こんな四席と斬魄刀もありですか? (すー/とーふ)
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こんな四席と斬魄刀もありですか?

 ――死神と呼ばれる者達がいる。

 それは、現世と霊界の魂の均衡を保つ者。悪しき怨霊・虚から現世と瀞霊廷を守護する者は総じて死神と呼ばれている。

 黒の死覇装を身に纏い、黒死の地獄蝶を連れ、魂魄を斬り裂く斬魄刀を持つ者達は、護廷十三隊という組織に所属して今日も現世と霊界――尸魂界(ソウル・ソサエティ)の平和を守るために闘い続ける。

 そのため現世での魂葬も大事だが死神の主な仕事は虚の討滅であり、故に戦闘訓練も立派な職務である。

 それは死神の頂点に君臨する隊長格も例外ではない。いや、寧ろ隊長格だからこそ高い戦闘力を求められるので修業を欠かす事が出来なかった。

 

 よって、こうして隊長と部下が模擬戦を行うのは、極々当たり前の事と言えるだろう。

 

 そこは双極の丘と呼ばれる場所の地下。たまたま偶然発見した秘密の修業場だった。

 かなりの広さが保たれている上に隔離されたフィールドは、まず人目に着く事は無い。

 崖上にいるのは、野次馬の三人。

 そして十数メートル程の崖下では荒れ地に佇む死神が二人、一定の距離を空けて対峙していた。

 

 一人は大柄な男だった。

 十一本に纏められ、その先に小さな鈴が付いた独創的な髪型。右目の眼帯と山賊やヤクザ染みた強面からは、対峙するだけで心臓を鷲掴みにされるような重圧が放たれている。

 獰猛に歯を剥き出しにして嗤う男は、刃がボロボロの斬魄刀の背で自らの肩をトントンと叩くと、隊長の証明である隊首羽織が僅かに波打った。

 この男の名は更木剣八。十一代目の十一番隊隊長。そして十三人しかいない隊長の一人にして、護廷十三隊の誇る最強の一角である。

 

「ハッ、やっと本気のお前と殺り合えるって訳だ。精々、簡単にくたばるんじゃねぇぞ、琥太郎」

 

 野性味の溢れる声で上機嫌に嗤う剣八に名前を呼ばれた青年は、二メートル以上の長身である彼と比べるのも可哀想な話だが、少し小柄だった。

 百七十にも僅かに届かない背丈。中肉中背。

 ざっくばらんに切られた黒髪にはお洒落の要素が欠片も無く、精悍とはかけ離れているお人好しそうな平々凡々の顔立ちからは、少し気弱な印象を受ける。

 掛けている眼鏡が与える印象通りどちらかと言えばインドア派。肉体労働より頭脳労働を期待させる風貌だった。

 そんな彼――十一番隊第四席・八ツ坂琥太郎は、三尺ほどの竹刀袋を担いだまま剣八を指差し、激昂する。上司を敬う精神などこれっぽちも見られなかった。

 

「殺り合うとかくたばるとか色々とツッコミどころが満載ですね!? 俺の命のためにも模擬戦ってこと忘れんじゃねーですよ!?」

 

 見掛けが二十代前半の優男だが、これでも百年以上も第四席を務めており、十一番隊でも古株の方である。餓えた狼状態の剣八。そして崖上から野次を飛ばす同僚のハゲとナルシストに中指を立ててから、ふと思った。

 ……あぁ、俺の人生プランは何処で狂っちまったんだ、と。

 そもそも、この模擬戦自体が人生でもベスト三に入る失敗である。怒りで我を忘れ、目先の餌に飛び付いてしまった二十分前の自分を殺したくて仕方がない。

 過去に戻れたらどんなに良いか。そう思う琥太郎は、少し前を回想しつつ盛大に溜息を吐いた。

 

 

 ◇

 

 

 尸魂界の空は今日も晴天。目も醒めるような青空だった。

 当然、瀞霊廷内から仰ぎ見る空も例外ではなく、十一番隊の隊舎からも雲一つ無い蒼穹を眺める事が出来る。部屋の窓から吹き込む風は温かく、麗らかな春の日差しに、琥太郎はそっと目を閉じた。

 

「そーいや、そろそろ花見の季節だよなぁ」

 

 眠くなるほど陽気な空気に当てられたのか。室内で一番日当たりの良い窓際の席で仕事に精を出している琥太郎は、筆を置くと窓辺に頬杖をついた。

 柔らかな風が髪をフサフサと揺らし、その心地良さにお人好しそうな顔を僅かに緩める。

 木々の葉擦れに、草花の香り。そのどれもが疲れ切った琥太郎の心を癒してくれる。

 そう、琥太郎は疲れているのだ。今日だけでは無い。昨日も、一昨日も、一週間前も――遡れば百年以上前から、琥太郎は疲れ切っていた。

 こうして机に積もった書類の山から目を逸らし、頻繁に現実逃避をしなければ精神が崩壊する程には――、

 

「は……はは、もうやってられっかぁあああああーーーッ!?」

 

 誰もいない事務室で雄叫びを上げる琥太郎は、そのまま目の前の書類の山――ではなく、その隣にある無人の机に立て掛けてあった竹刀袋を叩き付ける。重要書類の山にストレスを発散しないだけ彼はまだ理性的だった。これも長年の忍耐で培った冷静さである。

 

「ハァ……ハァ……もう、限界だ。次の異動願いが通らなかったら絶対に死神なんて辞めてやる。そもそも何で俺が十一番隊なんだよ!? 絶対、斬魄刀で判断しただろ!?」

 

 激昂して髪を掻き毟っている琥太郎が所属し、あまつさえ第四席という高位席官を任じられている部隊は、護廷十三隊屈指の戦闘部隊と称される十一番隊。別名『戦闘専門部隊』、もしくは『脳筋共の巣』。

