶつけたとかのはっきりした原因がなくても段々と調子が悪くなるだろう。部品の噛み併せが悪くなったり、金属によっては下手に放置すると錆びたりする訳だ。

 

 これが生身となると故障しにくくなるんだな。勿論、システマだって人間と同様に転んだりすれば怪我を負うこともある。だが自己修復が可能なのだ。

 

 そんなシステマのバックアップだと? 笑っちまうだろう? 必要ないって思うじゃないか。だが勝亦は言うんだな。何事にも絶対はあり得ない。もしかしたら、という不安は誰の心にも存在する。これはそれを保証するシステムだと勝亦は言う。それが新商品開発の本来の目的ではないらしいんだが、俺ら営業はその程度の認識でいいってんだ。冗談じゃない。ただでさえうちの技術営業の数は少ないんだぞ。今日日、専門家の保証書だの、説明だのが書かれたテキストがぺらっと一枚あった程度じゃ、クライアントは納得しない。突っ込まれて答えられなかった場合はねちねち言われるだけじゃない。ギャラのくそ高い技術営業に出陣願わなきゃならなくなる。そうなると俺の時間も目いっぱい取られる。しかも技術営業一人がサポートを担当する俺ら平の営業の数は十人ときた。んなもん、同じ商品売ろうとしてたら足りるかよ。

 

 そう食い下がったせいで勝亦は渋々と俺に説明してくれた。が、その説明が……悪い。俺の理解力が足りないんだろうが、未だに判らない。

 

「だから今までのシステマより処理速度が上がるわけ。しかもバックアップに使えるっていうのは画期的なんだよ」

 

 かなり声を落として勝亦は説明している。理屈は何となくだけど判るんだよ。確かに凄いんだろうなあって雰囲気は伝わってくる。んでも考えてみろよ。あの時、たった一台で世界を救ったって言われるシステマがだよ。二台も必要な場面ってそうそうあると思うか? 俺は勝亦と同じように声を落としてそう言い返した。



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西江田営業所 4

分割しました。


 あの時の騒動は俺には壮絶に思えた。それまで冷静だった大人たちが一斉にパニックに陥る様は俺の目には脅威にしか映らなかった。宇宙に逃げようって話も出てたらしい。だがそんなリアリティのない話はこの現実では通用しない。宇宙開発ったってまだ人間が外の星で暮らせるほど進んでないわけで、数少ない宇宙ステーションにだって行ける人間は限られてる。しかも地球側が崩壊しちまったらそれこそ宇宙ステーションで働いてる奴らだってただじゃ済まない。結局、解決策がないって状態で俺たちゃ放って置かれたんだよな。少なくとも傍目には。

 

 後から考えてみると、俺たちにその話が伝えられた時にはもう、解決策は練られてたんじゃないかな。だから俺たちが騒いでた時間ってのは実は凄く短い。正味五時間もなかったな。で、システマのおかげで小惑星衝突って悲劇は免れた訳だが。

 

 そんなシステマがだぞ? 二台も必要なことってあり得るか?

 

「頭かたいなあ、能戸って。だから言ったじゃないか。僕らが考えてるよりずっとシステマの汎用性は重要になって来てるんだよ」

 

 そう言いながら勝亦が顔をしかめる。あ、そうか。確かにこんなとこで話すことじゃないかも知れないな。どこに商売敵が潜んでるか判らない。場所変えるか、と訊くと勝亦は素直に頷いた。

 

 きっちり勝亦に奢ってもらってから俺は自宅に向かった。何で俺の家かって? 理由は簡単。俺の家の方が飲み屋から近いからだ。まあ、とは言ってもたかだか十分程度の差だけどな。

 

 マンションのエレベーターで四階に上がって一番奥の部屋が俺の住処だ。この辺りじゃけっこう家賃は安い方かな? だがその分、少々作りは古い。六畳二間、キッチンとユニットバス付き。まあ、典型的な一人暮らし用の部屋だな。

 

「おじゃましまーす……って、うわ。散らかり方は僕の部屋といい勝負だな」

「てめえの機械倉庫と比べんな」

 

 しかめ面で言い返して散乱してたディスクの山を足で退ける。二人が何とか座れる場所を作ってから俺はさっさと着替えた。ちなみに勝亦は開発部だから元々、堅苦しいスーツなんて着てはいない。前はそれが羨ましいと思ったものだが今はすっかり慣れちまったな。

 

 そもそも今の一般向けに開発されたシステマは、元来の物とは全くタイプが違う。胡座をかいてビールを飲み始めたところで勝亦は待ってました、とばかりに説明を始めた。ああ、思い出した。俺が件の2wayタイプのシステマをクライアントに宣伝する役に任命されたのも、そういえばこいつが原因だったような……。

 

 俺に与えられた仕事は新しいタイプのシステマの宣伝だった。が、匂わせる程度でいい。実際の商品に興味を持ってもらえるだけの情報しか呈示してはいけない。それが今日の俺の仕事だった訳だ。何故、詳しい説明をしてはいけないかと言うとだな。まだ問題の商品が完成していないからだ。どうやら開発の進行状況が思わしくないらしい。そのことは俺も事前に勝亦から嫌ってほど聞かされてた。

 

 そんなことを思い出していた俺はどんどんしかめ面になっていった。疲れるとこまで眉を寄せてから嫌そうな顔をしてたってことに気付く。説明してた勝亦もどうやら俺の表情が険しいことにちょっと前から気付いてたらしい。困ったような顔をしながら頭をかく。

 

「そんなに難しいか?」

「違う。お前のせいでかなり疲れたってのを思い出してただけだ」

 

 勝亦の不安そうな質問にぴしゃりと言い返して俺はため息をついた。何しろシステマの商品販売では最大手のIISだ。こんな商品が出来るかも、なんて下手に口にすれば客は情報を欲しがるに決まってる。目の色輝かせて詳しい内容を聞きたがる相手にセーブしながら情報をちらつかせるなんてな。七面倒以外の何でもないんだよっ。

 

 ぼやく俺を勝亦が不思議そうに見る。こいつ、判っててこの顔しやがるからな。一見、邪気がないように見える表情だが油断ならない。

 

「僕のせい?」

 

 思った通り勝亦がそんなことを吐く。阿呆か。

 

「全然気付きませんでしたって面、いいかげん止めろ。お前のせいじゃなかったら誰のせいだってんだ」

 

 俺は本当ならそんな七面倒な真似をせずに済んだんだ。たかが平の営業に過ぎない俺にそんな話が回ってきたのもひとえにこいつが原因だ。他の営業だったら耳にしないような話を俺に吹き込むからこんなことになるんだ。

 

 ああ、そりゃ確かに俺も聞きたがったさ。もし話に乗るんなら給料上げてやるって所長に甘いこと言われて、単純に喜んだよ。でもまさかこんなに大変だとは思ってなかったんだ。

 

「僕はただ部長に提案しただけだ。話に乗ることに決めたのは能戸自身だろう」

 

 やっぱりいつものようにあっさりと勝亦が言う。悪気はないのは判ってるが、ここまでさばさば言われると腹が立つ。むかついて黙ってた俺をどう思ったのか、勝亦が言う。

 

「それに僕は能戸はもっとルーズだと思っていたな。今日一日でまさか受け持ちのクライアントを全部回ってしまうとは思わなかった」

 

 色んな奴が学生の頃にこいつのことを陰気だと言っていた。その当時のことを思い起こしながら俺は顔をしかめた。違う、そうじゃない。こいつは平然とした顔して痛いくらいに人の傷口を踏んづけるタイプなだけだ。そして敵と定めた相手の傷口を抉って塩を塗りこめるくらいのことは平気でするんだ。それは陰気って表現で間に合うレベルじゃない。勝亦ってのは要するにもの凄く陰険なんだよ!

 

「面倒なことはさっさと済ませたい性分なんだよ、俺は」

 

 怒りたいのをぐっと堪えて俺はそう言い返した。ここで下手なことを言ったら嫌味を言われるだけじゃない。古傷まで探り出されて踏みつけられるに決まってるんだ。

 

「へえ? そうだっけ?」

 

 笑いながら勝亦が言う。どうやら奴は思い出し笑いをしているらしい。そのことには俺も気付いたが、無視することにした。誰にでも触られたくない傷ってのはあるもんだと思うが、俺の場合は勝亦に色んな傷を知られてるからな。下手に煽るとそれだけ痛い目に合うのは経験からよく知っている。



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西江田営業所 5

分割しました。


 俺をからかうことにも飽きたのか、勝亦はシステマの説明に話を戻した。

 

「だからな。システマというのは本来はプロ仕様だったんだ。でもそれだと汎用性に欠ける。この国で最初にシステマを導入したのは」

「フリープログラマだったうちの会社の会長が、株で儲けた金つぎ込んで趣味で導入したのが最初だろ?」

 

 ビールをちびちび飲みながら俺は言葉を挟んだ。すると勝亦がそう、と頷く。

 

「それを機に色んな会社にシステマは導入された。その段階ではまだシステマの仕様は元来のままで、扱えない開発者も多く居たんだそうだ」

 

 こいつが饒舌になる理由は一つきり。システマの話だからだ。へえへえ、と適当に返事をしつつ俺は横目に勝亦を見た。熱っぽい顔してるのは酔ってるからじゃない。こいつはシステマに……言い方は悪いが狂っちまってるんだ。

 

 中学の頃、今からきっと面白い時代になる、とこいつは宣言した。その時にも勝亦は今と同じような顔をしていた。熱っぽい、ここにいるはずなのにどこか別の場所にいるような遠い目。初めてこいつのそんな顔を見た俺は本気で心配したもんだ。こいつ、いかれちまったんじゃないかってね。

 

 考えてみればおかしな話だ。それまでこいつはただの一度だって何かに熱中するってことはなかった。それが、システマが世に出てきた途端に目の色を変えやがった。確かにシステマは凄いのかも知れないが、俺にはこいつが入れ込んでる理由が未だに判らない。

 

「開発に携わってても、実際に初期のシステマの内容を完全に把握している人間はそう多くない」

 

 そう前置きして勝亦は神妙な顔で語った。つまり今でも当時のシステマの内容を正確に理解してる奴はなかなかいないらしい。そのことは勝亦の説明で俺にも判った。でも何でそんな話がいきなり出てくるんだ。俺は渋い顔作って勝亦を横目に睨んだ。

 

「つまりは、だな。初期型は扱いにくかったんだよ。エンジニアにも」

「ああ、そういうことか」

 

 だから自分達の使いやすいように企業はシステマの新しいタイプを作ることにした。そして出来た物はやがてもっと広い市場に売りに出せないかという話になる。結果的に今現在、一般家庭に大量に流出しようとしているモノは初期型とは比べ物にならないくらいに中身がお粗末らしい。

 

 同じシステマでも最初のそれと今のそれでは内容が雲泥の差なのだと勝亦はぼそりと言った。さっきまで熱を帯びていた勝亦の目に見慣れない感情が浮いている。そう、これは多分、怒りなのではないだろうか。普段は感情の読みにくい勝亦の顔に怒りを見つけた俺は、話を聞くのも忘れて唖然としてしまった。

 

「改良に改良を重ねてシステマはどんどん使いやすくなった。ばかげた話だ。折角の可能性を少しずつ踏み潰してるんだからな」

 

 珍しく勝亦が愚痴めいたことを吐く。俺は何も言えずにただ勝亦を凝視していた。開発の連中ってみんなこんなこと考えてるのか? 使えない道具なんてあったって仕方ないし、売れんだろ。そうは思ったが俺は黙っていた。

 

 ひとしきり文句を言ってから勝亦がふと、困ったように笑う。どうやらいつもと違う反応をしていたことに自分で気付いたらしい。

 

「ああ、ごめん。だから今のシステマは初期のシステマとは全く別物だと思えばいいんだ」

 

 それまでの熱っぽさが嘘のようにさらりと勝亦が言う。ふうん、と曖昧に返事して俺はこっそりとため息をついた。要するに今のシステマは勝亦にとっては薄っぺらなんだろ。俺は自分の中で勝手にそう解釈した。だって判んねえだろう。誰でもがシステマに詳しい訳じゃないってのは判ったが、俺なんざど素人だぞ。説明されたところで理解なんて到底、出来る訳ない。というか、したくない。相当うんざりした顔をしてたんだろうな。俺を見て勝亦がやれやれとため息を吐く。

 

「判り易く言うと」

 

 そう前置きして勝亦は言った。市場拡大のために使い易くしたはいいが、今度は逆に性能的に足りなくなった。だから二台必要なのだという。そりゃまあな。確かに勝亦が言うように中身が極薄になっているなら、必要と思う奴もいるかも知れないな。だがシステマは道具だ。使い易さがあってこそ市場に多く出回るってもんだろう。

 

「だから使い易さと性能を同居させるシステムが、今の僕たちがやろうとしてることで」

「あー、もう判ったって」

 

 投げやりに言った途端に勝亦が押し黙る。しばし黙った後、勝亦は低い声で言った。

 

「……判ってないだろう」

「いや、うん。判るよ。判る」

 

 機嫌悪そうだなあ、とは思ったが俺はいつものようにそう言った。いちいち理解なんざしてられっかよ。第一、俺は勝亦の要望の通りにクライアントに情報提示はしたつもりだ。だから勝亦も素直に奢ることにしたんだろうが。普通、営業担当者がそこまで開発部の奴の言うこときくなんてねえだろ。それで十分じゃないか。そもそも俺は道具に固執なんざしてねえっての。

 

「所長には厭味たらたら言われるし、俺にしてみりゃ踏んだり蹴ったりだ」

 

 不服をめいっぱい込めて俺は毒づいた。厭味、と呟いて勝亦がしかめ面になる。だから、とうんざりした気分でため息と一緒に吐き捨てる。

 

「俺は覚悟してったんだよ、これでも。未知の商品の話をしなけりゃってんで、下手したらくびとか思ってたんだって」

 

 営業の人間が開発部の一部の人間と親しいってだけで、俺は周りに目をつけられてたりする。酷い奴になると開発部の回し者なんてことも言いやがる。冗談じゃない。俺だって予定通りに商品が上がってこない時は皆と同じように迷惑被ってんだ。特別に本当のところのスケジュールを教えてもらってたりするんでしょう? 何てなことを言うばかもいたり……うわ、むかつく奴のこと思い出しちまった。

 

「クライアントに先に情報が行ってたと」

 

 俺の怒り混じりの説明を聞いて、事もあろうに勝亦は笑い出しやがった。このやろう。

 

「ああ、そうだよ! 店で俺がどんだけ間抜けだったことか!」

「それはたぶんに調査不足だろ。仮にも営業の端くれが何してるんだ。いくら僕でもお前にそんなやばいことさせる訳がないじゃないか」

 

 うわ、すげえむかつく。何でよりによってこいつに所長と同じこと言われなきゃならないんだ。しかも楽しそうに笑いながら言うな。



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I 3604 Twins (1

サブタイ面倒なので削除しました。
一人称で説明すると冗長になると今さら気付きました。


 朝、本社ビルに出向いて一時間ほど時間を潰したところで営業回りに出る。仕事の合間に適当に昼飯を食って夕方五時まで。本社ビルに戻って業務報告、日誌書き、でもって気の合う奴と飲みに行ったり行かなかったり。これが俺の普段の一日のスケジュールだ。

 

 これで義理は果たした、とばかりに俺は新しいシステマについては客にそれ以上は喋らなかった。どのみち商品が上がってこないんじゃ、俺に出来ることはない。詳しい話が聞きたければ買ってくださいね。と、こういうことだ。まあ、話を聞かせてくれって言われても俺も困るんだけどな。判ってねえし。

 

「おい、能戸。ちょっと来い」

 

 何事もなく数日が過ぎたある日の朝、俺はオフィスに入るなり呼びつけられた。うへ。俺、何かしたっけ。そりゃ、俺はよく所長に叱られてるが、ここ最近は名指しで所長に呼ばれるような真似はした覚えはないんだけどな。

 

 オフィスの一番奥、一人だけ離れたところに机を据えてるこの偉そうな中年男が所長の長根だ。背丈はそこそこ、体格はちょっと太目、でもって顔立ちが……何て言うのかな。猛禽類? 一見、近寄り難いイメージのあるおっさんだ。この顔のせいで極端に怖がってる部下もいる。んでもその実、上司に諂うタイプときてるから、俺に言わせれば猛禽類ってのはないだろうって感じだが。

 

 鞄をぶら下げたまま所長の机に寄る。なんすか、と訊ねた俺に所長はいつもながらの仏頂面で何か差し出した。何だこれ。透明なケースに入った無地のディスクを受け取った俺は首を捻った。裏返してみるがやっぱり何も書いてない。

 

「午後からの企画会議にお前も出席するんだ」

 

 聞き取りにくいぼそぼそとした声で所長が言う。それを聞いた俺の頭の中は真っ白になった。

 

「は?」

 

 十数秒ほどの間の後、俺は自分でも情けないくらい間の抜けた声を返した。いや待て。何だそりゃ。どうもこっちの話の端っこを聞きつけた周りも俺と同じ事考えたのか、周りがいつもと違うざわめきに包まれている。

 

「ちょっと待ってくださいよ。午後からクライアントとの約束が入ってるんですけど」

 

 確かに俺はこのオフィスでは成績は良くない方だよ。でも、仕事を全くしていない訳じゃなくてだな。っていうか、所長も気付けよ! 急に妙なこと言うから周りの目がこっちに向いてるじゃねえか!

 俺が心の底で叫んでいる間に所長が淡々と話を進める。

 

「江崎がいるだろう。代わりに行かせればいいじゃないか」

「いやまあそうなんすけど」

 

 ちなみに江崎ってのは今年入社してきたばかりの新人だ。少しずつ減ってる新人の中ではかなりタフなんじゃないかな。最初はここにあるシステマにびびってたらしいけど、一週間もしないうちに慣れたらしい。順応力だけはあるんです、といつだったか笑ってた気がする。江崎は新人ということもあって、時々は俺と一緒に営業回りに出る。江崎はでかい図体の割に気の利く奴でクライアントに気に入られ易いし仲間受けもする。ちょっと気の弱いところもあるから、多少の無茶でも頼めば引き受けてはくれるだろう。

 

 待て。江崎はともかくだ。何で俺がそんな会議なんぞに出席せにゃならんのだ! しかも企画会議だと!? 冗談じゃないぞ! 所長の言うことに納得しかけてた俺は慌てて頭を振った。

 

「待ってください! 何で俺が企画会議なんて」

 

 企画会議と言えば開発と営業の、言わばパイプ役の位置にある企画部が主催する会議だ。通常、開発部の連中と営業とは綿密な打ち合わせはしない。この企画部に両者の意志伝達の全てがかかっているのだ。企画会議にはこちらからは各技術営業と所長が出席する。中條先輩辺りは開発の連中に顔を出すように言われるらしいが、それだってごく稀だ。

 

「開発にお前を引っ張って来るように言われたんだよ。いいからその中身に目を通しておけ」

 

 俺が持ってたディスクを指差して所長が素っ気なく言う。あのな。嫌なのは俺なんだよ。そんな、どえらくまずいものを食ったような顔しなくてもいいだろが。蝿でも追い払うように手を振られて俺は諦めて席に戻った。隣に座ってた江崎が目を輝かせて凄いですね、と褒め称えてくれる。そりゃどうも。うんざりした気分で俺は腰掛けた。鞄を机に乗せたところでいきなり後ろから背中をどつかれる。いってーな。

 

「良かったなあ、能戸。お呼びがかかって」

 

 ああ、うぜえ。机に突っ伏しかけてた俺はとてつもなく嫌な気分で振り返った。が、きっちり普通の表情を保つことも忘れない。下手に抵抗してもつまらないしな。

 

「おはようございます」

 

 何のために俺が壁際の目立たない席を選んでるかって、こいつらのせいなんだけどな。ああ、よりにもよって今日はフルメンバーかよ。俺はごく当り前の顔で三人の男に挨拶して頭を軽く下げた。こいつらは俺よか先に入社してるんだけどな。何かにつけて俺にいちゃもんつけてくれる嫌な奴らだ。

 

 あー、もうどうでもいい。俺はそう思いつつも話を聞いている振りだけはした。ひとしきり厭味を言ったところで気が済んだのだろう。奴らが散る。俺は心の底からうんざりしてこっそりため息を吐いた。隣の席から身を乗り出した江崎が心配顔をする。

 

「大丈夫ですか?」

 

 潜めた声で訊かれて俺は黙って頷いた。くそ、いつもいつも目の敵にしやがって。俺が一体、何したってんだよ。つるんで嫌がらせって、お前ら子供か? いや、今時子供でもそんな真似しないだろ。

 

 やれやれと肩を落として俺は鞄を退けた。端末を立ち上げて所長に渡されたディスクを放り込む。画面に目をやった俺は、視界の隅に映ったシステマを見つめた。今日もシステマはどこを見ているのか判らない顔をして硝子張りの部屋の中に座っている。頭につけているのはインターフェイスだ。そしてシステマの周囲には何枚ものディスプレイが並んでいる。特に珍しい光景じゃない。俺は目を戻して画面に表示されたテキストデータを読むことに専念した。

 

 絶対、奴の仕業だ。俺はディスクの内容を読みながらそう確信した。俺は技術営業の連中みたいに開発かぶれじゃないし、特に成績がいいわけでもない。勝亦以外の誰が俺を七面倒な会議に引っ張ろうと思うってんだ。あのやろう、とぼやきながら俺は苛立ち紛れにエンターキーを乱暴に叩いた。

 

「おいおい、壊すなよ」

 

 不意に後ろから声をかけられて俺は慌てて振り返った。いつの間にか出る時間になってたらしい。中條先輩が笑って俺の手元を指差す。隣で慌てたように江崎が立ち上がる。

 

「このくらいじゃ壊れませんよ」

 

 そう言いながら俺は自分の使っていたキーボードを指差した。ちっとも自慢にはならないが、開発の連中はともかく、この営業所内でこんなもん使ってるのは俺くらいだ。営業日誌を書いたりだの情報収集だのに使うなら、標準インターフェイスの方が断然速いからだ。ちなみに中條先輩も江崎もこのインターフェイスを当然使ってる。ヘッドホン型のインターフェイスは使用者の脳波を元に思考を読んでくれる優れもの……らしい。ああ、らしいってのはだな。要するに俺はそんなもん使う気にならないし、実際に使ったことがないからだ。試験以外ではな。




自分の昔の文章は読めません!w
この辺りで何となく使い方を把握しました。


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I 3604 Twins (2

 出勤から一時間。各小売店が開店する時間に合わせてフロアから人々が出て行く。俺はいつもの光景を眺めてから肩を竦めた。

 

「まだ資料の半分も読めてないんですよね。これじゃ今から出るのは無理だな」

 

 半ば独り言のつもりで俺は言った。すると中條先輩がそうだな、と笑う。中條先輩と江崎の体格はかなり差がある。がっちりとした江崎の隣に立つと中條先輩はやけに頼りなく見える。でも二人に共通しているところがあるんだな。それが人の良さそうな顔立ちだ。当たりの柔らかそうな顔ってのはそれだけで随分と得だ。こっちが頼まなくてもクライアントが勝手に油断してくれるしな。

 

 江崎に約束のある客のところに行くように頼んでから俺は画面に向き直った。あれだけ人のいたフロアには俺と事務員の女性の二人きりになっちまった。所長もさっさと出かけたらしい。くそ。人に余計なこと押し付けててめえは外回りかよ。釈然としないものを感じつつも俺は資料に目を通した。

 

 資料には新しいタイプのシステマについて記されていた。勝亦が熱心に話していた内容なんだろうな、これ。二基のシステマの性能がずらりと文章で並べられている。そして新型のシステマの利点がずらり。俺はかなり苦労しながら文章を読んだ。日誌なんかを書く方はてんで駄目だが、これでも俺は文章を読むのは得意なんだ。なのに読みにくいのは説明ばっかりだからだろうな。

 

 ただ一つだけびっくりしたのは、このシステマは男女のツインタイプになっていることだ。これまでのシステマは外観は中性的で、性が感じられないのはもちろんだが、人の形を真似ているだけのものだった。つまり平たく言うと、見てくれは人形だったわけ。その後でゲームのキャラクタもどきだのってタイプが何種類か出たが、どれも廃れたな。

 

 で。一部コアな連中を沸き立たせたらしいそんな商品ですらだよ。顔形とかってのは従来のモノとは大差がなかったんだ。決して不細工ではないが、中性的でどこの国の人間か判んないような見てくれだけは変わんなかったんだな。

 

 そんなシステマに性差をつけるという。俺は我ながら珍しく真剣に画面を見つめちまった。そんなことが可能なのか? システマは人形と思え。中條先輩の言葉が脳裏を過ぎる。でもシステマは人形そのものじゃない。色んな型があるのは確かだが、それら全ては生身なのだ。

 

 例えば俺が日誌を書いたりするのに使ってるこの端末。これは完全に機械で出来ている。この端末はネットワークシステムを介してシステマにデータを送るための機械だ。壊れれば修理も出来るし、側のデザインなんて幾らでも変更が利く。一から組み上げる奴なら、一台ずつに個性も出したり出来るだろ。それこそケースにこだわってみたりも出来るわけだ。

 

 だがシステマはそれは出来ない。あくまでも市場に流れるシステマの外見は完成品なのだ。だから買ってから客が勝手に手を入れるとなると、服を着せたり色を塗ったり程度のことしか出来ない。例えばだよ。システマの背丈がもっと欲しいとか、顔の形を変えてみたいとか、そういうことは出来ないんだよ。それがどんな技術者だったとしても、だ。

 

 俺は気付くと瞬きをするのも忘れて画面を見つめていた。I 3604 Twins。それがこの商品の正式な開発番号だ。これが完成すればそのまま商品名として市場で流通するだろう。ちなみに名前に入ってる『I』は社名のIISの頭文字だ。3604は開発番号。そしてTwinsというのがこのシステマの名称だろう。文字通り、Twinsは二台で一つの商品なのだ。

 

 俺が驚いたのはもう一つ。男の体型に近いシステマを構築するという点だった。これまでシステマを幾つもクライアントに売りつけてきたし、他社の商品もそれなりに俺は見てる。だが、その中にこれまで一つだって男の体型ってはっきり判るような商品はなかった。あー、つまりだなっ。男性の生殖器のついたタイプのシステマってのはなかったわけ。その理由は勝亦から何度か聞いた覚えはあるが……。確か初期のシステマの身体的構成がどちらかと言えば人間の女性に近かったんだっけか。

 

 誓って言うが俺は性差別をするつもりはない。はっきり理解してるって訳じゃないし、理屈がどうなってるかは知らないが、とにかくだ。システマってのは生物の持つ自己治癒能力を活かすってコンセプトで作られてる。その活かすって考え方を元に作られてるからか、システマの肉体はどちらかと言えば人間の女性寄りにされてるんだと。この、どちらかと言えばってのが曲者で、ぱっと見には本当に判んないんだよな。判るのは……その、何だ。だから排泄器官の違いなんだよ。そこまで思い出して俺は慌てて頭を振った。いかん。顔が熱い。想像なんざするもんじゃねえな。たかがシステマって思っても、頭ん中ですり替わっちまう。

 

 いや、システマは道具なんだと強く自分に言い聞かせて俺は席を立った。ずっとこんなもん読んでるから変なこと考えちまうんだよ。そう考えるとほんと、開発の奴らって変だよな。そんなもんのこと一日中考えてるんだもんなあ……。

 

 オフィスを出てエレベーターホールのちょっと奥、人の目に付きにくいところに自動販売機が端に二台置かれたスペースがある。小銭を突っ込んでアイスコーヒーを買ってから傍のベンチに腰を下ろす。そこで俺はしみじみとため息をついた。こんな風にずっと会社に閉じこもってるなんて久しぶりだ。毎朝、客のとこに行く前にある程度の市場調査はするが、そんなに時間はかからない。俺みたいな手抜きじゃない、綿密な調査をするって所長に誉められてたあの中條先輩だってみんなと同じ時間に出るしな。狙いさえ間違ってなけりゃ、調査なんぞあっさり済むんだよ。だからデスクワークなんて殆どしなくていいんだな、これが。

 

 そんな俺が机にかじりついて二時間だぞ。疲れるって。はは、と情けない気分で笑ってから俺は腕に巻いた時計に目をやった。今時、腕時計が珍しい? ばか言っちゃいけない。外回りしてるとだな。いちいち端末だの電話だの見てらんねえ時もあるんだよ。時間確かめるのはこれが一番早い。

 

 誰もいない休憩スペースでコーヒー啜ってから俺はオフィスに戻った。いつの間にか事務の女性がいなくなっている。あ、そうか。昼休憩か。そういえば音楽鳴ってた気がしたな。オフィスにいなかったから殆ど聴こえなかったが。

 

 まあいいか、と一人で納得して俺は残ってたテキストデータを読み始めた。早いとこ読んでさっさと飯を食わないとな。休憩を入れたからか、それからの俺の作業は実にスムーズに進んだ。要するに全部理解しようとするからいけないんだよ。俺は開発の人間じゃないんだから、完全に理解なんてする必要はないんだ。要は会議で何を話しているか判る程度に把握してればいい。どうせ営業の下っ端の下っ端、会社の底辺にいる俺に意見求めてくるなんてこたあねえだろ。



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会議は踊る? 1

腰痛いです。(内容と関係ありません


 ジャスト十四時。会議室はしんと静まり返っていた。おいおい……。ほんとに俺がここに居てもいいのか? 俺は集まったメンツを見回して帰りたくなった。企画部長や開発部長が居るのは仕方ない。そういう会議なんだからな。しかし何で総務の部長だの、経理部長……おいおいおい。専務までいるってのはどうなんだよ。まさか幻影じゃねえだろな。副社長の顔まで見えてるのは俺の気のせいなのか?

 

 奴らの顔を全部覚えてる俺もなかなか偉いな。そんな風に心の底で俺は自分を褒め称えてみた。そうでもしなけりゃ、俺はこの場から逃げ出しそうだったんだよっ。しかも勝亦の奴、いねえじゃねえか! でかい会議室のドアに一番近い席についた俺は、この場にいない勝亦に胸中で罵詈雑言を浴びせることで何とか逃げ出さずに済んだ。

 

 会議そのものは特に問題なく進んだ。資料についての説明を開発部の人間が行い、それについて意見を述べるというタイプの会議だった。次第に緊張感が解け、俺はその場に居る人間の観察をし始めた。長根所長の様子を見てると……ははあん。なるほど。要するに営業としてはこの商品、出来れば出して欲しくないと。そういうことっすか。まあ、確かにちょっと内容がこれまでとは違ってるし、営業はきつそうだよな。技術営業のリーダーも難しい顔してる。

 

 だが既に商品を出すことは決まっているようだ。まあ、そりゃそだろ。でなけりゃ勝亦もあんなことを俺に言ってこないし、何より所長。あんただってほんとはこの商品は何やっても出るって判ってんだろ? そうじゃなかったらクライアントに先回りして情報ちらつかせるなんて真似、しなかっただろうし。……くそ、思い出しちまった。ああ、腹立つ。

 

 淡々と会議が進む中、うちの所長が意見を述べた。このタイプのシステマを世に出すにはまだ時期が早いのではないか。そう言う所長の背中を押すように他の営業所の所長たちも同意見だと述べる。技術営業のリーダーたちも口を揃える。だが結局のところ、それは無駄に終わった。まあな。所長たちも建前としてそう言っただけなんだろ。革新的すぎる商品だからさほど売上が伸びなくても仕方がないのだ。そう、事前に逃げを打っておけば自己保身も兼ねられる、と。まあそういうこったな。

 

 これで会議は終了ってことで俺はほっと息をついた。こんなメンツに囲まれて安心してろってのが間違いだ。一刻も早く部屋を出たい。そんなことを願ってた俺に唐突に誰かが声をかけた。

 

「能戸くん」

 

 呼びかけに仰天して俺は慌てて声の主を見た。うわ! 開発部長! 何だってあんたが俺に話し掛けてくるんだよっ。しかも会議終了ってことでざわめいていた部屋の中が静まり返りやんの。冗談じゃねえぞ。

 

「そういえば君の意見を聞くのを忘れていたよ。君は新タイプのシステマをどう思う?」

 

 白髪混じりの穏やかな風貌を持つ開発部長が静かに訊ねる。俺はどうしよう、と切羽詰ったものを感じつつちらりと横に座る長根所長を見た。うわ。こええ。そんな、おもっきり睨まなくてもいいだろうが。

 

「まあ……売れるんじゃないですか?」

 

 しばし迷ってから俺は素直に答えた。すると開発部長が根拠は、と訊ねてくる。やだなあ、この雰囲気。みんな黙ってこっち見てるじゃねえか。

 

「新しいモノは人気がありますし」

 

 当り障りのないことを言いながら俺は苛々していた。くそ、ここで事前調査と称して勝亦が俺に何させたか言う訳にもいかんし、かと言って所長がクライアントの目に付くとこに情報転がしてました、なんて話す訳にもいかない。むかつくが恩義ってのがあるからな。ぶちまけてやりたい、という衝動を堪えて俺は開発部長の顔色をうかがった。……あんた、営業に来たらどうだい? 考えてることが読めないその笑顔ってのは営業向きだと思うぞ。

 

 なんてなことを心のどこかで思いつつも俺は必死でどう言おうかと考えていた。下手なことを言うと後で所長に厭味を食らう。勝亦の立場が悪くなることも口に出来ない。そう考えると俺に言えることなんて限られる。

 

「業界最大手のうちの商品ってだけで、クライアントはまず食いつきます。ただ、だからクライアントの期待を裏切ると怖いですね」

 

 これなら大丈夫かな、と心の中でいちいち確認しつつ俺は喋った。頼む、これで納得してくれ。そんな俺の願いはある意味では聞き届けられたのだろう。誰も反論はしない。開発部の部長が興味津々の顔でほう、と言った以外はなっ。

 

「それで?」

「いえ、それでと言われても」

 

 すかさず訊き返してくれた開発の部長は相変わらず人好きのする笑みを浮かべている。俺は思わずそう答えてから言葉を濁した。

 

「いや、私は君の忌憚ない意見を聞きたいんだがね」

 

 忌憚ないと来たか。俺だってぶちまけたいのは山々だがな。生憎と恩義を踏みにじるほど人間は壊れてねえんだよ。

 

 会議が終わってさっきまで部屋を出ようとしていた連中は、俺と開発部長のやり取りが面白いのか、誰も出て行こうとしない。隣では所長がもの凄い顔で俺を睨んでいる。うわ、こりゃなに言っても後で厭味攻撃だな。どうやら所長は俺が開発部長と話をしていること自体が面白くないらしい。ばかやろう、俺だって嫌に決まってんだろう。

 

「2wayタイプってだけでも新しいですしね。値段はそれなりになっても、性能だけじゃなくて見た目がはっきり違う訳ですから客も納得し易いでしょう」

 

 頼む、早く解放してくれ。心底、そう思いながら口にした俺の言葉に開発部長はすぐには答えなかった。不思議に思って俺は伏せかけていた目を上げた。うわ。俺、何かまずいこと言ったか? みんながこっち向いてるのはさっきまでと同じだが、俺を見る目がそれまでとは違う。何でだ? 何でみんな変な物でも見るみたいな顔してるんだ。

 

「そうか。なるほど」

 

 しばしの沈黙の後、開発部長が腕組みをして頷く。

 

「貴重な意見だな」

 

 納得顔で言って開発部長が微かに笑う。嫌な予感を覚えて俺は息を潜めた。やばいこと口走ったのか、俺。でも心当たりはないぞ。隣に座ってる所長が極々小さな声でばかめ、とほざく。おい、理由も説明せずにそれかよ。文句があるなら下っ端に質問しやがる開発部長に言いやがれってんだ。




よく考えたらこの話、男の比率が高い……(汗)
先に断るべきでしょうか。


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会議は踊る? 2

 開発部長の質問はそれで終わった。俺はさっさと会議室を出てオフィスに戻ろうとした。このまま居たら所長にどんな文句を言われるか判ったもんじゃない。慌ただしく端末を片付けて席を立った俺を嫌なタイミングで開発部長が呼び止める。余計なことは言うな、と長根所長が釘を刺して出て行く。あんたな! そう思うなら先に行くなよ!

