青空めざせ! (みのるん)
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第1話 目標設定

"夢はありますか?"

 

と、聞かれると

だいたいみんなこう返す。

 

"◯◯になりたい!"

 

ちなみに、◯◯には"サッカー選手"とか"ケーキ屋さん"などが入る。

 

###の場合、

 

"お空を飛びたい"

 

となる。

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

白い建物でできた街は、太陽の光で眩しくなって輝く。白い街は大きく、その特徴によって観光客がたくさん来る。山と海に囲まれた自然豊かなこの街の外れでカイリは生まれた。

カイリの家族は母親だけで、病弱な母親のためにカイリは山の端っこにある鉱山でクズ拾いをしてお金を稼いでいる。といっても、生活補助金がしっかり払われている良い街なので、平日は学校に行き、クズ拾いは週末しかやらなかった。

 

そんなカイリには前世の記憶があった。

このことを自覚したのは物心ついた頃、3歳の時である。カイリの前世はこれといって特色はない。親がいて、兄妹がいて、友達もいて、勉強もできた。カイリは前世では日本人で、生活に苦労することがなかったことを覚えていた。思い出した時には寂しい気持ちが込み上げて号泣したが、年をとるにつれて割りきった。

 

ちなみに、自分が転生した世界がHUNTER×HUNTERの世界であるということも理解した。ハンターなる職業の試験を周知させるチラシを見たのと、ラジオでハンターについての言及があったからだ。

 

 

そんなカイリ、女子児童9歳は今日も元気に街を走り回り、野山を駆け抜け、海へと漁の手伝いに行っていた。

 

 

###

 

 

───最も効果的な訓練は実地の訓練である。

 

カイリは前世で愛読した児童小説でそう学んだ。

 

これはつまり、実地訓練をする(遊び回る)ことは良いってことだ。山海街が揃った環境で初心に還ってはしゃぎ回る口実にしたわけではない。

 

HUNTER×HUNTERの世界について、カイリはこう考える。

 

念能力にはロマンがある。前世で憧れた中二病的なあれやこれが現実になることは大変嬉しいことだ。

しかし(But)、カイリは己が飽き性であることを十全に理解していた。前世で尊敬していた兄貴───6つ年上だ───は一点集中型だが、己は広く浅くやるのが得意だった。どちらにしろ要領が悪かったが。

何が言いたいか。つまり、ガキの頃から念能力に専念するのが嫌だったのである。絶対に長く続かない。カイリは確信していた。百歩譲って瞑想は良くても、水見式なんてやりたくない、というのが本音だった。

 

なぜなら。絶対にイタいやつになる。コップに水を注いで葉っぱを乗せて、それに手を置いて全身に力を入れて力む。

例え自分の家に鍵を掛けて窓を閉めきったところでカイリはやるつもりはなかった。

そもそも、ハンター試験を無事に突破できれば安価でプロのハンターから念能力の教えを受けられることが確定しているのに、わざわざ我流で念を学ぶつもりは毛頭なかったのだ。

そのため、念能力については寺か教会に通って瞑想するに留めることにした。

 

そして、カイリは念能力だけに人生を注ぐつもりは全くない。せっかく生まれ直した人生をカイリは全力で楽しみたかった。

───勉強の他にも何かしたい!!

というのがカイリの本音である。前世は本当に勉強しかしてこなかったと自負していた。それについて後悔なんてないし、十分に親孝行できたと考えているため未練はないが、やっぱり友達とはしゃぎ回りたいのも事実だったのだ。

 

そのため、カイリは今世、実地訓練と称して友達と遊び回ることにした。

 

実際、これは効果的だったんだろう、とカイリは考える。鬼ごっこで街を駆けずり回り、時にはパルクールなる技術でもって逃げおおせたこともある。

山で遊ぶ時は大体皆木に登り、飛び移ったり飛び降りたりとアクロバティックな運動が多い。雨が降った翌日の地面がぬかるんだ山なんかは走るのが本当にキツかった。

海では早朝、漁の手伝いに行くことでお小遣いを貰える。友達はほとんど来ないが、網をかけて魚を引っ張るのも、荒れ狂う海でギャーギャー言いながら船に乗っているのも全て楽しかったから気にならなかった。

 

つまり、遊び回るのは大変訓練になるということをカイリは理解した。子どもの体力は無限大だった。遊ぶたびに体力が増える気がする。

子ども時代がとても充実した時間になったことをカイリは確信していた。

 

 

また、前述の通り、カイリは念能力を学ぶためにハンター試験を受けることを決めていた。ちなみに、受ける年は主人公が受けるはずの年である。

クルタ族虐殺がニュースに流れていたことから、恐らく主人公一行に年が近い。だから、主人公が受ける予定のハンター試験に挑むのは安全面において最も有効だろう。内容を理解している分、動きやすいからだ。

主人公さんが一体第何期に試験を受けるのかは覚えていないが、クルタ族虐殺から4年後にクラピカさんが試験を受けることは覚えていた。

カイリは全力で受かるつもりだった。なんなら、最終試験のバトルではキルアさんの失格を狙って戦わずして合格することだって可能である。カイリは避けられる戦いは避ける主義だった。

 

それに。と

カイリは考える。

 

ハンターというのは儲かる。それはもう、とてつもなく儲かるらしい。どんなハンターになるにせよ、金を稼げる職業に変わりないのでカイリはハンターを目指すことを即決した。大往生するつもりだから、晩年にハンターライセンスを売ってもいいとも思っていた。人生を7回も遊ぶつもりはないため、どこかしらに募金することは考えていたが。

 

 

そんなわけで、カイリは楽しい人生のため、ひいては前世で絶対に叶えられなかった夢の実現に向けてハンター試験に挑むことにした。

念ならできる。絶対にできる。

ある種、全幅の信頼をカイリは念に向けていた。

なぜなら、カイリは本当に憧れていたのである。

 

───絶対、空を飛ぶぞ!!

 

空を飛ぶことに。

自由にフワフワ、ドラ◯もんやドラゴ◯ボールなどのアニメのように、カイリは空を飛びたくて仕方がなかったのだ。

 

 

 

 

 




あとがき
第1話 完

はじめて投稿するのでつまらなかったらごめんなさい。
投稿は不定期になるかもしれません。

そもそもハーメルンの小説機能が不馴れなので間違いや違和感あったらごめんなさい。見つけ次第修正します。

主人公:カイリ 女 9歳
性格:楽観的


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第2話 危機一髪

HUNTER×HUNTERにしては危機じゃないかも。

しかし、山に登る人なら絶対に気を付けた方がいいこと。




その瞬間、カイリは硬直した。

 

───…………、………!!!!

 

頭が真っ白になって思考が働かない。目に入り込んだ恐怖の存在にカイリはどうにか手を握りこみ、硬直状態から脱しようと試みた。

 

黒く、大きな生き物だった。太く力強い四肢を地面に着けてのそのそと歩いている。地面に四肢を着けていても、カイリの背丈より高かった。犬のように鼻が飛び出し、その耳はひょこりと小さく頭の上に着いている。黒い毛皮に覆われたその体躯の生き物は、およそ時速60kmもの速度で走り、人間の頭を前足による横殴りの一撃で吹き飛ばすような力を持っている。

その生き物を、カイリはよく知っていた。

 

 

───クマだ……!!!

 

 

硬直した体にゆっくりと、血が巡り始める。思考がやっと働いてきたことをカイリは感じ取った。

 

カイリは前世、田舎の出身であった。青々と茂る山が子どもの遊び場として選ばれるような田舎である。そんな田舎だから、カイリの両親、学校の先生、ニュースからクマの恐ろしさをよく学んだ。クマというのは臆病で、だから基本的には人間に近づかない。山に登るとき、クマ避けの鈴を持つのは、鈴の音があることでクマが人間の存在に気付き、離れていくからだ。しかし、それはクマが人間より弱いということではない。実際、空腹を覚えていたり、なんらかの興奮状態に陥ったクマは人間を襲うことがある。そして、人間の血の味を覚えたクマは学ぶのだ。この山の麓に、狩るのが簡単で栄養がある上質な餌があることを。

 

 

###

 

 

カイリはこの日、狩猟交友会という大人の団体に着いて回り、山に来ていた。カイリの友達である1つ年下の男の子も一緒である。

狩猟交友会といっても、今日は狩に来ていたわけではない。たまの休日に皆揃って山菜採りに来ていたのである。カイリはたくさん山菜を採って母親に料理を振る舞うつもりだった。

そうして朝から山に入り、大人についてずんずん山奥に進んでいたところ、友達がいつの間にか姿を消していたことにカイリは気づいた。カイリは真っ青になり、その場で大人に友達が居なくなったことを告げ、友達を探しに来た道を走って戻ったのである。着いてきた友達はカイリが誘って山に来てくれたため、その友達に何かあったらと思うとカイリはいてもたっても居られなかったのだ。

そうして、制止する大人の声も聞かずに走って戻り、木々の間で隈無く探していた。背丈の高い草を掻き分け、倒木をひらりとかわして木に手をついたところ、

 

カイリの目に真っ黒い何かが映りこんだ。

 

 

 

###

 

 

もし、クマに出会ったら。

 

 

クマは、鼻をひくつかせながらじっとこちらを見つめている。

 

 

───背中を向けてはいけないよ。クマの目を見て、ゆっくり後ろに下がるんだ。

 

カイリは前世で学んだことを頭に諳じた。心臓の音がバクバクと、クマに聞こえそうで怖かった。ほんの短い間の出来事に背中は汗でびちゃびちゃに濡れている。赤い頬を冷や汗が流れた。

 

大きく手を広げ、ゆっくりと後退する。生憎、クマ専用スプレーは持っていなかった。

 

クマはこちらを見つめている。

 

カイリは側に倒れていた倒木のあたりまで下がった。

 

クマはゆっくりと顔を背けて回れ右をしはじめる。

 

カイリは倒木の後ろに回った。

 

クマがこちらに背中を向けた。 ───その時、

 

「クマだあ!!!!!!」

 

───声、が……。

 

背後から聞こえた大声にカイリは頭が一気に沸騰するのを感じた。

 

 

あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!!!!!!

 

 

「下がれ!!!!」

カイリが思わず声をあげるのと同時に、クマが身を翻して警戒体制をとった。

 

クマは興奮状態にあった。その凶悪な足で地面を打ちならし、唸り声をあげて威嚇している。突然現れた新たな人間、恐ろしい大声でこちらを威嚇してきた(・・・・・・)人間にクマは興奮していた。

 

ゆっくり下がる!!ゆっくり下がる!!