 その名の通り隊士全員が書類仕事を苦手とするがガサツ者であり、お陰で部隊の書類仕事の殆どを琥太郎が担っている(押し付けられている)。

 隊士の提出する書類も一枚一枚チェックして誤字や不備を修正する――そうしないと上が受け取ってくれない――ので、実質一人で事務を請け負うようなものだ。

 特に今代の隊長・副隊長になってからは酷かった。彼等は自分の仕事の全てを琥太郎に押し付けているのだから。

 

「隊首印が俺の机に置かれていること自体が間違ってるんだ。……つーか何で皆は道場行ったり酒盛りしたりその辺ほっつき歩いてんだよ。戦闘訓練だけじゃなく事務仕事も真面目にやれっての……というより手伝ってください」

 

 しかし第四席という上位席官でありながら所持する斬魄刀や性格の所為で平隊員にも嘗めれている琥太郎である。頼んだ所で誰も手伝ってくれず、既に事務仕事=八ツ坂琥太郎の仕事という風潮が蔓延しているため、この状況に疑問を持つ者は誰もいない。

 

 八つ当たりで机を数個真っ二つにした琥太郎は肩を落として項垂れている。その間も開けっぱなしの窓からは春の兆しだけでなく、近くの修練場からけたたましい雄叫びと剣戟の音が聴こえている。

 その男臭いBGMにげんなりする琥太郎は、クッションの敷いてある自分の椅子に崩れ落ちて頭を抱えた。

 

「せめて弓親の野郎が居……てもあんま変わんないか。いやでも居た方がまだマシだし。……あぁ、射場さんや恋次が居た頃が懐かしい」

 

 共に副隊長として昇進した二人を思うと、琥太郎の目からは涙が溢れてくる。彼等は数少ない書類仕事をまともにやってくれる戦闘馬鹿だったのだ。

 射場は何十年も前に七番隊に移籍し、阿散井恋次に至っては一週間前に六番隊へと異動したばかりである。

 

「くそっ……まさか恋次に裏切られるなんて……こうなりゃ素直に副隊長の席を狙っていけば良かった」

 

 ――琥太郎はここ数十年近く、本当の実力を隠していた。

 隊長、副隊長など、確かに高給だが責任も重く疲れるだけ。第三席は副官補佐でもあるため、かなり大変。

 よって辛すぎず重すぎない高給取りである第四席を狙ったが、まさか脳筋共に仕事を押し付けられるとは夢にも思っていなかった。第四席の筈なのに他部隊の隊長以上の仕事量をこなす羽目になるとは、なんと言う皮肉だろう。

 

 そして他の隊に本気で移ろうとしなかったのは、単に同僚への優しさである。

 ここで自分が他に移籍したら、同志であった射場が一人になってしまう。そう思うと、折角上に空席が出来ても出世しようとは思えなくなる。そう思っていた矢先に母親の治療費を稼ぐためにと、射場が副隊長への打診を受けてしまった。

 置いてきぼりを食って過労死寸前までに追い込まれていた所に来たのが、他から移ってきた阿散井恋次である。

 しかし、その恋次も今はいない。射場の時と同じ理由で昇進を我慢したら、彼はあっさりと副隊長の打診を受けてしまった。副隊長に昇格というより、この地獄から抜け出せる事に嬉し涙を流しかけていた恋次の顔が今でも忘れられない。

 

(あぁ、くそっ。何て浅はかだったんだ俺は)

 

 本当に馬鹿な考えだった。射場の時に何を学んだのだと自分自身を罵倒した。恋次が六番隊――というよりそこの隊長に執着があったのは知っているので、六番隊への昇進を受けたのは無理もないとも思うが、それはそれ、これはこれである。

 裏切られた感が半端じゃない。

 

 彼等の抜けた穴は大きく、代わりの事務官が派遣されてもイジメや過酷さから二日以内に転属してしまい直ぐ一人に逆戻り。何故彼等の転属願が直ぐに受理されて自分が数十年も缶詰にされるのか。まったくもって納得いかない琥太郎である。

 

「どーすっかなぁ」

 

 もう本気で除隊するか、いやいやしかし給金は捨て難い、いっそ別の隊で不幸があって三席以上に空きが出ないかなぁと不吉な事を考えて悶々する琥太郎。

 そして、しばらくして吐くのは溜息である。

 結局、自分はここで延々と書類地獄を味わうしかないのか。第三席以上に空きがあれば猫被りを止めてでも出世するように頑張るのにと思う琥太郎は、泣く泣く筆を取って壊した机分の発注依頼書を作成する。

 そして時刻が十一時を示した時、部屋の扉が勢い良く開かれた。

 

「おう、琥太郎。昼飯前にちょっくら一本付き合え」

「こーちゃん、遊ぼう!」

 

 入室してきた剣八と、彼の肩にしがみつく副隊長の草鹿やちるに琥太郎がキレたのは言うまでもない。

 

「いい加減に仕事してくんねーですか!? 特にそこの戦闘狂は模擬戦を挑む暇があるなら判子ぐらい自分で押しやがれ、馬鹿野郎!」

 

 思わず投げてしまった隊首印を剣八は難無く掴み取る。

 何言ってんだと告げるような呆れた目付きに、琥太郎の額にはっきりと青筋が浮かび上がる。堪忍袋の緒がブチッと豪快に切れる音がした。

 

 ――恋次の異動により久々の孤軍奮闘状態になっている琥太郎は、疲れや怒りで冷静な思考能力を失いつつあった。でなければ、勢いに任せてあんな馬鹿な要求はしない。絶対にしない。とち狂っていたとしか思えなかった。

 

