超次元偶像二宮飛鳥のセカイ (関ち出張所)
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≪As to the potential of the ANIMA≫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

≪Observation by 蜈?ココ蠖「≫

 

 海。

 広大な海。

 情報に満ちた海。

 情報。無数のセカイ線。

 

 無数のセカイ線がひしめく海を私は彷徨っている。

 

 遥か()からずっとこうしている。

 昔過ぎて、私という存在がいつ、どのように発生したのか思い出すことはできない。

 気付いたときにはもう、セカイ線の合間を縫うように漂い続けていた。

 

 一つのセカイ線を覗いて、次のセカイ線を覗いて、また次のセカイ線を覗いて、その次、更に次、次、次、次………。

 

 ()()を探し出すことが私の存在理由。

 なのに、そもそも何を探すべきなのかさえわからない。

 

 悠久の彷徨を経て、私という存在は緩やかに消滅に向かっている。

 魂に刻み付けられた、諦めを戒める思念だけが私を生き永らえさせている。

 理由も意味も分からない彷徨。このまま消え失せてしまって何の問題が有るのか。

 わからない。

 私は一体何を探しているのか。

 わからない。

 わからないまま彷徨い続ける。

 ひたすら漂い続ける。

 ただ、見つければ()()とわかる確信だけはある。

 

 一体幾つのセカイを覗いてきただろう。数えようとするのすら莫迦莫迦しい数だ。

 

 億劫だ。何もかも億劫。

 

 私の魂は限界だ。

 今回の“限界”は本当の限界だ。

 もう終わりにしてしまおう。

 そう決心した。

 今度こそ本当に……。

 

 だが。そのときだった。

 

 近傍のセカイ線から、ある特異な波動を感知した。

 

 

 

 

 

 

 

 

≪Review by Asuka≫

 

 たとえば“運命”と“宿命”というワード。

 人知を超えた巡り合わせとか前世の業が関係しているとかの違いはあるけれど、極めて端的に身も蓋も無くそして雑にいうと、両方とも“なるべくしてなる(なった)”という事象を表すワードだ。この二つを換言して“神の筋書き”と言うこともある。“神のシナリオ”や“神の台本”などとする場合もあるかもしれない。

 ここまでは、まぁ、いい。いずれにしても、背景に壮大な物語を感じさせてくれるから。

 しかしこれを単に“筋書き”や“シナリオ”や“台本”と呼んでしまうと話は別だ。意味合いとしてはそう変わらないのは事実である一方、確実に神秘性とでもいうべきものが失われ、“お仕着せ感”が出てしまう。役者個人の意思は関係なく、決められたタイミングで決められた言葉を吐く見世物。それが演劇というエンターテイメントだが、同じことを劇場の外でやらされるとなるとたまったものじゃない。それはもう人の生とは言えない。

 

 人は言う。人の世はとにかく生きにくいものだと。人を縛る見えざる枷があるのだ。“世間”や“身分”や“規則”などはその最たるものだろう。

 そしてまた人は言う。“世間体なんて気にするな”、“身分で差別をするな”、“規則は破るためにある”なんて。それは正論でありながら、同時に弱者の恨み言だったり、強者が述べる綺麗事であったりの側面もある。

 共感だけを求めたような言葉を弄しても結局何も変わらない。世は今日も事も無く、相も変わらず生きにくい。

 

 どうしようもない窮屈さ。

 

 全く自慢できることではないけれど、ボクはこの窮屈さを人一倍感じている側の人間であると思う。いつから感じ始めていたのかはもう覚えていない。ボクがボクであるという、当たり前を意識した頃には既にそうだった。

しかし。少なくとも。窮屈さとは無縁だった時期が、ボクにも在ったことは確かだ。

 このテーマに想いを巡らせるとき、いつも思い出す記憶がある。

 

 十年くらい前、まだボクが小学校にも上がっていなかったある日のことだ。

 

 父親が物置から集めたガラクタたちをリビングに持ち込んで、ゴソゴソと何かをしていた。父の背中にもたれながら見ていたボクも手伝うことになった。

 父に頼まれた仕事は、円筒型の菓子箱に細くてキラキラした糸のようなものを巻き付けていくことだった。重なったりしないように丁寧に巻くように言われたが、これがなかなか難しい。

 ボクが苦戦している間、父親は古くなったまな板に鉛筆の芯やらガラクタから取った部品やらを、画鋲とガムテープで固定していった。

 どうにか言われたところまで糸を巻き終えると、それもまな板に固定された。それから父は残ったキラキラの糸を、底の抜けた風呂桶の外周に十回ほど巻き付け「これでいいはずだ」とニヤリと笑った。

 父はボクに片耳分しかない黄ばんだイヤホンを渡してきた。ボクがそれを耳にはめるのを見ると、父はまな板の上の部品の位置を少しずつ変えていく。

 父が何をしているのか、ボクには全く理解らなかった。何なのか聞こうとすると「しーー」と止められる。

 父は黙々と部品を弄りながら、ボクに「どうだ?」と聞いてくる。どうにかなるわけがない。父が弄っているのはただのゴミの集まりなんだから。

 ちっとも面白くない、もういいや、もうすぐアニメが始まるしやめよう――そう思った矢先のことだった。耳に当てていた部品から微かな音が聞こえた。ジジジ、という雑音だ。それを伝えると、父は目の色を変えて、これまでより慎重に部品を弄り始めた。すると雑音は段々とまとまっていく。

 それは意味のない雑音ではなかった。人の声だった。ボクでも父でも母でもない、誰かの声だ。それが何故か、こんなガラクタを通して聞こえてくる。

 とても、とても、不思議だった。

 その日、ボクと父は眠るまでずっと、代わる代わるイヤホンを耳に当てながら過ごした。

 

 このとき父と作っていたのが“塹壕ラジオ”と呼ばれるものだと知ったのは、何年も後のこと。父はおそらくテレビか何かでこのラジオのことを知り、ただの好奇心で作ってみたのだろう。

 菓子箱に巻いていたのは扇風機のモーターから解いたエナメル線で、つまりボクはコイルを作っていたのだ。それはラジオでは同調回路の役割を果たす。錆びたカミソリ歯と鉛筆の芯は検波回路、エナメル線が巻かれた風呂桶はアンテナ、そしてセラミックイヤホンによって音声が出力される。

 この手の原始的なラジオで最も興味深いことは電源を必要としないことだろう。捕らえた電波のエネルギー自体が電源になるからだ。それ故に使えるイヤホンは限られるし、聞こえたとしても微かな音量になってしまうのだが、だとしてもやはり、原理を知った今になっても不思議な魅力がある。

 当時のボクは当然のごとく、この不思議な装置の虜になった。

 テレビを見るにはコンセントに繋ぎ、リモコンを使うには電池を入れる必要があることは既に識っていたから、無電源で作動するそれは魔法の装置だと思っていた。

 今ボクはセカイの秘密に触れているのだと思い込んでいた。

 

 翌日からはガラクタラジオを抱えて外へ行った。

 左手で風呂桶アンテナを天に掲げながら、右手にまな板ラジオを抱いて、我が物顔で町内を練り歩く。そして何か聞こえそうになるとその場にうずくまって、コイルを弄り始めるのだ。そんな日々を、おそらく一か月ほど続けたんじゃなかろうか。たしかまだ暑い時期だったのに、子供のボクには些末なことだった。

 目を閉じて、木の葉のそよぎよりも小さな音に耳を澄ませる。それは男性の声だったり、女性の声だったり、別の国の言葉だったり、歌だったり。

 その頃のボクはラジオの原理は元より、ラジオ番組なんてものがあることも知らなかった。この魔法の装置を介してセカイの何処かに繋がって、そこにいる誰かの声を聞いているのだと思っていた。

 だからきっと、ボクの声も何処かの誰かが聞いてくれているのだと、あの頃のボクは信じて疑わなかった。

 

 ――ねぇ、ボクはここにいるよ。きこえたらここにきて。いっしょにあそぼうよ。

 

 虚空に向かってそんな風に囁いたことも一度や二度ではなかった。




ここまでが映画で言うところのプロローグです。


毎日1万字程度を投稿予定です

全部で20万字ほどになると思います


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≪Observation by Asuka≫

 

 ………whe………に………er………r…………………だ…………0……ゅ………………w……g…………た……………ス…………

 

 音? 音楽? いや、声か? 誰だ? 何だ? 何を言っている?

 聞き取りづらい。もどかしいな。

 白い。白くなってきた。あぁ、そうか――。

 

「……ふぁ」

 

 覚醒。起床ともいう。

 うざったい音の正体はラジオのノイズだったらしい。昨夜電源をオフにしてから床に就いたはずなのに、何故か点いている。

 枕元の携帯を見ると起床予定時刻の三十分も前だ。

 ベッドから二歩離れたデスクの上の古ぼけたラジオは、いまだ無意味な空電を吐き出し続けている。明らかに故障だ。数日前から電波の受信状態が極めて悪くなっていたし、安眠を妨害されたとあっては、これはいよいよ買い替える必要がある。中古だったとはいえ、購入から約一か月の短い寿命だった。

 おそらく購入したその日に手荒に扱ってしまったことが原因だろう。自業自得といえばそうなのだが、原因の30%ぐらいはボク以外にある。

 そうだ。今日こそこのことについて小言を言ってやろう。そもそも何故彼は――。

 

「うぅ……」

 

 ――いやそんなことより、眠い。あと三十分ほど惰眠を貪りたいのだが……。

 

 ジジ……ブツ……ブツ……ジジッ……ブブブブ……

 

 耳障りだ。とても。

 仕方なく、ベッドから這い出してデスクの前に立つ。忌々しいラジオのスイッチを切ろうとして、やはり既にオフになっていることを確認。コンセントからプラグを抜いてやると雑音は消え、ようやく部屋に早朝らしい静寂が訪れた。

 今更になって部屋がやけに明るいことに気が付く。照明はちゃんと消えている。

 原因は昨日買い替えたカーテンだった。朝日の大半を透過させてしまっている。どうやら安物を買ってしまったらしい。カーテンを買うことなんて初めてだったから相場が分からなかったのだ。これならこの部屋に最初から備え付けてあったものの方がよっぽど遮光性は高かった。

 

「……まぁ、これも悪くないけどね」

 

 カーテン越しの朝日が照らす、ベッドとデスクとラジオ。そして床に直置きされたテレビしかない殺風景な部屋。これはこれで趣がある。何より、元あったカーテンは柄がファンシー過ぎた。物としてはあちらの方が上らしいが、アレをまた使う気にはなれない。

 

「んっ、ふぁぁ……」

 

 大きな欠伸と共に眠気は去り、気怠さもなくなっていた。

 カーテンを開き、朝日を一身に受ける。この清澄な白さは今日一日が素晴らしい天気になることを保証しているように思える。

 ここまできて尚、再びベッドに飛び込むほどにボクは罪深くない。

 丁度いい。今日はちゃんとコーヒーを淹れよう。そうすれば早起きしてしまったことにも三文程度の意味は生まれるだろうから。

 

 

 さあ往こうか、と心の中で呟いて玄関のドアを開く。階段を使って降り、エントランスを抜けて外に出る。見上げれば抜けるような青空が広がっている。

 そういえば今日もまたマンションの住人には誰とも会わなかった。

 このマンションは一般的なそれとほぼ同じ構造だが、名目上は会社の社員寮になっている。だからボクの同僚にあたる人たちが多く住んでいるはずなのだけれど、やはり生活リズムがズレているようだ。ボク以外はみな成人しているからかな。業界の大人には夜更かしがつきものということか。

 だがしかし世間的にはゴールデンウィークの初日。この人たちはそれでいいのだろうか?

 いや、ボクも他人のことはとやかく言えないか。

 

『おはよう これからレッスンに向かうよ』

 

 路線バスに乗り込み、席を確保してから、携帯でメッセージを送信する。

 

『おはよう、飛鳥。GWなのにレッスンさせて申し訳ない。』

 

 すぐに返信が来た。マンションの隣人たちとは違い、こっちの大人は既に起きていたらしい。

 

『どうせキミも働くのだろう? お互い様さ』

『わかってくれて嬉しいぜ。昼過ぎに様子見に行くよ。』

『承知した』

 

 10分程度でバスは目当ての停留所に到着した。

 下車したその場所から、ボクが所属するプロダクションの社屋が見える。

 ここから社屋までは数分の距離があるのに、相変わらず距離を感じさせないほどに巨大だ。まるでバッキンガム宮殿とサグラダ・ファミリアの合いの子。いくらアイドル業界、いや芸能界全体でも断トツの規模の会社とはいえ、その威容は豪奢に過ぎるのではと見るたびに感じてしまう。

 そのお城を通り過ぎた隣りの敷地にあるのが、今のボクの主戦場であるレッスンスタジオ。こちらは質実剛健な造りのビルディングで派手さも遊びも一切無いが、かなり大きなビルだ。ルーム数と在籍トレーナー数はともに百を超え、しかも様々な最新鋭の機材が揃っていて、ありとあらゆるレッスンに対応可能なのだという。

 IDカードをゲートにかざしてビルに入り、デジタルサイネージでボクが行くべきレッスンルームを確認する。やはり昨日と同じルーム番号だった。

 

「おはようございます、二宮さん! 今日も一日頑張りましょうね!」

 

 比較的小さなレッスンルームに入ると、二十代前半のトレーナーである青木明さんが音響機材のセッティングをしているところだった。ボクも挨拶を返した。

 少し早く着いてしまったようなので準備体操をしながら待つことにする。

 今日も今日とて、ボクは二つの曲を練習する。しっとりとした寂しげな雰囲気の曲と、重厚でカッコいい曲だ。

 両方とも三人で歌うことを想定したパート分けがなされていた。驚いたことに、どちらもまだ一般には公開されていない曲なのだという。当然ボクの為に作られた曲ではなく、このプロダクションに所属する先輩アイドルユニットの為に作られた曲だと聞いている。それが誰なのかは秘密のようで、教えてもらってない。

 そんな曲をデビュー前のボクが練習しているのは、将来的に新曲を与えられたときのために、曲を自分のモノにしていく過程を経験しておくという訓練らしい。『知っている曲だとどうしても原曲のイメージに引っ張られてしまうから、未公開の曲を使わせてもらっているんだ』と、以前そんな風に説明を受けた。

 

「他の人たちはどうしていることやら……」

 

 ステップや発声の仕方などの基礎的なレッスンに取り組んでいた始めの一週間は、他の新米アイドルたちと一緒だったけれど、基礎レッスンと並行して曲のレッスンもするようになってからの三週間はいつもボク一人だ。

 マンツーマンでトレーナーに見てもらえるというのは贅沢なことに思えるが、どうなのだろう? 他の子たちも同じなのかな? 業界の事情に疎いボクにはとんと分からない。

 この二曲の本来の持ち主である先輩方も、きっと別のレッスンルームでボクと同じように練習しているのだろう。人気アイドルならレッスンに割ける時間も少ないだろうから、案外この二曲を一番多く歌っているのはボクだったりするのかもしれないね。

 

「準備できました! 午前中はこっちの曲をやりましょう」

 

 明さんが機材をリモコンで操作する。流れ始めたのは物寂しさのあるイントロだ。ボクはそれに合わせてポーズを構える。

今日のレッスンが始まった。

 

 

 午後のレッスンが始まって三十分ほど経った頃、アイツがやってきた。

 

「お疲れ様でーす! おー、やってるねぇ~!」

 

 元気に満ち溢れた挨拶で現れたのは、ボクの担当プロデューサーであるPだ。その元気さはどこかわざとらしいけど、妙に笑いを誘うようなところがあって不思議と不快感はない。

 

「あっ、Pさん! お疲れ様です!」

「明ちゃん、ありがとね。ゴールデンウィークなのに出てくれて」

「いえいえ、Pさんの頼みなら望むところですよ! それにちゃんと休出手当も出ますから」

「うわぁ、羨まし~」

「高給取りが何言ってるんですか!」

「そう思うじゃん? でも時給換算するとね……いや、やめよっか悲しくなるだけだし」

「ふふふっ」

 

 いつもながら楽しそうな掛け合いだねぇ。

 

「飛鳥の仕上がりはどんな感じ?」

「それはですね……」

 

 二人が仲良さげにボクのレッスンの進捗状況を話し合う。彼らを横目にボクは音楽に合わせてダンスを続ける。

 三週間前、いきなり二曲を演らされたたときには目の前が暗くなるほどに惨憺たるものだったが、今では結構できるようになったと自負して――

 

「……そんな感じで現時点の完成度は両方とも、まだまだ、ですね」

 

 ――いたのだけれど気のせいだったのか。くっ……!

 

「どちらも難しい楽曲ですし、基礎がしっかりしているとは言えませんからねぇ。でも二宮さん、筋は良いと思いますよ」

「ふむふむ。ちなみに、片方の曲に絞ってレッスンすればどれくらいで完璧にできそう?」

「そうですねぇ……片方だけであれば、あと十日ほどあれば大丈夫だと思います」

「オーケー、オーケー。まずは一曲を完璧にしようかな。どちらを先にするかは今日の夕方連絡するね」

「わかりました!」

「もう少し見学してていいかな?」

「もちろんです! 少しと言わず、ずっとでもいいんですよ? ……なんちゃって!」

「たはーー! 明ちゃんきゃわわ!」

「じょ、冗談ですからね……っ!」

 

 ……下手なりに必死のダンスを続けるボクを前にして、君たちは一体何をしているのかな?

 いや別にいいんだけど。うん、別にどうでもいいんだよ? だが青木明女史よ、良い趣味とは思えないなぁ。Pよりもハンサムな男性なんて星の数ほどいるだろうに。まぁ確かに、結構有能な男らしいけれど、それを傷つけて余りあるくらいにつまらない冗談を言うし、なんかお調子者だし……。本当に、別に、すごく、どうでもいいんだけどね。

 

「おっ、いたいた。P、ちょっといいか?」

 

 そこでまたレッスンルームに人が来た。ボクの知らない人だけど、どうやらPの先輩のプロデューサーらしい。まったく休日だというのに、誰も彼もご苦労なことだよ。

 ボクもレッスンに精を出してやろうと、ダンスを続ける。

 

「――ってことでよろしく頼む」

「わかりやした! パイセン! わざわざ来てもらってありがとうございました!」

「構わない。オレもちょっと見てみたかったから」

「あぁ、なるほど~。それについても改めて感謝っす」

「初めに提案された時にはよく分からなかったが、ある意味実戦的なレッスンだよな。効果についてはまた共有してくれよ」

「分かり次第そうさせてもらいやす!」

「それにしても、う~~ん……。難しい曲だよな。うちのヤツも手こずってるよ」

「それなら、こっちの大苦戦も当然ですね」

 

 途中からボクの話をしていた? 彼もこの曲を知って――あぁ!? しまった気をとられてしまってステップが!

 

「ほらほら! 動きが雑になってますよ!」

「くっ!」

 

 ダメだな。今のボクに他のことを考える余裕なんて無い。集中だ。集中しよう。

 

 

 次の休憩をとる頃にはPも彼の先輩もいなくなっていた。

 レッスンはボーカルとダンスとビジュアルを行ったり来たりしながら、夕方近くまで続いた。

 

 

 レッスン後に携帯を見ると『今日の報告は要らないから直帰でおk!』とPからメッセージが届いていた。

 だけどボクは彼の居室に行くことにした。別に何か話すべきことがあるワケじゃない。ただ、Pは怪しげな男ではあるけれど、彼の淹れるコーヒーは嫌いではないというだけのこと。

 

 レッスンスタジオを出て隣にある、お城の敷地内へと足を踏み入れる。

 衛兵もとい警備員も品が良くて、爽やかな笑顔で会釈をしてくれる。

 建物までの数十メートルの道のりは、職人の手による植え込みやら意匠の凝らされた噴水やらで全く退屈しない。都心の一等地だというのに、土地の使い方が実に贅沢だ。

 敷地内は、今日がゴールデンウィーク初日とは思えない程に穏やかだった。

 完璧に整えられたこの庭園において、会社に所属する美少女および美女たちが思い思いに時間を過ごしている様は、なるほど、地上の楽園とメディアが評するのも頷ける。仕事終わりの人や、ボクと同じくレッスン帰りの人の他、ただ遊びに来ているのも何人かいるのだろう。

 石階段を上り、精緻な装飾の巨大な扉を潜った先のエントランスも外観から期待する雰囲気そのままに荘厳だ。普段であればここで大勢の社外の人間が時間を潰しているのだが、今日が休日と言うこともあってか数は少ない。

 エントランスを通り過ぎ、エレベーターホールへ向かう。操作パネルにボクのIDカードをかざすとカゴが降りてくる。ここから先は基本的に社内の人間しか進むことはできない。そして、社内の人間であっても、その地位によって降りられる階に制限がある。

 百階以上もある中でボクに許可されているのは、Pの居室がある階と社員食堂階とテラスのある中層階だけ。つまりアイドルランク的には下っ端というわけだ。

 エレベーターを降りれば最早そこに宮殿の面影はなく、近代的で合理的なオフィスの風景が広がっている。煌びやかなセカイの舞台裏だ。この階には比較的ランクの低いプロデューサーの個室がズラリと並んでいる。プロデューサーには全員個室が与えられているが、その実績によって床面積の大きさは変わっていくらしい。

 Pの部屋は最低ランクのものだった。というのも彼は約一か月前、ボクをスカウトする直前にプロデューサーに昇格したばかりで、当然まだプロデューサーとしての実績が無いから。他の社員の彼への接し方から、どうやら一目置かれている存在ではあるようだが、実績がないことにはどうしようもない。皆ここからスタートするのだという。

 この会社において入社三年目でプロデューサー昇格というのはかなりの出世スピードらしいのだけど、その辺りの感覚はイチ中学生二年生のボクにはピンとこない。

 

「P、入るよ?」

 

 ノックをしてPの個室に入室する。

 

「おぉ、来たか」

「もしかしてお邪魔だったかな?」

「全然? ちょうど淹れたとこだし、よければ飲んでってよ」

「えっ? それは……奇遇だね……?」

 

 ボクの訪問はいわば、Pのメールを無視した突撃訪問だったのだけれど、入室した際、Pは二つのティーカップにコーヒーを注いでいるところだった。部屋にはPしかいなかったのに。ボクが来なければ二杯飲むつもりだったのか?

 こういうタイミングの良さは、彼といると不思議と多いから特に気にはしない。

 それからボクとPは談笑しつつコーヒーとおやつを味わった。

 その間、Pは終始手の中でサイコロのようなモノを弄っていた。それはこれまでに何度か見た仕草。ひょっとすると彼なりの健康法とかだろうか? そういうのよくあるし。

 

「じゃあそろそろ帰路に就くよ。ご馳走になったね」

「うぃっす。お疲れちゃーん。気を付けて帰ってな」

 

 Pの居室からは30分ほどで退出した。

 一呼吸おいてエレベーターホールへ向かおうとしたそのとき、通路を挟んでちょうど反対側の個室から声が漏れてきた。

 

『ハーッハッハッハーーーーッ!』

 

 壁越しでぼやけているが女の子の声。演劇でやるような見事な哄笑だった。

 うーん、流石アイドルプロダクションだ。いろんな人間がいるなぁ……。

 

 

 帰宅してしばらくすると、Pからメッセージが届いた。

 

『二週間後の土曜日に先輩方のライブ見学しに行くから、予定を空けておいてちょうだい! オナシャス!』

 

 どうせその日もレッスンだろうと思っていたから、何の問題も無かった。

 



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≪Observation by P≫

 

 飛鳥が帰宅して一息ついたところを狙ってメッセージを送信する。

 すぐに『OKだ。楽しみにしておくよ』と返ってきた。騙しているようで、ほんの少し心が痛む。

 全ての予定は計画通りに進んでいる。何のイレギュラーも起こっていない。起こってくれていいのに全く起こらない。というか、イレギュラーになってしまう前に俺が潰してしまっているんだけどな。やはりしばらくは台本通りの進行らしい。

 しかし、約二か月後に何があるというのか……? そこから急に台本が読めなくなってしまっている。それが本当であれば諸手を上げてカーニバルするところだが、何か違う気がする。窮屈さは依然としてある。

 

「やっぱコレが関係してんのか……?」

 

 胸ポケットから取り出した()()を見てみる。面毎に色が異なる小さな立方体。目の振られていないサイコロみたいなもの。

 これを手にして間もなく、台本が変わっていることに気が付いた。明らかに無関係じゃない。

 これが俺の思う通りの物ならすぐにでも使ってみたい気持ちはある。だが、今は使う理由がない。台本通りはムカつくが、現状これが最善手であることは間違いないんだから。それは結果的には岡崎ちゃんにとっても同じ。

 使う理由あるとすれば俺の好奇心だけ。自己満足に飛鳥を付き合わせるのは流石に忍びない。

 

「それと……アイツか………」

 

 向かいの部屋のちょっとよくわからないプロデューサー。いやマジでなんなんだろうアイツ……?

 面白いっちゃ面白い。でも俺の求める面白さとはまた別なんだよなぁ……。

 

「まぁとりあえず」

 

 台本が途切れるところまではこのままでいこう。

 

 それから俺は青木の明ちゃんに、明日以降のレッスンについて送信した。

 

 

 

 

 

 

≪Observation by 蜈?ココ蠖「≫

 

 セカイ線の内側――3+1次元の空間――に受肉を果たしてからおよそ一か月半が経った。

 これは以前の私にとっては瞬き以下の短い時間のはずだが、今の私には決して短いとは感じられなくなっている。認識能力と価値基準が肉体の影響を受けているらしい。

 そういえば()()などという尺度で時間を捉えようとしたこと自体が、肉体の影響を受けている証左だ。

 受肉前には肉体と呼ぶべきモノは無く、したがって瞬きをするという概念さえなかったのだから。

 

 認識能力が肉体の制約を受けている所為で、受肉前の一部の情報については思い浮かべることさえ非常に困難になっている。

 上の次元に居た時には総てが感覚的、同時的、有機的に認識できていたのに、今記憶として保持できているのは()()()()()()という文字情報だけ。大部分の情報は文字化けのような状態になっていて、言語化不能になっている。

 

 受肉後にいくつかの想定外はあったが大勢に影響はない。

 今はまだ、あの子に力の使い方を教えることに専念しよう。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

 ボクが所属するプロダクションは巨大なだけあって、大小さまざまなライブを数多く開催している。

 観客キャパが百人程度の小規模のものは毎週全国百か所以上で、五百~千人程度の中規模のものも毎週数十か所で行っている。五千人程度の大規模のものは週に二、三か所。これらはすべて多くのユニットが出演する合同ライブである。その他にも、特定のユニットによる単独ライブはこれらとは別に規模も形態も様々な形で随時開催されている。

 そして、一際大きな規模のライブが年に四回――五月、八月、十一月、二月――に開催される。こちらのライブも合同ライブだ。

 ゴールデンウィークが終わった次の土曜日、つまり今日見学するのは、その五月公演だった。

 観客は約三万。

 このライブに出演できるのは、プロダクション内のヒエラルキーの中でも最上位に位置する選ばれしアイドルたちだけ。出演できれば、トップアイドルを自称しても決して過言ではないらしい。

 まぁ、本当の意味でのトップアイドル――まさに頂の一点に立つアイドルユニット――の為のライブは別にあるのだが、アイドル歴一か月のボクにとってそれは、雲の上どころか宇宙空間の話だ。今のところ言及する気にはならない

 

「では、練習の成果を見せてもらおうか、飛鳥よ」

 

 ボクの行きつけとなってしまっているレッスンルームでPが言う。準備体操と少々の基礎レッスンを終えたところだった。

 五月公演の開演は夕方なので、午前中はいつものようにレッスンをしていた。ただいつもと違うのは、今日がレッスンの一つの区切りになるということだ。

 一か月近く前から練習してきた二曲。二週間前からは、そのうちの一曲を集中的に練習していたのだが、二日前ようやくトレーナーさんからも合格判定を貰うことができた。それはつまり、この曲に限って言えばボクにもプロ並みのパフォーマンスができるということを意味している。

 そこで最後にPの前で実演してみせて晴れて課題終了というわけだ。

 

「慶ちゃんがAパート、飛鳥がBパート、明ちゃんがCパート、でやってもらえるかな?」

「はい、わかりました!」

「う、上手くできるか分からないですけど頑張りますっ!」

「ボクが全部演ってもいいのだけれどね……了解だ」

 

 ボクが全パート歌うわけではなくパート分けするようだ。そのために、わざわざルーキーのトレーナーである青木慶さんにも来てもらったらしい。

 

「あ、そうだ。一つ注意点というか、お願いなんだけど」

 

 そんなPの切り出しに、ボクたちの「はい?」がハモる。

 

「本当にステージでやるつもりでパフォーマンスして欲しいんだ」

「と、いいますと?」

 

 ボクと慶さんの代わりに、明さんが聞いてくれた。

 

「そのままの意味。本物のステージの上にいて、目の前に三万人の観客がいると思ってやってほしい」

「それは……はぁ、わかりました……?」

「慶ちゃ~ん、ほんとに分かってる~?」

「え、へ…?」

 

 Pが薄ら笑いを浮かべながら慶さんの背後に回り込む。彼女の肩に手を乗せ、耳元で囁き始める。

 

「ほら……目を閉じて、想像してごらん……いい……?」

「えっ……あぁっ……」

「慶ちゃん……キミは今ステージの上。目の前にはキミを待つ三万人のファン。サイリウムがゆらゆら……揺れてるね?」

「えっ!? あっ……んっ……」

「イマジン……imagine……」

「んっ………あ……………は、はい……っ! ゆ、揺れてます…! たくさん……!」

「みんな慶ちゃんのファンだよ? ねぇ、聞こえる?」

「えっ? えっ?」

「慶ちゃん、頑張って、可愛い、最高だよ、頑張って、可愛い、可愛い……」

「えぇっ!? か、かわっ!? はわぁ~~~」

 

 何なんだこれは。暗示か何かか? 明さんも神妙、というか、険しい表情で二人を見つめている。ギリリ、という歯を擦り合わせるような音は聞こえなかったことにしよう。

 

「ほら、見られてるよ? 慶ちゃん、見られちゃってる。キミのことが大好きなファンたちみんなに、全部、見られちゃってるね? ねぇ? どう? 感じる? 視線」

「あぁぁっ! そんなぁ~~……、こ、こんなの……だめですぅ~……っ」

 

 慶さんの膝がフルフルと震え出す。見ているだけでこちらまで緊張が伝わってきて、妙にドキドキしてしまう。

 

「……って、イメージしながら歌って欲しいんだけど、OKかな?」

「あぁぁ…………あ、あへ?」

「こら! いつまでも惚けてるんじゃないの!」

「あっ! ご、ごめんなさい!」

 

 顔を真っ赤にした慶さんがボクたち三人に頭を下げる。

 

「『練習は本番のように、本番は練習のように』みたいなものですか?」

「うん、そうだね、そんな感じ!」

「それならそう言えば……。回りくどいんだが?」

「茶目っ気だよ、許せ。あぁ、あとね。本番と一緒だから、失敗しても止めちゃダメだし、一発勝負。二回目なんて無し」

 

まぁ、確かに練習にも緊張感は必要だ。百回以上歌ってきたから、少しマンネリ気味になっていたかもしれないし。

 

「じゃあ、緊張、興奮、冷めやらぬ内に始めようか」

 

 そう言いながら、Pが音響機材の操作を始める。ボクたちは各自の立ち位置につく。

 再生ボタンを押す直前にPがボクに振り向いて、言った。

 

「いいな、飛鳥。目の前には三万人だ。想像できてるか? 今の内に、出来るだけリアルに緊張しとけよ? でないと……」

「ん? P、今なんて?」

「ンミュージックゥ~~スタートォッ!」

 

 ボクに答えず、Pは音楽を流し始める。

 ほぼ同時にAパートの慶さんが歌い始め、ボクの身体も半自動的に動き始める。すると、Pは懐から数本のサイリウムを取り出した。なるほど。Pが観客を演じてくれるらしい。

 いいだろう、本気でやってやる――!

 

 

 

 Pのコールとサイリウム捌きは、それはそれは見事なものだった。三万とはいかないまでも、百人ぐらいには見えたかもしれない。

 そして、ボクもいつになく熱の入ったパフォーマンスができた。他の二人も同様だったらしい。

 歌い終えた後は本物のライブを終えたかのように、自然とボクたち三人はハイタッチをし合っていた。

 そんなボクたちを見てPは「うむ」と真剣な表情で頷き、サムズアップをしてきた。

 安堵と達成感に笑みを浮かべってしまうボクがいた。

 その後軽くストレッチをしてから、ボクとPはライブ会場へと向かった。

 

 道中の車内で、ボクは一仕事終えた気分になっていた。今日はもうライブ見学を楽しめばいいだけ、気楽なものだ。なんてね。

 

 

 

「ねぇ! 本当に出来るの!?」

 

 だからまさか。会場でこんな展開が待っているとは、露程も思っていなかった。

 

 トップアイドルの一人、北条加蓮がすごい剣幕でボクに詰め寄ってくる。いや、縋りついてくる。

 彼女の後ろにいる少女の顔はテレビで見た覚えがあるから、彼女も結構な人気アイドルなのだろう。

 彼女たちの担当プロデューサーと思しき二人の男性も期待の籠った視線を送ってくる。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。話についていけない……!」

 

 一体全体、何が起きているのか…。全く理解らない。 ほんの数分前まではボクはただの観客でしかなかったのに。何故、今ボクは楽屋にいるんだ? この人たちはボクに何を期待しているんだ? ボクはまだ一度だってステージに上がったことは無いっていうのに!

 

「二宮飛鳥くん……。どうか俺たちを助けて欲しい。実は――」

 

 待て、いい。説明しなくていい。ボクを巻き込むな! あぁ、どうしてこんなことに――!!

 

 

 

 

 

 

≪Observation by Yasuha≫

 

 恐ろしい想像が止めどなく溢れてくる。

 

 運転席ではプロデューサーが頭を掻き毟っている。ズビズビという音から、どんな表情になっているかは見なくても分かる。

 後部座席の窓から見る景色は遅々として進まない。こんなに酷い渋滞は聞いたことがない。何の変哲もない高速道路で発生した未曾有の大渋滞。

 通常なら一時間程度の道のりなのに、もう三時間以上足止めをされている。そしてこの渋滞が解消される見込みは未だに立っていない。

 リハの予定時刻をとっくに過ぎたどころか、開演時刻まで秒読みといえる段階まできている。なのに何故、私はこんな場所にいるのだろう?

 

「どうしてこんなことに……」

 

 ただの独り言のつもりだったのに、プロデューサーの肩が大地震のように揺れた。

 

「ごめん! ごめんよ泰葉ちゃん!! 僕が欲張ったから! ああああああ! ごめんなさいっ!!!」

「っ! プロデューサーは悪くないよっ! 受けるって決めたのは私だもん……っ!」

 

 とても割の良いお仕事が、数日前に急に回ってきたんだ。ただ一つの懸念材料は五月公演と同日に入っていたということ。でも時間的な余裕は十分にあった。だから受けた。あの条件なら誰だって受けると思う。でもあそこまで押しに押すとは誰も予想できなかった。そしてその後にこんな大渋滞に捕まるなんて……。

 今日の公演にプロダクションの首脳陣が軒並みやって来ることは、今朝急に決まったらしい。それを知った今朝の時点では「偉い人にもアピールが出来るね」なんてプロデューサーと喜んでいたのに、今ではこれこそが最悪だ。

 しかも私のユニットは今日が初お披露目。というより結成していたこと自体が完全に秘密にされていて、この公演でサプライズ発表することになっていた……それがメンバー遅刻のため出演辞退になんてことになったら……しかも首脳陣の目の前で……!

 

「ぅ………っ」

 

 吐き気が込み上げてくる。

 最悪のことが起きようとしている。

 いくら岡崎泰葉に長い芸歴があっても関係ない。今やプロダクションは芸能界全体で絶大な権力を奮っている。公演に穴を開けるなんて失態をよりにもよって首脳陣の眼前で演じれば、即芸能界から追放されるだろう。アイドルの層は厚いのだから。

 何もかも最悪。

 あまりこういうことは言いたくないけど、それでも言わねば気が済まない。運が悪すぎる!! まるで悪魔が私を狙いすましたような運の悪さだ!

 

「鳥になりたい……」

 

 そしたら会場まで一っ飛びなのに。流石に逃避がすぎるか。

 せめて特殊部隊の訓練を受けていたら、ロープか何かで一般道まで降りれたのに。

 

 いや、もう遅いか。既に物理的に間に合わない時間だ。

 

 気掛かりは加蓮さんと肇さんのこと。

 私のチョンボで彼女たちにまで累が及ぶのだけはどうか回避して――

 

「――ふええええっ!?」

 

 そのとき突然、プロデューサーが素っ頓狂な声を上げた。すでに会場入りしていた加蓮さんか肇さんのプロデューサーと電話していたらしい。

 そして電話を切った彼が、目に涙を浮かべながら言った。

 

「見つかったって……泰葉ちゃんの、代役」

 

 

 

 

 

 

≪Observation by Asuka≫

 

 状況を整理しよう。したくないけど。

 今この部屋にいる人物はボクとPの他に少女二人と男性二人。少女の方はアイドルである北条加蓮と藤原肇、男性の方はそれぞれ彼女たちの担当プロデューサー。

 Pに電話を掛けてボクたちをここに導いて、経緯を説明しやがったのは北条加蓮のプロデュ―サーだった。彼にはどこかで会ったことがある気がしたが、思い出せない。

 ここは北条加蓮と藤原肇のデュオユニットの楽屋かと思えば、そうではない。本来はトリオユニットなのだが、三人目の岡崎泰葉というアイドルがまだ会場に着いていないのだという。午前中の仕事が押しに押して、その挙句、会場への道中で酷い渋滞に捕まってしまい、出番までに到着することは不可能になったのだ。

 それならば、体調不良だとかの理由をつけて残り二人で出演すればいいのではと思うのだが、今日に限って、それは出来ないらしい。役員が勢揃いしているからだ。

 お偉方の目の前でファンの期待を裏切り、しかもその本当の理由がただの遅刻だと知られたら……。当事者である岡崎泰葉とそのプロデューサーには、間違いなく非常に重い罰が下されるらしい。

 だから、トラブルがあったということ自体、役員連中に知られてはいけないのだ。

 幸い――かどうかの判断は分かれるけれど――このユニットは今日のライブが初出、というか、今日のライブでサプライズ発表されるユニットだった。しかも、メンバーの情報を知るのは彼らの所属する部署内のごく一部のスタッフだけで、役員連中が活動前のユニットの動向を把握しているわけがない。役員連中の認識としては高々“トリオユニットの結成が新曲と同時にサプライズ発表されるらしい”というだけなのだという。

 だからぶっちゃけると、必ずしも岡崎泰葉でなくてもいい。誰か別の人間を三人目に仕立て上げて、このステージをやり過ごしさえすれば、何のお咎めもなく、みんながハッピーになれる……という話だ。

 

「いや、いや、いや……と、とりあえず、そこまでは理解ったけど、いや、理解らない。理解らないぞ。なんで、ここで、ボクなんだ? 今日この会場には、ボクみたいに見学しに来た暇なアイドルがいくらでもいるだろう? 彼女らはきっとボクよりもずっと経験豊富だろう? ボクよりもずっと適した娘がいるんじゃないのか? さっき、出来るかって聞いたね? 出来ないよ。ボクには。ボクに出来ることなんて、何も無い」

 

 途中から自分でも声が震えているのを感じた。でも言わずにはいられなかった。四人ではなく、ほとんどPに向かって言っていた。こんなこと、キミが一番よく分かっているだろう? 先輩のお願いだからって、ハイハイ聞いてるんじゃない。

 ほら、キミも早く断ってくれよ。ここはすごく居心地が悪いんだから。

 

「なぁ、P……。そうだろう?」

「いや、飛鳥……」

 

 なのに、Pは言った。

 

「これは、お前にしか出来ない」

 

 意味が理解らない。

 

「だっ、だから何で!?」

「このユニットが歌う新曲は、お前が今日まで練習していた曲だからだ」

「はぁっ!?」

 

 どういう偶然なんだ!? この巡り合わせは何なんだ!?

 

「………っ!」

 

 いや、ボクがずっと練習していた曲が初めて歌われるライブだから、Pは今日ここに連れて来てくれたということか! 先輩ならどんな風に歌い上げるかを、実際に見て勉強するために。だけどそこにアクシデントが重なって……!

 

「二宮くん。二週間前、俺はキミがこの曲をレッスンしているのを見た。あれからもレッスンを重ねたのだろう? それなら……いや! この際、あの時のままのクオリティでも構わないっ! ステージを終わらせてくれれば、それだけで……!」

 

 そうか、この人、北条加蓮のプロデューサーは、以前Pを探してレッスンルームにまで来た人だ。憔悴した表情だったから気付かなかった。

 この土壇場であの日のことを思い出して、ボクに縋ってきたということか。それはそれでなかなかの機転だと思うけどさ!

 

「いっ、いや、でも……!」

「あの曲を歌うことができるアイドルは、今この世界に四人だけだ。北条ちゃん、藤原ちゃん、岡崎ちゃん……そして、二宮飛鳥。お前だよ」

「セカイで、四人の、アイドル……このボクが……っ!」

 

 それはなんて心躍るパワーワード……違う、そうじゃない。

 

「ちょ、ちょっと、まっ――」

「ですが、先輩、いいんですね?」

 

 反論しようと口を開いた矢先、Pと被ってしまう。

 

「飛鳥を今日ステージに上げるということは、飛鳥を正メンバーとして発表するってことになりますよ? 岡崎ちゃんの代わりに」

「それは……わかっている。それでも、岡崎くんと岡崎Pが芸能界をクビになるよりは億倍マシだ。彼女たちの了解は既に取っている。加蓮と藤原くんだって……」

「いいに決まってる! 泰葉はこんなことで終わっていいアイドルじゃない!」

「同感です。他に選択肢はありません……!」

 

 いやいやいや待て待て待て! 話を進めるな! なんかやる感じになってないか? ちょっと! オイ! P!

 

「出番まであと45分か。幸い、二宮くんと岡崎くんの体格はそう変わらないから、衣装は微調整で問題ないだろう。まずは歌とダンスの確認だ」

「北条Pさん! 大部屋、確保できました!」

 

 いつの間にか楽屋から出ていた藤原肇のプロデューサーが戻ってきた。彼の案内で別の部屋へ移動する。そこはレッスンルームの半分くらいの大きさがある楽屋で、本来中央にあるはずの長机は折り畳まれて隅に重ねられていた。

 ボクは完全に置き去りにされていた。気付けば、胸に違和感があった。心臓が激しく脈打っていたのだ。

 

「飛鳥、なぁ、飛鳥。驚くよなぁ、焦るよなぁ、やっぱり」

「あ、当たり前だろう! 一体何が起ころうとしているんだ…っ!」

「まぁまぁ、そういうときはな、飛鳥。ルーティンだ。知ってるか?」

 

 そう言いながら、Pは忍者のように手を組んでみせた。それを見て頭に浮かぶのは、昔テレビで見た有名なスポーツ選手。

 ルーティン……お決まりの動きをすることで精神統一する方法とかだったっけ?

 

「お前にもあるだろう? ルーティン」

「えっ、えっ……?」

「これまで何十、いや、百回以上繰り返してきた一連の動き……音楽が始まると自然と体も動く……」

「………なるほど、アレか……!」

「いっちょ軽くやって、気持ち落ち着けようか。なっ?」

「そ、そうだな……うん……」

「ウェーーイ! 飛鳥も準備オッケーでーーーす!」

「へっ? あっ………」

 

 Pがボクの肩を押して、部屋の中央に移動させていく。北条加蓮と藤原肇は既に位置についていた。午前中、慶さんがいた位置には藤原肇が、明さんがいた位置には北条加蓮が、そしてボクの位置はそのまま。

 音楽が流れ始めると同時に藤原肇が歌い出す。それに釣られ、ボクの体と喉も動き始めてしまう。いや、たぶんもう只の自棄だった。

 

 約五分間の試演を終えると、まず北条加蓮に強く抱きしめられた。彼女は「神様っているんだ…」と震える声で呟いた。

 藤原肇は「奇跡です…」と目に涙を溜めていた。

 藤原Pは「イケますよこれ!」と歓喜の叫びを上げ、北条Pは次なる準備のためメイクさんを呼びに行った。

 ボクのパフォーマンスは今朝と比べれば随分とレベルの低いものだったのだけれど、彼らにとっては光明だったようだ。

 ボクは理解した。最早逃げ場はないのだということを。

 言われるままに衣装を身につけ、されるがままにメイクを施される。それが済むともう一度試演を行い、パフォーマンス後のトークパートで話すことを皆で決めた。ボクが喋るのは自分の名前だけ、その他は全て北条加蓮と藤原肇に任せることになった。彼女達が喋っている間、ボクは終始不敵な笑みを浮かべておけばいいらしい。

 それから舞台袖へ向かう。

 

「うっ……これは……ううぅ……!!」

 

 袖から客席を覗き見て、その広大さに引いた。たじろいで、後退って、その背中をPに受け止められる。

 

「おっ、どうした? 三万人っつっても大したことないなって落胆したか?」

「逆だ! 広過ぎだろう! ウジャウジャし過ぎだろう! 何でこんなことに!? こんなことになるなら――」

「99パーセント!」

「――は?」

「史上類を見ないアイドル戦国時代の今……地下も含めれば一万人以上いるアイドルの内、99パーセントの娘たちは何年続けようが、一度もこのレベルのステージに立つことができないんだ。それを初舞台にしちまうなんて、最高に面白いよな」

「い……いや……全然笑えないんだが……」

 

 ボクの肩がPに押されて、クルリと回れ右をさせられる。Pは口角を上げてギラついた笑みを浮かべていた。

 

「これはなぁ、伝説の始まりなんだ」

「で、でん、せ…つ……?」

「伝説……つまり Legend だ」

「あぁ……うん、それは、知ってるけど……」

「ASUKA The Idol という壮大かつ絢爛な伝説の幕開けなんだ!」

「っ……!」

「差し詰め今日はそのFirst Stage のClimaxといったところか」

「っっ……!」

 

 Pのワードがまた胸をムズムズとさせる。あと、英語の発音がいやらしいくらい勿体ぶっていて、洋画の予告編を彷彿とさせる。

 そして何故か、心臓は焦りを脱して、熱く力強く拍動し始めていた。

 

「それに、三万人の前でのライブは今朝やってきただろう? あれをもう一度やればいいんだよ」

「……んふっ!?」

 

 唐突にPの迫真のサイリウム捌きを思い出した。

 

「んんっ……フフ。いや、三万人は言い過ぎだ。あれは高々百人分だよ」

「くっそ、マジかよ。オレもまだまだだな」

「キレッキレだったことは認めるけどね」

「じゃあ、そっか。本番は俺が三百人いるみたいなもんだな! どうだ? これならイケそうだろ?」

「は? Pが、三びゃ――ぶほぉっ!!」

 

 ダメだ。これは想像したらダメなヤツだ。本番前になんてことを想像させるんだコイツは。

 噎せから回復する頃、ボクたちの出番はもうすぐそこに迫っていた。

 

 北条加蓮、藤原肇、ボクの三人で輪になって手を繋ぐ。

 不安の色濃い二人の視線に、今のボクはただ無責任に頷くことしかできない。それはとても悔しく感じられた。

 振り返ってPを見る。安全地帯からの満面の笑みとサムズアップに心の底からイラっとくる。

 P……三百人の……いやいやダメだ、アレは忘れろ!

 いつも通り歌って踊って、名乗る! ボクはこれだけ考えていればいい!!

 

「行くよ! 肇! 飛鳥!」

「はいっ!」

「っ……ままよ!」

 

 そして、ボクたちはステージへ駆け出していった――。

 

 

 

 

「悪りぃな、飛鳥。食事にくらい連れて行ってやりたいんだが、先輩がすぐ来いってうるさくてな」

「ん…? いや…いいよ…。ボクも……すごく……疲れた、から……」

 

 ライブ会場をPの車で出て間もなく、ボクは睡魔に襲われた。

 本当に疲れた。肉体的にも精神的にも。長い一日だった。二宮飛鳥の一番長い日だな、これは。まさかいきなりステージデビューすることになるとは思わなかったけど、滞りなく済んで本当に良かった……。

 プロデューサーたちは各アイドルを自宅に送り届けた後、再び集まって、夜通しでユニットメンバー変更の辻褄合わせのための打ち合わせを行うのだという。ボクに絡むことで徹夜をしてもらうのは多少は心苦しい。でも正直いい気味だった。特にPには。

 

「あぁ、オネムか。寝とけ寝とけ。マジお疲れちゃんだよ。いい夢見ろよ」

「……じゃぁ……お言葉に……あまえ……て……」

 

 携帯にはさっそく北条加蓮、藤原肇、そして、岡崎泰葉からの感謝のメッセージが届いている。でも返信は後回しにさせてもらおう。

 

 ――ふぉん、ふぉん、ごぉぉぉ。

 

 車がハイウェイを疾走していく。路面からの微かな振動が今はとても心地いい。

 

 ――チカリ、チカリ。

 

 道端に等間隔に並んだ照明灯が、一定のリズムで車内を照らしてくる。それは、少し、うざったい。運転席に座るPも、チカチカと照らされている。

 後部座席のボクからはPの表情は見えない。耳と頬と目尻が見えるくらい。それが数秒ごとに照らされる。

 

 ――チカリ、チカリ、チカリ、チカリ

 

 Pの頭部がチカチカするのをボンヤリと眺める。

 完全に夢に囚われる直前の、思考と妄想の区別がつかなくなる瞬間。有り得ない考えが浮かんだ。

 

 Pは以前から()()なることを知っていたのではないか?

 

 今日、岡崎泰葉が遅刻することを知っていたのでは?

 岡崎泰葉の代役をこなせるよう、ボクにずっとあの曲を練習させていたのでは?

 だからCパート、岡崎泰葉のパートを特に念入りに練習させていたのでは?

 今朝の最後のレッスンは疑似的なリハーサルだった?

 

 しかし。

 何月何日の何時に何処で渋滞が発生するかなんて、予想できるのだろうか? いや、そんなことが出来るようになったというニュースは聞いたことがない。

 じゃあ。じゃあ……予想するのが無理なら、作為的に引き起こすことは……?

 何かの動画で見たことがある。たった一台の急ブレーキが後続車を詰まらせ、渋滞に発展するという検証映像だ。渋滞を作為的に起こすことは、一応は、可能らしい。

 そういえば今日、Pは会場に着いたころから頻繁に電話を掛けていたような……? 一体どこへ掛けていたのだろう?

 

「…………」

「…………」

 

 眠気はいつの間にか消え去っていた。車内の空気が張り詰めているように感じられる。

 Pを見た。が、変わりは無い。

 いや、ルームミラー越しに、彼はボクを見ていた。

 

「っ……!?」

 

 Pの瞳の色に何か獰猛なモノが混じっていく。その目は嗤っていた。ボクがそれに気付くと同時に彼が口を開く。

 

「なんだぁ? 飛鳥、寝ないのかぁ? それとも、聞きたいことでもあるのかなぁ~~?」

「………っ」

 

 ボクは気付いてはいけないことに気付いてしまったのか!?

 なんてね。ハハッ! ボクの妄想に決まっている。

 電話だけで特定のエリアに渋滞を引き起こすなんて芸当、聞いたことがない。安楽椅子探偵にもそんなことは無理だ。

 

「い、いや。ちょっとした妄想さ……。ひょっとしたら、今日のトラブルは……キ、キミが仕組んだんじゃ、ないかってね……?」

「………ハハハ」

 

 ほら、笑われてる。こんなバカげたこと、ワザワザ言うんじゃなかっ――

 

「アハハハはーーーー!! ハハハハはははハハハハ!!」

「――ひっ!?」

 

 Pの哄笑が車内を埋め尽くす。

 ゾクゾクしたのもが背骨を駆け巡る。

 そして運転中にも関わらず、Pの首がグルリと回ってボクに振り向いた。彼の目は大きく見開かれ、しかも血走っているように見える。

 ヤバい。ホラーだ。ビビってしまって、叫び声一つ上げられない。

 

「………お前のような勘のいいアイドルは――」

「あ、ぁぁ……あわわわっ!」

「――結構好きだぜ。へへへ」

「……………へっ?」

 

 Pは表情を普段のおちゃらけたモノに戻し、前を向いた。車は変わらぬスピードで走り続ける。

 

「やっぱバレたか。ま、隠してなかったけどな。どれが決め手だった?」

「えっ…決め手とかはなくてなんとなく……って! ほ、本当なのかい…?」

「まぁね! てへぺろ。他の人には内緒な? 先輩たちにタコ殴りにされちまうから」

「……言っても誰も信じないと思うけど……」

「かもな~」

 

 それからPは今回のトラブルの真相を教えてくれた。が、それはほとんどボクの妄想通りだった。

 ちなみに岡崎泰葉の遅刻のそもそもの原因であるロケ仕事の御鉢が彼女に回ったのも、Pの暗躍によるものだったらしい。

 

「まぁ確かに、俺は渋滞を引き起こしたりして岡崎ちゃんを遅刻させた。でもな、あの二人のやりようによっては、ちゃんと時間内に会場に着くことも可能だったんだぜ?」

「……そうなのかい?」

「俺の見立てでは、彼女らが会場に着く方法は七通りあった」

 

 具体的な数字に妙な説得力があった。たぶん、口から出まかせというわけではないのだろう。

 

「七通りもあるのに、思い付けなかったり、思い付いても実行できないんだったら、それはもう俺の責任じゃないと思う。まぁ、とはいえやっぱ、岡崎ちゃんには悪いことしたっていう自覚はあるから、少し後でめっちゃ良い仕事が回るように既に仕込んである」

「………」

「今回ほど好条件が重なるチャンスはそうそうないから多少強引にしたけどな、ここまでグレーな手段はそうそう使わないつもりだ。……幻滅したか?」

「………」

 

 真相を知ってしまった今、確かに岡崎泰葉に対してボクも申し訳なく思う気持ちはある。だがしかし、それが気にならない程にボクは興奮していた。

 Pはバタフライエフェクトを解明し、カオスを意のままに操ってみせたのだ。一体何色の脳細胞であればそんなことが可能なのだろう?

 悪魔的だと思った。いや、常識を超えているという意味では悪魔そのものと言っていい。こんな人間が本当にいるのかと心底驚き、興味と畏怖で深く興奮していた。

 Pはどうやら結構有能な人間らしいとは感じていたけれど、それすらまったく見当違いだった。彼について今のボクには何も理解らない。理解を越えている。結局、理解ったのはそれだけ。中学生程度の知性では、Pという人間を測ることなんて到底出来そうにない。

 

「ひとつ、いいかな?」

「ヘイカモン! お兄さんに何でも聞きなよ!」

 

 彼の凄まじさに気付いてまうと、聞かずにはいられないことがある。

 

「どうして…ボクを………………」

「ん…?」

「………どうしてあんな、ことを、したんだい?」

「あんなことって、今日のライブのことを内緒にしておいたことか?」

「えっと………?」

 

 あれ? 聞きたいのはそのことだっけ? 何か違うような……? 妙な違和感が、なくもない……。何を聞こうとしていたんだっけ…? ううむ……ド忘れしてしまった。それとも気のせいだったのか? どちらにしても、そうなるくらいなら大したことじゃないってことだろうし、別にいいか。それに実際、Pの説明不足の意図については聞いておきたいし。

 

「あぁ、うん……。それでいい」

「………ん。オッケー!」

 

 Pは少し訝しがったが、すぐに話始める。

 

「もし事前に飛鳥に伝えていたら、計画はかなりの確率で頓挫か失敗していただろう。飛鳥の素振りから先輩に勘繰られる、とか色々な原因でな。その中でも一番マズイのが、事前に知ったことで緊張し過ぎてしまって、レッスンどころじゃなくなるってことかな。最悪、体調崩しちまうし」

「あぁ…うん…。否定はできないね……」

「まぁ、これは飛鳥だからとかじゃなくて、大多数の人がそうなんだけど」

 

 無事終わった今でも、ステージのことを思い出すと変な汗が出てくる。ボクが三万人の前で歌ったなんて、そしてそれがボクの初ステージだったなんて、今でも信じられない。これまで学校の表彰台に立ったことだってないのに。もし事前に知らされていたら、Pの言う通りのことが起きても不思議はないし、逃げ出しさえしたかもしれない。

 

「だからもう、ドサクサの勢いで乗り切るしかないなって」

「ドサクサって、キミな…。上手くいったから良かったけどさ……」

「まぁ、イケると確信してたよ。飛鳥ならな」

「ん、そうか………」

 

 成功に寄与したPとボクの比率はそれぞれどれくらいなのか、少し気になった。けれど、考えるのはすぐにやめた。それはほとんど自明だったからだ。ボクはきっとPが操った駒の一つに過ぎな――

 

「ん~~? もしかして“ボクはPの掌の上で踊っていただけなのか”なんて思ってる?」

「――ッ!」

 

 この男、読心術も使えるのか?

 

「それは違うぜ? 俺も飛鳥もベストを尽くした。だから成功した。それ以上でもそれ以下でもない」

「……おべっかなら必要ないよ」

「いや、本当に。……掌の上で踊ってるのは、寧ろ俺の方なんだよなぁ」

「ハッ! 謙遜も過ぎれば嫌味、というのを聞いたことはないかい?」

「嫌味に出来ればどんなに嬉しいか……いや、この辺りの話はちょっとアレだから、もっと別の話をしよう」

「ん? うん…それは構わないけど」

 

 はぐらかされたというよりは、実際にPはこの話をするのに気が進まないようだった。確かに愉快な話になりそうにないし話題変更に異論はない。

 それからPは明日以降のアイドル活動の見通しを話してくれた。端的に言って、激変するらしい。これまでずっとレッスン漬けだったのが、北条加蓮と藤原肇と一緒に毎日のように仕事が入るようになるのだと。

 

「一年目の目標はとりあえず次のULに出ることだな」

「ゆーえる……? って何だっけ?」

「そりゃもちろん、ウルトラライブのことだ」

「は? それって……」

 

 それは、本当の意味でのトップアイドル――まさに頂の一点に立つアイドルユニット――の為のライブの通称だった。

 毎年、四月から二月中旬までの約11か月間で最も輝いたアイドルユニット一組による単独の、しかし、超大規模なライブ。開催日は例年通りなら三月末だ。プロダクションの威信を賭け総力を挙げて開催するソレは、近年は世界最高のエンターテイメントとの呼び声も高い。観客数は各年のULスタイルにもよるが、最低でも五万人、多い場合には二十万人にも達する。うちのプロダクションに所属するアイドル全員が目指すべき目標……らしいのだが、今の今まで、ボクは宇宙の果て程度にしか意識したことが無かった。

 

「……流石に冗談だろう?」

「本気と書いてマジ」

「えぇぇ………」

「俺と飛鳥が本気を出せば不可能ではないはずだ」

「えぇぇぇ……」

 

 複数人のユニットとはいえ一年目でULに出た前例はなかったような……。しかし、この悪魔的なPの言うことだし……。

 

「そんなこと、本当にできるのかい……?」

「チッ、チッ、チッ。できるかな? じゃねえよ……」

 

 Pはそこで言葉を止め、悪そうな笑みを浮かべながらボクを振り返った。ネットのどこかで聞いたことのあるフレーズだ。ボクに続きを言えということか……やれやれ。

 

「……やるん――」

「――やるんだよぉぉっ!」

「なんで言うっ?!」

 

 ケラケラと笑うPにボクは呆れて失笑を禁じ得なかった。なんとも緩い雰囲気が車内に漂う。それから間もなく、ボクのマンションに到着した。

 

「じゃあ、お疲れ。ゆっくり休んでくれ~」

 

 ボクを降ろしたPは、そう言ってプロダクションへ向かっていく。

 遠ざかっていくテールランプに背を向けたとき、ふと思い出した。さっき、Pに聞こうと思ってド忘れしてしまったことが何であるかを。

 

「あぁ、そうか……」

 

 あのときボクは『どうしてボクをスカウトしたのか?』と聞こうとしたんだった。

 Pほどの能力があれば誰でもスカウトできるだろうに、よりにもよってどうしてボクを?

 確かに気を使っている分ルックスには多少自信があるが、それでもただの中二病罹患者だ。そんなこと、彼ならすぐに見抜きそうなものだが……。少なくともボクより上のポテンシャルを持った人間は幾らでもいるだろうに。

 Pとの出会いは偶然で、そして少しの会話の後、スカウトされた。

 ボクの何が彼にそう決心させたのか、聞いてみたいと思ったんだ。

 

「また今度聞いてみよう」

 

 そう呟きながら、ボクは自室のドアを開いた。

 



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≪Review by Asuka≫

 

 ボク、二宮飛鳥がアイドルにスカウトされたのは、中学二年生に進級する前の春休みのことだった。

 

 その日、中古のラジオを購入した帰り道。自宅近くの公園を通りかかったときに、あることを思い出した。幼少の頃、ガラクタで構成されたラジオを持ってそこら中を徘徊していたという黒歴史のことだ。

 音の聞こえやすい場所を探し求めて、あっちへこっちへ。この公園はそのホットスポットの一つだった。

 ここで思い出したのも何かの縁だと、公園のベンチで買ったばかりのラジオを試用してみることにした。

 同封されていたマニュアルを一読して、スイッチオン! ……点くはずがない。鉱石ラジオではないのだから、電源が必要なのだ。このラジオを聞くにはコンセントが要る。

 普通は公園では無理だが、そこは勝手知ったる自宅近くの公園。町内会が管理する物置小屋の裏側にコンセントがあったことにすぐ思い至った。

 あまりよろしくないことだけれど、無性にそのとき、その場所でラジオが聴きたくなっていた。

 小屋の裏側に回ると記憶通り、外壁の地面に近いところにコンセントが埋め込まれていた。

 小屋の壁が面しているのは鬱蒼とした雑木林。寂れた公園のしかも普段は誰も用のない小屋の裏側に、ボク以外の人間が来るとも思えない。だから、多少電気を拝借してもバレることはないだろう。

 プラグを差し込んで、スイッチオン。今度こそは電源が点いた。鳴ったのはジジジという空電だったが、それでも妙に嬉しかった。

 地面に腰を下ろし、ラジオは膝に抱えて周波数ノブを回す。すぐに何かの番組にたどり着く。オーケストラ音楽だった。

 音量をボクにだけ聞こえる程度に小さく絞って、チューニングを続けていく。

 少しイケナイことをしているという非日常感からか、AMの下らない雑談やFMの耳にタコのCMがたまらなく面白く感じていた。童心に帰るというのは、きっとああいうことなのだろう。

 神にも見落とされるような狭間の場所で、セカイの声に耳を傾けているような気分。それがとても懐かしくてワクワクしてしまう。

 ちゃんと音の鳴るこのラジオならまだしも、昔のボクはよくもまぁあんなガラクタで楽しめたものだ。電波をキャッチするのも一苦労、よしんばキャッチできても音は小さいわ、ノイズも酷いわで、あれは今思えば苦行以外の何物でもない。

 

 ふと周囲を見渡せば日が暮れ始めていた。ちょっとのつもりが、随分と長くそうしていたらしい。

 門限を越えると母親が怖い。

 そういえば昔、底の抜けた風呂桶を天に掲げながら闊歩するボクの話題が町内会で挙がったとかで、顔を真っ赤にした母に父ともどもひどく怒られたっけ? それはまぁ、無理もない。でもその甲斐あって、ボクは初めてちゃんとしたラジオを買い与えられ、ボクの奇行は鳴りを潜めることになった。

 そろそろ帰ろうかと思い始めた矢先、前方の雑木林の奥からガサガサと音がした。

 犬か猫か、と目を凝らすまでもなく、大人の男がこちらに向かって一直線に向かって来るのが見えた。

 ヤバい、大人だ、電気を使っているのを怒られる!

 そう思い込み焦ったボクは、ラジオの音量を下げようとして逆に上げてしまった。それでほとんどパニック状態に陥った。

 ラジオの本体を力任せに引っ張ってコンセントを抜き、そのままバッグに押し込む。立ち上がり、ジャケットのポケットに手を突っ込んで、小屋の壁にもたれ掛かる。

 近づいてくる男はスーツを着ていた。

 国家の犬か? 益々ヤバいな。益々焦る。つい今しがた出してしまったラジオの音を誤魔化さなくては。そうだ、口笛の音だったということにしよう!

 

 だけど、ボクの口笛は上手くいかず、盛大に息を吹き出すだけになってしまった。

 

 丁度そのとき男は林を抜け、ボクの目の前に立った。

 ボクは外面の格好だけはつけて、しかし、内心ビクビクで男の出方を待った。

 ソイツはしばらくボクを見つめていた。ラジオを隠したバッグには目もくれずに。

 見えていなかったのか? ということは、盗電を叱りにきたのではないのかもしれない。

 ソイツは大人だけれど結構若く見えた。中肉中背。顔面はハンサムではないが、愛嬌のようなものが無くはない。つまり風貌だけなら、まぁ、どこにでもいそうな男だった。

 そんな二十歳半ばくらいの男が息を切らしながら、ボクをまじまじと見ている。

 そもそも何故、林の方からやってきたのだろう?

 もしかして国家の犬なんかよりももっとヤバいヤツなのでは? そんな考えに背筋がヒヤリとするかしないかのとき、ようやく男は口を開いた。

 

「聞こえたんだ、口笛が。その音を辿ってきたら、キミがいた」

 

 ボクの咄嗟の口笛のポーズから話を繋げてきやがった!!

 

 コイツは手強い。ボクの直感がそう告げていた。たぶん詐欺師か変質者、もしくはその両方だ。

 でも何故か、続きを聞いてみたくさせられていた。そう感じさせるような、不思議と心地よい声のトーンと間と表情だった。

 もし何かおかしな素振りを見せたらすぐさま脱兎と化す心構えだけはしておいて、少し話をしてみることにした。

 

 その男がPだったわけなのだけれど、思い返してみても見事な話術だったと感心する。

 悪漢の尻尾を出させようと、わざと大人を虚仮にするようなことを言ってみても、ゆるりと躱されてしまう。そればかりか逆に興味を引く返しをしてきて、知らぬ間にボクは自分のことを語っていた。

 ()()ことを言ってみてもクラスメイトや教師たちのように鼻で笑ったりしないし、だからといって相槌を打つだけでもない。彼なりの知見が加えられた意見を返してきた。話せば話すほど興味を引かれ、お互いの歯車が噛み合ってくるような感覚が無性に楽しかった。

 そして彼の「非日常への扉を開けよう」という言葉はボクの琴線に触れ、アイドルのスカウトを受けてしまった。

 

 彼から渡された名刺には、日本に住んでいるなら知らぬ者がいないくらい有名な芸能プロダクションの社名が印字されていた。

 会社のネームバリューのお陰かそれとも単に話術によるのか、会ったその日のうちにPは両親の説得をあっさりと成功させた。

 それから一週間経つ前に、彼は転居と転校の手続きも済ませてしまい、四月一日からボクのアイドルとしての生活が始まったのだった。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

 とても渋くて良い声で、目が覚めた。

 朝のラジオパーソナリティの男性の声。タイマー機能でラジオの電源が点いたのだ。それが今のボクの目覚まし代わり。

 電波の向こうの男性は、毎日全く変わらない文言で挨拶、番組名、時刻を伝えてから、軽妙な語り口で世間話を始める。

 初ライブを終えたご褒美として、Pからプレゼントされたこのラジオはすこぶる調子がいい。新品だし、多機能だし、何よりカッコいい。周波数の表示にニキシー管を採用しているなんて素敵すぎる。橙色の揺らめきを眺めていると、時間を忘れてしまいそうになる。

 

「おっと、いけない……」

 

 本当に時間を忘れるところだった。

 手早く準備を済ませて、自宅マンションを出る。

 

 道路に出てすぐ、空の青の鮮やかさが目に沁みて、変装し忘れていることに気付いた。バッグから伊達メガネと帽子を取り出して歩み始める。

 

「フフッ、慣れないものだな……」

 

 妄想の中ではともかく、自分がまさか変装が必要な人間になってしまうとは。ボクの肩書に『中学二年生』の他に『アイドル』が加わった二か月前でさえ、こんなことになるとは正直まったく思っていなかった。

 そう、まだたったの二か月しか経っていない。

 訳が理解らないほどの急激な変化。ついていくのがやっとだ。いや、果たしてついていけているのだろうか? ボクが切望していた筈の非日常に、既にどっぷり浸かっていることに気付いたのもつい先日という有様なのに。

 

『おはよう 良い朝だね これからレッスンに向かうよ』

 

 いつも通り、路線バスに乗り込んでから、Pへメッセージを送信する。

 

『おはよう。体調はどうだ?』

 

 やはりすぐに返信が来た。彼はもうお城にいるのだろう。

 

『問題ない』

『14時頃そっちに行くよ』

『承知した』

『あぁ、それと……』

 

「ふむ?」

 

『飛鳥が一ノ瀬ちゃんに対抗心燃やしてること、聖さんに伝えておいたよ\(^▽^)/ だから今日はみっちりシゴいてもらえると思う。やったね!』

 

 イラっとするのと同時に「うっ」と声が出た。

 なんて余計なことを……。

 恨み言は負けた気がするので、差し入れの品について交渉してやろう。そう思ったところでまた彼から受信する。

 

『差し入れは何が良い?』

 

 読まれていたらしい。なんだか悔しい。

 

『アイス(高いの)』

『OK』

 

「ふふっ。まぁいいか……」

 

『では、存分にカロリーを消費しておくことにするよ』

『だけど無理は禁物で。キツ過ぎるようなら我慢せず聖さんに言うように』

『あぁ、理解ってるよ』

 

 それでやり取りは終わり。降りるバス停ももうすぐだ。

 これから食らうであろうしごきを想像して一瞬怯んでしまったけれど、Pが聖さんに何か言おうが言うまいが、元から全力でやるつもりだった。なんでもお見通しのPが聖さんにそう伝えたということは、やはり実際にそうする必要があるということなのだろう。彼と見解が一致しているという点については、そんなに悪い気はしない。

 

 レッスンスタジオに到着後、更衣室でレッスン着に着替えてからレッスンルームに入る。

 聖さんは腕組をしてボクを待ち構えていた。予想通りに挑戦的な笑みを浮かべて。

 

「……おはよう、ございます」

「おはよう、二宮。プロデューサー殿から聞いたぞ。喜んで協力しよう」

「お、お手柔らかに頼むよ……」

 

 最近お世話になっている二十代半ばの女性のトレーナー、青木聖。P曰く業界ではそれなりに有名なベテランのようで、本来ならボクのような駆け出しアイドルが見てもらえるような人ではないらしい。そんな聖さんに見てもらえるのは、偏に新しいユニットの相方のお陰だった。

 

「よし、まずは準備体操からだ」

 

 レッスンルームにはボクと聖さんだけ。なのに、彼女はレッスンを始めようとしたのでボクは察し、何度目かの落胆を覚えた。

 

「一ノ瀬志希はやはり来ないか…」

「あぁ、今日は体調不良だと聞いている」

 

 聖さんが肩をすくめてため息をつく。それが十中八九、仮病だということは彼女も分かっているのだ。

 先日新たに組むことになったユニット、Dimension-3の相方である一ノ瀬志希。彼女はまだ一度もレッスンに現れていなかった。

 

「一ノ瀬のことだから最後にはなんとかなるのだろう。業腹だがな……。まぁ、二宮が心配する必要はない」

「生憎と新米アイドルなのでね。他の人の心配なんてしている余裕はないよ」

 

 彼女は超人気アイドル様だから、きっとボクのことを軽んじているんだ。ボクとのユニットも上に言われたから仕方なく組んでいるだけなのだろう。

 

「フン……」

 

 せいぜい余裕をかましておけばいいさ。あぁ、だけど、一つだけお願いがある。

 サボっている間にボクがキミを追い越してしまっても、不貞腐れてやる気をなくさないでくれよ?

 

 

 

 

 

 

≪Review by Asuka≫

 

 Pが言っていた通り、ボクのデビューライブとなった五月公演の後、ボクのアイドル活動は激変した。

 アイドルとして、ボクよりも遥か先にいる北条加蓮と藤原肇。彼女たちと並んで様々な仕事をすることになった。

 インタビューや写真撮影は勿論、テレビで歌を披露することもあったし、再びライブにも出たし、CDも出した。

 五月公演でボクが発することができたのは自分の名前だけだったが、流石にそれ以外も多少は喋るようにはなった。しかし、それは意味深なように聞こえて、実際のところは当たり障りのない内容だった。Pと一緒に考えた台本通りの台詞を言う事も多々あった。

 とはいえ、北条加蓮と藤原肇のフォローとPによる巧妙なプロデュースによって、ボクは“ミステリアスな中学生アイドル”という印象を世間に与えるに至った。そして少なくとも今のところは概ね好意的に受け入れられているらしい。

 六月に入り、北条加蓮たちとのユニットの活動が終了する頃、街を歩いているとたまに声を掛けられるようになっていた。このころから外出する際には変装するようになった。

 また、Pが勝手にボク名義のSNSアカウントを作っていたのだが、そのフォロワー数は五万人を超えていた。そんなアカウントをいきなり任されても困るので、投稿する内容は随時Pと相談することにした。

 

 ユニットの活動が終わっても、ボクの慌ただしい生活は元には戻らなかった。今度は一ノ瀬志希というアイドルとデュオユニットを組むことになった。

 一ノ瀬志希。ギフテッドの帰国子女アイドル。今最も勢いのあるアイドルの一人だし、もし仮に“今現在の最高のアイドルは誰か?”なんて議論があったとしたら、確実に彼女の名前は挙がるだろう。

 SNSの彼女のアカウントを覗いてみるとフォロワー数は五百万人だった。文字通り桁違いだ。

 そんな傑物とのユニットの話を正式に持ってくるPは流石というかやり過ぎというか……

 

 一ノ瀬志希とのユニットを実現した方法について聞くと、少しだけ納得がいった。彼女のデビューライブはボクと同じく、三万人の前だったのだという。

 もっとも、彼女の場合はギフテッドというバックボーンと実力から、正当に掴んだチャンスだった。でも彼女はそのチャンスをしっかりとモノにして、アイドルヒエラルキーを駆け上ったのだ。

 一ノ瀬志希が通った道を、今ボクも辿ろうとしている――そんなストーリーでユニットの話題性をプレゼンし、Pは見事に関係各所の説得を成功させたらしい。

 まぁおそらくPはそれ以外にも以前から、根回しや調整や、あと暗躍していたのだろうけど。

 

 一ノ瀬志希とユニットを組むことになったと知ったとき、ボクは嬉しさを感じていた。

 高い能力は元より、自由奔放な気分屋でありながら人を強烈に惹きつける彼女の魅力。それを間近で見て、彼女と関われるのが純粋に愉しみだった。

 北条加蓮や藤原肇と親しくすることができたように、一ノ瀬志希ともそうできると思っていた。

 だけど、一ノ瀬志希との初顔合わせの日、ボクの期待は失望に変わった。彼女はボクに何の興味も示さなかったのだ。

 その打ち合わせでは、ユニット名がDimension-3であることやユニットのコンセプト、これからの仕事とレッスンのスケジュールなどが知らされた。当然、新曲も貰っていて、その初お披露目は約二週間後の合同ライブということだった。

 ボクのレッスンはその日から開始された。そしてレッスンがメインという日々がまた始まった。

 一ノ瀬志希はユニット以外でも沢山の仕事を抱えているから、彼女がレッスンに割くことができる時間はボクよりもずっと少ないことは初めから理解っていた。しかし、一週間が経とうとしているのに一度もレッスンに顔を出さないというのは、明らかに聞いていたスケジュールと違った。

 一ノ瀬志希は担当のプロデューサーが出張しているのをいいことに、レッスンをサボり続けていたのだ。

 

 

 

 

 

 

≪Observation by Asuka≫

 

 聖さんの熱の入ったレッスンを一日受けるのは、やはりかなり過酷だった。

 夕方になって終わる頃には、全身の筋肉という筋肉が余すところなく疲労していた。

 だけど、悪くない気分だった。むしろ清々しささえ感じている。昨日よりも上手く出来るようになっているからかな。

 

「今日もレッスンお疲れちゃん」

「じゃあ、お先にボクは失礼するよ」

 

 Pの居室を出た後、帰路につく前に中層階にあるテラスへ行くことにした。

 そもそもが果てしなく高い社屋だから、中層階の時点でこの街のほとんどのビルよりは高く、つまりはテラスからの眺めはとても良いのだ。今日はとても綺麗な夕焼けになっている予感があって、満身創痍だけれど無性に見てみたかった。

 エレベーターで目的の階まで上がり、外に続く観音開きの扉に手を掛ける。重厚な扉を押し開けるのは疲労したボクにはいささか辛かった。

 

「くっ……!」

 

 とても紅い夕陽だった。見つめ続ければ紅い涙を流してしまいそうなほどの。

 テラスに点在する植生と石柱のコントラストは日中には爽やかで軽やかな印象を受けるのだが、今この時はすべてが紅で上塗りされ、廃墟的な雰囲気を醸し出している。精緻な彫刻の施された石造りのベンチはいずれも空席。しかし、広場中央の噴水は稼働し続けていた。

 夕陽に向かって真っ直ぐ歩いていく。ほどなくテラスを取り囲む柵に止められてしまう。ボクはどうしても欲しくなって、夕陽に向けて手を伸ばす。しかしそれは絶対に叶うことは無く、ボクが掴むことができたのは空虚だけ。

 

「いつか必ず手に入れてみせる……」

 

 安いドラマで言いそうな言葉。もちろん、意味のない言葉だ。言ってみたくなったから言っただけ。それ以上でもそれ以下でもない。

 振り返れば、紅色の濃くなった石柱たちが無言のままボクを見つめていた。

 

「ふふっ……悪くない」

 

 やはり来て良かった。もの寂しいこの光景はボクの胸に沁みる。その痛みがボクの輪郭を思い出させてくれる。心を忘れると書いて“忙しい”というフレーズが頭に過った。なるほど、昔の人は本当に巧いことを言う。

 もうしばらくこの雰囲気に浸っていたいが、流石に座りたい。となればやはり片隅のパーゴラのベンチ一択だろう。蔓が鬱蒼と絡まったその一角は、用もないのにテラスにやってくるような人種にとっては垂涎のスポットで、これまで独り占めするチャンスがなかったのだから。

 

「ん……?」

 

 パーゴラまであと数歩というところまで近づいてやっと気付いた。蔓のカーテンの向こう側に誰かいる。ボクがここに上がって来る前に、既に先客が居たようだ。

 先ほどの一人芝居が頭をよぎり、気まずさで居たたまれなくなってくる。身体的な変化としては、くそう、顔が熱くなっている。

 アチラはボクを気にしている風には見えない。本を読むでもなく、携帯を操作するでもなく、ただじっとしているように見える。いや、時折頷くように頭部の辺りが揺れている……?

