Angel or Lilith~天使な僕と魔性なキミの旅~ (伊駒辰葉)
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Q&A

蛇足かも知れませんがQ&Aを作ってみました。


地雷などあったら困るので、ざっくり内容を先に説明します。

説明など要らぬ! 何でもOK! という剛毅な方はここは飛ばしてもらって大丈夫です。

 

!!この先はネタバレなので要注意です!!

改行を入れときますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Q.ぶっちゃけ内容って?

 

A.ファンタジーの世界観で、主人公とヒロインがちょっと冒険する感じの話です。

 

 魔法ありあり、バトルありです。

 ただし転生とかは一切しません。

 

 

Q.タイトルのAngel or Lilithってどういう?

 

A.曲のタイトルとかにもよくなってますが、文字通りです。

 

 

Q.ファンタジーなのに転生とか転移とかはないの?

 

A.ファンタジー=転生とか転移とかいうのが今時のようですが、昔に書いたものなのと、そもそもそういうのに興味がないので、要素はありません。

 

 

Q.文体とか設定とか、古くないですか?

 

A.書いたのは10年くらい前で……

 古くてすみません。

 

 

Q.これってどういう経緯で書いたもの?

 

A.賞獲りレース用に書きました。

 賞獲りレースについては書いてますので、詳しくはそちらにどうぞ。

 

 

Q.師匠はアホなの?w

 

A.ある意味、阿呆だとは思います。

 

 

Q.連載ってなってるけどつまり分割投稿?

 

A.はい、その通りです。

 

 ですが細々と修正しているので、連載するより時間がかかっていると思います。

 お待たせしていたらごめんなさい。

 

 

このQ&Aは地雷を避けてもらうためのものですが、余計なお世話だったらすみません。

 

 

*****

 

ここから蛇足的な1,000字指定頑張るゾーンですw

飛ばしてもらっても全然大丈夫だと思います。

 

他サイトでQ&Aを作ったのでこちらにも貼ってみました。

あと、絵を掲載しちまったのでこっちにも挟もうかと……

 

 

【挿絵表示】

 

 

大昔に描いたものを修正してみました。

ヘタクソでごめんなさい;;

 

そもそも文字書きはやってきたのですが、絵はそれほど力を入れて描いてはいなくてですね。

下手の横好きというかですね。

何となくスケブとかに描く程度のことしかしてなくて(汗)

 

見られる程度のものが出来るかどうかはほぼバクチというね!

この絵も正直ギリギリだと思うのですが……他のところに掲載してしまったのでヤケクソでアップしました。

イメージと違ってたら脳内補完してください。

 

このQ&A自体が蛇足な気がするのですが、他で書いてしまったのでついでに、という感じです。

話数がずれるのでどうしようかと一瞬悩んだんですけども、クッションがあった方がいいのかなと思ったので。

他の方の作品にはそういったクッションは要らないのかもですが……。




これだともうちょい年いってるし女の子って感じじゃないかもですねw


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一章
ライツとエタンダールの塔


同時にファンタジー系も投稿することにしました。
タイトルは変更するかも知れません。
(タイトル変更しました)

<注意>

可愛い男の子が出ます。
ヒロインより主人公の方が可愛い設定です。
(ヒロインは美人)

魔法は出てきますが呪文とかはなかった……はずです。多分。

エフェクトは書いていません。多分。

バーン! とか、ガツーン! とか、シャラララーン! とかの効果音も書いてません。多分。

(まだ全部読み返していないのです……)

これもどこぞの賞獲りに投稿した物です。
感嘆符は出来るだけ削いであります。


 広々とした緑色の大地が一面に広がっている。その所々には岩や石が剥き出しになっていた。岩と石の傍には影が落ち、そして空は明るく晴れ渡っている。上に行くほど青味が深くなる空には虹が架かっている。その虹を映すのは、鏡のように静かな湖面だ。

 

 大地の緑と岩石の灰色、空の青、虹色、そしてそれを映す水色。一枚の絵画の中には工夫を凝らした色が乗せられている。

 

 悪くない思ったのに。

 

 両手を前に出来るだけ伸ばし、絵を見つめたライツは軽く呻いてため息を吐いた。

 

「粘っても駄目だぞ。ほら、次の奴を呼んでこい」

 

 難しい顔をして絵を眺めていたライツにいつもと変わらない師匠の声が飛んでくる。ライツはしかめ面をして絵を下ろし、目の前に座る一見若い男に渋々と頷いた。このぱっと見た目には二十代半ばに見える男こそが、この塔の主だ。男の名はエタンダールという。

 

 大きな扉を開けてエタンダールの部屋を出たライツは、試験待ちで廊下に並んだ弟子達の先頭の男に声を掛けた。緊張した面持ちをした男が頷いてエタンダールの部屋に入っていく。それを見送ってから、ライツは肩を落としてその場を後にした。

 

 ライツはエタンダールの塔に所属する、魔道士の見習だ。そして今日は月に一度の試験日なのだ。廊下に並んでいる弟子達も多い。ライツは彼らを横目に見ながらエタンダールの部屋を離れた。ちなみに試験を行うのはエタンダール自身で、試験結果を決めるのもエタンダール本人だ。

 

 今回の見習い階級に与えられた課題は『絵を描け』だった。だが、魔道士に対する試験なのだから、エタンダールの出した課題は文字通り絵を描くことではない。課題の真意は自分で予想し、自分なりの答えを導かなければならない。

 

 ライツは考えに考えた末に、白地のキャンバスに魔術で作り出した色粉を乗せるという方法を選んだ。石や植物から作られた絵の具に比べ、魔術で作る色粉の方が色の種類が多い。だから絵の具を用いて描くよりはずっと緻密に風景を表せた、とライツは自信を持っていたのだ。

 

 ところがエタンダールはライツの絵を見て皮肉な笑みを浮かべてこう言った。

 

 頭、かたいねえ、お前。全然、駄目じゃん。

 

 欠伸混じりに言われたことにライツは強いショックを受けた。絵が下手だと貶されるなら判る。ライツは絵描きではないし、いくら凝った色粉を使っても描けるものには限界もある。だがエタンダールの出した課題は言葉通りの意味ではないはずだ。だからきっとエタンダールの言った、頭がかたいという評価は絵の上手い下手のことではないのだろう。

 

 なにが駄目だったんだろう。心の中で呟いてライツは足を止めた。振り返るとエタンダールの部屋の前から伸びた弟子たちの行列が見える。列の最後尾はライツがいる場所からまだずっと先の方だ。階段まで続いているらしい列の先を背伸びをしてうかがってから、ライツは重い足取りで再び歩き出した。

 

 万年見習い、という、一部の心ない者が使う嫌なあだ名を消し去るためにも、今回の試験は合格したかった。だが結果は不合格。近頃、毎月繰り返されているその結果にライツは深く落ち込んだ。エタンダールは親切にどこが悪いかとは教えてくれない。ライツに限った話ではなく、どの弟子に対してもエタンダールは同じ態度を取る。弟子達の自主性が重んじられるこの塔ならではのやり方だ。

 

 それでも塔にいる以上、縛りがない訳ではない。例えば食事の用意などはしっかりと分担されているし、仕事をきちんとこなさない弟子には罰も与えられる。決められた仕事をさぼっていたある弟子にエタンダールが直々に罰を与えた結果、この塔にいることに耐えられなくなって逃げたということもあった。

 

 入門の時に一応試験はあるが、基本的にはこの塔は来るのも出るのも自由だ。そしてここでなにを学び、どう活用するかを考えるのは自分自身だ。何度も言われたことを思い出し、ライツは憂鬱な気分になった。月に一度の試験に合格すれば魔道士としての階級を上げることが可能だ。階級が上がればそれだけ学べることも増える。なのにライツは魔道士の階級としては一番下の見習い階級、正式名では見習魔道士の位に居続けているのだ。

 

 また駄目だったと落ち込んでいても始まらない。階段が近くなった時にはライツはすっかり立ち直っていた。この塔にいると長く鬱々と落ち込んでいたらついて行けなくなってしまうのだ。そんな暇があったら次のことを考えた方がいい。

 

 階段を無視して廊下を折れ、ライツは真っ直ぐに自分の部屋に向かった。この塔では階級に関わらず、弟子は全て個室を持っている。弟子の数は総勢九十八。塔にしては特に多くも少なくもない、平均的な数だ。

 

「うわ、そういえば当番だっけ!」

 

 別棟に移動したところでライツははっと我に返った。慌ただしく廊下を駆け出したライツに、通りすがりの兄弟子が気をつけろよ、と注意する。判りましたと行儀のいい返事をしつつもライツは長い廊下を急いで駆け抜けた。階段を数階層分ほど下りてから、鍵の使える陣の上に乗る。

 

 弟子達に与えられた部屋のある建物の高さは二十階以上ある。二十階層分もの階段を上り下りするのはきつい。最上階の部屋を割り当てられている者も、食事のたびに一階の食堂に降りなければならないのだ。そのため、階段の踊り場には五階ごとにこうした移動のための魔法陣が敷かれているのだ。

 

 ライツは魔法陣を動かすための鍵をローブの内側から取り出した。魔法陣と鍵、そして簡単な移動用の呪文が揃った時、初めて魔法が発動する仕組みだ。魔法陣の上からかき消えた直後、ライツは一階の階段の踊り場に一瞬で移動した。鍵を元通りにポケットに突っ込んで急いで自分の部屋に向かう。

 

 ライツが移動に使った魔法陣を敷いたのはエタンダールだ。この塔で学ぶ者は全てエタンダールの弟子ということになっている。この国には階級の高い魔道士の所有する多くの塔があるが、大抵の塔では魔道士を志す者が日々学んでいる。そしてそんな塔の中でもエタンダールの所有する、バレンティア地方唯一のこの塔の弟子達はとても個性豊かだ。

 

 まあ、師匠には誰もかなわないんだけどね。

 

 人種もまちまち、髪の色一つとっても様々な弟子達のことを思い浮かべたライツは思わず苦笑した。そんな弟子達に負けず劣らず、エタンダールは強烈な性格をしているのだ。

 

 なにしろ、女癖がとことん悪い。ふらっと遊びに出かけては、色街で騒ぎの一つや二つ起こすのは日常茶飯事だ。おまけに金勘定はいいかげん、国王からの親書をいとも簡単に紛失するわ、寝起きの時間はいいかげんだわ、とにかく一貫してけじめがない。

 

 そんなだらしない師匠の尻ぬぐいをするのは塔に詰める弟子達なのだが、そのことをエタンダールは何とも思っていないらしい。そのせいか、塔の近くの街で暮らす人々は、エタンダールが力のある魔道士だとは思っていないらしい。

 

 ところがエタンダールが実は数多いる魔道士の中でも、トップクラスの実力の持ち主だから笑えない。

 

 この国に多く存在する魔道士の中でも歴史書に名前が記される程の実力者は五名。エヴァン国の中心であるラルーセン地方にある巨大な塔の魔導師、ゼクー。セモヴェンテのライノゼ。ラシュハン砂漠の遺跡の地下深くにこもると言われるマギハ。フバイルの騎士の異名を誇るナキリ。そして最後がこのバレンティアのエタンダールだ。

 

 彼らは魔道士としては最高位である上級魔導師の称号を持つ。国王直々に認めた者にだけ与えられるこの称号を持つのは、今のところこの五人だけだ。

 

 そんな風に見えないけどね。ライツはだらしないエタンダールのことを思い浮かべ、頬を引きつらせた。慌ただしく自分の部屋に駆け込み、急いで絵を置いて、再び部屋を駆け出す。ライツは慌ただしく調理場に向かった。

 

 十三になったばかりのライツの身丈は他の弟子に比べて一回りは小さい。調理場に入ったライツは入り口のところにいた大柄な男に遅いぞ、と叱られた。すみませんと謝りつつ、食事当番の他の弟子達の間をすり抜ける。

 

 真っ先に流し場で手を洗い、ライツはナイフを持って調理場の隅の椅子に腰掛けた。足許の木箱から野菜を取り上げて皮を剥く。

 

「よう、ライツ。試験はどうだったんだ?」

 

 調理台について作業をしていた顔見知りの弟子に訊ねられ、ライツは目をあげた。すぐに手元に目を戻してライツは答えの代わりに肩を竦めてみせた。相変わらずか、と苦笑する相手にライツは頷いた。

 

 専門の調理人も二、三人は調理場に出入りしているが、百名近くの弟子全員の食事をそれだけの調理人で作るのは難しい。そのため、見習魔道士が毎食の調理の手伝いを順番で行っているのだ。ちなみに見習魔道士はこの塔全体で十名強だ。ライツの担当は材料の皮むきや下ごしらえで、焼きや煮込みと言った調理は別の弟子に分担されている。

 

 何故、調理の手伝いが見習魔導卒のみに振り分けられるかと言えば、塔に住まう者の中で一番暇だからだ。かつて軍隊に加わり活躍していた時代の名残で、魔道士は幾つかの階級に分けられている。その階級の底辺、一番下位なのがライツの見習魔道士の位なのだ。

 

 手早く根菜の皮を剥いては金属製の器に放り込む。それを何度か繰り返した後、ライツは別の野菜の皮を剥き始めた。今日のメニューは野菜のたっぷり入ったシチューと焼きたてパン、それにこんがりと焼いた肉だ。

 

 一通りの下準備が終わると今度は本格的な調理が始まる。下準備の仕事を終えたライツは他の弟子達が働く調理場を後にした。

 

 そう、普通は暇だから割り当てられる仕事なんだけど。愚痴っぽいことを考えつつ、ライツは再びエタンダールの部屋に向かった。

 

 廊下を走ってエタンダールの居る塔に戻ったライツは急いで最上階を目指した。ちなみにエタンダールや上位階級に属する弟子の数名が住む場所を塔と呼ぶ。それに対して、弟子の個室がある棟は寮と呼ばれている。だがそれらはこの塔に所属する者の間だけでの俗称だ。通常、塔と言えば弟子のいる寮や調理場、食堂などを含めた敷地、運営主に与えられた土地全体を指す。例えばここ、エタンダールの塔なら建物のある場所だけではなく小高い丘を丸ごと塔と呼ぶ訳だ。

 

 大抵の力ある魔道士は塔を所有している。が、塔を所有する魔道士には様々なタイプがあり、塔の内にこもって魔術の研究にひたすら打ち込むものもあれば、同じ目的を持つ者と共に仕事場として活用する者もある。中でも一番多い使用法は、魔道士を目指す者のための教育の場、つまり未来の魔道士のための学校という使い方だ。そしてエタンダールの塔も学ぶ場所として魔道士を目指す者に門戸は開かれている。

 

 学びたい者に門を開き、これまでに多くの魔道士を輩出したエタンダールの塔。だがその実、塔の所有者はだらしがないことこの上なく、おまけに自分の身の回りの世話が一切出来ないと来ている。ライツは急いでエタンダールの部屋のある塔に移動しつつ、深々とため息を吐いた。

 

 移動の魔法陣を用い、手っ取り早く塔の最上階に辿り着いたライツはふと眉を寄せた。あれだけ廊下に並んでいた弟子達が一人も居なくなっている。もしかして試験は終了したのだろうか。そう考えながらライツは静かに廊下を進んだ。さっきまで賑わっていた廊下はやけに静まり返っている。いつもなら他人の試験の見学希望者も出るはずだ。エタンダールは試験は個別に行うが、見学には許可を出してくれる。なのに弟子が一人もいない。

 

 もしかして師匠の部屋に全員入っちゃったのかな。そんなことを考えながらライツはエタンダールの部屋の前に立った。他の部屋とは違い、重厚さをかもし出している深い焦げ茶色の扉は大きく、とても古びている。ライツは周囲に誰もいないことをもう一度確認してから扉を軽く叩いた。だが、中から返事はない。ライツは仕方なく金色の取っ手に手をかけた。磨き抜かれた取っ手をゆっくり引く。

 

 唐突にライツの耳に悲鳴が飛び込んでくる。どうやら内部の音が漏れないように部屋の内側に音を遮断する魔術が施されていたらしい。

 

「ご主人さまあ! 倒れてないで、助けてください!」

 

 聞こえてきた愛らしい少女の声に背を押されるようにしてライツはエタンダールの部屋に滑り込んだ。背後できっちりとドアを閉じて部屋の様子を確認する。広々とした部屋の床には弟子が一人、目を回して引っくり返っている。荒れた机の上、出しっぱなしになった椅子、提出された課題の山、それらを順繰りに眺めてからライツは目を正面に戻した。

 

 声の主は壁際にへたり込んでいた。一目で怯えていると判るほど少女は震えている。身体を震わせながら懸命に主人を呼ぶ少女をライツはまじまじと見た。愛らしい顔に見慣れぬ紫色の髪、人にしてはやけに大きな耳、そして少女には深い闇色の羽根が生えていた。剥き出しになった足は膝辺りからつま先にかけて赤く、足先には鈎のような形の爪もある。その上、少女は服を一切身につけていない。ライツはそんな少女を見つめてから、部屋の中央に立っているエタンダールの背中にうろんな眼差しを向けた。

 

「オレ様を淫魔でたぶらかそうなんざ、百年早いわ! この馬鹿め!」

 

 大声で笑いながら言ったエタンダールが嬉々としてマントを取る。ライツは手近なものをつかんで真っ直ぐに駆けた。

 

「馬鹿はあんただ!」

 

 身軽に飛んだライツは手にした分厚い魔術書でエタンダールの後頭部をめいっぱいぶん殴った。




今回は取り扱い説明書的なものは必要なさそうなので、いきなり内容からです。
危険があるので避けられるように前書きにざっくりした説明は入れときます。

内容もちまちま修正する予定です。
予定は未定ですが!w

余談ですが感嘆符のあとは一文字分スペースを取る書式が普通でした。
今はどうなんだろw

カタカナが実は苦手です……。
これは名前とか地名とかが全部カタカナなので、書いてる時は発狂しそうになりました。
予測変換とユーザー辞書ばんざい。


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召喚と作成

説明多い、地の文たくさん、セリフ少ない!
読むのめんどくさい!

……そういう仕様です。
すみません。


 床で目を回していた弟子の頬を張り倒して正気に戻し、泣きじゃくる淫魔を押し付けて部屋から叩き出す。ついでに淫魔に着せる服代わりにエタンダールのマントを廊下に放り投げた後、ライツは鋭い目をして振り返った。

 

「いてえなあ。何も本気で殴るこたあねえだろうよ」

 

 後頭部をさすりながらエタンダールが不服の声を漏らす。ライツは扉を閉めて目を吊り上げ、エタンダールを指差した。

 

「試験はどうしました、試験は! いっぱい、後がつかえてたでしょう!」

「んあ? ああ、てきとうに片付けた」

 

 気だるそうに言いながらエタンダールが椅子に腰を下ろす。ライツは額を押さえて深々とため息をついた。さっき床で目を回していた弟子は、本気でエタンダールを懐柔しようとしていた訳ではないのだろう。恐らく課題のために淫魔を呼び出しただけなのだ。

 

「まったく。ちょっと好みの女の子がいるとこれなんだから」

 

 口の中で文句を言いながらライツはエタンダールを殴るのに使った魔術書を棚に戻した。ついでに部屋に散らかっていた課題を壁際に積み直す。抱えた課題の束の一番上の紙を見つめてライツは何となく足を止めた。これは魔術論についての考察らしい。内容からすると二等魔道士辺りの課題のようだ。

 

「ったくよー。お前はいつもいつも煩えな」

 

 不服そうに尖らせた口に紙巻の煙草を突っ込んでエタンダールがぼやく。ライツは瞼を半分ほど閉じてエタンダールをじろりと睨みつけた。誰のせいだと思っているんだ。と、心の中でだけ呟いてみる。

 

 エタンダールは外見だけは妙に整っているので、やたらと女性にもてる。趣味と実益を兼ねてこの容姿を維持しているのだとエタンダール本人は言っているが、何のことはない。要するに女性とよろしくしたいがために本来の年齢とは全く異なる容姿をとっているだけだ。歴史書が正しく記されているなら、エタンダールの実年齢は軽く百を越えている。

 

 塔持ちの他の魔道士がどうなのかは知らないが、このエタンダールは身の回りの世話をする従僕代わりに弟子をこき使っている。ライツもそんな中の一人だ。やれやれ、とため息を吐きながらライツは課題の紙の束をきっちりと壁際に積んだ。これだって早く採点して弟子に返さなければならないはずだ。

 

「大体なあ。淫魔ってのは人に淫らな夢を見せて精気吸ってなんぼだろうが。んな、いちいち騒がれるようなことした覚えはねえぞ、オレは」

 

 唇の端に煙草を咥えてエタンダールがまだ不服を零す。ライツは殴りたい衝動を堪えて腰に手を当ててエタンダールを睨んだ。

 

「怯えてたじゃないですか。思いっきり」

「ああ、作り手に似てえらく弱っちい淫魔ではあったな」

 

 即座に言い返したエタンダールをライツは驚きの目で見た。

 

 一時的に魔を召喚する召還術と、恒久的に術者に仕える使い魔を作り出す作成術では、魔術の難易度が天と地ほどに違う。だからライツはさっきの弟子が使ったのは淫魔召喚術だと思いこんでいたのだ。

 

 だが実際には床で目を回していたあの弟子は、淫魔作成術を用いたらしい。そのことを知ったライツは仰天して目を丸くした。

 

「何だ。ライツはあれが召喚魔だと思ってたのか」

 

 エタンダールが喉の奥でおかしそうに笑う。ライツは無意識にしかめっ面になった。思い違いだと指摘されたのは判るが、どうしてエタンダールはこう遠回しなのだろう。機嫌悪く膨れたライツにエタンダールが頼みもしないのに解説してくれる。

 

 淫魔を始めとする人ならぬもの。それらは魔物と呼ばれることが多い。中でも魔道士の作る魔物は大元は獣であったり魚であったりする。さっきの淫魔も大元は鳥だ。ライツはそんな話を語るエタンダールからさりげなく目を逸らしてこっそりとため息を吐いた。他のどんな塔でも見習魔導卒に淫魔作成術を教えたりしないのではないだろうか。

 

 他の生物を魔物に作り変えるのは高等魔術だ。複数の術を複雑に組み合わせなければならないため、普通は見習魔道士には教えない。魔術を学ぶといえば基礎理論からというのが一般的だ。

 

 が、エタンダールはそんな常識を完璧に無視し、入門したての弟子を相手に使い魔作成術、その中でも特に難易度が高いと言われる淫魔作成術を趣味で学ばせている。はっきり言って無茶なのだ。

 

 おかげでやたらと淫魔には詳しくなったけど。ため息にそんな愚痴をこめたライツをエタンダールが睨む。

 

「淫魔作成術の基礎項目」

 

 そう問われたライツの頭に入門してすぐに習った淫魔作成術の基礎項目が浮かぶ。

 

「素材選別、麻酔、幻惑、精霊召喚、定着、言語登録、契約、魔力増幅」

 

 頭に浮かんだ順にライツは早口で答えた。咥え煙草で腕組みをしたエタンダールがそうだ、と強く頷く。ライツは横目にエタンダールを見据えて肩に入っていた力を抜いた。

 

 いや、そんなの普通、見習は判らないってば。ライツは心の中でそう呟いた。

 

 きっとエタンダールはライツが勘違いしたのが気に入らなかったのだろう。だからわざわざ淫魔作成術の基礎項目を質問したのだ。確かにこの塔にいる弟子なら、さっきのエタンダールの問いには誰でも答えられる。何故なら、そうでないとエタンダールの機嫌が猛烈に悪くなるからだ。

 

 それまで閉じていた目をかっと開いてエタンダールが右手をこぶしの形にする。

 

「形としてやらにゃならんのは大体そのくらいだな。だが!」

 

 力を込めて言ってから、エタンダールが更に声を張る。

 

「やはり基本は美的センス! 淫魔は見目が良くてなんぼだ!」

「そんな余裕があるのはあんたくらいだ」

 

 うろんな目をしてライツは容赦なくそう切り返した。するとエタンダールが眉を寄せて唇を尖らせる。しまった。このままエタンダールを拗ねさせると淫魔をここで作ってしまいかねない。不満そうな顔をしたエタンダールにライツは慌てて訊ねた。

 

「さっきの人、二等魔道士でしょう? 淫魔を作れただけでも凄いんじゃないですか?」

 

 頭に理論を叩き込むだけなら誰でも出来る。だが、理屈が判っていても実行出来るかどうかは別の話だ。

 

 魔術を用いるには必ず魔力と言われるものが必要だ。淫魔作成術は魔術そのものの複雑さもさることながら、魔術を行使した術者の魔力を大幅に消費してしまう。それ故に実際に淫魔を作れても先ほどの弟子のように目を回して倒れてしまうこともあるのだ。

 

 そこまで考えてライツは漸く気付いた。どうやらさっき倒れていた弟子は淫魔作成術を使い、淫魔を作ることには成功したが、どうやらそこで魔力不足に陥ったらしい。

 

「目を回しただけで済んであいつも助かったな。下手すりゃ暴走してたとこだ」

 

 鼻で笑ったエタンダールが唇から煙草を剥がして灰皿に乗せる。ライツは吸殻が山と積まれた灰皿をちらりと見てこっそりため息をついた。後で掃除しよう、と思いつつ気になっていた点を質問する。

 

「二等魔道士の試験課題は淫魔作成術だったんですか?」

 

 だが二等魔導卒にその課題はちょっと重すぎないだろうか。確かにこの塔の弟子なら淫魔作成術は真っ先に習う。が、あれはエタンダールが単に趣味で教えるだけで、実際にそれを用いてみろという事ではないのだ。

 

 まあ、そのおかげで入門早々辞める人もいる訳だけど。ライツは自分の入門当時のことを思い出して生ぬるい笑みを浮かべた。

 

「いんにゃ。二等魔道士の課題は『何かを作れ』だ」

「それで淫魔を……」

 

 なんてストレートなやり方だろう。さっきの弟子は、エタンダールが出した課題に対し、淫魔作成術を使うことを思いついたらしい。そうすればエタンダールが高く評価すると踏んだのだろう。

 

 だがエタンダールが拘りを持って真っ先に弟子に教える魔術とは言っても、淫魔作成術はれっきとした高等魔術なのだ。魔術を行使するのは簡単ではない。

 

 その結果、さっきの弟子は魔力不足で倒れる羽目になった。そこまで考えてからライツは深々とため息を吐いた。消費した魔力そのものは安静にしていればじきに回復はするが、試験本番で目を回していては仕方がない。

 

「ま、奴には及第点はやれないな」

 

 あっけらかんとしたエタンダールの言いように、ライツは難しい顔をして考え込んだ。

 

「でも、実際に淫魔は出来ていたんだし」

 

 目を回して倒れたのは、あの弟子が自分の魔力の量を見誤っていたからだろう。だが確かに淫魔は作成されていたのだ。淫魔作成術を展開出来ただけでも大したものなのではないか。たとえ魔術展開後に無様に倒れたとしても、淫魔を作成にするに至った力は評価出来るのではないか。

 

 ライツは言葉を選びながらエタンダールにそう訊ねた。すると煙草を灰皿にねじ込んだエタンダールが乾いた声で笑う。

 

「馬鹿か。オレがいなかったらあいつ、死んでたぞ」

 

 それを聞いたライツは絶句した。やれやれと首を振ったエタンダールがおもむろに立ち上がる。はだけたローブの内側に手を突っ込んで肩辺りをかきながらエタンダールが書棚に近づく。書棚から抜いた魔術書を次々に放られてライツは慌ててそれを受け止めた。

 

 合計三冊の魔術書はどれも分厚い。何とか両腕に三冊の魔術書を抱えたところでライツは重さに耐えかねてよろけてしまった。転びかけたライツの身体を何かがふわりと受け止める。エタンダールが咄嗟に魔術を使って風を呼び、ライツの身体の下に敷いたのだ。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 釈然としないものを感じつつも、ライツは礼を口にして頭を下げた。ふん、と鼻で笑ってエタンダールが窓に寄る。身体を立て直したライツは三冊の魔術書を揃えて抱え直した。それと同時にライツを庇っていた風のクッションが消える。

 

「魔力と魔術展開についての考察、抜書きして明日の昼までに持ってこい」

「……はい?」

 

 十分な間を置いて声を返してから、ライツは魔術書とエタンダールを恐る恐る見比べた。エタンダールは意味ありげに笑っている。冗談でも口にしたかのような笑い方だが、それはエタンダールが本気であるという証拠だ。長い付き合いからそのことを悟り、ライツは頬を引きつらせながら魔術書を見下ろした。重厚な装丁の魔術書はどれもこれも年代物で、弟子たちが普段出入りする書庫にはない代物だ。上質な薄い紙が使われているからか、厚みから想像する重さ以上に重い。

 

「そもそもお前、何しに来たんだ? 運が良けりゃ、他人の技を盗み見れるかもとか思ってたんじゃねえのか? 丁度いいだろ? 他人の試験を見るよりよっぽど役に立つぜ」

 

 なにが楽しいのかエタンダールがそう言って笑う。

 

 僕がここに来たのはあんたの世話をするためだよ!

 

 反射的にそう言い返しそうになったが、ライツは喉元まで出かかったその言葉を何とか飲み込んだ。ここで言い返すとろくなことにならない。

 

 それに他人の魔術を見て技術を盗むのは他の弟子たちも当り前にやっていることだ。いちいち笑われるようなことでもない。そんなことを考えているうちに自然とライツの顔は険しくなった。

 

 ライツは顔立ちが優しすぎる上、華奢なために見方によっては女の子にも見える。初めてライツを見た者が女の子と勘違いすることはよくある話だ。怒った顔をすると女の子を苛めているような気分になるらしく、喧嘩相手が焦って謝りだすこともあるくらいだ。だがエタンダールは慣れているのか、ライツが険しい顔をしたところで少しも動じない。喉の奥で笑ってから怖い怖い、とおどけて言う。

 

「だからって何で僕だけ」

「嫌ならいいんだぜ?」

 

 文句を言いかけたライツの声を遮って、エタンダールがいつもの調子で軽く言う。それを聞いてライツはうっ、と詰まった。エタンダールがこのせりふを持ち出す時は大抵、言うことを聞いておいた方がいいのだ。そのことをライツはこれまでの経験からよく知っていた。口調も軽いし言葉に重みが感じられないために勘違いすることも多いのだが、エタンダールが判断を弟子に任せるのは何か考えがあるからなのだ。

 

 渋い顔をしたライツに気だるそうにエタンダールが言う。

 

「だから嫌ならいいっつってるだろが。やるのかやらないのかどっちだ」

「僕、今月は食事当番なんですけど」

 

 エタンダールに考えがあると判ってはいても、つい言い返してしまってからライツは仕方なく頷いた。




ちょいちょい直しつつUPです。
細かい言い回しとかその辺りの修正しかしてません(汗)


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勉強しましょう

こんな短かったっけかー。
と思いながらUPしてみます。

まだ旅は始まりません(汗)


 塔の弟子たちの一日は鐘の音で始まる。

 

 日の出の後に鳴る鐘の合図で塔に住まうものは目を覚ます。そして食事当番の者はすぐに調理場に入って朝食の準備を始め、それ以外の者は朝の短い時間をそれなりにゆっくりと過ごす。

 

 次の鐘が鳴るのは朝食が始まる時だ。その合図で弟子達は朝の食事を始め、後片付けは各自が行うことになっている。

 

 その次に鳴るのが授業開始の合図の鐘だ。並行して行われる講義には幾つかあるが、その中でも外部講師による一般教養の講義は見習から二等魔道士までの弟子の必須科目だ。それ以上の階級の弟子には一般教養の講義の修得義務はない。そしてそれ以外の講義については受講するかしないかは弟子が自由に決められることになっている。

 

 そのため、一等魔道士以上の階級の者は一日を通して自由に時間が使える。講義を受けてもいいし、自習をしてもいい。息抜きをしてもいいし、塔の外に出るのも自由だ。だが一等魔道士以上の階級の者にはこれといった縛りがないために、時間配分を誤ると試験課題に取りかかることすら出来ないという事態に陥ってしまう。一等魔道士以上の階級の者は、月に一度の試験とは別に独自の研究成果をあげなければならないからだ。

 

 ここで大抵の弟子は引っかかる。一等魔道士に進級した途端に時間配分がまるで変わると知ってはいても、ついて行けなくなる者が続出するのだ。それまで決められた時間に講義を受け、エタンダールの出す課題をこなしていれば良かっただけだったのが、急に研究を始めろと言われるのだ。しかもエタンダールは何を研究すべきか等の説明を一切しない。順当に一階級ずつ上がるのならまだいい。これが飛び級でもしようものなら悲惨なことになる。泣きながら塔を出て行った弟子をライツはこれまで何度も見送ってきた。

 

 だが、見習魔道士の時間割はきっちりと決められている。そして下手に講義をさぼるとすぐについて行けなくなってしまう。何しろさぼった講義を受講し直すことが出来ないのだ。さぼった分を取り返すとなると自習するしかない。

 

 講義をさぼらず、明日の昼までに抜粋部分を提出となると、どうしても自由時間の夕方から夜の間に作業しなければならない。

 

 エタンダールの部屋を出て、寮の自室に戻ったライツは抱えていた本を机に置き、深いため息を吐いた。

 

 限られた時間内に出来るかどうかは判らないが、とにかくやってみるしかない。ライツは覚悟を決めて机についた。三冊の分厚い魔術書の中から一冊を選ぶ。エタンダールはだらしない生活を送っている割にこうした魔術書の管理はしっかりしている。埃一つ被っていない魔術書の表紙をめくったところでライツは顔をしかめた。細かい字が連なっているのを見ただけでやる気が失せる。しかもこれがエタンダールの記した書なのだから更に意欲がなくなる。

 

「うわあ。この中から探すのか」

 

 諦めのため息をつきながらライツは薄い紙を慎重に一枚一枚めくった。ずれ落ちそうになっていた帽子を取って机の端に置く。ライツは機嫌の悪い顔のままで机についた。改めて魔術書を覗き込んだライツはいつの間にか真剣な表情になっていた。

 

 日が傾き、窓から入る光がほんのりと赤く染まる。ライツは時が経つのも忘れて魔術書を読み耽った。途中、気に掛かる箇所を紙に書き付ける。熱心に魔術書を読むライツの耳には夕食を報せる鐘の音も届かなかった。

 

 ライツが我に返ったのは、部屋の明かりが自動的に灯ってから随分経った時だった。

 

 そういえば食事をとっていない。そのことに気付いたライツは机から離れ、窓から外を見た。周囲はすっかり暗くなっている。寮の前にある庭の所々に立つ外灯をぼんやりと眺めてからライツはため息を吐いた。どうやら食いっぱぐれてしまったようだ。庭の向こうにある調理場の明かりはすっかり落ちてしまっている。それだけではない。みんなもう眠ってしまっているのだろう。寮の他の部屋の明かりも落ちている。道理で周囲が静かなはずだ、とライツは納得して頷いた。

 

 せめて顔くらいは洗ってこよう。開きっ放しになっていた窓を静かに閉めてライツは机に戻った。生乾きのインクが擦れないように抜き書きした紙を注意深く机に並べてから、ライツは部屋のドアをそっと開いた。薄く開けた扉の向こうからは弟子達の声は聞こえない。やっぱりみんな寝てるし、と内心で呟いてからライツは部屋を出ようとした。

 

 ふと、扉の前に見慣れないものが置いてあるのが目に留まる。ライツは屈んでそれを拾い上げた。

 

 それは一枚の紙と小さな重石だった。右手でつかんだ青白い半球の石を見つめたライツは次に左手の紙を見た。紙に描かれているのは食卓の光景だ。温かそうな湯気の立ち上るシチューの皿、焼きたてパンの入った籠、グラスに満たされた果汁がテーブルに乗っている様が描かれている。ライツは何となく部屋に戻って扉を閉めた。

 

 不意に青白い石が優しい光を帯びる。それを見止めたライツは苦笑した。石に力をこめて、紙に転写した魔術を時間に差をつけて展開させるこの魔術は、高等魔術の一つだ。そのことに気付いたライツは絵の描かれた紙と石を床にそっと乗せた。

 

 石と紙が光の中に消え、代わりに温かな食事が現れる。床に直に置かれた木の器には温かなシチューが、焼き立てのパンは籠の中に、そして果汁の満たされたグラスを見てライツはくすりと笑いを零した。きっとエタンダールの仕業に違いない。ライツは床に現れた食事をありがたくテーブルに運んだ。

 

 椅子に腰掛け、食事を始めようとしたところでライツはふと眉を寄せた。

 

「師匠。スプーンがありません」

 

 腹を押さえて笑いの衝動を堪えつつ、ライツは小声で言った。食事を忘れて勉強に励むライツの為に、エタンダールがわざわざ魔術を使ったのは判る。が、残念ながら用意された食事にはスプーンが添えられていなかった。ライツは懸命に笑いを堪えながら籠の中からパンを取り上げた。




