ポケモンと私 (祐。)
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始まり

 人としての最低限の生活に追われ続ける日々。人間社会を生きるにおいて、余裕などまるで皆無であるアタシの人生。自分という個を保つことで精いっぱいなアタシには、外部の存在である『ポケモン』という生命体との共存に、興味を持つこともできなかった。

 

 

 

 夜の八時か九時くらい。レストランの厨房から流れ込んでくる料理の品々を、アタシは慌ただしく運んでいた。お盆に乗せた料理をガチャガチャと揺らして両手で運び、こちらナニナニでございますと来店なされているお客さんに提供していく。

 

 この町では割と名の知れたレストランであるために、夜のそういった時間帯にも関わらず客足は途絶えない。それどころかお客さんは溢れんばかりに押し寄せてくるものだから、休息は無いことを承知しながらも、アタシはただただ絶望を感じながら、運ぶ作業をただただ繰り返していくのだ。

 

 愛想笑いもだいぶ板についた。とても意識の高いレストランであり、店員は笑顔を絶やさないことをモットーとしている。とはいえ笑顔は無理強いされておらず、辛い、苦しい時はいつでも言ってくれと、非常にアットホームな言葉を掛けてくれるのがこの職場の良い所。

 

 と、アットホームという言葉でピンと来るかもしれないが、この職場はとてつもなく忙しかった。アルバイトが次々と辞めていく理由がよく分かる。とにかく忙しい……!!

 

「大変お待たせしました! こちら当店オリジナルポケフレークでございます!」

 

 アタシの肩幅よりも大きい器をお客さんのテーブルに置いていくと、それを待ってましたと言わんばかりにピンク色の舌が視界の隅から伸びてくる。

 その、なんだか得体の知れない見た目やら挙動やらに、アタシは心の中でめちゃめちゃビビりまくっていた。笑顔を絶やさず恐怖を隠し、ごゆっくり~……と言葉を残してそそくさとその場から立ち去っていく。

 

 その際に掛けられたお客さんからのお礼の言葉も、よく聞き取れずじまいだった。それくらいアタシには余裕が無かったのだ。何なの、あの舌。お客さんが所有するポケモンであるピンク色のそれは、全体的に丸っこくて常にヨダレまみれ。大きな口を開けて、無限に伸び続けるでしょと思える舌をベロベロとうねらせながら、ポケモン専用の料理をとても美味しそうに食らっていく。

 

 名前は……分からない。ベロ太郎とか、そこら辺。ポケモンにはとにかく無頓着なアタシは、ボッボだかボーボーだかの小さな鳥のポケモンの名前さえも覚えないほどのもの。ポケモンとの共存で成り立つこの世界において、ポケモンに無頓着というだけでアタシは変わり者のレッテルを貼られてしまっていたものだ。

 

 変わり者で留まっていれば、それで良かった。だが、周りにとっては当たり前である”それ”との共存が難しかったアタシは、次第に周囲から冷たい目で見られ始め、そして今では嫌がらせの対象として恰好の的となってしまっている。

 

 不登校ながらもバイトだけは一人前にこなしている。こうして慌ただしい職場に軽い立場で在籍しているのも、何もしないわけにはいかないから、と、そんな理由のため。

 ただでさえアタシはポケモンを毛嫌いする変人、除け者扱い、イジメにちょうどいい存在としての立場でしかないものだから。だからこそ、何かをしていなければならない。アタシは小さな頃からずっと、そんなことを思い続けてきた。

 

 人間用の料理を運び、そのテーブルにまたポケモン用の料理を運んでいく。主人の料理を羨ましそうに見ていた“それ”は、紫色の球体で赤い複眼という、もじゃもじゃとしたボールの形をした虫っぽいポケモン。主人のことが大好きなのだろう、食事のために動かしている主人の腕をその小さな手で引き寄せて、自分にもくれ~、といった調子で妨害している。

 

 自分の料理が来たと思うと、すかさずこちらに飛び込んできた。アタシは虫が大嫌いだ。そこから導き出される結末は、それに思わずギャー!!! と大声をあげてしまって店中に響かせるという凄惨たる悲劇の終焉。

 

 バイト終わりに、店長に注意された。お叱りまではいかない言葉だったが、今後は気を付けるようにと釘を刺された。アタシがポケモンを毛嫌いしていることを知っている割には、とてもソフトな口調だったものだ。アタシのことをそれなりに理解してくれている、優しさと寛容に溢れた人格の持ち主だ。

 

 そんなこんなで今日も慌ただしい一日がようやく終わった。まだまだ明日も明後日もあるために、この生活をずっとずっとこなしていくのかと考えると、ただただ憂鬱になって気分が重くなる。

 

 自転車を押しながら歩く帰り道。建物と街灯に灯る明かりが町全体を鮮やかに照らしていて、この地域が活気に溢れるとても大きな場所であることが伝わってくる。

 この『シナノ地方』全体で見ても、アタシの住むこの地域はすごく大きいことで有名だ。名前は『ジョウダシティ』。お城や桜なんかを観光スポットとして推しているこの町には、他の地方からの観光客なんかが年中訪れている……らしい。

 

 別に地域愛なんか無いし、詳しいことはどうでもいい。そんなことを考えながら、視界に映る様々な光景を流していって帰路を辿っていく。

 この夜もいろんな光景を目の当たりにした。レストランの中に限らず、外でもやっぱりポケモンの共存。それも、外の方が一層と際立つものだ。今日の帰路で見かけた光景は、まず水色の体色と赤いトサカが特徴の、それなりな大きさのワニのようなポケモン。赤の他人の自転車に噛みついてしまったようで、トレーナーは自転車の所有者にひたすら謝りながら、ワニポケモンを剥がそうと必死になって引っ張っていた。

 

 酔い潰れて道端で寝転がる男性には、風船のような球体のポケモンが彼を持ち上げようと頑張っていた。色は紫で、レストランで大声をあげてしまった虫ポケモンに似ている。しかし、細い腕のようなものが伸びており、頭部には白い雲のようなもの、そして口らしき部分には黄色の×印のようなものがついている。……主人を起こそうとしているのかな? そんなことを思いながらアタシは彼の横を通り過ぎていった。

 

 町の広場では、人だかりができていた。そこからは濃い青色を放つ衝撃波や、時空を歪ませてドラゴンのようなポケモンを持ち上げる超常現象が繰り広げられていた。トレーナーは、愛情を注いで育て上げたポケモンを戦わせる。それはポケモンバトルという名前で広く知れ渡っており、この闘争は正式な決闘とも言える……らしい。

 

 アタシから見れば、どうして可愛がっていたペットを傷付けるようなことをするのだろうと、日頃から疑問に思っていた。それって虐待にあたるんじゃないか、と。しかも、このポケモンバトルという決闘は、地方が定めた正式なスポーツ。それも、このシナノ地方に限らない。ほぼ全ての地方における、共通認識。

 

 ……分からない。アタシには理解が及ばなかった。だから、この世界に適応できなくて除け者扱いにされるんだろう。そんなことを思いながらアタシは水色の体色と紅の翼を持つドラゴンのポケモンを横目に、自転車に跨ってペダルをこぎ始めていった。

 

 ――みんな、ポケモンポケモン言って得体の知れない生命体との共存に適応している。これに疑問と恐怖を抱くアタシは、我ながら本当におかしな人間であるとも自覚はできている。

 

 でも、本当にアタシはポケモンという生命体を心から拒んでしまう。だって、中には人とそんな大差の無い見た目の生き物もポケモンとして扱われていて、しかも、その彼だか彼女だかを、赤色と白色の小さなボールに閉じ込めて平然と持ち歩いているのだから。

 

「……分かんない。理解できない」

 

 熱い死闘を繰り広げた広場からこみあげる、熱意の歓声。バトルに勝利したドラゴン使いは英雄視されるこの世界に、正直アタシは狭苦しい思いを抱いていた。

 

 ポケモンを受け入れられない。ポケモンが怖くて仕方が無い。それでもって、そんなポケモンを所有して、狭いボールに閉じ込めて、持ち歩いて、戦わせて傷を負わせる人間という種族にも若干もの嫌悪感を持っている。……ただただ胸が苦しかった。色々と混ざり合う、言葉にならない様々な感情が、アタシにどんどんと迫ってくるものだったから。

 

 ――だが、直にもこの思いは少しずつ変化を迎えることとなる。その変化が形として現れたのは、明後日のバイトを終えた直後のことだった。

 

 あれほどポケモン嫌いだったアタシの下に、人生の転機が訪れた。そして、変わらない日々にウンザリとしていたこれまでの人生と、アタシは別れを告げることとなる――――



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出会い

 月の光が町を照らし、代わり映えのしない鮮やかなジョウダシティの夜景が展開される。

 バイト終わりに店から出てきたアタシの視界。今も活気にあふれ、大勢の人々とポケモンが行き交う街道。これがとても、午後の十一時くらいの時刻であるとは思えない。

 

 帰るのがだいぶ遅くなってしまった。一人っ子のアタシのことを研究所で待つポケモン博士の父が、一緒に食べるんだと頑なな姿勢で夕食を用意したまま、アタシの帰りを待ち続けているだろうに。

 

 ……シナノ地方のポケモン博士という名誉ある称号を持つ父親を持っておきながら、その一人っ子の娘がポケモンに無頓着というのも、随分と可笑しな話ではある。そんなことを考えながら、アタシは自転車を押しながら夜のジョウダシティを歩き始めた。

 

 この日は、明日が休日ということもあって多くの人々が浮かれて騒いでいた。顔を真っ赤にして酔っ払ったサラリーマンに肩を貸している、水色の体色をしたしゃもじのような形のポケモン。彼の大きな独り言に対して、ポケモンはずっと「そーなんっす!」と繰り返している。

 

 アタシの歩く道を塞いで行われていた、ポケモン同士の喧嘩。ボクシングのグローブのようなハサミを持つカニのポケモン同士が、お互いに殴り合って決闘をしていた。

 彼らにはトレーナーがいないらしく、どちらも野生であることが一目で分かった。周囲にはそれを観戦する人々が集まっていて、とても興味深そうに眺めていた。通り掛かりに小耳に挟んだ会話によると、どうやらそのカニのポケモンをシナノ地方で見ることは滅多に無い模様。あまりにも珍しいことから、おまわりさんに通報したというくらい、らしい。

 

 まあ、だから何だという話ではあるが。相変わらずポケモンには興味を持つことができない。アタシはカニのポケモンを横目に自転車を押していき、人通りが少なくなってきた頃合いを見てサドルに跨っていく。

 

 ペダルをこぎ出し、ゆっくりと速度を上げていった。学校にも行かない不真面目な自分ではあるけど、交通のルールなんかはしっかりと守っている。自転車を漕ぐにあたって気を付けなければならないことは、人よりもポケモンだった。

 

 例えば、こう。自転車に乗り始めてすぐに出くわしたが、真横の道から急に飛び出してくる何かを感じ取ってアタシはすかさずブレーキを掛けていく。

 その直後にも、ウシのようなポケモンが暴走気味に目の前を駆け抜けていったのだ。アフロのような頭をしていて、そこからツノが飛び出ている。とてもインパクトのある見た目をしており、見るからに手に負えないようなそれを、後ろから追い掛ける数名の団体がアタシの目の前を横切っていく。

 

 ……行ったな。右を見て、左を見て。また右を見てからアタシは再び自転車を進め始める。自転車を利用するということは、常に危険と隣り合わせと考えていい。人や車が飛び出してくることもよくあるものだが、それ以上にポケモン絡みの事故が頻発している。それもそのはず、町中にポケモンを野放しにしているから。あんな生命体が町を自由に徘徊していたら、そりゃそうなる。

 

 ジョウダシティは、特に解放的だった。人とポケモンがより自由を謳歌できる場所を豪語しているみたいだが、その分そういった問題事も頻発しているのだから、もうちょっとしっかりとしてほしい。と、どこから目線だよと自分にツッコミを入れながらアタシはいつもの帰路を辿っていった。

 

 ……明日は休みだ。休日は特に忙しいものだが、入ってきてくれたばかりの新入りさんに全て押し付けたことで明日は念願のお休みを迎えることになった。

 明日は何をしようかな。一日だけのお休みではあるけど、遠出をしてみるのも悪くはなさそう。真面目に学校に通っている性根の腐ったあの学生共は、テスト期間に悶えて色々とグチグチ言っていることだろう。アタシも学生という立場の一人ではあるけど、なんかもう、全てがどうでもよくなった。

 

 久しぶりに、採掘でもしようか。ジョウダシティの外れにあるジョウダ発掘所という公共施設では、料金を支払うことで自由に石を掘ることができるサービスが提供されている。発掘所を利用する客層は主に、ポケモンの進化のために必要な石を得るために通うみたいだけど……アタシの場合は、そんなこと心底どうでもいい。

 

 通りがかったいつもの店。扉の横にあるガラス張りの大きなケースには、古びたプレートがいくつか飾られていた。

 赤やらピンクやら黄色やら、様々な色合いのプレートがそこに並んでいる。その店は少々と異質な雰囲気を放つ、所謂マニア向けの代物を扱うお店だった。それらも確かにポケモンのためになる道具の数々なのだろうが、アタシはその道具を、ポケモンのために入手するのではなく、自分のために集めている。

 

 アタシは、『どうぐ』という小物が大好きだ。

 『どうぐ』というのは、ポケモンの更なる力を覚醒させたり、ポケモンに進化を促したりといった、ポケモンに持たせたり使ってあげたりすることにより、その個々の潜在能力を引き出すトリガーとなり得る品々のことを指している。

 

 アタシはその、ポケモンのために使う『どうぐ』を、自分の欲のためにかき集めている。自室には幼い頃からずっと収集してきた大量の道具が保管されていて、ポケモン博士の父親はアタシのコレクションに目を光らせている。あわよくば、いくつか拝借して研究に活用できないだろうか、って。

 

 もちろん、お断り。ポケモンなんかのために使うのなら、アタシのコレクションとしてずっと保管する。今も勉強机の上には、ディスプレイケースに入れられた進化の石が綺麗に並べられている。残るは、やみのいし。それさえ揃えば、進化の石はコンプリートになる!

 

 他にもいろんな道具をアタシは所有している。例えば、りゅうのウロコ。父によれば、りゅうのウロコは海に住むとあるポケモンの進化を促すらしい。とはいえ、ただ与えれば進化をするというわけではなく、何故そのウロコがそのポケモンの進化を促すのか。そのウロコが無いと、そのポケモンは進化することができないのか。そもそもとして、りゅうのウロコとは一体何なのか。ポケモンというものは、常に未知と隣り合わせだと父は言っている。そして、その未知を解明することこそに、生き甲斐を感じているのだとか。

 

 と、そんなことで、アタシのコレクションが常に狙われている。他にも、メタルコートという鉄製の塊を毎日磨くことが日課になっているし、海辺の橋で拾ったハネなんかも、父曰くそのハネはポケモンに持久力の向上を促す可能性を秘めているとかなんだで、アタシが手放すその時を待ち続けている。

 

 妖しい紫色に輝く球体は、アタシのお気に入りの一つ。触るとなんだか心臓がすごくバクバクしてきて、心なしか体内で何かを削られるような感覚を覚える。それも父はぜひとも研究に~とか言って目を光らせているけど、絶対にあげないんだから。

 

 あとは、どうぐとは何の関係も無いだろうけど、ひとりでに揺らめく不気味な黒い布だったり、ただ割れているだけのポットなんかも大事に保管している。その二つは正に、このお店で購入した変わり種の品。どっちもお店のオークションで売りに出されていて、アタシのお小遣いがそれによってぶっ飛んでいった。

 

 お店の人は、アタシの顔をよく知っている。何故なら、アタシはその購入したどうぐを、ポケモンに使ってあげないから。とても不思議そうに尋ねかけてくることが多くて、そんなに自分のために集めているということが謎なのかと、ちょっとイラッとする。でも、道具の話ですごい盛り上がれるから、アタシの数少ない理解者の一人、とも言えるかもしれない。

 

 また今度来よう。そんなことを思って、アタシは再び帰路を辿り始めていった。自転車に乗って軽快に進んでいくこの街道。気付けば時刻は午前零時になりそうで、さすがに父も心配するだろうとアタシはバッグからスマートフォンを取り出した。

 

 でも、自転車に乗りながらだと違反になる。そんなことを思ってアタシは自転車から降り、更には話し声が他の人の迷惑になることを気にして、人気の少ない路地に移ってからスマホをいじり始めていく。

 周囲には灯りが無かった。奥に続く小道と、その両側には建物の壁という、その奥行きの先に何かが立っていてもまるでおかしくない暗がりの空間……。

 

 ……零時、か。なんだか不気味な響き。その時間帯に何があるってワケではないものの、零って言うと、こう、霊の方を想像してしまうというか――

 

 ガタッ。……想像と共に、何か物音が聞こえてきた。音のした方向は、この小道の奥行きの先。

 

 はー……ちょっと、マジ止めてよ。だからポケモンが嫌いなんだってば。中には人を驚かせることが大好きなポケモンも存在するとかそんな話を知っていたからこそ、その恐怖はより一層と増していく。

 

 ……小道の先を、恐る恐ると見遣ってみた。そこには確かに、何もいない。だが、先ほどまでには無かったはずの、木の板が倒れているのだけは確認できる。

 

 なんだ、あれが倒れただけか。ビビリが極まる恐怖心を落ち着かせるため、そんなことを自分に言い聞かせながらホッと一息をついていく。こんなところに長居はできない。さっさと電話を済ませてしまおう。恐怖に煽られるままにアタシはスマホをポチポチと押していき、通話するためのボタンをタップしようと視線を僅かにずらした、その時だった……。

 

 ……足元に見えた、小さな物体。鮮やかな緑色の頭部と、そこに埋め込まれるよう突き出た赤い何か。白色の体色をしていて、どこか人間の子供のような形を成した“それ”が、確かにアタシの脚にくっ付いていた。

 

 ヒッ――。心臓がキュッと縮こまる感覚と同時に、“それ”は顔を上げてアタシを見遣ってくる。

 

 緑の髪から覗く、血のように染まる紅の眼光。人の子のようで、人の子ならざる不気味な印象に、アタシはあまりものショックを受けてその場で卒倒してしまったのだ。



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理解

 真昼の太陽は心地よく、暑いとまではいかない過ごしやすい気温が、とても清々しい。もしこれでバイトさえ無ければ、河原にでも赴いて化石探しでもしてみたかったものだ。

 

 購入したパンをいっぱいに詰め込んだ紙袋。そこから漂ってくるパンと紙袋の香りを嗅いで、アタシは満足感を満たすことができた。

 昨日の休日が丸々潰れた腹いせに、バイトの帰り道でパン屋に寄ってやった。特にパンを食べたいといった気持ちでは無かったものだが、如何せん昨日の出来事が出来事だったため、何かで憂さ晴らしでもしないとやっていられなかったものだから。

 

 一昨日の夜、アタシは夜道で一人、ぶっ倒れた。原因は、ひどいショックを受けたことによる卒倒。命に別状は無かったものの、女が倒れているという通報で駆けつけてきたおまわりさんに保護され、そのまま病院で一日入院となった。

 

 理由を聞いた医者は、理解ができないといったように首を傾げていた。それもそうだ。だって、ポケモンが自分の脚にくっ付いていることに驚いたなんて、周りからすれば、そんなこと当たり前じゃんって話だったからだ。アタシにとってそれは当たり前ではないし、むしろ毛嫌いする生命体が前触れも無く忽然と現れて、しかも自分にくっ付いているとなれば、ひどく驚いても別に可笑しくない話だろう。

 

 だけど、周りからはそのことをまるで理解されない。結局はアタシが情けなくて心の弱い弱者である、と、そんな認識で落ち着いたところで、ポケモン研究所から博士の父が駆け付けてきて、アタシのことをとても心配してくれた。

 

 ポケモン博士の一人娘であろう女の子が、なぜそんなにもポケモンを苦手とするのだろう。そんな話を交わす看護師の声も届いてきた。皆が、アタシを理解してくれない。いや、理解するしない以前として、アタシがおかしいのだ。周りにとっての当たり前に当て嵌まらない特性を持って生まれてきてしまったがために、その特性を拒まれ、疎ましく思われ、常識を知らずに成長してきた教養の無いダメ人間という認識で世間に知られていく。

 

 理解しろとは言わないけど、やっぱりこう、自分の特性を変えるだなんて無理な話でもあって、どうにもできないモノを背負って生きていくことが、とにかく辛くて、苦しいものだ。誰にも理解されないから、コレを一人で背負っていかなければならないのだから。そう考えると、自分はいつだって孤独だった。周りから見ても常に一人で行動しているし、自分の気持ち的にも常に孤独を感じているし……。

 

「…………」

 

 ……そう考えると、アタシにくっ付いてきた“アレ”って、アタシと一緒に居てくれたんだな。

 おまわりさんが駆け付けたというその時には、既に姿をくらましていたらしい。しかし、その特徴をおまわりさんに伝えたところ、それは『ラルトス』というポケモンであることが分かった。

 

 ラルトスというポケモンは、人の感情を感じ取ることができる、エスパーのような能力を使えるポケモンらしい。ラルトスは、感情を感じ取った対象と同じ気持ちを持つ生態のようで、気持ちが明るい人の前に姿を現したり、その対象が喜んでいると、ラルトスも同じように嬉しくなって一緒に喜ぶ……のだとか。

 

 ただ、その話を聞いてアタシは不自然に思えた。じゃあ、どうしてアタシなんかにラルトスは近付いてきたの? と。アタシは日々、この世界に憂いばかりを抱いていて、とても前向きな気持ちを持っているとは思えない。それなのに、そんな人々の感情を勝手に共有しては勝手に喜んだりするその生き物が、どうしてネガティブなアタシの下に来たというのか。

 

 おまわりさんは、この言葉も残していた。それにしても、ラルトスが人前に姿を現すなんて珍しいな、と。どうやらラルトスは、世間一般では滅多に見かけない貴重なポケモンらしく、ラルトスをゲットしているトレーナーは強運の持ち主か、とても前向きで信用に値する人物である、と言うのだ。

 

 だったら尚更、どうしてアタシの前に現れたんだろう。その理由を考えても、アタシはそのラルトスの気持ちを理解することがとてもできなかった。

 

 ……そして、その理解できなかったラルトスの気持ちを考えた時に、アタシは何故だか、ラルトスと分かり合えた気がしたのだ――

 

 

 

 自転車から降りて、そこらに停めておく。その動作をちゃちゃっと行ってから、カゴから先ほど買ったパンの紙袋を取り出して持ち歩き、アタシはその奥行きと向かい合うように佇んだ。

 

 あの日は、午後十一時という暗がりだったから雰囲気があったものの、今こういう明るい時に見てみると……いや、明るければ明るいで、やっぱりその閉鎖的な空間がしっかりと視界いっぱいに広がっていて、これはこれで怖い。

 

 よくこんなところに入ったな、と、アタシはそんなことを思いながら因縁の小道へと入っていった。

 自分がどうしてこんなことをしているのかは、自分でもよく分かっていない。これは言葉では形容できない、感情的なものだったからなのかもと思ったり思わなかったり。

 

 両側の壁に狭苦しいものを感じながら、アタシは足を進めていく。抱えたパンの紙袋から香る匂いで恐怖心をなんとか誤魔化していくのだが、ふと足元に感じたその気配を察するや否や、何故だかこみ上げてきた期待感と共にアタシは視線を下へと向けてい――

 

「……ネズ、ミ?」

 

 紫色で、出っ歯が特徴的なネズミポケモン。それが四匹、五匹と一斉にアタシの足元に群がって、よじ登ろうと必死になっている。

 

 パンの匂いにつられて現れたのだろうか。というか、え、てか、ただでさえ毛嫌いするポケモンが、それもネズミポケモンが、何匹もアタシに這って――

 

「え、っ。……ぁ、い、いギャアァ!!!!」

 

 女らしからぬ、とんでもない悲鳴を上げた。

 

 あまりの驚きで、その場でよろめいて腰を地面に打ち付けてしまう。

 この衝撃で、抱えていたパンの紙袋を落としてしまった。ドサッと落ちたそこからは中身のパンがゴロゴロと地面にぶちまけられ、それめがけてネズミポケモンが一気に群れを成す。

 

 どこから湧いてきたかは知らないが、それはうじゃうじゃと十匹程度。転がるパンに飛び掛かって貪り食らうその光景が、集合体を苦手とするアタシの精神にダイレクトアタック。

 しかも、ネズミポケモンはその勢いで他の個体に誤って食らいついてしまい、それに激怒した個体が飛び掛かることでもみくちゃの喧嘩が勃発。それに触発された別の個体が乱入して乱闘を繰り広げたり、そんな騒ぎなどどうでもいいと無視してパンを貪っていく個体が、また別の個体とパンを取り合っていたりと、その光景はもはや絶望の一言に尽きる。

 

 これを、自分が引き起こした。傍から見たら大惨事だよこれ。自分はとんでもないことをしでかしたのかもしれない。

 ポケモンという生命体と、それによる集合体という光景にビビって思うように腰が持ち上がらないアタシ。このままでは、次はアタシが食われるんじゃないか。そうでなくとも、この乱闘に巻き込まれたらタダでは済まないかも。そんな不安が更に襲い掛かってくることで、アタシは尚更しりもちをついたこの状態から一向に動くことができない。

 

 アタシはただ、このパンをラルトスにあげてみようと思っただけなのに。野生のポケモンに餌付けするという行いもどうかとは思うが、何かを感じ取った同士の仲だったとしたら、と。あれだけ毛嫌いしてきたポケモンに、アタシは僅かながらの何かを感じたからこそ、初めてポケモンのためにと思っていつもとちょっと違うことをしてみたというのに。

 

 その結果が、これだよ!! どうしてアタシって、何をやるにしても上手くいかないの!!

 

 もう涙目。我ながら情けないと思いながら、圧し掛かる感情にただただ圧し潰されそうになって身体が動かない。

 

 パンが次第と数を減らしていく。個体同士で争い合っているがために次々と倒れていく地獄絵図。生物が織り成す、食と闘争。

 次はアタシだ。ここで大嫌いなポケモン共に食われて残酷に死んでいくんだ。既に数匹がアタシへと向いている。今にも襲ってきそうだ。

 

 文句は言えない。全てはアタシが引き起こしたことだから。何を今更、元凶であるアタシが助かろうだなんて都合が良いことを望んでしま――

 

「…………?」

 

 服の袖を引っ張られる。あのネズミポケモンかと思って過剰にビクッと反応したものだけど、そうして向けた視線の先では、想定していた姿とはまるで異なるポケモンが、アタシのことをじっと見据えて存在していたのだ。

 

 ……ラルトス。緑の頭部と、ハートの形を頭に埋め込んだツノのようなものを持つ“それ”が、今にも泣き出しそうなアタシを見遣って佇んでいる。

 

 言葉は出せなかった。恐怖心に煽られて、アタシは声も出せなかった。 ――しかし、こうして声に出さなくとも、ラルトスというポケモンはその対象の感情を読み取ることができるのだ。

 

 ラルトスの身体が、ピカッと光る。僅かに迸ったそれにアタシは唖然とすると、次の時にも、遥か地平線の彼方へと飛んでいく感覚と共に、アタシの意識は一瞬だけ途絶えた。

 

 ……え? 自分に何が起こったのか。その理解が追い付かない混乱で見遣ったこの光景。

 座り込むアタシの手元には、生い茂る緑の芝生。満天の青空と流れゆく雲からは、大自然の香りが漂ってくる。

 

 ここが高台であることをまず理解した。それでいて、前方でのどかに歩く、目玉のような輪っかのようなツノを持つトナカイのようなポケモンの、その先。

 アタシは、ポケモン博士の父がしょっちゅう口にしているその言葉の意味を、初めて体験することができた。それは、ポケモンという生命体が宿す、未知なる力が織り成す脅威と、魅力。

 

 あぁ、そういうことだったんだ。ようやく分かった気がするよ、パパ。そんなことをアタシは思いながら、この高台から、つい先ほどまで歩いていたハズのジョウダシティをしばらく眺めていた。



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発見

 静かな闇に包まれる自室の空間。手に持つ分厚い本をドカッと勉強机に置くと、机の照明を点けて椅子に座りながらそれと向き合っていく。

 

 時刻は午前の一時。仕事終わりで心身ともに疲労したこの身体は、僅かながらと感じる高揚からなる鼓動のままに未だ眠りにつけずにいた。

 ……アタシ、何をやってるんだろ。自分の行動に疑問と戸惑いを隠せない。あれほどまでにポケモンを毛嫌いしていたものだったから、ポケモン博士である父に“こんなこと”を言い出すことがすごく恥ずかしく、それでもって、勇気を出さなければならなくなるなんて。

 

 父は、アタシの人生の中でトップ三を争うレベルの大歓喜を見せていった。アタシがそのことを言い出したら、父は最初、唖然の言葉に似合う目の開き具合で、飲みかけのコーヒーを口から流しながらアタシをじっと見つめてきた。

 

 それから、アタシの言葉をようやく理解したのか、父はものすごい大喜びではしゃぎ始め、しまいには残業していた周囲の研究員にもアタシのことを言いふらし始めた。アタシが父の娘であることは周囲も分かっていたことだし、アタシがポケモンを毛嫌いしていることも、当然の如く知っている。

 

 だからこそ、周囲からも期待の眼差しを向けられた。……その、とにかく止めてほしい。確かに周囲からしたら喜ばしいことなのかもしれないけど、アタシからすれば、そんな一気に注目されたら、逆にやる気が失せるから――

 

「……みんな、おおげさなんだよ。いいじゃんか、アタシが“これ”を読んでみてもさ……」

 

 そんなこんなで、アタシが父から借りてきた一冊の本。思った以上に分厚くて、それだけポケモンという生命体が数多く存在し、かつその謎を追う者もまた多い、ということなのだろうか。

 照明に照らされた本の表紙をまじまじと読んでみる。『ポケモン大図鑑』。そのままの意味である。アタシとしても、これに手を染めたことは予想外だった。ポケモンに関する本に触れるだなんて、この先永遠に無いと思っていたものだから。

 

 最初から目を通すつもりは無いため、図鑑を傾けるようにバラバラッとページをめくってみる。そのめくれていくページの一枚一枚にも、ポケモンの図となる写真やイラスト、そのポケモンを説明しているのだろう詳細の文字がずらりと並んでいることが分かった。……これだけの密度があるんだ。ポケモンという生物に魅入られて研究している人達は本当に多いんだな。ポケモン博士の娘であるアタシは、そんな他人事のような感想を抱いた。

 

 ……きっと、パパが研究した内容もここに載っているんだろうな。脳裏でそんなことを考えながら。

 

 そうして自然と開いた運命的なそのページ。分厚く紙の匂いが濃厚なそれを手で押さえると、アタシは目についた一匹のポケモンの説明を、何となく読んでみることにした。

 

「スワンナ。しらとりポケモン。なんかすごく綺麗……。スワンナは、夜明けと共に踊り始める習性を持っていて、この真ん中で踊るスワンナが群れのリーダー。クチバシの攻撃は強烈で、長い首をしならせながら連続で突きを繰り出す。優雅な見かけによらず、翼で力強く羽ばたいて数千キロもの距離を飛行する。……へぇ」

 

 ラルトスの、あの小っちゃい身体で行ってきた瞬間移動の力を体験していたからこそ、この図鑑の説明を素直に受け取ることができる。

 あの時、アタシはラルトスの力を受けてとてつもない衝撃を受けた。物理的な衝撃ではなくて、精神的な、元々から持っていた常識を覆された意味での衝撃。ポケモンのことは不気味だと思っていて、ラルトスの力でその思いは更に強まっていたはずなのに。

 

 だけど、その不気味ながらも理解の及ばない超常的で得体の知れなさが、かえってアタシに興味を抱かせた。内心はすごく怖い。こんなのがうじゃうじゃと生息しているのなら、人間なんて瞬殺じゃん、と。でも、そうじゃない。ポケモンはそんな力を持っていながらも、むしろ、人間との共存を望んでいるのだ。人間もポケモンとの共存を大切にしていて、種族は違えどその想いは互いに同じものなのだ、と。

 

 だからこそ、ラルトスのような恐ろしいパワーを持っている生命体のことを、まだ受け入れることができていた。

 人間とポケモンは、繋がり合い、支え合い、共に過ごすことでこの世を築いてきた。アタシがあれほど散々と不気味で、気持ち悪いとまで思っていたポケモンという生き物は、自分で思っているほどのものではないのかもしれない、と……。

 

 じゃあ、どうしてポケモンという生き物は、アタシらのような人間との共存を望んでいるの? 浮かび上がってきた疑問に、アタシは頭を悩ませる。

 ……尤も、その疑問は今も謎に満ち溢れているのだろうし、そういったまだまだ謎だらけの未知を解明するために奮起しているのが、パパのようなポケモン博士なのだろうけど。

 

「ここは親譲りってとこなのかな」

 

 ボソッと呟いて、本命のページを探すことにした。

 図鑑の目次を眺め、ずらりと並んだポケモンの名前からラルトスの文字を探していく。意外と早くそれを見つけることができたアタシは、そのページを探して開き、図鑑に載せられた人の子のような姿を食い入るように眺めた。

 

「ラルトス。きもちポケモン。頭のツノで人の気持ちを感じ取る。人前には滅多に姿を現さないが、前向きな気持ちをキャッチすると近寄ってくる。人の感情を察知する力を持っており、トレーナーが明るい気分のときには一緒になって喜ぶ……」

 

 おまわりさんが言っていたことと、大体一緒。だからこそ、アタシはあの時に出会ったラルトスに、共感をすることができたのだ。

 

 ……やっぱり、あのラルトス。もしかして……。

 

「……好物、なんだろ」

 

 気付けば、自室のカーテンからは朝日が射し込んでいた。

 悠々と徹夜をしてしまったらしい。身体の疲労さえも忘れて、久々に没頭という没頭で意識を集中させたこの数時間。こうなってしまったのも、ラルトスの好物を知るために他のポケモンの好物も参考にしようと、ページをパラパラとめくって色んなポケモンの説明を読んでいたから。

 

 ……寝る間も惜しむなんて、道具のコレクションに熱が入ったとき以来だった。まさかこんなにのめり込めるだなんて。自分の意外な一面を知って自分自身で驚きながらも、これからにも父に、ポケモンに普段どんなご飯を与えているのかを訊ねてみようと思った。



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共存

「ラルトス、いる? もしいるのなら、姿を見せてほしいの」

 

 両側に建物の壁が並ぶ、奥へと続いた閉鎖的な小道の空間。昼間の時間帯という明るさでありながらも、どこか不穏なその奥行きに向かってアタシは声を反響させていく。

 

 こちらの声に対して、物音どころか気配も何一つ感じさせない。普段であれば、ビビリのアタシはこの時点で帰りたくなるものだったが……今回ばかりは、アタシの気持ちがそれを許さなかった。

 腕に抱えた食品用のカゴ。上には、匂いが漏れないよう布をしっかりと被せてある。先日の対策をばっちり整えて、今回こそはあの時のヘマをしないと意気込んで挑んでいた。何をやってもダメなアタシだって、学んではいるんだから。

 

 ……とは言っても、一向に変化の無い光景にアタシは次第と不安も抱えるようになってきた。今も薄暗い小道の奥行きと向かい合っていることから、そろそろアタシのビビリが頂点に達し始めて、卒倒してしまいそう。

 いやいや、大丈夫。でも、もしこれで違うポケモンが来てしまったら、アタシはどうすればいいんだろう。しかもそれが、ゴーストタイプという人間にとって特に危険なポケモンだったとしたら……。逃げるとなったら、どこに逃げればいい? ゴーストタイプって言うくらいだから、陽の光で消滅したりしないのかな? というか、そもそもとしてゴーストタイプでいいんだっけ。昨日の図鑑にそんなタイプがあったような気がしなくもないけど――

 

 ガタッ。脳内で様々な言葉が渦巻いていたところで、前方から何かが倒れる音が聞こえてきた。これを聞いてアタシはギョッとし、全身の筋肉が収縮する感覚を覚えながらそちらの方へと見遣っていく。

 

 壁に掛けられていた木の板が、倒れている。そこには人も、ポケモンもいない。これは超常現象といっても過言ではなく、あからさまに人智を超えた理解の及ばない不可思議な力のせい…………。

 

「……いや、知ってる、から。アタシは、これを、知ってる、から」

 

 ビビリで顎がガクガクのアタシ。抑え切れない恐怖心で今にも倒れてしまいそうになるが、今回で二回目ともなるその現象を前に、必死になって気力を保ち続けていく。

 そして、視線を下へと向けていった。足元で何かが蠢いている。今回は匂いの対策をしてきているから、恐らくネズミポケモン……コラッタの心配はない――

 

 人の子のような形をした、白色と緑色の小さな生き物。頭部に生えたハートのような赤いツノを持つその見た目は、ここ数日で二度、そして今朝、ポケモン図鑑でも見た親しみのある特徴。

 

「……やっほ、ラルトス。その、アタシのこと、覚えてる……かな?」

 

 声を掛けてみた。すると、アタシの声に反応したのか、ラルトスは見上げるように頭を動かして、人の髪のような緑色の頭部をサラサラと流し、その間から血のような紅の瞳を向けてきたのだ。

 

 うおぉ……。さすがにちょっと怖い……。

 内心でビビリ散らすアタシ。しかも、ラルトスは相手の感情が分かるポケモン。だからきっと、アタシがビビリまくっていることなんてラルトスにはお見通しなんだろう。

 

 だからこそ、不思議で仕方がなかった。ラルトスは本来、人前には滅多に姿を現さない貴重なポケモン。それも、前向きな気持ちをキャッチすることでその対象へと近付いてくるという、アタシとは正反対の人間に好感を抱く生態の持ち主だ。

 それなのに、このラルトスときたら、ビビリでダメ人間な、ネガティブな感情を体現したかのようなアタシに自ら寄ってくる。この時点で不思議極まりない事態なのだが、そうして決めつけるのもまた、常識的なことを常識的に行える正常な人間だからこそ抱く感想であると、アタシは勝手に思っていた。

 

 アタシには、ラルトスの気持ちがよく分かっていた。だからなのか、ポケモンという種族は、人間という種族と共存することができるのかもしれない。

 

 アタシは、ラルトスに思い切って訊ねてみることにした。……この数日、アタシがラルトスから感じ取ってきた、二人に共通するとあることを――

 

「その……あなたもさ、周りと、違うんだよね」

 

 ドックン。心臓から脳みその頂点に伝ってきた、一瞬ながらの鼓動。

 ――ラルトスの感情が、アタシの中に伝わってきた……? 感覚のみで感じ取った直感ではあるものの、この受け取り方はあながち間違いではないようにも思えてくる。

 

「分かるよ、ラルトス。だって、アタシも、周りと違うから。あなたにこんな話をするのもアレなんだけどさ……アタシさ、ポケモンって生き物が苦手なんだよね。でも、周りはそのことを理解してくれないの。ううん、違うな。理解してくれないんじゃなくて、アタシがおかしいだけなの。みんなは、ポケモンのことが大好き。だから、ポケモンは味方、イイ奴、正義! って考えなんだけど、アタシはその逆の考えを持ってた。だからね、アタシ、周りから変なヤツって思われてて、時には嫌がらせとか、イジメとか受けたりしてたんだよね」

 

 ドックン。ドックン。体内に伝ってくる鼓動が、より一層と大きく、広がるようにアタシの中を巡っていく。

 ……やっぱり、そうだった。アタシが薄々と感じていたことは、ラルトスにとっても同じことだった。

 

「ねえラルトス。あなたもさ、アタシと同じでしょ」

 

 …………。その小さな身体で、紅の瞳をじっと向けてくる存在はアタシと見つめ合う。

 直にも、ラルトスはアタシの脚にくっ付いてきたのだ。それを受けて、アタシも屈んだ姿勢で腕に抱えていたカゴを見せながらそれを言う。

 

「良かったらさ、一緒に美味しい物を食べようよ。周りとは違うもの同士……いや、同じ考えを持っていて、お互いになんとか頑張っている者、同志、としてさ。あなたのために、アタシ、ポケモンが大好きな味付けのお菓子を作ってみたんだよ。ポフィンってやつなんだけどさ。これ、あなたも食べてみない?」

 

 そう言って、アタシはカゴの布を取り除いてみせた。中からは、カゴいっぱいに詰め込まれた、ラグビーボールのような形をした一口サイズのケーキっぽいお菓子が現れる。

 その光景に、ラルトスは思わずアタシそっちのけでカゴの中身を覗いてきた。その紅の瞳を輝かせて、視線は釘付け。

 

 ……あれ、なんだなんだ。ポケモンって、意外と可愛いぞ……?

 

 と、その時にもラルトスは光を放ち始めた。頭部のツノから発せられるそれをアタシが認識した頃には、この意識は遥か地平線の彼方へとぶっ飛んでいく感覚。そして……。

 開けた視界。あの閉鎖的な小道の空間が嘘のように、緑の芝生と青空が広がる自然の高台へと移っていた。

 

「ここで食べる? いいじゃん。ラルトス、あなた、チョー分かってる。いいセンスしてる。まるでピクニックだ!」

 

 今までアタシは、特技は何かと問われたら職場で鍛え上げられた愛想笑いですと真っ先に答える自信があった。

 けれど、今こうして口元が緩んでいるのは、決して意識して行っているものではない。とても自然な気持ちから、とても自然と表れたアタシの笑みだった。

 

 こんなに清々しく笑うことができたのは、何時振りだろうか。今も寄り添ってはアタシの身体を頑張って上ってくるラルトスを膝に乗せ、抱えたカゴの中から二人でポフィンを取り出して一緒に食べていく。

 

 目の前には、つい数分前まで佇んでいたジョウダシティの光景。発展した活気あふれるその町並みをラルトスと眺めながら、アタシはポケモンという毛嫌いしていた存在との共存に、初めて希望を見出すことができた気がした――――



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第一歩

「パパ。アタシ、ポケモントレーナーに興味ある」

 

 朝食の時間、料理した玉子焼きの皿を運びながら、アタシはそんなことをパパに言ってみた。

 空間に走る、無の静寂。迸ったありとあらゆる感覚にパパは暫しとフリーズしてから、ようやくと理解が至ったその時にも、驚きのあまりに飲んでいたコーヒーを口からぶちまけて、椅子から滑り落ちて盛大に腰を打っていく。

 

 後ろへとひっくり返り、その足でテーブルもひっくり返して研究所の休憩室を一気に地獄絵図へ塗り替える。その音を聞きつけた数名の研究員が慌てて駆け付けるのだが、足元で転がっていたパパが喜びのあまりに満面の笑みを浮かべていたことで、研究員は二度驚いた。

 

 すぐにもパパは起き上がってアタシへと駆け寄ってきた。その眼鏡にはぶちまけたコーヒーが付いていて、そんなんじゃあ前見えないでしょと思いながら。

 

「あぁ、ヒイロ!!!! あぁぁぁヒイロ!!!! 今、何て言った!?!? パパ!! とても信じられなくてもう一度だけその言葉が聞きたいよ!!!!」

 

「おおげさだなー。パパ、アタシ、ポケモントレーナーに興味ある――」

 

「ポケモントレーナーに興味ある!!!! ポケモントレーナーに興味ある!!!! あぁそうかヒイロ!! そうかそうかそうかそうか!! ヒイロにもとうとうこの時がやってきたか!!!! いやパパは信じていたぞ!! 野生のラルトスのためにポフィンを作ると言い出したその時からパパは信じていた!! いやまさか本当に言い出すなんて思いもしていなかったけど!!」

 

 それ信じてないじゃん。内心でツッコミながらも、パパに激しく揺さぶられる上半身でガクガクと揺らした視界の中で、研究員たちも驚きと喜びで狂喜乱舞な様子を見せていく。

 その日、研究所の中でパーティーが行われた。だからいちいちおおげさなんだってば。そんなんされたらやる気が冷めちゃうよ。とは思いながらも、博士の娘のためにここまで喜べる人達というのも滅多にいないだろうとも考えた。みんな温かい人達なんだなと自分の中で納得してから、その日は余計なことを言わないまま素直に祝福されたものだ。

 

 それからというもの、アタシはトレーナーズスクールという教習所に通った。どうやらポケモントレーナーになるには、それを裏付ける免許が必要になるとのこと。そんなことなど全く知らなかったものだから、まさかここにきて勉強をすることになるとは思いもしていなかった。

 

 勉強の内容は、学校でやっているような頭の痛くなってくるようなものではなかった。まずポケットモンスターという生物の基礎知識。例えば、ポケモンは人間の言葉をある程度なら理解することができるとか、ポケモンをモンスターボールと呼ばれるあの小さなボールの中に入れることで自分のポケモンになるだとか。ほんとに、初歩中の初歩というポケモンのルールをアタシは一から学んでいった。

 

 講習を受ける周りの生徒は、ほとんどがアタシよりも年下だった。というのも、ポケモントレーナーになる資格の最低条件として、年齢が十歳以上であることというルールがあるらしい。アタシはそれを知らず、それでいて、この世の皆がポケモントレーナーに憧れを持つため、十歳を超えた大体の子供がその時点でトレーナーズスクールに通い、ポケモントレーナーになるのだとか。

 

 あぁ、だからちょうどそのくらいの時期、学校のクラスががら空きになっていたのか。長年の謎がようやくと解消されてスッキリしたものだが、如何せんアタシは周りと比べて随分と年上。更に年上の方もいたのに、アタシの根っからの雰囲気だとかで年下にからかわれる始末。

 

 このクソガキ……。なんか思いながら、悔しさのあまりにアタシは猛勉強を重ねた。

 しかし、何をやってもダメなアタシ。学校に通っていないという不真面目さから時間だけは確保できていたハズなのに、物覚えが悪くて勉強の中身が全く入ってこない。

 

 結局、成績も周りのガキんちょに負けてしまった。特に、タイプ相性というものがボロボロだった。

 ポケモンの未知なる可能性を完全になめていた。タイプの数が多すぎる。ほのおタイプとか、くさタイプとかみずタイプとかならまだ覚えられたけど、他のタイプさえまだあやふやなのに、そこに相性とかが関わってきて、それがもうボロボロだった。

 

 てか、フェアリーってなんだよ。

 

 そんなこんなで余計に周りのガキんちょになめられて、アタシはすごく悔しい思いをした。なんだよ、せっかくポケモン嫌いから頑張ってここまで来たというのに、その先でどうしてこんな思いをしなきゃいけないんだよ。

 

 色々と苦しく思う時期を乗り越えながらも、アタシはなんとかトレーナーズスクールを卒業することができた。通う期間も周りより長くなってしまい、その原因が確認テストと、卒業テスト。それぞれ三回と五回落ちてしまい、からかってきた周りのガキんちょは先に卒業してもはやアタシ一人取り残された状況。

 

 しかも、アタシがポケモン博士の娘であることが教習所にも伝わっていたから、余計に冷たい視線を向けられていた。アタシは自分自身に留まらず、パパのメンツも汚してしまったのだ。

 

 生き恥だ。アタシなんか生まれてこなければよかったんだ。最後は傷心のまま卒業を迎えて、何とかポケモントレーナーの免許を入手。それをパパに見せたら、パパは喜びのあまりに大号泣。その日と翌日は仕事に手がつかず、行き過ぎた感動が身体にダメージを与えたことで寝込んでしまった。どうやら徹夜が続いていたらしく、研究の疲れとアタシがポケモントレーナーになった安堵から、パパは数日の間だけポケモン博士をお休みした。

 

 アタシがポケモントレーナーになってから、数日が経過した。

 時期的にも、正式なポケモントレーナーとして旅を控えた新人冒険者たちが新たなパートナーを研究所から受け取りにくる頃らしく、アタシが免許を手に入れてから研究所は常に大慌ての様子で様々な手筈を整えていた。

 

 パパは、他の地方から送られてきた大量の箱を運んでいた。中には大量のモンスターボールが入っているとのことで、その中には、冒険の最初のお供に相応しい、初心者でも扱える優れたポケモンたちが選ばれるのを待っているのだとか。

 

 で、パパはポケモン博士らしく、新米ポケモントレーナーに向けたスピーチの内容とその訂正、どの成績のトレーナーに、どのポケモンを勧めるか。更には、中のポケモンの性格や個体差などを一匹ずつ間違いなくデータとしてまとめていき、迫る新米トレーナーの送迎会の日に向けて忙しくしていた。

 

 パパは、とても真面目だった。ポケモントレーナーとして記念すべき第一歩を踏み出すのだから、その一人一人に寄り添って、よりよい冒険を体験できるためのサポートを最初から最後まで全力で尽くしていきたい、と。ポケモンのことを学んでから、アタシはパパの偉大さに初めて気付かされた。

 

 今まで、この時期をすごく憂いに思っていた。同じクラスの意地悪なメンツもパパにはイイ顔をして、とても素直なイイ返事をしている様を陰から見ていた時には苛立ちも半端なかった。でも……その立場に自分も置かれたからこそ分かることもあるわけで、アタシは今も心の中で抱いている確かな高揚感に、自分もその当事者なんだなと改めて認識させられた。

 

 

 

 桜という花が満開に咲き誇るその季節。今までの終わりと、これからの始まりを告げる、儚くも希望に溢れた温かい時期。

 

 ポケモン研究所に集った人だかりは、この時期に旅立つ新米ポケモントレーナー達だ。皆が高揚感に期待を膨らませて、今か今かと自分の相棒に会いたがる。

 既にモンスターボールを受け取ったトレーナーたちは、研究所に背を向けて己の道を歩き出していった。桜舞い散る光景の中、自転車を走らせ、バスに乗り、迎えの鳥ポケモンで飛び立ち、中には自らの足で地平線を目指していく者たちの背中。

 

 それを、アタシはパパの手伝いの中で見送ってきた。モンスターボールが入った箱を運び、パパのスピーチを何度も聴き、研究員の皆さんに差し入れの飲み物を渡しながら、アタシに訊ねてきた新米ポケモントレーナーへの対応。などなど。

 

 一日中、働いた。下手すればいつものレストランの接客以上に疲労を感じた。しかし、アタシは未だこの胸に宿した高揚感によって、疲れなんかで足も意思も止めることはなかった。

 

「ヒイロは、明日だね」

 

 疲労困憊のパパが、疲れ切っていながらも優しく、とても穏やかな調子でその言葉を掛けてきた。

 

「うん。そうだね。アタシの旅は、明日から始まるね」

 

 桜吹雪に吹かれる中、アタシの片手に握りしめられた紅白のモンスターボール。

 その小さなボールの中で、アタシの感情を読み取ったのだろう。手のひらでボール越しにぶるるっと震えて、“この子”は応えたのだ。

 

 準備はできている。あとは明日を迎えるだけ。夕暮れの儚い日差しを眺めながら、アタシはラルトスを入れたモンスターボールをギュッと握りしめた。



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冒険の幕上げ

 正直な話、アタシは今でもポケモンのことを怖いと思っている。それぞれが異形な姿を持ちながら命を宿していて、そのほとんどが人間を容易くひねりつぶせる能力を宿している。アタシはきっと、そんな人間ならざる脅威の未知に、ひどい恐怖を抱いていたのだろう。

 

 けれど、今だから色々と分かることもある。今までの自分を顧みて、アタシはその恐怖心も、曖昧なものから、確かなものとして認めることができたから。

 今でも、ポケモンのことが怖いさ。これはもう、アタシの中で覆しようのない常識だ。でも! 最近になって、それだけじゃないこともアタシは知ることができた。これは立派な成長であると自負できる。

 

 

 

 そもそもとして、ポケモントレーナーになろうと思い立ったのは、あのラルトスを他の人に渡したくなかったからだった。アタシと同じ境遇であるあの子との出会いには運命を感じていて、だからこそ、ほとんどはアタシとは異なる境遇にあるだろう他のトレーナーに、良き理解者であるラルトスを渡したくなかったのだ。我ながら、動機が人間のエゴそのものである。

 

 そう思い立ってから、アタシはもう一つの野望を抱えた。いや、思い出した、とも言うべきか。

 それは、『どうぐ』を集めたい、という幼い頃からずっと何となく思い続けていたもの。これまでもそれをしてきたし、じゃあ既に目的は達成されているじゃん、と問われれば、否、とアタシは答える。

 

 アタシはもっと、広い世界の中で『どうぐ』をコレクトしていきたいと思えた。ジョウダシティの中だけでは満足できなくなっていたアタシの欲求は、このシナノ地方という広大な大地に興味を持ち始めていたのだ。

 更に言ってしまえば、このシナノ地方の近くには、カントー地方とジョウト地方がある。その更に遠くには、ホウエン地方と、シンオウ地方。いや、その先にもいろんな地方が……!!

 

 そう、こんなにも広い世界なのだ。こんなにも世界は広いのだから、その分『どうぐ』も数えきれないほどの種類が存在しているだろう。

 それを考えただけで、アタシは今にも家を飛び出したい気持ちに駆られた。既にある『どうぐ』を、もっと各地で見つけていきたい。アタシの欲求をくすぐる未だ出会ったことのない『どうぐ』を、この手に収めてみたい。アタシにとっての『どうぐ』は、ただポケモンに使ってあげるだけの代物ではない。アタシは『どうぐ』という何気無い小物を、愛でたいのだ。

 

 冒険に出たいという動機は、『どうぐ』によるものだった。しかし、それを動機とする出来事としては、アタシはラルトスというポケモンという未だ知らない広い世界を知ったからだと思っている。

 

 

 

 朝の日差しが射す自室。シャワーあがりでバスタオル一枚という、冒険を控えたポケモントレーナーとは思えない緊張感の無さで自室をひたひたと歩いていく。

 それをバッと取り払い、素っ裸になって仁王立ちしてみた。……うむ、今日もワシ、絶好調ナリ……。そんなことを思い、アタシは着実と準備を進めていく。

 

 腰まである、茶髪のロングヘアー。切ろう切ろうと思って、結局ここまで来てしまった。ならいっそ、このまま伸ばしてみようかとも考えているくらい。

 黄色のシャツと、青色のスカートという快活な色合いに身を包み、ふくらはぎまでの丈がある白色のジャンパーを着てみて動きの具合を確かめてみる。何故かは知らないけどサイズを間違えて買ってしまった割には、冒険者としての雰囲気はあるものだから何だかんだで気に入った。

 

 そして、白色のロングブーツ。膝あたりまであって若干と歩きにくいものの、慣れれば別に問題ないでしょとアタシは気にしない。

 一通りのコーデは完了したため、あとは白色のキャップと、ベージュのバッグを身に着けて支度は完璧! 持ち物も一通りと揃えてあるし、お守りとしてアタシのコレクションの中からいくつかの『どうぐ』も入れておいた――

 

「……そうだ」

 

 ふと思い出して、アタシは勉強机のコレクションへと手を伸ばす。

 その手に取ったのは、進化の石コレクションの内の一つ。青緑色に光を放つ、透き通ったその石。中心部にトゲトゲした何かが入っており、それがまた神秘的で、アタシのお気に入りの一つだった。

 

 『めざめいし』。パパがそう言っていた。めざめいしは、進化の石の中でも特に希少価値があると言って、パパがぜひとも研究に使いたいとアタシに土下座しながら懇願してきたくらいだ。そんなに価値があるんだ、ということで、アタシは納得しながらノーの返事を言い渡した記憶がある。

 

 この石を、ラルトスがとても気に入ってくれていた。ラルトスを捕まえたあと、初めて自室にラルトスを放った時に真っ先にこの石に吸い寄せられていったくらい。

 そんなラルトスのお気に入りを、旅のお守りとして持って行こう。めざめいしをバッグの中に入れて準備完了となったアタシは、とうとうと迎えた旅立ちの時にようやくと緊張感を帯びながら、その足を軽快に走らせて研究所の玄関へと向かっていった。

 

 

 

 これは、ポケモントレーナーのヒイロという十五歳の娘の物語。変わった個性を持つラルトスを相棒にしたヒイロの、『どうぐ』とポケモンが織り成す一つの冒険譚である。

 この時、シナノ地方に蔓延る邪悪な気配のことを、誰もが知る由もなかった。後にもヒイロはその運命に大きく関わり、シナノ地方に深く関わりを持つこととなる。

 

 平穏が続く冒険の中でも、ヒイロはたくさんの出会いを経験する。様々な出来事が起こり、ヒイロはそれに臨んでいくのだ。

 『どうぐ』コレクターとして挑む、偉大なる挑戦の数々。ヒイロはそれらによる荒波に呑まれながらも、『どうぐ』を愛する純粋な心持ちで着実と前に進んでいくのである。

 

 幕は上がった。ヒイロとラルトスによるシナノ地方の冒険が、今、始まる――



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個性

 自転車のカゴに入って一緒に揺られていたラルトスが、アッチ、アッチと手を伸ばして一軒の建物を指していく。看板にはパフェと書いてあり、それを確認したアタシはラルトスに「おっけー!」と言ってから、自転車を一気に飛ばして颯爽と道を駆け抜けた。

 

 ジョウダシティを中心にあちこちへと伸びる道路、ジョウダ道路。実家のポケモン研究所を出発してから数日と経過したこの道のりは、寄り道がほとんどで思ったようにジョウダシティ付近から離れられずにいたものだ。

 

 旅をしてみると、意外と楽しかった。あらゆるものから解放された気分となり、アタシは旅というよりは、旅行を経験しているような感覚で周辺をうろうろと巡っていたものだ。

 元々の目的としては、このシナノ地方の各地に眠る、未だ見ぬ『どうぐ』を求めた冒険だ。その目的の趣旨自体からは決して外れてはおらず、今まで行かなかったような場所やお店に立ち寄って、いろんなポケモンの『どうぐ』をラルトスと共に眺めてきた。

 

 けれど、どれもイマイチ、ピンと来ない。もっとこう、『どうぐ』をコレクションしていたアタシの、欲しい! と欲求に訴え掛けてくるようなロマン溢れし代物と巡り会うための旅なのだ。さすがにこんな近場じゃあ、新鮮味も無いというもの。

 

 立ち寄った建物は、旅人の休憩所とも言える、憩いの場。この世界で言うサービスエリアのようなものだろう。そこではポケモンの乳を使ったパフェが名物らしく、アタシはその甘い響きにつられてラルトスと二人で食べることにした。

 

 一つのパフェを二人で分け合っていく。ラルトスにはスプーンですくったパフェを与えていたものだが、ラルトスは意外と食いしん坊で、パフェにそのまま顔を突っ込み始めて食べ始めた。

 マジかよ。思いもよらない行動に呆気に取られたアタシだったが、そんなことで意識が外へと向いたことから、先ほどから正面でポケモンの技と技をぶつけ合っている落ち着かない光景へと見遣った。

 

 ポケモンバトル。トレーナーズスクールで学んだことだが、やはりポケモンバトルというのは、トレーナーのお互いのポケモンをぶつけ合うことで勝敗を決める、決闘、という認識で間違ってはいなかった。

 ただし、決闘というには少々と語弊を招く。もっと適切な言葉に置き換えるとしたら、これはポケモントレーナー同士によるコミュニケーション、と言えるだろう。

 

 今までは、可愛がっているペットをどうして傷付けるようなことをするのだろうと、そんなことばかり思っていた。しかし、スクールで実践もあり、アタシもポケモンバトルというものを肌身で感じてきた。

 

 言ってしまえば、楽しかった。ポケモンを戦いのための道具として使っている、という認識は間違っていたのだ。

 この楽しかったという言葉の意味はもちろん、競い合うことで勝利を目指すような、闘争の根本的な部分にもあるかもしれない。けれど、ポケモンバトルの本質はここに非ず。この行いによって誰が一番喜んでいるのかと言うと、それは、戦っているポケモン本人であることが分かったのだ。

 

 ポケモンバトルで動き回るポケモンは、すごく活き活きとしていて、とても楽しそうだった。アタシが使った、ピカチュウというポケモンは、解放感とも例えられる清々しいほどの走りっぷりでフィールドを駆け回り、こちらが技を指示すると、ピカチュウはそれに応えた鳴き声と共に、全てを解き放つかのような力いっぱいの10まんボルトを相手に浴びせていった。

 

 攻撃を食らった相手は、ヒトカゲというポケモンだった。そのヒトカゲも、痛みなど意に介さず真剣な眼差しでピカチュウを捉えて、反撃のひのこを食らわせてきたのだ。

 そのやり取りからアタシが感じ取れたものは、ポケモンという生物は、元々からこうして戦うことを想定されたつくりなんだろうな、ということだった。個体によっては、名誉のため、プライドのため、などなど色々あるのかもしれない。それらを含めて、ポケモンには戦いを好む習性が根付いていて、それによってポケモン同士もまた、時には力試しのため、時には友情のため、そして、時には食うか食われるかの命懸けの生存競争のために、自ら戦いを望むのだろう。

 

 今、目の前で繰り広げられているポケモンバトルも、アタシが体験したそれと全く同じものだった。男の子二人が競い合っていて、それぞれ、あれはフシギダネ、それと、あっちは……子ザルのような炎のポケモンを従わせている。

 見るからに、この時期ポケモントレーナーになった新米同士といった感じ。アタシが出発する前日に相棒を受け取った子達なんだろうなと、微笑ましさも感じられてアタシはついつい食い入るようにその光景を眺めていた。

 

 ……ちょい、ちょい。袖が引っ張られる。振り向くと、ラルトスがアタシのことをじっと見つめていた。

 口にパフェをいっぱい付けて、アタシが他のポケモンを見ていたことを気にしている様子。気持ちは分かるよ、ラルトス。

 

「分かってるよ。アタシにとっては、あなたが一番なんだから」

 

 わしゃわしゃーっと髪のような緑色の頭部を撫でていく。するとラルトスはじっとして、アタシに撫でられ続けるのだ。

 ポケモンのことはまだまだ怖いと感じる場面が多いけれど、この子がついていてくれるだけで、見える世界がだいぶ変わった。ラルトスとしてもアタシなんかについてきて、このポケモントレーナーらしからぬ動機で旅立つアタシの相棒になってくれた。

 

 ……ポケモントレーナーらしからぬ、か。そう言えば、ラルトスって戦えるのかな。

 

「ラルトス。あとであなたの覚えている技を確認させてよ。パパが見てくれた感じだと、テレポートってやつは使えるもんね。あとはよく分かんないし、この際だからあなたのことをもっと教えてよ」

 

 と、アタシがそんなことを言ってる間にも、ラルトスは空っぽになったパフェの入れ物をアタシに渡して期待の眼差しを向けていた。

 

 紅の瞳を、キラキラと輝かせている。

 ……あー、はい。りょうかい。おかわりね。どうやらアタシのラルトスは、戦うことよりも食べることが好きらしい。こういった点も、他と違って生まれてきてしまったアタシと通じ合えた共通点、とも言うべきか――



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センギョクタウン

「ラルトス! 見えてきた! あれが『センギョクタウン』だよ!!」

 

 山の国シナノ地方。その名にふさわしい山なりの道を自転車で走っていると、前方には平たく広がった建物の密集地帯がアタシの視界に広がり出す。

 

 雲の無い快晴だが、その青色はジョウダシティと比べてより濃い色合い。遥か彼方へと続くにつれて白く変化する空の模様が、新たな地に訪れたという高揚感をより高めていく。

 道中、古びた里のような空間を通り抜けていった。枯れ葉のような香りが漂うこの一帯を突っ切ると、次にアタシらを迎えたのは大きな橋。その下には幅の広い川が流れており、そこで釣りを行う者や、川を泳ぐポケモンが見受けられた。

 

 橋を自転車で突っ切るその最中にも、多くの人々とすれ違った。その多くが自分のポケモンと共に流れる川を眺めていて、談笑を交わしたり触れ合ったりして楽しげにやっていたものだ。

 

 橋を越えると、アタシは本格的に新たな地に到着した。外から来た客を迎え入れる、大きな門。そこにはでかでかとした字で、『センギョクタウン』と書かれている。

 センギョクタウンは、アタシの住んでいたジョウダシティとほぼ隣接した地域だ。この二つの間にも名前のついた地域が存在するものだが、今回は足を踏み入れることがなかった。また次の機会にでも訪れようと思ったから。

 

 で、今回訪れたこのセンギョクタウンは、ほぼ隣接していながらも初めて来る場所だった。アタシはそんなアクティブな人間ではなかったため、基本、ジョウダシティから一歩も外に出ていない。だからか、こうして割と近場な地域でもすごく新鮮に感じられる。

 

 自転車のカゴに入っているラルトスは、センギョクタウンの景色に見惚れていた。ここはここで活気があふれていながらも、ジョウダシティほどわちゃわちゃしていない。ジョウダシティは人とポケモンの交流を意識しているところがあるが、このセンギョクタウンはどちらかというと、自然を意識した町並みをしている。初見のアタシからみたら、そんな印象を抱く地域だった。

 

 ラルトスが、アッチ、アッチと手を伸ばしていく。どうやらセンギョクタウンの中を見て回りたいみたいだ。アタシはラルトスの指す方へと歩きながら、自分は自分で、隣接する川から流れてくるマイナスイオンの新鮮な空気を堪能しながら、この足を進めていったものだ。

 

 空は相変わらず、青色が濃くて途方を感じさせる。それがまた神秘的に思えて、時々見上げて眺めてしまうのだ。

 神秘的な魅力は、空だけではない、センギョクタウンの中もジョウダシティとは異なる造りとなっていて、あちらは塗装された道路や街灯があちこちと、あとは人工的に整えられた植生の道やらフェンスの数々。そんな空間が広がっていた。一方でこちらは、地面がまっ平。どうやら元々の平面な地形をそのまま町に活かしているらしく、この足に広がっているのも地面で、車のタイヤや人の靴、ポケモンの足跡などがしっかりと残っている。

 

 ここは、空気が美味しい。マイナスイオンも相まって、センギョクタウンに住むだけで何だか健康になれそうな気がする。そんな感想を抱きながら歩いていくアタシのその先では、広場の中に集る大勢の人々が、歓声をあげながらこちらに背を向けているのだ。

 

 何をしているんだろう。小さな子供から大の大人まで、老若男女の様々な人々とポケモンが皆こぞって集まって一点へと向いている。その歓声もただならぬもので、なにやら白熱としたポケモンバトルでも繰り広げられているんだろうなと、そんなことを思った。

 

 ラルトスも、ちょい、ちょいと手を伸ばしてアタシに促していた。この子、結構いろんなものに興味を持つんだな。そう思いながらアタシも自転車を押しながら人だかりに近付き、けれど自転車があるから邪魔になると思って距離をとりながら、人と人の隙間から覗くように目を凝らしてみた。

 

 すぐに見えたのは、カメラマンだった。大きなカメラとマイクも見えたことから、どうやら中継か何かをしているのだろうといった感じ。で、そのカメラとマイクのセットがいくつもあり、それぞれ異なるテレビ局のものかなと感じ取る。

 

 そして、それらが映す本命を見て、アタシは思わず「あー」と声を出してしまったのだ。

 長身の青年。傍には、水色の体色と紅の羽を持つ、四足のドラゴンポケモン。それに手を添えながらインタビューに答えていく彼の姿は、純白のショートヘアーと、黄色のボタンと純白のジャケット、純白のパンツに白色の洒落た靴という、放つオーラから伝わる最強の美貌をまといし超絶イケメン。

 

 さながら、白馬の王子様とも言える彼のことは、ポケモンに無頓着であったアタシでさえも知っているポケモン界のレジェンド。

 テレビや雑誌でもよく見かけたその姿。世間ではその名前と存在を知らぬ者などいないに等しい知名度。一言一言から発せられる甘美の声音で全ての女を堕としていき、その紳士的な立ち振る舞いから多くの男性諸君にも憧れられる。

 

 ある意味で罪深い、圧巻の存在感。スーパースターの名に恥じぬ、煌びやかな一つの概念。アタシはそんな彼のことを、よく知っていた。それも、ポケモントレーナーになる前から、アタシは彼のことをテレビや雑誌で何度も何度も見てきたものだから。

 

 彼の名は、『タイチ』。“シナノチャンピオン”の最強ポケモントレーナーだ――

 

「ラルトス。見える? あの人、すごくスゴイ人だよ。アタシもこの目で見るのは初めて。今の内に見ておいた方がいいよ。あのご尊顔、きっとイイ事あるから」

 

 カゴの中から覗くラルトスと目の高さを合わせながら、二人で一緒に人だかりの間から必死になって覗いていく。

 んー、見えにくいな。そんなこんなでアタシとラルトスはしばらく挙動不審な動きをしていたのかもしれない。

 

 と、その時にも彼と目が合った。一瞬だったものだが、確かにアタシとラルトスのことを見てくれたと思う。

 その後というものの、彼へのインタビューが終わったみたいで、パックリと割れた人だかりから煌びやかな存在感と共にどこかへ退場していくタイチ様。その後ろ姿をラルトスと二人で見送り、メインがいなくなったこの広場からは人々が退散していく。

 

 ……結局、何のインタビューだったんだろ。てか、なにかのイベント? タイチ様はメディアの前によく姿を現す人らしく、たまに、スクープを狙って彼の後をつける記者を背後から驚かせるといった、言葉のままのサプライズを好んだりもする、ある意味でサービス精神の強いスーパースター。

 

 そんなことだから、今回のこれも地域のポケモンバトルのイベントに呼ばれていないながらも参戦したとか、そんなことだろう。そういう話を、割とよく見かけるものだから。そんなことを思いながら、アタシはシナノチャンピオンの存在に全てを持っていかれてしまったセンギョクタウンのことを思い出し、宿を探すためにこの自転車を押して歩き出したのだった。

 

 ……明日、そんなスーパースターのタイチ様と、個人で会話する機会が巡ってくることも知らずに――



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最後の壁

「アタシ、ヒイロというの。で、この子はアタシの相棒のラルトス。それで、注文したんだからお話を聞いてもいいよね? アタシ、『ジュエル』ってどうぐを探してるの。マスターさん、ジュエルのことで何か知ってることある?」

 

 センギョクタウンの喫茶店。おひとり様でも利用できるカウンター席に座るアタシは、前日にも入手していたとある情報をお店のマスターに訊ね掛けていた。

 

 お昼を過ぎた時間帯。太陽が傾き始めたその頃、アタシはラルトスと共に休憩をとっていた。昨日、宿を探している途中に小耳に挟んだ、とある『どうぐ』のことをアタシは追っていたのだ。

 

 それは、“ジュエル”という名前の代物だった。見た目は宝石そのもので、主にアクセサリーといった華やかな装飾品の一部として使われる。

 しかし、使用用途はこれだけではなかった。なんと、その宝石はポケモンバトルにも利用されるというのだ。それも、ただポケモンに着けてあげるアクセサリーとしてのものではなく、れっきとした戦闘中にある特殊な効果が発動するというオマケつき。

 

 アタシは、その名前自体は聞いたことがあった。しかし、ジョウダシティでその正体を探し求めるも、敢え無く断念。まるで見つからなかったのだ。

 だが、本当にただ通りすがりの会話として聞いてしまった今回のことを受けて、アタシは思わず会話する彼らの話に混ざってしまった。そこから得た情報として、ジュエルというどうぐはどうやら、未だ謎に満ちていてその効果とかは詳しく解明されていない模様。

 

 だったら尚更、手に入れるしかない!! アタシがこの手に収めて、自らその謎を解明してみせる!!

 ……と意気込んで、今朝からジュエルに関する聞き込みを行っていた。というのが前回以降のあらすじ。

 

 コップを拭いているマスターは、アタシの問い掛けに少しだけ答えてくれた。

 マスター自身も詳しくないから、あまり教えられないとのことだった。ただ、マスターが言うにはジュエルという宝石はやはり価値が高いため、それがどこで採れるのかといった情報は公に明かされていないらしい。で、高価なために凡人が入手できるものではなく、その希少価値からかコレクターには常に目をつけられている、とのこと。

 

 あぁ、アタシのようなどうぐコレクターって、他にもいるんだな。と、そんなことを思いながらお礼を言って、カウンター越しから出てきたお昼ご飯のランチセットをもぐもぐ頂いていく。

 カウンターの上には、ラルトスが乗っかっていた。マスターとしては、アタシの話よりもラルトスのことが気になっていたらしく、よくこんな珍しいポケモンを捕まえられたねと興味津々にラルトスを眺めていたものだ。で、良い物を見せてくれたお礼として、ラルトスの分のご飯を無料で提供してもらえた。ラッキー!

 

 とはいえ、どうぐコレクターとしてさっそく興味深い情報を手に入れてから、その成果がまるでふるわない。アタシらしくない行動力でセンギョクタウンの人々に訊ね回ってみたものだけど、そのほとんどがジュエルという代物の名前を聞いたことあるだけで詳しいことを知る者が全くいなかった。

 

 だからこそ、アタシは余計に熱が入るのだ。ジュエルとは一体、なんなのか。ポケモンバトルでは、どんな使用用途で用いられるのか。そして、その高価などうぐはどういった場所で採ることができて、どういった条件でジュエルというどうぐが生まれてくるのか。その過程は? どんな環境で? 見た目は? 気になることが多すぎて、アタシはもどかしい気持ちで、呑み込む食べ物が喉に詰まってしまう。

 

 ……こういうのは、敢えて苦労する道で色々と発見していきたい。そんな謎のこだわりが、アタシの身体に負担をかけていく。

 しかし、ラルトスには無理を強いることができない。なにかあったら、最終手段として図書館を利用するまで――

 

「となり、いいかな?」

 

 ふと、横から掛けられたその言葉。男性のそれにアタシは「どうぞー」と答えて広げていた足を退けると、男性は「ありがとう」と言ってアタシの隣に腰を下ろした。

 マスターには、「いつもの」と言って注文を終えるその人。チラッとだけ見てみると、男性は背が高く、純白のショートヘアーに黒いハット、更にはサングラスと口周りのヒゲという、絵に描いたような紳士の外見。着用している服は、ゆったりとしたガラ入りの白い上着と、黒色のカーゴパンツというもの。全体的に緩い感じはしたものの、その緩さとは似つかわしくないカリスマのオーラを放っていて、違和感を抱いてしまう。

 

 そのシルエットでも、男性の抜群なスタイルを何となく感じ取れてしまうのだ。靴もよく磨かれた黒色の高級そうなもので、なんか、全体的にこう、吊り合っていないというか、どちらかで無理をしている感じ。

 

 ……変なの。声も外見とは裏腹に落ち着きのある透き通ったものだし、普段はだらしないとさえ感じられるそんな見た目をカッコいいと思えてしまうものだから、アタシは何だか落ち着かなくなって、ジュエルのことを考えられなくなってしまった。

 

 と、男性もこちらをチラりと見るなり、そう声をかけてきたのだ。

 

「キミ、ラルトスを持っているんだね」

 

 ヒゲを生やした、透き通る声の男性がラルトスを眺める。アタシが向くと、そのサングラス越しに目が合った。

 

「この子、アタシの相棒なの。食べることが大好きなんだ」

 

「へえ、変わってるね」

 

「……変わってるでしょ」

 

 変わってる。その言葉を耳にすると、アタシはモヤモヤしてしまう。そのせいで周りから冷たい目で見られてきたし、周囲に馴染めずずっと孤独を感じることにもなった、忌々しい個性。それはラルトスにとっても同じだから、アタシはそれを言われてちょっと微妙な気持ちになってしまった。

 

 と、男性はすぐにそれを口にしてくる。

 

「……ラルトスは普段から、いっぱい食べるのかな?」

 

「この子はホントにたくさん食べるよ。初めて出会ったのがジョウダシティの暗い小道で、あんなところにずっといたもんだからきっと、食べ物には恵まれてなかったんだと思う」

 

「へえ、ラルトスからキミに懐いてくれたかんじだね」

 

「確かにこの子から来てくれたけど、なんで分かるの?」

 

「ん、ラルトスの雰囲気で、一目で分かるよ」

 

 男性はカウンターに肘を乗せて、手を頬に当てながらラルトスとアタシを眺めてくる。

 

「ラルトスは、とても良いトレーナーと巡り会えたね」

 

「はぁ、どうも……」

 

「ん、やっぱそうだ。あの時の」

 

 と、何か思い出したようにそう言う男性。

 

「昨日、キミ達のことも見えたよ。俺、一度見た人とポケモンの顔って、ずっと覚えてるタイプだから」

 

「え?」

 

「あまり公にできないから、こっそりね」

 

 そう言うなり、男性はサングラスを手で少しだけずらしてきたのだ。

 チラりと見えた目元。それだけで、アタシは理解してしまった。快活でありながらも、魅惑的なその目つき。メディア慣れしているのか、他に悟られない絶妙な角度とタイミングから明かしたその素顔――

 

 ――シナノチャンピオン、タイチ様。

 

「うそっ」

 

「しー。この付けヒゲは最近取り入れたばかりの変装アイテムなんだ。すぐにバレちゃったら、また違う変装を考えないといけなくなっちゃう」

 

「うん。黙ってる」

 

 指で口元にバッテン印をつくって、ジェスチャーでタイチ様に伝える。それにタイチ様は満足そうにして、サングラスを元に戻してから再びその話へと戻った。

 

「キミのラルトスが気になって、つい話し掛けちゃったんだ。急にごめんね。変なおじさんに話し掛けられて、怖かったよね」

 

「いやいやいやいや、そんなことは……ちょっとあったけど」

 

「素直だね」

 

 フフッと笑むタイチ様。そのタイミングで注文した「いつもの」がマスターから渡され、タイチ様はそれを受け取って礼を言う。

 って、アタシと同じランチセット。彼の手元に若干と意識が向いているこの間にも、タイチ様はタイチ様で話を続けていく。

 

「昨日、キミ達を見てからやけに気になってね。あの時に見たラルトス……なんだか、いつもと違う雰囲気だったなって。別に悪い意味じゃなくてね、むしろ、良い意味で気になってたんだ」

 

「良い意味?」

 

「他の子たちと違っていたからこそ、俺はその子を魅力に感じたんだ」

 

 ……魅力、ねえ。

 ラルトスを見る。ラルトスはタイチ様に目もくれずモグモグとご飯を食べている。

 

「あの時、キミと、キミのラルトスがとても輝いているように見えた。他とは何かが違うその雰囲気が、俺の直感に訴え掛けてきたんだ。もし巡り会えたら、彼女らと一度でも話をしてみたい。そんなことを思いながらいつも来るお店に入ってみたら偶然、キミ達がいたんだ。驚いたよ」

 

「でも、アタシらはタイチさま――タイチさんのようなスーパースターとはとても吊り合わない存在だと思うから、何も得られないと思う」

 

「もうすでに、得るものは得られているよ」

 

 そう言いながら、タイチ様は超絶イケボでその決めゼリフを放ってきた。

 

「キミ達との出会い、をね」

 

 ぁぁ、甘美な声音から放たれる、ダイレクトな甘い言葉。それを聞いて一瞬だけトキメキを覚えたアタシだったが、その絵面がサングラスと付けヒゲというビジュアルだったものだから、むしろシュールすぎて雰囲気が台無しである。

 

 と、先のセリフは本当に天然なものだったのだろう。そのセリフを軽く流すようにランチを一口食べるタイチ様は、言葉を続けていく。

 

「俺にも相棒がいてさ。ルカリオってポケモンなんだけど。俺の場合はね、ルカリオと初めて出会った場所が、ゴミ捨て場だったんだ」

 

「ゴミ捨て場?」

 

「食事中にごめんね。でも、なんだかこれだけはキミ達に話しておいた方がいい気がして」

 

 こちらに向き直ってくるタイチ様。

 

「俺自身、あまり環境に恵まれないダメ人間だったからさ。そこでゴミを漁っていたルカリオ……当時は、進化前のリオルだったかな。リオルを見つけて、仲良くなった。で、そこで一緒にゴミを漁って面白そうなものを探したりして、友好を結んでいったんだ」

 

「タイチさんが、そんなことしてたんだ。なんか、想像できない」

 

「でしょ。この話をしても、周りは全く信じてくれないんだ。――初めてだよ。この話をまともに聞いてくれたのは」

 

「え?」

 

 気付けば、既に完食間近のタイチ様。意外と食べるのが早い。そんなことを思っている間にも、タイチ様は言葉を続けていく。

 

「俺って、本当に何をしてもダメだったんだ。でも、リオルとの出会いで、それが変化した。俺は家出するようにリオルと旅に出てさ、そこでたくさんの出会いと別れを繰り返していった。次第にリオルはルカリオに進化して、ルカリオ以外の仲間達も加わって進化して、楽しい一時を過ごしていって。気付いたらね、このシナノ地方のチャンピオンになっていた」

 

 ご馳走様。そう言ってタイチ様はマスターに食器を渡して代金を支払うと、その財布から余分にお金を取り出して、アタシに手渡してきたのだ。

 

「とにかく今は、この冒険をラルトスと一緒に楽しんでほしい。次第に、キミ達に同調する仲間達も増えていって、それは自然と永遠の友になる。なにも、無理して輪を広げようとしなくていい。大切なのは、尊重し合える心持ち。増やしていくんじゃなくて、増えていくんだ。――必ず、なんて言葉で約束はできないけれど。でも、キミ達はきっと、幸せを感じられるようになる。俺には、そんな予感がするんだよね」

 

 手渡されたお金を持つアタシの手を、タイチ様は両手で優しく包み込んでポンポンとしてくる。

 アタシは返そうとするものの、タイチ様は「そのお金は、俺が未来に投資しただけだから気にしないで」と言って、そのまま喫茶店の出口へと歩き出していった。

 

 ……必ず、なんて言葉で約束はされていない。アタシのこの先なんて、スーパースターでチャンピオンである彼にも分からないことなのだから。

 

 だからこそ、アタシは彼の言葉を素直に受け入れることができたのだ――

 

「アタシ、頑張るから!」

 

 アタシは思わず立ち上がり、背を向けた彼にそれを言う。

 

「どれだけやれるかは分からない! けど……! アタシとラルトスの気持ちはきっと、こんなところで止まってはいられないと思う!! ――絶対に、前に進んでいくから!! あなたのようにはなれないかもだけど、アタシらはアタシらで、あなた達のような答えを見つける!!」

 

 振り向いて、アタシの言葉を真正面から受け止める彼。その立ち姿は、変装をしていながらも、チャンピオンとしてのオーラを解き放つ威厳のあるもの――

 

「ねえ!! だからさ!! ……もし、アタシらが答えを見つけることができたらさ。その時――あなたと一回、ポケモンバトルしてみたい!! それが答え合わせのように思えるし! それに……あなたとポケモンバトルをすれば、そこから更に何か分かるかもしれないから!!」

 

 サングラスをずらし、その瞳を見せていく彼。

 出口の日差しが、彼の後光となって光っている。――いずれ辿り着く、アタシ達なりの答えの先に待ち受ける、最後の壁として……。

 

「名前、聞かせてくれないかい?」

 

「ヒイロ! アタシの名前は、ヒイロ! ジョウダシティのポケモン博士の、一人娘!!」

 

「あぁ、ジョウダポケモン研究所の――。ヒイロちゃん。うん、オッケー。その名前とその顔、覚えたから」

 

 店の出口の扉をゆっくりと開ける彼。外の眩い輝きに包まれるそこへと一歩足を踏み出した彼は、黒いハットで目元を隠しながらも、肩越しに振り向いてその一言を残していったのだ。

 

「待ってるよ。キミ達が、俺達の下に来る、その時を――」



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ナガノシティ

 とても幸運だった。まさか、センギョクタウンでジュエルについて聞き込みを行っていたら、それを採掘しているという関係者にたまたま話し掛けてしまうだなんて。

 嬉しい誤算だった。彼らが鉱石を掘り起こす採掘チームの一員だったとは思わず、アタシのような女子がジュエルというどうぐに興味を持っていることを喜んだ彼らは、アタシを特別にジュエルを保管する博物館に連れていってあげると言ってくれたのだ。

 

 パパからは、知らない人についていってはいけないよとしつこく言われてきた。アタシも最初は警戒したものだったが、彼らの名刺と、周囲からの信頼度からついていくことに決めて、彼らが乗るトラックに乗車。

 

 朝早くからセンギョクタウンを出発したアタシは、トラックの荷台に乗せてもらった自転車と一緒にガタゴトと揺られながら空を見上げていた。

 深い青色の空。眺めているだけで無限なるそれと一体化しそうになる感覚を覚えながら、抱きしめたラルトスをギューっとさらに抱きしめて目的地の到着を待ち続ける。

 

 道中、休憩をとるということでサービスエリアの駐車場で停まった。

 運転をする筋肉質の男性と、助手席に座っていた若い男性。どちらもヘルメットとタンクトップという見るからに鉱山でツルハシを持っていそうな外見をしていて、熟練な雰囲気を醸し出している。そんな二人に付き添う十五歳のアタシという異様な光景の中で、三人で昼食をとっていた。

 

 このサービスエリアは、駐車場がとても広かった。その広さに見合った車やバイク、移動販売車やポケモン運搬車といった様々な乗り物が停められている。特に気になったのは、それらに紛れるように停められていた、ギャロップという馬のポケモンが佇んでいたこと。この子に乗ってきたのかな。そんなことを思いながら眺めていると、筋肉質な男性から言葉を投げ掛けられる。

 

「それにしても嬢ちゃん、よくジュエルのことを知っていたね。やっぱりあれか! こう、首からかける、ネックレス? だかのアクセサリーに興味を持っていたりするんかね?」

 

「ううん。アタシは、ポケモンのどうぐとして扱うジュエルに興味があるの」

 

「ほう!! どうぐとして使う方かい!!」

 

「うん! アタシ、どうぐコレクターを名乗れるくらいに色んなどうぐをコレクションしていたんだから!! 自分の部屋にいっぱいあるよ。りゅうのウロコとか、メタルコートとか。そういうのを眺めて楽しんでいてさ――あ、そうそう。これ見て!」

 

 そう言って、バッグからめざめいしを取り出して二人に見せていった。

 これが特にお気に入りで、旅のお守りにしているの。そんなことを言うと、二人は感嘆といった具合に声を漏らしながら何度も何度も頷いていく。

 

「嬢ちゃんのような子が、どうぐに興味を持つなんてね! おじさん驚きだ! どうぐなんて、ポケモンバトル以外で使うなんて言ったら普通、おじさんくらいの中年男が高い値を出してまで買い揃えるような、云わば骨とう品のようなものだからね!! こんな若い嬢ちゃんがどうぐに興味を持ってくれているだなんて、穴掘りおじさんとして嬉しいこと極まりないね!!」

 

 若い女の子という立場を利用して、アタシは二人をおだてることでひたすら目的のジュエルへと迫っていった。我ながら、悪女である。

 そんなこんなでトラックに揺られること半日。陽が沈みかけてきたその頃になって、運転するおじさんから声を掛けられた。

 

「嬢ちゃん見えてきたぞ!! 目の前に見えるあれが、ジュエルを展示している博物館がある、『ナガノシティ』だ!!」

 

 その名前を聞いて、アタシはラルトスを抱えながら立ち上がってトラックから身を乗り出した。

 すぐにも目についたのは、堂々としたビルの大群。向こう側の景色が見える程度には間隔の空いている立ち並んだビルと、それらの背景とも言える巨大な山脈。

 

 『ナガノシティ』。このシナノ地方において、最も有名な地域だ。他の地方の人々でもこの名前を知っているとされていて、その知名度のほとんどは、あの背景の山脈にあるとされている。

 

 ナガノシティに栄える街並みは、なにも平坦な大地だけではない。その山脈の中にも、木々の緑と建物の様々な色合いからなる、第二の街並みが繰り広げられている。

 むしろ、その山脈の中の街並みこそが、ナガノシティの本体とも言えるかもしれない。平坦に立ち並ぶビルとは相反して、山脈には細かい小さな建物がたくさん存在していた。ここからでもいくつか見えるくらいに多くの神社が存在しており、樹海の中では人やポケモンらしき小さな点々が動き回っている。その樹海には大きな湖が広がっているが、なんとその湖は反射した光景を鏡の如く丸々と水面に映しているのだ。

 

 ナガノシティには、古くから大規模の戦が行われてきたという。人間が、ポケモンを戦争の兵器として用いていたという話もあり、その山脈には戦場跡地として今も残された公園なんかも存在している。

 その戦場跡地のすぐ傍には、小さなお城も建っていた。当時のものをそのまま維持しているということで、その古くから伝わる戦争の歴史を学ぶ考古学者といった人達が、一度はこのナガノシティに訪れるとも言われている。無論、ナガノシティはこれらを観光名所として取り扱っており、人口密度で言ってもシナノ地方で一番だろう。

 

 アタシは、一度だけこのナガノシティに訪れたことがある。パパのポケモン博士の仕事の一環でついていったことがあり、アタシはナガノシティの景色に感動した記憶がある。

 ここは、シナノ地方に住む若者にとって憧れの地とも言える。地方一に栄えていて、お店の数も豊富。ポケモンに関する施設も充実していて、観光名所も盛りだくさん。

 

 尤も、皆がその中で一番興奮するだろう名所としては、このシナノ地方における最強のポケモントレーナーを決める場所、シナノリーグスタジアム。この山脈の、山頂に存在するのだ。

 

『待ってるよ。キミ達が、俺達の下に来る、その時を』

 ……脳裏によぎる、タイチさんの言葉。あれから数日は経過しただろうか。彼から言われたその言葉を、シナノリーグスタジアムの姿と重ね合わせていく。

 

 ――別に、アタシはただ、どうぐコレクターとしてこの冒険の旅に出たわけだし。自分の中でひたすらに繰り返してきたこの言葉。しかし、彼が語った彼自身の過去の話が、とても他人事とは思えなかったものだから。……ううん。彼と自分を、どうしても重ねてしまうことがここ数日に何度もあった。

 

 ……最強の、ポケモントレーナー。シナノチャンピオン。

 ポケモンバトル、か――

 

 次第と近付くビルの群れ。見上げても見上げきれないくらいに天へと伸びる巨大な建物に囲まれたことで、アタシはようやくとナガノシティに到着したという実感が湧いてくる。

 

 今日は日が暮れるから、明日、ジュエルが展示されている博物館に案内してあげる。そんなことをおじさんから言ってもらい、今日泊まる宿まで用意してくれた。気前が良くて、巡り会いがかなり良かった。

 

 宿屋の個室。ラルトスがポケモン用のジャーキーを無心でかじっている姿を眺めながら、アタシは考えていた。

 

 ……トレーナーズスクールで習ったことがある。それは、年に一度、このシナノ地方ではポケモンリーグという最大級の行事が開催されるというもの。

 そこでは、最強のポケモントレーナーを決めるトーナメントが開かれるのだ。このトーナメントに出場するということは、この地方で生きるほぼ全ての人間の憧れであり、ポケモントレーナーにとっての、夢、でもある。

 

 このトーナメントに出場したという経歴もついてくるため、それだけでも就職なんかにだいぶ有利になるくらいだ。それくらい、このポケモンリーグという催しは世間的にすごく重要視されているものであり、それを目指すポケモントレーナーの熱意によって、このシナノ地方は発展してきたまである。

 

 ……学んだ内容によれば、このトーナメントで最後まで勝ち抜いた勝者だけが、チャンピオンへの挑戦権を得られる。あのタイチさんはチャンピオンとして挑戦者を待ち受けており、彼は全ポケモントレーナーにおける、最後の壁なのだ。

 

 ――正直、アタシなんかがそんな偉大な功績を残せるわけがない。学校や教習所での成績から見るにアタシはダメ人間の中のダメ人間なのだから……。

 

「……でも、挑戦するだけなら、できる……よね」

 

 ラルトスが、こちらに向いてきた。それからトコトコと寄ってきて、アタシをじーっと眺めている。

 ……この子と一緒なら、何でも乗り越えられる気がする。チャンピオンへの挑戦権を目指すなんて目標はあまりにも難しすぎるけれど、トーナメントへの挑戦という目標なら、この子と一緒に頑張れそうな気がする。そこで頑張れれば経歴もつくし、お仕事にも困らないかもしれないし。

 

 アタシは、ラルトスの頭を撫でた。

 ……どうぐコレクター以外での目的ができてしまった。まさかよりにもよって、未だ怖いとも思えてしまうポケモンに最も近しいであろう、ポケモントレーナーとしての目的ができてしまうだなんて。

 

 生きていると、何があるか分からない。そんなことを思い知りながらも、静かなるやる気を滾らせたアタシはラルトスと眠りについた。



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ジュエル

 今、アタシは最高に興奮している。ガラスケースに展示された十八種類のジュエルが今、アタシの目の前に並んでその姿を輝かせていたのだ。

 

 翌日になり、アタシは穴掘りおじさんの案内でナガノシティ博物館にお邪魔していた。それも、こんな若い女の子がどうぐとしてのジュエルに魅力を感じている、とのことでおじさんは機嫌を良くしていたからか、コネを使ってアタシをタダで博物館に入れてくれたのだ。

 

 幸先の良い旅だ! そんなことで従業員に案内してもらい、アタシは念願のジュエルを拝むことができた。その姿はダイヤモンドの如く光り輝く宝石で、その色合いは様々かつそれぞれが未知の力を宿していると思わせる。大きさは手のひらサイズであり、頑丈な鉱物という外見でありながらも非常に脆いという性質から、その宝石の希少価値と輝きからなる儚さを感じさせた。

 

 アクセサリーに使われたジュエルも、その取扱いは慎重にならなければならない。保管も厳重に行わなければいけなく、地震の震動が長く続いた場合でもその揺れでヒビが入るほどという。どうして、ジュエルはそんなに脆いのか。アタシはそれを訊ねると、従業員は慣れた調子でそれを説明してくれたのだ。

 

 どうやら、ジュエルという宝石自体が、そういう性質を以てして生まれた鉱物とのこと。鉱物と言えば、頑丈でとにかく固い石の塊。そんな印象をアタシは持っていた。

 しかし、ジュエルは厳密に言えば、宝石どころか鉱石にもあたらないと言う。じゃあ、ジュエルって結局なんなのか。それを訊ねると、従業員は自信満々な様子で、その真実を明かしてくれたのだ。

 

 ジュエルとは、ポケモンの技エネルギーの結晶でございます。それを聞いて、アタシは余計にワケが分からなくなった。尤も、このワケが分からないという未知と触れ合う感覚こそが、楽しいと思える要素なのだが。

 

 まず、技エネルギーの説明から入らなければならないだろう。

 ポケモンという生物は、技を繰り出すための専用のエネルギーを宿しているという。例えるならば、ピカチュウが使う10まんボルトには、でんきタイプの技エネルギーが含まれていて、アタシのラルトスが使うテレポートには、エスパータイプの技エネルギーが含まれている、というもの。技エネルギーというものは、あるタイプの技が発生した時に生じる、その事象を技として成り立たせるための力。というのがざっとした技エネルギーの説明。

 

 その技エネルギーという力がポケモンの中に存在しているからこそ、ポケモンは10まんボルトやテレポートという技を発生させることができる。ポケモンという生物は、この世界において唯一、技エネルギーを体内に宿し、それを力に変換して事象という形で発生させることができる特異的な体質を持つ生物なのだ。

 

 ……難しい。でも、何となく理解はできた。では、その技エネルギーの結晶とは一体なんなのか。それをアタシは訊ねると、従業員が続きを説明してくれる。

 技エネルギーの結晶とは、ポケモンの内部に宿る技エネルギーが、結晶という固体となって形を成したもの。という。詳しく説明すると、本来であればエネルギーという目に見えない形で存在するその力が、何らかの働きかけによって凝固してしまったものが、技エネルギーの結晶と呼ばれるらしい。それは固体となるため、物体となり、質量が存在する。

 

 で、その技エネルギーが結晶という質量のある塊となったものが、ジュエル。ということだそう。

 今もジュエルの内部で輝きを放つこの光は、技エネルギーが活性することで生じる作用だそう。つまりジュエルという代物は、ポケモンの技エネルギーを閉じ込めた箱のようなもの、という認識でいいのかもしれない。

 

 じゃあ、どうして宝石と呼ばれるのだろう。それを訊ねると、それはジュエルという代物が鉱山といった鉱石の中に紛れているから、という答えが返ってきた。なぜ鉱石にジュエルというポケモンの技エネルギーがまぎれているのかは謎だそうで、解明のために研究者が今も頑張っているとのこと。

 

 それにしても、どうして脆いんだろう。というアタシの疑問に対しては、どうやらこのジュエル、砕けること前提でのつくりになっているというのだ。このジュエルは、砕けると周囲に大量の技エネルギーを放出するらしく、その放出された技エネルギーを浴びたポケモンは、そのジュエルの技エネルギーと一致するタイプの技の威力がグンと増すのだそう。

 

 これは自然界でも用いられることがあるらしい。代表的な事例として、野生のボスゴドラがライバルのバンギラスと争い合っている最中、いわのジュエルを砕いて自身のストーンエッジの威力を上げながら戦っているところが目撃された。ボスゴドラはそれをいわのジュエルと理解しており、しかもそのジュエルと同じタイプであるストーンエッジを使用していたのだ。これには多くの学者が興味を示したらしく、野生のポケモンは、自然の知恵でジュエルという技エネルギーの概念を上手く利用している、という証拠にもなったそう。

 

 ポケモン博士の娘ということもあるのか、アタシはその話をとても興味深く感じられた。ジュエルという代物にはまだまだ謎が多いことから、アタシが明かす分の未知もまだまだ残されているということでもあるし!

 

 ということで、ジュエルについての話は以上となる。半分くらいしか理解していないけど、中々に面白い話だったことは分かる。そして、従業員はついでとして、技エネルギーの結晶におけるちょっとした話もしてくれた。これは日常における話でもあった。

 その内容としては、技エネルギーの結晶は、ポケモンの体内にもできてしまうというものだった。何らかの力が働いて、体内に巡る技エネルギーが塊となってポケモンに害を為すという。これはれっきとした病気として扱われており、処置が遅れてしまうと、最悪死に至るとのこと。

 

 その際にポケモンの体内にできてしまった技エネルギーの結晶も、実はジュエルだったりするという。その性質は鉱山で採れたものとは異なっているらしく、ポケモンの体内でできてしまったジュエルは、非常に硬い、というのだ。

 なぜ鉱山で採れるジュエルは脆くて、ポケモンの体内でできてしまうジュエルは硬いのか。ここら辺も謎に満ちているというのだが、今のところは仮として、ポケモンの生態系における循環の、その種族の数といった生物の均衡を保つための選別……という話で世間に知れ渡っているらしい。

 

 ジュエルを入手することはできなかった上に、自分の苦労でそういった事実を知りたかった身としては色々と聞きすぎてしまったと後悔。しかし、これでジュエルに詳しくなったものだから、なんだか得した気分にもなれたものだ。

 

 ……てか、これ上手くいけば、自分でジュエルを作れそうな気がする。

 自転車を走らせるナガノシティの街中。カゴにラルトスを入れてペダルをこぎながら、アタシはそんなことを考えていた。

 

 

 

 大満足に終わったこの日の夜、アタシはポケモンセンターの宿泊施設を利用した。

 そこで、周囲のポケモントレーナーがこんな話をしていたのだ。それは、近日にも『ジムチャレンジ』というシナノ地方全域が注目する大きな催しが開かれる、というもの。

 

 これはトレーナーズスクールで習ってあった。ポケモントレーナーの多くがそれへの参加に憧れ、高みを目指していく、と。ジムという施設で待ち受けるジムリーダーを倒し、バッジを集めていくその催し。そのバッジを八つ集めると、ポケモンリーグのトーナメントへの出場をかけた、トーナメントのトーナメントに参加することができるのだ。

 

 そのトーナメントの上位に入ることで、ポケモンリーグのトーナメントに出場できる。で、そのポケモンリーグのトーナメントで優勝することで、チャンピオンへの挑戦権を得ることができる。

 

 ……ジムチャレンジ、か。その言葉をボソボソと呟きながら個室へ移動したアタシは、すぐにもスマートフォンを取り出してパパにそのことを話してみた――



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準備不足

「ラルトス、落ち込まないで。確かにテレポートしか覚えていないのは意外だったけれど、なにもそれでアタシはラルトスを見捨てたりしないから!」

 

 ラルトスは、ひどく落ち込んでいた。覚えている技がテレポート以外に無かった自分の実力を、この時になって初めて知ったらしい。

 

 ナガノシティの山脈街。緑の自然に、雄大な山という草花の香りが漂うこの空間。戦場跡地である公園に昼間から滞在するアタシとラルトスは、陽が落ち始めたこの時まで、ジムチャレンジへの挑戦のために色々な確認を行っていた。

 一番の目的は、ラルトスがどこまで戦えるかの確認だった。この目で確かめないと分からないこともあるため、アタシは試しにラルトスを野生ポケモンと戦わせてみた。相手はヤドンというポケモンで、すごくマイペースなまぬけポケモン。別にヤドンを貶しているわけではない。図鑑には本当に、まぬけポケモンって書いてあったんだから。

 

 それで、ヤドンを相手取ったアタシとラルトスだったが、一般的にラルトスが覚えるとされる技を端から指示していったところ、ラルトスが繰り出せた技は、テレポートの一つのみ。

 その効果は、自分や対象を瞬間移動させるというもの。それだけでも大した効果であることは事実なのだが、ポケモン勝負においては、それが攻撃になるハズもなく……。

 

 ベンチに座るアタシの上で、ポケモン用のジャーキーをかじっているラルトス。テレポートだけでも相当の力を使うのだろう。いつも以上にたくさん食べるラルトスを眺めながら、アタシは必死に思考を巡らせていた。

 まず、攻撃できる技を覚えていない時点で、戦うことはできない。テレポートという効果も何かしらの役に立つハズなのだが、これでどうやって攻撃するのかまでは、まるで思い浮かばない。

 

 ジムチャレンジは前提として、前向きに頑張るトレーナーとポケモンの姿を、ポケモンバトルという容態でシナノ地方全域にお送りする祭典だ。たくさんと存在するポケモントレーナーの努力と絆を全国に放映することで、この地域により活力の源となる気持ちを提供する。それがジムチャレンジの本来の在り方であり、このシナノ地方がジムチャレンジを開催する本来の目的だからだ。

 

 ……ポケモンに技を覚えさせるのって、どうやるんだろ。トレーナーズスクールでは主に、ポケモンが成長するその過程で自然に覚えるといったことや、覚えさせたい技を扱う他のポケモンやその映像を学ばせたいポケモンに見せて、その視覚や聴覚で得た感覚から自然と引き出せるようになるまで訓練する、といった方法があると習った。

 それ以外では、ちゃんとポケモンに技を覚えさせるための施設があり、その専門トレーナーに預けて習わせるとか、技マシンというディスク上の機械を用いてポケモンの記憶に刷り込み、あたかもその技を自分は使えると暗示にかけることで覚えさせるという手があるとのこと。

 

 どちらにしても、お金はかかる。逆に言えば、ポケモンに技を覚えさせるということは、それに専門のトレーナーなどが存在し、それを職業として稼ぎを行っているといった、少なからずの時間と労力をかけなければならない事であることも理解できる。

 

 ジムチャレンジに挑むのであれば、そのような手段でラルトスを訓練させなければならない。ジムチャレンジをしないにしても、強大な力を持つポケモンが野生として生息するこの世界においては、それらからの自衛手段として用心棒のポケモンを連れていないと危険でもあるし。ジムチャレンジ関係無しに、アタシはそろそろラルトスを戦えるように鍛えてあげないといけないのである。

 

 で、そんなアタシを焦燥に駆り立てる要素が、明後日にも控えていた。それこそが、明後日、このナガノシティのシナノリーグスタジアムで、ジムチャレンジの開会式を行うという行事が予定されていた。

 明後日にも、ジムチャレンジが始まってしまうのだ。今までそんなことに興味も持っていなかったから、まるで知らなかった。事前の準備もしていなかったものだから、今も周囲でポケモンバトルを繰り広げる多くのトレーナー達とは出遅れた形となっている。

 

 なんでいつも、こんなんばかりなんだろ。むしゃくしゃするアタシの膝の上では、ラルトスがジャーキーをむしゃむしゃしている。この子はジムチャレンジのこと分かっているのかな。そんなことを考えてしまうが、このスケジュール管理がなっていないのも全てトレーナーであるアタシのせい。ラルトスを責めてしまわないように気持ちを何とか落ち着かせながらも、アタシはラルトスの鍛え方を必死になって考えていた。

 

 最悪、パパに相談すればいい。パパにはジムチャレンジに出たいってことを既に話してあるんだ。それで、明後日にも開催されるよってことを聞いて、アタシは盛大に驚いたのだから。

 

 ラルトスの頭を撫でる。ラルトスはそれに心地よさそうにしながらジャーキーをもぐもぐ食していくのだ。

 そうこうしている内に、あっという間に明後日のジムチャレンジ開会式当日となってしまった。前日にもアタシは助けてーとパパに電話で泣きついていたのだが、それを受けてパパは、あるアドバイスをアタシにしてくれていた。

 

 それは――「まあ、なるようになるさ」。ということだった。

 アタシは、その言葉に全てを委ねることにした。なんかもう、ここまで来てしまったのだから仕方ない。そんなことを思いながら。

 

 ナガノシティの山頂。シナノリーグスタジアムに集った、数えきれないほどの観客と出場者が、それぞれスタジアムの観客席と待機室へと行進していく。シナノ地方全域に放映されているこの祭典の中、出場者としての大勢の中にまぎれるアタシとラルトスの姿もそこにあった。



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ジムチャレンジ 開会式

 シナノリーグスタジアムにて行われた、ジムチャレンジの開会式。開始時刻と同時に始まったのは、現地と中継の両方で眺める観客を感動へといざなうド迫力の演出の数々。

 

 スタジアムの巨大なモニターに映し出され、シナノ地方の歴史を語る映像から始まったそれは、スタジアム周辺で打ち上げられた盛大な花火と共にフィニッシュを飾る。続けて大音量の音楽が流れ始めると、入場口からスタジアム中央へと駆けるたくさんのパフォーマーが、旗を華麗に回しながらシナノ地方伝統の芸術的パフォーマンスを繰り広げるのだ。

 

 ジムチャレンジは、シナノ地方に住む全国民の活力の源となる気持ちを提供する祭典。前向きに頑張るトレーナーとポケモンの姿を、ポケモンバトルという容態でシナノ地方全域にお送りするお祭りであり、たくさんと存在するポケモントレーナーの努力と絆を全国に放映することで、地方全体が活力と熱気に包まれる最大級の催し物。

 

 シナノ地方の繁栄を願うそれは、国が総力を挙げて開催しているといっても過言ではない。毎年開かれるそれは年に一度の大規模なイベントで、熱気で満たされた会場の様子は他の地方からも注目を浴びている。

 

 パフォーマンスの終わりを見計らい、モニターの下にある演台へと歩き進める一人の男性。ずんぐりとした体格の男性がマイクを手に取り、「レディースアンドジェントルマン!」の言葉と共に開会の辞を述べていく。

 男性が喋るこの時間、あれほどまでに歓声で盛り上がっていたその音が一気に静まる。これは神聖な伝統ということもあり、皆が彼の言葉を大事に思い、一体となってその開会の辞に耳を傾けるのだ。

 

 それが終わりを告げ、全てを述べて深々と礼をする男性。彼の動作に続いて会場の皆は大盛り上がりの歓声を上げ、その熱気と活気を再びスタジアムに呼び戻す。

 そして、とうとうアタシ達の出番というわけだ。今回のジムチャレンジに挑戦する、シナノ地方を代表する勇ましき戦士達の出場。男性が入場口へと誇らしげに手を伸ばすと、それを合図としてアタシ達はスタッフに入場を促されるのだ。

 

 ぞろぞろと入場を始めていく、大勢のポケモントレーナー。皆が私服といういつもの格好でスタジアムに姿を現し、アタシもラルトスを抱き抱えながら皆にならって入場していく。

 歓声に包まれた、とてつもなく広大なスタジアム。今までテレビや雑誌でしか見てこなかった、その実物の神聖な地に足をつけているという実感で、アタシは一気に緊張を帯びて表情がこわばってしまった。

 

 入場したポケモントレーナーは、総勢三百四十八名。今年は特に挑戦者が多かったらしく、その数は、歴代で二番目なのだそう。

 この半分にいくかいかないかの人数は、この前ポケモントレーナーになったばかりの新米トレーナーらしく、その駆け出しの頃からジムチャレンジという盛大なお祭りに参加する心意気を、よくチャレンジしてくれたと強く買われていた。

 

 メディアにもそれは伝わっており、歴代二番目の参加者ということもあってか今年は特にカメラが多い。辺りから囲われた観客とメディアの目を受けて、アタシは余計に緊張してしまってラルトスをぎゅっと抱きしめていく。

 だって、ついこの前まではインドア派としてコソコソとどうぐを搔き集めていた身なのだ。ちょっとした心変わりで何となく旅立って、それから急にジムチャレンジなのだもの。テレポートだけというラルトスの技のラインナップも相まって、アタシはなんだか場違いな気がしてしまえて仕方がなかった。

 

 出場者が中央に並ぶと、しばらくはアタシ達を歓迎する歓声と拍手に包まれる。それが次第と収まっていくと、次に男性は来賓の挨拶として、姿を現した数名のお偉いさんの長い話が始まった。

 

 この間、アタシらはずっと立ちっぱなしだ。自転車の旅で鍛えられた足でなんとか我慢できたものだが、このシチュエーションはなんだか、ほぼ不登校だった学校生活を思い出す……。

 

 それが終わると、第一部として、このシナノ地方の歴史を振り返る話へと入っていく。

 その内容は、シナノ地方では古くから人とポケモンによる戦争が続き、血みどろな争いを幾度となく繰り広げられてきたというものだった。それが全盛期となるとより一層もの激しさを増し、その波瀾を乗り越えてきた二人の人間が、大勢の人とポケモンを率いて天下を分けた合戦を行ったという。

 

 二人が行った大戦は、このシナノ地方の全土に渡るものであり、それによって、地形を大きく変えたのだそう。山の国と言われるようになったのも、この二人による戦で地盤が削れたことで凹んだからだという。こうして凹みは現在のシナノ地方独自の特徴となり、外側へと広がる山々は、当時から今も残されている歴史的な山脈として各地方へPRを行っている。

 

 そして、このシナノリーグスタジアムが存在する、ナガノシティの山頂。ここで、二人の一騎討ちが行われたという。その結果は、相討ち。消耗し切った互いは、しのぎを削り合った互いを讃えながら眠りについた。そうして激闘を繰り広げた二人の墓標として後にスタジアムが建設され、ポケモンバトルという伝統と、激闘を繰り広げたその歴史を、二人が眠る墓の上で行おうということで、この場所でポケモンリーグが行われるようになったのだ。

 

 ……という話が終わり、男性は一礼をして第一部を締めくくる。次に第二部へと移行したその瞬間から、若干と静まり返っていたその会場は、大歓声という音圧で先までの空気を吹き飛ばしたのだ。

 

 なんだなんだ。ポケモンリーグ自体をよく知らないアタシはラルトスを強く抱きしめると、この視界の奥で幕が上がるその演出と共に、男性は端へと避けながら“彼ら”の紹介を行ったのだ。

 

「それでは、ジムリーダーのみなさん!! 姿をお見せください!!」

 

 紙吹雪が発射されるスタジアムの奥側。周囲のポケモントレーナーも身を乗り出すように注目すると、その奥からは八つの人影が堂々とした様で入場をしてきたのだ。

 

 その八名は直に、スタジアムから向けられたライトと共に陰りのシルエットを脱ぎ捨てる。

 男性四名、女性四名で並ぶ彼らの一列。それがある程度まで前に進み、スタジアムと出場者の全員に見える位置で立ち止まる。彼らは皆この場の空気に慣れた様子で、まるでその座を死守してきた猛者のよう。ある者は悠々とした立ち振る舞いで、ある者は健気な活気を見せていき、ある者は誘惑するようにウィンクを投げ、ある者は気だるげな瞼でどうでもよさそうだ。

 

「ジムリーダーの皆さんが、出場なされました!! もうすでに皆さんは知っているかと思われますが、それぞれ一人ずつ紹介していきましょう!!」

 

 左端に立つ男性に照明が向けられると、彼は数歩前に出てから礼儀の正しいお辞儀で一礼を見せていく。

 鳥が翼を広げたかのようなデザインの、白色と青色の上着の彼。加えて灰色のカボチャ袴に鼠色のハイヒールブーツというファッションで、黒色の長髪を後ろで結った凛々しいその姿。

 

「華麗なる翼で、シナノ地方の大空を支配する男!! 『ハクバビレッジ』のジムリーダー、『レミトリ』ーーーーッ!!!!」

 

「出場者の皆さま、『ハクバジム』への来場を心よりお待ちしております」

 

 眉の整った凛々しい表情でそのセリフを言い、『ハクバビレッジ』のジムリーダー、レミトリは後ろへ下がった。

 

 続けて、レミトリの一つ右へと移ったスポットライトに照らされた彼女は、ハッとして慌てて前へ出ていく。もう出番か! そんなうっかりな様を中継のカメラにしっかりと収められながらも、彼女は手を振って歓声に応えていく。

 蜜柑色の髪を左側で束ねたサイドテール。軍服のような赤色の上着に、茶色のプリーツスカートを揺らしながら全力で手を振っている。

 

「その熱情は、恋焦がれる少女の如し!! 『ショウホンシティ』のジムリーダー、『ラ・テュリプ』ーーーーッ!!!!」

 

「今回も頑張るから、みんな応援よろしくーーーーーーッッ!!!!!」

 

 健気で元気いっぱいなその言葉を残して、『ショウホンシティ』のジムリーダー、ラ・テュリプはトントンと後ろへ下がっていった。

 

 まだまだ続く。一つ右へスポットライトが移ると、そこに佇んでいたのは一人の女性。周りと比べて若々しくも、その立ち姿は正に絵本の表紙を飾るお姫様。彼女がゆったりと歩き出したのは、紹介する男性が喋り始めた後だった。

 背中辺りまで伸ばしたアッシュの長髪。深緑のドレスに身を包み、迷える森を歩くようにゆっくり進むその女性はマイペースに周囲を眺めていた。

 

「麗しきその姫君は、雪化粧を身に纏う!! 『オウロウビレッジ』のジムリーダー、『ニュアージュ・エン・フォルム・ドゥ・メデューズ』ーーーーッ!!!!」

 

「皆さん、ごきげんよう。今日も良いお天気ですね」

 

 フワフワとした雰囲気でそのセリフを言ってから、『オウロウビレッジ』のジムリーダー、ニュアージュ・エン・フォルム・ドゥ・メデューズはゆっくりと後ろに下がった。

 

 この勢いは止まらない。一つ右へとずれたその照明を受けるなり、棒付きの飴玉を咥えていたその女性はスマートフォンから顔を上げる。

 歩き出すと共に揺らしていく、腰まで伸ばした青色のポニーテール。白衣に青のシャツ、黄緑のズボンに青色の縁のメガネという、周囲と比べると一般的ながらも、どこか奇抜なオーラを放つその女性。

 

「ポケモン博士とジムリーダー、その両方を担うシナノ地方の奇才!! 『ママタシティ』のジムリーダー、『ラオ』ーーーーッ!!!!」

 

「好きなものは機械いじりとナナの実のジュース。よろしく」

 

 そう言うなり適当に下がって一列に収まった、『ママタシティ』のジムリーダー・ラオ。視線は既に手元のスマートフォンへと向けられていた。

 

 これで半分だ。もう四人のゾーンへと踏み入れたそのライトを、待ってましたと言わんばかりに浴びながらセクシーなポージングを決めていくその女性。

 褐色の肌で、もみあげを腰まで伸ばした紫色のボブヘアー。右が水色で左がピンクのオッドアイで艶やかな表情を見せていくと、女性は丈の短いフレアワンピースを際どく揺らし、ゴシックなニーハイソックスを見せ付けるように歩き出して男性諸君を魅了していく。

 

「妖精を率いる、魔性の女!! 『カルイザワ・ダウンタウン』のジムリーダー、『リオラ』ーーーーッ!!!!」

 

「いつでもあたしの下へいらっしゃい。その時は、心も体も昂っちゃうくらいの最高のおもてなしを、し・て・あ・げ・る」

 

 胸を強調するセクシーポーズと共に、出場者へと向けてウィンクを一つ。去り際にも投げキッスを行い、『カルイザワ・ダウンタウン』のジムリーダー、リオラは後ろへ下がった。

 

 会場の熱は更に盛り上がる。一つ右へ移ったそのスポットライトに照らされた彼は、自身にそれが降りかかるなり、眩しいといった様子で手をかざす。

 どこかで見覚えがある、青色のショートヘアー。濃い青色のジャケットと黒色のシャツ、白色のズボンで長身というそのスタイルにもどこか見覚えがある彼は、歩き出す。その目元を、やけに黒く染めながら。

 

「兄の背を追い、竜の軍勢の指揮を執る知将!! ジョウダシティのジムリーダー、『ダイチ』ーーーーッ!!!!」

 

「シルエットでよく間違えられるけど、僕はダイチの方です。どうぞよろしく」

 

 気だるげに手を振り、力無く笑んで見せるジョウダシティのジムリーダー、ダイチ。まさか地元のジムリーダーが“あの彼”の……!! アタシは驚きのあまりに唖然としてしまいながらも、だるそうに下がっていく彼からスポットライトが移っていく。

 

 その照明は、既に次のジムリーダーを照らしていた。しかしそこに存在する男性は、ライトを退けるよう手を振り払って佇んでいる。

 直角に近い猫背で、折りたたんだ姿勢。しかしその背は二メートルを超えているだろうかなりの長身。黒色に近い肌と、塗り潰したようなピンクのショートヘアー。白と灰のボーダーシャツに、ピンクの長ズボンという外見。ひどく細めた目つきと、ひどく歪めた口元が彼に凶悪な印象を与える。

 

「その男、毒を以て命を制す凶悪無慈悲の暴君!! 『ノザワタウン・ホットスプリングビレッジ』のジムリーダー、『ダーキス』ーーーーッ!!!!」

 

「強ェやつだけを所望する。弱ェやつは門前払いだ。以上」

 

 吐き捨てるようにそのセリフを言うと、『ノザワタウン・ホットスプリングビレッジ』のジムリーダー、ダーキスは後ろに下がった。

 

 そのスポットライトは、残る一人を照らしていく。照明が降り注ぐ自分の出番になると、男性は出場者へと一礼、そのまま数歩前に出てから、自身らを囲むスタジアムの全員に向かって律儀にお辞儀をしていってから出場者へと向き直る。

 とても大柄なこの男性は、この場にそぐわない和の甲冑を着込んでいた。金色の刈り上げた短髪に、年齢相応の厳つい顔。しかしその穏やかな表情を見せながら各メディアのカメラへと手を振り、中継の先の民にまでしっかりと挨拶を行っていく。

 

「そして、最後はこのお方!! シナノ地方の大地を愛する守護神!! 『ナガノシティ』のジムリーダー、『ラインハルト』様ーーーーッ!!!!」

 

「えー、今現在の私の心境を話し始めたらきっと日が暮れてしまうと思いますので、今回もこの場は一言だけで済ませたいと思います。えー、皆さま。今年もこうして、シナノリーグスタジアムにて、シナノ地方恒例のジムチャレンジを無事に開催できたことを、心から喜ばしく思っております。開会式も毎年毎年、大きな規模でパフォーマンスが行われておりますが、今年のパフォーマンスも実に素晴らしく、シナノ地方全土もきっと、大盛り上がりとなったことでしょう。えー、私も開会式を最初から拝見しておりましたが、今年も見事なパフォーマンスで、特にゴリランダーが太鼓を叩くという演出には、今までに無い試みに私自身、大変驚かされて――」

 

「ラインハルト様! 一言、一言!」

 

「ぉ、おっと。これはすまない。これも毎年恒例だと思ってもらえると何よりです。えー、あとは……まぁ、キリがなくなってしまうので、以上で終わります。ありがとうございます。皆さま、どうぞ今年のジムチャレンジも楽しんでいってください。終わります」

 

 進行のツッコミを受けながらも、『ナガノシティ』のジムリーダー、ラインハルトは何度も何度も礼をしながらゆっくりと下がっていった。

 

 

 

 こうして、ジムリーダー全員の紹介が終わったところで第二部は終了となった。この後にも第三部が続き、そこでは現シナノチャンピオンであるタイチさんが登場するという流れでこの開会式は終わりを遂げたのだ。

 

 ポケモンセンターの宿泊施設で泊まるアタシ。個室でラルトスを抱きしめながら、必死に眠りにつこうとする暗闇の空間。

 しかし、興奮が冷めやらない。まさか、あれほどまでにジムチャレンジで興奮するとは思っていなかったからだ。第三部のタイチさん登場で、会場のボルテージはマックス。シナノ地方のスーパースターである彼が手を振りながら、ジムリーダーたちの後ろから歩いてくるという場面は今でも鮮明に思い出すことができる。

 

 でも、アタシは自然と盛り上がらなかった。彼と話してから、随分と変わってしまった。アタシはもう、彼に対して何も感情を抱けない。タイチさんという存在は、アタシにとって乗り越えるべき最後の壁として、遥か彼方の先で佇んで見えているものだから……。

 

「……タイチさん。アタシも、あなたみたいに……」

 

 その言葉は、寝言によるものだった。口にした記憶が残っている感覚を覚えながらも、アタシは瞑っていく瞼の僅かの隙間から、後光が射した彼のシルエットを捉えていた――



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旅の目的

 ジムチャレンジの熱が冷めやらぬ今朝のポケモンセンター。大した睡眠時間も取れず、重い瞼を頑張って開きながらアタシはラルトスと外に出た。

 やけに騒がしい今日のナガノシティ。脳みそは半分寝ていたのだろう認識の遅さで、ようやくと視界の情報を読み取ったアタシは、その瞬間にも寝ぼけていたこの意識は途端に覚醒する。

 

 ポケモンセンターとその周囲に群がる大勢の人々。ちょうど歩ける間隔を空けながら行われていたその状況は、アタシらジムチャレンジのチャレンジャーへと迫る多くのメディアたちの姿。

 ジムチャレンジはなにも、アタシのような新米ポケモントレーナーだけではない。様々な経歴を持つ有名人やそうじゃなくても熟練の腕を持つようなトレーナーも参加することができる行事であるため、そういった注目の人物を追うドキュメンタリー番組のメディアなどが、そのトレーナーについていったりしているのだ。

 

 朝なものだから、生放送の中継を繋ぐたくさんのリポーターが、周囲のポケモントレーナーに取材を行っている。双方がやる気に満ちた表情でハキハキとしており、この様子からしてナガノシティに留まらない多くの地域が更なる活性に溢れていたことが容易に想像できる。

 

 ラルトスを抱えるアタシは、そんな状況に頭が真っ白になってしまった。

 ……うわー。アタシが取材されちゃったら、恥さらしになってパパの面目が潰れちゃうよ。それを思ったアタシは、この場から逃げ出すように駆け出した。まるでいないかのごとく、空気に紛れるよう存在感を消しながら。

 

 途中、呼び掛けられたような気がした。でも、アタシはそれを振り切ってしまった。いいや、聞こえなかった。聞こえなかった! アタシを呼び止めたって、特に面白い答えは返ってこないから!!!!

 あのポケモンセンターには戻れないな。それを確信し、同時に荷物もちゃんと持ってきておいて良かったと安心しながらアタシはこのナガノシティを走り回ったものだ。

 

 

 

 ビルが立ち並ぶ、発展した街並みの方のナガノシティ。山脈の街並みにも大勢の人とポケモンが押し寄せていて、もみくちゃにされてしまいそうになったものだから、こちらに逃げてきた。

 何の用事も無いのにちょっとしたビルに入って、そのイスに座って休憩した。抱えたラルトスはビルのエントランスを興味深そうにあちこち眺めている。

 

 ……これからどうしたものか。アタシはひどく悩んでいた。まず最優先として、ラルトスには攻撃できる技を覚えさせる。それが、最優先事項。これが無いと始まらない。

 次に、アタシはどのジムへ向かえばいいのか。ジムリーダーの皆は、ある一つのタイプにこだわりを持ってポケモンを仕上げている。代表的なのは、このナガノシティのジムリーダー、ラインハルトさん。ラインハルトさんは、このシナノ地方を守備する、『守護隊』と呼ばれるおまわりさん以上の権限を持った人達の団長である。昨日もジムリーダー紹介の最後に呼ばれていた人だが、あの人はどうやら、じめんタイプにこだわったポケモンを揃えているという。

 

 昨日、開会式が終わった後にもアタシは情報を集めていた。どのジムから巡った方がいいか。それを考えるために、スマートフォンでサクッと情報を集めて一覧を作っておいたのだ。

 

 まず、『ハクバビレッジ』のジムリーダー、レミトリ。レミトリさんの二つ名は【シナノ地方の大空を支配する男】であり、ひこうタイプのスペシャリストと呼ばれている。ハクバビレッジという村は、このナガノシティから西へ真っ直ぐと進んだ先にある、山と平原、川と湖に恵まれた大自然の中に存在する村だ。そんな大自然の多くを占める要素に、大空を支配する男がチャレンジャーを待ち受けている。その凛々しいイケメン顔も含めて、強豪の一人だ。

 

 次に、『ショウホンシティ』のジムリーダー、ラ・テュリプ。ラ・テュリプさんの二つ名は【恋焦がれし淑女】と名付けられており、ほのおタイプを扱うことを得意としている。ショウホンシティという街は、ナガノシティから南西へと進むと自然と辿り着く位置にあり、まだ戦争が続いていた頃の建物が立ち並ぶ、古くから継がれてきた和風の風景が特徴である場所だ。シナノ地方の歴史を物語る、貴重な文化遺産が多く残るその街で、熱情を滾らせたほのおタイプ使いがチャレンジャーを待ち受ける。

 

 次に、『オウロウビレッジ』のジムリーダー、ニュアージュ・エン・フォルム・ドゥ・メデューズ。ニュアージュさんの二つ名は【雪の姫君】とシンプルなものであり、こおりタイプを使わせたらピカイチだと言われている。オウロウビレッジはナガノシティから随分と離れた南西の位置にある村で、そこに辿り着くには、標高の高い山脈と、木々が生えている湖といった過酷な自然環境を越えなければならないという。その地域の五割が山脈、四割が湖で残りの一割がオウロウビレッジという割合。雪の姫君は、この過酷な試練を乗り越えしチャレンジャーの来訪を待ち受けている。

 

 次に、『ママタシティ』のジムリーダー、ラオ。ラオさんの二つ名は【シナノの奇才】と、これまたシンプルなもの。その異色の経歴として、なんとポケモン博士を兼任するはがねタイプ使い。ママタシティは、ナガノシティとは正反対の位置に存在する街であり、広大な土地を利用したたくさんの建物が立ち並ぶ地域だ。商業から住宅まで様々な顔を見せていく建物の中、ポケモン研究所に備え付けられたスタジアムにて博士がチャレンジャーを待ち受ける。

 

 次に、『カルイザワ・ダウンタウン』のジムリーダー、リオラ。リオラさんの二つ名は【妖精を率いる魔性の女】であり、フェアリータイプを専門的に扱っている。カルイザワ・ダウンタウンはナガノシティの東南に位置する割と近い地域であり、二つの顔を持つことでも有名。一つは繁華街として華やかに発展したヤングの街並みと、もう一つは裕福層が暮らす高級住宅街としての街並み。雑誌モデルである彼女はタイチさんの幼馴染を公言しており、タイチさん本人もそれを認めているという関係性。二つの顔を持つ街のスタジアムで、彼女はチャレンジャーを待ち受けている。

 

 次に、『ジョウダシティ』のジムリーダー、ダイチ。ダイチさんの二つ名は【竜の軍勢を指揮する者】と呼ばれており、ドラゴンタイプの調教師という世界で数人しか持っていないとされる免許を持っている。ジョウダシティはこのナガノシティの東南に位置する地域であり、言わずもがなアタシの地元でもある。ダイチさんは、あのシナノチャンピオンであるタイチさんの実の弟ということもあり、その面目を潰さないためにと、彼はジョウダシティのスタジアムでチャレンジャーを待ち受けている。

 

 次に、『ノザワタウン・ホットスプリングビレッジ』のジムリーダー、ダーキス。ダーキスさんの二つ名は【凶悪無慈悲の毒男】とされており、どくタイプを扱う手腕は彼の右に出るものはいないとされている。ノザワタウン・ホットスプリングビレッジは、ナガノシティの東北に位置する小さな村でありながら、そこの温泉は他の地方から秘湯として取り扱われるほどの大絶賛。街中の至るところで温泉が沸いているという夢のような場所で、凶悪無慈悲の毒男が毒手を構えながら、猛きチャレンジャーの来訪を心から待ち受けている。

 

 最後に、『ナガノシティ』のジムリーダー、ラインハルト。ラインハルトさんの二つ名は【シナノの守護神】であり、既に説明はしてあるがじめんタイプの実力者を揃えてチャレンジャーを待ち受けている、皆のパパだ。その名声は地方の全域からなるもので、守護隊というシナノ地方の平和の均衡を保つ団体を率いる団長さん。シナノ地方の伝統である和の甲冑を着込んでいるのだが、彼曰く、洋の甲冑の方が自分に似合うからそちらを着て出歩きたいなと常々口にしているらしい。

 

 ……以上が、各ジムの地域と、そこのジムリーダーの情報。アタシは、ラルトスというポケモンだけで挑めるジムなんて無いな、と思っていた。ラルトスはエスパータイプとフェアリータイプの複合タイプ。まず、ママタシティのラオさんがはがねタイプを扱うという時点で、アタシはラルトス以外のポケモンを用意しなければならないことが明白だった。このジムリーダーのメンツで弱点を突けるのが、どくタイプを扱うノザワタウン・ホットスプリングビレッジのダーキスさん。でも、あの怖い雰囲気からして、アタシはすぐさま門前払いとなってしまうだろう。

 

 ルールとして、このジムチャレンジで挑むべきジムに順番は決められていない。チャレンジャーは、好きなジムに挑戦してバッジをもぎ取ってくればいいのだ。順番は無いということで、このナガノシティにあるスタジアムは大変混み合っていた。理由は単純で、近いから、である。尤も、それに加えてラインハルトさんという守護神と会える機会でもあるから、ファンは彼の下へと駆け付けるだろう。

 

 近さで言えば、『ハクバビレッジ』とジョウダシティ、『ノザワタウン・ホットスプリングビレッジ』が現地点で近い地域となる。しかし『ハクバビレッジ』は大自然に囲まれた雄大な土地。ジョウダシティはあのタイチさんの弟でドラゴンタイプ使い。『ノザワタウン・ホットスプリングビレッジ』に関して言えば、それこそどくタイプの怖いダーキスさんが待ち受けていて、どれも億劫に思えてしまう。

 

 その上に、ここから近いそれらの地域は人気がある。近いからだ。ナガノシティのジムが混み合っているから、次に近いそれらへと挑もうという算段で各地域へ赴くトレーナーたちも多く見受けられる。逆に人気が無いのは、ナガノシティから最も遠くに位置する『ママタシティ』と、過酷な自然が試練となる『オウロウビレッジ』。それぞれ、はがねタイプを扱うポケモン博士のラオさんと、こおりタイプを使用するニュアージュさんが待ち受けている。

 

 どうやらこのジムチャレンジ、誰よりも早い段階で八つのバッジを集めた者達には特別な賞を与えるというのだ。それにこだわるポケモントレーナーは、最短距離を走るために様々なプランを立てているらしい。そして、調べたところ、タイチさんは歴代で三番目に早く八つのバッジを集めたトレーナーとして受賞されている。

 

 と、そんなことでいろんな事情が渦巻くジムチャレンジの模様。アタシはおそらくこの中で最も不利な位置に存在するだろうポケモントレーナーだろうが、底辺は底辺らしく考えに考えて、アタシは一つの決断を下した。

 

「……決めた」

 

 昨夜から、色々と考えてきていた。その考えがここに来て、ようやくとまとまった気がする。

 

 それを呟いてから、アタシはラルトスを抱えながら立ち上がった。

 ……まずは、ひこうタイプのスペシャリストが待ち受ける『ハクバビレッジ』を目指す!

 

「ラルトス。途中で新しい仲間を捕まえるよ! それに、この道のりであなたにも戦えるだけの技を頑張って身に付けてもらうからね。もちろん、そのためにアタシも精いっぱいサポートするから。だから、ラルトス……一緒に、頑張っていこ!」

 

 ラルトスの角が、トクン、トクンと光っていた。ラルトスがアタシの感情に共鳴している証拠だ。これが良い意味なのか悪い意味なのかは分からないけど、少なくともラルトスはアタシの気持ちを読み取ってくれていた。

 

 ラルトスをぎゅっと抱きしめたアタシは、おもむろにビルから飛び出していった。周囲の人々を掻き分けるように走り抜けると、ポケモンセンターに置いてあった自分の自転車を引き出して、ラルトスをカゴに乗せて颯爽とナガノシティを走り抜けていく。

 

 目指すは、ここから西に位置する『ハクバビレッジ』!! その道中で、ひこうタイプに強い新しいポケモンを捕まえる!!

