病も境遇も気から (音槌和史)
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プロローグ

 はじめましての方ははじめまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。いつもお世話になっている方はいつもお世話になっております。素人小説投稿者──音槌和史と申します。
 今回お届けする作品はこれまでにあまり書いたことのないジャンルとなります。言い訳にするつもりはありませんが、少々勝手の分からぬ部分等ございますこと、ご理解ください。
 それでは最後までお楽しみください!


 断片的に浮かんでは沈みゆく記憶というものはときに妙なものが混じっていたりする。誰のものか分からないけど懐かしい声。何かが擦れ合う金属音。暗闇に聞こえる何かのざわめき。風のようなノイズ音。正体は分からずとも頻繁に目に浮かび、耳の中で反芻する。

「無事に成功しました。こちらが──」

 ほら。今だってそう。

「……ん。……いたくん。……栄太くん。君は──」

 でも肝心なところは聞こえない。

 時折聞こえてくる「実験」だの「成功」だの言っている声。僕の生い立ちはいったいどうなっているのだろうか。

 普通、こんな言葉が聞こえてきても気に留めないと思う。単なる想像の話だ、って鼻で笑う。でも僕は自らの生い立ちに謎を感じている。それは弟の存在だ。

 僕──大原栄太とその弟──雄太は一卵性双生児として16年前、この世に生を受けた。僕らははじめこそそっくりな双子として扱われてきたが、いつの間にか雄太の方がイケメンで、僕の方は内面はいいけど外見のせいで損するタイプになっていた。初めて「双子だけど雄太の方がイケメンだよな~。お前は内面派っつうの?」そんなことを言われたときこそ疑問に感じていたが、だんだんとそれまでそっくりに見えていた家族写真も違いに気づくようになっていった。黒子の位置、目の大きさ、眉の濃さ、肩幅、えくぼの有無、鼻の形。全体的なバランスは近いのだが要所要所が異なっていた。そしてその差は年々開いていった。2人とも一重まぶただったのが雄太だけ二重になりさらに雄太はイケメン、イケメンと呼ばれた。それと同時に内面にも大きな違いが出てきた。元々2人ともあまりでしゃばっていくタイプでは無かったが、雄太が生徒会長選挙に立候補したのだ。イケメンと言われつづけ自分に自信を持つことができたのかもしれない。一方で僕は成績がどんどんと伸びていった。積極的に行動し思いついたらなんでも実行する天才肌の雄太、熟考した上で最適解を導き出す頭脳派の僕・栄太。そんなイメージが定着しつつあった。

 確かにメチル体がうんたらどうたらで一卵性双生児でも容姿や内面が異なることもある、というのをネットで見たが、本当にそれだけなのだろうか。時折聞こえるあの声は本当に夢の中の話なのだろうか、想像の話なのだろうか、気にしすぎなのだろうか。得体の知れぬ気配が足元が上がってきているかのように思えて僕は、真夏にも関わらず布団を頭まで被って眠りに落ちた。夢の中であの声は──聞こえない。



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第一話~自由って最高だ~

「おーい……」

「え?」

 この声は……親友の広樹だ!僕──大原 栄太は慌てて読んでいた本を閉じ、声のするほうに顔を向けた。

「すまんすまん、読書中」

 小学生からの付き合いで、お互いに支え支えられつつ六年近くの仲になる。

「いやなんら問題ないよ」

 だいたい広樹がやって来るときは──僕が広樹のほうに行くときも同じだが、何か話したいことがある時だ。誰よりも先に話したいことが。

「いやさ、俺なりに考えてみたわけよ」

「え、何を?」

 普通に心当たりがない。

「君たち兄弟の顔が似なさすぎることについてだよ」

「ああ……」

 そう、僕には双子の弟──雄太がいる。

「もしかすると……。いや、やっぱ気にしすぎだと思う。うん、ごめんよ、読書邪魔して」

 その広樹の言葉に僕は少し引っかかるものを感じたが、読んでいた本の話の続きが気になりすぎて、すぐに本の世界に戻った。おそらく何か仮説を立てたが、少々現実味が無かったかなにかだろう。広樹は前々から小説を書いており、それだけ想像力も豊かだ。きっと今言いよどんだことは後々広樹の小説のネタになるのだろう。

 奇しくも今読んでいる話の主人公もとんでもない想像力の持ち主で、友達と喋る度に周りから引かれていたのだが、ある日とある漫画にハマり、それから漫画家を目指していく、というストーリーになっている。今、僕が読んでいるところは漫画家デビューをして半年でベテラン漫画家と読者投票対決が企画され、その結果が明らかになるというところだ。

「頼む……!!」

 本を開いているので、心の中で手を組み主人公の勝利を祈る。──しかしそう簡単に勝っても面白くない。僅差で主人公は負けてしまった。

 さて、五限目開始の予鈴も鳴ったことだし、切り替えて日本史を受けるとしよう。

 五限目の授業は中々興味深いものだった。大戦が始まるおよそ二十年前──日本が軍備をどんどん増強していた頃から、日本軍が主導して行っていた実験というのが洗脳に関するものなのだそうだ。生まれてから、子守歌を毎日聴かせるのと、代わりに軍歌を毎日聴かせるのとでは軍・戦争に対する意識は変わるのか、というものだったそうだ。後者の子どもは実際、戦争を肯定しそれどころか周囲の人間に対しても戦争が素晴らしいことだと説くようになり、いざ大戦が始まると遠方の戦地へ派遣されたとか。

 つくづく戦争というものは恐ろしい。きっと戦争が終わってもしばらくはその呪いにかけられたままだったのだろう。人命を奪い、建造物を壊し、ついには人の心も操るようになってしまったのだ。自由というものの素晴らしさを実感できた。



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第二話~何気ない日々とストーカー~

「さて──帰るか」

 

 僕はリュックに教科書とノートを突っ込み、廊下に出る。隣を歩いていた広樹が突然「あ」と言って立ち止まった。

 

「ん?どうした?」

 

「今日、米炊いとけって言われてたんだった」

 

「そりゃいかん」

 

「っつうわけで先帰るわ」

 

 広樹はそう言って走り去っていった。廊下は歩け。

 

 靴箱に行って靴を取り出す。広樹が先に帰るのなら僕も家に帰って音楽でも聞こう。

 

 僕は冬の凍えた街灯の下を歩き出す。

 

「さむっ」

 

 僕は思わず身を震わせる。少しでも早く家に帰りたかった僕は大きなマンションの北側を通っていくことにした。北側だけあって部屋も面しておらず、道路上はほぼ真っ暗と言っても過言ではない。ぼんやりとした月明かりとマンションの廊下についた切れかけの蛍光灯が踏みしめるアスファルトの存在を知らしめる。響くのは自分の息遣いと足音。マンションと古びたビルに挟まれたこの道は足音がよく聞こえる。

 

「ん?」

 

 僕は違和感を感じて足を早める。今、一瞬足音が聞こえたような──。今度は少しのんびりと歩く。北風はビルに遮られている。今の時期、ここらで東風が吹くことは滅多にない。なのに。風を感じた。

 

 僕は意を決して立ち止まる。せーのーさん、はいっ。

 

「誰もいない……」

 

 そんなはずはない。足音も風も……。何も聞こえない。僕は忍者のように抜き足差し足でアスファルトを踏みしめていく。やはりワンテンポ遅れて足音が聞こえる。幽霊かもしれない、そう思った途端に僕は気づいてしまった。幽霊って足、無いよな……。つまりあの足音は人間!右手にある廃墟のようなビルの関係者が同じタイミングで出入りしたか、僕のストーカーのどちらかだろう。しかし、ストーカーにしては足音を消すつもりが無さすぎる。ということは、たまたま廃墟のようなボロボロのビルから出てきた人、ということになる。どちらにしろ、こちらに危害を加えるつもりは無いだろう。

 

 そんな結論に達したとき、僕は駅前の少し大きなとおりに出ることができた。このまままっすぐ道路を渡って行った方が早いのだが、いかんせん暗すぎる。

 

 少々神経質になっていた僕は街灯も車通りも多く、明るい大通りを通ることにした。車の走る音で後ろにいた人がこちらに来たかは分からないけど、気にならないから良しとしよう。

 

 

 翌朝。学校行事の関係で朝早く家を出たら、また後ろから足音が聞こえた。怖くて後ろは振り返らなかったが、学校に着く直前まで足音は聞こえてきた。ついでに言うと──これは神経質になっている僕の気のせいかもしれないが──見られているような感覚にも陥ってしまった。薬はやっていない。