珍しく2,400文字しかないですね!
少な!!w

魔法という書き方はしていないですね、これ。
魔術って書いてますね。
(他人事のように)

魔術を使える人は魔道士。
教え導く人は魔導師。
使ってるのは魔術。

……だったかなあ……(汗)
すみません、うろ覚えです……。


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書庫のシャルレラ

まだ旅には(略

タイトル詐欺?
いえ、これは350枚くらいあるので起承転結の起です。

そのうち旅に出るので許してください。
タイトルの方を変更するかもですが、判りません!w


 鐘打ちのバイマークに挨拶をしてライツは誰もいない廊下を寮の奥に進んだ。鐘打ち台に向かうバイマークがライツに並んで歩く。ライツは少し歩みの遅いバイマークに合わせて歩調を緩めた。外は朝の白いもやにまだ包まれている。

 

 話題にのぼるのは街での噂と飼い犬のこと、それにお馴染みの鐘職人のことだ。バイマークに言わせるといい鐘を造れる職人というのは数が少ないらしい。鐘打ちにはちょっと叩くだけでその鐘がいいものかそうでないか判るという。その話をする時のバイマークは皺だらけの顔に得意そうな笑みを浮かべるのだ。

 

 バイマークは気のいい老人なのだが、この塔の弟子には下手をすると師匠のエタンダールより怖がられている。何しろバイマークの叩く鐘はここでは絶対だ。しかもバイマークは気前よく何度も鐘を叩いてはくれない。どんな時を報せる際も叩くのは一度きり。もちろん誰かが寝坊しても、もたついている時も鐘を叩くのを待ってはくれない。ある意味では塔はこの鐘の音に支配されているのだ。

 

 それじゃあ、しっかりやれ。そう言ってバイマークが鐘打ち台に向かう。ライツは手を振ってバイマークを見送ってからエタンダールのいる塔に向かった。転移陣を使ってライツが最上階に辿り着く頃には起床の鐘が鳴り響いた。いつものように一度しか鐘は鳴らない。ライツは鐘の音の響く塔の中を急いだ。

 

 エタンダールの部屋のドアをノックする。控え目なライツのノックに部屋の中から応答がある。ライツは恐る恐るエタンダールの部屋のドアを開いた。

 

「あの、ライツですが」

 

 細く開いたドアの隙間から部屋の中を覗いたライツはほっとした。どうやら今日は誰も連れ込まれていないらしい。大きな欠伸をしてベッドに身を起こしたエタンダールの姿に胸を撫で下ろしてライツは入室した。

 

「早えよ、鐘が鳴ったばかりじゃねえか」

 

 剥き出しになった胸をかきながらエタンダールが面倒そうにライツを見る。ライツはすみません、と一応は詫びてから魔術書を机に乗せた。大きな書き物机は相変わらず物が散らかっている。ライツがいくら片付けても次の日には元通りになっているのだ。そのことにため息をついてライツは机から離れた。

 

「言われた項目を書き出しましたよ」

 

 指示された抜書きには結局、朝までかかった。三冊の魔術書のあちこちに内容が散っていて、内容をまとめるために二度ほどそれぞれの魔術書を読み返したからだ。ライツは徹夜して赤くなった目を擦りつつ、内容をまとめた紙を差し出した。だるそうに欠伸をしたエタンダールが紙の束を無造作にさらう。

 

 中庭に細い楽器の音が響く。窓から入ってくる心地のいい音楽にライツは耳を澄ました。鐘打ちのバイマークが餌をやるために鳥を寄せているのだ。横笛の音につられて集まった鳥達が窓の外を横切っていく。

 

「何とか及第点ってとこか。すげえ雑だが」

 

 紙の束をめくっていたエタンダールが欠伸混じりに言う。最後にくっついていた雑という評価にライツは顔をしかめた。

 

「仕方ないでしょう。師匠が昼までなんて無茶を言うから」

「それで? 少しは理解出来たか?」

 

 不服の声を無視してエタンダールが言う。ライツは膨れ面をして頷いた。

 

 勿論、魔術論などの知識が頭に入っていることが前提だが、魔術は基本的には魔力と呼ばれる力がなければ使うことは出来ない。だが単に魔力が大きければ大きい魔術を使える訳ではなく、魔術を実際に用いるには魔力を展開させるための隙間、つまりスペースが必要になってくるのだ。

 

 例えば人の身体いっぱいに魔力があるとする。内側に魔力が満ちているのだから、知識のない人間は魔術が使えると安直に考える。だが単にいっぱいに魔力があるだけではどんなに魔術を使おうとしても実行は不能だ。大きな魔術になればなるほど魔力を構築するためのスペースが必要になる。それが魔術展開の理論だ。魔力の分量と展開のためのスペース、その二つが揃って初めて魔術は使えるものになるのだ。

 

 力量のある魔道士になればなるほど、魔力を展開するための隙間は大きくなる。逆に言えば自分の有する魔力を小さく濃く畳むことが可能になるのだ。この術を応用すれば複数の魔術を同時に展開することも可能だ。……尤も、それには並大抵ではない能力と経験が必要になってくるが。

 

「昨日の試験で淫魔作成術を試みた人は、展開に失敗したんですね」

 

 魔術書から抜書きしている間に、ライツは昨日のエタンダールが言わんとしていたことに気がついた。ライツは単純に魔力の欠乏によりあの弟子が倒れたのだと思い込んでいたのだが、実際には違っていたのだ。

 

「そう。いっぱいいっぱいのとこに持って来て、強引に展開しようとした挙句、展開し損なったんだよ。おまけに魔力もフルで使いやがって」

 

 欠伸しながらエタンダールがベッドから降りる。真っ裸のエタンダールを見てライツは慌てて洋服入れに駆け寄った。下着を引っ張り出してエタンダールに投げつける。どうやら裸のまま窓辺に立つのは諦めてくれたらしい。何事か文句を言いつつもエタンダールが下着を身につける。そんなエタンダールを見てライツは深々とため息を吐いた。確かにこの塔は風変わりで弟子は圧倒的に男が多い。だが女弟子も全くいない訳ではないのだ。もしも中庭に女弟子がいて、裸のエタンダールを見止めたら悲鳴を上げるに違いない。全くこの人は、とライツは疲れた息を吐いた。

 

 この塔に入門を希望する女性は少ない。その数少ない女性の入門希望者は、大抵が入門試験の段階でこの塔に入ることを諦めてしまう。いや、正確に言うなら諦めるのは入門希望の女性当人ではなく、入門試験の面接に同伴する親の方だ。

 

 エタンダールの名を歴史書などで知った一部の親が英才教育のつもりで子供と共に塔を訪れることもある。そうして事前に調査しようとする親はまだいい。街に入った時点でこの塔やエタンダールの噂を聞いて引き返すことが出来る。が、中には運悪く入門試験で実際に会うまでエタンダールの本性を知らない親もいるのだ。

 

 中にはエタンダールを目の当たりにしても娘を入門させてしまう親がいる。そんな豪快な親を持った数名の女性が、ここにいる数少ない女弟子だ。見習魔道士の最初の講義で淫魔作成術を習ってもめげないのは、きっと親譲りの豪快な性格をしているからだろう。両手の指で足りるほどの数しかいない女弟子の顔を思い浮かべてライツは一人、頷いた。

 

「相変わらず汚え字だなあ。もうちょっと丁寧に書きやがれ」

 

 窓辺で大きく伸びをしてベッドに腰掛けたエタンダールが、ライツの渡した紙の束を見て嫌そうに顔をしかめる。ライツは怒鳴りたいのを堪えて歯を食いしばった。誰のせいだと思ってるんだ。そんなライツの心の叫びを知ってか知らずか、エタンダールが嫌そうな顔をしたまま顎をしゃくる。

 

「シャルレラを呼んで来い」

 

 だるそうな口調で言ったエタンダールが大きな欠伸をする。それまで怒りに目を吊り上げていたライツは唖然となった。そんなライツを横目に見てエタンダールが不機嫌そうに眉を寄せる。

 

「あー? 聞こえなかったのか? シャルレラ呼べっつってんだろが」

「な、んでですか」

 

 ライツはぎこちなく問い返した。何となく嫌な予感がする。そんなライツの予感を裏付けるかのように当たり前という顔をして、エタンダールは紙の束を指で弾いた。

 

「次の講義で使うんだよ。だからもうちょっとまともな字で書けっつったんだ」

 

 下手くそ、と吐き捨ててエタンダールが紙の束を宙に放る。ふわりと浮いた紙の束が宙で一枚ずつにばらける。その直後、紙は金属の板に早変わりした。エタンダールが魔術で紙の構造そのものを変えてしまったのだ。

 

 床にゆっくりと十数枚の金属の板が降りてくる。ライツはあんぐりと口を開けたまま、その様を見守った。慌てて手近な板の一枚を覗き込む。抜書き部分の文字だけではない。ライツがペンで殴り書きした注意項目の部分や、塗り潰して修正した部分までそっくりそのまま浮き彫りになっている。

 

「まさかと思うけど、僕に書かせたのって」

 

 いつもながらエタンダールの魔術の手並みは見事だ。それは判る。だがライツは金属板を見下ろして全く別のことを考えていた。

 

「お前、オレの話をまるで聞いてねえな。シャルレラだよ、さっさと呼んで来いってえの」

 

 嫌そうに顔をしかめてエタンダールは着替えを始めた。木箱の蓋を引っくり返してローブを着込んでいる。相変わらずいいかげんな着方だ。ローブのデザインはライツのものと同じなのに、エタンダールが着ると全く違う服に見える。何しろエタンダールは最低限の留め具しかかけない。ズボンはまともに穿いてはいるが、腿の中ほどまでの丈の裾の広がった中衣の前は開きっぱなし、短い丈の上衣の留め具は無視されたまま、首のところの宝石の施された飾り具はぶら下がったままだ。しかも帽子は被っているところなど見たことがない。街の仕立て屋がエタンダールを見かける度に泣きそうな顔をするのは、きっとこのぞんざいな着方のせいだ。エタンダールのそんな様をしばし眺めてからライツは深々とため息を吐いた。

 

 さっきからエタンダールが呼んで来いとしつこく言っているシャルレラは、この塔で使われる書類、魔術書等の印刷や管理を専門に行っている者だ。つまり、エタンダールはライツの書いたものを原稿にして、講義で使うテキストにすると言っているのだ。

 

「何て横着なんだ……要するに僕に代わりに仕事させただけじゃないか」

 

 ちなみにシャルレラは弟子ではない。ライツが物心つく以前からから司書としてこの塔で住み込みで働いている女性だ。

 

「なんか言ったか?」

 

 ゆらりと振り返ったエタンダールが目を細めてライツを睨む。いいえ、と力をこめて言ってからライツは大股で部屋を出た。

 

 廊下に出たところでライツはドアを叩きつけるように閉めた。肩を怒らせて歩くライツの傍を寝起きの顔で先輩弟子たちが行き過ぎる。彼らに挨拶してから、ライツはシャルレラの部屋に向かった。ドアから顔を覗かせたシャルレラはまだ寝惚けているのか、しきりに瞼を擦っている。

 

「なぁにい?」

 

 エタンダールほどではないが、シャルレラも周囲の目を気にしない性質だ。それなりの服を着て黙っていたらかなりの美女だというのに、寝起きだからなのか、それとも寝る時はいつもそうなのかろくに服も着ていない。乱れた髪を指で梳きながら大きく欠伸をしたシャルレラは、いつもするようにライツの頭をよしよしと撫でた。しばし黙って頭を撫でられてからライツはあの、と切り出した。

 

「師匠が来てくれって」

「エタンダールも朝っぱらから元気ねえ」

 

 呆れたという顔でシャルレラがそんなことを言う。言葉に含まれた意味をしっかりと読み取ってライツは真っ赤になった。シャルレラが頭をかきながら怪訝そうに眉を寄せる。

 

「いやあのえっと、た、多分違う用事じゃないかな」

「何だ。仕事の方?」

 

 寝ぼけた顔をしていたシャルレラがぱちりと目を開く。ライツは頷いてからそれじゃあ、とドアを閉めようとした。そこで数人の弟子が廊下に突っ立ってこっちの様子を伺っていることに気が付く。中にはあからさまに嬉しそうな顔をしている者もある。シャルレラは下着姿で廊下に顔を覗かせているのだ。

 

 シャルレラは若く、しかも美人だ。そんなシャルレラの下着姿を一目でも見ようとしてか、廊下には次々に弟子が集まってくる。

 

「とっ、とにかく頼みますね!」

 

 慌ただしく言ってライツは有無を言わせずドアを閉めた。観客と化していた弟子達から不満の声が上がる。ライツは真っ赤になって彼らの間を逃げるようにすり抜けた。

 

 寝ずに頑張ったのに。何で僕ばっかりこんな目に合うんだ。ライツは苛々しながら調理場に向かい、朝食の下ごしらえをした。寝不足で真っ赤な目をしたライツを気遣う弟子もいれば、からかう者もある。彼らの声をてきとうに流しながらライツは手伝いを終えた。その足で寮の自分の部屋に戻る。

 

 ライツは昼までの講義を捨てると決めて不貞寝することにした。帽子を取ってローブを脱ぎ、ブーツとズボンを脱ぎ捨てる。だがベッドに入ってしまうと自然と怒りは消え、強い眠気がライツを襲う。

 

「あ、そういえば師匠にお礼を言うの忘れた」

 

 どんな理由であれ、食事を用意してくれたことに関しては礼を言うべきだったのに。そんなことをのろのろと考えながらライツは深い眠りに落ちた。




ネーミング嫌いなのです……
今は名前をシャッフルで出してくれるところとかあって便利ですね~。

これ書いた時は自分で名前を考えるしかなくて。
仕方ないので参考にしたものがあります。

重点キャラはラ行をいれる。

ここまでだと

『ラ』イツ
エタンダー『ル』
シャ『ル』『レ』『ラ』

ほら。
ラ行入りまくってるでしょw


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3人の側仕え

分量が多かったので分割しました。


 エタンダールの側仕えを務める弟子は三人だ。

 

 一人は准魔道師のアルセニエフ。弟子の中でも特に真面目で知られるアルセニエフは、エタンダールの代わりにどこかに赴いたり、重要な公務にエタンダールと共に参加することが多い。公式行事などにもよく姿を現すため、エタンダールは見たことがなくてもアルセニエフは判る、という外部の人間も多い。中にはアルセニエフをエタンダールだと思っている者もいるというから笑えない。その手の話題を聞くたびに真面目なアルセニエフは真っ青になるのだが、エタンダール当人は面白がっているようだ。

 

 二人目は数少ない女弟子の一人、サマラだ。彼女は一等魔道官として学ぶ傍ら、見習や二等魔道士までの弟子の魔術講義を受け持っている。勤勉なサマラは教師としてもとても優秀で、下手をするとエタンダールより判り易い講義を行うため、弟子たちの中でも評価は高い。……のだが、何しろシャルレラとは方向性は違うが容姿が整っているため、弟子たちの集中力を乱す事があるのが難と言えば難かも知れない。

 

 教師を務めるサマラが何故、エタンダールの側仕えと呼ばれるか。それはエタンダールが面倒がってサマラにあらゆる講義を押し付けてしまうからだ。

 

 三人目がライツだ。エタンダールも以前は自分の身の回りの世話をする者、いわゆる従者として専門の人間を雇っていた。だが、物心ついた頃にライツはエタンダールにその役を押し付けられた。そのため、ライツは塔に入門する以前よりエタンダールの側仕えを務めるという、多少変わった経歴を持っている。

 

 側仕えの三人に対するやっかみは弟子達の間には一切ない。それどころかこの三人はまとめて貧乏くじと言われている。ここにいる弟子達にとって、一番大事なのは学習の時間だ。中でも自由時間は貴重だ。復習するも良し、予習に時間をかけてもいい。自己の研究に費やすのももちろん良いだろう。だが、貧乏くじである彼らには自由になる時間が殆どないのだ。

 

 おまけに結局やることといったら師匠の尻拭いなんだから。そう呟いてライツは手にしたクッションを細いはたき棒で叩いた。大してほこりを被っている訳ではないのだが、ライツはこの部屋を掃除する時には必ず叩くことにしているのだ。

 

「困ったな」

 

 ちなみに今は部屋の主はいない。エタンダールの部屋の真ん中に佇んで困惑顔で言ったのは側仕えの一人、アルセニエフだ。弟子達の中ではアルセニエフは年嵩で今年で二十七だ。そのことを思い出しながらライツは兄弟子の様子を伺った。アルセニエフの手にしているのは一通の書簡だ。古風に鳥の足にくくりつけられて運ばれたそれは、どうやら王宮から直に飛ばされてきたものらしい。

 

「僕だって困ってるんだ。新しいローブを仕立てなきゃならないのに、急に行方をくらますんだもん」

 

 ライツは膨れ面をしてはたき棒を握った手を腰に当てた。仕立て屋はエタンダールの留守を知ってしばらくは待っていたのだが、結局は後の客がつかえていると帰ってしまった。必ず後で店に来て下さい、と店主に何度も念を押されたばかりだ。ライツは仕立て屋とのやり取りを思い出して陰鬱になった。仕立て屋の主人は是が非でも自分の店でエタンダールの服を仕立てようとしているのだ。

 

 エタンダールが新調しようとしているのは式服だ。式服は通常のローブよりずっといい生地や装飾品を用いて作られる。平たく言えば仕立て屋にとっては大きな仕事なのだ。他の店に仕事を取られてはたまらない、と店主がやっきになるのは判る。

 

「もう、煩いのなんのって。僕に泣きつくんだもん。あのおじさん」

 

 深々とため息をついてライツは肩を落とした。自分の三倍は年を拾っていそうな男がさめざめと泣く姿は見たくはない。

 

「そ、それは大変だったな」

 

 根っから真面目なアルセニエフがライツの置かれた立場を慮ってか、苦渋の滲んだ顔で頷く。全くだよ、とライツは膨れ面に戻って文句を言った。

 

「しかし弱ったな。師匠が不在では返事どころか内容も確かめられん」

 

 眉を寄せてアルセニエフが手にした書簡を見下ろす。鳥が運んできた書簡はきっちりと蝋で封緘されているのだ。

 

「どうせまたリナベル通りだよ。昼間っから入り浸るのってどうかと思うんだよね、僕」

 

 エタンダールがいないこともあって、ライツはいつもの倍以上の文句を口にした。そうだな、と困惑顔でアルセニエフが頷く。それを横目に見てからライツは頬を膨らませた。

 

「アルセニエフはいいよ。迎えに行っても追い出されないでしょっ。僕なんて通りにすら入れてもらえないんだから!」

 

 ある時、ライツはリナベル通りと呼ばれる所にエタンダールを迎えに行った事がある。馴染みの店だから、と教えられた所に向かったライツは、細い通りに入ったところでたくさんの女性達に捕まった。賑わいから少し離れたリナベル通りは街の中でも色を目的とした商売を営む店が並ぶ場所だったのだ。

 

 道理でみんなが嫌がる訳だよ。女性達は可愛いなどと歓声を上げてライツを揉みくちゃにした挙げ句、子供はここには来てはダメだと説教までして、ライツを通りから追い払った。その時のことを思い出してライツはうんざりしたため息をついた。

 

「服は伸びるし破れるし、帽子もなくすし大変だったんだから。全く、あの帽子がいくらすると思ってるのさ」

「いやあの、もっと別のところに問題があるような」

 

 眉を寄せて頬を引きつらせたアルセニエフが恐る恐るといった感じで手を振る。だがそんなアルセニエフの様子にライツは気付かなかった。遊女達にもみくちゃにされた当時のことを思い出すと今でも強い怒りを覚える。

 

「おまけに師匠は捕まらないし、散々だよっ」

 

 文句を言いながらライツは別のクッションを棒で叩き始めた。窓から乗り出してクッションを何度か叩いてから椅子に戻す。膨れ面で文句を言いつつもライツは仕事だけはきっちりこなしていた。羅紗の張られたゆったりとした長椅子にもついでに棒を軽めに当て、続いて拭き掃除に取り掛かる。そこでライツははたと気付いた。

 

「そういえば、リナベル通りならアルセニエフなら入れるでしょ」

 

 子供のライツはリナベル通りに近づくことすらままならない。が、アルセニエフなら客と勘違いはされるかも知れないが問題なく入れるだろう。ライツは何の気なしにアルセニエフにそう言った。

 

 書簡を片手に握ったままのアルセニエフが面白いくらいに真っ赤になる。ライツは不思議に思って首を傾げた。下手をすると書簡を握り潰してしまいそうなほど、アルセニエフは身体に力を入れている。

 

「アルセニエフ? どうしたのさ」

 

 眉を寄せてライツは窓拭きを再開した。だが掃除を再開したライツとは対照的にアルセニエフは凍りついたように動かない。真っ赤になって立ちすくんでいる。ライツはちらりとそんなアルセニエフに目をやった。

 

「あ、あそこはちょっと……」

 

 ライツと目が合ったところでばつが悪そうにアルセニエフが目を逸らす。どうやらあの通りには何か忌まわしい思い出でもあるらしい。そう踏んだライツはアルセニエフに何事かと訊ねた。それまで硬直していたアルセニエフがぽつりと呟く。

 

「そ、その、いろいろと、まあ、事情が……」

「……ご、ごめん」

 

 人には聞かれたくないことがある。真面目で堅物そうに見えるアルセニエフだが、女性関係で何かあったのかもしれない。そう見当をつけてライツはさりげなく話題を変えた。

 

「そういえばさ。それ、どうするの?」

 

 言いながらライツは書簡を握るアルセニエフの手を指差した。するとああ、と頷いてアルセニエフが書簡を目の高さにかざす。

 

「弱ったな。私があそこに赴く訳にはいかないし」

「僕が行こうか?」

 

 こうなるとは思ったんだ。そう心の中で呟きつつライツは申し出た。するとアルセニエフがライツの予想通りに顔をほころばせる。最初からそのつもりだったに違いない。

 

「すまないな! ライツも忙しいのに」

「いいよ、別に」

 

 さて、どうやって潜り込もうかな。文句を言う時ははっきり言うが、思考の切り換えの早いのがライツの長所だ。窓磨きの布をバケツに放り込んでライツは帽子を被りなおした。アルセニエフから受け取った書簡を大事にローブの内ポケットにしまう。正攻法で正面から通りに入ろうとしても無理だ。以前のようにもみくちゃにされた挙げ句、最後は子供が来るところじゃないと追い出されてしまうのがおちだろう。

 

 子供だから場違いな場所に来ていると思われるのだ。それならいつもと違う格好をすればいい。その結論に達したライツは早速、シャルレラに相談した。話を聞いたシャルレラはやけに嬉しそうにしてライツの支度を手伝ってくれた。




側仕えが出てきました。
ライツが一番性格悪いかも……w


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水辺の花火と可愛い子

主人公、可愛いなシーンがあります。
男の娘が苦手な方は自力で回避してください。


 慌ただしく支度を済ませ、今日は夕食の支度は手伝えないと弟子の一人に伝えてから、ライツは塔を出た。門をくぐって小道を急ぎ足で進む。塔の敷地を囲む白樺の林を背になだらかな坂を下っていくと、まばらに建った家が見えてくる。ライツは通りすがった顔見知りにいつものようににこやかに挨拶をした。が、どの人も驚いたように目を見張っている。ライツは何事かを問われる前にさっさと家の並びを後にした。

 

 しばらく行くと今度は森が広がる。広葉樹の生い茂るこの森が、塔の建つ丘全体をぐるりと取り囲んでいるのだ。立て看板の前で一息ついてからライツは森に入った。西に傾いた日差しは濃い緑に覆われた森の中には殆ど届かない。弟子の中には暗いときにこの森に入ることを怖がる者もいるらしい。

 

 かつて魔物が人の暮らす場所に姿を現していた頃、エヴァン国の至るところでは戦いが繰り広げられていたのだという。その中には魔物と人間との戦いもあった。

 

 今はこの森に魔物たちはいない。彼らは住処を人に追われ、今は決められた場所に棲息している。稀に人の居る場所に姿を見せることもあるようだが、それも魔道士に召喚される時に限られる。魔物たちはひっそりと隠れて生きているのだ。

 

 魔物との戦いについては幾つかの書物に簡単に記されているだけで、詳しい資料は残ってはいない。歴史書にも戦いの原因や結末については書かれておらず、魔物が跋扈した時代があったと記されているだけだ。

 

 力ある魔道士が記した魔術書には魔物の取り扱いや召喚法、その他、魔物に関係する魔術の記述しかなく、戦いについて触れられている書物はほぼ皆無と言っていい。あのエタンダールの記した書にすら、魔物との戦いのことは一切書かれていないのだ。

 

 その戦いを境に魔物は人に従属する存在となったのだという。そうでなければ淫魔作成術のような魔術は使えない。あれは平たく言えば精霊を介して魔物と別の動物を混ぜ合わせる魔術なのだ。

 

 一度だけ、ライツは魔物と人との戦いについてエタンダールに質問したことがある。が、エタンダールは口を濁して戦いの真相は教えてくれなかった。

 

「ほら、抜けた」

 

 考えを巡らせながら歩いていたライツは、森を出たところで足を止めた。道しるべの看板を軽く手のひらで叩いて振り返る。日が大分傾いたからか、森の中は入る前より暗い気がする。だが、怖ければ魔術論の復唱でもしながら歩けばいいだけの話だ。ライツはふん、と笑って先に進んだ。

 

 森を抜けて進むとあるところから通りは急に賑やかになる。周辺には人々の家が連なり、道を行く人も増えてくる。賑わいに紛れてライツは街に入った。次第に道幅が広がり、やがて家々の並びが唐突に終わる。その辺りから今度は道の両側に店が並び始める。ライツは薄手のマントを翻らせて先を急いだ。

 

 王宮から送られてきた書簡は恐らく急ぎの報せだ。早くエタンダールを捕まえなければならない。そう考えつつ、ライツは人々の賑わいを外れてリナベル通りに向かった。細い路地を抜けて進むと賑わいの性質が変化する。ライツは誰に邪魔されることもなく、リナベル通りに入ることが出来た。時折、物珍しそうに見られることもあるがそれだけだ。心の中で、やった、と歓声を上げて、ライツは目立たないよう気をつけつつ、道沿いに立ち並ぶ店を回った。

 

 木枠の嵌った窓から覗く女性達も、道で客引きをする女性達も今日は声をかけてこない。ライツは次々に店を覗き、エタンダールがいるかどうかを訊ねて回った。最初は戸惑った顔で追い払おうとしていた楼主たちも、ライツが身分証を見せると途端に態度をころりと変える。街では悪口を叩かれているエタンダールも、この色町では扱いが異なるのだ。

 

「久しくお見えになりませんなぁ」

 

 のんびりとした物言いでしかし、ちょっと残念そうに答えた若い楼主に頭を下げ、ライツは次の店に急いだ。これで七軒空振りだ。次の店は、と足を運んだところでライツは間違いなく当たりだと頬を引きつらせた。

 

 独特の大きな門の向こうにいなければならないはずの楼主が不在だ。しかも慌ただしく店の中を女性たちが行き来している。その手には酒だの食事だのの乗った盆が抱えられている。おまけに店先の明かりはこの早いのに消えているし、格子窓から覗いているはずの女性達の姿もない。つまり、誰かが景気良く店を借り切ってしまったため、総仕舞いしているのだ。ライツは険しい表情で店の門をくぐった。

 

 通り沿いの店はどこも大きな色鮮やかな門を構えている。紅色の鮮やかな門を横目にライツは店の中に声を張った。すると店内を行き来していた女性達が怪訝そうに足を止める。ライツは普段は楼主が構えているだろう入り口の床を避けて奥に進んだ。

 

 間違いない。二階から賑やかな声が聞こえてくるのを確認してライツは機嫌悪く舌打ちをした。

 

 色町の店の表には大抵こうした茶屋がある。表では普通に飲食をすることも可能だが、その気があれば気に入りの遊女に奥で相手をしてもらえる、という訳だ。が、そこを通じた二階の揚屋なら、人気の遊女やその店自慢の遊女達を揚げて遊ぶことが可能なのだ。

 

 問題の賑やかな声はその揚屋のある方から聞こえてくる。ライツはうんざりしながら額を覆い、深々とため息をついた。

 

「すみません。こちらにエタンダール師がいると思うんですが」

 

 色町には色町のルールがある。不躾な聞き方かも知れないとは思ったが、ライツは思ったままを訊ねた。食膳を運んでいた一人の女性が物珍しそうに寄ってくる。だがそれを制してライツはポケットから王宮から飛ばされた封筒を取り出した。両手にしっかりと握ったそれを掲げて喚く。

 

「王宮から急の報せです! 通して下さい!」

 

 ライツの声に驚いたように廊下を歩いていた女性達が立ち止まる。次の瞬間、女性達はそれぞれが慌てたように顔を見合わせ、店先のライツに駆け寄った。だがどの女性もエタンダールを呼んでくることを渋る。

 

 通常、この手の店では客の相手をした時間によって、遊女の頭数分だけ料金は加算される。気前良く総仕舞いしてしまうエタンダールは店にとっても、相手をする遊女にとっても上客に違いない。その上、親しくなれば身請けをしてもらえる可能性もある。年齢相応の枯れた老人ならともかく、エタンダールは見た目には働き盛りの好青年でおまけに女性にもてる容姿をしている。その上、エタンダールは気前よく金を遣う。身請けしてもらうにはかっこうの相手、という訳だ。

 

 早い話がここの店の者達はエタンダールに長居をして欲しがっているのだ。ライツは苛々しながら人の輪をくぐり抜けた。のんびりとした制止の声もかかるが無視する。

 

 立ち並ぶ店に沿って茶屋の裏手には川がある。ライツは素早く茶屋に並ぶテーブルの間を縫って川の見える窓に寄った。店の真裏に設えられた大きな窓を開ける。

 

「危ないですからね。近づかないで下さい」

 

 客や店員に忠告してからライツは使える数少ないものの中から一つの魔術を展開した。川に向かって差し伸べたライツの手から放たれた魔術の力が真っ直ぐに川に向かう。

 

「何とまあ……お嬢ちゃん、魔道士かね」

 

 傍にいた一人の年老いた客がのんびりとした口調でライツに言う。ライツは複雑な表情の中に微かに笑みを浮かべて首を傾げてみせた。ライツの飛ばした魔術が川に沿って広がり、次々に色鮮やかな花火が上がる。

 

 少年の姿のままでは追い出されてしまう。それなら少女に見える格好をすればいいのだ。悪乗りしたシャルレラに薄化粧までされたライツは、今はどこから見ても少女に見えるなりをしていた。この姿なら誰かと通りすがっても町の住人だと勘違いしてもらえるだろう。だからライツは誰にも邪魔されずにこの色町にすんなりと入ることが出来たのだ。

 

 魔術の弾ける音と共に、色とりどりの花火が川に沿って打ち上げられる。茶屋にいた客も女性達も一様に感嘆の声をもらして窓の外に見入っている。そんな彼らを余所にライツはため息をついてその場にへたり込んだ。一気に複数の花火を展開させたからだろう。体力が減っているのが自覚できる。優しい風合いの木の床に広がったスカートの裾をライツは情けない気分で見下ろした。

 

 けたたましい足音を立てて、誰かが階段を駆け下りてくる。

 

「この、馬鹿弟子! 力量考えずに使いやがって!」

 

 エタンダールが大声で喚きながら茶屋に入ってきて、真っ直ぐにライツの元に駆けて来る。だがライツの目の前まで近づいたところで、エタンダールはあんぐりと口を開けて立ち止まった。

 

「……ライツ?」

「王宮からの書簡です。早急に中身を確認してくださいとアルセニエフが」

 

 唖然としているエタンダールを無視してライツは懐から封筒を取り出した。だがエタンダールは受け取ろうとしない。ライツは顔をしかめてエタンダールを睨みつけた。

 

「似合うじゃねえか! その格好!」

 

 茶屋中に響き渡る声でエタンダールが爆笑する。それにつられたようにエタンダールを追って来た遊女達がはしゃいだ声をあげてライツにたかる。ライツは憮然として彼女達を見回し、次いでエタンダールを睨んだ。

 

「誰のせいだと思ってるんだ!」

 

 だがライツの怒鳴り声よりエタンダールの笑い声の方が大きい。ライツは力を振り絞って立ち上がり、エタンダールの手に封筒を押し付けた。遠慮のない笑い方をしつつもエタンダールが封筒を開く。ライツは機嫌の悪い顔をして、伸びてくる女性達の手を避けた。

 

 ふと、エタンダールの顔から笑みが消える。書簡に目を落としていたエタンダールは厳しい面持ちで頭を上げ、無言で書簡を封筒に戻した。何事かと問おうとしたライツの腕を物も言わずに引く。

 

「帰るぞ」

 

 ライツの仕掛けた花火はまだ美しい火の花を空に咲かせている。多くの者が花火に見とれる中、ライツはエタンダールに連れられて店を出た。追いすがる遊女達を適当にあしらい、支払いを済ませ、二人が店を出るまでにかかった時間はほんの僅かだった。慌ただしい足取りのエタンダールに半ば引きずられたライツは、店を出たところで解放されてやっと一息つくことが出来た。

 

 これまでこんな風にエタンダールが動じるところを見たことがない。エタンダールはいつも一つ文句を言えば百くらいは言い返してくるし、頼まなくても要らないことまでよく喋る。なのにそのエタンダールが黙り込んでいるのだ。そのことを珍しく思い、ライツは笑い飛ばされた不愉快さも忘れてエタンダールに問い掛けた。

 

「一体、何事ですか」

 

 数歩先を歩いていたエタンダールが振り返る。エタンダールは色町特有の淡く揺らいだ雰囲気に妙に溶け込んでいる。

 

「早く帰らねえとアルセニエフの野郎が泡噴いて倒れるぞ」

 

 さらりと話を逸らしてエタンダールが再び前を向く。ライツは釈然としないものを感じつつも、大人しくエタンダールに従って色町を出た。なるべく早く戻る方がいいだろう、とエタンダールがさっさと馬車を頼んでしまう。強引に馬車に放り込まれたライツは文句を言った。

 

「師匠が明るいうちから遊びに出かけるからですよ」

 

 エタンダールが乗り込んだ後、御者が静かに馬車の扉を閉める。馬に鞭を当てる音が微かに聞こえ、馬車がゆっくりと動き始める。

 

 エタンダールがローブの内側から封筒を取り出し、中身を差し出す。怪訝に思いながらもライツはそれを受け取って読み始めた。長い挨拶に続いて奇妙なことが書かれている。

 

「天使?」

 

 文書の内容は天使というモノについての話し合いが行われるというものだった。ライツが差し出した紙をエタンダールが手早く封筒に戻す。

 

「厄介なことにならなきゃいいがな」

 

 封筒をローブの内側にしまいこんだエタンダールは、深く椅子に寄りかかって呟いた。外れていたボタンを掛け、きっちりとローブの前を留める。赤い宝石のあしらわれた襟留めも、こうしてまともに使って貰える機会は滅多にないのではないだろうか。ライツはきっちりとローブを着直したエタンダールをぼんやりと見つめてそんなことを考えた。

 

 少しの間、黙してからエタンダールがおもむろに言葉を継ぐ。

 

「オレが前に天使が現れたのを見たのは十代の時だ」

 

 天使というのは百年に一度、出るか出ないかの希少種らしい。だが天使という言葉の意味をライツは理解出来なかった。これまで読んだどんな魔術書にも天使という言葉は書かれていなかった。だがエタンダールの口ぶりからすると、どうやら天使というのは生き物のようだ。

 

 ライツが疑問に思っているのを感じ取ったのか、エタンダールは簡単に天使の容姿を説明した。天使は人の形にとてもよく似た姿をしてはいるが、決定的に違う部分が一つだけある。それが天使の背中に生えた白い翼なのだという。

 

「それ、人なんですか?」

 

 形は人に近いという。だがエタンダールは天使を人だとは言わなかった。だとするともしかしたら魔物の類なのだろうか。そう感じたライツは素直に質問した。だがエタンダールは困ったような笑いを浮かべただけで、返事はしなかった。

 

 馬車が塔の前に着く。馬車を降りたライツはエタンダールについてこいと言われ、大人しくそれに従った。だが何故かエタンダールは塔ではなく寮に向かって歩いていく。ライツは怪訝に思いながらもエタンダールについて寮に入った。

 

 調理場から近い寮は夕食を終えた弟子達で賑わっている。

 

「……何でわざわざ寮を通過するんですか。その上、階段?」

 

 寮の一階にある移動のための魔法陣を避け、階段をのんびりと上がり始めたエタンダールをライツは鋭い目で睨みつけた。上がりたい気分だから、とエタンダールが答えて振り返る。その目はしっかり笑っていた。