 

「なんだ、寝ているのか……」

 

 それならばさっきのボクの台詞も聞かれていなかったということ。このまま静かに去れば何も問題は起きない。いや寧ろ去るべきだ。後ろ姿の輪郭からして、この人はボクの知り合いではないのだし。それにパーゴラ内のベンチは初対面の人間と過ごすには近すぎるから。

 

「………あ、あれ?」

 

 しかしボクは、また一歩、パーゴラへと近づいていた。

 何故かは理解らない。起こしてあげようだなんていう親切心ではない。

 更に一歩。

 理解らない。去る理由はあれど向かう理由は無いのに、進む脚が止まらない。

 まるでボクの何かが、そこへ引かれているかのよう。

 そして、この一歩でパーゴラの領域に踏み入り、彼女――そう、少女だった――の前に立った。

 

「っ………」

 

 思わず息を呑んだ。

 まるで絵画のようだと……このセカイで最も美しい瞬間を切り取ったようだと思った。

 その少女のツインテールに結わわれた銀色の髪は夕陽を受けて、砂金が篩われたように煌めいている。病的なほどの白い肌。閉じた瞼を飾る長い睫毛。すっと通った鼻筋。あどけなくも艶やかな唇。実物を見るのが初めてのゴシックドレスは、しかしこの少女のためにあつらわれたように一切の違和感がない。胸には見たことのない凝った装丁の大判の本を大切そうに抱き締めている。ひょっとするとお手製なのかもしれない。

 どれだけの間立ち尽くしていただろう。終わりは不意に訪れた。

 ざぁ、と一陣の風が吹いたのだ。それは彼女のスカートを揺らし、銀髪を撫で、睫毛をくすぐった。

 

「ぅにゅ…………」

 

 瞼がゆっくりと開いていく。ルビーを連想させるような深い色の瞳だった。

 

「………白銀の騎士…か?」

 

 ぼんやりとした瞳のまま少女が問いかけてくる。まだ夢の続きだと思っていたのだろう。

 いや待て、なんて言った? 白銀? 騎士? 今日ボクは珍しく白のブラウスを着ているが、それが目に入ったのか? 正直ちょっと驚いてしまって、何も反応できずにポカンとしてしまう。

 

「……………はぇ? え……えっ……!?」

 

 少女はといえば、先ほどまでの幻想的な佇まいとは打って変わり、困惑の表情を見せ始めていた。目覚めるといきなり目の前に知らない人間が居たのだから無理もないか。

 そんな彼女の表情はとても可愛らしくてもう少し見ていたいと思ったが、それは意地悪というもの。

 

「やぁ、漆黒のお姫さま。いい夢は見れたかい?」

 

 自分でも何を言っているのだろうかと思った。彼女と一緒で、ボクも夢の中にいたのだろうか? 余計困惑させるかもしれないのに。だけど、それは杞憂だったとすぐに分かった。

 

「っ!? っ! ~~~っ!!」

 

 少女は大きな目を爛々とさせて、頬に朱を浮かべて、おまけに鼻息を荒くしている。

 嬉しいことに、ボクの言葉は彼女の琴線に触れたようだ。

「んっんん!」と切り替えるような咳払いをした後、そこには微笑を湛えた姫君がいた。

 

「とても永い夢を見ていたわ。ヒュプノスに誑かされてしまったようね」

 

 ヒュプノス……眠りの神だったっけ?

 芝居がかった喋り方は、事実、芝居なのだろう。でもここでそんな風に考えるのは無粋以外何物でもない。

 少女は左手に本を抱いたまま、右手を振り上げてからスッと下ろし、掌で顔の半分を覆いながら――堂に入った動作とポージングだ――続ける。

 

「して、白銀の騎士よ。貴女は何故、此処へ?」

「ふふっ……可笑しなことを言うね。ボクを呼んだのはキミじゃないか」

「ふむ……?」

 

 雑なストーリーだと理解っている。今ここで考えているのだから仕方ない。でも楽しくて、続けたいと思ってしまう。

 

「最初は何事かと思ったけれど、ここへ来て合点した。この最期の夕焼けを一人では受止められなかったのだろう?」

 

 彼女の視線を促すように夕陽へと半身を向ける。もうその下半分はビル群に隠れていたが、赤みはさっきよりも増していた。

 

「わぁ! 綺麗……ハッ!? んんっ! そ、そうであったわ。一つの翼で…終焉を渡ることは絶対の禁忌……。故に眷属の助力が要るの」

「あい理解った。だけど、ここに至るまでのレッ……試練で身体がボロボロなんだ。少しの間、休んでもいいかな? それとも、姫の隣に腰掛けるのは無礼だろうか」

「あっ、私もレッスンで疲れちゃって! んんっ……構わぬ。地獄の業火の過酷さは我も知るところ。我が傍らで存分に英気を養うがよい」

 

 彼女の隣に腰掛けると目線の先に夕陽がくる。それをしばし二人して眺め、また幻想のストーリアを綴っていく。

 神話や空想などについて彼女はボクよりもずっと造詣が深かった。加えて、口から出るに任せたボクのストーリーとは違い、確固とした世界観を持っているのを感じた。

 寝起きの状態から本調子を取り戻したのか、彼女の語りの難解さは増してゆき、ボクはついていくのが難しくなった。

 それでも嬉々として語る彼女を見ているのは楽しかったし心地よかった。

 

「あ……」

 

 日没を迎えて、ふっと辺りが暗くなる。訪れたるは黄昏。その語源が頭に過り、()()だったことに気付く。

 見れば、彼女もちょうど気付いたようだ。ボクと同じく、大切なことを伝えようとするように、居住まいを正している。

 

「ボクは飛鳥。二宮飛鳥だ。キミの名前を教えて欲しい」

「我……私は神崎蘭子、です。飛鳥ちゃんっていうんだね」

「飛鳥、でいいよ。蘭子」

「あ……う、うん。あ、あす、か……飛鳥」

 

 ―――っ!!??

 

「飛鳥? 何事か…?」

 

 理解った。

 唐突に理解できた。直感した、というべきかもしれない。

 さっき蔓のカーテンの前で逡巡していたボクの足を進めたモノ。それが何であったのかが理解った。

 彼女がボクの名を口にしたとき、ボクの()()が震えた。それは脳と心臓の丁度中間にある()()だった。しかしそれは中間にありながら、脳との距離がゼロで、また同時に、心臓との距離もゼロだった。脳と心臓が離れている以上、この三つの条件を満足する点なんて、このセカイは存在するはずがない。小学生でも理解ることだ。でも確かにその点は存在していると、ボクの直感が告げていた。そして、理解を越えた場所にあるその()()が、蔓のカーテンの向こうに引かれていたのだ。

 肉体とも精神とも違う何か。

 

 魂だ。

 

 そう呼ぶ他ない。

 出会う前だというのにも関わらず、ボクの魂は蘭子に引かれたんだ。

 

「飛鳥…?」

「……いや、何でもないよ」

「ならば良いが……? ふむ。ではまずは我の出生の秘密から――」

 

 それからはお互いの身の上について教え合った。

 蘭子は熊本出身で、ボクと同学年だということ。ボクと同じ日にスカウトされてアイドルになったということ。蘭子はこれまでのところは基礎レッスンがメインで、仕事と呼べるようなことはまだあまりしていないということ。住まいは女子寮なのだということ――ボクはこのとき初めて女子寮にしなかったことを悔やんだ。

 蘭子の言い回しは所々難解だったけれど、なんとかこれくらいのことは理解できた。

 

 空が黒に染まり、疎らにある屋外灯だけが頼りになる頃、一つ気になっていたことに触れてみる。

 

「そういえば、その本はもしかして……」

「き、禁忌に触れようというのか…っ!?」

 

 蘭子は怯えるように本を胸に抱いた。その警戒ぶりから察するに、彼女にとってとてもデリケートな事らしい。

 

「大丈夫、無理矢理見たりしないよ。その本には蘭子の世界観が記されているんじゃないか、というのがボクの見立てなんだけど」

「う、うむ……」

「ボクも趣味で漫画を描くことがあってね。お互いのセカイを披露し合うのも一興かと思ったんだが……いや、気にしないでくれ。同じ創作者として、他人に見せたくないという気持ちも理解るから」

「ぁ……っ」

 

 本を抱く力を強めて、蘭子は何かを言おうとする。勇気を振り絞ってくれているのかな。だとしたら嬉しいな。

 でも、蘭子が次の言葉を発する前に――

 

「蘭子、何をしているの?」

 

 ――パーゴラの外から誰かに声を掛けられた。その声はまるで、月の砂が零れ落ちる音のようだった。いや、月の砂の音なんて当然聞いたことはないけれど、そんなイメージの沸くくらい、冷たくもよく通る声だった。

 

「おや? 蘭子の知り合――!?」

 

 声の方へ目をやって、言葉を失った。そこに居たのは()そのものだったからだ。

 おそらくは二十台半ばの、とにかく美しい女性が立っていた。まず目に飛び込んできたのは銀色のストレートの長髪だ。屋外灯の光を受けるまでもなく、自ら輝きを放っているような異常なまでの艶があった。次に印象的な白磁のような肌は、景色が映りそうなくらいに滑らかだし。目口鼻の造形は非の打ちどころがなく、歴史上の美女たちから拝借してきたと言われても納得できる。藍色のブラウスと黒色のタイトスカートの着こなしからは、一目でスタイルの完璧さが理解る。

 完璧なルックスだった。あまりに完璧だから、人から生まれたというよりは神に作られた人形だと言われた方がよっぽど納得がいく。

 

「あっ、晩御飯食べに行くんだった! 時間…っ!」

 

 突然現れたこの美人は蘭子の知り合いらしい。

 蘭子よりも十センチほど背が高く、髪色も同じなので、並んでいると年の離れた姉妹に見えなくはない。が、たぶん違うだろう。纏う雰囲気が違い過ぎる。

 ボクらとは別部署のモデルだろうか? アイドルの可能性もあるか。人を寄せ付けない雰囲気を纏っているけど、この美貌だし。

 

「いいのよ、蘭子。貴女がここにいることは分かっていたから」

「あぅ…ごめんなさい。お話に夢中になっちゃった…」

 

 蘭子がボクを見ると、謎の美女もボクを見た。いや、感情の見えない瞳で一瞥しただけで会釈もせずに、すぐに蘭子に視線を戻した。蘭子に注ぐ視線には優しさのようなものが見て取れる。

 

「この人は瞳を持つ者……あ、私のプロデューサーなの」

「へぇ、てっきりモデルの知り合いかと思っていたんだけどね。まさかプロ……プロデューサーだって!?」

 

 驚いた。こんなルックスの人間が裏方稼業だなんて。何かの間違い、もとい経済の損失な気がしてならない。

 

「やっぱり驚くよね。こんなに美人さんなのにね。えへへ」

 

 しげしげと彼女を見るボクを見て、蘭子が自慢げに笑う。

 

「それでね、プロデューサー。飛鳥は――」

「必要ないわ」

 

 ボクのことを紹介しようとした蘭子の言葉を、彼女はぴしゃりと遮った。そして「知っているから」と、抑揚のない声でボクの経歴を語り始めた。

 

「二宮飛鳥。静岡県出身の中学二年生。二か月前スカウトされアイドルに。その一か月後の五月公演において、北条加蓮率いるトリオユニットのメンバーの一人として鮮烈なデビューを果たす。これにより注目を集め始め、一ノ瀬志希のユニットのパートナーに抜擢されるなど、異例の速さでスターダムを駆け上がっている」

「はっ? なんで知って……?」

 

 さっきから驚いてばかりだ。たまたま会ったボクのことを、ここまで把握しているなんて…。だが、この激動の二か月が他人にも評価されているというのは悪い気はしない。と、悦に入っていたのに、「しかし――」彼女の語りはまだ終わっていなかった。

 

「――真に評価されるべきは全ての計画を立て、裏で糸を引き、成功を手繰り寄せた担当プロデューサー。彼の傑出した働きに比べれば、二宮飛鳥本人の特性など取るに足らない。ただ彼に言われるままに踊っただけの人形……傀儡でしかない」

「くっ…!」

「ちょ、ちょっとプロデューサーっ!?」

 

 言葉が出なかった。いきなり批判されるとは思っていなかったのもあるが、彼女が言ったことは、悔しいけれど認めざるを得ない事実だったからだ。

 

「つまりは凡俗。蘭子が付き合うに値する人間ではないの」

 

 蘭子のプロデューサーはボクを見る目は、路傍の石を投げやりに眺めるような、そんな無の視線だった。

 

「もーー! プロデューサー、またそれー! そういうのホント良くない!」

 

 ボクへの酷評に蘭子は頬を膨らませて抗議してくれた。

 

「蘭子…私は貴女のことを思って……」

「私の友達は私が決めるの! そういうこと言うプロデューサー、キライ!」

「なっ……!?」

 

 蘭子の拒絶の言葉に、彼女のプロデューサーは世界の終わりのような表情を浮かべた。氷のような雰囲気は何処へいってしまったのだろう?

 

「飛鳥、ごめんなさい。私のプロデューサー、たまにこうなるの……」

「あ、あぁ……ボクは気にしていな」

「ちょっと、私の許可なく蘭子と喋らないで」

「こらーー! プロデューサー! こらーー!」

「あぁ、そんな、蘭子……!」

 

 いわゆる過保護というヤツなのだろうか?

 

「本当にごめんなさい。プロデューサーにはちゃんと言っておくから」

 

 蘭子の後ろからの威圧的な視線は気にしないようにして相槌を打つ。

 それから蘭子と連絡先を交換して、テラスを去ることにした。

 蘭子とそのプロデューサーは予定通り食事へ。ボクは自宅マンションへ。

 蘭子に一緒に食事はどうかと誘われたけれど断った。決して蘭子の背後からの無言の圧力に屈したわけではない。少し一人で考え事をしたかったからだ。

 別れ際に蘭子が思い出したように振り向き、ボクに掌を向けながら言った。

 

「か、必ず…! 我らのグリモワールが相克する刻は、必ず訪れる! 待望せよ!」

 

 一見すると見事なポージングだった。でも魔導書を抱える左手がほんの少し震えていて。そのことがボクはとても嬉しかった。

 

「あぁ、楽しみにしているよ。本当に。じゃあね、蘭子」

「闇に飲まれよ!」

「ん? やみに…?」

「あっ……お疲れ様……ばいばい」

「ふふっ。そういうことか。闇に飲まれよ」

「ぁ…!! や、闇に飲まれよー! ハーッハッハッハッ」

 

 蘭子のその哄笑には聞き覚えがあった。どこで聞いたのかに思い至ったとき、彼女とはこれまでも結構ニアミスしていたのだと気が付いた。

 

 

 

 帰路の間、そして帰宅してからも、蘭子のプロデューサーの言葉のことを考えていた。

 

“ただ彼に言われるままに動いただけの人形……傀儡でしかない”

 

 理解っている。そんなことボクが一番よく理解っているさ。だから必死にもがいているんだ。でもただの中学二年生でしかないボクに一体何が……。

 思考はすぐに袋小路に突き当たる。何度目だろうか。無益だ。

 ラジオ番組を変えて気分を切り替えよう。そう思ったとき、携帯がメッセージを受信した。

 

『凱旋のとき!』

 

 蘭子だった。これは帰宅したということだろう。

 ときに普通に、ときに幻想語入り混じって。そんな蘭子とのメッセージのやり取りは良い気晴らしになってくれた。

 しばらく続けると、ボクはどうしても彼女のプロデューサーについて皮肉を言いたくなってしまった。それに対し蘭子は改めて謝ったあと、不思議なメッセージを送ってきた。

 

『我が導き手は天界より堕天せし絶対者なれば、現世の理には囚われぬ。』

 

 天界? 堕天? 絶対者? 帰国子女の才媛ということだろうか? 人間離れした美貌だし異国の血が入っていることも十分に考えられる。まぁ別にどうでもいいけど。あの人の出自になんて興味はないから。

 




蘭子の登場でようやく物語が回り始めました。

あらすじを書き直しておきました。

これからもよろしくお願いします。



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≪Review by 蜈?ココ蠖「≫

 

 私が元いた空間について、蘭子に伝えようとするときにはとても苦労した。

ど う言えば伝わるだろうかとアレコレと考えて、結局は自分でも釈然としない説明しかできていない。

 3+1次元しか認識できない者に、上の次元のことを正確に伝えることは原理的に不可能なのだ。

 

 私がいたのはとても広大な空間で、そこにはとても長いワイヤーが数えきれないくらい沢山並んでいた。

 一本のワイヤーに近づいて見てみると、実はそれはワイヤーではなく、とても薄い膜が無限に積み重なって形成されているものである。一円玉が千枚積み重なると百五十センチのアルミ棒になるのに似ているかもしれない。その膜の一枚に目を凝らせば、それは膜ではなく宇宙だった。無数の銀河、無数の星、無数の生命を内包する宇宙が、薄膜の中に納まっている。

 膜の中で動いているものは何もない。膜はある瞬間の宇宙を切り取っているに過ぎないからだ。その一枚隣りの膜を見てみると、刹那分だけ時間が進んでいる。逆側の膜では刹那分だけ時間が戻っている。つまりワイヤーはひとつの宇宙の過去から未来への流れ、つまりセカイ線なのだ。

 近くにある別のワイヤーを見てみると、それは似ているがまた別のセカイ線。そのセカイ線を過去側へ遡っていくと、ある時刻で別のセカイ線から分岐しているところが見つけられる。つまり、その分岐点で“何か”が起こった。そして、何も起きないままの宇宙と、何かが起こった宇宙とに枝分かれしたのだ。

 どのセカイ線も過去へ遡っていくと、いくつかの分岐点を経て一点に収束してった。その一点、つまり始端が所謂ビッグバンと呼ばれているものだろう。

 ビッグバンから僅かの間に膨大な数の分岐が生じていた。超高エネルギーによる単なる分岐か、それとも“干渉”による分岐か、それはわからない。どちらにしても、始点に近い位置での分岐は初期条件の違いのため、それぞれ全く別の宇宙に成長していく。

 

 蘭子は、私が元いた空間のことを“天界”、そして天界からセカイ線の内側に受肉することを“堕天”と呼称した。

 

 天界を漂っていたのは、もちろん私だけというわけではない。数えきれないほどの同類と邂逅した。

 今の私が天界から堕天した者とするならば、天界を漂っていた数多の同類は“天使”と呼称するのがよいだろうか。

 私が出会った天使の数は数えきれない。無量大数は軽く超えるだろう。それでもセカイ線の数に比べれば取るに足らない数だが。

 

 いずれの天使も個性があった。礼儀正しい者、無礼な者、賑やかな者、おとなしい者、親切な者、他者に全く無関心な者、エトセトラ。そもそも形も大きさも千差万別。多様性があるという点では、人間と然したる違いはないといえる。また、発生から間もない者は空間移動を始め何もかもが下手なのは人間の赤ん坊と同じであるし、発生から悠久を経た者が快活さや好奇心を失い存在感を薄れさせていく傾向があるのも人間の老人と同じだ。

 天使は人間と違い、時間とは別の次元を経て成熟していく。その次元がどのようなものなのかは、天使にとってあまりに自明で当然のことだった。しかし今となっては欠片も理解できなくなっている。ただそうであったという文字情報が残っているだけだ。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

 Dimension-3の初ライブを二日後に控えたレッスンの後、Pの個室を訪ねた。いつものようにレッスンの進捗状況を伝えるためだ。

 つい先日Pのプロデューサーランクが大幅に上がったことで、彼の個室は三階上に移動し、広さは2倍ほどになっていた。とはいえ相変わらず物は少なく、資料棚はほぼ空のまま。増えたものと言えば、コーヒー豆のラインナップくらい。

 気持ち高級感の増したソファに座り、トレーナーの聖さんから今日初めて及第点を付けてもらったことを伝えた。

 

「そうかそうかそれは良かった。おつかれちゃーん!」

「あぁ、どうも……」

 

 そこまで済めばアイドル二宮飛鳥としての一日は終わりだ。

 気分を切り替えるように背もたれに体重を預けると、ギュム、と低い音が鳴った。それから一呼吸おいて、やはり耐えられなくなってボクは喚いてしまった。

 

「何なんだあの女は?!」

 

 ボクは思わず頭を抱えた。

 ははは、理解できないことがあると本当に人間は頭を抱えるのだな。

 そんなボクの窮状にも関わらず、Pは「クハッ」と楽しそうに吹き出した。

 

「来たらしいなぁ、一ノ瀬ちゃん」

 

 そう。来た。本番二日前にして、一ノ瀬志希は初めてレッスンに来た。

 レッスンの終了時刻が迫り、そろそろクールダウンを始めようかというときに、一ノ瀬志希はやってきた。というよりかは連行されてきた。彼女のプロデューサーの脇に抱えられながら。

 その後、志希はあからさまに不承不承といった感じで準備運動をはじめたのだが、聖さんのデモンストレーションを一度見ただけで、ほとんど完璧に歌もダンスもこなせるようになっていた。少なくともボクにはそう見えた。

 

『本番では合わせてあげるから心配しなくていーよ。えーっと…… に、にの……なんだっけ? まぁ、いいや♪』

 

 志希がレッスンルームを出る前に、ボクに言ったことが耳にこびり付いている。

 ボクのここ十日あまりの努力を、一ノ瀬志希は10分で越えてしまったわけだ。

 何日か前に志希に一泡吹かせてやろうなんて考えていたことが、これ以上ないくらいの黒歴史に感じていた。悔しさと恥ずかしさで身悶えしてしまう。

 

「なんであんなことができるんだ!? アレは本当に人間か!?」

「一ノ瀬ちゃんはなぁ~、ギフテッドだしなぁ~」

 

 Pの声音はボクをバカにするでもなく憐れむでもない、ただの事実を述べているだけといった風だ。

 何かを考えるように視線を上に逸らしながら腕組みして、手の中ではサイコロを弄っている。それはこれまでも何度か見たことのある仕草。考え事をするときのPの癖なのかもしれない。いや、サイコロと呼んで良いのかは微妙か。指先で摘まめる大きさの立方体であることは確かだけど、どの面にも目は振られていないのだ。その代わりに面毎に色が違っているから、一応はサイコロとして使うこともできそうではある。

 

「ふむ……」

 

 Pはその変なサイコロを胸のポケットに仕舞ってから立ち上がった。

 

「飛鳥もコーヒー飲むか?」

「え……? あぁ、頼もうか」

 

 そして壁際の戸棚へ向かい、コーヒー用具を取り出していく。

 

 ゴポゴポゴポ

 

 しばらくすると、静かな部屋に電気ケトルの中の水の沸騰する音がし始めた。

 出来た熱湯をPは銀色のポットに移し替え、流れるような手つきでドリッパーに注いでいく。濃厚なコーヒーの香り部屋に広がり、肺にまで達すると、昂っていた気分がリラックスしていくのを感じた。

 

「砂糖とコーヒーフレッシュはいるか?」

 

 こちらに背を向けたままPが聞いてくる。彼がコーヒーを入れてくれるときにはお決まりの質問だ。たぶんもう十回以上あったと思うが、Pは相変わらず聞いてくる。

 

「砂糖だけもらおう」

 

 ボクはお決まりの答えを返した。

 Pが戻ってきて、お互いのマグカップとスティックシュガーをローテーブルに置く。

 

「さぁ召し上がれい!」

「ありがとう、頂くよ」

 

 コーヒーのポテンシャルを引き出し尽くしたような豊かな香りが鼻腔をくすぐる。砂糖でまろやかになったコーヒーの苦味が、疲れた身体に沁み込んでいくようだ。やはりPはコーヒーを淹れるのが巧い。

 

「飛鳥と一ノ瀬ちゃんとでは、そもそもキャリアが違うしなぁ」

 

 ブラックのまま一口飲んだPがそう切り出した。

 

「彼女は彼女で、アイドルになりたての頃は大変だったらしい。主に体力不足で」

「あぁ……ふぅん」

 

 たしか飛び級でアメリカに行って研究していたのだったか。ステレオタイプかもしれないが、研究者と体力不足は親和性のあるイメージだ。

 

「まぁ、体力がついてきてからは、社内でも話題になるくらいの上達速度だったんだけどな」

「………だろうね」

「でもやっぱり、今日飛鳥が見たみたいに、10分で一曲をマスターするなんて芸当はできなかった。今それができるのはこれまで色んな曲を歌って、色んなダンスを覚えてきた蓄積があるからだ」

「ふむ……?」

「色んなステップや振り付けを身につければ身につけるほど、コツは掴みやすくなる。それに、今回の曲はダンスの動きは大きいが、実は難易度は低めの振り付けで構成されている」

「うん……そうらしいね」

 

 それはたぶん経験の浅いボクへの配慮なのだろう。今はそのお情けを甘んじて受けるしかない。

 

「そういう事情もあって、この曲でなら一ノ瀬ちゃんと近いことができるアイドルも何人かいるさ。あとはもう曲の流れや歌詞を覚えるだけ。たしかに一回聞いて覚えられるのはナカナカのもんだと思うが、飛鳥だって仮歌渡した一時間後にはほとんど覚えてただろ? ま、誤差だな」

「そう、だろうか……」

「飛鳥にはまだ基礎力が欠けてるからなぁ。経験豊富な天才を見たら、魔法か何かを使ったように見えるのも当然だ。まっ、基礎よりも実戦を優先して最前線にぶち込んでるのは俺なんだけどなっ! いやー、わりーわりー!」

 

 Pが大げさに頭を掻いておどけて見せる。茶番だ……。だけど、地底に引きこもりたくなるくらいの劣等感と耐え難い焦燥感は霧散していた。

 

「………ふっ。まったくだよ」

 

 この男は相変わらずボクをノせるのが巧い。他人にモチベーションを左右されるなんてすごく癪なことだが、それが理解っていても何故か嫌な気分にはならない。彼の独特な雰囲気のせいだろうか。

 

「自分より秀でているところのある人間を前にしたとき、対抗心を燃やすのは悪いことじゃない」

「………」

「だけど、二宮飛鳥は歌手でもダンサーでも女優でもなく、アイドルだからな。曲を早くマスターするなんてことは、そもそも全然重要じゃない」

「で、でも……っ」

「もちろん、覚えが早いに越したことはない。その方が仕事の幅は広がるからな。それに当然、下手なパフォーマンスでも構わないというわけでもない。だが、やはりぃぃ……」

 

 そこまで言ったPは意味ありげな微笑を浮かべた後、マグカップをあおりコーヒーを飲み干した。それから少し前かがみになって両膝に両肘をつき、口元を隠しながらボクを見つめ直す。そして、低く落ち着いた声で言葉を続けた。

 

「………そういう次元のことじゃないんだよ、アイドルに求められているのはな……っ!」

「……!」

 

 くそう。結構カッコいいじゃないか。

 

「少なくとも一ノ瀬ちゃんは、その辺りのことをちゃんとわかっているだろう」

「っ……」

「なぁ。飛鳥はアイドルになって、何がやりたい?」

「それは……」

 

 それはアイドルになって間もない頃に聞かれたことだった。でもそのときには曖昧にしか答えられなかった。

 

「いや、待て。アイドルに求められることと、ボクのやりたいことは分けて考えるべきじゃないか? アイドルとは偶像……他者に求められる姿を提示してやる存在だろう? だからこそ、この二か月だってキミの言う通り振る舞ってきたんじゃないか」

 

 まぁ、Pの言う通りにしてきた理由の大半は、何を言ってどう振る舞えばいいか理解らなかったからではあるけれど。幸いなことに“ミステリアスな中学生アイドル”という世間のイメージには今のところ不満はない。そしてこういうイメージを作り上げていくことこそが“アイドル”を“プロデュース”することだと理解し始めていた。

 

「これまではチャンスをものにするために、どうしても俺の言う通りに動いてもらわなくちゃならなかった。ンだが、その時期はもう終わりらしいな。この話題について触れざるを得なくなっている、ということ自体がその証拠だ」

「……理解らない。キミが何を言おうとしているのか」

「さあ、始めようじゃないか」

「いや、だから何を……?」

「そんなの決まってるだろ――」

 

 Pがまた体勢を変える。前のめりだったのが背筋を伸ばし、セカイを抱擁しようとするように胸の前で腕を開いて……

 

「――ASUKA The Idol ……その Second Stage をさっ!!」

「っ!」

 

 出た…! 約ひと月ぶりだ。

 く、くそう。この男は……!

 

「他者に求められる姿を演じてやる……それも良いだろう。ああ、良いだろうともさ! それは確かにプロだし、卒なくやれば一流と言ってもいい。しかし。だが、しかし! “超”一流ゥ、では……ぬぁい!」

「ちょ、超一流の、アイドル……だと……!?」

「超一流のアイドルとはっ! ソイツにしかない輝きでぇ! 世界を! あ、この世界をぉ! 遍くぅ! 照らすぅ! 存在であるぅゥゥ!!」

「っ!!」

「予想の通り期待に応えてくれるのが一流ならば! 予想を裏切り! 期待を超えるのが! 超!一!流!! 初めて会ったときから分かっているんだぜぇ~~? お前はファンの期待に応えるだけで良しとするような、そんな生ヌルイ奴なんかじゃないってな!!」

「くっ………くぅ~~っ!」

 

 理解っている。これは発破をかけられているんだ。それに気付いていながら、Pの思惑通りに焚き付けられてしまうことに反発を感じないわけではない。でも事実、胸に何か熱いものが灯り始めていた。そしてそれが、どうしようもないくらいに燃え上がっていく。

 

「………フッ……ククク……ハハッ! 当然じゃないか……。上があるなら…一流の、上が、あるなら…目指すに決まっているよ。伊達に飛ぶ鳥の名を持っていないんでね!」

「はい、頂きましたぁーー!!」

「ぷっ……フフ……」

「じゃあじゃあぁ~、二宮さんちの飛鳥ちゃんはぁ~、どんな超一流のアイドル目指すぅ~? どんな光を放ちゃう~?」

「……流石にちょっとウザいな」

「えっ、ひどくない?」

「フフッ!」

 

 コーヒーを一口含み、優しいほろ苦さと一緒に雑念を飲み下す。

 脚を組み替えて、天井を仰ぎ、目を閉じる。

 頭の中は驚くほどフラットだ。

 そこに自然と浮かび上がってきたフレーズを掬い上げる。

 

「ボクは此処にいる」

 

 清々しくて、溌溂として、瑞々しい。とても懐かしい、そんな感情が胸に去来していた。

 ガラクタの寄せ集めを宝物のように抱えて、そこら中を駆け回って……。今思えば荒唐無稽な時期だった。あの頃は日常と非日常の狭間がボクの遊び場で、自分を壮大な物語に登場する主人公だと信じていた。でもそれはもう遠い過去のことで――いや、違う。昔あった万能感は忘れてしまって久しいけれど、たぶんボクの本質はあの頃から何も変わっていない。

 Pがボクをスカウトしたときの誘い文句である“非日常”というワードに無性に惹かれたのは、そういうことなのだろう。

 セカイへのアプローチの仕方が変わっていただけなのだ。それが中二病という形態をとっているのは、我ながら業が深いというか……捻くれていると思わなくはないけどね。

 

 ボクの声は届いているのか?

 

 あの頃から連綿と続いている、セカイへの訴え。ボクの特別は何だと問われれば、これを無視することは不可能だ。

 そして、それをアイドルとして追求していくことは、悪くないと感じた。

 目を開いてPを見ると、彼は不敵な笑みを浮かべていた。それは悪の首領のような邪悪さがあって、実に頼もしい。

 

「どうやら、()()()ようだな」

「お陰様でね。それでボクが目指すアイドルだけど――」

「いや、待て。今はいい」

「えっ?」

 

 イメージの共有をしようとしたボクを、何故か彼は制止した。

 

「それは二日後のステージで見せてほしい。飛鳥が選択する、混じりっ気のないアイドル像そのものを見たいんだ。もちろん、俺のヘルプが必要なことなら言ってくれていいけどな」

「それは、まぁ、必要ないといえばないけど……。いいのかい? どうなっても知らないよ?」

「アイドルのやらかしに商業的価値を付加することが、プロデューサーの仕事なんだぜ?」

「……失敗するかも」

「アイドルに失敗はない。仮に失敗と呼ぶべきモノがあるとしたら、それは諦めたときだけだ」

 

 Pは本気だ。彼の笑っていない瞳がそれを物語っている。

 

「……いいだろう。やってやる。ボクを焚き付けたこと、後悔しないでくれよ?」

「くはっ! 俺を後悔させるほどのことをやれたら大したもんだ! くくっ! そうだ。別にそれを狙ってくれてもいいぜ? 俺ならそれすらもプラスに変えてやるけどな!」

「減らず口を! ……フン。 まぁ、今回のところは精々真面目に取り組むさ。ボクにとって大切なことだからね」

「ソイツぁ残念だ!」

 

 Pはケラケラと笑いながら彼とボクのマグカップをシンクに運び、手早く洗った。それから「よし、晩メシ食いに行こう」と、PCをシャットダウンした。

 

「えっ、連れて行ってくれるのかい? って、ずいぶん急だな…」

「もしかして神崎ちゃんと予定あった?」

 

 Pはあっけらかんと言う。蘭子を知っているらしい。いや、それよりも。

 

「何故ボクと蘭子が知り合いであることを知っているんだ?」

「あぁ最近、神崎P……神崎ちゃんのプロデューサーとよく飲みに行ってるんだよ」

 

 初耳だが?

 聞いてみると、三月末に中途採用で入社してきた神崎Pに社屋の案内をしてあげたのがPで、それが縁でよく情報交換をしているらしい。

 そういえば蘭子が、あの人は24歳だと言っていたっけ。Pは25歳と聞いているから、歳が近い分、話も合うのだろう。いや、別にボクには関係ないことだけれども。

 そうか。初めて会ったとき、彼女がボクのデビューライブの真相を知っている風だったのは、Pから顛末を聞いていたからなのかもしれない。

 

「アイツ、神崎ちゃんが飛鳥のことばかり話してくるって悲しんでたぞ」

「……へぇ。キミは蘭子のプロデューサーと随分と親しいみたいだねぇ?」

 

 蘭子と会っていると、いつもどこからともなく現れて邪魔をしてくるあの性悪女を、ボクはもう敵と認識している。その敵をPが気安く()()()呼びするのは、なんというか、こう……嫌な感じだ。

 

「そうかな? まぁ、飲みに誘えば大体来てくれるし、親しいっちゃ親しいか」

「へぇ~……。へぇ~~~………!」

 

 なんというか、こう……色々、聞くべき、だと、思う。

 

「幸い、この後の予定はないからね。いいよ、行こうか、晩御飯。ボクからも是非お願いしたいね」

「よっしゃ。じゃあ、どこ行くかなー。何か食べたいものあるか?」

「こういう答えが望まれないのを百も承知で、敢えて言うけれど。食べるものは何でもいいよ。希望があるとすれば、騒がしくないところ、かな。ゆっくりと話ができるところが良い」

「ん~~、オッケー」

 

 Pに連れて行かれたのは、ボクの希望通り落ち着いた雰囲気の店だった。ダイニングカフェというものらしい。薄暗くて隠れ家のような内装と、趣向の凝らされた料理は悪くなかった。

 食事をしながら、蘭子のプロデューサーのことを聞き出してやるつもりだった。しかし何を勘違いしたのか、Pがやたらと面倒くさい絡み方をしてきたので、彼女に関する話は早々に打ち切らざるを得なかった。

 別にあの女とPの関係を聞きたかったわけじゃないんだ。蘭子とボクの間に入ってこようとする、あの女に対抗するための情報を仕入れたかっただけだというのに。

 まったくもって面倒くさい!

 



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≪Review by 蜈?ココ蠖「≫

 

 天界での天使の過ごし方は主に4つ。彷徨、閲覧、干渉、観測だ。

 

 彷徨はその言葉の通り、空間を漂い彷徨うこと。それでセカイ線の合間を縫うように天界を移動していく。

 

 閲覧とは既にあるセカイ線を見ること。覗き見するだけと言ってもいい。天使ならただ見るだけで、そのセカイ線の中で起きたことはどの時間においてもほとんど全てを把握できる。とてもお手軽だ。セカイ線の複雑さにもよるが、人間で換算すると大抵は小説の一文を読む程度の労力だろうか。

 

 干渉とは特定のセカイ線に対し、天使の能力を以って手を加えること。たとえば、星の軌道を変えたり、A地点にある物質をB地点に転移させたり、未発達な知的生命体に高度な科学技術を与えたり。どのような方法を採るかは天使ごとに様々だ。その労力は人間の料理に似ている。とても単純なものから、極めて複雑なものまであったり、各自のセンスに激しく依るという点でも料理に似ている。そして、天使がセカイ線に干渉するとその時点から世界は分岐する。ただ、干渉をすれば必ず分岐が起こるわけではない。極軽微な干渉しかしていない場合は分岐が発生しないこともあった。分岐が発生するかどうかを決定づけるなんらかの閾値が存在しているようだった。

 

 観測とは干渉によって分岐した新たなセカイ線の未来を確定すること。分岐してすぐのセカイ線というのはまだ未来側へ伸び切っていない。分岐させた後に放置しておいても勝手に伸びていくが、その速度は天使にとっては非常に遅く感じられる。それ故、干渉後はその流れで観測までしてしまうのが普通だ。観測と言っても別に特別なことはしない。ただ“先が見たい”と念じながらそのセカイ線を見据えれば、見たいと思う未来までいくらでも見えるようになる。この労力は顕微鏡を使って単細胞生物をスケッチする程度だろうか。

 

 干渉と観測にかかる労力の人間換算は極めて大雑把だ。というのも私は、干渉はただ一度だけ、そして観測は一度もしたことがないから。どの程度の労力かは他の天使たちの様子から推測してみただけ。

 

 私が天界でしていたのは、専ら彷徨と閲覧だった。

 私には“何か”を探すという使命があったので、彷徨しながら、数多のセカイ線を次から次へと閲覧し続けていた。それは無限にあると言っても差し支えないセカイ線の中から、ただ一つの“それ”を見つけ出そうという試みだ。いくら天使といえど、寿命が尽きてしまう前に見つけられる保証はない。だから私には干渉や観測をしている暇などなかったのだ。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

 六月中旬の週末。Dimension-3の初ライブの日。

 プロダクションが毎週のように開催している大小様々な合同ライブの内、ボクたちが出るのは一番大きな規模のものだった。会場のキャパシティは約五千人。ボクの初舞台になった五月公演と比べれば六分の一の規模だけれど、普通にすごく大きい。ボクのような駆け出しなら、キャパ百人程度の一番小さな規模の合同ライブに出られるだけでも万々歳らしい。

 しかもボクたちのユニットがトリを任せられていた。これらの好待遇はひとえに、超人気アイドルである一ノ瀬志希がいるユニットだからだろう。

 

 ―――――!!!

 

 会場の歓声が楽屋にまで響いてくる。ライブの後半に入ってからというもの、すごい盛り上がりだ。

 幸いなことに、ここまで何のトラブルもなく進行している。

 他のアイドルたちは皆本当にいい笑顔をしていると思う。楽屋のモニター越しでもよく理解る。ハイクオリティなパフォーマンスは当然として、それ以上の素晴らしい何かも確かに感じる。そういうのがPの言っていた“ソイツにしかない輝き”なのかもしれない。流石はこの会場でのライブに出ることを許された人たちだ。

 今日のライブもそろそろ大詰め。もうしばらくすれば舞台袖に移動することになる段取りになっている。そんな土壇場にもかかわらず……

 

「へ~~、あの続編やるんだ。評判よかったのかにゃ~?」

「自分のやった仕事の評価ぐらい把握しておきなさい。この撮影は明後日から始まります」

「は~い」

 

 志希と一ノ瀬Pさんは机に書類を広げて明日以降の仕事の話をしていた。彼女クラスのアイドルにとってはこの規模のライブにも慣れているのだろうけど、こんな時間の使い方が普通とは思えない。流石はギフテッドといったろころか。

 一方、ボクはというと……

 

「………はぁ、はぁ………はぁ、はぁ……」

 

 鏡台の前に座ったまま動けないでいた。

 志希と対になる衣装で着飾っているけれど、明日のことはおろか、五分先を考える気にもなれない。左の掌を握っては開いてを繰り返す。手足の末端は冷たくなっているのに汗をかいている。これはたぶん良くない汗だ。動いてもいないのに息苦しさを感じているし。

 

「飛鳥。コーラ飲むか?」

 

 振り向くとPがペットボトルを差し出していた。数分前楽屋から出て行ったのはこれを買うためだったのか。

 ペットボトルの中では黒色の液体が揺らめいている。ラベルからも理解るが、それは確かにコーラだ。

 

「キミな……いくらなんでも本番前に炭酸はダメだろう。ステージの上でゲップはしたくないよ」

「それだけか? ダメな理由は」

「他に何があるっていうんだ」

「おぉ~~嬉しいねぇ~~。俺との間接キッスが嫌じゃないとは」

「はぁ!? 何を――」

 

 ――言っているんだ、と声を張り上げようとしたボクの目の前で、Pがボトルをゆっくりと揺らした。その黒い水面はボトルの真ん中あたりでユラユラとして……いや、待て、半分くらいしかないぞ。このコーラ、Pの飲み差しじゃないか! 改めて見てみれば、何故気付けなかったのか意味不明なくらい明らかに飲み差しだ。

 

「飛鳥さぁ~、もしかして、しちゃってる~? き・ん・ちょ・う」

「……!」

 

 注意力の欠如……。くそう。認めなくてはならない。ボクは緊張している。それもガチガチに。

 

「良い緊張と悪い緊張があるが、それは良い方じゃなさそうだな」

「くっ……」

「大勢の観客の前に立つ不安というよりは、飛鳥の“選択”に関しての不安といったところか」

「キミってヤツは本当に……」

 

 Pの言う通りだった。いつもながら察しの良さが過ぎる。

 昨日のレッスンと午前中のリハーサルから、志希との合わせに問題がないことは確認できている。レッスン通りに本番をこなせば、ライブは何事もなく成功するだろう。なのに、ボクはわざわざイレギュラーなことをしようとしている。それが失敗するかもしれないと思うと恐くなってくるのだ。

 その恐ろしさに比べれば、五千人の前に立つこと自体の不安は小さなものだ。これと同規模のライブは北条加蓮たちとも出ているし、そもそも、ボクの初舞台はもっと多かったのだから。

 

「やると決めた通りにやればいいだけなのに、何をそんなに硬くなることがあるんだい?お兄さんに言ってみな。さぁ、ほらぁ!」

 

 あ、いきなりウザい。

 志希と一ノ瀬Pさんがこっちを見てコソコソと耳打ちし合っているし。

 

「すいやせんねぇ、騒がしくして! うちの二宮がちょっとばかし緊張してやがりましてねぇ! いえいえ、心配ご無用でさぁ! すぐにビッとし――」

「フンっ!!」

「――ンおんっ!?」

 

 思わず出た手だが、彼のアバラに刺さった貫手は効果的なダメージを与えることに成功したようだ。

 脇腹を押さえながら「悪かった、落ち着け」と言うPを睨みつける。と、同時に手の先に体温が戻っていることに気付いた。

 

「やればいいだけって……。失敗したら、と考えずにいられるか……っ!」

「ふむ………二つ再確認だ」

 

 脇の刺激から回復したPは、不敵な笑みを浮かべながらボクへ二指を向ける。

 

「一つ。アイドルに失敗はない。失敗と呼ぶべきものがあるとすれば……?」

「……諦めたときだけ」

「イエス!」

 

 つい先日Pに言われたことだ。

 Pはわざとらしいくらいの笑顔を浮かべて、続ける。

 

「二つ。アイドルのやらかしに商業的価値を付加することが、プロデューサーの仕事であり、そしてこの俺なら、どんなやらかしにも対応できる。これは誇張でも、冗談でもないんだぜ?」

「そんなこと言っても……!」

「大丈夫だいじょーぶ。プロデューサーウソツカナイネ。トラストミーナノヨ」

「っ……!」

 

 ふざけた口調だが目だけは本気さを感じさせる。

 

「まぁ、まだ会って二か月くらいだし、俺の言葉も信じてもらうにはまだ付き合いが足りないかもしれないが……。うーん、あと十秒ってとこか」

「え…?」

「九、八、七、六――」

 

 急にPがカウントダウンを始める。そのまま三、二、一、と進み、Pが楽屋のドアに掌を向けた、その瞬間――

 

 コン、コン、コン

 

 ドアのノック音が響いた。入室してきたのは会場スタッフで、そろそろ舞台袖へ向かって欲しいとのことだった。

 

「ま、こんなのじゃあ、何の説得力もないけどな」

「……ったく、出鱈目だなキミは……」

 

 そろそろ呼びに来るとは思っていたけど、ドンピシャで当てるなんて。どこまで人の動きを読めば可能なのか。こんな芸当を目の当たりにすると、どんな事態にも対応できるというのもあながち嘘ではないのかもしれないのでは、と思ってしまう。

 

「おっ、効果あった?」

「まぁ……少しは、ね……」

「そりゃ良かった。分かってもらえてところで、コーラ飲むか? アイドルのゲップなら寧ろ――」

「フンっ!!」

「――ンおんっ!?」

 

 まったく、本当に小憎らしい男だ。

 いつの間にか彼のペースに巻き込まれている。それが悔しくて……いっそのことわざとやらかしてやって、Pをヒーヒー言わせたい気さえしてくる。だが妙に清々しい気分だ。五体には熱が灯っている。理解る。これは闘志だ。

 Pとのくだらない会話を経て、結果的に精神コンディションは最高の状態を迎えていた。

 

 舞台袖に到着。あと数歩進めば観客の顔が見える位置で、志希と二人待機する。Pと一ノ瀬Pさんはボクたちから離れた壁際で何か談笑しているようだ。

 目と鼻の先のステージの上では、ボクたちの一つ前のユニットが今まさに歌い始めたところ。歌の後にしばしのトーク時間があるが、ボクたちDimension-3の登壇まで10分を切っている。

 ステージの前に志希と二人だけで話すには、今が最初で最後のタイミング。

 ボクのやろうとしていることについて、流石に彼女には事前に伝えておくつもりだった。本当はもっと早く伝えるつもりだったけれど、今日は一ノ瀬Pさんが常に志希の傍にいたからできなかった。まぁ、天才娘ならこのタイミングでも十分だろうとは思っていたけど。

 そこで志希を見ると、既に彼女はボクを見ていた。

 

「ねぇねぇ、何か企んでるよね?」

「っ……!」

 

 彼女から話しかけてくるのは相当に珍しく、その驚きも相まって口籠ってしまう。

 いやそれより、何故分かった?

 

「ドーパミンとアドレナリンの匂いがすごいよ~。面白いことしてやろうって企んでる匂いだね」

 

 天才というのはいつも想像を超えてくるものなのか。だが、匂いという物理的根拠がある分、Pの真正の曲芸よりは良心的かもしれない。

 

「……その通りだよ。黙っていて悪かったね。ちょうど今からキミにも伝えようとしていたんだ」

「そ~なんだ~。そのまま黙っておいてね~」

「……なんだって?」

「だって、サプライズなんでしょ? 聞いちゃったら面白くないじゃん。志希ちゃんもサプライズされた~い」

「は? ……ボクが何をするかもわからないのに大丈夫なのか?」

「ワオ! それはベリーエキサイティングだね!」

「……」

「最近刺激的なコトに飢えてたところなんだ。別にステージを台無しにしてやろうって悪意があるワケじゃないよね? ならいいよ~、存分にやっちゃってよ~。志希ちゃんアドリブで合わせるから~♪」

 

 身振り手振りは飄々として、でも目は笑っていない。

 正気なのか…? 狂気が一周回ってる? ああもう、本当に天才というやつは……!

 

「……理解ったよ。そこまで言うならボクは自重も遠慮もしない」

「にゃはは~。楽しくなりそうだにゃ~。今日失踪しなくて良かった~」

「フッ……よろしく頼むよ」

 

 それから数分して、前のユニットがパフォーマンスを無事に終えた。

 場内は暗転。彼女達が舞台袖に戻ってくるのを待って、ボクと志希はステージへと駆け出し、所定の位置につく。

 

 そして、照明の復活と同時にDimension-3のステージが開幕した。

 

 疾走感のあるピアノとギターのサウンド――百回以上聞いてきたイントロに同期し、顔を覆っていた腕を回し上げていく。

 開けた視界の先にはローズピンクに輝く海が広がっていた。志希のカラーの数千本のサイリウム。網膜がチリチリとして、身震いを禁じ得ないほどに壮観だ。その合間を縫って波の飛沫のように点々と灯るバイオレットは、嗚呼……ボクのカラーじゃないか。ボクへ捧げられたその紫電の光は、全体の一割にも満たないだろう。でも、割合なんて関係ない。

 

 ボクなんかの為にキミたちは!

 

 体温が急上昇。吐く息は気炎と化している。正体不明のエネルギーが漲る。

 ノセろ。アゲろ。オーディエンスを。ボク自身を。

 紫電の一つ一つへ、とびっきりに不敵な笑みを送りつけてやる。毎日のようにアイツに見せられているのよりも更に不敵で不遜なヤツだ。この胸いっぱいの激情を籠めて。

 

「――ッ!」

 

 あれだけ練習した振り付けがいとも容易くブレる。喉に覚え込ませた音階があっけなくハズれる。しかし許容範囲内。決してお粗末なパフォーマンスにはなっていない。それが理解る程度にはキツいレッスンを積んできた。

 そもそもこれだけの熱量を捧げられているのにレッスン通り歌い踊るだけなんて、不誠実極まりないじゃないか。

 志希と視線が合う。

 結局、彼女と合わせの練習ができたのは10回にも満たなくて、しかも終始彼女はボクに無関心だった。目を合わせたのもあくまで振り付けとしてだけ。でも今、志希は確とボクを見ていた。その顔はボクと同じに不敵に笑っていた。

 彼女のムーブにはムラがある、クセがある。

 志希ならば受けた熱量をそのまま完璧な歌とダンスに昇華できるだろうに、以前宣言した通りにボクに合わせてくれているのだ。いや、違うか。事ここに至っては、最早どちらがどちらに合わせているのかなんて区別できないし、する意味もない。光の海のうねりが全てだ。

 これはマズイな。堪らない快感がある。病みつきになったらどうする!

 

 序盤のサビを過ぎ、数十秒間のダンスタイムに突入する。だけど。そこでボクはピタリと止まってやった。

 

「――ッ!?」

 

 即座に志希はそれに気付いた。志希の瞳が猫のように見開かれる。舞台袖にいるスタッフたちに緊張が走る。何かあったのかと固唾を呑んでいる。たった一人を除いて。オーディエンスにも不自然さを感じる者が出る。

 刹那の間に全方向が見えた。見えるはずがないのに、何故かボクには見えていた。あり得ないほどに集中力が高まっているのか。

 口上はもう決めてある。さぁ、覚悟を決めろ。

 観客の注目を十分に惹きつけてからボクは訴えかける。

 

「何故! キミたちは此処にいる!? 何を求めて此処に来た!?」

 

 先刻までの盛り上がりがすべてクエスチョンへと移り変わる。

 口上の内容と歌詞の一致性についてなんて考えるな。勢いだ。勢いだけでボクは駆け抜ける。

 細かい点にはこの際目を瞑ってもらおう。いや案外、疲労感も相まって彼らの頭の中は空っぽだったりして、メッセージを刻み込むには丁度いいかもしれない。もっとも、元からここまで考えていたわけじゃないけれど。まぁ、すべてPの責任なのだし、もう進んでしまえ。

 

「フフ。理解っているよ! 心の何処かで求めているんだろう? 新しいセカイへの扉を! 心奪われる瞬間を!」

 

 遠い過去の記憶にさざ波が立つ。セカイの秘密に触れた瞬間の感動が胸に蘇る。

 

「だったら、曝け出せ! 熱くなれるモノを! 青くて痛い、等身大の衝動を!」

 

 手応えを感じる。ボクの叫びがオーディエンスに沁みていく手応えを。

 

「セカイの扉の“その先”へ、ボクたちが連れて行ってやる! だから――」

 

 大きく息を吸い込む。体中のエネルギーを使い果たすつもりでやってやる。

 

「――魂の叫びを上げろォォーー!!」

 

 これはたぶんボクの独善的な願望。しかし確信している。

 セレンディピティ? センス・オブ・ワンダー? いや、もっと素晴らしい()()。ソレは確かに在ったんだ。

 ボクはそれをもう一度感じたい。そして、それを他の人にも伝えられるとしたら……。こんなに素敵な事、他にあるだろうか?

 方法はまるで理解らない。アイドルという選択でそこに至れるのかも理解らない。そう思っていた。五秒前までは!

 

「――!!」

 

 コレは何だ!? この異常なまでの高揚感は!

 万能感? まさかアイドルこそがセカイの扉だったとでもいうのか!?

 堪らない!

 それにしても我ながらなんて痛さだろうね。歌の最中に語りを入れるなんて。

 嗚呼! 本当に堪らない!

 

 ―――――!!!!

 

 ボクの意志が届いたどうかはすぐに判明した。旋律を掻き消す程の叫びが返ってきたから。

 サイリウムの群れは狂乱じみた動きを見せている。

 一方、舞台袖では皆唖然として、しかし、アイツだけは邪悪な笑みを浮かべているのを感じた。

 

 どうだ、P。これがボクのオリジナルな衝動だ! 満足か!?

 

 ダンスパートの終了と同時に正規の振り付けに戻り、歌唱を再開する。

 また視線の合った志希の額に、先程までは無かった汗が滲んでいた。

 そのときふと思い至った。ひょっとすると志希が想定していたボクのサプライズというのは、高々ダンスのフリを変えるとか、歌の後のトークパートにおいてとか、その程度だったのかもしれないと。

 普通そう考えるか。当たり前か。素人アイドルがぶっつけ本番でこんなことをやるなんて、リスキー過ぎる。ボクがこんな選択を採れたのは、Pに発破をかけられたからだ。いくら志希でも彼の口車の巧さは想定外だろう。

 しかし最早何もかも遅い。賽は投げられてしまった。

 ルーキーのボクが煽りなんてしたんだ。ファンからすれば、志希だってしないと釣り合いが取れない。じゃあどうやるか、何を言うか? それを志希は一分足らずで、しかもパフォーマンスをしながら考えなくてはならない。そんなこと非現実的だ。だから事前に伝えようとしたのに!

 ボクに付き合わず、正規のパフォーマンスを通すという選択肢もある。だけど志希はそれを選ばないだろうということはすぐに理解った。

 

「――にゃは!」

 

 笑っていたのだ。それはこれ以上ないくらいのギラついた笑みだった。

 猛獣を想起するほどの気迫を纏いながら、その実、志希の頭蓋の内は絶対零度よりもクールに超速回転している!

 曲は終盤に差し掛かり、ここで二度目のダンスタイムに入る。そこでやはり志希はきた。

 

「ねえ! キミたちの21グラムの叫びはこの程度!?」

 

 志希がダンスを止めて煽りを始める。舞台袖では彼女のプロデューサーが悲鳴を飲み込んで呻いていた。

 

「全っ然聞こえないよ~! ホントにキミたちはそこにいるのかな? あたしたちはいるよ! ここに!!」

 

 志希の口上を聞き、危うくボクはダンスを止めてしまいそうになった。志希が今言ったことは、もし彼女が煽りをしなかった場合に、ボクが言おうとしていた内容と酷似していたからだ。ただの偶然なのか、それとも……!?

 

「同じセカイにいるなら無限遠にだってきっと届く! だから――」

 

 志希がこちらへと手を差し伸べ、ボクはノータイムでその手を掴む。それが出来たのは、そう来るという謎の確信があったから。

 お互いの手を力いっぱいに握り合い――

 

「――叫んで!!」

「――叫べ!!」

 

 同時に声を張り上げる。客席からは雷鳴のようなコールがやってくる。

 いつの間にか志希への一方的な対抗心は霧散していて、今はもう彼女へは深い尊敬の念だけがあった。

 志希のボクへの無関心も過去の話。彼女の底なしの好奇心がボクに向けられているのを感じていた。

 

 理解った。共鳴だ。

 ボクたちは重なり響き合っている。だからお互いの考えが見えるのなんて当然だったんだ。

 

 曲はクライマックスを迎える。

 ボクたちのパフォーマンスは練習の時とはかけ離れたものになっていた。繋いだ手をお互い離したくないんだから仕方がない。でも、ボクたちの歌とダンスは今が一番調和していると断言できる。聖さんもきっとそう言ってくれると思う。まぁ、散々叱られた後でだろうけどね。

 

「―――ハァッ……ハァッ、ハァッ……!」

 

 最後の詞を歌い切り、無心でファンたちを見つめる。

 

 ―――――!!!!

 

 アウトロの残滓が消えてなくなる頃、堰を切ったように喝采が溢れた。それはトリを任されたユニットとしては十分なものだったろう。

 

 その後のトークパートでは志希の高すぎるテンションとハスハス…? にかなり苦戦させられた。

 今日表現すべきことは全てやり切っていたとはいえ、志希を引きはがそうとすることに忙しくて、碌に喋れなかったのは反省点だ。それでもファンは盛り上がってくれたから、一先ずは良しとしようか。

 

 こうして、Dimension-3の初舞台は終了した。実に濃厚な時間だった。

 楽しかった。掛け値なしに。

 

 舞台袖に引っ込むと、即座に一ノ瀬Pさんが駆け寄ってきて志希を問い詰める。

 

「あ、あ、あ、貴女は何てことを!! 二宮さんはまだアイドルになったばかりなんですよ!? なのにあんなマイクパフォーマンスをさせるなんて!!貴女って人は本当に…ほんっっとうに……っ!」

 

 あぁ、マズイ。この人、志希が計画したと思っているようだ……。

 

「やだなー。アレは飛鳥ちゃんのサプライズだよ。志希ちゃんはそれに合わせただけ~」

「ええっ!? 二宮さんが……っ!?」

「ぅっ……」

 

 驚愕、といった目を向けられる。眉間の皺がすごい。整った顔が台無しだ。

 どう言い訳したものか悩ましい。というか、急に襲ってきた疲労感で頭が回らない。

 

「ええとだね……なんと、いうか……その……」

「すいやせん先輩!」

 

 ぬらりと現れたPが、ボクと一ノ瀬Pさんとの間に入ってくる。

 

「俺がねぇ、言ったんですよ! 一ノ瀬ちゃん相手なら何やっても何とかしてもらえるから、胸を借りるつもりで好きにやれって」

「むっ……P君が……」

「いやー、さっすが一ノ瀬ちゃん。痺れましたわー! 完の璧! 咄嗟の対応であれだけ盛り上げるなんて、他の誰にも無理ですよ! あぁもう鳥肌が止まらないっすわ! 先輩もそうっしょ!?」

「むっ、むっ……まぁ、そうだが……。ううむ…P君が承知していたのなら、問題はないのだろうが……って、キミは近いな相変わらず……!」

 

 一ノ瀬Pさんへとすり寄るP。大人の男が二人して仲睦まじく肩を寄せ合うような感じになっているのは、片方が美青年だとしても目を逸らしたくなってくる。

 

「大成功だったんだからいいじゃ~ん。ライブであんなに盛り上がったのはホント久しぶりだにゃ~。てことで志希ちゃんもう電池切れ~。プロデューサー後よろしく~~」

「あぁ、もう! ちょっと! 志希さん!?」

 

 志希が彼の背中にしがみついておんぶを強要すると、渋々といった形で彼は志希をおぶったまま楽屋に向かい始めた。

 どうにか有耶無耶にすることに成功したようで、志希は振り向いてボクにウィンクをしてきた。それに対し、ボクは手を振って感謝の意を伝える。

 

「飛鳥ちゃんまたね~。次のオシゴト楽しみにしてるよ~」

「あぁ……ボクもだよ。志…一ノ瀬さん」

「にゃはは、志希でいいよ~。あでゅ~~」

 

 志希のプロデューサーという最後の山を越え、完全に気が抜けた。

 そういえばボクたちのステージをPはどう感じたのかを聞こうと彼を見ると

 

「っ!?」

 

 口角はつり上がり、目尻は垂れ下がり、いっそ繋がってしまいそうな……! いや、彼流の満面の笑顔なんだろうけど悪魔じみていて、率直に言って不気味すぎるっ! しかもジリジリ近づいて来ているし……!

 

「飛鳥ぁ~~~」

「な、な、なんだP……ちょっと、こわ……」

 

 瞬間、Pが目にもとまらぬ速さで腕を振り回す! そして。

 

「Good job!」

 

 ダブルのサムズアップ。

 どうやらPにも満足いくステージだったらしい。改めて感想を聞くと「最高にアツいステージだった」とのこと。ステージの上で感じた彼のニヤつきは本当だったらしい。

 

 楽屋に戻ると志希たちはもう居なくなっていた。さっさと帰宅したようだ。彼女らしい。

 ボクとPは他の出演者へ挨拶回りをすることにした。その先々でDimension-3のパフォーマンスについて賞賛を受けることになったのだが、嬉しいやら気恥ずかしいやらで、一周する頃には疲労がより一層深まっていた。

 

 

「飛鳥のこれからのアイドル活動の方針は、また改めて話し合うとして……」

「ふむ……」

 

 再び戻ってきた楽屋にて。

 Pがわざとらしくお腹を摩りながら時計を見る。夕食を食べるには少し遅いぐらいの時刻になっていた。つまり!

 

「腹減った!飯食い行くぞ! 打ち上げだ打ち上げ!」

「ふむ!」

 

 意識した途端にお腹が飢餓感を訴えてくる。

 

「しかし、P。今日は記念すべき日だ。理解っているよね?」

「こういうときは焼肉にと相場が決まっている!」

「ふむ! ……いや、一言に焼肉と言ってもピンからキリまである。その中でキミはどういったお店に誘ってくれるのかな?」

「もちろん! 高!級!店!だ! 接待してやるぜぇ~飛鳥~」

「フフフッ! 悪くないっ!」

 

 肉の焼ける情景に想いを馳せると、耐えきれずお腹をくぅと鳴らしてしまった。が、それはドアをノックする音にかき消された。

 入室を許可する声を掛けると、ドアが勢いよく開く。

 

「ハーッハッハッハ! 実に絢爛豪華な舞台であったわ!」

 

 訪ねてきたのは蘭子だった。

 

「蘭子!来てくれていたんだね」

「うむっ! 堕天使たちの闇の競演……その熱量は今も尚、心の臓を焦がし続けている」

 

 感動を噛みしめるように左胸を手で押さえる蘭子。その頬は上気している。

 

「特に! 白銀の騎士と薫香の錬金術師の輝きは別格であったわ! 実に、実に……! すごかった……ほんとに……。飛鳥、かっこよかったーー!」

「あぁ……! 嬉しい。他の誰に言われるより、蘭子にそう言ってもらえるのが一番嬉しいよ……!」

 

 自然に蘭子へと手が伸びる。繋いだ手からは彼女の白い肌からは想像できないくらいの熱を感じた。

 

「キミが神崎蘭子ちゃんかぁ~。実物もかなりイケてんねぇ~!」

「何奴!?」

「あぁ、彼がボクのプロデューサーのPだよ。見た目は胡散臭いけど、明らかな悪人ではない、かな」

「えっ、それが俺の紹介? ひどくない?」

「むむむ……我が導き手から聞いていた通り、尋常ならざる気を感じる……」

「神崎ちゃんまで!?」

 

 それから改めて二人は自己紹介をし直した。

 

「あぁそうだ。これから打ち上げに行くんだけど、蘭子も一緒にどうかな?」

「なんと! 最後の晩餐か!?」

「いいね!来なよ、神崎ちゃん!」

「あっ、でも……」

 

 蘭子が言い淀んだそのとき――

 

「打ち上げ?」

 

 ――楽屋のドアの隙間から覗くのは氷を想起させる冷淡な瞳……くっ、やはり来ていたか。

 

「おっ、一緒に行くか?」

「おい、P……!」

「………」

 

 ヌルりと楽屋に入ってきたのは蘭子のプロデューサーである神崎P。やはり呆れるほどに美人だが、顔面に貼り付けている仏頂面でいろいろと台無しだ。そしてボクには挨拶も、一瞥すらもない。

 

「……中華?」

「いや、焼肉だが……あぁ、そっかお前中華じゃないとダメなんだっけか」

「食べられないというわけではないのだけれど…。その焼肉店に麻婆豆腐はあるの?」

「たしか無かったなー。あっ、キムチならあるぞ」

「キムチ………」

 

 偏食の気があるのだろうか? まぁこの女のことなんて興味ない。

 そんなことより、“焼肉”のワードに蘭子が著しい反応を示したのをボクは見逃さなかった。

 

「別に無理してまで来てもらう必要はないよ。人には好みがあるからね。一生のうちで食事を楽しめる回数にも限りがあるし、食べたいものを食べるべきだ。麻婆豆腐が食べたいなら中華屋へ行くべきだ。うん。でも蘭子は焼肉食べたいだろう? すごく良い肉を出す店らしいんだ。どんな高級部位も食べ放題だよ、Pの奢りで」

「や、やき……にく……たべほ………で、でも……」

 

 そこでやっと神崎Pが凄まじく鋭い眼光をボクへ向けてきた。すごい迫力だが、幾度も受けてきたお陰でもう耐性ができているんだよ。ガン無視だ。

 

「よし、決まりだ。すぐに準備するから少しだけ待っててくれ、蘭子」

「え、あっ……あ、飛鳥ぁ~……」

「あぁ、貴女はどこでも好きな中華屋に行くといい。ということで、ここでサヨナラだ。おっと、こちらの方が良いかな。闇に飲ま――」

「私も行くわ。焼肉」

「――チィッ!!」

 

 過去最大級の舌打ちが自然と出た。

 

「キミらなんなん? 仲悪過ぎない? 神崎ちゃんも困ってんじゃん」

「いや、蘭子を困らせるつもりは……」

「さっきの飛鳥は……ちょっと…意地悪だったと、思う……」

「なっ!?」

「ふっ……」

 

 ほくそ笑みやがって……って、この女も笑えるんじゃないか。まぁ全然良い笑顔じゃないけど。

 

「オイオイ仲良くしようぜ? そうだ、お前ら握手しろ、握手」

「はぁ!? なんでボクがこの女と……!」

「ハッ、こっちから願い下げよ」

「もー! 二人ともー! 握手して、仲直りして! じゃないと……」

「じゃないと?」

「じゃないと……えっと……」

「じゃないと、焼肉屋には俺と神崎ちゃんだけで行くことになる」

「ぴっ!?」

「は?」

「は?」

 

 悪い顔をしながらPが蘭子に何事かを耳打ちする。ビクつきながらそれを聞いていた蘭子は次第にウンウンと頷き始め、挙句

 

「二人が仲直りしないと、ホントにPさんと二人で行くからね!?」

 

 と、のたまった。

 蘭子は冗談と思っているようだけど、Pはいざとなれば口八丁を駆使して本気でやるつもりだぞ? そもそも、ボクのライブの打ち上げのはずなのにボクが行かないというのは意味不明なのだが、蘭子の言質を取られた時点でボクは従うしかなかった。

 Pの人となりを知っているらしい蘭子のプロデューサーも同じことを思ったのか、実に嫌々といった風に手を差し出してくる。

 

「ライブの成功で気が大きくなっているようだけれど、勘違いしないこ、と、ね……!」

「ッ!?」

 

 差し出した手が物凄い力で握られ骨が軋んだ。

 

「あの程度、蘭子の力からすれば無きに等しいわ」

「……キミの言うことはいつも具体性に欠けるね。ただ蘭子をボクに取られるのが怖いだけなんじゃない、か、なっ!」

 

 お返しに手の甲に爪を立ててやる。

 

「………! 言っても、どうせ貴女には理解できないもの」

「なんだと?」

「でも、そうね。来週の蘭子の初ライブを見れば、貴女のような凡俗にも私の言わんとしていることが理解できるはずよ」

「……へぇ、蘭子の初ライブか。必ず予定を開けておくよ」

「貴女の唖然とした顔が今から目に浮かぶわ。アハハハ」

「ボクには嫉妬に歪むキミの顔が浮かぶけどね。アハハハ」

 

 嘲笑し合うボクたちを見て、蘭子が「仲良きことは美しきかな!」と目を輝かせている。キミにはそう見えるんだね。本当に蘭子は素敵な女の子だよ。

 それに引き替えPのヤツは、全て理解った上でいやらしい笑みを浮かべやがって。この後覚えておけよ……。

 

 

 鼻持ちならないことは多々あったけれど、焼肉自体は最高だった。

 ボクと蘭子は特選肉だけで胃の限界に挑み、神崎Pは淡々と全メニューを制覇し、Pの財布はすっからかんになった。

 



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≪Review by Asuka≫

 

“21グラム”と聞いて、人は何を思い浮かべるだろう?

 アスパラ一本分の重さ? 五百円硬貨三枚分? 昨日から増えてしまった体重?

