鬼殺語 (風船)
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親父に連れられて訪れたその場所は藤の花が咲き乱れ穏やかな風が吹くとても綺麗な庭だった。

 

「産屋敷耀哉様だ。王葉(きみは)、お前はこの方のよく切れる刀となれ」

 

そう紹介されたのは振袖姿の少女。真っ直ぐとした黒髪がさらさらと風に揺れる姿は、絵巻物から出てきたかのように艶やかだ。

 

少女は俺と真っ直ぐ目を合わせるとふわりと笑みを浮かべたが、俺にはどこか不自然に感じた。なんというか形ばかりの笑顔……例えるなら〝面を付けている人間と話している〝そんな気分だ。

そう心の中で結論付けたと同時に親父に小突かれた。「さっさと挨拶をしろ」そう言いたいのだろう。

 

鑢王葉(やすりきみは)と申します。以後、あなたの刀として扱いください」

 

事前に教わった通り片膝をつき、頭を下げるとくすりと笑う声がした。

 

「そんなにかしこまらないでほしい。君とは友達になりたいんだ」

 

顔を上げれば首をかしげながら困ったように笑う姿が目に映る。

この表情をさせたのは俺なのだが、先ほど見ていたものよりこちらの方がずっといい。

それにしても刀と友達になりたいなどと不思議なことを言う少女だ。

 

「耀哉様、道具に対してその様なこと……」

 

「おや、貴方と父上は友人関係だというのに私たちは駄目なのですか?」

 

"にっこり"まさしくそんな表現が合う笑顔を向けられ、諌めようとした親父がたじろぐ。言葉こそ穏やかだが、少女自身に退く気がないことは雰囲気から充分に理解できた。

 

(また能面かぶったみたいな顔してるな……)

 

正直この顔は好きじゃない。さっさと会話が終わればいい……そう思いながら傍観に徹していると、親父が小さくため息を吐き肩を落とした。

 

「まだ幼いというのにお父上にそっくりですね。王葉を友に、と仰るのでしたらお館様に許可を頂いてください。それさえあれば、私も何も言いません。まあ、すでに話は通していらっしゃるのでしょうけど」

 

「はい、父には既に好きにしていいと言われています」

 

「……だと思いましたよ。まったく、刀に人間らしさを求めるどころか友にと望まれるなんてつくづく産屋敷家は酷なことを仰る」

 

額に手をあてて小さく呟く親父の姿はどこか疲れて見える。

その一方で少女は嬉しそうにこちらを向き、手を差し出した。

 

「これからよろしくね。僕のことは耀哉と呼んでほしい」

 

「あ、ああよろしく。俺のことは好きに呼んでくれ」

 

手を握りながら、そう答えると少女は心底嬉しそうに笑った。

何がそんなに嬉しいのか、その理由はしばらく交流を続けていたらなんとなく理解した。

 

少女……いや、耀哉は自由に外を出歩くことが出来ないから誰かと接する機会が殆ど無い。

誰かと接する機会があったとしても、それは大人ばかりな上に耀哉自身を訪ねてくる人間は医者か産屋敷家当主としての教育を施す家庭教師のみ、しかも耀哉には兄弟がいない。

まあ、修行に明け暮れる日々を送っていた俺も似たような環境ではあったのだが外出するくらいの自由はあったので比較的恵まれてた。

 

そんな環境でも耀哉が不満を口にすることは無かったが、年の近い友達と話をしたり、外に遊びに行きたいとの希望が心の底にはありそうだった。

 

なにせ時々寂しそうに外の景色を眺めている。本人は気付いてないようだが……

だから耀哉に俺はある日、「外に遊びに出かけて見ないか?」と誘ってみたのだ。

 

「え、外にかい?」

 

少し戸惑った様子で聞き返されたが判断の早い耀哉が否定の言葉を紡がないということは、やはり俺の予想は正しかったのだろう。

 

「屋敷にずっといても退屈だろ?折角だからたまには外に行こうぜ」

 

幸い屋敷のまわりは自然が豊かで、森の中には至る所に沢や穏やかな清流がある。

そこなら耀哉を連れていっても問題ないだろうし、屋敷の中と違って釣りなども楽しめる。

そう伝えれば耀哉は軽く目を見開いた後に嬉しそうに是と返した。

 

「よし決まり!善は急げだ。親父や御当主に見つかる前にさっさと行こうぜ」

 

初めて2人で外に出かけたその日は軽い探索しか出来なかったがそれでも耀哉には充分だったようで……

 

「知識としては知っていたけど、やはり実際に触れてみるのとでは全然違うね」

 

嬉々としてそう語る耀哉の姿に俺は思わず吹き出してしまった。

そんなに喜んでもらえるのなら虫取りや魚釣りをさせたらどうなるのだろうか。

 

「急に吹き出してどうしたんだい?」

 

「いや、いつも見てるのよりずっと良い顔してるからさ…… いつもの能面みたいな笑顔よりずっと良い」

 

思ったことをそのまま伝えれば耀哉は目を見開いた後、軽く吹き出した。

 

「さすがに’能面みたい‘というのは酷くないかい?」

 

「出会ってから結構時間が経っているに友人に対して、全く素を出そうとしない相手よりマシだろ」

 

「ふふっ、本当に酷いね……」

 

言葉とは裏腹に嬉しそうに笑う耀哉。その言葉は耀哉自身と俺の言い種の両方にかけられていた。

 

「今日はとても楽しかった。また外に連れ出してほしい」

 

「ああ!屋敷の中じゃできないこと、たくさんやろうぜ!耀哉も行きたいところがあったら遠慮なく言えよ。友達なんだから」

 

「っ!?……うん」

 

ちなみに耀哉を連れ出したことはしっかりバレて当然の如くこっぴどく叱られた。

でも後悔はない。その出来事を境に言いたいことを言える仲になったのだ。

まあ、出かけるときに少々無茶な要望を突きつけられることもあったが、いい思い出だ。

 

あと俺の親父も同じことをしていたことが数年後に耀哉の親父さん経由で発覚した。

そんなこんなで、お互いそれなりに多忙ながらも交流を深めていった。

 

 

そしてーー時は流れ、耀哉が産屋敷家当主となった年。

俺は鬼殺隊の最終選別を受けるため、藤襲山を訪れた。

 

藤襲山に着いた途端、周囲から浴びせられる無遠慮な視線。

自分の格好が珍しい自覚はある。なにせ皆が当たり前のように所持している日輪刀はなく、代わりに具足を身につけている。そのうえ総面で顔を覆っているのだ。

具足は親父から借り受けたものだが、面は選別に向かう直前に耀哉から貰った。

 

「王葉は拳と蹴りを主として戦うのだから顔を守れるものがあった方がいいと思ってね。少し目立っちゃうけど丈夫さは保証するから使ってほしい……気をつけてね」

 

耀哉の言うことは最もだし間違いなく丈夫な面だということは着けていてわかるが、それにしたって少々厳つすぎやしないだろうか……もう少し地味な面でもいいと思う。

 

「おい、なんだあいつの面……」

 

「いやそれどころか、日輪刀すらもってないぜ」

 

いよいよヒソヒソ話まで始まる始末。そしてそれは選別が始まるまで続いた。

俺のことを気にする余裕があるなら、自分の心配しろよ命がけなんだから……

 

▪︎ ▪︎

 

「そろそろ始まる頃だね」

 

鬼殺隊当主 産屋敷耀哉は仕事の手を止め、選別に向かった友のことを思う。

彼が最終選別を生き残るのに十分な実力を有していることは知っているので心配はない。

 

王葉はあの『虚刀流』を継ぐ者なのだからーー

 

『虚刀流』の名が日の目を見たのは初代 鑢一根(やすりかずね)と六代目 鑢六枝(やすりむつえ)のみ。戦国と大乱でのみ振るわれた闇の流派……表向きの歴史ではそうなっている。裏の歴史を知る者にとっては七代目 鑢七花(やすりしちか)の所業こそが注目すべき存在である。

 

なにせ磐石と言われた尾張幕府の八代目将軍暗殺をたったひとりで成したのだ。

将軍の息子が九代目を継ぎ、将軍の死については秘匿されたが政府の守りを固めていた者たちは悉く死亡。これを機に幕府は弱体化の一途を辿り、やがて討幕された。

鑢七花がいなかったら日本は今も幕府によって統治されていただろうと言われるほど、後の歴史に大きな影響を与えた大事件。

 

暗殺を成した直後、鑢七花は当然の如く追われた。

八代目将軍暗殺の犯罪者を断罪しようとするもの、彼の実力を見込み己が従僕としようとするものと方々からーーだが彼はその全てを跳ね除け産屋敷との縁を結んだ。

 

当時の産屋敷家当主と鑢七花は主従ではなく、あくまで友という間柄だった。

それが代を重ね、いつしか産屋敷と鑢は友であり主従となったが縁は今も続いている。

 

「選別を終えて帰ってきた君はどんな話を聞かせてくれるのかな」

 

唯一の友の帰りを思い耀哉は顔を綻ばせる。

彼と出逢ってから十年以上の月日が経ったが出会った日のことと初めて外に出かけた日のことだけは今でも鮮明に思い出せる。

 

王葉の第一印象は碧眼のーー人形のように美しい少女。

まるで作り物のような姿には僅かながら心惹かれるものがあった。

 

耀哉は王葉に笑顔を向けるーーそうすれば皆、雰囲気が和らぐことを知っている。

ところが、耀哉の笑顔を見た王葉は雰囲気を和らげるどころか固くしたのだ。

 

膝を折って挨拶する王葉という存在は産屋敷耀哉に対して敵意を抱いている様子はないが良い印象でも無い。

 

このままでいるのは嫌だーー彼女とは己の父と彼女の父親と同じように友になりたい。

そう思い、友になりたいと告げ手を差し出すと戸惑いながらも応えてくれた。

良かった……嫌われてはいないようだ。

初対面で嫌われてしまったら、ふたりのようになるのは難しい。

 

これから仲良くなれるよう頑張ろうーー

 

そう思ったは良いものの、交流を重ねても王葉の雰囲気はあまり柔らかくならなかった。

それどころか初対面のときと同じような反応、いや嫌悪されていると感じるときがあった。

己が気付かぬうちに王葉の心を傷つけるようなことをしてしまったのだろうか……王葉

好かれるように接している筈なのにーーそれなのに全然仲良くなれない。

あまりに原因がわからず、当時まだ存命だった父に相談してみても「そのうち分かる」と返されるだけだった。

 

原因はある日突然ーー王葉が初めて外に連れ出してくれた日に分かった。

 

〝いつもの能面みたいな笑顔よりずっと良い〝

 

鑢王葉は最初から見抜いていたのだ。

産屋敷耀哉の表情が作られたものであることをーー

 

鑢王葉はずっと不満を抱いていたのだ。

産屋敷耀哉の言葉には心魂がなかったことをーー

 

衝撃的だった。

己はいずれ鬼殺隊を背負い全隊士の父となる。

そのようなことを求めるものはいなかった。

 

〝遠慮なく言えよ。友達なんだから〝

 

嬉しかった。

鑢王葉がくれた言葉は本当に嬉しかった。

あの日、己はかけがえのない友を得た。

 

「早く帰ってくるといいな……」

 

ふと口からこぼれ落ちた言葉は、友の帰りを楽しみに待つひとりの男の言葉だった。

 




〜明治コソコソ噂話〜

鑢王葉と産屋敷耀哉は初対面の時、お互いを女の子だと思っていたよ。
その誤解が溶けるのはふたりが出会ってから数年後だよ。

誤解が解けたきっかけについては
機会があったら語られることもあるかもしれないね!


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最終選別の闇と使命

久方ぶりに人肉を食せる。

藤の牢獄に閉じ込められてからロクな食事にありつけていない鬼の頭はそのことでいっぱいだった。

 

だから藤林を抜けてきた人間がどういう存在かも確認せず、嬉々として襲いかかった。

 

「人肉、喰わせろぉ!がはっ⁉︎」

 

は……いま何が起こった?

 

気がつけば、視界が上下逆さまになっている。

そして目の前には自身の身体が倒れ伏し、崩壊を始めている。

 

結局鬼は何が起きたのかを把握することなくこの世を去った。

 

「さてと、まずは水場探しだな」

 

そして、鬼の頸と胴体を分けた張本人、鑢王葉は鬼の存在ではなく水場の心配をしている。

だが本人にとっては何もおかしいことではない。

 

王葉にとって人を二、三喰った程度の鬼は条件反射で斃せるほどの存在。

一方、水の有無は生死に関わる。水がなければ人間は三日ほどで絶命する。

だから王葉にとって一番優先すべきことは水場の確保。

そして、雨風を凌げる拠点もあると理想的──そう考えながら王葉は歩を進める。

 

一応は鬼に見つからないように、なるべく音を立てずに慎重に──幸いにして水場はすぐに見つかった。

だが先客がいた。

 

「きひひひひ!久々の、それも男の子の人肉じゃあ」

 

「な、なんで…ここには人間を二、三喰った鬼しかいないはずじゃ……」

 

視線の先には恐怖に腰を抜かす少年と、蛙の頭部に女人の上半身がついた異形の鬼。

王葉はじっくりと鬼を観察する──足の先から頭部まで六尺を優に超えており、明らかに人間を二、三人喰っただけの容姿はしていない。少なくとも十は喰らっている。

藤襲山には鬼殺の剣士が生け捕りにした鬼を閉じ込めている──選別開始直前にそう説明を受けた。

だが、 どんな鬼がいるか(・・・・・・・・)までは説明はされなかった。

 

「“選別”ってのはそういうことか……」

 

以前から不思議に思っていたことがある。

育手から許可を貰った者が最終選別を受けているにしては──合格者の数が少なすぎる。

だがその理由はいま理解した。

 

この藤襲山には、おそらく複数の異形の鬼が生息している。

そして、産屋敷は──そのことを把握している。

 

鬼殺の任務は殆どが異形、若しくは血気術を扱う鬼の討伐。

対して最終選別で遭遇するのが人を二、三人を喰っただけの鬼。

七日間の野営生活をおくりながらとはいえ、それでは難易度が低すぎる。

 

だから最終選別の時点でふるいにかける。

 

異形の鬼に遭遇しない運を持つもの──

異形の鬼に遭遇しても逃げ果せるもの──

異形の鬼を倒す実力を持つもの──

 

それらの条件に当てはまったものだけが鬼殺隊士となれるのだ。

 

あの腹黒狸……王葉は親友の姿を脳裏に浮かべながら心の中で悪態をつく。

王葉が雑魚鬼に遅れを取るはずがないことを百も承知の彼が、防具の面を贈るなんておかしいと思ったのだ。

 

産屋敷耀哉は当然の如く異形の鬼の存在を認識しているだろう。

しかし、選別を受けるものにそのことを伝えるわけにはいかない。

だから防具の面によって遠回しな忠告をしたのだ。

 

「耀哉のやつ……覚えてろよ」

 

心の中で悪態をつき、王葉は改めて鬼と少年を見やる。

 

正直あの少年がどうなろうと興味はないし、助けたところで異形の鬼に遭遇した程度で腰を抜かすようでは最終選別を生き残ることは難しいだろう。

 

助けに入るのは面倒だし、助けたところで王葉にも後々の鬼殺隊にも利益となることはない──だが、あの少年が喰われて鬼がさらなる進化を遂げられても面倒だ。

 

「はあ、面倒だが仕方ない」

 

ため息をつき、立ち上がる。

少年を助けると決めたからにはこれ以上考えるのは時間の無駄。

手早く鬼を倒して水汲みの用事を済ませてしまおう。

 

王葉は両足に力を込め、地を蹴り──少年と異形の鬼との間に躊躇なく割り込んだ。

 

 

 

 

そして時は遡ること数分前。

王葉にこの場を観察されていることなど知る由もない少年は、異形の鬼を目の前に恐怖に震えていた。

 

「だ、誰か助け……ひっ」

 

助けを求める声とほぼ同時に蛙の口から長い舌が飛び出し、少年の身体に巻き付いた。

 

「ん゛ー!んんー」

 

少年は身体を雁字搦めに拘束された上、口を塞がれ声を出すことすらかなわない。

必死に抵抗する少年とは裏腹に、鬼は拘束した少年を引き寄せそっと頬を撫でる。

 

「野暮なことは止めておくれ、妾はそなたをゆっくりと味わいたい」

 

うっとりと、まるで愛しい相手にかけるかのように甘い声で囁き頬を撫でる鬼。

怖い、気色悪い、誰か助けてくれ──鬼の様子とは裏腹に少年の頭の中は嫌悪と助けを求める声でいっぱいだった。

 

「おお可哀想に……よしよし、いま喰らって恐怖から解放してやろう」

 

眼に恐怖しか浮かべていない少年の様子に機嫌を良くした鬼は、それはもう嬉しそうな様子で蛙の口を大きく開く。

 

嫌だ、死にたくない。

家族の仇を取りたくて鬼狩りになろうと決めたのに──なにも成せていない。

 

だが、その状況は突如として終わりをむかえる。

 

「虚刀流──『薔薇』」

 

風に揺れる風鈴のような声が聞こえた直後、衝撃に襲われる──地面に叩きつけられたのだ。

なんだ……いったい何が起きた。

 

状況を理解したいが衝撃で思考が回らない。

 

「な、なんじゃ、なぜ妾の頸が!?」

 

鬼の戸惑う声が聞こえる──誰かが頸を切ったのか……?

かろうじて自由のきく視線を巡らせれば、さきほどまで自身を拘束していた鬼の崩れゆく様と、その傍らに立つ人の姿。

 

鬼の頸を絶ったであろう人物は、こちらも崩れゆく鬼を気にした様子もなく水辺に近づきしゃがみ込み腰に下げていた竹筒を手にとり水を汲んでいる。

この人物は本当に自分と同じ受験者なのだろうか……鬼と瞬殺するだけでなく倒した鬼には目もくれず、水を汲むなんて普通の神経とは思えない。

 

「これでよし、さて次は……ってあんたもう動けるだろ?さっさと起き上がったらどうだ?」

 

「…………」

 

振り返った人物を見て思った。

人形のようだーーと。

足から指先にいたるまで身体の全てが細い、が華奢ではない。

仮面をしているから顔のつくりはわからないが、その均整のとれた身体つきには少なからず心惹かれた。

 

「おーい……聞こえてるのか?」

 

「!?……ああ聞こえてる。助けてくれてありがとう」

 

再度声をかけられ、慌てて身を起こす。

いけない。すっかり見惚れていたが今は最終選別の真っ只中だ。

 

「大丈夫そうなら俺はもう行くから」

 

無事なのを確認すると、仮面の人物は背を向け歩き出す。

 

「あ、あの!本当にありがとう!」

 

遠くなる背に改めて礼を言えば、片手をひらひらと振って返してくれる……少し素っ気無いけどいい人だ。

 

「さて、俺も早く行かなきゃ」

 

うかうかしてたら鬼に見つかってしまう。助けられた少年は奮起し、歩き出した。

 

一方、少年と別れた王葉の心には決意の炎が灯った。

最終選別の闇を垣間たのだ……このまま思考を止めてただ鬼を狩るなんて真っ平御免である。

 

だから可能な限り藤襲山の鬼を狩る。

そして自身の帰りを待つ親友に堂々と帰還報告をしてみせる──と

 

それから鑢王葉は奮闘した。

鬼が潜んでいるであろう場所へと手当たり次第に向かい鬼を狩る。

王葉の目論見通り異形の鬼が何体か潜んでいたし、鬼に喰われそうになっていた者の命を救うことにもなった。

 

王葉自身も怪我を負うこともなく順調に進んでいたが六日目の夜明けを迎える頃、状況が変わった。異形の鬼を倒した直後、度重なる戦闘において磨耗していた武具が壊れてしまったのだ。

 

武具が壊れてしまって以上、鬼狩りを続けることは厳しい──いや、彼の実力であれば鬼を朝日で焼き殺すという戦法も可能だがそれでは効率が悪すぎる。

幸いにして最終選別の合格条件は七日間生き残ることであり、無理に鬼を狩る必要もない。

だから誠に不本意ながら残りの日数は鬼を狩ることなく、過ごすことになってしまったのだ。

 

◾️ ◾️

 

とまあ、鑢王葉の鬼殺の物語──『鬼殺語』はそんな形で始まったのだった。

 

◾️ ◾️

 

 

「……なにこれから壮大な物語が始まるみたいに語っているんだい。しかも残りの2日間鬼を狩らなかった理由をそれっぽく語ってるけど、鎹烏からの報告によると王葉は残りの日数殆ど寝て過ごしていたらしいじゃないか、武器が壊れたことを切っ掛けに飽きただけだろう?」

 

しかもちゃっかり『鬼殺語』なんてちょっと格好いい題名まで付けて──いつもより早口かつ能面みたいな笑顔を浮かべているのは、お館様こと産屋敷耀哉様である。

鑢王葉と二人きりのときには滅多に見せない“能面みたいな笑顔”を浮かべている彼の心境は察するに容易いだろう。

 

「あははは、余りにも血湧き肉躍ったからよ。折角だから耀哉にも同じ気持ちを味わって欲しくて、一生懸命考えたんだ!」

 

考え抜いた結果、最終選別のことを物語調にして親友に語ることにした──そう堂々と言い放った王葉自身も外向きの笑顔を向けているあたり、耀哉と大差ない心境なのだろう。

 

「まったくやってくれたね……一応は心配したんだけどなあ」

 

「心配してくれてありがとうな……“一応”礼は言っておくぜ!」

 

両者ともに輝かしい笑顔だが部屋の空気が寒々しい。しかし二人きりの部屋にそのことを指摘できる者はいないし、できる者がいたとしても指摘などしないだろう。このようなやり取りは耀哉と王葉が互いに何かしらの不満を持った時によく行われる──戯れのようなものだった。

 

「はあ、無事に帰ってきてくれたならもういいよ……さて戯れはここまでにして今後の話をしようか」

 

その言葉と同時に戯れの空気霧散し、ピンっとした張り詰めた雰囲気に切り変わる。

親友のその様子に王葉もまた姿勢を正した。

 

「四季崎季紀という刀鍛冶を知っているだろう?」

 

「……まあ、そりゃあな」

 

誰でも名前くらいは聞いたことのある存在。

剣士剣客が最も輝いた戦国の世を実質支配したと言っても過言ではない伝説の刀鍛冶。

生涯世に送り出した刀の数は千本。彼の打った刀は『変体刀』と呼ばれ、権力者たちが手に入れることを望んだ代物だ。

 

「王葉には鬼殺の任務をこなすのと並行で、四季崎の刀の中でも特に完成度の高い十二本『完成形変体刀』を集めて欲しいんだ」

 

「『変体刀』は全部折れるか錆びるかしてるって聞いたことあるんだが?」

 

「うん。その情報は間違っていない……けれども消失した訳ではないんだ。変体刀は美術品としての価値もある。だから短刀に打ち直されたり、刀によっては破損した状態のまま保存されているものも現存する」

 

そんな状態の刀を産屋敷が欲する理由は差し詰め、四季崎の製造技術を日輪刀へ応用するための研究用といったところだろう。

美術品の蒐集なんてする家柄じゃないことは分かり切っている──そうあたりをつけた王葉は会話の先を促すため口を開く。

 

「……消失した刀と、 集め終わっていない(・・・・・・・・・)刀はどれなんだよ?」

 

まさか産屋敷家が一本も集められていないことはないだろう?

王葉が視線で促せば、耀哉は懐から一枚の紙を取り出した。

 

紙には墨でこう記されていた。

 

絶刀・鉋 打ち直された後、所在不明

斬刀・鈍 収集済

千刀・鎩 消失

薄刀・針 消失

賊刀・鎧 収集済

双刀・鎚 収集済

悪刀・鐚 消失

微刀・釵 収集済

王刀・鋸 消失

誠刀・銓 消失

毒刀・鍍 消失

炎刀・銃 収集済

 

「…………残るはあと一本か」

 

ここで“あと一本だけだ!”なんて楽観視など出来るはずもない。産屋敷の力を使っても所在不明の刀なんて、絶対に厄介物──耀哉の胡散臭い笑顔が輝いて見えるのが何よりの証拠だ。

 

「最後の一本の正確な所在を追えるのは打ち直し前まで、打ち直し後のことは情報が錯綜している上にいまのところ全て外れでね……でも絶刀『鉋』は頑丈さに主眼を置いて作られた刀だから諦められないんだ」

 

それはそうだろう。

使用用途の都合上、磨耗しやすい日輪刀の耐久性の向上は長年の課題。

その重要性は最終選別で武器を壊してしまった王葉にもよく分かる。

 

「刀集めに関しては了解した。あくまで鬼殺隊の任務が優先ってことでいいんだろう?」

 

「勿論。大変なことを頼んでしまうけどよろしくね」

 

「そういう言葉はいい……俺は耀哉の刀だし、そもそもお前のわがままには慣れてる」

 

この幼馴染兼親友との付き合いは誰よりも長い。今更そんな言葉を貰ってもくすぐったいだけだ。

 

「それより、現時点での指示をくれよ。どうせ他にもあるんだろう?」

 

「ふふっ、いまのところ指示は三つだよ」

 

「その三つが重そうだが──聞こうか」

 

「一つ目、『鉋』の所在は私たちの代で必ず突き止めること。近い将来、廃刀令の取締りが徹底される──その前に何としても『鉋』の所在を明らかにする必要がある」

 

「了解。『鉋』の所在は俺が必ず明らかにする」

 

廃刀令が徹底されてしまえば必然的に処分される刀も増える。

そうなれば、本物の『鉋』の所在を追うのは絶望的だろう。

 

「二つ目は、死なないこと。王葉は鬼殺隊として、四季崎の刀の蒐集という重要な任があるけれど、それ以前に産屋敷の刀だ。刀が主人より先に折れてしまっては意味がない。だから……主人より先に死んではいけないよ」

 

「了解。俺は俺自身の役目を果たすまでは死なない」

 

刀が役目を果たす前に折れてしまっては話にならない。

 

予想した通りの重い指示に内心苦笑する。

三つ目はどんな内容なのやら……

 

「三つ目は、先の二つと比較すると軽いものだよ……王葉ならきっと直ぐに終わらせられる」

 

「…………で?」

 

正直嫌な予感しかしない。

 

「鬼殺隊としての最初の任務だよ。鬼を生け捕りにしてくるように──王葉が最終選別で狩ったのと同じ数をね」

 

あ、勿論武器が完成してからでいいよ。

そう言い放った耀哉の表情はとても楽しそうだった。

 

最後に最終選別での行動に対する意趣返しをもってくるなんて、これでこそ我が親友──

 

「了解…………お前はそういう奴だよな」

 

盛大に溜め息を吐いた後、王葉は言葉を返した。

 



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“隠頭領”柱合会議へと参ずる

支援部隊『隠』

怪我を負って戦えなくなった隊士や剣才に恵まれなかった者がそれでも何らかの形で鬼殺隊に貢献することを望んだ者が行き着く先に所属する部隊。

 

故にほとんどの隠は戦闘能力を有していないが、中には隊士と遜色ない実力を持つ者もいる。

特に顕著なのは隠の頭領を務める男ーー鑢王葉だ。

 

隠であるがため専ら後方支援に回ることが多いが鬼殺隊への所属年数は岩柱をも超え最長であり、戦闘能力は柱にも匹敵するのではないかとも噂されている。

 

いま獪岳の目の前で各任務の事後処理に追われている、この男が、だーー

 

上背は六尺を超える大柄で、身体の必要なところに必要なだけ筋肉が付いているといった外見を見れば戦う術を持っていても不思議ではないが、隠に所属している人間が柱と同等の実力を持っているという噂を信じるものは少ないだろう。

2年前に出会った時、彼の戦いを目にするまでは眉唾だろうと獪岳もタカを括っていたものだ。

 

「ん、どうした獪岳?何か気になることでもあるのか?」

 

黙って見つめる獪岳に気がついた王葉に視線を向けられた。

彼の碧と金が混じった不思議な色合いの瞳を向けられると心の中を見透かされる気分になる……まあ、いまのところ見透かされて困るものは無いのだけれども……

 

「いえ、なんでもないです。それよりも今日はもう追加の書類はないですから」

 

「いつもより少なくないか?」

 

「今日は柱合会議があるので処理できるのはこの位が限界でしょう?なので調整してもらいました。特に、今回は那田蜘蛛山の件もあって会議が長引きそうですし」

 

「ああ……確かに今回の会議は長引きそうだ。調整してくれてありがとうな、獪岳がいてくれて助かる」

 

その言葉を聞いて獪岳はくすぐったくなった。

王葉が臆面もなく謝意を述べる人柄であることは理解しているが、彼からこういった言葉を向けられると未だに妙な照れくささを抱かずにはいられないのだ。

 

「…………仕事ですから。それと、これから蝶屋敷に備品取りに行くので必要なものがあれば言ってください」

 

そう伝えれば彼はほんの一瞬固まった。

何か不都合なことでもあるのだろうか。

 

「いやその仕事は別のやつにやらせるからいい。那田蜘蛛山のこともあって今日は蝶屋敷に出入りしている隠も多いからな……それよりも事務処理の手伝いを頼めるか?」

 

なるほど、と獪岳は合点がいった。

那田蜘蛛山での大規模任務で負傷し、蝶屋敷に運び込まれた隊士の中には獪岳が毛嫌いしている喧しい蒲公英頭もいるということは把握している。

二人の関係性を知っている王葉は、獪岳と顔を合わせないようにと気を遣ってくれたのだ。

 

「隊士の病室に近づかずとも済ませられる用事なので大丈夫です」

 

気を使ってくれるところ悪いが、そこまでやられると子供扱いされているようで少々イラッとする。

 

「わかった。なら頼む……と、そろそろ時間だな」

 

王葉はそう呟くと残っていた書類を片付け会議の場へと向かうために席を立つ。

そして部屋を出る直前、入り口付近に立っていた獪岳の肩を軽く叩き、笑いかけた。

 

「明日は久々に時間が取れそうだから、気が向いたら俺の屋敷に来い。稽古つけてやる」

 

そうすれ違いざまに言った王葉は獪岳の返事を待たずに去っていった。

気が向いたらなどと宣っていたが、獪岳が来ることを疑いもしていないのだろう。

 

「すごいなぁ、獪岳さん」

 

「なんですかいきなり?」

 

「頭領が隊士の方に仕事の補佐を頼むだけでも珍しいのに稽古までつけるなんて、今まで見たことなかったです。信頼されてるんですね」

 

そばに立っていた隠は尊敬の眼差しで獪岳に言葉をかけたが、返ってきた言葉は素っ気なかった。

 

「都合よく使われてるだけですよ……」

 

とは言いつつも悪い気はしていないのは声音から察せるのだがーー

 

▪︎ ▪︎

 

拝啓 腹黒狸の親友へ

 

新緑の候、ご健勝にてお過ごしのこととお慶び申し上げます。

風薫るさわやかな季節となりましたがいかがお過ごしでしょうか。

柱たちが勝手に盛り上がっているので早めにお越しいただけますと幸いです。

 

柱合会議の場へと到着するとともに目に入った光景を見て、王葉は心の中でそう呟いた。

 

鬼への憎悪が一際強い実弥は軽く暴走し始めており、隠から鬼の入った箱を奪っている。

正直見なかったことにしたいが、立場上、止めないわけにもいかない。

 

「鬼殺隊として人を守るために戦えるゥ?そんなことはなァ、ありえねぇんだよ馬鹿……」

 

「そこまでだ不死川。勝手な行動は慎め」

 

いよいよ、実弥が鬼を刺そうと刀を抜いた一瞬の隙に箱を奪い、天高く上げる。

 

「何しやがる鑢ィ、鬼の入った箱を返せぇ……」

 

鬼への憎悪と怒りをそのままに睨みつけてくる実弥。

これは完全に頭に血がのぼってるな、前の任務で嫌なことでもあったんだろう。

 

「それはこちらの台詞だ。お前の私的な感情で俺の部下を困らせるな」

 

「ああ゛⁉︎俺たちは鬼殺隊だァ、鬼を斬って何が悪い?」

 

「……竈門隊士及び、鬼の少女を拘束し本部へ連れ帰るべしと伝令があったことは知ってるだろうが?そんな特例が鬼殺隊の当主から下ったんだぞ、個人の判断で処分することの意味をよく考えろ」

 

「ッ⁉︎……ぢッ」

 

その言葉に冷静を取り戻した実弥は大きな舌打ちとともに刀を鞘に収めた。

不服ながら、王葉の言っていることが正論であることは理解できる。

 

実弥が刀を完全に鞘に収めるのを見てから、王葉はため息をついて他の柱に視線を向ける。

 

「まったく、お前らも止めろよな……」

 

「あら、私は一応止めましたよ?」

 

しのぶがすかさず茶々を入れてきたが、軽く言葉をかけただけで本気で止める気など全くなかったであろうことは現場を見ていなくとも分かる。

 

「“一応”だろ?」

 

あわよくば、そのまま鬼の頸を斬ってしまえとでも思っていたに違いない。

しのぶの鬼への憎悪の強さは実弥と良い勝負なのだからーー

 

「ね、襧豆子ぉ……」

 

そして聞こえるかすれた声。

音の方向を見てみれば、後ろ手に拘束された少年が王葉の持つ箱を必死の形相で見つめていた。

 

「お前も、鬼殺隊に所属したのなら自身の行動が周りに与える影響を考えてから行動しろ」

 

王葉は鬼を連れた件の問題隊士、竈門炭治郎を見つめて静かに告げる。

 

年若い上に鬼殺隊に入ってから日が浅い炭治郎にはまだ難しいことだろうーー

だが鬼を連れた鬼狩りの存在は鬼殺隊史上、類を見ない。

 

炭治郎には自分の立場を理解してもう必要がある。

 

「お前の行動ひとつで他者の人生が滅茶苦茶になる可能性があることを自覚しろ」

 

「あ、その……」

 

炭治郎は真っ直ぐ王葉を見つめているが、言葉が見つからず黙り込んでしまったーー

 

「王葉ーーそこまでにしてあげて」

 

直後、耳心地の良い声音がその場に響くーー

その瞬間、柱たちは一斉に膝をついた。

 

「遅いんだよ……」

 

王葉も当然の如く膝を折り、頭を下げるが発せられた台詞は己の主人に対する悪態である。

最も、ほんの小さな声が故に聞こえていたのは耳の良い宇髄くらいだろう。

 

 

 

そして、産屋敷耀哉から柱への説明がなされる。

竈門炭治郎及び、襧豆子を容認していたことーー

襧豆子が二年以上もの間、人を食わずにいたことーー

もしも襧豆子が人に襲いかかった場合は竈門、鱗滝、冨岡が腹を切ることーー

 

実弥や杏寿朗は説明を受けても鬼を処断するべきという姿勢を崩さず、実弥に至っては切腹するなら勝手に死ねとまで言う始末。

 

「勿論、同門の者からの報告では信用できないという声もあるだろう?だから王葉にも炭治郎を見てもらっていたんだ。王葉、報告をーー」

 

耀哉に促された王葉は顔を上げずに口を開く。王葉の口から語られたことは要約するとこうだ。

 

王葉は竈門炭治郎が妹と離れて最終選別を受けている間に鱗滝の元を訪れていた。

報告にあったとおり、鬼の少女は人を襲う様子はなかった。

そのまま数日間、見張っていたものの状況は変わらずただ懇々と眠るのみであった。

 

勿論それだけで信用するわけにはいかないーー

 

そのため、炭治郎が正式に隊士となった後も鎹烏を通じてずっと監視を続けていた。

だが竈門襧豆子は人を襲う片鱗すら見せなかった。

戦いにおいて、どんなに傷を負おうとも人を守るために兄とともに戦っていた。

 

そして那田蜘蛛山では斬りかかる隊士に反撃することもなく回避のみに徹していた。

 

「ーーよって、隠頭領 鑢王葉の名において鱗滝及び、冨岡の報告に嘘偽りなしと判断いたします」

 

王葉は静かにそう締めくくった。

 

「襧豆子が二年以上もの間、人を喰わずにいるという事実があり、三人の者の命が懸けられているーーそして、隠頭領である王葉が報告に偽りなしと判断している。これを否定するためには、否定する側もそれ以上のものを差し出さなければならない」

 

耀哉の言葉に先ほどまで騒がしかった杏寿郎は黙り込んだが、実弥は納得ができず唇を噛み締めている。

 

「それに炭治郎は鬼舞辻と遭遇している」

 

耀哉の言葉を機に柱たちは一斉に騒がしくなり、やれ鬼舞辻の能力だ、根城は突き止めたのかと捲し立て炭治郎に詰め寄ったーー

が、すぐに耀哉の牽制によって鎮まりかえった。

 

「鬼舞辻はね、炭治郎に向けて追手を放っているんだよ。単なる口封じかも知れないが、私は初めて鬼舞辻が見せた尻尾を掴んで離したくない。恐らく襧豆子にも、鬼舞辻にとって予想外の何かが起きているのだと思うんだ。分かってくれるかな?」

 

流石に耀哉がそこまで言えば柱は静まりかえるが、実弥は青筋を浮かべて吼えた。

そして鬼の醜さを証明してやると腕を切り裂く。

 

「鑢、鬼の入った箱をよこせえ……」

 

「負傷した稀血の人間がすぐそばにいたときの反応も先程報告したはずだが?」

 

報告が信用できないとでも?ーーそう言外に伝える王葉に実弥はさらに吼える。

 

「鬼側が負傷した状態で稀血と相対した場合の確認はしてねえよなあ?だからこの場で確認してやる」

 

そう言って実弥は王葉から箱を奪いとり、刀を突き刺すも、その後は何とも呆気ないものだった。意気揚々と日陰で襧豆子に血の滴る腕を見せるも、襧豆子は不死川を少しの間睨みつけるのみでそっぽを向いた。

実弥の稀血にすら耐えるとは大したものだ……まあ、兄の呼びかけがあったからというのも大きそうだがーー

 

そして襧豆子を生かしておくことに面と向かって反対するものがいなくなり、炭治郎の決意表明がなされた頃だった。耀哉が王葉へと視線を向けて、話し始める。

 

「……それと、王葉の意見も聞かせてくれるかい?」

 

(は?何を今更……)

 

それはある種の不意打ちだった。

 

二人は古い付き合いなのだから、王葉が襧豆子の処遇に異論がないことは聞かなくても分かるだろう。

 

そう思った王葉が顔を上げれば、まっすぐとこちらを見つめる耀哉と目が合う。

すでに光を映すことのない瞳だが、この世の誰よりも長い付き合いの耀哉が考えているかは理解できるし、その逆も然り。

 

耀哉も王葉の考えは理解しているし、それは同一である。加えて隠頭領として襧豆子に危険がないと判断を下したことも話した。

 

なら何故わざわざ王葉の考えを問うのか、その理由は明白でーー

 

「王葉の判断は聞かせてもらったけど、意見そのものはまだだからね」

 

(コイツ……!体裁保つために自分の考えを俺に言わせようとしてやがる!)