 あわよくば、その旅先で珍しいどうぐと出会えればいいな。そんな本来の旅の目的の事を考えながら、アタシはどうぐコレクターとポケモントレーナーの二つの志を引っ提げて、次なる目的地、『ハクバビレッジ』へと向かった――



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不慮

 痛い――体中が痛い。アタシはどうして、こんなにバカなんだろ。

 自分の色々なものに悔いるばかりだった。全ては、至らないばかりのアタシが起こしてしまった事故が発端である。

 

 

 

 ナガノシティを出て、ハクバビレッジへと向かうその道路。途中までは塗装された道が続いていたものだが、ハクバビレッジが近付くにつれて、それは次第と凸凹の安定しないものへと変貌する。

 この地帯を踏み入れたその瞬間から、試練の始まりとも言えた。他の交通手段として、車やポケモンといった乗り物を利用する手があったものだが、アタシはそれに見向きもしなかった。今思えば、この判断が命取りになるとは知らずに。

 

 山道の上り坂が、自転車にとってかなりきつい。立ちこぎで何とか前へ前へと進んでいくのだが、割とすぐにもアタシの両足が悲鳴をあげ始め、体力も切れてきたのか段々とフラフラした走行となりながらも、アタシは意地でもこの道を上り切ると必死になって踏ん張った。

 

 周囲はよく育った木々に囲まれており、完全に山道と呼べる道を自転車で渡ってきた。びっしりと生えるそれらの緑は奥の景色を塞いでおり、気を付けなければ方向感覚を失って遭難してしまう危険性もあったくらいだ。

 

 途中、休憩しようとアタシは平坦な場所へ移動した。それをたまたま見つけたのだ。今までがずっと坂道だったものだから、アタシは救われた思いさえも抱き、カゴに入っているラルトスに声を掛けながらその平坦へと駆け寄った――

 

 だが、その判断が間違っていた。平坦に踏み入れたその瞬間、ぐにゃ、ぐしゃぁっと地面が崩れ始め、それに足を取られたアタシは自転車を投げ出しながら、盛大に落下してしまったのだ。

 

 断末魔のような悲鳴を上げながら、ひとりでに山の斜面を転がり落ちていくアタシ。地面に身体を打ち付ける度に痛みが走り、周囲の草木を突き破って皮膚を怪我していく。踏み外したその地面は土砂となってアタシの上に降りかかり、それに巻き込まれて身体が次第と埋まっていく。

 

 口や目の中に土が入り、アタシは助けの声もあげられず、視界も塞がされて何もできなくなってしまった。落下の勢いもすさまじく、伸ばした手は挫いて負傷、履いていたブーツも片方脱げて土砂に巻き込まれ、被っていたキャップも既にどこかへ無くしてしまっていた。

 

 やばい。死ぬ――。命の危機に全身が危険信号を鳴らすその感覚。自転車が落ちる音が僅かに聞こえたその物音を最後に、アタシの意識は遠のいた。

 

 

 

 ……全身に巡る痛みが、アタシの意識を覚醒させる。体中が痛い。捻挫と打撲の負傷に悶えながら瞼を開くと、薄暗くなった大空の光景と、この視界の半分を占めるラルトスの顔がお出迎えする。

 

「……ラルトス」

 

 アタシは、涙を流していた。ボロボロと溢れてくる涙の雫は、顔に付着していた土と共に頬を伝って流れていく。

 ラルトスは、その涙を手で拭いてくれていた。とても心配そうにアタシの傍についていて、目を覚ますまで付きっ切りだったのだろう。ラルトスをぎゅうっと抱きしめてアタシはただひたすらに泣きつき、しばらく、その時間を過ごしていった。

 

 ――周囲の暗がりを受けて、バッグから一本の松明を取り出した。これがまた緊急時に役立つアイテムであり、この先端を空気で擦るように数回振っていくと……ボウッと音を立ててメラメラと炎が燃え始めるのだ。

 

 ポケモンのほのおタイプの技エネルギーを塗りつけたその代物。熱は全くと言っていいほど感じられず、何かを焼くといったことができないという火の概念としては欠落が目立つそれ。しかし、どんな状況でも一定の周囲に明かりを灯すことができるという場面においては、無類の強みを発揮する。周囲の森や建物を焼かずに済むのはありがたい。

 

 明かりを得たことで、周囲を照らしたアタシ。ラルトスを抱えながら眺めたその光景は、一切の明かりも見受けられない、完全な静寂の高原というものだった。

 緩やかな凸凹の足場が広がり、それは山となって続いていく。視界の下側には森があり、今から踏み入れたら最後、方向感覚も視覚もあらゆるものを奪われて恰好の餌となってしまうことだろう。

 

 高原のあらゆるところに急斜面が見られる。それは渓谷のようにもなっており、足を滑らせたらどこまで落ちていくか分からない。一番下まで落ちた頃には、斜面で擦り減った身体が、人間の原型を留めていないかもしれない。

 

 ……ここは、どこ? 人の手が一切と行き届かない、大自然の世界。まるで世界にアタシとラルトスだけが取り残されたかのような途方の無さを覚え、アタシは恐怖を感じてすぐさまここから立ち去ろうと走り出す。

 

 ――でも、どこへ? どっちへ走り出せばいいの? 頭の中が混乱する。誰もいない場所に佇むこの状況で、アタシは一体どうすれば、この窮地から抜け出すことができるの?

 次第にパニックへ陥ったアタシは、ラルトスを抱えて嗚咽していた。引きつる息と、震える身体。ラルトスを強く抱きしめ、それを受けてラルトスもアタシに温もりを与えて安心させようとする。この感情を読み取れるからこそ、ラルトスはアタシにより近い距離で寄り添ってくれるのだ。

 

 しかし、感情を読み取れる、もとい感情を察知できるのは、ラルトスだけではなかった。

 ラルトスが、服を引っ張る。急にどうしたんだろう。アタシは声を殺しながら涙でぐしゃぐしゃに濡らした顔でラルトスを見ると、アッチ、アッチと必死に手を伸ばして何かを伝えようとしてくれていた。

 

 アタシは、それを見遣る。

 

 月の光も射し込まない、虚無の如き高原の空間。そこに浮かび上がる目玉と舌がアタシらを捉え、凸凹の足場を無視しながら一定の速度で近付いてきていたのだ。

 

 ――ゴースト。ガスじょうポケモンであるそれは、悲愴の感情を感知するアンテナを持っている。ゴーストは月の無い夜に、魂を吸い取る生命を探すために空間を彷徨うとされている。

 

「……イヤ、イヤ……ッ! このままじゃあ、殺される……ッ!!」

 

 慌てて松明の明かりを消していく。数回と振ったそれは炎をすぐに鎮火させてくれるのだが、すでにこちらの存在を把握したゴーストは、虚無の空間の中を真っ直ぐ、真っ直ぐと進みながらアタシらに接近してくる。

 

 死ぬ。死ぬ。死んじゃう。誰の目も届かない山の中で、人知れず魂を抜き取られて死んでしまう――

 死を恐れる気持ちで、気が動転する。錯乱状態にも陥ってアタシは体勢を崩してしまうのだが、そんな慌てふためくこちらの様子に、ゴーストは気分を良くするのだ。

 

 やだ、やめて。おねがい、食べないで――!!

 

 ――胸元で迸るその光。抱き抱えたラルトスのそれにアタシとゴーストが注目すると、次の瞬間にも、この意識は一瞬ばかり、遥か彼方の先へと吹っ飛んでいく感覚を覚えた。



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用心棒

 夜が明け始めた日の出の時刻。山地の高原という、空気の美味しいサッパリした大自然の中、アタシは無数と立っている木々の間に、すっぽり嵌るように縮こまっていた。

 

 この夜、恐怖でずっと身体を震わせながら、ラルトスをずっと抱きしめて過ごしていた。ようやくと迎えた日の出の光に希望が芽生え、立ち上がって高原の高台からその様子を眺めていく。

 

 ……すごく、綺麗だ。悠長なことを言っていられる場合ではないが、雄大な景色に感動するだけならば許されるだろう。これも冒険という名目で旅立ったからこそ立ち会える、この世界の神秘を感じる瞬間だ。

 その光は、アタシをより希望へと導いた。日差しは目に突き刺さるほどの眩しいものであり、その明かりが、この山地周辺を照らしていく。視界の中には流れる川とほんの小さな滝があり、アタシは疲れ切った身体を癒したいという思いの下、ラルトスにテレポートを指示した。

 

 ラルトスのテレポートは、アタシの命を二度も救ってくれた。一度目は、あの土砂の中から救ってくれた時。二度目は、ゴーストに襲われたところを抜け出す時。この技は攻撃に使えないから弱い、とかではないのだ。ポケモンが繰り出す技にはそれぞれ必ず意味があり、有用な場面が存在する。アタシは、ラルトスは強くて頼りになるポケモンだと信じた。

 

 ラルトスのテレポートによって、次にも気が付いた意識は川の音を感じ取る。飛んでいきたいところピッタリの場所では無かったものの、その距離は十分縮まった。その音の元へと向かい、アタシは小さな滝で水浴びをすることにした。

 

 大自然の中を歩いていると、本当にこの世界にはアタシとラルトスの二人しか存在しないと思えてしまう。この思い込みは行動にも表れて、アタシは人目を気にせず服を脱ぎ捨て全裸となり、ラルトスと一緒に滝でじゃぶじゃぶ身体を洗い合った。朝日の日差しがまた気持ちよく、吹く風も心地良い。これがとても遭難した者の体験とは思えないほどの充実感で、自然を心行くまで満喫した。

 

 水浴びを終えた頃には、お腹が減ったために食べ物を探すことにした。土砂でキャップとブーツの片方を無くしたそのボロボロファッションで歩き進める森の中。あの高原でも試してみたものの、スマートフォンの電波は繋がらない。それにうんざりしながらも辿り着いたその場所は、たくさんのリンゴがぶら下がる天国のような果物畑。

 

 もちろん、自然のもの……のハズ。ウッキウキで大喜びのアタシとラルトスは、それらをたくさん収穫していっぱい食べた! 甘かったり、酸っぱかったり、いろんな味がして楽しい!

 たらふく食べたあとは、数個をバッグに入れて食料を確保する。その安心感から少しは心に余裕が出てきたアタシは、自転車の回収か、ハクバビレッジの発見のどちらかを達成するために、ズカズカとひたすら山地の中を歩き進めていった。

 

 時刻は昼を過ぎただろうか。その間にもたくさんのポケモンの横を通り過ぎていったが、途中、スピアーの巣と思われる場所に踏み入ったのか、アタシはそこでまたしても怖い目を見ることになる。

 ラルトスに指示したテレポート。唯一覚えている頼れる技にアタシは意識が飛ばされると、そうして着地したこの場所は、またしても清々しいほどの山地の高原に舞い戻る。昨日とはまた違う場所だろうが、どこを歩いても、どれだけ移動しても、どこへテレポートしてもどこを見渡しても、光景はそんなに変わらない。

 

 ……やっぱり、途方無いな。絶望に近い気持ちでアタシが落ち込んでいると、ラルトスはちょい、ちょいと服を引っ張ってくる。アタシが反応すると、ラルトスはバッグへと手を伸ばして、もぐもぐのジェスチャーを送ってきたのだ。

 

「何か食べろって? ……そうだね。不安な気持ちの時こそ、お腹いっぱいにして幸福感を補充しないとね。ありがと、ラルトス」

 

 アタシは、収穫してきたリンゴをラルトスと一緒に食べることにした。これは午後のおやつ。ご飯ではない程度にもりもり食べて、ラルトスもそれを美味しそうにもぐもぐ食していくのだ。

 アタシは、自分の残ったリンゴをラルトスへと分け与えた。すると、鋭い角がもぞっと動くなり、それは大きな口を開けてリンゴをパク……り――?

 

「うぉッ!?!?」

 

 アタシは驚きで男勝りの声を出した。アタシとラルトスの間に存在する“それ”は、アタシが手放したリンゴをもしゃもしゃ食べて満足げに笑みを浮かべている。

 灰色である“それ”は、とげとげの鎧を身につけたような見た目をする、四足のポケモンだった。向けられた赤い目は期待の眼差しを向けており、その目はまるで、ラルトスのよう。

 

 ……このポケモン、トレーナーズスクールで習った。確か、『サイホーン』というポケモンだ。ひたすら直進で突進を続ける脳筋思考の持ち主であり、脳みそが小さくて忘れっぽいという。

 その突進の力は、建物も容易に吹き飛ばす。アタシは突進されないか不安になってすぐさま距離を取るのだが、一方でラルトスはアタシのバッグを漁り、そこからリンゴを取り出してサイホーンに分け与えていくのだ。

 

 サイホーンは、とても嬉しそうにそれをもしゃもしゃ食べていた。……あれ、なんだ。意外と可愛いぞ。そんなことを思いながらもアタシは休憩を止めて、日が暮れる前にこの山地から抜け出そうとその歩を進めていく。

 

 ブーツを失った片方の足には、先ほどのリンゴの木で採った葉っぱと、救急用のテーピングを巻いた仮の靴で地面を歩く。いつものようにラルトスを抱き抱えていつでもテレポートを使えるようにしておき、バッグに詰め込んだ食料のリンゴを完備している上に、後ろからついてくる用心棒のサイホーンが――

 

「――って、まだついてきてたの?」

 

 アタシは思わずツッコミを入れてしまった。後ろへ振り返りサイホーンにそう言うのだが、サイホーンも後ろを向いて、後方確認。

 

 いや、お前じゃい!!

 

「……人数が増えちゃうと、リンゴの消費も増えちゃうよ。ほら、群れにお帰り」

 

 と言ってアタシはサイホーンにどこか行くよう促すのだが、サイホーンはそんなことお構いなしにアタシの後をついてくる。

 脳みそが小さいって、まさか人間の言葉を理解する知能も兼ね備えていないってこと……? アタシは疑問になりながらも結局サイホーンと共に歩くこととなってしまい、周囲は段々と暗くなり、陽が暮れて再び静寂の暗闇に包まれる。

 

 高原の岩陰で、ゴーストから隠れるように過ごすこの時間。アタシはバッグからリンゴを取り出してかじっていき、ラルトスとサイホーンもリンゴをもぐもぐ食べて満腹となってから、三人は眠りについてその日を終えた。

 

 

 

 事が動き出したのは、翌日のことだった。この三日間に渡る遭難の中で、アタシはその日にもより一層と濃厚な時間を過ごすこととなる――



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案内人

 アタシはひどく驚いていた。この三日間では様々な出来事が降りかかり、それらから必死に逃れようと無力のままもがくことしかできずにいたものだから。

 

 深夜の高原。ちょうど日を跨いだだろうその時刻に寝ていると、ラルトスが角でアタシの額を攻撃してきたのだ。これを食らってアタシは飛び起きると、次の瞬間にも背もたれにしていた背後の岩が大きな音を立てて崩壊。

 何が起こったの!? 慌ててアタシは離れると、そこではゴーストが距離を離して様子を見てくる警戒の模様と、その岩を砕いたのだろうサイホーンが対峙している。

 

 ラルトスを抱えたアタシは、困惑して佇んでいた。その間にも、目の前ではバトルが繰り広げられたのだ。ゴーストが暗黒の球体をつくりだし、シャドーボールをサイホーンへと繰り出していく。サイホーンはその性質上、真っ直ぐにしか進めない。前から飛んでくるシャドーボールを見ると、サイホーンは避けるどころかそれに突っ込んでいったのだ。

 

 駆け出して飛び掛かるサイホーン。次にもその身体は回転し始め、その回転力が頭のツノに集束すると、全身をまとう勢いが土のドリルとなってシャドーボールを貫いたのだ。

 ドリルライナー。じめんタイプの技だ。繰り出したサイホーンの技はゴーストへと一直線に進むのだが、その技エネルギーは、ゴーストというポケモンの“特性”がそれを察知し、身体が自然に浮き出してサイホーンのそれを難なく回避する。

 

 当たるわけがなかったのだ。ゴーストの特性は、ふゆう。ふゆうは、じめんタイプの技を無効にする強力な特性。アタシもこれをトレーナーズスクールで思い知らされた。模擬戦でアタシが使ったディグダのじならしが、ドガースというポケモンが持つ特性のふゆうによって、無効化されていた。この身で体験したからこそ、あのゴーストの挙動でそれを一瞬で理解することができた。

 

 ゴーストはそのまま不敵な笑みを浮かべながら、口から目に見える呪文を唱え始めていた。ゴーストが繰り出したのは、のろい、だ。自身の体力を削る代わりに、その対象の体力を減らし続ける特殊な状態異常にさせる技。

 サイホーンはそれに対しても避ける動作は見せない。真っ向からのろいを受けながらも、そのツノでゴーストに照準を合わせ、ツノの先にいわタイプの技エネルギーを溜め込んで岩石のようなものへと変換。物体となったそれはサイホーンから発出され、のろいを繰り出すゴーストに直撃させたのだ。

 

 あれは、ロックブラストと呼ばれる技だった。それが次々と連続で放たれ、ゴーストはそれらを何度も何度も食らって空中でよろけ出す。

 同時に、抱えているラルトスがアタシの服を引っ張ってきた。手をちょい、ちょいと伸ばして、サイホーンを指していく。……近付けって? こちらの疑問の感情を感じ取ったラルトスはコクコク頷いていて、アタシは急ぎでサイホーンへと接近した。

 

 アタシが触れても、サイホーンはゴーストを捉え続けていた。そんなアタシはアタシで、ラルトスにどうしろと問い掛けようとしたのだが、その瞬間にもラルトスはテレポートを発動し、アタシが触れるそれらは一瞬で高原から姿を消した。

 

 

 

 次に意識が覚醒すると、渓谷の中間地点に位置する崖で突っ立っていた。

 足場が急な坂で驚くが、冷静を保てと自分に言い聞かせていく。大丈夫、大丈夫。アタシにはラルトスとサイホーンがいるから。抱いているラルトスと、足元でもぞもぞと動き出したサイホーン。サイホーンは横に続く足場をのそのそ歩いていくのだが、その表情はとても苦しそうだ。

 

 それにアタシもついていくのだが、渓谷の崖を渡り、緑が広がる森林地帯に着くと、サイホーンはその場に倒れ込んでしまった。

 ――ゴーストの技、のろいの効果でひんしになってしまったのだ。ポケモンにおけるひんしとは、体力が無くなったことで力が出ない状態を示す言葉であり、しばらくの間は立ち上がることもままならない無気力となった時に呼ばれる一種の状態異常。時間経過で回復するため、死ぬ心配はしなくてもいいのだが……。

 

「サイホーン! 今すぐ治してあげるから待ってて!」

 

 そう言ってアタシはバッグから松明を取り出して、それの先端を空気に擦り付けるように数回振って発火させて灯りを点ける。

 よく見える状態にしてから、バッグからいろんな薬を引っ張り出してきた。キズぐすり、いいキズぐすり、なんでもなおし、ディフェンダー、ピーピーエイド。どれを使ってもサイホーンのひんしを治すことができない。ポケモンのひんしを治すには、げんきのかけらという物を使わなければならないからだ。

 

 アタシは、サイホーンを安全そうな場所へ移動させようとした。しかし、サイホーンはすごく重い。持ち上がる様子も無く、アタシはどうすることもできないまま不安を抱えて、この晩を過ごした。

 

 夜が明けると、サイホーンは動き出していた。ひんしから回復したらしい。

 アタシは眠らず、ずっとサイホーンを見張っていた。この間にもゴーストに襲われたりしないかとか、夜行性の何かしらのポケモンに、サイホーンが襲われたりしないかとか。色々考えながら。

 

 動き出したサイホーンは、表情ひとつ変えずにいつも通りといった様子。アタシは感謝を込めてキズぐすりを使い、お礼のリンゴも与えることでサイホーンを労わっていく。

 陽の光が射し込む、三日目の山地。連絡が取れないことから、パパも心配しているかもしれない。早くここから抜け出そう。若干と焦る気持ちでアタシは歩き出し、再び山の中を巡る冒険を再開した。

 

 抱えたラルトスと、相変わらず後ろからついてくるサイホーン。後ろを向いてサイホーンを確認すると、サイホーンもまた後ろを向いてアタシの視線の先を辿っていく。

 だから、あなたのことなんだよなー……。内心でそう思いつつも、アタシは見晴らしの良い平原に出てその先に目を凝らした。

 

「……建物? 建物が見える!!!!」

 

 三軒程度の小屋っぽいものが、平原の先にある高台の上に見えていた。まだまだ距離はあるものの、助かった、そんな安堵の言葉が脳内を埋め尽くしてアタシは泣き出しそうになってしまう。

 ……それと共にして、サイホーンがアタシを追い越してどこかへ行こうとしていた。どうしたんだろう。そんなことを思ってアタシはしばらく眺めているのだが、サイホーンは振り向いて、こちらを確認してくる。

 

「…………??」

 

 謎に思っていると、ラルトスが手でちょい、ちょいとサイホーンを指してアタシに何かを訴え掛けていた。

 ……サイホーンに、何かあるの? こちらの感情に、ラルトスは頷いていく。 サイホーンは、どうしたいの? こちらのそれに、ラルトスはアタシの服を、サイホーンの方へと引っ張っていく。

 

「……サイホーンのところに行けって?」

 

 コクコク。ラルトスの動作で確信したアタシは、サイホーンへと歩き出す。すると、サイホーンもまた歩き出したのだ。

 つれて行きたいところがあるんだ。小屋を横目にアタシはサイホーンの後を追い、この平原をしばらく歩み進めていった。

 

 

 

 森林地帯を抜けると、そこには大草原が広がっていた。ところどころ池が見受けられるそこは一部分が湿地帯とも言えるもので、多くの野生ポケモンが群れを成して生息している。

 さらに特筆すべき点は、この光景の奥には天へと上るにつれて白くなる山脈と、周囲に密集する森林地帯。そして、まるでそれらに護られるかのように大草原の平坦に存在する、たくさんの建物の数々。

 

 立てられた柵や門と、看板。この大草原に似つかわしくない、大きなドーム状の建物。

 ……間違いない――!!

 

「――助かった。良かった……。着いたよ……『ハクバビレッジ』ッ!!!!」

 

 ナガノシティから始まったこの道のりは、命懸けの冒険となってアタシの歴史に刻まれた。

 辿り着いた目的地に感極まって、アタシは泣きながらラルトスをぎゅうううううっと抱きしめていた。それに角をピカピカと光らせるラルトスは、満更でもなさそうだ。

 

 そして、アタシは命の恩人にお礼を言おうと振り向いた。

 ……しかし、既に離れたその背にアタシは歓喜を忘れ去る。――到着したというその感情以上に、“それ”が自分から離れていく姿にひどく喪失感を覚えたからだった。

 

 何事も無かったかのように去っていくサイホーン。終始その存在感はよく分からないものだった。だが、今この場になってアタシは、ようやくと理解することができた。

 アタシは、あのサイホーンのことをれっきとした仲間として接していた。その事実をひしひしと噛み締めながらアタシは、サイホーンが完全に森へ溶け込むその瞬間まで、その場に留まってとげとげの背を見送り続けていた――



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ハクバビレッジ

 大自然に護られた地域、『ハクバビレッジ』。その道のりは、山地を主とする急斜面と獰猛な野生ポケモンが待ち受ける、試練という言葉に相応しきものであった。

 だが、この三日間の話を現地の者にしたところ、大変驚かれてしまった。どうやらアタシが通ってきたその道はハクバビレッジと繋がっておらず、この村の隣に位置する修練の山、『コタニの山』へと向かう劣悪な山道を通ってきてしまったみたいなのだ。

 

 サイホーンにこの村へと導かれてから、アタシはハクバビレッジに保護された。服はボロボロ、疲れ切った顔。ジムチャレンジに挑戦する少女が遭難したという話はすぐに広まってしまい、これはメディアの耳にも入ったのか記事に取り上げられてしまうほど。名前は伏せてもらったので、パパの面目は潰さずに済んだだろうが……。

 

 村に着いてからというもの、ジムチャレンジの役員が在中する役所で面倒を見てもらうことになった。温かい食べ物をラルトスと一緒にいただき、コタニの山でどんな風に過ごしたのかを一通り話してから、部屋をお借りしてゆっくりと身体を休めることができた。

 そして、この話を聞いた役員たちは、特性ものひろいのポケモンを引き連れてコタニの山へと赴いたようだ。そこでアタシが失った自転車とキャップ、片方のブーツを回収したらしく、アタシは無くしたそれらを受け取って無事に元通りとなる。

 

 どうやら、コタニの山には強力なゴーストタイプのポケモンが住み着いていることで有名らしく、特に夜間の時刻に赴くことは大変危険とされていたようだ。そこで出くわしたポケモンのゴーストを始めとして、カゲボウズやヨノワルといった、感情を読み取ることで獲物に近付くゴーストタイプのポケモンが活発的になると言われている。アタシは幸運に恵まれていたらしく、アタシが居ただろうその高原はどうやら、ヨノワールと呼ばれるこの世と冥界を行き来する超危険ポケモンが生息していると言うのだ。それと出くわしていたら、ラルトスのテレポートを以てしてもアタシは間違いなく死んでいたとのこと。

 

 アタシは昔から、何かとそういう最も最悪とされる運命から守られている。パパだってそうだ。命を落とすような場面に何度も出くわしていながらも、ケロッとした顔で生還している。アタシもその血筋を受け継いでいるのか、最悪にまで至らない不運で済んでいるものだから本当にただただ運命にありがたく思うばかりだ。

 

 そんなことで、役所から出てきたアタシ。服装もバッチリで、脇には整備された自転車がドーン! そのカゴにラルトスを入れて自転車を押していくアタシは、ジムチャレンジ開始から数日経ってようやく一つ目の地域に踏み入れた。

 

 今もたくさんのポケモントレーナーで賑わうハクバビレッジ。この村の背景として馴染んでいる山脈は、雪と思われる白色で染まった雄大な存在感を放っている。この山脈の周囲では密集した木々による森林地帯が展開されており、そんな自然の山脈と森林に護られるよう大草原の中に存在しているのが、このハクバビレッジ。

 ここでは、シナノの大空を支配する男がチャレンジャーを待ち受けている。今もスタジアムから聞こえてくる大歓声と、このハクバビレッジにスタジアムを構えるジムリーダー、レミトリの名を連呼する応援の声音。既にバッジを数個集めた者との戦いを行っているらしく、レミトリさんは多くの挑戦者のいろんな背を見送ってきたことだろう。

 

 アタシも、レミトリさんと戦うために苦労してここまできたのだ。目指すはバッジをもぎ取ること。つまり、ジムリーダーとの戦いで勝利を収めること!

 こんなアタシでもレミトリさんに勝てるのか、最初は疑問に思っていた。だが、ジム戦のルールを読み進めていくと、実は勝てる可能性も十分にあり得ることが分かったのだ。その内容としては、ジムリーダーはまず、その挑戦者の経歴や実力を下調べするというのだ。挑戦者が待っているため、下調べに与えられた時間はわずか三分から五分程度。そこから得られた情報からジムリーダーは、自分の手持ちを選出してチャレンジャーの力量を測る、というのが一連の流れらしい。

 

 どうやらジムリーダーは、そのチャレンジャーの実力に見合ったポケモンを繰り出さなければならないというルールがあった。それはポケモントレーナーをどれくらい続けてきたのかといった経歴から、その挑戦者の趣味や特技からポケモンとどれくらい触れ合ってきたのかを推察。一番の指標は取得したバッジの数らしく、それによってもどうやら、選出するポケモンの数が増えたり減ったりするらしい。選出するポケモンの数に関しては、チャレンジャーもジムリーダーと同じ手持ちの数に合わせないといけないとのこと。

 

 要は、ジムリーダーに自分のエントリーシートを見られる、ということだ。それを聞いただけでも、アタシは気持ち的にダメそうに思えてくる。

 

 今も熱狂を極めるジム戦だが、ジムリーダーに挑むにはまず、予約をしないといけないルールがあった。出発が出遅れた上に遭難までしていたアタシがエントリーの申し込みをしたところ、既に今日と明日と、明後日の枠は埋まってしまっていた。

 結局、エントリーは取り止め。もし早めにできていたとしても、アタシはエントリーをしなかっただろう。だって手持ちは、テレポートしか覚えていないラルトスのみだったから。

 

 ……ゆっくりしていられない。ジムチャレンジ自体は何ヵ月も続くけっこう長めの行事であるのだが、期間はきちんと設けられている。ポケモントレーナーになったばかりという立場でもあるため、うかうかしているとあっという間に期間を過ぎてしまうだろう。

 

 ――最優先事項は、ラルトスに攻撃できる技を覚えさせること。技を習得させる手段は色々あるけれど、特に有効なのはやっぱり、ポケモンバトルを介することで発生する強い刺激によるもの。もしそれがダメだったなら、別の方法を試していけばいい。

 

 新米ポケモントレーナーなりに自分の中の目標をしっかりと定め、やるべき事をハッキリさせたアタシ。その旨をラルトスにも伝えてから、アタシはとにかく今できることを端から試していくことにした。

 

「ラルトス! コタニの山に行くよ! まずは経験豊富な山のガイドさんに付き添ってもらって、野性のポケモンと戦うところから始めていこ!」



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レミトリ

「ラルトスが覚える技は……なきごえとチャームボイス、あとはねんりきと、かげぶんしん……。攻撃できる技で欲しいのはねんりきだけど、この際だから攻撃できれば何でもいいし……。もし技を覚えさせる専門トレーナーに預けるなら、お金はかかるかもだけどサイコキネシスとか覚えさせてもらう……?」

 

 ボソボソと呟きながら、アタシはジムチャレンジのチャレンジャーが自由に行き来できる役所のラウンジでスマートフォンをいじっていた。イスに座り、テーブルに寄り掛かるような姿勢でその画面を見ているアタシの目の前には、テーブルの上でリンゴをかじりながら役所内を眺めているラルトスの姿。

 

 コタニの山でラルトスの訓練を行ったのが、昨日の出来事。その結果は良いとは言えず、アタシはさっそく手詰まり状態だった。まずこの子があまり戦闘をしたがらない性分で、野生ポケモンとの戦闘になるとすぐにテレポートで戦線離脱。戦いの気配が無くなると帰ってくることから、やはりラルトスは争い事を好まない性格のようだ。

 

 ポケモンという生き物が、バトルを好んで行う闘争の生物。しかし、この子はアタシについてくるほどの変わり者。そんなラルトスを無理に戦わせようとは思わないし、だが一方でラルトスには自衛できる手段を身に付けてもらいたいという思いから、アタシは今も思考を巡らせていくのだ。

 

 この子が嫌がらない程度に、バトルを染み込ませる。並大抵ならぬ難易度の高さを感じるが、ラルトスはアタシの大切な相棒なのだ。それも、お互いを分かり合える、心が通じ合ったもの同士。今までも大変な思いをしてきただろうラルトスの性格を理解できるからこそ、アタシはこうしてこの子のために頑張れるのだ。

 

 しかし、何をするにしても時間がかかる。やっぱり、衝動のままジムチャレンジに参加したのは間違っていたのかも……。圧し掛かる気持ちの重圧に、アタシは「あぁー~……」と言いながらテーブルに突っ伏す。それを見たラルトスがアタシの頭に寄り添い、よしよしと頭を撫でてくれるのだ。

 

 ありがとーラルトス。そんな気持ちも伝わっているだろう。ずっと見ていたスマートフォンから一度目を離し、役所の中を見渡して気分転換。

 ここは、アタシがコタニの山で遭難した後に面倒を見てくれた施設だ。普段はジムチャレンジを運営する役員が忙しなく活動している場所ではあるのだが、建物の出入り口付近にはラウンジが設けられており、その空間はジムチャレンジのチャレンジャーが自由に使用することができるのだ。

 

 本棚がたくさんあり、そこにはポケモンやシナノ地方の地理といったジムチャレンジに関する本が並べられている。言うなれば小さな図書館であり、チャレンジャーはこの空間で身を休めながら、持ち込み可の飲食物を片手に他のチャレンジャーと交流することができる。アタシのテーブルの周りでは、このハクバビレッジで出会ってから仲良くなったのだろう男子二人が和気藹々と話していたり、メガネをかけた女子二人が本を見ながら何かを語り合ったりしている。そのどっちのグループにもポケモンが付き添っており、互いをライバルと見たり、友達と見たりして親しくしていたものだ。

 

 アタシは、こうしてぼっちを極めている。というか、交流に気が乗らない。人と話すことは別に苦ではないし、目的があれば普通に通りすがりの人達へ声を掛けて何か尋ねたりする。コミュニケーションに問題はないのだ。ただ、こうして一人で居た方が楽なだけ。

 ジムチャレンジ中、飲食店とかで一人ボーッとしていると、たまーに知らないお兄さんに声を掛けられる。ナンパだ。アタシってそんなチャラく見えるのかな。そんなこんなで色々と誘われたりして、アタシはその度に断わっていく。それが何度かあって、外ではあまりゆっくりできなかったものだ。

 

 でも、役所という空間であれば、少なくとも下心を持つ輩には声を掛けられない。そういった民度的な部分では絶対的な信頼を寄せていたこの環境。オマケに聞き耳を立てれば役立つ情報が入ってくるし、美味しい飲み物も飲めるし、食べ物も持ち込みできるし、最高か。

 

 アタシはラルトスを撫でた。ラルトスはとても気持ち良さそうにしてボーッとし始めて、アタシは頭部をわしゃわしゃしてラルトス成分を補給する。

 疲れた。色々とあったから疲れたのもあるし、純粋に考えることに疲れたところもある。あれをやんなきゃ、これもやんなきゃ、やりたいこととやらなければならないことの両方は湧き出てくるのに、アタシはそれらを上手く実行することができない。

 

 不器用なのだ。手先とかの器用ではなく、思考というか、ペース配分といった自己管理に関して全く器用ではない。今もラルトスには技を覚えさせなきゃと思考がぐるぐるしているのに、そこに割り込むように新しいポケモンを捕まえなきゃ、早くジムに挑戦してバッジを入手しなければ、パパがアタシの試合を早く見たがっている、こんなところをタイチさんに見られたらどう思われるんだろう、などなど。とにかく、五つ六つの思考が同時にアタシの脳みそを駆け回るから、気持ちと言葉が渋滞してしまい、身体が動かない。

 

 ……だから、周囲にも馴染めないんだよな。アタシは変わっているから。ラルトスも変わっている。分かり合える仲間ができたのは嬉しいけど、根本的な部分は解決していないし――

 

「休憩中のところ、申し訳ありません。少しだけお時間よろしいでしょうか」

 

 突然、声を掛けられた。アタシはそれにのっそり顔を上げていくと、そこには凛々しい表情のイケメンさんが――

 

 ――レミトリ。ハクバビレッジのジムリーダーであるレミトリさんが、そこに立っていた。

 鳥が翼を広げたかのようなデザインの、白色と青色の上着の彼。加えて灰色のカボチャ袴に鼠色のハイヒールブーツというファッションで、黒色の長髪を後ろで結った凛々しいそのお姿。胸元に手を添えた、まるで執事のような雰囲気を醸し出してそこにいるレミトリさんを見て、アタシは思わず飛び上がるように姿勢を直した。

 

「な、なんでレミトリさ――!? ど、どうも……??」

 

「これはこれは、失礼しました。驚かせるつもりなどございませんでしたが……」

 

「いやいや、そんな! アタシが勝手に驚いただけだから……!!」

 

 あわあわ。気まずい空気を作ってしまって、アタシはやっちゃったーーーーと内心焦る。

 しかし、レミトリさんは全く気にしていない様子だった。それどころか、とても寛容的なそのオーラ。いい匂いもするし、アタシは何だかすごく得をしたような気分になるのだが、そんなこちらに対してレミトリさんはこんなことを口にしてきたのだ。

 

「先日、コタニの山で遭難をなされたという話をお伺いしました。せっかくジムチャレンジにご参加いただいたというのに、こちらの不手際によって、死を悟るほどの怖い思いをさせてしまったことを深くお詫び申し上げます。コタニの山へと続く道には警備員を置いておりましたが、貴女様がお通りになられた道の警備が手薄となっていたことが判明しまして。今回、そのようなこちらの不手際によって辛い思いをさせてしまったお詫びをするべく参った次第です」

 

「いや、そんな! 元はと言えば、アタシが道を間違えていただけだし! レミトリさんや警備員の皆さんは何も悪くないって!」

 

「いえ、ジムチャレンジを運営する者として責任が――」

 

 そんなやり取りが、十分くらい続いた。互いに引かない謎の主張を繰り返して、ようやくと落ち着いてからレミトリさんは気を取り直すように喋り始めていく。

 

「……コホン。とにかく、このような事故が二度と起きないよう、役員共々、厳重な注意を怠らないよう務めて参ります。それと――コタニの山で遭難した際の貴女様の活動を、役員から詳しく聞きました。ご無事で良かった。本当に、心からそう思います。ゴーストに襲われたという一日目の夜の高原は、この世と冥界を行き来するヨノワールの通り道でもありますから」

 

「それ聞いて、ビックリしちゃった。今だからこそ言えるけど、ヨノワールってポケモンがそんなにヤバいんなら、むしろ一目でも見てみたかったかも」

 

 と、レミトリさんは一瞬だけじっと見遣ってくる。

 やばいこと言っちゃったかな。そう思うアタシを他所にして、意外にもレミトリさんは凛々しい表情を崩してフフッと笑みを見せてきたのだ。

 

「これはこれは、頼もしいですね。しかし、絶対に遭遇を試みてはいけませんよ」

 

「分かってるよ! アタシ自身、ポケモンのことちょっと苦手だし。変に近付かないから、大丈夫」

 

 足をバタバタさせながらアタシはそう答えると、レミトリさんは少し目を開きながらそう訊ねてきたのだ。

 

「お名前は、ヒイロさんと言いましたね」

 

「そ。で、こっちはアタシの相棒のラルトス」

 

「お噂は常々耳にしております」

 

「え? アタシなんかやらかした?」

 

「いえいえ、そんな。ただ――あのチャンピオン、タイチさんに一目を置かれている、今チャンピオンに最も期待されているであろう注目のポケモントレーナーとして認識している、とでも答えましょうか」

 

 え、ぇーー…………。

 タイチさんなに話してくれちゃってんの。そんなことを思いながら聞いたレミトリさんの話ではどうやら、ジムチャレンジの開会式の控え室にて注目のポケモントレーナーの話が出ていたらしい。そこで皆がそれぞれその界隈で有名なトレーナーの名を挙げていく中で、タイチさんだけは全くの無名である新米ポケモントレーナーのアタシの名前を挙げたとのこと。

 

 皆が興味を持ち、タイチさんはその理由を説明したみたいだ。とはいえ、タイチさんのその理由もまたハッキリしたものではなく、「直感で、自分と似たようなものを感じられた」という答えのみ。それを聞いてその場の一同はタイチさんらしいと言って笑いながら流していったという。

 

 アタシからすれば、地獄に落とされたかのような気持ちになった。覚えている技はテレポートだけというラルトスのみを連れて、つい最近ポケモントレーナーを始めたというそんな立場でありながら、皆が憧れるチャンピオンから変に期待されている上にそれをジムリーダーの面々に吹き込まれてしまうだなんて――

 

「あ、あの。レミトリさん。ア、アタシそんな、タイチさんがそう言っていたからと言って、強いってワケじゃなくて……」

 

「おや、これはかえって緊張させてしまいましたか。申し訳ございません」

 

 丁寧な口調と相反して、レミトリさんはアタシのテンパった様子を見て微笑ましく思っている。なに面白がってんだよーーーーー!!

 だが、その調子もすぐに凛々しい表情で上書きしていくレミトリさん。すぐにもスッと戻った気持ちの切り替えで、レミトリさんはチャレンジャーであるアタシにそのセリフを残していったのだ。

 

「ただ、チャンピオンが注目する人物だからと言って、ひいきするつもりは毛頭ございません。これはジムチャレンジ。シナノ地方の活性化に繋がる誇り高き伝統に、私情をまじえるだなんてもってのほか。お相手がチャンピオンのお気に入りであろうとも、スタジアムに入れば皆等しく一人の挑戦者でございますから」

 

 レミトリさんは目だけを動かし、役所の時計を確認する。

 

「そろそろ時間ですので、私はこの辺にて。機会がございましたら、またお会いしましょう。では」

 

 そう言って、踵を返してアタシに背を向けたレミトリさん。コツッ、コツッと靴音を立てながら歩き去っていく彼の背を、アタシはただただ見つめることしかできなかった。

 

 ――違う。アタシの意識が、彼の言葉にひどく戦慄を覚えていた。身体を動かそうにも、なぜか動かせない。あの背から目を離してはいけない気がする。全身のあらゆる感覚を支配されたそのセリフに、アタシはただ、心臓をどくどくと鳴らすことしかできずにいた。

 

 こんなに緊張したのは、初めてだ。同時に、アタシは今、自分にとってものすごく大事な局面に立たされていることを自覚する。

 ポケモントレーナーとして旅立ったこの運命も、単なる思い付きや偶然によるものではなかったのかもしれない。今もバクバクと脈打つ心臓の鼓動を身体の芯で感じ取りながら、アタシはタイチさんのその前に立ち塞がった新たな壁に、直面していた――



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コタニの山

「ラルトス! もう一回! ねんりき!」

 

 コタニの山で、遭難した時に見つけたリンゴ畑にアタシは声を響かせる。狙う対象は、樹に実っているみずみずしい赤いリンゴ。「食べたいのなら、自分で採ってみなさい!」とアタシは心を鬼にして指示したこれを受けて、ラルトスがその角を光らせて力を使い始めたのだ。

 

 ――来た!! 今までいろんな方法を試してもダメだったけれど、やっぱラルトスの大好きな食べる事を絡ませればうまくいくんだ!! 内心によぎる確信にアタシは希望を見出し、「いっけーーーーッ!!」と高らかに声をあげた。

 

 ラルトスのねんりき!! 歪む時空と、リンゴに加わる変化。やった! 成功だ! アタシは心から湧き上がってきた感情に両手を上げ、感極まって喜んだ!!

 

 ……のだが、次にも目にした光景は、枝に乗ってリンゴをその手で収穫するラルトスの姿。

 

「いや、テレポートで採りに行くんかい!!!!」

 

 ズコーッと盛大にズッコケるアタシをよそにして、ラルトスはとても満足げにリンゴを食べていた。

 

 

 

 難航を極めるラルトスの訓練。一日、また一日と経過していく時間の流れに、アタシの焦りはどんどん募っていく。

 まさか、技を覚えさせてくれる専門トレーナーさんも予約がいっぱいだったなんて。やっぱりアタシのような考えを持つトレーナーも少なくないようで、しかもジムチャレンジが始まってから間もないというこの時期、ジムリーダーに破れたり、自身らの未熟を自覚した者達がポケモンに新たな技を習得させようと専門員に頼るのだ。

 

 さらに、ハクバビレッジはナガノシティやジョウダシティと比べて、建物や人口が少ない。その分そういった人材や施設が貴重であり、数に限りがある。アタシがそういった専門トレーナーの下へ向かった時には、しばらくは予約が取れないという手遅れ状態に陥っていた。

 なんか、予約が取れないことが多いな。うまくいかないことばかりで心が挫けてきたアタシ。ラルトスと一緒にいるのは落ち着くしお互いに安心し合えるイイ関係だから、これからもずっと一緒に居たい気持ちはあるけど……。

 

「なんかもう、どうしよ……」

 

 太陽の光が眩しい、コタニの山の高原。背もたれにちょうどいい岩があったため、それに寄り掛かりながらアタシは景色を眺めていた。

 気持ちはテンション爆下げ。着実と追い詰められていく感じがして無気力になってきたこの身体は、グダーッと座っていて全く動けない。

 

 ラルトスは、そこら辺を歩いていた。動き足りないのか分からないけど、自然の中を歩いているだけでも楽しいらしい。

 ……ポケモンって、不思議だな。この未知な部分を怖いと思っているから、実を言うとラルトスのことを今でもちょっとだけ怖いと感じている。

 

 ただ、そんな未知と心を通じ合えたという経験が、今のアタシを生かしているのだ。あの時ラルトスから来てくれていなかったら、アタシは今も死んだ心でこの世を憂いに思いながら、ポケモンのことをずっと怖いの一点張りで避け続けていただろう。

 

 少なくとも、アタシは成長できているはず。それを信じて、立ち上がった。

 ラルトスがこちらに気が付くと、その小さな身体でトコトコと寄ってきて手を伸ばしてくるのだ。アタシはいつものようにラルトスを抱え、周辺の高原を散歩しようと歩き出した。

 

 遭難していた時は、地平線を埋め尽くす山の光景が絶望的に思えていた。あれから数日が経って、ガイドさんに道を教えてもらい、一人でも何度か出入りを繰り返してこの地形をだいぶ覚えることができていた。

 そこから見える高原の景色は、自然の雄大さを肌身で感じられる素晴らしいものだった。何事にも、余裕があるのと無いのとで、見える世界が変わってくる。切羽詰まっている時に見る景色は果てしなく途方に思えるし、既に知っていたりと気持ちが楽な時に見る景色は、色々な特徴や良い所に自然と注目することができる。全ては気持ちの持ちようであることは分かっていた。だけど、それは頭で分かっていても、心に余裕が無ければ理解も難しい。

 

 結局、人間って気持ちに左右される生き物なんだな。ラルトスを抱えて歩く高原の中、白色のキャップで陰りをつくったこの目元で、白色のジャンパーと青色のスカートをそよそよと風になびかせなから目先の緑を踏みしめていく。

 

 この高原はどんどんと上がっており、気付けば標高がそれなりにある地点まで上ってしまっていた。

 降りるのも大変だなと思いながらも、まあラルトスのテレポートがあれば余裕か、なんて思って構わず上り続けていくアタシ。今はそういう気分なのだ。たまに、無性に何かに上りたい気分に駆られる。今がその時なのだ。色々と考えることに疲れてしまって、だからこそ、今は無意識の中にある自分の願望に身を任せてみようと思う。

 

 岩がポツポツと落ちている高台。雲も心なしか近く感じられて、あぁ、アタシは上ってきたなと実感する。

 ボーッとする。雲が近いってより、雲が空を覆い始めていた。雨でも降るのかな。まあずぶ濡れになってもいいか。いやダメだ。ラルトスが風邪をひいてしまうかもしれない。――頭の中が落ち着かない。巡る思考を止めることができない。何かに行き詰った時の、アタシのサインだ。

 

「……分かってるよ、そんなこと」

 

 ボソッと呟く独り言。意味はないけど、言わないとやってられなかったから。

 ラルトスが見上げてくる。ごめんね、一人でこんなブツブツと呟いていて。言葉にしなくても、きっと感情で伝わっている。そんなことを思ってアタシはそのままでいたのだが、少ししてラルトスが服を引っ張ってきたのだ。

 

 違ったのだ。アタシを慰めようとかの仕草ではなく、アタシに“それ”を伝えるための動作だったのだ。

 

「……なに?」

 

 ラルトスが手を伸ばす方向。それを見遣ると、アタシはとある群れを目撃した。

 

 とげとげとして鎧のような背を持つ、灰色で四足のポケモンの群れ。その頭のツノと、ラルトスのような紅の瞳が、それがサイホーンの群れであることを理解させる。

 

 それらが、アタシらを眺めていた。じっと見つめていて、動かない。

 アタシも一斉に見られていることに気が付いて、思わず立ち止まってそのままでいた。すると、その内の三頭がこちらへと駆け寄ってきたのだ。

 

 ……なんだか、あの時を思い出すな。遭難した時に、アタシをハクバビレッジへ導いてくれたサイホーンのこと。懐かしくも思えてくる感傷でアタシはじっと見ていると、次第にもそれらはアタシらの傍に寄ってきて――

 

 ――いや、違う!!

 

「――ッ!!!!」

 

 反射的に動いた身体。投げ出した自身の身体は、ラルトスを強く抱きしめて地面を転がる。

 危なかった! あのサイホーン達は、敵意を持ってアタシらにとっしんを繰り出していたのだ。しかも三頭が列になっていたから、アタシは余計に飛び込む羽目になって……!

 

「っ、イッタ……!」

 

 準備運動もしていないなまった身体で、激しい動きを行った代償。飛び込む時の踏み込みで右足を捻ったらしく、これでよく飛べたなと思いながらも、立ち上がるのもキツい身体で体勢を立て直す。

 

 三頭はアタシらを通り過ぎると、振り向くのに時間をかけていた。その間にもまた四頭が群れからこちらへと走ってきて、完全に敵意を剥き出しに襲い掛かってくるのだ。

 

「ちょっと! アタシらが何をしたって言うの!?」

 

 疑問を問い掛けても、彼らは反応を示さない。ポケモンは人の言葉をある程度理解するんじゃなかったの!? キレ気味に抱いたその言葉を心に控え、アタシはどんどんととっしんを仕掛けてくるそれらから逃げるので精いっぱいだった。

 

 逃げている間にも、アタシは次に何頭来るかを見るために群れへと向く。そしてこの時にもアタシは、なぜサイホーンの群れがアタシらをガンガン襲ってくるのかが何となく分かった気がした。

 

 一頭のサイホーンが、倒れている。目には光がなく、あれは、明らかに――

 

「目立った外傷は無い。争った形跡も無いし、サイホーンは重いから動かすと引き摺った跡が残るハズ……! それも見当たらないから、あのサイホーンは……」

 

 ……不運にも、冥界に魂を持っていかれてしまったか……?

 

 周囲のサイホーンの気が立っているのも、仲間が不幸に見舞われたからだろう。ここはあまり人が来ないだろうし、野生のポケモンにとっては過ごしやすい環境のはず。そんな穏やかな場所で、仲間を失ってしまったのだ。その感情はきっと、どこにもやり場が無かったのだろう。

 

「分かった! 分かったから!! だから止めてって!!」

 

 捻った右足で逃げていくアタシ。ラルトスも角を光らせており、いつでも行えるようスタンバイしている。

 

 ……するしかない。命が掛かっているし、負傷しているから機敏に動けないし……!

 

「ラルトス! テレポート!!」

 

 アタシが指示をした瞬間、この意識は遥か遠くへと飛んでいく感覚を覚えた。

 

 

 

 ラルトスのテレポートも、すごく頼りになる技だ。なにも攻撃できる技だけが全てではない。ただ、ジムチャレンジという試練においては、攻撃できる技が優遇されるだけという話なのだ。

 

 アタシは、ポケモンが繰り出していく技について色々と考えさせられた。テレポートで戦うことはできないかと考えてみたが、スタジアムという平等な環境においては活躍の見込みは薄いだろう。

 

 飛んだ意識の中で、考えが整理された。クールタイムを挟んだからだろう。

 ……同時に、とある疑問が浮かんできた。アタシなんかがそれをやってのけるかは分からないが、こう、感覚としてイケてしまう気がしたからこそ、閃いたのだと思う。

 

 ドリルライナー。ロックブラスト。テレポート。とっしん。

 ――ジュエル。その言葉がよぎると、アタシは現在の立場と、ポケモンの技エネルギーという概念に焦点を当てた。

 

 ――技マシンって、自分で作れるのかな。

 



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研究者気質

「あの、すみませーん! そう、あなた! あなたのライチュウ、とても良い10まんボルトをお持ちですねー! やっぱり、ひこうタイプのジムだから今も鍛えているんですよね! ――アタシ? アタシはヒイロ。あー、ポケモン研究所の……助手。そう、ジョウダシティのポケモン研究所で、博士の助手をしていてね! それで、ポケモンの技を研究したいなーと思って、ちょっとあなたのライチュウが気になったの! もし良かったらでいいのだけど、その10まんボルトを、この石に当ててくれない? 技エネルギーっていう力が今必要で、この石はライチュウの10まんボルトを吸ってくれるの。協力してくれる? ありがと!!」

 

 晴天が大草原と山地を覆う、ハクバビレッジ。この村で用意された、自由に出入りできるポケモンバトルのコートに訪れたアタシ。そこで活きの良いポケモンを探していたアタシは、一人のトレーナーに話し掛けてそのような会話をしていた。

 

 技エネルギー。それに可能性を感じたアタシは昨日、コタニの山から下りてくるなりポケモン博士のパパにこのことを話してみたのだ。するとパパは、技エネルギーに関しては専門外だからなーと言いつつも、アタシの研究者気質をとても喜んだパパはこんな情報をくれたのだ。

 

 それは、技エネルギーをよく吸収する素材が市販で売られている、というものだった。元々は、ポケモンが繰り出す技を対策するための、防壁のような扱い方をするソレ。主な使い道と言えば、トレーナーズスクールで行われるポケモンバトルの実技の際に、事故の防止でトレーナーが着用する防護服の素材であったり、それこそジムのスタジアムでは、観客席に透明のような色のソレを張ることによって、スタジアムから流れてきたポケモンの技を防いだりと、日常的に使われている馴染みのある代物。

 

 他にもポケモン除けとして扱われたり、高級な建築物なんかでは壁にその素材が使用されているなど、その使用用途は多岐にわたる。

 多くの人間がポケモンと共存しており、いろんな人々がポケモンに困らされたりしているため、誰でも手に入るようにとそこらのお店で取り扱われていたりするのだが……。それを聞いたアタシは早速とお店へ赴き、これから本来とは異なる扱われ方をされる、犠牲者もとい技エネルギーを吸収する石は、アタシに握りしめられながら購入されていく。

 

 そして、その石でいろんなことを試していたのが昨日のこと。現在でもその石をアタシは使いまわしており、とうとう、少々と荒っぽい使い方を試してみようとして今に至る。

 トレーナーは、ポケモン研究所の役に立てるとウキウキしながら、ライチュウの力を貸してくれた。ごめんねトレーナーさん。これは半分ウソなんだ。いや、ポケモン博士の一人娘なのだから、実質助手と言っても間違いではないよね? 手伝いもしたことあるし、騙してはいないよね?

 

 自分の中で自分を正当化させながら、アタシは石が10まんボルトの力を吸収する光景を眺めていた。とても強い電気の力でビリビリと流し込まれるそれは、しばらくして帯電し始める。アタシはトレーナーさんにお礼を言って石を掴むと、バチンッと電気が手のひらを駆け巡る感覚で思わず手を引っ込めてしまう。しかしそれでも強引に掴んで持ち上げていくと、アタシは「ありがとー!」と言って抱えたラルトスと共にその場を走り去っていった。ライチュウのトレーナーさんは、アタシのことをとても不思議そうな目で見ていた。

 

 ジムチャレンジを運営する役所に来たアタシは、公共の施設でその石をいじっていた。皆が飲食物を持ち込んで談笑している中、アタシは一人、帯電する石をひたすら触ったり眺めたり、キズぐすりをかけてみたり、めざめいしをくっつけてみては観察したりしていた。もちろん周囲からは浮いており、なんだか変な視線を向けられているような感覚もある。

 

 尤も、周りから浮いてしまうことなんていつものことだった。だから周りに馴染めなかったもんだが、これがアタシの性質なのだ。学校でも、それ以外のところでも、いつもこんなんだった。だが、今回はラルトスという同志がついている。アタシが石をいじくりまわしているところを、ラルトスはポケモン用のスナック菓子を食べながら眺めていた。

 

 観察は更にエスカレートして、そこらから取ってきた木の枝を、石につけてぐりぐりと擦ったりしていた。今も帯びている電気をラルトスに触ってもらったり、この技エネルギーって摘まめるのかなと指でちょいちょいしてみたり。とにかく思い付いたことは片っ端から試してみた。

 

 それらの行為に意味は無いし、正直なにも考えていない。得られた結果から推察も行わないし、ただ目の前の石で一人あそびをしているだけ。

 だが、これこそがアタシの上手くいく黄金パターンでもあった。あれだけ色々と考えてしまうアタシの性質だが、こうやって無心のまま行動を起こしていった物事ほど、うまくいく。そしてこの行為は直にも、ほんのちょっとした成果となって現れた。

 

「……あ」

 

 ハクバビレッジの宿の個室。深夜という時間帯に、テーブルの明かりを灯してひとり石をいじっていたアタシ。その石は触りすぎて段々と色が変わってきていたのだが、ふと試してみた“あること”で、アタシは発見してしまったのだ。

 

 あれだけ何も起きなかったのに、あることを行ったことで、それによって付いてしまった黒い点に電気が集まり始める。目に見える変化はこれが初めてだったため、アタシは食い入るようにそれを眺めていた。

 同時に、アタシはこの黒い点を付けた代物に注目する。今も手に持っているソレは、一本のボルトネジだった。何の変哲もない市販の物であり、この石を買うついでとして買ってきただけの、決して特別なものではない小物。

 

 強いて言えば、このボルトネジはシルフカンパニー製だったということか。モンスターボールの開発かなんかで使われる素材が使用されているだなんだと書いてあったが、よく覚えていない。とにかく、そのボルトネジで加えた摩擦に、この石は反応を示したことだけは分かった。

 

 ――アタシは、黒い点に集まる電気に手を伸ばした。とても興味深かったから、自分の身を顧みないような行為であることを自覚していながらも、ついその手を伸ばしてみてしまった。

 

 震える指先。それはおそるおそると近付け、今もパチッ、パチッと指先で弾けている電気のそれを、つん、つん。

 ……これ、触れる。まるで物質であるかのように感じられたそれを受けて、アタシは湧き上がる好奇心のままに電気を一つまみ。

 

 バッチィンっ!!!! 瞬間、指に走った鋭い電流で手を引っ込める。共にして照明は落ち、停電を起こしてアタシの部屋は真っ暗となった。

 思わず「ぎゃっ!!」と響かせたこの悲鳴。テーブルから離れ、頭を抱えるようにしてアタシは唖然としていたのだが、今もこの手には帯電が残っており、押さえた部分の髪の毛がピリピリと引っ張られてくっついている。

 

 ……周囲からは、物音が聞こえない。停電はこの部屋だけか。シーンと寝静まった空間にアタシは落ち着きを取り戻し、次にも足元でもぞもぞ動くラルトスを抱き抱えて、「起こしてごめんね」と謝りながらアタシもこの日は寝ることにした。

 

 大した発見はできなかった。しかし、一日中行ってきたこの意味の無いような行為と、今日経験した成果は必ず大きな発見となってアタシの下に訪れる。

 何かが分かろうとしていた。それは理屈ではなく、感覚で。考えてしまうクセがついているのに、何かを深く考えることは苦手なのだ。だからこそ、直感を大事に思っている。

 

 翌日、アタシは気分転換にコタニの山へ訪れていた。そこでも昨日の続きとして、技エネルギーを蓄えた石をいろんなものに擦りつけたり投げつけてみたりしていたのだが、この日に関して言えば、アタシは石の興味をも超える、新たなる発見と出くわすこととなったのだ。



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見守る者

 草木を掻き分け、アタシは全速力でダッシュしていた。このままでは呑み込まれてしまう。今も全身に巡る危険信号に振動を打ち鳴らしながら、目先の道なき道を無理やり突き進んで必死に逃げるのだ。

 今も後ろから迫る悪魔。毒々しい紫色の身体をうねらせて、流れるような動作で周囲の木々に移りながらスルスルと高速でアタシを追いかけてくるそのポケモン。

 

 その正体は、アーボックだった。コブラポケモンであるアーボックは、アタシを獲物として認識してから、このようにずっと追跡をしてくる執念深い性質の持ち主。その腹に広がる、不気味を越えた戦慄走る模様でアタシの動きを止める算段だったんだろう。だが、アーボックに襲われたことを悟ったアタシがすぐに逃げ出してから、このようにずっとアタシを追いかけてくるのだ。

 

 もはや、食べること目的ではなく、狙った獲物は逃がさないというアーボック自身の性質を感じさせた。食という本能ではなく、獲物を逃がして堪るかと執念にとりつかれたアーボックは、アタシがテレポートで逃げた先にも現れて、このようにしつこくと追い回してくる。

 

 まさか、ラルトスのテレポートの先を読んでいただなんて。偶然かもしれないが、それにしては目の前から飛び掛かってくるタイミングが完璧だった。どうやらこのアーボック、相当な手練れのようだ……!

 

「ラ、ラルトス!! テレポート!! テレポートッ!!」

 

 ラルトスは今も力を振り絞ってツノに力を蓄えている。テレポートという技は膨大なエネルギーを消費するらしく、ラルトスは既にこれを三回使用している。一日に四回もテレポートを使わせることは今までに無かったため、疲労が募った身体に力が入らないといった様子だった。

 

 距離を十分に詰めたアーボックは、太い樹の枝から発出するようにアタシへと飛び掛かってきた。それが音で分かるため、アタシは「いやぁぁあああああッッ!!!!!」と死に物狂いで叫びながらすっ転ぶ。

 

 足が思うように動かず、その場で転倒した。確実に死んだと思われたこの場面、しかし盛大にコケたことで本体が射程からズレたらしく、アーボックはアーボックでアタシの目の前で盛大に地面を転がっていく。

 だが、あちらは体勢をすぐに立て直した。それはすぐに地面を這ってアタシを襲い、大きな口を開けて丸呑みにしようとする。

 

 ――だが、次の瞬間にもアーボックは、アタシの視界から消え去った。いや、その図体は上へ上へと連れていかれ、この視界は伸び往く根っこで覆われていく。

 背筋が凍る、不穏な空気。空が段々と暗くなっていくその光景に、アタシは動けずにいた。その間にも頭上では、アーボックは周囲にヘドロばくだんをまき散らすことで抵抗を行い、この樹木の根を操る本体をこの場に引きずり出してくる。

 

 次第にも、アタシの目の前に現れた一つ目の怪物。老木の身体に乗り移ったかのような黒い霊が隙間から垣間見える、この世のものとは思えないおぞましさ。

 後に、このポケモンはオーロットと呼ばれていることを知った。アタシはオーロットにひどい恐怖感を覚え、オーロットはオーロットで、アタシを横目にアーボックを縛り付けていく。

 

 だが、アーボックもただではやられない。相当な手練れで、年季もあるのだろう。キバに炎を宿すとそれで自身に絡みつく根っこを噛みつき、解けたところで落下と共に口から勢いよく毒の塊を繰り出してきたのだ。

 ほのおのキバと、ダストシュート。特にダストシュートが強力だったのか、まともに食らったオーロットは毒の塊に押しつぶされて、身動きが取れずにいた。

 

 植物の根は、意思を持つかのように動いていた。アーボックがそれに苦戦している間に、アタシはラルトスにテレポートを指示してこの場を脱出する。結局この後、あのポケモン二匹がどうなったかは知る由もない。アタシは命辛々という言葉のまま危機から脱出し、高台に移ってきた安堵からその場で寝転がって休息をとっていった。

 

「……ありがと、ラルトス。何回もテレポートさせてごめんね。疲れちゃったよね……。今は、一緒に休も……? リンゴも、食べたいね……」

 

 流す涙は、身体に残っていない。空っぽになった目元とは一方に、ダラダラに流した涙の後の鼻水をティッシュで拭きながらアタシはバッグを漁っていく。

 そこから取り出したリンゴをラルトスに渡すと、ラルトスはものすごく疲れ切った顔でそれを受け取り、リンゴを抱きしめたまま横になって寝てしまったのだ

 

 あのラルトスが、何かを食べようともせず寝てしまうのだ。余程の疲労だったのだろう。力をいっぱい使わせてしまったと申し訳なく思いながら、アタシはラルトスの頭を撫でてこの高原に滞在した。

 

 

 

 ……ラルトスの元気が無い。夕方になったコタニの山で、アタシはリンゴを口にしないラルトスに不安を覚えていた。

 この子、ただ戦闘を避けているだけではなかったのだ。そういう性格として納得するのではなく、なぜ、どうして戦闘を避けたがるのか、という理由をもっと追求しておくべきだった。

 

 この子は多分、技エネルギーをコントロールすることが苦手なのだと思う。テレポートという技は主にケーシィが使用すると言われており、一日の大半は寝て過ごしているというそのポケモン。寝ているために外敵に狙われることが多いみたいだが、ケーシィはその危機を感じ取ると、テレポートで逃げるという習性を持っている。

 

 ラルトスはケーシィというわけではない。ただ、テレポートという技を行うにしても、それを平然とやってのけるポケモンは存在しているのだ。それも、その平然が至極当たり前という認識で……。

 

「……ラルトス」

 

 分かるよ、その気持ち。アタシもそうだった。周りが平然とやってのけるその物事。周りが当たり前だと思っているそういうのが、自分は当たり前のようにできなかったり、平然とやってのけなかったりするよね。それが常識だという物事が、実は自分にとってはすごく大変なことだったりするんだ。アタシも同類だから、よく分かるよ。

 

 アタシは、ラルトスからリンゴを回収して、この子を抱き抱えた。

 帰ろう。アタシはラルトスにそう言って、ゆっくりと歩き出していく。

 

 夕暮れが沈んでいく地平線。夜にこの山に残ることは危険とされている。その前に、帰ろう。アタシは夜を迎えたコタニの山の山道を歩きながら、ラルトスと技について色々と考えさせられていた。

 やっぱり、この子には戦わせないほうがいいのかもしれない。それ以外の道でなにかできることを見つけさせて、そこでうまくやっていけるようなサポートをしていった方がいいのかもしれない。ラルトスの将来のことを考えているこの間は、自分の意識の中に浸っていて感覚が機能していなかった。

 

 だからなのか、真横で揺れ動く草木の異変に、気付くことができなかった。それが、なんか変だなと思って振り向いた頃には、既に遅かったものだから――

 

「い、いや……ッ!!」

 

 そこから姿を現したポケモン。黒く染まった身体と紅く光らせた眼光が、アタシにヨノワールを想起させて恐怖を抱かせる。

 ――もうダメだ、死んだ。ラルトスを抱きしめる腕の力が強まり、この子だけは……という気持ちで、アタシは数歩引き下がってラルトスを逃がそうとした。

 

 しかし、目の前にいた“それ”は、アタシに襲い掛かろうとしなかったのだ。

 そして、何かがおかしいと恐怖よりも不安へと移ったその感情で見遣ったこの光景に、アタシはとても驚くこととなる。

 

「…………サイホーン?」

 

 その姿に、見覚えがある。高台で見た群れのそれらとまるで同じその姿なのに、なぜかこの子からは既視感を感じられるのだ。

 いや、感じられるハズだ。だってこの子は間違いなく、“あの時”のサイホーンだったのだから――

 

「……どうしたの? アタシが道に迷ってるって思って、また助けに来てくれたの?」

 

 言葉を投げ掛けてみるのだが、サイホーンは表情ひとつ変えずにアタシをただただ眺めてくる。

 そして、ひとり歩き出した。アタシを背にして、アタシの帰り道を辿るように。それを見てアタシも歩き出し、サイホーンと並列になりながら夜のコタニの山を後にする。

 

 ハクバビレッジの夜景が見える大草原。

 ここに来てから、どれくらい経ったんだろう。そんなことをふと思った。それから、ジムチャレンジの期間を浪費していく自分の行動力に落胆の念さえも抱いてしまい、なんだか気持ちもあの夕暮れの太陽のように沈んでしまったアタシ。

 

 そして次第と、自分の殻の中に閉じ籠るように、この意識は内側へと向いてしまっていたのだ。その状況も、いつ夜行性のポケモンに襲われるかも分からないという油断できないものであったのに、だ。

 

 しかし、アタシは気を許してしまっていた。いや、そうさせてくれていたのだ。今思えば、アタシは安心感に包まれていたのだと思う。その時は、ハクバビレッジに着いた後もなお、横にはサイホーンがついてくれていたからだ――

 

 

 

 翌日になって、アタシは宿屋から出ると一直線にコタニの山へと向かった。

 衝動のままに駆け抜ける、上りの山道。流れる景色に目も暮れず、アタシは心の何処かでそれを信じたまま、ただひたすらとこの足を走らせる。

 

 次第に見えてきた、通い慣れたリンゴ畑。みずみずしい実がなっているその空間にアタシは踏み入ると、まるでこちらの訪れを待っていたと言わんばかりに、“それ”は起き上がってこちらへと向いてきた。

 

 この空間で出会うのは初めてだ。いつから、アタシらがここに通っていることを知っていたんだろうか。それはきっと、最初に出会った時からだったのかもしれないし、それ以降だったとしても、ずっと遠くから見守ってくれていたんだなとさえ思えてくる。

 

 アタシは、お礼を言いたかった。ラルトスとはまた違う距離感で、自分を支えてくれる“その存在”に。このことを思い返す度に、感謝の言葉が溢れてくるからだ。特に、この前助けてくれた時と、昨夜もナーバスだった気持ちの時に寄り添ってくれた時のことで、アタシはお礼を言いたかった。

 

 元気になったラルトスを抱きしめて、アタシは大声をあげた。それは、土砂に巻き込まれた時以来の、腹の底から振り絞った精いっぱいの声による、心からの感謝の言葉――

 

「ありがとうッ!!!! お礼が言えなかったこと、すごく後悔してたのッ!! 高原で一緒に付き添ってくれていた時のこととか、ハクバビレッジに初めて到着した時とか!! 昨日も、アタシを守るためについていてくれてたんだよね!? 分かるんだから!! 雰囲気で!! だから、言わせてほしいの!! 遅れてしまったけれど、アタシを支えてくれてありがとうッ!!」

 

 ハァ、ハァ。相変わらず、自分は不器用だ。声量も調整できない力のコントロールの下手さに、自己嫌悪に陥る。

 だが、そんなアタシの言葉を聞くなり、“それ”は警戒することなく、むしろ近付いてきたのだ。そこからとっしんを繰り出すというわけでもなく、アタシに敵意を向けるどころか、むしろ同調するかのように……。

 

 “それ”は、紅の瞳をじっと向けていた。その小さな脳みそで、一体何を考えているのだろう。いや、考える知能も無いくらいに、“それ”の脳みそは小さいと言われている。だからこそ、アタシは不思議で仕方なかった。これはきっと、思考による同調ではなく、本能を凌ぐ、性質による直感の行動であったのだろうから。

 

 そんな様子に、アタシはクスっと笑ってしまった。抱えていたラルトスを地面に下ろしながら、バッグから取り出したモンスターボールを握り締めて――

 

「……ほんと、あなたも“変わってる”ね。サイホーン」



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次の一歩

 アタシは、自分の性格や性質が嫌いだ。怠惰と完璧主義の両方を併せ持っており、中途半端な感情の波に気持ちが左右されるのだ。これらを兼ね揃えたことで発揮する個性が、天邪鬼。アタシはそれをよく知っていた。だって、自分がそうであるから。

 

 アタシが、周囲の環境に馴染めない要素の一部分。その上に変なところで研究熱心で、その熱い思いは空回りしてばかりだ。

 

 嫌に思っていた。自分自身のことが。何度もこの世界に絶望した。アタシだけが損しているような気分になるから。

 だけど、そんなアタシにはいつの間にか、仲間ができていた。とても不思議に思った。なぜ、アタシについてくるんだろう。どうしてアタシに寄り添ってくれるんだろう。相手の考えていることなんて全く分からなかったけれども、一つだけ、たった一つだけ、このアタシからでも言えることがあった。

 

 それは、相手のことを変だと思わないから。変わってる、おかしな人、非常識。周囲から掛けられてきた言葉を理解することができる、どこか似通ったものを感じられる同調からなる仲間意識。

 アタシは、それに救われてきた。そして、アタシもみんなのためになることをしていきたい。だからこそ言わせてほしい。何もできないアタシだけれども、この言葉を伝えることだけならば、アタシにもできるから……。

 

 ……ありがとう。いつも、傍にいてくれて――

 

 

 

「サイホーン! ドリルライナー!!」

 

 自由に出入りできる、ポケモンバトル用の広大なコート。真昼の太陽が燦々と輝くハクバビレッジの中で、アタシは自分らしくもなく闘争の地に佇んでいた。

 

 相手のワンリキーによる、からてチョップ。それをサイホーンのドリルライナーで強引に突破すると、吹っ飛んだ相手へと続けざまにロックブラストを放つことで追撃をかましていく。

 かなりの痛手となっただろう。ワンリキーがボロボロになりながらも体勢を立て直していくその様子。あともう一息だ。アタシはサイホーンにすてみタックルを命じて、この好機を逃すまいと一気に攻め立てた。

 

 サイホーンが迫るその光景。相手にしたワンリキーはみきりですてみタックルを回避すると、その隙をついて再びからてチョップで攻撃。

 サイホーンに直撃する。それを悟ったアタシは、この最後の最後まで隠してきた切り札をサイホーンへと命じていった。

 

「メタルバースト!!」

 

 直撃するからてチョップ。頭部にめり込むワンリキーの手を受けてダメージを受けたサイホーンは、この攻撃に表情ひとつ変えずに鋼の光を放ち始める。

 勝負あり。この試合で初めて見る技にお相手が驚きを見せた時には既に、ワンリキーは宙を舞ってド派手な砂埃を巻き上げていった。

 

 倒れるワンリキー。ひんしとなったパートナーをモンスターボールへと戻していったお相手は、勉強になる勝負だったと言ってアタシと握手を交わしていった。

 

「やったねサイホーン! この調子でガンガンいこ!」

 

 バトルコートの隅っこで、アタシが機嫌よく声を掛けていく。手にはリンゴを持ってご褒美のそれを目の前でチラつかせるのだが、サイホーンはそれにも表情ひとつ変えずにクールにリンゴを食していく。そんなサイホーンの上にはラルトスが乗っており、自分にもちょうだいと手を伸ばしていた。

 

 アタシは、「ラルトスも応援ありがと」と言ってリンゴを渡す。それを受け取ったラルトスもご機嫌な様子でもしゃもしゃ食べていくのだが、アタシの思考は既にサイホーンのより良い立ち回りの仕方に没頭していて周囲が見えていなかった。

 

 いや、それにしてもこのサイホーン、めちゃめちゃ強い。リンゴ畑でアタシらに同調したこの子は、見せたモンスターボールに対しても動じることなく仁王立ち。それをぶつけてボールが捕獲のために揺れ動いていたのだが、抵抗することなくサイホーンをゲット。それから一通りの技を調べて、翌日には試しにと思って軽い気持ちでバトルをしてみた。

 

 その結果、六戦中、六連勝。たまたますこぶる相性の悪いみずタイプやくさタイプが来なかったからというのもあるんだろうけれど、それにしてもたった一匹で数匹の相手に大健闘するこの子の戦闘力は、きっと相当なものなのだろう。

 

 アタシは、サイホーンを撫でた。サイホーンは撫でられても特段アクションを起こさず、ただアタシの行動をうかがうように佇んでいるのだ。

 次はどこに行くんだ? オレもそれに黙ってついていく。言葉にすると、こんな感じの雰囲気。鳴き声も出さないその性格は、もはやクールを通り越したなにかだろう……。

 

「戦いばかりで疲れちゃったよね。今日はこの辺にしよっか。この後はどうしようかな。サイホーンが来てくれたから、そろそろレミトリさんに挑みたい気持ちはあるけれど……」

 

 と、アタシはチラッとラルトスを見遣っていく。

 

「ラルトスも、新しい技の練習してみる?」

 

 試すように訊ねてみたその言葉に対して、ラルトスは『えー』といった顔を見せていく。

 冗談だよ冗談。笑ってそう言ってからアタシはラルトスの頭を撫でて、ラルトスを抱き抱えて、サイホーンはボールにも入れずそのままという何ともフリーダムな連れ歩き方をしながら、アタシはハクバビレッジの中を歩き始めていった。

 

 そして、夜の宿屋。ラルトスがサイホーンに乗って楽しんでいる様子を眺めながら、アタシはテーブルに頬杖をついて色々と考えていた。

 

 まず、ポケモンが覚える技の数についてだ。技エネルギーを消耗することで効果を発揮する『わざ』という特技は、一匹につき四つ覚えると言われている。

 だが、シナノ地方に生息するポケモンは、その常識から外れた生き方をしているらしい。どうやらこの地方のポケモンは、わざを六つまで覚えることができるというのだ。これには他地方も驚きだろう。

 

 覚えるわざが増えるということは、それだけ技のレパートリーが増え、戦略性も増していく。今サイホーンが覚えている技は四つであり、それぞれ、ドリルライナー、ロックブラスト、すてみタックル、メタルバースト。特にすてみタックルが中々強く感じられるものだが、このわざには反動というものがあって、強力な攻撃である分その反動が自分にも返ってくるという諸刃の剣。

 

 ただ、この子の特性がいしあたまというもので、すてみタックルといった反動が返ってくる攻撃を繰り出しても、その反動ダメージを食らわないという優れた頭を持っていることが分かった。これによって高威力が期待できるすてみタックルを、存分に指示することができるというもの。

 

 他には、メタルバースト。このわざはどうやら、自分がダメージを受けた直後に繰り出すことで、その受けた痛みを更に増した威力で相手に反撃するというもの。多少クセはあるもののその威力は絶大で、多くのお相手さんをこれで制してきた。攻撃すると、反撃される。そんなプレッシャーがお相手さんにもかかるという点では、心理戦や読み合いのような場面が見られる戦いになり、アタシがその読み合いに意外と強かったこともこの日に判明した。いやまさか、自分はこんなこともできたんだと、久しぶりに自信を持てた一日だった。

 

 他のわざは、ドリルライナーとロックブラスト。この二つは、アタシをゴーストから守ってくれた英雄たちだ。絶対的な信頼を寄せたこの二つのわざはどちらも強くて、誰かを守れるだけの心強さを兼ね揃えている。

 

 アタシは、だいぶ心に余裕を持ち始めていた。もはや絶望とも思われていたジムチャレンジに、希望の光を見出していたからだ。別にラルトスがダメだったとかそういう話ではなく、こうして捕まえたポケモンが、たまたま戦闘向きだったというだけ。そしてたまたま、自衛も兼ねてと戦闘ができるポケモンを仲間に加えたいと思っていただけだから、これは別に何が良くて何が悪いという話ではないのだ。

 

 アタシは、次のことを考えていた。こうして一歩前進したのだ。であるからには、そろそろ次の一歩のことを考える時期だろう。

 そんなことを、この夜はずっと考えていた。皆が寝静まるその時間になってもなお、この思考は巡り続けてアタシは眠ることも忘れていたものだから。

 

 ――朝日が出始めていた。ラルトスとサイホーンが眠る姿を捉えたこの視界に、朝日が射し込んでくる。アタシは次第と明るくなっていくこの世界の中で、ある一つの決心を固めると共にひとり立ち上がった。

 

「立ち止まっていられない。今日中にジムの予約を取って、数日後にはレミトリさんに勝負を挑む……!」



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伝統を継ぐ者

 明日に控えたジムチャレンジ。予約してから三日は経過していたこれまでの期間の中で、アタシはポケモンバトルというろくに経験したことがなかった物事に精いっぱい取り組んできた。

 

 とてもハードなスケジュールだったと思う。もちろん休憩も挟んだりしたが、それでもポケモンバトルのことを一から手探りで学んでいく苦労に、アタシは何度も心が挫けそうになった。

 だったら最初から挑戦しなければいいのに、とも思うかもしれない。だが、ジムチャレンジとはそういうものだと思う。必要なものはやる気だけという、任意参加の伝統的なこの行事。それは楽しいと思う人ならば天国のようなものかもしれないが、中途半端な志を持つ者達にとっては、ジムを巡る冒険はまるで生き地獄のような苦行のようにも思えてくるものだ。

 

 自分がその当事者であるからこそ、分かることもある。例えはかなり悪いと思うが、このジムチャレンジ、すごく現実的な考えで例えると、自ら進んで受けることを望んだものの実際それが連日続くと地獄のように思えてくる、夏季講習、のようだ。

 

「お待ちどうさん嬢ちゃん! ハクバビレッジ名物の、リンゴたっぷり山菜丼だ!」

 

 閉店時間ギリギリの、ハクバビレッジの料理店。料理人がカウンター席に座るアタシにそれを出し、たっぷりと盛りつけられた山菜とリンゴの丼物に食欲がそそられる。

 料理人が調理している間も、アタシは独り言のようにこの期間で頑張ってきた話をしていた。お客もアタシだけという一人だけの状況だったから、そんな話をする前にも個人的な世間話もして料理人と談笑していたものだ。

 

「こいつァ嬢ちゃんの必勝祈願さ! こんな夜までコタニの山にこもって頑張ってきたんだろう? ご飯のおかわりも遠慮せず言ってくんな!」

 

「ありがとーおじさん! アタシなおさら、明日は頑張んないとね」

 

 アタシのカウンターに乗っているラルトスも、お店が出してきてくれたリンゴを食べて満足そうにしていた。それでいて、アタシの足元にはサイホーンが寝転がっていて、今日の疲労でひとり静かに沈黙を貫いている。

 我ながら今日は頑張った。トレーナーとのポケモンバトルや、野生ポケモンを相手取った訓練にずっと付き合ってくれたサイホーンにもたくさんお礼をしたし、感謝もしている。本番を控えた明日にアタシは気合いを入れながら、リンゴたっぷり山菜丼を口の中へと頬張っていった。

 

 女であることを忘却した、豪快な食べっぷり。こちらの様子に料理人は満足げな顔を見せながら「ほう……」と眺めてくる。

 けれど、今は周りの目も気にならない。いや、気にする余裕がない。それ以上にアタシは、腹が減っていた――ッ!!

 

「おう、いらっしゃい!! ――って、レミトリさんじゃねえかい! 今日も夜遅くまでご苦労さん! ほれ、お客さんはこの子だけだから、ゆっくりしていきな!」

 

 え? アタシは忘却していた女を取り戻し、我に返ったかのように出口へと振り向いていく。

 こちらを見たレミトリさんも、「お?」といった調子で意外そうにしていた。後で聞いた話では、レミトリさんはその日最後のチャレンジャーを相手した後はよく、このお店に来るのだということだった。

 

「奇遇ですね、ヒイロさん。お隣にお邪魔してもよろしいでしょうか」

 

「ふぁ、ふぁい。いいれふおー」

 

 口いっぱいに詰め込んだ頬から声を出す。そんなこちらにレミトリさんはフフッと微笑し、凛々しい歩き姿でアタシの横に来てからそのイスに腰をかけていった。

 続けてレミトリさんは、「彼女と同じもので」と注文した。この流れに既視感を覚えながらも、アタシは空腹のままに丼物を貪って腹を満たしていく。

 

 だからなのか、アタシはレミトリさんに注目されていたことに気が付かなかった。この横顔を眺めてその食いっぷりを見ている彼に気が付いてからというもの、アタシは口元にお米をつけながら向いていく。

 

「んぉ、むぉ!?」

 

「おっと、驚かせるつもりはございませんでしたが。フフッ、若者がご飯をたくさん食べているところは、何時になっても見飽きませんね。ただし、ヒイロさんはまだまだ年頃の女の子ですから、外食で済ませるのならば少しばかり周囲の目を気にすることも意識なされた方がよろしいかと。余計なお節介かもしれませんが、どうしても口にしてしまうものですね」

 

「ふぁ、ひをふえはう」

 

「はい、気を付けてくださいね」

 

 あ、通じた。ごっくんと飲み込んでからアタシはヘヘッと悪びれたように笑い、お上品をお意識しながらお丼物をお召し上がっていく。

 と、レミトリさんの下にも同じ丼物が出され、持った箸を指で挟みながら、両手を合わせて「いただきます」と凛々しく言う。そうして並んだ二人の食事の綺麗さ勝負は、どっからどう見てもレミトリさんの圧勝だった。

 

 そんなことはいいんだよ! 本当の勝負は明日あるんだからな!

 

「そう言えば先ほど、明日のチャレンジャーをまとめていましたら、ヒイロさん、貴女様のお名前が並んでおりましてね」

 

「うん。明日、レミトリさんに挑戦するから。アタシ、明日のために頑張ってきたんだから! ……三日だけだけど」

 

「正直でよろしいですね。しかし私の目に間違いが無ければ、ヒイロさんの陰で今も燃え滾る闘志からは、三日だけで仕上げてきたとは言い難い修練の数々を感じさせますがね」

 

 アタシは、足元の影がわずかに動いたのを感じられた。

 

「とても良い仲間と巡り会えましたね。旅において重要なのは、なにも強さや賢さではございません。その道を共にする、仲間です。ポケモントレーナーという道においての話ですがね。そして、ヒイロさんから感じられる雰囲気と、ヒイロさんの周りで過ごす仲間達からは、とても似たようなものを感じ取れる。――どうやらヒイロさんは、縁によって強くなられるタイプのようですね」

 

 ラルトスが、顔を上げてレミトリさんを見ていた。リンゴを食べるその口を止めてまでして。

 アタシの足元でも、もぞもぞと動いていてやけに落ち着きがない。アタシはアタシでレミトリさんの、縁で強くなるタイプという部分に「ほえー」なんて返事しながら頷いていたものだが……。

 

「レミトリさん。明日の試合は、二匹を選出して戦うバトルだよね。だけどアタシのラルトス、攻撃できる技を覚えていなくて」

 

「えぇ、リストにはチャレンジャーの手持ちも記載されているものですが、最初は目を疑いました。いえ、目を疑ったという表現は適切ではありませんでしたね。そういうチャレンジャーもおりますよ、毎年のように。しかし、そういった方々は大抵ポケモントレーナーになったばかりであり、たった一匹である手持ちの練度もそこまでではない場合がほとんどです。最初ばかりは私も、この子は本当にあのチャンピオンに注目されているのかと疑ってしまいました。しかし、第一印象で決めつけるのはよろしくありませんね。これはジムリーダーとして、勝者と敗者の選定を任された身として最も有ってはならない未熟な部分です。――正直に言って、今ここでヒイロさんと出会うことができて良かったと、心から思っておりますよ」

 

 手を止めてそれを喋っていたレミトリさん。アタシもその箸を持つ手を止めてこの言葉をひとつひとつ聞いていたものだが、正直に言って、それを最後まで聞かなければ良かったと思う。

 

 凛々しい表情はそのままに、その瞳の奥に滾らせた闘争の炎。シナノの大空を支配するその翼の奥には、数多のチャレンジャーをことごとく捕らえてきた爪が隠されていることを、アタシはこの瞬間にも思い知らされた。

 

「なぜならば、私はジムリーダーとしての勝利に慣れすぎるあまりに、明日にも勝手な決めつけにより自らもたらした敗北によって、泥土を舐める姿の晒し上げでジムチャレンジという神聖な伝統を穢してしまっていたかもしれませんから。ヒイロさんの形ある縁をこの目で見ることで、私は緩んでいた気持ちを引き締めることができました。ですから、お礼を言わせてください。ありがとうございます」

 

 凛々しいレミトリさんの笑みが、この上なく不敵に思えて仕方が無かった。

 今もアタシの隣に座るこの男こそが、シナノ地方の伝統を継ぐに相応しいとされた、選ばれし者。単なるジムリーダーとしての認識だったこれまでの意識が、彼の奥底に秘める何かを感じ取ることで、アタシもその見る目が変わったことを実感した。

 

 

 

 ……陽が真上に到達するであろう時刻。天井の開いた解放感あふれるスタジアムの光景に、アタシもまたこの場所に立つ挑戦者として、一層と気合いを引き締めて歩き出した。

 時間を迎えると共に、控え室から入場口へと歩き出す。いつもの服装で、白色のキャップをいつもより深くかぶりながら。今もこのバッグから飛び出してきてしまいそうな興奮が伝わってくると、アタシはそれをなだめるようにバッグに手を添えながら、天から陽が射すそのスタジアムへと一歩踏み出した――――



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ジムチャレンジ ハクバビレッジ

 取り付けられた数台からなるカメラの中継は、ジムチャレンジが開始される前のスタジアムの姿を映し始めていく。その頃から実況と解説の席で待機する二人の人物がトークで場を繋ぎ、初戦の開始を匂わせるチャレンジャーとジムリーダーの登場によって、彼らは本格的にその本業へと徹するのだ。

 

 この日も例に漏れず、初戦から実況と解説をしていく二人の男性。ラフな格好ながらも共にメガネをかけている彼らは、マイクを気にせず談笑を交えて試合の様子を伝えていく。

 そのチャレンジャーの試合が終わると、ジムリーダーの勝利と、チャレンジャーの健闘を称える言葉と拍手で双方を見送るのだ。そこから二人は感想を述べていき、次の試合までその場を繋いでいく。

 

 中継であるため、この間も生放送としてシナノ地方全域に放送されていた。視聴率こそはこの日のハクバビレッジにめぼしい試合が予定されていなかったため、まあまあなものだった。それでも二人は休憩を取り合いながらも、一日中ずっとこの席からジムチャレンジの光景を実況と解説でお送りしていくのだ。

 

 実況者が展開する雑談なんかも、スタジアムには筒抜けとなっている。その会話が次の試合までの暇つぶしにもなったりするものなのだが、この日に関して言えば、暇つぶしも必要無いほどまでに観戦客は少なかったものだ。

 この席で腰を落ち着かせる観戦客は、相当な変わり者と言えただろう。そのほとんどが応援というよりも、よほど暇を持て余した者か、応援できる推しのルーキーを探しに来た人達か。どちらにせよ空席だらけのスタジアムに居残る人々は、ある意味で似たような性質の持ち主だったことは確かだろう。

 

「えー、実況席の方から定期アナウンスをさせていただきます。午前の部は次の試合で最後となります。次の試合が終わり次第に一時間の休憩を挟みますため、席を外す際にはお荷物をお忘れにならないようお願いいたします。えー、定期アナウンスの方は以上となります。それにしてもですね、今日は初戦からたくさんの期待のルーキーによる熱い試合の数々をお送りしましたが、サカシロさん、どの試合もこれからの成長に期待できるものが垣間見えましたね」

 

「そうですねー。今日は特に新人ポケモントレーナーによる活躍が目立っておりますが、皆さんタイプ相性をしっかりと把握しておりますし、その場に相応しいわざをポケモンに命じていけるその判断力が、これからのジムチャレンジをより盛り上げてくれるだろうなと思いましたねー。特に、あれが良かったです。レミトリさんが二体目に繰り出したプテラに対して、思わぬ善戦を見せてくれたワンリキー。持ち前のこらえるとみきりで粘り強い戦いを見せてくれたあの試合は、ずっと力が入りっぱなしでしたねー」

 

「あの試合は中々なものでした。会場の方々も思わず立ち上がってしまうくらいで、我々も力が入りすぎて半分実況できませんでしたからね」

 

「ですねー。うおー!! とか、うわああああ!! とかが多くなってしまいましたねー。ハハハ」

 

 マイク越しに緩い会話がスタジアムに響くその中、入場口から伸びてきた一つの人影に実況席はすぐさま気持ちを切り替えていく。

 

「おっと、はい! ではそろそろ午前の部、最後の試合となるわけですが、どうやら今回のチャレンジャー、あの、例の、」

 

「おっとー、もしや……単騎?」

 

「ですね。いえ、一昨日にもそういうチャレンジャーはおりましたし、そのチャレンジャーも中々に良い試合を見せてくれました。しかしさすがはハクバビレッジのジムリーダー、シナノ地方の大空を支配する男レミトリ。その翼は我々を天から見守る守護の加護とも言えるでしょうが、同時に兼ね揃えた鋭利な鉤爪は数多の挑戦者をことごとく討ち取って参りました。大空で勇猛果敢な挑戦者を待ち受けるその男は、いくらチャレンジャーの手持ちポケモンが一匹だけであろうとも決して容赦はいたしません。その加減知らずの采配によってポケモントレーナーを引退したトレーナーも数知れず。果たして今回の単騎チャレンジャーは、大空を羽ばたくシナノの翼に勝利を収めることができるのでしょうか! さあ、午前の部、最後の試合。我々一同で見守っていきましょう!!!!」

 

「よろしくお願いしますー!!」

 

 

 

 少ない歓声を浴びながら歩き進めるスタジアムの中。一歩一歩踏みしめる足取りはとても重くて、圧し掛かる重圧なプレッシャーによって今にもアタシは倒れてしまいそうだ。

 目の前にした、反対側の入場口。上にはハクバビレッジのジムを象徴する、鳥の翼のシンボルが飾られている。その入り口からも歩いてくる一つの人影が、アタシに向かって……いや、スタジアムの中央に向かってその足を進めていた。

 

 中央で立ち止まるアタシ。足元には白い線でモンスターボールのマークが描かれており、ここで一旦足を止めるのがジムチャレンジにおけるルールの一つ。アタシがそこで佇んでいる間にも、目の前から迫る重圧なプレッシャーが、一歩ずつ確実に近付いてくるのだ。

 

 凛々しい顔で、この上ない威圧感をまとう人物。わずかに響き渡る歓声と、実況席から聞こえてくる音声も次第とアタシの意識から遠ざかり、気付けば半径数メートル以内の物音しか聞こえない境地へと至っていた。

 

 同じくマークで足を止める彼。それを見上げる形でアタシは向き合うと、彼は凛々しいその顔で、笑んでみせた。

 

「昨夜は、ありがとうございました。あのお店で交わした会話が、今でもこの脳裏で反響しております。それほどまでに、ヒイロさんとの交流を楽しめた証拠でございます。ジムチャレンジは数ヵ月と続く行事でございますから、日に日に募る疲労によって精神的にも参ってしまうものですが。ヒイロさんとの交流で、久方ぶりにリフレッシュができました。――その上、シナノの伝統を継ぐ者として、ジムリーダーとして、長きに渡る戦いの果てに緩んでしまった意識をしっかりと正すことができたのですから」

 

 右手を胸の前に添えるレミトリさん。凛々しく佇むその姿は、まるで羽を休めるために降り立った鳥の神様のようだ。

 そして、意識を集中させることで力んだ表情。その気持ちは既に、ヒイロという人物を見る目ではなく、チャレンジャーを迎え撃つべく宿した闘争の目へと変貌を遂げていた。

 

 アタシらの傍には、審判が旗を持って歩いてくる。双方を確認した審判は厳つい顔で握手を促し、アタシはレミトリさんと握手を交わしていく。

 そして、それぞれが立つ位置へと移動することを促された。アタシはレミトリさんと同じタイミングで背を向けて、チャレンジャーが立つポジションまで移動を終えると、再び振り返って、バッグに手を入れた。

 

 ――緊張が迸る。ピリピリとした空気は身体の芯にも染み渡り、それが痛いとも感じられて手が震えてくる。

 

「ルールは二体選出のシングルバトル! ただし事情がある場合、一匹のみの選出も可能とする! キズぐすりといったどうぐの使用は不可。使用が認められた場合、使用者を失格と見なす! ポケモンにどうぐを持たせることも不可とする。こちらも発覚した場合には失格と見なすが、事情がある場合のみ持ち込み可能とする! なお、ポケモンの交代は各選手につき一度のみ可能とする! ——では、両者、モンスターボールを!!」

 

 審判の合図が聞こえてくると同時に、アタシはバッグからモンスターボールを取り出した。レミトリさんも袖から取り出したそれを手に持ち、アタシをじっと捉えていた。

 

「構え!!」

 

 審判が手に持つ旗を前へ出す。それを受けてアタシらはモンスターボールをいつでも投げられる状態にしておくのだ。

 ……ボールを持つ手が震えている。あまりの緊張で、今にも落としてしまいそうだ――

 

「両者、ポケモンを!!」

 

 審判のそれを合図として、アタシとレミトリさんは、スタジアムの中央へとモンスターボールを投げた。

 

「お願い!! サイホーン!!」

 

「見定めましょう!! 行きなさい、ペラップ!!」

 

 スタジアムに降り立つ、二つの影。一匹は、着地すると共にその重量で砂埃を巻き上げた、表情ひとつ変えないその顔に荒々しく猛る闘志を宿したサイホーン。もう一匹は、頭部が音符の形をしている、彩色が豊かな鳥ポケモン。

 

 アタシは、そのポケモンを初めて見た。名前はペラップというらしい。大きさこそはサイホーンよりも遥かに小さい鳥ポケモンなのだが、レミトリさんが選出したのだ。きっと、このサイホーンに打ち勝つほどのポテンシャルを秘めていることは確実……。

 

 睨み合うサイホーンとペラップ。互いに闘いの意思を宿しながら向かい合うその空間がしばし続くと、双方の準備が整ったことを確認したのか、審判はその手に持つ旗を思い切り振り上げた。

 

「これより、ハクバビレッジのジムバトルを開始する!! 互いに能力を発揮し合い、正々堂々のバトルを行うように!! ——では、ジムバトル……始めェ!!!!」



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VSジムリーダー・レミトリ その1

「これより、ハクバビレッジのジムバトルを開始する!! 互いに能力を発揮し合い、正々堂々のバトルを行うように!! ——では、ジムバトル……始めェ!!!!」

 

 それは、バトル開始を合図する闘争の幕開け。審判が旗を振り上げるのとほぼ同時に、レミトリさんは凛々しい佇まいでペラップへ指示を送り出した。

 

「ペラップ! ばくおんぱ!!」

 

 指示と同時に、アタシの視界は音圧による空間の歪みと向き合うこととなった。バトル開始と同時に放たれた広範囲の一撃は、チャレンジャー側の視界を妨害するのに一役買っていく。

 距離が遠いため、それを食らうことはなかった。しかし先手を取られたことで初動が遅れたアタシは、サイホーンに接近を指示するその間にも、レミトリさんは独壇場をつくり出すための戦略を次々と繰り出していく。

 

「みがわり!! エアカッター!!」

 

 ばくおんぱの名残を通り抜けたサイホーンの目の前から、突如としてペラップが現れる。それが攻撃を繰り出してきたためサイホーンがすてみタックルで迎え撃つのだが、ペラップはそれに直撃すると同時に、二重の姿を映し出していく。

 

 な、なにが起こっているの!? 二匹になったそれにアタシが驚いているその間にも、まるで脱皮したかのように一匹のペラップから抜けて出てきた、もう一匹のペラップ。攻撃を食らったペラップは中身の無い抜け殻となって吹き飛んでいき、その間にももう一匹のペラップが、エアカッターによる空気の刃をサイホーンへと飛ばしてくるのだ。

 

「サイホーン! ロックブラスト!!」

 

 サイホーンに命じたそのわざは、サイホーンの体内に巡るいわタイプの技エネルギーで生成された岩を発射するもの。それを複数回にわたって行うので、連続攻撃となる。

 ロックブラストで、飛んできたエアカッターを相殺していく。タイプ相性では勝っているこちらの攻撃はエアカッターを貫通するのだが、ペラップは既にその場を離れており、再びばくおんぱでこちらの視界を遮ってくるのだ。

 

 これには実況解説ともに身を乗り出す。

 

「初っ端からペラップでばくおんぱ戦術ですか!! レミトリさんどうやら今回はかなり気合いが入っている様子ですね!! チャレンジャーが単騎であることを分かっていてこの猛攻、レミトリさんの闘志にはバリバリ火がついているとでも言うのか!? 今ここに立っているレミトリさんは、今日見てきた中でも特にフルスロットル全開と言うべきでしょう!! 単騎のチャレンジャーに対して、短期決戦といったところかーーー!?」

 

「いやー、白熱とした開幕でそのギャグは寒いですよー」

 

 冷静な解説のツッコミも、その猛攻を前にしたアタシには聞いている余裕がまるでない。

 ロックブラストを命じて、ばくおんぱの先にいるペラップを狙っていく。だが、ペラップはその小さな身体で機敏に飛翔すると、すぐさまサイホーンへと接近して次なる攻撃を仕掛けてくるのだ。

 

「エアカッター! すぐさま、はがねのつばさで側面を狙ってください!」

 

 繰り出されたエアカッター。ロックブラストを撃ち終えたサイホーンへと襲い掛かるその空気の刃は、こうかがいまひとつだ。しかし、本命はその先から突っ込んでくる技にある。

 レミトリさんは、サイホーンの弱点をよく理解していた。そもそもとしてサイホーンというポケモンは、基本的に直進しかできない身体のつくりになっている。その都合上、左右への回避が困難であるため、サイホーンを扱う上で最も重要となることは、如何に直進しかできない制約の中でうまく立ち回れるか、にあるのだ。

 

 アタシは、この戦法を訓練中にもされたことがある。コタニの山で、野生ポケモンがこの戦術をとってサイホーンをダウンまで追い込んできたのだ。

 野生が自然の知恵で身に付けてもいるこちらの戦術。アタシは絶対にこれだけは対策しないとダメだと思い、サイホーンのできる範囲で精一杯に練ってきた。

 

 その結果が、これだ――!!

 

「ドリルライナー!!」

 

 命じたそのわざで、サイホーンは回転力を身に纏い始めた。

 えぇ、分かってる。ドリルライナーはじめんタイプのわざ。ひこうタイプのペラップに対してこうかがないことくらい、アタシは把握の上。

 

 だからこそ、使っていくのだ。アタシはラルトスのテレポートで学んだ。どんなわざにも、必ずそれを役立てる場面があるということを。相性が悪くて持て余してしまったそのわざであろうとも、戦闘面以外で期待が持てればそれで結構!!

 

 サイホーンは弾丸の如く回転を始めると、その場から垂直に飛び上がって上空へと移動する。地面に足を着けていたその場所から真上へ移動したそれを受けて、ペラップははがねのつばさを地面に叩き付けて上を見遣った。

 

「そのまま、すてみタックル!!」

 

 ドリルライナーの回転をまとったまま繰り出すその一撃。ノーマルタイプの中でも最強の威力を誇る強力なわざを、反動無しでぶつけることができるサイホーンのいしあたま。

 勢いはそのままに、サイホーンとは思えぬ高速のタックルでペラップへと接近した。レミトリさんも意外そうな顔を見せながらも、冷静に見極めてペラップへとわざを指示する。

 

「身代わり!! そこからエアカッターを撃ち、わざの反動で距離を取ってください!」

 

 確かにすてみタックルが直撃した感触。だが、強力な一撃をかましたそのペラップには、中身が無かった。

 抜け殻を盾にしたペラップはエアカッターを放ち、それをサイホーンに当てていく。攻撃を食らうも怯まないサイホーンが捉えたそのポケモンは、距離を置きながら次なる作戦へと取り掛かっていくのだ。

 

「りんしょうを周囲に設置してください。それからエアカッターで迎え撃ち、近付いてきたところをばくおんぱです! はがねのつばさは、相性こそは有利で抜群を期待できますが、サイホーンに接近戦を挑むのは得策ではありませんからね。ですが、最優先に狙っていくわざでもあります。タイプ相性で、長期戦はこちらが不利です。戦況を見極めながら、泥臭くも勝利を収めましょう。そのチャレンジャーが、このハクバビレッジジムのバッジを持つべきかどうかを見極めるための試練です。これは、私たちも試されていることを意識してください」

 

 ペラップが放つりんしょうというわざは、その音符の形をした頭部に相応しい、音符上の技エネルギーを漂わせる攻撃だ。フワフワと滞在し、それに触れるとノーマルタイプの技エネルギーが襲い掛かる。あれをスタジアムのあちこちに設置してくると、ペラップはエアカッターでサイホーンへの攻撃を始めてくるのだ。

 

 距離を置かれてしまうと、サイホーンの機動力的にかなりキツい。ロックブラストを当てようにも距離が遠く、射程距離範囲外なのだ。

 そして、レミトリさんはサイホーンが近付いてくるのを待っている。受け身の姿勢なのだ。……なら、やってやろうじゃないの!

 

「ドリルライナー!! その回転力で着実に距離を詰めて!」

 

 指示したわざでサイホーンは跳躍する。すると、あの四足の身体は纏ったエネルギーでまたもや高速の移動を可能とし、それは直進ながらも跳んで走ってを繰り返すジグザグ走行でペラップへと接近していくのだ。

 

 りんしょうのトラップも、ドリルライナーの機動によって難なく避けていく。思った以上のゴリ押し戦法に、レミトリさんは若干と悩む様子を見せながらも確実に的確な判断を下してくるのだ。

 

「想定よりも速い。エアカッターだけではあの猛進を抑え切れない。ならば、ペラップ! 六つ目のわざも解禁しましょう! 出し惜しみをしていたら、この勝負は敗北します! どろかけ!!」

 

 どろかけ!? 隠していたわざが案外ショボかったもので、アタシは内心でとても驚いていた。しかし、レミトリさんが覚えさせているわざでもあるため、決して油断はできない。

 

 繰り出すエアカッターを一旦止めたペラップは、じめんタイプの技エネルギーをスタジアムの地面に流していくことで泥を生成。それを翼につけて宙に巻き上げると、再びエアカッターを繰り出すことで泥を纏った空気の刃をサイホーンへと浴びせてきたのだ。

 

 質量が加わった空気の刃は、慣性がついて山なりを描く軌道となった。しかもサイホーンの着地地点に泥を仕掛けることで、こちらの足を奪う作戦でもあったのだ。

 

「ロックブラスト!! 飛んでくるそれを打ち消しながら、堪えて!」

 

 命じた岩の攻撃で、泥付きのエアカッターを相殺していく。しかしタイプ相性でじめんを持つあちらがロックブラストに有利であるためか、完全に打ち消しきれない。サイホーンの判断でドリルライナーが繰り出されると、その回転力は縦だけではなく、横へも移動できる側面への機動力で猛攻を凌ぎ切っていく。

 

 レミトリさんはレミトリさんで、このドリルライナーの使い方に苦戦していたようだ。この戦法を見てからというものの終始難しい顔をしていて、今も対策を練るために思考を巡らせていたようだ。大丈夫、アタシらが有利を取れていることに代わりは無い。

 

 そして、ペラップの泥が尽きた。これを待っていた。またしてもどろかけで弾を補充するんだろうけれど、アタシはこの装填の隙を狙っていたのだ。

 

「今!! ドリルライナーで近付いて!!」

 

 命令の瞬間にもサイホーンが走り出し、その回転力によって発射された大砲の如くペラップへと突っ込んでいった。

 どろかけを命じる余裕が無い。ドリルライナーという相性無効のノーマーク技に手こずるレミトリさんは、凛々しくも力強い指示でペラップへとわざを言い渡した。

 

「仕方がありません! りんしょうを設置して進路を妨害! そのままばくおんぱを放ち、はがねのつばさで迎撃を!!」

 

 音符を口から出し、サイホーンの進路上に設置。そのままペラップはばくおんぱを撃つ準備へと取り掛かる。

 

 サイホーンのドリルライナーは、りんしょうによってわずかに速度を落としてしまった。この落ちた速度がペラップの命運を分けたと言っても過言ではないだろう。

 迫るサイホーンが目前まで来たところで、ばくおんぱが放たれた。こうかはいまひとつだが、視界を遮る防壁としては十分。そこから繰り出されたはがねのつばさが、ばくおんぱの波から現れてサイホーンへと襲い掛かる――

 

「メタルバースト!!」

 

 命じられたそのわざを耳にするなり、レミトリさんとペラップは瞬間的に躊躇いを見せていったのだ。

 ペラップの攻撃が、直前で止まる。命じてもいないペラップの独断を目にすると、アタシは考えるよりも先に、そのわざをサイホーンへと命じていた。

 

「すてみタックル!!」

 

 突き上げるような挙動で、その命じた一瞬でノーマルタイプ最強の威力をペラップへとぶちかましたサイホーン。ばくおんぱの波が残るこの空間で、ペラップが高く撥ね飛ばされた。

 追撃でドリルライナーを命令し、あのサイホーンが空中まで追ってくるのだ。この追撃を食らえばひとたまりもない。レミトリさんはすぐにも緊急回避のあのわざを指示するのだが、アタシはアタシで、それを最も嫌っていた戦法であったため、これを予測して更に命じていく。

 

「ペラップ! 身代わり――」

 

「ロックブラスト!!」

 

 目と鼻の先まで迫っていたサイホーンの岩が、抜け殻を吹き飛ばしてその先の離脱した本体へと照準を合わせる。連続技の強みが最大限に活かされたこの場面は、逃げの一手である相手を完全に仕留め切る決め手となったことは、言わずもがな。

 

 距離を取ろうとしたペラップが、次のロックブラストを食らって落下する。そこへサイホーンは追加でロックブラストを当てていき、さらにはドリルライナーの回転力で接近するなり、零距離ですてみタックルをかましていく。

 

 スタジアムに落下した双方。立ち込めた砂煙からは、表情ひとつ変えないサイホーンと、倒れてピクリとも動かないペラップの姿が現れた。

 

 ――まずは一本!! 審判が「ペラップのひんしを確認!! ペラップ、戦闘不能!!」の言葉を言い渡した。

 

 それを受けて、レミトリさんは若干くやしそうな顔でアタシを見てくる。

 

「お見事です。これは接待やひいきでもなく、力量と采配によって、力でねじ伏せられた結果でございます。ドリルライナーの使い方に、今回は私が一杯食わされました。完敗です」

 

「なにも、これはサイホーンだけの結果じゃないの! これは、応援しているラルトスがアタシに気付かせてくれた立ち回りなんだから!」

 

「チャンピオンが期待を寄せるだけはありますね。だからなのでしょうか……」

 

 段々と抑えるような声になってきたレミトリさん。取り出したモンスターボールでペラップを戻し、健闘を称える一言を添えていく。それから、袖から取り出した次のモンスターボールを手に取るなり、レミトリさんはそのセリフを口にしてきたのだ。

 

「先入観というのは、実に恐ろしいものです。伝統をなによりも第一としてきた私ですが、所詮、私も人間。沸々と煮え滾ってくる感情を抑えられるほどの仏の心も持ち合わせておりませんので、こうして一杯食わされた事実にひどく昂っております。……シナノ地方の歴史を重んじ、シナノ地方の発展を願う祭典であることは百の承知ではありますが、どうしても、今は私情を挟まずにはいられないようです。――私、大の負けず嫌いなんですよ」

 

 昂る感情は、興奮か、怒りか。どちらの判断もつかない彼の声音にアタシが圧倒されていると、彼は取り出したそのモンスターボールを、凛々しくも力強いスイングで投げつけた。

 

「チャンピオンと同調する者としてお見受けいたします。故に、私はその道を遮断する門番となりましょう!! 遠慮は要りません、参りましょう!! エアームド!!」

 

 繰り出された、二体目かつ最後のポケモン。モンスターボールから姿を現したそのポケモンは、鎧のような金属の身体を持ち、赤い羽根とその鋭い頭部が特徴的だ。

 エアームド。ひこうタイプは持ち合わせているとして、見るからにはがねタイプであるそれ。サイホーンの弱点の一つがはがねタイプである上に、本来なら相性が良いひこうタイプと、相性が悪いはがねタイプの複合タイプとなれば、その相性はプラマイゼロ。こちらは有利を取れるわざを持っていないため、ひこうタイプに強いサイホーンであるにも関わらず、相性で言えば完全にこちらが不利の状況となっていた。

 

 ……レミトリさん、少しだけ本気を出してきたな。ゴクリと唾を飲むアタシは、さらに高まってきた緊張と興奮の二重奏に心臓を打ち鳴らしながら、サイホーンを信じて最終局面へと臨んでいった。



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VSジムリーダー・レミトリ その2

 まずは一本。一体目のペラップを撃破したことにより、アタシはリーチをかけた最後の局面へと突入する。

 とはいえ、アタシの手持ちは一体のみ。元々からレミトリさんにリーチが掛かっていたことから、泣いても笑ってもこの戦いが最後の戦闘となるのだ。

 

 試合の流れから、アタシは引き続きサイホーンを続投。一方レミトリさんも、最後の一体となるポケモン、エアームドを繰り出してきた。

 エアームドは、見るからにはがねタイプだ。アタシがタイプ相性をしっかりと覚えているのであれば、サイホーンはエアームドに対してガン不利であるという結論ばかりに辿り着く。

 

 この対面から察するに、レミトリさんも少しだけ本気を出してきたということか。そんなことを悟ったアタシは、不利を背負ったこの場面において一層と心臓の鼓動を速めていく。

 内心ではとにかく不安だったからだ。『このアタシが本当に、あのレミトリさんに勝つことができるのだろうか。』未だ見えない未来に不安ばかりを抱いてしまいながらも、それでもアタシはできることをひたすら尽くしていくの心意気で、サイホーンの背を見遣っていった。

 

 気持ちは既に次を向いていたこの意識。しかしスタジアムでは未だに、先ほどのペラップとの戦いによる熱が残っていたらしく、そのことについて実況と解説がなにやら会話を交わしていた。

 

「いやいやいやいや、一戦目からとても白熱としたデッドヒートが繰り広げられたものですが! しかし、これがまだ一体目だぞと我々に思い知らせるかのように、レミトリさんは次のポケモン、エアームドを出してきましたね!! 開幕からペラップによる猛攻が熱い展開でございましたが、そこからサイホーンのまさかの機動力が活きて、それが勝敗を分けるとは思いもしませんでした!! 今回の試合は、面白いよりも驚きが目立ちますね。サカシロさんはどうでしょうか」

 

「えぇ、わたしとしても大体そんなかんじです。ペラップというポケモンが、レミトリさんが得意とするポケモンであることは、このハクバビレッジでの試合を見てきた我々も既に分かっていることなんです。ですから、ペラップを采配するその安定感には、一種の安心感さえもありましたからね。それを打ち破るだけではなく、サイホーンという所謂鈍足ポケモンという認識に新たな可能性を見せてくれた今回の試合は、間違いなく今後、サイホーン系統のポケモンの再評価に繋がるかと思います」

 

「サカシロさんありがとうございます。インターバルもそろそろ終えることでしょう。既に睨み合う双方がバチバチと火花を散らしておりますが、審判が手に持つ運命の合図も、今にも……振り上げられました!! 第二試合の開始であり、単騎のチャレンジャーによる最後の戦いの幕が今、上がりましたー!!」

 

 振り上げられた審判の旗。「バトル……始めェ!!!!」の合図と同時に動き出したのは、やはり手慣れたレミトリさん。エアームドという未だ未知数のポケモンと対峙したアタシに対しても、その采配はとても容赦の無いものであった。

 

「エアームド! がんせきふうじ!!」

 

 命じられたその言葉と共に、エアームドはいわタイプの技エネルギーで複数の岩石を生成し、それをサイホーンへと投げつけてくる。

 こうかはいまひとつ! アタシは一気に攻め立てるべくすてみタックルを指示するのだが、サイホーンが走り出したその目の前に、がんせきふうじの岩石が落ちてきたのだ。

 

 行動を読まれていた!? 少々と安直すぎたかと思うアタシであったが、どうやらその考えも間違っていたもよう。降りかかる岩石はサイホーンを囲うように落ちてくると、続けてエアームドは飛翔して上空から攻撃を仕掛けてくるのだ。

 

「すなじごく!!」

 

 エアームドの両翼から漂い始めたじめんタイプの技エネルギー。それが渦巻きエアームドを包むと、この砂煙はエアームドの意思によってサイホーンへと襲い掛かってくる。

 これを避けるべくアタシはドリルライナーを指示するのだが、サイホーンがこの回転力で側面へ移動しようとしたところ、真横にあった岩石に当たってうまく動けずにもたもたしてしまっていた。アタシはこの瞬間にもがんせきふうじというわざの意味を思い知り、深く絶望することになる。

 

 ――岩が邪魔で、サイホーンが自由に動けずにいたのだ。そこでサイホーンへと襲い掛かるすなじごくがその足元を包み込み、まるで砂漠の蟻地獄に嵌ったかのように足が砂に沈んでしまう。

 さらに機動力を削がれてしまった。身動きが完全に取れなくなったサイホーンが、上空から一直線を描いて飛行する鋼鉄の彗星を捉えていく。

 

「エアームド! エアスラッシュで存分にいたぶりなさい!」

 

 赤い羽根から繰り出された、エアカッターをより鋭くした一閃の空気の刃。空間に存在する空気を尖らせた見た目のそれがエアームドの翼によってつくり出されると、それは瞬間的にサイホーンへと到達してダメージを与えていく。

 この一撃は、見た目通りの鋭さをもっていたのだろう。この攻撃によって、こうかがいまひとつでありながらも表情を変えたサイホーン。食らうことで行動が一時的に止まってしまい、それはさらなる深みへと嵌る地獄の始まりでもあった。

 

 それを何度も浴びせられていく内に、サイホーンの足元はどんどんとすなじごくの深みに嵌っていく。負の循環に陥ってしまったこの状況で、レミトリさんはさらなる追い打ちを行うためにそれを指示し始めたのだ。

 

「怯んだら、がんせきふうじでさらに周囲を固めてください! 油断は禁物です。あのサイホーンはこれまでの常識が通用しないという認識で、慎重かつ丁寧に攻めていきます! すなじごくの効果も切らさぬよう徹底的に撒いていきます! あの機動力さえ削いでしまえばこちらのものですから」

 

 凛々しい顔で冷静にそれを言うレミトリさん。エアームドもこれに従って、がんせきふうじでサイホーンの周りを更に岩石で囲ってくる。

 このままではジリ貧だ……! 最後まで反撃もできないまま終わる展開を恐れたアタシは、サイホーンに接近ではない攻撃を命じて負のスパイラルからの脱却を試みる。

 

「ロックブラストでエアームドの動きを止めて!!」

 

 サイホーンからも繰り出されるロックブラスト。エアームドから放たれるがんせきふうじを狙ったそれは、タイプ一致というサイホーンと同タイプによるわざの威力が増加する効果によって、着実にそれらを破壊してこれ以上の悪化を防ぐことに成功した。

 しかし、これに手間取ってエアームドからの攻撃を完全に防ぎ切れずにいた。放たれたエアスラッシュは再びサイホーンに直撃。こうかはいまひとつながらも追加効果がてきめんで、サイホーンはこの鋭い空気の一撃で怯んでしまうのだ。

 

「すなじごく!! ここから一気に決めましょう!」

 

 エアームドはすなじごくをまといながら、サイホーンへと接近を始めたのだ。何をしてくるのか、その目的が全く分からない。でも、あちらから接近してくれるのなら、この好機を逃すわけにはいかないんだから……!!

 

「サイホーン! 足元のすなじごくにドリルライナー!!」

 

 こちらの命令を受けて、サイホーンは回転力を足元に集中させた。

 じめんタイプの技エネルギーによって、自然と回転の力がサイホーンの周囲に巡り出す。この力に、同じタイプのそれも反応を示したのだろう。すなじごくはサイホーンの周囲を巡るように浮かび上がり始め、次第と足元からはそれが取り除かれていったのだ。

 

 この様子に、レミトリさんはすぐさまエアームドに命じていく。

 

「変更です!! すぐさまサイホーンにエアスラッシュを当て、はがねのつばさで追撃してください!!」

 

「さっきからちまちま攻撃してばかり! これじゃアタシのサイホーンの見せ場が無いじゃんか!! そんなのヤだ!! サイホーン!! 周りの岩石にすてみタックル!!」

 

 すなじごくを纏っていたエアームドは、ドリルライナーの回転力によって吸い寄せられたその砂に若干と引っ張られていた。このわずかな隙にサイホーンが動き出し、邪魔な岩石を撥ね飛ばすようにすてみタックルをかましていく。

 その撥ね飛ばされた岩石が、エアームドへと向かって飛んでいった。相手の攻撃を逆に利用する戦法は割とポピュラーなものであり、これも既に見慣れた光景なのだろうレミトリさんは冷静に見極め、エアームドに次の行動を指示していくのだ。

 

「飛んでくる岩石は、はがねのつばさで対処してください!! それと、がんせきふうじとすなじごくによる足止めはもう通じないでしょう。ですから、そろそろ“あれ”を展開していきます。エアームド、おいかぜ!!」

 

 指示されたその瞬間にも、アタシは肌でこの戦況が変化する流れを感じ取った。

 

 ブワッ!! っと地面から空へ向かって吹き出した強力な風。突然の出来事にアタシはスカートを押さえながら上空を見遣ると、そこには、翼を広げて悠々とした様で風に乗るエアームドの姿がそこにあった。

 

 太陽の日差しを背にした、逆光で映えるその鋼鉄。背後の明かりと黒いシルエットで空に羽を広げたその姿は、正に大空を支配する男の名にふさわしい悠然とした滞空でこちらを見下ろしていた。

 

 おいかぜに乗ったエアームドは、飛ぶことにエネルギーを割かなくなったことで身軽な様子を見せていた。その上空から地上のサイホーンを捉えていくと、エアームドは赤い羽根と黄色の眼光を向けながら、この空を支配する様を見せ付けてくる。

 

 これからにも実力と経験の差を思い知らせてやろう。それを言わんばかりにエアームドは余裕綽々な具合に羽を閉じると、その状態でおいかぜに乗りながら上空を移動し始めたのだ。

 

 エアームドが移動するその先に応じて、スタジアムに吹く風が方向を変えていく。これは確実に自然から生まれた力でないことを悟ったアタシはその瞬間にも、このスタジアムさえも支配したレミトリさんの優位に気付かされ、これからにも発揮されるひこうタイプのジムリーダーの本領に、翻弄されることとなるのだ――



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VSジムリーダー・レミトリ その3

 エアームドが繰り出したおいかぜによって、戦況は一気にレミトリさんが掌握した。

 そのわざの効果は、ただ単に使用者へと風が吹くだけ。効果としては本当にただそれだけであるというのに、おいかぜによってエアームドが悠然と飛行を始めてからというものの、アタシは一気に勝負をつけられてしまうんじゃないかと予感した。

 

 察知した危機は間違いではなかったらしく、エアームドのそれを見た実況と解説の席が途端に騒がしくなる。

 

「来ましたね!! エアームドのおいかぜ! まず第一の関門とも言えるがんせきふうじとすなじごくの連係でしたが、サイホーンはそれを力業で突破したことで次なる策に講じたということでしょう! そして、これこそがレミトリさんの本領発揮とも言えるでしょう。こうしておいかぜに乗るエアームドは遊覧飛行といった具合に上空を飛んでいるが、それは直にも訪れる猛撃の前触れ。吹く風の音は清々しく涼しげなものでありますが、この透き通るような光景は嵐の前の静けさとも言えるでしょう! さて、単騎のチャレンジャーはサイホーンを駆使してここまで来たが、果たしてレミトリさんの遊撃部隊である鋼鉄の翼に抗うことができるのか!! 午前の部、最後の試合。張り詰めたスタジアムで睨み合う双方の戦いは、これにて決着となるかと思われます。我々も実況の席で、静かに見守ります。直に訪れる、猛撃の嵐へと立ち向かうチャレンジャーの雄姿を、この目で見届けましょう……」

 

 今もスタジアムを遊覧するエアームドの姿。たたんだ羽で面積を狭めたその姿勢で、エアームドは何とも器用に滞空していたものだ。

 アタシは、これからエアームドがどんな戦法で攻めてくるのかがまるで予測できなかった。その遊覧は、今までの攻撃と攻撃のぶつかり合いとは全く異なる場面をつくり出したからである。今ここでサイホーンにロックブラストを命じることもできるのだが……その思いとは裏腹に、今ここで攻撃を仕掛けた瞬間にも、それを図っていたかのように返り討ちにされてしまうかもしれないとも思いこんでいたものだから――

 

 しばしと様子をうかがうアタシとサイホーン。集中するその意識は互いに上空のそれへと向けていたものだが、サイホーンは先ほどにも受けたダメージによって、地味に疲労が蓄積されているようだった。

 エアスラッシュは、そんな大したダメージにはならなかったのだろう。問題は、すなじごくである。すなじごくはじめんタイプのわざであるため、いわタイプを持つサイホーンはこうかがばつぐんという実は相性が悪かった攻撃。これを受けた上に、すなじごくというわざが持つ性質によって徐々に体力を奪われたサイホーンは、しばらくと続いたこの張り詰めた空気で、より気力を消耗していく……。

 

 ぐらっ……。サイホーンの身体が揺らいだ。

 

 と、その瞬間だった。

 

「エアスラッシュ!!」

 

 一秒にも満たない隙を見出し、レミトリさんが指示したその言葉。アタシがそれを耳にした時にはすでに、エアームドはたたんでいた羽を広げて、二つの鋭い空気の刃をサイホーンへと繰り出していた。

 ほぼ同時にして流れが変化したおいかぜ。エアームドを浮かせるように吹いていたそれは地上に向かって吹く風となり、エアスラッシュの直後に羽をたたんだエアームドはその風に乗ってサイホーンへと急接近を始めたのだ。

 

 鋼鉄の槍が、意思をもって降りかかるその状況。先に放たれた二つのエアスラッシュはサイホーンのわずかな隙で突き刺さり、それを食らって怯むサイホーンの下へと瞬く間に接近を果たしたエアームド。

 

「はがねのつばさ!!」

 

 目に見える斬撃が走ると共に、サイホーンは鳴き声を上げながら吹き飛んだ。ほんの一瞬の出来事にアタシが理解できていないその間にも、エアームドは地上から吹いてきたおいかぜに乗って再び上空へと戻っていく。

 

 あのサイホーンが、攻撃を食らって初めて声を出した。その斬撃は今までに経験したことのない高速の一閃となったのだろう。視認できる銀の一筋がサイホーンに大ダメージを与えると、その行動がスイッチとなっていたのか、次にもエアームドはおいかぜに乗りながら怒涛の攻撃を仕掛け始めたのだ。

 

「がんせきふうじと、すなじごく!! おいかぜで着弾点を操作し、確実にサイホーンを仕留め切れるフィールドを整えていきましょう!」

 

 繰り出されるがんせきふうじ。まるで戦闘機の如きエアームドから出現したそれは、おいかぜの影響によって今までの倍近くの速さでサイホーンへと降りかかってくるのだ。

 ドリルライナーを指示することで、回転力に任せた横への移動で岩石を避けていく。しかしおいかぜはサイホーンの向かい風となっており、そのジャンプ力や移動速度は、一目で分かるほど一段と遅くなっていた。

 

 再びエアームドが、羽をたたんでこちらへと急接近を図ってくる。それを迎え撃つべくアタシもすてみタックルを命じるのだが、繰り出した高威力の突進は、おいかぜに乗るエアームドに軽く避けられてしまうのだ。

 それどころか、反撃をもらってしまった。通りすがりに撒いてきたすなじごくの砂がサイホーンに掛かり、全身がそれに嵌って身動きが取れなくなってしまう。この隙を逃すまいとエアームドはおいかぜを利用した宙返りを行うと、その軌道でサイホーンへと迫って強力な一撃を繰り出してくるのだ。

 

「はがねのつばさ!!」

 

「サイホーン! メタルバースト!!」

 

 直撃と同時に発動した反撃技。そのタイミングは完璧で、エアームドに手痛い一撃を食らわせた。

 

 と、思われた。

 

「いえ! エアームド、エアスラッシュ!!」

 

 ――フェイクだ! サイホーンに突き刺さる鋭い一閃。それに反応したサイホーンの反撃が発動すると、その鋼の光は確実にエアームドへと襲い掛かり手痛い反撃を浴びせていく。

 しかし、エアスラッシュによるダメージをより増した反撃など、サイホーンが食らった元のダメージが低かったためにあまり効果をなさない。それどころか接近を許したこの状況、アタシははがねのつばさを恐れてサイホーンに攻撃を命じていく。

 

「すてみタックル!!」

 

「がんせきふうじで周囲を固めてください!」

 

 サイホーンのすてみタックルは、おいかぜを纏ったエアームドを空振りしていく。こちらの攻撃の合間にも岩石を並べてはヒットアンドアウェイを繰り返すエアームド。そのムーブに対応できないアタシは、内心にひどい焦りを抱えることになった。

 

 ……どうすればいいの、この状況。さっきのはがねのつばさも、アタシがメタルバーストで反撃してくることを見越しての行動だった。ああやってフェイクを織り交ぜることで、アタシにメタルバーストを撃たせるべきかどうかの判断に迷いを生じさせる戦略なのだ。

 

 そして、今回は来ないだろうと高を括ったところを、はがねのつばさのまま突っ込んでサイホーンを確実に仕留める。それがレミトリさんの作戦であることも分かっていた。こうしてがんせきふうじとすなじごくを撒いているのは、ドリルライナーによる回避をしにくいフィールドをつくるため。その機動力を活かせる広い空間に障害物を撒いていくことで、アタシはドリルライナーに頼れなくなり、メタルバーストをしない限りその攻撃を受け流せないという一択の状況をつくり出すためのものなのだ。

 

 今もサイホーンへと岩石が落とされていくこの光景。それに対して何もしないわけにはいかなく、アタシはロックブラストを命じていく。

 サイホーンはそれに従って、エアームドに向かって攻撃を放った。これでがんせきふうじの岩石は相殺できるのだが、おいかぜを駆使するエアームドはそれらを軽々と避けていくと、通りすがりにエアスラッシュとすなじごくをお見舞い。食らったそれらの攻撃でサイホーンが体勢を崩し、本格的に窮地へと追い込まれたことを自覚する。

 

 ……負ける。このままじゃあ、負けちゃう。

 脳裏によぎった敗北の文字。成す術も無いと思い、この気持ちは一瞬ばかりか諦めの境地へと至っていたものだ。

 

 ――いや、まだだ。おいかぜに乗ることでサイホーンに反撃を許さないエアームドの姿を眺める。それをよく観察した上で、アタシはある博打に賭けてみることにした。

 

 その時を見計らう。今もエアームドはがんせきふうじでサイホーンの周辺に岩石を撒いていくのだが、向こうがフィールドを整えている間にも、こちらはこちらでドリルライナーによる回転力ですなじごくを取り払いながら相手の行動をうかがうのだ。

 待っている間にも、アタシはサイホーンにすてみタックルを命じることで周囲の岩石を退けていく。だが、その時にもエアームドは再びこちらへと急降下して接近してきたのだ。

 

 なるほど。邪魔な岩石を退けるためにわざを繰り出したところを狙ってくる戦法なんだ。どうしてこのサイクルを繰り返すのだろうと謎に思っていたものだが、こうして相手が暇を持て余したことで行う除去作業を誘うために、こんな回りくどい立ち回りを繰り返していたということだ。

 

 そして、エアームドがはがねのつばさを繰り出してサイホーンへ突撃してきた。これに対してもメタルバーストを匂わせるのだが、同時にアタシはとある瞬間を狙っていた。

 

 メタルバースト。いつ来る。レミトリさんとの心理戦。はがねのつばさで迫るエアームドが、直にもサイホーンと接触する。

 アタシは、レミトリさんを見た。レミトリさんもアタシの視線に気付いたものだが、すぐに戦闘へと意識を向けて逸らしていく。……これで十分。匂わせただけで、効果はある――

 

「サイホーン!! ……」

 

「ッ……!」

 

 すれ違う――!!

 

「ドリルライナー!!」

 

「……!?」

 

 ギリギリまで引き付けた。どうやら本気ではがねのつばさを当てに来たらしいそれは、本来であれば確実にサイホーンへ叩き込んでいたことだろう。

 しかし、生じた技エネルギーに素直な反応を示すのが、ポケモンという生物の性質だ。あのゴーストだってそうだった。ふゆうという特性をもつ関係上、サイホーンのドリルライナーをふわっとした挙動で無意識に避けてしまうもの。今回はそれがタイプ相性で当て嵌まったというだけであり、特段変わったことなどは全く行っていない。

 

 だから、エアームドの真正面から加えられたじめんタイプの技エネルギーに、エアームドは無意識に宙へ羽ばたいてしまってドリルライナーを無効化してしまうことは、なにも可笑しな出来事ではなかった。そうしてあらぬ軌道を描きながらはがねのつばさを空振りしていったエアームドは、距離を取るためすぐさまおいかぜで高速の滑空を行っていく。

 

 そのおいかぜこそが、アタシが見計らっていた本来の目的だった。

 

「サイホーン! 真上に向かってドリルライナー!!」

 

 アタシの指示と共にして、回転力をまとったサイホーンはその勢いのまま上へと跳躍していく。

 回転力が合わさったこのジャンプは、先のペラップ戦でも繰り広げたものだ。しかし今回はそれに加えて、エアームドが展開するおいかぜの効果も乗る――!

 

 同じ方向へと飛ぶエアームドと、跳ぶサイホーン。相手の効果を逆手に利用した手段によって地上から離れた二匹がスタジアムの宙を舞うと、アタシはようやくと捉えたその背中へと向かってロックブラストを指示していった。

 

 エアームドとレミトリさんがあっと驚いている。その隙を突くように、サイホーンは生成した岩を連射してエアームドへと当てていった。それが数発と直撃したところでエアームドはロックブラストから抜け出し、同時にレミトリさんがエアームドへとその言葉をかけていった。

 

「エアームド! 決して気を緩めてはなりません! お相手は、タイプ相性の最悪となる部分を利用するだけでなく、我々の風に乗って上空まで追い掛けてくるほどの執念の持ち主です! 深追いは禁物であることを肝に銘じ、私の采配を信じて行動してください! サイホーンの向かい風となるよう、おいかぜ!!」

 

「いいや!! それだよレミトリさん!! サイホーン、すてみタックル!!」

 

 待っていた。そう言わんばかりに命じたアタシの指示を受けてサイホーンが回転力を利用した一直線の突進を繰り出していく。

 今もエアームドの起こしたおいかぜに乗っていくその行動。エアームドはすぐさまレミトリさんの指示通りにおいかぜを起こしていくのだが、その向かい風はかえって自身の首を絞めることになるのはあちらも想定外だったことだろう。

 

 空中で十分に距離を詰めたサイホーン。これはおいかぜによって一気に減速するのだが、そこからロックブラストを放つことでエアームドにまたしても痛手を負わせていく。

 そうしてエアームドはこの場から離脱しようとする。の、だが、その身体はうまく逃避することができなかったのだ。

 

 その向かった先が、サイホーンに背を向けた、自身の後ろ方向。おいかぜは自身の背から流れてくるため、今エアームドが向かおうとしたその方向は実質、エアームドにとっても向かい風となる。

 想定外との遭遇に、レミトリさんは若干の焦りを見せた。すぐさまエアームドへとその指示を送るのだが、アタシはアタシで命令を出してこの絶好の機会を逃すまいとサイホーンを動かしていく。

 

「く……! エアスラッシュでサイホーンを怯ませ、おいかぜに乗った勢いではがねのつばさを!!」

 

「ロックブラストを盾にして!!」

 

 エアームドが羽による空気の斬撃を繰り出すのだが、その頃には目の前でロックブラストを発射せずに待機していたサイホーンのそれによって、斬撃はロックブラストを砕くのみで終わる。この行動にエアームドが若干と硬直したことによって、サイホーンは残りのロックブラストを一気に放出して全弾をエアームドに当てたのだ。

 

 これにより、エアームドは体勢を崩しておいかぜに流され始めた。サイホーンはサイホーンで落下を始めていたため、その体重もあって地上にすぐ降り立ち、そこから再びドリルライナーの回転力で跳躍することで、今も流されるエアームドの下へと追い付いていく。

 

「エアームド!!」

 

「すてみタックル!!」

 

 鋼鉄の鎧に、サイホーンの闘志が直撃した。鎧に身を纏うエアームドは、こうかがいまひとつでありながらも表情を歪ませて空中でよろめき、その崩した姿勢でサイホーンに押され、地上へと落下を始めたのだ。

 

 この勢いで落ちれば、エアームドもひとたまりではない。着実と手繰り寄せていった勝利への栄光にアタシは手を伸ばすが、レミトリさんもレミトリさんで、その意地を最後まで貫き通していく。

 

「力を振り絞り、おいかぜを!! そして、今まで隠していた六つ目のわざで、この戦いにケリをつけましょう!!」

 

 その指示と共に、エアームドはすてみタックルを食らったその状態でおいかぜを捻り出していく。そうして発生した向かい風はサイホーンのすてみタックルの勢いを抑える効果をもたらし、そこから脱出したエアームドは絶体絶命の危機から一転、更なる逆転の機会を得ることになる。

 

 そして繰り出された、エアームド最後のわざ。レミトリさんが戦況を見極め、的確なそのタイミングで放たれたエアームド渾身の一撃がサイホーンへと炸裂する――!