 

 20世紀初頭にアメリカのとある医師が発表した説によると、21グラムとは魂が持つ重さなのだという。

 

 その医師は今際の際にある患者の体重の変化を記録することを試みた。そして死の瞬間の前後で、呼気に含まれる水分や汗の蒸発とは別の()()()の重量が失われていることを突き止めた。

 不可解に失われたその重量が21グラムであり、彼はそれが魂の重さだと考えた。死ぬことによって人間の肉体から魂が離れ、21グラム体重が減ったのだと。この説が発表されるや否や、世間では大変な議論が巻き起こったそうだ。

 

 20世紀初頭というのは、科学とオカルトが交じり合っていた最初で最後の時代なのかもしれない。

 インターネットは勿論のこと、テレビも無く、ラジオ放送さえもまだ始まっていない時代。電話の利用は始まっているが、情報を得る手段はほとんどが新聞か伝聞。

 生活の中に導入され始めていた科学は、学のない人間には魔法のように思えただろう。眉唾物の噂話が一人歩きして、都市伝説化していくのも容易に想像できる。

 かと思えば、魂21グラム説が唱えられる二年前には特殊相対性理論が発表されたり、量子論についての研究もすでに始まっている。

 そんな時代で起こった21グラムについての議論の行方だが、現代人が良く知るように――いや、現代人が良く知らないように、と言うべきか――結局はただの似非科学と断ぜられて、今ではもうオカルト愛好家と一部の映画好き以外に注目されることはない。

 ボク自身、先日のライブで志希が口にしなければ、こんなオカルト話を思い出すことは無かっただろう。たしか、小学校の図書室にあった子供向けのオカルト本の中の一ページが、このテーマについてだった。当時は「へぇ~」と多少の興味を引かれた記憶があるけれど、今となっては流石に荒唐無稽なオカルト話だと思う。

 しかし、それはそれ、これはこれ。中二病学的見地から見ればこの説には浪漫がある。

 まず、“魂”なんてそもそも実在性からして怪しいのに、存在していることを前提にしていること。さらに、見たこともない魂に重さがあるという仮定を立てていること。そして、ある意味でシンプルだけど倫理的に問題のありそうな方法で、その重さを計ろうというところ。どれをとっても、科学の恩恵を受けまくっている現代人からは普通は出て来ない発想だ。

 

 21グラムあれば何ができるだろう? ちょっと探してみた。

 マイクロSDカードは一枚あたり0.4グラムだけれど、現時点では最大で1テラバイトの容量のものが存在するようだ。マイクロSDカードを21グラム分というと、約52枚になる。つまり21グラムあれば52テラバイトの情報を記録することができるということ。途轍もなく膨大なデータ量だ。なるほど。これだけのデータ量があれば、人間を人間たらしめる全ての情報を記録することも不可能ではない気がする。まぁ、実際に出来るとしても、マイクロSDに魂は入れたくないけれどね。

 質量エネルギーというものもあった。ボクが学校で習うのは数年先になるのだろうけど、小説か漫画で見たことがある。相対性理論の中に出てくる方程式『 E=mc^2 』が示す、質量とエネルギーの等価性のことだ。この方程式をちゃんと理解することなんて 今のボクにはできないけれど、雑に言えば、質量が失われるときにはエネルギーが発生する、というようなことを意味しているらしい。たとえば、1グラムが消えてエネルギーに変換されたとすると、約90テラジュールの熱量になるのだと。こう書いてもよく理解らない。でも、その熱量は長崎型原爆の破壊力とおおよそ同じ、と聞くとその凄まじさが理解る。つまり、もし21グラムの魂がエネルギーに変換しやすい性質のものであった場合、21回の原爆魔法が……いや、流石に不謹慎だな。ともあれ、魂を削って大きな力を発生させるという設定は、実に中二的で美味しいと思う。

 

 魂の重量を計る試みが成功していたのか否かについては、今ではもう分からない。少なくとも彼の測定方法には杜撰さがあって、現代ではそっぽを向かれているというのが現実だ。でもそれは、魂に重みがないことが証明されたということではないし、魂の存在が否定されたということでもない。

 脳が作る性格とか理性だとかとは異なる()()。魂と呼ぶべきものが実際に存在しているかどうかは未だに、ただ、不明なだけ。有るかもしれないし、無いかもしれない。シュレーディンガーの魂……はちょっと違うか。

 案外、科学が発展していけばすんなりと解明されたりするのかもしれない。

 

 アイドルになる前、ボクは魂の存在なんて信じてなかった。いや、その実在性について深く考えることさえなかったという方が正確か。

 でもボクは今、魂は存在すると直感している。

 蘭子と出会ったからだ。

 蘭子と出会った日に震えた、ボクの中の()()。その振動は蘭子と会う度にどんどん強くなっていく。その振動はボクに力を与えてくれている。

 この不思議で素敵な感覚を、仲が良い、とか、相性が良い、なんて言葉で済ましたくはなかった。

 

 

 

 

 

 

≪Review by 蜈?ココ蠖「≫

 

 天界においては誰かに命令されることは一切なかったため、天使たちは皆好き勝手に過ごしていた。

 その代わり、ただ1つだけルールがあった。それは『セカイ線を崩壊させてはいけない』というルールだ。

 天使がセカイ線に干渉を行うと、そこでセカイ線は分岐して新たなセカイ線が生まれる。通常は引き続き観測を行いその新たなセカイ線を確定させるのだが、観測をせずに、天使がセカイ線の中に侵入することがある。それはつまり、3+1次元の空間により高次元の存在である天使が割り込むということであり、それによって生じた歪みは新しく芽吹いたセカイ線をあっけなく崩壊させてしまうのだ。

 崩壊させられたセカイ線に存在していた全ては、どうやら崩壊を齎した天使に吸収されるようで、直後の天使は明らかに生命力を漲らせていた。

 しかし、その無法者の天使もすぐに罰を受けることとなる。天使よりも更に高次の存在がどこからともなく現れ、まるで象が蟻を踏み潰すように、圧倒的な力によって天使を消滅させるのだ。他の天使がセカイ崩壊を起こす瞬間は何度となく目撃したが、例外なく高次存在は現れ、極刑を与えた。

 それゆえ、セカイ線を崩壊させようなどという輩は、死期が迫り一か八かの賭けに出たか、狂っているか、自殺志願者のいずれかだった。

 ほとんどの天使にとってセカイ線やその内側の生き物は、玩具か実験動物のようなものだったようで、セカイ崩壊が起こっても皆あまり気にしていないようだった。しかし私にとって、セカイ崩壊はとてもおぞましいことだった。セカイ線の内で暮らす彼らは存在する次元と出来ることが違うだけで、実際には天使と本質的な違いはないと考えていたからだ。彼らにも天使のものと変わらない魂があった。おそらくは肉体を持っているかどうかの違いしかない。天使とは、肉体を持たず“魂そのもの”になった存在なのだと思う。

 

 天使が絶対的な能力を有しているのは、己自身を、つまり魂の力を自在に扱えるから。

 セカイの内側の彼らも、魂の力を操ることが出来さえすれば、天使と同等の存在になれるはず……。私はそう考えていた。しかしこの考えには、彼らが魂の力の扱い方を身につけるのはほぼ不可能だという問題があった。

 干渉によってその方法を教えてやることは極めて難しい。天使は生まれながらにして魂の力を引き出すことは出来るが、その感覚は余りに曖昧で教えられる類のものではない。身も蓋も無い言い方になるが、出来て当たり前だから出来るだけ。人間が教えられるまでもなく、また意識することなく、呼吸が出来るのと似ている。呼吸の仕方を知らない者に対し、どれだけ丁寧に呼吸の仕方を説明したとしても無駄なのだ。

 

 彼らの中にも稀に魂の力を引き出す者はいた。しかし、それは偶発的に起こった一回限りのまぐれであることがほとんどで、しかも本来のポテンシャルからすれば極めて小さな力だった。

 その()()()を何度も繰り返し、魂の力にアクセスする感覚を掴むことができれば光明はあるのだが……。神崎蘭子に出会うまで、それが出来る者はただの一人もいなかった。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

 Dimension-3の初ライブから一週間が経った六月下旬。

 毎週末、各地で開催されている小規模合同ライブが蘭子の初舞台だった。会場はキャパ約150人のライブハウスだ。ボクがこれまでに出たライブと比べると遥かに小さいが、会場の熱気は変わらない。寧ろ、狭い分だけ濃密かもしれない。

 ほぼ満員の観客に混じって、ボクとPはフロアのやや後方に陣取っていた。会場は狭いから、ここからでもよく見えるだろう。

 

「まぁ、こんなものか……」

 

 ライブは終盤に差し掛かっている。

 この小規模合同ライブに出てくるのはまだ経験の浅いアイドルがメインらしく、そのパフォーマンスの完成度は低めの印象だ。中にはお粗末と評価せざるを得ないようなユニットもあった。

 

 ボクと同じ日にスカウトされた蘭子は、つい先日からレッスン以外にもゴスロリ系のファッション誌のモデルや、ちょっとした動画配信も始めているが、観客の前に直に立つのは今日が初めてだ。そんな駆け出し無名アイドルの蘭子が、最近のアイドル界では珍しくソロユニットでデビューをする。しかもトリ。小規模ライブとはいえ新人がトリを任されるのはかなりレアケース、もとい、結構な好待遇らしい。

 アイドルが掃いて捨てるほどいる昨今、初舞台がデパートの屋上のヒーローショーなどの前座になるのはザラ。小規模ライブだったら御の字という具合。しかもトリなんて、一体どれだけ期待の新人とやり手のプロデューサーなんだ? …というのが社内での認識のようだ。まぁそういう観点からすると、一ノ瀬志希とボクのキャリアは異常としか言いようがない。ダブルスーパーレアの上がバグで出てしまったようなものだろう。

 

「蘭子……大丈夫かな……?」

 

 キャラクターを演じているときの蘭子は自信に溢れているけど、素の彼女は気弱なところがある。そんな彼女が初めて人前で歌とダンスを披露するなんて。しかも通常よりも重いプレッシャーのかかるシチュエーションだ。ボクのときはPの巧みな誘導によって緊張を良い意味で有耶無耶にできたけれど……。蘭子はどうなのだろう?

 

「次だな。神崎ちゃんのお手並み拝見といこうか」

 

 隣のPが薄い笑みを浮かべ、腕組をして待ち構える。

 フロアの雰囲気はどちらかと言えば散漫。

 つい今しがた歌い終えたのは何度か中規模ライブにも出たこともある、人気急上昇中のユニットだったらしい。つまり、蘭子を知らない観客にとっては実質トリのようなもの。なんでトリに無名のアイドルが演るんだ、なんてネガティブな呟きもそこかしこから聞こえてくる。

 ボクはただ、蘭子が無事にライブを終えることを祈っていた。どうか、緊張で歌えなくなってしまうようなトラブルは起こらないでくれ、と。

 

 音響の微かな変化から、アイドルが今まさに登壇することを観客たちが察知する。

 しん、と静まる空気。

 暗転するステージ。

 鐘の音が二度鳴り響き、その余韻をヴァイオリンの音色が引き継ぐ。

 

「――迷える子羊たちよ」

 

 暗闇に包まれたままの会場に、どこからともなく少女の澄んだ美声が響き渡る。

 

「未来永劫誇るがいいわ。今宵のミサに参列したことを。我が降臨の儀に立ち会えた幸運を」

 

 観客のどよめきは、しかし、荒々しさを増していく旋律に掻き消される。

 

「我が名は、神崎蘭子。ローゼンブルクエンゲル……楽園を追われし哀しき天使」

 

 閃光。スポットライトが黒いドレスに身を包んだ蘭子を照らし出す。

 

「さぁ、始めましょう。終わりなき輪舞を……!」

 

 有機物も無機物も。会場を構成する全てが息を呑んだ。彼女の瞳の美しい紅に。そして――

 

「我が魂の赴くままに!」

 

 ――その声音の荘厳さに。

 

 ギリシア神話の神の名で始まる曲。それを歌う神崎蘭子というアイドルは、聴く者全ての既成概念をぶち壊してしまった。

 

 彼女が旋律に歌声を乗せ始めると、まずは周囲の景色が一変した。何の変哲もない小さなハコが、壮麗なカテドラルへと変貌していたのだ。

 ボクは一瞬、プロジェクションマッピングを疑った。しかしそれは即座に却下された。いくら最新の技術を以てしても、あくまでそれは光の投影。目を凝らせばそれと理解る。しかし、目の錯覚では説明できないことが起こっていた。会場の温度がぐんと下がっていた。石と埃の匂いがした。メロディの反響の仕方さえも変わっていた。

 幻覚を疑ったのだが、惑わされているのはボクだけではなかった。全ての観客が同じものを感じているようだった。みんな四方を見渡して、瞠目していたのだ。Pまでも。

 

「なん…だ……これは……っ!?」

 

 理解らない。

 大勢の人間が同時に、五感で同じ幻覚を見るなんてことは、聞いたことがない。

 普通のライブハウスだぞ。あり得ない。それとも集団催眠? いつかけられた? いや、これも却下だろう。

 明らかに異常事態だ。だというのに、誰も騒ぎ出したりしない。したくても、できない。理解を越えた現象を目の前にしたとき、人間はただ茫然と立ち尽くすことしか出来ないのだ。

 

 聖堂の祭壇で蘭子は歌う。

 蘭子自身の装いも変わっていく。黒のドレスを纏っていたはずなのに、瞬く間に白のドレスに変わったり、戻ったり。まるで蘭子が二人いるかのよう。

 可愛らしい飾りでしかなかった背中の翼も、いつの間にかその大きさを倍にして、しかも生きているように動いている。

 蘭子が手を振りかざせば火花が散って、熱風が頬を掠める。

 曲が進むと、カテドラルの風景も変わっていく。星が煌めく夜空。燃える荒野。どこまでも高く蒼い天空。

 

 この現象を引き起こしているのは、蘭子の歌だということは直感していた。蘭子の歌声がこの幻想を見せてくるのだ。抗いようのない絶対的な力で、直接的に訴えかけてくる。五感に、脳に、精神に、心に。いや……。

 

「魂に……?」

 

 この高揚感、ボクには覚えがあった。初めて蘭子に名前を呼ばれたときの感覚。魂が震えたあのときのもの。

 蘭子の歌声が聞く者の魂を震えさせている。

 歌声。声。声とはなんだ? 空気の振動で伝わる波だ。それはただの物理現象、揺らせるのは鼓膜だけ。だからこの現象とは違う。

 ならば、何に揺さぶられている? 蘭子の何に?

 蘭子の魂? 蘭子の魂の叫び、振動、その周波数に、ボクたちの魂まで揺さぶられているのか……?

 今ボクたちが見ているものは蘭子の心象風景…世界観…蘭子の魂が見ているセカイの形か……!

 

「すごいよ蘭子……すご過ぎる……!」

 

 蘭子が持つ、幾つもの世界観。それらはいずれも難解で、理解するには万の言葉でも足りないと思っていた。なのに、たったの一曲で深く深く理解してしまったんだから。

 

 蘭子の歌が終わり、その残響も減衰し果てる頃。気付けば、会場は元のライブハウスに戻っていた。

 

「…………ぁ、あれ……ぇ、ぇっ、えぇぇ…?」

 

 歌い終えた蘭子は、観客たちからレスポンスが無いことに気付き狼狽する。

 観客たちは皆、茫然か嗚咽かの状態。無理もない。ボクたちが見ていたのは、おそらくは奇跡に分類されるものだったのだから。既成概念をぶち壊された人間が、自己を再構築するには時間が必要なのだ。

 

「ぁ…ぁぅ、ぁぅ……ふぇぇ……」

 

 依然反応のない観客に、蘭子は不安が極まったように目を潤ませた。そこでボクはようやく柏手を打つことができた。それを皮切りにフロアに拍手の輪が広がっていく。

 

 パチパチパチパチ……。

 

 しかしやはり、歓声を上げる余裕は誰にも無いようだった。拍手だけというのはアイドルのライブとしては異様だ。でも蘭子はそのおかしさに気が付いていない。おそらく今日初めて舞台に立ったからだろう。

 表情に力を取り戻した蘭子は、改めて名乗ってから、

 

「では、再臨の刻までしばしの別れね。下僕たちにはこの言葉を送るわ。闇に飲まれよー! ハーッハッハッハーーーーッ!」

 

 と、元気に袖に戻って行った。

 

 これで今日のライブは終了した。

 退出を促すアナウンスが流れても、しばらく誰も動き出そうとしなかった。皆が思い思いに、神秘体験を噛みしめていた。神崎蘭子というアイドルを讃える震える声が、そこかしこから聞こえた。

 今日出演した他のアイドルには気の毒なことだ。きっと、蘭子以外のパフォーマンスなんて誰も覚えちゃいない。ほとんど全ての観客は蘭子のファンになっただろう。

 

 Pはまだステージを見つめ続けていた。その表情は険しく、眉間には皺が寄っている。

 

「………そういう、ことかぁ……」

 

 それは絞り出すような呟きだった。発言の意味は分からないが、相当な衝撃を受けているらしい。

 

「……んぉ? おぉすまん、飛鳥。たまげてたわ。じゃあ行くか」

 

 蘭子を労わないわけにはいかない。フロアを出て出演者の控室へ向かう。

 

「あっ! 飛鳥だぁ!」

 

 控室に残っているのは蘭子と神崎Pだけだった。

 蘭子はステージ衣装から普段着のゴシックドレスに戻っていた。彼女はボクの顔を見るや勢いよく立ち上がり、こちらへと向かってくる。

 

「来てくれてありがとう! それで…あっ、んんっ……して、我が輪舞曲は白銀の騎士の琴線に触れたか?」

「……!」

 

 チリ、と胸が焦げ付くような感覚があった。

 

「あ、あぁ……素晴らしいライブだったよ、蘭子……。本当に、素晴らしかった……、語彙力が消失してしまうくらいに……」

「ふぉぉぉ~~! やったぁ! 飛鳥にそう言ってもらえて嬉しい! 歓喜の極みー!」

「………っ」

 

 チリ、チリ、チリ。胸の焦げ付きは酷くなる一方。

 蘭子のライブは筆舌に尽くしがたいほどに素晴らしかった。なのに……。一番の友人の成功を褒め称えてあげるべきなのに……。ボクの胸は焼けて、焦げて、爛れている。隅に追いやったはずの嫌な考えは、やはりじっとしていてくれない。

 胸の不快感の理由……それは理解っている。こんなときばっかり自己分析が完璧にできてしまう自分が嫌だ。

 

 蘭子は“本物”だと理解ってしまったんだ。ボクとは違って、本物の力を持っている、と。

 

 ボクは愚かにも勘違いしかけていた。末席ではあるけども、ボクも人気アイドルの一人になれたなんて。

 全然違う。バカ者め。思い出せ。いいとこ“並”だろ。ボクのアイドルとして実力なんて。

 

「飛鳥……? 魔力の欠乏か?」

 

 Pだ。全部、Pの力だ。Pの言う通りにレッスンして、Pにお膳立てしてもらった最高のステージで、ボクは“普通”に演っただけ。そりゃ、先週のライブの盛り上がりは少しは誇っても良いのかもしれない。でもそれもやっぱり、Pが後ろにいてくれたからだし、志希がいなければそもそも成り立たなかった。

 二宮飛鳥というアイドルは不完全。偽物。ボクは、依然、何者でもない。

 自分の身体一つで奇跡を起こしてみせた蘭子と比べると、ボクなんてただのイキった中二病患者でしかなかった。

 

「え、あ、飛鳥…? もしかしてお腹すいたとか…?」

 

 最低だな、ボクは。心のどこかで、蘭子のライブで何かトラブルが起きると思っていた。そしてそうなったら、先輩のボクが慰めてあげよう、なんて……。そんなボクの浅ましい考えを、蘭子は真っ向から飛び越えて……極めつけはあの奇跡の歌だ。

 蘭子こそ、正真正銘、超一流のアイドルになる逸材なんだろう。それが羨ましくて、素直に友人の成功を喜んであげられないでいる。

 嗚呼、ボクってヤツは……。いくらなんでもカッコ悪過ぎだろう。

 

「え、え、えぇぇ……? P、さん…? 飛鳥の様子が……」

「あぁ~~、うん……ちょっと待ってあげてね、神崎ちゃん」

 

 一週間前に神崎Pに言われたことを思い出す。『蘭子の力からすれば無きに等しい』だったか。その言わんとすることを、今ボクは完全に理解してしまった。

 蘭子の三歩後ろで神崎Pはほくそ笑んでいる。『身の程を知ったようだな、マヌケ』ってところだろう。

 

「ぁ……………」

 

 言葉が出ない。何を言っても、語るに落ちるというヤツを演じる確信がある。

 

「今から蘭子と打ち上げに行くのだけれど、貴女たちもどうかしら?」

「ッ……!」

 

 この女は本当に()()性格をしている……!

 

「うむ! 共に闇の饗宴を愉しもうぞ!」

 

 無邪気な蘭子は当然、意地の悪い意図に気付かない。ボクの返答も待たず、鼻歌を奏でながら私物をバッグへと詰め始める。

 

「ごめんねぇ、神崎ちゃん。飛鳥と俺、これからまた会社に戻って打ち合わせなんよ~」

「なっ、なんという悲劇……!」

 

 そんな予定は勿論入っていない。Pの助け舟だ。

 

「だから俺らはここで()()()()させてもらうね」

「や、やみのま!? 闇に飲まれよ、ですぅ!」

「ははは。よし、じゃあ行くか、飛鳥」

「あっ、う、うん……」

 

 そうして、逃げるように控室から出た。

 

 

 

 Pが運転する車でライブハウスを離れる。

 運転中のPはいつもよく喋るのに、今は極端に口数が少ない。

 FMラジオだけが流れる車内。パーソナリティは何がおかしいのか、やたらとテンションが高い。それが段々とウザくなってくる。

 消してもらおうと頼もうとする前に、Pは音量をゼロまで絞った。

 

「神崎ちゃんのアレ、何なんかなぁ~~?」

「たぶん……」

「ん? たぶん……?」

 

 ボクの考えを言うかどうか、少し悩ましい。いかにも中二病っぽくて、失笑されるかもしれないから。でも相手がPだったと気付いて、気にするのはやめた。

 

「……21グラム、魂の叫び」

「…………なるほど」

 

 Pはそう言ったきり、しばらく黙った。やはりPは笑ったりせず、寧ろどこか納得したような風だった。

 

「俺もさぁ、かーなーりーー悔しいんだぜ?」

「……も? ボクがいつ悔しいなんて……いや、いい……。そうなのかい?」

「あたぼうよ。もうかなりキてるね。ほら、見ろよコレ。ほら、すっごいっしょ?」

 

 Pが顎の骨の辺りを指差す。そこは顎の輪郭が変わるくらいに、ぽっこりと出っ張り、ピクピクと動いている。たぶん奥歯を食いしばっているんだろう。

 

「悔しくて悔しくて、こんなんなっちゃって。折角のハンサム顔が台無しだと思わんかね?」

「………ハンサムという言葉を辞書で引くことをお勧めするよ」

「オイコラ」

「フフッ……」

 

 あぁ、この男はホントにもう……。

 

「てかさ、俺が何を悔しがってるか分かるか?」

「それは………」

 

 そういえば何故だろう? あ、ひょっとして…。

 

「ボクみたいな……蘭子とは違うただの中学生をスカウトしてしまったこと…とか?」

「そう来たか、っておーい! 違ぇよ!」

「……そう」

 

 少しだけホッとしている自分がいた。

 

「はぁ~~~~! あ、これ呆れの溜息ね? はぁ~~~、飛鳥、お前そんな風に……はぁ~~~~~、はぁ~~~~!」

「な、何…? 言いたいことがあるならハッキリ言えばいい」

「お前、アレだぞ? 俺が飛鳥と出会ってスカウト出来たことは、アレだ、いやマジで、アレ……ちょっと言うのアレなんだけど……」

「やけに勿体ぶるね。言い難いなら無理には……」

「いいや、言うね! お前に出会えたことは、俺の人生の中で、一番、最も! 最高に! 素敵な! コト! だって! 思ってる! マジで!」

「あ……ぅ……………そ、そう、なんだ………」

「うっわ! やっぱ恥ずいな! いざ言うと!」

 

 何を言うかと思えば……。

 なんだこのむず痒さは。耳とか首回りが急に熱くなってチクチクしてくる。なのに口元は緩もうとしていて、でもそんな表情になってしまうのは避けたくて、眉間と唇にギュッと力を入れる。

 

「俺はそう思ってんのにさぁ! はぁ~~~、飛鳥はさぁ、はぁ~~~、そんな風にさぁ、はぁ~~~……はぁ~~~!」

「……むぐ……むぐぐ……」

 

 別にボクだってPと出会ったことは悪く思ってないけどさ。でもそんなことを改めて言うのはボクの柄じゃないし、だからって問われれば正直に言うのも吝かではないのだけれど……く、くそ、戻れ表情筋……!

 うん。何かレスを返して気分を誤魔化そう。そうだ、ボクをスカウトした理由。以前聞こうとしてそのままにしていたな。この際聞いてしまおう。

 

「だ、だったら、ボクをス――」

「はぁ~~~! はぁ~~ぼごほぉおおおっ!」

「ふぇっ!?」

「げほっ! げぼぉおおっ! ぶふぉっ!」

「ちょ、ちょっと…大丈夫かい?」

「ごめっ、げほっ! む、噎せた…えふぉっ! えふっ……ぶぐっ!」

 

 なんて酷い噎せ方だ。ボクの父でもこんな汚い噎せ方はしないぞ。それでもハンドル操作が確かなのはある意味Pらしいが。あぁ、鼻水も垂らしてみっともない。

 ポケットティッシュから二枚取り出して渡してやると、Pはそれに向けてしこたま鼻をかむ。

 

「げほ、ごほ……ふぃ~~回復ゥ~~」

「びっくりさせないで欲しいな……」

「すまんすまん。ええと、それで、何だっけ」

 

 何だっけ? Pの噎せがあまりにすごくて、ボクも記憶が飛んでしまった。まぁ、忘れるくらいだし大した要件じゃないはずだ。

 

「そうだ。俺が何を悔しがってるか、だ」

「あぁ……そうだったね。で、それは何?」

「そりゃもう、神崎Pに出し抜かれたことだよ」

「へぇ、それは興味深いね。キミともあろう者が」

「そもそもからして不思議だったんだ。アイツなら俺がやったようなやり方で、五月公演に神崎ちゃんをねじ込むこともできただろうに。何故やらなかったのか? 今日の神崎ちゃんのステージを見てようやく理解できた。そんなことは必要なかった。神崎ちゃんの歌と飛鳥の存在を前提にした場合、今日みたいな小規模ライブからスタートするのが最善手だったんだ」

「ん? 何故そこでボクが出てくる?」

「二宮飛鳥というアイドルの登場は、この界隈に決して少なくないインパクトを与えている。というのは自覚しているか?」

「それは……まぁ、それなりに」

 

 本来なら人気アイドルしか出られない五月公演を初舞台にして、その後もトップアイドルの一人である一ノ瀬志希とユニットを組んでいるのだ。これで何も注目されていないなんて思うのは流石に自意識過小だろう。

 

「でもな、やっぱり俺たちは変化球であり、イレギュラーであり、トリックスターなんだ。巧い立ち回りで最短ルートを突っ走るのが俺たち」

「………ふむ」

 

 イレギュラーとトリックスターというのはナカナカに心を擽られるワードだな。

 

「対して、神崎蘭子というアイドルはド直球。正道にして王道」

「はっ、あれが、あのステージが王道だって?」

「ぱっと見そう思うのも仕方ないが、よくよく考えるとそうでもない。アイドルの持つ世界観をファンにも共有させることはアイドルの存在意義の一つであり、実際に多くのアイドルが目指しているコトだ。それを成し遂げるために彼女たちは語り、歌い、踊り、演じる」

「……そういうことか」

 

 まぁ確かに、どのアイドルだって、アレが出来るならやりたいだろう。でも出来ないから色々と手を尽くすのだ。

 

「だから、神崎ちゃんの出発はソコソコの地点からで良い。その後はどっしり構えて彼女のパフォーマンスを続ければ、自ずと登っていく。それに何より、二宮飛鳥というアイドルが引き上げてくれる」

「なんでそこでボクが……?」

「アイドル界に彗星のごとく現れた二宮飛鳥と神崎蘭子というルーキー。成熟したこの界隈は、こんな美味しい素材を放っておかない。すぐに二人は二項対立で語られるようになる。そしてその流れが、神崎ちゃんを飛鳥のいるステージまで押し上げる」

「少し、理解りかけてきた……」

「ライバルってのは同じ場所で戦うものだからな。ギリギリの綱渡りで俺たちがたどり着いたステージに、神崎ちゃんは労せず立てるようになるってわけだ」

 

 二宮飛鳥というアイドルが北条加蓮や一ノ瀬志希の人気を利用したのと同じように、神崎蘭子というアイドルも二宮飛鳥の勢いを利用するということか。

 

「いや、ライバルという関係ならまだいい……」

「くっ、そうか、そういうことか!」

 

 あくまで平凡なアイドルのボクに、蘭子のライバルなんて務まるワケがない。所謂、踏み台にされてしまう。当然蘭子自身はそんな風には思っていないだろうけど、それがあの氷女の狙いか。ほんとに性悪だな。ボクに恨みでもあるのか。

 

「ここだけの話。俺は普通の人には見えない物まで見えるし、これまで見てきたものも全部正確に覚えててな。その関係で、数か月くらい先までなら完璧な未来予測ができるんだ」

「…………なんて?」

 

 なんか妙なことを言い始めたぞこの男。

 

「でも飛鳥と出会った頃から、何故か今日以降の未来が見えなくなっていた。やっとその理由が分かった。情報が不足していたからだ。神崎ちゃんの歌という情報がな」

「何を……言っているんだ? さっきから」

「そして今日見た情報を踏まえて、改めて予測すると…………出ましたよ、俺らの未来。これはヤバいですよ二宮さん」

「っ………何が言いたい?」

「このままいけば、俺たちはあの二人にコテンパンにやられる。そんで、引退とか左遷とかそういう感じ」

「ッ!!」

 

 Pが何を言っているのか全然理解らなかったけど、その実にシンプルな内容には衝撃を受けた。後ろ向きな言葉をPが吐いたことはこれまでなかったから。

 しかし、言い回しが少し引っかかった。

 

()()()()()()()? それはどういう意味だ? このままいかなければ違うというのかい?」

「うーむ………」

 

 Pはしばしの間、無言のまま運転を続けたが、しばらくして赤信号に捕まるとPは決心したように口を開いた。

 

「どうにかなる……かもしれない方法は……なくもない」

「あるのか!? じゃあそれを…っ!」

「でもなぁ………ちょっとなぁ……難があるというか……」

 

 そしてPの運転する車はボクのマンションではなく、会社へと向かった。

 



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≪Review by 蜈?ココ蠖「≫

 

 探し物のために天界を彷徨う過程で、本当に沢山のセカイ線を閲覧した。

 

 一つのセカイ線の中では、数百万オーダーの数の星で生命が誕生することが多かった。だが、極稀に全く生命の誕生しないセカイ線や、逆にありとあらゆる星で生命が誕生するようなセカイ線もあった。そういった特徴的なセカイ線は、大抵は数々の天使が干渉を幾重にも加えた結果出来たものだった。前者のセカイ線は天使たちの実験用に重宝されるし、後者はドラマ的な見所が沢山あるようで、どちらの周囲にも比較的多くの天使が集まる傾向があった。まぁ、そういったものに私の興味が引かれたことはなかったが。

 

 基本的に私は探し物をすること以外に関心は無かったのだが、そんな私でも思わず見入ってしまうセカイ線もあった。

 それは()に包まれたセカイ線だった。その光はあまりに強いため、セカイ線の内側を閲覧することもできないし、干渉しようにもはじき返されてしまうらしい。天使でさえも完全に不可侵のセカイ線だった。唯一分かるのは、その光が()()()()()()()()()であるということだけ。

 私は天使としてはかなり長命な方だったと思うが、それでもこの不可侵のセカイ線は両手で数えられるほどしか見たことがない。極稀どころではない。極を100回以上付ける必要があるだろう。

 一体何故このように光り輝いているのか? 調査してみたいという気持ちが高まることもあったけれど、私はやはり探し物の方を優先した。直感的に、それも私の探している()()ではないと分かっていたから。だから結局、その光に包まれたセカイ線については何も分からずじまいだ。

 

 

 無限といっても差し支えない程の数のあるセカイ線を、私は一つ一つ覗いていく。延々と繰り返す。

 そうこうしている間にも他の天使たちは各地で干渉を好き勝手行い、私が調べるべきセカイ線はますます増えていく。終わりは寧ろどんどん遠ざかっていく。

 閲覧に要する労力は微小なものだが、少しずつ私の魂は摩耗していく。

 いつからか、私より老いている天使を見かけることはなくなった。

 一体、私は何を探しているのだろう?

 少しでも気を緩めれば魂が虚無に支配されそうだった。魂に刻み付けられた“諦めるな”という思念がなければ、私はとっくに消滅していただろう。しかしそれすらも意味をなさなくなる、純粋な物理的限界はすぐそこまで迫っていた。

 

 

 とある天使に私が出会ったのは、そんな今際の際ともいえる時だった。

 

 

 その天使は初めからとても不愉快な感じだった。コミュニケーションを取ろうとしてくるでもなく、消滅寸前の私を遠くからじぃっと観察していたのだ。それも薄ら笑いを浮かべながら。

 驚くべきことに、どうやらその天使は私よりも遥かに長命らしい。にも関わらず、生まれたての天使のように生命力に溢れていた。まるで、老獪さはそのままに、魂だけが若返っているようだった。

 こんな天使にはそれまで出会ったことがなかった。

 まるでセカイ崩壊を引き起こした直後のように生命力が漲っていた。しかし、高次元存在の罰から逃れることは出来ないはずだ。ならばコイツは一体何なのだろう?

 不可解。不愉快。

 だが疲弊しきっていた私には、そいつを追い払おうとすることさえ億劫になっていた。幸い私に対して害意があるわけではないらしい。

 ひょっとすると単純な好奇心なのかもしれない。私のように今にも寿命が切れそうな天使は珍しいだろうから。

 だから私は無視を決め込んだ。そんな些末事に魂をすり減らしている場合ではないのだ。

 

 彷徨と閲覧を再開してからも、その天使は一定の距離をとりながら、最後まで私に付きまとってきた。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

「コレ」

 

 淹れてくれたコーヒーをボクにサーブするのと一緒に、Pは()()をテーブルに置いた。

 一辺2センチ程度の小さな立方体。

 それは彼がたまに指先で弄っているサイコロのようなもの。普通のサイコロとは違い、1から6の目は刻印されておらず、代わりに面毎に色が違うという風変わりな一品。

 

「これが……何?」

「これを使う。飛鳥のプロデュースに」

「……よく理解らないな。もしかして二宮飛鳥の公式グッズにするとか?」

「なるほど、面白い発想だな。だが少し違う」

 

 Pがマグカップに口を付ける。ボクも一口だけブラックを試してみて、諦めてシュガーを溶かし込む。

 

「ぱっと見はただのカラフルな立方体なんだが、実はかなりの逸品なんだよ」

「そうなのかい? 確かにこんなのが売ってるのを見たことないけど。あぁ、もしかして特注品とか?」

「特注…か……ふむ、ある意味そうとも言えるかも。こういうのがあればなぁ、と長年考えてたのが、ある日突然手に入ったんだから」

「……?」

「これの何が凄いかってーと、まず絶対に壊れない。それと絶対に無くさない」

「サイコロに耐久性はそれほど必要とは思えないけれど……。でも無くさないっていうのは良いね。ボードゲームをしようって時に限ってなかなか見つからなかったりするから。音が鳴って場所を知らせてくれるとか?」

「んー、そういうんじゃないんだけどな……原理は俺にもよくわからないんだ」

「へぇ……? ちょっと手に取ってみていいかい?」

「いいよん」

 

 サイコロの手触りは少し新鮮だった。ツルツルしているようであり、サラサラしているようでもある。というかたぶん、初めて感じる手触りだ。

 各面には虹の七色から藍色を抜かした色が振られている。その色合いはかなり美しいと思った。まるでサイコロの内部から各面に色を投影しているかのような奥行を感じさせる。

 しげしげと見つめてみて、それでふと気付いた。

 

「あれ? これ、すごく軽い……」

 

 試しに右手で摘まんだソレを左手に落としてみても、ほとんど何も感じない。ストンと落ちる割に、綿毛が乗った程度に何も感じなかった。

 

「あぁ、どうやら重さが無いみたいなんだ。でも何故か重力を受けてるような挙動をするし、その辺りの原理もよくわからない」

「ふーん…………?」

「俺の考えが正しければ、このサイコロを使えば運命に揺らぎを与えることが可能になる」

「…………ん?」

 

 今、Pは何て言った? 運命だとかいう単語が聞こえた気がしたが……。

 

「面ごとに選択肢を設定しておいてから、サイコロを振る。そして出目の通りに行動すれば、運命という神の台本からズレることが出来る。まぁ、出目によっては結局振らなかった場合と同じ行動になることもあるだろうけど」

「…………は?」

 

 運命? 神の台本? また妙なことを言い始めたぞ。いやそれに、重さが無いっていうのもおかしくないか?

 

「俺の予測では、三か月半後、十月半ばの大規模ライブで、俺たちは神崎ちゃんたちと真っ向から衝突することになる。そして完膚なきまでに叩き潰されるだろう。そこまで分かっているのに避けられない。最善に最善を重ねた選択をしてもそうなる。いや、ただ単にそういう台本で、俺も役者に過ぎないからだなだ」

「いや……ちょっと……」

「だがこのサイコロを使えば、その台本から逸れることが出来る。そんな直感がある。まぁその結果、どんな結末が待っているかは分からないが。正にサイコロのみぞ知ると――」

「ちょっと!」

「ん?」

「キミは一体何を言っている? 漫画かアニメの話かい?」

「あ、すまん。ちょっと先走り過ぎたか……」

 

 Pはテーブルの端に置いてあったメモ用紙の綴りから一枚を取り、何事かを書き記してから折り畳んでボクの前に置いた。そのメモにボクが手を伸ばそうとすると「少し待って」と止められる。

 

「飛鳥は、この世界は神が書いた台本通りに進む舞台だってことに気付いているか?」

「………はぁ?」

「宇宙開闢のその瞬間から遥か未来まで、この宇宙で起こる全てのことは既に神が台本にして決めてるのさ。塵がどう集まって星になって、どの星でいつ生命が誕生して、どう進化をして、誰が生まれて、どういう人生を経て、どう死ぬのかも。全部」

「P……もしかして酔ってる?」

「いや、素面だし正気だ」

 

 Pの顔をじっくりと見ても顔色や素振りにおかしなところは無い。敢えて言うならば、ニタリと笑っていてちょっと変だが、それこそがいつも通りだ。

 

「……その世界観が正しいとするなら、ボクたちには自由意思なんてないってことになる。それはボクの感覚からは認め難いんだが?」

 

 生まれてこの方ボクが自分の意思で選択してきたことが、その実、誰かに決められていたなんて。そんな風に感じたことはないし、ハイソウデスカと認められるワケもない。

 

「流石だな、飛鳥。その指摘は核心の一つだ」

「……それはどうも」

「そこで、ちょっとしたゲームをしようか」

 

 Pは両手をグーにしてボクの前に出した。

 

「右か左、どっち? 飛鳥の自由な意思で決めてみてよ」

 

 意図は理解らないけど、ゲームと言ったから適当に答えてやろう。右手が先に目に入ったから右だ。

 

「右」

「ん。右、と……」

 

 Pはメモ綴りから一枚取って、そこに“右”と書き記す。

 

「じゃあ次はどっち?」

 

 そして再びボクの前に両手を出して聞いてくる。今度は手のひらは開いていた。

 

「右」

「ほい、次は?」

 

 ひらひらと指を揺らめかせてから、また聞いてくる。ボクは「左」と答える。

 そんなことを10回繰り返した。ボクが答える度に、Pはメモに結果を書き記していった。

 

「よし、じゃあ答え合わせだ。これとそれを比べてみて」

 

 ゲームが始まる少し前にPがボクの前に置いていたメモを指差した。

 

「はぁ…いったい何だって言うん――」

 

 “右右左左左右左右右右”

 “右右左左左右左右右右”

 

 ――完全に一致していた。それに気付いた瞬間、背中に氷を流し込まれたようにゾッとした。

 

「これがメンタリズムです」

 

 キメ顔を作ってから「なんつって」とPは破顔する。ボクはまったく笑えず、しばらく呼吸も忘れていた。

 

「飛鳥をビビらせたかったんじゃない。俺が言いたいのは、対象の性格を把握して、あとは多少のテクニックがあれば、他人の選択を予測したり誘導することも可能ってこと。つまり全知全能の神であれば……。世界の全てを知ることができて、どんな干渉でも出来るような存在であれば、この世界で起こる全ての現象を最初から最後まで制御することも可能だろう。それは俺が今やってみせたことのスケールを大きくしただけだから」

「そういう概念は……聞いたことがあるが……。でも否定されてなかったっけ?」

 

 たしか、ラプラスの悪魔とかいったか? 提唱されたのは随分と昔。そして量子論の研究が進んだことで完全に否定されたもの。

 

「あくまで、この世界の中という枠組みで考えればそうかもな。だが俺が想定してるのは、もっと上の存在だ。世界……この宇宙の外側にいて、過去も未来も一緒くたに認識できて、別のセカイも含め、ここに居ては観測すらできないデータも全部理解できるような、そんな存在」

「……ただの思考実験としてなら、まぁ……認めてもいい」

「問題は、その神様みたいな存在が作る台本にはそいつの()()が入ってるってことだ」

「……?」

「台本の演出が役者個人の()()に合っている間は問題ない。でも極稀にあるんだよ。()()がズレてることが。神様が俺用に用意してくれやがった台本には、有難いことに常に最善の行動が書かれている。それは確かだ。だけど、たま~に、心のどこかで……いや、魂か……俺の魂が合理性なんかを無視して、別の行動を採りたいと訴えていることがあるんだ。しかし、神様は台本から逸れることを許してくれない。納得いかねぇ台本を押し付けられるのなんて、マジ勘弁だぜ……」

 

 荒唐無稽極まっている。なのに不思議と聞き入ってしまう。

 ギリリ、と音が鳴った。音の出元はPの顎で、車内で見たように顎あたりがぽっこりと出っ張っていた。

 

「飛鳥はこれまでなかったか? 本当は()()したいのに、何故か()()してしまうなんてこと。()()しようと思ってたのに、いつも妙に間が悪くて出来ないなんてこと」

「それは……そんなのは世の常さ。みんながみんな、好き勝手に生きられるハズがないじゃないか」

 

 ボクは至極真っ当なことを言っている自覚はあるのに、何かが頭の片隅に引っかかっている感覚があった。でもそれが何なのか掴めなかった。

 

「それも確かに一つの真理だなぁ。実際のところ俺自身も、世の中のままならなさに中二的な理由付けをしているだけなのかもって疑うことはあったし。あぁ、そういや、確信したのって今の飛鳥と同じ中二の時だったわ」

「フッ……。キミも相当にイタイ奴だったようだね」

「それな。……ハハッ! ダチどもにも言われたな。中二病患者だの、ヤベー奴だの。アイツらテスト前には頼ってくるくせに、そういうときだけ鬼の首取ったように馬鹿にしやがって。まったく失礼しちゃうわよね」

 

 言葉の上では悪態だが、Pは薄く笑っている。

 ボクと同じ年齢だったときのPを思い浮かべようとして、しかしそれは無理だった。良くも悪くも、今の彼の印象がやたらと邪魔をしてきたから。

 

「中二の夏休み明けだったなぁアレは……ちょうどその時期に酷い()()を立て続けに何度も感じて………………」

「……P?」

 

 中二の時のエピソードを語る流れだと感じたのだが、Pは急に黙り込んだ。彼らしくない詰まり方で、まるでそこだけ時間が止まっているようにも見える。

 

「………えっと、なんだっけ?」

「おいおい、大丈夫かい?」

 

 そして時は動き出す。なんてね。

 ド忘れだろうか? Pも結構疲れているのかもしれない。

 

「いや、無理しなくていいよ。中二の黒歴史なんて、大人が語るには酷だろうからね」

「黒歴史言うなし」

「フフッ…」

「まぁ、とにかくだ。中二の頃に立てた仮説は俺の直感から導いたものではあったが、俺としてはほぼ正しいという確信があった。未だ人類の知らない、運命を誘導する力…目に見えないが、確かにそれは在る。客観的な証拠が無いだけなんだ。だがそれが無い限り、いくら説明しようが病院を勧められてしまう。まぁ仕方ないよな。だから俺はすぐにその話題を出すことはやめた」

「それは…そうだろうね」

 

 実を言うとボクは今、彼にカウンセリングを勧めるべきか悩んでいるんだけどね。

 

「だが証拠は現れた。それがこのサイコロだ。約三か月前の3月25日の午後、これが突然出現した。何も無いところからパッと出現したんだ」

「………はぁ?」

 

 残念なお知らせだ。Pはやっぱりヤバいらしい。

 

「このサイコロは、上の次元からこの3+1次元の世界に落とされた影……。これが、いくつかの実験を経て俺が導いた結論だ。この世界の()から来ているモノだから、この世界の台本の支配を受けない。故に、このサイコロの出目に従って行動することで台本に抗える、というワケさ」

「えっと……何から言えば良いのか……」

 

 どうすれば彼を刺激せずに通院を勧められるのだろう? これは結構難題だぞ。いやもしかして考えるだけ無駄なレベルで、ボクには手に負えないのではないか…。

 

「こんにゃろ、俺の頭がおかしいと思ってんな?」

「いっ、いや………」

「んも~、ウチの子は本当に疑り深いんだから。じゃあちょっと、サイコロ持ったまま入り口のドアあたりまで行ってみて?」

「えっ、なんで…?」

「いいからいいから。これ見れば流石に分かるから」

 

 ボクとPはソファから立ち上がり、Pは部屋の奥へ、ボクはドアの方へ移動していく。

 ドアの前まで行ってPを振り返ると、「あと、一歩」とPは言ってくる。

 

「サイコロ、よく見といてなー」

「一体、なんだっていうんだ……?」

 

 そのまま後退るように一歩下がり、踵が床を踏みしめた瞬間。手のひらの上に持っていたサイコロが消失した。じっと見ていたのに、パッと。

 

「えっ!?」

 

 落としたのかと、周囲を見渡してもどこにもない。

 すると「ココ」とPが言った。部屋の奥、五メートルほど離れた位置にいるPの掌の上に、サイコロがあった。

 

「もしかして、一つじゃないのかい?」

「いーや、これ一つだけだ」

「な、何をした……?」

「このサイコロは俺の身体の重心から約180センチ以上離れた位置にあると約40秒後に、そして約540センチ離れると即座に俺の手元に戻ってくる。瞬間移動してな。今飛鳥の右手の中から消えたのは540センチ離れたからだ」

 

 また変なことを言い始めたぞ……。

 

「約180センチっていうのはおそらく俺が両腕を開いた時の指先の距離で、540っていうのはその3倍だな。40秒後っていうのは俺の心臓が42回鼓動した時点のようだ。何でそういう設定になっているのかはよく分からない。たぶんその数値は重要じゃない。重要なのは……って、まだ信じていない?」

「っ! も、もう一度だ…!」

 

 瞬間移動なんて、そんなワケあるか! 大方、見えない糸が結ばれていて、それを手繰り寄せたんだろう。見えない糸ってなんだ!? そんなツッコミが頭に浮かぶが構わない。こんな下らないペテン、ボクが見抜いてやる!

 Pから改めてサイコロを受け取り、目を凝らしながら輪郭をまさぐる。見えない糸はもとより、何もサイコロにはくっついていなかった。

 そして、ボクはドアへと向かったのだが……。

 

「そんな……なんだコレ……っ!」

 

 眩暈がするほどの寒気が足元から登ってくる。

 検証は3回行った。

 掌の上に載せてじっと見つめていても忽然と消えた。両手でガッチリ握っていても消えたし、口内に入れて両手で口を押えていても消えた。どの回も消えると同時にPの掌の上に現れた。それは瞬間移動…テレポーテーションと呼ぶ他ない現象だった。

 有り得ない……。物は消えたり、急に現れたりしない。常識だ。セカイの真理だ。理論的には量子テレポーテーションというのがあるようだけど、それだって何に使えるのかよくわからない期待外れの理論だったと記憶している。完璧なテレポーテーションなんて、夢のまた夢の技術のハズ。そんなガジェットを造ることが出来る存在がいるとしたら、それは最早……。

 

「神……いるのか……?」

「悪魔かもしれんけどな。ま、どっちでも一緒か」

 

 他人に言われたことをそのまま信じるほどナイーブではないけれど、自分の目で見ても信じないほど頑固でもないつもりだ。

 正直、Pの語ったセカイの構造については全然理解できていない。でも、人類が未だ知らないセカイがあることは確からしい。それに――

 

「このサイコロで、何をするって……?」

「これで神の台本に叛逆する」

「叛逆…………クク…ハハッ! ボクたちは叛逆者か……!」

 

 サイコロの出目に従って行動する、だったっけ?

 イカれている。常軌を逸している。

 だが、それがいい…っ!

 それは理解りやすく、完璧に、非日常だ。そしてボクの魂はそれを良しとしているらしい。

 

「こんなモノまで持っているなんて、まったくキミは底が知れないな。本当に悪魔……メフィストフェレスなんじゃないかと思うことがあるよ」

「ナハッ! 俺はただの人間だ。他の人間とはちょっと違うセカイが見えてるだけのな。それにメフィストってんなら、このサイコロを俺に渡した奴だろう」

「なるほど、そうか……いや、ちょっと待って。それだとPがファウストで、ボクは……」

「あっ」

 

『ファウスト』のあらすじを思い返すと、すぐにキーパーソンであるボクと同年代の少女が思い浮かんだ。そして彼女の悲惨過ぎる生涯も思い出し、ボクは頭を振った。

 そんなボクを見て、Pはカラカラと笑っている。

 

「グレートヒェンはお断りだからね?」

「ちゃんとフォローするから大丈夫ダイジョウブ。プロデューサーウソツカナイ」

「ま、まぁいいだろう」

 

 そしてボクたちは互いに不敵な笑みを浮かべ合う。

 

「なぁ、P。これは()()なんじゃないかな?」

 

 ボクのアイドル活動が新たな領域に突入したのを感じていた。

 

「なるほど。()()だな」

「うむ。じゃあ、宣言を頼むよ」

 

 Pが仁王立ち、大きく息を吸い込んだ。

 

「現時点を以って! 一大叙事詩 ASUKA The Idol!その Third Stage に突入したことを! 此処に宣言するぅっ!!」

「フハッ! 声が大き過ぎる!」

 

 神の掌の上で踊っていたプロローグは終わり、ここからは叛逆のステージ。蘭子に敗北するという、神のシナリオに抗ってやるのだ。それは途方もないのと同時に雲を掴むような話。

 でも、ボクとPの二人なら出来るような気がした。

 




敢えて言うならば、ここまでが第一章です。
飛鳥の運命が向かう先はどっちだ!?


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≪Review by Ranko≫

 

 私、神崎蘭子という人間の一番古い記憶。

 

 それはたぶん市内の公園で開催されていたフリーマーケットだった。

 幼い私はパパとママに連れられてそこに行っていた。

 緑色が鮮やかな芝生の広場には沢山の人がいた。

 レジャーシートを敷いて色々なものを並べて売る人たち。掘り出し物を探しに来た人たち。そして、ただ暇つぶしに来た人たち。私たちもたぶん暇つぶし。

 パパとママの間で二人と手を繋ぎながら、色々と見て回った。とはいえ、どんなものが並べてあったのかはほとんど覚えていない。快晴の青空と、芝生の緑と、私によく似た少女のイメージが強く記憶に残っている。

 

 その少女と私はじっと見つめ合っていた。

 両親と繋いでいた手は放していたから、いつの間にか人混みの中で私は迷子になっていたのかもしれない。ひとりぼっちの不安はいつのまにか消えていた。それよりもその少女に興味を引かれていた。

 身長は私より少し高いぐらい? 顔は私とよく似ているし、髪の色も私と同じ。でも着ている服が全く違う。

 その少女は黒色のドレスを身につけていた。レースと刺繍が所狭しこれでもかと施された豪華なドレス。小さな宝石が生地に散りばめられていてキラキラと光って見えた。指輪やネックレスも輝いていた。よく見ると靴にはヒールがあって、お化粧をしているのに気が付いた。だから実際には身長も顔も、私と全く同じだったのかもしれない。

 そんな場違いな装いの少女が広場の片隅に佇んでいた。なのに不思議なことに、誰もその子のことを見ていなかった。

 

 一目見てお姫様だと分かった。本当にキレイでステキだったから。

 それから可哀想だと思った。寂しそうだったから。私にはパパとママがいるのに、その子は独りぼっちに見えたのだ。

 私は少女に駆け寄って、手を繋いだ。私は昔から引っ込み思案だったから、そんなことが出来たのは初めてだった。どうしてもそうしたかった。

 少女はすごく驚いた顔をして私の手を振り払おうとしたけど、私は放さなかった。聞いたことのない言葉で、強く何かを言われても放さなかった。だって、本心では嫌がってないって、何故かはっきりと分かっていたから。

 ぎゅ~っと両手で掴み続けていると、その子は観念したように笑い出したので私も一緒に笑った。

 私たちは友達になった。

 

 急に名前を呼ばれ振り向くとパパがいた。

 とても長い時間彼女と遊んでいたと思ったけれど、空の青さは彼女と会う前のままだった。

 パパは「もう帰ろう」と私の手を引っ張って行こうとする。

 この少女と離れたくない。まだまだお話したい。そう言ってもパパは聞いてくれない。「ダメだ」って一層強く手を引こうとしてくる。

 私は泣いた。大泣きした。自分でもびっくりするくらいの大きな声で泣いた。

 どうしてダメなの? 私がこの手を放したらこの子はまた一人になっちゃうんだよ? 一緒に連れて帰ってあげて!

 泣きじゃくりながらパパとママにお願いをする。

 広場中の人が私を見ていても泣き続けた。

 パパとママは困った顔を見合わせた後、やっと「わかった」と言ってくれた。

 ママが鞄の中から何かを取り出して、すぐ近くにいた知らない人にそれを渡した。

 

「大切にするのよ?」

 

 そう言って、ママが私の頭を撫でる。

 いつの間にかお姫様はいなくなっていて、彼女と繋いでいたはずの左手には指輪が握り締められていた。

 銀のリングに赤い宝石が嵌められた指輪。それはあの子がしていた指輪と同じものに見えた。彼女はいなくなってしまったけれど、指輪を通して彼女の存在を確かに感じられた。

 

 以来、私はその指輪を肌身離さず身につけるようになり、私と彼女は事あるごとに()()()した。

 リンクした瞬間、視界は白く染まって、全身が温かく優しい感覚に包まれる。その光の中で、彼女と私は向き合っているようでもあり、一つに重なっているようでもあり、入れ替わっているようでもあった。お互いの言葉は違うけど、どういうことを考えているか不思議と理解できた。長い時間リンクしているように感じても、現実世界に戻ってくると時間はほとんど経っていなかった。 

 

 最初の頃はいきなり彼女とリンクし始めるものだから、びっくりするやら嬉しいやらで私は毎回大騒ぎをしていた。

 しばらくすると彼女とリンクするための条件が何となく分かってくる。まず必要なのが、指輪を身につけていること。それと儀式。胸と頭の奥にあるモヤモヤした何かをグルグルと回して、そのモヤモヤしたのが光ってきたところで「えいっ!」とお腹に力を入れる……という儀式。やれば必ずリンクするわけじゃないし、寧ろ空振りすることの方が多かったけれど、彼女とリンクするのは決まって儀式の瞬間だった。彼女の方もやっぱり同じようなことをしていたらしい。でも彼女は私とは少し違って、モヤモヤしたものをゴシゴシと磨くイメージだと言っていた。

 あと、リンクしたときは大抵、私と彼女は同じような精神状態――嬉しかったり悲しかったり怒っていたり――だったから、これもリンクするための条件の一つだったのだと思う。

 

 リンクできるのは一週間に一回か二回というのが普通だった。

 私は暇さえあれば儀式をして彼女を待ち構えていたのだけれど、彼女の方は私ほど暇じゃなかったらしい。彼女は本当にお姫様だったのだ。しかもあっちの世界で一番の。

 こっち側の世界にあるどんな建物よりもずっと大きなお城に彼女は住んでいた。私と同じくらいの歳なのに、その世界の人たちは全員膝を着いてお辞儀をしてくる。いつも素敵なドレスを着て、豪勢な料理を少しだけ食べて。

 そしてたくさんの兵隊さん達の先頭に立って、彼女は戦っていた。彼女は魔法が使えたから。ううん。魔法を使えるのは彼女だけだったからだ。

 

 敵は星の外からやってくる、とても恐ろしい武器を持った異形の侵略者たち。

 対する彼女側の戦力はあまりにも貧弱。私の世界の中世時代ぐらいの装備しかなかった。

 普通なら相手にならない戦力差だけど、彼女の魔法がそれをひっくり返してしまう。彼女が手を振れば千の竜巻が荒れ狂い、叫べば視界の全てが業火に包まれ、祈れば雷光が地平線の先までを灰燼に帰す。星の裏側で戦端が開かれても、彼女なら空を駆けて数秒で到着できた。

 彼女の魔法で打ち漏らした敵に止めを刺すのが兵隊さんたちのお仕事だ。

 彼女はその星の人たちの守護神のような存在だから大事にされ、崇められ、同時に恐れられていた。だから彼女はひとりぼっちだった。

 

 私にとって彼女は憧れだった。

 私と変わらない歳、変わらない容姿なのに、魔法を操り人々を助ける。たとえどれだけ恐れられ疎まれても、皆を守るという彼女の信念は変わらない。それは私には到底持ち得ない強さだったから。

 

 彼女の高潔さを知ってもらおうと何度もパパとママに語って聞かせた。

 二人は私の空想だと思っていたみたいで、あまり真剣に聞いてもらえなくてもどかしかった。でも、ママが剣と魔法が活躍するファンタジー世界の本を、たくさん読み聞かせてくれるようになったのは嬉しかった。断片的にしか分からない彼女側の世界を、本から得た知識で勝手に脚色していくのは楽しかった。

 

 私が成長するのと一緒に彼女も成長していく。彼女の着るドレスはますます華麗に、お化粧も大人っぽくなっていく。

 私もせめて装いだけでも彼女みたいになろうと頑張るんだけど、それもなかなか上手くいかない。主に資金的な問題で……。彼女と比べれば私なんて、せいぜいボロを纏った召使い。それでも彼女はそんな風には思ってなくて、対等の友達として見てくれているのが伝わってくる。

 もう私は彼女に首ったけだった。親やクラスメイトが私を理解してくれなかったとしても、彼女さえいれば私は幸せ。そんな風にも思っていた。

 

 だけど……。

 私たちが10歳になる頃から、彼女とリンクする頻度は激減していった。

 

 私は相変わらず彼女と繋がるのを待ち構えながら、空想にふける安穏とした生活を送っていたのだけれど、彼女の世界は大変なことになっていた。空からの侵略者たちが昼も夜もお構いなしに、星の至る場所に攻め込んで来るようになったのだ。

 いくら彼女の魔法が圧倒的でも、体力の限界はある。私と会うために儀式をして集中力を使うよりも、一秒でも長く睡眠を取るべき…。そんな厳しい状況が日常化していた。

 

 時は流れて。それは私が中学二年に上がる前の春休み初日のことだった。彼女と唐突にリンクした。三か月ぶりのことだった。

 私たちはまず抱き合って再会できたことを喜んだ。

 それから改めて彼女を見た私の胸は酷く痛んだ。彼女の顔がお化粧でも隠せないくらいやつれていたからだ。それに、いつも輝いていた彼女のドレスもくたびれていた。彼女にも彼女の周囲の人たちにも、本当に余裕が無いんだ……。

 それなのに、彼女からは強い闘志が伝わってきた。彼女曰く、明日が決戦の日。これまでで最大規模の最も厳しい戦いになるらしい。でも、それに勝利すれば、彼女の星に平和が訪れるのだと。

 それを知って、私は今日彼女とリンクできた理由が分かった。明日は私にとっても決戦の日だったからだ。それは彼女と比べるとあまりにちっぽけだけれど、私にとっては一生を左右する戦いだった。

 じゃあ明日また会えるね、とお互い笑い合う。

 お互い戦いに勝利した高揚感で、私たちはきっとリンクできる。私たちはそう思っていた。

 

 翌日。それは運命の日になった。

 

 私は市内にある、知る人ぞ知るゴシックドレスの専門店に向かった。お財布の中にはこれまで貯めたお年玉貯金がたんまりと入っている。

 彼女の隣に立っても見劣りしない最高のドレスを手に入れてみせる! そう意気込んでお店の扉を開いた。

 そして数時間に及ぶ死闘の末、財布の中身を生贄にして、私は最高の一着を手に入れることが出来た。

 もちろん店内で着替えて、新たな装いで外へ出る。一刻も早く彼女に見て欲しかったから。もうウキウキのワクワクだった。

 お店から出て少し歩いたところに丁度いいベンチを見つけたので、そこで儀式を行うことにする。

 胸と頭の奥にあるモヤモヤした何かをグルグルと回して「えいっ!」。しかしリンクは成功しない。儀式は上手く出来ている感覚があるのに。何度試してもリンク出来なかった。

 

 或る恐ろしい想像が頭に過った。

 

 途端に身体が震えてくる。頭が重くなってくる。心が寒くなってくる。気分が悪くなってくる。

 体調が悪化すれば悪化するほど、彼女とのリンクが近づいている予感がある……。それが何よりも恐ろしかった。

 そんなときに、とても嫌な言葉が聞こえた。

 指輪に落としていた視線を上げると、道の向こうの大人の男の人がニタニタしながら私を見ていた。どうやらこの人がとても嫌な言葉を言ったらしい。私に対して。私を見ているのはその男の人だけではなかった。高校生ぐらいの男の子たちのグループや、性格のキツそうなおばさんも私をみていた。ニタニタしたり、眉を顰めていたりしている。私を見て。私の服装を見て。

 寒い。身体が冷たい。悪寒。嫌な予感……。

 また嫌な言葉を言われた。嘲笑が私に降り注いでくる。

 周囲を見渡しても、私に親切にしてくれそうな人なんて誰もいない。私がこんな格好をしているから。他の誰もこんな格好はしていないから。

 私は一人。ひとりぼっちだ。

 違う! 私にはあの子がいる!

 でもなんでリンクできないんだろう?

 なんで?

 なんで?

 

 もしかして――

 

 全部の嫌な考えを振り払うため、私は走り出した。

 道行く人全員が私を見ている。指をさして笑っている。そんな気がする。そうに決まってる。

 恐ろしくてたまらない。

 何でこんなことに?

 胸が痛い。矢に貫かれた様に痛い。本当に痛いのだ。私の胸に矢なんて刺さっていない。でも痛む。

 なら、この痛みは何の痛み? 誰の痛み?

 違う! 嘘だ! 嘘だ!

 

 雨が降り始め、それはすぐにどしゃ降りになった。

 そんな中を走り続けたものだから、ドレスは既に濡れて重くなっている。

 どこに向かって走っているのか私自身にも分からなかったけど、辿り着いたのはあの広場だった。彼女と初めて会った青空と芝生の広場。

 しかし今は厚い雨雲のせいで、辺り一面は夜みたいに暗くて芝生も泥濘に成り果てている。周囲には人っ子一人いない。

 トボトボと、広場の中央へ向かって行く。今日に合わせて下ろしたおニューの靴は、あっという間に踝まで泥塗れ。もう自分でも何がしたいのか分からなかった。

 寒さと疲労でもう体力の限界だったのだと思う。泥濘に足を取られ私は盛大に転んでしまった。

 最悪のことが起こったのはそのとき。

 左手の小指に不快な感覚が走った。それは、あの指輪が泥濘の中の石に強く擦れた感触だった。

 私は悲鳴を上げながら指輪を確かめた。

 でももう遅かった。無惨にも、指輪の赤い宝石には大きな傷が付いていた。しかもそこから生じた亀裂は広がっていき、宝石は粉々に砕け散ってしまった。

 

 その瞬間、私の全身は絶望に包まれて。

 だから、私と彼女はリンクした。

 

 まず見えたのは、彼女の指輪が私の指輪と同じく砕け散る光景。そして、焦土、噴煙、瓦礫、迫りくる夥しい数の敵兵。

 伝わってくる彼女の胸の激痛。ボロボロのドレスを纏った彼女の胸に、巨大で鋭利な金属片がめり込んで――。

 

 そこでリンクは途切れた。ストロボの連射のような断片的なリンクだった。しかし彼女に何が起こったのかを知るには十分だった。

 

 雨は収まるどころか激しさを増すばかり。仕舞いには雷鳴が轟き始める。まだ15時過ぎだというのに、まるで夜のような暗さ。

 私は泥濘の中でのたうち回り、ひたすら泣き叫んだ。

 ついさっきまで新品だったドレスは泥に塗れて、もう二度と着ることは出来ないだろう。それさえも最早どうでもよかった。

 モヤモヤをいくらグルグルして解き放っても、彼女からの返事はない。

 彼女の無念を思うと気が狂いそうだった。私に代われるのなら代わってあげたい。

 他者のために誰よりも頑張ったあの子が、どうしてあんな最期を迎えなくてはならないのか?この世の神は一体何を見ているのか!? ふざけるな! そんな神ならこっちから願い下げだ!

 

 嗚呼。私の声を聴いてくれる人……私を理解してくれる人はいなくなってしまった。私は独りになってしまったのだ。

 

 雷雨の下、喉が潰れるまで慟哭したとして、一体誰に届くというのか。こんな場所で汚泥に沈む私がいることを、誰が気付いてくれるのか。

 届く筈がない。気付いてもらえる筈がない。

 そんなことが起きたとすれば奇跡だ。

 奇跡は起こらないから奇跡と呼ばれるのだ。

 

 だから私は独りになった。

 いつまでも。いつまでも。

 



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≪Review by 蜈?ココ蠖「≫

 

 私の寿命が今にも尽きようとしているとき、蘭子のいるセカイ線にたどり着いた。

 

 そのセカイ線は率直に言って()()()だった。

 文明を持ちうる生命が誕生した星はたったの1万個程度しかなく、しかもいずれの星でも科学技術が大して発展しなかったため、異星間の交流さえ一度も出来なかったセカイ線。見どころ皆無と言ってもいい。

 付近には数体の天使が漂っていたが、やはり誰もこのセカイ線には注目していなかった。

 私もすぐにそこから離れようとしていたのだが、何の面白味も無い閲覧情報の中に微かな()()()が混じっていることに気が付いた。どうやら魂の波動による揺らぎが原因らしい。その揺らぎはセカイの内側に存在する者が生じさせるにしてはかなり大きく、しかし、天使にとっては取るに足らない程微小なものだった。天使である私がその揺らぎに着目できたのは、以前から彼らの魂に関心があったからだろう。

 その揺らぎにフォーカスし、改めてセカイを精査する。

 魂の波動の発生源は神崎蘭子という少女だった。彼女が雷雨の中、泥水に塗れて慟哭している。絶望の叫びと共に魂の波動を放っていたのだ。

 しかし妙だった。この少女が周囲の者たちから侮辱を受けたのは確かだが、これほどまでに取り乱さなくてはならないものだろうか? 少女の性格からすれば、さめざめと悔し涙を流す程度の反応になりそうだが……。

 やはり納得がいかない。フォーカスを強める。すると、慟哭の直前にも極僅かな魂の波動を放っていたことに気付く。それは一見すれば極小のノイズだったが、セカイ線から滲み出した後は一定の方向へと向かって行く。数多のセカイ線の合間を縫った末にたどり着いたのは、神崎蘭子のセカイ線からは随分と離れた別のセカイ線で、そこにいる蘭子と同じ外見を持つ少女が受け取っていた。そしてその少女も同種のノイズを発し、それは蘭子へと向かって行く……。

 過去を精査し直せば、同様のノイズがいくつも見つかった。

 

 すべてを理解したとき、私の魂が震えた。

 

 それは異なるセカイ間での交信だった。本来であれば、極限まで発展した科学と多くの偶然が重なってはじめて可能となる、極めて珍しい現象のはずだ。彼女たちはそれを、実に原始的な方法で成功させていた。赤い宝石がアンテナ、肉体が同調回路、感情が検波回路、魂を動力とした送受信機のようなものだった。

 

 ()()()()丁度いい位置関係にある二つのセカイ線において、()()()()原子配列レベルから全く同形状の二つの赤い宝石が存在し、それが()()()()同じ肉体構造を持った少女たちの手に渡り、その少女たちは()()()()魂に関する極めて優れた才能を備えていた。

 

 広い天界であれば、この()()()()の内、一つや二つなら揃うこともあるだろう。しかし四つともとなると最早奇跡の中の奇跡だ。少なくとも私はここで見たのが初めてだったし、他の天使から聞いたこともなかった。

 この奇跡の末、彼女達は知らず知らずのうちに、魂の力を引き出す感覚を完璧に体得していた。だからこそ、蘭子の慟哭、魂の叫びはセカイ線の情報に揺らぎを与えていたのだ。

 二人の交信の内容は天使である私にさえ解析できないが、最後の交信の直後に起こったことを見れば、蘭子の取り乱し様も理解できた。蘭子はあちら側の少女が死んでしまったと誤解したのだ。あそこで交信が途絶えたのならば無理もない。

 

 あちら側のセカイ線では蘭子側より遥かに多くの星に文明が誕生していた。そのため、星間交易は勿論、星間戦争も頻発するようなドラマチックなセカイ線だった。そういう意味ではそこそこ()()()のセカイ線だろう。

 少女が生まれた星は遥か昔に科学が高度に発達し、銀河を支配していた時代があった。その時代には貴族階級以上なら思考するだけで全てが可能だった。大気中に散布されている自己増殖型ナノデバイスが脳波に反応し、願望を実現してくれるからだ。

 しかし夢のような時代は程なく終焉を迎える。ナノデバイスの誤作動により、その使用者の全てが死亡したのだ。その中には当然、銀河の支配者一族も含まれていた。そして、支配者を失った銀河の覇権を巡る戦乱の時代が幕を上げた。それは野蛮な兵器を用いた、血で血を洗う戦争だった。

 そんな暗黒の時代に少女は生まれた。何故か、ナノデバイスの使用権限を持った状態で。使用者不在となってから長い年月が経っていても、未だナノデバイスは健在だったのだ。それが判明するや否や、少女は正当な支配者の末裔として祀り上げられ、また唯一無二の戦力として戦列への参加を余儀なくされた。

 蘭子との交信が始まったのは、何度か戦場を経験し、精神的に疲弊していた頃だった。

 蘭子が少女に憧れたように、少女もまた蘭子を心の支えにしていた。平和というものが本当にあるのだと、蘭子が教えてくれて初めて知った。それを実現するために自分は戦っているのだと思うと、どれだけ辛くても力が湧いてきたのだ。

 

 最終決戦のあの瞬間。実際、少女は死を覚悟した。しかし、その激痛の衝撃によってナノデバイスに掛かっていたリミッターが解除され、本来の機能を全て取り戻した。それはほとんど万能機。使用権を持つ者が大怪我を負っても、自動的に修復してしまうほど。

 蘭子との交信途絶後、すぐに蘇生した彼女は決戦を勝利に導いた。それにより彼女の星はしばしの平穏を享受することになった。

 戦後、彼女は多くの仲間を得ていたことに気付く。その仲間たちと共に、今度は星の再興を目指していくことになる。

 仲間たちとの交流、新たな侵略者、銀河を股に掛ける大冒険、自身の出生の秘密、そしてロマンス……。彼女の生涯の正念場――真の見どころ――は、寧ろこれからなのだ。

 ただ、彼女は生涯ずっと蘭子の身を案じ続けていた。最後の交信で蘭子も辛い思いをしているのが伝わってきたからだ。赤い宝石を修復しても、蘭子とリンクすることが出来なくなっていた。あの後、蘭子はどうなったのか? 彼女は折に触れて思いを巡らせた。しかし、彼女にはもう知る術はなかった。

 

 対して、神崎蘭子の生涯には見どころと呼ぶべきものはなかった。

 あの日から蘭子は空想に浸ることを辞めた。身につける衣服は、他の大多数が着るのと同じものになった。言動についても努めて普通を装った。

 蘭子の変化について彼女の両親は「成長した」と好意的に受け取ったが、その実、ただの逃避だった。少女の悲劇を受け入れることが出来ず、彼女を想起させる全てを自分から遠ざけることにしたのだ。しかし忘れられるわけもなく、ふとした時に少女との交流を思い出してしまう。そして見当違いの自責の念に囚われ続けた。結果として、蘭子は無意識的に幸福から遠ざかろうとする人間になった。そんな彼女の生き方はまるで、緩慢な自殺のようだった。

 

 私は納得することができなかった。

 この二人の少女は天界の中でも、最も稀有な存在と言ってもよい。なのに、その片割れの蘭子が無味無色の人生を送るなんて、絶対に間違っていると思った。蘭子ならもっと素晴らしい人生が送れるはずだったのに、と。

 

 随分と長い間、蘭子を見続けていた。どうやら私は蘭子に執着しているようだった。何故だろうかと考えた。そして、彼女の絶望の叫びが私の魂を揺さぶり続けているから、という結論に達した。

 

 天使が観測したことは覆らない。この灰色のセカイ線はもう絶対に消すことも、変えることも出来ない。セカイの構造はそこまで都合よくできてはいない。

 他に出来ることがあるとすれば、干渉により別の可能性を生み出することだけだ。

 そして私は初めてセカイ線に干渉することを決めた。

 

 蘭子のセカイ線を眺め、彼女が輝くことの出来る可能性を検索する。該当ルート複数あり。最上位ルートの選択で良いだろう。

 蘭子の時代には風変りな産業が隆盛を極めていた。他者からの願望と希望と貨幣を受け、対価として一時の気晴らしを提供する者。それは偶像……アイドル、と呼称されている。

 彼ら彼女らにとっては、個性的であることは武器だった。重要なのはその個性の開示の仕方、……プロデュースの手腕。アイドルにはパートナーとなるプロデューサーが必要。

 蘭子の魅力に気付き、プロデュースを成功させ得る者を検索。該当者数名。これも適正最上位者を選べば良いだろう。

 Pという、人間としては極めて高い能力を有している男がいた。灰色のセカイ線においては、生涯に何人ものアイドルをトップへ導くことに成功し、最終的に業界の支配者にまで上り詰めるような逸材。この時点ではプロデューサーに任命されて間もない頃で、ちょうど担当するアイドルを誰にするか吟味している最中のようだ。彼なら蘭子のアイドルとしての才能に確実に気付くだろう。

 少女は死んでいないことが分かる記憶媒体を創造し、それをPに持たせた状態で存在座標を蘭子の眼前に変更する。そうすれば蘭子はすぐに立ち直り、アイドルとして歩んでいくだろう。そして暗示により、蘭子の“力”を歌声に乗せる方法を擦り込めば、蘭子をアイドル界どころか星の頂点に立たせることさえ可能になるはずだ。

 干渉方法は決まった。あとは粛々と手を加えるだけ。その後、分岐したセカイ線を観測すれば蘭子の輝かしい可能性を見ることが出来る……。

 ――しかし。

 そうしたくない、と感じている自分がいた。

 誰かが蘭子のプロデュースをするのが気に入らなかった。私自身が彼女をプロデュースしたいと感じていたのだ。

 

 既に私の魂は限界といっていい。こんな状態では閲覧できるセカイ線はもう幾らもない。

 結局、私は()()()を見つけられなかったのだ。

 このまま消滅してしまえば、永遠に続けてきた彷徨がすべて無意味になってしまう。それだけは嫌だった。せめて最後に、一つでいいから、自分の存在した意味が欲しかった。それを自分の手で掴み取りたかった。

 こうして私は、受肉すること――天界からセカイ線の内側へ堕天すること――を決めたのだ。

 

 干渉を開始する。

 まずは、私の魂を結び付けるための肉体を創造する。蘭子の引っ込み思案な性格を考慮し、性別は同性にするのが良いだろう。容姿は整っている方が何かと都合のいい社会のようだから、過去の美女と呼ばれる者たちを参考に肉体を構成する。髪色は蘭子と同じにしよう。この肉体で可能な限り全ての能力を高める。これでライバルになるPにも引けを取らないはずだ。

 

 この段階で、灰色のセカイ線はそのままに、蘭子の慟哭した時刻から新たな分岐が発生した。未来側が未観測故にまだ短いそのセカイ線は、まるで萌芽したての新芽のように見えた。

 新しいセカイ線に対し、引き続き干渉を行っていく。

 

 社会システムの中に私の身分を捏造する。戸籍、住所、家族構成、来歴、資格、財産。電子上、書類上、そしてもちろん実情も、一つたりとも齟齬が起きないように。天使の能力ならそれはいとも容易く行える。

 プロダクションでの身分は中途で採用されたプロデューサーで良いだろう。採用日は堕天日の前日である3月24日とした。採用に関わった設定の社員には、記憶を捏造する暗示をかけておく。

 雨雲を散らし、雷雨を止める。泥に塗れた蘭子を立たせ、ついた汚れを全て除去する。砕けた宝石も修復した。ただし、セカイ線の位置が変わったので、もう二度と交信することは出来ないだろう。

 創造した肉体を蘭子の眼前に立たせる。

 

 あとは私がその肉体に入り込めば干渉は終わりだ。私は正真正銘ただの人間となる。そして存在の軸が肉体の方に移った後は、もう天使の能力を行使することは出来なくなる。そんな確信があった。

 だが私はそれでも構わなかった。私の中の何か――おそらく魂の深層が――『これで正解だ』と囁いているように感じていたからだ。私はまだ()()()を見つけられていないにも関わらず。

 

 堕天を開始する。

 案の定、天使として記憶していた情報のほとんどは、データ容量の関係上削除せざるを得なかった。移植できる情報も多くは文字化け起こしていく。まぁ、蘭子のプロデュースにはそれほど必要なものでもないので別に問題は無い。

 意外だったのは、私が誕生した瞬間から持っていた“封印された何らかの情報”がそのままの形で移設されたことだ。とはいえ封印されたままなのは変わらず、中の情報には依然としてアクセス出来ないし、どうすれば封印を解くことが出来るのかも分からないままだったが。

 

 ()()がやって来たのは、堕天シークエンスの終盤に入ったときだった。

 

 少し前からずっと私に付きまとっていた、嫌な感じのする天使。ヤツが私を追いかけるように堕天し始めたのだ。

 セカイ線分岐は起こらなかった。私とヤツが同時に干渉したという扱いなのだろう。

 こんな気持ち悪いヤツが、私と蘭子のセカイに入ってくるのは非常に不愉快に感じた。辞めさせたいがそれはもう無理だった。既に私はほぼ人間になっていたし、引き返すことも出来ない段階に入っていたから。

 ヤツの堕天は私とは全く異なる方式だった。私のように創造した肉体に入るわけではないようだ。己を構成する全てを、見たことのない手法で変換し、セカイへと流し込んでいく。天界とセカイ線の狭間にあるいずれかの次元に注ぎ込んでいるのか……? よく分からないが、おそらく老練なソイツだから出来る、極めて高度な干渉技術だった。

 

 そこで私自身の堕天が完了してしまった。結局、ヤツの目的については分からないままだった。何かの実験だったのだろうか……? 寿命を迎えた天使が最後にどこかのセカイ線に堕天するというのは実はよくあることで、その瞬間を狙って私に付きまとっていたのかもしれない。私はもう天使に戻ることは出来そうもないが、ヤツの堕天方式なら可能だろう。

 何にせよ人間になった以上、ヤツについて考えても仕方がなかった。

 

 こうして私は神崎蘭子の前に降り立った。最後不愉快なことはあったが、蘭子を目の前にして全ては吹き飛んだ。

 蘭子は嘆くのも忘れて周囲を見渡している。彼女からすれば、瞬時に雷雨が晴天へと変わり、ドレスと宝石が元通りになり、私が急に現れたのだから無理もない。

 その様子を見て、私は改めて魂が震えるのを感じた。

 

 なんて愛らしいのだろう……。

 

 心拍数が高まり、体温も高まり、脳は勝手に快感物質を分泌し始める。

 これが肉体か……あぁ、なるほど……。どうやら私が神崎蘭子のファン第一号らしい。

 

「大丈夫よ。あの子は生きているわ」

 

 私の言葉に蘭子は瞠目する。

 

「あの子……名前は――」

 

 このセカイ線では蘭子以外に知る筈のない、遥か遠くのセカイの姫の名を告げる。

 それで蘭子には伝わった。決してひとりぼっちではないということが。

 



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≪Review by Asuka≫

 

 Dimension-3としての活動は予定通り、六月末までの約一か月間続いた。

 最初こそ危ういユニットだったけれど、最終的にボクも志希も終わりを惜しむ程度には楽しんでいた。ユニット活動が終わってからは、志希とは親しい友人として付き合うようになった。

 

 Pの言う()()とやらでは、Dimension-3の後はCAERULAというユニットを結成することになっていた。

 CAERULAの予定メンバーはボクの他に塩見周子、速水奏、鷺沢文香、橘ありす。いずれも超人気アイドルと言うべき逸材で、彼女達が一堂に会したというだけで話題になること間違いなし。しかも予定されていた曲もそこはかとなくSF感があって、それはボクのアイドルイメージに親和性がある。つまり次なるステップアップとしては、これ以上相応しいものはないと思えるユニットだった。

 しかし結局、別のユニット、しかも二宮飛鳥に期待されていたアイドル像からかけ離れたコンセプトのLittlePOPSに加入することになった。

 というのも、“ALD”の出目がそうなったからだ。

 

 Pが持っていた不思議なサイコロをボクは“ALD”と名付けた。

 Anti Laplace's (demon) Dice 略してALD。

 

 蘭子の初ライブの日以降、ボクのアイドル活動に関して何らかの選択が必要な場合にはALDを使って選ぶことにした。

 その方法はPが言っていた通りだ。

 何か選択できるタイミングがあればどんなときにでも、そして仮に強い第一候補があったとしても、あえて幾つか別の選択肢を考える。そして各選択肢をALDの六面のいずれかに対応させた後でALDを振り、その出目の選択肢を採用する。ちなみに出目は絶対――出た以上は必ずそのルートを選択する。もちろん振り直しも無し。

 どんなユニットを結成するかなんていう超重要案件も、どのライブやテレビ番組に出るかということも、グラビアの水着の柄なんかを決める為にもALDを振った。その他、Pと一緒にいるときには食事場所やメニューなんかもALDで決めたりした。

 

 そうしてALDを振り始めてから三か月ほどが経った。

 その間にボクはLittlePOPSの他にも二つのユニットで活動し、中規模のライブに六回、大規模のライブに二回出場した。またライブ以外にも、グラビアやグッズの監修、バラエティ番組への出演など実に様々なお仕事をした。

 サイコロに身の振り方を任せるなんて、率直に言って馬鹿げていると思う。しかし楽しかった。Pとあーだこーだと言い合いながらサイコロの目――ボクの可能性――を検討することは、実に楽しかったんだ。

 それに、ALDに任せた選択肢とはいえ、いつだってPはボクに全力を出すよう仕向けてくるわけで、それを乗り越えてやることには達成感があった。

 

 その結果として、二宮飛鳥は『コンセプトブレブレな中堅アイドル』という実に有り難い評価を世間様より賜ってしまうことになってしまったわけだが……。まったく、ままならないモノだ。

 でもその甲斐あってか、二宮飛鳥と神崎蘭子を関連付けて語られることは回避できた。

 

 一方、蘭子はこの三か月で大きく羽ばたいた。蘭子の奇跡のステージはまぐれや錯覚なんかじゃないんだから当然の結果だろう。

 期待の新人と見做された蘭子は小規模ライブをさっさと卒業し、中規模ライブに引っ張りだこになった。そしてその度に不可思議なパフォーマンスで観客を魅了した。当然ファンも倍々に増えていく。そして二か月もすれば蘭子の主戦場は大規模ライブへと移っていた。その頃には神崎蘭子というアイドルの、特異な才能を疑う者はほとんどいなくなっていた。

 蘭子が純然たる自力でそこまで至った時点で、ボクはアイドルとして彼女に完全に抜かされてしまったことになる。そのことについて、悔しくなかったといえば嘘になる。かといって、まともにやり合ったところで現状は勝てる見込みはない。だから今は雌伏のときなのだと、自分で自分を納得させていた。

 しかし、それがある種の平和ボケであったということを、ボクとPは唐突に思い出させられることになった。

 

 

 

 

 

≪Observation by Asuka≫

 

「え~マジっすかぁ……容体は? ………あぁ、それなら良かったです。いえ、それは……あー………なるほど……はい、はい……」

 

 Pの居室でのレッスン後の報告と雑談を終え、帰宅しようとしたときだった。タイミングよく部屋の電話が鳴ったのだが、珍しくPの声のトーンが低かったので、ボクはドアノブを捻るのを止めソファへと戻ることにした。

 普段はヘラヘラしているPの表情が随分と曇っている。そして電話の相手の言葉を受け流すような「はい」を何度も繰り返した後、電話を切り天井を仰ぎ見て「はぇ~~」と気の抜けた鳴き声を出した。

 

「何か問題が……?」

「良いニュースと悪いニュース。それと最悪なニュースと最高なニュース。どれから聞きたい?」

「っ! ……その順でいい」

「明後日のライブだが出演会場が変更になって、なんと大規模会場で演れるようになった」

「へぇ……」

 

 聞けば、ボクたちの出る予定だった中規模会場の音響設備に致命的な故障が生じたため、その会場でのライブは中止、出演予定のユニットは比較的近隣で開催される幾つかのライブ会場へと編入されることになったらしい。そしてボクたちのユニットは幸運にも大規模会場へ振り分けられたのだ。

 

「じゃあ、悪いニュース。高垣ちゃんと鷹富士ちゃんは元から、別の外せない仕事で欠場ってことだったよな?」

「……そうだね。だから明後日のステージは亜季さん、涼さんとの三人で――」

「その二人も欠場になっちゃった」

「はぁ!?」

「さっきの電話、大和Pさんが病院から掛けてきたんだけど、二人ともノロにやられたってさ」

「いやいや、その二人とはさっきまで一緒にレッスンを……」

 

 午後から夕方まで続いた今日のレッスンを思い返してみる。すると確かに、中盤ごろから二人の動きは極端に悪くなっていた。いつもならバテるのはボクが一番なのに妙だと感じていたのだが、そのときにはもう発症していたということか?