 

耀哉の率直な考えを話せば、鬼殺隊の当主に不信や嫌悪を抱く者が出てくる可能性があるため直接語ることは憚られる。

 

だからこそ王葉を身代わり……現代で言うところのスケープゴートにするつもりなのだ。

 

(仕方ねえな……)

 

王葉は心の中でため息をつき、口を開いた。

 

「長きに渡る鬼殺隊の歴史上、人を喰わない鬼が存在したという記録はありません。そのような特殊事例は生かしておいて理由を突き止めるべきかとーー理由さえわかれば、鬼の被害を減らせる可能性がありますので、反対する理由はありません。ただ、竈門、冨岡、鱗滝の責任の取り方については大いに不服です。柱が死ねばその皺寄せは必然的に一般隊士や隠にも及び、結果として鬼の犠牲者が増えることとなる」

 

柱という最高戦力の消失によって鬼殺隊が被る被害は甚大だ。

そんなことは断じて認められない。

 

「王葉、すべて言うといい。王葉が求める罰は何なんだい?」

 

「竈門隊士は自刃、冨岡は足手纏いと判断されない限りは除隊を禁ずること、そして鱗滝左近次の隊士復帰となります。死が罰など生温い……鱗滝も老いたとはいえ元柱、雑兵程度には使い物になりましょう」

 

王葉の声音にはまるで物が話しているかのように抑揚がなく、何の温度も感じられなかった。その意見を聞いた殆どの者は体を強張らせるも耀哉は相変わらず穏やかな笑みを浮かべて言葉を発した。

 

「義勇、炭治郎、王葉の言葉はとても厳しいけれど皆を思ってのことだ。だから気を悪くしないでほしい」

 

「御意」

 

「は、はい勿論です!」

 

(相変わらず白々しい……)

 

自身は鬼殺隊の優しく尊敬される父としての立場を崩さず、冨岡には己の立場と命の重さを、炭治郎には己の立ち位置の危うさを再認識させる耀哉の様子に、王葉は心の中で軽く悪態をついた。とはいえ竈門炭治郎の話題については終わりそうだーーと、思ったところにもう一波乱。

 

竈門炭治郎が蝶屋敷に行く前に不死川に頭突きさせろと騒ぎだし、屋敷の柱にしがみついたまま離れなくなったのだ。王葉の部下でもある隠は必死に引き剥がそうとしているが炭治郎が離れる気配はなく、一部の柱たちもイラつき始めている……仕方ない。

 

「炭治郎……」

 

「っ!?」

 

王葉は静かな、だが少しだけ穏やかさを感じさせる声音で炭治郎に声をかけた。名を呼ばれた炭治郎は王葉の方を振り向き、彼と目が合うと途端に大人しくなる。

 

「一番最初に俺が言ったことを忘れたか?」

 

“鬼殺隊に所属したのなら自身の行動が周りに与える影響を考えてから行動しろ”

 

王葉が炭治郎と出会ってから一番最初の言葉。それを思い出した炭治郎は急に大人しくなり、屋敷の柱から手を離した。

 

「すみません。俺……」

 

「わかったならいい。早く蝶屋敷に行って治療を受けろーー妹の存在を認めさせるんだろう?」

 

素直に謝罪の言葉を発した炭治郎に、王葉は穏やかな笑顔を向ける。

 

「はい!あの、本当にすみませんでした!」

 

そして元気よく謝罪をした炭治郎は大人しくなり、やがて隠に連れられて蝶屋敷へと向かう。

 

去り際に耀哉が余計な一言をかけたせいで一瞬その場に留まりそうになったが、王葉の部下のおかげで速やかに連行されていった。

 

 

▪︎ ︎ ︎ ▪︎ ︎ ︎

 

 

行灯の橙色の明かりに照らされた部屋。

報告終えたものたちは鬼殺隊当主の言葉を黙して待っていた。

 

「皆の報告にあるように、鬼の被害がこれまで以上に増えている。人々の暮らしがかつてなく脅かされつつあるということだね。鬼殺隊員も増やさなければならないが、皆の意見をーー」

 

耀哉から促された後、最初に口を開いたのは風柱の実弥だった。

 

「隊士の質が信じられない程、落ちている。殆ど使えない。まず育手の目が節穴だ。使えるやつか使えないやつか位わかりそうなもんだろうに……一部の隠の方がずっとマシだ」

 

「確かに一部の、ある程度戦闘能力を持った隠は使える奴が多いな。それに鑢の補佐をしいる雷の呼吸の隊士、あいつも見所がある」

 

実弥の言葉に続くのは音柱の天元だ。

顎に手を当て、どこか揶揄うように王葉に視線を向けて言う。柱の中では二番目に王葉との付き合いが長い彼は、王葉が特定の誰かに目をかけるという初めての事態が面白くて仕方ないのだ。

 

「ようやく見つけた補佐要員で、稽古までつけてるんだ。当たり前だろ……引き抜くなよ」

 

「へいへい」

 

王葉は声音と視線で軽く天元を牽制するが、されている本人はどこ吹く風だ。天元に引き抜く気がないことは分かっているが、気が変わって声をかけられてしまったら面倒なので一応の保険はかけておくに越したことはない。

 

「人が増えれば増えるほど制御統一は難しくなっていくものです。今はずいぶん時代も様変わりしていますし……むしろ隠の方々はあれ程の人数がいるのによく纏められますよね」

 

蟲柱のしのぶが社交辞令的に賛辞の言葉を述べるが、隠の内情を考えると感心するほどのことでもない。

在籍するもののほとんどは何らかの理由で隊士になれなかったものか、引退を余儀なくされた元隊士だ。それ故に実は隊士以上に執念深いものが多い。

 

そして隊士ほどではないが隠も命がけだ。鬼殺隊として生き残るためには団結するしかない。そのことを皆知っているだけという話で、むしろ感心すべきは隠の統率力ではなく執念だ。

 

「愛するものを惨殺され入隊したもの、代々鬼狩りをしている優れた血統をしているもの以外に、それらのものたちと並ぶ、もしくはそれ以上の覚悟と気迫で結果を出すことを求めるのは残酷だ」

 

岩柱の行冥が涙ながらに語るが、彼の話に出てきた事情を持つもの以外は一部の例外を除いて鬼殺隊に入らないか最終選別で死ぬので問題は別のところにある可能性が高いのだが、藪蛇なので面と向かって異論を唱えるものはいない。

 

「それにしてもあの少年は入隊後まもなく十二鬼月と遭遇しているとは引く力が強いように感じる。中々合間見える機会のない我らからしても羨ましいことだ」

 

炎柱の杏寿郎が言う通り、炭治郎の引きの強さは目を見張るものがある。正直、あれこれ手を尽くして鬼舞辻や十二鬼月の足取りを追うより、誰かひとり炭治郎に付けていた方が効率が良いかもしれないーー次に彼が十二鬼月と遭遇することがあったら、獪岳をつけてみるかと王葉は思案する。

 

「そうだね。しかし、これだけ下弦の伍が大きく動いたと言うことは那田蜘蛛山近辺に無惨はいないのだろうね。浅草もそうだが、隠したいものがあると無惨は騒ぎを起こして巧妙に私たちの目を逸らすから」

 

「鑢、鬼舞辻の根城は突き止められなかったのか?貴様のことだ。例の浅草での一件以来、当たりをつけて探っていたのだろう?」

 

耀哉の言葉を聞いて、蛇柱の小芭内がネチネチと追求するような視線と言葉を王葉に向ける。

 

「当然。だが尾行の烏は直ぐに惨殺。鬼舞辻が紛れ込んでいた家族を突き止める頃には関係者一同全滅だよ」

 

絶対に口には出さないが、無惨の証拠隠滅の徹底っぷりが鮮やかすぎて敵ながら天晴れ、と王葉が感心してしまった程である。まあ、そういったことに関しては誰かさんも負けていないのだがーー

 

「なんとももどかしいね。鬼どもは今ものうのうと人を喰い、力を付け生きながらえている。死んでいったものたちのためにも我々がやることはひとつ。今ここにいる柱は戦国の時代、始まりの呼吸の剣士以来の精鋭たちが揃ったと思っている……それに、戦国の世とは異なり今は虚刀流を受け継ぐものもいる」

 

耀哉はそこまで言うと、姿勢を改め目の前に座するものたちを真っ直ぐ見つめる。既に視力の失われた瞳だが、彼には皆がどの様な顔をしているかありありと分かる。

 

「宇髄天元、煉獄杏寿郎、胡蝶しのぶ、甘露寺蜜璃、時任無一郎、悲鳴嶼行冥、不死川実弥、伊黒小芭内、冨岡義勇、そして鑢王葉ーー皆の活躍を期待している」

 

「御意」

 

鬼殺隊当主の言葉、一同口を揃えてそう言った。

 

 

▪︎ ︎ ︎ ▪︎ ︎

 

 

柱合会議が終わり、月が空高く昇った頃ーー

 

月明かりに照らされた柱も己の娘もいない部屋で、耀哉はひっそりと座っていた。

 

「鬼舞辻無惨、何としてもお前を倒す」

 

穏やかな声音で紡がれた言葉は一族の悲願。

声だけでなく表情も穏やかだが心の中は怨恨に満ちている。

 

「お前は必ず私たちが……」

 

「やめとけよ。恨み言ばかりだと自分の気も滅入るぞ」

 

耀哉の言葉を遮ったのは彼の従僕であり、親友の王葉だ。王葉は耀哉の返事を待つことなく部屋に入り、彼の前にあぐらをかいて座る。柱合会議の時とは比べものにならない気安さだが、これは二人きりであるからこそのものなので耀哉も咎めることはしない。

 

「おや、書類仕事は終わったのかい?」

 

「ああ、獪岳が調整してくれたからな。急ぎのものは終わった」

 

「ふふ、彼のお陰で王葉の負担が減ったのならよかった。では、隠頭領の報告を聞かせてほしい」

 

柱のいないこの場、この時に二人の間で話される事柄は、隠による隠蔽工作にかかった予算や隠蔽手段、根回しした組織の情報、そして隊士の管理状況など多岐にわたる。

 

王葉は一通りの報告を終えると神妙な面持ちで口を開いた。

 

「……状況は正直厳しい。壬申戸籍(じんしんこせき)制度が導入されてから、鬼殺に伴う隠蔽が難しくなってきてる」

 

王葉の言う、壬申戸籍とは日本で初めて導入された全国的な戸籍制度である。この制度が導入される以前は藩ごとに行われていた戸籍の管理が、壬申戸籍によって全国的に行われるようになり、より厳格的に国民が管理されるようになったのである。

 

「今は出生も死亡もまだまだ届けのないものが多い上に制度自体に不備があるからなんとかなっているが、戸籍制度が確立されてしまえば政府非公認組織である鬼殺隊は間違いなく犯罪集団認定されるだろうな」

 

そしてこれは完全に余談だが、王葉の言う通り壬申戸籍には不備が多く、施行されてからわずか十数年で廃止されることとなる。

 

「鬼は死ねば死体が残らない。だから被害者の出た現場を見た第三者の目には隊士が殺人を行ったとしか映らない……それは行冥が身をもって経験している」

 

王葉の懸念は耀哉にもよく分かる。これは鬼殺隊が発足した当初からの問題で、その度に方々への根回しに手を焼いてきたのだ。

 

「ま、鬼殺も殺人だから別に間違っていないが……」

 

「王葉……」

 

身も蓋もない言い方に耀哉が咎める様に王葉の名を呼ぶが、王葉自身はそれを鼻で笑って言葉を続ける。

 

「戸籍上の扱いは鬼も人間だろ。だから鬼殺隊は政府の公認組織にならない。一般隊士はともかく柱連中にはその認識持たせたほうがいいと思うがな……でないと鬼殺隊の立場が悪くなってきたときに取り返しがつかなくなるぞ」

 

「わかっているよ。でも身体的な負担の多い剣士たちに精神的なものまで背負わせるのはね」

 

歴戦の戦士でもある行冥や天元は察していそうだが、その他の柱たち……特に蜜璃やしのぶ、義勇あたりに与えるであろう精神的な衝撃とその後のことを考えると、隠だけで対応出来るうちは自覚を持たせることは控えたいのだ。

 

「俺たち隠の負担はいいのかよ……大体お前は隊士甘やかしすぎだ。昼間も煉獄のやつが竈門を斬首しろって言ってたらしいじゃねえか。せめて鬼でない奴を斬首したら立派な殺人犯になると認識させろ。今は非公認とはいえ一部の政府連中が裏で鬼殺隊の援助をしてくれているから戸籍の偽造もできるが、何かあればすぐに手を切られるぞ」

 

「そこは、ほら優秀な隠たちが上手くやってくれるだろう?」

 

「お、ま、え、は〜〜!」

 

王葉は隊士を甘やかすばかりで殆ど叱らない当主には頭を悩ませており、常日頃から文句を言っているが暖簾に腕押し状態でちっとも治らない。

昼間の裁判のあとに耀哉が言っていた伊黒と不死川への小言も如何なものかと思っている。何が‟下の子に意地悪をしないこと”だ。

 

‟鬼殺隊を支える柱は下の階級の隊士の模範となるべき存在なのだから、任務の場以外でも感情を抑える術を身に着けろ”くらい言えよ!

 

「そう怒らないでよ母さん」

 

「誰が母さんだ!こんな子供に甘い亭主を持った覚えはねぇ、お前本当いい加減にしろよ!」

 

王葉は割と真剣に話しているのに耀哉は茶化してくるのでイラっとさせられる。

正直、耀哉が呪いに侵されていない健康体だったら首元の衣服を掴んで前後に揺さぶっているところだ。

 

「ふふっ、王葉と隠たちにはいつも感謝している。ありがとう」

 

少し楽しそうに、穏やかに笑う耀哉。

 

「……お前の言葉には何の価値もないから本当に感謝しているなら休みをよこせ」

 

耀哉が本心から労いの言葉をかけているなら受け取るが、それが社交辞令であるならばいらない。ちなみに今のは半々くらいだ。

そんなお飾り貰うくらいなら休みが欲しい。明日は久々に丸一日休みだが、最後にまとまった休みをとったのはいつだっただろうか……

 

「それは難しいかな、代わりにお給金は弾むからそれで我慢してね」

 

それはそれ、これはこれとハッキリ告げる耀哉は先ほどとは打って変わって胡散臭さ全開だった。

 

「金もらっても使う時間がなきゃ意味ねーんだよ!」

 

実はとてつもなく金のかかる趣味を持っている王葉だが、多忙すぎて散在する機会が中々ない。そして鑢家は数世代前から産屋敷に仕えるようになったが、歴代の鑢家当主は王葉と同様に多忙だったため鑢家の資産は莫大なものになっている。要はいくら金をもらっても全くもって嬉しくないのである。

 

「チッ……もういい、俺は帰って寝る!」

 

報告は終えた上に、これ以上は何を言っても無駄であると判断した王葉は荒々しく立ち上がり部屋の出口へと向かう。

 

部屋を出る直前、王葉はふと立ち止まってーー

 

「それと、知っているだろうが明後日からしばらく本部を留守にする。急ぎの用があれば烏を通して連絡してくれ」

 

「わかっているよ。王葉、身体に気をつけて……よろしくね」

 

何を、とは言われなくとも分かっている。

王葉は親友の言葉には答えず、そのまま静かに部屋を後にした。

 



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列車と刀の行き先は──

その人は生まれて初めて出会った匂いのしない人だった。

 

いや、柱合裁判のときは少し距離が離れていたから感じなかっただけで、もしかしたら近くに行けば変わるのかもしれないが、そうだとしてもとても匂いの薄い人だ。

 

顔が傷だらけの柱……不死川さんから襧豆子を守ってくれたから多分悪い人じゃない。でも厳しい、そして優しい人なのだと思う。

 

それが件の問題隊士、竈門炭治郎が鑢王葉に抱いた第一印象であった。

 

そして柱合裁判の後──

 

「お前ふざけんなよ‼︎頭領の手ぇ煩わせてんじゃねえ!あの人すっげぇ忙しいんだぞ!叱られる前に大人しくしろよ!しかもこの短時間で二回も叱られてたじゃねえか!」

 

炭治郎は、お館様の屋敷から蝶屋敷までの道のりで隠に盛大に怒られていた。

 

「謝れ!俺たちじゃなくて頭領に!もう一度しっかり謝っとけよ!」

 

怒り心頭で炭治郎の頬を人差し指でぐりぐりと突く隠の男性。

結構痛いので正直やめて欲しいが迷惑をかけたのは自分なので炭治郎は甘んじて受け入れる。

 

「は、はい。謝っておきます。あ、あの鑢さんって人はいったい……?」

 

頬を突かれながらもなんとか炭治郎が質問すると、隠の男性は怒りの興奮冷めやらずといった様子ではあったが答えてくれた。

 

「話聞いてたなら分かってるだろうけど、あの人の名前は鑢王葉、俺たち“隠”をまとめる頭領だよ」

 

「あ、それは話の流れから何となく理解できました。俺が聞きたいのはそこじゃなくて……あの人、匂いがしないのに只者じゃない気がするというか──」

 

柱合裁判で王葉と並んでいた柱たちからは強者の匂いがしたが、彼にはそれが無かった。

そして、とても背が高くて綺麗な青い目であるところ以外は特に変わった容姿ではない。

 

(あ、でもお館様ほどではないけれど王葉さんの声を聞くとなんだか落ち着いたな……)

 

低くて聴き心地の良い声だった──とまあ、そんな細かいところを思い出したくなるほど、炭治郎は鑢王葉という男のことが妙に気になるのだ。

 

ちなみに王葉の声については、ただ良い声というだけで産屋敷耀哉のような特殊能力はない。精々、閨で相手をその気にさせる程度にしか使い道はないだろう。

 

「お前の言う匂い云々についてはよく分からねえが、あの人が只者じゃないのは事実だ。その辺の隊士……いや、恐らく柱の方々にも引けを取らない実力者だからな」

 

「え、でも鑢さんって“隠”なんですよね?その……隠の人たちって後援部隊なんじゃ?」

 

「別に隠だからって戦えないわけじゃねえぞ?俺とこいつは無理だけど一般人なら簡単に組み伏せられる程度、すげえ弱い鬼なら倒せる奴もいる。まあ、頭領はその中でも別格だけどな」

 

隠にも戦闘能力を持つものがいるというのは初耳だったので少し驚いたが、よくよく考えてみれば不思議なことではない。鬼の存在がなかったとしても世の中はまだまだ物騒だ。田舎には未だに野党が出るし山奥には熊や猪などの獣だっている。鬼殺隊に所属している以上は必然的に夜間の行動が多くなるのだから身を守るためにも隠が戦う術を持つ必要もあるだろうと炭治郎はそう予想付けた──実はこの予想、当たらずとも遠からずである。

 

「でもそんなに強いのにどうして隠を……ってすみません」

 

炭治郎は最後まで言い切ることはせず、謝罪した。その言葉は隠に対する侮辱だと気づいたからだ。一方、隠の男性は淡々と口を開いた。

 

「その疑問を持つことは普通だし、お前は入隊して日も浅いから別にいい。ただ鬼殺隊には色々な事情を持っている奴らがいる。だからその発言は他でするんじゃねえぞ?」

 

「はい。気をつけます」

 

彼は全く気にしなかったが、皆が皆気にしないわけではないので念のため忠告すると炭治郎も素直に頷いた。

 

「おう気をつけろ。んで、どうして頭領が隠やってるかについてだが……」

 

その時、隣からカタカタという音が聞こえた。炭治郎が音のした方を見てみれば、襧豆子の入った箱が微かに揺れている。

 

そして箱を背負っていた女性の隠も気づいたのか首をかしげながら口を開いた。

 

「あら、お腹でも空いたのかしら?そういえば、この子は何を食べるの?」

 

「え、ええと……襧豆子は鬼になってから何かを食べたことが無いんです」

 

言いにくいことを聞かれたが下手に誤魔化すと余計な疑念を生みかねない。そう判断した炭治郎が正直に答えると隠の女性は目を見開いて驚嘆の声をあげた。

 

「えっ?二年以上何も食べていないの⁉︎この子、どうやって生きてるの?」

 

「それがよく分からなくて、眠ることで体力を回復してはいるようなんですが……」

 

「……そうなの、お兄さんとしては心配ね」

 

炭治郎の困惑した表情を見た隠の女性はそれ以上の追求はせず労いの言葉をかけてくれた。

 

「はい、ありがとうございます」

 

こんな風に誰かから労りの言葉を貰ったのは久しぶりで炭治郎は心が暖かくなる。裁判で初めて顔を合わせた柱もほとんどが襧豆子の存在を否定し、排除しようとしたし、比較的好意的な態度を取ってくれた善逸も最初はびくびくと怯えていたのに、この人たちにはそれがない。

 

「あなたたちは襧豆子を怖がったりしないんですね」

 

「頭領が危険がないって判断した鬼だからな、お前の妹は特別だよ」

 

何事でもないかのように言われたが、炭治郎にとっては一種の救いのようなものである。

信用されているのは炭治郎と襧豆子じゃなく、鑢王葉の判断だとしても──

 

「それでも、受け入れてくれる人たちがいるというのは嬉しいです」

 

「別に礼をいわれるほどのことはしていない。確かに鬼は憎いし怖いが、それはあくまで人間を襲うからだ。そうじゃないなら必要以上に怖がらねえよ……俺たち鬼殺隊の目的は、あくまで鬼舞辻無惨の打倒だ」

 

「冷静、なんですね」

 

「当たり前だろ。じゃないと死ぬからな」

 

「それも大勢ね」

 

そう言った二人の声音は、今までと全く同じなのにとても冷たく感じて、炭治郎は思わず鳥肌がたった──そうだ、当たり前のことだが皆、命懸けなのだ。

 

隠は後援部隊という立場上、それをより強く認識し自身の行動がどれほどの影響を与えるのかを考えている。個としての力ではなく、集団としての団結力が求められるから──

 

(すごい、隠の人たちも鑢さんも……)

 

柱や一般隊士とは異なる覚悟と強さを持つ存在に炭治郎は感嘆した。自身も隊士として強くならなくては、襧豆子を人間に戻すためだけじゃない。自身に協力してくれて人たちに報いるためにも──

 

そう新たに決意を胸にした炭治郎だが、何故王葉が隠をしているかの疑問はすっかり抜け落ち、後日別の人間に尋ねることとなる。

 

 

■ ■

 

 

“炎柱”煉獄杏寿郎から見た鑢王葉は正に質実剛健という言葉が似合う男だ。

普段の鑢は物静かで温厚であり隠の頭領として常に俯瞰して物事を見定め、的確に隊士たちの補助に回っている。

 

そして彼は鬼狩りとしての実力も申し分ない。

 

杏寿郎が王葉の戦う様を見たのは数えるほどしかない──いや、“戦う”というよりは“技を奮う”と表現する方が正しいのかもしれない。何故なら杏寿郎が見た王葉の技は全て一撃必殺であり、王葉と対峙した鬼は尽くなす術なく消え去ったのだ。実に鮮やかに鬼を屠る鑢王葉の姿を見て、彼もまた弛まぬ研鑽を積み己を磨きあげてきたのであろうことは察するに容易かった。

 

彼の扱う流派は刀を使わない一子相伝の剣術『虚刀流』

 

刀を扱わずして剣士、剣術とは此れ如何に──と普通は思うだろう。だが己を一本の日本刀として鍛え上げ、戦いにおいても手刀、足刀を主として戦うのであれば、なるほど剣術と称するにふさわしいと杏寿郎は納得したものだ。

 

「へ〜、只者じゃないと思っていたけど、やっぱり鑢さんって凄い人なんだ!」

 

「てか鬼を一撃で斃すって何⁉︎何でそんな人が隠なんてやってんの⁉︎俺と代わってよ‼︎」

 

「そんなに強え奴なのか!今度勝負してやる!」

 

杏寿郎の話に関心、嘆き、興奮の声を上げたのは任務地でもある列車の中で先程出くわした竈門、我妻、嘴平の三名だ。

炭治郎が戦いに応用したというヒノカミ神楽について杏寿郎に尋ね、その話題が一段落したところで王葉についても尋ねたのだ。

 

「ところで急に鑢のことを聞きたいとは、何か気になることでもあるのか?」

 

「ええと、上手く表現できないんですけど妙に気になるんです」

 

炭治郎は煮え切らない様子で言葉を噤む。妙な縁でも感じたのかもしれないと杏寿郎は適当に当たりをつけ、それ以上の追求はしないことにした。

 

「ふむ、まあ鑢の存在は鬼殺隊でも異彩を放っているからな!気になる隊士は多いだろう!だが鑢は隠だからといって鬼を狩らない訳ではないぞ黄色い少年!」

 

それよりも今は王葉を羨むかのような発言をした善逸を諫めるべく、杏寿郎は言葉を発する。

 

「俺の名前は我妻です、ってまさかその鑢って人……」

 

「うむ、鬼狩りと隠の仕事を兼任している!最近は我々隊士の補助に回ることが多くなってきてはいるがな!」

 

勘の良い善逸は王葉の仕事内容について検討がつき、まさかと顔を青ざめれば杏寿郎も肯定の意を示した。

 

そう、鑢王葉は隠の頭領を務めながら時には鬼殺の任に駆り出されることもあるのだ。

いまは柱の定員が全て埋まっている上に補佐役の隊士が付いたため、王葉の多忙さも以前よりはマシになったが柱に穴が空いている状態での王葉の多忙振りを見ていたものたちは皆一様に彼を心配していたものだ。

 

「ひいいい!ホント何なの!人間なのその人⁉︎」

 

善逸は鬼へのものとは全く別の種類の恐怖を

感じていた。一般隊士も命がけだが、王葉の場合はそれに加えて隠としての仕事もこなしているというのだ。

 

死に場所が机の上というのもあり得る話だと、善逸の背筋に冷たいものが走る。

 

「やっぱり代わってくれなくていいわ!」

 

「あ、あの鑢さんはどうして隠の頭領をされているんですか?」

 

「うむ!理由は単純だ。そもそも“個”よりも“集”としての能力が必要とされる隠には統べるものの存在が必要不可欠だ。そして頭領としての理想的な条件に当てはまっているのが鑢なんだ」

 

世の中には鬼の仕業のように見えて、実は人間が起こした事件というのも多々存在する。事件の犯人が鬼か人か判別がつきにくいものに隊士の人員を割くことは万年人手不足の鬼殺隊としては避けたい。だが事件を放置する訳にもいかず、かと言って戦闘能力のないものを調査に当たらせれば高確率で犠牲者が出る──

 

そのような事情がある場合、白羽の矢が立つのが戦闘能力を持つ隠であり、さすれば必然的に隠の頭領には優れた統率能力と戦闘能力が求められる。

 

そして鑢王葉の戦闘様式は手刀、足刀を主としているため、武器がなくとも戦える。

 

「そうか、人間相手に武器を振るうことは極力避けなきゃいけないから、武器がなくとも戦える鑢さんは……」

 

「ああ、まさに隠の頭領としては理想的だ」

 

また、鑢王葉の扱う流派は隊士が扱う呼吸とは全く異なるものであり、その特性から柱のような『継子』を持つことが困難な点も鑢王葉が隠頭領の座につくことを後押しした。

 

呼吸の剣術は様々な種類があれど、元を辿れば祖は同じだが『虚刀流』は何から何までが別の流派だ。また平均一年の修業で最終選別を受ける呼吸の剣士とは異なり、習得するまでには最低でも数年の修業を必要とする。

そのため、剣士を鍛えることはできても虚刀流の継承者を育て上げることは鬼殺隊に所属している以上は難しい。

 

「そういった事情があったんですね。納得しました!ありがとうございます」

 

「うむ。また何か気になることがあったらいつでも聞くといい!」

 

元気よくお礼を言った炭治郎に杏寿郎も朗らかに返す。

 

実のところ、王葉が隠に所属している一番の理由は彼が探し物をする上で都合が良いからなのだが、王葉の探し物については柱と王葉の補佐である隊士、そして一部の隠しか知らない極秘事項なので一般隊士の炭治郎、善逸、伊之助には説明されなかった。まあ、前述の理由だけでも大抵の隊士は納得するので問題はない。

 

(そういえば鑢も任務でこの辺りを訪れていたな……そろそろ件の探し物が見つかってくれれば鑢の負担も減るのだが)

 

だが産屋敷が総力を上げて四季崎の刀を探してから百年近くが経過しても見つからないとなると最早──

 

「切符…拝見…致します……」

 

そう杏寿郎が物思いに耽りそうになったとき、頬のこけた車掌が切符の確認に現れた。

列車に乗ればごく当たり前のことだ。

 

だから、それが敵の罠だとは夢にも思わなかった──

 

 

 

■ ■

 

 

 

「やっぱりまたハズレかよ……」

 

王葉は手に持った短刀を見てガックリと肩を落とした。いったい何度このやりとりをすれば終わりはくるのだ――彼が刀を手にして思うことはここ数年同じである。

 

「打ち直された普通の変体刀ではあるので情報自体が間違っていなかっただけマシじゃないですか」

 

なけなしの慰めを言ったのは王葉の補佐として同行した獪岳だ。しかし彼の声音からもうんざりとした様子が伺えるあたり、心境は大して王葉と変わらないのだろう。

 

「まあな、けど目的はあくまで絶刀『鉋』だ」

 

その他の変体刀は刀鍛冶見習いですらの研究材料にしない。所謂普通の名刀である変体刀が鬼殺隊の手に渡った場合、全て競売に掛けられ、資金源にされるだけだ。

 

さて、この刀も早めに売り捌く手筈を部下に──ん?