「――分かりましたよ。やりゃー良いんでしょ。本気でやってやりますよコンチクショウ。ただし、俺が勝ったら判子押しぐらいやってもらいますし、隊士全員にきちんと書類仕事をするように号令出してくださ……い……よ……」

 

 気付いた時には、時既に遅し。

 突如増した霊圧に部屋が悲鳴を上げて空間が軋む。

 気が昂っている剣八の霊圧を肌で感じ、重苦しい空気に辟易とする琥太郎は、自分の迂闊さを呪いつつ段々と青褪めるのだった。

 

 

 ◇

 

 

(――あぁ、俺は本当になんて馬鹿な事を言ってしまったんだ)

 

 それに自分は元々出世したくないから実力を隠すだけでなく、この戦闘狂にもこれ以上目を付けられたくないから実力を隠していんじゃないかと、殆ど走馬灯に近い回想を経て、更に自分を罵倒する。

 しかし過ぎてしまった事は仕方が無い。寧ろ承諾してくれて、ハンデまでくれた剣八に礼を言い、きっちりと勝利するべきだと自分を奮い立たせる。

 

 背負っていた竹刀袋の結い口を解きながら、琥太郎は最終確認をした。

 

「じゃあ、気絶や戦闘不能だけでなく、一撃入れたら俺の勝ちで良いんですね。具体的には血を流させたり、骨を折るレベルの一撃を入れること」

「おう、勝手にしな」

「そんで、絶ッッッ対に要求は飲んでくださいよ」

「あーあー、しつけぇなぁお前ぇも。分かったっつってんだろ。おら、さっさと来やがれ」

 

  剣八は空いた片手でくいっと手招きをしている。どうやら先手を譲ってくれるらしいと、その豪気ぶりに琥太郎は内心でほくそ笑んだ。

 相手は自ら幾つものハンデを背負って戦闘を長引かせる馬鹿である。自分の本気がどの程度の物なのか受けてみる気満々なのだと、琥太郎はこの一瞬で看破した。

 

(先手必勝! これで決める!)

 

 愛刀の能力は秘密にしている。これならダメージを負わせられる筈だと、竹刀袋から一気に抜き身の斬魄刀を引き抜いた。

 

 露になるのは通常の斬魄刀とはかけ離れた存在だった。

 まず、刀に必要な刃が無い。鍔も無く、まともな柄も無い。無い無いずくしの三連打。

 琥太郎はサラシの巻かれた柄に当たる部分を両手で握りながら、三尺程の愛刀を正眼に構える。

 全身が茶色で滑らかな手触り。鈍い光沢を放つそれは、何処からどう見ても木刀と呼ばれる代物だった。

 

「本当の実力って抜かすぐれぇだ。その土産物がいつも通り硬いだけだったら即ブッた斬るぜ」

「斬魄刀の名前すら知らない隊長が俺の樹神《こだま》を馬鹿にすんじゃねーですよ」

 

 樹神。

 それが琥太郎の斬魄刀であり、初めて始解を行った時から姿を変えない常時解放型斬魄刀の名前である。

 真剣の中に木刀が混じっているのが嫌で普段は竹刀袋で携帯しているそれは、見た目はカッコ悪いながらも性能は中々実戦向き。ビジュアル面以外は気に入っていた。

 能力は注ぎ込む霊力に応じて硬さを変える『硬度強化』。皆にはそう説明している。そして隠しているもう一つの能力は――、

 

「――行きますよ」

 

 瞬間、普段の数倍まで高まった霊圧を発しつつ、草鞋の足跡だけを残して琥太郎が消える。否、瞬歩と呼ばれる高速移動法で十五メートルの距離を一気に殺した琥太郎は、眼帯の死角から脳天目掛けて樹神を振り下ろした。

 当たれば頭蓋骨粉砕は免れない、高速の打撃。隊長格にもひけをとらない攻撃に、しかし剣八は余裕で反応する。けれどもここまでは予想の範疇だった。

 

(さあ、想像以上の攻撃力に慄くがいい!)

 

 ガードされると分かっていながら樹神に霊力を込めて力の限り振り下ろす。剣八は背後を振り向かずに斬魄刀で受け止め――、

 

 

 

 

「……なん……だと?」

 

 

 

 

 ――難無く受け止められた事に、琥太郎から驚愕が漏れた。

 

 初撃を受け止められて茫然とする。しかしそれも一瞬のこと。

 興奮で目をギラ付かせる剣八が振り向き様に斬魄刀を払ったことで樹神が大きく右に弾かれ、背筋が凍る。瞬間、身に降り注ぐのは悪寒と殺気。

 恐怖で硬直する身体を叱咤し、バランスを崩しながらも逆袈裟から迫る凶刃を身体を捻ってギリギリ回避。前髪を数ミリ犠牲にして琥太郎は瞬歩で後退した。

 追撃は来ない。安堵と不安が頭の中で同居する。たった一度の攻防で額から冷や汗が垂れた。

 

「…………何で普通に受け止められるんですか?」

「あァ? 確かに、いつもよりは少し重かったぜ」

 

 少し。少し。

 その言葉が何度も頭でリフレインする。

 やるじゃねぇかと嬉しそうに嗤う剣八に頬を引き攣らせながら、琥太郎は先程と同量の霊力を樹神に込め、隣にあった五メートル程の大岩に蝿を払うような軽い動作で木刀を叩き込み――頑強な大岩が粉々に爆砕。塵と化した。

 

「これ食らって余裕とか……ありえねー」

 

 食わせる霊力に比例して打撃力を上げる『威力強化』を物ともしない膂力と霊圧。圧倒的な力の差に理不尽だと叫ばずにはいられなかった。

 

「じゃあ、今度はこっちから行くぜ」

「ちょっ!?」

 

 

 ――狼狽する琥太郎に、野獣が襲い掛かった。

 