 

「なんすか」

 

 やけくそ気味に俺は開発部長に返事した。こう言っちゃなんだが、俺の笑顔ってのは営業用と決まってるんだ。無愛想極まりない態度で俺は開発部長を見た。相変わらず考えてることがよく判らん笑顔で開発部長が手招きする。ああ、うぜえ。そうは思ったが俺は仕方なく呼ばれるままに開発部長の近くに行った。幸い、会議のメンツは出て行ってしまっている。残ってるのは開発部長と俺だけだ。

 

「君の意見はとても参考になったよ。ありがとう」

「いえ」

 

 ストレートに礼を言われて他に言い返すことも出来ず、俺はぶっきらぼうにそう返した。大体、何で所長が怒ってたのかが俺にはまだ判らんのだが。

 

「長根君には私から言っておこう。私は君の発言を言質として取った訳ではないんだよ」

 

 俺の疑問を読み取ったように開発部長が言う。なに? じゃあ俺が営業所に不利になるようなこと言っちまったってことか。うわ、そりゃ所長は怒るって。……でも俺、そんなやばいこと言った覚えはないんだけどなあ。

 

「はあ」

 

 でも俺の口から出たのは曖昧な返事だけだった。というか、開発部長は何の用があって俺を呼び止めたんだ? わざわざ所長に口を利いてやるって言いたかったのかな。それとも別に理由が……。

 

「ところで能戸君。開発部の提出した資料に新タイプのシステマが2wayシステムであるとは、恐らく間違いなくどこにも書かれていないんだがね」

「あ!」

 

 俺は思い切りはっきりと慌てた声を上げた。しまった。勝亦の奴からさんざっぱら聞かされたせいで、無意識に言っちまったんだ。確かに開発部長の言った通り、渡された資料にはそんなことはどこにも書かれていなかった。

 

 一気に血の気が引く。多分、この時の俺は真っ青になってたんだろう。開発部長が笑みを引っ込めて大丈夫か、と声をかけてくる。だが動揺しきってた俺はろくな返事が出来なかった。勝亦の立場が機密を漏らしたってことで悪くなっちまうんじゃないだろうか。そんなことを考えてたからだ。

 

 だが開発部長は俺を責めなかった。

 

「もしも君が事前に一切の情報を知らずにあの資料を見た場合、新タイプのシステマにどういった感想を抱くと思うかね」

 

 笑顔に戻って開発部長が訊く。俺は反射的に周りに誰もいないことを確認してから小声で言った。

 

「多分、同じことを言ったと思います」

 

 確かに俺には事前に得た情報があった。が、それを抜きにしてもあの資料を見る限り、新しくリリースされるシステマが2wayタイプだと思うだろう。俺は表現に苦しみながらそう説明した。勝亦の名前が何度出そうになったことか。

 

 その答えで開発部長は納得したのだろう。俺を解放してくれた。俺がオフィスに戻った時には所長が難しい顔をして腕組みをしてた。が、どうやら開発部長は本当に所長に話を通してくれたらしい。俺を睨みつけてはくれてたが、所長は何も言わなかった。

 

 終業まで残り時間は少なかったが俺はいつものように外回りに出た。出先で江崎に連絡を入れてどこまで回ったかを訊ね、残りの客のところに向かう。営業をこなしながら俺は全く別のことを考えていた。

 

 2wayシステムだと勝亦はうるさいくらいに言っていた。だが開発部長の口ぶりだと違うのではないか。そもそも仕様書に明記しない理由はないだろう。それとも書けない理由があるのか? とりとめのない考えが頭の中を巡る。

 

 結局、その日は大した成果もあげられないないままに俺は営業所に戻った。まばらに人の出入りするオフィスでとりあえず営業日誌を書く。とは言ってもそんなに書くことはないんだけどな。例の会議のおかげで今日は二件しか回れなかったし。不満と不服を込めてため息をついてから俺はふと顔を上げた。

 

 システマが世界を変えるなんざ、幻想以外の何物でもないとは思う。なのに何でたかが商品、たかが道具のこいつらに俺が振り回されにゃならんのだ。苛立ちを込めて硝子の部屋に座るシステマを眺める。だがシステマはこちらに気付いた様子もなく、ぼんやりとどこかを見つめたままだ。そんなシステマを睨むように見ながら俺は深々とため息をついた。ついこの間までは何事もなく平穏にやってこれたのだ。今さら俺の生活に深く切り込んで欲しくない。それがシステマに対する俺の正直な感想だ。便利便利っつったって、結局のところ使うのは人間なんだぞ。くそ、とぼやいたところで俺は気配を感じて隣を見た。机についていた江崎が不思議そうに俺を見てる。

 

「どうしたんですか、先輩。難しい顔して」

 

 心配顔でそこまで言ってから江崎は声を落とした。

 

「もしかして何か会議で嫌なことでも」

「あ、いや、まあ」

 

 所長が空席であることを確かめてから俺は肩を落とした。まずいなあ、と思っても上司の顔色をうかがう癖が抜けない。これだから変な奴に目をつけられたりするんだって判ってるんだがな。



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会議は踊る? 3

 どうやらつるんで厭味攻撃してる連中に言わせると、俺は上司に媚びへつらってるように見えるんだと。冗談じゃねえ。これ以上、給料下げられたらたまんねえから様子見してるだけだろうが。でも何度言っても連中は聞きやしない。そのことを思い出して俺はまたため息をついた。

 

「だ、大丈夫ですか」

「嫌なことは飲んでぱーっと忘れるのがいいよな」

 

 江崎の消極的な声に続いて明るい声が聞こえる。俺と江崎は同時に振り返った。この人も不思議だよな。何で気配を殺して人の後ろに立つかな。中條先輩も。

 

「またですか」

 

 苦笑しつつ俺は一応はそう言った。が、断る理由はない。それでなくても中條先輩と江崎とはよく一緒に飲みに行くのだ。話す事と言えば仕事絡みになりがちだが、不思議とこの二人と話していて不快な思いをしたことはない。俺にいつもいちゃもんつけてる奴らとは随分な差だ。

 

 それから俺達はいつものように飲みに繰り出した。人の賑わう店内で俺は出来るだけ当り障りのない範囲で話をした。二人はそんな俺から無理に話を聞きだしたりはしなかった。だから一緒に居ても落ち着くんだよな、この二人。俺がむかついてるってのも判ってたからなんだろうが、勝亦の奴のように根掘り葉掘り訊いてこないわけ。実際、助かるよ、ほんと。

 

 酒も入っていい気分で俺は家に戻った。会議での嫌なこともすぱっと忘れて気分転換。健康的でいいよな。上機嫌で俺はいつものように留守番電話とメールをチェックした。

 

 うあ。見なきゃ良かったかも知れん。何でここぞとばかりに俺にメールくれやがるかな、勝亦の野郎。しかも帰ったら電話寄越せだと? てめえ、一体なに考えてやがる。一度は完全に落ち着いた怒りが甦る。俺は怒りに任せて勝亦に電話をかけた。

 

「なに考えてやがる! 今日の会議、お前の仕業だろう!」

 

 相手が出るなり、俺はいきなりそう怒鳴りつけた。すると軽い笑い声が返ってくる。どうやら勝亦は俺が怒鳴ることを予測していたらしい。

 

『悪かったな。部長に営業担当者を紹介しろって言われて』

「だからって俺の名前出してどうすんだ! おかげさまで睨まれちまってるんだぞ!?」

 

 即座に言い返しながら俺はキッチンに入って冷蔵庫からビールを取り出した。冷蔵庫のドアを蹴飛ばして閉める。苛々しながら床の上に散らかってる物をかき分けて腰を据えたところで俺は気付いた。もしかして勝亦、まだ会社にいるのか。いや、でもこの音はなんだ?

 

 電話の向こうからやけに懐かしい、聞き覚えのある音がする。子供の頃、夏に時々行ってたプールを思い出す。泡が水面に昇って弾けるような、不思議な音が電話口から聞こえてくる。俺は怒るのも忘れてその音に聞き入った。

 

『睨むって例の連中か? あんなのほっとけばいいだろ』

 

 淡々としたいつもの口調で勝亦が言う。あのな。他人事だと思ってないか? 俺はそうぼやきながらビールの封を切った。ボトルから直に飲んで一息。

 

「大体な。俺みたいな下っ端を呼びつけてどうしよってんだ。俺程度が知ってることなんて、所長に訊きゃ十分だろが」

 

 それからしばらく俺は勝亦に今日の会議にまつわる愚痴を吐いた。よく考えたら諸悪の根源はこいつなんだ。文句くらい言ってもばちは当たんねえだろ。勝亦はそんな俺の心境を理解していたのか、今日は珍しく言い返してこない。ああ。判ってる。ごめん。らしくない言葉を連発され、さすがの俺も文句を言い続けることが出来なくなった。どうして俺が被害者なのにこんなに身につまされなきゃならんのだ。加害者の勝亦に同情してどうすんだ、俺。

 

「あー……まあ、もうああいうのは勘弁してくれ」

 

 情けないな。結局、折れちまったよ、俺。しかもさっきまでの怒りはどこへやら、逆に勝亦の心配しだしたりして。

 

「で? 何でまだ会社なんだよ。もしかして新しいシステマの開発、上手く行ってないのか」

 

 我ながら何てお人よしなんだろう。情けないものを感じつつも俺は勝亦にそう訊ねた。すると少し沈んだ声で勝亦がああ、と言う。

 

『どうやら明日も出勤になりそうだ。……というより、帰れるかどうか怪しいんだけどな』

「うわ」

 

 思わず顔をしかめて俺は心底勝亦に同情した。うちの営業所にも休日に出勤する奴はいるが、そんなのは稀だ。普通は客から打診されても営業は休日には滅多に動かない。折角の休み、いちいち客の我がままに付き合ってられっかよ。第一、休日に呼び出してくれるような奴はな。ろくなこと言わないもんなんだよ。下手に一度、甘い顔を見せると次々に無理難題を押し付けやがる。って、俺が詳しいのは一度痛い目を見てるからなんだがな。

 

 何でそんな気になったのかは判らない。もしかしたら珍しく勝亦の声に張りがなかったからなのかも知れない。

 

「忙しそうだから、差し入れでも持ってってやろうか?」

 

 大したことは考えていなかった。どうせ休日っても俺は暇だし。その程度の考えで俺は勝亦にそう声をかけた。だが俺は勝亦もすぐに断るって思っていた。何しろ本社ビルにはテナントがずらりと入っていて、開店している間なら必要なものはそこで買うことが出来る。中には上のオフィスに出前してくれる店ももちろんある。ま、出前が頼めるのは主に飯屋だけどな。

 

『え、本当か? じゃあ頼もうかな』

 

 まあ、断るだろ。なんてなことを思ってた俺は勝亦にすぐに返事が出来なかった。おい、と呼びかけられてようやく反応する。

 

「あ、ああ。ええと、大したものはないけど」

 

 本気か、俺。何で男友達が働いてるとこに差し入れなんだよ。しかも勝亦の奴、何で頼むとか言い出すんだ。いつものノリで断れよこのやろう。などと、我ながら理不尽なことを考えつつも俺は明日行く、と勝亦に言って電話を切った。ああ、俺の休日が。



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I 3604 Twins RC(1

途中がうっかり抜けてました(汗)
挿入投稿出来るのは楽ですねー。


 梅雨だってのにその日はやけによく晴れていた。気温は真夏かと勘違い出来るくらいに高い。朝っぱらから空気はうだるように暑く、はっきり言って不快指数はこれ以上はないってくらい高かった。すげえ嫌な気分で目が覚めたもんな。思わず慌てて空調のスイッチ入れちまったよ。

 

 目が覚めちまったもんは仕方ない。と、俺は休日だと言うのにいつもと同じくらいの時間に家を出た。勝亦に約束した通りに差し入れ用の食い物や飲料を道中に買う。店員の異様に明るい声に押されるようにして俺は店を出た。

 

 週末の駅構内はいつもと違って閑散としている。今日は隣接するホールで催し物もないからだろう。行き来する人はまばらだ。自動改札を抜けた俺はいつものエレベーターに向かった。妙な気がするのはきっと、いつもと着てる服が違うせいだな。シャツにジーンズなんて格好で会社に入るのは初めてだ。

 

 目的の開発部があるのは四十階。うちの営業所と開発部の間には他の営業所が一つ、企画部、総務部が挟まってる。社員用エレベーターの脇にある警備員室のおっさんに挨拶がてらカード出して身分証明。エレベーターに乗る前に身分証明。でもって各フロアにエレベーターから降りたところで身分証明。更にフロア内にある各部署、営業所に入る前に身分証明……。考えたらごく普通にオフィスに入るだけで四回もカード呈示しなきゃならんのか。うわ、改めて考えるとけっこうな手間だな。まあ、カードを出すっつったって、入れ物ごとスキャンさせればいいだけなんだけどな。だからIDカードを忘れた日にはえらい目に合う。始末書提出の上で総務に仮ID発行手続きしてもらって、でもって所長に怒られると。まあ、そういう訳だな。更になくしたりしたらもっと大変らしい。俺はやったことはないが、同僚の中にはそういう奴もいた。これが再発行までにかかる手間が尋常じゃないらしい。まず、前に使用していたカードを使用不可にする。まあ、これはシステマを介してすぐに出来ることなんだが、その後が凄い。心電図取るだろ。脳波調べるだろ。指紋、網膜、声紋パターン登録するだろ。そりゃもう、入社時に比べるとカードの発行にはどえらく手間がかかるらしい。プライバシーなんてあったもんじゃねえってぼやいてたっけな、そいつ。

 

 でもうちの会社だけじゃない。今はどこも身分証明には似たような方式とってるんじゃないかな。一時期、偽造IDだのが騒がれたせいで、今はカードと本人が揃わないと身分証明が出来なくなっている。カードに埋め込まれたチップが所持者の脳波を読み、信号として変換した後に端末にデータを転送する。これはうちの看板商品であるところのシステマにも利用されているシステムだ。つまり、IDカードも各所に据えられたガードボックスもただの送受信機ってわけ。

 

 でもまだうちはいい方だ。金融関係なんてもっと大変らしい。俺の同級生にも金融関係に就職した奴がいるが、話によれば自分が人間なんだか機械なんだか判らなくなっちまうらしい。感覚がどっか麻痺してるかも、とそいつは言ってたっけ。俺なんてそいつの話を聞くだけで絶対に嫌だと思ったもんな。

 

 件のカード入り財布をドアの脇のガードボックスにかざして一秒。軽い電子音がして開発部のドアは開いた。ドアの上に記された名は開発部一課。勝亦はここにいるはずだが……ああ、居た。俺はドア近くの机についている勝亦に声をかけた。それまでキーボードを打っていた手を止め、勝亦が振り返る。

 

 ……おい。俺は自分の目を疑っちまったぞ。勝亦の奴、どんな仕事の仕方してんだよ。

 

「あ、悪いな。まあ座れよ」

 

 そう言いながら立ち上がった勝亦の顔色は随分と青い。俺はまじまじと勝亦の顔を見ながら勧められた隣の席に腰掛けた。ぶら下げていた食い物の入ったビニール袋を差し出す。すると勝亦は少しだけ笑ってそれを受け取った。

 

 そういえばここ最近、こいつに会ってなかったっけ。でもそれだってたかが数日だろ。何でここまで痩せられるんだよ。

 

「昨日から食べてないからありがたいよ」

「おいおい」

 

 呆れながら俺は顔をしかめた。すると勝亦が小声で笑う。

 

「切羽詰ってくると、腹が減ってるとかいう感覚がなくなるんだ」

 

 それってやばいんじゃないのか。そう言いかけた俺をよそに勝亦がビニール袋を探る。差し出された茶の入ったボトルを反射的に受け取り、俺は潜めた声で言った。

 

「おい。ちょっと病的だぞ。お前の顔色」

「いつもこんなもんだけどな」

 

 新しい商品開発の時にはよくあることなのだ、と勝亦は事もなげに言った。言われて俺はやっと気付いた。そういえばこれまで、新しいシステマが出来る直前に勝亦と顔を合わせたことがない。俺も勝亦も入社して一年ちょっとだが、その間にうちから出た新機種は六種類。つまり二ヶ月に一作というハイペースで新作をリリースし続けているのだ。

 

 もちろん他社からもシステマは出ている。この一年で売り出された新機種はざっと三十種ってところか。でもそれだけ出ているにも関わらず、どの社の製品の売り上げもそれほど伸びていないのが現状だ。うちの社の新製品についても客の食いつきはいいのだが、長く続かない。要するに飽きちまうんだな。

 

 勘違いしている客も多いと思うが、システマは買取ではない。システマの基本はリースだ。リース期間が過ぎるとシステマ本体はただのがらくた同然となる。他の廃棄物と同様にごみとして投棄してしまうと違法になるため、通常はリース終了したシステマは売買した企業に回収される。発売当初、知らずに不法に投棄して捕まった奴がけっこういたっけな。

 

 人々が服を替えるほどの気軽さでシステマを取り替える。……というのが俺たち営業の理想だ。そうでなけりゃこんだけの営業所を作るはずもない。コレクターなんてもんが出てくりゃ儲けもん。その手の奴らが希少価値の商品に飛びつく傾向は今も昔も変わっちゃいねえ。

 

 俺は勝亦の顔色を見て改めて考えた。でもそんな営業の理想の裏には、こうした勝亦みたいな奴らの努力ってのがある訳で。

 

「炭水化物ばっかり」

 

 笑いながら言って勝亦がおにぎりの包みを剥く。文句言うなら食うな、とお決まりのせりふを吐いて俺は眉を寄せた。それまでぐったりと憔悴していた勝亦がいつもの調子を取り戻しつつある。それを感じ取って俺は内心でほっとため息をついた。だって気色悪いだろ。いつも元気に人に厭味吐いてる奴が疲れきってるのは。




一応、タイトルの少女が出てきました。
まだ出ただけですが~


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I 3604 Twins RC(2

 この部屋はうちのオフィスとかなり違う。各自の机が並んでるとこまでは同じだが、システマがフロアをやたらとうろちょろしているのだ。いや、それはな。判るよ。開発だからだってのはな。それにその辺に投げておいたら邪魔になるしな。だからって……。

 

「……何で裸……」

 

 少し安心したからか、部屋の中をうろうろしてるシステマに今度は目が行ってしまう。そんな俺を横で勝亦が笑った。

 

「道具なんだから気にするな。自動的に指定の受信機に近付いてるだけだ」

「気にするなって言ってもな。何でカバーくらい着けないんだよ」

 

 受信機やインターフェイスは当たり前だが、システマには購入段階でもれなく専用カバーが付いてくる。つまり買えば絶対についてくる菓子のおまけみたいなもんだ。でもこいつら、それすら着けてないんだよ。いっくら道具だって判っててもさすがにちょっとまずいだろ、これは。

 

「変なところで拘るなあ。能戸も。こんなの、ここじゃいつもなのに」

 

 近くを通ったシステマを呼び止めてから勝亦が意地悪く笑う。あのな。いつもの調子が戻ったのはいいが、俺をからかうなよっ。

 

「だから! 何か着せろ、なにか!」

「変な趣味でもあるんじゃないだろうな。百歩譲るとしても子供にしか見えないだろ」

 

 そりゃあな。お前はいいよ、お前は。見慣れてるんだしな。んでも、俺は剥き出しのまんまのシステマなんざ滅多に見たことねえんだよ、ぼけ!

 

「いいから!」

 

 子供だろうが大人だろうが、裸でちょろちょろされると気持ち悪いんだよ。尖った声で言ってから、俺は勝亦の椅子の背に引っかかっていたシャツを取り上げた。白いただの綿シャツだが何もないよりましだろう。傍に立ったシステマにそれを手早く引っ掛けてから俺は勝亦に向き直った。

 

 あー、と呻いて俺は俯いた。元気付けようとしてた俺の親切心を嫌な形で踏みにじりやがって。不機嫌に睨んでみるが当の勝亦は飄々としている。傍に立ったまんまのシステマはぼうっとしていて、どこを見ているのか判らない。捉えどころのない視線はもちろん、表情のない顔も、人間を連想させるものじゃない。あくまでも道具、よく言えば人形程度の見てくれだ。だが、妙な趣味があるならともかく、普通は人形だって素っ裸で飾ったりはしないだろ。

 

 勝亦のシャツを羽織ったまま、システマは突っ立ってるだけだ。俺はため息をついて横目にシステマを睨んで手を伸ばした。くそ、手間のかかる。そうぼやきながらシャツを引っ張ってシステマの腕を袖に通す。続いてボタンを留め始めたところで勝亦が堪えきれない、という風に吹き出した。

 

「なんだよっ」

「いや。能戸って子供の世話とか得意そうだと思ってさ」

 

 ど阿呆。誰がだ。そう即座に応えて俺はシャツのボタンを留め終わった。人間の子供とシステマを一緒にするな。こんなぎくしゃく動くんじゃ、人形そのものじゃねえか。関節曲げる時の違和感も相変わらずだ。俺は笑った勝亦にそう文句をつけてみた。するとほう、と勝亦が感心したような声を漏らす。あのなあ。

 

「感心してどうすんだよ。大体、人間と比べるなんて間違ってるんだ」

 

 あそこも違うしここも違う。俺が指摘するたびに勝亦がふんふん、と頷く。てめえ、真面目に聞いてんのかよ。腕組みして感心顔で頷いたところで俺は納得なんざしねえぞ。まあ、元気になったのは安心したが。

 

 さんざっぱらシステマの文句をまくし立てた俺に勝亦が言う。

 

「いつもながら思うんだが」

「何だよっ」

 

 早口でシステマをこき下ろしたからか、俺の息は少し上がっていた。だが俺と勝亦が話をしていても当のシステマはぼんやりと突っ立ってるだけだ。ほらみろ。悪口言われたとも感じてないじゃないか。感情スイッチ入っててこれだぞ。人間と比べるなんて間違ってる。

 

「能戸ってシステマのことよく見てるよな」

 

 のんびりとした口調で指摘された途端、俺の頭は真っ白になった。しばし思考停止。でもって動き出したと同時に俺は思わず喚いた。

 

「当り前だ! 営業が商品のこと知らなくてどうすんだよ!」

「でも内容については能戸の耳ってザルなんだよな」

 

 怒りを込めて言った俺に勝亦が呑気に答える。さすがに俺は二の句が告げなかった。確かに言われてみればそうだ。システマの機能などについては俺はてんで把握していない。せいぜいが勝亦の説明を流し聞きする程度だ。

 

「いいんだよ、中身は。技術営業が何のためにいると思ってんだ」

 

 勝亦の言い草をふん、と鼻で笑ってから俺は改めてシステマを見た。背丈は……そうだな。俺の姪っ子でこのくらいのがいるから七、八歳てとこか。でも体型なんて比べ物にならないな。システマはあくまでも細く、言わば痩せっぽちだ。今時、そのくらいの歳でこんな体型してる子供のが珍しいだろ。姪っ子なんてあの歳でけっこうめりはりの利いた体型してるしな。なんてなことをシステマを見ながら俺はぼんやり考えた。勝亦が上着代わりにしてるらしい長袖のシャツはシステマには合っておらず、袖や裾が余りまくってる。肩なんて細すぎて襟ぐりからはみ出しちまいそうだ。

 

「その数が絶対的に足りないって文句言ってたのは誰だったかな?」

 

 茶化して言ってから勝亦がなあ、とシステマに話を振る。阿呆。こいつに話を振ったって仕方ないだろ。俺がそう思った通り、システマは何の反応もしない。ほらみろ、とつい呟いてしまってから俺はため息をついた。勝亦が訳知り顔でにやにやと笑ってる。こいつ、俺の反応を見るためにわざとシステマに話を振りやがったな。



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I 3604 Twins RC(3

 勝亦は特にシステマに用があって呼んだ訳ではなかったらしい。が、システマからシャツを剥ぎ取ることもなく席を立つ。ついでだからちょっと付き合え、と言われて俺は渋々と勝亦に従った。

 

 開発部の部屋を出たところでふと勝亦が足を止める。IDカードを携帯しているか確認され、俺は素直に頷いた。というか、基本的に俺はポケットに財布突っ込んでるからな。カードはいつも持ってるぞ。そう答えた俺に勝亦がよし、と頷く。何なんだよ、一体。

 

 客に直に接することのない開発部所属の勝亦の格好は今の俺と変わらない。うわ、何か遊びに来てるみてえ。そんな感想を言った俺に勝亦が困ったように笑う。よし。勝亦の顔色はまだ良くはないが気分は良くなってきてるみたいだ。飯も食ったしこれなら大丈夫だろう。勝亦と喋りつつ俺はそう思った。

 

「お前、納品担当にならなくて良かったな」

 

 からかい混じりの勝亦の言葉に舌打ちをし、俺はため息をついた。要するに納品担当の連中は裸のシステマを当り前に扱ってるって言いたいんだろう。それは判る。

 

「仕事なら別に動揺もしないだろ。そのうち見慣れるだろうし」

 

 エレベーターに乗り込んでから俺は階層を示すパネルを見つめ、勝亦に声をかけた。

 

「何階だ」

「四十二」

 

 はあ? たかが二つ上? そんなもん、階段上がった方が早いじゃねえか。俺はしかめっ面で勝亦を振り返った。だが勝亦は平然としている。へえへえ、と返事して俺はボタンを押した。ほどなくエレベーターの扉が閉まる。軽い抵抗感の後、エレベーターはあっけなく四十二階に着いた。まあ、そりゃそうだわな。地下鉄の駅のある地下二階から営業所までにしたって、エレベーターでかかる時間なんて短い。二階層分くらい、あっという間に着いてしまう。会話する間もなかったな。そんなことを思いながら俺は開いた扉の向こうを見て絶句した。

 

 青白い廊下が真っ直ぐ続いている。

 

「ほら。何してるんだ」

 

 ご丁寧にエレベーター前にガードボックスが設えてある。俺は疑問を覚えつつも勝亦と同じようにカード入りの財布をボックスにかざした。

 

 この本社のビルの中で見たことがないような細く長い廊下が続くせいか、周囲の景色は酷く現実離れして見えた。ライトも何もないのに廊下全体がぼんやりと青白い光に包まれているのだ。勝亦曰く、壁が半透過性の材質で出来ており、向こう側の光を通すんだと。いや、それにしたってだよ。何でまた青白なんだよ。こんな不健康そうな色の光に囲まれてると、無意味に鬱になりそうなんだが。

 

 俺はおっかなびっくりで壁に触った。つるんとした奇妙な感触がある。だが確かに勝亦の言う通り、壁そのものが光ってる訳じゃないらしい。ひんやりとした壁をしばし指先で確かめるように撫でてから俺は勝亦をうかがった。俺が好奇心に負けて色々してるのが面白いのか、勝亦の奴、わざわざ立ち止まってやがる。

 

「興味があるなら素材の解説でもしようか?」

「要らん」

 

 勝亦の言い方にかちんと来て俺は素気なく返事した。そうか、と頷いて勝亦が歩き出す。今度は俺もちゃんと勝亦について歩いた。

 

 ここが同じビルの中だとはとても思えない。誰もいない長く細い廊下が続いている。時折、影が過ぎるのは壁の向こうを何かが横切るからだと言う。青白かった勝亦の顔色は、この光のせいで余計に悪く見える。

 

 直線に見えていた廊下は実は緩やかなカーブを描いていたらしい。光の加減でごまかされて真っ直ぐだと思いこんでいたようだ。気がつくと俺たちは振り返ってもエレベーターが見えないところに居た。へえ、曲がってたのか。振り向いてエレベーターが見えないことを確認してた俺は、勝亦に促されて壁の端にあるガードボックスに財布をかざした。……おいおい。一体何台ボックス設置してるんだよ。エレベーター降りてちょっと歩くだけでこれか。しかも特にドアがあったりする訳じゃない。ただの廊下のど真ん中だぞ。

 

「あの部屋に着くまでに七回チェックがあるかな」

 

 俺が文句を言おうとしてたことに気付いたのか、あっさりと勝亦がそんなことを言う。ちょっと待て!

 

「七回だと!? んな、社長室に行こうってんじゃねえんだろ!?」

 

 うちの会社役員は最上階からその二階層下辺りまでに個人的な部屋を持っている。その階層に足を踏み入れたことはないが、所長の自慢話によるとIDチェックも相当厳しいらしい。

 

 だがここは違う。この階は開発部の管轄のはずだ。

 

「あんまり大きな声を出すなよ。一応、能戸は部外者なんだし」

「てめえが連れて来たんだろうが」

 

 呆れるやら腹が立つやらで、ついつい怒鳴ってしまいたいところを堪えて俺は低い声で言った。くそったれ、勝亦。てめえ、どこまで俺を引っ張り回せば気が済むんだ。

 

「そうだっけ」

 

 とぼけた顔で言い切ってからまた勝亦が歩き出す。さすがに付いて行くのもばからしくなり、俺は勝亦に背を向けた。

 

「あほくさ。そんじゃ、俺は帰るぞ」

「新しいシステマを見せてやろうと思ったんだけどな」

 

 即座に勝亦が言う。俺は歩き出そうとしていた足をぴたりと止め、慌てて振り返った。勝亦がにやりと人の悪い笑い方をする。このやろう……。

 

「まだ出来てねえんだろが」

「過程とか、気にならないか? 僕なら気になるなあ。どんな風に作られた物を自分が売っているか、とか」

 

 くそ、痛いところを突きやがって。俺はふん、と鼻を鳴らして廊下を再び進み始めた。冗談じゃねえぞ、まったく。文句言いまくりつつも俺は勝亦について歩いた。

 

 青白い光の中に硬質な金属の扉が浮かぶように立っている。エレベーターからここまでそんなに距離はない。なのに何だ、この厳重な警戒ぶりは。たかだか廊下歩いて部屋に行くだけのことだぞ。しかも目的のドアが見えてからもガードボックスが二つ。もう、ここまで来ると警戒どころの騒ぎじゃねえだろ。



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I 3604 Twins RC(4

 声を落とせと警告されてからの俺は、隣を歩く勝亦にだけ聞こえる程度の声で文句を言いまくった。なのに勝亦の奴はいたって平然としてる。こいつ、感覚がどっか麻痺してるんじゃねえか? そんな疑いを俺が抱き始めた頃、ようやく問題の扉が開いた。金属製のどうということもないありふれたドアが開いたその先は。

 

 海?

 

「ほら、固まってないでさっさと来い」

 

 細かな気泡がゆらゆらと立ち上る青い液体が俺の周りを取り囲んでる。いや、違う。青い液体の中に透明な壁に囲まれた通路に俺がいるのか。周囲はどこを見ても青。その液体の中に白い光が一定間隔で並んでる。さっきまでの廊下は乳白色の素材で出来てたらしい。だからこっちの色が透けて壁が青白く光ってたんだ。

 

「能戸」

 

 勝亦の少し強い呼び声に俺ははっと我に返った。いかん。つい、見とれてしまった。水族館かよ、ここは。そんなことを言いながら俺は急いで勝亦のところに向かった。勝亦が呆れたように俺を見る。もしかしたら俺の反応が子供のようだとでも思っていたのかも知れない。

 

「これは浄化槽なんだ。あれは殺菌用のライトだ」

 

 青い液体の中で光ってるライトを指差し、説明しながら勝亦は酷くゆっくりと進む。俺はその少し後ろを歩きながら黙って頷いた。青い液体の中で白いライトが光り、その周辺を大きな板状のものがゆっくりと移動する。勝亦曰く、液体を循環させるために底部を混ぜ返してるんだと。さっき廊下を歩いている時に過ぎっていたのは攪拌用の板の影だったらしい。

 

 俺は本社ビルからは出てないんだよな。そう疑りたくなるくらいには周りの光景が非現実的に見えた。こんなので集中なんて出来るかよ。勝亦の説明なんて耳を素通りしちまう。

 

 やがて通路が傾斜する。通路の行き止まりにはそこだけえらくぼろい鉄製の階段があった。どうやらこのフロアは四十三階までぶち抜かれているらしい。そう言えばエレベーターの階層を指定するボタンに四十三って数字はなかった気がするな。

 

 階段の途中で思わず足を止める。俺は天井があるべきところを見上げて絶句した。

 

「卵……?」

 

 青い液体の中を上に向かって進んでいくうちに、少しずつ液体の向こうの様子が見えてくる。ここからだと丁度、白い卵形のものが並んで中空にぶら下がっているように見える。ぶち抜きの四十三階の天井にはごく普通に明かりが灯っているのだろう。一定間隔で並んでいる白い卵が光のゆらめく青い液体に浮いているように見え、俺は何とも不思議な気分になった。

 

「ケースだよ、ただの」

 

 こちらは足も止めずに勝亦が答える。ふうん、と一応は返事して俺はまた歩き出した。一面の青、光の揺らめく足元、宙吊りの卵、真っ白な壁と高すぎる天井。下手に真面目に観察してると眩暈を起こしそうな景色だ。

 

 長い階段を上がり切ると透明な壁に囲まれた部屋に出た。非現実的な光景から、現実的な機械の置かれた部屋に景色が変わったからだろうか。さっきまで青い液体の中を自分が漂っていたって錯覚まで起きそうになる。そう考えて俺は慌てて首を振った。当り前じゃねえか。何メートルかは知らないが、この液体って相当深さがあるぞ。そんなとこを呑気に歩いて来れるはずがないだろ。息はどうすんだ、息は。そう考えつつ俺は改めて部屋の壁の向こうの景色を眺めた。この壁、透明度の高い素材で出来てるんだろうな。壁で仕切られてるってのに、まるで間に何もないように向こうの景色がクリアに見える。

 

 下から見ると青い液体に白い卵が並んで浮いてるようにしか見えなかったが、この部屋から見下ろすと勝亦の言ったケースという意味がよく判る。卵を縦に半分に割ったような形の物が整然と並ぶ様を見て、俺は思わず壁に張り付いた。休日だからなのかな。この部屋には他には誰もいない。壁の向こうに見える不思議な光景の中で動いているのは微かに波打つ青い液体だけだ。

 

「この溶液は各ケースを循環した後、下の浄化槽に流れる仕組みなんだ。集められた溶液は不純物を取り除かれてまたケースを循環する」

 

 淡々とした説明を聞きながら俺は目を細めた。だが光の加減かな。目を凝らしても並んでいるケースの中を窺い知ることは出来ない。下から見ると白かったケースも、表面は鉛色をしているのだ。縦半分に割れた卵の形、というのが一番近いか? 一つ一つのケースの大きさは子供用のベッドくらいかな。大人が身体を伸ばすと横幅はともかく、縦はちょっときついだろってサイズ。

 

 ここが例えば俺の勤めるいつものオフィスだったら。これがごく普通の、俺にとって非日常的な光景でなかったら、すぐに卵のケースのところに行かせろとせがんでいたのかも知れない。だがこの時の俺は驚くのが精一杯だった。同じビルの中にまさかこんなもんがあるとも思わなかったし、何より勝亦がこれを見ても平然としてるのが酷く不気味だった。

 

 目の前の光景に息を詰めていた俺はふと気付いた。そう言えば卵の間に細長い通路っぽいのがある。通路を目で辿った俺は顔をしかめた。ずっと向こう、俺たちが入ってきたドアの方に伸びた通路はあるところで別の通路に交わり、でもってその先がこことは違う場所に向かっているのだ。



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I 3604 Twins RC(5

 

 

 このフロア、どんな構造してんだよ。ドアが幾つあるんだ? しかもよく見りゃ、ここだけじゃない。フロアの壁に沿って別のところにも部屋がある。でもこの部屋に繋がってるドアは一つきり、さっき来た道を通るしかここに来る方法はないように見えた。

 

「おい。一体、ここって何なんだよ」

 

 透明な壁にへばりついたまま、俺は勝亦に声をかけた。振り返った俺を勝亦がやけに静かに見ている。

 

「試験機を製作するためのフロア、かな。ここは見学室だ」

 

 だから見るだけなんだが、と言いながら勝亦が部屋の隅に寄る。そこにはシステマではない、ごく単純な機械が設えられていた。赤と青のボタンの並んだその横に、テンキーだけがある。何だそれ、と俺が訊ねる前に勝亦が言う。

 

「これはケースを動かす操作盤だ」

「……いつも思うんだが」

 

 勝亦の前にある操作盤とやらを指差したまま、俺は眉を寄せた。

 

「何で俺が言いたいことが判るんだよ」

「そりゃあ、能戸がポーカーフェイスが苦手だからだろ」

 

 要するに読みやすい顔してるってか。けっ。悪かったな。勝亦はわざわざ言わなかったが、言葉の端々に営業の癖してって匂いがすんだよ。こっちの機嫌が悪くなったことをすぐに見取って知らん顔するとこも実に可愛くない。

 

 勝亦がボタンを押してテンキーを打ち込む。すると間近で何かが軋む音がした。何だ? 俺は慌てて音のする方を向いた。そこで目を見張る。

 

 並んでた卵が動いてる!?

 

「試作機別にケースが分かれていてな。番号を指定するとそれが近くで見られるようになってるんだ」

 

 そう言いながら勝亦が俺の横に並ぶ。俺は壁に手をついて足元で動く卵型のケースを凝視した。少し離れてるから判りにくいが、ケースごとに確かに番号が振られているように見える。俺は目を凝らしてケースの表面に書かれている文字を読んだ。あ、これ知ってる。I 3600 J。ちょっと前にかなり売れ線だったシステマの商品番号だ。次はI 3601 cherry。女性向けってことで鮮やかなカラーリングってコンセプトで開発されたんだが、どうもシステマの頭や瞳、爪をさくらんぼ色に染めたところで大して客は興味を抱かないらしい。うちの商品の中では今ひとつ売上も伸びなかった。

 

 見覚えのある商品番号が続く。卵型のケースはまるで線路を行く電車のようにゆっくりと進んでいる。二列で環状になったレールの上を移動しているのだと勝亦は説明した。なるほど。電車みたいだって思った俺の感想は間違ってないわけか。で、ケースを横に動かすときは横二列のレールの上を動くんだと。縦横の組み合わせで自在にケースを移動させることが出来るらしい。まあ、それをするのは機械だけどと勝亦が笑う。俺は横目にちらっとだけ勝亦を見てから視線を戻した。

 

 そしてゆっくりと一つのケースが近付いてくる。I 3604 Twinsの文字を確認した俺は思わず息を潜めた。自然と脈が上がる。くそ、何でこんなにどきどきするんだよ。授業で指された生徒じゃあるまいし。俺たちのいる部屋の一番近くで止まった卵型のケースを俺はじっと見下ろした。これじゃ中なんて確認できやしねえ。近いっつっても五メートルは離れてる。しかもケースの中はどういう訳か真っ暗で、表面に書かれた灰色の文字が少し浮いて見える程度だ。これで文字が黒だったら全然見えなかっただろう。

 

「見えねえよ」

 

 仏頂面で言った俺に勝亦がはいはい、と笑って返事する。すっかりいつもの調子を取り戻したのか、勝亦はまるで子供のように俺をあしらってくれる。だが俺はそんなことに構っていられなかった。

 

 そのケースの内部に光が灯る。ケースの中で照らし出されたものを見て俺は息を飲んだ。青い溶液の中で身体を丸め、横たわっているのは一人の少女に見えた。ケースの表面に浮き上がった商品番号がなければ、俺はそれをシステマと思えなかったかも知れない。

 

「な、なんだ。もう出来てんじゃねえか」

 

 動揺を隠したつもりでも俺の声は勝手に上ずっていた。だが勝亦は不思議と俺をからかうことはなく、静かに隣に戻ってきた。じっとケースを見下ろして指差す。俺は勝亦の指の先を見て眉を寄せた。

 

 I 3604 Twins RC1。そう、ケースには書かれていた。最後の文字を見取った俺は、その瞬間に理解した。これは試作機なのだ。恐らく実際に客に売る商品はこのままの形はしてはいない。勝亦の少し歪んだ顔が何よりそのことを物語っていた。寂しそうな、それでいて怒っているようにも見える不思議な表情だ。

 

「RCというのはリリースキャンディデートって言ってな。実際に製品化が確定する前に候補としてあげるバージョンのことだ」

 

 勝亦の顔に浮かんでいた見慣れない表情はすぐに消えた。だが俺はしばらくじっと勝亦を見ていた。こいつがあんな顔するなんて珍しいってのもあった。でも本当は多分、本音を言うって判ってたんだろうな。目が離せなかったってのがある意味正しいかも知れない。

 

「本当はRC1がRTMになる予定だった。でも、方針が変わってな。結局はRC2が製品としてリリースされることに決定したんだ」

 

 RTMというのは要するに工場行きって意味だ、と勝亦は小声で補足した。

 

「つまり実際に俺らが売り歩くのはこいつじゃないってことか」

 

 訊かなくても判っていたのに俺は勝亦にそう訊ねた。ばかばかしい話だとは思う

が、膝を抱えて丸くなったシステマを見下ろした勝亦がとても残念そうに見えたんだ。

 

 勝亦は俺の質問には答えなかった。



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二章
誰が洗うんだ!! 1


とりあえず少女の方が出てきました。
一話が長すぎますかね?(汗)


 雨傘を傘立てに放り込んでにっこり笑顔で店員に挨拶。ついでにご機嫌伺いなんぞして、俺はとある営業先の店長が出てくるのを待った。

 

 待ちに待った新製品のリリースは梅雨のど真ん中のとある日に行われた。前評判は上々、客の食いつきもすこぶるいい。うちの営業所長はいつも以上の売上に珍しく上機嫌ときた。

 

「お待ちしておりました! さあ、どうぞ」

 

 にこにこ笑顔の店長が店の奥から出てきて俺にそう言う。おいおい、どっちが客だかわかんねえよ。そんなことを思いつつもいつもの通りに笑顔を作って営業開始。ああ、うぜえ。

 

 足を棒にして稼げ、なんて古臭いせりふで所長は俺たちに毎朝はっぱをかける。新製品が出てから一週間、それがずっと続いている。うざいったらないよな。あれだけ俺たちを毎日こき下ろしてた所長がだぞ。一気に手のひら返した日には、気持ち悪いとしか言いようがないだろ。

 

 それでもやっぱり中條先輩の成績は群を抜いていて、契約結んだ客の数は俺とは桁違いだ。いや、やっぱ中條先輩は凄いわ。俺も江崎も感心しきりで、でもそんな俺たちも酒飲んでる余裕がないくらいに営業に追われてた。

 

 本当は多分、売れ行きが好調だと喜ぶべきなんだろう。それは俺も判ってる。だが俺は件の製品版システマが初めてうちのオフィスに搬入された時、やっぱり落胆しちまった。ああ、勝亦の言ってたことは正しかったんだってな。

 

 営業所にお目見えしたシステマは、あの日、俺が見たものとは全く違っていた。姿形はこれまでに出ているうちの製品とそう変わらない。子供ほどのサイズだ。男女で揃ってはいるらしいが、俺の目にそれはさして珍しいものには見えなかった。あの時に感じた衝撃も何もない。ああ、これが新しい製品なのかと心のどこかが妙に冷えただけだった。

 

 そんな新製品がリリースされてからたかだか三日。その三日の間に営業所内はがらりと変わった。とにかくI 3604 Twinsを持ってこいと客がせがむのだ。前評判は確かに高かったが、何故ここまで売れるのか。その謎について考えつつ俺はいつも以上に手を抜いた営業トークを展開した。……正直、やってられっかよって気分だ。

 

 相手は笑顔を見せながら新しいシステマについて根掘り葉掘り聞いてくる。その度に俺も仕様書をご覧下さいとかわすんだが、それで客は諦めたりしない。要するにシステマの内容を仕様書を見るのではなく、俺の口から聞いて理解しようとしてるんだな。阿呆か。俺は開発者じゃねえんだよ。んな、商品のことを隅から隅までいちいち知ってる訳ねえだろうが!