 

カイリは血が上りきった頭でなんとか走り出さないように自制した。悲鳴を圧し殺した喉がじりじりと焼けつくような気がした。

そして、突然現れた友達に努めて、穏やかに声をかける。

「おちついて聞いてくれ。絶対にさけぶんじゃないぞ。走ってもダメだ。いいか、私の真似して下がるんだ。」

「ご、ごめん……」

 

そして、ゆっくり木の後ろまで下がり、

 

直後、

クマが突進してきた。

 

叫んだ。今度は自制できなかった。

カイリと友達が背中を向けて走り出したのは同時だった。友達が5、6歩程後ろに立っていたのを初めて確認した。

 

「木に登れ!!!飛び移れ!!!」

 

クマが草木を薙ぎ倒すような音が聞こえて、カイリは足が震えて力が入らなくなるのを感じた。そうして涙が出てくる。

カイリは無理やり口角を上げて笑顔を作り、腹から叫んだ。

 

悲しくて涙が出る。怖くて足が震える。

そうではない!

涙が出るから悲しい!足が震えるから怖い!!ならば!泣いてても笑顔だったらそれは楽しいってこと!!!怖いんじゃないの!!!!!楽しくて!!!足は!!!震えない!!!

 

泣き叫んで地面にへたりこみそうな己を叱責しながらカイリは心で叫んだ。無理やりに笑顔を作り、何とか恐怖から逃れようと足掻く。

 

カイリと男の子は同時に別々の手頃な木に飛び登った。スルスルと木の中腹近くまで登り、そして同時に地面を見た。

 

クマが木に突進し、そして登りはじめるのを見た。

 

───友達の木に。

 

カイリは腹の底から叫んだ。

 

「飛び移れ!!逃げろ!!」

 

カイリはクマが木登りを得意とすることを知っていた。

 

クマは器用に足を使ってズンズンと()に向かって進んでいく。

男の子は震える手で木にぶら下がり、勢いを着けてすぐ隣の木に飛び移った。カイリも同じようにして別の木へと飛び移る。

男の子もカイリも、毎日のように山で遊び回っていたため、木から木へと飛び移ることなど朝飯前だった。

今度こそ、2人は背後に目もくれずにピョンピョンと木々を伝って逃げ出した。まさに手に汗握るような逃亡であり、2人はいつ手が滑って───もしくは足が滑って───落ちるかと思って心臓が握り潰されそうな幻覚さえ覚えていた。

 

この時の動きは、きっとチンパンジーにも劣らなかったとカイリは思う。地面に落ちた猿でもなければクマは捕まえられなかっただろう。

 

実際、カイリもその友達もクマに追い付かれずに生還した。

狩猟交友会の大人たちと合流する頃には、日が暮れ始めており、クマも見あたらなかった。

 

もちろん、カイリ達は盛大に叱られた。

勝手に居なくなった男の子は頭に拳骨を落とされたし、勝手に探しに行ったカイリは恐ろしい形相の叱責にボロボロ泣いた。カイリは前世から叱られるのが大の苦手であったため、この説教はカイリにとって効果覿面であった。

 

しかし。と、

カイリは思う。

 

───クマじゃなくて、魔獣だったら死んでたな。

 

クマでさえ、盛大にビビり散らかした。もちろん、クマを舐めてはいけないし、魔獣だって下手を打てば死んでしまう。

 

実地訓練は、役に立った。本当に。これで引きこもってばかりの生活をしていたのなら、きっと今頃クマの腹の中だっただろう。食い荒らされて、適当なところで残されて他の野生動物に摘まみ食いされるのが落ちだった。

 

───対策が必要だ。

 

カイリは考えた。最低限、自分を守れるだけの戦闘力が必要だと。自分の武器を考える必要があるのをカイリは学んだ。

また、知識も必要だ。クマだって、目を見て下がる以外の方法があるかもしれなかった。逃げるためには知識がいることを、カイリは知った。

 

 

ハンター試験に受かるためには、もう少しよく考える必要がある。

 

カイリは深く頷いた。

 

 




第2話 完

楽観的思考の修正回。ただし、本質的な楽観さと怠惰は直らない。ハンター試験は受かりますように。

クマ対策
1.鈴か何か、音が出るものを装備したうえで登山する。
2.遭遇した場合。
こちらの存在を知らせ、穏やかに声かけしながら、大きくてを振ってゆっくり後退
3.近づいてきたら、リュックを囮にして後退。
クマは威嚇の時、突進して寸止めすることがある。しかし、威嚇が攻撃になることがある。

ジェームズ・ランゲ説
刺激→身体変化→情動 の順で感情が成り立つとする説。
悲しい映画見た→涙が出た→だから悲しくなった


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第3話 体育の気づき

武器を考えるのは難しい。




───。

 

荘厳な空気が漂っていた。そこは白い建物で、三角屋根の形をしており、縦長の窓が並んでいた。周囲に他の建物は見当たらない。この建物は丘の上に鎮座している。門は木で出来ていた。純白の、翼がついた子ども達が門に入らんとする人々をじっと見つめている。それは、ちょうど門の真上に彫られた彫刻だった。

教会だった。

夏の朝。雲は分厚く、陽光は輝きを見せない。白い建物の街を鈍く照らしている。

カイリは教会の中、明るい色の木で出来た長イスの1つに腰を下ろしていた。イスは2 列で、全て等間隔に並んでいる。カイリは並んだイスの真ん中辺りに座っていた。カイリの他にも、数人が教会に訪れている。散り散りになって、神父の声を聞いている。

カイリも、神父の話を聞いていた。目を閉じて、耳から入る情報に集中する。

しかし、カイリの目的は、神父の話ではなかった。ちょっとした瞑想のために来ていたのだ。ただ、神父の話を聞かないで神に祈るのは罰当たりな気がして、しっかり聞くことにしたのである。

そうして、神父の話が終わり、その場で全員が神に祈りを捧げる。

カイリは心を空っぽにした。

 

 

###

 

 

実のところ、カイリはそれほど教会に通っていない。前世が仏教徒なこともあり、教会に通うことに抵抗があったからだ。正直、悪いことをしている気分になって居心地悪く感じるのである。浮気した人間の気持ちを知ったような感覚を覚えたようで、なおさら罪悪感が募るようだった。

そんなカイリは、なんとなしに何か問題に行き詰まった時にしか教会に行かないことにしている。

 

そして、この日は自身に関するちょっとした問題を発見したために、カイリは教会に訪れた。

 

 

カイリは平日、学校に通っている。義務教育は12歳までで、それまでは文字の読み書きや計算問題、地理に歴史、理科の実験などを行う。

そして、体育の授業も存在する。

 

この頃の授業は器械運動だった。そして昨日、カイリの問題は授業中に起こった。

 

カイリは運動が得意だ。今世では遊び回った甲斐あって、カイリの運動神経は並の子どもの比ではない。ただ、これについてカイリは自覚していない。前世のカイリは運動が出来なかったからだ。徒競走はビリケツ、投球は飛ばず、逆上がりも苦手だった。並の子どもがどれだけの運動能力を持つのか、カイリは知らない。しかし、今世のカイリは運動に関して心配することはないはずなのである。

 

しかし、この授業中、カイリはバク転が出来なかった。

 

実のところ、このような問題は前々から多々あった。まず、カイリは最初、マットの上以外で側転が出来なかった。理由は単純で、"痛そう"だったからである。今でこそパルクールなんかに応用出来ているが、マットの外での側転、倒立回転飛び、胴ひねりなど、カイリは当初出来なかったのだ。

そして、今回はバク転である。バク転に関してはマットでも出来なかった。

 

何が言いたいか。つまり、カイリは度胸がなかった。

 

怖そうなこと、痛そうなこと、失敗したらと考えると足がすくむこと。これを一発で成功させるという度胸、そして自信。カイリにはこれが欠けている。これはつまり、とカイリは考える。

 

───私はまったく戦闘に向いていない。

 

カイリが気づいてしまった問題とは、つまるところこの事実である。

 

 

度胸がないとはどういうことか。これは、敵を前にして十分な動きが出来ないことだとカイリは思う。恐ろしさに負けて動けない、隙を突くことも出来ないとなればカイリの未来は暗い。一瞬の躊躇いが命取り、とは大勢が言っていることである。

これについて、ちょっとどうしようもなくなったために、カイリは教会に瞑想をしに来ていた。

そして、深く考える。

───戦うことが怖いなら……、

戦う前に勝敗が決まった戦いをするならば、毒を用いるのだろうか。ただし、これには膨大な知識がいるし、罷り間違って自分が毒に殺されるかもしれない。眠り薬も同様である。

近接戦闘なら、きっと自分は怖くて腰が抜けるだろう。実を言うと、カイリは本気で人を殴ったことがない。殴れない環境で育ったこともあるが、前世からの常識がカイリに人を殴らせなかった。敵をどうにかするよりも、防御に専念した方がいいのかもしれない。

では、何か護身術を習うべきなのか。しかし、この街にそんな教室はない。ネットで調べるにしても結局中途半端な出来になる。

 

なら、遠距離からの攻撃だろうか。これなら、自分の意志はある程度無視できる。本気で殴れないなら、強制的に威力が出るものが望ましい。

思い付くものは、銃火器、弓矢などでバリエーションがない。銃にしても用途によって種類が違う上に結構重い。走って持てる気がしなかった。では弓矢か。弓矢なら、ボーガンがある。鎧くらいなら貫く威力がなかったか。でも、連射が得意なイメージがない。最新のものなら連射機能が付いてるかもしれないが、その分お金がかかるだろう。それはちょっと、家計が厳しかった。

 

───どうにかならないかなあ。

 

 

###

 

 

教会を出るともう昼頃で、街が賑わいを見せている。その様子は丘の上からはっきり見えた。どこかの店のランチの匂いが鼻をくすぐる。

ふと、カイリの耳に声が届いた。子どもの声だ。少なくとも5人以上、子どもが近くで遊んでいる。どうやら、丘の下、整備された公園から聞こえているらしい。カイリは気になって、まっすぐ公園へ向かった。

 

───何してるんだろ、入れてもらおっかな。

 

子どもは7人いた。1人は長い棒を両手にじっと遠く離れたもう1人を見つめている。棒の子どもの後ろに、2人ほど並んでいる。見据えられたもう1人の子どもは、大きな革の手袋をしていた。その手には拳ほどの白いボールがある。そして、棒の子どもに対面する形で3人、綺麗に散らばっていた。

ふ、と。子どもが動く。白いボールを持った子だ。ボールを両手に頭の後ろへ。片足を上げて体に引き寄せて。次の瞬間、引き寄せた片足を大きく踏み出し、勢いよく白いボールを投げつけた。対するは棒を持った子で、ボールが宙に投げ出されるやいなや、彼はその棒を横に振った。

 

カキン。

と、音がした。

 

「あ。」

 

───これって、武器になるのでは?