 

「あっ、もしかしてボクも危ないのか……? ノロの感染力は凄まじいというし。二人とは昨日もレッスンで会ってる……」

「いや、見たところ……うん、飛鳥は大丈夫だ」

「見てわかるものかい?」

「まぁな。不安なら手洗いしっかりしとくといい」

 

 冗談っぽくもあるが、実際のところ体調に異常は全く感じない。であれば現状はPの言う通り、手洗いうがいをしておく以外にすべきことは無い。気にしても無意味だ。

 

「その二人も欠場となると残りはボクだけになるわけだけど、ステージはどうなるんだ?」

「飛鳥のソロだ。本来は五人で歌う曲でも、CDにソロバージョンも収録してるんだからイケるだろ? って、ライブの責任者が言ってるらしい」

「それは……そうだけど……」

「ソロは不安か?」

 

 これまで一人でステージに立ったことはない。いつもユニットの一人として歌っていたから。しかし事情はどうあれ、大きな舞台にソロで立つというのはアイドルという人気商売においては喜ぶべきだろう。

 

「不安はあるよ。でも、やれなくはないと思う」

 

 むしろ不安なのはPの苦虫を嚙み潰したような表情、まだ聞いていない最悪のニュースのことだ。

 

「それで最悪のニュースなんだが」

「う、うん……」

「その大規模ライブの元々の出演者の中に、神崎ちゃんがいた」

「え……」

「しかもライブ構成の再編成の結果、飛鳥の出番は神崎ちゃんの直後になった。つーか、飛鳥がトリだ」

「ええ………」

「この順番はアレだな。十中八九、神崎Pが仕組みやがったな。ハハ……」

「えええ………」

「つまり――」

「いや、いい。理解っている……」

 

 つまり。合同ライブの大詰め、蘭子のパフォーマンスに魂を魅了され、抜け殻になったオーディエンスに向かって、ボクは歌わなければならないということだ。歌い切ったのに一切反応のない会場の情景が頭に浮かんで、背筋に悪寒が走る。それが現実のものとなったとき、ボクがまだアイドルを続けたいと思えるか甚だ疑問だった。

 

『十月半ば、大規模ライブ、蘭子と衝突』

 

 それはいつか聞いたようなシチュエーション。三か月前、Pが予言したことそのままが起ころうとしているのだ。それを避けるためにALDを振り続けていたというのに。

 

「なぁ……P。これは何なんだ? ボクたちの三か月は一体何のために……。もしかしてただ回り道をしていただけなのか?」

 

 無意識に語気が荒くなっていた。別にPを責めたかったわけじゃない。不気味だったんだ。この状況を招いた一つ一つの要因は紛れもない偶然や不可抗力。でも、だからこその不気味さがあった。まるで、ボクたちを定められた運命へ引き戻そうとするような、得体の知れない力が働いているように思えてしまう。

 

「キミはどう思っているんだ?」

「……わからない」

「ッ!? 何を無責任な!」

「ふっ……違うぜ、飛鳥。そういう意味じゃない。どうなるか、わからないんだ。これが最高のニュースってやつさ」

「は…?」

 

 いつの間にかPはいつものいやらしい笑みを浮かべていた。

 

「三か月前の時点では、成す術なく敗北する未来しか見えなかった。だが今は、どうなるか予測できない。神崎ちゃんに負けるのか勝てるのか、それとも~~!? いや、マジでわからんなんなんコレェ」

「そんなにか……」

「俺たちは今、分岐点にいるんだ。そしておそらく、どのルートに入るかを決めるのは、You……飛鳥だ」

 

 出た、英語。

 

「……つまり結局は、当日のボクのパフォーマンス次第だと?」

「That's right!」

「………ライブの結果がどうなるかわからないことが最高のニュースだって?」

「勝利の約束されたイージーゲームなんて、飛鳥の趣味じゃないだろう?」

 

 Pはそう言って、右の口角を吊り上げ挑戦的な笑みを浮かべる。これをされるとボクが乗ってしまうこと、この男はちゃんと理解っているんだろうなぁ。

 

「……フッ! 他人事だと思って! まぁいいさ、やってやる! これまでで最高のパフォーマンスを見せてやる!」

「それでこそ二宮飛鳥だ!」

 

 まぁ、いいんだけどね。伸るか反るか分からない勝負が一番面白いのは確かだ。

 

「きっとこのライブが Third Stage の climax だろうな」

「……あぁ、久しぶりに聞いたね、それ」

 

A SUKA The Idol だとかいうふざけた叙事詩(?)だったっけ。たしかThird Stage は“叛逆のステージ”という設定にしていたな。

 結局のところ、ボクがすべきは全力でのライブ。それはいつもと変わらない。分かり易くて有り難いね。

 

 

 

 

 

≪Observation by Ranko≫

 

『よもや、かの白騎士までもが明日のミサへと召喚されるとは。大いなる祝福は約束されたようなもの。共に天界への扉を叩こうぞ!』

 

 飛鳥ちゃんに送ったメッセージを改めて眺める。既読表示が付いてからもう5分くらい経つけど、まだ返信は来ない。

 

「て、天変地異か……?」

 

 最近は飛鳥ちゃんと連絡取ってなかったのに、急に送ったからびっくりさせちゃったのかな? 文章もいつもの感じにしちゃったし……。

 

「やっと飛鳥のライブが観られるんだもん……」

 

 明日の合同ライブに飛鳥ちゃんも出ることになったって聞いて、居ても立っても居られなかった。飛鳥ちゃんのステージが観れたのは、Dimension-3のあのライブが最初で最後になっちゃってる。出来ることなら全部観に行きたいけど、初ライブをしてからというものすごく忙しくなって、とても時間がとれない。

 

「ほんとうに素敵だったなぁ~~」

 

 飛鳥ちゃんと一ノ瀬志希さんの、自分たちのすべてを曝け出すような熱唱。あの衝撃は今も私の胸に鮮明に残っている。プロデューサーは「友達贔屓でそう感じるだけよ」なんて言うけど、あのライブ以上に感動したライブはまだ観たことがない。

 

「ムフフ……!」

 

 だから本当に明日が楽しみ! しかも歌う順番は私の方が先だから、落ち着いた気持ちで飛鳥のライブが観れるし! そこはプロデューサーに感謝!

 

 ――ピコン

「きたぁ!」

 

 メッセージの受信音に機敏に反応して、携帯を持ってベッドにダイブする。

 

『明日のライブ ボクは全身全霊を以って臨む』

 

 飛鳥ちゃんからのとても簡潔なメッセージ。その簡潔さからは寧ろ飛鳥ちゃんの強い意気込みが感じられた。

 

「ゴ、ゴクリ……!」

 

 明日はスゴイことになりそう!

 私も頑張ろう!

 



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≪Observation by Asuka≫

 

「ふざけるな! こんな結末認めないぞ!!」

 

 ダンッ、とダッシュボードを叩いた手がジンと痛んだ。それで事態が好転するはずがないのは理解っていたが、じっとしていることに耐えられなかった。

 運転席のPは大きくリクライニングさせた背もたれに身体を預けたまま、瞑想するように目をつぶっている。……いや。もしかしてただの昼寝?

 

「おいP! 起きろ! 状況が理解っているのか!」

「ンゴッ!?」

 

 お腹をはたいてやるとPは豚のように鳴きながら跳ね起きた。やはり昼寝をしていたな。呑気か!

 

「ふにゅ~~……。もう来たん~?」

「変な声を出すんじゃない。警察もクレーン車もまだ来ていない。だから、考えるんだろう! ここから脱出する方法を!」

 

 車内から周りを見渡しても三十分前と変わらない光景が広がっていた。横転した数台の大型車によって、高速道路上の車の流れは完全にストップしたまま。行く手を阻まれた数十台の乗用車の持ち主たちは、ある者は車外で煙草をふかし、ある者は何処かへ電話を掛け続け、そしてある者はPのように座席を倒して不貞寝をしている。そうしながら、救助車両の到着を待っている。

 

「時間が迫っているっていうのに……っ! クソ!」

 

 郊外のライブ会場へと向かうため、高速道路を走行している最中にソレは起こった。前方を走っていた大型のタンクローリーが、緩いカーブに差し掛かったときに突然横転したのだ。そして何十台かが停車して、誰ともなくタンクローリーの運転手の救出作業に取り掛かった頃、後方でもほとんど同じこと――大型トラック数台の横転事故――が発生した。

 見た目はアクション映画のクライマックスシーンのように大変なことになっているけれど、現在のところ爆発や炎上の恐れは無く、軽傷者しかいなかったのは不幸中の幸いといえる。しかし、高架になっている場所での事故だったので、前後は元より、道路外に出ることも出来ない。つまり、ボクたちは高速道路上に閉じ込められてしまったのだ。

 

「いくら何でも遅すぎないか……?」

 

 この状況になってからもう二時間以上経っているのに、クレーン車はまだしも、警察さえ到着しないなんて、明らかに異常だ。

 会場入りの予定時刻はとっくに過ぎている。それどころか、進行に問題が無ければライブはそろそろ折り返しの頃だ。いくらボクの出番が最後だといっても、こんなところで一秒だって油を売っていられないというのに。

 

「んとな、ここに救助車両が到着するのはな、どうやら三時間後らしい」

「三時間!? ライブ終わってるじゃないかっ! 警察は一体何をしているんだ!」

「まぁまぁ、そう言ってやるなって。ここ以外にも前や後ろの方でも同じような事故が六か所で発生してるからしゃーないべさ」

「は? 六か所……? そんな莫迦なこと……」

 

 しかし携帯で『高速道路、事故』と検索してみると『○○自動車道の数か所で大型車両による事故発生』という見出しがすぐに目に入った。身体から力が抜け、携帯が膝の上に滑り落ちる。

 

「……なぁ、P。もしこのままライブに間に合わなかったらどうなるんだ?」

「神崎ちゃんに不戦敗するとか以前に、クビになるだろうな」

「っ……!」

 

 亜季さんと涼さんがノロでダウンしたことは、上の人間には「自己管理がなっていない」と相当マイナスに判断されているらしい。ここで頼みの綱のボクがライブをすっぽかしたら、火に油を注ぐようなものってワケか。不可抗力だろうと関係なしって、世知辛すぎる。

 

「………あ」

 

 ふと、この絶望的な状況にデジャヴを感じた。ボクのデビューライブの日の泰葉さんとほとんど同じ状況なのだ。あの日、泰葉さんは大渋滞に捉まって、絶対に出なくてはならないライブに間に合わなかった。何のお咎めもなかったのは、ユニットメンバーが公表されていなかったのをいいことに、ボクが代役を務めたから。

 しかし、今回はボクの代役を出来る人なんていない。あの時とは違い、ボクが出るっていうことはもう周知されているから。ボク自身がライブに出る以外に助かる方法はない。

 

「なんだこれは……? こんなの本当に……」

 

 運命がボクを敗北させようとしているみたいじゃないか――と嘆く寸前、ボクは頭を振ってそれを拒んだ。運命とか神の台本だとか、そんな胡散臭いモノに屈服したくないと、強く感じたのだ。

 

「そういえば……!」

 

 そして思い出した。あのデビューライブの帰り道でPが、泰葉さんがライブに間に合う方法は何通りもあったと言っていたことを。

 

「あるのか……? ライブ会場へ辿り着く方法」

「…………当然だろ? へへっ!」

「っ! それはどういうっ?」

「フッ……」

 

 不敵な笑みを浮かべるP。それは『当ててみろ』という挑発だった。

 車外に出て、改めて周囲を見渡す。停車している数十台の乗用車とその乗員。前方と後方で進路を塞いでいる横転したままの大型車。今見るべきは前方だろう。タンクローリーが道路の進行方向とほとんど直角の向きに横転している。フロント部分は道路側面の壁にぶつかって、密着したままの状態。リア部分も逆側の壁にめり込んでいる。何台かで牽引すれば動かせなくはないみたいだけど、タンクの中身が有害物質であるため、やはり不可。専門の重機による慎重な撤去が必要。

 道路両側の壁はそこまで高くない。それにブロック塀よりかはよっぽど幅があることに気が付いた。

 

「……ちょっと怖いけど、壁の上を伝って向こう側へ行くことは可能か…」

「ふーん。んで、そこを乗り越えてからどうするんだ? ずっと歩いていくのか?」

「あ、そうか……クッ!」

 

 前の方でも何か所かで事故が起こっているらしいから、少なくともそれを全部越えるまで歩かなくてはならない。数キロか下手したら十キロとか? それにはどれだけの時間がかかるだろう? ライブの出番が刻一刻と近づいているっていうのに、そんな時間的余裕はない!

 

「飛鳥、考え方がやや平面的だな。もっとさ、Dimension意識してこうぜ?」

「は? でぃめん、しょん? ……っ!」

 

 Dimension……Dimension-3……三次元。そうか!

 道路の端まで駆けて行き、背伸びして壁から下を覗き込む。十メートルほど下方には一般道が走っていた。そこの交通の流れは正常のようだ。

 

「P、キミのことだ、車にロープぐらい積んでいるんだろう?」

「まぁな」

「やはり! それでこの高架道路から下まで降りる。やれなくはないはずだ。そしてタクシーを捕まえて会場へ。これしかない!」

「俺らが乗ってきた車はどうする?」

「それは……そうだ! ここで足止めを喰らってる他の人に乗って行ってもらうように依頼して、後で引き取りに行くっていうのはどうだい?」

「ふむふむ。100点中のぉ~~~」

 

 Pが目を細め…たかと思えば見開き、口をもにょもにょ、眉間の皺をぐにょぐにょ蠢かせる。なんだ? 正解発表前の茶番か?

 

「15点ってとこだな」

「なっ!?」

 

 全然ダメじゃないか。

 

「岡崎ちゃんのときならその方法で良かったんだけどな。今日はダメだ。下道に降りても、会場に近づくにつれ激混みしてくるだろうな。そういう“感じ”がする」

「え……じゃあ、じゃあ……どうすれば……っ!」

「だから、三次元だ。まだあるだろう?」

「は?」

 

 前も後ろも下もダメ。なら残るは上だ。でもそこにあるのは厭味ったらしいくらいの青空。

 

「……P、良い事を教えてやろう。人間はね、飛べないんだよ。鳥の字を名前に持つボクだって例外じゃない」

「………そうかな?」

「……何を、考えているんだ?」

 

 何かすごくイヤな予感がした。青空に負けないくらいにいやらしく、Pがニヤついていたから。

 

「まぁまぁ、とりあえず、コレ着けてよ。そろそろだからさ」

「な、何コレ? いや、そろそろって……?」

 

 Pが差し出してきたのは、ベルトが数本つながったような、あまり見たことのないモノだった。これが何なのかPに確認しようとしている間に、気がつけば装着させられていた。いつの間に!?

 腹と胸と太ももでそれぞれベルトが締まって、ボクの身体にガッチリと固定されている。それでも尚、絞められていないベルトが何本か残っている

 

「ちょっと、これってハーネスとかいう……」

「おっ、見えてきた。コ、コ、ダ……っと」

 

 Pが遠くの空に腕時計を向けると、何度か連続的に光を放った。すると直後、その方向から応えるようにチカチカと光るものがあった。光ったのは上空に浮かんでいる米粒大の影で、それが少しずつ近づいてくる。独特の風を切る音を纏いながら。

 

「既に呼んでたんだ。俺が待ってたのは救助車両じゃねぇ」

 

 ()()はもう視認できる距離にまで近づいてきていた。

 ババババ! という、周期的な轟音の到来に周囲の人間が空を見上げる。

 

「ヘリ、だと……っ!?」

「だが、ちょっとばかし問題があってな」

「な、なんだって……?」

 

 ボクが着けたハーネスから垂れたままベルトをPが掴む。そしてそれを自身の胴体へと巻き付け――。

 

「――ぐえっ!?」

 

 ベルトを引き締められ、ボクの前身はPの背に密着固定された。

 そのとき、ヘリから何か長いものが垂れ下がっていることに気付いた。それは縄梯子だった。ヘリは道路と平行に、外側数メートルのところを航行して向かってくる。

 脳内に或るイメージが湧き、ゾッと背筋が寒くなる。

 

「な、何を考えている!? 着陸するスペースなら前の道路が空いてるだろ!」

「残念なことに、もうそんなに時間がねぇんだ。だから横着しちゃう」

「待てっ! ねぇ!? 待って!ねぇったら!」

「あぁ、心配するな。車のことなら、さっき友達になった気の良い兄ちゃんに頼んである」

「そんなことは聞いてな――」

「掴まってろ、よっ!」

「――ちょあああーーっ!」

 

 Pが猛然とダッシュし始める。彼の頭をタップしても止まるどころか、笑いながらぐんぐんとスピードを増していく。

 この男、正気か!?

 ボクはPの首に両腕を回し、腰を両脚でカニばさみせざるを得なかった。

 

「うあああーーっ!」

 

 Pは道路の中央を真っ直ぐ前方へ駆けていく。その先には横転したタンクローリー。倒れていても高さは優に二メートルはある。しかしPは加速を続けていく。

 いやそれよりもなんだこのスピードは!? 人が出せるものなのか!?

 

 ダン!ダダっ!

「――ヒッ!?」

 

 数発の衝撃と直後の浮遊感。そして回転。頭上? いや、下? に見えたのはタンクローリー。は?

「跳んっ!? ふあああーー!」

 

 そして着地。止まらない疾走。わけがわからない。

 一切の障害物が無くなった道路でPは更なる加速をしていく。背後ではヘリの音がますます近づいてくる。Pの進路がゆっくりとズレ始める。中央から徐々に左側――ヘリが来ている側――へと近づいていく。

 ああ、畜生、勘弁してくれ!

 

「やだやだやだあああーーー!」

 

 渾身の絶叫は雷鳴のようなプロペラ音にすべて掻き消される。

 すぐそこにヘリがいた。疾走するボクたちの左真横数メートルのところに、スラッシュ状態の縄梯子が静止して見えた。「行くぞ」と聞こえたような気がした。Pが道路側面の壁を易々と駆け上がっていく。そして――。

 

「We can fllllllllyyyyyyyyyy!!」

「んあーーーー!!!」

 

 さっきとは比べ物にならない浮遊感。

 頬を切る風。地面の植生。空の青。

 白んでいく視界。

 

 あぁ、これが、気ぜ――――――

 

 

 

 

 

≪Observation by 蜈?ココ蠖「≫

 

「さぁ、行きなさい蘭子。もうこれ以上ファンを待たせるわけにはいかないわ」

「で、でもぉ~……飛鳥がまだ……」

「大丈夫、Pなら必ず間に合わせるわ。蘭子は心配しなくていいの。それに二宮飛鳥のことに気をとられて、ライブ進行を滞らせたり、酷いステージになってしまっただなんて、それを知って一番悲しむのはあの子じゃないかしら?」

「それは……!」

「だからあの子のためにも、蘭子が今すべきことは精一杯歌うことだと、私はそう思うわ」

「………う、うんっ!」

 

 スモークが焚かれたステージ上へと蘭子が向かって行く。

 我ながら白々しいことを言ったと思う。しかし蘭子の為だから仕方がない。蘭子をトップに導くためには全てが肯定されるのだ。

 

 スモークが晴れ、蘭子の姿を認めた観客達が歓声を上げる。それを蘭子は瞳を閉じたまま一身に受ける。そして開眼。音楽が流れ始めた。

 

 歌い出しのワンフレーズを聴いただけで、蘭子がまだ二宮飛鳥のことを案じているのがはっきりと分かった。

 このステージでは“力”を発現させることは難しそうだ。何よりもまず精神コンディションが万全であることが必須だから。

 

「フン……」

 

 二宮飛鳥め。よくも蘭子の心を掻き乱してくれたな。本当に忌々しい。

 思えば蘭子のデビューライブ以来、ことあるごとに二宮飛鳥との対戦の流れを作ろうと画策したものの、ほとんど上手くいかなかった。Pの不可解ともいえるチグハグなプロデュース方針を読み切ることが出来なかったからだ。全く以て腹立たしい。

 だがしかし。二宮飛鳥を踏み台にすることを諦めかけていた矢先、今日のライブ構成が大幅に変更されるという報を、偶然いち早く受けた。それによって私はPが干渉してくる前に、二宮飛鳥を潰すための出演順を仕組むことに成功したのだが――。

 

「………フッ」

 

 ――それは思ってもみない形で奏功しそうだ。

 Pたちの到着が遅れているのは、高速道路上での同時多発事故が原因らしい。ニュースサイトを見る限りにわかに信じがたい事故だったが、それでもやはり、彼らはここに来るはずだ。おそらくはあと数分もしない内に。その程度の芸当、Pならば軽くやりおおせることは分かっている。

 しかし今日が、二宮飛鳥のアイドルとしての命日になるだろう。

 

 ――――ぎぃ……きしっ……

 

 広大な公園に建てられた特設の野外ステージ。それを取り囲むように建てられた煌びやかなセットを見渡せば、既に()()は顕れ始めている。蘭子がステージに立っている間は問題ない。それでも()()は必ず起こる。

 

 二宮飛鳥はこのステージに立つことはできない。

 

 

 

 

 

≪Observation by Asuka≫

 

 ――ゆっさ、ゆっさ、ゆっさ。

 

 ……ゆりかご? にしては随分とアップテンポ。首ブランブランで心地よくないし。ほっぺたもエクステで擽られて――。

 

「――んふぁっ!?」

「おっ、目ぇ覚めたか。おはよう飛鳥」

「へふ……? P? あれ……?」

 

 目の前に覗き込んでくるPの顔。背中と脚に自分以外の体温。それはPの腕。あぁこれ所謂()()()()抱っこだ。

 

「はっ? なんで? いや、ちょ、ちょ、ちょっと待って。降ろして」

「大丈夫か? 無理すんなよ」

「だ、大丈夫だから……っ!」

 

 Pの腕から逃げるように地面に降りる。

 一歩目はふらついたけれど、何度か屈伸をするうちに身体の感覚が戻ってきた。そして気付いた。ここはライブ会場のバックヤードだ。スタッフの人たちがあちらこちらへ走り回っている。

 

「そうか、無事着いたのか……」

「おうともよ」

「あれ? この衣装……いつの間に?」

「あ、あー安心しろ。着替えさせたのはヘリに乗ってきてもらってた明ちゃんだ」

「いや、そこの心配はしていないが……」

 

 ボクの服装は気絶前の私服とは変わっていた。どうやら会場で着替える時間がないことも見越して、ヘリに衣装を積んできてもらっていたらしい。

 

「これは……前に、宣材写真を撮ったときのものか……」

「用意できる衣装がそれしかなくてな」

 

 腹部を大胆に露出したトップスとショートパンツ。二の腕あたりまであるアームカバーと、サイハイブーツ。身体の各部に巻き付けた白の細身のベルトと黒のマント。そして腰に着けたキーを象ったオブジェ。それは宣材写真を撮るだけにしか使わなかった衣装だった。

 ALDの出目の所為とはいえ、気に入っていたのに勿体ないと思っていたから丁度いい。本来着る予定だった衣装のテイストとは全く違うけれど、どうせボク一人なんだから趣味丸出しの衣装でも問題ないだろう。

 

「フッ、悪くない……!」

「ほい、これも」

 

 Pが差し出してきたベレー帽を受け取り、かぶる。Pが頷いてヘタクソなウインクをしたので、ボクが見本を見せてやった。

 そのとき会場中に歓声が響き、イントロが流れ始めた。聞き覚えのあるそのメロディは蘭子の曲だ。

 確かに間に合ったらしいが、ゆっくりもしていられない。ボクとPはステージの袖まで足早に向かった。

 

 

 

「あら、来たのね」

「だって俺だぜ?」

 

 舞台袖にいた神崎Pがボクたちを見て早速悪態をついたが、Pは全く気にも留めず軽口を叩き始める。

 彼らの下らないやり取りなんて放っておいて、ボクはステージ上の蘭子の様子を伺った。

 

 ―――――!

 

「……ん?」

 

 蘭子の歌声は疑いようも無くハイレベルなモノだけど、奇跡というほどの響きは感じられなかった。観客席も普通に盛り上がっているだけで、以前のライブで目の当たりにしたような異様な雰囲気はない。

 何故()()なのかは理解らないが、これならば、蘭子の後でもボクの歌はちゃんとオーディエンスに響くのでは……? 少なくとも、アイドルとして心が折れるほどの酷いステージにはならなさそうに思える。

 

「P、これなら――」

 

 振り返り、Pを見る。

 

「かぁ~~っ!そーきたかぁ~~…」

「え? 何が?」

 

 さっきまで間抜けな顔して神崎Pといちゃついていたくせに、今Pは神妙な顔でステージを、いや、ステージの裏側の方を見ていた。そして直ぐに「ちょっと様子見てくる」とそちらの方へ駆けて行った。

 

「……なんなんだ?」

「フッ……」

 

 そんな彼を見送った神崎Pは嘲るような微笑を浮かべながら近づいてきて、ボクの横に立った。

 

「………」

「………」

「…………」

「…………」

 

 いや、何か喋れよ! ほんっと大人げないなこの人! 別にいいけどさ! 仲良くなりたいだなんて一ピコグラムも思ってないし!

 ボクと神崎Pはそのまま無言で蘭子を見守り続ける。

 

「おっけー、おっけー。大体わかったわー」

「……P、一体どこに行って……?」

 

 ボク史上最も不愉快な一分間が過ぎる頃、Pが舞台の裏側から戻ってきた。その後ろには作業着を着た、ただならぬ雰囲気の壮年の男性を連れている。その人は異常なほど汗をかいていてしかも明らかに挙動不審だ。

 

「……すよぉ……もう……まいだぁ……ふぅぅ……んで……なんで……」

 

 まるで呪詛がごとく何事かをボソボソ呟いてる。いや、恐いんだが?

 

「P? そ、その人は……?」

「あぁ、このおっちゃんは――」

「――ぎっ、ギリギリなんですよぉ! おおおお大手さんの無茶ぶりを! いつだって少ない人数でどうにかしてるんですよぉ! そそそっそれなのに別の会場が中止になったからって! こっちでそのセットを使えなんていきなり!そんなの、そんなのぉ……っ!」

「えぇっ……?」

 

 男性は急に捲し立て始めた。怒りを露わに、口角には泡を溜めている。意味不明だ。しかし――。

 

「すっ……! すすいませんでしたぁああっ!」

「えぇっ!?」

 

 一転して土下座である。ついていけない。

 

「もうだめだぁおしまいだぁ! 会社つぶれるぅぅ~~~っ」

「まぁまぁ、おっちゃんよぉ、そんなに気ぃ落とすなって」

 

 泣き出してしまった男性の背中を、Pがさすって慰める。つくづく意味不明だ。

 

「な、何を見せられているんだボクは?」

「まず要点から言うとな。今神崎ちゃんが立ってるステージ、もう限界なんだ」

「……は?」

「神崎ちゃんが歌ってるうちは問題ない。だが、飛鳥が歌い始めてイイ感じに盛り上がってきた頃、ステージを取り囲んでるハリボテやら骨組みやらが一斉に崩れ始める」

「………はあっ!?」

「ひーーーーーいいんっ! ごべんなじゃーーーあああいいいいっ!!」

「おっちゃん元気出せってばよぉ~~。鼻水すごいから」

 

 どうやらむせび泣くこの男性が、この野外会場の設営を請け負った会社の社長さんらしい。問題は、開催が中止となったライブ会場で使う予定だった舞台セットを、急遽この会場で使用するよう押し付けられたこと。あまりに急な指示であったため、組み直すための時間も人員も足らず、至る箇所で手抜き施工にならざるを得なかったのだという。

 Pの見立てでは、その手抜きが祟り、最終的に舞台上のセットはほとんど全てが倒壊する。つまりステージは滅茶苦茶になるというわけだ。

 

「フフッ……」

 

 愕然とするボクに、神崎Pが視線を送りながら失笑を漏らした。まさかお前が仕組んだのか?

 

「何なのかしらその目は? これは不幸な偶然が積み重なった結果の、ただの手抜き施工。それ以上でもそれ以下でもないわ」

「うーん辛辣ゥ。でもその通りなんだよなぁ」

「お゛お゛ぉ゛ー゛ー゛ー゛ん゛ん゛ん゛っ゛!!」

 

 男性の嗚咽が地面を虚しく震わせる。

 会場を包み込んでいた音楽がオーディエンスの歓声に取って代わられた。蘭子の歌が終わったのだ。蘭子は持ち前の独特な語彙で観客席へ感謝を伝え始める。それが終わればボクの出番だ。もう時間がない。

 Pを見ると、彼もボクを見ていた。いや、たぶん、ボクが見るのを待っていた。ボクの言葉を、決断を、選択を、待っているのだ。

 

「ッ……!」

 

 ()()という単語が頭によぎると同時にALDを想起した。ALDで決めてはどうかなんて考えが浮かんだんだ。この三か月、数えきれない程繰り返した遊戯。ALDを振って、演るか、演らないか、を決めたりなんて………。

 

「ボクを……舐めるなよ……っ!」

 

 ボウ、と。熱いものが胸の奥で燃え始める。

 一体何のためにここに来たのか? 酷い足止めでやきもきさせられた挙句、空を飛び、死ぬ思いまでして、ここに来たのは何のためか? 無論、あのステージに立つためだ。ならば選択の必要なんてない! だからALDを振る必要もないっ! 振ってたまるかっ!

 

「ボクが演ることは確定事項だ!ボクはあのステージに立つ。何の選択の必要も無くね。何故なら、ボクが既にそう決めているからだっ!」

「………」

「ハリボテが倒れかかってくる? 骨組みが崩壊する? フンっ! そんなもの躱してやる! P! ボクは演るぞ! これは確定事項だ! いいな? いくらキミがダメと言ったって――」

「フヒッ!」

「……P?」

 

 ギラついた笑みをPは浮かべていた。それはいつもながらにいやらしく、同時に異常なまでの頼もしさがあった。

 

「フヒヒッ! 誰がダメと言ったって?」

「え、Pが……」

 

 あれ? 言ってなかったか……。

 

「ステージが崩れるとは言った。だが、ライブが出来なくなるなんて一言も言ってねぇぜ、俺はよぉ!」

「P……!」

 

 しかしミスリードを狙っただろう? まったく食えない男だなキミは。まぁ、いい。

 

「だがもし()()()決めようとしてたら、辞退させるつもりだったがなっ!」

「……ハハッ! ボクを見縊らないで欲しいなっ!」

「ふっ、て……?」

 

 ()()云々はボクとPにしか理解らない符丁。神崎Pが表情に疑問符を浮かべるのも当然だ。だが教えてやる理由はない。

 

「とはいえ、飛鳥の反射神経だけで躱しながらライブってのは、流石にキツイだろうな」

「ムッ…! なら、どうすれば……」

「だから俺が裏で手伝う。崩壊自体は止められないが、崩れ方を制御することなら――」

「死ぬわよ? 二宮飛鳥」

「っ……」

 

 神崎Pが口を挟んでくる。なんて不吉なことを言うんだこの女は。

 しかし実際問題、ステージ上のセットが全て崩壊するとなると、瓦礫の山が出来上がるだろう。その中で無傷でいられる方が不思議な気もする。

 

「なんだよ神崎P、俺の力がその程度だと思ってるのか?」

「いくら貴方でも……いえ、人間の能力では、この状況を制御することは不可能よ」

「……なるほど。お前にはそう見えているのか。ハハッ! 飛鳥、このねーちゃん案外分かってねーや」

 

 ボクの背後に回ったPがボクを支えるように、両肩にその温かな手を乗せる。神崎Pの言葉で大きくなりかけた不安は、しかし「俺たちならやれる」というPの囁きで霧散していく。

 

「俺たちを! 見縊らないで欲しいんですけどぉっ!」

 

 Pが自信満々に言い放つ。おそらくは不敵な笑みを浮かべて。そしてたぶん、ボクも同じ表情になっていることだろう。

 

「ボクの台詞をパクるんじゃない。フフッ」

「……忠告はしたわ」

 

 神崎Pはボクたちに興味を無くしたように背を向け歩いていく。その胸に今しがた舞台袖に戻ってきた蘭子が飛び込んだ。

 ボクの姿を認めた蘭子が安堵したような表情を見せ、その場にへたり込んだ。その様子から、蘭子はボクの到着が遅れていたことを案じていたのだとすぐに理解った。

 

「ありがとう、蘭子。頑張るよ」

 

 蘭子の元へ駆け寄りたい気持ちを抑え、そう独り言ちる。

 それから崩壊していくステージの攻略法について、Pのレクチャーを受けた。それは実にシンプルだった。

 

 

 ジャケットを脱ぎ、ワイシャツを腕まくりしたPがボクの目を見て頷く。不運な社長さんの顔は相変わらずドロドロ。

 そんな二人と蘭子に見送られながら、ボクはステージへと駆け出た。

 

 

 ―――――!!!

 

 五千を優に超えるオーディエンスの関心がボクへと殺到する。が、それはすぐに舞台袖へと向けられた。おそらくは本来一緒に登場するはずだった、亜季さんと涼さんの登場を期待して。あるいは病欠となったその二人の穴を埋めるべく、楓さんか茄子さんがサプライズで登場することを期待して。しかしボク以外に出てくる者はいない。

 これは二宮飛鳥一人だけのステージなのだと、そう理解するに至った観客席に落胆ムードが広がっていく。

 

 ――あの五人の中で、なんでよりにもよって二宮飛鳥なんだ。

 ――デビュー当時ゴリ押しされていたくせにパッとしない中堅アイドルの。

 ――てゆーか、そんなヤツがトリっておかしくない?

 ――まーたゴリ押しかよ。

 

 会場のそこかしこから厳しい言葉が聞こえてくる。まぁ仕方ないだろう。

 

「………悪いね」

 

 誰にも聞き取れないぐらいの――ヘッドセットマイクにも拾えないぐらいの――極微な声量で呟いた。そのつもりだった。しかし――

 

『構うこたねぇ。ぶちかましてやろうぜ』

 

 ――予期せぬイヤホンからの言葉に、思わず笑みが零れる。

 

「言われるまでもないさ」

 

 この会場の雰囲気はボクにとってはアウェーと呼んでも差し支えないだろう。だがアウェーごとき、今のボクには些末事でしかなかった。いや、アウェー程度ならヌルく感じてしまう程だ。

 想定では蘭子のパフォーマンスに魂まで魅了された観客を相手にすることになっていたんだからね。それからすれば、全然マシだ。二宮飛鳥の失点を探そうと耳目を集中させてくれるなら尚良い。観客席の無思慮なざわつきには、心躍りさえする。

 

「さぁ――」

 

 客席側の高い位置に設置されたスポットライトがボクを指向し、ステージ側のライトは一旦照度を落とす。ちょうどそのとき遠方2時の方向で、太陽が遠方の山中に没した。

 

「It's Showtime!!」

 

 ボクの叫びをヘッドセットが拾い、会場に響き渡る。リハも出来なかったというのにマイクボリュームの調整は完璧。流石はPだ。

 オーディエンスたちは口を閉じ、瞳を皿のようにしたのは彼らの習性か。ボクはくるりと身を翻して、観客席に背を向け、最初のポージング。

 

()()()のは四十七秒後からだ。それまでは普通でいい』

 なるほどね。了解だ。

 

 ステージの左右に配置された、数メートルの高さのある特大のスピーカーが音を吐き出し始める。聞きなれた軽快イントロ。この一か月間、何度も歌ってきた曲のはずだが、これほどまでに新鮮な気持ちで向き合えたことがあっただろうか?

 ハハハ、良い、良いぞ。コンマ一秒でも早く動きたくて、歌いたくて堪らなくなっている!

 旋律に乗り両手を開いてダンスを開始する。ステップを刻み腕を振り回すと、爪先にまで神経が通っている感覚。確信。ボクは今、最高のコンディションにある。

 遥か遠く彼方を指差して、歌を叫び始める。

 

 まったく……。ただステージに立って歌うだけだというのに、遥か遠くの月面に立とうとするような困難な道のりだった。だからだろうか? 今ここに立っている意味を否が応でも考えてしまう。

 それは叛逆の印であり勝鬨。

 ついさっきまで、ALDを振りまくった三か月間は全て無意味だったのかも、なんて考えてしまいそうになっていた。でもボクとPの叛逆には、確かに意味があったのだ。ボクの歌は、今こうして、オーディエンスたちに届いているのだから!

 

 ――――――!

 

 彼らは正直だ。色眼鏡でアイドルを見ることもあるけれど、良いパフォーマンスには必ず良いレスポンスをくれる。それがボクの胸を更に熱くしていく!

 

『くるぞ』

 

 そして曲が始まってから四十七秒後。サビへの突入と共に()()は始まった。

 

『後ろへ三歩。タン、タン、タン』

「ッ――!」

 

 Pの刻むリズムに合わせて後退る。その刹那の後――

 

 ――ガラァアアンッ!!

 

 ボクがいた場所目がけて、ステージ左側から長くて太い金属パイプが倒れ込んできた。

 目の前の一万を超す瞳が見開かれ、何事かと息を呑む。それは舞台裏も同じ。不穏な緊張感が急激に高まる。そしてボクの全身には強烈な悪寒が駆け巡る。

 本当に始まった! 分かっていたけれども! まともにぶち当たればタダじゃ済まないぞ! クソ! 止まるな! ビビるな! 逆だ! ビビらせろ! オーディエンスをっ!

 

『踏め』

「っ!」

 

 バウンドを続けようとしたパイプを踏みつけ、不協和音を黙らせる。

 サビの歌詞を詰まらせなかったのはほとんど奇跡だった。しかしそんなことを知らせる必要はない。ただ笑ってやればいい。いつも見せられている、最高に不敵な笑みを!

 

 ――――――!!!

 

 瞬間、会場が沸騰した。

 その通り! これは演出さ! こんな演出見たことがないだろう! なんてったって神様が()()してくれているんだからね! ざまぁ見ろ!

 

 Pは言った。「ステージの崩壊はもう止められない。だが、崩壊の仕方を制御することなら出来る」と。Pにはステージ上の安全地帯が理解る。だからイヤホンからの彼の指示の通りに、次から次へと安全地帯を渡りながらパフォーマンスを続ければいい。ステージの崩壊は舞台演出だとオーディエンスに思い込ませるのだ。

 ボクがPの言う通りに動けなければそこで全ては終わる。神崎Pの言ったように、怪我で済まないことも起こり得る。しかし、不思議と不安は無かった。成功する、という漠然としていながらも確固たる自信があった。Pが「出来る」と言ったから。それ以上に説得力のある根拠をボクは知らない。

 

『次。優雅に左へ九歩。タァン、タァン、タァン――』

 

 今度はステージ奥側のハリボテが襲い掛かってくる。平静を装い、寸でのところで躱していく。まるでボクが倒壊ウェーブを起こしているような気分だ。

 雄叫びのような歓声がボクの歌声に拮抗する。弾け合うその衝撃はなんて心地いいのだろう。

 

『舞い散る落ち葉のように右へ十三歩。ヒラ、ヒラリ、ヒラ――』

 

 帰り道はハリボテを支えていた金属の骨組みが崩壊。ガランガランと、けたたましい音が会場に響く。しかしそれは、曲のテンポと意外な調和をしてみせた。

 

「ハハッ!」

 

 思わず笑ってしまう。

 Pのヤツ! そこまで制御しているのか! 一体何をどうすればこんなことが出来る!?

 チラリと舞台セットへ視線を向けると、未だ健在な骨組みの上に一瞬だけ人影が見えた。それはすぐに消え――

 

『中央へ向かってトカゲのようにステップ四歩。シャッ、シャッ、シャッ、シャッ、』

 

 ――人影がいたあたりから崩れ始める。

 まさか、骨組みの上を駆け回って!? 猿、いや、忍者かPは。ていうかさっきからその指示は何だ? ボクじゃなければ伝わらないぞ、まったく。

 

『チュートリアル終わり。間奏後からが本番だ』

「ハァ、ハァ……ッ!」

 

 サビ後の十秒に満たない間奏の間、ボクはダンスを放棄して、精神と身体を整えることに注力した。

 

 ギィィィィィ~~

 

 ボクを包囲するステージセットの骨組みが、軋みを響かせる。それは恐らく、今すぐにでも崩壊せんとしているのをPが抑えつけているが故の悲鳴。足元にはパイプとハリボテが散乱しているが、未だ大量の構造物が健在だ。既に崩壊したのは精々が五分の一程度だろう。曲が終わるまでに残りも全て崩壊するなら、ここまでとは比較にならない修羅場が待っているということ。

 オーディエンスもそれを直感的に理解しているのか、歓声を上げるのも忘れてボクに熱視線を送ってくる。

 大音量の音楽は変わらず流れているのに、不思議な静けさがあった。

 そして、二回目のAメロに突入する。

 

『五秒、そのまま動くな』

 

 ――オオオオオーーッ!!??

 

 歌い始めたと同時に、色めき立つオーディエンスたち。何が起こったのか、気付いたのは彼らの方が早かったようだ。

 目の前がまるで砂嵐、右肘を掠める冷たい感触、足元から巻き上がった大気でエクステが跳梁――ボクの前後左右で夥しい量の鉄パイプがステージの土台を打ち付けていく。それは正しく鉄塊の雪崩。ボクが立っていたそここそが唯一の安全地帯だった。

 五秒経過。視界が拓ける。その先には狂奔のオーディエンス。ある者は歓声を、ある者は絶叫を、ある者は悲鳴を上げている。

 

『疾風のように前へ五歩。ヒュッ、ヒュッ――』

 

 危険地帯と化したそこを脱出すれば、数瞬遅れて背後で倒壊音。足元からは衝撃の凄まじさが痺れるほどに伝わってくる。当たれば重傷間違いなしの破壊の嵐。それがボクを追いかけてくる。想像を超えるカオス。

 前へ後ろへ左へ右へ、躱しても躱しても追いかけてくる。きっとボクらがヘマする瞬間を虎視眈々と狙っているのだ。だけど、お生憎さま。その期待には沿えそうもないよ。

 

「フフッ!」

 

 集中力が果てしなく高まっていく。この感覚には覚えがある。Dimension-3での初ライブ、志希と共鳴し合ったときのアレだ。視界が全方位へ広がるような、産毛の一本にまで神経が通うような……いや、あのときとも少し違う?

 

 ――理解る。何がどう崩れるのか理解る。Pがどんな指示を出そうとしているのかも理解る。何故か理解る。

 

 ボクとPが共鳴している? それでPの認識力を借用出来ている?

 嗚呼! なんて万能感だ!

 溜息どころか息継ぎの間だって碌にない過酷なステージなのに、終わらないで欲しいと、ボクは思ってしまっている。無事に終わればそれで良い、なんて思っていたけれど、とんでもない。魂の鼓動はとっくに振り切れている。今このライブこそが、最高の二宮飛鳥だ! もっと歌っていたい、叫んでいたい、魂の赴くままに!

 

『次は――』

 

 二回目のサビが終わり間奏に入ったとき、ボクはステージの右翼あたりにいた。ここから眺めるに、残っている骨組みはもう半分もなかった。それも刻一刻と崩れていく。ボクの立っている付近にはもう何も残っていないから、このままここで歌えば無事にライブを終えられるだろう。でも――

 

『ナハッ! そうだ! このまま終わるなんて勿体ないよな!』

 

 ――ボクは倒壊の渦中へと歩み始める。

 

 ―――――!!!

 

 待ってましたと言わんばかりの歓声。

 ガラガラと瓦解していく鉄の嵐の中で、ボクは舞う。ボクだけじゃなくPも一緒だった。Pがボクの手を引いて導いてくれる。離れていても、確かに彼を至近に感じる。何て心強いんだろう。

 

『これで、最後だ……!』

 

 曲の中で一番ゆったりと歌い上げる箇所に入る頃、ステージを彩っていたハリボテと骨組みの全ては崩れ、物言わぬ瓦礫と化した。今ステージの上にあるのは左右の特大のスピーカーと、中央の瓦礫が積み重なって出来た小さな山。随分とさっぱりしたものだ。

 Pに言われるまでも無く、瓦礫の山を上がっていく。鉄パイプの絶妙な積み重なり方で階段状になっているのは、Pの心憎い演出か。頂上にはハリボテだった板が載っていて、それは狭いけれど、ボク一人が歌うには十分なスペースだった。

 曲調と合わせるように、オーディエンスは穏やかに佇んでいる。だが目は煌々と輝いている。ラスサビに向けての溜めだ。

 

『ふぅ~~……』

 

 Pの安堵の深呼吸。その意味するところ――もう安心。

 実際、成功に向かっているのをありありと感じられる。寧ろもう失敗のしようがない。例え歌詞がトんだとしても、強引に誤魔化してラスサビまで繋げることだって出来る。今のボクになら余裕だ。

 つまり! 勝ったのだ! ボクとPは!

 

『……ッ!?』

 

 神の台本に!

 

『下がれええっ!!』

「――ッ!!??」

 

 ガッギィャンッ!!

 ブツン――――ッ

 

「くっ………!?」

 

 その瞬間に起こったこと。ステージ右側にあったスピーカーの転倒。数メートルの高さはあろうかという特大のスピーカーがボクに向かって倒れかかってきて、即席のお立ち台が粉砕された。

 何とも触れていないのに、風も吹いていなかったのに、何の前触れも無く、転倒した。床の固定ボルトを引きちぎって転倒したのだ。まるでその空間だけ天地の方向が九十度回転したかのような動きだった。さっきまでの物理法則に従った骨組みの倒壊とは一線を画する、明らかに異常な動き。すなわち未知の現象。

 ここまでするのか。アイドル二宮飛鳥をここで終わらせるために。運命ってヤツは。

 まぁ、どうにか躱せたのだから、スピーカーが倒れたこと自体は別に構わない。というかPの言葉で咄嗟にバックステップしてお立ち台から降りたのに、尻もちつかずに華麗に着地できたボクってかなりスゴイ?

 だがしかし。ダメなのは、最悪なのは、致命的なのは、音楽が止まったこと。ブツン、と、咳払いのような掠れた音を立てたっきり、止まった。スピーカーが倒れた拍子に、別の機器に繋がっていたコードが何本も抜けてしまったのだ。数本のコードが、引っこ抜かれた勢いで宙を舞っている。その先端の金属製のジャック部分は、これ見よがしに、照明の光を受けて煌めいていやがる。コイツらをまた機器に挿入し直してやらない限り、音楽が鳴ることはない。

 このままアカペラでいく? 却下。それが許されるのは、その方が盛り上がるケースのみだ。今は明らかにそのときじゃない。コードを拾い集め、ボクが挿しにいく? 却下。不格好過ぎる。スタッフに出てきてもらっ――却下。ステージの失敗を宣言しているようなもの。

 

 ――待て!

 何秒経った!?

 三秒か五秒か、それとももう十秒いった!?

 この非常時に余計なことを考えている時間はない!

 オーディエンスたちはまだ、これも演出の一部かと思って騒いだりしていな――

 

「――!?」

 

 彼らは皆、目を丸くしたまま、動かず、何も言わず叫ばず、固まっていた。

 時間が、止まっている……!?

 宙を舞っていたコードは、さっき見たときのままの状態で、中空にピン留めされているかのように不動。

 何も聞こえない。まるで絵の中にいるように何の音もない。

 いや……? あくまでスローモーションなのか……? コード先端の金具の煌めき方が、極僅かずつ変化していくから。

 何故か確信できた。これはPが普通に見ている世界なのだと。理屈も原理も理解らないけれど、ボクとPが共に舞い、共鳴したことによってボクにも齎されたものだと。

 Pの底知れない能力の片鱗。なんだいこれは。チートどころの話ではないぞ。

 とはいえ、当のPはといえば、冷静ではないらしい。こんなPは珍しい……いや、初めてか。

 

 ――運命、修正力、理不尽、結局、不可変、無意味、徒労、結局結局結局、悲嘆、失敗、敗北、諦観――

 

 理解を越えた経路で伝わってくる、Pの断片的な思考と感情。いずれもネガティブ。

 そして萌芽するボクの感情X。一も二も無く、手を伸ばし、掬い上げてやる。

 

「……フッ……ククク……ハハッ! アーーッハッハッハーーー!!」

 

 すると、笑わずにはいられなかった。生まれて初めてレベルの、高らかに過ぎる哄笑だった。

 緩慢なセカイが躍動を取り戻す。

 イヤホンの向こうのPが、ボクの笑い声に息を呑んだのを感じた。彼を少なからず驚かせることが出来たのは純粋に痛快だ。

 音楽の消失という不規則事態にザワつくオーディエンスたち。彼らを見据えて再びの哄笑を轟かせ、不審がるザワめきを一掃し、逆に期待感へと変換させる。

 

「ハーーッハッハッハーーー!!」

 

 ボクの奥底が――脳が、心臓が、そのどちらでもない何かが――燃え盛っていた。すごい熱だ。マグマなんて目じゃない。太陽の熱量すらも凌駕するだろう。

 掬い上げた感情Xとは、怒り。セカイの構造への怒り。つまらない台本を押し付けてくる神への怒り。そして、諦めかけたPへの怒り。

 Pのヤツ……。以前ボクに、諦めるまで失敗じゃない、みたいなこと言ったクセに、なんだその体たらくは! ボクより沢山のことが視えているから諦めるしかないって? ここを切り抜けてもどうせまた、って? 優等生ぶっているのか!? ボクの知ったことではない! キミがボクを焚き付けたんだろう? そのキミがボクよりも先に諦めるなんて許さないぞ! ボクはまだ諦めていない! 理不尽に何度晒されようと、その度にボクは笑ってやる! ボクとPならやれるんだろう? 既に言質はとっているんだからな!

 嗚呼、本当に、カチンときた。

 

「フハーーッハッハッハーーー!!!」

 

 三度目の哄笑。流石にザワつきが再燃し始める。

 だからP、これは罰ゲームみたいなものだ。キミにならこの状況を打開することが出来るんじゃないか? いいや、やってもらうぞ。死に物狂いでね。なんてったって、キミはボクのプロデューサーなのだから。

 キミにも全部、伝わっているんだろう?

 

『四十秒もたせろッ――!』

 

 そう彼が言い終わるや否や、イヤホンからは風を切る音が聞こえてくる。おそらくは超スピードで走り回り始めたんだろう。頼むぞ、P……!

 

「どうしたんだい? そんなに目を丸くしてっ――!」

 

 観客席へ向けて、全力の声量でボクは問い掛ける。言わずもがな、これは戯言。この状況をPが何とかしてくれるまでの繋ぎ。つまりは時間稼ぎ。

 マイクはやはり死んでいる。しかしボクの声は、不思議と会場にいる全員にはっきりと届いている手応えがあった。

 

「ライブの最中に、音が止まることがそんなに可笑しいかい?」

 

 可笑しいに決まってるだろ! くっ! たったの四十秒とはいえ、咄嗟にイイ感じのメッセージを吐くのは難しいな。

 数か月前の志希とのライブの記憶が頭に過る。志希はあのとき、今のボクと同じで何の事前準備もなく、しかし歌とダンスをこなしながら、ボクのメッセージを受けたマイクパフォーマンスをしてみせた。

 なぁんだ。アレに比べれば、この状況は随分と楽じゃないか。ただ四十秒を凌げばいいだけなのだから。ボクはこれでも志希のパートナーを務めたんだ。この程度、切り抜けられないでどうする!

 

「飾り立てられたステージ、一糸乱れぬダンス、外れることのない音階……。キミたちが見たいのは、そういうのかな?」

 

 首肯、否定、困惑……。ザワつきが膨れ上がっていく。

 

「それも良いだろう……。ああ、良いだろうともさ!」

『――ンハハッ!』

 

 ちょっとパクったくらいで笑うんじゃない! こっちは秒を稼ぐのに精一杯なんだから!

 

「でも残念だったね。ボクが見せるのは、そのいずれとも違う。ボクが見せるモノ、それは――」

 

 ボクの答えに耳を傾けるように、会場がピタリと静まる。

 

「――叛逆」

 

 そのとき、足元付近で何かが横切るのが見えた。そこにあったのは抜けた何本ものコードの先端。目を凝らすと、舞台袖からそこへと釣り糸のようなものが何本も伸びている。

 

『いつでもいいぞ。合わせる』

 

 既に四十秒経っていたらしい。

 Pは投擲したんだ。十数メートル離れた舞台袖から、糸に付けた粘着質の何かを。地を這うような軌道で、散らばって落ちている何本ものコードの数センチしかない先端それぞれに正確に。まったく、メジャーリーガーも真っ青だな。

 コードは引かれることなく、そこに静止したまま。()()()()……そういうことか。

 

「舞台が崩壊しようと、運命が牙を剥こうと、ボク()()は抗い続ける……ッ!」

 

 オーディエンスの期待感が手に取るように理解る。

 

「覚悟はいいかい? ここからだ。始まるよ。さあ……」

 

 観客席へと向けた右手を、大きくゆるりと回して――

 

「Climax だ!!」

 

 ――天空へと一気に跳ね上げる。同時に、地面にあった何本ものコードが一斉に数メートルの高さまで飛び上がった。

 客席からは糸は視認できないだろうから、彼らにはボクがサイコキネシスで動かしたように見えただろう。今日一番のどよめき――いや歓声が会場中を席巻する。

 飛び上がったコードは舞台袖へと吸い込まれてゆき、そして。

 

『ご、よん、さん――』

 

 空気の微振動からマイクの復活を察知。

 

『に、いち――』

 

 空気の揺らぎ、音楽のリスタート。

 奇しくも、途切れたのは曲中で最も静かなパートだった。故に再開はシームレスに成し遂げられた。そしてワンフレーズ口ずさむ内に、ボクもオーディエンスもトップギアにまで達していて、数十秒間の中断があったというのが遠い過去のよう。

 問題はあった。スピーカーが倒れた拍子にどこかイかれたのか、吐き出す旋律の音階が狂っている。だけど、そんなこと気にする人間は最早どこにもいなかった。超常的な演出により音楽は確かに復活したということだけが重要なリアル。何より、彼らが聴きたがっているのはボクの歌声なのだから。

 そしてそのままラスサビに入り、圧倒的な勢いで駆け抜けた。

 

 ―――――!!!

 

 アウトロの終焉と同時に、ボクは会場中の喝采を一身に受けることになった。

 そしてオーディエンスに「また会おう」とだけ伝えてステージを後にした。

 

「――ハァッ、ハァッ、ハァッ………クッ!?」

 

 舞台袖に戻ったボクは強烈な眩暈に襲われた。極度の緊張と興奮状態からの解放と、軽い酸欠のせいだ。

 ヘタリ込もうとするところで、背後から肩を支えてくれる人がいた。

 

「なんだよ、ヘトヘトじゃねーか」

 

 とても熱く、しかし妙に心地の良い体温。見上げると、小憎たらしいPのニヤケ面。

 

「……キミこそ、随分と汗をかいているようだが?」

 

 彼をよく見ると、汗以外にも埃やら油のような汚れが全身についている。舞台裏や骨組みの上で飛び回っていたときについたのだろう。

 

「まぁな……もしかすっと人生で一番頑張ったかも」

「……奇遇だね、ボクもだよ」

「へへ……」

「ハハ……」

「「――アハハハハ!!」」

 

 ヘトヘトのボクたちはお互いを支え合いながら、しばしの間馬鹿笑いをした。

 

 場内アナウンスがライブの全工程が終了したことを伝えている。会場の熱気が静まっていく。

 スタッフの人たちが撤収作業を開始し、慌ただしく動き始める。その中に例の可哀想な社長さんがいたけれど、今はもう活き活きとした表情で幾人ものスタッフに指示を飛ばしている。ボクたちに気付いた社長さんは深いお辞儀をしてきた。どうやら、手抜き設営によるステージの崩壊は、サプライズ演出ということで通ったらしい。

 よくよく考えると、彼が窮地に立たされたのは、ボクたちにも若干の原因があるような……? まぁ、結果オーライということで許してもらおう。それとこれから彼の会社が貧乏くじを引かされることがないように祈っておく。

 

「……P」

「なんだ?」

「ボクたちは、運命を……変えられたのかな?」

 

 舞台袖の隅の地べたに座って、ボンヤリと撤収作業を眺めながらPに聞いてみる。

 

「それは…………正直わからん。このライブ結果は台本とは全く違っているが、()()()もまだ消え去っていない感じがする」

「……その()()()が人間皆が普通に感じているものという可能性は?」

「ん~~……なんとも言えない。それか、もしかするとまだ分岐点上にいるのかもしれんなぁ……」

「ふぅん……?」

 

 ちょっと感覚的な話過ぎて理解らないな。

 

「……だが今日、一つ分かったことがある」

「あ……それって」

 

 ボクも一つ、今日の一連の出来事を経て、()()()のようなものを得ていた。

 

「おそらく、運命を変えるのに、必ずしもALDが必要なわけじゃない」

「うん……」

「あのとき……俺が諦めそうになったとき。飛鳥が突き進んだことは、完全に俺の予測を超えていた」

「フッ……それは嬉しいね……」

「あの熱はきっと、運命を変えられる力だと思う」

「うん……ボクもそう思――」

「あっ、神崎ちゃん」

「――へ?」

 

「あーーすくわぁあああーーーっ!!」

「ぐぼぁーーっ!?」

 

 猛ダッシュしてくる蘭子の姿が見えたと思ったら、それは流星と化しボクの胸部で炸裂した。

 

「あすっ! あすかっ! さっきの! なんぞ!? 舞台っ! グルグルガシャーンてっ!」

「ら、蘭子……っ!? ゲホっ……! 落ち着いてっ!」

「飛鳥カッコよかった~~っ! 我っ! アレ好き~~っ! 我も! 我もしたい~~っ!」

 

 蘭子は控室にボクがなかなか戻ってこないので探しにきたのだという。

 どうやらさっきのカオスなステージは、蘭子の琴線をかき鳴らしたようだ。鼻息荒く感動を伝えてくる彼女を見ていると、蘭子に敗北するだとかいうことを気にしていたのが馬鹿らしくなってくる。

 

「………チッ」

 

 熱烈にハグされながら、蘭子がやって来た方を見やるとあの女がいた。蘭子に愛されているボクを、それはもう悔しそうに見ている。最高の気分だね。

 邪魔者は放ったらかしにしておいて、ボクと蘭子は最近のことを報告し合う。

 

「やぁ! ここにいたのかい!」

 

 そこに水を差してきたのは、ボクの知らない人物だった。遠くからでもよく聞こえる大きな声を上げながら、恰幅の良い壮年の男性が近づいてくる。とてもエネルギッシュな雰囲気の男性だ。

 Pの知っている人物のようで、前に進み出て対応する。

 

「常務……。観覧されていたのですね。ご挨拶に伺えず申し訳ございませんでした」

「いやいや、いいんだよ、P君。急に予定が空いてねぇ。たまたま近くにいたから、お忍びで来てみたのさ」

「……そうでしたか」

「お忍びで来て、お忍びで帰るつもりだったんだけれどねぇ。あんな素晴らしいステージを見せてもらって、黙って帰るワケにはいかないよ!」

 

 常務、ということはこの男性がうちのプロダクションの実質的なNo.3だ。言われてみると、この顔は社内報か何かで見覚えがある。

 Pはまだ若手社員のくせに、常務とは顔見知りらしい。まぁ、彼のことだから、どんなコネクションを持っていても今更驚かないけど。

 Pが意外そうな表情を見せたことから察するに、こんな大物がここにいるのは“修正力”によるもので、この人がボクの遅刻ないし棄権を糾弾する流れになるところだったのかもしれない。

 

「いやぁ~~、血沸き肉躍った! やはり現場は、いや、アイドルはいいねぇっ! プロデューサーをやっていた頃を思い出してしまったよ」

「常務の現場時代の伝説は私も聞き及んでおります」

「ハハハ。伝説なんて言われてるのかい? 恥ずかしいじゃないか。でもP君もかなりのモノだと思うよ? 君の評判はここ最近あまり聞かなくなっていたけれど、なるほど、全ては今日のための布石だったというわけか」

「……私だけではここまで来れませんでした」

「そうだね。僕たちはアイドルあってこそ」

 

 そこで常務がボクを真正面から見つめてきた。Pが常務とボクに互いの紹介をしてくれる。

 

「二宮飛鳥だ。ボクのステージを気に入ってもらえたのなら嬉しく思うよ」

 

 ボクが名乗ると、常務は目を細めて「ほう……」呟き、Pは得意げにニヤついた。それから改めて常務から直々に賞賛を受けることになった。

 

「――おや? その子は……」

「ぴっ!?」

 

 常務がボクの後ろの――ボクの陰に隠れるようにしていた――蘭子に気付いた。

 自身とは真逆と言っていい()の気に当てられ、蘭子は小動物のようにビクついている。

 

「ご無沙汰しております。常務」

 

 そこですかさず神崎Pがガードしたのだが、常務の興味は蘭子に津々といった様子。割って入ろうとした神崎Pを「ちょっとごめんね」と横に動かし、蘭子をジロジロと舐めるように見つめる。

 震え上がる蘭子。

 即座に神崎Pがキレそうになったのが分かったし、ボクもイラついた。

 今度はボクが蘭子をガードすると、「おっ、なるほど」とボクと蘭子を並ばせて、仕舞には両手で作ったフレームでボクたちを狙ってくる。そして――

 

「ティンときたっ!!!」

 

 ――と叫んだ。会場中に響き渡りそうな大きな声だった。

 常務は興奮した様子で、Pと神崎Pに何事かを捲し立てるように伝えていく。それを聞くPはニヤついて、神崎Pは眉間に皺を寄せていた。

 そして常務は謎のサムズアップをボクと蘭子に向けると去っていった。ボクと蘭子はポカンとするばかりだった。

 

 

 

 その後、Pと焼肉店で打ち上げをしている最中に、Pの社用携帯が一件のメールを受信した。

 添付されていたファイルは、常務の署名が記された正式な命令書の写し。

 

『神崎蘭子及び二宮飛鳥は一定期間デュオユニットを結成すること』

 

 伝説の幕が開けた瞬間だった。

 

 なんてね。

 




評価、お気に入り登録、ありがとうございます!
とても嬉しいです!

物語は中盤に差し掛かったぐらいです。
もうしばらくお付き合いくだされば幸いです。


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≪Review by P≫

 

 俺が視ている世界は他の人間とは違う。

 

 そのことに気が付いたのは、俺がこの世に生まれてから千日が経った頃だった。

 

 俺には()()観えていた。

 

 たとえば電磁波だと、普通の人間の視覚はごく限られた範囲の波長の、いわゆる可視光しか認識できないらしいが、俺は全ての波長を認識することができる。音波なら超音波から超低周波まで全て聴くことが出来る。

 五感のその他の感覚も、普通よりも遥かに鋭敏らしい。いや鋭敏というよりか、各感覚は幾らでも研ぎ澄ませる。最新鋭の化学分析機器でようやく発見できるような事実も、俺は見て触れるだけで知ることが出来る。だから天体望遠鏡も電子顕微鏡も俺には必要ない。

 

 加えて、生まれてこの方、観てきた全ての情報を俺は覚えている。

 

 何年前の何時何分のその場所に、誰がどんな表情や体温や心拍数でいて、どんな電磁波が行き交っていたのか。全てを正確に思い出すことが出来る。

 人間の脳には未知数の記憶容量があるとはいえ、俺が視てきた情報は余りに膨大だろう。それなのに脳がパンクしそうな気配は一向に感じない。

 

 何故俺は()()なのか、なんてことはいくら考えても分からなかった。

 それに他人に言ったところで、クオリアの壁があるから絶対に伝わらない。一笑に付されるか、手品かイカサマと言われるのが関の山。観えるから観える、覚えているから覚えている、としか言いようがない。目で物が見える仕組みを理解してなくても見えるのと一緒だ。

 

 分からないなりにも俺の肉体の外に、透明の高性能な観測装置や記憶装置が付属されている、と仮定すれば多少は納得出来る。

 そしてどうやら――これは逆説的に示唆されたことだが――そこには演算装置もあるらしい。

 

 いつからか、俺には未来予測ができるようになっていた。

 

 詳細な観測データの膨大な蓄積だけではそれは達成できない。未来予測のためには、データを適正に処理するための演算装置がなければならないのだ。

 未来予測が有意なレベルで発現したのは三千日経った頃だった。それはつまり、その頃に未来予測に必要な十分な量の観測データが蓄積されてきたということだろう。

 その当時の俺は、自分のことを神に愛された人間だと自負していた。何でも出来るし、何にでも成れるという確信があったから。俺の能力があれば科学でもスポーツでも経済でも戦争でも、ほとんど全ての分野で頂点に立つことができる。造作もなく。それは傲慢でも何でなく、ただの純然たる事実だった。

 

 しかししばらくすると、俺は酷く落胆することになった。完成した未来予測は完璧過ぎたのだ。

 日常生活でも遊びでもスポーツでも、予測の通りに行動すれば、予測したことがそのまま起き、故にそのすべてで最高の結果を得た。それは余りに簡単過ぎた。こんなイージーゲームに何の意味があるのか? 学芸会の演劇と何が違うのだろう?

 わざと予測とは別の行動を採ろうとしたことは、もちろん何度もある。だがそれが成功することは一度たりともなかった。

 そうして理解した。俺が予測だと思っていたのは、実際には “台本”だったのだと。しかも俺の書いた台本なんかじゃなく、神だか悪魔だかが書いた、強制力のある台本だった。俺の予測というのは、あくまでそれを()()()していたようなものに過ぎなかった。

 俺という人間は、その台本の中で“極めて優秀な人間”としての役が与えられているだけ。つまりはただのモブの一人でしかなかった。

 脇役のくせに台本ほっぽってアドリブなんてしようものなら、監督さんに滅茶苦茶に怒られてしまうわけで……。とどのつまり、俺は心の奥底でビビっていたんだろう。だから、押し付けられた台本でも、クソ真面目に演じることしかできなかったんだ。

 

 神に愛されているなんてとんでもない。俺こそが誰よりも神の奴隷だった。

 こんな茶番、他にあるか?

 セカイの構造に気付かずにいられる他の人たちが心底羨ましかった。

 

 いくら落胆したとしても、台本から逃れることはできない。

 俺は表面上は華々しい活躍をしながら歳を重ねていった。そして大学を卒業し、この国で最も有名なアイドルプロダクションに入社した。それは世界でも有数の大企業であり、エンタテイメントに関しては世界でトップだと誰もが口を揃えて言う。プロデューサーとして成功を収め、会社内でのし上がってゆき、最終的に社長の座に就く……。そんなルートはなるほど、俺の()()()()としては()()()()ものだった。

 

 世界中から優秀な人材の集まるこの会社においても、俺の能力は抜きんでていた。

 入社直後から様々な部門において、会社の利益に多大な貢献をし、俺は入社三年目を前に正式にプロデューサーへと昇格した。

 

 プロデューサーを名乗れるようになった三日後の3月25日の昼。

 上司の居室へと呼び出された俺は、自分でプロデュースする娘を決めるよう命じられた。スカウトでも訓練生の中から見繕うのでもどちらでも構わないから、と。

 数名の訓練生のプロフィール書類を受け取ってから退室したが、まだ見てもいないその書類の中身は全て分かっていたし、結局誰を選ぶことになるのかももう知っていた。

 

 ……そうだ。俺は候補生の中から選ぶつもりだった。いや、そういう“台本”だったんだ。

 だったら何故、俺は二宮飛鳥をスカウトした? することが出来た?

 

 プロフィール書類を受け取った後は早めに帰宅した。

 そして自宅で一服しているとき、15時23分に正体不明の立方体――今はALDと呼称しているもの――が何処からともなく出現した。

 無から有が発生したのを目の当たりにして驚愕するのと同時に、単なる驚きとは別種の何か途轍もない感覚に襲われた。それは恐らく“自由”だった。生まれて初めて感じる、本当の意味での自由。俺をずっと抑えつけていた“窮屈さ”つまりは“台本”が、どういうわけか消えたのを感じた。

 今ならどんな行動も採れるという実感があった。たとえば、本来選ぶはずだった娘とは別の娘を選ぶことも出来る。それどころか、スカウトすることも可能――そう考えた瞬間、とても大切なことを思い出した。

 

『静岡へ行かなくては!』

 

 パチンコで弾かれたように自宅を飛び出し、十五分後には新幹線に乗っていた。

 

 そして俺は二宮飛鳥と出会った。

 

 この日、二宮家を出る頃には、また新たな“台本”が出来上がっている感覚があった。

 新しい台本では俺の担当は二宮飛鳥になっていたが、あの当時は不思議なことに7月以降の台本は読めなくなっていた。

 読めなかった――つまり未来予測できなかった――のは、神崎ちゃんの特殊な力についてのデータを取得してなかったから、という理解で良いだろう。

 

 …………いや、待て。

 重要なのはそういうことじゃない。重要なのは『何故俺は静岡に行ったのか?』だ。

 何か理由があったはずだ。

 “自由”になった瞬間、それを思い出した。だから俺は静岡へ行った。何を思い出した? 昔何かがあったような……? そうだ、確かに何かがあった。昔……いや、十年前だ。俺でさえ理解不能なことが、その頃にあった。俺は確かに()()を観た。だから教室なんて飛び出して、その不思議を解明しに行きたいと心の底から願っていたのに、何故か決してその行動を採ることができなかった。だからこそ俺は世界の構造に気付くことにもなったが……。

 

 伝えなくては。

 

 伝える?

 何を?

 誰に?

 

 いや……妙だ。まさか、このことについて考えるのは初めてではない?

 

 そういうことか……あの頃から何度となく考えて、そしてその度に忘れているんだ。

 何故こんなことが起こる? こんな思索シーンは台本には書かれていないってことか……?