 

 くそ、笑いものにする気だな。そう思ったライツは踵を返し、階段に背を向けた。

 

「やっぱり着替えてきますっ」

「あれ? 詳しいこと、知りたくないのか? もしかしたらオレはすぐに出かけるかも知れないぞ」

 

 意地の悪い笑いを浮かべてエタンダールがそんなことを言う。ライツはぴたりと足を止め、嫌な顔をしてエタンダールを見た。自然と頭に天使のことが浮かぶ。わざと知識欲をかき立てる言い方に怒りを覚えたが、ライツは仕方なくエタンダールについて階段を上がり始めた。

 

 最初は普通の賑わいだったはずの寮内に弟子達の歓声が響く。ライツは恥ずかしさに逃げ出したい気持ちになりつつも、はやし立てられることにしばらくは我満した。が、苛立ちと怒りが募り、耐えられなくなってくる。

 

「違う! 僕だってば!」

 

 師匠が若い娘を連れ込んだとはやし立てる弟子達にライツは勇気を持って主張した。そう、ここの連中は控え目に対応しても無駄なのだ。ここは一発、強気で主張しなければ。そんなライツの考えは見事に裏目に出た。

 

 それまで騒いでいた弟子達が静まり返る。ライツは周囲に集まった連中を鋭い目で見回した。すると二人を取り囲んでいた弟子達が、何やらひそひそと小声で話をし始める。

 

「何か聞き覚えがある声のような……?」

「そういえばあいつに似てないか?」

 

 などと、潜めた声で話をする弟子達を睨み、ライツはもう一度、今度は自分がライツであると名前を入れて喚いた。すると弟子達の間にどよめきが広がる。

 

「なんだ、ライツかよ! 似合うぞ!」

「そっか、おまえ、そんなに師匠のことを」

 

 笑い混じりに誉める者もあれば、わざとらしく同情した顔をして見当外れのことを言う者もある。茶化されたりひやかされたりからかわれたりするたびに、ライツは余計にむきになって彼らに言い返した。

 

「ちがーう! 僕はぐうたらな師匠を仕方なく迎えに行って!」

 

 ライツが必死の面持ちで言うと、にやにや笑っていたエタンダールがぼそりと言う。

 

「ぐうたらは余計だ」

「とにかく! 僕は、仕方なく、この格好をしてるだけですから!」

 

 そんな賑やかなやり取りをしつつ、ライツはエタンダールと一緒に寮を抜けた。渡り廊下を過ぎて塔に入ったところでライツはほっと息を吐いた。寮とは違い、塔に個人の部屋を持っているのは数名の上位の弟子だけだ。彼らならきっと見間違えることなく自分だと判ってくれるだろう。

 

「し、師匠!」

 

 慌てた声が廊下に響く。ライツは見知った相手に思わず顔をほころばせた。廊下の向こうにいるのは貧乏くじ仲間の一人、女弟子のサマラだ。サマラは丸い眼鏡と愛らしい顔立ちから実年齢より幼く見えるためか、塔を訪れる外部の者に新入り弟子と間違えられることもある。その純朴さがいいのだと弟子達の人気をシャルレラと二分する存在でもある。

 

 そのサマラが何故か全速力で廊下を駆けてくる。一心不乱に走ってくるサマラを不思議に思いつつ、ライツは首を傾げた。

 

「おう。これから勉強か? 感心感心」

 

 駆けて来たサマラにエタンダールがのんびりと言う。だがサマラはそれに答えず、緊張した面持ちでエタンダールに詰め寄った。慌ただしく駆けて来たためか、サマラが抱えていた魔術書が腕から落ちかけている。

 

「こ、こ、こんな若い子をたぶらかして!」

 

 ライツを指差してサマラが喚く。その瞬間、ライツは表情を凍らせた。エタンダールは笑いを堪えているのか身体を震わせている。

 

「……サマラ。僕だよ」

 

 受けたダメージから何とか立ち直ってからライツはそう言った。意識して低い声を作ってはみたが、変声期を迎えていないライツの声は他の男弟子に比べるとどうしても高い。

 

 訝るようにライツを見つめていたサマラがやがて目を見張る。続いてサマラは腕に抱えていた魔術書を何故か落っことした。タイミングよくエタンダールが手を伸ばし、サマラの腕から落ちた魔術書を受け止める。

 

「ライツ!?」

「そうだよ。何ですぐに判らないかな、もう」

 

 不服を込めて言ってからライツは頭をかいた。慌ただしく眼鏡を外したサマラがローブの裾でレンズを拭く。改めて眼鏡をかけてライツをまじまじと見たサマラは眉を寄せて何事かを納得したように何度も頷いた。やっと理解してくれたか、とため息を吐いたライツにサマラが遠慮もなく言う。

 

「やっぱりそうだったのね。師匠が男の子を引き取るなんて妙だと思ってたの……」

「違う! 僕は男だ!」

 

 しみじみと告げたサマラにライツは思わず怒鳴り返した。今度はサマラがええっ、と不満の声を上げる。どういう意味か、とライツが問おうとした瞬間、エタンダールが唐突に笑い出した。腹を押さえて笑うエタンダールをライツは悔し涙の滲んだ目で睨みつけた。

 

 ライツは赤子の時に色町に捨てられていた。それを何の気紛れか、エタンダールが拾ってくれ、ここまで育ててもらった。だからライツは物心着く前から塔で暮らしている。エタンダールがもしも気紛れを起こさなかったら今の自分はないだろう。そのことをライツはよく自覚していた。

 

 実は親なしの子供はこの国ではさほど珍しくない。捨てられた子供達を引き受ける制度は整備の途中だが、じきに機能し始めるだろう。親から見放された子供たちを公共施設で育てられる程度にはこの国は豊かなのだ。

 

 このエヴァン国は周辺国と比べると土地が豊かで作物もよく実る。農業が栄え、国も富み、そして商業や工業も発達してきた。豊かなエヴァン国を近隣の国が侵攻しようとしたことも何度かあるらしい。が、そのたびにエヴァン国は発達した魔術の力を駆使して侵攻しようとした敵を退けた。

 

 医療技術もエヴァン国は周辺国に比べて格段に優れている。その背景には高等魔術による治療技術がある。医療と魔術はある意味では共に進化してきたのだ。だがエヴァン国の中でも婦人特有の病気、それと妊娠や分娩に関する医療の発達は大幅に遅れているのだ。

 

 人は快楽を求めて色の町を作った。だが妊娠しないための技術は追いついていない。無論、堕胎に関しても同じだ。享楽を金で買える、という娯楽の裏には生臭い話が幾つも転がっている。ライツはそんな話をエタンダールから聞かされて育った。だからライツは年齢の割に色町の裏事情に精通しているのだ。

 

 ライツの境遇を羨む者も弟子の中にはごくたまに居る。幼い頃からエタンダールの傍にいる、ということが魔術を学ぶ者にとって恵まれた環境であるというのだ。

 

 表面だけを見るな。この塔の弟子達は教師からそう教え込まれる。魔術とは物事の仕組みを理解するところから始まるのだ。不思議なことにライツの表面だけ見て評価した者たちは、やがて塔を去ってしまった。結局、彼らには物事を広い視野で見るという力が欠けていたのだろう。魔術を学ぶ者は広い視野で様々なものを見なければならないのだ。

 

 なのに!

 

 ライツはぎりっと歯を食いしばってサマラを睨んだ。

 

「一等魔道官とは思えない言い草だね!」

 

 ライツは怒りをこめて吐き捨てた。そんなライツをエタンダールが面白いモノでも見るかのような目で見る。だがサマラは怒るでもなく、感心したように頷いている。

 

「あなた、自分のその格好、鏡で見た?」

「見る必要ないじゃないか。何のためにだよ」

 

 何を言い出すのかと思ったら。そう付け足したライツにサマラが何かを差し出す。ローブのポケットから取り出されたそれは小さな鏡だった。怪訝に思いながらライツは鏡を何気なく受け取った。

 

 何となく鏡を見たライツの頬が引きつる。

 

「ね? 私の言うこともあながち間違っていないような気がするでしょ」

 

 鏡に映る自分を見て凍りついたライツにサマラが頷きながら言う。

 

 どう見ても少女そのものの顔が鏡に映っている。しかも薄く化粧をしているからなのか本来の年齢より大人びて見える。これではエタンダールが若い女を連れ込んだと思われても仕方がない。客観的にそう判断し、ライツは憂鬱になった。

 

 うん、彼らが騒いでいた理由は判った。僕の女装が珍しいからじゃなくて、ほんとに女の子に見えるからだ。

 

 そこまで考えて、ライツはがばっと顔を上げた。

 

「でも僕は男だから!」

 

 それとこれとは話が別だ。サマラはエタンダールが男を引き取るのはおかしいと考えていたという。ということはつまり、ライツは実は女だという結論に達したと言うことだ。それは何としても避けたい。というか、間違っている。

 

 力を込めて訴えたライツをサマラが不思議そうに見る。ライツはそれからしばらくサマラに必死で言い訳した。




主人公、女装する。

この話は通して大体はこんな感じです。
苦手な方は避けてください~(汗)


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天使とは(エタンダールの塔

すみません、まだ旅に出てません……。


 ライツの予想通りにアルセニエフはサマラと同じ勘違いしてくれた。ライツはアルセニエフに言いたいだけ文句を言ってからエタンダールに向き直った。

 

「師匠。説明してくれるんでしょう?」

 

 エタンダールの広い私室に居るのはアルセニエフとライツ、そして部屋の主のエタンダールの三人だ。サマラは魔術講義中でここにはいない。長椅子に腰掛けて伸びをしてからエタンダールはおもむろに話を始めた。

 

 天使と言われる希少種には特別な力があるのだという。ごく稀に生まれる天使は外界から隔離され、とある場所で静かに生きるのが王の定めた決まり事らしい。だがそれはあくまでも表向きの話だ。

 

「前の時は国内だけじゃねえ。国境越えて争いにくる馬鹿もいてな。どえらい騒ぎになったんだ」

 

 珍しくきっちりとローブは着ているが、相変わらずの気だるそうな表情でエタンダールが淡々と語る。アルセニエフも生真面目な顔で話に聞き入っている。口を挟まないところを見ると、アルセニエフも天使のことは知らないのだろうか。そんなことを考えてからライツは訊ねた。 

 

「天使の力って何なんですか。国同士で争うほどのことなんですか?」

 

 エタンダールの話では天使を手に入れようと色んな者たちが争ったのだという。だがライツはその話に現実味を感じることが出来なかった。似たような感想を抱いたのだろう。アルセニエフが難しい顔でそうだな、と頷く。

 

「世界を変えちまうんだとさ」

 

 至極あっさりとエタンダールが言う。その口調があまりにも軽かったため、ライツはエタンダールが何を言ったのか、すぐに理解出来なかった。少し間を置いて理解したライツはエタンダールを凝視した。どういう意味かと訊ねようとしたライツを目で制してエタンダールが言葉を継ぐ。

 

「だから天使を手に入れようってみんな躍起になってた訳だな」

 

 呆れているのか、それともうっとうしいと感じているのかは判らない。そう言ったエタンダールは顔をめいっぱいしかめていた。

 

 もしかしたら師匠は天使の話をしたくないのかな。ライツはそう考えて口を噤んだ。エタンダールは天使に対してというより、それを取り巻く周囲にあまり良い印象を持っていないように見える。

 

 口を噤んだライツの代わりにか、今度はアルセニエフが質問する。

 

「もしや王宮からの報せというのは……召喚ですか」

「おうよ。あー、うぜえ」

 

 アルセニエフの問いかけにエタンダールがしかめ面で答える。

 

「見つかった天使の処遇についてのお話し合いだとさ。役に立たねえことばっかに力入れやがって」

 

 もっと他にすることあんだろうがよ、と憎々しい口調で吐き出してからエタンダールが深いため息を吐く。その様子を見たライツは仰天して目を見開いた。

 

「王宮に行くんですか!? 師匠が!?」

 

 エタンダールはこれまでに何度も王宮会議をすっぽかしている。そんなエタンダールの代理としてアルセニエフがいつも出席しているのだ。もし、今回もさぼる気でいるならエタンダールはここまで嫌そうにしないだろう。つまり裏返せば、エタンダールは今回の召喚に応じるつもりでいるのだ。ライツと同じ事を考えたのか、アルセニエフがあんぐりと口を開けてエタンダールを凝視する。

 

「本気ですか!? いつも何だかんだと適当な理由をつけて私に押し付けるのに!?」

 

 アルセニエフがライツに負けないくらい大きい声を上げる。エタンダールは目の前に立つライツとアルセニエフとを交互に見つめてから、より嫌そうに顔を歪めた。

 

「……お前らがオレをどう思ってるのか、よおく判った」

 

 膨れてそっぽを向いたエタンダールを余所に、ライツはアルセニエフと顔を見合わせた。目を合わせ、お互い感じているものが同じだと確認してから頷き合う。

 

「徹底的にぐうたらの師匠を動かす天使って凄いよ!」

「天使が世界を変えるというのは本当なのかも知れん!」

「馬鹿野郎! そんな感心の仕方があるか!」

 

 ライツとアルセニエフが納得しあった直後にエタンダールが喚く。唾を飛ばす勢いで一喝されてライツは渋々と黙った。だがアルセニエフはライツより長くエタンダールと接しているからなのか、淡々とした口調で続ける。

 

「他にどの部分に感心しろと仰るのですか。私は……ライツもでしょうが、天使についての情報は何も持たないのですよ?」

 

 エタンダールの説明から考えると、特別な力とやらが世界を変えるのだろう。だがその力がどんなものなのかの説明は一切されていない。アルセニエフの言葉にライツは何度も頷いた。

 

「ちょっと、もう少し声を落としたら? 廊下にまで筒抜けよ」

 

 唐突に第三者の声が割って入る。ライツは驚きに首を竦めて振り返った。いつの間に入ってきたのだろう。食事を乗せた大きなトレイを持ったシャルレラが近付いてくる。それを見たライツは自分が空腹だったことに気が付いた。

 

 優雅に微笑んだシャルレラがテーブルの上に食事をセットする。腹を押さえたライツは伺うようにエタンダールを見た。するとそれまでだらしなく椅子に腰掛けていたエタンダールが腰を上げる。

 

「とにかく飯だ、飯。ライツも食ってないんだろ?」

 

 そんなことを言いながらエタンダールがテーブルを長椅子の前に寄せる。ライツは促されるままにエタンダールの隣に腰掛けた。シャルレラに促されたアルセニエフが、ライツの向かいの位置に椅子を持って来て腰掛ける。

 

 野菜と肉を煮込んだものとパン、野菜のたっぷり使われたソースのかかったパスタ。どれも美味しそうな湯気が立っている。いただきます、と挨拶してライツは食事を始めた。アルセニエフは既に夕食は摂った後だろう。シャルレラがポットから客用のティカップに注いでくれた茶を飲んでいる。

 

「天使には不思議な力があるんですって。人の病を癒したり、嵐を起こしたりね。街を一瞬で灰にしちゃう、なんて話もあったかしら」

 

 スープをすくって口に運ぼうとしていたライツは、シャルレラの話に驚いて手を止めた。物騒なことを言った割にシャルレラはけろりとしている。アルセニエフも驚いたらしい。あの、と消極的にシャルレラに声を掛ける。だが声を掛けたものの、どう質問したものか困ったのか、アルセニエフが難しい顔をして黙り込む。そんな彼らの様子を見てから、ライツはエタンダールを伺った。だがエタンダールは知らん顔をして食事を続けている。

 

 もしもシャルレラが言うように、天使に災害を意図的に起こす力があるなら。そう考えてライツは深刻な顔になった。もしそれが本当なら、天使を手に入れようとする者や、存在を消そうとする者が現れてもおかしくない。その力は間違いなく人には脅威となる。国同士の争いに発展しても不思議はない。

 

 それどころか、もしも誰かがその力を手に入れてしまったとしたら、国どころではなく世界全てが支配されてしまう可能性だってある。

 

「何で二人ともそんな変な顔をするの」

 

 シャルレラが不思議そうに首を傾げる。それまで考え込んでいたライツは訝りを覚えてアルセニエフと顔を見合わせた。その間に隣にいたエタンダールが食わないんならくれ、とライツのパン皿に手を伸ばす。ライツは二人の方を向いたまま、さりげなくその手を叩いて払った。

 

 眉を寄せたアルセニエフが呻きを漏らす。

 

「しかしまさかそんな力が」

「なに言ってるの」

 

 今度は呆れたような顔をしてシャルレラが言う。それからシャルレラは苦笑を浮かべて言葉を継いだ。

 

 シャルレラがさっき言ったのは天使の出てくるお伽噺なのだという。それを聞いてライツはなるほどと納得した。この塔の書物は司書であるシャルレラが管理している。書庫には魔術書だけではなく、物語などを記した読み物もあるのだ。だがこの塔にいる弟子達が書庫に行くのは、大抵が魔術書を借りる時だ。読み物などは魔術書を探す弟子達の邪魔にならないよう、書庫の奥にまとめられているらしい。

 

「そうか。僕らってそういう本、読まないもんね」

 

 魔術書で調べものをする機会が多いせいか、楽しむために本を読もうという気分になったことがない。そう考えながらライツはしみじみと頷いた。

 

「その手の読み物は書庫の奥に追いやられているしね。私以外の誰かが見たことなんてないんじゃないかしら」

 

 くすりと笑った後、シャルレラは説明してくれた。

 

 天使が出てくるお伽噺は色々あるらしい。中でも最も有名なのは、天使が魔道士と旅をする話なのだという。二人は旅をする中で様々な障害に合う。だが二人は力を合わせて旅を続け、最後に夢のように美しい国に辿り着くのだという。

 

 シャルレラの話を興味深く聞きながらライツは食事を終えた。先に食事を終えていたエタンダールは書類や課題の積まれた机について煙草をふかしている。

 

「まあ元は伽噺だからな」

 

 そう言ってエタンダールが意味ありげに笑う。その意味が判らず、ライツは首を傾げた。エタンダールの傍に立つシャルレラが微笑みを浮かべる。こんな風にエタンダールとシャルレラが並ぶと実にお似合いの恋人同士に見えるから不思議だ。実際にエタンダールのベッドの上にシャルレラがいるのはよく見かけるのだが、そのことは今は関係ないとライツは思い浮かんだものを頭から追い出した。

 

 その日の夜のうちにエタンダールは塔を出て王宮に向かった。慌ただしく出て行ったエタンダールを見送り、ライツは自分の部屋に戻ろうとした。すると何故かシャルレラが手招きをする。不思議に思いつつも素直に近付いたライツにシャルレラは小声で言った。

 

「お伽噺というのはね。伽でする噺、という意味よ」

 

 伽、と呟いてからライツは真っ赤になった。慌てるライツを余所に、シャルレラがおやすみ、と微笑を浮かべて手を振る。おやすみなさい、とひっくり返った声で返事してからライツは自分の部屋に戻った。

 

 部屋の扉を閉め、壁際にある姿見を何気なく見てからライツは引きつった。大きな鏡には少女にしか見えない自分の姿が映されている。自分が女装をしていたことをすっかり忘れていたライツは、鏡を見てまた強いショックを受けた。しかも今度は全身が映っていて、それなのに鏡の自分は言い訳できないくらいの美少女なのだ。

 

 疲れた息を吐いてライツは手早く着ていたものを脱ぎ、寝る準備をし始めた。化粧をしっかり落として着替えてからベッドに入る。そこでライツははっと気付いた。

 

「しまった! 師匠に仕立て屋のこと言うの忘れた!」

 

 きっと仕立て屋の店主は首を長くして待っているに違いない。店主にまた泣かれるかも、と陰鬱な気分に陥りつつ、ライツは深々とため息を吐いた。




修正するところがいくらでも出てくる罠(泣)
書いた時はこれでOK! と思っていたのですが、駄目ですね。
やれやれです。

先に投稿したものも修正しようとしたのですが、一人称だから諦めました。
そういう言葉遣いで、そういう考えだということで無理を通せるのでw


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二章
トゥーラとゼクーの塔


やっとヒロインが出てきます。
……まだ旅に出てませんホントすみません(汗)


 朝のベルが鳴り響く。トゥーラは決められた時間通りに目を覚まし、大きく伸びをした。広々とした運動場には下四位までの弟子たちが集合し始めている。彼らは塔の誰よりも早く集まり、運動場の整備を行う。その後、各位の弟子が揃った所で整列が始まる。

 

 塔の朝は早い。空の端がほんのりと赤く染まる頃、ベルに叩き起こされた弟子達はそれぞれの持ち場に慌ただしく移動する。トゥーラも例外ではなかった。

 

 たらいに移した水で手早く顔を洗い、寝着を脱ぐ。回ってきた洗濯用の籠に寝着とシーツをまとめて放り込んでから髪を梳く。肩につかない程度のところで揃えられたトゥーラの髪は赤銅の色をしている。柔らかな髪に丁寧に櫛を入れてからトゥーラは急いで着替え始めた。

 

 エヴァン国の中央に位置するラルーセン地方の西に、このゼクーの塔はある。国王直々に認定された上級魔導師は全部で五名。この塔の持ち主であるゼクーもその中の一人だ。中でもゼクーは以前にあった戦いの際に多くの功績を残したため、王国軍の軍籍もある。

 

 さすがは歴史書に名を記す魔道士だと、トゥーラはゼクーをずっと尊敬してきた。それだけではない。ゼクーは軍人としても優れており、かの有名なチュメニ戦役において、他国から奇襲を受けたエヴァン国軍が逆転勝利を収めるきっかけを作った人物でもある。戦記の中には他にも数人の魔道士の名があるが、最大の功労者はやはりゼクーだ。少なくともトゥーラは歴史書をそう読み取った。

 

 歴史書にはゼクーは一人で数百の敵を一蹴したとある。なのにその名がさほど世に広まっていないのは、きっとゼクー自身が名を売ることに興味がないからだろう。その代わりと言っては語弊があるかも知れないが、歴史書に記されている魔道士の中で一際目立っているのがエタンダールという上級魔導師だ。そのことを思い出したトゥーラは着替えの手を止め、険しい表情でため息をついた。

 

 つい先日の事だ。トゥーラは師匠のゼクーに連れられて王宮主宰の競技祭に出席した。魔術の腕を競う、という名目で行われた競技会にはたくさんの魔道士が参加した。国を挙げての祭だったこともあり、競技の参加者だけでなく観戦者も多かった。王宮に程近いところにある競技場でとり行われた競技祭に、問題のエタンダールも姿を現したのだ。

 

 ゼクーとエタンダール、それと他の数名の魔道士が競技の審査員を務めた。たまたま隣に座ることになったトゥーラは、その場でエタンダールから侮辱を受けたのだ。

 

 うわ、じじい。いつの間にこんな可愛い子を手に入れたんだ? オレにも紹介しろよ。

 

 エタンダールの不躾な言葉にゼクーは眉をひそめ、トゥーラは激怒した。確かにトゥーラは若い女性だが、着ている式服を見ればゼクーの弟子であることは判るはずだ。これが本当に上級魔導師の言葉だろうかと怒り狂うトゥーラに慌てて言い訳をしたのは、エタンダールに付いて来ていた若い男だった。どうやら男はエタンダールの一番弟子らしい。

 

 結局、エタンダールの弟子に言いくるめられてトゥーラもその場は大人しく引っ込んだ。ゼクーは気を遣ってくれたのだろう。わざわざ座る席まで代わってくれた。

 

 今時、女性の魔道士はさほど珍しくない。その証拠にゼクーの塔の弟子の四割近くは女性だ。中でもトゥーラは十代で准魔導師として認められたゼクーの一番弟子だ。その地位をトゥーラは誇りに思っているし、准魔導師の名に恥じぬよう務めているつもりだ。

 

「あ、こんなことをしている場合じゃないわ」

 

 怒りを再燃させていたトゥーラは慌てて着替えを再開した。白い折襟のついた腿まで丈のあるコートは手触りのいいリネンで出来ている。一見華奢に見えるコートだが、実は布の間には綿が噛ませてあり、更にその中には細い真鍮の鎖が仕込まれている。多少の衝撃になら耐えられる構造になっているのだ。胸に入った紋章はゼクーの塔の弟子の証だ。

 

 下着の上にコートを着込み、続いて白のズボンを穿く。靴下を穿いて部屋履きのスリッパから黒のゲートルに履き替えたところでトゥーラはよし、と気合を入れた。

 

 廊下ですれ違った弟子達が背をしっかり伸ばして快活に挨拶する。トゥーラは彼らに応えて運動場に急いだ。号令係の声に合わせて弟子達が運動場に並ぶ。階級別に分かれて整列したところでゼクーが朝礼台に上がる。

 

 ゼクーは今年で八十六になるという。だがそうとは思えないほどゼクーは若々しい。白い髪と髭がなければその年には見られないだろう。ゼクーはまず弟子達に挨拶した後、今日の予定を読み上げた。階級別の取り組みの予定を発表した後、ゼクーはいつもとは違うことを告げた。

 

 今日は昨日付けで届いた書簡についての協議を行うらしい。協議の参加者は四名。真っ先に名を呼ばれたトゥーラは落ち着いた返事をした。続いて三名の弟子の名が呼ばれる。階級別に並ぶため、トゥーラを含めたこの四人は最前列に立っている。ゼクーは四人を眺めて鷹揚に頷いた。

 

 重大な事柄はゼクーは自分だけでは判断せず、こうして弟子達の意見を募る。その後、決議内容は各階級のリーダーに伝えられ、下の弟子に伝達される。いかにもゼクーらしい合理的且つ建設的なやり方だ。

 

 ゼクーの塔に所属する弟子は千人弱で、魔道士を養成する塔では文句なしの最大規模だ。国のどこを探してもゼクーの塔以上に確かな塔は他にはない。綿密に組まれたカリキュラムに従っていれば自然と魔術の知識や技術が身につくのだ。

 

 堅実さに惹かれて国外からも入門希望者は訪れる。だがやはり一番多いのは地元の人間だ。軍との結びつきの強いこの塔では、一等魔道士の階級を与えられた者は軍に士官待遇で入隊出来る事になっている。一等魔道士まで階級が上がれば攻撃魔術を会得出来るからだ。

 

 攻撃魔術を会得した者とそうでない者とは入隊の段階で配属が異なる。更にその後の昇進ペースも全く違う。年に三度ほど入門試験は行われるが、その時点で軍に入隊を希望する者も少なくない。そんな彼らはこの塔で魔術の基礎知識と規律を学んだ後で軍に入隊出来る。稀に中途で塔を辞める者もあるが、大抵は家庭の事情や金銭的な問題といったごく個人的な理由で塔を去っていくようだ。

 

 朝礼の後はランニングだ。朝食が用意される前に軽く教練場を走るのが朝の決まりだ。きっちりと二列に並んだ弟子達と一緒にトゥーラも走り始めた。掛け声をかけて走っている内に、調理場から食事を作るいい香りが漂ってくる。塔付の調理人たちが今朝も美味い食事を作ってくれているのだろう。

 

「おはようございます、トゥーラ女史」

「おはよう」

 

 ランニングが終了し、弟子達は食堂に向かう。人の流れの中を歩いていたトゥーラは他の弟子に声をかけられて挨拶を返した。トゥーラだけでなく上位の弟子は自分の勉強をする傍ら、下位の階級に属する弟子達の授業を受け持つ。だがトゥーラは飛び級を繰り返しているため、受け持ちの弟子にはトゥーラより年上の者も多い。ずば抜けて優秀なトゥーラを羨む者も多く、意地の悪いことを言われたりもする。だがそんな境遇をトゥーラは嘆いたことはない。嫉妬する暇があるならその分勉強や鍛錬をした方が絶対に効率がいい。そんな単純なことがどうして判らないのだろう。苛めを受けるたびにトゥーラはそんな疑問を抱くのだ。

 

 トゥーラは多くの入門者たちと同様に、塔のあるラルーセン地方の出身だ。ここより少し離れたところにある小さな町でトゥーラは生まれた。父親は高級軍人、母親は魔道士という恵まれた環境にいたトゥーラは、近隣の学士館で指定の基礎学習を終えた後にこの塔の入門試験を受けた。入門の仕方も進級の仕方も塔の規定にはきちんと沿っている。羨まれるようなことは何もない、と心の中で呟いたトゥーラは憂鬱になった。

 

 食堂は弟子達の声で賑わっている。トゥーラは朝食を乗せたトレイを受け取って机についた。木で出来た机は長く、横に幾つか並べて繋げてある。千名近い弟子を一度に賄うだけあって、食堂はとても広く作られている。二棟ある弟子の寮の一階部分が間続きになっており、その部分が食堂になっているのだ。

 

 協議は食事の後で行われることになっている。トゥーラはいつもより急いで朝食を片付けた。食べている間も近くに座った誰かが厭味を言っていた気がしたが、トゥーラはそれを完全に無視した。どうせまともに聞いたところで無駄な時間を取られるだけだ。食器の返却口に空になった食器とトレイを突っ込んでからトゥーラは急ぎ足で食堂を出た。

 

 今日の天気はどうやら崩れそうだ。空に張り出した雲を横目に見て、トゥーラは寮の廊下を早足で進んだ。ゼクーの塔は敷地も広く、寮の他に三つの棟がある。一つは魔術を学ぶための教室のある棟、もう一つは弟子達がくつろげる部屋や格技の訓練を行う広い部屋のある棟、そして最後がこの塔の所有者であるゼクーの部屋のある棟だ。ゼクーの部屋のある棟をここでは事実上は塔と呼び、その他の棟はそれぞれに別の名前が付けられている。

 

 だが塔と呼ぶにはここの建物の背は低い。かつて魔道士が居た塔というものはどれも背が高く、遠くからもよく見えていたのだという。だがある時を境に塔は名だけを残して次々に低い建物に変えられた。何故なら戦いの折、目に付く建物は攻撃を受け易いからだ。軍の新しい働き手の多くいる塔を攻撃されることそのものが国の重大な損失になるのだ。

 

 棟は各階の渡り廊下で繋がっている。階段を上がり、簡素な屋根がつけられた二階の渡り廊下の途中でトゥーラはふと足を止めた。両側を囲む壁はないため、この廊下は雨が降って風でも吹こうものならたちまち濡れてしまう。そのため、弟子達の多くは一階にある建物内の廊下を利用するのだ。だがトゥーラは用のある時以外は他の弟子に会うのを極力避けている。だから渡り廊下もなるべく人の少ないところを選んで通っているのだ。

 

 廊下に数人の弟子がたむろしている。彼らの顔を見止めたトゥーラは表情を硬くした。いつも何かにつけてトゥーラに絡む連中だ。

 

「おはようございます、トゥーラ先生」

 

 数人の中の一人、そのグループのリーダー格の男がにやにやと笑いながらトゥーラに話し掛ける。男の名はリカルト。先生、という部分にだけ妙に力がこもっているのはわざとだ。トゥーラは感情を殺しておはようと答え、歩き出した。リカルトは軍の入隊を希望してこの塔に入門したという。だが成績は芳しくなく、入門から三年が過ぎようとしているのに未だに三等魔道士だ。

 

「あれ? 今日は化粧はしてないんすか?」

 

 わざとらしく笑った別の男が言う。トゥーラは連中に行く手を阻まれて足を止めた。失礼、と断って避けようとしたトゥーラの手を誰かがつかむ。トゥーラは捕まれた手を邪険に振り払った。

 

「触らないでっ」

 

 嫌悪に顔を歪めたトゥーラをリカルト達が面白いものでも見つけたという目で見る。発作的に振り払ってしまってからトゥーラははっと我に返った。この手の連中はむきになればなるほど面白がるのだ。判っているつもりだったのに、とトゥーラは後悔した。

 

「今度はどうやって取り入ったんすか? 俺たちにも教えてくださいよ」

 

 普段は誰も通らないことが災いした。トゥーラは無遠慮なことを言い出した男を毅然と睨み、通しなさいと冷たく言い放った。

 

「変ですよねえ。だってトゥーラ先生は統率者じゃないでしょ」

 

 リカルトがしたり顔で言う。統率者とは弟子達を率いる者のことだ。必要な伝達事項は統率者と呼ばれる者たちを介して弟子に伝えられる。朝礼で名を呼ばれたトゥーラ以外の三人が統率者だ。そして彼らはゼクーから伝えられた事を各階級のリーダーに伝える。そのためにこの塔ではゼクーが直接に弟子個人に指示をすることは殆どない。朝礼の時以外、ゼクーの姿を見ないという弟子も多い。

 

 それを無駄のない効率のいい方法だとトゥーラは感じている。が、弟子の中にはそうは思わない者もいるらしい。トゥーラは険しい表情のままため息をついた。それが余計にしゃくに障ったらしい。連中が口々に生意気だの、可愛げがないだのと好きなことを言う。

 

 ゼクーは弟子の直接的な指導はしていない。だがトゥーラは見習の頃からゼクーに目をかけられていた。そのことが男たちは気に入らないらしい。連中だけではない。トゥーラが贔屓されているのだと陰口を叩く者も多い。その背景にはトゥーラの出来の良さもあるが、やっかみを受けたのはそれだけが理由ではない。抜群の体型とはっきりと美人と言える整った顔立ちに嫉妬する女弟子は多い。

 

 美しい容姿、人を寄せ付けない冷たい口ぶり、類稀な魔術の能力。それらが原因でトゥーラはここでは疎外されている。だがそのことをトゥーラは気にしたことはない。ここは魔術を学ぶ所だ。誰かと仲良くしたいなら社交場にでも行けばいいのだ。

 

「それ以上近づけば攻撃します」

 

 トゥーラは取り囲もうと動きかけた男達に冷ややかに告げた。すると男達の動きがぴたりと止まる。それまで猫なで声を出していた男達は一転して憎々しそうな表情になった。以前に一度、トゥーラに不躾な真似をして痛い目に合っているからだ。

 

「何だよ。じじいの相手ばかりで飽きてるだろ? たまには俺たちとも遊ぼうぜ」

 

 トゥーラを避けるように男達が廊下の左右に分かれたところでリカルトがいやらしい嗤いを浮かべて言う。トゥーラは冷たい目でリカルトを睨みつけた。

 

「わたしをからかっている暇があったら魔術論のひとつでも覚えたらいかがです? いい年をして親御さんに学費を出させて、そのうえ成績が上がらないなんて恥ずかしくないんですか」

 

 リカルトの年はトゥーラの五つ上の二十三だ。塔に入門を希望する際の年齢に制限はない。指定された基礎学習を終えていれば誰でも入ることは可能なのだ。

 

 リカルトの顔がさっと赤く染まる。怒りに目を吊り上げたリカルトが鋭く舌打ちをし、男達に目配せをする。トゥーラはリカルトの反応を見ずに男達の間を抜けようとした。

 

 不意にコートの袖を強く引かれる。トゥーラは思わず足を止めてコートをつかんだ誰かの手を振り払った。

 

 次の瞬間、その場にいた男達が一斉にトゥーラを取り囲む。後ろから羽交い締めにされ、離してと叫ぼうとしたトゥーラの口を誰かが強く押さえる。それと同時にトゥーラは身体のあちこちを無遠慮につかまれた。

 

 力任せに身を捻る。だが複数の男達の手に押さえられたトゥーラは思うように身動きすることが出来なかった。トゥーラは怒りをこめ、目の前にいるリカルトを鋭く睨みつけた。

 

「俺たちを見た時に大人しく逃げ出せばこんな目には合わなかったのになあ」

 

 にやにやと笑ってリカルトが手を伸ばす。その手が胸に触れる寸前にトゥーラは攻撃用の魔術を展開した。不可視の圧力がトゥーラを中心に広がり、男達に襲い掛かる。見えない圧力に男たちは次々に吹き飛ばされた。最後にトゥーラの目の前に立っていたリカルトが廊下の向こうに吹き飛ばされる。トゥーラは乱れた服を整えて冷ややかに告げた。

 

「手加減はしておきました。この場合は正当防衛ですので被害を訴えたところで無意味ですから」

 

 言わなければならないことだけ言い、トゥーラはさっさとその場を離れた。後ろからリカルトが何事かを喚いていたが、トゥーラはその声を完全に無視し、会議室に向かった。




当時の自分はコンセプトだけ決めて書くことが多かったです。
このコンセプトは「両極」でした。

主人公とヒロイン、それを取り巻く人々を含め、立場や考え方の違い、環境などの相違を書こうとしてました。多分。
ちゃんとそれが書けているかどうかの判断は読む方にお任せですw


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天使とは(ゼクーの塔

ちょこちょこと修正はしていますが、きっちりやろうとすると全面改稿になるので難しいです……(泣)