 

 




第3話 完
戦闘面の補完及び武器熟考回。近接戦闘は苦手でも逃げちゃいけないのは本人も分かっている。

おまけ
襲われた時、真正面なら喉を狙うべし。胸の真ん中、骨の隙間狙って突くと一瞬息が止まる。
顎を殴ると脳震盪。弁慶の泣き所も結構痛い。目を突くのは個人的に抵抗があるが、結構効果的。

追記.
相手が男の場合、金的を蹴り上げるべし。(すごく痛い)


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第4話 確実な一歩

山の中にはロマンがいっぱい。




そこは山の上だった。山中には開けた空間が多くある。若草の絨毯が敷かれたその広い原っぱは、山に登るための舗装道路を逸れた所にあった。その場所は風の通りがよく、海と白い街が重なる絶景を見ることができる、地元民にとっての穴場だった。

夏の湿気をはらんだそよ風が若草を撫でる。カイリは、原っぱの隅っこに立っていた。

時刻は午後を過ぎ、もうすぐ夕刻に差し掛かるところだ。太陽は西に傾き、空は薄桃色に照らされている。

 

カイリの手には、長い紐が握られていた。その紐は、カイリの両手を広げた程度の長さで、中心には長方形の革がくくりつけられている。片方の紐の先は輪の形に結ばれていて、ちょうど指1本が入るようになっていた。

カイリは結ばれた輪に右手の中指を通し、もう片方を同じ手にしっかり掴む。紐を垂らし上皿の形になった革に、拳より一回り小さな石を挟み込む。そして紐を回し始めた。

風を切る音がカイリの耳元で響き始める。挟み込まれた石は遠心力によって飛ばされることなく革に収まっている。右側で一回転。左側で一回転。正面でバツ印を描くように紐を回転させてから、カイリは掴んでいた紐の先を手放した。

 

カイリの右手の中指に紐を通してあったことで、その道具(・・)は飛ぶことなくカイリの手元に残り、代わりに革に挟んだ石が、カイリの正面、的を取り付けた木に向かって飛んでいく。

 

バン、と音が鳴った。

 

「当たった!!!」

 

その石は見事に的を貫いた。紙でできた的を容易く貫いたことにカイリは笑顔になった。

 

 

###

 

 

投石器、という飛び道具がある。

これは石を遠くへ投げるために発明された紐状の道具であり、害獣の駆除や戦闘で使われてきた最も原始的な飛び道具だ。

また、旧約聖書ではダビデが巨人ゴリアテを討伐する際にこれを使用したことが記述されている。石以外の物を投げることも可能であり、弓矢よりも製造、弾丸調達、習得のしやすさにおいて優れている。安価であり、対象に気付かれにくいという利点から現代でもいまだ現役の武器だ。

さらに、威力においても申し分ない効果を発揮する。投石の非習得者が投げても弾丸は時速100kmを超え、熟練者が投げると最低でも骨折や重度の内出血、最悪の場合即死する。打撃武器であるため、兜や甲冑の上からでも軽くない負傷を負わせることが可能だ。飛距離も長く、歴史上のバレアレス諸島における戦場では、投石兵が投げた弾丸は200m以上飛んだことが分かっている。

 

 

###

 

 

カイリはこの日、平日の放課後にまっすぐこの場所に来ていた。木に囲まれていて、学校のグラウンド程の広さがあるこの場所は、投石器の練習に最適だった。

子ども達が野球に夢中になっていた所を見たカイリは、ピッチャーが投げるボールの威力に目をつけた。実をいうと、カイリは前世、野球のボールに当たったことがある。カイリがブランコで遊んでいた時、ブランコが前方へ向かって上がりきったところにちょうどボールが飛んできたのだ。ちなみに、ボールは足のくるぶしに直撃した。これが本当に痛かったことをカイリは覚えていた。

 

よって、カイリは人間が物を投げる威力に着目した。ボールを投げても相当な威力に上るということをカイリは身をもって知っていた。では、このボールを石に変えるとどうなるのか。カイリは図書館でパソコンを借りて調べることにした。そして、カイリは新しく知ることになったのである。古来から使われてきた武器、投石器の存在と想像以上の攻撃力を。

 

 

###

 

 

すっかり日が暮れて、空が暗くなってきた頃。カイリは足早に帰路に着いていた。

───夢中になりすぎたなあ。

石を投げるのが思った以上に楽しかった。武器の練習ではあったが、的当てゲームのようでカイリはドキドキとした緊張があった。そのため、時間を忘れて楽しんでしまったのは痛かったが。

ピョンピョンと木々を伝って駆けていく。時間があまりにも遅くなってしまったので、カイリは山を突っ切ることにした。正規の道路に戻って街を通って家に帰るのでは時間が掛かりすぎる。山を通るのは慣れたもので、カイリの足取りに不安の色はない。

───今日の夕飯は何かなあ。

ぼんやりと考え事をしながら木を伝い歩く。辺りに太い木がなくなった所で、飛び降りてカイリは地面に足を着いた。

 

───。───。

 

その時、カイリの耳に何か(・・)が聞こえた。

なんだ?オオカミか?

確かに、それは遠吠えの様であった。遠くから何かが聞こえる。

 

───。

また、聞こえた。さっきより近い。

オオカミだったら、ちょっと不味いかもしれない。カイリが早く山を抜けようと、走ろうとしたところで、左からガサゴソと音がした。驚いて左を向くと、黒い何かがいる。暗闇に染まってよく見えない。カイリが警戒して後退りながら目を凝らす。すると、その何かがカイリに寄ってきて、その姿が月に照らされた。

 

それは、イノシシだった。まだ若い。牙が見えないことから、恐らくメスだろう。

 

───オオカミじゃ、ないな?

 

イノシシだって十分、危険だが。

イノシシは耳が立っていて、忙しなく鼻をならす。カイリの姿を確認すると、用はないと言わんばかりにカイリの横を素通りして行った。

 

───。

 

またしても遠吠えが聞こえた。すると、先ほどイノシシが出てきた草むらから今度は鳥やタヌキ、それらが押し潰されそうなイノシシの大群が現れた。

「は!?」

途端に騒がしくなった山に気圧されるようにカイリは後退るが、動物はカイリを綺麗に避けていく。目もくれずにカイリを置いていく。

 

そしてカイリは気が付いた。何か(・・)が近づいている。

───こいつら、逃げてるんだ!!!

 

 

────!!!

 

 

カイリが理解した次の瞬間、轟音が訪れた。

 

 




第4話 完

轟音の正体は次回。

ちなみに、ブランコのくだりは体験談から。


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第5話 夜明け

走れ。




次の瞬間、轟音が訪れた。

木々が薙ぎ倒される光景と共にとてつもない爆音がカイリを襲った。あまりにも突然だった。耳に叩き込まれた異常な音がカイリの脳を揺さぶる。堪らず、カイリは両手を耳に押し当て膝を着いた。

爆音は目の前の生き物(・・・)から発せられていることにカイリは気づいた。その生き物は、奇妙な姿をしていた。少なくとも、カイリの知る動物ではない。

それ(・・)の体躯は、ハイエナに似ていた。灰色の地に茶ぶちの毛皮を持っている。カイリの背丈を優に超えていて、獰猛な牙からは涎が滴っている。しかし、その生き物には不思議なことに、ゾウほどの大きな耳があった。円の形をした耳は赤黒く、耳の奥底が見えそうな程、空気に晒されている。収縮を繰り返していることによって、そのグロテスクな耳が更に強調されているようだった。背中にはコブがあり、目は小さいのか、カイリには見えなかった。

その巨大な生き物が、カイリの目の前で暴れていた。月明かりを頼りに、生き物が通ったであろう道に目をやると、見事に更地になっていた。生き物は叫び続けている。

 

───……、にげ、逃げなきゃ。逃げなくては。

 

もはや叫び声も上げられないカイリは、パクパクと呼吸の出来ない魚のように口呼吸しながら、なんとか、立ち上がった。

グルリ。と、生き物がカイリに振り返った。無いはずの目が、カイリを捉えた。

「は……」

カイリは次の瞬間、右に跳んだ。そしてそれは、正しい判断だった。草木を薙ぎ倒す怪力がカイリに向かって突進したのだ。間一髪でカイリは避けたが、カイリが立っていた場所は抉られていた。

その光景に、カイリの脳はパンク寸前になっていた。恐怖に足がすくみ、腕には力が入らない。涙が勝手に流れてきた。圧倒的な死のイメージが、そこにはあった。

 

───死に、死ぬ。死んで、死んでしまう、嫌だ、嫌だ嫌だ!死にたくない!!死にたくない死にたくない死にたくない!!!

 

それでも足は、動かなかった。

カイリは、その生き物を見ることしか出来なかった。ボロボロと涙を溢して、体が震えているのも気づかない。その生き物が頭を持ち上げて、カイリに向ける。その様子が、カイリにはよく見えた。

 

 

そして、カイリは生き物が下敷きにしたモノを見た。

草木や抉れた土に混じって、赤色が見えた。

 

───赤い、赤い、赤が……?

 

視界がゆっくりと動き出している。大きな耳が縮み、そして伸びる様が見えた。蛇が鎌首をもたげるように、頭を振っているのが見えた。此方に頭を向けるのが見えた。そしてその巨体の下敷きに、千切れた蹄の足と、磨り潰された肉片と、溢れた血の海が。

カイリの目に映った。

 

震えが止まる。

視界は現実に引き戻される。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」

 

 

喉が引きちぎれるような悲鳴を上げた。今度こそ、体が動く。体中の血液が逆流するような感覚に、カイリは頭がどうにかなりそうだった。

轟音が再び喚く。そして、化物が獲物を捕捉したと同時に、カイリは地面を転げながら立ち上がり、走った。

化物が土を抉る。草は翔ばされ大木は折れる。カイリは走った。走り続けた。後方から風が、音が、石も枝も飛ばされて、カイリの頬に傷を作る。右に跳び、左に跳び、その度に爆音がカイリを掠めた。もはやカイリは何も考えられないほど頭が熱くなっていた。背後の風圧の向きによって、跳ぶ方向を選ぶ。それでも、この攻防が長くは続かないことはカイリにも分かっていた。だから、沸騰したまま、今何をするべきかを考えた。

───音は、突然聞こえた。直前まで、気付かなかった。

ありえるのか?鼓膜が千切れそうな爆音に、気付かないだと?