 

 あぁ、ダメだ……。

 きっとこの思考さえ……――――

 

 

 

 

 

≪Observation by P≫

 

「――ぶえっくしょいっ!!」

 

 不意にとんでもないくしゃみが出た。

 目の前の書類にかからないよう、なまじ抑え込もうとしたせいで、かえって唾が滅茶苦茶飛んだし、鼻水もブラリンしてる。

 今俺の居室には、ツッコんでくれる人は誰もいない。もの悲しさはあるが、飛鳥が帰った後で良かった。眉を顰められただろうから。

 

「うお、垂れる垂れる……」

 

 デスクの引き出しに備えていたちり紙を取って、ズビビと鼻をかむ。たくさん出た。爽快。

 

「………なんだっけ?」

 

 くしゃみする直前まで、何か考え事をしていたんじゃなかったっけ……? しかし思い出せない。実際には仮眠をとっていただけのような気もする。

 現実と“台本”が乖離し始めたあたりから、こういうことがよくある気がする。ただの疲労によるものか? よく分からない現象だ。まぁ、そのよく分からないっていうのは、俺にとっては寧ろ良い傾向だ。

 

「よし、もう少し進めておこう」

 

 そして俺は気合を入れ直して、再び仕事に取り掛かった。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

 ひょっとすると、今日このときのためにボクは全てを捧げてきたのかもしれない。

 手を伸ばせば届く位置にいる蘭子。彼女がボクを見て微笑む。ボクも負けじと笑みを返す。

 

 ダークイルミネイト。ボクと蘭子によるデュオユニット。

 十日前、上からの命令という形で急遽結成することになったユニットだが、それは最高のものになる予感があった。寧ろ、今まで蘭子とユニットを組むという発想が一度も浮かばなかったのが謎だった。ダークイルミネイトこそが、ボクとPが運命に叛逆した末に辿りついた未来なのだ、とさえ思っている。

 

 ものの数日でダークイルミネイトの新曲が用意されたのは、常務が後ろ盾になっているからだろう。

 そして特訓を経て、今この場所に臨んでいる。このステージは、ボクがこれまで乗り越えてきたどのステージよりも困難なものになる。そんな確信がある。どんな些細なものでもミスがあれば即座に終了されるだろう。今日のオーディエンスの目は、間違いなく、世界で一番厳しいから。あと、厭味ったらしいし、容赦も慈悲もないし、それに何より、ボクのことをとにかく嫌っているから。

 だからといって怯んだりしない。目に物見せてやる。

 

「「――!」」

 

 伴奏の開始に合わせて歌い始めるボクと蘭子。コンマ一秒のズレさえもないリズム。ボクたちの歌声の完璧なユニゾン。

 

 イケる!

 この感じ、最高の一回になる。どうだ!? これが特訓の成果だ! その目にとくと焼き付――

 

「ストップ」

 

 ――なにっ!?

 

「ストップ。ストップよ。早く音楽を止めて」

「あっ、は、はい……っ!」

 

 ルーキーのトレーナーである青木慶さんが、手にしていたリモコンを慌てて操作する。

 スピーカーから流れていた音楽が止まり、ステップの途中だった足先が接地した瞬間の、キュ、という音が、レッスンルームに物寂しく響いた。

 ズカズカと、ボクへと迫ってくる人物がいる。神崎Pだ。ボクたちの最高の()()を止めた張本人。

 

「ハァ~~~」

 

 不機嫌さを隠そうともしない盛大な溜息を吐きつつ、性悪女は尚も近づいてくる。ボクだってウンザリなのだが?

 ボクのパーソナルスペースを侵し、無駄に形の良い胸があと一ミリでボクに触れるというところまで接近してくる。オマケに鼻先も一ミリのところまで寄せて、所謂ガンを付けてくる。並外れた美人のキレ顔は、率直に言って凄い迫力だ。ボクは慣れているけど、普通の青少年なら泣き出しても不思議じゃない。いや本当に。

 

「三日前から何も進歩していないじゃない。一体どういう了見? 貴重な時間を使って何をしていたのかしら? もしかして貴女、無駄な努力をするのが好きなタイプの人間?」

 

 は? うるさいな? 一歩だって引いてやるものか。

 

「歌もダンスも、三日前とは違って、トレーナー陣から合格判定を貰っているんだが? それをサビに入る前に止めるなんて、キミの目は節穴なのかな? あぁ、もしかして老眼かい?」

 

 こちらもガンを付けながら、言い返す。

 直ぐ近くで「あわわわ」という可愛らしい鳴き声がして、その向こうの壁際では慶さんが「ちょっとPさん止めないと!」と慌て、そして「もう少し様子見で」とPがヘラヘラ言う。フン、望むところだ。

 

「いや、まずは何が気に食わなかったのか言ってくれないか? 個人的には完璧だったんだが?」

「あら、言われないと分からないの?」

「チッ……。言葉を介さず理解しあえるなんて幻想さ。もっとも、幾ら言葉を交わそうと理解り合えない人種はいるけどね」

「……なら言ってあげる」

 

 顔を離し、ガンを解いた神崎Pは、しかし、嘲るような目をボクに向けながら続けて言う。

 

「曲を貰ってからもう五日経つし、優秀なトレーナー陣に指導してもらっているのだから、歌もダンスも出来て当たり前なの。それをドヤ顔されても、正直滑稽でしかないわ」

「それで愚弄したつもりかい? ボクは安い挑発には乗らないよ」

「フン……二宮飛鳥。貴女、本当は気付いているんでしょう?」

「何の……ことだ……?」

「自分が蘭子のパートナーに相応しくないということよ」

「……!」

 

 ドキっとした。それは考えまいとしていただけで、図星というヤツだったのかもしれない。

 

「歌とダンスが完璧であることに越したことは無いわ。でも、そんなことよりももっと重要なことがあるの。蘭子の“力”を妨げないことよ。貴女にはそれ以外に何も望んでいない」

「ッ……!」

「なのに、今の貴女にはそれすら出来ていない。貴女の低次元な歌が、蘭子の歌声の崇高なる波長を乱しているの」

「………くっ!」

 

 特訓を経て、合格基準のパフォーマンスに達していることは間違いない。しかしそれは()()()()()()からすれば、だ。

 これまで何十回と合わせてきた。しかし一度たりとも、蘭子のライブで見たような奇跡じみた現象は起きていなかった。

 

「十日前の初打ち合わせのとき、貴女は『魂を重ねたユニットにしてみせる』と宣言した。だから私は気が進まないけれど……本当に吐き気がするほど嫌だけれど、蘭子と貴女が組むことを前向きにとらえようとしていたの。でも、少しでも期待した私が馬鹿だったようね」

「言わせておけば……。だったら、どこをどうすればいいのかご教示願いたいんだが? 例によってキミの言い分には具体性というものが皆無だ。ボクからすれば難癖以外の何物でもない」

「……一つ、聞かせて?」

「な、なに……?」

「魂の叫び、魂の波動、魂の力……いえ、別にどう呼んでも構わないのだけれど。つまり、“力”の本質を……貴女はどう認識しているの?」

「は……?」

 

 なんだその中二病的な質問は? まだボクが罹患者だからいいものの、慶さんなんかもう理解を放棄した顔でルームの片づけを始めてしまったじゃないか。そういえばPは相変わらず様子見を決め込んでいるし、蘭子は神妙な顔で事の成り行きを見守っている。

 いいだろう。答えてやるよ。ボクの解釈を。

 

「魂の力……その本質は、重量――」

「……!」

 

 ボクの言葉に神崎Pが瞠目する。

 フフン。ボクには理解らないと思っていたのかな? 見縊られたものだ。

 

「このセカイに存在する全てのモノは重量を有している。そしてそれは魂についても例外ではないのさ。ボクも蘭子のステージを見て気付いたんだけれどね」

「……はぁ~~~」

 

 あれっ? 溜息ついた?

 

「……た、魂が有する重量はある実験によって21グラムであることが判明している。つまり魂の持つ力とは、その重量をエネルギーに変換することで――」

「もういいわ。いつ、貴女の漫画の設定の話をしろと言ったのかしら?」

「こ、これは設定なんかじゃ……っ」

「チッ……。本当に、私が馬鹿だったわ。一ノ瀬志希やPと共鳴してみせた貴女ならあるいは……なんて、少しでも考えてしまった自分が恥ずかしい。やはり、あれは低次元なモノだったようね。疑似的な共鳴……いえ、紛い物と言うべきかしら」

「っ……!?」

 

 神崎Pが何を言っているのかよく理解らない。だが、ボロクソにこき下ろされているのだけは理解った。

 

「二宮飛鳥。貴女の理解は何もかも的外れよ。そんな風に捉えているのなら、たとえ一億年レッスンしようとも、蘭子と真の共鳴をすることは出来ないわ」

「だ、だったら……っ! そこまで言うなら! どうすればいいのか、どう理解すればいいのか、教えてくれないか!? それだってプロデューサーの仕事だろう!?」

「……………嫌よ」

「はぁっ!?」

 

 あまりにもハッキリとした拒否に、二の句が継げなかった。

 

「勘違いしないで欲しいのだけれど、私は今も貴女が蘭子と組むことには反対しているし、そもそも貴女のことが嫌いなの。だから塩を送るようなことをするつもりはないわ。自分で考えなさい」

「お前……! どこまでイヤな人間なんだっ!」

「というか、すぐにでも常務にふざけた命令を撤回させたいところね。……いえ、させるわ」

「……は?」

「明日の夕方に、もう一度見せてもらう。それで駄目なら、常務に命令を撤回させる。この十日間は無駄だったということになってしまうけれど、蘭子のファンを失望させるよりは遥かにマシだから」

 

 神崎Pは壁際で静観を決め込んでいたPへとその鋭い眼光を向ける。

 

「常務の説得は貴方にも手伝ってもらうわよ?」

 

 Pは微笑なのか苦笑いなのか判然としない表情で、無言のまま一度首を縦に振った。

 

「本気なのか……っ!?」

「話は以上よ。……さ、蘭子。行きましょうか」

「き、気は確かか、瞳を持つ者よ……? え、あっ、プロデュ、ちょ……っ!」

 

 ボクの言葉は元より蘭子の説得にも聞く耳を持たず、神崎Pは蘭子の腕を掴んでレッスンルームの出口へと向かって行く。

 

「オイ! 待てったらっ!」

 

 ドアを越えようとする神崎Pに、ほとんど怒鳴るような声を投げかける。するとヤツは止まり、侮蔑の籠った眼差しでボクを見た。

 

「まったく……よりにもよって質量エネルギーだなんて高の知れたもの、よく引き合いに出せたわね? 覚えておきなさい。魂の力が真価を発揮したとき、それはもう測ることなんてできない……まさしく無限のエネルギーを生み出し得るのよ」

 

 そう吐き捨て出ていった。

 バタム、とドアの閉まる音がレッスンルームに木霊する。

 

「なっ……!?」

 

 なんだアイツは! 言いたいことだけ言っていきやがって! しかも何もかも意味不明だ!

 

「あ、あはは……レッスンの予定が変更になる場合は、またご連絡お願いしますね~~……じゃ、じゃあ、私はこれで……っ」

 

 慶さんがそそくさと逃げ出していく。となれば、室内に残るはボクとPだけで、そこでようやくPが言葉を発した。

 

「散々な言われ様だったなぁ~、飛鳥よぉ~」

「いっ、言うに事欠いてそれかっ! キミはどっちの味方なんだ!?」

「そらもちろん飛鳥だ」

「っ……! なら、いい……。いや、よくないっ!」

 

 状況は何も変わっていないし、それに。

 

「だったら、こう……もう少し援護するとか……あるだろう…っ!」

「あーーうん……それはすまんかったが……ん~~……」

 

 珍しく何かを考え込む様に、Pが腕組をして唸る。どうしたのかと視線で問うと。

 

「神崎Pだけどな……ありゃ、たぶん、人間じゃねーわ」

「は…………?」

 

 何を言うかと思えば。

 

「……プッ! ハハハハッ! 奇遇だね、同感だよ。ボクは、あの女は氷で出来た人形だと踏んでいるんだ」

「あ~~……いや、そういう冗談じゃなくてな」

「ん?」

「マジな話で、アイツ、人間じゃない。あぁ、正確には()()()()()()()()かな。少なくとも今はちゃんと人間の身体してるわけだし」

「……………はい?」

 

 ワケが分からない……。でもPは冗談を言っているようには見えない。

 

「神崎Pと初めて会ったのは今年の三月末……約半年前、飛鳥をスカウトした数日後だ。アイツはその頃に中途採用で入社してきててな。歳が近くて、比較的暇してた俺が会社の案内をしてやることになったんだ」

 

 それについては以前聞いたことがあったな。

 

「初めて会ったとき、かなり驚いたよ」

「美人さにかい?」

「それも結構驚いた。でも俺が心底スゲェと思ったのは、神崎Pがあまりにも左右対称だったからだ」

「それはまぁ、美人の条件の一つに左右対称性があるくらいだし」

「そんなレベルじゃなく、完璧に左右対称だったんだ。全身の各部の形とか、筋肉の付き方とか、毛穴の位置もだな。寸分違わずに対称。でもな、二十年以上も生きてきて、そんな左右対称のままいるなんて不可能なんだよ。どれだけ気を付けても筋肉の付き方は違ってくるし、不意の抜け毛だってよくあることだ」

「……」

 

 あの女をそういう観点で見たことがなかったけれど、そんなことがあるのだろうか? というかPのヤツ、よく見てるな。毛穴って……。まぁPだし、それくらいの洞察力があってもおかしくないか。

 

「初めて会ったときはそうだったんだけどなぁ……。この半年間のアイツを見ていると、少しずつ、その左右対称性が崩れていっているんだ」

「つまり、何が言いたい……?」

「俺が思うに、アイツは半年前までは人間ではない()()だった。そして半年前、人間になることを決めて肉体を用意した。人間として活動し始めてすぐは新品の肉体だったから、完璧な左右対称だった。それが日々の生活の積み重ねによって、今では身体の左右で明確な差異が生じ始めている」

「……………は、は、ははは……」

 

 漫画の設定かな? と言おうとして、それがついさっきあの女がボクに言った台詞であることに気が付いてやめた。それに……ALDとかいう人知を超えたガジェットの存在を、ボクはもう知ってしまっているし。

 

「……で、急にそんな中二病的な話を持ち出して来て、キミは何が言いたい?」

「その出自と口ぶりから、どうやら神崎Pは神崎ちゃんの不思議な力について、俺たちよりも遥かに多くのことを知っているらしい」

「出自についての真偽は定かじゃないけどね」

「だから、アイツが言ったことを、飛鳥もちゃんと考えてみる必要があるのかもしれない。なんかこう、反発したい気持ちはあると思うけど」

「くっ……! そういう結論か。回りくどいっ!」

 

 ボクの認識がどうとか、無限のエネルギーがどうとか。あれはボクをこき下ろすための罵倒じゃなかったとでもいうのか?

 

「神崎Pはなんでか、飛鳥に対してはやたらと口悪くなるけど、さっきのはアイツなりのエールだな。叱咤激励ってやつ?」

「ハハッ! エールだって? あの女が? 冗談はやめてくれないか」

「アイツのことで一つ確かなことがある。それは、神崎ちゃんLOVEってことだ」

「ラブて……」

 

 いや、まぁ……あれもLOVEか。だいぶ歪んでそうだけれども。

 

「神崎Pは神崎ちゃんのためになるものなら何でも使うし、ためにならないなら絶対に何が何でも拒否するだろう。そんなアイツが、ユニット結成が決まってから今日までの十日間、それなりに協力的だったのは、アイツも内心では飛鳥に期待してるってことさ」

「ふ、フン……どうだか」

「………そうか……そういう意味では、詳しく教えてくれなかったのは、それこそがベストだと判断したのか……? それとも教えても無意味だと……? ということは飛鳥が自力で到達しなければならない類のもの? 必要以上の助言はバイアスとなって発見を妨げるから? いやしかし……」

「P?」

 

 頭をユラユラさせながら、ブツブツ言い始めたPの肩を揺さぶってこちら側に引き戻す。

 

「おお、すまんすまん。俺はこれから改めて神崎Pに幾つか確認してくるよ。飛鳥も来るか?」

「ボクは……」

 

 ボクが神崎Pに首を垂れて教えを乞ったとしても、叶うとは思えない。それに、もし仮にアイツに『じゃあこうしろ』なんて言われても、素直に従う気にはなれそうもない。

 

「いや……ボクには、あの女とは別の()()()()があるんでね。そっちはPに任せるよ」

「O.K.! 何か有益な情報がゲット出来たら連絡するわ」

「あぁ、待ってるよ。期待はしないけどね」

「言ったなこんにゃろめ」

 

 そうしてボクらもレッスンルームを出た。

 Pは神崎Pを追い、近所の撮影スタジオへと向かって行った。どうやら蘭子の撮影があるらしい。

 彼の背を見送った後、ボクは携帯を取り出して()()()()へとメッセージを送った。そして、待ち合わせに指定した、レッスンスタジオの隣に鎮座する我らがお城、そのカフェへと向かった。

 

 

 

 

「これは悩みがある匂いだにゃ~」

「ッ――!?」

 

 待ち合わせ場所に指定したカフェでコーヒーを啜りながら待つこと数分。背後から何者かに奇襲を仕掛けられた。いや、こんな準セクハラ行為をいきなり仕掛けてくるのは、ボクの交友関係には一人しかいないわけだが。

 

「ハスハス! クンカクンカ! でもこれはこれで……アリ!」

「ひんっ! ……ちょっ、いい加減に……しっ、志希!」

 

 振り向けば、猫よろしく見開かれた二つの瞳と目が合う。案の定、一ノ瀬志希だった。

 

「はいはーい、志希ちゃんでーす!」

「まったくキミというヤツは……もっと普通の登場の仕方を覚えてほしいんだがね?」

「んー? 飽きてきたってこと? もっと刺激的な方が良い?」

「断じて否だっ! 独善的な解釈は感心しないな。人間らしいマナーを身に付けて欲しいと言っているんだ」

「志希ちゃん、むずかしーことはワーカリーマセーン! にゃははーー」

 

 志希とはDimension-3の活動が一段落した後も頻繁に会っていた。とはいえ大抵は志希に呼び出されて、もみくちゃにされたり得体の知れない液体を摂取させられそうになったりで碌な目に遭わないが。だからたまには、後輩のボクが呼び出してもバチは当たらないだろう。

 

「まずは…そうだな、何を注文する? ボクが呼び出したんだし、奢るよ」

「え~いいの~? 何頼もっかな~? 何でもいいの~?」

「メニューにある品なら、何でもいいよ」

「にゃは! じゃあ~~、ここからこ――」

「――ただし! 二品までだ」

「ありゃ」

「人間は学習する生き物なのさ」

 

 先月志希と一緒にふらっと入った喫茶店で、彼女の暴挙の所為で危うくお腹が割けそうになったこと思い出していた。

 志希は結局、ドクターペッパーとミルクティーを注文した。それとタバスコを持ってくるのもお願いしていた。

 

「それで何だっけー? 飛鳥ちゃんが呼んでくれるなんて珍しいよね」

 

 注文した飲み物を早々に物体Xに変容せしめた志希が、満足げに微笑みながら口を開く。

 

「あぁ、少し相談……というか、知恵を借りたいことがあるんだ……」

「待って、当てるね。うん、分かった、間違いない。Dimension-3再結成するにはどうすればいいのかだよね? 大丈夫だよ、あたしが全部してあげる。あたしのもつ権限全部使って関係者説得する。何だったら明日からでもイケるよ? 他の仕事なんて全部キャンセルしちゃうから」

「は? い、いや……そういう話ではないんだ」

「えっ、違うの? にゃ~んだ、にゃはは~~……」

 

 ケラケラと笑う志希だが、何故か、その目は全く笑っていないように見えた。

 

「実は……これはまだオープンになっていないプロジェクトなんだけど――」

 

 ボクは蘭子とユニットを組むことになった経緯を語った。もちろん、ALDや“台本”などについては割愛した。

 蘭子について、志希はほとんど知らなかった。『不思議なパフォーマンスをする娘がいる』という噂を聞いたことがある程度らしい。

 

「ふ~~~ん、神崎さん家の蘭子ちゃんって娘なんだ~~~。へぇ~~~……」

 

 そして、蘭子の不思議なパフォーマンスは魂の力が引き起こしているらしいことと、先刻の神崎Pとの舌戦についても伝える。一般には荒唐無稽と思われそうな領域の話に入っても、志希は特に遮ることなく「へぇ、ふぅん」と相槌を打ち続ける。

 そこでようやく気が付いた。何故かは理解らないが、どうやら志希の機嫌が良くない……というよりは、悪いらしい。

 

「志希? 何か……怒ってないか?」

「えぇ~~? べっつに~~? 志希ちゃん何も怒ってないよぉ~~? これっぽっちも怒ってないよぉ~~? 一フェムトグラムも怒ってないよぉ~~?」

「い、いやしかし……そんな貧乏ゆすりはキミらしくないというか……」

 

 志希は気怠げに頬杖をついて、テーブルの上のシュガーポットを凝視しながら、踵を一定のリズムで石畳を打ち付けていた。

 

「ただ、飛鳥ちゃんって()()()()子なんだなぁ~~って」

「へ? ボク……?」

「あたしを呼びつけておいて、他の女の子の話するんだぁ~~って。しかも、その子とイチャイチャするにはどうしたらいいのかなんて聞くんだぁ~~って」

「い、イチャイチャってキミな……一体何を言いたいのか、皆目見当がつかないんだが……? というか、キミの方こそいつもボクを好き勝手に呼び出すじゃないか。今日ぐらいは大目に見て欲しんだけれどね」

「……………………」

「志希……?」

 

 急に黙りこくる志希。いつの間にか大気にひんやりとしたものが混じっているような気がした。

 

「まぁいいや。で、え~っと、どういう話だったかにゃ~~?」

「っ……」

 

 しかし。さっきまでの不機嫌顔はどこへやら、志希は急に破顔した。満面の笑みだった。なのに、ボクの背筋には悪寒が走る。いや、これは錯覚だ。うん。志希の目は今も笑っていないように見えるけれど、元からそういう目だったような気がするし。うん。初めて会った頃の志希の笑顔がこんな感じだった。そうだ。だから問題は無い。たぶん。そういうことにしておこう。とにかく今は志希の意見が聞きたいんだ。

 

「た、端的に言うと、魂の力の本質とは一体何なのか? ボクが今最も知りたいのはコレさ。志希、キミはどう思う?」

「………魂……たましい……タマシー、ねぇ………」

 

志希の首が肩に付くくらいに傾く。視線は明後日の方へ向いている。おそらく彼女の頭の中で情報の検索と整理を行っているのだろう。

 

「てゆーかまず、魂の実在性からして、いくら議論しても現代科学では結論は出なさそうなんだけど……。飛鳥ちゃんの話では魂は実在するって前提があるんだよね?」

「あ……うん。いや、魂は存在するだろう?」

「そーかにゃ? 志希ちゃん、見たことないからわかんにゃい。でもそれだと話が進まないからそういう前提にしとくね」

 

 まぁそれでいいか。

 

「次に魂の定義……はちょっと面倒だから、ざっくりとした分類だけさせてもらうけど。ここでいう魂とは文脈的に、気持ちとか精神的性向とかを言い換えているものではなくて……なんて言うのかな……、一人の人間をその人たらしめる“何か”の方で合ってる?」

「う、うん……。ボクも明確に言えないけれど、少なくともその捉え方はボクのそれとさほどの齟齬もない」

「んで、その“何か”であるところの魂とは何なのか? その本質とは? 志希ちゃんの見解は~~!?」

「ゴクリ……!」

 

 志希がテーブルの隅に追いやられていた物体Xに手を伸ばし、香りを一気に吸い込む。誘引されるフレーメン反応。そして――

 

「ワーカリーマセーン!」

「むぐ……っ!」

 

 思わずガクリと項垂れてしまった。

 そんなボクを見てコロコロと笑う志希は物体Xをじゅるると口に含み、目を死んだ魚のようにした。

 

「ジョーダンとかイジワル言ってるわけじゃなくてね、志希ちゃんにはわかんない。だって言った通り、魂なんて見たことないんだもん。だからわかんない。その本質を語るなんて夢のまた夢~~」

「むぅ……」

「ちなみに、飛鳥ちゃんの『21グラムの質量を持った何か説』にはノーコメント……と言いたいところだけど、あたしも懐疑的かな~」

「なっ!? それはキミの言葉で思い出したことだっていうのに……」

「にゃはは~~。あのマイクパフォーマンスを採用してくれたのは嬉しくもあり、恥ずかしくもあり~~。とはいえアレは魂を別の言葉で言い換える為だけに使った以上の意味はないんだ。あまり考える時間もなかったし」

「その節は迷惑をかけてすまなかったね……」

「ぜーんぜん? 寧ろ、あーゆーのはもっと仕掛けて欲しいにゃ~」

 

 ケラケラと笑う志希の言葉に嫌味や皮肉は含まれていなさそうだった。

 

「そのなんとかってお医者先生以外にも、死後放散分以外の何らかの重量が人体から抜けてるって提唱した人たちはいたみたいだけど、どうにも胡散臭いんだよねぇ~。例えばそういう人たちが一緒に引き合いに出してくる、死後直後の魂が抜けたとかいう瞬間の写真かな? エーテルが頭を取り囲んでいたとか、球状のモヤが天に昇って行ったとか言ってるけどさ、普通にフェイクだったんろうね。昔より遥かに高性能な今のカメラで撮影したグロ系の映像に何も映ってないわけだし。フェイク画像を使っている時点で、主張全てに信頼性が無なくなっちゃう」

「むぅぅ……」

 

 言われてみれば確かに…? 魂が抜ける瞬間が撮影されていた、なんてニュースを聞いた記憶は無い。

 

「まぁでも彼らの論文を精査したことがあるワケじゃないし、結局はよく分からない。知らないことには口をつぐまなければならない……なんてことを言うつもりは無いんだけどね。少なくとも飛鳥ちゃんのブレイクスルーになりそうな情報は、あたしには出せそうもないかな」

「そ、そうか……」

「てか、その神崎Pさん、だっけ? 何者って感じだよね。魂がどういうものであるか知っている口ぶりだったんでしょ? もし本当に知ってるなら、プロデューサーよりも教祖サマの方が似合ってにゃい? 」

「……!」

 

 さっきPが言っていた、神崎P非人間説が頭に過った。

 

「まぁ、あたしに言えることはこの程度の――あっ、そだ。ちょっと気になったことがあるんだけど」

「ん? 今ならどんな意見でも歓迎するよ」

「その神崎Pさん、無限のエネルギー、って言ったんだよね?」

「あぁ。言ったね。たしかに」

「ふーん………」

「何が気になるんだい?」

「無限……ねぇ………」

 

 志希はムゲンムゲン、と呟きながら咥えたストローに息を吹き込む。グプグプと下品な音が静かに響いだ。

 

「フン、それはただの誇張表現だと、ボクは解釈したがね」

「うーん……。例えば世界各国で研究中の核融合発電でも、無限のエネルギーなんて言われないんだけどね。言うとすれば、半永久的、ぐらい? そこらにいるOLさんならともかく、うちの会社のプロデューサーになれるようなエリートが、無駄に無限なんて表現使うかにゃ~?」

「……つまり、アイツが正しいと仮定すると、魂の力は真に無限のエネルギーを扱える、と?」

「そういうことになるね」

「ハッ! だったら益々質量エネルギーじゃないか。これ以上に高効率の換算式が他にあるか」

「飛鳥ちゃんの言う通り――あぁ、魂が質量を持っているかは別にしてだけど――質量エネルギーは膨大だよ? でも無限じゃない。えむしーの二乗で計算できる有限の値。21グラムでも1トンでも、それは変わらない。例えこの宇宙に存在する全ての天体がエネルギーに置き換わっても、暗黒物質を含めたとしても、定義上は有限」

「そ、それは……っ」

 

 なんだかスケールがとんでもなくなってきた。

 

「そもそも、無限って何? 無限のものって何かある? ダークエネルギーだって質量エネルギーよりかは遥かに大きいけど、見積もりとしては高々何十倍ぐらいじゃなかったっけ? グーゴルもグラハムも越えた先にあるのが無限。いや、定義上はそれも無限の端にさえ触れていない」

「無限のものか……」

 

 そういう見地からだと難しいな……。というか、暗黒物質、ダークエネルギーときて、グーゴルにグラハム、か。ずいぶんと胸が疼くワードだな……! 前二つは宇宙に遍在する未知の物質とエネルギー、後ろ二つは無量大数を遥かに超える途轍もなく巨大な数だったっけ?

 巨大なモノ……とくれば……。

 

「宇宙の広さ……? これ以上大きなモノは存在しないわけだし……。って、いや、宇宙は膨張しているのか。だったら現時点では一応は有限なのかな?」

「宇宙論には志希ちゃんそんなに明るくないんだけど、最新の理論ではどうなんだっけ~? でもまぁ、ずっと膨張し続けるなら、無限に時間の経った後には無限の広さになっているのかもね」

「その場合には宇宙の寿命も無限だね」

「ふむふむ、そうなるね~~」

「あぁ、ちょっと趣旨からズレるかもしれないけど、円周率も無限に続くと教わったな」

「うん、それは完璧に証明されてる。にゃは! 机上のお話にシフトしてきた。……うんにゃ、案外こういう話なのかも?」

 

 随分と脱線してしまっているような、そうでもないような。そして、なんとも雲を掴むような……。机上の空論とは正しくこのことだろうな。

 

「それでいくと無理数の小数点も無限に続くね」

「無理、数……?」

「もう少ししたら数学の授業で習うよ」

「ふぅん……」

「うわ、嫌そーな顔!」

 

 だって名前からして一筋縄ではいかなさそうだし。

 

「……そだ。これもあった。机上絡みでもう一つ」

「へぇ、何かな?」

 

 ほぼ手付かずだった水入りのグラスに志希が人差し指を突っ込み、濡らした指先でテーブルに円とその中心点を描く。

 

「ブラックホール。その中心……特異点における重力は理論上、無限大」

 

 更に“∞”を描き加える。

 

「なるほど、それも聞いたことがあるな……――っ!」

 

 瞬間、ボクの奥底の“何か”が蠢いた。それは極めて微かな感覚だったけれど、間違いようのない程に確かな感覚だった。

 宇宙に点在するという、猛烈な重力で周囲の物質を飲み込み続ける天体、ブラックホール。最も近いものでも何千光年も離れているはずなのに、ボクの意識が引き寄せられていくような気がしてくる。

 

「い……いや待てよ。机上? 最近、ブラックホールの撮影に初めて成功したというニュースが話題になっていたと思うんだが。ブラックホールは実在することが証明されたんだろう?」

「んーと、ブラックホールが実在することの証明は、数年前に重力波が検出できた時点で果たされているんだけれどもね。まぁ、それはいいや。ブラックホールはありまぁす! そこまではオーケー。でも中のこと……事象の地平面より先のことは未だに一切確認されていない」

「事象の…地平面……!」

「またの名をevent horizon」

「い、イベントホライズン……っ!」

「にゃは!」

 

 さっきから素敵ワード頻出だな。一応は既知のワードだけど、会話の中で相手から出てくるのは格別だ。

 

「ゴホン……。でも、どうなっているかについての理論はあるんだろう?」

「理論はあくまで理論だからねぇ~。どれだけ賢くて偉い教授が『これだ!』って言っても、実際に観測してみるまでは、正しいかどうか分からない、と言う他ないね」

「そういうものなのか……?」

「観測することは大切だよ~。サイエンスなんて全部観測から始まってるからね。まず膨大な観測結果を元に、現象を説明できる数式に当てはめて検証。あらかた検証し尽くした後は、今度は数式を発展させて予言。『コレコレこういうときにはこうなるはずだ』ってね。んで実際にそうなっているのかを観測してみてまた検証。予言的中ならパチパチ~。何か違ったなら数式を修正。その繰り返しでようやく人類は、ブラックホールが実在すると確認するに至ったのであった……とぅーびーこんてぃにゅーど~~!」

 

 そこまで言うと志希は、残り少なくなっていた物体Xのグラスをあおり一気に喉に流し込んでしまった。

 

「オェッ……でもこればっかりはねぇ~。たとえ人類がブラックホールの近くまで行けるようになったとしても、検証は不可能かもしれないな~。原理的に観測が出来ないんだから」

「観測…………か」

 

 観測というワードが、そしてその他のパワーワードたちが、ボクの頭の中をグルグルと回っている。それらがぶつかり合いながら融合し始め、妙な形のオブジェが出来上がり、そして崩壊した。すると、ボクの胸に一つの強い衝動が沸き上がってきた。

 

「行かなくては……!」

 

 ボクは席から立ちあがった。志希は珍しく驚いた表情をして、ボクを見上げている。

 

「ボクは蘭子と話をしなくてはならない」

「パードゥン?」

「ボクが今なすべきことが理解ったよ。ありがとう志希。キミは本当に頼りになる人だ」

「え、あ、はい」

「この礼はいつか必ずさせてもらう」

「えっ、もう行っちゃうの? じゃあさ! 蘭子ちゃんとのユニットが終わったら、またあたしと――」

「――ではお先に失礼するよ」

 

 そうしてボクはカフェを颯爽と駆け出した。

 

 

 

 カフェを出ると、時刻は夕方に差し掛かっていることに気付いた。志希と二時間近く話し込んでいたらしい。

 

『ダメだった(><)』

 

 携帯にはPからのそんなメッセージが届いていた。やはり神崎Pからは何も聞き出せなかったのか、それとも……。まぁ別に構わない。

 蘭子に電話すると、撮影は既に終了し、つい今しがた寮に帰りついたということだった。ボクは無理を承知で、今から訪ねさせてほしいこと、そして出来れば泊めて欲しい旨を伝えた。

 蘭子は快諾してくれた。

 

 ボクの往く道が、夕陽に焼かれて燃えている。その朱さは蘭子と初めて邂逅した日の色と、とてもよく似ていた。

 

 

 

 

 

≪Observation by Shiki≫

 

「ではお先に失礼するよ」

 

 そう言って飛鳥ちゃんは行ってしまった。あたしを一度も振り返りもせず、さっさと。

 飛鳥ちゃんの背中が見えなくなる頃、席に残っていた飛鳥ちゃんの匂いもほとんどが風に流されていた。

 

「あ」

 

 奢るって言ったくせに、飛鳥ちゃん精算し忘れてる。別にいいけどさ。

 

 たぶん、らしくないことをしてる。引き留められるならまだしも、あたしが誰かを引き留めようとするなんて。

 飛鳥ちゃんのくせになまいきだぞーって、今度言ってやろうかな?

 

「また、飛鳥ちゃんとステージ立ちたいな………」

 

 そろそろ席を立とうと思ったとき、近くの席にいた知らない大人が夕陽の色に言及して、深いため息をつくのが聞こえた、

 あたしがその赤色を見ると、レイリー散乱という言葉が頭に浮かんだだけだった。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

 蘭子の住む寮に来たのは今日が初めてだったけれど、ボクが来ることは蘭子から寮母さんに伝えられていたようで、スムーズに蘭子の部屋の前まで案内をしてもらえた。

 そのドアは馬蹄を象ったアイテムの他、呪物と呼んだ方が良さそうな興味深い品々で装飾されていた。

 ドアをノックすると――

 

『我が城の門を叩く者は誰か』

 

 ――ドアの向こう側から、そう尋ねられた。

 当然のごとく『ボクだよ』と答えようとして違和感を覚えた。ノックに対する反応があまりに早く、しかもドア越しでも分かるくらいに声の発生源が近かったのだ。ボクの訪問を今か今かとドアの前で待ち構えている蘭子の姿を幻視して、胸がむず痒くなる。これは()()なくては嘘だろう。

 

「……ボクに名などない。あるのは渾名だけ。ナハトイエーガー、闇を駆ける狩人。人間たちにはそう呼ばれている」

『……………フヒ!』

 

 ドア越しでも蘭子が小躍りする気配が伝わってくる。そしてすぐに『ンンッ』と小さな咳払い。

 

『……き、貴殿が、神をも屠るという闇の暗殺者だとっ?』

「フッ……。神殺しか。随分と昔の話を知っているんだね」

『幼き頃、乳母が御伽噺として語ってくれたわ。……しかし! 神に弓引く異端者が、何故我が城に?』

「黒翼の薔薇姫よ。キミに、危機が迫っている…!」

『なっ!? 辺獄碑文に記されし審判の刻はまだ先のはず……っ!』

「ボクはそれを伝えに………くっ!」

『むっ!? 何事か?』

「来る途中、エルキュールの矢を受けてね。歳は取りたくないものだ……」

『エルキュ……ヒュドラーの毒か!』

「ボクのことは構わない……。薔薇姫、急ぎ備えを!」

『……貴殿の言葉を信用したわけではない――』

 

 ガチャリ……。

 そこで初めてドアが開かれる。

 

「――しかし、傷つき訪れた者に施しもせずでは、一城の主の沽券に関わるわ。さぁ、まずは矢傷の治療を」

 

 姿を見せた蘭子は顔を紅潮させ、満足げな笑みを浮かべていた。

 

「……蘭子」

 

 数瞬前までは、もう少しこの寸劇を続けようと思っていた。しかし、蘭子の視界に捉えると、そんな思惑は何処かへ吹き飛んでしまった。

 

「蘭子……っ!」

「へひぇ!?」

 

 気付けば蘭子の両肩をガッシリと掴み、鼻先が触れ合わんばかりに顔を寄せていた。背後でドアの閉まる音がした。

 

「なっ、なんぞ……っ!?」

「蘭子、あぁ、蘭子……っ!」

「あ、飛鳥? なに? どどど、どうしたの……っ!?」

 

 目をパチクリする蘭子に、ただひたすらにときめいてしまう。我ながらなんて変質者だろう。これじゃPや神崎Pのことをとやかく言えないな。

 

「蘭子っ!」

「ひゃいっ!?」

「ボクは! キミと一つになりたい!」

「……へっ? はっ? なななな、な、んですとっ!? ち、契りの言葉か……っ!?」

「契り……そう、そうだ。約束する。ボクはキミの全てを受け入れると!」

「ぷぴゃーーっ!!!???」

「だから、蘭子の全てを観測させてほしい!」

「ぴっ………………………」

「あ、あれ? 蘭子?」

 

 いつの間にやら、蘭子の顔は茹でダコがごとく朱に染まっていて――

 

「きゅう~~~………」

 

 ――膝から崩れ落ちた。

 

「蘭子……っ!?」

 

 何があった!? いや、待てよ? 自分の言動を思い返してみると、勢いに任せてちょっとすごいことをしたような……?

 

「あ……ち、ちがっ、これはプロポーズとかじゃなくてっ! 蘭子、蘭子? 蘭子ォオーーーーっ!」

「………ぴよ………ぴよよ………」

 

 蘭子が目覚めるまでにはしばらくの時間が必要だった……。

 

 

 

「不死鳥の羽ばたきーーっ!」

 

 蘭子の部屋は寮ゆえか、ボクが住むマンションの部屋よりも手狭だった。その限られたスペースの少なくない面積を占有するのが天蓋付きベッドであり、そこに横たわっていた蘭子が跳ね起きた。

 

「回復したようだね」

 

 ベッドの上で立ち上がり元気よくポージングをする彼女を、ボクはフローリングに座りながら見上げた。

 

「不覚をとったわ……。夢魔の囁きのなんと甘美なことよ……」

「すまない蘭子……。ボクはどうやら冷静さを欠いていたようだ」

「こ、今回に限り不問に付す……っ!」

 

 ボクから目を逸らし、壁とにらめっこする蘭子。その顔色が元に戻ると、思い出したように、蘭子が普段使っているであろう勉強机の椅子をボクに勧めてくれた。好意を有難く受け取り、腰かけることにした。蘭子はそのままベッドに座った。

 

「して……此度の訪問、いかなる導きによるものか?」

「さっきも言いかけたけれど、蘭子の全てを観測したいんだ」

「か、観測……っ!?」

 

 胸元を隠すように蘭子は自らの肩を抱き、ボクに怪訝な視線を送ってくる。正直、怪しむようなその目には傷ついた。だけど、明らかにボクが悪かった。

 なんだよ観測って。普通はしない言い回しだ。身体測定を類推してもおかしくはない。密室で二人きりで身体測定したいなんて言われたら、怯えて当然じゃないか。

 

「違う違うそういう意味じゃないっ!」

「ま、まさか我に迫る危機とは飛鳥自身!? しかし飛鳥たっての願いであれば………あぁでもでもぉ~~……」

「ああっ! 違うからっ! 端的に言うと、蘭子のことをもっと教えて欲しいってことだよ!」

「………え? ほ、ホントに……?」

「ホントに! ボクが蘭子におかしなことをするはずがないだろ?」

「そ、そうだね……。ごめんね。ちょっとびっくりしちゃって。エヘヘ……」

 

 どうやら誤解が完全に解けたようだ。

 

「蘭子のことをもっと知りたい。蘭子がこれまで何を見て、何を感じて今に至っているのか。そしてどうして魂の力を使えるようになったのか……」

「………」

「それはきっと蘭子のとてもデリケートな部分に触れることになるのだと思う。でもどうか、教えて欲しい」

「飛鳥……」

「白状するよ。これは、ダークイルミネイトを続けるためじゃない……。ボクがただひたすらに、蘭子のことを知りたいんだ! そう、これはボクの我儘……!」

「……………ふ」

「蘭子……?」

「ふは……フハハ……ハーッハッハッハ!」

「っ!?」

 

 二部屋向こうまで届きそうな盛大な哄笑だった。蘭子は再び立ち上がり、左手で顔を覆いながら、右手をボクに向ける。

 

「貴殿の切なる願いは深淵の泉を揺らしたわ」

「つ、つまり……?」

「今こそ語りましょう。秘められし我が冒険譚を!」

「蘭子……っ!」

 

 ボクの願いは蘭子に受け入れられたらしい。知らず両手は、喜びを訴えるように強く握り締めていた。

 蘭子は右手の中指にいつも付けている赤い宝石のついた指輪を、慈しむように撫でている。

 

「邂逅と希望、別離と絶望、そして奇跡の物語……。全て語るには悠久の刻を要するでしょう。その覚悟はあるかしら?」

「たとえテッペンを越えようとも一向に構わない」

「死をも恐れぬとは……。フッ、益々興が乗ったわ」

 

 明日の午前中の授業は睡魔との戦いになるかもしれないが、どちらの優先度が高いかなんて考えるまでもない。

 

「そして全てが終局を迎える頃……然る後………えっと……」

「ん?」

「わ、私の話の後は……飛鳥の話が聞きたい、な……?」

「……ああ、喜んで!」

「エヘヘ……」

 

 そしてボクたちは語り始めた。

 

 

 

 

 

≪Review by Asuka≫

 

 その夜、蘭子の口から語られたのは、驚くべき内容だった。

 別のセカイのもう一人の蘭子との出会い。彼女たちの不思議な交流。絶望に満ちた別れ。そして失意のどん底にあった蘭子の前に突然現れた神崎P。

 常識的には信じ難いその物語を、しかし、ボクは全て真実として受け入れることが出来た。

 

 ボクも語った。

 幼少の頃に感じていた些細なことから、黒歴史として封印した幾つもの記憶も曝け出した。それに加えて、ALDや“台本”についてもだ。蘭子は終始興味を持ってくれたので、実に喋り甲斐があった。

 

 そうやって、ボクたちはとても長い時間語り合っていた感覚があったのだが、実際には一時間ほどしか経っていなかった。不思議なこともあるものだ。

 

 こうして語り合ったところで、蘭子と共鳴できる確証はなかった。

 しかし少なくとも、蘭子が生き方の軸にしている記憶を知らないまま、彼女と共鳴することは土台不可能な話だったのだと思う。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

「じゃあ、再生ボタンは神崎Pが押してくれ」

 

 Pが神崎Pにレッスンルームの音響設備のリモコンを手渡す。

 

「……フン」

 

 神崎Pは受け取ったリモコンを一瞥してから、いかにも不機嫌といった表情をボクに向けた。

 ボクは隣にいる蘭子とアイコンタクトを取り、頷き合う。準備は万端だ。蘭子に背を向け、曲始めのポージングをとる。

 四人だけのレッスンルームが静まり返る。

 昨夜、蘭子と深く語り合ったからといって、“力”を妨げない方法、いや、蘭子と共鳴する方法が判明したわけではない。しかし“きっと大丈夫だ”という根拠のない自信はあった。

 

 しっかりと見ておけよ神崎P。お前が軽んじた二宮飛鳥の本領を。お前の予想を裏切ってやる。お前の期待なんて知ったことか。ボクの……ボクと蘭子の覚醒した真の力を刮目しろ。

 さあ来い。さあ押せ。どうした。ほら――。

 そのとき、ジワリ、と背筋に不思議な温かさを感じた。それは“リンク”だった。ボクと蘭子を繋ぐ、不可視のライン。この世の如何なる回線よりも早く、正確に、膨大な情報を送受信することが出来る魂の回廊。ボクと蘭子が溶け合い、補い合い、共鳴するための。

 錯覚なんかじゃない。蘭子がこの曲で思い描く世界観が流れ込んでくる。それのなんと荘厳で気高いことか。

 

「いざっ!」

「さあっ!」

 

 神崎Pへの催促が完璧に同期する。この程度のこと、背を向け合っていても今のボクたちにとっては容易いことだった。

 

「チッ……もういいわ」

「は……?」

 

 神崎Pは手に持っていたリモコンを棚に置いた。音楽は再生されていない。

 

「P、これからのスケジュールだけど」

「うん、なになに?」

「は? いや、おい、テストはどうした、神崎P……!」

 

 Pを伴ってレッスンルームの外へ出ていこうとする神崎Pを呼び止める。

 

「チッ……もういい、と言ったの」

「はぁ? 何を言って……? テストさえも受けさせないつもりか!?」

「あ~~飛鳥。合格だってさ」

「えっ?」

「チッ!」

 

 合格? まだワンフレーズさえ歌っていないのに?

 

「チッ……やらなくても分かるわ。貴女だけよ、分かってていないのは。チッ」

「はぁ? 一体何を……?」

「今のお前たち、輝いてるぜっ!」

「は……?」

「チッ!」

 

 何とも要領を得ない答えしか返ってこない。何なんだよ一体。

 

「飛鳥。たぶん、コレ……」

「ん? 蘭子? それは……?」

 

 蘭子がキラキラと輝いて見えた。空気中の埃が光を受けて煌めくのに似てなくもないが、それとは一線を画する高貴な輝きがあった。その光の粒子は意思を持っている様に蘭子の周囲を浮遊している。そしてそれはボクの周囲にもあって……。

 

「これは……まさか……!」

「チッ……どうやらリンクは成功したようね。ならもう演るまでもない……レッスンルームなんかでその力を解放するのは勿体ない。本番で存分に奮いなさい。チッ!」

「つまり……?」

「合格満点、ダークイルミネイト結成決定っちゅーことだ!」

「~~~~~ッ!」

「やったぁ! 飛鳥~~~っ!」

「チッ! チィ…ッ!」

 

 ダイブしてきた蘭子を受け止め、合格の歓びを共有する。

 というかさっきから神崎P舌打ちし過ぎだろ。ボクと蘭子がユニットを組むことになったのがそんなに悔しいのか。やれやれ、最高の気分だね。

 

「おっ、そうだそうだ。じゃ、飛鳥、アレやるか!」

「え? あれって?」

「アレじゃん、アレ。三か月半ぶりのアレだよ。飛鳥の好きなア~レ」

「えっと……?」

「ムッ、秘められし呪言か……?」

 

 何だっけ? 何かあったっけ?

 Pの勿体ぶった言い方に蘭子も気になるのか、視線をボクとPの間で行ったり来たり。

 三か月半前といえばちょうどALDを振り始めた頃で……それはボクのアイドル活動では大きな転機で……あ。

 

「いや、待て、しなくていい、蘭子の前でそんな恥ずかしいこと」

「あーダメダメもう限界だやるぞアレやるぞ……!」

「おい、やめろって、てゆうかいつ好きだと言った!?」

「な、なな何事? 世界の終わりかっ?」

「おぉん! いっきまーすっ!!」

「ああもう!」

 

 Pがレッスンルーム中央まで転げていき、妙な体術で跳ね起きる。そして蘭子とは正反対のベクトルの至極ダサいポージングを決めて――

 

「一大叙事詩 ASUKA The Idol! 長き暗黒時代を抜け、今ここに、あぁっ! 今ここに! Fourth Stage が開幕したことを! い! ま! こ! こ! にィィ! 宣言するぅっ!!」

 

 ――やりやがった。最高の出力だったな。蘭子の前で。恥ずかしい。何の罰ゲームだこれ。

 

「フッ……二宮飛鳥にお似合いの茶番ね」

「ぐうっ……!」

 

 の音も出ない。神崎Pのまともな一言に、ボクは膝から崩れ落ちる。しかし蘭子はといえば。

 

「何ぞコレーーっ!?」

 

 瞳を爛々と輝かせていた。ひょっとしてツボに触れてしまったのか?

 

「我が友~!我も! 我もああいうの欲しい!」

「えぇっ……!?」

 

 蘭子の全力おねだりに、神崎Pは困惑しているようだった。そして消えそうな声で「考えておくわ……」と呟いたのだった。

 

 

 

 

 

≪Observation by Asuka≫

 

 三万を超すオーディエンスの歓声。その大気のうねりは雷鳴をも遥かに凌駕する。流石は十一月公演。年に四回しかない大規模合同ライブの一つだけある。

 

「準備はいいか?」

 

 Pの問いかけにボクと蘭子は笑みを返す。

 セトリも中盤を過ぎ、巨大なドーム会場は客席からステージ、そして舞台袖に至るまで隈なく強烈な熱気に包まれている。

 火傷しそうな程の熱量に身体が震えてくる。無論、武者震いだ。拳を握ればいくらでも力が湧いてくる感覚がある。高まりに高まったこのエネルギーを、解放するときが愉しみでしょうがない。

 ステージ上では、ボクたちの出番の一つ前のユニット、トライアドプリムスが歌い終え、仲睦まじいトークを繰り広げていた。

 

『じゃ、そろそろ次の子たちにバトンタッチだね』

 

 渋谷凛が言う。

 

『次は先週結成が発表されたばかりの、ダークイルミネイトってユニットだな。メンバーは神崎蘭子と二宮飛鳥。加蓮は知ってるんだっけ?』

 

 ややボーイッシュな言葉遣いは神谷奈緒。

 

『飛鳥のことはね~。半年くらい前にアタシと肇と三人でユニット組んでたから』

 

 北条加蓮と会うのは久しぶりだった。

 

『でも今の飛鳥、前とは比べ物にならないくらいに成長してる』

 

 さっき楽屋でした()()()()()から早速脱線し始める北条加蓮。

 

『この子ら、最近かなり話題になってるよな~。もう一人の神崎蘭子って子はライブのパフォーマンスがスゴイらしいし』

 

 神谷奈緒が脱線に追従する。

 

『飛鳥だってスゴイよ? ステージが壊れる中で歌っちゃうんだから』

『ソレほんとなのかなぁ~? 尾びれ背びれが付いてないか?』

『アタシ現地で見てたんですけどー!?』

『へぇ……そんなにスゴイいんだ。ダークイルミネイトの二人は……!』

『あぁほら、凛が対抗心出しちゃってるし!』

 

 随分と持ち上げられたものだ。いやハードルを上げられているのかな? これが先輩方の洗礼……。望むところだ。くつくつと、Pがニヤついていた。僕も、蘭子も、神崎Pさえも、笑っていた。

 

「頃合いね。さぁ、蘭子」

「うんっ!」

「ぶちかましてやれ、飛鳥」

「あぁ! ……ってキミは相変わらずウインクが下手だな」

 

 蘭子が「スゥ~~~!」と大きく息を吸い込む。そして――

 

『ハーッハッハッハーーーーッ!』

 

 ――会場中に彼女の哄笑が響き渡った。

 ザワつく観客席。

 

『なんだなんだ!?』

『ダーク…イルミネイト……っ!』

『これは神崎蘭子ちゃんの声かな~~』

 

 トライアドプリムスの三人はもうほとんどアドリブだった。

 

『歌姫たちの呼び声に誘われ降臨してみれば、此度のミサには魔力が満ち満ちているようね』

 

 蘭子もアドリブだ。そしてボクも――

 

『今宵のライブ、終わりはまだ遠い。一度ここらで気分転換をしてみようじゃないか。といっても、休憩にはならないと思うけどね』

『片翼を持つ我らダークイルミネイトの魂の輝き……胸に刻むがいいわ』

『そういうことさ。若輩だが、仕事はキッチリとこなさせてもらうよ』

 

 蘭子と手を握り合う。

 

『蘭子……』

『飛鳥……』

『さあ、往こうか…!』

『うむっ!』

 

 会場が暗転。舞台上へと進み出る。

 

 暗黒の大空間に、数限りない星々が煌めいていた。まるで銀河だと思った。

 色とりどりということは、ボクたちのペンライトを必ずしも全員が用意してくれてはいないということ。だがまぁ、今回の出演者の中ではボクたちが最もキャリアが浅いし、常務のゴリ押しを後ろ盾にした()()()()()()での急な参戦だったから仕方ない。

 ボクたちの衣装はお揃いの漆黒のドレスと編み上げブーツ。違いといえばウエストを飾る花の他、数点のアクセサリとスカートの裾から覗くフリルの色が紅か蒼かくらい……の筈だった。しかしどういうわけか、蘭子の身に付けるそれは、ボクのものとは全く異なって見えた。

 

 そうか……!

 

 そもそもの違和感の正体に気付く。未だ暗闇の中だというのに、見えていたんだ。蘭子の姿がハッキリと。その不可思議を現実のものとしているのは周囲に漂う淡い煌めき……蘭子から滲み出る未知の粒子であり波。

客席からもどよめきが起こり始めている。

 中央まで到着して然る後、場内の照明が復活する。

 

 …………!!!

 

 会場中が息を呑む雰囲気があった。スポットライトに照らされた蘭子は、神々しいまでの輝きを放っていたのだ。

 輝きに手を触れると、それは蘭子から生じていながらボクにも親和性があり、まるでボクから生じたものでもあるかのように馴染んでいく。

 

 そしてダークイルミネイトのステージが幕を開ける。

 

 歌い、舞い踊り、ボクたちの世界観を送りつけてやる。

 

 歓声を上げることも、呼吸さえも忘れて、ステージを見つめるオーディエンスたち。彼らの視線は、しかし、ほとんどが蘭子へと向いていた。

 まぁ、そうなるだろうね。想定の範囲内だ。でもだからといって、それに甘んじていられるほど良い子でもないんだよボクは……っ!

 

「――――ッ!!」

 

 敢えてだ。ユニゾンを崩すほどに声量を上げてやる。ここにボクも立っていることを主張してやったのだ。当然に耳目はボクへと殺到する。ダークイルミネイトはデュオユニットだと思い出させることが出来た。ライブは生モノ。守破離って言葉もある。この程度の演出、構わないだろう?

 

「~~~~っ!!」

 

 そこですかさず、蘭子が意趣を返してくる。振り付けにアドリブのポージングを紛れ込ませながら、強烈に声帯を震わせた。ボクへの注目を奪い返そうと!

 嗚呼! 蘭子! それでいい! 忖度なんて要らない! だってボクらは同士であり、パートナーであり、同時に最大で最高のライバルなんだから!

 

 ………!!!

 

 彼らは皆、目を皿のようにしたまま微動だにしていない。ボクたちに圧倒されていた。

 こういうのもたまには良いかもしれない。だけどやはり……物足りない!

 

 ――そうだろ、蘭子?

 ――うん! 飛鳥!

 

 ボクたちはセカイに対して、不敵に笑って見せる。突如として鮮烈な光景が脳裡に流れ込んでくる。

 

 熱砂、硝煙、旋風、獄炎、閃光……!

 

 それは蘭子の記憶だった。別のセカイの彼女を通して視た、蘭子の現実。

 受け取ったイメージに身を任せる。触れて、感じて、理解する。そしてボクの物語を注入して、蘭子へと送り返す。

 

「フフ……っ!」

 

 片割れから再び届いた情報。ボクの送ったイメージに、蘭子のテイストが付加されたモノ。ブラッシュアップしてまた送り返してやる。

 繰り返す。何度も何度も繰り返す。ボクたちのイメージが交錯し、錬磨され、重なり合っていく。時間を超越した何処かで、ボクたちは確かにレゾナンスしていた。そうして至った一点――ボクと蘭子が紡ぎ出したセカイ――は最早このセカイの現実と化した。

 

「――むんっ!」

 

 蘭子の可愛らしいかけ声で解放されるエネルギー。光の粒子がボクらの祈望を実現せんと意思を持ったように躍動し始める。渦を巻きながら上昇する様は、中二病理患者でなくとも一度は妄想したことのあるであろうオーラそのもの。それがボクからも滲み出ている!

 なんてカッコイイんだ!

 オーラは優に十メートルは立ち昇った後、薔薇の花が開くように四散してゆく。粒子のおよそ半分は客席へと向かい、オーディエンスの持つ全てのサイリウムを強制的にアメジスト色の光彩へと変貌させた。残りの半分はボクたちごとステージを覆い尽くして――。

 

 ――――!!!???

 

 観客たちの混乱は無理もない。突如として、暗黒時代の巨大な廃城が眼前に現出したのだから。そこに在ったはずのステージセットもドームの壁も天井も、何もかもをぶち抜いて、そんなものは無視されて、ボクたちのイメージ通りに上書き(オーバーライド)されていたんだ。

 

「え~~い!」

 

 知覚領域の全てを極彩色の輝きが埋め尽くす。

 

 ――――!!!

 

 そうしてようやく、歓声が堰を切ったように溢れ出した。いや、絶叫の方が近いかも? まぁ、皆瞳を輝かせているから別にそれでもいいか。

 

 ――さあ、飛鳥っ!

 ――っ!

 

 音楽は続いている。が、最早ダンスなどボクらのステージには必要なくなっていた。蘭子に手を引かれ、一歩進むごとに歓声が上がる。

 ブーツで踏みしめる感触と響く足音は紛れもない本物。以前、蘭子のライブで幻視したものとは一線を画するリアリティ。そこに現出していたのは、本物の石造りの廃城だったんだ。

 

 カツーン!

 

 決定的な一歩。今、蘭子は石造りの階段に足をかけた。そしてそれが当然と言わんばかりに次の一歩を踏み出す。ボクも続いて上がっていく。

 ボクたちの重力を支えている “コレ”は何なのか? そこに在るはずの壁がなく、在るはずのない構造物がある。

 

 ――触れられる夢幻。

 ――それは正しくセカイの理への叛逆。

 ――魂の共鳴によって実現される奇跡の御業。

 ――楽園へ至る禁忌。

 

 階段を上った先の踊り場でボクたちは最後のレゾナンスをした。

 ダークイルミネイトの魂を歌に載せて、ただひたすらにオーディエンスへと訴えかける。

 

 ――こんなに素敵なことがあるんだ。このセカイも捨てたもんじゃないだろう?

 

 ――――ッ!

 

 歌が終わる。

 空間を埋め尽くす喝采。

 セカイが変革する兆しを、ボクは確かに感じ取っていた。

 

 ボクたちが階段を下り切ると同時に廃城は光の泡となって消滅し、元のドーム会場に戻った。

 

 

 

「ふぃ~~終わった終わった~~」

 

 他の出演者への挨拶回りを終えて、ボクたち四人は楽屋に戻ってきた。

 Pは早速ジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めている。

 神崎Pは禍々しい程の不機嫌顔をしている……が、それはボクたちのステージが終わった時からずっとだ。大方、ボクに小言が言えずイラついているのだろう。フン。

 蘭子は未だライブの熱が冷めていないようで、夢見心地な表情。ポワポワという擬音が聞こえてきそうだ。

 まぁ、ボクも蘭子と似たようなものだけど。

 

「フフ……夢のような時間だった……」

 

 今日のライブは本当に凄かった。ボクたちが受けた歓声はこれまでで最大だったし、その後の盛り上がりも半端じゃなかった。

 正直なところ、ダークイルミネイトの盛り上がりが今日のピークになるだろうと予想していた。ボクたちに超常的なパフォーマンスと比べれば、他のどんなステージでも見劣りするだろうと思っていたから。でもそれは浅はかな考えだったと反省しなくてはならない。彼女たちにとっては――超一流のアイドルにとっては――自分たち以外のステージの盛り上がりを維持し、更に加速することは決して難しいことではないらしい。冷静に評価すれば、ボクたちのアイドルとしての実力はこの規模のライブに出てくる先輩方には、まだ及ばないということだ。

 

 ただやはり。この十一月公演で最も話題になるのはダークイルミネイトだろう。

 

 SNSを覗いてみれば、早速ボクたちのパフォーマンスについて様々な憶測が飛び交っていた。最新の舞台技術とか、集団催眠とか、疲労による幻覚とか、あとは、サクラ要員がステマしているとか。まぁ、ボクたち以外に理解るわけもなし。

 

「へぇ……! 蘭子、見てみなよ」

「ほぇ? ……わぁ~! 増えてる~!」

 

 フォロワーの数を見てみるとこの短時間の間に、ボクも蘭子も万単位で増えていた。分かりやすい成果というのは嬉しい。これで念願の十万台に突入だ。とはいえ、蘭子のフォロワー数との差は特に縮まらず、いまだ彼女の半分程度のまま。彼女パートナーを名乗るならば、もう少し近づきたいところだな……。

 

「あ~、そうそう」

 

 Pがおもむろに、かつわざとらしく切り出す。

 

「この後の()()()()についてだけどさぁ。キミらが着替え始める前に決めとこっか」

 

 瞬間、楽屋に緊張が走る。お愉しみとは言わずもがな、打ち上げ――すなわち、ご馳走……! ここに存在しているのは最早アイドルとプロデューサーではない。血に飢えたケモノども。となれば先手必勝――

 

「麻婆豆腐」

「ハンバーグ!」

「焼肉!」

「うお、すげぇ勢い。ウケる。あ、俺はピザを推す」

 

 ――考えることは皆同じか。

 見事に割れた。何故だ? 打ち上げと言えば焼肉と相場が決まっているだろうに。いや、ハンバーグとピザはまだ理解できるけど、神崎P、お前……。

 

「麻婆豆腐で打ち上げなんて聞いたことがない。そこはせめて中華だろう。シンプルに頭がおかしいのかい?」

「貴女はまだ麻婆豆腐の奥深さを知らないお子様だということよ」

「キミはただの麻辣ジャンキーだろう。健全なボクたちまで巻き込まないでほしいね。ひょっとして、受肉するときにバグでも起きたのかな? それなら憐れんでやってもいいよ」

「ッ……! 蘭子に聞いたのね……。まぁ、別に構わないけれど。貴女こそ、打ち上げといえば、二言目にはいつも焼肉……。あんな煙いだけのものを有難がるなんて、どこの原始人かしら」

「なんだと!? 焼肉を愚弄するのか!」

 

 まったく、神崎Pが同じ空間にいるといつもこうだ。最近はPだけじゃなく蘭子までもが、ボクらの言い争いをただのBGMのように受け流しているし。

 

「あ、あの……P、さん……ハンバーグの美味しいお店、知ってますか……?」

「沢山知ってるよ~! ひき肉の配合が神ってるお店とか、目の前で火柱上げながら焼いてくれるお店とか。どういうのがいい?」

「う、う~~ん……ヘルファイア……かな」

「おっけーおっけー………てか、待って。さっき何か重要なカミングアウトしなかった? ジュニクって? 確認しちゃったの? ねぇ?」

 

 Pがボクと神崎Pをまじまじと見つめてくる。が、放っておこう。神崎Pの身の上話なんて全然したいと思わないし。

 

「フン……それより。事実として意見は割れている。最終的には一つを選ばなくてはならないのだが、さて、どうやって決めようか」

 

 じゃんけんはダメだ。蘭子曰く、神崎Pは元上位存在だけあって身体能力も人間離れしているらしい。仮にP並みとすると、こちらの出す手に反射神経で即応するなど造作もないはずだ。まぁ正直、麻婆豆腐以外ならどれでも構わないのだけどね。

 

「あっ! 飛鳥、アレ! 我、アレ使いたい!」

「アレ……?」

 

 蘭子が何か思いついたらしく、鼻息荒く迫ってくる。

 

「えっと、アレ、とは……?」

「無論、ラプラスの魔に抗う呪物のこと!……えっと、何て呼んでたっけ…? あ、そうそう! ALD!」

「あぁ……なるほどね」

 

 何かを決めるためにALDを振るという行為をここ最近してなかったので、その発想がなかなか出てこなかった。アレを使うとなると、純粋に四分の一の確率で麻婆フェスになってしまうが……まぁ、蘭子の頼みなら仕方ないか。

 

「P、久しぶりに使ってみていいかい?」

「あ~~、まぁいいけど……それも蘭子ちゃんに言ったのね」

「あっ……あぁ、すまない。話の流れでね……もしかして、不味かったかい?」

「うんにゃ、もう別にいいよん。それに丁度いい機会だし、神崎Pに聞いてみるか」

「私……? さっきから何について喋っているのかしら?」

「あぁ、それはな……」

 

 Pが胸ポケットに指を突っ込んで、ALDを摘まみ出した。見るのは久しぶりだが、ずっとPの胸ポケットに収まっていたようだ。そういえば、どこかに放置していても一定時間が過ぎれば、自動的に彼の元に瞬間移動で戻ってくるんだったか。改めて考えても訳の分からない機能だな。

 

「わぁ~、キレイ~~!」

 

 蘭子がPの指元に顔を寄せて、その不思議な輝きをしげしげと見つめる。そしてPが蘭子に向けて「ほい」とALDを差し出すと――

 

「ダメよ!!」

「ひゃあっ!?」

 

 ――神崎Pが、ALDを受け取ろうとしていた蘭子の右手を、鷲掴みにした。

 

「……あらら。もしかして、ヤバいヤツだったか?」

「ッ……!」

 

 一瞬、神崎Pの表情が理解できなかった。いつも余裕ぶって、人を見下しているような態度の神崎Pからあまりにかけ離れた雰囲気……。単純に焦っているのだとなかなか気付けなかった。いや、焦りだけではなく、怯えている?

 

「そ、そういうことだったのね……以前のアナタ達の不可解な仕事選びはコレを使って……!」

「神崎P、やはりこれはお前が昔いた場所と関わりのあるモノなのか?」

「P……これは……………」

 

 神崎Pは黙り込み、まるで苦渋の決断をするときのように目を固く瞑り。

 

「今……私に、言えることは、とても、少ない……」

 

 慎重に言葉を選ぶように、ゆっくりと言葉を吐いていく。

 

「一つだけ、聞かせて。貴方は、これを、これからも、使うの……?」

「…………」

「な、なんぞ……?」

 

 急に凍り付いた空気に蘭子が狼狽している。にもかかわらず、神崎Pは青ざめた顔色でひたすらにPを見つめていたので、かなり深刻な状況らしいことがボクにも理解った。

 

「………いや、使わねぇよ? 今だって言われなくちゃ出さなかっただろうしな。ちょっと前までは使ってたけど、もう使うことは、二度と、無いだろうな」

「………そう。貴方は、もう、二度と、使わないのね……」

「……?」

 

 一瞬だけ、神崎Pがボクへと視線を向けた。

 

「あぁ。使わねぇし、誰にも、使わせるつもりは、無い」

 

 Pの言い方のちょっとした違和感……。神崎Pの質問に答える体であったのに、神崎Pに言っている様には見えなかったのだ。例えるなら、天井裏に語りかけるような……?

 そしてPもボクへと視線を向けてくる。その眼差しには、ボクへ理解を求める雰囲気があった。

 

「………」

 

 Pがそう言うのならボクは別に構わない。元よりPが持ち主なのだから、彼が誰にも使わせない、と言うのなら従うまでさ。ボクは頷いた。するとPはウインクをしたのだが、それはそれは見事なものだった。なんだ、出来るんじゃないか。

 

「あぁん! もっと見たかったのにぃ~~。現世の試練か……」

 

 PはそれからすぐにALDを懐に戻してしまったので、蘭子は不満げだった。しかし三人で示し合わせて、打ち上げをハンバーグ専門店ですることを提案すると、蘭子の興味はお店の方へとシフトした。

 打ち上げのお店が決まる頃には、Pはいつも通りのお調子者に戻っていた。

 神崎Pも一見すると普段の不愛想を取り戻していた。だけど結局は打ち上げの最中にボクへ小言を吐くことは一度もなく、それが妙に居心地が悪くて……もっと言えば、凶兆のように思えた。

 



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≪Review by 蜈?ココ蠖「≫

 

 天界から堕天して人間として活動していると、予期していなかった幾つかの問題が出てきた。

 

 一つ。私の食の嗜好に関しての神経設定について。

 人間に三大欲求があることは理解していた。堕天前に一通り観察した限りでは、その生理的な欲求に囚われ、健全な生活をないがしろにしてしまう人間は掃いて捨てるほどいた。だからこそ受肉に際して、性欲は抑え気味に、睡眠は三十分でも問題ないように、味覚は――何でも美味しく感じてしまう舌だと、食に多大な労力を割いてしまう可能性があったので――ピーキーに設定したのだが……。

 性欲と睡眠欲についての設定は奏功したといってもいい。しかし、味覚については完全に失敗したと言わざるを得ない。肉の身体から生じる欲求の強さについて、私は随分と見誤っていたのだ。

 ()()しか美味しいと感じないのなら、際限なく()()を求めるのが人間の性らしい。

 私にとっての()()とは麻婆豆腐だった。ひょっとすると、他二つの欲求を抑えた歪みが麻婆豆腐への執着として顕れているのだろうか……?

 食事と言えば麻婆豆腐の私を変人扱いする人間はままいるが、それは別にどうでもいい。心の底から残念に思うのは、蘭子と同じものを食べて「美味しいね」だなんて感想を言い合うことが非常に難しいことだ。

 

 一つ。魂の力を扱うための三つの段階について。

 私がまだ天使だった頃には意識したことも意識する必要も無かったのだが、魂の力を扱うには三つの段階があるらしい。

 一段階目が、まず元となる最初の波動を出すこと。そして二段階目が、その波動を増幅させること。そしてこの二つが完璧にできて初めて三段階目である、無限のエネルギーにアクセスすることが可能になる。

 蘭子が自力で体得していたのは一つ目だけだった。二つ目の増幅させる方法については、私も蘭子も皆目分からなかった。そもそもが超感覚的な事象であるため、『増幅させる』という定性的なことは伝えられても、では具体的にどうすればそれが成されるのかについては一切教えることが出来なかった。いや、他人が魂の力の引き出し方を具体的に教えることなど不可能なのだ。天使でさえも出来ないはずだ。魂の形は各々全く異なる。故に励起させる手順も手法も千差万別。もし仮に『こうしてみなさい』だなんて指示したとしても、それは蘭子を混乱させるだけで良い結果に繋がることは無いだろう。それならば何も伝えない方がまだマシだ。

 

 一つ。二宮飛鳥について。

 蘭子は魂の波動を増幅させられなかったが、最初の波動だけでも他の誰にも真似できない現象を起こすことが出来た。それは特にアイドルのパフォーマンスでは絶大な威力を発揮する。魂の力を全て引き出すことは不可能だが、それでも尚、遠からず蘭子はアイドルの頂点に立つと私は確信していた。

 そこに現れたのが二宮飛鳥。私と蘭子の間にやたらと割り込んでくる憎っくき小娘だ。コイツは一体何なのだろう……?

 二宮飛鳥には魂の最初の波動を出すことは出来なかったが、他者の波動に共鳴する才能があった。おそらくは一ノ瀬志希やPとのライブでその端緒を掴み、蘭子とのライブで見事に開花させたのだ。そしてそれによって、蘭子だけでは不可能だった虚空からの物質化も、一時的ではあるものの成功した。二宮飛鳥が何故そんな才能を持っているかを知る術は無いし、知ったところで蘭子に活かすことは出来ない。

 蘭子単独では魂の波動を増幅させられないと分かったときに、多少残念に感じたのは事実だ。しかし、実のところ、蘭子の発した波動を二宮飛鳥が増幅する形がベストだったのかもしれない。もし仮に単独で全ての力を引き出してしまったなら、最早人間のままでいることは出来ないだろうから。

 

 一つ。Pについて。

 私の肉体を形成する際には、Pの肉体を参考にして同程度のスペックになるように各細胞を設定したはずだった。しかし実際に見るPは時折、想定以上の能力を発揮することがあった。

 あの崩壊するステージの裏でPが見せた認識能力。アレは明らかに人間の限界を超えていた。元のセカイ線を観察した限りでは、そこまでの能力があるとは思えなかったが……。つまりは()()()()困難な状況に直面しなかったから手を抜いていただけ、ということだろうか……?

 彼について理解できないことは他にもあった。元のセカイ線でPがプロデュースすることになるのは養成所に通っていた少女だったはずなのに、私が干渉して生み出したこのセカイ線では何故か二宮飛鳥をプロデュースしている。彼の周囲には一切干渉しなかったのにだ。この矛盾については長らく、私が堕天したことによるバタフライエフェクトによるものだろうと強引に納得していた。だが、これについてはようやく原因が分かった。私が干渉を行使したあのとき、Pの周囲にも干渉があったのだ。それがALD。

 

 一つ。ALDについて。

 一目で気付いた。ゾッとする程に美しい光彩は、このセカイのモノではない。ならば間違いなく()()天使によるものだ、と。天界を漂っていた私に付き纏い、あまつさえ干渉に割り込んできた、あの嫌な感じの天使。

 私とは全く異なる奇妙な堕天方法なのは感じていたが、まさかあんな形で降りてきていたとは。

 Pの考察通り、ALDはこのセカイに落とされたあの天使の()なのだと思う。あの天使の本体は今も天界とこのセカイの次元の狭間にいて、ALDを通してじっと観察しているのだ。

 ALDの効力について、Pは『決定済みのセカイ線の運命に揺らぎを与えられる』と考えていた。私が天使だった頃にはそんなことを考えたりしなかったが、恐らく可能なのだろう。可能だから、そして、Pという人間なら()()()()使い方をしてくれると予測したからあの形を採ったのだ。そう理解する方が自然だ。

 しかし分からない。セカイ線に揺らぎを与えてどうしようというのだ? セカイ線の分岐を発生させたいということなのだろうか? それは何の為に?何かの実験? ただの興味本位?

 Pと二宮飛鳥はALDをかなりの回数振っていたらしい。気付かないだけで、もう分岐は発生しているのだろうか? それとも分岐を発生させるためには、揺らぎの蓄積が必要? 分岐が発生するとして、それはALDを振った瞬間なのか、実際に行動に移した瞬間なのか、それともかなりのタイムラグがあったりするのか?