 召集を受けた四人が揃ったところで、ゼクーが王宮から書簡が届いたと話し始める。白い封筒に入れられた書簡には国王の署名がなされ、印もしっかりと押されていたという。これは本当に王宮からの書簡であるという説明を一通りしてから、ゼクーは確認するようにその場の四人を見て言った。

 

「天使が現れたそうだ」

 

 ゼクーに一番近い席についていたトゥーラはその言葉に首を傾げた。聞き覚えのない言葉だ。もしかして自分にだけ判らないのではないかと不安になる。トゥーラはさりげなく同席者たちの様子を伺った。どうやら判らないのは自分だけではないらしい。首を傾げたり怪訝な顔をしたりする同席者達の様子を見て、トゥーラは心の中でほっと息をついた。

 

 多角形のテーブルを囲んで互いの顔を見合わせた彼らをもう一度こっそりと見てから、トゥーラはゼクーに質問した。

 

「天使、とは何ですか?」

 

 ひょっとしたら魔物の一種なのかも知れない。そう思いつつもトゥーラは自分の考えは口にしなかった。根拠がないと感じたからだ。

 

「作戦の呼称……ではなさそうですね」

 

 眉間に皺を寄せて言ったのは筆頭統率者であるクロードだ。クロードはトゥーラが飛び級を繰り返して今の階級になる前はゼクーの一番弟子だった。階級はトゥーラの一つ下の一等魔道官だ。クロードは温厚な性格の男性で、トゥーラが今の階級に昇級した折にも祝いの言葉をくれた。そしてその日を境に、ゼクーの一番弟子の座はトゥーラのものとなったのだ。

 

 クロードがさりげなく手を振る。トゥーラは不躾にクロードを見つめていたことに気付き、慌てて目を逸らした。年が十ほども違うからなのか、クロードはいつも落ち着いて見える。この塔でゼクーを除けばトゥーラが唯一心を許せる相手がクロードだ。

 

「私も実物は見たことはないが、百年に一度出るか出ないかの希少な種族らしい」

 

 そう前置きしてゼクーは天使の説明を始めた。天使というのは基本的には人と同じ形をしているモノらしい。背中に生えた白い翼が特徴で、特別な力を有している。そこまでゼクーが言ったところで同席していた女性が不思議そうな顔をする。

 

 天使と呼ばれるモノが登場する物語がこの国には存在するらしい。それと同一のモノなのかと同席者の女性が言う。するとゼクーは苦い顔をして判らん、と首を横に振った。

 

 物語に登場する天使に共通しているのは容姿の麗しさなのだという。それを聞いたトゥーラは思わず顔をしかめた。今問題になっているのは天使とやらが持つ特別な力についてであって、容姿などどうでもいい話だ。トゥーラが思った通りに発言すると、途端にその女性が険しい表情になった。が、トゥーラはさして気にも留めず、ゼクーを見た。

 

「特別な力とは何ですか? 魔力ですか?」

 

 天使という名前はついてなくても特別と言われる魔道士はいる。それが国王に認められ、上級魔導師の階級を与えられた五人だ。彼らは魔力の強さだけではなく、魔術の展開の速さ、構成の確かさ、そして洞察力や判断力が優れているために他の魔道士とは比べ物にならない程の強さを誇っている。

 

「いや、私にも詳しいことは判らんのだ。先の天使が現れた折に戦いが生じたらしいが」

 

 そう言ってからゼクーは眉を寄せて深く椅子に寄りかかった。長く伸びた白い髭を撫でながら何事かを考えるような顔になる。トゥーラは軽い驚きに目を見張ってゼクーを見つめた。博識のゼクーでも知らないとなると、この国では天使を詳しく知る者はいないのではないだろうか。

 

 今回の王宮からの召喚は各塔の代表による協議が目的らしい。議題は天使の処遇についてだ。天使の存在は王宮からの指示により不可侵とされている。だがそれはあくまでも表向きの話だ。

 

 世界を変えると言われる天使の力を求めて人々は争った。戦いが激化する中、王宮の指示によってエヴァン国軍は天使を討伐することになった。天使の力を得ようとする者は多く、争いの中で死んでいった人々もまた多かったという。

 

「それで問題の天使はどこに居るんです?」

 

 誰かの質問の声にトゥーラははっと我に返った。もしも誰かが天使の力を手に入れたらどうなるのか、という考えに耽っていたのだ。

 

「先見の占でまもなく生まれると出たらしいが、詳細は協議に参加しなければ判らんな。今回もやはり討伐隊が組まれるだろうが」

 

 恐らくその話し合いになるだろう。苦りきった顔で言ってからゼクーがその場に集まった弟子の顔を見回す。トゥーラは緊張に身を硬くしてゼクーの次の言葉を待った。

 

「王宮からの召喚に応じられるのは塔の所有者ともう一人、となっておる。私はトゥーラに頼もうと思うが皆の意見はどうかな」

 

 指名を受けたトゥーラはぱっと顔をほころばせた。慌てて顔を引き締める。だがどうやら見られてしまっていたらしい。正面に座るクロードが口許に淡い笑みを浮かべている。トゥーラは頬を微かに染めて目を逸らした。

 

「反対する理由はありませんね。彼女は一番弟子ですし」

 

 肩を竦めてクロードが言うと、他の二人も顔を強張らせてはいたが頷いた。残りの二人の顔には不服そうな感情が見える。だがトゥーラはきっぱりとそれを無視した。

 

 会議は早々に終了し、ゼクーは今日の予定を多少の変更したと皆に伝えた後に退室した。敬礼して見送ったところでトゥーラはほっと息を吐いて部屋を出ようとした。

 

「いつもいつもご苦労様。また師匠に媚びを売りに行くの?」

 

 背後からの侮蔑の声にトゥーラは鋭い目をして振り返った。統率者の一人である女性は意味ありげな笑いを浮かべている。その隣で似たような笑いを浮かべている男性も統率者だ。彼ら二人はゼクーがいないところではこうしてしょっちゅうトゥーラに絡んでくる。

 

「今から射撃訓練でしょう? ここでのんびりしていてもいいんですか?」

 

 冷ややかに告げてトゥーラは二人を交互に見た。冷淡な態度をとるトゥーラをどう思ったのか、二人が嫌そうに眉を寄せる。

 

 ここにいる三人の統率者とは異なり、トゥーラは受け持ちの授業以外の時間は全て自由に使えることになっている。研究に打ち込むもよし、勉強するもよし、時間の使い方はトゥーラ自身に任されているのだ。だからこそトゥーラがどこで何をしているのかを知らない弟子の方が圧倒的に多い。いや、下手をすると師匠のゼクーも知らないのではないだろうか。何故ならトゥーラは自分の行動について誰にも触れ回っていないからだ。

 

 トゥーラは自分の行動に言いがかりをつけられることには慣れている。だが統率者である彼らにまで厭味を言われる筋合いはない。彼らは弟子達を統べる立場にあるのだ。

 

「あなた方も統率者としての誇りを多少でも持ったらいかがですか?」

 

 千人近い弟子の代表として、恥ずかしい行動は控えてはどうか。トゥーラは感じたままに続けて二人の顔を見比べた。怒りに目を吊り上げた女性がトゥーラを睨む。

 

「あんたなんてちょっと見た目が良いってだけで贔屓にされてるんじゃない! 実力ではクロードの方が絶対に上なのに!」

 

 やれやれと内心で呟いてトゥーラはため息を吐いた。今までこの女性はこうもはっきりと不服を口にしたことはない。いつも遠回しに厭味を言ったりする程度なのだ。彼女はゼクーの決定に不満があるようだ。そう理解してからトゥーラは呆れた顔になった。

 

「どうせあんたは看板用に置いてあるだけなのに」

 

 笑い混じりに言われてトゥーラは眉をひそめた。トゥーラが表情を変えたことが面白いのか、女性が更に言う。

 

「あんた目当てで弟子が増えれば儲かるのよ。実力がなくても、性格が悪くても、容姿さえ良ければ何でもいいんだから!」

 

 溜まっていた何かを吐き出すようにまくし立ててから女性が笑い声を上げる。高く笑った女性につられたように、隣の男性も笑って侮蔑の目でトゥーラを見る。トゥーラは顔を強張らせて唇を引き結んだ。

 

「いいかげんにしておいたらどうだ? 見苦しい」

 

 それまで黙していたクロードが低い声で言う。するとそれまで笑っていた女性が顔色を変えてクロードに詰め寄った。

 

「だってこの女、師匠に贔屓にされてるからって図に乗ってるじゃない!」

 

 本当はあなたが一番だったのに。そう告げた時の女性の表情は泣きそうにも見えた。だがトゥーラはそれを無視して失礼、と断って会議室を出た。

 

 この塔で階級を上げるには幾つかの方法がある。一つは順当に試験をクリアすること。これは実技と筆記の両面の試験で、どちらもある一定以上の成績を修めなければならない。この昇級試験は年に二度ほど行われる。申し込みをすれば塔に所属する者なら誰でも受けられるものだ。

 

 次の方法は戦功を上げること。有事の際にこの塔の弟子は軍に徴集される事があるのだ。その際に一定以上の戦功を上げた場合、特例として昇級が認められる。だがエヴァン国は今、戦争はしてない。つまりこの方法は戦いを行っていない今は無理ということだ。

 

 最後の方法が師匠のゼクー直々に認められること。トゥーラが通常ではあり得ない速さで飛び級を繰り返せた理由はここにある。通常の昇級試験に加え、ゼクーの認可によりトゥーラは若くして今の階級に昇級したのだ。

 

 背後から呼ぶ声にトゥーラは振り返った。クロードが笑みを浮かべて手を振りながら駆け寄ってくる。トゥーラはしばし待ってからクロードと並んで歩き出した。

 

「気を悪くしないでくれるかな。彼女達も悪気があるわけじゃないんだよ」

 

 にこやかな笑みを浮かべてクロードに言われ、トゥーラは困惑した。彼女達に悪意がなければ何のために悪し様に言ったり、言いがかりをつけたりするのだろう。彼女達だけではない。その他にもたくさんの弟子から厭味を聞いたりする。彼らもやはりクロードの言うように悪意は全くなくそんなことを言うのだろうか。トゥーラは考えながら眉を寄せた。

 

「悪意が一切なくあそこまで言えるのも凄いですね」

 

 他に言いようがなくてトゥーラは思ったままを言った。するとクロードが困ったな、と苦笑して頭をかく。口ごもったクロードを横目に見てからトゥーラはため息を吐いた。

 

「師匠に密告しようとは思っていませんので」

 

 きっとクロードは問題が大きくなるのを恐れているに違いない。そう思ったトゥーラは控え目にそう告げた。クロードが困ったように笑ってすまないね、と言う。クロードはその温厚な性格からか、塔内で揉め事を起こすことを好んでいないのだ。こうして暗に頼まれたことも初めてではない。

 

 まだ入門して間もない頃、トゥーラが塔のルールを覚え始めた矢先のことだった。最初に受けた苛めは単純なもので、道を訊ねたトゥーラはあからさまな嘘を教わった。まさか自分が苛められているのだと思っていなかったトゥーラは、塔の中で迷っていたところをたまたまクロードに見つけられたのだ。

 

 その時のことをトゥーラはゼクーに伝えた。が、ゼクーはトゥーラを気遣ってはくれたが、嘘を教えた連中に注意はしてくれなかった。結局、トゥーラは安易に人を信じてはいけないと逆にゼクーに諭されたのだ。

 

 それ以来、トゥーラは誰に頼まれなくても、弟子達から苛めを受けていることをゼクーには報告しなくなった。自分がきちんと勉強して魔術を学んで階級が上がれば誰もそんな真似をしなくなると思っていたのだ。

 

 だが苛めはなくなるどころか酷くなる一方だ。彼らは証拠が残らないよう配慮しているのか、トゥーラに物理的には攻撃してこない。先ほどのリカルトのように直接触ってくるケースは極稀だ。

 

 階級が上がるにつれてトゥーラは苛めようとする連中のことを全く気にしなくなった。気にしたところで時間の無駄だ。彼らは抵抗したところでどうせ厭味を言い返してくるだけだ。だが全く反応しないというのも面白くないらしい。完全に無視して随分と絡まれた経験から、トゥーラは彼らとは必要最低限の会話しかしないことにした。

 

 彼らにはよく言っておいたから、とクロードが微笑んで言う。トゥーラは礼を言って頭を下げてからクロードと別れた。クロードはこれから下位の弟子の訓練に付き合うことになっているのだ。手を振って去ったクロードを見送ってからトゥーラは書庫に向かった。




この話はラストを変えようかなあ、と無謀なことを考えていたりします。

読み返してみたら最後付近が不時着を恐れて低空飛行になった後、何となく着地している感じでした。
なんだかな~(汗)

でも自分で書いておいてなんですけど……カタカナ……なんですよね……


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会議にて

すみません!><
旅はまだ先です!><

この話は途中を改稿することに決めました。


 次の日の昼、トゥーラはゼクーと共に王宮に向かった。ゼクーの塔は多くの塔の中で一番、王宮の近くに位置している。ゆっくりと支度して二人が王宮にたどり着いた頃、他の塔の魔道士たちも王宮に続々と入り始めていた。

 

 国内の塔は全部で三十二。その全ての塔の代表が集まったのは王宮内の大会議室だった。縦長の部屋の中央に用意された長い机に代表者たちがつく。煌びやかな装飾の施された室内の様子や集まってくる人々を見て、トゥーラは緊張に身を強張らせた。特に発言は求められないだろう、とゼクーから聞いてはいるがやはり落ち着かない。

 

 各自の椅子の前に置かれているのは数枚の紙がまとめられた薄い冊子だ。席についたトゥーラは何気なく冊子を取り上げてめくってみた。紙は上質なのだが、急ごしらえのためか書き綴られている文字は少し歪んでいる。

 

「あれ? 何だ、今日も来てたのか。相変わらず美人だねえ」

 

 聞き覚えのある声に驚いてトゥーラは慌てて顔を上げた。いつの間に近づいてきていたのか、トゥーラの隣の椅子をエタンダールが引く。トゥーラは顔を強張らせて全身を緊張させた。何故こんなところにいるのかと問いかけようとして慌てて口を噤む。エタンダールはこれでも一応は力のある魔道士なのだ。

 

 トゥーラは鋭い目でエタンダールを見やってから席を立とうとした。が、そこで思い止まる。今日の席はきっちりと決められている。トゥーラの前には塔の名の書かれた札が置いてあるのだ。トゥーラは戸惑いの目で右隣に腰掛けているゼクーを伺った。だがゼクーは、落ち着きなさい、と渋い顔で言うだけだった。

 

 議長の国王付き書記官が席に着くと場は急に鎮まった。机の端についている書記官の隣がエタンダール、続いてトゥーラ、その次にゼクーと並んでいる。向かい合って並んでいるのは別の塔の代表たちだ。隣に座るエタンダールはともかく、どの魔道士もかなりの高齢であることが見て取れる。トゥーラはその場の厳粛な雰囲気に圧倒された。

 

 唐突にエタンダールが椅子を斜めに傾けて机に行儀悪く足を乗せる。トゥーラはぎょっとしてエタンダールを横目に見た。

 

先見(さきみ)(うら)で出ただけだろ。んな、実際にいるかどうか判んねえもんのために、話し合いなんざ必要ねえだろ」

 

 うんざりしたという顔で言ったエタンダールがそこで何故かトゥーラを見る。あんたもそう思うだろ、と同意を求められてトゥーラは慌てて首を横に振った。

 

「エタンダール殿。今はまだ説明の途中で」

 

 書記官の男性が当惑した面持ちで言う。へえへえ、とやる気のない返事をしてエタンダールが頭をかく。そんな二人をトゥーラは驚きの目で見比べた。

 

 エタンダールは三十歳に届くかどうかという容姿をしている。だがそれは本来の年齢ではないのだとトゥーラはゼクーから聞いていた。だがどう見てもエタンダールはこの場で浮いて見える。

 

「たるいなあ……」

 

 話し合いの続く中、エタンダールがぼそりと呟く。トゥーラはめいっぱい顔をしかめてエタンダールを睨みつけた。傍に座る書記官はエタンダールを無視することに決めているのか、知らん顔をしている。

 

「もっと真面目に取り組んだらいかがですか。これは重要任務でしょう」

 

 トゥーラは厳しい顔をして出来るだけ潜めた声で言った。椅子の後ろの脚だけで器用にバランスを取りながらエタンダールはぼそぼそと告げた。

 

「結局なに言ったって討伐するって話になんだよなあ。頭の硬いヤツばっかだな」

 

 どうやら周囲に気遣うつもりは一応はあるらしい。ごく小さなエタンダールのぼやきはトゥーラ以外には聞こえなかったようだ。トゥーラは眉を寄せて冊子をめくった。天使と呼ばれるモノを巡る戦いによる被害が記されている部分をエタンダールに示す。

 

「当然でしょう。そんなモノを放置して万が一、また戦いが起こったら誰が責任を取るというのです? 前回、天使が現れた時に起こった戦いによる被害はあなたもご存知のはず」

 

 トゥーラの差し出した冊子をちらりと見てからエタンダールがため息を吐く。相変わらずやる気のなさそうなその態度にトゥーラは目を吊り上げた。

 

 話し合いは順調に進み、天使の討伐隊が組織されることになった。各塔から一名以上の代表者を出すことで話は落ち着いた。今回は天使の所在やその性質がはっきりしないため、調査を行うというのが建前だ。だがその裏側には天使の抹殺という極秘の任務がある。話し合いの当然の成り行きにトゥーラは一人、納得して頷いた。

 

「あのさあ。オレ、ふけていい?」

 

 頭をかきつつ大きな欠伸をしたエタンダールがのんびりと挙手して言う。任務につく弟子の選出方法についての話し合いに入ろうとしていたその場はざわめきに包まれた。

 

「オレ、自分の弟子を出す気ねえしよ。下らねえ戦いはてめえらでやれや」

 

 低い声で言ってエタンダールが傾けていた椅子を戻す。足を机から下ろしたエタンダールは当り前の顔で席を立とうとした。

 

「ま、待ってください、エタンダール殿! それでは他の塔に示しが」

「うるせえなあ」

 

 慌てた声を上げた書記官を嫌そうに見ながらエタンダールが顔をしかめる。そこでトゥーラは我慢ならなくなって口を開いた。

 

「自信がないんですね? ご自分の弟子が任務に失敗することを恐れているとか」

 

 厭味を飛ばしたトゥーラをエタンダールが不機嫌な面持ちで見る。ざわめいていた室内はぴたりと静まり返った。

 

「先ほど書記官の方が仰っていたではありませんか。この会議で決定されたことは王宮の決議です。まさか国王に逆らうとでも?」

 

 一度、堰を切ったトゥーラの言葉は止まらなかった。それでなくても隣で行儀の悪い真似をされ続けていて相当に腹が立っていたこともある。すらすらと言ったトゥーラをしばし呆気に取られたように見てからエタンダールは意味ありげな笑いを浮かべた。

 

「ほーん。なかなか度胸のあるお嬢ちゃんだな。おい、ゼクー。この嬢ちゃんと組ませるならうちの弟子を一人だけ貸してやるぜ」

 

 笑い混じりに言ったエタンダールが首を伸ばしてトゥーラの隣のゼクーを伺う。そこでトゥーラははっと我に返った。いつの間にか室内は静まり返っており、集まっている魔道士や弟子だけではなく書記官までこちらに注目している。そのことに気付いたトゥーラは真っ青になった。

 

「……エタンダール殿は戦いには参加しない主義では?」

 

 苦りきった顔でゼクーが答える。トゥーラははらはらしながら両隣に腰掛けている二人を交互に見た。エタンダールはにやにやと嫌な笑い方をしているし、ゼクーは渋い顔をしている。そしてそんな二人に挟まれたトゥーラをその場にいる皆が注目しているのだ。

 

 言うんじゃなかった。そう後悔しつつもトゥーラは更に言葉を継いだ。

 

「構わないじゃありませんか。決議に逆らって国賊として裁かれるより、よほど建設的です。わたしは一向に構いません」

 

 きっぱりと言い切ってトゥーラはつん、とそっぽを向いた。いい度胸だ、と笑うエタンダールにトゥーラは言い返した。

 

「くれぐれも無能な者を寄越さないでくださいね。わたしも足を引っ張られるのはごめんですから」

 

 その場に集まっていた魔道士たちが蒼白になっていることにトゥーラは全く気付かなかった。一人、焦ったように書記官が手を振って何とかトゥーラを止めようと試みている。だが怒っていたトゥーラには書記官の姿すら見えていなかった。

 

「よし、決まりだ! じゃ、オレはとっとと戻って弟子連れてくらあ。じじい、この嬢ちゃん以外のヤツ選んだら承知しねえぞ」

 

 豪快に笑ってエタンダールが立ち上がる。トゥーラはお待ちしてます、と挑戦的に言ってエタンダールを睨みつけた。うはは、と楽しそうに笑ったエタンダールが何を考えているのか、大会議室の窓に向かう。出口はそっちでは、という消極的な書記官の声を無視してエタンダールは窓枠に足をかけた。

 

「ちょっと!」

 

 トゥーラは真っ青になって立ち上がった。大会議室に集まった面々が唖然と見守る中、エタンダールはひらりと窓の外に身を躍らせた。悲鳴を上げたトゥーラを余所にエタンダールが笑いながらどこかに向かって飛んでいく。ここは確か建物の三階、と呟いてトゥーラはその場にへたり込んだ。




エタンダールの行動がめちゃくちゃな件w
まあ、トゥーラから見るとめちゃくちゃでしかないんですよね~。

あ、そうそう。

ヒロインの名前はトゥーリじゃないよ★
トゥーラだよ!w


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赤いネックレス

旅の前に雲行きが怪しくなります。


 王宮での会議が終了した後、トゥーラは塔のゼクーの部屋に呼びつけられた。王宮でのエタンダールとの一件を思い出せば出すほど憂鬱になる。トゥーラは沈んだ面持ちで着替えを済ませ、急いでゼクーの部屋に向かった。

 

 大きな扉を軽くノックすると中から返事が聞こえてくる。トゥーラは失礼します、と礼をしてゼクーの部屋に入った。茶系でまとめられているゼクーの部屋の中は昼間でも少し薄暗い気がする。落ち着いた配色の部屋の奥の机にゼクーはついていた。

 

 まあかけなさい、と勧められてトゥーラはゼクーの傍の椅子に腰掛けた。心地のいい椅子の感触に思わずほっと息を吐く。

 

 エタンダールが逃げた後、会議で各塔の代表が選出された。だがゼクーの塔だけはエタンダールの指名通り、話し合うまでもなくトゥーラが代表者になった。そのことに会議に参加していた者は誰も意見しなかった。それどころかトゥーラが行くのが当然という雰囲気まであった。

 

「何故、誰もあの人に意見しないのですか。あんな勝手が許されるなんて……」

 

 勢いに任せてエタンダールと言い合いはしたが、後悔とは別にトゥーラは解せないものも感じていた。何故ならあの場にいた誰もエタンダールを止めようとはしなかったし、何よりあれだけ勝手なことを一方的に告げたエタンダールに一つも意見しなかったのだ。

 

「トゥーラはエタンダール殿についてどの程度知っているのかね」

 

 ゼクーが大会議室で見せたのと同じ、苦りきった顔で言う。トゥーラはしばし考えてから歴史書にあるエタンダールの記述について述べた。じっと黙ってトゥーラの語るのを聞いていたゼクーが言う。

 

「……それは一部に過ぎんのだよ」

「一部、ですか」

 

 深々とため息を吐いたゼクーをトゥーラは不思議に思いながら見つめた。長く伸びた髭を撫でながらゼクーが遠いところを見る。その顔にはそれまでの苦いものとは違う、もっと別の感情が浮かんでいるように見えた。

 

「とにかく、油断することのないように。気をつけねば足元をすくわれかねんからな」

 

 浮かんでいた表情を消してゼクーがまた苦い面持ちになる。ゼクーがさっきちらりと見せたのは怒りではないのだろうか。そう感じたトゥーラはゼクーに拍手したい気分になった。やはり無礼で我侭な態度をとるエタンダールのことをあの場にいた皆はよく思っていなかったに違いない。きっと係わり合いになるのが嫌だったから意見をしなかったのだろう。そう納得してトゥーラは頷いた。

 

 不思議なことにゼクーは王宮でのトゥーラの態度について言及しなかった。十分に注意するようにと言ってゼクーは退室するようにトゥーラに告げた。トゥーラは敬礼してからゼクーの部屋を出た。

 

 ああ言ったのだからエタンダールは弟子を連れて直にこの塔を訪れるだろう。それまでに出立の準備を整えておきなさい。ゼクーに言われたことを思い出しつつトゥーラは寮の自室に向かった。会議に召集された面々がエタンダールを疎外していたのだということは判った。が、納得出来たはずなのに何かが心に引っかかる。トゥーラは気鬱な面持ちでいつもよりゆっくりと廊下を歩いた。

 

 寮の部屋にたどり着いたところでトゥーラは深々と息を吐いた。何かがしっくりこない。トゥーラは眉を寄せてベッドに身を倒した。木で出来たベッドがトゥーラの身を受け止めて軋む。ベッドにしばし伏せて視界を暗くしたままトゥーラは考えを巡らせた。

 

 エタンダールが連れて来るのは競技祭で見かけたあの弟子だろう。目立つエタンダールと比べて控え目に見えた男のことを思い出し、トゥーラは頷いた。仮にもゼクーの塔の一番弟子の自分と組むのだ。エタンダールも一番弟子をきっと連れて来るに違いない。もしも他の誰かを連れて来たら承知しないから、とトゥーラは呟いた。

 

 不意にドアが鳴る。トゥーラは慌てて身を起こして乱れた髪を整えた。落ち着きを取り戻してからはい、と返事する。するとドアの向こうから声が聞こえてきた。

 

「トゥーラ? ちょっといいかな」

 

 クロードの声にトゥーラはええ、と答えて自分から部屋のドアを開けた。お疲れ様とにこやかに笑ってクロードがトゥーラの部屋の中を目で指し示す。トゥーラは頷いてクロードを部屋に招き入れた。

 

 トゥーラの予想通り、クロードは今日の会議の内容を聞きたがった。やはり統率者として興味があるのだろう。それも当然だ、と納得してトゥーラは会議の内容をかいつまんで話した。天使は討伐すべきとこの塔では意見がまとまっていたのだ。討伐案がまとまったことを隠したところで意味はないだろう。

 

「……エタンダール……」

 

 トゥーラが嫌悪に顔をしかめて話した後、クロードが呟くように言う。トゥーラは話を中断して首を傾げた。

 

「ええ。彼も一応は塔の所有者ですから」

 

 だから話し合いに参加していたのだとトゥーラは説明した。するとクロードが口許を手で覆って眉を寄せ、しばし黙る。どうやら何かを考えているらしい。トゥーラはクロードの邪魔をしないよう、同じように黙っていた。

 目を上げたクロードが困ったように笑って口許から手を離す。

 

「じゃあ彼が直々にトゥーラを迎えに?」

「そうなるだろうと師匠が」

 

 だがここからエタンダールの塔までは随分と距離がある。窓から身を躍らせて飛び去る、などというとんでもない方法で去ったエタンダールだが、さすがに弟子を連れてそんな真似はしないだろう。飛行の魔術は初めて見たが、あの時に見た魔力の流れからいって相当に力を消費するはずだ。恐らく弟子を伴ってここに飛んでくるのは無理だ。

 

 となると、少なく見積もっても一日は待たなければならない。トゥーラはそのことを説明してため息を吐いた。

 

「まったく、我侭で横暴で下品で」

 

 エタンダールのことを思い出し、顔をしかめてそこまで言ってからトゥーラは慌てて詫びた。愚痴を言うつもりではなかったのだ。だがクロードは気にしなくていいよ、と気さくに微笑んで頷く。

 

 トゥーラは自分のいない間の授業のことをクロードに相談した。元々一つの授業しか受け持っていなかったからだろう。クロードは自分が代わろうと申し出てくれた。

 

「そういえば渡したいものがあったんだ」

 

 ふと思い出したように言って、クロードがコートの内側に手を入れる。クロードが取り出したのは赤い羅紗の張られた細長い箱だった。不思議に思い首を傾げたトゥーラの手にクロードが箱を押し付ける。戸惑いの目でクロードと手の中の箱とを見比べてから、トゥーラは促されるままに箱の蓋を開いた。

 

「これは……」

 

 金の細い首飾りを見つめてトゥーラは目を見張った。首飾りの中央には赤い宝石のはめ込まれた金の台座がついている。石の大きさは親指の先ほどもある。透き通った美しいカットを施された宝石にしばし見入ってから、トゥーラは慌てて顔を上げた。

 

「君に似合うと思ってね。任務中に事故に遭わないように。お守りだよ」

 

 にこやかに言ってクロードが箱から首飾りを取り上げる。そのままクロードはトゥーラの首に首飾りをつけようとした。そこでトゥーラは慌てて首を横に振った。

 

「こんな高価なもの、頂くわけには」

 

 第一、理由がない。トゥーラは首飾りを握るクロードの手を遠慮がちに押し戻した。だがクロードは困ったように笑ってトゥーラの手を押し返す。困惑するトゥーラの首に手を回し、クロードは首飾りを嵌めた。

 

 やはりお返しします、と言ってトゥーラは首飾りを外そうとした。だがクロードは穏やかな笑みを浮かべて首を横に振る。

 

「でも、やっぱりこれは頂けません。理由もありませんし、第一、わたしには必要のないものです」

 

 魔道士に装飾品は必要ない。特に討伐に向かう自分には要らないだろう。トゥーラは思ったままに告げた。だがクロードは受け取ろうとしない。それどころか外そうとするトゥーラを止めるばかりだ。

 

「見えるのが嫌なら服の中に入れればいいよ」

「そ、そういう問題では」

 

 顔をしかめるトゥーラににっこりと笑いかけてクロードが手を伸ばす。コートの折襟に触れられたところでトゥーラは慌てて身をよじった。

 

「とにかくこれはお返しします」

 

 ため息を吐きながらトゥーラは首の後ろに手を回した。

 

「じゃあ、こうしよう。任務終了まで貸しておくよ。それでどうかな」

 

 何がおかしいのかくすくすと笑いながらクロードが言う。はあ、と気の抜けた返事をしてトゥーラは手を下ろした。どう言ってもクロードは首飾りを外させてくれそうにない。それなら言われた通り借りておいて後で返せばいいだろう。そう納得してトゥーラは判りましたと頷いた。

 

 出立の準備があるだろう、とクロードが部屋を出て行った後、トゥーラは深々とため息を吐いた。胸元にかかる首飾りを手に取って宝石を眺めてみる。貴金属の類を見たのは久しぶりだ。だが宝石を見てもトゥーラはさして興味を覚えなかった。魔道士に必要があるものとはどうしても思えないのだ。

 

 トゥーラは首の辺りに違和感を覚えつつも首飾りをつけたままにしておいた。きっとクロードは親切のつもりでこれを寄越したのだろう。塔内で会った時、もしも首飾りをつけていなかったらクロードが傷つくかも知れない。そう考えたトゥーラは首飾りをコートの内側に入れた。

 

 討伐のために出かけるのはいいが、どの程度の荷が必要だろう。とりあえず、と手持ちの鞄を引っ張り出したところでトゥーラは首を捻った。この鞄で大きさは足りるのだろうか。塔から実家が近いこともあって、トゥーラはさほど大きな鞄を持っていないのだ。

 

 先見の占の結果はトゥーラも聞いた。だが討伐に向かう者に渡された地図でこの辺りと印をつけられた範囲はかなり広い。しかも先見の占は曖昧な部分も多く、肝心の天使の容姿についても情報が殆どないのだ。

 

 長い旅になることは覚悟しなければならない。トゥーラは地図を厳しい面持ちで覗き込んだ。余りにも範囲が広いため、討伐を命じられた者達は幾つかのグループに分かれて天使を捜索する事になっている。トゥーラともう一人、エタンダールの弟子に割り当てられたのは地図の中の囲まれた部分の中心、とある森の中央部だ。

 

「そうだわ。森の中には寝具もないのよね」

 

 何しろ衣食住が一切保証されていないのだ。森の中で食べるものを得る方法はあるのだろうか。一体、どれだけの荷物になるのだろうと考えてトゥーラは憂鬱になった。

 

 とにかく買い物に行かなければ。そう決めてトゥーラは出かけることにした。手近な街に向かい、鞄屋を運良く見つけて入ったところでトゥーラは驚きに目を丸くした。

 

 しまった。物価が判らない。塔にこもりきりで、必要なものは全て実家から送ってもらっていたトゥーラは、一人で買い物をするのも初めてだった。鞄屋にはたくさんの鞄が置いてあるのだが、どれが安いのか高いのか判らない。その上、品がいいのか悪いのかも判らない。トゥーラは混乱しつつ店内の鞄をくまなく見て回った。

 

 結局、何も買えないままでトゥーラは店を出た。居座った挙句に何も買わなかったトゥーラを店主は不思議そうに見ていたが、トゥーラはその視線に全く気付かなかった。

 

「駄目だわ……。貨幣価値が判らない……」

 

 泣きたい気分で呟いてトゥーラは立ち並ぶ店をぼんやりと見つめた。夕刻だからなのか店の並ぶ通りは賑わっている。トゥーラは自分の財布にいくら入っているのかを思い出しながら次の店に向かった。先ほどの店に並んでいた鞄はどれも手持ちの金で購入可能な値段だった。だが価値が判らないためにどうしても踏ん切りがつかなかったのだ。

 

 トゥーラの持っている金は全て両親から送られてきたものだ。ゼクーの塔に入門して以来、両親は必要な物品と一緒に毎月少しずつトゥーラに小遣いを送ってきている。トゥーラはだがそれを使う機会もないままでいたため、実は財布には結構な額が入っているのだ。

 

 寝具を売る店、食料品店と次々に店を回っているうちに日は暮れる。トゥーラは何も買うことが出来ないまま、疲れた身体を休めるために手近な茶店に入ろうとした。ところが店先に出されている看板とメニューを見たところでトゥーラは動けなくなった。いつも食堂で無料で食べたり飲んだりしているのだが、よく考えたら飲食店というのは飲み食いした分だけ金がかかるものなのだ。

 

「駄目。やっぱり判らない」

 

 諦めの息をついてトゥーラはふらりと茶店の前を離れた。結局、買い物の一つも出来ないまま、トゥーラは塔に戻り始めた。方角を確認して最短の道で戻ろうとしたのが間違いだったのだろう。気がつくと店がまばらで寂しい道に入り込んでしまっていた。

 

 賑やかだった人の声はいつの間にか聞こえなくなっている。明かりのない暗い道をトゥーラは急いで進んだ。古びた煉瓦の道はかなり痛んでいて、下手をするとつまづいてしまいそうなほどがたついている。道端に座り込む男がトゥーラを値踏みするように見る。嫌な視線を感じつつもトゥーラは知らん顔で道を抜けようとした。

 

 不意に道の横手から誰かが飛び出してくる。トゥーラは驚きに小さな悲鳴を上げて足を止めた。目の前に躍り出てきた者が身につけた服を見てほっと息をつく。だが次の瞬間、トゥーラは表情を凍りつかせた。

 

 トゥーラの行く手を阻んだのはリカルトだった。身を強張らせたトゥーラの前に次々に見知った男達が現れる。トゥーラは無言でくるりと踵を返して来た道を戻ろうとした。

 

「おっと。どこ行くつもりだ?」

 

 喉の奥で笑いながらリカルトがトゥーラの腕を捕まえる。咄嗟にトゥーラは身を捻ってリカルトの手を振り払った。リカルトが更に手を伸ばそうとするのを見止めて冷静に魔術を展開させる。

 

「え?」

 

 何故かトゥーラは魔術を思った通りには撃てなかった。きちんと魔力を編み上げた筈なのに一向に発動しない。驚愕に息を飲むトゥーラを男達がにやにやと笑いながら取り囲む。トゥーラは厳しい表情で腰の短剣に手をかけた。教えられた通りに構えて剣を抜こうとしたところで乱暴に手を捕まれる。

 

「ばかみてえに教本通りだな。遅いんだよ」

 

 意地悪い嗤いを浮かべてリカルトが言う。たちまちのうちにトゥーラは男達に捕まって身動きが取れなくなった。叫ぼうとしたトゥーラの口をリカルトが押さえる。懸命に身を捩ったトゥーラはパニックに陥っていた。何故、魔術が使えないのだろう。いつもと同じように魔力を展開させているはずなのに。

 

 トゥーラは建物と建物の間の細い路地に連れ込まれた。リカルトが両手でトゥーラの口許と頭を押さえたまま、乱暴に建物のドアを蹴り開ける。男達に抱えられて運ばれつつもトゥーラは周囲の様子を伺った。どうやら煉瓦で出来たこの建物は今は使われていないようだ。内部は暗く、埃っぽい。随分と人の手が入っていないのか、掃除した気配もなく所々にごみが散らかされている。トゥーラは顔をしかめて頭を何度か振った。だがリカルトの押さえる力が強く、どうしても手が口許から離れない。せめて口が開いていたら噛みつくのに。怒りに目を吊り上げてトゥーラは自分を捕まえている男達を睨んだ。

 

 唐突に身体が浮く。悲鳴を上げる間もなく、トゥーラは薄暗い部屋の中に放り込まれた。慌てて身を起こそうとしたトゥーラの肩を誰かが蹴飛ばす。腰を上げかけていたトゥーラはあっけなく床に転がされた。

 

「いいかげんになさい! 何のつもりなの!?」

 

 よろけて床に転がったトゥーラを男達が乱暴に押さえつける。だがトゥーラは気丈にそう怒鳴りつけた。腕や肩、足を床に押さえつけられているために身動きが取れない。

 

「酷いなあ。折角、トゥーラ先生のためにここの掃除だけはしたのに。なあ?」

 

 意地の悪い笑い方をしつつリカルトがその場にいた男達にわざとらしく声をかける。するとトゥーラを押さえている男達も笑いを浮かべて頷いた。

 

 リカルトがコートの内側から何かを取り出す。薄暗い中、トゥーラは目を凝らしてその手元を見た。茶色の小瓶をリカルトは握っている。リカルトは横目にトゥーラを見ながら小瓶の蓋を取った。甘い不思議な香りが周囲に漂う。覚えのない匂いを感じたがそれが何か判らないまま、トゥーラはリカルトを睨みつけた。

 

「わたしをどうするつもりですか」

 

 弟子は塔に属しているとは言っても罪を犯せば裁かれる。トゥーラは冷ややかに言いつつ、内心焦っていた。魔術が使えないとなると直接抵抗するしかないのだが、複数の男に押さえつけられているのだ。塔でも体技や剣技は教えるが、トゥーラに実戦の経験はない。

 

 リカルトが瓶を傾けてハンカチに何かを含ませる。トゥーラは悲鳴を上げて身を捩った。瓶の中身が何かは判らないが、ろくなものでないことは確かだ。だがトゥーラがどれだけ身体を動かそうとしても、男達が押さえつける力が強すぎて動けない。

 

「心配するな。すぐに良い気分になるさ」

 

 そんなことを言ったリカルトがトゥーラの口許をハンカチで押さえつける。口と鼻をハンカチで覆われたトゥーラは息を止めて目を固く閉じた。だがそれほど長く呼吸を止めていることも出来ず、トゥーラは苦しさにもがいて頭を振り、ハンカチを退けようとした。だがリカルトがトゥーラの頭を押さえ、ハンカチを押さえる手に余計に力を込めてくる。

 

「ほらほら、どうした。いつもみたいに抵抗しないのか?」

 

 いやらしい笑いを浮かべたリカルトに顔を覗き込まれたトゥーラは、反射的に叫ぼうとして深く息を吸ってしまった。甘い香りを胸一杯に吸い込むと頭がくらりと揺れる。

 

「ん? 変だな。効きが悪いのか?」

「直に飲ませちまえよ」

 

 男達の声が遠く聞こえる。トゥーラは身体に力をこめ、拘束から逃れようともがいた。そうしているうちに今度はハンカチの代わりに小瓶の口をあてがわれる。トゥーラは悲鳴を上げて必死でもがき続けた。




トゥーラ先生ピンチです!