 

そこまで考えて王葉は獪岳がじっと刀を見つめていることに気がついた。

 

「おい、あまり刀身を見つめるなよ。“毒”にやられるぞ」

 

四季崎記紀の打った刀には総じて人を狂わせる力がある。

 

所有すれば人を斬ってみたくなる──

どんな手段を用いても己がものとしたい──

 

そんな風に人を変えてしまう力は“毒”以外のなにものでもない。

 

「折れたことで一度刀としての生を終えているから大丈夫だって言ってませんでしたっけ?」

 

「念には念を、だ。四季崎の刀欲しさに小さな町ひとつ壊滅させた奴もいるからな」

 

「どんな妖刀ですか……」

 

王葉の話を聞いた獪岳は嫌そうに顔を歪めて呟いた。どうやら刀を見つめていたのは何となくで、そこに大した意味はなかったようだ。

 

「全く、いつになったら見つかるのやら」

 

「あの、鬼殺隊が何年探し続けても見つからないってことは国外に外に持ち出されてる可能性もあるんじゃ……?」

 

「その可能性も無くは無いが、低いだろうな」

 

何故なら変体刀は幕府が一度全て集めており、それは大政奉還が成されるまで徹底的に管理されていた。

 

大政奉還の折に政府の資金繰り目的で一斉に売られたが、四季崎の刀の危険性と価値を考慮して、売り先は徹底的に調べ上げられ、売られた後の所在も厳重に管理されていた。

 

その中でも完成形変体刀は特に厳しく取り扱われた。そして『鉋』は政府の管理が最も厳しい時期に所在が分からなくなった。

 

当然、政府は躍起になって捜索を行った。国外に持ち出される可能性も考慮し、外国籍の船が出入りする港での検閲も徹底的に行われた。

 

「──とまあ、こういう事情があるわけだ。流石に現在は『鉋』の捜索は打ち切られているが、廃刀令の影響で刀そのものの所持や国外への持ち出しが制限されているから鬼殺隊の情報網に引っかからないことはまず無い」

 

一般の人間からすると、行き過ぎた管理体制である。だがそこまで徹底されていたからこそ、鬼殺隊が『鉋』以外の現存する完成形変体刀を集めることが出来たという事情もある。鬼殺隊当主の産屋敷は平安の頃より続く由緒正しき家系なので政府が刀を売り渡す先としては申し分ない──明け透けに言ってしまうと産屋敷家は金とコネの力で完成形変体刀を手に入れてきたのだ。

 

「それなら確かに国外に持ち出されている可能性は低いですね。ちなみに『鉋』が最後に確認されたのは何処なんですか?」

 

「打ち直された『鉋』を運ぶ上での通り道だった町だ。地元の漁船しか出入りしないような小さな港町だよ」

 

「なんでそんな小さな町で所在が分からなく……ってまさか?」

 

獪岳はそこまで言って先ほど王葉から聞いた“刀欲しさに小さな町ひとつ壊滅させた奴”の話を思い出して青ざめた。

 

「“喰う”という謂わば生きるためじゃなく、ただ“欲しい”それだけの人殺すんだから本当に怖いのは鬼よりも人間だよな」

 

王葉のその言葉が答えだった。

 

絶刀『鉋』は盗まれたのだ。

町ひとつを犠牲にしてでも手に入れたいと、そこまでの執着を抱くほど刀の毒に侵された人間の手によって──

 

獪岳がそう確信している間に王葉は己の部下に事後対応の指示を行っていた。切り替えの早い男である。

 

そして、部下への引き継ぎを終えた頃、その場に一羽の鎹烏が現れた。

 

「伝令!無限列車ニテ炎柱及ビ三名ノ隊士ガ下弦ノ壱ト交戦中!乗客ノ数ハ約二百名!」

 

伝令内容を聞いた獪岳と隠に緊張が走る──が、王葉はいたって冷静だ。

 

「下弦の壱──流石の煉獄でも負傷者は出るか。今から向かうぞ、俺に着いて来られない奴は後から追いつけ」

 

「はい!」

 

王葉の言葉に、その場にいた者たちは威勢よく返事をし、一斉に走り出した。

 

 

■ ■

 

 

炭治郎たちの前に突如として現れた“上弦の参”猗窩座──

 

相対した“炎柱”煉獄杏寿郎は片目は潰れ、肋骨が折れ、臓腑も傷つき満身創痍となっていた。

 

その場にいる炭治郎、伊之助は上官により待機命令が出ている上に割って入っても足手まといにしかならないと分かっていた。

 

故に両者の戦いをただ見ていることしかできない──

 

「生身を削る思いで戦ったとしても全て無駄なんだよ杏寿郎、お前が俺に食らわせた素晴らしい斬撃も既に完治してしまった」

 

杏寿郎をこの姿にした犯人、猗窩座は先程から杏寿郎を鬼の道へと誘っていた。

 

「だがお前はどうだ。潰れた左目、砕けた肋骨、傷ついたないぞ。もう取り返しがつかない。鬼であれば瞬きする間に治る。そんなもの鬼ならばかすり傷だ。どうあがいても人間では鬼に勝てない」

 

実に嘆かわしいとでも言いたげに人間の脆さ、鬼の素晴らしさを説くが猗窩座の言葉は杏寿郎の心には全く響かない。

 

「俺は俺の責務を全うする!!ここにいる者は誰も死なせない!!」

 

柱としての責務、信念に燃える杏寿郎は重傷を負いながらも再び刀を構える。

 

「素晴らしい闘気だ…それほどの傷を負いながら、その気迫、その精神力、一部の隙もない構え──やはりお前は鬼になれ杏寿郎、俺と永遠に戦い続けよう‼︎」

 

そして猗窩座と杏寿郎の技がぶつかり合う──かに思われた。

 

「……させるかよ」

 

「な、なんだ貴様は!!」

 

「ぐあっ‼︎」

 

技の衝撃により舞い上がった土埃の中から聞こえてきたのは三者三様の声だった。

 

視界が遮られていてよく見えないが、炭治郎と伊之助の耳には猗窩座の戸惑う声と杏寿郎のものと思わしき悲鳴、そして二人のものとは明らかに異なる男性の声が聞こえた。

 

直後、炭治郎の背後で激しい衝撃音が耳を劈く──

 

音のした方を見てみれば、横転した列車に背を預けるようにして杏寿郎が横たわっている。そして彼の背後にある車体は所々にヒビが入り、崩れ落ちている。

 

状況から察するに杏寿郎は車体に叩き付けられたのだろう。杏寿郎はわずかに身体を震わせるだけで起き上がる気配がない。

 

そして土煙の中からは連続した打撃音──いや、もはや衝撃音と称するべきものが響き渡っていた。

 

「貴様、何者だ……それほどの威力を持った技を放てる手練れなのに、いったい何故!」

 

土煙の中では猗窩座と誰かが争っているというのは分かるが、視界がはっきりしないせいで誰が戦っているのかが全く分からない。

 

(いったい何が起こっているんだ⁉︎どうして猗窩座はあんなにも狼狽えたと様子なんだ?)

 

戸惑う炭治郎をよそに技の応酬は続き、やがて土煙が完全に晴れると、そこにいたのは──

 

「や、鑢さん……?」

 

そこには頸周りを真っ赤に染めた猗窩座と面をつけた、無手の大柄な男が立っていた。

 

面を被っていても炭治郎には分かった。あの体躯と服装は間違いなく──“隠頭領”鑢王葉だ。

 

「何故だっ‼︎何故貴様には闘気が無い⁉︎」

 

戸惑い、完全に冷静さを失った猗窩座が王葉に向かって吠える。

 

一方の王葉は、猗窩座から充分に距離を取ったところで懐から手甲を取り出し、身に着ける。

 

そして構えたところで猗窩座に向けて、こう言い放ったのだ──

 

「さあな、探ってみろよ上弦の参…… ただしその頃には、あんたは八つ裂きになっているかもしれないがな」

 

 



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──各々の道筋

 

 

王葉は不敵な笑みを浮かべ、チョイチョイっと手招きをして猗窩座を誘う。

 

この時、ちょうど王葉の向かい側に位置する場所で状況を見守っていた炭治郎と伊之助からは、まるで敵と遊ぶかのような王葉の表情や仕草に至るまでがハッキリと見えていた。

 

「八つ裂きだと?ふざけるな!俺が人間ごときに遅れをとるはずがない」

 

挑発に激昂した猗窩座は一気に距離を詰め、そして身体を極限まで捻り全体重を乗せた拳を王葉の顔面に叩き込む──

 

ふっ、と王葉は実に軽やかに、まるでそよ風のように攻撃をかわす──そして身体をそのままさらに半回転、己の間合いに入った猗窩座に対し、足刀を繰り出す。

 

足刀は猗窩座を喉元に入ったが、頸を落とすまでには至らない──しかし、猗窩座は反撃に移れない。

 

理由はわからないが、相手の動きを闘気として感知する己の鬼血術が反応しないこの状況では、猗窩座は目視で敵の攻撃を捌かねばならず、かなり動きにくい。

 

王葉は上下左右から間髪置かず、縦横無尽に次々と攻撃を繰り出す。その一撃、一撃が命を奪うための剛拳、剛蹴。直撃すれば頸は原型を留めない。

 

猗窩座は久しく忘れていた強者と対峙した際の焦りを感じていた。

 

「くそっ!」

 

そして憎々しげに悪態を吐くと、腰を深く落とし身を沈め、地面を思い切り蹴って王葉から距離を取った。

 

己が不利を感じ取って直ぐ様行動に移すあたり、猗窩座も数百年戦い続けている上弦の鬼だけのことはある──が、先程まで煉獄杏寿郎を追い詰め、鬼になれと誘いをかけていた姿とは似ても似つかない。

 

そして王葉は猗窩座を深追いしない。

王葉の方が有利な状況に見えると言うのにしない。

 

「体捌き、技の威力、どれをとっても至高の領域に近い……だからこそ解せない──貴様、本当に何者だ?」

 

「………………………」

 

猗窩座の問いに王葉は答えない。

当然である。誰が進んで敵に情報を与えるというのか──だがまあ猗窩座のこの質問に関しては、答えようと思っても答えられないというのが正しい。

 

一方で猗窩座はただひたすら混乱していた。

いま目の前に対峙している男は、数百年間一度も見たことのない『闘気の無い人間』だ。

 

赤子にすら薄い闘気があるというのに、この男にはそれが全く無い。

 

別の生き物……いや、生き物ですら無い。そんなことはあり得ないはずなのに──

 

猗窩座は 抜身の刀そのもの(・・・・・・・・)と相対している気分だった。

 

だが戦いの場では予期せぬこと、はじめて遭遇する事態全てを即座に理解し対処しなければならない──が、今の猗窩座にはそれが出来ない。

 

最大の天敵、太陽が現れたのだから──

 

(気に食わない、腹立たしい!だが夜明けが近い、この場には陽光が差す!逃げなければ!)

 

猗窩座は背後の雑木林に逃げ込むために足に力を籠める──当然、王葉は意図に気付き猗窩座を逃さんと追撃を開始するが、それは猗窩座にも推測できる。

 

だからこそ──

 

「術式展開『終式・青銀乱残光』──!」

 

逃亡と謀るとともに目の前の得体の知れない存在を消すべく、百発もの拳の乱れ打ちをほぼ同時に王葉に向かって放った。

 

(いまこの瞬間であれば、この男は確実に俺の真正面にいる!)

 

しかしそれでも王葉の勢いは止まらない。

 

王葉はその巨躯を縮こめるように思い切り腰を捻り拳を握り、もう片方の手でくるむ──そして捻った身体が元に戻る反動ごと拳を猗窩座の頸をめがけて叩き込む。

 

 

「虚刀流奥義『柳緑花紅』」

 

 

技がぶつかり合った瞬間、猗窩座と王葉を中心に衝撃波が広がり、土埃とともに轟音が響き渡り──やがて音が消えた。

 

 

(ど、どうなったんだ……?)

 

(くそっ、なんも見えねえ!)

 

 

固唾を飲んで王葉と猗窩座の激闘を見守っていた炭治郎と伊之助は状況が分からず不安に駆られていると──

 

カラン──と、戦闘音の無くなったその場には乾いたような落下音に続いて地面を勢いよく蹴る音が響いた。

 

「チッ……」

 

そして明らかに不機嫌だと分かる舌打ちの音。

 

土煙が完全に晴れれば、炭治郎と伊之助の視界に映ったのは割れた面を片手に頭を掻く王葉の姿だった。

 

「こりゃ、直してもあまり意味ないな……手甲も壊れたし、やっぱ強度がイマイチなんだよな」

 

盛大にため息を吐く王葉の言う通り、割れた面はいたるところにヒビが入っていてどう修理してもすぐに割れてしまうことが予測できるほど損傷しており、王葉が身に着けていたであろう手甲は粉々に砕けて彼の周りに散らばっていた。

 

「鑢さん!」

 

「仮面野郎!」

 

炭治郎と伊之助が王葉を呼べば彼は振り向き、二人の方へと向かって歩き出す。流石に無傷とはいかないものの、しっかりとした足取りで歩いてくる王葉の様子に、そこまで酷い負傷はなさそうだと二人は安堵した。

 

「竈門と……嘴平隊士か、二人とも負傷してはいるが命に別状は無さそうだな。おい!もう近づいても大丈夫だからこの二人も手当てしてやってくれ!」

 

王葉の言葉に周りを見れば大勢の隠が各々怪我人の救護に奔走している──王葉と猗窩座の戦いに魅入られていて今までこの状況に全く気づかなかった。ただ思い返してみれば王葉は猗窩座と戦っている際、炭治郎や伊之助と向かい合わせの位置になるように移動していた。

 

(先程の戦闘で明らかに猗窩座より有利に見える状況でも追撃をしなかったのはこのためだったのか……)

 

大立ち回りをすればそれだけ猗窩座が隠たちに気づく可能性が高くなる。

猗窩座の注意を引き付けるためには仕方のないことだった──炭治郎が王葉の行動理由をそう解釈していると、黒髪の剣士が近づいてきた。

 

「横になって傷を診せろ。応急手当をする」

 

ただそれだけを言うと彼は返事を待たずに炭治郎を横に倒し、手当てをしていく。

炭治郎の衣服を開き、患部の消毒し、薬を塗っていく。一連の動作は手際が良く、明らかに慣れているということが分かった。

 

「あの、貴方は……」

 

隊服を着ている上に日輪刀を所持していることから隊士なのだろうが、だとしたら何故隠と一緒に救護活動にあたっているのだろうか。

 

「……………喋るな、止血にだけ集中しろ。俺の名は獪岳、俺のことが気になるなら後で誰かに聞け」

 

黒髪の剣士、獪岳は炭治郎が何を聞きたがっているのかを視線で察して名前だけは名乗ったが、それ以上のことを教える必要性を感じない上に知ってもらいたいとも思わない。

 

「えっ、獪岳!?何でこんなところにいるの?」

 

そんな中、突如として驚きの声を上げたのは襧豆子の箱を背負った善逸だった。先程まで気絶していた善逸は現場の状況が飲み込めず混乱している。

 

「……………」

 

獪岳は善逸の声を聞くと、一瞬不愉快そうに眉をひそめたが無言で炭治郎の傷の手当てを続けた。

 

(なんだか怒って……いや苛々している匂いがする)

 

獪岳と善逸の様子からすると何か深い事情がありそうだが、ここは下手に自分が介入するべきではないのだろうと炭治郎は沈黙を貫く。

そして獪岳は炭治郎が匂いで感じ取った通り苛立っていた。毛嫌い、という表現すら生温い程に嫌悪している弟弟子が近くいるのだから当然だ。正直すぐにでも立ち去りたい気分だが今は王葉の補佐として果たすべき役割が有るためそれも出来ない。

 

「これでいい……これからお前も病院に搬送するが間違っても大声出したり、激しく動いたりするんじゃねえぞ?」

 

「え?あ、はい!ありがとうございます!」

 

「だから大声出すなって今言ったばっかりだろうが……」

 

炭治郎のお礼を聞いた獪岳は呆れたように溜息を吐いて立ち上がる。決して軽傷ではないのに溌溂と返事をする様子に少々毒気と緊張感を抜かれてしまったが、自分にはまだやることがあると獪岳は善逸の方へと向かって歩き出し……そのまま素通りして王葉の傍へと向かう。

 

善逸は一瞬、自分のことを嫌悪している兄弟子が態々話しかけにてくれるのかと期待していただけに心の中では大騒ぎだった。

 

(ええ!獪岳ひどくない!?いくら俺のこと嫌いだからって、こんなあからさまなことしなくても……)

 

しかし、獪岳からしてみれば通り道に偶然善逸がいただけのことなので酷くもなんともない。むしろ育手のもとで共に修業していた頃のように罵倒を浴びせないだけ優しくなっていると言えるだろう。

 

「頭領は……全て軽症のようなので手当てはご自身でできますね。なら俺は他の負傷者の救護に向かいます。諸々の手配とお館様への報告が終わったら、後の指示はお願いします」

 

王葉のことを頭の天辺からつま先まで見回し、軽傷であることを確認した獪岳は淡々とした様子で今後のことを話し始める。二人の関係性を知らない第三者から見れば薄情にも見える態度だが王葉は全く気にしていない……というより、獪岳がこういう対応をするようになったのは王葉のせいなので気にする方がおかしい。

 

「分かってる。それで、煉獄の容体はどうだった?」

 

王葉がこの場に到着したとき既に杏寿郎は満身創痍の状態であり、猗窩座へと最後の一撃を繰り出す直前だった。

 

このままでは杏寿郎が死ぬと判断して咄嗟に戦闘介入したが、あの状況では猗窩座から遠ざけるために杏寿郎を投げ飛ばすのが関の山で、怪我の状態やその後の受け身のことなどを考える程の余裕は無い。

 

杏寿郎を投げ飛ばした直後の轟音から、彼が受け身を取れていないであろうことは察しているため投げ飛ばした張本人としては気が気ではなかった。

 

「かなり深刻な状態だったので真っ先に病院へ──骨折及び内臓損傷に加えて、全身強打……正直なところ病院で詳しく診てもらわないと分かりません」

 

「その言い方だと意識は失っていなかったんだろ?なら後は煉獄の生命力を信じるしかない。俺は急いで報告を済ませるから、それまでの間、頼んだぞ」

 

「はい勿論です」

 

そこからは支援部隊“隠”の本領発揮だった。

これより、負傷者は速やかに病院に搬送。今回の事件は列車の脱線事故として処理すべく関係各所への根回しが迅速に行われることとなる。

 

 

また当然ながら煉獄の負傷、上弦の参の出現──そして鑢王葉の戦闘介入は直ちに柱と産屋敷へと伝えられた。

 

 

 

産屋敷耀哉が今回の報告を受けたのは邸宅の庭を訪れていた時だった。

 

春は藤が幻想的な光景を作り出し、夏は梔子の香りが鼻腔をくすぐる。秋は紅葉と共に色とりどりの桔梗が咲き乱れ、冬は雪化粧に彩られた水仙が咲き誇る──四季折々に姿を変える姿には見る者の心を癒してくれるようにとの思いが込められている。この庭園は、耀哉のお気に入りでもある。

 

 

「二百人の乗客は一人として死ななかったのか。杏寿郎は頑張ったんだね、凄い子だ」

 

耀哉は己の妻に支えられながら、少し嬉しそうに言った。

 

あの後、煉獄杏寿郎は一時的に意識不明の重体となるも何とか一命を取り止めた。現在も搬送先の病院で治療を続けてはいるが、数日もすれば蝶屋敷での療養に切り替えられるとのことだ。

 

耀哉は犠牲者を出すことなく任務を全うした剣士を褒めなくては……杏寿郎が蝶屋敷へ移送されたら、すぐに見舞い労おうと心に決める。そして耀哉はその場に駆けつけてくれた王葉にも感謝の意を示す。

 

「ありがとう王葉……今度は間に合ってくれたんだね。これで鬼殺隊の志気低下は最低限に抑えられた」

 

上弦の鬼と相対しながらも誰も犠牲者が出なかったことは鬼殺隊史上初の快挙であるが、王葉からの報告を聞くに煉獄杏寿郎はおそらく──いや、止めておこう……今はそれよりも優先すべきことがある。

 

「私ももう長くは生きられない。だからそれまでに──」

 

産屋敷耀哉が何を言ったのか、それとも何も言わなかったのか、それは彼のみが知っている。

 

「それと、今回の件で鬼に協力していた人間のことだけれど……」

 

耀哉が再度口を開いた瞬間、彼の醸し出す雰囲気が一変した。

顔には相変わらず笑みを浮かべてはいるものの、先ほどまでの暖かみなどまるで感じさせない冷淡さだ。

 

「……もう終わったのかい?仕事が早くて助かるよ…………うん、分かっているよ」

 

鬼の共犯者の仔細を聞いた耀哉は淡々と呟く。

耀哉の意向は彼のことを誰よりも理解するものによって既に叶えられていた。鬼の被害者は可能な限り鬼殺隊が保護し然るべき対応を行うが、協力者の場合は政府の人間に引き渡され秘密裏に“処理”される。

 

「私はもうじき黄泉の国へ行くことになる……けれどもし地獄というものがあるのなら、私は剣士(こども)たちと同じところに行くことは出来ないのだろうね。まあ、それは君も同じか──」

 

耀哉は今まで犠牲になってきた剣士(こども)たちのことを思い、憂い、最後にそう自嘲した。

 

 

■ ■

 

 

そこは贅を尽くされた部屋だった。

壁に掛けられた絵には神秘的な風景が描かれており、窓の一部には色鮮やかなステンドグラスで装飾されている。内装から調度品に至るまで、洗練された美しさで統一されており、見る者を飽きさせない。

 

そんな部屋に分厚い本を読んでいる少年がひとり佇んでいる──鬼舞辻無惨だ。

 

無惨は鬼になってから千年余り、姿、名前を変え様々な場所に潜り込んで生きてきた。

時には眉目秀麗な貿易会社の社長、時には大商家の婦人、そして時には製薬会社社長の病弱な養子として──

 

現在、無惨が潜り込んでいる家は今までの中では比較的、気楽に過ごせる居心地の良い場所である。

 

第一に、この家の住人は無惨に子供らしさを求めない。

 

第二に、義両親が家庭教師をつけてくれたおかげで勉学のために騒がしい子供がいる学校に通う必要がない。

 

第三に、無惨が太陽の下に出られない理由を皮膚の病に罹っているからだということを疑いもしない。

 

これらの環境が整えられている理由はこの家の人間が、会社を継がせ金を稼ぐための便利な駒程度にしか、無惨を見ていないからである。

それでいい──偽善にしろ、本心にしろ、子供のことを気にするような過干渉は却って不愉快だ。

 

だが、そんな居心地のいい場所で過ごしているにも関わらず、無惨の臓腑は怒りで煮えくり返っていた。

 

いまはどんなものでも無惨の気に障る。

 

幼子に化けた無惨を養子として迎え入れた家で行われている人間たちの会話ですらも怒りの琴線に触れていた。

多感な少年の心に何が触れるかわからないため一応の気遣いとして、義息子が自室に戻り読書を始めたであろう頃に始められた会話だが鬼である無惨の耳には全て筒抜けである。

 

実に腹立たしい──

 

「まぁ本当に利発そうな子ですよね」

 

仮初の姿形に騙され、上部ばかりの賛辞を述べる女も──

 

「いやぁ、私も子供を授からず落ち込んでいましたが良い子が来てくれて安心です。血の繋がりは無くとも親子の情は通うもの、私の跡はあの子に継がせますよ……ただ皮膚の病に罹っていまして、昼間は外に出られないのです」

 

「まぁ、可哀想に……」

 

己が生命としての不出来さを棚に上げ、他力本願な方法に縋り、信じてもいない情について語っておきながら、縋った術にすら逃げ道を作り周囲の同情を買おうとする男も──

 

「その特効薬もね、うちの会社で作れたらと思っているんです。一日でも早く……」

 

あまつさえ欠片も持ち合わせていないであろう見せかけの“親心”で自身の欲望を包む浅ましさも──全てが腹立たしい。

 

だが最も業腹なのは──

 

「御報告に参りました。無惨様」

 

「例のものは見つけたのか?」

 

「調べましたが確かな情報は無く、存在も確認できず──………… “青い彼岸花”は見つかりませんでした」

 

無惨の望みを何ひとつ叶えない無能者の存在だ。

 

“青い彼岸花”──鬼舞辻無惨を人から鬼へと変貌させた薬の原材料ということ以外は何もわからない花。千年もの月日をかけて追い続けているというのに何ひとつ実態が掴めない──何故だ?あの頃とは異なり無惨には手足となって動く駒がいるというのに──

 

「…………で?」

 

数秒の沈黙の後、無惨が発したのは先を促す一言だけだった。

 

「無惨様のご期待に答えられず大変申し訳ございません。柱の一人も始末しきれず、それどころか得体の知れない男に……」

 

無惨が先を促すまで無言を貫いた猗窩座は“上弦の参”の位を持つ鬼として無惨の機嫌を“最低限”損ねない程度には弁えている──が、所詮その程度では無惨は何も評価しない。

 

「全くだな、猗窩座」

 

無惨はその顔に青筋を浮かべ、猗窩座へと向けて人差し指をさす──するとどうしたことだろうか、猗窩座の全身にヒビが入った。

 

「鬼が人間に勝つのは当然のことだろう。たかが柱の始末もできず、それどころか刀すら持たない人間相手にあの体たらく……私の望みは鬼殺隊の殲滅。一人残らず叩き殺して二度と私に入らせないこと。複雑なことでは無いはずだ。それなのに未だ叶わぬ……どういうことなんだ?」

 

無惨の怒りを反映するかの如く、猗窩座の身体に入ったヒビは広がり続け、やがて顔にまで到達する。

 

そして癇癪を起こした無惨は手にしていた本のページをビリビリと破っていたが、ついには真っ二つに裂き乱暴に宙へと投げ出した。

 

「それだけではない!あの場には柱の他にも三人に鬼狩りがいた。なぜ始末してこなかった?わざわざ近くにいたお前を向かわせたのに……猗窩座、猗窩座、猗窩座、猗窩座‼︎」

 

敗れたページの破片が部屋中を舞う中、尚も無惨の勢いは止まらない。猗窩座の全身からはついに血が吹き出す。

 

「お前には失望した。まさか柱でも剣士でもない人間から攻撃を受け、危うく頸を吹き飛ばされそうになるとは“上弦の参”も堕ちたものだな……下がれ。それとお前と対峙した面を被った──青い目の男だが必ず始末しろ」

 

いまこの世には業腹な存在が多すぎるが、中でも取り分け気に喰わないのは花札のような耳飾りを付けた鬼狩りの存在だった。そして今回のことでもう一人増えた。

 

「あの青い目、私のことを否定し、嘲笑った──不愉快な刀鍛冶を思い出す」

 

いまもなお鮮明に鬼舞辻無惨の記憶に残る刀鍛冶。

たかが人間の分際で常にこちらを馬鹿にしたように笑みを浮かべ、好き勝手に矢継ぎ早に否定の言葉を無惨へと放った男。

 

 

忘れもしない──その名は『四季崎記紀』

 

数百年前、戦国と呼ばれている時代。

当時、日本刀は既に時代遅れの遺物であった。

日本刀にはその性質を『折れず、曲がらず、良く斬れる』と表する格言が存在するが、そんな刀は実在しない上に刀の殺傷能力も実のところ低い……いや、日本刀の能力を引き出せる者が振るえば鉄板でも斬ることが可能なので低いというと語弊があるが、誰にでも扱える代物では無いが故に戦場での主役は弓、鉄砲、投石などの飛び道具だった。

 

実のところ戦場では刀の出番なんて滅多に無く、刀が戦場の主役となったことは一度も無い。

 

そういった事情により、当時から刀は武器としてではなく由緒正しい家柄の領主の証や美術品としての価値の方が強かったのだが、中には例外も存在した──四季崎記紀の打った刀、通称『変体刀』だ。

 

理由は単純。四季崎の刀を多く所有する国ほど、戦を有利に進められていたからである。

 

正直馬鹿げた話だ。

冷静に考えれば戦を有利に進められるほど国力の大きな国だからこそ四季崎の刀を多く所有していたに過ぎない──ただ、そういった幻想が生まれたのもまた事実。

 

四季崎の刀を持つ者が天下を制する──そんな幻想に囚われた戦国大名や武将は四季崎の刀を手に入れようと躍起になった。なにせ、四季崎の刀についた値は一本で国一つ変える程。

 

そして当時、大商家の若旦那に化けていた無惨にとって四季崎の刀は、楽して大金を手に入れるための格好の金蔓だった。

 

戦国乱世では刀欲しさの殺人など日常茶飯事で、ある程度遺体が残っていれば鬼殺隊は人間同士の殺人事件と勝手に解釈し、ろくに調べもしなかったので配下の鬼を使えば容易に金稼ぎが出来たし、あの頃は随分と稼いだものだ。

 

そしてある日、無惨と記紀は出会った……いや、もっと大々的に記紀の刀を売り捌きたいと考えていた無惨の方から記紀を訪ねたのである。

 

そして初対面、開口一番に記紀が無惨に放ったのは真っ向からの否定の言葉だった。

 

“お前……外見だけは多少見られるように出来ているみたいだが中身はてんで駄目だな空っぽだ”

 

初対面の相手からそんなこと言われたら、無惨でなくても怒るのが普通だが、普通の人間に輪をかけて器の小さい無惨は激怒した。商売のためとはいえ、その場で記紀を殺さなかったのは奇跡である。

 

無惨は巨万の富のために荒れ狂う心を抑え、四季崎記紀の打った刀の販売代理を任せて欲しいと交渉したところ、意外なことに記紀は簡単に承諾した上に記紀から言われた卸価格も彼以外の刀鍛冶が打った刀と大差なかった。

 

ただひとつ今まで誰も記紀と契約をしなかった理由とも言える面倒な条件を提示されたものの、無惨であれば楽に達成出来るものだったので呑んだ。

 

しかしそれ以上に面倒、率直に言って不快だったのは記紀とのやり取りだった。

彼は事あるごとに無惨を否定した。

 

“お前は何も持っちゃいねえな”

 

よくもあれほどにまで否定の言葉を、よりにもよって鬼の首魁であるこの鬼舞辻無惨に向かって述べられたものだ。

 

“完全なんて幻想を目指した時点で所詮お前はそこまでの存在だよ”

 

「何が“究極あれど完璧、完全無し”だ!そんなものは矮小な存在である人間の限界であり戯言だ!」

 

結局のところ無惨は記紀を用済みになったと判断した段階で殺した。その際、今までの鬱憤を晴らすように苦しませてやったというのに記紀は最期の瞬間まで笑い、無惨のことを否定し続けた。

 

“何から何まで、まるでなっちゃいねえ……お前は虚しくて欠点だらけだな”

 

あんなにも否定されたのは後にも先にも彼奴にだけだった──私には欠点などたったひとつしかないというのに!

 

「私は鬼だ!完璧に近い生物だ!太陽さえ克服すれば欠点なぞ存在しない!」

 

“馬鹿も休み休み言え、お前の求めるものは永遠に手に入らねえよ”

 

「黙れ、黙れ黙れ黙れ!私は必ず鬼殺隊を殲滅し、太陽をも克服し完全な生物になってみせる!」

 

無惨は嫌悪する者たちへの憤怒の炎を滾らせながら、己が悲願を吠えたのだった。




お疲れ様です。
無限列車編の後編いかがだったでしょうか。
最後まで読まれた方ならなんとなく察しがついていると思いますが、今回から刀語とのクロスオーバー感を徐々に増し増しにしていければなと思っております。


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篝火

「柱になったからなんだ。くだらん…どうでもいい。どうせ大したものにはなれないんだ。お前も俺も……それどころか半端な実力で無駄に他の者の命を散らすことになる」

 

 柱になった直後、杏寿郎が父からかけられた言葉は最終選別を通過した時と同様に投げやりなものだった。

 父は“炎柱”として長年ある任務で長年任務を共にしてきた友人を失い、その悲しみが癒えぬうちに今度は妻を病で亡くしてから変わってしまった。

 

 父の気持ちは父にしか解からないけれど、父があのようなことを言うのは自分と千寿郎を心配してのことなのだろうと、杏寿郎は思うようにしている。だが父が俺たちのことを心配しているのだとしても、自分自身の責務を全うすると決めた。

 

 鬼殺隊の任務において誰かを思い、守って死んでいった者たちや言葉を贈ってくれた母のためにも、そして何より杏寿郎自身が誰かのために行動できる“立派”な人間………“立派な炎柱”になりたいのだ──!