 

 ◇

 

 

「おーおー、必死に避けてらぁ」

 

 ヤンキー座りで愉快そうに崖下を眺めるのは、頭をつるつるに剃っている剃髪の男だった。

 十一番隊第三席。部隊で二番目に戦闘が大好きな班目一角は、大地を削って大岩を粉砕している攻防を目撃し、ここまで届く霊圧と攻撃の余波に当てられ、混ざりたくて仕方がないという顔をしている。

 うずうずとした表情を隠しもしない彼の隣で佇むのは、護廷十三隊きってのナルシストである。

 

「でも、隊長の攻撃をあそこまで凌げるのは凄いんじゃない? やっぱり実力を隠していたんだね、彼は」

 

 十一番隊第五席の綾瀬川弓親は、戦況を冷静に見定めながら、やはり羨ましそうに模擬戦を観戦している。

 今までの模擬戦で手を抜かれていた事に怒りは無い。一角も特に思うことは無かった。

 本気だろうが手加減だろうが、その時に出す力が相手の全力。それで勝っても負けても自分の責任。そう考えている故の結論である。

 そもそも二人は隊長格クラスの実力がある癖に自ら全力を封印している者――つまり琥太郎の同類なので、元々批難する資格も無かった。

 

「剣ちゃんとこーちゃん、とっても楽しそう!」

 

 仮にこの場に琥太郎が居たら直ぐに否定が入る台詞を宣うやちるの言う通り、特に剣八は獰猛な笑みを浮かべていた。

 まだ全力の七割程度しか出していないが、それでも二十分持ち堪えているだけ琥太郎の技量が窺える。これが平隊員ならば一割以下の力でも一撃で終わってしまうからだ。

 防戦一方だが暴風のような斬撃を回避し、いなしている琥太郎。ひいては激しく火花を散らせる剣戟に耐えている木刀を、一角と弓親は高く評価した。

 

「樹神っつったっけか、琥太郎の斬魄刀は」

「見た目は全ッ然美しくないけど、能力は接近戦向きで良いね。木刀なのが残念だよ」

「なんだかね、こーちゃんがあの刀に言われたんだって。刃物なんて危ないものを持っちゃダメだって」

 

 無邪気に笑うやちるの言葉に思わず閉口する二人だが、次の瞬間には二人分の大爆笑が巻き起こった。腹を抱え、二人は腰を折って笑いこける。

 

「それであんな物騒な木刀を持ち歩く羽目になったのかよ!? なんつー優しい相棒だなぁ、オイ! アイツは琥太郎の母ちゃんか!?」

「ははっ、下手な刃物より数倍殺傷力が高いっていうのに!? か、完全に本末転倒じゃないか!? 」

 

 二人の脳裏に浮かぶのはよく琥太郎の肩に具象化している小さな妖精の姿である。あの可憐な妖精なら言いそうだと。そして自分の斬魄刀に怒鳴られて説教されている琥太郎の姿も思い出し、更に笑い声を上げた時だった。

 

 

 ――莫大な霊圧の上昇を琥太郎から感じたのは。

 

 

「一角」

「あァ、やる気みてぇだな」

 

 笑い止んだ二人の顔に笑みは無い。いや、それはからかう類の物ではないという意味で、笑いは確かにあった。

 強敵と相見える時に浮かべるもの。ライバルと研鑽を積む時に生まれるもの。

 琥太郎の闘志と霊圧に二人の身体が歓喜に震える。実に闘い甲斐のありそうな強敵の登場に戦闘中毒者達は口角を吊り上げる。

 彼の実力を見定めるため一挙一動に注目する二人は、

 

「――そこの野次馬三人。巻き込む、悪い。逃げるなら今だ。あとこれ、ここだけの秘密な」

 

 

 やる気と自信に満ち溢れる、謝罪の言葉を耳にした。

 

 

 ◇

 

 

 冗談じゃない。

 それが剣戟の嵐を捌き、とりあえず久方ぶりに距離を空ける事に成功した琥太郎の心情である。

 こちらが全力で回避行動を取り続けても相手は余裕で上を行く。自分は今、剣鬼の掌の上。相手がこちらの実力に合わせている。まだまだ上があるのが信じられない。

 剣八は七割程度の本気しか出していないのに、琥太郎の顔は焦燥と疲労で溢れていた。

 

「ハァ……ハァ……本ッ当に信じらんねー」

 

 回避行動に重点を置いたとはいえ琥太郎はただ逃げていただけではない。牽制のために放った中級鬼道は剣八の身体に火傷一つ負わす事が出来ず、全力で樹神を叩きこんでも薄い痣を作る程度。

 死神同士の戦いとは霊圧の戦い。自身の霊圧が相手の霊圧を上回る事で初めて決定打を与える事が出来る。

 だがしかし、今の自分の全力が霊圧を垂れ流しているだけの剣八を僅かに上回る程度の力しか無い事が信じられず、それ以上に悔しかった。

 

「どうした琥太郎、お前の実力とやらはその程度か」

 

 息一つ乱さない剣八は琥太郎を嘲う。

 死覇装はボロボロ。至る所から血を滲ませ、壊れた眼鏡が中途半端に引っ掛かっている琥太郎を見る目に浮かぶのは、興味と――僅かな失望。

 その冷めた視線が琥太郎の自尊心を揺さぶった。

 彼の視線が剣呑を帯び、微かに細まる。

 

「――誰が全力って言ったんですか」

「なら俺に致命傷の一つでも負わせてみな。面白くもねぇ」

 

 ――唐突だが、琥太郎は自分が十一番隊に相応しくないと考えている。

 まず戦いが嫌いだ。実戦よりも書類仕事や回道によるバックアップの方が性に合っていると考えている。こうした模擬戦自体、剣八や一角達に無理やり付き合わされなければ自発的にやろうとすら思わない。戦いなど、普段デスクワークの琥太郎が臨時で出撃する時だけで充分だった。