 

「エアームド! ドリルくちばしッッ!!」

 

 サイホーンと同じような回転力を纏い始めたエアームド。それは鋼鉄の鎧という身体も相まって威力はより増していき、さらにはおいかぜという自身の勢いを増幅させる効果を背中に受けながら、エアームドは力を振り絞った必殺技をサイホーンへとぶちかました。

 

 回転するエアームドの全身。その鋭い頭部からなる回転を受けたサイホーンは白目を剥けながらそのわざに圧倒され、おいかぜに乗ったこの勢いで地上に叩き付けられたのだ。

 

 その先に存在していた、がんせきふうじの岩石。巻き上げた砂埃から、それに叩き付けられて項垂れたサイホーンの姿。そして、身動きの取れないサイホーンへと向けた、エアームドの最後の一撃――

 

「はがねのつばさッッ!! これで、おしまいですッ!!」

 

 レミトリさんは全力の掛け声をスタジアムに響かせる。力強く突き出したその手で命じると、エアームドは鋭利に光らせた鋼鉄のブレードで、岩石もろともサイホーンに三連撃からなるはがねのつばさを浴びせたのだ。

 

 ――勝負あり。砕ける岩石のあったところには、白目を剥いたサイホーンが、その場に残り続ける……。

 

 ……身体から、鋼の光を放ちながら――

 

「メタル、バーストォォォォオッッ!!!!!」

 

「なに――ッ」

 

 紅の眼光が、目の前の鋼鉄を捉えていく。

 

 この時を待っていたぞ。それを告げるかのような瞳を目にしたエアームドは、次の時にも自身の残像を視認できるほどの速度でその場から吹き飛び、主の横を通り過ぎるなりスタジアムの壁に強く叩き付けられていた。

 

 

 

 …………一転して、静寂に包まれたスタジアム。これまで響かせていた戦闘の音や僅かな歓声も、この場においては何一つと聞こえてくることはなかった。

 

 審判が何度も何度も双方を見遣っていく中で、その影がむくりと立ち上がる――

 

「……サイ、ホーン」

 

 アタシは、今までに無いほどズタボロになったその勇敢な背中を見て、自然と涙を流してしまっていた。

 この時に思い浮かべるべき言葉は、どれが正解だったのだろう。ありがとう? ごめんなさい? ……いや、どちらでもない。

 

「……お疲れ様、サイホーン。すごく、っ、っ……。すごく、カッコよかったよ……っ!!」

 

 息を引きつらせながら言葉をかけていくアタシ。その雄姿を見た審判も判断基準に達したのだろう、手に持つ旗を思い切り上げるなり、「エアームドのひんしを確認!! エアームド、戦闘不能!! ——ゲームセット!! 勝者、チャレンジャー!!!!」のセリフと共に、上げた旗をアタシへと向けて、勝敗の最終ジャッジを下したのであった――――



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不穏

「へいらっしゃい!! ——おや、レミトリさんじゃないですかい! 連日でここに来るのは珍しいねぇ! 今ちょうどこの嬢ちゃんの勝利記念をお祝いしていたところですわ!!」

 

 料理人が言うその言葉に、リンゴたっぷり山菜丼を頬張るアタシは思わず振り向いた。

 お店の入り口で、「奇遇ですね」と一言添えるレミトリさん。時刻は閉店間際という夜分に再びレミトリさんと遭遇したアタシは、今日ばかりは何だかちょっと気まずい空気もあって、するすると喉を通っていた食べ物が一気に詰まってしまった。

 

「失礼でなければ、お隣にお邪魔してもよろしいでしょうか?」

 

「ふぁ、ふぁい」

 

 もごもごとするアタシの頷きにレミトリさんは凛々しく笑みを見せてきた。その表情はまるで、お昼にもジムバトルで出くわしたあのジムリーダー・レミトリとは同一人物とは思えないほどの穏やかさ。

 いや、あの場面におけるレミトリさんが、覇気を纏う強者のオーラでチャレンジャーのアタシを迎え撃っていただけなのだ。凛々しくもたくましいその存在感であるが、レミトリさんという人物は、実はとても礼儀の良い、執事のようなお方なのだから。

 

 この日もレミトリさんは、アタシと同じリンゴたっぷり山菜丼を注文していた。しかし今日は昨日と違い、その視線をこちらに向けることなく、どちらかというと俯いて何か考えることに耽っていた様子。

 ……アタシから声、掛けにくいなぁ。そんなことを思いながらも、もぐもぐと食べ進めていくこの手は止まらない。チラッと動かしたこの視界の中、アタシのいるカウンターの上ではラルトスが、料理人が用意してくれた小さな丼物でご飯を食べている。

 

 そして、アタシの足元には、この日の激闘によって疲労困憊といった調子のサイホーンが、珍しく目を瞑って休んでいたのだ。今日はお疲れ様。あのジムバトルの後、アタシはラルトスを外に出しながらサイホーンへと駆け寄り、ラルトスと共にサイホーンの健闘を称えまくった。それからレミトリさんと握手を交わしてジムバッジを渡されたものなのだが、その時のレミトリさんの、何とも言えない、やり切ったものの至らない自身にどこかやり残したものを感じさせる表情が、今もこの記憶にしっかりと刻まれている。

 

 敗北を認める言葉の数々からも、とてもそれを本心とは思えない棒読みなところがあった。本人も試合中に口にしていたように、相当の負けず嫌いであることがうかがえる。そして彼がどこか思うその要素というものが、おそらく今回の試合では本気を出し切りながらも、どこか全力を出し切れなかったもの。

 

 つまり……アタシで言うラルトスのような、相棒又は切り札をこの試合で繰り出せなかったという、実力差的には仕方がない部分がありながらも、やはり全力の状態で再戦したいといった雰囲気がひしひしと伝わってきていたものだ。

 

 料理が出されるまでの間、レミトリさんはこんなことを呟くように口にしてくる。自分に言い聞かせるような調子でありながらも、アタシとの戦いで感じられた反省会の意味も込めてなのだろう。

 

「私は今、久方ぶりにスランプとなりました。長らくとジムリーダーの地位で様々なトレーナーを見て参りましたが、今日ほどの衝撃を受けた試合は、そう数多くありません。現在はとても不思議な気持ちに陥っております。本来であれば悔しいハズである敗北を期しながらも、私の内心ではどこか、今回の結果に諦観とはまた異なる、納得を感じられるのです。私は性格上、それを決して許すことはできません。望むなら、明日にも貴女様に再戦を申し込みたいほどに。――それはまだ叶わぬ妄言であることは承知ですが、しかし一方で、本気のメンツを揃えた全力のポテンシャルで、もう一度、ヒイロさんと戦えるような気がしてならないんですよ。私はそれを予感してしまえて仕方がないのです。今はまず、ジムチャレンジというシナノ地方の伝統をその肌身でしっかりと体験してきてください。貴女様にはその期間が必要です。ただ……ジムバッジを八つ揃えた時、私は、次こそは全力を以てして、ヒイロさんにリベンジを申し込みたいと思います。その時は、ジムリーダーとしてではなく、一人のポケモントレーナーとして、ジムチャレンジを制覇した、ヒイロという人物と戦ってみたいと思っているんです」

 

 料理人のおじさんが、物珍しげに唸るようにその言葉へと頷いていた。アタシはレミトリさんが喋るその間にもモリモリと丼物を食べていたものだが、それを聞きながらも未来の自分をちょっと想像してみて、いや……ちょっと過大評価しすぎなんじゃない……? と、未来の自分の姿を想像できなかったことから、レミトリさんの言葉がちょっと重く感じられてしまった。

 

 とはいえ、アタシもまた、レミトリさんと戦ってみたいと思ってる。それも、次は本気のメンツを揃えた、ポケモントレーナーの本気レミトリさんと――

 

 がらがらがら。開いた入り口の音に、アタシらは反応して振り向いていった。

 こんな時間に、レミトリさんに続くお客さんが? とても不思議に思いながらもその姿を視界に入れていくのだが、目にした立ち姿を見るなり、謎の納得と共にアタシは無意識に手を振っていた。

 

「あ、タイチさんだー」

 

「おっと、やっぱここに居たかレミトリさん。と、これはこれは」

 

 長身の青年。純白のショートヘアーと、黄色のボタンと純白のジャケット、純白のパンツに白色の洒落た靴という、放つオーラから伝わる最強の美貌をまといし超絶イケメン。

 シナノチャンピオンのタイチさんだ。相も変わらず白馬の王子様の如きお美しいお姿で佇むその姿に見惚れさえしていると、驚きを隠せない料理人がサイン色紙を用意し始めるその光景を横目に、タイチさんはアタシを見遣っていく。

 

「レミトリさんに用事があって探していたもんだが、どうやら今日のMVPと出くわしてしまうなんて、俺はこの瞬間だけ世界で一番ツイている男というわけか」

 

「おおげさだよ。タイチさんも食べる? ここのリンゴたっぷり山菜丼、チョー美味いよ!」

 

「あぁ、そうしたいのは山々なんだが。閉店時間の間際に常連でもないお客さんに来られちゃあお店側の迷惑になるからね。変装をしてから出直すとするよ」

 

 それを聞いた料理人、サイン色紙を持ちながら「いえいえチャンピオンなんですから、どうぞお気になさらず!!」と促してくれたものだが、タイチさんはそれを丁重にお断りしながらも、明日か明後日にサイン色紙とそのエプロンにサインをするという約束をして料理人を納得させていく。

 

 そして、タイチさんはレミトリさんへと、ちょい、ちょいと手で招いた。それを受けてレミトリさんは「少しばかり、失礼いたします」と料理人へ一礼してから、タイチさんと共に夜の外へと出ていったのだ。

 

 と、閉じていく戸から、タイチさんが顔を出してくる。

 

「ヒイロちゃん! 今日の試合、最初から最後まで見ていたから! 変装していたけど、あのスタジアムにちゃんと居たんだぜ? サイホーンも、ナイス大健闘だった! その調子で、俺の下まで駆け上がって来いよ!! ――積もる話はあるにはあるんだが、今はちょっと急用でね。また落ち着いた時にでも、旅してきた思い出話でも聞かせてくれよな! じゃ、また巡り会いがあれば!」

 

 そう言って、タイチさんは指をピッと出しながら明るい調子で戸を閉め切った。

 店に残るアタシ。もぐもぐとその食の行為を続けていくこの中で、料理人からは「彼とは、どういった関係なんだい?」と訊ねられていたものだ。

 

 

 

 

 店から少しばかり離れる二つの人影。人目の無い裏地に回った二人は周囲をうかがい、声をひそめながらその会話を繰り広げる。

 

「ジムの方で何かありましたか? 人身事故でしょうか?」

 

「いーや、それよりももっと深刻な話ですよ」

 

「では……?」

 

「『マサクル団』が現れた」

 

 タイチの言葉に、レミトリは驚愕と、唖然の顔を見せていく。

 

「……我々で滅ぼしたハズでは?」

 

「復活した、とも言うべきか。犯行予告というか、既に実行された悪質な挑発で、その存在が確認された」

 

「被害は?」

 

「ママタシティの郊外近辺。それも、学校付近だ。惨憺たる光景で、第一発見者である地元の小学生はトラウマになっている。俺も現場に駆け付けたけど、ひどい有様だった。とても人間の手による行為とは思えない所業だ。ポケモンの原型を留めない惨く残酷なあの現場は間違いなく、一度壊滅へと追い込んだ俺達への、『マサクル団』からの挑戦状だ」

 

「ラオさんは?」

 

「ジムチャレンジとポケモン博士の仕事を切り上げて、駆け付けてくれた。普段は温厚で何を考えているのかも分からない彼女だが、その光景に憤りを見せながら対応にあたってくれた」

 

「他に被害は?」

 

「今のところ確認されていないが、無いとは言い切れないのが現状。といったところです。これをレミトリさんの耳に入れておきたくて、頃合いを見計らっておりました」

 

「報告、感謝いたします。他のジムリーダーもこのことを?」

 

「あとは、オウロウビレッジのニュアージュちゃんに。連絡は行き届いているかもしれないが、万が一のことも考えて俺が直々に赴きます」

 

「チャンピオン以外の仕事にも精力的に取り組んでくださるその心意気、心強く思っております。以前にもタイチさんは、チャンピオンになる前にも『マサクル団』の壊滅に最も貢献なされた豊富な経験もございますから、今回の件においてもきっと、貴方様の協力は必要不可欠になると思われますので」

 

「俺もそのつもりですよ。せっかくと盛り上がりを見せてきたシナノ地方の平穏なんだ。またしても流した血で地面を覆うようなあの日々なんて、御免だ。――今回も、『マサクル団』の存在は極秘で取り扱うように。シナノ地方全域に混乱を招く事態だけは避けなければならない。ラインハルトさんからの伝言です」

 

「承知しました。私も、ハクバビレッジとその周囲を厳重な警戒態勢で見張っていきます」

 

「じゃ、俺はこれからオウロウビレッジに向かいますんで」

 

「……明日か明後日に、この店に?」

 

「ちゃちゃっと行って、帰ってきますよ! 本来なら往復でも早くて一週間はかかりますけど、自慢の相棒たちですっ飛んで行きますんで!」

 

「フフッ、その行動力は、我々ジムリーダーでさえも見習えないほどの活力で溢れておりますね。では、ニュアージュさんのことを頼みましたよ」

 

「りょーかい!」

 

 手でビシッと敬礼するタイチ。月の光も当たらぬ陰りの中、取り出したモンスターボールから一匹のドラゴンポケモンを繰り出すと、その背に乗って空へと指差していった。

 

「行くぞボーマンダ! お前の苦手なオウロウビレッジのニュアージュさんへ会いに行くぞ! 少し長い道のりになるけど、お前ならやれるもんな!」

 

 ボーマンダと呼ばれる水色と紅の翼が特徴的なポケモンは、闇夜に吠えるようその鳴き声を上げてハクバビレッジを飛び立つ。

 羽ばたく翼を見送るレミトリ。最後にタイチへと手を振ると、タイチもグッジョブのジェスチャーをしながら勢いよく飛び出っていった。

 

 彼の背を眺めるレミトリ。そして、復活したとされる不吉の象徴にその凛々しい顔を、とても険しく、深刻な様子でしかめていた。



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性分

「ハクバビレッジ、今までありがとー!! またねー!!」

 

 村の門から出たアタシは、振り返ってからそれを叫んでいった。

 自転車のカゴに入っているラルトスも、手を振って感謝を示していく。そしてアタシは押していた自転車にまたがると、ペダルを強く踏み込んで軽快と大草原の中を走り出していくのだ。

 

 ジムチャレンジの開始から、それなりに経過した。この出だしは、周りからすればだいぶ遅れをとったスロースターターだろう。しかし、アタシは自分のペースでこのジムチャレンジを巡っていくと決めていた。これは誰かのための挑戦ではなく、自分のための挑戦なのだから。

 ようやくと入手したハクバビレッジのジムバッジ。これでやっと一個目となる、光り輝く努力の証拠をもぎ取って、アタシは次なる目的地、『ショウホンシティ』を目指していく。

 

 次に挑むジムには、ほのおタイプを専門とするラ・テュリプさんがチャレンジャーを待ち受けている。彼女の二つ名は、『恋焦がれし淑女』。アタシが家でぼっち極めていた時にも、メディアかなんかで度々とその名前を見てきた。なんでも彼女、急に姿を消してしまったという彼氏に見つけてもらうべくジムリーダーへとのし上がったという、ちょっと変わった経歴の持ち主。

 

 彼氏とは長年の付き合いであり、プロポーズもされて結婚をしようという段階まで至っていたらしい。しかし、その約束も虚しく、彼氏は突然の失踪。理由も事情も何も知らされていない彼女は嘆き悲しみ、彼氏を探す旅に出たという。それと同時期にジムチャレンジが開催され、もしかしたら伝統的な催しであるジムチャレンジに姿を見せるかもしれないという考えから、ラ・テュリプさんもそれに参加。結果、ジムバッジを八つ集めるまでに至り、そしてジムリーダー入りを果たしたという。

 

 それでも本命の彼氏は見つからず、他の地方へ探す旅に出ることも考えたという。しかし、もし彼氏が戻ってきた時に入れ違いになるのは嫌だと思った彼女は、こうしてシナノ地方に留まり、ジムリーダーというメディアによく取り上げられる媒体で「ここにいるよ!」といつでも伝えられるように、今日もシナノ地方の代表として猛威を振るっている……というのが次のジムリーダーの情報だ。

 

 そこから名付けられた二つ名が、恋焦がれし淑女となる。正直、アタシはそういう大事な人という存在を全く知らないものだから、彼女の動力源に同情できるかは微妙なところがある。

 ただ、最も失いたくないものを失ってしまった悲しみ、ということであればそれなりに。とにかく、次にアタシへ立ちはだかるのは、その恋情の如き熱血の炎で挑戦者を焼き焦がす淑女ということだ。

 

 走らせる自転車が、地面の石でガタンゴトンと跳ねていく。カゴにいるラルトスもそれに合わせて浮いたり驚いたり、そんな道のりを辿っていくこの日の天気は、雲が全く見られない快晴の青空であったものだ。

 

 

 

 ハクバビレッジを出発してからの数日。『ショウホンシティ』へと向かうその道は途中、『オオチョウシティ』という大きな町に入った。そこで休憩を取りながらも適度にポケモンバトルでサイホーンを鍛え、観光も済ませてそれじゃあ自転車で一気に駆け抜けようとした時のことだった。

 

 ふと、目についた看板。観光客への案内なのだろうそれを読み進めていくと、アタシの性分に訴え掛けてくるかのような文章を見ることになる。

 

「……山岳観光『オオチョウ山』。季節限定ではあるが雪の大谷が売り。連峰はロープウェイやケーブルカーで移動できて、オオチョウ山でしか見られない連峰と湖の景色やダムを楽しむことができる。……いや、うん。まぁ、シナノ地方は山が多いし、それを売りにする所は多いよね――ん? 山頂でしか採れない『どうぐ』?」

 

 アタシは、自転車にまたがろうとしたおっぴろげな足のまま、その看板に釘付けとなった。スカートというファッションでありながらの大胆な女である。

 

「オオチョウ山の山頂では、奇跡的な確率でしか生えてこない植物がある。その植物から採れるタネは『どうぐ』として大変貴重なものであり、マニアからは高値で取引されるほど。今日もそのタネを求めて多くの登山者が訪れている……」

 

 上げていた足を、ゆっくりと下げていく。踏むはずだったペダルの、その横へと足をずらしながら――

 

「――アタシの『どうぐ』が、他の人に取られちゃう!!」

 

 いや、アタシの、じゃないだろ。

 内心でツッコミを入れながらも、そんなに貴重な『どうぐ』が誰かの手に渡ってしまうかもしれない!! なんて謎の強迫観念に囚われてしまったアタシは、ジムチャレンジどころじゃないと、慌ててその山へと向かうことにした。

 

 急な目的の変更でラルトスが唖然としていたものだが、それもお構いなしにアタシはすぐさま自転車を漕ぎだしてオオチョウ山を目指し始める。

 これが本当にあのレミトリさんに勝利したポケモントレーナーなのか。傍から見れば誰もが疑問に思うかもしれない。けど、そうなんだよ!! こういうトレーナーもいるんだよ!! 自分の中で何かと戦うように内心で声を荒げながら、アタシは今も急ぎでその自転車を走らせた――――



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オオチョウ山

 そう言えばアタシ、『どうぐ』が大好きだったんだ。

 ふと思い出した自身の性分。連日とジムチャレンジに集中してきたために、危うくこの旅の目的を忘れるところだった。

 

 そう、この旅は本来、シナノ地方に多く眠る『どうぐ』をこの目で見て、あわよくば集めようという私利私欲の塊のような目的で始めたものだったのだから。

 そんなこんなで、舞い込んでくるかのように情報を入手した、珍しい『どうぐ』の存在。アタシはこれを、誰かに取られる前に手に入れてやるという強欲のままに、『オオチョウ山』の山頂を目指していったのだ。

 

 

 

 深海のように深い青色の湖。広がるそれは、生命が生まれてくる神秘的なものを感じさせ、そしてこの湖を守護するかのように、囲うように天へとそびえ立つ霊峰の光景。

 

 アタシは今、『オオチョウ山』にいる。ここで採れる、奇跡的に近い確率でしかお目に掛かれない植物の、そのタネを求めてここに来た。

 どうやらこのオオチョウ山の山頂でしか採れないというタネは、『どうぐ』としての希少価値があるという。それを聞いたアタシは、『どうぐ』コレクターとしての血が騒いで仕方が無い。

 

 でも、だからといって闇雲に突き進んだところで山頂には辿り着けないだろう。コタニの山で遭難した経験が今ここで活きるかのように、アタシは現地に着くなりガイドさんの指示に従い、今日は日が暮れるから明日に山頂を目指そうということで、この日はオオチョウ山の宿泊施設で休むことにした。

 

 そして、翌日。施設の個室で流していたラジオからは、ジムチャレンジの情報がリアルタイムで届いていた。その内容は、既に六つ目のバッジを手にした猛者が現れたというもの。

 アタシは話で聞いただけではあるものの、どうやらジムチャレンジは、五つ目のバッジへの挑戦から一気にハードルが上がるという。その五つ目の挑戦からは手持ちポケモンを四体揃えた長期戦が待ち受けているということで、ジムリーダーも四体編成を見越したメンツを揃えて、万全の態勢を整えて臨むのだ。

 

 ジムチャレンジは、五つ目のジムからが本番だぞ。そんな風にも言われているこの熾烈を極める行事ではあるが、この時点で六つ目のバッジを手にしているというのは相当早いペースらしく、この調子で行けば歴代で二番目か三番目に早いジムチャレンジの達成も夢ではないらしい。

 いや、一番目はどんだけ早いんだよ、ってところもあるけれど……。その六つ目のジムバッジを手にしたチャレンジャーはどうやら、七つ目のジムバッジを入手するべくハクバビレッジへと向かっているとのことだった。あのレミトリさんはこれから、今回、最も早いペースでジムリーダーを打ち負かしているチャレンジャーと衝突することになるのだ。

 

「……試合、ちょっと見てみたかったな」

 

 ボソッと呟いた独り言。ラルトスを抱きながら自分の髪をブラシで整えていくアタシは、この時にも自分がポケモントレーナーであることを改めて自覚した。今もジムチャレンジに挑戦しているフレッシュなそれであるんだな、と。アタシが今、そんな伝統に挑んでいるんだな、と。以前までの自分からしたら、まるで想像もできない世界に今、身を置いている……。

 

 ……何があるか分かんないな。きっと、過去の自分にこのことを教えてあげても、絶対に信じないことだろう。

 なんだかちょっと、頑張って生きてるって実感が湧いてくる。そりゃあこの短期間で辛かったりしたこともあったけれど、少なくとも、それらも含めて今を謳歌している自分が此処にいる。

 

 ――こんな生活、今までしたことがなかった。ポケモンという得体の知れない存在に怯えながら、ずっと家にいたものだから。今まで言葉で聞いてきただけの世界に飛び込んでみると、それはまあ見える世界も変わるってものだ。

 

 ……こういうのも、いいじゃんか。湧き上がってくる、言葉にならない気持ち。いや、その気持ちを言い表す言葉を、アタシが知らなかっただけなのかもしれない。

 とにかく! アタシは今、アタシなりに生きている! ガバッと立ち上がってキャップをかぶっていきながら、抱えたラルトスと共に、集合時間ピッタリに着くようアタシは個室から飛び出していった。

 

 そうしてガイドさんに連れられ、登山を開始したこの一日。アタシの他にも数名の人が集まっており、見るからに観光客ってタイプの人達もいれば、見るからにアタシと同じタネ目的っていうオタク気質のタイプの人達も見られたものだ。

 着実と登っていくこの道のり。道中では休憩を取りながらも、そこでは息抜きのポケモンバトルで爽快な汗を流していく。自慢のつもりはないけれど、アタシのサイホーンはここでも負け無しだった。アタシのサイホーン、強い!

 

 それで、登山を再開した一同。アタシもラルトスを抱えながらゼェゼェと息を切らして必死についていき、そして――

 

 ――山頂。朝早くに出発して、今は昼を過ぎたそれなりの時間帯。手を伸ばせば雲に届くんじゃないかってくらいの高さまで到達したそれは、見える景色がまた格別!

 遥か向こうにあるオオチョウシティや、その更に奥へと見遣った山々は、あれはきっとコタニの山。数日とかけて自転車を走らせてきたその距離なのに、ここからでも眺めることができてしまうのだ。このオオチョウ山を渡るロープウェイやケーブルカーへと手を振っていくアタシとラルトス……と、それに見向きもしない足元のサイホーンは、山頂に着いてからというものの、しばらくは純粋にこの達成感と景色を楽しんでいたものだった。

 

 

 

 我に返ったのは、この声を掛けられてからだった。

 アタシが、景色に見惚れていたその最中にも聞こえてきた「自由時間は残り三十分となりまーす」という言葉。え、ウソ!? アタシまだ、奇跡的な植物だかの『どうぐ』を探してもいないんだけど!? と一気に巡ってきた焦燥で慌てていく。

 

 そこから、アタシは活動的になってオオチョウ山を駆け出していった。他にもいた登山客の人だかりから離れるように場所を移動すると、こうして団体から少し離れた場所では、アタシの本来の目的のように、目を光らせながら植物を必死に探しているマニアたちの姿がある。

 

 くそ!! アタシはジムチャレンジだけならず、こういった場面でも出遅れるのか!!

 今までのんびりとしていた自分自身に嫌気がさしながらも、残る時間以内で見つかるかどうかという制限時間との勝負に心臓をバクバクさせながら、目を見開いて視界を広げながら山の中を歩いていくのだ。

 

 ここには無い。あっちにも無い。既に残された人の足跡からして、あったとしても取られていることだろう。ということは、もしタネがあるのだとすれば、誰も来ていない場所を探さないといけない。今も周囲には競争相手が鬼の形相で目を凝らしている。

 

「……ラルトス、テレポート! テレポート!!」

 

 抱き抱えるラルトスをぎゅっとする。それを受けてラルトスは「え?」といった具合に顔を上げてくるのだが、アタシもきっと周囲と同様の鬼の形相だったのだろう。あまりにも必死なそれにラルトスは「えぇー……」なんて聞こえてきそうな顔を見せると、アタシがサイホーンをモンスターボールに戻した頃合いを見計らい、余分とも言えるだろう力を使ってテレポートを繰り出した。

 

 ブワッ。一瞬だけ飛ぶ意識。もう慣れたその感覚でテレポートが完了したことを認識すると、次にもアタシが降り立った場所は、人が全く踏み入れていないだろうという、手が加えられた跡も見られない緩やかな山の中。

 それどころか、足元には雪が積もっていた。ちょうど太陽の光が当たらない場所なのだろう。一気に下がった気温に、アタシはスカートから入ってくる冷気に凍えながらも、これも『どうぐ』のため……なんて思いながら歩き出していく。

 

 普段であれば、少なくとも景色でしか見てこなかった雪と急に出くわすその場面は、自分は何処に飛ばされてきたんだろう、自分は何処に来てしまったんだろう、なんて恐怖が湧いてくるかもしれない。しかし、アタシはこれをむしろ、チャンスだと思ってしまった。

 この雪には、人の足跡が無い。ということは、ここには誰も来ていないということ。つまり……誰にも採られず、発見されてもいない奇跡的な植物が、ここにある可能性が十分に期待できる!

 

「ラルトス、一緒に探して! ガクガク、ブルブル。こ、これは、アタシにとってすごく大事なことなの。ハ……ハ……、ヘックチ!!」

 

 寒くてくしゃみが出る。ちょっと独特なくしゃみをしながらもアタシは目を凝らし、寒がっている場合じゃないとひたすら雪山の中を歩いていった。

 数少ない木にも、その雪が積もっている。これは、足が埋もれるほどという量ではないにしても、雪が降ったという証拠なだけで雄大な自然でなり立つ地帯であることは明らかだっただろう。

 

 それどころか、手が届きそうなんて思っていた雲が、もっと近くで感じられる。いや、その雲から剥がれ落ちるかのように、雪が降り始めていた。

 ……さすがに、遭難してしまうか。空を覆い尽くした無限なる雲の天井に、アタシは次第と恐怖感に染まり始めていた。ラルトスもとても不安そうにしていたため、この子のためにも無理はできないかと思いながらアタシは、この先へと続いていた足跡を辿ることを止めて、来た道を引き返すことにする。

 

 振り返ると、アタシの足跡が刻まれた雪景色の霊峰。下へと続く地形はまたしても上り始め、似たような山を象っては地平線へと続いていたのだ。

 ……アタシ、学んでないな。冷気で身体を震わせながら、振り返ったこの光景に自分のダメな部分を目の当たりにする。ラルトスは戻るべき山の場所を把握しているため、多少はズレてもガイドさんの所に戻ろうと思えば戻ることができる。ただ、それとはまた別に、アタシはどうしてこんな、自分を追い込むようなことを自分でしてしまうのだろうと、目にした雪景色に、自分は直らない性格と向き合った気がしたものだったから――

 

 ――歩いてきた足跡。こうして形となった足跡は、なにも今だけのものではない。普段は形として残らないそれだが、今まで歩んできた人生にもきっと、こうしてアタシの足跡がついてきたハズだ。

 

 柔らかく降り積もる雪。振り返った自分の足跡に、虚しさを感じる。

 ……どうしてもっと早く、旅をしなかったのだろう。なぜアタシは周囲に馴染めず、学校に通えなかったのだろう。どれも自分の怠惰な部分に甘えてきただけなんだろうが、そうだとしても、こうして振り返った時に、今までの道のりで刻んできた自分の足跡を見ると、ただただ虚しいだけというか、この足跡からは虚無しか感じられない。

 

「……アタシの人生って、何だったんだろう」

 

 ラルトスを、ぎゅっと抱きしめた。凍えた手でその小さくも温かい身体に触れていく。

 ラルトスもまた、アタシの冷たく凍えた手にそっと手を置いて、じっと、触れ続けていてくれた。

 

 ……ありがとう。新しい一歩を踏み出したハズなのに、アタシは踏み出した足に、過去という足枷を着けたまま歩いていたんだな。

 そして、この枷は生きているかぎり、ずっと着いたままだ。これを外すことは、もうできない。後戻りできないのだ。

 

「……なんか、寂しいね」

 

 ラルトスの頭に、顔を埋める。今、涙を流してしまったら、それが凍えて顔がもっと冷えてしまうと思ったから。

 だから、この温もりで乾かそうと思った。今も頬を伝う雫を拭うため、その温もりに頼らざるを得ないと思って…………。

 

 …………ん?

 

「……足跡?」

 

 ふと、目についたもの。アタシは今まで、何の疑問にも思わなかった。

 なんで、この先に足跡が続いていたの? 自分の足跡を振り返っていた身体を方向変換させて、山の先を見遣った。

 

 ……やっぱり、そうだ。この足跡、アタシのじゃない。だってアタシはまだ、この先へと行っていないもの。

 

 刻まれたばかりと思われる、一定の間隔を空けながら存在していたそれ。しかも、これは間違いなくアタシの歩幅ではなく、もっと脚が長い人によってつけられた、真新しいものだったのだ。

 

 この先に、遭難した人でもいるのだろうか。だったとしたら、ラルトスのテレポートで救えるかもしれない。恐怖心を忘れ去ったアタシは駆け出して、この山の先をひたすらと目指していったのだ。

 

 山に隠れていた雲の天井。走る度にそれは徐々と明らかになっていくのだが、こうして歩を進める内に山から顔を出してきたのは、先ほどまでの陰鬱とした雪の雲を思わせない、陽の光が降り注ぐように大地を照らしていく光景。

 

 雲を貫くように、それは射していた。目にした景色は相変わらずの霊峰で、その下には深い青色の湖が広がっている。しかしアタシは、この場に居合わせてからというものの、凍えたことによる冷えとは全く異なる、本能的な部分から送られてきた“何か”によって、ひどく鳥肌を立てていたものだ。

 

 湖に浮き上がる、一つの小さな祠。そこから感じられる、寒気と悪寒。周囲の深い青色が祠に一層の深遠なものを想像させ、アタシはこの光景を前にして、足がすくんでしまっていた。

 

 ――絶対に、間違いなく、何かがいる。

 

「気になる?」

 

 ……!? 確かに掛けられたその言葉に、アタシは落ち着きがない動作で周囲を見遣った。

 地面の雪に刻まれた足跡。歩幅の広いそれが続いていく先には、この連峰の出っ張った足場で佇む、一つの背中。

 

 腰まで伸ばした、白色のポニーテールが特徴的だった。他、黒色のジャケットっぽいパーカーに、赤色のチュニック。大人びた黒色のライダーパンツに、膝下までありながらも動きやすそうな黒色のロングブーツという身なりをした女性。

 身長も高く、脚が長い。間違いなく、彼女がつけてきた足跡だろう。それを確信した時にもアタシは、こちらへと振り返ってくる女性と、邂逅を果たしたのだ――



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彼女

 地面の雪に刻まれた足跡。歩幅の広いそれが続いていく先には、この連峰の出っ張った足場で佇む、一つの背中。

 

 腰まで伸ばした、白色のポニーテールが特徴的だった。他、黒色のジャケットっぽいパーカーに、赤色のチュニック。大人びた黒色のライダーパンツに、膝下までありながらも動きやすそうな黒色のロングブーツという身なりをした女性。

 身長も高く、脚が長い。間違いなく、彼女がつけてきた足跡だろう。それを確信した時にもアタシは、こちらへと振り返ってくる女性と、邂逅を果たしたのだ。

 

 ……え? 足跡で誰かいることは薄々と感じていたけれど、遭難にしては清々しいほどのクールな表情でアタシを見てくるその女性。そんなこちらの様子に可憐な笑みを見せると、彼女はそれを説明し始めたのだ。

 

「ここは『クロベ湖』。オオチョウシティ地域に属する連峰のオオチョウ山に存在する湖で、地図にも載らないまま長年、人知れずこの神秘的な光景を維持し続けているの。何時、ここに湖ができたのかは未だに謎。いえ、謎と言うよりも、未知ね。そもそもとして、この湖を発見した人なんて、まだいないのだから。そう考えると、貴女がこの湖の第一発見者ってことになるかもね。地図を塗り替える、前代未聞の大発見よ。おめでとう」

 

 湖の祠に手を差し伸べながら、女性はアタシを見遣ってそれらを言ってきたのだ。

 

 ……? アタシは、状況が呑み込めずにいた。今もスカートから入り込む冷気なんてどころじゃない。とにかく今は、その、『クロベ湖』とかはどうでもよくて――

 

「あの、あなたは遭難して……るようには見えない、けど……?」

 

「大丈夫、この辺のことなら誰よりも詳しい自信があるから。――ね、それよりも、あの祠」

 

 湖へと差し伸べていた手で指を差し、女性はあの祠を示していった。

 

「あの中に、何がいると思う?」

 

「え?」

 

 ……突然の質問。雪がチラつく人気の無いこの場所で、アタシは「え、えーっと……?」と、今も困惑する思考のまま頑張って考えてみた。

 

「……何かいる、って感じはするけど。でもこんな、野生ポケモンも見かけないような場所に、何かがいるだなんても思えないし――」

 

「何かがいる、としたら?」

 

 ……え?

 内心で呟いたハズの、その言葉。しかし無意識にこれを発していたらしく、後になって気付いたアタシは思わず口元に手を押さえていく。

 

 この時にもアタシは、こう、内側から蝕まれていくかのような、言い知れない形容し難い何かからの支配を受けたかのような感覚が、全身に巡り始めていた。

 

 これ以上、知ってはならない気がする。それをもし知ってしまったとしたら、アタシはきっと正気を保つことができなくなり、精神が破壊され、全細胞が壊死したかのような中身の無い人間となって、二度とこの正常な身体で歩くこともできなくなりそうな、そんな予感をしてしまえたから――

 

「真相を探るかどうかは、貴女に任せるわ。ただ、私は安全を保障できない。もしも先ほどの言葉で、この世界の深淵を覗いてみたいという衝動に駆られたのであれば……私の言葉の真偽を、その目で目の当たりにしてみる手もある。っていうだけの話。それじゃあね、通りすがりの旅人ちゃん」

 

 そう言うなり、女性は意味深なその言葉を残して立ち去ろうとした。

 ……って、いやいやいや!! ここは一応雪山だし、アタシのラルトスのテレポートが無いと――

 

「あの――」

 

 女性はアタシに背を向けてこの場を去ろうとしたために、アタシは呼び止めるように声を上げながら走り出した。

 そんなこちらの必死な様子に、女性は不思議そうに振り向いてくるのだ。とてもクールなオーラを放ちながら、まるで何事も無いかのように。

 

「『クロベ湖』とかはよく分からないけれど、ここが地図に載ってないのなら、危ないって! アタシのラルトス、テレポートしか使えないんだけどさ! でも、テレポートでここから脱出はできるから、そんな無理に一人で行こうとしなくても、アタシがみんなのいるところまで案内できるよ!!」

 

 ザッザッザッ、と雪の上を走って女性に追い付くアタシ。その足場も凸凹とした崖であるために、落ちないよう慎重になりながらもようやくと彼女の服を掴むことができた。

 

 ……一方で、親切心でそれらを口にするアタシを、ただただ見遣ってくる女性。こうして近くまでくると、その際立つクールビューティな顔立ちがすごく美人さんで、意外と色白な肌をしているし、なんだか包み込まれるような良い匂いもしてくるものだけど――

 

「私のことなら心配しないで。大丈夫、こういうのは慣れてるから」

 

「いやいや!! 慣れててもこんな無人の山奥に、女の人をひとり置いていけないよ!!」

 

 と、服を掴むアタシの手に彼女は手のひらを乗せながら、そのセリフを口にしてくるのだ。

 

「いえ、貴女はこれ以上、私と関わってはいけない」

 

 真剣な眼差しで、突然そんなことを言われた。

 ……なに? 何なの? さっきから胸騒ぎがして仕方が無い。アタシはどこからともなく巡ってくる、言葉にならない不思議な危機感に襲われていた。これは、根拠も理屈も何もないところから生まれ、目の前の存在とは関わり続けてはならないと思わせてくる、本能からなる危険信号。

 

 ――でも、同時に引き下がってはならないような気がした。こうして彼女に頑なに引っ付くことが、今のアタシには必要な気がしたから。……これも試練だ。ふと脳裏によぎった軽々しい言葉。やっていることはただのお節介であるのに、なぜだか、今こうして彼女の行動を必死こいて止めている今の時間こそが、何よりも必要なように思われたものだから。

 

 瞬きをすることも忘れて、アタシは彼女をじっと視界の中央に捉えていた。まるで、彼女の動向を見張るかの如く。普段は絶対に見せないと自負できる真剣な顔をしてまでして、初対面の彼女のことを、強く、強く捉え続けていくのだ。

 

 ……アタシに絡まれたからなのか、こうして見ず知らずの女から睨まれているとでも思ったのか。彼女の考えは分からないが、これをしばらくと続けた後にも、彼女は服を掴むアタシの手に、自身の手を絡ませてくる――

 

「貴女、何のつもり?」

 

 訊ねてくる言葉は、先までの可憐な笑みからは想像できないほどの鋭い調子だった。

 ……それでも、引けない。アタシは自分でも何をしているのかが分からなくなりながらも、首を横に振りながら答えていく。

 

「分からない……! 分からないけど……貴女をこのまま、行かせてはならない気がする……!!」

 

「どうして? なにを根拠に言ってるの?」

 

「それも、分からない……!! 自分でも、よく分かっていないの……!! でもね、すごい胸騒ぎで、なぜかこうしていなきゃってばかり思っちゃって……! 頭のおかしいヤツって思ってもらっても全然いいからさ。だから……ほんの少しだけでいいから、アタシと一緒に来てよ。オオチョウ山の山頂には、登山のガイドさんとかもいるから。その人達に従って下山した方が、絶対に良いって……!!」

 

「私がいつ、下山するって言ったかしら」

 

「……?」

 

 なに、もう。何がなんだか、分からない……!

 どうかしてしまった自分は、彼女の言葉で一瞬だけ力を緩めてしまった。

 

 ――と、その瞬間だった。

 

「私は、上るの。ここから更に、上へ――」

 

 手首が締め付けられる感覚。突如として強い力で彼女に掴まれたアタシは、咄嗟にそれを振り解いて後ろへ下がっていく。

 抱えるラルトスが、ひどく怯えていた。胸の中で今までに無いくらいに身体を震わせたそれを受けて、アタシは「どうしたのラルトス!?」と声を掛けていく。

 

 しかし、ふと視界に入ったドス黒い波動に気付き、崖から離れるようその場から飛び込んで緊急回避を行った。

 

 ――――ッ!!!! 破壊される足場。つい先ほどまでいた場所は、ドス黒い波動の一撃で粉々に吹き飛んで湖へと落ちていく。

 

 そして、アタシは彼女へと見遣った。

 

 ……彼女を、見遣った。

 

 …………いや、彼女は、何処——!?

 

『邪魔ヲ、スルナ』

 

 影が実体となったかのような、二足の黒い生物。赤色の長いタテガミを結った人間らしい見た目とは相反する、紅に染まった目元と手足の爪。

 神秘の加護を纏いし湖の隅。そこで展開されていたのは、目の前の黒き幻獣から放たれる漆黒と鮮紅のオーラ。これが妖しく幻獣の周囲を漂っていると、次第と範囲を広がったそれで、アタシらの退路を塞いでくるのだ。

 

 ……なに、なんなの、これ!? ポケモンなのかどうかすらも怪しい眼前の存在を前にして、アタシはバッグから取り出したモンスターボールからサイホーンを繰り出していく。同時に”ソレ”が禍々しい雄叫びをあげていくと、次にもアタシは、襲い掛かってきた『ソレ』との戦闘へと突入したのだ――――



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VS???

『邪魔ヲ、スルナ』

 

 影が実体となったかのような、二足の黒い生物。赤色の長いタテガミを結った人間らしい見た目とは相反する、紅に染まった目元と手足の爪。

 

 神秘の加護を纏いし湖の隅。そこで展開されていたのは、目の前の黒き幻獣から放たれる漆黒と鮮紅のオーラ。

 ……なに、なんなの、これ!? ポケモンなのかどうかすらも怪しい眼前の存在を前にして、アタシはバッグから取り出したモンスターボールからサイホーンを繰り出していく。同時に”ソレ”が禍々しい雄叫びをあげていくと、『ソレ』はアタシらへと襲い掛かってきたのだ。

 

「ちょ、っと――なに、なんなの! てか、あの人は、何処に!?」

 

 ただでさえ理解が追い付かなかったのに、そこへ畳みかけるように突如と姿を現した幻獣。『ソレ』は両手からドス黒い波動を溜め込むと、大きく振りかぶった両腕で地面を叩き付けるようにこちらへ攻撃を仕掛けてくる。

 地鳴りで足元が揺らぐ衝撃。アタシがよろけながらもサイホーンにドリルライナーを指示して側へ回避させるのだが、サイホーンが行動を終えた時にはすでに、『ソレ』は次なるわざを放ってきていたのだ。

 

 『ソレ』の身体は、振り子のように左右へ揺れ始める。力を抜いて動き出したかと思えば、それは残像をつくり出すと共に地面を沿いながらサイホーンへ接近し、瞬きよりも素早いこの高速移動によって、距離を詰められてしまう。

 アタシが指示を出す暇さえも与えない。刹那を描いたその軌道から繰り出された『ソレ』の突きがサイホーンに直撃し、それを受けたサイホーンが後方へと吹き飛ばされる。

 

 さらに追撃として高速の移動を果たした『ソレ』。再び両手からドス黒い波動を生み出していくと、空間を蝕むかの如く波動が一気に凝縮され、大気をも揺るがす強力な衝撃をサイホーンへと浴びせてきたのだ。

 

「サイホーンッッ!!!!」

 

 ――ヤバい。一目で分かる。このままでは、サイホーンが殺される。

 

 まず、わざの当たり方が尋常ではなかった。頭上から叩き込まれたわざが大気を破り、この衝撃を脳天から食らったサイホーンは成す術もなく地面に埋め込まれる。

 さらに、トドメと言わんばかりの突きを繰り出そうとしていた。アタシはこれを本格的にまずいと察し、ラルトスをその場から逃がしながらアタシ自身が『ソレ』へと飛び掛かる。

 

 だが、敢え無く振り払われた。素の力が有り余っているのだろう。アタシが引っ付くという寸前で払ってきたその腕の、そこから生じた空気でアタシはいとも容易く吹き飛ばされてしまったのだ。

 

 崖ギリギリを転がるアタシ。一歩でも下がれば湖に落ちるというこの窮地で、サイホーンを急いで見遣る。

 

「サイホーンッ!! すてみタックル!!」

 

 アタシへと向いていた、『ソレ』の意識。これを隙と見たサイホーンが力を振り絞って全力の突進を繰り出した。

 だが、すでに『ソレ』は姿を消していた。気付けばサイホーンの全身を覆う影。さらにスピードを増している『ソレ』の動きに目が追い付かず、アタシもサイホーンも、目の当たりにした圧倒的なる力の差に、ただただ無力となるばかり――

 

 サイホーンの身体が歪み出す。それは瞬時にして張り裂けるほどの歪みへと変化して、サイホーンの身体が、捻じれるように左右へと伸び始めたのだ。

 千切れる……――!! サイホーンの姿にアタシは泣きながら「やめてェッッ!!!!」と叫ぶのだが、その歪みによって伸びた空間が、伸ばされた輪ゴムの要領で縮まると、その衝撃を受けてなのかサイホーンが上空へ打ち上げられるように吹き飛び始めたのだ。

 

 ……なに? なにが起きているの……!?

 無力な自身に、ただただ泣きながら眺めることしかできない目の前の現象。今も上空から降りかかるように両腕を上げた『ソレ』の姿。手にはドス黒い波動を妖しく光らせており、打ち上げられたサイホーンが、力強く叩きつけた衝撃波による真っ黒な歪みと共に地面へ落ちていく――

 

 ――ピクリとも動かない。白目を剥き、立ち上がる様子も見られないサイホーン。

 そして、サイホーンの変わり果てた姿の目の前に降り立つ漆黒の『ソレ』。鮮紅の髪と紅の模様、鮮血のような手足の爪をギラりとアタシへと向けてから、こちらへ飛び掛かってくる……!!

 

「……!!!!」

 

 アタシに覆い被さる『ソレ』の影。雲を貫く陽の光さえも見えなくなったこの視界の中央からは、迫る『ソレ』の悪魔の如き形相と、アタシを守るべく飛び込んできた、ラルトスの姿。

 

「ラルトス……ッ! ダメ、あなたまで……。あなたまでいなくなったら――」

 

 お願い、やめて。

 

 心から願った、この言葉。

 

 目を瞑り、泣きじゃくりながら。アタシは、前に出したこの両手が、誰に触れることもなく、感覚で空を切ったことを理解する。

 

 掴むことができなかった。アタシが望んだことが、ことごとくと空振りしていった。

 

 ……イヤだ。イヤだよ……こんなこと……。

 

 

 

 受け入れ難い現実に嘆いたあの日。もはやとうに忘れたつもりだった悲しみの感情が、アタシの中を走馬灯のように駆け抜ける。

 

 逃走。迷走。敗走。どれも、生きている中でずっと走り続けてきたこの道のり。アタシは、これらの道のりを辿ることに慣れていた。

 

 しかし、そんなアタシが今まで避け続け、生きる上で一番恐れてきた、いずれ自身が行き着く終着点。

 

 ――無。何も無い、何も残っていない、空っぽを抱えて眠る現実。

 

 言葉にならない声でそれを嘆き、同時にアタシは自分の終わりを、予感した。

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、照明が眩しい天井を見上げていた。

 

 いや、アタシは仰向けになって、寝ていたのだ。

 ……ここはどこだろう。目にした光景に理解が追い付かない今でも、この身体はベッドの温もりで暖を覚え、着用している衣類は、ゆったりとした水色の寝間着。伸ばした足や腕には、治療が施された後の包帯やらがぐるぐると巻かれている事実に気が付いて、アタシは自身が置かれている状況を何となく察することができたものだ。

 

 ――いや、違う!!

 

「サイホーン!! ラルトス!!」

 

 慌てて立ち上がったアタシは、急いでここから出ようと駆け出そうとした。

 しかし、思うように動かなかった身体がベッドの上で転倒し、頭から落ちていった。この音で周囲は気が付いたのだろう。慌てる足音がこちらに駆け寄ってくると、「大丈夫ですか! 落ち着いてください!」と数名の医者になだめられ、アタシは混乱した思考のまま、彼らの話をしばらく聞いていた。

 

 結論から言ってしまえば、今アタシはオオチョウ山の宿泊施設にいる。それでいて、アタシのラルトスとサイホーンは無事だ。どちらもひんしを負った状態で運ばれてきたものだが、この施設にあるポケモンセンターで治療を受けたことで、今は元気を取り戻しているということだ。

 

 それから、アタシはいつもの服に着替えてラルトスとサイホーンの迎えにいった。そこでは元気になった二人がアタシへと駆け付けてくれて、アタシもこの子達の無事を知ってからというものの、安心感のあまりに倒れ込んでしまった。

 

 またしても迷惑をかけながら、個室に運ばれてこの日は身を休めたアタシ。それから次の日になって詳しい事情を聞いた時、アタシはとても信じられなかったというか、本当にその話を信用してもいいのか、と思いながらその一部始終を知らされた。

 

 ……ラルトスを抱きながら、施設に預けていた自転車を引っ張り出してそれを押していく。

 乗らずに徒歩で移動するのは、周囲にも観光客やらがいっぱいで運転するのが危なかったからというのもあったが、それとは別に、アタシには他の用事ができており、その用事が、別に自転車に乗るまでもない距離で済ませることができたものであったからだ。

 

 オオチョウ山のレストラン。この山で採れた新鮮な山菜を楽しめるという、家族で賑わいを見せていくこの場所で自転車を停め、アタシは中へ入って席を探していく。

 席を見つけるのに、それほど時間はかからなかった。これを見つけるにあたっての目印を、アタシはすでに知っていたからだ。

 

 白色のポニーテールを揺らし、ストローでメロンソーダを飲んでいるクールな女性。彼女もこちらの視線か気配に気付いたのか、ふと振り向いてきて、おいでおいで、と手招きしてくる。

 

 ……。警戒心マックスな顔で彼女を見ながら、アタシは抱えたラルトスをいつでも逃がせるようにしながら彼女と相席した。

 

「……アタシ、まだ疑ってるから」

 

「えぇ、だから人目につくこの場所を選んだの。そうすれば、万が一私が本性を露わにしても、貴女は他の人に助けを求めることができるから。また同じような目に遭ったとしても、少なくとも昨日のような絶望までは感じないと思うわ」

 

 そう言って、メロンソーダをチューっと吸っていく彼女。その顔こそはクールビューティで美しい造形を象ってはいるものの、彼女の本性を知ってからは、これがただの化けの皮にしか見えない。

 

 すごい訝しげな視線を向けていく。アタシの表情も、それがモロに出ていたのかもしれない。彼女は反省の色とも見て取れる申し訳なさを見せながら、メロンソーダを脇に退けてそれを喋り始めたのだ。

 

「まず、昨日はごめんなさい。あそこまで派手にやってしまった理由は色々あるのだけれども、私は決して、あの場で貴女達を殺そうというつもりはなかった。貴女達を殺すつもりであったのなら、みんなを気絶させたあとにわざわざ、ラルトスとサイホーンを貴女のモンスターボールに戻してあげてから、貴女を施設に無事に送り届けたりなんかしないわ」

 

「……で、そうやってイイ人ぶってから、後ろからガブッとするんでしょ」

 

「そう思われても仕方ないよね。だから、そう思ってもらっていいわ。これは、私が貴女にそう思われてしまうことをしてしまった、私のせいでもあるから。――ただ、私には本当にこれ以上、貴女達に害をなすつもりなんてない。これだけは伝えておくわ」

 

 両腕をテーブルにつけて、アタシと真正面から向き合う彼女。

 ……クールビューティであると同時に、なんだかミステリアスな雰囲気もまとっているから、なんかそんな害をなす気持ちが無かったとしても、こう、どこか身構えてしまうようなものがあるというか。

 

 と、彼女はアタシが今も向けてくる不審な目に、信用を得ようとそれを口にしてくる。

 

「私の名前は、『ユノ・エクレール』。ちょっと長いからユノでいいわ。よろしく」

 

 そう言うと、ユノ・エクレールと名乗った彼女は手を差し出してきて、可憐に笑んでみせたのだ。

 

 …………。疑わしい。疑わしい。けど、なんか……嘘を言っているような顔には見えないんだよね――

 

「……ヒイロ。アタシは、ヒイロ。よろしく……」

 

 ムスッとしながら、アタシも手を伸ばして握手を交わしていく。これにユノさんは安堵のような表情を見せながらしっかり握手をしてくると、この場は奢るから、あとで歩きながらでもアタシに襲い掛かった詳しい理由を話したいと思っている、と彼女は言ってきたのだ。

 

 ……いや、怖い。けど……やっぱりなんか、その表情は嘘を言っているように見えない。そのことから、まあ人がいっぱいいて、周りがいつでも助けてくれるっていう状況の中であれば、話を聞かなくもないけど……。なんて答えた。

 

 すると、ユノさんは「ありがとう」と、可憐を越えた純粋無垢な笑顔を見せてきたのだ。

 ――なんか、調子が狂う。ムスッとしたアタシは何とも言い難い気持ちに苛まれながらも、せめてもの仕返しとして、この店で一番高いメニューを頼んでユノさんに奢らせてやったのだった。



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ユノ・エクレール

 そのお店で一番高いメニューに留まらず、奢る本人から促されて美味しいクレープも買ってもらったオオチョウ山の山道。

 昼前の時刻ということで、この日も多くの登山客や観光客で賑わいを見せるこの広場。これだけの人達がいれば、万が一彼女に襲われたとしても、アタシは誰かに救われることだろう。

 

 今もアタシの横では、その女性が歩いていた。彼女は目についた屋台に端から興味を示し、高身長でクールビューティな雰囲気を醸し出しながらも、白色のポニーテールを犬の尻尾のように揺らしながら屋台へと駆け寄っていくのだ。

 

 そして、気さくに店員へと話し掛けていくフットワークの軽さ。オオチョウまんじゅうという食べ物が売っていればそこへ駆け寄って、シナノ岩石という観光名所が視界に入ればそこへ吸い寄せられて、次々と目撃した物へと呼び寄せられるようにフラフラと移動していく彼女に、気付けばアタシと抱いているラルトスが、彼女の付き添いをしているような感じになっていた。

 

「ヒイロちゃん! ラルトス! これ見てよ!! メガネにヒゲが付いてる!!!!」

 

 そう言って、彼女はヒゲメガネを着けながらこちらへ振り向いてきた。

 いやいやいや、恥ずかしいからやめてよ……。なんて内心が顔に表れていたのだろう。そんなアタシの様子も彼女は面白そうにしながら、ちょっと目を離した隙に違う屋台へと移ってまたなんか手に取ってる。

 

 ――彼女は、『ユノ・エクレール』と名乗っていた。レストランを出てからオオチョウ山を歩き、あらゆるものに興味を示していくユノさんについていくこと一時間。ようやくと好奇心が収まってきたのか急にクールな佇まいを始めた彼女は、ふと思いついたかのように、アタシへとそれを言ってきたのだ。

 

「それで、貴女を襲ってしまった理由よね。立ち話もなんだから、どこかで座りながら話しましょう? 美味しいものを食べながら!」

 

 と言ってから、オオチョウ山の溢れ出す湧き水で造られた噴水の、その近くのベンチで腰を下ろした。手に持つ棒付きの大きなお肉を食べながら……。

 

「アタシ、いつでもラルトスでテレポートできるようにしておくから。もぐもぐ……」

 

「えぇ、構わないわ。はむはむ……」

 

 シリアスなその空気の中、二人で肉を食べていくジューシーな光景。なんだかこの場にそぐわない行為ではあるものの、すぐにも話を始めてきたユノさんの言葉に耳を傾けていく。

 

「まず、釈明をするにあたって、貴女に訊ねたいことがあるの」

 

「何なの?」

 

「そんな身構えなくてもいいわ。ただ――貴女達がどれくらい知っているかを、ちょっと訊ねさせてもらうだけだから」

 

 そう言うなり、こちらへと身体を向けてくるユノさん。

 

「“ルイナーズ”って、聞いたことある?」

 

「るいなーず? なにそれ? 呪文?」

 

「ん、じゃあ次」

 

 肉に一口つけていくユノさん。彼女が食事をしていると、口元についたお肉の油でさえもなんだか艶めかしく見えてきて、アタシはどこか話に集中できない。

 

 ……ちょっとお茶目な感じもするこんな人が、本当にアタシを本気で襲ってくるもんなのだろうか。なんて、疑っていた今までの気持ちが、わずかながらも緩んできてしまっていることを自覚しながら話を聞いていく――

 

「“マサクル団”って、聞いたことあるかな?」

 

「まさくる団? それも知らないけど」

 

「そっか、じゃあ次」

 

 アタシのお肉に、ラルトスは手を伸ばしていく。食べたいのかな。それを思ってお肉をラルトスに与えると、ラルトスは小さな手で持ちながら、もぐもぐと食べ始めていくのだ。

 感情を読み取ることができるラルトスが、ユノさんを前にして食事も始めていった。ラルトスも今までずっと警戒をしていたというのに……。

 

「“ギンガ団”って、知ってる? シンオウ地方で一時有名になってたんだけど」

 

「ギンガ団? ううん、それも知らない」

 

「おっけー。……」

 

 一通りの質問は終わったのだろう。少し考え込み始めたユノさんの表情は、とても真剣で、まるで言葉を選んでいるみたい――

 

「正直、貴女の返答に私は驚いてる」

 

「何を驚いたの?」

 

「なおさら、私は貴女達に謝らないといけない。まさか全く無関係の女の子を、私は勝手に疑ってかかってしまったものだから。本当にごめんなさい。私はあの時、試されている、と思ったの。今までに何度も見てきた光景だったから、今回もきっとそうなんだろうと思って、貴女達の力量を測るために本気で攻撃した……」

 

「ちょっと待って。アタシ、話がよくわかってない。無関係って、何と?」

 

「それこそ、貴女達には無関係の話。これ以上のことを知ったら、貴女達は消されるわ」

 

 …………?

 もっと分かんなくなった。ユノさんの言葉が意味深すぎて理解に至らず、ただハテナマークばかりを浮かべるアタシの顔を見て、ユノさんはむしろ、安心したと言わんばかりに表情を緩めていくのだ。

 

「ごめんなさいね。でも、もう大丈夫。貴女達はこれからも今までのような旅を続けて、もっともっと、たくさんのいろんなものを見てきてね。――じゃあ、貴女には私と関わる意味も無くなったから、私はこれで行かせてもらうわ」

 

 と言って、ユノさんはおもむろに立ち上がってアタシから去ろうとしたのだ。

 ユノさんは食べ終えたお肉の棒をゴミ箱に捨てると、アタシに背を向けて足早に歩き出す。これでアタシも本来なら無言のまま見送れば良かったんだろうけれど――

 

「ねえ!! ちょっと待ってよ!!」

 

 アタシの言葉で振り返ってくるユノさん。こちらはこちらでラルトスを抱えながら立ち上がり、若干ムスッとしながらもアタシは言葉を続けていく。

 

「話が一方的すぎて、アタシ納得いかないんだけど。で、結局あなたはどうして、アタシを襲ったの? それを知りたくて、ここまで付き合ったんですけど!」

 

「いい、ヒイロちゃん。世の中には、知らなくても良いことがあるの」

 

「でも、襲われた本人がまだ納得してないんですけど。アタシが納得するような、もっと具体的な話をしてくれるのを待ってたんだけど? こちとら、死ぬかもしれないってくらいに怖い思いをしたんだから、加害者のあなたはその分、アタシが納得するような誠意を見せなきゃなんじゃないの?」

 

 こう見ると、アタシの考えはひねくれていたかもしれない。

 でも一方として、やっぱり彼女をこのまま行かせてはならないような気もして……。アタシは自分らしくもない調子でユノさんを見つめていくと、少しして彼女は観念したかのように息をつき、こちらに戻ってきた。

 

 そして、耳元でそれを口にしてきたのだ。

 

「私と長く関わると、貴女とポケモン達が命を狙われる。怖い大人達に目をつけられたくないでしょ? だから、手短に話すわ」

 

「話の内容次第、だけどね。アタシにとって、あなたの言う命を狙われるとかどうとかの話も疑ってんだから」

 

「分かったわ。話せる範囲でお話しするから、場所を変えましょう」

 

 アタシの背を押すように歩き出すユノさん。噴水という公共の談笑が交わるその環境から逃げるように立ち去ると、アタシらは何も無いし誰もいない広々とした山の空間で立ち止まった。

 

「ここで、小声で話しましょう。こうして周囲が開けていれば、隠れて盗み聞きされにくいし」

 

「どうしてそんなに周りを警戒するの?」

 

「私が、そういう立場に置かれているからよ」

 

 真顔で答えるユノさん。これまで一度も見せてこなかった、こちらを突き放すような冷たい調子にアタシは口を噤むことにした。

 

 ――木々が風で擦れて音を立てていく。ガサガサと環境音のみが響き渡るこの空間の中、しばらくと耳を澄ませていたユノさんは、周囲のそれらに他の存在がいないことを感じ取ると、腹部付近で腕を軽く組みながら、彼女はそんな話を始めてきたのだ。

 

「あの時、貴女達に覚悟があるのかを試したの。どんな局面に立たされても動じないような、いつ迎えるかも分からない死と向き合い、恐怖を凌駕することでどんなに敵わない相手が立ち塞がろうとも、決して諦めず食らいつけるような。自分やその仲間達が傷つき死んでいく現実に耐え切ることができるだけの力を持っているのかを、私はあの時に試していたの」



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見張り

「あの時、貴女達に覚悟があるのかを試したの。どんな局面に立たされても動じないような、いつ迎えるかも分からない死と向き合い、恐怖を凌駕することでどんなに敵わない相手が立ち塞がろうとも、決して諦めず食らいつけるような。自分やその仲間達が傷つき死んでいく現実に耐え切ることができるだけの力を持っているのかを、私はあの時に試していたの」

 

 死と向き合い? 恐怖を凌駕する? 死んでいく現実……?

 昨日見た『クロベ湖』の光景から、理解が追い付かないことばかりでアタシは混乱していた。しかも感覚的にヤバいと感じ取ったあの場所や幻獣との戦闘だけならず、今日はそのヤバいという感じが、言葉で直に伝えられていたような気がしたものだから。

 

 それが理由だったのだろう。ユノさんはこれを話すと一通り終えたように区切っていく。だが、さらにそこへ言葉を付け加えていったのだ。

 

「でも、戦闘してみて分かったの。貴女達は、違うってこと。何の関係も無い通りすがりの旅人だってことは分かったのよ。ただ……一つ、気になったことがあって」

 

 アタシをじっと見つめてくるユノさん。

 

「あの時どうして貴女は、私を呼び止めたの?」

 

「え?」

 

 フラッシュバックする記憶。あの雪山で彼女へと駆け寄ったアタシ。その服を掴んで足止めしていると、彼女は掴むアタシの手に自身の手を絡ませてくるのだ。

 『貴女、何のつもり?』訊ねる彼女に対してアタシは、『分からない……! 分からないけど……あなたをこのまま、行かせてはならない気がする……!!』と訴えかけていく。

 

 意識が戻ると、そこで佇んでいたユノさんが、アタシへと歩み寄っていた。

 

「本当に、そこに根拠は無かったの? 理屈は? 私は遭難している人間かもしれないから、ラルトスのテレポートであれば私を助けることができる。だから、あんな必死になって呼び止めていたの?」

 

 ラルトスを抱くアタシの手に、彼女は手を絡ませてくる。

 

 色白の肌から感じられる、わずかながらの温もり。冷え切ったような色合いから伝わってくる温かな感触が、彼女もまた生きていることを思い知らせてくるのだ。

 

「アタシは……。分からない。あの時、どうしてあんな必死にあなたを呼び止めていたのかが、分からない。でも、ほんと、あなたをこのまま行かせてはならない気がした。ただ、それだけ……」

 

「…………」

 

 絡めた指を、するすると離していく。次にラルトスの頭を撫で始めたユノさんは、とても穏やかでありながらも、今までとは異なる雰囲気でそれを訊ね掛けてきた。

 

「今も、そう思う?」

 

「え……?」

 

「私を、このまま行かせてはならないかも、って」

 

「……何となく、思う」

 

「そっか。――その直感、間違ってないかもね」

 

 ……?? アタシに背を向けて、少しばかり離れてから、ユノさんはどこかへと右手を差し伸べるような動作を行った。

 ――瞬間、空間に伝った邪悪な波動。昨日にも見たドス黒いそれと酷似していたため、アタシは一気に跳ね上がらせた心臓を鳴らしながらラルトスを抱きしめて、身構えていく。

 

 影が実体となったかのような、二足の黒い生物。赤色の長いタテガミを結った人間らしい見た目とは相反する、紅に染まった目元と手足の爪。先ほどまで佇んでいたユノさんがそれへと変貌して、目の前に存在している。

 ……また出てきた!! アタシは恐れながらも堂々と立ち向かい、『ソレ』を睨んでいく。『ソレ』もまたアタシとラルトスを見るなり、不敵に笑みを浮かべながら、一歩、また一歩と近付いてくるのだ。

 

 ――すごく、怖い。けど、今のアタシは、昨日の自分じゃない……!

 睨み合いが続く中、アタシの闘志は次第と湧き上がってきた。何なら、サイホーンに頼らなくても、お望みならアタシ自身が相手してやろうじゃないの!! 若干怒りにも近しいその感情に感化されたラルトスもプンスカと怒った顔で『ソレ』と対峙していく。

 

 この状況がそれなりに続くと、アタシとラルトスも削がれてきた気力で疲れの顔を見せてしまう。

 と、その瞬間にも『ソレ』は、そっぽを向いてどこかへと歩き出したのだ。――陰から、ユノさんの姿を露わにしながら。

 

「ユノさん……!?」

 

「何を驚いているの?」

 

「え、だって――ユノさんが、二人? え?」

 

「いいえ、私は元から一人よ。私も、“この子”みたいな変幻自在に変身できる能力があれば良かったのにな」

 

 そう言うと、自身の傍に来た『ソレ』の頭を撫で始めたユノさん。それでいて、彼女に撫でられると一変、悪魔の如き『ソレ』の顔は、飼い慣らされた小動物のような明るい笑みを見せてきたのだ。

 

「『ゾロアーク』。私の相棒よ。ずっと昔から一緒についてきてくれていて、私と共にいろんな世界を飛び回ってきたわ。他にも私には仲間達がいるけれど、ゾロアークは私の活動にピッタリな体格や能力を持っていて、こうして常にモンスターボールの外に出てもらって働いてくれているの」

 

 ゾロアーク? ユノさんとそのポケモンの様子を見てからというものの、アタシは一気に抜けた力でへなへなっと座り込む。

 ペタンとついた尻。そんなこちらにユノさんは申し訳なさそうに微笑を見せて、アタシへと手を伸ばしてきた。

 

「どこかへ行かないよう、私を見張ってみる? ――いいわ。貴女が望むなら、私はしばらく、貴女の付き添いをしてあげる。今も私にその、言葉にならない不思議な気持ちを持っているのならば、私にこの世界を案内してよ。私としても、何処も知っている場所なのに目新しいものばかりでさ。貴女のような、元からいるガイドさんが傍に居てくれた方が、私も色々と知りながらこの世界を旅できるから」

 

 純粋無垢の微笑みを浮かべるユノさん。

 アタシは、伸ばされた手を掴んだ。掴むとアタシを立ち上がらせてくれたユノさんは、アタシの服についた砂埃やらを手で払ってくれていた。

 

 ……見張るだなんて、そんな。やっぱりアタシ、この人のことサッパリ分からないかも。

 セリフの数々にも何か違和感があって仕方が無い、謎に満ちたクールビューティ。昨日の出来事は出来事だったけれど、やっぱり普段そんなことをしているような人には見えないし、むしろ、そんな強い人が常に居てくれるのであれば、自衛にもなるし、サイホーンを鍛えてくれるかもしれないし……。

 

 アタシは、色々考えた。そして――

 

「――じゃあ、見張る。アタシ、あなたのこと見張るから。だから、勝手にアタシの傍からいなくならないでよ……?」

 

「おっけー。よろしく、ヒイロちゃん」

 

 イェスの返事と共に、彼女から出された清々しい手。アタシは少しだけひねくれた気持ちでそれを掴むと、お互いに強い握手を交わし合った。

 なんとも不思議な縁で、旅を共にすることとなった不思議な女性、ユノ・エクレール。正直それを仲間と呼べるかは分からない位置にいる彼女だが、少なくとも、この旅の中で彼女から危害を加えられるといった出来事は起こらなかったものだ。



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ショウホンシティ

 オオチョウシティ地域に属する連峰、オオチョウ山。そこを出発したアタシは自転車を軽快に走らせて、二つ目のジムがある街『ショウホンシティ』を目指していた。

 

 ショウホンシティへ近付くにつれて増えてきた、古風で美しい景色の数々。山の国と言うには珍しく周囲に山が見られないこの一帯には、人工的に整えられた植林と、複数に渡る大きな池。それらを繋ぐ赤い架け橋は和風を思わせる造りとなっていて、この上を自転車で駆け抜けるだけでも爽快感マックスでめちゃくちゃ楽しい!

 

 さらに進んでいくと、一面の池という海と見間違えるほどの大規模な水域と、それらに浮かぶように点在する陸上という光景。陸上には街であったり観光用の古風な建物が並んでいたり、陸上に限らず水上にも鳥居や楼門に、沈んだ神社のような建物を足場にする人々といった様子が見られるのだ。

 

 遥か先へと続くこの景色だが、これは飽くまで一つの地域の、一部分。アタシが目指すジムはもっともっと奥にある陸上に存在しているため、この水域に満たされた歴史的かつ広大な光景も、通過点に過ぎないのだ。

 とはいえ、休憩も大事だ。アタシは走らせる自転車で橋の前の門をくぐって『ショウホンシティ』に到着すると共に、どこもかしこも池というこの空間の中で、休める場所を求めて街に入る。

 

 自転車のカゴに入っているラルトスも、初めてのショウホンシティの景色に興味津々といった具合で見渡していた。

 良かったね、ラルトス。ラルトスは意外といろんなものに興味を持つから、こういった新しい発見をものすごく楽しめる、感受性豊かな性格をしていたものだ。――それと、ポケモンではないけどもう一人、とても似たような反応をする人がアタシの後ろからついてきているものだが……。

 

「ヒイロちゃん!! すごいわ!! あの建物、縦長の円形をしていて大きいホールケーキみたいだわ!! 色合いも白色で、美味しそうね!! 内装は一体どうなっているのかしら!? ――あぁヒイロちゃん!! あのレストラン、船の上にあるわ!! 川や海の上でなら食事したことあるけれど、池の上でランチだなんて一度もしたことないわ!! ぜひとも寄ってみたいわね!! ……あぁぁ!! ラルトス! あれ見て!! なんて面白い形をした石碑なの!? おまもりこばんをそのまま石にしたような!!!!」

 

「分かったからユノさん落ち着いて!!!! 周りから注目されて恥ずかしいから!!」

 

 アタシの後を追従するように自転車を走らせるユノさん。辺りの景色に目を光らせながら歓喜のままにこちらへと報告してくるのだ。

 その好奇心はラルトスに負けず劣らず。だからなのかラルトスとは意外と仲良くやれていたものだが、それにしてもこの人、黙っていれば美人なのに……!!

 

「ユノさん聞こえる!? 水上レストランで休もっか!?」

 

「いいの!? 私は見張られてる関係で貴女についていくことしかできないから、貴女の判断に全て委ねているから無理強いできないから!!」

 

 と言いながらユノさん、よくぞ切り出してくれましたと言わんばかりのテンションで、口早にそれらを言ってくる。

 全くこの人は……。とんでもない拾い物をしちゃったな、なんて思いながらアタシは水上レストランへと方向を変え、今もうるさいユノさんを連れながらそこでランチをとったのだった。

 

 

 

 陽が暮れ始めた夕暮れの時刻。黄昏は池に照らされて、それが水面に映し出されると煌びやかに反射されるのだ。

 宿をとったアタシは、その屋上で景色を眺めていた。前のめりになりながら手すりに腕を乗せているアタシは、今も横にいるラルトスがボーッと眺めている姿と、足元でじっとしているサイホーンの二匹に囲まれて佇んでいる。

 

 ……やっと到着したショウホンシティ。どうやらこの地域、シナノ地方の中でも三本の指に入るくらいの広さを誇るため、今いるこの場所も、広大な土地のその一部に過ぎないということなのだ。

 移動距離が長くなる、なんて考え方をしたら途方が無さそうだけど、探検できる範囲が広い、と考えれば一気にやる気が漲ってくるというもの。もちろん二つ目のジムに挑戦はするけれど、その間にも観光くらいしても構わないよね、なんて思いながら、アタシはバッグからスマートフォンを取り出した。

 

 ――ピピッ、パシャッ。写真のセンスはパパ譲りで皆無に等しいけれど、こんなに綺麗な景色なのだ、いくら下手でも味のある写真としてしっかりと映えるハズ。

 そんなアタシが撮影した写真が、夕暮れの金色が若干と逆光になっている、光り輝いているハズの水面が少し黒くなっているのと、隅っこにはラルトスの角が半端に写っているというオマケ付き。うん。我ながら良いセンスだ。それを思って十分に納得しながらアタシはパパにそれを送り、元気にやってますアピールをしてボーッとした。

 

 ……ハクバビレッジに来る前も、遭難したりして大変な目に遭ったものだ。そして今回も、不思議な体験というか、不思議な出会いをして、なんだか世界の深淵をちょっとだけ覗いたかのような遭遇を果たしたものだ。

 

 旅をしていると、いろんなことがあるな。密度の濃い毎日にアタシは神経をすり減らしながらも、自分なりになんとかやっていけてると自分を褒めて頷いていき、アタシはラルトスを抱えて、サイホーンを連れながら個室へと戻っていった。

 

 

 

「ゾロアーク、状況は?」

 

 月の光が発展した街に映える、十四階建ての大きなビルの屋上。チラチラと灯る街並みの明かりも遠いその場所で、一つの人影は風に吹かれながら佇んでいた。

 宵闇から舞い降りた、人型のソレ。音も無く着地して彼女に近付くと、持っていた石を手渡していく。彼女もそれを受け取ると、月の光へとかざしながら言葉を口にした。

 

「さすが、カンが冴えてる。やっぱり、あるとしたらショウホンシティね。取り敢えず“此処”も同じで良かった。今回はどの地方も今までと異なる文化だったり建物の配置だったりで新しいことばかりだったから、『コレ』もいつものようにショウホンシティで見つかるなんて正直あまり期待していなかったの。……ゾロアークもそうだって? やっぱそうよね」

 

 お尻のポケットから取り出した、小ぶりのイヤリング。風に吹かせたポニーテールと赤いタテガミが見守る中、彼女はそのイヤリングに先ほどの石を嵌めて、慣れた手つきで耳に着けていった。

 

 ――キラリと光る、石の入ったイヤリング。その後にも、赤色と黄色のラインが豪華な印象を与えてくる黒色のモンスターボールを取り出すと、それを傍にいるポケモンと眺めながら、彼女は低い声音で呟いた。

 

「これで、前の場所で破損してしまったキーイヤリングは直った。メガシンカも使えるようになったから、あとは“彼”の痕跡を辿るだけ。――今回こそは、絶対に食い止めないといけないわ。これまでの中で“彼”も学んできているから、おそらく次は無いと考えた方がいいかもね。……たった一人の身勝手な行いで、目の前のあらゆるものが滅んでいく。しかも、“此処”もそれと同じ末路を辿ったその時は……ゾロアーク、私達も“彼”の世界の一部となるのよ。そうなってしまったら、もう私達でどうこうできる問題ではなくなってしまう。この最悪な末路に達したら、全てが無へと帰したその空間の中できっと、“彼”とアルセウスが最後を賭けた戦いを繰り広げるのかもね――」



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此処

 大きな池が特徴であるその一帯を抜けると、その先にもアタシを待ち構えていたのは、二つの姿でそれぞれ異なる発展をしてきたのだろう二つのショウホンシティが現れた。

 

 一つは、シナノシティ並みにビルや建物が建ち並ぶ、大都市に近しい発展途上の姿。見渡すと仕事に勤める服装の人々が多く行き来しており、生息するポケモンも、マルマインやバリヤード、エリキテルやギアルなどの、街という雰囲気に適合したポケモンが多く見られたものだ。

 

 一方で、その街並みと隣接する形で存在していたのは、和風とも呼べる大きな城を中心とした、古くからの伝承を引き継いできた古き良き街並みという姿。和服を身に纏う人々は他の地方からやってきた観光客であったりと、遥々からシナノ地方へと訪れた新鮮味に溢れる人達が多く見受けられる。生息しているポケモンも、マッギョやヌオー、ハリテヤマやオドリドリといった、ひと昔前という印象に当て嵌まるようなポケモンが多く見られた。

 

 そして、アタシが目指すショウホンシティのジムは、この古き良き姿にあった。今も熱気が巻き起こる大歓声の波は、ようやくと建物が見えてきたという距離から聞こえてくる。今も多くのジムバッジを入手し、数多の試練を乗り越えてきた熟練の者達による白熱のポケモンバトルが繰り広げられているのだろう。アタシはやっと二つ目という遅れを取りながらも、順番の予約をするためにその手続きを行ってきた。

 

 アタシがラルトスを抱えながらショウホンシティジムから出てくると、入り口でクールに佇んでいたユノさん。腹部ら辺で軽く組んだ腕組みでこちらを見遣ると、軽く手を振ってアタシへと歩み寄ってくる。

 

「ジム、挑めそうかしら」

 

「ううん、二日は待たないといけないっぽい。でもね、ジムチャレンジが始まってそれなりに経ったから、リタイアした人達もそれなりにいるし、最初の頃よりもだいぶ待たずに済みそう」

 

「そう。それじゃあ、今の内に万全な準備をしておかなきゃね」

 

「アタシ、ユノさんにも手伝ってもらうつもりでいるから」

 

「うんうん。じゃあ、訓練の前にまずは腹ごしらえかしら。――あっちの方に、とても美味しそうなおにぎり専門店があったの。具材にフィラのみを使ったおにぎりもあるみたいで、その辛味とお米を組み合わせるだなんて、すごく珍しいなって思っていたところなのよ」

 

「なんだ、結局アタシにそこへ向かわせたいだけなんじゃん」

 

「お腹が減っていては、満足のいくポケモンバトルもできないわよ?」

 

「はいはい、行きますよーだ」

 

 ユノさんを連れておにぎり専門店へと向かっていくアタシ。後ろからついてくる彼女の存在も、この旅においてはだいぶ馴染んできていたものだ。

 未だに不思議が多い人物ではあるけれど、一方で傍に居てくれると、すごく安心する。何だかんだで心を開いていたのだろうアタシは、気付けばユノさんに自由な行動も許していた。

 

 ……だからこそ、アタシはこの時にも知ることがなかった。ユノさんという人物が、アタシを含めた誰の目にも留まらないよう密かに行動していた、彼女が暗躍するに至るその理由を――

 

 

 

「ユノさん、行ってくるね!! アタシのサイホーンで、二つ目のジムバッジをもぎ取ってくるんだから!!」

 

 朝早くに張り切るチャレンジャーは、旅を共にする仲間へとそれを言って、堂々とした足取りでジムの中へと入っていく。

 

 軽く手を振って見送る彼女も、「えぇ、行ってらっしゃい」と微笑みながら少女の背を見遣っていた。しばらくそこに佇んで少女が視界から消えるのを待ち、それからにもすぐに踵を返し、足早に歩き出したその彼女。

 

「ゾロアーク、状況は?」

 

 彼女の呼び掛けと共に、どこからともなく降り立った人型のポケモン。歩を進めていく彼女と歩調を合わせながら小声で何かを伝えていくと、彼女は黒いモンスターボールを取り出しながら、自身らが向かうべき広場の方向へと向き直る。

 

「――不思議に思っていたの。“此処”は今までに無い時間の流れで発展している。これまでと比べてイレギュラーな要素があまりにも多いものだったから、どうやら手こずっていたのは私だけじゃなかったみたいね。……ゾロアークがジムで聞いた話が本当なら、“此処”では既に、タイチくんが一度“マサクル団”を壊滅させているわ。この時点で想定外の時空であることは確かであるけれど、最近になって“マサクル団”が復活したというのであれば、まだまだ“彼”に追い付ける可能性は見込める! “マサクル団”は、“彼”を因子とすることで結成される団体。すでに壊滅していたという点が不可解ではあるけれど、復活したばかりということは、“彼”が、“此処”に現れたばかりとも取れる」

 

 黒いモンスターボールを投げると共に、そこから姿を現した一匹の鳥ポケモン。その姿が陽の光の逆光となってシルエットに塗り潰されながらも、大きな翼で勇猛に羽ばたくそれへと手を伸ばしながら、彼女は見据えた大空へと向かって、そのセリフを口にした。

 

「急ぐわよ! イレギュラーだらけの場所だけど、もし今がこれまでと同じなのであれば、この日にもきっと、“マサクル団”はショウホンシティの『ショウホン城』で、ポケモンを狙った殺戮ショーを披露する! でも、向こうから現れてくれることが分かっていれば、逆に彼らを待ち伏せして、力ずくで捻じ伏せてから、“ルイナーズ”の存在を吐き出させてやるんだから……!!」



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障壁

 アタシは今、魂が抜けたかのような顔をしながらコップを掴んでいた。

 

 陽が暮れた夜の時間帯。宿泊施設のすぐ近くにあった焼き鳥専門店のカウンター席で、アタシは一人、この日にも体験してきた悔しさと受け入れ難い現実に、今にも泣きそうになりながら静かに夕食をとっていた。

 

 今日、二つ目のジム、ショウホンシティのジムリーダーであるラ・テュリプさんに勝負を挑んだ。しかしその結果は、敗北で終わったのだ。それも、二体目までは引き摺り出せたものの、その直後の展開からほぼ一方的にいたぶられて、負けた。

 

 まず、一体目のバクガメスというポケモンに相当手こずった。サイホーンはバクガメスに対して相性は良かったものの、さすがはジムリーダー、こちらのロックブラストやすてみタックルといった攻撃を、トラップシェルというわざで真正面から受け止めつつ、ドリルライナーの機動力を以てしても、バクガメスの強固なガードを破るのがかなり大変だった。

 

 バクガメスをようやく倒したものの、既にサイホーンは息を切らして苦しそうにしていた。しかも、やけど状態になっていたために体力を消耗し続けていた。

 そこで繰り出された二体目のポケモン。モンスターボールから現れたのは、ギャロップという馬のポケモンだった。

 

 ギャロップは巧みな立ち回りでサイホーンの攻撃を受け流しながら、にほんばれによって天候を変えていく。続けて行ってきたのは、ほのおのうずだった。ほのおのうずによってサイホーンは逃げ場を失うと、ギャロップは恐ろしいことに、ほのおのうずの上を駆け出してきたのだ。

 

 その様はまるで、星空を駆けるユニコーンを見ているかのようだった。しかもにほんばれという天候は、ほのおタイプのわざの威力を上げるという。そこから繰り出されるだいもんじによる猛攻と、サイホーンの隙へと叩き込んできた、ソーラービーム。

 

 これにより、サイホーンは撃沈してしまったのだ。正々堂々と立ち向かって返り討ちに遭い、それどころか、アタシは一匹だけという手持ちから観戦者に嘲笑われ、写真も撮られてこの無様な姿を広められてしまった。

 

「ねえマスター……。アタシ、やっぱりポケモンバトル向いてないのかな……」

 

 涙声で、うるうるしながらお店のマスターに話し掛けていく。こちらの話にマスターも「元気出しなお嬢ちゃん」と言ってくれて、焼き鳥を三本オマケしてくれた。

 アタシはお礼を言いながらそれを食べていくのだが、出くわした挫折が思った以上に堪えていたものだから、食べていた焼き鳥の味もよく分からなかった。

 

 店を出て、フラフラっとそこら辺を歩くことにしたアタシ。ラルトスを抱えたその状態でショウホンシティの古き良き街の中を軽く観光していく。

 今でも脳裏には、ラ・テュリプさんに敗北した瞬間の衝撃と、周囲からの冷めた視線に面白がる光景。シナノ地方の高貴なる伝統を継ぐ者に対して、一匹だけで挑むというなめた態度を観客は気に食わないと思ったらしい。その後も控え室でラ・テュリプさんに声を掛けられ、優しく接してくれたものだったが、彼女に何て言葉を掛けてもらったのか、正直全く覚えていない。

 

 ……悔しい。……恥ずかしい。いや、何よりも……サイホーンに申し訳が立たない。

 

「サイホーンは一人で誰よりも頑張ってくれたのに、アタシのせいで笑われないといけないのが……。うぅ……ごめんなさい、アタシが無力なばっかりに……」

 

 五重になった塔が見える公園の高台。提灯の光が照らす街中の夜景を前にして、アタシはラルトスをぎゅっと抱きしめながら、堪え続けていた涙をボロボロと零していった。



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低迷

「サイホーン!! ドリルライナー!!」

 

 その回転力を移動に活かすことで、本来サイホーンには備わっていない豪快な機動力を実現していた。

 ドリルライナーによって数多のポケモンバトルを制してきたアタシとサイホーン。その能力であったり性格であったりと、アタシはサイホーンと相性がすこぶる良いと思われてきた。

 

 でも、アタシらの快進撃は、ここに来て雲行きが怪しくなってきたのだ。

 

 

 

 昼前のショウホンシティ。池に囲われたお城が見えるという和風テイストの景色が魅力的な公園で、アタシはサイホーンにキズぐすりを使用していた。

 

 ボロボロになったその身体を治してあげて、アタシはサイホーンを撫でていく。今までにあまり見なかったサイホーンの満身創痍なこの状態に、アタシは「今回もよく頑張ったね」と声を掛けながら接していくのだが、サイホーンは表情こそ変えないものの、なんだか機嫌が少し悪そうに見えていた。

 

 撫でるアタシの手に構わないといった調子でプイッとするサイホーン。そのままどこかへと歩き出していって、アタシへと振り向くことなく公園の中を散歩し始めていったのだ。

 アタシは分かっていた。どうしてサイホーンがどこか不機嫌そうにしていたのかを。なにも最近の出来事で落ち込んでいたのはアタシだけではなかったという話であり、これは、バトルをしてくれていたサイホーン自身にも言えたことでもあったのだ。

 

 今日も、野良試合でサイホーンの負けが目立っていた。いつものような力強い突進は見られなくて、ドリルライナーの回転力も心なしか弱まっている。ロックブラストは外してしまうし、メタルバーストのタイミングもあれほどまで自信があったはずなのに、アタシとサイホーンはその感覚が分からなくなっていた。

 

 スランプだった。アタシとサイホーン共にして、ポケモンバトルという争い事に自信を無くしてしまっていたのだ。――それを頭では理解しているし、だからアタシもこのままじゃあいけないと思って、練習試合を増やして現状からの脱却を試みていたものだが……。

 

 ……ラルトスが歩み寄ってきて、「抱っこー」といったカンジでアタシに手を伸ばしてくる。アタシはしゃがんでラルトスを抱えながら立ち上がり、こちらへと背を向けて歩いていくサイホーンの背を眺めながらも、今のままじゃあダメだ……なんて内心で何度も何度も呟きながらこの公園で過ごしていった。

 

 

 

 ユノさん、何処へ行ったんだろう。いくら連絡をしても電話は繋がらないし、それも昨日のジムチャレンジの後から、彼女の姿を見かけていない……。

 彼女のことだから、心配は要らなかったかもしれない。しかし、それが頭の中で巡り始めると、なぜだか自分のダメさを責め始めてしまい、「あーヤダ……」だとか、「あークソ……」ばかりの小言を口にしてしまう。

 

 気付けば夜になったショウホンシティ。今日も特に何もないまま、自身の成長も見込めない時間を過ごしただなんて思いながら、アタシはラルトスを抱えながらサイホーンの下へと向かった。

 

 今も、池に囲われたお城が見える公園で佇んでいたサイホーン。こちらの存在に気が付くとサイホーンは振り返ってくるのだが、その視線はすぐにもアタシから外して、自身が向く方向へと遣っていく。

 ……アタシ、呆れられちゃったのかな。やっぱりアタシ、ポケモントレーナー向いていないんだ。なんだか悲しくなってきた気持ちに心の中で泣き始める。どこか寂しい気持ちもあってアタシはラルトスを抱きしめるのだが、そんなラルトスも、アタシの服を引っ張って……。

 

 ……いや、この子は何かを伝えようとしていた。今もアタシの感情を読み取っているのだろう。そのツノをピカピカと光らせながら、アタシの服を引っ張って、あっち、あっちと指を差していく。

 その方向を向いていくと、目にする光景はやはりサイホーンが公園でじっとしている姿。アタシはどうしたんだろうと思いながらもサイホーンに近付くと、サイホーンはまたこちらを見遣り、そして、再び先ほど向いていた方向へと向き直る。

 

「……お城?」

 

 サイホーンが何度も何度も向いてくるそれを見て、アタシは呟いた。

 

「サイホーン、あのお城に行ってみたいの? ――あそこ確か、『ショウホン城』っていうかなり有名なお城なんだけど、なに、サイホーンって意外と観光を楽しんでたりするの?」

 

 しゃがんでサイホーンと視線を合わせていくアタシ。抱えたラルトスもツノをピカピカと光らせてサイホーンへと向いていき、またアタシへと向いてきてはニコニコとした表情で「うんうん」と頷いていく。

 

「へぇ、そうだったんだ。……あなたの気持ちに気付けなくてごめんね。やっぱりアタシってダメ――ううん、サイホーン、教えてくれてありがと。明日、あのお城に行ってみよっか」

 

 サイホーン、意外とアクティビティなところあるなぁ。

 言われてみれば、アタシと初めて出会った時なんかからずっと、サイホーンは未知数な存在であるアタシらについてきたりと、その行動力なんかは最初から見受けられた。でも、この時になってサイホーンが観光を好きだったなんて気付けず、これを知ってからは、アタシは身内でも、自分が知らないことばっかりなんだなと思った。

 

 ……アタシはまだまだ、知らないことが多すぎる。アタシはこの、知らないことに圧倒されてしまって日和っていたのかもしれない。

 それでも怖いことや苦しいことには代わりないけれど、でも、落ち込むだけで何もしないというのも自分の性分が許さないというか、何かこう、今朝もポケモンバトルをしたりと、何かしらの活動をしていないと落ち着いていられない自分もいるわけで……。

 

 取り出したスマートフォンで、パパッと検索をかけていく。そこで得られた情報は、アタシの背中を押してくれたものだ。

 

「『ショウホン城』ってポケモンバトルは禁止なんだって。でもポケモンは連れて歩けるっていうからさ、明日はバトルのことを忘れて、アタシ達でゆっくりしようよ。それでさ、美味しい物を食べよ?」

 

 アタシの言葉に、ラルトスが喜ぶ反応を示した。

 それからアタシはラルトスの頬をフニフニしていき、そんなこちらの様子を見たサイホーンは城に背を向けて、その表情ひとつ変えないクールな様で静かにアタシに寄り添ってくれていた。



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JUNO

 今朝、昨夜に決めた目的通りに『ショウホン城』へと赴いたアタシ。しかし、観光気分で立ち寄ったこの場所で、思わぬ現場と居合わせることとなった。

 

 

 

 ガヤガヤと落ち着かない周囲。訪れた観光客や関係者が城の外で様子をうかがうこの光景に、アタシは抱えたラルトスと目を合わせた。

 というのも、数十人もの警備員が出動する騒ぎへと発展していたのだ。今この現場からは特に何もうかがえない上に、現在は城の中にもこれといった問題は見られなさそうで、どちらかというと終息へと向かった出来事を処理しているようにも見て取れる。

 

 しかし、城の中からは守護隊が出てきたのだ。守護隊は以前のジムチャレンジ開会式なんかでも少し関わってきたが、ナガノシティのジムリーダーであるラインハルトさんが率いるシナノ地方専門の自警団のようなものであり、それでいてこの地方においては警備員よりも強い権力を持っている。そんな守護隊が数人とぞろぞろと出てきたものだから、アタシは何事だろうと思って一旦、この場を後にしたものだ。

 

 それからというものの、アタシは別の場所で観光を行った。サイホーンをモンスターボールから出してラルトスと三人で歩き、お土産屋さんが建ち並ぶ商店街で『ソバ』という食べ物を試食したり、ネコブのみの漬物を食べてその独特な味わいを楽しんだり、通りすがりの男性ポケモントレーナーから聞いた観光スポットへと赴いて、そこで豊かな緑に囲まれた自然の河原で水浴びをしたりと、アタシ達はこの日、ショウホンシティという街を心行くまで満喫していった。

 

 二人と過ごすその時間の間も、アタシはやはりジムチャレンジのことが頭から離れずにいたものだ。――あの時、ラ・テュリプさんのギャロップをどのように突破すれば良かったのか。いや、それ以前にバクガメスをもっと手際よく処理できていれば、まだ抗えるだけの余力は残せたのかもしれない。なんて、そんなことがずっと頭の中をよぎっていた。

 

 ……ダメだな、アタシ。こんなに楽しい時間を過ごしているというのに、楽しいことじゃなくて、辛かったことばかりに意識が行ってしまう。これは幼い頃から続く悪い癖で、アタシが自分をダメだなと思う根本的な理由でもある。

 

 ネガティブな気分の中で、どこか盛り上がらせようと無理をしていたのかもしれない。頑張って絞り出した元気の証でとにかく川の水をバシャバシャとかけていくのだが、水を浴びすぎたサイホーンはクールな表情を崩すほどの必死な様子でアタシから逃げ出していく。

 

 あ、そういえばサイホーン、みずタイプは大の苦手なんだった。アタシはひたすら謝りながらサイホーンに駆け寄り、その先にあった丸太のイスで休憩をとることにした。

 ラルトスがサイホーンの上に乗り、キャッキャと楽しげに笑っている。アタシは二人がのんびりと過ごすその様子を眺めていき、ポケモンバトルから距離を置いた、とても穏やかな時間を送っていった。

 

 翌日。アタシは再びショウホン城へと向かった。だが、そこでもやはり警備員が周囲を巡回しており、不審な人物を探しているような目で業務に務めているようだった。

 

 ……観光は無理そうかな。アタシはラルトスを抱えながらその場を去ろうと踵を返していく。――と、その時だった。

 

「ヒイロちゃん。俺だよ」

 

 背後から掛けられた、透き通るようなイケメンボイス。

 

 え、白馬の王子様が迎えに来てくれた? なんて思いながらアタシは振り返っていくと、そこには純白のショートヘアーに黒いハット、サングラスと口周りのヒゲ。ゆったりとしたガラ入りの白い上着と、黒色のカーゴパンツの怪しい男性が……。

 

「うわ! 変質者!!」

 

「ちょ、ちょちょちょ! 待って待って! 俺だよ、タイチ!!」

 

 アタシの言葉で周囲の警備員が目を光らせる。それに慌てるかのようにサングラスと帽子を取ったタイチさんが、その素顔を見せてくるのだ。

 

「ヒイロちゃん、それは洒落にならないって!」

 

「アタシだってビックリするんだから! ……で、どうしたのタイチさん?」

 

 あのシナノチャンピオンであるタイチさんが姿を現したというのに、周囲の警備員はまるで驚きもしない。この様子にアタシは不思議に思ってこれを訊ねていくと、タイチさんもそれを切り出そうとしたのか、すぐにも本題を口にしてきたのだ。

 

「急に悪いね、ヒイロちゃん。もしもジムチャレンジの気晴らしでショウホン城に来たのであれば、ごめんね、今はちょっと取り込んでいて」

 

「見れば分かるよ。昨日は守護隊もいたもん。何かあったの?」

 

「あぁ、見た通りにちょっと色々とあってね」

 

 ショウホン城を見遣っていくタイチさんの視線に、アタシは続いていく。

 見たところ、特に問題は無さそうなそのお城。相変わらずその趣のある風貌で佇むそれは、よくテレビや雑誌といったメディアでよく目にするものとまるで代わりがない。……じゃあ何があったんだろう

 

「見た通りだとアタシ、普通のお城にしか見えないよ」

 

「あぁ、ショウホン城自体には特に問題は無いんだ。……ただね」

 

 そう言って、タイチさんはアタシの耳元に顔を近付けていく。

 ――え、ちょ。さすがにアタシでも、このシチュエーションはちょっとドキドキしちゃうって……。

 

「この周囲で悪さを行おうとした団体が、何者かによって捕らえられていたんだ。それも、その悪い奴らがマサク――世間的にはあまり知られていないほどの、狡猾で残忍な手段を強行するような、危険な人物達だったものだから。それで、警備員や守護隊までもが出動する事態になっていたんだ」

 

「ふーん。タイチさんはどうしてその現場に居るの?」

 

「俺は、シナノ地方のチャンピオンとして、こういう地方の問題にも関わっているんだ」

 

「へぇ、チャンピオンって大変だね」

 

「ありがとう、ヒイロちゃん。俺も最近ちょっと働き詰めで疲れていたんだけど、こうしてヒイロちゃんとお話をしたらなんか、元気出てきたよ」

 

 ハハハッと軽快に笑んでいくタイチさん。しかもこんな超絶イケメン王子様にそんなことを言われたのだから、アタシはなんだかちょっと、照れ隠しでそっぽを向いてしまう。

 

 ……と、そうしていた間にも、タイチさんはタイチさんで話を進めていく。

 

「ふう、全く大変だよ。シナノ地方の各地を毎日のように飛び回っているけれど、その先々でいろんな問題と直面する。一昨日にもこのショウホン城で悪党共をひっ捕らえたという連絡を受けてね。その悪党共はさっきも言ったように、とても狡猾でありながら悪質な行為を働き、しかも面倒なことに神出鬼没さも兼ね揃えた予測のできない連中なんだけどね。そいつらを事前にひっ捕らえるだけでなく、俺がこうして奴らを追っていることも知っているという人物から急に連絡が掛かってきたんだ。電話越しの声は機械で加工されていて、男なのか女なのかすらも判別できない。ただ、相手は“JUNO”と名乗ってから電話を切られてさ。いろんな問題とは直面するが、面倒事が更に増えたような感じがして、もうクタクタだよ」

 

「ジュノー?」

 

 アタシは、その名前を聞き返した。こちらの反応に、タイチさんはうんうんと頷いていく。

 

「そう、JUNO。確かにそう聞こえたんだけどね。でね、JUNOってなんだろうって思って、俺、調べてみたんだよ。でも、検索結果には出てこないんだ。おそらく、名乗るためにつくった造語だろうね。ただ、人の名前でたまにあるらしくて、その場合は、“ユーノー”とも呼ばれるみたいだね」

 

「……ユーノー?」

 

 とてもよく馴染みのある響き。アタシはそれを聞いてから、タイチさんへとそれを伝えた。

 

「アタシ、ユノさんっていう人と旅をしていたの。でも一昨日のジムチャレンジの後から姿が見えなくて」

 

「……ほう」

 

 これを聞くなり、タイチさんはすごく興味深そうな顔をしてアタシを見遣ってきた。

 何かを見つけたかのような、確信に近いその表情。それはきっと理屈や根拠に乏しいなにかによる察知なのだろうか。タイチさんは「その話を詳しく聞きたい」と言ってアタシを手で招きながら、現在は関係者以外の立ち入りが禁じられているショウホン城についてきてほしいと、任意の同行を求められた。



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ショウホン城

 タイチさんに招かれて、特別に立ち入りを許可してもらったショウホン城。その中へと入るなり伝ってきた木や壁の匂いは、当時の戦に明け暮れた時代にタイムスリップしたかのようだ。

 

 最小限の光源のみが取り付けられ、内部は薄暗くも外からの日差しも相まって安全に中を歩くことができる。アタシはタイチさんに案内されるまま階段を上っていくのだが、一歩、また一歩と踏みしめていく度に、床はギシギシと軋む音を立てていく。

 

 少し不安になったアタシが「これ、床抜けない? 大丈夫なの?」と言うと、タイチさんは「あぁ、なにも心配することはないよ。ショウホン城の床には技エネルギーと呼ばれる力が張られていて、それが俺達の体重の重みなどを吸収しているんだ」と答えてきた。

 

 意外な技エネルギーの活用方法。アタシは床を見遣る。

 

「へー、技エネルギーにそんな使い方があったんだね。これ、どんな技エネルギーなんだろ。やっぱこう、観光客かなんかが床を踏み抜かないようにするためだよね?」

 

「おっと、たぶんヒイロちゃんが考えているようなカラクリではないと思うよ」

 

「どういうこと?」

 

「この技エネルギー、どうやら城が建てられた頃から張り巡らされていたらしい」

 

「へー。……え!?」

 

 アタシは驚きのあまりに、片足を上げて床を注目してしまった。

 お年頃の女の子が、男性の目の前で足をおっぴろげに。なんとも野蛮なアタシの様子に、タイチさんはむしろ、イイ反応をしてくれたとニシシ笑っていたものだ。

 

「ヒイロちゃん、ショウホン城が建てられたのは五百年前だと言われているんだ。その頃は現代ほど充実した生活はできていなかっただろうし、しかも、五百年前と言えば、戦争が真っ只中だったという時代さ。その頃は多くの戦士やポケモンがこの城の中を行き交い、押し寄せる敵の軍勢なんかを相手取っていたことだろう。そんな状況下では、柔くて脆い城を造れない。すぐに壊されて、自分達が討ち取られてしまうから。……じゃあ、より強固な城を造るには、どうするべきか? きっと、当時の人々やポケモンは、必死に知恵を振り絞ってこの城を築き上げたはずだ」

 

 城の中に設けられた展望台へと手を差し伸べるタイチさん。望遠鏡も用意されているそこにアタシは駆け寄ると、それを覗いてみてショウホンシティの景色を眺めやっていく。

 一面が池で満たされた周囲に、向こう側の足場に広がる商店街と公園。今も人々とポケモンが行き交い、ある者達はポケモンバトルを、ある者達は野性のドードーにエサをやり、池を泳ぐウパーやナマズンが自然の中を生きていたりと、そこで展開されていたのは、ごく当たり前な日常とも呼べる平穏な日々の風景。

 

「タイチさん! なんかすごく綺麗だね!!」

 

「あぁ、ショウホン城から眺めるショウホンシティは、これがまた格別なんだ。もちろんショウホンシティという街は、素晴らしくも儚く、人とポケモンが築き上げてきた雄大なる遺産とも呼べるだろう。そして、シナノ地方の歴史を巡るにあたって、その歴史を最も物語るともされるショウホン城からこの世界を眺めると、見える光景はまた、変わってくるものさ。――意識をするんだ。昔の人々やポケモンも、ここから眺めた光景を見ていたのかもしれない、と。そして、時代の流れを自分の身で感じ取るんだ。あの頃から、今までの時間の流れを」

 

 抱えていたラルトスに望遠鏡を覗かせて、アタシは後ろで腕組みをしながら佇んでいたタイチさんへと振り向いていく。

 

「タイチさんって、なんか考え方がアナログだよね」

 

「ハハハッ、昔を顧みるというのも悪くはないと思うんだ。そりゃあ、俺だってなにも輝かしい過去ばかりじゃなくて、むしろ、ゴミを漁って食い物を探していたり、汚かろうと服を着ていられることに幸せを感じていたりと、そんな過去もあったもんさ。……でもな、重要なのは、そういう過去を思い出すことなんかじゃない。なにも、辛かったり苦しかったりした記憶を思い出すために、昔を顧みるんじゃないんだ。――もっと、自分の根本的となる部分。……自分が元々から有してきた性分を思い出すため、昔を顧みるのさ」

 

 タイチさんは、アタシに真っ直ぐな眼差しを向けていた。その目はまるで、アタシの芯である部分を覗き、それと見比べて今のアタシ自身を試してくるかのような目。

 

 ――アタシの内側を、アタシの中を見通してくるかのような、透視の目……。

 

「……タイチさん」

 

「お? 何か分かったかな?」

 

「……えっち」

 

「なんで!?」

 

 最近の中で一番ウケた。アタシはタイチさんの驚き方に、腹を抱えながら盛大に笑った。

 タイチさんはタイチさんで頭を抱えながら微笑していて、気を取り直してといったカンジに口を開いてくる。

 

「俺、せっかく良い事を言ったと思うんだけどなぁ」

 

「うん、それは分かってるよ。だから、ありがと。タイチさん」

 

 ニヤニヤしながら近付いて、タイチさんを見上げていく。

 そんなアタシの様子に、タイチさんは微笑から微笑みを見せていった。そしてキャップ越しに頭をポンポンと叩いてくると、その行動で空気の流れが変わったのだろう、タイチさんは先ほどにも交わした会話の続きとなるその部分を、アタシに訊ね掛けてきた。

 

「それで、さっきの話をもう少し詳しく教えてほしいんだ。その、ユノさんという人物について」

 

「うん。でも、アタシもあの人のこと全然知らないから、大した情報じゃないかもしれないけど」

 

「いいや、十分さ。さっきまでは探すアテも無くて途方に暮れていたもんだから、こうして情報が舞い込んできた時点でも有益さ」

 

「おっけ、じゃあアタシがユノさんと出会ったところから話していくね」

 

 そう言って、アタシはタイチさんに、ユノさんと出会ったこれまでのことを話していった。

 

 一通り話し終えるなり、タイチさんは手をアゴに当てて深く考え込んでいく。

 ……そんな、なんか思うところでもあったのかな。アタシはタイチさんを待っていると、考えが整理できたのだろうそのタイミングで、タイチさんはアタシを見遣ってくる。

 

「『クロベ湖』、って……ヒイロちゃん、それを見たのかい?」

 

 え? そっち? アタシは少し呆然としてから、両腕を大きく振りながらのジェスチャーで答えていく。

 

「うん。ユノさんが言ってた。オオチョウ山の雪山地帯に、こう、深い青色の湖がこーんくらい大きく広がっていて、で、こーんくらいの湖の、ここら辺の位置に、祠っぽいのがあって。で、ユノさんは、あの中に何かいると思う? なんて聞いてきて。最初アタシ、寒さで頭やられちゃったのかななんて思ってた――」

 

「クロベ湖』なんて、初耳だ」

 

「え?」

 

 アタシは、目を真ん丸にした。

 

「タイチさんでも知らないの?」

 

「あぁ。それも、オオチョウ山の雪山地帯にそんな湖があるなんて話を聞いたことがないし、実際に俺は修行として、あの連峰を彷徨ったことがある。吹雪が激しくまともに歩けたもんじゃない環境のはずだが、どうやらヒイロちゃんが訪れたタイミングは奇跡的に吹き荒れていなかったということになるだろう。そんなこと、あの一帯であり得るのか? 猛吹雪によって年中立ち入り禁止区域となっているはずなのに。しかも、その一帯、野生ポケモンは普通に生息しているはずだ。特に、ユキカブリとユキノオー。それらが見られないとなると、それだけでも異常事態であることは確かだ。……あと、彼女の言葉が気になる。ヒイロちゃんがその湖の第一発見者になるくらいの、地図を塗り替えるほどの前代未聞の大発見——」

 

 ……??? タイチさんのそれについていけないアタシは、思考停止していた。

 そして、思考に入り浸ってしまったタイチさん。なにやらブツブツと言いながら自分の世界に入っているため、変に話しかけ辛くてこの場を持て余してしまった。

 

 観光しよ。それも、今はアタシとタイチさんと、下の階に警備員が数名いるだけというがら空きのショウホン城の内部。こんなにもすっからかんなお城の中なんて、関係者でも無ければ見られないでしょ。思わぬ形で出くわした観光スポットの独占に、なんだか気分が良くなってきたアタシはルンルンと歩き回っていく。

 

 床のギシギシという音も、建城当時から張り巡らされている技エネルギーによって抜ける心配が無いことから、むしろ楽しく思えてきた。敢えてちょっと強く踏み付けてみたりと、アタシは暇を持て余した空間で落ち着かない。

 

 と、吹き抜けとなっている窓を見つけた。四角いそれからは外の景色が見えており、ここから覗くのも面白そうだなと思ってアタシはそれに手をかけていく。

 ラルトスも、身を乗り出して興味津々な様子だった。やっぱり気になるよね。こう、出先かなんかで四角い窓があったら、思わずそこから覗きたくなる。久しぶりの好奇心にアタシはそこから顔を出して景色を眺めていくのだが、この時にも鼻から伝ってきた謎の“それ”によって、アタシは景色どころではなかった。

 

「……なんか、イイ匂い」

 

 すごく、甘くて美味しい香りがする。すんすんと嗅いでいくと、やはり勘違いでもなんでもなく、お城の風貌にはとても似つかわしくない、お菓子のような甘い匂いがするのだ。

 

 四角い窓から覗くそこから、周囲を見遣って確認していく。

 ……いや、特になにもない。これは何なんだろう。それを思ってアタシはふと、下へと向いた――

 

 ――眩し

 

「ぎゃッ!!!!」

 

 頭上の窓に頭をぶつけたアタシ。大きな音を立てたそれにタイチさんが我に返ると共に、アタシは何かしらによる攻撃を受けて吹き飛んでいたことを理解する。

 

 ラルトスを手放してしまったこの状態。放り出されたラルトスがアタシへと駆け寄ろうとするのだが、その小さな身体を覆う……いや、ラルトスを覆い切れないほどのさらに小さな身体が窓から進入してくると、“それ”は頭を押さえているアタシめがけて飛んできたのだ。

 

 “それ”は小さな身体をしておりながら、この形はなんとも形容し難い。強いて言えば、浮遊感のある液体とも呼べるものだが、“それ”の名前も知らないアタシは、驚きのあまりに立ち上がって“それ”から逃げ出し、そして、“それ”も逃げるアタシへとしつこく追撃をかましてきたのだ――――



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自衛手段

「ぎゃッ!!!!」

 

 頭上の窓に頭をぶつけたアタシ。大きな音を立てたそれにタイチさんが我に返ると共に、アタシは何かしらによる攻撃を受けて吹き飛んでいたことを理解する。

 

 次に、アタシはこちらへと飛んでくる“それ”を見た。

 “それ”は小さな身体をしておりながら、この形はなんとも形容し難い。強いて言えば、浮遊感のある液体とも呼べるものだが、“それ”の名前も知らないアタシは慌ててこの場からの逃走を試みる。

 

 だが、“それ”は再びアタシへ攻撃を仕掛けてきたのだ。“それ”は身体を光らせると共に眩い輝きを放ち始め、次に質量をもった光の粒を飛ばして、アタシの周囲にぶつけてくる。

 ショウホン城の中に響き出した戦闘音。ドタドタと駆けるアタシの足元も相まってそれは大事であることを示唆したのか、階段を駆け上ってくる音が聞こえてくると、そこから警備員が四名ほど姿を現した。その四名は手に網を持っていたり、網を発出することができる銃を携帯している。

 

「だ、誰か!! お願い、たす、助けてーーーーッ!!!!」

 

 叫ぶアタシ。頭を抱えながら必死に逃げるその逃走経路は、むしろ警備員から離れていってしまう上の階への階段が見えてくる。しかも、今も足元に散らばる質量をもった光の粒がアタシを余計に焦らせて、あれこれ考えることもできずにその階段へと向かっていってしまった。

 

 走らせるその足を騒がしくと動かしていく間にも、現場に合流したタイチさんは冷静ながらもこの状況を分析し始める。

 

「あれは……『マホミル』! クリームポケモンのマホミルが、なぜこのショウホン城に? それも、なんだかいつもと様子がおかしい。普段は温厚で甘い香りのする場所を好むポケモンが、どうして城に現れて、ヒイロちゃんを襲っているんだ? ――興味深いな。いや、それどころじゃない。ヒイロちゃん! どうにか上の階でぐるっと一周してきて、この階に戻ってきてくれ! 俺と警備員がこの階でマホミルを待ち伏せするから!」

 

「そ、そんなぁー!! ……いや、サイホーン! サイホーンがいるから大丈夫――」

 

「ヒイロちゃん! この城内ではポケモンバトルを禁じられている! 今は一大事ではあるが、警備員の前で違反を起こしてしまったら、後が面倒だ!」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょこれーーーッ!!!!」

 

 とかなんとかやり取りをしている間にアタシは階段に到着。それをズダズダと荒々しく踏みながら駆け上がっていき、アタシについてくる『マホミル』というポケモンも、光の粒を放ち続けながらこちらを追って次の階へと進入してくるのだ。

 

 いやいやいや!! 普段は温厚って、このどこが温厚なポケモンなの!? 少し振り返ってみると、そこには真剣な顔……のようなものを液状の身体に浮かべながら、こちらへと集中的に攻撃を浴びせてくるマホミルの姿。

 液状から繰り出されているそのわざも、おそらくはマジカルシャインというフェアリータイプのわざだ。以前にもサイホーンを鍛えている際に見たことがあり、この光の粒は広範囲に広がるもんだから厄介だなと思っていたものだが……!!

 

「なんで!! なんでアタシ自身がこのわざを受けなきゃいけないのッ!!」

 

 マホミルがこうして襲い掛かってくる理由も、まるで分からない!! アタシが何かしたのだろうかと記憶を振り返ってみるものの、心当たりはまるで無い。ただアタシはあの窓から覗いた時に、たまたま下の方に居て目があっただけ。

 

 ……普段は温厚なポケモンが、目があったからというだけでこうして襲ってくるものなのか?

 今もドタドタと騒がしく走るアタシ。周囲の足元に散らばるマジカルシャインの光の粒を蹴り飛ばしながら、感覚で走り続けて先ほどの階段を目指していく。

 

 だが、一方で気持ちに余裕は持っていたアタシ。相変わらずマジカルシャインの猛攻は収まらないものだが、奇跡的にもアタシはこの攻撃を避け続けている。なんとか無事である身体から考える余裕も少しずつ生まれ始めて、アタシはアタシなりに、今の状況から脱する手段をなんとか考えていた。

 

 サイホーンは繰り出せない。ラルトスは下の階に置いてきてしまった。今のアタシにできることは、こうして逃げることだけ。持っているどうぐは? キズぐすりをマホミルの目に浴びせてみる? ポフィンで意識を逸らしてみる? いっそのこと、松明で応戦してみる?

 

 色々なアイデアを考えてみた。中には物騒な発想も混じっていたものだったが、その中で一番恐れていたのは、この歴史あるショウホン城を傷付けて弁償させられるという事態になることだった。

 だから、荒々しいことはできない。幸い、城には技エネルギーが張り巡らされているということで、マホミルの攻撃を吸収して無事を保てている。

 

 しかし、ここで無理はできない。ドタドタと忙しなく動かしていく足で走りながら、バッグに手を突っ込んだアタシ。次にもその手に当たった感触で直感的に解決への糸口を見つけたアタシは、それを手に持つなりこの身体をマホミルへと振り向かせ、アタシは狙いをつけながら精いっぱいの掛け声を振り絞っていった。

 

「モンスターボールッッ!!!!」

 

 これが一番、穏便に済ませられる!!

 

 勢いよく投げたモンスターボールは、マホミルに命中。ぶつかると同時に開いたそれは、マホミルを吸い込んで強引に中へと閉じ込めた。

 今の内だ! アタシはここから逃げ出すべく走り出す。……のだが、ここに来てアタシは、自分が行った行為について気付くことになる。

 

 あれ、でもこれって、もし――

 

 ――静まり返るモンスターボール。捕まるまでの緊張感がまた醍醐味でもあるこの一連の行為。アタシは予期せぬ展開に唖然としながらも、動くことすらなくなったモンスターボールを、ただただ見遣っていた。



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血気盛んな者

 お昼を過ぎたショウホンシティ。ポケモンセンターから出てきたアタシは人が少ない場所を選び、枯れた木々が目立つ廃れた団地に足を踏み入れる。

 ……中々、雰囲気のある所だな。そんなことを思いながらも抱えるラルトスを、そこにあったドラム缶の上に乗せていく。次にサイホーンを出して自衛の準備を済ませると、アタシは追加でもう一個のモンスターボールを取り出して、それを投げていった。

 

「出てきて、マホミル!!」

 

 モンスターボールが開くと、そこから現れた液状で浮遊する一匹のポケモン。黄色くて可愛い顔を浮かべているそれが姿を現すと、この一帯は一気に、甘い香りが漂い始めた。

 ……流れで捕まえてしまった、マホミルというポケモン。マホミルはモンスターボールから出てくるなりアタシを捉え、とても勇ましい表情を見せながら何かを訴え掛けてくる。

 

「え? なに? ……ラルトス、マホミルが何を言ってるのか教えて――」

 

 と、その瞬間だった。

 

 視界を覆い尽くすマジカルシャイン。光の粒がアタシらに降りかかると、アタシは急いでラルトスを抱き抱えて範囲外へと飛び込んで回避した。

 うわ! 自分の瞬発力にビックリした! 驚く方面が違うとは思うが、アタシはすぐにも起き上がってマホミルへと向いていくと、その姿は既にそこから消えていることを確認する。

 

 と、次にも視界に入ってきたのは、数発もの岩だった。サイホーンのロックブラストだ。そちらへと向いて状況を把握すると、アタシはそれらに巻き込まれないよう咄嗟に距離を置いて様子をうかがった。

 

 どうやら、マホミルがサイホーンに襲い掛かったらしい。サイホーンは奇襲を受けながらも表情ひとつ変えずに応戦し、これに受けて立ったサイホーンの反応に、マホミルはとても楽しそうな顔を浮かべていた。

 

「って、いやいやいや!! 待ちなさい!! ちょっと、マホミル!! サイホーン!!」

 

 アタシは怒鳴るように声を上げたが、二人はすでに本能からなる闘争に支配されていた。

 ポケモンという生物は、戦うことが好きだと言う。今もサイホーンとマホミルは互いにわざをぶつけ合って、身内でボコスカと戦っていたのだ。

 

「こら、マホミルッ!! 勝手に戦うのはナシだから!! 戻りなさい!!」

 

 取り出したモンスターボール。アタシは急いでマホミルを戻すべくボールを起動するのだが、これを察したのか、マホミルはそこらに落ちていたコンクリートのオブジェかなんかを遮蔽物として、モンスターボールの戻す力から逃れ始めていたのだ。

 

 こいつ……っ。内心でイラッとしながらも、アタシは意外と周囲を見ているマホミルの戦闘能力に感心さえしてしまう。

 タイチさんが言うには、マホミルというポケモンは穏やかで大人しく、人懐っこくて可愛がられることを好むポケモンらしい。その見た目も可愛らしいことから、女子の間では特に人気を博しているポケモンだそう。こうして人前に姿を現すことも珍しくはないものの、捕まえるとなると、そのあまりにも小さな身体が捕獲の難易度を上げるとのこと。

 

 そこから、マホミルを捕まえるのはそれなりに難しいとされている。アタシが追い掛けられているあの状況でモンスターボールをしっかりと当てたことにタイチさんは感嘆していたが、捕まえた側としては、このあまりにもイレギュラーな存在を仲間にしてしまったことを後悔していたものだ。

 

 で、今もサイホーンとやり合っているこの状況。サイホーンも満更でもないといった様子で戦っているのがまた困る。

 ドリルライナーの戦法で圧巻の機動力を誇るサイホーンは、マホミルを圧倒していた。しかしマホミルは、その小さな液状の身体を分裂させながらサイホーンの攻撃を避けていくと、サイホーンに生じるわずかな隙にも反応して攻撃を仕掛けていくのだ。

 

 繰り出されるわざは、主にマジカルシャイン。マホミルの主力技なのだろう。とても自信を持っていると言わんばかりに繰り出していくその光は、サイホーンと対等に渡り合うのに十分な使い方をしている。

 それに加えて、とけるというわざでサイホーンのすてみタックルを真正面から受けていくのだ。そして、とけるでサイホーンの攻撃をいなしたところを――

 

 ――ズドンッ!! マジカルシャインとは異なる、マホミルから湧き上がった神秘的な光。それが、とけるによって身体を溶かした状態のマホミルから繰り出されると、あのサイホーンが遥か後方へと吹き飛ばされていったのだ。

 

「サイホーン!! ……マホミル?」

 

 あれ、この子……意外と強い?

 

 すぐさま戦線復帰したサイホーンも、仕返しのドリルライナーでマホミルを吹き飛ばしていく。その小さな身体に攻撃を当てることに苦戦していたサイホーンも、この戦いで感覚を掴んだのだろう、ロックブラストも着実に命中させていくようになった精密度で、マホミルが苦戦をし始めていた。

 

 しかし、マホミルも負けじとマジカルシャインでサイホーンを追い詰めていくのだ。

 互いに退かない互角の戦い。それは突然と始まった身内の問題ではあったものの、この五分五分な熱い戦いを目にして、アタシは思わずとその行方を見守ってしまっていた。

 

 そして、決着がつくことになる。

 倒れるマホミル。べちゃっと液状の身体が団地に落ちると、目をぐるぐるにしてひんしとなっていた。

 

 一方で、サイホーンもサイホーンで身体をボロボロにして、マホミルをただただ見遣っていた。元はと言えば襲われた身でもあるサイホーンだったが、戦闘しているその姿は、とても活き活きとしていて楽しそうではあったものだ。

 

 ……って。

 

「さっきポケモンセンターで診てもらったばっかりじゃん。……また行かなきゃ」

 

 アタシはあちゃーっと頭を抱えながらマホミルをモンスターボールに戻していく。そのままサイホーンもモンスターボールに入れて二人をバッグの中に入れていくのだが、アタシの気持ちはなぜだか上向きになっていたような気もしている。

 

 ――マホミルがアタシらと巡り会ったのも、何かの縁だと思っていたものだから。こんな展開など予想もできなかったハプニングに近しい出会いではあったものの、今思えばラルトスとの出会いだって、サイホーンとの出会いだって、どれもハプニングが起こったり、ハプニングと出くわしている中での出会いだったものだから。

 

 

 

 夜になり、宿屋の一室でアタシはモンスターボールを取り出していく。

 寝間着の姿で、アタシはマホミルを繰り出した。もう寝るというその時間帯ではあったものだが、最後にマホミルと話をしてみたかったからだ。

 

 ボールから出てくるなり、マホミルはアタシに襲い掛かってきた。……というよりは、アタシにのしかかってきた。アタシはアタシで、これを受けてベッドにドカッと押し倒されて、この甘い匂いがする液状の軽い身体に押しつぶされていたものだ。

 

 ラルトスが駆け寄ってくる。それでもって、ラルトスもアタシの身体に乗ってくるのだ。その加えられた体重に「ぐえッ」と声を出すアタシ。こんな様子を、サイホーンは静かに遠くから見守っていた。

 

 マホミルは、とても楽しそうな表情を見せていた。普段は可愛い顔をしているとかいうポケモンであるはずなのに、このマホミルは勇ましい顔ばかりを見せて、喧嘩っ早くて血気盛ん。

 タイチさんにも、こんなマホミルは見たことが無いと言わしめるほどの、なんともアクティブな個性だったものだ。だからこそ、この子はアタシと巡り会い、こうして仲間となったのかもしれない。でなければ、あんなに元気な状態で素直にモンスターボールに収まるとはとても思えなかったものだから。

 

 ――あの場所で、あの時、アタシと同じものを感じていたのかな。そんなことを思いながらもアタシは液状の身体に手を置きながら、液体のはずなのにクッションのように柔らかい不思議な感触でふにふにとマホミルを撫でて、それをボソッと呟いた。

 

「あなたも“変わってる”ね、マホミル」



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パッショニズム

「タイチさん。これ、差し入れ」

 

 相変わらず付けヒゲの変装が余計に目立つタイチさん。背後から投げ掛けられたその言葉に反応したタイチさんは振り向いてくると、飲み物のペットボトルを持っているアタシの気遣いに気が付いて「お、これはこれは。すごくありがたい!」と王子様スマイルを見せてくれる。

 

 マホミルを捕獲した翌日。昼前の時間帯である現在は太陽の日差しが強く、ショウホン城には木陰が無いため余計にその光が突き刺さる。

 周囲の警備員は、分厚い制服に身を包んでいて暑そうにしていた。それでもって、今日もショウホン城の様子を見ていたタイチさんも、変装のために帽子やら付けヒゲやらで、なんだか暑そうな見た目をしている。

 

 こんなんじゃあ、絶対に倒れるって。そう思ったアタシは善意の塊とも呼べる最高の気遣いを閃き、なんと、その場の全員分の飲み物を買ってくるという行動力の化身となった。

 しかも、これをマホミルという女子ウケの良いポケモンを連れている女子力あふれし乙女から手渡しで貰えるというのだ。おいおい、警備員さん達ツイてんじゃん?? なんて思いながらアタシは飲み物を差し入れに持ってきたのだが、その目論見はむしろ、アタシの無知を晒すことになるとは思いもしていなかった。

 

「あぁ、ありがとうねお嬢さん。でもね、我々警備員は差し入れを受け取ってはならないという決まりがあって……」

 

 アタシは、その場で思考停止した。

 え、マジ? アタシはタイチさんを見遣る。この視線を受けたタイチさんも、なんだか申し訳なさそうにしながら「そういうことなんだ、せっかくの気遣いだったのにごめんなヒイロちゃん」と言いながら、手に持つメロンソーダをしっかりと握りしめていた。

 

「そんなー! せっかくみんなの分も買ってきたのにー。ってか、だったらタイチさんもダメなんじゃないのそれ!!」

 

「おっと、俺は警備員じゃないから問題は無いさ」

 

「むーーーっ!!!!」

 

 頬を膨らませるアタシに、周囲の男性陣は微笑していた。なんだか微笑ましくも思っているみたいで、なんか、もう……!