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第三話~大先生の講義~

「ただいま~」

 部活をしている雄太は僕より二時間くらい遅く家に帰ってくる。

「おかえり~」

 母親は夜遅くまで仕事だ。冷蔵庫から適当におかずを取り出し、温めて食べる。テレビの中では芸人さんがドッキリを仕掛けられている。

「そういや今日、えぐくってさ」

 鶏の照り焼きに箸をのばしながら雄太が口を開く。

「ん?何が」

「六人に告られた」

 なんと。

「それ記録タイじゃない?」

 雄太は口をもぐもぐさせながら頷く。心なしか困ったような表情をしている。

「三年ぶり二度目、っていってところかな……」

 これがモテる男の苦しみか……。

「で、どうしたの」

「もちろん丁重にお断りしたよ」

 鶏の照り焼きがまだ口に入った状態なのに雄太は間髪入れず、そう答えた。

「まあそりゃそうだわな」

「明莉を越える人なんていないよ」

 そう、雄太には当然のごとく彼女がいる。完璧すぎるくらいの彼女が。

「明莉さんを越えたら相当だよ、確かに」

 雄太がこれまでに告白された回数は僕が知っているだけでも五十回以上。その中で唯一選ばれたのが雪科明莉さんというわけだ。

「ところで栄太は?」

 僕は麦茶に手を伸ばす。

「何が?」

「好きな人まだできないの?」

「ぐっ」

 飲みかけていた麦茶を無理やり喉に押し込む。

「だからそれは前にも言ったろ?」

「少し気になったとしても好きになる前に諦めちゃうって話でしょ?三千回くらい聞いた――ごちそうさまでした」

「そういうことだよ」

 すると雄太は食器を台所に運びながら言った。

「それがだめなんだって。言霊ってあるじゃん。それと同じで望んでるのに思ってないことは現実にならないって」

 待ってくれ。日本が難しすぎる。

「つまりは?」

「イケメンだと思ったらイケメンになれるし、モテると思えばモテるってこと」

「イメージトレーニングをするってこと?」

「そうとも言う」

 水の流れる音がリビングダイニングに響く。

「そういえばあれだね」

 このまま雄太の恋愛指南を受け続けるのもなんだか癪なので、話を変える。

「お母さんの前でこういう話したらよく怒られてたよね」

「そういえばそうだね。なんだろう、お父さんがナルシストだったのかな」

「無きにしも非ず」

 そう、僕らの父親はもういない。僕らが三歳の時に両親が離婚したからだ。だからお父さんの話をするときは確定で過去形の予想になる。最近習ったばかりの文語助動詞で言うなら過去推量と言ったところか。

「思ったもん、さっき」

「ナルシストじゃんって?」

 雄太は僕の言葉の続きを引き取る。

「そうそう」

「いやいや。ナルシストは望んでいるんじゃなくて、勘違いしてるだけだから。言うなれば現実逃避の一種?」

 ああ。そう言われると違うかもしれない。

「なるほどね」

 雄太大先生にはいい話を聞かせてもらった。

「じゃあお返しに数学のテスト解説しようか?」

「ぎゃっ」

 勉強の話となるとこいつは途端に弱くなる。そこがまた面白いところではあるのだが。



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第四話~謎の男現る~

「すまん、ちょっと用事あるから先に帰るわ」

 長い長い一日が終わり、荷物を片付けているとそう広樹が言いに来た。

「了解」

 今日も米を炊かなければいけないのだろう。我が家は炊飯器ではなく圧力鍋でご飯を炊いているので、二十分プラス三十分の蒸らし時間があればでき上がる。

「さむっ」

 廊下に出ると北側の窓から入ってきた風が僕の頬に容赦なく突き刺さる。まだ外は明るい。抜け道を通っても問題ないだろう。

 そう考えて僕は校舎を出る。首筋にも冷たい風が当たる。鎌鼬とはこういうことなのではなかろうか。

 信号を渡り、細い道に入る。日陰ではあるが、北側を古びたビルに遮られているため、風が吹かない。いいことではあるのだが、その分すこし不気味さを感じる。

 無意識のうちに足を早めて、動いた空気で風が起こる。

 コツコツコツ……。隠す気のない足音が聞こえる。

「早く帰ろう……」

 僕はさらに足を早める。太ももとふくらはぎの筋肉が酷使される。

「ぉ-ぃ」

 ?

「おーい」

 え?

「君だよ、大原栄太くん」

 名前を呼ばれて僕は振り向く。そこには……。

「見るからに怪しい……」

「そんなこと言わないでくれよ~」

 白いマスク、黒いサングラスとマフィア帽、スーツを身につけた長身細身の男が立っていた。

「何の用ですか?」

 寒さのせいなのか、怖気のせいなのか震える膝に力をいれ僕は男の目があると思われる場所を睨む。

「睨まないでくれよ、怪しいものじゃないからさ」

 どこからどう見ても怪しい。

「実は私はこういう者でね」

 そう言って男は名刺を差し出してきた。名刺のど真ん中にキュッと文字が寄せられている。きっとパソコンの使い方が下手なのだろう。

「国際機密特査官……斉木……なんて読むんですか?」

 「さんずいに売る」と「早」という字が書かれている。

「分からんのかね。『とくさ』と読むのだよ。国“さいき”密“とくさ”官だから、そういう名前にしたのだよ」

 どうせ偽名だろうと思ったら、やはり偽名だった。しかもとんでもないネーミングセンス。

「で、そのなんたら特査官が何の用ですか?」

「自分の生い立ちに興味ないかね?」

 生い立ち……。無くは無いけど。

「知りたいですけど、あなたが知っているんですか?」

「もちろん。私は国家の機密を収集しそれを還元することを目的にしているからね」

 なんか日本語がおかしい気がするけど、すなわちスパイ?

「じゃあ一応、聞かせてください」

「いいだろう。単刀直入に言おう。君は双子の弟とかなり差があるようだね?」

 ……。

「はい」

 あれは忘れもしない夏の日のことだった。



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第五話~エピソード:あの冬~

「ふぅ……」

 落ち着け……。落ち着け、自分。

 

 僕は数年前からずっと明莉さんというちょっと控えめで照れ屋さんの女子に片想いをしている。好きだという気持ちには気づいていたけれど、どうすることもできないまま一年が過ぎ、二年が過ぎ、あっという間に小学校を卒業するタイミングがやってきた。

 明莉さんは周りの人たちに比べて飛び抜けて良い成績で、噂どおり私立の中学校に行くそうだ。

 卒業三ヶ月前、友人からその話を聞いたとき「あ~やっぱり。逆に行かなかったらもったいないよね」なんて、平然とした表情を貼りつけて相槌を打ったけれども、内心ではかなり焦っていた。

 でも……。自分に自信も無ければ、勇気も無い僕は一歩を踏み出すことができなかった。教室の黒板にかけられたクラスメイト全員で手書きした日めくりカレンダーの枚数はいつの間にか残りわずかになっていた。このままのらりくらりの自分の心に嘘を吐きつづけてもいいのだろうか。僕は脳を捨て、心で考えた。

「あのさ、今日の放課後ちょっと来てほしい場所があってさ」

 そう明莉さんに告げたのが四時間前。

 授業が終わってすぐ、僕は自転車に乗って坂道を登った。

 

 もうすぐ授業が終わって五分が経つ。そろそろ明莉さんが来る頃だろう。

 学校の西側にある小高い丘は知る人ぞ知る夕日スポットで仕事帰りに立ち寄る、なんて人もいる。そこまでメジャーな場所ではないため、ほとんど過疎っているが、それでも良いロケーションであることに変わりは無い。

「あ、先来てたんだね」

 振り返ると自転車を押して上がってくる明莉さんがセミロングの髪を夕方の風になびかせていた。

「ご、ごめん。急に呼び出しちゃって」

「いいよいいよ。で、どんな用件?」

 明莉さんのふわりとした微笑みを夕陽が照らす。

「じ、実は……」

 膝が震えるのは気温のせいだろうか。

「前から明莉さんのことが好きです!僕と……その……付き合ってくれませんか?」

 頭を下げると同時に目を固く瞑る。

「えっと……。実は別に好きな人がいて……。ごめんなさい!」

「……僕の方こそ、ごめんなさい」

 目を恐る恐る開けてそう言うと明莉さんは慌てて手を動かした。

「いや、別に気持ちはすごく嬉しかったんだけど!!」

「いや、いいよ。明莉さんも頑張ってね」

 僕は最後の力を振り絞って、明るく演じた。

 

 