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三章
飛んで帰って討伐隊


そろそろ旅支度開始? です。


 エタンダールがやたらと上機嫌で戻ってきたのは、次の日の昼間だった。会議はどうしました、というアルセニエフの悲痛な声に笑いで答えてエタンダールが窓から身軽に部屋に入ってくる。昨日、中途で放り出していた掃除を片付けようと、ライツは昼食後の休憩時間にエタンダールの部屋に来ていた。

 

「ほれ」

 

 気軽に言ってエタンダールが手にしていた旅行用の鞄を放る。ライツはやれやれとため息を吐いてそれを受け取った。続いて飛んできた薄い紙の束を片手で受け止める。

 

「師匠。飛ぶのはいいですけど、まさか誰かのスカートをめくったりとかは」

 

 以前、街の女性がもの凄い剣幕で塔に駆け込んできたことを思い出してライツは低い声で訊ねた。してねえよ、と気楽に答えてエタンダールが長椅子に腰を下ろす。

 

「それで、会議は!? まさか途中で面倒になって抜けたとかでは……」

 

 アルセニエフが青い顔で言う。きっとエタンダールに痛い目に合わされたことがあるのだろう。気の毒に、と呟いてライツは紙の束をアルセニエフに差し出した。アルセニエフが慌ただしくそれを受け取る。

 

 箒を壁に立てかけて、ライツは旅行鞄の中身を引っ張り出した。髭剃りや櫛などが入ったポーチを取り出して棚の中にしまう。続いて着替えの下着やシャツを次々に洗濯用の籠に入れてからライツは思わず叫んだ。

 

「あー! またやったんですか!?」

 

 目を吊り上げてライツはくるりと振り返った。驚いたのかアルセニエフの目が丸くなっている。だがそれにも構わずライツは手につかんだ物をずいと突き出した。

 

「んな、目くじら立てるような事かよ」

 

 眉間に皺を寄せ、わざとらしく疲れたような顔をしてエタンダールが答える。ライツは大股で長椅子に近づいて手にしたそれをエタンダールに突きつけた。

 

 ライツがつかんでいるのは女物の下着だ。淡い水色の下着の縁には飾り布が縫いつけてある。

 

「師匠がどこで誰と何をしようといいけど、こういうのはやめてくれないかな! 後で言い訳するの、僕なんだよ!?」

 

 ライツは女物の下着をエタンダールの顔の前に突き出した。

 

「大体、女物の下着なんて見飽きてるでしょ!? なのにどうして盗ってくるのさ!」

 

 どうせまた、どこかの宿で女性とよろしくしたに違いない。それはエタンダールの個人的な趣味だからいい。だがその相手の下着をこっそり盗ってくるとなると話は別だ。いつだったか色町の遊女が困った顔で塔を訪ねてきたことがある。その遊女は穏やかな性格で平謝りしたら勘弁してくれたが、毎回そう上手く事が治まるとも限らないのだ。

 

「相変わらず元気いいなあ、ライツは」

 

 ローブの前を緩めながらエタンダールが人の悪い笑みを浮かべる。何だよ、と機嫌悪く返してライツは手にしていた下着に目をやった。そこではたと気付く。どうやらこの下着は新品らしい。下着の端にごく小さな値札が縫い留めてある。

 

「それ、シャルレラへの土産なんだがなあ」

「何だ。それならそうと早く言って下さいよ」

 

 一気に怒りが鎮まり、ライツは淡々と告げて下着を長椅子の上に置いた。いいのかそれで、とアルセニエフが呟く。アルセニエフの言葉の意味が判らず、ライツは不思議に思いながら訊ねた。

 

「なに? もしかして新品じゃない方が良かった?」

 

 でも人の使った下着を贈り物にするのはどうかと思うな。平然とそう付け足してからライツはさっさと鞄の中身の残りを取り出した。

 

 ライツが荷物を片付け終えた頃、エタンダールはのんびりと会議の内容を説明し始めた。どうやら天使の討伐が正式に決定したらしい。それを聞いたライツとアルセニエフは口を揃えて反論した。

 

「天使って人じゃないかも知れないけど生きてるんでしょ? 悪いこともしてないのに討伐ってどうなのさ」

「命を絶つのは行き過ぎかと思いますが……」

 

 アルセニエフと目を合わせてからライツは深々とため息を吐いた。指で女物の下着をつまんで目の高さにかざしたエタンダールがそうだよなあ、と呟く。どうやらエタンダールが得意の我侭を発揮してもその議会の決断は回避出来なかったらしい。うわあ、と力なく呟いてからライツは肩を落とした。

 

 エヴァン国は経済力と巧みな外交政策によって、久しく戦争から遠ざかっている。だが排他的な体質は変わってはいないのだと歴史の時間に習った。エタンダールからも直に聞いたことがある。栄えている国の裏側には踏みつけにされて泣くに泣けない者たちもいたのだという。もしかしたら魔物もその踏みつけにされたものの一つなのかも知れない。

 

 魔物と呼ばれる者たちは見た目や習性が人と大きく異なる場合が多いが、人間を無差別に攻撃したりはしない。彼らには知能や感情が備わっているからだ。だが、見た目が人と違うという理由で結果的には住処を追われてしまったのではないだろうか。そう考えたライツの表情は無意識に暗くなった。

 

 魔道士が魔物を召喚する場合がある。必要に応じて正しい手続きを踏んで召喚すれば、魔物は快く応じてくれる。そして召喚に応えた魔物は魔道士の力相応の働きを約束する。代価は魔道士の持つ魔力の一部だ。魔物である彼らは人とは異なり、魔力を食うことで腹を満たすことが出来るのだ。だが本来の性質がとても大人しいため、魔力を求めて魔道士に襲い掛かることはない。我欲のために罪を犯す人間よりはるかに紳士的なのだ。

 

 何故、共存出来なかったのだろう。魔物のことを学ぶたびにライツはそう感じる。確かに魔物は人間に比べれば脅威的な力を持つ。だが、だからと言って一方的に排除する理由はどこにもなかったはずだ。

 

「だーめだめ。あいつらの頭の硬さってのは筋金入りだからな。ちょっとやそっとじゃどうにもならねえよ」

 

 ローブの内側から取り出した煙草を咥えながらエタンダールが皮肉に嗤う。ライツと似たようなことを思ったのだろう。苦い顔で深々とため息を吐いたアルセニエフが手にした冊子をめくる。僕にも見せて、とせがんでライツは冊子を覗き込んだ。そこには前回の天使出現による騒動の記録が転写されていた。

 

「……結局、前の時も天使って殺されちゃったんだ?」

 

 王国年と天使討伐の経緯が記された部分を見つめてライツは小声で訊ねた。煙草の先に火を点けたエタンダールが低い声で応える。

 

「前の時は先占のババアがあちこちに触れ回りやがってな。えらい騒ぎになっちまって」

 

 細い紙巻の煙草をふかしながらエタンダールが嫌そうに顔をしかめる。先占とは王宮直属の占い師の行う先見の占いの事だ。個人的なものと異なり、先占は数人の占い師が力を合わせて国全体の行く末を視ることを言う。複数の有能な占い師が必要なため、先占は滅多に行われない。条件の揃った時に限り行われるものなのだという。

 

 エタンダールは占いとは計算術なのだという。占いとは要するにこれまでに起こったあらゆる出来事、星の動き、人々の性格の違いなどの情報を集め、情報に基づいて未来を計算し予測する術なのだ。優れた占い師になると下手な魔道士などより知識が豊富らしい。

 

 だがしかし占いと魔術は相容れない立場にある。結局のところ、占い師というものは計算して予測するだけで、物事に対処する術は持っていない。逆に魔道士はあらゆる事態に対応すべく知識を身につけなければならない。方向性が全く逆だからだ。

 

 高い鐘の音が響く。考え事に耽っていたライツはその音で我に返った。

 

「あっ。午後の講義が始まっちゃう」

 

 急いで旅行用の鞄を棚に収め、箒とちりとりを抱えたライツにエタンダールがのんびりと声をかける。

 

「待て待て。話はまだ終わっちゃいねえ」

「後で聞きます。僕、次の講義は出ないとまずいんですよ。この間、さぼっちゃったから」

 

 不貞寝した時のことを思い出しつつライツは急いで掃除道具を片付けた。

 

「だから待てっつってんだろ。おい、アルセニエフ。次の見習の講義は何だ?」

 

 ライツは顔をしかめて足を止めた。問われたアルセニエフが上目遣いに天井を見てからエタンダールに目を戻す。

 

「幻惑術ですね。講師はサマラです」

「よし、後で直々にオレ様が講義してやる。今は大人しく話を聞け」

 

 うんうん、と頷いてエタンダールが立ち上がる。ライツは素早くエタンダールの机から灰皿を取り上げて差し出した。受け取った灰皿の中に伸びた灰を落としてからエタンダールがまた煙草を咥える。

 

「嫌ですからね、僕はっ。師匠の教え方って癖があって判りにくいんだから」

 

 うんざりした顔でエタンダールを睨んでからライツはそっぽを向いた。どんなにエタンダールが優れた魔道士でも、教える能力と言うのはまた別物だ。それはエタンダールもよく知っているのだろう。簡単な魔術の基礎講義については外部の雇いの講師か、若しくはサマラなどの高位の弟子に任せている。

 

「討伐隊にうちからも一人、弟子を出すことになってな」

 

 意味ありげな笑いを浮かべてエタンダールが言う。ライツは嫌な予感を覚えて眉間に皺を寄せた。アルセニエフも話の流れから同じ結論にたどり着いたらしい。こっそりと胸に手を当ててほっと息をついているのをライツは見逃さなかった。

 

「やだよ! アルセニエフもそこでほっとしない!」

 

 よく考えたら会議の内容をこうも気前よくエタンダールが喋ること自体が妙だったのだ。ライツはエタンダールの正面に大股で回ってもう一度嫌だと叫んだ。

 

「だって討伐って殺すんでしょ!? やだよ、そんなの!」

「まだ何も言ってねえだろ」

 

 面白がるような目でライツを見ながらエタンダールがにやりと笑う。ライツは膨れ面をしつつも口を噤んだ。

 

 エタンダールは最初は討伐に弟子を派遣するのは嫌だと我侭を言ってみたのだという。議長の書記官はそれでは示しがつかないとエタンダールを制したらしい。そこまで聞いてライツはそれはそうだろう、と頷いた。

 

 そこで口を挟んだのがゼクーの塔の弟子だった。エタンダールはその弟子と組ませるなら討伐隊に自分の弟子を加えてもいいと約束したらしい。その説明を聞いたライツはうんざりした顔になった。

 

「……ゼクーの塔の弟子は女性なんですね?」

「お、よく判ったな」

 

 火の点いた煙草の先でライツを指し示してエタンダールが嬉しそうに笑う。ライツは呆れた表情をしているアルセニエフと顔を見合わせてため息をついた。どうせその女性がエタンダールの好みだったに違いない。だからエタンダールは意見を翻して自分の弟子を討伐隊に加えると言い出したのだろう。

 

 この塔の弟子や周辺の街の者はエタンダールが無類の女好きだと知っている。だがエタンダールは自分の弟子には手を出さない。もっとも、そんな真似をすれば即座に王宮経由で苦情が来る。事態が重ければ厳罰もあり得るだろう。だからなのかは知らないが、とにかくエタンダールが手を出す女性はこの塔に所属する弟子以外に限られるのだ。

 

 だからって他の塔の弟子ならいいって話じゃないんだけど。ライツは内心で呟いてもう一度深々とため息を吐いた。

 

「それで? 本気で天使を討伐させる気?」

 

 わざわざ引き止めたということは自分にその話が回ってくるのだろう。そう確信してライツはエタンダールに訊ねた。どうだろうなあ、と笑ってエタンダールが煙を天井に向かって吐き出す。

 

「とにかくライツはとっとと支度しろ。目的地はリュバーンの森だ」

 

 その前にゼクーの塔に寄るがな。エタンダールがそう続ける。それを聞いたライツは慌てた声を上げた。だがアルセニエフは納得したらしい。それでは準備が色々必要ですね、と平然と言う。ライツは頬を引きつらせてエタンダールとアルセニエフを見比べた。どちらも冗談を言っている風ではない。

 

「リュバーンの森って……本気ですか?」

 

 国の南方に位置する森林地帯がリュバーンの森だ。面積はエタンダールの塔のあるバレンティア地方と同じくらいだろうか。広大なその森は棲み家を追われた魔物たちにあてがわれた。そのことからリュバーンの森は通称、魔物の森と呼ばれているのだ。

 

 考えこむライツの顔は無意識のうちに険しくなった。口許に手をあてがってライツが思案している間にさっさとアルセニエフが退室する。エタンダールと二人になったところでライツは俯けていた顔を上げた。

 

「一緒に行動するのはどんな方なんですか」

「ゼクーの一番弟子と言われる娘だな」

 

 一番弟子、とライツは口の中で復唱した。それなら魔物の森がどういうところなのかを知っているだろう。ライツはそう考えてほっと息を吐いた。

 

 エタンダールに急かされてライツは慌てて寮の部屋に戻り、鞄に必要な物を詰め込んだ。出来るだけ小さくまとめた荷物を背負って急いでエタンダールの部屋に戻る。エタンダールの部屋にはアルセニエフが待ち構えていた。アルセニエフが差し出した携帯食の幾つかをライツはありがたく受け取った。保存が利くように、携帯食は水分が抜かれている。魔術が施されて密封された袋に入ったそれをライツは荷物にしっかりと詰め込んだ。

 

「あ、そういえば聞いてなかったんだけど、何で僕なの? だってゼクーの塔からは一番弟子が出るんでしょ? それ考えたらアルセニエフが行くのが普通じゃない?」

 

 どうやら厄介事の匂いをかぎつけたらしい。ライツが訊ねた途端にアルセニエフが青い顔をして首を横に振る。僕だって嫌なんだからね、としかめっ面で呟いてライツはエタンダールを見た。意味ありげな笑みを浮かべていたエタンダールがおもむろに長椅子から立ち上がり、力強く頷く。

 

「その方が面白そうだからだ」

 

 きっぱりと言ったエタンダールをじっと見つめてライツは深々とため息を吐いた。どうせろくな答えは出ないと思っていたが、まさか娯楽に付き合わされるとは思わなかった。ライツは感じたままにエタンダールに文句を言った。だが当のエタンダールは笑うばかりで考え直すつもりはさらさらないらしい。

 

 エタンダールに外套を着込むように命じられ、ライツは大人しくそれに従った。帽子が飛ぶとまずいだろう、と言われて平たい帽子を仕方なく鞄に入れる。エタンダールもライツと同じように外套を羽織る。ライツの外套はフードがついており、生成りの布で出来ているために白っぽい色をしている。丈は膝上までしかなく、ちょうどローブの上衣がすっぽりと隠れるサイズだ。対照的にエタンダールの着ている外套は漆黒で丈が長く、前を合わせると足首まで覆われてしまって中に何を着ているのか判らなくなる。

 

「うわあ、真っ黒で悪者っぽい」

「その外套着ると女にしか見えねえな」

 

 エタンダールと互いに言い合ってからライツは苦笑した。気にしてるんだから言わないでよ、と一応は文句を言ってみる。だが先日の女装の件を思い出すと、ライツもエタンダールに強くは言えなかった。




黒い服と可愛い外套♪
どっからどう見ても悪役な師匠と可愛い女の子な主人公。

師匠と子弟なので似たもの同士ですねw


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幼い頃の悪夢

トゥーラ先生のピンチは続きます!


 幼い頃から可愛いお嬢さんだとみんなに誉められた。両親は誉められる度に恥ずかしそうにしていたが、実際はまんざらでもなかったのだろう。トゥーラにだけは良かったね、とこっそりと耳打ちしていたものだ。

 

 軍人の父親は家を空けがちだった。だが母親はそんな父親のことをよく理解しており、愚痴一つ零さずに一人で家の事をしていた。生まれた時から家が裕福だったためか、幼い頃から欲しいとねだればすぐに何でも買ってもらえた。だからトゥーラは幼い頃には我慢らしい我慢をしたことがない。

 

 父親が久しぶりに家に戻った時は、家族みんなで仲良く時間を過ごすのが常だった。もちろん家族団らんの中にはトゥーラもいたのだが、両親の仲睦まじい様子に幼いトゥーラはやきもちをやいては二人を困らせた。

 

 幸せだった。悩みらしい悩みもなく、優しい両親に囲まれて育ったトゥーラは周囲の子供達と同様に学士館と呼ばれる学校に通うことになった。その頃のトゥーラは将来のことなど何も考えていなかった。言われるままに学校に通って様々なことを学ぶ。それはトゥーラにとってとても楽しいことだった。

 

 塔に入門させてはどうか、と言い出したのは学士館のとある教師だった。魔道士だった母親は薄々はトゥーラの才に気付いていたらしい。トゥーラの知らないところで何度かその教師とやり取りをしたようだ。だが両親ともトゥーラを塔に入門させる気はなかったのだろう。結局は教師の提案を断ったらしい。塔で魔術を学ぶとなると将来の道は決まってくる。両親はトゥーラを軍に入れるのを好ましく思っていなかったのだ。

 

 友達も出来てトゥーラは充実した日々を送っていた。たまには喧嘩することもあったが、それでも友達と一緒に遊ぶのは楽しかった。

 

 それがいつだったのかをトゥーラははっきりとは覚えていない。酷く寒い夜だったことだけが印象に強く残っている。夜中に用を足したくなって目が覚めたトゥーラは暗い家の中を寝惚けつつ歩いた。歩いているうちに暗さと寒さで心細くなり、トゥーラは不安に思いながら恐る恐る進んだ。

 

 細く殺したすすり泣くような声が聞こえてくる。トゥーラはその声にぎくりと首を竦め、慌てて周囲を見回した。じっと聞き耳を立ててみると声は近くの部屋から聞こえていることが判った。

 

 その日に限って両親の寝室のドアは少し開いていた。不安に怯えてその部屋に近づいたトゥーラはドアの隙間から中を覗いて目を見張った。大きなベッドの上で母親が父親に組み伏せられていたのだ。

 

 しばし呆然としてからトゥーラは静かにその部屋の前を去った。用を足して自分の部屋に戻りベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。忘れようとすればするほど、裸で絡み合っていた二人の姿が思い浮かんでしまう。トゥーラは訳が判らないままに毛布を被って震え続けた。

 

 魔道士になりたいとトゥーラが言い出したのはそれからすぐのことだった。両親は驚いていたが、トゥーラがなりたいというのであれば、と特に反対もされなかった。トゥーラも何故、急にそんなことを言い出したのかその時は自分でもよく判らなかった。

 

 それからのトゥーラは時間に追われる身となった。友達とも疎遠になり、次第に誰もトゥーラを遊びに誘わなくなった。だがそれでもトゥーラは懸命に勉強に打ち込んだ。そんな中、トゥーラは性的なことについて学ぶ機会があった。そこで初めてあの日に見た両親たちの行為が何を示していたのかをトゥーラは理解した。

 

 だがトゥーラの受けた衝撃は決して消えなかった。そんなものとは一切関わるつもりはなかった。トゥーラにとっての異性は興味を持つべきものではなく、出来るだけ近づきたくない存在だった。

 

 いつかはあんな風に自分も誰かに組み敷かれるかも知れないと考えると寒気がした。その行為の果てに自分が生まれたのだと理屈では判っていても、納得など到底出来なかった。

 

 必要以上に他人を遠ざけた結果、トゥーラは学士館の中で孤立した。トゥーラが避けたのは男性だけではなかった。自分と同じ女も性を感じさせる部分がとても気持ち悪く思えたのだ。出来るだけ性を意識しなくて済むような環境を求めてトゥーラは塔に入門した。

 

 だがトゥーラの希望はすぐに打ち砕かれた。学士館の教育課程を修了したトゥーラが塔に入門したのは十四の時だった。早熟だったトゥーラの身体つきは、他の同い年くらいの同性に比べて女らしかった。だからだろう。入門してほどなく、トゥーラはとある男弟子に身体を触られる等のわいせつな行為を受けた。その時はたまたま傍に居合わせたクロードが止めに入ってくれた。

 

 恐怖と嫌悪を感じたトゥーラは塔もやはり外と変わりないのだと思い知らされた。それ以来、トゥーラは学士館にいた頃と同じように、塔でも他人との関わりを出来るだけ避けた。必要なことのみを端的にしか喋らないトゥーラのことを、いつしか周囲の弟子達も避けるようになっていった。

 

 弟子達による苛めが酷くなったのはその頃からだ。だがそれでもトゥーラは心の底ではその方がましだと思っていた。自分に女を求められるより、気に入らない奴と苛められる方が正常と思えたのだ。

 

 なのに、とトゥーラは心の中で呟いた。叫ぶことにも泣くことにも疲れ、トゥーラは虚ろな眼差しで暗い天井を見上げていた。頭がぼんやりとし、身体が妙に熱い。含まされた甘い液体の味はまだ口に残っている。

 

 身体の自由が利かない。身体が不思議と熱く、手足がだるい。それにやけに重い。トゥーラは息苦しさに近いものを覚えて呻いた。抵抗しないと考えたのか、男達がトゥーラを押さえつけていた手を離す。だがそのことにすらトゥーラは気が付かなかった。

 

「ようやく効いてきたか?」

 

 誰かがそんなことを言う。その声もトゥーラの耳にはやけに遠く聞こえた。

 

 それより、暑い。

 

 トゥーラは熱っぽい息を吐いてコートの胸元に手を伸ばした。重い手を何とか動かしてコートのボタンをゆっくりと外す。そんなトゥーラを取り囲んでいた男達が一斉に目を輝かせたが、そのことにもトゥーラは全く気が付かなかった。誰かがいるのは判るのだが、それより熱い身体を何とかしたい。

 

 誰かがトゥーラを抱き起こす。背を抱えられたトゥーラは不思議な心地の良さを感じた。でも誰が触っているのか判らない。抱きかかえられたトゥーラは心の赴くままに身を預け、熱を帯びた息を吐きながら言った。

 

「お願い……。身体が、熱いの。脱がせて」

 

 トゥーラがそう訴えた途端に男達が歓声を上げる。早速とばかりにトゥーラを抱えていた誰かがコートの胸のボタンを外そうと手を伸ばす。

 

 不意に眩しい光が目の端に飛び込んでくる。眩しさに目を細めたトゥーラは、取り囲む男達の輪に誰かが飛び込んできたことに気が付かなかった。




エロ……という訳ではない……のですが、直接的にはそーなる?(汗)
みたいなシーンが入ってました。
一応はぼかして書いたつもりなのですが、不快になられたらごめんなさい。


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修羅場と知識

トゥーラ先生がヤバいのに主人公が講釈垂れてる件についてw


 まるで獣のように目をぎらつかせて一人の女性を囲んでいた男達をエタンダールが次々に張り倒していく。ライツはやれやれとため息を吐いて魔術の光を部屋の天井に向かって放り上げた。宙に浮かんだところで光がぴたりと静止する。するとそれまで薄暗かった部屋の中は真昼のような明るさになった。

 

 ゼクーの塔に赴いたライツとエタンダールは、行動を共にする予定の女性を探し回った。だが塔内のどこにも女性の姿はなかった。エタンダールが捜索の魔術を使い、二人は女性の後を追いかけることになった。ライツはここに辿り着くまでの経緯を思い出してもう一度深々とため息を吐いた。床に転がされた男達はよほど驚いたのだろう。目を丸くしてあんぐりと口を開いている。

 

「これは……」

 

 床に横たわる女性を見つめてエタンダールが呟く。ライツは咳払いをしてエタンダールを睨みつけた。女性は意識がはっきりしていないのか、助け起こそうとしたエタンダールに逆にしがみついた。そこでエタンダールがライツを見つめ、真顔で言う。

 

「ひゃっほう?」

「何で疑問形なんですか。手を出さないでくださいよ。問題になったら困るでしょう?」

 

 ライツはエタンダールの声に淡々と答え、へたり込んだ男達を一瞥した。ゼクーの塔にいた弟子達と同じ服を身につけた男が全部で六人。ライツは呆けた顔をして自分を見つめている男達に近づいた。はいはい、と言いながら荷物を降ろし、中から出した縄で手早く男達を縛り上げる。抵抗しかけた男も中にはいたが、ライツは問答無用でその男を膝で蹴倒した。自慢ではないが、喧嘩なら塔の誰にも負けない自信がある。何しろライツの組み手の相手をするのはエタンダールなのだ。

 

「おーお。酷いのかまされたなあ」

 

 艶かしい声を上げて女性がエタンダールにすがり付こうとする。エタンダールはそんな女性を抱き上げ、部屋の隅のベッドに運んだ。だがベッドに下ろされた女性はエタンダールにしがみついたまま離れようとしない。それを見てライツは目を細めた。部屋に覚えのある香りが漂っていたから判る。間違いない。この女性は媚薬を盛られているのだ。

 

「安物ですね。全く、何を考えてそんなものを使うんだか」

 

 眉を寄せて吐き捨ててから、ライツは男達に向き直った。男達は呆れているのか驚いているのか判別のつきにくい表情をしている。その中の一人が呟くように言う。

 

「な、何者だ」

「婦女子に対する拉致、暴行、薬物の無許可使用」

 

 ライツは質問には答えず、罪状を述べながら荷物から小さな紙の束を取り出した。細い紐で束につけられていたペンですらすらと男達の罪状を書き記す。

 

「無許可?」

 

 ライツに声をかけた男が怪訝そうな顔をして訊く。ライツは目を上げて紙の束をペンの尻でぱしんと叩いた。

 

「あなた方が色町で働いているようには見えませんが? あの媚薬は遊女に限り処方されるものでしょう」

 

 淡々と言いながらライツはベッドを見た。エタンダールは真剣な面持ちで女性を診察している。

 

 軍にも荷担しない。かと言って宮廷魔道士でもない。そんなエタンダールが何故、塔を運営出来るのか。それはエタンダールが魔道士としてだけではなく、医師としてきっちり働いているからだ。しかもエタンダールの医師としての腕は確かで、遠くからも頼ってくる患者もいる。貧しい人には格安で。汚い金をたっぷり貯えている者からは法外な治療費をとる。それがエタンダールのやり方だ。

 

 真面目な面持ちで女性の具合を確かめていたエタンダールが顔を上げてライツを見る。

 

「おい、帽子寄越せ」

「やだよ! いくらすると思ってんのさ!」

 

 エタンダールの要求にライツは声を荒らげた。だがエタンダールに睨まれてライツは仕方なく荷物から帽子を取り出した。ライツが放った帽子をエタンダールが片手で受け止め、宙に放る。帽子は瞬時に数個の瓶になった。ああ、高いのにとぼやくライツを無視してエタンダールが治療を再開する。どうやら女性に盛られた媚薬を薄めるつもりらしい。

 

「いいですか。どうせ使うならもっとまともな媚薬にしなさい。あれは価格が安い分、性質が悪いんです」

 

 八つ当たりもこめてライツは厳しい口調で言いながら男達に向き直った。先に質問した男も含め、床にへたり込んでいた全員が驚いたように目を見張る。どうやら女性に用いた媚薬の事を男達は詳しく知らなかったらしい。まったく、これだから。そう文句を言ってからライツは淡々と説明した。

 

「遊女の用いる媚薬には幾つかの種類があるんです。あなた方の用いたあれは最低価格の最も質の悪いものです。遊郭に正規雇用されている者は使用はしません」

 

 女性に使われた媚薬は安いが効果が出るまでに酷く時間がかかる。そして効果が消えるまでにかなりの時間を要するのだ。おまけに副作用として習慣性もある。最悪の媚薬ゆえに普通の薬師は調合しない。裏社会を仕切る犯罪組織が、資金源として一般人に販売したり、非合法の売春組織等で用いるものなのだ。

 

 当り前の知識として淡々と話すライツの目の前で男達は黙り込んでいた。ライツは男達の様子を怪訝に思い、眉を寄せて訊ねた。

 

「何か疑問でも?」

「確かに効くまでに時間がかかったが……」

 

 先ほどライツに質問した男が納得したように言う。そうでしょう、と頷いてライツはエタンダールの様子を伺った。エタンダールが帽子から作り出した瓶には水が入っているようだ。それを女性に含ませようとするのだが、女性が嫌がって懸命にエタンダールにしがみつく。殆どもみ合いになっている二人を見てからライツは男達に目を戻した。

 

「少し刺激が強すぎますか?」

 

 ライツにつられたのか男達は興味津々という顔でベッドでもみ合う二人を見ている。ライツは感情のない目で男達の股間を見下ろしてからエタンダールに声をかけた。注文の多い奴め、とぼやきつつもエタンダールが女性を自分の身体の陰に隠す。ライツは頷いてから男達に目を戻した。

 

「とにかく。大人しく警邏隊のお世話になってください」

「いや! 俺たちはただ命令されただけで!」

 

 ようやく頭がまともに働き始めたのか、男の中の一人が声を張り上げる。ライツはぴくりと眉を上げてから肩を竦めた。

 

「誰が命令していようが、そんなことは知った事ではありません。言い訳は捕まってからしてください」

 

 ぴしゃりと言い切ってからライツはずいと男達に顔を寄せた。

 

「それとも直接おしおきされたいですか?」

 

 にんまりと口許に笑みを刻んでライツは訊ねた。すると男達が揃って嫌そうな顔をする。どんな、と訊き返したのは最初にライツに声をかけた男だった。

 

「口の中で花火を焚いてあげます。痛いですよぉ。臭いですよぉ」

 

 ふふふ、と含み笑いしつつライツは口許に手を当てた。すると男達が一斉に引きつる。どうやら口の中で花火を焚かれるのは嫌らしい。男達の様子を見て取ってからライツは頷いた。

 

 それで、と言ってライツはベッドに近づいた。どうやらエタンダールは多少の水は女性に飲ませることに成功したらしい。だが女性はまだエタンダールにすがりついている。熱に浮かされたような顔をする女性を見つめてからライツはエタンダールに目を向けた。




正義の味方! という感じではないですね。
説教してる感じです。
主人公は上○さんか。


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常識の違い

主人公の説教が続きますw


「どうするよ。このままじゃおさまらねえだろう」

 

 女性に抱きつかれて悪い気はしないのだろう。エタンダールがどことなく嬉しそうに言う。ライツはしかめっ面で咳払いしてから駄目ですからね、と再度念を押した。するとエタンダールが不服の声を上げる。

 

「駄目ったら駄目です! 師匠が問題を起こしてどうしますか!」

 

 だが確かに女性はこのまま大人しくなってくれそうにはない。でもなあ、と困ったような顔でエタンダールが言う。ライツはため息を吐いて肩を竦めた。

 

「仕方ないですね」

「そうだろ、ここはやっぱり一発」

「口移しくらいなら許可します。それに師匠なら治療魔術は使えるでしょう?」

 

 嬉しそうなエタンダールの答えにライツは即座に切り返した。するとエタンダールがまともに言葉に詰まる。よろしくお願いしますね、と笑顔で言い置いてからライツは男達の傍に戻った。警邏隊は連絡を入れればすぐにでもここに飛んでくるだろう。それに男達には抵抗する意志ももうないようだ。

 

「それと、彼女の着けている首飾りですが」

 

 女性の首には赤い石のついた首飾りが着けられている。特徴のある色や形からライツはそれが見習魔道卒などが稀に用いる道具だと見抜いていた。ライツが指摘した途端に男達がぎくりと首を竦める。どうやら思い当たる節はあるらしい。

 

「確か彼女はゼクーの塔の一番弟子でしょう? 何のためにわざわざあの首飾りを?」

 

 聞くところによると、女性は准魔導師らしい。その階級に就いている者には必要がない物だろう、とライツはごく当り前の表情で告げた。すると何故か男達が揃って妙な顔をする。何事か、とライツは男達に問うた。

 

「い、いや、別に階級は関係ないだろ?」

「何故です。あれは魔術の暴発を防ぐための道具でしょう? 准魔導師まで務めている人には必要のないものです」

 

 きっぱりと言い切ってライツは男達の顔を順繰りに見回した。だが男達は納得出来なかったようだ。それどころか額を寄せ合って何事かを話し合っている。その会話の端を聞き取ったライツは顔をしかめた。男達はあの首飾りが封魔の魔石だと言っているのだ。

 

「阿呆なこと言わないで下さい。封印の力を付加した魔石が一体いくらすると思ってるんですか」

 

 しかも封印の魔石はそう簡単には見つからないものなのだ。エタンダールですら、封魔石は数回しか見かけたことがないと聞いた。絶対数が少ないということもあるが、一度手にした者が手放さないから出回らないという事情もある。中にはいわくのある品もあるらしく、封魔石の所有者の中にはエタンダールの元に相談に来る者もいる。

 

 魔石のこういった情報は見習では教わらない。側仕えの一人だからこそ、見習のライツも魔石の知識があるのだ。エタンダールの塔に属していても、他の見習魔道士たちは魔石についての正しい知識はないだろう。

 

 だが男達どう見ても自分より十は年上に見える。だとするとまさか見習ということはないだろう。魔石についての知識は三等魔道士に進級するまでには会得するはずだ。ライツは訝りをこめて無遠慮に男達を眺め回した。

 

「魔術を封じる力だけでなくて、石に何らかの力を付加させるのはとても難しいんです。力を付加できる基礎の宝石を見つけるのが一番難しいと言われますが」

 