いや、音は、聞こえていた。あの遠吠えだ。間違いなく。でも、これほどの爆音なら、もっとはっきり聞こえていたはず……。

 

カイリは右に跳んだ。そしてまた化物がカイリが走っていた場所を突進で抉る。カイリはちょうど抉られ損ねた倒木の後ろに転がり込んでいた。

───。

音が、遠吠えに変わった。

その瞬間、化物が暴れ始める。いや、のたうち回るのをカイリは見た。唐突に苦痛に晒されたように化物は皮膚を地面に擦り付け、耳が収縮を繰り返す。

───倒木の後ろに回った途端に、音が聞こえなくなった。

なんでだ?いや、障害物があると、音が届かなくなる……?

そっと、カイリは石を拾った。そして、紐状の道具を取り出し、革に石を挟む。カイリは、倒木の後ろから出ないように、投石器で石を化物の前方(・・)に投げつけた。

石が、地面に叩きつけられる。音が鳴った。その瞬間、灰色の生き物は石が叩きつけられた場所に飛び付いた。注意深く、鼻をひくつかせてガリガリと地面を掻く。

───アイツは、音で標的を探してるんだ。

カイリは確信した。あの爆音は、恐らく超音波の役割を果たしている。音波で敵の方向を確認するのと同時に、あの大きな耳で標的の位置を探っているんだ。

 

そして、あの爆音は通常(・・)の状態なら、あそこまで大きな音にならないのだ。木や石から音が跳ね返ることで、耳が余計に音を拾ってしまうのだ。

だからきっと、あの生き物は本来なら山や森なんかに生息していないのだろう。もっと、広い場所に住んでいたはずだ。でなければ、もっと障害物に配慮した音波になるはずだからだ。

 

───それなら……。

カイリは、乾いた喉で唾を飲み込んだ。

───このまま逃げ切れば……。

そう考えたとき、カイリの目の前で倒木がすっ飛んだ。

鼓動がゾッとするほど早くなる。カイリは血の気が引いたまま迷わず反対の木の後ろに飛び込み、走り出した。背後でまた何かを砕く音と共に爆音が響き渡る。カイリは木を盾にしながら走った。感覚的に、先程よりあの生き物を撹乱できているような気がする。しかし、目の前にある障害物を全て薙ぎ倒すため、距離はあまり稼げなかった。

また走り、跳び、転がり、走り、走り、そして。カイリの目の前に崖が現れた。その崖に大きな亀裂を見つけたカイリは、すぐさま飛び込んだ。そして背後から轟音が駆け抜ける。そして亀裂を見つけたその生き物は、鋭い爪でカイリを引きずり出そうとした。

その亀裂は不幸なことに、すぐに行き止まりになっていた。人1人と半歩の隙間しかない亀裂の中で、カイリは懸命に体を奥へ押し込んだ。心臓がバクバクと音を立てている。息が出来なかった。砂ぼこりが忙しなく、喉に突き刺さる。それでも化物は爪を伸ばし、牙を差し込み、壁を削るのをやめない。崖が大きな音を立てて崩れ始めるのをカイリは肌で感じていた。

 

───頼む、頼む、頼む!!どっかへ行ってくれ!!!

 

その巨体による怪力が、崖を崩壊へ誘っている。ガラガラと石が崩れ、肩に降りかかるのを感じて、カイリは恐ろしさに堪らず座り込んだ。目の前で怪物が、その爪が、牙が、恐ろしい耳が見えて、カイリは一層体が震えた。

 

 

次の瞬間、その生き物がグシャリと潰れた(・・・)のをカイリは見た。

 

「え?」

 

バシャリと血が飛び散り、亀裂に染み込む。カイリは崖の隙間から頭に血を被った。頬に、服に飛び散った血が、空気に触れて生臭さを発する。

カイリは、隙間からその生き物を見ていた。ピクピクと肉が痙攣し、大きな耳はグニャリと変形して中身から血を吹き出している。放り出された足は血が染み込み、ゴムみたいに曲がっているのが目に映る。

生き物の上に、巨大なモノを認めて、カイリは何があったのかを理解した。

それは、巨大な岩だった。鋭利な断面と、地面に落ちた際に砕けた破片があった。その岩が、あの生き物を押し潰している。恐らく、生き物が与える振動に崖が崩れたのだろう。

カイリは幸運だった。

 

 

###

 

 

しばらくして、そっとカイリは崖の亀裂から這い出た。獣の血液が手にべっとり付着した。ダラダラと手から血が垂れる。

生き物は死んでいた。いまだに血が溢れているが、肉はピクリともしなかった。

歪に風を切る音だけが聞こえていた。それが自分の呼吸音であることに、数秒してからカイリは気付いた。

そして、事切れたその生き物をぼうっと見つめて、それから。

カイリは押し潰された腹の中に、小さいナニか(・・・)がいるのを見つけた。

 

 

 

空はいつの間にか瑠璃色に染まっていて、東がぼんやりと明るい。

夜明けだった。

 

 




第5話 完

腹から見えたのは何か。
1回殺されかけた経験ないと、殺意向けられた時に動けなくなるらしい。ハンター試験で問題なく動けるようにしたい。


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第6話 少年

上を向いて歩こう。




ぺらり。ぺらり。

窓から差し込む暖かな陽光が、木製のテーブルを照らして穏やかさを掻き立てている。大きな本棚が並んでいるこの建物は、カイリの自宅の近所にある図書館だ。

カイリはここのところ、この図書館に通い詰めて本を読むことに没頭していた。今もまた、ファンタジーを題材にした児童小説の第7巻、最終章を手にしている。

 

 

 

───だとしても、君を置いてはいけない!」

アイアスは叫んだ。アイアスだって分かっていたのだ。この戦いに、彼女を連れてくるべきではなかったと。それでもアイアスは彼女に手を伸ばした。愛する人を決して死なせないために。

しかし、彼女は笑って、───

 

 

 

バタリ。と、カイリが本を閉じてしまうと、手元に影が落ちた。

「まだ読めてない……んですか。」

カイリの背後に立っていたのは、1週間前───カイリが夜通し逃亡した日の後に───知り合った同い年らしい少年だった。夏の終盤といえども、灰色のパーカーを着こんでフードを深く被っている。裾から出ている手や辛うじて見える口元から褐色であるらしいことが分かった。下手クソな敬語を使っているが、カイリはこの少年が真面目な性格であることを1週間で理解していた。

「昨日も読んでましたよね。」

そう言いながら少年はカイリの正面に座った。

「……シリアスな場面が苦手で。」

なんとなく、悪さがばれた悪戯っ子のような気持ちになって居心地が悪い。小さくため息を着いて、カイリは今しがた読んでいた本を脇に置いた。

「それじゃあ、今度は何を勉強するんですか?」

そして、1週間ずっと図書館で勉強している少年にカイリは言った。

 

 

###

 

 

正直なところ、カイリは崖の亀裂から這い出た後、どうやって帰ったのか覚えていない。

ただ、家に着いた頃にはびしょ濡れで、泣き腫らして心配した母親にキツいビンタをお見舞いされて、痛いくらいに抱き締められたのは確かだ。たぶん、川で血を洗ってから帰ったんだろう。母親には、「足が滑って川に落ちていたらしい。頭を打って気絶してたみたいなんだ。」とだけ伝えた。

そして、抱き締められた後で母親に、「何か危険な動物を見たか」と聞かれた。カイリは何で知ってるんだろうと思ったが、答えはすぐに分かった。

どうやら、この街に密猟者がいたらしく、数人のハンター───幻獣ハンターらしい───が確保に向かったが、その前に危険な肉食動物が脱走していたらしい。昨晩、記録された数と実際に保護された動物の数が合わなかったことで、1匹脱走したことが分かったのだという。その日は休校となり、自宅待機が命じられた。

その肉食獣は、カイリが帰宅したその日の昼に発見された。どうやら、既に息絶えていた様で、落石による事故、と判断された。その肉食獣は本来なら砂漠に住んでいる動物で、音を出して遠くの獲物を捕捉するらしい。そのため、障害物の多い山の中で混乱してしまったのだろうという見解がなされた。

お腹には、赤ちゃんがいたらしい。親と一緒に、落石で死んでしまった赤ちゃんが。

 

 

数日ほど、周囲が騒がしかった。カイリも、一晩帰らなかったことで何人かに話を聞かれたが、カイリは知らないと言って通した。けれど、急に手が震えてペンが持てなくなったり、夕食に大好物のハンバーグが出た後にトイレに駆け込んだり、友達と遊ばずに日がな1日家に引きこもる様になったのは、母親だけは気付いていたかもしれない。

学校に行き、帰って寝て、また起きて、休みになったらずっと家で本を読んで過ごして、また起きて1日を繰り返す。何日かそうして、ほとぼりが冷めた頃に、カイリは母親に家から叩き出された。

曰く、そろそろどこか遊びに行け、とのことだった。

 

休日、朝からブラブラと外に出ていたカイリは、ペタん、と公園のベンチに腰を下ろした。

秋に近付いた、澄んだ空が目に眩しい。そろそろ半袖でいるのも、ぶるりと震える頃になった。けれど、太陽が出ているからか、ポカポカと暖かくなってきた気がする。瞼が重くなってきたため、肌をつねった。そして、カイリがぼうっと空を眺めてしばらく経った頃、背後から声が聞こえた。

「……あの、すみません。道を聞いてもいいですか。」

高く澄んだ、男の子のような声に、カイリが驚いて振り向くと、そこには長袖の灰色パーカーを着込んでフードを被った子どもがいた。肩掛けの黒いバックを持っている。フードの隙間から見える肌が浅黒かった。

「…っあぁ、はい。大丈夫ですよ、どこに行きたいんですか?」

突然のことに吃りながらカイリが言うと、その子どもはどこか安心したように息を着いた。

「図書館。あ、いや、あんまり人がいない図書館に行きたいんです。中央の方じゃなくて。」

図書館。中央は確かに、みんな使うからなぁ。カイリはこの時、何もする気が起きなかったため、公園で暇を潰していたから、図書館に行くのはちょうど良かったかもしれない。そう思って、カイリは了承の意を返した。