 家に帰ると雄太はまだ帰ってきていなかった。いつも授業が終わると同時に廊下をダッシュして家に帰るのに。

「ただいま~」

 玄関の扉が開く音と共に雄太の声が聞こえてきた。

 玄関の扉がバタンと閉まるや否や雄太はリビングに飛び込んできた。

「聞いて聞いて!!俺、ついに彼女できた!!」

 ……。

 雄太は僕の様子にも気づかず喋り倒した。

「栄太のクラスに雪科さん、雪科明莉さんっているじゃん?前々から好きだったんだけど、さっき告ったらOKされたんだよ!」

 え……。明莉さん……。

「雪科さんもなんか前々から好きだったらしくって、泣きながら『私も好きです』なんて言われちゃってさ~、ははは──ん?」

 そこまで走り続けていた雄太が僕の様子に気づき急停止する。

 雄太のとぼけた、でも整った顔が急に憎たらしくなって僕はその頬に開いた手を打ちつけた。



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第六話~信じられない話~

 僕があの冬の話をすると男──斉木さんは深く頷いた。

「そういう意味では成功しているわけだ」

 小さくそう呟いた後「理由を知りたいか?」と鋭い眼光で問いかけてきた。

「え、理由って……」

 理由なんてあるのだろうか。たまたま遺伝子に食い違いがあっただけのことではなかろうか。

「君と兄との間に歴然とした差がある理由だよ」

「……。知りたいです」

 別に嘘でもなんでもいい。そんな知的好奇心が僕の心を奪った。

「一言で言うと、君たち兄弟は政府が関与する人体実験の被験者なんだ」

 ジンタイジッケン……。ヒケンシャ……。

「どういうことですか」

 さっぱり分からない。

「まあまあ、ゆっくり話してやろう」

 

 

 時は遡ること十七年。通常国会が閉会した翌日、若干名の閣僚が首相官邸の地下一階に集められた。

「ようやく例のプロジェクトを動かすときが来た」

 最も白髪が多く、いかにも“長”という雰囲気の男がそう切り出す。

「被験者が決まったのですか」

「ああ。昨夜連絡があってね。プロジェクトの内容上、予定より長い時間がかかったが、なんとか始動に漕ぎつけることができた」

「情報漏洩の心配は」

 若手なのか、単に若作りなのか分からないが、爽やかな雰囲気の男が手を上げる。

「謝礼とともに口止め料もすでに渡している。心配はいらない」

 そう言って白髪の男は口角を上げた。

 昨日とは打って変わって誰もスマートフォンを見たり、居眠りをしたりなどということはしない。

 なぜならこのプロジェクトが極秘裏に進められている“総国民Ifd計画”というものだからだ。

 

 “総国民Ifd計画”とは、総国民顔面偏差値向上計画という正式名称を持ち、その頭文字を取って“Ifd”となっている。このプロジェクトの前段階として、環境が外見に及ぼす影響を調査することとなった。その方法は至極簡単。一卵性双生児に対し、一人に対しては外見を褒め称えさせ、もう一人の外見にはまったく触れない、もしくは少々蔑む、というものだ。しかし、このことを迂闊に公表した場合、人権保護団体などから批判が殺到することは間違いない。そこで政府はあくまでも計画の主体ではない体裁をとった上で、極秘裏でプロジェクトを進めることとした。

 

 

「──ということなわけだ」

「……」

 いまいち状況をよく飲み込めない。

「その対象の一卵性双生児というのが僕らということですか?」

「そういうことだね。無論、他にも被験者は多くいるけれども」

 雄太の外見は褒められ、僕の外見は褒められることなくここまでやってきた。その結果がこの外見の差……。だから、斉木さんは「そういう意味では成功しているわけだ」なんて言ったのか。

「ちなみに──。被験者はすべてこの町に住んでいる」

 え……。

「この町全体がサクラなんだよ」

 そんなバカげたこと……。

「もちろんすぐには信じてもらえないと思う。でも──私がこうして君に接触したことも“あちら”には分かっているはずだ。すぐにこれが現実だと分かるはずだ」

 僕らのために汗水垂らして働いている母さんも、親友だと思っている広樹も、雄太と付き合っている明莉さんも……。全員が黙ってこの実験に加担していた……、ということ……?

 月明かりが作った電柱の影をじっと見つめながら冷たい空気を飲み込んだ。



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第七話~同じ記憶~

「ただいま……」

 手を離した玄関の引き戸がゆっくりと閉まって音を立てる。

「おかえり~。夕飯温めといたよ」

 雄太がリビングから顔を出して親指を突き出す。だがすぐに僕の様子に気づいて手を下げて首を傾げる。

「なんかあった?」

 これは僕ら兄弟二人の問題だ。

「ちょっと夕飯食べ終わったら話がある。近くの公園に行こう」

 もし斉木さんの話が本当だとしたら、この家が監視されている可能性もある。さっきあそこで斉木さんが姿を現したということはあの周辺は比較的、安全なのかもしれない。

「え?告白なら受け付けないよ?」

「そりゃ知ってるさ」

「返しが淡白~」

 雄太が妙なことを言って狭いキッチンに向かう。

 今はこんなテンションだが、きっと話を聞いたら困惑するのだと思う。楽しめるうちに楽しんどけ、そう思いながら僕は食卓についた。

「いただきまーす」

 そう言って、大皿に盛られたコロッケに箸を伸ばす。箸が触れただけで衣は儚く散っていく。

「お、めっちゃさくさく」

 あっという間に大皿は衣のかけらだけになってしまった。

「ごちそうさま」

 腰を上げ、台所へと食器を持っていく。食器を水に浸け、雄太が食べ終わるのを待つ。テレビではクイズに正解した今話題の俳優が超高級メロンを食べていた。

 

「じゃあ、そろそろ行くか」

 僕は夕飯を食べ終わった雄太にそう声をかけて玄関へと向かう。

「うん」

 玄関の扉を開くと、寒風が室内に吹き込んできて思わず目を閉じる。

「寒っ」

 無意識のうちにそんな言葉が漏れて雄太も「ほんと、寒すぎる」と後ろで呟くのが聞こえた。

 寒空に星が瞬く夜を歩いて公園へと向かう。

「で、話って何?」

 公園の中央にある小高い丘のベンチに座る。

「実は」

 僕が冷たい空気を肺に入れて、頭を冷やしてさっき斉木さんに言われたことを雄太に説明した。

 

 

 

「やっぱり……」

 話し終わると、雄太は予想外の反応を見せた。

「え?分かってたの?」

「いやさ、休みの日とか市外に出ようとすると、頑なに友達に止められるし、小学生のころとか、栄太とそんなに顔の違いは無かったのに、俺だけ『かっこいい、かっこいい』って言われてたし」

 休日に市外に出ようという発想が無かった僕からするとかなり縁遠い経験だ。

「あとさ、なんかボーっとしてるとたまに──」

 まさか……。

「──誰の声か分からないんだけどなんか聞き覚えのある声が『このようにすることで二人の間で同じメチル化が起きるようになります』的なことを言っててさ」

 それから雄太が話したことはあらかた僕の記憶と一致していた。すなわちあの記憶の断片は確かなものだと言うことだ。

 

 

「──まあそんなわけだ」

 僕がそう言うと雄太は

「あのさ、一つ提案があるんだけど」

 と切り出した。



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第八話~憤りを力に~

「提案……?」

「うん。俺はぶっちゃけこの境遇に憤りを感じてる」

 そっか……。最愛の人をある意味、失ってしまったわけだからな……。

「で、もしかすると被験者の中にはこの計画を知れば俺以外にも同じことを感じる人はいるかもしれない」

「確かに」

 北風に瞬く星を見上げながら考える。僕も正直良い気はしない。雄太型の被験者はこのことを知ればこれまで積み重ねてきたものが崩れてしまうと感じるかもしれないし、僕のような被験者は、すでに散々な思いを経験している。

「そこでだよ。このことを周りに明かさないか?」

「周りに明かすっても斉木さんの言うことが本当ならこの街全員、このこと知ってるぞ?」

 すると雄太は人差し指を左右に振った。様になっているのが非常に悔しい。

「そりゃあもちろん他の市、他の県に決まってるじゃないか」

「でもどうやって?」

 母はノートパソコンを持っているけど僕ら二人はパソコンはおろかスマートフォンも持っていない。まさか電話なはずは無かろう。

「ふっふっふ」

 妙な笑い方をして雄太はポケットからチラシをちぎったような紙切れを見せてきた。

「これが母さんのパソコンのパスワードだよ」

 何!?

「あとは母さんが仕事に出ているときにネットに書き込むだけの簡単なお仕事」

「なるほど……」

 自前のインターネット機器は持っていないけど、学校で情報技術の授業があるおかげで、ある程度の使い方は分かる。

 だけど……。

「ネットの情報は信憑性低いって聞くよ。僕らが書き込んだこともスルーされるんじゃないの?」

 すると雄太は紙切れをポケットに戻す手をピタッと止めた。

「確かに、信じてもらえない可能性があるわけか」

 僕らは二人揃って空を見上げる。容姿も性格も似ていないけど、こういうところは双子だと感じる。

 ん?信じてもらえない……って言ったってこの街の人はピンとくるよな。

「あっ、じゃあさ」

 僕がそう声をあげると雄太が大きな瞳をこちらに向けた。

「とりあえずたくさんの人に信じてもらうことを目標にするんじゃなくてさ、斉木さんの言うことが本当ならこの街には他にも同じ実験を受けている双子がいるはずだからその人たちとコンタクトがとれるんじゃない?」

 我ながら名案だと思う。

「それだ!学年とか違ったら普通に生活してたら接点ないもんな」

 ついでに言うと。

「この街の人たちはこの実験を知っているわけだから、僕らの書き込みを見たらなんらかのアクションを起こすと思うんだ」

「アクションを起こしたらこの実験は本当だってこと?」

 察しの良い雄太に僕は親指を突き出す。

「That's right!」

「今日、確か母さん夜勤だよ」

 それは好都合!