 

 しかし彼は気付いていない。

 

 戦いは嫌いだが、一度戦闘が始まれば肉食獣のような笑みを浮かべていること。負けず嫌いであること。勝てば喜んでいること。隠れて修行するのは負けた事を引きずっている証だということ。

 強者と戦う度に無意識に血が滾るのは戦闘中毒者の証拠である事に、彼は全く気付いていなかった。

 

「良いですよ。やってやりますよ。絶対にこの勝負に勝ってやる。――そこの野次馬三人。巻き込む、悪い。逃げるなら今だ。あとこれ、ここだけの秘密な」

 

 今までの模擬戦で全力を出した事は無かった。虚との実戦以外で全力を出した事は無く、その時は例外無く相手を瞬殺させている。単独任務で一度だけ対峙した下級大虚ですら、尸魂界が捕捉する前に一撃の下に葬っている。

 だから全力を出せば剣八に勝てなくとも食らい付けるとは思っていた。

 しかし蓋を開けてみればこの様。井の中の蛙という諺が脳裏を過る。それが悔しかった。

 

(――ハッ、相変わらず分かりやすい野郎だ)

 

 そしていつものようにワザと琥太郎を挑発した剣八は、爆発的に膨れ上がった霊圧に自身の細胞がざわめくのを感じ取る。

 強敵と対峙した時にのみ感じる高揚感。死闘の中に身を投じる事で味わう洗練された殺気。殺し合いで全身に回る陶酔感に酔いしれる。

 予想以上の霊圧に剣八の魂が咆哮を上げた。

 

 今、この瞬間。八ツ坂琥太郎の霊圧は剣八を完全に凌駕しているからだ。

 強敵の出現が嬉しくない筈が無い。

 

「これが俺の全力ですよ」

 

 壊れた眼鏡が地面に落ちると同時、琥太郎は樹神を背後に放り投げる。

 くるくると回る木刀は地面に落ち――沼に沈むように地面へと溶けた。

 

「卍解――」

 

 

 

 

 

 

 

「――梛樹神《なぎきのかみ》」

 

 

 

 

 

 

 

 暴風が、吹き荒れた。

 渦巻く霊圧。立ち昇る土煙。解放の余波で視界が遮られる中、爆発的に膨張した霊圧が収束し、弾け、琥太郎の生きた卍解が産声を上げる。

 斬魄刀戦術における最終奥義――卍解は、その殆どが巨大な姿を形作る。琥太郎の相棒も例に漏れず、その真の姿は巨大な代物だった。

 

 最初に出現したのは、小さな苗木。

 

 樹神が溶けた場所に現れた苗木は、踏めば容易く折れてしまいそうなほど弱々しく、脆い。

 しかしそれは瞬く間に成長を遂げ、変貌する。

 逞しく育つ太い幹。青々と茂る枝葉。琥太郎の霊圧を食らって成長する梛樹神は、たった十秒で樹齢数千年の貫禄を見せる神樹に進化する。

 天を葉々が覆い、一時的な夜を作り出すほどに、巨大な神木。

 この神樹そのものが、琥太郎の卍解である。

 

「寄越せ、梛樹神」

 

 正面、崖上から集中される中、小さく呟く琥太郎の手が、天から垂れ下がってきた一本の細い枝を掴み取る。触れた枝は容易く折れ、余った部分が空気に溶ける。調子を確かめるように二、三度振ると、枝は先程のような木刀に変化していた。

 

「行きますよ、隊長」

 

 告げるや否や、琥太郎は瞬歩で剣八に肉薄した。

 下手なフェイントを入れない真っ向勝負は、それだけ威力に自信がある証。

 現に剣八は膨大な霊圧を前に初めて反射的に回避行動を取った。これとまともに鬩ぎ合ったら確実にダメージを負って勝負に負けてしまうという、闘争本能の導き出した結果である。

 力強い踏み込み。上段からの斬撃を半身になって避けた剣八は、そのままカウンターで琥太郎の脳天目掛けて刀を振り下ろす。

 

「なんてね、避けられるのなんて計算済みなんですよ!」

 

 しかし読んでいるからこそ対応も速い。

 木刀は地面に当たる寸前で方向転換。脳天を真っ二つにされる前に剣八を攻撃する事に成功する。

 V字を描く切っ先は剣八の左脇を強襲。骨を砕き、あの更木剣八を神樹の方へとふっ飛ばす。轟音とも言うべき衝撃音が鳴り響き、巨体が弾丸の如き速さで宙を舞った。

 

(――どーなってやがる)

 

 腹に響く鈍痛を無視して空中で体勢を整え、神樹に一瞬だけ横向きのまま着地する剣八は、一つ腑に落ちなかった。

 打撃力が増しているのは別に良い。卍解なのだから始解以上の威力があって当然である。腑に落ちなかったのは霊圧を高めようとしても思う様にいかなかった自身の身体についてだ。

 四肢に異常は無い。ただ、今以上に霊圧を上げる事が出来ない。いや、これは上がっている傍から吸い上げられるようで――、

 

「ハッ、そーいうことか。ちゃちな小細工するじゃねぇか」

 

 その違和感に気付いた剣八は、叩き飛ばされてから地面に着地するまでの僅か数秒で梛樹神の能力を看破した。

 

「お前ぇ、俺の霊力を食いやがったな」

「……それ、絶対に頭じゃなくて感覚で気付きましたよね」

 

 憮然としながら、しかし悠然と歩み寄る琥太郎を、剣八は愉快そうな獣の笑みで迎え入れる。

 剣八の察するように梛樹神の能力は霊力の吸収である。成長と同時に花粉を周囲へ散布。吸い込んだ霊体から霊力を根こそぎ吸収する。

 そしてその吸収した霊力の行き先は、あの木刀だ。

 