 そこまで説明してライツははたと気付いた。何故、わざわざ罪人に説明しなければならないのだろう。ライツは一通り男達を眺めてからこほん、と咳払いをした。

 

「説明する義理はありませんでしたね」

「途中でやめんな!」

 

 あっさりと話を中断したライツに男達がむきになって言い返す。口々に罵倒する男達を眺めてライツは疲れたため息を吐いた。どうして彼らはこんなにむきになるのだろう。そこまで考えてからライツはふと気がついた。

 

 媚薬のことといい、もしかしてこの連中は魔石のことを全く知らなかったのではないだろうか。男達の目に宿っている独特の光は知識欲の表れのような気がする。ライツはしばし男達を見つめてからそっぽを向いた。

 

「悔しかったらご自分で調べてはいかがですか? 魔石だけでなく、先ほどの媚薬についても専門書はありますよ」

 

 先ほどからベッドにいる女性が甘い声で喘いでいるというのに、そちらには関心もなくなったらしい。男達が目を吊り上げて口々にライツを罵倒する。ライツは眉を寄せて情けないと呟いた。

 

「その程度の手間を惜しむなんて、本気で魔術を学ぶつもりがあるんですか?」

 

 淡々とライツが訊ねた途端、男の中の一人が動いた。立ち上がろうとしたらしいが、縄で手足を縛られているために床に転がる。男はライツを睨んで唾を飛ばす勢いで喚いた。

 

「女の癖に生意気だぞ、てめえ!」

 

 一人が喚いたことで男達は一斉にそうだそうだと騒ぎ始めた。ライツはうろんな眼差しで男達を見つめてからのんびりとエタンダールを見やった。

 

「ねえ。こいつら気絶するまで殴っていい?」

 

 どうやらずっと笑っていたらしいエタンダールが肩を震わせながら止めておけ、と言う。ライツは深くため息を吐いてから男達に向き直った。

 

 不意に間近で魔力が膨れる。ライツは静かにそちらに目をやった。最初にライツに声をかけた男が膨らませた力を放つ。だがそれはきちんとした魔術になっておらず、ライツに届く前に弾けて消えた。あっけなく弾かれてよほど驚いたのか男は唖然としている。

 

「……今の、何ですか」

 

 男が何をしたかったのかよく判らず、ライツは思ったままに訊ねた。だが男は俯いてしまって答えない。他の男達に訊こうにも、ライツから目を背けている。ライツは訝りに眉を寄せてエタンダールに問うた。

 

「今のなに?」

「攻撃魔術のつもりらしいな」

 

 ライツのいる方を見もせずにエタンダールがあっさりと言う。ふうん、と頷いてからライツは男達に向き直った。

 

「あのですね。それ、魔術以前ですから。確かに対象を攻撃することにはなるかも知れませんけど」

 

 どうやら男はわざと魔術を暴発させたらしいが、それが偶然であれ作為的なものであれ、暴発した魔術を防ぐのは魔道士なら簡単だ。

 

 何があるか判らないからと、ライツはこの部屋に入る前に簡単な防御の魔術を用いた。だがそれは、エタンダールの塔で見習魔道卒が学ぶ単純な魔術のうちの一つだ。

 

「その辺にしといてやれよ。そいつらの居る塔はうちとは違うんだしよ」

 

 喉の奥で笑いながらエタンダールが振り返る。はあ、と気の抜けた返事をしてライツは罪状を書き付けた紙を千切り、男達を縛り上げている縄の間に挟んだ。それから荷物に紙の束とペンを突っ込む。ライツが荷物を再び背負ったところで景気のいい音が響いた。

 

「何するのよ!」

 

 どうやら完全に正気に戻ったらしい。女性は大声で喚いてエタンダールの頬を再度張り飛ばした。




魔術だと思っていたものが、主人公の塔では魔術以前w
ヒロイン襲撃者はもの凄いへこんだでしょうねー。


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少女達の出会い

旅支度を調え始めました。
遅い……


 怒りに震えながらトゥーラは乱れた着衣を手早く整えた。三度ほど平手を食らわせたエタンダールはまだ痛いとぼやいている。殴ったのだから当り前だと怒りをこめて言い返してからトゥーラはさっさとその部屋を出た。

 

 エタンダールが連れていたのは一人の少女だった。見た目からすると十代半ばだろうか。トゥーラは暗く不気味な通りを足早に抜け、改めて二人と向き合った。リカルトを含むあの男達は王宮の警邏隊に捕まえてもらうらしい。トゥーラにそう説明したのは少女だった。

 

「失礼だけど階級を訊ねてもいいかしら」

「あ、僕ですか? 見習です」

 

 少女が微笑みを浮かべて言う。それを聞いたトゥーラはそう、と答えてからエタンダールの胸倉を捕まえた。驚いたように目を見張る少女に待つように言ってからエタンダールを引きずる。少女から十分に離れたところでトゥーラはエタンダールに詰め寄った。

 

「どういうことですかっ。一番弟子を出すのではなかったのですか!?」

 

 馬鹿にされているのだと感じたトゥーラは険悪な表情でそう訊ねた。だがエタンダールは相変わらずだらしのない笑みを浮かべているだけだ。トゥーラは歯軋りしてエタンダールの外套から手を離した。

 

 考えても考えても腹が立つ。何で自分があんな目に合ったのだろう。どうしてあれだけ嫌だと思っていたのに気付いたらこの男に抱きついていたのだろう。そもそも何で触れられて気持ちいいなどという気分になったのか判らない。トゥーラは苛々しながらエタンダールを睨みつけた。

 

「ほんっとに気がつええなあ。あんなことがあった後なのに威勢いいし」

「それとこれとは別問題です! あなたは任務のことを真面目に考えていないのですか!?」

 

 のんびりとしたエタンダールの言い草にトゥーラは険しい表情をして返した。王宮での話し合いの段階からエタンダールにはやる気が感じられなかった。もしかしたらエタンダールは天使討伐の任務のことを軽く考えすぎているのではないだろうか。仮にも王宮からの命令なのに、とトゥーラは渋い顔で言った。

 

 結局、エタンダールからはろくな解答が得られないまま、トゥーラは渋々と少女のところに戻った。少女が不安そうな顔でトゥーラとエタンダールを見る。とりあえず、とトゥーラは少女に自己紹介をした。少女が真面目な顔で頷いてからトゥーラに頭を下げる。

 

「えっと、僕はライツっていいます。いつもは塔で師匠の世話をしてるんだけど」

 

 ライツと名乗った少女がよろしくとにっこりと笑う。その笑みは愛らしい面立ちにとてもよく似合っていた。ライツの微笑みは、暗い夜道で見てもぱっと花が咲いたような印象がある。明るい笑みの似合うライツを見つめ、トゥーラはつい顔をほころばせた。

 

「んじゃ、オレは戻るぞ。警邏隊には伝えてやるから、後はお前らで好きにやってくれ」

 

 それじゃあな、とエタンダールが片手を上げてその場を去る。それを見送ってからトゥーラは塔に戻らないとならない、とライツに言った。だが鞄は買えていないし食料も準備出来ていない。恥ずかしくは思ったが、トゥーラは正直にそのことをライツに話した。

 

「あ、それなら心配要りません。食料は僕の手持ちがありますから」

 

 でも着替えは必要ですね。そう付け足してライツは夜道を先に立って歩き出した。トゥーラは慌ててその後を追い、ライツと並んで歩きながら訊ねた。

 

「何故、王宮の任務なのに見習のあなたが?」

 

 エタンダールに訊いても解答の得られなかった疑問をトゥーラは直接ライツにぶつけてみた。迷いのない足取りでゼクーの塔に向かいつつライツが気軽に頷く。不思議なことに、ライツを見ていると気分が妙に和む。あんな事があった後だというのに、トゥーラは自分が安堵していることに気付いてうろたえた。

 

「師匠が何を考えているのかは僕にはよく判りません。ですが、師匠の決めることに間違いはないと思います」

 

 ライツはやけにあっさりとそう言って、人好きのする笑みを浮かべてトゥーラを見た。引き締めようとしていたトゥーラの気がまた緩む。いけない、と内心で自分を叱りつけてトゥーラは意識して厳しい表情を作った。

 

「あの人の塔に所属しているあなたは、こう言われるのは辛いかも知れないけれど」

 

 いくらエタンダールが有能な魔道士だといっても、討伐隊に見習弟子を寄越すやり方は納得出来ない。トゥーラは正面を見つめて静かな口調でそう告げた。ライツは黙って話を聞いている。だがライツがすぐに納得出来るとはトゥーラも思っていなかった。どれほどトゥーラが正論を述べても、ライツはエタンダールの弟子なのだ。しかもまだライツは年若い。自分のように飛び級を繰り返して昇級して行くにしろ、今からの話だ。今はまだライツは何も判らない見習なのだから。

 

 少なくともこの時点でトゥーラはそう思っていた。悪く言えばトゥーラはライツをなめていたのだ。

 

「詳しいお話はとりあえず出発してからにしましょう」

 

 穏やかな笑みを浮かべてライツはそう答えた。それを聞いてトゥーラははっとした。塔に近づくにつれて周囲に人が増えている。確かにこんなところで極秘任務のことを口にするのはまずいだろう。

 

 塔に戻り、荷造りを始めたトゥーラの代わりにライツはゼクーのところに報告に向かった。ライツはライツなりに、襲われた時のことを思い出させないように配慮してくれたらしい。トゥーラはそのことに心底感謝しつつ、言われた通りに着替えといくらかの金を鞄に詰め込んだ。ライツが言うには、旅をするには大きな荷物はかえって邪魔になるらしい。

 

「一応、先ほどの件は報告はしておきました」

 

 トゥーラの部屋に戻ってきたライツが真っ先にそう告げる。トゥーラはそう、と返事して荷造りを再開しようとした。するとライツが困ったような顔をしてトゥーラに近づく。

 

「良ければ代わりましょうか? 僕の方が慣れていると思いますから」

 

 鞄に荷を詰めるのに悪戦苦闘していたトゥーラは、情けない気分になりつつもライツに任せることにした。ライツはトゥーラが苦心していたのが嘘のように手際よく荷物を作っていく。その様をトゥーラはベッドに腰掛けてぼんやりと眺めた。




ふたりがやっと会いましたw


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かみ合わない話

にっこり笑ってるんですがー……。


 気を抜いたからか、さっきの嫌なことがトゥーラの脳裏に思い浮かぶ。何故、リカルトたちがあんな真似をしたのかは判らない。捕われて身体を好きに触られたことを思い返すだけで嫌悪感が蘇る。トゥーラは思い出してぶるりと身を震わせ、眉をいっぱいに寄せた。

 

「……あんまり考えない方がいいですよ」

 

 トゥーラの下着や替えの服を畳んで端から丸めながらライツが小声で言う。反射的に言い返しそうになり、トゥーラは慌てて言葉を飲み込んだ。ライツはあの場から助けてくれた恩人なのだ。それにきっとライツだって同性がいたぶられる様を見るのは辛かっただろう。何しろライツも女性なのだ。そう思い直し、トゥーラはそうね、とライツに頷いた。

 

 とりあえずは目的地に進めるだけ進んでから宿に泊まろう。そんなライツの提案にトゥーラは素直に頷いた。ゼクーに挨拶をしてから塔を出る。

 

「リュバーンの森ということは南ですね」

 

 歩きながら地図を見たライツが言う。トゥーラは不思議な気分でライツの生み出した光を見つめた。夜道は危険だから、とライツが塔を出てすぐに魔術で光を作り出したのだ。力の流れはトゥーラにも見えたが、魔術の内容が判らない。そんな魔術があるということもトゥーラはこれまで知らなかった。学んできたのはただ一つ、戦闘のための魔術だけだ。

 

 ライツは見習魔道卒だ。なのに何故、自分の知らない魔術を知っているのかトゥーラは不思議だった。きっとライツはエタンダールに特別に目をかけてもらっていて、だからこそ光を生む魔術を知っているのではないか。

 

「それでですね。先ほどの件ですけど」

 

 考え込んでいたトゥーラの耳にはライツの声が届かなかった。考えを巡らせながらトゥーラはまじまじとライツを観察した。

 

 ライツは同性のトゥーラから見てもとても可愛らしい。だが、だからこそエタンダールのような男の傍にいるのは可哀想な気がする。何しろあの男は初対面の自分に向かって下劣な言葉を吐いてみせたのだ。身近にいれば無事では済まないのではないだろうか。

 

「あの、トゥーラさん?」

 

 遠慮がちに言いながらライツがトゥーラの外套の裾を引く。そこでようやくトゥーラは我に返った。

 

「あ、ごめんなさい。何かしら」

 

 ぼんやりし過ぎていた。反省しつつトゥーラはライツに問い掛けた。ライツは不思議そうに首を傾げてから言った。

 

「いえ、僕も本当は嫌だったんですけどね。でも師匠の指名には逆らえませんから、仕方なく僕が来ることになったんですけど」

 

 どうやらライツは何故見習の自分が討伐隊に加わることになったのかを説明しているらしい。それを聞いたトゥーラは眉を寄せた。

 

「わたしはあの男がどうして見習魔道卒を寄越す気になったのかと訊いているのよ」

 

 苛立ちをこめて訊ねてからトゥーラはため息を吐いた。何故、エタンダールはいちいち気に障る真似をするのだろう。さっきの事にしてもそうだ。助けてくれたことは判るのだが、なんであんな真似をしたのか判らない。

 

 気が付いたらエタンダールにキスされていた。その時の唇の感触を思い出してトゥーラは身震いした。

 

「それは師匠に訊かないと判らないんじゃないかなあ。僕に訊かれても困るというか」

 

 トゥーラと同じように顔をしかめてライツが小声で答える。それまですっぽりと被っていた外套のフードを取ったライツを見たトゥーラは軽い驚きに目を見張った。

 

 綺麗な金髪なのに、とトゥーラは呟いた。ライツの髪は短くて肩までもない。闇に映える美しい金髪はとても柔らかそうで、伸ばせばきっと見栄えがするだろう。常日頃、自分の髪に劣等感を抱いていたトゥーラは思わずライツの髪に見入ってしまった。

 

 エヴァン国の民の多くは金色の髪をしている。トゥーラの両親も金髪だ。だが両親よりもっと前、先祖の誰かに赤毛の民がいたらしく、トゥーラの髪の色は金というよりは赤銅に近い色をしているのだ。

 

 見た目に拘るなど馬鹿らしいと思いつつもトゥーラは自分の髪の色を好きになれなかった。両親と同じ金髪にずっと憧れていたのだ。

 

「理髪師さんと同じことを言うんですね」

 

 何故かしかめっ面で言ってライツが力なく笑う。どうして誉めたのに不快そうな反応をするのだろう。トゥーラは訝りを覚えてライツを横目に見た。困ったように頭をかくライツの横顔を見てふと気付く。フードを外したせいか、ライツが少年のようにも見えるのだ。

 

「何だっけ。師匠が何で僕を寄越したか、でしたか」

 

 だがそんなことより、天使を見つけるのが先ではないか。そう言ってライツはにっこりと笑った。トゥーラは言葉に詰まって顔をしかめた。確かに言われたことはもっともだが、質問の答えにはなっていないのではないか。トゥーラはしばし黙ってからそう訊ねた。

 

 ふと、ライツが微笑を浮かべて横目にトゥーラを見る。

 

「ええ、だって僕、答える気がありませんから。どっちだっていいでしょう、そんなこと。大事なのは僕とあなたの組み合わせでいかに早く天使を見つけるかです」

 

 それ以外の用事はありませんしね。淡々と言うライツをトゥーラは思わず凝視した。愛らしい容姿に似合わずライツは辛辣な喋り方をする。だがそのくらいの強さがなければエタンダールの側仕えは務まらないのかも知れない。一人、そう納得してトゥーラはしみじみと頷いた。




主人公、ヒロインに冷たいですね(棒


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師匠と弟子の関係

ヒロインは師匠の方が気になるようですw


 しつこいなあ、と心の中でぼやきつつも、ライツはにこやかに微笑んで何度目かの同じ答えを口にした。トゥーラが訊いているのはもっぱらエタンダールについてであり、ライツには答えようがない質問ばかりなのだ。

 

「でもやっぱり変だと思うの」

 

 ゼクーの塔を出て南に下ったところには小さな街がある。街にたどり着いたライツたちは早速、宿を探して部屋を取った。その部屋の中でトゥーラは枕を両手に抱えてベッドの縁に腰掛けている。無防備に下着姿になっているのは何故だろう、と思いつつもライツは淡々とトゥーラに答えた。

 

「だから師匠の性癖は僕も詳しくは知らないって言ったでしょ?」

 

 丁寧に喋るのも面倒になり、ライツはいつもの口調で喋っていた。トゥーラはあけすけに話をし始めたライツが気に食わなかったのか、最初は酷く不快そうな顔をしていた。准魔導師に対する口の利き方ではないと注意されたが、正直なところライツにはトゥーラの言う意味がよく判らなかった。

 

 塔内の弟子には階級がある。だがそこに上下関係は存在しない。例えば塔内で一番階級の高いアルセニエフが相手でもみんな気さくに話し掛けるし、間違っていれば遠慮なく指摘する。そしてアルセニエフも階級が下の者を馬鹿にすることは絶対にない。例え階級がどうであろうと、間違っている事は間違っているし、正しいことは正しいのだ。

 

 何度注意しても直らないライツの言葉遣いに諦めたのだろう。やがてトゥーラは注意しなくなった。

 

「だっておかしいでしょう。治療と言ってもあんな風に」

 

 トゥーラが枕に口許まで埋めて言葉を濁す。トゥーラはエタンダールに口移しで水を飲まされたことをまだ根に持っているらしい。その事だけはライツにも理解出来た。

 

 トゥーラは容姿がとても整っている。はっきり言えば美人だ。エタンダールの塔の綺麗な女性の代表と言えばサマラとシャルレラだろうか。彼女達はどちらも綺麗だが美しさの性質が随分と違う。サマラは清楚な、という表現がぴったりの雰囲気を纏っている。素朴さを感じさせるサマラとは対照的にシャルレラには妖艶な、という表現が似合う。実際、エタンダールのベッドの上にいるシャルレラと鉢合わせすることも少なくない。

 

 そんなシャルレラにトゥーラはどことなく似ている気がする。綺麗は綺麗なのだが、その美しさに言いようのない妖しさを含んでいる気がするのだ。ライツはまじまじとトゥーラを見てからこっそりとため息を吐いた。

 

「媚薬の話はしたでしょ。あの媚薬はそう簡単には効果がなくならないんだよ」

 

 まさか本当に抱かれた方が良かったの。つい、そんなことを訊きそうになってライツは慌てて言い変えた。トゥーラの話は結局はエタンダールのことばかりなのだ。自分に興味を持ってくれとは言わないが、こうもエタンダールのことばかり問われるとさすがに気分は良くない。だがライツは不快感をきっちり隠してトゥーラに笑みかけた。

 

 でも、と呟いてトゥーラが俯く。肩まで伸びた美しい赤味かかった髪がさらりと頬にかかる。恐らくトゥーラの家系の血に赤髪のトマージの民の血が入っているのだ。トマージの民の国はエヴァン国よりずっと北方に位置するという。放牧を生業とし、決まった家を持たないトマージの民を馬鹿にする者は、皮肉をこめて銅の民と呼ぶこともあるようだ。

 

 表面的な容姿を見て差別するなんて変だよね。そう考えてからライツは渋い顔をした。淫魔は見目が良くてなんぼだと豪語するエタンダールのことを思い出したからだ。いや、それは淫魔の話だから、とライツは浮かんだ考えを頭から追い出した。

 

「思い出さない方がいいって言ったでしょ」

 

 少なくともその方がトゥーラにはいいはずだ。そう思いながらライツは何度目かになったせりふを繰り返した。普通、あんな目に合わされたら言われなくても思い出すのを嫌がるのではないだろうか。なのにトゥーラは何故かわざわざその話を蒸し返すのだ。

 

 トゥーラには訊きたい事はある。トゥーラが身に着けている首飾りの件だ。何故、トゥーラはあんなものを着けているのだろう。准魔導師という階級からすると、恐らくトゥーラも彼らの使った攻撃魔術らしいものは使えるのだろう。なのにあんな目に遭って抵抗出来なかったのは、あの首飾りのせいなのではないだろうか。そのことを知っていたらトゥーラも自分からネックレスを身に着けたりしないだろう。




主人公のイライラは判る気がww


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ふける夜に

ヒロインの警戒心ゼロ。


 それにトゥーラを拉致した連中は妙なことを言っていた。ライツは考えながら床に置いておいた荷物から薄い布を取り出した。替え用の服を数枚ほど引っ張り出す。

 

「何をしているの?」

 

 枕に顎を押し付けていたトゥーラが顔を上げて言う。ライツはちらりとトゥーラを見てから壁際の大きな長椅子に横たわり、布と着替えを身体の上にかけた。

 

「ここで寝るんだよ」

 

 一緒のベッドに入る気にはならない。そう言うとトゥーラが眉を寄せて困ったような顔をする。実は宿に入ってすぐ、借りる部屋数を店主に問われてライツは二人の部屋を別に取ろうとした。だがトゥーラがそれはもったいないから一部屋でいいと言い張ったのだ。

 

 貞操観念が薄いのかな。布と服とで作った即席の布団の下で身じろぎしてライツは考えた。この宿には幸い風呂があった。トゥーラは部屋だけでなく風呂にも一緒に入ろうと言っていたのだ。さすがにライツはそれは丁重に断った。

 

「何故? 一緒に寝ればいいでしょう?」

 

 驚きの表情で言ってトゥーラがぽんとベッドを叩く。ライツは目を細めてトゥーラを見てからため息を吐いた。

 

「僕はここでいいよ。じゃあ、おやすみ」

 

 一方的に挨拶してライツは即席の布団に潜った。だがすぐに視界が明るくなる。ライツは明かりに目を細め、次いで布団をめくり上げたトゥーラを見た。トゥーラは何が気に入らないのか目を吊り上げている。

 

「後であの男に文句を言われるのは嫌なの!」

 

 怒りを満面にたたえてトゥーラが強い口調で言う。また師匠か、と内心で呟いてからライツはのろのろと身を起こした。

 

「だから、師匠は僕が長椅子で寝た程度では文句なんて言わないよ。トゥーラさんの考えすぎじゃないかな」

「いいから!」

 

 厳しい顔をしてトゥーラがライツの腕を引く。ライツは渋々と長椅子から降りた。ベッドの前まで引っ張られたところでライツは額を押さえて低く呻いた。どうやらトゥーラは本気で一緒に寝ようと言っているらしい。

 

 もしかして僕、安全だと思われてるのかなあ。そんなことを思いつつ、ライツは諦めて言われるままに部屋履きのスリッパを脱いでベッドに上がった。部屋の明かりを落としてからトゥーラがライツの隣に横たわる。おやすみなさい、と当り前に言われてライツは挨拶を返して目を閉じた。

 

 ゼクーの話ではトゥーラは普段は病的なほど人を避けているということだった。ライツが何故、と訊ねたところ、理由は判らないとゼクーは答えた。だがゼクーは恐らくトゥーラを心配していたのではないのだろう。どうして事件が発生したかをゼクーなりに解析した結果、そういうトゥーラの性格が問題だと思ったに違いない。

 

 恐らく弟子の起こした不祥事について、ゼクーは塔の在り方を問われることになる。所属の弟子の起こした問題は塔内で処理したい、というのがゼクーの要望だったが、事件の報告をしたライツはそれをあっさり却下した。弟子が起こそうが何だろうが罪は罪としてきちんと償うのが筋であり、私刑のような真似はすべきではないと主張したのだ。

 

 不承不承でゼクーは頷いてはみせたが、最後の最後まで渋っていた。そのことでライツはゼクーの塔についての不信感を一層強くした。そしてトゥーラはその塔で認められた准魔導師であるという。だが魔術の光を見た時の驚き方から考えると、常識そのものが塔によって異なっているのではないだろうか。

 

 だが例えどういう経緯があろうとも罪は罪だ。そして恐らくあの男達の背後には誰かが居る。

 

「ごめんなさいね」

 

 ふと、トゥーラが囁くように言う。ライツは驚いて慌てて目を開けた。だが窓から差し込む細い夜の月の明かりだけではトゥーラの表情は読み取れない。

 

「何で謝るの?」

 

 仕方なくライツはトゥーラの表情を読み取るのを諦めて直に訊ねた。するとトゥーラがちょっと笑って何でもないわ、と小声で言う。

 

 もしかしたらトゥーラは人を避けているのではなく、人に近づくのが苦手なのかも知れない。だが、あんな事の後だ。やはり不安なのだろう。だから一緒に寝ようと言い出したのではないだろうか。だが、自分にトゥーラをどうにかしようという気はないからいいが、もしもその気がある男が相手なら大変な事になりかねない。ライツは眉を寄せて別にいいけど、と答えた。

 

 仕方ないな、と心の中でだけ呟いてライツは言った。

 

「師匠の話、聞きたいんでしょ?」

「え?」

 

 唐突に言った事に驚いたのかトゥーラが小さな声を返す。軽く笑ってからライツはエタンダールの普段の生活について話し始めた。最初は黙って聞いていたトゥーラも話が進むうちに笑いを漏らし始めた。

 

 女性の絡んだ話を除いてもエタンダールの日常にはかなり面白い点が多いらしい。いつも傍にいるライツはそうは思わないのだが、いつだったか他の弟子に話をしたところ、意外にも面白がられたことがあるのだ。そのことを思い出しながらライツは慎重に話を進めた。だがあくまでも口調は軽く保つ。

 

 やがてトゥーラは寝息を立て始めた。よほど不安だったのか、トゥーラはしっかりとライツのローブの裾をつかんでいる。ライツはトゥーラが寝入った事を確認してから、心の中でエタンダールに詫びた。トゥーラが出来るだけ安心出来るように話を幾つか自己流に捻ってしまったのだ。

 

「まあ、あの程度は師匠も怒らないかな」

 

 そう呟いて欠伸をしてからライツは肩まで布団を引っ張り上げた。




警戒心がゼロなのには理由があるんですが……。
主人公はたまったものではないですね!


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四章
朝食の間に説明を


段々とエピソードタイトルが辛くなってきました……。
番号だけでいいかなー、もう(泣)


 眠い目を擦りながらトゥーラはベッドを降りた。窓を大きく開けて新鮮な朝の空気を部屋に入れる。トゥーラが水差しから洗面器に移した水で顔を洗い始めた頃、ライツがベッドの上に身を起こした。

 

「おはようございます」

 

 にこやかなライツの挨拶にトゥーラは小声でおはよう、と答えた。昨夜のことを思い返すと顔を合わせるのが少し恥ずかしい。

 

 ライツはまるで何事もなかったかのように平然としている。用を足してきますと部屋を出て行った後、しばらくしてから朝食をお願いしておきましたと笑顔で戻ってくる。顔を洗ってローブのよれをきちんと正す。当り前の顔で身支度を整えるライツをトゥーラは何気なく眺めた。

 

「昨日は眠れましたか?」

 

 短い髪を手早く櫛で梳いてからライツが言う。着替えをするのも忘れてぼんやりとしていたトゥーラは慌てて頷いた。

 

 トゥーラはこういった宿に泊まるのは初めてだった。緊張と不安を押し隠してトゥーラは平然と振る舞っていたつもりだった。自分たちは遊びに来ている訳ではない。浮ついてはしゃぐ必要はどこにもないのだ。そうは思うのにどうしても落ち着かない。

 

 ライツは何故か二人の部屋を別々に取ろうとしていた。もったいないとそれを制したのはトゥーラだ。その時のライツは何やら難しい顔をしていた。

 

 出会ってまだ間もないライツのことをトゥーラは当然、殆ど知らない。だがライツの言動を見ていると年齢の割に大人びている気がするのだ。最初はエタンダールの側仕えを務めているのだから、とトゥーラも納得していたのだが、ライツのいやに達観した喋り方はそれだけでは説明出来ないと考え始めた。何をどうしていいのか判らずうろたえるトゥーラに代わり、宿の主人と交渉したのはライツだ。そして地図を見ることもなくここからリュバーンの森までの経路をライツは正確に示してみせたのだ。

 

 ライツと同じ年だった頃、トゥーラは必死で勉強をしていた。他のことには一切目もくれず、勉強以外に考えることと言えばどうやって人を避けようかということだけだった。出来るだけ人を遠ざけていなければ気持ちが悪かったからだ。だが何故かライツは傍にいても嫌悪感がない。それどころかどうしてだか心が和むのだ。

 

 着替えを済ませたトゥーラは荷物をまとめて宿の食堂に向かった。だが先に部屋を出た筈のライツの姿がない。怪訝に思いつつもトゥーラは宿の主人に言われるままにテーブルについた。

 

 ふと、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。その声にひかれてトゥーラは食堂の奥を見た。どうやら奥は調理場になっているらしい。聞こえてきたのはライツの声だ。しばらくの後、調理場から出てきたライツは荷物とは別に片手に何かを握っていた。

 

「得しちゃったな」

 

 嬉しそうに言いながらライツがテーブルを挟んで向かい側に腰掛ける。トゥーラはライツの手に握られた草を見て眉を寄せた。

 

「それはなに?」

「あ、これ? 香草の一種なんだけど」

 

 料理を運んできた宿の主人に笑顔で礼を言ってから、ライツは握った草を大事そうに荷物の中にしまいこんだ。香草、と呟いてトゥーラはライツの荷物と目の前の料理とを見比べた。ライツが握っていたのはただの雑草にしか見えなかった。香草という事はきっと料理に使うものなのだろう。だがどうしても目の前の料理と先ほどの草が結びつかない。

 

「野菜の皮むきの手伝いをしたらくれたんだよ」

 

 カトラリーを手にしたところでトゥーラは動きを止めた。出された料理は野菜や肉を一緒に煮込んだ美味しそうなスープだ。それに焼きたてのパンの入った籠もテーブルには置かれている。

 

「皮むき?」

「皮むきしたことない?」

 

 早速、料理を口に運んでライツが口許に笑みを浮かべる。からかわれているのだと気付いたトゥーラはライツを睨んだ。

 

「し、失礼ねっ。そのくらい、わたしだって」

「果物を食べる時に自分で皮を剥くっていうのはなしね」

 

 あっさりとライツに切り返され、トゥーラは言葉に詰まった。言い当てられて押し黙ったトゥーラにライツが笑みかける。

 

「まだ一緒に行動し始めて間もないけど、僕にも判ったことがあるんだ」

 

 ライツはスープに千切ったパンを浸して口に運んでいる。渋い顔で食事を始めたトゥーラはなに、と機嫌の悪い声で聞いた。

 

「トゥーラさん、実は箱入り娘でしょ?」

 

 口にパンを放り込んでライツが上目遣いにトゥーラを見る。その目に昨日までは感じなかった感情を見取ってトゥーラは憮然となった。人好きのする微笑みとは全く違い、悪戯っぽいものを含んだ笑い方をするとライツはがらりと違った雰囲気を帯びる。そのことにトゥーラは驚いていた。

 

「地図の見方は知ってるみたいだけど、どこを汽車が走ってるか知らない。宿ってものがあることは判ってるけど部屋の取り方を知らない。街の中にたくさん店があることは知ってるけど」

 

 そこまで言ってライツが手にしたスプーンでスープ皿の縁を軽く叩く。

 

「売られてる物の相場を知らない」

「確かにそうだけど」

 

 でも塔にいれば別段困る事はない。トゥーラは苦い面持ちでそう言い返した。塔での暮らしに地図は必要ない。汽車も乗ることはない。街での買い物は人によるだろうが、トゥーラには必要がなかったことなのだ。

 

「一生、塔にこもってるのなら別にいいかもね。余計な知識なんてない方が便利ということもあるのかも知れない」

 

 どうやら塔によって内容は大きく異なるみたいだし。ライツは淡々と言いながら浮かべていた悪戯っぽい笑みを引っ込めた。そうすると途端に元の可憐な印象に戻る。不思議なこともあるものだ、とトゥーラはついライツをまじまじと見つめてしまった。

 

「あなたはあの男の許でそういうことを学んだの?」

「どうでもいいけど」

 

 ライツは目線を下げたまますらりと言った。

 

「いいかげん、名前で呼んでくれないかな。僕にはライツって名前があるって言ったし、師匠にはエタンダールって名前があるよ」

 

 ちょっと失礼じゃないかな。厳しい指摘を受けてトゥーラは思わず食事の手を止めた。ライツがスープを静かにすくって口に運ぶ。ライツの食事をする様はとても綺麗で妙な物音は一切しない。恐らくそれもエタンダールの仕込みなのだろう。そう思ってからトゥーラは顔をめいっぱいしかめた。仕込みってなに、と下世話な言い回しを思い浮かべた自分を内心で叱りつける。

 

「ごめんなさい。わたしが授業を受け持っている弟子と似たような年齢だったから」

 

 塔で行う授業の際に、トゥーラは弟子を個人で区別することはない。弟子個人の出来などトゥーラには関係のない話だからだ。下手に個人として扱うとまた厭味を言われかねない。それに個人で扱いたいと思うほど興味を覚える相手もいなかった。

 

「……それってどうなの? 弟子は全部同じモノとしてくくってるってこと?」

 

 個人とか個性とか、そういうものは塔では必要がない。下位の弟子の教育にあたる自分がいちいち覚えていられるはずもない。何しろ塔には次々に新しい弟子が入門してくるのだ。しかも試験などで昇級した者は、ある日唐突に授業に姿を現さなくなる。そんなものを何故気にする必要があるのだろう。軍に入隊すれば彼らは駒として働くだけだ。勿論、その中には自分も含まれる。トゥーラは淡々とした口調でそう説明した。

 

 ライツが静かにスプーンをテーブルに置く。あのね、と言った後、ライツの顔から表情らしいものが消えた。両肘をテーブルについてライツは手を組み合わせた。

 

「人の生き方をとやかく言う権利は僕にはないかも知れないけど、駒ってなにさ。トゥーラさんは駒になるために入門したの?」

 

 自分で用いたのにライツの言った駒という言葉がトゥーラの胸にやけに重く響いた。そう。軍に入隊すれば魔道士は前線で戦うことになる。上にいる者の命令に従って敵を排除するのが仕事だ。そのためにゼクーの塔出身の魔道士は軍に優先的に入る事が出来る。攻撃魔術を使うこと以外に魔道士の価値はない。トゥーラは考えながら説明しつつも納得出来ないものを感じ始めていた。

 

 人を殺すのかしら。わたし。

 

 ふと、そんな考えが脳裏を過ぎる。訓練では魔術や剣で多くの的を破壊してきた。だが訓練と実戦は違う。トゥーラはそう思いながらちらりと自分の腰を見た。腰に巻きつけたベルトには当り前に鞘を着けている。その中に納まっているのは入門時に支給された短剣だ。だがその剣でトゥーラはこれまで生きた何かを斬ったことがないのだ。

 

 塔に入ればうっとうしい人との関わりはなくなると思っていた。だが、周りの人々はトゥーラの期待に反してしつこいくらいに苛めてきた。それなら今度は人を避ければいいのだと実践したら、リカルトに捕われて酷い目に合わされた。おまけに魔術も撃てなかった。

 

 もう、塔にはわたしの居場所はないのかも知れない。トゥーラは湧き起こる不安から故意に目を背けていた。だからゼクーにも魔術が撃てなかったことは言わなかった。クロードにも黙って塔を出た。リカルトが王宮の警邏隊に捕まったのなら好都合だ。彼らが口を割らない限り、自分が魔術を使えなくなったことは誰も知ることはない。

 

「返事がない、ということは少しは疑問に思ってるんだ?」

 

 静かな口調で言ってライツが組み合わせていた手を解く。その顔にはほんの少しだけ笑みが戻っていた。可憐な花を思わせるライツの雰囲気にトゥーラはぎくりとした。ライツを見ていると和むのは確かだが、同時に妙に身につまされるのだ。

 

「疑問に思ったところであなたには」

 

 そこまで言ってからトゥーラは咳払いして言い換えた。

 

「ライツさんには関係のない話でしょう?」

「呼び捨てでいいよ。たかが見習魔道士だしね」

 

 意味ありげな笑みを浮かべて言ってからライツは食事を再開した。その言葉が自分の考えていたことを見抜いている気がして、トゥーラは顔をしかめつつも食事を続けた。




ここまではなんとか見直しました。
読みづらいのと恥ずかしいのでのたうってますw


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汽車の旅 1

エピタイだけつけて下書きで放置していたのですが……。
見直すより先にアップする方が良さそうかも、と思ったのでアップします。
長かったので二分割です。

あ、この話は基本的にエロシーンはありません。


 宿を出た二人は真っ直ぐに街の中央にある駅に向かった。ここから先はまず汽車に乗ってクオーレ高原に向かう。クオーレ高原は避暑地としても利用されており、道も作られているから歩くのに支障はない。そのクオーレ高原を横切った先にリュバーンの森はあるのだ。