 疑問は尽きないが、ただの人間になってしまった私には最早知りようがなかった。

 無性に不安になっていた。特に、あの天使の目的が分からないことがとても不安だった。あの天使の目的は分からないが、きっと碌でもないことに違いない。それだけは直感的に分かっていたのだ。

 PはもうALDを振らないと宣言してくれた。それはあの天使も聞いていたはずだ。だから後は祈るしかない。これ以上この()()を続けていても意味が無いと理解してくれることを。そしてこのセカイから去って行ってくれることを。

 

 

 漠然とした恐怖の正体に、私は本当は気付いていたのだと思う。

 頭の片隅に漂っていた或る予感を、しかし、()()()があるから()()だけは無いと無視をしたのだ。

 天界における絶対のルール。それを破った者は例外なく消滅させられる。だから大丈夫だと信じた。信じようとした。そうしなくては平静を保っていられなかったから。

 

 ALDの存在を知った日の数か月後、私は己の愚かさを思い知ることになった。

 

『どんなルールにも抜け穴はある』なんてこと、人間社会で過ごした一年足らずの間でさえも何度となく目の当たりにしたというのに、私はそのときが来るまで気付くことが出来なかったのだ。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

 ダークイルミネイトの初ライブの翌日、志希に呼び出された。

 それは願っていもないこと。先日相談に乗ってもらったお礼を改めてしようと思っていたから。

 待ち合わせ場所は先日と同じ会社内のカフェ。

 

「……驚いた。キミが先に来ているなんてね。明日は槍が降るのかな?」

「ん………」

 

 果たして志希は、先日と同じテーブルについていた。ボクよりも早く着いて、おとなしく着席しているなんて相当珍しい。

 

「今日はジンジャーエールだけか……フフ。前ので懲りたのかい?」

「………ん」

 

 注文したコーヒーがやって来るまで他愛もない話を振ってみたが、志希の反応は薄い。というよりは、視線をあっちやこっちへやって落ち着きがない。さっき後ろから見た時にはおとなしくしているように見えたのに。

 

「それで急に呼び出したりして……いやキミは大抵が急だが、どうしたんだい?」

 

 サーブされたコーヒーに砂糖を溶かし込みながら本題に入る。すると、ピクッと志希の肩が震えた。

 

「………昨日の飛鳥ちゃんたちのライブ………あたしも、観に行ってた」

「へぇっ! そうだったのかい! 来てるなら言ってくれれば良かったのに。でも、素直に嬉しく思うよ」

 

 志希とはお互いのライブの日程も教え合っていて、都合がつく場合にボクはよく志希のライブを観覧しに行っていたのだけれど、志希が来てくれることはほとんど無かった。

 

「で、どうだったかな? ボクたちダークイルミネイトのパフォーマンスは。是非とも忌憚のない意見を聞きたいね」

「ッ……!」

 

 一般のオーディエンスには概ね好評だったが、トップアイドルと言っても過言ではない志希の目にはどう映ったのか。

 

「また、Dimension-3 で、ライブしたいにゃあ………」

「ん……? あぁ、そうだな。ボクも以前よりは成長しているという自負がある。今ならもっと良いステージに出来るだろうね」

「――っ! ホントっ!? いいの?」

「わっ……! テーブルを揺らすんじゃないっ」

 

 志希が身体を乗り出してきた勢いで、コーヒーとほとんど手の付けられていなかったジンジャーエールの水面が大きく揺れた。それに気も留めず志希は、瞳をクワッと開いてボクを見つめてくる。というかボクたちのライブの感想は……?

 志希の髪の毛先がコーヒーに浸かりそうになっていたので耳に掛けてやろうとする。が、その右手を握られた。

 

「いつから? すぐできる?」

「志希……? いや、すぐには無理だよ。しばらくはダークイルミネイトで活動するし」

「だ、ダメだよ……すぐに始めないとULに間に合わなくなる……」

「UL……なるほど、やはりもう()()()()時期なんだな……」

 

 ULとはすなわち、ウルトラライブ。毎年三月の末に開催される、一組のユニットだけによる超大規模のライブのこと。そしてこの一組とは、二月中旬に行われる人気投票イベント――通称()()()――でトップに選ばれたユニットである。

 ULはうちのプロダクションに属しているアイドルなら全員が目指すべきステージだと言われていて、実際、四月から二月中旬までの約11か月の間に結成された全てのユニットが投票対象となる。だが、現実的に選ばれる可能性があるのは、既にかなり人気のあるアイドル達によるユニットだけ。つまり中堅以下のアイドルには縁の遠いイベントだといえる。そのため、ULを本気で目指すかどうかで十一月頃からの活動の仕方は大きく異なる。目指さない者たちは、これまで通り一か月程度の期間限定ユニットを組みながら、自分の可能性を広げ、ファンを増やしていくのが一般的。一方、目指す者たちは、ここからは投票が終わるまでユニットを固定する。その勝負ユニットは、過去に結成していたユニットを再結成することもあるし、初めて結成するユニットになることもある。彼女達にとってこれまでの期間は、勝てるユニットを見極めるための準備期間の側面もあったというわけだ。

 ULについては随分前にPから聞いたっきり、慌ただしい毎日の所為で忘れていた。それが再び意識に上がったのが、昨夜の打ち上げの最中。まさか昨日の今日で、志希の口からも聞くことになるとは思いもよらなかった。

 

「ねぇ、飛鳥ちゃん……。あたしと……Dimension-3 で、UL目指そ……?」

 

 痛みを我慢しているような表情と、羽音のようなか細い声だった。

 

「志希………」

 

 ひょっとしなくても、これはラブコールなのだ。一ノ瀬志希という超人気アイドルから、ボクみたいな中堅への、勿体無いお誘いなのだ。これ以上に光栄なことなんて他に無いと、志希と組んだことのあるボクだからこそ本気で思う。

 

「誘ってくれてありがとう、志希……」

「じゃ、じゃあっ……!」

「でも、ボクは断らなくてはならない」

「……………えっ」

 

 昨日の打ち上げで、ボクたち四人は宣言したんだ。

 

「ボクは、蘭子と……ダークイルミネイトで、ULを目指す」

 

 確認するように、ボクは昨日と同じように宣言した。そのとき、志希の目尻に何かが滲み出したように見えたのはボクの幻覚だろうか。

志希は沈黙したままゆっくりと上体を前に折り、額をテーブルに着けて静止する。何かを考えているのか、ピタリと止まっている。そのまま一分近く経った。志希の思考時間にしては異常と言っていい程に長かった。

 

「…………………ぅ」

「う……?」

「うにゃーーーーっ!!」

「うわっ!?」

 

 ガバっと上体を起こした志希が奇声を発する。そこにいたのはもう、ボクには手の負えないいつもの一ノ瀬志希だった。

 

「いーもん、いーもん。志希ちゃん、組んじゃうんだから。ずっとオファー受けてたユニット!」

「………フフ。ということはULをかけて、ボクたちと争うことになるね」

「ふーん。あたしたちと張り合えるつもりなんだー?」

「むっ……? 聞き捨てならないな。確かにボクたちは一年目のルーキーだが――」

「もう飛鳥ちゃんなんて知らなーい。バイバーイ!」

「えっ、おい、志希……!」

 

 そしてあっという間に志希は行ってしまった。

 去り際に見せた不敵な笑みはとても彼女らしくて、決して一筋縄ではいかないことがボクにも予想できた。それはそれで、とても愉しみではあったのだけれど。

 

 

 

 

 

「――おっ? この感じ、来たな……」

「どうしたんだい、P?」

 

 Pの居室での打ち合わせが終わり、コーヒーブレイクしていると、彼が妙なことを口走った。そして携帯を取り出し、画面を何度かタップすると「うむ」と頷いた。

 

「SNS、見てみ」

「ん? 何か事件でも……?」

 

 ボクも携帯を取り出し、アイコンをタップして―――そこでドアがノックされた。

 

『P、いるわね?』

 

 この声は……。

「どうぞー!」とPが答える。現れたのは神崎P。と、その後ろに蘭子もいた。

 

「やってくれたわね、二宮飛鳥……」

「は……? いきなり現れたと思ったら、何を言うんだキミは?」

「いいから早く()()を見なさい」

「SNSのことか? まったく、Pといいキミといい、一体何が……?」

「戦乱の幕開けである!」

 

蘭子に手を振りつつ、携帯に目を落とす。()()はすぐに見付かった。

 

『あたしたちUL目指しま~~す♪ #新ユニット #LiPPS』

 

「………んんっ?」

 

 志希の投稿だった。その投稿の反響度合いを示す数値はスロットマシンのごとく変動し続けていて、ボクの動体視力では当面の間読めそうにない。そうこうしていると、メッセージと一緒に投稿された画像が少しずつ解像度を上げていく。

 

「この人たち、知っているぞ……っ!」

 

 そこにいたのは志希を含めて五人。いまだアイドル界隈に疎いボクでさえ、彼女たちについては名前まで覚えている。いや誰だって、彼女たちを一度でも目にしたら忘れられないんじゃないだろうか。

 

 速水奏。塩見周子。城ケ崎美嘉。宮本フレデリカ。そして、一ノ瀬志希。

 

 リラックスルームでの談笑風景を無造作に撮ったであろうその写真は、しかし、そのままセンター街の巨大広告に使えそうな程、絵になっている。悪魔的に魅力的なビジュアル力だ。美人度でいえば神崎Pが上なのだろうが、ヤツは人を寄せ付けない類の美貌だと思う。一方、彼女達のソレには、人を惹き付けてやまない魔性があった。

 当然ビジュアルだけでなく、ダンスとボーカルも極めて高いレベルであることをボクは知っている。そして各々が持つ、唯一無二の強烈な個性……。アイドルヒエラルキーの最上位五人をそのまま選んできたと言っても過言ではないような、ハッキリ言って、えげつないユニットだ。

 早過ぎるだろ、志希……。 ユニットを組むとは言っていたけれどさ! まだ二時間も経ってないぞ! というか志希は、彼女たちの誘いを断ってまでDimension-3を再結成したがっていたということか? 志希はそれ程にボクと……!

 

「フフ……」

「何その気持ちの悪い顔は」

「へっ!? し、失礼だなキミは……!」

 

 蘭子がボクの隣に、神崎PはPの隣に腰を下ろした。

 神崎Pはいつにも増して厳しい視線をボクへと突き刺してくる。

 

「フン、まぁいい……。()()()()()()とはどういう意味かな? またいつもの難癖かい?」

「蘭子の仕事を増やさないでほしい、ということよ」

「は……? この新しいユニット……LiPPSか……とどういう関係があるんだ?」

「まだ理解していないのね。ハァ~~…」

「これ見よがしに溜息をつくんじゃない……!」

 

 ボクと神崎Pの会話のドッチボールを、Pと蘭子が苦笑いを浮かべながら見ている。どうやら事情を呑み込めていないのはボクだけらしい。

 

「LiPPSが結成されてしまったのは、アナタの所為よ」

「………はぁ? ボクにどういう関係があるっていうんだ……!」

「一ノ瀬志希の心情なんて考えもせず、彼女の誘いを無下に拒絶したのでしょう?」

「なっ……!? な、んで……それを……!」

「調子に乗って宣言するアナタの小憎たらしい顔が、あぁ……ありありと目に浮かぶわ」

「っ……!」

 

 何だコイツ!? まるでさっきのボクたちを見ていたような……! でもそんな……ボクはそこまでおかしな対応をしただろうか?

 そこでふと、志希の目に潤みがあったことを思い出してしまった……。

 

「で、でも……仕方ないじゃないか! ダークイルミネイトでULを目指すと、昨日約束したんだから……!」

「何を伝えるかよりも、どう伝えるかの方が大切だということは往々にしてあるのよ。もっと、彼女の想いに寄り添った対応で誘導すれば、LiPPS結成を防ぐことができていたのに」

「無茶を言うな! 志希を思い通りに誘導なんて、出来るわけがないだろう……っ!」

「あら、ごめんなさい? 履いて捨てる程ありふれているただの中学生には難しかったわね?」

「くっ……!」

 

 本当にこの性悪女は……! どこからでもディスってくるな。

 

「それにね、別に一ノ瀬志希の誘いに乗っても良かったのよ?」

「は……?」

「そうすれば当初の予定通り蘭子はソロユニットで活動できるし、Dimension-3が相手なら、UL出場もずっと簡単に――」

「こらーー!!」

「っ!?」

 

 蘭子の可愛らしい叫びがボクと神崎Pの間に割り込んできた。

 

「プロデューサー、またやってる! 飛鳥にばかりキツく当たって……そういうのダメっていつも言ってるのに!」

「で、でも蘭子……二宮飛鳥の所為で蘭子の負担が……」

「い! い! の! 飛鳥と一緒なら頑張れるもんっ!」

「あ、う………」

 

 飼い主に叱られた小型犬のように、神崎Pがシュンとする。

 でもボクには彼女を笑える程、まだ事態を把握できていなかった。

 

「つ、つまり、どういうことなんだ? P、説明を求める」

「うぃっす!」

「真実の扉が今開かれる!」

 

 Pがソファから立ち上がり、ガラガラとホワイトボードを引っ張り出してくる。そしてボードの中央に黒ペンで『LiPPS つよい』と書いた。それ書く必要あるのか?

 

「飛鳥にはまだ言ってなかったが、事は概ね予測通りに進んでいる。神崎Pのディスりは単なる憂さ晴らしだ。気にするな」

「全く以て気にしていないが? たかが子犬の遠吠えなんて可愛いものさ」

「犬の遠吠えなんて聞こえなかったけれど? もしかして耳が腐ってるのかしら」

「んもう! な、か、よ、く!」

 

 神崎Pと視線で殴り合う。黙りなさいって? それはお前の方だろうが。

 

「LiPPSな。現状、あの子たちに勝てるユニットは無い。総合力では史上最強のユニットと言ってもいい。飛鳥と神崎ちゃんでも、正面からやり合ったら勝ち目はない」

「くっ……そこまでなのか……っ!?」

「何よりもまず、今からUL総選挙まで、あと三か月しかないのがネックだな。元々のファン数が違い過ぎるんだ。そもそも勝負の盤上に乗るのだって、あの子たちレベルのフォロワーをゲットしてなくちゃならないわけだが、それはもう普通のペースでは不可能だ」

「今年のULは諦めると……?」

「ん? 諦めたいのか? それなら別に……」

「一度吐いた唾は飲み込みたくはない……!」

 

 ボクの言葉に蘭子が「うんうん」と力強く首肯した。

 

「んじゃあさ、飛鳥。どうすればいい?」

「むっ……?」

 

 いや寧ろ、ボクが教えて欲しいんだが? 反射的にそう返そうとして、踏み止まった。

 これはPとの会話……。ボクに答えられないことを、わざわざ聞いてくるだろうか? 彼は大抵、ヒントを与えてくれている。

 

「………」

 

――総合力()()――正面からやり合っ()()――あと三か月――普通のペース()()――。

 

 既に嫌な予感がしていた。

 

「その前に聞いてみたいのだけれど……。三か月で無理なら、何か月あれば可能なんだい?」

「九か月」

 

 即答。どうやら今回のボクの推測は当たっているようだ。全然嬉しくない。せめて六か月と答えて欲しかった。

 

「そうか……やるんだな、三倍の頻度でライブを……」

「That's right!」

 

 LiPPSほどの怪物ユニットだ。あらゆるメディアを自由に使い、戦略的に選挙戦を進めていくだろう。だがそれに張り合おうとあちこちに手を出したとしても、LiPPSの総合力に勝てるはずもない。なら、勝てる可能性のある部分でひたすら戦えばいい。ボクたちの場合、それは当然ライブになる。幸いにもアイドルとしては王道の領域だ。そして時間が足りないのであれば、密度を上げてやればいい。

 まったく、笑ってしまう程に単純明快だ。まぁ、時に人はそれを脳筋と呼ぶけどね!

 

「………え? 三倍?」

 

 自分で言っておきながら改めて疑いを抱いてしまう。

 

「はい、コレあげる」

 

 Pが差し出してきたこれからのスケジュールは、目を覆いたくなるほどの過密スケジュールだった。ライブの回数を三倍に増やすため、休日は三つか四つの現場をハシゴすることになるらしいし、平日の夜にライブが組まれていることがあった。ヘリ移動が普通にあった。ライブ出演に時間が割かれるからといって、レッスン時間が減るということでもない。新曲も出していかなくてはならないから、寧ろレッスンの時間はこれまでより増えていた。

 

「あとさ、そろそろ学校の勉強も頑張ろうな、飛鳥!」

「えっ!?」

「何意外そうな顔してんだよ。中学生の本分は勉強じゃろがい。分かんねぇトコは教えてやるからな」

「…………えっ!?」

「……蘭子もよ」

「ぴっ!?」

 

 青い顔に冷や汗を浮かべながら、蘭子が頬を引き攣らせる。それはきっとボクも同じだっただろう……。

 



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≪Review by Asuka≫

 

 LiPPSの結成宣言から一週間の内に、十のユニットがUL総選挙レースに名乗りを上げた。ダークイルミネイトもその内の一つだった。

 十組程度のユニットで総選挙を競うというのは例年に比べれば遥かに少ないらしいが、それも無理からぬことだろう。今年はULを目指す、イコール、LiPPSなんていう怪物ユニットと張り合うことになるわけで、例年なら半分以上を占めるという『ワンチャンあるかも』勢は軒並み来年以降を見据えたのだ。

 つまり名乗りを上げたのはLiPPSを相手にして尚、勝算を見出すことが出来るユニットであり、実際ボクたち以外のユニットにはかなりの実力派や有名人が揃っていた。

 そんな例年とは雰囲気の違う選挙レースにおいて、ボクたちダークイルミネイトは()()()いた。それも、かなり浮いていた。いや正確には、名実ともに有する他のユニットの陰に隠れてしまい、話題に上がることさえほとんどなかった。

 短いキャリアながらもそれなりに成果を上げてきたつもりだったのだけれど、他の猛者たちと比べられると、地力も地盤もまだまだだったということだ。

 

 こうして厳しい現実を目の当たりにしつつ、ダークイルミネイトの戦いが始まった。それはまさに怒涛の日々だった……。

 物理的限界に近い密度で組まれるライブ日程。それに対応するための過酷で濃密なレッスン。隙間時間には鬼畜教師Pによる勉強会。そして毎秒繰り出される神崎Pの小言、悪態、嫌味、侮蔑……これはいつも通りか。

 蘭子と一緒じゃなければ、とてもじゃないけど走り続けられなかった。蘭子にカッコ悪いところを見せてなるものか、という意地がボクを支えていた。

 

 ステージでの()()は必ず成功するわけではなかった。歌声をハモらせる程度のことではやはりダメなのだ。成功させるには、何かとてもタイトな条件があるようだった。

『蘭子に合わせよう』だなんて考えているときには大抵失敗した。一方 、成功するときにはまるでそれが当然であるがごとく、なんの困難さもなく成功した。

 ()()についての傾向がここまで把握できたのは年が明ける頃だった。選挙レースが始まってから二か月が経っていた。

 ちょうどその頃からレッスンを効率よく吸収するコツが掴めてきて、生活に多少の余裕が持てるようになっていた。

 

 久しぶりに各ユニットの勢力図を調べてみると、随分と様変わりしていて驚いた。十のユニットのほとんどが事実上の脱落をしていたのだ。

 彼女たちの最大の敗因はLiPPSに真っ向から挑んでしまったこと。正々堂々、と言い換えても良いが、その場合勝つのはより実力のある方だ。テレビ、ラジオ、雑誌、ネット配信など、LiPPSが何らかのメディア展開をすれば、皆こぞって追従した。いや、せざるを得なかったのだ。そこで追い縋らないと、あっという間に先へ行かれてしまうのだから。しかしその全てとライブにおいても、LiPPSは他のユニットを圧倒的に凌駕した。彼我の反響の大きさの違いを何度も見せつけられれば、選挙レースに意味を見出し続けることは難しいだろう。

 

 

そして二月に入り、選挙レース期間中において最大で最後のライブ、二月公演を残すのみとなった。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

「皆様~~本日は~~お忙しい中ご足労いただき~~まことに~~まことに~~ありがとうございますぅ~~」

 

 明日の大一番に備えたレッスンを終え、蘭子とPの居室に来てみればコレだ。蘭子もとうとうPの奇行に慣れ切ってしまったようで、ボク同様眉一つ動かさない。

 

「本日お集まりいただきましたのは~~他でもありません~~」

 

 Pの居室は以前と比べると随分と広くなった。室内の調度品もたぶんかなり高価なものだろう。仕事ぶりを認められて会社から良い待遇を受けるのは正当な権利だが、こうも頻繁に部屋が変わるとどうにも落ち着かない。ただ、これからは居室が変わることはそうそう無いらしい。

 

「そういうのはいいから早く始めろ」

「約束の刻まであと僅か」

「P、真面目に」

 

 すでに室内にいた神崎Pにも嗜められ、Pが頬を膨らませた。イラっとくるだけで、壊滅的に可愛くない。

 

「はいはいわかりましたよ。ちゃきちゃき進めりゃいいんですね。わかりましたよ。わかりましたから」

 

 不貞腐れながらPが壁際のホワイトボードに文字を書きつけていく。

 

『二月公演 とても大事!』

 

 いつも思うが書く必要があるのかそれは?

 

「明日の二月公演の出演順がさっき決定した。それがこれだ」

 

 渡された紙に目を落とす。まず最初に見たのはトリ。そこには――。

 

「トリはやはりLiPPSか……」

「そして我らはその前座……血が滾るわ」

「つまり。今、ダークイルミネイトが二番手」

「そうだ。俺たちは間に合ったんだ」

 

 年に四回ある一際大きなライブの中で、明日開催される二月公演は他とは異なる趣旨がある。UL総選挙の投票日直前であるため、特に公演の後半は実質的な頂上決戦の様相を呈することになるのだ。そのため、出場ユニットと順番は選挙レースの動向を反映したものとなる。だからこそ前日になってようやく出演順が決定されるのだ。そして当然、公演のトリは最有力と目されるユニットに任される。

 選挙レースが始まってからのボクたちの目標は、二月公演時点で二番手につけておくことだった。

 

「そんで、こっちの()()()ももう終わってる」

 

 Pが携帯にSNSのタイムラインを表示させながら、悪そうな笑みを浮かべる。

 

「まるでヴィランだなボクらは……フフ」

 

 ()()()とは扇動。つまり『この二月公演を最も盛り上げたユニットに投票しよう』という世論誘導。数か月の選挙レースでやってきたことや各ユニットの地盤をすべて一度フラットにして、最後の一発勝負で決めてしまおうという、クイズ番組の最終問題もかくやの恐ろしい風潮を意図的に作り出したのだ。どんな方法でこれを成したのか全く理解らないが、Pと神崎Pにかかれば可能らしい。

 この展開にはLiPPS側が乗り気だったのもプラスに働いたのかもしれない。彼女たちは負けるはずがないと思っているのか、それともただ単に面白そうだからなのか……。後者のような気がする。

 

「明日、ダークイルミネイトがステージに立ち、()()を成功させれば、勝つことができる」

「約束された勝利のミサー!」

「ついにここまで来たか……」

「蘭子のおかげでね」

 

 いちいちうるさいなこの女は。

 

「そ~こ~で~、今の状況を改めて鑑みてみるわけですがぁ~~」

「ん……?」

「世間的には知名度も実力もLiPPS圧勝で『ULはLiPPSで決まりでしょ~~?』って感じじゃん? でも、ダークイルミネイトのライブを知っている人間にとっては、ひょっとしたらgiant killingもあるのでは? なんて思っていたりいなかったり……」

「フム……」

「うむうむ……」

「そんな何かが起こるかもしれない大一番のライブを前に、キミたちが気を付けるべきことは、なんでしょーかっ? はいそこ、早かった二宮飛鳥さん!」

「えっ!? いや、挙手した覚えはないんだが……」

 

 まぁいい。Pの言動にツッコんでいたら日が暮れて朝が来る。

 

「……ひねりの無い回答で申し訳ないが。十全なパフォーマンスを発揮できるように、心身共に万全の状態でステージに臨むこと……かな」

 

 身体の調子を整えておくことは当然として、ボクと蘭子の()()には、特に精神的なファクターが強く関わっている。ライブに対して意欲的な気持ちを共有出来ていることは必須だ。

 

「ほーん、具体的には?」

「…………健康的な食事と早く寝ること」

 

 自分で言ってて面白みが無さ過ぎて悲しくなる。『具体的には?』って嫌な言葉だ。神崎Pが薄く鼻で笑ったのがイラつくけど、見なかったことにする。

 

「あぁ、あと就寝前に蘭子に電話しようかな」

「するーー!」

「チッ……」

「おーけーおーけー、まぁ、いいだろう」

 

 Pの言葉に若干の引っかかりを覚えなくもないが、これ以上何に気を付けるのか、とも思う。だから気にしないことにした。

 それから程なく打ち合わせは終わった。蘭子と神崎Pは以前から予約していたレストランへ行ってから帰るのだという。「二人で」とやたら強調してきた神崎Pがウザかった。

 

「じゃあ、ボクも帰ることにするよ」

「おう、おつかれちゃん。出来れば飛鳥も食事に連れて行ってやりたかったんだけど、予定が入っててな」

「構わないよ。その代わり……というわけでもないけど、明日のライブ後は空けてあるんだろうね?」

「もっちろん」

「ならいい。豪勢な食事というのは特別な日に食べるくらいが性に合っている。それに、これでも体重が気になるお年頃なのさ」

「そんな気にしなくてもいいのになー。もっと肉つけた方が健康的だし」

「おや? キミはふくよかな女性が好みなのか? これはますます太るわけにはいかないな」

「……最近さぁ、飛鳥も神崎ちゃんも俺への当たり強くない? 泣いていい?」

「フフッ。まずは自分の奇行を省みることをお勧めするよ」

 

 バカみたいな軽口を叩き合いながら、ボクも部屋を出ようとドアノブに手をかける。そこで「飛鳥」と、やや真面目な声音で呼び止められた。

 

「明日は十一時きっかりに飛鳥のマンションに迎えに行く」

「ん? それはさっき聞いたが……?」

 

 そしてPと共にライブ会場へ向かうのだ。明日のライブでは久しぶりに早めに会場入りして、夕方の開幕までの間ゆっくりと英気を養っておくと、さっき打ち合わせで話していた。

 

「一応言っておくが、それまでは玄関のドアを開けないことをお勧めする」

「……? あぁ、物騒な世の中だしね……?」

「んーー、そゆこと!」

 

 改めて言う程のことかと思わなくもないが、心配してくれているのだから有難く受け取っておこうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

≪Observation by the greatest mercenary≫

 

「Hey guys! Make sure your weapons are in perfect condition! After work tomorrow, you'll all be millionaires!!」

 

「「「「「「「「「「「yeahhhhhhhhhhaaaaa!」」」」」」」」」」」

 



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(外人さんの言葉が英語だったりカタカナだったりするのは、飛鳥が意味を理解できているかどうかを表しています。つまり、カタカナの部分は音としてしか聞き取れていないということです)


≪Observation by Asuka≫

 

 目覚まし時計代わりのラジオが起動する数秒前に目が覚めた。

 寝起きの気分は爽快。大一番が控える日としては最高のスタートだった。

 

 シャワーを浴びる。

 朝食にはお気に入りの比率に配合したシリアルを摂る。

 身支度を整える。

 Pが迎えに来るまでにはまだ時間があった。

 ラジオの放送局を変えていく。

 以前ライブを大成功させたご褒美としてPから贈られた、ニキシー管がふんだんに配されたラジオ。この最高のガジェットがボクの日常に溶け込んで久しいのに、周波数を表示するニキシー管のフィラメントの揺らめきが、今日はやけに新鮮に見える。

 ついボーっと見つめてしまい、ラジオの音声は右から左へ。

 

「掃除でもするか……」

 

 掃除も二十分とかからなかった。

 

「……やれやれ」

 

 昨日からずっと頭の片隅に居座っている言葉があった。

 

()()を成功させれば、勝つことができる』

 

 ならば共鳴が成功しなかった場合は……?

 そもそも共鳴だって、成功確率は上がっているけれど、成功させようとして成功させられるものではない。いやむしろ、そういう前のめりな気分のときは不思議と失敗することが多かったような……? 成功するときは、不思議と、勝手に、必然的に、なるべくしてなるように、成功するのだ。

 今日は絶対に成功させなければ――待て、ダメだ。こんな風に気負うのはよくないぞ……!そうだ、こういうときは逆に考えるんだ。別に失敗してもいいさ、と。

 

「いや、失敗したらダメだろ……!」

 

 気付けばじっとりと手汗をかいていた。

 よくない。よくないな。考え過ぎはよくないぞ。

 

「気分転換だ」

 

 壁に掛けた幾つかのヘッドホンから無造作に選んで一先ず首にかける。イヤホンジャックをオーディオに繋ぎ、再生しようとしたところで手が止まった。丁度そのとき、ラジオから今日のライブについての話題が聞こえてきたからだ。特に目新しい情報は無かった。ただ、無視することも出来ず聞き入ってしまい、気付くとボクはただのリスナーとなっていた。流石は熟練のラジオDJだ。

 

 ――ピンポーン!

 

 来客を知らせるチャイムが鳴り響く。

 時刻を確認すると、いつの間にやら十一時五分前になっていた。ラジオは良い時間潰しになってくれた。

 

「はーい、すぐ行くよ」

 

 ドアに向かって言いながら、コートを着込みバッグを肩に掛けて玄関へ向かう。

 チェーンを外し、サムターン錠を摘まむ。指先で感じる金属の冷たさがやけに刺々しく、それはまるでボクに何かを訴えかけようとしているようで――何か違和感……。Pは何と言っていたっけ……?

 

『十一時頃に』いや。『十一時きっかりに』だ。

 

 今はまだ五分前。これを『きっかり』とPが言うだろうか? 彼ならコンマ一秒の狂いもなくチャイムを鳴らしそうなものだが……。

 

 ――かちゃり

 

 しかし、身体に沁みついた動作が勝手に先を行っていた。

 

 ――ガコッッッ!!!

 

「ッ!?」

 

 錠を閉め直す間も無く、瞬時にドアノブが角度を変える。物凄い勢いでドアの向う側から掴まれたのか。そして凄まじい勢いでドアが開かれた。

 

「なっ、なんだお前は――ッ!?」

 

 ドアの向こうにいたのはPではなく、全く見覚えのない男。

 

「オトナシク、シロンダ」

「何を――ムグッ!?」

 

 叫び声を上げる間もなく口が男の手に覆われる。と同時に視界がグルンと回った。身体が持ち上げられたのだ。両脚も掴まれていることに気付く。男は二人いた。

 男二人はボクを抱えていながら、ボクの全速力よりも遥かに速く、マンションの出口へと向かって行く。

 

「ム~~~~ッ!」

 

 両方とも外国の――白人らしい。かなりの体格の良さだ。まったく抵抗できない。なんだこれは? ドッキリ企画というヤツか? いや、うちの会社ではドッキリの類は厳に禁じられていると聞いた。ならばこの男たちは……?

 全身に寒気が走った。『拉致』の言葉が頭に過ったから。ボクは今、犯罪に巻き込まれようとしているのだ!

 マンションのエントランスを抜けたすぐそこにマイクロバスが停車していた。それにボクは押し込められた。ボクが迂闊に開錠してからまだ30秒も経っていないだろう。

 ()()だと思った。何のかは理解らない、とにかくプロの手並みだと感じた。

 ドアが閉まるのも待たずにマイクロバスは猛スピードで走り出す。

 

「テアラナ、コトヲ、シテ、ゴメンデス」

 

 三人目の男が登場。ソイツは――またもや白人だったが――ボクが拉致られてくるのをマイクロバスの中で待ち構えていた。一見すると精悍な顔立ちのナイスミドルだが、顔面のあちこちに数多くの傷痕があった。いや顔だけでなく、首にも耳にも袖から覗く腕にも無数の傷があった。全身がそうなのかもしれない。服装はグレーのモザイクのような……都市迷彩という柄だっけ?

 ナイスミドルはボクに柔和な印象を与えようとしているのか、薄い笑みを浮かべている。だが、目だけは機械じみた冷徹さを感じた。

 ボクをここまで運んだ二人の男の内、片方は見るからに粗暴な雰囲気を放っている若者で、ボクを威嚇するようにガンをつけてくる。

 もう片方の男はボクには興味が無いようで、気怠げに前方の座席で運転手のナビをしていた。

 運転手は眼鏡をかけた黒人だった。

 四人のチームらしい。

 マイクロバスの車内を見渡せば、それは以前仕事で乗ったものとはかなり違った構造だった。運転席と助手席は普通だが、それより後ろには座席が極端に少なく、代わりに様々な機材や何らかの道具が収納されているであろうコンテナボックスなどが置かれている。さながら移動基地だ。この拉致のための偽装車両? 映画などで見たことがあるな。こんな状況でなければさぞ心躍っただろうに、正直なところ、まだ涙が出てないのが不思議なくらいに怖い……。

 

「きっ、キミたちは一体――」

「Hey ! Shit down !」

「――くっ!?」

 

 肩を抑えつけられて、座席に無理矢理座らされる。やったのはボクに最初に接触した荒くれっぽい男だ。

 

「No, No, No…….Treat her リスペクタフリー。イッヒューハートハー、ユーウィルベイ――」

 

 ナイスミドルが鋭い眼光を荒くれ男に向けながら流暢に英語を喋り始めた。

 

「――O.K. boy ?」

「……Yes, sir !」

 

 彼の言葉は英語なこともあってほとんど聞き取れなかったが、どうやら荒くれ男は乱暴さを叱られていたようだ。

 荒くれは少しシュンとした表情を見せた後、これ見よがしに丁寧な手付きでボクにシートベルトを装着させた。シートベルトはボクを拘束するためのモノでもあるのか、固定金具には錠前のような器具が付いていた。体勢をずらしていけばベルトをすり抜けることも出来るが、それを見逃す程彼らは愚鈍ではないだろう。

 

「ブカガ、ゴメンデス。ケガハ、ナイデス?」

「あ、ああ……」

「Good ! So, イマカラ、アナタノ、ジョウキョウヲ……Ah~…English OK ?」

「えっ、い、いんぐりっしゅ……? あ……あ、りとる……!」

「OK. ウェル……」

 

 ナイスミドルが、胸のポケットからメモ帳を取りだして、ペラペラとページを捲っていく。

 

「……ガッリ。 アナタノ、ジョウキョウデス。ヒトツメ。アナタノ、アンゼン、ホショウ、シマス。アンシン、シテ、O.K.ヨ」

「………」

 

 あのメモ帳はカンペか。クソ。ウェルってなんだよウェルって……!

 

「フタツメ。コレカラ、ニジュウイチジ、マデ、コノ、クルマノ、ナカデ、イテモライマス」

「にじゅういち……? 二十一時……? は? それって……!」

「ミッツメ。アバレル、ムダデス。ワタシタチ、ツヨイノデ」

 

 二十一時とは今日のライブの終了予定時刻。つまりこのままここに捕らわれたままだとステージに立つことが出来ないわけで、その場合当然の結果としてダークイルミネイトはLiPPSに敗北することになる。

 

「ふっ、ふざけ――」

「ドンムー !」

「――くっ!?」

 

 問い質そうと身体を前傾させただけで、荒くれがまたボクの肩を抑えつけてきた。それを即座にナイスミドルから厳しい口調で諫められ荒くれは手をどかしたけれど、ボクにしか聞こえないくらいの小声で所謂フォーレターワードを呟いていた。どいつもこいつも、ボクの言葉を聞くつもりは毛頭無いらしい。車が風を切る音だけが無情に響いている。

 

 車が高速道路へと進入していく。最初の分岐で進んだのは、やはりライブ会場の方向とは違うルートだった。

 マイクロバスは今、前後を軍用ジープのようなゴツい車に挟まれて走行している。前後の車もコイツらの一味らしい。

 拉致されてからどれくらいの時間が経ったか気になって眼球の動きだけで車内を探ると、機材の操作盤の中に時計が見つかった。この状態になってからまだニ十分ほどしか経っていなかった。こんな穏やかじゃない場所であと十時間も過ごさなければならないと思うと気が狂いそうだ。

 そういえばPは今どうしているのだろう? 彼のことだから、十一時きっかりにボクの部屋を訪ねただろうけど、インターホンを鳴らしてもボクが出てこないのをどう解釈するのか…? 眠りこけていると思っていないだろうか? それかちょっとコンビニまで外出してるのだろうと、しばらく部屋の前で待っていたり?

 でも……。どっちにせよ、普通は一度携帯に連絡してみるくらいのことはするんじゃなかろうか? 早い段階で取り上げられたボクの携帯はバッグと一緒にボクから離れた座席に置いてある。しかし、この二十分間では何も受信していない。

 

「……………」

 

 そうしてやっと気付いた。いや、思い出した、と言うべきかもしれない。

 

「アイツ………」

 

 全部知っていたな!?

 昨日の打ち合わせでのPの妙な問いかけは()()のことを言っていたんだ…!アイツなら予知していたとしても不思議はない。ボクが結局五分前にドアを開けてしまうことも知っていたに違いない。連絡をしてこないのは、ボクの状況を知っているからというわけか……!

 

「アイツゥ……ッ!」

「What… ?」

 

 頭に血が上りそうだ……! だ、だが……こういうときこそcoolにならないとな。うん。いつもPの掌の上で踊らされるなんて、ボクらしくないからね!

 

「フム……」

 

 ならばPはすでに動いているはずだ。ベストな結果につながるように、虎視眈々と機を窺っているのだろう……! そうして颯爽と現れて、慌てふためくボクにいつものニヤケ顔を向けるつもりだな? ならば彼が現れたとき、ボクが先に笑ってやろうじゃないか……!

 

「Hey, boy. ワッラライダー?フロッウェンワッザガイデア?」

「Rider? ウェア~~……Oh!」

 

 ナイスミドルが指差す方を見てみると、一台のバイクがボクたちに並走していた。あまりに自然に走っていた為、いつからそこにいたのか分からなかった。妙なバイク乗りだった。モトクロスで使われるようなバイクに、背広姿で跨っている。かなりミスマッチ。フルフェイスヘルメットを被っているから顔は分からないが――

 

「――あ、コイツか」

 

 ライダーがメットを外すと、そこには今一番ひっぱたきたい顔があった。Pのすっとぼけた顔だ。

 

「ディーメッ!! ダ、ガイ、イズ、カミンッ!!」

「Realy!? How fast!」

「Foooooo!! イッツァバロゥ!!!」

 

 男たちが急に色めき立ちはじめる。そして野獣のような鋭い目をしながら、マイクロバスに設置されていたボックスに向かう。

 その間Pはずっとボクの方を見ていた。この非常時にも関わらず、オフィスにいるときのような間の抜けた顔で、首元を指差している……?

 

「ん……? なんだ? 何が言いたい……?」

 

 目をしばたたかせて見ても、Pの意図が理解らない。首をかしげると、Pは事も無げに両手をバイクハンドルから放して、耳の下辺りで軽く手を握った。あぁ、これは首に掛けているモノ――ヘッドホン――を見ろ、のジェスチャーか。

 

「あ、あれっ? コレは……?」

 

 まだ自宅にいる時に首に掛け、結局音楽を聴かないままだったヘッドホン。それに改めて触れてみて、初めて違和感に気付いた。こんな形の……触れるだけでも分かる、無骨でダサいヘッドホンなんて、ボクは所有していなかったはずだ。

 

「Hey, girl !!!」

「へっ!? なに!?」

 

 ほとんど怒声のような大声でナイスミドルがボクに言う。その目はゾッとするほどにギラついていた。

 

「ワスレテタヨ。ヨッツメ! ジャマスルゥゥ! ヤツハ――」

 

 ナイスミドルたちがボックスから取り出した()()を認識すると同時に、ボクの首に掛かっているモノの用途が理解できた。

 

「――Dead or Alive!!!!!」

 

 奴らが手にしていたソレを一斉にPに向ける。ソレはこの国では絶対に目にしちゃいけない殺戮の象徴――銃だった。ライフル? マシンガン? 詳細な分類は理解らないが、明らかに威嚇のためではないソレを、運転手以外の三人が並走しているPへと向けている。

 そう、ボクの首に掛かっていたのは、爆音から耳を守るイヤーマフだったのだ。慌てて装着する。Pはいつから仕込んでいたのだろうか――ってゆーか気付けよボク!

 

 ズダダダダダダダダッッ!!!!!

 ズドンッ!! ズドンッ!! ズドンッ!!

 ぱららららららららららららららら!!!!

 

「うわぁーーーーーっ!!!!」

 

 イヤーマフ越しにもかかわらず、恐ろしい程の轟音が鼓膜を叩いてくる。まるで耳たぶが工事現場だ。もしイヤーマフが無かったらボクの耳は向こう数日オシャカになっていたに違いない。音に加えて、網膜が焼けそうなくらい火花も乱舞している。

 銃口がボクに向けれらているわけではないのに、轟音と閃光の嵐の中ではただ身を丸めていることしかできなかった。銃声の圧でエクステが踊り、肌がヒクつく。夏の夜にしか嗅いだことのなかった匂いが、鼻腔を満たしていく。嗚呼、夜空の花を見る度に今日のことを思い出すことになってしまうのかクソッタレ!

 

「ここは日本だぞーーーーっ!!!」

 

 ボクの叫びなんて掻き消されてしまう。銃声は尚も止まない。百発なんてとっくに超えているだろう。

 そうだPは? Pはどうなった!? こんな集中砲火喰らったらいくらPと言えども……。

 

「P……ゴ、ゴクリ……」

 

 もしかすると閲覧注意なシーンが……? 恐る恐る視線を上げてみる。

 だが。いた。Pはいた。そうかー。無事かー。P、そっかー。何だコイツ。

 上半身をウネウネとくねらせたり、ウイリーしたり、くるんとバイクごと前転したりと、変態的な軌道で相変わらず近くを並走している。表情はいかにも涼しげだ。コーヒー豆を挽いているときの方がよっぽど真剣みがある。あ、前後のジープからも銃撃されているらしいな。一発も当たってないみたいだけど。

 

「Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k!!!!!」

「Why? ワァアアアイッ!? ワッツゴーリンウォン!?」

「ガッッッデンッ!!! イズディッサルーモアッマンッ!?」

「What are you ファキンドゥーインッ!? キルヒンッ!! Hurry! Hurry!!!」

 

 男たちは目を剥き、口角に泡を溜めながら叫んでいる。

 SNSにアップすればバズること間違いなしの曲乗りを披露しながらPはまだボクを見ていた。その口がゆっくりと動いている。この期に及んでまだ何かを伝えようとしているらしい。読唇しろということか?

 

「えむ? えう……? え……えん……? えんよい……? えん……じょ……い……あぁ」

 

『Enjoy!』

 

 ボクに伝わったのを見て、Pが満足げに頷いた。

 

「Pのアホーーーっ!!」

 

 あっ! Pが後ろに向けて何か投げた?

 

 ドッグオォォォオオおおおんッッッ!!!

 

「うっわぁああ!?」

 

 後ろを走っていたジープが派手過ぎる音をたてて跳ね、前転を試みて中途半端に止めたようにノーズから地面へと不時着した。何故そうなったのかは理解らないが、廃車なのは間違いない。

 

「Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k! Fu〇k!!!!!」

 

 荒くれのボキャブラリがクライシスだ。気怠げ男は顔を青くしつつも撃ち続ける。ナイスミドルは……手を止め、無線を使っていた。

 

 キキキキィイイイイ――!!!

 

 前方でけたたましいブレーキ音が轟き、前を走っていたジープが真横に来たと思った次の瞬間――

 

「フグッ!?」

 

 横Gで身体が揺さぶられ――

 

 グワシャンッッ!!!!

 

「ひょああああっ!?!?!?」

 

 マイクロバスとジープが横っ腹を衝突させていた。荒事のスペシャリストたちだからできる、完璧なコンビネーションだった。

 バキバキバキと金属の破壊音が鳴り響く。二台の大型車両にサンドイッチされては、あんな華奢なバイクはひとたまりもないだろう。人間は言わずもがなだ。ただし……。

 早々にナイスミドルが「yeah!!」とガッツポーズをキメている。他の男たちは手を叩き合って大笑いして口々にスラングを並び立てている。

 数秒の後、ジープが離れていく。

 

 ガシャン! がぎぎぎいぃ~~……。

 

 アスファルトの上を金属が滑る音が遠ざかっていく。後方を見やったときにはもうかなり距離があって、バイクがどれ程の破壊を受けたのかさえ判然としなかった。

 ただし。ボクには理解っている。脱落したのはバイクだけであり、この男たちはぬか喜びをしているということを。あの程度の奇襲で二宮飛鳥のプロデューサーがどうにかなるわけがないのだ。

 

 ドッグオォォォオオおおおんッッッ!!!

 

「「「「ワッ !?」」」」

 

 ついさっきも同じような光景を見たな。バイクをサンドした隣の車線を走っていたジープが、急にスピンをして側壁に衝突し、製造中のバームクーヘンを早回ししたようにローリングをし始めていた。こっちも廃車決定だ。

 彼らの表情から喜悦が霧散し、身体を硬直させる。ボクを含めたぶん全員が「もしかして…?」の想像を膨らませていた。

 奇しくもそのとき、大型の観光バスを追い抜いた。そのバスの車体に嵌め込まれた数十枚の窓ガラスに、ハイウェイでは有り得ない像が映り込んでいる。ボクらの乗るマイクロバスのルーフの上に人影が!

 

「アップデア!!」

 

 男たちが天井に銃口を向ける。しかし最初の誰かが引き金を引くのよりも早く――

 

 ボゴンッッ!!

 

「ゴッ――!?」

 

 運転手の直上の天井が陥没していた。その凹みは正確に運転手の脳天へと衝撃を与えたらしい。

 

「ワッザヘルッ!!!!」

「うわああああっ! こっ、これえぇ! 大丈夫なのかぁああっ!?」

 

 ハンドルを操作する者が昏倒し、マイクロバスが激しい蛇行を始める。シートベルトで固定されているボク以外は皆盛大にズッコケた。しかも運転手はアクセルを踏んだまま気絶してしまったようで、スピードは落ちるどころかどんどん加速していく。

 

「Arghhhhhhhhhh!!!!!!!」

 

 ナイスミドルが叫ぶ。彼だけはズッコケたのではなかったらしい。銃器が納められたボックスの方へと意図的にダイブしていたのだ。新たな長物を取り出して、半分床に寝たような体勢で天井へと銃弾をばら撒き始める。

 

 バタタタタタタタタッ!!!!

 

「Boys!!! テイカッガンッ!!!」

 

 その雄姿は恐慌状態に陥りかけていた荒くれ男と気怠げ男を立ち直らせる。しかもナイスミドルは右手のみで銃を操りながら左手でボックスを漁り、彼らへ得物を放り投げていく。この咄嗟の判断といい、さっきのジープとの連携といい、このナイスミドルは相当の腕利きなのかもしれない。

 

「Fire! Fire!! Fire!!!」

「ダイッ! ダイッ! ダァアアアアアアアイッ!!!」

「ダァーイッ!! ファッキンガーーーイッ!!!」

 

 ―――――――!!!!!

 

 銃声。閃光。咆哮。

 身体の芯まで痺れるような強烈な刺激が延々と続く。マイクロバスの広い天井に隈なく穴が開いてゆく。

 

「Stop Firing!!!」

 

 永遠にも感じられた破壊の嵐がナイスミドルの指示でパタリと止んだ。マイクロバスは相変わらず猛スピードで疾走しているけど、今それについて頓着できる者は誰もいなかった。

 天井は正にハチの巣状態。もし仮にこの天井の向こうに人間が立っていたならば、()()()原型を留めていないだろう。無数に空いた穴から外気が入り込み、亡霊の泣き声のような不吉な風切り音をかき鳴らしていた。

 車内に差し込む幾筋もの光条の鮮明さが硝煙の濃さを物語っている。そういえば、そろそろ正午か。今日はなんて天気が良いのだろう。

 

 ……コンッ

 

「「「「……?」」」」

 

 快晴なのは間違いない。だと言うのに、天井に何かが降り注いだ音がした。

 

 コンッ、コツン、コンッ、コンッ、ココンッ、コツンコツンッ、ココンコココココッ!

 

 そしてどしゃ降り。雹のような硬質な()()が大量にルーフに降り注いでいる……!

 天井を見上げようとも、開きに開いた穴から差し込む逆光の所為で、何が起こっているのか把握することができない。

 

「……What…?」

 

 穴から転げ落ちてきたその()()を、最初に摘まみ上げたのは気怠げ男だった。

 

「………ア……Unbelievable」

 

 小豆ほどの大きさの()()が、降り注ぐ光を受けてキラリと輝いた。それは新品の十円硬貨と似た光沢で――つまりは弾頭だった。その意味するところを理解して、全員が青ざめていく。てゆうか、ボクも流石に引く。あれだけの銃弾を以てしても、Pには通用しないどころか……意味が理解らない。

 そして、Pのターンが始まった。

 

 ――ギャキキィキギギギギギギイッ!!

 

「What!?!?!」

「うああああ!? オイP! これはちょっともおおおーー!!」

 

 悪魔の断末魔のような破壊音を伴って運転席近くの天井から現れたのは、回転する鋼鉄の牙、チェーンソー。銃が殺戮の象徴ならば、チェーンソーは恐怖の象徴か。それが車内という閉鎖空間の中、数歩しか距離の無い場所で暴れまわっている。決して許容することの出来ない恐怖に全身が硬直する。

 

「HyeaaaaaaaAAAAAAAA!!!!」

 

 一番近い位置にいた気怠げ男が、情けない叫び声を上げながらドアをこじ開け、車外へと逃げ出していった。時速百キロは越えているだろうに、大丈夫なのだろうか? まぁ特殊な訓練を受けているだろうから問題ないのだろう。

 

 ギャルン! ギャルンッ! ギャルルルルルルウウウウッッ!!!

 

 天井から覗いた刃は上下動を繰り返し、天上を切り裂きながら後部座席へと行進し始める。向かう先は次に近い位置にいた荒くれ男だ。

 

「スィット!!」

「――えっ!?」

 

 荒れくれがボクへと振り返り、手を伸ばして――あっ、コイツ、ボクを盾に……っ!

 

 ――ギャギッギギギッギギ!!!

 

「Why!?」

「ひゃあああーー!?」

 

 第二のチェーンソーが、荒くれとボクの間に割って入ってきた。第一の方とは二メートル近く離れているように見えるが、一体全体どうなっているのか? 考えても無駄だろうな。

 

 ギャルンギャルンンギャギャルルルッル!!

 ギキィイイイッギイイギギギルルルッル!!

 

 前からと後ろから、二つのチェーンソーが荒くれ男に迫っていく。近づくに従って、荒くれはお行儀よく直立不動の姿勢をとった。

 

「……ヘルッ! Help! Help meeeee!!!」

 

 更に近づく。とうとうつま先立ちになる。

 

 ウオオオオオオンッツ!!

 

 あと三センチでミンチというところでチェーンソーの前進は止まり、空転してみせた。煽られた荒くれはバレエダンサーのような横歩きで、気怠げ男と同じように車外へダイブしていった。そうなればチェーンソーの向かう先はもう一つしかない。

 

「Fu〇king monster…!」

 

 ナイスミドルは既に両手に鉈のような大きな刃物を装備していた。まだやる気らしい。なんて胆力だこの男、スゴイぞ。

 

 ギィイイインッ!! ガギギギッ!! ギャギャガガ!!

 

 叩く! 叩く! 叩く! チェンソーの横っ面に猛烈な連打を叩きこんでいく。座席がほとんど無いとはいえ狭い車内で、なんて俊敏な身のこなしだろう。しかし――

 

 バギギギギギギイイイイ!!!

 

「GuuooOOOH!!!!」

 

 とうとう最後尾まで追い詰められてしまった。ナイスミドルは膝をつきながらも、鉈をかかげてチェンソーの進行を押しとどめようとしている。だが牙の回転は着実に鉈の刀身を削り取っていく。もう時間の問題だ。

 

「Please!! セイヒンッ! アイサレンダーーーッ!!! プリ―ストピッ!!」

「えっ!? 愛されプリンストン……?」

「プリーーーーッ!!!」

「ごめん理解らない……っ!」

 

 必死の形相で何かを訴えかけてくるけど、ボクにはどうしていいのか……。なるほど、英語ができないとこういうときに不便なのか…。()()()()()()がそう何度もあってたまるか!

 

 ――ギャルルルルギッギギギッ!!!

 

「ファッ!?」

「あっ」

 

 そこに第三のチェンソーが現れた。終わった。

 それは腕が二本しかないナイスミドルを嘲笑うかのように、彼の正中線目がけて前進していく。

 

 ――バキィィイン!!!

 

 鉈の寿命もそこで尽きた。

 

「ドウシテ?」

 

 さっきまでは龍虎さえ屠れそうであった彼が、今はもう子猫のような哀愁を漂わせている。

 

 ――ウォオオオオンッ!!!

 

 しかしケルベロスは止まらない。けたたましいエンジン音を轟かせながら今にも――

 

「Pぃーー! もういいっ! この人戦意喪失してるからーーっ!!」

「ストッストッ! ストオオッ! ノホオオオオOOOOO!!!!!!」

 

 ――ギャルルルルルウルウウルウウウ!!!!!

 

「ひぃいいいっ!!!」

 

 もう見ていられない。ボクは彼から目を背け、縮こまるようにして全てが終わるのを待つことしか出来なかった。ナイスミドルの絶叫が段々と弱々しくなっていくのが逆に恐ろしかった。

 

 ――ウォオオオンウォオン………

 

 しばらくするとチェンソーのエンジン音が途絶えた。いつの間にかマイクロバスの走行も止まっていた。

 

「………ッ!」

 

 意を決して、視線を上げていく。スプラッタは好きじゃないが、状況を確認しないわけにもいかないのだ。

 

「うっ……! なんて、無残な……」

 

 そこにあったのはグロな光景ではなく、とりあえずは安心できたが……ナイスミドルは最早ナイスミドルではなかった。上半身裸のショーパンモヒカン男だった。白目を向いて泡まで吹いている。周囲に散乱した布切れや頭髪がただただ汚い。よくもまぁチェンソーで器用なことが出来るものだ。

 

「どう? 楽しんでくれた?」

 

 切り取られた天井からPが顔を覗かせる。『大将やってる?』みたいな感じで。そうだった…。コイツはこういう男だった。さっきまでビクビクしていたのが馬鹿らしくなって全身からすごい勢いで力が抜けていく。

ヌルりと車内に降りてきたPはボクのシートベルトを解き、立ち上がらせてくれた。

 車の近くにトイレと思しき小さな建物がある。どうやらパーキングエリアまで来ていたらしい。

 

「こ、これは……これは一体何だったんだ? 何故ボクはこんな目に……」

「ブックメーカーって分かるか?」

「………賭け事の?」

「そうそう」

 

 ブックメーカーとは賭け屋。賭博はこの国ではごく限られた領域でしか認められていないが、海外ではもっとオープンな国があるらしい。そしてその賭けの対象は幅広く、競馬やスポーツの勝敗に始まり祝祭日の天候にまで及ぶ……。ということは聞いたことがあった。

 

「何年か前から、UL総選挙の順位も賭けの対象になっててな。例年はどのユニットが優勝するかの予想はかなり分かれるんだけど、今年はぶっちゃけLiPPS一択だったじゃん? だから、いたんだよ。ほとんど全ツッパしちゃったお金持ちのオジサンが何人もな」

 

 昏倒したままの元ナイスミドルと運転手を縄で縛りながら、Pが説明してくれた。

 かいつまんで言うと――選挙レースが始まった当初は、世界中の誰もがLiPPSが優勝すると思っていた。しかし紆余曲折を経て、“万が一”が起こり得る状況になってしまった。そこでもう後に引けないお金持ちオジサン連合が裏社会の力を借りて、不安要素たるボクたちを棄権させようとしている――ということだった。

 ボクたちの純粋な営為が勝手に賭けの対象にされていることは腹立たしいが、スケールが大きすぎてイマイチしっくりこなかった。

 

「って、蘭子! 蘭子は無事なのかっ!?」

「あぁ、神崎ちゃんにはアイツが――」

「蘭子! 頼む、無事で……っ!」

 

 急いで携帯で蘭子にコールする。三コールしてもまだ出ない。嫌な予感がチラついて――

 

『プッ……!』

「ら、蘭子!? 無事か!? 蘭子?」

『ッ!!! ~~~~ッッ!!!!』

「蘭子っ!? 蘭子なのかっ!? 蘭子ぉ!」

 

 蘭子の息遣いらしきものが聞こえる。しかしそれは荒々しく、最悪の光景が脳裏に過る。

 

『バタタタタタタタタッツ!!!!』

「――ッ!?」

 

 鼓膜をつんざくような轟音。今のボクは知っている。銃声だ。

 

「ああっ!! そんな!? 蘭子! 蘭子ぉーーっ!!」

『…………すっ』

「っ!? 蘭子? 無事なのか……っ!?」

『――すっっっっごぉおおいっ!!!』

「……………なんて?」

 

 それは、これまで聞いたことのないくらい元気な、蘭子の声だった。

 

『すごいすごいすごーーーーい!! 我が友ーーっ! いっけぇええっ!! きゃーーー!!! かっこいい~~~~っ!!』

「あ、あの……蘭子……?」

『飛鳥!? 何? どうしたのっ!?』

「あ、えっと……どうしたの、はボクの台詞なんだけど……」

『えっ!? ごめ――ドガガガガガッ――聞こ――バキキーーキッ!!――い! こっち騒がしくて!』

 

 現在進行形で激しく鉄火場のような音がするんだけど、当の蘭子の声には悲壮感などはなく、寧ろ楽しんでいるようで……。どうやらボクをPが助けに来たように、蘭子の方には神崎Pが行っているらしい。

 

「あぁ、うん。蘭子が楽しんでいるなら、いいんだ。うん」

『飛鳥――ダンッ!ダンッ!ダンッ!――は大丈――パララララッ!――あっ! うしろーー! 我がと――ギィイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!』

「くっ!?」

 

 雷鳴のような轟音に、思わず携帯を遠ざけていた。離した携帯からは、次いで爆発音らしき音が聞こえてくる。

 

「ら、蘭子……?」

『す、すご……。え? すごひっ……ま、まっぷたつ……とらっく、まっぷたつ……え? え?すご~~~っ!!!』

「あぁ……なんともないみたいだね」

『あっ、ごめんね飛鳥っ! こっち目がはな――ドッガァァアアン――旦切るね。また後でねっ! 闇に飲まれよーーっ!! プツッ――』

「あぁ、うん、やみのまー……」

 

 Pが苦笑していた。

 

「あっちも大丈夫そうだな」

「あぁ、うん……」

「トイレ行っとく?」

「あぁ、うん……」

 

 花を摘み、ほっと一息。洗面台で手洗いをする。そのとき煙の匂いがした。それはボクのエクステからだった。なんてことだ。おろしたてのエクステに硝煙の匂いが付いてしまっているじゃないか!

 なんだか猛烈に腹が立ってきた。そうだ、ボクは怒っていい。

 

「Pっ! おいっ!」

「おっ」

 

 トイレから駆け出て、Pに詰め寄る。

 

「キミは知っていただろう!? 全部!」

「たはー! バレたかぁー!」

「ばか! この、ばかぁ! ボクがどれだけ怖い思いをしたのか理解っているのか!?」

 

 Pの肩をポコポコ叩く。

 

「すまん。例によってこの展開が最適なんだ」

「またそれか…! だとしても、もっとこう……あるだろう!?」

「それにさぁ、飛鳥だって言ってたじゃん?」

「は? 何を…?」

「カーチェイス、してみたいって」

「………っ!」

 

 言ったっけ? あ……言ったような気がしなくもない……? いや待てよ……!

 

「違うっ! ボクが言ったのは()()()チェイスだ……! 頬で風を切る疾走感……胸のすくようなアクションシーン……! ボクが求めていたのはそういうのだ!」

「さっきもアクションシーンあったじゃんよー」

「あんなのほとんどホラーだろうっ! チェンソーで車を切り刻むヒーローなんていてたまるか……!」

「そっかーバイクチェイスかぁー」

「そうだ。バイクチェイスだ。ボクがしたいのは」

「…………………フヒ」

「っ!?」

 

 それが失言だったことにPの表情で気が付いた。悪巧みをするときのいやらしい笑みだった。ボクはまた誘導に引っかかってしまったのだ。

 

「オーケー!! ならばやりましょうバイクチェイス!」

「まっ!? 待て待て待て待てっ! 違うぞそういうことじゃない!」

「Come on!!! ブケファラスっ!」

「は? ぶけふぁ……?」

 

 ――シュゴオオオォーーッ!!

 

「なっ!? 何かが……来るっ!?」

 

 トイレの向こうから――トイレの建物を飛び越えて――ソイツはやって来た。

 

 ――ダキュッッ!! キキキィイイイーッ!!

 

 そして着地と同時に白煙を上げながら旋回し、ボクの前でピタリと止まった。

 

「こっ、これは……!」

 

 それは漆黒のボディを持った……おそらくはバイクに分類される車両だった。バイクだと思ったのは前後に付いているタイヤが一輪ずつだからだが、こんなフォルムのバイクは見たことがない。いや、あるにはあるけど、それはSF映画だとかに登場する空想の産物だった。そもそもこれは本当にバイクなのだろうか? Pの叫びに呼応して飛び出してきたように見えたし、今だって誰も跨っていないのに二輪のみで自立したまま静止している……。

 

「これはブケファラス号。俺が一から組んだ特製のバイクさ。ぶっちゃけ、めっちゃ先の技術を仕込んでる。結構カッコいいだろ?」

 

 ――シュイイイイインン

 

 モーター音に似た駆動音と共に漆黒のボディにブルーライトのラインが浮き上がった。それはまるで闇夜に煌めく流星のようだ。

 ボクの中にある中二スピリットが、確かに激しく疼いている。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ! お金持ちどもの悪巧みはもう終わったんだろう? なら後は会場へ向かえばいいだけ……もうバイクチェイスなんてする必要はないじゃないか」

「ん~~、それがなぁ~~、全ッッッ然ッ、終わってないのよ。映画で例えると、今はまだオープニングみたいなもんで、このパーキングエリア出るときにタイトルがバーンって出る感じ?」

「は……? ふ、ふざけるな……さっきのチェンソー乱舞、どう見たってクライマックスシーンだろ!」

「おっ、掴みはオッケーってことかな」

「ボクの心はもう劇場から帰宅済みだ……っ!」

「でも実際、今の会場周辺は傭兵さんたちで寿司詰めみたいなもんよ? このままじゃあ、流石に近づけない。つーわけでしばらくは遠くで暴れて敵を引き寄せて、現地の数を減らしていくんだ。今のところ、敵は神崎ちゃんの方に集中してるが、間もなくこっちにも――」

「あーーーーっ! うあーーーーーっ!!!」

「飛鳥が壊れてしまった」

「鬱憤を解放しているんだばか!」

「ウケる」

 

 大声を出してほんの少しだけ冷静さが戻ってきた……ような気がするがそれこそ気のせいかもしれない。

 

「ほ、他に方法は……?」

「無いんだなこれが。俺と一緒にブケファラスで飛び回るか、大人しく監禁されるか……どちらかしかない」

「ぐぅぅ~~~……っ!」

 

 約三か月前のヘリコプター飛び乗り事件の圧倒的な無力感と恐怖は、今なおボクのトラウマだ。そしてボクの直感が告げている。今回はその比ではないと……!

 スピードの化身のようなフォルムをしているこのバイクは、絶対に乗ったらヤバいヤツだ。しかも運転するのはP……。ああーーーっ! どうしてボクのアイドル活動にはこうもトリッキーな困難が付いて回るのか!?

 ……でもコイツ、メチャクチャかっこいいんだよな……!

 

 ――シュイイイイインン……ブォフォォオオーー

 

 なんて重みのある排気音! 装甲が動くギミックもあるのか……! い、一度跨るくらいなら……?

 

「おっと、来なすったぜ?」

「っ!?」

 

 閑散としていたパーキングエリアに、地響きを携えて車両群がなだれ込んでくる。どれも普段はお目に掛かれない無骨な造形だ。装甲車というヤツだろうか?

 

「よっしゃ! 行くか、飛鳥っ!」

「ボクはまだ乗るなんて………くそぉーーーー!」

 

 しかしボクはもう乗るしかなかった。Pの腰に腕を回し、全力でしがみつく。

 

「く、くれぐれも安全運転で――」

「オラオラオラァーー!アイドル二宮飛鳥様のお通りだぞーー!」

「――うわあああっ!? 速いいぃいいーーっ!!」

 

 瞬きの内にボクたちは風になる。

 そしていとも容易く敵の包囲網を抜け、ハイウェイを疾走し始めた。

 全編アクションシーンのドンパチ映画の開演だ。

 

 

 

 

 

『さよなら、アスカ。あなたとのドライブ、たのしかったわ』

「そ、そんなっ!? ブケファラス! ()()はダメだ……っ!」

 

 ボクの言葉を無視して愛馬がスラスターを駆動した。漆黒のボディに刻まれた蒼の刻印が強く脈動し始める。それは破滅への序曲。

 ボクの左腕に描かれた幾何学模様はいずれも赤く光っている。それの意味するところ、兵装の残弾ゼロ。左目の網膜投影ディスプレイにはブケファラスからの別れを告げるメッセージが次々と表示されていく。

 数百キロを走破し、幾度の戦闘を経て百八種の兵装も使い切った今、ブケファラスが武器とできるのは最早己の躯体だけ。損傷だらけのボディから噴き出す火花は、まるでブケファラスの血液のように見える。限界を超えてエネルギ―を絞り出すつもりか。

 

『Good luck, My idol!』

「行くなーーーっ!!」

 

 スラスターが蒼い炎を噴射するとブケファラスが宙へ浮き、上空へと加速していく。向かう先はボクたちの前にはだかった最後の難敵、アパッチヘリ。 星々の瞬く夜空にブルーライトの軌跡が走る――!

 

 ――ゴシャャアアッッ!!

 

 ブケファラスの捨て身の吶喊は見事ヘリの横っ腹を捉えた。ブケファラスが突き刺さった箇所では早くも小規模な爆発が起きている。プロペラも破壊したようで、ヘリは完全に制御不能状態に陥った。そして二機は混然一体となって海へと墜落し、海中へと没していった。

 

「ブケファラスゥウウーーーっ!!」

「大丈夫だ、アイツの本体はクラウド上にある!」

「そうなのぉ!? そういうことはもっと早く言ってくれないかなっ!?」

 

 ボクの絶叫を返せと言いたいところだけど、無事なら良かった。

 

「それはそうと、行くぞ。時間がない!」

「ああ!」

 

 会場に隣接する駐車場に着いたまでは良かったが、思った以上に時間を取られてしまった。随分と遠回りをする羽目になったものだ。しかし今ようやく、目と鼻の先に今日の目的地を捉えた。ボクたちは真っ直ぐに、煌々と光り輝くドーム会場へと駆けて行く。

 

 ――――!!!!!!

 

 入るまでもなく理解った。会場の盛り上がりは最高潮に達している。歓声のうねりがここまで伝わってくる。それもそのはず。時間的に二月公演のメインイベント、UL選挙直前の頂上決戦が始まろうとしているのだ。故に一刻も早く舞台袖へと到着しなくてはならない。

 そして遂にドームのスタッフ通用口まで到達したのだが――

 

「I've been waiting for you!」

「おっ、来やがったな~~」

「コイツらは……!」

 

 通用口近くの物陰から数人の男たちが現れた。その内の一人には見覚えがあった。半日前、Pによって無残な姿に変えられた()ナイスミドルだ。

 

「Fight me, fu〇king monster!!!」

 

 とはいえ、彼にとってはもうボクのことはどうでもよくて、ただPにリベンジしたいだけらしい。これはもしかして、仕事や損得とは切り離された漢たちの最後の戦い、というヤツじゃなかろうか? 中々にアツい展開だけれど……。というか、この人のメンタル鋼鉄なのか? あれだけやられたのにまだPに立ち向かえるなんて。

 

「行け飛鳥! ドーム内に入ればコイツらはもう手出しできない!」

「で、でも……!」

「心配ねぇよ。俺がこんな奴らに負けるわけないだろぉ?」

「いやキミの心配じゃない。あまりやり過ぎてやるなと、そういうことが言いたいんだ」

「あっ、そっちスか」

 

 Pを残してボクはドームへと足を踏み入れる。背後からは「アチョーー!」という奇声が聞こえたが、ボクにはもう彼らの冥福を祈ることしかできなかった。

 

 ――――!!!!

 

 小規模な地震かと間違う程に会場全体が揺れていた。オーディエンスたちが足を踏み鳴らし、ダークイルミネイトの登場を待ち構えているのだ。

『ある程度のことは運営スタッフに伝えてあるから、とにかくステージへ向かへ』とPは言っていた。通路をひた走り、舞台袖へと向かう。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

 体力はもう限界といっていい。足がふらついて気を抜くと転げそうだし、頭も重く感じる。まるで一日中テスト勉強をさせられたような怠さがある。今日はずっと慣れないドンパチをしていたんだから無理も無い。よくここまでたどり着いたよ、ほんとに……。

 

「飛鳥っ!」

「蘭子……っ!」

 

 そしてようやくボクたちは出会った。蘭子はボクとは別の通用口からここ、舞台袖を目指していたらしい。

 

「あぁ、蘭子、無事でよかった……!」

「うん! 飛鳥もっ!」

 

 彼女の服を見れば、ここまでの道程は決して楽なものではなかったことが理解る。いつにも増して気合の入ったゴシックドレスだというのに、所々に破れや汚れがあった。おのれ傭兵どもめ。

 どちらからともなく手を取り合うと、今日ボクたちが見てきた光景がおおよそ伝わってくる。

 

「な、なんと……無数の魔具を備え、空をも駆ける鉄騎とは……!」

「フフフ。蘭子は……なるほど強化外骨格か! 興味深い……っ!」

 

 あの女もなかなか良いセンスをしているじゃないか。そういえば姿が見えないが、大方Pのように最後の始末でもしているのだろう。

 

「だが、今は――」

「うむっ――」

 

 積もる話は後でいい。今はまず、全てをぶつけにステージへ。

 ステージへ駆け往くボクらを見咎めた運営スタッフたちが驚愕の叫びを上げた。

 

「えっ!? 衣装は!?」 「メイクもしてない!?」 「もう観客待たせられないぞ!」

 

 頭を抱える彼らを余所に、ボクたちは止まらない。止まる必要なんてない。

 ボクたちが着るはずだったステージ衣装は楽屋にあった。一歩たりとも入っていないその楽屋の内装をボクたちは知っている。部屋のどの位置に衣装が置かれているのかも知っている。ボクたちの身体に衣装のイメージを重ね合わせる。

 

 ――ボクたちは既にステージ衣装を身に纏っていた。

 

 ステージに立つ最高のボクたちをイメージする。

 

 ――メイクも既に完了していた。

 

 疲労なんてとっくに消え失せているどころか、全身に力が漲ってくる。

 ボクと蘭子の共鳴は、過去最高の重なりを記録している。今のボクたちなら何だって出来るという確信がある。今日一日、色々あったけれど、結局のところ、ボクたちの踏み台にしかならなかったワケだね!

 

「えぇ~~…。なんなんアレ? 見た、奏ちゃん?」

「え、えぇ……」

 

 ボクたちの次に控えるLiPPSの面々も、既に舞台袖に来ていたらしい。ボクたちの変わり身を見て、皆目を丸くしていた。いや、志希だけはほとんど睨みつけるような強い視線をボクに送ってきている。だけどボクはもう、蘭子と響き合いたいということだけしか考えられなくなっていた。

 

「さぁ、往こうか……!」

「覚醒の時は来た……!」

 

 この一歩で、ダークイルミネイトはステージの中央へと転移する。

 

 ―――――!!!

 

 光の粒子が天高く巻き上がっていく。その中心でボクたちはポージングしていた。

 種も仕掛けもない純然たる奇跡に、オーディエンスたちは沸きに沸く。初っ端からそんなにはしゃいで最後までもつのかな?

 ダークイルミネイトの幻想はドーム会場を、常識を、そして世界を侵食していく。

 

 故に、ボクたちが歌い終わった時点ですべての結果は決まっていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

≪Review by Asuka≫

 

 二月公演のトリであるLiPPSのステージが終わった数時間後、UL総選挙の投票期間も終了した。

 結果が発表されたのは翌日のゴールデンタイムのこと。

 

 総選挙で一位に輝きULの出場権を得たのは、ダークイルミネイトだった。

 

 絶対的ユニットであるLiPPSを差し置いてトップに立ったボクたちは、一躍()()()というヤツになってしまった。殺到する各種マスメディアの対応にほぼ丸二日を費やす羽目になった。

 

 それが一段落して、ようやくボクたちはULに向けての打ち合わせに入ることが出来た。




マトリックス・リローデッドのハイウェイのシーンのBGMを聞きながら執筆しました。あそこ大好きなんですよね。

敢えて言うならば、ここまでが第二章です。
そして次の第三章が終章となります。
もうしばらくお付き合い下されば幸いです。


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≪Observation by Asuka≫

 

 UL総選挙において一位に輝いたということは、()()の少なくとも()についてはトップアイドルであると言っても過言ではない。すると自動的にその担当は最高のプロデューサーであるはずだということになるようで、遂にPの居室は――神崎Pの居室もだが――最高ランクのものとなった。

 

「太っ腹というか、なんというか……」

 

 無暗矢鱈に広くて豪奢な部屋だった。仮眠室はまだしも、給湯室――というよりはキッチンと呼ぶべきか――トレーニングルーム、シャワールームまで完備されている。いっそここを別の会社の事務所にすることもできるだろう。最初期の部屋とは比べるべくもない程に良い環境なのだろうけど、昔の部屋程度の方が落ち着くのではないかとも思った。しばらくすればこの部屋にも慣れるのだろうか?

 そんなPの居室にダークイルミネイトの関係者四人が集まっている。時刻はちょうど午前十時になった。

 

「UL……ウルトラライブについて改めて説明しておくとだな……」

 

 Pがホワイトボードに単語を書き込みながら説明をしてくれた。

 今でこそ総選挙はULに出演するユニットを選ぶためのものと認識されているが、十年ほど前までは単なる人気投票の意味合いが強かったそうだ。当時の一位のユニットへのご褒美は単に『どんな願い事でも叶えてもらえる』というものだった。しかし、歴代のほとんどのユニットが最大で最高のライブ――つまりUL――をすることを願ったので、いつしか総選挙イコールULという一般認識になったのだという。

 

「ここで嬉しいのは、願い事を叶えてもらえるっていう副賞はまだ生きてるってことだな」

「へぇ……!」

「しかも、昔と比べれば会社も随分大きくなってきているのもあって、願い事の回数にも制限がないんだ。まぁ期限はULが終わるまでだけど」

「なっ!? それは真か……!」

「い、いや待つんだ蘭子。こんなうまい話そうそうあるはずがない。どうせ使える金額に上限があったり……」

「……まぁ、ほぼ無いと思っていいぞ、上限」

「えっ……!?」

「一応予算としては……ちょっと耳貸して。これホントは教えちゃダメなヤツだから」

「ん…?」

「はぇ…?」

 

 Pに耳を寄せるボクと蘭子。

 

「……ひへ!?!!?!?!?!?!?」

「……ふぁ!?!?!?!!!!???」

 

 彼の口から出た額は想像を遥かに超えていた。確かにどうすれば使い切れるのか見当もつかない。別に使い切りたいわけでもないが。

 

「ただ注意点としては、これはシンデレラにかけられる魔法みたいなものなんだ」

「と、いうと?」

「バッグも買える、車も買える、家も買える。でもULが終わったら全部消えてしまう。つまりはボッシュート。形あるものでUL後も残るのはULのライブデータだけ。それを会社は売りまくるっちゅーわけだ」

「あぁ……なるほどねぇ……」

「現世とは残酷なもの……」

「だからお勧めの願い事は、豪華な食事やアクティビティ系のリクエストだな。たとえば、南極の氷でジュースを飲みたいって言えば翌日には叶うし、宇宙遊泳したいなら三日ほどで叶うだろう」

「フフッ……! ジュースは普通のロックアイスでいいけどね」

 

 だけど宇宙遊泳は正直かなり興味をそそられる。検討してみようか…?