「それなら、近所に1つあるからそこに行きましょう。暇なんで案内しますね。」

「ありがとう。」

話すと、この子どもは観光に来ていた少年らしい。同い年らしく、音楽が好き。話すことが見合いのそれだが、カイリは話下手なためにこれで会話が途切れかけた。そのため、話が途切れると出来る限り街の宣伝をすることになった。

「あ、ところで、図書館に何しに行くんですか?」

「勉強をしに。……その、俺、読み書きできなくて……。」

「読み書きかぁ、大変ですね。あ、図書館着きましたよ。」

振り返ると、少年がぽかんと口を開けていた。

 

 

###

 

 

案内をしてから、この図書館に来ると毎回この少年に会うことになった。いつ来ても勉強しているため、カイリはたまに遊びに誘ってみたり、勉強を教えることもあった。しかし、遊びに誘っても、この少年はともかくカイリの友達は皆都合が悪く、結局カイリと少年だけで街を巡るしかなかったが。それでも少年は嬉しそうに付き合ってくれるため、カイリも気分がよかった。

 

「いつも思うんですけど、なんで読むの止めちゃうんですか。」

「いやぁ、なんとなく……。」

ただ、今回は少しだけ居心地が悪い。カイリはこの頃、小説を読むことが難しくなったと自分でも自覚していた。ドラマも、見れなくなった。ただ、なんとなく登場人物に何か起こりそうだとか、怪我をしそうになるとか、不吉な予兆を感じた時、カイリはいつも先に進めなくなるのだ。

「例えば、どんな時に読めなくなっちゃうんですか。」

少年は問を重ねた。

「……シリアスな場面。なんか、怪我しそうになるとか、悲しくなるときに……どうしても先が見れなくて……ネタバレが欲しくなり、ます……。」

「感情移入しちゃうんですか?それとも、可哀想になっちゃうんですか?」

───なんだか今日は嫌にしゃべるなぁ。

カイリは思ったが、口には出さなかった。

「……どっちも?……見てると、胸が苦しくなる……。」

「ふーん……。」

フードで目元が見えないため、カイリは不安を感じた。尋問されているような気がして、目線を下に落とした。

すると、頭上からフッと息を吐く音が聞こえて、カイリは顔を上げた。

 

「勝手だ。って、思っておけば良いんですよ。少なくとも、俺はそう思います。」

「皆───俺も含めて───生きたくて生きてるんですよ。勝手でいいんだ。どんなに酷いやつがいても、それはその人の勝手なんだって。動物や、人を傷つけるのが好きな人だってこの世にいるから。それはその人達がやりたくてしてることで、俺や君にとっては関係ない。」

「生命が、生まれながらに持ってるモノが、自由の権利だと俺は教わった。自分が、自由に選択する権利だ。だから、生きるために盗みをするのも、殺しをするのも、命にとって正当な権利だと。」

「そしてもちろん、───俺達にもその権利がある。正しいことをするのも、生きたいと願うのも、そのために行動することも。このことだって、正当な権利だ。

だから、皆それぞれ勝手に生きてるんだって思っておけばいいと思う……ます。」

 

「そんな風な考えがあれば、きっと悲しくなっても生きていけると思いますよ。小説だって読めるようになる。」

 

 

 

お邪魔しました。と言って少年が去ってから、しばらくしてカイリはぽかんと開いた口が乾くのを感じた。

───慰められた?

たぶん、慰められた。元気付けようとした。

───変なの。

カイリは思った。けれど、なんとなく。心が軽くなった気がした。

 

空はまだ明るい。空が高く、青くて雲がない空はカイリが好きな空だった。

図書館を出て、カイリは歩いた。風が頬を撫でる。濃藍の黒っぽい髪がサラサラと流れた。

 

 

 

皆、それぞれ生きているなら、私だって生きている。勝手に生きていける。

夢は叶える。誰にも私を殺させたりなんかしない。覚悟はまだ、出来ていないかもしれないけれど。

 

この世界で生きていくのだ。ずっとずっと、思っていたより怖い世界で。そう思って、カイリは空を見上げた。

 

青い空が、そこにはあった。

 

 




第6話 完

メンタルケア回。生きるって難しいね。少年の詳細はまた今度。




覚悟はいいか?俺はできてる。
(このセリフがとても好き)


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第7話 邂逅

経験は生きる。




秋だった。

薄い青色のペンキを溢した空に、鰯雲が浮いている。気温は低く、白く輝いている街には長袖を着る人が多くなっていた。

山は赤く色付いている。青々とした緑に混じった、炎のような赤色は、山を美しく飾っている。

 

カイリは今日、ある公園で待ち合わせをしていた。時計は9時を指していて、鳥の鳴き声が響いている。カイリはベンチに座り、本を読んでいた。それはファンタジーを題材とした児童小説で、最終章の第7巻だった。カイリは集中して読んでいる。指が最後のページを捲り、目がじっくりと文字を追う。そして、深く息を着いて、カイリは本を読み終わった。

トントン。

その瞬間、カイリは肩を叩かれて飛び上がった。一気に鼓動が早くなり、冷や汗が出る。しかし、肩を叩いた人物をカイリは知っていた。

 

「おはよう。……待たせたか?」

 

「ぃいや待ってない、おはよう。……ねぇ、わざと背後とってる?」

 

今日も、灰色のパーカーにフードをすっぽり頭から被ってる。褐色の少年が首を傾げるのを見て、カイリはため息を着きたくなった。

 

 

###

 

 

図書館の一件以降、カイリはこの少年に並々ならぬ感謝と尊敬の念を抱いていた。しかし、カイリはこの少年の名前を知らないことに気付いた。1週間近く会っているのに名前を聞こうともしなかった自分が恥ずかしくなったが、生憎なところ入れる穴はなかった。

そのため、カイリはいつも通り図書館に訪れると、少年に礼を言い、名前を聞くことにした。

顔が見えない少年は、なんとなくしょっぱい顔をしていた気がする。けれど、すぐに口元を緩ませて答えた。

 

「……俺はジャック・ラングトン。改めてよろしく。君の名前は?」

「カイリ・ウォルグ!あの、それでなんですけどもね………。」

カイリは言葉を続けようとしたが、カイリが言葉を紡ぐ前に少年───ジャックは言った。

 

「……それでなんだが。自己紹介したし、友達になってくれないか。」

ジャックは困ったように俯いている。カイリは目が丸くなった。しかし、すぐに笑顔になった。ジャックがカイリに頼んだことは、カイリが頼もうとしたことだったからだ。どうやら、2人共口下手らしいことに気がついて、そしてジャックが照れているらしいことにも気がついて、カイリは即答した。

「いいよ!!!!」

 

 

そして、しばらくして2人の間に敬語はなくなった。カイリはジャックとよく遊ぶようになり、母親はそんなカイリを見て笑顔になった。しかし、カイリがジャックと遊ぶようになるにつれて、カイリには疑問が湧いて出てきた。他の友達───近所の子どもや、学校のクラスメイト達───が中々カイリと遊ばなくなったのだ。これにはカイリもほとほと困り果てた。友達とあまり遊んだことがないというジャックのために、大人数で遊ぼうと思っても全く人が集まらないのだ。例えば、街の中央の公園にはいつも10数人程の子どもが集まって遊んでいる。しかし、そこへカイリがジャックを連れて遊ぼうと言うと、決まって「今日は用事があるんだった」と言っていなくなるのだ。30分も経てばまた遊んでいるのに。

もしかしたらと思って、ジャックに「何かした覚えがないか」と聞いたが、ジャックは何処吹く風と聞き流した。

 

───フードが悪いのか……?

 

そうは思っても、顔に怪我でも隠していたらジャックは困るだろうと考え、フードについては触れないことにした。

そして結局、カイリはジャックとしか遊ばなくなった。

 

 

そんな日々が続いたある日、カイリとジャックが山の原っぱに的を作って的当てゲーム───投石のことだ───をしていた時に、ジャックがポツリと呟いたのをカイリは聞き逃さなかった。

 

「カイリって、ハンターになりたいんだっけ。そういえば、俺の保護者がハンターだって言ってたよ。」

 

これを聞いたカイリは絶叫した後、ジャックに何とかそのハンターに会ってアドバイスが貰えないかと詰め寄った。了承は得たが、ジャックが終始、目を白黒させていたことには反省した。

 

斯くして、冒頭に戻る。

 

 

###

 

 

「こんにちは。君が…………………………………ハンター志望の子か?」

 

反応が失礼だとカイリは思った。しかし、カイリはちゃんと自分の年齢を知っていたため、すぐに補足した。

 

「はいそうです。でも、今じゃなくてもっと年重ねてから受けたいんです。」

 

安心したように、あぁなるほどと呟いている女性が、ジャックの保護者のハンターらしい。長い金髪をポニーテールにし、黒いフォーマルパンツに白いワイシャツを着ていた。

場所はジャック達が宿泊しているホテルの一室だった。長いこと居座っているようだが、従業員がこの女性にヘコヘコと接待しているのを見て、カイリは改めてハンターという職業を理解した気がした。

一室には、ハンターの女性と、女の子───年下だろうか───と、質問に来たカイリ、案内したジャックが集まっている。

カイリは女性に促されて、テーブルを囲んで4つあるイスの1つに座り、女性はカイリの対面に座った。ジャックはカイリの隣に、女の子はお茶を入れてから女性の隣に座った。

 

「さて、自己紹介をさせていただこう。私は幻獣ハンターのアルフレッド・アルジャーノン。……本名は違うがな。この街には密猟者を追って希少な動物の保護に来たんだ。仕事は終わっているが、しばらく滞在していると思う。……それで、君は何を聞きたいんだ?」

女性にしては低く落ち着いた声で、アルフレッドは聞いた。カイリは幻獣ハンターという言葉に一瞬、あの肉食獣が頭に浮かんだが、すぐに背筋を正した。

───男性名繋げてないか?語呂が良かったのかな。

 

「私はカイリ・ウォルグです。あの、ハンター試験の詳細というか……やるべきことと、気を付けるべきことについて聞きたいんです。」

アルフレッドは顎に手を当てて考え込むと、カイリに言った。

「やった方がいいことなんて山ほどあるが……。まぁ長話も何だし、お茶でも飲んでじっくり聞いて行くといい。」

それを聞いたカイリが、一言ありがとうございます、と言って目の前のお茶に口をつけた。

 

 

 

「アウト。」

───え?