 そんなこんなで、ラルトスを抱えたアタシは男性陣の休憩時間にも付き合うこととなった。入れ替わりでやってきた他の警備員や、ガーディやウインディといった忠誠心のあるポケモン達にその場を任せると、アタシがついていった面々はショウホン城の近くにある公園でベンチに腰を下ろし、弁当といった昼食をとっていく。

 

 うわぁ、この仕事も大変だなぁ……。なんて思いつつ、アタシもラルトスと一緒にパンを食べて軽く話をしていく和気藹々な空間。タイチさんも付けヒゲを取っておにぎりを食べており、チャンピオンになる前の旅の話なんかでその場を盛り上げていた。

 

 途中、警備員の一人の弁当が消失した。文からして訳が分からないが、本当に訳が分からない。しかしすぐにもタイチさんが、「きっと、この近くにカクレオンが居るな」と言い、タイチさんはおもむろに歩き出して何も無い空間に手を遣ったところ、その場に突然と緑色のポケモンが姿を現したのだ。

 

 カクレオンというポケモンは、驚きで口に入れていた弁当を落としながら、どこかへと去ってしまった。その地面にぶちまけられた弁当の残りをタイチさんと警備員が拾っていくその中で、アタシはカクレオンが他の警備員の休憩を台無しにしないよう見張っていたものだ。

 

 落ち着いたところで、アタシはタイチさんに訊ね掛けた。「どうして、カクレオンってやつの居場所が分かったの?」と。するとタイチさん、「んー、なんで分かったかと言うと……俺にも分かんないな」と答える。

 

「なんか、何となくというか。感覚で分かるんだよ。直感というか、ね。ま、とにかく、ヒイロちゃんも旅をしている内にそういうのが身に付いてくるよ。経験から来る勘ってやつをね」

 

「ふーん……」

 

 自分から聞いておいて、すごく興味無さそうに返事してしまった。

 そんな休憩時間が過ぎて、警備員たちが重い腰を上げながらアタシへと礼を言ってきた。お嬢さんと話ができて、とても良い気晴らしになった。その言葉を告げて皆が持ち場へと歩いていく背を見送るアタシとラルトス。

 

 ――と、タイチさん。

 

「タイチさんは行かないの?」

 

「あぁ、俺はこの後にも違う地域へ移動する予定だからね」

 

「へぇ。やっぱり、その悪党共ってやつの関係でだよね。タイチさんも大変だね」

 

「俺は好きでやっているというか、シナノ地方の未来のためにも、そして自分の生まれた地方のチャンピオンとしても、自分にやれることはやっておきたいという気持ちがあるから今回の件に関わっているようなものだしな」

 

「うわー、すごく立派。よっ、さすがアタシらのチャンピオン」

 

 とか言って、あのシナノチャンピオンのタイチ様に、アタシは肘でぐりぐりと横腹を抉っていた。きっとこの光景を彼のファンが目にしたら、アタシは殺される。

 と、アタシにそれをされながらも、タイチさんはふと呟くように、その言葉を口にしてきたのだ。

 

「……ま、ヒイロちゃんも――」

 

「ん? 呼んだ?」

 

「――いいや、なんでもないさ。俺がちょっと、未来への期待に思いを馳せただけさ」

 

「?? ふーん」

 

 なんかよく分からないことを言ってるけど、それがタイチさんなら謎に映える。アタシは適当に相槌を打ってタイチさんに合わせていくのだが、そんなことを二人でしていると、ふらっと姿を現したとある人物に声を掛けられることとなったのだ。

 

「あれ!! タイチ君、お取込み中だった??」

 

 健気で、元気いっぱいな声音。それが公園の中に染み渡るように響き渡ったものだから、この言葉を受けて周囲の人間やポケモン達が一斉に振り向いてくる。

 うわ、怖っ。アタシは受けた視線にヒヤヒヤしながら見つめられるものの、そこにいるのは変装した付けヒゲのタイチさんと、無難な見た目のアタシ。そして……サングラスが最高にイカしている、蜜柑色の髪を左耳の方で束ねたサイドテールの女性。

 

 ……アタシは、この人に見覚えがあった。いや、まずその声で分かった。周囲の人間達も彼女の声音に反応してヒソヒソと話していくのだが、サングラスが確たる証拠にならず、自然と興味は失せていったものだ。

 ましてや、タイチ君という人物がヒゲ面なものだから、即刻とその可能性を切り捨てたのだろう。言われても多分気付かないとも思えるほどの、変人じみた変装だ。とても、あの輝かしい栄光に祝福されしチャンピオンだとは、誰も思うまい。

 

 と、周囲の目も気にならなくなってきた辺りで、アタシは彼女を見遣っていく。彼女は終始「やっちゃったーーーーー」と言わんばかりに手に口を押さえていたものだが、すぐにも歩き出してこちらへと合流してきた。

 

 黒いタンクトップに、濃い赤色のジーンズ。清々しいファッションで外を出歩くこの女性の正体は、このショウホンシティのジムリーダーである『ラ・テュリプ』さんだ。

 

「ごめんねっ。別にバラそうだなんて思ってなくって……!!」

 

「ハハハ、分かっていますよテュリプさん。それどころか、俺達の中にあるパッションを呼び起こしてくださるような、この心に響く素敵なイイお声でしたよ」

 

「あら、まぁ、ちょっと!! タイチ君ってば、褒めるの上手くなった!? こんな今更なオバサンを褒めたって、なにも良いことないよーーっ!!」

 

「いやいや、今日も若々しい――というか、実際に十分若いじゃないですか」

 

「もう三十路になる手前なのに、もー!! これだからタイチ君のこと好きになっちゃう!!」

 

「ありがとうございます」

 

 ラ・テュリプさんにバシバシと肩を叩かれるタイチさん。それに動じることもなく、タイチさんは清々しい決め顔をしていたものだ。……え、てかテュリプさん、三十路になる前だったの――

 

「それでそれで、なになに? タイチ君、もしかして。あ、耳貸して! ――もしかして、ガールフレンドできちゃった??」

 

「ガールフレンド、ですか。ッハハハ、俺にはまだそういうの早いですって」

 

「タイチ君だってもう二十二とかじゃん!? ガールフレンドをつくって幸せな家庭を築くのに打ってつけなお年頃なんだから!! ほら若いんだからもっとガールフレンドとイチャイチャせんかい!! もー、けしからんぞコラぁ!」

 

「で、こちらはガールフレンドではありません」

 

「って、違うんかい!!!!」

 

 すごくテンションの高いテュリプさん。その言葉と共にタイチさんの肩をバシィッ!! と叩き、これにはタイチさんも「うぉ」と動じていく。

 そしてテュリプさんがアタシを見遣ってくるのだが、これで会うのは二回目なものだ。すぐにもテュリプさんはまじまじとした目をこちらへと向けてきて、それを訊ねてきたのだ。

 

「……あっれー。どこかで見たような?」

 

「アタシ? ……うん。あの時、ジムで――」

 

「あ、あー!! もしかして、ケッコン・スルゾウさんのところの娘さん!?」

 

「え、誰っっっっ」

 

 驚きのあまりに、タイチさんよりも低い声を出してしまった。

 そんな一連のやり取りを見ていたタイチさん。アタシへと手を向けながらテュリプさんに説明をしていく。

 

「こちらは、ヒイロちゃんですよ。ほら、俺が開会式の時に」

 

「あ、あー! あの、ね! へー。それじゃあつまり、次期チャンピオン候補として見ていいわけ??」

 

 え、えー……。無駄にプレッシャーになるその言葉にアタシは言葉を失うのだが、それに対してタイチさんはタイチさんで自信満々に頷くもんだから、もはやどうしようもない。

 とかなんとかしていたもんだが、ここでテュリプさん、ようやくとアタシのことに気が付く。

 

「あれ?? でも。あー……。あの時の」

 

「たぶん、そうかも。控え室で落ち込んでいたところ、あなたに声を掛けてもらったから」

 

「やっぱり、そうだよね。――うんうん、やっぱね、こうしていろんな経験をしていく中では、辛いこととか苦しいこととかあるからね。わたしも大変だった時期があるけれど、こうやっていろんなことを経験していく内に、自分が強くなっていってる実感とか湧いてくるから!! それにね、悪いのはチャレンジャーであるヒイロちゃんじゃなくって、マナーを守らないような人達なんだからね! だから、そんな輩を見返してやろうよ!! まあ、だからと言ってわたしは手加減してらんないんだけどさ!」

 

 アタシがネットで晒された件は、ジムリーダーにも届いていたようだ。

 タイチさんが不思議そうな顔をしてこちらの会話を聞いている中、アタシはテュリプさんに包み込まれるような、落ち着くことができる温もりを感じることができた。ジムリーダー本人からこうして言葉を掛けられるだけでも只事ではないものだが、こうして実力を持った人から温かい言葉を掛けられてしまうと、こう、自然と気持ちが前向きになるというか――

 

 というところで、タイチさんがふと思い出したかのようにそれを口にしてきたのだ。

 

「っと、俺はそろそろ行かせてもらいますよ」

 

「タイチ君。ラオちゃんから呼び出されているんだってね」

 

「例の団体のことで分かったことがあるらしいんだ。ここでひっ捕らえた連中が中々口を割らないもんで、今は専門家に任せている。その間にも行動をしておきたくってね」

 

「ありがとね、わたし達の代わりに色々とこなしてくれて。本来ならわたし達のお仕事なのに、タイチ君にばっかり任せきりになっちゃって」

 

「構いませんよ。むしろ、これこそがチャンピオンとしての在り方だと思っておりますし。――じゃ、俺はこの辺で。ヒイロちゃんも、また縁があったら会おうね」

 

「タイチさん前もそう言って、ここでアタシに声を掛けてきたよね。アタシらの縁って多分、ここで途切れるような関係じゃないと思うの」

 

 アタシの返答に、タイチさんは爽やかな笑みを見せていく。一方でテュリプさんは甘酸っぱいものを見るかのような表情でニヤニヤしており、それからアタシは何だか、やけに恥ずかしくなってきた…………。



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迷路

 朝方のショウホンシティ。宿泊施設のすぐ近くにあったポケモン用の大きなグラウンドに訪れていたアタシは、そこでサイホーンとマホミルを戦わせて適度に運動を行わせていた。

 

 今もサイホーンがロックブラストを撃ち、それをマホミルがとけるで対応していく。そして、とけるによって上昇した防御力を利用する最強の一撃、その名もアシストパワーを繰り出してサイホーンにプレッシャーを与えていくのだ。

 先ほどから目の前で展開される熱い戦いに、ラルトスはアタシの膝の上で双方を応援していた。そんなアタシはと言うと、二人が戦っているその光景を眺めながら、昨日の場面を思い返して物思いに耽っていた。

 

 昨日、ショウホンシティのジムリーダーであるラ・テュリプさんと出会った。彼女はジムチャレンジの真っ只中でありながらも、与えられたわずかな休憩時間にショウホン城へと足を運んできた。その目的は、タイチさんが調べているという悪党共の調査の進捗を聞きに来たというもの。タイチさんに用があって訪れたその先で、アタシというちょっとしたチャレンジャーと出くわしてから少し話し込むことに……。

 

 というのが、あの後の流れだった。それからと言うもの、テュリプさんはアタシとタイチさんの関係にこだわった質問攻めばかりしてきたものだから、正直アタシは彼女と話していてとても疲れてしまったものだ。

 とは言え、彼女から学ばせてもらったこともそれなりにある。まずは、やっぱり前向きな気持ちを全面的に押し出したあの熱情。テュリプさんの勢いには終始圧倒されてばかりだったが、その力強いパワフルな活力には、アタシはテンションに疲れるという気持ちが一周回ってむしろ爽快だった。

 

 彼女の強さは間違いなく、あの元気な姿にある。テュリプさんの情報として前も見たものの、彼女の原動力は行方をくらました愛人を探すためという目的によるもの。彼女は今もジムリーダーとしてその存在感をアピールし、帰ってきた愛人に見つけてもらおうというれっきとした目的を持って行動している。

 

 ……れっきとした目的。最終的な目標。アタシが今の状況から脱することができないのは、おそらく自身の中に迷いがあるからだ。

 

「『どうぐ』コレクターとしての旅、に引っ張られているのかな。それとも、ポケモントレーナーとしての自覚が足りないのか……」

 

 悩んでも仕方の無いところばかりを考えてしまう。これは、アタシの悪い癖だ。

 だから、考える内容を変えることにした。アタシは目についたサイホーンとマホミルを眺めて、必死に根付いた思考を抹消しようとした。何に引っ張られているとか、何が足りないとか、そういうものではない、と。今のアタシに必要なものは、長期的に見た目標ではなく、目の前の、地道でありながらも確実に一歩前へ進めるような、小さな目標――

 

 ――わざ。アタシはそれを確信した。今のアタシが目標にするべきものは、わざだ。

 

「サイホーンとマホミルのわざを増やしたい。……ラルトスにわざを覚えさせようとした時も、こんなことを考えたっけ。その時も結局は失敗で終わってしまったけれど、あの時に起こしていた行動は、無駄だなんて思えない」

 

 ラルトスを抱きしめるアタシ。突然ぎゅっとされたラルトスも何だろうと思ったのだろうか、アタシの腕に手を乗っけてこちらへと向いてくる。

 ……そう。今は、目先のことだけに集中すればいい時期。アタシはこうして疑問に思ったことを追求し、がむしゃらに頑張ってみる期間なのだ。

 

「サイホーンとマホミルに、新しいわざを覚えさせる。方法や手段はこれから考えるけど、アタシなんだか、何となく“あれ”ができてしまえそうな気がするんだよね。ほら、ラルトス。前にもハクバビレッジで、技エネルギーを吸収するって石に、ライチュウの10万ボルトを吸収させてボルトネジでぐりぐりしていたやつ。あの時にアタシが引き起こした停電とかも、あれきっと、石から放出された技エネルギーが壁とか天井を巡ったからなんじゃないかなって思ったの。ショウホン城にもさ、技エネルギーを張り巡らせることで衝撃を吸収しているって話があったでしょ。――なんか、ここから、わざを作ったりすることができないかなって、アタシ思ってるんだ」

 

 要は、アタシは今、“わざマシン”となる代物を自力で開発してみようと意気込んでいた。

 何かが分かりそうなのだ。理屈も根拠も無い、完全な感覚による脳内実験の結果が、アタシにそう告げている。タイチさんも昨日、周囲に溶け込んでいたカクレオンの居場所が分かったというそれも、感覚というか、直感というか、そんなもので分かったんだと言っていた。

 

 つまり、そういうものなのだ。アタシは、自分の中で納得がいった。そして、この納得に自分が自信を持つと、どんなに無謀で実現できる可能性が低くても、自然とやる気が出てきて前向きな気持ちになれる。そう、この前向きな気持ちこそが、ラ・テュリプさんの強さでもあるのだ。

 

 よっしゃ、頑張ろ! 気合いを入れたアタシは静かに「うっし!」と呟いていく。

 ――と同時に起こった大惨事。マホミルのマジカルシャインが周囲に放たれると、その攻撃は周りのポケモンにも直撃してしまってトレーナー達から睨まれてしまった。

 

「え、あ!! ご、ごめんなさい!! ちょ、マホミル! ストップ!! こら、ストップ! ストップって言ってるでしょッ!! まって、とまって――って、サイホーン! おいおいおい! こらこらこら二人共、止まって!! おい、待って。おい、おいコラ!! おいゴルァ!!!! 止まれや二人共ッッ!!!!」

 

 

 

 グラウンドから逃げるように立ち去ったアタシは、ラルトスを抱えてショウホンシティの中を歩いていた。

 趣のある和風の商店街。ここからでもショウホン城が見える小さな街道は、人々やポケモンが行き交う活力にあふれた景色を展開している。

 

 道中、アタシはショウホンせんべいというお菓子を売っているお店で買い物をした。急にせんべいが食べたくなったものだから。

 お店の看板ポケモンである、ルンパッパというパイナップルのようなカッパのポケモンに見守られながらのお会計。口を開いたまま陽気な表情でじっと見てくるその視線は、アタシが店を後にしてもなお、向けられていたことだろう。

 

 で、買ったせんべいをラルトスと分け合いながら、歩き食いでボリボリ食べていく。途中、ナンパっぽい感じで男達に声を掛けられたものの、アタシはそれを適当に断わって歩いていき、人混みに隠れるような進路で彼らから離れると、そこで辿り着いたのが、赤い花が咲き誇る木々の広場。

 

 和風なテイストのショウホンシティに、赤い花々。古き良き空気と交わった情熱的な赤色に惹かれてしまい、アタシはこの場所で考え事をしながら過ごすことにした。

 木に寄り掛かりながら、周囲を眺めていく。人が少なくて、さっぱりとした空間。ここにいる人々やポケモンも、観光客という外部からの人間というよりは、普段からこの街で暮らしているような、通い慣れた感を醸し出す子供たち。ポケモンも、ヌマクローやダンゴロといったメンツで子供たちと遊んでいるものだから、なんだか微笑ましいなと思っていたものだ。

 

「アタシ、ジムチャレンジのことばかり考えていて、あまり周りが見えていなかったな。こうしてゆっくりと街を見て回ったり、いろんな人と話したりしている内に、自分がいつの間にか、目の前のことで精いっぱいだったことにようやく気付けた気がする」

 

 ラルトスをぎゅうっと抱きしめて、その頭に顔を埋めていく。

 

「……アタシなりのペース。自分なりのペース。今まで、それを最も重要としてきていたのに。アタシはいつの日からか、周りの目ばかり気にするようになって、自分の実力とか、現状の悪い所ばかりを見るようになっていて、この旅を心から楽しめていなかった気がする。――だから、今、思い出すべきだと思う。アタシは本来、このシナノ地方の各地に存在する色んなどうぐを見て回れる旅をしたかった。そして、これを今からでも意識するべきだと思う。だって、そうじゃなきゃ……これは、アタシの冒険ではなくなってしまうもの」

 

「人は誰だって、目的を見失ってしまうものよ。そして、自分の中につくり出した自家製の迷路に迷い込んでしまうの。それは、一度でも入ってしまったら最後、貴女はその迷路と永遠に向き合っていかなければならなくなってしまう。ここで大切になってくる心がけは、なにも思い出すことだけではないわ。――自分を許せるかどうか。嵌ってしまった思いがけない状況に対して、貴女はそこに嵌ってしまった自分自身を許せるかどうか。その状況に嵌ってしまった自分を許せるのであれば、その気持ちと共存する道を選ぶことも一つの手だと思うし、その状況に陥ってしまった自分を許せないのであれば、一時期でもいいから、素直にそこから距離を置くべきよ。……貴女は、今いる自分自身の状況を、どのように思う? 自分の中に問い掛けてみて。今の状況を、愉快と見ることができるのか、それとも不快として捉えてしまうのか。自分に素直になって、時間をかけながら、ゆっくりと考えてみて」

 

「んー……アタシはそれが簡単にできないから、こうして悩んでばかりになっちゃうんだよね。でも、ありがとユノさん。…………ユノさん??」

 

 アタシは、声のする方へと振り返った。

 同じ木に寄り掛かる、もう一人の姿。腹部の辺りで軽く腕を組んだクールビューティが、アタシを見守るかのように佇んで存在していた。

 

「いつの間に、そこに……。って、ユノさん。ちょっと、今までどこに行ってたの!?」

 

「ごめんなさい。私用で少しばかりショウホンシティを離れていたの」

 

「私用って……アタシ、あなたを見張っているつもりだったんですけど」

 

「どうしても外せない用事があって。いえ、何も言わずに出て行ってしまってごめんなさいね。お詫びに、貴女の相談事に乗ったりできるから。なんでも言ってちょうだい?」

 

「もー……。これ、ユノさんまた勝手にどっか行くパターンじゃん」

 

 ジト目でそんなことを彼女に言ってみるのだが、この言葉に対してユノさん、反応することなく微笑でそれとなく受け流していく。

 あ、絶対にまたいなくなるパターンだ。そんなことを思いながらもアタシは、それじゃあちょっと仕返ししてやろーなんて考えて「じゃあ、なんでも言っていいんだね?」と訊ね掛けていく。

 

 それに対しては、ユノさんはクールに笑みを見せながら「えぇ、いいわよ」と答えていく。おっしゃ、本人がそう言うんだ。アタシはしめしめと心の中で笑いながら、ユノさんに向けてそれを言ってみせた。

 

「じゃあ、アタシとポケモンバトルして!!」

 

 バッグから取り出したモンスターボール。アタシのそれに、ユノさんは「あら、そんなことでいいの?」と余裕な表情。

 

 いや、そんなことでいいの。だって、あなたとのバトルの中で、わざマシンをつくるにあたってのインスピレーションが湧き上がってくるかもしれないのだから。

 アタシは心の中でそう答えながらも突き出したモンスターボールで訴え掛け、こちらの目を見たユノさんもまた、寄り掛かっていた木から背中を離し、広場の方へと歩き出したのだ。

 

「それじゃあ、一戦交えましょう。手持ちは?」

 

「んー、本当なら二対二がいいんだけど、アタシの新しいポケモンがユノさんにどれだけ通用するのかを見たいから、一対一で!!」

 

「おっけー。どんな勝負でも一切手を抜かないから、よろしくね」

 

「手を抜かれちゃったら、この勝負の意味が無いし!! なめないでね!!」

 

 あのユノさんに堂々と食らいつく調子で返していくアタシ。なんだか急に沸々と湧き上がってきた闘志も、眼差しとなって表れていたのだろうか。こちらの様子を見たユノさんは次にも、穏やかでありながらも、真剣ともとれる表情でアタシを見遣り、そのまま手で広場へと促す様でポケモンバトルへといざなってきたのだ。



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痛感

 広場に吹き出す、強者のオーラをまといし穏やかな風。これは背筋に撫で掛けてくるかのような、得体の知れない不気味さを思わせる不穏の前触れ。

 しかし、この場における前触れは不穏だけに非ず。これは、アタシの未来に訴え掛けてくるかのような。例えるならば――試練を思わせる、緊張を届けに来る風のように感じられた。

 

 広場で遊んでいた子供たちとポケモンが、一気に静まり注目する。ボールを手に持つ男の子がじっと見据えた、赤色の花々が過激さを演出する和風のフィールド。ここに佇みアタシの前に立ちはだかったのは、風をまといながら軽く腕を組んでこちらを見遣ってくる、ユノさんの姿。

 

 ……相変わらず、雰囲気あるなぁ。敵対とまではいかないものの、彼女を相手にした瞬間から流れ込んでくる空気の変化は、まるで『クロベ湖』での戦いを思い出させる。

 ――これがもし、ユノさんが、タイチさん達の言う悪党共というのと同類だったとしたら、どうなるんだろう。そうでなくとも、もしユノさんが敵という立場でこうして相対したとしたら、アタシはきっと、気持ち的な面で終始圧倒されてしまうかもしれないと想像した。

 

 ユノさんが纏う空気は、あまりにも異質すぎる。まるで、この世界のものではないかのような異次元の存在感を醸し出す彼女の姿からは、その背後に形容し難い渦巻く謎の世界を見出せてしまうものだから――

 

「ルールは一対一。どうぐの使用は無しで行きましょう。どうぐを持たせるのはアリにするけれど、私は今回、そういった小物は所持させていないわ」

 

「ご丁寧に、手の内を明かしてくれてどうも……!」

 

 アタシは、手に持っていたモンスターボールを構えていく。こちらの様子にユノさんも合わせるようどこからともなく黒いモンスターボールを取り出すと、赤色と黄色のラインがゴージャスな印象を与えるそれを構えて、アタシらは一斉にそれを投げていった。

 

「マホミル!! ご所望のバトルだよ!! 存分に暴れてきて!!」

 

「ヒイロちゃん達をお願いね、ゾロアーク」

 

 繰り出された二体のポケモン。アタシのマホミルはボールから出てくるなり、今にも攻撃を仕掛けそうなほどの闘志を燃やした顔で浮いている。

 一方で、やはり出てきたユノさんのゾロアーク。長髪の赤いタテガミを結った人間型のそれは、出現するなり禍々しいオーラを放ち始めていて、アタシはこの時点で怖気づきそうだった。

 

「ヒイロちゃん。先行どうぞ」

 

「なめないでね、って言ったでしょ! ――ふふん、じゃあお言葉に甘えて!!」

 

 アタシの指示と共に繰り出されたマホミルのマジカルシャインによって、戦闘の火蓋は切られた。

 

 こうかはばつぐん! マホミルが血気盛んに放ち始めた全力の光が、フィールドを埋め尽くす。質量をもった光の粒がこの周囲に弾けるよう放たれると、ゾロアークはその粒の一つ一つを確認するようにギョロギョロと目玉を動かし、一気に駆け出してきたのだ。

 

 タテガミの鮮紅が残像としてフィールドに残り、マホミルの目の前に現した漆黒の姿。

 ――速い!! 相変わらずのそれにアタシは圧倒され、次にも繰り出されたゾロアークの突きによって、マホミルは開幕すぐに吹き飛ばされる。

 

 ゾロアークの動きに、無駄が無さ過ぎる。一連の動作も、まるで既に見てきたかのように潜り抜けることを容易いと感じさせる。吹き飛ばされたマホミルは、今までに相手したことが無いような強敵を前にして、むしろ逆ギレに近い表情を見せながら真正面から突っ込んでいく。

 

 って、いやいやいや!! 真正面から特攻したってまともに勝てないって――!!

 

「こうそくいどう」

 

 ユノさんの指示と共に、ゾロアークの姿は一瞬にして消失する。残像のみが頼りとなる数秒にも満たないヒントにアタシは目が追い付かず、それどころか、背後から感じられた気配に気付いたのも、自身が影に覆われてからであったものだ。

 

 アタシを飛び越える、漆黒の影。マホミルとは正反対の方向から現れたソレが目を光らせると、マホミルの液状の身体が急に、捻じれるように左右へ広がり始める……!

 

「じんつうりき」

 

 開いていた輪ゴムをとじる要領で、バチンッと元の姿に戻ったマホミル。だが、その反動で小さな身体が吹き飛ばされると、その先には邪悪な波動を両腕にまとって振りかぶっていたゾロアークの姿――!!

 

「ナイトバースト!」

 

 繰り出される、渾身の一撃。マホミルに叩き付けられると同時に発生したドス黒い衝撃波がアタシへと襲い掛かり、思わず数歩と引き下がりながら戦況を見据えていく。

 

 ……フィールドに埋まったマホミル。呼吸を荒くしながらもまだまだ大丈夫そうなその様子に、アタシはタイプ相性を思い出す。

 そっか。あの必殺技、なんか見た感じあくタイプっぽいから、フェアリータイプのマホミルはこうかがいまひとつなんだ。クロベ湖で見た惨状は、サイホーンがあの必殺技を等倍で食らっていたことによるもの。今回はタイプ相性では有利となる戦いであるため、アタシらの手の内が完全にバレる前に、一泡吹かせてやりたい……!!

 

「マホミル! マジカルシャインで自分の姿を隠して!!」

 

 アタシの指示と共に、カッと目を見開くマホミル。放たれる光は質量を以てしてゾロアークへと繰り出され、それに包まれたゾロアークもまた、こうかはばつぐんという相性もあってか、軽やかな動作で後方へと下がって距離を離していく。

 

 周囲に巡らされた妖精の淡い光。それにマホミルは姿を隠してゾロアークへと近付き……。

 という戦法であったのに、あろうことかマホミルはそのまま真正面からゾロアークへと突っ込んでいった。

 

 お、おいおいおい!!!! アタシが「マホミル!! 違うって!!」と声を上げていく様子を背景に、マホミルはマジカルシャインの輝きを身に纏う突進をゾロアークにかましていったのだ。

 

「じごくづき」

 

 脇をしめた鋭い一閃。ゾロアークの突きは突撃してくるマホミルの正面からぶつかり合い、抉るように振り抜かれたそれによって、マジカルシャインを纏っていたマホミルを退けていく。

 ウソでしょ!? タイプ相性的にはマジカルシャインが勝っているはずなのに!! アタシは目撃した実力の差に思わずと圧倒されてしまうのだが、一方で、マホミルはこの現実と直面してもなお、むしろ好戦的な表情をしかめていき、ブチ当たってやるぜ!! と言わんばかりにマホミルはまたしても、真正面から突撃していってしまうのだ。

 

「マホミル!! もっと戦略的に戦わないと!! 相手に突っ込んでいくことだけがバトルじゃないんだって!!」

 

「ヒイロちゃんの新しいお仲間さん、すごく面白いわね。血の気が多いマホミルだなんて、初めて見るかも」

 

 余裕綽々といった態度で、組んでいた腕を上げて右手を口元に添えていくユノさん。彼女はラルトスのように、目新しいものを好む性分の持ち主だ。今もマホミルが行っていく鉄砲玉のような戦い方はともかくとして、そんな好戦的なマホミルのことを、ユノさんはとても興味深そうに眺めている。

 

 ……クッソー。なめられるとかの問題じゃなくて、なんだか普通に恥ずかしい!!

 

「ええい、マホミル! ゾロアークの攻撃に合わせてとける!!」

 

「貴女のマホミル、後で触れ合いたいわ。――ゾロアーク。こうそくいどう」

 

 とっしんにも満たない頭突きでゾロアークへと飛び込んでいくマホミル。これを容易く避けたゾロアークは、残像をフィールドに置いて姿を消していく。

 ……どこからくる!? アタシは周囲を見渡してゾロアークの動向をうかがうのだが、次の瞬間にも、アタシは目を疑うような光景を目の当たりにすることとなった。

 

 ――アタシの視界に突然入ってきた、液状の身体を持つ小さなポケモン。ソレはキリッとした表情を浮かべてアタシの真ん前に現れるのだが、今もマホミルを捉えていたアタシは、突然と視界に現れたソレに「え?」と言葉を漏らす。

 

 マホミルが、もう一体……? アタシが混乱している間にもソレはフィールドへと飛び込んでいくと、その先にいたもう一匹のマホミルへと、攻撃を繰り出していったのだ。

 

「じごくづき」

 

 もう一体のマホミルから伸びた、獣と人間を足して割ったような邪悪の腕。可愛い風貌をぶち破るように出てきたそれは、ゾロアークの姿を見失っていたマホミルの背後から攻撃を食らわせて、吹き飛ばしていくのだ。

 奇襲によって地面に落ちたアタシのマホミル。唐突な出来事に顔を上げていくのだが、その先から迫るもう一体のマホミルが、こちらのマホミルへと怒涛の猛攻を仕掛けてくる。

 

「かえんほうしゃで逃げ場を無くして、こうそくいどうで惑わしてからいつもの連撃」

 

 あのマホミルが口を大きく開くと、液状の身体からは灼熱の炎が噴き出してきたのだ。

 ……いや、あれは見るからにマホミルじゃない!! この時にもアタシは、ソレが有する特性を初めて理解すると共にして、まだまだ広い世界の片鱗を味わうこととなる。

 

 アタシのマホミルを囲う炎。直接と攻撃してこない相手の行動に、アタシのマホミルはいつもの如く突っ込んでいってマジカルシャインを放っていくのだ。

 あぁ、もう!! 相手が攻撃してきたら、とけるをしてって言ったでしょ!! 内心で叫びながらも状況を見極めようとするアタシ。目の前の今起きている現象を注意深く観察していき、“ソレ”から繰り出される最強のコンボを食らわないよう細心の注意を払っていく。

 

 突っ込んでいったアタシのマホミルは、敢え無く返り討ちにされてしまった。マジカルシャインの光をことごとく回避していった相手のマホミルは、その鮮やかな動作で浮遊しながらこちらへと接近し、ただのタックルでアタシのマホミルを退けていく。もはや立ち回りのみであしらわれているこの状況に、アタシも、そして、アタシのマホミルも、目の前の立ちはだかる絶壁に絶望さえ感じてしまえたものだ。

 

 ――と、ここでアタシのマホミルは、急に動かなくなった。それを好機と見た相手のマホミルが真正面から突っ込み、再び漆黒の腕による突きでこちらへと攻撃を仕掛けてくる。

 これを冷静に見た、こちらのマホミル。ここに来てようやくととけるを使用してくれ、まずは突きの一撃を受けることに成功した。急な受け身の姿勢にユノさんも若干と眉を動かし、口元にあてがった手をそのままに、指示を行っていく。

 

「じんつうりき」

 

 うわ、それはどう足掻いても避けられない……!! アタシは「急いで離れて!!」とその場から離れるよう指示を送るのだが、マホミルはそこから動くどころか、ソレを迎え撃とうとマジカルシャインを放ち始めてしまったのだ。

 

 質量をもった光が、かえんほうしゃによる逃げ場のないフィールドを照らしていく。だがしかし、この行動も虚しく、マホミルはとけた状態でじんつうりきを食らってしまい、とけていたその身体を戻されてしまったのだ。

 その上、戻された身体はいつもの姿となりながらも、吹き飛ばされることもなくその場に留まってしまう。――じんつうりきの力で、マホミルは身動きを取れずにいた。

 

 前方から迫る、ドス黒いオーラを放ち始めたもう一体のマホミル。液状の身体は次第と黒く染まり始め、目元と口元、頭部に紅を浮かべ、段々と大きくなる身体は、人のような姿を象っていく……。

 液状のゾロアーク。ドロドロとした表面がアタシのマホミルを見下ろし、振り上げた腕からはドス黒い波動を溜め込んで必殺技の準備を整えていた。

 

 ――絶望的だ。アタシは、半ば諦めの境地へと至っていた。こうなってしまっては、もはや相性の有利不利の話ではない。悔しい気持ちが巡ってくると同時に実感した、まだまだ敵わない圧倒的な経験と実力。アタシはキャップのツバを摘まむようにして若干と下げていくのだが……。

 

 ……マホミルは、この状況を前にしても、決して諦めていなかった。

 

 視界に走り出した、マジカルシャインの質量ある光。アタシがそれに気が付いて視線を向けていくと、マホミルはなんと、もがくことでじんつうりきの拘束から抜け出していたのだ。

 ウソ。アタシは目を丸くして、マホミルを見遣っていた。――この時アタシは気付くことができなかったものの、アタシが諦めに達してお通夜のようなオーラを出していたその間にも、ユノさんはその揺ぎ無い眼差しを、じっと、マホミルへと向けていたのだ。

 

 ゾロアークのナイトバーストが繰り出される。破滅的な破壊力を持つその波動が眼前から襲い掛かろうとも、マホミルは勇猛果敢にそれへと突っ込んで姿を消していく。

 ドス黒い波動に呑み込まれた。アタシは行方をくらましたマホミルの身を案じるのだが、その心配もまるで不要。散らばった液状が波動から抜け出すようにゾロアークの周囲へと飛散すると、それは高速の修復を以てして、ゾロアークの目の前にマホミルの姿を形成していったのだ。

 

 今までに見たことのないわざ。少なくとも、マホミルはあのわざを覚えていなかったはず――

 

「おめでとう、ヒイロちゃん。貴女のマホミル、絶体絶命の窮地という逆境に立ち向かうことで、新たなわざを身に付けたみたいよ。見た感じ、じこさいせい、といったところかしら」

 

 じこさいせい。本来であれば、このわざは負傷した自身の身体を自力で修復することによって体力を回復することができるという、回復を主な目的としたわざだ。

 しかし、アタシのマホミルに限って言えば、血気盛んで好戦的なその性格が、わざわざ体力の回復という回りくどい立ち回りなどしないことだろう。マホミルはその回復するわざを、なんと戦闘中の立ち回りに応用してしまったと考えるべきだろう。

 

 自身の身体をとけるによって分散させ、その分散させた身体でわざを受け止めることにより、通常よりも受けるダメージを軽減させていく。それでもって、この状態で自分の身体を修復するという性質を持ったわざを使用することにより、散らばった身体を瞬時に元に戻すことで、すぐに戦線復帰するという回復以外の目的で、マホミルはじこさいせいを行ったのだ。

 

 ――あぁ、アタシって、なんてバカなんだろう。この時にもアタシは、自身の未熟さを痛感した。

 今も、あのゾロアークを相手に食らいついていくマホミルの姿。その勇敢な姿に対して、アタシはつい先ほど、無礼なことをしてしまった。

 

 ……自分のポケモンを、最後まで信じることができなかった。あぁ、もうダメだ。これではもう勝てない。その時にも抱いてしまった諦観の念に、アタシはひどく恥じることとなった。それも、今からこの腹を切ってでも、マホミルに詫びたいと思えてしまえるほどに、アタシは一人のポケモントレーナーとして、勇敢に戦ってくれているパートナーに対する無礼な行為を働いてしまったのだ。

 

 ――マホミルが繰り出す、渾身の一撃。秘めに秘めた、湧き上がる神秘的なパワー。とけるによって上昇した防御力を力に変換するその一撃は、あのサイホーンさえも吹き飛ばすほどの威力を誇る。

 

 最後に、力を振り絞ったマホミルの反撃。それはアシストパワーというわざとなって、眼前に佇むゾロアークへと放たれた。

 ……強力な一撃が、その漆黒の身体を呑み込んだ。見るからに、相手もただでは済まないことだろう。マホミルも、やり切った、とも言わんばかりの勇敢な表情を浮かべていたものの、次の瞬間にもその覆われた神秘の光から伸びた漆黒の腕。

 

 こうかが、なかった。マホミルの勇気ある最後の抵抗も虚しく、影のように伸びたゾロアークの鋭い突きの一撃を受けたマホミルは、吹き飛ばされてしまった。

 アタシは、そのマホミルを追い掛けて走り出す。――最後まで諦めない。この場面で痛感させられた、痛いほどの気持ちに任せるがまま両腕を伸ばしていく。そして、マホミルが吹き飛ぶ射線上に飛び出したアタシは、反動も顧みずに、抱き抱えるようにマホミルを受け止めた。



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開花

「あぁ、こら! マホミル!! 他の人のポケモンに攻撃をしちゃダメだって!! ――あの、本当にごめんなさい!! キズぐすりあるから、今これで治します!!」

 

 ポケモンセンターの駐車場に迸ったマジカルシャインの光。質量をもった粒が見ず知らずのマグマラシに降りかかると、トレーナーは驚きのあまりに尻もちを着きながら、アタシに不審な目を向けて不機嫌そうにしていたものだ。

 

 ユノさんとのポケモンバトルを終えた正午。アタシはひんしになったマホミルをポケモンセンターに連れていったのだが、回復して元気になった矢先にもマホミルは活力が有り余ってしまい、その衝動のままに他人に襲い掛かってしまったのだ。

 ほんとにもう、手の掛かるポケモンだ。アタシは呆れに近いため息をつきながらマホミルをモンスターボールに戻し、トレーナーとマグマラシにとにかく謝ってから、逃げるようにこの場を後にしてショウホンシティの中を駆け巡っていく。

 

 ラルトスを抱えたこの疾走。アタシはつい先ほどにも、ユノさんとのバトルで散々と思い知らされたばかりだ。……であるからこそ色々と巡ってしまう思考を、まるでミュージックプレイヤーの音楽のように脳内で流しながら、アタシはただただ、体力が持つ限りこの足を走らせていくのだ。

 

 今こうしているアタシの駆け足に、これといった意味は無かった。ただ、こうして目の前に続く道をひたすらに走り続けていると、今までにアタシが辿ってきたこれまでの道のりを振り返っているような気がしてくるのは、アタシだけだろうか? 自身の成長や未熟な所とかを、客観的に見ることができる。こうして無意識の思考に身を任せた状態のアタシは、ある意味で無敵であると思う――

 

 ――今も、アタシの周囲には様々な記憶が巡っていた。和風テイストの石畳を辿るこの道のりの背景に浮かべた、ラルトスとの出会い。ポケモン嫌いだったアタシはラルトスに驚かされて、そのまま卒倒してしまったのももはや懐かしいとさえ思えてしまう。

 そこから始まったこの旅路。思い付きで臨んでしまったジムチャレンジも、今ではアタシをより高みへと導いてくれる試練となり、昨日の自分よりも着実と成長しているという実感を得られる機会となっていた。

 

 サイホーンとの出会い。マホミルとの出会い。まだまだ新鮮な記憶の中に現れた、とある場面。

 ハクバビレッジの宿屋にて、わずかな照明の中で行っていた技エネルギーの研究。その部屋に迸ったとも言えるでんきタイプのエネルギーが部屋の照明を落としていくと、アタシは気付けば、それをショウホンシティの宿屋の部屋の中で再現してしまっていた。

 

 手に持つ、シルフカンパニー製のボルトネジ。それをぐりぐりと擦り付けた跡が残る技エネルギー吸収石がテーブルに置かれていたものだが、再現できたことを告げる停電した真っ暗な部屋の中で、それが今どこにあるのかもよく見えない。

 

 視界が暗くなった部屋の中、ラルトスが角をピカピカと光らせていた。きっと、この暗くなった部屋を自分の力で明るくしようと頑張っていたのだろう。その努力こそは虚しいものの、なんだか可愛いその仕草に癒されながら、アタシは思考を巡らせていった。

 

 ……あの時の再現はできた。やっぱり、このボルトネジが関係ある。で、このボルトネジの性質とぶつかった技エネルギーの塊は、その衝撃を受けることによって周囲にエネルギーが分散――いや、放出? とにかく、そこに閉じ込めていたエネルギーを外部へと一気に流すというこの性質は、今後、何かに使えるかもしれない。

 

 同時にアタシは、技エネルギーを吸収する、というテーブルの上の石に興味を持ち始めた。……技エネルギーを吸収できるということは、つまり、そこに技エネルギーを留めることができるようになるということ。

 わざマシンという代物だって、そこに特定のわざを形成する技エネルギーが詰め込まれている……と思うんだよね。で、わざマシンを対象のポケモンにあてがい、その技エネルギーを対象へ刷り込むことによって、わざマシンの中で留まっていた技エネルギーがポケモンの中へと、流れ込む。

 

 ――つまり、アタシが今やった、この部屋の中にでんきタイプの技エネルギーを流す、というのと少なからずの関係がありそうだ。

 アタシは、自力で核心に近付いた気がした。ハクバビレッジの時には閃きもしなかった様々なこの思考達も、ラ・テュリプさんに敗北した後にフラッと立ち寄った、ショウホンシティのショウホン城のカラクリを知ったからこそのもの。

 

 ありがとう、ショウホン城。ありがとう、タイチさん。ありがとう、ラ・テュリプさん。……ありがとう、ユノさん。この日にも交えた彼女との一戦は、アタシに諦めないことの重要さと、ポケモンが新たなわざを覚える瞬間との立ち合いという大切な経験をもたらしてくれた。

 

 中央に穴が空いた円盤をバッグから取り出して、アタシは技エネルギー吸収石とボルトネジのセットを用いりながら、ほぼ夜通しでガラクタいじりに没頭した。――ベッドで横になるラルトスの寝息を聞きながら、直感に近い自身の性分を信じるがまま、理屈も根拠もアテにしない創作物を創り上げるために…………。

 

 

 

 三日は有したかもしれない。いや、三日で済んだと考えれば、上出来な方だと思える。

 朝方のショウホンシティ。まだ陽が昇る前の薄暗い時間帯に宿屋を抜け出したアタシは、目の下にクマを作りながら、前にユノさんとバトルした広場に訪れた。

 

 ヨーテリーと一緒に歩くお年寄りの夫婦と、ヤンヤンマを遊ばせている少年の横を通り過ぎる。――これから行うことは、周囲に人がいない方が好都合なのだ。アタシは人を避けるようにそれなりと歩いていくと、誰もいなさそうな場所を見つけてはバッグからモンスターボールを取り出し、そこからサイホーンを繰り出して頭を撫でていく。

 

「今から試すことはもしかしたら、あなたに大変な思いをさせてしまうかもしれない。でも、もしもこれが成功したら、アタシ達の戦略の幅はもっともっと広がると思うの。……同じ物を作れるかどうかは、微妙なところだけどね」

 

 力無くそんなことを口にしたアタシ。抱えるラルトスが見上げてアタシの顔を見てくるものだが、アタシはラルトスの頭も撫でて「大丈夫だよ」と言って落ち着かせ、それからバッグからごそごそと取り出した一つのケースを、パカッと開いていった。

 

 サイホーンも見守る、その手に持つ一枚の円盤。薄っぺらい上に今にも割れてしまいそうなボロボロのそれは、テープで補強された黄色のレコード。

 アタシはそれを、サイホーンの頭に乗せてみた。サイホーンはそれに抵抗することもなく素直に受け入れると、表情ひとつ変えずに、アタシの実験の結果を待ち続けるのだ。

 

「行くよ」

 

 アタシはそのレコードを、サイホーンに擦り付ける。

 ――瞬間、バチンッ!! と周囲に電流が迸った。目に見えたその現象にアタシは「ひっ!!」と思わず声を上げてしまい、サイホーンからレコードを離して様子を見た。

 

 ……じっと、こちらを見据えてくるサイホーン。さっさとしろとでも言いたげな何一つ変えない表情に、アタシは唾をゴクリと飲みながら再びレコードを近付けて、サイホーンの様子をうかがいながらもそのレコードを擦り続けていった。

 擦り出してから少しして、先ほども迸った電流は吸い込まれるようにサイホーンへと流れ始めていった。そして、サイホーンの身体は次第と電気を帯び始めていく。

 

 アタシは「大丈夫?」と声を掛けてサイホーンの容態に変異が無いことを確かめるのだが、そんなこちらの問い掛けに対しても、サイホーンはその表情のままじっとしているばかり。

 

 ――と、走る電流が次第と、既視感のあるものへと変化し始めていったのだ。それはアタシの目から見ても確かなものであり、言うなれば、わざを繰り出された際に発せられる“それ”と瓜二つであったものだから、この時にもアタシは、実験の成功を確信したのだ。

 

 ッパリン!! 強い電流が一気に流れ込んだことにより、サイホーンに擦り付けていたレコードが真っ二つに割れた。

 テープで補強していた部分を除いて、手からボロボロと零れ落ちていく変わり果てたその姿。アタシはこの破片を拾ってバッグに入れていきながらも、サイホーンの様子を見て異常が無いことをしっかりと確認する。

 

 サイホーンも、こちらをまじまじと見つめてきている。……うん、いつものサイホーンだ。それを確認してからアタシは周囲を見渡し、目についたポケモン用のサンドバックとも言えるカカシを見つけるなり、誰でも利用することができるその標的へと向けて、アタシはサイホーンに“それ”を命じていったのだ。

 

「サイホーン!! 10まんボルト!!」

 

 こちらの指示を受けて、サイホーンは内なるエネルギーのままに奮い立つ身体から、その鋭い光を繰り出した。

 バチバチッと流れる電流がサイホーンの身体から放たれると、それは流し込むように大気を伝っていって、標的のカカシへと直撃していく。

 

 そして、電撃を浴びせられたカカシ。その攻撃にしっかりと技エネルギーが込められていることを告げる黒焦げを見るなり、アタシは心からの達成感と共に「おっしゃあッ!!!!」とガッツポーズをしてみせた。

 

 この瞬間にも、アタシの研究まがいの創作の成果が、形として表れた。

 まさか、本当に上手くいくだなんて。未だに信じられないという気持ちでアタシは口元に手をあてがい、それからというものアタシはサイホーンを撫でまわしながら、この喜びのままに次なるステップへと進んだことを実感する。

 

 サイホーンは新しいわざを覚えた。それも、直感のままに組み立てたお手製の『わざレコード』が機能したことも証明することとなり、自分の秘めた才能の発見にも繋がったことで、アタシは自分に自信を持つことができたのだ。



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ラ・テュリプ

 夕焼けをバックにしたショウホン城は、その和風テイストな街並みに哀愁を思わせる、エモーショナルさを演出していた。

 古くからこの地方を見守り続けてきた伝統のそれを眺めるアタシ。ラルトスを抱えてこの景色を見ていると、夕焼けの淡いオレンジ色が、蜜柑色の髪を左耳に束ねたサイドテールのラ・テュリプさんを思い出す。

 

 ……次こそは、負けない。一度敗北している身として思うところは色々とあるけれど、その敗北の後から様々な出来事と出くわすことによって、気持ち的にも技術的にも、そしてポケモンバトルとしても一歩前進したという自信がアタシの背を強く押してくれている。

 

 後ろから聞こえてくる足音。それはアタシへと真っ直ぐ向かってくると、佇むこちらの横に立った女性は、そのサイドテールを揺らしながら語り掛けてくるのだ。

 

「わたしは、このショウホンシティが大好きなんだ。そりゃあ最愛の彼と初めて出会った場所って意味でも大好きなのだけど、それとは別に、本当にただ……ショウホンシティという地域のことが好き。大きいからいろんな人達やポケモン達と出会えるし、昔の人達が遺してきた歴史を尊敬しているところもあるから、それを廃れさせたくなくて、この手で継いでいきたいとも思っているの」

 

 そう言って、アタシの横に佇むラ・テュリプさんはこちらへと振り向いてきた。

 

「明日だね、ヒイロちゃん! この前の出来事が出来事だったから、わたしちょっとだけ心配してた。もしかしたら、挫けてしまってリベンジをしてこないかもしれないって思っていたから」

 

 夕焼けに照らされた、黄昏を帯びるアタシとテュリプさん。今もアタシの目の前には落ち往く太陽が姿を隠していくのだが、一方でこの隣には、また異なる太陽のようなお人が居たものだから、その灼熱の日差しの如く熱い存在感を醸し出す彼女に押されながらも、アタシは夕焼けを眺めたまま返していく。

 

「正直、あの時ばかりは落ち込んだよ。アタシ、やっぱりポケモントレーナーは向いていなかったなって。でも、そんな時にアタシの背を押してくれたのが、このショウホンシティと、ショウホン城。それと、タイチさんと、テュリプさん。あとは旅を共にしている仲間の女の人と、アタシのポケモン達。みんなが関わってくれたことでアタシは割とすぐに前を向くことができて、それから自分に対して新しい発見もできて、自信を持つことができた。もちろん、アタシのポケモン達も成長したし、新しい仲間が増えたから、二対二で戦えるんだから」

 

 黄昏の光源を目に反射させ、アタシはテュリプさんへと力強く振り向いた。

 ――こちらの眼差しをじっと見つめる彼女。直にもサングラスをかけていたテュリプさんはそれを手で上にずらし、こちらの目と合わせてから自信満々にそれを口にしてきたのだ。

 

「元から油断するつもりはなかったけれど、今回のヒイロちゃんに対して、わたしは一切油断できないかもしれない。――タイチ君もイイ子を見つけてきたね。タイチ君は見る目もあるから、彼が目星をつけたトレーナーってジムリーダーみんなが警戒するの」

 

「タイチさんには困ってるの。なんでアタシなんかにそんな期待して、いちいちハードル上げてくるんだろって。でもね、そのプレッシャーも、アタシに良い意味で緊張感を与えてくれているのかなっても思ってた」

 

「うふふ、やっぱお似合いだね!!」

 

「え?」

 

 ずいっ、と寄ってくるテュリプさん。一気に距離を近付けてアタシの顔を覗き込んでくる彼女に、アタシは一歩引いて圧倒されてしまった。

 

「わたしはね、恋愛の見る目はあるんだよ!! んーーー、やっぱねー、タイチ君も今までいろんな女の子と話してきているし、そんな場面をわたしはいっぱい見てきた!! でもねでもね! タイチ君があんなに活き活きとしながらヒイロちゃんと話しているところはね、わたし多分初めて見た!!! タイチ君はあんなにカッコいいクセに恋愛には恐ろしいほど疎い男の子でさー。ねえちょっと、ヒイロちゃん。やっぱ貴女達は相性すごく良いと思うから、いっそのこと思い切って付き合っちゃいなよ!! ちょっとタイチ君に大人の恋愛を教えてあげて!! ね!?」

 

 ……あぁ、やっぱりこういう話になるのか。

 ずいずいっ、とどんどん迫ってくるテュリプさんにアタシはただ一歩ずつ後ろへ下がることしかできず、そんなこちらにもお構いなしと色恋の話に情熱を注ぎまくる彼女は、困惑するアタシとラルトスに容赦の無いマシンガントークを繰り広げていったのだ――

 

 

 

 

 

 膝に乗せていたラルトスをモンスターボールに戻し、バッグの中に並ぶ三つのボールから、二つを今すぐにでも取り出せるように配置しておく。

 今も熱気に包まれた控え室。目の前では簡易的なスタジアムでポケモンバトルを行うトレーナー達がいたものだが、そんな活力あふれる様子とは無縁と言わんばかりに、アタシはベンチに座ったまま目を閉じていく。

 

 ――集中するんだ。今まで通りにやっていけばいい。ハクバビレッジの時には一切感じることのなかった重圧感に押しつぶされてしまいそうになるが、今ここで信じられるものは、敗北の後から学んできた様々な経験と、アタシについてきてくれるだけでなく支えてまでくれている、親愛なるパートナーの三匹のみ。

 

 いや、それで十分だ。気持ち的には十分に満たされている。心のピースに欠けた部分は無く、今のアタシは猪突猛進に前へと突き進む勇猛なチャレンジャーである。

 

 ……まさに、突進するサイホーンと、血気盛んなマホミルの二人を混ぜたような心境。パートナー達を十分に信頼し切れている証だ――

 

「次のチャレンジャーは、こちらへお願いいたします」

 

 名簿を持つスタッフの声でアタシは立ち上がり、手で促されたその通路を道なりに進んでスタジアムを目指していく。

 薄暗くて圧迫感のある通路の先には、煌びやかなフィールドが広がっている。それは前々回も前回も見た光景であり、今回の入場口も、いたって代わり映えの無い試練への一本道。今もこの心臓は張り裂けてしまいそうになるくらいに鼓動を響かせているのだが、これで三回目となる道のりに、アタシはだいぶ慣れを覚えていたものだ。

 

 ショウホンシティジムのスタジアムは、目と鼻の先にまで迫った。

 しかし、ここでアタシは一度立ち止まることとなるのだ。その理由もその通りで、どうやら先ほどまでの試合によってボロボロとなったフィールドを整えているらしい。今も慌ただしくゴローニャがハードローラーで整地を行っており、入場口付近にいたスタッフからは、手の合図で止まってくれと指示されたものだったから。

 

 アタシはそれに従って、あと一歩でフィールドに足がつくというその位置で決闘の時を待った。

 ……今も、このチャレンジャーの入場口の正反対にあるジムリーダーの入場口から、恋情の如き熱い存在感を解き放つラ・テュリプさんと見つめ合いながら――



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ジムチャレンジ ショウホンシティ

 アタシの番が来た。整地されたフィールドから「来てくれ」の合図を出され、それに従うようにアタシはこの足を踏み出していく。

 その一歩によって踏み入れた、既に知っているスタジアムの光景。まだまだ観客が少ない空席だらけの闘技場は、天井が吹き抜けとなっていながらも先ほどまでの試合による熱気が漂っており、これに触発されるかのようにアタシの身体は火照りを帯び始めていく。

 

 目の前の入場口から歩み寄ってくる、ラ・テュリプさんの姿。彼女は昨日までのラフな格好とは打って変わって、ジムチャレンジの正装なのだろういつもの見た目でアタシの前に存在していた。

 

 蜜柑色の髪を左側で束ねたサイドテール。軍服のような赤色の上着に、茶色のプリーツスカート。そんなテュリプさんと対峙してからというもの、アタシは「舞い戻ってきたんだからね」と言わんばかりのセリフを眼光で告げていき、相対する彼女もまた、リベンジに訪れたチャレンジャーに対する挑戦的な眼差しを向けていたものだ。

 

 

 

 がらりと空いた観客席が目立つショウホンシティジム。見るからに観戦者が少ないという実況し甲斐の無いそんな状況であろうとも、このスタジアムを見下ろすように設けられた実況解説席のブースには多くの関係者が行き交っていく。

 

 この日も例に漏れず二人の人間が居合わせており、本日も最初の試合から続投して数々の試合を盛り上げてきた。中には絶叫ともとれる大声をそのマイクに通してきたため、段々と枯れてきた喉を潤すためにペットボトルの水をガブ飲みしていく両者。それからヘッドセットの位置を直したり、この場のセッティングを任されたゴーリキーやカイリキーとのコミュニケーションを図ったり、二人のマネージャーであるストライクが眼鏡を掛けながら、鎌のような手で器用に紙を持っていて二人のスケジュールを管理していたりと、この席はこの席で独特な空気を醸し出していた。

 

 と、実況席についた男と、解説席についた男。その二人が慌てながらもテーブルに両腕を置いていくと、既に入場を始めていたチャレンジャーとジムリーダーの歩いていくその様子から、観客席へとその全容を余す事なく実況し始めていくのだ。

 

「はいはいはいお待たせしました! 私たちともあろう者がこの席に着かず何とする!! ではでは次の試合も続けて参るといたしましょう!! えー、皆さんもご覧の通りでございますが、チャレンジャーとジムリーダーの入場がすでに始まっております! さて、今日のショウホンシティで行われたジムバトルはですね、ご覧になられた方々を熱狂へと誘うどれもハイレベルな内容をお送りして参りました。が、ここで流れは新たに変わり、チャレンジャーの傾向はルーキー達によるフレッシュな熱い戦いという内容へと変化していきます。今も入場するルーキーズの先鋒は、ハクバビレッジジムのレミトリさんをサイホーン単騎で破った掟破りのルーキー。えー、今回このショウホンシティジムの挑戦は二回目となり、テュリプさんへのリベンジ戦とも言えるこの試合。チャレンジャーの前回の試合に立ち会えなかった我々としては、ハクバビレッジで魅せてくれたチャレンジャーのサイホーンに今回も期待で胸を膨らませております。ね、サカシロさん」

 

「そうですねー。ハクバビレッジでチャレンジャーが披露した、タイプ無効という相性の悪さを逆手に利用したあの戦術には、我々も思わず絶句してろくに実況解説もできなかったものですが、あれがまるで昨日のようにも思えてきますね。それくらい彼女が見せてくれたあの試合は、未だ鮮明と我々に思い出させてくれるくらいの、記憶に残る戦いでありましたし、正直、彼女がこちらのジムで一度敗北しているという事実が、ちょうどその場面に居合わせていなかった我々としては正直ちょっと信じられないくらいの、こう、チャレンジャーへの期待の高さがあるといいますか」

 

「えぇ、分かりますサカシロさん。おっと、両者共にスタジアムの中央に並びました! 期待のルーキーについて熱く語り合っていきたいところではありましたが、今もバチバチと火花を散らすお二人の対峙が、今にも始まるジムバトルを予感させます!! ――今回、我々が特に期待を寄せている新人のチャレンジャー対、ショウホンシティのジムリーダー、恋焦がれし淑女の二つ名を持つ、恋情の如き燃え滾る灼熱の覇者ラ・テュリプ!! チャレンジャーのリベンジマッチとも呼べる第二ラウンドが今、ここに来て幕を上げるーーーーーーッッ!!!!」

 

 

 

 おおげさだな。わざわざアタシにも聞こえるような声でそんなプレッシャーになること言わないでよ。

 心の中で呟いたその言葉。これが表情に出ていたのか、スタジアムの中央で立ち止まってからというものこちらと対峙したテュリプさんは、クスッと笑ってきた。

 

「気になる?? 緊張しちゃう??」

 

「べ、別に……。ただ、買いかぶりというか、アタシに期待されても困るっていうか……」

 

「もー、ヒイロちゃん若いんだから、そんな遠慮とかしなくてもいいのに」

 

「遠慮とかそういうのじゃなくて、ホントにアタシがそんな、すごいバトルをするトレーナーみたいに言われるのがちょっと、いやそれは違うでしょって言いたくなるというか――」

 

「ヒイロちゃん」

 

 後ろで手を組んでいるテュリプさん。可憐な少女らしい仕草を交えながらアタシのことをまじまじと見てくると、次にもそのセリフを口にしてきたのだ。

 

「わたしも、実況解説と同じ気持ちだから。――だから、手加減はできないし、次も絶対に潰すつもりだから、よろしく」

 

「ッ…………」

 

 恋情のように熱い彼女。しかし、今こうして相対しているテュリプさんの目からは、まるで凍てつく大地の如き冷たい視線を送られていた。

 ……本気モードだ。気持ちはすでに、ショウホンシティジムのジムリーダーとしての心持ちになったのだろう。彼女は負けていられないのだ。負けが続けばジムリーダーという地位から格下げされ、目立つ機会が減ることで失踪してしまった彼氏に見つけてもらえなくなってしまうから。

 

 ――テュリプさんは負けてくれない。自分が愛した人のため、彼女は全力でこの試合も勝ちに来る。

 

 送られてきた視線にアタシは若干と怖気づきながらも、いやいや自分も負けてられないからとアタシも負けじと視線を返していく。そんなこちらの様子にテュリプさんは目が笑っていない笑みを浮かべていくと、それと共にして審判から握手を促され、次に立ち位置へ移動するよう指示された。

 

 互いに背を向けて自分のポジションへと歩いていくこの道のり。これで三回目ともなるこの足取りだが、今も背中から伝わってくるプレッシャーは、レミトリさんの時や一回目のテュリプさんとの戦いとは全く別物となる、完全なる殺意と捉えてしまえるほどの寒気を感じられた。

 

 テュリプさん。きっと、一回目の時よりも強い。しかも、アタシをここで完全に仕留めに掛かっている。タイチさんから期待されているからなのか、はたまた実況解説に煽られてなのか。彼女の抱く思いはまるで推測することができなかったが、それでもアタシがやるべきことは、たった一つのみ……。

 

「……絶対に、勝つ」

 

 立ち位置で振り返り、スタジアムの中央へと向いていく。タイミングもほぼ同じといった具合にテュリプさんも向いてくると、審判が旗を手に持ちながら、いつものように試合開始前の恒例行事を行っていくのだ。

 

「ルールは二体選出のシングルバトル! ただし事情がある場合、一匹のみの選出も可能とする! キズぐすりといったどうぐの使用は不可。使用が認められた場合、使用者を失格と見なす! ポケモンにどうぐを持たせることも不可とする。こちらも発覚した場合には失格と見なすが、事情がある場合のみ持ち込み可能とする! なお、ポケモンの交代は各選手につき一度のみ可能とする! ——では、両者、モンスターボールを!!」

 

 審判が厳ついその声を上げていくと、それを合図としてアタシとテュリプさんはモンスターボールに手を添えた。

 

「構え!!」

 

 審判の手に持つ旗が前に掲げられると共にして、アタシとテュリプさんはそれぞれバッグと軍服っぽい上着のポケットから、モンスターボールを取り出して構えていく。

 ……負けない。絶対に。今回の戦いは、アタシに味方してくれる仲間が一人増えているんだから――!!

 

「両者、ポケモンを!!」

 

 高々と上げられた審判の旗。吹き抜けの天井を指していくそれが振り上げられると、アタシとテュリプさんは燃え滾らせた闘志のままに思い切りモンスターボールを投げつけていくのだ。

 

「お願い!! マホミル!!」

 

「燃え盛っていくよ!! クイタラン!!」

 

 モンスターボールから飛び出していく二つの影。一匹はアタシのボールから出るや否や早速とマジカルシャインを放とうとしたため、アタシは「待って!! まだまだ!!」とすぐさま必死に呼び止めてマホミルを振り向かせていくというカッコ悪い出だし。

 一方で、テュリプさんが繰り出したのは、アリクイのような外見をした、頭部が尖ったポケモン。名前はクイタランというらしいが、アタシはそれを初めて見るため、初っ端から気持ち的に不利を背負ってしまった気がして少し唸ってしまう。

 

 今すぐにも開幕する、アタシのリベンジマッチ。今回は二体構えているという前回と大きく異なる第二試合に、アタシは次第とばくばく鳴り始めた心臓を抱えながらも、すぐにも戦いたいと闘志を滾らせるマホミルと共に、その試合へと臨んでいったのだ。

 

「これより、ショウホンシティのジムバトルを開始する!! 互いに能力を発揮し合い、正々堂々のバトルを行うように!! ——では、ジムバトル……始めェ!!!!」



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VSジムリーダー・テュリプ その1

 モンスターボールから飛び出していく二つの影。一匹はアタシのボールから出るや否や早速とマジカルシャインを放とうとしたため、アタシは「待って!! まだまだ!!」とすぐさま必死に呼び止めてマホミルを振り向かせていくというカッコ悪い出だし。

 一方で、テュリプさんが繰り出したのは、アリクイのような外見をした、頭部が尖ったポケモン。名前はクイタランというらしいが、アタシはそれを初めて見るため、初っ端から気持ち的に不利を背負ってしまった気がして少し唸ってしまう。

 

「これより、ショウホンシティのジムバトルを開始する!! 互いに能力を発揮し合い、正々堂々のバトルを行うように!! ——では、ジムバトル……始めェ!!!!」

 

 この時にも開幕した、アタシのショウホンシティジムのリベンジマッチ。今回は二体構えという前回と大きく異なる第二試合に、アタシは次第とばくばく鳴り始めた心臓を抱えながら、すぐにも戦いたいと闘志を滾らせるマホミルと共にその試合へと臨んだ。

 

「マホミル!! マジカルシャイン!!」

 

 先手必勝!! アタシはマホミルの勢いに便乗するかのようスタートダッシュを決めていくと、その指示通りにマホミルは質量をもった光の粒を周囲へとばら撒き始め、クイタランの視界を一気にマジカルシャインで覆ってやったのだ。

 

 そのまま接近! マホミルお得意の真正面からの特攻。マジカルシャインで姿を隠したこの行動は相手から見えておらず、完全に有利な流れを掴んだアタシは一気に猛攻を仕掛けていくのだ。

 

「マホミル! とけるで分散して、そこからマジカルシャイン!!」

 

 クイタランの目の前に現れたマホミル。マジカルシャインから飛び出してきたそれにクイタランは身構えていくのだが、その眼前でマホミルは飛散するように分裂することで、その散り散りとなった姿をクイタランの周囲に配置していく。

 

 そして、そこからマジカルシャインが繰り出される。分散した身体にもマホミルの意思や感覚は通じており、それも身体の一部であるためわざを放つことができるのだ。

 クイタランを囲うように飛散したそれらから、広範囲のマジカルシャインがスタジアムに炸裂する。一気にマジカルシャインの光が増幅したこの現場は、間違いなく逃げ場などない八方塞がりをつくり出した。

 

 眩い妖精の明かりが、日が昇るスタジアムをより妖しく照らしていくのだ。その光は無数もの物理的な粒を解き放ち、それも相手を囲うように繰り出されたこの一撃によって、クイタランというポケモンはただでは済まない――

 

「――うそ、いない……!?」

 

 マジカルシャインが収まりかけたその視界。段々と光が薄くなってきて中の様子がうかがえるようになると、アタシは目撃した光景に、完璧だった出だしの作戦が敢え無く失敗で終わっていたことにようやくと気が付くこととなった。

 

 分散したマホミルがくっ付いて元の姿に戻ると、その足元にあった地面の穴を覗き込む。

 

 と、その瞬間———!!

 

「クイタラン! あなをほる!!」

 

 大気が揺らぐ震動。アタシは身体の前面で受けたそれに一瞬と理解が追い付かなかったこの時にも、マホミルがクイタランの頭に突き上げられて宙を舞っていた。

 あなをほる……!? 盲点だったと焦りを感じ始めたこちらに対し、テュリプさんは今が好機とクイタランに攻めを命じてくる。

 

「ほのおのうず!! そこから、ほのおのムチでいつものやつ!!」

 

 クイタランから繰り出されるほのおのうず。これは以前の敗北した試合でもテュリプさんのギャロップが行ってきたわざだ。

 この攻撃によって、マホミルとクイタランの周囲に渦巻き始めた灼熱の螺旋。燃え滾るそれに包み込まれたマホミルの姿が見えなくなってしまうため、アタシはスタジアムに取り付けられたモニターへと向いて状況を確認していくのだ。

 

 ……この目で直にポケモンを見られなくなってしまう。このわざは相手のポケモンを閉じ込めてボールに戻させなくするだけでなく、こうしてトレーナーの視界を遮ることでいつもの感覚で戦えなくするような、トレーナーにダイレクト攻撃を仕掛けることもできる厄介なわざだ。

 

 そして、テュリプさんはこのほのおのうずを扱うのがすごく上手い。次の時にも指示されたほのおのムチをクイタランが繰り出していくと、口から取り出した紅の鞭を両手に持ち、ほのおのうずに混ぜるなり渦巻く螺旋の勢いに乗せてバリケードをつくり出していく。

 

 もはや、ただの渦ではない。この灼熱は、マホミルを絶対に逃がすまいとした、このお手製リングの中で確実に仕留めるという死刑宣告そのもの。こうして自分に有利なフィールドをつくり出してきたテュリプさんは、続けてマホミルへと攻撃を仕掛けていくのだ。

 

「にほんばれ!!」

 

 クイタランが空を仰ぐと共に身体から放出される、ほのおタイプの技エネルギー。モヤモヤとなった赤いそれがスタジアムの吹き抜けに到達すると、その地点に遥か彼方の太陽と重なる、二重の太陽を生成していく。

 

 にほんばれ。ほのおタイプのわざの威力を上げるという効果を持つそれの影響により、この瞬間にもほのおのうずの勢いは更に増していく。しかもほのおのムチも増幅されたパワーによってほのおのうずを締め付けていくと、この地獄のような炎のリングは、縮小を始めていったのだ。

 

 これは、一刻も早くクイタランを倒さなければ脱出できない、デスマッチだ。それはもはやマホミルのとけるでは抜け出せないほどの燃え滾る竜巻であり、もしも縮小するこれに挟まれてしまったら最後、マホミルは生きて帰れるかさえも分からない。

 ……命の危険さえも感じてしまえる。目の前で引き起こされたテュリプさんの灼熱地獄を前に、アタシは届いてきているほのおのうずの熱で汗を流しながら、モニターへと指示を送っていく。

 

「聞いて、マホミル!! 自分の体力が無くなってきたと思ったら、じこさいせいで回復!! 突っ込むだけがバトルじゃないから!! ユノさんとの戦いでそれを学んだと思うの!」

 

「いいねー、ヒイロちゃん。イイ具合に焦ってる焦ってる。アタシのクイタランにどこまで食らいつけるのか、見物だね。ムッフフフ、以前よりも増し増しなわたしの燃え盛る闘志を、貴女のナイスファイトでもっともっと燃え上がらせてよ!!!」

 

 腕を組み、自信満々とこちらを見遣ってくるテュリプさん。その勝利を確信している顔がものすごく気に食わないと思えてくるけれども、アタシだってやればできるところを見せ付けてやるために、脳みそをフル回転させてこの状況からの脱し方を考えていく。

 

「クイタラン、れんごく!!」

 

 テュリプさんの命令は、容赦の無い無慈悲な鉄槌を予期させる。

 にほんばれに照らされたクイタランは、有り余る技エネルギーで全身から炎を噴き出していくと、それらを口元で収束させてマホミルへと吹きかけるように放ってくるのだ。

 

 れんごくというわざは、ほのおのうずやほのおのムチとは打って変わって、青色や紫色とも呼べる、深い青色が混じった怪しい紅で形成された炎だった。これに手を入れたらきっと、火傷した跡に永遠とこの怪しい炎が残り続けるんじゃないか。そんなじわじわと迫ってくる炎が初見であるアタシは、対処法も分からないまま取り敢えず避けるべくマホミルへと指示を送っていく。

 

「マホミル!! マジカルシャインで防ぎながら、にほんばれの太陽へと向かって!!」

 

 こちらの指示に、とても素直なマホミル。さすがにこの状況下ではいつもの特攻癖が発揮できないのだろうか、アタシの指示を受けるなりマホミルは恐ろしいほど言葉のままに従って行動していく。

 マジガルシャインを撃つなり、にほんばれへと飛んでいくマホミル。しかし放った眩い光はれんごくによって打ち消されてしまい、じわじわと迫ってきていた怪しい炎はにほんばれの影響を受けて、その炎をより一層とリング内に広げていくのだ。

 

 急いで飛んで行ったマホミルの行動も虚しく、あの小さな身体がれんごくの炎に呑み込まれてしまった。それからというもの周囲のほのおのうずと連鎖したれんごくは、さらなる火力で燃え広がってスタジアムの中に熱気を充満させていくのだ。

 

「マホミル!!!!」

 

 アタシは叫んだ。マホミルの身を案じる、精いっぱいの声音。こちらの様子にテュリプさんは得意げな顔を見せていくのだが、そこにアタシは、マホミルへとそれを命じていった。

 

「とける!!!! 溶けた身体でクイタランに降りかかって!!」

 

 命じたアタシの言葉に「え?」とテュリプさんが若干と眉を上げていく。

 と、アタシの命令と同時に、既に身体を溶かしていたマホミルは、分散した液状のそれをクイタラン目掛けて一斉に飛散させていったのだ。

 

 マホミル自体は、やけど状態を負った深刻な状態だ。誰がどう見てもマホミルの状態はろくに戦えそうなものではなく、今にもひんしになっても何ら可笑しくない絶体絶命の状況。

 それに加えての、灼熱のデスマッチをつくり出したほのおのうずが、マホミルを追撃する。もはやマホミルが助かる術は無い。誰もがそう思うだろうし、アタシだってそう思う。そしてきっと、マホミルだってそう思っていた。

 

 だからこそ、マホミルはアタシに全てを託してくれていた。いや、アタシを信じてくれていたとも言えるだろうか。ユノさんとの戦いでもマホミルは言う事も聞かず特攻をかまし続けていたものだったが、あの戦いの最後、吹っ飛んだマホミルを身体で受け止めたアタシの行動に何か思ったのだろう、あれ以来からマホミルは、ほんの少しだけアタシの言うことを聞いてくれるようになった。

 

 たぶん、アタシがマホミルといったパートナー達を心から信じられるようになったからだと思う。――ユノさんとの戦いで理解したからだ。あの時マホミルは負けると分かっていてもなお、最後まで諦めずに反撃を止めなかったその雄姿を見てから……。

 

「クイタランにくっ付いたら、じこさいせい!!」

 

 れんごくに包まれたやけど状態のマホミルは、クイタランの周囲にべちゃべちゃっと落下した瞬間に形成を始めた。

 じこさいせいによる、とける状態からの一瞬の復帰。分散した身体が一気に集束して形を成すという芸当は、マホミル自身がユノさんのゾロアーク戦でお披露目してくれたものだ。

 

 だから、アタシはそれを更に応用する!! マホミルがじこさいせいを繰り出したその時にも、クイタランの足元に落ちた身体の一部を軸にして、周囲に落ちていたマホミルをそこへ一気に集結させていく。

 

 軸の身体に引き寄せられたマホミルの身体は、クイタランの足元のそれへとどんどん集っていく。そして、それのすぐ近くにいたクイタランが移動しようと動いたその瞬間にも、集結したマホミルの身体がクイタランに覆い被さり始め、足元の軸へと引き寄せ、クイタランをじこさいせいによる再生に巻き込んでいったのだ。

 

 自身の身体に、液状であるマホミルがくっ付いてくる。それでいて、じこさいせいというノーマルタイプの技エネルギーが働くその力で足元の軸へと押されに押されたクイタランは身動きが取れなくなり、終いには、マホミルは自身のじこさいせいに巻き込むことによって、クイタランを完全に取り込んでしまったのだ。

 

 ほのおのうずの中に、プルプルとした質感のクイタランが必死にもがいている。このあまりにも予想外な反撃に目を見開いていたテュリプさんは、今クイタランに何が起こっているのかワケが分からないといった調子で、命令を出していく。

 

「ちょ、そんなのアリ!? クイタラン!! 急いで抜け出して!! れんごく!! れんごく!!」

 

「マホミル! アシストパワーでクイタランの攻撃を打ち消して!!」

 

 プルプルなクイタランかられんごくの炎が溢れ出す。それは直にも液状のコーティングを燃やし尽くすハズだったのだが、そこから繰り出されたアシストパワーは、とけるの防御力上昇によって威力が増えていたこともあってか、クイタランが何とか絞り出したれんごくの怪しい炎をことごとく相殺していってしまうのだ。

 

 そして、ほのおのムチによって縮小していくほのおのうずが、次第と二匹に迫ってくる光景。――にほんばれによって威力が跳ね上がったそれは、さすがに繰り出したクイタランであっても食らったらタダでは済まないことだろう。

 どうせ、このリングから抜け出すためにあなをほるを覚えさせているんでしょ。アタシはテュリプさんの心の中を読んで先読みし、ほぼ同時に繰り出された彼女の指示と被せていく形で、マホミルへと命令していく。

 

「クイタラン!! 急いで、あなをほる!! ――いや、ほのおのムチでマホミルを解いて!!」

 

「マジカルシャイン!! 今ならどんなにぶっ放してもいいから、とにかく今のあなたが繰り出せる全力のマジカルシャインでクイタランを制圧して!!」

 

 液状のコーティングを突き破るように繰り出されたほのおのムチ。しかしその鞭が見えなくなるほどの眩い光が視界の中央で煌めき始めると、質量をもった光の粒が周囲へと溢れ出し、中にいるクイタランを力づくで制圧していくのだ。

 

 そして、二匹と触れ合うところまで縮小したリング。ギリギリというところで完全な姿に戻ったマホミルは、あなをほるで最後の最後まで逃げ出そうとしたクイタランに対し、わざでもない普通の体当たりをかまして行動を妨害していく。

 

 ――リングに挟まれた二匹。ほのおのムチによってしぼむように長細くなっていったほのおのうず同士が接触すると、にほんばれという効果もあってか瞬間的に巨大な火柱を生成。

 

 ドゴォォオッッ!!!! この世のものとは思えない灼熱の炎がスタジアムの中央に現れ、そこから渦を巻くように周囲へと広がっていった熱風に、アタシは被っていたキャップを飛ばされそうになる。

 それを手で押さえながら、アタシは一切と目を逸らすことなく行く末を見守った。これに注目するのはテュリプさんも同じであり、想定外のアクシデントによって自身らの作戦が失敗で終わったこの結果を、ただただ待ち続けるばかり――

 

 ――広がっていく火柱が勢いを弱め、それは次第と散っていくようにスタジアムから姿を消していく。そして、この消えていく火柱の中からうっすらと見え始めた二匹の影は、火柱が完全に消え去った頃には共に倒れた姿でスタジアムの中を転がっていた。

 

「マホミル…………」

 

 死亡まではいかない負傷だったものの、マホミルはこの試合で大ダメージを受けた。その姿は小さくありながらも、命を焼き尽くす灼熱の渦に怖気づくこともなく最後の最後まで自身の使命を全うしたマホミルは、真っ黒に焦げてそこに横たわっていた。

 

 一方で、クイタランも黒焦げになった状態で目をぐるぐるとしていた。こちらもひんしの合図を目に見える形で示しており、マホミル同様に立ち上がることすらも困難だろう。

 自分らの作戦に溺れたことによる敗北。この試合の流れは大きくこちらに向いてきたのを実感すると共に、審判が「クイタランとマホミル、両者のひんしを確認!! クイタラン、マホミル、戦闘不能!!」のジャッジを言い渡すと同時にアタシはマホミルへと駆け出していった。

 

 ここでハーフタイムとなった。テュリプさんはジムリーダーとしての貫禄でその場からクイタランをボールへと戻していくのだが、アタシはわざわざマホミルへと駆け寄ってから、その無事を確認して抱きしめていく。

 

「ありがとう、マホミル……! 怖かったよね。あんなのが迫ってくる中で、相手を道連れにするなんて。ポケモンバトルだから怖いことは色々とあるかもしれないけれども……それでも最後まで、アタシのことを信じてくれてありがと……」

 

 ここで、アタシは顔を上げる。どうやらポケモンのレスキュー隊が数名掛かりで駆けつけてきたようであり、すぐにもポケモンセンターへと連れていってくれる彼らにアタシはマホミルを託し、その場で軽く診てもらった後にマホミルをモンスターボールに入れ、ボールを彼らに渡してからその背を見送った。

 

 ……マホミルの勇敢なる行動によってもたらされたこの引き分けを、絶対に無駄にはしたくはない。アタシはスタジアムの中央に立つその状態で、テュリプさんへと見遣っていった。

 

 ――空間が火照りを帯びた、薄ら赤いものが漂う熱気のフィールド。火の粉も舞っているショウホンシティジムのスタジアムにて、アタシはこちらを迎え撃ってくるテュリプさんと本気の表情で向かい合った。




 次話の投稿は、10/07の朝を予定しております。


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VSジムリーダー・テュリプ その2

 クイタランとマホミルによる同時KOで、空席だらけのスタジアムではわずかながらのざわつきが聞こえてきていた。

 レスキュー隊にマホミルを預けたアタシはスタジアムの中央でテュリプさんと目を合わせ、互いに譲れないという勝利の争奪戦に双方の想いをぶつけ合いながらも、アタシはすぐにも踵を返して自身のポジションへと歩いていく。

 

 その間にも実況と解説は大いに盛り上がりを見せていたようで、見下ろす形で設けられている実況解説のブースで賑わう声や音が、二人のつけているマイク越しからしっかりと聞き取れてしまったものだ。

 

「さぁさぁさぁさぁ!! これはまたとんでもないバトルを我々は見せつけられてしまったもんですが! やはりテュリプさんというお方は恋情の如き灼熱の使い手。彼女が扱うほのおタイプのわざは、他のほのおタイプのわざと組み合わせることによる連係を得意とした、自分のペースを保ちつつ戦う継続力に評判があるだけあってか、今回もまたド派手なコンボを見せてくれましたね!! これまでにも我々はクイタランを見て参りましたが、わざ構成を丸々と変えてきているその大胆さと、総入れ替えによる勝手の違う状況でありながらも彼女のコンボをしっかりと決めていくクイタランの練度の高さがとても目を見張る試合となったと思われます。が!! しかし、そんなテュリプさんとクイタランに食らいついていく我らがチャレンジャー!! まず一手目がサイホーンではなかったことに驚いてしまったものですが、サカシロさん、マホミルという新たなメンツも期待を裏切らない大活躍で存在感をアピールいたしましたね」

 

「そうですねー。そもそもとして、マホミルというポケモンは決して戦いを好むようなポケモンではないはずなんですよ。しかし、チャレンジャーのマホミルはこう、目が違いましたね」

 

「目、ですか」

 

「目、です。あの目は今にもクイタランを食ってやろうという捕食者としての、ガツガツとした戦意溢れるものを感じられたといいますか。マホミル系統は強い攻撃技をあまり覚えないものなのですが、チャレンジャーのマホミルはその数少ないレパートリーの中で、より勝利に近付くための一手を適切に選択していったその判断力がまた、素晴らしかったと思いました」

 

「サカシロさんありがとうございます。これまた随分と細かいところまで見ていらっしゃっております。さて、マホミルが圧倒的な不利を背負っていたあの場面で、よりチャレンジャーが勝利へと近付くための最善の策が決まったとも言うべきでしょうか。結果は引き分けという形で終わりましたが、この試合はまだまだ続く! チャレンジャーが持ち場に戻った今、その手には握りしめられたモンスターボール。その中には果たして、例の、鬼のような機動力を誇る重戦車が今か今かと待ち受けているのでしょうか!? ――チャレンジャーのリベンジマッチ、第二試合でありラストバトルでございます。この試合は果たして、どちらの勝利で終わるのでしょうか。最後の戦い、我々でしかと見届けましょーーーーッッ!!!!」

 

「よろしくおねがいしまーす!」

 

 

 

 足元が落ち着かない。右足と左足で、地面を踏み付けるように何度も何度も擦っていく。

 ……緊張しているんだ。とても落ち着かない気持ちが身体にも現れているのだろう、それを幾度と行っていく中でバッグから二個目のモンスターボールを取り出して、未だ火の粉が待っている熱気のスタジアムへと向いてから、この中央へとただただ見遣って、その時を待ち続けたのだ。

 

 双方の準備が整ったことを確認した審判。次にも手に持つ旗は構えられ、「両者、ポケモンを!!」と促していく。

 

 投げの構えを行っていくアタシ。そして、視界の奥では同じく取り出したモンスターボールを手に持つテュリプさんが、とても複雑そうな顔をしながらもアタシのことをじっと見据えてくるのだ。

 ……せーの。心の中でカウントしたそのタイミングは、テュリプさんとバッチリ。ほぼ同時のタイミングで投げた二人のモンスターボールからは、スタジアムに降り立つ二匹のポケモンが姿を現した。

 

「お願い!! サイホーン!!」

 

 短くそれだけを告げて、アタシは意識を戦いへと集中させた。声を掛けたサイホーンもまた、いつもの如く表情をひとつも変えないクールな佇まいをしながら、そこにどっしりと構えて戦闘の合図を待ち望む。

 

 一方、テュリプさんが繰り出したポケモンは、姿を現すなり荒い鼻息で両手を強く打ち鳴らしてきた。拳で殴り合わせるように行ったそれは衝撃波が見えるほどの威力であることを思い知らされ、そこから繰り出されるほのおタイプのわざを想像するだけで、アタシはタイプ相性では勝っているサイホーンであっても黒焦げにされてしまうんじゃないのかと不安を煽られることとなる。

 

 だるまのような、丸い体型。荒々しい顔でゴリラのような筋骨隆々な身体を持つそれは、アタシらを眼光で仕留めんとばかりに鋭く睨みながらも、口を開いて歯を閉じている、まるで勝気のままに笑っているかのような顔をしていた。

 

 アタシと向き合うそれに対し、テュリプさんは身体の後ろに手を回しながら自身のポケモンへと声を掛けていく。

 

「いい、ヒヒダルマ。あのチャレンジャーに対して、様子見の加減は一切不要。最初から全力全開の、燃え盛る灼熱の炎のように暴れ回っていいから!! ――でも、油断だけは絶対にしないで。今はまだまだ発展途上のトレーナーだけれど、あのタイチ君に一目置かれているものだから、深追いは厳禁で行こ」

 

 そう言い、テュリプさんはヒヒダルマというポケモンに言葉を掛けていく。そしてヒヒダルマは了解するかのように再び両手を殴りつけるように打ち鳴らして、アタシらへと構えていくのだ。

 

 審判が、旗を上げるべく双方のポケモンを見遣っていく。……共に準備は万端。厳つい顔でしっかりと頷いていくと、次の時にも、「バトル……始めェ!!!!」の合図と同時に旗を振り上げて最終ラウンドの開幕を告げていったのだ。

 

 ――先手必勝。アタシとテュリプさんが同時に指示していく。

 

「サイホーン!! ドリルライナーで接近!! 途中でけん制技が飛んできたらロックブラストで対応!!」

 

「いつものように、開幕フレアドライブ!!」

 

 じめんタイプのわざエネルギーをまとったサイホーンは、自身の周囲に渦巻く砂の力で走り出すなり、その回転力を機動に活かしてサイホーンならぬ素早い速度でヒヒダルマへと接近する。

 ヒヒダルマも、溢れ出したほのおタイプのわざエネルギーが強すぎるのか、命令の直後にも自身の身体に爆発を引き起こし、爆炎から飛び出していくかのように炎を纏いながらサイホーンへと走り出していったのだ。

 

 ……速い!! ヒヒダルマというポケモン、ゴリゴリのアタッカーという見た目にそぐわず、素で俊敏な素早さの持ち主だ。サイホーンのような重戦車系かと思っていたアタシは、目の前のポケモンの正体を知るなり作戦変更でサイホーンへと指示を言い渡す。

 

「あのわざ、なんだかすごく自信を持っていてヤバい気がするッ! サイホーン! ロックブラストで迎撃!! 相手を近付けない立ち回り重視で!!」

 

「ヒヒダルマをただの特攻隊長だと思わないことだよ! サイコキネシス!!」

 

 え!? アタシが驚きで見開いた目は、想定外のわざによって一気にペースを崩された自身らの不利を目撃することとなる。

 

 サイホーンが生成したロックブラストが放たれると、次にもヒヒダルマは目を光らせて前方の標的を捉えていく。そうして対象を定めていくと目に見えないわざエネルギーが働き始めて、サイホーンの放ったロックブラストが宙で静止してしまうのだ。

 

 超能力。その一言に尽きる。サイホーンのロックブラストを止めてしまったヒヒダルマは、エスパータイプのわざエネルギーを駆使して次の展開へと運ばんとしてきた。

 ロックブラストが、サイホーンへと襲い掛かってきた。今も次の岩を生成していたサイホーンは急ぎでドリルライナーの機動力で横へ回避していくのだが、ヒヒダルマが捉えた標的が本体へと移ったことで、サイホーンの身体がわずかに浮かび上がり、サイホーンはとても苦しそうな表情を見せていく。

 

 幸いにも、サイホーンの体重が重かったことでそれ以上のことはできなかったようだ。ヒヒダルマはサイコキネシスを維持したままこちらの様子をうかがってくるのだが、あの見た目をしてこんな繊細な攻撃を仕掛けてくるだなんて、思いもしていなかった……!!

 

「サイホーン、メタルバースト!!」

 

「おわっと! その手で来たか!」

 

 テュリプさんの、あちゃーという表情。アタシのサイコキネシスから逃れるための一手は有効であったらしく、今も持続するそれの威力を利用した反撃の一撃が、ヒヒダルマに襲い掛かる。

 サイホーンが放った鋼の光が、ヒヒダルマに一直線と飛んでいった。それを避けることもできなかったヒヒダルマがメタルバーストの一撃でサイコキネシスを解いてしまうと、それを好機と見たサイホーンが攻めへと転じて一気にロックブラストを放出していくのだ。

 

 大丈夫。アタシらは有利だ。自分に言い聞かせながら、緊張で頭が真っ白になる事態を防いでいく。こうして内面のケアを行いながらも見据えた目の前の光景には、テュリプさんが次なる策を講じる様子が見て取れた。

 

「なら、これならどうかな! ヒヒダルマ、じしん!!」

 

 両手で殴りつけるように打ち鳴らし、気合いを入れた勢いでスタジアムを叩き付けていくヒヒダルマ。この一撃は大地と大気の両方に伝わり、放ったロックブラストを粉々に粉砕し、サイホーンへと襲い掛かってくる。

 

 それはまずいって!! すぐさまドリルライナーでの機動力で避けるよう命じてサイホーンを動かしていくのだが、完全に隙を晒したアタシらへと向かって、テュリプさんは目を細めてしっかりと好機をうかがっていく。

 

「サイコキネシスで接近!! からのフレアドライブでサイホーンにぶち当たってッ!!」

 

 瞬間、ヒヒダルマは自身にサイコキネシスをかけることで、宙を浮きながらサイホーンへと接近してきたのだ。

 そんなのあり!? ドリルライナーで回避していたこの隙を潰すかのように続けて放たれたフレアドライブが、自身の身体が爆発するほどの溢れた技エネルギーでサイホーンへと突撃してくる。

 

 まるで、大砲のような一撃だった。爆発によって発出されたヒヒダルマの丸い身体がサイホーンへと突っ込んできたからだ。この攻撃を避ける余裕が無く、ドリルライナーの着地に合わせる形で豪快にぶつかってきたド級の一撃。ヒヒダルマに突っ込まれたサイホーンは、こうかはいまひとつであるにも関わらず鳴き声を上げて、アタシのすぐ傍まで吹き飛んできたのだ。

 

 地面と水平になるように飛ばされてきたサイホーン。着地で引き起こされた砂埃でアタシがむせていく間にも、再びほのおが爆発する音を耳にしてアタシは急ぎで目を開けていく。

 ――迫るヒヒダルマ。大砲に手足が生えたかのような絵面で一直線と走ってくる光景は背筋に恐怖を覚え、一気に上ってくる悪寒で死すらも予期する。このあまりにも破天荒かつシンプルすぎるゴリ押しがとてつもなく厄介であると感じたアタシは、すぐにも思考を巡らせてサイホーンへと命じていくのだ。

 

「すてみタックル!! タイプ相性では勝ってる! だから、サイホーンも真正面からぶつかっていって!!」

 

 こちらの命令に、サイホーンもノーマルタイプの技エネルギーをまとって一直線と走り出していった。

 対峙する二つの軌跡。共に一切の戦術も思わせない肉体同士のぶつかり合いは、衝突の直後にも引き起こされた技エネルギー同士の接触による大爆発で、スタジアムには轟音が響き渡る。

 

 一体何事だ! そんな様子で慌ててスタジアムへと駆け付けてくる警備員やスタジアム関係者。でもそんなのもお構いなしとアタシとテュリプさんは戦況をまじまじと見つめながら戦闘に集中し、今も激しいぶつかり合いを何度も繰り返していく双方のポケモンに、再び指示を出していくのだ。

 

「サイホーン! ドリルライナーで突っ込んで!!」

 

「いいねいいね!! コンボなんか気にしない技と技のぶつかり合い! ヒヒダルマ! 受けて立ってあげて! じしん!!」

 

 大地を殴りつける、剛腕から繰り出される破壊の一撃。アタシの足元にも伝ってくる強大なじめんタイプのパワーがサイホーンへと襲い掛かると、サイホーンもまたじめんタイプの技エネルギーをまとってその衝撃へと突っ込んでいく。

 

 そして、じしんの衝撃に耐えながらも衝撃の波をドリルライナーで突っ切ったサイホーン。そのままヒヒダルマと接触すると、こうかはばつぐんのままに強引と押し出していってスタジアムを引き摺っていくのだ。

 

 ヒヒダルマは、とても効いていると言わんばかりに表情を歪めていた。――だが、テュリプさんはむしろ、この不利な状況であろうとも真正面から受けて立ってくる。

 

「アイアンヘッド!!」

 

 ゴチンッ!!!! 鉄の音が響き渡るその戦況にアタシが身を乗り出していくと、次の瞬間にもドリルライナーを受け止めたヒヒダルマの額が、サイホーンの勢いを弱めて押し返し始めていた。

 

 それどころか、剛腕でサイホーンの身体をがっちりと掴んでいくと、そのままアイアンヘッドを何度も何度も食らわせていく。

 ガン!! ガン!! ガン!! こうかはばつぐんである攻撃をひたすら叩き込まれていくサイホーンが痛々しい表情を見せていくその様が、如何にあのサイホーンを苦しませているのかがよく分かるだろう。

 

「サイホーン! このままじゃあヤバイ!! メタルバースト!!」

 

「サイコキネシス!!」

 

 硬直するサイホーン。メタルバーストの鋼の光を繰り出そうとした時にも自由が利かなくなったのだろう。目の前のヒヒダルマが目を光らせてその身体を制御し、次第と退けるように動かしていくなり、再び爆発を引き起こしたフレアドライブの一撃を浴びせてくるのだ。

 

 サイホーンが、吹き飛ばされてきた。地面にめり込むようにズザザーッと長距離を吹っ飛ばされると、すでに減った体力でボロボロとなった身体をなんとか持ち上げて佇んでいく。

 タイプ相性では有利のはずなのに、むしろサイホーンが劣勢となって不利を強いられていた。アタシはこの状況にひどく焦りを感じていたものだが、しかしこの焦燥は、今にも見るヒヒダルマのとある変化によって、より悪化してしまうこととなる。

 

 フレアドライブの一撃も、高威力である分ヒヒダルマ本体にも負担がかかるのだろう。反動によるダメージも響いてきているのか若干とフラついてきたヒヒダルマは、先ほどまでの勝気の表情とは打って変わって、どこか自信の無いような、なんとも情けない顔を見せていたものだ。

 

 と、その瞬間にも丸まって宙に浮き始めたヒヒダルマ。色も野生味にあふれながらもダルマのような赤色だったその体色を、まるで石のような色となって姿かたちを変えてくるというもの。

 ――何が起こっているの!? 不利を背負ったこの状況で、更なる新たな要素を目にしたアタシの目には絶望が浮かび上がる。そんなこちらを何とも言えない顔を見てきていたテュリプさんは、身体の後ろで手を組んだまま、アタシへと言葉を投げ掛けてきたのだ。

 

「言ったよね? 潰すって。残念だけど、ヒイロちゃん。貴女が思っているほどジムチャレンジっていうのは甘い世界ではなくって、むしろ今まで順調に来ていただけでもヒイロちゃんは相当特別だった、と思うべきだと思う。もちろん、それは褒められたことでもあって、わたしはヒイロちゃんの快進撃を素直にスゴいと思えるから。……でもね、現実を知ることも大事かな。ヒイロちゃんはまだまだ未熟。なにもね、わたしに一度負けてしまった人だなんてヒイロちゃんだけじゃなくて、むしろね、ジムリーダーに負けてしまった人達ってのは、数え切れないほどにいるの。――それも、一回だけの敗北だけでなく、何度も、何度も、何度も何度も何回でも何回でも負け続けて、それでも挫けずにずっとわたしに挑戦し続けたチャレンジャーもこの目で多く見てきた」

 

 石像のような姿となったヒヒダルマ。浮かび上がって神秘的なものさえも感じさせる光景を目の当たりにしながらも、アタシは立ち上がったサイホーンと共に、これからが本当のショウホンシティジムの戦いへと臨むこととなる。

 

「すごく厳しいことを言っているかもしれない。でも、わたしがこんなことを言うだなんて、珍しいことでもあるかな。それくらい、わたしはヒイロちゃんに期待を持ててしまっている。それが現状。……戦っていて、なんだかいつも以上に熱く燃え滾ってくる。今、自分でも不思議に思うくらい、この胸の中はわたしの闘志で燃え盛っている!! ――レミトリが負けたワケだ。これからはわたし達、マジでチャレンジャーを潰しに掛かるから、覚悟しておいてッ!!!!」




 【あとがき】

 本日中(10/07)には次話を投稿したいと思っております。


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VSジムリーダー・テュリプ その3

 石像のような姿となった、これまでの野生味あふれる筋骨隆々な姿とは全く異なるヒヒダルマ。それが神秘的にもフワフワと浮いている光景の奥では、テュリプさんがマジの目つきとなってアタシらを鋭く捉えてきていた。

 

 ――テュリプさん、本気でアタシらを潰しに掛かってきている。今にもその眼光でアタシを降伏させようとする迫真の眼差しは、彼女もまたジムチャレンジで過酷な現実を見てきたのだろう証拠とも言えた。

 同時に、期待もしているからこの程度で挫けるんじゃない。そんなセリフも聞こえてきそうだった。タイチさんだけじゃなく、わたしも貴女のことを見ているんだからね。テュリプさんがその目でひしひしと伝えてくる言葉の数々に、アタシは圧倒されてしまいそうになるものの首を振って気分を変えていく。

 

 そして、自分の頬に強く両手を打ち付けた。あの変身前のヒヒダルマが両手を打ち鳴らすように打ち付けていたように、アタシも今、ヒヒダルマのように頬を両手で何度も叩き付け、痛々しく響き渡った肌の音と共に、真っ赤に染め上げた頬でアタシはテュリプさんを見遣っていった。

 

 ――痛みと、闘志で火照るように染めた頬。……ほら、気合い入れたんだからね。アタシだって、真正面から受けて立ってやる。挑戦的な目を向けてテュリプさんを煽っていくと、彼女はとても嬉しそうにニヤっと口元を吊り上げて、ヒヒダルマへと攻撃を命じていったのだ。

 

「サイコキネシスッ!!」

 

 ヒヒダルマの周囲に広がった、超能力の異空間。歪むとはまた異なる、形容し難い摩訶不思議な波が漂う空間をスタジアムに生成すると、これまでの超能力を遥かに凌駕する規模の力を披露すると共に、テュリプさんは次なる一手を繰り出していく。

 

「フレアドライブッ!!」

 

 ヒヒダルマが引き起こした爆発。それによってサイホーンへと突っ込んでいく物理のわざであるこれを繰り出すなり、ヒヒダルマはその爆発を超能力の異空間に残留させて、自身がまとっていたほのおタイプの技エネルギーを、サイコキネシスで操作し始めていったのだ。

 

 現状を説明するのならば、まずヒヒダルマはフレアドライブを繰り出した。しかし、そのフレアドライブを先ほどのサイコキネシスで操ることにより、自分とフレアドライブを切り離してきたのだ。

 切り離されたフレアドライブは、サイコキネシスが生み出した超能力の異空間に残留し始め、自分と分離したほのおタイプの技エネルギーを、ヒヒダルマはサイコキネシスによってラジコンカーのように操作することで、そのフレアドライブ単体を自由自在に操っている……というのが現状だ。

 

 そして、残留したフレアドライブは、ヒヒダルマが纏っていたその状態を維持したまま、なんと遠隔操作でサイホーンへと仕向けてくる。

 なんだ、それ! アタシはすぐさまロックブラストを命じ、サイホーンの攻撃でフレアドライブを打ち消して対応していく。しかし一方でヒヒダルマは再びフレアドライブを繰り出し、それを分離して操作し、サイホーンへと仕向けてくるのだ。

 

 どんどんと量産されるフレアドライブが次々と襲い掛かる状況に、アタシは内心で頭を抱えながらも状況の打破を考え始める。

 見るからに、ヒヒダルマがあの姿へと変化してからサイコキネシスが強くなった。逆にフレアドライブの威力が減っている気がすることから、どうやらヒヒダルマというポケモンは二つの姿を駆使して戦う種族であることが分かってくる。

 

 でもって、その二つの姿にはそれぞれ得意分野があって、どちらか片方が強力になり、もう片方は衰退する。今回の姿は、サイコキネシスのような特殊系のわざの威力が強まったように見えて、フレアドライブのような物理系のわざの威力が弱まっているように見て取れるから……。

 

「サイホーン! ヒヒダルマに接近して!!」

 

 こちらの指示にサイホーンはすぐ行動を起こし、ドリルライナーの回転力をまとって走り出すと、降りかかるフレアドライブを回転力による機動で避けていきながら着実とヒヒダルマへと迫っていく。そんなアタシらの様子に、テュリプさんは「さすがに分かるか……」と、小声で試すかのような言葉を漏らした。

 

 どうやら、アタシの推測は正しかったようだ。ヒヒダルマは接近してくるサイホーンを見るなり距離を離すように動き始め、しかも、こちらの接近を許さんとばかりに切り離したフレアドライブを仕向けて、進行の妨害に努めていくその姿。

 この戦い、アタシが詰めるか、テュリプさんが逃げ切るか。今もヒヒダルマの動向にしっかりと注目をしていきながら、アタシは勝利を掴むべくサイホーンの采配を執っていく。

 

「すてみタックル!! 飛んでくるフレアドライブはきっとタックルで相殺できる! あとはひたすら近付いて!!」

 

「ヒイロちゃん! それはちょっと安直すぎ! ヒヒダルマ、じしん!!」

 

 すてみタックルでサイコキネシスの超能力空間へと突っ込んだサイホーン。その行動を見るや否やヒヒダルマは全身から放ったじめんタイプの技エネルギーを異空間へと伝わらせ、地震という概念が覆る攻撃を行ってきたのだ。

 

 なんと、じしんさえも切り離したヒヒダルマ。その大地を揺るがす衝撃の一撃をサイコキネシスの異空間に残留させることによって、じめんタイプの高威力を有するその攻撃を空間に張り巡らせるという力業を可能としてきた。

 じしんというわざが、地面に伝わらず空間に残り続ける。すでに異空間へと突入していたサイホーンは残留したじしんをもろに受け、まさかじしんというわざを浴びることになったサイホーンが衝撃のあまりに空間の外へと弾き飛ばされていった。

 

 とんでもないはちゃめちゃな戦法にアタシは「うそっ!?」と声を上げて、頭が真っ白になってしまった。

 これじゃあ近付けないじゃん……!! じしんを防御壁として利用してくるヒヒダルマの破天荒な荒業に動揺する間にも、テュリプさんは容赦の無い策を講じてアタシらを追い詰めてくるのだ。

 

「サイコキネシス!! この異空間をどんどん広げてやる!!」

 

 ヒヒダルマから繰り出されるエスパータイプの技エネルギーが、着実と範囲を広げていく。

 このままスタジアムがサイコキネシスの空間に呑み込まれてしまったら、サイホーンは切り離されて残留するフレアドライブとじしんに袋叩きとされて、間違いなく一瞬でKOされてしまうだろう。

 

 ……どうする、この状況。この絶体絶命の窮地を、アタシはどうやって切り抜ける――!?

 

 ――いや、あるじゃん。アタシらには、重戦車ならぬ掟破りの切り札が。

 

「サイホーン!! サイコキネシスに突っ込んで!!」

 

 こちらの采配に、テュリプさんは目を丸くしてきた。

 あまりにも意外だったのだろう。まさか、通用しない策をもう一度試すだなんて。信じられないといった調子で驚きを見せてくるテュリプさんに構わず、アタシはサイホーンを走らせて好機を見計らうのだ。

 

 サイコキネシスで残留するフレアドライブが襲い掛かってくる。それに対してはすてみタックルでぶち破っていき、異空間へと突っ込んだサイホーンを確認するとすぐにも放たれる高威力のじしん攻撃。

 ヒヒダルマの身体から伝ったじめんタイプの技エネルギーが、サイホーンを包み込む。この空間に広がったこうかはばつぐんの技を食らって痛々しい顔を見せていくサイホーンだったが、その時にも鋼の光を放ちながら、反撃の一撃をお見舞いしていくのだ。

 

「メタルバースト!!」

 

 食らったダメージを、さらに増やして返してやる!! 身体を張った反撃の光が異空間を貫くなりヒヒダルマに直撃し、これを受けてよろけ始めたヒヒダルマへとサイホーンが一直線に駆けていく。

 だが、テュリプさんは更なるエグいわざを使用することでアタシらをより追い込み、加減を知らない猛攻を迎撃という形で行ってくる。

 

「出し惜しみはしていられないね! ヒヒダルマ! くさむすび!!」

 

 まずい――。弱点の中の弱点とも言える、相性最悪の必殺技。

 ここに来て、敗北が一気に濃厚となった。普段であればサイホーンの足元に生えることで絡まりながらもくさタイプの技エネルギーを与えていくそれであるが、今回はサイコキネシスの異空間へと伝わることで広範囲へと展開できる、もはや逃げ場の無い最強のわざへと変貌する。

 

 ヒヒダルマから切り離されたくさむすびが異空間に伝わることで、根っこの形となった技エネルギーがスタジアム全体へと広がった。

 今からこの空間を抜け出すこともできない。範囲外へ逃げようにも、くさむすびが伸びてくる速度の方がサイホーンのドリルライナーを上回っているため、あれを食らってしまったら最後、アタシの敗北が確定となる。

 

 あのくさむすびに対抗するには、あの攻撃よりももっと速い、迸るような一撃が必要となるだろう。

 しかし、アタシのサイホーンは重戦車。どっしりと構えて相手を撥ね飛ばす立ち回りには、そんな鋭利な攻撃を持ち合わせているわけもなく――

 

 ――いや、ある。

 

 見えた。

 絶望を凌駕した無心の域。すべての感覚が研ぎ澄まされたことで逆に何も感じられなくなったアタシは、悟りでもなく、降ってくるように見えた勝利への道筋をこの目で捉えながら、サイホーンへと“それ”を命じていくのだ――

 

「10まんボルトッッ!!!!」

 

 帯電するサイホーン。

 そんなまさか。後ろにやっていた手を口元に移してくるテュリプさんの視界にはきっと、次にも放たれる勝利への一手が迸ることだろう。

 

 重戦車から発出された雷撃。ツノの先端からバチバチと激しく大気を走ったそれは、くさむすびの根っこを上回る速度で突き進むなり本体のヒヒダルマを感電させた。

 予想外の攻撃が飛んできたことで、完全に油断していたのだろう。ヒヒダルマは攻撃を食らうと異空間を解除してしまい、しかも10まんボルトの追加効果でまひを発症したのか、痺れが取れないその身体は自由が利かなく、浮いていたそれはゴトンッと落ちて転がってしまった。

 

 逃してはならない。

 一気にもぎ取れ――ッッ!!!!!

 

「サイホーン!! すてみタックルーッ!!!!」

 

 腹から振り絞った、叫びの声音。回転力で機動力を得たサイホーンが一直線と進む光景に、テュリプさんも張り裂けんばかりの声を上げていく。

 

「暴れるよヒヒダルマッ!! 最後の最後までわたし達の闘志を燃やし続けてみせるよ!!! ダルマモードを解除して、フレアドライブッ!!」

 

 彼女の声を受けて、石のような身体から元の筋骨隆々な姿へと変化するヒヒダルマ。その顔に燃え滾る闘志を浮かばせて、痺れる身体で両手を打ち付ける気合いを入れながら、技エネルギーによる爆発を起こしながら真っ直ぐとサイホーンへと突っ込んでいく。

 

 もはや、意地と意地のぶつかり合いだった。勝利にこだわる戦略などを一かけらも思わせない脳筋の一手は、双方ともに衝突し合う力業での決着を渇望する光景でもあった。

 ぶつかり合った衝撃で、スタジアムの中央には爆発混じりの衝撃波が発生した。これは観客席に張り巡らされた、わざが飛んでこないようにするための透明の防壁にしっかりと伝わり、まるで台風の日の窓のようにガタゴトと音を立てていく。

 

 実況解説の声も音も聞こえない。今こうして耳に入る音は、スタジアムの中央で何度も何度もぶつかり合う二匹が起こす衝突音。すてみタックルとフレアドライブが同時に繰り出される力任せの景色をカメラがしっかりと捉えていく中で、今もサイホーンとヒヒダルマはただ眼前の相手を倒さんとばかりに己の身体をぶつけていくのだ。

 

 泥まみれの決闘。これは消耗戦だ。爆発と衝撃が繰り返されるスタジアムは地面が抉られ、伝わる衝撃波でアタシとテュリプさんはお互いに髪やスカートを揺らしていく。

 今もこの身体に全面的と浴び続ける、技エネルギーの猛々しい熱気。舞っていた火の粉は塵となって姿を消し、じきにもスタジアムには爆炎の黒い煙が漂い始めて視界も不良となる。

 

 それでも、サイホーンとヒヒダルマは魂を賭けてぶつかり合っていた。何度も打ち付け合うすてみタックルとフレアドライブ。共に体力が無い上に、わざの反動で更なるダメージを受け続ける決闘の名にふさわしい絵面。

 

 これほどまでに激しい撃ち合いを行ったのは初めてだ。もはや持久戦であるこれに、アタシは興奮のあまりに食いしばった歯から血を流しながら、この戦いの行く末を見守っていく。

 

 スタジアムのフィールドが、黒焦げとなって宙に舞い始めていた。それが二匹のぶつかり合いによる衝撃でより舞い上がり、噴き上がる爆炎も相まって、気付けばスタジアム内はむせかえるほどの黒煙に包まれた、火事も同然な灼熱の空間へと変貌を遂げていた。

 

 透明の防壁がある観客席からは、何も見えないだろう。実況と解説もなんだなんだと興奮のままに声を上げていくその音だけが聞こえてくる黒煙の視界の中、アタシは袖で口元を押さえながら、一切とその目を閉じることなく心眼で目の前の雄姿を捉えていく――

 

「サイホーン……ッ!!!!」

 

 大丈夫。アタシ達は勝てる。

 確信があった。こうして消耗戦に受けて立ったテュリプさんの痛恨のミスを、アタシは無意識にも理解することができていたから。

 

「あなたなら、絶対にやれるから……!!」

 

 わずかながらと見えた、二匹の姿。今も激しくぶつかり合ってわざを繰り出していく光景に、アタシは手を伸ばし、この広げた手の、指と指の間に見えた勝利への道筋を、しっかりと見据えていく――

 

「テュリプさん……。あなたの負けだよ……! 燃え滾る闘志が正々堂々の勝負を求めてしまったがあまりに、アタシのサイホーンが、あなたのヒヒダルマと同じ立場であると勝手に決めつけてしまったんでしょ――!!」

 

 ぶつかるサイホーンとヒヒダルマ。互いに限界を超えた、無我の境地へと辿り着いた悟りの顔を見せていく。

 意識による行動ではない。ポケモンという種族が生まれながらにして持つ、闘争を好む本能が織り成す衝突だった。

 

「どっちも、反動でダメージを受ける高威力のわざ……! それをお互いにぶつけ合っているんだから、二匹とも倒れていても何らおかしくないハズ……! ――でもね! アタシ達の勝ちなの、テュリプさん。なぜなら……アタシのサイホーンは、いしあたま、なんだから……ッッ!!!!!」

 

 見開く眼光。紅の瞳が捉えた、真正面の相手。

 纏う炎が爆炎を起こして自身と衝突する。それによって己の体力の限界を悟るのだが、トレーナーの勝利なんて関係ないと言わんばかりの、この戦いは自分の勝利で終わらなければ気が済まないと、そんな己の本能による主張とも言える渾身の一撃が相手に繰り出されると、その衝突を受けた相手は次にも揺らぎ、身に纏っていた爆炎を一気に解放してしまったことで、相手は背中から抜けるように炎を噴き出してしまうのだ。

 

 すてみタックルの一撃によって、黒煙が振り払われた。それと同時に見えた、サイホーンが渾身のすてみタックルを繰り出していく光景。アタシとテュリプさんが最後の最後まで見守る中、振り絞るかのような捨て身のタックルを受けたヒヒダルマはサイホーンに撥ね飛ばされ、その筋骨隆々な姿がスタジアムの宙に放り出されていった。

 

 丸い身体が空を舞って、華麗に吹き飛びながら回っていく。それが地面に落ちるとものすごい衝撃波と音を周囲に放ち、ゴロッ、ごろっ、と転がると、次にも意識不明とも呼べる深刻な状態となって、スタジアムの中で倒れ込んだのだ。

 

 ――沈黙が走るスタジアム。この状況に既視感がありながらもアタシは静かに唾を飲み、ジャッジを見遣る。

 ……こちらの視線に気が付いたジャッジ。ジャッジもまた目の前の光景にひどく困惑していたらしく、ハッとするなりサイホーンの根性で佇む様子を見てから、最終的な判断の下で手に持つ旗を力強く振り上げていったのだった――

 

「ヒヒダルマのひんしを確認!! ヒヒダルマ、戦闘不能!! ――ゲームセット!! 勝者、チャレンジャー!!!! ……レスキュー! 急げ! 至急、二匹の搬送を!!!!」



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省エネモードの完全オフデー (前書きあり)

 【削除した話について】

 昨日にも54話『裏側』を投稿しましたが、話の内容や文章の形に作者自身が納得することができなかったため、削除いたしました。

 その関係上、最新話である54話『裏側』にしおりを設定なされていた読者の方々には、お手数をおかけいたしますが、外れてしまったしおりの再度の設定をお願いしたく存じます。

 次にも話を削除する際には、その話の代わりにあたる次話を投稿した後に、前書きや後書きで該当する話を削除する旨をお伝えさせていただきます。

           ――肉まんたんこぶ――


 ショウホンシティの昼の時間帯。紅葉のような紅の花を咲かせた木が特徴的である、和風テイストの公園に移動していたアタシとポケモン達。今日一日はジムチャレンジのことを考えないと決めたアタシは、省エネモードの完全オフデーということで、この日は自分のポケモン達と触れ合いまくることに決めていた。

 

 そうして朝からショウホンシティを観光で巡り、アタシとラルトス、それと、ポケモンセンターから引き取ってきたサイホーンとマホミルはこの日、美味しいものをたくさん食べて過ごしていた。

 まぁ、こうして美味しいものをたくさん食べているのも、昨日頑張ってくれたサイホーンとマホミルへの感謝のためだし? 手に持つポケモン用のクレープをサイホーンに食べさせていく中でそんなことを考えながら、アタシはアタシでショウホンせんべいをバリボリ食べてショウホンシティの味を堪能していく。

 

 尤も、この完全オフデーに一番喜んでいたのはラルトスだった。今も公園のベンチに座るアタシの膝の上で、オボンのみをふんだんに使ったアイスクリームをものすごく味わいながら満足げに食べているその様子を、アタシは親バカのように眺めてはスマートフォンの撮影機能を浴びせるように写真を撮っていき、それをパパに送って自分達なりのオフの日を楽しんでいたものだ。

 

 ……とは言っても、マホミルは相変わらず落ち着きが無く、目を離すとすぐに他人のポケモンに勝負を仕掛けてしまうものだから困らされていた。今日もショウホンシティ巡りの最中にも、トレーナーのポケモンや野生ポケモンに勝負を仕掛けてはマジカルシャインを浴びせてしまうマホミル。アタシはそれに対して鬼のように怒鳴るのだが、これがマホミルの性分なのだろう、本当に普段は穏やかな性格なのかと疑問に思うほどの、とにかく血気盛んなその活力はまるで止まることを知らない。

 

 そして今は、こちらの事情に了承を得てくれたポケモントレーナーの男性が、そんなマホミルの相手をしてくれていた。例に漏れずマホミルが不意打ちを仕掛けてしまったにも関わらず、彼は物腰の柔らかさでマホミルの性格を把握。そして、こうしてマホミルの相手をしてくれているのだから、なんとも心優しい接待にただただ感謝するばかり……。

 

 公園に設けられたポケモンバトル用のコートで、男性トレーナーのウツドンがアタシのマホミルと戦っている。その様子をチラチラと確認しては手に持つせんべいに食らいつき、そして、アタシの足元で表情ひとつ変えずに寄り添ってくれているサイホーンが、そんなアタシ達を守るかのようにじっとしているのだ。

 

 ポケモンバトルが終わったのだろう。マホミルがすごく勝気な顔でこちらへと飛び掛かってきた。あぁ、勝った喜びを伝えたかったのかな。そんなことが直感で分かってしまえるほどのタックルをかまされて、ベンチに押し倒されるアタシ。

 スカートという服装で豪快に倒れ込んだものだから、中にはラッキーな男性諸君も居たかもしれない。とにかく、「ぶふぉッ!?」と低い声を出しながら倒れるアタシへと向かってきていた、ウツドン使いのトレーナーさん。物腰の柔らかい彼に微笑されてしまいながらもアタシはお礼を言い、この場を後にした彼の背を見送って、アタシはマホミルを抱えながらスマートフォンをいじっていく。

 

 ポケモンバトルの疲れで、ようやくじっとしてくれたマホミル。ホントに昨日、真っ黒焦げになるほどの重傷を負っていたのだろうか。あまりにも元気すぎて、いつになっても血の気が多すぎるマホミルが静かにアタシに抱えられているのも珍しいため、そんな様子もカメラでパシャリ。膝の上のラルトスもマホミルに場所を譲り、アタシの隣に移ってバッグの中を漁って、アタシ用の大きなキャンディを取り出して食べていくのだ。

 

 サイホーンも、まるで動じない。ほんと、マホミルとは対照的。内心で比べながらもアタシはスマートフォンをいじっていくのだが、ふと目についたとある記事を読むなり、アタシは背筋に走った寒気に恐怖を覚えることとなる――

 

「……シナノ地方に、大量のポケモンの――」

 

 口に出したくもなかった。今までのポケモンに無頓着なアタシだったなら、その内容を抵抗なく言葉として言い表せたことだろう。

 しかし、ポケモンに愛着が湧いてしまった今だからこそ、この記事にひどいショックを覚えてしまった。……その記事に記された原因不明の不可解な現象と、それによってもたらされた不慮の事故が、荒廃した大地にたくさんのポケモンの亡骸が転がることになったという。

 

 現地の写真付きで掲載されていたそのニュース。そこには、小さな身体から、大きな身体のポケモン達が転がっており、アタシは、死というものと遠くかけ離れた世界で生きていたことから、その写真に思わず一瞬だけ目を背けてしまう。

 ……だが、彼らの変わり果てた姿はまだまだ綺麗なものを写されているらしい。中には見るに堪えないほどの損傷を被った個体もいるらしく、ひどいものでは、種族の判別もできないほどの被害を受けているポケモンも混じっていたとのこと。

 

 ――そんな、あまりにもひどい現象が、このシナノ地方で……?

 

「こういった事例は、過去にも何度かあったハズなの。でも、地方を管理するお偉いさんや守護隊、それとその関係者が、この事実をなるべく公に出さないように手を回していた。こうした無関係の人々に深刻な影響を与えてしまうだろうと懸念され、この日まで、こういった事実はごく一部の人間とポケモン達だけで処理されていた。――でも、今回ばかりはメディアがいち早くと見つけてしまったみたいね」

 

 肩越しから聞こえてきた女性の声。とても聞き慣れた神出鬼没のそれへと振り向いていくと、そこにはベンチの後ろで、その背もたれに両腕をかけながらこちらを覗き込むユノさんが存在していた。

 

 ……目の下にクマをつくった、色白の肌とは不釣り合いのとても不健康そうな顔をしながら。

 

「ユノさん……」

 

「安心して。少なくとも、私が傍にいる限りは貴女達に悲しい思いはさせないから。――ほんの少しだけ明かすとね、その件に関わる関係者の立ち位置に、私はいるの。だからこそ言えることがあって、少なくともヒイロちゃんの周囲では、このようなことは決して起こらない。いえ、私が起こさせないから」

 

 アタシの肩に手を置いて、安心させるべく優しく肩もみを行ってくるユノさん。

 ……てか、ユノさんが、この件の関係者?

 

「ユノさん。まさかとは思うけど。いや、絶対に違うとは思うけど――」

 

「えぇ、違うわ。私は、その虐殺を食い止めるべく奔走する側の人間。その行為を働いた団体の正体も知っていて、私はそれを追いかけるために、こうして時々、姿を消していた……」

 

「……行為を働いた団体? それって、どういうこと? これって、なにかの自然現象とかの事故じゃなくて……?」

 

 アタシの疑問に、ユノさんは肩を揉む手を止めた。

 

 ――しまった。そんな顔を見せてきたユノさん。若干と曇らせた表情を浮かべては何かを考えるように視線を他に遣り、それからアタシの隣まで移動してきてその腰を下ろしてくる。

 

「忘れてちょうだい。これは、貴女が関わっていい案件じゃないから。貴女にはこれからも、至って普通の日常を送っていってもらいたいの。だから、これが人災であるということは……」

 

「うん。言わないようにする。だって、それでユノさんとか、その案件に関わっている関係者が困るんなら、アタシは絶対にみんなの邪魔になるようなことなんかしたくないし」

 

「……ありがと、ヒイロちゃん」

 

 力無く笑んでくるユノさん。そして、何かがプツりと切れたかのように、彼女は意識を失うようにアタシへ寄り掛かってきたのだ。

 ぐでっ、とこちらに身を預けるユノさん。完全に力を抜いているのだろう体重が掛かるこの重みにアタシは一瞬と押されてしまうのだが、目の下につくっていたクマから察するに、その案件とやらで相当寝ていない様子だったことは容易に想像できる。

 

 アタシとユノさんに挟まれたラルトスが、サンドイッチのようになって角だけを出していく。そこから脱出したい反面、二人分の身体に挟まれて温かいのだろうか落ち着いた様子も見せていて、アタシはあまり気にしないことにした。

 

 ……寝息。アタシは、自身の肩にかけられたユノさんの顔を見遣る。

 目を閉じて、完全に眠りについていた。――いつも、あんなにクールに佇んでいながらも、その美貌を台無しにするような変に活発な調子を見せていたあのユノさんが、こんなにも疲れ切って……。

 

「……ラルトス、マホミル、サイホーン。ごめんね、もうしばらくだけここに居てもいいかな」

 

 口元に人差し指を立てて、「シーッ」とするアタシ。こちらの意図にポケモン達も分かっていた様子で頷いたりしていて、皆で静かにしていたものだ。

 どうやら、省エネモードの完全オフデーはアタシ達だけではなかったみたい。それからというもの、アタシらは最小限の音だけで何かを食べたり動いたりして、ユノさんが目覚めるまで暫し、この公園で過ごしていたものだ。



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水面下の思惑

「……ラルトス、マホミル、サイホーン。ごめんね、もうしばらくだけここに居てもいいかな」

 

 口元に人差し指を立てて、「シーッ」とするアタシ。こちらの意図にポケモン達も分かっていた様子で頷いたりしていて、皆で静かにしていたものだ。

 どうやら、省エネモードの完全オフデーはアタシ達だけではなかったみたい。それからというもの、アタシらは最小限の音だけで何かを食べたり動いたりして、ユノさんが目覚めるまで暫し、この公園で過ごしていた。

 

 それから一時間は経過しただろうか。今もアタシの肩を枕代わりに、とても落ち着ける身寄りに任せるかのよう睡眠をとっていくユノさん。彼女の眠りようは尋常ではないほどの深い睡眠であるようで、寝息を立てながら瞑った目は、もう二度と覚まさないんじゃないかと思えるほどにしっかりと閉じられている。

 

 あのユノさんが、こんなにも疲労するだなんて。今までに見たことのない彼女の様子に、アタシはユノさんが追っているという“団体”が、如何に曲者たちの集いであるのかを何となく理解する。

 同時に、そんな“ヤツら”を許せない気持ちでもあった。……どうして、そんな“ヤツら”はポケモンにああいったひどいことを……!! 沸々と湧き上がる怒りに反応したのだろう、アタシとユノさんに挟まるラルトスが角をピカピカと赤く光らせてくる。

 

 その光を見て、アタシは自分が相当怒っていることを自覚した。うん、アタシが今ここで怒っても仕方ないよね。自分の現状ではどうすることもできない無力感と共に、だからこそユノさんやその関係者の皆さんが、そういった連中を何とかするべく解決へと働きかけてくれているんだ。そして、今のアタシにできることはただ一つであり、それこそが、こうして大変な思いをしてまで奔走してくれているユノさんが、安心して眠ることができる存在になること……。

 

 ……と、ふと脳裏に巡る記憶。そこに映る、タイチさんの姿――

 

『この周囲で悪さを行おうとした団体が、何者かによって捕らえられていたんだ。それも、その悪い奴らがマサク――世間的にはあまり知られていないほどの、狡猾で残忍な手段を強行するような、危険な人物達だったものだから。それで、警備員や守護隊までもが出動する事態になっていたんだ』

 

『ふーん。タイチさんはどうしてその現場に居るの?』

 

『俺は、シナノ地方のチャンピオンとして、こういう地方の問題にも関わっているんだ』

 

『へぇ、チャンピオンって大変だね』

 

『ありがとう、ヒイロちゃん。俺も最近ちょっと働き詰めで疲れていたんだけど、こうしてヒイロちゃんとお話をしたらなんか、元気出てきたよ――

 

 

 

 

 

「――わたしに来客? シナノチャンピオンのタイチ君がお見えになってる?? 分かった。彼のとこまで連れていって」

 

 ジムチャレンジの正装に身を纏うショウホンシティジムのジムリーダー、ラ・テュリプ。昼の休憩時間である休息の時に、ストロー付きのカップで水分補給を行っていた彼女へと声を掛けたジムチャレンジのスタッフ。

 

 本物のシナノチャンピオンにとても興奮していたスタッフの気分とは裏腹に、ジムリーダーは真剣な表情を見せてスタッフに案内されていく。その道中にも、軍服のような赤色の上着の襟を直したりとどこか緊張感を持っていた彼女は、ジムのエントランスの出入り口付近にて、案内の下で顔を合わせたチャンピオンの、変装した姿の前に現れる。

 

「タイチ君おまたせ。お疲れ様」

 

「あぁいえ、全然待っておりませんよ。テュリプさんこそ、常にお疲れ様です。土産に、チイラのみが効いたエナジードリンクでも買ってきたんですけど、どうです?」

 

「あのねー、三十路手前の女の人によく、そんな身体に悪そうなものを勧められるよね。タイチ君に彼女ができた暁には、女心を理解するための猛レッスンを強制的に受けさせてやるんだから。――ま、わたしは女としての消費期限が過ぎるし、そんなの関係無しに貰っちゃうんだけどねー!」

 

「消費期限だなんて、そんな。安心してください。こちら買ってきたばかりなんで、そこら辺は気にしなくてもいいんですよ。ハハハ」

 

「消費期限って、女としての、だよ? もー、タイチ君。そういうところが女心を分かって……もういいから、ほらちょうだい! 昨日のヒイロちゃんとの戦いといい、最近の若い子はエネルギッシュでわたしついていけなくて。すっごい疲れてたから、むしろそういう身体に悪いものがちょうど良かったんだ!」

 

 手渡された缶を受け取り、ジムリーダーはそれをグイグイと飲み始める。この飲みっぷりに、それの味を知っていたのだろうスタッフは「あんなに辛いやつを、ヤベー……さすがほのおタイプのジムリーダー……」と思わず零してしまう。

 

 そんな彼の言葉に、ジロッと視線を送る彼女。スタッフは送られたそれに気まずそうにしながら、誤魔化すように苦笑いをして「では、あちらでお待ちしております……!」と言い、逃げるようにこの場を後にした。

 

 プハーッと半分ほど飲んだところで、彼女は目の前のチャンピオンへと向いてきた。

 ――恋情の如き燃え滾る灼熱を感じさせないほどの、とても深刻そうな顔をしながら……。

 

「タイチ君。あれはどういうことなの?」

 

「しくりました。俺がもっと早く駆け付けていれば、あの現場を嗅ぎつけたメディアを追い返せていたと思うんですが」

 

「別にタイチ君は何も悪くないって。むしろ、ああいう事を事前に防いだり対応してくれたりしてくれてるタイチ君には、ジムリーダーや守護隊のみんな感謝してるんだって。タイチ君は、一人で背負いすぎなところあるんだから。――本当に悪いのは、あんなことをしでかせる異常な精神の“マサクル団”なだけ。ただ、広まっちゃったね。世間に……」

 

「幸いにも、想定していたような、地方中が大混乱に……とまではいかないようですがね。それもどうやら、あれが人間の手による所業とは思われていないようで、不幸中の幸いと言いますか。しかし、“彼ら”の手にかかってしまったポケモン達が気の毒で、一刻も早く“彼ら”の居所を掴みたいところです」

 

「わたしも同じ気持ちだよ。この思いは、わたしやレミトリ、ラインハルトさんだって、ラオちゃんだって、他のジムリーダーとか関係者みんな思ってる。でも……今回の“マサクル団”、前よりも厄介になってない?」

 

「だいぶ慎重ですね。以前も人の目を忍びながら虐殺に勤しんでいた“彼ら”ですけど、どうやら今回は特に、時と場所を選んでいるように見える。前なんかは、俺が後から駆け付けても、そこにあった痕跡やらで“彼ら”の居場所を特定することができたもんだが、今回はしっかりと証拠隠滅されていて、俺もその居場所を掴むことができなくてですね」

 

「レミトリからも、なんか連絡来てなかった?」

 

「ハクバビレッジのコタニの山で、似たような形跡で処理されたポケモンの亡骸が発見されたという話ですね。それも、一種類のポケモンに絞って行われた行為であることから、“彼ら”は明確な目的を持って今回のような行為に及んでいると考えていいかもしれない。……あの、俺の推測なんですけど」

 

 口元に手をあてがう彼。ジムリーダーの様子をうかがうようなそれに、彼女は耳を傾けていく。

 

「……俺の目から見た“彼ら”は、話題づくりをしているように見えるんですよね」

 

「話題づくり? どういうこと?」

 

「言葉の通りで、“彼ら”は世間一般にその所業が伝わるように、敢えて見栄えを重視した殺戮を行っているように、俺は見えるんですよ」

 

「見栄えを……? そんなことをして、“マサクル団”はどんな得になるの?」

 

「さすがにそこまでは俺にも。ただ、“彼ら”はこうして世間に何かを伝えようとしている。いや――違うか。伝えるというよりは、世間の様子をうかがっている……?」

 

 考え込む彼。飽くまでもただの推測である彼の言葉に、ジムリーダーの彼女は嫌な汗を流しながら、次の言葉を静かに待ち続けるのだ――

 

「……俺が思うにだけど、“彼ら”はおそらく、意図的にシナノ地方を混乱に陥れようとしている」

 

「意図的に……?」

 

「以前までの、人目を避け続けていたそれまでの活動とは真逆にある。こうして色々な現場に赴いてきたから分かることもあって、“彼ら”は多分、自分達の行為をより世間に知らしめて、『この地方には殺戮を楽しむヤバい連中が潜んでいる』とアピールしたいんじゃないかって、俺は思うんです」

 

「そんなことをしたら、“マサクル団”はもっと肩身が狭くなって、行動にも支障が来すと思うけど……」

 

「……既に、行動する必要も無い段階まで来ている。としたら」

 

「そんな、ちょっと。やめてよタイチ君。冗談だとしても趣味が悪い……」

 

「テュリプさんも食い止める側だったから分かると思いますけど、“彼ら”って本当に陰でポケモンの命を奪うことを信条とする連中ですよね。やる事なす事すべてが卑劣で下衆で、そのくせして狡猾でタチが悪い。だからこそ、世間の表に出てこない“彼ら”に我々は手を焼いたものですが、そんな“彼ら”は復活するなり一転として、自身らの殺戮をあっさりとメディアに流して、その行為を地方に晒していった」

 

「……タイチ君。何が言いたいの?」

 

「我々はあの日、“マサクル団”を滅ぼしたと思っておりましたが、違ったんです、きっと。当時の親玉を、俺のルカリオが吹っ飛ばして拘束するに至りましたけど。もしかしたら、あの時に拘束した親玉は、本当の親玉ではなかったんじゃないか、と」

 

「影武者? だとしても、“マサクル団”にとって自分達の活動が公に出ることは、地方の人達に知れ渡ることになって、自分達の立場がただ危うくなるだけだと思うんだけど……」

 

「だからこそ、徹底してメディアの目を避けてきた“彼ら”が、自分達の活動を公に出したことを俺は不思議に思っていたんですよ。きっと、水面下での活動が十分となり、完全に準備が整ったことで、宣戦布告を行ってきたのではないかな、と」

 

 彼の言葉に、ジムリーダーの顔色は次第と青ざめていく。

 

「…………ッ」

 

「これから午後の部というのにすみません。ただ、相手は“マサクル団”なので、最悪のシチュエーションを本気で想定しておかないと、マジで取り返しのつかない大惨事が起こってしまうかもしれない」

 

「本当にあり得そうな話だから、こうして気分悪くしてんのさ……。それに、もー……ほんとやめてタイチ君。タイチ君ってそういう、貴方の直感がどれだけ本物だったのかは自覚してるの?」

 

「ハハハ、ほんと俺って直感が冴えてますよね」

 

「お気楽ねぇ……」

 

 そう言って、片手で頭を抱えた彼女。交わす話の中で体調を崩したのだろう顔色の悪い様子で少し俯くと、少し考えてからその言葉を彼へと託していくのだ。

 

「その話、ラインハルトさんにしてあげて。きっと、守護隊隊長のラインハルトさんも、わたしみたいにかなり落ち込むと思うから」

 

「では、このままナガノシティへと直行するとします。他になにか連絡とかはございました?」

 

「いいえ。ただ、引き続きラオちゃんとこのママタシティを警戒ね。――あ、それと、カルイザワ・ダウンタウンのリオラちゃんからも連絡があったかな」

 

「リオラが?」

 

「『タイチが来たら、アタシんとこにも顔を出しなさいよ! って言っておいてほしい』だってさ」

 

「アッハハハ! リオラらしい。小さい頃からそんな感じなんですよ、彼女。俺ら幼馴染ですけど、リオラって今では派手な見た目をしているけど、性格は意外と奥手だからちょっと遠回しな言い方で遊びに誘ってきたりするんですよね」

 

「……タイチ君。リオラちゃんはきっと、貴方に心配してもらいたいんだと思うんだけど」

 

「心配、ですか? リオラなら大丈夫ですよ。何せ彼女は、俺と一緒にジムチャレンジを最後まで駆け抜けて、シナノリーグのグランドファイナルでも衝突し合った仲ですから!」

 

「はーーーーーー、もー!! タイチ君!! そういうところっ!! そういうところが、女心を分かっていない証拠なんだからッ!!」

 

「おわっと!? テュリプさん!?」

 

 バシバシと肩を叩かれる彼が驚く間にも、ジムリーダーの彼女はいつもの調子に戻ったと言わんばかりにその恋情の如き声音でチャンピオンを指摘していく。

 深刻な空気から一転した、至って日常的なその光景。しかし、彼らが直面している現実も刻一刻と成長を続けており、今も水面下で蠢くドス黒い邪悪の思惑は、そう遠くない内にもこのシナノ地方全土に手を掛けることとなるのだ――



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ゲテモノ

「こんにちは。ヒイロです。その――そう! あの時の、ヒイロ。ポケモンセンターで入院しているスリープのお見舞いに来たの」

 

 ショウホンシティのポケモンセンターで、一人のおじさまポケモントレーナーと会話するアタシ。申し訳なさそうに話し掛けるこちらの顔を覚えていたのだろうおじさまは、「あぁ、あの時の」と晴れやかな表情で迎え入れてくれた。

 

 本当であれば、この日にもショウホンシティを出発する予定だった。そのつもりで昨日は省エネモードの完全オフデーを設けてみんなでまったりしていたというのに、あの後にも起こってしまったある出来事によって、アタシはもう一日とこの街に残ることにしたのだ。

 

 その出来事というのが、昨日にもユノさんが眠った後に起きたものであり、それでいて悪者が誰一人としていない、あまりにも不測の事態であったものだから——

 

 

 

 ……ユノさん、まだ眠ってる。

 スマートフォンで確認する現在の時刻。刻々と太陽が傾き、夕方へと向かっていく時間の流れだったが、ユノさんが眠ってから気付けば早三時間が経過していた。

 

 アタシはアタシで、よくずっとそこに座っていられたと思う。こうして肩を枕にされている間にも公園の周囲ではトレーナーやポケモンが触れ合っていて、そこではまだ見たことがなかったポケモン、デンリュウとかフシデ、ダンゴロやビブラーバといった初見のメンツを眺めることができて、しかもポケモンバトル用のコートも設けられていたことから、新たな発見やポケモンバトルの参考なんかでそれらを見ていて、暇に感じることが一切無かったというものだ。

 

 特にこの場で一番の大発見とも言えたのが、リージョンフォームと呼ばれる、地方によってその姿や生態を変えて生きているとされる、亜種のようなポケモンをお目にかかれたこと。なんだか見たことがあるようで、でもその面影を残しながらも全く目新しい姿でそこに存在していたライチュウ。アタシがハクバビレッジで見たライチュウは、尻尾をサーフボードのようにしながら乗ってなんかいなかったし、それも宙に浮いてはいるわ、なんだかフワフワとお菓子みたいな色合いをしていて愛らしいわで、アタシは「近くで見たい……!」と思いながらも、そのライチュウを遠くから眺めたりしていた。

 

 ラルトスも、アタシとユノさんに挟まれることに飽きたらしくゴソゴソと出てくるなり、アタシの膝の上にいたマホミルを誘ってサイホーンの上に乗っていく。マホミルもポケモンバトルやらで疲れたのかやけに大人しく、ラルトスに誘われるままサイホーンに乗っかっていくと、サイホーンはアタシを見遣り、そのままプイッと向いて公園の中を歩き始めていったのだ。

 

 サイホーンは、動けないアタシの代わりに二匹を遊ばせてくれていた。内心で「ありがとう……!!」なんて連呼しながらも、その三匹の背がまた愛くるしくて目に焼き付けていくアタシ。

 こうして、完全にユノさんと二人きりになった空間で、今も静かに女の子らしい寝息を立てているユノさんを起こさないようにじっとしていた。

 

 ……のだが、それから少しして、アタシはこちらにのそのそと歩いてくる一匹のポケモンと目が合う。

 

 黄色と茶色の、二足歩行のバクのようなポケモン。細い目と、如何にもエスパータイプと言わんばかりの雰囲気。ちょっと横に広い身体と色合いが相まって、なんだかデザートのプリンみたいなポケモンだなぁと思うアタシは、それを図鑑で見たことがあるのを思い出して声を掛けていく。

 

「……スリープ、だよね? どうしたの?」

 

 こちらの問い掛けに、スリープはもう少しだけのそのそと歩いてきてじっと見てくる。

 エスパータイプは、超能力を有する関係上、人間の言葉を理解する知能がより発達している……と、ラルトスと一緒に過ごしてきたアタシは勝手に思っていたのだが、どうやらアタシの言葉をしっかりと理解していたようで、アタシの問い掛けに答えるかのように、スリープは近付くなり指を差して、訴え掛けてきたのだ。

 

 指を差したのは、今も眠っているユノさんの、頭部。

 

 ――あぁ、なるほど。

 

「図鑑で読んだことあるよ。夢を食べるだなんて信じられない、って思いながら読んでたから、しっかりと覚えてる。……夢、食べる? 人の夢だから、アタシが許可していいのか分かんないけど」

 

 そんなこちらに、スリープはすごく物欲しそうな顔を向けてくるものだから、アタシはその瞳に負けて、「いいよ」と答えていった。

 すると、なんだか嬉しそうにするスリープ。すごい、人の言葉をこんなにもハッキリ理解しているんだ。なんてスリープの知能の高さに驚かされていると、その間にもスリープはユノさんに近付き、黄色の長い鼻を上げて、口を開けて夢を吸い込み始めていく。

 

 ……もしゃもしゃしてる。スリープが夢を食べていく様子をまじまじと観察するアタシ。ここから動けない以上、特にやることもない。それを抜きにしても、とても興味深いお食事シーンだったものだから、アタシはひたすらとジーッと眺めて、スリープが本当に夢を食べて生きているんだなと思っ――

 

 ――いや、待って。なんか、スリープの様子が変。

 

「スリープ……?」

 

 喉元を抑え始めたスリープ。表情もとても苦しそうにしており、更には白目を剥き始める……!

 

「ちょ、ちょっと! 大丈夫!? ……あの、すみません!! こちらのスリープのトレーナーさんおられますか!!? なんか様子が変なんです!! こちらのスリープ……え、野生?? 違うよね!? あの、どなたか!!! どなたか、レスキューの方を呼べませんか!!? ――あ、スリープのトレーナーさん!? なんか急に、スリープの様子が――!!!!」

 

 

 

 

 

 ポケモンセンターから出たアタシは、待ち合わせをしていた宿屋へと赴く。

 自分の用事が済んだため、明日からどのような旅路を辿っていくのかを話し合うためだった。一昨日にもショウホンシティジムのジムバッジを手に入れた以上、観光とかはまだまだやり残したことはあるけれど、ジムチャレンジにも期間が設けられているためにあまり同じ場所に長居することはできないものだったから。

 

 そうしていつも宿泊していた宿屋の前まで来ると、そのすぐ近くにあった赤い布の敷かれた長椅子こと縁台に腰を掛けていたユノさん。

 ……と、アタシのサイホーンとマホミル。すぐに戻るからということでお留守番してもらっていた二匹は、ユノさんにじゃれてもらっていたらしい。

 

「ありがと、ユノさん。マホミルとか、なんか暴れたりしなかった?」

 

「いいえ、貴女が言うほどの心配はしなくてもいいくらい、この子はすごく素直で落ち着きを払っていたわ。目についたポケモンには一切と襲い掛からないし、私の前ではとてもえらいのかもしれないわね」

 

 それ、単にアタシがなめられているだけなのでは?

 マホミルを見る。そんなこちらの視線に気が付いたマホミルは、すごく明るい顔をしながらユノさんに抱えられており、それもマホミル側がべったりとくっ付いていて、火照った頬でとても落ち着いてそこに存在していた。

 

 ――は? おいおいマジかよ。お前……本当にアタシのマホミル……?