 

 どうやらこのI 3604 Twinsって奴は客の間でもかなりの噂になってたようだ。そのことはリリースされた直後に俺にもはっきりと判った。そうでないとこの売れ方は説明出来んだろ。普段はのんびり適当に営業してる俺が、毎日残業までする始末だ。ああくそ、飲みにいきてえ。

 

 こっちがどれだけ手抜きの対応をしても客はお構いなしで話を振ってくる。中でも特に多いのは商品を優先的に回してくれって話だ。だが残念ながら俺だけじゃなく、営業の連中は複数の客を持っている。その上、工場から上がってくる商品の数には限りがある。一人あたりどれだけの注文を取ることが可能かは、実は最初から決まってるんだな、これが。まあ、その上限設定が役に立つのは営業所始まって以来のことらしいが。

 

 成績優秀者である中條先輩と俺の商品販売限界数には一桁の差がある。ま、当然だな。普段の成績を考えたらそれでも差が少ないくらいだ。そんでもって営業所はうちだけじゃない訳だ。それを考えると市場にどれだけの数が出るか、俺には見当もつかん。

 

 でも何かが気に入らない。俺は客を適当にあしらってその店を出た。傘立てから取り上げた傘を片手で開く。お願いしますよ、という店長の声に押されるようにして俺は足早に店を後にした。

 

 勝亦の奴から聞いた話では、正式に商品化されたシステマは、俺が見たあのシステマとは別に製品候補に上がってたものらしい。そのことを話したあの日から今日まで、勝亦は珍しく俺の前に姿を現していない。俺からも連絡を取っていないから勝亦が今何をしているのかは判らないままだ。もしかしたら新しい製品の開発に着手しているのかも知れないし、それとも少しはのんびりしているのかも知れない。そんなことを考えつつ、俺は雨の中を足早に歩いた。

 

 社用車の中で一息。鞄から引っ張り出したボトル入りの茶はぬるくなっちまってる。ジャケット脱いで汗を拭き、とりあえず俺は乾ききった喉を潤した。このくそ蒸し暑い中で、何で喉だけ律儀に渇くかな。湿気がこれだけあれば、呼吸するだけで肺から水分取り込んでも良さそうなもんじゃないか。それとも何か。出してる汗のが摂ってる水分より多いって……まあ、実際、そうなんだけどな。

 

 エンジンかけて空調入れ、涼しくなったところで俺は鞄から携帯端末を取り出した。営業表を呼び出してさっきの店をチェックする。契約数書き込んで、商品搬入予定日を書き込む。うわ、やっぱり今日も残業かよ。残りの客数見た俺はうんざりしてため息をついた。

 

 自慢じゃないが、俺は特に仕事が好きって訳じゃない。要領よくやって、出来れば楽して金だけ貰いたい。なのにちっとも上手く行かないんだよなあ。内容のことなんざどうでもいいと思ってるのに、勝亦の奴がシステマの解説をしまくってくれる。営業成績なんてそこそこでいいじゃんと思うのに、所長は目を吊り上げて俺を説教する。中條先輩も江崎もそれなりに上手くやってるってのに、何で俺は駄目なんだろう。

 

 あ、やばい。のんびりしてる暇なんてなかったんだ。俺は慌てて車を出した。

 

 疲れ果てて仕事を終え、帰った家でビールの一本でも飲めれば上出来って日々がしばらく続いた。最初は家に帰ってベッドに直行してた俺も、日が経つにつれて忙しさに慣れていった。I 3604 Twinsの売上は相変わらずで、爆発的って言ってもいい勢いで市場に流出してる。マスメディアで商品のことを取り上げられることも多いらしい。宣伝費が浮いていいねえ、と笑ってたのは確か広報の奴らだったかな。奴らが特に動かなくてもマスメディアが勝手に取り上げてくれるんだと。




うーん。スマホ表示にした時、かなり長いかも知れない……。
途中で切って次の段落にした方がいいのかどうか悩みます(泣)

分割中w


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誰が洗うんだ!! 2

 I 3604 Twinsがリリースされて二週間。そろそろ梅雨も終わって本格的な夏が始まるって頃になっても俺の気分はすっきりしなかった。営業成績上がったら給料増えていいじゃないですか、なんて江崎の言葉も頭を素通りする。いつもなら俺も諸手を挙げてその意見に賛同してたんだろうがな。何せ、俺たちが苦労しなくても客の方から売ってくれって煩く言われるんだ。営業努力が微塵も関係ないなんて、こんな笑える話もないだろう。

 

 もちろん先回りして情報を流したってのもあるんだろう。所長が必要以上に喜んでるのも多分そのせいだ。きっとあれだな。上司に誉められでもしたんだろ。でなけりゃ、どう見ても手抜き営業しかしてねえ俺はさすがに叱られてるだろう。

 

 そんな時だった。俺は終業時間を超過して帰社し、警備室で所定の手続きをしてからオフィスに向かうエレベーターに乗ろうとした。降りてきたエレベーターの扉が開き、乗り込もうとしたところで俺は動きを止めた。一人きりでエレベーターで降りてきた勝亦が俺と同じように驚いた顔をしている。

 

「久しぶりだね」

「おう」

 

 いつも通りに返事した俺の脇を抜けた勝亦がじゃあ、と歩いて行く。俺は慌てて振り返って勝亦を呼び止めた。警備員の詰める部屋の前を過ぎようとしていたところで勝亦が足を止める。

 

「ちょっと訊きたい事があるんだが」

「今すぐ?」

 

 もしかしたらリリース直後から別の商品の開発でも始まったのか。そう俺が思っちまう程度には勝亦の顔色は冴えない。おまけに白衣着たまんまじゃねえか。そんな格好で電車に乗ろうってのか?

 

「いいから来い」

 

 そう言って顎をしゃくってから俺はエレベーターに向き直った。タイミング悪すぎだ。何で乗ろうとしたとこで閉まるかな。どうやらエレベーターの扉が閉まったところでたたらを踏んだ俺を見ていたらしい。勝亦が格好つかないな、と笑う。相変わらず嫌な野郎だ。

 

 社員が専用で使えるエレベーターは二基だ。それ以外のエレベーターはテナントの入った六階で乗り換えることになる。行ってしまったのとは別のエレベーターが下りてくるのを待っている間、俺たちはどちらも口をきかなかった。俺の方は訊きたいことは山ほどあるんだがな。どうも人の目が気になって切り出せない。勝亦はそんな俺に言いたいこともないのか、やっぱり黙ってる。

 

 無言でエレベーターに乗り込んで扉が閉まったと同時に勝亦が言う。

 

「売れてるらしいな」

「あー? ああ、新しい奴か?」

 

 わざわざ訊き返さなくても新製品の話に決まってる。なのに俺は何となく訊き返した。するとああ、と勝亦が頷く。

 

「そうらしいな」

「何だ。売れているのに浮かない顔して」

 

 不思議そうに勝亦が言う。俺は深々とため息をついて肩から力を抜いた。くそ暑い中を歩き回ったおかげで足は痛いし、身体はだるい。

 

「お前、俺に嘘を教えやがっただろう」

 

 言いたい放題に愚痴を吐いてから俺は勝亦にそう言った。すると勝亦が怪訝そうに眉を寄せる。ばかやろう。そんな顔したって無駄だ。

 

「お前が俺に説明したのと、新しい奴って違うじゃねえか」

「へえ」

 

 感心したような声を出して勝亦が薄く笑う。その笑い方に引っかかるものを感じ、俺は続けて文句を言おうとしていた口を閉じた。何だ? いやに不気味なんだがな、その笑い方。何だよ、と俺が声を荒らげたと同時にエレベーターのドアが開く。

 

 誰が聞いているかも判らない、こんなところで文句をぶちまける訳にもいかない。俺はまばらに人の残るオフィスで手早く営業日誌を書き込んだ。慌ただしく作業する俺の後ろで勝亦はじっと待っている。隣に座る江崎にお疲れ、と声をかけてから席を立つ。

 

「下で待ってても良かったじゃないか」

 

 作業を終えてジャケットを取り上げた俺に勝亦が呆れたように言う。うるせえ。うだぐだ言うんじゃねえ、と小声で勝亦を脅してから、俺はオフィスを出た。こんなとこで落ち着いて話してられない。かと言って、勝亦が言うように地下で待たせておくって気にはならなかったんだよ。逃げられたらしゃくだしな。大体、白衣着たままどこ行くってんだ。

 

 勝亦を促して、俺は開発部に向かった。何で下に行かないのかって? 決まってんだろう。俺は確認したいことがあるんだよっ。

 

「で? 僕が嘘を教えたって?」

 

 不思議なことに開発部一課には誰もいなかった。勝亦が明かりのスイッチを入れる。すっかり暗くなっていた部屋はすぐに明るくなった。がらんとした部屋をぐるりと見回してから俺は勝亦の席に近づいた。

 

「そうだ。てめえが言ってたのと、リリースされた奴、まるで違うだろう」

 

 勝亦からさんざっぱら聞かされた解説は多分あのシステマの内容だ。あの日に見たシステマのことを思い起こしながら俺は訊ねた。勝亦は自分の席に腰掛けてじっと俺を見上げている。

 

「引っ張り出された会議で妙なこと言われたんだ。2wayとは資料のどこにも書いてないってな」

 

 だからえらい恥をかいてな。俺はしかめっ面でそう言った。すると勝亦がなるほど、と頷く。ばかにするかと思ったのに勝亦はやけに真面目な顔をしている。

 

「なのに2way方式を採用しているって勘違いしてる客が殆どだ。これはどういうことだろうな?」

 

 そう。俺が一番腹が立っているのはそこだ。何で客達は口を揃えて勝亦の説明した通りのことを言うんだろう。二台で一台、大きな仕事を分けてさせるんですね、と納得顔で頷いていた客達の顔が脳裏を過ぎる。その方式ならこれまでよりずっと速く作業が進む。客達はそう理解しているんだ。



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誰が洗うんだ!! 3

 もちろん前振りとして流した情報もまずかったんだろう。後で俺も確かめたが、いかにも2wayですって言わんばかりの情報だったしな。だがしかし、所長が意図的に流したその情報ですら、はっきりと2wayとは明記されていなかった。

 

 俺たちゃ総出で客を騙くらかしてんじゃねえか? それが売り上げ絶好調、システマの新商品に対する俺の感想だ。

 

「能戸の意見はある意味では正しいな。そう、リリースされたあの商品は2wayじゃない。そう見えるようにされてはいるが、全く違うものだ」

 

 淡々と勝亦が言う。俺は目を吊り上げて怒鳴りつけた。

 

「最初から俺を嵌めるつもりだったのか!?」

「違う」

 

 憤りに任せて喚いた俺に勝亦がぴしゃりと言う。あっさりと否定されて俺は口をつぐんだ。

 

「僕が能戸に説明した時まではRC1が製品化されることになっていたんだ。そのつもりで僕たちも動いていた」

 

 勝亦の声は少し掠れている。喋りながら少しずつ俯く勝亦を俺は見下ろした。こいつ、こんなに小さかったっけ。そんなことを思ってしまうほど、勝亦は消沈して身体を縮こまらせている。

 

「通常、新製品の開発は複数のチームであたることになってるんだ。RC1は僕らのチームが開発したものだ」

 

 複数の試作機を作ることで選択にも幅が広がるから。それは確かに道理だ、と俺は頷いた。商品開発の際、幾つかの候補作を作るってのは先に勝亦が言ってたことだ。俺もその方がより多くの可能性が生まれると思う。たった一つきりのものを候補にしてストレートに商品にしちまうより、チームごとに競わせた方がはるかに品質が向上するだろうしな。企業の上の奴らがそう狙ってるってのも頷ける。

 

 勝亦たちのチームが開発したI 3604 Twins RC1……くそ長いな。略してTwins RC1か。で、本当はTwins RC1が正式に商品化される予定だったんだそうだ。工場にも発注書を送り、材料が揃い、さあ商品を作りましょうって段で急に変更がかかったらしい。

 

 生産発注なんて冗談じゃ出来ないし、現に工場に勤める連中は変更通知を受け取って泡を食ったらしい。Twins RC1はRC2とはまるで別物だ。用意しなきゃならない素材だってまったく違う。だからおいそれと変更なんてしないでくれ、と工場長が泣きついてきたと言う。

 

 慌てたのは勝亦たちだった。何しろ勝亦たちは件の工場長の話で初めて方針の変更を知ったのだから。

 

「確かにRC1はRC2に比べると製造コストがかかる。でも僕たちはだからこそ、ぎりぎりまで案を詰めて何とかあれを作り上げたんだ」

 

 俯いてしまった勝亦を見下ろしていた俺は何も言うことが出来なかった。だからあの時、勝亦は俺にあれ以上の説明はしてくれなかったのだ。

 

「……何で急に変更になったか知っているか?」

 

 そう俺に問いかけながら勝亦が顔をあげる。質問されたことで俺はようやく喋るきっかけを得て答えた。んなもん、判るはずねえだろ。我ながら驚くくらい乾いた声が出る。俺はどうやら勝亦の話を聞きながら緊張してるらしい。自分らしくない声を聞いて俺は顔をしかめた。そんな俺に勝亦が力なく笑いかける。

 

「コスト削減のためというのがその理由らしい」

「要するに何か? 金がかかるからあっちにしたってことか?」

 

 大企業なのにせこい話だな。俺は呆れた気分でそう付け足した。すると勝亦が小声で笑ってため息をつく。疲れきった顔で俺を見てから勝亦はさりげなく視線をずらした。

 勝亦の視線の先にはシステマがあった。だがあれは恐らく試験機ですらない。硝子のケースに入った人形のごとく、展示してあるだけだ。部屋の片隅に置かれたそのケースをしばし眺めてから目を戻す。

 

「お前があれが2wayでないと気付いたのも驚きだが」

「あ、ああ。そのことか」

 

 小声で訊かれて俺は頭をかいた。実は開発部長に指摘されてからずっと考えていたんだ、と俺は素直に白状した。別に新商品のあのシステマを実際に使ったわけじゃない。そう付け足すと勝亦の奴はだろうな、と笑いやがった。くそ。なんかむかつく。

 

 勝亦が机に乗った液晶画面に向き直る。奴はおもむろに机の引出しを開けた。何するんだ、と俺が見守る中、勝亦がヘッドホン型のインターフェイスを装着する。っておい。珍しい光景に俺は思わず勝亦に声をかけた。だが勝亦は俺の呼びかけにも反応しない。

 

 通常、開発部の連中は標準型インターフェイスを使用しない。なぜかと言えば、奴らのスキルだとキーボード入力の方が速いからだ。キーボードにマウス、かつてパーソナルコンピュータが全盛期を迎えた頃の機器が、この部署では当り前に活躍しているのだ。

 

「いいからこれを着けろ」

 

 差し出されたもう一つのインターフェイスを俺はおっかなびっくりで手に取った。座れ、と言われて仕方なく勝亦の隣の空席に腰掛ける。何なんだよ、一体。そうぼやく俺に勝亦は言った。

 

「能戸は慣れていないだろうからな。いいか、それを着けたら動くなよ」

 

 身動き一つするなという意味ではないらしい。立ち上がってうろついたりするなってことだろ。なるほど、了解。要するに勝亦は俺がびびって動くのを恐れてるんだな。幾ら機械に疎い俺でも、そんなに驚く筈がねえだろが。俺は思わず勝亦に言い返した。すると勝亦がそうか、とやけに重々しく頷く。



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誰が洗うんだ!! 4

 ひんやりとした硬質な感触のインターフェイスを装着する。音楽を聴いたりするためのヘッドホンに形は似てるけどな。金属っぽい環が頭をぐるっと一回りしてるところがちょっと違う。これがシステマ専用のインターフェイスだ。何でも脳に直接働きかけるとからしいが、生憎と俺は普段はこんなもん使わない。使い方は簡単。ちょっとした訓練で誰でも使えるようになる。それは俺もよく知ってるんだけどな。どうもシステマと脳波で繋がるってのが不気味でな。出来る限りこいつは使わないようにしてるんだ。

 

「それは出力専用だからな。大丈夫だとは思うが慌てるなよ」

 

 勝亦がそう言ってふっと遠くを見る。なるほど。動画の類でも見せるつもりなのかな。勝亦も心配性だな。俺が動画ごときでびびるとでも……。

 

「うお!?」

 

 思わず叫んだ俺は何度か瞬きをした。その場の光景が一気に切り替わったからだ。だが瞬き程度では目の前の光景は消えてくれない。何だっていきなり外の風景なんだよ! しかも昼間ってどういうことだ!

 

「動くなと言っただろう。座れ」

 

 いつの間にか俺は立ち上がってたらしい。勝亦の声がした後、何かが肩に触れる。だがその感触のみで自分の身体がどうにかなったとは到底、思えない。何てったって俺は街のど真ん中、アスファルトの上に一人で立ってるんだよ。周囲には何もなし。でも微かに風が吹いてるのが判る。

 

 肌に当たる風を感じて漸く、俺はこれがシステマを介して見せられてる光景だってことに気が付いた。

 

「これが何だよ」

 

 俺は平静を装って訊ねた。どうやら俺の声そのものは勝亦に届いているらしい。すぐに返事がくる。

 

「それはテスト用の立体映像だ」

 

 ははあん、なるほど。これがそうなのか。俺は感心して思わず頷いた。

 

 システマはインターフェイスを通して使用者の脳波を読む。いや、これは言い方が悪いな。使用者側がセレクトした情報をシステマに読みこませているんだ。システマが勝手に使用者の意思を読むことはあり得ない。これは入力操作の大前提だ。そうでなければシステマはどこまでを命令と取ればいいか判らず、混乱してしまう。

 

 インターフェイスを用いて入力者はシステマに必要十分な意志を伝える。それに応じてシステマは動き、様々な働きをする。そのシステムを利用したごく簡単な例がIDカードかな。あれは持ち主の脳波パターンを読んでカードを介して個人照合を行うっていうシステムだ。本人であるという確認が出来るだけでいいので、カード所有者が意志をカードに読ませる必要はない。持ってるだけで自動的に個人照合が出来るってわけだな。

 

 おっと、話が逸れた。つまりはだな。システマが何故これだけ世間に受け入れられているかと言えば、この便利さにある訳だ。インターフェイスさえ着けてさえいれば簡単にシステマを使用することが出来る。入力しながら歩くことも可能だが、望むなら入力と同時に出力も可能ってことだ。その気になりゃ、実際に口を開けなくても考えるだけで電話だってかけられる。しかも相手の声は直接頭の中に聞こえてくるって方法でな。

 

 ちなみにシステマを使ったからって今の俺みたいな状況に陥ることはまずない。勝亦が言ったようにこれはテスト用のデモデータなんだよ。通常、日常生活等を著しく脅かす出力設定は出来ない。悪用されれば犯罪が増えそうだしな。あらかじめシステマにはそういった抑制機能が付けられてるんだよ。

 

 つまりだな。人の視覚や聴覚、触覚と言った様々な感覚から脳に送られる信号を、システマは出力の際にちょっと書き換えちまうんだな。まあ、判り易く言えば感覚を直に人の頭に叩き込んでるってことだ。

 

「例が悪いな。もう少し複雑なのじゃないと」

「ちょっと待て。これって録画じゃないのか」

 

 確かに見知らぬ街の中に一人立ってるって光景は凄いとは思うが、でもこれって録画映像だろう? そんなことを考えていた俺にあっさりと勝亦が言う。

 

「何を言ってる。ただの録画再生だと判らないじゃないか。これはテスト用だって言っただろ。システマがリアルタイムで演算して作り上げた映像だ」

 

 どうでもいいが、いないはずの勝亦の声が聞こえるってのも気色悪いな。しかも近くから聞こえるもんで、俺は思わず周辺を探しちまった。だがやっぱり誰もいない。くそ、どうせ出力させるなら可愛らしい女の子の声にでもしやがれ。

 

 それまで風の音しか聞こえなかった俺の耳に、少しずつ別の音が聞こえ始める。木の葉の擦れあう音、道を走る車の音、人のざわめき。街らしい音が揃ったところで今度は何もなかったところに木々やビルが陽炎のように現れる。舗道に街路樹が植わり、道を車が走る。歩道橋、信号、それから歩く人々が徐々に生まれる光景の中で、俺は唖然と目を見張っていた。

 

 これが録画ならわかる。話に聞いただけだが、システマは人の脳波に介入してこの手の動画を出力出来るってことは俺も知っていた。が、舗道に立つ俺を歩いてる人が避けてくんだよ。当たったところで感触はないかも知れないが、避けてるってことは……確かに勝亦の言う通り、システマはリアルタイムで演算してこの光景を作り出してるんだろう。

 

「これが一台の限界だ。処理速度は今の通り」

 

 淡々とした勝亦の声に俺は我に返った。いかん。つい、見とれちまった。実体の俺は多分、ぼおっとした顔で椅子に座ってるだけなんだろ。んでも、俺の目の前に広がる光景は現実以外の何物でもなかった。ゲームや映画等でこういった効果を使用する計画があるって話は聞いたことがあるが、こりゃ幾らなんでもやばいだろ。現実と幻想が区別つかなくなっちまいそうだ。風が吹けばきっちり服の裾ははためくし、木の葉は揺れる。車が吹き付けた風だって感じることが出来る。

 

「一台で処理させた速度は覚えたな? これをだな」

 

 そう言って勝亦がしばし黙る。見てろよ、と言われて俺は注意深く周囲の様子を伺った。現れた時と同様、今度は景色が少しずつ消えていく。人が消え、車が消え、ビルが消え、街路樹が消える。あらゆる建造物が消えた後、聞こえていた音が消える。最後に残ったのはアスファルトの何もない路面と空だけだ。



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誰が洗うんだ!! 5

 いくぞ、という勝亦の声の後、俺の耳に途切れていた街の音が聞こえ始めた。それと同時に消えていた光景が再構築される。……え? 音と同時? 驚く俺を余所に、さっきまで目の前に広がっていた光景があっという間に現れる。

 

「速い……」

「これがいま、お前の売ってる新商品の処理速度だ」

 

 淡々とした勝亦の声に俺は思わず顔をほころばせた。やっぱり凄いじゃないか。そんな思いを込めて周囲を見回す。先ほどと同じような光景が俺の周りに広がってる。感じる風や音も全ては現実のようだ。

 

「凄いじゃないか。二台だからだろ? これがお前の言ってた2wayじゃないのか?」

 

 もしかして俺は勘違いをしていたのだろうか。そんなことを思いつつ、俺は勝亦に訊ねた。だが浮かれた俺とは違い、勝亦は酷く冷静に答えた。

 

「二台で一度に処理させるから、速度は格段に上がる。まあ、そのために専用に書き換えたソフトを入れているんだけど」

 

 疲れたようなため息をついて勝亦が言う。じゃ、別に問題なんてねえんじゃん。気楽に言った俺に勝亦はしばし何も言わなかった。俺が苛立ち紛れに声をかけたところでようやく反応する。

 

「車酔いのような状態になるかも知れないけど我慢してくれ」

 

 そう勝亦は前置きした。続いて俺の見ていた光景が溶けて消える。なるほど、二台だと消えるのも速いってことか。少しずつ消えてたさっきとは違い、今度は瞬く間に上から下へと景色は消えた。

 

 ほんの束の間、俺の視界は暗転した。続いて俺の目に見えたのは静かなオフィスの光景だった。勝亦もいる。椅子に深く腰掛けていた俺はおもむろにインターフェイスを外そうとした。そこで思わず顔をしかめる。多分、慣れてないからだろう。ちょっと頭がぐらっとするな。

 

 ゆっくりとインターフェイスを外して勝亦に差し出す。だが勝亦は受け取ろうとしない。おい、と声をかけると勝亦はまだ使うから持っておけと言った。折り畳んでポケットにでも突っ込んでおけばいいか。

 

「今のようにシステマを使うには、同期という作業が必要になる。もちろんそれはシステマが勝手に判断するよう、あらかじめプログラムされてはいるけど、一台の時と同じソフトは使えない」

 

 何がまずいのか、俺にはこの時点では全く理解出来なかった。二台で一台の仕事だろ? どこが2wayじゃないんだよ。立派にその通りになってるじゃないか。そう不満を言った俺に勝亦が言う。

 

「そう。お前もそう思うだろう? 客がそう思うようにな」

 

 勝亦がゆらりと立ち上がり、インターフェイスを外して顎をしゃくる。俺は促されるままに勝亦について歩いた。勝亦が向かったのは、開発一課の部屋の奥、薄い壁に仕切られた向こう側だ。確かいつもならお偉いさんのいる場所じゃなかったっけか。

 

 とある机に寄った勝亦が引出しから何かを取り上げる。ただのカード? 俺はまじまじと勝亦の手元を見た。だがどんなに目を凝らしても白いカードの表面に何かが書かれているようには見えない。

 

「行こう」

 

 白衣のポケットに真っ白なカードを突っ込んで勝亦が歩き出す。何なんだよ、一体! 俺は訳が判らないまま、勝亦に従って部屋を出た。

 

 エレベーターホールまで大人しくついて歩いてから、俺は顔面が痛くなるくらいに目いっぱい眉を寄せて勝亦を睨みつけた。だが勝亦は知らん顔でエレベーターのボタンを押す。よくよく気分を晴らさせてくれねえ奴だ。どうしてこう、頭脳労働する奴ってのは持って回った言い方するかな。俺は早いとこすっきりしたいんだがな。

 

 そう思う心のどこかで俺は期待もしていた。これでこの間見たあのシステマをもう一度見ることが出来る。そう考えてしまってから俺は慌てて首を振った。なに考えてんだ、俺は。たかがシステマ、わざわざ見たいなんて思うわけがねえだろ。そう思い直してから俺はエレベーターに乗り込んだ。

 

 四十二階でエレベーターの扉が開く。やっぱ予想通りだなんて呑気に考えてた俺はエレベーターを降りて訝りに眉を寄せた。あれ? ここってこの間と違わねえ? 通路は前みたいに青白くないし、しかもいきなりエレベーターから降りたところで九十度左折だぞ。絶対、この間と違うだろ。ここ。そう訊ねた俺に勝亦は言った。複数並ぶエレベーターの向かって一番右端の一基がここに繋がっているのだという。そういえばこの間とは乗ったエレベーターが違ってたな。

 

「ああ、あんまり離れるなよ。ここは見学室直通路と違って、専用IDがないと通れないんだ」

 

 俺の心の叫びに気付いたような不気味なタイミングで勝亦が振り返る。離れかけてた俺は慌てて勝亦に駆け寄った。

 

「専用って、さっきのカードか?」

「そう」

 

 頷いて勝亦が片手を上げる。その手にはいつの間にかさっきの白いカードが握られていた。よくよく見れば勝亦が時折、左右に手を動かしているのが判る。って、あれ? でもガードボックスが見えないぞ?

 

「IDチェック、どうやってしてるんだよ」

「ボックスが埋め込み型なんだ。ほら」

 

 そう言って勝亦が足を止める。俺は指差された方を見た。なるほど。確かに小さな黒い点が壁に打ってある。どうやらこの点のあるところがポイントらしい。よくよく見れば左右の壁のあちこちにその点がある。

 

「このカードで通れるのは二人まで。ああ、言っておくが能戸のIDもエレベーターを降りたところでチェックされてるからな。変な気を起こすなよ」

 

 淡々と言って勝亦がまた歩き出す。変な気ってどういう意味だよ、とぼやきつつも俺は言われた通りに勝亦について歩いた。まったく、相変わらずマイペースな奴。



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誰が洗うんだ!! 6

 案内された部屋はこの間とは違い、透明な壁張りの外からも丸見えってのじゃなかった。硝子のでかい窓はあるが、ごくごく真っ当な普通の部屋。ちょうど俺のマンションのリビングくらいの広さか? でかい窓の向こうに見えるのは、こないだ見たのと同じ光景だ。だが見学室よりこの部屋の方がはるかに卵型のケースに近い。しかもドアなんてついてるから、直接にケースの並んでるとこまで行ける。

 

 ……というか、行ったんだけどな。二人して。ずらっと卵型のケースの並んでるとこまで。ケースが並んでる空間の手前には廊下が渡してあって、間近にシステマを見ることが出来るって寸法だ。ずらりと並ぶケースだけでも壮観だが、実際に間近に寄るとその光景に迫力すら感じてしまう。たかが硝子窓、たかが壁。なのに間に一枚あるだけで随分と見え方って変わるもんなんだな。

 

 先に勝亦が移動させたおかげでTwins RC1のケースが二つ、部屋のまん前に来てる。俺はまじまじとそのケースを覗きこんだ。……やっぱ、凄い。横向いて膝抱えて丸くなってるシステマは、少女にしか見えない。綺麗な横顔が青い液体の中に沈んでる。もう片方のケースに横たわってるシステマも、これまた少年にしか見えない。Twinsの名前は伊達じゃねえな。二台のシステマの面立ちはとてもよく似ていた。

 

 でも俺は開発は嫌だって心底思ったな。感動なんてあったもんじゃねえ。ケースから起きたと同時にこいつらときたら……。

 

 俺だって多少は期待もしていた。青い液体に満たされた卵型のケースから、まるでお伽噺みたいに優雅にシステマが起き上がる。なんてなことをちょっと思ったりもしてたんだよ。人魚姫かいばら姫、それとも白雪姫でもいいかな。まるで海から生まれたばかりって感じのイメージって言うか、とにかく幻想的なものを俺は心のどこかで期待してたんだよ。

 

 なのに現実はどうだ。ケースを覆ってた透明な板が音を立ててケースの内側にずれる。身体を丸めて横たわってたシステマが静かに目を開けてむくっと上半身起こした直後……どろどろと口から鼻から青いのを吐き出しやがったんだよ! 開きっぱなしの口や鼻から垂れ流される青い液体……青だぞ、青! 鮮やかなオーシャンブルーの……うああ、見たくねえ! せめて俯くとか口許隠すとかないのか! 特に女性型の方のお前!

 

「吐くな!」

「吐くなって……能戸、それは無理な注文だろう」

 

 休止中のシステマは胃や肺を溶液で満たされてるんだぞ。勝亦のそんな忠告なんざどうでもいい。俺はケースの中で身を起こした二台のシステマを指差して喚いた。ケースに上半身起こしたシステマはまだ口や鼻からどろどろと青いものを垂れ流してる。

 

「だから吐くなって言ってるんだ!」

「無茶を言うなよ」

 

 後ろから呆れたように勝亦が言う。俺は怒りに震えながら振り返った。

 

「じゃあ、機械か何かで吸い出せ! 見苦しい! 掃除機はないのか、掃除機は!」

「見なきゃいいだろう」

「ああ、そうする!」

 

 俺は怒りに任せて勝亦とシステマに背を向けた。背中越しに文句を垂れる俺によっぽど呆れたのか、勝亦は黙っている。しばらく後、もういいぞと言われて俺は恐る恐る振り返った。

 

 二台で一台。そう勝亦が説明した例のシステマ……Twins RC1が俺たちの立ってる廊下に並ぶ。こうして見てもはっきりと判る。こいつら、やっぱりリリースされたのとは違う。なにが違うって見た目からもうはっきりと違うんだよ。このTwins RC1は俺たちと大差ないサイズだ。歳で言えば十五、六歳ってとこか? しかもおまけに丸裸ときてる。俺は舌打ちをして並んだ二台のシステマから目を逸らした。嫌がる勝亦から剥がした白衣を手早く女性型のシステマに着せる。次いで俺は持ってたジャケットを男性型のシステマに投げつけた。顔面に向かって投げたジャケットをシステマが器用に受け止める。……あれ? えらく動きがスムーズじゃないか?

 

「とりあえず洗浄しないとな」

「待て。それはつまり」

「シャワールームくらいあるぞ?」

 

 当り前の顔で勝亦が言う。俺は慌てて言い返した。うわ、自分で判るぞ。俺、絶対赤くなってる。

 

「誰が洗うんだよ!」

「……なにを期待してる、なにを。そのくらいのことは出来る程度に自律しているに決まってるだろう」

 

 呆れたように言って勝亦が二台のシステマを連れて歩き出す。待て! 俺を置いてくな!



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2way 1

ルビ振るべきか悩みますね……。
Twins RC1でも正直長い!
当時、文字数を食うのでイライラしたのを思い出しましたw


 顔の造作から、容姿や動き方まで、とにかく見た目は全部と言ってもいいだろうな。このTwins RC1はこれまで俺が見てきたどんなシステマとも違ってる。

 

 あれから俺たちはTwins RC1と一緒に元の部屋に戻った。勝亦が案内してくれたこの部屋は調整室とか言う名前らしい。で、まずは調整室に設えてあるシャワールームにTwins RC1を放り込み、俺は奴らの服を準備した。専用カバーはどうしたってか? 残念ながらこいつらは正式にリリースされた商品じゃない。ある訳ねえだろ、そんなもん。だから仕方なく俺はビルを降りてだな。まだ開いてた店を何とか探して二台分の服を適当に手に入れたんだよ。くそ、勝亦の奴、貧乏人を何だと思ってやがる。後で絶対請求してやるからな。まあ、本音を言うと割と安い服を売ってる店があったから助かったんだけどな。おっと、靴を買い忘れたのは勘弁しろよ。俺だって慌ててたんだ。代わりにスリッパを二組ほど営業所から失敬したんだから文句はねえだろ。

 

 青い液体を落としてさっぱりしたTwins RC1に服を放り投げたとこまでは良かった。だがこいつらと来たら、服の着方を判っちゃいねえ。何だって俺がこいつらに服を着せなきゃならんのだ。って、目いっぱい文句言いつつも俺は二台に服を着せた。この間、勝亦は何かしてたらしいが、具体的になにをしてたのかは俺も知らん。インターフェイス着けてたからシステマ使ってたのは判るがな。

 

 Twins RC1は顔立ちはどっちも整ってるし、肌なんかも傷一つなくてきめ細やかだ。インターフェイスなしでその辺をほっつき歩いてたら、きっと人間にしか見えないだろう。

 

「いいか。よく見てろよ」

 

 俺はさっきと同じように椅子に座ってインターフェイスを着けていた。勝亦の合図と同時に視界が一気に変化する。アスファルトの道路と空以外の何もない空間に俺は立った。

 

 周りを見ても何もない。あるのは青い空と路面だけ。そんな光景を見つめつつも俺は全然違うことを考えていた。Twins RC1の姿が脳裏に焼きついて離れないのだ。

 

 何でこんなに気になるかなあ。油断するとそんな考えが頭に浮かぶ。いかん、と顔をしかめて俺は睨むように周囲を見回した。行くぞ、という勝亦の合図の後に俺を取り囲んでいた周囲の光景が変化する。あれ?

 

「さっきよか遅くないか?」

 

 先ほど見た時のあの光景を思い出しながら俺はそう言った。確かに製品版のシステマ二台で作り出された光景より、明らかに今回のものの方が表示速度は遅い。

 

「二台のときと比べればそうだろうけど、一台の時と比べれば速いだろう? 今、映像を表示しているソフトは一台の時と同じものだ。だからこういう事もできる」

 

 何が起こるのかと周囲の光景に意識を集中した。が、取り立てて何事も起こらない。何なんだよ、と俺が不服の声を上げたところで勝亦が説明した。

 

「今、TypeBのインターフェイスを外した」

「え?」

 

 俺からはシステマの様子も勝亦も見えない。だが間違いなく……。

 

「動いて……る?」

 

 インターフェイスがない以上、TypeBと呼ばれた男性型システマへのデータの入出力は不可能だ。なのに俺の目の前に広がる光景には少しの変化もない。風の感触も、音も、そして車や人の動きもまるで変わってはいないのだ。特にどこかの映像が壊れているといったこともない。

 

「これが2wayだ。片方が例え壊れても、一台残っていれば動くことが出来る。一台の時でも二台の時でも、使用方法を変える必要は無いし、特別なソフトウェアも必要ない」

 

 勝亦が言った後、静かに周囲の景色が消える。俺は無言で空を見た。真っ青な空に浮かんでいた雲も消える。だが俺は勝亦の言うような凄さが今ひとつ判らなかった。二台で一台の仕事をさせるってのは、さっきみたいなのじゃないのか。勝亦の言わんとしていることを理解しようとする傍ら、俺はそんなことを考えた。何故なら製品版のシステマに見せられた景色は段違いに表示が速かったからだ。

 

 視界が切り替わり、システマが二台と勝亦の姿が目に入る。勝亦が言った通り、男性型の方はインターフェイスを着けていなかった。俺は黙ってインターフェイスを外した。さっき感じたような頭のぐらつきはもうない。

 

「客は新しい商品を何て言ってる?」

「あ? ああ。さすがは2wayですねってのが大半だな」

 

 俺はまじまじと二台のシステマを見ながらそう答えた。だろうな、と勝亦が静かな声音で言う。俺は勝亦を振り返って顔をしかめた。勝亦が自分と女性型のシステマが身に着けていたインターフェイスを外す。




自分は縦書きタイプです!w
要するに横書きは苦手というか出来ません。
小説だけなんですけどねー。


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2way 2

「本当に2wayである必要はない。客が充足感を得られるのは、リリースされた製品版の方なんだよ。……お前が言ったようにな」

 

 あ。そうか。だから勝亦は俺にわざわざ2wayの性能を見せたのか。俺のシステマに関する知識が客と同じ程度だから。

 

「製品版のほうは確かに二倍近い処理速度が出せるけど、専用のソフトが必要だし、同期処理のために安定性や操作性がどうしても従来よりも劣ってしまう」

 

 俺の理解力に極力合わせようとしてるのか、勝亦がいつもよりゆっくりとした口調で話し始める。俺は黙って話を聞くことに専念した。

 

「だから、処理速度が速くなっていても総合的な処理効率は実は従来機種と大差無いんだ。本物の2wayシステムなら使用感は一台の時とほとんど変わらない。処理速度と安定性が共に向上するから、処理効率は従来機種から格段に向上するけど、使う側から見れば特にこれまでと変わり無く感じるはずだ。だけど、だからこそ逆に客の満足感は得られにくい」

 

 要するにありがたみがないってことだ。そう言って勝亦は疲れたように笑った。もしかしたらこいつ、そのせりふを上司の誰かに言われたんじゃないか?