「気を付けるべきことは……、そうだな。人から物を受け取らないことだ。」

「はあ?」

「それから、話の裏を読むこと。言われたことをそのまま鵜呑みにするバカは失格だな。考えるのが苦手なら、まずは相手の行動を見ることに注視した方がいい。または、他の人間の行動をな。

───そら、見てみろ。私と、そこにいるジャック、隣のコイツもお茶に手を付けていないだろう?」

 

カイリはお茶を吹き出しそうになった。急いで席に着いている人間を見た。ジャックは口元に苦笑いを浮かべているが、お茶に手を付けてはいない。他の2人も同様だ。

 

「……え、お茶に何か入れたんですか。」

「いいや?何も入れてないぞ(・・・・・・)?」

 

カイリは震えながら尋ねたが、この女はニヤニヤと楽しそうにカイリに言った。カイリは一気に背筋が冷えた。

 

───まてよまてよまてよ?

話の裏ってことはこの人本当にお茶に何か仕込んだの?

 

カイリの心情はもはや嵐のように吹き荒れていたが、カイリはふと気付いたことがあった。

 

「いや、貴女は(・・・)お茶を入れてないでしょう!!」

 

そうだった。アルフレッドはお茶を入れてなんかいないのだ。お茶を入れたのは───隣の女の子だ。

 

 

そのとおり(Exactly)、よく分かったな。ハンター試験で気を付けるべきことはあともう1つ。───過去の行動を振り返ることさ。」

 

「ちなみに、何も入れてないのは本当だ。ちょっとしたドッキリだな。でも、この方が覚えるだろう?」

 

そう言って、アルフレッドはニヤリと笑った。悪ガキみたいな笑顔に、カイリは睨まずに居られなかった。

 

しかし、やはりカイリは聞きに来たのは正解だと思った。ハンターから直接話を聞くことは、確かにカイリの血肉になって命を生かすだろうということが、カイリには分かっていた。

 

 




第7話 完

先輩から助言を貰うのはどこの世界でも大事。
この体験はきっと生きるだろう。



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第8話 夜が来る

雪やこんこ




ピアノの線がピンと張ったような空気。

 

色鮮やかで騒がしい秋を通りすぎて、冬が訪れるたびに一文が脳裏を過る。秋を置いてきぼりにした朝が来ると、カイリは何度だってこの一文に"あぁなるほど"と思ってしまう。

また、ピアノと聞くと、尊敬に溢れた前世の兄の姿が思い浮かぶから、カイリはこのフレーズが好きだった。

前の時は、兄の真似をして私もピアノに挑戦したんだったな。結局、上手くできなくてやめたんだけど。

 

 

ドスッ。

 

 

そんなことをつらつらと考えながら、冷えた山の外れの原っぱでカイリは立っていた。

朝だった。日が上る前に降った雪はサラサラで、地面を撫でるように浅く積もっている。丸くくり貫かれた木の的には複数の矢が刺さっていて、今また一本が追加された。

木の正面、直線上にカイリは腕に取り付けた弓矢───ボーガンのようだ───を構えている。

 

 

ドスッ。ドスッ。ドスッ。

 

 

3本。細く長い矢が刺さる。的に刺さる矢が10本を超えたところで、カイリは深呼吸をしてボーガンが取り付けられた右腕を下げた。冷えきった酸素が喉に刺さり、吐く息が白い。

 

「精が出るなあ!!!!」

 

そこへ、空間が揺れるような大声が掛かった。野太く、力強い声だ。

カイリは気心が知れたように振り返り、両手でしっかり耳を塞いで言った。

 

「冬なんで。あんまり大声出さない方が良いですよ、ゴードンさん。」

「おお!?すまない!!!次は気を付けよう!!」

 

カイリの背後に立っていたのは、大柄な男だった。短い黒髪をソフトモヒカンにしている、サッパリとした人物だ。そして、カイリが理解し難いことに、この男はこの寒い中、半袖の白いTシャツにデニムの半ズボンを履いている。袖から見える腕が丸太のようだ。カイリはジャンパーを着込んでマフラーを巻いているというのに。

 

「結構当たるようになったな!! 気に入ったか!? そのボーガン!!」

「まぁ……。投石とか、パチンコの方が簡単なんですけどね。」

 

カイリが気の無い返事を返すも、この男はガハハと笑ってカイリの背中をバンバン叩いた。手加減はされている。

 

「それは重畳(ちょうじょう)!!! 俺も指導を頼まれた甲斐があるというものだな!!!!」

「声落としてくださいね。」

 

 

###

 

 

ゴードン・ウッドという男は元軍医だ。そして、カイリが指導をお願いしている人物でもある。

 

 

晴れて友人となったジャックと、ハンターのアルフレッドは既に街を()っていた。冬になるとまた仕事があるため、冬になる前にジャック達は街を出発することになったのだ。泣くほど別れを惜しんだカイリは、ジャックと写真を撮って回った後で"また来てね!"という言葉を送って見送ることとなった。

唯一後悔があるとすれば、アルフレッドの連れである女の子と打ち解けることが出来なかったという点だろう。2つ年下の、色素の薄い茶髪をした子だった。初めて会った時にお茶を入れてくれた人物だったが、名前すら教えてはくれなかった。

 

そして、いざ見送ることになった時に、アルフレッドがある人物を紹介したのである。

その人物がゴードン・ウッドだった。彼はアルフレッドに恩があるのか、子どもの面倒を見ろという無茶振りに笑顔で快諾していた。観光地の子ども相手によく面倒を見るものだなぁとカイリは不思議に思ったが、アルフレッドは訳を説明しなかった。

 

そんな幸運があって、カイリはこの男に修行をつけて貰うことになったのだった。

 

 

###

 

 

「それにしても、飛び道具が多いのだな!!投石にパチンコにボーガン!!何か理由があるのか!?」

カイリが水を飲んで休憩を取っていると、ゴードンが問い掛けた。

「私が近接戦闘をしたくないのと……、アルフレッドさんに言われたんですよ。"1つのことを極めるのは強い。だが、お前には向かないぞ"って。複数の武器を持って、いろんな状況に対応するべきだって言われました。それに、武器が壊された時に狼狽えずに行動できるからって。」

アルフレッドが滞在していた時に言われた言葉を、カイリは言った。この言葉を聞いて、カイリは扱える武器を増やすことにしたのだ。

 

投石は安価で扱いやすい。しかし、子どもの腕力では飛距離を稼げず威力にも不安がある。もちろん、当たり所が悪ければ致命傷だが。これを補うための武器を、カイリは勧められたのだった。

カイリが投石の他に扱い始めた武器は3つある。2つは遠距離用で、1つは近距離用だ。カイリが扱う遠距離用の武器は小型のパチンコと腕に取り付けるボーガンだった。

 

パチンコ───スリングショットとも言う───はY字型の道具にゴム紐を張って、弾とゴムを人力で引っ張って弾を飛ばす武器だ。弾は基本的にある程度の大きさがあれば何でもよく、その威力はゴムの弾性エネルギーが相乗されて驚異的なものとなる。金属球を弾丸とした場合の威力は、強化ガラスを粉々にし、コンクリートにも傷をつける程だ。また、狙いを付けやすく、命中率が良い。

 

ボーガンは弓矢の一種だ。放たれる矢は時速400kmを超え、種類によっては飛距離が300mにも及ぶ強力な武器である。カイリが買った小型のボーガンは、連写は不可能だが片手で矢を装備できるため、練習次第で連写のように射ることができる。

また、これらの道具は全て軽量であり、匂いもなく音も立たない、カイリにとって完全な奇襲目的の道具である。これでカイリの戦闘スタイルは決まったも同然だった。

 

3つ目の武器は、ゴードンから直接の指導を受けている。言うなれば近接戦闘の修行であり、カイリはアルフレッドがゴードンを寄越したのはこの為だろう、と当たりを付けている。

カイリが新しく持つようになったのは剣鉈(けんなた)だった。正直、ゴードンはカイリにナイフを買わせるつもりだったのだが、カイリがこの剣鉈に一目惚れして勝手に買ってしまった代物である。ちなみに、お金は善意でゴードンが出した。ゴードンは構わないと言ったが、カイリはしっかり満額でお金を返すことを書面に書いた。

剣鉈とは、刃の先端が尖っているのが特徴の鉈である。鉈というのは林業や狩猟に使われる道具であり、種類は様々で、長方形の腰鉈、両刃、先端に出っ張りがあるカギ鉈などがある。基本的な用途としては、木の伐採や枝打ち、雑草を切り払うことなどに使われる。また、護身用にも便利で、獲物の解体にも重宝される万能の武器だとカイリは思っている。刀身が厚く丈夫であり、中々折れないのも魅力的に映った。

 

こうしてハンター試験に向けて万全の対策を講じることができる日々をカイリは大変貴重に思った。指導者がいるとサボろうと思わないこともありがたい。

そうして、カイリにとって10年目の誕生日だったこの日も日常のように過ぎていった。

 

 

###

 

 

カイリは全速力で走っていた。暗闇の中を照らす、ポツポツと間隔がある街灯に従って大通りを駆ける。

先ほどまで流していた汗が急速に体を冷やす。修行自体は午前中で終わらせたものの、午後から配達の手伝い、もといバイトを行っていたカイリは、辺りが真っ暗になってからやっと解放され、自宅への道を突っ走っていた。

手袋をしていない指先は既にかじかんでいる。マフラーは走る前に外しているため、首元も凍えるようだった。耳がずっと痛みを訴えている。

 

───配達なんてすぐ終わったんだから、さっさと帰してくれればいいのに。

 

配達自体、日々街を走り回って地形を完璧に覚えているカイリにとって朝飯前のことだった。しかし、バイトを終わらせたところで、とある饒舌な配達職員に捕まって長話を聞く羽目になったのだ。

話の内容自体、今度友達が結婚するとか、けど絶対離婚するに決まっているとか、動物を飼ってみたはいいが芸の1つも覚えないとか、全く興味をそそられない内容だった。まったくもって時間の無駄だったと思いながら、カイリは雪に新しく足跡を着けて自宅に急いでいた。

 

───お母さん、心配してるかなあ。してるよな、一晩帰ってこなかった時あったし。

 

吸い込む息が肺を痛め付ける。全力で走っているから、心臓が早鐘を打っていて頭が痛い。

街をようやく抜けて、郊外に入ってすぐそこの角を右に曲がり、山に近づいて行って街灯一本を通り過ぎたら家はすぐそこにある。

 

 

やっと見えてきた家、母親が待つはずの家を見て───カイリは首を捻った。

 

───あれ?電気付いてない………。

 