 

「そういえば聞いたことなかったけどよ、煉獄は立派になった後どうしたいんだ?」

 

 黙って話を聞いていた王葉は団子を頬張りながら、杏寿郎に視線を向けて問う。

 

「うむ、どうしたいとは?」

 

「いや、だからそれを聞いてるんだよ。お前、鬼殺隊士になったばかりの頃も立派になりたいって言ってたけどよ。後々の目標があってこその“立派”になるじゃないのか?」

 

 これは鬼を狩る術を持った“隠頭領”鑢王葉と“炎柱”に就任したばかりの煉獄杏寿郎が茶屋で一服していた時のことだ。

 

 煉獄家と鑢家は代々鬼殺隊に所属する者の多く、古くから交流のある家同士だ。

 鬼狩りとしての歴史は煉獄家の方がずっと古いが、だからといってどちらかの家が優れているのだのといった確執も無く、付かず離れずといった関係を築いてきた。

 

 そういう家同士の関係もある為、杏寿郎と王葉の付き合いはそこそこ長い上に互いの近況や心持ちを話す程度には仲が良い。

 この時は久々に互いの任務後に話す時間があり、杏寿郎はふと王葉に話を聞いてもらいたくなって茶屋に誘ったが、王葉から思いもよらない質問をされ少し面食らった記憶がある。

 

「立派になった後のことか……そういえば考えたことが無いな!」

 

「……そうか」

 

 杏寿郎の返答を聞いた王葉は少し黙った後に難しい顔をしてそう言ったが、どうも歯切れが悪い。

 基本的に言いたいことはハッキリと言う王葉がこのような態度をとることは珍しい。

 

「歯切れが悪いな鑢!後のことのことを考えていないと問題でもあるのか?気になることがあるなら言ってくれ!」

 

 杏寿郎がそう言っても王葉はどこか気が進まなそうにしばらく黙々と団子を頬張っていたが、杏寿郎が早く話せとばかりに視線を送り続けていたら、仕方ないといった様子で口を開いた。

 

「問題ってほど大仰なものでもない。これは煉獄自身の問題で、簡単に口出していいことじゃないから黙ったんだよ……んで話の続きだが、“立派”になった後にどうしたいかは考えておいた方が良いとは思う。お前の話を聞いていると──」

 

 この時に王葉から言われたことはいまいち実感が沸かなかったが、やたら耳に残った記憶がある。

 

 

 

 

 

 

 

 視界に入ってきたのは一面の白、続いて消毒液の匂いが鼻腔を掠める。

 ぼやけていた視界が段々と鮮明になるにつれて、それが見知った場所の天井だということが分かった。

 

「ここは、蝶屋敷か……?」

 

 杏寿郎の口から出た声は掠れており、体も酷く重い。

 視線だけで辺りを見回すと、やはり蝶屋敷の病室だった。

 まだ意識がぼんやりとしている中で、杏寿郎は自身の記憶を辿る。

 

「たしか、任務で下弦の壱を斃した後に上弦の参と会敵したのだったな……」

 

 潰された左目と折れた肋骨──

 鬼になれとしきりに勧誘する上弦の参──

 己の責務を全うすると最後の一撃に全てを込めた瞬間──

 

 

 断片的な記憶が次々と浮かび上がる。

 

「っ!?そうだ上弦の参はどうなっ……痛っ!」

 

 杏寿郎が起き上がろうと身体に力を入れた瞬間、身体に鈍い痛みが走り寝台に起き上がることができなかった。

 その直後、少し離れた場所からガタンと物が倒れるような音が聞こえ、そちらに視線を向ければ弟の千寿郎が目を見開き、部屋の扉にもたれかかるようにして立っていた。

 

「あ、兄上!目が覚めたんですね!!」

 

 千寿郎は目を覚ました兄の寝ている寝台に急いで近づくと、その無事を確かめるように様々なところに目を彷徨わせ、やがて安心したようにひざから崩れ落ちる。

 

「よかった、よかった──!」

 

 目から大粒の涙をこぼして繰り返し呟いている千寿郎の姿に、ずいぶん心配させてしまったのだと杏寿郎の良心が痛んだ。

 

「千寿郎君、何か物音がしたけど一体……って煉獄さん目が覚めたんですね‼︎」

 

 物音を聞きつけ病室を訪れた炭治郎は、二人の様子を目に入れると同時に寝台へと駆け寄ってくる。

 炭治郎の目も、千寿郎ほどでは無いにせよ涙が浮かんでいた。

 

「炭治郎、千寿郎君!饅頭もらって……ええっ!煉獄さん起きてる!?俺、しのぶさん呼んでくる‼︎」

 

「ああ!ギョロ目野郎!起きやがったんだな」

 

 次いで病室にやってきたのは饅頭を持った善逸と伊之助。

 善逸はその場の状況をいち早く察すると急いで胡蝶しのぶを呼びに向かい、伊之助は寝台の周りを落ち着きなく動き回っている。

 

「皆に心配をかけたようだな、すまない……千寿郎ももう泣き止め、俺は生きてる」

 

 杏寿郎は自身の腰元付近に顔を伏せて泣いている弟の頭を撫でながら笑いかける。

 

(三人とも無事だな……良かった)

 

 汽車の乗客が無事だったことは覚えていたが上弦の参との戦いの後のことは朧げだった為、三人の無事を改めて確認することが出来て安心した。

 

 杏寿郎は“炎柱”としてあの場にいた者を誰も死なせなかった──己の責務を全うしたのだ。

 

「煉獄さん、無事目が覚めたのですね。起きたところ早速ですが容体を診させてください」

 

 と、そこまで考えたところで背後に善逸と看護師のアオイを伴ってしのぶが現れた。

 

「胡蝶か!問題ない。診察してくれ!あとは状況説明も頼む!」

 

 杏寿郎がハキハキとした様子で伝えるとしのぶもニッコリと笑い診察を始める。

 全身の触診から始まり細々した問診、そして杏寿郎への状況説明が為されたが、その間に杏寿郎としのぶ以外は誰も口を開くことは無かった。

 

 診察後、杏寿郎がしのぶから言い渡された診断結果は左目の損傷により視力の回復は絶望的であること、肋骨折、内臓損傷によりしばらくは蝶屋敷にて絶対安静、そして──

 

「非常に言いにくいのですが……煉獄さん貴方の足は……」

 

 しのぶは皆の目があることを気にして直接口にすることを躊躇っていたが、杏寿郎はその先をはっきりと告げた。

 

「うむ、分かっている。胡蝶、お館様に俺は引退する旨を連絡してほしい。本来なら直接足を運ぶべきだが、この身体では難しいからな」

 

 杏寿郎の言葉を聞いて、その場に戸惑いと不安の空気が満ちる。

 しのぶとアオイ以外の者は杏寿郎の言葉に理解が追い付いていなかった。

 

「え、煉獄さん……どういうことですか?」

 

 顔を青ざめさせた炭治郎が恐る恐るといった様子で尋ねる。その身体はわずかに震えていた。

 

「両足の感覚が鈍い──いや、ほとんど無いと言っても過言ではない。これではもう戦えない」

 

 炭治郎、善逸、伊之助、千寿郎は息を呑み、アオイは悲しそうに目を伏せる。

 

「煉獄さんは病院に搬送された時点で腰椎の損傷が確認されていました……恐らく損傷の原因は重傷を負った状態で奥義を使用しようとしたことです。いまの触診と、煉獄さんのお話からすると両足の感覚は完全には失われていないので訓練をすれば歩けるようになる可能性は高いですが、それでも杖などの補助があってようやくといったところでしょう」

 

 症状を説明するしのぶの声音にも覇気がない。

 

「そ、そんな……兄上が……何とかならないんでしょうか」

 

 説明を聞いた千寿郎がすがるように言うが、突きつけられるのは残酷な現実だ。

 

「腰椎は手や足と同じで一度損傷してしまうと、現在の医療技術では元に戻せないんです」

 

 しのぶが眉尻を下げる様子は“治せるなら治したい”とそう言っているようだった。

 誰しもが暗い顔をしている中、その場に流れる空気を吹き飛ばすかのように煉獄が口を開いた。

 

「俺がこの様な身体になってしまったことは気にするな、むしろ生き残っただけ運が良い!」

 

 いつもと変わらない明朗快活さで語る杏寿郎の姿は怪我を負った本人とは思えないほどだった。

 しかし杏寿郎の言葉にそうかと納得できるような人間はこの場にはいない。

 

「で、でも煉獄さん……」

 

「柱ならば後輩の盾となるのは当然だ。柱ならば誰であっても、隠の鑢であっても同じことをする。若い芽は摘ませない」

 

 悲痛な声音と表情で震えながら言葉を紡ごうとする炭治郎を遮り、杏寿郎が言葉を続ける。

 

「竈門少年、俺は君の妹を信じる。鬼殺隊の一員として認める。汽車の中であの少女が血を流しながら人間を守るのを見た。命をかけて鬼と戦い人を守る者は誰が何と言おうと鬼殺隊の一員だ」

 

 炭治郎、善逸、伊之助の三人を見つめる杏寿郎の眼差しは力強く、それでいて優しい。

 

「胸を張って生きろ。己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと心を燃やせ、歯を食いしばって前を向け。君が足を止めて蹲っても時間の流れは止まってくれない。共に寄り添って悲しんではくれない」

 

 杏寿郎の言葉を聞いている三人の目には大粒の涙が浮かんでいる。

 

「三人とももっともっと成長しろ。そして今度は君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだ。俺は信じる。君たちを信じる」

 

「煉獄さん……俺、強ぐなりばず!」

 

「泣ぐんじゃねえ!なりだいじゃなくでなるんだよ!」

 

「お前だっで泣いてんじゃん」

 

 炭治郎は涙をこぼしながら決意を述べ、伊之助は被り物から涙をあふれさせながら炭治郎の頭を叩いて奮起を促し、善逸は伊之助も泣いていることを指摘しながらも目は真っ直ぐと杏寿郎を見ている。

 

 その様子を見た杏寿郎はとても優しい笑みを浮かべる──三者三様の反応だが、その瞳には決意が見える。杏寿郎の言葉が彼らの心に決意の炎を灯したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、お話がひと段落したようですので、皆さん退室してください。煉獄さんはまだまだ安静にしている必要があるんですから」

 

 場の空気が落ち着いた頃しのぶがパンッと手を叩いて皆の退室を促す。

 

「そ、そうですよね!俺たち退散します」

 

「僕も一旦家に戻って兄上が目覚めたことを父上に報告しなければなりません。兄上、くれぐれも無理はなさらないでくださいね」

 

 一番最初に反応した炭治郎は善逸と伊之助を伴って退室しようと扉に向かい、千寿郎もそれに倣えといったように続くが、杏寿郎はまだ言うべきことがあると口を開く。

 

 忘れないうちに伝えなくてはならないことがある。

 

「待ってくれ竈門少年!汽車の中で話した件について思い出したことがあるんだ!俺の生家、煉獄家を訪ねるといい。歴代の“炎柱”が残した手記があるはずだ。父はよくそれを読んでいたが、俺は読まなかったから内容が分からない。君が言っていた“ヒノカミ神楽”について、何か記されているかもしれない」

 

「ありがとうございます!煉獄ざんのご実家に伺いってみます」

 

 まだ怪我が完治していないというのに元気よく返事をして退室した。炭治郎の姿に、杏寿郎の顔も綻ぶ。炭治郎の明るさはとても好ましい。

 

「まったく、元気なのは良いですが自身の体調のことも気にかけて欲しいものです……ねえ、煉獄さん?」

 

 一方で、しのぶは笑顔だというのに圧が合って若干怖い……実は先ほどからズキズキと身体が傷み始めていたのだが、お見通しだったらしい。

 

「ご家族や隊士たちを心配させまいとする姿勢は素晴らしいものですが、そんな煉獄さんを心配してくださってる方もいるんですから無理しちゃ駄目ですよ」

 

「よもやよもやだ。面目ない。気をつけるとしよう」

 

「ええ、そうしてください。それでは私も退室します……しっかり休んでくださいね?」

 

 しのぶは退室間際に釘を刺すような笑顔を向けると、アオイと共に去っていった。

 あの表情から発するに、休まなければ後で手痛い仕打ちが待っていることは間違いないと、杏寿郎は大人しく休むことにした。

 

 だが、一人になるとどうしても色々考えてしまうというもので、杏寿郎は過去に王葉に言われた言葉を思い出してしまった。

 

 

“お前、立派でいられなくなった時にどうするんだよ”

 

 あの時の王葉が言ったことの意味が、今ならわかる気がする。

 

「母上、俺は使命を全うできなくなってしまいました……」

 

ポツリと口から出た言葉を聞いた者は誰もいなかった。

 

 

 

■ ■

 

 

 

「俺はどうしてこういうところに出くわすんだ……」

 

 気絶している炭治郎と槇寿郎を見て王葉はため息をつく。

 “元炎柱”煉獄槇寿郎に用が有って煉獄邸に来てみれば、槇寿郎と怪我の療養中であるはずの炭治郎が言い争いの果てに炭治郎が槇寿郎に渾身の頭突きを食らわせていた。

 前々から妙に間が悪いというか、人と人との諍いの真っ只中に遭遇することの多い王葉だが最近はその頻度が増えている気がする。

 

「あわわ……二人とも大丈夫ですか⁉」

 

 地面に伏す二人を慌てふためいた様子で見下ろす千寿郎。とりあえず気絶した二人を運ばなければならないということは分かっているが千寿郎の体格からすると、どちらを運んでも一苦労だろう。

 

「こりゃ、完全に気絶してるな。悪いが二人を運ぶから場所を貸してくれないか?」

 

「あ、鑢さん!はい勿論です。家の中へどうぞ!」

 

 王葉が槇寿郎と炭治郎を担ぎ上げて声をかければ、千寿郎はすぐに落ち着きを取り戻して案内を始める。

 相変わらず年齢の割にしっかりしている……まあ、杏寿郎も二十歳の割に落ち着いているし彼らの境遇を考えれば仕方のないことなのかもしれない。

 

「鑢さんのご用件は……っていつものやつですね。父のためにありがとうございます」

 

 二人をそれぞれ別の部屋に寝かせ終えたところで、千寿郎は王葉の用件を尋ねようとしたが全てを言い終える前に王葉の持ち物を見て察していた。

 

「お前が気にすることじゃないだろ、これは鑢家の都合なんだから」

 

 王葉が手に持っているモノを軽く揺らせば、ちゃぷんと音が鳴る。

 

「だとしてもです。それがあると父も落ち着いていることが多いですから……」

 

「…………」

 

「わっ!急になんですか?」

 

 眉尻を下げて笑う千寿郎の姿を見た王葉は無言で彼の頭を撫でる。

 

「悪ぃ、つい手が出た……槇さんは俺が見ておくから千寿郎は竈門の方に行ってやってくれ、何か用事があったから竈門もここまで来たんだろ?槇さんも目が覚めるまで少し時間あるだろうし、コレは直接渡したいからな」

 

「え?いえ、鑢さんもお客様ですし……」

 

 王葉にそう言われても、はいそうですかと返せる性分ではない千寿郎は当然の如く躊躇うが、不要な気遣いだ。むしろ炭治郎の様子を見に行ってくれた方が嬉しい。

 

「そういうのはいいさ、俺も用事が済んだら勝手に出ていくから」

 

「……そうですか。それではお言葉に甘えさせていただきます」

 

 少しだけ戸惑いは残っているものの、王葉の言葉にそれ以上食い下がることなく千寿郎は炭治郎の元へと向かう。察しの良いところも相変わらずのようだ。

 

「う、う~ん……」

 

 気絶していた槇寿郎が、うめき声を上げる。

 

「あ、槇さん起きたか?」

 

「くそっ、あの小僧なんという石頭だ……」

 

 額に手を当て頭を振りながら悪態をつく姿はそこらの飲んだくれオヤジと対して変わらないが、思ったよりも早く回復するあたり腐っても元柱といったところだろうか。

 

「あんな派手な音がなるような頭突き食らっておいて、すぐに目を覚ますアンタも大概だと思うがな」

 

「なんだと!……ってお前か、何しに来た?」

 

「俺がここに来る用事なんて聞かなくてもわかるだろうが、ほらいつものやつだよ」

 

 王葉は手に持っているモノ、酒の入った大徳利を突きつける。王葉の用事というのは槇寿郎に酒を届けることだった。

 

「…………っち!」

 

 槇寿郎は舌打ちしながらも黙って酒を受け取り、栓を開けてそのままグビグビと飲み始める。

 

「起き抜けにいきなりかよ。槇さん本当に飲兵衛だな……」

 

 王葉の持ってきた酒は気つけのと言うほどではないが、固めの酒ではあるので起き抜けに飲むには丁度良いのかもしれないが、とはいえもう少し味わって飲んで欲しいものだ。

 

「うるさい。酒に関してはお前も他人のことを言えんだろうが!」

 

「俺は槇さんと違って節度自体は守ってるよ」

 

「一升飲んでも素面の奴に節度も何もないだろう……それよりお前、まだ隠頭領なんてやっているのか?」

 

 槇寿郎の目がギョロリと王葉を睨みつける。普通の人間なら震えそうなほど迫力があるが、生憎と王葉にとっては慣れっこだった。

 

「そりゃまあ、仕事だからな」

 

「ふん!刀も呼吸も使えないお前が何を言っている!どうせお前も大したものにはなれないのだから、さっさと退け!」

 

 そしてお決まりの発言。よくもまぁ飽きずに毎回こんなことを言うものだ。

 

「残念ながら、そりゃ無理な話だ。まだ後任が育っていない」

 

 いつ死ぬやもしれない場に身を置いている限り、後々のことを考えいざと言うときの準備はしている。安心して後を任せられるような人間は今のところいないが……

 

「何が後任だ。隠頭領なんてものは柱にすらなれない者のお飾りの位だ。杏寿郎も馬鹿だ。大した才能もないのに柱なんぞになりおって、挙句の果てにあの体たらく……だからさっさと辞めろと言ったんだ。俺たちは始まりの呼吸の剣士には遠く及ばない。その証拠に今の鬼殺隊が使っている刀も、 士枝(あきえ)も──」

 

「はぁ~……」

 

 実の息子があんな目にあったというのに槇寿郎はいつも通りすぎて、ため息しかで無い。その後の台詞も王葉は耳にタコができそうなほど聞かされていた。

 

「なんだそのため息は!お前の父親のことだぞ、お前の父親は……」

 

「槇さん庇って死んだって話だろ?もう聞き飽きたよ」

 

「っ!?お前はいつもそうだ!士枝が死んだときも泣きもせず、それどころか薄気味悪い笑みを浮かべていた!唯一の肉親が他人を庇って死んだんだぞ、それも自分よりも弱い柱を庇って……!」

 

 そしてお約束の先代隠頭領の話題。

 王葉にとっては何年も前に割り切った出来事。

 

「それが親父の判断なら俺から言うことは何もない。むしろ悲しみに身を沈めて槇さんを責めたら、それこそ親父が浮かばれない。だったら俺のやるべきことは決まっている……今の俺には何かを託せる相手はいない。立ち止まっている余裕も暇も無い」

 

「…………」

 

 いつもは何も言わない王葉が珍しく己の考えを述べ、槇寿郎は黙り込む。

 

「槇さん、目を背けるのはアンタの勝手だが前向いて歩こうとしているやつらの足を引っ張ることだけは止めろよ。そんなことしても誰も救われない」

 

 言外に息子に対する態度のことを咎めた王葉の姿に、槇寿郎は頭にカッと血がのぼる。

 槇寿郎のことを咎められたからではない。王葉から彼の家族に対する感情が全く感じられなかったからである。

 

「うるさい!もう用は済んだのだからさっさと出ていけ!」

 

「はいはい……槇さん、体は大切にしろよ」

 

「…………っ」

 

 王葉の去り際の一言に、槇寿郎は懐かしい記憶を思い出す。

 

“酒も飲み過ぎると毒だぜ槇寿郎”

 

“そうですよ槇寿郎さん、いくら好きとはいえお体のことも考えてください”

 

 友と、最愛の妻とともに語り合った暖かい記憶。

 

「士枝、瑠火……」

 

 戻れるのなら、あの頃に戻りたい──

 大粒の涙を溢れさせ、槇寿郎はか細い声で二人の名を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頼まれていた届け物の用事を済ませた王葉が帰路につこうと煉獄家の門へと向かえば、丁度炭治郎と千寿郎が別れの挨拶を終えたところに出くわしたため、そのまま一緒に帰ることとなった。

 

「そういえば、鑢さんはどうしてここに……」

 

 煉獄家を離れてからしばらくして炭治郎の方から口を開く。

 

「俺は槇さん……煉獄の親父さんに用事があったんだよ。それよりも蝶屋敷で療養中の筈のお前がここにいるんだ?」

 

 大分良くなっているとは聞いているが、まだ退院の許可は下りていないはずだ。

 

「その、それは……」

 

 気まずそうに視線をあちこちに巡らせる炭治郎。この様子だと、しのぶの許可を取らずに煉獄家を訪れたようだ。

 

「どんな理由があろうと説教は確定だから正直に話せ」

 

 説教が怖くてどもっていた訳ではないだろうが、こう言えば炭治郎も話しやすかろう。それはそれとしてお説教は確定だが。

 

「あ、お説教は確定なんですね……実は──」

 

 炭治郎は『始まりの呼吸』のこと、その手がかりとなりそうなものの情報を杏寿郎から聞き居ても立っても居られなくなったこと、煉獄家での顛末のことを順を追って王葉に説明した。

 

「なるほど、その『炎柱の書』を破いたのは槇さんだろうな。全く、ロクなことしないなあの人」

 

「あはは……千寿郎君がなんとか復元を試みてくれるって言ってたのでそれにかけるしかないです」

 

「そりゃそうだ…で?」

 

「表情が暗いのはそれだけが理由じゃないだろ、話なら聞くぞ?」

 

 ずっと暗い表情をしている理由は見当はついているが、見るからに甘え下手な炭治郎には年上から聞き出してやったほうがいいだろう。

 

「え……?あ、ありがとうございます」

 

 炭治郎は語った。

 上弦の参との戦いにおいて加勢すら出来なかった事。

 杏寿郎が半身に麻痺を負ってしまった事。

 もっと自分が強ければ何か変わっていたかもしれない事。

 

「何か一つ出来るようになっても、またすぐ目の前に分厚い壁がある。すごい人はもっとずっと先のところで戦っているのに、俺はまだそこに行けない。こんなところでつまずいているような俺は、俺は……煉獄さんみたいになれるのかなぁって……」

 

 己の不甲斐なさに打ちのめされている炭治郎だが、その瞳から火は消えていない……ならば王葉が出来ることは決まっている。

 

「それでも竈門は諦めないんだろ?だから煉獄の家に来た……だったらあとは前に進むだけだ」

 

 強くなりたいと、強くなろうと決意している炭治郎の背中を押すことだ。

 

「それと、強くなりたいなら、身体を鍛えるだけじゃなくて戦いにおける相性とかも学んでおくといい」

 

「相性、ですか?」

 

「ああ。戦いってのは純粋な力比べで勝敗が決まるものじゃない……上弦の参との戦いを例に挙げるとするなら、杏寿郎よりも俺が戦った方が勝率は高い」

 

「そういえば、煉獄さんと戦っている時より鑢さんと戦っている時の方がなんだか動きが悪かったような気がします」

 

 すぐそうやって返せるあたり、炭治郎は戦いをよく見ている。

 

「俺と戦っている時の口調から察するに混乱もしていたようだし、何かが原因で実力を出し切れてなかったとみて間違いない。まあ、だからこそ仕留めきれなかったのは惜しいんだが……とにかく、相性がいかに重要かはこれから身を以て体験することも増えるだろうから今まで以上に敵のことを観察するといい」

 

「はい!ありがとうございます!」

 

 元気よく返事をする炭治郎に、王葉も笑みを浮かべる。

 もう立ち直りかけている炭治郎はきっと強くなる。今から楽しみだ。

 

「まずは怪我をしっかり治すことだな、その前に胡蝶と俺の説教だ」

 

「えっ……?」

 

「おかえりなさい炭治郎君。元気がよくて何よりです」

 

 二人が話をしているうちに蝶屋敷に到着していた。そして屋敷の門の前には輝かしい笑顔ながらも額に青筋を浮かべるという器用なことをやってのける、しのぶが立っていた。

 

「し、しのぶさん!!いや、これにはですね!」

 

「まあまあ、無断外出の理由は屋敷の中でゆっくりお聞きします。少し強めのお薬も飲んでもらう必要ありますしね」

 

 しのぶの顔には問答無用と書かれており、炭治郎はこの後こってり絞られたのだった。









大正コソコソ噂話
・煉獄杏寿郎
生き残ったは良いものの、もう立派な柱ではいられない。
支えるもののひとつが無くなったかれの今後は……

・煉獄槇寿郎
原作通りの飲んだくれ親父。
このお話の中では心が折れた理由が増えた。
先代隠頭領とのことをまだ引きずっている。

・鑢 士枝(あきえ)
先代隠頭領であり、王葉の父親であり、故人。
虚刀流の当主でもあったので当然強かった。
先代炎柱を庇って亡くなったとされるが……

・鑢王葉
今代の隠頭領で虚刀流当主。
父親が亡くなったときに笑った理由はちゃんとあるが、その真意を誰かに語ることは恐らくない。
炭治郎には説教するつもりだったが、しのぶの怒りが凄かったので逆に慰めた。

・竈門炭治郎
自分の弱さに打ちひしがれていて、立ち直ったと思ったら蟲柱様からありがたいお説教を頂き別の意味で軽く打ちひしがれた。


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泥中のコイ

 それは人間の欲望と怨念渦巻く街『吉原』での出来事。

 通りには満開の桜並木が美しく、吉野に負けない景色を作り出す季節のことだった。

 

 夜の帳が下り見世が建ち並ぶ通りの街頭に橙色の灯がともる頃、芸妓が軽やかな清搔を鳴らし、三味線に合わせて唄が鳴る。そしてそれに合わせるかの如く、張見世には欲望にまみれた男たちが群がっていた。

 

「やっぱりこの見世は良いな!華と品のある娘ばかりだ」

 

 格子の向こう側で楽しそうに遊女を品定めしている男たちは、遊郭を訪れる程度には洒落ていて身綺麗な格好をしているが、その本質を知る遊女たちからすれば涎を垂らし舌なめずりする獣と大差ない。

 

 そして、そんな男たちに愛想を振り撒き自分を買ってもらうのが遊女の仕事だ。客を取れない遊女の行く末は悲惨極まりない。どんなに嫌だとしても男の興味を惹く様に振舞うしかなかった。

 

 それは身分の低い遊女、即ち張見世の端に座る者。つい先日突出しを終えたばかりの、馴染み客を増やす必要のある自分こそ積極的に行わなければならないのに気分は憂鬱で、叶うのならばこんなところ逃げたしてしまいたいと常々思っていた。しかし足の病で十分に働くことができなくなった故郷の両親のためにも自分は稼がなければならない。

 

 仕方なしに“男が喜ぶ顔”をすれば見世に群がっていた獣たちは気色の悪い笑みを浮かべて、色めき立つ。長年仕込まれてきたとはいえ、この程度で動揺してしまう男のなんと単純なことだろうか……無論、顔には出さない。

 

 ところが、その夜は少し変わったお客が混じっていた。遊女の客引きにまるで興味を示さないどころか不愉快そうに口元を歪めて、張見世から少し離れた位置で所在なさげにしている男だった。

 

「おい、いつまでも不貞腐れてないでお前もこっちに来い」

 

「俺はいいよ……もう帰っていいか?」

 

「いいわけないだろ!俺の面子を潰す気か?」

 

 その男は腰に手を当ててそっぽを向いていたが、彼を連れてきたであろうからそう言われると仕方なしに格子へと近づいてきた。すると、暗がりではよく見えなかった彼の外見に露になる。

 

 上背は六尺に届くであろう巨躯、衣服の上からでも分かる均整の取れた体つき、透き通る空を思わせるかのような青い目。顔のつくりも眉目秀麗とまではいかないが、それなりに整っていた。

 

 一部の遊女は彼の外見を目にした途端そわそわし始める。理由は様々だが、このような体格に恵まれた者の相手をした次の日は大抵身体がだるくて仕方がないので指名されたくない。自分以外を指名してほしいといった理由を持つ者がほとんどだ。

 

「…………」

 

 彼は遊女たちを黙って見廻すと、軽くため息をついて目を反らす。その様子からすると、おそらく無理やりこの場所に連れてこられたのだろう……こういう手合いの人間はたまにいる。

 

 『廓遊び』という普段は手の届かない贅沢が出来るとなれば大抵の男は意気揚々と遊郭に足を運ぶだろうが、女を金で買うこと自体を下種のやることだと思っていたり、女を買うのはモテない男のやることだと馬鹿にしている者にとっては、遊郭は嫌悪の対象だ。けれども、彼はそのどちらとも違うように見える……ならば何故こんなにも不機嫌そうなのだろうか。

 

「ほらほら、好きな娘を選べ!」

 

 先ほど彼を呼びつけた男が、黙ったまま何もする気配が無かった彼の背をパンッと音が鳴るほど豪快に叩いて急かす。すると彼は、とうとう観念したかのように大きなため息をついた後にスッと人差し指を上げて格子の中を示した。

 

「……なら、そこの俺と同い年位の娘がいい」

 

 彼の指が示す先……選ばれたのはよりにもよって大して男の扱いも分かっていない自分だった。普段可愛がってくれていた姉女郎からは同情の視線が向けられるが、基本的に花魁以外は客の指名は断ることが出来ないので受けるしかない。

 

「確かに可愛いもんな!楽しんでこいよ」

 

 急かした男は楽しそうに笑いながら彼を送り出すと、さっさと遊女の品定めに戻ってしまう。一方で送り出された彼はようやく解放されたとばかりに小さく安堵のため息をついて番頭に部屋へと案内されている最中だった。

 これで三度目のため息。いくら乗り気でないといっても流石に失礼ではないだろうか。

 

 そして彼の失礼な態度は座敷でも変わらなかった。

 

「鯉夏と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 

「ああ、よろしく」

 

 三つ指をついて挨拶をすると、自分を指名した男はこちらを見向きもしないで軽く返事をしただけで、仕出し料理に黙々と口をつけていた。

 そんな様子の客でも何もしないわけにはいかないため、男の近くに寄ってお酌をする。

 

「ごちそうさん。なあ、あんた鯉夏さんだったっけか?」

 

「鯉夏、と呼び捨ててくださいませ」

 

「分かった。呼び捨てにするよ。俺の名前は王葉だ。今日は乗り気じゃないのに遊郭につれてこられて辟易してたから、あんたに手を出す気ないよ。適当に添い寝でもしてくれ……」

 

「え?」

 

 食事を終えてようやくまともにこちらを見て口を開いたかと思えば、彼から放たれたのは驚きの言葉だった。

 

 遊郭で女に添い寝だけ頼むなんて今まで聞いたこともない。

 

 酒に酔って“そういうこと”に至る前に眠ってしまうお客はたまにいるが、この王葉という男はどう見ても酔っているとは思えない。

 

「仕事のせいで疲れていてさっさと寝たいんだ。遊女は年中寝不足って聞いたことあるし、あんたもずっと嫌そうな顔してたんだから問題ないだろ?添い寝も嫌なら俺が寝ている間に他の客のところを好きに回ってくれればいいさ」

 

 王葉の言っていることは正しい。

 

 遊女は仕事柄、年中寝不足で満足も眠れることなどほとんどない。だから王葉が本音から添い寝だけを希望していて、しかも他の客のところを回っても気にしないのであればとても助かる。しかし今はそれ以上に気になることがあった。

 

「嫌そうって……」

 

 確かに見世に出るのは嫌だったが、昔から“自分を隠すのが上手い”や“人のあしらい方を心得ている”等と褒められて過ごしてきたので、隠し通せている自信があった。その証拠に張見世で自分が笑いかけた男たちは皆一様に色めきだっていたのに──

 

「あんた分かり易過ぎる。ある程度年取った奴ならすぐ分かりそうな程度には嫌だって顔に書いてあったよ……」

 

 まさか初対面の、それも廓遊びなんてしなさそうな相手から見破られた鯉夏は思わず黙り込む。しかも王葉からの言葉から今まで鯉夏の敵娼となった客も何人かはこのことを見抜いている可能性があるということに気付かされた。

 

 正直顔から火が出そうなほど恥ずかしいが、客に醜態を見せるわけにもいかない。

 

 そんな鯉夏の心中を察したのか、王葉は気まずそうに頬をかきながら言葉を続けた。

 

「あと出来れば、その作ったような表情も二人きりのときはやめてほしい。他の客は喜ぶかもしれないけど、俺は嫌なんだ……正直無表情でいてくれた方がまだ良い」

 

 王葉のとどめの一言に、鯉夏は今度こそ顔をひきつらせた。この男、客だとしても失礼過ぎ……だが、このまま黙っているのも癪に障る。

 

「承知いたしました。それでは遠慮なく止めさせてもらいます」

 

 そう断りを入れて、目を閉じそっぽを向く。我ながら子供っぽいとは思うが、こんな失礼な人にいつまでも客引き用の顔をしていても疲れるだけ……と思っていたのにその後に聞こえてきたのは微かに噴き出す音と、くつくつとした笑い声。

 

 視線だけを王葉に向けて様子を伺ってみれば、彼は巨躯を丸まらせて震えていた。

 

「……あんた可愛いな」

 

 やがて、ぽつりとそう言うと王葉は身体を起したが、その言葉は女にではなく幼子に向けて言うかのような雰囲気をまとっていて、間違いなく子供扱いされていた。

 

 ここまで馬鹿にされては、流石の鯉夏も腹が立つというもので言葉と同時につい手が出てしまった──が、簡単に避けられた上に王葉はますます笑いに拍車がかかってしまい、ついには目元に涙まで浮かべる始末。

 

「もう!貴方本当に失礼です!」

 

「わ、悪い……つい、ぶふっ……!」

 

 思わずムキになってぽかぽかと王葉の胸を叩くが彼はどこ吹く風でずっと笑い転げている。

 

 その夜はそんな戯れがずっと続き、他に鯉夏を指名する者も現れず、気が付けば二人仲良く布団で寝て終わるという何ともまあ色気の無い形で終わった夜だったが、この話を姉女郎と遣り手に話したら、そんな良い客が来ることは滅多に無いのだと驚かれた。

 

 いくら疲れていたとはいえ、遊女に何もせずあまつさえ他の客の部屋を回ってもいいと初回から堂々と言う若い客なんていない。言ったとしても、それは遊女の気を引くためのフリで本当に他の客のところを回ろうとする素振りを見せるだけで面白くなさそうな顔をするものだ。

 その客は本心からそのようなことを言っているように見えたのか、と。

 

 王葉が本心からそんなことを言っていたかは、鯉夏には分からない。

 あの夜は王葉のからかいに頬を膨らませていた記憶しかない、と正直にそう答えれば、なら直ぐに誘いの手紙を送って確かめろと返された。

 フリならば直ぐに登楼するだろうし、本心からなら音沙汰がない筈だ。前者の場合は太客にする絶好の機会だから、とも言われた。

 

「あの人に手紙……?」

 

 太客は欲しいし王葉の本心にも若干の興味はあるものの気が進まない。なんとなく王葉にはそういうことをしたくない……初めての逢瀬があまりにも子供っぽかったので自分から誘うのは少々気恥しいのもある。

 

「でも、もう一度会いたい」

 

 最初は王葉の態度に大人げなく怒ったりもしたけれど、彼と過ごしたあの夜は久しぶりに気を張らずにいられたし、結局最後は楽しんでいた……もしあんな夜をまた過ごせるのだとしたらそれはとても嬉しい。

 そんな生娘みたいな心持ちで鯉夏は王葉へと手紙を書くことを決め、送った。

 

 

 ところが待てど暮らせど王葉から手紙の返事は無く、また妓楼へと訪れることも無かった。

 

 王葉からの音沙汰がないことに最初は気落ちしていたが、手紙を送った直後あたりから鯉夏の人気が上がり馴染み客も徐々に増加し始め、周囲は一気に活気づくことになる。

 

 

「ときと屋の鯉夏って遊女が最近売り出し中だって?」

 

 東京観光がてら吉原見物に来た男がニヤニヤしながら張見世の中を覗き込む。

 

「見た目も中身も可愛らしいが、偶に見せる憂い顔がたまらねえんだ」

 

 そんな田舎者に自慢げに鯉夏のことを語る男の目尻は垂れ下がり、口元はだらしなく半開きの状態。

 

「それだけじゃない。琴も三味線も大したもんらしい」

 

 見世の前に来るだけで一度も遊んだことのない者も話だけには入ろうと食い気味に身を乗り出す。

 

「いやいや鯉夏と言ったら舞だろ!『静の舞』なんて見せられたら、しばらくまともに仕事出来ねえよ!」

 

 すっかり鯉夏に惚れ込み馴染み客となった男はのぼせ上がった顔で夢のひとときのことを語っている。

 鯉夏はそれらの客をぼーっと眺めながら、夜見世が始まる前の出来事を思い出していた。

 

「馴染み客の増え方が尋常じゃない。二日に一度は登楼する客もいるくらいだ」

 

「昼見世から満員御礼なんて凄いじゃないか!この調子ならすぐに座敷持ちになれるよ。頑張りな!」

 

 日ごとに増えていく鯉夏目当ての客に遣手と楼主はうきうきと算盤をはじいて激励してくれたが、客が何を望んでいるかがここ最近で分かるようになってしまった鯉夏にとって、頑張れることは三味線や唄などの芸事の腕を磨くことくらいしか思いつかない。

 

(何を考えているのかが分からなかったのは王葉さんだけだったな……)

 

 逆に嫌々見世に出ているのを簡単に見透かされた。

 あの後それとなく馴染みとなった客に探りをいれてみたところ、王葉の言った通り大店のご隠居等は鯉夏の心情を見抜いていたことが分かり更に恥ずかしい思いをした。

 

(でも遊女が簡単に本心を見抜かれてはいけないし、早めに言ってもらえてよかったのかもしれない)

 

 王葉のあの言葉は失礼だったとはいえ、自覚したことでお客様への表情と態度により気を遣うようになったし、それに伴って馴染みも増えた気がする。それに王葉にも失礼な自覚はあったからこそあんな気まずそうな顔をしていたのだとも思う。

 

(そう、いま目の前にいる人のように……ってあれ?)