 敵を弱体化させ、その分成長して強くなる斬魄刀。

 それが梛樹神という卍解の力だった。

 

「俺もちょっと卑怯だと思いますけど、これ、自分じゃまだ制御出来ねーんで。勘弁してくださいよ」

 

 敵が強大であればある程、時間が経てば経つ程、梛樹神は強く硬く成長する。剣八に加えて他に三人も強者がいる今、梛樹神の成長速度は尋常では無かった。

 当然、俺達を巻き込むなという崖上からの罵倒は完全スルーである。忠告したのにいつまでも居座る彼等が悪いのだ。

 

 この卍解は他者の霊力に依存するため燃費は良いがその分制御が難しい。少しでも集中力を切らせば直ぐに解除されてしまう事を噯にも出さず、琥太郎は剣八から距離を取って立ち止まると、空いた手で彼の脇腹を指差した。

 

「つーか隊長。脇腹、何本かイッてますよね?」

「あぁ、折れてるな」

 

 ――剣八はあっさりと自分の負傷を認めた。つまりこの勝負は琥太郎の勝ちである。

 ならこれ以上の戦闘は不要だと、胸中で勝利の雄叫びを上げるほど喜んでいる琥太郎は卍解を解除しようとして、

 

 

 

「琥太郎、確かにお前ぇの勝ちだ。――じゃあ、そろそろ始めようぜ、殺し合いをよ」

 

 

 

 ――そんな、理解不可能な発言を耳にした。

 

 

 

「………………はい?」

 

 目を点にする琥太郎の前で、剣八は口角を吊り上げながら刀を二、三回無造作に振り回す。

 脇腹の負傷を全く感じさせない鋭い動きに琥太郎の頬が盛大に引き攣った。

 

「良いねぇ、飯前の暇潰しが面白くなってきやがった。これなら俺も本気でお前と殺り合えそうだ」

 

 猛禽類や肉食獣を連想させる獰猛な笑みを浮かべる剣八は、徐に自分の眼帯を外し――霊力を無尽蔵に食らう封印を解く。

 突如、膨れ上がる霊圧に琥太郎からはドッと汗が噴出した。

 梛樹神の吸収速度を上回る霊圧の上昇に警鐘が鳴り響く。

 以前眼帯を外した数十年前よりも明らかに高く、形勢は一気に逆転した。まったくの予想外だ。

 

(予想よりずっと高い!? あの戦闘狂、かなり本気でやるつもりだ!?)

 

 琥太郎の脳は未だかつてない速さで思考を組み立てた。死に瀕した者が起こす集中力。アドレナリンの分泌で目まぐるしく回転する頭脳が、現状での最善策を導き出す。

 

(……どうせ拒否ってもあの戦闘馬鹿は斬りかかってくる。なら長期戦に持ち込んで自滅を待つしか生きる道は無い!)

 

 幸いにも剣八の霊力は吸い出せている。こちらは三人分の後押しがあるので、防御と逃げに徹すればいつかガス欠する筈だ。

 

 そう作戦を立てる琥太郎だが、彼は一つ失念していた。――死神同士での戦いは、霊圧の戦いであることを。

 梛樹神から木刀へと供給されている霊力が一人分減っている事に気付くのは、その直ぐの事だった。

 

(…………あれ? そういや副隊長の霊力が感じられない……まさか!?)

 

 崖上を仰ぎ見れば、やちるは頬を膨らませて不機嫌そうにしていた。

 きっと彼女は霊力を吸われるのが嫌で、自らの霊圧で琥太郎の霊圧を抑え込んだに違い無い。やちるが卍解状態の自分の霊圧を抑え込んでいる事に度肝を抜かれるが、琥太郎は暢気に『なん……だと?』をしていられなかった。

 やちるに出来るということは、つまりそれ以上に膨大な霊圧を放つ剣八にも出来るということ。案の定、剣八からも霊力を吸収出来なくなってしまい、琥太郎は恐慌状態に陥った。

 

「ちょ、仮にも卍解状態の俺の霊圧を抑え込むとかアンタ等の身体はどうなってやがるんですか!?」

「ンなもん、気合いでどうにでもなるだろ」

「なってたまるか!?」

 

 これで自分を除いたアシストは二人分。これはまずい。非常にまずい。

 先程までの強気は何処にいったのか、泣きそうになる琥太郎に剣八は背を向けて、

 

「――チッ、硬てぇな。こりゃあ」

 

 突拍子も無く、梛樹神の本体に斬り掛かった。

 しかし梛樹神はこの場にいる全員の霊力を吸い上げて極限まで硬く成長している。

 本体の硬さは木刀と同等。しかも幹周りは三十メートルを超えている。

 剣八が数回刀を振るっても傷一つ付かなかった。

 

「は、はは……いくら隊長でも、流石に梛樹神をぶった斬るなんて無理ですよ。そうだ、無理に決まっ――」

 

 些か希望的観測の含まれた言葉は、琥太郎の願いも虚しく轟音によって掻き消された。

 雷鳴にも似た鋭い斬撃音の後に残されるのは、幹の中ほどまで大きく切り裂かれた痛々しい神樹。

 琥太郎の開いた口が塞がらなかった。

 

「………………」

「まあ、確かに硬てぇが、慣れればどうって事ねぇ。――あと一回ってとこか」

 

 そして剣八が刀を振り被った瞬間に我に返った琥太郎は、急いで卍解を解いた。

 巨木が細かい霊子に分解され、空気に溶ける。ほんの僅かな光の残滓が右手に集束。元の始解状態へと舞い戻る。

 しかし艶のあった刀身の半ばには大きな斬り込みが入り、明らかに破損していた。

 