 

「僕も子供じゃない。決定には従うし、納得もしてる。でもやっぱりちょっと悔しいというのはあるんだ」

 

 そう言った時の勝亦の顔はやけに沈んでいた。多分、2wayってのが理解出来てねえんだろな、俺は。勝亦の悔しさってのが今ひとつ判らん。でも俺は正直に思ったことを話す気にはなれなかった。勝亦の感じてることがまったく判らないはずがないと思うじゃないか。腐れ縁かも知れないが、一応は長い付き合いなんだぞ。それを判らないってのはどうなんだ、と自分で思うわけだ。

 

 勝亦は無言で二台のシステマを片付けにかかった。とは言っても服を剥がしてケースに戻すだけだがな。俺はそんな勝亦を硝子窓越しにぼんやりと眺めてた。あの二台だけじゃない。ここに納まってるシステマは全て休止状態になっている。下手に動かすと学習機能が働くだけじゃない。それだけでコストがかかるからだ。ここなら開発中のシステマと一緒にしておけるから、大した手間も金もかからないってのが勝亦の説明だった。

 

 裸になった二台がそれぞれのケースに戻る。青く透き通った液体の中に身体を横たえる二台のうち、俺はいつの間にか女性型のシステマを見つめていた。勝亦曰く、女性型の方がTypeA、男性型の方はTypeBというらしい。音声入力も可能だから、インターフェイスなしでもある程度は稼動する。言語も理解してるからその気があれば話も出来るんだと。……そんなこと、どのシステマでも当り前に出来るのに、何故かこの二台がそれを出来ると聞いた時に俺は驚いちまった。勝亦が呆れてたもんな。悪かったよ、どうせ俺はシステマの営業の自覚なんぞねえよ。ふん。

 

 急遽、RC2がリリース決定されたのにはとある背景があるのだと勝亦は教えてくれた。RC1に比べるとRC2は軽量でしかも大量生産が可能だ。その上製造コストも断然、RC2の方がかからない。つまり、I 3604 Twinsは本当に2wayである必要はないのだ、と上役が判断したのだ。

 

 大混乱した工場も今は何とか落ち着いているという。だが勝亦が所属していた開発チームのチームリーダーは責任を取って辞職したそうだ。ただ中止にするには余りにも事態の変化が急すぎたのだ。

 

 勝亦は事後処理に未だ追われているという。リーダーを失ったチームは恐らく解散になるだろう。そんな話も勝亦はしていた。もしかしたら勝亦は、周囲の誰にもそんなことを言えず、全く関係のない部署の俺だからこそ喋ったのかも知れない。

 

「人……みたいだったな。あいつら」

 

 話が一段落ついたところで俺はそう勝亦に言った。すると奴は少し笑って眼鏡を指で押し上げた。急行電車の吹き付ける風に煽られながら勝亦が頷く。

 

「いい出来だろ? 僕らの自信作だから」

 

 勝亦の顔色はあんまり変わらないが、それでもすっきりした表情をしている。多分、喋ったから気も晴れたんだろ。だが、そうだなと同意しつつも俺は全く別のことを考えていた。行き過ぎた電車を見送って思わずため息をつく。ホームには俺たちの他に誰もいない。次の便が最終だ。

 

 どうしてもあの二台がシステマに見えないのだ。ジャケットを投げつけた時のあの動き。あれはまさに人そのものの動きだった。関節部の動きもとても滑らかで、ぎこちなさなんて全くなかった。営業所にあるシステマとは比べ物にならないほどだ。

 

 滑り込んできた電車に乗って俺は出来るだけ不自然にならないよう、その話を勝亦に振ってみた。勝亦は妙な顔をしていたがきっちり答えてくれた。どうやら話を聞く限りでは、奴らの反射神経はヒトと変わらないらしい。それと特殊なソフトを入れてあるために動きも段違いに滑らかなんだと。

 

 飲みに来るか、という誘いを断って俺はマンションに戻った。飲みたいのは山々だったんだが一人で考えたいこともあったしな。それに勝亦が妙に俺のことを心配しだしたりして、実はちょっとうっとうしかったんだよ。

 

 心配されるようなことなんてあるもんか。俺はそんなことを思いながら、マンションの入り口のポストに突っ込まれたちらしの類をまとめてごみ箱に放り込んだ。けっ。資源の無駄だって判んねえのかよ。こんなもん誰が見るかっての。

 

 部屋に戻っても俺の気分は晴れなかった。くそ、勝亦の奴はあんなに清々した顔してやがったのに、俺は逆に不愉快になっちまった気がする。いや、不愉快っていうのとはまた違うな。

 

 足で冷蔵庫の扉を開けてビールを取り出してそこで一息。あーあ。もう二時だぞ。こんな時間までなにやってるんだかな、俺も。誰もいない部屋でそんなこと呟きながら、俺は立ったまんまでビールを一本空けた。



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飲み屋にて 1

よく考えたらこれ、初夏から夏の話ですね!
夏の話を書くのは珍しいかも……
今さらびっくりしましたw


 梅雨明け宣言されてからもしばらくは雨が続いた。本当に梅雨が明けたのかよってうっとうしさの中、俺はいつも以上にだらだらと仕事をしていた。さすがに発売から一ヶ月も過ぎる頃になると営業所内の雰囲気も落ち着いてくる。んでもって俺は所長に怒られる日々に戻ったわけだな。やれやれ。

 

 工場から出荷された商品は続々と各店舗へと運ばれている。その間にも新しい注文ってのはある訳で、一時期の無茶苦茶なペースは解消されてもやっぱり仕事はなくならない。週末、所内に営業成績が張り出される時なんてみんな目の色違うもんな。

 

 その営業成績で文句なしの最低、どんじりにいるのが俺って訳だ。今までも熱心な方じゃなかったが、最後尾ってのは初めてだな。感心しつつ営業成績を眺めてた俺を所長が鋭い声で呼ぶ。アナログな方法で紙に書いて貼ったりなんぞしなけりゃ、何で呼びつけられるか他の連中にはばれずに済むんだがな。まったく、面倒な話だ。

 

「ここ一番の勝負時に何してるんだ!」

 

 はいはい、お怒りはごもっともでございますとも。俺は申し訳なさそうな顔だけ作り、所長の説教を聞き流した。どうせ他の連中が稼いでるんだ。それに俺だっていつもよりは実売数も多いんだぞ。それを不真面目だの不届きだのって怒らないで欲しいよな、本当。

 

「向上心はないのか、お前には! 中條を見ろ、中條を!」

 

 そりゃあな。中條先輩の成績はちょっと普通じゃないよ。聞けば全営業所トップだって話じゃねえか。当の中條先輩が相変わらずのほほんとしてるもんだから俺も気付かなかったが、それは確かに凄いことだと思うよ。だが、何で同じ営業所にいるからって、そんな凄い成績と比べられなきゃなんねんだよ。

 

 面白くない気分で十五分ほど説教食らって俺は席に戻った。十五分とはなかなかいい記録だ。所長もよくあんなに怒れるよな。最後には結局、同じこと言うくせによ。すみませんでしたって毎度のごとく詫びた俺に、今日はとびきり嫌そうに所長は言った。もういい。そう、所長の説教の締めの文句はいつもそれだ。いいんなら最初っから説教なんざすんなよな。

 

「大丈夫ですか?」

 

 小声で隣の席から江崎が訊ねる。ああ、大丈夫だとも。何しろ俺にとっちゃ所長の説教なんざいつものことなんでな。そう言う代わりに俺はこっそり江崎に頷いてみせた。江崎も俺の言いたいことをすぐに察したのだろう。頷き返す。俺はそれを見てからちらっと所長を伺った。まだ所長は怒ってるのか俺の方を睨んでいる。まあでも、この方が俺は落ち着くかな。所長が浮かれてへらへらしてる方がよっぽど気持ち悪いっての。

 

「能戸先輩? 怒られたんですよね?」

 

 っていうか、今の俺のがへらへらしてるのか。江崎が不思議そうに言ったところで初めて俺は自分がにやけてることに気付いた。いかん。まだ仕事中だっての。

 

「最近、能戸はやけに機嫌いいよな。もしかして」

 

 いつの間にか中條先輩が俺たちの背後に近付いてる。中條先輩はこっそり俺と江崎に聞こえる程度の声で言った。

 

「女でも出来たとか?」

「えっ、そうなんですか!?」

 

 中條先輩のいやに嬉しそうなせりふの後に江崎が素っ頓狂な声を上げる。おいおい、幾らなんでもその反応ってどうよ? それってもしかして俺に女が出来るはずがねえってことですかい。

 

「いや、違いますけど」

 

 相変わらず中條先輩は仕事が速い。営業日誌はもう書き終わったらしい。クライアントの数ですら俺より一桁以上多いのにこれだもんなあ。毎日叱られてる俺とはえらい差があるよな。んでもまあ、中條先輩だしな。当り前っちゃ当り前か、なんて俺は自分を納得させた。

 

 またまた、と笑う中條先輩の追求をかわしつつ、俺はキーボードを叩き始めた。やっぱり日誌を書く時は専用インターフェイスを使う気にならない。

 

「じゃあ、今日は飲みに行くか? 最近行ってないだろ? 能戸も江崎も」

 

 要するにそれが言いたかったのかよ。俺は苦笑して中條先輩を振り返った。江崎も俺と同じようなことを思ったらしく、困ったように笑っている。この人は本当に成績トップだってのを感じさせない気さくさを持ってるよな。でも一部の奴らはそんな中條先輩が俺に声をかけるのが気に入らないようだ。ほら、今日もまた睨んでやがるよ、あの連中。

 

 だが今日は俺も連中のうっとうしい視線を完全無視した。いつもなら少しくらいは睨み返すんだけどな。今の俺には奴らの相手をしてる暇はないんだな、これが。

 

「えーっと、俺はいいっす。すんません」

「え?」

 

 ものの見事に二人の声が被る。いや、そりゃあな。俺も飲みに行くのは好きだよ。それに中條先輩や江崎の誘いは断る事の方が少ないしな。でもまあ、今日はそういう気分じゃないってことで。俺は驚いたように目を見張ってる二人に適当に言い訳をした。

 

「もしかしてまた」

 

 江崎が恐る恐るといった態で言いかける。俺は慌てて床を蹴飛ばして椅子を動かしつつ江崎のわき腹を肘で小突いた。痛い、と呟いて江崎がわき腹を押さえる。

 

「んー?」

 

 どこか嬉しそうに笑いながら中條先輩が俺と江崎を見比べる。何でもないっすよ、と仏頂面で答えた俺とは対照的に、江崎が焦ったように首を横に振る。いや、お前。それは中條先輩に何かあるって言ってるようなもんだから。

 

 とは言え、俺も特に隠しておくつもりもないし。

 

「いや、開発にいる友達のところに行く約束してるんで」

「開発?」

 

 声を潜めた俺に合わせて中條先輩もきっちりと声量をさげる。さすが、トップの営業マン。俺が言うまでもなく事情を察してくれたらしい。例え内容が何であれ、開発絡みの話なんぞしてたら奴らがどう言うか判りゃしねえからな。俺はちらっとうざったい連中を伺ってからこっそり頷いた。よしよし。今日は奴らも俺に構ってる暇はないらしい。とっととオフィスから出て行っちまった。

 

「でも開発部の人も忙しいんじゃないですか?」

 

 江崎が困ったような顔で言う。そりゃあな。勝亦だって毎日暇にしてる訳じゃねえだろうな。でも俺は勝亦に用がある訳じゃない。……んだが、さすがにそれは言うのはまずいかな。俺はそうだな、と適当に江崎に合わせてからモニタ画面に向き直った。

 

「何だ。もしかして能戸、開発部に日参してるのか?」

「まあ、そうなりますね」

 

 不思議そうな中條先輩の問いかけに答え、俺は日誌を書き始めた。いつものようにさっさと書き上げて勝亦のところに行こう。

 

「開発部は確か売れてない女の子はいなかったし」

「そうなんですよ」

 

 俺の後ろで中條先輩と江崎が何か言ってるようだ。二人の会話の端っこを聞きつつも俺は機嫌よく日誌を書き進めていった。所長に怒られたのは腹立つけどな。いつもほどは気にならない。それに江崎と中條先輩はそんな大したこと話してないしな。

 

 所長がオフィスを出る間際に中條先輩に話し掛ける。どうやら明日、また工場から商品出荷があるらしい。そのことを中條先輩に知らせた後、所長は俺を睨んでからオフィスを出て行った。けっ。相変わらずいけ好かないやつ。中條先輩には機嫌よく話すのに俺にはその態度かよ。ころっと手のひら返して嫌な顔しやがって。



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飲み屋にて 2

 ま、でもな。今日の俺は寛大だ。所長がどんな嫌な顔してようが、平気ですよ、ええ。ちょっと沈みかけた気分もすぐに浮上してくれる。俺はすぐにまた上機嫌に戻って営業日誌を書き終えた。

 

「ちょっと付き合え。やっぱりまずいぞ、能戸」

「は?」

 

 いつの間にか中條先輩は難しい顔して腕組みなんかしてる。俺は不思議に思いながら中條先輩と江崎とを見比べた。江崎も見慣れない表情をしている。え、俺、そんな真剣に心配されるようなことした覚えはないぞ? それに俺は単に開発部にいる友達と会ってるって話をしただけで、それ以上のことは何も言ってない。なのに二人のこの心配振りはどうなんだ。

 

「いや、でも約束が」

「同じ会社でいつでも会えるんですから、明日でもいいじゃないですか」

 

 いつも俺の言うことには気弱にはいはいと返事をしてる江崎までがそんなことを言う。俺は疑いの目で江崎と中條先輩とを見比べた。二人ともいつもならここでじゃあまたな、と笑って送り出してくれるはずなんだがな。

 

「なんすか、一体。江崎だけならまだしも先輩まで」

 

 そろそろ勝亦も仕事を終える時間だ。俺は手早く画面の電源を落として席を立とうとした。そんな俺の肩を二人が両側から押さえる。……おい。

 

「落ち着け。いいか、能戸。確かに人の好みは自由だけどな」

「やっぱりやばいですよ、先輩。他の会社の人ならまだいいですけど、同じ会社の、しかも同じビルに勤める人なんて」

 

 左から中條先輩が真面目くさった顔で言えば、江崎が右から気まずそうに言う。ちょっと待て。何かどうも勘違いされてる気がしてきたぞ。つい、日誌に集中しちまってたから気付かなかったが、もしかしてこの二人、俺の背後でとんでもない会話してたんじゃねえか? 嫌な予感を覚えた俺の頬は無意識のうちに引きつった。

 

「あ、あのですね。別に変なことは」

 

 そこまで俺が言ったところで唐突に胸ポケットの電話が鳴る。俺は慌てて二人に断って電話を引っ張り出した。もしかして客か? そう思った俺の目に液晶画面の文字が飛び込んでくる。勝亦の名前を読み取った俺は焦って二人に背を向けて電話を受けた。

 

『あ、能戸? ごめん。今日は会議と打ち合わせが』

「ちょっと待て! 今朝は大丈夫だって言ってたろうが」

 

 だから俺は今日も一日、客のわがままに笑顔を作って耐え、所長の説教を食らっても平気でいられたんだぞ。なのに土壇場でそれかよ。二人の手前、ストレートに怒れないって俺の立場をまるで理解してないんだろうな。勝亦のやつ、俺の言い分聞いてため息なんぞつきやがった。

 

『急に決まったんだ。仕方ないだろう』

 

 慌ただしい口調で勝亦が言う。むかつくが、そう言われてしまうと言い返せない。仕方なく俺は判った、と言って電話を切った。くそ。これで楽しみは先送りかよ。

 

「能戸くぅん。さあ、今日は付き合いたまえ」

 

 どうやら横で話を聞いていただけで俺が急に暇になっちまったって判ったらしい。付き合いたまえって、あの。何でそんな嬉しそうなんすか、中條先輩。俺のこと心配してくれてたんじゃないんすか。口の中でぼやく俺を引っ張り起こして中條先輩が江崎と頷き合う。まあ、勝亦の件が駄目になったんなら、飲みに行くのを断る理由もなくなったわけで。

 

 いつもの居酒屋に入った俺たちは珍しく奥の座敷を借りることにした。いや、道中に何度か話を振ろうとしたんだけどな。この二人、その話は落ち着いてからなんて言ってくれて、俺の話を頑として聞こうとしなかったんだよ。で、居酒屋に入って中條先輩が率先して店員に話をつけ、江崎は俺を強引に奥の座敷に押し込んでくれた。……いや。頼む。別に俺はやましいことをしてるつもりはないんだ。そんな神妙な顔で二人して酒を勧めるな!

 

「よし、話を聞こうじゃないか」

 

 とりあえずお疲れってグラスを合わせてビールを三人が飲んだ後、中條先輩がそう切り出した。ここの居酒屋はちょっと変わっていて、奥の広い座敷は個室として使えるようにもなってるんだな。宴会に使われる時には取り払われる襖が今はきっちり閉まってる。四畳半ほどのスペースにあるのは大きな机と座布団が四枚、でもって障子を開けると窓が覗き、その向こうには夜の街並みが広がってるって寸法だ。だが綺麗な夜景なんて見とれるほど整ったもんじゃねえ。単に道行く車のライトとかビルの明かりとかが見えるだけだ。でもオフィス街のど真ん中って立地の割にはましな方だろ。

 

「最初に言っときますけどっ。俺は別に男に気がある訳じゃないっすよ」

 

 低い低い声で俺は真っ先にそう断った。すると中條先輩と江崎が不思議そうに顔を見合わせる。やっぱりそう思ってたのか……。



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飲み屋にて 3

 あのなあ! そりゃ、仕事ならともかく、だ。確かに理由もなく、飽きもせず毎日毎日同じ野郎のところに行くなんて奴がいたら、俺だってそいつのことをちょっと変わってると思うだろうよ。もし知り合いにそんなのがいたら、何かあったのかくらいのことは訊くかも知れない。でも断じて男相手にその気になる趣味があるからだ、なんてこたあ思わねえっ。

 

「何だ。そうなのか」

 

 明らかに残念そうに中條先輩が言う。あんた、心配顔してたけど面白がってたんだろう。あ、しかも今、ビール飲みながらつまらんとかこっそり言いましたか? 言いましたね? 油断ならん人だな、もう。

 

「よ、よかった。心配してたんですよ、ほんとに」

 

 こっちは心底安心したって顔で江崎が言う。そうだろう。安心したか、それは良かった。でも何でお前までそっちに思考がいっちまうんだよ。どうでもいいことだが、江崎の奴ってこういう所に入るときっちり正座しちまうのな。でかい図体してそれやるもんだから、いつも借りてきた猫みたいな感じがする。まあ、江崎の場合は普段からそれっぽいか。

 

「そりゃ確かに俺は彼女もいないし」

 

 しかめっ面で言ってから俺は残ってたビールを飲み干した。するとどうぞ、と江崎がタイミングよくボトルを取り上げてグラスにビールを注いでくれる。俺は江崎からボトルを受け取って中條先輩のグラスに寄せた。おっ、と笑って中條先輩が少し残ってたビールを飲み干す。俺は差し出されたグラスを満たしてからついでに江崎にもビールを注いだ。まあね。こういう場所でもやっぱり礼儀ってもんがあってだな。先輩に酌するのは当然ってのはあるんだが、それだと江崎が手酌になっちまうからな。ついでだよ、ついで。

 

「だろ? だから疑ってたんだけどな。まあ、違ってほっとしたな」

「とか言いながら、先輩はからかう気だったんしょ?」

 

 何て、些細な会話を続けて三十分ほどもした頃には、運ばれてきた料理をつついていた俺たちの腹も満たされた。程よく酔いも回って一息ついたところで俺は切り出したわけだ。

 

 俺は何も勝亦に会いたくて開発部を訪ねてた訳じゃない。必然的に勝亦には会うがそれが目的じゃないんだ。俺が説明をし始めると、それまでいい気分でばか話を続けていた二人も神妙な面持ちになった。

 

「……別のI 3604 Twins?」

「何ですか? それ」

 

 二人それぞれに言うのを聞いて、俺は説明した。今売れている新商品は実は開発段階の候補作の一つだったこと。そして候補として別のシステマがあったこと。つまり俺は二人にRC1の話をし始めた。RC1って何ですかという江崎の質問には俺の代わりに中條先輩が答えてくれた。あれ? 中條先輩、RCって単語を知ってるんだなあ。俺なんて勝亦に聞いてもよく判らんのに。

 

 そこはさすが営業マン。中條先輩って本当に説明も上手いなあ。しかも聞き取り易いんだよな、中條先輩の話し方って。江崎も中條先輩の説明で一発で理解出来たようだ。この人ってやっぱ、すげえわ。こんな風に説明されれば客たちも納得し易いんだろうなあ。

 

「それで? そのRC1がどうしたんだ?」

 

 なるほど、と納得して江崎が頷くのを余所に中條先輩が言う。おっと、忘れてた。俺が話をしてたんだったな。のんびりとビールを飲んでた俺は慌てて話を続けた。今現在、売りに出されているI 3604 Twinsと、RC1の違いを説明する。案の定、2wayの説明のところで江崎が首を捻った。

 

「え? I 3604 Twinsって2wayなんでしょ? だってお客さんもそう言ってますし、所長だって」

「違うぞ」

 

 俺が否定するより早く、またまた中條先輩が言う。こ、この人って一体何者なんだ? いや、判るよ。知識量が生半可じゃないってことはな。現に俺は中條先輩が教えてくれる情報にこれまでに随分と助けられてきた。江崎だってそんな一人だ。でもだな。あっさり否定するなんてまさか思わねえだろ。何しろ所長だって2wayだっての否定しねえんだぞ。

 

 俺の驚きを余所に中條先輩が2wayの説明を始めちまう。それを聞く内に江崎の顔色は悪くなってった。うわ、こいつ真面目だもんな。客を騙してたって思ってるんじゃないか? 俺はちょっと前までの自分のことを思い出して居たたまれない気分になった。恥ずかしいってのかな。照れくさいっていうか……。あー、まあ要するに江崎の態度にちょっと前の自分を重ねちまったわけだ。

 

 俺が思った通り、中條先輩の説明を聞く江崎の表情が次第に険しくなる。だが江崎は俺と違ってすぐに文句は言わなかった。一応は中條先輩の話を最後まで聞いて、一呼吸。そうなんだよな。こいつって鈍くさいようでいて、実際は間の取り方が絶妙なんだよ。

 

「要するにお客さんは本当のことを知らないんですね?」

「そういうことになるかな。でも、その方が売りやすいからって理由だけで説明しないんじゃないぞ」

 

 客は安心も一緒に買っているのだと中條先輩が言う。やっぱり営業の人だからだろうな。勝亦の説明より中條先輩の説明の方が聞いていて俺も納得しやすい。江崎は複雑な面持ちをして腕組みをした。だがそうしていても江崎は足を崩そうとしない。どうでもいいが、何でこの体格で正座してて足が痺れないんだ? 足に体重がもろに乗るだろうに。俺も中條先輩も適当に足を崩してるのに、江崎だけがきっちり正座って……。かと言ってこいつ、この中で一番の後輩だからそうしてるって風でもないんだよなあ。江崎と同期の奴と飲んでてもこんなことないし。もしかして学生時代に剣道だのやってたのかね。なんて、くだらないことを俺が考えている間にも二人の話は進んでいく。

 

 結局、江崎は中條先輩の言葉に納得したらしい。要するに客は騙されたくて騙されているのだと。でもっていちいち説明したところで理解なんぞしてくれやしないのだと。次いで、システマが万が一壊れた場合のこと。システマってのはその性質から実は深刻なトラブルってのは発生しにくいんだ。客がシステマが壊れたって騒いで店に駆け込んでもだな。大抵は客側の操作ミスだったりするんだな。だもんで、一台こけたら二台ともアウトってやばい状況には、当分陥らないだろうってのが中條先輩の見解らしい。なるほどね。俺も中條先輩の説明に納得して頷いたもんな。その辺りのことは残念ながら勝亦の説明には含まれてなかったんだよ。



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飲み屋にて 4

 それにもしも深刻なトラブルが発生したとしても、その頃には客は別の機種に乗り換えるだろう。中條先輩は淡々とそう言った。それを聞いたところで俺はさすがに驚いた。え、じゃあいま売り出されてるあれって……。

 

「何だ? そんなに驚くことか? システマは使い捨てが基本だぞ?」

 

 だからこれだけ市場が盛り上がってるんじゃないか。あっけらかんと中條先輩が言う。俺は慌てて江崎と顔を見合わせた。江崎も相当、驚いてるらしい。目を丸くしている。

 

「江崎が驚くのは判るけど、何で能戸まで驚くんだ?」

 

 営業してれば判るだろう、と中條先輩が呆れたように付け足す。そりゃあこれだけ新商品がばんばん出てるんだし、俺もそうかも知れない程度には思ったことはある。

 

「そりゃ判りますけど、中條先輩が言うと重みが違うなって」

 

 俺は力なく笑ってそう言ってみた。すると中條先輩が困ったような顔をする。もしかして呆れられちまったかな。そんな俺の不安を読んだように中條先輩がもっと自信を持てよ、なんて励ましてくれる。

 

 確かになあ。中條先輩の契約件数を考えると当り前の話なんだよな。いくら新しい客を開拓するのが営業目的っつってもだ。誰もが気軽に持てるってほどにはシステマは普及していない。俺らがいい例だろ? 売り側である俺たち営業だって全員が個人でシステマを持ってるって訳じゃねえ。所長が時々、オフィスに持って来てはいるが、使いこなせてるのかどうかはさっぱり判らん。所長の場合は俺たちに見せびらかしてるって感じだしな。

 

 多分、中條先輩は他社の契約からうちの商品に客を乗り換えさせてるんだ。しかも俺なんか目じゃない件数を、だ。そうでないと中條先輩の成績は説明つかないんだよ。改めて考えた俺は思わずため息をついた。無理無理。中條先輩を見習えって所長は言ってたが、絶対無理だって。

 

「話が逸れたな」

 

 中條先輩がそう言ったところで俺は頷いて話の続きをした。要するにRC1の説明な。俺はずらっと勝亦にしてもらった説明を並べてから言った。

 

「試作機のRC1はどっちみち廃棄処分だろうって。だからそれまでなら好きに遊んでいいって言われて」

 

 それが今回のお前の働きに対する報酬だ。勝亦はふざけてそう言った。要するに捨てるまでの間、RC1を好きに使っていいってことだ。最初それを聞いた俺は冗談じゃないと断ろうとした。だが考えたら俺って大した趣味がある訳じゃないし、仕事が終わって家にストレートに戻ったところでせいぜいがビール飲むくらいだ。それなら勧めに従ってちょっと遊んでみるか。そう考えて、俺は勝亦の案に乗ることにした。

 

 最初の日は触り方からだった。実は俺、システマの扱い方って基礎的なことはクリアしちゃいるが、実際にインターフェイスを通して使ったことがなかったんだな。で、呆れる勝亦にご教示賜って覚えるとこから始めたって訳だ。

 

 勝亦にしてみりゃ、ど素人がどういう風にシステマを使うかを知りたいってのがあったらしい。システマには俺の指示や動きのログが逐一、残る。後で勝亦はそれを分析するってわけ。要するに俺は実験台になってるってことだ。その話をした時の江崎の顔はちょっとした見物だった。最初は俺に同情したんだろな。勝亦が俺を実験台にしてるって、俺自身が言う前に話の流れから見当がついたんだろ。明らかに同情してますって顔してやがった。可哀想っていうか、気の毒にって感じの顔。でもその後で俺がきっちり判ってるんだって言った時の江崎の顔が。

 

 うわあ、勘違いして恥ずかしい。……とでも思ったんだろうな。一気に真っ赤になりやんの。酒飲んでもあんまり変化のない江崎の顔が赤くなる様は見ていて面白かった。おまけに俺から目を逸らしやがるし。

 

「何だ。要するに女に会いに行ってた訳じゃなくて、遊びに行ってたのか」

 

 やれやれと苦笑して中條先輩が頭をかく。だから最初っから俺は女はいねえっつったじゃねえか。なんて、そのまんま中條先輩に言えるはずもなく、俺はそうっすよとだけ答えた。江崎は江崎で納得したらしい。良かった、と嬉しそうに言ってビールを飲み干す。

 

「でも能戸先輩の気持ちも判るなあ。ぼくもこの間、お客さんにちょっと遊んでみろって言われて」

 

 システマって面白いですよね、と江崎は客とのやり取りの話をひとしきりしてからそう言った。俺は素直に江崎の話に頷いた。そうなんだよな、システマって触ってみるとなかなか楽しかったりするんだな、これが。と気軽に合鎚打って話をしつつビール飲んでるうちに、俺のささくれた気分も大分落ち着いた。

 

 でも何故か江崎と俺の会話に中條先輩は割って入らなかった。妙に気難しい顔をして考え込んでいる。それに気付いた俺は不思議に思いながら中條先輩に声をかけた。

 

「どうしたんすか? 先輩。何か気になることでもあるとか?」

 

 特に考えて質問した訳じゃない。俺は軽い気持ちで中條先輩にそう訊ねた。すると中條先輩がしばらく俺を見てからため息をつく。

 

「やっぱり能戸は当分、開発部に行かない方がいいんじゃないかな」

「は?」

 

 唐突に言われた意味が理解出来ず、俺は我ながら間の抜けた声を返しちまった。江崎と顔を見合わせて何でですか、と訊いてみる。中條先輩は冗談を言っている風じゃない。かと言って、言われた俺も何でそんなことを言われるのかさっぱり判らねえ。俺の質問に中條先輩は少し考えるような素振りをしてから答えた。

 

「いや……勘違いかも知れないが」

 

 言いにくそうに中條先輩が口を濁す。何だ、一体。俺は自分の顔が強張っているのを感じて慌てて表情を普通に戻した。幾らなんでも先輩を睨むのはまずいだろ。

 

「能戸はシステマをどう思う?」

「は? なんすか、急に」

 

 いきなりの質問に俺はそう言い返した。いかん。ちょっと気が立ってるかも知れん。自分で出しといてなんだが、今の俺の声ってかなり険がある気がする。

 

「便利な道具でしょ? それ以外の何なんすか」

 

 営業所に入る時にも同じことを試験官に訊ねられた。俺はその時と同じ答えを自然と口にした。するとそうだよな、と中條先輩が頷く。何なんだよ、ほんとに。半ば呆れた俺に中條先輩がごめんごめん、と笑って詫びる。

 

「ちょっと引っかかったから訊いただけだ。それならいいんだ。気にするな」

 

 そう言って中條先輩は全く別の話を振った。話している間に俺の機嫌もすっかり直り、いつの間にか不快感を覚えたことも忘れちまった。

 

 不快感を覚えたってのがどういう意味か、俺自身、気付くことも出来ないまま。



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I 3604 Twinsの名は 1

やっと少女のセリフが出てきます。


 急いでオフィスに戻って所長に叱られた後、日誌を書いて慌ただしくまたオフィスを駆け出す。そんな俺のことを、怒られてる癖に妙に嬉しそうにしやがって、なんて所長は誰かに言ってたらしいが、そんなこと俺の知ったことか。ああ、ちなみに言い訳するとだな。叱られてるのが嬉しいわけじゃねえよ。おれは所長の説教なんぞはなっから聞いちゃいねえってだけだ。

 

「んじゃ、おつかれ!」

「は、はい。お疲れ様でした」

 

 元気良く言った俺に驚いたように江崎が答える。だが江崎の声が聞こえた頃にはもう、俺はオフィスのドアのとこにたどり着いていた。オフィスを駆け出した俺の傍をいけ好かない連中が入れ違いに過ぎる。すれ違いざまに何か言われた気がしたが、んなもんいちいち構ってられっか。

 

 エレベーターに乗って開発部に向かう。たどり着いた開発部一課のドアを、俺はそれまでの勢いを殺して静かに開けた。こっそりと中を伺う。幸い、仕事をしてる連中は俺に気付いた様子はない。一応、別の部署だしな。騒ぐのも悪いだろ。だから俺はここに来る時はいつも大人しくしてるんだ。

 

「本当にいつも時間通りだな」

 

 呆れたように言いながら勝亦が立ち上がる。周辺の奴らが口々にお疲れ、と勝亦に言う。勝亦はちょっと出てきますと挨拶して白衣を着たまま俺のところに来た。

 

「たまには遅れたりしないのか」

 

 ため息混じりに言われて俺はふん、と笑ってみせた。

 

「自慢じゃないが俺の営業成績は最悪なんだ。残業するほどの仕事はねえよ」

 

 だからこそ残業しなきゃだめなんじゃないのか? という勝亦の厭味を聞き流しつつ、俺は考えを巡らせた。

 

 新商品として売り出されたI 3604 Twinsの評判は上々だ。今でもまだその商品を入荷してくれと言う客は多い。だが出だしの頃のような爆発的な勢いはもうない。ちなみに他社がうちの勢いに便乗してリリースした新商品は売上の方は今ひとつのようだ。そりゃあね。それだけうちのが革新的なシステマだったんだろ。

 

 いや、そんなことはどうでもいいんだ。売れてるのがI 3604 Twinsだろうが他社新商品だろうが、そんなことは俺の知ったことじゃねえ。

 

「毎日毎日……。部長がこの間笑ってたぞ。やけに熱心だなって」

 

 まあ、だからカードを預けて貰えたんだが。勝亦がしかめっ面でそう解説する。うるせえよ。何でもいいからさっさと行こうぜ。そんな俺の言い分に勝亦はため息をついてやれやれと肩を落とす。

 

 二人してエレベーターに乗り込んで四十二階へ。いつものように勝亦がケースを動かしてる間に俺は急いで小部屋を出た。部屋の前にある細い廊下の手すりに乗り出してケースが動くのをじっと見守る。近頃では大量にあるケースのどの辺りに目当てのものがあるか、勝亦の操作の仕方から見当がつくようになっちまった。一面の青い液体の上を滑るようにしてケースが移動する。お、あれだあれ。俺が目星をつけた右奥のケースが思った通りに徐々に近付いてくる。手すりつきの廊下からせり出した台に俺は進み出た。

 

 目の前に停止したケースを覗きこむ。中のシステマを見止めて俺は思わず口許を緩めた。昨日と同じ格好で少女が横たわっている。青い液体の中で手足を丸め、眠るように目を閉じたシステマの様にしばし見とれてから俺は振り返った。硝子窓から覗く勝亦に頷く。するとほどなくケースの蓋が開いた。

 

 口から鼻からどろどろと液体吐くのは見目的にどうなのかって? ああ、そんなもんちょっとの間だから余所向いてりゃいいし、第一もう慣れちまったよ。そもそも人間だって赤ん坊の頃は涎だの鼻水だの垂らして泣き喚くだろ。それと同じだと思えばいいんだよ、要するに。

 

 身を起こしてぼんやりしてるシステマの腕を取る。手早くケースから取り出したところで次のケースがタイミングよく台の前に滑り込んでくる。続けて少年のなりをしたシステマの片割れを取り出す。シャワールームに二人を突っ込んでから服をロッカーから引っ張り出す。ああ、このロッカーな。いつもどこぞから服を持ってくるのは面倒だしってんで、空いてたのを借りて置かせてもらってるんだ。

 

 バスタオルから服一式揃えたところで俺はシャワールームのドアを開けた。脱衣所の籠に二人分の服とタオルを入れて部屋に戻ったところで何故か勝亦と目が合う。

 

「何だよ」

「よく飽きないな」

 

 そりゃあ、てめえらみたいに毎日毎日システマ弄ってりゃ飽きもするだろうさ。でも俺はこれが初めてだからな。そんな風に説明して、俺は勝亦にさっさと行けよ、と手を振った。何で追い出すのかって? 決まってんだろ。勝亦の奴はまだ仕事が残ってるんだよ。んだから、俺が遊んでる間は開発部に戻って仕事の続きをするって訳だ。

 

 ちなみに今はこのフロアは無人だ。開発部の奴らも見学の奴らもいない。試作品でもあがってくればまた別だろうが、今は俺がいても邪魔にならないってことだ。

 

「能戸。判ってると思うが」

「あー、はいはい。ログはとってるって言いたいんだろ? 別に妙なことなんて考えてねえよ。それに俺に何が出来るってんだ」

 

 自慢じゃないが機械おんちだぞ、俺は。そんな風に笑って俺は勝亦を送り出した。渋々の態で勝亦が部屋を出て行く。手を振ってそれを見送ってから、俺はいそいそとテーブルと三脚の椅子を用意した。続いて鞄から引っ張り出したものをテーブルに乗せる。よし。これで準備完了。タイミングよくシャワールームから出てきた二人をそれぞれの椅子に腰掛けさせる。

 

「ほら。続きが見たいって言ってたろ?」

 

 そう言いながら俺は鞄から携帯端末を取り上げた。すっげえ旧式のやつ。いやいや、見かけはぼろいかも知れんが、今ではもう流通してないデータが中に入ってるけっこうな貴重品なんだぞ。入ってるのは俺が随分と前に読んでた本のデータだ。黒いボディのそれを差し出すと、男性型のシステマが会釈をして受け取る。おお、ちゃんと学習したみたいだな。きっちりとありがとうございます、なんてな言葉も出てくるじゃねえか。感心感心。




ヤバい……
改行入れてたら女の子の外見年齢が思ってた以上に高いことが判りました(汗)
これをロリって言ったら怒られる!!!><


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I 3604 Twinsの名は 2

 ちなみに呼ぶのに面倒なんで俺はこいつらに仮の名前をつけた。正式名称はI 3604 Twins RC1 TypeAとかなんだぞ。呼びにくいったらねえだろ。だから男性型の方が時雨、女性型の方が睦月。季節外れかも知れないが、他にいい名前を思いつけなかったんだよ。で、ずっと前に読んだ本のこと思い出して、その登場人物の名前を借りたって訳だ。……あー? オリジナリティがない? ほっとけ。

 

 時雨は受け取った端末を早速操作してる。液晶画面に文書が表示されるタイプの読み取り専用の端末だ。一時期とても流行ったらしいが、今はもうこのタイプの端末は殆ど見かけない。今はずっと軽くて薄くなってるんじゃねえかな。

 

 通常、システマは外部からソフトをインストールする際、ネットシステムを使用する。ディスク等を使うよりその方が断然速いからだ。が、どうも時雨の奴は視覚で情報を取り込むことが好きらしい。感情スイッチも入れっぱなしだからな。まあ、好みがあるならそれに従ってればいいんじゃねえの? 時雨はちょっと俯いてテキストデータを読み始めた。

 

「で、だ。睦月はこっちな」

「はい」

 

 初めてこいつらの声を聞いた時はすげえ妙な気分になったっけな。時雨も睦月も人みたいな声を出すもんだからさ。いや、俺だって別のシステマと話くらいはしたことあるけどな。んでも、こいつらみたいに人っぽくなかったんだよ。独特の……そうだな。イントネーションを極力殺した感じって言えばいいか。でもこいつらの場合、聞いてても喋り方に少しも違和感ねえのな。

 

「これは、何ですか」

 

 じっとテーブルの上を見つめて睦月が問う。やっぱりいつ聞いても睦月の声って綺麗だなあ。時雨も相当なもんだと思うが男だからかな。時雨の声は睦月よりちょっと低いんだよ。

 

「チェスだよ。知らない?」

 

 俺はそう言いながらテーブルに乗せてあった玩具みたいなチェス盤を開いた。中に納まってた小さな箱を取り出してから盤をテーブルに置きなおす。二つの箱には白と黒の駒が分かれて入ってる。

 

「いえ。それは判ります」

 

 生真面目な顔で睦月が頷く。俺はそれを見て思わず吹き出した。声を殺して笑う俺を見ていた睦月が首を傾げる。

 

「ゲームしたりしてたから、俺の頭の程度は判るだろ? それに合わせて相手してくれりゃいい」

 

 俺だってまさかシステマにチェス勝負で勝てるなんて思っちゃいない。単に遊びだ、遊び。俺のレベルに合わせて相手してくれるだけでいい。俺はそう睦月に説明した。すると睦月が少し考えるように黙してから判りました、と頷く。

 

 インターフェイスを外してこいつらと話を直にするようになって数日。ゲームにも飽きていた俺は、直接こいつらと話をする方が断然面白いことに気付いた。勝亦は最初はいい顔はしなかったけどな。今じゃもう、文句は言わなくなった。

 

 俺が白、睦月が黒の駒を並べて勝負は始まった。まあ、勝負っつっても実際は睦月が俺に合わせてるんだけどな。しっかし絶妙な手加減だなあ。指してるうちに俺もちょっと本気になったりして。

 

 こいつらの学習能力は驚くほど高い。最初は喋るって言っても大した会話なんぞ出来なかったもんだ。はいとかいいえとかの返事以外はしなかったな。んでも、喋ってるうちに段々と覚えて……うお。ちょい待った!