 

 いま格子の向こう側に王葉の姿が見えた気がする。

 

「この前の娘いるじゃないか良かったな鑢!今度こそ男見せて来いよ!」

 

 気のせいではない。確かに王葉がそこにいて、初めて見世を訪れた時と一緒にいた男に背中をばんばんと叩かれて項垂れている。

 

「勘弁してくれよ……」

 

 王葉はげんなりとした様子で見世に上がっていったが、その理由を考える余裕は今の鯉夏には無い。なにせもう一度会いたいと心を込めた手紙を送っても音沙汰のなかった相手がそこにいるのだ。

 

 鯉夏が急ぎ部屋へと向かうと、そこには気まずそうに胡座をかいて頬杖をつく王葉の姿があった。

 

「よお、久しぶり」

 

「もう来ないと思っていたのに、どうして?」

 

「俺もそのつもりだったけどよ。今日もいたあの騒がしい奴のお節介のせいで来ることになった」

 

 王葉の背を叩いていたあの男は彼の先輩で、普段から女っ気のない王葉に対してそれでは男の甲斐性が云々だのと余計な気を回すらしい。

 初めて『ときと屋』を訪れた時も、“仕事ばかりでは気が滅入るだろう、奢ってやるから廓遊びでもして気を晴らせ”と言われ、疲れていたので断ろうとしたら遠慮していると勘違いされて無理に連れて来られた。なら指名した遊女に訳を話してさっさと寝てしまった方が早いと結論に至り、この前のようなことを鯉夏に言ったらしいのだが、問題はその後だった。

 

「あいつ散々あの夜のことを聞き出そうとしてきた上に、あんたからの手紙を読まれてな……この前のことが露見したんだ」

 

 

 王葉は、鯉夏からの手紙を読んだものの返事をすべきか決めあぐねているうちに仕事の忙しさに追われ、どこに置いたかも忘れてそのままにしていたら、いつの間にかあの男に手紙を読まれていた。そして“遊女からこんな手紙を貰っておいて放置するなんて何を考えている!男を見せて来い”と怒られ、無理やり連れて来られたのだと疲れた様に言った。

 

「大まかな説明はこんなもんだよ。あいつの思惑に乗るのは癪だし、悪いけど今回もまた話相手になってくれないか」

 

「それは、構いませんが……」

 

「悪いな、ありがとよ……それと今回は一応土産持ってきた」

 

 王葉から可愛らしい風呂敷の小さな包みを渡される。

 

「ありがとうございます。何ですかこれ?」

 

 包みからはほのかに甘い香りが漂ってくるが、匂いからして食べ物ではなさそうだ。

 

「湯舟に入れるための生薬だよ。包みの中にいくつか布袋が入ってるから、それを煎じて湯舟に入れて使うんだ。冷えや肩のこりによく効く。簪やら着物を渡すのが一般的って聞いたんたが、あんたの好みとか知らないし流行もよく分からないから貰っても困らない物にした。いらなかったら捨てるか誰かにあげるかしてくれ」

 

 王葉は苦笑いして言うが、そんな失礼なことしない。むしろ心を込めて選んでくれたのであろうことが分かって嬉しい。

 

「ありがとうございます。こういった贈り物は中々頂けないので見世の皆と使わせてもらいます」

 

「そうか?なら良かった」

 

 鯉夏が心からのお礼を述べると、それを聞いた王葉も嬉しそうに微笑んだ。

 

 この時点で既に良い雰囲気でそのまま事に及んでもおかしくはないのだが、その日も何も起きることなく二人で寝こけて終わった。

 

 これが王葉との二回目の逢瀬。

 

 何も起きなかったのは、王葉が最初に言っていたように鯉夏に手を出すと誰かの策略に嵌ったようで癪というのが主な理由だろうが、現在になって思い起こしてみると鯉夏の気を惹くための王葉の戦略だったような気がしなくもない。

 

 何故なら翌朝になって王葉を見送った際に名残惜しくて王葉の服の裾を掴んだら一瞬だけ、ふっ、と笑ってから“また来るよ”とだけ言って鯉夏に触れることなく去り、その後から王葉はときと屋に通う様になったのだ。

 

 

 

 

 

「これが私と王葉様の出会いよ」

 

 鯉夏はそういって話を締めた。

 昨日のことのように色鮮やかに蘇る大事な思い出。

 

「王葉さまは鯉夏花魁のカミサマなのね!」

 

「そんな素敵なことがあったから花魁は王葉さまが来ると嬉しそうのね!」

 

「王葉さまも花魁に会えたときは嬉しそうよ!」

 

「それに王葉さまの贈り物はいつも素敵!他の旦那さまは藤の花の香水なんてくださらないわ!」

 

 王葉との馴れ初めを聞かせてとせがんだ鯉夏の禿たちは、きゃあきゃあと囃し立てる。

 おとぎ話のような二人の出会いは、異性を意識し始める彼女たちにとって格好の退屈しのぎだ。

 

「今日は久しぶりに王葉さまがいらっしゃるせいか、花魁いつも以上に素敵よ」

 

「王葉さまったら、仕舞をつけるばかりでちっとも鯉夏花魁に会いに来ないのだからイケズよね」

 

 吉原という場所で育ってきたせいもあり、マセている禿たちは久しぶりに王葉が登楼すると、朝から気分が上向いている鯉夏を揶揄い始める。

 

「こらっ、揶揄わないの!もうすぐいらっしゃるのだから仕度を手伝って」

 

「はあい、花魁!」

 

 このまま放っておいたらいつまでもはしゃいでいそうな禿たちに用事を申し付け、鯉夏は無理矢理話を終わらせて仕度を始める。

 今日は久しぶりに王葉が登楼する日なのだから、いつも以上に気合い入る。

 

「王葉、私のはじめてのひと……はやく逢いたい」

 

 ぽつりと呟いた鯉夏は本当に幸せそうだった。

 

 



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涅雷のギ 〜上〜

 獪岳は合同任務が好きではない。

 自分より階級が高い隊士の場合はその指示が効率的ではないとしても従わなければならないし、かといって自分より階級が下の隊士はあれこれ気を回してやらないと余計な行動をする可能性が高い。更に最悪なのはどちらの任務にせよ殉職者が出る確率が高いということだ。

 死者が出ても獪岳の責任にされるということは無いが、周囲から鬱陶しい難癖をつけられることがあるので単独任務の方がずっと気楽だ。

 

 そんな獪岳の心情を察してか、ここ一年くらいは単独任務か、獪岳がある程度は納得できる指示をする上司に同行する任務しかなかったというのに最近はとある隊士との合同任務が増えた。

 

「疲れましたね、獪岳さん」

 

「ああそうだな……」

 

 その隊士というのが鬼を連れた問題隊士、竈門炭治郎だ。

 面倒ごとを嫌う獪岳からすれば、なるべく関わり合いになりたくない部類の人間だというのに何故そんな隊士との合同任務が増えたのかというと、直属の上司からの命令のせいだ。

 

「竈門は短期間で三度も十二鬼月と遭遇している。間違いなく引く力が強い部類の人間だから獪岳との合同任務が増えるように取り繕った。何か察知したら報告頼む」

 

 直属の上司こと鑢王葉から両肩を叩かれ、こんなことを直接言われたのが数か月前。

 言葉こそ“頼む”という形式だが、実質命令だ。断ることも出来なくはなかったが断ったら単独任務の数が倍々に増えるか、上司の代わりに難しい任務に駆り出されることになっていただろう。

 

 精神的な疲労か劇的な肉体疲労のどちらかを選ぶのなら間違いなく前者だ。そう考えて上司からの命令を受けたのだが、結果としてその判断は間違っていなかった。

 

 竈門炭治郎はどんな任務でも弱音を吐かず常に突破口を考える。地頭も悪くないし根性も度胸もある。実直すぎて暑苦しいのが玉に瑕だが、それもギリギリ許容範囲内だ。

 今まで合同任務を共にしてきた隊士の中では格段にやり易い部類に入る炭治郎との任務も悪くないと獪岳は思い始めていた。

 

 

「獪岳さん、この後任務とか入っていないのなら打ち合いのお相手をお願い出来ないでしょうか?」

 

 結構骨の折れる任務だったというのに、キラキラと輝くような目を向けてくる炭治郎。

こういうところが暑苦しいのだ。

 

「ああ?なんで俺が……」

 

「以前、獪岳さんにお相手して頂いてから体裁きや刀の扱いが良くなったと言われるようになったんです。それに最近は獪岳さんと任務をご一緒することも多いのでいざという時のために連携出来たら良いなとも思っています!」

 

「ちっ……仕方ねえな」

 

 正直、面倒なことこの上ないが炭治郎との合同任務は今後も発生するだろう。ならば炭治郎には強くなってもらわないと、

結局のところ困るのは己だ、と獪岳は納得して申し出に是と応える。

 

「ありがとうございます!」

 

 鼻の利く炭治郎は獪岳の思惑などある程度察しているだろうというのに何故そんなにも嬉しそうなのか理解できない。

 

(深く考えても無駄か、こいつの場合……)

 

 これ以上考えるのは時間の無駄。さっさと戻って稽古して体を休めた方が良い。

 そう思考を切り替えようとした矢先──

 

「とっ突撃ーー!」

 

「突撃ーーー‼︎」

 

「ちょっ…てめーら‼︎いい加減にしやがれ‼︎」

 

 蝶屋敷の軒先で“音柱”の宇髄天元が女の子に群がられている現場に遭遇した。

 

(いや、音柱の方が乱暴しているのか……?)

 

 これはいったいどういう状況なのだろうか。下手に介入して藪蛇になるのは避けたい。

 

「女の子に何してるんだ‼︎手を放せ‼︎って……???」

 

 現場を見てすぐさま声をあげるあたり炭治郎は正義感が強い。しかし声を上げたはいいもの改めて現場を見てどうするべきか考えあぐねていた。

 

「人さらいです~っ、助けてくださぁい」

 

「この馬鹿ガキ…」

 

「キャーーーーーーーー‼︎」

 

 助けを求める少女を筋肉隆々の音柱が黙らせようとするさまは、どこからどう見ても犯罪者が少女を脅しているにしか見えない。

 

 普通であれば助けに入るべきなのであろうが相手は柱。下手に介入すれば面倒ごとしか起きない。獪岳は現場を見なかったことにして立ち去りたい気分だったが、炭治郎はお構いなしに音柱に渾身の頭突きを喰らわせようと突っ込んでいった……が、ひらりとかわされた。

 

「愚か者。俺は“元忍”の宇髄天元様だぞ、その界隈では派手に名を馳せた男。てめえの鼻くそみたいな頭突きを喰らうと思うか」

 

 屋根の上からキメ顔で名乗りを上げる音柱。

 

(いや、忍が名を馳せたら駄目だろ。それにあれだけ距離あったら俺でも避けられる)

 

 この場に王葉がいたら間違いなくつっこみを入れてひと悶着に発展しただろうが、獪岳はそんなことはしない。

 一方で炭治郎と蝶屋敷の住人は音柱に対して、やれ変態だ人攫いだのと容赦ない罵倒を浴びせていた。

 

「てめーらコラ‼︎誰に口利いてるんだコラ‼︎俺は上官‼︎柱だぞこの野郎‼︎」

 

「お前を柱とは認めない‼︎むん‼︎」

 

「むんじゃねーよ‼︎お前が認めないから何なんだよ⁉︎こんの下っぱが‼︎脳味噌爆発してんのか⁉︎俺は任務で女の隊員が要るからコイツら連れて行くんだよ‼︎ “継子”じゃねえ奴は胡蝶の許可を取る必要もない‼︎」

 

 まるで子供の喧嘩だ。炭治郎は十五歳なのでこの態度も年相応のものなのかもしれないが、音柱のほうは成人済みで鬼殺隊への所属年数も長いのに非常に子供っぽい。

 

「なほちゃんは隊員じゃないです‼︎隊服着てないでしょ‼︎」

 

「じゃあいらね」

 

 ポイっと女性を、それも幼子を塀の上から投げ捨てた音柱。

 

「何てことするんだ人でなし‼︎」

 

 炭治郎は激怒し、蝶屋敷の三人娘は身を寄せ合って大泣きしている。

 いくら上官だからといって、いやむしろ上官だからこそこの所業は駄目だろう。

 

「とりあえずコイツは任務に連れて行く。役に立ちそうもねえがこんなのでも一応隊員だしな」

 

 音柱は先ほど話を聞く素振りがほとんど見られない。それどころかアオイの様子がおかしくなっていることにも気付いていない。

 柱の中でも他人の感情の機微に敏感で常識人だと王葉から聞かされていたが、何を焦っているのかやたらと性急だ。

 

「人には人の事情があるんだから無神経に色々つつき回さないでいただきたい‼︎アオイさんを返せ‼︎」

 

 炭治郎が優しい言葉でアオイを庇う。ただしアオイが鬼殺隊に隊士として所属している以上、その言い分には無理がある。

 おそらくアオイはなんらかの理由で鬼にと戦う意志が折れてしまったのだろう。そんな隊士はごまんといる。しかし個人の事情を通したいなら正式に除隊して蝶屋敷の選任看護師となるか、補佐のみを行う隠の部隊に転籍すれば済む話だ。

 

「ぬるいぬるいねえ、このようなザマで地味にぐだぐだしているから鬼殺隊は弱くなってゆくんだろうな」

 

 呆れたように嘆く音柱。彼の言っていることも間違ってはいないが、だからといって鬼と戦う意志が折れているアオイを連れて行ったところで役に立たないどころか足手まといになって余計な死者が出る……即ち獪岳や隠の仕事が増えるだけなのでやめていただきたい。

 

「アオイさんたちの代わりに俺たちが行く」

 

 勢いよく言い放つ炭治郎、そしてその言葉を待っていたかのように現れる猪頭と蒲公英頭……どうしてカスがここにいる。

 

「今帰ったところだが俺は力が有り余ってる。言ってやっても良いいぜ!」

 

「アアアアアオイちゃんを放してもらおうか。たとえアンタが筋肉の化け物でも俺は一歩もひひひ引かないぜ」

 

 鼻息を荒くする伊之助とガタガタ震えてちっとも格好がついていない善逸。

 

(俺まで勘定に入ってないだろうな?)

 

 獪岳には音柱の任務に同行するつもりなんて更々ないが、どうやら二人とも音柱の任務に同行する気満々のようだ。

 

「……」

 

 音柱は殺気を放ち、三人はそれに戸惑いながらも引き下がる様子はない。まあ、この程度の威圧で引き下がるようならどのみち役には立たないので必要最低限の胆力があるか試したのだろう。

 

「……あっそォ、じゃあ一緒に来ていただこうかね、ただし絶対俺に逆らうなよ。お前ら」

 

 アオイの尻を叩いて笑う宇随。世が世ならセクハラで大顰蹙を買う行為だが、この時代にはそんな概念は存在しない。

 

(かったるい。俺の身柄話してさっさと退散するか……)

 

 獪岳は、どう考えても厄介ごとの気配しかしない任務に進んで志願するような性格はしていない。しかも今回の任務に至っては不愉快な存在も同行することが確定している。

 王葉からは炭治郎と一緒にいて何かを察知したら報告しろとしか言われていないから、炭治郎が音柱の任務に同行することになったと伝えておけばいいだろうと判断し、口を開こうとした瞬間──

 

「日本一色と欲に塗れたド派手な場所……」

 

 宇随が任務先について意味深な口調で説明を始め、獪岳は口を閉ざす。

 

(まさかこの言い方)

 

「鬼の棲む“遊郭”だよ」

 

 にやりと笑った宇随の口から出た場所は獪岳の予想通り“吉原”だった。

 確かあの辺りは自身の上司である王葉もきな臭いと言って色々動いていた記憶がある。これはある程度、音柱の話を聞いておかないと後々こちら側にも支障をきたす可能性が高い。

 

(七面倒だが仕方ねえ……)

 

 未来の自分を救うためだ。獪岳は自分にそう言い聞かせて渋々同行することにした。

 

 

 

 

 

 

 藤の家紋を掲げる家で受けた説明はこうだ。

 

 花街は鬼が潜む絶好の場所だと考え、客として潜入したが鬼の尻尾は掴めなかったため、もっと内側のを探るために音柱の嫁三人をそれぞれ遊女として“ときと屋”、“荻本屋”、“京極屋”の三つに潜入させ、鬼の情報収集に当たらせていたが数日前から定期連絡が途絶えた。

 足取りがつかめなくなってしまった以上、改めて吉原を探る必要がある。宇随は単独での鬼の情報収集。炭治郎、伊之助、善逸の三人は変装して遊郭で宇随の嫁の情報収集を手分けして行え。

 

「音柱様、発言よろしいでしょうか」

 

 話がひと段落し、さあ潜入のための準備を始めるぞといったところで獪岳は口を開いた。

 

「許す。話せ」

 

「お話をお伺いする限り、最低でも数日はかかる任務かと存じますので俺は本任務に同行出来ません」

 

「なんだと?」

 

「え、獪岳さん?」

 

「何だお前!怖ぇのか?」

 

「ええっ!!ここまできて帰るとか獪岳嘘過ぎない!?」

 

 宇随は訝し気に眉を顰め、炭治郎は戸惑い、伊之助は頓珍漢な挑発を行い、善逸は汚い高音で嘆きの言葉を投げかける。反応は様々だが何故獪岳がそのような言葉を言ったのか理解できないのは皆同じだ。しかしどんな反応をされようとも獪岳がこの任務に同行できないことは変わらない。

 詳しい話を聞く前はただ単に面倒だから適当に理由をつけて断ろうと獪岳は考えていたが、そもそも現在の獪岳の立場上この任務は参加できないものだった。

 

「……理由を話せ」

 

 あくまで冷静に返した宇随だが、声音から少々頭にきていることはその場の誰しもが察した。

 

「現在、俺の階級は“乙”ですがそれとは別に役職があります。 隠頭領直轄(かくしとうりょうちょっかつ) 預奉所“乱破”監督(あずかりたてまつるところらっぱかんとく)です。継子とは異なりある程度は俺の判断柱の任務にも同行することが許される立場ですが、それでも長期間の任務となるとやはり頭領の許可は必要になります」

 

 その説明を聞いた宇随の不穏な空気が一気に霧散する。

 

「鑢が目をかけている隊士ってのはお前だったのか……」

 

 宇随は納得がいったように顎をさすっているが他の三人はまったく話についていけていない。

 

「何だあ、そのやたら長い名前は?」

 

「え、何その凄そうな役職?」

 

「すみません。聞いたことも無い役職なんですが、どういったものなんですか?」

 

「“乱破”っていうのは戦闘能力を持った隠連中で構成されていた部隊の名前だよ……んでコイツはその監督役ってことだ」

 

 宇随の説明に三人はへえっとと少し驚いた様子で返事をしていた。

 

 一応、部隊名が付いている“乱破”だが、あくまで裏方役である隠の人員で構成されており、任務が発生することも稀なので知っている隊士自体が少なく、入隊して一年も経っていない三人が知らなくとも不思議ではない。

 ちなみに“乱破”と 隠頭領直轄(かくしとうりょうちょっかつ) 預奉所“乱破”監督(あずかりたてまつるところらっぱかんとく)という名前は数代前の産屋敷と鑢の当主がふざけ半分に名付け、それがそのまま定着したものだ。

 

「獪岳ってそんな凄いことになってたの?聞いてないんだけど……」

 

 善逸は獪岳の状況について知らされていなかったことに動揺を受けているが、育手である桑島にも伝えていないのだから当たり前である。むしろ何故情報共有をしてもらえると思っているのだ。

 

「仕方ない、お前はこの任務不参加でいい」

 

「ええっ!獪岳同行してくれても良いじゃん!」

 

 柱である宇随が不参加でいいと言っているのに善逸は往生際が悪い。

 ひとりだけ不参加なんてずるい!逃がさない!とばかりに善逸は泣きながら縋り付こうと獪岳に飛び掛かる──が、あっさりと交わされた上に勢い余って畳に顔を激突させ、その様子を見ていた炭治郎と伊之助から呆れられていた。

 だがしかし、善逸はこの程度で諦めるような性格ではない。割と派手に畳に激突したというのにすぐさま起き上がり、勢いのままに叫ぶ。

 

「鑢さんだって獪岳が手柄上げたら喜ぶでしょ!?」

 

「無いな」

 

「ああ、絶対に無い。むしろ俺もコイツも大目玉食らうだろうよ」

 

 自分より上の立場の者の意向を忖度し、上手く立ち回る獪岳の性質をつけば説得できると踏んで放った善逸渾身の叫びは獪岳と宇随の両名から即否定された。

 

「なんでだよ!?」

 

 一応理由を聞く形で叫んだ善逸だが、本音は“理由なんでどうでもいいからついてきてよ!”である。

 

「“乱破”の任務は特殊なものがほとんどだからな、例え柱であろうとも“乱破”は簡単にホイホイ動かしていいものじゃない。しかもコイツはその監督役ときたもんだ。鑢の許可なく動かせるのはそれこそお館様くらいだよ」

 

「ぐ、ぬぅ……」

 

 鬼殺隊当主の名前を出されれば流石の善逸も引き下がるしかない……ようやく諦めたかこのカス。

 獪岳は善逸を内心で罵倒しながらも、表向きにはあくまで丁寧な所作で宇随に向き直り、一礼する。

 

「音柱様の任務に同行できず大変申し訳ございません。ただ、結構な事態ということは把握できましたので頭領の判断によっては後程任務に合流するといった形で進めさせていただければと存じますがいかがでしょうか?」

 

 獪岳の礼儀と立場を弁えた発言と態度は確実に誰かから指導されたと分かるもので、それを仕込んだのは王葉だと宇随は感じ取っていた。

 

「それで構わねえが、鑢の居場所は把握しているのかお前?」

 

「ええ、俺は頭領の直属ですから基本的に居場所は把握しています。それでは失礼いたします」

 

 獪岳はそう言って足早に四人のいる部屋を後にする。部屋を出た直後、まだなにかぶつくさと言っている善逸と、たしなめる炭治郎の声が聞こえてきたが、激しい打撃音と何かが倒れるような衝撃音のあとそれはピタリと止んだ。どうやら宇随によって制裁を下されたらしい。此度の任務の説明を受けていた時も鉄拳制裁を喰らって沈められていたというのに懲りない奴だ。

 

「さてと、早く頭領に報告しねえとな……」

 

 獪岳は屋敷の外へ出ると前屈や伸脚を行う。これから全速力走るのだから念入りに準備する必要がある。

 そして準備運動を終えて一呼吸──激しく地面を踏み込む音とともに獪岳の姿はかき消えた。

 



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涅雷のギ 〜下〜

 音柱の任務の件を上司に報告すべく吉原を訪れた獪岳を出迎えたのは色の気配を漂わせる王葉だった。

 いつも一纏めにしている腰元までの長い髪は解いており、服装も普段とは異なり藍色の着流しを身に纏った状態。そして窓辺に腰かけて外の景色を眺める姿は、女性にとっては妙に魅力的に映るらしい。獪岳をこの部屋へと案内した女性が一瞬見とれていたのだから間違いない。

 

「頭領、アンタ本当に性欲あったんですね……」

 

 声量こそ大したことないが心の底から驚いているといった様子で呟く獪岳。

 王葉が時間のある時は吉原に足繫く通っていることは知っていたものの、普段仕事ばかりで色事どころかロクに休むことすら出来ていない姿を見慣れている身としてはどうにも想像がつかなかった。

 

 だがしかし、情事後の気配を纏った王葉を目の当たりにしてようやく自身の上司が性欲のある一端の男だと実感できた。

 

「獪岳……お前、俺をなんだと思ってるんだ?」

 

 王葉は開口一番に無礼な物言いをしてきた獪岳にジト目を向ける。

 

「俺の台詞から察してください。部下や任務先の女性から好意を向けられて、ご自身もそれに気付いているくせに全くそういう素振り見せない。そんな人間を見たらそう言いたくもなります」

 

「おまっ、他人からの好意に靡かないのは自分も同じのくせにぬけぬけと……」

 

「俺は、自分の好みの琴線に引っかかた上で、後腐れの無い女性なら結構よろしくしてます」

 

 獪岳は生まれてからいまに至るまで恋人というものがいたことが無いが非童貞である。

 目つきは悪いものの顔立ちは端正な部類に入るし年齢の割には落ち着いているので女性に言い寄られることも少なくない。そんな事情もあり色ごとに関してはそこそこ場数を踏んでいた。彼の弟弟子が聞いたら間違いなく嫉妬で大騒ぎするだろう。

 

「いや、それはそれで……後腐れのない相手を選んでいるなら別にいいんだけどよ」

 

 獪岳の言い草からして一般人にも手を出していることは明白なのでよくはない。風紀に厳しい者……鬼殺隊関係者でいえば“風柱”の不死川実弥や“元炎柱”の煉獄杏寿郎であれば間違いなく獪岳を窘めるだろうが、王葉からしてみれば問題さえ起こさなければ個人の自由にすればいいという考えだ。

 

 王葉であればそんな考え方をすると分かっていたからこそ獪岳も一般人に手を出していることを隠そうともしなかった……まあさすがの王葉も呆れる程度の倫理観は持ち合わせていたけれども些事である。

 

 それにしても、お世辞にもしっかりした倫理観を持っているとは言えないが仕事に関しては至極真面目な王葉が、非番とはいえ“色”の気配を漂わせたままで直属の部下である獪岳の目の前に現れるとは思っていなかった。

 色の気配はそこまで濃くないので身を清めるくらいはしていそうだが、それでも消し切れていない理由はひとつしか思いつかない。

 

「あの美人の花魁、鯉夏さんに惚れてるんですか?」

 

 懇意にしている花魁に惚れこんでいて、いまもどこかのぼせているということだ。

 獪岳がときと屋を訪れた際に鯉夏と廊下ですれ違ったが、背が低くて華奢で可愛らしい顔立ちをしていて一見幼く見えるのに、なんとも色っぽい女性だった。すれ違いざまに軽いお辞儀とともに微笑まれたときは不覚にも少し顔が熱くなった。

 

「なんだ急に?お前が個人間の関係に興味持つなんて珍しいな」

 

「いつも仕事ばかりにかまけている頭領が誰かひとり入れ込むなんて正直意外だったので興味本位です」

 

 割と女慣れしている獪岳でさえ少し見とれてしまったほどの美女とはいえ、基本的に誰に対しても深入りすることのない王葉がそれだけで入れ込むとは思えないので興味もわく。

 

「確かにお前の言うことは合っているが俺も欲を持ったひとりの人間だよ。鯉夏のことだが……情が深くて愛らしくて可愛いアイツに惚れてるよ」

 

 惚れてるのかと尋ねただけなのに、どんなところに惹かれているかまで話すとは……これは心底惚れこんでいるのかもしれない。まさか王葉が誰かに、それも“口から出る言葉はすべて夢”と嘲笑されることすらある遊女に惚れるなんてまるで御伽草子の世界の出来事だ。

 

「そうですか……」

 

 王葉から出ている雰囲気があまりにも甘ったるくて、口から出た獪岳の声は獪岳自身が思った以上に低くなってしまった。

 他人の不幸は蜜の味なんて諺があるが、いまの獪岳にとっては他人の幸せこそ蜜の如く甘ったるくて胸焼けを起してしまいそうだ。

 

「自分から聞いておいて機嫌悪くするなよ」

 

「いやだってまさか頭領に惚気られるとは思わなかったんですよ。それに他人の幸せを喜べるほど俺は善人じゃありません」

 

 王葉から呆れられてしまい、つい食い気味に言い訳をする。自分から聞いておいてこんな開き直った対応をするのは大人げないのは分かっているが、それだけ今回のことが意外だったのだ。

 

「はあ……興味本位で聞いた俺が阿呆でした。自分の方から話を振っておいて申し訳ないですが、本来の用件の話をさせてください」

 

 つい興味本位で王葉の恋愛事情に突っ込んで話がそれてしまったが、いまは個人の色ごとに関してよりも優先すべきことがあると獪岳は無理やり思考を切り替える。

 

「非番の俺に態々報告に来るってことは火急の用件……差し詰め宇随の任務についてだろ?」

 

 獪岳が説明する前から王葉は用件を見抜いていた。隠頭領であれば柱がどんな任務に就いているか把握していてもおかしくはないが、すぐさま用件の見当がつくあたり彼も宇随の動向には注目していたのだろう。

 

「やはり知っていたんですね。遊郭に潜入されていた奥方様との連絡が取れなくなったそうです」

 

「須磨さん……この見世に潜入していた奥方以外もか?」

 

「ええ、三人ともです。音柱の嫁の件まで把握済みとか、まさかアンタ非番のときにまで情報収集してるんですか?いつか働きすぎで死にますよ」

 

 王葉が仕事人間なのは知っていたが非番の日にまで情報収集しているとしたら、仕事にも修業にも真面目に取り組む自覚のある獪岳でもちょっと引く。

 

「そんなわけないだろ。須磨さんがこの見世に潜入していたことは登楼するまで知らなかったさ、この件に関しては噂好きな禿から聞いたんだよ……」

 

 王葉いわく、彼が懇意にしている鯉夏花魁の禿はとても噂好きで“ときと屋”だけでなく吉原全体の情報をどこからか仕入れてきて話すらしい。

 

「足抜けや自殺する遊女なんて珍しくないが、ここ最近になって急に増えた。そして数日前には“京極屋”の女将が謎の転落死。遺体は随分高い場所から落ちたかのようにぐしゃぐしゃで顔は辛うじて判別がつくほどにまで潰れていた……ちなみに“京極屋”の女将は見世の性悪遊女に普段から頭を悩ませていたらしい」

 

「頭領、それって……」

 

 その見世に鬼が潜んでいるとみて間違いないのではなかろうか。獪岳がそう口にしようとした瞬間、見世の天井から妙な気配がして身構えた。

 

「…………」

 

 天井裏で何かが這いずり回るような音が微かに聞こえてくる。確実に人ではない“ナニカ”がそこにはいる。しかし鬼の気配とはどこか違う。

 獪岳がどうするべきか決めあぐねていると──

 

「お前、吉原は華やかな世界で羨ましいだって?馬鹿なこと言ってんじゃねえよ」

 

 王葉は唐突に話題を変えて獪岳を罵った。

 

「は……?」

 

「華やかなのは表向きだけだ。幼い禿だって遊女になるための躾と称して殴られたり、水責めを受けたりする。それに切見世に堕とされた遊女の辿る末路も悲惨だ。吉原の外れなんて特に酷い。大通りの見世の煌びやかさとは打って変わって鼠や害虫だらけだぜ」

 

 あまりに突然の話題転換にいきなり何を言い出すんだと思ったが王葉の顔を見て意図を理解した。“話を合わせろ”と顔に書いてあったのだ。

 

「……本当ですか?こんな綺麗な見世や遊女たちを見ていると、とてもそうとは思えませんけど」

 

 王葉の意図を汲んでそのまま他愛無い話で盛り上がるフリをする。

 

「信じられないなら実際に見て確かめてこいよ。あの鼠の多さ、どこかにデカい巣穴でも作ってるんじゃないかって想像するような汚さだぞ」

 

「いえ、汚いものを態々見に行く趣味はありません。俺は自分にとって都合の良いことだけ信じて生きていたいですし、専門の業者がいずれなんとかするでしょう」

 

「そのいずれがいつになることやらな……ま、俺たちには関係ない話だけどよ」

 

 妙な気配はしばらく天井裏に留まっていたが、そのままフリを続けていると王葉と獪岳がよくある廓遊びに来た客同士のゲスな会話だと判断したのかやがて静かに消えていった。

 

「…………行きましたね」

 

「ああ、昼見世の時間から熱心ことだよ……この通り吉原全体が見張られているらしくてな、そんな状況だと怪しい見世でも迂闊に踏み込めないんだよ。囮や、鬼が複数いる可能性もある。下手をすれば鬼は逃して被害者だけが出るなんてことにもなりかねない」

 

 王葉は獪岳の考えを理解して京極屋に動き出さない理由を話す。やはり意図を汲んでくれる上司との仕事は話が早くて楽だ。しかしこの件に関しては王葉の考えのまま行動していると手遅れになる可能性があるため、獪岳は言葉を続ける。

 

「ですが柱の中では比較的冷静で常識人と頭領から聞いていた音柱は随分と余裕がないように見えました。戦う意志の折れている蝶屋敷の隊士まで連れて行こうとしていたくらいですし、悠長なことをしている時間はないと思います」

 

「あの宇髄がか?」

 

「ええ、ちなみに音柱の任務にはその場に居合わせた竈門、我妻、嘴平の三名が同行することになったので意志の折れた隊士は蝶屋敷に残りました」

 

「宇髄のやつ珍しく焦ってるじゃねえか。ま、アイツは愛妻家だしらしいといえばらしい。しかしだとすると戦闘が始まるのも時間の問題か……こりゃ思ったよりも早く動く必要が出てきた」

 

 そういうと王葉は立ち上がり、身支度の準備を始める。

 

「頭領?」

 

「至急の用件ができた。俺は今から吉原を出て、お偉いさんに話をつけに行ってくる」

 

 獪岳の方を見向きもせずに仕事着に着替え、髪を結っている王葉。その姿からは先ほどまでの“色”はすっかり消え去っていた。完全に仕事態勢に切り替えたらしい。

 

「お偉いさん……え、まさか、どうしてそんなことを?」

 

 王葉の言う“お偉いさん”が誰のことだかはすぐに理解したが、どうして急に話をしにいくなんて言い出したのか一瞬理解が追い付かなかった。

 