「なんだ、もう解いちまうのか。……チッ、白けるぜ」

 

 剣八が本気を出そうと思ったのは卍解状態の琥太郎であって、始解状態の琥太郎ではない。

 これでは本気でやる価値は無いと、不機嫌そうに眼帯を付け直す剣八にホッと胸を撫で下ろすのも付かぬ間。これで殺し合いも終わったと勘違いしている琥太郎は、剣八に歩み寄ろうとして不吉な言葉を耳にする。

 

「さあ、続きと行こうぜ琥太郎」

「え、ちょ、もう終わりじゃ……」

「あァ? 誰がそんなこと言った。白けちまったが、お前ぇまだやれんじゃねぇか」

「隊長基準で考えんの止めてくんねーですか!?」

 

 卍解の使用で見た目より疲労している琥太郎にとって、それは鬼の提案だった。

 必死な嘆きが伝わったのだろう。剣八はつまらなそうに舌打ちを零し、黒髪をガシガシと掻き毟った。

 

「チッ、分ぁったよ。それじゃあと一発打ちこんだら終わりにしてやる」

「ほ、本当ですか!?」

 

 戦意喪失している相手と戦ってもつまらない。しかしやられたまま、逃げたままでは面白く無く、せめて斬り損ねた樹神ぐらいはブッた斬りたいと考えている剣八は、地面に唾でも吐きそうな顔で琥太郎に近寄ると、刀を両手で持ち、上段に構えた。

 

「久しぶりにやっとくか。なあ、知ってるか、琥太郎――」

 

 樹神は硬い。

 眼帯を外した状態でなら全力でやれば叩き斬れる自信があるが、それだと下手をしたら琥太郎を殺してしまう。あの卍解がある以上、ここで死なせるのは惜しい。いつかあの超打撃力を持った卍解と打ち合ってみたいからだ。

 眼帯アリだと琥太郎は死なないが、剣八もそれなりに霊力を消費しているので樹神を斬るまでには至らない。

 あちらを立てればこちらが立たず。故に取ったのが、昔取った杵柄。

 総隊長に騙されて習得した斬撃の威力の倍加法。剣道の構えである。

 

「――剣ってのはな、片手より両手で握る方が強ぇんだよ」

「……はい? なに当たり前のこと言ってんですか」

 

 その数秒後、琥太郎の意識は闇に落ちた。

 

 

 ◇

 

 

「――ってな訳だ」

「…………ハァ、よく生きてましたね、琥太郎さん」

 

 あの模擬戦から早一週間。

 四番隊舎・救護詰所の一室でベッドに寝ている琥太郎は、清潔な白装束を身に纏いながらあの時の悪夢を赤毛の後輩に語っていた。

 剣八の一撃で沈んだ琥太郎は直ぐに救護詰所に連れて行かれて集中治療室に運ばれた。

 生死の境を彷徨うこと三日。

 四番隊隊長の卯ノ花烈直々に『彼の肋骨が折れていて、かつ貴方が咄嗟に斬魄刀を盾にして縛道も使っていなければ即死でしたよ』というありがたい言葉を頂戴している。

 不幸中の幸いは、剣八がきちんと約束を守って十一番隊の事務仕事を最低限皆で回している事だろうか。戦いに関しては真摯に向き合う人物でホッとする。

 しかし左半身の殆どに包帯を巻き、虚ろな目で乾いた笑い声を漏らす琥太郎を気の毒そうに見るのは、六番隊副隊長・阿散井恋次である。

 

「――で、裏切り者の恋次くん。用件は俺の見舞いだけなのか?」

「まだ一人置いてったこと根に持ってんスか。というより、卍解使えんなら琥太郎さんも真面目にやってりゃ良いだけの話じゃないッスか」

「まさか恋次に副隊長の打診が行くとは思わなかったんだよ。あと俺が卍解を使えるのは秘密だからな」

 

 琥太郎の先輩命令に疲れたように首を振り、言外に自業自得だと告げる恋次は、懐に右手を差し込みながら本題を切り出した。

 

「俺は伝令役で来たんですよ」

「伝令?」

 

 そして恋次が懐から取り出したのは白い書状。上からの任命状である。

 それはつまり、悪夢の終わりを意味していた。琥太郎の異動願いが通ったのだ。

 今までは琥太郎が居なければ十一番隊の事務は回らないと判断されて通らなかったが、ここ数日で最低限回る事が確認された故の異動である。

 ベッドに寝ていた琥太郎は、瞬時に恋次へと詰め寄った。

 

「ちょ、マジで!? ついに俺は書類地獄から抜け出せるのか!?」

「正確には臨時って事らしいスよ。あくまで所属は十一番隊」

「……いや、それでも構わない。俺には少しでも休暇が必要なんだ」

 

 出張でも大変な進歩である。

 数十年の再三に渡る要望が通って感無量だった。

 琥太郎は本気で嬉し涙を流している。後輩の前でみっともないかもしれないが、そんな事は構いやしなかった。

 ただ涙で視界が滲んでいるから、恋次の意味深な渋い顔に気付くのが遅れてしまう。

 

「やった、これで俺もまともな仕事量にな……ちょっと待て、なんだよ恋次、その気の毒そうな奴を見る目は」

 

 恋次は口に出すのも憚れると言いたげな表情で、任命状をそっと開いて琥太郎に見せる。本当なら口頭でも伝えなければならないのだが、彼を奈落に叩き落とす言葉を告げたくなかったのだ。

 任命状は『右の者』というお約束の文章から始まり、そして一番目立つ書状の中央に、臨時の配属先が書かれている。その文字は、

 

 

 十二番隊。

 

 

 呼吸が、停止した。

 