「よしっ善は急げだ」

 僕らは全速力で家に帰り、パソコンを起動させる。

「実験の真偽を確実にするために文書を作ってコンビニかどっかでコピーして適当にばら撒いてもいいんじゃない?」

 雄太がそう言うので、僕は文書係に、雄太がパソコン係になって作業を続けた。

 

 

「ふぅ……。疲れたな」

「コピーは明日、帰ってきてから行こう」

 僕らはネット上への書き込みと文書の清書を終わらせ充足感と夢に落ちた。



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第九話~実験の真偽~

 翌朝、起きると母さんが帰ってきたところだった。

「あ、おかえり」

「ただいま~。昨日なんかあった?」

 やはり僕らの行動は筒抜けなのか?僕は身震いをする。

 あくまでも冷静に、そう思っていても動揺は勝手に表面に現れる。

「え……、なんで……?」

「えっとね、いや、玄関の鍵が開いててね。普段ならこんなことないからどうしたんだろう、と思って」

 あっ、そういえば公園から戻ってきて気持ちが逸って玄関の鍵を閉め忘れた気がする。

「いや、ちょっと疲れてたから閉め忘れたかも」

 僕は何とかそんな言い訳をして洗面所に向かう。

 この反応じゃ母さんが僕らの行動を知っているかどうか分からない……。やはり“あれ”を進めなければいけないようだ。

 僕は今日の放課後にコンビニで文書をコピーすることを決め、学校に向かった。

 

 

 

「広樹、ちょっと今日も忙しいから先帰るわ」

 数日続けて一人でマンションの裏の寒い道を通る。まだ時間が早いから真っ暗ではないものの、不気味な雰囲気は感じる。ただ斉木さんがいるだけマシだ。──本当に斉木さんが信じられる人かどうかは分からないが。数日前から斉木さんはこれまで以上に足音を隠さなくなった。もう僕の前に一度現れた以上、こそこそしていると逆にほかの人に怪しまれると踏んだのだろう。

 僕はあえて後ろを気にすることなく、家へと歩いて行った。

 

 家に着くと雄太はまだ帰ってきていなかった。僕は、「先にコンビニ行っとく」とメモを残して、A4サイズの紙を片手に家を出た。

 家を出てコンビニまで行くにはおおよそ五分かかる。きっとこんな些細な時間でも斉木さんは僕の後ろをついているのだろう。それにしても彼は暇なのだろうか。学校に行っている間のことは知らないが、朝学校に行くときも、学校から帰る時も、こうしてどこかに出かけるときも彼は後ろで足音を鳴らしている。

 と、思っていたのだが、そういえば足音が聞こえない。さすがに四六時中僕に張り付くのも無理があるのだろう。

 その矢先。

「君、君。ちょっといいかい?」

 突然、路地から出てきたいかにも強そうな筋肉をたくさん付けた男たちに行く手を塞がれた。

 男は三人で、全員が真っ黒なスーツに黒マスク、サングラス。堅苦しい格好と言うべきか怪しい格好と言うべきか分からない。

「な、なんでしょう……」

 自然と文書を持った右手を背中側に回す。

「実は最近ここら一帯で身長百六十センチから百七十センチメートル程度の男性が不審物を持って歩き回っているという情報があってね、別に君を疑っているわけではないんだが念のため身体検査をさせてもらえるかい?」

 僕は“身体検査”という言葉を聞いて足を少しばかり後ろにずらす。

「はあ……」

 右手を前に出すと見せかけ、猛ダッシュ。

「あっ、待て!!」

 いかにも某逃走系の番組に出ていそうな男たちはじりじりと距離をつめていることが気配で分かる。

 僕は家と家の隙間に飛び込む。東西に伸びた道路に沿って古めの家が建っているため、家の左右にはあまり隙間が無い。僕がギリギリ通れるレベルなので当然、男たちは入って来ることはできない。男たちが躊躇している間に僕は家の隙間を北上し自宅へと向かった。



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第十話~決意~

 家に駆け込み、逸る手を落ち着かせながら玄関の鍵とチェーンをかける。きっと必死の形相だっただろう。

 リビングに入ると雄太がメモを片手に立っていた。

「あ、おかえり──ん?どうした?」

 メモから目を離して僕の方を見た雄太が固まる。僕は乱れた息で原本を雄太に差し出した。

「やっぱ、この計画は、本当、っぽい、……」

 雄太は僕から受け取った原本を机にそっと乗せ、深くため息をつく。

「妨害された?」

「そう。黒ずくめの男三人に詰め寄られたから家と家の間を通り抜けて帰ってきた」

 雄太は母さんのパソコンを立ち上げる。某大手掲示板サイトを開いているのだろう。

「おわっ、ちょっ来て」

 雄太に呼ばれ、僕はパソコンの画面を覗き込む。

「これは……」

 そこには予想外にも数多の返信が並んでいた。ほとんどが「そんなバカな」だったり「ネタにしてはおもんないぞ」だったりと一ミリたりとも信じていない様子が伺えるものだったがその中でちらほら「なんかそんな話あるらしいね」や「え、私も一卵性双生児の妹と外見・性格が全然違います」という返信が並んでいる。さらには「再来年に生まれる一卵性双生児の中からも同じことをするっぽい」という返信すらある。

「これはなんとしてでもこの人権を無視した計画を阻止しなきゃ」

 僕がそう呟くと雄太も唇をグッと噛み締めて頷いた。

「うん、絶対に」

 何かいい方法は無いか……。恐らく、この状況だと小さく折りたたんでいったところであの三人組に取り囲まれて一巻の終わりだろう。

 窓の外を見ると背の高い草が風にたなびいていた。

「そうだ、わざと紙を風で飛ばせばいいんじゃない?」

 それを繰り返していけば、少なくともこの町内は出ることができるはずだ。

「なかなかに無理がない?」

 でも、やってみるしかないんだ。

「一応、もう一枚手書きしておけば無くしても大丈夫だと思う」

 僕は手をグッと握りしめる。

「そうだね、風が強い日がいいよね」

 雄太は再びパソコンを操作して気象情報を発信しているサイトを開く。週間天気予報を見ると明後日の夕方の風速が五メートル毎秒となっている。だが、

「だめだ、その日は母さん夕方家にいるはず」

 そうなのだ。

 その次に風が強そうなのは……。雄太がマウスホイールを回転させてページをスクロールする。僕はテレビをつけdボタンから天気予報を見る。

「月曜日……だね」

 週明け、月曜日の予想風速は七メートル毎秒。風向きは北。うまいこと飛んでいってくれそうだ。



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第十一話~張り詰めた空気を。~

「午後五時三十分。夕闇迫る。我等、旦に紙を飛ばさんとす。つってね」

 習ったばかりのことを使いたがるのは学生あるあるだ。

「旦に~す、ってどういう意味だったっけか」

 雄太はそこまで成績が良くないので教えていると時間ばかりが過ぎていく。

「帰ってから体系古典文法読んで」

 僕はそう言い放ち、窓を開ける。

 南を向いた我が家は台風が来るとしばしば二階のベランダに近隣から物が飛来する。つまりは風の強い日にベランダから物を飛ばせばそこそこの距離までは飛ぶということだ。あとはそれを拾ってはその場所から風に乗せ、を繰り返すだけだ。