今、何時だ? まだ、午後の7時にもなっていないぞ。

カイリは遠目から見て、家に明かりがないことに気がついた。冬になってから、暗くなる時間が早くなる。午後5時から一気に冷えて暗くなるのだ。この位の時間には既に明かりを付けているはずだった。

 

───出掛けてる、はずないよな………。

 

背筋に冷や汗が流れた。ガンガンと頭に痛みが走る。露出している顔と両手がジリジリと焼けているような感覚を覚えている。

カイリはゆっくりと、家の扉に手を掛けた。

 

「ただいまぁ……。」

 

小さく、声を掛けた。玄関に人の気配はない。手探りで、玄関のスイッチを探し、カイリは電気を付けた。別に、散らかっている訳でもない、いつも通りの玄関がある。

ひとまず、そのことに安堵したカイリは居間に入った。

 

───お母さん、寝ちゃったのかなぁ。体力的に仕事はさせてないけど、それでもやっぱり疲れるもんね。お粥でも作ろうかな。

 

そしてカイリは、まっ暗闇の居間の扉を開けて、横にあるスイッチを押して電気を付ける。パッと明るくなった部屋に目を細めた。テーブルの位置はそのまま、イスも倒れている様子はなく、飾り物もそう。カイリは、おそらく寝室に居るであろう母親のためにお粥でも作ろうと思って、キッチンに足を向けた。

 

その時、カイリの目に奇妙(・・)なモノが映った。

 

人の足だった。台からはみ出して、足が見えている。その足がスリッパを履いていて、そのスリッパが母親の物であることをカイリは見た。

 

 

「お母さん!!!!」

 

 

その足が母親の物であることをカイリは確信して、カイリはすぐさま駆け寄った。母親はうつ伏せに倒れていて、肌が青白く、浅く呼吸を繰り返している。意識が朦朧としているのか、カイリに気付いている様子はない。

 

「お母さん、お母さん!聞こえてる?大丈夫?ねえどうしたの!!!」

 

頭に血が上っている。恐ろしい自体に手が震えている。

 

「そ、うだ。救急車!!!」

 

母親を仰向けにして、カイリはすぐに電話を取った。カイリの背後で、母親が歪な呼吸を繰り返している。突然のことにカイリの頭は働かなくて、ただただ救急車を待って母親の手を握っていた。

 

 

 

外で、雪が降り始めている。空を冷え込ませて冷たい風を送っている。

 

警報のように独特で甲高い音が、遠くから聞こえてきた。

 

 




第8話 完

じわじわ死に慣れさせていくスタイル。空を飛ぶまでが長くてごめん。



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第9話 福音

幸せを祈る




この地方はあまり雪が降らない。だから、街に大雪が積もって道路を塞ぐことはないし、毎日雪かきに追われる冬を過ごすことはない。

道路が凍って滑ることがあるのは、前世もおんなじだったなあ。わたしなんて、家が坂の上にあったから、学校に行く朝が憂鬱だったんだ。転ばないことがなかったから。

 

 

###

 

 

どんよりとした曇りだった。重々ししく流れる灰色の濁った雲は白い雪と、白い街に陽を届かせない。

街の東エリア、他の街と隣接してる山のすぐ近くに教会があって、墓があった。

均等に並べられた十字の墓にはそれぞれの名前があって、日々多くの人々が祈りに来る。

 

カイリは、先日新しくできた墓の前に居た。

そして、目をつぶって祈りを捧げている。その墓には、ウォルグの姓が彫られてあった。

 

 

 

カイリの母は先日、息を引き取った。

元々、カイリの母は病弱で、あまり外に出ることはない。風邪を引くと熱を出して寝込む程で、インフルエンザなんて掛かった日には入院しなければならない。いつも偏頭痛に悩まされているカイリの母親は、そんな自分の体を完璧に把握していて、絶対に無理なことはしなかった。

 

病気であるから、補助金が出るのである。働けない体だからこそ、カイリとその母親は生活費や教育費の援助を貰えていたことを母親はしっかりと理解していた。

 

しかし、母親は過労死と断定された。

謎の心臓麻痺での死だった。

 

 

 

長い黙祷の後、カイリは首から提げた母親の形見を握り締め、そして墓の前から去った。

 

 

###

 

 

カイリはこの頃、学校が終わった後はずっと山に籠るようになった。これは、カイリも自覚していることだ。ジャックが街を発ってから、また遊ぶようになった友人達とも、顔を合わせることがなくなっている。

ただただ、石を的に投げ続けたり、ゴムを使って硬い石を飛ばしたりもした。腕で構えた矢を放ち続けた。自分で買った刃物で木の幹を切り刻んだ。

 

そんな気力も湧かない時には、冷たい雪の上に寝転がって、体の上にこんもりと雪の山が積もるまで空を見上げたり、凍った池の上で釣竿を垂らしてみたりした。カイリは掌の上にコロコロと、母の形見、不思議な色をした石コロを転がす日々を送り続けた。

 

そんなカイリを見て、カイリの師匠を勤めるゴードンは何も言わなかった。でも、ある時、一回だけだったけれど、ゴードンはカイリの髪をグシャグシャ掻き回したことがあった。この時だって、ゴードンは何も言わなかった。カイリも何も言えなかった。

カイリは丸太のようなゴードンの腕が頭の上に乗ったとき、重くて苦しくて、胸が痛んだことを覚えている。喉元まで何かが込み上げる感触があった。

でも、ぼんやりとした頭に乗せられた大きな手が、少しだけカイリに安心をもたらしたことは事実だ。

 

 

 

 

そして、今日もカイリは山に居た。

的に向かって、いつものように石を投げる。最初の頃と比べて、ずっと飛距離が上がったようだ。

そして、いつものように、指先の感覚が消えるまで紐を振り回す。耳がキーンと鳴って、吐く息も白さを無くす。

 

「やあカイリくん!!!!こんにちは!!!!練習は捗っているか!?!?」

「捗ってまーす。」

 

そして、いつものように軽口を叩く。

基本的に、ゴードンはナイフ術以外のカイリの修行に口は出さないが、カイリに休憩を求める際には声を掛ける。それまでは、何処にいるかはカイリも知らないが。

カイリはゴードンをちらりと見て頷いた。

 

 

 

「ところでカイリくん!!君が持っているソレ……。

 

ソレ(・・)はなんだ!?」

 

大きめの、木の足元に転がっている石を椅子にしてカイリとゴードンは休憩を取っていた。

時刻は昼を回っており、カイリは手製のサンドウィッチを食べている。挟まれた野菜はベチャベチャとした水気を孕んでいる。下手くその味だった。

 

ソレ(・・)?ソレ……それ……、もしかしてこの石ですか?」

 

カイリがゴードンに見せたのは、カイリが首から提げるようになったペンダントだった。銀色の鎖でできており、鎖には不思議な色合いの()が繋がっている。

その石は、陽光を反射することで様々な輝きを見せている。角度によって見える色が違うのだ。今は、丁度夕焼けのような、暖炉の灯りとも呼べる炎の赤色をしている。

カイリの問にゴードンは頷いた。

 

 

「あー……。形見なんです。お母さんが持ってて、私にくれました。」

 

 

ゴードンは神妙な顔をしてカイリの言葉を聞いた。

そして、言いにくそうに、苦虫でも噛んだような渋い顔をカイリに見せた。

「………………カイリくん。最近、何か不審な……いや、困ったことはないか?」

「はあ?」

 

 

###

 

 

カイリは、ゴードンとの不思議な問答の後は、家に帰ることにした。

ゴードンからの質問で、カイリはやっと家に残された問題───葬儀代・火葬代の支払い、補助金の申請に生活費の工面など───の整理をしようと思い立った。今まで後回しにしてきたが、いつまでもそうするわけにはいかない。学校も通信制にしてバイトを増やそうと考えていた。

カイリはお金の問題には敏感だったのだ。

 

 

 

そうして昼も過ぎ、おおよそ家に居る人間がおやつを楽しんでいる時間に、カイリはトボトボと歩いて自宅に向かっていた。

───あっつい……。

 

雪は溶けていて、踏み締めるたびに不快な音を奏でいている。今日は、冬の割には気温が高い。

 

───流石に、耳当てはいらなかったかなあ。

 

カイリは、連日の寒さに負けて、耳当てをするようになったのだが、今日はいらなかったと思った。耳に熱が篭っている。

カイリは、耳当てを外した。

 

その時、カイリは車の音に気付いた。

 

「……?」

 

背後から聞こえ始めた車の音に、カイリが振り返ると、白いトラックが目の前に迫っていた。

 

「え。」

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

【福音】

 

 

 

 

かわいいなぁ、かわいいなあ。

 

真っ白い部屋の中で、‘わたし’は思った。

 

体が怠くて動けないのはいつものことで、‘わたし‘は目の前にいる‘あなた‘の涙を拭うこともできない。

 

‘わたし‘にそっくりの、黒くて青い不思議な髪が見える。濃藍って言うのかな。‘わたし‘も、おかあさんから遺伝したのよ。

 

ポロポロと、零れる涙がきらきら輝いている。‘わたし‘の碧眼だなあ。青くて、きれいで、海の色なんだよ。

 

かわいいなあ。かわいいなあ。‘わたし‘の###。

 

 

 

 

体が動かなくなる。指先から力が入らなくなる。瞼を持ち上げることも億劫になる。眠たくて、でも眠りたくない。胸が苦しくて堪らなくなる。次に目を覚ますことはないだろうと、私は知っているから。

ぼんやりとしてくる頭が恨めしい、怨めしい。ぬるま湯に浸かっているようで、そうではない。横たわるベッドの背後に亡者が迫る想像ができてしまう。私に伸ばされた手は、既に半身を引き摺り込もうとしている。

 

けれど、これでいい。###が生まれて10年を生きた。

 

 

次は###の番だ。

 

 




第9話 完

地獄への道は善意で舗装されているぞ。

主人公はだんだん夢見がちから醒めてくる。
なんとか完結には漕ぎ着けたい。


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第10話 蕀の国

いきはよいよい かえりはこわい




カイリとゴードンはある一軒家の居間で、質素なソファに並んで座っていた。一つテーブルを挟んだ向こうには、同じ型のソファに老婆が座っている。

家の中は物が少なく、ガランとした雰囲気が廃屋のように感じる。板で出来た腐りかけのフローリングに、汚ならしい絨毯が敷かれている。真っ黒い煤がこびりつき、元は鮮やかな色を出していただろう赤色の布は見る影もない。