 

「ヒイロちゃん。用事は済んだのかしら」

 

「え? あ、うん! 用のあったおじさまともお話してきて、スリープの容態も安定していて何とも無さそうだったから大丈夫。一日待ってくれてありがとユノさん」

 

「私はいいの。これはヒイロちゃんの旅なのだから、ヒイロちゃんが考えて、ヒイロちゃんが決断しながら進んでいく冒険であるべきよ」

 

 ニコッと笑みを見せていくユノさん。目の下にあったクマも今ではすっかりと消えており、十分な睡眠をとれたようでひとまず安心……。

 

「それで、ヒイロちゃん。スリープのお見舞いに行くと聞いていたけれど、何かあったの?」

 

「えっ?? あ……」

 

 痛い所を突かれた。思わぬ質問にアタシは一瞬と躊躇いを見せていくのだが、少し視線を逸らしたりと理由を考えて、ふと、そう答えてしまった。

 

「じ、実は昨日、ユノさんが寝た後にもアタシも寝ちゃって。で、二人で寝ていたところにスリープがやってきて、アタシ達の夢を食べていたみたいなんだけどー……。そこで、食べすぎちゃったのかな?? ほら、二人分の夢だったし?? それで、スリープはお腹を壊しちゃったみたいでー……」

 

「あら、そう。珍しいこともあるのね。そのスリープ、とても面白くて興味深いわ。もしもあそこで起きていられたのなら、ぜひともお近づきになって観察してみたかったものね」

 

 と、新発見が大好物であるユノさんは途端に目を光らせながらもそんなことを言い出したものだから、アタシはただただ苦笑いをしながら誤魔化すことしかできずにいた。

 

 ……この事態の真相はと言うと、スリープが夢を食べ過ぎたというおっちょこちょいによるものではなく、スリープがたまたま食べたその夢が、スリープといった夢を食べるポケモンにとって、とてつもなく身体に悪い成分を含んでいたからというものだったのだ。

 

 夢にも好き嫌いがあるとされる、夢を食らうことで生きているポケモン達。そんなポケモン達も健康的に過ごすためには、なるべく良い夢を食べる必要があるという。

 つまり、その夢を見ている対象が楽しいと思えたり、幸せだと思える、幸福に満ちた感情で溢れる夢なんかが良い夢に分類されるというものなのだが。

 

 一方で、悪い夢というのが、それを見ている対象が苦しいと思えたり、辛いと思えたりする、その対象にとって不幸とも言える、悪夢とも呼べるようなうなされる夢なんかを指しているらしい。で、夢を食べるポケモンというのは、そういった夢を見ている対象の感情によって分泌される夢の成分を重視しているということで、夢を食らうポケモン達は、より良い夢を見ている対象を選んでその夢を食べるというのだ。

 

 今回の何が問題になったのかって、その夢を食べるスリープはどうやらあまりにも腹を空かせていたらしく、取り敢えず目についた睡眠中のユノさんの夢を食べようと、成分を確認することなく一気に夢を取り込んだことが原因らしい。

 で、そうして念願の食にありついたスリープであったのだが、そこで食べたユノさんの夢がまさかの、白目を剥き出すほどのゲテモノだったとは知らず……。

 

 終いには、泡を吹いて意識不明にまで陥っていたスリープ。そのあまりもの尋常ではない様子に、トレーナーさんと慌てながらレスキュー隊を呼んでポケモンセンターに運んでもらったものだが、現在はその容態は安定していてスリープも無事であることが分かっていた。

 

 ただ、今回のことで何が一番分かったのかって、それは別に夢を食べたスリープが悪いとか、悪い夢を見ていたユノさんが悪いとか、まぁ、アタシが勝手に食べるのを勧めたのがちょっと悪いかもしれないけど……。

 とにかく、今回のことで何が分かったかって、あの時のユノさんが、夢を食べるポケモンを意識不明の重体にまで追い込むほどの、悪夢を超えた最強最悪のおぞましいゲテモノ夢を見ていたということだ。

 

 ポケモンセンターの担当医師は、今までに夢食いでこんな症状は診たことがないと言っており、どうしたら、こうまでなる夢を見るのだろうと、その場にいなかったユノさんの身を案じるほどのものだった。

 

「……この人、ホントに何を見てきたんだろ」

 

 マホミルがデレデレになってくっ付いているユノさんを、アタシはまじまじと見ていた。今も液状のマホミルを抱えていては、液体なのに弾力があるという不思議なその身体をビヨーンと伸ばしたりして戯れているクールビューティの横顔。長いポニーテールで掻き上げた耳元が見えるそれと、その耳についている小ぶりのイヤリングがキラキラと揺れているその光景。

 

 ――この人、一体何なんだろ。まだまだしばらくと解けないままの疑問を抱えながら、アタシは明日からの旅の予定をユノさんと話し合うことにした。



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キソシティ

「じゃあねーーーショウホンシティーーー!!!! また観光しに来るから、その時はよろしくーーーーっ!!!!」

 

 陽が真上に昇る時間帯。今いる塗装された道路から、あと一歩この草地に踏み出せばショウホンシティを出るという境界線で、アタシは自転車に跨ったその状態で振り返ってその地に別れを告げていく。

 

 自転車のカゴに入っていたラルトスも、一緒に手を振っていた。その小さな身体でカゴから身を乗り出し、小さな手でアタシの真似をするようにそれを行っていく。そんなアタシ達を眺めていたユノさんもまた、自転車に乗った状態でハンドルに肘を置きながら、手に頭を乗せてクールにしていたものだ。

 

 数日前にショウホンシティジムを突破したということで、ちょっと出遅れながらも次の目的地を目指し始めたアタシの旅。一個目のジムバッジを手に入れたハクバビレッジの時とは違って、今回はユノさんという旅路を共にする心強い仲間と共に辿っていく今回の旅は、ユノさんがいるからということでアタシが少し調子に乗り、その道のりはジムチャレンジにおいて最高峰の過酷さを誇るという試練の地域を目指すことにしていた。

 

 次に目指す地の名前は、『オウロウビレッジ』。ビレッジという名がついているだけあって、その地域もまたハクバビレッジと同様の自然に溢れた緑豊かな場所である。

 しかし、『オウロウビレッジ』という地域は、ジムチャレンジなど全く関係の無い普段の生活の中でさえ、この名前を出すだけでシナノ地方の人々を震え上がらせる。というのも、『オウロウビレッジ』があるその場所は、標高の高い山脈と、木々が生えている湖といった過酷な自然環境でなり立ち、そんな渡り歩くのに困難を極める地に住む野生のポケモン達もまた実力者揃いであり、毎年もの人やポケモンが、この地域で消息を絶ったりしている恐ろしい場所だ。

 

 しかも、その地域の五割が山脈、四割が湖で、残りの一割が『オウロウビレッジ』という極端な割合。シナノ地方に存在する村の一つとして成り立つ程度の公益がもたらされている場所であるものの、それはほぼ自然環境が占める深緑の、その奥深くに位置する秘境、とでも呼べるだろう。

 

 とかなんとか言ってきたが、ジムチャレンジであるこの期間中であれば、実はそれほど恐れる必要は無い。ジムチャレンジ自体が冒険に慣れていないような新米達で溢れかえるような行事であるために、そういう旅に不慣れなチャレンジャーをわざわざ命の危険に晒すようなことなど地方が許さず、チャレンジャーをバックアップするガイドさんやスタッフさんがちゃんと『オウロウビレッジ』まで辿り着くための道を確保しているため、獰猛な野生ポケモンと出くわしたり、足を滑らせて森林の渓谷へと真っ逆さまなんて事故も、滅多に起こらない。……そう、滅多に起こらない。

 

 それでも、毎年必ず事故は起きているため、油断はできないということだ。特にアタシに関して言えば、既にコタニの山で遭難するという事故に遭っていて、それはメディアに大々的に広められてしまっていたものだから、そういう前科があるため今回は慎重に、かつ、より安全で信頼できる用心棒を率いた万全の状態で、その過酷な地に臨むこととしたのだ。

 

 ということで、元は見張りという目的だったのにいつの間にかアタシの用心棒という扱いになっていた、ユノさん。彼女がアタシの後ろからついてくる形で進んでいく自転車の旅路は、早くも次の町に到着することになる。

 

 ショウホンシティに続くショウホンどうろを真逆に進むことで到達した、『オウロウビレッジ』へ向かうための道中の町。ここは『キソシティ』という地域であり、和風とはまた異なる、一年代前とも呼べるような、昔懐かしいような建物が並ぶ光景が特徴的だ。

 その商店街に入ると、建ち並ぶお店の入り口にはモノクロのテレビが置いてあり、キャタピーの形を模した駄菓子や、コクーンをイメージしたメガホンを売っている商品棚が目に入る。道を往く人々にはそれなりのお歳である人々やポケモンが多く見受けられ、とても朗らかで、実家のような雰囲気を放つ落ち着きのある空間であったものだ。

 

 商店街を抜けていくと、川が流れる住宅街に出てきた。この住宅街のすぐ傍にはシナノ地方特有の山脈が地平線の彼方まで広がっており、そこから下りてきたのだろうナゾノクサやクルマユといった、野生のポケモンと出くわす機会が多かった

 

 特に目が付いたのは、住宅街に放たれているガーディやハーデリア、ムーランドの歩いている姿。どうやらここ一帯、山から下りてくる野生ポケモンによる被害に悩まされているらしく、そんな野生ポケモン達を追い払うためにこの三種類のポケモン達が町の中を巡回しているとのこと。自転車を走らせるアタシらにはこれといったこともなく素通りしていたものだが、山から下りてきたのだろうシキジカといったポケモンを見つけるなり、ガーディやハーデリアはものすごい勢いで吠えて追い払っていたものだ。

 

 今日一日、休憩無しにずっと自転車を走らせてきた。それもあってか脚がパンパンになってしまったアタシは、ちょうど目についた温泉でゆっくり休むことにした。

 

 大きな露天風呂を扱っているというその温泉。今まで全く話さなかったことだが、このシナノ地方、実は数多の地方の中でも温泉の質がめちゃめちゃ良いということでかなり有名である。

 特に、『ノザワタウン・ホットスプリングビレッジ』という温泉村が存在するくらいには温泉が沸き出している地方であり、「~そうだ、温泉に行こう~」なんていうキャッチコピーが綴られたシナノ地方をPRするポスターなんかは、ここから割と近くにあるというカントー地方やジョウト地方にまで発布されているほど。

 

 で、ジムチャレンジの開会式からかなり時間が経っているから忘れられているかもしれないが、実はその『ノザワタウン・ホットスプリングビレッジ』という地域にも、ジムがある。それも、どくタイプ使いである、人としても恐ろしい雰囲気を放つダーキスさんというジムリーダーが待ち構えているため、いずれにしてもアタシはこの温泉村に赴くことになるだろう。

 

 そんなこんなで、自転車を停めてウキウキで露天風呂へ進行するアタシ。ラルトスを抱えてさっそくとお邪魔した解放感あふれるお湯の光景に、アタシは他のお客がいるにも関わらずラルトスと一緒にお風呂へ駆け込んだ。

 

 山脈だらけのシナノ地方。見渡すかぎりの山という景色には正直ちょっとうんざりくることもあったものだが、それは見方を変えれば、季節によって姿を変える、自然の衣替えが頻繁と行われる豊かな有様を、どんな時でも眺めることができるということでもある。

 

 こうしてジムチャレンジという疲労困憊の期間に訪れる温泉は、身体の疲れを洗い流してくれると共に、山という起伏や高度が織り成す絶景をいつもの何倍も楽しむことができるという、とにかくもう、最高な一時を過ごすことができるのだ。なんて最高なんだ――!!

 

「ヒイロちゃん、隣いいかしら」

 

 掛けられた言葉。アタシは振り向くと、そこにはいつもの腰まで伸ばしたポニーテールではなく、頭に巻いたタオルにそれをどうやって収めたのかがよく分からないままの、掻き上げた髪型のユノさんがそこに佇んでいた。

 

 ……って、衣類をまとっていないし、バツグンなスタイルが目の前に――

 

「……ヒイロちゃん?」

 

「ぇ!? あっ!! 何でもない何でもない!!!! 隣いいよ!!」

 

「そう? ありがとう。――ねえ、ヒイロちゃん。のぼせてない? 大丈夫?」

 

「だ、大丈夫ダイジョウブ!! ほら、ユノさんも浸かって浸かって! じゃないと、なんか、アタシなんかユノさんの体を変に意識しちゃうからっ!! もー、ほんと! 思春期のお年頃って大変ですねっっ!!!!」

 

「??」

 

 首を傾げるユノさんのくびれをがっしり掴みながら、沈めるようにユノさんを温泉に浸からせるアタシ。ラルトスはすでに温泉の縁に下ろしてあり、アタシやユノさんが浸かることで流れ出してくるお湯を浴びて気持ち良さそうにしていたものだ。

 

 そうして過ごした至福の一時。風呂上りの一杯としてモーモーミルクをガブ飲みし、そこで買ったポケモン用の温泉まんじゅうをサイホーンやマホミル、ラルトスに食べさせてあげてから再び自転車でキソシティの中を駆け出していく。

 

 この旅路のペースはだいぶ早く、キソシティを抜けるのに数日は掛かるかなと思っていた見積が、なんと明日にも『オウロウビレッジ』が属する地域に入れそうだということに気が付いて、想定外の早さでこの冒険を進めていたことを知っていく。

 

 だからと言って焦って進むことは決して無く、今日はキソシティの中で休むことにしたアタシとユノさんは、別々の部屋でキソシティの宿屋に宿泊した。そうして翌日の朝にも再び自転車でキソシティの中を駆け抜けていくのだが、『オウロウビレッジ』が属する地域に入るかどうかというその境界線で、この日にもアタシはとある邂逅を果たすこととなる。

 

 ……それが良い出会いだったのか、悪い出会いだったのか。この時にはまだ分からなかった。

 ただ、明日にもアタシは、今もシナノ地方の水面下で蔓延っているとされるある思惑に、片足を突っ込むこととなる――



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ヒラキタ高原

 人の手によって拓かれた空間。高原と呼ぶには背の高い樹林が占める、森林のような広大な一帯。

 キソシティにある、『ヒラキタ高原』に訪れたアタシ達は、ジムチャレンジのために目指している『オウロウビレッジ』へと続く道のりとして、雄大な平地の中を歩いていた。

 

 切り開くように伐採された、人やポケモンが通るための開けた空間。キソシティと繋ぐ道であるそれをユノさんと共に歩いていくと、次第にもどんどんと開けてくる広場には、数少ないながらもどうぐや食べ物を売っている屋台であったり、簡易的な宿泊施設なんかもあって、『オウロウビレッジ』へと向かう旅人の備えとなるような、充実とした施設が見受けられる。

 

 キソシティほどの活気があるとは言いにくいが、ここにはアタシのような、その場にそぐわない若いポケモントレーナーが多いような気がした。きっと、ここにいるみんなも『オウロウビレッジ』を目指すために、このヒラキタ高原に設けられた施設を利用しているのだろう。

 そして、ポケモントレーナーが集うような場所には必ずと言っていいほど用意されていた、ポケモンバトル用のバトルコート。そこでは多くのトレーナー達がパートナーを戦わせており、『オウロウビレッジ』という試練の地に備えて、万全の準備と共に自分らの肩を慣らしているようにも見えた。

 

 ……今まで訪れてきた所と比べて、異質な空気が漂うこの空間。きっと、『オウロウビレッジ』という場所を目指す多くのトレーナー達が抱える緊張や不安が、ここに充満して重々しく感じられるのかもしれない。

 アタシとユノさんは駐輪場に自転車を置き、少しの休憩を取ることにした。自転車のカゴに入っていたラルトスを抱えてからアタシはユノさんと別行動となってヒラキタ高原の中を歩き、適当にほっつき歩いて散策をしてみる。

 

 すると、バトルコートとはまた異なる、ポケモントレーナーのためのキャンプ場に辿り着いた。どうやらこのキャンプ場、野営を好むアクティブなポケモントレーナーやポケモン達のための場所であるらしく、持参したテントで過ごすことで、より一層とこの自然を体感することができるという、インドア派なアタシにとってはとても考えられないような、活力が滾るような人達の集い場となっていたようだ。

 

 そこでもやはりポケモンバトルが行われたりしていたが、バトルコートで行うような正々堂々の戦いというよりは、軽い運動程度の遊戯としてわざをぶつけ合ったりとした、同じようにキャンプを行う者同士が仲良くやっている、和気藹々とした雰囲気がよく伝わってきたものだ。

 こういうところもあるんだ。なんて思いながら、アタシはなぜか逃げるようにキャンプ場を後にした。それからユノさんと合流しようと思ってヒラキタ高原を歩いていると、目についた先では、ジムチャレンジを行うチャレンジャー達に意気込みを訊ね掛けていくインタビュアーとカメラを発見する。

 

 それだけ、『オウロウビレッジ』という場所は、シナノ地方において屈指の過酷な土地とされている。それでいて、今からそこに臨むというチャレンジャーに意気込みを訊ね掛けていくテレビの者達としても、そんな苦労の絶えない『オウロウビレッジ』に挑むチャレンジャー特集なんてもので番組を組んだりするものだから、こうして『オウロウビレッジ』の周辺に滞在することで常にネタ集めを行っているのだ。

 

 ……テレビ、映りたくないな。アタシはラルトスを抱える腕に力が入りながらも、気配を殺すようにそそくさとこの場を離れていく。

 で、離れることに意識を向けていたからなのか、アタシはいつの間にか、全く人がいないような見知らぬ高原に来てしまっていたのだ。

 

 拓かれた広場を囲うように広がっていた樹林を掻き分けて、道とは言えないような雑木林で形成された木々の一帯を抜けていくアタシ。

 そうして少し開けた場所に出てくると、そこで待ち構えていたのは険しい崖と流れる川。――そして、こちらの往く道を遮るように広がったこの光景には、次にもアタシが目的としていた山脈が、その姿をこの視界に悠々と現してくるのだ。

 

 『オンタケ山』。空を泳ぐ大雲に紛れるよう頂上を隠した雄大なる山脈は、鬱蒼とした表面と、人間を近寄らせないような自然の加護を思わせるオーラを放ってアタシの視界に存在していた。それは連峰とまではいかない山でありながらも、シナノ地方を見守る守護神の如き圧倒的な佇まいはまるで、その奥にある『オウロウビレッジ』という秘境を隠しているようにも見えてくる。

 

 本能的に、あの山に近付いてはならないと訴え掛けてくる存在感。こうして視界に入れているだけでも祟りや災いが降りかかってくるのではないかと思い始めてしまい、アタシは背筋に走る寒気にラルトスを強く抱きしめて、それへと対峙していく。

 ……アタシは、あの山を越えなければならない。大丈夫。だって、ジムチャレンジっていうこの地方の伝統が、あの山の向こう側へ行くことを許してくれているのだから。

 

 自分に言い聞かせるように思い込み、オンタケ山をまじまじと見遣り続けていった。

 ――待っていなさいよ。絶対に、アタシはこの試練にも打ち勝ってみせるんだから。次にも抱いた強気な気持ち。きっと、今までの旅路が目の前の試練にも挫けない精神の強さを鍛えてくれたのかもしれない。

 

 きっと、これまでの軟な自分であったのなら、あの雄大な姿を一目で見てジムチャレンジを諦めていたかもしれない。でも……。

 

 ……今ではむしろ、立ちはだかる障壁に対して、やってやろうじゃないのって思えてくる。

 

「ラルトス。……ううん、サイホーンとマホミルもそう。アタシ達は明日、あの山の向こう側を目指すんだよ。その道のりはきっと、今までの中でも特に過酷で大変な環境かもしれない。でも、なぜかね。あなた達と一緒なら、どんなに辛くて苦しい道のりでも、自然と耐えられそうな気がする。それくらいね、アタシは、あなた達のことを心強く思っているの」

 

 無意識に、それらを口にしてしまっていた。

 自分が声に出しているなんて気付かず、アタシはすごく恥ずかしいことを平気に言ってのけた。これを聞いていたラルトスは角をピカピカと光らせ始めていて、アタシの言葉に応えるようにしていたものだ。

 

 ……今も、アタシのすぐ目の前で流れていく真下の川。崖にもなっているこれはおそらく、この先はオンタケ山だぞという自然がつくり出した警告なのかもしれないとも思えてくる。

 それでも、やってやるぞ。というか、そういう試練のような環境を乗り越えてこそのジムチャレンジだぞという、昔から続く伝統のそんなセリフさえも聞こえてくるような気もした――

 

「可憐な立ち姿でありながらも、その胸に宿した、未来を渇望する気高き魂。純粋無垢に輝くその眼差しは果たして、陰ることなくその未来を捉え続けることができるかな?」

 

 ……?

 え、なに? 後ろから聞こえてきた、爽やかでありながらも独特な喋り方をする男性の声。若々しくも捉えどころがない不思議な魅力が詰まった声音に誘われるまま、アタシは振り向いてその正体を確認する。

 

 被っている若葉色の中折れハットを、左手で押さえながらこちらを見遣る一人の男。着用している服装も、若葉色のファンシースーツと茶色の革靴という派手な外見である彼は、琥珀っぽいオレンジ色のショートヘアーと、琥珀色の瞳を向けた端正な顔立ちでアタシのことを眺めていた。

 

「驚かせたかな? いや、こんなところにいたいけな女の子を一人にしておくのも忍びないと思って、声を掛けさせてもらったんだけどね。それもどうやら、余計なお節介だったようだ」

 

「あ、いや……。お節介なんかじゃないよ。そりゃ、急に声を掛けられてビックリはしたけど、心配してくれて声を掛けてくれたんだもんね。ありがと、知らないお兄さん」

 

 こちらのお礼に対し、彼はニヤりと笑みを浮かべながら一礼してくる。

 

 正直言って、イケメンすぎて逆に怪しいパターンなタイプの男性だった。帽子で若干と隠していた目元からは、アタシのことを卑しく見ているのだろう視線がひしひしと伝わってきていて、ちょっと気味が悪い。ド派手な服装に包んだ本性も得体が知れなくて、余計に捉えどころの無い印象を与えてくる彼ではあったけれども、掛けられた声音や彼からの言葉からは不思議と心地の良い何かを感じられて、つい、信用してしまいそうになる。

 

 言ってしまえば、魔性の男とでも言えるだろうか。言動や表情は明らかに不純な動機であることが確実とさえ思えてしまう中でも、そんな怪しさ全開な要素から感じ取れるキケンな魅惑が、彼に一目惚れしてしまう要因ともなるのかもしれない。

 実際に、顔立ちはすごく良くて、アタシとしてもどストライクだ。何ならいっそ、お持ち帰りされてもいいくらいに許せてしまえる部分があったのだが、如何せん、出会った場所がロマンスに欠けるから……。

 

「心配してくれてありがと、お兄さん。じゃ、アタシはこれで――」

 

「一人で大丈夫かい? ヒラキタ高原のレジャー施設の場所は分かるかい? 来た道が分かるのであればそれでいいのだけど、ボクは心配性でね。可憐に佇んでいたキミの背中を見たものだから、ボクはキミが、無事に戻れるかが少し心配なんだ」

 

 そう言いながら、彼はさり気無くアタシの下へと歩み寄っていた。

 そして、帽子を押さえていた手をこちらへ差し伸べてくる。……怪しさ全開でありながらも、甘美な声音と絵に描いたような端正な顔立ちでいざなうかのように――

 

「……じゃあ、レジャー施設まで連れてって。でも、二人きりだからって、アタシを変な場所に連れ込まないでよ? いざとなったらアタシ、ちゃんと逃げる手段だってあるんだから」

 

「信用はしてくれていないみたいだけど、ボクの心配性に付き合ってくれてありがとう、お嬢さん。これでボクも心置きなく、レジャー施設に戻れるというものさ。――さ、崖があったりして足元は危ない。ボクの手を取って。ボクはこの辺りの土地勘があるから、お嬢さんを絶対に、安全な場所までエスコートしてあげられる」

 

「ん、ありがと……」

 

 ラルトスを抱えながら彼の手を取って、アタシはものすごく丁重で優しい扱いをされながらヒラキタ高原の宿屋まで戻ってきた。

 ……なんか、アタシが思っていた以上に本気でこちらの身を案じていたようで、その道中の雑木林では、「枝が足に刺さって怪我をしたら大変だ」とか言って、木の枝も落ちていないような場所をわざわざ選びながら、アタシの歩調にしっかりと合わせた案内できちんと最後までエスコートしてくれたその男性。

 

 あれ、実はただ単純にすごく良い紳士なだけだったのでは? 怪しいと思っていた自分自身を恥じるくらいにまで終始丁重に扱ってくれたその男性にお礼を言うアタシ。そんなこちらのお礼に、彼は美しいフォームで華麗なお辞儀を披露していく。

 

「お礼だなんて、そんな。麗しきお嬢さんからお褒めの言葉をいただけるなんて、光栄の限りだよ。無論、ボクとしても、キミを無事に送り届けることができて本当に良かったと心から思っているものさ」

 

「へー、こんなにも絵に描いたような紳士がこの世にいるだなんて、世界って広いね。ありがと、紳士さん」

 

 そう言って、今度はアタシから手を差し伸べていった。

 

「ヒイロ。アタシの名前は、ヒイロっていうの。で、こっちはアタシの相棒のラルトス。アタシ達はジムチャレンジの真っ只中で、ポケモントレーナーとしてはまだまだ新米の中の新米だけれど、これからもっと頑張ってジムバッジ全部集める予定なんだ」

 

「へえ! ヒイロというのか! ――ふむ、なるほど。ヒイロか。確かに、健気さをうかがわせながらもその身に秘めた溢れんばかりの活力を思わせる、お嬢さんにとてもお似合いな、麗しくも可憐な響きの良い名前だ! お嬢さんのことは、ちゃん付けで呼んだ方がきっと似合うな。では、よろしく、ヒイロちゃん」

 

「うんうん。よろしく」

 

 こちらの出した手に、彼もまた握手をするべく手を差し出していく。

 

 ……と、そう言えばと思って、アタシはそれを訊ね掛けた。

 

「良かったら、お兄さんの名前も教えてくれない?」

 

「ボクのかい?」

 

 ちょっと意外そうにした彼。怪しいと思っていたその目つきを若干と見開き、アタシのことを常に視界の中央へと捉えていくのだ。

 

「そ、お兄さんの名前。良かったらでいいから教えてよ。麗しくも可憐な響きのヒイロちゃんにさ」

 

「くっ、ははは! 面白いねヒイロちゃん。イイネ。ますます気に入ったよ!」

 

 なんだ、笑うと普通にイケメンでカッコいいじゃん。内心でそんなことを思いながら、アタシは彼が続けてくるセリフに耳を傾けていく。

 

「じゃあ、ボクの名前も名乗るとしようか。ヒイロちゃんにだけ名乗らせて、ボクは名前を伝えもしないだなんて不公平ったらありゃしない。――ボクの名前はね、“ア・ランヴェール”っていうんだ。ちょっと言いにくいかもだけど、アラン、とでも呼んでくれればいい」

 

「ふーん。ランヴェールさんでもイイかんじすると思うけど」

 

「呼び方は、ヒイロちゃんに任せるよ。ボクとしては、ヒイロちゃんという無垢の化身とも呼べる、繭のように可愛らしいお嬢さんから名前を呼んでもらえるというだけでも至高の喜びを感じるくらいだからね」

 

「おおげさだなー。じゃ、ランヴェールさんで。はい、よろしくランヴェールさん」

 

「うんうん。こちらこそ、よろしくねヒイロちゃん」

 

 握手を交わし、アタシはランヴェールさんと仲良しになった。

 何だかんだで、とてもイイ人だった。アタシは良い巡り会いをしたなと思いながらもユノさんと合流するべく彼と別れを告げ、ラルトスを抱えてアタシは、ユノさん探しでヒラキタ高原の中を駆けていったものだ。

 

 

 

 ……視界からアタシが消えた頃にも、ランヴェールさんは左手で中折れハットを押さえながら、向けていた視線を他へと遣っていく。

 

 ――そして彼は、帽子から鋭利な目つきを覗かせた。……爽やかながらも独特で魅了するその声音からは想像がつかないほどの、ドスを利かせたように低くした、獣のようなうなる声で呟きながら……。

 

「ボクとしたことが、寄り道をしてしまったな。一刻も早く“マサクル団”と合流をしなければならないというのに。――それにしても、ヒイロちゃんか。くっふふふ……」



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今宵のお遊戯会

「ゾロアーク! そっちをお願い!!」

 

 真夜中のヒラキタ高原に響く、女の声。声量を抑えながらも必死になってあげた声に、赤いタテガミを揺らした人型のポケモンが大柄の男に襲い掛かる。

 熟練の腕を持つポケモンに成す術も無く、男は繰り出したゴルバットを瞬く間に倒されると女のポケモンに覆い被され悲鳴をあげた。それからポケモンは攻撃を加えると、男はピクリとも動かなくなって地面に倒れ込んだのだ。

 

 女に身柄を捕らえられた、もう一名の男。彼は大柄の男を見て自身がマシに思えてくるものだが、むしろ倒れた彼のように意識を失ってさえいれば、これからにも行われる尋問に遭わなかったことだろう――

 

「ち、違うんですッ!!!! 俺は別に、ただ“ヤツら”に指示されたことをやっただけで、そんな自分の意思でポケモンを処理しようだなんて思いながらあの件を起こしたわけじゃ!!!!」

 

「呆れたわ。あれほどまでの大事を起こしておいて、今さら言い逃れをしようとでも言うの? 自分は指示されたからやっただけ? じゃあ、貴方達の手によって命を落としていった大勢のポケモン達は、誰のせいだと言うの!?」

 

「お、俺はほんと……っ、ただ言われたことをやっただけだから……ッ!!!!」

 

「……とんだ下衆野郎。話はあとで、しっかりと聞かせてもらうから」

 

 男の顔面に落とされた踵。ブーツに踏まれて顔を潰された男は悲鳴をあげると、彼女は男の身体にロープを巻き付けて完全に拘束していく。その間にも体重を加えられたそれによって恐怖心を与えることで身動きをとれなくさせていき、男の身体を一本の木に縛り付けると、女はスマートフォンを取り出して電話を掛けようとする。

 

 画面に映し出された、『T』の文字。迷いの無い動作で彼女はそれへと通話を開始すると、スマートフォンを耳にあてがって、相手が出るのを待ち始める――

 

「凛とした手練れの、その手腕。鮮やかであり、美しくもあるその身のこなしもまた、数多の光景を渡り歩いてきた経験からなる熟練の業とも言えるだろうね。あぁ、とてもお美しいその佇まい。今宵にまみえた月夜の踊り子を、ボクは永遠に忘れることはないだろう」

 

 …………??

 耳にあてがったスマートフォンを、ゆっくりと下ろしていく彼女。通話のボタンもオフにして端末を隠すようにすると、そのまま振り向いた先に存在する、一人の道化と対面する。

 

 爽やかでありながらも、独特な喋り方をする男性の声。若々しくも捉えどころがない、不思議な魅力が詰まったその声音。

 被っている若葉色の中折れハットを、左手で押さえながら女を見遣っていた目の前の男。着用している服装も、若葉色のファンシースーツと茶色の革靴という派手な外見である彼は、琥珀っぽいオレンジ色のショートヘアーと、琥珀色の瞳を向けた端正な顔立ちで再び喋り出す。

 

「これはこれは、ボクはとんでもない場面と出くわしてしまったな。艶やかな体格で暗闇の中を駆けるその姿はまさに、生ける美麗とでも呼べるだろう、なんて宵闇に映えるお美しい女性なのだろうか。……だが、妖艶な存在を醸し出す、麗しき妖魔の舞いを目撃してしまった以上、ボクもまた、その舞踏会にいざなわれるのかどうか、疑問ではあるね」

 

「……何を言いたいの?」

 

「たとえボクの好みである淑女であろうとも、人を痛めつけるその様を見せられてしまっては、さすがに擁護のしようもないというものさ。それも、一方的に彼らを処理してみせた。幸いにも命を絶つほどの獰猛さは有していないようではあるが、肉食な女性もボクの好みだ。キミがこの大地に蔓延る邪悪の思惑に加担するような、生きとし生けるものに手を掛けるような快楽主義者であったとしても、ボクはキミのことを、麗しいと思い続けることだろう。あぁ、それにしてもお綺麗だ……」

 

「……。言い訳をするつもりはないけれど、私が捕らえた彼らは、極悪非道の団体に属する暴漢達なの。でも、彼らを痛めつける光景を見せられてしまっては、この言葉は嘘として受け取れるかもしれない。だから、私を通報するかしないかは、貴方次第よ」

 

「これはこれは、潔いレディーだ」

 

 そう言い、手で押さえた帽子をより深く被っては「くっふふふ」と笑みを見せていく彼。そんな不可解な男に女は気を取られている間にも、倒れていた暴漢は地面を這い、音を殺してその場から去ろうとしていた――

 

「ゾロアーク!!」

 

 女の呼び掛けによって、男の眼前に降り立つ人型のそれ。立ちはだかった存在に男が悲鳴をあげると、そうして意識を一瞬と他へやっていた女の目の前には、瞬間移動するように佇んでいた道化の男……。

 

「!? いつの間に――」

 

「ふむ、近くで拝見すると、よりお美しい美貌の持ち主であることが分かるね。顔立ちに恵まれていて、さぞ多くの紳士諸君を誘惑してきたことだろうし、淑女からも相当好意を抱かれてきたのではないだろうか? 男女共に魅了し、まるでこの世のものではないような、異質な雰囲気を醸し出すミステリアスな存在感。――なるほど。キミが食い止めようとしている“彼”も、この淑女をやけに気に掛けるわけだな」

 

「――――ッ?!」

 

 色白の肌に血の気が引いていく、真っ青な女の顔色。

 本能的に感知した危険信号に言い知れない表情を歪ませると、彼女は咄嗟に彼から距離をとって、敵意を剥き出しにしていく。

 

「“マサクル団”…………!!!!!」

 

「おや、ボクが“マサクル団”と? これはこれは、心外だな」

 

 不敵に笑みを見せる彼。冗談のように彼は笑い飛ばすと、手を乗せていた帽子を掴んではゆっくりと下ろしていき、中折れハットを取り払う動作と共に素顔を晒していきながら、対峙する女へとそれを口にしていったのだ。

 

「ボクは決して、血生臭い所業に快楽を覚えるような、非道の限りを尽くすことを信条とする“マサクル団”の連中なんかではないさ。というかね、ボクを、地べたを這いつくばって生き血を啜ることしかできない“マサクル団”と一緒にしないでほしいね。ボクは、キミ達のようにポケモンと世界を愛していて、また、生きとし生ける女性のことも心の底から敬意を払って愛し尽くしている。いわば、慈愛に満ち足りた正常な人間であって、キミらと同等でもある存在さ。ただ、強いて言えば――ボクは、キミが追い求めている“彼”と同等である存在でもあることだけは、この場で明かしておくとしようか」

 

「…………“ルイナーズ”ッ!!!!」

 

 この場で出くわすことは想定外と言えたのだろう。彼女は戦慄のあまりに美貌を捨てた鬼のような形相を見せていくと、相対してしまった脅威から一切と目を離すことなく手で合図を送り、地面を這う男へと仕向けていた相棒をすぐさま自分の下へと呼び戻す。

 

「“彼”の居場所を吐きなさいッ!!!! ゾロアーク! ナイトバースト!!!!」

 

「おぉ、憤怒に感情を支配されたキミの素顔も、実に美しいな。こうして見てみると、とても“彼”が懸念する危険因子であると思えないし、そうとは思いたくないほどにまで、ぜひともボクの花嫁としてお迎えしたい麗しき淑女だったものだ」

 

 眼前から、怒り猛るゾロアークが攻撃を仕掛けていくその光景。今にも命を刈り取ろうとする獰猛なそれに対しても、彼は終始落ち着きを払いながらファンシースーツのポケットから一つのボールを取り出した。

 

 水色の蓋に、黒色の網目状である見た目のそれ。不可解でありながらも他者を魅了する、不可思議なオーラを放つ彼をより一層と際立たせるような柄のボールを手にすると、彼は手の中で転がすようにそのボールを投げ、ポケモンを繰り出していったのだ。

 

 今も眼前から、上げた両腕から渾身の邪気の波動を放っていくゾロアーク。主人と同じ怒りを持つそこから放たれたナイトバーストの一撃は、これまでに類を見ないほどの破壊力を以てして彼へと繰り出された。

 

 しかし、その波動は彼の目の前で弾かれることとなる。防壁となった“それ”も、姿を現した瞬間からただでは済まないダメージを受けて若干と怯むものの、防いでいく波動越しに向けたプラスマークのような目で相手を捉え、その巨体と武者鎧のような腕で、主への攻撃をしっかりと遮断していったのだ。

 

 防がれた様子にゾロアークは隙を見出せず、畳みかけることを躊躇ったまま様子見で対峙していくこの戦況。

 ……ヒラキタ高原の、宵闇の刻。月光に照らされたフィールドで向き合った双方は、睨む女と、そんな女に見惚れるように眺める男の図が展開されていく。

 

 次にも、口を開いた不敵な男。持っていた中折れハットを再び被っていきながら、まるで全てを見通していると言わんばかりの不気味な目で対峙する彼女へとその言葉を掛けるのだ。

 

「悪いね。ボクにはボクの立場があるものだから、いくら麗しき淑女に内情を吐くようそそのかされたとしても、心苦しいがこればかりは口を割ることはできないんだ。――ただし、力ずくで吐かせるというのであれば話は別でね。ボクは、そういう力任せの腕っぷしに自信を持つ女性も大好きだ。だから、いいだろう。本来であれば、そこにいる“マサクル団”と合流するだけだったボクの予定だけど、予定変更で、ほんの少しだけ麗しきキミとの戯れを楽しもうと思う。……“彼”を追うキミの実力を、ボクに存分と見せてほしい。だから、精いっぱいに掛かっておいで。今宵のお遊戯会は、ボクのグソクムシャがキミを満足させてあげるから……くっふふふ」



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ユノVSランヴェール

 宵闇のヒラキタ高原で対峙する二つの人影。それらは互いに一匹ずつのポケモンを場に出していくと、それぞれゾロアークとグソクムシャという構成で戦いの火蓋が切られたのだ。

 

「ゾロアーク! こうそくいど――」

 

「であいがしら、だ。グソクムシャ」

 

 美貌を捨てた、鬼のような形相で指示する女。しかし彼女の指示を上書きする先制攻撃によってグソクムシャが瞬間的にゾロアークへ接近すると、外殻のような重厚な腕によって上空へ打ち上げられるゾロアークの姿。

 

 こうかはばつぐんだ。怒りのあまりに冷静さを欠いていた女は、この一撃でより焦りも抱え、さらに渦巻く感情に囚われる。

 

「ナイトバースト!! そこから、こうそくいどうでかく乱させて、じごくづき!!」

 

「キミに飼い慣らされたポケモン達が、実に羨ましいよ。そのゾロアークはオスのようだからなおさら羨ましく思うし、嫉妬の念さえも抱いてしまうね。グソクムシャ、まもる」

 

 上空から放たれる、邪気の波動。ドス黒く破壊力も詰まった怒りの一撃がグソクムシャに降り注ぐと、グソクムシャは自身の目の前に張り巡らせた、透明な防壁のようなものでその攻撃を完全にシャットダウンする。

 しかし、そうして守りの態勢であるグソクムシャの隙に、ゾロアークは空中を蹴り出して即座に動き出す。そのわざは今まで同行してきた女の子の仲間や、多くの敵方のポケモンをかく乱させてきた、翻弄の一言に尽きる刹那の極み。

 

 紅のタテガミが残像として空中に残ると、グソクムシャの背後へ回ってきた影の化身。目に見えない速度で裏をとるなり、脇をしめるように引き絞られた鋭い突きが、グソクムシャの背にヒットする。

 

 その一撃に思わずよろけるグソクムシャだが、死角のゾロアークへと薙ぎ払いで反撃。これを容易く避けるゾロアークだったが、そうして距離を取らせたところで、グソクムシャは自分の番だぞと言わんばかりに攻撃を繰り出していったのだ。

 

「アクアジェット、だ」

 

 技エネルギーを足元から発生させると、その力は勢いの強い大量の水を形成して纏い出す。それを纏ったグソクムシャは勢いに身を任せるがままゾロアークへと突撃すると、二メートルを超える巨体であるにも関わらず、弾丸の如く一直線に発射されてゾロアークに直撃するのだ。

 

「ナイトバースト!!」

 

 むしろ、攻撃を敢えて食らう戦法だった。こうして返しの一撃が飛んでくることを見越したゾロアークの波動は、グソクムシャに押し出されながらも両腕を上げ、そこに破壊力を詰め込んだ波動をつくり上げてグソクムシャの脳天に叩き付けていく。

 

 なんとも捨て身な攻撃だった。それによって地面に叩き付けられたグソクムシャだったが、パートナーが押されている戦況を目の当たりにしてもなお、男は「ほぉ……」と余裕な表情を見せて次の指示を出していくのだ。

 

「アクアブレイク。そこから発生した技エネルギーに対して、シザークロス」

 

 叩き付けられた状態から、飛び上がるようにアッパーを繰り出していくグソクムシャ。それをゾロアークは食らう寸前に回避していくのだが、そのアッパーに付与されていた、水の力に質量を破壊する効果を生み出すアクアブレイクの飛沫によって、ゾロアークの視界が奪われる。

 

 すぐさま、こうそくいどうでその場を離れようとしたゾロアーク。だが、こうそくいどうで移動した先にも現れた巨体の腕がゾロアークの身体を打ち付け、さらにはもう片方の腕に挟まれる形で斬りつけられると、ゾロアークは声を上げながら吹き飛ばされて大木に打ち付けられたのだ。

 

 あんな体格で、行動が素早い。グソクムシャがゾロアークを押していく様子にギリギリと歯を食いしばる女。

 グソクムシャは、既に五つのわざを繰り出した。それらはわざのタイプに偏りがあることから、それらを組み合わせた派手なコンボを生み出すにまでは至らない。だが、主力とするわざの数々はどれもグソクムシャと同じタイプであることから、本人が得意とする技エネルギーを立ち回りで上手く活用することで相手を押していく、云わば、正統派の戦いでゾロアークを着実と追い込んでいた。

 

 ……裏を秘めていそうな人格の主人に対して、戦い方があまりにも素直すぎる。なおさら彼という人物に警戒心を強めた彼女は、ゾロアークへと指示を出していく。

 

「かえんほうしゃ!! そこからじごくづきで正面から当たって、ナイトバースト!!」

 

 ゾロアークは、打ち付けられた大木を蹴り出すように飛び出していく。そして口から大量の炎を噴出していくと、それはグソクムシャに降りかかって身を焦がしてくるのだ。

 すぐにもアクアジェットが繰り出され、グソクムシャはゾロアークのかえんほうしゃを掻い潜って接近を果たしてきた。それに対してゾロアークはじごくづきで迎撃すると、互いにぶつかり合って怯んだその隙にゾロアークが破壊の波動を解き放っていく。

 

 放たれたナイトバーストは、グソクムシャに直撃した。これを受けたグソクムシャはダメージを受けると共にゾロアークと距離を空けていくのだが、その間にもゾロアークは再びナイトバーストをつくり出していくと、なんとそれを自身に浴びせるよう放っていったのだ。

 

「おぉ、これはこれは。どうやら、これからが本番といったところのようだね。じゃあ……グソクムシャ、ボクらもそろそろ本気と行こうじゃないか」

 

 今もナイトバーストを自分で浴びていくゾロアーク。同時にじんつうりきも繰り出しているのだろうか、目元と思われる部位が超常現象によって発光を始めると、邪悪の波動から見えているその姿は次第と、ぐんぐん大きくなりはじめる――

 

 そして、かえんほうしゃも繰り出していくと、その噴出する炎もじんつうりきで操り、自身の周囲に巡らせていくのだ。

 ――溢れ出したドス黒いオーラ。浴びていった破壊の波動を、じんつうりきでアーマーのように身に纏うと、さらには、ゾロアーク“だったもの”の、赤いタテガミだった部分にかえんほうしゃの炎が配分されたことによって、邪悪の波動を身に纏った、灼熱のタテガミを持つモンスターへと変貌を遂げていた。

 

 ……炎は目元でも燃え盛り、佇むそれはもはや、ポケモンとして認知することができない。

 これこそが、破壊の化身とも呼べたことだろう。技エネルギーを組み合わせることで形成され、異なるフォルムへと変化したゾロアークは前のめりとなり、そして、待ったなしだとグソクムシャへと高速の接近を果たす。

 

 ――目に見えない、鋭利な突きが一閃。邪悪の波動によって射程範囲も伸びた攻撃に、グソクムシャはその巨体を揺るがして思わずと体勢を崩していく。

 だが、続けて放たれたじごくづきを、グソクムシャは見極めて受け止めていた。いや、シザークロスの技エネルギーを常に両腕へ生成することで、こうかはばつぐんの相性でその威力を軽減させていたのだ。

 

 破壊の化身となったゾロアークの、怒涛のラッシュ。それらを確実に見極めて受け止めていくグソクムシャ。……グソクムシャとしても、今までは小手調べだったのだろう。フォルムを自らつくり上げることでより全開となったゾロアークは、まさかこの力を以てしても強固な相手を崩せないとは思っていなかったのだから、こうして本気を出した今でも自分の攻撃が中々通らないことで、より猛攻を極めて前のめりとなっていく。

 

 ――と、その瞬間にもゾロアークに走った強い衝撃。怒涛のラッシュの、わずかな隙を突くように繰り出されたアクアブレイクがゾロアークに直撃し、これによって動きを止める。

 

「シザークロス、だ」

 

 この男、冷静だ……!!

 怒りに囚われるあまりに、守りが疎かになっていたことを自覚する女。次にも繰り出された両腕のクロスを食らったゾロアークは吹き飛ばされると、纏っている破壊の化身状態でヒラキタ高原の木々へと突っ込み、周囲の自然を身に纏う波動で辺りを散り散りにしながら、なんとか起き上がってグソクムシャを見遣っていった。

 

 ……沈黙する空間。互いに動向をうかがい、相手に一撃を叩き込むタイミングを見計らうのだ。

 と、その時にも動き出したグソクムシャ。アクアジェットで瞬く間にゾロアークへと突っ込んだのだが、それを見越してかゾロアークは、月をも震わす甲高い雄叫びを上げると、その瞬間にも身に纏っていた全ての技エネルギーを一気に放出し、それをグソクムシャへと塊ごとぶつけていったのだ。

 

「お、っと……!」

 

 破壊の波が押し寄せる。アクアジェットはそれに敵わず、それに呑み込まれたグソクムシャを案じたのか彼は表情を一変させた。

 すぐにも、網目状の装飾が目立つボールを構えた彼。だが、じきにも目にする光景に安堵も見せながら、手に持つボールはそのままに再び双方の睨み合いへと発展する。

 

 この空間に刻まれた、漆黒と鮮紅の強大なエネルギーの跡。地面を焦がしたそれが未だバチバチとエネルギーを弾けさせているその中央には、多大なダメージを負いながらもゾロアークと対峙するグソクムシャの姿。

 

 ……再び訪れた沈黙。いや、これは沈黙というよりは、キリがないと判断した双方による、次第と失せてきた戦意による静けさだった。

 

 負ったダメージで、共に膝をつくゾロアークとグソクムシャ。そんな二匹の様子に二人は一息をおいていくと、次にも男がそのセリフを口にしてきたのだ。

 

「こんなところでいいかな? 気が済んだかい、赤黒き勇猛なるヴァルキリーちゃん」

 

「…………ッ」

 

 睨むように向けたその視線。彼女から送られたそれに、男は愛でるような視線で応えていく。

 ……フン。鼻を鳴らすようにした彼女は、足元にあった石ころを蹴りつけた。それが音を立てながらコロコロと転がっていくと、そんなものに興味無いと彼女は歩き出して、木に縛り付けていた暴漢の脇に佇んでからその言葉を口にした。

 

「“ルイナーズ”である貴方を、ここで仕留め切れるだなんて端から思っていなかったわ。それでも、私は絶対にいつか、貴方から“彼”の居場所を吐き出させてみせる。それまでは、貴方のお仲間さん達から地道に情報収集していくとするわ」

 

「お仲間さん? くっ、ははは!! あぁ、確かにそれはボクに堪えるな。さっきも言ったように、ボクは“マサクル団”なんかと一緒にされることが嫌なんだ。ボクは、ポケモンや世界のことが大好きさ」

 

「“彼”が目的を達成したら、貴方の好きなポケモンも世界も、大好きな女の人だって消えて無くなるのよ。それなのに、どうして貴方は“彼”と共に破滅の道を歩んでいくの?」

 

 女の問いを耳にした瞬間、男は冷酷な表情を見せた。

 ……一転して、彼女を睨むように見つめた男。その心理など読めるわけもなく、彼女もまた、真剣な眼差しを向けて、男のことを見遣り続けていく。

 

 ――ふぅ。そんな気が抜けるような音が男から出てくると、被っている中折れハットを手で押さえながら、そんなことを口にして踵を返し始めていったのだ。

 

「どうやらボクもまた、キミとは深い因縁の下で成り立つ関係となりそうだ。キミの存在自体は“出身の世界”で聞かされていたものだが、ここに来てようやくとお目に掛かれるとはね。どうやら“此処”は、ボクにとっても特別な場所となりそうだ。――同時に、キミが滅び往く姿を見たくなくなった。“彼”はキミを何度も排除しようとしていたものだけど、その度に思い出といった記憶の補正が抑止力となって、キミを消すことができずにいたみたいだ。……ならば、むしろキミも、ボクらと共に来るかい? “ルイナーズ”は、キミの加入を拒むことはないよ」

 

「貴方達と道を共にするのなら、私は喜んで破滅する世界の中に身を投じるわ。死んだ方がマシよ」

 

「おっと、それは残念だ……。いや、心底残念に思っているよ……。キミが持つ天性の美貌や、強気と慈愛を兼ね揃えた性格。強くたくましく生きてきた、人として素晴らしくもどこか儚さを帯びたその存在感は、ボクも“彼”も本当に大好きに思っているんだけどね」

 

「……。彼らは私が預かるから、貴方は今の内に自分の大好きなものでも愛でていればいいわ。――大好きなこの世界が、滅びる前までにね。ま、私がなんとしてでも食い止めてあげるけど」

 

 皮肉や嫌味に似た調子でそれらを言うと、女は傷付いたゾロアークと共に二名の暴漢を運び、宵闇に紛れるようにこの場を去っていった。

 

 ……漆黒と鮮紅のエネルギーが今も地面に残り続けるその空間。佇む男は被る帽子をより深く被るように手で押してから、隠していた目元をわずかに覗かせながらそれを呟いていったのだ。

 

「…………分かってるさ。言われなくても、言動が矛盾していることなんてボクが一番理解している。――でも、これしかないんだ。ボクに残された道は、これしか……」



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取捨選択

「ユノさんやっほ。昨日の別行動からユノさんの姿を見なかったけど、悪いヤツらを懲らしめてたの?」

 

 ヒラキタ高原の、拓けた広場。そこで出している屋台から買ってきたパイルのみジュースを飲みながら公共のイスに座っていたアタシは、凛々しい顔でこちらと合流してきたユノさんへと言葉を投げ掛けていった。

 

 宿屋で泊まって、翌日となったこの日。まだまだ朝日が眩しいそんな時刻から活力で漲るアタシは、居ても立っても居られないと思って、こうして外でユノさんが戻ってくるのを待っていた。

 足をバタバタさせながら見遣っていくアタシからの視線。それを受けたユノさんは、どことなく疲れた様子で軽く頷き、アタシと相席するなり丸いテーブルに突っ伏してぐったりしていく。

 

「……ユノさん、寝る?」

 

「いえ、平気。ありがとね、ヒイロちゃん。仮眠はとってあるから、少しだけ休んだら『オウロウビレッジ』へ向かいましょう」

 

「そう? ――あ、もしかして、そういう日? 薬とかあるから、いつでも言って」

 

「ううん。そういうわけではないのだけど、ちょっと今回ばかりは中々にくるものがあって。でも、少し休めば平気よ。ありがと」

 

「そっか」

 

 ユノさんから目を離して、テーブルの上で座っていたラルトスを見る。ラルトスもちょうどアタシにねだろうとしていたのか、空っぽになったカップを持ちながら、アタシの手をちょい、ちょいと突っついておかわりを促してくるのだ。

 すぐにも、「えー、それで三杯目じゃん! まだ飲むのー!?」と驚きながらもラルトスのためにジュースを買いに行くアタシ。そのついでと言ってはアレだけど、自分の分とユノさんの分も買ってきたジュースをテーブルに置いていき、ラルトスがそれをぐびぐび飲んでいくところをスマートフォンのカメラで撮影してユノさんを待っていくのだ。

 

 まだ十分かその程度しか経っていないその頃だった。周囲ではヒラキタ高原に訪れた曲芸師の団体が、どうやら無料で芸を披露するということで開けた場所でワイワイとやり始めたこの空間。バリヤードとドードリオによる、パントマイムと三つの頭を利用したモグラたたきのコントみたいな芸でヒラキタ高原に来ていた多くの人々を笑いへといざなう中で、アタシはそれを遠目で眺めつつも、ふと、ユノさんのために用意しておいたジュースを見遣る……。

 

 ……って、なんか小さなキツネのようなポケモンが、ユノさんのジュースを咥えようと――

 

「あ!!! こら!!!!」

 

 怒鳴ると同時に、立ち上がった衝撃でテーブルがガタンッと揺れる。それに驚いたキツネのようなポケモンがビックリすると、咥えたジュースを横にして中身をドボドボ零しながら、そのポケモンは必死に逃げ出していくのだ。

 

「おい待てやゴラァッ!!!! ラルトス!! テレポート――」

 

 先回りしてやると、ラルトスを抱えて急ぎで指示を送っていくアタシ。

 だが、そうしている間にも逃げるキツネのようなポケモンの前に立ちはだかった、一つの人影。それが目の前に現れるなりキツネのようなポケモンは動きを止め、咥えていたジュースを落としながら慌てて森林地帯へと逃げ出していったのだ。

 

 そして、ポケモンが落としていったジュースを拾っていくその人物。アタシがそれに気が付いた時にも視線を向けていくと、その人物はとても目立つ服装で、左手で中折れハットを押さえる独特な雰囲気を醸し出しながら声を掛けてきたのだ。

 

「繭のように真白な心を持つ、純粋無垢のいたいけな美少女にあのような行為を働くだなんて、あのポケモンも中々に解せないな。しかし、気持ちは分かってしまえるというものでね、ヒイロちゃんという、健気で根が優しい見た目をした女の子にぜひ近付いてみたいというあのポケモンの行動自体には、ボクにも共感できるものがある。――ついでに、先ほどのポケモンはクスネと言ってね。他のポケモンや人の食べ物を掠めることで生きているポケモンなんだ。だから、これも生態の一環として大目に見てくれると嬉しいな」

 

 爽やかでありながらも、独特な喋り方をする男性の声。若々しくも捉えどころがない、不思議な魅力が詰まったその声音。

 見間違えるハズのない、若葉色のファンシースーツ。アタシは「あ!」と大きな声を出し、指を差してしまいながらも、差した指で手のひらをつくって、それちょうだいと促していく。

 

「ランヴェールさんだ! ランヴェールさんナイスナイス!! 取り返してくれてありがと!」

 

「あぁ、麗しき可憐なる乙女のヒイロちゃんにお褒めの言葉をいただけるなんて、ボクはとんだ幸せ者だな」

 

「だから、いちいちおおげさだよー」

 

 そんなことを言いながらも、ランヴェールさんから受け取ったユノさん用のカップ。中身はドボドボ零れてしまって半分にも満たない量しか残っていなかったものだが、ユノさんが起きる前に新しいの買ってこようと手に持ったそれをテーブルに置こうとした時、既に顔を上げていたユノさんが視界に入ったものだ。

 

 ……とても、驚いたような、仰天というか。とにかく目を見開いて、口を開けた「どうして……!?」みたいな顔をしているユノさん。まぁ、確かにそう思うのも分かる。だって声は綺麗だし、顔もイケメンだし、ちょっとどころかかなり怪しいところはあるけれど、何だかんだで生粋の紳士なものだから、さすがのユノさんでも見惚れるか。

 

「ユノさん、この人はランヴェールさん。昨日知り合ったんだけど、とても良い人だから安心して。ね、ランヴェールさん」

 

「んー、ヒイロちゃんという無垢の少女からそう言われてしまえば、きっとボクはそう映える人物なのだろうね」

 

「うんうん。じゃ、アタシちょっと新しいジュース買ってくるから。……ジュース一杯分を無駄にしたクスネってポケモン、絶対に許さないんだから」

 

 ボソボソと呟きながら歩いていくアタシ。ラルトスを抱えたその状態でテーブルから離れていくその間にも、こちらの背を見送っていたのだろう二人からの視線がとても熱かったものだ。

 

 

 

「……貴方、あの子にまで手を出したの……!? 私が関わっているから、人質にでもしようと企んでいるんでしょう……!!」

 

 力む手を握りしめた、恨めしい顔をして男を見遣る彼女。

 しかし、そんな目を向けられる覚えは無いと言わんばかりの疑念を抱きながら、彼はその言葉を返していく。

 

「ボクから言えることは、ヒイロちゃんという可憐なる乙女を汚らわしい手で触るつもりなど毛頭無いということだけさ。だからこそ、さすがに凛々しく気高い精神で生き抜いてきた美しき旅人であるキミの言葉であろうとも、か弱くいたいけな女性を人質呼ばわりにされてしまっては、ボクの堪忍袋の緒が切れてしまっても何らおかしくないものだ。――言っただろう? ボクは、生きとし生ける女性のことも心の底から敬意を払って愛し尽くしている、と」

 

「“ルイナーズ”の分際で、よくそんなことを言えるわね……っ」

 

「ほう、だったら如何にボクが、女性に対して誠実な気持ちを抱いているかを証明してみせるかい?」

 

「ヒイロちゃんには、手を出さないでッ!! あの子は、この件とは無関係なのッ!!」

 

「おぉ、怒鳴り散らすキミもまた、美しきかな」

 

 卑しくケタケタと笑う彼の様子に、女は切羽詰まった心情で自身を反省していく。

 ――やっぱり、彼女と行動を共にしたことが間違いだった。彼女が直感で感じ取っていた、自分を見放してはいけない気がしたというその言葉。もしかしたら、自身がこれまでにも出会ってきた“英雄”と同様に、彼女にもその素質があるのかもしれないという期待を持ててしまえたからこそ行動を共にしたものだったが……。

 

 自分と関わったことで、最もバレてしまってはならない人物に、彼女の存在を知られてしまった。それも、本当に彼女は今回の件に無関係である部外者であるからこそ、彼女の日常を壊してしまうような、巻き込んではならない戦いに招き入れてしまった。

 

 ……私としたことが、どうしてそんなことも考えられなかったのだろうか。本当に馬鹿だ――

 

「ユノさん? さっき大きな声出してた?」

 

 

 

 抱えたラルトスを片手に、もう片手にジュースを持ったアタシはユノさんへと訊ね掛けていく。

 ……なんか、心なしか顔色が悪い。やっぱりまだ、寝不足なのかもしれない。

 

「……ユノさん? 大丈夫?」

 

「……えぇ、大丈夫。その、ね。ヒイロちゃん。ごめんなさい。私、やっぱりまだやり残した用事が残っていて……。その、ヒイロちゃんには先に行ってもらって、ジムチャレンジを進めてもらいたいの……」

 

「え。……え!? うそ! アタシ一人!? これから『オウロウビレッジ』なのに!?」

 

 ガーン、ショック。せっかく心強い用心棒が一緒に居てくれると思ったのに。いや、用心棒抜きにしても、アタシはこの先も何だかんだでユノさんと一緒に旅をするつもりでいたからこそ、これってもしかしてお別れなのでは? と察しがついて衝撃を受けてしまう。

 

 ……黙り込んでしまった。あまりにも急だったから。

 

 ――でも、ユノさんは悪いヤツらを成敗するので忙しいんだもんね。なら、仕方ないよね。

 

 ……待てよ。

 

「そっか。ユノさん一緒に来てくれないんだ……。なんか、すごく寂しいな。ユノさんと一緒に旅するようになってからさ、アタシやっぱ、ユノさんのような人と一緒に巡るジムチャレンジもすごくいいなって思えてたからさ……」

 

「…………ごめんなさい。でも、これがヒイロちゃんのためになるの――」

 

「ランヴェールさんも、ジムチャレンジしてるトレーナーさんなの?」

 

 ランヴェールさんは、あまりにも予想外な反応をしてこちらに向いてきた。しかし、そんな彼以上に驚くようにアタシを見遣ってきたのは、「え?」と呟いたユノさん。

 

「ボクかい? んー、ボクは生憎、ジムチャレンジというものとは無縁の人間でね。――でも、今の話から大体は察したよ。次に向かうのは、『オウロウビレッジ』なのだろう? でも、その『オウロウビレッジ』に向かうには、『オンタケ山』という山脈を越えなければならない。その『オンタケ山』は、すごく過酷な環境で、試練の山とも呼ばれていることはボクも知っているさ」

 

「そー。だから、アタシ一人なのもちょっと不安だし……お願い! 『オウロウビレッジ』に到着するまででいいから、付き添ってくれない!?」

 

「んーーーーー、そうかそうか。いや、そうだねー。本来ならボクも男性であって、ヒイロちゃんのような健気で可憐なる絶世の美女を連れて歩くというのは社会的にどうなのかとも思うのだけれども、本人からのお願いであるのならば、ボクはこれを断ってしまえば男が廃るというものさ。――いいだろう! ヒイロちゃんの冒険心溢れる快活でフレッシュなその旅路、ボクがお供しようじゃないか!!」

 

「ホント!? ありがと!!」

 

 よろしくー! とさり気無くランヴェールさんの手を握って握手していくアタシ。ランヴェールさんもランヴェールさんで、満更でもない様子でアタシと握手を交わしてくれたものだ。

 

 ……と、ここでユノさんが声を掛けてくる。なんだかただならないような、とにかく引きつった声であるかのような落ち着かない様子で。

 

「え、ヒイロちゃん。待って。その、私はそういう意味で言ったんじゃ……」

 

「もちろん、アタシはもっとユノさんと旅をしたかった。でも、ユノさんも忙しいもんね。だから、ユノさんを安心させたくて、代わりに同行してくれる人をユノさんの前で見つけられたらなって思って! そしたら、ちょうどそこにランヴェールさんがいたんだもん!! ラッキー!!」

 

「え、え。あ、ヒイロちゃん。その――お、思い違い!! あ、そうそう!! 思い違いをしていたわ私っっ!!!! あー、今すぐに行かなきゃと思っていた用事、まだ当分先でも良かったかもーーーーっっ!!!!」

 

「え?」

 

 ???????????

 困惑するアタシ。だがユノさんもユノさんですごく必死で、正直この状況が何が何だかよく分からない。

 

「だから、ヒイロちゃん!!!! まだ大丈夫!! まだ私、一緒に居られるから!!!! だから、これからも二人で旅を続けましょうっ!?!?」

 

「え、うーん。でもそうなると、せっかくランヴェールさんがついてきてくれるって言ってくれたのに」

 

「ボクは、ヒイロちゃんの好きなようにしてくれればと思っているよ。いつ如何なる時でも、レディーファースト。これが、ボクの信条だからね」

 

「んー、そっか」

 

 どうしよう。アタシは少しだけよく考えた。

 ユノさんはきっと、休む時間がとれていなかったから、頭が回っていなかったんだろうな。だから、外せない用事がある気がしていたのかもしれない。もちろんユノさんをものすごく頼りにしている部分はあるけれど、なにもユノさんに頼りっきりではいられない。しかも、思い違いするくらいに疲れちゃっているユノさんを一人送り出すのも気が引けるし、一緒に居てくれるのなら傍で支えられるし、普通にすごく嬉しいな。

 

 ランヴェールさんも、せっかく来てくれるって言ってくれたのに、やっぱりいいですなんて断わるのは失礼にもほどがあるし。というか普通にエスコートしてくれる究極の紳士であることが昨日の内にも判明しているから、ついてきてくれるだけでもすごく心強いし、普通にありがたい。

 

 アタシは、悩みに悩んだ。そんなこちらをユノさんは必死な形相で見ていたものだし、ランヴェールさんは「ずっと待ち続けるから、いくらでも考えていいよ」と声を掛けて余裕な様子でアタシを見遣っていたものだ。

 

 ……どうする、アタシ。しばらくと悩み続けた内に、アタシはもっと、根幹的な部分を見落としていたことに気が付いていく。

 そして、アタシは取捨選択という固定概念の存在に辿り着いた。……うん。うんうん。そっか。そうだよね。自分の中でも納得がいった、ある一つの、たった一つの答え。

 

 ――うん、決めた。

 

「じゃあ、三人で旅しよ!!」



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オンタケ山

 地中に存在する膨大なエネルギーが震え出すと、それはたちまちと遥か上空を目指した爆発的な噴火となってマグマを噴き出していく。

 

 『オンタケ山』。試練の地として、シナノ地方屈指の過酷な環境と呼ばれる地域に足を踏み入れたアタシ達。今もヒラキタ高原から出発してオンタケ山の区域に入るなり、背景として視界の奥に雄大と存在していた山脈からは、自然の力が織り成す豪快な火山の活力を目撃することとなる。

 

 って、ちょっと!!!! あれヤバいんじゃないの!!? 大空の雲を突き破るマグマの噴出に、アタシは驚くあまりに隣を歩いていたランヴェールさんへと飛び付いてしまった。それに対してランヴェールさんは、抱擁するように「産まれたてのか弱いシキジカのように震えているね。でも、心配には及ばないよ」とアタシを腕で包みながら、指を差して噴火の様子を見るよう促してくる。

 

 立ち上るマグマは、噴出した上空で、分解されるように溶けていったのだ。それはドロドロとした花火のように散り散りとなると、次第と消えていく煮え滾った液体。どうやら大気中に存在する技エネルギーが、マグマという灼熱の火柱を打ち消してくれるようなのだ。

 

 このような現象が見られるのは、オンタケ山のみらしい。どうやら噴火の頻度が多い活性化火山であるオンタケ山だが、神の加護なのか、自然の摂理なのか、この地域一帯の上空に広がる大気中には豊富なみずタイプの技エネルギーが充満しているとのことで、そこへ突っ込んでいった噴火のマグマはたちまちと、大地へ落ちる前に技エネルギーによって分解されるのだそう。

 

 へー、おもしろ。ランヴェールさんの解説だったそれにアタシは感嘆の声を零し、「ランヴェールさん博識ー!!」とおだてて彼を喜ばせる。

 そんなこちらの様子に、後ろを歩いていたユノさんは複雑な表情を見せていた。……なんだか、アタシらの動向を警戒するような、難しい顔をしながら――

 

 

 

 オンタケ山の山脈付近にまで迫ると、辺りの空気は次第と、森林や大地から醸し出されているのだろう、何とも言えない神秘的な霧が漂い始める。

 自然から発生する、手で掴める不思議なエネルギー。それを握ろうとすると、手の間から抜けていくこの霧だが、掴めなかったと思って手を開くと、残っていたのだろう霧が解放されるようにアタシの手から飛んでいくのだ。

 

 この現象には、初見であるラルトスも大興奮。抱えるアタシの胸元でキャッキャと小さな手を振っているラルトスと共に、アタシは上り坂になってきた山道をヒーヒー言いながら登っていくのだ。

 道中にも、ジムチャレンジのスタッフさんが「オウロウビレッジはこちらですよー」とアタシ達を案内してくれた。手を向けられた方向を見遣りながら「ありがとー!」なんてお礼を言ってその道のりを辿っていくのだが、こうしてオンタケ山の山道を歩いていく中でも目にした光景の数々に、アタシは山だけではない自然の雄大な姿を目の当たりにすることとなる。

 

 この地域の四割を占めるとされる、湖の一帯に出てきた。山道が途切れる形で開けた目の前の空間には、潜ったら最後、名状し難い腕に引っ張られて奥深くへ連れていかれてしまうんじゃないかと思われる、エメラルドグリーンの大きな湖とご対面。湖には多くの大木や岩が突き出すように存在しており、湖を泳ぐニョロゾやシザリガーといったポケモン達、湖の上の木々といった足場には、戦っているケンホロウとアメモースの姿が見られたものだ。

 

 特に目を見張った光景として、なんとこの湖には、ラグラージが野生で生息していた。ミズゴロウ系統であるそのポケモンは、普段は野性として滅多に見られない、珍しいポケモンである。元々は、ポケモン研究所や育て屋といった、人工的な場所で飼育されることで繁殖するという、人との接点が強い系統のポケモンであるその最終進化が、今は野性という在るべき自由の姿で、この湖の中央の平たい岩場に存在しているのだ。

 

 それも、ラグラージが野生で生息する場合、その多くは海辺に出現するとされている。そんな個体が、どうしてこのような湖に? きっと、山に囲まれた独特な自然環境を持つシナノ地方ならではの発展で、海と対面する機会が非常に少ないことから湖を住処にする習性が根付いたのではないだろうか。と、ランヴェールさんはその人として怪しい雰囲気からはまるで想像もつかない博識さで、そんなことを考察し始めていく。

 

「へー。ランヴェールさん、いろんなことに詳しいね」

 

「そりゃあね。ボクはこう見えて、いろんな世界を渡り歩いている、生粋の旅人でもあるのさ。それはきっと、あちらの美しき月夜の踊り子にも同じことは言えるんじゃないのかな?」

 

 ……月夜の踊り子? ランヴェールさんの視線に沿っていくと、そこでは難しい顔をして佇むユノさんの姿。彼から向けられたその卑しい目に、彼女はより嫌悪感を出していく。

 んー、やっぱりユノさん、“そういう日”なのかな。普段のユノさんとは全く違う様子だし……。

 

「ユノさん。休みたくなったら言ってね? そんな辛い状態でこの山を登るなんて、たぶんアタシだったら絶対無理だし」

 

「……ありがとう、ヒイロちゃん」

 

 ぎゅ……。すごく大事にされるかのように抱擁されたアタシ。

 え、どうしたの?? 守られるかのような安堵に包まれる、ユノさんの優しいハグ。しかもイイ匂いも伝ってくるそれに困惑を隠しきれないアタシはなぜかドキドキしてしまい、頭の中が真っ白になってしまった。

 

 ――そして、そんなこちらの様子に、世界の真理とも呼べる神秘的なものを見るかのような目を向けてくるランヴェールさん。……何なんだろう。今日という日から、今までのような雰囲気ではなくなったこの冒険。抱えたラルトスが角を赤くピカピカと光らせていくその中で、アタシを抱きしめるユノさんの腕には、少しずつ力が加えられていったような気がした。



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フィールドワーク

 『オウロウビレッジ』を目指してオンタケ山を登り始めたアタシ達。山脈に近付くなり周囲に漂い始めた神秘的な霧だったが、それは時間が経つにつれて濃くなっていき、今となっては、この視界は霧で覆われた不良な景色として広がっていた。

 

 湖の付近でその足止めを食らったアタシ達は、安全性を考慮して今日この日は野宿をすることに決定する。そうしてテントを立てられそうな、開けた場所を都合よく見つけられたことでそこを野営地にして、アタシはオンタケ山の中で一夜を過ごすことになったのだ。

 

 陽が落ち始めたその時刻。アタシは、ユノさんが仲間になった当初から知ったものの、未だにその構造が気になっていた“ある物”をジッと見つめていく。

 それは、彼女のライダースパンツのポケットの中に入っているらしいのだが……。それを実体として捉えたことがないアタシは、やはりどうしても気になると思って、そこに佇んでいたユノさんへと言葉を投げ掛けた。

 

「ねえ、ユノさん。そのポケットに入ってるってやつ……」

 

「あら、やっぱり気になる?」

 

 そう言い、ユノさんはポケットに手を入れてゴソゴソとし始める。

 アタシは、ユノさんと出会った頃からずっと気にしていたことがあった。その気にしていることとは、ズバリ……ユノさんは、バッグを持たずにどうやって私物を持ち歩いているのか、という謎。

 

 それを当初の頃に訊ね掛けたところ、ユノさんは快くそう答えてきたのだ。

 

『そうね。確かに、傍から見たらすごく気になるところかも。……一言では理解できないかもしれないけど、単刀直入に言ってしまえば、私の私物は全て、このポケットの中に入っているわ』

 

 ポンポン。手で叩くライダースパンツのポケット。アタシはこの返答に「?????」とただただ謎に思うばかりであったが、そんなアタシにも理解できるように、ユノさんは一から説明をしてくれたのだ。

 

 で、それを要約すると、どうやらユノさんのポケットの中には、“あらゆる物体を縮小して収納することができる”という特別性のボールを、そのポケットの中に入れてあるのだそう。文字からしてどこぞの何かを思い出すような高性能の代物であるが、この夢のような道具にも、しっかりとした理屈があったものだった。

 

 言ってしまえば、モンスターボールの要領で作られた、超小型の収納ケースなのだとか。モンスターボールは、ポケモンという生物すべてに共通する生態として持つ、縮小する性質を利用することでどこにでも連れて歩くことができるというどうぐである。

 だが、ユノさんがポケットの中に入れてあるそのボールは、ポケモンではなく、物体を縮小させることでそれを持ち歩くことができるという、なんとも近未来的などうぐだったのだ。

 

 これには、どうぐコレクターとしての血が騒ぐアタシは大興奮。それは一体どうやって手に入れたのかをしつこく訊ねてみたのだが、アタシの怒涛の質問攻めに対してもユノさんは、冷静に「これは特注品なの。少なくとも現在は手に入れること自体が困難じゃないかしら」の一点張り。なんだ、せっかく近未来的などうぐが手に入ると思ったのに。それをどうぐとしての使用用途ではなく、集めたいというコレクション欲で純粋に欲しいと思っていただけに、アタシは普通にショックを受けたものだ。

 

 で、そんなユノさん、ポケットに入れた手から大きな袋を取り出すと、そこから組み立て式のテントを取り出していく。「今日は男性も一緒にいるから、念のため私と同じテントで寝るわよ」と言うユノさんに、アタシは「はーい」と答えて準備のお手伝いをすることにした。

 

 二人を応援するラルトスが、テントの屋根部分の布に乗っかってフレー、フレーとする。そんな中でアタシは、ふと目にした光景にまたしても驚かされることとなるのだ。

 なんと、ランヴェールさんもまた、異次元から取り出すようにどこからともなく組み立て式のテントを繰り出していく。それも、常に被っていた中折れハットから大きなテントを取り出したものだから、まるでマジシャンのようなそれにアタシは随分と驚かされた。

 

 え、てかユノさんの特注品じゃなかったの? ランヴェールさんも持っているってことだから、やっぱりどこかで手に入るんじゃ――

 

「……ヒイロちゃん。手が止まってる」

 

 ムスッとした調子で、そんなことを口にするユノさん。

 思わずアタシは「え、ごめん!」と慌ててテントを立てるのに集中するのだが、それからというものユノさんは、アタシの傍に付きっ切りとなって行動していたものだ。

 

 

 

 

 

「やぁ、お目覚めかな。可憐なる真白のお眠な天使ちゃん。ボクはこれから、霧が晴れるまでのフィールドワークに出るつもりなんだけど、良かったら一緒にどうかな」

 

 翌日。テントでユノさんの抱き枕となっていたアタシは、そこから抜け出すようにテントから出るなり目が合ったランヴェールさん。

 水色の寝間着姿だったアタシは、既にファンシースーツという正装に着替えてあったランヴェールさんに対してちょっと恥ずかしい思いをする。だが、そんなこちらのことを気にすることなく、アタシの手を取って、いざなうように甘美な声音を掛けてくるランヴェールさん……。

 

「ん、霧がまだ立ち込めてるんだね。こんな様子じゃまだ進めないだろうし、この周辺を歩くんならアタシも一緒に行こうかな――」

 

「ヒイロちゃん!!!! 私も行くわ!!!」

 

 うおっ!!!! 生えるようにテントから顔を出した、髪を結っていない長髪姿のユノさん。すごく必死な調子にアタシは驚いてしまいながらも、ランヴェールさんは「ふむ、日々の緊迫から解放されし純正の眠れる姫君。その浅くも渦巻く混沌の夢から覚めた姿もまた、絶世とも呼べる美しさを放っているね」と、卑しい目を向けながらそんなことを言っていく。

 

 ランヴェールさんの言葉で、不機嫌な顔を見せていくユノさん。それから急いで身支度を整えてアタシに駆け寄ってくると、ゴージャスボールを片手に常備するといういつでも戦える状態で、ランヴェールさんから引き離すのだ。

 

「貴方ね……! いくら旅に同行しているからって、こんな女の子をこの山奥で連れ出そうとするなんて、許さないから……!!」

 

「んん、相も変わらず感情に流されるままの怒れる形相もまた、絵になるものだ」

 

「…………ッ」

 

 ……あれ、もしかして、この二人って相性悪い? ビリビリバチバチとする空気に、アタシは若干と感じ取るようにそれを思っていく。

 

「貴方にはヒイロちゃんを任せられない。ヒイロちゃんと行動を共にする以上、私の監視の目があることを忘れないで!」

 

「これはこれは、警戒されてしまっているね。しかし、か弱きプリンセスをお守りする赤黒きヴァルキリーが常についていてくれるからこそ、ボクとしてもヒイロちゃんの安全が確保されている安心感で、夜にも心地の良い眠りにつけるというものさ」

 

「あのー……とりま、アタシ着替えてきていい……?」

 

 

 

 まだまだ霧が立ち込めるオンタケ山。出発は難しいと判断された今、ここで朝食と昼食をとってから様子を見ようという方針になり、それまでの間として周辺でフィールドワークを行うことにした。

 アタシの手を取るランヴェールさん。「ここに段差があるよ。木の根っこにも気を付けてね」と、ものすごく優しく言葉を掛けてくれる彼にアタシは頷きながら前に進んでいき、そんなアタシらの後ろから、ユノさんがついてくる。

 

「ヴァルキリー。キミも足元には気を付けて。ボクはプリンセスのエスコートに手を尽くしてしまっているが、もちろんキミのことも心配に思っているし、心から愛おしく思っているよ」

 

「……前を見て歩きなさい。貴方がよそ見して転んだら、ヒイロちゃんも転んで怪我をするかもしれないじゃない」

 

「おっと、これは失礼した。ボクとしたことが、二人の乙女に見惚れるがあまりに自分の身を疎かにしてしまうだなんて。いやこれは失敬失敬」

 

 怪しく笑う彼は、帽子に手を置きながらオンタケ山の道なき道を進んでいった。

 そして到着したポイントは、昨日見た湖を二回りも三回りも大きくした、超巨大湖が見える湖畔の広場。同じ高さの木々が綺麗に並ぶその有様は、まるで神の手によって意図的に植えられたかのような、偶然とは思えないほどの完璧な行列。

 

 湖にも多くのポケモンが泳いでいる中、ランヴェールさんはアタシの手を離して先を歩くなり、木々に手を当ててその質感を探り始めていた。

 

「何をしているの?」

 

 アタシは訊ねる。すると、ランヴェールさんは取り払った帽子へと手を突っ込みながら、そんなことを話し始めたのだ。

 

「ボクの日課とも言える、ポケモン観察のための下調べさ。ボクは、ポケモンとこの世界が好きだ。だからね、この世界のポケモンを今の内によく眺めておきたくて、より多くのポケモンを観察するべく様々な手法でポケモンをおびき寄せているんだよね」

 

「ふーん。今の内にしかポケモンを観察できないの? ランヴェールさん、どっか行っちゃう予定とかあるんだ?」

 

「…………そうだね。そう遠くない内にも、ボクは此処を去るつもりなんだ」

 

「へえ、なんか寂しいな。だったら、今の内にシナノ地方をいっぱい見ていってよ! アタシも出身なのによく知らないんだけどね」

 

「くっ、ふふふ! いやいや、ありがとうヒイロちゃん」

 

 と言って、帽子の中から一つのビンを取り出したランヴェールさん。中には甘い香りのする蜜がたくさん入っていて、一目見ただけで胃もたれしそうになる。

 

「ヒイロちゃん、これを知っているかな?」

 

「え? 非常食??」

 

「んーーーー、とても可愛らしい回答だね、ヒイロちゃん。でもね、残念ながら不正解さ。これはね、れっきとしたどうぐなんだよ」

 

「え!!!! どうぐ!!!!」

 

 ソウルワード着信!! 一気に釘付けになった視線でそのビンを食い入るように見ていると、ランヴェールさんは微笑ましく笑いながらそれを続けていくのだ。

 

「これはね、“あまいミツ”というどうぐなんだ。使い方はいたって簡単で、こうして、ポケモンが好みそうな絶好のポイントに、こうやって塗りたくる……。これで完了さ」

 

 ビンに付属していたスプーンであまいミツを掬っていくと、ランヴェールさんは慣れた手つきで木にミツを塗っていく。

 その手つきはどことなくやらしく感じられたものの、アタシはそんなことなど全く気にしないと言わんばかりに工程を眺めていく。で、それからどうなるの!? まさかの使用用途にそのどうぐの在り方が気になりすぎてワクワクが止まらない……!

 

「ランヴェールさん! これで、どうなるの!?」

 

「くっ、ははは! おー、よしよし。イイ子だヒイロちゃん。これはね、決して焦ってはならないことが重要なんだ。というのもね、あまいミツというのは、言ってしまえば、むしタイプのポケモンを呼び寄せることができる代物でね。ボクがこうして塗ったポイントには、数日の内にも大量のむしポケモンが集まってくることだろう」

 

「え。う、うぇえ……むしタイプのポケモン……? アタシ、むしタイプって苦手なんだよね……」

 

 なんか、予想外な使い道を聞いてしまったものだから、アタシは舌を出しながらそんなことを言っていく。

 すると、こちらの頭を優しく撫でてきたランヴェールさん。手にはいつの間にか網目状が目立つモンスターボールが握られており、アタシにその言葉をかけてきたのだ。

 

「確かに、ヒイロちゃんのような反応を示す女性も少なくはない。ボクとしても、好き嫌いをハッキリと表に出すことができる、感情表現が豊かな女性は実に大好きなものさ。――ただ、同時に少しばかり悲しいかな。隠すもなにも、ボクはむしタイプをこよなく愛するポケモントレーナーでもあるのだからね」

 

「え……? そうなの? ――あ、ごめんなさい。そんな、別にランヴェールさんを残念な気持ちにさせようだなんて思っていなくって……」

 

「気にしないでおくれ、ヒイロちゃん。ハッキリと好き嫌いを言えるところもまた、繭のように真白な純粋無垢のその在り方に、より一層もの拍車をかけるというものさ。……ただ、こうしてボクらが巡り会えたのも何かの縁だろう。ボクと出会ったことを機会に、ヒイロちゃんが少しだけでもむしタイプのポケモンを好きになってくれると、ボクとしてもこの上なく嬉しいな。――例えばだけど、こんなむしポケモンはどうかな? 行っておいで、ハハコモリ!」

 

 ランヴェールさんの呼び掛けに応じるよう、投げられたボールから繰り出された一匹のポケモン。

 そこから現れたポケモンを見るなり、アタシはむしタイプというイメージの悪さが少し払拭された気がした。そこには細身な女性と思しき佇まいが特徴的な、鋭利な腕と優しい顔立ちのむしポケモンがアタシへと華麗なお辞儀をしてきたのだ。

 

 そのお辞儀も、まるで第二のランヴェールさんのようだった。こうして初めて見たむしタイプのポケモンに心が惹かれたアタシは、「可愛い!! 触っていい!?」とランヴェールさんに訊ね掛けて、彼はそれに対して「心行くまで、いいよ」と穏やかに返してくるのだ。

 

 アタシは、ランヴェールさんのハハコモリと戯れた。

 さらには、アタシもモンスターボールからラルトスとサイホーン、マホミルを繰り出して顔を合わせていく。と、その瞬間にもマホミルがマジカルシャインをぶっ放してアタシもろとも攻撃を浴びせられてしまうのだが、その暴走をサイホーンが食い止め、ハハコモリは不意打ちされたにも関わらず母性溢れる表情で許してくれたりと、アタシは苦手意識を持っていたむしタイプと心行くまで触れ合ったものだ。

 

 ……そんな戯れる少女を眺める、二人の人物。

 得意げな顔で、自身を見張ってくる女性へとウィンクを飛ばしていく男。そんな彼からのアピールに、女は軽く腕を組んだ佇まいで複雑な表情を見せながらも、これといった口出しをすることなく少女を見守っていったのだった――



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オウロウビレッジ

「着いたー!! 『オウロウビレッジ』だーーーッ!!!」

 

 抱えたラルトスと喜び合いながら駆け出すアタシは、村の入り口となる門の前まで走っていってピョンピョンと跳ねていった。

 

 オンタケ山という試練の地に苦戦することなく、たった二日という日にちで過酷の山脈を乗り越えたアタシ。それもこれもすべて、旅人として豊富な経験を持つユノさんとランヴェールさんが同行していてくれたからこそのもの。

 

 到着した目的地を指差しながら、「早く行こー!!」と声を上げていくアタシ。そんなこちらに落ち着いた足取りで追い付いてきた、ユノさんとランヴェールさん。

 今アタシ達が立っているこの場所は、オンタケ山と『オウロウビレッジ』の境界線となる橋の上だった。この隣で轟々と音を立てて飛沫を上げる大きな滝がお出迎えとなるこの村は、大地に根を張る緑の自然から醸し出されたマイナスイオンに包まれる、緑豊かな森林地帯に築かれた人間の住処とも言えるだろうか。

 

 自然との共存と言うより、神様が創り出した実りの地を、人間とポケモンが借りている……という表現が正しいような気がする、木漏れ日を照明とした段差だらけの小さな村。段々と積み重なるような地形に建てられた建物は、オンタケ山から採れた木材を使用しているのだろう木造建築が多く見られ、その段々の地形にも穏やかな川や池、そんな自然の姿をしっかりと残しておきながらも、村の奥へと続く道には人の手によって造られたレンガの通路が、オウロウビレッジの商店街へと伸びている。

 

 立っている橋を渡り、遥々と訪れた旅人を迎える門をくぐって目的地に到着。後ろからついてくる二人を置いていくようにアタシは走り出すと、オウロウビレッジの中を巡るように村を見て回ったのだ。

 

 目についた、小さな滝。近寄っても危険ではないミニマムなそれの傍では、このオウロウビレッジで取れた天然水を売っているのだろう。簡易的な造りの営業所で天然水を売っている娘さんが、ニョロモとニョロトノというメンツと並んでそれをアピールしている様子がうかがえた。

 

 それから、オウロウビレッジの周辺でとれたという、ひかりのねんどという名前のどうぐを販売する営業所もあり、アタシはどうぐというソウルワードにつられてそのまま入っていく。そこに並んでいたのは、普通の粘土とは異なる色合いの、こねこねすると、その触れた部分が発光して指の形をつくり出すという一見何に使うのかも分からない代物が売られていた。

 

 ……どうぐとしての使用用途はまるで分からないけれど、値段的には十分買えるな。お財布と相談し始めるアタシの様子に、ラルトスがちょい、ちょいと手を伸ばしていくと、やはりとも言うべきか、その先にはラルトスの大好きな食べ物も取り扱われていたのを発見する。

 

 オウロウサラダという、この神秘的な地域で採れた野菜をふんだんに使ったとされる料理が、袋に詰められて売られている。見るからにみずみずしくて、かつ食べると寿命が伸びそうなほどに大きくてハリとツヤがある緑色の野菜達。うわー、食欲がそそられるー!! なんて腹を空かせながらも一旦お店から出たアタシは、冒険心をくすぐられるまま飛び出すように走り出して、オウロウビレッジを余すことなく見て回ってきた。

 

 ……そして、アタシは見つけることとなるのだ。段々となっている大地をどんどんと上へ上っていくと、次第と増えてきた人とポケモンの集団。それでいて、彼らが見据え、人によってはパートナー達と共に、揺ぎ無い足取りでその施設へと向かっていくその光景――

 

 ――オウロウビレッジジム。現在も熱狂的な試合が行われているのだろう、白熱とした実況解説の声と、飛び交うわざ同士のぶつかり合う音を響かせるそのスタジアム。もちろんそれを目的にしてきたアタシであったものだけど、改めて自身の目でしっかりと見据えていくと、自分は次にも、三つ目のバッジを手に入れるべく、このジムで今までのような死闘を繰り広げていくんだなという実感を覚えていく。

 

 ……オウロウビレッジのジムリーダーは、こおりタイプの使い手だと聞いている。聞くとか以前にもインターネットで情報を仕入れており、アタシはしっかりと、こおりタイプの対策として色々なことを考えてきていたものだ。

 あと、もう一つ重要な情報として、ジムバッジを二つ入手しているチャレンジャーは、三つ目のジムバッジから三対三のポケモンバトルになることを念頭に置いておかなければならない。今までは二対二の戦いだった今までのルールから、戦闘するポケモンを一匹増やした戦いへと移り変わっていくのだ。

 

 そのため、アタシは新たな仲間も増やしていきたいとも思っていた。もちろん、今のアタシの手持ちはちょうど三匹だ。ラルトスにもそろそろ戦えるような工夫を凝らしていきたいと思っていたから、ちょうどいい機会になるかもしれない――

 

 ――という、アタシがラルトスを戦わせたいと考えている感情が伝わってきたのだろうか。この時にも抱えているラルトスは、やけに角をピカピカと光らせながら、この場からアタシを動かそうと必死に腕を引っ張る様子を見せていく。

 

 ……うーん。やっぱりまだ、ラルトスには戦う意思が無さそうだ。

 

 となれば、さっそく新しい仲間を捕まえに行くか――

 

 ――ドンッ!!

 

「ひぁッ!!!」

 

「ぐえェ!!!!」

 

 突然生じた、ぶつかったような衝撃。その感覚は正しいものであり、どうやらアタシは、誰かに衝突されたみたいだった。

 

 ぶつかられたことで倒れ込みそうになったアタシは、ラルトスが咄嗟にテレポートを行ったことで、付近にあった草地の茂みにドシャッと倒れることになる。その地点がとても柔らかい地面であったため、アタシはナイスナイスとラルトスを褒めながらも起き上がっていった。

 

 一方で、アタシにぶつかったのだろう男の子は、ドシャァーーー!! っと盛大に倒れ込んでいて、今も片足を上げたその状態で、そこから急いで起き上がってこちらを見遣ってくるのだ。

 

 ……ちょうど、アタシと同じくらいの年齢の子だろうか。ヴィジュアル系の黒色のショートヘアーである彼は、左目が黄色で、右目が青色というオッドアイの持ち主。ピンク色の大きなパーカーを、両肩を出すようにだらしなく着こなしており、七分丈のズボンと、黒色とピンク色の運動靴。それと、パーカーの下には直でインナーを着ており、それは黒色で、全身タイツのような要領でパーカーとズボンから顔を出している――

 

「わ、わりぃーーーーッッ!!!! あれ、どこにいる? あ、いた。いやーー! どこの誰だか分からないけど、大丈夫かーー!?!? てか、怪我してないか!!!? あれ、ぶつかったのオマエだよな!? うん、だな。いやホントごめんなーー!!!!」

 

 大慌てで起き上がる男の子。ぶつかった痛みとかを全く感じさせない身軽な様子で、すぐさまアタシへと駆け寄ってきて両肩に触れてくるのだ。

 そして、無事を訴え掛けるような目で、すごくアタシの顔を見てくる。心から心配をしているようで、とにかくこちらの身を案じている彼。だが、近付いてからようやく気が付いたのか、アタシが抱えるラルトスを見るなり彼は、子供のように輝く表情でラルトスを撫でまわしてきたのだ。

 

「わっ!!!! すげ!! ラルトスじゃん!!!! オレ初めて見るよ!! ねね! オマエのラルトス触っていい!? え、すごいなー!! ラルトスってこんな感触するんだなーー!!! うわカワイイーーーーッッ!!」

 

「え。え。ちょ、待って。待って」

 

 暴風のように迫る彼。ラルトスを撫でまわす彼の勢いに圧倒されて何も言えないアタシは、ただそこから一歩ずつ退いていくことしかできなかった。

 しかし、それについてくる彼。すげーーー!! とラルトスをあまりにも撫でまわすものだから、アタシの感情を読み取ったラルトスは、あろうことか彼にテレポートをかけてしまったのだ。

 

「ねね、オマエさ! ラルトスってどこで捕まえッ――――」

 

 パッ。

 

 …………あ。プツリと途絶えた彼の声。角を真っ赤にピカピカ光らせるラルトスを、アタシは撫でてなだめていく。

 

 と、次の瞬間にも真上から降ってくる彼――

 

「ぐほァッッ!!!! っはッハーーーー!! なんだこれーーー!! 面白いなーーー!! ねね、もう一回やってよ!! 今の、ラルトスがやったテレポートなんだろ!? 次はもっと高い位置で頼むよ!!! ね、お願い!! この通り!!!!」

 

 両膝をついて、両手で必死の懇願をしてくる彼。

 

 ……え、なにこの人――

 

「おいてめェ、“クルミ”ッ!! んなとこで何やってんだ!!!」

 

 ドスを利かせた低い男の怒号が響く。それを聞くなり彼は飛び上がるように立ち上がり、そちらへと向いていく。

 

 ズカズカと向かってくる、見るからにおっかない一人の男。彼もまたアタシと同じくらいの年齢に見えてくるし、背もアタシと似たか寄ったかで、とても親近感が湧いてくる。

 だが一方で、乱暴な茶髪のショートヘアーと、目の下の黒色。オレンジと黄色の上着と黒色のシャツで、濃い緑色のカーゴパンツと黒色の靴という、荒々しい声音でバンギラスよりもおっかない顔をした、まるでヤクザのような男の子が歩いてくるのだ。

 

「おーーー、グレン!! あれ、先に待ち合わせ場所に行ってたんじゃないの!?? てか、見てよ!! ラルトスだよ、ラルトス!!! オレ、本物のラルトスなんて初めて見た――」

 

「んなこと聞いてんじゃねェんだよッッ!! おら、さっさと行くぞッ!! カナタもてめェ待ちなんだよッ!!!」

 

「ねぇ待ってグレンっ。痛い痛い痛いイタイ引っ張らないで!! あ! ねーねーラルトスのねーちゃん!!! また今度オレにラルトス見せてねーーーっ!!!」

 

「よそ様に迷惑かけんじゃねェ、この馬鹿ッッ!!!!」

 

 ずるずると引き摺られていく、ぶっ飛んだ彼。そんな彼を力ずくで引っ張っていくヤクザのような彼が荒々しい声を上げていくと、引っ張られる彼は「だって、ラルトス見るの初めてなんだし!!」と謎の反抗で答えていく。

 

 ……何だったんだろ。周囲もこの勢いで困惑混じりの目を向けていたものだが、アタシはそう遠くない内にも再び彼らと会うことになるとは、この時にはまるで思いもしなかった。

 オウロウビレッジに到着してから早々と出くわした邂逅。巡り会いというものは本当に不思議なものだなと改めて感じるのも、既に時間の問題であったものだ。



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ゲットチャンス

「ラルトス、見える? あの木にいるの……もしかして、ヘラクロスじゃない……?」

 

 茂みから目を凝らす、アタシとラルトス。物陰から隠れて様子をうかがうアタシ達は、湖畔の一部に密集していたむしポケモンの集団を遠くから眺めていた。

 

 『オウロウビレッジ』に到着したアタシ御一行は、本来の目的であるアタシのジムチャレンジのために、しばらくこの村に宿泊することとなった。

 ユノさんとランヴェールさんという心強いお二方に支えられて、オンタケ山という試練の地も難なく乗り越えてきたアタシ。内心では「ラッキー!」なんて思いながらも余裕ぶって一人でオンタケ山に訪れたところ、そう言えば、数日前にランヴェールさんがあまいミツを塗っていたな……ということを思い出して、そのポイントへ直行する。

 

 すると、そこにはアタシの苦手なむしタイプのポケモンが、数日経過した今でもゾロゾロと姿を現して群がっていたものだ。

 おぉ、あまいミツの効果ってすごい。そう思うと共に、おぉ、むしタイプがあんなにもたくさんと……なんて、この背中をゾワゾワと寒気を走らせながらも、その光景についつい釘付けとなってしまう。

 

 遠目から見ただけでも、いろんな種類のポケモンがそこに集っていることが確認できた。主に、モルフォンやヤンヤンマをはじめとする、アメモースやツチミンといった様々な種類のポケモン達。さらには、なんだか音楽家のようなヒゲを持つ赤色のポケモンがいたり、雄っぽい雰囲気を放つ蛾のポケモンが見受けられたりと、その多種多様なむしタイプのポケモンをここまで惹き付けるあまいミツというどうぐの効果に、アタシはそれを見直す事になる。

 

 また、そんなむしタイプのポケモンを捕食しようとしているのか、周囲の木々で様子を見ているピジョンやハトーボー、冒険に出る前に図鑑で見たスワンナといった鳥ポケモン達が姿を見せていた。しかも、狙いをつけているのは上空の捕食者だけでなく、大きな大きな湖から顔を出すニョロトノやガマガルといった、水棲のポケモン達もこのむしタイプの集団に狙いを定めていたものだ。

 

 すごい。アタシはむしタイプが苦手でありながらも、あまいミツというどうぐが生み出したこの光景に、弱肉強食でありながらも食物連鎖によって成り立つ自然の摂理を目撃した気がして、思わず感動してしまった。こういったものに感動するような人間じゃないと思っていたからこそ、アタシは多種多様のポケモンが展開する、食うものと食われるものの循環を形として目にしたことに、なんだか特別な念を抱けてしまったのだ。

 

 感動~……! 前までなら目も背けてしまっていただろうその光景をしばらくと眺めていると、アタシはふと、その青色の身体をしたむしタイプのポケモンが目についた。

 立派なツノを持つ、カブトムシのようなそのポケモン。がっちりとした体格で周囲のむしポケモンを力ずくで退けていくと、それはあまいミツを独り占めするように堪能し始めていく。

 

 あれは確か……ヘラクロス。詳しく描写していない時にも、サイホーンを鍛えるためにショウホンシティでいろんなトレーナーと戦っていた際に、アタシはそのポケモンに意外と苦戦を強いられたことがあったことを思い出す。

 むしタイプのポケモンは、サイホーンのロックブラストでコテンパンだ! そう思って繰り出したロックブラストを、あのヘラクロスは容易く打ち砕きながらこちらへと接近してくると、インファイトという強力なかくとうタイプのわざでサイホーンを返り討ちにしてしまったのだ。

 

 自慢じゃないけど、試合の結果で言えばアタシの勝ちで終わったこの戦い。だが、むしタイプと侮ったアタシに、むしタイプも強いんだぞと思い知らせてきたポケモンが、あのヘラクロスだった。

 あれから調べたら、ヘラクロスはむしタイプと、かくとうタイプの複合タイプであることが判明した。へー、そんな組み合わせのポケモンもいるんだなーとその時はすごく勉強になったものだけど、ここに来てその知識が、まさか活かされることになるとは思いもしていなかったものだ。

 

 オウロウビレッジのジムリーダーは、こおりタイプの使い手。こおりタイプの弱点には確か、かくとうタイプがあったはず……!

 

「よし、ヘラクロスを捕まえよう! ――いくよ、マホミル!!」

 

 ガサッ! 茂みから飛び出したアタシは、モンスターボールを投げてマホミルを繰り出した。

 突然出てきたアタシらに、驚いたむしタイプのポケモン達が退散していく。そうして標的が去っていくその姿を追い、鳥ポケモンや水棲のポケモンも一斉に動き出していく展開の中で、あまいミツを独り占めしていたヘラクロスのみはこちらへと振り返り、堂々と佇んで勝負に受けて立ってきた。

 

「マジカルシャイン!!」

 

 血気盛んなマホミルは、この時を待っていた!! と言わんばかりにフェアリータイプの技エネルギーを一気に放出。今まで溜まっていた分のストレスなのだろうか、それは暴発するように弾けていくと、いつも以上の広範囲攻撃となってヘラクロスを吹っ飛ばしていったのだ。

 

 というか、なんかマホミル強くなってる? テュリプさんとの戦いで激闘を繰り広げたマホミルは、さらに成長していたみたいだ。そこから繰り出すマジカルシャインはヘラクロスを一方的に押していくのだが、ヘラクロスもただではやられない。

 

 つばめがえし。そのツノに空を切るひこうタイプの技エネルギーを宿すと、ノーマルタイプのわざでも特に凶暴な力を持つ、あばれる、というわざと組み合わせることで、周囲を薙ぎ倒す強烈なコンボをマホミルに叩き付けてきたのだ。

 アタシさえも吹き飛ばされる、強力な一撃。抱えていたラルトスがすぐさまテレポートを行うことで安全地帯へと瞬間移動したアタシだが、茂みの奥へと移されたその身をすぐに二匹の下へ駆けつけさせると、そこではマホミルがアタシの命令を無視した暴走状態で、ヘラクロスと殴り合っている。

 

 いや、手が無いマホミルなのに、言葉通りに殴り合っていた。マジカルシャインやアシストパワーを覚えているというのに、あろうことかマホミルは液状の身体で拳をつくってヘラクロスを殴りつけているのだ。

 いやいやいや!! なにやってるの!? せっかくタイプ相性的に有利をとれているのに、どうしてどのタイプにも属さない体術でヘラクロスを攻撃してるの!? アタシは「マジカルシャイン!! マジカルシャインやって!!」と指示を出していくのだが、興奮していたマホミルはこちらの言う事を聞かず、挙句にはメガホーンの一撃で吹っ飛ばされてKOされてしまう始末。

 

「マホミルーー!!! あー、もう! でも、戦ってくれてありがと! 戻って!!」

 

 なら、サイホーンで!! アタシはマホミルをモンスターボールに戻してから、急いでバッグからサイホーンのボールを取り出して投げつけていく。

 と、その間にも、羽を広げ始めたヘラクロス。そして、その場から飛び立つと、ヘラクロスは独特な音を鳴らしながら上空へと飛んでいってしまったのだ。

 

「あ、あーーーーー!!! 待って待って!!」

 

 悲痛の叫びをあげていくアタシ。モンスターボールから出てきたサイホーンが、クールに佇んで周囲を警戒してくれていたその間にも、アタシは飛んでいってしまったヘラクロスを追いかけるように、飛べない身体でその場をピョンピョンと跳ねていたものだ……。



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洗礼

「ランヴェールさんからあまいミツ貰ってこないとな……。って、ちょっと――ラルトス、なに舐めてるの!」

 

 あまいミツを塗っていた木に近付いてそんなことを呟いている最中、アタシが抱えていたラルトスがそのミツを手につけ、それをペロペロと舐め始めたことで驚いてしまった。

 

 ヘラクロスを逃がしたアタシは、意気消沈としてこの辺をウロウロしていたものだ。

 もしかしたら、あのヘラクロスが戻ってくるかもしれない。そう思ったアタシは数時間ほどこの周囲を彷徨うようにしていたものだったが、いくら時間を置いてもあのヘラクロスがここに姿を現すこともなく、アタシはただフィールドワークに時間を費やしてしまっただけだった。

 

 そして、数日と経っていたことからあまいミツの効果が無くなってきたのだろう。段々とそれが木に浸透していく様子を見せ始めていくと、塗ってあった面積も心なしか狭くなってきていることに気が付いた。アタシはこれを見て、「ランヴェールさんからあまいミツを貰おうかな」と考えていたところで、食いしん坊のラルトスはそのミツを味見してしまったものだ。

 

 ちょっと、他のむしポケモンもいっぱい舐めてたやつなのに! 慌てて湖の水でラルトスの口元や手を拭いていくアタシ。

 ――ん、この湖、意外と水流の流れが速い……? そんなことを思いながらも、こちらの焦り具合もまるで気にしないラルトス。アタシが手に掬った水で洗われている間も、良い匂いがついているのだろう手をペロペロと舐めていき、とても晴れやかな笑顔でアタシに食べ物をねだってくる。

 

 あなたねぇ……。ま、アタシのラルトスらしいと言えばらしいけど。内心でそう呟いてから「はいはい分かった分かった」と言って、アタシはラルトスを傍に下ろしてバッグを置き、中を漁っていく。どこに入れてあったっけなーとしばらくガサゴソとしていると、ようやく見つけたポフィンを取り出してそれをラルトスに与えていくのだ。

 

 ラルトスは、すごく喜びながらそれを受け取った。そして、ご機嫌な様子ではむはむと食べていく。

 ……幻想的な湖で、ランチなう。ふとよぎった言葉にアタシはスマートフォンを手に取って、ラルトスの写真を撮ってパパへと送りつける。

 

 どんな反応が返ってくるかな。すでにオンタケ山を越えてオウロウビレッジに到着していることをまだ伝えていなかったアタシは、それもついでに自慢しちゃおと思って、画面に釘付けとなってその操作をしていたものだ。

 

 だからなのか、アタシは気が付くことができなかった。今も隣のラルトスは食べることに集中していて周りが見えていなかったからこそ、この背後でブンブンと虫の風切り音が鳴り続いていたことに気付くまで時間が掛かってしまった……。

 

「よし、送り終わった。パパからどんな返事が届くかなー! ユノさんと一緒に旅してることは伝えてあったけど、ランヴェールさんのことはまだ教えていなかったからなー。ね、ラルトス――」

 

 横へと向けた視線。ラルトスもこちらと目を合わせてくる視界の中、ようやくと耳に入ってきた、生理的に不快であると感じ取れてしまう風切り音――

 

 ――え? アタシは咄嗟に振り向いて、背後で滞空する“それ”を見遣った。

 

 ハチの巣に顔や羽、触覚や下腹部がついた、とても奇抜な見た目をしたそのポケモン。本能的に危険であると悟らせる黄色と黒色の色合いをしている一方で、すごく愛らしい三つの顔を持つ“それ”は、アタシから見て左にある顔は、こちらのことをキラキラと輝く目で見る顔、右にある顔は、何を考えているのか分からないくらいな真顔、そして下にある顔は、アタシという大きな生命体に対して怯えるような、とても驚いた顔をしてそれぞれがこちらを近くで眺めていたものだ。

 

 ……って、虫――ッ

 

「ひゃッ!!!! ッば」

 

 ずるっ。滑らせた足は、手に持っていたスマートフォンを投げ出して地面に落としていく。

 でもって、この身体はと言うと、そのまま後方へと倒れ込む物体の運動に従うまま倒れ込み、水面に打ち付けるかのように、アタシは湖に落下してしまった。

 

 履いていた両足のブーツと被っていたキャップを投げ出してしまい、バッグも下ろしていたことから地上に置いてきていたこの状態。

 ――そして、試練の地とも言うべき来訪者への洗礼。一見すると穏やかに見えていたこの湖だったが、中に入るなりその水流はとても激しく、アタシは成す術もなくそれに流され始め、水中に大量の泡を噴き出しながら、これに身を掻っ攫われてしまうのだ。

 

 てか、ヤバい。マジでヤバイ!! 溺れ――

 

「ガボッ、ボゴゴッ」

 

 息が、できない……!

 

 木漏れ日の日差しが遠のいていく。

 浮遊感と呼吸のできない環境に、絶命を確信した最期の光景。

 

 ――死んだ。激しい水流に呑まれるまま、アタシは揉まれるようにぐるぐると回るこの身体を、湖の深くへと沈めていったのだ…………。



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孤独の先に

 死を悟った水中で、唯一と覚えていた断片的なその記憶。

 湖の激流に呑まれて回転するアタシに“それ”が近付いてくると、水玉模様の真ん丸なそれはアタシを引っ張りながら、上手く水流に乗って泳いでいくのだ。

 

 これを最後にして、アタシの意識は薄れていった。

 ……口元にくっ付いてきた水泡のようなものが、アタシに酸素を供給する役割を果たしてくれる感覚を覚えながら――

 

 

 

 

 

 水気を帯びた芝生の上。清らかな水が、草地を潤す目の前の光景。

 目を覚ましたアタシは、びしょびしょとなった衣類をまといながら、見知らぬ地でひとり起き上がっていった。

 

 ここは、どこ……?

 キノコのような形をした木の群生地。色合いも森林そのもので、まるでアタシは小人にでもなったかのようだ。

 

 水が流れている鮮やかな草地。アタシが倒れている間にもそれはどこからともなく流れてきては、斜面も無い平坦なこの場所を、何かを目指すようにサラサラと緑の地を通っていく。

 手をつくと、芝生のように浮き沈みする感触が伝わってきた。……確かにここは、いつも何気無く踏み歩いている芝生そのものだ。でも――明らかに、何かが違う。

 

 どこかへとやってしまったブーツを履いていない、靴下の状態。それも水を吸っていてとても気持ち悪いハズなのに、靴下のみならず、この水を吸った衣類からは、あの湿っているものを着用したときの不快な感覚を一切と感じられない。

 

 ……むしろ、着ていてすごく気持ち良い。このままずっと服を湿らせていたいくらいに今着ているびしょびしょの服が気持ちよく感じられて、まるで水の加護に包まれているかのようだ。

 そんな草地を通る水は、アタシと対する方向から流れ出てきていた。周囲を見渡してもキノコのような豊かな木々が詰められるように生えているだけであり、一切と隙間も見えないそれらを潜り抜けて通るだなんて、とてもできそうになさそうだった。

 

 一方で、水が流れてくる方向には、不自然に切り開かれた道が続いていた。ここから奥へと目を凝らして眺めてみても、そこには永遠に深緑の木々が続く景色しかうかがえない、途方の無い無限を思わせる、不思議な道。

 

 ……行くしか、ないか。自分があの激流からどうして助かっているのか自体が疑問であったものだけど、奇跡的に生きているこの状況であるからこそ、行動するべきだ。

 決心するように歩き出すアタシ。正直、命の危機に瀕して心身ともにものすごい疲労が圧し掛かってきていたものだったが、それでも進むしかないと思ったアタシは、水が流れてくる深緑の森の中へと、いざなわれるかのように入っていく――

 

 

 

 薄暗くて、不気味な森だ。陽の光が薄れてきた緑の中、キノコのような形をした木々がより一層と生い茂り、アタシは暗闇に包まれてきた自身の状況に不安を覚え始めていく。

 あの時、アタシはラルトスを置いてきてしまった。それどころかバッグもスマートフォンも置いてきてしまっていたため、今のアタシは完全な手ぶら状態という、非常食も持たない完全なサバイバルモード。

 

 ……それらの要素も相まって、アタシは胸がすごく苦しくなってきた。何なら、今すぐにも大声をあげて泣きたいくらい。声が枯れるまで泣き続け、アタシがボロボロと零していった大粒の涙たちを、この流れる水へと落とし続けていくその行為。

 それこそ、虚無だった。この周辺には生き物の気配さえも感じられない、ここは完全な孤立を思わせる不思議な空間。泣きたくて泣きたくて仕方が無いけれど、そうして足を止めていては、一日でも長く生き延びるための食糧にもありつけない。

 

 しばらくと歩き進めていく深緑の道。陽の光が出てきては、それが遮られてを繰り返す、無限回路。

 ずっと同じ景色を見ている気がする。途中では十字となった分かれ道なんかも目の前に現れたのだが、それを適当に進んでいっては、またしても同じ十字路に辿り着いて、アタシは頭をかしげながら参ってしまう。

 

 どうするかな……。諦観を越えた何かの感情で、無に近いものを抱えながら違う道を選んでみるアタシ。そうして進んでみると、またしても同じ十字路が目の前に現れるのだ。

 

「迷路じゃんここ……。あーあ、せっかく生きてるっていうのに、やっぱアタシは孤独を感じながら死んでいく運命なんだ」

 

 何もかもがバカらしくなったアタシは、その場で縮こまるようにうずくまった。

 水が流れていても気にせずお尻をつけていき、両足をたたむようにして、それを両腕で抱えるようにして、丸くなる。……それを十字路のど真ん中で行い、アタシは走馬灯のように湧いてくる脳裏の言葉たちを、意味も無く流し続けていくのだ。

 

 ラルトス、アタシがいなくても生きていけるのかな。サイホーンとマホミルは、きっとアタシのバッグを見つけてくれた誰かに解放してもらえると思うし、あの二匹ならきっと、アタシがいなくても生きていけるから心配はいらないかも。パパは、一人娘を失ったという傷が一生付き纏うのかな。死んだあと、アタシはどんな顔をしてパパの前に行けばいいんだろう。

 

 ユノさんとランヴェールさんも心配しているかもしれない。あの二人なら、こんなアタシでさえも見つけてしまいそうなくらいの信頼はあるものだけども、さすがに見込めないか。せめて、生きている内にユノさんにポケモン勝負で勝ってみたかったな。

 どうぐも、半端に集めたり見てきただけで終わっちゃったな。だったら、ひかりのねんどを買っておけば良かったかな。最後の散財として、ひかりのねんどを愛でてから死にたかった……。

 

 ……バッグにずっと入れてあったお守り。コタニの山で遭難した時にもアタシの傍に在り続けてくれた、ラルトスがとても気に入っていためざめいしも、今はアタシの手元には無い。

 

「…………ぅぅ」

 

 孤独だ。今のアタシには、何もかもが無い。虚無だ。

 

 四つの方向に分かれる十字路は、まるでアタシの未来を指し示しているようだ。薄暗く、わずかに陽の光が入る、無駄に期待を抱かせてくるような今のアタシの立場。このド真ん中にいるアタシは、どの方向を進めばここから脱することができる道を辿ることができるのだろうか。

 

 顔を、腕に埋めていく。涙も小粒のものが溢れてきて、それを、声を殺して流していくのだ。

 何も無い。アタシには、何も無い。全てが無くなった。やれるだけのことはやってきたハズなのに、その結果が、現状なんだ。

 

 何も感じられなくなった。降りかかる現実にすべてが嫌になって、今では身体に伝わってくる痛覚くらいにしか、反応することができない。

 冷たい。冷える。寂しい。悲しい。お腹も空いてきた空腹感がアタシをより縮こませ、もう、この場から一歩も動けないと、行動する気力も振り絞れずに十字路の真ん中で静かに死を待つのだ――

 

 ――ぶぶぶ、ぶぶぶ。

 背後の風切り音。覚えのあるシチュエーションにも反応する気になれず、アタシはそんなものなど知らないとうずくまり続ける。

 

 ぶぶぶ、ぶぶぶ。その音が、アタシの前まで来た。

 一体何なんだ。アタシを捕食しに来たか。最期にその面を拝んでやるとアタシは顔を上げると、そこで目が合った三つの顔……。

 

 ハチの巣に顔や羽、触覚や下腹部がついた、とても奇抜な見た目をしたそのポケモン。三つの顔を引っ提げたそれは、左の顔はアタシのことをキラキラとした目で見遣り、右の顔はアタシのことをどうでもよさそうにする表情、下の顔は、泣いているアタシに怯えながらも様子をうかがうような、それぞれが異なる表情を見せていく、なんとも不思議な光景。

 

 それぞれに、意思があるのかな。そう思ってアタシは眺めていると、ふと、下の顔のおでこら辺に、赤色の逆三角形のようなマークっぽいものがついていることに気が付く。

 ……なんか、面白いポケモンだな。少しだけ元気になれたアタシは「ふふ……」と力無く笑ってみせると、そんなこちらの反応に、そのポケモンは上下に揺れながら飛んでいってしまった。

 

「え、あ……。待って」

 

 背を向けて、十字路の一つの道を飛んでいくそのポケモン。アタシは孤独感から、目についたそれへと急いで駆け出していくと、アタシはそのポケモンを追いかけるように、慌てた足取りで道を辿っていったものだ。

 

 またしても同じような十字路に到達すると、そのポケモンは向きを変え、異なる道を進みだす。アタシもそれに従って走っていくと、またしても辿り着いた十字路の変わらぬ光景。

 それも、そのポケモンは向きを変えてどんどん進んでいくのだ。時折こちらへ振り返って何かを確認している様子を見せていたそのポケモン。速度もアタシが追い付ける程度にはゆっくりとしたものであって、意外と鈍足なのかなと思い始めていく。

 

 そして、またまた同じ十字路に到達すると、そのポケモンはくるりと振り返り、アタシを通り越して来た道を戻っていったのだ。

 それに対して「え、戻るの?」と訊ね掛けながらも、こちらを向いてから再び道を進んでいくそのポケモンについていくよう、アタシも進んでいく。

 

 ……流れる水が、次第と強くなってきている? 靴下から感じ取れる感覚にアタシは足元を見ると、それは明らかに増水していることに気が付く。

 足の裏に匹敵するかしないかの薄い水の流れだったのに、今見るとアタシのくるぶし辺りまで満たしてきていた水の量。それなのに足は全く重く感じられなくて、こうして目で確認するまで増水していることに気が付けなかったことに、アタシは思わず困惑してしまうばかり。

 

 その間にも、あのむしポケモンはどんどんと前へ前へと進んでいく。アタシは遠のいていくそれに焦りを感じながらも慌てて駆け出して、水を蹴り出す飛沫をあげながら、アタシは段々と開けてきた深緑の光景に、目を疑うような景色を目の当たりにすることとなったのだ。

 

 石の段差が、アタシを心地の良い水流から離していく。たった数段でありながらも、足の裏で自然の生きる力強さをひしひしと感じ取れたアタシがそのまま進んでいくと、そこには森林に拓かれた小さな空間と、木漏れ日を浴びる木造の一軒家が建っていた。



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人災

 森林に拓かれた小さな空間と、木漏れ日を浴びる木造の一軒家。大自然の中に馴染むよう佇むそれにアタシは唖然としていると、ハチの巣のようなそのポケモンがアタシの下へと飛んでくる。

 

 アタシの妨げとならない程度に近付いて、その場で羽ばたいていた。しかもジーッと見つめられるようにそのポケモンが居続けるものだから、アタシはそれの様子をうかがいながらも一歩、前へと踏み出してみる。すると、そのポケモンはアタシから距離を取り、一軒家に近付くなりこちらに振り向いてくるのだ。

 

 ……もしかして、あのポケモンがアタシをここまで? ふとした疑問を思い浮かべると共にアタシの視界に現れたのは、周囲の森林から顔を覗かせるように流れる水をひたひたと歩いてくる十数匹ものポケモン達。

 ウパーやハスボー、ポポッコやイーブイというポケモン達がアタシの前に姿を現し始めて、それからさらに、ミネズミとミルホッグの団体だったり、ポワルンという天候によって見た目を変えるポケモンが、通常の状態でその一軒家の周りに集まってくるのだ。

 

 中には、一軒家に空いていた穴へと入っていくポケモン達も見受けられた。ここの家主は、自分のポケモン達が自由な出入りをできるようにしてあるのかな。そんなことを思いながら、アタシは一歩ずつおそるおそると近付いていってみる。

 人間という異なる種族に対しても、これといった警戒を見せる様子はないポケモン達。むしろ、一軒家へと向かっていくアタシを見守るような視線を浴びることとなっていて、今この場で何が起きているのか、理解がまるで追い付かない。

 

 と、そこでハチの巣のようなポケモンが、一軒家の二階にあたる部分の、壁に空いた穴へと入っていった。……と共に、顔をひょっこりと出して、アタシが自身を見ているかを確認してくる。

 で、また一軒家へと入っていった。――つまり、そういうことだよね……? 自分の解釈で納得したアタシは、一軒家の玄関まで上がり、古びた木のにおいが香ってくるその扉を、ゆっくりと開けた。

 

 ぎぃ~……。軋む扉と、ボロボロな床の音。室内は一般的な家庭の家とそんな大差の無い造りでありながら、開けてすぐにもお出ましとなったリビングはとても広く、かつ、植物が所々と生えている辺りに手入れはされていないような印象を抱いた。

 他、違う部屋へと繋がる部分のドアは壊れていたり、二階へと続く階段にも穴が空いていたりと、とても人が住めるような環境ではない光景が広がっていた。これに対してアタシはただただ不思議に思うばかりで、そんな階段からはあのハチの巣ポケモンが覗いてきては、再び戻っていくその様子に、アタシは誘われるままに階段へと足をかけていく。

 

 この家に入った時にも、ミネズミやウパーがアタシを追い越すように家の中へ入ってきて、各々自由に走ったりしていたものだ。ポポッコなんかはアタシの背を押し始めていて、「分かった分かった! 行くから!」と早歩きでボロボロの階段を上っていく。

 

 そのまま二階の細い通路を辿っていき、アタシは第二のリビングとも言えるだろう空間に出てきたのだ。

 植物がびっしりと生えている建物の壁。屋根や床には穴が空いていたりと古びた様のこの室内は、照明がついていないことから薄暗く、しかし木漏れ日が目に優しい明かりとなって、この室内を鮮明と照らしていく。

 

 そして、アタシはとあるポケモンを目にすることとなった。この空間の奥に設けられた、温かそうな植物の葉や、様々な色の鮮やかな花々、メリープやモココのだと思われる羊毛をクッションとして、その上で可憐に寝込んでいる一匹の、真白なポケモン――

 

 ――ロコン? アタシは、目を凝らしてそれを眺めた。

 え、でも、ロコンの割にはほのおタイプらしからぬその、粉雪のような色合い。まるで雪国にでも生息する生き物のような体色のそれにアタシは疑問に思うものだったが、そんな白いポケモンの傍にいるのが、あのハチの巣ポケモンと、水玉のような模様をした真ん丸のみずウサギ……。

 

「……あ。やっぱ、そうだ。あなただよね? アタシを助けてくれたの……」

 

 マリルリ。溺れていた時に、朦朧としていた意識の中で見かけたあの模様。アタシが訊ね掛けていくと、マリルリは満足そうな顔でうんうんと頷いていき、こっち、こっちと、両手で来るよう促される。

 と、背中を押してくるポポッコ。分かった分かった! アタシはポケモン達の厚意……のようなもので室内を進み、白いポケモンの前まで来てから、その子を近くで眺めてみた。

 

 ……よく見ると、この子。全身に怪我を負っている。

 痣だらけの全身。粉雪のような身体に点々と存在している、生々しい打撲の痕。……なにこれ、ひどい。ポケモンのわざによって生じる傷ではないことが明らかであり、これは間違いなく、人間の手によって加えられたものであることを確信する。

 

 そして、マリルリはとても心配そうに、アタシのことを見てきていた。

 

「……もしかして、アタシに治してほしいの? この子の怪我を治療してもらいたくて、アタシをここまで連れてきたの……?」

 

 うんうん。そう頷くマリルリ。どうして溺れているアタシを連れてきたのかは分からないが、怪我を治してほしいという想いはとても強く、アタシにすがるような顔で、ずっと見てくるのだ。

 

 ……この子の怪我を治してあげたい気持ちは山々なんだけど――

 

「ごめん、マリルリ。せっかく連れてきてもらったのに、アタシ、怪我を治すためのキズぐすりが入っているバッグをあの場所に置いてきちゃったの。でもさ! あの場所さえ分かればアタシ、急いでキズぐすりを取りに行ってこれるから! だから、急ぎであの場所まで案内してくれない?」

 

 すると、マリルリは晴れた顔をして動き出した。その真ん丸の身体でトコトコと部屋の出口まで移動したマリルリは、振り返るなり、こっち、こっちとアタシを手招きしてくるのだ。

 うん、見るからにアタシをバッグのある場所まで連れていってくれる雰囲気だ。周囲のポケモン達も希望に満ちたような顔を見せていく中、アタシもそれについていって、一軒家から飛び出していく。

 

「急ごう、マリルリ! アタシはどうやってここから出ればいい?」

 

 こちらの問い掛けに対して、マリルリは案内するといった具合に手招きをしながら、十字路へと続く道を走り出していくのだ。

 再びあの迷路へと行くのか。若干とよぎった不安にアタシは唾を飲むものの、こうして現地のガイドさんもついてくれている状況なら安心だという思いから躊躇うことなく、アタシもマリルリに続いて駆け出していく。

 

 ――と、その時だった。

 

 ガサ、ガサガサッ。森林から、慌てるように飛び出してきた一匹のミネズミ。赤い目をさらに赤くしながら血相を変えて一軒家の前まで移動すると、そのミネズミは大きな鳴き声を上げて、何かを呼び掛け始めたのだ。

 

 それを聞いたマリルリが、足を止めてすぐに振り向いてくる。アタシもそれに続くよう振り返っていくと、この空間にいたポケモン達が皆、顔色を変えてきびきびと動き始めたのだ。

 複数のミネズミがか弱いポケモン達を一軒家の中へと誘導し、ミルホッグやポポッコといった腕っぷしの強いポケモン達は、この空間の外へと向かうように森林へと姿を消していく。見るからにただ事ではない様子であることを察することができたこの事態に、マリルリも同様、アタシの案内どころではないと駆け出していくと、ふとこちらへと振り返ってきて、ペコペコと頭を下げ始めていく。

 

 ……え、何だろう。慌ただしく動き回る周囲の、緊張感に包まれたこの光景。足を止めて何かを懇願するようなマリルリにアタシは近付くと、それを承諾と受け取ったのだろうか、こっち、こっちと手で招きながらマリルリは走り出し、森林の茂みへと姿を消していったのだ。

 

 いや、なになに!? アタシは困惑して、あたふたとしてしまう。

 だが、次にも見た光景を目にしてからというもの、アタシはここに住んでいるのだろうポケモン達が、“かの件”と密接に関わっていることを瞬時に理解する――

 

 茂みから現れたワンリキー。必死な顔で大急ぎ一軒家へと向かっていくそれだったが、ワンリキーが抱えていたあるポケモンを見ると、アタシもまた顔を真っ青にしながら、事の全てを把握することとなってしまうのだ。

 

 ワンリキーが抱えていたハネッコが、惨たらしく痛めつけられていた。描写できないほどに全身を刻まれたその身体は、見るからに生死に関わる大惨事である。

 しかも、アタシに助けを求めるくらいに、この周辺には傷を癒せる薬草などが存在しないのだろう。痛めつけられたハネッコは力無く目を閉じており、呼吸をしている様子も全くうかがえない。……考えられる中で特に最悪とされる事態に陥っていることは確実であり、このワンリキーに続いて、ミネズミやエイパムといったポケモン達が森林から飛び出してきては、傷付いた被害者たちを次々と一軒家へと運んでいくのだ。

 

 同時に、それらを見送る中で目についた、一軒家の裏。この家の裏庭とも言えるだろう手の行き届いたその空間には、一定の間隔を置くように並べられた大量の石が見受けられる。

 ――うそ、でしょ。身体の芯を凍らせた、現在の状況に戦慄を覚えるアタシの感情。同時に巡ってきた危険信号がアタシの心臓を速まらせ、理解とは遅れてやってきた身の危機に、これまでに感じたことのない、遭難や溺死の可能性とは全く異なる方向性の恐怖を覚え、思わず立ち竦んでしまう。

 

 いや、そんな。だって、これはユノさんが成敗してくれていたんじゃないの……!? 頭の中がぐちゃぐちゃとなって、目が回ってくる感覚を覚える錯乱状態。今すぐにでもここから逃げ出したい思いに、アタシは自身の思考の中で立ち往生を始めてしまうのだが、そんなアタシを焦らせるように、決死な顔をしたマリルリがアタシを呼び掛けてくるのだ。

 

 ……アタシが? うそでしょ……?

 しかし、命を張っているのはむしろ、彼らの方だった。この件で人間が被害を受けた事例は今のところゼロであるとはいえ、その可能性こそがゼロであるとも言えなくもない、あまりにも凶暴な事件性。

 

 だが、“それら”から自分達を守るために、今も彼らは命を懸けて戦っている。あの二階で傷付いていた白いポケモンもきっと、“それら”との戦いによって負傷してしまった被害者なのだろう。

 ……こんな状況の中で、逃げ出すわけにはいかないでしょ……! 自分に何ができるかなんて全く分からなかったし、むしろ自分はポケモンのように戦えるわけでもないから、護身術も覚えていないような非力で頼りのない人間がどこまでできるかなんて、正直、自分自身に期待ができない。

 

 だからといって、彼らを見捨てるわけにもいかなかった。

 ――ええい! もう、どうにでもなれ!!!! やけくそに近い感情で、振り切るようにマリルリの下へと駆け出したアタシ。こちらに対して、こっち、こっちと案内するマリルリの後を追うように森林の茂みへと突っ込んだアタシは、その先にも続いていたアリの巣のような膨大な通路の中を駆け抜けて、急ぎで向かう森のポケモン達と並びながら、アタシは“ヤツら”の退治へと臨んだのだ。



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非道

 森林の道を抜けると、そこに広がる陰鬱とした山脈と湖の光景。見慣れたようで全くの見知らぬオンタケ山にアタシは圧倒されている間にも、マリルリを筆頭とした周囲のポケモン達は、アタシを追い越すように次々と前へ前へとなだれ込んでいく。

 

 アタシが行進する正面からは、今もバルキーやヒマナッツといったポケモン達が、無惨にも負傷してしまったドジョッチやデリバードという多種多様なポケモンをあの一軒家へと運び続けていく。刻一刻と被害者が増えていく目の前のそれからは、アタシがショウホンシティで見たインターネットのニュースの、倒れたポケモンで一帯を埋め尽くされた惨状の写真を想起させた。

 

 いや、まさにあれと同じことが今、このオンタケ山で起こっているのだ。中には目も当てられない姿となったポケモンも運ばれる光景や、運んでいるポケモンも重傷を負っている凄惨な状況であったりと、まるで戦時中かと思わせるくらいの生々しいものにアタシは深く心を痛めながらも、相対してしまった現実に未だ戦慄を感じる恐怖に心臓の鼓動を速めていき、段々と迫ってきた目標の地に対して、生きている心地さえしなくなってくる。

 

 森の奥から、わざが飛び交う激しい音が聞こえてきた。この坂を上ったら、きっと元凶がポケモン達を蹂躙している。アタシはマリルリと共に急ぎで坂を駆け上がって身を乗り出していくと、そこで目にしたのは、薙ぎ倒された木々と、様々なわざがぶつかり合うことで生じたエネルギーが地面に刻まれている光景、それと……。

 

 ……流れていたのだろう川が、倒れたポケモン達で塞がっている。ヌオーやゴーリキー、エテボースやミネズミ達。皆が痛めつけられ、最悪のケースも考えられるほどに傷付いたその姿で森に倒れ込んでいて、川をせき止めてしまっていたのだ。

 そして、援軍に気が付いた二名の男達。黒色の分厚いコートに身を包み、ゴーグルのようなサングラスと靴底の厚いブーツを履いている凶悪な姿でこちらを見遣ってくる。

 

「こいつらァ、性懲りもなく追加で連れてきましたよ兄貴ィっ!!! 獲物が自分からどんどん舞い込んできてェ、俺らまるで快楽のバイキングを堪能しているって感じですよねェっ!!! 注文もしていねェ追加オーダーを端っから処理していくこの感じ、なんだか生きてるって実感がして、すっげェ楽しいことこの上ないって感じですよねェッ!!! ――ェ? あれ、兄貴、なんか人間の女が混じってねェっすか?」

 

 男を上回る大きさのドでかいパイプを担ぐその男。パイプ男がそれを言うと、彼の後ろにいた、巨大な筒を担ぐ筒男がアタシをまじまじと眺めてくるのだ。

 

「女だ。見間違えるハズがねェ。バケモンがあんな律儀に服を着ているハズがねェ。見たところ学生ってところからするに、なんとかなんとかとかいう祭典に出ている愚か者ってところかねェ。……ま、何だっていいさ。俺らの標的はあくまでバケモンなもんだが、現場を見られてしまっては、人間の女だろうが口封じをしなければならねェ」

 

「っつーーーーーか、女で俺らを見つけてくるって、もしかしてあの女、“JUNO”ってヤツじゃない感じですかァっ!!? 俺らの行く先々に現れては任務を妨害してくる害虫野郎っ!!!! 間違いねェですよ兄貴ィっ!!! あの女こそがJUNOって感じですよォっ!!! なら、ヤっちゃいましょうよォっ!!!!」

 

「もう少し肉がついていた方が俺の好みだったんだが、まァいい。人間は始末の対象には入っていねェが、今まで俺らの邪魔をしてくれたツケを払ってもらわなきゃあならねェからな」

 

 男達は担いでいた武器をアタシへと向けてくると、男達の後ろからは、二体のポケモンが飛び出してくる。

 それぞれ、筒男が従えているのだろうアサナンとパイプ男が従えているのだろうベイリーフが、この残虐で非道な人間共の相方としてアタシらへと立ち塞がってくるのだ。……ポケモンという生物は主人によく懐く生き物ではあるものの、まさかこんな、同じような種族であるポケモンに対してひどい行為を働ける人間達にも加担することができるなんて――

 

 ――いや、待って。あの二匹、何か雰囲気が違う……。

 

「マリルリ!! みんな! あの二匹から、“黒いモヤ”が出てる……! 気を付けて!! 何かが変……!」

 

 アタシには、この目でハッキリと見えていた。

 アサナンとベイリーフの周囲に漂う、そのポケモン達から醸し出されるように空間を漂うドス黒い邪悪な何か。それは言うなればゴースの身体であるガスに若干と似ているとは言えるが、見るからに彼らはゴースではないし、二匹の目は正気を保っていないというか、洗脳されたかのように禍々しい目をしてこちらを見遣る、明らかに正常ではないその様子。

 

 周囲のポケモン達がざわついて緊張を走らせていく中で、その男共もアタシの言葉に、意外そうな反応を示していったのだ。

 

「ッあの女!!! やっぱりそうかっ!!! 兄貴ィっ!! こいつァJUNOで間違いないですぜェっ!!? “そんな目”を持つ人間なんて、JUNOって憎たらしいクソ女と、タイチっつー忌々しいクソ男なだけなもんさァっ!!!! ――確定だ!! おい生物兵器っ!!! 半殺しなんかじゃァ生ぬるい、九割殺しであの女をひっ捕らえろォっ!!!!」

 

「やはり、JUNOで間違いなさそうだ。となれば、俺らは“ボス”に良い手土産ができたことになるな。“ボス”は人間にァ興味も持たねェバケモン絶対殺戮主義者なもんだが、年頃も近いだろうあの女で快楽を覚えりゃァ、もっと幅広い活動ができるようになるかもしれねェしな」

 

「ハっハーーーーーーっ!!!! 兄貴ィ、下心丸出しっすねェ!!! バケモンをヤりまくる慈善活動に留まらねェ人道に反するその考え、俺マジ、リスペクトって感じですわっ!!!! さ、俺らの活動範囲を広げるためにも――おいJUNOっ!!!! ここであったが数分目って感じですゎっ!!! 自慢のバケモン引っ提げて、俺ら“マサクル団”にヤられちまいなァっっっ!!!! 行くぜ、レッツ・マサクルぅぅぅうううううっっっっーーーーー!!!!!」

 

 ……何なの、こいつら。

 心の奥底から、吐き気を催した。口にする言葉の全てが同じ人間とは思えない、まるで違う次元を生きているような、人の形をした何か。

 

 これほどまでに不快な思いをしたことなんか一度もなく、学校なんかで見てきた醜悪な連中とは比較にもならないほどの胸糞悪さ。“マサクル団”と名乗るヤツらは担いでいた武器で飛び付いてきていたポケモン達を吹き飛ばしていくと、従えるポケモンのアサナンとベイリーフをアタシへと差し向け、完全に戦闘態勢へと移行してきたのだ。

 

 ――やるしかない。いや、こればかりは恐怖を感じている場合ではない。

 

「……マリルリ。みんな。――アタシもやるよ。アタシも……あいつらを許せないッ!!!」

 

 こみ上げてくる怒りで、顔を歪ませるアタシ。この闘志で士気が上がったのだろう森のポケモン達が一斉に声を上げながら一気に前進を始め、襲い掛かってくるマサクル団の連中へとなだれ込んでいく。

 

 これは、命を懸けた戦だ。ポケモンバトルとかいうフェアな壇上で行われるスポーツでも決闘でもなんでもない。今、こうして相対している現場は間違いなく、歴史の闇として屠られたハズの、掘り返してはならない禁忌の戦争――

 

 ――怒れる感情のままに踏み出していくアタシ。ラルトスやサイホーン、マホミルといったいつものメンバーがいない状況でありながらも、命の恩人であるマリルリを始めとした、ポポッコとポワルン、ミネズミの団体やウパーといった多くのポケモンを従えるアタシは、今この時にも、これまでにも培ってきた、ポケモントレーナーとしての実力で殴るかの如く、対峙した悪の組織との戦争へと洒落込んでいく。



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VSマサクル団

 こいつら、何だか許せない。

 沸々と湧き上がる、怒りの感情。非道な思考を持つ危険人物と相対してもなお、むしろ煮え滾って煮え滾って仕方の無い衝動のまま力強く歩き出していくアタシ。

 

 薙ぎ倒された木々の枝を踏んでいくその様子に、周囲のポケモン達もまた十分な士気で闘志を奮い立たせ、アタシと共に一斉となって眼前の脅威へとなだれ込んでいく。傍から見れば尋常ではないその空気から、第三者からすれば今にも起こる出来事は、戦争、とでも例えられることもあるかもしれない。

 

 アタシは、この行進を止めることはなかった。後ろにいた森のポケモン達がアタシを追い越して攻め込んでいくその最中にも、こちらへと襲い掛かってきたマサクル団のアサナンとベイリーフ。そのどちらもが禍々しいオーラを放つ異質なものであり、明らかに正気ではない二匹の姿にも、アタシは心をひどく痛めてしまった。

 

 ヤツらに何をされたのかは分からない。だが、ヤツらの考えを理解できないアタシにはきっと、二匹が目の当たりにしてきた光景は想像を絶するものなのかもしれないと予想がつく。

 立ち向かってくるいたいけな少女に、全く恐れを為さないマサクル団の二人。人間としての素の戦闘能力も高いようで、自分よりも大きなパイプや筒を担いでいながらもポケモン達の攻撃を避けていき、巨大なそれを振り回して殴打していくのだ。

 

 一方、アタシが率いるマリルリ、ポポッコ、ポワルン、ミネズミの集団、ウパーというメンツに対しては、アサナンとベイリーフを仕向けて攻撃させていく。今にも技エネルギーを溜め込み始めた二匹に対してパイプ男が、「生物兵器の分際でしくるんじゃねェぞっ!!!! 負けた時には、分かってるよなァっ!!?」と脅していくと、その二匹はより力を溜め、通常の個体を凌駕する爆発的なエネルギーを以てしてアタシらへとわざを繰り出してきた。

 

 ベイリーフのはっぱカッター。効果範囲の広い物理の攻撃だが、禍々しいオーラがよりエネルギーを増幅させたのか、発射された葉っぱが通常の五倍近くの大きさであり、アタシを含めた周囲のポケモン達を一気に倒していく、強力な攻撃となっていた……!