「寒くね?ちょっと学ラン取ってくる」

 雄太がシャツをまくった袖から出た腕をさすりながらリビングへと降りていく。僕は一つ名案を思い付いて紙に一工夫加える。

「よし」

 ちょうど出来上がったころに雄太がどたどたと階段を上がってきた。

「ん?あれ、紙は?」

「あ、こうしてみた」

 僕は右手を背中の後ろから出して四、五回折った紙を雄太に見せた。紙飛行機だ。

「やっぱ頭いいな」

「僕の頭がいいのか雄太の頭が悪いのかは知らないよ?」

「ひでえ……」

 あまり言うと雄太がかわいそうなのでこのくらいにしておく。

「とりあえず飛ばしてみよう」

 僕はベランダに出て突き刺さる空気の冷たさを感じる。

「着陸を見届けてから取りに行ったほうがいいよな」

 雄太が薄暗くなりつつある風景を見ながらそう呟く。

「まだ見える明るさだから、それでいいと思う」

 僕はそう返して、紙飛行機を持った右手を上にあげる。

「よしっ」

 一声放ち深呼吸。右手を一度後ろへ引き、勢いよく前へ。右手が伸び切る直前、親指を伸ばして紙飛行機を手から離す。

 紙飛行機はピンと張りつめた空気を切り裂いて進んでいく。風に乗りながらも少しずつ高度を下げてついに地面に下りた。

「よし、行くか」

 雄太が先陣を切って階段を駆け下り、その勢いのまま靴を乱暴に履いて玄関の扉を開ける。

 距離にしておよそ百メートル弱。勉強の代わりに運動のできる雄太はどんどんスピードを上げてあっという間に紙飛行機のもとへたどり着く。僕は五秒ほど遅れてゴールイン。

 幸いなことに紙飛行機に目立った損傷はなく、二回目もしっかりと飛びそうな雰囲気を出していた。

「だいたい町外まで五百メートルだからあと四回やればいい」

 雄太がそう言ってもう一度構える。

「いや、けどさっきは二階から飛ばしたから百メートル飛んだだけで、次は恐らく飛んでも五十メートルだと思う」

 僕はしれっと訂正し「よし飛ばそう」と促す。

「うおおおおお!飛べー!!」

 雄太は無駄に力を入れ、紙飛行機は無事、足元に落ちた。

「貸してごらん」

 僕は雄太から紙飛行機を取り上げ右手をすっと動かす。

 紙飛行機は空気中を滑るように飛んでいき、少し前に着陸した。



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第十二話~妨害~

 地面に近いからか紙飛行機は風に乗らなかったが、それでも確実に前進していく。日没まであと二十分程度。

「よし、傷は無いね」

 僕がアスファルトから紙飛行機を拾うと雄太が横からそれをかっさらった。

「さっきのでコツつかんだから」

 そう言って右手を上にあげる。手を水平にスッと動かし紙飛行機を前に押し出す。

「っし」

 雄太がそのまま右手を引き寄せガッツポーズする。ちょうど北風が吹いて紙飛行機は地面すれすれを滑っていき、さらに地面に接してもコロコロと転がっていった。

「いいね」

 二人で車に気をつけつつ紙飛行機のもとに駆け寄る。少し端の辺りがよれっとしてきたがまだまだ問題は無い。

 ふと前を見ると行く手を阻むように一台の黒いセダンタイプの車が止まっている。嫌な予感がしつつも僕は雄太に「車が止まっているから」と促し、道路を渡った。

 このあたりから隣町に向けて少しずつ標高が下がっていく。隣町は梅雨末期になると毎年のように洪水が起きる低地なのだ。

「よし、じゃあ投げて」

「余裕、余裕」

 雄太がそう左手の親指を立て、にかっと笑う。かなり暗くなってきて雄太の白い歯がより一層目立つようになってきた。

「じゃあ投げるぜ」

 そう言って雄太はさっき掴んだコツを応用して紙飛行機を斜め上に飛ばす。飛距離が伸びたそれは下り坂も相まって、先のほうに着陸した。

「お、かなり進んだね」

 下り坂は残り半分。この坂を下りきってしまえば、もうそこは隣町だ。つまり、この早ければ一回で隣町に入ることができる。

「よし、じゃあここで決めきるぜ」

 雄太が意気込み十分に紙飛行機を拾う。すっと突き出した右手から紙飛行機が飛び立ち、濃紺の世界に一本の白線を引く。寒空は切り裂かれ、世界から音は無くなる。──はずだった。

 ブオン。

 背後からそんな音がしたかと思うと、さっき僕らが避けた黒いセダンが坂を下っていく。坂を下りきる手前で減速したかと思うと、セダンは静かに僕らが飛ばした紙飛行機を──轢いた。

「ああああああ」

 僕は慌てて坂を駆け下ろうとする雄太を引き留める。

「あの車。恐らく僕らを監視している人たちだと思う」

 そうじゃなきゃあの場所で紙飛行機を狙って減速する理由が分からない。きっと、今から紙飛行機を拾いに行ったとて、車の中から男が出てきて僕らを家に帰らせようとするのだ。

「もしかして、この町から出られないように、囲まれてるってことか?」

 雄太が勘づいてそう呟く。

「おそらくは、ね」

 仕方がない、あれは放置して今日のところは戻ろう。

「ほら、戻ろう」

 僕は雄太の肩を叩いて、坂の上のほうを向く。

「でも」

「今日はチャンスがなかったってことさ。大丈夫。もう一つ方法を思い付いたんだ」

 僕は天頂を見上げ目を細めた。



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第十三話~不屈の精神~

 家に帰り、僕は冷蔵庫から二リットルのコーラを出しながら雄太に次の作戦を話す。

「次は、ペットボトルロケットを飛ばそうと思う」

 かなりロマンのある方法だ。きっと雄太も食いつくだろう。しかし、

「それはさすがに現実味がないんじゃ……」

 予想は大きく外れた。

「いや、でもギネス記録は八百メートルだよ」

 僕は昔読んだギネスブックの記憶を辿る。

「もうこれくらいしか方法が思い浮かばないんだよね」

 僕はそう吐露する。これが失敗したら、諦めるか強行突破するかの二択になる。貯めていたお小遣いも残り少ない。

「とりあえず買わないといけないのが、上のカバーとゴム栓とビニールテープ」

 リビングの本棚にある自由研究の本を開いて材料を確かめる。

「でも兄ちゃん。その本に載ってるペットボトルロケットって五十メートルしか飛ばないぜ」

 なんのために僕が今わざわざコーラを飲んでいるんだか。

「それは五百ミリリットルのペットボトルで作るからだよ。このコーラのペットボトルで作れば単純計算で二百メートル飛ぶよ」

 でも家から飛ばすには距離が足りない。なにせ町外までは五百メートルあるのだから。それに本来真上に飛ばすものを斜め上に飛ばすのだから前へ進むエネルギーはかなり少ない。だから、

「ちょっと先の公園で飛ばそう」

「ああ、住宅街で飛ばすといえとか破壊しかねないからか」

 確かに破壊まではなくともぶつかる可能性はある。

「とりあえず先に材料だけ買いに行く?」

 まだ近場のホームセンターが閉まるまで二時間くらいの猶予がある。

「確かにな。この際だから買っといたほうがいいかもしれない」

「よし、そうと決まったらさっそく出発だ」

 僕はダウンジャケットを羽織り、家の鍵を手にする。

「んでさ、ちょっと作戦があるんだけど……」

 僕は家の中にもかかわらず雄太に囁く。 きっと普通にしゃべっても全てあちらに筒抜けなのだろうから。

 雄太は一つうなずくと玄関の扉を開けた。いつも通りの冷たい風が頬に刺さる。

「さて、行くか」

 自転車で五分程度のところにある大きめのホームセンターは大抵のものがそろっていると評判である。案の定ペットボトルロケットの材料はすぐに集まった。レジで会計を済ませ、雄太の自転車のカゴにホームセンターのレジ袋を入れる。一枚十円の出費は痛いが作戦のためには仕方のないこと。

 

 自転車をこぎ始めて一分と立たずに彼らはやってきた。どこからか現れて行く手を阻む。男のうち一人がポケットから手帳を取り出して僕らに突きつける。

「警察だ。少し話を聞かせていただきたい」



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第十四話~強行突破?~

 長身の男がちらっと雄太の自転車かごにあるホームセンターのレジ袋を見る。

 前回、僕に近づいてきた男らより細身で、しかしがっしりとした体型である。言うなれば細マッチョ、だろうか。恐らくは前みたいに僕が路地に逃げ込むことを想定したのだろう。

 唯一ニット帽をかぶった男が口を開く。

「ここらの地区で危険物を持ち歩いた人物がいるという話でね。通りかかる人に所持品の検査をさせてもらってるんだ」

 きたっ。

 僕はうっかりを装って自転車についたベルを鳴らす。これが合図だ。

 僕は家と反対方向に、雄太は家の方向に一斉に自転車を漕ぎ始める。

 雄太の自転車のカゴにはレジ袋。しかも行き先は家。男らは当然、雄太に向かって駆け出していく。そこそこの運動神経を持ち合わせた雄太が自転車を漕いでいるというのに、男らが徐々に距離を詰めていく様子が見える。

 それを見届けて、僕は路地を曲がった。

 

****

 

「早すぎだろっ」

 俺はちらっと振り返って確認した三人組の距離に思わずそう吐き捨てる。初動でつけた差が、しかもこちらは自転車でむこうは走りだというのに、どんどん縮んでいく。人間離れした身体能力だ。ふくらはぎが張る感覚に気が付いたがそんなこと気にしていられない。少しでも兄ちゃんから離れなくては。

「いくら急いでも直接家には向かわないで。できれば五分で家の前を通過するのが望ましい」

 兄ちゃんの言葉を思い出して、俺はスピードを落とさずわき道にそれる。住宅の外壁が右前に迫って慌てて体を左に傾ける。

「コケたら……負けなんだっ」

 俺はそう叫んで重心を左へ右へと移動させる。つい今しがたぶつかりそうになった外壁が視界から消えたかと思うと今度は道を挟んで左側の住宅の生け垣が視界に広がる。

 三度そんなことを繰り返して、ようやく体を傾けなくとも前に進めるようになって後ろを振り向くと、三人組は五メートル弱の位置にまで近づいていた。考えてみれば当然だ。蛇行しながら前に進めば直線距離は短くなる。それに対して彼らは走り。バランスを崩すことはそうそうない。