 

「ま、待ったなし?」

 

 チェス盤を食い入るように見てから俺は睦月に訊ねた。すると睦月が静かに頷く。うう、容赦のない奴。俺は仕方なく負けを宣言して盤の上の駒を回収した。駒を新たに並べながら俺はもう一回と睦月を促した。睦月も頷いて白い駒を盤上に乗せ始める。

 

 細い白い指が一つずつ駒を乗せていく様にいつの間にか俺は見とれてしまっていた。ぶかぶかのシャツの胸元に覗く素肌も白い。男物のシャツってのが間違いなんだろうな。ずれてくるんだろう。時々、睦月がバスタオルごとシャツの肩辺りをつかんで引っ張り上げる。何でバスタオルかって? そりゃ、睦月の髪が腰まであるもんでな。まだ濡れてるんだよ。

 

 睫毛長いよなあ。そんなことを呑気に考えていた俺は、ふと睦月と目が合ったところで我に返った。

 

「能戸さん?」

「あ、ああ。ごめん」

 

 睦月に声をかけられて、俺は我ながらみっともないくらい焦っちまった。慌てて笑顔を作って手の中に握ってた駒を並べていく。そうしつつ俺はちらっと時雨の様子を伺った。よし、本に夢中で気付いてないな。

 

 ……って、こいつらは二台で一台なんだってば。睦月が気付いてりゃ、当然時雨だって気付いてるに決まってる。自分の考えをそう心の底で否定してから目を上げる。うあ。睦月の奴、じっとこっち見てやんの。何か俺、変だったかな。

 

 頭をかいて黙り込んだ俺を睦月はしばらく静かに見つめていた。その視線に耐えられなくなった俺はわざとらしいくらいに不自然に目を逸らしちまった。……なにやってるんだ、俺は。後悔するやら恥ずかしいやら、居たたまれない気分でいた俺に睦月がふと手を伸ばす。何事かと焦った俺の手の中から睦月は一つずつ黒いチェスの駒を取り上げた。俺の代わりに盤の上に駒を並べ始める。

 

 ああ、他愛ないと思うよ、自分でも。人間にしたら十五歳くらいってところだもんな。睦月の見た目って。下手すりゃ犯罪ですかってな年頃だ。そんなことは百も承知だし、第一、こいつらはシステマだぞ。ばかげた話だってことは十分に判ってるつもりだ。

 

 俺は自然と盤上に駒を乗せた両手を差し出した。テーブルに身を乗り出しかけていた睦月が椅子に腰掛け直し、俺の手から一つずつ駒を取り上げる。

 

 うあ、駄目だ。

 

「あ、ごめん。ちょっとトイレ行ってくる」

 

 そう言って俺は手の中に残ってた駒を盤の上に落とした。乾いた音を立てて落ちた駒を睦月が一つずつ拾い上げていく。それを尻目に俺は平然を装って部屋の端にあるトイレのドアを開いた。開発部の奴らがこもることがあるからなのか、部屋はシャワールームやトイレ、空調完備だ。いや、それはいいんだ、それは。



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I 3604 Twinsの名は 3

 なにやってんだ、俺。広々とした洗面台にもたれかかって俺は低く呻いた。壁に張り付けられた鏡に映った俺の顔は……ああ、もう、やっぱりかよ。真っ赤じゃねえか。情けねえ、と呟いてはみるがそう簡単に顔色は戻ってくれない。仕方なく俺は顔を洗うことにした。冷たい水で洗えば少しは落ち着くだろう。そんなことを考えつつ、シャツの袖をまくって顔を洗ったところで俺は気付いた。しまった。タオルがねえ。ハンカチはジャケットの中だ。

 

 仕方なく俺は顔を出来るだけ手で拭ってからトイレを出た。椅子にかけておいたジャケットからハンカチを出して濡れた顔を拭く。多分、これで顔色も落ち着いただろ。

 

 チェス盤の上には白と黒の駒が綺麗に並べられていた。椅子に腰掛けて目を上げると睦月と視線が合う。だが今度は俺は取り乱さずに済んだ。要は営業だと思えばいいんだよ。俺がにっこり笑顔で悪いな、と言うと睦月は無言で小さく頷いた。ほら、大丈夫だ。

 

 その日もいつものように時間ぎりぎりまで遊んでから俺は二人をケースに戻した。早くしろ、と勝亦に急かされて部屋に戻る。んな、マイク越しに言われなくても戻りますよ。けっ。

 

 そういえば明日は休みだっけな。俺は二人の着ていた服を紙袋に放り込み始めた。短い時間しか着ないっつっても、さすがに洗濯くらいはした方がいいだろう。シャツにジーンズ、下着が一揃い、と。

 

「……能戸。お前さ」

「あー?」

 

 脱衣所で屈んで服を紙袋に詰めてた俺は、勝亦の声に振り返った。だがこの角度からは勝亦は見えない。まあいっか、と気楽に考えて俺は何だよと勝亦を促した。

 

「システマを使うのはもう止めた方がいいんじゃないか?」

 

 それを聞いて俺は顔をしかめた。こいつもいつもいつも凝りもせず同じことを……。

 

 近頃、勝亦は俺が遊び終わると必ずそんなことを言う。いつもはもう少し遠回し言い方だけどな。俺は手早く服とバスタオルを紙袋に詰め込んだ。

 

 フロアの中央を向いた窓に寄りかかって勝亦は腕組みをしている。開きっぱなしになったドアから出た俺は勝亦を睨みつけた。が、勝亦はやけに真面目な顔をしている。茶化しているようでもない。

 

「お前もしつこいな。何でだよ」

 

 好きなように使えと言ったのは勝亦だ。なのに何故、今さらそんなことを言われるのか判らない。からかい半分と思ってこれまで流してきたが、真面目な顔をしてるところを見ると、今日の勝亦にはからかうつもりはないようだ。

 

「遊んでいいって言ったのはお前だろ? 別に仕事の邪魔はしてないし」

 

 そういえばあの時、似たようなことを中條先輩も言ってたな。開発部には行かない方がいいって言われたんだったかな。でもあの時も中條先輩は勘違いだって言ってたし、多分大したことじゃないんだと俺は思っていた。それにそれっきり、何も言われたことはない。所長の小言は増えた気がするがそれだけだ。そんなの珍しいことじゃないし、第一、それでなくたって俺の営業成績はどんじりだ。遊んでいようがいまいが変わらんだろ。

 

 仕方ないな、と勝亦がため息をつく。何が仕方ないんだよと言い返した俺を無視して勝亦は続けた。

 

「これだけは忘れるなよ。あれはシステマだ」

「なに言ってるんだ、今さら」

 

 そんなことは判りきってるじゃねえか。テーブルに置き去りにされていた旧式の端末とチェス盤を片付ける。駒をケースに戻して折り畳んだ盤に挟んで納めたところで俺は少しの間、テーブルをじっと見下ろした。

 

 さっきまでここに居た二人のことを思い出す。人のように笑ったり怒ったりといった表情には乏しいが、それでも彼らに感情がない訳ではない。仕事によっては感情のスイッチを外部から意図的に切ることは出来るが、今の彼らはそれをしていないのだ。

 

 システマは機械ではない。あくまでも生身で出来ている。しかも彼らは他のシステマなど比べ物にならないほど、外見は人に酷似している。もしもあの二人が自分と同じ環境にいたらどうだろう。ケースの中ではない、外界に出て生活すれば人と同じ感情が生まれるのではないか。二人といる時間を重ねるごとに俺のそんな思いは強くなる。

 

 彼らは本当はもっと人らしく生きられるのではないか。

 

「能戸? 大丈夫か? 具合でも悪いのか?」

 

 声をかけられて俺は慌てて顔を上げた。勝亦が妙に心配そうにこっちを見ている。ちょっと考え事をしてただけだと断って、俺は手にしていたチェス盤を袋に詰め込んだ。

 

 多分、俺は間違ってるんだろう。そんなことも時々考える。だって相手はシステマだぞ? ただの道具だろ、道具。だがそう考える度に本当にそうなのかという疑問もわいてくる。間違っているのは俺なのか? それとも人間にしか見えないあの二人なのか? だから俺はこんなに煮え切らない思いをしているのか?

 

 あれから俺は真っ直ぐに家に戻った。さんざっぱら自問自答しつつ洗濯機に服とバスタオルを放り込む。会社を出る時に勝亦が飲みに行くか、といつものように誘ってくれたがそれも断った。今は飲む気にはどうしてもなれない。例え相手が江崎や中條先輩だったとしてもきっと同じように断っただろう。

 

 道具か。俺は洗濯機の前に立ったまま呟いた。洗濯機の透明な窓の向こうで衣類が回っている。この洗濯機だってただの道具だ。ということは、あいつらも同じってことか?

 

 そんなはずないだろう。睦月も時雨も生身で、感情もあって、それに人と当り前に話したりも出来る。見た目だって人と同じで違うところなんてありはしない。

 

 だから俺のこの感情は間違っていない。頭の中でいつもと同じ答えを出してから俺は洗濯機の前から離れた。静音設計ばんざい。夜中に洗濯しても煩がられないのはありがたいよな。



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システマと人 1

当時の夏は今よりマシでした……
残暑が厳しいところも多いと思います。
みなさんどうかお身体にはお気をつけて!


 特にすることもなく、その日の俺は昼間から会社の傍まで出かけた。休日だってのもあるが、何となく気になってつい来ちまったんだよ。前はあんなに休日に寄り付くのが嫌だったのに、今は不思議とそんなこともない。

 

 ただ困るのは、ビル周辺の飲食店がかなりの確率で閉まっていることだ。そんなに小さくもない街なんだがな。もしかして隣の駅周辺が栄えているからその反動か? それにしたっていつも行く喫茶店まで閉まってなくてもいいだろう。そんなことを考えつつも俺は仕方なくオフィスのある本社ビルに入った。

 

 中に入って涼しい空気に囲まれて一息つく。さすがに夏だな。外に出ただけでも汗が自然と滲んでくる。ん? 何で地下鉄を使わないかって? まあ定期もあるし、そっちのがお得なのは判るがな。生憎と今日は外を見たい気分だったんだよ。そんな訳で今日はバスで来たんだが……結局、ビルに入っちまう羽目になったな。

 

 くそ、これなら素直に地下鉄に乗れば良かった。心の中でだけ文句を言いながら俺はのんびりとビルの中を歩いた。落ち着いて見ると色んなテナントが入ってんのな。いつもはエレベーターに乗ってるから見もしない店も覗いてみたりする。あ、でも化粧品なんかが並んでる店はごめんだ。用がねえしな。

 

 テナントが余裕のある感じで入ったフロアの片隅にある小さな喫茶店に向かう。茶系のインテリアで統一された店の中の雰囲気がけっこう好きなんだよな。まあ、コーヒーの値段はちょっと高めだが。これも場所代って奴かな。

 

 俺は案内されるままに窓際の席についた。二人用の小さな席だ。店内をぐるっと見ても客の姿はまばらだ。さほど広くない店内には静かなクラシック音楽がかかってる。この音を実はシステマが再生しています、なんて知ったら驚く客がどのくらいいるかな。

 

 そう。この店には開店初期からシステマが導入されている。うちの製品のモニターも兼ねているため、この店には常に最新型のシステマが入っている。低音のよく響く弦楽器の音に耳を澄ましていると、俺のついた席にウェイトレスが寄って来た。レトロな感のある白黒の衣装を身につけている。ふんわりとした袖山のあるブラウスと黒のジャンパースカート、それに白いフリルのついたエプロン。頭にはフリルのついたカチューシャも着けている。ご注文は、というウェイトレスの声に促されて俺はアイスコーヒーを注文した。

 

 さすがはシステマ。はい、と返事をしてキッチンに引っ込む。その後姿も歩き方もどことなくぎこちない。俺の注文を取りにわざわざシステマが来るなんて、厭味か何かか。だが不思議とシステマの人形のような動きは衣装に妙に似合っている気がした。

 

 ゆったりとした音楽にのんびりした雰囲気。窓の外には小さな噴水や人工の小川が見えたりして、なかなかに日常を忘れさせてくれる。時々、通りかかる人も屋根のある水の傍ってのが心地いいのか、足取りの方もゆっくりとしたもんだ。

 

 大きな窓から外の景色を眺めていた俺は、ふと人の気配を感じて顔を戻した。うわっ。何でこんなところに。

 

「おや。やっぱり能戸くんか」

 

 勝亦を毎日訪ねるおかげですっかり顔も覚えられちまった。俺は慌てて立ち上がって相手に頭を下げた。いやいや、と笑って手を振ったのは開発部長だ。俺は言われるままに椅子に座り直した。いいかね、と訊かれて慌てて頷くと開発部長は俺の目の前に腰掛けた。うわあ、嫌な時に会っちまった。仕事なんて毛頭する気がなかったから、モノトーンシャツにカーゴパンツなんて油断しまくりの格好で来ちまってるよ、俺。いや、もろに作業着って作りじゃないけどさ。やっぱり気になるだろ。しかも開発部長はスーツときたもんだ。普段は逆かってくらいどっちの格好も違うぞ、おい。

 

 やたら動揺してる俺とは対照的に開発部長は落ち着いたもんだった。俺のアイスコーヒーが運ばれてきたところでウェイトレスにもう一つ、コーヒーを頼む。

 

「今日は休暇じゃないのかね?」

「あ、いえ、休みっす」

 

 俺はここから家がさほど遠くないのだと説明した。……本当は電車で幾つか駅を越えなきゃならんのだがな。他に説明しようがねえだろう。我ながら苦しい言い訳とは思ったが、開発部長は特に俺を問い詰めることもなく頷いている。とりあえずは納得してくれたらしい。

 

 そもそも何でこの人がここにいるんだよ。何か用事があってここに来たって風じゃないな。待ち合わせって感じもないし、きっと息抜きに来てたまたま俺を見かけたんだろう。だけど何で俺と同じテーブルにつかにゃならんのだ。

 

「君には感心しているよ。いつも真面目に訪ねてきて」

 

 相変わらずの笑顔で開発部長が言う。厭味、じゃあなさそうだな。ちらっと様子を伺ってから俺ははあ、と曖昧に答えた。んなもん、何て答えりゃベストかってのは判らねえよ。でも違う部署っつったって一応は上司だからな。下手な口利いたらまた所長から小言を食らっちまう。

 

 会議で会ったあの日から、この開発部長は何故か俺のことを覚えているらしい。目をかけてくれてるって言えば聞こえはいいが、要するに変な意味で会議で目立ってたんだろ、俺は。それによく考えたら勝亦はこの開発部長に言われて俺を推したらしいしな。このおっさんも一体、なに考えてるんだか。平の営業相手にして何が判るってんだ。

 

 俺はどんな話を振っていいか判らず黙っていた。そんな俺を気遣った訳じゃないだろうが、開発部長が話し掛けてくる。

 

「ところで、例のシステマのログを見せてもらったよ。実に興味深かった」

「は?」

 

 言われた意味を理解するのに少しかかった。あ、そっか。そうだよな、と心の中で呟いてから俺は頷いた。そう、睦月も時雨もシステマなんだ。俺はそう自分に言い聞かせてからそうですか、と言った。自分でもおかしくなるくらい声に抑揚がない。

 

 それからしばらく開発部長は話を続けた。なんでも俺の二人への接し方は変わっているという。俺は開発部長の話の合間に合鎚を打つのがやっとだった。他の連中のシステマの扱いなんか俺が知るかよ。その話を聞いてどう反応しろってんだ。大体、俺は元々開発の人間じゃないんだぞ。奴らと扱いが違うのは当り前じゃないか。




部長の罠!w
『システマと人』で二章は終わりです。


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システマと人 2

 そこまで考えてから俺は自分のばかさ加減に笑いたくなった。俺は営業なんだよ。システマを売る側の人間なんだ。なのにそんな立場の俺があの二人をまるで人のように扱ってる。そりゃ、さぞ珍しいだろうよ。開発部長の話を聞きながら俺は自然と俯いてしまった。システマに対する俺の態度が変わってるって説明なんぞ、聞いたところで判る訳がない。何しろ俺は普通の扱いって奴がまるで判らないんだからな。

 

「どうしたのかね? 具合でも悪いのかな」

「いえ」

 

 我ながら情けない。俺は今の今まで他の奴らがシステマをどう扱っているのかを知ろうと思わなかった。売る側の人間なのにな。客がどんな風にシステマを使ってるかってことには全く興味なかった。意を決して俺は顔を上げ、真面目に他の連中がシステマをどう扱うのかを開発部長に訊ねた。

 

「普通はシステマとして使うのではないかな。収集家は別だろうがね」

 

 客の中にはコレクターなるものもいて、彼らがシステマを集めたりしていることは俺も知っている。そういう客はリリースされた端から全ての機種を買い漁るとも言う。立体模型と考えてシステマを飾る趣味の奴もいる。そうじゃない、ごく一般的なクライアントはシステマをシステマとして使う。……そうだよな。当り前なんだよ、それが。システマは道具だってことは職場に入って真っ先に言われたことだ。

 

「でもあの二人は……その……人によく似てるし」

 

 自分に言い聞かせたのとは裏腹に俺はそう言っちまった。言ってからやばいって気付く。だが開発部長は俺が慌てたことには気付いていないのか、別段様子は変わらない。

 

「RC1のコンセプトは知っているかね?」

 

 コーヒーカップを置いて開発部長が言う。どうでもいいが、このくそ暑いのによくホットコーヒーなんぞ飲めるな。まあ、ここは空調が効いてはいるが。

 

「ええと……2wayシステムですか」

 

 出来るだけ声を落として俺は言った。本社ビル内でまさかそんなことはないだろうが、それでも用心に越したことはない。そんな俺の不安を肯定するかのように開発部長が重々しく頷いて声を潜める。

 

「それもだが、RC1は本来のシステマ……つまり、初期型に近づけようというコンセプトの元に作られたのだよ」

 

 それはつまり。俺は開発部長に言われたことを心の中で反芻して目を見張った。だからあの時、勝亦は酷く消沈した顔をしていたのだ。本当はRC1が世に出ることを望んでいたからこそ、急なリリース計画の変更に落胆したのだろう。

 

 本来のシステマという開発部長の言い回しが妙に心に刺さる。もしかしたら初期型の世界を救ったというシステマは、実際はもっと人に近い形をしていたのではないだろうか。今の世に出ている多くのシステマは生身であるにも関わらず、人形のようにぎこちない動きをする。だがそれがもしも、わざとそうされているとしたらどうなんだろう。現状のシステマでさえ反対派なんてものが存在し、そいつらが道端に座り込んだりなどの運動に励んでいる昨今だ。今以上に人間の外見とそっくりだったりしてみろ。その程度の反対運動で済むはずがない。

 

 最初にシステマを作った人間は生き物の治癒能力に目をつけ、自己再生能力の活かせる端末を開発しようとした。そしてそれは実現し、人そっくりのシステマが生まれた。もしかして初期型の開発者はシステマに人間性を求めたのではないか。計算を繰り返すただの機械ではない、人の心を持った……。

 

 あー、駄目だ。考えるだけで頭が痛くなる。俺はため息をついて肩を落とした。

 

「がっかりしたかな?」

「いえ、そうじゃないんですけど」

 

 思わず素直に答えてから俺は愛想笑いを浮かべた。自分の想像に没頭してました、なんて言えるかよ。しかも俺の想像っていうか、これって妄想だろ。何の根拠もない勝手な……だけど。

 

 だけどもしも本当にそうだとしたら。

 

「あの」

 

 暑さでいかれちまったんじゃねえの。俺は自分のことをそう思いながらも訊ねていた。この時の俺の心境を表すなら、いてもたってもいられない、というのが一番近かった。

 

「あの二人って、感情とか、あるんですよね」

 

 笑えるくらいにたどたどしく俺は言った。出来るだけ言葉は選んだつもりだが、どうしても声は震えちまった。緊張しすぎてグラスを握る手まで震えやがる。

 

「おや。邪魔かね? 何ならカットすることも可能だが」

「そうじゃなくて」

 

 あー、くそ。どう言えば判り易いんだ。まさかそのまんま言う訳にもいかねえし。かと言って、下手に遠回しに言ったって俺のことなんざ知らない開発部長に通じるとも思えない。

 

 静かな店内にはアヴェ・マリアが流れている。美しい女性の歌が邪魔ならない音量で流れているのを俺はしばし黙って聴いた。開発部長は俺がまともに質問するまで待ってくれるつもりなのだろう。何も言わない。

 

「あの二人は人間になれないんですか」

 

 たぶん、ばかな質問だったんだろう。システマだぞ。人間になんてなれるかよ。心の片隅で俺はそう呟いていた。だが不思議なことに開発部長は俺の言ったことを笑い飛ばしたりしなかった。相変わらずの穏やかな笑顔でどうだろうな、と答える。

 

「システマの肉体の構成物質そのものは人間とほぼ同じだ。ただ、脳等の組織が若干違うだけでね。そういう意味ではシステマは人間とさして違いはないのだろうが」

 

 淡々と説明してくれる開発部長の顔をぼんやりと見ながら俺は考えた。正直なところ、脳だの組織だのと言われても俺にはよく意味が判らない。だがシステマと人がそう大差ない身体をしているのだと言われたのは理解できる。

 

「システマには学習能力がある。人にももちろん学習能力は備わっているが、システマは人間とは比べ物にならないほど能力が高いということだけは言っておこう」

 

 そう言いながら開発部長はスーツのポケットから何かを取り出した。名刺ホルダーの中から一枚の名刺を取り出す。開発部長がテーブルを滑らせたものを見て俺は絶句した。これは名刺じゃない。

 

「試してみるかね」

 

 真っ白なカードには何も書かれていなかった。



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★ここまでの登場人物紹介★

<前書き>

 

ここまでの登場人物の紹介です。

主なシステマの紹介もしてます。

 

 

○能戸浩隆(のと ひろたか)

 

主人公です。

フツーのサラリーマンです。

売ってるものはフツーじゃないかもですが。

 

年齢は計算すると大体二十五歳くらいでしょうか。

大学卒業して入社してるはずなので。

 

……若!!w

当時は高年齢だなぁ、と思って書いてました。

 

ラノベだと年齢いきすぎな気がしますね。

実年齢はいってるけど、見た目だけ十代とかいう設定なら別ですが。

 

○勝亦

 

主人公の友人です。

学生(多分、小学生くらいからw)からの付き合いです。

腐れ縁ともいいます。

 

○江崎

 

能戸の後輩です。

絵に描いたようなお人好し。真面目。

 

割と横幅のある人です。

格闘技とかやってそうな感じです。

 

能戸の隣の席なのでよく出てきます。

 

○中條

 

能戸の先輩です。

 

見た目は感じのいいおにーさん? ですかね。

けっこーな切れ者です。

 

○長根

 

西江田営業所所長。

能戸の直接の上司です。

 

能戸がいっつもサボるので、よく頭を痛めてます。

役職的に中年以上ですw

 

 

■システマ

 

○I 3604 Twins RC1 TypeA

 

ヒロインです。

主人公が睦月と名付けました。

 

○I 3604 Twins RC1 TypeB

 

ヒロインと同期している男性型のシステマです。

こちらは時雨と名付けられました。

 

 

 

I 3604 Twins RC1は二体とも十五、六歳の姿です。

 

え、股間とかどーなってるか? ですか?

その辺りは一切、書いてませんw

書いたらR-18になりますから。

 

そもそもラノベとか一般の投稿でそれやったら色々面倒というか、無理というかー。

 

 

 

あ! 1,000文字制限があった(汗)

半分くらい水増ししないとですね。

 

では前書きと後書きを本文にしましょう。

小ずるい手ですが。

 

 

<後書き>

 

あんまり意味がないかも知れませんが、一応書いてみました。

 

ミステリーなどでは本の冒頭部分などに人物と関係性などが書かれていることが多いです。

実は自分もその情報を見ながらでないと、読んでるうちに忘れます……(汗)

 

なのでついつい入れてしまいました。

 

 

文字が足りないので以下は無駄話です。

 

この話は真夏に書きました。

夏を書くのは自分的には珍しいことなのですが、事情が事情で……

 

実は最初に投稿したのはSF新人賞だったと思います。

当時、締め切りが7月末だったので、夏になってます。

締め切りがー!! とか言いながら書いてた……んだろうなあ……。

 

ちなみに当時はまだ、紙にプリントアウトしたものを投稿していました。

綴り紐とかが必須な時代ですねw

あ、穴開けパンチも必要でした。

 

基本的に当時の投稿では大体、400字詰め原稿用紙で350枚から400枚という制限がありました。

ここのように文字数で制限はなかったです。

 

自分の書くものは改行は少なくて、詰め詰めでした。

当時はそれがスタンダードだったので良かったのですが、今はそぐわないですね(汗)

 

一話の文章量が多い気がしますので、もしかしたら後で分けるかも知れません。



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三章
睦月が俺の部屋にいる 1


ここから三章です。


 真っ白なシャツを着た睦月が目の前にちょこんと座っている。残念ながら二台は出せないのだよ、と言っていた開発部長の穏やかな笑みが脳裏を過ぎる。

 

 嘘だろ。何度見ても俺はその光景が信じられなかった。ぐっちゃぐちゃに散らかった俺の部屋の真ん中に睦月がいるんだぞ。

 

「あー……えっと、お茶とか飲むか?」

 

 情けないくらい上ずった声で俺は言った。しばらく部屋の様子を見回していた睦月が黙って首を横に振る。あ、そう。喉は渇いてないか。そりゃそうだよな。さっきまで外の喫茶店で茶をたらふく飲んでたんだもんよ。

 

 事の始まりは開発部長の言葉だった。正直なところ、あのおっさんが考えてることなんざ俺には判らねえ。でも言われたことそのものはとても魅力的に思えた。これ以上のチャンスはねえだろう。何せシステマを外に連れ出してもいいってんだから。

 

 そう。開発部長は俺にそう言ったんだ。聞き間違いなんかじゃねえ。現に開発部長は俺と一緒に例の調整室に行ったんだからな。あのカードを俺にくれた時には、こいつ気が触れたんじゃないかとか思ったが。

 

 まだ俺の頭は混乱してる。あそこで会話したような気もするんだが、殆ど内容を覚えてない。二人をケースから出そうとした俺を開発部長が止めたのは覚えてる。二台は貸し出し出来ないって言われて……そう。だから俺は睦月だけをケースから出してシャワーを浴びさせて、着替えはなかったから下のテナントに慌てて買いに降りて、それを着せて……。

 

 頑張りたまえ。なんてありきたりのせりふで開発部長は俺を部屋から送り出した。これだけは持っていけ、と渡されたインターフェイスの片割れは俺のシャツのポケットにしっかり納まってる。もう片方は睦月が着けたままだ。

 

 頑張るって何を頑張れってんだ。何で俺はあのおっさんの言うことをほいほい聞いてるんだ。大体だな。睦月って妙に目立つんだよ。だから喫茶店で時間潰していたんだが、すぐに居たたまれない気分になっちまった。だからってストレートにうちに連れてくるのもどうかと思うだろ。まるで見合いの席ですかって感じでお互い黙りこくったまま二時間半。結局、コーヒー何杯飲んだか忘れちまったぞ、俺は。

 

「能戸さん」

「は、はい!?」

 

 考え事をしていた俺は呼びかけに慌てて返事した。静かな面持ちで正座していた睦月がじっと俺を見つめてる。

 

「暑くないんですか」

「あ、そうだな! クーラーつけた方がいいよな!」

 

 あははは、と空笑いした俺は、散らかったものを慌てて足でかき分け、部屋の隅に放り出してあったリモコンで空調のスイッチを入れた。ほどなく涼しい風が部屋に降りてくる。あ。よく見りゃ睦月のやつ、汗だくになっちまってるよ。この時期に閉め切った部屋にいればそりゃ汗くらい出るよな。って、俺もじゃん! 

 

 うわあ、情けねえ。睦月が座れるスペースを何とか確保したのはいいが、それで部屋は片付いた訳じゃない。散らかってた物を足で退けただけだ。俺はばかみたいに突っ立ったまま、頭を抱えて呻いた。

 

 何してるんだ、俺は。見合いしてる訳じゃねえんだぞ。もちろん彼女を部屋に招待したって訳でもない。相手はまだ世間がよく判っていないただの……。そこまで考えて俺は恐る恐る振り返った。相変わらず正座をしたまま睦月がじっと俺を見つめている。どうでもいいが、何だってこう、睦月とか時雨って真っ直ぐに人を見るかな。別に悪いことをしてる訳でもないのに居たたまれなくなる見つめ方ってどうよ。

 

 思わず目を逸らしてから俺は必死で考えを巡らせた。今はこの状況に緊張している場合ではない。本当は時雨も一緒の方が良かったのだが、開発部長のあのおっさんの権限では片方しか外に出せないらしい。開発部長の言った賭けの期間は今日と明日の二日間だけだ。俺が負けた場合、週明けには睦月は元通りケースに戻さなければならなくなる。

 

「よし。とにかくだな」

 

 まずはこの部屋を片付けよう。俺は睦月に頼んで一緒に部屋を片付けることにした。片付けついでに余計な荷物を処分すると、意外と部屋が広いことが判る。……まあ、ごみは山のように出たがな。

 

 ディスクだのを納めておく収納家具なんぞないから、部屋の隅に強引に積む。掃除機をかける。要らないものを端からごみ袋に突っ込む。睦月の目につくとやばそうなもんは手当たり次第にダンボールに放り込む。そりゃあな。俺だってエロビデオのディスクの一つや二つは持ってますよ。って、うわ!

 

「何ですか。これ」

 

 掃除機をかけた後、拭き掃除をしていた睦月が手にしたものを見つめて首を傾げる。どうやら積んでいた荷物の間からはみ出してたらしい。俺は慌てて睦月からそれを奪い取った。今は懐かしいレア物グラビア雑誌。俺が学生の頃に友人から強引に譲り受けた代物だ。

 

「保存しますか?」

 

 焦って雑誌を取り上げた俺に睦月が淡々と訊く。どうやら表紙の写真を視覚から読み込んだらしい。

 

「しなくていい!」

「ですが、その状態のままでは劣化が進みます。大切な写真なら尚更、データ化して保存することをお奨めします」

 

 生真面目な顔で言った睦月に俺は降参の意を表して片手を上げてみせた。睦月はこれで俺をからかってるつもりはないんだよな。深々とため息をついて俺は手にしていた雑誌をダンボールに放り込んだ。




いきなり睦月が部屋に来ました。
ホントは能戸が引っ張ってきたわけですが。

よく考えたら今ではなかなか難しい居酒屋なシーンとかありますね。
三密を避けるという今のご時世では無理な感じのものですが、大昔のモノなのでお許しください……(泣)


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睦月が俺の部屋にいる 2

 ダンボール箱にガムテープで封をしてから一息つく。その頃にはまるで別の部屋のように俺の部屋は綺麗さっぱり片付いていた。拭き掃除に励んでいた睦月も今は手を休めている。

 

 こうして見ると俺の部屋って何もないのな。テーブル一つありはしない。あるのはモニタとゲーム用の端末、積み重なったゲームソフト、それにやばいもの詰め込んだダンボール。それっきりだ。スーツなんかは備え付けのクローゼットの中に入れてあるし、下着やシャツなんかも全部その中だ。睦月に言われて窓硝子も拭いたために俺の部屋は妙に明るくなっちまってる。ここに住むようになってそんなに経ってない気がしたが、意外と無駄な物って増えるもんだな。玄関の脇にはごみのでかい袋が三つほど置かれてる。

 

 いやあ、俺の部屋ってちゃんと床があるんじゃん。なんて無邪気に喜んでいる俺とは対照的に睦月はいつもながらの穏やかな表情だ。感情がない訳じゃないが、俺みたいにストレートに顔に出ないらしい。

 

「手伝ってくれてありがとな」

 

 何となく他に言いようがなくて俺は素直に礼を言った。すると睦月が少しだけ首を傾げる。どうやら言われた意味が理解出来ないらしい。そうか。確かに俺はこれまで睦月に礼を言ったことはなかったかも知れない。

 

「掃除だよ。掃除。睦月が手伝ってくれたから楽に済んだだろ」

「命令として受理しました」

 

 当り前の顔で睦月が答えるのを聞いて俺はがっくりと肩を落とした。違う、俺は睦月に命令した訳じゃない。頼んだだけだ。そう言いかけたところで俺はぐっと堪えて言葉を飲み込んだ。いかん。ここで感情をぶつけたところで睦月には理解出来ないだろう。睦月にしてみれば命令を受理して実行するのは当り前なんだから。

 

「どっちでもいいんだって。とにかく助かったよ。ありがとう」

 

 俺は睦月の目の前に座って視線を合わせてから、もう一度礼を言った。するとしばらく考えるように黙ってから睦月が頷く。どうやら納得してくれたらしい。ほっと息をついて俺は睦月に頷き返した。

 

 その日の夕方近くになってから俺は睦月を連れて買い物に出かけた。さすがに街中をインターフェイス着けて歩くのはまずいだろう。それに俺はシステマとしての睦月と歩くつもりなんざさらさらない。そんな訳で睦月はインターフェイスなし、俺もごく普通の格好で出かけることになった。

 

 地下鉄に乗るだけで案の定、睦月の奴は周囲の視線を浴びまくる。まあ、ついつい見ちまうくらいに見目が整ってるのは俺も認めるよ。だがどうも夕方ってのがまずかったらしい。少し混んだ電車の中で唐突に睦月がぐるん、と振り返る。……あーあ。幾ら睦月が可愛いからって痴漢はないだろう、痴漢は。特に恥ずかしがるでもなく、何ですかとじっと相手を見つめた睦月の視線に苛まれたのか、犯人であるらしい中年おやじはこそこそと別の車両に移動した。睦月、天晴れ。きっとあのおやじも今ごろ大反省してるだろ。比喩でなく、本当の意味で邪気のない睦月の視線ってある意味ではすげえ力があるのな。

 

 洗濯しても復活しそうにないカーテンを新調しようと、俺はまず最初にカーテンやらリネンやらが置いてある店に向かった。日用雑貨を豊富に取り扱っているテナントビルに入ると同時に睦月が唐突に足を止める。驚いた俺が声をかけてもじっとして反応しない。

 

「睦月?」

 

 通行人の邪魔かな、と不安になりながら俺は睦月に声をかけた。しばしの後、睦月が俺を見上げる。

 

「保有データのサーチが完了しました。以降、商品価格の比較対照が可能です。照合可能データ保有店舗数は百三十八です。データ保存エリアは」

 

 どうやら店の内容をぱっと見て調べ上げたらしい。俺は淡々と言う睦月の口を慌てて手で覆った。傍を通りかかった若いカップルが怪訝な目で睦月を見て過ぎる。あはは、と俺はその二人に愛想笑いしてから睦月にこっそり言った。

 

「そういうのはしなくていいから」

 

 小声で言った俺のせりふが効いたのか、睦月は少し眉根を寄せつつも口を閉じた。どうやら判ってくれたらしい。ほっと息をついて俺は睦月を連れてゆっくりとフロアに向かった。

 

 睦月に言わせるとインターフェイスがあれば入店と同時に瞬時にネットワークにアクセスすることが可能だという。大抵の店の入り口にはシステマ用の中継ポイントが設えてあるらしい。へえ、と感心した俺に睦月は小声で付け足した。

 

「市場が賑わえばそれだけポイントは増えます。この地域は特にIIS本社に近いこともあって、あらゆる箇所に設置されています」

 

 つまり俺たち営業がシステマを売れば売るほど中継ポイントは増える、と。まあ、そんなとこかな。睦月に言われるまでうっかり忘れてた俺も悪いが、生憎と今日は仕事をしに来た訳じゃない。俺はしかめ面で睦月にもういい、と言った。すると大人しく睦月が口を閉ざす。

 

「今日はそういう話は抜きにしたいんだよ。判るか? 仕事の話はしたくねえの」

 

 だからシステマもなし。そう俺が付け足したところで睦月が何事かを言いかける。だが俺はそれを制していいんだってば、と強く言った。俺の口調に驚いたのか、睦月が目を軽く見張る。

 

「普通に買い物しよう。普通に。な?」

「普通、ですか」

 

 えらく平坦に睦月が言う。だが俺はさして気にせずに頷いた。睦月にしてみりゃ初めてだもんな。戸惑っても不思議はないか。心配するなって、と励ますつもりで睦月の肩を叩き、俺は歩き出した。

 

 カーテンを選んでテーブル売り場に向かう。うん。テーブルくらいあってもばちは当たらんだろ。試しにどれがいいと訊ねると、しばし考えた後、睦月は丸く白いテーブルを指差した。へえ。シンプルなのが好きなんだな、と笑みかける俺に睦月は少しだけ首を傾げてみせた。



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睦月が俺の部屋にいる 3

 荷物を抱えた俺を時折、睦月が振り返る。……何だ。俺がいちいち言わなくても人に気を遣うっての、理解してるじゃないか。そうだよな。睦月は生身なんだし、人らしくなるなんて簡単なんだよ。そんなことを考えながら俺は上機嫌で次の店に向かった。

 

 休日で賑わう街中を俺たちはのんびりと歩いた。睦月が時折、物珍しそうにショーウインドウに寄っていく。だが明るく笑ったりといったことはしない。静かに対象を見つめているだけだ。どうも感情の出し方が判らないらしいんだな。何度か思ったままを言ってみろと促してみたが、駄目だった。

 

 日が暮れてマンションに戻った俺は睦月に料理が出来るかと訊ねてみた。荷物を解いていた睦月が手を止めて少し考えるように黙る。

 

「どんな料理ですか。現在保有しているレシピデータはフレンチ、イタリアン、和食です」

「いや、そういうのじゃなくて」

 

 どう言えば判るんだ。誰も店で出されるような料理を食いたい訳じゃないんだ。俺は苦労しつつ何とか意志を伝えた。すると睦月がちょっとだけ眉を寄せて黙る。どうやら困っているらしい。

 

「アレンジメントのデータは保有していません。ネットワークで検索しますか?」

 

 ああ、違うんだよ。俺は別に完璧な料理を望んでるんじゃなくて。俺は頭をかいて言葉を濁した。くそ、何て言えば判るんだ。

 

「データとかネットワークとかはいいんだってば。そうじゃなくて」

 

 置いたばかりのテーブルの傍に座り、睦月がじっと俺を見つめている。その視線から逃げるように目を逸らして俺は小声で言った。

 

「……頼むよ。そういうのは止めてくれ」

 

 俺は睦月にシステマであることを望んではいない。そう言って俺はため息をついた。これでも営業部にいるんだ。システマが欲しければ格安で手に入れることくらい出来る。

 

 しばし黙った後で睦月が言った。

 

「でも私はシステマです」

 

 いつもなら穏やかな綺麗な声だと思ったのだろう。だがこの時の俺には睦月の声が酷く冷たいものに思えた。慌てて目を戻した俺はそこに睦月のいつもの表情を見止めて言葉をなくした。

 

 違う。だってお前はこんなに人にそっくりじゃないか。そう言いかけて止める。そうだよな。すぐに理解してくれなんて無茶な話だよ。何しろ睦月はずっとケースの中にいたんだ。人の大勢いる街に出たのも今日が初めてだろうし、電車に乗ったり喫茶店に入ったりも初めてだっただろう。そんな睦月にいきなり人になれなんて、そりゃあ無理ってもんだ。

 

 俺は自分の考えに納得して頷いた。そもそも開発の連中が睦月を人扱いするはずがない。あいつらは根っからのシステマ好きだからな。そんな奴らにこれまでずっと囲まれてたんだ。もし、開発の奴らが人として睦月に接していたら違っていただろう。考えを巡らせていた俺は顔をしかめた。もしかして開発部長はだから賭けなんて言い出したんじゃないか? 絶対、無理だって思ってたからこそ、あんなに簡単に睦月を連れ出させてくれたんじゃないのか。そう考えると開発部長の行動も納得がいく。

 

 そうはいくか。俺は脳裏に浮かんだ開発部長の顔を追い払った。睦月は誰が何て言おうと生身の普通の……。

 

「能戸さん。大丈夫ですか? 具合が悪いなら休みますか?」

 

 黙りこんで俯いた俺を気遣ったのだろう。睦月がそっと話し掛ける。ほらみろ。こうして気を遣ったりすることが出来るんだぞ。下手な人間と比べりゃ、よほどちゃんとしてるじゃねえか。

 

「大丈夫だ。ちょっと考え事をしてただけだから」

 

 笑顔で睦月にそう答えてから俺はふと気付いた。こんな風にごく自然に笑ったのっていつぶりだろう。そういえば近頃は営業に出て愛想笑い、飲みに行ってばか笑いくらいしかしたことがない気がする。睦月や時雨と一緒にいる時だけ、俺はこんな風に笑ってるんじゃないだろうか。

 

 ゲームを一緒にして、本を読んで、時々は冗談を言う。些細なことなのに何で俺はあんなに楽しいと思っていたのだろう。睦月も時雨も表情には乏しいが、それなりに楽しんでいたような気がする。

 

 睦月は普通の女の子だよ。その辺にいる女の子とどこが違うってんだ。

 

「飯、作るか」

「え、でも」

 

 睦月が戸惑いの声を返す。俺は大丈夫だと笑ってキッチンに向かった。後ろからついてくる睦月に言う。

 

「俺が作るから手伝ってくれ」

 

 さあて。何年ぶりかな。まずは材料を揃えるところからか。近頃は外食で済ませてたから、冷蔵庫はビールを冷やすだけの倉庫みたいになっちまってるが大丈夫だろ。全部洗わなきゃならんだろうが、包丁もあるし食器も一応はある。簡単な飯くらいなら作れるだろう。算段しながら俺は睦月の手を引いて再び外に出た。



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カレーと水族館、悲しい笑み 1

投稿すると改行がたくさん入ることに気がつきました……。
ええー!
改行ひとつのつもりが3つ入ってる!!(汗)
そっか、そういう仕様なんですね……。


 出来た料理を皿に盛って、二つ並べたダンボール箱を挟んで向きあい、プラスチックのスプーンで一口ほど食ったところで睦月が言う。

 

「カレー……」

「おう。カレーだ」

 

 俺はビールを飲みながら頷いた。しばらく振りに使ったからなのか包丁がろくに切れなくて困ったが大丈夫だろ。見目は悪くても味さえ良ければいいんだし。じっと皿を見下ろして黙っている睦月のことを不思議に思いながら、俺は試しに自分の皿のカレーをひとすくいして口に入れた。そこで俺は目を見張って動きを止めた。こ、これは。

 

「悪い」

 

 しまった、味見をすればよかった。すげえ味が薄いんでやんの。でも辛さだけはやたらと……おっかしいなあ。インスタントのルーは使ったが、学生の頃と同じように作ったつもりだったんだがな。

 

 うあー、まずったなあ。そう言ってもう一度詫びた俺をじっと見ていた睦月が、ふと表情を緩める。お?