 

 アサナンも、ねんりきを繰り出した。それは限られた対象に与える攻撃である本来の効果範囲を、アサナンはその視界全体に拡張させたとんでもないものへと化けさせる。アタシはそれによって宙へ浮かせられると、そこに加えられた超能力で内部を圧迫され、中身を吐き出しそうな感覚を覚えながら遠くへと吹っ飛ばされてしまうのだ。

 

 ――生い茂る木に衝突して、葉っぱを散らしながら草地に落下するアタシ。攻撃を食らった他のポケモンもねんりきによって吹っ飛ばされる光景の中、マリルリはそれを避けていたのだろう俊敏な動きでアサナンへと接近し、みずタイプの技エネルギーをまとって高速の突進を食らわせてやったのだ。

 

 アクアジェットだ。アサナンもまた吹っ飛ばされるのだが、その攻撃を隙と見たベイリーフがマリルリへとのしかかりを繰り出していく。

 

 あの子だけじゃ不利だ……! 誰か、周囲に……!

 

「ポポッコ!! なんか、ひこうタイプのわざをベイリーフへ!!」

 

 こちらの指示を受けて、飛び出していったポポッコ。迷いの無いその動きは、野生の中で戦う時よりも機敏であり、こうした指示があることでよりポケモンはパフォーマンスを発揮できるんだなとアタシは実感させられる。

 そして、繰り出したわざはアクロバットのようだった。左右に残像をつくりながらベイリーフへと突撃したポポッコは、目に見えない反復で攻撃することでベイリーフの弱点を突いて確実に退かせる。

 

 そこへ、アタシは次に命令を出していく。

 

「ポポッコは引き続き、ベイリーフにアクロバット!! アサナンの攻撃が来たら、回避することを最優先して! アサナンへの反撃は、くさタイプの強いわざ!! くさタイプのエネルギーを溜めたままアクロバットで突撃していってもいいから! とにかく、ポポッコは遊撃隊として動き回って!!」

 

 再びマリルリへと襲い掛かったベイリーフを食い止めるポポッコ。やるべきことがしっかりと定まったからなのか、より動きが良くなったポポッコは相性の有利もあってかベイリーフを圧倒していくのだ。

 

 いいね、その調子。アタシはすぐにも周囲のウパーとミネズミの集団へと指示を出す。

 

「ウパーとミネズミ達は、あの人間共をこの戦いに邪魔させないよう、遠くから攻撃! その際に距離を置きながら攻撃できる特殊技があるのなら、それを優先的に使っていって! ウパーはマッドショットとか、じめんタイプのわざでヤツらの足を奪う感じで!」

 

 歩き出しながら早口で指示していくこちらの命令に、ウパーとミネズミ達もきびきびと動き出してヤツらへの攻撃を開始していく。突然と降りかかった特殊技の雨に、生身の人間であるヤツらはどうすることもできずに慌てだすのだ。

 

「て、てめェらっ!!! 全員でタコ殴りとか、同じ生き物として恥ずかしくねェのかよっ!!! 人間様を痛めつける罰当たりな下等生物共めェっ!!! こいつでも食らってろっ!!!」

 

 パイプ男が担いでいるパイプを向けてくる、あからさまな予備動作。

 ――なんか、やばい気がする。すぐさまポワルンへと呼び掛けたアタシは、指を差しながらわざを指示していく。

 

「みんなを守れるわざって無い!? もし無いのなら、ウェザーボールをクッションのようにできない!?」

 

 自信の無さそうな表情をしたポワルン。だが、それでも精いっぱいにヤツらの下へと駆け付けるとウェザーボールを生成して周囲に放ち始め、次の瞬間にも放たれた非道的な武装の攻撃の威力を、少しだけでも和らげてくれたのだ。

 

 パイプかと思っていたその先端からは、持ち手の空洞から反動が抜けていく小さな砲弾が発射された。

 そんな兵器まで持っているの!? ポケモンへの殺意の高さがうかがえる殺傷武器の所持に驚いた頃には炸裂していた、周囲一帯を吹き飛ばす高威力の砲撃。しかもヤツらは砲撃には巻き込まれていないという、前方に広がるカラクリで難を逃れていくのだ。

 

 砲撃を受けたポケモン達が、悲鳴を上げながら吹き飛ばされる。しかし、ポワルンが生成していたウェザーボールが壁となったことで、皆はなんとか大事に至らない怪我で済んだ。

 

「チっ!!! JUNOさんよォ!! 俺らの邪魔をするだけあって、余計なことだけは思いつく悪知恵はついているみたいじゃないのォっ!!? そういうところが気に食わねェんだよっ!!! 人が嫌がることを平然とやってのける性格の悪さが滲み出ていてよォっ!!!! そういうの、イケねェと思うんだけどォッ!!? ねェ、どうよォ……っ!!!!」

 

「どの口が言ってんのさ……!」

 

 ヤツらの作戦に気が付いていたアタシは、こうして向けられた挑発に乗りながらも、この意識はしっかりと戦況へと向けて周囲を見遣っていく。

 アサナンが、アタシのことを狙ってきていた。物陰からコソコソと忍び寄るそれに対し、アタシはマリルリへと指示を送っていくのだ。

 

「マリルリ! アクアジェットでアタシの下へ! そこからみずタイプの強力なわざと、確か、じゃれつく……だったかで生じるフェアリータイプの技エネルギーで、アサナンの攻撃を凌いで!!」

 

 命令を受けてすぐにも馳せ参じたマリルリ。ちょうどタイミングよく攻撃を仕掛けてきたアサナンのとびひざげりをマリルリは受け止めると、そこからじゃれつくのボコスカ殴る攻撃でアサナンに一歩退かせ、さらには追撃を指示してアサナンに思うようさせないことを徹底していく。

 

 この意識は、機械の中を巡るコンピュータのように、あらゆる場所へと移り変わっていた。

 

「ウパー! マッドショット!! ミネズミ達は引き続きヤツらの足止め!! ポポッコ、その調子でベイリーフを食い止めながら、遠くへ誘導!! 誰か、マリルリのところに加勢して!! 常にアサナンの背後を取るような立ち回りを意識! ――ワンリキーとエイパム、来てくれてありがと! 負傷したみんなを連れていって! ねぇ、もし傷付いているけどまだ動けるって子がいるのなら、ミネズミ達のところに加わって、ヤツらの武器を取り上げる隙をつくってほしいの!!」

 

 吹き抜ける風が、長髪をなびかせる。この言葉も風のようにアタシの肺と意思から周囲へと流していくと、自身の腕は指揮棒の如く全体を統率する采配となって仲間達を動かし、歩きながらの動作から自然と繰り出される数々の指示は、破滅の運命にあった森林の生命体たちを生かす道しるべとなっていく。

 

 風をまとったかのような全身の感覚。戦況を見る目も、勝敗を聞く耳も、作戦を考える頭も、傷付く仲間達を思いやる感情も、その全てが日常から遠くかけ離れた状態にあり、ありとあらゆる感覚が拡張されたかのような身体の軽さが、より一層もの隙の無い采配を可能とする。

 

 戦況は、確実にこちらが押していた。兵器を使用することで野生のポケモン達を散々と蹴散らしてきたのだろうマサクル団のヤツらも、表情を歪ませるぐらいには劣勢を背負っていたことを自覚してきたようだ。

 

「っくそォ!!! 何なんだよこのクソ雑魚共ォっ!!! てめェら如き、束にでもならねェと俺らに勝てねェくせに生意気だなァっ!!! あァ、俺らをいじめてそんなに楽しいのかっ!? 被害者の身にもなれってんだこの卑怯者っ!!! ……さすがにブチ切れたぜェ……。やられたら、数千倍返しが俺らのモットーでよォ……! ――兄貴ィ!! 俺らの合わせ技、ぶちかましてやりましょうよ!! あの生物兵器たちもJUNOも巻き込む火の海地獄の絶景スーパーバズーカ、今こそ使う時でしょぅ!!!」

 

「背に腹は代えられねェな。食べ頃の女も一緒に焼き払うのは少々気が引けるが、これもバケモンを撲滅するための致し方の無い犠牲ということで、納得するしかねェなぁ。――いくぞ! スーパーバズーカの用意!!」

 

「らじゃァっ!!!」

 

 なんか、ヤバそう……!!

 二人が担いでいたパイプと筒を合体させた、二人で抱える巨大な大砲。あのパイプから繰り出された砲撃でさえも、一部を焼き払う威力を誇っていたというのに、それらが合わさることで一回り大きくなったそれは、技エネルギーを蓄えるのだろうタンクが取り付けられ、今も砲撃のためのパワーを溜め込んでいる様子がうかがえる。

 

 あれを放たれたら、オンタケ山自体がまずい……! もはやポケモンの生態系だけの問題ではなくなる由々しき事態に、アタシはマサクル団を止めるべく駆け出しながら周囲へと指示を送った。

 

「みんな!! ヤツらを集中砲火!!! マリルリはアサナンを、ポポッコはベイリーフを食い止めて――」

 

「おっとォ、このスーパーバズーカにァ隙があるってこと、俺らが一番分かっているってもんでよォ……! 生物兵器! 例のアレ、卑怯者共にぶちかましてやりなァっ!! ――ダークラッシュ!!!!」

 

「俺の生物兵器も、なに出し惜しみしていやがる。さっさとダークラッシュとやらでこの場の愚か者共を蹴散らしてやれ!!」

 

 ダークラッシュ。それを命令されるや否や、マリルリを相手取っていたアサナンと、ポポッコを相手取っていたベイリーフの身体が邪悪のオーラで満たされ始める――

 

 ――と、次の瞬間にも、二匹は張り裂けんばかりの悲鳴を上げると共に繰り出した突撃。マリルリとポポッコはそれを食らうと、同時に生じたオーラが飛散するように瞬く間と周囲へ広がり、他のポケモン達を呑み込むように巻き込んでいったのだ。

 

 やば、食らう……!! アタシも間に合わず、広がってきたオーラがこの身に降りかかる。――ハズだった。

 だが、その直前にも背後から聞こえてきた風切り音を耳にした時にも、アタシは何かに引っ掛けられると共に身体が宙に浮き出して、襲ってきたオーラを紙一重で回避することができたのだ。

 

 ぶぶぶ、ぶぶぶ。三度目となる音に聞き慣れた感覚を覚えながらも、次第と降り出したあられの景色と共に、真下で展開されていた凄惨な光景を目の当たりにする。

 ……今まで戦っていたポケモン達がみんな、禍々しいオーラに侵食されるように倒れ込んでいた。マサクル団の二人がいる場所を除いて、地上は邪悪のモヤが一帯に広がり出しており、それに巻き込まれたみんなは苦しみもがきながら、中には堪え切れずにひんしとなってしまう個体も続出していく地獄のようなその光景。

 

 攻撃に直撃したマリルリとポポッコも、口元を押さえたり白目を剥いてもがいていたりと、いつ命が絶たれてしまっても何らおかしくない状態となってしまっていた。直撃してしまったその二匹も例外に漏れず、この場の皆に降りかかった悪夢に侵される被害者であることは確かではあったのだが、しかし、この光景の中でも一番惨い有様であったのは、あのわざを放ってきた、アサナンとベイリーフ――

 

 ――もう、助からないか。あのわざの衝撃が、ポケモンという生命体が耐えきれるようなものではなかったのだろう。攻撃を食らわせたのを最後に、跳ね返ってきた衝撃波で倒れ込んでから、ピクリとも動かなくなった二匹の姿。侵食された地上の中で、助けることもできずに最後を遂げた二匹を見て、アタシはもう、はらわたが煮えくり返るとか、そんなレベルじゃない怒りを覚え――

 

 ――――……ッ。

 

「…………蜂の子ちゃん。頃合いを見て、アタシを下ろして。それと――急に降り出したこのあられ、蜂の子ちゃんに乗っている“あなた”の特性だよね」

 

 向けた視線は、今もオーラが漂わない安全地帯で大砲のエネルギーを溜めていく二人へと投げ掛けたままだった。……アタシはもう、彼らから一切と目を背けることはできない。言葉にならない感情が、それを許さないからだ。

 

 そして、こちらの低い訊ね掛けに答えてきた、この場にそぐわないとても可愛らしい鳴き声。それは弱弱しくありながらも、怪我を負っている自身の身も顧みずに助っ人として駆け付けてくれた、侵食されていない残る最後の希望となった唯一の戦力。

 アタシは、その子に攻撃技を命じた。おそらく上空にいるこちらの存在に気が付いていない二人に対して、真っ直ぐと捉えたこの視線で攻撃地点を指示するように、とても低く、抑えた声音でアタシはそれを命令していくのだ――!

 

「ロコン。ふぶき……!!」

 

 降り始めたあられに気が付いたのだろう二人は、それを不思議がって周囲を見渡していく。

 そんな、ちんたらとした様を上空から見遣りながら命じたアタシの指示と共に、蜂の子ちゃんの上に乗っていた真っ白いロコンがこおりタイプの技エネルギーを蓄え始める。――空気がやけに冷え込んだことで察したのだろうか。周囲に見えないことから上空へと向けられた、二つの憎たらしいヤツらの視線。と、それを更に睨みつけるアタシ……!

 

 ロコンが蜂の子ちゃんから飛び出していくと共に、その小さな身体から解き放たれた膨大な技エネルギーによって、あられの天候で一気に勢いを増した超広範囲のふぶきが地上に襲いかかった。その威力は絶大であったらしく、森林は一瞬にして霜をつくり、地上を覆っていた禍々しいオーラは振り払われ、そして……!

 

「ぐぁっ!!! なんだ、そりゃァっ!! どんだけ俺らを痛めつければ気が済むんだ、この無能共っ……!!! 自分達がやってることが、どれだけ俺らを傷付けてるのか分かんねェのか単細胞共ォっ!!!!」

 

「うるせェッッ!!!! ぶっ潰すッッッ!!!!」

 

 蜂の子ちゃんからもがくように、宙へと身を投げ出したアタシ。

 捻挫では済まない高さであることは分かっていた。だが、頭では理解していても、狂うように燃え滾っていた感情に逆らうことも敵わず。思い切りのままに身体を投げ出したアタシはそのままどちゃっと地上に降りていくと、身体が受けた衝撃で痛み始めた全身の痛覚も引き連れて二人へと駆け出していく。

 

 そして、ふぶきによって怯んでいたパイプ男へと飛び込んで、全身全霊の飛び蹴りを食らわせてやった。

 ポケモントレーナーたるもの、その決着はまさかの武闘派。「ぐえェェエっ!!!!」と悲鳴を上げるパイプ男を見た筒男もまた、上空から突撃してきた蜂の子ちゃんにぶつかられて吹き飛ばされると、二人が持っていた大砲は手放されてガタンッと地面に落ち、その動作は急停止。だが、アタシはそれの確認をすることなくパイプ男に跨るなり、昂った感情のままにその憎き顔面を殴打し続けていった。

 

 両手でボコボコにしていくこの光景。傍から見たらどちらがマサクル団かも分からない暴力的な行為に、思わず周囲のポケモンがアタシを止めに入る始末。

 しかし、アタシはそれを振り切ってパイプ男をひたすら殴り続けていった。今思えば、つい先ほどまで侵食されていたというのに、頭に血が上ったアタシを必死に止めるべく身を挺して引き剥がそうとしてくれたマリルリには、とんだ迷惑を掛けてしまったものだ。

 

 ……しばらくして落ち着きを取り戻したアタシは、ポケモン達がマサクル団の二人をひっ捕らえ、虫の糸でぐるぐるにして拘束した光景を目にしていく。

 そして、完全に無力化した二人を見下ろしながら、アタシはその場のポケモン達と勝利を確信して、喜び合ったのだった。



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正義

 迂闊だった……!

 吹き飛ばされたことで、生い茂る木々に突っ込んでいたこの身体。ハンモックのような葉っぱと枝に引っ掛かることで、全身打撲の重傷を避けることができたものだったが、一方で周囲のポケモン達も完全に油断していたことから、みんなもアタシと同じようにその場を吹っ飛ばされて怪我を負ってしまっていた。

 

 マサクル団という二人を捕まえて、マリルリ達と喜び合った手前のことだった。非道の限りを尽くす連中を取り敢えずひっ捕らえたことで、「犠牲になった仲間達もこれで安らかに眠れるだろう。この勝利は心から喜べるものではない悲痛にまみれた辛勝ではあるものの、まずは連中の活動を食い止めることはできた」と、アタシはポケモン達にそれを話していた。

 

 ……皆が、気を緩めていた。ようやくと脱した命の危機に心からの安堵でアタシに注目していたポケモン達。マリルリもポポッコも涙を滲ませていて、ヤツらに狙われる恐怖が如何に恐ろしいものであったことを物語る。

 だが、アタシ達はどうして気付くことができなかったのか。外部で野次と罵倒を繰り返すマサクル団のパイプ男を無視しながら、ポケモン達と連中の身柄をどうするか考えていたその矢先。なにかメカニックな起動音と、ふと視界に入った光でアタシはそちらを見遣っていく――

 

 瞬間、全身を覆う巨大な爆風がみんなを襲った。

 もしかして……連中が落とした大砲——!? ヤツらの身体を上回る大きさのパイプと筒。それらをドッキングすることで完成した、あらゆる命を刈り取る忌々しき殺傷兵器。

 

 ヤツらが落としてから、アタシ達は安堵のあまりにそれを気に掛けることがなかった。――まさか、ヤツらが手放した後にもそのエネルギーが装填され続けていただなんて……! この唯一の怠りを心底悔いると共に、勝利という優位から一転として、その場の状況を一気に悪化させてしまったのだ。

 

 吹き飛ばされるアタシ。みんなも爆風に呑まれて拡散するように飛ばされてしまうのだが、幸いにもこの爆発で致命傷となったポケモンは見受けられない。

 だが、この爆風はマサクル団の二人にも届いていた。むしタイプの技ネネルギーによる強靭な糸で身柄を拘束されていた二人であったのだが、二人もまた爆発に呑み込まれると、縛られていた糸は熱で燃え尽き、加わった衝撃でアタシら以上に打ち所の悪い吹っ飛び方をすると、激痛のあまりの悲鳴を上げながらも重傷の身体で、すぐさま立ち上がっていく――

 

「っへへ……。っへへへへへへ……っ!!! バケモン共め、覚えておけェ……っ。この戦いは、俺らマサクル団の勝利だ……っ!!! 一度マサクル団が滅んだ時も、こうして最後は勝つことをずっと信じてきた……! マサクル団ってのァやっぱ、日頃の行いが良いのか実に運が良いっ!!! ほらなァ、てめェら!! 正義は勝つんだよォっ!!!!! ってェ――おぃ兄貴ィ、大丈夫ですかィ!!! ここをずらかるって感じですよォ…………っっ!!! っハハハ。っハハハ……っっっハーーーーーッハッハッハ!!! 」

 

 骨が折れていてもおかしくない重傷で二人は動き出すと、ヤツらは絶好の好機を逃すまいと一目散に逃げ出していく。

 くそ……!! 何なんだあいつらッッ!!! アタシも吹き飛ばされた痛みを全身に響かせながら「誰か……誰か、追い掛けられる……!?」と呼び掛けていくのだが、追い掛け始めたマリルリとミネズミ達が走り出した頃には、二人は森林の奥へと姿を隠して、皆が完全に見失ってしまったのだ。

 

 迂闊だった……! 命を張った戦いなんて初めてだったからこそ、勝利した安心感に溺れてその後のケアを怠ってしまった。

 木に引っ掛かった状態で、沸々と湧き上がる怒りのままに木を殴りつけて「くそッッ!!!!」と自分に怒る。そんな中でも、アタシを下ろすべく来てくれたポポッコやポワルンになだめられながら木から解放され、そのまま膝をついて無念のままに、アタシは何故だか溢れ出してきた涙で地面を濡らしてしまうばかり。

 

 爆発した機械を完全に破壊したマリルリとウパー。……これにて完全に決着となった、命懸けの戦闘。戦いの終わりを雰囲気で悟ると共に、先の爆発に限らずとも、この戦いで心身ともに深い傷を負ったポケモン達がみんなで寄り添い合い、悲しみの感情を共有し合って涙を流していくのだ。

 

 動かなくなってしまった、多くの仲間達。せき止められた川は爆風によって再び流れ出し、さらさらと清らかに響き渡るせせらぎの音が、この戦いに一旦もの終止符を打ったことを嫌でも告げてくる。

 アタシの傍に寄り添った、蜂の子ちゃんと真っ白なロコン。二匹もまた悲愴にまみれた表情でこちらの顔を見遣ってくると、アタシはやるせない気持ちのまま二匹を抱き上げ、マリルリに背を撫でられる優しさを受け止めながら、アタシはしばらくの間、森のポケモン達と泣き続けた――



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関係者

「ラルトス!!! サイホーンとマホミルも!! 良かったぁ……!! ――あの、この子達を保護していたジムチャレンジのスタッフさんですよね!? あそこにあるブーツとかバッグとか帽子とかもアタシので……そう! 今もアタシ、靴を履いていないこの状況で何となく察してくれてると思うけど! オンタケ山の向こう側で、大変なことが起きていて……!!! と、とにかく、助けに来て!!」

 

 マリルリの案内の下、靴を履いていないトレーナーが息を切らしながら、ただならぬ気配でオウロウジムに駆け込んできたこの光景。向けられた周囲の目にアタシは、こんなの既に慣れっことでも言わんばかりに浴びせられた視線を無視していくと、目についたオウロウジムのカウンターで保護されていたのだろうラルトスとサイホーン、マホミルのパートナー達が、こちらを発見するなり駆け寄ってきてくれたのだ。

 

 アタシは再開に喜んで三匹を撫でていくのだが、事態が事態なだけにここで立ち止まってはいられなかった。三匹の懐き具合からトレーナーであることを察してくれたジムスタッフさんが駆け寄ってくるなり、アタシはオンタケ山の一部で惨劇が繰り広げられたことを伝えていく。

 

 突然そんなことを言われたスタッフは、困惑するばかりだった。だが、駆け付けてくれた複数のスタッフがアタシから話をうかがいながら連絡を取り始めていき、そう遅くならない内にも、オンタケ山の一部にて、大量のポケモンが変わり果てた姿で倒れている一帯が見つかったという連絡が入ってきたものだ。

 

 

 

 大事となったこの事態も含め、これで数件目ともなるポケモンへの無差別的な行為が、世間に浸透するようになってきた。

 

 あの件から一日が経過し、アタシはユノさんとランヴェールさんの二人と合流する。

 どうやら、アタシが湖の激流に呑まれた後、ひとり残されたラルトスは助けを求めるべくバッグからモンスターボールを取り出して、サイホーンとマホミルを解放。そこからブーツやバッグ、キャップを回収するなり周囲を捜索してくれたようで、それでもアタシの姿が見つからなかったことから急ぎでオウロウビレッジへ帰還したようだ。

 

 そこでユノさんとランヴェールさんに由々しき事態であることを雰囲気で伝えたとのこと。これを察してくれた二人はすぐさま飛び出していき、前日までずっと、オンタケ山を捜索してくれていたとのことだった。

 

 オウロウジムで合流してからというもの、アタシを見たユノさんはすっ飛ぶように飛び付いてきて、まるで我が子のように抱きしめてくれながらアタシの帰還を喜んでくれた。

 その後ろからランヴェールさんもホッとした様子で歩いてきて、アタシの無事に胸をなでおろしたようだ。二人ともつい先ほどまで捜索してくれていたのだろう、服に付着した大量の葉っぱが見受けられて、うわー、本当にごめんなさいなんて思いながら、アタシは内心でひたすら謝ってしまったものだ。

 

「ヒイロちゃん……! 無事で良かったわ……! 貴女になにかあったら、私どうしようかと……!!」

 

「心配してくれてありがと、ユノさん。でも、ちょっと――苦しいッ」

 

「あぁ、ボクの可憐なるか弱きプリンセス。ヴァルキリーとナイトが常に在りながらも心細い思いをさせてしまうだなんて、ボクらはなんて重罪を犯してしまったことなのだろう。まずは無事で良かったよ、ヒイロちゃん。よく戻ってきてくれた……」

 

「ランヴェールさんもユノさんも悪くないって! 悪いのは、勝手にオンタケ山に行ったアタシ。――も、そうなんだけど……」

 

 もはや、ユノさんからは絞められるくらいのハグをされていたアタシ。息苦しいそれに圧迫させた声で淡々と喋っていくのだが、次にもその言葉を口にするなり、この空気は一変することとなる……。

 

「本当に悪いのは、マサクル団って名乗ってた男共だよ!! もー、ホント。何なのあいつら!! 担いでた変な兵器でポケモンをボコボコと殴ったり撃ったりして、あいつらの言動とか存在とか、もうあらゆるもの全てにすごくムカついた!!! アタシ、あいつら絶対に許さない!! 今度出会ったらキンタマに蹴り入れてやる!!!」

 

 思い出すだけで沸々と湧き上がってくる怒り。そのままアタシは興奮して、相手の股間を狙うような蹴り上げる動きをしていくのだが、ふと気付いた空気の流れの変化にふと二人を見遣っていくと、アタシのことを丸くした目で見てくる、ユノさんとランヴェールさん……。

 

「……二人共、どうしたの? あ、もしかして、乙女がキンタマとか言ったのがそんなに変だった? でも、女でも普通にキンタマとかケツとか言うし、そんな変なことじゃ――」

 

 抱きしめられるアタシ。触れたユノさんの胸からは、心臓が一気に速くなる鼓動がしっかりと伝ってきて、次にもユノさんは、ランヴェールさんと遮るようにその身体を移していく。

 

 そして、ユノさんはそれを口にしてきたのだ。

 

「ッ——! やっぱり、貴方……!!」

 

「待ってくれ、赤黒きヴァルキリー。……おかしいな、オンタケ山で活動するにしては時期尚早だと聞いていたハズなんだが――」

 

「やっぱり、狙いはこの子なんでしょッ!! 目的は何!?」

 

「何度も言ってはいるが、ボクは“彼ら”には属さない別の組織に身を置く人間さ。キミもすでに仕組みは知っているだろうけれど、なにも“彼ら”は、“彼”という因子が現れることによって自然と生じる、云わば付属品なのさ。で、キミも分かっている通りに、ボクもまたキミと同じような手段で“此処”にいる、トラベラーに過ぎない。――ボクはね、ヴァルキリー。ポケモンを生き物として見ない彼らとは相容れない性分であると共に、“彼”と同等である以上、“彼ら”の上に立つ人間でもあるのだよ。……理解してくれたかな?」

 

「それで納得するわけが無いわ!! 大体、“彼ら”という団体は、“ルイナーズ”という組織の中に位置する、表での活動を主とする集団! つまり、大きな枠組みで見れば、貴方も“彼ら”の仲間という位置にある人間なのよ!」

 

「そこを突かれてしまうと耳が痛いのだが、ボクは“彼ら”を同類として見ていない。今までにも、ボクがポケモンへと注いできた愛情の片鱗をその目で存分と見てきたことだろう? ――ボクの見張り役を豪語するだけあって、ヒイロちゃんが行方をくらます前だって、ボクから一切と離れることなく付きっ切りとなり、グソクムシャやハハコモリの世話をしているボクの姿を、ずっと眺めていた。そうだね?」

 

「……ッ!! だからって、誰が貴方を信じろと言うの……!? だって貴方達は、私や他の――!!!」

 

「ヴァルキリー。それ以上を口にしてしまったら最後、それを聞いてしまった部外者である可憐なるプリンセスもまた、関係者と見なさなければならないことになる」

 

「ッ——!」

 

「ボクとしても、ヒイロちゃんを我々の件に巻き込むことは本望ではなくてね。……いずれ彼女も、“我々”が引き起こす大いなる運命と対峙してもらうことにはなるものだが、せめてその時までヒイロちゃんには、どうぐを追い求めし純粋無垢なる生粋の冒険者として、この世界を自由に謳歌してもらいたいと思っている。だから、“彼”を追い求めし稲妻の申し子、ユノ――キミが感情に呑まれてしまうことは、彼女を安息の無い窮地の一生へと誘うに同義であることを、心得ておいてくれないか?」

 

 …………?????????

 会話の内容が、理解できない。話についていけないアタシは呆然とそれらを耳にしていくのだが、ランヴェールさんのその言葉を聞いたユノさんは、今までに見たこともないような恨めしい顔をしながら彼を睨み、アタシを大事そうに抱えながら暫しと黙りこくっていく……。

 

「……ヒイロちゃん。山の中は、寒かったでしょう。――温かい物を食べましょう。オウロウビレッジの美味しいレストランを知っているの」

 

「え? ……うん、分かった。ここに連れてきてくれたマリルリも、今は森のみんなの所に戻ってると思うし、後でみんなの様子を覗きに行くためにも、まずは元気を蓄えないとだね。……あ、じゃあランヴェールさんも――」

 

「おっと、プリンセス! ボクは今、最愛のむしポケモン達を他の場所で待たせてしまっているんだ! だから、今日のところは、漆黒と鮮紅の彼女と仲睦まじい一時を過ごしていってもらいたい。……さて、ではボクはこれにて」

 

 被っていた中折れハットを取り払い、深々と一礼を見せてくるランヴェールさん。目の奥に秘めた、全く読めない彼の心情。唯一言えることは、心身ともに疲労したアタシに、同性と一緒に過ごせる時間をつくってくれた気遣いであることに気付いたアタシは、ランヴェールさんに「また後で、そっちにも顔を出すね!」と一言かけて手を振っていく。

 

 ……悠々とした足取りで、オウロウジムから出ていったランヴェールさん。歩いているだけでも相当目立つそれをアタシは見送っていくと、「じゃあ、ユノさん行こっか」と手を引っ張ってご飯へと向かおうとする。

 こちらの言葉に、「えぇ、行きましょうか」と答えていくユノさん。先ほどまでの、激昂で顔を歪めたそれを全く思わせないいつもの調子でユノさんがそう言うと、アタシもまた、ラルトスを抱えながらサイホーンとマホミルを連れたその状態で、ユノさんと手を繋いだイイ雰囲気でオウロウジムを後にした――



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表情豊かな者

「マリルリー、みんなー。やっほー、お菓子とかいっぱい持ってきたから、みんなで食べよー」

 

 十字路の迷路を越えた先に佇む、木材建築の一軒家。傷付いた野生のポケモン達がひっそりと暮らすアジトに顔を出したアタシは、抱えるように持ってきた箱を家の前にドカッと置きながら、それを呼び掛けていくのだ。

 

 すると、マリルリやポポッコ、ウパーやミネズミの集団といった面々はもちろんのこと、マサクル団の襲撃で一緒に戦ったワンリキーやエイパムといった色んなポケモン達が、歓喜の鳴き声を上げながらアタシへと集り始めてくる。

 

 同じような傷を負ってきた仲間達として、弱りながらもなんとか生き延びる力強いポケモン達の顔を見て、アタシはすごく、その子達を愛らしくも思えてきた。「よーしよし!」と顔を出してくるミネズミやウパーの頭を撫でていくと、箱の中からポケモンのフードやモモンのみ、ポフィンからオウロウようかんまで、ポケモンも人間も楽しめるたくさんの食べ物を取り出して、この場のみんなや、今ここに居合わせていない子達のための食べ物を分け与えていくのだ。

 

 そして今回、アタシはパートナーもつれてきた。ラルトスやサイホーン、マホミルをモンスターボールから繰り出していくと、アタシのパートナー達も野生ポケモン達と和気藹々としながら、この場に馴染んでいく。

 特に意外だったのが、マホミルの様子だった。血の気が多い性格なものだから、正直この判断は間違っていたかなと思って監視するように眺めていくその光景。しかし予想とは裏腹にマホミルは非常に大人しく、誰かに攻撃を仕掛けることもなくポポッコとそこら辺を飛び回っていたものだ。

 

 ポケモンという同じ種族だからこそ、心も体も傷付いている雰囲気を何となく感じ取れるのかもしれない。マホミルが血気盛んとなって攻撃を仕掛けていく相手はどれも元気な子達が多くて、この光景から見るにマホミルは、相手を選んで勝負を挑んでいることが見て取れる。

 なんだ、思ったより良い子じゃん。見直したアタシは息をひとつ吐いて眺めていると、家の中から遅れて出てきた二匹のポケモン達を目にして、その存在へと視線を向けていく。

 

 蜂の子ちゃんと、真っ白なロコンだった。まだまだ怪我が癒えていないロコンをつれて飛んできた蜂の子ちゃんがアタシへと突撃してくると、アタシもまたそれを受け止めるように抱き抱え、二匹をよしよしと撫でていくのだ。

 

「おーおー! あなた、いつでも元気ねー! ずっと蜂の子ちゃんって呼んでたけど、あなたには“ミツハニー”って名前がついていたのを昨日知ってさ! でも、ビークインってポケモンに仕えるポケモンなんだよね? ここに居ても大丈夫なの?」

 

 と、それを訊ね掛けた瞬間にも、ぶぶぶと鳴らしていた羽音が弱まっていく。

 ……そして、それぞれが異なる顔をしていた三つの顔が、みんな悲しい表情へと変わっていったのだ。

 

 ――もしかして。

 

「……ごめん。あなたの居場所も“あいつら”のせいで――!」

 

 ミツハニーをぎゅっと抱きしめるアタシ。脇に移動していたロコンもまた悲しげな顔でこちらを見遣ってくる中、この胸で再びと活性化したミツハニーがアタシにすごくくっ付いてきて、その顔を擦り付けてくるのだ。

 

「ぉ、待って待って! アッハハハ、くすぐったい! ねぇちょっと、ミツハ、ミツ、もー蜂の子ちゃん!! 蜂の子ち――ッだー!! そこ胸!! 胸だってちょっとくすぐったいーーー!!!」

 

 どてーっ!! っと転がるアタシにくっ付いてくるミツハニー。特に左の顔はアタシのことをものすごく気に入ってくれていたらしく、羽をバチバチと叩き付けるようにアタシの肩に当てながら、ひたすらとそのハチの巣のような身体で、アタシの服の中に入ろうとしてくるのだ。

 

 そして、なんだか戯れている様子にマリルリやワンリキーといったポケモン達も寄ってくる。アタシが持ってきた美味しい食べ物を片手にこんな光景を皆が笑ってくれていて、それを肌身で感じると、アタシもまた嬉しくなってくるような感じがして、よりみんなに寄り添えるようになりたいと願えてくるのだ。

 

 ――でもって、アタシは“ある想い”をひしひしと感じ取っていた。きっと、それをアピールするための戯れでもあったのだろう。

 ガバッ! アタシは勢いよく起き上がって目の前のそれを抱き抱えると、それを掲げるようにして木漏れ日に照らしながら、それを訊ね掛けていったのだ。

 

「なぁに、ミツハニー! もしかして、アタシと一緒に居たいの?」

 

 ぶぶぶ、ぶぶぶ。再びアタシに突撃してくるその身体。ぐしゃっと顔面にめり込むと、ハチの巣のような身体に突っ込んだ顔からは、あまいミツの香りが鼻の中に充満し始めるのだ。

 

「っ!! 分かった分かった! いいよ! 一緒に行こ! アタシは、あなたが仕えてきたビークインのような、強くて立派なご主人様にはなれないかもしれないけど。でも、あなたに広い世界を見せてあげることなら、きっとできる! ――よろしく、ミツハニー!!」

 

 あまいミツというどうぐがもたらしてくれた、新たなる出会い。この時にも、あまいミツのように甘い、甘えん坊さんなパートナーがまた一匹、アタシの下に加わってくれた!

 木の葉で遮られた太陽へと掲げるその身体。周囲のみんなも拍手をしたりしてアタシ達を祝福すると共に、新たなメンツが加わったことでラルトスやサイホーン、特にマホミルなんかはミツハニーの周りをぐるぐると飛んで歓迎してくれていたものだ。

 

 ――と、その瞬間にも、ふと脇腹に突っ込んできたもう一つの衝撃。

 

「ぐほッ!! ……え、なに?」

 

 揺らぐ身体でミツハニーが飛び立つと、空っぽになった両手に緊張感を走らせながらも衝撃の正体へと見遣っていくアタシ。

 ……真白で小さな身体。こちらをじっと見つめ続け、なんだか不安げな顔をして尻尾を振っているその存在。

 

「……ロコン、どうしたの?」

 

 アタシが問い掛ける間にも、同じく小さな身体でトコトコと歩いてきたラルトス。ラルトスがロコンに触れて少しすると、ラルトスの角からは、怒りともとれる赤い光がピカピカと灯り始めたのだ。

 

 だが、同時にしてアタシへとすがってくるロコン。それも、自身のにおいをつけるようにアタシの身体へと擦り付けてくると、次にもその頭を、アタシの身体に打ち付けるように激しくぶつけてくる。

 

 ……居ても立っても居られない。此処でじっとしてはいられないといった、精神的に落ち着かないその気持ちの中で、拠り所を探そうとする、二つの感情。アタシは、その子に迸る昂った感情をなんとなく感じ取ると、ステイステイと手で止めるようにしながら、それを言う――

 

「ロコン、落ち着いて! ……憎いんだよね、マサクル団のことが。でも、待ってほしいの。気持ちはアタシも分かるし、でも、アタシが思っている以上に傷付いたあなた達の方が、アタシの気持ちなんかよりもずっと、あいつらに対して強い感情を持っていることも分かってる。ただね、ロコン。アタシは確かに旅をしているけれども、この旅は、あいつらとは何も関係の無い、人として、ポケモンとしての高みを目指す冒険なの。だから、アタシはあなたが思っているようなことはしていない――」

 

 すり、すりすり……。

 身体を擦り付けてくるロコン。ロコンが持つ感情はきっと、マリルリやポポッコといった周りの子達も抱いている、皆が同じ立場で経験したからこその憎悪にまみれている。

 

 だが、それでも周りがアタシにこれ以上もの期待をしないのは、アタシという人間は“ヤツら”を退治することに長けた専門家ではないことを理解していたからだ。

 アタシが思っている以上に、ポケモンという生き物はとても賢い。きっとみんなは、“ヤツら”に出くわした際の対応なんかがアタシ自身にとってもイレギュラーなものであったことを把握しながらも、それでもなおポケモン達のために一緒に戦ってくれたことに、感謝をしていたのだろう。

 

 そして、だからこそ周りのポケモン達は、アタシについてこようとはしなかった。ただ、ミツハニーだけは例外であり、この子は純粋にミツハニーというポケモンの種が持ち合わせた本能に従うまま、新たなご主人様、又は、心から安心できる拠り所をアタシに見出しただけの話。

 

 だから、アタシはロコンの憎悪に沿うことはできない。今もロコンの生きる動力源ともなっているのだろう、“ヤツら”に対する憎きその想いは決して、アタシの往く道を共にすることはできないのだ。

 ロコンは、必死に訴え掛けるような目でアタシのことをじっと見てきていた。それでもアタシは「アタシは、あなたが思っているような人間じゃない。道端で“あいつら”と出くわしたら、そりゃあ今度こそひっ捕らえるために全力を尽くすけれど。でもね、“あいつら”をひっ捕らえることは、アタシ達からすれば寄り道に過ぎないの」と、真白な身体に手を添えながら向き合っていく。

 

 ……しばらくして、ロコンは悲しい顔をしながら一軒家へと戻っていった。トボトボと歩いていくその足取りも寂しいものであり、許せないという気持ちを抑え切れずに先走りするロコンの気持ちを理解しながらも、だからこそ諭した自分の言葉に、アタシは心苦しく思えてしまう。

 

 ごめんなさい、ロコン。今にもマサクル団を駆逐するための本部もつくられるだろうから、その時にはあなたを、そこに連れていってあげる。

 

「……みんなも、ごめん。分かっているとは思うけれど、アタシは“ヤツら”を追うような人間じゃないの。でもね、“ヤツら”を懲らしめている、強くて頼れるカッコいいお姉さんをアタシ知っていてさ! で、きっとこれからにも、そんなお姉さんのような人達が増えてくると思うから。だから、絶対に“ヤツら”の勝ちで終わらせない! “ヤツら”の正義を貫かせない! 最後に勝つのはアタシ達なんだから!! だから、今はいっぱい食べて元気を出そ!! 腹が減っては戦ができぬ。まずはたくさん食べて、十分戦えるだけの力をつけていこうよ!!」

 

 グッと拳を握り締めながら言うアタシの言葉に、みんなは力強く頷きながら食べ物を口にしていく。

 ……アタシも、みんなの仇を討てるように、もっと強くなるから! 心の中で決心する、どうぐ集めとジムチャレンジに次ぐ三つ目の目標を掲げたアタシ。それと共に新しく加入したミツハニーという仲間を引き連れて、アタシは再び、オウロウジムの攻略を目指すのだ――



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ラルトスのネーちゃん

 オウロウビレッジに設けられた、ジムチャレンジに挑むチャレンジャーのための公共施設。それはジムチャレンジのための役所でありながらも、図書館と言われても何ら不思議でもない、立ち並んだ本棚と大量の本がずらりとお出迎え。入口から奥へと続くそれらを通り抜けていくと、その先には、試練の地をくぐり抜けたトレーナー達が身を休めるカフェとなっていた。

 

 自慢のポケモン達を連れながら、和気藹々と交流を深めていくトレーナー達。ここで知り合ったのだろう男女のトレーナーはなんだかイイ雰囲気を醸し出しながら本を眺めており、そんな主人たちの傍で良い子にしているガラガラとエレザード。カフェの前にはミルタンクが自らモーモーミルクを売りに出ており、それをブリーダーの格好をした人と一緒に取り扱っていくのだ。

 

 この施設へとやってきたアタシは、とてもヘトヘトといった具合に真っ直ぐにも歩けない疲労のまま訪れていた。外はジムチャレンジの熱気でムンムンとしているし、しかもこの前のマサクル団の件で、飛び付いてきたメディアなんかが余計にオンタケ山とオウロウビレッジを行き来しているものだから、ざわついた忙しない外の空気で身も心も休まらない。

 

 で、アタシは安らぎを求めてここに訪れたということだった。ラルトスを抱えて本棚を通り抜けてきたアタシは、そこに広がっていた穏やかな照明のカフェを目にするなりホッと一息をついていく。

 ユノさんはマサクル団の件でまたどこかへ行っちゃったものだし、ランヴェールさんもその姿が見えないから合流できないし。あの二人の傍にいる時が一番安心できるものだからくっ付いていたかったが、二人の姿が見えない以上、こうして一人で過ごすしかないものだ。

 

 ……ま、アタシにはパートナー達がいるから、そんな気にならないけど。ミツハニーという新たな仲間も増えたことだし。

 るんるん。建物の壁に沿うように並んだ出店の数々。甘いあまーいスイーツを扱うお店から、がっつり食べられるお肉を扱うお店まで。その種類は様々であり、どのお店にしようかとラインナップを眺めているだけでも幸せになってくる。

 

 で、アタシのラルトスもウキウキとしていた。美味しいものを食べられる予感に、歓喜で心が跳ねていた様子。「何にしよっかー」なんてラルトスに話し掛けながら遠目でお店を眺めていると、次の時にも掛けられたその声で、アタシはハッとラインナップから意識を逸らすことになる――

 

「ああーーーー!!! ラルトスのネーちゃんじゃんッ!!! おーーーい!!」

 

「おい馬鹿!! 声がでけェんだよ!! よそ様の迷惑になるだろッ!」

 

「ああ、ごめんごめん! おーーーーい!!!」

 

 聞き覚えのある、男の子の声。その独特な呼び名にも心当たりがあったアタシはそちらへと向いていくと、そこではカフェの丸テーブルを囲う三人のポケモントレーナーが座っていた。

 

 ヴィジュアル系の、黒色のショートヘアー。左目が黄色で、右目が青色というオッドアイの持ち主である彼は、両肩をだらしなく曝け出したピンク色の大きなパーカーと、七分丈のズボン。黒色とピンク色の運動靴を履いていて、パーカーの下に直で着用している黒色のインナーが、全身タイツのような要領でパーカーとズボンから顔を出している。

 

 そんな彼に、「だから、いちいち声がでけェんだよ!!!」と声を荒げながら力ずくで座らせる、ヤクザのような雰囲気の男の子。乱暴な茶髪のショートヘアーと、目の下の黒色。オレンジと黄色の上着と黒色のシャツで、濃い緑色のカーゴパンツと黒色の靴という、荒々しい声音でバンギラスよりもおっかない顔をしており、雰囲気からして相反する二人の男子がワイワイとやっているその様子を見て、アタシは記憶をフラッシュバックさせていった。

 

 ……オウロウビレッジに到着してすぐの頃、オウロウジムの前まで来てその建物を眺めていたら、突如とぶつかられた強い衝撃。

 起き上がるアタシへと、心配する声を投げ掛けたその男の子。しかし、アタシが抱えていたラルトスを見るなり、男の子はぶつかった痛みなんかを忘れた夢中な様子で、こちらへとぐいぐい寄ってくるのだ――

 

『わっ!!!! すげ!! ラルトスじゃん!!!! オレ初めて見るよ!! ねね! オマエのラルトス触っていい!? え、すごいなー!! ラルトスってこんな感触するんだなーー!!! うわカワイイーーーーッッ!!』

 

『え。え。ちょ、待って。待って』

 

 

 

「ラルトスのネーちゃん!!! なんか調べもの!? それとも何か食べるの!? んまー、どっちでもいいからさ! こっちに来てなんか話しよーぜーーーー!!!」

 

「おいてめェ、“クルミ”ッ!! 大声を出すなって怒られただろッ!!! どうしててめェは、いつもそんなんでいられるんだッ!!」

 

「おっととと! そうだった、そうだった! 周りのみんな、うるさくしてごめんなーーー!!!」

 

「だから、それがうるせェって言ってんだよッッ!!!! いい加減にしろッ!!」

 

「ぐェ――」

 

 ヤクザのような男の子に、ヘッドロックで首を絞められる彼。実力行使で彼を無理やりと黙らせていく光景に歩み寄るアタシであったものだが、こちらが近付くのを感じ取るなり、ヤクザのような男の子は目の下につくったクマのような黒色からなる眼光でアタシを見遣りながら、それを口にしてくるのだ。

 

「悪ぃなッ! こいつのことは忘れてくれ! 一度でも何かに興味を持っちまうと、ちと手に付けられなくなる野郎なんだ――おい、クルミッ、動くんじゃねェ!!」

 

「もが、もが!!! ラル、ラル、ス、もぎぃーーーー!!!」

 

「ポケモンみてェな鳴き声出しながら暴れるんじゃねェ!!!」

 

 ――今も十分うるさい……。

 内心でそんなことを呟くアタシ。ラルトスも「うわぁ……」みたいな顔で二人を眺めていくのだが、ふと、なにか突き刺さるような視線を受けていることに気が付いたアタシは、そちらへと向いていく……。

 

 ……彼らと席を共にしていた、もう一人のポケモントレーナー。その子もまたアタシと同年代くらいの女の子であることが分かるのだが、向けられた視線は、まるでアタシを排除せんとばかりに刺突してくる鋭利なもの――

 

 腰辺りにまで伸ばした黒髪のロングヘアーで、ピンク色の瞳を妖しく光らせている。紺色の学生服を着用してジムチャレンジに臨んでいるのだろう彼女は、焦げ茶の歩きやすそうな靴と、大人な雰囲気を醸し出す黒色のストッキングという大人びた印象を与えてくるその外見。

 

 で、彼女はやけに、アタシのことを睨んでいた。それも、心の声がダダ洩れとも言えるほど「気に食わない……」の一言がよく伝わってくる。

 えぇ、アタシなんかしたっけな……。見なかったことにするかのようにアタシは視線をずらしていくのだが、そのずらした先では未だにヘッドロックをかけながらジタバタとしている二人の姿が視界に入る。

 

 ……何なんだこれ。一つの視界の中に情報量が多すぎる――

 

「その、アタシさ……今日はオフの日というか、今日だけジムチャレンジを忘れて休憩しようって思っていたから、お話くらいならできるけど……?」

 

「ホントッ!!??」

 

 ヘッドロックを上半身でくぐり抜けてきたその勢い。彼が眩しいほどの笑顔でアタシへと飛び付いていくそれに対し、ヤクザのような子が「おい、待てッ!!」と椅子を倒しながら慌てて彼をひっ捕らえていく。

 

「アタシは大丈夫だから。……それに、少しでも話をしないと多分、ずっとこの調子でしょ?」

 

「やったーッ!!! オレ、ずっとラルトスのネーちゃんと話してみたかったんだーッ!!! ささ! 席に座って座って!! なにか食べたいものある!? 飲みたいものも!! オレ、ネーちゃんの代わりに取ってくるからッ!!!」

 

「おいクルミ、お前さんのために時間を割いてくれたっつーのに、話したがってた当の本人が席を外してどうする。それは俺かカナタの役目でいいだろ。――すまねェな、お前さん。先日にも迷惑を掛けた礼として、この場は奢らせてくれ。高いもんでも何でもいいからよ、お前さんの好きなもんを注文してくれれば俺らが取りに行く」

 

「あー……ありがと。なんかアタシ、そんな接待を受けるようなことなんてしてないんだけど……」

 

 と、ヤクザのような男の子と話しているところに顔を突っ込んできた、とても元気な彼。「ねね!! ずっと気になってたんだけどさ! オマエって、ラルトスをどこで捕まえたの!!?」から始まるウキウキな質問攻めに、アタシは困惑しながら答えていくその最中にも、ヤクザのような男の子から差し出されたお店のメニューに指を差して料理を希望していき、それを確認してから出店へと向かっていく男の子。

 

 粗暴な見た目に反して、とてもしっかりしている……。そこに驚きながら次々と降りかかる質問にアタシはあたふたとしながらも答えていくのだが、そうしてアタシと彼が会話していたこの光景を、二人に同行していた女の子は睨むように終始それを眺めていたものだ――



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同年代のチャレンジャー達

「へーーー!!! ラルトスから近付いてくれるってことあるんだな!! めちゃめちゃレアなポケモンってよく聞くし、なんかすごく意外だわーーー!!! で、ネーちゃんってあれでしょ! ジョウダシティ出身ってことは、もうジョウダジムはやったカンジ!!? だって、ラルトスってフェアリータイプだから、ジョウダシティのジムリーダーに有利だし!! ――え、まだ挑んでない? あ、そっか!!! ッハハハ! じゃあ最初、絶対にビックリするって!! だって、ジョウダシティのジムリーダーのダイチって、あのチャンピオンのタイチの弟だし!!! 何せ、ダイチの使うドラゴンタイプがまた、めっっっちゃイカすんだわーーー!!!」

 

 丸テーブルに腕を置きながら、ものすごく嬉しそうにそんなことを話していく彼。傍に置いてある彼の飲み物が一切と減っていないことから、アタシと話すことにとにかく夢中といった感じの様子だった。

 

 ――まだまだ、話し始めてそれほど経っていない。しかし、時間の流れが早いのか遅いのか、彼と話していると圧迫するように降りかかる会話の圧が、アタシに流れる体内時計を確実に狂わせてくる。

 目の前の彼が元気すぎで、それに圧倒されたアタシとラルトスはすでに疲れてしまっていた。先ほどから「うん……」とか「そうだね……」とか、そんな相槌ばかり。それでもお構いなしに彼は笑顔を見せてくると、すごく楽しそうにポケモンのことやジムチャレンジのことを話し続けていくのだ。

 

 と、ここでアタシらのテーブルへと近付いてくる足音。アタシがそちらへ振り向くと、そこにはアタシが希望したオムライスの皿とオレンのみソーダのコップを持った、ヤクザっぽい顔つきをした男の子が手に持つそれらをテーブルに置いてくる。

 

「会計は済ませてある。お前さんに迷惑をかけた礼として、気にせず食ってくれ。――おいクルミ! お前さんの話し声が、向こうにまで聞こえてんだよ! 公共の施設で騒がしくするなとあれほど言っただろうが!!」

 

「わー!!! それは悪いことをした!! ごめんなグレン!!! オレ、ラルトスのネーちゃんと話ができるのめっっっちゃ楽しくて!!!」

 

「話って、お前さんが一方的に喋っていただけだろうが……。まぁいい」

 

 ドカッと椅子に座っていく男の子。それから足を組んで粗暴な雰囲気を醸し出していくと、そんな外見とは裏腹となる冷静な調子でそれをアタシへと訊ね掛けてくるのだ。

 

「どうせ聞いていないだろうが、こいつから自己紹介はされたか?」

 

「う、ううん。アタシ、まだみんなのこと知らない……」

 

「はァ……。おいクルミ」

 

「あっれーーー!!! そっか! オレ、まだオマエに名乗ってなかったっけ!! なッははは!! 自己紹介ってついつい忘れちゃうことあるよね!!!」

 

 呆れるように頭を抱える、ヤクザっぽい顔つきの男の子。ハァっと大きなため息をついていくと「ダメだこりゃ」という言葉が聞こえてくるような反応を見せていき、それからアタシへと向き直りながら自己紹介を始めていくのだ。

 

「このうるせェ馬鹿がジムチャレンジの話をしていたようにな、俺たちもジムチャレンジに参加しているチャレンジャーの端くれだ」

 

「そー!!! そう言えば、ネーちゃんの名前も聞いていなかったな!! ま、最初はオレが名乗るんだけどね!! ってことで、自己紹介ーー!!! オレの名前は『クルミ』!!! 今もばりばりジムチャレンジに励んでいるポケモントレーナーだ!!! オレの相棒はシビルドンっていうヤツで、最高にイカしてるオレの最高のパートナーなんだ!!!」

 

 ニッと眩しい笑顔で名乗ってきた、クルミという男の子。まるで別の種族かと思えるくらいに人としてとにかく明るい男子であったものだが、やはりとも言うべきか年齢もアタシとほぼ同じくらいで、それだけでも親近感は湧いてきた。

 

 で、自己紹介を行ってきたクルミ君は、自分の紹介を終えるなり流れるように両隣の仲間達を手で引き寄せていく。

 

「でな!! オレのこっちにいる、とってもコワーイ顔をしたヤツが、『グレン』っていうんだ!!! グレンもオレのように、ばりばりジムチャレンジに挑んでいるチャレンジャーなんだけど、コワイ見た目をしているのにとってもイイ奴なもんだから、オマエも仲良くしてくれよな!!!」

 

「人の顔をコワイコワイ連呼すんじゃねェ。ということで、紹介にあずかったグレンだ。よろしくな」

 

 もはや慣れた。そんな調子でクルミの紹介にそのまま便乗する、ヤクザっぽい顔つきの男の子こと、グレン。アタシも「よ、よろしく」と言葉を詰まらせながらも返答をしてグレン君の顔を覚えていくと、そうしてまだ二人を記憶している間にもクルミ君は女の子の紹介を始めていく。

 

「でな!! オレのこっちにいる女子が、『カナタ』ってヤツなんだ!!! カナタも、オレやグレンと一緒でジムチャレンジをしているポケモントレーナーで、冷静な判断で的確に相手の弱点を突いていく戦闘スタイルが得意なんだ!!! ――あ、オレ今、すごく頭が良さそうな紹介したな!!?」

 

「おいクルミ、顔がコワイで紹介された俺とは天と地の差があるのはなんだ」

 

「えーー、だってそうじゃん!!」

 

「お前さんなぁ……」

 

 ひたすらに呆れた調子でクルミ君と絡んでいくグレン君。こんな二人の絡みを隣で展開されているカナタさんという女子はと言うと、クルミ君の手が肩に触れてからというもの頬を赤く染めていて、大人びたその様相からは想像もつかないほどの、なんとも乙女な顔をしていたものだ。

 

 ……だが、アタシが「よろしく、カナタさん」と言うなり、彼女はアタシに冷たい視線を送ってきた。

 ――うわ、こっわぁ……。やっぱり、人は外見より中身か。顔がコワイの紹介をされていたグレン君よりもよっぽど近寄りがたい空気を醸し出すカナタさんに、アタシはただただ苦笑いをしてしまうばかり。

 

 そして、最後にアタシが紹介を行っていった。「ヒイロ。アタシの名前はヒイロっていうの」といういつもの名乗りで三人に告げていくと、クルミ君は「ヒイロって言うんだな!! めっちゃイイ名前じゃん!! よろしくな!!!」と、グレン君からも「よろしく頼む」と穏やかに言われていく。一方でカナタさんからは一言も返事が来なかったものだったが、アタシとしても、こう、これで良いハズ……なんて思えてしまうのがまた何とも。

 

「なーなー、ヒイロ!! オマエって今、ジムバッジいくつあんの?? オレ、ヒイロとポケモンバトルしてみたいんだけどなーーー!!!」

 

「んー、ジムチャレンジをしてるっては言ってるけど、アタシってついこの間ポケモントレーナーになったばっかりで、まだそんな経験が無くって。とりあえずジムバッジは二個手に入ったんだけど、我ながらよくやれてるって思ってる」

 

「ほぇー!! ポケモントレーナーになったばっかりなのに、もう二個も持ってんの!!? それヒイロ強すぎじゃね!!! やるなオマエーー!! オレはジムバッジ六個持ってて、このオウロウビレッジで七個目って感じなんだけど、ヒイロと違って何年かポケモントレーナーしてるしなーーー!!!」

 

「うそ、六個!? クルミ君、意外と強いんだ……」

 

「だろーー!? オレの自慢のでんきタイプのポケモン達が、こう、ドカァ!! ボコォ!! っとジムリーダー達を倒してくれてな!!! でも、やっぱジムリーダーのみんな強いんだよ!! どこのジム行っても必ず一回とか二回は負けるんだ!!! だから、その度にオレ達は勝つために色々考えて、色々研究して、色々実践で試していって。そこで編み出した新しい戦法でジムリーダーを翻弄していって、ジムバッジを手に入れて!!! そんでようやく六個手に入れてコンプリートが見えてきたっていうのに、ここのオウロウジムのジムリーダーのニュアージュってやつに、オレ三回も負けちゃってて! いやーー!!! 七個目だからってジムリーダーも本気でさ!! グレンはいわタイプのポケモンを使うの上手いから一回で勝ってて、カナタもタイプばらばらだけど一回で勝ってるから、あとはオレだけなんだよねーー!!! 焦るわーーー!!!」

 

「つっても、俺はこれでバッジは五つ目だ。カナタも六つ目になったもんだから、バッジの数だけで言えばクルミが一番強ェやつと戦っていることになる。七つ目のバッジがかかっているとなりゃあジムリーダーの皆さんも本気で仕留めに掛かるだろうし、俺もこれからクルミのような試練が待ち構えているんだと思うと、より一層と気を引き締めねェといけねぇって思えてくるしよ」

 

「まーさ、オレとグレンがバッジを七個手に入れたとしてもさ。あれが残ってるんだよ。あれ」

 

「ナガノシティのジムリーダー、ラインハルトさんな。でんきタイプを使うクルミと、いわタイプを使う俺だ。じめんタイプのジムリーダーであって守護隊隊長であるシナノ地方の守り神に対して相性が悪すぎて、オレとクルミは今も吐きそうな思いで必死に対策を練っているってもんだ」

 

「ま! 何とかなるだろ!!! カナタだって、相棒のインテレオンで一番最初に隊長を倒して一個目のバッジ取ってきてるし!!! オレ達だって何とかなるなる!!」

 

「そう言ってもなクルミ、カナタはフリースタイルなもんだから、色々な場面に対応できるってだけの話だ。もちろんカナタの力量もあってこその結果だが、ポケモンのタイプ相性を気合いと根性だけで乗り切るってんなら、思考停止してるも同然っつーもんだ」

 

「あっれ?? グレン、もしかして弱気でいらっしゃる???」

 

「なっ……!!! ば、馬鹿言え! 俺だって、最初から諦めているワケじゃねェんだよ!! 見てろよ。お前さんより先に結果を出して、思い知らせてやるからな!」

 

「なッははは!!! そうこなくっちゃ!!」

 

 なんだ、意外とイイ雰囲気でやれているチームじゃん。

 もはやアタシの存在を忘れ去っているとも言える、これがいつもの雰囲気かと伝わってくる日常的な二人の会話。そんな会話に一切と関わることなくサイコソーダをストローで飲んでいるカナタさんもまた、若干とクルミ君に寄っていく感じで座って落ち着いている。

 

 ……同年代の仲間か。今まで、ユノさんとランヴェールさんのアダルティなお二方と行動を共にしていた身として、同じ歳の子と旅をするというシチュエーションも少しだけ憧れる。

 

 ――と、一人の世界に入っていたアタシがボーッとしていたその時にも、この視界にズイッと顔を覗かせてくるクルミ君。

 

「なーなーヒイロ!! あとでオレ達の特訓に一緒に来るか!!? バッジの数なんか気にしないでさ! オレもヒイロも同じジムチャレンジのチャレンジャーなんだ!!! 一昨日も昨日もグレンとカナタと一緒にな、オンタケ山で鍛えてたんだよ!!! なーなー、ヒイロも一緒に行こーよー!!!」

 

「おいクルミ! 無理強いをさせんな! ヒイロにも都合があるだろうし、今日はオフの日とやらで休息の最中なんだ。誰もがお前さんのように毎日、一日中と動き回れると思うな。――それに、どうやらオンタケ山で問題事が起きたそうで、一部の区域の出入りを制限されている。守護隊も出動する騒ぎに発展している以上、事態が終息するまでは俺達も変にオンタケ山を出入りしない方が身のためだろうよ。最優先するべきは、自分とパートナー達の命だ。死んじまったら、ジムチャレンジどころじゃなくなるからな」

 

「だなーー! オレ、そのこと詳しくないけどさ。なんか、こう、とにかく怖いよね!!」

 

「クルミが怖いなんて言葉を使うくらいの事態っつーことだ。俺達も事件の当事者にならねェよう、世間の動向を探りつつ慎重に動くってなことだな」

 

「あれ?? でもオレ、いつもグレンにコワイって言ってるよね??」

 

「あ??????」

 

 そっか、アタシにはユノさんという関係者がいるものだから、一連の件が人災であることを知っているんだ。でも、アタシがユノさんから聞くまで分からなかったように、今回の件も人が引き起こした事件であるということは、なるべく口を滑らせないようにしないといけないんだな。

 

 ……というか、今回の件に関して言えば、それこそアタシがこの目でマサクル団という犯人を目撃した、巻き込まれた側の立場であったのだけども――

 

 と、そんなことを思っていた間にも、その空間に響き渡っていた一つの靴音。

 なんか、それもどこかで聞いたことがあるぞ? 聞き覚えのある声やら音やらがやけに多い一日にアタシが疑問となっていた時にも、その答え合わせと言わんばかりに、透き通るような超絶イケメンボイスが近くから投げ掛けられていったのだ……。

 

「お? やっぱり、ヒイロちゃんか!」

 

「え? ――あ、タイチさん!」



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ニュアージュ

「お? やっぱり、ヒイロちゃんか!」

 

「え? ――あ、タイチさん!」

 

 変装した、付けヒゲ姿のジェントルマン・タイチさん。いつもの如く変な方向性に趣がある、あの超絶イケメンのシナノチャンピオンとはとても思えないセンスのそれに、通りすがる皆が彼の変装に気がつけないものだろう。

 

 だからこそ、こうしてお互いに安心して話すことができるのだ。あの変装を知る者は少なくとも、センギョクタウンという旅立ちから間もないアタシくらいしかいなかったものだか……ら――??

 

「え??? タイチ??」

 

「は?? タイ……?」

 

「…………っ」

 

 ――見遣る三人。一瞬にして凍り付いた、唖然の言葉に相応しいこの空間。

 あんぐりと口を開けたクルミ君。口元を引きつらせたグレン君。そして、有象無象に興味無さげな顔をしていたカナタさんでさえも少し驚いた顔を見せていく。

 

 ……やっ、ちゃ、たぁーーーーーっっ。

 ゆっくりと口を手で押さえていくアタシ。今からでも間に合わないだろうか。ほんのわずかながらの可能性を信じて行っていく無意識の動作であったのだが、目の前では「おっ、とぉ……!」と余裕そうな顔をして汗を流しながら、帽子を深々と被っていくタイチさんの様子に、アタシはこの世の終わりのような感覚を覚えた――

 

 ――そして、身を乗り出すクルミ君。

 

「タイチ……タイチ……。あ、あぁーーーーー!!!! チャンピオンの!! タイ――――むぐッ!!」

 

「待てクルミッ!! こればかりは、さすがにマズイッ!!! 有名人のプライベートっつーことで、そっとしておいてやれっての……!!」

 

 叫びそうになったクルミ君の口を強引に押さえていくグレン君。後ろから回り込むようにクルミ君を捕まえて、いつものテンションを抑え込もうとするのだが、それでも溢れんばかりの興味が先走りするクルミ君が必死にもがいてタイチさんへと駆け寄ろうとする。

 

「もが、もがもがもがッ!!!」

 

「も、申し訳ねェ、チャンピオン! 確かにお会いできたっつー機会に俺も内心こいつと同じ気持ちだ!! だがっ、プライベートのところ、こんな……っ! ちょ、こいつ――カナタ!! インテレオンを頼む!!」

 

「あんたの言う事は聞きたくないけど、クルミのことなら聞き入れてあげなくもないわ。――お願い、インテレオン」

 

「何だっていいから、早くしてくれっ!!」

 

 気に食わないという顔をしながらも、モンスターボールを取り出してそれを投げていくカナタさん。気だるげに投げられたボールが開いて光が迸っていくと、そこからは一匹の賢そうなカメレオンっぽいポケモンが姿を現し、腕を組んだ理知的な様で長いシッポを巧みに操ってクルミ君の身体を拘束していく。

 

 全身に絡まるように巻き付いたシッポ。その先端でクルミ君の口を塞いでいくと、カナタさんが役所の出口へと歩いていく姿についていくように、インテレオンというポケモンもまた、クルミ君を連れて歩き出していくのだ。

 

 身バレしそうだったというこんな時でも、タイチさんは「ほう、中々に勇ましい顔をした、強さと賢さを特に両立している良いインテレオンだ」と、とても興味深げにポケモンを眺めていた。チャンピオンたるもの、どんな時でもポケモンのことが気になるようだ。

 そして、その後ろからは、グレン君が一息といった具合に「ふぅ……」と言葉を漏らしながら、汗を拭う動作と共にタイチさんと、歩み寄ってきたアタシへと言葉を投げ掛けていく。

 

「チャンピオンとヒイロがどんな関係かっつーことは、詮索なんかしねェ。ただ、騒がしくして悪かった。俺らは外で適当にやっているから、二人は気にせずプライベートの時間を楽しんでもらいたい。――ヒイロ、お前さんは相当恵まれてんだから、上手くやれよ。じゃあな」

 

 ……え? なんか、勘違いされてる?

 アタシの肩を叩いて励ましてくるグレン君。怖い目つきとは裏腹の心遣いにアタシは「う、うん……」なんて答えていくと、一刻でも早くと立ち去るようアタシらに背を向けて走り出していくその後ろ姿。

 

 取り敢えず、騒ぎにならなくて良かった。チャンピオンのタイチさんは色んなメディアに引っ張りだこなものだから、マサクル団の件で一層とオウロウビレッジに訪れているメディアにこれを勘付かれてしまっては、タイチさんの悪党共を追っていく活動にも支障を来しかねない……。

 

「タイチさん、ごめんなさい。アタシ、迂闊だった……」

 

「ん? なんか謝ることでもあった?」

 

 え。

 ケロッとした調子で、逆に訊ね掛けられてしまうアタシ。それと共にコツコツとこちらへと歩み寄ってくると、タイチさんはアタシが抱えていたラルトスの頭を撫でて、触れ合い始めていったのだ。

 

 ラルトスも、タイチさんから差し出された指を小さな両手で掴んで、キャッキャと喜んでいた。まだまだ旅を始めたばかりからの顔なじみなものだから、ラルトスとしてもタイチさんに会えることはとても嬉しいことだったのだろう。

 一方で、アタシはタイチさんがどうしてここに訪れたのかが気になっていた。――やっぱり、タイチさんが追っている悪党共って……。

 

「タイチさん。やっぱ、オンタケ山のことでここに来たんだよね」

 

「そうだね。よく分かったねヒイロちゃん。今回の件も、俺が追っている悪党共が密接に関わっている可能性が非常に高いものだから――」

 

「マサクル団、だよね」

 

「……ッ!?」

 

 アタシの口から、その言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。

 悠々とした調子から一転とした、変装道具のサングラス越しからでも分かる真ん丸な目。驚きと、恐れ。その両方をタイチさんの両方からうかがえたアタシは、やっぱり……なんて確信を抱きながらそれを口にしていく。

 

「アタシ、今回の件の当事者なの。たぶん今回の件の、唯一の目撃者だと思うから、タイチさんがマサクル団を追っているのなら、今回のことを詳しいとこまで話せるよ。……もちろん、このことはメディアに一言も言ってないからね」

 

「……非常に助かるよ。できれば、ヒイロちゃんをこの件に巻き込みたくはなかったが、起きて欲しくない偶然ほど、現実のものとなってしまうな……。――実はね、俺はここでオウロウビレッジのジムリーダーの、ニュアージュちゃんと落ち合う予定だった。彼女もマサクル団を……いや、言ってしまえば、ジムリーダーの皆さんが、マサクル団という団体と因縁のある方々でさ。とにかく、ニュアージュちゃんが合流した時にでも、詳しい話をしてくれると嬉しいな」

 

「おっけー。じゃ、それまでここで待つって感じだね」

 

 アタシは、さっきまで座っていた丸テーブルへと促した。それを見てタイチさんは笑んでみせて、「ありがとう」と言うとアタシと共にその席に座っていく。

 

 それから、十分くらい経過した頃だろうか。仲間になったばかりの子だよーとモンスターボールから出したミツハミーをタイチさんに見せていると、タイチさんはミツハミーを凝視するように眺めていき、それに対して、「こんなにもそれぞれの表情が豊かなミツハミーは初めて見たな……!」と、すごく興味深そうにアタシのミツハニーと触れ合っていた。

 

 どうやら、ミツハミーのそれぞれの顔には意思が宿っているとされているものの、決してそれほどの大差の無い感情を持っているとのことで、表情にはそれほどの違いは見られないとのことらしい。

 しかし、アタシのミツハニーは、アタシから見て左の顔は、タイチさんという人間にものすごく興味津々な明るい笑顔を見せており、右の顔は、タイチさんなんてどうでもいいと言わんばかりの不愛想な表情を、そして下の顔は、タイチさんに限らず人間という存在に終始驚いているような、常に焦っている慌ただしい表情を見せていたものだ。

 

 ……なんか、つい先ほどまで話していた三人に似ているな。アタシもそんなことを思いながら、「へー、珍しいんだ」なんて適当な相槌をしてソーダをチューっと飲んでいくと、その時にもタイチさんは顔を上げて、複数もの足音からなる集団へと視線を投げ掛けていく。

 

「ニュアージュちゃん! こっちだ!」

 

 手を振るタイチさん。アタシもそれを聞いてミツハニーを手で寄せながら振り向いていくと、そこには一人の美麗な女性が佇む姿と、その女性を囲うように存在していた六名ほどの黒スーツSP……!

 

 女性の立ち姿は正に、絵本の表紙を飾るお姫様とでも言うべきだろうか。背中辺りまで伸ばしたアッシュの長髪に、深緑のドレスに身を包んだ優雅な外見。まるで迷える森を歩くような足取りでカフェに姿を現すと、タイチさんを発見するなり優雅な様子で、貴族が着けるような白色のグローブの手を振り返していくのだ。

 

 ――いや、だからって大掛かりすぎない!? ジムチャレンジの役所のカフェに出向くまでに、なんつー連中を連れてきているの!? 内心で驚いているアタシが圧倒されている間にも、そこではタイチさんとジムリーダーさんの会話が繰り広げられていく……。

 

「あら、タイチ様。フフッ、今日もお素敵な変装でございますね。テーマはズバリ~……ジェントルマン、でございますかー?」

 

「へぇ! ニュアージュちゃんから見ると、俺はそんな風に見えているのか! ジェントルマンか……イイな、それ!」

 

「タイチ様とお会いになる度に、そのお姿を変幻自在と変えていく、なんとも豊富なバリエーション。タイチ様はまるで、ゲッコウガ、でございますねー。ウフフ、次回は青色の忍者服と赤色のマフラーでもお巻きになられてはー?」

 

「俺自身がゲッコウガになるのか! ふむ、それはナイスアイデアだなニュアージュちゃん! その案、もらい受けるとするよ!」

 

 え、採用!?

 内心でガビーンとするアタシ。ただでさえジェントルマン・タイチさんでチャンピオンの風格が崩れ去っているというのに。

 

 しかも、この二人の会話がフワフワしていながらも微妙にどこかズレている内容なものだったから、レミトリさんとテュリプさんという、今まで出会ってきたジムリーダーからは全く感じられない、初めてとなるおっとり空間にアタシは黙りこくってしまっていたものだ。

 

 そして、そんなアタシへと視線を投げ掛けてきた、オウロウビレッジのジムリーダーこと、ニュアージュさん。アタシよりも若干ながら年上かなという未成年の雰囲気を醸し出しながらも、その外見に相応しいお嬢様な喋り方でこちらへと訊ね掛けていったのだ。

 

「タイチ様、こちらの方は?」

 

「あ、アタシはヒイロって言い……ます。ハイ……。アタシもジムチャレンジをしているチャレンジャーで……す。ハイ……」

 

 なんか、ニュアージュさん相手に今までのタメで話すと、周りのSPにしばかれそうな気がした。とても慣れない調子で敬語を交えてそんなことを言っていくと、タイチさんがフォローするように紹介を行ってくれるのだ。

 

「ニュアージュちゃん。彼女はヒイロちゃんだよ。ほら、開会式の時に、俺が最も注目している新米ポケモントレーナーだって話した、あの子」

 

「あら! あらあらあら~! 貴女様がヒイロ様ですね! お噂は常々、タイチ様やレミトリ様、テュリプ様からもお伺いしておりますー! こうしてお会いできたのも何かのご縁ですね。ぜひとも握手を~!」

 

 そう言って、ニュアージュさんはドレスに身を包んだその格好で慣れない小走りを行っていくと、それを心配する周囲のSPもぞろぞろとアタシへと駆け寄ってきて「ひぇ……」と思ってしまう。

 そして、差し伸べられたお嬢様の手。貴族のグローブを着けたそれに、アタシなんかが触れてもいいのだろうか……。躊躇いでアタシはミツハニーから手を離しながらも、礼儀をと思って自分の服で手を拭い、それからニュアージュさんの手を取って、握手を交わしていく。

 

 なんか、今までで一番緊張する場面かも……。

 この一瞬だけでも相当疲れたアタシが内心でそう呟く間にも、タイチさんはニュアージュさんへと紹介を続けていくのだ。

 

「ニュアージュちゃん。ここからは例の話になるんだけど、今回はヒイロちゃんも交えて話をしたいと思っているんだ。というのもね、今回の一件はどうやら、ヒイロちゃんが当事者であるらしい。俺もニュアージュちゃんが来る前にちょっとだけ話を聞いたんだけど、彼女は不運な事故がもたらした偶然によって、事件に巻き込まれてしまった被害者だ。それでいて、“JUNO”という謎の人物を除いて、これまでの件には今までに無い、唯一の“彼ら”の目撃者でもある。実際に対峙したともいうから、休憩時間が許す限りまで、ヒイロちゃんから詳しい話を聞きたいと思っているんだ」

 

「はい、承知しました。オンタケ山の一件については話をうかがっておりましたが、まさかヒイロ様が当事者であったなんて……。さぞ、わたくしの想像し難い災難に深く傷ついたかと思われます。――SPの皆さま、ヒイロ様に労いのお食事をお持ちいただけますか? ヒイロ様、お好きなメニューをお頼みくださいませ」

 

「え。もう食べ……ましたが――あ、ハイ。じゃ、じゃあ……これと、これをお願い……します」

 

「では、SPの皆さま。ヒイロ様のお食事をお願いしますね」

 

 いや、SPって従者とは違くない??

 何から何まで意外性に富んだ、これまた変わった人物が現れたものだ。彼女の指示にSP達も一切の疑問も持たないのか、守るべき対象をアタシらのところに置いといて、黒スーツの六名がこぞってカフェの出店へと走っていく。

 

 ……うわぁ。今日はいろんな発見があるなぁ。そんなことを思いながらも相席してきたニュアージュさんを交えていくと、タイチさんに「ヒイロちゃん。話をお願いできるかな」と真剣なトーンで声を掛けられたものだから、アタシはすぐにも気持ちを切り替えて、あの時に味わった恐怖や怒り、“ヤツら”が繰り広げた凄惨なる行為や野生ポケモンの様子といった細かいところまでを、余すことなく二人へと話していった――――



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練習試合

 集合場所へと向かう足取りは、坂道を前にしてもなお軽やかだった。

 

 タイチさんとニュアージュさんに話をした翌日。昨日にもマサクル団と遭遇した当時のことを余すことなく全てを伝えたアタシは、連中と対峙したアタシを労うように二人からお礼を言われ、その日は解散となった。

 

 それからアタシは、労わりでニュアージュさんから、オウロウビレッジで使えるお食事券を頂いた。それで美味しいものを食べてくださいとのことだったので、アタシはそれを片手に村の中をウロウロしていたその時にも、”あの彼”に声を掛けられて、そこでとある約束をしたのだった。

 

 

 

 人やポケモンの足跡が刻まれた、出入りがうかがえるその山道。険しくもなく、かと言って息切れはするちょうどいい運動になるそれを上っていくと、次第と開けてきたこの視界と、朝早くという時刻であることから気配が少ない広大なグラウンドの光景が、アタシの前に現れる。

 

 射し込む朝日がとても気持ち良かった。生い茂る森林の天井に日光がチラチラとしていると、この時にも初めて訪れた、試練の地とは思えないほどの豊かな自然に溢れたオンタケ山のとある区域。ここは、オウロウビレッジからそれほど遠くない位置にある、ジムチャレンジに勤しむポケモントレーナー達が気楽に踏み入れることができる、安全地帯として区分けされた運動場だ。

 

 抱えたラルトスも、食い意地を張るかのように新鮮な空気を食べるように吸っていた。それに対してアタシはよしよしと頭を撫でながら歩いていくと、今も白熱とした勝負を繰り広げる二人のポケモントレーナーが、そこでポケモン勝負を行っていたのだ。

 

「インテレオン、みずのはどう。そこから、ねらいうち!」

 

「カナタ!! それを読んでいたぜーーー!!! シビルドン!! アクロバットの機動力で、ワイルドボルト!!!」

 

 昨日にも見た、賢そうなカメレオンのようなポケモン。カナタさんの手持ちであり相棒でもあるというクールな佇まいのそれが、繰り出したみずのはどうへと指を向けていくと、その指先から、弾丸の如く発出された鋭い一直線。

 自身が生成したみずのはどうにそれを通していくと、瞬間、みずのはどうをくぐった水の弾丸はより加速し、さらには、みずのはどうもその輪っかを拡大させていくと、そこに生じていた技エネルギーが水の弾丸へと集束する様子を見せていき、弾丸がさらなる急加速でクルミ君の相棒へと飛んでいくのだ。

 

 一方、クルミ君のポケモンもまた、オレの相棒なんだー!! という声が脳裏に響く、なんだか聞き覚えのある名前でそれへと呼び掛けていく。

 シビルドン。ウナギのような魚の形に手を生やしたような、地面から離れるように宙を浮いている初見のポケモン。見た感じ、みずタイプとでんきタイプ……? そんなことを思いながらアタシは眺めていると、次の時にもシビルドンはアクロバットの身軽な動作で宙を泳ぎ、左右に反復する目に見えない速さで水の弾丸へと迫っていった。

 

 その様子は、まるでこいのぼりのように空を優雅に泳いでいるようだった。中身は空洞なんじゃないかとも思わせる動きで水の弾丸を擦れ擦れで回避していくと、その一直線に沿うよう水の軌道を囲うようにぐるぐると高速で回転しながらシビルドンはインテレオンへと迫っていき、そして――

 

 ――爆発するような電気を身に纏ったシビルドン。ぐるぐると回りながら、まるでこの動作で摩擦を十分と身に付けたように瞬く間と身体を光らせ始めたそれは、インテレオンに回避の隙を与えることなく、自身ごと発出させることで相手へと突っ込んでいった渾身の一撃。

 こうかはばつぐんだ。アクロバットというひこうタイプの技エネルギーをエンジンとした、鮮やかかつ力強いシビルドンの突撃。魚っぽい姿がまた宙を移動する際に有効に働くのだろうか、ワイルドボルトによって手痛い反動を受けながらも、その衝撃でクルミ君の前まで戻ってきたシビルドンが、宙に浮いたまま上半身を起こすように起き上がっていった。

 

 ……倒れたインテレオン。完全に戦闘不能である様子が目に見えており、審判をしていたグレン君が、「インテレオン、戦闘不能! クルミの勝ちだ!」と手を伸ばしていく。

 カナタさんは、やり切ったという顔をしていた。これといって負けに悔いる様子ではないと共に、相手がクルミ君だっただけで、もう満足といった、とても清々しいものであったものだ。

 

 ……まぁ、アタシの存在に気が付くまでは。

 

「みんな、おはよ。すごい戦いだった。やっぱジムバッジいっぱい持ってると、バトルが迫力だね」

 

 三人へと声を掛けていくアタシ。周囲にも四名ほどといるポケモントレーナーとポケモン達を通り過ぎながら掛けたその言葉に、クルミ君はシビルドンを撫でながらこちらを見遣ってくるのだ。

 

「ヒイローーー!!! おっはーー!! これからオレとグレンが試合すっけど、ヒイロも最後まで見ていけよーー!!! グレンもカナタみたいに、めっちゃ強いんだぜ!!!」

 

「おいクルミ、ハードルを上げるな。オレはバッジ五個で、六個持ってるクルミとカナタほどでもねェんだよ。もっと気楽にバトルをやらせてくれ」

 

「んだよーー!! グレンだってオレらとほぼ同じくらい強ぇじゃん!!! オレがポケモンバトルを始めたのも、グレンの誘いがあったからだし!? ま! ヒイロもいるんだし、バッジの数とか関係無しにバトルを楽しもうぜ!!!」

 

「ったく……。おら、さっさと始めるぞ。カナタ、審判を頼む」

 

「いちいち言わなくても、クルミのために審判するから余計なお世話」

 

「あぁ、話が早くて助かるぜ。――ヒイロ。お前さんは細かいことなんか気にしねェで、俺達のバトルをただ眺めているだけでいい。まだポケモントレーナーになったっつーばかりなら、分からねェことも多いだろ。審判とかルールとかは俺らに任せっきりでいいから、お前さんは目の前のバトルから吸収できるもんは吸収しておけ。いいな」

 

 わぁ、めっちゃ気遣ってくれる。グレン君のそれに「うん、分かった。ありがと」と返事してアタシはラルトスと一緒にポケモンバトルを観戦することにした。

 

 ――クルミ君とグレン君の戦いも、中々に白熱としたぶつかり合いだったものだ。

 クルミ君はでんきタイプのポケモンを扱うことに長けているようで、グレン君はいわタイプのポケモンを専門とする、お互いにこだわり抜いたメンバーの選出。二対二で行われたその練習試合も、クルミ君は先発にライボルトという稲妻の化身のようなポケモンを繰り出していき、グレン君はルガルガンという夕日のような毛並みを持つポケモンを選出して、激しい攻防が繰り広げられていった。

 

 この戦いの結果は、ライボルトがルガルガンを制する形で終わりを告げる。ルガルガンはオオカミポケモンというだけあって、見た目通りの速さと賢さで最初こそはライボルトを押していたものだ。だが、不利を背負いながらも常にかみなりを張り巡らせておく立ち回りが功を奏し、自身に突撃してきたルガルガンに対して、ライボルトはひらいしんという特性を持つことを利用して、張り巡らせていたかみなりを即座に自分へと誘導して落としていくという戦法でルガルガンを返り討ちにしてしまったのだ。

 

 これにはクルミ君も、「っしゃーーー!!! 昨日これずっと考えてたんだよね!! これならニュアージュの素早いマニューラを倒せるんじゃないかなって!!!」と、自身の作戦が上手くいったことに大満足な様子だった。

 ……てか、クルミ君、バッジ六個持ってるだけあって、ああ見えてけっこう考えているんだ。そこに驚いてしまったアタシが呆然としている間にも、ライボルトとルガルガンを引っ込めていく双方。続けて繰り出されたのは、エレキブルという縞模様が目立つ厳ついポケモンと、セキタンザンという山ほどの石炭を乗せた二足歩行のポケモンの二匹。

 

 と、グレン君のセキタンザンを見たクルミ君は、「え!!! グレン、ガチじゃん!? 相棒で来るんなら、オレもシビルドン出したかった!!!」と驚いた様子だった。それに対してグレン君も「戦う前に、手の内を晒すヤツなんかいねェよ! っつーか、シビルドンを休ませてやれ!」とツッコミを入れていくものの、そうした二人のやり取りも、なんか微笑ましく思えてきてアタシはついつい楽しんでしまう。

 

 二人の戦いに決着がついたのは、エレキブルを倒してライボルトを引き摺り出してきたセキタンザンの奮闘も虚しく、大量に積んであった石炭を周囲にぶち撒けながら地面に倒れ込んだセキタンザンの姿で、フィニッシュを迎えた。

 クルミ君はいつもの調子に冷や汗を流しながら、「あっぶねーーー……!!! グレンのセキタンザン、ホントおっかないんだよなー!!」と余裕が無いことを全面的に出していくのだが、グレン君はどことなく悔しそうにしながら、「やっぱ、クルミには敵わねェか」と、やり切れない思いを醸し出しながら頭を掻いたりしていた。

 

 ……すごかったな。ジムバッジをたくさん持っている人達のバトルなんて、今まで興味も無かったから見てこなかったものだけど……。

 アタシは、自分が直面している目の前のことしか見えていなかったことを自覚する。だからこそ、こうして強い人達のプレイングだとかをビデオで見たりしていなかったため、これまで目にしたことが無いような、圧巻のバトルを生で目撃したことで、アタシはこういうのも必要なんだと自分に足りないものに気付けたような気がした。

 

 そして、こんなにも強いクルミ君が、今はオウロウビレッジのジムリーダー、ニュアージュさんに三回も負けているのだ。

 七個目のジムバッジをかけた戦い。そこにはジムリーダーからの情けや容赦は一切無いようであり、これほどまでの実力を持ったクルミ君やグレン君、カナタさんであっても、現在進行形で、ジムリーダーに苦戦を強いられているということを知る。

 

「……アタシも、頑張らないと」

 

 ラルトスをぎゅっと抱きしめていくアタシ。

 ――ジムチャレンジは、これから更なる熾烈を極めていく。目の当たりにした熱気と現実にアタシはじっとしていられなくなって、今すぐにでもユノさんやランヴェールさんともポケモンバトルをしたいなんて思いも強くなってくると同時に、気がつけば自分から、「アタシも、ポケモンバトルしたい!」とか言い出しながら三人の下へと駆け寄ってしまっていたものだ。



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嫉妬

 噴き出る大量の汗。心地が良かったあの清々しい朝の日差しも、時間の経過によって燦々と照り輝き始めたこの時刻。服をハタハタさせて肌に風を送り、汗をタオルで拭って水筒で水分補給をしていくアタシの後ろでは、今も互いにわざをぶつけ合い、白熱としたポケモンバトルを繰り広げていくクルミ君とカナタさんが存在していた。

 

 ……さすが、バッジをたくさん持っている人達なだけはある。今も審判をするグレン君なんかも疲れた顔など一切見せず、ただ黙々と目の前の激しいやり取りを目で追ってその役割をきっちりこなしていくのだ。無論、今もポケモンバトルに取り組んでいるクルミ君だってカナタさんだって、立て続けと頭をフル回転させながら何度も何度もポケモンバトルで熱い戦いを交わしていき、トレーナーも持ち合わせた無尽蔵な体力を、ここぞとばかりに発揮していく。

 

 少なくとも、あの三人についていけなければ、アタシもバッジ六個とかそういう境地に辿り着けないのかもしれない。ジムリーダーのような立ちはだかる障壁とはまた異なる、同じ立場であるからこその隣にそそり立つ壁を肌身で感じさせられたアタシは、今もこのグラウンドのベンチで溶けるように倒れていたマホミルに水をかけてあげながら、闘争心の強いこの子でさえ疲れ切って動けなくなるようなハードスケジュールに、現実をよくよく思い知らされる。

 

 アタシもポケモンバトルやりたい。ジムバッジ二個のアタシが生意気にも口にしたその言葉に、クルミ君は大歓喜を見せながら「おおーーー!!! ヒイロもやろーぜーー!!」なんて言って快く受け入れてくれたものだ。

 カナタさんとグレン君に続く、三連チャンという大きなハンデの中で挑んだクルミ君との戦い。一対一のルールでグレン君が審判をしてくれたこのバトルは、アタシがサイホーンを繰り出すことでクルミ君のでんきタイプのポケモンにだいぶ有利をとっていたにも関わらず、クルミ君が選出してきたレントラーというポケモンによって、アタシのサイホーンは敢え無く撃沈してしまった。

 

 うへぇ、ユノさんもエグいくらいに強いけれど、クルミ君も中々にパワフルで強いなー……。そんなことを思いながら倒れたサイホーンを労わっていくアタシ。相性では完全に有利であったにも関わらず、そのタイプ相性による不利を強引に覆してくるクルミ君の力強い、とても強気なその采配にアタシは成す術も無かった。

 

 とにかく攻撃を押し付けてくる勢いはまるで稲妻とも例えられると思えるし、しかもその裏では、きちんと計算されたクルミ君の戦略が着実と展開されていたものだから、押し付けられる戦況の中で次第と追い込まれていくという、まるで追い込み漁をされている魚のような気分を味わったこのバトル。

 

 アタシは、クルミ君の活発的すぎるその性格を舐めていたのかもしれない。やはり人間は外見じゃなくて中身。正直という言葉よりも真っ直ぐなポケモンバトルへの取り組みにアタシは実力だけでなく気持ちでも完敗し、しかも勝負後の握手の時なんかにはクルミ君、「ヒイロのサイホーン、今までに戦ったじめんタイプの中でも特にイカしてた!!! ヒイロもポケモンと戦況を見る目があるし、トレーナーになったばかりなのにジムバッジを二個もゲットできた理由がよく分かったぜ!!!」と、手厚いくらい讃えてきてくれたものだから、アタシは敗北に清々しいほどのものを感じてさえしまえて、精進しなきゃなと心から思えたものだ……。

 

 それから、ようやくと休憩と言い出したクルミ君。あれから何時間経ったんだろう。朝日がすでに燦々と照り輝くその中で、汗をだらだら流しながらポケモン勝負に励んでいたその三人。みんなのパートナーも含めて誰一人として疲れた様子を見せることなく最後までやり切っていくと、クルミ君はアタシの下へと駆け寄ってくるなり、それを言い出してきたのだ。

 

「なーなーヒイローーー!!! ヒイロって、このオンタケ山のどこかに潜んでいるっていう、ぬしポケモンってヤツは知ってるか!!?」

 

 アタシの背中を軽く叩きながら、そんなことを訊ね掛けてくるクルミ君。さり気無いボディタッチに反応するようにアタシはクルミ君へと振り向いていき、「ぬしポケモン?」と、いかにも知らないといったニュアンスで答えていく。

 

 すると、クルミ君は汗だくながらも爽快なほどのニッとした笑みを見せながら、簡単な説明をしてくれるのだ。

 

「そーーー!! オレもよく知らねーんだけど! でも、響きからしてめっちゃ強そうじゃん!!? もしそんなヤツと出会えたら、きっとイイ特訓になると思うんだよね!!」

 

「お前さん、本当によく知らねェじゃねぇか。……っつーことで俺から補足をさせてもらうと、ぬしポケモンという言葉自体は、アローラ地方の文化かなんかで根付いているもんらしくてな。どうやら、特定の人物によって世話をされた野生ポケモンという位置にある、特別な個体のことを指しているとのことだ。で、アローラの文化が無いこのシナノ地方においては、その強そうな言葉の響きだけが海を渡ってきたことで、人があまり出入りしない地域に生息する、その地域を掌握するんじゃねェかってぐらいに強力なポケモンのことをぬしポケモンって呼んでいるっつーことだ。――って、おいクルミ、つい先日にもこの山で問題事が起きたばかりってんだ。まさかお前さん、そんな状況の中でぬしポケモンを探しに行くだなんて言わねェだろうな?」

 

 と、首を突っ込むようにこちらの会話へと参加してきたグレン君。呆れた調子でそう声を掛けてくるグレン君に対して、クルミ君は笑顔を絶やさずそんなことを言っていくのだ。

 

「でも、立ち入り禁止になってる場所に行かなければいいだけだろ!!? なら、せっかく試練の地って呼ばれてるオンタケ山に来てんだし、今の内にやっておけることをやっておきたいじゃん!!」

 

「お前さんなぁ……。大量のポケモンが不可解な死を遂げたっつー山の中に、よく行こうと思えるよな。ヒイロ、こいつの言うことは真に受けない方が良い。それがヒイロの身のためになる」

 

「えーーー!! ヒイロもイイ経験になると思うから、一緒に探しに行こうって誘おうと思ってたのに!!!」

 

「馬鹿かお前さん。そんな危ない所に、ヒイロっつー俺達の旅に関係の無い第三者を連れ込もうとするな。俺達三人に何かがあれば、そりゃ俺達の問題で済むが、ヒイロに何かあったとなりゃあ、俺達はヒイロに関する責任を取ることができねェ。もちろんヒイロに危ない目を遭わせたくもねェから、そんな噂話程度のぬしポケモンの話で、今は特に危険な状況のオンタケ山に彼女を連れていくのは非常によろしくねェってことなんだよ」

 

「ヒイロが危ない目に遭ったら、オレ達で守ればいいじゃん!!!」

 

「だから、そういう問題じゃねェってんだよ!!!」

 

「えーーーー!!!」

 

「えー!! じゃねェ!!!」

 

 クルミ君の声とグレン君の怒号が、ポケモンバトルに勤しむ活力溢れるグラウンドに響き渡った。

 ――熱中としていた競技の最中にも、水を差すように聞こえてきた二人の声。それを聞いた周りの人達はこれによってざわざわとしてしまい、熱を削いできた彼らに対する冷たい視線が、アタシ達に集中して注がれてくる。

 

 ……ちょっと、この空気はよろしくないな。これで何か揉め事になったらイヤだし、二人の考えを同時に汲み取れる妥協案を、アタシから提案しなければ――

 

「ね、ねぇ。クルミ君の気持ちも、グレン君の考えもよく分かったの。だから、こうしようよ。もし、ぬしポケモンを探しに行くのであれば、アタシもついていく。ただ、アタシが活動する範囲は、ジムチャレンジのスタッフさんの目に届く場所まで。それならどうかな、二人共」

 

 アタシのそれを聞いた二人がこちらに視線を投げ掛けてくると、すぐにも嬉しそうな表情でアタシの肩に腕を回してきたクルミ君と、少し考えた後にも仕方ないといった具合に頷いていくグレン君が、複雑な顔をしながらもこちらを見遣ってくるのだ。

 

「ホント!!? じゃあじゃあ! さっそくぬしポケモンを探しに行こうぜ!!! ほらヒイロ!! グレンもカナタも!! ほら、レッツゴー、レッツゴー!!!」

 

「お、おい待てクルミ!! スタッフの目が届く場所限定だと言っただろうが!! ――ヒイロもすまねェな、こいつのワガママに付き合ってくれてよ。お前さんを危険な目に遭わせるつもりなんて毛頭ないもんだが、もし万が一のことがありゃあ、俺達がお前さんを危険から守る。だから、今は特に警戒が必要な状況のオンタケ山なもんだが、まぁ、気軽に行こうぜ。……カナタ、クルミ達についていってくれ」

 

「だからいちいち言わなくても、私はクルミだけについていくから気にしないで」

 

「だな。それじゃあ俺は、バトルで使っていたグラウンドを整備してくる。次に使う人達のためにも、散らかしたままにはできねェしな。――おいクルミ! 俺は後から追い付くが、くれぐれもヒイロには無理強いをさせんじゃねェぞ!!! いいな!!」

 

「はいはーい!!! じゃ、ヒイロ!! カナタ!! 先にオレらでぬしポケモン探ししよーな!!!」

 

 ニッコニコな笑顔で、アタシの手を引いてくるクルミ君。そのまま思い切り走り出したものだから、「ま、待って待って!」というアタシの静止も彼に届かず、サイホーンに乗ったラルトスや、空を飛べるマホミルとミツハニーといったアタシのパートナー達は、クルミ君に連れていかれるアタシに追い付くべく急いで動き出していったのだ。

 

 

 

 ……駆け出す二人の背へと向けられた、一つの恨めしい視線。対象となる忌々しい存在を突き刺すようなそれで歩いていく最中にも、この後ろから仲間の彼に声を掛けられる。

 

「カナタ、お前さんも分かっているだろうが、これも一時ばかりの辛抱っつーもんだ。そりゃあクルミの野郎は、性別や年齢を分け隔てなく、誰とでもあんな調子で接して打ち解ける気さくな奴だし、それが何よりの長所であることもお前さんは頭で理解しているだろうよ」

 

「何が言いたいわけ?」

 

「ヒイロのことは、目の敵にすんじゃねェぞ。何だかんだで、俺もお前さんとは長い付き合いだ。だから、お前さんの気持ちを俺が知らないわけじゃねェ。だからこそ、早とちりだけは絶対にするなって忠告をしたかったっつーだけだ」

 

「うるさいな……。あんたなんかが私を理解したつもりにならないで」

 

「そうだな。俺には確かに、男に恋をする気持ちはまるで理解できねェ。――話はそれだけだ。俺が行くまで、二人のことは頼んだぞ」

 

「私は、クルミだけが心配だからついていく。ただそれだけ」

 

「問題ねェよ。ヒイロの心配なら、俺に任せておけ」

 

「ふん」

 

 不機嫌を全面に押し出した、不愛想な表情。妖しくも妖艶なピンク色の眼差しが日光で反射されていくと、今も自身の視界の中央で“彼”が夢中となっている忌々しい存在を捉えていくなり、彼女は歯ぎしりをしながら黙々と歩き出していくのだ――



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気遣い 【前書きあり】

 作者の肉まんたんこぶです。
 10月の19日から20日に渡って投稿してきた、79話から82話までの計四話の物語についてですが、物語の進行を著しく停滞させていたことや、作者自身が内容に面白味を感じなかったことから、今までの79話から82話までを削除して、21日にも更新する79話から新しく次話を投稿していくことに決めました。

 最新話までご愛読いただいた読者の皆様には、心より感謝申し上げます。同時に、話の内容に混乱を招くようなことを事前にお知らせもせず、大変申し訳ございません

 なお、以前の物語の進行としては、79話から84話までのイベントを終えた後に、オウロウビレッジジムへの挑戦という内容を想定しておりました。これからにも変更する物語の内容によっては、79話からジム戦へと向かう流れになるかと思われますので、ヒイロが巡っているジムチャレンジへのご期待に沿えた内容へと路線変更できるよう工夫して参ります。

        ――――肉まんたんこぶ――――


「いやぁーーー!! 結局ぬしポケモンは見つけられなかったけど、こうやってオンタケ山で食う飯はめっちゃ美味いなッ!!! な! ヒイロも楽しいよなっ!!」

 

 真昼を過ぎたこの時刻。オンタケ山の比較的と開けた空間にて燦々な太陽と共鳴する、今もアタシの目の前でキラキラと光り輝くクルミ君の眩しい笑顔。

 バーベキューのコンロを囲うように置かれた折り畳みの椅子と、それらに座る、アタシを含めた現地の四名。今も焼肉で生じた煙が天へと上っていたものだが、彼の笑顔は煙にも負けない輝きを放っていたものだったから、アタシは全身の疲労からなる苦笑いで応えながらも、「そ、そうだねー……!」と口を引きつらせながら言っていく。

 

 ぬしポケモンを探すという話から、休憩無しでオンタケ山を駆け巡ったこの数時間。アタシは無尽蔵というレベルではない体力お化けのクルミ君に終始と手を引かれ続けており、アタシはずっと「ま、待って! 待って!! 速い!! 速いぃっ!!!!」と、絶叫混じりの悲鳴を上げながら、引き摺られるようにクルミ君と山の中を走り続けていたものだ。

 

 パートナー達を、モンスターボールに戻してもらえる暇も与えられなかった。そのことから、アタシのことをずっと後ろから追いかけてくれたサイホーンやマホミル、ミツハニーは疲労でぐったりとしており、椅子に座るアタシの後ろで、転がるように存在していたものだ。……いや、もはや倒れているという表現が正しいかもしれない。

 

 一方で、数時間の間ずっとサイホーンの上に乗っていたラルトスは、むしろ元気が有り余っていた。ラルトスはアタシの膝の上でワクワクとしながら、コンロで肉を焼いているグレン君へと小さな手を伸ばしていくと、「熱いから気を付けろよ」とグレン君から言われながらそれを受け取るなり、ラルトスはそれをすぐさま頬張って満足げに食べていく。

 

 ……というか、ポケモンという本能に闘争が根付いた生物をも凌駕する体力って、クルミ君こそがポケモンのような生態をしているんじゃないの。パパだって、ポケモンの研究もそりゃ大事なんだろうけれど、一刻も早く解明するべきは、このクルミ君の身体能力についてなんじゃないのかな――

 

「おいクルミ。同意を強いるな。ヒイロはお前さんに振り回されて、今は食いモンも口にできねェほどに疲れ切ってんだ。お前さんも、手を引いているヤツが同年代の女子ってことを自覚してだな――」

 

「え??? ヒイロ、疲れてたのか! 大丈夫か!!? 何があったんだ!!?」

 

「だから!! お前さんのせいだって言ってんだろうが!!!」

 

「え??? オ、オレぇ!!!?」

 

「ったりめーだろ馬鹿っ!!! 無自覚を通り越して、いっそ清々しい反応だなおい!!!」

 

 轟々と声を出すグレン君に反応するかのように、バーベキューコンロからも一気に火が噴き出していく。アタシがそれにビクッとしていくその間にも、ラルトスはグレン君へとお肉をねだるためにまた手を伸ばしていくのだ。

 それをグレン君から受け取っては、一切と冷まさずにラルトスは口へと投げ入れてもぐもぐと噛みしめていく。表情もウキウキとしたものから全く変えず、しかも熱いものもまるで平気なこの様子に、グレン君は「本当によく食べるな……」と小声で呟いていくばかり。

 

 ――それとは別に、アタシは突き刺さるような視線を向けられ続けていた。

 クルミ君が楽しそうにアタシへと話し掛けていく度に、グサッと刺さってはアタシを貫通していく、殺意しかうかがえない鋭利な一直線。

 

 ものすごく不機嫌なカナタさんが、不愛想な表情をしながら目だけでアタシを見てきていた。確かに口を動かして肉を頬張っていたものだったが、どちらかと言うとその様子は、やけ食い……。

 

「カ、カナタさん。アタシに何かついてる、のかな……?」

 

「…………」

 

 無言。ただただ無言。むしろ話し掛けるなオーラを醸し出し始めた、目に見えない周囲の重圧な空気。

 うわぁ……アタシ、やっぱ彼女に何かしちゃってたのかなー……。心当たりの無い無意識なところで不安になっていくアタシが、申し訳なさに溺れて次第と視線を落としていく中で、グレン君は相棒であるセキタンザンに火の番を任せるなり、そう言い出してきたのだ。

 

「クルミ。そろそろ切り上げるぞ。あっちに川があるから、鎮火するための水をバケツに汲んでこい」

 

「え?? 火を消すんなら、カナタのインテレオンがいるだろ??」

 

「クルミな、こういうのは雰囲気っつーもんも大事なんだよ。たまにはポケモンの力を借りずに、人力で水を調達して火を消していく。そうすりゃあ、このオンタケ山の自然とより触れ合える機会にもなるし、何せ、その道中でぬしポケモンと出会える可能性も出てくるだろうよ」

 

「おおおぉ!!! そうか! なるほど!! 分かった!!!」

 

「単純だな、お前さんは……。おいカナタ。クルミについていってやれ。こいつ一人に行かせたら、興味が湧いた他の所へと行っちまって、ここに帰ってこねェかもしれねぇからな」

 

「言われなくてもクルミについていくつもりだったから、放っておいて」

 

「余計なお世話だったな。話が早くて助かる。さ、二人はバケツを持って行った行った」

 

 と、クルミ君とカナタさんを追い払うように手でしっしっとしていくグレン君。クルミ君もクルミ君で「カナタ!! もし、ぬしポケモンがいたらさ! 二人でそいつ倒してグレンとヒイロを驚かせようぜ!!!」とニシシ笑みを浮かべており、そんなクルミ君に対して、「……うん」と、今までに見せてこなかったような微笑と共にカナタさんは頷いていくのだ。

 

 そして、バケツを持って川へと向かい始めていく二人。

 ……ふぅ。ようやく、気持ち的にも休めるかな。アタシはぐでーっと脱力気味に椅子の背もたれに寄り掛かっていくのだが、二人の背を見送るグレン君が頃合いを見計らうように椅子に腰を掛けていくと、アタシへと向き直りながらそれを喋り始めた。

 

「ヒイロ、無理して俺らに付き合う必要はねェからな。ヒイロは同年代のチャレンジャーとつるむのは初めてだっつってたもんだからよ、この状況になんも疑問を持たねェんだろうが。でも傍から見りゃあ、クルミもカナタもかなりの曲者だ。二人には申し訳ねェが、俺は少なくとも、あいつらはかなり変わった人間だと思っている」

 

「……かなり変わった人間?」

 

 なんだか、真面目な話っぽい。アタシはすぐにも体勢を直してグレン君と向き合っていく。

 

「クルミはな、小せェ頃からずっと、あんな感じだ。分け隔てなく誰とでも接することができるその人間性こそは、誰もが持たねェ唯一無二の個性であって、あいつの良い所だと思っている。だが一方で、元気すぎる。とにかく行動力に長けた長所がむしろ短所として働く場面が非常に多いもんだからよ、厄介事もしょっちゅう引き起こして周りから怒られるんだ。でもな、クルミはそんなことをまるで気にしねェ。ポジティブすぎんだよな、あいつの思考回路は」

 

「確かに、クルミ君ってすごく元気だよね。アタシ素直にすごいなぁなんて思ってたけど、やっぱクルミ君だけの個性だったんだ」

 

 セキタンザンがバーベキューのコンロから網を取り出し、その中にあった炭を手で摘まんで自身に乗せていく。

 そうして相棒にコンロの処理を行わせていく間にも、グレン君は真っ直ぐな眼差しをアタシへと向け続けながら、話の続きを行っていくのだ。

 

「クルミがポジティブすぎることを考えると、カナタはその逆を行っているとも考えられるっつーもんでよ。カナタという奴もまた、クルミとは別の方向性で吹っ切れている人間性を持つ女子でな。まぁ……それとなく言っちまえば、カナタは、クルミの個性に救われた人間なんだよな。こいつぁ本人が話すべきデリケートなもんでよ、俺が周りに言いふらす事柄じゃねーもんだから、それ以上のことは口にできねェ。ただ、それもあってかカナタは、クルミに執着――違ェな。依存、しているとでも言えるか。とにかくカナタは、今クルミがお熱なお前さんにやきもちを妬いている状態でよ。ま、そういう事情があるっつーことだけを理解していてくれりゃあ、睨まれるような視線も少しは気にならなくなるだろうよ」

 

「そうだったんだね。……アタシてっきり、カナタさんの気に障るようなことを無意識にしちゃってたのかなって不安に思ってた。まあ、実際に気に障っていることは確かなんだろうけど……」

 

 その時にも、遠方から掛けられた大きな声。それがクルミ君であることがすぐに分かると、彼とカナタさんが二人で歩いてくる様子と共に、グレン君が動き出していく。

 

「っつーもんでよ、ヒイロは無理してクルミやカナタと向き合わなくてもいいってことだ。気持ち的に辛くなってきたら好きに離れていいもんだし、俺らも離れるヒイロを追いかけたりはしねェ。こいつはあくまで、ジムチャレンジの最中に出会ったポケモントレーナー同士という関係にすぎねェもんだからな」

 

「ありがと、グレン君。おかげで少し、気持ちが楽になったかも。――ただ」

 

 膝の上のラルトスを抱えながらアタシが立ち上がると、それに続くかのようにアタシのパートナー達も身体を起こしていき、グレン君へと向いていく。

 

「アタシ達、今をすっごく楽しんでるから! 何なら、今までにしたことがない体験ばかりで、ものすごく新鮮にさえ思ってる! こんなに充実とした日々なんて全くしたことが無かったものだから、カナタさんとはまだあまり話せていないけれど、クルミ君に振り回されるのも嫌とは思ってないんだよね。……アタシのことを、わざわざ気に掛けてくれてありがとね。グレン君も、他人への気遣いがチョー上手くて、アタシすっごい信頼してるから!」

 

「……お、おぉ。そうか。おう。……悪くねェな、こういうのも」

 

 あ、なんかちょっとだけ可愛いと思った。

 強面のグレン君が、ほんの少しだけ動揺していた。照れも若干とうかがわせる様子で目のやり場に困らせていた彼だったものだが、ゴホンッと一つの咳払いで気持ちを切り替えて、セキタンザンへと手を添えていく。

 

「とにかくだ! ヒイロ、何かあったらすぐに、俺に言え。あいつらの相談事なら絶対に乗るもんだしよ。それ以外のことでもあろうとも、まぁ、俺が乗れる相談には乗ってやれる。同年代だからと言って、皆が同じ事や考えができるってわけじゃねーからな。人には、できる事とできねェ事がある。それがたまたま、俺にはできて、ヒイロにはできねェもんであるのなら、ヒイロがそれをできるようになるまでの手助けを、俺はしてやれなくもない。っつーだけの話だ」

 

「…………グレン君、絶対に女子からモテるでしょ」

 

「なに馬鹿なこと言ってんだ。おら、後片付けを手伝ってくれ」

 

「はーい」

 

 ニヤニヤ。アタシから向けられたからかいの視線に、グレン君は敢えて逸らすかのような目でコンロの片付けに取り組んでいったものだ。

 

 そうして水を汲んできたクルミ君とカナタさんも合流したアタシ達は、陽が落ちる前にオウロウビレッジへ戻るためにオンタケ山の山道を辿っていくのだが、ふと、その途中にも、アタシはやけに見慣れたこの道に、ここがマリルリ達の住む一軒家と近いことに気が付いた。

 

 ……近くまできたことだし、少しだけ顔を出してこようかな。

 そんなことを思い立ちながらも、マリルリ達の安息の地を他の人に教えたくなかったアタシは、「ちょっと、お手洗い! 先にオウロウビレッジに戻ってて!」なんていう適当なことを言いながらクルミ君達と別れるなり、アタシはあの一軒家を目指して森の中へと入っていったのだった。



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好意を抱く者

 オンタケ山の草木を掻き分けて獣道に従っていくと、次第と足元に流れ始めた、足の裏くらいまでしかない小さな小さな水の流れ。これをただ辿るというだけでなく、敢えて流れてくる方角へと真っ直ぐ進むことによって、アタシが湖に流されてから到達した、キノコのような木々の密集地帯に入ることができるのだ。

 

 で、そのためにも、ちょっとした裏技を用いていく。

 アタシは小さな水の流れを辿ることで到着した、アタシの肩くらいまでしかないミニマムサイズの滝まで歩み寄っていくと、その滝つぼとも言えるだろう、ちょうど人が一人そこに入れるかという大きさの穴を覗き、ゆっくりと顔をつけていくというもの。

 

 目を瞑り、心を空っぽにしてリラックスする。段々と抜けてくる全身の力にすべてを委ねて、今も頭に打ち付ける小さな滝を受けながら、水面で帽子が取れそうになったところでそのつばに手をかざした時にも感じ取れる、水が全く降ってこない不思議な感覚。

 

 そして、目を開けていく。すると……。

 

 ……はい、到着。周囲にはキノコのような木々が生い茂り、目の前の道以外に進める場所が無いという一方通行の閉ざされた空間。

 

 燦々と降り注ぐ太陽のみがこの現象を捉えることができるのだろうか。未だに此処の仕組みは全く理解できないものだったけれど、すでにポケモンという未だ謎に満ちた生物が、体内で不可思議かつ強力なエネルギーを生成して、それを事象や質量として形にできる現象が存在しているのだ。自身に降りかかる超常現象など、なにを今更といった面持ちでアタシは歩き出して、濡れると逆に心地良いこの水を蹴飛ばしながら十字路へと進んでいく。

 

 それで、この十字路を進むにしても色々と段階を踏まないといけない。まずはこっちの道を行って、次にあっちの道。それからこっちの道を行った後に、最後は来た道を振り返って、このまま一直進する。

 

 すると、あら不思議。十字路ではなく、鬱蒼とした大木に囲まれた薄暗い一本道が視界の中央へと続いていく不気味な直線が現れて、アタシを奥へといざなうのだ。

 ここに来る方法を知ることができたのも、十字路の手順も把握することができたのも全て、マリルリ達の野生ポケモンであるワンリキーやエイパム、アタシのミツハニーといった面々がアタシにジェスチャーで必死に教えてくれたからである。次第とブーツを水没させていく水位と、木漏れ日が一軒家を照らしていく幻想的な光景。

 

 これで、完全に到着! アタシは駆け寄るようにジャバジャバと一軒家を目指していくと、「みんなー! 近くを通ったもんだから、顔を出しに来たよー!」なんて呼び掛けるようにして一軒家のドアノブへと手を掛けた。

 

 ――いや、手を掛けようとした瞬間にガチャリと回るそれ。

 

 え。今までに無い現象にアタシは頭を真っ白にしながら一歩下がっていくと、次にも玄関の扉の向こうから現れたのは、背中辺りまで伸ばしたアッシュの長髪に、深緑のドレスに身を包んだ優雅な外見の淑女……!!

 

「ニュアージュさんッッ!!?」

 

「まあ!! えっと、ヒイロ様……!?」

 

 ダブルあんぐりフェイス。

 共に仰天といった具合で言葉を失っていく中で、ニュアージュさんの後ろから「どうかなされましたか!?」と四名ほどのSPが飛び出してくる。

 

 そしてアタシの姿を見るなり、SPもまた「ほぁッ!!! お嬢様以外の来訪者!!?」と、ひどく驚いた様相を見せながらもアタシを警戒して囲ってくるのだ。

 

 だが、そこでニュアージュさんは落ち着いた調子で、それをSPへと言っていく。

 

「心配は要りません。こちらは、シナノチャンピオンのタイチ様が今期のジムチャレンジで最も推されていらっしゃる、有望なチャレンジャー様のお一人でございます。わたくしは以前にも彼女との面会を果たしており、例の件の、唯一の情報提供者でもございますので、ご安心くださいませ」

 

 ニュアージュさんへと注がれる視線。彼女がそれを説明すると、SPはアタシに頭を下げながら一斉に下がって、ニュアージュさんに道を空けていくのだ。

 

 そして、この空気を感じ取ったのだろうか、周囲の野生ポケモン達も顔を出して姿を現してきた。それからというものアタシを見たポポッコやマリルリ、ウパーといった面々が押し寄せるようにアタシへと向かってくると、SPを退けていったポケモン達に囲まれて、アタシはてんやわんやと忙しく頭を撫でたりしたものだ。

 

 ちょっと、みんなを撫でるには腕が足りない……! 抱えたラルトスを近くにあった切り株に下ろそうと思ってアタシがそこを目指して歩き出していく最中にも、この光景を麗しい瞳で眺めていたニュアージュさんが、ハッと気付くようにそれを口にしてくる。

 

「……あの、以前にもマサクル団を追い返してくださった際に、ヒイロ様は野性ポケモンと力を合わせて戦ったとおうかがいしましたが。もしやー……?」

 

「ん! そう! アタシ、ここのみんなの力を借りて、マサクル団とか言う奴らと戦ったんだよね。……たくさんの犠牲も生まれちゃって、アタシじゃあ力不足だった感もあったけれどね」

 

「まあ、そうだったんですねー。わたくしも、この子達が人の子と勇敢に戦ったとうかがっておりまして。まさか、ヒイロ様でしたなんて。わたくしからも感謝の言葉を送らせていただけますか? ……その説は、誠にありがとうございました。この子達は、わたくしの家族も同然の子でございまして。時期が時期なだけにジムチャレンジで不在にしていた最中にも、家族の命を奪われる事態にわたくしは悲痛な思いでこちらの件と向き合っておりました」

 

「家族……。そっか、この子達――」

 

 アタシはラルトスを切り株に下ろしてあげてから、今もアタシを歓迎してくれている野生ポケモン達の顔を見遣っていった。

 ……犠牲になってしまった子も、たくさんと出てしまったマサクル団の一件。それを家族と言うニュアージュさんのお気持ちを考えると、それだけでも心がすごく、痛くなってくる――

 

「――ごめんなさい、ニュアージュさん。アタシがもっと、ポケモントレーナーとして強ければ、今頃は生き残れた子達がもっといたはずなのに……っ」

 

「そんなことはございません! わたくし共は、ヒイロ様によってお命を救われたも同然なのです! ヒイロ様の救いの手がございませんでしたら、最悪わたくしの家族は皆……。――ヒイロ様。本当にありがとうございました。ささやかながらのお礼しかできませんが、何かがご所望なのであれば、お申しつけください。わたくしの全財産で叶えられるものでございましたら、何なりと!!」

 

「え、え。いや、そんな! そういうのは求めてないから、アタシ……」

 

 急に悲しくなってきた気持ちでアタシは今にも泣きそうにさえなっていたのに、そこにぶっ込んできた冗談にもならないニュアージュさんの言葉にアタシは圧倒されて、涙も引っ込む勢いで頭と首と手を横に振っていく。

 SPに囲まれるほどのお嬢様が、全財産で何かを叶えるだなんて、そんなの冗談でも怖すぎて普通にビビるわ!! アタシは愛想笑いでなんとか誤魔化しつつ話題を逸らそうと思考の中をぐるぐると巡らせていると、その時にも一軒家の開いた扉から大慌てで駆けつけてくる、一つの小さな影。

 

 その真白がアタシへと一直線に駆け寄ってくると、次にも勢いよく飛び込んでアタシの顔にダイレクトで突撃してきたのだ。

 

「ぐほォ!! ――ろ、ロコンっ! ぅわっ、前、見えな。ぉ、よーしよしよ、待っ、毛が口に入っ」

 

「あら、まあ。あのロコンが、こんな……!」

 

 な、なになになに。今もアタシの顔面に張り付いては尻尾をぶんぶんと振っていく真白なロコン。そこからアタシの額をベロベロと舐めてぐりぐりと身体を押し付けてくるものだったから、アタシはロコンの熱烈な歓迎に押されるあまりに後ろへと転げて、スカートというファッションで盛大にひっくり返っていった。

 

 そこから追撃のように顔を舐めてくるロコン。頬もまぶたも、口も鼻も、ありとあらゆる顔の部位を余すことなくベロベロと舐めてくるそれにアタシが「う、うぁはは!! ぅはは!!! ま、待って待って! ギ、ギブ!! ギブギブギブッ!! ぶはッ!!!」と嬉しい気持ちと慌てる気持ちの両方が合わさった声でロコンを制御しようと必死になっていくばかり。

 

 それでいて、ニュアージュさんはニュアージュさんでとても意外そうにしていたものだったから、アタシはようやくと捕まえたロコンを掲げるように抱えながら起き上がり、それを訊ね掛けていったのだ。

 

「この子も、ニュアージュさんのご家族さん?? ひと際元気があって、なんかもう、すっごいね!」

 

「はい。ヒイロ様が掲げていらっしゃいますそちらのロコンは、オンタケ山に迷い込んで衰弱していたところを、わたくしがこちらの別荘で保護した野生のポケモンでございます。ロコンと言えば、妖艶な赤の体色でこちらのシナノ地方にも生息する、ほのおタイプのポケモンであることは存じていらっしゃると思いますが、そちらのロコンは、アローラ地方という遥々遠い地方から訪れた貨物船かなにかに紛れ込んでしまったと推測できる、所謂リージョンフォームと呼ばれる、生息する環境に適応するべく原種から異なる進化を遂げた、亜種に該当する種類の個体でございます」

 

「へー! リージョンフォーム!! そういうことだったんだ! 前にも、お菓子のようなフワッフワな見た目のライチュウを見たことがあったけれども、このロコンもリージョンフォームで変化したロコンだったってことなんだね! ニュアージュさん、分かりやすい丁寧な説明ありがと!!」

 

「いえいえー! わたくしがヒイロ様のお役に立てたのでございましたら、恐悦至極でございますー!」

 

 パァッとした満天の笑顔で、両手を合わせながら喜びを表現してくるニュアージュさん。なんだか次第とこのお方と話すことに緊張しなくなってきたぞ、なんても思いながらアタシはロコンに顔をベロベロと舐められていくのだが、次の時にもニュアージュさんはこちらのことをジーーーッと見つめ始めてきたものだから、アタシはヒヤッとする意味でもドキッとして、その視線に耐えていく。

 

 ――と、直後にもニュアージュさんが、こんな提案を投げ掛けてきたのだ。

 

「あの、差し支えがなければ、そちらのロコンをぜひ、ヒイロ様に貰っていただけないでしょうか?」

 

「え?」

 

 あまりにも唐突だった。

 アタシは、彼女の言葉に呆然してその場で立ち竦んでいた。この間にも顔面はロコンにベロベロと舐められていてだいぶテカりを帯びてしまっていたものだが……。

 

「わたくしは生まれながらにして、こおりタイプのポケモンの心を読むことができます。こおりタイプのポケモンと気持ちを通じ合わせることによって、言葉を不要とする会話を行い、インスピレーションに近しい感覚で対象の気持ちを感じ取り、それをわたくしは言葉という形にして表現することができる能力を有しているのです。なので、そちらのロコンから、例の一件による当時の状況などもうかがって参りました。――そのうかがってきた話の中でも、ロコンが特にわたくしへと訴え掛けてきたその気持ちが、ふとこちらに現れては皆を指揮するトレーナーとなり、その救世主によって残りの命が救われたという一人の人間に抱いた好意でございました」

 

 歩み寄ってくるニュアージュさん。アタシよりも背が高い彼女がロコンに手を添えていくと、アタシとニュアージュさんに掴まれるロコンはピタッと動きを止めて、あの忙しないほどの歓喜が嘘のように静まっていく。

 

「――この子は元々、生まれた地にて恵まれない環境にひどく憤怒しておりました。きっと、そこから抜け出したい一心で、貨物船に乗り込んだのでしょう。そして移り渡ったシナノ地方にて一時の平穏を過ごして参ったものですが、その平穏を破りし邪悪なる化身、マサクル団の手によって、自身とその身内がひどく傷ついてしまうことに……。それからロコンは、マサクル団に抑え切れないほどの憎悪を覚え、それに心を支配された過度のストレスに侵されていたようです。……ジムのお仕事が多忙であったため、皆が辛い目に遭っていることを知ることができなかったことを、悔いるばかりでございます……」

 

「……ロコンが、憎しみに支配されちゃってるような場面なら、アタシも見た。だから、それもあって、アタシはみんなの期待に応えられる人間ではないよって言って、アタシについていきたそうにしていたロコンを一回、跳ね除けちゃったんだよね……」

 

「ですが、それからというもの、ヒイロ様のご活躍があったことで脅威が一時期に取り除かれ、その期間にも次第と心の傷が癒えてきたロコンは、その憎悪をも凌ぐ、好意の感情でヒイロ様の訪れを待ち望まれていたようですよ」

 

「……そうだったんだ」

 

 ロコンにとって、アタシは唯一無二のヒーローだったのかもしれない。

 アタシは、ロコンを優しく抱きしめた。フワフワなその毛皮は、こおりタイプであることから心地の良いひんやりな体温で程よいクッションとなっており、ぎゅっと胸に抱えていくと、ロコンもまた目を瞑って、すごく穏やかな様相でアタシの体温を感じ取ってくれるのだ。

 

 ……トクッ、トクッ。ロコンの心臓が、アタシの胸に伝ってくる。とても緩やかで、気持ちを落ち着かせてくれる、こおりタイプとは思えないほどの好意的な熱を含んだ優しい鼓動。

 

 ――今のロコンなら、アタシの旅にも理解を示してくれるのかもしれない。いや、時間を置いて精神的に落ち着きを取り戻したことによる、この行動こそが、冷静になった思考の中で見出した、ロコンなりの答えだったのかもしれない。

 

 アタシは、これを同意として受け取った。

 ……そして、胸に埋めたロコンへと見遣っていく。

 

 ――目が合うと、ロコンは歓喜の笑顔と共にアタシの顔へと鼻をひくひくさせて、尻尾をぶんぶん振っていくのだ。

 

「おっけー……! 分かった! アタシ達と一緒に強くなって、最強、無敵のコンビでどんなヤツでも蹴散らせるようになろうね! ――これからもよろしく、ロコン!!」

 

 パチ、パチ、パチ、パチ。前方から響く、手と手が打ち合わされる、祝福の音。

 ニュアージュさんの手から、おしとやかに響いていたそれ。これを見た周りのマリルリやポポッコ、近付いていたワンリキーやエイパム、ミネズミといった面々もまた手を打ち鳴らしていき、それに続くように、四名のSP達からもまた、拍手が響き渡ってくるのだ。

 

 ……なんか、照れ臭いな。

 抱っこをねだってくるラルトスも一緒に抱えてあげると、アタシは今こうして自分の胸の中に抱えられた二つの存在を掲げるように木漏れ日へと照らしていきながら、この瞬間にも新たに仲間となった新メンバー、アローラロコンを心の底から歓迎していった――――



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明後日に向けて

 エントリーが完了した。明後日にも控えたジム戦に、アタシは気分の昂りを覚えながらも、オウロウビレッジジムの受付のお姉さんに一礼してから、そのまま走って外に出て行く。

 

 ジムに挑むことが決まった以上、じっとしてなんかいられない! ジムの自動ドアを越えると視界に入り込んでくる朝日を浴びながら、アタシは抱えたラルトスとロコンに「早くユノさんとランヴェールさんのとこに行って、さっそく練習相手になってもらわなきゃね!」と声を掛けながら坂を下っていくのだ。

 

 昨日にも、新メンバーとして加わった新たな仲間の、アローラロコン。タイプはこおり単タイプという、凍てつく冷気を操る能力を得意としながらも、相性では打たれ弱い一面が目立つことから上級者向けとして、トレーナーズスクールでは所有することをあまり推奨されなかったその属性。

 でも、ニュアージュさんもまた、その上級者向けのタイプでジムリーダーへとのし上がった実力者なのだ。であって、人間にそのような偉業を成し遂げられる以上、同じ人間であるアタシにもこおりタイプを上手く扱える可能性が十分にある! と、アタシにしてはやけにポジティブな思考を持ちながらも試しにロコンを戦わせてみた昨日の試合。

 

 相手もまた、ジムチャレンジに臨む若々しいポケモントレーナーだったからなのかどうなのか。その真相はよく分からないままに、ほんの軽い気持ちでロコンを戦わせたその試合において、相手のトレーナーも、指揮するアタシ自身も思わず驚くほどの光景が繰り広げられることとなった。

 

 なんと、三匹繰り出してきた相手の手持ち全てを、ロコンが一匹で倒してしまったのだ。

 相手もまた自信満々に勝負を挑んできたものだったから、少なからずのバッジ所有者であることも分かっていた状況での、ロコンの無双っぷり。ロコンは生まれた地に恵まれなかったとニュアージュさんは言っていたものだったが、その環境がロコンの力強さを生んだのか、はたまた生まれながらにしての才を持っていたのだろうか。特性のゆきふらしから繰り出していくふぶきが特に猛威を振るい、アローラロコンという珍しさもあってか練習場ではみんながロコンに注目するという現象にまで発展していく。

 

 他にも覚えているわざが実に豊富であり、まず、みずタイプの弱点を突くことができるという特殊な効果を持つ攻撃技の、フリーズドライ。それから、フェアリータイプのわざの中でも特に強力かつ圧倒的な汎用性を誇る攻撃技の、ムーンフォース。しかも、あられという天候の中で発揮するとされる、オーロラベールという防御寄りのわざも習得していたことから、相手を終始、圧倒していく試合展開。

 

 なんだか、覚えているわざの全てに隙が無いというか、まるでプロが育成したポケモンから生まれてきたのかとでも言うくらいの輝く才能を放つ、真白な期待の星。軽い気持ちで臨んだ練習試合で、所有するトレーナーさえも圧巻な試合を披露してくれたロコンの実力を知ることができたため、アタシはサイホーンとマホミルという主戦力に並ぶ、新たな戦闘員を迎え入れることができたと確信した。

 

 ただ、唯一の弱点として、ロコンはアタシの指示が無い限り自分から動かないという点を持っていた。アタシが指揮さえすれば、主様の期待を上回る活躍で相手を圧倒してくれるその活躍ぶり。だが、心に傷を負うに至った経緯が関係するのかどうか、ロコンはあまり自分に自信を持つことができないらしく、自分の意思で相手を攻撃しようとしたり、逆に相手の攻撃も自身の判断で避けようとしない辺りが、今後の課題となるのかもしれない。

 

 ロコンに最優先と取り掛かるべき事柄は、心のケアだろう。そのためにも、まずはアタシやパートナー達との輪に馴染むことで、自分にも自信を持ってもらう!