 俺は左腕の時計を確認する。そろそろいい時間だ。次の角を曲がればちょうどいい頃合いだろう。ペダルを踏みしめる両足に力を込める。

 

****

 

 よしっ。

 カーブミラー越しに雄太が家から離れていくの様子を見届けて、僕は家の一本手前にある路地から顔を出す。雄太はもう一度角を曲がろうとしている。僕はさっと家の前まで移動してダウンジャケットのポケットを確認する。カバーとゴム栓とビニールテープ、ちゃんとある。

 僕は自転車を片付けてそろそろと家の中に入る。雄太のために鍵は開けておく。

 監視の目から外れているであろう洗面所に行って買ったブツを取り出す。畳んでおいていた自分の洗濯物の間にそれらを挟んで僕は洗面所を出た。



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第十五話~想いは満ちた~

「もう少し離れておくか……」

 俺はそう呟きながら角を左に曲がる。どこに行こうか思案しながら曇天の空の下に足を回す。さすがの男たちも疲れの色を見せている。気配が少し遠ざかる。右手に最大手のコンビニがあることを思い出し、ギアを一つ上げる。瞬発力に重きを置いた男たちは持久力が足りない。その点、自慢になってしまうがシャトルランで百五十回をとったことのある俺に、この追いかけっこは分がある。なおも追いすがってくる男たちをさらに自転車のギアを上げて振り切り、コンビニに入った。

「あっ、やっと見つけた!!」

 コンビニの敷地に入るなりアニメ声とでも言うべきか特徴的な声が耳に入る。俺の彼女――だったはずの人だ。もう彼女“役”でしかないことは分かっている。

「どうした?」

 自転車を降りて店内に入るよう促しながらそう尋ねる。すると明莉は肩を寄せてきた。これまで幾度となく触れてきた明莉の肩。でも今日はこれまでのどんな時と比べても冷たく感じた。

 静かにモーター音を鳴らす透明な扉を超えていつでも明るい、その場所に入る。

「あのね、実は私とある実験に参加していて……」

 実験。

「これまで言うなって言われてたけど、さっき言いなさいって連絡があったから……」

「いや、いい。その実験については兄から聞いた」

 すると明莉は目を見開いて「栄太くんが……」と呟いた。

「明莉が俺と付き合ったくれたのも、その実験の一部だってことも聞いた」

 手のひらが、痛い。でも決めた覚悟は貫かなきゃ。それが漢ってもんだろう。

「もう、無理して俺と付き合わなくて……いいんだ」

 躊躇いながら一つずつ言葉を渡す。明莉は静かに俯いた。天井の真っ白な照明に目が眩みそうだ。

「あのね……」

 顔を上げた明莉は目の奥に強い光を宿していた。

「ちょっと前まで、演じてた。雄太君の彼女役になってた。でもね」

 そう言ってまた俯く。さっきと違うのは少し髪の毛の隙間から見える耳が赤くなっていることくらいか。

「雄太君のことが本気で好きになっちゃったの」

 何かでぼやけた視界の左端から緑色の制服を着た店員さんが出ていく。堪えきれない。

「っ!ゆ、雄太君っ!?」

「明莉と離れたいわけがない!」

 力強く、でも優しく明莉を抱きしめる。明莉も遅れて俺の背中に手を回す。明莉の綺麗で髪の毛からいい香りがする。

「えっと……」

 どれくらいそうしていただろうか。明莉の戸惑ったような照れたような声で我に返る。

「ほかの人もいるし、ちょっと恥ずかしいかな、って……」

 身体を離すとさっきの比じゃないほど耳を、そして頬をも赤らめていた。

 しばらく俺たちはお互いの目を見つめあっていた。

 でもそんなロマンチックな時間は長く続かない。

 自動ドアが開く音、つづいてどたばたという足音。俺たちがいる菓子パン売り場の前に足音が近づいてきて俺は思わず明莉を背にして足を大きく開く。

 通すものか。



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第十六話~愛の力?~

「大丈夫だよ、大原雄太くん。君のガールフレンドには手を出さない。用があるのは君だけだ」

 横並びになった男のうち一番右のニット帽をかぶった奴が不器用な笑い方で白い歯を見せる。ここはコンビニの狭い通路。逃げ出そうとしてもすぐに回り込まれてしまうだろう。

 振り返ると明莉が強張った笑顔を俺に見せてくれる。明莉をこの場に残しておくのは危険すぎる。

 俺は男たちに背を向け、明莉に近づく。

「ふっ最後に少しでもかりそめの愛を感じるがいいさ」

 背後からクククと嫌な笑い声が聞こえてくる。どうやら彼らは俺たちが心で結ばれたことをまだ知らないようだ。

「先に言っておこうか。君の目の前にいる雪科明莉はお前の彼女ではない」

 またクククという笑い声。虫唾が走る。いつの間にかコンビニ内に溢れていた人の気配が減っている。振り向いて真ん中にいる男を睨みつけながると、レジの店員さんがさっきまで一番左にいた男の指示に従って店の外のほうへ向かっている。――ということはどれだけ走っても他の人にぶつかったりする心配はないわけだ。

 そしてさっきの男の言葉。このコンビニには盗聴器が仕掛けられていないということだろう。伊達に旧帝大ナゾトキを全巻揃えているわけではない。成績が多少悪くともこれからの時代、役に立つのは頭の回転だ!

「いったん二人で店の一番後ろまで行こう。俺が菓子売り場の通路に入るから明莉はもう一つ先の雑誌とかが置いてある通路を通って家に帰っとけ」

 明莉にそう耳打ちして、軽く背中を押す。明莉の後ろから僕も通路のほうに向かう。通路の分かれ目。右手には大量の飲み物がきれいに陳列されている。

 明莉が振り返って俺と目を合わす。俺は頷いて通路に入る。通路の真ん中あたりまで来たところで男たちが一度に俺のいる通路を塞ぐようにして集まる。三人ともこの通路に来ている。明莉はすぐに店を出られるはずだ。そう思って明莉が通っていったはずの通路のほうに意識を向ける。そして視線を戻したとき。

 俺の左側には明莉がいた。

「な、ここは危ないぞっ」

 思わず語気を強める。

「大丈夫」

 明莉はいつもと変わらない笑顔を見せて僕の手首をつかむ。

「走るよ」

 そう明莉が囁いたのが耳に届いた。躊躇する間もなく明莉は無謀にも前に走り出した。そんな正面突破が通用するような相手じゃないだろう。

 しかし。男たちは明莉を避けた。明莉に引っ張られた俺も避けられた。なんで。愛の力?

 そのままの勢いで店を出て自転車にまたがる。

「着いてきて!私の家まで!」

 彼女の家!なんて浮かれる間もなく俺らは自転車を必死に漕ぎ始めた。



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第十七話~浮かれられる世界線は無い~

 住宅街を走り抜けること数分。

「ここだよ」

 明莉がそう言って自転車のスピードを緩める。ついさっきまで追いすがってきていた男たちもさすがに疲れたのか歩いている。振り向いた俺を睨みつけることは忘れない。

 俺も右手に力を入れて自転車を減速させる。カーポートの隣に自転車を止めて鍵をかける。

「お父さんもお母さんも明後日まで帰ってこないから」

 そう言いながら明莉が玄関の扉を開ける。この状況、もしこれが何の変哲もないラブコメだったら、もし俺が妙な実験の被験者じゃなければ、誰もが羨むだろう。でもいくらタラレバを言ったところで現実は変わらない。良くも悪くも。そう、良くも悪くも。

 お邪魔します、と控えめに言って家に上がらせてもらう。白を基調とした廊下の突き当たりでふと明莉が立ち止まる。左が二階へと続く階段で右がリビングだろうか。

「ちょっとリビングは片づけきれてないから二階に来てもらったほうがいい、かな」

 少し躊躇いながら階段を上がる明莉に慌てて俺も着いていく。俺は友人を家に呼んだことは無いが、自分の部屋を見られるのは確かにちょっと恥ずかしい。

 十段ちょっとの階段を上がりきって明莉が茶色の扉を開ける。

「ちょっと飲み物取ってくるね」

 俺が部屋に入ると彼女はそう言って階段を駆け下りていった。西側の窓から射しこむ夕日によって白い壁と綺麗にたたまれた布団がオレンジ色に染まっている。ふと南の窓から外を覗くと男たちが腕を組んで道路に仁王立ちしている。

 ラグの上で正座をしてぼーっと壁を見つめていると明莉が木製のお盆に緑茶の入った透明なグラスを持って戻ってきた。

「そんな堅苦しくなくていいんだよ」

 そう言って笑いながらグラスをローテーブルの上に置く。円形のテーブルにおいて俺の向かい側ではなくわざわざ隣に座る明莉が愛おしい。俺はお言葉に甘えて体勢を胡坐に変える。その時に意図せず明莉の艶やかな髪が鼻につきそうなほど近づいて、思わず「こんな実験がなければな……」という言葉が漏れる。こんな実験が無ければ、今家の外にあいつらがいなければ。なにも気にせず明莉のすべてを愛せるのに。