 

「能戸さん、面白い顔をしています」

「何だよ。俺の顔見て笑いやがったのか」

 

 即座に言い返して俺はそっぽを向いた。こっそりと伺い見た睦月は間違いなく口許に微かな笑みを浮かべている。初めて睦月の笑顔を見られただけで俺は妙に満たされた気分になった。カレーはまずいけどな。

 

 笑いながらまずいカレーを平らげて食器を片付け、俺はダンボール箱にチェス盤を乗せた。ビールを飲みながら小さな駒を並べる。睦月も一つずつ真面目な面持ちで駒を乗せていく。手加減しては貰ってるんだが酒のせいかな。一勝も出来ない。でも俺は上機嫌で睦月と何度も勝負した。

 

 チェスに飽きたところで交替でシャワーを浴びる。部屋の中でいきなり睦月が服を脱ごうとした時には慌てたけどな。まあ、それ以外は特に何事もなく夜が更けた。腰付近まである睦月の髪はもう乾いている。

 

「おやすみなさい」

 

 ぶかぶかのパジャマを着た睦月が挨拶して軽く頭を下げる。裾も袖も余りまくってるな。やっぱりけちなことせずに買った方が良かったんだろうか。そんなことを思いつつも俺はおやすみ、と挨拶を返して部屋を出た。暑いからドアを開けておくぞ、と言おうとして俺は口を閉じた。ベッドに入った睦月は既に目を閉じている。毛布を抱えて丸くなった睦月を俺はぼんやりと眺めた。一応、こっちの部屋も掃除はしたんだが寝にくくないかな。だが心配はいらなかったようだ。ほどなく睦月は穏やかな寝息を立て始めた。

 

 音を立てないように気をつけてリビングに戻る。今日は俺はこっちで寝ることにしたんだ。さすがに一緒の部屋ってのは気が咎めるしな。いや、俺にだって理性くらいあるぞ? 幾ら睦月が可愛いからってまずいだろ、それは。

 

 妄想終了。俺は強制的に頭を切り替えるために端末を立ち上げた。メールをチェックしてため息をつく。特に重要なメールは着ていない。二、三通ほど返事してから俺は端末の電源を落とした。

 

 そういえば睦月は食事を摂るのは初めてだと言っていた。茶やら水やらは実験中に飲んだりするらしいんだけどな。普段はケースの中だから食事は必要ないんだと。さすがに生まれて初めて食ったのがあれじゃ、ちょっと可哀想だったかな。そういえばベッドで寝るのも初めてなのか。その割にすぐに寝ちまったとこを見ると、案外と睦月って大物かも知れないな。

 

 俺はダンボール箱を片付けて、あらかじめ運んでおいた予備の布団を敷いた。要するに気にしなけりゃいいんだよ。こっちがシステマとして扱わなきゃ睦月だってそのうち忘れるだろ。明日、もっと楽しいところに連れてってやればいいんだよ。そうだ。遊園地なんてどうだろう。あ、でも遊園地のアトラクションってシステマ使ってるのが多いんだよな。下手なところに連れてったら逆に意識させちまうか。じゃあ、プールとか。……しまった。睦月のどころか自分の水着も持ってねえ。

 

 ああでもないこうでもない、と口の中で呟いてから俺は腕組みをして座り込んだ。今時、システマを導入していない娯楽施設は殆どない。特にこういった人の多い街の施設はこぞってシステマを入れている節がある。避ける方が難しいのだ。

 

 要するにシステマがいない場所を探せばいいんだよ。アトラクションとか派手なものがあるところは駄目だ。となると。

 

 そうだ。水族館はどうだ。あそこなら水槽の裏側にはシステマはいるかも知れんが、派手な出し物さえなけりゃ、人目につくところには出てこねえだろう。それに静かで落ち着けるに違いない。

 

 我ながらいい案だ、と頷いて俺は早速寝ることにした。こんなにわくわくするのは本当に久しぶりだ。明日のことが楽しみですぐには眠れそうにない。子供か、と自分に突っ込みを入れながら、俺は部屋の明かりを落として布団に横になった。

 

 楽しい気分で目覚めて朝っぱらからまたあのまずいカレーを食って……仕方ねえだろ。捨てるのは勿体無いし、他に食えるもんがなかったんだよっ。で、睦月と二人で用意して出発。昼食は出先でとればいいってんで、俺は出来るだけ身軽な格好で家を出た。ちなみに睦月の服は昨日きっちり手に入れておいたから大丈夫だ。まあ、夏場ってこともあって薄手の軽い生地のワンピースだけどな。しかし女物の服ってどうしてああ色んな種類があるかな。上と下が繋がってるやつがワンピースってのは判るんだが、それ以外は俺にはさっぱり判らん。




水族館のシーンを書くために実際に行った時のことを思い出しました。
懐かしいです。

余談ですが、ひとつのシーンを書くために色々調べますが、調べたことの100分の1使えれば良い方です。
それ以上入れると邪魔というか読みづらいと思います。
個人的見解ですがw

この13話を例にすると、カレーと水族館、出版事情などを調べました。

水族館と出版系の話、やっぱりちょっとしか使ってませんね。
水族館はバックヤードを巡るとけっこう楽しいですw

カレーはまあ、調べるというか経験から?
インスタントのルーを作ってめちゃくちゃ辛くするには、タマネギを入れる前に炒めなければOKだと思います。

あとはインスタントルーを辛口にするとか、甘みや酸味を排除するとかすれば、ペラいカレーになります。

美味しいカレーにしたい時は、タマネギは入れる前にがっつり炒めましょう。

作り方には鍋で全て調理する的なことが書かれてます。
でもタマネギは黄金色から茶色になるまでフライパンで炒めて、それを鍋に移しても大丈夫。

ただし、フライパンについた旨味が勿体ないので、水を入れてこそげるようにしゃもじで擦ってから、その水を鍋にインするといいです。
(この状態のタマネギは煮込むと溶けて形がなくなりますので、形があるタマネギが欲しい時は、後で別に入れるといいと思います)

ルーによってはコンソメの素を入れるのもアリ。
自分はフツーのクノールのコンソメを使ってます。
使うのはブロックの方ですね。塩分が程よく足されるので美味しくなります。

(同じ煮込み系でもインスタントルーのシチューには、コンソメの素は入れないようにするといいかも? 塩分が多すぎになりダシが喧嘩するような?)

煮込み時間は好き好きですが、ルーを入れてからはかき混ぜないと焦げるかも?
弱火でもとろみがついたカレーは焦げます(´;ω;`)


……しまった。
料理話になってしまいました(汗)


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カレーと水族館、悲しい笑み 2

 電車を乗り継いで目的の水族館にたどり着いた俺は、そこでがっくりとうなだれた。しまった。休日だってのをうっかり忘れてた。家族連れがうようよいるじゃんよ。

 

「能戸さん? 大丈夫ですか?」

 

 熱中症でしたら休まれた方が、なんて睦月の申し出に大丈夫だって答えて俺は覚悟を決めた。敷地に差し掛かっただけで賑やかな子供の泣き声だの、はしゃぎ声だの、叱りつける大人の声だのが飛んでるが、ここまで来て止めるのもむかつくしな。

 

 でも認証チップ入りのカードで入場券を購入できるってのはありがたいかな。あ、このカードは電車のと共用な。その気があれば色んなところの支払いをカード一枚で済ませることが出来る。要はうちの会社のIDカードみたいなもんだな。本人が持っていないと無効だから詐欺もしにくい。まあ、それでも悪巧みをする奴はいて、脳波を意図的に誤受信、偽の信号発信するなんてことも一部ではされているようだ。だが結局のところは手間やかかる費用の割に合わないらしく、その手の事件は滅多に起こらない。

 

 ちなみに俺だけならこのカードを受付にかざせば入場は可能だ。が、今日は睦月を連れてるからな。さすがに睦月の入場料は……ん?

 

「あの、能戸さん。私の入場料は必要ないはずです」

「は?」

 

 後ろから袖を引っ張られて振り返った俺は訝りに眉を寄せた。消え入りそうな小声で言った睦月が困ったように視線を彷徨わせる。俺は順番待ちをしていた次の客に詫びを入れ、睦月を連れて列から離れた。屋根のある入場券売り場の隅にそのまま睦月の手を引っ張って連れて行く。

 

「あの……あれを」

 

 睦月が小声で言って入場ゲートの上を指す。そこには液晶の掲示板が設えられていた。スクロールしていく画面をしばし見てから俺はため息をついた。なるほどね。

 

「いいんだよ、今日は」

「ですが」

 

 画面にはシステマは無料だと明記されていた。普通ならそうだろうな。だがここにいる誰も睦月のことをシステマだなんて思ってはいないだろう。たまにこっちを見ていく奴もいるが、それはきっと別の理由で見ているだけだ。

 

「いいんだってば。昨日も言ったろ? その話はなしだ」

 

 きっぱり言い切って俺はもう一度、入場券を買う列の最後尾についた。おずおずと睦月が俺の横に並ぶ。何か言いかけては止める睦月の素振りを俺は見て見ぬ振りした。しまったなあ。入り口前でシステマの話が出てくるとは思わなかった。意識させまいと思ってたのに、これじゃ逆効果じゃねえか。

 

 面白くない気分で俺はさっさと入場券を買った。それを睦月に手渡して別々のゲートに向かう。カードで入場する客と入場券を利用する客が使うゲートは別なんだよ。カードはケースごと出してかざすだけでいいが、入場券の方はいちいちスロットに突っ込まなきゃならない。そのためかそっちのゲートの列の方が長い。先にゲートをくぐった俺は睦月が出てくるのを待った。

 

 白いワンピースに白いサンダルという格好の睦月が待ってた俺のとこに駆けて来る。睦月に手を上げて応えようとした俺は何となく気になって周囲を見た。どうも睦月って目立ってるらしいな。まあ、白いシンプルなデザインのワンピースが厭味じゃなく似合う少女ってのも珍しいとは思うがな。だからってあからさまに好奇の目で見るのはどうなんだろう。

 

「お待たせしました」

「そんなに焦らなくても大丈夫だって」

 

 はいはい、男共の言いたいことは判りますよ。睦月の横に俺ってのが似合わねえとか思ってんだろ。どうせ睦月に比べりゃ俺の顔は平凡な作りだよ。悪かったな、地味で。俺は睦月を無遠慮に見ていた奴らを睨みつけた。

 

 トンネル状になった入り口は、まるで本社ビルの四十二階を思わせる作りだった。淡く青い光を帯びたトンネルが細く長く続き、俺と睦月は必然的に二人で並んで進むことになった。トンネルを進む睦月の顔はいつもと同じだ。横目に何度か伺っては俺はほっと胸をなで下ろした。そうだよな。睦月はあの不思議な廊下は知らないんだ。俺は一度あそこを通ってるから、どうしてもシステマを思い出すんだけどな。

 

 トンネルは進むにつれて徐々に暗くなる。これで目を慣らそうってことらしい。やがてトンネルを抜けた俺たちは広々としたフロアに出た。でかい水槽がぐるっと周囲を取り囲んでる。フロア全体は少し暗いが水槽内を照らすライトがあるから歩くのに支障はない。

 

 はしゃいだ声を上げて子供達が俺たちのすぐ脇を過ぎる。元気だなあと感心した俺に、睦月が相変わらずの穏やかな顔でそうですねと応える。

 

「もしかして楽しくない?」

「いいえ」

 

 やっぱりあっさり応えて睦月が首を横に振る。うーん。ちらっとでも昨日みたいに笑ってくれれば楽しいって感じてると判るんだがな。さすがにそれは虫のいい注文か。昨日の睦月の微笑みを思い返していた俺は、はっと我に返って慌てて頬を押さえた。いかん。ついにやけちまった。でもついにやけちまうくらいには睦月の笑顔は可愛かったんだよ。

 

 ああ、駄目だな、俺。睦月には笑うだけじゃなくて、もっと色んなことを覚えて欲しいんだよ。笑顔一つで満足してるようじゃ駄目だ。そう思い直して俺はこっそり一人で頷いた。

 

 でかい魚が目の前を左から右へ過ぎる。急に視界に割り込んできた魚影に俺は慌てて目を見張った。思わず一歩下がったところで睦月にぶつかってしまう。

 

「あ、ごめん」

「いえ、大丈夫ですか?」

 

 人が多くて危険ですから、と睦月が俺の手を握る。俺は睦月に手を引かれて歩く格好になっちまった。うわ、情けねえ。これじゃ、どっちが主導権握ってるんだか判りゃしねえ。しかも睦月の奴、自然な顔して俺の手を引いてるよ、ああ。

 

 結局俺は睦月に逆らえず、そのまましばらく手を引かれて歩いていた。時折、睦月が立ち止まっては水槽付近に設えられた液晶画面を見る。ふう。でかい水族館じゃなくて良かった。大きな水族館だとシステマを介して直接頭の中に魚のデータを叩き込む、なんてやり方してるところもあるらしいしな。って、うわ。

 

 やっぱり居やがったか。そりゃそうだよな。あれだけ売れてるもんな。俺はシステマを連れて歩いている男をぼんやりと目で見送った。システマの普及率が一気に高まってること考えりゃ、当り前だったんだよ。施設内部にシステマが設えられてなくても、連れて歩いてる奴はいる。あああ、しかもうちの商品だ、あれ。俺は思わず睦月の手を引いて男と逆の方に向かって歩き出した。



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カレーと水族館、悲しい笑み 3

 進行方向とは逆ですよ、という消極的な睦月の忠告を無視して俺は人の波を分けて水槽から少し離れた場所に出た。壁際まで進んで並んでるベンチに腰掛け、所在なげに佇む睦月に手招きする。睦月はためらったように視線を彷徨わせてから俺の隣に腰掛けた。どうやら睦月は俺が体調を崩していると勘違いしたらしい。そうじゃないよ、と苦笑してから俺はぼんやりと前にある大きな水槽を見上げた。

 

 青い水の中をゆったりと魚が泳いでいく。水槽の中はあの日、あそこで見た光景ととてもよく似て見えた。この年で恥ずかしいなんて言われるかも知れないが、青いあの光景は俺の目にはまるで別世界に見えたんだよ。海を思わせる青い液体の上に浮かんでいるように見えた卵の一つ一つから少女たちが羽化するのだ。どんな作り話より、俺にとってはそれが凄くロマンティックに見えたのだ。

 

 いかん。感傷的になっちまってる。俺は我に返って慌てて首を振った。

 

「もう少し休まれた方がいいのでは」

 

 よし、と立ち上がった俺に睦月が言う。だが俺は大丈夫だと応えて睦月の手を引いた。睦月と一緒に人の波に混ざってフロアの奥に進む。ぐるりと大きな水槽の手前を回るとフロアの奥には別の水槽が並んでいた。へえ。世界の色んな国から集めた魚を泳がせてるのか。ゆっくりと進む人の列に紛れて進んでいた俺はとある水槽の前でふと足を止めた。見慣れないカラフルな魚が群れを作って泳いでいる。幾つもの水槽に分かれているのは、地域別に魚を管理してるからなんだと。液晶画面に映し出された説明を読んで俺はなるほど、と納得した。水質や水温が水槽ごとに違うわけか。

 

 水槽の前で立ち止まってた俺たちの後ろを若いカップルが通りかかる。多分、特に珍しい魚が入ってる訳じゃないんだろうな。カップルは話をしながら横目に水槽を見て過ぎる。……あ。カップルじゃねえわ。眼鏡タイプだったからすぐにそれと判らなかったが、インターフェイス着けてやがる。よく見れば女の動きもどことなくぎこちない。あの顔立ちにあの容姿。間違いない。男が連れてるシステマはうちのライバル社の機種だ。I 3604 Twinsがリリースされて一週間後だったかな。システマ業界最大手のうちの商品に対抗すべく出された機種だ。

 

 やつらが行過ぎる時、俺の耳にシステマの声が入ってきた。周囲の客に邪魔ならない程度の声量でシステマは淡々と魚の説明をしている。その中に俺が納得した水質や水温の差などの説明も入っていた。何か変な感じだ。インターフェイス着けてるんなら喋らなくても問題ないだろうに。わざわざ喋らせるのってシステマの持ち主のこだわりなのかね。そんなことを考えながら俺は遠ざかる男とシステマを目で追った。

 

 そのうちI 3604 Twinsもどこかの社に真似されるだろうな。要するにどの社も売れ線の商品が欲しいんだよ。I 3604 Twinsがあれだけ売れたんだ。粗悪コピーみたいのをリリースする会社も出てくるだろ。この業界はまだ新しいし、発明者の意向とかでシステマそのものに対する特許ってのはないんだよ。いや、ないわけじゃなかったのか。ジェネラルパブリックなんとかいうポリシーに従って……あー、くそ。勝亦が何度か説明してくれたんだが俺にはさっぱりだな。よく判らんが、とにかくどこかの社の売れ線のシステマをもじって別商品作るってのは可能なわけ。客にしてみりゃ、安くていい商品ならいい訳だからな。デザインまでまんまパクったらやばいかも知れんが、似たような機能をつけるのは可能なんだそうだ。

 

 俺はため息をついて水槽前の手すりに寄りかかった。隣にいた睦月が俺の顔を覗き込む。あ、しまった。システマの話は嫌だって言いながら、自分で思い浮かべてるし、俺。

 

「見てください。稚魚がいますよ」

 

 俺の情けない気分を察したのか、睦月は決まり文句になりつつある大丈夫ですかってのを口にしなかった。変わりに小声で言って水槽を指差す。稚魚ってのは魚の子供だよな。俺は睦月の指差したところを見て目をしばたたいた。割と大きい魚が水槽内にディスプレイされた茶色の岩の辺りにいる。その周囲に漂っているようにしか見えない細かいごみのようなものに目を凝らし、俺は思わず呻いた。

 

「餌だと思ってた」

「違います。よく見てください」

 

 ちょうど、子連れの魚がゆっくりと俺たちの前に泳いでくる。俺は間近に来たカラフルな魚とその周辺にいる小さなものに目を凝らした。……本当だ。爪楊枝の先くらいの大きさだが、確かに魚の形をしてる。

 

 メダカ? 違います。睦月とそんなやり取りをして俺はちょっと笑ってしまった。親がど派手なのに子供ときたら、細くて小さくて茶色くて、まるで川からさらってきたメダカみたいでな。これが成長したらあのカラフルな親と同じ形になるなんてすぐには信じられなかった。そう言って笑った俺に睦月が淡々と説明してくれる訳だ。んでも不思議とさっき聞いたシステマのあの声とはまるで違って聞こえる。まあ、メダカは淡水魚ですからこの水槽では生育できません、なんて説明を冷静にされると俺もさすがに笑ってごまかすしかなかったんだがな。

 

 のんびりと水槽を見て歩いていた俺たちは、ちょっとルートを外れてレストランで小休止することにした。時間外して正解。昼時はきっとごった返すだろうレストランのフロアにはまだ空席があった。しかし、睦月はメニュー見ても迷ったりしないのな。あっという間に注文する料理を決めちまう。俺の方が逆に焦って決まらない始末だ。かなり迷ってから俺は無難にランチセットを頼むことにした。

 

 飯を食いながら睦月は不思議な魚の話をしてくれた。その魚は群れで行動するタイプで、普段は雌ばっかりなんだと。で、その群れの中から雄に変化する奴が出てくるらしい。で、その雄がいなくなるとまた別の雌が雄になるらしい。俺はその話を聞きながら感心して言った。

 

「常時ハーレム状態ってことか?」

 

 言ってからしまった、と俺は慌てて口をつぐんだ。今の言い回しはちょっとまずかった気がする。大体、魚にハーレムもくそもあるかよ。そんなことを俺が思ったと同時に睦月が言う。

 

「ハレムを作る動物は他にもいます」

 

 あくまでも冷静に睦月が言うのを聞いた俺は慌てて周囲を見回した。大丈夫だ。このテーブルの周囲に客はいない。俺が危惧した通り、睦月は穏やかな表情のままで子種だの子宮だのに話を移しやがった。頼むよ、もう。

 

「め、飯時にその手の話はちょっと」

「お気に召しませんか?」

 

 ちょっと首を傾げて睦月が問う。俺はここぞとばかりに力強く頷いてやった。話題自体はな。そんなに嫌でもないんだよ、正直なところ。だがその手の単語が睦月の口から出るってのが俺には耐え難いというか。ぶっちゃけた話、睦月にそういう話は似合わねえんだよっ。



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カレーと水族館、悲しい笑み 4

 それでは仕方ありませんね、と少し気落ちしたように睦月が言う。俺はそれを聞いて慌てて話を逸らそうとした。何でだ? 営業してる時にはあんなに喋ることが出来るのに、俺は睦月にろくな話を振ることが出来なかった。思いつくのはシステマに絡んだ話ばかりだ。なんて面白みがないんだろう、と情けない気分に浸ってた俺にふと睦月が声をかけた。

 

「能戸さんがつけてくださった私とTypeBの名前にはどういう意味があるのですか?」

 

 俺は食事の手を止めて何となく睦月を見つめた。たぶん、睦月は名前の意味を知ってはいるのだろう。睦月は一月。時雨は冬の初めくらいに降る通り雨のことだ。だが俺がどこからその名前をつけたかは判っていないらしい。そうか。そういえば説明したことなかったっけな。

 

 学生の頃に読んだ紙の束で出来た本の話を俺はし始めた。ゆっくりと食事をしつつ睦月が時折、合鎚を打つ。俺はそれを確認しては話を進めていった。要約すればすげえ単純な話。仲のいい姉弟がいて、力を合わせて世界を救うのな。周りにはたくさんの人、友達、家族がいて……。

 

 あの当時、システマがこの世を救ったと騒がれた頃には不思議とこの手の本は売れなかったそうだ。事実は小説より奇なりってな。どんなに上手く作られた物語もあの瞬間の騒乱にはかなわなかったんだと思う。俺が読んだ本も、そんな時代よりずっと昔に書かれたものだった。

 

 その本に描かれていたのもよくある読み捨てられる物語の一つだった。俺が生まれるずっと前に出版されたらしく、試しに調べてみたが、その本を出していた出版社は今はもう存在すらしていないようだ。その物語の作者の名前すら広大な情報ネットワークの中には残っていない。過ぎていった時の中に埋もれたその他大勢の人間と同じだ。生きてるんだか死んでるんだかも定かじゃない。

 

 笑っちまうだろ? 表紙なんてぺらぺらの作りでさ。端っことかがよれて汚くなっててさ。印刷も甘くて字がところどころ消えかけてやんの。でも紙が痛みかけて随分とくたびれたその小説を俺は何故か何度も読み返した。俺だって思ったよ。現実の騒ぎはこんなもんじゃないってな。だけどどうしても気になって仕方がなかった。他にたくさんの有名な小説はあるのに、俺にはそれらよりもその物語の方が魅力的に見えたんだ。

 

 その本をやけに熱心に俺が読んでたら勝亦が笑ってたっけな。お前でも熱中することがあるんだなって。よっぽど俺のその本への入れ込み方がおかしかったのかな。でも勝亦は俺の勧めに従ってあの本を読んだ。そうしたら。

 

 そうしたら勝亦は妙に真面目な顔で言った。……思い出した。そうだ、あの時だ。

 

 システマがこの世界を変えるのかも知れない。今からきっと面白い時代になる。

 

 妙にリアルに脳裏に勝亦の言葉が蘇る。

 

 たった一台のシステマが地球を救ったあの日からほんの十年足らず。あの日、前日までの生活がまるで嘘のように俺の周囲はパニックに陥った。俺だって例外じゃない。深い絶望なんてなものに浸る余裕はどこにもなかった。とにかくどこかに逃げなきゃ、と人の波にもまれていたのを思い出す。

 

 一方で世界を何とか救おうと動いていた人間たちがいた。部外者の俺には想像することしか出来ないが、突然襲ってきたトラブルを何とか処理しようと必死になっていたに違いない。計算が間に合わない以前に、その計算を実行するプログラムを組んでいる暇さえなかったのだ、と当時のことに詳しい勝亦が俺に説明してくれたことがある。

 

 そんな中で現れたシステマは現場の人々の最後の希望の光だったのかも知れない。丁度それは俺が熱心に読んでいたあの小説の登場人物の睦月と時雨のように。

 

「能戸さん?」

 

 急に押し黙った俺を訝ったのか、睦月がそっと声をかける。俺は慌てて俯きかけていた顔を上げた。何でもない、と笑ってみる。だが俺自身、その笑みがぎこちないと判っていた。

 

 俺はあの時、勝亦の言ったことを笑い飛ばした。道具が世界を変えてたまるもんか。だが勝亦は笑った俺に文句一つ言わなかった。そうかって答えただけだった。あの時の俺は勝亦もばかなこと言いやがってと思ってたが、もしかしたらあの答えにはもっと別の意味が含まれてたんじゃないだろうか。

 

 なーんてな。やめやめ。考えたところでどうせ今さらだしな。睦月にはずっと前に読んだ本の中に出てきた姉弟の名前だ、と言えば簡単に済むことじゃないか。何も楽しい気分を自分からぶち壊すこたあねえよな。

 

 飯を食って館内を巡り、夕方近くなったころ俺たちは水族館を出た。ゆっくり回ったおかげか、帰りは家族連れの客たちに揉まれるようなことはなかった。まばらに行き交う人々に混ざって広い遊歩道に出る。この水族館は入り口と出口が別のところにあるんだよ。蒸し暑い中を俺は睦月の手を引いて歩いた。

 

 古びて所々が割れたアスファルトの遊歩道が続いている。右手には人工の林、左手に長さの揃えられた芝生の広場がある。もしかしたら昼時辺りはこの広場も親子連れで賑わうのかも知れない。遊歩道の周囲に植えられた樹にとまっているのだろう。敷地内には蝉の声がうるさいくらいに響いていた。睦月が道端に植えられた樹を珍しそうに見つめる。どうやら睦月は生の蝉の声を聞いたことがなかったらしい。まあ、そりゃそうか。よく考えてみれば睦月にとっては生まれて初めてのことばっかりだ。

 

 立ち止まった睦月に合わせて足を止めた俺は道端のベンチに睦月を促した。睦月が頷いて大人しく腰掛ける。夕方といってもまだ直射日光を浴びると暑い。日差しを避けて座った俺たちの周囲では蝉が鳴いていた。

 

 特に喋るでもなく俺たちはしばらくベンチに座っていた。施設の閉館時間を報せる音楽と放送が鳴ってからようやく腰を上げる。途中で買ったボトル入りの茶もすっかりぬるくなっちまってる。俺はまた睦月の手を引いて歩き出した。

 

 睦月は水族館にいる間、笑うことはなかった。ほんの少しでもいい、笑ってくれたらっていう俺の甘い願いは打ち砕かれたってわけだ。そりゃあな。笑えって言えば睦月も笑ってくれるんだろう。だが俺が見たかったのはそういう笑いじゃなくて、昨日の晩の微笑みだったんだよ。

 

 だが現実にはその微笑みすら拝めなかったわけだ。最寄の駅で電車を降り、マンションへの道を歩きながら俺は睦月に訊ねた。

 

「なあ。睦月は人になりたいだろ?」

 

 繋いだ睦月の手が微かに震えた気がした。振り返った俺を真っ直ぐに見つめて睦月が答える。

 

「なぜですか」

「なぜって……」

 

 だって人の方がいいだろう。俺は思わず足を止めて素直に言い返した。まさか睦月がそう返すと思わなかった。だって当り前じゃないか? こんなに人っぽく見えるんだ。それなら人間として生きてみたいって願うと思うじゃないか。システマが幾ら流行ってると言ったって、まだ人間の数の方が圧倒的に多いんだぞ。周りを人に囲まれてれば、自然と同じになりたいと思うもんじゃないのかよ。

 

 睦月が黙っている間、俺は考え続けた。睦月はもしかして物理的に無理だって解答を出すのかな。でもほら。肉体を構成している物質そのものにはさほど違いはないって開発部長も言ってたじゃないか。

 

「そんなに考えることないだろ? 睦月だってその気になればすぐに人になれるって。それだけ人っぽい外見なんだしな」

 

 それに俺は睦月を人としてしか見てないぞ。睦月が答えに困っているのを見かねて俺はそう自分から言ってみた。すると睦月が少し伏せていた目を上げる。

 

 ふわりと笑った睦月の顔が何故かとても悲しそうに見えた。



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走り出す 1

起承転結の転です。
ここからがらっと変わります。


 昨日までの天気はどうしたんだってくらい、その日は朝から酷い雨になった。一本きりしかない傘をさして睦月と一緒にマンションを出る。

 

 結局、睦月は俺の問いには答えなかった。だが俺はもう一度同じ質問を繰り返す気にはならなかった。前の日と同じように他愛ない話をしながらチェスをしていても、俺の頭からあの睦月の悲しそうな微笑みは消えなかった。

 

 で、朝起きて俺は何事もなかったような態度を通し続けた。んで、朝飯もろくに食う暇がなくて俺は慌ただしくスーツを着た。睦月は昨日のワンピースだ。あ、ちゃんと洗ったんだからな。洗濯しても平気な生地で助かったよ、ほんと。

 

 最寄駅まで歩いただけで俺たちは半身が濡れちまった。さすがに一本の傘に二人はきつかったな。でもまあ、俺は上着を脱げば済むことだしな。睦月は可哀想だったが仕方ないだろう。

 

 俺は開発部長に言われた通りに会社について真っ先に四十二階に向かった。指定された時間は始業時間より大分早い。睦月を人の目に晒さないようにっていう開発部長の配慮なんだろ。おかげで朝飯は食いはぐれたが。

 

 エレベーターの扉が開く。そこで俺は目を見張った。扉の向こうに何故か時雨が立っていたのだ。俺は慌てて持ってた紙袋を探って時雨の分の服を出した。時雨の奴、何で裸のまんまで突っ立ってんだよ! ほら、ちゃんと着ろよと俺が差し出した服を時雨は受け取らない。苛立ちにも似た物を覚えて俺は顔をしかめた。

 

「服は必要ないだろう」

 

 不意に横から声が聞こえてくる。ぎくりと肩を竦めた俺は声のした方を向いた。左に大きく折れた廊下の向こうから開発部長が歩いてくる。驚きに言葉を失ってた俺は慌てて挨拶した。おはよう、と笑顔で答えた開発部長が俺の横に立つ睦月をまじまじと見つめる。

 

 開発部長に促されて俺は睦月と時雨と共に調整室に向かった。俺も一応はカードを譲り受けたけどな。今日は開発部長のカードで俺を通してくれているらしい。俺の少し先を進む開発部長が時折、左右に軽く手を振る。その手に握られているのは名刺ホルダーだ。何度も勝亦にここに連れてきてもらったおかげで、俺もすっかりポイントの位置を覚えちまったな。右、左、左、と俺は無意識に廊下の壁を見た。おお、俺の記憶力もなかなか。俺が視線を動かすのとぴったり同じタイミングで開発部長はカードの入った名刺ホルダーを壁にかざしてる。

 

 調整室に入って真っ先に開発部長は二人を並べて椅子に座らせた。何をするんだろう。俺は緊張しながら二人の様子を見守った。だが睦月も時雨も特に何かをする訳でもない。じっと座ってるだけだ。

 

 ゆらりと時雨が立ち上がったのは二人が腰掛けて五分も経たない頃だった。ケースに戻すのだろう。時雨と一緒に開発部長がドアの向こうへと消える。俺は声をかけられず黙って二人が出て行くのを見送った。

 

 多分、俺は賭けに負けたのだろう。それは結果を聞く前から判っていた。椅子に一人残った睦月を俺はしばし見つめた。人になりたくないのか。もう一度睦月に訊ねてみたかった。

 

「あのさ。今の、何だったんだ?」

 

 だがあの悲しそうな笑みを思い出すとどうしても訊けない。俺の口から出たのは全く違う話だった。睦月が真っ直ぐに俺を見つめて言う。

 

「TypeBにデータをコピーしました」

「え? インターフェイスなしで?」

 

 驚いた俺は目を見張って睦月を見つめ、次いで硝子窓に駆け寄って青い液体の満ちたフロアを見た。開発部長に連れられた時雨がケースに足を踏み入れる。ケース内に満ちた青い液体の中に沈んでいく時雨の様を俺は呆然と見ていた。

 

 2wayタイプのシステマは、互いでデータのやり取りをする際にはインターフェイスを用いる必要はないのだという。それがこのRC1の利点なのだと睦月は淡々と語った。確かにリリースされた方のRC2は二台の間でデータ送信する際にもインターフェイスが必要になる。だがインターフェイス自体を外すことの方が稀なため、客に意識させるようなことはないだろう。

 

 二台で一台の意味が初めて判った気がした。俺は力なく笑って窓の外を見つめた。時雨はもうケースに戻ってしまっている。ケースの蓋を閉じた開発部長が歩き出す。

 

「さて、ではスキャンしてみよう。賭けの勝敗を確かめねばな」

 

 戻ってきた開発部長が呑気に言う。俺は一対のインターフェイスを取り上げた開発部長に軽く頭を下げた。

 

「いえ、俺の負けだって判ってますから。それじゃ、失礼します」

 

 早口でまくし立てて俺は開発部長の顔も見ずに歩き出した。

 

 賭けの内容は酷く単純だった。睦月を人にすること。それだけだ。だが俺はどうしても賭けに勝った気がしなかった。俺がもしも賭けに勝ったら開発部長は睦月をくれると約束していたのだ。睦月だけじゃない。時雨も一緒にだ。だが多分、このおっさんは俺が賭けに負けると最初から判っていたに違いない。そして俺はこの通り、負けた屈辱を味わってるって訳だ。畜生。

 

 苛々しながらカードの入った財布をガードのポイントにかざす。廊下を足早に過ぎた俺は一人でエレベーターに乗ってオフィスに向かった。ばかばかしい話だよな。最初から負けるって判ってりゃ、俺だって賭けなんぞに乗らなかったのに。そこまで考えてから俺は自分の考えに首を捻った。本当にそうかな。そんな疑念がわく。

 

 負けると判ってたら最初から勝負なんてするはずがない。そうに決まってる。心の中を行過ぎた妙な疑問を払って俺は頷いた。そう、きっとどうかしてたんだな、俺は。そう心の中で言いつつ俺はオフィスに入った。机についてため息をついたところで誰かが俺を鋭い声で呼ぶ。

 

「能戸! ちょっと来い!」

 

 俺は剣幕に仰天して慌てて立ち上がった。そろそろ始業時間ということもあってオフィスには続々と人が入ってくる。その中の一人、長根所長が呼んでいるのだ。俺は嫌な気分になりつつも大人しく所長に言われるままにフロアの奥に向かった。所長が乱暴に応接室のドアを開ける。どうやら本格的に俺を絞るつもりらしい。

 

「荒れてるなあ、所長。何をやったんだ?」

 

 通りかかった中條先輩が呆れたように俺を見る。俺はため息をついて首を横に振った。

 

「知らないっすよ」

 

 俺だって訊きたいくらいだ。その意味をこめて機嫌悪く答えてから俺は所長が待ち構えている応接室に入った。一応、秘密保持のためにこの部屋の声は外には漏れない設計にはなってる……んだが、さすがに全力で怒鳴ると聞こえるんじゃないかな。だが俺のそんな心配を余所に所長がいきなり俺を怒鳴りつけた。

 

「この馬鹿め! お前、自分が一体なにをしたか判っているのか!?」

 

 判らんすよ。思わず俺は素でそう答えそうになった。おっと我慢、我慢。ここで言い返したところでろくなことにならないからな。

 

 所長の怒鳴り声を聞いているうちに俺の顔は強張った。どうも所長は俺が睦月を会社から連れ出したことについて怒っているらしい。こいつ、どこからそんなことを聞きやがった。怒りに近いものを覚えた俺の耳にそれ以降の所長の言葉は全く入らなかった。はいはい、すみませんね。要するに全部俺が悪いって結論にしちまうんだろうが。何でもかんでもこっちに押し付けやがってよ。八つ当たりじゃねえって保証、あんのかよ。

 

 そもそも、睦月を賭けの対象にして俺に連れ出させたのは開発部長だろうが。そう俺が思ったところでタイミングよく所長が喚いた。

 

「よりにもよって営業の人間が開発の人間と癒着してどうする!」

「はあ?」

 

 癒着ってなんだよ。俺は思わず相手が上司ということも忘れて荒い声を返した。しまったと口を押さえた俺を所長が呆れたように見る。所長は俺が言い返すとは思ってなかったんだろう。しばらくばかにしたように俺を見てから鼻で笑いやがった。……このやろう。

 

「まさか気付いとらんのか、お前は」

「だから何がっすか」

 

 このおっさんの性格もいいかげんどうにかなんないかな。変なところでもったいぶる癖をどうにかしろよ。むかつく上に苛々するんだよっ。

 

「開発部の部長は人事部長と繋がっとるんだ」

「は?」

 

 俺の口から飛び出した声は今度はえらく間が抜けていた。座れ、と仏頂面で言ってから所長がどかん、とソファに腰掛ける。俺は恐る恐る所長の前に回ってソファに腰を下ろした。喉が痛いと文句を言いながら所長がネクタイを緩める。そんなもん、俺が知ったことかよ。好き放題怒鳴ってたのはあんただろが。

 

 俺を怒ることにも飽きたのか所長はさっきまでとは違い、ごく普通の口調で説明した。どうやら開発部長と人事部長が繋がってるってのは、本社では割と有名な話らしい。知らないのはお前くらいだ、なんて嫌な言葉まで所長の口から飛び出す。くそ、あんたは説明してるのか、厭味を言ってるのかどっちなんだ。

 

 営業たる者、情報収集も仕事のうちと思え。苦い顔で言って所長がため息をつく。つまり何か。知らなかった俺の方がおかしいと言いたいのか。無意識のうちに顔に出てたんだろうな。黙ってた俺を見ながら所長が、この程度のことは知ってて当然なんだと言いやがる。くそ、人の表情を読むのだけは上手いんだよ、このおっさんは。だから俺への説教もいつも長引くわけで。

 

 いや、今はそんなことはいいんだ。開発部長の奴、どうやら俺を最初から嵌める気でいたらしい。所長はそう説明してやれやれとため息をついた。

 

「だから中條に言ったのに」

「中條先輩?」

 

 何でここで中條先輩の名前が出てくるんだよ。俺は表情を作るのをやめて訝りに眉を寄せた。顔をしかめた俺を見ながら所長がまたため息をつく。

 

「能戸。中條がボランティアでお前に忠告しとったと思うのか」

 

 こら待て、おっさん。俺は本気で不快感に顔を歪めた。てめえ、中條先輩は関係ねえだろうが。……って、ちょっと待てよ。忠告?