灯りはなく、扉の隙間や窓から差し込む光が埃を照らしていた。

 

腰が曲がった老婆は、ボロ切れの布を身に纏いフードを深く被っている。顔はよく見えないが、ぼったりと落ちた瞼の下に爛々と、2つの目玉がギョロリと光っていた。

老婆は、骨と皮のおどろおどろしい両腕をカイリ達に向けて突き出し、ボソボソと何かを呟いている。

 

───気味が悪い。

 

カイリは口許をひきつらせた。冷や汗が滲む掌を握り込み、唾を飲む。絆創膏を貼った親指の、皮が引っ張られる感触が慣れない。感情を隠すようにカイリは真顔になったが、口許が歪な形になって目がうろんげに老婆を見つめている。カイリはポーカーフェイスが苦手だった。

 

老婆は、しばらくそうした後で(おもむろ)に口を開いた。

 

 

「おまえは呪われている。」

 

 

###

 

 

トラックが突っ込んできた時、カイリは死んだと思った。絶対に避けられない距離まで迫っていたのだから、カイリがそう思うのも当然である。

しかし、カイリは奇跡的に(・・・・)助かった。

トラックがカイリを轢き殺す、まさにその時、いつの間にかトラックから外れていたタイヤが、カイリの側にあった電柱に直撃した。そして、電柱は倒れてトラックを潰した。

カイリの目の前で、トラックは潰されて止まったのである。トラックの中に、人は居なかった。

 

カイリは奇跡的に助かった。しかし、カイリの不運はここで終わらなかった。

頭上から植木鉢が降ってきたり、滅多にないはずの地震に見舞われることもあった。事故に合う回数は倍増し、走れば躓き、木の上を伝えば足を滑らせないことはなかった。その度に、カイリは絶妙な幸運に恵まれた。

 

これはおかしい。絶対に。

 

カイリはこの不運のおかげで、すっかり神経質になったことを自覚していた。そして、ある時ふと、ゴードンがカイリに尋ねたことを思い出したのである。

カイリがゴードンにこのことを伝えると、ゴードンは神妙な顔をしてこう言った。

 

「御払いに行こう。」

 

───この世界って、幽霊いたんですか。

 

カイリは小一時間程問い質したかったが、ゴードンがあまりにも苦い顔をして、心配そうな顔をしていたため、カイリはぐっと言葉を飲み込んだ。そしてその後、思いがけない事実を知ることになる。

 

 

カイリには、HUNTER×HUNTERという世界についての記憶がある。しかし、カイリは兄の漫画をたまに借りて読む程度しかHUNTER×HUNTERを知らなかった。そのため、主人公がとある街で幻影旅団という盗賊と戦うところまでしか記憶にない。しかも、そこに至るまでの記憶は穴だらけであった。

ゴードンはカイリに言った。

この世の中には、不可思議な力があるのだと。おそらくそれは、思いの強さとも言えるもので、私達全員にその力を有する可能性があると。

 

その力のことは、俺もよく知らない。しかし、ハンターであるアルフレッドは知っているはずだ。生命そのものであるような、その力は、持ち主が死んで灰になっても残る(・・)ことがある。俺はそれを見たことがある。そして、この間も見ることになった。確信はない。けれど恐らく、君のその形見には死者の念(・・・・)が宿っている。

祓えなくとも、力を弱らせる必要があるだろう。

 

カイリはこの世界で初めて、念能力の一端に触れることと相成ったのであった。

 

 

###

 

 

太陽は燦々と輝き、木葉を淡く照らしている。朝露がポツリと流れる。落ちる雫石がキラキラと、宝石のようだとカイリは思った。ほのかに、太陽の焦げ付く香りが鼻につく。

初夏だった。

 

カイリがトラックに轢かれかけてから、はや半年。

カイリはゴードンに連れられて、とある街に訪れていた。半年の間に、カイリは学校に通うのではなく、通信制にして義務教育をすることになっていた。理由はいくつかあるが、1番は学校が滅多にない地震のおかげで倒壊したからだった。まったく不運なことに、瓦礫の下敷きになりかけたのはカイリただ1人で、救助に1番時間がかかったのもカイリだった。

街は、赤茶色の煉瓦を重ねた建物が多く、道路はあまり整備されていない田舎だった。カイリの故郷から遥か東にあって、温暖な地方の街だった。

見慣れない造り。嗅ぎ慣れない匂い。湿気た土に、伸び放題の緑の蔦。山の真ん中に構えたこの街は、カイリをおおいに興奮させた。この小さな街は、白い街とは全然違って見えたのだ。

そんなカイリが、なぜこの街を訪れることになったか。それには理由がある。

 

「カイリくん!!!長旅ご苦労様だ!!!宿は予約済みだから、そこへ荷物を置きに行こう!!!!」

 

「はい。荷物置いたら、どこ行くんですか?」

 

「ちょいと山奥へ!!!!占い師の婆さんを探しに行こう!!!!」

 

この街には、高名な占い師がいるらしい。

カイリ達は、その噂を便りにこの街に来たのだった。

 

 

カイリ達はさっそく、予約していた宿に荷物を置いて、聞き込みを行った。

カイリは当然のように、足が蔦に絡まって転びかけた。手をつきかけた地面に、毒蜘蛛がいた。怪我をした手に絆創膏を新しく貼る。

肝を冷やしながら、カイリはゴードンに付いて回ったところ、どうやら占い師は街の外れ、崖の上に家を構えているらしい。街の人々は、占い師を気味悪がっていた。少なくとも、カイリにはそう見えた。どの人も顔色が悪く、隈が酷い。怯えたように、腰が低くて足が震えている。

 

───占い師って、そんな怖いものなのか?

 

カイリは、そんな街の住人を呆れたように見つめた。濃い隈の上に、不穏な色が宿った瞳が、カイリの腹の底にこびりついた気がした。

 

そうして、カイリ達は占い師の元へ訪れたのだった。

 

 

###

 

 

「おまえは呪われている。」

 

「石に、その中に、死人がいる。おまえと縁が強い。血縁のある者達だろう。」

 

「おまえは2つの呪いを受けている。その石と、死人とだ。」

 

「どちらかが、おまえを殺す。」

 

「どちらかが、おまえを守る。」

 

「死人が人を守ることはない。」

 

「おまえは、それを託した者に殺され───」

 

老婆が最後まで答える前に、大きな音を立ててテーブルが老婆に向けて転がった。老婆はまだボソボソと呟いている。嗄れた声だ。テーブルは、丁度カイリの座っていた場所に面した足が、へし折れていた。

 

「………………。」

 

立ち上がっていたカイリは、何も言わなかった。テーブルをへし折った足が、遅れて痛みを伝える。

カイリは、何も言えなかった。

呼吸が浅くなり、間隔が狭くなる。視界がジリジリ焼き付いて、頭が痛くなってくる。頭の皮が浮きだって、髪の毛が立ち上がるような感覚がした。

そんなカイリの腕を、ゴードンは掴んでいた。ぶるぶると震えているカイリの腕を、しっかりと掴んでいた。

ゴードンは老婆に一言、謝罪を入れた。立ち上がり、代金を払うとカイリを外へと促した。

 

───母さんが、私を殺すっていうのか。

 

喉まで出掛けていた言葉を飲み込んだ。目の奥が熱くなって、カイリは下を向いた。

 

宿に戻ろう。

 

ゴードンはただ一言、カイリに言った。

 

 

###

 

 

宿の灯りを背にして、夜空を見上げる。曇った空は、月も見えなかった。

夜風に当たって、カイリはのんびり空を見上げた。目元が痒くて、しばしばと瞬きをする。首から提げた形見が、素肌に当たって冷たい。どこからか、虫の音が聞こえていた。

何も考えずに、カイリは歩きだした。

湯上がりの体に風が気持ちよくて、頭も冷える。

ぼんやりと薄暗い街は、どことなく寂しく映った。朝露で湿っていた土はすっかり乾いて、靴に擦れて音を立てる。ザッザッと音を立てて楽しんで、すっかり冷えた頭を振ってカイリは背後を振り返った。

 

 

 

ブーン ブーン

 

音がする。

虫の羽音のような、テレビの砂嵐のような。何かが振るえているような。大きい音だ。

嫌な予感がした。

音が聞こえてくるのは、ダメなやつだ。

カイリは静かに走り出した。

 

ブーン ブーン ブーン

 

音が増える。いつの間にか、宿から随分と離れていたらしい。

カイリは歯ぎしりした。とにかく静かに、摺り足にして走った。灯りはなく、足元が見えない。背筋が、冷たくなる。

 

ブーン ブーン ブーン ブーン

 

ポツリポツリと、雨が降りだした。

仕舞いには、ザアザアと音を立てて降りだす。また、暗闇が濃くなった。

目に雨水が入らないように手を上げて、カイリは走る。足元がまた、ぬかるんできた。

急速に、体が冷たくなる。

 

ブーン ブーン ブーン ブーン ブーン

 

音が、聞こえた。耳が痛い。

それでも走り続けて、カイリは前を見た。

灯りが見えた。宿だ。

カイリは安堵して、あともう少しだと思ってさらに速度を上げようと足を踏み出した。その瞬間、カイリは踏み出した足が何かに引っ掛かったのを感じた。

 

───あ。

 

勢いよく踏み出した足を何かが引っ掛けて、カイリは盛大に転んだ。ベチャリと水が跳ねる。

 

───あ、あ、あ。ヤバい。

 

足元を見ると、蔦が這っていた。その蔦に、足が絡んでいる。カイリは急いで立ち上がり、走り出そうとしたが、出来なかった。

 

「は!?」

 

蔦が、伸びている。

カイリはここで始めて恐怖した。

蔦が伸びて、足を掴んでいる。咄嗟に鉈を取り出して、カイリは蔦を切ったが、それでも蔦は伸びている。足に、腕に、胴体に伸びて絡み付く。がむしゃらに鉈を振り回した。

棘がついた蔦が、体中に切り傷を作るが、カイリは構わなかった。

 

ブーン ブーン ブーン ブーン ブーン ブーン

 

そうこうしている内に、音が、カイリのすぐ側で聞こえた。

カイリは凍りついた。凍りついて、動きを止める。そろり、そろりと、カイリは音に向かって顔を向けた。そして、音の鳴る物体に目を向ける。

 

 

次の瞬間、カイリの視界は真っ白に染まった。

 

 




第10話 完

不幸は人を堅実にする。
なまじ念の存在を知っているから、占い師の言葉が嘘じゃないのも分かってる。



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