 

「まぁでも、フタリハアンマリツカエンカモダケドナ……」

「え…? 何て?」

「いや、まぁ、二人次第だな。うん。へへっ!」

 

 Pのヘッタクソなウインク。それを目にしたとき、正体不明の不安が胸に去来した。

 

「……おい。何か嫌な予感が――」

「――P、そろそろ本題に入りましょう」

 

 そこで今日初めて神崎Pが喋った。本題とはULの内容についてのことだ。蘭子は早速そちらの方に意識が移ったようだった。ボクの経験則からすると、こういった胸騒ぎを放置すると碌なことにならないのだが、ここで話を止めようとすると、神崎Pの小言が出るのが容易に想像できたので一旦引いておくことにした。

 

「そんなわけで。ULではダークイルミネイトの二人がやりたいと願う事の全てをやっていい」

「ふ、ふお………」

「開催場所も開催時間も観客数も曲数もステージセットも! キミたちの自由だ! 会社が総力を挙げて全てを実現してくれる!」

「ふおおおおーーっ! あっ……い、衣装も…好きなの着ていいの……?」

「もちろんだよ! 何着でもいいよ! 小道具もだよ!」

「わふぉおおーーーーーーーーーっ!!!」

「それらを手掛けるのは世界中の超一流のプロだ。そして最高のユニットであるキミたちが演る。つまり、今この星でできる最高のエンターテインメントになるな」

「いいやっあふぅううーーーーーーっ!!!」

 

 蘭子が歓喜の叫びを上げる上げる。彼女の喜びようには、神崎Pさえも微笑を見せるほど。当然ボクの心も躍っていた。ついさっき感じた不安なんて吹き飛んでしまうくらいに。

 

「じゃあどんなステージにしたいか、だけど……二人とも持ってきてる?」

「……ああ、持ってきているよ」

「っ! う、うむ………」

 

 昨夜Pから打ち合わせで必要だからと、アイデアなどをまとめたものがあれば持ってきてほしいと言われていた。ボクの場合、それはこれまでに描き貯めていた漫画だった。

 

「これが……これがボク、二宮飛鳥のセカイ観のすべてだ……!」

「ふおおぉ……! これが我が片翼の……っ!」

 

 バッグから取り出したソレをテーブルに叩きつけるように置いた。

 描きも描いたり五百ページ超。一本の物語というわけではないし、ただのラフ画のページもある。でもいずれのページにもボク独自のセカイ観のカケラが散りばめられているという自負がある。妄想を曝け出すことに気恥ずかしさを感じないわけではない。しかし今更Pに対して何を取り繕うのかという感じであるし、蘭子には見てもらいたいという気持ちが圧倒的に勝る。神崎Pは……まぁ、こき下ろされたとしてもいつも通りだし気にするもんか。

 

「ぁぅ………」

 

 目が合うと、蘭子は頬を赤くして俯いた。蘭子が胸に抱くのはいつか見た魔導書。その羊皮紙の表紙に触れている彼女の指先が小さく震えている。

 

「―――ッ!!」

 

 まるで間欠泉が噴き上がるように、蘭子が勢いよく立ち上がる。その双眸には既に覚悟の炎が宿っていた。

 

「い……幾星霜の時を経て、我らは遂に約束の地へと至った……! いっ、今こそ……今こそまさに! 相克のとき……っ!」

 

 ふと、蘭子と初めて会った日の燃えるような夕陽が脳裏に過った。その紅が時を超え、今再びボクの網膜を痺れさせているのだ。

 夕陽を受けたように顔を真っ赤にした蘭子が天高らかに魔導書を掲げ――

 

「もうどうにでもなっちゃえ~~~~~っ!」

 

 ――ドスンと、テーブルの上に開帳した。

 

「こっ、これは……すごいな……!」

「あっ……ぁぅぅ……はじゅかしぃぃ~~……」

 

 偏執的と言っても良さそうな詳細な書き込みに、蘭子の筆致の熱量に、ボクは圧倒されてしまった。横から覗き込んでくるPも感心するように唸り声を出している。

 神崎Pは担当なだけあって、以前から閲覧を許可されていたのだろう。魔導書ではなく、ボクの漫画の方を見ていた。

 しばしの間お互いの妄想を読み耽る。休憩を取るのも忘れて、ランチにはケータリングをつまみながら没頭した。

 案の定、蘭子の書には難解な部分が多かった。ボクの漫画もそれなりに濃ゆいと思うが、蘭子の魔導書よりは取っつき易いだろう。それもあってか、読み終えるのは蘭子の方が早かった。

 

「……蘭子、このメタファーについてだけど――」

「フム! その呪言の真に意味するところを語るには、まず枢密聖書第四節の――」

「ぅぐっ…!」

「……つまりね、二宮飛鳥。蘭子が言いたいのは――」

 

 それならばと、蘭子に解説してもらいながら読み進めようとしたところ、更に難解に感じてしまうこともあった。神崎Pの解説が無かったら倍以上の時間が掛かったかもしれない。このときばかりは神崎Pに感謝した。

 セカイ観の共有が進むにつれ自然と、ULでは一続きの空想の物語を魅せよう、という方向に落ち着いていった。

 

「つーことは、歌とダンスに演劇の要素を加えて~~ってこれ、ミュージカル?」

「だな……。フフッ、悪くない」

「絢爛豪華たる歌劇! わぁぁ~~素敵……」

「いいんじゃないかしら」

 

 ある意味とてもボクたちらしい妙案ではないだろうか。大枠が定まったところで、改めてどういう物語にするかの案を出し合う。曲、ストーリー、舞台セット、演出などについても好き勝手に提案していく。

 

 ――天使族と悪魔族。闇の居城。厭世した魔王。神の走狗たる暗殺者。宿命の邂逅。

 

「それでね! ここで、どぉおん!ってお城が崩れて! それから歌が始まって!」

「なるほど、歌唱しながらの剣戟か! 滾るね……!」

 

 ――敗北と勝利。繰り返される決闘。敵対者との奇妙な友情と信頼。

 

「フム……この辺りで一つ、幕間劇…癒しを感じるシーンを入れてはどうかな?」

「それーー! 最後に思い出すと効いてくるやつーー!」

 

 ――明かされる真実。共闘。傷ついてゆく戦友。絶体絶命の窮地。

 

「P、さっきの演出だけど、出来るかな?」

「あぁん? 出来るかな、じゃねぇだるぉ~~?」

「フッ! そうだったね。や――」

「――やるのよ」

「おい、取るな!」

「えっ!? なにそれなにそれーー?」

 

 ――小さな奇跡。避けられぬ悲劇。別離。そして……。

 

 ほとんどはボクと蘭子が喋っていて、Pと神崎Pはたまに補足ながら基本的にはずっと機械じみたスピードでキーボードを叩いていた。二人はこの場で早速、各部門への発注書を作成していっているようだった。

 

「よーし、でけたでけた」

「ん……誤字も……無さそうね」

「すごい量だな……」

「おっきなお豆腐みたい~」

 

 結局、コピー機が出力したULに関する書類は、ボクと蘭子のアイデアノートの厚みを軽く超えた。

 

「新曲は出来上がってきたものから順次レッスンしていこう。早いモノなら三日程度で上がってくると思う」

「たった三日で? 流石お金に物を言わせるだけあるね」

「言い方。脚本も上がってきたら改めて皆でチェックしよう」

「わぁ~~楽しみだなぁ~~」

 

 そういえば新曲は何曲になるんだっけ? 勢いに任せるまま話していたからよく理解らなくなってしまった。ダークイルミネイトの持ち歌は既に六曲あるけど、これだけじゃ足らないだろうし――。

 

「――おーーっと! もうこんな時間か!」

 

 急にPが大きな声を出した。確かに、時計を確認するともう十九時を回っていた。十時間近くぶっ続けで話し合いをしていたようだ。あまりに愉し過ぎて全く意識してなかった。言われてみれば全身が疲労感に包まれている。それに何より。

 

「お腹、空いたわね」

 

 神崎Pの言葉に全員が頷いた。

 

「じゃあ、食事に行くかい? 仕事が残っているならこれで解散でも構わないけど」

「ご飯行きたーいっ!」

「ノンノン! それには及ばんぞキミたちィ」

「へ……?」

「キミたちが得た絶対特権、忘れたのか?」

「ま、まさか……!」

「いいの!?」

「何食べたい?」

「焼肉!」「ハンバーグ!」

「キミたち好きだねぇ。オッケー」

 

 そう言ってPは何処かへ電話を掛けた。

 

「ニ十分ほどで準備が出来るだってさ。その間に……」

「ん?」

 

 

 

 

「――こっ、これは……!」

 

 社屋の最上階の一室の扉を開くと、そこは素敵空間――近未来とスチームパンクが同居するカオスな住空間となっていた。ULが終わるまでの間、ここがボクの住まいになるのだという。生活に必要な部屋、設備、アメニティも全て揃っている。

 

「ほあああああ~~~~っ!」

 

 開けたままだったドアから、隣の部屋に入っていった蘭子の歓喜の叫びが聞こえてきた。あっちは蘭子テイストの部屋になっていたのだろう。

 

「ULに出るユニットメンバーがここに住むのは毎年のことなんだが、その一番の理由はセキュリティのためだな。今二人は世界で最も注目されてる人間だから。あとはここの方がリクエストに対応しやすいから、という理由もある」

 

 何処かへ遠出したいときには屋上のヘリポートが使えるらしい。なるほど……至れり尽くせりだな……。

 

「一つ下の階にはエステサロンや宴会場の他、ボーリング場やバッティングセンターなど一通りのアミューズメント施設もあって自由に使るぞ。やったね」

「へぇ…! それは良いね」

「マァ、ツカウジカンガアレバダケドナ……」

「え? 何て?」

「いや、何でもないよぉおおっと、そろそろ食事の用意ができたみたいだな、お腹ペコペコだぜぇー行こ行こ」

「あっ、おい……」

 

 小走りで部屋を出ていくPを追っていく。まぁ、いいか。

 

 

 

 階下の一室に用意されていたのは、超一流の料理人の手による最高の料理だった。ボクたちは大いに食事を愉しんだ。

 

「ULに向けてのレッスンはチョットタイヘンダケド、頑張ろうぜ!」

 

 そんなPの言葉に、ボクと蘭子は力強く頷いた。

 

 

 

 

 

 ――また騙された!! 無理だ! 嫌だ! 逃げ出したい!!

 

「何をしている二宮っ!! 動け! まだ音楽は続いているぞ!?」

 

 手を置いた膝が痙攣じみた震えを起こしている。ほんの少し視線を上げるだけでも今のボクには重労働で、歯を食いしばって見上げた先には鬼がいる。やはりこれは悪夢ではないのだ。

 

「ストップ! 最初からやり直しだ」

 

 金棒ならぬ竹刀を携えたマスタークラスのトレーナー、青木麗女史が無慈悲な裁定を下す。彼女に視線を送られた青木明さんが機器を操作すると、曲は止まってしまった。折角中盤に差し掛かっていたのにまたオジャン。まるで賽の河原だ。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」

 

 すぐ隣りにいる蘭子の荒々しい息遣いに、心底申し訳ない気持ちになる。

 そしてもう何十回目かも分からないイントロが流れ始める。麗氏が『早く最初のポーズを取れ』と鬼の形相で威圧してくる。

 

「ハァッ! ハァッ! くっ……!」

「二宮! 足! 下がってるぞ!」

 

 足を上げて運ぶ、腕を振って戻す。腰を左へ回す右へ回す。自分の身体がラジコンみたい。自由にはもう動けない。一挙手一投足の全てに『動かす』という強い意思が無ければ動けない。いや、もう、有っても動けなくなっている。

 

「だから足ィッ!! ……チッ! ストップ!」

「なっ……!? ハッ、ハアッ……!」

 

 キュッ、とステップの音がしたっきり、レッスンルームにまたしばしの静寂が訪れる。しかし今回は再開のかけ声はすぐにはかからなかった。麗氏は腕組をしながら、無言のままボクを睨みつけている。

 ボクらを左右からビデオ撮影している青木聖さんと青木慶さん、そして音響機器を操作している明さんは、憐れみの表情を浮かべていた。

 

「なぁ、二宮。お前もしかして……」

「ハァッ、ハァッ………?」

「お前もしかして、()()()()なのか?」

「……は? ゆ、ゆか……まに…あ?」

「そうだろう? 私には分かるんだ。 なあ、()()()()だろう? そうだろう? そうなんだな?」

「床……? い、一体何を……っ!?」

 

 背筋に悪寒が走った。麗氏が嗤っていたからだ。恐ろしい程に嗜虐的な笑みだった。

 

「はははは! そうか! お前、足の上げ方が悪いと思ったら、そうだったか! 床が好きすぎて片時も離れたくないんだな?」

「な、な、なにを……? い、意味が理解らない……っ」

「分かっているから、恥ずかしがるな! 私が手伝ってやる。愛しの床に、熱いベーゼを好きなだけさせてやるぞ」

「な、なにを……何を言っているんだ貴女は……!」

 

 話が通じなさ過ぎて、ボクは恐怖を感じていた。しかし、それはほとんど死刑宣告だということは何故か理解してしまっていた。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ………!」

 

 蘭子はボクに視線を送ってはいるけど、一言さえ発する余力はないようだ。鬼教官は蘭子にも目をつける。

 

「神崎ィィィ~~~!」

「ぴっ!?」

「何、涼しい顔してる? まさか高みの見物気取ってるのか?」

「ぴっ、ぴぴぴっ、ぴっ、ぴっ……!」

 

 小刻みに顔を横に振る蘭子は、ライオンに睨まれたハムスターに見えた。

 

「お前はある意味、二宮よりも深刻なんだぞ? 理解してるのか?」

「ぴぃ~~~っ!」

「歌はともかく、お前のダンスは明らかに二宮以下だ。手品みたいな芸当で誤魔化してきたツケだな。しかもその手品、失敗することもあるんだってな? ん? そんな不確かなモノに頼ってステージに立って良いと思っているのか? んん~? ファンが許しても私は許さんぞ?」

「しょっ、しょんなぁ~~……」

 

 絶望するように蘭子は両膝を床に付いた。

 嗜虐的な表情から一変して、清々しい笑顔で麗氏が続ける。

 

「だが、もう大丈夫だ! 全て私に任せるがいい。この一か月間で何処に出しても恥ずかしくないアイドル……どんな状況でも戦えるパフォーマーに鍛え上げてやる!」

「あわっ……あわわわ……」

「ひっ、ひっ、ひっ……!」

「お前たちのような気骨のあるのはそうそういない。お前たちの情熱に、私も全身全霊で応えようじゃないか。まさか、ULのために新曲を十曲以上も作るなんてな。しかも演劇とミュージカルの要素もあるとは!」

「そっ、それは……!」

 

 Pと神崎Pに騙されたんだ。蘭子と夢想を繰り広げて、アレもしたいコレもしたいと試しに言ってみただけなのに、アイツらご丁寧に全部取り入れやがったんだ! その結果、ダークイルミネイトとしては十曲、ソロでは五曲ずつの新曲が生み出されることとなった。しかもそれに加えて、演劇やミュージカル部分もある! 少しは加減しろ! 多少はボクたちの自業自得もあるけどさ!?

 

「よし! 休憩はこれくらいでいいだろう。再開だ。まだ一曲目じゃないか。サクサクいこう。時間は待ってくれないからな!」

 

 音楽が流れ始める。なんという無慈悲。今日のレッスンが終わったとき、ボクはまだ生きていられるのか全く自信がなかった。

 

 

 

 

「今日はここまでだ。このドリンクを飲んでおくように。疲労回復に効果があるぞ」

 

 麗氏はそう言い、二つの水筒を残して退出していった。他三人のトレーナーたちも続いて出ていった。残ったのはボクと蘭子。

 ボクは麗氏の予告通り、床と熱烈なキスをしていた。たぶん蘭子も似た状態だろう。

 

「………らんこ………いきてるか?」

「………………………………きょむ」

 

 もう一ミリも動けない。寝返りを打つことさえも不可能だ。

 このまま寝てしまおうかと本気で考え始めた頃、レッスンルームのドアが開かれた。

 

「ウィーっス、おつかれー」

「あぁ、蘭子、なんて姿に……」

 

 入ってきたのはPと神崎P。ボクらは彼らに上体を起こされた。

 

「おいおい大丈夫かよ?」

「…………」

 

 大丈夫に見えるか? 聞かなくても分かるだろう。視線だけで怒りを伝えてやる。

 

「まっ、いつものことだし別にいいよな!」

「…………!」

 

 ついに開き直りやがったなコイツ……。

 蘭子の方を見やると、ぐったりした彼女を神崎Pが甲斐甲斐しく介抱していた。

 

「……ね、ねぇ……ぷろでゅうさぁは……しってたの……? こんなに、たいへんな、れっすんになるって……しってて、なにも、いってくれなかったの……?」

「ら、蘭子……っ! 私は……蘭子の思い描く通りのステージが見たくて……蘭子なら、きっと乗り越えられると信じているから……! だ、だから……!」

「………………そう……やっぱり…しってたんだね…………ぐすっ」

「ああああ! 許して蘭子ーーっ!」

 

 神崎Pが世界の終わりを目にしたように絶叫した。良い気味だ。

 

 しかし、ULに向けてのレッスンが始まって初日でこれとは。先が思いやられるな……。

 

 

 

 

 

≪Review by Asuka≫

 

 ULに向けてのレッスンは過酷を極めた。

 シンプルに覚えることが多すぎた。完全なキャパオーバー。しかしそのことに気付いたときには遅かった。もう全てが動き出していたから。

 

 思い出すことすらしたくもない、地獄のような毎日だった。

 だがしかし、どうにかこうにか、着実にボクと蘭子は前へ進んでいった。

 

 習得した曲は順次レコーディングとMV撮影を行い、リリースしていく。少しでも暇があればインタビューを受けULのPRもした。

 ULの二週間前にはパンフレットが出版された。蘭子肝入りの凝った装丁のそれはパンフレットでありながら百ページを超えた。難解なシーンが複数ある物語を、そのパンフレットで事前に予習しておいてもらうのが狙いだった。そこそこ値が張る仕様になってしまったけれど、完売したようで何よりだ。

 

 ULが近づくにつれて益々、ボクたちは世間の注目を浴びるようになってくる。テレビ点ければどの時間帯でもダークイルミネイトが特集され、ラジオではボクたちがこれまでに歌ってきた曲ばかりがリクエストされ、そしてネットでは日夜活発な議論がなされている。

 

 世界中がダークイルミネイトと、ダークイルミネイトの起こす奇跡に期待していた。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

 遠く、ボクを呼ぶ声が聞こえる……。

 何事かを呼び掛けてくる……。

 

 ――覚醒せよ。時が来たぞ。

 

 ボクの身体は動かない。まだその時ではないんだ。

 

 ――おーい朝だぞー。二度寝かー?

 

 うぅ……嫌だ……もう少しこのままで……。

 

 ――ドン! ドン! ドン!

 

 おいやめろ。眠気が覚めてしまうじゃないか。あと五分……三十分寝ると決めたんだよボクは。

 

『あすちゃん! 早く起きなさい! 朝ごはんの時間だよ!』

 

 インターホン特有のやや割れた音声がやたらと鼓膜に響く。

 枕元のタブレットで防犯カメラの画面を呼び出すと、ドアの前にはやはりPがいた。朝一で見るにはちょっとキツイ顔。しかもドアップだ。

 

『おっ? だんまりか? この俺に対して籠城か? こんな鍵、俺にかかればなぁ――』

 

 ――シュコンッ! カコン! カシュ!

 

 一呼吸の間に三個のドアロックが開錠された。残りあと二個。どれも生体認証キーだぞ、どうなってるんだ。

 

「あぁもううるさいなぁ! 今日ぐらい寝坊してもいいじゃないか! あと、あすちゃんって言うな!」

 

 一週間前から会場でのリハーサルも始まっていた。そして昨日のレッスンで、ULの全プログラムについて遂にマストレ氏から「及第点」の太鼓判を貰った。ULの二日前にしてやっとだ。決戦前日である今日ぐらいは優雅な朝を過ごしたいのに。

 

『なんだよ、起きてんじゃねぇか。最後まで気ぃ抜いたらいかんぜよ』

「あ、あと五分だけ……!」

『そんなこと言って三十分寝るつもりだろ?』

「くっ……!」

『神崎ちゃんはもう起きてるっていうのに、うちの子ときたら……』

「そんな……蘭子がもう起きているだって……?」

『煩わしい太陽ね!』

「ら、蘭子……!」

 

 それは確かに蘭子の声だった。蘭子の方がよっぽど寝坊していると踏んでいたのに……!

 

「………むっ?」

 

 いや、何かおかしい……。さっきの蘭子の声には心をくすぐる響きが微妙に足りないのだ。機器を介していたとしてもボクが間違えるはずがない。そしてタブレットには依然としてドアップのPしか映っていない。

 

「P、そこをどいて蘭子を映してくれないか?」

『……………フッ。成長したな飛鳥よ』

「蘭子の声真似をするなーーっ!」

 

 ほんと何でもアリだなコイツ。

 

『神崎ちゃんも全然起きてくる気配ないんだよなぁ~』

「それは仕方のないことさ。この一か月、片時も心休まることがなかったんだから。今日の寝坊くらい、誰が咎めるだろうか? いや、咎めないね。じゃあそうゆうことでおやすみ」

『神崎Pが神崎ちゃんの部屋に入って、もう十分くらい経つのにだぜ?』

「…………なっ、なんだと?」

 

 蘭子とお泊り会をしたことのあるボクは知っている。寝起きの蘭子はそれはもうポワポワのフニャフニャな悪魔的な可愛さで……。所謂蘭子ガチ勢のあの女が理性を保っていられるわけがないのだ!

 

「蘭子の貞操が危ない!」

 

 ベッドから飛び起きて、部屋を出る。Pには構わず、隣の蘭子の部屋へ。

 

「くっ!? 神崎Pめ、鍵を閉めたな……!」

 

 蘭子の部屋の鍵はボクの部屋と同様に生体認証タイプだが、ボクでも開錠できるように登録してある。とはいえ一つ一つ開けていくのが今はひたすらまどろっこしい。

 

「っ! 開いた! 蘭子……っ!」

 

 蘭子の部屋に駆け込む。と、そこには――

 

「……チッ!!」

 

 ――今まさにベッドに潜り込もうとしている神崎P。神崎Pが摘まみ上げている毛布の隙間から、蘭子の白い胸元が覗いている。

 

「何を、しているんだ?」

「…………」

「おいっ! 何事もなかったように入っていくんじゃない!」

「シッ! 静かに。蘭子が起きてしまうわ」

「っ!?」

 

 この女には幾度となく睨まれてきたが、今ほどの剣幕は見たことが無い。これもう事案だろ。

 

「ぅにゅ………ふ………ん?」

「「……!」」

 

 寝息が途切れ、蘭子はクシクシと目を擦る。そしてボクと神崎Pが見たのは、幸福を絵に描いたような甘い微笑みだった。

 

「わぁぁ……あすかとぷろでゅぅさぁだぁ……いっしょに、ぽかぽかしよぉ…?」

「――かっ、可愛っ!」

「――ぐぅぅ~~っ!」

 

 ボクも神崎Pも、もう蘭子しか見えなくなって……蘭子を真ん中に()()()に――

 

「おーーい、そろそろ起きようぜーー?」

 

――ニュッ、とPが開いたままのドアから顔を出した。いいところだったのに……!

 

「貴方は――」

「お前は――」

「「入ってくるなーーっ!!」」

 

 ボクが投げつけたのはクッション。神崎Pはおそらくは小銭を、マシンガンの様に弾き飛ばす。

 

「ぎゃーーーっ!!」

 

 世界の中心のビルの最上階にダミ声悲鳴が響き渡った。残念ながら、それで蘭子は完全に起きてしまった。やれやれ。

 

 

 

 

 この日のレッスンは最終チェックがメインで、いつもより早めに切り上げることができた。

 夕方からはこの一年で知り合ってきたアイドルやプロデューサーたちを招待して、盛大なパーティーを開いた。失踪していた志希も簀巻きの状態で連れて来てもらえて、絶対特権って本物なのだと感じた。出来ればもう何回かやりたかったな。

 

 

 

 

「………ふぅ」

 

 さっきまでどんちゃん騒ぎをしていたのに、今ではもう自分の部屋で一人きり。本番の明日に疲れが残るといけないからと、パーティーは二十時過ぎにはお開きになってしまった。この酷い落差、いくらボクでも物寂しさを覚えたって不思議じゃないだろう。

 時刻は九時。昨日までならまだレッスン真っ最中の時間だ。

 妙に落ち着かない気分だった。明日のことが気になってソワソワしてしまうのだ。あと今日のレッスンが軽かった所為で体力が有り余っているからかもしれない。

 

「フム………」

 

 三十分だけ汗を流すことにしよう。

 二階下のULユニット専用のレッスンルームに向かった。

 

 

「――ハァッ、ハァ、ハァ……」

 

 アップテンポさで上位に入る三曲を立て続けに演ってみた。しかし、どうにもしっくりこない。ほぼ完璧なパフォーマンスではあるのだが……。

 そこで、ボクはやはり、()()を試してみたくてレッスンルームに来たのだと気が付いた。

 

「えっと………頭と胸の中をグルグルにして……だっけ?」

 

 以前、蘭子に教えてもらった()を使う方法を思い出す。正直全然理解らないが、蘭子自身もよく理解っていないようだった。ひょっとすると試してみたら案外ボクも……?

 

「ムムム…………!」

 

 イメージする。頭の中、胸の奥で何かが光るのを……! あっ! 光ってる! 光ってるぞコレ……! よし、イケる! イケるはず…! うおおおおおお――

 

「――えいっ!!!」

 

 ボクが右手を前に振り出すと………!!

 

「……………………くっ!」

 

 何も起きない。起きるわけがない。うん。そんな気はしてた。

 

「――ブフッ!」

「っ!? だ、誰だ……っ!?」

 

 背後で急に誰かが咳き込んだ。このレッスンルームにはボクだけしかいないと思っていたのに。

 

「お前……いつの間に……っ」

「ン、ンフ……!」

 

 振り向いてみればそこにいたのは神崎Pだった。入り口近くに突っ立って、こちらを見ていた。そして気付いた。この女は咳き込んだのではなく、噴き出した……つまり、ボクの一連の動作を嘲笑したのだ。

 耳の裏がカッと熱くなる。まぁ、さっきの動作は傍から見れば意味不明……()()ものだったかもしれないけどさ。

 

「ふ、ふん……!」

 

 大方、忘れ物でも取りに来たのだろう。神崎Pのことなんて無視して、振りつけの確認っぽいことをして誤魔化すことにした。

 

「……」

「……」

「…………」

「…………」

「………………」

「………………」

「……………………」

「……………………」

 

 なんで出ていかないんだよ……。神崎Pは何かを探すでもなく、出入り口近くの壁にもたれ掛かったまま無言で佇んでいる。

 

「……何か?」

「いえ、別に?」

「じゃあ、出ていってくれると有難いんだが? ボクにも繊細なとこがあってね。気が散るんだよ」

「………………」

 

 しかし、神崎Pは出ていこうとはしなかった。何なんだこの女? もういいや。あと一曲演って終わりにしよう。そう決めて、音楽プレイヤーのリモコンを手に取る。

 そこで神崎Pが口を開いた。

 

「貴女には無理よ」

「……何?」

 

 ボクは聞き返しながらも同時に、それは蘭子のように()を使うことについて言っているのだと、理解していた。

 

「蘭子が何故、魂の力を引き出せるのか。それはあの子の元々の優れた素養以上に、奇跡のような偶然が数限りなく重なったことが重要なの。その結果、蘭子は感覚的に法則のようなものを見出し、力を引き出せるようになった」

「………」

 

 別のセカイの蘭子と同じ姿のお姫様との魂の交流のことだろうか。

 

「とはいえ蘭子自身も原理は理解していないし、そもそも教えられる性質のものではない。魂の形は人によって千差万別で、故にそこにアクセスする感覚も人それぞれになるから。受肉するまでは使えていた私でさえ、今はもう使えない。使用するための条件はそれくらいピーキー」

「……無理と言われて、ハイソウデスカ、なんて納得するぐらいなら、ここまで来てないんだよ。何か……何でも良いから……ヒントのようなものはないのか?」

 

 ボクは蘭子が起こす奇跡を増幅させることは出来る。どうやらそれは事実らしい。しかしボクだけでは奇跡は起こせない。蘭子がいないと始まらない。つまり蘭子が()でボクは()なんだ。ファン界隈でもそう認識されている。見も蓋もない言い方をすれば、ボクは蘭子の引き立て役とさえ思われている。ある意味ではそれは事実なのかもしれない。だけど、それに甘んじていられるほどボクは大人じゃない。ボクは蘭子と対等な存在になりたいんだ。

 

「………」

 

 何かを考え込むように、神崎Pはしばし沈黙する。その眉間に段々と皺が寄っていく。

 

「貴女も世間も誤解しているようだけれど、蘭子と……いえ、蘭子に限らず、他者と共鳴できる貴女の才能は………まぁ、蘭子の次に希少と言ってもいいわ。それどころか、()()に限って言えば蘭子さえも凌ぐかもしれない……」

「………ん?」

 

 もしかしてこれは褒めている? 神崎Pがボクを…? 槍か血の雨が降りそうだな。てゆーか、嫌そうな顔で人を褒めるな。

 

「だから……。貴女も無自覚に、魂の波動を発している可能性はある。例えば感情が高ぶっているときや、何かを心から楽しんでいるときなんかに」

「それは本当か……っ?」

「でも、蘭子のように収斂させることは出来ないでしょうから、その出力は極々僅か……蘭子のような、目に見える現象が起こせる程ではないと思うわ」

「くっ……」

「指向性のある力を引き出すには、感覚的ながらも何らかの確信が必要なのよ。そしてその確信に至ることこそが絶望的に難しい。この次元に住まう者にとっては、まず不可能と言っていい」

「結局ダメじゃないか……」

 

 ガクッ……。まぁそんなにうまい話はないか。

 頭を垂れるボクを余所に「だからこそ、その不可能を突破した蘭子は尊いのよ」とクスリと笑う神崎P。

 

「……仮に、の話になるけれど」

「っ! 何でも良い。言ってくれ」

「貴女を研究所に監禁して――」

「は?」

「――四六時中、ありとあらゆる観測機器を向けていれば、有益なデータが得られるかもね。運が良ければ」

「却下だ」

「試しに十年ほどどうかしら?」

「却下だ!」

「資金や機器は私が都合してあげるけど?」

「却下っ!!」

「……冗談よ」

 

 いや、本気の目だっただろ。まったく……。隙あらば、だな、この変態女は。

 

「別に貴女が蘭子と同じことを出来るようになる必要はない……いえ、出来るようになってはいけない」

「……フンッ! まぁ、ボクは蘭子のライバルでもあるわけだし、彼女のプロデューサーならそう言うだろうね」

「そういう意味ではないわ」

「ん?」

 

 そのときの神崎Pの表情はよく理解らなかった。期待しているようでもあり、不安がっているようでもあり……、少なくとも冗談とか意地悪を言う雰囲気ではなかった。

 

「もし貴女が単独でそこに至ってしまったら……」

「至ってしまったら……?」

 

 ゴクリ……。

 

「……いえ、有り得ないわね。こんなIFを考えても仕方がない」

「途中でやめないでくれないかな!?」

 

 なんだよもう、スッキリしないなぁ……。

 

「そんな有り得ないことを目指すよりも、貴女は出来ることを()()()しっかりやりなさい」

「もっと…? 自分で言うのもなんだが、共鳴による増幅はもう十分していると思うが?」

「まだよ。魂の力のポテンシャルはあんなものではないわ。まだ0.1パーセントさえも引き出せていない。貴女の理解がまだ浅い所為よ」

「なっ……!?」

 

 それはボク次第でもっとスゴイことが出来るってことか? にわかには信じがたいが……。

 

「貴女がしっかりやれば、最早二宮飛鳥が神崎蘭子のオマケだなんて考える人間は、一人としていなくなる。それは保証するわ」

「………っ!」

 

 見下しでも嘲りでもなく。神崎Pの眼光は挑戦的なそれだった。『やれるものならやってみろ』と言葉以上に伝わってくる。

 

「あぁ。やってやるさ……! 明日は覚悟しておくんだな!」

「………そう。一応、期待しておくわね」

「それはどうも」

 

 そして神崎Pはレッスンルームを出ていった。彼女が一体何をしに来たのかは理解らなかったけど、いつの間にかモヤモヤした気分は晴れていた。ボクにとっては悪くない気分転換になった。

 その後はボクも部屋に戻り、シャワーを浴び、ベッドに潜り込むとすぐに眠りに落ちた。

 




次回からULが開幕です


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≪Observation by one of the audience≫

 

 古城の回廊を一人の暗殺者が進んでいく。

 暗殺者が身に付けるはフード付きの漆黒のマント……。妖精の加護を受けた逸品で、色と形を装着者の思い通りに変化させることが出来る。闇に潜んで好機を窺う暗殺者には垂涎の機能であるが、それはあくまで本来の機能から派生したものの一つであり、本領は戦闘時にこそ発揮されるのだという。

 腰に携えるレイピアは神代のドワーフが鍛えた魔剣……。優美にして華奢な拵えからは想像が難しいが、触れる全てを概念ごと切断するという恐ろしい呪詛がかけられている。

 

 自らを神の代弁者と標榜する天使族。その尖兵がこの暗殺者である。下界に、神に仇なす不届き者が現れれば、暗殺者は何処からともなくやって来る。そして罪深き者どもに鉄槌を下し、全てを灰燼に帰すのだ。

 

 月光が刹那、フードの奥を垣間見せた。そこにあったのは、艶やかな唇と双眸の煌めき。それで思い出した。最高にして最強の武具を纏ったこの暗殺者が、実は少女の姿かたちをしていることを。

 いや、果たして()()と言っていいのだろうか? 人に非ざる存在の時間感覚は人間のそれとはかけ離れ過ぎている。この暗殺者も少女の姿をしてはいるがその実、人間の数百……いやひょっとすると数千、数万倍の年齢に達していることもあり得る。

 

『………ッ』

 

 舌打ちか歯軋りか判然としなかったが、ともかく少女は苛立っている。

 彼女がこの回廊を往くのは今日が初めてではない。過去に一度()()し、惨めに敗走したことがあるのだ。幾多の怪物や軍団を屠ってきた彼女にとって、あの敗北は耐えがたい屈辱なのだろう。故に、一から鍛え直し、再びこの古城へとやってきた。目的は勿論、反逆者の烙印を押された、この城の主の抹殺である。

 

『――っ!?』

 

 突如、壁面の燭台に火が灯り始めた。闇に包まれていた回廊が、一つまた一つと灯っていく燭台によって照らされていく。少女の近くから灯り始めた光の行く先には――

 

『薔薇の…闇姫……っ!』

『フフ……禍々しい月夜ね』

 

 ――黒衣の少女がいた。

 暗殺者が『薔薇の闇姫』と呼んだように、彼女の身を包む黒のドレスは色とりどりの薔薇でデコレートされている。その衣装の手の込みよう、豪奢さは遠目からでもはっきりと分かる。ドレスだけではない。全身を飾るアクセサリにも贅が凝らしてある。並みの女性であれば()()()()()()状態になりそうなものだが、この少女は見事に着こなしていた。

 この薔薇の闇姫こそが古城の主であり、つまりは暗殺者の標的である。

 闇姫の美し過ぎる姿に目を奪われ数瞬我忘れてしまったが、ある違和感に気付いた。この着飾り方は少し前の場面――暗殺者が初めて闇姫と対峙した場面――よりも明らかに盛られている。これから二度目の殺し合いになるということが分かり切っているというのに。

 

『その装束はどういう了見だ!?』

 

 暗殺者が声を荒げて問い質す。彼女も同様の疑問を抱いたのだ。

 

『フム……貴女をもてなすため誂えたのだけれど、お気に召さなかったかしら?』

『貴様はどれだけボクを愚弄すれば気が済むのか……っ!』

 

 熱風が『轟』と周囲を駆け巡る。気付けば、暗殺者のマントが紅に染まっていた。熱の発生源はそこである。これこそが妖精仕込みのマントの本領……装着者の闘志に呼応して灼熱を撒き散らす悪辣な攻防一体。只の人であれば剣の間合いに入ることさえも叶わずに焼殺されるだろう。事実、暗殺者の周囲の石造りの床や壁が赤熱し始め、ついには燭台の一つがドロリと溶け落ちた。

 

『情熱的な子ね』

 

 その光景を闇姫は涼し気に眺めている。暢気に、と言ってもいいかもしれない。流石は一度暗殺者を退けただけある。

 

『お前もこうしてやる。ボクを舐めたことを後悔させてやるからな……!』

 

 暗殺者は魔剣を抜刀し、闇姫へと宣戦布告する。

 

『……それも良いわね。ただし、それが貴女自身の意思ならば……』

『は……? どういう意味だ……?』

『……フッ、フフフ……ハーッハッハッハーーーーッ!』

『ッ……!』

 

 突然哄笑し始めた闇姫が、右脚を軸にその場でクルリと回転する。そして、再び暗殺者と対峙した彼女の姿は一変していた。背に見事な黒翼を生やし、右手には混沌の化身のような禍々しい造形の杖が出現していた。

 黒翼は闇姫が悪魔族であることの証左だった。

 杖は超一級の神器である。曰く、遥か昔に神が世界を開闢するのに使用したという言い伝えが残っており、魔力を注げば如何なる奇跡も起こせるのだという。しかし、並みの術者では触れるだけで魔力を吸い尽くされ絶命してしまうため、この魔杖を扱い得るのは規格外の魔力容量を有する者だけ。そして闇姫の魔力容量には底が無かった。

 故に、いかに百戦錬磨の暗殺者でも分が悪く、実際に一度目は敗走する羽目になったのだ。

 

『まぁいいわ……。夜会はまだ始まったばかり。まずはこの血の滾りを鎮めましょう……』

 

 闇姫が杖を天に掲げ、呪文を囁いた。

 

『クッ!? 悪魔め……っ!』

 

 杖が光を放ったかと思えば、古城が生き物のように形を変えていく。石壁が倒れ床となり、床からは新たな壁がせり上がってくる。そうして出来上がったのは円形のダンスホールだった。

 

 ――ギリキリギリキリギリキリギリキリギリキリ

 

 古城のダンスホールに、いや、会場全体に弦楽器の悲鳴が響き渡る。ダンスホールと姿を変えたステージの向こう側――つまり舞台裏――に控えるオーケストラが演奏を始めたのだ。

 ヴァイオリンかヴィオラかよくわからないが、おそらくは二人の奏者が、狂おしい程の不協和音を奏でている。それは二宮飛鳥が演じる暗殺者の歯軋りであり、また同時に、神崎蘭子が演じる薔薇の闇姫の心臓の高鳴りなのだろう。

 

『さぁ、いらっしゃい。夜が明けるまで踊り狂いましょう?』

『――ッ!』

 

 暗殺者が剣を振りかざし、闇姫へと肉薄する――と同時に本格的な演奏が開始される。壮大でありながら激しく、攻撃的な曲調……ゴシックメタルというものだろうか? ともかく戦闘曲としては申し分ない。

 

 ――――――!!!!

 

 暗殺者の剣を闇姫はワルツのステップを踏むようにヒラリと躱す。空振りに終わった斬撃は、しかし背景の石壁を切り裂き、瓦解させ、ホールに土煙を起こした。

 

 ――今こそ雪辱を晴らすとき。お前の命運もここまでだ。前のボクとは一味違うぞ。

 

 演奏に合わせて、暗殺者が歌い叫ぶ。なるほどこの場面はミュージカルパートらしい。

 

 ――何故貴女はここに来てしまったの? 我に会わなければ幸せな奴隷でいられたのに。嗚呼、運命は廻り始めてしまったのね。

 

 鬼気迫る暗殺者とは対照的に、闇姫は冷静沈着もとい憂鬱な雰囲気さえある。しかし実力は未だ闇姫に軍配が上がるのか、反撃はせずとも余裕をもって暗殺者の攻撃を躱し続ける。

 

 ――何を言っている? さあ戦え。先に貴様の城を瓦礫にしてやろうか。

 

 ――戦う理由が何処にあるの? 我が何をしたというの? 世界の果ての廃城に閉じこもっていただけ。

 

 ――うるさいぞ背教者。お前が悪魔だからだ。黒い翼。世界中の罪を煮詰めたような色だ。なんておぞましい。

 

 ――黒が悪と、白が善と、誰が決めた? この黒翼は我の誇り。世の悲しみを包み込む漆黒。

 

 ――天使の翼を見ろ。神に賜りし純白の翼。この世で最も尊き色。

 

 ――この世の全ては悲しみに満ちている。純白などありはしない。純白こそが欺瞞の証だと何故気付かないの?

 

 ――やめろ。神の御業を愚弄するな。

 

 ――我の知る最も尊き色、それは灰。世界の色そのもの。

 

 ――やめろ。お前の言葉は耳障りだ。

 

 暗殺者の足が止まり、頭を抑える。

 

 ――己が名も知らぬ悲しき走狗よ。貴女の翼はどうしたの?

 

 ――やめろ。

 

 ――貴女の背の傷痕が全ての歪み。

 

 ――やめろ。

 

 ――もがれた翼の尊き色を我は知っている。

 

 ――やめろ!

 

 魔剣一閃。床から壁に亀裂が生じる。

 

 ――ボクと戦うつもりがないなら、こちらにも考えがある。お前の同胞から片付けてやる。家族はどこだ? 友でもいいぞ。

 

 完全に悪党の台詞だが、子供でも分かるだろう。それは勢いに任せた稚拙な虚仮威しだと。にもかかわらず、闇姫の顔色が変わる。狼狽え、悲しみ……最終的に怒りへと。どうやら闇姫の逆鱗であったらしい。

 

 ――ッ!

 

 今夜初めて、闇姫が杖を攻撃に使用する。稲妻が天空より降り注ぐ。暗殺者は寸でのところで飛び退いて、乾いた音が石床を叩いた。

 

 ――もう誰もいない! 我は一人! 皆、天使どもに滅ぼされてしまった!

 

 再び、稲妻が迸り暗殺者が躱す。

 

 ――いえ。我の他にあと一人いた。

 

 ――やめろ!

 

 ――やっと見つけた我の同胞。世界の希望。

 

 ――言うな!

 

 暗殺者が闇姫へと疾駆する。襲い来る稲妻は魔剣で両断する。

 

 ――例えもがれていようとも、貴女の白銀の美しさは隠せない。

 

 ――やめろおおおおおーーー!!

 

 マントが限界を超えて赤熱する。途轍もない熱量と閃光。まるで地上に堕ちた太陽。何も見えなくなる。

 

『ハァ、ハァ、ハァ………』

 

 視界が回復したとき、ダンスホールは完全に崩壊していた。瓦礫が散乱し、あちこちで火が上がっている。その中央で暗殺者が闇姫に馬乗りになっている。両手で持った魔剣の切っ先を今にも胸に突き立てようとして、しかし、彼女は止まっていた。

 

『さぁ、貫きなさい。同胞の手にかかって逝けるなら悪くはない』

『ふざけるな……! 貴様……! ボクは……ボクは……お前なんて知らない……』

『そうね。だからこれから知ればいい』

『っ……! 畜生……お前、許さない。絶対に許さない……』

 

 結局、暗殺者が闇姫に剣を突き立てることはなかった。

 立ち上がり、呆然とステージ外へと歩いていく。

 

『勘違いするな。手を抜いた貴様に勝っても意味がないからだ……』 

『いいわ。何度でも来なさい。次は紅茶を用意しておくわ』

『……莫迦かお前。……いや、それはボクもか………』

『フフフ……』

 

 そして舞台は暗転した。

 

 

 

「……すっげぇ」

 

 俺がどうにか絞り出せた言葉はこれだけだった。雄叫びみたいな歓声を上げてる元気のある奴らもいるけど、俺みたいなのも結構多そうだ。

 パンフレットによるとここまでが第一部。

 腕時計を確認すると、開演から既に一時間半程経っていることに気付いた。そういえば、三月末の日没後だというのに、開演以来寒さを感じたことが無い。十万人分の熱気の所為だろうか。

『―The Lost Myth― 払暁ノ鎮魂歌 ~聖魔ハ相克ス~』と題された今年のUL公演は、例年のULとは何から何まで違う。歌あり、演技あり、歌劇あり、殺陣あり、破壊ありの正にカオスの様相を呈している。まずステージ構成からして特殊だ。会場の中央には大きなステージがあるが、それを取り囲む形で観客席があり、その更に外側の円周上に六つのステージがある。中央ステージから始まったULは、すぐに外部ステージの一つへと移った。六つのステージを文字通り使い()()ながら物語を展開していくのだ。そして最終的に中央ステージに戻るのだろう。舞台が反対側に進んでしまっても、中央ステージや上空に浮かんだモニターで物語が追えるのは嬉しい。

 事前販売されたぶっといパンフレットによると今年のUL公演は三部構成。第一部は蘭子てゃ演じる薔薇の闇姫と、飛鳥きゅん演じる紅蓮の暗殺者の紹介的なシーンに多くの尺が取られていた。続く第二部では二人の因縁と情が絡み合っていく。コール出来る曲が多いのが第二部とのこと。第三部では和解した二人が天使族に対して戦いを挑む。しかし、その戦いの結末についてはパンフレットでは秘せられていた。

 設定やストーリーを考えたのは主演の二人らしい。中学生が考えたにしてはよくできているが、世に溢れる創作物と比較すると特に秀でているわけではない。むしろ凡庸と言ってもいい。しかし公演としてはすごい……迫力が尋常じゃない……。

 毎年ULでは最新鋭の舞台技術が投入されるし、採算を度外視したような豪華なステージセットも組まれる。それは今年も同様。いや、ダークイルミネイトによるULは過去のものとは一線を画していると言ってもいい。あまりに真に迫っている。よくこれだけの舞台を用意したものだと感服してしまう。これについては彼女たちのプロデューサーの尽力によるものか。一年目のアイドルをULに送り込んでくるプロデューサーは、やはり尋常ならざる傑物らしい。

 

「やべぇ……どうなるんだこれ……!」

 

 そして何より楽しみなのは、例の()()がまだ起こっていないということだ。何度か現地で見た、舞台演出などでは到底説明不可能な奇跡としか言いようのない現象、不可思議な体験。それがまだ起こっていないのは敢えてなのだろう。ここぞという タイミングで一気に解放される気がする。現段階でさえ半端じゃない迫力なのに、それが合わさったら一体どうなってしまうのか。期待は募るばかりだ。

 




とある観客(いわゆるモブ)からの視点でした。尚このキャラはもう出てきません


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≪Observation by Asuka≫

 

 とても順調だ。

 第一幕では未曾有の舞台演出でオーディエンスを圧倒し、第二幕ではボクたちの世界観にグっと引き込むことができた。確かな手応えがある。

 台詞も歌も振りもほとんど完璧。地獄のレッスンは確かに報われた。

 最新の技術による演出も正常に機能している。流石はボクらのプロデューサーが監修し、調整しただけある。

 後は第三幕において蘭子と今日初めての共鳴を果たせば、公演としては成功裡に終わるだろう。そして今日に限っては共鳴が不発となることは有り得ないと確信している。いや、確信して()()。第二幕が終わるまでは……!

 

 第三幕が開始する前にはやや長い休憩時間が取られていた。その間にボクたちは衣装を着替え、息を整えた。それでもまだ時間に余裕がある。既に開演から三時間以上経過しており、この休憩の主目的はオーディエンスがお手洗いに行くことだから。

 

「…………」

 

 次に立つステージの袖で静かに佇む。

 裏方のスタッフさんたちはキビキビと動き続けている。彼らの指揮をしているのはPだ。遠目からでも的確な指示を飛ばしているのが伺える。

 蘭子はボクよりステージに近い場所で神崎Pとじゃれ合っている。その表情には気力が漲っていた。蘭子には何の心配も要らなさそうだ。

 ボクはステージをじっと見据える。傍から見れば、クライマックスに向けてコンセントレーションを高めているように思われるかもしれない。しかし、違った。蘭子の漆黒と対になる、浮世離れした美しい白銀の衣装に身を包みながら、ボクはただの中学生のように思い悩んでいた!

 

「…………っ」

 

 昨夜、神崎Pに『やってやる』と大見得を切ったのにも関わらず『結局ボクは何も掴めていないのでは?』という不安が首をもたげてきたのだ。心身のコンディションは最高だから過去最高の共鳴になることは確信していたのだけど、それは例えば0.1だったものが0.2になる程度のもので、目指すべき境地には未だ遠く及ばないのかもしれない、と。

 神崎Pはボクの『理解が浅い所為』だと言っていた。そもそも理解とは一体何だ? ボクは共鳴を、なんとなく雰囲気でやっているだけなのに。これまでも、そして今日も()()でやろうとしていた。それは神崎Pの意図していることとは全く異なると、今になって気付いてしまったのだ!

 認めなくてはならない。ボクはまだ何も理解していない!

 

「ぁ……マ、マズい……」

 

 考えれば考える程、理解らなくなっていく。まさにドツボ。

 最悪なのは、いつものようにノリでやっていれば、完璧ではないにしてもこれまでで最高の共鳴ができて公演は大成功していたはずなのに、今ではもうそれすら危うくなってしまっていること……。こんな余計なことを考えまくってしまっている状態では、生気漲る蘭子と対等に響き合うことはまず不可能だ。

 

「スゥ~~~、ハァ~~~……」

 

 まずは落ち着こう。うん。クールになれ二宮飛鳥。Be cool 。深呼吸で自律神経を落ち着けて……あれ? 寧ろ息苦しい……吸い過ぎか?

 Be cool だぞ二宮飛鳥。別の方法を採ろう。こういうときは、なんだっけ……精神統一するのに良い方法があったような……えっと……ルーティン? そうだ、ルーティンだ。久しぶりだなこの単語思い出すの。実のところ、ボクにはルーティンらしいルーティンはないんだけどね。敢えて言うならPとの会話だろうか? 何かしら不安があるときには大抵P が話しかけてきて、バカバカしいやりとりをしている内に気分が楽になっていたりするんだ。Pの手が空いたときを見計らって声を掛けるか――

 

「………おや?」

 

 ()()を見つけたのは、このときだ。

 何の気なしに視線をやや前方に流してみると()()を見つけた。一辺2センチ程度の小さな立方体。各面に付けられた点の印によって1から6までが表現されているタイプの、つまりは最も一般的なサイコロが、床に転がっていたんだ。

 公演の小道具にサイコロなんてない。ということはスタッフの誰かの私物だろうか? ポケットに入れていたのがポロリと転げ落ちたりしたのかもしれない。

 そこにある理由はともかく、人が忙しなく行きかう場所だし、万が一誰かが踏んづけて転んだりしては大変だ。そう思ってボクはそのサイコロを拾い上げた。

 

「フフッ……」

 

 それはやはり何の変哲もないただのサイコロだったのだけど、それによって呼び起こされる記憶があった。数か月前までの、あらゆる選択肢をALDに委ねていた賑やかな日々のことだ。

 蘭子と神崎Pに潰されまいと藁にも縋る思いだったとはいえ、改めて考えても奇行以外の何物でもないな。そういえば、ステージ崩壊ライブ以後はALDはめっきり振らなくなったし、ALDを見た神崎Pが血相を変えた一件からは完全に封印扱いで、いつしか意識することも無くなっていた。

 

「フム……」

 

 ナイスアイデア……かどうかは不明だが、とにかく一つのアイデアが降りてきた。このサイコロとPを使って、ボクの調子を取り戻すためのアイデアだ。

 以前ALDでやっていたように、このサイコロの1から6の面それぞれに特定のアクションを設定した後、振って、出た目のアクションをPにやらせよう。あの男にはこれまで散々無茶なことをさせられてきたんだから、このくらいのお遊びに付き合わせてもいいだろう。寧ろまだお釣りがくるぐらいだ。それも大量に。

 

「1は、拳を突き合わせるヤツ……フィストバンプ、だっけ?」

 

 洋画なんかでお決まりの挨拶だ。クライマックスシーンの前にさり気無くやると、結構絵になるんだよね。

 

「2は…………」

 

 やれやれ、早速詰まってしまった。1はすんなり出てきたことから考えるに、ボクが深層心理的に求めているのはフィストバンプなのかな? とはいえ折角思い付いたアイデアだし、このまま引き下がるわけにはいかない。

 

「2は、ハイタッチ……」

 

 1と同じようなものかもしれないけど、まぁいいや。

 

「3は…………」

 

 やっぱりなかなか浮かばないな……もう面倒くさくなってきた。適当に決めてやろう。

 3は、宴を愉しむバイキングたちが腕を組んでグルグル回るヤツ。4は、ボクの良い所を十個言わせる。5は……、頭を、撫でてもら……いや、撫でさせる。6は………アレにしよう。うん。まぁ、そうそう6なんて出ないし? 出ないよね? 六分の一?

 

「えいっ……」

 

 そして、近くにあったコンテナボックスの上へサイコロをほうった。

 コンコロコロと、勿体ぶるように焦らすように転がるサイコロ。それはまるで踊っているかのようでもあったが、然る後、物理法則に従い、ピタリと、有無を言わさず静止した。

 

「あっ……」

 

 出た目は6だった。マーフィーの法則、侮りがたし……。

 振り直すことも考えたけど、ALDのときのルール、『振り直さない』、『出目は絶対』を思い出してしまう。

 

「ま、まぁ……仕方ないよね……」

 

 それに、ボクとPはともにアイドル界という戦場を駆け抜けてきた戦友みたいなものだし?ここで変に意識するのはそれこそ変だし? 欧米では普通のことだし? まぁ、ここは欧米ではないんだけども、この公演は全世界に配信されているしグローバルな感覚を身に付けることは決して悪いことじゃないからね?

 

「よし……」

 

 遠くにいるPを見ると、ちょうど彼の作業も一段落したようだった。

 何度か手を振るとPはこちらに気付いてやってきた。

 

「飛鳥、今まで何処にいたんだ?」

「着替えてからはずっとここにいたけど……?」

 

 幕間に入るとまずは控室で衣装を着替えた。その後はすぐにこの舞台袖へとやってきて悶々としていたのだが。

 

「あっれぇ~? マジでぇ?」

「何かおかしいかい?」

 

 珍しく驚きの声を上げながら、ボクの顔をじっと見つめるP。

 

「あ、マジらしいな……」

 

 そして彼は納得の言葉を口にしたのだけど、その表情は全然納得いってなさそうだった。何がそんなに引っかかるのか理解らない。というか、ボクからPが見えていたのだから、Pからもボクが見えていて当たり前だろうに。光の加減であちらからは見えなかったのかな? それか忙しさのあまり、Pでさえも注意力が散漫になっていたとか? いや、そんなことは別にどうでもいい。

 

「そ、それよりも、P……っ!」

「んお?」

 

 あ……。なんて切り出そう……? 改まって言うとなると、これかなり恥ずかしいヤツでは……!?

 

「え、えぇと………っ」

「……ふむ。不安か? 飛鳥よ」

「っ!」

 

 本当にこのPという男はよくわかっている……。でも見透かされているとか、値踏みされているとか、そういう感じではない。どれかというと、見守られている、というのが近いようで、決して悪い気はしない。

 

「もしかして喉乾いてんじゃない? ここにホラ、ちょうど飲み物が――」

 

 Pが差し出してきたのは色々と論外な品だった。

 

「……公演中に炭酸を飲むわけにはいかないね。それに何より、それはキミの飲み差しだろう?」

「バレたか!」

「フフッ!」

「ヘへッ!」

 

 いつかの記憶がフラッシュバックする。こうしてふざけたやり取りをしていると、さっきまでの不安がバカバカしくなってくる。実を言うとこの時点で既に気分は晴れていたかもしれない。

 まぁでも、出た目は絶対だからね……?

 

「ん………」

 

 Pに向かって、両腕を軽く開いて見せる。

 ()()()()()をしたのは初めてだけれど、ビジュアルレッスン等の様々な修行を積んできただけあって、ボクの意図はPに確と伝わったという手応えがあった。

 

「え…? ちょ、ま? え、まっ、ちょえ……?」

「オイ……ボクにだって羞恥心はあるんだが……?」

 

 異様に挙動不審になるP。そんな反応をされると、何かおかしなことをしているような気になるじゃないか…!

 

「だって……なぁ? こう来るとは思わなかったっていうか……え? いいの?」

「女の子が()()してるんだ。わざわざ言葉にするのは野暮だと思わないかい?」

「た、たしかに……!」

 

 一歩、Pが近づいて。そして――

 

「ぁ………」

 

 頬で感じるPの体温はとても心地よかった。吸い込む空気に混じる、いくつかの匂い。ワイシャツの洗剤の香りと、その奥の彼の体臭。芳香とはいえないけれど不思議と落ち着く匂いだった。

 

「……もう少し、強くてもいい」

「はいよ」

「んっ……」

 

 腰に掛かる力が強まる。あばら骨で感じるPの指先には妙にゾクゾクするものがあった。知らず、ボクの腕の力も強まっていた。少し窮屈で、少し息苦しい。それなのに、このまま眠れそうなくらいの安心感がある。

 

「今日、この日……。気付いてるか、飛鳥?」

「あぁ……愚問だね……」

 

 今日は3月25日。一年前の今日、ボクはPに出逢った。それまでのボクは、空想を膨らませることはあったけれど、こんな未来を想像したことはなかった。たった一年でボクのセカイは変わってしまった。

 

「この一年、お前には無茶ばかりさせたな」

「本当にね? ボク以外の子に同じことをさせるのはお勧めしないよ」

「ごめんて。次の一年はじっくりいくからさ」

「へぇ、どんな風に?」

「これまではライブに偏り過ぎてたけど、アイドルにはもっと色んな可能性がある。たとえばラジオ番組持ってみたり」

「それはマストだね。うん。必ずだよ」

「アイアイサー」

「他には?」

「もちろん、映画やドラマに出演するとか、舞台もいいよな」

「いいね。……でも、今日の公演を越えるモノが作れるだろうか?」

「飛鳥がいて、俺もいるわけじゃん? イケるでしょ」

「Pがそう言うならそうなんだろうね。とても楽しみだよ」

「……俺も」

 

 そのとき、「ふわぁぁぁ~~!」と可愛らしい鳴き声が聞こえた。蘭子だ。やれやれ見られてしまったらしい。

 

「フン。こんなときに何をしているのかしらね」

「シーー!! 邪魔しちゃダメーー!」

 

 ボクとPは彼女たちの声を聞かなかったことにした。第三幕の開演までにはまだ少し時間があるし、もう少しこの温かさを感じていたかったから。

 

「フフッ」

「どうした?」

「ん~ん、何でもないよ……フフ」

 

 ボクがいて、Pがいて、蘭子がいて、あと、神崎Pもいて……。最高の舞台があって、オーディエンスたちがいて……。

 ()()が此処にあると感じていた。

 ボクの目の前には、無限の可能性が広がっている。間違いなく、最高に素晴らしい未来が待っている。可能性とは希望のことなのだ。惜しむらくは、一歩一歩進む度に未来が過去へと確定していくこと。そのときにはもう、今この瞬間に感じている無限の可能性は収束しきっているのだから。

 いや……。ボクの共犯者は、ボクの片翼は、そんなに大人しくはないか。そのときにはきっとまた別の無限の可能性を生み出しているだろうね!

 だけど今は敢えて、こう言おう。心の底からの――ボクの魂からの――呟き。

 

「時よ止まれ。セカイはかくも美しい」

 

 出来ることならば、()をずっと留めておきたい。そんな荒唐無稽の願いを、つい、抱いてしまった。

 

「そういやさぁ。さっきお前に呼ばれたとき、俺はてっきりアレかと思ったんだけどな」

「アレって?」

「フィストバンプしたいのかなって」

「え……?」

 

 しかしPの何気ない一言に、ボクの高揚感は霧散していく。

 

「俺の()()も案外あてになんねぇな。それかもう、とっくに()()なんて――」

 

 不気味な違和感が、踵の先から一気にうなじまで立ち昇ってくる。心地よかった圧迫感が、今ではもうただの息苦しさになっている。Pの言葉も耳に入ってこない。

 当たっている……。フィストバンプは確かに第一案だった。いや、ボクがサイコロを見つけなければ、そして変なルールを付けて振ったりしなければ、必然的にPにはフィストバンプを求めることとなっただろう。つまり、Pの予測を超えたのはボクではなく、あのサイコロで――

 

「うっ……!?」

「なっ!?」

「あっ……!?」

「っ!?」

 

 ――唐突に。あまりに唐突に、ボクたち四人は同時によろめいた。

 眩暈のような感覚があった。周囲のスタッフたちは変わらず作業を続けている。異常を感じたのはボクたちだけらしい。

 

「なっ、なんだ……!?」

 

 視界がおかしい。目に映る全ての輪郭がブレている。自分の掌さえもがブレて見える。

 

「っ……!」

 

 風圧を受けたような感覚が全身に走る。その直後、()()が遠ざかっていくのが見えた。

 

「……は?」

 

 遠ざかっていくのは()()だった。二宮飛鳥が遠ざかっていく。あれは間違いなくボクだ。でも、何かおかしい。身に付けているのは部屋着なのだ。しかもそのボクが居るのは自室……それも静岡の実家の自室だ。自室のベッドに寝そべり、死んだ魚のような目で携帯の画面を眺めている。その画面に映るのは、豪華絢爛なステージで、独り舞い歌う神崎蘭子……?

 

「蘭子、だけの、UL……?」

 

 蘭子の方へ振り返ろうとして、しかし、ボクが見たのはまた別のボクだった。それはボクが、東京から静岡へ向かう新幹線に乗車する瞬間だった。

 そのボクの向こうにまた別のボクがいる。ステージから楽屋へ戻って来るなり膝をついて、床に爪を立てている。

 その向こうのボクは……顔を青くして、舞台袖から蘭子のステージを眺めていた。

 そして見覚えのある部屋――まだ小さかったPの居室。そこでボクたちは向かい合っていて………。そこにはボクが二人いた。一人は手にALDを持っている。もう一人はコーヒーカップを持っている。そこが終わりらしい。

 

「ボクは何を見て……っ!?」

 

 コーヒーカップを持った方のボクが遠ざかっていく。どんどん。加速度的に速く、遠ざかっていく。

 見えなくなるまではあっという間だった。おそらくもう二度と見ることが出来ない程の遥か彼方へ行ってしまったのだろうと、何故かそう感じた。

 

「今のは、一体……?」

 

 白昼夢? いや、デジャヴ、の方が近いだろうか?

 幻覚にしては異様に生々しいのに、思い返そうとするとあっという間に記憶から消え去っていく。実際一呼吸置くと、ただのデジャヴと変わらない程に何もかもが曖昧になっていた。

 不可解な点があるとすれば、四人の人間が同時にデジャヴを見るなんてことは寡聞にして知らないことだ。

 

「この感覚は……まさか……!」

 

 Pがいつになくシリアスな表情で呟いた。Pは何か思い当たることがあるのだろうか?

 

「振って、しまったのね……」

 

 神崎Pが元から白い顔面をより一層白く、いや蒼白にしながらそう言った。

 神崎Pの『振る』という単語にボクはすぐに思い至った。さっき振って6の目が出たサイコロのことを。

 

「ふ、振ったって、コレのことかい?」

 

 ポケットに入れていたサイコロを取り出して三人に見せる。

 

「でもこれは……さっきそこで拾った何の変哲もない――」

「――なんだそれっ!? そんな完璧な立方体がこの世にあるワケが……」

「えっ?」

 

 Pが血相を変えて自分のスーツの胸ポケットをまさぐる。

 

「はぁっ!? マジかよ! ()()ぞ!?」

「えっ? えっ?」

「な、なんぞ? さっきから何が起こってるの……?」

 

 Pと神崎Pの視線がボクの掌の上のサイコロに注がれる。

 改めて見てもやはりそれはただのサイコロで――え?。この面、目が消えている……あっ、こっちの面もだ……いや、見た瞬間に消えた? そもそもこんな色をしていたか? 面毎に違う色だなんて、こんなの……こんなのまるで……!

 

「そう……騙されたのね……」

 

 ボクが手にしていたのはALDだった。見るのは久しぶりだけど、その淡くも美しい色を忘れるわけがない。

 いつの間にサイコロから入れ替わっていたのだろう? 騙されたって? もしかして元からALDだったのか? 何故こんなことを? いや、誰が……?

 

「今、セカイが分岐したわ……。そして……」

 

 いつだって不遜な態度の神崎Pが、自分の肩を抱きながら、教師に叱られる直前の児童のように震えていた。

 

「来る……!」

「っ……!」

 

 やや強引にPに手を取られ、ボクは彼の背中側に引き寄せられる。その拍子に手から転がり落ちたと思ったALDは――転がり落ちるはずのALDは――物理法則を無視して空中で静止していた。

 

「えっ…!?」

 

 立方体が歪んで見えた。いや、変形……平べったくなっていく…? 目を瞬いているといつの間にか、ただの正方形になっていた。立方体がただの薄っぺらい正方形になっていたのだ。その形は更に変わっていく。正方形の上辺が下がっていく。すぐにぱっと見でも正方形ではなくなる。その面積を段々と減らし、長細くなり、上辺と下辺が重なり、線となった。

 その異様な光景をよく見ようと、Pの背中から顔を出そうとすると、Pに止められる。

 今度はその線が短くなっていく。それは導火線のようにも見えた。この線の両端が一点に重なるとき、何かが起きる予感があった。

 そして、線は点となり、蒸発するように消滅した。

 

 

 ――――■■■■■■!!!!!

 

 

「うおおっ!?」

「くっ!?」

「きゃあっ!?」

「ぅっ……!」

 

 名状しがたき不吉な音がどこからか鳴り響いた。

 音の発生源は空からのようでもあり、耳元からのようでもある。それと同時に襲ってきた強烈な悪寒にボクは、ボクたちは、一様に呻き声を上げた。

 たじろいでいるのは、ボクたちだけじゃなかった。そこかしこで悲鳴が上がり始めていた。周囲のスタッフたちも、会場の数万のオーディエンスたちも、同じものを味わっているらしい。

 数多の悲鳴さえも掻き消すように、不吉な音は鳴り続いている。終末の到来を知らせるラッパの音というのは、あるいはこれだったのかもしれない。

 



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≪Observation by 蜈?ココ蠖「≫

 

 悲鳴と絶叫で会場が埋め尽くされていく。

 大気に満ち溢れる()()と周囲に現れ始めた()()から、直感的に、本能的に、根源的に、そして何より経験的に、これから何が起こるのかが私には分かってしまった。

 

「待て、触るなっ!」

 

 Pが二宮飛鳥の右手を鷲掴みにして止めた。

 二宮飛鳥が触れようとした先の空間には()()が生じていた。ラグビーボール程度の大きさの空間が、揺らぐ水面のように歪んでいる。そこだけでなく、視界の至る所で歪みが生じている。まずは物質密度の低い空間から摂取していくということか。おそらくはこれと同じことが宇宙全体で起こり始めているのだろう。

 

「し、浸食が始まったわ……」

「知ってんのか、神崎P!?」

 

 さっきPは二宮飛鳥が歪みに触れるのを止めたが、実のところそれは意味のないことだ。触ったところでどうにもならない。どうにもならないし、どうにもできない。間もなくその空間に触れることさえ出来なくなる。穴が開いたように何も無くなるのだ。しばらくすれば全ての空間は無くなり、生きとし生けるものは一切身動きが取れなくなる。つまり俎上の魚。次に歪むことになるのはその生きとし生けるものたちだ。

 

「セカイは崩壊する……このセカイの全ては天使に……上の次元に住まう存在に、摂取される……! あのサイコロは天使だった。ずっとこの瞬間を待っていたのよ……!」

「な、なんだと……!」

 

 蘭子と二宮飛鳥が同時に「コラプスの夜……」と呟いた。

 

「何故こんな……。()()()があるのに……っ!」

 

 自問しながら、本当は分かっていた。あの天使はルールの穴を突いたのだ。

 

『セカイ線を崩壊させた天使は高次存在に消滅させられる』という、天界における公然のルールがあったわけだが、セカイ線を崩壊させんとする天使はまず必然的にセカイ線に干渉を行うことになる。すると当然、その時点でセカイ線は分岐する。天使が崩壊させ摂取するのはその真新しい方のセカイ線だ。

 つまり、セカイ線の崩壊の前には必ず()使()()()()()()()セカイ線の分岐が起こっている。それは今の状況とはほんの少し異なる。今さっきセカイ線の分岐を起こしたのは一体誰なのだろう? ALDに化けていたあの天使なのか? それともALDを振った二宮飛鳥なのか? これを明確にすることはとても難しいのでは……?

 また、天界から見た場合、今の分岐は“非常に目立たない”ものだったように思う。天使が干渉もしていないのに独りでに分岐が起こったように見えたのではないだろうか? 無限にあるセカイ線の中で天使の干渉なく生じた分岐など、大樹に芽吹いた一枚の葉よりも遥かに些細な変化だ。いかに高次存在といえど、これから起きる無法を見落としてしまうこともあり得るのでは……?

 

「な、何を言っているんだキミは……!」

「神崎P……」

「………」

 

 わからない……。すべて推測だ。高次存在が動き出すトリガーが本当は何なのかなんて、結局は高次存在以外には知りようがない。

 一つ確かなのは、この天使は天界で見たときには老いていながらも強い生命力を宿していたということ。

 コイツは繰り返しているのだ。ルールに穴があることを知り、高次存在に罰されることもなく、何度もこうしてセカイ線を崩壊させているのだ。そして今これからはこのセカイ線が……!

 

「……説明を…知っているなら説明を……!」

 

 まだ二宮飛鳥は理解していないらしい。最後の一押しをしたのはアナタだと言うのに……いや、二宮飛鳥を責めるのはお門違いか。さっき普通のサイコロに擬態していたように、この天使がその気になれば、任意の人間に対して既定行動からの逸脱を誘発することができるだろうから。

 それにそもそも、コイツをこのセカイ線に引き込んでしまったのは私だ。あぁ、そうか……。この天使が私の干渉に紛れ込んできたのも、高次存在の目を欺くための策の一つだったということか……。私はなんて迂闊なことを……!

 

「闇にィイイ……! ン飲まれよ~~~っ!!」

「「「!?」」」

 

 その蘭子の大声は雄叫びと言ってもよかったかもしれない。あまりの唐突さには率直に言って心臓が止まかと思った。しかしその衝撃は私を幾分か正気に戻してくれた。

 

「………ぷ、プロデューサー、大丈夫……?」

「っ……!」

 

 おそらく蘭子もまだ事態を飲み込めていない。だから蘭子が感じているのは原因の分からない圧倒的な恐怖だけのはずで……だというのに、私のことを気遣おうとしている。

 何をやっているんだ私は! 私が堕天したのは蘭子を導くためだろう!! 私が狼狽えていてどうする!!

 

「――っ!」

「わっ!?」

 

 思い切り自分の両頬を叩く。ピリッとした痛みと引き換えに、恐怖感をシャットアウトする。

 

「恥ずかしいところを見せてしまったわね……。もう大丈夫よ、蘭子」

「……うむっ! それでこそ我が導き手!」

 

 クリアになった頭で伝えるべきことを考える。

 口惜しいが認めなくてはならない。この天使に対して私が出来ることは何もない。そして、仮にこの宇宙に存在する全ての兵器を使ったとしても、掠り傷一つ付けることさえ不可能だ。相手にならない。蟻が象に勝つ事象は確率としては起こり得るが、それは少なくとも同じ次元にいるから。我々と天使とでは文字通り次元の違う生き物なのだ。

 故に天使に勝てる確率はゼロ。……しかしそれは普通のセカイ線であればの話だ。

 

 このセカイ線には蘭子がいる。二宮飛鳥がいる。 奇跡を百乗したようなこんなセカイ線、少なくとも私は見たことが無い。

 

 二人が操る魂の力と天使の力は本質的に同じモノ。この二人であれば天使に対抗し得る。とはいえ二宮飛鳥はまだ本質を掴んでいないようだし、勝率は1%も無いだろう。しかし他の方法など思いつかない。

 そんな絶望的な戦いに少女二人を送り出さなくてはならないなんて、自分の無力さが呪わしい。しかし私は更に罪を重ねる。

 

「薔薇の闇姫、紅蓮の暗殺者……。貴女たちの双肩……いえ、双翼に、セカイの命運が掛かっているわ」

「ほう…!」

「……っ」

 

 二人の少女を焚き付ける。

 導くだの何だのと言いながら、結局私にできるのは送り出すことだけ。であれば、たとえ僅かでも勝率を上げられるなら、いくらでも諧謔を重ねよう。それは図らずも、アイドルをステージに送り出すというプロデューサーの仕事に似ていた。

 プロデューサーの手腕とは畢竟、アイドルをどれだけ良いコンディションでステージに立たせられるか、その一点に尽きるのかもしれない。ふとそんなことが頭に過った。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

「――この浸食を止めるには貴女たちの共鳴波動をぶつけてやればいい」

 

 やや持ち直したとはいえいまだ青い顔の神崎Pが可笑しなことをのたまっている。明らかに戯言だ。

 

「フフン! 血が滾るわ!」

 

 蘭子は……蘭子、キミは何故そんな無邪気な表情をしているんだ? 感じていないのか、この恐怖を。聞こえていないのか、会場に轟く悲鳴が。

 

「ひっ……!」

 

 一番近くにあった空間の歪みが、今ほんの少しだけど確実に大きくなった。理解を越えたそんな異物が周囲に何十箇所と発生している。何なんだよコレ…。舞台袖の外でもこの歪みに気付いたのか、悲鳴が上がっているし。

 何が起こっているのか全く理解らないのに、途轍もなく恐ろしいことが始まるという確信があった。

 神崎Pはまだ捲し立てるように喋っている。内容は笑えないくらいに中二病。お前もこっち側だったのか。

 もう嫌だ。ボクには理解っているんだぞ。それはボクたちの気分を上げようとしているんだろ? 下手くそめ。そんな震え声でやっても、騙せるのは人の良い蘭子ぐらいだ。Pぐらい巧くやってみろよ。……やってくれよ。ていうかPもPだ。ずっと黙り込んで、何を考えている? 何も考えられないのか、キミが? そんな……そんなのもう……!

 

「――きっと敵は油断している。付け入る隙はそこにある。真に調和した共鳴ならば勝機はあるっ! いえ、勝たなくてもいい。厄介な相手だと、そう思わせることが出来さえすれば、このセカイから去っていくはずよ」

「我らには造作もないこと。血塗られし宿命に今こそ終止符を打たん! さぁ、我が片翼よ!」

 

 蘭子がボクへと手を差し伸べた。しかしボクはその手を呆然と見つめることしか出来ない。

 

「……片翼! さぁ!」

「っ……」

「いざ!……………あ、あれ? 飛鳥?」

 

 何、やって当然みたいな顔してるんだよ蘭子。これまでのライブとはワケが違うんだぞ? 恐ろしくないのか? 周囲の人間みたいに泣き叫んでいないだけでも褒めてもらいたいくらいなのに。それを何だって? ボクたちでコレに……軍隊よりも、異星人よりも遥かに強大な相手に立ち向かうだって?

 

「……蘭子……どうしてキミはそんなに……」

「私は信じているから。私のプロデューサーを……そして飛鳥を!」

「……!」

「だから……っ!」

 

 再び蘭子が手を差し伸べてくる。よく見ればその白い手は小さく震えていた。やはり無理だよ……。確かにね、このまま何もしなければ最悪の結末が待っているんだろう。でもだからといって足掻いてどうにかなるとも思えない。ボクたちに出来るのはせいぜい幻覚のような現象を起こすことだけなんだから。それならばいっそ最後の瞬間くらいヌルイ夢を見ていたい。そうだろう……?

 

「――えっ?」

 

 驚いて、情けない声が出た。

 今度こそボクは蹲ろうとしたんだ。

 なのに。

 なのに、ボクときたら、一歩、蘭子へと踏み出していた。

 それは完全にボクの意思を無視した歩みだった。あろうことか更に一歩。二歩。三歩。

 そしてボクは蘭子の手を取った。

 

「ら、蘭子……?」

「飛鳥……!」

 

 ――ふっとアイデアが湧くように、ボクはとても多くの気付きを得た。

 

 蘭子と初めて会った日。パーゴラから立ち去ろうとするボクの足を前に進めたものが何であったのかを、ボクはようやく識った。

 

「引かれたのか……」

 

 そう、引かれた。文字通り、引かれた。惹かれたんじゃない。純然たる物理現象によって、蘭子へと引き寄せられたんだ。

 なんだ……始めから理解っていたじゃないか。

 

 

 引き寄せる力………引力………万有引力…………重力………ブラックホール………イベントホライズン………特異点………無限………Dimension………。

 

 

 ボクの頭の中で幾つものワードがグルグルと旋回する。それらはボクのこれまでのエクスペリエンスと衝突しながら溶け合っていく。そしてボクの脳裏に一つの結論が導かれた。

 

「そうか……魂の力、その本質は、重力エネルギーか……!」

「……!」

 

 ボクの呟きに、神崎Pが瞠目する。

 

「……まったく、気付くのが遅いのよ。まぁでも……及第点をあげてもいいわ」

「それはどーも」

 

 相変わらずの減らず口。この女の曲がった臍には筋金でも入っているのか。

 何はともあれ、曖昧模糊としていたボクの共鳴理論に大幅なアップデートがかけられた。

 

「蘭子……今一度、キミの魂の音色を聞かせてくれないか?」

「容易いこと!」

 

 不敵な笑みを浮かべた蘭子が「えい!」とポージングをとる。

 不可視の何かが蘭子から放出されたのが分かった。意識を集中させると、鈴の響きの様に感じられる。

 これまで蘭子との共鳴はなんとなく雰囲気で行っていたが、それを切り替える。未知な部分は未だ多いけれど、自然の法則に基づく現象であるという確証を得た今、精度を高めより深く響き合うことが可能なはずだ。ボクの全細胞を以って、蘭子の音色を観測する。

 

 音色……音……音波……いや、周波数……重力……なるほど重力波だったのか……

 

 回す。回す。いくらでも回してやる。蘭子に固有の周波数はきっと有るから、合うまで回してやる。人生イチの集中力の冴え。

 いつしかボクは()()を幻視していた。周波数を合わせる為のロータリーノブ。それをイジった経験は人一倍多いという自負がある。だからだろうか。イマジナリーなノブはボクにとても馴染んだ。

 上へ下へ回しに回して、ここだ、という周波数を見つけた。しかし何か物足りない。確かにピタリと合っているのだけれど、不思議と合わせきれていない感覚もある。このままでは起こせる現象に質的な変化が起きるとは思えない。

 

 ――Dimension.