 

「いい? 絶対に鞄から出しちゃ駄目だからね」

 

 小声で忠告してからライツはため息を吐いた。駅で乗車切符を買おうとした時にトゥーラが財布を出したのだが、その中身が普通じゃないのだ。たまたまトゥーラの財布の中を見たライツは仰天した。トゥーラはライツの所持金の数倍ではきかないほどの大金を財布に突っ込んでいたのだ。

 

 これまでに何度怒鳴りつけようと思っただろう。ライツは苛々しながら駅のホームで汽車が来るのを待った。宿代や切符代は全てライツの立替だが、あんな大金をちらつかせてくれるよりはよほどましだ。

 

 トゥーラは渋々の態でライツの忠告に頷いた。ただでさえ意見が食い違っているのに、いちいちそんなことまで言わなきゃならないなんて。そう思いつつライツは横目にトゥーラを伺い見た。

 

 二人の価値観には大きな差がある。気にし始めたらきりがない、と最初は考えないようにしていた。が、トゥーラは見習いだからと馬鹿にしているのか、何かにつけてライツの言うことをまずは否定するのだ。度重なるその態度にさすがにライツもかちんと来た。

 

 所詮、天使を探し当てるまでの関係だ。もしも天使を探し当てることが出来たらそこでどのみち意見は完全に分かれるだろう。何しろライツは天使を見つけても討伐する気がさらさらないからだ。

 

 きっとエタンダールに言ったら困った顔をされただろう。だがエタンダールは天使を助けたいと言っても多分、止めなかったのではないか。汽車を待つ間、ライツはそんなことを考えていた。隣に立つトゥーラは何が気になるのかしきりに自分の鞄を見ている。

 

 この世界は根本的には弱肉強食の理で成り立っている。それはどんなに人が知恵を得ても変わりない決まり事だ。強い者が弱い者を狩って食し、糧として命を繋ぐ。だが強さを備えていても弱者を狩らない者も確かに存在しているのだ。

 

 人は群れる事でひ弱さを克服したかに見える。群れの中で魔術という技術が生まれ、やがてそれは人同士の争いに使われることになった。そして今度は自分よりも強い者……魔物の時と同じように天使を狩ろうとしているのだ。

 

 天使については詳しいことは判らないとエタンダールは言っていた。だが、エタンダールは知らないのではなく、あえて自分から語らないだけではないだろうか。そうでなければわざわざ前に見たことがあるなどと言わなかっただろう。しかもその話を聞いたのは馬車の中だったために自分一人だ。

 

 もしも凶暴な性質をしていたらどうする。何度かライツは天使についてそう自問してみた。だが前回の件を考えるとそんなことはないのではないだろうかという気がしてならない。もしも問題がある性質をしていたなら、エタンダールは天使討伐が馬鹿馬鹿しいとは言わなかっただろう。無益な殺生だからこそ、エタンダールも嫌な顔をしていたに違いない。

 

 ふと何気なく隣を見てライツは目を細めた。トゥーラは剣を身に着けており、当然ながら天使を狩る気でいる。いざとなったらこのトゥーラを出し抜いて天使を連れて逃げる算段をしなければならないのだ。出来るだろうか、と自問してライツは出来ると心の中で答えを出した。

 

 蒸気の煙を上げてホームに着いた汽車にライツはトゥーラと共に乗り込んだ。空いた席を陣取って荷物を降ろす。トゥーラは汽車に乗るのも初めてなのか、物珍しそうに周囲を見回している。その様はまるで子供を思わせる。

 

 出来る。警戒されていたら判らないが、トゥーラはライツを見習いだと舐めきっているようだ。この状況でなら出し抜く事は造作もないだろう。しかもトゥーラの使える魔術は偏っている。軍に入隊する、という目的から、恐らくあの塔では魔術に完成する以前に力を暴発させる方法をしか教えていない。

 

 確かに魔術の中には暴発させれば危険なものも多い。空気を圧縮する術、火を生む術、光を生む術、それらの術を展開する際には膨大な熱が発生する。魔術の展開を失敗すると、その熱は周囲に撒き散らされる。展開とは、発生する熱や冷気を処理する技術という意味も含まれているのだ。

 

 この汽車のように、魔道力を含む砂を魔道器を用いて暴発展開させ、それによって生じた熱で蒸気を発生させると言った使い方もあるにはあるが、わざわざ魔道士が行うには非効率すぎる。

 

 師匠に抜き書きを命令されなかったら判らなかったままだったな。窓の外を流れる景色に目をやりながらライツは微かに笑った。トゥーラは珍しそうに窓にしがみついている。そうしていれば無邪気な子供に思えて少しも腹立たしくないのに。そんなことを考えつつ、ライツは鞄から小さな皮袋を引っ張り出した。物音に気がついたのだろう。トゥーラが不思議そうにライツの手元を見る。

 

「ほら、手を出して」

 

 笑顔で言ってライツは皮袋を差し出されたトゥーラの手に傾けた。皮袋からトゥーラの手に幾つかの色とりどりのキャンデーが転がり落ちる。驚いた顔をするトゥーラに笑ってからライツは自分の口にもキャンデーを一つ放り込んだ。

 

 溶けたらもったいないから、とトゥーラはハンカチの上にキャンデーを乗せ、中の一つを口に入れた。

 

「そういえば疑問に思っていたのだけれど」

 

 それまで楽しそうに窓の外を見ていたトゥーラが妙に真面目な顔になって言う。ライツは座席の背もたれに身体を預けつつ何事かと訊いた。

 

「どうしてライツたちはあんなに早く来る事が出来たの?」

 

 どうやらトゥーラが捕われていた場所に駆けつけた時のことを言われているらしい。足りない言葉を頭の中で補完してライツはああ、と頷いた。

 

「師匠が飛行の術を使ったんだよ」

 

 だが、本当に急ぎの時でなければエタンダールもそんな術は使わない。何しろあの術は魔力の消費が激しいのだ。飛行の術は魔術の一つとして弟子達はごく当り前に学ぶが、准魔道師のアルセニエフですら使ったことはないのではないだろうか。それほどあの魔術は術者の負担が大きいのだ。




書いた当時、汽車と帆船はある世界観、というのはぼんやりとあった気がします。


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汽車の旅 2

大幅に改稿予定ではあるんですがー(汗)
ちょっち今は無理そうなので半ばヤケクソでアップです。


 エタンダールに命じられて魔力と展開論について抜書きした際、気付いたことが幾つかあった。その中で最もライツが気になったのはエタンダールの魔術を展開するためのスペースの大きさだ。エタンダールの魔力の大きさは誰もが認めるところだが、本当の凄さは別のところにあるのではないかという気がするのだ。

 

 魔力は理論上は増幅出来る。微量ではあるが自然の中から摂取することも可能だし、他者から魔力を吸収する魔術も存在する。魔石と呼ばれる宝石にも魔力を封じ込めたものがあるし、魔力を増幅する方法はライツの知識量でも幾つか思いつける。だが魔力を納める器……つまり、展開の隙間を含んだ容量そのものを意図的に大きくすることは出来ないのだ。

 

 高位の魔道士になればなるほど、所有する魔力を小さく畳む技術に優れていることは魔術書にも記載されていた。だが、その魔力を畳む技術に関しては深いところまでは記されていない。そのことからライツは魔力を畳む技術は基礎魔術の応用なのではないかという結論を導き出したのだ。

 

 エタンダールは問題を投げかけても簡単に答えはくれない。だがその結論を記したライツの書付をエタンダールはわざわざ印刷して講義に使用したのだ。つまりは間違っていないってことだよね。そう内心で呟いてからライツは伏せていた目を上げた。

 

 訝りの感情に満たされたトゥーラの表情を見取って思わず眉を寄せる。ライツはため息を吐きながら渋々と訊ねた。

 

「もしかして飛行の術も知らない?」

「そんな術、使ったところで狙い撃ちにされるだけだわ」

 

 怒ったような口調で言ってトゥーラがそっぽを向く。確かに戦場においてのんびりと空を飛んでいればトゥーラが言うように狙い撃ちにもされるだろう。が、エタンダールの使う飛行の術はトゥーラが考えているような生易しいものではない。何しろエタンダールはわざわざ周囲に空気の膜を作り出してからもの凄い速さで飛ぶのだ。その速さは鳥等とは比べ物にならない。あれをもしも撃ち落せるなら大した狙撃の腕だ。

 

「僕は知ってるか知らないかを訊ねただけなんだけどな。トゥーラさんのは感想でしょ。質問の答えにはなってないね」

 

 まあいいけど、と付け足してライツは窓の外に目を向けた。今日は朝からよく晴れている。街を過ぎた汽車はのどかな田園風景の中を走っており、日差しを受けた景色が眩しく目に映る。ライツはのんびりと窓の外の景色をしばし眺めてからちらりとトゥーラを見た。

 

 やっぱり怒ってる。不機嫌そうなトゥーラの表情を見てライツはこっそりとため息を吐いた。口の中でキャンデーを転がしながらトゥーラはそっぽを向いている。どうやら指摘されたことが気に入らなかったらしい。

 

 塔でトゥーラは一体どんな生活をしているのだろう。ふと興味を覚えてライツはそのことを訊ねた。最初は嫌そうな顔をしていたトゥーラも気が向いたのか少しずつ自分の事を話し始めた。もしかしてトゥーラは塔の中で相当に苛められていたのではないだろうか。トゥーラははっきりとは言わなかったが、ライツは話を聞くうちにそう見当をつけた。

 

 ゼクーはトゥーラを手元に置いて特別に扱っていたらしい。それも苛めを助長する要因の一つになったのだろう。だがゼクーはトゥーラが苛めの対象になりそうだと予見していたのではないだろうか。だからこそ手近なところに置き、問題を未然に防ごうとしていたのではないか。

 

 まあ、逆効果だったみたいだけど。トゥーラの話を聞くうちにライツは無意識に渋い表情になった。どうもトゥーラは人と接するのが苦手というよりは、極端な男性不信のようだ。話を聞きながらそう感じたライツは次第に機嫌が悪くなった。

 

 ちょっと喋りすぎたかしら、とトゥーラが首を傾げる。そんなトゥーラの仕草をじっと見つめ、ライツは心の中で密かに呟いた。

 

 判った。安全だと思われてたんじゃない。僕は最初から男だと思われていなかったんだ。トゥーラの話からそう解釈してライツはそっとため息を吐いた。道理で綺麗な髪だの可愛い顔だのと誉める訳だ。言われたライツはまたか、としか思わなかったのだが、トゥーラに悪意はなかったらしい。てっきりトゥーラが厭味を言っているのだと思っていたライツは少しだけ考えを改めた。

 

 だが今さら男だと明かしたところで警戒されるだけだろう。トゥーラの性格なら逆に怒り出すかも知れない。勘違いされたままというのは腹立たしいが、波風を立てるよりはましだ。そう結論付けてライツは自分の性別を

黙っておくことに決めた。

 

 汽車を二度乗り継いで高原の傍の小さな町にたどり着いた頃、周囲はもう夕暮れに包まれていた。半日ほどを汽車の中で過ごして疲れたからか、トゥーラの口数は極端に減っている。丁度いいや、とライツも余計なことを言わず、宿を探して歩いた。討伐隊に加わっている他の者たちより自分たちは早く森に近づいているはずだ。彼らは一旦、王宮から自身の塔に戻って森に向かうに違いないからだ。

 

 他の者に天使を先に見つけられては手の出しようがない。だがもしも自分が真っ先に見つけることが出来たなら。

 

 そこまで考えてライツは力なく笑った。気の遠くなるような確率の低さだ。派遣される人数は各塔から一名以上。この国には三十二の塔がある訳だから、最低でも三十二人以上の人間があの森に入るのだ。幾ら広い森だと言ってもどこに天使がいるのか判らない以上、自分達が探し当てられる確率は低い。いや、それどころか天使が見つかるかどうかすらも判らないのだ。

 

 でもやる前に諦める気にはならないしね。そう呟いて一人頷いたライツにトゥーラがどうしたのかと声をかける。ライツは看板のかかった宿を指差してあそこにしよう、とトゥーラを促した。




この辺りで書き直さないとと思っていたので止まってたんですよね……(泣)
修正出来れば後でがっつり修正したいです。


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階級と階梯

この話の更新はかなり久しぶりです。
良かったらよろしくお願いします。


 宿で二泊目の夜を迎えたトゥーラはまた強引にベッドにライツを引っ張り込もうとした。一度一緒に寝たのだから構わないだろう、というトゥーラにライツは仕方なさそうな顔で諦めたようにため息を吐いた。

 

「あのね。これは言いたくなかったけど」

 

 床に座り込んだライツが渋い顔をしてみせる。だがトゥーラは自分の意見を引っ込める気はさらさらなかった。何故なら今日の泊まり宿は昨日のところよりも狭く、部屋にあるのはベッドと洗面用の台、二脚の椅子と小さなテーブルだけなのだ。

 

「トゥーラさんって人と関わるのが苦手なんじゃないの? なのに何で僕を寝床に引っ張り込もうとするのさ。もしかして変な趣味でもあるの?」

 

 きっとライツはわざと怒らせようと腹の立つ言い回しを選んでいるに違いない。そうは思ったが、やはり言われてすぐはトゥーラもかちんときた。思わず顔を歪めたトゥーラを見てライツが薄い笑みを浮かべる。その笑みが馬鹿にしているように見え、トゥーラの不快感はより強くなった。

 

「だからって床で寝ることはないでしょう!」

「だから部屋は別々にするべきだって僕は主張したでしょ。嫌だって言い張ったのはトゥーラさんだよ」

 

 すかさず言い返してライツがやれやれとわざとらしいため息を吐く。そこでトゥーラは怒りに目を吊り上げ、手にしていた掛け布をライツに投げつけた。トゥーラが強引に引き剥がした布はふわりと広がってライツに触れてあっけなく床に落ちた。

 

「今度は癇癪? あのさあ、我がままもいい加減にしてよ」

 

 投げつけた布を綺麗に広げて足元に掛けてから、ライツが視線を上げてトゥーラの頭からつま先までを眺める。その視線がまるで検分しているようにも思え、トゥーラは腕組みをして顔をしかめた。

 

 ライツのまとう雰囲気は表情でがらりと一変する。だがそれはどうやらライツも意図的にしているようだ。最初によく見せていた穏やかな笑みは、要するに初対面の自分に対する愛想だったらしい。次第にその笑みは顔に浮かぶ事が殆どなくなり、今度は逆に皮肉な薄い笑みをたびたび見せるようになった。そうすると不思議なことにライツはあのエタンダールに何故かよく似て見えた。

 

「僕が床で眠ったところで師匠は文句は言わないよ。もう、いいかげんに絡むのは止めてくれないかな。酔っ払いじゃあるまいし」

 

 呆れた口調で言ってからライツがおやすみ、と一方的に挨拶して布を被る。トゥーラは憤りに任せてまた布を剥ぎ取った。

 

「もう! いい加減にしてよ!」

 

 声を荒らげたライツをトゥーラは胸を反らして見下した。今日の宿には寝巻きが用意されていた。少し大き目の寝巻きを身に着けたライツを睨みながらトゥーラは口許を歪めて笑みを作った。

 

「もしかして床で寝るのが好きなの? それともあなたの居る塔にはベッドもないのかしらね」

 

 ひょっとしたら見習は全員が床で寝起きしているのか。トゥーラはあの男ならやりかねない、と笑い混じりに言った。するとライツが怒った顔でトゥーラの手から布を奪い取る。

 

「気に入らないことを言われたら、今度は言いがかり? あのねぇ」

 

 しっかりとトゥーラと向き合ってからライツが深いため息を吐く。

 

「一緒に寝なさい? ベッドに入りなさい? いいから黙ってわたしの言う事には従いなさい? 何でいちいち命令なのさ。それって僕を馬鹿にしてるの?」

 

 すらすらと言ってからライツは疲れたような笑いを浮かべた。その表情にトゥーラはぎくりと身を竦めた。どうもライツの表情の変化が気になってならないのだ。だが強い怒りを感じていたトゥーラの口は止まらなかった。

 

「命令なのは当り前でしょう。ライツは見習、わたしは准魔導師なのよ?」

 

 だが馬鹿にしているつもりはない。それが塔では当り前だったし、誰も文句など言わなかった。トゥーラも下位の弟子の頃は上の弟子からよく命令されていたものだ。

 

 塔では誰も疑問に感じることなく上の者の命令に従う。それが当然だし、そのやり方だからこそ統率がとれるのだ。効率のいい方法だとトゥーラは常日頃感じていた。決められた時間に決められた行動を取り、そして決められた時間に眠る。見習から准魔導師まで、全ての弟子はあらかじめ決められた予定表に従って行動するのだ。

 

 中には極端に出来の悪い弟子もある。規律や予定表に従えない弟子は結局は塔を辞めていく。おちこぼれと言われる彼らはひっそりと出て行き、二度と塔には姿を現さない。

 

「階級って何のためにあるか知らないの?」

 

 つらつらと考えていたトゥーラはライツの声に我に返った。ライツは驚いたような顔をしている。トゥーラは不愉快に思いつつも知っていると答えた。

 

「上の者が下の者を統率するためにあるものよ。だから下位の弟子は当然、上位の弟子に従うべきなんだわ」

「違う。魔道士の階級は確かに軍からの流れで残っているものだけど、軍で行われているように上下関係で人を管理するために使われてる訳じゃないんだ」

 

 管理。ライツの淡々とした説明に引っかかりを覚えてトゥーラは呟いた。何故かは判らないが苛立ちがこみ上げてくる。

 

「他にどんな理由があって階級付けするというの。優れた者が人の上に立つのは当然でしょう?」

 

 だから屈指の魔道士の五人には上級魔導師という特別な位が与えられている。彼らは魔道士の頂点に立つべき存在だからだ。

 

「……根本的に判ってないみたいだね」

 

 しかめっ面で言ってライツは床の上で胡座を組んだ。足を開いたその下品な格好をトゥーラが注意する前にライツは言葉を継いだ。

 

「魔道士の階級は、段階を踏んで知識を入れるという効率を考えて残されてるんだよ。どんなに意欲のある人間でも多くの分野に渡る知識を一度に得るのは難しい。だから、段階を踏んで学ぶために階級は残されているんだ」

 

 階梯と呼んだほうがいいかもしれないね。そう呟いて、ライツは説明を続けた。

 

 知識にしろ魔術にしろ、基本的なものが入っていなければその先にどんなことを学んでも無意味だ。階級が上がる、ということはその前の階級で学ぶべきことをきっちりと学び取ったという証でもあるのだ。

 

 だが魔術の力というものは扱いが非常に難しい技術だ。それ故に進級には慎重にならなければならない。何故なら修得項目に抜けがあった場合、痛い目を見るのはうっかり進級した当人だからだ。それ故に塔ではエタンダールが直々に進級のための試験を行う。ライツの説明をそこまで聞いてトゥーラは驚きに目を見張った。

 

「あの男がわざわざ? 弟子の一人一人の進級の面倒を見ると言うの!?」

「塔を何だと思ってるのさ」

 

 塔を運営するというのは、所属する弟子に対しての責任を取るということだ。生真面目な表情でライツはそう続けた。

 

 ゼクーの塔ではゼクーが直に弟子の面倒を見ることは殆どない。全てが予定表に従って進行し、ゼクーは稀に統率者に指示を出すだけだ。試験は勿論、筆記と実技で行われるが、試験官は上位の弟子が務め、本人に合否の通知がなされた後で結果表がまとめてゼクーに渡る。それがトゥーラの知る昇級の方法だ。

 

「効率が悪いわ」

 

 ライツの言う事にも一理あるのかも知れないと思いつつもトゥーラは不快感をあらわにして言い返した。するとライツが鼻で嗤う。

 

「最も効率のいい方法だと僕は思うね。師匠なら見誤ることは絶対にない」

 

 絶対、というところに力をこめてライツが言う。挑戦的なその態度にトゥーラはむきになって更に言い返そうとした。

 

 だが言い返すべき言葉が見つからない。トゥーラが懸命に言葉を探している間にライツは笑いつつ言った。

 

「准魔導師を務める人間の言葉とは到底思えないね。今まで一体、何を学んできたのさ」

 

 そう言われた瞬間、トゥーラの頭に一気に血が昇った。言葉を探す余裕もなく、トゥーラは思わず右手を揮った。鋭い音がしてライツが横を向く。平手で打ってしまってからトゥーラははっと我に返った。

 

「……僕が言いたかったのはね。命令するんじゃなくて、不安だから一緒に寝てって頼めばいいじゃないってことだよ」

 

 でももうそんな気もしないでしょ。打たれた頬を押さえて淡々と言ってからライツは床に横たわった。足元の布を肩まで引っ張り上げてトゥーラに背を向ける。トゥーラはしばし呆然とその場に佇んでいた。




殴らせて解決するってずるいと思うんですよね……w


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美味しい食事と本当のこと 1

長かったので二分割してあります。


 あー、もう!

 

 ライツは黙々と食事をしつつ内心で叫んだ。宿の主人は無愛想だがとても美味い朝食を用意してくれた。なのにトゥーラは落ち込んでいるのか、今朝は食事は要らないと部屋にこもったままだ。

 

 ふんわりとした卵も、香味野菜の混ざったサラダも、丸い特徴のある焼きたてのパンも、ミルクで伸ばしたスープもこんなに美味いというのに、それを食べたくないなどというトゥーラの気が知れない。ライツは仏頂面で食事をしつつ、心の底で思い切りトゥーラを罵倒した。

 

 おまけにこの腸詰も美味しいしさ。ライツは二本目の腸詰にフォークを付き立てて深々とため息を吐いた。燻製にされた腸詰は程よく焼いてあってとても香ばしい。ライツは食事を続けつつ昨晩のことを思い起こした。

 

 まさかいきなり平手打ちを食らわされるとは思わなかった。なんて直情的なんだ、とぼやいてライツは腸詰を手早く片付けた。続いてスープを口に運んでこれも美味しいのに、と呟く。

 

 昨晩、ライツが床に横たわった後、トゥーラはしばしその場にいたがやがてはベッドに大人しく一人で入った。明かりの落ちた部屋の中ですすり泣くトゥーラの声が聞こえ、ライツは随分と長い間寝付けなかった。

 

 たかが平手打ち程度のことを何でトゥーラが泣くほど気にするのか判らない。塔では組み手を行うことが良くある。そしてライツの相手をするエタンダールは顔を殴るのは忍びない、とは言うが、顔面以外のところを遠慮なしで攻撃してくる。加減のないエタンダールの攻撃に目を回したことは一度や二度ではない。

 

 だってたかが平手打ちだよ。そう呟いてライツはまたため息を吐いた。

 

「泣くほど気にするんなら最初から殴らなきゃいいじゃないか」

 

 唇を尖らせて言ってからライツは皿に残っていた卵と腸詰をじっと見つめた。

 

 もしかして言いすぎたのかも知れない。そんな不安がこみ上げてきてライツは慌てて首を振った。相手は魔道師補だとやたらと強調し、それを盾に見習のライツに好き放題に命令しているのだ。何を遠慮することがあるだろう。

 

「でも女の子だし……」

 

 塔内でも女弟子には乱暴をしないように、とエタンダールはいつも口うるさく言っている。どうやっても体力的に男は勝っているのだから、女を殴るなどもってのほかだということだ。

 

 いや、僕は殴ってないし。エタンダールの言葉を思い出してライツは頷いた。殴られたのは自分なのだ。だから悪くない。そう自分に心の中で言い聞かせてからライツは食事の手を止めた。

 

 もしかしたらトゥーラは馬鹿にしているのではなく、本当に何も知らないだけではないだろうか。そんな考えが頭を過ぎる。だとすると昨日の自分の言葉はトゥーラを傷つけてしまったのではないか。例え実際に手で殴らなくても、人は言葉で殴ったり切り付けたりすることが出来る。トゥーラが泣いていたのは酷く傷ついたからではないか。そう考えるとライツは憂鬱になった。

 

 食事を終えて部屋に戻り、ライツは荷物をまとめて背負った。トゥーラはすっかり支度を済ませている。多少、目の周りが赤いのはきっと昨夜に泣いていたせいだろう。だがライツはあえて気付かない振りをしていつも通りに振る舞った。トゥーラは落ち込んでいるのか、受け答えする声にも張りがない。

 

 宿を出て高原に入ったところでライツは手元の地図と立て札とを見比べた。どうやら高原を横切るには道なりに進めばいいようだ。そのことを伝えるとトゥーラは黙って頷いた。やっぱりまだ気にしてる、と心の中でだけ呟いてライツは素知らぬ顔で道を進んだ。トゥーラは少し遅れてライツの後をついてくる。俯き加減のトゥーラを何度目かに振り返ったところでライツはあー、と低い声で言って足を止めた。驚いたようにトゥーラが顔を上げる。

 

「休憩」

 

 仏頂面で言ってライツは道の脇に向かった。馬車が一台通れる幅の道の左右は柔らかな緑の草に覆われている。ライツは短い草の上に荷物を降ろし、中から布を取り出した。四つに折って草の上に広げてからトゥーラに顎をしゃくる。戸惑った顔をしつつもトゥーラは大人しくその布の上に腰を下ろした。

 

「ほら」

 

 荷物を探って大きなハンカチの包みを差し出しながらライツは機嫌悪く言った。トゥーラがライツの差し出したハンカチの包みを見下ろして小声で言う。

 

「なに」

「いいから、ほら! もう、そんな泣きそうな顔で歩いてないでよ! 僕が苛めたみたいじゃないか!」

 

 そうまくし立ててライツは手にしていた包みを強引にトゥーラの手の上に乗せた。トゥーラが顔をしかめて包みを開く。中身が現れたところでトゥーラが驚きに息を飲むのがわかった。

 

 ハンカチの中には特徴のある丸いパンが入っていた。切込みを入れたパンには腸詰と卵が挟まれている。ライツが宿の主人に頼んで作ってもらったのだ。

 

「これ、わたしに?」

「だってトゥーラさん、食事に来なかったでしょっ。捨てるのもったいないじゃないかっ」

 

 口早に言ってライツは荷物から水筒を取り出し、トゥーラの膝元に据えた。それからふん、とそっぽを向く。早く食べてよね、と不機嫌に言ってからライツはちらりとトゥーラに目をやった。トゥーラの表情は変わらず暗かったが、口許には辛うじて笑みが浮かんでいる。消え入りそうな声でありがとう、と言われてライツは慌てて余所を向いた。

 

 高原は広く、周囲は青い草に包まれている。時折吹く爽やかな風が撫でて草を揺らす。その様をライツはぼんやりと見つめた。先の試験で描いたのはこのクオーレ高原の様子だった。青い空に緑色の草、所々に見えている灰色の石、それらをライツは魔術で作った色粉で描いたのだ。

 

 結果は不合格だった。だが未だにどこがいけなかったのか判らない。まるで現実の光景を写し取ったようにライツの絵は精巧に出来ていた。他の弟子もライツの絵を見てそう言っていたのだからただの自画自賛ではないという自信がある。だがエタンダールはその絵を見て駄目だと言ったのだ。

 

 何がいけなかったんだろう。エタンダールは頭が硬いと笑っていた。だがあの絵の何を見てそう言われたのかがライツは未だに判っていなかった。クオーレ高原は気候が変わりやすく、よく雨が降る。そして雨の後は空に美しい虹がかかる。その様もあの絵には描かれていた。

 

「ご馳走様」

「あ、うん」

 

 考えに没頭していたライツはトゥーラの言葉に生返事をした。トゥーラがパンくずを叩き落としてハンカチを丁寧に畳む。差し出されたハンカチをライツは慌てて受け取った。多少は元気も出てきたのだろう。トゥーラは暗い顔はもうしていない。少し力なくはあるが笑う元気もあるようだ。よし、と頷いてライツはハンカチと水筒を荷物にしまいこんだ。最後に布を手早く畳んで荷物に入れる。




この話には基本的にはエロシーンはありません、念のため。


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美味しい食事と本当のこと 2

前の続きです。
この辺りからトゥーラの地が出てきます。


 この分だと夕刻までには高原を横切られるだろう。そう算段してからライツはふとトゥーラに話を振った。トゥーラは相変わらず半歩遅れてライツについて歩いている。

 

「ねえ。トゥーラさんは何で魔道士になろうと思ったの」

 

 ぴたりとトゥーラが足を止める。ライツは不思議に思いながらトゥーラを振り返った。特に傷つけるような質問ではなかったと自分の言葉を心の中で繰り返してからライツはどうしたのかと問いかけた。だがトゥーラは唇を引き結んで固い表情をしている。

 

「もしかしてまずいこと訊いた?」

 

 昨日の今日で不安を覚えたライツは眉を寄せてトゥーラを見つめた。だがトゥーラはいいえ、と答えてまた歩き出す。今度はライツがトゥーラに並ぶ格好で少し歩調を落とした。

 

「わたしは魔道士になりたい訳ではなかったの。塔に入門して軍に入隊すれば煩わしいことから切り離されると思ったから」

 

 説明するトゥーラの声は冷め切っている。やっぱりまずいこと訊いたみたい、と心の中で呟いてライツは素知らぬ顔でふうん、と答えた。

 

 最初は魔道士になりたいとは全く思わなかったのだとトゥーラは話を続けた。トゥーラの父親は軍人で母親は元魔道士なのだという。トゥーラは学士館の成績が良かったのだろう。教師は魔道士になることを勧めたらしいが、両親はそれを断ったらしい。だがトゥーラ自身が魔道士になりたいと言い出した時、両親は反対はしなかったのだという。その話を聞いてライツはそうだね、と呟いた。

 

「まあ、実際はみんなそんなものなのかもね。僕も気がついたら塔にいたし。なりたいとかじゃなかったな、最初は」

 

 ライツは何の気なしに言ってからトゥーラの不思議そうな視線に気付いて苦笑した。そういえば自分の話をすることはこれまでなかったのか。そう笑ってライツは言葉を継いだ。

 

「僕は捨て子だったんだ。師匠が僕の育ての親さ。師匠は魔道士になれとは一度も言わなかったけど」

 

 周りにはいつも魔道士の弟子がいた。エタンダールや彼らから聞く話はとても面白く、もっと色んなことを知りたいと自然に思うようになった。だから弟子入りしたのだとライツは笑って見せた。

 

 ふとトゥーラの表情が沈む。どうやらライツの親が居ないことに同情しているらしい。そのことに気付いたライツは軽く笑って肩を竦めた。ついでにずれた荷物を背負い直す。

 

「気にすることじゃないよ。この国に捨て子が一体どれだけ居ると思う?」

 

 自分はその中の一人でしかない、とライツは続けた。戸惑ったようにトゥーラが視線を彷徨わせる。その目に同情とはまた別の感情を見取ってライツはくすくすと笑った。

 

「もしかして僕と師匠が本当の親子だとでも思ってた?」

 

 これまでに何度か言われたことはある。どうやら人によってはエタンダールとライツが似て見えるようだ。だがそれは傍にずっといるからそう見えるだけで、実際に似ている訳じゃないとライツはその度に説明してきた。

 

「でもとてもよく似てるから」

 

 いつものように同じ説明をしようとしていたライツは開きかけていた唇を結んだ。確かトゥーラはエタンダールをよくは思っていない筈だ。そのエタンダールに似て見えるということは。

 

「……なに。まさか僕が師匠と同じような性格だと思ってる?」

 

 途端に機嫌を悪くしてライツは仏頂面で訊ねた。すると慌てたようにトゥーラが手を横に振る。ライツは横目にトゥーラを睨んで大きくため息を吐いた。じゃあ、どういう意味さ、と訊ねてみる。するとトゥーラはしばし困惑したように黙ってからおずおずと言った。

 

「あの……顔が……」

「顔?」

 

 皺を寄せた眉間を指先で押さえてライツは思わず呻いた。少しも自慢にはならないが自分の顔が男にしては随分と優しい作りであることをライツは自覚している。対してエタンダールの顔立ちはたくましいというほどではないが、女に間違えられることは決してない。

 

「いえっ、あの、表情?」

「……あー。要するになに。師匠の意地悪い感じとか皮肉な感じとか、そういう表情が似てるって言いたいわけ?」

「ごめんなさい。確かにちょっとわたしの配慮が足りなかったわ。だって女の子なのにあの男に似てるだなんて嫌よね」

 

 機嫌悪く言い返したライツの言葉によほど焦ったのか、トゥーラが慌ててそう言い足す。そこでライツの苛立ちは頂点に達した。

 

「言おうかどうしようか、ずっと迷ってたけど!」

 

 警戒されないために黙っていようとは思っていた。が、さすがにライツは我慢出来なくなって喚いた。

 

「僕は男だからね!」

「え?」

 

 目を見張ってトゥーラが足を止める。ライツはふん、と鼻を鳴らして早足で数歩進んでから振り返った。どうしたのさ、と意地悪く声をかけるとそこで改めてトゥーラが声を張り上げた。

 

「男!?」

「悪い!?」

 

 嫌悪のこもったトゥーラの叫びに尖った声で言い返してからライツはまた歩き出した。一転して強気の態度でトゥーラが駆け寄ってくる。横に並んだトゥーラは鋭い目でライツを睨んだ。

 

「わたしを騙していたの!?」

「そっちが勝手に勘違いしてたんじゃないかっ。僕は一度も女だって言ってないよ!」

 

 憤りに任せて叫んでからライツは負けない鋭い目でトゥーラを睨み返した。トゥーラも相当怒っているのだろう。今にもライツにつかみかかりそうな勢いで信じてたのに、と喚く。だがライツの怒りもかなり強かった。もしかしたらこれまでトゥーラが打ち明け話をしたのは自分を女だと思っていたからなのではないか。もし、最初から男だと判っていたら、トゥーラの態度はもっと違っていたのかも知れない。そう気付いたからだ。

 

 ばつの悪さと居たたまれなさがこみ上げてくる。ライツはいつもよりきつい声音で続けた。

 

「勝手に勘違いしておいて騙したってなにさ! 自分の観察眼のなさを捨て置いて、言いがかりなんて最低だね!」

「女の子だから……女の子だから叩いて悪かったって思ってたのに!」

「ちょっと、人の話聞いてる!? それって男なら殴っていいってこと!?」

 

 互いに相手を好き放題に罵りながら二人はそれでも道を進んで行った。




ライツもいい加減、化けの皮がはがれてますかねw


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口喧嘩と狩り 1

正体がバレたので口喧嘩が始まりました。
長いので三分割してあります。


 女の子にしては喋り方が多少乱暴だとは思っていた。まさかライツが少年だとは思わなかったトゥーラは怒りに任せて喚き散らしていた。ライツもむきになってそんなトゥーラにいちいち言い返す。閑散とした通行人の少ない道ではあるが、たまに通りかかる人が何事かと二人を不思議そうに見ては過ぎる。だがトゥーラの目にはそんな通行人の好奇の視線はまったく入っていなかった。

 

「最低ねっ。男の癖にベッドに入ってくるなんて!」

「待ってよ! あれはトゥーラが無理やり僕を引っ張り込んだんだろ!?」

 

 いつの間にかライツはトゥーラを呼び捨てにしていた。だがそんなことがまるで気にならないくらいにトゥーラは怒っていた。同時に強い恥ずかしさと嫌悪がこみ上げる。

 

「言いがかりはよしてちょうだい! 男だと知っていたら誘ったりなんかしなかったわ!」

「ほら! やっぱりそうだ! 自分から誘ったって認めてるじゃないか! 矛盾してるんだよっ」

 

 煩いわね、と喚いてからトゥーラは意識してライツから離れた。道の端に寄って近づくなとライツに忠告する。ライツもトゥーラに負けじと誰が近づくもんか、と舌を出す。さっきまでは可憐な花のようにも思えたライツの表情は、今は小憎らしいとしか思えない。

 

 昨日の夜に落ち込んで泣いたのが急に馬鹿馬鹿しくなってくる。トゥーラは道の真ん中を歩いていたライツを睨みつけた。

 

「もっと離れなさいよ!」

「なに、その偉そうな態度は」

 

 嫌そうに顔をしかめつつも何故かライツは素直に道の反対側に寄った。トゥーラは満足をこめて頷いてからふと違和感に気付いた。ライツは大声で口喧嘩の応戦はしているのだが、無遠慮に近づいたり、ましてやつかみかかったりはしない。勿論、何らかの魔術を用いてトゥーラを痛めつけようという意図もないらしい。ライツの魔力は流れが落ち着いている。

 

 トゥーラは怒鳴るのを止めて口をつぐんだ。不自然に道の端と端に離れて歩きながらトゥーラはちらりとライツを横目に見た。ライツはふて腐れて唇を尖らせている。

 