 

「ロコン! 今から、アタシの旅についてきてくれてる二人の大人達を紹介するからね! きっとロコンも大好きになっちゃう人達だから、存分に甘えちゃって!」

 

 ラルトスと一緒に抱えられたロコンが、尻尾を振ってご機嫌といった顔を見せていく。その顔を上げてアタシへとすんすん鼻を鳴らしていくと、今もアタシの顔を舐めようと舌を出してくるのだ。

 

 そんなロコンの頭を、ラルトスが撫でていく。……なんだなんだ、やけに可愛い絵面じゃんか。めっちゃスマートフォンで撮影したいなおい。まるで親バカのようなことを内心で呟きながら悶えていくアタシ。この間にも坂を下りていくことで、ユノさんとランヴェールさんの二人と待ち合わせしている場所へと直行していくと、次第と見えてきたオンタケ山のバトル用グラウンドで二人の姿が見えてくるなり、アタシは呼び掛けるように声を上げていった。

 

「ユノさーん!! ランヴェールさーん!! お待たせー! ジムの順番取れたから、アタシの特訓に付き合って――――」

 

 ドス黒い、破壊の限りを尽くした邪悪な波動。ゾロアークから繰り出されたナイトバーストが、今も相手をしているのだろうシビルドンに直撃すると、この瞬間にも確定した勝敗に相手が頭を抱えていく。

 

「やーーーー!!! 完敗だこれはーーー!! アッハッハッハ!! オレのシビルドンが何もできずに終わったよーーーっ!!! なんだなんだオマエ! スゲー強ぇじゃん!! え、ここにいるってことはやっぱ、オマエもジムチャレンジしてるチャレンジャーなんだよなーー!!?」

 

「いいえ。私は単なる付き添いで、ここにいるだけなの。――それにしても貴方、希有な頭脳の持ち主ね。一手一手に掛かる相手への負担が凄まじく重圧で、こんなにも力強いプレイングを見せてくれるトレーナーさんは滅多にいない。私も時折、この試合で敗北を覚悟したくらいの力業……。その真正面から当たっていく姿勢と意気込みが織り成す怒涛の攻めは、貴方にしかない強烈な武器なのかもしれないわね。私としても、とてもいい経験になった。相手をしてくれてありがとね」

 

「おお!!! おぉーー!!! オマエも、オレの相手をしてくれてありがとなー!!! ニッシシシ! シビルドン!! こうもなりゃあオレ達、もっと腕を磨かないといけないな!!! なぁオマエ! また相手してくれよなーー!!!」

 

「えぇ、巡り会いがあれば歓迎するわ」

 

「巡り会いとかよくわかんねぇけど、またオレの方から勝負を挑みにくるから!!! じゃあなーー!!!」

 

 ……すごく見覚えのある男の子。

 遠目からでも分かるハツラツな様で、奥へと駆け出していくその背。バトルに負けたにも関わらずニッコニコなそれにアタシは「相変わらずだなぁー……」なんて思いながらユノさんへと近付いていくと、アタシの足音に勘付いた彼女が振り返ってくるのだ。

 

「おかえりなさい、ヒイロちゃん。ジムの方はどうだった?」

 

「バッチリ! 明後日に挑戦するから、アタシの練習相手にもなってよ。――もちろん、ランヴェールさんもね!!」

 

 アタシは、彼がいる方へと向いていった。

 ――人を惑わす、道化師のような喋り方。独特な言葉遣いを操りながら、危険な香りを匂わせてお近づきになってくるミステリアスなイケメンに、彼に話し掛けられたのだろう女性二人組は魅了されたような表情でぞっこんとなっている。

 

 ……お取込み中のようだった。

 ランヴェールさん、女の人が大好きだってよく言ってるけど、だからといって一緒に行動しているプリンセスを差し置いて周りの女を口説くのは、なんか、それってホントにアタシのナイトなんですかーーーー??? ってカンジ……。

 

 ムスッとするアタシ。そんなアタシに気が付いたランヴェールさんは、ウィンクを一つ投げ掛けるなり女性二人組と別れを告げてこちらへと歩み寄ってくる。

 

「これはこれは、我らが可憐なるプリンセスが、かの闘技場から帰還されていたとはね。ボクとしたことが、ヒイロちゃんをお迎えに上がらないばかりか、待ち合わせ場所であるここまでエスコートすることができなかった不手際も相まって、不覚に思うばかりなものさ」

 

「不覚って、それ道草食ってナンパしてた紳士が口にするセリフー? ま、いいけど。その分これから、アタシに付き合ってもらうから」

 

「おお! なんて熱烈なアプローチだ! 姫君からの命令であるならば、ボクは周囲の女神を諦めざるを得ないというものさ」

 

「ランヴェールさんの言ってること、よく分かんない。――ユノさん、見て! 昨日、仲間になったロコン! 可愛いでしょ! でも、実はめっちゃ強いんだから! だから、さっそく相手になって! ランヴェールさん、審判お願いね!」

 

 そう言って、アタシはさっさとトレーナーの立ち位置へと走り出していった。そんなこちらの背を見ながら「おっけー、ヒイロちゃん。私が、貴女達の新しいコンビネーションを見てあげる」と言いながら、腹部辺りで軽く腕を組んだクールな足取りで立ち位置へと歩き出していく。

 

 ……その間にも、近くにいたランヴェールさんと目が合うなり、彼の押さえられた中折れハットから覗く瞳に表情を渋らせる、なんだか複雑な雰囲気を醸し出していたものだ――

 

 

 

 

 

 ……気分が休まらない。まさか、アタシがこの日のトップバッターだったなんて。

 多くのチャレンジャーが熱気を放つ、オウロウビレッジジムの控え室。未だ整備中であるスタジアムの様子をテレビの中継で眺めるアタシが不安そうにしていると、抱えていたラルトスがアタシへと向いてきて、ニコッと笑みを見せてきてくれるのだ。

 

 ありがと、ラルトス。アタシはラルトスの頭を撫でていく。

 そして、名簿を持ったスタッフからアタシの名前が呼び掛かった。「チャレンジャー、ヒイロ! こちらへ!」という男性スタッフさんの下へアタシは歩き出していって、この足を、一歩、また一歩へと決闘の地へと運んでいく。

 

 ……心なしか、スタジアムに続く一本道はひんやりとした空気に包まれている気がした。

 これも、ニュアージュさんから掛かるプレッシャーなのかどうか。何せ、今回から使用ポケモンが三体となるため、今までのような短期決戦とはならない、一味違うジム戦が今にも始まろうとしていたものだったから――

 

「――落ち着け、アタシ。今回は、ミツハニーとロコンの二人が仲間になってくれた。ミツハニーはボールの中で応援してくれているし、ロコンだって、やる気は十分。サイホーンとマホミルのコンディションもばっちり。……うしっ」

 

 フッ、と息を吐いていくアタシ。これで四回目ともなるこの足取りに若干と緊張を交えながらも、両肩を上げるように気合いを入れたアタシは、次第とこの視界に入ってきた朝日の照明で前方を照らしていき、スタジアムへの一歩を今、踏み出していったのだ――



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ジムチャレンジ オウロウビレッジ

 早朝の時刻に響かせる、観客席から賑わう多くの声達。この日のチャレンジャーとして多くの注目選手達が集っていたという宣伝効果も相まった今日のオウロウビレッジジムは、現地を中継で見守るオーディエンス達をも期待させる最高の熱気を醸し出していた。

 

 だからこそ、この二人は自身らの仕事により一層もの気合いと期待を込めていくのだ。

 いつもの足取りで実況と解説席に腰を落ち着けるメガネの男性二人組。マイクをつける前にも軽い談笑なんかを交わしていき、彼らのマネージャーであるストライクが、鎌のような手で器用に今日の資料や台本となる紙を渡していくその光景。

 

 それから二人は咳払い。喉の調子を確信し、互いにこの日の準備が万端であることを交わした目線で、共にマイク付きのヘッドセットを装着していくのだ。

 

「あー、あー。聞こえますでしょうか、聞こえますでしょうか。マイク、テス、マイク、テス、ラランテス。――おっけーですね! はいどうも皆さん、おはようございまーす!!  こんな朝早くからも、窓越しから伝わってくるムンムンとした熱気。いいですねー! 皆さんも早起きをしたり、中には興奮で眠れない夜をお過ごしになった方もいらっしゃるとは思われます。えー、今日は特に期待度の高いチャレンジャーがですね、ドッと押し寄せる形で午前中に集中しておられるスケジュールでございますがね、今日はその、我々としても個人個人で注目をしているチャレンジャーが数名と午前中に詰め込まれているものですから、この気持ちは、中継も通してお集まりになった方々とほぼ同じ、と言ってもいんじゃないでしょうか。ね、サカシロさん」

 

「そうですねー。こう、だからと言って別にひいきをしているというわけではありませんし、もちろん、我々も全てのチャレンジャーの名前と見た目を、できる限りに記憶をして実況と解説をしていたりもしますから、決して、話題には上がらなかった他のチャレンジャーを蔑ろにしているというわけではございません。ただ! やはりその中でも、なにか輝くものを放つ存在であったり、特徴的な戦闘や外見をしている人やポケモンなんかですと、我々という試合を眺める側の人間としても強い衝撃を受けたりして、記憶に残ったりするもんです。で、ですね。今回も皆さんには、推し、とも言えるチャレンジャーがいらっしゃったりするかと思われますが、我々、実況解説の席から見た推しの面々も数名と、この午前の部にいたりして、こう、気持ちが昂っているというわけですね」

 

「えー、サカシロさんの言う通りでございまして、我々もね、こちらの席で多くの試合の行方を見守ってきた経験がございますから。やはり、その中でも特に面白い場面であったり、笑いあり、涙ありの感動的な場面であったりと、様々なドラマをこの目に焼き付けてきたということですねー、はい。――おっと、スタジアムの整備の方はだいぶ準備が整ったようでございますね! こう、オウロウビレッジジムは、ジムリーダーのニュアージュ様がこおりタイプを扱うというだけあってか、きもーち肌が冷えてくる感覚がありますが、皆さんもね、羽織る物を持ってきているのであれば、寒さを我慢せずに温かくしていってくださいね。これからにも試合が始まれば皆さんの熱気でだいぶ気温が高まるとは思いますけどね! だからと言って、寒さやお手洗いの方を我慢してはいけませんからね!! はい! というわけで、チャレンジャーとジムリーダー両方の入場口から人影が見えて参りました!! 大変長らくお待たせいたしました!! ただいまを持って、ジムチャレンジ、オウロウビレッジジムの午前の部を開始にしたいと思います!!! 皆さん、今日も張り切って参りましょーーーーー!!!!!」

 

「よろしくお願いしまーす!!」

 

 

 

 

 

 ボールにしまったラルトスも、アタシ達のことを応援してくれている。

 次第と強くなる胸の鼓動。慣れたようで、やっぱり慣れていない、スタジアムから降りかかる重圧なプレッシャー。

 

 しかも、今日は特に人が多かった。なぜかは分からないし、そんなことを実況解説の席でも話していたように感じられていたものだけれど、アタシはそれさえも聞き取れないほどに緊張してしまっていて、前へと進める足も、どこか覚束なかったりしたものだ……。

 

 と、緊張に支配されて表情が強張っていただろうアタシの前から、同じようにスタジアムの中央を目指して優雅に歩く、一人の淑女の姿。

 ……今日も、その高貴なドレスが似合っているな。ついこの前にも個人で会話を交わしたニュアージュさんと目が合うと、その時にも柔らかく微笑んできた、ニュアージュさんの和やかなご尊顔。

 

 あ、可愛い。同性に抱く感情としてはあまりにもピュアなものだったから、これによって緊張という緊張が洗い流されていったアタシは、すぐにも開始となるジム戦に対する気持ちとは思えないほどの軽やかな足取りで彼女の前まで移動していった。

 

 そして、スタジアムの中央で向き合うアタシとニュアージュさん。その脇から審判が旗を持ちながら歩いてくるこの間にも、ニュアージュさんは、添えるように両手を前にやっているおしとやかな調子でそれを口にしてくるのだ。

 

「おはようございますー。今日も快晴で、絶好のジムチャレンジ日和でございますねー。今日も午前の部から多くのチャレンジャーをお相手する予定でございますが、わたくしとしましては、今にもわざを交わし合うヒイロ様との対戦を、心から待ち遠しく思っておりましたー。……とは言いましても、ヒイロ様だけを特別扱いしているというわけではなくてですね。――わたくしの家族達を生還へと導いてくださったその采配を、この目で拝見したくこの時を待ち遠しく思っていたものでございますから。ウフフフフ……」

 

 美麗な顔から零れてくる、笑っていないその瞳。

 ……今、目の前にいるニュアージュさんは、ついこの間にもあの一軒家で出会ったような彼女ではない。

 

 ニュアージュさんはすでに、ジムリーダーとしての気持ちでこの場に臨んできている。

 私情に染まり切らず、シナノ地方の伝統を継ぐ者としての自覚を持ってチャレンジャーと向き合う、ジムリーダーのニュアージュさん。掛けられた言葉にもプレッシャーとして圧し掛かるような重みを感じられたことから、アタシは振り払われたはずだった緊張の念を、再び抱え込むこととなった。

 

 そして、審判から握手を促された。アタシはそれに従ってニュアージュさんと握手を交わしていくと、次に自身の立ち位置へと向かうよう指示されて、アタシとニュアージュさんは背を向けてそのポジションへと歩いていく。

 

 ……レミトリさんの時にも、テュリプさんの時にだって感じられた、こうして自身の立ち位置へと向かっていく時の、もう、今すぐにもでもジムバトルが始まるんだという、身体の内側からビリビリと流れ出す痛み。

 でも、だからと言ってアタシは勝ちを譲るつもりは毛頭ない。負けようだなんて一切と思わないし、勝つためであれば、お嬢様であるニュアージュさんだって、ぶっ潰す意気込みでこの試合に臨んでいく……!!

 

 立ち位置で振り返ると、ニュアージュさんと目が合った。

 そして、それと共に審判が、いつものように試合前のルールを詠唱していくのだ。

 

「ルールは三体選出のシングルバトル! ただし事情がある場合、一匹のみ又は二匹のみの選出も可能とする! キズぐすりといったどうぐの使用は不可。使用が認められた場合、使用者を失格と見なす! ポケモンにどうぐを持たせることも不可とする。こちらも発覚した場合には失格と見なすが、事情がある場合のみ持ち込み可能とする! なお、ポケモンの交代は各選手につき一度のみ可能とする! ——では、両者、モンスターボールを!!」

 

 審判が厳ついその声を上げていくと、アタシはバッグからモンスターボールを、ニュアージュさんはどこからともなくモンスターボールを取り出していく。

 

「構え!!」

 

 審判の手に持つ旗が前に掲げられる。これを合図としてアタシとニュアージュさんはいつでもモンスターボールを投げられるようにして、次の合図を待ち続けていく。

 

「両者、ポケモンを!!」

 

 天へと振り上げられた、審判の旗。朝方の快晴を指していくそれと共にして、アタシとニュアージュさんは漲る闘志のままにモンスターボールを投げつけていくのだ。

 

「先手はお願いね!! マホミル!!」

 

「冷静に参りましょう。フリージオ!」

 

 モンスターボールから飛び出してくる二つの存在。アタシのボールから出てきたマホミルは、いつものやる気に満ちた表情に加えての、周囲のオーディエンスが非常に多い今回の環境にさらなる気合いが出てきたのか、液状には強気の顔を浮かべてその場をぐるぐると回っていく。

 

 一方、ニュアージュさんから繰り出されたポケモンは、ふわっと浮くなりこちらを静かに眺めてくる。

 人の顔みたいな模様をした、雪の結晶とも見て取れる不思議なポケモン。例年通りに降ってくる雪でよく見るそれを、そのまま巨大化させたかのような。それでいて、人の顔のような表面に一種の恐怖さえも少し感じられたアタシは、しかし気後れしてられないと冷静さを保ちながらそれと向き合っていく。

 

 向かい合うマホミルとフリージオ。二人のポケモンが場に出たことを確認すると、審判は試合開始を合図すると共にして、オウロウビレッジジムでの戦いの火蓋が切られた。

 

「これより、オウロウビレッジのジムバトルを開始する!! 互いに能力を発揮し合い、正々堂々のバトルを行うように!! ——では、ジムバトル……始めェ!!!!」



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VSジムリーダー・ニュアージュ その1

 オウロウビレッジジムの戦いが幕開けとなった瞬間にも、ニュアージュさんは繰り出したフリージオへとすぐさま命令を出していった。

 でも、そんなこと関係無い。アタシもすぐさまとマホミルに指示を出していき、ジムリーダーに対抗するための布石を打っていく。

 

「フリージオ! ひかりのかべで防御面を厚くしたら、げんしのちからでマホミルを攻撃してください!」

 

「マホミル!! とける!! そこからマジカルシャインでフリージオを壁ごと攻撃して!!」

 

 双方で繰り出された、自身の耐久力を上げていくわざ。フリージオは自身の周囲に張り巡らせた透明な壁によって、マホミルが扱う特殊技の威力を大幅にカットしてくる戦術のようだ。

 こちらは、とけるによって防御力を上げていく。とは言っても、相手はげんしのちからという特殊技を繰り出してきたために、その意味はあまりなさない。

 

 ……ま、とけるはそれ目的で指示したわざなんだけどねー。

 

 すぐにもマホミルがマジカルシャインを放ってフリージオを攻撃していくのだが、そう易々と攻撃を受け付けないと言わんばかりに、フリージオのげんしのちからがマジカルシャインを相殺してくる。

 互いに特殊技をぶつけ合う開幕。それらによって生じた煙が視界を覆ってくる中で、アタシはマホミルに特攻を指示していく。

 

「攻撃の手を休めないで!! マジカルシャインをしながら接近! そこから、とける!!」

 

「ヒイロ様、とけるにこだわっておりますね。――フリージオ相手に防御力を上げていく算段は、フリージオというポケモンの情報に乏しいからであるか、それとも……。フリージオ! とけるからのコンビネーションには注意していきましょう。あやしいひかり!」

 

 変化技で攻めてきた……!

 煙を突っ切り、フリージオの前まで接近したマホミルがマジカルシャインをぶっ放していく。そんなマホミルへとフリージオはあやしいひかりを繰り出してきたことで、マホミルはそれに直撃――しそうになった。

 

 だが、ここでもとけるは有効に働いた。マホミルの液状が分散するようにバンッ!! と弾け飛ぶと、そうしてあやしいひかりを回避していくだけでなく、弾けた勢いでマジカルシャインの質量をもった光の粒に追い付いて、それを体内へと取り込んでいくのだ。

 そして、じこさいせいで即座に形を成し、液状の身体に大量と含んだマジカルシャインの技エネルギーを抱えながら、マホミルお得意の体術戦へと持ち込んでいく!!

 

「マホミル!! いつものように暴れちゃって!!」

 

「ヒイロ様が、何かを仕掛けてきます! フリージオ! こごえるかぜで弱体化を図ってください!」

 

 アタシの指示で真っ直ぐと飛んでいったマホミル。そんなこちらの戦法にけん制を仕掛けてきたニュアージュさんは、フリージオに命じたこごえるかぜによってアタシの目論見は半分おじゃんとなってしまったものだ。

 

 フリージオが放ってきたこごえるかぜが周囲に漂い始めていくと、それの影響を受けたマホミルの突撃していく速度がじわじわと遅くなっていく。

 ウソ! アタシが内心で驚いている間にも、フリージオに難なく避けられてしまうマホミルの突撃。それを空ぶったことでただ単に空虚で終わってしまった、マホミルの特攻――

 

「今だよマホミル!! とける! からのアシストパワー!!」

 

 バァンッ!!!! 弾け飛ぶようにとけたマホミルの身体。液状のそれがフリージオにより近づくよう飛んでいくと、その中からは含んでいたマジカルシャインが一気に放出され、フリージオに直撃していく。

 不意の攻撃に、フリージオは怯んでいく。しかも、こうして晒した隙へとぶっ込むアシストパワーの光がフリージオへと一閃。ただの光とは思えない衝撃波を伴った一撃でフリージオが後方へと吹き飛んでいくと、その身体は空中で回転をして、いかにも余裕そうに体勢を立て直していく。

 

 ……くそ、ひかりのかべで、せっかくの戦法が軽減されている!!

 

「フリージオ、ひかりのかべでマホミルを閉じ込めてください」

 

 次の時にも、フリージオから放たれたエスパータイプの技エネルギー。それが透明な壁を生成してマホミルを囲っていくと、次の瞬間にも、ニュアージュさんは慈悲の無い攻撃を食わらせてきたのだ。

 

「ぜったいれいど」

 

 うそ!? アタシは「マホミル!! 何としてでも避けて!!」という焦りからの無茶ぶりで、マホミルにそのわざが危険極まりないことを教えていく。

 だが、マホミルはひかりのかべに囲まれたことで、より闘志に火が点いてしまった。やってやるぜ!! なんて表情を浮かべながらフリージオへと真っ直ぐ突っ込んでいってしまうのだが、透明でよく見えないひかりのかべに衝突するなり、ゴンッ! と音を出してマホミルが立ち止まっていく。

 

 この間にも、フリージオから一気に放出された、一撃必殺の大技。それは大気を触れられるほどまでに凍らせながら、とても薄い冷気となってマホミルへと襲い掛かると、マホミルもさすがに危険だと察したのかそれへの回避に専念して動き出していく。

 

 だが、真の地獄はここからだった。ぜったいれいどがひかりのかべと接触すると、ガンガンに凍り付いたひかりのかべが突如と発光を始め、そこからぜったいれいどの冷気を反射するかのように、勢いよくとマホミルへ飛ばしてきたのだ。

 

「やばっ――!! 避けて!!! マホミル避けて!!!」

 

 必死になって声を荒げるアタシ。こちらの必死さが伝わってくるのか、はたまた、ぜったいれいどというわざを本能で察することができたのか。マホミルは大慌てな顔を見せながらも反射してきたぜったいれいどを避けていくのだが、凍り付いたひかりのかべが板チョコみたいに割れると、それは複数のパネルとなってマホミルへと襲い掛かり始めていく。

 

「フリージオ! あやしいひかりを交えて、マホミルの疲弊を狙ってください!」

 

「とける!!! とけるで回避!!! とける! とけてぇえええええ!!!」

 

 指示の仕方に、品性の差までもつけられる。

 マホミルは、とけるによる分離とじこさいせいによる再生で、フリージオの一撃必殺の猛攻を何とか凌いでいたものであったが。それにしても、ニュアージュさん冒頭から飛ばしまくっていて、それだけ自身の家族と呼ぶ野生ポケモン達を守ってくれたアタシの力量を測りたくて仕方がないようだ。

 

 ……ならば、アタシもまた、その期待に応えるまで!

 

「マホミル! 凍り付いたひかりのかべにマジカルシャイン!! そこで反射させまくって、フリージオへとぶつけていって!!」

 

「ならば、わたくし達も参るといたしましょう。ぜったいれいどの冷気で凍らせたげんしのちからで、マホミルを攻撃してください!」

 

 本気で仕留めに掛かってきた!

 フリージオがいわタイプの技エネルギーで生成してきた、ゴツゴツとしながらも太古の力強さを思わせる立派な岩石の数々。それがフリージオの周囲を漂い始めると、自身を守る防御壁であるひかりのかべに敢えてぶつけることで、そこからの反射でより速度を高めた発出を行ってくる。

 

 だが、マホミルはそれらを頑張って避けていた。それでも分散した身体に岩石を受けて声を漏らしていくマホミルであったものだが、ぜったいれいどを受けるよりはだいぶマシだ。

 それでいて、アタシはちょうど良さそうな岩石を探していき、ふと目についた、凍り付くひかりのかべに張り付いてしまったげんしのちからの残り物を発見するなり、アタシはそれを指示していくのだ。

 

「マホミル!! あの壁に向かって、じこさいせい!!」

 

「……?」

 

 ニュアージュさんがあまりにも不思議そうにする表情を見せていく間にも、マホミルは急ぎでそれへと飛んでいってじこさいせいを行っていくと、凍り付いたひかりのかべに集結したマホミルの液状の身体が、なんと壁の形になって元通りとなってしまった。

 

 そして、アタシはそれを命じていくのだ。

 

「マジカルシャイン!! そこから、アシストパワー!!!」

 

 ひかりのかべによる縦長な姿となったマホミルは、身体の面積が伸びていた。そこから放たれたマジカルシャインは、より広範囲となってフリージオへと襲い掛かると、フリージオも自身がまとうひかりのかべでそれらを防ぎつつ、しかし光の粒による視界不良で、次にも飛んできた強大な一撃に対応することができない――

 

 回避で使ってきた、とけるによる防御上昇の効果。それらによる上昇の効果を力の源とするマホミルのアシストパワーは、次の時にも縦長の超極太ビームとなってフリージオめがけて放出された。

 

 これには思わず、ビームの先に座っていた観客達が悲鳴を上げていく。そういったエネルギーへの対処として、観客席には技ネネルギーを遮断する透明な防壁が張り巡らされていたものだから、マホミルのアシストパワーは観客に直撃するという直前で消失するように防がれていくのだが……。

 

 フリージオのひかりのかべは、技エネルギーを遮断することができない。

 雪の結晶というその身体が、少なからずの素早さであったことから、機敏な動きでこの攻撃を避けようとしていた。しかし、マホミルの超極太アシストパワーが、フリージオの動きを上回ったらしい。

 

 エスパータイプの技エネルギーに呑み込まれるその身体。ひかりのかべという自身を守る防御壁が、この最高火力の一撃をなんとか軽減していたみたいだが、ビームの中で必死に耐えるフリージオに襲い掛かる、さらなる悲劇――

 

「マホミル!! げんしのちからが凍ってくっ付いていたその岩石を、フリージオへ!!」

 

 この指示と共に、マホミルはアシストパワーの中に岩石を紛れ込ませていった。

 マホミルによって剥がされた岩石はすぐにもアシストパワーの勢いに乗り、エネルギーに呑み込まれて形も見えなくなったこの粒は、まるで襲い来る暴風によって飛ばされてきたかのようにフリージオの纏うひかりのかべに接触すると、その岩石は壁に弾かれながらも、アシストパワーで押さえ付けられて動けない状態になる。

 

 そして、ビームの勢いでぐりぐりと押されていったげんしのちからは、この割と小さな面積がよりひかりのかべを消耗させる要因となって、その部分だけにひび割れを生じさせていった。

 ピキッ、バリバリ。フリージオの視界に入るそのわずかながらの隙間から、エスパータイプの高出力エネルギーが侵出していく――

 

「フリージオ!!」

 

 ニュアージュさんの、珍しい叫び声。

 次にも、フリージオはマホミルの全開アシストパワーに巻き込まれ、観客席の防護壁に叩き付けられていった。

 

 観戦客の目の前で、それにべったりと張り付いたフリージオ。アシストパワーの勢いが弱まると共にするするっと落下をしていったフリージオは、スタジアムに落ちるなりバリンッと危ない音を立てながら地面に突っ伏していく。

 

 ……勝負がついたか。静かになったスタジアムの中で審判が様子をうかがっていくと、完全に動かなくなったフリージオから下した判断と共に、「フリージオのひんしを確認!! フリージオ、戦闘不能!!」の声で旗を振り上げていくのだ。

 

「っしゃあ!! まずは一本!! マホミル、ナイスナーイス!!」

 

 アタシは、歓喜のままにグッジョブとマホミルに親指を立てていった。

 そんなアタシからのそれに対して、マホミルは消失したひかりのかべから元の姿に戻り、早く続けて戦いたいといった具合にやる気十分な顔を見せていく。

 

 そうしてアタシらがワイワイとやっている間にも、ニュアージュさんはフリージオに労わりの言葉を掛けて、モンスターボールに戻していった。

 すぐにも、次のモンスターボールを取り出していくニュアージュさん。彼女と交わす言葉はなく、目だけで語り合うその空間……。

 

 そして、ニュアージュさんは審判を確認してから、手に持っていたモンスターボールを思い切り投げていったのだ。

 

「オウロウビレッジに吹きすさぶ、吹雪の如く! お願いします、グレイシア!」

 

 ニュアージュさんの闘志と共鳴するようにボールから出てくると、そのポケモンは地に足をつけるなり凛とした佇まいでこちらと対峙してくる。

 水色の体色を持ち、もみあげのような毛が特徴的な四足のポケモン。その見た目の愛くるしさから、アタシは「あのポケモンも初めて見る……」なんて呟きながら見惚れてしまっていたものだ。

 

 しかし、相手はジムリーダーのニュアージュさん。彼女が扱うグレイシアというポケモンもまた、フリージオと同様の凍てつく冷気をまといながら向き合ってくる。

 可愛らしい見た目とは相反する、溶けぬ氷に燃やした闘争への意気込み。マホミルと向き合うグレイシアに違反が無いことを確認した審判は、その判断で頷いていくなり旗を前に出し、そして、それを思い切り振り上げることで試合の再開を告げていくのだ――



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VSジムリーダー・ニュアージュ その2

 審判が旗を振り上げていったその瞬間にも、この試合の再開を静かに待ち続けていたアタシとニュアージュさんが一気に指示を繰り出していく。

 

「マホミル!! アシストパワー!!」

 

「グレイシア、こおりのつぶてでマホミルの攻撃動作を妨害してください!」

 

 確実にほぼ同じタイミングだったその命令。スタートダッシュは好調で、アタシは最大限まで高まったマホミルのアシストパワーで、グレイシアを一気に倒してしまおうと考えていた。

 しかし、そんな思惑とはまるで相反する事態が起こる。マホミルもやる気が十分な顔でアシストパワーの光を蓄え始めていったその瞬間にも、グレイシアは生成した氷の粒を瞬きの速度でマホミルへと飛ばしてきたのだ。

 

 ――速い!! マホミルに直撃するなりバチバチッと弾けるグレイシアのわざ。その威力自体は大したことのないものであり、マホミルがそれで致命的なダメージを負うわけでなく終わった地味な攻撃。

 だが、こちらの行動を妨害するのには、実に打って付けなわざだった。マホミルが怯んだことによってアシストパワーが不発で終わってしまうと、この隙に付け込むようグレイシアは走り出していく。

 

「グレイシア、ふぶき!」

 

 グレイシアから溢れ出す、こおりタイプの技エネルギー。それがアタシに届く距離まで一気に放出していくと、突如として現れた大量の雪による暴風。

 アタシらの視界いっぱいに広がり出した雪景色。この現象がスタジアムを駆け抜けるグレイシアの背から流れ出してくると、マホミルを確実に仕留めるべくニュアージュさんはさらなる采配を振るっていく。

 

「出し惜しみは不要ですね! グレイシア、ミラーコート!!」

 

 疾走するグレイシアの目の前に現れた、ひかりのかべとは異なる淡いピンクの透明な防壁。それが、今もマホミルへと迫り来るふぶきの技エネルギーに反応を示していくと、この瞬間にもミラーコートに伝う波紋と同時にして、受けたこおりタイプの技エネルギーを反射する形でマホミルへと攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

 アタシはすぐにも、マホミルにとけるを命じていった。その行動によってマホミルは分散し、ミラーコートの反射によるエネルギー弾は避けることができたものだったが、しかしグレイシアが纏うわざの数々に、アタシは思考をかき乱されていく。

 

 事前にもふぶきを撃っておくことで、こうして迫り来る大寒波の嵐を目に見える形で見せておく。それでいて、次第と迫ってくる高威力のわざに相手を焦らせていきながらも、ミラーコートというマホミルのわざを跳ね返してくる攻撃を敢えて晒していくことで、アタシがマホミルに攻撃させることを躊躇わせる作戦なんだ。

 

 頭では、それを理解していた。だが、それでもアタシはニュアージュさんの作戦にまんまと嵌ってしまっており、今もドクドクと胸を打ち鳴らす心臓の鼓動でより一層もの焦りを抱いていくばかり――

 

「マホミル!! マジカルシャイン!!」

 

「グレイシア、ミラーコートです!」

 

 マホミルが放つ光の粒を、グレイシアはミラーコートで跳ね返していく。その返ってきたエネルギー弾をマホミルが避けていくこの間にも、グレイシアはふぶきを連れながら颯爽とこちらへ駆けてくるのだ。

 

 と、その時にもニュアージュさんから下されたその命令――

 

「では、グレイシア。ふぶきの中に隠れてください」

 

 え?

 瞬きを一切していなかったから、アタシはグレイシアから一瞬たりとも目を離していなかった。それなのに、グレイシアは先ほどまで駆け抜けていたにも関わらず、その姿を忽然と消してマホミルの前から消えていなくなってしまったのだ。

 

 ……いや、消えたんじゃない。ニュアージュさんの言葉通りに、グレイシアは――!

 

「ヒイロ様も勘付かれたかと思われますが、わたくしのグレイシアは、特性ゆきがくれ。ゆきがくれの効果は主に、天候があられの際に発揮するものでございますが、特性というものもまた、わざと同様に応用が利くというものでございます」

 

 押し寄せていたふぶきが、まるでドラゴンの如くうごめき始めていく。

 中にいるグレイシアが操っているのだろうか。アタシらを焦らせようというゆったりとした進行から一転として、まるで意思を持った生き物がマホミルへと飛び掛かるように、一つの塊となって襲い掛かってくる目の前の光景。

 

「こうして、過酷な自然環境を乗り越えてまでしてオウロウビレッジにお越しいただいたんです。せっかくですので、生命の灯火を宿した、凍てつく氷のポケモン達が織り成す優美な舞いを、ご覧になっていってくださいね」

 

「マ、マホミルっ!! アシストパワーっっ!!!」

 

 横殴りのふぶき。拳のような、竜の頭のような、ただ間違いなく雪の現象ではない滑らかな動きでマホミルを横から襲い掛かった、生ける暴風雪。

 わざと、特性のコンビネーション。ゆきがくれで姿を消したことにより、本体を攻撃しようにもその居場所を認識することができない。

 

 だから、アタシはアシストパワーの超高出力エネルギーで一気に吹き飛ばそうと考えた。そうして命じた攻撃技にマホミルが渾身の一撃をふぶきへと解き放っていくのだが、なんと、そのふぶきは本当に生きているような滑らかな動きで、アシストパワーのビームを回避してきたのだ。

 

 中にグレイシアが入っているから!? アタシが圧倒されて思考停止してしまったこの瞬間にも、アシストパワーを放ち続けるマホミルの姿を呑み込むように、ふぶきは横から降りかかる。

 本体が攻撃を受けたことで失せていく、アシストパワーのビーム。そのビームが放たれていた一直線を沿うようにふぶきが通り抜けていくと、次にもふぶきが去った場所で倒れ込んでいたマホミルの姿。

 

 こおり状態となったマホミルが、ひんしとなって凍り付いていた。

 ――抱くことさえも叶わない、無情にも変わり果てたマホミルの姿。仕留め切ったことを確信していたのだろうグレイシアもまた、ふぶきを解除して本体を露わにしていく。

 

 そして、グレイシアは凛とした様子でニュアージュさんの前で佇んでいた。

 ……停滞した試合の流れ。審判もまたマホミルの状態を目でしっかりと確認するなり、「マホミルのひんしを確認!! マホミル、戦闘不能!!」と下していったのだ。

 

 あっという間に、一体目がやられてしまった。フリージオとの戦いで活躍してくれたマホミルが、こうもあっさりと――

 

「マホミル、ありがと。……ボールの中は温かいのか分からないけど、今は凍えた身体を休めていってほしいな」

 

 凍り付いたマホミルを、モンスターボールに戻していく。

 ……この声が、マホミルに届いていたのかは分からない。ただ、最後まで戦ってくれたにも関わらず、その感謝の気持ちが本人に届いていないかもしれないと思うと、それだけで本人の頑張りがまるで無くなったかのような虚しささえも感じられてしまって、アタシは言葉にできない感情を抱いてしまう。

 

 ――だからこそ、マホミルが繋げてくれたこのバトンを、アタシ達は絶対に無駄になんかしたくない……。

 

「お願い!! ロコン!!」

 

 次に繰り出していったのは、新メンバーのロコン。相手のグレイシアもおそらくはこおり単タイプだろうと睨んでいたところでの、まさかの同じタイプ同士の対決へと持ち込んでいくアタシ。

 

 ロコンが場に登場するなり降り出した、オウロウビレッジジムにのみ発生したあられの粒。アタシのロコンに限らない話であるのだが、ゆきふらしといった、天候を上書きさせる特性を持つポケモンは、闘争を認識するとその感情の昂りを引き金として、自身の頭上にこういった現象を自然発生させていく能力を持っている。

 

 こうして、しとしとと、しかしパラパラと音を立ててスタジアムに落ち始めたあられの光景。それを受けたニュアージュさんは、水を得た魚のように両手を軽く上げて、まるで恵みとも見て取れる様子であられを肌身で感じていく。

 

 ――そして、ニュアージュさんは、アタシのロコンを待ち望んでいたかのような瞳を向けてくるのだ。

 

「ニュアージュさん。アタシ、ジムに挑むまでの二日間でロコンを磨き上げてきたんだから。……こおりタイプのエキスパートとして、アタシのロコンをしっかりと目に焼き付けていってよね!」

 

「ふふふ、ヒイロ様の采配で、ロコンがどのような戦いを披露なされるのかが楽しみで仕方がありません。――さぁ、早く始めましょう?」

 

 待ち切れない。ニュアージュさんの静かなる闘志が、目と声音として現れていたのだろう。

 審判へと向けられた、高貴なるお嬢様とは言い難い闘争にまみれた催促の視線。強く訴えかけてくるそれを受けた審判は若干と意外そうにして唆されながら、アタシのロコンに不正がないことを確認するなり手に持つ旗を上げて、試合の再開を合図していったのだ。

 

 ――振り上げられた審判の旗。

 それと同時に命令を出していく、アタシとニュアージュさん。あられが降る天候の中、まるで思考がシンクロしたかのように同じわざを口にしていくのだ。

 

「ロコン!! ふぶき!!」

 

「グレイシア! ふぶきです!」

 

 双方の陣営から猛烈な勢いで吹き出した暴風雪。あられという天候で威力も速度も増した強力な攻撃が繰り出されていくと、発生した二つのふぶきがスタジアム全体を真白に染め上げ、いつしかのオオチョウ山の積雪が目立っていたあの地帯の如く、一気に視界が不良となっていく。

 

 ぶつかり合うふぶきのエネルギー。雪に埋まった鈍くも水分を含んだ音がありとあらゆる場所から響き出してくると、アタシもニュアージュさんも共に有利となるこの状況において、より自身らが勝利へと近付くための次なる一手を指示するのだ。

 

「ロコン! フリーズドライでグレイシアの居場所を探って!! 見つけ次第に、ムーンフォース!!」

 

「グレイシアは、ミラーコートでロコンのふぶきを押し出していってください。それから、シャドーボールの黒き照明でふぶきの中を照らし、あたかもそこにグレイシアが潜んでいるよう影を生成して惑わす戦法でいきましょう。――猛吹雪の中で出くわす正体不明の陰りに、貴女様はどこまで対抗することができるのでしょうか。ウフフフ……」

 

 ロコンのフリーズドライが周囲に巡り出すと、少なくともつい先ほどまでは居ただろうグレイシアの位置を氷漬けにしていく。

 だが、手応えは無い。あらゆる位置から、彷徨う魂のように発生し始めたシャドーボールの灯りから見るに、グレイシアは特性のゆきがくれで姿をくらましつつ、今もロコンの居場所を一方的に捉えながら着実と場を整えてきている。

 

 天候のあられも相まって、グレイシアはより有利な局面へと差し掛かっていたものだろう。アタシはふぶきの中から見えてくるいくつもの影に向かって、ロコンにムーンフォースを撃たせていった。……しかし、それは飽くまでも、幻影にも満たないただの影に過ぎないものだった。

 あのシャドーボール、アタシのロコンが迂闊に動いた際にも接触するように設置している罠というわけではなさそうだ。今も、ふぶきの中で不気味と揺らめくシャドーボールの灯りからはグレイシアと思しき影が量産されており、それがまるで、本当にグレイシアが迫ってきているように見えてくるものだから、アタシはこれに惑わされないよう目を凝らしながら状況をうかがっていくのだ。

 

 そう、少なくとも視界の中にある四つのシャドーボールの全てから、その球体から生まれてくるよう歩み寄ってくるグレイシアの影たち。それが本当に歩いているような揺らめきで段々と陰りが大きくなっていき、そして、ロコンにそのフェイクへとムーンフォースを撃たせることで、そのわざの隙を突くようにグレイシアが攻撃を仕掛けてくるという戦法なのだろう。

 

 ――どうする、アタシ。完全に不利を背負った今の状況でできること。

 必死に巡らせていく思考の数々。四つ覚えているわざと、ゆきふらしという特性をうまく利用した戦術でグレイシアを翻弄することができなければ、この戦いもロコンを打ち負かされて終わりになってしまうかもしれない……!

 

 ……シャドーボールで、影を生成している……。

 

「……それなら! ロコン! あなたも、ムーンフォースでシャドーボールのように周囲を照らしていって!! きっと、ムーンフォースの光で本物のグレイシアの姿が照らされるはず!!」

 

 アタシの指示と共にして、ロコンはムーンフォースを張り巡らせるように周囲へとばら撒いていった。

 洗練されたグレイシアのシャドーボール戦法が、お手本のように目の前に存在しているのだ。これを再現するのには、それほど苦労もしなかったのだろう。ロコンはアタシの思惑通りの働きをすると、ロコンが放っていったムーンフォースの数々もまた、妖しい輝きでふぶきの中を照らす照明となることで視界が少し開けてくるのだ。

 

 そして、ちょうどムーンフォースの攻撃の隙を突こうとしていたのだろうか。ロコンのすぐ傍まで迫ってきていたグレイシアが自身の姿を照らされると、見つかった焦りと共に急接近を果たしてその攻撃を仕掛けてきた。

 

「グレイシア! 慌てないでください! トリプルアクセルではなくシャドーボールを――」

 

「ロコン!! オーロラベール!!」

 

 飛び出すグレイシアによる、四足から繰り出された滑らかな蹴り攻撃。三連続にもなる接触技で奇襲を試みたグレイシアであったのだが、そのこうかがいまひとつな攻撃を、ロコンは美しき白色や赤緑色の光による防壁でよりダメージを軽減させて、耐えていく。

 

 そして、正体を現したグレイシアが、焦りからなる冷や汗を流していく様相をしっかりと捉えていくと、アタシは怒涛の攻めへと転じるようロコンの采配を振るっていくのだ。

 

「ムーンフォース!!! ひたすら連打して!!!」

 

 至近距離からぶつけられた、ロコンによるムーンフォース。ロコンから発射された淡いピンクの輝きがグレイシアに直撃すると、グレイシアはそれに吹っ飛ばされて自身のシャドーボールと衝突していく。

 

 衝突と同時に爆散するシャドーボールの暗闇。それがグレイシアの周囲に漂うことで相手の視界を奪うことに成功すると、そこへとさらなるムーンフォースを発射していくことで、グレイシアをふぶきの中で転がすように押し出していく。

 

 だが、さすがはジムリーダーが育成したポケモンとでも言うべきか。自身らの戦術を即興で真似られてもなおその戦意は挫けることなく、ニュアージュさんはグレイシアへとそれを命じていくのだ。

 

「グレイシア! ふぶきで身を守ってください!」

 

 ニュアージュさんの指示によって、グレイシアは体勢を立て直すとすぐにもふぶきを繰り出して、ロコンからの攻撃から身を守るべく自身の周囲に暴風雪の防護壁を生成していく。

 現在もシャドーボールの暗闇が視界を覆う劣勢の中で、グレイシアは冷静にふぶきを纏っていった。――グレイシアを中心とした、あられによるブーストがかかった強力なふぶきの渦。おそらくマホミルやサイホーンで戦っている際にこのふぶきで身を守られてしまっていたら、きっと勝利からはだいぶ遠のいてしまっていたかもしれない。

 

「ロコン!! ふぶき!!」

 

 ロコンからも繰り出していく、同じく強力な猛吹雪の波。それがグレイシアのふぶきへと襲い掛かると、アタシのロコンとニュアージュさんのグレイシアのふぶきがぶつかり合う、荒ぶる真白による攻防戦が繰り広げられていった。

 

 技エネルギーに対して、技エネルギーを暴力的に叩き付けていく光景。徐々にグレイシアのふぶきの防護壁が削られていく戦況に、ニュアージュさんがグレイシアにエールを送る働きかけを行ってくる。

 

「グレイシア! この攻撃を耐え凌げば、わたくし達の勝利が目前となります! 最後の最後まで諦めずに、今までの訓練で培ってきた力を存分に発揮してくださいませ!!」

 

「ロコン!!! あなたならできる!!! 絶対にできるって、アタシ知ってるんだから!! ――だから、ロコンはアタシのことを信じて、自分の力を振り絞っていって!!!」

 

 ある日突然と姿を現しては、仲間達が瀕していた命の危機から皆を救うべく共に奮闘した、自分の憧れの存在――

 

 目を見開くロコン。カッとした目つきで、残るすべての気合いを注入したやる気十二分な様で自身の能力を振り絞っていくと、ロコンのふぶきはグレイシアの防護壁にヒビをつくり、そして……。

 

 決壊するふぶきの壁。雪と雪が衝突することで砕け散ったような、鈍くこもった音。その短くも大きな音と共に姿が露わとなったグレイシアは、次にも視界いっぱいに広がったロコンのふぶきを前にするなり、迸った緊張で目を丸くして、それを被るように浴びながらスタジアムの壁まで吹き飛ばされていったのだ――



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VSジムリーダー・ニュアージュ その3

「グレイシアのひんしを確認!! グレイシア、戦闘不能!!」

 

 審判の判断によって、アタシはリーチをかけることができた。

 これには思わずと、アタシは喜びのままにロコンの下へと駆け出してしまった。ロコンはロコンで、褒めて褒めてという物欲しそうな顔をしながら、尻尾を振ってアタシへと振り向いてくる。

 

 だから、アタシはロコンを抱き上げてめちゃくちゃ褒めてあげた!

 

「すごいよロコン!!! あぁぁあ、本当にありがと!!! よくやったね!! よしよしよしよし!!!」

 

 情熱的に撫でまくるアタシのそれに、ロコンはものすごく大喜びでこちらの顔をベロベロと舐めてきた。

 うぉ、でろでろ……。中継が繋がっているカメラにしっかりと収められたアタシのでろでろな顔は、たぶん今もシナノ地方全域に放映されているのかもしれない。

 

 そんなアタシらの様子とは裏腹に、ニュアージュさんは壁まで歩いていってグレイシアを慰めるように撫でていってから、ふぶきによってボロボロになった身体をモンスターボールに収めてあげ、アタシへと向き直ってくる。

 

 そして、自身の立ち位置へと戻る足取りの最中に、ニュアージュさんはアタシへとその言葉を掛けてきたのだ。

 

「お見事でございます。こちらのグレイシアを突破されることは滅多にございませんので、わたくし自身、今は驚きに満ち溢れておりますし、何よりも、こおりタイプのポケモンの実力をこれほどまでに引き出すことができるヒイロ様の、トレーナーとしての素質にわたくしは大変驚かされました。……もしや、実はご実家がこおりタイプのポケモンを調教していたりしますー?」

 

「ん、いやいや! んーでも、実家はポケモン研究所だし、パパはジョウダシティのポケモン博士だから、まぁ……DNAかなんかで、ポケモンのことが何となく分かるのかな。たぶん」

 

「まぁ! ご実家はポケモン研究所! わたくしも何度かそちらに顔を出しに赴いたことがあるのですが、ジョウダポケモン研究所は研究員の皆さまがとても朗らかで、ちょっと堅苦しい雰囲気のある研究所とは思えないほどの、すごく親しみを持てる皆さんのお人柄に好感を持てていたんですー! なるほどですね」

 

 なにが、なるほどなんだろう。ニュアージュさんの独特なペースに、アタシは呑み込まれかけたものだ。

 だが、そんな話をしていると審判から、「チャレンジャー、ジムリーダー。両者、位置に戻って」と冷静に言われてしまったため、アタシとニュアージュさんは慌てて走り出して自身らの立ち位置へと急いでいく。

 

 と、その途中にもアタシは、ついでと言わんばかりに審判へ申告した。

 

「審判さん。アタシ、このままポケモン交代していい?」

 

「ポケモンの交代は、各選手につき一度のみ可能というルールがある。チャレンジャーはその権利を未使用であることが確認されているので、この試合におけるポケモンの交代は、チャレンジャーの自由なタイミングで行うことができる。――今ここで交代をすれば、チャレンジャーはこの試合における交代の権利を失うことになるが、それでもいいのか?」

 

「うん、大丈夫」

 

「では、手持ちのポケモンをモンスターボールにしまって、立ち位置に戻るように。なお、ジムチャレンジの公式ルールにも書いてあるが、今回の試合における使用ポケモンは合計で三体までであり、チャレンジャーはこれで合計三体目となるポケモンを出すことになる。その際の注意点として、次に繰り出すポケモンがひんしとなった場合、チャレンジャーはそのロコン以外となる、交代をした際に引っ込めたポケモン以外の、合計四体目にあたる新しいポケモンを繰り出した時点で、合計三体までというルールの違反に該当してしまうからな。これが確認されたら即失格となるため、厳重な注意を払うように」

 

「おっけー。……ロコン、ありがとね。次の出番に備えて、今は身体をゆっくり休めていってね」

 

 アタシはそう言ってモンスターボールをかざし、抱き抱えたロコンをボールに戻して立ち位置へと向かっていった。

 

 ――再び向き合った、ニュアージュさんとの対峙。つい先ほどまで他愛のない会話をしていたとは思えないほどの緊張感が巡ってくると、アタシはこの温度差に重苦しくさえ思えてきてしまえる。

 だが、ここでそう易々と負けるわけにはいかない。何せ、アタシが最初に勝利へのリーチをかけることができた上に、ロコンはまだまだ体力が十分有り余った状態でスタンバイしている。勝てる可能性が大いに見込めるこの場面だからこそ、アタシはそれに近付くべく気を引き締めて、ニュアージュさんの最後のポケモンへと臨んでいかなければ……!

 

 ……あと、アタシは勝利をより自分の物にするべく、ある思惑を以てしてポケモンの交代を行っていた。

 確かに、ロコンを休ませる目的としても、この交代には十分な効果があったかもしれない。だが、本質はそれと異なっていたことも事実だったし、これはれっきとした、戦術的な意味合いでの交代だったからこそ、アタシはこうして自分に自信を持つことができていたというもの。

 

 パラパラと振り続けるあられの天候。それでいて、現在も未だアタシの目の前で鮮やかに迸る、白色と赤緑色の綺麗なオーロラ……。

 オーロラベールは、ロコンがいなくなっても残り続けるわざだ。つまり、オーロラベールが残ってくれている限りは、もし弱点となる攻撃を受けたとしても、そのダメージを少し軽減させながら戦うことができる。

 

 だからこそ、この交代はすごく重要なことだった。

 アタシのサイホーンは、こおりタイプのポケモンの弱点を突くことができる。でもって、じめんタイプを有するサイホーンと、こおりタイプのポケモンという組み合わせは、互いに有利と不利を抱え込んだ、どちらが先に弱点を突いて倒すかの真っ向勝負となる相性でもあった。

 

 ニュアージュさんというこおりタイプのスペシャリスト相手に、真正面から殴り合っても勝機は薄い。むしろ、それが負けに繋がる可能性の方が大いにあり得る。そう考えたアタシは前日にも、ロコンのオーロラベールをサイホーンへと託す戦術を思い付いて、今に至るというわけだった。

 

 とは言っても、オーロラの防護壁があろうとも決して安心はできない。これは所謂、オーロラベールが消えるまでの勝負でもあったから。

 だから、この戦いをサイホーンで制する場合は、何としてでもオーロラベールの効果時間内で決着をつけないといけない――!!

 

「両者、ポケモンを!!」

 

 審判からの合図。残るは一体のみというニュアージュさんがモンスターボールを取り出していくと、アタシもまた握り締めたモンスターボールを構えいく。

 そして、ほぼ同じタイミングでそれらが投げつけられると、次にも互いのエースとなるポケモン達が、勝利への意気込みのままにスタジアムへと降り立つのだ――

 

「サイホーン!! お願いッ!!」

 

「わたくしと共に、最後の最後まで参りましょう! お願いいたします、ユキメノコ!」

 

 スタジアムに着地するなり、あられが降るフィールドに砂埃を巻き上げていくサイホーン。その紅の瞳が闘志を燃やして、目の前の相手を捉えていく。だが、サイホーンが向けた視線の先にて、あられと同化するようボウッと浮いていた一つの存在感がこちらを優雅に見遣っていた。

 

 白い振袖のような腕が頭部に生えた、雪女を想起させる人型に近しいニュアージュさんのポケモン。三体目として繰り出してきたユキメノコというそれは、女々しい笑みを見せてく可憐な様とは裏腹に、この世ならざる不可思議な魅力さえも感じられて、雪山であれにいざなわれてしまえば最後だろうとさえ思えてきてしまう。

 

 見るからに、こおりタイプとゴーストタイプの複合タイプ持ちだろうか。それに、浮いているから多分、特性はふゆう……?

 アタシは、またしても初めて見るポケモンに若干と気持ちで押されてしまいながらも、自分の直感を信じてこの場と向き合っていく。

 

 そして、勝利へとリーチをかけたアタシの、ニュアージュさん最後のポケモンとのバトルが開始となる。

 審判が振り上げた再開の合図。これと同時にしてアタシとニュアージュさんが指示を繰り出していくと、次にも展開されたのは、こおりタイプのエキスパートであるニュアージュさんの鮮やかな戦術であった。

 

「サイホーン!! ロックブラスト!!」

 

「ユキメノコ。ふぶきと、たたりめです。ヒイロ様はオーロラベールをサイホーンへと託して参りました。このままではわたくし達が不利でありますから、オーロラベールの効果時間が切れるまで、ヒイロ様達を惑わして時間を稼ぐといたしましょう」

 

 優雅なるユキメノコへと指示するニュアージュさんもまた、その主に相応しき高貴な余裕を以てして命令を下していくその様子。

 アタシのサイホーンが複数もの岩石をユキメノコへと飛ばしていく中で、ユキメノコは自身の足元から、上空へ向けてふぶきを放っていく。その威力はロコンのゆきふらしによるあられの天候で強化されており、突如として巻き起こった暴風雪の壁がユキメノコを覆うことでロックブラストを打ち消してしまうのだ。

 

 グレイシアの時にもされた、ふぶきの防護壁……! サイホーンのわざのレパートリーでは、あれを打ち破るのは至難の業とも言えるかもしれない……!

 さらに、そのふぶきに浮き上がり始めた、雪山に住み着いた亡霊の如き巨大な影。ユキメノコの振袖らしき両腕がふぶきに広まると、それはスタジアムを覆い被さるようにサイホーンへと襲い掛かってきたのだ。

 

「ドリルライナーの機動力で避けて!!」

 

「ユキメノコ、ウェザーボールで妨害してください」

 

 ニュアージュさんの指示と同時にして、たたりめの影が立体となって両手を合わせていく。

 そこから生成された、天候あられによって属性を変化させたこおりタイプの球体。巨大なたたりめの影から生み出されたという影響もあってか、ウェザーボールのそれもたたりめの影に見劣りしないほどの大きなエネルギー弾となって現れると、ドリルライナーの回転力を帯びたサイホーンへと発出するように放って攻撃を仕掛けてくるのだ。

 

 剛速球とも言えるその速度。サイホーンはそれを紙一重でなんとか避けていくのだが、こうしてウェザーボールに気を取られていた間にも、迫る影が両腕を振りかぶるなり、サイホーンを叩き潰そうと力強く振り下ろしてくる。

 陰りに染まるサイホーン。間に合わないと言わんばかりに顔を上げたサイホーンがたたりめに叩き潰されると、その衝撃が地鳴りとなってスタジアム全体を揺るがしてくるのだ。

 

「サイホーンっ!!」

 

 あれは、ただのゴーストタイプのわざじゃない。たたりめというゴーストタイプの技エネルギーを、ふぶきという水分を含んだ質量をまとうことで、実体となった影そのもので殴りに来ている超広範囲攻撃……!!

 オーロラベールをまとうサイホーンは、鮮やかな輝きに守られながらも衝撃で吹き飛ばされてしまい、フィールドの壁にぶつかって叩き付けられていく。それを目で追ったアタシが心配をかけていく間にも、ユキメノコの巨大な影の後ろでは、ニュアージュさんが氷のような冷徹な目を向けながらそれを口にしてきた。

 

「ヒイロ様。わたくしとしましては、わたくしの家族を救ってくださった御恩から、貴女様を勝たせたいお気持ちで胸がいっぱいなのでございます。しかし、わたくしには、わたくしの立場というものがございまして。――恩を仇で返すようで、たいへん心苦しくはありますが、わたくしは現在、本気でヒイロ様を負かすべくこの決闘に臨んでおります。……お覚悟は、よろしいですね?」

 

 差し伸べられる、ニュアージュさんの手。それと共にユキメノコがふぶきで自身をさらに巨大化させていくと、たたりめの影もまた更なる大きさへと膨れ上がっていって、両腕を掲げてからサイホーンめがけてそれを振り下ろしていく。

 

「ウェザーボール」

 

 広げられた影の両手に生成される、こおりタイプの球体。それが大量に現れると、弾幕となってサイホーンへと降り注がれる。

 アタシは、サイホーンにドリルライナーを命じてその場からの退避を指示していった。サイホーンもアタシの指示通りに、回転力で重戦車らしからぬ高速の移動で動き出していくのだが、降り注ぐウェザーボールを回避しながら突き進むその先に、振り下ろされた影の両手が襲い掛かる――

 

「ふぶきでサイホーンを閉じ込めてください」

 

 サイホーンの目の前で叩き付けられた、たたりめの影。この衝撃がまたしても地面を伝ってスタジアムを揺るがしていくと、その手からブワッと広がるように一気に拡散したふぶきの技エネルギーが、サイホーンの周囲を巡るように吹き荒れ始めていく。

 

 逃げられない……!!

 猛吹雪の渦に閉じ込められたサイホーン。アタシは「ロックブラストとすてみタックルで突破して!!」と指示していくのだが、そうして繰り出されたサイホーンのわざの数々は、ふぶきを打ち破ることすらもかなわない。

 

 オーロラベールの効果時間が無くなってしまう――!

 アタシは必死になっていた。「ロックブラストの技エネルギーをまといながら、ドリルライナー!!」というサイホーンが成せる限りの高威力をそのふぶきへとぶつけていくのだが、しかし、あられの天候で強力なエネルギーを有していたふぶきの層を突破することができず、このままでは何もできずにサイホーンがやられてしまうと危惧していた。

 

 そして、そんなアタシらに無慈悲な追撃を命令してくるニュアージュさん――

 

「どうやら、サイホーンに成す術が無いようですね。でしたら、ここで早期の決着をつけてしまいましょう。ユキメノコ、ウェザーボール」

 

 閉じ込められたサイホーンの上空に添えられる、たたりめの影。両手を広げるようにその闇のエネルギーがパッと開かれると、そこから生成されては、塊となってボトボトと落とされる大量のウェザーボールがサイホーンへと降りかかる。

 

 塊というにも大きすぎる、あまりにも強大な力を注がれた巨大な雪玉。それを一発食らっただけでもタダでは済まないだろうそれを、サイホーンを閉じ込めるふぶきの囲いを埋め尽くす量で放出してくる慈悲の無い攻撃。

 

「サイホーン!!! 抜け出して!!! あれに押し潰されたら、いくらあなたでも――!!!」

 

 アタシの悲痛な叫びは、巨大なウェザーボールが大地を打ち付ける音で掻き消されていく。

 ――まるで雪崩の如くドカドカと轟音を立てていく、ふぶきの囲いの中。音だけ聞けば、オンタケ山の一部で土砂崩れでも起きたんじゃないかとでも錯覚するほどの勢いと音に、アタシは自分の無力さをも痛感しながら、ただ、サイホーンのいた場所へと手を伸ばすことしかできずにいた。

 

 ……アタシのサイホーンには、周囲のポケモンを圧倒することができる程度のポテンシャルが秘められていると、自負できる。

 でも、アタシはそんなサイホーンのことを、上手く活かすことができていないとも思えていた。

 

 ごめんなさい、サイホーン。アタシが未熟なばかりに、あなたの力を上手く引き出すことができなくて――!!

 

「サイホーン…………っ」

 

 成す術が無かった。アタシは、巨大なウェザーボールで押し潰されたサイホーンの姿へと、手を伸ばすことしかできない。

 オーロラベールをまとったその身で受けた大ダメージ。弱点であるエネルギーを、大きな力で何度も何度も打ち付けられたその傷は、おそらく命に関わる致命傷ともなり得たかもしれない。

 

 ……だが、それでも雪玉を押し退けてモゾッと起き上がるその雄姿。

 ボロボロとなった身体で、何とか起き上がるサイホーン。今にも倒れてしまいそうな震える足でひんしじゃないことを審判にアピールしていき、大ダメージによる痛々しい表情を見せながらも、未だふぶきとたたりめによる巨大化したユキメノコへと向いていくのだ。

 

 でもって、その身体が鋼の色に光り出す。

 メタルバースト……!! 攻撃を食らうことを予期して、直前にも仕込んでおいたのだろう反撃の一撃。それを体内から放ち始めていくと、サイホーンは今ある限りの力を振り絞るように、暴風雪を身に纏うユキメノコへとそれを放出していったのだ。

 

 目に見えない速度。加えられたダメージでよりエネルギーが増した、回避不可能の鋼の彗星。

 それがユキメノコの暴風雪に直撃すると、その着弾点から一気に拡散するよう鋼が広がり始め、そして、甲高い金属の音と共に、弾けるように巨大化したユキメノコを散り散りに吹き飛ばしていく。

 

 やった…………!!! あの一撃を食らえば、ユキメノコは絶対に倒れる!

 確信と共に小さくガッツポーズをしたアタシ。絶望から一転とした僅かながらの希望の到来に、アタシは低迷した気分による表情を晴れやかとした――

 

 ――のだったが、その次にも見た光景によって、アタシは再度と絶望へと叩き落されることとなったのだ。

 

 メタルバーストによって、跡形も無く吹き飛んだふぶきの壁。鋼の色と共にスタジアムの中を舞う雪の白色が幻想的に降り注ぐ中、そこから優雅に舞い降りたユキメノコの姿……。

 あのメタルバーストが炸裂した部分は、あくまでユキメノコが纏っていただけのふぶきの層に過ぎなかったということか――!!!

 

「ユキメノコ、ふぶき」

 

 ニュアージュさんの冷酷な命令。伸ばされた彼女の手と共に、ユキメノコは自身の後方からすべてを呑み込むふぶきを生成して、サイホーンへと繰り出していく。

 アタシはサイホーンに、ドリルライナーでそれを突っ切るよう指示していった。だが、すでに身体がボロボロとなったサイホーンは、ドリルライナーを繰り出そうと一歩足を踏み込んだ時にもよろけてしまう。

 

 痛々しい顔を見せ、己の限界をアタシへと知らせてくるサイホーンの最後の姿。

 同時にして、サイホーンの身体を覆うオーロラベールが、効果時間を過ぎたことで消え失せていくその様子。

 

 あらゆる絶望を含んだ眼前の光景に、アタシは絶句した。

 ――塗り潰された目の前の白色と、粉のような白い粒が力強く打ち付けてくるこの衝撃。自身の全身でもそれをひしひしと受けながら、あの背を見遣るこの視界はふぶきによって満たされる。

 

 少しして、真白へと染まった猛吹雪の中に迸る、一つの眩い光。奥底に秘めし無限なるパワーさえも感じ取ることができたそれをふぶきの中で見出すと、これ以上もの攻撃は生死に関わるだろうという考えだろうか、ふぶきの威力を弱めてきたユキメノコのそれが薄れていくと共に明かされる大きなシルエット――

 

 ――サイホーンのいた場所には、縦に伸びた大きな背が存在していた。

 その体色もサイホーンと酷似しており、しかしトゲトゲであった全身の様子から一転、より頑丈な体格となった二足歩行という形で立ち上がる、様変わりしたその風貌……。

 

 いや、違う。様変わりとか、そんな次元の変化じゃない――!

 

「サイ、ホーン…………?」

 

 アタシは、おそるおそると訊ねるように声を掛けていった。

 

 前方では、驚きで口元を押さえていたニュアージュさんの姿。ユキメノコもまた意外そうな顔をして“それ”を見遣っていたものであり、アタシもまた、覗き込むように様子をうかがっていく。

 

 と、こちらの声に反応するように、“それ”は振り返るように顔を見せてきた。

 

「…………ッ」

 

 ……身体の構造の問題で、今まではこんなに早く振り向くことができなかったのに。

 成長したね。母性本能なのかどうか分からないけれど、ようやくと追い付いた理解とリンクするように“それ”の頼れる背中を見るなり、アタシはボロボロと涙を零しながらその言葉を口にしていったのだ。

 

「……なにさ、急にもっとたくましくなっちゃって。こんな大事な場面でさ、『もうダメだ』ってアタシの気持ちを裏切るような形で進化なんかしちゃって……っ!!! ――おめでとう。これからは、あなたのことを『サイドン』って呼ばなきゃね……!!!」



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VSジムリーダー・ニュアージュ その4

 二足歩行という立ち上がった姿で、よりたくましく佇む一つの大きな背中。四足であった時の見下ろしていたアタシの視線は、見上げるように“それ”の顔を眺めていく。

 

 サイホーンの進化系である、『サイドン』。ユキメノコのふぶきに呑み込まれたことで進化を果たしたアタシのエースは、こちらに振り返るクールな様相を再びとユキメノコへと向けていき、二足の足で姿勢を低くするような構えで戦闘態勢へと移っていくのだ。

 

 突如の進化によって、スタジアム中がざわつく事態となったこの現象。実況と解説も大いに盛り上がる驚愕と歓喜の音声がガンガンと響いており、これには審判もサイドンにばかり注目してしまって注目の的となるその雄姿。

 

 だが、状況で言えば現在もまさに試合の途中であり、戦闘中の進化も多くはないにしても珍しいことではないだろう。

 とは言え、絶望的な状況からの進化というドラマ性が、少なからずの心を揺さぶったとも言えるのかもしれない。この時にもサイドンへと投げ掛けられた熱狂的な声援がスタジアムに響き渡りはじめ、会場のボルテージも最高潮へと昂った勢いのままに、アタシらは快進撃へと乗り出していく――!!

 

「サイドン!! ロックブラスト!!」

 

 今、アタシとサイドンには会場のみんながついていてくれている。

 この背を押す、団結したサイドンコールの声援と共に指示したそのわざで、サイドンは手元に生成したロックブラストの岩石を投げつけるべく振りかぶっていくのだ。

 

 だが、ニュアージュさんも会場の熱意に圧倒されない。観戦する多くの者達から放たれる熱狂的な興奮が、こおりタイプさえも溶かすんじゃないかという勢いでガンガンと響き渡るこの空間にて、ニュアージュさんは冷静さを保ちながらユキメノコへと命令を下す。

 

「ユキメノコ! ふぶきでサイドンのロックブラストを相殺なさってください!」

 

 ユキメノコの背後から押し寄せる巨大な寒波。暴風雪が束となってサイドンへと襲い掛かるが、これを前にしても一向に怯まないサイドンは、生成した岩石をサイドスローのように投げつけることでロックブラストを繰り出していったのだ。

 

 しかも、速い――!! サイホーンの時のロックブラストとは桁違いとなる速度から放たれた、剛速球の一撃。それはふぶきがユキメノコを覆う前にも本体に到達する勢いであり、弱点となる攻撃を食らったユキメノコが怯んでよろけていく。

 そこへ、サイドンは両手を前へと突き出して、その中心から次々とロックブラストの岩石を連射し始めていくのだ。

 

 重戦車のような素の機動力に対して、やっていることが連射のできる大砲か何かか。むしろ、今までの姿がこの子本来のポテンシャルを閉じ込めてしまっていたとでも言えるのかもしれない。

 次々と繰り出されるロックブラストを数発と受けたユキメノコは、その仰け反りを利用してふぶきの中へと紛れると、先のグレイシアの如く姿を消してふぶきの波へと逃げ延びていく。

 

 ユキメノコ、最初に見た時からふゆうだと思っていたけれど、あの様子を見るにグレイシアと同じ特性の、ゆきがくれってやつっぽいな――

 

「――ってことが分かれば! サイドン!! ドリルライナーで接近して距離を詰めて!!」

 

 無効化にされないことが分かったじめんタイプで特攻を指示すると、アタシのそれをトリガーにして回転力をまとっていくサイドン。

 周囲に渦巻くじめんタイプの技エネルギーを蓄えつつ、前屈みとなるサイドンの姿勢。移動を命じたけれど、今から何をするつもりなんだろう。アタシが不思議に思いながらもそれを見ていること数秒後、その瞬間にもサイドンは低空のジャンプと共にドリルのように回転をしながら、技エネルギーの勢いで地面擦れ擦れを飛ぶことで、一直線の軌道を描きながらユキメノコへと接近を始めたのだ。

 

 うわ! 豪快!!

 見ているだけでもワクワクしてくる、破壊と機動の両方を身につけた動ける重戦車! 真っ直ぐにしか行けないのだろう単調な動きこそは、まだまだその図体にサイドン自身が慣れていない様子をうかがわせる。だが、進化したことで爆上げとなった戦闘力から繰り出される突撃は、たとえジムリーダーのエースポケモンであろうとも、止められまい……!!

 

「ユキメノコ、ウェザーボールで食い止めてください!!」

 

 ニュアージュさんの指示によって、ふぶきから放たれる無数ものウェザーボール。未だあられが降る天候の中で、サイドンの弱点となる効果を以てして発射されたウェザーボールだったが、回転する巨体に直撃するなりそれは粉々に粉砕され、サイドンはその直進を止めることなく突き進み続けていく。

 

 弱点で攻撃したのに、それを弾かれるだなんて。少し驚いたという顔をしたニュアージュさんが、すぐさま次の攻撃を命令した。

 

「でしたら、ふぶきにたたりめを行い、巨大な影となってサイドンを押さえ付けてください!」

 

「ロックブラストで阻止してッ!!!」

 

 たたりめの技エネルギーを、ふぶきの中に浸透させていくユキメノコ。だが直後にも、回転しながらもサイドンはツノの先端に岩石を生成し、一直線と飛んでいく現在の体勢で、さらに真っ直ぐと飛ぶ複数からなる剛速球をふぶきへとかましていくのだ。

 

 ロックブラストの一撃一撃で、ふぶきが粉々となって飛散していく。これがユキメノコに当たることは無かったものだが、少なくともたたりめの影による巨大化を食い止めるキッカケとなって、ユキメノコは思うようにサイドンの行動を阻止することができずにいた様子だった。

 

 そこへ、アタシはさらなる追撃をかます。

 

「10まんボルトでふぶきの中を探って!!」

 

「サイドンに、特殊技を……!? 想定外ですね! ユキメノコ、まもる!」

 

 回転するサイドンはピタリと止まり、着地で地面を滑りながら首を思い切り振って、ツノの先から10まんボルトを繰り出していく。

 想定していないサイドンからの攻撃に、ニュアージュさんは守りの一手で対抗してきた。この電流はすぐにもユキメノコの位置を断定することができ、まもるの透明な結界で攻撃を防いでいく様子がしっかりとうかがえる。

 

 ……ついさっきまでは、あのふぶきの防護壁さえも突破することができなかった。でも、今であればそれも容易い――!!

 

「サイドン!! ロックブラスト!!」

 

「ユキメノコ、かなしばりでロックブラストを封じてくださいませ!」

 

 次は、アタシが想定外だった。

 今まで隠していた、かなしばりというわざ。ユキメノコが目を光らせると同時にして、ツノから生成しようとしていたサイドンが動きを止めていく。

 

 かなしばりは、対象のわざを封じ込める効果を持つ変化技。ロックブラストといういわタイプのわざをかなしばりで封じられてしまったことで、アタシはニュアージュさんへの有効打を失ったに等しい。

 

 そして、ニュアージュさんが次なる一手を繰り出してくるのだ。

 

「ウェザーボールをサイドンの周囲に設置して、ふぶきで爆破を狙いましょう! ユキメノコはふぶきの中に身を隠して、安全圏から着実に! 大丈夫でございます! サイドンはロックブラストを失った以上、あとはメタルバーストの反撃にさえ気を付ければこの戦いは勝利できま――」

 

 この時にも、ニュアージュさんは言葉を失った。

 

 封じたはずのいわ技が、ユキメノコの足元から生えるように突如と突き出してきたからだ。

 刺々しくも、力強くスタジアムの大地から現れたそれ。アタシもこれには、更なる想定外として唖然となっていた。

 

 だが、視界に広がる光景の中には今も、ユキメノコへと手をかざしたサイドンの姿がしっかりと映っている。

 そして、これを見たニュアージュさんが、この刺々しい岩に突き上げられたユキメノコを見遣りながらそのセリフを口にしてくるのだ。

 

「ストーンエッジ!! ヒイロ様も指示をなされていないこちらの強力な攻撃は、おそらく進化を介したことで本能的に使い方を理解なされたのでしょう!!」

 

 ストーンエッジ……!

 地面から刺々しく現れた、雄大なる大地のパワーを具現化したかのような強力な攻撃……。

 

 閃いた。感覚的に下りてきた何かによって、アタシの脳内に一瞬ばかりと迸った無我からの信号。

 次第にも降り止んだあられが、最後の一粒をスタジアムの地面へと落としていったこの瞬間。カラン、コロンと固くも綺麗なそれが立てていく小さな音も聞き取れるほどにまで研ぎ澄まされた、眼前の光景へと全てを注いだアタシの全神経達――

 

「ユキメノコ、ふぶきでございます!! ……え? あられが、止んだ――っ?」

 

 ユキメノコがふぶきを繰り出す直前にも見舞われた、実に不運なタイミング。ニュアージュさんが目を丸くしていくその間にも吹き出した猛吹雪も、それまでの威力とまではいかない勢いとなってサイドンへと襲い掛かっていく。

 

 ――アタシの左腕が、勝手に動き出した。

 この感覚には覚えがある。そう思ったすぐにも、これはマサクル団との戦いの際に降臨してきた、野生ポケモンへと指示を繰り出していく時にも巡っていたのだろう一種のゾーン状態に入ったことを無意識で理解する。

 

「ストーンエッジを、鎧のようにして自分に纏って!!! ――そして、ストーンエッジの技エネルギーを纏った状態で、ドリルライナーでユキメノコへ突っ込んでッッ!!!!」

 

 サイドンが高らかに鳴き声を上げると、自身の足元からこの巨体を埋め尽くす巨大な岩石を生み出していく。

 遥か遠くの快晴を指し示す尖り。そこから両腕とツノが貫くように現れると、次に足でその場から動き出し、ストーンエッジの岩石を粉々に砕くと共にいわタイプの技エネルギーである大地の濃い茶色を表面に纏ったサイドンが、ドリルライナーを繰り出していった。

 

 剛速の一直線。一ミリたりもの揺らぎも無い真っ直ぐな突撃が襲い掛かる光景に、ユキメノコはニュアージュさんの指示を受けることなく動き出すと、ウェザーボールとたたりめで目の前のそれへと迎え撃っていくのだ。

 

 こおりタイプという属性を持たなくなってしまった無数ものウェザーボールは、サイドンの勢いによって容易に弾かれてしまってまともに食い止めることができない。次に繰り出したたたりめが、ちょうど自身を追い越したふぶきに巡ることで実体を得た影となり、その水分を含んだ質量のある影の両腕を以てして、迫るサイドンを押さえ込んでいく。

 

 これにはさすがに、サイドンも少しばかりと速度を弱めていった。

 だが、必死な思いで押さえ続けるユキメノコの両腕を、ドリルライナーによる回転力はむしろそれをズタズタに砕き切ることで敢え無く突破。

 

「――ノコ! ユキメノコ!! 聞いていますか!? まもる、をしてくださいませ――!!!」

 

 ニュアージュさんの呼び掛けに、ようやくと気が付いたらしい。

 きっと、相対した強力な存在によってパニックを引き起こしていたのだろうか。彼女の声が届いたのだろうユキメノコは急ぎでまもるを張り巡らせ、サイドンの攻撃に備えていく――

 

 ――には、遅すぎた。

 

「いっけぇぇぇえええええええッッッ!!!! サイドンーーーーーー!!!」

 

 サイドンの突き進む先にあった、観客の身を守るための透明な防壁。スタジアムで飛び交うエネルギーのそれらを遮断する高性能のバリアが、サイドンの攻撃が炸裂した瞬間にも波紋を伝わらせ始める。

 

 ユキメノコに直撃したこの衝撃が、広範囲に渡って観客席まで届いていた。

 回転を続けるサイドンの一直線に巻き込まれたユキメノコ。これがニュアージュさんへとまっしぐらに向かっていき、彼女の目の前に巡らされていたバリアにサイドンごと衝突するなり、砂煙のような特大級の爆発を引き起こしてスタジアムを揺るがしていくのだ。

 

 ……岩のように立派な力強さを感じさせる熱が、遠くにいるアタシの下まで届いてくる。

 先ほどまでの、サイドンを応援する歓声が一気に消え失せた。そういったオーディエンスらをも黙らせる強力な一撃。サイドンが繰り広げた勇猛なる突撃によって訪れた静寂の中、大量の砂煙から起き上がってきた、勇ましい二足の背中――

 

 サイドンは、アタシへと向かってクールに歩き出した。

 そして、サイドンが背を向けた先には、ニュアージュさんの目の前で倒れ込むユキメノコの姿…………。

 

「ユキメノコのひんしを確認!! ユキメノコ、戦闘不能!! ――ゲームセット!! 勝者、チャレンジャー!!!!」

 

 審判の厳つい声が響き渡り、それと共に振り上げられた旗が、アタシへと向けられる。

 ……まるで何事も無かったかのような様相で、サイドンがスタジアムを歩くその光景。ここで下された最終的な判断を目と耳で理解すると、当の本人であるアタシよりも先に、観客席が大盛り上がりとなってスタンディングオベーションを始めていったのだ――――



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広い世界

「あの、ヒイロさんですよね? 私、昨日の試合をスタジアムで見てました! とてもすごかったです! 良かったら握手をしてください!」

 

 ……え?

 ジムチャレンジの運営が出入りする、チャレンジャーの休憩スペースである役所のカフェ。そこでラルトスを抱えて、パイルのみジュースを飲みながら雑誌を読んでいたアタシは、ふと掛けられたその言葉に唖然としながら振り向いていく。

 

 アタシよりも年下に見える、いたいけな少女。キマワリというポケモンを連れて、絶賛ジムチャレンジ中ですというポケモントレーナーの素質を思わせていたものだが……。

 

「アタシ? ……え、アタシでいいの?」

 

「もちろんです! あの、私ハクバビレッジのジムバトルも中継で観ていました!! サイホーンだけでレミトリ様を倒したの、最高でした!! そこでヒイロさんが気になり出して、ショウホンシティのジムバトルも、ジムチャレンジの公式ホームページで、過去の試合が観られるっていう中継の録画で、最後まで観ました!! あの試合も、ヒイロさんのマホミルとサイホーンがすごかったです!! そして今回は、あのサイホーンが進化して、大逆転……!!! 私、ヒイロさんにこうして会えるのをずっと楽しみにしてたんです……!!!」

 

「わ、分かった分かった!! なんかすごく恥ずかしくなってきたから、握手しよ! ね?」

 

「わー! ありがとうございますー!!」

 

 テレビに映るって、こういうことなんだなぁ。

 そんなことを思いながら、アタシは少女と握手を交わしていった。それから少女はスマートフォンを取り出して「写真も一緒に撮ってくれますか……?」と上目遣いで頼んできたものだったから、アタシは断れない雰囲気に流されて「いいよー」と返して、ラルトスも含めたツーショットで少女を満足させていく。

 

 なるほど、タイチさんが変装する気持ちが少し分かったかも。

 同時に、見ている人はホントに見ているんだなー……という世界の広さや世間の狭さなんかを実感して、アタシはお礼をしながら駆け出していく少女へと手を振って見送っていく。

 

 オウロウビレッジジムでの激闘から、一日が経過していた。あの後にも、アタシらの勝利をスタンディングオベーションで讃えてくれた観客席へとアタシは慣れないお辞儀をしていき、ニュアージュさんからも「完敗でございましたー」とおっとり言われながらジムバッジを手渡される。

 

 それからというもの、アタシがジムから出てくると、スタジアムで試合を見ていたという五名ほどの男女の団体が、アタシを出迎えて「イイ試合だったよー!!」と声を掛けてくれたのだ。それに対してもアタシは「あ、ありがとうございます……」と面食らった調子で言いながら、そこで少しばかり話し込んでいく。

 

 どうやら昨日のスケジュール、みんなが注目している推しのチャレンジャーが、同じ日にちの、午前の部に集中していたとのこと。それで、あんなに人が多かったんだなーと思いながらも、そんな人達が期待を胸に見守る空間の中で、午前の部のトップバッターを務めたというアタシの境遇に、今となって緊張してしまえたものだった……。

 

 で、いざ勝利という形で終わってみると、真っ先とアタシに飛び付いてきたのは、クルミ君だった。

 

『ヒイローーーーー!!!! どうしてジムに挑むってこと、オレに教えてくれなかったんだよーーーーー!!! ヒイロがジムにチャレンジするって知ってたら、オレもグレンもカナタも応援しに行ってたのにさーーーーー!!!』

 

『おいクルミ! 疲れているだろうヒイロを揺するな!! 首の動くオモチャみてェになってんぞ!!』

 

 オウロウビレッジの中で、クルミ君にガンガン揺すられるアタシ。ジムチャレンジで全ての気力と体力を使い切ったアタシが、なるがままに任せていくその様子を心配したグレン君がクルミ君を引き離していく。

 

 激しい闘争の後だというのに、すごく平穏な時間を過ごした気がする。クルミ君はそれからにもアタシをお祝いするために食べに行こう!! なんて言い出して、グレン君が疲れ切ったアタシをなんとか支えつつも、無言でそこにいたカナタさんも含めた四人でその日はオウロウビレッジを堪能していった。

 

 で、今に至る。

 ラルトスがポフィンをもぐもぐとしていく中、アタシはスマートフォンを取り出して画面を確認する。

 

 ……ユノさんから、『おめでとう、ヒイロちゃん。よく頑張ったね』のメッセージが届いていた。

 昨日、ジムチャレンジの後から姿を消したユノさんとランヴェールさん。ジムに挑むまでの期間中にもアタシの特訓に付き合ってくれた、アダルティなそのお二方。こうしてニュアージュさんに勝利することができたのも、あの二人がいたからこそ。だから、この報告は口頭で伝えたかったものなんだけど……。

 

「ユノさんもランヴェールさんもマサクル団を追っているみたいだし、そっちが忙しいのかな」

 

 なんか、寂しいな。アタシはラルトスの頭を撫でながらそんなことを呟いて、どこでもない場所を眺めていく。

 

 それにしても、アタシだけが仲間外れにされている感が拭えないのもまた事実。……まぁ、そりゃあ二人にも都合というものがあるんだろうし、ああして魅惑的な色気を放つ大人二人が同時に姿を消すだなんていったら、ねぇ……? アタシだって、思春期だもん。そんなことを考えちゃっても、別に変じゃないよね。

 

 ――とか何とか考えて気持ちを紛らわそうとするのだが、それでもアタシの寂しい気持ちは収まることが無かった。

 

 ユノさん、ランヴェールさん。二人は今、どこにいるんだろう……。

 

 

 

 

 

「おかえり、ヴァルキリー。キミがお手洗いで席を外している間に、ボクがお会計を済ませておいたからね」

 

 中折れハットに右手を添えながら、対面する席に腰を落ち着ける淑女へとその言葉を掛ける男。

 どこかの地域の、とあるお洒落なレストラン。煌びやかな照明と飾り付けに、周囲にはカップルである男女の二人組が、自分達だけの時間を楽しんでいく光景が展開されている。

 

 それらと同じくして、二人で訪れていた会食の場。白色のポニーテールを揺らす彼女もまた、複雑な顔をしながらも「それは、まぁ、ありがと……」という素直になれない様を見せていくことで、男は女性に見惚れるような視線を向けていく。

 

「どうだい? それなりの期間、ボクの見張りとして追い掛け回してみた感想は? ボクの行動から、キミは何か得られたかい? ――まぁ尤も、こうして行く先々でボクに親切とされてしまうものだから、キミとしてもそろそろ、ボクの見張りに後ろめたさを感じてきたんじゃないのかな?」

 

「そ、それは無いわ! 絶対に、無い! いくら私という敵対する存在にどれほどの敬意を払おうとも、それで貴方達が行ってきた行為が許されるだなんて思わないで! ……貴方がルイナーズじゃなければ、素直に素敵な紳士だと思えたのに」

 

「フフッ、心は既にボクを許しているようではあるね」

 

「勘違いしないで。その悪戯な目も、むしろ恨めしいくらいなんだから。――こうして嫌々と貴方に付き合っているのも、貴方が不審な行動を起こさないようにするため。あと、ヒイロちゃんに手出しをさせないためなんだから」

 

「へぇ、キミはそんなに、ヒイロちゃんのことが気になるのかい?」

 

「それは……。ッ——」

 

 不覚をとった。

 女性は、背筋に渡った悪寒に表情を強張らせる。

 

 そして男は、闇よりもドス黒い何かを瞳に宿らせながら女を凝視して、それを口にしてくるのだ。

 

「フフッ、参考にさせてもらうよ。――キミはどうやら、何か勘違いをしていたようだ。あぁ確かに、ボクはヒイロちゃんと行動を共にしてからというもの、キミにずっと監視をされ続けていた。だが、果たしてそれはどうだろう。キミは、ボクが何かしでかさないようずっと見張ってくれていたものだけど、同時にして、ボクもまたキミのことを、ずっと見ていた、とでも考えるべきじゃないのかな?」

 

「……貴方の本当の目的は、それだったのね……!!」

 

「そう。――いやもちろん、可憐で儚き姫君のヒイロちゃんを精いっぱい手助けしたいという想いもあったさ。ボクは、ありとあらゆる女性のことを、心の底から敬意を払いながら愛し尽くしている。でもね、その気持ちとはまた別にして、ボクがこうしてヒイロちゃんと行動を共にした本当の理由というものはね。くっ、ふふふ……。ユノ・エクレール、キミの監視を任されていたからさ」

 

 段々と俯いていく女性。その視線の先にあったカップの中のコーヒーに、波紋が渡っていく。

 

「キミが自ら監視を買って出てくれた時は、ボクはものすごく助けられたものさ。だって、女性を陰から尾行しろだなんてそんな、女性を心底から怖がらせるような真似は絶対にしたくなかったからね。だから、どうしようかと悩んでいたものだったけど、まさかキミから監視の対象を申し出てくれるだなんて、あぁ、ボクは本当に幸運だった。……女性からの熱烈なアプローチに、ボクは常に心が躍っていた。そしてこれからも、ボクはキミに監視され続けたいとも望んでいる。そうすれば、ボクから言い迫ることなく、ユノという、“彼”をも魅了した稲妻の申し子と共に過ごせる時間が増えるというものだからね」

 

「ふざけないで……っ!!! 貴方は、私の動向や目的を、間近でうかがって……そんな……っ」

 

「悲しまないでくれヴァルキリー。ボクは何も、キミを悲痛のどん底に陥れようだなんて微塵にも思っていない。胸の内で涙する悲愴の念に囚われし淑女も好みではあるけど、それに魅了されるのであれば、ボクはそんな彼女の再起を渇望する。何か、追加で食べたいものはあるかい? ボクの財布が許すかぎりにキミの心と腹を満たしてあげよう」

 

「貴方も、“彼”みたいに最低な人間よ……! 結局は自分のことしか考えていないクセに! どうせ滅びゆく世界の中を散々とこねくり回して混乱させて、私はそんな悪趣味に何度も何度も付き合わされて無様な思いをさせられ続ける……!! 貴方達には本当に、人の心ってものが無いのね。――ルイナーズとか名乗って、世界規模の強大な力を持つ立派な組織をつくり上げたというのに、それに属する当の本人達は、自分勝手なワガママを貫き通すだけの、本能だけで生きて周りに迷惑だけを掛けていく自己中心人間だけの集まりなんだから。そんな連中に殺されてきた、数えきれないほどの命のこともきっと考えたことなんてないんでしょうね!!?」

 

「…………」

 

 寛容な目から一転とした、女性を敵対視するかのような鋭利な目つきとなる男。

 

「ボクは、人間もポケモンも、誰一人として殺したことなんてない」

 

「いいえ、殺してるわ!! まずルイナーズに属している時点で、貴方も同罪であることを理解するべきよ! 貴方にも自分勝手な都合があるんでしょうけど、それで自分だけはのうのうと助かって、今は女性やポケモンが大好きだなんだ言って偽善を振り撒いて生きている。そんなの、貴方達の行いで死んでいった全ての命に対する冒涜よ!!」

 

「ボクは本当に、人間の女性も、ポケモンのことも愛している」

 

「貴方は、自分自身に嘘をついて生きているわ。だから、それを生きる目的として自分の存在意義を肯定し続けているんでしょうけど、結局は貴方、“彼”に殺されたくないだけなんじゃない? だから、私みたいに“彼”のお気に入りとなって、ついでにルイナーズのメンバーに加わることで、自分だけ滅びゆく運命から免れて。“彼”の暴走を止めるという手段に出ないどころか、命乞いをして“彼”に頭を下げて仲間にしてもらうだなんて、本当にゲスが極まってるとしか言いようがないわ」

 

「……ボクの気持ちを理解してくれとは言わないが、キミはどうやら、推測を真実として思い込む悪い思考回路を持っているようだ」

 

「それでも結構よ!! 私はもう、貴方達に振り回され続けて、私の人格も、私の人生も、私の家族も、私の故郷も。私の大切なもの全てを貴方達に壊されて壊されて壊され続けて踏みにじられたものだから、そんなひねくれた思考でしか物事を考えられなくなっているんですからねっ!!!」

 

 感情の昂りによって荒げた声。彼女のそれが店内に響くことで、周囲の皆が二人へと向いていく。

 

 ……向けられた視線によるものか、はたまた、彼女の言葉に思い当たる節があるのか。中折れハットを深く被った男は暫しと無言を貫くと、次にも開いた口からは、そのセリフが飛び出してくるのだ。

 

「…………ボクの任務は終わった。この時を以て、キミの監視は切り上げるとするよ。ヒイロちゃんには申し訳ないものだが、ボクは一足先にキミ達の旅から外れることにする」

 

「ヒイロちゃんには私の方から説明しておくから、貴方はさっさと“彼”のところに戻って泣きついていなさい。そして、何とでも報告すればいいわ。“彼”が大切にしているあの女に散々なことを言われて、ひどく腹が立ったとかね!!」

 

 色白の凛々しい表情を歪ませた、憎悪を宿した彼女の顔。それに見送られるように男は立ち上がると、店の出口へと向かって歩き出していく。

 

 ……と、数歩と歩いたところでピタッと足を止めると、その時にも彼は振り向くことなく、女性へとそれを話し始めたのだ。

 

「――少なくとも、キミ達と過ごした日々は、ボクにとってかけがえのない宝物となった。……いや、本当に楽しかったな。ヴァルキリーとプリンセスの二人と共にした、短くも濃厚だったこの日々に、ボクは心から感謝をしている。だからこそ、ボクはその感謝の気持ちとして、キミにあるヒントを残したいと思っているんだ」

 

 男の背を見遣り続ける女性。彼女からの鋭いそれが突き刺さる感覚を男は覚えながらも、中折れハットを手にやったまま言葉を続けていく。

 

「“以前の場所”で、『ミュウツー』を捕縛した。現在はマサクル団の基地に捕らえられていて、“どこにでもいる”例の研究員が、ミュウツーをダークポケモンへと仕上げるべく洗脳を続けている最中だ」

 

「……それ、私に教えてもいい情報なの?」

 

「構わないさ。それだけ、ボクはキミ達に感謝をしているという意思表明でもあるのだからね。――尤も、ミュウツーに関する情報であれば別に、キミに晒してしまっても何ら問題はない。なぜなら……そのミュウツーの洗脳を解くことができる唯一のトリガー。あらゆるポケモンと友好を結ぶことができる、天真爛漫な心を持つ真っ直ぐな少年を、キミは“以前の、そのまた以前の場所”で見つけることができなかった。だから、キミはミュウツーの洗脳を解くことができず、“其処”は滅びてしまったと。くっふふふ……」

 

「……なめないでちょうだい。“此処”で絶対に、貴方達を止めてみせるから」

 

「ボクとしても、キミにはまだまだ奮闘してもらいたくて、こうして情報を与えているようなものでもあるからね。何故かって、キミがルイナーズを食い止めようと活動を続けるかぎり、ボクはまたこうして、凛々しくも切なき美しさをまとうキミと再会できるというものだからさ。――じゃあ、ボクはこの辺で失礼するよ。ダークポケモンと化したミュウツーを食い止めるトリガー、今度こそ見つかるといいね。フフフッ……」

 

 顔だけを女性へと向けて、その視線を投げ掛けていく男。

 ……中折れハットから覗く、肩越しの妖しい瞳。その奥に秘めし、彼の思惑がまるで読み取れない不気味なそれを見ると、女性は不快極まりないという目を向けて、店の出口へと向かう彼の背を見送った――



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生き続けたい

「ユノさん、体調が悪いんなら今日はもう休も? 明日はここ出発するんだし、無理してアタシに付き合わなくてもいいからね」

 

 夜間という時間帯でありながらも賑わいを見せていく、オウロウビレッジのレストラン。村の中でも一番高い位置にあるここは、豊富なメニューと豪華なディナーに加えて、そのテラス席から眺めるオウロウビレッジの景色も一緒に楽しむことができる、観光における絶景スポットでもあった。

 

 そんな人気の高いレストランとは無縁であったアタシだが、ニュアージュさんがアタシの席を特別に用意してくれたことから、現在、彼女のご厚意に甘えることで心行くまで堪能していたというもの。

 それでいて、あのニュアージュさんがこの席を用意してくれたんだし、このご厚意を断る理由も無いかな。なんて思ったアタシは、じゃあユノさんとランヴェールさんの二人も誘っちゃおう、と考えてから三人分の席をニュアージュさんにお願いして、今に至るということだ。

 

 しかし、合流したユノさんの下にはランヴェールさんの姿は無かった。しかも、ユノさんが言うにランヴェールさんは、別件の用事で忙しくなったという関係で、アタシの旅から急遽外れなければならないことになったと言う。

 

 そっか、ランヴェールさんいなくなっちゃったんだ。ユノさんに知らされてから、心のどこかにぽっかりと空いた穴。せめて旅に付き合ってくれたお礼だけでも言いたかったから、アタシはその感謝の言葉も伝えられなかったことに虚しささえ感じてしまう。

 

 でも、ランヴェールさんがいなくなってからというもの、その様子に一番の変化があったのはユノさんだった。

 ……現在もパイルソーダの入った細長いグラスを手に持つユノさんは、どこか浮かない顔をして豪勢な料理をじっと見つめるばかり。なんだか思い詰めているような表情で終始こんな感じで、アタシは不思議に思うことしかできずにいた。

 

 アタシの横で料理を食べているラルトスも、彼女を心配するように顔を覗き込んでいく。それに反応するようにユノさんは「大丈夫よ。ありがと」と、先にもアタシがかけた言葉に対する返答と共に、ラルトスの頭を撫でていくのだ。

 

 ……でも、大丈夫というには深刻そうな寂しい顔をずっとしている。

 

 ――ユノさんに何かがあったことは確実ではあったけど、ランヴェールさんと二人で出掛けてからのこの調子、もしや……。

 

「ユノさん、ランヴェールさんにフラれた?」

 

「…………え?」

 

 予想外。そんな顔をして視線を投げ掛けてくるユノさん。

 

「アタシ、大人の恋愛ってよく分かんないんだけどさ。でも、ランヴェールさんがいなくなったタイミング的に、そうなのかなって。……あ、余計なこと言っちゃった……?」

 

「いいえ、余計でもなんでもないわ。彼に、フラれる? 私、そんな風に見えたのかしら」

 

「でも、何だかんだでユノさん、ランヴェールさんと一緒にいる機会が多かったじゃん? だから、二人ってもしかしてデキてたのかななんてもちょっと思ってて。――なんかしくじったの? それとも、ランヴェールさんの意外な一面で冷めちゃった? それか、年収とかお金の関係? ……あ、もしかして、えっちなことの相性?」

 

「ヒイロちゃん、悩む大人をあまり詮索しない方がいいわよ。こういう大人は、貴女が思っている以上の深刻な事態を抱えていたりするから、下手に口を出すとろくなことにならないわ」

 

「ん、そっか。――まぁさ、もしアタシでも相談に乗れることならさ、アタシにじゃんじゃん話してよ! アタシはいつもユノさんに助けられてばかりだから、たまにはアタシがユノさんを助けたいし! ……その、恋愛とかえっちなことは未経験だから、力になれるか分かんないけど……」

 

「ありがとう、ヒイロちゃん。その気持ちだけでも、すごく嬉しい。ただ、色恋沙汰とか金銭問題とか、あとは大人なことを期待していたんなら、それだけは絶対に違うって断言しておくわ。別に、彼とはそういうことしてないもの」

 

 そう言ってユノさんは微笑しながら、いつものようなクールビューティの表情を取り戻して料理に手を出し始めていく。

 それでもやっぱり、どこか晴れ晴れとしないその顔。……大人が抱えるそういう問題っていうのは、たとえユノさんのようなハイスペック人間でもどうにもならないことなんだな。そんなことを内心で思いながらもじろじろと視線を向けていると、ふと見遣ってきたユノさんと目が合うアタシ。

 

 ……サラダを頬張るユノさんは、どこか食べ辛そうにしていた。というより、食べているところをまじまじと見られるのが、ちょっと恥ずかしかったのかもしれない。

 ユノさんは、少し照れ臭そうな表情を見せていった。口元に手を当てながら若干と視線を逸らし、口の中のをもぐもぐと噛んでいってそれを呑み込むと、彼女から問い掛けてくる。

 

「ヒイロちゃん。私の顔になにかついてたかしら……?」

 

「別に? ……んーーー? もしかしてユノさん、食べてるところをじっと見られてて恥ずかしかったの??」

 

「誰だって恥ずかしいでしょう。もう」

 

「にひひ、ちょっと顔赤くなってる。ユノさん可愛いーーー」

 

「こーら、大人をからかわないの」

 

 珍しくアタシにいじられたことで、今までに見たことのない一面を見せてくれたユノさん。

 そして、こういうのにも意外とノリが良かったものだから、アタシも何だか楽しくなってきちゃって、ユノさんをいじるのがちょっとクセになりそうだった。

 

 ……あぁ、いいな。こういうの。

 ラルトスを始めとした、ポケモンのパートナー達とはまた異なる仲間。旅を共にする同じ人間と過ごす一時の時間は、これまでの人生の中でもそんなに経験してこなかった、今までのアタシに足りていなかった要素の一つ。

 

 それを、現在進行形で心の底から楽しんでいる。……まぁ、唯一の贅沢を言ってしまえば、これがもし同い年の友人達とだったら、どんな旅になるんだろう? なんていう、もしものことを少しだけ考えちゃうところが気掛かりではあったけれども。

 

 と言いながらも、今の生活がずっと続けばいいのになと、アタシは心底渇望していた。

 これからも、アタシはユノさんを始めとしたいろんな人達との出会いに恵まれるのかな。期待に胸を膨らませるジムチャレンジの旅。道中で流れていく光景すべてが新鮮である未だ見ぬシナノ地方を巡るこの旅路。そして、なにも人間との巡り会いが全てではないことを教えてくれる、ラルトスといったアタシの最高のパートナー達による忙しくも楽しい日々。

 

 生きていて良かったなぁ。心からそう思える日が来るだなんて、過去のアタシでは絶対に信じられなかったことだろう。

 ユノさんと笑い合いながら、豪勢な料理を頬張っていくアタシ。そんなアタシの傍では、ラルトスがキャッキャと微笑みながら小さな手を伸ばして、アタシに抱っこをねだってくる。

 

 そうしてラルトスを抱えた温もりがアタシの胸を温めていき、今この瞬間にも刻々と進んでいく時の流れに、より一層もの彩りを与えてくれるのだ。

 

 こんな日々が、ずっと続けばいいのに。そしてこれからも、アタシはこの世界で自分らしく生きて、後悔の無い生涯を歩んで一生を終えていきたい。

 

「ねえ、ユノさん。――アタシね、今すっごく、生きてて楽しいんだ!! これからもアタシ、この世界で自分らしく生き続けたい! もちろん、そんなアタシの傍には、ユノさんもちゃんといるんだから! だから、これからもよろしくね!」

 

 今までの人生で、一番とも言える笑顔を見せることができたかもしれない。

 この想いを万遍なく行き届かせることができた、一生の内でこれが最初で最後かもしれないと思えるほどの最高の笑顔。そう自負できるほどのそれでアタシは微笑んでみせると、これを見たユノさんもまた笑みで返しながらアタシの言葉に頷いてくれるのだ。

 

 ……だが、ユノさんはきっと、本心では同意していなかったのかもしれない。この時にもユノさんが見せてきた微笑みからは、切なさを感じさせる悲愴の想いのみを感じ取れてしまったものだから――――



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旅は道連れ

「オウロウビレッジーー!! 今までありがとーー!! アタシ、絶対にまた来るからねーーー!!」

 

 早朝のオウロウビレッジ。オンタケ山という過酷な環境を乗り越えてきた旅人を出迎える看板の前で、アタシは振り返ってその全体へと声を掛けていった。

 

 清々しい朝に相応しい、感謝の言葉とこだまするアタシのそれ。それが近くの滝が落ちる轟々とした音に掻き消されながらも響かせると、満足といった具合にオウロウビレッジから背を向けて、滝から流れ出てくる川とここを繋ぐ橋を渡っていく。

 

 その先では、クールな佇まいで軽く腕を組んでいるユノさんが待っていた。こちらを微笑ましく思う穏やかな表情で見遣る視線に、アタシは抱えたラルトスと一緒に彼女へと向かって新たな旅路へと踏み出していくのだ。

 

 ――と、こうして次の目的地を目指し始めた、その瞬間だった。

 

「おーーーーーい!!! ヒイローーーー!!! もしかして、オマエもオウロウビレッジを出るのかーーーー!!?」

 

 アタシ以上に響き渡らせた、本当に活発的なその少年。

 耳に入ったそれへとまた振り返ると、そこからは手を振りながらアタシへと走ってくるクルミ君の姿。ニッコニコな笑みで疲れ知らずの無尽蔵な体力で駆け寄ってくると、全速力だったにも関わらず一切と息を切らさずに合流を果たしてくる。

 

「クルミ君? もしかして、クルミ君達もここを出るの?」

 

「おうッ!!! なぁ聞いてくれよヒイロ!! オレ、昨日やっとニュアージュに勝ったんだ!!! 四回目のチャレンジでかなり大変だったけど、これで七個目のバッジをゲットしたんだぜ!!! でな! 残るはナガノシティのバッジ一つのみ!! それで八個目になって、ジムチャレンジクリアになるんだ!!! まー、でもその前に、グレンが『ママタシティ』のラオっていう、ジムリーダーとポケモン博士を両方やってる人に負けてるから、そのリベンジで『ママタシティ』に寄るんだけどね!! ほら、グレンっていわタイプ使ってるじゃん??」

 

「『ママタシティ』……。そこ、アタシが次に行こうと思ってた場所なんだよね」

 

「ホント!!!? え、じゃあ一緒に行こうぜ!! な!!?」

 

「おいクルミ!! 急に走り出すんじゃねェ!!!」

 

 と、クルミ君の後ろから焦り気味に追い付いてくるグレン君の姿。

 共にしてカナタさんも表情を一切と変えない様相でクルミ君に追い付いて、そんな彼の対象がアタシであることを知った瞬間にもこちらを睨みつけてくる。

 

 だが、クルミ君はそんな二人のことなんておかまいなしだった。

 

 ……アタシの後ろにいる、白髪ポニーテールのユノさんの姿を見たものだったから。

 

「え?? あれ!? この前の超強ぇオネーちゃんじゃん!!! ゾロアーク使ってたさ!」

 

「そう言えば、クルミ君戦ってたね。あの人はユノさんって言って、アタシの旅に付き添ってくれてるすごい人だよ」

 

「えぇーーーー!!! いいなぁぁああああ!!!! ねね!! またオレとバトルしてくれよオネーちゃん!!! ――あ、グレン! カナタ! ヒイロがさ、次はママタシティに行くんだって!!! だから、一緒に行こうぜって話になってさ!!!」

 

「おいクルミ。ヒイロが困惑してる顔で、お前さんが一方的に持ち掛けた話だってことが分かんだよ。……で、ヒイロ。そこんところはどうなんだ」

 

「ちょっと待ってね」

 

 すごい勢いで流れていく会話。この圧倒されるほどの力強い会話の雰囲気もまた、クルミ君達のグループの面白い所でもあるんだけども。

 

 で、アタシはユノさんへと振り向いて、それを訊ね掛けていった。

 

「ユノさーん! こっちの三人、アタシがここで知り合った同い年のチャレンジャーなの! 一緒に行動してもいいかなー!?」

 

「私は構わないわー! これはヒイロちゃんの旅なんですから、ヒイロちゃんのやりたいようにやっていきなさーい!」

 

 距離の空いた空間でのやり取り。ユノさんからの快い許可ももらったことから、アタシはクルミ君へとそれを伝えていく。

 

「いいって! じゃ、一緒に行く?」

 

「おうおうおう!!! やったなグレン! カナタ! オレ達のジムチャレンジに新しいメンバーが入ったぞ!!!!」

 

「おいクルミ。入ったんじゃなくて、お前さんが割り込んだんだろ。――ま、本人達から許可をもらったんだ。旅の道連れが増えるってことには、俺は別に反対はしねェ。カナタ、お前さんはどう思う?」

 

「……クルミの決めたことだから、私は異論なんかないし」

 

 異論が無いと言いながらも、カナタさんはものすごく不服そうな顔をしてユノさんのことを眺めていた。

 ……あちゃー、ライバル増えたって思っちゃったかな。アタシはグレン君と目を合わせて互いに複雑な顔をしていきながらも、「じゃ、これからよろしくね、三人とも」と、アタシはラルトスと一緒に、クルミ君とグレン君、カナタさんという新たな旅のメンバーに改めて挨拶を行っていった。

 

 ――ものすごく賑やかな旅になりそうだ。

 次に目指す場所は、『ママタシティ』。シナノ地方の最南端に位置する大きな地域で、そこではポケモン博士を兼任する、はがねタイプのエキスパートであるジムリーダーのラオさんが待ち受けている。

 

 ママタシティには、シナノ地方と他の地方を結ぶ港もあることから、これまでの旅の中で今まで見ることが無かった広大な海を、ようやくと拝むことができる。アタシはそれも楽しみにしながらも、同時に現在の手持ちではがねタイプに有効なメンツがあまり揃っていないことから、それも道中で対策しなきゃなとも考えていた。

 

 ま、今回の旅にはクルミ君たち三人組も同行することになった。そこにユノさんも合わせれば、みんなが実力者というアタシだけ場違い感たっぷりな面々になってしまったものだが、それだけ皆から得られるものも多いと考えれば、むしろ現在の状況はポジティブに捉えることが簡単だ。

 

 アタシは、クルミ君に手を引っ張られながら駆け出していった。そんな彼が、ユノさんの強さに興味津々な質問をいっぱいしていく会話の光景が展開されて、でもって暴走気味なクルミ君にツッコミを入れながらも、ユノさんに謝っていくグレン君や、今もみんなの背後から、禍々しいオーラを放ってアタシとユノさんを見遣るカナタさんというこの日常……。

 

 ……旅がもっと楽しくなってきたかも!

 オンタケ山の道中を和気藹々と歩くこの空間に、アタシは気持ちがより前向きとなってこの世界を生き続けることができるのだ。

 

 次に目指す目的地も決まっている。場の空気に流されるまま既に開始されたアタシの次なる冒険は今、始まったばかりだ――!!



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オオクワビレッジ

「ヒイロちゃん!!! ここすごいわね!! 川でできた村だなんて私、初めて見たわ!! あ、あっちには一面が湖になった住宅街があるわね!! ねぇラルトスのテレポートで、あっちも見に行きましょう!!」

 

 無邪気に表情を輝かせるユノさんの姿。掬った水を両手にさらさらと流しながら、彼女はクルミ君に負けず劣らずな好奇心でアタシへと振り返っていた。

 

 

 

 オウロウビレッジを出発して数日は経過していた。その際にもたまたま合流したクルミ君御一行と目的地が被っていたため、アタシは若干強引な話ながらも、彼らのペースに乗るままその三人組とも旅を共にすることに。

 そうしてユノさんも交えた五人組という、今までで最多となる人数での旅となったこの日々。この道中も、すごく賑やかながらも退屈のしない充実としたものであったから、アタシは今、最高に青春していると内心でワクワクしながらそれらを過ごしていたものだ。

 

 試練の地と言われていた山脈を抜けると、久しぶりと思える木々の無い平原がアタシらをお出迎え。久々となる起伏の無い地形を辿り、逆に森林ではないからこその広々とした光景で吸う空気を堪能しながら、アタシらはものすごい早歩きで山の国シナノ地方を歩き進めていく。

 

 早歩きになっていたのも、クルミ君という無尽蔵な体力を持つスタミナお化けのペースが、あまりにも早すぎたためだ。これにいつも付き合わされているのだろうグレン君とカナタさんは、それに疑問さえも抱く様子も無かったものだし、ユノさんも熟練の冒険者ということから、クルミ君の旅のペースにも余裕についていくその悠々とした足取り……。

 

 で、そんな四人に置いて行かれる形で足を引っ張ってしまっていたのが、アタシだった。「み、みんなー!! 速いよーー!!」なんて言いながらヒーヒー言って追い掛ける光景も、もはや見慣れたものだったかもしれない。

 

 何なら、アタシだけ自転車を使いたいくらいだった。オンタケ山やオウロウビレッジに入ってから急に存在感が無くなった愛用の自転車だが、これは現在ユノさんが預かってくれていたために、決して無くしたわけではない。

 前にも少しだけ話したことだが、ユノさんがポケットに仕込んであるという、倉庫のように扱えるモンスターボールが自転車の持ち運びを可能としてくれていた。特注品であるそれは、ポケモンがモンスターボールに入る際の、自身の身体を縮小させてからその球体に身体を収める性質を利用したその一品。

 

 そんなポケモンの生態を参考にして作られたとされるユノさんのポケットは、あらゆる物体を縮小させて容易に持ち運ぶことができるという、なんだか何処かで聞いたことがあるような超高性能なそれによって、アタシは今も彼女に自転車を入れてもらって、こうして楽をすることができているというわけだった。

 

 ……とか言って、いっつもユノさんに頼ってばっかりなアタシ。それでいてみんなに置いて行かれることから、抱えたラルトスに定期的にテレポートをしてもらっては、その度に何とか追い付いてという繰り返しを行う旅路を、ここ数日と送ってきていたものだ。

 

 尤も、みんなに置いて行かれると言っても、ユノさんとグレン君はアタシを気に掛けてくれるから、よく足並みを揃えてくれたり、エールを送ってくれたりと、もうそれだけでも頑張れちゃう二人の気遣いにアタシは感動さえしてしまう。

 特に、グレン君。バンギラス並に怖そうな顔をしていながらも掛ける言葉は優しくて、アタシをちゃんと女子として扱ってくれるだけでなく、身の回りの些細なことにもしっかりと気付いてくれて、休憩をしようとか提案してくれる。ほんとに何なのこの人。ユノさんやランヴェールさんみたいなアダルティさを感じさせる。

 

 次の目的地である『ママタシティ』という街に近付いてきたという時にも立ち寄った、ムーランド牧場という多くのムーランドと触れ合うことができる公共の場。そこでも丸太のイスに座ってへばっているアタシへと、自販機で買ってきてくれた缶を手渡してくるグレン君……。

 

「悪ぃな、クルミのペースに合わせてくれてよ。ヒイロだって無茶して付き合ってくれてるんだろうが、それで身体を壊しちまったらヒイロのジムチャレンジが台無しになっちまう。相変わらずクルミは制御の利かねェ野郎なもんだが、ほんとヒイロはよくやってるもんだぜ。……ったく、あいつはあいつで、ヒイロのことを気にしなさすぎなんだよな。逆に俺らのような奴らが珍しいってのに……」

 

「グレン君ーー。いつもありがとー……」

 

 缶を受け取って、アタシはその飲料水をガブ飲みしていく。

 もはや、女であることを忘れた必死の補給。ぐびぐびとのどごし爽やかに飲んでいくアタシに対しても、グレン君は「気にすんな。ヒイロにも、ユノさんにも世話になってる分のささやかな礼だ。まぁ、きちんとした礼はママタシティでさせてくれ」と言って、アタシの隣に腰を掛けて傍に居てくれた。

 

 ――こうして、四人に何とかついていくことができていたアタシ。道中でもユノさんに気に掛けてもらえていたものだったが、アタシはオウロウビレッジでの彼女の様変わりしたクールな姿に馴染んでいたものだったから、ランヴェールさんが去った後のユノさんの性格の変化に、そう言えばユノさんってこういう人だったなと、ショウホンシティでの彼女の姿を思い出すことになる……。

 

 

 

 くるぶしくらいまでの川をじゃぶじゃぶと駆けていくユノさん。キラキラとした、まるで子供みたいな瞳でアタシを見ながら、奥にある湖の上の住宅街へと指を差していく。

 アタシ達は、『ママタシティ』に向かう道中にあった、『オオクワビレッジ』という村に訪れていた。このオオクワビレッジという地域はその地域の大半が川といった水辺で成り立つ特殊な地形が特徴であり、雨の少ない天候と、常に水が張っている透き通った空気感が、シナノ地方の数ある地域の中でも特に異質な雰囲気を醸し出している。

 

 今もアタシがいる場所は、オオクワビレッジを横切る川が穏やかに流れている一帯であり、周囲には川に浮かぶよう建てられた建築物や通路となる足場、浮きがついた看板や照明なんかが見受けられる。しかも地形が安定していないのもこの村の特徴であり、至る所にこの村の水が流れ落ちていく段差や坂があって、時折その勢いで足を取られてしまうこともしばしば。

 

 見た目は素晴らしいけど、住むとなったら大変だな……。そんなことを思いながら、アタシは水辺に造られた、人やポケモンが行き交うための足場へと見遣っていく。

 なんだか青いバリヤードが、道行く人々に宿屋を勧めていた。水辺の上に建つ宿屋での一泊を推していくオオクワビレッジのそれに、あぁ確かにそれは魅力的だなとアタシは思えてくる。

 

 で、そのバリヤードのことをすごく興味深そうに見ている、クルミ君。バリヤードは業務で忙しいというのに、クルミ君はそんなことおかまいなしに、「なーなー!!! オマエってもしかして、ガラルの姿のバリヤードだよな!!? すげーーなーーー!! オレ、ガラルの姿ってやつを初めて見たよーー!!! なーなーバリヤードーー!! オマエって戦うと強いのか!!? オレとバトルしてくれよーーー!!」とか言いながら、ぐいぐい迫ってバリヤードを困らせていくのだ。

 

 で、グレン君に「おいクルミ!!! だからよそ様に迷惑をかけんなって言ってんだろッッ!!!」と暴力的に引っ張られていく、全くもっていつものやり取りが展開される。

 そんな二人の傍ではカナタさんが佇んでおり、ひとりスマートフォンをたぷたぷといじって興味無さげにしていくその様。……あの三人、どこに行ってもこんな調子なんだな――

 

「ヒイロちゃん!! 此処のオオクワビレッジには滝に打たれ続けているお寺があるみたいなの!! 私、すごく気になるわ!!」

 

 ぐいっ! 視界の死角から引っ張られたアタシの腕。

 ラルトスを抱えた状態で上半身が揺らぎ、アタシはそれによって思わず倒れ込みそうになる。

 

「ひゃっ!!」

 

「あ、ヒイロちゃん!」

 

 抱きとめられるアタシの身体。ラルトスがテレポートを準備していたその最中にも、足元が水辺という転倒してしまったら後が面倒なそれに対して、ユノさんがきちんとアタシを受け止めてくれたことで、なんとかびしょびしょを回避することができた。

 

 ……アタシは、「もー」と不機嫌そうに彼女へと向いていく。

 

「ユノさん、羽目を外しすぎ。確かに、ユノさんってそういうキャラだったけどさぁ……」

 

「ごめんなさい! 私、新鮮に思うものを見てしまうと、つい……」

 

「……んー。アタシ思ったんだけどさ、ユノさんってそういうおちゃめなキャラ、たぶん似合わないよ。もっとこう、落ち着いた雰囲気をしてるっていうか、服装とか見た目的にもクールなお姉さんってカンジなんだしさ、もっとこう――」

 

「……ヒイロちゃん。私、そんなに変だった?」

 

「え?」

 

 ふと、至って平然とクールな一面を見せてくるユノさん。

 さっきまでの、子供っぽい無邪気な顔がまるで見る影もない。……このあまりもの様変わりにアタシは、さっきまでのユノさん、どこ行ったんだろう? とさえ思いながらも何故だか困惑してしまって、ただただ彼女の顔を見遣ってしまうばかりだった。

 

「ヒイロちゃん? どうしたの、そんなに私の顔をじっと見て」

 

「え。あ、いや。……何でもないよ。受け止めてくれてありがとね、ユノさん。で、滝に打たれ続けてるお寺? なにそれ、変なの。アタシもそれ気になるから、一緒に見に行こうよ」

 

「お寺? ――えぇ、そうね! じゃあ、一緒に見に行きましょう」

 

「……? うん」

 

 なんだろう、この違和感……。

 

 元々からして得体の知れない要素が多い人物だったけど、こうして共に過ごす時間を重ねてくるにつれて、その謎がより一層と深まってきた気がする。

 ……ま、いっか。世の中には、クルミ君やグレン君、カナタさんやランヴェールさんのようないろんな変わった人達がいるんだし。細かいことは気にしない気にしない。そう思いながらもアタシはユノさんの手を引いて川を歩き、「たぶんこっちだよね。ほら、行こ行こ!」と言って、無邪気にもお寺を見たがっていた彼女を引っ張るようにアタシはこのオオクワビレッジを散策した。



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ママタシティ (前書きあり)

 作者の肉まんたんこぶです。
 ご愛読いただいている読者の方々であるならば、題名に前書きありと付いていることから、大方の察しはつくかと思われます。

 昨日にも91話として投稿をいたしました『アクティビティを介して』というお話もまた、作者自身がその話に面白さを見出すことができなかったために削除をいたしました。

 引き続き、ポケモンと私をお楽しみください。

      ――――肉まんたんこぶ――――


「ラルトス!! あっち! 『ママタシティ』って書いてある門が見えるよ!!」

 

 抱えたラルトスが見えるように指を差していくアタシ。真昼である現在時刻の、食後の運動とも言える目的地を目指す道中で、アタシは次なるジムが待ち受けている『ママタシティ』に到着することができた。

 

 オオクワビレッジの名残である、くるぶしくらいまでの浅い川が脇で流れていく道。光景はすでに人の手によって埋め立てられた街道へと変化していて、アタシが『ママタシティ』を目指して歩いている間にも多くの人々やポケモン達とすれ違っていた。

 

 特にこれといった特徴の無い、至って平凡な緑の地であるここ。オオクワビレッジとママタシティを繋ぐママタどうろの名前が付けられたこの道は、緩やかな坂道が上下と起伏になっていたり、オオクワビレッジの特徴でもあった浅い水流があちこちで見受けられることから、コダックやブイゼルといった足を持つみずタイプのポケモンが多く生息している。

 

 また、ママタシティからは少し離れてしまうが、浅い川を挟んだ向こう側には赤色や白色、黄色から青色までの多種多様な花々が咲くお花畑が広がっており、そこにはワタッコやヒマナッツ、ニャースやポチエナなどの野生ポケモンが姿を見せていたものだ。

 

 かと言って、じゃあママタシティは他の地域と比べると、これといった特徴が特に無い場所なのだろうか? と問われると、いや、それはまた違うともアタシは言えたかもしれない。

 というのも、ママタシティという地域は、シナノ地方における貿易の要とも言える重要な役割を果たす地域でもあった。そうして他地方との交流が盛んである大きな港を持つママタシティには、山の国シナノ地方では最も珍しい光景となる、絶景の大海原を眺めることができるという長所があった。

 

 他、ママタシティやその付近では、ちょっと変わった野生ポケモンが生息していることでも有名だった。

 他の地方との貿易という関係で、シナノ地方との交流を行う世界中の船が海からやってくる。そうして海を渡ってきた貿易船には、海外から輸入してきた様々な物資やポケモンが運ばれてくるものであるが、そういった海外からやってきたポケモンが野生化することによって、そのままシナノ地方に住み着いてしまうという問題も例年とニュースになっている。

 

 まぁ、アタシのアローラロコンがまさにその例でやってきたポケモンである。アタシのロコンもまた、アローラと繋ぐ貿易船に乗り込んだ野生ポケモンであり、それがそのままシナノ地方に住み着くことでオウロウビレッジにまで迷い込んできたという経歴の持ち主。そんなロコンが体現してみせたように、他の地方からやってきたポケモンもまた野生化することでシナノ地方に居座ることとなるから、そういった外からの来訪者をよく、ママタシティやその近辺で目撃することが非常に多くあるのがこの地域の特徴とも言えただろう。

 

 それを裏付けるように、先ほどにも描写した浅い川には、コダックやブイゼルの他にも、人型のようなヤモリっぽいポケモンが迷い込むように浅瀬を歩いていたりと、あからさまに浮き出た存在感を放つポケモンをよくよく見かける。

 そのポケモンは、ユノさん曰くエンニュートと呼ばれる、メスの個体のみが進化することができるという非常に珍しいポケモンであることが分かった。アタシはそれを見てからというものシナノ地方にはまるで馴染みの無いエンニュートという存在に、とても惹かれるような、すごく珍しいものを見てしまったような気がして、ちょっと得した気分になれたものだ。

 

 でもって、お花畑にはワタッコやヒマナッツが見受けられると言ったが、それらに交じるようにお花畑を浮遊しているダンバルもアタシは発見することができた。ダンバルというポケモンも非常に馴染みが無い上に、そもそもとしてそのポケモン自体に希少価値があるということで周囲のポケモントレーナーが血眼となってゲットのチャンスをうかがっていたものだ。

 

 尤も、そんな珍しいというエンニュートやダンバルという外来種にテンションが上がっていたのは、何もアタシや周囲のポケモントレーナーだけじゃないわけで……。

 そういったポケモンらを見かけては、「うおおおお!!!!」と歓喜しながら駆け出していくクルミ君。それに対してグレン君がいつものように「おいクルミ!!!」と彼を止めるべく走り出していくのだが、その二人があまりに騒がしくやっていくもんだから、珍しいというポケモン達もそれにビックリして逃げていく始末――

 

「アッハッハッハ!!! また逃げられちったよーーー!!! やっぱ他の地方から来てるってだけあって、一筋縄ではいかないなーーー!!!」

 

「おいクルミ。お前さんが野生のポケモンを驚かせるから、ああして逃げられてるってんだ。……ったく、せっかくカムカメってやつを見つけたってのに、クルミが大声を出すからどこかに逃げられちまった……っ」

 

 浅瀬で全力疾走したクルミ君が、びしょびしょになって帰ってきたその姿。こんなにも浅い川で、逆によくそれだけ濡れることができたなと思えるくらいに、彼はずぶ濡れとなりながら満面な笑みを見せて愉快に笑っていたものだ。

 グレン君もまた、若干と悔いる様子で首に手を当てて周囲を眺め遣っていた。そのカムカメというポケモンの進化系がいわタイプを持つということで興味を持ったグレン君であったのだが、その成果が振るわずにため息をついていく。

 

 で、そんなクルミ君とグレン君にタオルを渡していくカナタさん。何だかんだでクルミ君以外にも優しいところをたまに見せていくものだから、グレン君とはあまりうまくやれていない様子を見せながらも、さすが三人で旅ができているだけの関係性ではあるんだなと思いながらアタシはボーッと佇んでいた。

 

 とか何とかママタどうろで色々ドタバタやって、だいぶ道草を食ったジムチャレンジの旅路。陽が傾きかけてきた時刻になって、ずっと見えていたママタシティ入り口の門をくぐることでようやくと到着したその大きな街。

 

 ママタシティ。山の国という緑の豊かな山脈を背景にしながらも、その大地には人工物が詰め込まれたような建物の密集地帯という景色が広がる賑やかな街。港があることで有名なこの地域ではあるが、今現在とアタシらが存在している場所は、その港とはほぼ正反対の方向にある内陸側の地区であったため、内心では一目見ることを楽しみにしていた一面の海も、まだまだお預けというもどかしい気分にアタシは苛まれる。

 

 平坦な地に集合した住宅街や、街道と言うには横と縦に伸びた広場とも言い換えられる、広すぎでありながらもポケモンを含めた人口密度によって行き交う人々の波。そしてそれらが出入りを行う、三百六十度と見渡すかぎりの出店が目立つ、数えきれないほどのお店が並べられた商店街。

 今までと巡ってきた地域と比べると、派手さこそは無かったかもしれない。だが、シンプルイズベストとも言うべきか。目に入る情報量が少ないからこそ受け入れられる要素もたくさんとあることで、すぐにも馴染める空気感と、歩いて三分以内の場所にもいろんなお店が揃っていることから、日用品や食料には当分困らないような、便利さを兼ね揃えた実に過ごしやすそうな土地が特徴的な地域だ。

 

 ……まぁ、さすがにごった返した人混みの街道を歩いている分には、とても住みやすい環境とは言い難いところもあったけれども……。

 

「ラルトス、しっかりアタシにくっ付いててね。多分ここではぐれたら、会うのすごく大変だと思うから。ね、ユノさん。グレン君もいるよね? カナタさんも、そこにいるね。で、あとは、クルミ君――」

 

 人波に呑み込まれながらも、旅するメンバーを確認し合って海を目指していく一同。

 ……だが、ママタシティに入ってすぐというこの時にも、行き交う人混みに呑まれたのだろうメンバーの一人がすでに姿を消していたことに、アタシやユノさん、グレン君やカナタさんが気付いていく。

 

「おいクルミ。おいクルミ!!? ――クソッ!!! この混雑だ。別に仕方ないとはいえども、こいつはちょいと面倒なことになったぞ……!! カナタ!! お前さんもクルミを見失ったんだな!?」

 

「……正直、想定外。私も、この人混みに気を取られてて……!! クルミ!! クルミー!! ――チッ、私からクルミを引き裂く人混みなんて〇んでしまえばいいのにッ!!」

 

「待てカナタ!!! こんな中でひとり動いたら、それこそお前さんも――。あぁ、クソ!! 行っちまった!! わりぃ、ヒイロ! すまねェです、ユノさん! 俺はちょいと二人を探して再合流を試みるんで、ユノさんはヒイロを連れて先に、ママタシティのジムを目指してくれるとありがてェです!!」

 

 今も道行く人々の邪魔にならないよう、端に寄りながらグレン君と会話をするこの状況。この商店街もすごい大盛況であることから、まるで映画館の中かと思えるくらいの大音量で賑わう活気が溢れすぎな騒がしい空間。

 

 グレン君のそれに対して、ユノさんが「じゃあ、私たちは一足先に五人分の宿を確保しておくとしましょう。場所は決まり次第にアプリのchainでグレンくんに知らせるわ」と答えていく。それを聞いたグレン君もまた「ありがてェです!! じゃ、俺ぁちょいと行ってくるんで、また後ほど! ――ヒイロ。今の内に、しっかり休んでおけよ。またクルミに振り回されんだろうからな、肉とかたくさん食っておけ。いいな!」と言い残して、グレン君ははぐれたクルミ君とカナタさんを探して人混みへと身を投じていったのだ。

 

 ……大変だわこりゃ。アタシはラルトスを抱えた状態で、ユノさんへと向いていく。

 そんなユノさんもまた、アタシと同じタイミングで目を合わせてきた。

 

「……ユノさん。宿、探そっか」

 

「えぇ、そうね」

 

 苦笑といった感じに、アタシはユノさんと軽く言葉を交わしてから歩き出していった。

 ママタシティに到着してすぐにも見舞われた、ハプニングとまではいかないちょっとしたこと。でもそんなことがあったからこそ、なんだかユノさんと二人で歩み進めていったこの道がまた、今までのような安心感を得ることができたものだったから……。

 

 陽が落ち始めたママタシティ。商店街から抜け出すことで、取り敢えず人混みとはおさらばをしていく。

 と、アタシは無意識にユノさんの手を取って、ぎゅっと握りしめていくことで無理やり手を繋いていった。

 

 これには、さすがのユノさんもちょっと驚いていく。

 

「ヒイロちゃん?」

 

「えへへ。なんか、そういう気分なんだもん。ね、ラルトス」

 

 片手で抱えたラルトスが、角を淡いピンク色にピカピカと光らせて応えていく。

 で、とてもニコニコな笑顔を見せながら、ラルトスもまたユノさんへと手を伸ばしてキャッキャと楽しげにしていたものだ。

 

 そんなアタシらの様子に、ユノさんは柔らかく笑んでみせる。

 そして、アタシはユノさんと二人で、ママタシティの街中を穏やかに歩き進めていったのだった。……心休まる、とても穏やかなこの一時に身を委ねながら――――

 

 

 

 

 

 

 

 ――――陽の落ちた山の国。人の手によって造られた照明が灯る中を、静けさという自然の環境音さえも思い出すことを知らないこの商店街は、現在も多くの人々やポケモンが行き交う光景をつくり出しては止まない活気で盛り上がりを見せていく。

 

 その一角に存在する、胡散臭い雰囲気を醸し出したどうぐを取り扱う小物店に訪れた、一つの人影。こんな時間に客だなんて珍しいといった、半分寝かけたその瞼でカウンター席に座る男の店主が見遣っていく。

 

 こちらへと真っ直ぐ歩んでくる、眠りかけていた意識が覚めるほどの高身長。すらりと高く、服越しからでもうかがえる細くも筋肉質な勇ましいその人物。

 すぐにも「何かお探し?」と気だるげに訊ね掛けていく店主だが、その人影は迷いの無い歩を進めてカウンター前まで来るなり、上着のポケットから取り出した一枚の写真をバッと置きながら、腹から込められた滾る闘志をうかがわせる低い声で、それを訊ね掛けていったのだ。

 

「他で話をうかがってな、ここの店主が伝説のポケモンマニアだと小耳に挟んだもんで、訊ねさせてもらいてぇんだ。……この写真に写るポケモンに見覚えはねぇだろうか? 名前は、『ギラティナ』って言うんだがよ――」



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プレゼント

「ヒイローーーー!!! ヒイロって、どうぐ何とかとかいう、よく分かんないけどとにかくどうぐを集めてる人なんだよな!!? だったら、コレやるよーーー!!!」

 

「どうぐコレクターね。で、クルミ君どうしたの?」

 

 夕食を終えた、ママタシティの宿の中。屋内で楽しめるビュッフェスタイルのお洒落なディナーにアタシは大満足し、それの余韻に浸ったまま、ポケモンを解放してやれる宿内のコートで手持ちのパートナーを遊ばせていた時のことだった。

 

 照明に照らされた、人間が球を使った競技かなんかで使用するのだろう広々としたコート。整備が行き届いていて、ポケモン達も存分に走ることができるスペースが確保されていることから、今もアタシのロコンやマホミルが走ったり宙を高速で動き回ったりして、モンスターボールの中での運動不足を解消させていくこの光景。

 それを見守っていると、アタシはクルミ君に声を掛けられた。突然なんだろうと思って振り向いてみると、彼はすごくニコニコとした笑顔で、身体の後ろにやった手に、何か持っているんだろうなということがすぐに分かる。

 

 で、クルミ君の後ろから歩いてきたグレン君とカナタさん。グレン君が特に止めに入らないことから変なことではないことを察することができるし、カナタさんがアタシにすごい睨みを利かせていることから、あぁ、クルミ君はアタシに何かイイ物をプレゼントしようとしてるんだということが、容易く分かってしまえる……。

 

「へっへへへ!!! さっき商店街をウロウロしてたときによ!! なんか入り口とか中身がすげーーー怪しいお店があって!! でさ! そこがどうぐを扱ってる小物店だったから、そこに寄ってヒイロが気に入りそうなものを買ってきたんだぜーーー!!!」

 

「へぇ。クルミ君、真っ先にアタシらとはぐれてたけど、そういうとこに行ってたんだ。……って、怪しいお店って、よくそんなとこ簡単に入れるね……」

 

「そういうことだからさ!!! ヒイロ! コレやるよ!!!」

 

「いやアタシ、クルミ君がなんでよりにもよってそういうお店を――まぁいいや。ありがと」

 

 相変わらずだなぁ……。

 そんなことを思いながらアタシは手を出していくと、クルミ君はニシシと笑いながら身体の後ろに回していた手を前にやっていく。

 

 で、アタシの手に乗せられたのは、プリンにヒビ割れが入ったような、何とも言えないそれなりな大きさの石だった。

 

「……なにこれ?」

 

「んー、分かんね!!!!」

 

 おっけー。分かんないのね。アタシは反応に困ってしまい、ただただそれを眺めることしかできずにいた。

 ……とは言っても、そんな表面での困惑とは裏腹に、アタシは手に置かれた石を見るなり非常に惹かれるものを感じ始めていて、反応に困っていたというよりはむしろ、この石に見惚れていた、という表現の方が正しかったかもしれない。

 

 まず、どういった過程でこんなヒビ割れが入っているんだろう。それが第一に不思議と思ったこの石は、よくよく見てみると何かの台座のような雰囲気を感じ取ることができる。それでいて、この石に入っているヒビ割れの両側には、何かの目のような点が二つ空いていることにも違和感ばかりが募ってくるもので、それなりの大きさであるにも関わらずに重さはそんなに重くないという、見た目よりもだいぶ軽量な感触にも、アタシは魅入られるようなものを感じていく。

 

 ――確かにこれは、アタシが気に入りそうなものだ。

 クルミ君、ナイスじゃん。内心でウキウキとしてきたこの気持ちに、感情を読み取ることができるというラルトスがサイドンから下りてきてアタシへと駆け寄ってくる。

 

「サイドン、ラルトスを遊ばせてくれてありがと。――こら、マホミル! ミツハニー! よそ様のポケモンにちょっかいかけるなー! ……ラルトス見て。これ、今クルミ君から貰ったの。何だと思う?」

 

 手に持った石を、ラルトスに見せていくアタシ。

 そうやってアタシが色々と考えを巡らせたりパートナー達を気に掛けている間にも、アタシの脇では唐突のプレゼントをしたクルミ君に対する会話が展開されていた。

 

「おいクルミ。で、結局その石は何なんだってんだよ。お前さんを見つけた時には既に購入していたようだが、あの店の雰囲気も雰囲気だ。もしかしてお前さん、店主にぼったくられたりしてねェだろうな?」

 

「ぼったくり? いやいや!! コレ、店主のオッチャンにタダで貰ったんだ!! コレってヒイロ好きそうだなーーってオレ見てたんだけどさ! なんか急に声を掛けられてさ。コレ置いていても売れないから、欲しいんならそれやるよって言ってくれたんだ!!! ホント、ラッキーって感じだよな!!!」

 

「は? お前さん、買ったって言っただろうが。っつーか、こいつがタダ? おいおいおいおい、だったら尚更怪しいじゃねェか。明日でも遅くねェ。ヒイロ、そいつは何かの技エネルギーによる呪いがかかっていてもおかしくねェ代物だ。たまにあんだよ、そういう怪しい骨とう品かなんかにポケモンの呪いが掛けられて販売されている事例がよ。そいつで運気を吸い取られた持ち主が不運な事故に見舞われることも少なくねェから、クルミに責任を取らせて本人に返却してやった方が身のためだ」

 

「えぇーーーー!!! せっかくヒイロが気に入ってくれてるのにーーー!!!」

 

「気に入るって、どっからどう見ても困惑してるだろうが。まずなクルミ、いくらヒイロがどうぐコレクターだからと言ってもよ、そんなワケも分からねェ石をくれるような、ロマンスの欠片も無ェことをよく軽々とできるな。ヒイロは女子なんだからよ。もっとこう、俺らと同じ歳の女の人が欲しがりそうな、そうだな……アロマベールの芳香剤とかを選んでだな――」

 

「アタシ、これすっごく気に入っちゃった」

 

「え」

 

 グレン君が、ぎょっと目を丸くしてひどくショックを受けるその様子。

 こんな顔、初めて見たかも。本心から驚いたという形相でグレン君はアタシを見遣ってくると、それとは一方にクルミ君は後頭部に手を回しながらケラケラと笑い出す。

 

「だろーーーー!!? だろーーーーー!!? な! グレン!! やっぱヒイロってこういうの好きなんだ!!! オレの目に狂いは無かったんだ!!!」

 

「ナイスだよクルミ君。こんなにも、どういった意図を以てして生まれてきたのかがまるで分からないどうぐは初めて見るかも。――どのどうぐにも、戦闘中に分泌される興奮の成分かなんかに反応を示す効果があったりとか、特定のポケモンが持つことでその本能をより強く引き出したりとか、あとはポケモンの進化を促す作用を持つ特殊なエネルギーが秘められたどうぐなんかも存在していてさ。代表的なもので言うと、かみなりのいしとか、かたいいしとか。どうぐってのは、その成分や効果を必要とするポケモンが存在するからこそ自然発生する、ポケモンの生態と深い繋がりを持つ神秘の恵みでもあるからさ。どんなどうぐにも、必ずと言っていいほどその存在意義ってのが定められているの。だから、どうぐとして扱われている以上は何かしらのポケモンがそれを欲していることが確かであって、アタシはそれを手に取るだけで何となく理解することができる経験とかがあるもんなんだけど。でも、この石はアタシがさっき言った存在意義というものをまるで――」

 

「おいヒイロ。待ってくれ。分かった。とにかく、お前さんが気に入ったことはよく分かった!! ――だがよ、クルミ。これでもしヒイロに不幸が被ったとなれば、まず真っ先に疑われるのはお前さんだからな。本人がこれを手放さない以上は、常にその責任が付き纏うと思えよ。ったく、返事からして能天気な野郎だな。……なんだ、カナタ。何か言ったか?」

 

「……のままクルミの前から消え……ボソボソ」

 

 とにかく、めちゃくちゃ情報量の多い空間が展開されていた。

 アタシはアタシで、この石に魅了され続けてしばらくボーッと座り込んでいたものだったが、気付けば時刻も深夜ということでユノさんから「そろそろ寝ましょー?」とお呼びがかかり、アタシ達同い年ーズはカナタさんを除いて「はーい」と素直に返事して部屋に戻っていく。

 

 この日、アタシは個室でひとり眠っていた。

 傍にはラルトスとロコンがアタシにくっ付くように寝転がっており、そんなベッドの上には更にマホミルとミツハニーが乗っかりながらスヤスヤと眠りについている。

 

 サイドンも部屋の出口付近で身を休めており、アタシらみんなをいつでも守れるような姿勢で睡眠をとっていたものだから、アタシはサイドンに感謝の言葉を掛けながらこのベッドに横になってボーッとしていたものだ。

 

 ……パートナー達みんなの寝息が聞こえてくる。これを聞きながら眠るのがアタシの日課とも言えて、かつ最愛のパートナー達に囲まれている感じがして、すごく落ち着けるものだから少しばかり起き続けてしまうものだ。

 この時もアタシは、寝相の悪いロコンに尻尾で顔を殴られながらも、真っ暗な部屋で目を覚ましていた。――明日はどんな一日になるんだろうとか、このペースなら明日中にも海を拝むことができるのかなとか、そんな些細なことをずっと脳内に巡らせ続けていたものだから。

 

 だが、今だけはどうしても、どこか落ち着くことができなかったのだ。

 ……やっぱり、そうだよね。確実にそうではないと思いながらも、しかし感覚では肌にひしひしと感じ取れてしまえるこの違和感。

 

 ――アタシ、誰かに見られてる?