 吐息がかかってしまったのだろうか、くすぐったそうに肩を少し上げた明莉が俺との距離をさらに詰めて肩を触れさせる。

「多分、この実験が無かったら私、雄太くんと付き合ってないと思う」

 確かにそれはそうだ。

「雄太くんと付き合え、って言われたときは私、雄太くんのこと好きじゃないっていうか苦手だったの」

 俺は思わず明莉の澄んだ瞳をじっと見つめる。

「けどいわゆる食わず嫌いだったみたい」

 明莉はそう言って背筋を伸ばす。

「今は誰よりも雄太くんのことが好き」

 目をそっと閉じた明莉に俺は意図を察したが「絶対にこの騒動を終わらせるから、それからどれだけでもしよう」そう言って代わりに彼女の華奢な体に手を回す。さらさらの髪が手に当たった。



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第十八話~狼煙を上げよ~

 どれくらいの間そうしていただろうか。ふと兄の顔が浮かんで明莉の体を離す。

「電話借りていい?うちに電話するから」

 自転車を漕いだこととはまた違う理由で火照っている体を廊下の冷気で冷やす。

「いい、よ。そこにある、から」

 顔を赤らめて挙動不審ながらもそう廊下の端を指さす。

「分かった、ありがとう」

 俺は廊下を進んで黒色の受話器を持ち上げる。この時間なら母さんはまだ帰ってきていないはずだ。見慣れた──でもあまり掛けることは無い、自宅の電話番号を軽く順に押していく。

 十桁の番号を押し終えて受話器を耳に軽く押し当てる。

 うんともすんとも言わない。かがみこんで電話から伸びた線を辿る。電話線は切れていない……。ふと思いついて明莉の部屋の電気スイッチを押す。──点かない。つづいて階段の電気スイッチ。点く。

「明莉、ブレーカーどこにあるか分かる?二階のブレーカーが落ちちゃってるみたいで」

 すると明莉は困った顔をして首を振った。俺は明莉に断って階段を降り洗面所に行く。我が家と一緒ならばブレーカーは洗面所にあるはずだ。──予想通り白い四角い箱が洗面所の壁に張り付いている。俺は箱に近づいて下部に力を入れる。開かない。よく見ると右下に鍵穴。そんなばかな。

 だがしかし、これではどうしようもない。階段を上がって明莉に鍵のありかを聞いても首を振られた。

 何の連絡も入れないとさすがに兄ちゃんも心配する。でも連絡する手段がない。

「すまん、ちょっと帰る」

 すると明莉はしばし固まったのち背伸びをして俺の頬、下のほうに薄紅色の柔らかい唇を当ててきた。俺も思わず固まるがすぐに我に返る。

「また明後日」

 そう言い残して階段を降り、ふと思案に暮れる。このまま玄関から出れば男たちに見つかって一巻の終わりだ。でも自転車は男たちから見えるところに置いている。つまり。

 俺は玄関で靴だけ取ってトイレに向かう。小窓を開け、そこから外の様子をうかがう。誰もいない。身を乗り出して黄昏時の裏路地へ飛び出す。

 深い藍色の空の下、できるだけ細い道を選びながら、なんとなくの方向感覚で家のほうに向かう。人間にだって帰巣本能はある。

 何度も路地を曲がり、何度も黒い影を見かけては引き返しを繰り返して、ようやく家の裏路地までたどり着く。男たちが揃いも揃って黒いスーツを身にまとっているので分かりやすくはあった。

 台所の電気が点いていたので勝手口の扉をコンコンと叩くと、兄ちゃんが出てきた。左手にはペットボトルロケット。

「できたんだ!」

「さっきペットボトルをくっつけてたところ」

 そう言って左手を高く掲げる。

「明日朝十時だ」



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第十九話~終わりの始まり~

「良かった、晴れた~」

 カーテンの隙間から青空を視認して僕は思わず階段の上に向かって叫ぶ。

「雄太、飛ばすよ!」

 すぐさま雄太が階段を駆け下りてきて僕は洗面所に隠したペットボトルロケットを取りにいく。洗面所のすりガラスからも爽やかな光が差し込んでいる。

「よし、行くか」

 僕はペットボトルの半分ほどに水をいれ針で穴を開けたゴム栓で口を塞ぐ。リビングでジャケットを羽織って靴下を履こうとしていた雄太にも声をかける。玄関で靴を履きながらサッカーボールの空気入れを取って青が輝く空の下へと飛び出した。遠くに止まっていた鳥すらも羽ばたくほどの気配を至る所に感じ、僕らは思わず立ちすくむ。

 筒抜けだったか……。僕は爪を手のひらに食い込ませる。もう片方の手で雄太の肩に手を置き「戻ろう」と声をかける。

 体を百八十度回転させ玄関前の小さな段差を越えようとすると隣家との間にある生垣から一人の小柄な男が出てきて立ち塞がる。同時に至る所に潜んでいたと思われる男らが姿を現して右を向いても黒、左を向いても振り返っても黒になった。

 背後で自動車の止まる音とドアを開け閉めする音が聞こえてきて振り返ると、後ろ側にいた男らが少し下がって、白いスーツを着た長身の男が歩いてくるのが見える。黒いスーツの集団に一人だけ白。目立つことこの上ない。

「トランクに乗せろ」

 しゃがれた声でそう命じてすぐに車に戻っていく。次の瞬間、僕らを取り囲んでいた男たちが間合いを詰めてそのまま僕ら二人はなぎ払われる。抵抗する間もなく僕らはそれぞれ特にいかつい男らにお姫様抱っこされて黒いハイエースのトランクに乗せられる。いや、置かれる。寸前にペットボトルロケットは取り上げられてしまった。すぐにトランクは閉められフィルムによって光が遮られた薄暗い中で僕は雄太と目を合わせる。

「彼らは何をしようとしていたのだね」

 さっきの白スーツと思しきしゃがれ声が車の前方から聞こえてくる。

「この街にいる他の被験者にもこれを知らせようとしたのかと」

 若めな声がそれに答えている。

「しかしなんだ、何故バレたのだ、弟に」

 雄太が怪訝な顔をする。

「偵察班によると%&”!/が情報を流していたとか」

 車のエンジンがかかり男らの会話が聞こえづらくなる。足掻いても仕方あるまい。大人しくしておこう、体力を温存するためにも。僕は静かに目を閉じた。寝るのは危険すぎるが目を閉じて休むくらいなら問題ないだろう。

 

 

 車が後ろに下がる振動で目を覚ます。こんな緊迫した場面でも車の揺れによる睡魔が勝っていたようだ。トランクが開けられて僕らは外に出される。濃い灰色の建物がある。だが研究施設にしては小さいような。そう思ってながら男らに連れられて建物内に入るとそこには下へと続く階段が。どうやら地下施設のようだ。

 謎の機械がたくさん置かれた部屋を歩いていると突然、どこからか怒号が聞こえてきた。たくさんの足音も。一体何が起きているんだ……?



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第二十話~突入~

 右側の赤い扉から紺色の制服に身を包んだ屈強そうな男三人が駆け出して、さっき通ってきた方へ向かっていく。

「一体全体何が起こっているんだね!」白スーツが険しい顔で側近と思しき人に詰め寄る。ポケットから通信機を取り出して誰かと連絡をとって、その側近は顔を青くした。

「被験者らが包囲網を突破して──。いや、ちょっと別の場所で」

 側近二人と白スーツが部屋を出て行き、僕らは目の前の扉の向こうにある小部屋に入れられた。

「ちょっと待っておけ」

 僕らを部屋に入れたくせっ毛の強い男は胸ポケットからICカードのようなものを取り出すと扉の横にあるボックスに押し当てて扉を開け、出て行った。椅子も机も何もない。天井についた古びた蛍光灯がかろうじて部屋の中を照らしている。

 さっきの男が出て行った扉を見てみると上に人感センサーがついていない。だからカードを当てていたのだろう。

「兄ちゃん、なんで被験者がこの場所を分かったんだ?」

 雄太が小さく呟く。

「車で移動した僕らにおそらくは全員が未成年の被験者が追いつけるとは思えないね……」

「いや、それなら可能だ。原付免許なら取れるからな」

 なるほど……。

「でも、さ──」

 ピーガタン。いかにもな感じの機械音がして扉が開く。扉の右上が赤く光る。入ってきたのは白スーツでも黒スーツでもない、普通のジーンズに白シャツを着た同い年くらいの男子。

「あっ……」

 その人は一瞬固まって、すぐに踵を返してまだ閉まる前の扉から離れていく。扉が閉まり僕は雄太と顔を見合わせる。扉の向こうから何かの割れる音、「やめろ!」と叫ぶ声、「きゃーっ」という金切り声、ドタバタという足音が、音を全て間違えた協奏曲のように聞こえてくる。

 また扉が開く。さっきの男子とそれによく似た背格好の男子が一人。顔はあまり似ていない。後者のほうが整った顔立ちにも見える。

「君たち?掲示板に情報出したのは」

 そういうことか!