「文明開化のこの時代、未だに吉原のような場所が存在しているのはこの国に色を好む鬼が多く潜んでいるからだ。そんな場所で好き勝手に暴れてみろ、後々大変なことになる。前々から動いてはいたが、アイツら自分の欲のことになるとどうにも頑だから中々進まなかったんだよ。なるべく穏やかにゆっくり進めたかったが、そうもいかなくなった以上、直接話をつけに行くしかない」

 

 人間は基本的に己の欲求に忠実で、それは時として人食い鬼よりも質の悪い存在となる。そしてそういった輩は何故か権力者に多い。

 王葉はある意味鬼との戦いよりも過酷な場に赴かなければならないのだ。

 

「……俺は行方不明者の捜索と住民の避難経路の確保準備をしておきますので急いでください」

 

 王葉の“用件”の重要性を理解した獪岳は己に出来る最大限のことを伝える。

 

「悪いな、こっちもなるべく早く済ませて連絡できるようにする。あと分かっていると思うが……」

 

「行方不明者を見つけても命に別状が無いか、戦闘が始まってしまうまでは救助しませんよ。藪を突いて蛇が出てきたらたまりませんからね。それと、頭領の至急の用件について音柱には伝えますか?」

 

「伝えるな。アイツは頭が回るから、この件が足枷になっていざというとき実力が発揮できなくなったらコトだ」

 

(やっぱりか……)

 

 何が鬼殺隊のためになるかを仕事においての行動原理としている王葉であればそう言う気はしていた。

 しかしそれは時として仲間内からの反感を買うことになる。

 

「それで……いいんですか?」

 

 王葉がそのことを理解したうえで判断しているということは承知の上だが、それでも何故か聞いておきたくなったのだ。

 

「ああ。情報が共有されていなければ万が一の事態が起きても責任は全部俺が背負えば済む話だ。鬼殺隊のことを考えるのならその方が絶対にいい……宇随であればその辺理解するさ」

 

「損な役回りですね。では、頭領が鬼の棲家に見当がつけていたことも黙っておきます」

 

 頭が良い音柱であれば獪岳の隠し事も王葉の考えもすぐに看破しそうですが、とは言わない。

 

「頼む。もし話した方が、事態が上手く進むと獪岳が判断したら話せばいい。それ以外の判断も基本的には任せるから好きにやれ、何かあったときの責任は全て俺が負う」

 

「承知いたしました」

 

 獪岳のその返事を最後に、王葉は足早に吉原を後にした。

 

 



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赫灼のソウ 〜上〜

 今現在、炭治郎は“ときと屋”に潜入していた。

 潜入時、変装のためにと宇髄から化粧を施された。しかし不細工すぎると、女将に早々に落とされてしまった。そして額の傷のことが露見した。

 額の傷を見た彼女の怒りを凄まじかった。その際、引っ張られた前髪がすべて抜け落ちるかと思うくらいだ。楼主が女将をなだめてくれなかったら、今頃どうなっていたことだろうか。

 

 額に傷なんてあったら遊女としては売り物にならない。かといって、何もさせないわけにもいかない。せめて代金分は働かせなくいてはならない。そう冷静になった女将が、炭治郎に命じたのは雑用全般だった。

 

「炭子ちゃん、ちょっとあれ運んでくれる?人手が足りないみたいで……」

 

 炭治郎が洗濯物を畳んでいると、姐さんが荷物運びを頼みにやってきた。

 

「わかりました!鯉夏花魁の部屋ですね。すぐ運びます」

 

 炭治郎も笑顔で答える。まだ見世にきてから、一日しか経っていないにも関わらず、既に炭治郎は仕事が早くて真面目な“炭子”として見世の女性たちから便りにされていた。

 

「炭子ちゃんよく働くねぇ」

 

「白粉をとったら額に傷があったもんだから昨日は女将さんが烈火の如く怒っていたけど…」

 

「はい!働かせてもらえてよかったです」

 

 炭治郎は気が付いていないが、額に傷がある女はそのまま切見世に堕とされてもおかしくない。ときと屋で働かせてもらえるのは、本当に運が良いことなのだ。しかし炭焼きを生業にしていた炭治郎が知る由もなかった。

 

 炭治郎は頼まれた仕事をこなすべく、意気揚々と大量の荷物を抱えて部屋を出る。

 その様子を見た姐さん方からは、若干驚かれていたが──

 

 

 

 鯉夏の部屋では可愛らしい禿が二人、こそこそと噂話をしていた。

 

「“京極屋”の女将さん、窓から落ちて死んじゃったんだって怖いね。気をつけようね」

 

「最近は“足抜け”していなくなる姐さんも多いしね。怖いね」

 

 隅でこそこそと話をしているが、部屋の中にいる者には丸聞こえである。

 

「“足抜け”って何?」

 

 炭治郎は、話をしている二人の間に顔を出して尋ねる。すると驚きの声が上がった。どうやら話に夢中で、部屋に人が入ってきたことにも気づいていなかったようだ。

 

「えーー炭ちゃん知らないのぉ」

 

「すごい荷物だね!」

 

「鯉夏花魁への贈り物だよ」

 

 贈り物は炭治郎の身の丈をゆうに超える量だ。

 

「こんなにたくさん!高価なものや大きいものを贈ればいいわけじゃないのにね」

 

「ほんとね。他の男の人も王葉さまを見習ってほしいわね」

 

 禿たちは、鯉夏花魁への贈り物の山を見て不満そうに頬を膨らませている。

 

(王葉さま……?)

 

 王葉の名前が禿の口から出たことに炭治郎は思案する。

 よくある名前でもないため、炭治郎の見知った人物と同一である可能性が高い。しかし、一体どうして彼の名前が遊郭で出るのだろうか。

 

「そうそう“足抜け”っていうのはねぇ、借金を返さずにここから逃げることだよ。見つかったら酷いんだよ」

 

「そうなんだ……」

 

「好きな男の人と逃げきれる人もいるんだけどね。こないだだって須磨花魁が……」

 

(須磨!宇髄さんの奥さんだ……)

 

 王葉の名前が出たと思ったら、それよりも優先すべき事柄が禿の口から出てきた。

 

 王葉のことは気になる。けれども須磨についての情報を優先するべきだ。そう考えを改めて、禿たちに須磨のことを聞こうとした時……

 

「噂話はよしなさい。本当に逃げきれたかどうかなんて……誰にもわからないのよ」

 

「はぁい」

 

 いつの間にか部屋の入口にきていた鯉夏花魁に、水を差されてしまった。鯉夏の声音はとても優しい。叱られたというのに禿たちの返事は実に気が抜けていた。鯉夏と噂好きの禿とのやりとりは、日常茶飯事なのだろう。

 

「運んでくれたのね。ありがとう。おいで」

 

 鯉夏は贈り物を運び入れた炭治郎を呼び寄せる。

 

「はい」

 

 炭治郎が側に寄ると、彼女は優しく手を取って、とてもいい香りのするお菓子の包みを握らせてくれた。

 

「お菓子をあげようね。ひとりでこっそり食べるのよ」

 

 荷物を運んだだけでお駄賃をもらってしまった。

 お菓子をくれたのは、鯉夏自身が優しいというのはあるだろうが、子供扱いをされているようで少々照れ臭い。

 

「わっちも欲しい」

 

「花魁、花魁」

 

「だめよ。先刻食べたばかりでしょう」

 

 自分もお菓子が欲しいとおねだりする禿たちと、それを窘める鯉夏。その態度や言葉遣いは、炭治郎にお菓子を握らせてくれたときと同様に見えるので、やはり子供扱いされている……ってそうじゃない。今は、花魁と禿の戯れを見ている余裕なんてないはずだ。

 

「あの…“須磨”花魁は足抜けしたんですか?」

 

炭治郎が意を決して須磨についてのことを尋ねると──

 

「!…どうしてそんなこと聞くんだい?」

 

 鯉夏から若干険しい視線を向けられた。

 

(警戒されてる。うまく聞かないと須磨さんのことを)

 

 それもそうだろう。昨日妓楼にやってきたばかりの娘が、花魁の足抜けに興味を持つなんて不自然だ。

 

「ええと…」

 

 炭治郎は鯉夏と禿たちから視線を向けられ、たじたじになる。どうしよう上手い言い訳をしなくてはて必死に考えた結果は──

 

「須磨花魁は私の…私の…姉なんです」

 

 言い訳としては悪くない。しかし表情が明らかに不自然。炭治郎の顔はおたふくの仮面にそっくりだ。

 炭治郎の表情を見て禿たちは怯え、大抵のことでは驚かない鯉夏でさえも若干顔を青くしている。

 

「姉さんに続いて、あなたも遊郭に売られてきたの?」

 

 普通だったら炭治郎の不自然な表情を見たら詰問されてもおかしくない。

 そのことには触れず、会話を続けてくれる鯉夏はとても優しい。

 

「は、はい。姉とはずっと手紙のやりとりをしていましたが、足抜けするような人ではないはずで……」

 

「そうだったの……」

 

 炭治郎の言い訳を聞いて、深く突っ込まずに何かを考えるように目を伏せる鯉夏。

 

「…………」

 

 炭治郎は、この場の沈黙が痛いと感じていた。しかし、いま自分から言葉を発すると墓穴を掘る可能性が非常に高い。それくらいは自覚しているので必死に無言を貫く。

 

「確かに、私も須磨ちゃんが足抜けするとは思えなかった。しっかりした子だったもの、男の人にのぼせているような素振りもなかったのに、だけど日記が見つかっていて、それには足抜けするって書いてあったそうなの……捕まったという話も聞かないから、逃げきれていればいいんだけど……」

 

 しばらくの後、鯉夏から語られた情報。それは須磨がいなくなったのは鬼の仕業だと確信させるには十分なものだった。

 

(“足抜け”……これは鬼にとってかなり都合がいい。人がいなくなっても、遊郭から逃亡したのだと思われるだけ……日記はおそらく偽装だ。どうか無事でいてほしい……必ず助け出すから、須磨さん……‼︎)

 

 捕まった……すなわち目撃情報がないということは生存の望みはまだあるはずだと、炭治郎は須磨を助け出す決意を胸に小さく拳を握った……のだが──

 

「そうよね!誰しもが鑢さまと鯉夏花魁のように気兼ねなく逢瀬を楽しめるわけじゃないものね」

 

 そんな炭治郎に横やりを入れるかのように、気になる話題が禿の口から飛び出した。

 

「でも王葉さまはとっても忙しいから、いつでも花魁との逢瀬を楽しめるわけじゃないけどね!」

 

「でもでも鑢さまは見世にいらっしゃらなくても仕舞をつけてくださるじゃない!他の方はそんなことしないわ!」

 

 “鑢王葉”なんて変わった名前、同姓同名の人間はそうそういるとは思えない。だが禿たちが会話からは件の客の、人となりがわからない。

 

 名前だけで鬼殺隊の隠頭領と同一人物と決めつけるのは早急だ。

 

「好きな人にそんなことされたら寂しいわ!イケずだわ!」

 

 盛り上がっているところに割り込むのは気が引ける。けれども確かめないわけにもいかないと炭治郎は口を挟む。

 

「その“鑢様”って誰?それに“仕舞”って……?」

 

「炭ちゃんったら、そんなことも知らないのね!“仕舞”っていうのはお金をたくさん払って遊女の一日を買い切ることだよ」

 

「“鑢さま”は鯉夏花魁のイイヒトの名前よ!」

 

 意を決して口を挟んだら、とんだ爆弾発言を喰らってしまった。

 遊女の、それも花魁の一日を買い切るなんて一体いくらかかるのか。しかも、花魁の一日を買い切っておきながら見世に来ない……いや、忙しくて来られないのだとしてもそんなお客は中々いないであろう。

 それくらいは炭治郎にでさえ分かる。そしてもっと気になる単語が出てきた。

 

「イイヒトって……ええっ!?つまり鯉夏花魁の“恋人”ですか?」

 

 “あの鑢さんと!?”と喉元寸前まで出かかったがなんとか抑え込む。まだ決まったわけではないし、口に出してしまえば、完全に怪しまれて潜入捜査がし辛くなることは確実だ。

 

「ふふっ……遊郭では、お客様と遊女は疑似的な夫婦になるから“恋人”ではなく“間夫”というのよ」

 

 鯉夏は炭治郎の言葉の表現を正しただけで否定しない。その上、口元を綻ばせていて頬もほのかに赤い。そんな様子を見ていると炭治郎の方までなんだか気恥しい気分になる。

 

「……どんな、方なんですか?」

 

「ふふっ、鑢様はね──」

 

 炭治郎は鯉夏の熱がうつったかのように顔を赤くさせた。そして彼女の“間夫”についての情報を聞き出そうと先を促す。先ほどと異なり不審がられることもなく、鯉夏は件の男性について話し始めた。

 どうやら炭治郎が顔を赤くして質問したのが功を奏したのか、鯉夏は、年頃の子が色恋に興味を持ったが故の質問だと受け取ったようだ。

 

 鯉夏から話された内容を軽くまとめるとこうだ。外見的特徴は六尺を超え、青い目が印象的で腰元まである長い髪の男性。

 鯉夏が花魁になるよりも前に出会い、最初は共寝をするだけの間柄だった。

 何度か逢瀬を重ねるうちに、鯉夏は段々と王葉に惹かれるようになったが、肝心の王葉の方は“そういう”素振りを全く見せなかった。

 鯉夏はそんな日々を悶々と過ごしていた。しかし、ある日痺れを切らした鯉夏から誘いをかけたことで、晴れて現在のような関係になれたのだという。

 

「あまりにも何もしてこないものだから、私に魅力がないのかと一時は落ち込んだりもしたわ」

 

 炭治郎はどんな人かを尋ねただけなのに鯉夏は馴れ初めまで話してくれた。

正直なところ、外見的特徴を聞いた時点で炭治郎の知る人物で同一である確証は得られた。でも炭治郎は鯉夏の惚気話を遮りはしない。

 鯉夏の話を遮らない理由は、炭治郎から王葉のことについて尋ねたというのもあるが、あまりにも幸せそうに王葉のことを語るものだから炭治郎まで温かい気持ちになってしまい、つい聞き入ってしまったのだ。

 

「へえ、鯉夏花魁は鑢様のどんなところがお好きなんですか?」

 

 それに加えて、他人の幸せな様子を見たり聞いたりするのが好きというのもある。

 

「優しくて、思いやりがあって、でもたまに言葉が足りなくて、相手を誤解させてしまう不器用さも持っているところね。それに、彼と初めて出会ったときに子供っぽいやりとりをしたこともあって、お互い気の置けない関係でいられるから一緒にいると、とても気が休まるのよ」

 

 炭治郎にお菓子をくれたときは、大人の女性といった感じだったのに、今の鯉夏は完全に恋する乙女の顔をしている。とても可愛らしい。

 

「いいなぁ花魁……王葉さまは私たちにもとても優しくしてくれるけど、花魁は“トクベツ”だものね」

 

「わっちも、鑢さまのような人と出会えるかなぁ……」

 

 禿たちは、幸せそうに話をする鯉夏に羨望の眼差しを向けて呟く。

 

「一生懸命努力すれば会えるかもしれないわ。さあ、お話は終わりよ。夜見世の準備を手伝って頂戴」

 

 鯉夏は最後にくすりと笑顔をこぼすと、ぱんっと手を叩いてそう言った。

 

 



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赫灼のソウ 〜下〜

 潜入、数日後──

 

 炭治郎が潜入した“ときと屋”からは鬼に関する有力な情報は得られなかった。

 須磨の関しても鯉夏から聞いたこと以上のことは、全く分かっていない。

 

「だーかーらー!俺んとこに鬼がいんだよ」

 

 ところが伊之助はそうでもないらしい。それは何度目かの定期連絡の事。伊之助が自分の潜入する見世に鬼がいると主張したのだ。

 

「こういう奴がいるんだって、こういうのが‼︎」

 

 伊之助は鬼の特徴を身振り手振りを交えて一生懸命説明してくれる。

 

「いや……うん。それはあの……ちょっと待ってくれ」

 

 炭治郎も理解できるように努めたい。しかし説明が感覚的過ぎて全く伝わってこない。どうしたものか。

 

「こうか⁉︎これならわかるか⁉︎」

 

 先ほどから手足をぐにゃぐにゃと動かしている伊之助。その様子から察すると細長くてミミズのような鬼なのかもしれない。

 

「そろそろ宇髄さんと善逸、定期連絡に来ると思うから……」

 

 今この場にいるのは炭治郎と伊之助の二人だけだ。鬼の特徴を話すのならば宇随もいたほうがいい。

 

「こうなんだよ。俺にはわかってんだよ」

 

 それでも説明を続けようとする伊之助。

 

「うんうん……」

 

 一応、相槌だけは返しておく。善逸も宇随さんも早く来てほしい。そうすれば伊之助の話も深く突っ込んで聞くことができる。

 

「お前ら、こんなところにいたのか」

 

 そんな時、ふと二人の前に現れたのは数日前に離脱した獪岳だった。

 

「獪岳さん!鑢さんからの許可が取れたんですか?」

 

「……ああ。だから来たんだよ」

 

「……?」

 

 炭治郎には獪岳が少し疲れているように見えた。それもその筈。彼は一仕事終えてきたばかりなのだ。

 だから獪岳の言い方では語弊がある。王葉の許可が取れたから合流したのではなく、王葉の指示を受けて、ソレを全うするための準備をしてきたから合流したのだ。本当ならもっと早くに合流したかったのだが、思ったよりも時間がかかってしまった。

 

「お前ら二人だけってことは……音柱様、何かあったんですか?」

 

 獪岳は善逸が来ていないことに気が付くと、その理由を音柱に問う。炭治郎と伊之助は気付かなかったが、宇随天元は数分前にはその場にいたのだ。

 

「善逸は来ない」

 

 炭治郎たちの方を向かずに言う天元。彼の声音は固く纏う空気も張りつめている。

 

(コイツ……やる奴だぜ。音がしねぇ……風が揺らぎすらしなかった。太眉野郎はコイツに気が付いてたのかよ)

 

「善逸が来ないって、とういうことですか?」

 

「お前たちには悪いことをしたと思ってる。俺は嫁を助けたいが為にいくつもの判断を間違えた。善逸は今、行方知れずだ。昨夜から連絡が途絶えてる」

 

 質問に静かに答える天元。無表情を貫いているが、炭治郎は彼から漂う深い後悔の匂いを感じ取っていた。

 

「お前らはもう“花街”から出ろ。階級が低すぎる。ここにいる鬼が“上弦”だった場合、対処できない。それに鑢の部下をみすみす危険に晒すわけにはいかない。消息を絶った者は死んだと見做す。後は俺一人で動く」

 

(成程。こりゃ頭領も“至急の用件”については話すなと言うわけだ)

 

 獪岳は王葉が話すなと言った理由を、天元の言葉で察した。たかが平隊士が一人、行方不明になった位でこの有様だ。宇随天元という男は、身内に対してとことん甘いのだろう。

 後は一人で動くなんて言っているが、相手の鬼は、音柱の奥方三人と善逸を明確な手がかりを残さず行方不明にさせる術を持っている。しかも“上弦”の可能性すらある。そんな鬼を一人で相手にするなんて、いくら柱とはいえ、どう考えても無理がある。

 

(犠牲者を増やしたくないからだろうが、下手すりゃ音柱だけ死ぬぞ)

 

 そんな状況で王葉の“至急の用件”について話してしまったら、どうなるかは大体想像がつく。合流する前に仕込みをしておいて良かったと獪岳は安堵のため息をついた。

 

「いいえ宇髄さん。俺たちは……‼︎」

 

「恥じるな。生きてる奴が勝ちなんだ。機会を見誤るんじゃない」

 

「待てよオッサン‼︎」

 

 炭治郎と伊之助は尚も言いつのろうとしたが、天元は話を聞く素振りすら見せずに消えた。

 

「俺と伊之助が一番下の階級だから、信用してもらえなかったのかな……」

 

(安心しろ。関係ねえよ……)

 

 直接声に出して教えてあげればいいのに、獪岳は絶対にそういうことをしない。そんなことをしても獪岳に利点はないし、教えてあげるほど炭治郎たちのことを好いてもいないからだ。

 

 獪岳の考えの通り、炭治郎たちの階級は関係ない。そんなものはただの口実に過ぎない。上から二番目の階級である獪岳ですらも、帰れと言われたのが良い証拠だ。しかも獪岳を返そうとした理由も結構お粗末だ。

 獪岳は王葉から、音柱の任務へと同行する許可を得ている。彼は大抵のことは想定した上で許可を出した。そんなこと音柱も分かっている筈で、それでも吉原を出ろと言ったのだ。

 

「俺たちの階級“庚”だぞ。もう上がってる。下から四番目」

 

 だが自分の階級すらもよく分かっていない炭治郎には、そういった部分を理解するのはまだ難しい。

 

「えっ?」

 

「階級を示せ」

 

 驚く炭治郎をよそに伊之助の手のひらには“庚”の文字が浮かび上がった。

 

「藤の山で手ェこちょこちょされただろ?」

 

 鬼殺隊の特殊技術『藤花彫り』については最終選別後、階級制度と一緒に説明される。

 

「こちょこちょされた覚えはあるけど疲れてたし……こういうことって知らなかった……」

 

 しかし、その頃の炭治郎の記憶は朧気だ。一番最初に何か説明は疲労でよく聞いていなかった。しかも那田蜘蛛山での任務以降、階級を口にする機会も確かめる必要も無かった。最近、給金が上がっていることには気が付いていたが、まさか自分が昇進しているとは夢にも思わなかった。

 

「元気出せよ!」

 

 炭治郎の表情は皺くちゃの老人みたいで見ていて可哀想になってくる。珍しく伊之助が肩を叩いて慰める程。

 

「そうだ。こんな場合じゃないんだゴメン。夜になったらすぐに伊之助のいる“荻元屋”へ行く。それまで待っててくれ、一人で動くのは危ない。今日で俺のいる店も調べ終わるから」

 

 伊之助の励ましもあり、炭治郎は速攻意識を切り替える。落ち込んでいる暇があったら、一刻も早く行方不明者を救出し、鬼の正体を突き止めるべきだ。まずは“ときと屋”の中を隅々まで調べなくては──

 

「何でだよ!俺のトコに鬼がいるって言ってんだから、今から来いっつーの‼︎頭悪ィな、テメーはホントに!」

 

 しかしそんな炭治郎の考えは、せっかちな伊之助には炭治郎の考えは伝わっていない。軽い癇癪を起した伊之助は炭治郎の頬を引っ張って、早くついて来いと主張した。

 

「ひがうよ」

 

「あーん!?」

 

 引っ張られる頬の痛みに耐えながら、炭治郎は主張する。

 

「夜の間、店の外は宇髄さんが見張っていただろ?イタタタタ!でも善逸は消えたし、伊之助の店の鬼も今は姿を隠してる。イタタ、ちょっ……ペムペムするのやめてくれ。建物の中に通路があるんじゃないかと思うんだよ」

 

 炭治郎がそこまで言って、ようやく伊之助の勢いが和らいだ。ちょっとでいいから、冷静に人の話を聞く癖を身に着けて欲しい。

 

「通路?」

 

「そうだ。しかも店に出入りしてないということは、鬼は中で働いてる者の可能性が高い。鬼が店で働いていたり、巧妙に人間のふりをしていればいるほど、人を殺すのには慎重になる。バレないように」

 

「そうか……殺人の後始末には手間が掛かる。血痕は簡単に消せねえしな」

 

「ここは夜の街だ。鬼に都合がいいことも多いが、都合の悪いことも多い。夜は仕事をしなきゃならない。いないと不審に思われる。俺は、善逸も宇髄さんの奥さんたちも皆生きてると思う。そのつもりで行動する。必ず助け出す。伊之助にもそのつもりで行動して欲しい。そして絶対に死なないで欲しい。それでいいか?」

 

「お前が言ったことは全部な、今俺が言おうとしてたことだぜ‼︎」

 

 笑顔で答えた伊之助に炭治郎も頷く。これからやるべきことは決まった。

 あとは動き出すだけだ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よくねえよ阿呆。そこまで推理できるのに、なんで“荻本屋”に乗り込むって選択をするんだ」

 

 そう決意を新たにした直後、頭に衝撃。そしてスパーンっと小気味よい音が辺りに響いた。獪岳が炭治郎と伊之助の頭を叩いたのだ。

 

「イタッ!獪岳さん……?」

 

「太眉野郎!何しやがる!」

 

 二人が獪岳の方を振り向けば、呆れたような視線を向けられ、盛大にため息を吐かれる。酷い。

 

「お前らが独断専行しようとしてるからだよ。今は鬼の手がかりが見つかってのぼせ上っているんだろうが、頭冷やせ」

 

 獪岳は腕を腰に当てて、炭治郎と伊之助を窘める。その姿はなんだか王葉と重なって見えた。

 

「え、あの、はい」

 

 獪岳の言うことにも一理ある。まずは冷静になって彼の話を聞こう。

 

「…………っち」

 

 伊之助も同じ考えなのか明確な反論はせずに黙り込む。

 

「いいか。建物の中に通路があるって考えには俺も同意する。だがいつも“荻本屋”にいるとは考えにくい」

 

「……なんでだよ?」

 

「アイツが消えて、お前が無事だからだよ。嘴平、お前じっとしてたり隠密行動したりするの苦手だろ?」

 

「ああ⁉それがどうしたっていうんだよ?」

 

「それに加えて、この状況でも俺の言動にいちいち突っかかってくる。そんな奴が鬼の手がかり見つけて大人しくしているとは思えねえ。見世の中で騒ぎ起したんじゃねえか?」

 

 凄い。獪岳と伊之助が出会ったのは数日前。しかも直接顔を合わせていた時間は数時間程度だ。それなのに獪岳はもう伊之助の性格を把握し始めている。

 

「したけどよ。それがどうしたっていうんだ!」

 

 鼻息を荒くして、あっけらかんと答える伊之助。

 

(ええっ……)

 

 騒ぎを起こしたのにその言い草は良くない。しかしそれを口に出せば、またペムペムされそうなので黙る。

 

「自分が根城にしている場所で騒ぎなんて起されてみろ、お前ならどうする?」

 

「そんなもん。すぐにでもとっ捕まえて何考えてるか吐かせるに決まって……って!?」

 

「そうか!伊之助が無事ということは“荻本屋”の中で暴れられても気にしない。即ち鬼は普段、別の場所にいる可能性が高い!」

 

「正解。情報収集のために嘴平を泳がせてるって手も考えられるが、それだとアイツだけ消えたことに対する説明がつきにくい」

 

「じゃあ、本当に鬼が根城にしているのは善逸が潜入していた“京極屋”の方ってことですか?」

 

「ああ。そして多分音柱も同じ考えに行きついた。だから後は一人で動くって言って、そのまま“京極屋”に向かったんだろうよ」

 

「ええ!だとしたら戦闘が始まるのも時間の問題じゃないですか!」

 

「だから、とっとと行方不明者の居場所探し出して、住民の避難もさせなきゃなんねーんだよ。竈門、お前さっき皆を必ず助け出すって言ったばっかりだろうが。いくら危険とはいえ、鬼の根城じゃない“荻本屋”に全員で乗り込んでる余裕があると思ってんのか?」

 

 そこまで言われて、ようやく自分たちのやるべきことを理解した。そうだ。もうすぐここは戦場になる。行方不明者の捜索も必要だが、可能なら住民も避難させたほうがいい。

 

「無いと思います。すみません……」

 

「…………」

 

 炭治郎は自分の浅はかさを反省した。伊之助もバツが悪そうに獪岳から視線を反らしている。

 

「別に怒ってねえよ。動き出す前だったから、謝る必要もない。ただな、今のお前らには意見を仰げる相手がいるんだ。自分で考えて動くことも大事だが、合同任務の時に自分より上の人間がいたら頼れよ?」

 

 匂いで分かる。獪岳は本当に怒っていない。

 

「はい。ありがとうございます」

 

「わかったよ」

 

 そうだ。今の自分たちには獪岳もいる。何度か任務を一緒にしたことで知ったが彼は意外と面倒見が良いし、頼もしい。

 

「……それと、人質のいる場所は恐らく地下だ。吉原とその周辺を調べたが、地上には人間を隠しておけるような場所は見つからなかったからな」

 

 前言撤回。“意外と”ではなく、普通に頼もしい人だった。

 

「はあ⁉」

 

「獪岳さん、いつの間にそんなことを?」

 

「お前らに合流するまでの間にだ。言っておくが俺一人で調べたわけじゃねえぞ。“隠”連中に応援を頼んだんだよ」

 

 そうだとしても、この短期間で調べ上げたのだから凄い。それにこの方法は“隠頭領”の直属の部下だからこそ成せた方法だ。そこまでの地位に上り詰めたのは紛れもなく獪岳の実力だろう。

 

「吉原は狭いが、地下まで探るとなると時間がたりない。だからお前ら二人にも協力してほしい。いいか?」

 

「勿論です」

 

「おう!何すりゃいいんだ!」

 

「俺は住民の避難準備をする。その間に竈門と嘴平は各々の見世で鬼の通路の場所を探ってくれ。その通路から行方不明者の居場所を突き止める。それで全員を救出したら、後のことと住民の避難は“隠”に任せる。それらが終わったら音柱の応援に向かうぞ!」

 

 獪岳の案に炭治郎も伊之助も異論はない。一刻も早く行方不明者を見つける。必ず全員無事に救出してみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、伊之助が鬼の通路を見つけた。けれどもその通路は身体の関節を外すことのできる伊之助が何とか通れる位の大きさしかなかった。

 

 ひとりで調べるのは危険だが、物理的に通れないのであれば仕方がない。行方不明者の捜索は伊之助ひとりに任せ、炭治郎は、獪岳と合流して住民避難を手伝うこととなった。

 

 

 そして夕暮れ時──

 ときと屋では遊女たちが夜見世の支度の真っ最中。

 

「もう支度はいいから、ご飯を食べておいで」

 

 後はの支度は自分で出来ると、鯉夏は禿たちに食事をしてくるように促した。

 

「はーい」

 

「はーい。今夜のお客さまは大切な方だからお腹が鳴らないように気をつけなくちゃ!」

 

 きゃいきゃいと笑い声を笑い声を上げながら、禿たちは鯉夏の部屋を出る。

 鯉夏だけが部屋に残った隙を見計らい、炭治郎は姿を現す。

 

「鯉夏さん。不躾に申し訳ありません。俺は“ときと屋”を出ます。お世話になった間の食事代などを、旦那さんたちに渡していただけませんか?」

 

 そう言って懐から封筒を出し、床に置く。数日間とはいえ、お世話になった相手に何も返さずに出ていくことは気が引ける。せめてもの礼儀だ。

 

「炭ちゃん……その格好は……」

 

 戸惑った様子の鯉夏。仕事のためとはいえ、騙していたのだ。そんな表情をされると罪悪感が沸いてしまう。

 

「訳あって女性の姿でしたが、俺は男なんです」

 

「あ、それは知ってるわ。見ればわかるし……声も……」

 

「……えっ?」

 

「男の子だっていうのは、最初からわかってたの。鬼狩りの子がどうして女装してるのかなって、思ってはいたんだけど……」

 

 鯉夏が戸惑った表情をしていたので、女装していたことすら気付いていなかったのかと思っていたのに。

 

(まさかバレていたとは……って鬼狩り?)