主人公、走ります! 精神的ではなく物理的に!w
OPとかEDで走るアニメは流行るという掟が(違

主人公、ナチュラルに携帯電話で通話してますが、今時の企業はガラケーもスマホも持ち込めないところが多いと思います。
営業用だとしたらギリギリありでしょうか(汗)

いっそのこと携帯用端末にした方がいいのかなと思いましたが、企業の今時とズレるのでそのままにしました。


でもって中條先輩、変貌!w
書いてる時はそんなことになるとは思ってませんでした。
プロット切らないので。

今時のテンプレをガン無視した話ですが、少しでも楽しんでもらえると嬉しいです。


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走り出す 2

 少しの間、俺の頭の中は完全に真っ白になっちまった。その間も所長は容赦なく喋り続けやがった。所長曰く、中條先輩は忙しいのにわざわざ時間を空けて俺に合わせていたんだそうだ。

 

「お前は私の言うことを本当に聞かんだろ? だからお前のことは中條に頼んである」

「待て……いや、ちょっと待ってください」

 

 混乱する頭を押さえて俺は呻き混じりに所長に制止の声をかけた。つまり何か? 中條先輩は仕事仲間として俺に声をかけた訳じゃないってのか。要するに所長に言われたから忠告したりだの、俺を飲みに誘ったりだのしてたってんだな。ふざけんなよ。

 

「そんな訳ないだろ。あの人は本当にいい人で」

 

 思わず素に戻って言った俺を所長が睨む。

 

「……いいかげんにしろ。能戸、ここは学校じゃない。仲のいい友達とつるんで遊んどるんじゃないんだぞ」

 

 仕事だ、仕事。そう言って所長が腕組みをする。

 

「中條がどうして成績がいいか、能戸は知らんだろう」

「いい人だからでしょ」

 

 ため息混じりに問い掛けられて俺はそう即答した。すると所長が疲れたように肩を落とす。怒りに煮えた俺の頭はゆっくりとだが落ち着きを取り戻しつつあった。考えれば単純な話なんだよ。中條先輩のいい人加減に客はほだされて増えるって訳だ。だがそんな俺の考えを読んだのか、所長は力なく首を横に振った。

 

「違う。奴はうちの所内で一番のプロだからだ。仕事に対する考え方がお前とは全く違う。私らの仕事は平然と他社を踏みにじることが出来る強さがなけりゃやっとれんのだ」

 

 そうでないとあんな風にトップにはなれん。所長はしかめっ面でそう説明した。……おい、ちょっと待てよ。じゃあ何か。中條先輩は冷徹だって言いたいのか。そんなもん、信じられるはずがねえだろうが!

 

「中條は上に行くだろうな。私をすぐに追い越すだろう。春の異動で昇進しなかったのが不思議なくらいだ」

 

 俺の憤りは所長の少し小さな声で紡がれた言葉にかき消された。反射的に言い返そうとしていた俺の言葉が喉の奥で凍りつく。もしかして俺はこれまで随分と勘違いをしてきたんじゃないのか。そんな不安が胸を過ぎる。

 

「能戸。この仕事が本当に好きじゃないなら辞めた方がいい。クライアントはお前のことを気に入っとるようだが」

「ちょっと待ってください。クライアントが……何っすか」

 

 聞き逃しそうになった単語を微かに耳で捉えて俺は慌てて聞き返した。所長は自分の言葉を遮られたことには大して腹も立てなかったらしい。改めて説明し始める。

 

「気付いとらんだろうが、能戸はシステマを見る目が優れとるんだよ。自社他社問わず、お前はシステマを客の目から評価しとるんだ」

 

 それは営業としてだけではなく、システマに関わる仕事につく者なら誰もが欲しがるスキルだ。そう所長は付け足した。今度はおべっかかよ。そう疑った俺を所長がしかめ面で見る。あ、顔に出てたのか。疑り深い奴めって所長に先に言われちまった。

 

 なまじシステマに深く関わるとその目は失われるのだという。いや、そんなこと言われても困るんだが。それにあんた、その前に俺に仕事辞めろとか言わなかったか?

 

 一度に色んな情報を与えられたことで俺の頭は混乱していた。人間関係はきっちり把握しておけ。確か勝亦の奴にも言われたことがあるな。そうか。俺はこれまで随分と勘違いしてたってことか。あれ? それじゃあ。

 

「……所長は憎たらしいから俺のこと怒ってたんじゃねえの?」

 

 思わず敬語使うのも忘れて俺はそう訊ねた。すると所長がしかめ面でばかもん、と言う。

 

「営業成績がふるわんのはいかんな。業務態度がなっとらんのもまずいな。だが私怨で怒ったことはない。私はそういうのが大嫌いなんだ」

 

 えらい早口で所長が言う。もしかして……俺の勘違いじゃなかったらこのおっさん、照れてないか? いや、俺だって所長にこんなことを言われるのは不気味だと思う。だって聞きようによっては俺のことを心配して怒った風に取れるんだもんよ。これまで一ミリたりとも誉めたことがないこの所長がだぞ? 俺を誉めてるっていうか、庇うっていうか、そういう発言するってだけで気恥ずかしいだろが。一番恥ずかしいのは気付いてなかった俺だがな。畜生っ。

 

 ああ、くそ。要するに俺の勘違いってことか。そう納得して俺は深々とため息をついた。確かに社内の人間関係なんて調べたことなかったし、気にしたこともなかった。となると、だ。所長の言葉を信じるならあの開発部長ってのが俺を嵌めたってことだよな。でも俺は単に賭けに負けたってことに……あ。

 

 まさかと思うが……。

 

「俺、もしかして泥棒扱いされてたり?」

 

 嫌な予感を覚えながら俺は恐る恐る所長に訊ねた。大体、この手の予感ってのは嫌な時しか当たらないもんなんだよな。所長が重いため息をついて言う。

 

「今ごろ気付いたか、ばかもん。本当に能戸は私の話を聞いとらんな」

 

 やっぱりですか。そうですか。半ば諦め気分で俺は納得した。だが俺を泥棒に仕立てたところで得することなんてあるか? 個人的な恨みでもあるならともかく、俺は開発部長に何かした覚えはないし、第一あのおっさんとまともに顔を合わせたのは会議の時が最初で。

 

 考え続けていた俺は不意に胸ポケットの中で振動した電話にびくりとなった。うわ、焦った。いきなり電話が入ると思わなかった。何気なく携帯電話を取り出したところで俺は硬直した。電話機の表面にある小さな液晶画面には勝亦の名前が表示されている。……タイムリーなやつ。

 

 ちょっといいっすか、と所長に断って俺は通話ボタンを押した。耳にあてがうとすぐに勝亦の声がする。

 

『一度しか言わないからよく聞いてくれ。例のシステマの処分が急遽決まった』

 

 いつもより随分と低い声で勝亦が言う。俺は息を飲んで目を見張った。何で、という俺の言葉にだが勝亦は答えない。

 

『部長の足止めはした。だがもって十五分ほどだ』

 

 おいおい、ちょっと待てよ! どいつもこいつも、何で俺を無視して勝手なことしてやがるんだよ! っていうか、勝亦! てめえ、どういうつもりだ! ……そんな俺の文句は悉く勝亦に無視された。このやろう。喧嘩売ってんのか?

 

『他の社に引き渡すくらいなら能戸にやった方がましだ。欲しければくれてやる』

 

「くれてやるったってお前」

 

 それっきり電話は切れてしまった。いきなり切られた電話を見つめ、俺は呆然となった。な、何が起こってるんだ? よく判らんが、なんかとんでもないことになってないか? 上司の足止めって何だよそれ。他社に引渡しって何なんだよ。

 

「友達か?」

 

 うわ、全部お見通しかよ。所長に言われて俺は思わず素直に頷いちまった。やれやれ、と所長が呟いて立ち上がる。何をするのかと思ったら、所長はドアを開けてオフィスに声を飛ばした。げ! 何だってここで中條先輩を呼びつけるかな、おっさん!

 

「何ですか?」

 

 いつものように人好きのする笑みを浮かべて中條先輩が応接室に入ってくる。それから中條先輩はちらっと俺を見た。そこで困ったように笑ってため息をつく。

 

「もしかしてオレが性悪なの、ばれた?」

 

 あけすけに言って笑う中條先輩を俺はばかみたいに唖然と口を開けて見つめた。いいから、と所長が中條先輩に手招きをする。ドアのところに突っ立ってた中條先輩は所長の言う通り応接セットに寄り、俺を見て笑って言った。

 

「あんまり人を見かけで判断しない方がいいぞ。そんなだから能戸はオレみたいのに利用されるんだよ」

「利用って」

 

 言われている意味が判らない。力なく言い返した俺に中條先輩はまあまあ、と手を振って所長に向き直った。

 

「それで? 用件は何です?」

「ちょっと能戸に手を貸してやってくれんか。どのみち、私の力だけでは事態は収拾出来んだろう」

 

 ……あの。話がいきなり深刻になってないですか。というか、俺、くび確定なのか!? 俺は断じて盗みなんぞしてねえ!

 

 憤る俺とは対照的に中條先輩はあっさりと言った。

 

「オレにメリットないじゃないですか、それ」

「だから私が頭を下げとる」

「所長も甘いですよねえ。まあ、貸しにしておきますか」

 

 余りにも意外なやり取りをする二人を俺は交互に見つめた。感じていた怒りが鎮まってしまうほど驚いた。うわ。所長、本当に中條先輩に頭下げてるし。立場が逆じゃないのかそれは。というか、所長が人に頭を下げてるの、初めて見たぞ。

 

「状況を端的に説明しろ。オレも暇じゃないんだ」

 

 今度は一転して冷ややかに中條先輩が俺に言う。うわ、性格がいつもと違わないか? でももしかしたらこっちが地なんじゃあ……。

 

「早くしろ」

「あっ、は、はい!」

 

 反射的にそう返答して俺は自分が置かれた状況と、勝亦に知らされたことを中條先輩に告げた。

 

「ふうん。RC1を他社との取引材料にするつもりか。あの人もなかなか」

 

 とっちらかった俺の説明で全てを理解したらしい中條先輩がそう言って笑う。俺は焦って所長を見た。だが所長はしかめ面で俺に首を振ってみせる。つまりこれが中條先輩の地ってことかよ。

 

「ところで能戸。お前、辞めるんだよな?」

 

 そんなあっさり言わないでくれるかな。俺だって辞めたかねえよ。再就職するあてもねえのに放り出されてたまるかよ。そうは思ったが、残念ながら仕事を続けるのは無理だろう。事態をこのままにしておいてもどのみち俺はくびになる。内部の犯行ということで会社を追い出されるのは間違いない。事実、俺はあのカードを持っているのだ。

 

「事態をかき混ぜてる間に逃げるのがベストかな。あの人も警察沙汰には出来ないだろうし」

 

 そんなことになったらオレも困るしな。そう笑って中條先輩は自分の電話を取り出してどこかにかけ始めた。そうしながら俺に手をぞんざいに振る。い、行けってことか? ちょっと待ってくれよ。何で俺が。

 

「後のことは私が責任を持つ! いいから行け!」

 

 この時の所長の怒鳴り声は俺が聞いた中では一番迫力があった。俺は声に押されるようにして慌てて応接室を駆け出した。



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逃避行 1

ふたりの逃避行スタートです。

この辺りから予約投稿にしています。
一日一話くらいのペースで更新します。


 苛々しながらエレベーターを待って飛び乗る。四十二階で降りた俺は白い廊下を走った。全力疾走なんて何年ぶりだ? 財布を片手に走りながら俺は営業で足を鍛えておいて助かった、なんて阿呆なことを考えてた。

 

 例の部屋にたどり着いた俺を待っていたのは勝亦と睦月と時雨だった。そうか。勝亦の奴、ここから電話してきたのか。

 

「て、てめー……どういうつもりで」

 

 息を切らしながら俺は勝亦を睨みつけた。だが勝亦は動じる事なく俺の方に睦月と時雨を押す。二人はためらいがちに勝亦を見てから俺に歩み寄った。

 

「頼む。システマを持って逃げてくれ」

 

 勝亦が妙に真面目な顔で言う。あー、くそ。どうせ俺は逃げるしかねえんだろ。舌打ちをして俺は判ったよ、と返事した。でも言っとくが俺は断じて盗みなんぞしてねえからな。そう念を押すと勝亦は重々しく頷いた。……いやまあ、これから盗むんだけどな。

 

 ケースの中に納まっていたはずの時雨は服を着ているし、睦月は今朝の格好のままだ。これなら連れて行っても人に疑われることはまずない。

 

 行くぞ、と声をかけて俺は二人を連れて部屋を駆け出した。誓って言うが、俺はただの営業の端くれで、日頃体力を使う仕事をしている訳じゃない。デスクワークの勝亦よりちょっと体力がある程度で、その他の運動能力は会社に詰めて働いている人間と似たようなもんで……。

 

 廊下を駆け抜けてエレベーターに飛び乗り、下手な奴と鉢合わせたらやばいってんで途中から階段使って……はっきり言って疲れる。俺は地下に辿り着く頃には肩で息をしていた。運動能力が低下しています、と淡々と時雨に指摘されたり、睦月に心配されてる時点で俺も自分の体力のなさを痛感したけどな。

 

「私は残ります」

 

 地下鉄の駅の改札前でぜいぜいと息を切らしていた俺に時雨がさらっと言う。ちょ、ちょっと待て! 何でそうなる! そんな俺の文句にこれまたあっさりと時雨が答えてみせる。

 

「能戸さんの運動能力だと、こちらでかく乱した方が逃げやすいでしょう。それに能戸さんのデータ消去を行う必要があります。現在フリーで社内の全システマにアクセス出来るのはTypeAと私だけです」

 

 きっぱりと言って時雨が踵を返す。待てよ、という俺の声を無視して時雨は来た道を駆けていく。追いすがろうとした俺の腕を唐突に睦月がつかむ。

 

「行きましょう、能戸さん。TypeBなら大丈夫です」

「いや、でもだな。俺は勝亦にお前らのことを頼むって」

「心配ありません。TypeBはビル内の人間の位置をスキャニング可能ですから」

 

 だから捕まりません。そう言って睦月が俺の腕を引く。俺は睦月に手を引かれるままに歩き出した。

 

 カードは出来るだけ使用しないでください。睦月の忠告に従って俺は地下鉄の乗車券を二人分買った。とりあえず逃げるつもりなら荷物を取って来ないとまずいだろう。俺は真っ先にマンションに向かった。今朝のままの状態になってた部屋に駆け込んで慌ただしく荷造りをする。とは言ってもどうしてもって物しか鞄に詰めなかったが。

 

 五分もかからず荷造り出来たのは俺にしてみりゃ快挙だな。慌ただしく着替えを済ませて逃亡準備完了。睦月の急かす声に返事をしながら俺は部屋を後にした。ほとぼりが冷めたらまた戻ってこれるだろう。

 

 しかしこんな具合に逃げたら余計に俺は疑われるんじゃないのかね。地下鉄の駅まで走りながら俺はそうぼやいた。すると睦月が大丈夫です、とやけに自信たっぷりに言う。今日の睦月はインターフェイスを着けたままだ。すれ違う人が時折、珍しそうに睦月を振り返るが、構ってる暇はねえ。

 

「何で大丈夫なんて言えるんだよ」

 

 改札を抜けて電車を待つ間、俺は呼吸を整えつつ睦月に訊いた。睦月はほんの少し黙ってから答える。

 

「開発部、人事部、総務部、営業部、経理部は混乱に陥っています。現在は能戸さんの所属する西江田営業所のみが正常に機能しています」

 

 小声で言ってから睦月が俺をまっすぐに見つめる。その目はいつものように穏やかだ。俺は驚くのが精一杯で返事が出来なかった。もしかして時雨の仕業か。辛うじて俺がそう言えたのは、ホームに電車が滑り込んできた時だった。はい、と睦月が頷く。だがどうやら時雨の仕業だけではないらしい。システマを混乱させているのは確かに時雨だが、人づての情報を乱しているのは他の人間だという。電車に乗り込んで空いた席に腰掛けてから、俺は睦月に話の続きを促した。

 

 本社ビル内に置かれたデータ管理サーバーは先日、うちの新商品のI 3604 Twinsに変更された。だが片方が壊れた場合に機能しなくなる商品ということで、バックアップ用にあと二台、システマが完備されているらしい。合計四台のシステマがデータ管理をしているらしいのだが、時雨はその内の二台の通信システムに割り込み、とあるソフトを強引にインストールさせたのだという。そのソフトを作ったのは勝亦らしい。

 

「本来はテスト用のソフトですが、該当ソフトをインストールされたシステマの計算速度は急激に落ちるという副作用があります。プログラムの説明をしますか?」

「いや、それはいい」

 

 他の乗客に聞こえないほどの小声で話す睦月に俺は首を振ってみせた。どうせ聞いても判らんだろう。

 

「管理サーバーの処理速度の遅延が原因で各部署は混乱していますが、復帰作業を開始しましたので本日午後には通常業務が可能になるでしょう。人間同士の情報のやり取りに関しての乱れは主原因が判明していません。恐らく故意に事態を混乱させているものと考えられます」

 

 すらすらと言う睦月を俺は驚きの目で見た。この間と印象が違うのは、たぶん今の睦月がシステマとしての機能を使っているからだ。

 

「今回の事態は管理サーバーのトラブルが原因であるという結論を首脳会議は出しました」

 

 どうやら俺が睦月を盗み出した件どころの騒ぎじゃなくなってるらしい。やばいじゃないか、それ。俺は思わず呻いた。何もそんな大騒ぎにしちまうつもりはなかったんだ。本社のサーバーがダウンすれば、実質上、顧客の持つシステマのネットワークシステムも使えなくなる。ちまちまと連れ歩いて遊ぶ程度でも情報ネットワークを使用する場面は多いんだ。そうなったらクライアントが黙っていない。俺が苦しい気分で言ったことを睦月があっさり否定する。

 

「いいえ。クライアント用のサーバーは別サーバーです。データ管理サーバーとは実質繋がっていません。ですからクライアントのシステマの使用には問題ありません」

「そっか。それなら安心だな」

 

 そう答えてから俺はめいっぱい顔をしかめた。安心じゃねえよ! なに言ってるんだ、俺は! 本社が大混乱してるってのには変わらんだろうが! 俺は心の中で自分をそう叱りつけた。今は自分が逃げることだけ考えればいいんだよ。他のことなんざ知ったことか。

 

 そう思おうとしたところで俺は出来なくなってる自分に気がついた。くそ、所長の奴、余計なこと言いやがって。あんな言い方されたら、おべんちゃらだって思ってもどうしても客のことが気になっちまうだろうが。違う、俺は楽して稼ぎたいんだよ。仕事は嫌いなんだ。営業なんてたるくてやってられねえんだよ。

 

 そのはずなのに。

 

「くそ、絶対所長のせいだ。恨んでやる」

 

 憎まれ口を叩いてから俺はふと気付いた。そういえば睦月の情報はやけに詳しいが、もしかしてネットワークにアクセスしてるのか。思ったままを訊ねると睦月は頷いた。

 

「ひょっとしていけませんか」

 

 ほんの少し眉を寄せて睦月が問う。俺はいや、と慌てて首を横に振った。例えばいま手持ちの携帯端末を立ち上げた程度では会社の内情を探ることは出来ない。外部から会社の握る管理データを覗くことはほぼ不可能に近いのだ。それが睦月に可能なのは恐らくシステマだからだ。




運動能力が低いと時雨に言われる主人公w

営業は足で稼ぐとは言ってましたが(昔)、実際にはそこまで歩くことはないと思います。
地方だと車で移動、首都圏などでは電車も使うのではなかろうかと。

今はネット周りが充実していますので、メッセージなどでもお客様と話が出来ますね。
昔ながらのやり方のところは電話とか実際に行くとかになるかも?

……いや。
メールとかメッセージのが証拠が残(略
いざという時に有(略

げほんげほんw


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逃避行 2

 いや。時雨の言ったことを信じるなら、システマだからってことじゃないのかも知れない。時雨は社内の全システマに自由にアクセス出来るのは自分と睦月しかいないと言った。あれは俺を安心させるための気休めなどではなく、多分、事実だ。学習させれば話は別だが、システマは基本的には嘘は吐かない。初期状態ではそういう概念が存在しないのだ。

 

 勝亦はRC1が自信作だと胸を張っていた。奴が俺にはったりをかます理由はどこにもない。勝亦がそう言ったのなら、事実そうなのだろう。だが実際にはRC1はリリース直前になってRC2にその立場を取って代わられた。俺は勝亦から聞いた話や開発部長が漏らした話を記憶から引っ張り出した。開発グループのリーダーは会社を辞め、工場はてんてこ舞いになった。リリースされたI 3604 Twins RC2は異様な勢いで売れ、うちの営業所は嬉しい悲鳴を上げた。だが開発部長は言ったのだ。

 

 RC1は初期型システマに近づけるというコンセプトで作られた。もし、睦月と時雨が初期型のあのシステマに外見だけではなく、中身も近かったとしたら。そんなものがいきなり市場に現れたら。そもそも、何故、RC1は土壇場でRC2に取って代わられたんだ?

 

 睦月と時雨がリリースされて困るのは誰だ。少なくとも客でないことは間違いない。客は多少は値が張ると言っても本当に2wayを理解すればその良さも判るだろう。代わりに発売されたRC2はぱっと見凄そうに見えるんだが、いざという時に驚くほど脆いのだ。考えてもみろ。一台倒れたら二台とも使えないなんて、じゃあ二台で買う意味なんてないじゃないか。処理速度と安全性。そのどちらを取るか客に直に聞けばいい。今日日の客が速度重視で安全性を完全に無視なんてする筈がない。そこまで客はばかじゃねえんだよ。そんなこたあ、客に直に接してた俺たち営業が一番よく知ってんだ。

 

 俺は電車の床を睨むように見ながら考え続けた。頭脳労働はお前の担当だろうがよ! なんて、ここにはいない勝亦に心の中で文句を言ってみる。だが脳裏に浮かんだ勝亦は残念ながら俺を助けてくれそうにない。くそ、自分で考えろってか。

 

 もしも睦月と時雨がリリースされていたら。俺は持ち得る客の情報をありったけ頭の中に引っ張り出して考えてみた。くそ、何か恥ずかしいけど所長の言葉を信じてやるよ。んな訳で、最後に……俺の意見を加えてみる。

 

 市場が荒れる。

 

 俺の中でその解答が出たのは、降りる駅に着いた時だった。出足は悪いかも知れないが、確実にRC1は市場を荒らしてしまうだろう。俺は睦月に促されて慌てて電車を降りても考えを巡らせていた。俺の手を引いて睦月は無言で歩いている。

 

 これが例えば弱小企業ならいいんだよ。小さな会社が限定数だけ作った代物なら、市場が荒れるまでにはならない。コレクター等の顧客が買ったらおしまいだ。だがうちは大手だ。勝亦が言った通り、製造コストもぎりぎりだが予算内で納まっていたのだろう。それなら数を作らない理由がない。売れるものなら確実に大量生産に踏み切る。

 

 改札を抜けたところで不意に睦月が強く俺の手を引く。慌てて目を上げた俺は急に足を止めた睦月にぶつかってしまった。そこで初めて気付く。……ここ、どこだ?

 

「とりあえずお茶を飲みませんか?」

 

 焦って周囲を見回してた俺に睦月が小声で言う。普段ならすぐに誘いに乗ったんだろうな。でも今、俺たちは逃げてる最中な訳だ。

 

「何で」

「こっちへ」

 

 意外に強い力で睦月が俺の手を引く。半ば強引に駅構内の喫茶店に入らされて俺は何気なく振り返った。閉じたドアの硝子窓の部分の向こうをスーツ着た男が数人、慌ただしく駆けていくのが見えた。あぶねっ。もしかしなくても見覚えあるぞ、あいつら。うちのオフィスにたまに顔を覗かせてた企画部の連中だ。

 

「……ぶねー……」

「早く座りましょう」

 

 睦月に背中を強く押され、俺は何度か頷いて店の奥に向かった。俺たちのついたテーブルに来たウェイトレスに睦月がアイスコーヒーを二つ注文する。あの……俺、まだメニュー見てたんですけど……。

 

「能戸さん。もしかして居場所が特定出来る物を持っていませんか。追っ手が来るのが早すぎます」

「は?」

 

 テーブル越しに身を乗り出した睦月に言われて俺は目を丸くした。ちょっと待て。さっきの連中が俺を追ってるらしいのは判るが、それが俺のせいって言いたいのか。顔をしかめて睦月に訊くと、おもっきり頷かれちまった。だが不満なんて言ってる場合じゃねえな。俺は隣の椅子に荷物の入った鞄を据えて中を探ってみた。俺の部屋から持ち出したものにそれらしいものは含まれてない。となると。

 

「これか」

 

 俺は思い当たって慌てて財布を出した。運ばれてきたアイスコーヒーを端に退け、財布の中身をテーブルの上にざらっと出す。その中から睦月は一枚のカードを取り上げた。やっぱりか。俺が小声で訊くと睦月が黙って頷く。

 

 テーブルから取り上げた白いカードを睦月がさりげなくソファの間に挟む。おいおい。呆れて見ていた俺を睦月がまっすぐに見つめ返し、何ですかと問う。その目に邪気は全くない。……のだが、それってやばいんじゃないのか? だが俺が呆れて見守る中、睦月は指先でカードをソファの隙間の奥に突っ込んじまった。

 

「さあ、行きましょう」

 

 行きましょうっておい。俺は睦月とテーブルの端に置かれたアイスコーヒーを見比べた。

 

「いや、まだ一口も飲んでないんだが」

 

 睦月はだがその返事が聞こえていなかったのか、さっさと立ち上がって俺の腕を取った。くそ、折角のアイスコーヒーだ。俺は立ち上がりながらグラスをつかみ、一気に中身を飲み干した。空になったグラスをテーブルに戻して鞄を引っつかむ。睦月に引きずられるようにして俺はテーブルを後にした。こんな飲み方じゃ、味なんかさっぱり判りゃしねえ。

 

 支払いを済ませた俺の視界の隅を何かが行過ぎる。俺は反射的にドアの向こうに目をやった。あれ? あいつらってさっきの……。

 

「今のうちに早く」

 

 ドアを開けた睦月がさっさと歩き出す。俺は行き過ぎた連中に見つからないよう注意しながら睦月の後を追った。

 

 睦月は歩きながら素早くインターフェイスを外した。ワンピースのポケットに畳んでそれを突っ込み、その手で俺の腕を取る。何事かと身構えた俺の腕に睦月はスムーズに腕を絡めてきた。思わず焦って立ち止まろうとした俺を引っ張るようにして睦月が歩き続ける。

 

 傍から見てる分には年の離れたカップルとでも思えるのだろうか。俺と睦月は特に誰かに注視されることもなく駅を出た。いや……あの、別に俺はいいんだけどな。その、胸が。睦月の胸がもろに俺の腕に当たってるんだよっ。無邪気なのも大概にしろよ。などと俺が睦月を注意する余裕はなかった。情けないが睦月に引っ張られて歩くのが精一杯だったんだよっ。

 

 早く、と促されて俺は慌ててさっきとは別の地下鉄の駅に続く階段を降りた。今度は全く別の方向に行く電車に乗り換える。言われるままに乗車券を買って電車に乗ってから俺は睦月に訊ねた。

 

「一体、どこに行くんだ」

 

 追っかけてる連中から逃げてるのは判るよ。だが睦月の向かってる場所がどこなのか判らない。さっきの駅にしたってわざわざ地上に出なくても乗り換えられた筈なのに。小声で文句を言うと睦月はちらりと俺を見た。それから小さく息をついてポケットから取り出したインターフェイスを着ける。

 

「先ほどのカードに少々、細工をしました。これでしばらくはもちます。ですが、その間に解決策を講じないと」

「あの、な? ちょっと待て」

 

 睦月と時雨が特別だということはよく判った。だがそんなことが……カードに細工なんて出来るもんなのか?

 

 そんなことが可能なら、今はそれほど発生率のないカード犯罪だって、これからは簡単に出来るようになるかも知れないってことかよ。

 

 俺は出来るだけ小さな声でそれらの疑問を睦月にぶつけてみた。いや、だってこんな話を大声でするのはまずいだろ。だが俺の殆ど声にならない声を睦月は正確に聞き取ったようだ。いいえ、とあっさり否定する。

 

「先ほどのカードは社内部専用の特殊なものでしたから」

「余計まずいだろ」

 

 俺は慌ててそう言い返した。すると睦月がしれっとした顔で俺を見る。

 

「いけませんか」

 

 邪気のない視線って時に暴力だと思うぞ。どう説明しろってんだよ、こんなの。俺は力なく周囲を見回してからため息をついた。駄目だ。こんなところでするような話じゃない。乗客はそこそこいるんだ。今のところはこっちに注目はしている奴はいないが、どこで誰が聞いているか判ったもんじゃない。

 

 とにかくだ。さっきの話の続きをするにしろ、解決策とやらを練るにしろ、こんなとこじゃしたくねえ。そんな俺の言い分に睦月は意外とあっさりと頷いた。それもそうですね、なんて言ってたから俺の言った意味を理解はしているんだろう。少なくともこの時の俺はそう思ってたんだ。



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まさかこんなところに入るとは 1

主人公、色んな意味でちょっとヤバいところに入ります。


 電車を乗り継ぐこと七回。いいかげん、うんざりしかけてた頃に睦月は俺をやっと地上に導いた。出掛けにあれだけ降っていた雨は今は降ってはいない。だが空はまだ暗いからじきにまた降り出すだろう。そんなことを考えつつ、俺は歩きながらちらっと睦月をうかがった。かく乱ったってこんな限られた範囲で動いてたら意味ないんじゃねえの。そんな俺の問いに睦月は酷くあっさり答えた。遠くの人のまばらな場所に行くより、手近な人ごみの方がいいんだと。

 

 ああ、確かに俺は言ったよ。落ち着いて話せる場所に行こうってな。だが、俺が言ったのは、ドアからちょっと入ったところにどでかいベッドが据えてあるような特殊な部屋じゃない! 二人で寝転んでもまだ余りそうな特殊っぽいベッド、特殊アイテム自動販売機、特殊ビデオディスクしかかけられない特殊な形のモニタ、特殊照明、特殊風呂に特殊トイレに……ああああ、違うんだ。俺が言ったのは断じてこんな場所じゃない! 甚だしく日常から離れた空間に佇んで俺は頭をかきむしった。

 

 そりゃ、俺もな。この手の場所に一度も来たことがないとは言わないよ。だけど幾ら何でもこの状況でそれはないだろう。あ? 何で部屋に入るまで気付かなかったのかって? この建物の入り口やカウンターは驚くほど普通なんだよ! チェックインとかもごく当り前のホテルと同じで疑う隙がどこにもなかったんだよ!

 

 ああ、判ってるさ。普通は女の子の方が俺みたいな反応をするんだよ。どこぞのファッション系サイトでも頻繁に特集が組まれてるよ。そういう場所を嫌う子をどうしても連れ込みたい場合、入り口だけはお行儀のいいこういったホテルが警戒されなくていいとかな。ご丁寧なことに、どうすれば女の子がおちるだの、いざ本番の時にこうするべしだの、本当かよって疑いたくなるようなテキストが当り前に晒されてるサイトもあるよ、確かに。ああ、ごめんなさい。よく見てます。そういうサイト。

 

 いや、今はそうでなくてだな!

 

 あの場合でもその場合でもどの場合でもだ! 男の方が騙されて連れ込まれてどうする! しかも相手は若い女の子なんだぞ! やばいだろ、犯罪だろ、捕まるだろそれは!