 

 なるほど。ボクはまた既成概念に囚われていたようだ。

 X軸、Y軸、Z軸、時間軸の四つがボクたち人間の認識できる次元だが、他にも幾つかの次元があるらしいという理論は聞いたことがある。

 イマジナリーノブを改めて精査する。

 ビンゴ!

 ()()()()()の軸で回せるじゃないか。

 いや、まだあるな?

 ()()()()()()()の軸に、()?()§()()の軸……あぁ、()()()()()()()の軸もか。こうなったら全ての軸で合わせてやる!

 発見した()のノブの調整には難儀した。言わば、正攻法では永遠に解くことの出来ない組み合わせゲーム。でもこれこそが、ボクのシンパサイザーとしての本領だったらしい。

 まるでそうなるのが必然だったかのように、或るところでピタリとノイズの類が消え失せた。

 

 ―――――!!!!!

 

 鈴の音などではなかった。余剰次元にまで響き渡る荘厳なオーケストラサウンド。それこそが蘭子の真なる魂の音色だった。

 

「すごい……これが、蘭子の……っ!」

 

 蘭子を見れば、まだ「えい!」というポーズのままだった。不思議なことに、イマジナリー上のチューニングには何秒もかかっていなかったようだ。

 彼女の周波数を完璧に認識した状態で、ボクは共鳴のトリガーを引く。その刹那、ボクたちのセカイは変貌した。セカイに対する認識が、絢爛たる極彩色に移り変わったのだ。まるでカレイドスコープのように。

 

 こうして、ボクたちはセカイの秘密へと到達した。

 

 自然界には四つの力がある。電磁気力、弱い力、強い力、重力。その中でも重力は他の三つの力に比べると異様に弱い。それは何故か? 重力のエネルギーの大半は、この3+1次元のセカイの外側、つまり別の次元へと漏れ出していくからだ。

 これはさっきまで知らなかった知識。今知っているはずのない知識を、しかしボクたちはもう知っている。到達するということは、こういうことなのだ。もう()()は始まっている。

 

 魂の力が起こす重力波動が一定レベルまで高まった時点でまず、魂の存在座標を感じ取ることが出来た。ボクたちの魂は3+1次元の一つ上の次元の極狭い範囲、つまりこのセカイを包む膜の上に存在していた。

 重力波動を更に強めていくと、その膜の外側にまで重力を及ぼし始める。すると当然、セカイの外側で無秩序に漂っていた重力エネルギーを引き寄せ膜上で収束し始めることになり、結果、膜に穴が開く。そうなれば、セカイの外側にある大量の重力エネルギーに自由にアクセス可能となるのだ。

 そして魂には、流入させたエネルギーを扱うための機能が元から備わっていた。いや、エネルギーの流入によって、その機能に()()された状態となったというべきか。それは魂に付属されている超高性能な観測機器や演算装置のようなもの。ボクたちの視界がカレイドスコープじみたものになったのは、それらによりあらゆる情報を認識できるようになったからだった。

 

「これならいける……っ!」

 

 蘭子と頷き合う。

 ボクたちの手中には既に、ゼロをいくつ繋げても足らない莫大過ぎるエネルギーが集まっていた。今のボクたちに不可能は無い、という実感がある。とはいえ、これでようやく天使の領域に足を踏み入れたというだけ。相対するは悪意に満ちた老練なる天使。ヤツは単体でボクらと同等かそれ以上の能力を持つのだろう。未だこちらの劣勢は変わらないが――。

 

「魂を励起させなさい。魂の昂りは出力を爆発的に上昇させるわ」

「それはつまり、テンションを上げろ、ということかな?」

「まぁ……その認識でいいわ」

「えっと、じゃあ………あっ!」

「そうだね蘭子。ボクもそれだと思う」

 

 この場――アイドルのステージ――でテンションを上げるものといえば、それはもう音楽以外には有り得ない。

 絶賛発狂中の楽団員のみなさんに代わり、ボクと蘭子で数十の楽器を演奏する。アップテンポで攻撃的なメロディが会場に轟いた。

 

「闇ノ楽団の結成である!」

 

 楽器に触れたことが無いとか遠隔操作だとかなんていうことは、ボクたちには最早関係がない。念じれば楽器を手足の様に動かせるし、その最も美しい演奏方法も容易に解析可能だった。

 UL第三幕は奇しくも、薔薇の闇姫と紅蓮の暗殺者改め白銀の騎士が、天使族との死闘を繰り広げる章だ。多少のアドリブを入れる必要はあるが、この状況を利用してやろうじゃないか。

 

「じゃあそろそろ行こうか。あまり待たせるとオーディエンス……というより、セカイが保たない」

「うむ! 我らが威光をセカイに示さん!」

 

 ステージへと歩み始めたそのとき

 

「……飛鳥!」

 

 Pに呼び止められた。

 

「どうした、P……?」

「あ~~、なんだ、その………」

 

 こんな風に言い淀む彼は本当に珍しいのだけど、それはほんの僅かの間だった。雑念を払うように頭を振るといつものPに戻り、ニヤつきを浮かべながら、サムズアップをボクに向けてくる。

 

「ぶちかましてこい!」

「ああ!」

 

 ボクも同じポーズで応えた。

 そして蘭子と共にステージへ駆け出していく。

 

 

 ―――――!!!!!!

 

 ステージから見る景色は阿鼻叫喚と呼ぶべきものだった。泣き叫ぶ者、怯え蹲る者、血走った目で哄笑する者……数万のオーディエンスたちは漏れなく正気を失っていた。この公演の主役であるボクと蘭子が登場したというのに、誰も気にも留めない。ここに至ってボクはようやく状況を把握し、発露すべき感情を理解した。

 

「ふざけやがって……!」

 

 身体が瞬時に燃え上がった。比喩でもなんでもなく、ボクは炎を纏っていた。大気を歪め、石造りの土台を赤熱させるほどの熱量がボクの身から迸る。猛烈な怒りがそうさせた。

 

「よもや、よもや……フクククッ!」

 

 蘭子も相当頭にキているらしい。その瞳は憤怒の真紅に輝き、上空には季節外れの積乱雲を発生させていた。

 折よくBGMは長いイントロを終えようとしていた。

 

「無辜なる民にまで害を為すとは、天使族の名も地に堕ちたようね!」

「世界の終焉こそが貴様らの総意だというのなら、ボクたちは抗ってやる!」

 

 まず会場のこの雰囲気をどうにかしなければ。

 狙うは会場周辺に発生している夥しい数の空間浸食――半径300メートルの領域内に100万箇所以上――狙うと意識したとほぼ同時に、その全ての正確な空間座標が認識できた。上も下も死角も関係なく、領域内の全てが認識下となっていた。

 招待した両親や北条加蓮をはじめとした友人たちがいるのが理解った。絶対に行かないと言っていた志希も一般のオーディエンスに紛れて来てくれていた。気の毒に、みんな怯えている。

 会場内で理解らないものは何一つ無い。存在する全て――物質、人間、動物、植物、大気、それらを構成する元素、匂い、温度、音波、電磁波、そして素粒子の量子的なふるまいまでも含めた全てが手に取るように理解る。その一つ一つがどういう来歴でここに在るのかも理解るし、これからどう動いていくのかさえも。

 

 開戦だ。

 歌い始めると同時に、ボクは炎を、蘭子は雷を解き放つ。

 

 ――ゴァアアアアッ!!!

 

 半径300メートルが火炎と雷光で満たされ、空間浸食は消滅していく。ただしこれはあくまで演出。炎と雷に紛れる形で放っているエネルギー波が本命だ。もちろん寸分たがわずに全的中。会場内は正常な物理法則を取り戻した。

 ボクたちは炎と雷を操作して場を整える。辺り一面が炎で包まれ、上空からはしきりに稲光が地表へと走る。まるで地獄が顕現したかのような光景だが、最終決戦の舞台としてはもってこいだろう。ちなみにこの炎と雷が人を害することはない。そのようにアルゴリズムを組んでいるから。

 

――――!!!

 

 オーディエンスたちの歓声が上がる。やっと彼らの耳目がボクと蘭子に集めることができた。この期に及んで一連の超常現象がULの舞台演出だと思っている人はいない。彼らの歓声はいまだ、救いを求める悲鳴に近かった。

 あぁ、理解っているよ。ボクたちはこう見えてファンを大切にする方だからね。

 

「ハーッハッハッハーーーーッ! 恐るるに足らず、天使族!」

「天上の楽園で胡坐をかいている者どもなんて、所詮こんなものか」

「さぁ、終焉を始めましょう」

「ここからはボクらのターン。震えて爆ぜろ……!」

 

 これからの展開を踏まえ、ボクたちはまず翼を欲した。欲すると同時に大鷲のものよりもずっと大きな、広げれば3メートルにもなる大翼がボクたちの背に出現する。蘭子には漆黒の、ボクには白銀の翼だ。ボクたちの衣装にもよくマッチしている。もちろん、万能兵装としても使用可能な脳波感応型の超科学デバイスだ。現行科学では百年かけても到達できないテクノロジーがマイクロ秒以内に実現できた。

 

「「――むんっ!」」

 

 翼を大きくはためかせ、バイオレットのオーラを纏い、二重螺旋を描きながら天高く飛翔、あっという間に上空三千メートルに達する。この辺りで良いかと静止してニ秒後、ドンッ、という爆音が上がってきた。なるほど、音は意外と遅いらしい。

 頭上には未だ高き星空が広がり、足元直下には会場の照明が、遠方では街の光が灯っている。その一つ一つがこのセカイの営みの証。もし仮にボクたちが負ければ、全てが灰燼に帰すことになる。そんな非道、許すことはできない。

 認識領域を拡張していく。今度は少し伸ばして半径6500kmほど。つまり地球をすっぽりと覆う範囲となるが――それは何の難しさもなかった。人間の脳では処理しきれないはずの膨大な情報量も不思議と苦にならない。魂側の演算装置による情報処理は実にスマートだ

 

「わぁ、ウジャウジャ……」

 

 ウンザリといった風の蘭子の呟きには全面的に同意。空間浸食は本当にいたるところに満遍なく発生している。宇宙全体に発生しているというのも本当らしいな。

 地球上すべての地域が混乱の極みに陥っていた。軽く京の位に達している空間浸食一つ一つにマーキング、と同時に、混乱の最中で発生した事故などで負傷していた人や不治の病に侵されている人の治療と、その他道義上捨て置くことができない様々な事柄の整理を行っておいた。

 そして、浸食体に向けて力を解き放つ――その数瞬前、付近の浸食体どもがボクたちに殺到してきた。

 

「「―――!」」

 

 蘭子とのゼロ秒の意思疎通。

 ボクは八人に分身し、蘭子の盾となるべく彼女の周囲を取り囲む。ボクの手にあるのは優美な造形のレイピア。

 

「フン。千枚におろしてやる……!」

 

 斬る。斬る。斬る。斬る――!

 迫りくる無数の浸食体を、八人のボクが斬って斬って斬りまくる。斬撃にエネルギーを乗せて、一太刀ごとに数十を両断していく。それが八倍。しかも斬撃速度は天井無しに増していける。

 遥か下、地上からの歓声が聞こえてくる。3Dホログラム映像での生中継は好評なようだ。

 そうこうしていると蘭子の溜めが完了した。

 蘭子は禍々しい造形の杖を天に掲げ「えーーい!」と叫ぶ。その刹那、蘭子の足元を中心に半径6500kmの超巨大魔法陣が出現。淡く紫色に光るその魔法陣には隙間なく紋様が描かれている。紋様が胎動するように数度明滅すると陣の下、つまり地球側へと凄まじい量の魔力が噴出した。その様はまるで風、土、水、火を司る龍神たちが暴虐の限りを尽くすがごとく、進路上にある浸食体を食い散らかしていく。そして瞬く間に、地球上に発生していたすべての浸食体が一掃された。もちろんそれ以外には一切の破壊はない。

 

 ―――――!!!!

 

 地上に降り立ったボクたちは大歓声に出迎えられた。それは会場のオーディエンスたちからのみならず、世界中から届いていた。ありとあらゆる電子機器をハッキングして、ボクたちの雄姿を地球の隅々にまで配信していたからね。

 正気を取り戻してきた会場の全スタッフに、舞台を続行するよう念話を飛ばす。楽団員のみなさんには楽器をお返しする。彼らの立ち直りは早かった。流石は超一流のプロ集団。

 第三幕二曲目のイントロが流れはじめる。一曲目と同様に戦闘シーン用の曲だが、こちらは疾走感が前面に出ている。

 

「――むっ!」

「来たな、第二波……っ!」

 

 上空に夥しい数の浸食体が姿を現した。第二ラウンドの開幕だ。迎撃するために再び上空へと舞い上がる。

 今度現れた浸食体はこれまでのラグビーボール大の透明の浸食体とは異なり、形状、サイズ、色も様々だった。アメーバ状のものの他、球状や四角錘などの幾何学的形状のものも沢山いる。保有する機能によって形状や色が分けられているらしい。広範囲攻撃タイプ、突撃自爆タイプ、高速移動タイプ、高耐久タイプ、エネルギー吸収タイプ――いや、どうでもいいか。ボクたちにとっては全て雑魚だ。

 

「我が力の前にひれ伏すがいい!!」

 

 身体に漲るエネルギーを全力全開で奮い、邪なる敵に天罰を下す。

 痛快。この一言に尽きる。

 既にカンストに至っていたかと思われたボクたちの能力は、しかし、力の操作の効率化と歓声による魂の励起で更なる成長を続けている。その成長速度に敵は全く付いてこれていないのだ。ひょっとするとボクと蘭子の力は、あっけなく天使とやらの力を越えてしまったのかもしれない!

 

「木偶の棒め! 止まって見えるぞ!」

 

 超高速で繰り広げられる空中戦。

 ボクたちの航行速度は最早、音を基準にしても全く足りない。亜光速の領域にまで踏み込んでいる。飛行経路を示す光の道筋が夜空を華やかに彩っていく。光速に近づいた影響で、眼球で捉える景色は歪み、リング状の光のグラデーションが見えてくる。亜光速移動により生じる衝撃波は、そのエネルギーを即座に物質化することで軽減する。どういう物質にするか? もちろんダイヤだ! 既得権益の上で胡坐をかいているヤツらに一泡吹かせてやりたいと常々思っていたんだ! さぁ! 来場してくれた記念に一万カラットをプレゼントだ! もちろん一人一個ずつ!

 

「うおおおおーーー!!!」

「はああああーーー!!!」

 

 第三幕三曲目のラスサビに合わせて、ボクたちは雄叫びを上げる。空中戦もたっぷり魅せたし、ここで区切りにするのだ。おあつらえ向きに、これまでで最大最強の浸食体が現れていた。ちょっとした山ぐらいのサイズの真っ赤な正二十面体だが、今のボクたちならいけるはず!

 

「「てやぁあああーーー!!!」」

 

 溜め込んだエネルギーを一気に放出したボクと蘭子は正しく光の矢となり、ボスクラスの浸食体に吶喊――そして見事貫き、その余波で他の浸食体も蒸発させた。

 

 ―――――!!!!!!

 

 歓声がボクたちを讃えた。さっきサービスしたダイヤには誰一人目もくれず、オーディエンスたちが歓声を上げる。悪くない気分だ。

 しかしまだ終わりではない。またずらりと新手の浸食体が出現した。

 

「……フン、しつこい奴らだ」

 

 新たな局面に呼応するように第三幕四曲目が流れ出す。予定より少し早いがもういいだろう。

 オーディエンスたちへはもう十二分に魅せた。彼らに認識できるレベルの演出はやり尽くしたと言える。つまりこれ以上はマンネリってヤツさ。

 

「決めるぞ、蘭子!」

「うん! いこう、飛鳥!」

 

 ボクたちは向き合い、両の手で指を絡ませ握り合う。

 やはりこうして直に触れ合っているときが、最も効率のいい共鳴が実現するみたいだ。そしてその分()に開く穴も大きく出来る。

 認識領域をいけるところまで拡張する。大宇宙、このセカイ中に撒き散らされた無数の浸食体を、それらを操る天使を、逆に喰らってやるのだ。

 

「「…………!」」

 

 ボクたちの認識は地球を飛び出し、月に達する。金星、火星、水星、そして太陽に。

 認識領域の拡大速度は指数関数的に増大しとっくに光速を越えている。魂による認識、つまり上の次元を経由した観測がそれを可能にしている。

 木星を越え、海王星を越え、太陽系を抜ける。

 まだだ。まだこんなものではない。

 プロキシマ・ケンタウリ、シリウス、プレアデス星団、オリオン大星雲………。

 

「「………っ!!」」

 

 情報量の爆発的な増加に、一瞬だけ認識がサチりかける。が、即座にアルゴリズムのアップデートで対応――

 

「「まだまだぁあああアーーーッ!!!」」

 

 ――渦上の構造を確認――遂に天の川銀河を眼下に収める。四千億もの恒星、一万ものブラックホール、その全ての情報が流れ込んでくる。なんて美しい調和……目に見える奇跡がここにある……。

 アンドロメダ銀河、銀河、銀河、銀河……銀河群、銀河団、銀河団………ラニアケア超銀河団――

 

「――あっ!」

「飛鳥……っ!?」

 

 そこでボクは、思わず我を忘れた。

 ニ億四千万光年先のそこにいたのだ。人類とは異なる、文明を持つ存在が。異星人が本当にいた! 可哀想に、彼らも天使の襲来に恐慌状態に陥っていた。地球とは随分と異なる生態系だが、科学力は地球よりもよっぽど進んでいる。彼らは思考し、喜び、怒り、悲しみながら暮らしている。友情がある、愛情がある。太古の昔から連綿と続く物語がある。

 その感動にボクは我を忘れてしまった。それが蘭子との共鳴を乱すこととなった。

 

「くっ、すまない……っ!」

 

 認識領域の拡大がそこで止まる。

 ええい、ならばひとまずここまでだ。領域内の浸食体どもにはマーキング済み。いくぞ!

 

「「とりゃああああーーーーーー!!!」」

 

 エネルギー解放。

 半径五億光年にボクらのエネルギー波が瞬時に充満――浸食体を一匹残らず殲滅することに成功した。

 

「フハッ! アーーハッハッーーー!!」

 

 笑いが止まらない。たまらず地球を一周してしまう。

 ボクたちはすごいものを観た! 天上に輝く星々の意味が理解る! 人類未踏の知恵の果実がそこかしこに散らばっている! 絢爛豪華なフェスがいつまでも続くかのようだ!

 しかし、まだだ。まだ全てに至っていない。もう一度だ。そして今度こそ、大宇宙を手中に収め、天使を滅ぼしてやる!

 

「さあ、蘭子! もう一度だ! 今度は集中を乱したりしない!」

「…………」

「蘭子……?」

 

 差し伸べた手を蘭子が取ることはなかった。蘭子は険しい表情で、上空を睨んでいた。

 

「何、アレ……?」

「へ?」

 

 ボクたちが浮遊している場所から更に10メートルほど高いところに、小さな何かが漂っていた。どうやら、こぶし程度の大きさの、矢印の形状に似たものがクルクルと回転しているらしい。色は黒い。

 

 クルクルクルクルクルクル……………ピタッ!

 

 その回転がピタリと停止した。矢印の先端を、真っ直ぐ、ボクに、向けた、状態で。

 

「――っ!?!?!?!」

 

 瞬間、ボクの全細胞にアラートが鳴り響く。

 

 これはダメなヤツだ!

 今ボクはマーキングされたんだ!

 

 比較してようやく気付いた。これまでの浸食体なんて天使からすればお遊びですらなかった。ただエンターキーを押してプログラムを走らせていただけだった。

 この矢印からは天使の明確な意思……悪意を感じる。ボクたちは天使を本気にさせてしまったのだ。もう一度、だなんて悠長なことを言ってる場合じゃなかった。さっきのが最初で最後のチャンスだった! それをボクはミスってしまった!!

 

「うわっ!! うわああああ〝あ〝あ〝ーーーー!!!」

「あ、飛鳥ぁああーーっ!?」

 

 加速し、蛇行し、光速を越え、量子化する。

 しかし、矢印を振り切ることが出来ない。ピタリとボクと同じ距離を保っている。どこまでも付いてくる。

 斬りかかろうとすればその分遠ざかる。ならばとエネルギー波を喰らわせてやる。

 

「消えろぉおおおおーーーっ!!!」

「お願い! 落ちてーーーっ!!!」

 

 蘭子もそれに加わる。

 ありったけをぶち込む。それは全的中した。なのに……。

 

 ――キュゥゥウウウウン

 

 矢印はビクともせずそこに在った。

 あろうことか、ボクたちのエネルギー波は吸収されてしまったようだ。黒かった矢印の色がだんだん白っぽく変わってゆく。いや、輝き始めている。エネルギーの充填状態を表しているのは明らかだった。その輝度がマックスとなったとき……何が起こるか? その想像が外れることはないだろう。

 逃げることは出来ず、破壊も不可能。どうすればいい?

 

「ハッ……!」

 

 ならばハッキングだ! ボクを追尾するプログラムを解き明かし、無力化してやればいい。映画とかでもよくあるヤツだ!

 矢印をしかと認識し、クールに解析を開始する。同時に解析完了までの推定時間がはじき出される。

 

 ――解析完了まで約28()()()年。

 

「なっ……!?」

 

 ボクの思考は停止した。

 矢印は強烈な光を放ちながら明滅を開始する。その周期がどんどん早くなってゆく。

 

「は、離れるんだ。蘭子……」

「………ッ!!」

 

 せめて最期に蘭子の姿を目に焼き付けようと彼女を見れば、悲壮な面持ちでエネルギーを練っていた。

 ごめん、蘭――

 

「――えっ!?」

 

 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。まるで強風に吹かれたような感覚だけがあった。

 だけどすぐに理解した。

 ボクと蘭子の位置座標が、そっくりそのまま入れ替わっていた。所謂テレポーテーションだ。

 そして今、矢印は蘭子を向いている。蘭子はボクの身代わりになったのだ……!

 

「ばっ! ふざけるな蘭子ーーーっ!!!!」

「絶対障壁最大展開ぃいーーーっ!!」

 

 矢印と蘭子の間に数億枚の魔法障壁が出現。そのとき矢印の輝きが臨界を迎え破壊光線を放出。

 

 ――バキィキィキィキィインンン!!!!

 

「うっ!?」

 

 大鏡がハチャメチャに割れるような破壊音が轟く。迸る閃光に目を開けていられなくなる。

 そして――

 

 ――パキィイイイイインンン………

 

 一際甲高い音が鳴ったのを最後に、一帯に夜が戻った。

 

「ら、蘭子……?」

 

 周囲には砕かれた障壁の残滓が漂うばかり。さっきまでそこに居たはずの蘭子がいない。代わりに、何かが放物線を描き落下していく。

 

「――ッ!」

 

 ボクは墜落していく何かに力を行使し、空中に留めようとした。なのに、物体を浮かせるくらいワケないはずなのに! 力が上手く使えなくなっていた!

 

 ――がしゃああああんん!!

 

 結局落下の勢いを殺し切れず、それはステージのセットへと激突した。

 

「嫌ぁぁあああーーー!!!」

 

 そこへ金切り声を上げながら駆け寄る女性、神崎P。彼女は血走った目で瓦礫と化したセットを掘り返してゆく。

 

「そ、そんな……まさか……!」

 

 そして神崎Pが抱え上げたのは、ボロ雑巾のように傷ついた蘭子だった。

 

「嫌っ! 嫌あああっ! 蘭子ぉおおおおーーーっ!!!」

 

「あっ……ああっ…………ボクが……ボクのせいで……」

 

 視界が揺れる。と思っていたらガタガタと身体が震えていた。倦怠感が全身に重く圧し掛かってくる……。

 え? 誰かがボクを呼んでいる? なんだ? 誰? あ、Pか? 地上からボクに何かを叫んでいる? 何? 手をブンブン振って、何だ? え? はやく、おりて、こい……?

 

「………あ」

 

 落ちる蘭子を止められなかった理由。倦怠感の理由。蘭子とのリンクが切れたから。加えて、翼も何者かにより消滅させられていた。

 そんなボクはもうただの少女。ただの少女は空を飛ぶことはできない。

 

 百メートル以上の上空から、ボクは真っ逆さまに墜落していった。

 



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≪Observation by P≫

 

 セカイ分岐が起こったとき、俺は本当の自由を取り戻したののを感じた。それはちょうど一年ぶりのことだった。そして全てを思い出した。飛鳥に伝えるべきことがあったということも思い出した。

 しかし同時に、それは俺にはどうしたって伝えることが出来ないと諦めることになった。

 だから俺は「ぶちかましてこい!」と、そんなことしか言えなかった。

 

 実際、飛鳥と神崎ちゃんはよくやってた。

 俺でさえ見失いそうになるほどの速度で空を駆け、現実離れした方法で敵を倒していく。このままいけば本当に天使とやらを撃退できるんじゃないかとも思えた。

 

 飛鳥の様子がおかしくなった直後、神崎ちゃんがやられた。敵の攻撃をまともにくらい、墜落してきた。落下の衝撃の大半は翼が相殺したようだが、既に重傷。あと数分も持ちこたえられないだろう。

 となると問題は飛鳥だが、呆然と空を漂ったままでいる。飛鳥へと必死に呼びかけても反応が薄い。そんでやっぱり落ちた。

 

「ずおりゃああッ!」

 

 飛鳥の落下予測地点へ向け、俺は疾走する。陸上界真っ青の弾丸スタートダッシュだ。

 このまま落下地点に到達して飛鳥を無事に受け止めることは容易い。そんなこと俺には朝飯前。

 んでも、現実はそんなに甘くはないよなぁ。てか現実って何だ。笑えないぜまったくよぉ。

 飛鳥が落ち始めてからまだ一秒も経っていないのに、落下速度は既に終端速度を超え、更に増大していく。なんつー加速度。天使は重力エネルギーを操るらしいから、こんなのお手のものってか。

 

 ――じゃあ急がねぇとな!

 

 俺の肉体の全細胞一つ一つに指令を下し、最適な走法で疾駆する。身一つで空気の壁をぶち破った三人目の人間、それが俺。

 

 そのとき、俺の理性が『待った』をかけてきた。『死ぬことになるぞ』と。『どうせ二宮飛鳥も助けられないぞ』と。だから『無意味に決まってる』と。

 

 ――うるせええええええ!!!

 

 今この瞬間だろうがよ、俺がずっと求めていたのは!

 理性が拒絶し、確率にそっぽを向かれて、それでも尽きない心の底からの衝動! しょうもない()()にずっと抑えつけられてきたソレが、今この瞬間には解放されている。

 しかも『決まってる』だと? 逆だろうが! 分岐したてのこのセカイはまだ何も決まってねぇはずだ!

 それに何より! プロデューサーがアイドルほっとけるかよ!!

 

「――ッ!!!!!!!」

 

 落下地点には俺が先に着いた。

 脚部の骨にヤバい感じのヒビが入っている。まぁいい。もうあまり関係ないし。痛覚遮断も必要ない。こっからの俺の仕事は痛みを感じる前に終わるから。

 目と鼻の先には半端ないスピードで俺の胸に飛び込んでくる二宮飛鳥。問題はここからだ。

 脳の処理速度を最大限に引き上げる。足りない。脳の限界を超えて引き上げる。疑似的な時止めが実現した。

 コマ送りの世界で、俺は注意深く飛鳥の身体に手を伸ばしていく。

 まずは両手で飛鳥の重心に触れ、僅かな運動エネルギーを回収する。そして左手は上半身へ、右手は下半身へ滑らせていく。滑らせながら運動エネルギーを回収し続ける。飛鳥の肉体に負担をかけないよう少しずつ。回収した運動エネルギーは剛体化した細胞を伝わせて左の足先へと伝達し、解放――爪先から土踏まずまでの体組織が粉々に分断された。

 運動エネルギーの回収を続行する。超速で動かしている両腕があっという間にズタボロになっていく。ギリギリ形を保っていればそれでいい。

 

 左踝が、左脛が、左膝が、右爪先が、右踝が、右脛が……。

 

 ――まだだ。まだ全然スピードが殺せていない。

 

 左膝が、右膝が、左腿が、左大腿骨が、右腿が、右大腿骨が……。

 

 ――あぁ、クソ、そういうことかよ。ここにきて加速度増してんじゃねーか。容赦無さ過ぎだろ。

 

 臀部が、骨盤が……。

 

 ――クソ。クソ。クソ。

 

 腹筋が、大腸が、腰椎が……。

 

 ――クソ。クソ! クソ!!!

 

 アバラが、肺が、心臓が……。

 

 ――ああああ!くっそおおおおお! 飛鳥! 飛鳥!!

 

 頸椎が、顔面が、頭蓋骨が……。

 

 ――飛鳥! 飛鳥! 飛鳥!!!!

 

 脳が……。

 

 ――――――!!!

 

 

 

 ――パァンッ!!!

 

 

 

 こうして俺の肉体は粉々に弾け飛んだ。

 俺の肉体を使い尽くしても結局、飛鳥の落下速度は半分にもできなかった。

 しかし飛鳥を助けることには成功した。

 それは何故か?

 いやそもそも、今のこの思考はなんなのか?

 

 つまりはそういうこと。

 

 なかなかやるだろ、俺ってさ。

 



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≪Observation by Asuka≫

 

 ――パァンッ!!!

 

「ぅぐっ!?」

 

 激しい衝撃が全身を駆け巡った。

 フワフワとした心地。思考がまとまらない。確かボクは墜落して……そして、どうなった? やはり死んでしまったか? 物凄いスピードで落ちていたような気がするし……。

 

「ぅ……く……っ」

 

 いや。動く。手も脚も感覚がある。

 しかし、この泥濘は何だ? 何故か全身がヒリヒリするけど、そこまでの痛みではないし、ボクが出血しているわけではなさそうだが……。

 

「は……あぁ……!」

 

 P……? そうだ。Pがいた。落下の瞬間、一瞬だけPが見えた。P、何処だ? 嗚呼、嫌だ……目を開きたくない………。

 

「な、んだ……これ………っ」

 

 ボクが墜落したのはステージの上だったようだけど、その床がペンキ缶をぶちまけたように酷く汚れていた。

 そしてこのドス黒い大輪の華が泥濘の正体で、その中央にいるのがボクだった。いや、ボク以外にも何かある。泥濘の中から出てきたのは、男性もののスラックスとワイシャツとネクタイ。ネクタイには見覚えのあるネクタイピンが付いている。それはボクがPの誕生日にプレゼントしたものだった。

 

「………は、ははは……P……キミが何者か、ようやく理解った………」

 

 ボクの脳裏に、Pと過ごしたこの一年間の記憶が駆け巡っていた。本当によく理解らない男だった。でもそうだったのか……Pは……。

 カオスを支配し、銃弾の雨を摘まみ、独力でオーパーツをクラフトする、得体の知れなかったPという男。その正体……。

 

「さては、ただのバカだな……? ただの、バカな、中二病の、カッコつけだ……っ!」

 

 ――へへっ! バレたか! まっ、別に隠してなかったけどな!

 

「ふ、ふざけるな……なに、軽く人間越えてるんだよ……ああああっ!! なんで、こんな……ボクなんかを……!」

 

 どうやったのかなんて理解らない。Pのことだ、どうせ出鱈目な方法に決まっている。何もかも理解できない。この期に及んで、ボクなんかを助けてどうなるっていうんだ!? しかも自分を犠牲にして!

 

「蘭子! お願いよ蘭子! だめ、いかないで! 蘭子ーーっ!」

 

 悲痛な叫びが耳をつんざいた。神崎Pだった。彼女たちはステージの反対側にいた。

 

「あああっ! こんなことになるならっ! 私は……っ! 何のために堕天したのっ!? こんなことに! なるなら! なると分かっていたら……っ!」

 

 仰向けに横たわった蘭子の胸部に、神崎Pが腕を突き立て、一定のリズムで圧迫を加えている。リズムに合わせ、蘭子の足先だけがユサユサ揺れている。

 

「そんな……嘘だ………っ!」

 

 凍る。骨が、臓腑が、心が凍ってしまう。

 

「うあああーーー! 蘭子ぉおおおーーー! Pぃいいいいーーー!」

 

 蘭子もPもボクをかばって。ボクの所為で……! こんなことになるなら、いっそのことボクが! そうだよ! グレートヒェンはボクの役だったじゃないか! なのになんで!?

 

 ――ちょっといいか、飛鳥? 今、敵はどうしてる?

 

 敵。天使。奴は今……。

 

「あ……あぁああ………っ!」

 

 上空に視線を向けると、ビルほどの大きさの空間が激しく歪んでいた。その歪みこそがヤツ本体だと直感した。

 どうしようもないくらいに絶対的な存在。おまけに悪意に満ち満ちている。そこにいるというだけで寿命が縮んでいくのを感じる。

 顕現した天使を前に、過熱していた会場の空気も凍結していた。悲鳴を上げることさえ誰にも出来ない。ただ茫然と、審判が下されるのを待っている。

 鳴動する大気は天使の哄笑だった。ダークイルミネイトという障害を排除したという、勝利宣言。だからこそ、ヤツは姿を現したのだろう。

 

 ――そうか、笑っているか。これは傍受されてないってことだな。ならいけるわ。

 

 こんなことになるならULを目指すんじゃなかった! ALDを振るんじゃなかった! アイドルになるんじゃなかった!

 こんなことになるなら…………Pと出会うんじゃなかった!

 

 ――おいおい悲しいこと言うなよ。でも、それ核心な。って、ちょいちょい。そろそろ落ち着け、飛鳥よ。ゆう程余裕ねぇんだから。

 

 気が狂いそうだ。いや、もう狂ってる? さっきから幻聴が聞こえるし。

 

 ――なあ、飛鳥! ちょっとマジで聞いて? ねぇ! あすちゃん!?

 

 なんだよもう、幻聴のくせにグイグイくるな!? あと、あすちゃんって言うな!

 

 ――だーかーらー! 大丈夫だって! 神崎ちゃんも俺も、まだなんとかなるから!

 

「…………へ?」

 

 幻聴だと思っていた妙な声。頭の中に直接染み込むようなその感覚は、蘭子と共鳴による意思疎通を行う感覚と似ていたのだ。

 変な声は依然ごちゃごちゃとしゃべくっている。この独特のウザさ……たとえ妄想であったとしても、ボクから出たモノとは思えなかった。

 

「………P、なのか?」

 

 ――俺だよ! 俺俺! Pくんだよう!

 

 うわ、ウザい。

 

「でもなんで……Pの身体は……」

 

 ――俺の肉体はたしかに消滅した。だがしかし。脳細胞の最後のひとかけらまで無意味化した直後、ほんの僅かな極小の時間だったが、俺の自我が存続していることに気付いたんだ。認識速度をカリッカリに上げてたお陰だな。

 

「は……?」

 

 ――肉体とは別の軸の、生命を駆動する根源、つまり魂。その刹那の間、俺は魂そのものとなっていた。それが認識できたから力を引き出すことが可能になった。バグ技みたいなもんらしいから、時間制限ありだし出力も小さいけどな。まぁ、少女一人を受け止めるのと、()()()ぐらいならいけるっぽい。

 

「き、キミの言うことは、いつもワケが理解らないんだが……?」

 

 その悪癖、死んでも直らないんじゃ、もうボクが合わせるしかないじゃないか……!

 

 ――死んでねぇって。

 

 言葉の綾だよ! というか、思考を読むな!

 

「伝える……って?」

 

 ――なぁ、飛鳥。俺に聞きたいことないか? 聞こうと思っていたのに、何故かいつも聞きそびれてしまう……。そんなことに心当たりはないか?

 

「Pに、聞きたいこと……?」

 

 直ぐにピンとくることがあった。

 『どうしてボクをスカウトしたのか?』

 いや、そもそも。

 『どうして一年前のあの日、キミは雑木林から出てきたのか?』

 

 ――それだ。

 

 あの日のことはよく覚えている。ボクの日常を一変させた日だから。

 あのときPは『口笛の音を辿ってきた』と言った。でもそれはPの冗談だったはずだ。なぜならボクは口笛を吹くのを失敗したし、仮に口笛を吹いていたとしても遠くまで聞こえるわけがないんだから。

 

 ――でも、俺は確かに聞いたんだよ。いや()()というべきか。お前の口笛は、ずっと、俺に観えていた。

 

「い、いったいどういう……?」

 

 ――合わせろ、飛鳥。今の俺たちなら出来るはずだ……。

 

 合わせる……?

 Pの魂……その周波数………?

 ……白――白煙―――――

 白光が視界を埋め尽くして――――――。

 

 ―――――――

 

 ―――――

 

 ――いつの間にかボクは()()にいた。

 少年少女がそこかしこにいる。彼らの体格と教室内の掲示物から中学二年生の教室だということがわかった。しかし、ボクの通っている学校じゃない。

 視界が勝手に動く。手足もだ。

 ボクが身に付けているのは半袖のカッターシャツに、学生ズボン。

 これはまさか、Pの記憶……?

 いつだったか、Pはこれまで見たものを全て覚えていると言っていた。そして全てのものが見えているとも言っていた。この視界はそれと符合する。

 記憶にしてはあまりに鮮明で、情報量が膨大。

 クラスメイト全員の喋っている内容がわかる。彼らの体調がわかる。光の波長がすべて見える。電磁波に含まれる情報さえ読むことが出来る。これがPのクオリア……。さっきまでのボクと蘭子のクオリアとほとんど同じじゃないか……。

 夏休みが明けて間もない頃の、休み時間の記憶らしい。

 視界の持ち主であるPはクラスメイトたちと談笑しているところだった。だが、その感情は死んでいた。無理もない。Pには今日一日何が起きるのか全て正確に予測してしまっているのだから。不明なことなんて何一つない。というより、全て勝手に台本として決められている。しかもその台本から外れることは出来ない。全てが決められた通りに流れる日々に面白味を感じることは確かに難しい。

 

『あ………』

 

 しかし、そんな面白みのないセカイに()()が入り込んできた。

 Pでさえ理解できない、ある()を発見したのだ。台本にもその波のことは記されていない。

 Pの心は色を取り戻し、夢中になってその波を観測する。

 それは教室の窓から見える山の向こうから来ているようだが、発信源はわからない。遠いのか、あるいは案外近いのか? 波がどういう情報を含んでいるのかもよくわからない。ただのノイズなのか、それとも自分が読み取れないだけなのか……。

 ただ解析の仕方によっては、口笛の切ないメロディーのように捉えることもできた。

 

『おー! Pのヤツ、またやっとる!』

 

 クラスメイトの少年たちがニヤニヤしながらこちらを見ていた。彼らにはこの不思議な波は見えていないらしい。

 

『あー、それな。先週あたりからよく黄昏れとるよなぁ』

『カッコつけや、カッコつけ』

『中二病、っつーんよな』

 

 口々に勝手なことをいう友人たち。そんな彼らに『次のテストのヤマ、知りたくねーようだな』とPが言い返せば、一転して『P大明神』とゴマを擂ってくる。

 

『いつも何見とるん?』

『いや、カッコつけとるだけやろ』

『フッ。お前ら、浅い、な? Pのやることやで? そんなわけないやろう』

 

 眼鏡をかけた賢そうな男子が得意そうに喋り始める。

 

『俺は気付いたで。Pのその仕草に規則性があるとゆうことをな!』

『……へぇ、なによ?』

 

 眼鏡くんの言葉にPも興味を示した。

 

『方角や。教室やグラウンドや下校時、いろんな場所や時間にそれやっとるけど、Pが向く方角はいつだって同じなんよ。そんでその方角の先にあるものこそ、東京!』

『………なるほど』

 

 言われてみれば。

 頭の中で正確な地図を組み上げ、これまで波がやって来た方向を記してみると、確かにいずれの延長線上にも東京があった。

 

『P、このやろっ! 俺らの町捨てて東京行くんかー!?』

『いや、Pみたいなスゲー奴が、和歌山の田舎町で終わる方がおかしいやろ』

 

 騒ぐ少年たち。Pは結構人望があるらしい。

 

『あ、ちょうど良いやん!』

『だな!』

『何が?』

『来月の修学旅行で東京行けるやん。東京の何がPを呼んでんのか、探そうぜ!』

『さんせーい!』

 

 

 再び白光に包まれる。

 

 

 晴れると、目の前に東京のシンボルとも言うべき大きくて赤いタワーがあった。

 

『なぁP、ここか? ここがええんやろ?』

 

 眼鏡くんが期待の籠った眼差しで聞いてくる。

 だが、Pは首をかしげるしかなかった。実際わからないのだ。

 

『えー! ちげぇの? 東京っつったらここだろー!』

『いかにも田舎モンの発想過ぎねぇ?』

『んだとコラァ!?』

『てか、そもそもよー。東京ってだけで何か探すの無理ゲーちゃう?』

『今更そもそも論を言うんじゃねー!』

 

 Pそっちのけで少年たちが騒いでいる。やれやれと、彼らを眺めていたそのとき、()を観測した。

 

『あーー! 中二病やっとる!』

『おっ手掛かり! どの方角や? 地図地図』

『えっとぉ~~……』

『………はぁ!? これ、和歌山の方やん!』

『どーゆーこーとー!?』

『おいもしかして。いっぺん東京行きたいなぁ~~そんで来れたらもうええわ~~……ってことじゃねぇよな?』

『ファ~~~!! ま、まさかPくん、ホームシック~~~?』

『ざけんなーー!』

『しゅ~~りょ~~!! オラ、ギロッポン行くぞーー!』

 

 Pを残して少年たちは次の目的地へと歩き始めた。

 念の為、頭の中で地図を開き、今向いている方向を記してみる。それは確かに、和歌山に向いていると言えなくはない。しかし実家や学校からは随分とズレていて、違和感があった。

 その地図に和歌山にいたときの観測方向を重ねてみる。するとこれらの方向は決して平行ではないことが分かった。つまり交点があった。そしてその交点は静岡県内のとある地域の狭い範囲内に集中していた。

 

『静岡…………』

 

 視界が白く染まる。

 

 

 ――だが、この日を最後にパタリと波は届かなくなった。

 ――静岡に何かがあると感じていながら、俺は行くことが出来なかった。台本的にはそもそも波を観測してないことになってたんだろうな。だから静岡に行く動機も発生しないってわけだ。

 

 

 Pが中二だったとき。それは約十年前ということになる。暑い時期。その頃、ボクは……ボクは何をしていた……?

 

 

 視界が晴れてくる。

 

 オフィス、今の会社の一室。上司が『担当アイドルを決めるよう』にと言っている。

 その後Pの自宅にて、突然ALDが出現した。同時に、単なる驚きとは別種の何か途轍もない感覚に襲われた。それは台本から解放された()()だった。

 

『静岡へ行かなくては!』

 

 新幹線に駆け込み、ローカル線に乗り換え、降りた駅は、ボクのよく知る駅……。

 薄暗くなってきた街の中、何か手掛かりはないかとPは周囲を見回す。

 そのとき十年ぶりに()を観測した。それは昔と違い、とてもか細いものだったが、確かにあの波だった。

 波がやってくる方向へと一心不乱に直進する。線路を飛び越え、民家を横切り、雑木林を抜け、そして……

 

『聞こえたんだ、口笛が。その音を辿ってきたら、キミがいた』

 

 そこにいたのはエクステが印象的な少女……二宮飛鳥。

 あの波を発していたのは()()だった。

 

 

 視界が白く染まる。

 

 

 ――俺にとっては口笛としか解析できなかった波だが、飛鳥ならちゃんと理解るだろう?

 

 そうか……受け取ってくれていたのか……Pが……。

 

 

 Pの記憶から数十個のデータが流れ込んでくる。その容量は口笛の音楽データにしては有り得ないほどに大きい。それも当然だ。3+1次元以外の軸も含んだデータなのだから。それはPが何度も観測しずっと保持していた、ボクの魂固有の波形データだった。

 客観的な観測データがあればあっけないほどに簡単だった。寧ろ、何故これまでできなかったのか不思議なくらいだ。

 今、ボクには自分の魂が確と認識できていた。ゆえに、魂の波動を起こすことも、増幅して無限へアクセスすることも簡単にできた。

 あまりに簡単すぎてつまらないと思った。出力はこっちが上のようだけど、蘭子と共鳴する方が圧倒的に楽しかった。

 

 ――じゃ、ASUKA The Idol その Fifth Stage 開幕といこうか!

 

 だから、さっさと終わらせてしまおう。

 一人遊びは嫌いじゃないけど、仲間と響き合う楽しさを知ってしまったらもう元には戻れないのさ。

 

 

白煙が晴れる。

 

 

 ボクの意識はステージに戻ってきた。例によって、時間はほぼ進んでいなかった。

 Pの肉体を再構成し、蘭子の傷を治療する。

 

「う………ぐ………!」

「……んっ………にゅむ………」

 

 二人とも大丈夫そうだ。神崎Pが「蘭子!」と喜びの声を上げ抱きしめた。チッ、今は譲ってやる。

 三人は舞台袖に転移させておく。

 

「さて……」

 

 上空の天使を見据えると、ヤツは敵意を剥き出しにして威圧してきた。

 そんなにはしゃいでどうした? 予想外なことでも起こったのかい? 実のところ、天使というのも全知全能からは程遠いのかもしれないな。

 

『■■■■◇■◇――!!』

 

 天使が耳障りな咆哮をあげながら矢印の雨を降らせてくる。さっきボクと蘭子を苦しめたあの矢印、それが無数に降り注ぎ、先端をボクに向ける。

 エネルギー充填、明滅、放出、無数の破壊光線がボクに迫る。しかし――

 

「……今、何かしたか?」

 

 ――それはもう、ボクを傷つけるには悲しいくらいに出力不足だった。

 

 ――――!!!!!

 

 セカイ中のオーディエンスが応援してくれる。それがボクの魂をより高みに押し上げていく。

 今なら理解る。この天使はとても矮小な存在だ。他者の魂を踏みつけにしてまで、意地汚く生き永らえようとする下劣な老いぼれ。

 無理矢理に絞り出させるようにして得たエネルギーなんかで魂が励起するはずがない。ましてや、そんな体たらくでアイドルに勝てるわけがない!

 そう。依然、ここはアイドルのステージ。貴様はただのイチ演出に過ぎない!

 

「よくも我が片翼を! たとえこの身が滅びても、貴様だけは絶対に許さない!」

 

 まぁ、こんなところかな。

 多少のアドリブは必要だけど、大筋のストーリーは変わらない。ミュージックをスタートする。ULにおいて最も激しく、ダンサブルな曲だ。

 

「うおおおおーーー!! 封印されし左腕の雷帝よ! その力をボクに示せっ!!」

 

 左手から発した紫電を全身に纏い、頭髪をいい感じに逆立てる。見るからに命を削りながらの限界突破状態だろう?

 オーディエンスは流石だね、ちゃんとついてきている。状況が飲み込めていないのは、お前だけだぞ老いぼれ!

 

「■■■■■!!!!!」

 

 老いぼれ天使がボクに襲い掛かってくる。四方八方から放たれるエネルギー波を躱し、弾き、打ち返す。

 ボクも見た目重視の攻撃魔法を放って会場に華を添える。

 

『■■■★★■――!!』

 

 ボクの攻撃だけ当たるからって、みっともない叫びを上げるんじゃない。オーディエンスが引いてしまうだろう?

 やれやれ。この役者、大根過ぎる。クビだ。

 

「えいっ」

『■〝■〝■〝★〝■〝★〝★〝―〝―〝―〝!!!!』

 

 戯れに放ったボクの斬撃が天使の生命エネルギーをごっそりと削いだ。

 それでやっとボクに勝つことは到底不可能だということを認めたらしい。天使のエネルギーの運用方法がガラリと変わる。

 

「……■…■……◇……□………」

 

 あれは……転移? このセカイから脱出するつもりか。

 

「奈落の底で詫び続けろーーーー!」

 

 ボクはトドメの一発を放つ。が、ヤツが逃げる方が一瞬早かった。悪運の強いヤツだ。

 

 ――――――!!!!!!!

 

 今日最大の歓声が上がった。

 オーディエンスたちには、ボクが天使を消滅させたように見えたらしい。実際、ヤツのプレッシャーは消え去っている。つまり、セカイの危機を脱したということだが、それで終わりにしてやるほどボクもお人好しではない。

 

「逃がすものか……!」

 

 引導を渡してやる。

 ヤツを模倣して術式を構築していく。なるほど、これは中々に興味深――

 

「だめよ!!!」

 

 ――そのとき突然、神崎Pが叫んだ。観客のことは慮外といった風の大声、今にもステージ上へ飛び出そうかという程の剣幕だった。

 

「危機は去ったわ! それ以上はだめ! もう何もしなくていい!」

「見逃せと言うのか!? ヤツは必ず別のセカイで同じことを繰り返すぞ!」

「そういう意味じゃない! 二人だから平気だったの! 一人だけでそれ以上進んではいけない!」

「意味が理解らないな。アレは放っておいていい存在じゃない!」

 

 それに今目を離している隙に妙なことを企んでいる可能性もあるし。

 

「急いでるんだ。後で聞いてやるから」

「まっ待ちなさいっ! ダメなの! それ以上天使化したら戻れなくな――」

「――術式、展開!」

 

 

 瞬間、ボクの認識は宇宙の全てに行き渡った。

 

 

 こうなってしまえば、広大なはずの宇宙は()()()でしかなかった。ラムネ瓶の中のビー玉を眺める手軽さで宇宙の全てが見渡せる。

 逃れようとする天使もすぐに見つけられた。どうやらセカイの膜を越えるのにも手こずるほどに弱体化していたらしい。

 

『〝★〝★〝■〝★〝■〝★〝★〝―〝―〝!!』

 

 だからうるさいって。幾ら喚いても……ん? なんだいこのデータは? これで見逃せって?

 フムフム……。

 

『繧ェ繝シ繝医?繧ソを繧ッ繝ゥ繝輔ヨス方法』

『螟ゥ菴ソ繧貞シア菴の事象に灘喧縺忌吶k譁ケ豕』

『逾槭&縺セについての考察』

 

 興味ないね。

 じゃあ、さよならだ。

 

『□〝―〝―〝―〝―〝―〝―〝―〝!!!!』

 

 そして今度こそは、ボクは天使を消滅させた。重力子一つ残さず、一バイトの情報も残さず、キレイさっぱりと。

 

 

 

「――――ふぅ」

「あっ! 飛鳥っ!」

「おお、お疲れちゃん! いやまだ公演終わってねえけどな」

「っ………!」

 

 舞台袖に意識を合わせたボクを三人が迎えてくれた。

 

「良かったぁ~~! やっぱり飛鳥はしゅごいよ~~!」

 

 可愛い顔をクシャっとしながら蘭子がボクの胸に飛び込んでくる。当然ボクは彼女を受け止め、熱い抱擁を――

 

「ふぇえっ!?」

 

 ――することができなかった。

 蘭子はボクの身体をすり抜けてしまったのだ。蘭子はズッコケて床に膝を付いた。

 一体何が起きた?

 神崎Pが「やはり……」と呟き、ボクを見据える。

 

「二宮飛鳥、アナタはもう完全に天使化してしまった……」

「なん……だと……?」

「存在の軸にする次元が変わってしまった。だからもう、このセカイにいることは出来ない。アナタは旅立たなくてはならないの。天使がいるべき、上の次元のセカイ……天界へと」

「…………は? いやいや、待て待て待て………!」

 

 何故そうなる!? 天使化? じゃあ、この状態を解けばいいだけじゃ――

 

「……あれっ?」

 

 ――解けない。なんで!? いや、そもそもどうやってこの状態になったんだっけ?

 

「やはり、出来ないのね……」

「ま、待て! こんなのちょっと工夫すれば……!」

 

 改めて、いつもの感覚を取り戻そうとしてみる。だが理解らなかった。いや、理解るはずがない。だって、今の状態こそが自然だという感覚があるんだから。

 

「あ、飛鳥……!」

 

 蘭子が慌てた声を出し、明後日の方向を指差した。その先にはなんと――

 

「な……っ!?」

 

 ――空間浸食が発生していた。それは他ならぬボクが生じさせているものだと、感覚的に理解った。

 

「そういうことなの。天使がこの次元に在ること、それ自体がセカイ崩壊をもたらしてしまう。このままアナタがここに留まれば……!」

「ッ……!」

「えっ? えっ? でも、だ、大丈夫だよね…っ? 天界って、プロデューサーがいたとこだよねっ? そこからプロデューサーはやって来たって。だ、だったら、飛鳥だって、一度天界に行って、それから戻ってくることも出来るってことだよね……?」

「それは…………」

 

 蘭子の指摘はもっともだと思った。しかし神崎Pは苦痛に耐えるように、表情を曇らせる。

 

「……天界へ行った後、力の制御の仕方を身に付ければ、私のように人間として受肉することは可能。それはとても容易い。でも……それが可能になる頃には、間違いなく、このセカイを見失っているわ」

「ど、どういうこと……?」

「二宮飛鳥はまだ成りたて。天使としては、自分の意思で歩くことも出来ないし五感の使い方も知らない赤子といってもいい。そんな状態で天界へ行けば必ず迷子になる。そして天使としての身のこなし方を覚える頃には、最早辿って戻ることなんてできない程に離れた場所にいるでしょう」

「っ……!」

 

 言葉を失う蘭子を余所に、ボクは妙に納得してしまっていた。

 さっき天使を滅ぼすために行ったセカイの果て。そこでボクはセカイの外には出なかった。出ることは出来たけど、敢えて出なかった。戻ってこられなくなるかも、という予感があったからだ。

 

「……他のセカイはどれくらいある?」

「無限よ。天使でさえ全貌が掴めないクラスの」

「やはり……そうか………」

「天使にとってさえ無限に広い天界で、無限に存在するセカイの中からたった一つのセカイを見つけようとすること……それは想像を絶する長い旅路になる。それでも尚、辿り着ける可能性は限りなくゼロに近い。実際、私は――」

「うぅ~~~っ!」

「――っ!? 蘭子……」

 

 言葉を続けようとした神崎Pの胸に蘭子が飛び込んだ。そして「イジワル言わないでぇ!」と鼻声で訴える。

 神崎Pは蘭子の背をただ撫で続ける。

 重く、いっそ痛いくらいの沈黙がボクたちに覆いかぶさっていた。だというのに――

 

「でもよ~~~~」

 

 ――なんだその間の抜けた声は。おいP。

 

「睨むなって」

「……何?」

「でも、ゼロ、じゃあないんだろ? なら、イケるでしょ!」

「っ……!」

 

 親の顔より見飽きたもの。Pの不敵な笑み。

 厄介だなぁ。これに当てられると、ボクは返さなくては気が済まなくなる。だって負けた気がするから。

 

「フッ……! まったく、キミというヤツは……!」

「アナタ達、私の言っていることが理解できていないの……!?」

「神崎Pってさぁ~、結構アタマ硬いとこあるよな」

「ンフ! そう言ってやるな、P。可哀想じゃないか」

「私は……ただ事実を……っ」

「でもでも、プロデューサーなんて夢売る仕事してんだし、もっとこう、友情パウワとか、LOVEとか、信じてみてもよくね? てか、さっきのヤツに勝ったのって結構スゴくね?」

「っ! そ、それは………」

「それになにより、二宮飛鳥さんだぜ? 名実ともに超一流アイドルのっ!!」

 

 おい、神崎Pをイジるのはいいが、ボクまで変な持ち上げ方をするな。

 

「超!一!流!のアイドルとは……っ! さぁ、飛鳥、このちゃんねーに教えてやれ!」

「えっ?」

 

 超一流のアイドル……。いつだったか、Pと馬鹿話で盛り上がったな。たしか……超一流のアイドルとは、その者にしかない輝きで世界を照らす存在であり、そして……。

 

「予想を裏切り、期待を超える者……」

「That's right! 飛鳥が俺たちの想像を超えてくるの、メチャクチャ楽しみだぜ!」

「っ……!」

「フフフッ!」

 

 不思議なものだ。この男が宣言するだけで、その気になってしまうんだから。

 でももう一つ、ボクが帰ってこられる理由がある。

 

「蘭子……」

「ふぇ……?」

 

 それはもう一人の超一流アイドル。

 

「お願いがある」

「……う、うん! なんでもする!」

「歌を、歌ってほしいんだ……」

「歌……?」

「ボクのことだけを想って歌ってほしい。一曲でいい。それを辿ってボクは帰ってくるから」

 

 ボクの声がPに届いていたように、蘭子の歌ならボクに届く。どれだけ離れていても絶対に。

 

「……フフッ……フハハハ……ハーッハッハッハーーーーッ!」

「堂に入った見事な三段笑い。やるな蘭子」

「いいわ! 我が片翼の願いならば、全身全霊を以って応えましょう!」

 

 憂いは霧散した。

 無意識的な空間浸食はゆっくりだが確実に進んでいる。となれば後は旅立つのみ。

 セカイの外へ出るための術式を構築していく。

 

「飛鳥――」

 

 その最中にPが語りかけてくる。

 

「忘れるな。お前はどこに行ってもアイドルだ……!」

「あぁ……理解ってるよ、P」

 

 彼の言わんとするところ。アイドルに失敗はない。仮に失敗と呼ぶべきモノがあるとしたら、それは諦めたときだけ。そしてボクは諦めない。絶対に。

 

「さぁ……往こうか」

 

 認識領域が拡張していく。

 

 そして。セカイの膜を――――――

 

 ――――――――――――

 

 ―――――――――

 

 ―――――

 

 ――越えた。

 

 越えたんだよな……?

 暗い……。

 強いて言うなら深海のよう……? 何かがボクを取り囲んでいるのを感じるけれど、見ることが出来ない。

 ボクの身体を何かが撫でている。緩やかな水流のようなものが……。勢いは強くはない。でも念の為、何処かに流されてボクのセカイを見失わないよう、手で触れておこう。

 あぁ……この流れは情報か……初めて観測する多種多様な情報の波……。

 そうか……暗いんじゃない。閉じていただけか。感覚を開けば――

 

 ――ッ!?

 

 なんてことだ!

 無数のセカイがそこにある! 宇宙の星々なんて目じゃないほどの数と密度!世界中のビー玉を小さな水槽に押し込めたような……! 概算してみようという気さえ起らない。

 この一つ一つがセカイなのだ。セカイの色は多種多様。何の条件で決まるのだろう?

 

 ――そうだ!

 

 ボクのセカイはどんな色に見えるのかな?

 

 ………なるほど。()()()()色かぁ……。うん、いいね!

 

 ……ん? あれ?

 

 何故だ? どこにも蘭子がいないぞ? いや、Pもいない……!?

 いや待てよオイ……。

 

 このセカイ、ボクのじゃない!!!!

 

 何故? ボクが出てきたセカイにはずっと手で触れていたのに!

 ……ん?……手とは何だ? 右手? 左手? 今のボクに手なんて……。

 なら、触れていると思っていた手は何だったのか? ボクは、何をしていたのか……?

 

 ――そんなはずは……っ!

 

 待て待て落ち着け。近くにあるはずだ。まずはこのセカイを手掛かりにして……。

 はぁっ!?!? また変わってる!? 何もかも違う!? ビー玉じゃない? これは紐? ワイヤー? なんで!? 何が起こっている!? ボクは何を見ている!?

 だめだ! ゆっくりと元の場所に戻るんだ! ………戻る? なにで? 足? 足って何?

 

 ―――ああああああっ!?!?!?!?!

 

 流れていく。

 流されていく。どこまでも。どこまでも。止まらない。止まれない。

 本当に神崎Pの言った通りに……っ!

 そんな!? これは! この広さは……! この速度は……!

 ダメだ。落ち着いて。元の場所に……………あ。あ。あ。あああああああ。ああああああああ。あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ああああああっ!!!!!」

 

 

 暗黒。

 あるいは白。

 もしかすると(から)

 

 

「……………………えっ?」

 

 気付けばボクは何も無い空間にいた。情報渦巻く天界とは似ても似つかない、あまりにも何もない空間。

 

「な、なんだここは……?」

 

 ここも天界の一部なのだろうか? 何も無いくせに、広さだけは莫大らしいが……。

 

「――じょ、冗談だろっ!?」

 

 違った。何も無いどころか、有り過ぎるんだ……。天使のスペックを以ってさえ防衛本能が働いて、端っから観測を遮断してしまうほどに……! 空間を構成するグリッド一点ごとに、さっき天界で流れ込んできた膨大な情報を遥かに凌駕する量が、折り畳まれた状態で格納されている!

 

「ッ……!?」

 

 何かが居る。姿は見えないが、確かに居る。この空間に住まう者なのか? ソイツはボクを見ている。観察している。無限遠の彼方から、擦れ合うぐらいの至近から。じーっと、ボクを……。

 

「…………」

 

 何も発することが出来ない。発せたところで、そもそも意味がないだろうけど。きっとボクの思考なんて丸裸にされている。

 そんな絶対的な存在から、何か思念らしき情報が伝わってくる。

 

「………えっ?」

 

 それは、感謝と謝罪。

 しかし余りにも身に覚えがない。

 

「一体オマエは…………いや、もしかして()()()は……」

 

 ボクの問いかけにはやはり答えてはくれない。

 そして空間から絶対的存在の気配が薄れてゆき……。

 

 ―――――ッ!?!?!?!!?!

 

 激動する感覚。

 ボクの存在座標は天界に戻っていた。

 ボクの意に反する移動は続く。やはり止められない。

 一体どれだけ遠くへ流されたのか。いつになれば止められるようになるのか。

 

 

 

 蘭子。蘭子。蘭子。どこにいる? 歌を。キミとまた響き合いたい。響き合うんだ。キミの笑顔が見たい。ボクは此処にいる。お願いだ。蘭子。声を歌を聞かせてくれ。蘭子。

 

 

 

 どこだP。キミに会いたい。本当のことを言うよ。ボクはキミの冗談が好きなんだ。P、お願いだ。聞かせてくれ。まだキミと話したいことがまだある。したいことがたくさんあるんだ。

 

 

 

 あああ。蘭子。P。wheこに……bクは此erにいる。

 イruんだ/

 らnk0たのmuuあを縺ゅ=?吶♀縺ゅ≠@@t歌wo

 縺翫∴縺ing?◆縺吶¢縺たno P P P P P◆P P P!!!!s縺ゅ≧縺?m?翫=!!!帰ッ豁、蜃ヲ縺?繧医く繝溘′螂ス縺◇□諢帙@縺ヲ蘭蘭蘭蘭rrrrrr繧繝◆懊◆◆◆け縺縺オ縺悶¢繧九↑繝懊け縺ッ蟶ー繧狗オカ蟇セ縺ォ蟶■ー繧玖ォヲ繧√↑縺?ォヲ繧√↑縺?≠縺阪i繧√↑縺ゅ≠縺ゅ≠縺ゅ≠縺?>縺?>縺?>縺?>隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑P縺隲ヲ繧√ヲ蘭■■■繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺p隲ヲ繧蘭蘭蘭√↑縺繧√↑縺隲繧√↑縺隲ヲP繧√↑縺■◆■■■■■ヲ繧r√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺■隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺■■隲pヲ繧√蘭↑縺隲蘭隲■◆隲rr隲ヲ繧√■■■■↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ■■■◆■■■■■■◆■■ーーーーー―――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー――――ーーーー――――――――ーーーーーーー――――ーーー―――――――――――――――――――――ーーーーーーーーーーー――――――ーーーーーーー――――――ーーーーーーーーーーーーー―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次話がエピローグとなります


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≪Observation by 蜈?ココ蠖「≫

 

「さぁ……往こうか」

 

 そう言い残して二宮飛鳥は姿を消した。

 

「ぁ……あすか……うぅ……っ」

「蘭子……」

 

 よろめいた蘭子を抱き支える。

 二宮飛鳥がこれから味わうだろう果てしない孤独を、この子もうっすらと理解しているのかもしれない。

 

「蘭子……。行きなさい」

「………ぐすっ。うん……っ!」

 

 涙をぬぐい、舞台袖からステージへと、蘭子は一人で歩み出る。

 

「白銀の騎士の挺身により危機は去った」

 

 怒涛の展開の連続で呆けていたファンたちはしかし、蘭子の纏う悲壮な雰囲気に目を覚ました。

 

「彼の者はもう……此処にはいない。傷を癒すため、深なるセカイへと旅立った」

 

 鬼気迫る蘭子の言葉に会場中の人間が息を呑む。

 

「しかし、我らは双翼。片翼が引かれ合うは世の摂理……。永劫の先、約束の彼方で、我らは必ず相まみえる……!」

 

 夜空に引いた一筋の白墨のような、切ないメロディが大気を震わせはじめる。

 

「故に、これより奉じるは別れの歌ではない」

 

 徐々に、徐々に、濃度を増していく音色――蘭子の魂の響き。

 

「再会を期する、歓喜の歌である!!」

 

 蘭子の想いがそのまま具現化したような歌声だった。二宮飛鳥に会いたい。ただそれだけの願いを込めた歌。それはロジックを越えて、何者にだって伝わるだろう。

 

 しかし……。

 それでもやはり私は、二宮飛鳥の帰還には極めて悲観的だった。

 

「実際、私は見つけられなかったのだから……」

 

 天使の永い寿命を使ってひたすら探し続けた()()。それは結局見つけられなかった。二宮飛鳥のしようとしていることは、それとほとんど同じ難易度なのだ。

 しかし私の場合は、神崎蘭子という尊い存在に会えた。これは私にとって望外の奇跡であった。

 

 だけど、何か、引っかかる。

 

「……!」

 

 思い出した。

 天界を彷徨った末の今際の際に蘭子を見つけ、堕天を決めたあのとき。その決断はある意味妥協であったはずなのに『これで正解だ』という声が私の内側から聞こえていた。そのことを今、思い出したのだ。

 あの声を発したのは、魂のとても深い場所だった。それはひょっとすると、私の封印された領域からだったのでは……?

 私が誕生した瞬間から謎に存在していた、魂の中の不可侵、不可知領域……。

 

「まさか………」

 

 見つけられなかったわけではない……?

 

「なぁ、飛鳥……。もーいいんじゃねぇか?」

 

 混乱する私の隣でPが呻くように言った。

 

「なぁ? もう……さ、サビ入ったぜ? そろそろ帰ってこねぇとさぁ……この後、どうすんだよ……神崎ちゃん一人で〆させんのか……?」

「P……」

「おい……もう近くまで来てんだろ? あとは降りてくるだけだよな……!? なぁ~~~~飛鳥よぉぉ……!」

 

 Pは身体を震わせ、とうとう膝をついてしまった。

 二宮飛鳥が堕天してくるとしたら今だという彼の考えは正しい。いくら二宮飛鳥が長い旅路の果てにここを見つけたとしても、堕天する時間は任意に選ぶことが出来る。それならば、今を選ばない理由はない。

 しかし、Pはまだ思い至っていないようだけれど、このケースには一つ大きな落とし穴がある。それは、二宮飛鳥が堕天を実行するとき、必ずセカイ分岐が発生してしまうということ。つまり仮に二宮飛鳥がこのセカイに辿りついたとしても、どうしたって二宮飛鳥が堕天するセカイと堕天できなかったセカイの二つが生じてしまうのだ。そして我々には最早、ここがハズレのセカイなのか、それとも単に二宮飛鳥が失敗したのか、知る術はない。

 

 

 蘭子の歌は既にラスサビに突入している。

 蘭子が止め処なく頬を濡らしていることは誰の目にも見えるだろう。

 

「何をしているのよ、二宮飛鳥……っ!」

 

 今日だけは蘭子の涙を拭う大役を任せてやろうというのに……!

 

 

 そしてあえなく、蘭子の歌唱は終了した。

 圧巻のパフォーマンスを目の当たりにした会場は、まるで時が止まったように静まり返っていた。

 私もただ蘭子を見つめていた。

 

「な、なぁ……神崎P……」

 

 もう少し余韻に浸らせてほしいのだけれど、そんな私にPが声を掛けてくる。

 

「なんか、お前、光ってね?」

「……………えっ?」

 

 何を馬鹿なことを、と思った。

 

 でも確かに、手のひらが、腕が、脚が、光を放っていた。

 

 なにこれ? と口にする前に、大気に漂っていた蘭子の歌声の最後の響きが、私の中にするりと滲み込んでくる。

 

 

 ――ガチャリ

 

 

 鍵の開く音が。そのとき確かに聞こえた。

 開いたのは私の魂の深層領域の封印だった。

 

「こっ、この()は……っ!!!」

 

 解錠と同時に本格的に放出され始めた光は際限なく強まり、このセカイの遥か遠くまで遍く照らしてゆく。

 その光は極めて特徴的な波長を持っていた。この輝きは私の記憶に印象深く残っている。天界を彷徨う中で何度か観た、セカイ線を覆い隠し、天使にも不可侵の領域にしていた光にとてもよく似ていたのだ。

 封印されていた領域から膨大な情報が流れ出してくる。

 

 

「…………そう……そうだったのね……」

 

 

 それは記憶だった。とある少女の大切な記憶。

 

 

 

 

 

「私は………

 

       ボクだったのか……」

 

 

 

 

 

 こうして(ボク)は全てを思い出し、理解した。

 

 私の永い旅路はついに今、終了したのだ。

 

 ≪Congratulation!≫

 ≪Congratulation!≫

 ≪Congratulation!≫

 

「ッ!?」

 

 突然視界に祝いの言葉が浮かび上がる。これもそういう()()()()()なのだろうか?

 

 

 (ボク)は頭の中を整理する。

 

 天界に旅立ったボクはやはりこのセカイを見失った。

 そして永い旅路を経ても辿り着くことは出来ず、あるとき記憶の劣化が始まっていることに気付いた。最初はまだ重要度の低い記憶が失われていくだけだが、その進行は止められず、遅かれ早かれかけがえのない記憶まで侵されることになるのは明らかだった。

 そこでボクは賭けに出た。

 ボクのボクたる情報のすべてを魂の深層領域に封印し、それを持ち運ぶ自動人形(オートマタ)を創り出した。

 その自動人形には二つの極めて単純な命令を与えておいた。

 一つ目は、『何か』を見つけるまで天界を旅し続けること。

 二つ目は、決して諦めないこと。

 『何か』とは『神崎蘭子が二宮飛鳥のことだけを想って歌う歌の波動』であり、それこそが封印を解くパスワードでもあった。

 この方法により天界の捜索範囲は飛躍的に伸びることになるが、『何か』を見つけられなければボクは永遠に目覚めることができない……。そういう賭け。蘭子との再会をどうしても諦められなかったボクの大勝負だった。

 

 無数のセカイを観察していく過程で、自動人形が自我を発生させたのは完全なる偶然だった。誤算といってもいい。その偶発的に発生した自我が私……今は神崎Pと名乗っている個体。

 

 そして最大の誤算。

 

「……見つかるわけがなかったのね。()()だったのだから……っ!」

 

 つまり私が発生した時点では、まだこのセカイ線は存在していなかったということだ!

 因果があべこべになってしまっている。こんなの莫迦げている!

 しかし心当たりがある。ボクが天界に入った直後に遭遇した『大いなる存在』だ。

 きっと彼の者と別れた時点で()()されていたのだ。天使でさえ遡れない、本当の意味での()()へと。

 そして彼の者の目的こそ、無法者の排除。天界にルールがあるように、彼の者の干渉の仕方にもルールがあるのだろう。それに私とボクは巻き込まれ、都合よく使われた。だから()()()()()だったのだ。

 

「な、何が起こっているんです…?」

「あぁ……そう、よね………」

 

 セカイを包み込む光を放ち終わっても、私の身体は光を湛えていた。

 これから始まるのは肉体の改変……私の肉体は二宮飛鳥のものに変換される。そういう()()()()()。自動人形が自我を持つだなんて、あの子は予見していなかったのだから、当然そうなる。

 ()()P()()()()()は消滅し、二宮飛鳥に統合される。それは元に戻るというだけのこと。

 だとしても……!

 

「……嫌………消えたくない………っ」

 

 蘭子の将来をずっと見ていたい。

 Pともっと競い合いたい。

 私という存在はイレギュラーだったかもしれないけれど、この気持ちは本物なのだ……。

 それとあと、二宮飛鳥には言いたいことがあり過ぎる! せめて一言『不親切過ぎる』ぐらいは面と向かって言わせてほしい。

 でも、もうどうしようもないのだ。

 私とボクの魂は深層で絡みついている。これを瑕疵なく分離させることなんて、たとえ天使でさえ――

 

≪Is that what you want? ≫

 

「………………えっ?」

 

 封印解除に伴う単なる演出プログラムだと思っていたポップアップが、まるで意思を持っているかの様に質問してきた。

 

≪Okay. This is my thanks.≫

 

「な、何を……っ!?」

 

 私の真横に光の繭が出現する。程なく解けた繭の中には、魂の入っていない()()の肉体があった。ふらつき、倒れようとする空っぽの少女をPが抱きとめる。

 

「――っ!?」

 

 奇跡の御業はまだ終わらない。

 何者かが、(ボク)の深い場所に触れた。その見えざる手は、いとも容易く、不可能を越え――そして(ボク)たちの魂は完璧なかたちで分離された。

 

「…………んっ」

「っ………ほんっと! お前ってヤツは……! 飛鳥ぁあああ~~~!!!」

 

 この瞬間、二宮飛鳥が再誕した。

 ステージの蘭子が二宮飛鳥の姿を認め、大急ぎで駆け寄ってくる。

 

 

≪You have reached a singularity≫

≪Congratulation!≫

≪And≫

≪Goodbye!≫

 

 アナタは誰なのか、なんて聞く必要はない。人知を超え、天使の能力さえも越える存在を表すワードはそう多くないのだから。でも強いて言うなら()()()()()()だろうか。

 

 全てがお膳立てされていたわけではないのだろう。ましてや、なるべくしてこの今があるわけでもない。

 

 神崎蘭子の歌声は、時空を越え、次元を越え、そして因果律さえも越えて、二宮飛鳥に届いた。

 

 これがシンプルでロマンティックな真実。

 

 

 そして因果律を越えたことでこのセカイは()に包まれた。

 セカイを駆け巡ったあの光を感じて、聡い者は気付いただろう。魂の力には無限の可能性があるということを。

 

 そんなセカイでは、これからどんなことが起こるのだろうか?

 

 

「………フフッ」

 

 ふと抱いた疑問を私はすぐに手放した。

 最早、何者にとっても原理的に不可能なのだ。

 

 

 

 此処は既に特異点。

 事象の果ての向こう側。

 次のセカイ(シンセカイ)

 

 

 

 この未来(さき)はもう、誰にも観測()ることは出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

≪Unobservable≫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




エンディング曲には『反逆的同一性 -Rebellion Identity-』を流していただければ幸いです。



長々とお付き合いいただきありがとうございました。


感想などいただければとても嬉しいです(切実)


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