「……ふ、ふざけるなぁああああああーーーッ!? あんな場所に行くぐらいなら書類地獄の方がマシだってーの!? 辞める、除隊する、俺は死神を辞めるぞ! いったい俺に何の恨みがあるってんだ馬鹿野郎!」

 

 十二番隊。つまり技術開発局。人を実験動物としか見ていない極悪非道な鬼畜マッドが隊長を務めている部隊である。

 研究者でなければ一番配属されたくない部隊堂々の第一位。

 あんなよく分からない実験に加担、もしかすれば実験体にされるかもしれない場所と比べると、まだ超ブラック企業である十一番隊の方がマシだった。

 

 琥太郎は恋次の制止を無視して立ち上がると、固定していた治療具を外して逃げようとする。しかしドタバタと暴れているから、いつの間にか第三者が病室を訪れている事に気付かなかった。

 

「申し訳ありませんが、そういう訳には参りません」

「く、涅副隊長!?」

 

 地味系だが黒髪美人の十二番隊副隊長・涅ネム。

 十二番隊隊長・涅マユリの作り出した人造死神は、あまり感情の起伏感じさせない声で淡々と告げた。

 

「八ツ坂四席、お迎えに上がりました。マユリ様がお呼びです」

「……待ってください。俺ってあと一週間は入院するよう言われてんですよ。ほら、更木隊長に叩き斬られた左肩も完全に繋がっていないし」

「ご安心ください。その程度ならマユリ様が直ぐに改造(なお)してくださいます」

「字が違うなんてベタなツッコミを俺にさせないでくんねーですか!?」

 

 華奢な見た目に反して馬鹿力を有するネムに今の琥太郎が敵う筈も無い。辛うじて竹刀袋を持つ事に成功した琥太郎は、そのままネムに担がれて問答無用で連行されてしまう。

 ちなみに当然、退院許可は出ていないので四番隊には黙っての連行であった。

 白い病室には、突然のことに面を食らっていた恋次だけが残される。

 

「――今度、酒でも奢りますよ、琥太郎さん」

 

 生きていたらの話だが。

 そう心の中で恋次が呟いた数時間後、琥太郎は手術台に乗せられながら新たな任務を言い渡され、更に転移実験も兼ねたサンプルとしてとある場所に送られてしまう。

 そこは――、

 

 

 

「ありえねー、本ッ当にありえねー」

 

 琥太郎は永遠に続く夜の下、白い砂漠の世界を彷徨っていた。ここは水も食料も無い過酷な世界――虚圏(ウェコムンゴ)。

 虚達の世界に無理やり放り出された琥太郎は、死覇装の上に外套を羽織り、餞別だと渡されたバックパックを背負いながら、かれこれ数時間は物騒な世界を彷徨っていた。

 途中、虚に襲われること五回。低級の虚で良いリハビリになったが脱力感が否めない。

 それはというのも、彼に言い渡された任務がとある虚の調査だからである。

 

「破面ってなに? 生体または死体を手に入れたら連絡しろ、迎えの通路を出すって言われてもさ……なんか無線機が壊れてるんだけど」

 

 虚圏へ安全に渡る技術は確立されておらず、虚の移動方法を真似た実験試作品も役目を果たして故障したので帰るに帰れない。世界の狭間に落とされず五体満足で渡れたのは奇跡と言って良いだろう。

 ちなみに余談だが、ネムの言っていた通り一時間ちょっとの手術で琥太郎の怪我は完治していた。

 砂漠の砂に足を取られ、石英に似た白い枯木を横目に歩く。砂丘を登る琥太郎の愚痴は止まらない。

 

「たくっ、何が『任務を放棄したら、どうなるか分かるだろうネ?』だ。あのマッドめ……任務を達成して欲しいなら破面の情報ぐらいちゃんと寄越しやがれ。しかも何処で俺の卍解を嗅ぎつけ……まさか、だから俺を助っ人に指名したのか?」

 

 選別として渡されたのは栄養カプセルや体内で液体となる固形飲料。そして補肉剤やら造血剤やらとラベルの貼られたアンプル各種。どれもこれもお世話になりたくない怪しい薬品ばかりである。

 せめて携帯食料ぐらいきちんとした物を渡して貰いたかった。

 

「ハァ……ホント、俺の人生プランはどこで間違えたんだ」

 

 竹刀袋を背負い直すと、勝手に具象化した樹神が肩に乗っかって慰めてくる。

 小さな妖精の頭を指の腹で撫でる琥太郎だが、とりあえず、ここから無事に生還出来たらやる事など決まっていた。

 

「――帰ったら絶対にマッドをぶん殴る。それで死神なんて辞めてやる」

 

 

 

 復讐心を糧に、琥太郎は広い虚圏を歩き続ける。

 そして彼が無事生還出来るのは今から数ヶ月後。何故かこちらへ来ていた隊長達と合流してからの事だった。

 ちなみに破面とは一度も遭遇せずに済み、しかし任務失敗で涅マユリから役立たずと罵られるのは、果たして彼にとって幸運だったのか、不幸だったのか。

 

 

 

 それは、八ツ坂琥太郎にしか分からない。

 

 

 

 




よく考えたら龍紋鬼灯丸と瑠璃色孔雀を足して二で割ったような斬魄刀ですね。
ついでにチート?かもしれない能力でした。

そして剣八に傷を負わせられたのは、剣八が相手の霊圧に無意識に合わせてギリギリの戦闘を楽しんでいる、という公式設定に救われました。六十二巻時点だと、おそらく瞬殺されます。
卍解も壊れたら直らないんですね。……これは霊力食わせれば成長するので、自己修復するという設定でお願いします。

最後は少し駆け足になったり、戦闘描写などまだまだ課題の残る短編でしたが、お読みくださり誠にありがとうございました。


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