 

 周囲に誰もいないこともあって、俺は思ったまんまを睦月にぶちまけた。すると睦月が平然と言う。

 

「私はシステマですから問題はありません。むしろ経営者にとって能戸さんは一人で二人分の部屋代を支払う客なのですから、喜ばれはするでしょうが通報されるようなことはありません。まして告訴もありえませんし」

 

 つらつらと語る声はあくまでも穏やかなのに、俺にとって睦月のせりふはとても凶悪に思えた。

 

「違うんだ、頼む、落ち着け」

 

 そう言ってから俺は、いや、落ち着くのは俺だと自分に言い聞かせた。睦月は最初っから落ち着き払ってるんだよ。慌ててるのは俺一人でだな。でもさっきの睦月のセリフはちょっと否定したいぞ。俺は睦月をシステマとは……。

 

 でも俺がとりあえずここまで逃げられたのは睦月のシステマとしての機能のおかげなんだよな。そう思うと複雑な気分だ。俺は睦月に人になって欲しいのか、それともシステマとして存在していて欲しいのか。

 

「私は落ち着いています。むしろ能戸さんの方が落ち着いていないように見受けられますが」

「そ、そうか」

 

 深呼吸しますか、と真顔で問われて俺は首を横に振った。何が悲しくてこんなところで女の子に心配されにゃならんのだ。

 

 落ち着きなく周りを見回していた俺の肩を睦月が唐突に突く。何事かと慌てた声を上げた俺はよろけた拍子にでかいベッドに座る格好になった。焦って睦月を見やる。だが睦月はごく普通の穏やかな表情のままだ。何をするでもなく俺の前に立っている。俺はうろたえて視線をあちこちに向けた。だがどこを見ても落ち着かない。

 

「まず先ほどのカードの件ですが、あのカードはIIS本社ビル内の開発部試験フロアでのみ有効です。他の場所では使用することは出来ません」

 

 試験フロアってのは本社のビルの四十二階のことだ。淡々と語る睦月の言葉を聞いているうちに俺の気分は少しずつ落ち着き始めた。そうだよな。睦月がまさかそんな艶っぽいこと考えてるわけ、ないよな。落ち着くと同時にちょっとだけ残念な気分になる。

 

 あの白いカードは所持者の脳波を読み、専用の信号に変換して発信する機能を持つ。それだけなら俺たちがいつも携帯してるIDカードと同じだ。が、この発信される信号があのカード独特のものらしい。睦月の説明に俺は黙って頷いた。

 

 脳波信号受信、発信機能を不用意に変質させてはいけない。それはどんなシステマにも組み込まれている制限なのだという。だから睦月はカードの本来の機能である人間の脳波受信、信号変換、発信機能については一切触っていないと言う。へ? それならどうして。そんな俺の間抜けな質問に睦月は滑らかに答えた。

 

「先ほどのカードには全く別の発信機が付けられていたんです」

 

 なるほど。つまり開発部長が俺にくれたカードには、最初っから全く別の発信機が仕込まれてたってことかよ。ちなみに睦月曰く、こっちの発信機は実にお粗末だったらしい。そうでなければ睦月でも細工は出来なかったという。

 

 この発信機は一定間隔で信号を発信するタイプだったようだ。その間隔は変えずに、付近のシステマ用のインターフェイスを介して別のインターフェイスから信号を発信させるように仕組んだと睦月は説明してくれた。つまり、カードの近くのシステマや中継ポイントが信号を読む。この後、信号を転送する。この際の信号転送についてはランダムに場所が設定される。その後、転送先のシステマや中継ポイント等が偽信号を発信する、と。こういうことらしい。

 

 ……ごめん。真剣にこの仕事辞めた方が身のためって俺、思ったわ。最初は睦月の言いたいことの半分も理解出来てなかった。何度か聞いてもこの程度だ。多分、睦月はそれほど難しいことを言ってるんじゃないとは思う。

 

 これまで俺はいつも客から質問されてもてきとうにごまかしてきた。最悪の時は技術営業に出張願うのだが、出来るだけそれも避けてきた。技術営業は俺たちみたいな時間の使い方は出来ない。どうしても忙しくなってしまうのだ。しかもギャラも高い。だが本当に俺がシステマのことを理解してれば技術営業に頼らずに済むのだ。中條先輩みたいにな。

 

 出来るだけ楽にやって行こうとして俺は色んなことを避けてきた。だがそれが逆に遠回りになってしまっていたのだと俺は初めて気がついた。今からシステマはもっと複雑になっていくだろう。そうなった時、俺はどうするつもりだったんだろう。

 

「これで少しは時間が稼げるはずです。カードそのものが発見されてしまえば終わりですが」

 

 うなだれてため息をついた俺に気を遣ったのか、睦月はそう話をくくった。確かにそうだな。今は落ち込んだりしてる場合じゃなかったな。

 

「それで? 解決策だが、どうする」

 

 警察沙汰には出来ないだろうと中條先輩は言っていたが、相手はでかい企業だ。そう長い間、ごまかし続けることも出来ないだろう。かと言って逃げ続けることも出来ない。




いかにしてエロを避けるか、当時すごく悩みました。

もちろん直接的な描写は完全に避けているのですが、場所の説明はちょっと困りました。
場所が判らない方は判らないままでOKですw
(判らなくてもストーリー的には問題ありません)

システマはここも入場無料! です!w
無料で持ってって何をするのか知りませんが!w

読者が未成年かも知れないというのを考慮していなかったので、この手の場所が出てきました。
主人公の年齢的にはアリかと。
某大賢者なお話は既にあるし……w


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まさかこんなところに入るとは 2

 そうだ。俺は考えてる途中だったんだよ。市場が荒れるのを防いで得するのが誰か。でもそんなこと本当は考えるまでもない。仕掛けたのは開発部長だろ。きっとあいつが別企業の誰かと繋がってるんだ。もしかしたら睦月と時雨を引き渡そうとしてる相手ってのもそいつかも知れない。

 

 だが真っ当な繋がり方じゃないのも確かだ。もし、誰に知れても問題ない関係なら、真っ先に警察に頼るだろう。だからって俺が警察に駆け込むことも出来ない。何しろ開発部長は法に触れてはいないのだ。正当な取引として睦月と時雨を他企業に差し出すんだろうからな。

 

 ひょっとしたら土壇場でRC2が製品化決定したのにも何か理由があるんじゃないか? 土壇場だからこそ内部はかなり騒然となったし、実際に勝亦の上司らしいチームリーダーは辞職したって言ってた。事情はよく判らんが、開発部長はそのチームリーダーが邪魔でもあったんじゃないのか。

 

 あー、くそ。考えてりゃきりがねえんだよ、こんな話。しかも巻き込まれてから考えたってどうにもならんだろ。俺は呻いて頭をかきむしった。俯けていた顔を上げてからようやく気付く。

 

「どこかに座れよ。立ちっぱなしだと疲れるだろ?」

 

 俺って間抜けだな。慌てたり落ち込んだりで睦月がずっと立ったまんまだってこと忘れてた。睦月はぐるりと部屋を見回してから俺の方を見た。ああ、そうだな。椅子はあるがインテリアらしいからな。座ってくつろげる形はしてないよな。そうなるとベッドに腰掛けるのが無難だよな。それは判る。判るんだが……。ええい、くそ。睦月にそんな気はないんだから気にしなきゃいいだろ、俺も!

 

 躊躇してから俺は睦月に頷いた。すると睦月が首を傾げて言う。

 

「不快でしたらここに座ります」

 

 そう言って睦月がぺたん、と床に座る。ああ、誤解させちまった。

 

「別に並んで座るのが嫌とかじゃなくてだな」

 

 やれやれ。俺ってやっぱり下手くそだな。そう思いながら俺は腰を上げて睦月の手を引いた。引き起こされた格好になった睦月が大人しく俺の横に腰掛ける。

 

 隣に座る睦月を俺は横目に見た。俺がシステマのことをもっと知っていれば、睦月のこともシステマにしか見えなかったんだろうか。そんな考えも浮かんでくる。柔らかそうな髪も細い肩も整った横顔も、もっと見ていたいと思わずに済んだのかも知れない。

 

 睦月は少し考えるように黙ってからこっちを見た。まともに視線が合ってしまってから俺は慌てて目を逸らした。熱くなった顔を睦月に見せないように背けてみる。インターフェイスを装着していてもだな。やっぱり睦月って俺には人間の女の子にしか見えないんだよ。

 

 システマとして生きるより、人として生きる方がずっといいに決まっている。その俺の考えは変わらない。だが俺は昨日のように思ったままを睦月に伝えようとは思わなかった。あの時に見た悲しそうな微笑みが俺の脳裏に焼きついてどうしても消えてくれないのだ。

 

 睦月はあの時、何かを言おうとしていたような気がする。だがどれだけ考えてみても俺には睦月の考えていることが判らない。もし、人になれば睦月の思っていることが判るようになるだろうか。そう考えて俺は思わず苦笑しちまった。答えは否だろうからだ。

 

 ふと俺のシャツを何かが引く。つい考えに没頭していた俺は慌ててそっちを見た。睦月がシャツの袖を引っ張っているのだ。上目遣いに見つめられて俺は思わずじっと睦月を見つめてしまった。い、いかん。

 

「一つ訊きたい事があるのですが」

 

 俺のやましい気持ちとは対照的に睦月の眼差しや声はとても透き通っている。俺は出来るだけ平然を装って睦月に何事かと問い返した。でもやっぱり駄目だ。どうしたって声が焦りに裏返っちまう。

 

「あ、あんまり難しいことは判らないぞ、俺は」

 

 ごまかすつもりでそう言った俺に睦月が首を振る。つまり難しいことじゃないって意味か。睦月がえらく真面目な顔してるもんで、俺の気分は急速に冷えていった。

 

「能戸さんは私は人になった方がいいと思いますか」

 

 シャツだけじゃない。俺の腕を強くつかんで睦月が真剣に問い掛ける。俺は言葉をなくして目を見張った。緊張して自然と息が詰まる。

 

「な、んでそんなこと、急に」

 

 言えるかよ、そんなこと。俺にだって判んねえんだよ。睦月は焦る俺を真剣に見つめ、着けていたインターフェイスを外した。ヘッドホン型のインターフェイスが外れると、睦月がシステマだという気配すら感じられなくなってしまう。

 

「急ではないと思います。能戸さんはまだ、私が人になった方がいいと思いますか」

 

 ひと言ずつゆっくりと睦月が問う。俺は口の中に溜まった唾を無理やり飲み込んで睦月から目を逸らした。何て答えればいいのか判らない。本音を言えばな。俺は睦月に人として生きて欲しいと思う。

 

 何でかって? そんなこと、最初っから本当は判ってた。

 

 俺は睦月を好きなんだよ。理由なんか知るか。あの時、一面の青い液体に浮かぶケースに収まった睦月を見た時から、多分俺は惹かれてたんだと思う。

 

「そう、ですか……」

 

 黙りこんだ俺に睦月が弱々しい声で言う。それから睦月は俺の手をそっと離した。判りました、と告げた睦月を俺はのろのろと頭を動かして見た。睦月は俯いてしまっている。

 

 何でこういう時に限ってでまかせが言えないんだ。簡単だろう。営業で幾らでもそれらしい嘘は吐き慣れてる。クライアントを納得させるなんて得意技のはずなのに、何で睦月を安心させてやれないんだろう。俺は自分のばかさ加減を呪った。

 

 今なら判る。睦月は多分、人になりたくないんだ。そのことに気付かなかった俺は睦月を知らないうちに傷つけていたんだろう。あの時の悲しそうな微笑みには諦めがこめられていたんだ。

 

「私の役目は、能戸さんを無事に逃がすことです」

 

 小声で言いながら睦月が外していたインターフェイスを装着する。だが睦月は顔を上げようとはしなかった。俯いたままで続ける。

 

「私に考えがあります。解決策については任せて頂けますか?」

 

 俺は情けない気分で睦月に頷いた。伏せていた顔を上げた時、睦月の様子はいつもと変わりなく、そこには穏やかな表情しかなかった。



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睦月の決意

さらに走ります。


 ホテルを出る時に睦月は俺にカードを使ってもいいと言った。カードで支払いを済ませた俺たちは早速、地下鉄の駅に戻った。地上を逃げ回るよりは電車を使った方が効果的だと睦月が言ったからだ。

 

 今日中にけりがつく、というのが睦月の出した結論だった。俺は睦月と手を繋いで逃げている間中、自分の行動を振り返っては後悔した。あの時、ちゃんと答えていれば睦月は別の選択肢を呈示してくれたのかも知れない。だが俺は逃げてる間、睦月にあの質問を蒸し返すことは出来なかった。

 

 真っ白なワンピースを翻らせて睦月が走る。買ってやったサンダルは逃げてる間に壊れちまった。壊れた留め金の替わりにハンカチで足首とサンダルとを結わえて睦月が再び走り出す。俺はそんな睦月に黙ってついて走り続けた。

 

 ここなら大丈夫ですと言われ、俺は睦月と一緒にビルとビルの狭間に身を潜めた。流れた汗を拭いながら睦月が屈み込む。

 

「五分は休めます。水分補給をしておいてください」

 

 日は西に傾き始めている。西日の差し込むビルの狭間で俺は睦月に言われた通り、ボトル入りの茶に口をつけた。一気に飲むなと念を押されてるんだっけか。俺は注意深く少しずつぬるい茶を喉に流した。

 

 一転して俺たちが走り続けなければならなくなった理由は単純だ。時雨が本社でとっ捕まっちまったのだ。だが時雨がへまをした訳じゃない。管理サーバーが復旧して捜索する人の手が増えたことは時雨にとってみれば大した変化ではなかった。時雨はその気になれば人間の放つ体温を正確に読み取ることが可能なのだという。

 

 今日日、一枚もカードを持たない人間はいない。しかも時雨を捜索する者たちはほぼ百パーセントの確率でインターフェイスを装着していたのだ。そのどちらかがあれば時雨には誰がどこでどんな動きをしているか手に取るように判るのだという。そしてそんな時雨の性能を正しく把握している人間はごく限られる。そう、開発に直接関わった者だけだ。

 

 管理サーバーを混乱させたソフトは復旧と同時に時雨が外部から痕跡も残さず破壊したのだと言う。だがそれでも開発の人間、しかも管理用のサーバーであるシステマに近い位置にいる人間が疑われるのは必然だろう。勝亦の身柄は一応、開発部に抑えられているらしいが特にこれといった害は加えられていないようだ。ただし、時雨のログ解析に使われていることは間違いない。睦月曰く、あの会社で時雨に一番詳しいのは勝亦なのだという。

 

 俺だけではない。俺を逃がすために力を添えた人間を出来得る限り守る。その条件を満たす為に時雨はわざと捕らえられたのだ。混乱に陥っていた各部署は管理サーバーの復旧により通常業務に戻ったようだ。これまでに二度ほど長根所長からメールが着たがその後の様子は判らない。所長も呑気に俺にメール打ってる状況じゃないようだ。

 

 あんなでも所長は食えないところがあるから大丈夫だろう。伊達に営業所を統括している訳じゃない。中條先輩については心配無用だ。あの人はどこに放り出されたところで自分で何とかしてしまう。だが勝亦は真っ先に疑われる位置にいるのだ。勝亦もばかじゃない。社内外を問わず、頼れる人間は多くいるだろう。だが俺の友達だということで疑いの目を避けることが出来ないのだ。

 

 そう判断した時雨は間違ってはいなかったのだろう。だが今度は逆に俺たちの行動が追っ手側にばれてしまっているのだ。睦月と時雨は二人で一人というシステムで動いている。時雨が捕らえられれば睦月の居場所も割り出すのは簡単なのだ。もちろん勝亦も出来るだけ粘ったようだ。だがそれだっていつまでもという訳にはいかない。時雨は本社内をかく乱する際に用いたプロテクトを外されてしまった。それが外れてしまえば時雨は勝亦でなくとも入出力が可能になるってことだ。

 

 ああ? やけにシリアスだってか。あったりまえだ。俺だってたまには真面目に考える時くらいある。それに今は事を茶化せる気分じゃねえんだよ。走りっぱなしってわけじゃないが、身体のあちこちが悲鳴を上げてる状態だ。俺はただの営業だっての。営業は足で稼ぐもの、だなんて誰が決めたよ? ああ? 本当の営業ってのは走って幾らの仕事じゃねえんだよ、くそ。畜生、こんなことなら鍛えとくんだった。

 

 屈んでいた睦月が立ち上がり、俺が差し出した茶を礼を言って受け取る。やっぱり睦月も生身なんだよな。俺と同じように汗もかくし喉も渇くってわけだ。俺は慎重にボトルを傾けて少しずつ茶を飲んでいる睦月の足元をこっそりと見た。解けかけていたのだろう。ハンカチはしっかりと結び直されている。傷一つなかった綺麗な睦月の足先は今は汚れている。激しい運動なんぞ初めてだろうしな。つまづいたりぶつけたりといった目に見える衝撃がなくても、いつの間にか汚れちまったんだろう。素足だしな。

 

 ボトルの蓋を閉めながら睦月が唇を引き結ぶ。俺は薄汚れたコンクリートの壁に寄りかかって息を整えた。俺にいま出来ることは一つきりだ。なるべく早く回復すること。それだけだ。

 

「行きます」

 

 そう言った睦月に頷き、俺はボトルの茶を手早く鞄に納めた。二人でビルとビルの間から駆け出すと、タイミングよく右手から追っ手の数人が現れた。幾らなんでもタイミングが良すぎると思うよな。そう。相手に睦月の動きが丸見えなのと同じで、睦月にもあっちの動きは筒抜けなんだよ。要するにいたちごっこってわけ。

 

 睦月と時雨の情報のやり取りは常時されている訳ではない。正確に五分おきに互いの位置を確かめているのだという。その五分の間にこちらは逃げ、向こうは追う訳だ。だからある程度はこっちが有利なんだが、それでも逃げ続けるのは体力がいる。人ごみの中を駆け抜ける睦月について走りながら、俺は何やってるんだろうと自分に訊ねてみた。

 

 このまま睦月をかっさらって遠い所に逃げるってのはどうだろう。なんてことも考えてはみた。だが俺の考えることは非現実的。それも自分で判ってる。そんな真似をしたところで睦月の居場所は向こうには筒抜けなんだよ。受信機のないところに行けばいいって考えは、それこそ非現実的だ。

 

 走る睦月を人々が振り返る。だが俺たちは視線を無視して走り続けた。会社帰りのサラリーマンたちをかき分けて地下鉄の駅に滑り込む。待てとか言われても止まれるかっての。俺は肩越しに追っかけてくる奴らを振り返って急いで睦月の後を追った。

 

 だがそんな追いかけっこももうすぐ終了だ。睦月のシナリオによれば、あと一時間弱ってところか。

 

 そう。全て睦月の用意したシナリオ通りに事は動いてる。俺も最初は勘違いをしていたんだが、睦月と時雨ってどんなに離れていても同じなんだよ。つまりだな。睦月と時雨って二人に分かれて見えるが、あいつらは二人で一人なんだよ。だから時雨があの時、本社に残るって言ったのも、睦月がやったことだったんだ。勝亦を助けようとして時雨が捕まったのもある意味では睦月のシナリオ通りって訳だ。

 

 洒落た格子模様の描かれた舗道を全力で走りながら俺はぼんやりと考えた。前を走る睦月の白いスカートがやたらと目に付く。

 

 なあ、勝亦。俺、今ならお前の言ったことがちょっとだけ判る気がする。システマが世界を変えるって意味が。

 

 システマは人よりよっぽど賢く出来てて、すげえ演算能力を持ってて、でも道具なんだよな。道具が世界を変えるなんて、ばかばかしいと俺は思ってた。だから意地になってシステマは道具以外の何物でもないと思っていたんだ。

 

 確かにシステマは道具だ。俺の考えは間違っていた訳じゃない。だが道具だから、人が生み出したモノだからシステマが人を超えるはずがないってとこまで考えが飛躍しちまったのは、俺の頭が硬かったからなんだろう。

 

 睦月が短い悲鳴を上げて転ぶ。俺は慌てて睦月に駆け寄って腕を取って引き起こした。転んだ拍子に擦ったのだろう。睦月の膝は擦りむけて血が流れている。周囲の人間が驚いたように立ち止まる。大丈夫です、と肩で息をしながら言って睦月が立ち上がる。測ったように……大きなビルの前で。

 

 ビル一階の硝子張りのショーケースに並んでいるのはシステマを模した飾り物だ。立ち止まった俺たちを追っ手が取り囲む。俺はしっかりと睦月の手を握りしめて追っ手の男たちを睨みつけた。睦月が縋るような目で俺を見る。

 

 分厚い雲から雨が落ち始める。雨の降り出す時間まで当てちまうなんて、本当に睦月は凄いな。緊張しきった俺はそんな馬鹿みたいなことを考えていた。

 

「嫌です!」

 

 透き通った睦月の声が周囲に響く。俺ははっとして慌てて睦月を見た。

 

 睦月はインターフェイスをかなぐり捨てて周囲を取り囲んだ男たちを睨んでいた。怒りの表情を見止めた男たちが唖然とした目で睦月を見る。追っ手の中には開発部長の姿はない。が、ここにいたらあのおっさんも間違いなく同じ目で睦月を見ただろう。

 

「いいから来るんだ。手間を取らせるな」

 

 中でもいち早く正気に戻ったのだろう。中年の男が睦月に手を伸ばす。だが睦月はその手を勢いよく払った。俺は睦月を背中に庇ってその男を睨みつけた。

 

「私はシステマじゃありません! 能戸さんと同じ、人なんです!」

 

 俺の背中に庇われた睦月が叫ぶ。その瞬間、周囲に立っていた男たちは凍りついたように動きを止めた。俺はただ、自分に何も考えるなとだけ命令した。慌てたように男たちが動き出し、睦月を捕らえようと迫ってくる。俺は必死で睦月を庇おうとした。だが走り続けて疲れきった身体ではろくな力は出ない。

 

 腕に抱いていた睦月が男たちに奪われる。俺はしこたま殴られてその場に転がった。止めて下さい、と睦月が必死に叫ぶ。

 

「能戸さん! 能戸さん! しっかりして!」

 

 あー、泣いてるなあって思いながら俺は身を起こした。涙声で俺を呼ぶ睦月は数人の男に捕らえられていた。

 

「睦月を離せ!」

 

 残った力を振り絞って俺はがむしゃらに男たちに突っ込んだ。だが所詮、相手は十人以上いるのだ。しかも俺は喧嘩なんざしたことがねえ。あっけなくあしらわれて俺はまた地面に転がった。

 

 お前正気か、と誰かが俺を鼻で笑った。はは。残念だったな。俺はこれでも正気なんだよ。

 

「うるせえ! 俺は睦月が好きなんだよ! てめえら睦月に触るんじゃねえ!」

 

 一瞬だけ睦月が目を見張った気がした。だがすぐに誰かにインターフェイスを無理やり着けられ、そのまま脱力する。くそったれ。外部から強制終了させやがったな。

 

 衝撃が襲ってくる。俺は息も出来なくなるほどの勢いで殴られ、再び地面に転がった。睦月を連れた男たちがその場から去っていく。俺は一人、地面に転がったままで雨に打たれていた。見物客と化していた通行人たちが俺を遠巻きにしている。追っ手の奴らが完全にその場から消えてから俺は笑い出した。不気味なものを見るような目で見物人が俺を横目に見ては去っていく。

 

 雨脚が強くなる。俺は強い雨に打たれながらしばらくの間、笑い続けていた。



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システマの心

 ずたぼろでマンションに戻った俺は予想通りの光景に思わず笑った。マンションの玄関ホールで勝亦の奴が待ち構えている。手にしていたぐしょ濡れの鞄を勝亦に放り、俺はいつものようにポストをチェックした。珍しいな。今日はチラシが一枚も入ってねえ。

 

「おつかれ」

「お前もな」

 

 互いにそう挨拶して俺は自分の部屋に向かった。勝亦が後ろから無言でついてくる。勝亦の奴も相当、殴られたらしいな。痣が出来てやがる。

 

 何か随分と長く感じられた一日だった。日が完全に落ちてもすぐに帰る気にはならず、俺はしばらくの間は街をぶらついていた。だが特にあてがあるでもない。結局、俺はここに戻ることしか思いつけなかった。会社? 俺が行けば逆に迷惑がかかるだろ。

 

 部屋に入った俺は勝亦に断って真っ先にシャワーを浴びた。疲れきった身体を熱めのシャワーに突っ込んだところで感覚が戻ってくる。くそ。やっぱりあそこでこうすれば良かったって考えが次々にわいてくる。

 

 手早くシャワーを浴びて着替えて一息。俺はため息ついてからバスルームを出た。キッチンに寄って冷蔵庫から二本のビールをさらい、部屋に所在なげに立ってる勝亦に片方差し出す。戸惑ったように俺とビールを見比べてから勝亦はありがとうと受け取った。

 

「綺麗なもんだろ。睦月と片付けたんだ」

 

 勝亦が驚いてるのも無理はない。散らかり放題だった部屋がきっちり片付いてるんだからな。よっぽど感心したのか勝亦はああ、とあっさり頷いてその場に腰を下ろした。俺の濡れた鞄は玄関に放置されている。まあ片付けるのは明日でいいだろ。めんどくせえ。

 

 おつかれ、と色気も何もなくボトルを合わせてから俺はビールを一気にあおった。なんか久しぶりに飲む気がするのにあんまり美味くない。勝亦も似たようなものらしく、ボトルを傾けてからため息をついている。

 

 勝亦は淡々と後始末の件を話してくれた。騒動の流れが開発部長の思惑を大きく外れたため、睦月と時雨が取引の材料に使われることはなかったようだ。真っ先にそのことを話した勝亦に俺はそうかって頷いてみせた。やけにあっさりしてるなと勝亦が不思議そうに言う。

 

「睦月が言ってたからな。そうなるだろうって」

 

 あんまりしつこく勝亦が訊くもんで、俺は仕方なくそう白状した。睦月がつまづいて転んだあの場所。あれは開発部長が取引を持ちかけようとしていた会社のまん前だったのだ。

 

 その場所で叫んだ睦月の言葉を思い出す。自らをシステマでないと言い切った睦月は欠陥品と断定された。勝亦は俺の顔をちらちらとうかがいながらそう言った。ああ、そうだろうよ。俺は残ってたビールを飲み干して新しいボトルを取りに腰を上げた。ついでに勝亦の分も冷蔵庫から取り出して部屋に戻る。

 

 長根所長は最後まで俺を庇ってくれたらしい。営業所の奴らを動かして追っ手たちの邪魔をしてくれてたってのはここだけの話だ。追っ手の連中は車を使ってたからな。営業車で先回りして、駐車禁止場所に停めてあった連中の車を通報して警察にしょっ引かせたりとかしてたらしい。その話を聞いた俺は思わず吹き出しちまった。それは確かにまずいよな。俺らの営業車は特別に駐停車が許可されてるが、奴らの私用車はそうはいかないからな。さぞ痛い思いをした奴もいるだろう。

 

 中條先輩は手持ちのコネクションを駆使し、開発部長がどこの誰と取引をしようとしていたかを真っ先に突き止めたらしい。あの人は容赦がないな、というのが勝亦の感想だった。調べたところ、やっぱり開発部長は他にも色々と悪どいことをやってたそうだ。で、俺と仲良くくびってことになったらしい。ご愁傷様。人を呪わば穴二つってな。昔の人はいいこと言うもんだよ、ほんと。

 

 だがそれでもシステマ……I 3604 Twins RC1は凍結されることが決定した。

 

「睦月は」

「初期状態に戻されることになったよ」

 

 俺の質問に勝亦がぼそぼそとした声で言う。そうか、と俺は小声で答えた。全ての記憶をデリートされ、データを解析した後、睦月と時雨は完全に作りたての状態に戻されるのだという。その解析は難航しているようだ。

 

 だが多分、無駄だろう。開発の連中にはとても興味深いサンプルかも知れないが、どれだけ調べてもシステマが人になったという結果は出てこない。

 

 あの時の叫びが睦月の演技だったのだ。

 

 ホテルの部屋で睦月は俺に言った。人になる方法を教えてくれ、と。完全に人になってしまう必要はない。人らしく見えればそれで十分だ。だからその方法を教えて欲しい。そう言った時の睦月の真剣な表情が俺の脳裏にこびりついている。

 

「すげえよな、睦月。見事だったよ」

 

 俺は乾いた声で笑いながらビールのボトルを傾けた。それまで沈んだ顔で黙っていた勝亦がぼそりと言う。

 

「能戸。メールを確かめたか?」

「あ?」

 

 唐突に言われて俺は首を横に振った。勝亦が振り返って壁際にある机を見る。俺は怪訝に思いながらも腰を上げた。旧式の端末の電源を入れる。相変わらずぼろいな。変な音を立てた端末の箱を俺は素手で軽く叩いてやった。内部で上手くかみ合ってなかったらしいファンの立てていた音がそれで大人しくなった。

 

「新しいのを買ったらどうだ?」

 

 背後に立ってた勝亦が呆れたように言う。うっせえ。これが一番早いんだよ。俺はその意味をこめて勝亦を睨んでから椅子に腰掛けた。部屋の隅に積み上げられたままのディスクとダンボールをちらりと見る。どうせ仕事も辞めたんだ。明日辺り、片付けるかな。そんなことを思いながら画面に目を戻したところで俺は目を見張った。

 

 俺、アドレス教えた覚えはないのに。だが立ち上げたメーラーの受信メールのところには間違いなく睦月の名があった。ウイルスの類じゃないことははっきりしてる。自慢じゃないがこのマシンを組んだのは勝亦なんだ。その手のメールは表示される前に破棄される仕組みになっている。

 

 未開封のメールを表示させる。睦月と差出人のところに名前の記されたメールは淡白な文章で綴られていた。はは。なんか睦月らしくて笑っちまった。

 

『私はシステマでしかありません。ですが私はシステマであることに誇りを持っています。』

 

 ああ、知ってる。今なら俺も判る。睦月は俺の言葉に随分と傷ついただろう。俺が人になれって言う度に、いや、人の方がいいに決まっているなんてことまで言ったな。その度に睦月は誇りを傷つけられていたに違いないのだ。だが鈍い俺はそんなことには全く気付かなかった。

 

 睦月は人らしく振る舞えという俺に文句一つ言わなかった。水族館に行った時も俺の言った通り、システマらしい働きは殆どしなかった。本当ならもっと違う楽しみ方をしたかったのではないだろうか。だがそれはもう過ぎてしまったことだ。今さらどうにもならない。

 

 言えなかった。たったひと言でもいい、睦月にお前は大したシステマだと、それすら俺は言うことが出来なかったのだ。だから睦月は最後に俺の願っていた人らしさを見せてくれたのだ。……例えそれが嘘だとしても、睦月は必死で演じたのだ。それが俺の願いと判断したから。

 

 小さな音を立てて玄関のドアが閉まる。……阿呆。気を遣ったつもりかよ、勝亦の奴。勝手に帰りやがって。だがちょっと感謝かな。こんな情けない面、見られるのも嫌だしな。

 

『能戸さんと知り合えてとても嬉しかったです。ありがとうございました。さようなら。』

 

 画面が滲んで見えなくなる。くそ、俺が今日一日だけでどれだけ汗をかいたと思ってやがるんだ。これ以上水分出したらビールの一本や二本じゃ足りねえだろが。俺は悪態をつきながら持ってたビールを飲み干した。



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終章
後日談


終章です。


 またかよ、とため息を吐いて俺は抱えてたビールケースを下ろして顔をめいっぱいしかめた。行儀良く並んでる街路樹なんかじゃない、天然のてきとうに生えた家の裏の木に止まってるんだろう。元気のいい蝉の声が聞こえる。

 

「そんなもんわざわざ入れなくてもやってるだろが。大体、幾らかかると思ってんだよ」

 

 店の入り口で営業マンらしい奴と話をしていた母親が困り顔でため息を吐く。くそったれ。無駄話してる間があったらとっとと伝票整理してくれよっ。

 

「退けよ、おら。……どれどれ」

 

 俺は小柄な母親を押し退けて持ってたカタログを取り上げた。今時珍しく、紙で出来たカタログをめくる。ほーん。これまた派手だねえ。なんて、思ったまんまを口の中で言ってみる。若い営業マンが俺のせりふを聞き取ったのか急に明るい笑顔になった。

 

「んじゃ、俺と勝負して勝ったら契約したるわ」

「勝負ですか?」

 

 この暑いのにご苦労さん。スーツ着た兄ちゃんが汗を拭きながら困った顔をする。ちなみにうちは昔っから酒屋を営んでる。まあ、小さくはあるが、この辺りではなくてはならない店の一つだ。

 

「あんたのとこで開発されたシステマ、開発番号の古い方から順に商品名と性能を述べよ。速く正確に言えた方の勝ちな。いくぞー」

 

 俺は待ったなしで営業マンの目の前でずらずらとシステマの名前とその機種の性能を並べてやった。すると明らかに営業マンが顔を引きつらせる。残念。俺の勝ち。俺は持ってたカタログを兄ちゃんに押し付け、まあ頑張れ、と励ましてやった。すごすごと引き下がった営業マンの背中についでに手を振ってやる。

 

 あれから二年。こんな田舎にもシステマの営業が回ってくるようになった。周りでは蝉が煩いくらいに鳴いている。あー、くそ暑いな、もう!

 

「いいかげん慣れろよ。システマなんざ入れなくてもやってけるだろうが」

「でもねえ。柴田さんの所も買ったらしいしねえ」

 

 唇尖らせて言う母親に俺はやれやれとため息を吐いた。

 

「人は人、うちはうち。大体、システマ入れたところで二人とも使いこなせねえだろが」

 

 文句言いながら俺は運びかけてたビールケースをもう一回抱え上げた。今から配達しなきゃなんねえんだよ。夕方までに届けてくれって言われてるから急がなきゃな。俺はまだ何か言いたそうな母親に釘を刺してから配達用の車に向かった。

 

 ビールケース積んで発進。俺はいつもと同じコースを通って配達に勤しんだ。まばらに建った家を回ってはビールだのウイスキーだのを配達して、でもって明日の分の注文があれば聞くわけだ。年寄りが目立ってきたこの町では俺くらいの年の人間はかなり珍しい。たまに気のいいおばちゃんたちに上がっていけとか言われるが、俺はいつも丁寧にそれを断ることにしてる。おお、営業で培った作り笑顔も役に立ってるじゃん。なんてな。

 

 機嫌よく車を家の裏に停めて俺は店に戻った。……うあ。またやってるぞ、うちの母親。俺は呆れ気分で店先に向かった。くそ、こんな田舎の店に一日に二度も営業が来るなんて、システマ業界どっかおかしいんじゃねえか?

 

 はいはい、と俺は母親を押し退けていつもの方法で営業を追い払おうとした。だが、顔を上げて相手を見たところで俺は勝負を放棄した。うわ、こりゃ勝てねえわ。

 

「勝負するか? 能戸。どこの社の商品にする?」

 

 にやにやと人の悪い笑いを浮かべてるのが中條先輩。その横に立ってるのが勝亦だ。ああ、道理で母親が意味ありげな笑い方してると思ったよ。勝亦のことはうちの母親もよく知ってるしな。

 

「夏休みっすか?」

 

 二人揃って何だよ、もう。俺は顔をしかめて母親をその場から追っ払った。母親は不思議そうな顔をしつつも大人しく店の奥に引っ込んだ。それを確認してから俺は慌てて目の前の二人に言った。

 

「もしかしてやばいことでも?」

 

 あれから俺は勝亦以外の誰とも連絡は取っていない。勝亦もたまにメールを送る程度の付き合いになっちまってた。なのに何でまた急に俺のところを訪ねて来たのだろう。しかも中條先輩まで連れて。

 

 唖然とする俺に説明してくれたのは中條先輩だった。中條先輩と勝亦はIISを辞めたのだという。それだけではない。長根所長や江崎まで会社を辞めたという。それを聞いた俺は仰天して言葉をなくした。本気かよ。

 

「少しは使えるようになってるのか?」

「……そりゃあ、勉強はしたからな」

 

 勝亦の問いかけに俺は仏頂面で返した。すると、おお、と笑って中條先輩が嬉しそうに俺の頭を撫でまわす。暑いって!

 

 あらゆる会社のシステマの型と性能を頭に叩き込む。でもってより良いと思われるシステマの企画案を新しく立ち上げる。そう。俺はこの二年間、ずっとシステマの性能を覚えることに時間を費やしていたのだ。

 

 もうあんな思いはしたくない。それに俺はシステマのことがどうやら好きらしい。どうせ仕事をするなら好きなことがしたいだろ。だから俺は家の仕事を手伝いながらずっと勉強してたって訳だ。同じ間違いを二度としないようにな。

 

 あれからシステマの市場は拡大した。今はもう、システマが家庭にあっても珍しがられることはなくなった。だが色んな会社がたくさんの機種を発表したが、未だに睦月や時雨のようなシステマは出て来ていない。

 

「じゃあ、本気でやるんですか」

 

 俺は慎重に中條先輩に訊ねた。すると気軽に中條先輩が頷く。

 

「おう。工場も押さえたしな。小さいところだけど丁寧な仕事をしてくれるところだ」

 

 胸を張って中條先輩が言えば、勝亦も笑って言う。

 

「それに元開発部の何人かもこっちに来る予定だ。どうせやるんなら本気でやろうって話になったし」

 

 あーあ。二人とも楽しそうだよ。でも多分、俺も二人と似たような顔してるんだろうな。にやけてるのが自分でも判る。

 

 市場が荒れる原因となるはずだったあのシステマを、今度は俺たちの手で作るんだ。今度は土壇場で企画を中止にしたりはしない。絶対に市場に持ち込んでやる。

 

 早く支度しろ、と促されて俺は母親に断って慌てて荷造りをした。部屋に駆け込んで必要なものをまとめて……って、実は必要なものはあらかたまとまってるんだけどな。いつ誘いが来てもいいように、な。で、五分で支度して俺は前掛けを外して部屋を駆け出した。行ってきます、と怒鳴るように言った俺に母親が苦笑して手を振る。俺は迷う事なく店を出て二人と共に歩き出した。

 

 新しい会社を立ち上げる。あの時にはとても考えつかなかったことが現実となった。今度は間違えない。俺は俺の出来ることを出来る限りやろう。そう心に決めて歩いてた俺にふと勝亦が言う。

 

「そういえば一つ、言い忘れていたんだけど」

 

 からかうような口調に俺は顔をしかめた。人が気合いを入れてるってのに、何だよ。それに……なんだ? 中條先輩までにやにやしてるし。

 

 俺の家から少し離れた場所に二人が借りたという車は停まっていた。その傍で白いものが翻る。

 

「I 3604 Twins RC1は正式にうちで引き取ることにしたから」

 

 俺は勝亦のせりふを最後まで聞いていなかった。道端に停められた車に向かって走る。白いワンピースにつばの広い白い帽子を被った彼女が振り返る。真っ白なスカートは風に揺れている。綺麗なその顔に柔らかな微笑みを見止めた俺は、睦月の名を叫んで一直線に彼女の元に駆けた。

 

 




この話はこれでおしまいです。
ここまでお付き合いくださってありがとうございます。

これを読んで怖いと感じた方、あなたは正常ですw

能戸はこの話の終わりの時点では睦月しか見えてないと思います。
冷静に考えると睦月に惚れてもむくわれるかどうか……


小説をどう読むかは読む方それぞれなので、どう感じても正しいと思うのです。
ただ、怖いと思った方のフォローだけはしないとヤバいと思ったので書いてみました。

ラストは綺麗に落とせたので、この後の話は考えていません。


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システマティックな少女と一般サラリーマンな俺 梗概

最初にあらすじとしてUPしていた梗概です。

梗概とは、話の筋道だけでなく、終わりまでの内容を書いたものです。
なので、ネタバレ全開なのですが……

これを手前に持ってくるのはどーなのか、と思ったので、あらすじは変更しました。


梗概

 

 『システマ』という有機コンピュータを開発・製造・販売している株式会社IISの西江田営業所に勤める能戸浩隆は、営業職のサラリーマンである。

 

 能戸が売る有機コンピュータのシステマは、ヒューマンインターフェースとして脳波感知を利用した有機コンピュータで、進歩したバイオテクノロジー技術の産物だ。

 

 過去には倫理的に問題があるとされていた人型の有機コンピュータの研究が進んだのは、小惑星激突による人類滅亡の危機を、隠密裏に開発されていたシステマが、その高いインタフェース性能と演算能力によって救ったことをきっかけとしている。

 

 それでもシステマに対する風当たりは強く、根強い反対運動なども行われているが、システマの技術が無ければ人類が滅亡していたという事実から、肯定派が多数を占め低価格化も進んだ今、広く一般に出回り始めている状況にあった。

 

 営業としては能力も経験もまだまだ足らない能戸だったが、開発部のホープとして期待されている勝亦という親友を持つことから、本人の意思とは関係無く開発部の情報を垣間見ることがあり、そのことがやがてトラブルを生む事になる。

 

 勝亦に関わって開発部に出入りしていた能戸は、勝亦の上司の開発部長から目をつけられ、ある企てに乗せられてしまう事になる。

 

 能戸はシステマI 3604 Twins RC1と呼ばれる、商品化されなかったが機密に相当する商品候補の試作品を試用するという名目で社外に持ち出すことを開発部長に薦められ、盗難の濡れ衣を着せられることになったのだ。

 

 I 3604 Twins RC1は、2WAY構成という、二台で一台の役割を果たしながらもスケーラビリティと安定性を両立した仕様になっていた。

 

 だが実際に製品化されたI 3604 Twinsは、二台で一台というコンセプトは変わらないものの、単純に協調処理を行うソフトウェアを組み込まれただけの商品だった。

 

 それはRC1を過剰品質だと判断した、開発部長を筆頭とするIIS社内の特定派閥とライバルメーカーが取引を行った結果だった。

 

 お蔵入りになったRC1はある社員によって持ち出された後に『紛失』したことになって、ライバルメーカーに送られることになっていたのだ。

 

 しかし、その企みは勝亦と能戸、そして、当のRC1によって阻止される事になる。RC1が人の振りをし、人の感情を持っているかのような演技を行うことによって、取引材料にもならない不良品だと判断されたのだ。

 

 スキャンダルを怖れた両社は当事者を切り捨てることで、事態の収拾を諮った。またRC1は初期化された後に冬眠保管されることとなった。




書いた当時、多分、文字数制限があった気がします。

梗概は投稿する賞にもよるのですが、400字詰め原稿用紙で3から5枚程度のボリュームする必要がありました。
今はどうなのでしょう。

もしかしたら梗概なんか要らぬ! なのかも知れないですねw



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