 考えてみれば妙な話だ。これまでどれほど苛められても相手を無視してきたのに、何故ライツを相手にすると苛立ちや怒りを直にぶつけたくなるのだろう。感情を隠さずに怒鳴りあっていたからなのか、怒りはあっても気分は不思議と悪くない。トゥーラは眉間に深く皺を刻んでため息を吐いた。

 

「喧嘩、なのかしら。今の」

「他の何だって言うのさ。全く口の減らない女だね、トゥーラは」

 

 どっちが、と憎まれ口を叩いてからトゥーラは少しだけ笑った。

 

「そういえば喧嘩なんてもうずっとしてなかったわ」

 

 幼い頃は友達と時には喧嘩をしていたような気がする。原因は些細なことが多かったが、感情を剥き出しにして相手と言い合いをすることも少なくなかった。喧嘩の後の仲直りが妙に気恥ずかしかったことを覚えている。

 

 個を殺して駒の一つに徹するためにこれまでずっと学んできた。それと同時に他人を避けていたために、トゥーラは喧嘩らしいものをしなくなった。苛めにしても一方的に相手が突っかかってくるだけで、トゥーラはそんな誰かのことをきっぱりと無視していた。

 

「ふうん。僕は師匠ともよく喧嘩するけど」

 

 相変わらずトゥーラの言った通りに道の端を歩きながらライツが言う。確かにあの男相手なら喧嘩くらいにはなりそうかも、とトゥーラは思ったままの感想を口にした。するとライツもそうなんだよ、と少しだけ表情を緩める。

 

「師匠はとにかく女癖が悪いんだよ。弟子に手を出さないだけましだけど、何人の女性と関係してるんだか」

 

 どうやら何事かを思い出したらしい。疲れた顔でライツがため息を吐く。なるほど、とトゥーラは複雑な表情で頷いた。道理で、と呟いてしまってから慌てて口を手で覆い隠す。だがライツはさして気にも留めなかったのだろう。横目にトゥーラを眺めるだけで話を続けた。

 

「うちの塔の入門しょっぱなの講義なんて趣味丸出しだもん。淫魔作成術だよ? 信じられる?」

 

 力なく笑いながらライツが言った事にトゥーラは目を見張った。話には聞いたことがある。非常に複雑な魔術のため、使える人間は数少ないという。基本的には攻撃魔術しか教えないゼクーの塔では誰も知らない魔術だ。

 

 淫魔には人の性的な欲求を吸収するという性質があるという。いつだったか話に聞いたことを思い出してトゥーラは身震いした。

 

「なんて汚らわしい」

「……何となく判ってたけど、トゥーラって性的なことで過去に特に嫌な目にあったりしてるでしょ。あぁ、この間のもそうなのか」

 

 指摘された途端、忌まわしい記憶がトゥーラの脳裏に蘇った。今なら両親の行為にどういう意味があったのかが判る。だが判ったとしても受けた衝撃は消える訳ではない。

 

「ああ、いいから、別に言わなくても。でもね、淫魔作成術というか、使い魔作成術を初期に教えるというのは実は理にかなっている面もあるんだ」

 

 苦悶の表情を浮かべていたトゥーラにさらりと断りを入れてライツは頷いた。過去に受けた衝撃について説明すべきなのかどうか迷っていたトゥーラはそのことにほっと息を吐いた。だがライツの言った理にかなっているという意味が判らない。魔術について何も知らない入門したての者にそんなことを教えても無意味なのではないか。



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口喧嘩と狩り 2

口喧嘩は終わって解説が入ります。
説明が多くてすみません(汗)


「使い魔作成術の基礎項目は素材選別、麻酔、幻惑、精霊召喚、定着、言語登録、契約、魔力増幅の八つ。このどれが欠けても術は成り立たない」

 

 そしてこの八つの基礎項目は他の魔術を展開するために必要なのだ。そう説明するライツをいつの間にかトゥーラは真剣な眼差しで見つめていた。

 

「素材選別の目は同時に魔力の流れを読む……ええと、そっちでは何ていうのかな。僕らは魔力を読む特殊な視力って言うけど」

「大体似たようなものね」

 

 素材選別の力の会得は同時に魔力を読む特殊な視力を得ることに繋がる。麻酔の術は治療術を用いる際に使用し、幻惑の魔術も同じく治療の際に使用する。精霊召喚はあらゆる精霊だけではなく、魔物と呼ばれるものを召喚する術に繋がる。定着術は主に他物質への変換の術を使う際に必要となる。言語登録は言葉の通じないものに対して一時的な翻訳術として、契約は精霊や魔物と呼ばれる人ならざるものに対して有効な術だ。そして最後の魔力増幅術は全ての魔術に通じる。

 

「魔術の種類は色々あるけど、この八つを押さえられれば大抵の魔術は使えるようになるんだ」

 

 ライツの話はとても判り易かった。いつの間にかトゥーラは真剣な表情でライツの話に聞き入っていた。何故だろう。塔で学んだことよりもライツの話の方がずっと興味深く思えるのだ。

 

「使い魔作成術は基礎魔術の応用だと思われがちだけどね。本当は基礎中の基礎がしっかりしていないと使えない術でもあるんだ」

「それだけではないんでしょう?」

 

 確かにライツのいう八つの項目を完全に修得するのは難しいだろう。だが淫魔と呼ばれる既存の存在とは全く別のモノを作り出すのだ。基礎中の基礎だけを押さえていれば使える魔術とも思えない。

 

 うん、と頷いたライツがふと目を上げて不思議そうに首を傾げる。熱心に話を聞く内にトゥーラは自分からライツに近づいていたのだ。

 

「そう。基礎中の基礎がしっかりしている上で応用力も必要になるんだ。この八つの基礎魔術をばらばらに使えばいいってものじゃなくてね」

 

 組み合わせた上で均衡を取るのが難しいのだとライツは厳しい表情で続けた。

 

「それと膨大な魔力が必要になる。半端な魔道士だと術の途中で力尽きてしまうみたい」

「みたい、ということはライツは使ったことはないの?」

 

 トゥーラはライツがまだ見習だということも忘れてそう訊き返した。魔術の話をしているライツはとても大人びている。

 

「まさか。理論が頭に入っているのと、実践できる力は別だよ」

 

 魔術論だけなら覚えるのは楽なんだけどね。そう告げてライツは苦笑した。だがトゥーラはそれを気にも留めず、まじまじとライツを頭からつま先まで眺めた。使えるかしら、とそっと呟いてトゥーラは魔術を展開した。

 

 高位の弟子にだけ教えられる魔術の一つに、先ほどライツの言った魔力の流れを読む視力を得る魔術がある。試験官などを務める際に必要だからととある階級に昇級した段階で弟子は皆、この魔術を教えられる。

 

 視界が開け、魔力の流れが鮮やかに目に映る。それを見たトゥーラはああやっぱりと頷いた。

 

「あなた、本当にあの男に似ているわ」

「……は?」

 

 訳が判らないという顔でライツが間の抜けた声を漏らす。トゥーラは小さく笑って肩を竦めた。

 

「わたしね。魔力を視る目が優れているんですって」

 

 それがトゥーラが他の弟子より早く昇級できた理由だ。トゥーラは入門当時から魔力の流れを読む事が出来た。少し意識するだけで人の持つ魔力の流れが鮮やかな色として目に映るのだ。魔力の流れが誰よりも早く読めるから、攻撃魔術をいち早く避けることが出来る。何かに隠れていても意識すれば魔力の流れが見えるから、模擬戦で敵を攻撃するのは得意だった。魔道士の弟子が相手だから出来たことだ。魔術を全く知らない人間が相手ならそうは上手く行かなかっただろう。

 

「魔術を暴発させる以外のことも出来るんだね」

 

 感心したような顔でライツが頷く。失礼ね、と答えてからトゥーラは魔術を解いた。途端にライツの中に見えていた魔力の流れが見えなくなる。

 

 残念なことにこの魔術を用いても自分を見ることは出来ない。だからだろう。ゼクーはこの力を頻繁に使わないように、とトゥーラに注意した。だがトゥーラがわざわざ魔術として展開することを覚えたのは、入門してしばらくしてからだ。少し意識するだけで見えるものをそう簡単に見ないようには出来なかった。

 

 魔力の大きさが単純に階級に繋がる訳ではない。魔術というものは魔力が大きければいいというものではないからだ。現にトゥーラの前に一番弟子だと言われていたクロードより、何故かおちこぼれのリカルトの方が持っている魔力は大きい。それはトゥーラ自身の目で確かめたことだ。

 

 今でも時折、反射的にこの魔術を使ってしまう。ゼクーは恐れていたのだ。自分の持つ魔力の流れをトゥーラが視てしまうことを。

 

 ライツに言われたことが少しだけ判るような気がする。トゥーラがもしも目にしたままに弟子全員の魔力の大きさを公表すれば、階級によって管理された人々は途端に指標を見失い、塔は混乱するだろう。何しろ頂点に立つゼクーの魔力の大きさは弟子達と大差ないからだ。



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口喧嘩と狩り 3

書いてる本人が、ごはん、好きなんですよね(棒


 だがエタンダールの持つ魔力の大きさは尋常ではない。あの日、リカルトたちから助け出された時にトゥーラは反射的に見てしまったのだ。

 

「気持ち悪いなあ。似てるってなに?」

 

 ライツが嫌そうに言ってしかめっ面になる。正直に言いかけてトゥーラは口を噤んだ。ライツが早く言えと急かすのを余所にトゥーラは視界の端に捉えたものを目で追いかけた。茶色の毛並みのいい兎が一羽、ライツの後ろを横切ったのだ。足を止めたトゥーラにつられたのかライツも立ち止まる。トゥーラの視線を追って振り返ったライツは昼ご飯、と小声で呟いた。

 

「え、まさか」

「ちょっと借りるね!」

 

 唐突にトゥーラの腰に手を伸ばしてライツが身を翻す。何事かと焦ったトゥーラは腰に手をやって真っ青になった。ライツは既に兎を追って走り出している。荷物を放り出して駆け寄ったライツに気付いたのか、慌てたように兎が逃げ始める。だがライツの足の方が速かった。あの小さな身体のどこにそんな力があるのだろう。まるで獣のような速さだ。

 

 唖然としていたトゥーラは青い顔で悲鳴を上げた。ライツがトゥーラの短剣で兎を狩ったのだ。兎は鳴く暇もなく絶命したようだ。柔らかな草むらにしゃがみ込んだライツは手を動かして何かをしている。

 

 あっという間にライツは兎を皮と肉とにばらしてしまった。巧みに短剣と魔術を用いて肉と皮を処理する様をトゥーラは怯えた目で遠くから眺めていた。もう大丈夫だよ、と言われてトゥーラは恐々と近づいた。ライツは近くにあった平らな石を即席のまな板にして、その上に適当な大きさに切った肉を乗せている。

 

「わ、わたしの短剣は……」

「あ、はい。汚れは落としたから」

 

 にこやかに布に刃の部分を包んだ短剣を差し出され、トゥーラは恐る恐るでその柄を握った。ライツの言った通り、刃の部分には血などはついていない。

 

 ライツがばらした兎の肉に何かを振りかけている。トゥーラは短剣を鞘に戻してライツの後ろから手元を覗きこんだ。最初に泊まった宿で見たあの草を小さく千切って肉になすりつけている。それが済むとライツは荷物から小さな袋を引っ張り出した。中から白い石のようなものを二つほど取り出して互いにすり合わせる。すると肉の上には石のようなものが細かく砕けたものが落ちた。

 

「さっきのはこの間もらった香草。これは塩。それでこれが」

 

 説明をしながらライツは手際よく肉を調味していく。だが美味しそうとは到底思えない。何しろ元はさっき見た可愛い兎なのだ。

 

「なに青い顔してるのさ。突っ立ってる暇があったらこのくらいの石と枯れ枝を集めて来て」

 

 ライツに言われるままにトゥーラはふらふらとその場を離れた。ライツの血に濡れた手がどうしても頭から離れない。

 

 トゥーラは出来るだけ何も考えないように言われた通りに手ごろな石と枯れ枝を集めた。ライツが適当に草を引き抜いて石で丸い囲みを作る。その囲みに枯れ枝を放り込んでからライツは素早く魔術を展開した。あっという間に囲みの中に火が灯る。ライツは骨付きの肉を手際よく石に立てかけて並べていった。

 

「まだ顔色が悪いね」

 

 強すぎる火が当たらないように肉の位置を調整してからライツは囲みの傍の大きな石に腰掛けた。血だらけだった手はすっかり汚れが落ち、元の綺麗な手に戻っている。トゥーラは石の囲みを挟んでライツの向かいにあった石に座った。座り心地が決していいとは言えない石の上なのに、そのことを気にすることも出来ないほどにトゥーラは緊張していた。

 

「軍に入ったら同じ肉でも兎じゃなくて人を斬るんだよ」

 

 この程度で怯えてどうするの。言い方にかちんとしたものは覚えたが、トゥーラは言い返せなかった。確かにライツの言う事はもっともで、反論のしようがない。

 

 ライツが長い枝の切れ端で火をかき混ぜる。その様を眺めながらトゥーラは唇を噛んだ。冷静になればなるほど自分の覚悟のなさを改めて思い知らされる。火の揺らめきをぼんやりと見つめてからトゥーラは目を上げた。ライツは静かな表情で火を見つめたままだ。

 

「ちょっと気になってたことがあるからついでに言ってもいいかな」

 

 答えないトゥーラをどう思ったのか、ライツは火を見つめたまま言った。トゥーラがどうぞ、と答えるとライツが目を上げる。

 

「トゥーラの居る塔で学ぶ攻撃魔術って」

 

 そこで言葉を切ってから言いにくそうにライツは続けた。

 

「……魔術になってないと思うんだけど。わざと途中で暴発させてるでしょ?」

「え?」

 

 低く呻いてからライツは顔をしかめつつも説明してくれた。あの時にトゥーラを襲った男達の誰かがライツに向かって攻撃魔術を撃ったらしい。だが防ぐまでもなかったとライツは淡々と告げた。

 

「魔力を視る目があるのに、何でそういうことには気付かないのかな」

 

 皮肉のこもったライツの言葉にトゥーラは暗い顔になった。自分の視ているのは魔力の大きさと流れであって、魔術として成り立っているかどうかではない。皮肉に皮肉で答える気にはなれず、トゥーラは素直に答えた。トゥーラが応戦してくると思っていたのだろう。ライツが小声でつまらないよ、と呟いて浮かべていた笑みを消す。

 

 少し前までならトゥーラは全力でライツの言った事を否定していただろう。だがライツと話す内にトゥーラはゼクーの塔の歪つさに気付き始めていた。これまでは、正しく、堅実で、効率良く魔道士を養成する素晴らしい塔なのだと頑なに信じてきた。だが自分が信じていた正しさや真実は、あの塔の中でだけ通用する理屈でしかないのではないか。トゥーラはそう思い始めていたのだ。

 

 見習と准魔導師。二人の階級には随分と差がある。だがトゥーラがこれまで学んできたのは型どおりに攻撃する方法だけだ。魔道士としての知識はライツの方が豊富なのだろう。悔しくはあるがトゥーラはこれまでの事からそう認めざるを得なかった。

 

 ライツの作ってくれた肉料理は想像していたよりずっと美味しかった。まだ顔色は悪かったが、トゥーラはライツが笑って感心するほどよく食べた。




とある有名なラノベに飯をやたらと食うシーンがありまして。
それがとても美味しそうだったんですよね。

ファンタジーで美味そうに書くのはなかなか大変だと思うので、超感動した記憶があります。


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五章
リュバーンの森に入って 1


森に到着です。


 予定より少し遅れて夕刻過ぎに二人はリュバーンの森に到着した。入り口のところで立て札と方角とを確認した後、ライツは進む方向を決めた。地図に示された二人の担当する区域は大きな泉のある森の中央部だ。

 

 高原の開けた景色とは対照的に森は入り口からうっそうとしている。入り口に突っ立っているトゥーラに声をかけてライツは森の中に進んだ。トゥーラは表面的には強がってはいるがきっと怖いのだろう。時折、森の中に響く獣の声にこっそりびくついている。

 

 国の南に位置するこのリュバーンの森は隣国との境にある。南のリュバーン、東のバレンティアの山脈は自然の作り出した二つの強固な壁だ。特にリュバーンの森は魔物が棲息するため、人が通るための道は作られていない。あるのは細々とした獣道だけだ。

 

「決められたところまで歩いて半日くらいかな。今日は宿を取る訳にはいかないから野宿で我慢してよね」

 

 勝手な行動は取らないようにとトゥーラには先に言ってある。どうやらトゥーラは説明するまでこの森がどういう所なのかを知らなかったらしい。話を聞いた直後はとても驚いていた。だが驚いたのはライツも同じだ。知っていて当り前の知識なのに、どうして知らないのか。ライツが感じたままに訊ねたところ、また喧嘩になってしまった。

 

 ライツは年齢の割に知識量が多すぎるとトゥーラは言う。だがライツはそうは思わなかった。たまたまエタンダールの側仕えとして日頃から傍にいるため、他の見習よりは多少は知識もあるだろう。だがあくまでも多少の差であって驚かれるほどの事ではない。

 

「……もう。まだ拗ねてるの?」

 

 返事をしないトゥーラに呆れてライツはため息を吐いた。進むごとに周囲はどんどん暗くなっていく。茂った木々が夕方の弱い日の光を遮ってしまっているのだ。歩くのが難しいからとライツは小さな光の球を作り出した。二人のいる場所を中心に仄かな光の輪が広がる。

 

「拗ねてなんかいないわ」

 

 きっと森に入る直前に交わしていた会話がまずかったのだろう。答えるトゥーラの声は冷え切っている。トゥーラにもきっと悪気はないのだと思うが、聞きようによっては責められているようにも聞こえるほどだ。

 

 トゥーラの身に着けている首飾りは魔術の暴発を防ぐ道具だとライツは説明した。その途端にトゥーラの機嫌は悪くなってしまった。トゥーラはそれを自分で用意したのではなく、誰かに贈られたのだという。そしてトゥーラはライツが説明するまで、首飾りにどういう力があるのか知らなかったのだ。

 

 言わなきゃ良かったかな。ライツは渋い顔で頭をかいた。その首飾りがあればトゥーラは魔術を暴発させられない。これまでに教わってきただろう攻撃魔術らしいものを撃つ事は出来ないのだ。天使を見つけてトゥーラを出し抜き、保護しようとしているのだからその方が都合がいいはずだ。なのにライツは自分から首飾りについて解説してしまった。どうしてそんな気になったのか、とライツは自分の行動を振り返って首を傾げた。

 

 もっと判らないのはトゥーラだ。何故かトゥーラはその話をした後も首飾りを外そうとはしない。外せば魔術の暴発を起こすことは可能だとライツが説明しても、だ。

 

 一体、何を考えてるんだろう。ライツは苛立ちにも似た思いを抱きながら隣を歩くトゥーラを伺った。トゥーラは光に照らされた足元を見ながら慎重に歩いている。呆けていると足元を木の根や草に取られるからだ。

 

 不器用に歩くトゥーラを見かねてライツは手を差し出した。怪訝な顔をするトゥーラの左手を強引に握る。

 

「そんな嫌そうな顔しなくてもいいでしょ。転んだら痛いだろうと思っただけだよ」

「子供じゃあるまいし」

 

 渋い顔をしてトゥーラがライツの手を振り解く。だがその途端に何かに足を取られたのか、トゥーラの身体が傾ぐ。もう、とぼやいてライツは素早くトゥーラの腕をつかんで引いた。本当に転びそうになったことが恥ずかしいのかトゥーラの顔が真っ赤に染まる。だから言ったでしょ、とライツは改めてトゥーラの手を握った。今度はトゥーラも大人しく手を繋いだまま歩き出した。

 

 周囲がすっかり暗くなり、夜の鳥が鳴き始める頃にライツは今日の寝床を作り始めた。ここにしよう、と決めて、濡れていない草の上に布を敷く。獣道から少し外れた草の上に陣取ったライツは早速、食事の準備を始めた。火を起こして荷物の中に突っ込んでおいた携帯用の小さな鍋と、アルセニエフから貰った携帯食を取り出す。このままでも十分に食べる事は出来るのだが、水を通して温めればいい出汁が取れるのだ。

 

 ライツが食事の準備をする間、トゥーラはずっと物珍しそうに傍に付いていた。火の傍に座り込んで鍋を覗き込むトゥーラはまるで子供のようだ。だがそう指摘すれば余計に拗ねることは判っていたのでライツは何も言わずにおいた。

 

 男だと自分からばらしたライツを遠ざけていたトゥーラはいつの間にか元の態度に戻った。どうやら口喧嘩をしたことで気分が解れたらしい。傍に寄っても文句は言われなくなった。




この辺りから改稿しないとなんですが………………。


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リュバーンの森に入って 2

見た目には女の子ふたりの危ない旅、なんですよね……。


「だからって何で一緒に寝るって話になるのさ」

 

 食事を終えて使った道具を片付けて、寝るために草の上に布を敷き直したところでライツはうんざりした顔になった。先に布に横たわっていたトゥーラが困ったような顔で身を起こす。

 

「わたしだって男と一緒に寝るのは嫌よっ」

「じゃあ何でさ。いいかげんトゥーラの我がままには慣れたつもりだったけど、その貞操観念の低さはどうなの?」

 

 まさか誘ってるつもりじゃないよね、と付け足しながらライツは火の中に新しい枯れ枝を投げ込んだ。この森には魔物だけでなくごく普通の獣も多くいる。中には人を獲物と間違えて襲う獣もいるのだ。だが彼らはこうして火を焚いていれば滅多なことでは近づいてこない。

 

「あのね。僕は火の番をしてるから、先に寝てって言ってるの。絶やさないようにしないといけないでしょ」

 

 何でこんなことを説明しなければならないのだろう。そう思いつつもライツは判り易くトゥーラに言って聞かせた。渋々とトゥーラがまた身を横たえる。

 

「ここ」

 

 掛け布を肩まで引っ張り上げたトゥーラが憮然とした顔で敷いた布を手で軽く叩く。怪訝に思って眉を寄せたライツはトゥーラの手と顔とを交互に見た。一体、何のまじないだろう。そんなことを考えていたライツにトゥーラが不服そうな顔で言う。

 

「ここに座って」

 

 どうやら出来るだけ傍に座れと言われているらしい。眠るトゥーラの邪魔にならないように離れていたライツは思わず吹き出した。

 

「変なの。まるで子供みたいだよ」

「こっ、怖いんだから仕方ないでしょ!」

 

 我慢出来なくなったのかトゥーラが少し大きな声で言う。さっきから落ち着かない素振りをしているとは思ったが、まさかまだ怖がっているとは思わなかった。ライツはくすくすと笑いつつも言われた通りにトゥーラの傍に座り直した。

 

 ライツのローブの裾をつかんだトゥーラが小声で言う。

 

「ねえ。天使って何なのかしら」

 

 討伐するということにようやくトゥーラも疑問を覚えたらしい。ライツは足元に転がっていた小枝を火の中に放り込んでから肩越しに振り返った。トゥーラは不安そうな顔でライツを見つめている。

 

「さあ。見てみないと判らないね。師匠も詳しいことは教えてくれなかったし」

「……あの男は天使を知っているの?」

 

 驚いた顔になったトゥーラに苦笑してからライツは火の方を向いた。

 

「前に出た天使を見たんだって。結局は討伐されたって話だったけど」

 

 百年に一度、出るか出ないかの希少種だとエタンダールは言っていた。人の形によく似ているが一つだけ大きく異なる点がある。それが背中に生えた白い翼なのだとライツはエタンダールに聞いたままを話して聞かせた。トゥーラは真剣な表情でライツの話に聞き入っている。

 

 いつからかトゥーラは見習いだからとライツを馬鹿にはしなくなった。話をこうして真面目に聞くようになったのもその頃からだ。きっとトゥーラの中で弟子の階級に対する価値観が変わったのだろう。

 

 だが結局はトゥーラはゼクーの塔に所属する弟子だ。その価値観の変化がこれからのトゥーラに有益なのかどうかは判らない。もしかしたら弊害にしかならないのではないかとライツは思い始めていた。

 

 僕には関係ないじゃないか。ライツは心の中でそう呟いた。トゥーラがこれからどうなろうが関係のない話だ。天使を見つけるまでの間の付き合いなのだ。その後でトゥーラがどんな道を歩もうが知ったことではない。

 

 だがそう考える度にライツの心の中に苛立ちのようなものがこみ上げてくる。

 

「随分見た目と違うのね」

 

 よほど眠いのか、トゥーラが呟くように言う。ライツはその声に我に返って作り笑いを浮かべて振り返った。

 

「師匠くらいに力がある魔道士は見た目の年齢をごまかしていることがけっこうあるらしいよ。トゥーラのところのゼクーさんはそうじゃないみたいだけど」

 

 それだけ答えてライツはまた前を向いた。そうね、とトゥーラが小声で答える。

 

 この森に入ってからトゥーラに一つだけ頼みごとをしておいた。魔力を視る力を出来るだけ解放しておいてくれ、ということだ。どうやらトゥーラの魔力を視る目はライツよりいいらしい。何しろ天使は世界を変えると言われるほどの力を持つのだ。もしかしたら天使の力もトゥーラの目には視えるかも知れない。

 

 そこまで考えてライツはふと気付いた。トゥーラがこの森に入ってから怯えているのは、ひょっとしてそのせいなのかも知れない。この森に棲む魔物たちには一様に魔力がある。トゥーラの目にはライツには視えない彼らの力も視えているのではないだろうか。そのことに気付いたライツは声を掛けようとして振り返った。そこで慌てて声を飲み込む。いつの間にかトゥーラは目を閉じて穏やかな寝息を立てている。

 

 魔術を使い続けることは、同時に魔力を消費し続けることでもある。どうやらトゥーラは思っていた以上に疲れていたらしい。ライツは身体を捻ってトゥーラの顔を覗き込んだ。眠っているトゥーラの顔は安心しきっているようにも見える。その手はライツのローブの裾を握ったままだ。

 

 トゥーラを出し抜くことをずっと考えていた。ほんの短い間の付き合いだ。裏切ったところで別に心は痛みはしない。最悪の場合は相手を騙してでも天使を庇おうと思っていた。攻撃の手が及ぶ前に天使をさらって逃げてしまえばいいのだ。後は相手がどうなろうが知ったことではない。仮にも魔道士の弟子ならこの森に置き去りにされたところで痛くも何ともないだろう。

 

 本当に出来るだろうか。ライツは改めて自分にそう問い掛けてみた。だが今度は答えは出せなかった。



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常識の違いと魔力の流れ

 聞き慣れない物音にトゥーラは薄く目を開けた。眠い目を擦るとぼやけていた視界がはっきりする。暗闇に灯る火の明かりをしばらく見つめてからトゥーラははっと我に返った。

 

 ここは寮の自分の部屋ではないのだ。トゥーラは慌てて身を起こしかけてぴたりと身体の動きを止めた。何かが足に乗っている。トゥーラは恐る恐る足元に目をやって思わず苦笑した。火の番をすると言い張っていたライツがいつの間にかトゥーラの足を枕に眠っているのだ。起きている間に連発されるあの憎まれ口がまるで嘘のように、ライツの寝顔はあどけない。

 

 トゥーラはそっとライツの頭を支え、起こさないように注意して身を起こした。自分の代わりにライツを敷き布に横たえて掛け布を肩まで被せる。そうしてからトゥーラは眠るまでライツが座っていた場所にそっと腰を下ろした。

 

 どのくらい眠っていたのだろう。細くなりつつある火に適当な枝を放り込んでトゥーラはぼんやりとした目で周囲を見回した。振り返ったところで胸元で小さな音が鳴る。トゥーラはふと自分の胸元に目を落として沈んだ顔になった。

 

 服の中にしまっていた首飾りがいつの間にか外に出ている。胸元に落ちた赤い石のついた部分をトゥーラは手に乗せてみた。金色の細い鎖につけられたこの石には魔術の暴発を防ぐ効果があるのだとライツは言っていた。それを聞いた時、トゥーラはクロードのことを思い出した。この首飾りはトゥーラが自分で買い求めたものではない。クロードがお守り代わりだと寄越したものだ。

 

 結局、唯一頼れると思っていたクロードも自分の事を煩わしく思っていたのだろう。だから攻撃魔術が使えないよう、トゥーラの力を封じてからリカルトたちに襲わせたのだ。

 

 魔術の使えなくなった自分には戻る場所はないと思っていた。首飾りが原因で攻撃できなかったのだということはライツの話で判った。けれどやはりもうあの塔には戻れないのではないかとトゥーラは感じていた。あの塔に戻ったところで何を信じればいいのか判らない。ライツに言わせればあの塔で教えられた魔術は魔術以前だという。

 

 だがそれでも天使討伐の任はまだ解かれていない。せめて彼らに迷惑をかけないようにまっとうすることだけが自分に出来ることだ。ここに辿り着くまでにトゥーラはそう考えを固めていた。けれどその考えも揺らぎつつある。

 

 何のために天使は狩られるのだろうか。確かに先に天使が現れた時、この国では激しい戦いが起こり、何の罪もない人々が戦いに巻き込まれた。私欲に溺れた者たちが天使を我が物にしようとした結果がそれだ。そして今回はその戦いを未然に防ぐために天使の討伐が決定されたのだ。

 

 どこも間違ってはいない。最初はトゥーラもその決定は当然のこととして受け入れていた。だがライツと出会って話をするうちに本当にそうだろうかという疑問がわいたのだ。

 

 物語に登場する天使は見目麗しく、世界を変えるほどの力を自在に操ることが出来るという。だがそれはあくまでも物語、お伽噺に過ぎない。現実に天使を見た者はほぼ皆無なのだ。ライツの話ではエタンダールは先の天使を見たという話だったが、詳しいことは聞けなかったのだとも言っていた。

 

 相手の正体も判らないままに討伐することは本当に正しいのだろうか。確かに先の戦いでは多くの血が流れ、人々が犠牲になった。だがそれは本当にその天使が悪かったのだろうか。天使を我が物にしようという我欲にまみれた人間の起こした惨事なのではないか。人は天使の持つ、世界を変えるという力にかこつけて、問題が起こる前に天使の存在そのものをなかったことにしようとしているだけなのではないだろうか。

 

 トゥーラは手に乗せた赤い石を握りしめた。クロードが寄越したこれをずっと着けたままにしていたのには訳がある。本当はトゥーラも外したくて仕方なかった。リカルトたちに襲われたあの夜のことを思い出すと今でも震えがくるほど怖い。その原因となったこの首飾りなどさっさと捨ててしまいたかった。

 

 だがこれがあれば少なくともトゥーラは攻撃魔術は撃てない。考えがまとまらないうちに天使がもし見つかったら、結局は命令に従って討伐してしまいそうだった。だからトゥーラは自制の意味でずっとこれを外さなかったのだ。

 

 ライツと口喧嘩をして判った事が幾つかあった。一つはライツは塔でトゥーラを苛めていた連中とは全く異なるということ。ライツは口では厳しい事を言うが、トゥーラを苛めている訳ではない。自身の信じることを素直に口にしているだけだ。もう一つ判ったのは、自分がまだ喧嘩できるということだ。人と関わりたくないと思っていたトゥーラは苛めを受けても感情のままに言い返したりはしなかった。だがライツを相手にするとどうしても我慢出来なくて言い返してしまうのだ。

 

 そして気付いた。今までトゥーラは塔でどれだけ苛められても嫌だと言ったことがないのだ。勿論、彼らは言いがかりをつけたり理不尽なことを言ったりもしていた。リカルトたちのように集団になって襲い掛かってくることもある。だが、それでもトゥーラはこれまで彼らに毅然とした態度で嫌だと言ったことがないのだ。

 

 上の者の命令は絶対という環境にあって、トゥーラはそれが当り前だと思っていた。多少の問題は自分が我慢すればいい。誰にも言う必要はない。彼らはその内に飽きてこちらに関わってこなくなる。トゥーラはずっとそう思っていたのだ。

 

 だが本当は違うのではないか。ライツと話している内にトゥーラはそう感じるようになった。エタンダールの塔とゼクーの塔は全く違う。話を聞くうちにトゥーラはライツが酷く羨ましくなってしまった。何故ならライツは塔や魔術の話をする時、とても楽しそうなのだ。

 

 何でこんなに違うのだろう。もしも自分が例えばエタンダールの塔に入門していたらどうなっていたのだろう。幼い頃に心に受けた衝撃を笑って済ませられるような強さを得ていたのではないか。あの頃は子供だったから、と納得出来るように成長していたのではないだろうか。

 

 羨ましいという気持ちと悔しさがこみ上げる。トゥーラは首飾りの石を両手に握って俯いた。

 

 魔道士になりたいと言い出した時には、本当は魔術には大した興味はなかった。あの頃はとにかく両親の元から逃げたくて、同じ家に居るのが汚らわしいような気がして、だからトゥーラは塔に入門することにした。

 

 だが学ぶうちにトゥーラは魔術に興味を持った。知ることが楽しかった。ゼクーの塔で学ぶ魔術は偏っていたが、それでも新しい知識を得ることは嬉しくて、だからトゥーラは懸命に勉強をした。

 

 学ぶことがなくなったのはいつだったろうか。ゼクーの塔で教える魔術は魔術以前なのだとライツは言った。それ故にゼクーの塔で学べることには限りがある。ライツのように多岐に渡る知識を得る必要はない。言ってしまえばあそこでは上位の者に下位の者が従う、言わば規律が全てなのだ。

 

 エタンダールの塔では各自が食事の用意や掃除を分担しているのだという。それもトゥーラには信じられない話だった。ゼクーの塔では食事にしろ、掃除にしろ、雑用は専属の人を雇って全て任せている。だがそこまでして時間が与えられても、弟子達は攻撃魔術を学ぶか訓練を行うかくらいしかすることはない。それ以外の時間は弟子達は自由に好きなことをして暇を潰しているのだ。

 

 本当はもっと知りたかった。魔術というものが何故できたのか。その力の使い方や色んな魔術に触れてみたかった。だがあの塔ではその機会はない。必要なだけの攻撃法を学ぶ以外のことは出来なかった。

 

 今まで何をしてきたのだろう。同じ数年という時間を弟子として過ごしていても、ライツの得ている知識と自分のそれでは格段の差がある。そして最も決定的な差は塔を出た後だ。エタンダールの塔で学んだ魔道士たちは色んなところに生きる場所がある。だがゼクーの塔で学ぶ者は軍しか生きる場所がないのだ。

 

 この差はなんだろう。そう思ってからトゥーラは苦笑した。きっと自分にはもう生きる場所はない。ゼクーの塔にもしも戻ってもきっと自分は居たたまれなくなるだろう。かと言ってもう軍に入隊する気はない。兎の一羽が絞められただけで卒倒しそうになってしまったのだ。どうして人が殺せるだろう。

 

 微かな物音にトゥーラは慌てて顔を上げた。目元を拭って目を凝らす。だが音のした方には暗がりがあるだけで、何も見えない。トゥーラは訝りに眉を寄せて息を潜めてそっと立ち上がった。

 

 そういえば、とトゥーラは思い直して魔術を展開した。魔力を視る目でじっと物音のした方を見たトゥーラは愕然と目を見張った。とてつもない大きさの魔力が視える。この森に入ってから随分と色んな大きさの魔力を見たが、これは桁違いだ。トゥーラは眩みかけた目を擦ってからライツを振り返った。

 

 穏やかな寝顔をしばし見てからトゥーラは小さく頷いた。急いで荷物を探って短剣を腰に差す。相手が天使かどうかを見極めてからライツを起こしても遅くはないだろう。

 

 暗がりの奥へ奥へと魔力は移動している。トゥーラは火の中から長い枝を一本だけ拾い上げて魔力を追った。

 

 

*****

 

 

 淡い橙色の光が部屋の中央に灯っている。すっかり日が暮れた窓の外は闇に覆われ、天には星が幾つも瞬いている。広々としたベッドに横たわったシャルレラが顔にかかった長い髪を指先で退ける。そうだなあ、と笑ってエタンダールは枕元の灰皿に手を伸ばした。長く伸びた灰を落としてから煙草を咥え直す。

 

「この話は飽きたか」

「そうねぇ。飽きたと言えば飽きたかしらね」

 

 気だるい表情で言ったシャルレラの白い背中を撫でてエタンダールは困ったな、と苦笑した。

 

「じゃあ、魔道士と天使の出会いの話でもするか?」

「そうね。あなたまだあの時は童貞だったわ」

 

 小さく笑ってシャルレラが腕を伸ばしてエタンダールの首を抱く。おいおい、と笑ってエタンダールは煙草の火が触れないように手をシャルレラから遠ざけた。片腕に抱いたシャルレラに軽く口づけてからエタンダールは懐かしい昔話をし始めた。



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