「え、そうだが……」

 雄太が眼を鋭くして答える。

「もしかして僕らの書き込みに気づいてくれたの?」

「ああ、そうだとも。君たちの派手な行動のおかげで僕らのほうの監視が外れて動きやすかったよ、感謝する。あっ私は曲谷 拓郎。高校一年だ」

 早口かつ高飛車な口調でそう畳み掛ける拓郎と名乗る後者。横にいる前者がおずおずと「曲谷 孝郎です」と右手を上げる。

「僕は大原 栄太で、」

「大原 雄太」

 雄太が人見知りを発動している。普段の雰囲気からは考えもよらないほど彼は人見知りなのだ。

「あまりボケっとしていられないから、端的に話させていただく」

 拓郎がそう前置いて話し始めた。

 

 私が君たちの書き込みに気づいたのは一週間前。学校でネットサーフィンをしていたらたまたま見かけたんだ。私の運の良さに感謝するんだな。私はIPアドレスから君たちの住所を特定し、調査を始めた。同時に同じく書き込みに気づいた同士のIPアドレスも頂戴して、コンタクトを図った。私の技術力に感謝するんだな。最初の方はそこはかとなく知らない人に妨害されていたが、君たちがロケットを作ろうとしていたおかげでその妨害もめっきり減ってコンタクトをとれるようになった。そこは感謝する。それから何人かの保護者にも協力を得て、張り込みを強化し、今日こうしてついてきたんだ。そしてこの計画の終焉が今日だ。

 

 彼はしれっと扉を右足で抑えながらドヤ顔を見せる。なんか少しイラっとするが、この計画の破壊に最も貢献した人物であろう。心の中でも悪態をつくのはやめておこう。



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第二十一話~終焉~

「さあ、恐らくいろいろな書類を警察宜しく運んでいる真っ只中のはずだ。私たちも行くぞ」

 拓郎が扉を右足で抑えたまま、部屋の外に出る。孝郎はこちらを見ると小さく微笑んで頷く。先に出させていただくとしよう。

 赤い扉を潜り抜けて真っ黒な部屋から真っ白な部屋に出る。

「お……大原……栄太……きさ、ま……」

 右斜め下から必死にひねり出した声が聞こえてきてそちらに視線を移すと、頭から血を流した白スーツが床に這いつくばって、かっぴらいた目を僕に合わせた。

「な、ぜ……。どうして……裏切ったんだね!」

 突然、気を荒立ててそう吠える。

 後ろを振り返ると雄太がきょとんとした目を僕に向けている。

 あれは忘れもしない冬の日のことだった。

 

 

 僕は長年温めてきた想いを明莉さんに伝え、フラれた。そしてその日の夜、雄太が明莉さんと付き合い始めたことを知った。思わず雄太に平手打ちを喰らわせて、その勢いのまま二階にある兄弟で供用している部屋に飛び込む。それもこれも、あんな計画のせいだ。あんな計画が無ければ、僕がフラれることはあっても、よりによって雄太が付き合うなんてこと起きるはずがなかったんだ。

 こうなったら……。

 

 

「ほんの出来心です」

 僕はこれまでにないほどの冷たい目をしている自信がある。

「おかしいじゃないですか。エゴのせいで人生がめちゃくちゃにされるだなんて。あなたは心から祝えますか?自分と同じ境遇であるはずの弟が、弟だけが幸せになることを」

「兄ちゃん……」

 声を荒げてはいけない。あくまでも冷静に。この部屋の包む光のように。

「貴様も、高校生なら、知って、いるだろ……う。公共の福祉、という言葉を……な。……大多数の幸福のためなら数十人の不幸など仕方あるま……い」

 ギリギリで顔を起こしていた白スーツから力が抜ける。スーツに赤色が広がっていく。

「権利すらない世の中なんてくそくらえだよ」

 僕は静かになった白スーツにそう、吐き捨てる。

 そして振り返って、誰にも見えない仮面をかぶる。

「雄太。君は悪くない。悪いのはすべて世の中だよ」

「もっと早く言ってくれよ。苦しかったんなら早く打ち明けてくれよ。なあ、俺ら双子じゃねえか。一卵性双生児じゃねえか」

 雄太が泣きそうな目でそう喚く。そんな簡単に打ち明けられるならとっくに打ち明けているさ。

「そう、だ……。とっておきの、こと……を教えてや、る」

 白スーツ改め赤スーツが顔を床につけたままうめく。

「お前らは……双子じゃないのだ……」

 な……。



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エピローグ

 赤スーツが白色の床に全体重をかけて動かなくなる。救急車のサイレンが聞こえてきて、赤スーツは屈強そうな男らに運び出されていく。

「兄ちゃんは兄ちゃんじゃねえ、ってことかよ」

「……そうかもしれないね、ふふ」

 僕は静かに仮面を剥ぎ取る。

「まさか、彼が打ち明けるとは思わなかったけどね。全ては大仰な芝居だよ」

「すまない、話についていけていない」

 拓郎がおずおずと手を上げる。

「分かった。順を追って説明するよ」

 

 

 

 僕が国際機密特査官である斉木涜早-さいきとくさ-さんと出会ったのは二年前の冬のことなんだ。そこで僕は“総国民Ifd計画”について聞かされた。簡単に言えば環境要因によってヒトの容貌を変え、より整った顔立ち、より美しい顔立ちのヒトを育てるっていう計画。その前段階として、一卵性双生児を買収してメチル体の変異を抑える物質を投与、そして周囲からの評価を操作することで容貌に変化が生まれるかどうかの最終実験段階であることを聞いた。

 

 

◇◇◇

「──ということなわけだ」

「……」

 いまいち状況をよく飲み込めない。

「その対象の一卵性双生児というのが僕らということですか?」

「そういうことだね。無論、他にも被験者は多くいるけれども」

 雄太の外見は褒められ、僕の外見は褒められることなくここまでやってきた。その結果がこの外見の差……。だから、斉木さんは「そういう意味では成功しているわけだ」なんて言ったのか。

◇◇◇

 

 

 そして斉木さんは最後にこう付け加えたんだよ。

「ここまで話したことはあくまでも水面下の話だ。水底にはもう一つ話が沈んでいてね。被験者のうち半分は、一卵性双生児ではなく四親等程度の親戚なんだ。これは総理大臣とその側近、そして計画のに関わった大学教授数名しか知らないこと。君たちもその中の一組でね。もしこれが成功すれば、少なくとも二人に一人は素晴らしい外見の持ち主になれるといったわけだよ。実にくだらない。……まあ、ここまで話したことを信じるも信じないも、そして他の人に打ち明けるも打ち明けないも自由だ」

 ってね。

 僕は最初黙っておくことにした。別にイケメンでありたいなんて欲はなかったから、この実験によって被る害は特段無いと思っていたから。でも、君はよりによって明莉さんと付き合い始めた。

 

 

 

「だから、この計画をぶち壊したくなったんだ」

 晴れやかな顔で僕はそう締めくくる。いつの間にか僕ら四人だけになった空間に扉の開閉音が響き渡る。

「お疲れ様」

 爽やかに右手を上げてマフィア帽を持ち上げる長身細身の男。

「斉木さん!」

「すべて、見させてもらったよ」

 “すべて”という言葉にアクセントを置いている。

「教授」

 斉木さんがそう言うと再び扉が開いて白衣のお爺さんが現れた。

「まあ、結果から言うとヒトを最も突き動かすのは環境要因ですな」

「ええ、私も同意見です」

 ヒトを突き動かす……?予想していた話と違う。

 不思議に思っている様子が顔に出ていたのか斉木さんが教授と一言二言話してこちらを向き直った。

「これですべての実験は終了した。全てを打ち明けさせてもらおう。まず第一にこの実験の被験者は全員、双生児ではない。大原兄弟だけではないということだ。第二に、この実験の趣旨は環境が及ぼすヒトの容貌への影響を調べることではなく……。ヒトがより主体的に動くのはどのような出来事がどのような要因で発生するか調べることだった。この二つが大きなことだね」

 ……。

「君たち二人ずつの容貌に差があるのは、別に実験によるものではない。雄太くんの顔立ちが整っているのもたまたまだ。実験によって差が生まれた、そんなことはないのだよ。つまり君たちが皆感じてきた違い、そんなものは気のせいだ」

 ここに来て全てを否定するなんて……。

「まあ、僕らはダイバーシティを説こうと思ったわけじゃないんだけどね。結果的にそうなってしまったね。……。君たちの協力には改めて感謝しよう。環境要因の人工化に向けてまた実験が必要になったらまた頼むよ。それまで、せいぜい自分が生まれ持った境遇で生きるんだよ」

 そうしてマフィア帽と白衣は扉を抜けていなくなった。



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