 

 何故その言葉が彼女の口から発せられるのだ。

 

「えっ、鬼狩りってどうして知って……まさか王葉さんが⁉︎」

 

「いいえ、王葉は何も言わないわ。でも私が鬼狩り様のことを知っていることは、彼もきっと気付いてる」

 

 鬼殺隊のことを話したのか。そう口走る前に鯉夏に笑顔で否定された。悪戯っ子みたいな笑みを浮かべているところを見ると、どうやらカマをかけられたらしい。 

 

「ええと……鯉夏さんはどうして鬼狩りのことをご存じなんですか?」

 

「吉原にはね、昔から色々な噂があるの……それに吉原には偉い人とか、いろいろな人がいらっしゃるし、こういうところにくると大抵の殿方は、気が大きくなって口も軽くなってしまうから自然と、ね」

 

 くすくすと笑う鯉夏に思わずかあっと顔が熱くなる。心臓の鼓動もいつもより早い。

 真面目な性格とはいえ、炭治郎も年頃の男児だ。“色”を纏った花魁を目にすればそれなりの反応は見せる。まあ、本人は気付いていないが。

 

「それと炭ちゃん。少し気になることを言われたからって、そんな簡単に話しては駄目よ」

 

 そう笑いながら炭治郎の頬を突く鯉夏。

 

「鯉夏さん、今日は何だか意地悪です……」

 

「ふふっ、今の貴方が男の子だからよ。禿や見世の女の子にこんなことしないわ」

 

(ずるい……)

 

 彼女の様子を見てそう思った。何がずるいのかと尋ねられたら返答に困るが、今の鯉夏はとても愛らしくて可愛らしい。そんな彼女に対する気持ちを言葉に表すとしたら、それしか出てこなかったのだ。

 

「須磨ちゃんも貴方のお姉さんじゃなくて、鬼狩り様の関係者なのでしょう?でも炭ちゃんが心配していたのは本当よね?」

 

「はい!それは勿論です!いなくなった人たちは必ず助け出します」

 

「……ありがとう。少し安心できたわ……私ね、もうすぐ街を出ていくかもしれないの」

 

「そうなんですか?それは嬉しい……?」

 

 ちょっと待て。通常であれば遊女が吉原を出て行く事は喜ばしい。しかし鯉夏は王葉と“イイ関係”を築いていたはずだ。

 

「……故郷の両親の病がようやく治って、まとまったお金ができるから迎えに来てくれるって手紙をもらったの。そうしたら、一緒に暮らすことができる。今、本当に幸せなの……」

 

 少しの沈黙の後、彼女の身の上話とともに漂ってきた匂いは──

 

「…………嘘、ですよね?」

 

「えっ?」

 

 気が付けば鯉夏の言葉を途中で遮っていた。

 

「いや……嘘では、ない?嬉しいって気持ちは確かにあります……けれど“辛い”って匂いの方が強いです」

 

 よくよく嗅いでみれば、鯉夏の言ったことは“嘘”ではない。けれども本当とも言い切れない。彼女からは“嬉しさ”、“寂しさ”、“辛さ”など、そのほかにも様々な感情が織り混ざった匂いがする。複雑な感情の匂いは生まれて初めてだ。

 

「……何か気がかりなことでもあるんですか?」

 

「……………」

 

 鯉夏は炭治郎の質問には答えず、哀しそうに目を伏せる。

 

「もしかして、王葉さんとのことですか?」

 

 王葉のことを話していたとき、彼女はとても幸せそうに見えた。気がかりなことがあるとしたら、それしか考えられない。だって吉原を出てしまったら、鯉夏と王葉とはもう……

 

「……炭ちゃん」

 

「はい……って痛い!」

 

 神妙な表情で名前を呼ばれたと思ったら、返事と同時にデコピンされた。

 

 額がヒリヒリする。急に何をするんですか。そう抗議の声を上げようと鯉夏の顔を見る、と声を上げることができなかった。

 

 炭治郎の目に映る鯉夏が、あまりにも凛とした姿をしていたからだ。

 

「そういうことは、簡単に聞いてはいけないものよ。それに今の貴方にはやるべきことがあるのでしょう?」

 

 口調はあくまで優しい。それでも背筋がピンっと張ってしまう。どうやら自分は、踏み込んではいけないところまで踏み込んでしまったようだ。

 

「すみません。鯉夏さんのおっしゃる通りです。俺、もう行きます」

 

 冷静になってみれば当然だ。これは鯉夏と王葉の問題だ。第三者が介入すべきではない。

 

「…………私は貴方にもいなくなってほしくないのよ。炭ちゃん、どうかくれぐれも気をつけて」

 

 炭治郎の謝罪に対しては触れず、ただ武運を祈る言葉だけを口にする鯉夏。やはり、この話題には触れるべきではなかったと、炭治郎は己の軽率さを悔やんだ。

 

 そして優しく微笑む鯉夏に、炭治郎は黙って一礼だけ返したのだった。



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狼煙

 

 

 

 鯉夏は、部屋でひとり鏡を見つめながら物思いにふけっていた。

 王葉が、そう簡単に人に言えないと仕事をしているのだと気付いたのは偶然。

 

 最初に不思議に思ったのは、服の上からでは分からない、それでいて明らかに故意につけられたのだと、わかる箇所に傷跡を見つけたときだった。私生活にまで踏み込んだことを尋ねるのは失礼だから、傷跡は見なかったふりをした。でも、しばらく傷のことは頭から離れなかった。

 

 そして傷跡の記憶が朧気になった頃。鬼狩りの存在を知った。

 

 化け物退治をする気狂いの集団がいると、とある軍人が酒に酔った勢いで自慢気に語ったのを覚えている。最初は酒に酔ったが故の虚言だと思った。けれどもそれを否定するかのように、別の日に茶屋のお婆さんから話を聞かされた。この国には古くから人喰い鬼がいて、鬼から人を守るために鬼狩りがいるのだという話。

 

 それでも半信半疑だった。

 

 ある日、吉原の外れに死体があがった。その死体は臓物が欠損しており、獣に噛まれたかのような跡がついていた。吉原の周囲には人を襲うような獣は生息していない。

 

 そんな不自然な死体があがった後、しばらくの間、帯刀している黒い服の男たちを見かけるようになった。

 

 刀を上手く隠しているつもりのようだったけれど、歩き方が不自然だったから気付いた。廃刀令が施行されているこの時代、軍人以外が帯刀することは禁止されている。それでも帯刀している人が、複数いた。しかも皆、似たような格好をしている。

 その後、何度か死体が上がったり、不自然に行方不明者が出たりして、そのたびに黒服の人たちを見かけた。そうして次第に鬼と鬼狩りの存在を信じるようになっていった。

 

 王葉が鬼狩りと関わりがあると勘付いたのは、禿が吉原から足抜けした遊女が出たのだという話をしたとき。

 

 足抜けした遊女たちは、何の痕跡も残さず、まるで神隠しにあったかのように姿を消したのだと禿が語った際、突如として王葉の目付きが、見たことも無いほど鋭くて、冷たいものに変わった。深い仲である鯉夏が気付けたのが奇跡と言えるほど一瞬だったけれども、関わりがあるのだと察するには充分だった。

 

 最も、その後は全くそんな様子は見せなかったのだが──

 

 それから時は流れて須磨が“ときと屋”へやってきた。

 芯の通ったしっかりした子が、どうして売られてきたのかと最初は疑問だった。しかし何かを探っている素振りをしていたから、特別な事情があることはすぐに分かった。

 須磨のことを女将さんに相談するか迷ったりもしたけれど、仕事は真面目にこなしていたし、見世の人間に害意があるようには見えなかったので、好きにさせておいたら急に姿を消してしまった。

 

 須磨が姿を消して間もなく、炭治郎が“ときと屋”にやってきた。

 “炭子”と名乗ってはいたけれど、明らかに男の子だと分かる体格と声。それに加えて、とても力持ち。きっと楼主も女将さんも“炭子”が男の子だと気づいているに違いない。

 炭治郎が鬼狩りと気付いたのは歩き方のせいだ。本人に自覚はないようだったけれど、過去何度か吉原で見かけてきた鬼狩りと同じ不自然な歩き方をしていた。

 

 ただ、それだけで決め付けてはいけないと、カマを掛けてみたら──

 

「まさか、あんなに簡単に、それも王葉と関係があることまで炭ちゃんが話しちゃうなんて思わなかったけれど……」

 

 あんな子供騙しに引っかかるなんて、正直すぎて少し心配になってしまう。でも、だからこそ本音を見抜かれてしまうなんて思わなかった。

 

 “嘘、ですよね?”

 

 そう言われたとき、鯉夏は身体の芯に響くほど心臓が大きく鳴ったのを感じた。

 嘘ではない。嘘ではないのだ。両親と一緒に暮らせるようになるのは本当に嬉しい。けれども鯉夏の心の中に、王葉の存在は大きすぎる。

 

「王葉、貴方のことが好き。好きよ。好き。ずっと一緒にいたい」

 

 誰に聞かれることもない。それ故に素直な気持ちが口からこぼれる。

 

 鑢王葉。彼といると心が温かくなった。

 嫌いだった夜が好きになった。

 いつもは待ち遠しい朝が、王葉と一緒にいるときはうらめしかった。

 一度離れてしまったら、途端に貴方は私の夫ではなくなる。

 

「でも、口に出して言うことは出来なかった……」

 

 想いを誓って証を立てれば、疑われるのが遊女の常。

 だから彼が見世を出る時にじっと見つめて手を握る。握り返してくれれば、また会える。いつしかそれが二人だけの合図となった。

 

 好いて好かれた人がいる。こんなにも幸せなことはない。

 

 吉原に来た頃から楼主も、女将も、姉女郎も、客でさえも、嘘でも笑えと私に言った。でも王葉は私の本音を見抜いた。彼だけは無理をするなと言ってくれた。

 

 初めて“心”を見せた人だった。

 

「私が攫ってと言ったら、貴方は叶えてくれるのかしら……」

 

 そんな淡い希望を抱いてしまうほど、王葉のことを想っている。けれども彼の立場を考えるのなら、言うべきではない。

 王葉は鬼狩り関係者。多くのものを守らなければならない。自分ひとりのわがままで、彼に負担はかけられない。かけたくない。

 

「貴方と“誠の誓い”を立てられたのなら、私は死んでもいいと思えるほど王葉が好きよ」

 

 今は、ひとりきりだし、そう呟くくらいは許して欲しい。

 

 そんな風に自嘲の笑みを浮かべていたら、開いていた窓からそよ風が吹いてきて、人影が差した。先ほど出て行った炭治郎とは明らかに異なる影。

 

「ふんっ!間夫に入れ込むなんて二流の遊女がやることよ。遊郭に来るような男なんて、騙して金だけ払わせておけばいい話」

 

 振り返ると、そこには見知った顔の女性が立っていた。“京極屋”のお職である蕨姫花魁だ。

 どうして彼女が鯉夏の部屋にいるのか。なんとなく察しはついている。けれども、それ以上に気になることを言われてしまった。

 

「間夫を信じて、入れ込む。それの何が悪いの?それに私は彼を騙したくないし、騙されてくれるような人でもないの」

 

 鯉夏は蕨姫の方に身体を向け、姿勢を正す。そして真っ直ぐと見つめれば、“蕨姫”改め“上弦の陸”堕姫は忌々しいとばかりに舌打ちした。

 

 堕姫は約十年ごとに姿や年齢、名を変えて日本各地の色街に紛れ込こんできた。今まで遊女に本気になる男も、男に入れ込んで身を滅ぼしてきた遊女も大勢目にし、その度に馬鹿だと嘲笑ったものだ。その中には遊女の最高位である“花魁”だっていた。だから鯉夏も身を亡ぼす類の女だと思っていたのに……

 

「こんな頭の中が、お花畑な女が番付で私と並び立つ遊女だなんて、男って本当に馬鹿ね!」

 

 大抵の遊女は男に入れ込んだら、のぼせ上って、その男以外は考えられなくなって、他の客を蔑ろにして、落ち目になって死んでいく。

 鯉夏は騙されるような可愛げを持たない男に入れ込んでいる。その自覚があって、それでも幸せを感じている。けれどものぼせ上ってはいない。だから他の客を蔑ろにすることもなく、落ち目にもならない。それどころか番付では蕨姫と並ぶ人気がある。堕姫にとって、それは酷く不愉快なことだった。

 

 私は一度たりとも男に入れ込んだことなどないというのに──!

 

「アンタの間夫は仕舞だけは付けて、登楼しないなんてこともザラだって話じゃない!それなのに身請けはしない。アンタ遊ばれてんのよ!」

 

 その不愉快さに拍車をかけているのが、相手の男。金だけ払って責任は取ろうとしない最低野郎。最高位の遊女が、そんな男に惚れるなんて馬鹿げている。

 

「ふふっ、そうかもしれないわね。でも貴女には関係のない話でしょう。だってこれは彼と私との問題なのだから……」

 

 鯉夏は堕姫の挑発も軽く躱して笑う。

 

 ここ吉原は常世の叫喚地獄。欲に塗れた人間が集う掃き溜めみたいな場所。そんなところで幸せそうに笑う鯉夏の姿も、堕姫は心底気に食わない。

 

「それよりも何か用事があるから、ここに来たのではないの?」

 

 鯉夏は凛とした態度で用件を尋ねる。

 

「その余裕ぶった態度、本当に腹が立つわね……でもいいわ、どうせアンタは私に食べられる。親元身請けの遊女なんて、いついなくなるか分からない。だから確実に吉原にいる間にさっさと食べておかなきゃね」

 

「私を、食べる……?」

 

 堕姫の言葉を聞いた鯉夏は、顔を蒼褪めさせて後退りする。が、すぐ化粧台に当たって下がれなくなってしまった。

 

「貴女は一体……」

 

 先ほどとは打って変わって、余裕のない鯉夏を見て、堕姫も少しは溜飲が下る。そうだ。それでいい。獲物は獲物らしく振る舞うべきだ。

 

「そんなの知る必要なんてないわ。アンタは怯えて、震えて、でも誰も助けに来てくれなくて、絶望しながら死んでいくのよ」

 

 もっともっと怯えて己の嗜虐心を煽ればいいと、舌なめずりをしながら堕姫は嗤う。

 

「そう……でも大人しく食べられるわけにはいかないの!」

 

 鯉夏から怯えの色が消える。

 

「はあ?何言って……ってきゃあ!」

 

 突如、堕姫の顔に水がかけられた。その水は不快な匂いを漂わせ、濡れた皮膚は爛れて焼けるように痛い。それは藤の花の毒によって引き起こされた症状だった。

 

「……鬼が藤の花を苦手としているって話は本当だったのね」

 

 堕姫の様子をまじまじと見て、感心したように言う鯉夏。その手には王葉から貰った藤の香水瓶が握られていた。

 鯉夏が聞かされてきた鬼の話。その中にはと鬼が厭うものの情報もあった。太陽の光と藤の花だ。

 眉唾かもしれないけれど、もしもの時に自衛ができるようにと、王葉から貰った香水は一切使わずにとっておいたのだ。

 王葉は贈り物をしてくれるとき、必ずと言っていいほど“好きに使え”と言うのに、香水を渡されたときは“上手く使え”なんて言っていた位だし、そのために贈ってくれたのだと鯉夏は確信していた。

 

「アンタ!なにすんの……」

 

「鯉夏さん!ご無事ですか……っ!?お前、鯉夏さんから離れろ!」

 

 堕姫が怒りに任せて鯉夏に襲い掛かろうとした瞬間、鬼の匂いを嗅ぎつけた炭治郎が現れ、ふたりの間に割って入ろうとする──が、その前に堕姫の帯によって、見世の外にはじき飛ばされてしまった。

 

「邪魔すんじゃないわよ!よりにもよって、こんな時に鬼狩りが出てくるなんて最悪よ!」

 

 さっさと鯉夏を喰らって退散するつもりだったのに、今や堕姫の機嫌は最悪だ。どいつもこいつも堕姫の邪魔ばかり、全員まとめて殺してやる。

 

「まずは五月蠅い鼠の方から始末してあげるわ」

 

 堕姫は見世の外に出て吹き飛ばした炭治郎を睨みつける。一方で炭治郎は吹き飛ばされたことを理解しておらず、若干混乱している。

 堕姫は改めて炭治郎を値踏みする。顔立ちは悪くないが、額の痣は醜い。赫灼の瞳は美しい……よし瞳だけ、ほじくり出そして、しばらくは観賞用に取っておこう。

 

「本当は柱以外の鬼狩りに用なんて無いんだけど、仕方がないから相手してあげるわ」

 

 美しくも、柱でもない鬼狩りだとしても憂さ晴らしの道具くらいにはなる。一瞬で殺して、楽になんてさせない。苦しめて、苦しめて、苦しめて、死んだ方がマシだと、殺してほしいと、そう懇願したくなるような責め苦を味わわせてやる。

 

 ああでも──

 

「私を満足させることが出来たら、喰ってあげてもいいわよ。こんなに美しい私に食べてもらえるなんて、嬉しいでしょう?」

 

 子供とはいえ所詮、男。最期くらいは悦びというものを与えてやっても面白い。

 絶世の美女である堕姫に相手してもらえるだけでなく、喰ってまでもらえるのだ。これ以上の誉れがあるものか。

 

「何を訳の分からないことを言っている……!お前なんかに喰われることが嬉しいわけないだろう!」

 

 瞳に怒りの炎を滾らせて吠える炭治郎。そもそもの価値観が異なるのだから、この反応は当然だ。しかし堕姫には理解できない。

 

「何なのよアンタ……」

 

 身の程を弁えろ。柱ですらないくせに、ガキのくせに、男のくせに……!

 

「私に生意気な態度をとったこと、後悔させてやるわ!」

 

 

 

 

■ ■

 

 

 

 

 炭治郎が堕姫との戦闘を開始した頃──

 

「オイィィ!祭りの神テメェ‼︎蚯蚓帯共が、穴から散って逃げたぞ‼︎」

 

 伊之助は“音柱”宇髄天元に対して大声で怒りをぶつけていた。

 ひとりで鬼の通路に潜り込むことになった伊之助は、通路の先で巨大な空間と、帯の中に捕らわれている人々を見つけた。その中には連絡が取れなくなった“音柱”の嫁二人と善逸もいた。

 一刻も早く助ける必要がある。そう理解はしていたが、無暗矢鱈と突っ込んだりはせず、どうすれば、なるべく被害を抑えられるか考えた。感情のままに動くのは抑えて欲しいと、炭治郎と獪岳に釘を刺されていたからだ。

 まあ、結局は意思を持っていた帯に感付かれて戦闘になった。だが穴から逃がさなければいい話──と思っていたところに、地表を爆破して穴に乗り込んできた宇髄天元によって、台無しにされてしまった。

 

「うるっせええ‼︎捕まってた奴ら皆助けたんだからいいだろうが‼︎まずは俺を崇め讃えろ!!話はそれからだ」

 

 伊之助の事情を知る由もない天元は、叱責に対して大人げなく開き直っている。むしろ天元から見れば、地下で戦闘していた伊之助を助けてやったと思っているので、伊之助の態度の悪さに腹を立ててさえいた。

 

「よくねえよ!せっかくこっそりやってたのに街の人間が怪我したらどうしてくれんだ!しかもテメェ鬼退治はどうしたんだよ⁉そのために“萩本屋”に行ったんだろーが‼︎」

 

「ああっ?なんで知ってる」

 

「太眉野郎が多分そうだって言ってたんだよ」

 

「太眉野郎……?獪岳のことか」

 

 あの目つきの悪い“雷の呼吸”の使い手の剣士。表面上はしっかりと“音柱”を敬ってはいたが、蝶屋敷での揉め事では傍観に徹していたり、藤の家紋の家で話を聞いているときの様子から、天元は若干性格に難有りの隊士だと見ていたが、王葉が目を掛けるだけあって頭の回転は早いらしい。

 

(まあ、鑢がやってる仕事を担うってなると、ある程度性格に難有るくらいが丁度いいか……)

 

「それよりも天元様、急がないともっと街に被害が出ますよ」

 

 そこで、伊之助と天元の口喧嘩の勢いに圧倒されて黙っていた嫁からの突っ込み──そうだ。今は一刻も早く、逃げた蚯蚓帯を追うべきだ。

 

「野郎共、追うぞ!ついて来い!さっさとしろ」

 

 天元は声を張り上げて、返事を待つことなく穴から飛び出す。

 

「どけどけェ‼︎宇髄様のお通りだ‼︎」

 

 天元は鬼を追う道すがら、改めて鑢王葉という人間を思い起こす。

 

(それにしても噂には聞いていたし実際に目の当たりにもしたが、しっかり後任になりそうなやつ育てていたとはな……)

 

 歴代の隠頭領は鑢家から輩出されることがほとんどだった。なにせ忍までではないにせよ『虚刀流』も裏側の存在だ。隠頭領をこなすだけならともかく、例の探し物をする上では、そういう環境で過ごしてきたモノだからこそ出来ることもあるだろう。

 

──そう、宇髄天元のように。

 

 命は賭ける。全てのことは出来て当然。矛盾や葛藤を抱える者は愚かな弱者。それが宇髄天元の過ごしてきた“裏側”の環境。

 

 忍は常に時代の裏側の存在。時代の変化とともに衰退し、甲賀、伊賀、真庭の三大里でさえ滅んだ。

天元の父親の焦りは酷く、我が子に課した修業も過酷だった。天下の弟妹たちは次々に亡くなり、残ったのは天元と彼の弟のみ。しかも弟はひたすら無機質な人間となってしまった。

 

 天元はそんなものは真っ平御免だと故郷を捨て、流れに流れ、縁あって鬼殺隊に身を置くこととなったのだが、きっかけを作ったのが『虚刀流』の使い手、鑢王葉だ。

 

 王葉の引き合わせによりお館様こと、産屋敷耀哉と出会った。

 お館様は天元の生い立ちを理解し、労い、天元の人間性を素晴らしいと、闇の存在である己を認めくれた。天元は耀哉に感謝と尊敬の念を抱き、より熱心に鬼殺の任に身を投じるようになった。

 

 しかし腑に落ちない、というよりも疑問に思う部分はあった。『虚刀流』が産屋敷家に仕えている理由だ。

 

 『虚刀流』は刀を使わない一子相伝の剣術。真庭忍軍の壊滅にも関わっていると噂されている謎の多い流派。その使い手が、お館様である産屋敷耀哉に、刀として仕えている上に、鬼殺隊に身を置いていると知ったときは驚いた。なにせ戦乱の混乱にのみに現れ、尾張幕府将軍暗殺以降は、闇の世界でも一切の情報が追えなかったのだ。けれども鬼殺隊という政府非公認の組織で、“隠”という裏方部隊に所属しているとなれば、噂を聞かなくなったのも納得できた。

 

 しかし自身を一本の日本刀として鍛え上げ、誰かに仕えるということは、忍と同じ道具として扱われているということだ。鬼殺隊に所属するものたちは皆、自身の子供だと慈しむ産屋敷家が何故、虚刀流だけは例外としているのか。天元が折を見て王葉に尋ねてみたところ返ってきたのは──

 

「簡単な話だ。それが『虚刀流』の在り方だからだよ。あと俺たちは、刀であると同時に人間でもあるから、完全に道具として扱われているわけじゃない。むしろ“人であれ”と望んだのは数代前の産屋敷当主らしい……まあ、詳しく知りたかったら耀哉に聞いてくれ」

 

 答えになっているようでなっていない。王葉本人にも興味がないとありありとわかるほど、素っ気なく言われて肩透かしを食らった。しかも、主人であり鬼殺隊当主でもあるお館様の名前を呼び捨てにしていた。素っ気なさよりもお館様を呼び捨てにしているという敬意の感じられない言動の方が気になった。しかし後々、公の場では弁えた態度をしているということが、分かったので咎めはしなかった。

 

(今のアイツには嫁も子供もいねえし、既存隊士の中に“隠頭領”の後任になれそうな奴がいただけ運がいいか)

 

 なにせ“隠”も裏方の仕事だ。極論を言えば、隊士は鬼狩りとしての戦闘力さえあれば務まるが、“隠”は違う。鬼殺の事後処理を滞りなく行うために、要領が良く段取り上手……即ちある程度のずる賢さと、どんな仕事でも割り切ってこなせる能力が必要だ。

 

 天元は忍の頭領になるための訓練を受けていたから、他人を動かしたり、割り切って仕事をする術を心得えているが、元々争いとは関係のない人間にそれを求めるのは少々厳しい。加えて隠頭領となると、必要とされる能力の高さは一般の隠以上だ。隠を統率するのは勿論、鬼殺の事後処理を滞りなく行うために、常日頃から関係各所への根回しもしなければならない。肉体的だけでなく、精神的にもかかる負担は大きい。

 

(最初は、あの面倒くさがり屋に隠の頭領が務まるのかとも思ったりもしたな)

 

 鑢王葉はかなりの面倒くさがり屋だ。何かに興味を持つことすら面倒だと考えている節があり、何事に対しても割と素っ気ない。しかし隠頭領を担う上ではその性格が功を奏した。あそこまで面倒くさがり屋だからこそ、逆に割り切って仕事ができる。

 

 とにかく面倒ごとを嫌うので、仕事にも無駄がなくきっちりこなしている鑢が選んだのだから、獪岳の潜在的能力は高いのだろう。先ほどの伊之助との会話でも、片鱗は窺えたし、将来が楽しみである。

 

(あとは、あの獪岳という隊士に鑢並みの戦闘力があれば言うことは無いが、そこまで求めるのは酷。鬼を狩れる実力があるだけマシか)

 

 鑢王葉は鬼を狩る術を持つ異色の“隠”

 細身ながらも鋼のように鍛えられた肉体を持ち、身長も岩柱にこそ及ばないものの天元より高い。しかし体格には恵まれているものの、隊士たちが使用している呼吸どころか、日輪刀でさえ使用することが出来ない。彼は、猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石で作られた具足を身に纏うことで鬼を狩る。

 

──が、所詮は裏方部隊の“隠”

 

 鬼を狩るといっても、精々、人を2~3人喰った程度の雑魚鬼を狩るのが、関の山だろうと大抵の隊士は思っているし、噂もされている。それは煉獄を引退に追いやった“上弦の参”を退散させたという事実があった今でも消えることはない。

 

──しかし柱たちからの認識は全く異なる。

 

 鑢王葉は強い。尋常でない実力の持ち主だ。

 

柱は“霞柱”を除いて一度は鑢王葉の戦いを目にしたことがあるが、柱たちからの評価は総じて高く『名ばかり“隠”』と呼称されている。伊黒なんかは「あの強さで“隠”だと?ふざけるな……」とブツブツ文句を言っていた。また鬼殺隊最強との呼び声が高い“岩柱” 悲鳴嶼行冥に至っては、付き合いも長い上に、直接手合わせをしたことがあるせいか、王葉の強さに対して絶対の信頼を置いている。ちなみに手合わせ自体は悲鳴嶼の勝利で終わったらしい。

 

なぜ「らしい」というのか。理由は単純。手合わせの話を酒の席で鑢から直接聞いただけで、実際に目にしたわけではないからである。

 

「いやあ、行冥の強さには驚かされた。親父以外で負けたのは初めてだ」

 

 鑢は、やけにあっさりと己の負けを語った。

 

 鑢が虚刀流の当主になるべく、数十年に渡る研鑽を積んできたであろうことは想像に難くない。そこまでの研鑽を積んでいれば普通は悔しがるだろう。しかし鑢からは悔しさが微塵も感じられなかった。実は手合わせなどしていないのではないかと疑い、つい悲鳴嶼にも真偽のほどを聞いてしまった。

 

悲鳴嶼は難しい顔をして口を閉ざし、しばらくの沈黙のあと──

 

「……確かに手合わせでは私が勝ったことは間違いない──が、あれは単なる“手合わせ”であったから勝てたが、もし“殺し合い”となっていたら間違いなく王葉が勝っていた」

 

 背筋に冷たいものが走った。

 件の“手合わせ”は“殺し合い”なんて物騒な例えが出てくるほど苛烈な戦いで、下手をしたら悲鳴嶼が死んでいたということではないのか。そう思ったが口に出すことはしなかった。しかし天元の発する空気から言いたいことを察したのか、悲鳴嶼は言葉を付け加えた。

 

「……今後必要がなければ、王葉と戦うことは遠慮したいものだな」

 

 悲鳴嶼の言葉で疑惑は確信に変わった。どこかの歯車が狂っていたら悲鳴嶼は鑢に殺されていた。

 

(……まったく、化け物ばかりで嫌になるぜ。こちとら手のひらの上のもの守るだけで精一杯だってのによ)

 

 天元は自嘲の笑みを浮かべて前を見据える──と、全身の至るところが焼けただれている鬼と、獪岳の後ろ姿が視界に入る。獪岳は攻撃にこそ転じていないが、ひとりで無数の帯による攻撃をいなしており、周囲への被害も軽微。どうやら鬼を仕留めることよりも、被害を拡大させないことを優先して戦っているようだ。

 

(俺が来ること見越して守りに徹することを選んだか。良い判断だ。それと竈門はどこだ……って、おいおい、どうしてあんなことになってんだ)

 

 一方で炭治郎は、獪岳と鬼から少し離れた場所で必死に妹の襧豆子を抑え込んでいた。抑えつけられた禰豆子は角が生え、牙が伸び、全身に蔦のような文様が浮かんでいる。天元が柱合会議で見かけた頃より明らかに鬼化が進んでいた。

 

(だが今は鬼の首を狩ることが優先だ)

 

 天元は鬼に向き直り、背負っている二本の日輪刀の柄を握り、強い踏み込みとともに鬼の首に刃を叩き込むと、鬼の首は呆気なく落とされた。

 

「よお、無事か?」

 

 獪岳に笑いかければ、彼は刀を鞘に納めて答える。

 

「……ええ無事です。駆けつけて下さって、ありがとうございます」

 

「礼は後でいい。それよりどういう状況だか説明しろ」

 

「俺も途中から戦闘に参加したので、全てを把握しているわけではありません。それでもよろしいですか?」

 

「構わねえよ。知ってることだけ簡潔に話せ」

 

「戦いの最中、どこかから複数の帯が飛んできて鬼の頭に吸収されました。直後、急に鬼の動きが良くなって、苦戦しているところに竈門の妹が戦闘に介入。戦っているうちに急に鬼化が進んで暴走を始め、仕方なしに竈門妹の宥め役と、女鬼の相手する役とで別れたんです」

 

「寝たぁ…獪岳さん、襧豆子寝ました……」

 

 獪岳の説明に付随するように炭治郎のほっとしたような声が聞こえてきた。

 

「……そうか。大変だったな」

 

 竈門襧豆子があの状況に陥った原因の一端は、自分にもあると分かり若干気まずいが、まだやることは残っているため天元は言葉を続ける。

 

「だがまだ終わりじゃねえぞ。この街には上弦の鬼がいる。今から……」

 

「ちょっと、さっきからアタシを無視して会話してんじゃないわよ!よくもアタシの頚を斬ったわね。ただじゃおかないから!」

 

 上弦の鬼を狩りに行くぞ、そう言おうとしたところで癇癪を起こした女鬼に邪魔された。

 

「あ?お前にもう用はねえよ。地味に死にな」

 

「ふざけんじゃないよ!だいたいアンタいまアタシが上弦じゃないとか言ったわね!」

 

「だってお前、上弦じゃねえじゃん」

 

「アタシは上弦の陸よ‼︎」

 

「だったら何で頚斬られてんだよ。弱すぎだろ。脳味噌爆発してんのか」

 

「アタシまだ負けてないからね。上弦なんだから!」

 

「負けてるだろ一目瞭然に」

 

「アタシ本当に強いのよ。今はまだ陸だけど、これからもっと強くなって……」

 

「説得力ねー」

 

 既に鬼への興味が薄れかけている天元は返事が適当になっている。これではまるで、天元の方がいじめっ子だ。そして天元の態度に耐え切れなくなった堕姫は、その仕打ちに耐えられなくなり、とうとう泣き出してしまった。

 

「ほんとにアタシは上弦の陸だもん!本当だもん!数字だって貰ったんだから、アタシ凄いんだから!」

 

 わんわんと辺り一帯に響き渡りそうなほど大きな声で泣き叫ぶ様はまさに童女……いや待て、今はそんなことは重要ではない。一番の問題は目の前の鬼だ。

 

「音柱様、つかぬことをお伺いいたしますが、その二刀は本当に日輪刀ですか?」

 

 獪岳も異変に気づき、言外に本当に鬼の頚を斬ったのかと問うてくる。

 

「当たり前だろうが。お前、軽口言える程度には余裕なんだな」

 

「軽口を言っていないと頭がどうにかなりそうなんですよ。だってこんなこと普通ならありえないでしょう」

 

 確かに日輪刀で鬼の頚を切り落としたのに一向に体が崩れる様子がない。目の前の存在が鬼であるのなら、普通は考えられない。

 

「死ねっ‼︎死ねっ‼︎みんな死ねっ‼︎」

 

 天元と獪岳の会話をよそに、堕姫は床板が軋むほど勢いよく畳を握り拳で殴り始める。そして堕姫の頚は、駄々を捏ねるかのように身体の周りをごろごろと転がっていた。

 

「頚斬られたぁ、頚斬られちゃったああ……お兄ちゃああん‼︎」

 

 泣き叫んで兄を呼び始めた瞬間、鬼の本を空気が変わる。色で例えるならどす黒い嫌な空気とともに、堕姫の身体から這いつくばるようにもう一体鬼が現れた。

 

「うううん……」

 

 天元と獪岳はとっさに抜刀し斬りかかる──が、あっさりと避けられる。

 

「泣いてたって、しょうがねえからなああ、頚くらい自分でくっつけろよなぁ、おめぇは本当に頭がたりねぇなあ」

 

 攻撃を避けた鬼は、天元と獪岳から少し離れた場所で泣きじゃくる堕姫に優しく声をかけていた。

 

(頚を斬り落としたのに死なない。背中から出てきたもう一体は何だ⁉︎反射速度が比じゃねえ)

 

「顔は火傷かこれなぁぁ、大事にしろ顔はなあ。せっかく可愛い顔に生まれたんだからなあ」

 

 甲斐甲斐しく、よしよしと妹の頭を撫でる姿は、人間の兄妹であれば微笑ましいが鬼である以上、おぞましい。

 

 この状況を一刻も早く終わらせるべく、天元は再度日輪刀を振りかぶる──が、またしても避けられ、反撃を受けた。

 

 天元の額には大きな切り傷をつけられ、血が流れ出している。その傷をつけた張本人の手には一対の鎌が握られていた。

 

「へぇ、やるなぁあ、攻撃止めたなぁあ。殺す気で斬ったけどなあ」

 

 鬼からの反撃を受けた瞬間、咄嗟に日輪刀でいなし、致命傷を避けた天元。対する鬼は何が面白いのかニヤニヤと笑いながら、まじまじと天元を観察していた。

 

「いいなあ、お前……いいなあ。その顔いいなぁあ。肌もいいなぁあ。シミも痣も傷もねぇんだなあ。肉付きもいいなぁあ。俺は太れねぇんだよなぁ。上背もあるなぁあ。縦寸が六尺は優に超えてるなぁあ。女にも嘸かし持て囃されるんだろうなぁあ」

 

 羨ましい。妬ましい。恨めしい。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。幾重にも渦巻かれた負の感情が静かに天元にぶつけられる。

 

「女に持て囃されても良いことねえぞ。むしろ面倒ごとが増えるばかりだ」

 

 獪岳が鬼の台詞対して茶々を入れる。サラッと己が持て囃されていると暴露し、相手を煽る姿は彼の上司と被るところがある。いや、ここまでくるといっそ師匠言っても過言では無いのかもしれない。

 

「ああん?ふっざけんなよなぁ。持て囃されることが面倒だぁ?そんなものはなぁ、恵まれてる奴の我儘に過ぎないんだよぉ!テメェらまとめて死ねぇ!」

 

 激昂した鬼が鎌を振り被り、鎌からは無数の血の刃が獪岳と天元に向かって放たれる──!

 

「死ぬときグルグル巡らせろ、俺の名は妓夫太郎だからなああ」

 

 放たれた刃は建物まで切り裂いたが、攻撃を食らった本人たちが、飛んできた斬撃の軌道を上手くずらしたため被害は最小限にとどまった。

 

(くそっ、今俺たちがいる建物にいる人間は何とか守り切ったが、この周囲の住民はまだ逃げ切れていない。そんな状況で戦闘をおっ始めたくはねえが……ってあれは)

 

 もはやこの状況では止む無しか、そう苦心していると一羽の鎹烏が現れた。

 

「伝令!伝令!霞晴レタシ!」

 

 あまりにも突拍子もない伝令。

 しかし、その意味を理解するものがこの後にはいる。

 

「やっと来やがったか!遅いんだよ!」

 

 獪岳は鎹烏からの伝令に悪態をつくと、懐から小さな笛を取り出し思い切り吹く。すると空気を切り裂くかのような鋭い音が吉原の街全体に響き渡る。直後、周囲の妓楼から一斉に爆破音が発せられ、続いて隠たちが飛び出してきた。隠たちは皆、妓楼の住人と思しき者たちを抱えている。

 

「これは……!獪岳お前、何した?」

 

「下手に一般人に被害が出ても困りますし、いつ戦闘が始まってもいいように、大通りの見世を全部“総仕舞”にしました。その上で、妓楼の人間をいつでも避難させられるよう客に変装した隠たちを潜り込ませておきました」

 

 “総仕舞”はひとつの妓楼の遊女をすべて買い切ることだ。当然ながら一軒だけでも莫大な金額がかかる。だが、獪岳はこの大通りの見世全てを“総仕舞”にした上で隠たちまで配置させていた。

 

「これで周囲を気にすることなく戦えるでしょう?」

 

 生意気にもニヤリと笑う獪岳。

 

「やることがド派手じゃねえか!いいねえ気に入った!オラァ!狩ってやるから覚悟しろよ鬼共!」

 

 



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虚虚実実

 交渉を終えた王葉は全速力で吉原へと向かっていた。

 

(くそっ!思った以上に時間がかかった。あのうすらハゲども、こんな状況でも中々重い腰を上げないなんて何考えてるんだ)

 

 欲望に塗れた人間は本当に性質が悪い。吉原で立て続けに何人も行方不明になっている。だというのに自身のお気に入りの遊女に被害が及ばなければ良い、といった様子で中々こちらの話を聞こうとしなかった。その上、厄介なことに条件まで出してくる始末。条件の内容自体に大きな問題ない。ただ、それを条件として出されると少々厄介なのだ。

 

(あいつらの相手よりも鬼狩りしている方がずっと気が楽だ)

 

 人間と違って鬼は問答の必要はない。民間人を守らなければならないという縛りはあるが、それでも腹の探り合いをしないで済む。

 

 大体“刀”にこんなことを任せる産屋敷家もどうかしている。

 

 自身で考え、行動できる道具の方が使い勝手が良いのは分かっているが、刀の本質は人斬り包丁。刀に腹の探り合いや心がある刀なんて、とんだ妖刀だ。ぐちぐちと文句を言っていると、前方から吉原に伝令へと向かわせた鎹鴉が戻ってくるのが見えた。

 

「音柱、獪岳及ビ竈門、我妻、嘴平ガ現在上弦ノ陸ト戦闘中!」

 

 予想通り既に吉原では戦闘が始まっていた。しかも相手はまた“上弦の鬼”。やはり竈門は何か引く力を持っている。獪岳をつけておいて正解だった。

 

「周囲への被害と住民の避難状況は!?」

 

準備はしておくと言っていたし、獪岳のことだから、被害を最小限に抑えるため尽力しているだろう。だがそれでも今回の件で吉原が被る被害は大きい筈だ。

 

「大通ノ見世ガ何件カ崩壊シテイルガ、街ヘノ被害ハ軽微。住民ハ隠ノ誘導ニヨリ、順次避難中。マダ避難ハシテナイガ、鯉夏モ無事!少シ離レタ場所デ戦闘ヲ見テイル!理由ハ……」

 

「どうせ、自分は最後でいいからその他の避難を優先してくれとか言ったんだろって、鯉夏の状況は聞いてないだろ!」

 

「王葉素直ジャナイ!王葉素直ジャナイ!心配ナクセニ!」

 

「うるさい。他人の色恋沙汰に口出す前に自分の番を見つけたらどうだ、このお節介!」

 

「アアー!言ッテ良イコトト、悪イコトガアル!」

 

「そう言うなら、お前も口出すな!度が過ぎるようなら嘴平の鴉と担当変えるぞ」

 

 言外に嘴平に喰われてしまえと伝えれば、鴉は増々騒がしく周囲を飛び回る。まったく、どうしてこうも他人の色事情に首を突っ込みたがる奴が多いのか、と王葉は内心ため息をつく。

 

(まあ、鯉夏と出会えたのも他人のお節介のおかげだから、一概に悪いことばかりでもないんだけどな……)

 

 鯉夏と出会ったのは数年前。とにかく多忙で疲れている時期のこと。

 あの日もお偉方と腹の探り合いをして心身ともに疲れていた。いつもしつこい同僚の誘いを断り切ることすら面倒で、仕方なく吉原を訪れた。適当に遊女を指名して事情を説明すれば、あとは眠るだけで済むと思っていたところで目に入ったのが鯉夏だ。

 

 鯉夏の感情はひと際わかりやすかった。出来ることなら今すぐにでも逃げ出したいと顔に書いてあったから、丁度いいと思って指名したのをよく覚えている。

 

 笑顔をやめて欲しいと鯉夏に言ったのは、無理して笑う鯉夏が痛々しかったのと、そういう顔を目にし過ぎて辟易していたからだ。

 直球で伝えたら子供っぽく拗ねられて笑ってしまった。

 鯉夏は失礼だと怒っていたが、幼子みたいに真っ直ぐ感情を表に出す様子が可愛らしかっただけで、悪気があったわけじゃない。

 

 たまにはそんな子と話をするのも面白いと、初めて出会った夜は世間話に花を咲かせ、頃合いを見て眠った。久々に思い切り眠れた夜だった。

 その時は鯉夏と深い関係になるなんて考えもしなかったし、実際にお節介を焼かれなければもう会うこともなかっただろう。

 

 二度目に鯉夏と会うことになっとき、一番最初に失礼な態度をとってしまったこともあり、気まずかったから軽い贈り物で気を紛らわせようとしたら、思いの外喜ばれて鯉夏に興味が沸いた。けれども結局はその日も世間話をして眠った。

 そして翌朝見世を出る際、名残惜しいとばかりに袖を引かれたとき、鯉夏は迷子みたいな目をしていた。その目がなんだか無性に可愛く思えてしまって、そこから“ときと屋”への通いが始まった。

 

 ちょうどその頃、他人から「恋人はいないのか」、「そろそろ見合いの話でも」と言われるようになってきて、うんざりしていたから、遊郭に通えば面倒ごとがひとつ減るという打算もあったということは、鯉夏には言えないが──

 

 “ときと屋”に通うようになって鯉夏と様々な話をした。

 好きなもの、嫌いなもの。故郷のことや御伽噺等。

 互いの知ることを話して、そのたびにふたりして寝こけた。

 鯉夏はころころと表情の変わる娘だ。物腰は穏やかで心根も優しい。

 遊女である限り上手く感情を隠す必要があるのに、いつまでも詰めが甘いところのある鯉夏が可愛くて、一緒にいると心地よかった。

 

 そんな鯉夏だが実は結構気が強く大胆なところがある。

 

 何故知っているかというと身をもって経験したからだ。

 あれは鯉夏のもとに通うようになってから一年くらいが経過した頃。いつものように話をして眠りにつこうとしたとき、不意に抱き着かれた。なにか嫌なことでもあったのかと話を聞こうとしたら──

 

「こんな時にまで顔色を変えないなんて、私には女としての魅力がないの……?」

 

 上目遣いで首をかしげて、ほんのりと頬を上気させて聞いてきた。

 いったい何の話かと思ったら、遊郭に通い詰めておいて女を抱かないなんて何を考えているんだと怒られた。

 

「会うたびに私の話を楽しそうに聞いてくれて、二人して眠って、辛いときは無理をするなと慰めてくれる。そんな人に惹かれないわけがないでしょう……ねえ、王葉はどうして私のもとに通ってくれるの?」

 

 鯉夏の言葉で彼女のことを憎からず想っていることに気が付いた。

 今まで自身にそういった感情を向けてきた人間は何人かいたが、いずれもあからさまな情欲か幼子のような淡い憧憬をの持ち主のみ。どちらも後腐れのないよう適宜適切に対応すれば、勝手に満足して離れていったので、惚れた腫れたの類はそういうものだと考えていた。場合によっては、あからさまな欲を向けてくる人間の相手をしていたから、“欲”の部分でも間に合っていた。

 だから問われるまで鯉夏への想いも、鯉夏からの想いにも気が付いていなかった。

 

「最初は、二度目に会ったときのアンタが可愛くて、また会うのも悪くないと思ったからだよ。いまは、アンタと一緒にいると心地が良いと感じるようになったから通ってる」

 

 王葉が正直な想いを伝えれば、鯉夏は王葉の頬に手を滑らせるように触れる。鯉夏の手はほんのりと温かい。

 

「それは女として私を見てくれているの?それとも単なる情?」

 

 わずかに首を傾け、まっすぐと王葉を見つめる鯉夏の瞳は熱に浮かされたように潤んでいた。流石遊女だけあって、男がそそられる仕草をするのが上手い。この程度の誘惑なら今まで何度か経験している王葉でさえクルものがある……いや違う。

 

 “鯉夏”でなければ、こんなにも揺れ動かない。

 

「…………両方、だな」

 

 王葉も鯉夏の頬に手を添える。するりと優しく指を滑らせれば鯉夏も応えるように、王葉の手のひらに頬を摺り寄せた。

 

「それなら、どうして今まで何もしなかったの?」

 

 少し不安気に見つめてくる鯉夏。

 やはり感情が分かりやすい彼女は可愛らしいし、愛らしい。

 王葉も自身の気持ちを素直に口にする。

 

「自分の気持ちに今気づいたからだよ。情けないことにな」

 

 我ながら本当に情けない。ここまでされないと自身の心に気づかないなんて──そんな想いを込めて苦笑いとともに口を開けば、鯉夏は目を見開いた後、小さく噴き出した。

 

「ふふっ。他人の感情には敏感でも、自分の感情に対しては鈍いのね」

 

「なんで嬉しそうなんだよ?」

 

「だって王葉でも気付いていなかったことを知れたのだもの。このことを知っているのは、私だけということでしょう?それが嬉しい」

 

 ころころと鈴が鳴るように笑う鯉夏は本当に嬉しそうだ。

 一方で王葉は鯉夏の言葉にイマイチぴんときていない。

 首をかしげることしかできない。

 

 何故なら、はじめてのことだから────

 

「そういうものか?」

 

「そういうものよ。それで、どうするの?」

 

「どうする……って何してるんだよ?」

 

 どうするのかと尋ねておきながら、鯉夏は王葉を脱がそうと服の裾に手をかけている。随分と積極的だ。かなりじれったい思いをさせていたらしい。

 

「何って、女にここまでさせておいて、自分の気持ちにも気付いているのに何もしないつもり?お互いの気持ちを確かめ合ったのだから、これからすることなんてひとつでしょう」

 

 鯉夏の言うことは最だが、このまま好きにさせておくのも男が廃る。

 

「いや、まあそうなんだけど……っさ!」

 

 王葉は完全に油断していた鯉夏を床に押し倒す。

 積極的かつ大胆な女性は嫌いじゃないが、主導権を握るのは自分でありたい。

 はじめて惚れた相手ならなおのこと。

 

「あんまり煽ってくれるなよ。歯止めが利かなくなりそうだ」

 

「ふふっ、私の知らない王葉を知ることが出来るなら、それでも構わないわ」

 

「……やっぱりアンタ可愛いな」

 

 この日を境に鯉夏と王葉の関係は変わった。

 鯉夏と一緒にいると心がほころんだ。

 煩わしいと感じていた、ひとの心を考えるというのも悪くないと思えた。

 誰かにこんな“想い”を抱くことになるなんて、欠片も想像してこなかった。

 

「いつまでもこのままじゃいられない……」

 

 王葉がポツリと呟いた言葉は鎹鴉にも聞こえないほど小さなもの。

 何事に対しても興味の薄い王葉が、強い恋慕の感情を抱いた。

 どうしようもなく彼女に惚れ込んでいるという自覚がある。

 この想いは麻薬と同じだ──ずっと浸っていたいと思うくらい甘美で、依存性が高い。

 

「アイツと一緒になれたら幸せだろうが──」

 

 この想いを伝え、誓いを立てる。

 “ソレ”がとういう意味を持つか、分かっている。

 ハッキリさせることをおそれて、今まで結論を先送りにしてきた。

 

「本当に……“ひと”であるってのは厄介なもんだよ!」

 

 

■  ■

 

 

 吉原の惨状は王葉の予想と大差なかった。

 大通りの建物には刃物で切り裂かれたかのような痕跡があり、隠たちが、住民の避難と負傷者の手当てに追われていた。

 

 竈門、嘴平、我妻の三名は満身創痍。正直立っているのがやっとで離脱させた方が良い状態。そして宇髄も獪岳も軽傷とは言えなかった。

 

「きゃあああ!お兄ちゃああん!!!」

 

「大丈夫だあ、心配すんなあ……」

 

「おいおい、コレは一体どういうことだよ……」

 

 そして今現在。

 王葉は鬼につけられた頬の引っ掻き傷を拭いながら、目の前の光景に驚嘆の言を零していた。

 王葉が吉原に駆け付けたとき、宇随天元の妻である雛鶴に鬼が襲い掛からんとしている瞬間、具足を装着した足で思い切り頸を蹴り飛ばす形で戦闘の場に割り込んだのだ。

 

 具足を身につけた状態で頸を落とせば鬼は死ぬ。

 

 しかし鬼は消滅するどころか頸を落とされた状態で動き出し、あまつさえ攻撃までしてきた。

 

「よくもお兄ちゃんを!死ねえ!!」

 

 兄を傷つけられ激昂した堕姫は、その勢いのまま己の一部である帯を王葉に向けて放つ。幾多にもわたる帯の各々が別個の動き、別個の軌道で王葉たちへと襲い掛かる。

 帯は切れ味が鋭い上に、攻撃の最中にも帯幅が変わるから目視に頼った回避がしにくい。

 

「アハハハハ!細切れになっちゃえ!さっさと死ね鬼狩りども!」

 

 堕姫は大昔にも忍と戦ったことがあった。

 戦った理由は覚えていない。だってそんなことはどうでもいい。

 覚えているのは、忍の戦い方と美しさ。

 無駄な肉がなく、かといって細すぎない。

 しなやかな丸みを帯びた肉体を持つ──くのいちだった。

 

 美しいのは外見だけではなかった。

 戦い方も優雅で美しかった。

 最小限の動きで、風のように速く複数の鞭を自由自在に操り、扱ってみせた。

 

 堕姫が生まれて初めて見惚れた相手。

 

 自身が人間に、それも同じ女に見惚れるなんて認めたくなかった。

 でも認めざるを得なかった。

 くやしくて、くやしくて仕方が無かった。

 

 だって人間のくせに、まるで自分の身体の一部──いや、自身の身体以上に鞭を操る様を見せつけられたのだ。

 

 いまでも堕姫の記憶に深く刻み込まれている。

 くのいちとの勝負がつかず、逃げられてしまったことも悔しさに拍車をかけた。

 

 この想いを振り払うために、兄の力を借りて自身の技を磨いた。

 

 鬼である自分が、まさか人間の真似た技を使うなんて屈辱にもほどがある。

 でも見惚れてしまったという事実をほうっておくことの方がずっと嫌だった。

 

 だからあの女の技をものにし、昇華した。

 結果として、それは正しかった。

 

 踊り狂う堕姫の帯は、吉原中の家屋を弾き飛ばす。その悉くが、目の前の男たちを狙っている。帯の間合いにあるものすべてが凶器と化す。

 

 この技のおかげで、三人のガキは気力のみで戦っている状態にまで追い込めた。

 柱の男と目つきの悪い黒髪のガキも兄の毒が回れば、やがて戦えなくなる。

 

 他のやつらが戦闘不能になれば、急に現れた碧眼の男だって殺せる。

 あの女と出会わなければ、戦わなければ、きっとこの状況は作り出せなかった。

 

 私は──ここまで美しくなれなかった。

 

「たまには人間の技も役に立つじゃない!」

 

「おい宇髄!状況説明!」

 

 襲い来る帯を避け、瓦礫をいなしながら、王葉は叫ぶ。

 

「最初は女鬼だけで雑魚だったが、途中から男鬼の方が出てきた!んで、その後から女鬼の動きがやたらよくなった。竈門たちはそれでやられた!」

 

「この技とお兄ちゃんがいれば、アンタたちなんか敵じゃないわよ!」

 

「それとおそらく、この鬼どもはふたり同時に頸を落とさなきゃ斃せねえ!」

 

 天元の説明と堕姫の言葉から、王葉は瞬時に理解した。

 妓夫太郎が堕姫を操っていることを、天元の予測がほぼ確定的であることを。

 

「ちっ!それなら俺が男鬼の相手をする。宇随は女鬼の相手頼む!獪岳は宇髄の援護!竈門、嘴平、我妻は隠とともに残りの住民避難にあたれ!」

 

 物理的な距離が離れれば、遠隔操作もある程度は精度が鈍る筈。

 だから、まずは妓夫太郎と堕姫がお互いを目視できない距離まで引き離す。

 そのうえで妓夫太郎に王葉が猛攻をかけ、堕姫の操作が疎かになるように仕向ける。

 

「承知!音柱様、帯は俺が捌きますので頸を!」

 

「任された!オラオラ調子乗ってんじゃねーぞ!このアマ!」

 

 王葉の意図を瞬時に理解した二人は、堕姫への攻撃すべく動き出す。すかさず妓夫太郎が二人の足止めをすべく鎌を振り上げたが、それも王葉の想定内。鎌が勢いをつける前に拳を振り上げて、妓夫太郎の動きを封じる。

 

「そんな鑢さん!俺たちまだ……」

 

「満身創痍のくせに何言ってやがる!いま自分ができる最大限のことをしろ!俺たちは鬼殺隊だ!」

 

 まだ戦えると主張したがる竈門の言葉を遮り、叫ぶ。

 戦闘場所は吉原のど真ん中。周辺への被害を気にして戦わなければいけない状況だ。

 いまの状態の彼らを気にしながら戦う余裕はない。

 ならばせめて住民の避難に当たらせる。

 

「っ!?」

 

 炭治郎は自身の不甲斐なさに歯嚙みする。

 無理にこの場に残って戦っても、王葉の足手纏いにしかならないと言外に言われたのだ。

 

(そうだ。今は意地を張っている場合じゃない)

 

 この状況でも出来ることはあると王葉に言われたのだ。

 

「いくぞ伊之助、善逸!」

 

 炭治郎は己を鼓舞し、ふたりに声をかける。自身に出来ることを精一杯やらなければならない。

 そう思い、その場を離れようとするが──それを見逃してくれるほど鬼は優しくない。

 

「雑魚どもを逃がすわきゃねえだろ」

 

「虚刀流『木蓮』」

 

 ──しかし、王葉によって阻止される。

 

「っぢい!この野郎……」

 

 重く速い飛び膝蹴り。妓夫太郎は当たる寸前のところで気付き、どうにか攻撃を避けた。

 妓夫太郎の判断は正しい。王葉は膝にも、猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石で作られた立挙を身に着けている。よって王葉の技を喰らって頸が落とされれば、日輪刀による斬首と同等の効果があるのだ。

 

「虚刀流──『雛罌粟』から『沈丁花』までの打撃技混成接続」

 

 王葉は、流れるような動作で次の攻撃を繰り出す。

 遠い昔、かつての虚刀流の使い手たちがしたように──妓夫太郎の肉体に、二百七十二種類の打撃を、あらゆる方向から打ち込む。

 

 全ての打撃が命を奪うための一撃。肉体が破壊されては、再生するの連続。並々ならぬ再生力と判断力を持つ妓夫太郎でさえも、思考が鈍ってしまうほどの速度と威力。

 

(コイツ、あの忍の男より速い……!)

 

 鬼狩りどもが使っている妙な呼吸音は聞こえない。即ちあの妙な技術は使っていない。だというのに妓夫太郎と相対するこの男は、鬼狩りども変わらないどころか、それ以上の実力を持っている。

 

(いや、関係ねえか──鬼狩り以外にも強いやつらはいた……あいつらも忍だったな)

 

 妓夫太郎と堕姫が上弦の位を得てすぐの頃。

 堕姫と戦っていた“鳥のような女”の助太刀として現れた。虫のような奇妙な出で立ちの三人組。

 

 蝶のように舞い、蜂のように刺し、蟷螂のように食らう。

 まさにその言葉が相応しいほど見事な連携をみせた。

 その三人組のせいで女を逃してしまい、堕姫と大喧嘩になった。

 

 いままで戦ってきた人間の中でも、ひときわ強く記憶に刻まれている存在。

 

(そのうちのひとりが、いい毒を使ってたんだよなあ……傷口も目立たなくて……)

 

 試しに使ってみたところ、致死性は無かった。

 身体の中を巡り、獲物を昏倒させるだけの神経毒。だが、効果は絶大。

 

 それこそ、かすり傷程度でも効果を発揮するほどに────

 

「…………っ!?」

 

 突如として王葉の猛攻が止まった。先ほどまでの俊敏な動きが嘘のように鳴りを潜め、愚鈍なものへと変化する。

 

(ちっ!かすり傷でも熊程度なら動けなくなるんだが、コイツも毒に耐性ありかよ)

 

 だがまあ、動きが鈍るだけでも充分だと、妓夫太郎は口元を歪ませ血鬼術を発動させた。

 

『血鬼術 跋扈跳梁』

 

 毒によって反応が鈍った王葉は回避が遅れ、そのまま遥か後方へと吹き飛ばされる。

 一軒の見世に身体が突っ込む形で勢いをとめた王葉は、動きが鈍った原因にすぐさま見当をつけた。

 

(まさか毒!?あの時のひっかき傷か!!)

 

 鬼を斃したと思って油断していた時につけられた頬の傷。

 

(ガラにもなく焦ってる。しっかりしろ!俺!)

 

 鬼の頸を落として油断していた。かすり傷とはいえ相手からの攻撃を受けた。食らいさえしなければ、このような醜態晒すことはなかった。

 

 頭を振り、意識をはっきりさせる。さっさと体制を立て直して鬼を……

 

「王葉……?」

 

 そう思い直そうとしたとき、覚えのある聞き心地の良い──鯉夏の声がした。

 視線をそちらに向ければ、隠に庇われた鯉夏が瞳を驚愕の色に染めている姿が目に入る。

 

(ってことは、“ときと屋”まで飛ばされたのか!)

 

 その上、鯉夏がまだ見世にいるということは、避難も終えていない状況。あの男鬼はすぐにでも追ってくるだろう。一刻も早くこの場を離れなければならない、がそれを許す妓夫太郎ではない。

 

「鬼殺隊の考えることなんて、たかが知れてんだよお!」

 

 妓夫太郎は王葉……鬼殺隊の人間が一般人の避難を優先させることなど予測済。なにせ幾重にも戦ってきた相手。だからこそ狙うべきものも分かる──弱者だ。

 

『血鬼術 飛び血鎌』

 

「っ!」

 

 このまま避ければ確実に鯉夏たちに当たる。

 それは駄目だ。絶対に駄目だ。

 だから避けることはしない。可能な限り自身の技で相殺する。

 神経毒により動きの鈍った王葉では、すべてを相殺することは出来ない。

 相殺できなかった攻撃は、その身に受ける。鬼の毒は最初に受けた神経毒だけではない。鬼血術にも含まれていると分かる。どんどん身体が思うように動かなくなるのが、いい証拠だ。それに伴い傷も増えていく。

 

「き、王葉!」

 

「鯉夏花魁!今は避難が優先です!早くこちらへ!」

 

 鯉夏が悲痛な叫びと、隠の制止する声が聞こえる。

 不甲斐ない。怖がらせてしまっただろうか。

 でも仕方がない。この毒は強力だ。毒に耐性を持っている自分でさえもこの有様。耐性の無い人間が受ければ、命に関わるだろう。

 

 鬼殺隊“隠頭領”として部下を、一般市民を守る義務がある。

 

 だから絶対に防がなければならない。

 これがいまの王葉にできる最善の方法。

 

 ああ、でもそれ以上に──

 

俺の女(こいなつ)に手を出すんじゃねえ!虚刀流──『菫』」

 

 血鬼術が途切れた瞬間、間合いを詰め妓夫太郎に投げ技を喰らわせる──ほぼ同時に遠くから宇随の雄叫びと、女鬼の頸を落としたという鎹鴉の報告が聞こえてきた。

 

 もう、時間稼ぎは必要ない。

 散々好き勝手してくれた礼に、七つの奥義を同時に放ってやろう。

 

「虚刀流最終奥義『七花八裂(改)』──!」

 

 

■  ■

 

 鬼の頸を落とすことは出来たものの、それだけで終わりではなかった。

 頸と胴体が離れた状態だというのに、鬼は最後のあがきとばかりに血鬼術を放ち、巨大な鎌鼬が無作為に吉原に襲い掛かった。

 

「最後の最後でやってくれたよな」

 

 王葉は周囲を見回して独り言ちる。

 吉原の大通りは見るも無残な姿へと変貌を遂げたが、周囲に人の気配はない。人間への被害が及ばなかったのは不幸中の幸いといえるだろう。

 

「王葉!」

 

 ふと鯉夏の声がした。振り向けば顔面蒼白の状態で向かってくるのが見えた。傍らには鯉夏の避難誘導をしていた隠の姿。どうやら下手に避難するよりも、近場に身を潜めてやり過ごすことを選択していたらしい。

 

「鯉夏、怪我はないか?」

 

「っ!私は無傷よ馬鹿!王葉の方がずっと重症じゃない!」

 

 鯉夏の様子に安心したように王葉が笑えば、鯉夏は一瞬の沈黙の後、声を荒げる。想い人が自分を守ったせいで大怪我を負ったというのに当の本人はどこ吹く風。悪態のひとつもつきたくなるというものだ。

 

「俺のことはいいんだよ。やりたいことをやっただけだ。鯉夏が気にする必要はない」

 

 へらり──まさにその表現が相応しい笑顔。

 体中傷だらけ、血だらけのくせにそんなことを言われても無理がある。

 

「それよりも、早く見世のやつらに顔を見せに行ってやれよ。きっと禿たち心配してるぜ。大好きな鯉夏花魁のこと」

 

 鯉夏の想いなど、お見通しとばかりに見世のものたちの名を出す。そんなことを言われてしまえば、離れないわけにはいかない。なにせ自分は“鯉夏花魁”なのだ。

 

 王葉は鯉夏の背に手を当て、隠のもとへ向かうようにと促す。

 この男は心配する時間すら与えてはくれないらしい。

 仕方ない。こうなったら王葉は折れてくれない。ここは大人しく引き下がろう。

 内心ため息をつき、王葉に背を向けると──

 

 

「無事で、良かった……」

 

 

 そっと手を握られ──

 鯉夏にだけ聞こえるように──微かに、慈しむかのように────甘く囁かれた。

 

 

「………………ずるいひと」

 

 

 くすりと笑って握り返す。

 これではいつもと逆────王葉は、いつもこんな気持ちだったのだ。

 無性に振り向きたくて、すぐにでも駆け寄りたくて、でもしない────できない。

 

 

(王葉とはまた、会える……)

 

 

 だから鯉夏は、手をほどき、背筋を正し前へと進む。

 いつも王葉が見せてくれていたように、見送られる。

 

「見世の子たちがいるところへ連れて行ってくださいな」

 

 鯉夏花魁は隠に笑いかけ、王葉を振り返ることなくその場を後にした。

 

 

「……ちっ」

 

 鯉夏が隠とともに去ると、王葉は糸が切れたようにその場に蹲った。

 最初に受けたひっかき傷だけでなく、血鬼術にも毒は含まれている。しかもこちらは致死性のもの。

 

(こりゃ、ちょっとまずいかもな……)

 

 毒とともに皮膚の爛れは広がり、意識も朦朧としてくる。

 

「頭領!」

 

「………………獪岳か」

 

 今まで見たことないほど焦った表情をしている。

 必死に口を動かしているのは見えるが、何を言っているのかイマイチ理解できない。

 

「竈門!頭領にも妹の血鬼術頼む!」

 

「はい!禰豆子!」

 

 竈門の妹──?

 目の前に幼い少女が現れる。

 

「むー!」

 

 目の前が真っ赤に染まった。

 ああ、温かい。

 とても、心地が良い。

 

 だんだん瞼が重くなっていく。

 駄目だ。まだ閉じてはいけない。

 

「どういうことだ!?お前の妹の血鬼術で鬼の毒は消えるんだろ!?」

 

「そ、そのはずです……!」

 

「だとしたらなんでだよ!?この程度の失血じゃ頭領は……頭領!しっかりしてください!」

 

 騒がしい声がする。

 そんなに呼ばなくても聞こえてる。

 心配しなくても、すぐ目を開けるさ。

 意思に反して、世界が暗くなっていく。

 

 

 

 駄目だ──

 まだ──やることが──────ある。

 

 

 

 

“ちょろいねえ……”

 

 

 

 

 さいごに、だれかが──わら────っていた────────

 

 

 

 

 

 




更新滞っておりましてすみません!
プロットを作っては壊しを繰り返していたら、何カ月も経ってました……!

今回で遊郭編はひと段落となります。
そして、ようやく王葉がちゃんと主人公っぽくなります!
いままでプロットの関係上、どうしても出番が少なかった王葉ですが、次回以降ちゃんと王葉、引いては刀語の登場人物が鬼滅に深く関わってきます!

これ以降は自分が書きたかった部分でもあるので、執筆頑張ります!


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間話─今は昔の物語─

細々と執筆はしてます。
ひとまずアップできるところまで投稿します。




数百年も昔の話。

この国が戦国と呼ばれていた頃の話。

 

人里から遠く離れた山の中で、刀を持つひとりの青年の姿があった。

長い髪を高く結い上げた、額に炎のような痣のある青年。

手にしている刀の刃は黒く、美しい。

 

青年は無言で刃についた血をはらい、刀を鞘に納める。

ふと、青年の足元に目を見やれば、鬼の身体が崩れ落ちていくところだった。

 

「ちょろいねえ」

 

地元の人間すら滅多に入ってこない山奥で、青年に声がかけられた。

 

「………………」

 

青年は声のした方を振り返る。

 

 振り返った先には、人を食ったような笑みを浮かべ、旧知の間柄であるような馴れ馴れしさで語る男がいた。

 髪は曇天のような灰色。瞳は雲ひとつない晴天のような碧。目の下から顎にかけて、菱形が連なったような痣を持つ奇妙な風貌の男だ。

 

「才能だけは一丁前。殺意どころか人を斬るって気概すら全くねえのにその腕か……」

 

 男の言葉に、青年は眉をひそめる。

 

「……私が斬ったのは鬼だ」

 

 青年の小さな反論に男は盛大に吹き出した。

 

「かっかっか」

 

「何がおかしい」

 

「おかしいに決まってるだろ!何寝ぼけたこと言ってやがる!斬ったのは鬼だ?お前が斬ったのは人間だよ。少しばかり変質しただけのな!」

 

「それは……」

 

 笑いながら否定され、青年は言葉に詰まる。男のいう通り、鬼は人間が変質した存在。鬼を狩ること即ち人を殺すこと。そう同義されても反論は出来なかった。

 

「しかしまあ、それならあの結果に繋がっちまうのにも納得だ。人と思っていないのなら、人を斬るって気概がないのも──当然か」

 

 ひとしきり笑ったあと、顎をさすりながら笑みを深くする男。男が勝手に納得し上機嫌になっている一方で、青年の機嫌は緩やかに降下していた。

 

「…………私に何か用だろうか?」

 

 青年は表情を変えず、少しだけ低くなった声で男に問いかける。

 

「いやなに、化け物みたいな腕前の、植物みたいな剣士がいると聞いてな──しかもその剣士、戦乱の世だというのに戦には全く出ない変わり者ときたもんだ。少々興味が沸いたんでな、表の仕込みが終わって時間が出来たついでに、ちと様子を見に来たのさ」

 

 この男のいう『化け物』というのは恐らく自分のことだ。過去何度か言われたことがある。鬼、同士、そして──実の兄。

 

「私は、化け物と称されるほど大層な人間ではない」

 

「当たり前だろ」

 

 間を置かずに即答された。この男、本当に一体何なのだろうか。

 

「お前程度の腕前なら表の世界でもそこそこいる。一流と呼ばれるやつらがそれだ──中には超一流と称するべきやつらも……といってもこっちはかなり少ない──お前、刀一本で武家屋敷や海を真っ二つに出来るか?」

 

「………………」

 

 出来るか、と問われても返答に困る。試したことがないので分からない。やろうとすら思わない。必要に迫られなければ、刀を抜くのも避けたいのだ。

 

「お前を『化け物』と称したやつらは、見る目も腕も三流どころなだけさ」

 

 目の前の男は己の返答を待つことなく言葉を続ける──いや、先ほどから好き勝手に喋るこの男には、そもそも返答を待つ気など更々無いのかもしれない。

 

「それとお前、さっきもそうだったが、刀を振るっているとき、刀が折れないように加減してるだろ?」

 

「なに……?」

 

「お前が持っているその刀、とんだナマクラだ。使い手の実力に見合った強度じゃねえ」

 

「それは……」

 

この男の言っていることは正しい。確かに己は刀が折れぬよう注意を払っている。仕方のないことだ。

 

「鬼を狩ることが出来る刀は日輪刀のみ……この刀は繊細だ」

 

「違うな。脆いだけだ」

 

 即否定。

 この男と会話を始めてから否定ばかりされているが、どの否定よりも強い。

 

「この世にあるすべての刀は、おれの部下みたいなものだから分かる。脆い刀にも利点はあるが、お前の持っている刀はその利点目的で打たれたわけじゃねえ。単純に刀鍛冶の腕が悪いのさ」

 

 嫌味も、馬鹿にする気配も一切ない。『純然たる事実』としての断言。

 

「そうだとしても、私はこの刀を使うしかない。日輪刀を打てる刀鍛冶は限られている」

「おれなら打てる」

「……なに?」

「おれなら打てると言った。聞こえてたくせに、聞き返してんじゃねえよ」

 青年は改めて男に向き直り、まっすぐと男を見つめる。

 男の──人を食ったような笑みも、馴れ馴れしさも先ほどから何も変わらない。

 

 

 それでも、この男は真実を──いや『事実』を口にしている。

 

 

「お前の刀、おれに打たせろよ。これでも界隈じゃ名の通った刀鍛冶だ。今後はおれの打った刀を振るえ」

 

「なぜ……?」

 

 なんのために──?

 縁もゆかりもない、初対面の自分の刀を打つというのだ。

 

「単なる私怨さ……このままだと、あいつが死んだ元凶だけが得をする──表の仕込みは根を張った。あとは裏だ」

 

 何も口にしていないのに男は疑問に答えた──口にする必要もないほど、痣の青年が抱いた疑問は分かりやすいものだった。いきなりこんなことを言われれば、胸のうちに抱くものは、みな同じだ。

 

「最初で最後の──おれの日輪が、どう歴史に影響するか見物じゃねえか」

 

 歴史への影響とは、随分と大きく出たものだ。普通の人間であれば、男の言葉を誇大妄想狂の戯言だと考え、相手にしないだろう──だが、この男『継国縁壱』は普通ではない。

 

「貴殿の言っていることは、私には理解が難しい。けれども、私が存分に振ることの出来る刀を打てるのであれば、伏してお願い申し上げる」

 

 この世が乱世と呼ばれ、この国が戦国と呼ばれていた頃の話。

 

 今は昔の物語。

 

 はじまりの呼吸の剣士、継国縁壱と──この時期には表の歴史改竄の仕込みを終えていた伝説の刀鍛冶、四季崎記紀との──誰にも語られることのない、なれ初めだった。

 



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