 やだ、怖くなってきた。急にゾッとしてきたアタシは布団の中でブルブルと震えてしまい、ちょうど頭のすぐ脇にいたラルトスにぴとっと顔をくっ付けて、この温もりで全て忘れてしまおうと考えながらアタシはその晩を過ごしていったものだ。

 

 で、最終的には眠れることができたから、一安心といったところだった。

 結局、昨晩のあれは何だったんだろう。未だによく分からない、でも確かに初めて感じられた不思議な違和感にアタシは頭を傾げながら、女を忘れたかのような無造作な手際で寝間着から外出着に着替えていく部屋の中。

 

 ま、いっか。スカートをパンパンと手で叩いて、「よしっ!」と気を引き締めていくアタシ。そしてベッドの上のラルトスが手を伸ばしてくるのでこの子を抱え、バッグを引っ提げてからアタシは宿屋の個室を後にした。

 

 ……今もバッグの中にある“それ”が、僅かながらの存在感を静かに放ってくる気配に気が付くことのないままに――



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邂逅との直面

 ママタシティを歩き進めること一日。目的としていた地域であるママタシティという場所には到達していたものの、そこに存在するママタジムまでの道のりというものがまた遠く、アタシは思っていた以上もの時間を費やすことでこの広大な街の中を少しずつ進んでいたことにようやくと気が付いていく。

 

 正直、ユノさんや旅に慣れたみんながついていてくれているから、今回の道のりも余裕だろうと高を括っていた。いや別に、その道中は決して険しかったり命懸けだったりといった、切羽詰まった状況の中を冒険していたというわけではないのだが、それにしては人混みでごった返した平坦な街を一日中歩き続けるというのも、それはそれでしんどいものでアタシの体力がとても持たなかったものだ。

 

 で、またしてもアタシが足を引っ張ることで、ママタジムに到着するまでの時間を余計に掛けてしまっていた。これに対しても皆からはあれやこれやと言われることもなく、むしろユノさんは「ヒイロちゃんのペースに合わせていきましょう」と提案してくれたり、グレン君も「ヒイロはジムチャレンジの参加者っつーだけだしよ、長期の旅に慣れてねェんだから気にすんな」と声を掛けてくれたりと温かくしてもらえたことに、ただただ感謝の極みしかない。

 

 で、クルミ君はと言うと、「じゃあ! ヒイロの休憩ついでにここでキャンプしようぜーーー!!」と思い付きで提案したことで今晩の方向性が決まったアタシら御一行。しかも、現在位置がちょうどママタジムまで続く近道という山の中にいたものだったから、あのごった返したママタシティの人波を上から一望できるというくらいの高さのここで、平坦な街からはかけ離れた自然の緑に染まる平原の一角で、アタシらはテントを張ってキャンプを行うことにしたのだ。

 

 ユノさんとグレン君がテントを取り出してそれを組み立てていく間、クルミ君とカナタさんはキャンプで作るカレーの準備を任されて、あらほらさっさと周囲から木の実を集めたりと具材を探していくその様子。

 で、アタシは何をしていたかというと、野生のポケモンがこのキャンプ周辺に寄ってこないようにと、この一角だけを守るようにむしよけスプレーを振り撒いていくという雑用をこなしていた。

 

 ヘトヘトでバテバテだったアタシは、みんなに簡単な作業だけでいいよと言ってもらえたことから、そのご厚意に甘えつつもそれでも何かやろうと思い立っての雑用係。この環境に悪影響とならない程度の狭い範囲にスプレーの液を撒くことを意識して、難なくとこなしていったアタシの仕事は一旦手を止めることにしていく。

 

 ふぅ……。ちょっと動いただけで、すぐ汗だく。服をはたはたとさせて身体に風を送っていると、抱えたラルトスがそれを手伝ってくれるのかアタシの服を掴んでその真似をしていくのだ。

 あぁ、イイ……。椅子に座った状態で、膝の上に乗せたラルトスがアタシの服をはたはたするこの状況。送られてくる風がより一層と心地良く感じられて、しかも他の人ないしポケモンにやってもらっているということもあってか、なんだかクセになりそうな気持ち良さにアタシは「あぁぁ~~ーー」と疲れを癒していく。

 

 と、そうして休憩をしている最中にも後ろから駆け寄ってくるドタバタとした足音。見なくてもその主がまるで分かり切ってしまうそれにアタシは振り返っていくと、その最中にもクルミ君がニッコニコな笑みでその言葉を掛けてきたのだ。

 

「ヒイローーーー!!! カレーに入れる具材を探しに山入ろうぜーーー!!!」

 

「えぇ、まだ具材探すの!? なんか既にいっぱいきのみ採ってきてなかった?」

 

「んーーー、だってオレもグレンもよく食うし?? それに、オレ達以上にユノがめっちゃ食べるじゃん!! だからアレじゃあ少ないし、山でもっともっと食べ甲斐のあるでけェ食いモン探しに行こうぜ!!!」

 

「あーー……確かにユノさん、モデルのような羨ましいくらいのプロポーションしてるのにホントよく食べるもんね。……しゃあない、アタシも行こっか。クルミ君やカナタさんばかりを働かせるわけにもいかないし」

 

「やったーーー!!! じゃあほらほら、行こーぜ行こーぜ!!!」

 

「や、だからって。ま、待って待って! 手を引っ張らないで!! 走らないで!! てか速いってーーー!! あぁぁーー!!!!」

 

 もう慣れてきたわ。内心の諦めと共に引っ張られる手のままに駆け出されるアタシは、ラルトスを抱える腕に力が入る感覚を覚えながらクルミ君と周辺を巡っていったものだ……。

 

 

 

 ご馳走様でした。みんなで手を合わせて食後の挨拶を口にしていく夕方キャンプ。

 四人分のテントが張られた緑の平原は、次第と地平線に姿を隠していく太陽によって暗がりを展開し始めていた。ここら辺はママタシティの街とは違って照明もそれほど取り付けられていなかったため、灯りが少ない芝生の平坦というコケようは無いものの照明の少なさがネックとなる一帯だった。

 

 で、完全に夜となってしまう前に、食べ終わったカレーのお片付けをしようと言う事でアタシ達はきびきびと動いていた。

 まずは、アタシがマホミルを繰り出していく。ちょっとした思い付きでパッとモンスターボールを投げて繰り出していったものだが、その姿が現れた瞬間にも周囲に漂い出した、このお腹いっぱいな状態じゃあむしろ胃もたれしてしまいそうなほどの、嗅ぐだけで蕩ける甘い匂い。

 

 カレーのニオイを打ち消す消臭の役として、マホミルにはここでみんなを応援してもらうことにした。でもマホミルは血気盛んで動き回っていないと落ち着かない、とても元気な子。だから――

 

「ユノさん! マホミルをお願いね!」

 

「えぇ、任せて。さぁマホミル、私と一緒にいましょうか」

 

 ぎゅっ。ユノさんの胸に抱かれたマホミルは、液状の身体を真っ赤にしながら、まるで血の気しかないとしか思えなかったあまりもの暴れん坊具合が想像できないほどの、とても落ち着いた様子で彼女に収まっていく。

 こいつ、ユノさんの前となると、途端にイイ子になりやがる。マホミルがオスであることはこれをキッカケに知ったものだったが、それにしてもあれだけよそ様のポケモンに勝負を挑みまくる決闘好きが、好みである人間の女性に抱かれるなり素直にしっぽりと言う事を聞くようになる辺りが、さすが人間と共存する生き物なだけはあるなと逆に関心してしまったり……。

 

 ということで、ユノさんが制御してくれる形で消臭係のマホミルを残して、アタシはグレン君と共に汚れた食器を、近くの浅瀬で洗うことにした。

 クルミ君は、ユノさんに強さの秘密なんかをガンガン訊ね掛けながらも、調理で使ったもろもろを片付けていくその様子。それでいて、彼にくっ付いて行動するカナタさんもまたその手伝いとして残っていき、彼がお熱である最強美人トレーナーに対して殺伐としたオーラを放っていく。

 

 そんな感じでキャンプに人が足りていたアタシは、グレン君と一緒にお盆に乗せた食器を浅瀬まで運んできた。

 ……食器、流されないようにしないと。見た目に反して意外と水流が強いものだから、オンタケ山でも一見して水の流れが無さそうな湖の激流に吸い込まれた経験から、とても警戒しながらその浅瀬を目指していく。……てか、アタシの旅路って、普通に死んでいてもおかしくないこと、それなりに多いよねー―

 

 ――なんて思っていた矢先に、グレン君はふと目にした一つの人影に対して、足を止めていった。

 

「っ、おい。……背のでけェ男だな」

 

 アタシは、グレン君が向ける視線を追い掛けた。

 

 暗がりに染まり始めた周囲に溶け込むその男。遠目からでも分かるくらいに高身長な彼は、のっぽと言うにはその服越しからでも分かる程度に筋肉質である、その背中を見ただけでも密度の濃い冒険をしてきました感を漂わせた、あらゆる戦場を見てきた歴戦の猛者的な雰囲気を醸し出す特殊なオーラを纏っていた。

 

 で、アタシらが足を止めてそれをうかがっていく間にも、男は股辺りをゴソゴソとやっては「ふぅ……」と、アタシでもまぁ気持ちはよく分かる解放感に満たされた様子でチロチロと……。

 

 ……って、アタシ達、あの水で食器を洗おうとしてたんだけど――

 

「おれの背後に誰かいるんだろう? ……足音の数と、横に広がって縦にはまぁまぁ小さいその気配。人数は二人ってとこの、子供たちってところか」

 

 ゴソゴソ。浅瀬にチロチロしながら、多分アタシらに掛けてきたのだろうその言葉を口にしてくる、腹から込められた滾る闘志をうかがわせる低い声。

 わぁ、ランヴェールさんとはまた違う方向性の、ザ・戦う男ってカンジのイイ声。アタシはそれに聞き惚れてぼうっとしてしまうのだが、それでも彼のやっていることがやっていることなんで、グレン君はお盆を持って両手が塞がっていることから、気まずそうにしながらアタシを気遣っていく。

 

「おいヒイロ。あまり見てやるな。年頃の女子がまじまじと見るもんじゃねェし、俺らとしてもヒイロのようなやつに見られてりゃぁ、出るもんも引っ込むってもんだ……」

 

「二つの気配は、男女の子供たちか。悪ぃな、品性の無い大人でよ。だが、ちょいとこれだけは済まさせてくれねぇだろうか。何せ、一日ぶりなもんでな……」

 

 身体に悪……。率直な感想を抱いたアタシが、ボーンとした空気でそんなことを思っていく間にも彼が用を済ませていく。

 股辺りをごそごそとして、近くの浅瀬で手を洗うその男性。そうして一連の用事を終わらせると、彼は道行くみんなが見上げるだろう長身でこちらへと振り向いてきたのだ。

 

 厳つい目に、男らしさを兼ね揃えた美形の顔。オレンジ色のヘアバンドで束ねられた、肩まで伸びる藍色の髪。それは束となった毛先で一本の髪の毛を演出していく、毛先が尖ったドレッドヘアーみたいになっていた。また、オレンジ色のシャツに、ショート丈の青色の上着。身動きの取りやすそうな青色のトラベラーパンツと、焦げ茶の靴というその風貌。

 

 気に食わないヤツはぶん殴るという雰囲気とは裏腹に、厳つい目元で穏やかな表情を見せていた彼。そうしてアタシとグレン君の姿を自身の目で確認していくと、申し訳なさそうに首に手を回しながら、後ろの川を背にしてそれを言ってくる。

 

「おっと……手に持つそれは、もっと上流で洗った方がいいかもな。あんたらには下品な所を見せちまった。悪いな」

 

 アタシらを横切ろうと歩いてくるその男性。

 ……うわ、近くに来るともっと大きいな。本当にのっぽである彼の存在感に、アタシとグレン君が数歩と退きながら彼に道を譲っていく。

 

 トラベラーパンツのポケットに手を入れて歩く男性。自然と開かれたその道を堂々と進んでいくその姿も勇ましく思えてきて、もう見ただけで熟練の冒険者であることが伝わってくる、まるでユノさんのような人……。

 

 ……と思っていると、彼はふと足を止め、思い立ったようにアタシらにその言葉を投げ掛けてきたのだ。

 

「……わずかな可能性にも、すがっていかねぇとダメ、か。――なぁ、嬢ちゃんと坊や。こんな暗がりに大の大人から訊ね掛けられるのは怖ぇことだと百の承知であるもんだが、この写真に写るポケモンのことについて、あんたらは何か知らねぇか」

 

 と言いながら、右手を上着のポケットに入れては一枚の写真を取り出して、アタシとグレン君に見えるよう膝に手をついた屈んだ姿勢でそれを見せていく。

 頭上に灯る、僅かながらの照明に照らされたこの空間。アタシとグレン君は、彼の顔もよく見えるくらいの明かりの中で、彼が言うままに差し出されたその写真を二人で覗いていった。

 

 それを見た感想と言えば、見た瞬間にも理解することを拒否するような、この世のものとは思えないほどの異質な歪みを感じさせる、まるで映画に登場するモンスターのCGのような神々しい姿を持つ生き物が写されていた。とでも言えただろうか。

 合金のような金色と、脚のような羽らしき背中のそれ。一目でそれが竜であることは理解できるのだが、写されたそれが向けてくる血のような眼光が、アタシに対して、それ以上のことを知ってはならないと訴え掛けてくる、このアタシの本能が全身でそれを見るなという警告を発してくる、一目だけで鳥肌が止まらなくなる不気味な写真……。

 

 アタシは、グレン君を見遣った。

 ……グレン君もまた、アタシと同じ感想を持ったのかもしれない。バンギラス並にコワイ顔をする彼でさえ、あまりにもおぞましく思うが故にショッキングを受けた目をアタシへと向けてこの視線が合っていく。

 

 そういうアタシらの様子を見て、男性は「やっぱりか」と言わんばかりのため息を一つついてから、それを説明してくれたのだ。

 

「まぁ、無理にこいつを理解しろとは言わない。見ているだけでも気分が悪くなるだろう。この、人間が理解を拒む外見をした謎の生物の正体は、『ギラティナ』という名を持つポケモンであることだけは明かしておくとするよ。その『ギラティナ』というヤツについては、各々で調べてくれればそれでいい――」

 

「はんこつポケモンであるギラティナは、生まれとなる出生地から生息域までのありとあらゆる面において、未だ不明とされている謎多きポケモンよ。まるで亡者の国を統治しているかのような、死を連想するその見た目は、ヒイロちゃんやグレンくんにはまだまだ刺激が強すぎるかもしれないわね。――ただ、その正体が『伝説のポケモン』であると知れば、きっとその死霊のような見た目も幾らか受け入れやすくなるかも。だって、伝説のポケモンだなんて、普通に生きているだけではまず絶対にお目に掛かれないもの。そんな、希少の中の希少な価値を持つポケモンであると知ってしまえばきっと、その写真に写るポケモンの見る目が変わると思うわ」

 

 男性の背後から、流暢な説明で歩み寄ってくるユノさんの姿。

 軽く腕を組みながら、慣れた調子ですらすらとそれを喋る彼女に驚きを隠せない様子の男の人。口をあんぐりとさせて、目を見開いた表情をただ呆然とユノさんに向けていくばかりであったものだが、この説明を聞いてからのアタシとグレン君は、男性の様子なんて気にしている場合ではなかったものだ。

 

「ユノさん? どうしてここに来てるの? ……伝説の、ポケモン……? ……え??」

 

「ユノさん、っ、そいつは一体、どういう……?? ――いやいや。そんな。いくらユノさんでも、そんな。……は。マジで……??」

 

 食い入るように見るアタシとグレン君。男性が未だ見せてくれていたその写真を改めて眺めていくと、これが、伝説のポケモン……? なんていう信じられない思いが先行する気持ちの中で、アタシらは心を無にしたままこれを目に焼き付けていたものだ。

 

 で、男性に向けられた視線を浴びるユノさんもまた、その説明を続けていく。

 

「一概に伝説のポケモンと言っても、それを裏付ける根拠となる古くからの伝承にも、その名前はほとんど載っていないわ。それもそのはずで、ギラティナというポケモンは、この世の禁忌とでも言えるくらいの使命を持って生み出されたポケモンでね。このポケモンを語る上で欠かせない類似性のある神話を持ち出して説明をするとなれば、シンオウ地方という地方で伝わる、世界創造の伝承と密接な関係を持っているとされている。詳しく言うと、時間の神であるディアルガ。空間の神であるパルキアの誕生と共に、ギラティナという存在もまた一緒に生まれてきたとされているけれど、その真相は、この世界の創造主であるアルセ――神様のみぞ知る、といったところかしらね」

 

 どや。全てを代弁してあげたわと言わんばかりのユノさんの表情が、今も呆然とする男性へと向けられる。

 ……男性の鼓動が凄まじく速くなっていたことは、写真を持つこの手を見るだけでも何となく理解できた。――小刻みに震えていた、現在も必死になって抑えているのだろう強い感情。彼もまたユノさんと似たような何かを感じられたアタシは、写真を興味深そうに見ているグレン君を脇に顔を上げていった。

 

 向き合うユノさんと男性。男性が何か口にしようとパクパクさせていく間にも、ユノさんはユノさんで、若干と冷や汗らしきものを流しながら、悠々とした様を繕った様子で佇んでいくこの光景……。

 

「どうかしら。貴方の欲しい情報は手に入った?」

 

「…………とんでもねぇさ。開いた口が塞がらねぇ。だがよ、おれが欲している情報は何もそいつじゃねえことは、あんたも分かって言ってんだろ。なぁ、どうなんだよ……!!」

 

「さぁ? 仮にも私は貴方とは初対面のはずだから、これ以上のことは何も知らないとでも言っておくわ。――ただ、私もまさか“此処”で、『ミュウツー』とギラティナの両方を持ち出されるだなんて思っていなかったものだから。ちょっと今、内心でかなり動揺してる」

 

「……やっと、アタリを引けたか。これでようやく、おれは一歩進めたんだな……!!」

 

 フフフ……ッ。フッハハハ……ッ。

 互いに零し合う、双方の表情をうかがう異質な空気。アタシにはまったくもって理解できない、二人だけの世界が繰り広げられている。

 

 ……なに、この。何なの、一体。

 関係無い立場にいるはずのアタシでさえ、この二人が出くわした今において不思議と心臓を強く打ち鳴らしていた。――分からない。分からないけど、アタシの目の前では何かが起きている。食器を乗せたお盆を手に持つ今の状況において、言葉にし得ない何かの予感に身を震わせてしまいながらも、アタシはただただ、この場に佇むことしかできずにいたものだ…………。



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ニュー・アダルティ

 やば、寝坊した!

 ユノさんのテントの中で、ラルトスがアタシの目覚めを待ちながら傍でちょこんと座っていた視界の光景。同時に入ってきた時計を見るなりガバッと起き上がったアタシは、一瞬にして意識を覚醒させてから人のテントの中でドタドタと動き始めていく。

 

 時計の針が示す時刻が、出発予定をだいぶ過ぎてしまっていた。こりゃみんなを待ちぼうけにさせているなと思い、謝罪の言葉を考えながらあたふたと着替えていくアタシ。

 くそー、昨晩はアタシがユノさんを抱き枕にしてやろうかと企んでいたのに。昨日にも、テントを共有するユノさんを抱き枕化計画という、疲れから来たよく分からない考えでその夜を過ごそうとしていたアタシ。しかしいざその夜を迎えたとなると、こうしてテントに入る前にもアタシが出くわしたある人物との邂逅に、ユノさんは意識を一気に持っていかれることとなったのだ。

 

 ギラティナを探し求める男。名前も聞いていない高身長の冒険者である彼という存在に、アタシは少なからずの何かを感じていたものだ。その不明瞭なところが一番肝心なところであるけれど、少なくともこの感覚は、初めてユノさんと出会った時の、「この人を、このまま一人で行かせてはいけない気がする」という根拠も理由も無い直感に近しいものが働きかけてきたとでも言えるかもしれない。

 

 とにかく、その夜のユノさんは、ただでさえ謎である素性をさらに謎とする言葉でギラティナの説明をすると、あれからというもの彼と少し話をしたいということで、二人にしてほしいと言ったユノさんの意図を尊重し、アタシとグレン君はその場を後にした。

 

 もー。てかあの男の人もそうだけど、まずユノさんってほんと何なの。もっと謎が深まってきて、何だかよく分からない人って次元を越えて、そこに存在していることすら奇跡な人という認識になってきたアタシの思考。慌てながら余計なことを考えるアタシは、脱ぎ捨てていく寝間着やインナーを人のテントの中にばら撒いていっては、ラルトスがそれらを回収してアタシのバッグの中にテレポートでグシャッと移してくれる。

 

 そんな連係プレイによって、即座に着替えを完了したアタシ。テントの中も綺麗にしてラルトスを抱え、みんなを待たせてしまった謝罪の言葉を思い浮かべながらアタシは日差しへと身を乗り出していく。

 ガバッ! と飛び出すように姿を現すと、その瞬間にも目の前から感じ取れた大きな存在感。――あ、ユノさん、ちょうど起こしに来たのかな。それを思ってアタシは「ユノさ――」という言葉と共に顔を上げていくと、そこで目が合ったのは王冠のようなクチバシの端が目立つ、体格の良いペンギンのような背の高いポケモンがアタシを見下ろしてくる光景……。

 

 …………え。あの、どちらさま――――?

 

 

 

 キャンプ地にしたママタシティの平原を出発するアタシら御一行。アタシが寝坊したことでその出発が大いに遅れた……かと言われればそうではなく、むしろアタシが早起きしていたところでこの出発時刻はそれほど変わらなかったとも言えたかもしれない。

 

 というのも、平原という広大な土地を利用して、みんなが朝からポケモンバトルに勤しんでいたからという至ってシンプルな答えがあったからだった。アタシが外の騒音に全く気付くことなく熟睡している間にも、クルミ君を始めとしたポケモントレーナーの面々がドタバタとわざをぶつけ合ってガチンコの戦いを繰り広げていたということをアタシは後から聞いたものだ。

 

 でも、それじゃあどうして今になって長時間とポケモンバトルに勤しみ始めたのか。アタシはその要因となるものが気になったものだが、その答えとも言えるだろう一つの存在感が、ママタジムとママタシティの海を目指すこの旅路にさり気無く混ざり込んでいたものだったから、アタシは想像に容易くすぐに納得することができていた。

 

 厳つい目に、男らしさを兼ね揃えた美形の顔。オレンジ色のヘアバンドで束ねられた、肩まで伸びる藍色の髪。それは束となった毛先で一本の髪の毛を演出していく、毛先が尖ったドレッドヘアーみたいになっていた。また、オレンジ色のシャツに、ショート丈の青色の上着。身動きの取りやすそうな青色のトラベラーパンツと、焦げ茶の靴というその風貌。

 

 長身の彼がトラベラーパンツのポケットに手を突っ込みながら歩いていると、ふとアタシを見下ろしながらその言葉を口にしてくる。

 

「あんたらはほんとに何気無く旅を再開したもんだが、そこのあんたは寝てただろうから、おれが何故ここに交じってんのかよく分かってねぇだろ」

 

「仰る通りです……」

 

 ラルトスを抱えながら歩くアタシは、顔と目を合わせるべく見上げながら苦笑いしていく。

 ……背が高くて、目を合わせて話していると首が疲れてくるよ。やっぱり高身長の男の人というのはそれだけでも見惚れるものがあったものだから、アタシに彼氏ができた時の理想としてこれを所望していたものだ。が、こうしていざ近い距離で話すとなると、あまりにも身長差があるもんだと、それはそれでちょっと大変かも……。

 

「アタシら、自己紹介もしてないよね。アタシは、ヒイロっていうの。で、こっちはアタシのパートナーのラルトス。まだまだポケモントレーナーになったばかりなのに、ノリでジムチャレンジに参加しちゃった十五歳だから、まぁ取り敢えずよろしくね、お兄さん」

 

「あんたのことは、ユノからざっと聞いている。彼女がやけに気に掛けている少女とか言うもんで、おれらにも関係のあるトリガーかと思っていたもんだが、本当にただ普通にポケモントレーナーをしているだけなんだもんな。――あぁ悪ぃ、こっちの話だ」

 

 よく分かんないことを口走っている感じ、どうやらユノさんと何かしらの関係を持つ人間であるとアタシは見た。

 ママタシティの街道に入った一同。人混みが段々と視界に映り始めてきた情報量の多さと、そんな中でもひときわ目立っていた野生のプテラが飛行するその様子に、いつものように騒ぎながら駆け付けていくクルミ君と、それがいわタイプということもあってかやけにテンションの高いグレン君が、クルミ君と一緒に駆け出すようにそちらへと向かっていく。

 

 で、そうして走り出した二人を追いかけるように、カナタさんもまた物静かに足を走らせて三人組は離れていったものだ。

 ……いつも通りの光景を眺めながら、アタシは気付けば二人のアダルティに挟まれていたことに気が付く。そして、それを好都合だと思ったのか、ユノさんはアタシと彼に歩み寄りながらそのセリフをしゃべり始めるのだ。

 

「この子自身は、本当に私達と関係の無いごく一般的なポケモントレーナーとして旅を共にしているものだけど、最近は段々と、そうとは言い切れない領域にまで足を踏み入れてきているものだから、ある程度の話であればこの子との共有も許されるわ」

 

「ほう。具体的には、どんな話をこの嬢ちゃんとできんだ」

 

「……マサクル団の存在。それと、もしかしたらこの子も“適応”する体質を持っているかもしれない」

 

「そら、興味深いねぇ。まだまだ未成年というのに、大層な気質の持ち主なこった」

 

 …………。

 

 分かんない。話についていけない。

 

「アタシに分かる話をしてほしいな。二人だけで話されちゃうと、アタシ気まずいんだけど……」

 

「あら、ごめんなさい。私と彼、少し通じ合うものがったものだから、つい」

 

「嬢ちゃん、この様子から見るに本当に知らねぇな。んじゃ、嬢ちゃんにもよく分かる話をおれからするとでもしようかね」

 

 ふぅっと息をついていく男性。二人のアダルティに挟まれたアタシは、心寂しい気持ちで若干と頬を膨らませていくと、そんなアタシの頭をユノさんは撫でていき、一方でアタシへと視線を投げ続けてくるその男の人からは、自己紹介とも言える何とも分かりやすい話をアタシにしてくれた。

 

「あんたは、ヒイロって言ったな。まぁ記憶に残っているかぎりはその名前を覚えているつもりだ。どうせ今だけの関係だろうからな。――で、そんな嬢ちゃんにもよく分かる話と言ったら、そりゃもうおれの名前くらいしかねぇか。……こうして名前を広めることはあまり気乗りしないもんだが。おれは『レイジ』とかいう名前を付けられたもんだからよ。ま、短い期間だろうがよろしく頼むよ、嬢ちゃん」

 

「レイジさんね。レイジ、レイジ……。うん、覚えた。はいじゃあ、よろしくね。レイジさん」

 

 んっ。アタシは、ラルトスを左手に抱えて、もう片方の右手をレイジさんへと差し出して握手を求めていった。

 ……それに対して、レイジさんは黙々とそれを見遣ってくるのみ。しかもハテナマークも見えてしまえるくらいの首の傾げようだったものだから、最終的にはユノさんに「それは挨拶の握手だから、ちゃんと応えてあげて」と唆されることによって、レイジさんは気乗りじゃない調子で仕方なくポケットから右手を出してくる。

 

 その手をレイジさん自身の服で拭っていき、こちらとの握手を交わしてアタシは満足した。それがきっと表情に出ていたのだろうか。ふふーんというアタシの顔にレイジさんは若干面倒に思うような様相を見せていったものだったが、改めて「ま、よろしく頼むよ」と一言を付け加えてきたことで、アタシはレイジさんという新しい出会いを歓迎することができた。

 

 でもって、アタシが朝にも出くわした初見のポケモン。王冠のようなクチバシの端が目立つ、体格の良いペンギンのような背の高いそれは、どうやらレイジさんの古くからの相棒である、エンペルトというポケモンであることが分かった。

 エンペルトは、みずタイプとはがねタイプの複合タイプを併せ持つ、とても珍しいタイプの持ち主。それでいてレイジさん自身がポケモントレーナーとして非常に腕が立つというユノさん情報を聞いたクルミ君が、じゃあポケモンバトルしようぜ!!! と半ば強引に事を進めたことによって、彼らのバトルをキッカケにみんながローテーションで試合を行っていたということだ。

 

 その結果は、ユノさんとレイジさんが圧倒的な差を見せて勝利を収めるという形でひとまず終焉。絶賛ジムチャレンジ中であるメンツは二人にコテンパンにされたことで、めちゃつよ大人コンビがいつでも自分らを鍛えてくれる! とかクルミ君がすごく期待してしまったことから、レイジさんは現在、アタシらと行動を共にしたことを若干後悔していると愚痴を零していく。

 

 とは言っても、あのユノさんとほぼ同じ実力と言っても過言ではない辺りに、やはりただならぬものを感じさせたものだ。

 で、そんなレイジさんがどうして、アタシらと行動を共にしているのか。というのが一番気になるところかもしれない。それをアタシが訊ね掛けていったところ、レイジさんは面倒そうな表情を見せながらもそれを答えてくれる。

 

「なぜかって、まぁ、そういう成り行きだったからってしか言えねぇな。……って答えに納得しないだろうから、もう少し詳しく説明でもするか。まぁ、おれは元々ワケあって各地を飛び回っていたもんだったが、そのワケありな事情というもんが、ユノもまた進行形で直面している一つの懸念事項とよく似ていたんだよな。そんなワケで、じゃあ二人で情報をシェアしようという話から、一時的にあんたらの中に加わったってことなだけだ。――おれとしては、別にわざわざジムチャレンジに勤しむ連中ん中に入らなくともと思っていたもんだが、ユノとの情報共有においては、彼女からいつでも話を聞けるようにしておいた方が、何かと都合が良かった。ってなわけで、まぁ、そんなとこか」

 

 うーん。見事に重要なところをうやむやにされている気がする。

 アタシは、「レイジさんの言ってること、よく分かんない」と言葉で蹴りつけるように言った。これに対してもレイジさんは面倒くさそうに視線を逸らしてきた辺り、まー、ユノさんが認めたんなら別に気にする要素は無いかと思考停止して、アタシは考えることを止めた。

 

 で、一時的とは言えども、要はレイジさんもアタシらの御一行に入ったという認識で良さそうだ。

 

 つまり、アタシ達の仲間にあたる存在でもある――

 

「レイジさん。あとで手持ちポケモンとか教えてよ! アタシまだまだレイジさんのことよく知らないから、今日はアタシからの質問攻めに耐えてもらうんでよろしくね」

 

「……悪ぃが、慣れ合いは求めない性質だからな。嬢ちゃんの興味に対して、おれは微塵にも興味が湧かない。すまないが、そういうのは同年代の仲間達にしてくれると助かる」

 

「ヤだ。アタシの質問攻めを受けてくれないんなら、ユノさんから引き離すよ」

 

「あー……そいつは参ったな……」

 

「あら、ヒイロちゃん。この旅の中で成長したわね、フフフッ」

 

 見上げるアタシに参るレイジさん。面倒くさそうでありながらも他人との慣れ合いをそれほど拒絶まではしていない様子のレイジさんは、でもやっぱり面倒くさそうな表情を見せながらアタシとやり取りを交わしていく。

 

 そんなやり取りを見てユノさんが笑っていくと、アタシは調子に乗って「じゃ、まずはレイジさんの好きな食べ物から知るとこからね! ほら、あっちにクレープ屋があるから、ほら! ゴーゴー!!」と、アタシは彼の高い高い背を無理やり押して強引に連れていった。

 

 何だかんだで、関わりやすい人だな。第一印象が悪くなかったものだから、この時にもレイジさんの「ま、待てって! クレープ屋で好物をリサーチって言ってもだな、おれはまず甘い物自体が得意じゃねぇんだよ……!!」という言葉に、アタシはもっと気分を良くしていく。

 

 ふっははは! 慣れないノリに困惑してるでこの人! アタシの特性いたずらごころが発動することでレイジさんは困り出し、そんなアタシらをユノさんは後ろから眺めていっては、なんだか見守るような、それでいて安堵するような微笑みと共にゆっくりと後をついてきたものだ――



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ママタ貿易港

「見てラルトス!!! 海だよ!! うはぁぁーーー!!! すごい! アタシも自分の目で見るのは初めてだよー!!!」

 

 一面と広がるアクアマリンの光景。燦々と照り輝く太陽の下、その海上を走る貿易船が行き交う異文化との交流の場に到着するなり、アタシは誰よりも先を往くように走り出して高台からのそれを眺めていった。

 

 ママタシティが誇る、このシナノ地方の貿易の要。カントー地方やジョウト地方を始めとした様々な地方からやってきた貿易船が出入りする、磯の匂いとキャモメの群れというアクセントが加えられた輸入出の拠点。

 

 『ママタ貿易港』。その名で知れ渡る観光名所であり、ほとんどの観光客がまず最初に訪れることとなるであろう、山の国シナノ地方の玄関とも言える活気づいた出会いの地。山に囲まれた地形の関係上で、海を見たことが無いというシナノ民は数多く存在している中、アタシは念願となる海を初めて見た感動から、その一帯が波打つ青色で、あらゆる方角から貿易港を目指す船の数々。そして、あの地平線の先には、未だ見ぬアタシの知らない世界が同じ時間の中を生きているんだなと思うと、今まで閉じこもるように生きてきた世界からは想像もし得ないほどのワクワク感で、感極まってしまったものだ。

 

 アタシの後から駆け寄ってきたクルミ君。ニッコニコな笑みでアタシの肩に腕を掛けながらこの光景を一緒に眺めていき、彼に続いてグレン君とカナタさんも寄ってきてママタ貿易港を見遣っていく。……尤も、カナタさんに関して言えば、クルミ君をアタシから引き剥がすことばかり考えていただろうけど……。

 

 と、そんな三人はすでに一度、このママタシティに訪れてここのジムに挑んでいる身だ。

 この貿易の要ママタシティにてジムを構える、ジムリーダーとポケモン博士の両方を兼任するスーパー博士のラオさんは、はがねタイプを得意とするジムリーダーとして有名である。でもって、グレン君はいわタイプを専門的に扱うそのこだわり上、ラオさんが使用してくるはがねタイプのポケモンがあまりにも鬼門すぎて当時では突破できなかったことから、一旦ママタジムへのチャレンジを諦めることで他を回りながら力をつけようという方針にシフトしたという過去があったらしい。

 

 だから、ママタシティはグレン君のリベンジ戦の舞台でもあった。クルミ君が笑顔で「グレンも、この時を楽しみにしてたよな!!! オレもグレンとヒイロのことを応援してっから、二人とも頑張れよなーーー!!!」と、アタシとグレン君の背を叩きながらエールを送ってくれる。

 

 それからアタシらに追い付いてきた、ユノさんとレイジさん。大人な二人は落ち着いた様相でこの潮風に吹かれながら佇んでおり、この高台から眺める景色に無言を貫いていた。

 ……ママタ貿易港まで来てしまえば、ママタジムもそう遠くないとのこと。つまり、アタシはすぐにも次なるジムの攻略へと臨んでいかなければならない。

 

 気を引き締めないと。みんなとの旅を楽しく思うばかりか、若干と緩んでいた気持ちがそれを憂いに思いながらも、いやいや、そのためにアタシはジム巡りをしているんだからと自分を言い聞かせるようにして、前を見遣っていく。

 視界を覆い尽くす大海原。その上を往く貿易船の数々や、ラプラスというポケモンの背に乗って海上を移動するポケモントレーナーの姿が見受けられるそれを眺めて、アタシはその光景を美しく思いながらも、海の上を力強く進んでいくそれらに感化されるように決心した。

 

 ……次も、絶対に勝つ。そして、このママタシティで四つ目のジムバッジを手に入れるぞ――!!

 

 

 

 

「……って意気込んだはいいけど、せっかくだから観光もしたいよね。ねー、ラルトス」

 

 目の前にした海に魅入られ、アタシは引き締めた気持ちがすぐさま緩んだ甘々状態でママタ貿易港の中を歩いていた。

 

 目的地に着いたものだし、そろそろプライベートの時間も欲しいよね。あの高台でそんな話が出てきてからすぐにも決まった、各々がそれぞれの活動に勤しんでいく自由時間の確保。主にユノさんが「こういう時間も大切にしていきましょう」という提案から始まったこれは、云わば観光も楽しむ心の余裕を持っていこうというユノさんからのメッセージも込められていた。……のかもしれない。アタシの、都合の良い勝手な解釈ではあったけれど。

 

 で、話の流れでジムチャレンジを忘れた観光タイムが設けられたのであれば、アタシもそれに乗らないわけにはいかないよね。しかも、人生で初めて見た海なんですもの。アタシはすぐにもママタ貿易港へと向かって駆け出していってから、現在では荷台やコンテナが大量に置かれた港をウロウロとしていたものだ。

 

 貿易船から降ろしてきた荷物を運ぶカイリキーの姿。四本の腕で自分よりも大きな箱を軽々と持ち上げながらアタシの周りを行き来しており、続いてドテッコツというポケモンも横に長いコンテナを悠々と持ち上げながら、指示された場所にドカッと下ろしてすぐさま船へと向かっていく。

 

 また、海に生息しているマンタインが水面を飛び跳ねた音に、アタシは驚かされた。普段の生活では馴染みの無い波の音と水飛沫に、アタシは「うわっ!」と声を上げて思わずそちらを見遣ってしまう。

 ……なんか、海ってすごい! 貿易港という忙しない環境の邪魔にならない程度に散策するアタシは、今この時さえも冒険だと思い込んで心から楽しんでいた。そんなアタシの感情と共鳴するようにラルトスも初めて見る光景の数々にキャッキャと笑顔を見せていき、たまにあっち、あっちと指を差したりして意思表示も行ってきていたものだ。

 

 貿易港の他にも、この近くには浜辺も存在していた。そこでは水着姿で燦々な太陽の下を満喫する人々や、浜辺を走り回るガーディやヨーテリー、さらには砂浜がひとりでに動き出して周囲を見渡していくという不可解な現象のようなものさえも見受けられたことで、アタシの興奮はより高まっていく一方……!

 

「あぁぁ~~、いいなぁぁああ! こうして初めて海に来たんだから、アタシもちょっと大人な水着を着ながらあのビーチで日光浴してみたーい!! ユノさんに頼めば一緒に付き合ってくれるかなー! ラルトスも、浜辺に流れ着く海水で遊んでみたいと思わなーい?」

 

 抱えるラルトスが見上げてくるのに視線を合わせ、アタシはうりうり~と顔をラルトスに擦り付けながら語り掛けていく。それが満更でもないというラルトスもキャッキャとして喜びを見せていくものだから、アタシはこの様子をパパに見せてあげようと思ってスマートフォンを取り出してから、自撮り機能で自分とラルトスを映してそのままパシャリ――

 

 ――いや、パリンッ!!! という割れたガラスの音が響き渡った。

 

 え、なになに? 貿易船の方から聞こえてきたそれにアタシは気を取られると、そうして向けた視界の中では、若い男性が荷物を落としたのだろうその足元に散らばる、見るに堪えないほどのガラス片……。

 

 そして、そこに入れられていたのだろう、何やら複数もの石が港の足場に転がっていた。

 見るからに、掘り出されてからそのまま保管されていたのだろうか。今では落下の衝撃で真っ二つになってしまったりしているが、きっと当時の状態を維持するために厳重な管理の下でそれらの石をシナノ地方まで運んできたのかもしれないなとうかがわせる。

 

 あちゃー……。見ているだけで気の毒に思えてくる。どうぐコレクターのアタシから見るに、それらの石は多分カセキなのだろうと判断できたためだ。

 若い男の人が、船員と思しき男から信じられない勢いで怒られていた。しかもその船はガラル地方というだいぶ遠い場所から遥々とやってきたみたいで、長い長い航海の末にようやくと辿り着いた目的地の港で、大切に運んできた石の価値を損なう大失態――

 

 なんだか、全く関係ないはずのアタシが切なくなってきた。アタシはすぐにも「ラルトス、行こっか」と言ってその場を立ち去り、しばらくはここに来なくてもいいかもなと思えてしまうくらいに、今見た光景に結構ダメージを食らってしまう。

 ……もしあれが本当にカセキだったのだとしたら、あの男の人はどうなってしまうんだろう。もちろんクビになるだろうけれど、それにしてもあの量の石を、ドカドカと港にぶち撒けて……。

 

 太古を生きたポケモンが眠る、歴史的な価値を秘めた繊細な代物。それの復元が上手くいけば当時のポケモンをそのままの形に現代へ降臨させることができる他、復元しないにしてもカセキという生命の宿る石には高値で取引されるほどの、いや下手すれば金でも買えないほどの希少価値がある神秘的なロマンを放つ魅惑のどうぐ。

 

 うはぁ……あれを自分の手で壊してしまったと考えてしまうと、アタシならきっとショックで飛び降りるかもしれない。あの立場を想像しただけでひどく戦慄する光景がやけに脳裏にこびりついてしまったアタシはその日、みんなと合流した後のディナーの席でもそれをずっと考えてしまったりと、目にしたショックにだいぶ心を痛ませたこの衝撃を抱えたままその数日を過ごすことになるとは、まるで思いもしていなかったものだ――



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研究員

 ママタ貿易港から、それほど遠くない所にある山脈の一部分。急斜面で人もポケモンも登るのに一苦労しそうな地形がうかがえるその山脈の、まさに急斜面の部分に建てられたドーム状の大きいメカニックな建物。

 

 天井を覆った、吹き抜けではないこれまでと異なる造り。きっと研究所という施設も兼ねているから、外との接触をなるべく避けた結果の構造となっているのかもしれない。

 翌日となったこの日のお昼頃。クルミ君らは特訓だと言って、ママタシティにあるポケモンバトル用のコートに向かっていく中、アタシは下見をしようと思い立って一足先にママタジムに訪れていた。

 

 山の国シナノ地方が誇る、地方全土に広がる山のその斜面に無理やりと建てられたママタジム。段々ともなっていない、まるで数学に出てくる二等辺三角形の斜辺みたいな坂に抗うよう、よりにもよって何故この土地を選んだと思えてくる場所に佇むそれへと踏み入れていくアタシ。

 

 今回はジムに挑むというよりは、本当にただの下見で訪れただけである、散歩がてらの場所確認。とても分かりにくい所にママタジムがあると聞いたアタシが不安になったことで、それじゃあ場所を確認してこようかとクルミ君から教えてもらった所をウロウロすること一時間。ようやくと見つけることができた、緑の豊かな景観に浮き出るメカニックなそれに、アタシは一目であれだと認識することができたものだ。

 

 でも、アタシは今まで山で遭難したりと災難続きだったものだから、実は一人で山に来るのがちょっとだけ怖かった。いやむしろ、あれだけ命に関わる出来事に巻き込まれていきながら、よく山がトラウマにならないな。

 果たしてこれは勇敢なのか、それともただただ学んでいないだけなのか。自身でさえよく分かっていない何とも鈍感な感覚で山に踏み入れたものだが、自分の足で歩くなりさっそくの迷子。ママタジムがあるという看板やジムチャレンジのスタッフさんに従いながら歩を進めていたはずなのに、気が付けばあちこちで天然の噴水が地面から噴き出す幻想的な一帯に出てしまったものだから、えぇ、ここどこぉ!? なんて思いながら自分の方向音痴さを呪ったものだ。

 

 ということで、こんなこともあろうかと予め施しておいたアタシなりの対策。必殺、ユノさんと一緒を発動したアタシ。心細いから一緒についてきてと宿屋から彼女を引っ張り出してきていたものだから、アタシはユノさんにギブアップを宣告すると、ユノさんは微笑を浮かべながらも「たぶん、こっちかしら」とアタシを連れて歩き出していく。

 そして、山の急斜面に出てきたなり、山の景観とはまるで馴染まないママタジム兼ママタポケモン研究所が見えてきた。というのが昨日までの大まかな流れである……。

 

「ユノさん行こー! なんかジムの中に研究所もあるみたいだから、ジョウダポケモン研究所で育ってきた身としてすごく気になる!!」

 

「私は黙々とヒイロちゃんについていくから、私のことは気にせずにヒイロちゃんは自分の旅を自分なりに楽しんでいってちょうだい」

 

 フフッ、と笑みを見せてくるユノさん。常時クールビューティで、微笑むとまるで女神様。同性としてずるいと思えてしまえるほどの、完璧なご尊顔を持つユノさんが笑む度に周囲が振り向いてくる光景も見慣れてしまったな。

 

 とか思いながら、アタシは「あーい!」とか言ってご尊顔を見ることなくママタジムの中へと入っていった。

 中に入るなり鼻に伝ってきたのは、研究所特有の鉄分とポケモンのニオイが混ざり合うその感覚。ジムという決闘を行う施設のエントランスにこれが充満しているというだけでも相当な違和感が生じるものではあったが、アタシはこのニオイがむしろ懐かしいとさえ思える辺りに、伊達にポケモン博士の一人娘をしていなかったんだなとひとり納得していく。

 

 奥にある受付には、行列とまではいかない人の列が並んでいた。これからジムバトルに挑むための予約を行っているんだろうが、ジムチャレンジ開始からそれなりの時間が経っていたため、最初の村であるハクバビレッジの時と比べると人数がだいぶ少なくなってきたなと、時の流れを実感してしまう。

 でもって、このジムと直通する通路を辿っていくと、そこには外部から訪れた人間が自由に見て回れる、まるで博物館のように展示された研究成果の数々がディスプレイケースに収まる光景。ポケモンの生態を主に研究しているのだろうそこには、ヒトカゲの尻尾の炎に関する論文であったり、バルビートが夜に描くとする幾何学的な模様の法則を説く図形であったりと、アタシの実家とはまるで大違いな、研究の成果にすごくこだわっているんだな伝わってくる、完璧主義な一面が垣間見える展示品の数々……。

 

 しかも、それら全てに『ラオ』と記載されていたことから、ここのポケモン研究所とジムリーダーを兼任するラオ博士がまとめたものであることが分かる。

 

 ……というか、アタシのパパと比べると本当に有能そう――

 

「きみのお父さんの入れ知恵も混じっているから、そんな顔しないでもっと誇っていいよ」

 

「この、バルビートの研究のこと? へぇ、アタシのパパがこういうのにも関わっていたなんて…………え?」

 

 背後からのそれに、アタシは振り向いていく。

 すぐにも向けた視線の先には、視界いっぱいに近付いた青色の縁のメガネがどアップで映り込む――

 

 てか、近っ!! アタシが驚いて一歩引き下がっていくと、その行動で展示品のディスプレイに当たると察していた彼女に背を支えられる。

 それを受けてアタシが「ご、ごめんなさい! その、急に後ろにいたものだから、ビックリしちゃって……っ!」と謝っていく。それに対して彼女は「いつものことだから慣れてる」と淡々とした調子で言いながら、さり気無く展示品からアタシを遠ざけた。

 

 棒付きの飴玉を咥えながら喋る、何とも器用なその人物。腰まで伸ばした青色のポニーテールと、白衣に青のシャツ、黄緑のズボンに茶色の靴という、パッと見た感じでここの研究員であることが分かり、かつ周囲と比べても一般的なその風貌で、貫禄を全く感じさせない。

 

 だが、彼女を語る上で最も欠かせないのは多分、そもそもとして研究所内で飴玉を咥えながら歩いているところとか、研究以外にはまるで興味無いと言わんばかりの淡々とした喋り方。そして、青色の縁のメガネの奥にある、長いまつ毛とネコのような目でそれらを口にしてくる、どこか奇抜なオーラを放つその雰囲気――

 

「きみのお父さん、ここに来ることをとても喜んでた。あの博士があんなに喜んでる声は初めてだった。研究の成果よりも、娘の旅の経過に喜べる辺り、きみのことをホントに大切にしていたと見る。実に良かった良かった」

 

「え、あ。うん……」

 

 ……何て言葉を返せばいいのか分からない。

 ちょうどお昼休憩だったのかもしれない。今こうして目の前にいる彼女こそが、このママタジムとママタポケモン研究所の両方を掛け持ちするママタシティジムリーダー、ラオ博士だ。

 

 飴玉を口の中でコロコロと転がしながら、でも口にした言葉はどれも興味無いのでは? とも思えてくる、本当に淡々とした喋り方。しかも、どこを見ているのかも分からない、明後日の方角を見遣るその視線。

 

 パパ、この人とも一緒に研究していたの……?

 

「その、アタシはヒイロっていうの。で、こっちはパートナーのラルトス。パパから聞いているとは思うけど、アタシもここのジムに挑むつもりだから、その……よろしくお願いします……?」

 

「緊張しなくていい。適当にリラックスしてジム挑んでいって。でも、容赦はしないから気張っていって」

 

 緊張せずに気張っていけって、それって無茶ぶりじゃん……。

 内心でボーンという音が聞こえてくるアタシの呟き。そんな中でもラオ博士は、ふとアタシと視線を合わせ、じーーーーーっ、っと見遣ってくる。

 

 …………え、なに?

 

「ア、 アタシ、なんか変なこと言った……?」

 

「変って、どこが変なの」

 

「え? あ、いや」

 

「変の部分をもっと具体的に言わないと相手に伝わらないよ」

 

「そう、だね。ごめんなさい……」

 

 その言葉の意味や、それに含まれる意図なんかを求めてくる辺り、そういうのを追求していく研究者としての一面がうかがえる。

 

 でも、それとは別にして、アタシこの人ちょっと苦手かも……。

 

「で、きみの同行者のお姉さんもチャレンジャーかな」

 

 ラオ博士が振り向いた先。アタシらの様子を遠くから眺めるユノさんは、彼女と目が合うなり悠々とした足取りで近付いてくる。

 

「私は、ヒイロちゃんの旅に同行しているだけよ。もちろん、ポケモントレーナーとしての実力には自信があるものだから、貴女達ジムリーダーのお手並みにも興味はあるけれど」

 

「…………」

 

 余裕ぶったユノさんの調子と、それをまじまじと見遣っていくラオ博士。

 うわ、なんかバチバチとしている気がする。あのユノさんがちょっと挑発的に言葉を口にしたものだから、ジムリーダーとしての立場に在るラオ博士としても気になるのかな――

 

「僕と同じポニーテール。でも厚みで僕が負けてるから今日の勝敗は勝ちを譲ってあげる」

 

「あら、それじゃあ明日は何で勝負する? フフッ……」

 

「え? ユノさんと博士、知り合いなの?」

 

 ラオ博士のペースについていくユノさんに、アタシは思わずとそれを訊ね掛けてしまった。

 二人してこちらに振り向いてくる視線。ほぼ同時に投げ掛けられたそれをアタシは集中的に受けていくと、そう間を置かない内にも二人の口からそのセリフが飛び出してきたのだ。

 

「いえ、全く」

 

「こちらの方とは初めて会うけど」

 

 ……あ、そうですか。アタシは、これ以上は口出ししない方がいいなと思って、だんまりを貫くことにした。

 とは思ったものの、そのやり取りからすぐにして、ふとラオ博士がユノさんへとその言葉を掛けていく。

 

「でもどっかで会ったような気がする」

 

「私が? 博士と?」

 

「気がするだけ。実際は会ったことなんてないし初めて見るポニーテールの厚みで僕は敗北感を味わった」

 

 よく分からないやり取り。アタシは、この博士って本当に不思議だなぁなんて思いながら、その会話をただただ横から聞いていく。

 ……しかし、彼女の目は、ユノさんへと真っ直ぐ向けられていた。それも、ただ興味があるとかそんな次元ではないくらいの、ユノさんを見透かすような、いや、ユノさんを探るかのような鋭くも真っ直ぐな目――

 

「なんかずるい。お姉さんは僕を知ってる気がする」

 

「それは、ママタポケモン研究所のラオ博士って人物の存在は私も知っているわ。現在はこのシナノ地方に身を置いているものだし」

 

「ポーカーフェイスの練習をした方がいいよ」

 

「…………フフッ」

 

 笑みを浮かべていくユノさん。でも、その目はまるで笑っていない。

 ……なに、何なの。この空気。ギスギスとはまた違う、初めて直面した言葉にしにくいその空間にアタシは気まずそうに唾を飲み込んでしまうばかり――

 

 と、いう時にも、ママタジムと繋がる通路から駆け寄ってくる一つの足音が、段々と大きくなってくるのを三人は感じ取った。

 すぐにも姿を現してきたのは、白衣をまとった一人の男性研究者。ゴム手袋に長靴で、頭にはゴーグルを着けているというまさに研究途中から抜け出してきたかのような、オレンジの髪をヤンチャに上げているその人物。手に持つバインダーを掲げるようにしながら口に手を当てていくと、普段通りといった調子でラオ博士を呼んでいくのだ。

 

「博士ぇー! ……おっと、取り込み中んとこすまない! 博士。ジムチャレンジの関係者が博士んこと呼んでたぞ! なんか来客ってことで、博士んことを探していたようだ!」

 

「そう言えばそうだった。変装したイケメン君と会って話をしなきゃ。教えてくれてありがとう」

 

「いいぇー!」

 

 悪戯な笑みのような、清々しいほどの表情でラオ博士と会話をする男性。身長もそれなりに高くて男らしいその様から、アタシは内心で「あ、イイ男発見」だなんて思ってしまう。

 

 でもって、アタシはそれに見惚れていると、そういった視線に気が付いたのか、男性は声を掛けてきたのだ。

 

「ん? どうした? 俺の顔に何かついてるか?」

 

 ニコッとした笑みで、とてもフランクに声を掛けてくる男性。これを聞いてアタシは、「あ……」なんて声を零して少しだけ恥ずかしくなってしまう。

 ……と思ったが、彼が向けた視線がアタシから全く外れていることに気が付くと、その対象がアタシの隣に存在していたことに気付いてそちらへと見遣るアタシ――

 

 ――目を見開いたユノさん。口をぱくぱくとさせて、上手く言葉が出せないその様子……。

 

「ぁ、えっ……い、いいぇ! その――何でも、ない、わ」

 

「そう? ……あー、博士! ほら、早く来客んとこに行って行って!! この後もジムチャレンジ午後の部が始まるでしょー!」

 

「あぁそうだったね。違うこと考えてた。現実に引き戻してくれてありがとう助手くん」

 

「博士ってば、いつもそうなんですからー。お嬢さん方は、どうぞごゆっくり! 博士の研究成果はどれも画期的なものだから、存分に見ていってくださいな!」

 

 ニッと笑みを見せながらラオ博士へと手招きを行う男性研究員。それに唆されるようにラオ博士は淡々と歩き出してアタシらから姿を消していくと、彼女が去ると共に気まずい雰囲気も過ぎ去ったことで、アタシは緊張を解きながらも「あの博士、なんだか不思議な人だったねー」なんてユノさんに声を掛けていく。

 

 抱いているラルトスをぎゅっとしながら、ふぅっと息をついていくアタシ。それでもって、次はあの人と戦うのかーなんて思いながら、同時にあの博士が使うはがねタイプに、どう対抗していったらいいんだろうだなんてこの先のことも考え始めていく。

 

 ……しかし、そんなアタシの視界の下側から光り出した、淡い青色の光。

 え、何だろう。それを思ってアタシは下を向いていくと、そこでは角をピカピカと青色に光らせたラルトスが、ユノさんをじっと見遣り続けていたことに気付いていく。

 

 ……それにしても、青い光。赤い光の時は嬉しい感情を感じ取った時の合図ではあるのだけど、青い光というのは大体、アタシが悲しい感情に満たされた時に光り出す合図――

 

「…………え、ユノさん? ――ユノさん!!?」

 

 口元に手を押さえ、ボロボロと涙を零していくユノさんの姿。

 顔中をぐしゃぐしゃにして、大粒の涙を流すその姿。今も彼女は必死に感情を抑えようとしていたのだろうが、その思いとは裏腹に堪え切れない想いが形となって溢れ出すその様子。

 

 え、なに、どうしたの!? 初めて見るユノさんにアタシはテンパってしまいながらも、ユノさんはユノさんで「ぅ……、何でも、なぃっ。ぐす、ずびッ……」なんて言葉もろくに喋れないほどの調子で答えてくる。

 

 いや絶対になんでもなくないって!!! アタシはユノさんに気遣いながら「ラルトス。テレポート! 誰もいないところに連れていって!」とラルトスに命じていくと、ラルトスもまた構えておりましたとすぐにそれを発動してくれる。

 でもって、一緒にテレポートするためにアタシはユノさんに捕まっていくと、そうして行われた瞬間転移によって山の中へと移動したアタシ達。その間にもとうとう嗚咽で唸り出した彼女をアタシは倒木までゆっくりと連れていくと、そこにユノさんを座らせてからしばらく、その背を撫でて慰め続けていった――



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悪霊共

 バッグの中が、震えている……?

 

 昨日にもママタジムの場所を下見に行き、その先で急に号泣を始めたユノさんを慰めて早一日。あの後にも落ち着きを取り戻したユノさんに、アタシはどうしたのかを問い掛けてみたものだが、その答えは「何でもないわ」の一点張りでアタシは助けになれそうになかった。

 

 かと思えば、宿屋に戻るなり姿を消して、今や正午のママタシティ。オマケにレイジさんも忽然と姿を消すというユノさん消失現象と同じようなのを感じ取り、アタシはアダルティなお二人のことは深く考えずにママタシティを散策していた。

 ……のだが、人通りの少ない田舎の風景の一本道を歩いていると、ふとバッグの中で何かが震動する感覚を覚える。

 

 何だろう。抱えたラルトスを下ろしてアタシはバッグを開けていくと、そこでは確かにわずかながらと震えている一つの物体を目にしていく。

 この前、クルミ君から貰った石だ。ひび割れたプリンのような形をした、何かの台座みたいなとても不思議な石。アタシはこれをとても気に入ったものだから、めざめいしに続くお守りとして持ち歩いていたものだったが……。

 

 いや、さすがにちょっと怖かった。今までにこんな勝手に動き出すことなんてなかったものだから、今も震えが止まらない石の様子にアタシはちょっと動揺しながらも、それを取り出して眺めていってみる。

 目のようにくり貫かれた穴の部分。それも何だか人の顔のようにも思えてくることで一種の不気味ささえも感じさせる一品。だからこそ惹かれるものもあって、アタシはクルミ君からもらうなり大事に手入れも施してきた。

 

 しかし、さすがにこうしてひとりでに震え始めたとなると、薄気味悪ささえも感じてしまうというもの。それも、この石は震えながらも何かに引っ張られるように、アタシの手の中で若干とぐいぐいそちらへと寄っていく。

 アタシは、その先を見遣った。……でも、特に何も無い。いや確かに、道端で遊んでいたのだろう子供が遊びで積み上げていったらしい、石でできた窪んだ塔のようなものがそこにあったものだが――

 

 ――と、その瞬間にもアタシの両手が上空へと引っ張られた!

 

「うぁ!? なにっ!!?」

 

 咄嗟に離していく手。こうして手放したというハズなのに、むしろ上空で浮遊を始めたアタシの石。

 う、浮いている……!? 超常現象なんてエスパータイプのポケモンなんかで既に見慣れてしまっていたものだったが、この周辺にはそれらしきポケモンの姿が全くと言っていいほどうかがえない。

 

 いや、なんかもう忘れてしまってさえいたものだけど、そう言えばラルトスもエスパータイプだったね!?

 もしかして、ラルトスはとうとう攻撃できるわざを覚えたというの!? ふと思い出したラルトスのタイプに、巡ってきた希望のままアタシは視線を向けていってその小さな身体を確認していく。

 

 キャッキャ! 浮いている石を見て面白がり、とても大喜びな様子で笑顔を見せていくラルトス。

 いや絶対に違うわ!! それを確信したアタシは、じゃあやっぱりこの石が勝手に浮き出してんの!? なんて思った瞬間にもその石は紫色に光りだす――

 

「鎮まれッ!! 怨嗟の悪霊共ッ!!」

 

 どこからか聞こえてきた、女の人の声。それと同時にして溢れ出してきた怪しい光は瞬時に消え去り、共にしてフッと事切れたかのように石がコトンッと地面に転がっていく。

 ……そして、一切もの震えもうかがえなくなった。急に動き出したかと思えばひとりでに浮かび上がり始めた不思議な現象。アタシは、結局これは何だったんだろうと思いながらも転がった石を眺めていると、その視界の外からも歩み寄ってくる一つの足音にアタシは気が付いた。

 

「危なかった! あなた、危うくあの石にとり憑かれるところだったんだよ。導きの声が聞こえたものだから半信半疑で寄ってみたけれど、それに従ってホントよかった……」

 

 ハキハキとした、快活な喋りを行ってくる女の人。その言葉の意味こそはよく分からなかったものだが、アタシがその人と目が合うと、相手もまた左目の下にあるホクロというチャームポイントで、吊り上げたような口で笑んでみせていく。

 

 ベレー帽のような黒色のツバ付き帽子をかぶる、アッシュのボブヘアー。肩を出した黒色のぶかぶかなパーカーに、脇と胸の谷間を大胆に露出したへそ出しの黒色シャツと、青色のホットパンツ。靴もくすんだ黄色の大胆な穴あきロングブーツでピアスをじゃらじゃらと付けた、ザ・ヤングな若い子という印象を抱くヤンチャな外見の女の子。

 

 その見た目通りとも言うべき、悪戯っぽくありながらも爽やかな表情でその子がアタシを見遣ってくると、次にもハキハキとした調子でその言葉を続けてくる。

 

「そこにある、石がいっぱい積み上げられた不思議なヤツが、“みたまのとう”。そして、今こうして道端に転がっている石が、膨大な怨嗟が集いし呪いのどうぐ、“かなめいし”。はぁ、ようやくと見つけた。一時期とママタシティで流行り出した、流行型の悪霊憑依事件。その犯人となる元凶をずっと探していたものだけど、まさかトレーナーのバッグの中に潜んでいただなんて」

 

 ふぅっと深いため息をついてくるその女の子。そして、やれやれといった調子で転がっているアタシの石へと手を伸ばしていく……。

 

「……アタシ、あなたの言ってることはよく分かんないけど。でも、その石は仲間から貰った大切な物なの! ……さり気無く人の物を盗ろうとしないでくれる?」

 

 訝しい。じろーっとした目で女の子を見遣るアタシの視線。

 手を伸ばした状態でこちらへと向いてきた彼女の目は、ちょっと意外そうにしていながらも、とても柔軟な思考の持ち主であったのだろうかすぐにも手を引っ込めていく。

 

「あぁ、あぁーそっかそっか! いやーそれはごめんね! 別にあなたの物を盗もうとか思ってたんじゃないんだけど、この石はちょっと特殊な代物でさ。ほら、いわくつきって言うでしょ! これは、そういうものなの」

 

「どんな物であろうとも、アタシはそのどうぐを気に入ってるの! しかも仲間から貰ったものだから、なおさら誰にもあげないんだから!」

 

「へぇ、そのお仲間さんがどこでこれを入手してきたのかは分からないけど、少なくとも今のまま所有し続けていたら、あなた、悪霊に憑依されてこの石の中に閉じ込められちゃうよ?」

 

「……どういうこと?」

 

 そりゃあ、まぁ、確かに勝手に浮いたりしてたけど……。

 初対面の女の子の言葉も、先ほどにも目にした事象を前にしてしまっては、まだまだ信用できなさそうな素性の女の子の言葉であろうとも、アタシは少しばかりか石に対して慎重になってしまう。

 

 そうしてアタシが未だに訝しげな目線を送る中で、その女の子はアタシの石を拾い上げながら説明を始めてくるのだ。

 

「かなめいし。この石の名前ね。このかなめいしってどうぐは、百八個の魂を封じ込めることができるという特殊な性質を持つ聖なる石なんだけど、その魂を封じ込めるって性質がまた厄介でね。この石ってさ、生きている人間の魂が大好物なの。だから、生きている人間の新鮮な生命エネルギーを感じ取ると、このかなめいしはそれを吸引するべく活性化して、その者の魂に憑依を始め、そして、この石の中に連れ去ってしまう」

 

「……待って待って待って! アタシ、怪談話とかそういう怖い話って苦手なんだけど……!」

 

「この石は、その怪談話を実現してしまう、いわくつきの代物。だから、その魂の吸引を防ぐべく、ウチはみたまのとうというものをつくり上げた」

 

 彼女が向けた視線を、アタシは追い掛ける。

 そこには、先ほどにも子供が遊びで積み上げていったような、と言っていた小さな石の塔が存在していた。そこには窪みもあるとは思っていたものだが、こうしてよくよく見てみると、その窪みはかなめいしとなる石が、ちょうど入り切ることができる大きさをしていたものだ。

 

「そもそもとしてね、かなめいしによって人が生きたまま殺される事例が昔から起こっていたんだよね。でも、その事象はあまりにも現実的じゃなかったことから、本当に起きた事件であると外部の人間には信じてもらえなくって。それで、昔に起こった出来事を、怪談話として後世に継いでいってるってわけ。ウチはそういった事例の取り扱いを専門としているもんだから、こうして色々と知ってるってワケだけど。そりゃあウチのように詳しくなけりゃ、ただの石が急に浮き出して、わお、不思議! としか思わないよねー」

 

「……じゃあ、もしもあなたが来なかったら、アタシはどうなっていたの?」

 

「……知りたい?」

 

 ニヤァ。悪戯ながらも軽快だった女の子の表情が、途端に意地悪なものへと変化していく。

 

「あなたは、その魂を抜き取られて石の中に閉じ込められてた。もちろん中身の魂を抜き取られるわけだから、その身体は抜け殻となってこの道端で倒れてたでしょうね。だから、あなたは小さなパートナーを永遠にここに置き去りにして、あなた自身はこの石の中に潜む悪いワルーイ魂達にずっとずーっと凌辱され続けていたかもしれないねー?」

 

「りょ――――う、うぇー……こわー……」

 

 アタシはラルトスを抱きしめる腕に力を入れながら、女の子の話に「おえー」と舌を出していく。

 そんなこちらの反応に、ケタケタと薄ら笑いを見せていく女の子。その様子からしてこの話も半分は嘘なんだろうけれども、もう半分がもし本当なのだとしたら、アタシは取り返しのつかない事態に巻き込まれていたのかもしれない。

 

「特に、ママタシティで有名になったこのかなめいしには、多くの大罪人の悪い魂がたくさん込められているって聞いてる。何せ、その怪談話にあった抜き取られた魂ってのが、その被害に遭ったのだろう被害者のほとんどが過去や現在で罪を犯してきた前科有りの人達だったものだから。――いいや。だからこそ、だったのかもね。このかなめいしはきっと、そういった非道的な思想が大好物だったのかもしれない。今ではただ単に無差別に魂を吸引するようになったみたいだけど、もしも極悪な大罪人がたくさん潜む個室に閉じ込められてみ? ……ね? ヤバかったでしょ!!」

 

「うん……アタシまじでヤバかったかも。ありがとね、助けてくれて。……ところで、あなたは誰?」

 

 ほんと急に巡ってきた、唐突な疑問。

 それを聞いた女の子はハッとするように気付くと、次にもかなめいしをみたまのとうの窪みに嵌めていきながら、そのセリフを口にしてきたのだ。

 

「立ち話もなんだからさ、街のカフェで甘いものを食べながら話しない? ウチとしても、なんかあなたのことをもっと知っておきたい気分だし!」



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トリガー

 雲が泳ぐ軽快な空模様。そこから放たれる昼間の日光を浴びながら繁盛する商店街から、あまり遠くない山に位置する平原の一角。

 その日にも、悪事を企てる闇からの刺客が、自身らの背丈を越える筒のような武器を担いで息を潜めていた。だが、唐突と暗転した世界の中でふと目覚めるなり、自身らが奇襲を受けたことで身柄を取り押さえられていたことに彼らは気が付く。

 

 黒色の分厚いコートに身を包み、ゴーグルのようなサングラスと靴底の厚いブーツという姿をした男の一人が、自身が木に縛り付けられている現状を理解する。

 同時にして、前方で起きていた事態。人間も野生ポケモンも寄り付かないだろう、木々に囲まれた鬱蒼とした地帯の中にて、同じく木々に縛り付けられた仲間の一人が漆黒の獣に襲われていたのだ。

 

 じんつうりきによって、脳みそをかき混ぜられる拷問の様子。その苦しみに泡を噴き出しながら白目を剥いた仲間がぐったりと気を失うと、その紅きたてがみを揺らしながら、獣はその男へと向いてくる――

 

「ひ、ひいぃ!!! な、んなんだおめェはよおォォオオッッ!!! 突然と人を襲いやがって!! こんなん、知性を持つ生き物がすることじゃねぇだろォオオ!!!」

 

「散々とポケモンをなぶり殺しておいて、よくものうのうとその口を叩けるわね」

 

 怒りに支配された女性の声。すぐにも仲間の内の一人を引き摺りながら男の視界に姿を現した、白髪のポニーテールの女性が見下すようにそれを続けていく。

 

「貴方達がこの時期にここを標的にすることくらい、私は既に何度も見てきているのよ。だから今回も、残虐的な行為を働くべく完全な武装をしてまで行進する貴方達のことを、私は知っていながらも放っておくことなんてできない。で、貴方達の悪事を阻止するついでに知りたいことも山ほどとあるものだから、今は戦果を持ち帰るべくこうしてお仲間さんから色々と吐いてもらっているわけ。ね? そうよね?」

 

 引き摺る男の腹を、ブーツで踏み抜く女性。グシャァッと奥まで届いたその衝撃に、男は口から吐しゃ物を吐き出して気を失っていく。

 ……周囲の地面に横たわる数名の仲間達。中には重症を負っている者も混じっており、頭部や背中に刻まれた鋭い刃の跡が生々しく残されている。

 

 そして、それを刻んだ本人であろうペンギンの姿をしたポケモンが現れると、そこからは女性の仲間と思しき長身の男が冷酷な目で縛られた男を見遣っていくのだ。

 

「素直にゲロってくれりゃあ、おれらも楽ができるもんだし、あんたも気を失う程度の負傷で済むってなこった。悪い事は言わねぇ。さっさとおれらの問いに答えるんだな」

 

「だ、誰がてめェらのような外道野郎どもに組織のことを喋るかよ!!! 生き物に対して躊躇なく怪我を負わせられるなんて、そこらのバケモンでもやらねェことだろッッ!!! てめェらなんか地獄に落ちちまえバーカバーカッッッ!!!!」

 

「……ユノ。あんたは本当に、こんな野郎共とずっと付き合い続けてきたのか?」

 

「連中のポケモン殺戮行為を阻止しない限り、もしも私の目的が達成されたとしても、そうして迎えた平穏な世界の中で多くの人々が、大切なパートナーを失ってしまった悲しみに打ちのめされなければならなくなる。――今までも目的を達成することができなかったものだけれど、私はその後のことも考えていきたいの」

 

「だからとはいえ、よくもまぁ言葉も通じねぇ単細胞野郎共に、これだけ付き合い続けてきたもんだな」

 

「私だって、こんな奴らの顔なんか見たくないわよ。でも、“彼”を止めるためには避けて通れない道になるの……!」

 

「その、“彼”っつーものは未だに詳しい話を聞いていないな。あとで教えてくれ」

 

「……その前に、まずはこの男からマサクル団基地の在処について吐かせましょう。……そう遠くない未来に、ママタシティは災害に見舞われる。それを阻止しなければシナノ地方は多くの悲しみを背負うことになるの

 

「ユノ、あんたはほんと、どこまで知っているんだ……。まぁいい、あんたはそろそろ休んでおけ。残りの作業は、おれが適当に処理しておいてやる」

 

 トラベラーパンツのポケットに突っ込んだ手。そうしてにじりにじりと歩くように縛り付けた男へとその男性が近付くと、次の瞬間にも、その脚から繰り出される鋭い蹴りの一閃を顔面へと浴びせていったのだ――

 

 

 

 

 

 鎧をまとった多くの大人達が、平原の一角を取り締まる騒然とした一帯。この場所で何があったのだろうと集った野次馬達が彼ら守護隊の活動を見守る中、それを灯台の上から眺める二つの人影。

 

 二人の傍にはエンペルトが佇んでおり、そしてまもなくゾロアークもまた二人の下に合流するかのよう、どこからともなく参上する。

 そして、手にした録音機を再生すると、この携帯機からは現在の守護隊が交わしていく会話の様子が流れ出してきた。

 

『やはり今回も、JUNOとなる人物の働きかけによって、ヤツらの計画が阻止された現場であることが確かのようです。その証拠に、毎度と残される、技エネルギーによって刻まれたJUNOの赤い文字が発見されました。以前にもJUNOと名乗る人物が指名したように、今回のこともタイチさんに報告し、引き続きその正体を探ってもらえるようお願いいたしましょう』

 

「……ユノ。一つ確認だが、その、JUNOという人物は、あんた、ってことでいいんだよな」

 

 長身の男が問い掛けるそれに、女性はポニーテールを揺らしながら「えぇ」と返答していく。

 

「なんつーか、回りくどいやり方だな。こうして遠回しに守護隊を操作しながらマサクル団に関する情報を集めるだなんて。だったら最初から守護隊に『自分がJUNOです』と伝えて守護隊の内部に加わった方がいいんじゃねぇのか」

 

「“二回目”の場所で、私はそれを実際に試したわ」

 

「結果は? ……まぁ、あんたが“此処”にいる時点で、大方の見当はつくが」

 

「私は英雄視されて、メディアに追い掛け回される事になった。それで私は思うように身動きが取れなくなって、マサクル団を操るルイナーズは予定通りに計画を遂行」

 

「人間は崇めることが大好きな生き物だもんな。そりゃあ顔もバレていりゃあ神にすがる思いであんたを崇拝するか」

 

 はぁっと深いため息をつく男性。何もかもが面倒くさいといった具合に首を鳴らしていくと、ふと思い立った疑問なのか、それを女性へと問い掛け始めたのだ。

 

「……ユノは、“此処”で何回目なんだ。――おれの素性を知っているってことは、少なくともユノはおれと“既に会っている”んだろ?」

 

 ……。

 少しばかりの沈黙を貫いていく女性。灯台の上に吹く風にポニーテールを揺らしていきながら俯いていくと、少しして歩き出しては手すりに両腕を乗せて、身を乗り出すような姿勢となって遠くを見つめながらそれを口にしてきた。

 

「“一回目”と、“三回目”。それと、“五回目”」

 

「ッ……。既に、三回もおれと……? なんだ、じゃあ、っこれであんたは合計で“五回目”ってことか……?」

 

「“此処”で、“七回目”」

 

「ッッ…………」

 

 絶句。あまりもの驚きによって目を見開いた男性は、同時に彼の相棒であるエンペルトも同じように彼女への驚愕を隠せずにいた。

 

 女性は遠くを見つめたままの視線で、今も視界いっぱいに広がる海と、それの上を往く船やポケモンを眺め続けていく。

 

「私は、何度も何度も同じ大地を渡り歩いてきた。そうして似て異なる景色を何回も何回も目にしていく度に、自分がこの計画を食い止められなかったことを実感して、次に自身の力不足を痛感しながらも、でもこれは私にしかできない使命でもあるから一人でずっと戦い続けてきた。しかも最初の“一回目”では、私はまだ十五歳。あれから、何年? ……イチ、ニイ、サン。……十年もの時が流れ去っていった。その間も私はただ、この計画を何度も何度も実行する“彼”のことを追い掛け続けてきて、そんな長年の暴走状態である“彼”を食い止めるべく、今も私はそれのためだけに生きながら奔走している」

 

「ま、待てよ……待ってくれ。理解が追い付かねぇ。待て、待て。おれでさえ、“此処”でやっと“二回目”っつーのに。こんな、気が狂いそうな日々を、十年、ずっと。これを、七回も……。ユノ、あんた……本当におれらと同じ人間か? 常人なら、こんな生活が続きゃぁ自然と人格が破壊されて精神崩壊しているところだっつーのに……!!」

 

「えぇ、だから既に、私は壊れている。”零回目”から一緒にいてくれている私の相棒のゾロアーク共々、今ここにいる私にはもう、純粋な人格も、純粋な血族も。……純粋に信頼して、純粋に大好きだった人も。何もかもを失って。何もかもを失い続けて。その度に私は壊れて。でも動き出して。また壊れて。それでも動いて。奮い立たせながら。私のような思いをさせないために。みんなのためにと思って。頑張ってきた」

 

 その瞳には、何も無い。

 驚愕を隠せない男性は口元に手をあてがい、少しばかりと悩む様子を見せていった。……いや、おれならば間違いなく“彼”とやらを追いかける宿命を呪い、自ら命を絶っていただろう。脳内で巡る言葉に、彼女へと抱いた複雑な想いが混ざり合う中で、男性は色々と思う所を感じながらも次にその問いを行っていく。

 

「……おれと会ったのは、これで四回になるか。じゃあユノは“以前”にも、”おれではない”おれと行動を共にした時もあるのか」

 

「一緒に行動したことがあるのは、“三回目”と、“五回目”の時。“五回目”の時には、貴方は共に生き残ったガールフレンドと二人旅をしていたから、当時は三人で旅をしたこともあったわね」

 

「――っ!! …………ッ!!!」

 

 歯を食いしばる男性。降りかかった後悔の念に囚われかけたところ、エンペルトに背を触れてもらうことで何とか思いとどまっていく男性が、必死に堪えるようその言葉を口にした。

 

「……それを知っているだけでも、あんたが七回もの旅を強要させられてきた話をおれは信じる他ねぇ」

 

「結局、その時も私は“彼”を止めることができなかった。“彼”が引き連れた、歪む世界に君臨する者ギラティナに“其処”を破られてしまったから」

 

「…………!!!」

 

「空間に入ったその亀裂に、世界が吸い込まれていくの。破られた次元は、時という概念を消し去り、時空という概念を引き裂いていく。そうして迸った亀裂からは“向こう側の世界”が見えていて、それと一体化するように、足を着けている大地と、天井である大空がまるごと吸引されて亀裂に押し込められていく。――成す術も無い。これまでに三回と出くわしたギラティナによるラグナロクにおいて、ギラティナを食い止めるためのトリガーを、私は一度も見つけることができなかった。ミュウツーが用いられたラグナロクにおいては、あらゆるポケモンと友好を結ぶことができる、天真爛漫な心を持つ真っ直ぐな少年というトリガーが必要になることは分かっていたけれど。でも、ギラティナを用いられたラグナロクにおける阻止のトリガーは、今になっても分からない……!!」

 

 力む両手。グッと加えられた力によって手のひらを傷付けていく女性と、彼女を慰めるべく近付いたゾロアークが心配そうに肩へ手を乗せていくその光景。

 ……そして、それを黙々と聞いていた男性とエンペルト。――だったのだが、ふと何かで男性とエンペルトは目を合わせていくと、それを女性へと問い掛けていったのだ。

 

「……つまるところ、そのトリガーっつーものを知ってさえいれば、おれはギラティナに会うことができるってのか?」

 

「知っているだけでは会うこともどうにもならないけれど、知っているのと知らないのとでは、雲泥の差があるほどにトリガーの情報は重要なの」

 

「そいつなら、おれ、たぶん知っているな」

 

「!?」

 

 高速で振り返ってくる女性。半分泣き出しそうにさえなっていた悲痛の念から一転とした、希望にすがるかのような眼差し。

 

「おれは、仇討ちでギラティナを探している。でもって、ユノの話と、今まで見てきた光景やら、出会ってきた事象やらと照らし合わせていくと、恐らくおれの故郷もあんたの言う“彼”とやらに滅ぼされた被害者の一部だ。――だが、正直なところ、おれは別に“彼”とか言う野郎は心底どうでもいい。おれが許せずにいる、今もこうして復讐のために生きている理由はただ一つ。それは、おれの故郷を破滅へと導いたギラティナの野郎をぶっ殺すこと。ただそれだけだ」

 

 彼女とは異なる感情を含んだ、憎悪にまみれし復讐の眼光。瞳の奥に映る光景もまた、空間に迸った亀裂の裂け目をうかがわせると、男性はポケットに手を入れた姿勢で言葉を続けていく。

 

「だから、おれはおれで、死に物狂いで情報を集めていったさ。その成果としては、ギラティナに会うには“ポケモンとの対話を可能とする、自然界で生まれ育った人間の少女”の協力が必要だと、“以前”のシナノ地方で知ることができた。……それを聞いた当初は、だからなんだとしか思わなかったもんだがよ」

 

「……それよ。たぶん、いえ……きっと、それ。いえ、絶対にそれだわ!!」

 

 感極まる女性。これまでに入手することさえ叶わなかった念願の情報に、彼女は堪え切れないと言わんばかりの歓喜で飛び出すなり男性に抱き着いていく。

 

「でかしたわ!!! “今回の”レイジくん!!! 既に時間はそう残されていない以上、その情報をあてにしてトリガーを探し当てましょう!!!! ポケモンとの対話を可能とする、自然界で生まれ育った人間の少女。ミュウツーのラグナロクを食い止めるトリガーは少年だし、どちらにしても今の私達に必要なのは、トリガーにあたる少年少女の正体を解明すること!!! ――やった! やった!!! 今まで、ミュウツーとギラティナの存在が同時に示唆されることなんて無かったから!! だから、とうとう“彼”の計画が最終段階にまで迫っていたことに、もう、もう、ダメかもってばかり思ってた…………っ!!!」

 

「お、おうおう落ち着けユノ! もうこの世にはいねぇが、おれには彼女がいたこと知ってんだろっ!! ……だから、他の女は、っ。……まぁ、ほら。おう、取り敢えず落ち着けや……」

 

 焦る男性に、ぐりぐりと身体を擦り付けていく女性。まさかの展開に、しかし満更でもない男性は若干と頬を赤らめながらそっぽを向くことしかできず、そんな二人の様子を、ゾロアークとエンペルトは互いに顔を合わせつつ見守り続けていたものだ――



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シナノの巫女

 ママタシティの商店街。ママタ貿易港で波打つ海のように流れ往く人の波を眺めながら、ちょっとオシャレで若い子が好きそうな明るい喫茶店の中でパフェを食べるアタシ。

 

 周囲を見渡すと、バリバリのギャルやパリピな女子達がキャッキャと盛り上がりながらスイーツを食しているこの光景。彼女らが注文した品々はどれも、写真映えしそうな見た目の良いパンケーキであったりマカロンであったり、また同行するポケモンもそれらを召し上がれるように、ポケモン用のオシャレなケーキだったりなんかを連れているポニータに食べさせてあげたりと、今この時を盛大に楽しむザ・青春な店の中……。

 

 ……正直、アタシはこういった空気と全く無縁な人生を歩んできた。慣れない店の雰囲気や周囲の同性に対して、ビクビクとした内心でとにかく落ち着かないアタシ。今も手をつけているパフェが思うように減らず、そんな中でもアタシの目の前では、オーダーしたパチパチひばなの三段プリンケーキを必死にスマートフォンのカメラに収めていく一人のギャルが、奮闘の末にようやくと納得のいく写真を撮れたことに満足していく――

 

「いょーーーーっしゃ!!! ねね! 見て見てヒイロ!! この写真、めっっっちゃ映えじゃない!? このコントラストがパチパチひばなをより強調していてさ!! 三段に積み重なるプリンケーキがバランスを保ちながら完璧なフォームでそびえ立っていて、さらにはパチパチひばなによる遠近法で臨場感を演出した最強の一枚!!! っふっふっふ!! これは絶対に一万イイヨは貰える! 今すぐにもポケッターに投稿しなきゃぁあ~~!!!」

 

 ハキハキとした、快活な喋りを行ってくる女の子。左目の下にあるホクロというチャームポイントで、吊り上げたような口で笑んでいく表情が特徴的だ。

 ベレー帽のような黒色のツバ付き帽子をかぶる、アッシュのボブヘアー。肩を出した黒色のぶかぶかなパーカーに、脇と胸の谷間を大胆に露出したへそ出しの黒色シャツと、青色のホットパンツ。靴もくすんだ黄色の大胆な穴あきロングブーツでピアスをじゃらじゃらと付けた、ザ・ヤングな若い子という印象を抱くヤンチャな外見。

 

 満足のいく仕上がりに、両足をジタバタさせながら喜びを表現していくその女の子。すでに平らげた一枚の綺麗なお皿を脇にして二品目へと参った彼女だが、その写真、一枚目の時にもだいぶ時間をかけて撮っていたんだから別に良くない……? なんて思えてしまうアタシは、同い年にも関わらず流行についていけてないダサ女なのだろうか。

 

 とか何とか思っていると、テーブルに乗っているラルトスがアタシの手をちょんちょんと触ってくる。

 ……パフェが欲しいみたい。自分のポフィンを食べ尽くしたことで物足りなさそうな目をアタシへと向けてくるものだから、「これ食べる?」とパフェを渡していくと、ラルトスはキャッキャと喜びながらアタシの代わりにそれを食し始めていくのだ。

 

 ここに来てから、まぁまぁな時間が経過した。客足が途絶えない繁盛するお店にこんな長居しなくてもいいよなーなんて思えてしまうものの、まだまだ二品目に手を出し始めた眼前の連れが自分の世界に浸っているものだから、ちょっと手持ち無沙汰というか、周囲を眺めることしかできないというか。

 

 なんて思って暇を持て余していると、フォークを持った目の前の女の子が悪戯な笑みを浮かべながらその言葉を掛けてくる。

 

「ヒイロってさ、もしかしてこういうお店は初めてだったりするー??」

 

「だ、だってアタシ、どっちかと言うと陰キャな方だから……。それだからかな、こういう今ドキ~って子が来るようなお店の雰囲気って、なんかどうも苦手で……」

 

「シッシシシ! おーおー、いいねいいね! 初々しいねぇ~~! イイ反応だよーヒイロ!! 『どうぐ集めに勤しむ変化球女子が、今ドキ女子の映えスポットを初体験なう』!! そんな記念を祝して、ほら一枚!」

 

 パシャリッ。突然向けられたスマートフォンがシャッターを切り、それに驚いたアタシは全力でそれを拒否するよう両手で顔を覆い隠していく。

 

「ちょ、っと! 顔は撮らないでよ!」

 

「アッハハハ! カワイーー!! ね、加工して特定はできなくするから、ヒイロの初々しいところポケッターに載せていい!? ヒイロの反応は絶対にたくさんのイイヨが貰えるよ!! だってウチらとしても、ヒイロのような子がこういうお店に来てくれてるのってめっちゃ嬉しいことだし!!」

 

「え、SNSに載せられるのはヤだ……」

 

「大丈夫、大丈夫! あ、じゃあじゃあウチとのツーショットでどう!? ラルトスも一緒に入れてさ! それなら別に怖くないよ!! ほら、ラルトスだってめっちゃ乗り気じゃん!! ほらほら顔を近付けて!! はい、ちーず、ちーず!!」

 

「え、えぇーー……」

 

 渋々……。

 その場のノリに流されるままに、テーブルから乗り出すようにしてアタシと女の子はツーショットの写真を撮っていく。

 

 また、引っ付くように存在していたパフェ越しのラルトスも中々にイイ味を出しているとのことで、撮れた写真に加工を施してその一枚をアタシらに見せてくるその子。女の子の顔がバリバリと見えてる中で、アタシの顔はカラカラの顔のスタンプを貼ることで特定されない程度に隠されていたことから、「ね! これならポケッターに載せていいでしょ!!」とウッキウキで訊ねてくる彼女のそれに、アタシは「分かった……」と乗り気じゃない調子で答えていくことしかできずにいた。

 

 彼女は、とてもフランクな人間だった。たった数時間前に道端で出会ったというのに、そんなアタシに即行で馴染んではこのように接してきてくれたものだから。

 女の子のノリは、アタシとしても別にそれほど不快に思う事はなかった。それどころか、彼女とはどこか波長が合うというか、その言動や行動力は活発的でクルミ君に似たものをうかがわせたものだが、彼との違いと言えば、その強引さが多少マイルドになっていて、かつ女子という同じ立場にいるからこその気遣いを、女の子はしっかりと行き届かせていたところだろうか。

 

 別に、一緒にいることは苦にならない。こうして引っ張っていってくれるのは、素直にありがたいと思えるからね。

 ただ……この子も同い年でありながら、めちゃめちゃ元気が良い。だからなのか、クルミ君で慣れているはずの次から次への行動に、アタシは身体こそはついていけたものの、気持ち的な面で相当疲弊してしまえていたものだ。

 

 ――でも、この子と一緒にいるのは、なんか楽しいな。

 

「ヒイロ、ヒイロ!! ねぇ来て来て!! ウチが欲しかった本ここにあった!! ほら、これこれ!! デデーン! この表紙のイケメン二人組、めっちゃカッコいいでしょ!!」

 

「何これ? 漫画? 『ガオガエン系執事と、オオタチ系お坊ちゃま』。……ってこれ、十八禁のBL漫画じゃん!?」

 

 ガツガツ系の男の人と、か弱い面持ちの男の子。二人の美青年が上半身裸という刺激的な格好をしておきながら、何とも言えない恍惚とした表情で向き合っていく薄い本。

 喫茶店を出た後にも、若い子にウケるであろうキラキラとした本屋に訪れていたアタシら。女の子が先導する形で、本当に通い慣れているといった迷いの無い足取りでここに連れていかれると、よく分からない今ドキな本が大量に並ぶ本棚を流すように見ていくアタシのことを、彼女は手で招くように呼んできたものだ。

 

 そうして見せられたのが、男性同士が愛し合うまさかの本……!

 

「な、なに、こういうの読むの……?」

 

「えぇ!? ヒイロはこういうの読まないのッ!!?」

 

「なんかすっごい、読んでるのがさも当たり前みたいな反応してきたね……」

 

「え、だってだって。え、ウソ。この世界を知らないなんてヒイロ絶対いまの人生を損してる!! えー待って信じられないだってこんな。ほらこれ見て! 試し読みできるBLのやつ! これに目を通せば、絶対にヒイロもこの世界の良さが分かるって!!」

 

「そ、そうかな……? どれどれ……。――うわぁ。ぁあ、なんかすっごい。うわぁ、っあ、ヤッバ。ぅお、こんな近い距離で。や、やぁ、待って。で、出てる出てる。すっごい、うあ、後ろをこんな、へぇ。ぁ、ひゃー……そんなことまでさせちゃうんだ……ゎー、すごー……」

 

 アタシは今、新しい扉を開いたかもしれない。

 それに意識が釘付けとなるアタシ。この試し読みによってだいぶ昂ってきた気持ちが全身に迸り、そしてなぜだか脳内に注入されてきた、「もっと見てみたい」という麻薬のような欲求。

 

 オスであるラルトスを抱えながら巡っていった本屋の中は、アタシらによる興奮で発せられた熱によって一部分のみ気温が上がっていたかもしれない。特にあの女の子から唆されたことで一層もの興味を抱いてしまったアタシがオススメを聞きながら、試し読みや表紙を読み漁っていくその様子は、もはや手遅れとも言えるだろう領域に足を突っ込んでいたことを示唆していたことだろう……。

 

 そんなこんなで、アタシは夕方という時刻になるまでその女の子と遊びつくしていった。

 ジムチャレンジのためにママタシティに訪れたというのに、むしろ異文化が集いし交流の地において、異文化とはまた異なる領域との交流を果たしてしまうとは。不覚だったというか、しかし収穫も大きかったというかなんというか……。

 

 ということで数冊が入った買い物袋をバッグに入れながら、沈む夕日で黄昏色に輝く海の、それが波打つ涼しい音を背景にアタシは女の子にお礼を言っていく。

 

「今日はありがとう! アタシ、あなたと一緒に遊べて良かったって思ってる! また機会があったらママタシティを案内してよ!」

 

「んなお礼はいいっていいって!! ウチもヒイロみたいな同い年の子と一緒に遊べて、ホントに楽しかった!! ウチ、こうして同い年の女の子と、あんなところやこんなところと色んな場所を巡っていくのが夢だったんだーー!!」

 

「え? 今までアタシのような子と遊んだことなかったの?」

 

 ふとした疑問に、アタシは抱えるラルトスを一層とぎゅっとしながら訊ね掛けてしまった。

 と、それを耳にした瞬間にも、その子は晴れ晴れとした表情から一転として、しゅんとしたような、どこか寂しいような面持ちとなってその言葉を口にしていく。

 

「あ、うん。ウチさ、まーー、家系のこととか色々あって、こんな風に外を自由に歩かせてくれたこととか全く無くって。そりゃあさ、家の人達が考えることだって、ウチにも分かってるんだ。ウチの家系は他とはちょっと違うってのもあるし、その関係でウチが稼業を引き継がなきゃいけないしで、専門的な知識や技術も身に着けていかなきゃいけない。――でも、だからってウチは、そういうのに縛られるのも嫌だった。既に決まっている将来に、ウチは、自分に自由が無いと思ってた」

 

 ママタ貿易港から聞こえてくる汽笛。そのコンクリートの足場に立つアタシらが向き合っていく中で、波の音にいざなわれるようにその子は大海原へと視線を投げつける。

 

「……憧れだったんだ、こういうの。他の人と同じように、普通に学校に通ってさ。それで、学校で出会った友達と普通にお出掛けをして、質素な食べ物でめちゃくちゃ盛り上がったり、プリクラとかで撮った写真をポケッターに載せて世界の人と共有したり、ウチはそういう、他の人が言う至って平凡な日常を生きてみたかった。――ヒイロにならバラしちゃっても平気かな。ウチさ、こう見えて、“シナノの巫女”って呼ばれる家系の末裔なんだ。シナノの巫女って、学校の歴史で習ったでしょ? このシナノ地方に蔓延るとされる、邪悪な念を抑制する力。それを唯一と扱うことができる、特殊な体質の持ち主。このシナノの巫女という唯一無二の存在がシナノ地方で密かに繁栄を続けてきたことから、シナノ地方という場所は今も、戦争によって大量発生した悪霊に支配されることなく、今も平穏な毎日を過ごすことができているってワケ」

 

 シナノの巫女……?

 アタシはその言葉を耳にして、同時に憂いだと思ってきた学校にてその名を聞いた記憶が蘇る。

 

 あぁ、確かにそれは習ったかも。それも最初期の歴史の授業で。

 人間とポケモンによる戦争がしばらくと続いたこの地方には、それらによる犠牲が度重なることで成仏のできない魂が次第と数を増やしていった。それでいてその魂達は、現世に被害をもたらす程度のエネルギーを操ることが可能であったことから、成仏のできなかった魂達はその私怨から、戦争を続けるあらゆる生物に対する復讐として、魂から発せられる邪悪な技エネルギーを駆使することで現世に甚大な被害をもたらしてきた、と。

 

 現世に残る人々やポケモンは、この邪悪なエネルギーを使用する魂達にひどく手を焼いたらしい。というのも、魂達は成仏できなかったことから現世に残り続け、人の目には見えない姿を以てしてそれらの猛威を振るってきたのだとか。

 唯一としてその魂を捉えることができたゴーストタイプのポケモンであっても、その邪悪なエネルギーを抑え込むことが非常に難しかったようだ。それほどまでに強大な怨嗟のエネルギーを宿した成仏のできない魂達は、戦争を繰り返す生物に対しての天誅として、現世を引っ掻き回してきたとされている。

 

 だが、そんな魂達の強大なエネルギーは、突如として抑え込まれた。

 その邪悪な念を浄化することができる、不思議な力を宿した一人の少女。その容姿や年齢はまだまだ幼かったにも関わらず、少女が有する力はシナノ全土にまで及ぶ強力なものであったため、この少女の聖なる力を前にして、魂達は現世に災厄をもたらすことができなくなったのだという。

 

 その少女は、後にもシナノの巫女と呼ばれるようになった。そして、シナノの巫女という存在が邪悪なる魂達の抑止力となることから、戦時中においても、シナノの巫女だけは絶対に巻き添えにしてはならないというルールまでもがつくられることになった――

 

「……じゃあ、あなたはその、シナノの巫女っていう邪悪な魂達を抑え込む力を……?」

 

「何なら、ウチは今でもそれを使い続けてる。らしい。……実際、ホントに無意識というか。ただこうして存在しているだけで邪悪な力の抑止力になるらしいから、ウチもそこんとこ、あまり分かってないんだよね。だから、自覚無し! シナノの巫女の末裔とかも、ウチにとってはホントにどうでもいい!! でも、ウチの家系の事情が色々と複雑なんだよ。まず、シナノの巫女と呼ばれるくらいなものだから、この聖なる力を宿すには女であることが最低条件になる。でもって、ウチには、兄が四人もいる!! で、ようやくと生まれてきた女のウチを産み落として、母は他界。おばあちゃんも既にこの世を去っていることから、今現在と存在するシナノの巫女は、ウチ一人だけになる」

 

「それ、責任重大じゃん……!! 本当に大丈夫なの!?」

 

「ううん、だいじょばない。――でも別に、そんなの今更どうでもいいし」

 

 足元の石ころを蹴り飛ばす女の子。ヤケクソとも見て取れる、日頃の鬱憤を晴らすような粗暴な一蹴り。

 

「この世界がどうなろうと、ウチには関係ない。何せ、ウチが生きている間は今もそこら辺を漂っている邪悪な亡霊たちは何もできないし、万が一ウチが死んだ時には、その亡霊たちは復活してこのシナノ地方を滅ぼすだけ。その時にはウチはいないから本当に無関係だし、だったらその前に、適当な男と子作りしまくって子供を孕んで、女が出るまで何度も何度も性別を厳選してから、その責任を全て自分の子供に押し付けてウチはのうのうと生きていく?? ――バッカじゃないの。考えるだけ面倒になってくる。……ウチはただ、聖なる力とかそんなの関係無い、もっと普通な女として生まれてきたかっただけなのに」

 

 ……これは、アタシがどうこう言う問題では無さそうかも。

 生まれ持った宿命というやつなのかもしれない。その運命から逃れることも許されず、かつシナノ地方の命運を分ける重要な役割を担っているプレッシャーなのかどうか。そういうのも部外者であるアタシには分かるハズも無かったものだが、少なくともそういった圧し掛かる重圧に耐え続けてきたのだろう彼女へとアタシは近付くと、その背に手を当てていって、その眼差しと目を合わせていく。

 

「アタシにできることは何も無いかもしれないけれど、でも、もしあなたがアタシと関わることで少しだけでも気持ちが救われるのであれば、アタシはこれからも、あなたの支えになっていきたいかも」

 

「ヒイロ…………」

 

 落ちる太陽が半分となりながら、その黄昏を次第と地平線に沈め始めていく海の景色。

 向かい合う女の子と見つめ合う。彼女の表情は、自身が口にした本人曰く無責任なそれらに対しても、それでも自身と関わりを持ち続けてくれるというアタシへ抱いた好意からなる喜びに満ち溢れていた。

 

 ……あれだけ悪戯っぽい笑みを浮かべていたというのに、今にもこうして見せてきたのは、心の底から救われたかのような満面の微笑み。黄昏も相まることでニィっと吊り上げた健気な表情は、彼女が求めてきた友人という一つの対象に安心を寄せる、心の友とも呼べる輝かしい存在に心底から歓喜した顔であることがアタシにも分かった。

 

「ヒイロ、ありがとうっ!! あぁ、こんなに嬉しいことだったんだ。友達がいるって。ホント、ウチ、人付き合いとかも制限されてきて、それでもう嫌になって家を飛び出してきたんだけど、それは大正解だったかも!!」

 

 背に当てていたアタシの手を取って、女の子は黄昏に引けを取らない明るい笑みでそれを口にしていく。

 ……まぁ、そこら辺のことに関しては、アタシは何も言うまい。ただアタシは、この子の友人として在るべきであったからだ。

 

 と、いうことでアタシはその子との友情を育んでいたものだったのだが、ここでふと、アタシは最も重要なことであろう事柄を思い出すことになったのだ。

 

「ところで、さ。その……あなたの名前、アタシまだ聞いてないんだよね……」

 

「うぇ!? あれ!? そうだったっけ!?」

 

 ……やっぱ、ちょっとクルミ君っぽさは否めない。

 アハハと苦笑いで返していくアタシ。けれど、こうして巡ってきた出会いの運命に両者が向き合っていくと、次の時にも、陽が暮れる背景をバックにして、その子は自己紹介を行ってきたのだった。

 

「まーー、ウチの名前は『チシカ』っていうからさ。その、ヒイロ。……これからも、よろしくね!」



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集いし戦士達

 そりゃあ確かに、アタシはチシカさんのことを、どこかクルミ君と似通う部分があるなぁなんて思ったよ。

 豪華なディナーをビュッフェスタイルで楽しむことができる、それなりなお値段の宿屋の食堂。提供開始となる時刻を過ぎればいつでも出入り可能なお食事処にて、アタシは気配を殺しながらも抱えたラルトスと一緒に取ってきたラザニアを食べていく。

 

 まぁ、元々が六人という大所帯での旅だったし、それも絶賛ジムチャレンジ中であるクルミ君を始めとした面々もいたものだから。そういうことで、ユノさんと二人で過ごしてきたような落ち着いた空間は期待することができなかったし、多少もの騒がしさもむしろご愛敬と言えたかもしれない。

 

 ……だが、そこに新たなるメンツが加わることは、まるで予想もしていなかった。

 テーブルを挟んだ向こう側で、ワイワイわちゃわちゃとはしゃぎながら会話を弾ませる二人の人物。同い年であるというアタシにもある共通点で、かつ行動的なところというか、活発的な元気の漲る様にもどこか二人の姿を重ね合わせることも何回かあった。

 

 しかし、いざこうして二人がご対面となってしまうと、その溢れんばかりの活力が、相乗効果によってさらに燃え上がるとは……。

 

「えぇーーーーすげぇえええ!!!! じゃあじゃあ!! チシカは前のジムチャレンジでバッジを八個集めた、シナノリーグ経験者ってことかよーーーー!!!!」

 

「ふっふっふ、まぁね~!! まーー、ウチの手に掛かれば? ジムチャレンジくらい? どうってことは無かったかなぁ~~!! ……ま、ジムチャレンジの期間が終わるっていう三日前くらいに、滑り込みで八個手に入れられたってくらいのすっごく際どいところではあったけどね……」

 

「それでそれで!! チシカもシナノリーグ出たんだろ!!? オレ、昨年のシナノリーグも最初からずっと観てたけどさ!! チシカっぽいヤツの姿は見なかったぞ!!」

 

「ぐはっ! そ、それはっ。い、痛い! とても痛いトコ突いてくんじゃんクルミ君……! あーーそうだよ!! ウチはプールで落ちたよ!! どうせ所詮はトーナメントに勝ち上がれなかった敗北者ですよーーだっ!!! あぁもう思い出したら悔しくなってきた!! ジュース!! パイルのみジュース一気飲みしてやるッ!!」

 

「おぉーーーーチシカ豪快だな!! シナノリーグに出たトレーナーってやっぱ飲みっぷりも違うなぁあ!!! よーーーっし!! オレもチシカみたいにジムバッジ八個集めるために、今はひたすら飲みまくって食いまくるぞーーーー!!!」

 

「おいクルミっ!!! おいチシカとかいうやつ!!! お前さんらうるせぇんだよッ!!! よそ様の食事の迷惑になるだろうがッッ!!!」

 

 クルミ君とチシカさんが大盛り上がりで会話しているところに、ビュッフェから帰ってきたグレン君が怒号と共に二人の静止へと入っていく。

 そのままクルミ君の首を腕で締め上げたグレン君。そんな実力行使な手段に対してチシカさんは、「うはーー!! グレン君ってば腕っぷしが立つーー!! ちょっと待ってちょっと待って今の絵面すごくイイ!! じゃれ合う男の子二人組ってこの絵は、ウチ含めて一部の人達にすっごく需要があるんだーーっ!! はいちーずちーず!!」というセリフと共にスマートフォンを向けていって、シャッターをパシャリッ。

 

 それに対して更なる怒りを見せていくグレン君と、首を絞められながらもその腕を冗談めかして叩くクルミ君はものすごく楽しそうにしていたものだ。

 ……そして、クルミ君をお熱にする新手の女子が現れたことで、もはや心の平穏を忘れ去ったカナタさん。彼の隣に座りながらも対象となる彼女を光の無い丸い瞳でじっと見つめ、殺意を隠すことを忘却した、その瞳と目が合っただけで祟られそうなオーラを醸し出してチシカさんを敵対視していくその光景。

 

 いや、カオスすぎ。そもそもとしてアタシがチシカさんをここに連れてきたことが発端というか、もっと言えばチシカさんが今夜泊まる宿屋を決めていなかったものだから、じゃあ一緒の所で泊まる? なんて提案をしたのがアタシだったことは確かだけど……。

 

 と、こんな様を繰り広げるアタシらの空間は、他の宿泊客らと比べてもだいぶ浮いていたことは言うまでもない。そして、あまりにもカオスすぎる眼前のそれを見せられて一番困惑していたのは、絶対にこういったノリとは無縁であるレイジさん。

 

 アタシの隣にユノさんが座っており、それでもって、彼女のその隣に腰を落ち着けたレイジさんが頭を抱えながらそれを口にしていく。

 

「……ユノ、あんたもしかして、こんな旅をずっと続けてきたとでも言うんじゃねえだろうな」

 

「ッフフフ。さすがにこんな賑やかな旅は久しぶり……んー、いいえ。もしかしたら私も、こんなに騒がしくも楽しい旅は初めてかもしれないわね」

 

「こんなのが十年と続きゃあ、そりゃ気が狂ってもおかしくねぇと思ったもんだが。――それとも、あれか? おれが“此処”に適応していねぇだけなのか?」

 

「レイジくんもいずれ、この旅が如何に恵まれたものであるのかを理解できる時が来るわよ」

 

「それまでに、おれもユノも互いに目的を達成できていりゃあいいんだがな。……酒を飲まねぇとやってらんねぇな。取りに行ってくる」

 

 気だるそうに言いながら立ち上がり、ポケットに手を突っ込みながら酒を扱うコーナーへと足を運んでいくレイジさん。

 その間にもアタシの目の前では、まるでアルコールでも入ってるんじゃないかってくらいにワイワイやっていくクルミ君とチシカさんが、ものすごく楽しそうにはしゃぎまくっていたものだ。

 

 ……なんか、色々とすごい光景。

 意味もなく面白くなってきてしまったアタシ。次第に上ってきた無意識の笑いが堪え切れないといった調子で「プフッ」と出てしまうと、抱きしめたラルトスをもっとぎゅっとしていきながら、アタシはこの今を流れる一秒単位の瞬間を心の奥底から楽しみ始めていく。

 

 ――ポケモンと人間の、両方の仲間達に恵まれた充実とした生活。中には死ぬかもしれない危険な旅路も数回に渡って巡ってきたものだけれども、そうして滅入ってしまった不安な気持ちを払拭する、この周囲に展開された活気づいた個々の輝き達。

 

 特に、アタシはここに集った四名の人物達から、ある予感を抱き続けていた。

 ユノさん。クルミ君。レイジさん。チシカさん。この四人とは、これからも運命を共にしていく気がする。この予感は何の根拠も無い、直感によるアタシの気のせいであろうとは思ってしまいながらも、しかし一方で、これからにも出くわすのかもしれない様々な試練の中でも、アタシはきっと、この四人と足を並べて共にそれへと立ち向かっていくのだろうと、確信に近い予感をひしひしと感じてしまえて仕方が無かった。

 

 戦士達が、この時にもようやくと集った気がした。だからこそなのかどうか、アタシは心強くも思い、今までに体験したことのない充実感も与えてくれるこの四人に対して、絶大な信頼感を寄せてしまっている。

 

 ……まぁ、こう思っているのはアタシだけなんだろうな。途端にちょっと寂しくなってきた気持ちで呆然としていく中で、隣に座るユノさんから声を掛けられる。

 

「ヒイロちゃん。大丈夫? 先に休む?」

 

「ん、平気。まだまだイケる。……ねぇユノさん。アタシね、今、すっごく楽しい気分なの」

 

「そう、それは良かった。――ッフフ。あら、何でかしら。ヒイロちゃんの親というわけでもないのに何故だか、ヒイロちゃんがこの世界を満喫してくれている姿を見たら、私すごく嬉しく思えてきたわ」

 

「ま、アタシからしたら、ユノさんは第二のママみたいなところあるからね! 本当のママはアタシが小さい頃に死んじゃったけど、でもアタシね、ユノさんからめちゃめちゃ母性を感じてるから、今も本当のお母さんみたいな感覚で話してたりしてるかも! ――話してると言えば、アタシね、ユノさんのことをパパ達にもたくさん話してるんだよ! でね、もしジム巡りで地元のジョウダシティに到着したら、ユノさんにはぜひアタシの実家に寄っていってほしいんだよね!! ユノさんのことを話していたら、パパも、パパのところで働く研究員の皆さんも、ユノさんと会ってみたい~って、ユノさんと話できる機会をすごく楽しみにして待ってくれてるからさ」

 

「そう? ……そこまで言われてしまったら、ヒイロちゃんの親御さんの所に顔を出さないといけないわね」

 

 フフッと笑むユノさんと向かい合って、アタシもまた自然な笑みを見せることができた。

 と、ユノさんと話している間にも目の前では酒を持ってきたレイジさんに絡んでいくクルミ君とチシカさんの姿。

 

「なーなーレイジーーー!!! レイジもすげぇ強いけどさ、やっぱチシカみたいにジムチャレンジしたからってことなんだよなーーー!!!」

 

「おれがジムチャレンジだと? そりゃ無いね。ほら、子供は子供同士で戯れてな。酒を手にしたおれに、ツタのように絡むとロクな目に遭わねぇぞ」

 

「――レイジのお兄さんの目つき、どっかで見たことあるなぁって思ってたら、ウチが大好きな漫画の登場人物にすっごく似てる気がしてきた!! というか、もはや原作から飛び出してきたのかってくらいに、レイジのお兄さんとチョー似てるかも!! ねね! ちょっとそれと見比べる用にレイジのお兄さんの写真撮って、その顔をウチのポケッターに載せてもいいかな!!?」

 

「チシカチシカーーー!!! その漫画ってのはなんだ!!? もしかして、それを読むとチシカみたいに強くなるのか!!?」

 

「お!!! 鋭い質問だねクルミ君!! そうだよ! 人間っていうのはね、好きなものを持つと途端に強くなる生き物なのだよっ!! まーー、それよりも!! この本見て二人共! 表紙のこのおっきい執事のキャラクターとレイジのお兄さん、すっごく似てない!!?」

 

「あんたのことは、格好だけおませな子供だとばかり思い込んでいたもんだが……。なに? 『ガオガエン系執事と、オオタチ系お坊ちゃま』? それ、大人が手に取るような本じゃねえか。未成年のあんたが持ち歩いていていいもんじゃねえだろ。……っつーかそれ、BLか!? 待て待て待て待て! そいつとおれを同じような目で見るな!! おれはそんな趣向なんて無い――」

 

「ホントだーーーーレイジとそっくりじゃん!!! おもしれーーーー!!!」

 

 渋い顔を見せるレイジさんを他所にして、公共の場でBLの本を誇らしげに見せていくチシカさんと、その表紙とレイジさんを見比べてゲラゲラと笑っていくクルミ君。

 なお、風紀委員のグレン君は、クルミ君とチシカさんのコンビについていけなかった敗北感で静かにアタシの隣へと移ってきていた。それを見てアタシが「お疲れ様」というと、グレン君は「まぁ、レイジさんが絡んでくれりゃあ二人は何だかんだで落ち着く。俺の出番はねェだろ、多分……」と疲れ切った調子で言いながら、ようやくといった具合に食事に手を付け始めていった。

 

 で、ちょっと珍しく思ったのが、そんな疲弊したグレン君に、カナタさんが飲み物を持ってきたその光景。ナナのみジュースが入ったグラスを無言で渡してきたカナタさんに「お、すまねェな」とグレン君が言うものだが、それに対しても無言を貫くカナタさんが、不機嫌そうにしながらも席に座って落ち着いていく。

 

 何だかんだで、この場の空気は悪くなかった。それでいて、均衡が保たれている感じからか、アタシも特にこれといった不安を抱えることもなくこの時間を過ごすことができて、とても楽しい一時を堪能することができたと思えている。

 

 ……ユノさん。クルミ君。レイジさん。チシカさん。宿屋の個室に戻ってパートナー達と眠りにつくベッドの中、アタシはこの四人の存在が未だに、頭の中に残り続けてしまってしょうがなかった。



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パートナー達

 雨上がりのママタシティ。豪雨とはいかないものの、建物の屋根を打ち付ける程度の土砂降りであったこの日のバトルコートは、満員に近い盛況となっていた。

 

 朝から場所を確保しておいて正解だった。学校にあった体育館を六倍くらいの大きさにした、この施設。ポケモンバトル用の広大なフィールドを街が無料で提供してくれていることから、ジムチャレンジに挑戦しているチャレンジャーでない人々にも大変ありがたく思われている、シナノ地方に存在するポケモントレーナーの交流の場。

 

 だが、建物の内部という都合上、やはり定員には限度があった。アタシはその定員に触れない程度の、雨が土砂降りになる前の段階で場所を確保しておいた先客なものだったが、その話よりも先に、まず、こういったバトルコートには、ちょっとした暗黙の了解が存在しているということを話しておかないといけないだろう。

 

 そのフィールドこそは、みんなで共有する公共のスペースだ。だが、その人が立っている空間は、その人物の定位置という誰も突っ込まないちょっとしたルールのようなものが存在しており、アタシは定員が埋まる前からそこを維持していたことで、他のトレーナーはこちらの縄張りを把握し、そんな彼らはアタシからある程度の間隔を置いた場所を自身の定位置とすることで、荷物を置いたりして身を落ち着けていくのだ。

 

 要は、お花見の場所取り、のような要領でみんながこのバトルコートを利用していた。もちろんこのコートには決闘用の縦に長いフィールドも確保されていて、自身らの定位置として確保したスペースからそこまで歩いていって、そのフィールドでポケモンバトルを行っていくという流れがこの空間における基本的な過ごし方である。

 

 で、アタシも朝早くから自分の定位置を取っておいたものだから、土砂降りで混んできたという時にも余裕を持ってポケモンバトルに励むことができた。そういう雨の日はバトルコートが混むため、アタシは事前に場所を確保できていたのはラッキーだったのかもしれない。

 

 だが一方で、アタシは自分だけがその場所を独り占めしているような気がしてきてしまい、ちょっと複雑な気持ちでバトルに挑んでしまっていた。そして、そこから来る雑念に囚われてしまっていたのかもしれないが、今日は調子があまり良くなく、アタシが指示したわざや行動はパートナーのポテンシャルを引き出せず、サイドンやマホミルが自分の意思で繰り出したものが有効に働いていたことから、アタシは「いかんいかん……」と思いながらも、結局は不調のままその数時間を過ごしていくことになる……。

 

 アタシが采配を振るえないと一番困ってしまうのが、自分に自信を持てないことからアタシの指示のみで動くロコンの能力を引き出せないことだった。この子も素の能力が高いだけに多くのトレーナーのポケモンを倒してきたものだったが、今日はアタシの采配が不調だったために無駄にひんしとさせてしまい、「ごめんね……ごめんね……」とすごく申し訳ない気持ちになりながら、毎度の如くげんきのかけらを与えてはロコンを撫で続けていた。

 

 そして、気分が落ち込んだアタシ。その様子にラルトスとミツハニーがアタシを慰めてくれるのだが、サイドンがアタシの肩を軽く叩くなり、建物の出口へと視線を投げ掛けるその訴え掛けにアタシはすぐ納得して、撤退の準備を始めていく。

 これにはマホミルが、「もっと戦いたい!!」という不服な顔をしながらアタシの頭に乗りかかってきた。液状の身体を脳天にぐりぐり押し付ける不完全燃焼なそれに、ミツハニーがマホミルを押さえ付けようと接触を図っていくのだが、マホミルはそれを振り払ってはプンスカと怒ったような表情を見せてくるのだ。

 

 主人であるアタシがしっかりしないと、パートナー達はみんな衝突してしまう。

 というのも、ポケモンという生き物は元々、激しい闘争本能と不可思議なエネルギーを宿して生まれてくる、非常に獰猛な性質を持つ怪物として恐れられている生物だ。

 

 で、これはアタシだけに限った話ではなく、ポケモントレーナーというのは、その怪物を如何に上手く扱うことができるかの力量が問われる、怪物使い、の位置にある人物を指す言葉として使われるもの。

 闘争に明け暮れる怪物たちを管理し、それを飼い慣らすことで、ポケモンという生物が持つ不可思議なエネルギーを人間の暮らしに活かして、社会に貢献する。それがアタシ達ポケモントレーナーの称号を持つ者の使命なのであり、なにもポケモンを従えて戦わせることだけがポケモントレーナーというわけではないことを理解していないと、ポケモントレーナーという立場は務まらない。

 

 ……ということを、アタシはトレーナーズスクールで習った。

 簡潔にまとめると、アタシらポケモントレーナーは怪物の調教師であり、ポケモンという獰猛な生物を飼い慣らすことでそれらが持つ能力を活かし、人間社会への貢献を果たしていく。それこそがポケモントレーナーという称号を持つ者の務めなのであり、だからこそポケモントレーナーになるには、免許や資格を取らないといけないという決まりにもなっているのだ。

 

 で、そんな調教師である主人がこんな調子なのでは、そりゃパートナー達もカリカリしちゃうよねって話なんだよね。

 

「マホミル! ミツハニー! 喧嘩はダメだからね! ……でも、ごめんねマホミル。消化不良だとは思うんだけど、その分美味しいものを食べさせてあげるから、今はそれで我慢してくれないかな……? ミツハニーも、ありがとね! いつもアタシのために動いてくれるのはすごく嬉しいんだけど、今回はちょっと力ずくだったかも。アタシのことは大丈夫だから、今はもう心配しなくてもいいからね!」

 

 バチバチと火花を散らす二匹を、アタシは抱え込んでいった。すると、主人に抱き抱えられた二匹は自然と穏やかな表情となっていき、マホミルは「勘弁してやるか」と美味しい物に簡単に釣られ、ミツハニーも三つの顔で嬉しい表情と、それでも心配する表情と、そんなことどうでもいいというそれぞれの表情を見せながらアタシを見遣ってくる。

 

 そして、そんな二匹を抱えていると、その二匹の間に割り込むかのようにラルトスがテレポートで加わってきた。これで一気にぎゅうぎゅう詰めとなり、マホミルとミツハニーが窮屈そうにもがいていく中で、ラルトスだけはすごく嬉しそうな顔でアタシを見上げてきてキャッキャと笑っていたものだ。

 

 ……相変わらずだなぁ。どのポケモンも必ずと言っていいほど闘争本能を持ち合わせているというハズなのに、やっぱりとも言うべきかアタシのラルトスはその本能をまるで感じさせてくれない。

 まぁ、それがこの子の良い所でもあるんだけどね。アタシは「腕の中がいっぱいだよー」と苦笑いしながら言葉を掛けていくのだが、そんなアタシの足元では、この腕の中に加わろうと必死に脚をよじ登ってくるロコンの頑張る姿も見えていたために、アタシは抱え切れないパートナー達に埋め尽くされて、しばらくその場でわちゃわちゃと戯れていたものだ。

 

 

 

 雨上がりのママタシティを歩いていくアタシとパートナー達。青空には陰りを持つ怪しい雲が漂い続けていくという天候の下、アタシ達は海と面するママタ貿易港の近くで目的の無い散歩を行っていた。

 

 腕いっぱいにパートナー達を抱え込んだ、先ほどまでのバトルコートはもう見えない。今ではラルトスのみを抱えて、他は自由に走ったり飛び回ったりしていたものだ。

 それにしても、こうしてパートナー達みんなを外に出した状態で散歩をするだなんてことは、今までにもしてきたようで、実は全くしてこなかった。そのためか、気を配る場所は多いものの、たまにはこういうのもいいなと新鮮味を感じながら、この御一行はアタシを筆頭として、海沿いのコンクリートの上を辿るようにふらつくことでこの街を満喫していく。

 

 特に何の目的もなく、ただ歩き進めていくだけの道のり。この間にも磯の香りと吹き抜ける海風がたいへん心地良く感じられたものだが、一方で雨が降った後ということもあり、増水の危険を訴え掛ける看板を引っ提げたペリッパーなどが、そこら中を飛びながら喚起を行っていく光景を目にしていく。

 

 また、サイドンが海を極度に嫌っていた。元々が水を苦手とする体質のために、内陸側へ距離を取りながらアタシについてくるその様子に、そろそろ海から切り上げるかーとアタシが考え出していた、その時であった。

 

 ……貿易港として栄えている、大量のコンテナが山積みとなって置かれた目の前の光景。

 あぁ、いつの間にかママタ貿易港の中に踏み入れていたか。道理で見たことのある景色なもんだわ。何となくそう思いながらもアタシは光景を適当に流していき、じゃあサイドンのために内陸側へ戻るかと踵を返す、その動作の途中にも視界に入った、一人の人物の姿。

 

 貨物船のすぐ傍で、膝を抱え込むように座り込んだ、絶望する表情でやつれた顔を見せていく若い男性船員。雨が降った後ということで増水の危険性があるというのに、そんな海のすぐ傍でなんか落ち込んでいたものだから、アタシは「なにやってんだろ……」なんて内心で思いながらも、しかしその顔を一目で見た時から脳裏でチラついていた既視感の正体に、ふと気が付いてしまう――

 

 

 

 『抱えるラルトスが見上げてくるのに視線を合わせ、アタシはうりうり~と顔をラルトスに擦り付けながら語り掛けていく。それが満更でもないというラルトスもキャッキャとして喜びを見せていくものだから、アタシはこの様子をパパに見せてあげようと思ってスマートフォンを取り出してから、自撮り機能で自分とラルトスを映してそのままパシャリ――』

 

 『――いや、パリンッ!!! という割れたガラスの音が響き渡った。』

 

 『え、なになに? 貿易船の方から聞こえてきたそれにアタシは気を取られると、そうして向けた視界の中では、若い男性が荷物を落としたのだろうその足元に散らばる、見るに堪えないほどのガラス片……。』

 

 

 

 ――あの時、遥々と運んできたガラスケースを落としてしまったことで、このママタ貿易港にカセキっぽい貴重な石を大量にぶち撒けてしまった大失態君だ。

 あれからどれほどの日数が経過していただろうか。同じ船員から、彼が気の毒と思えるくらいの勢いで怒られていたその姿を最後に、アタシはもう彼の姿を見ることはないだろうと思っていたものだったけれど……。

 

 まさか、このタイミングでまた目にするだなんて。しかも、増水しているだろう海とほぼ隣り合わせの場所で、絶望した表情と共にそこで座り込んでいるものだから、あれからもずっと苦労をし続けてきたんだろうなと、哀愁さえも漂わせた、なんだかその放っておけない雰囲気……。

 

 ……あまり厄介事には首を突っ込みたくはないもんだけど。でも、あのままじゃあ、いつ彼が増水した海に呑まれてしまってもおかしくないし。

 アタシなんかが誰かの力になれるとは思っていないけれど、せめて一声だけでも掛けておこうかな。これは果たして、親切心にあたるのか、お節介にあたるのか。その真相は自身でさえも定かとはなっていなかったものだが、アタシはそれでも放っておけないなーなんて思った若い男性船員のことが気になってしまい、つい、そちらへと足を運んでいってしまったものだ――



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価値の無いゴミ

「ねぇ、こんなところで何をしているの……? 見たカンジ大丈夫そうには見えないけれど、大丈夫……?」

 

 おそるおそると訊ね掛けていくアタシ。きっと、目の前から接近していただろうアタシの姿さえも見えなくなるほどの、ひどいショックを受けていたのかもしれない。そうしてアタシが訊ね掛けていくと、その男性船員はすごく驚いたようにこちらを見上げてくるのだが、声を掛けてきたのが十五歳の女の子というのがまた意外だったのか、彼は言葉を詰まらせたまま何も喋れずにいたものだ。

 

 ママタ貿易港の、大量のコンテナが積まれた光景を抜けていったその先。ガラル地方から遥々とやってきた、停泊する貿易船の、その前。

 アタシが抱えたラルトスも、彼に対して微笑みを見せていった。そんな、アタシという女の子と、ラルトスの小さな姿が彼にわずかながらの安堵を与えることができたのだろうか。すぐにもアタシのパートナー達がこの後ろからぞろぞろとやってくる空間の中、彼はどうして自分なんかに声を掛けたのだろう? なんていう困惑混じりの表情を見せながらそれを口にしていく。

 

「あぁ、いや、まぁ。大丈夫、大丈夫だよ。……いや、ぜんぜん大丈夫じゃないけれどね。というか、君こそ大丈夫なの? こんな、情けない男に平気で声を掛けてさ」

 

「んー、世間的に見たら大丈夫じゃないかも。でも、雨が降った後の港に、こうして座り込んでる人がいたらさ。そりゃあ誰だって、『大丈夫かな?』って思っちゃうよ」

 

「あぁ、そういうことか……。まぁさ、大丈夫だよ。雨が降る中もずっと、ここにいたから」

 

「それだいじょばないじゃん!! 下手したら海に呑まれちゃうよ!!」

 

「まぁ、そうだろうね。……でも、別にそうなったらそうなったで良いんだ。だって、俺のようなヤツが生きてたところで、誰も得なんかしないから……」

 

 相当落ち込んでるなー……。

 暇を持て余したマホミルとロコンが、アタシの後ろでじゃれ合っていくこの空間。サイドンもこちらと距離を置いた場所で佇んでおり、そんなサイドンを気遣ってミツハニーが一緒にいてくれていることから、アタシは心置きなく目の前の彼と向き合うことができる。

 

 アタシは、彼の前でしゃがみ込んだ。「よいしょ」とつま先で立つような屈むこちらに対して、なおさら不思議そうな顔を見せていく彼であったものだが、アタシはあまり踏み入るべきではないと思いながらも、当時のことを話し始めていく。

 

「アタシ、あの現場に居合わせてたんだ。あなたがガラスケースをここに落として、同じ船員の人にすごく怒られてたところもしっかり見てた」

 

「あ、あぁ。そうか……見られてたんだ」

 

「早まらないで。アタシは全くの部外者だから、あなたに口を出すことなんてできないけど。でも、話を聞くことならできるからさ。……アタシは異国に住む変哲の無いフツーな女だけど、相談になら乗れると思う。――どう? 相談所に話をする感覚で、少しだけでもさ」

 

 自分なりに、穏やかな声音でそれを訊ね掛けてみた。

 異性の年下という、頼りになるかも分からないラインの相談相手だったかもしれない。しかし、男性は少しばかりと思い悩む様子を見せてから、アタシの目を見遣りながらその言葉で返事をしてくれた。

 

「ありがとね、俺なんかのために……。自分の親にも話しにくいなって思っていたところだったんだ。きっとこれは誰にも話せないし、相談もできないなんて思っていたもんだから、まさか君のような子に提案されるなんて思いもしていなかった」

 

「うんうん。だったら、お菓子でも食べながら相談しよ。アタシ、甘いものいっぱい持ってるから。この中から好きな物を遠慮せずに食べていいから」

 

 抱えていたラルトスを下ろし、バッグを開けて中のお菓子をいっぱい取り出していく。すべてフレンドリィショップで買いこんだプレミアム・アタシセレクションであり、どれも美味しいと言われる自信のある自慢のおやつ達だ。

 それをずらりと彼の前に並べていくと、こうして寄り添ってくるアタシへ「ありがとう」と彼は呟くように言い、数個ものお菓子を手に取りながら、彼が抱える悩みをアタシへと話してくれた。

 

 一時間くらい話し込んだだろうか。アタシのパートナー達はだいぶ手持ち無沙汰となってしまったものだったが、みんなにもポフィンといったおやつを与えていくことで何とかその場を保ち続けていく。

 そして一段落といった具合にアタシも彼もふぅっと息をつき、「大変だったね……」とアタシが声を掛けながら、お菓子を勧めて彼に手渡していった。

 

 話をまとめると、下手すれば彼は暗殺されてしまうかもしれない命の危機に瀕していた。あの時に落としてしまった石はやはりポケモンのカセキであったらしく、それも、ガラルで採れたポケモンのカセキは、シナノ地方にとって現地以上の価値があったために、複数個にも渡る高値のそれらを落下させて真っ二つに割ってしまったことは、つまり大金を損なったと同義であると考えるべきだろう。

 

 この一件によって、自身の勤める会社の人間ほぼ全員から彼はバッシングを受けたという。更には取引先であった研究所からも契約を打ち切られ、挙句には会社への信頼を損なったとして、カセキを提供してくれた採石場からも会社を見限られたという。

 ……悩む大人を詮索しない方がいいわよ。そんなことをオウロウビレッジでユノさんに言われたものだったけど、こうして話を聞いていくにつれて、ユノさんがどうしてその言葉を口にしてきたのが何となく分かった気がした。

 

 これ、アタシにはどうすることもできないというか、全く助けになれないというか。それどころか相手が抱え込む複雑な事情に首を突っ込んだわけだから、その内容も共有してしまったということはアタシもまたそれを共に背負い込む、責任のようなものを感じてしまえて共に絶望するハメとなったのだから……。

 

 それで、大失態をやらかした彼は、同じ船員から「殺してやる」と殺害予告をされているという。ここまで来てしまえば、ポリスや守護隊に助けを求めた方がいいんじゃないかとアタシは言ったものの、彼は「いや、俺がやったことだから、全部俺が悪いんだ……」と他の手段を考える余裕が無いほどに追い込まれていることがうかがえる。

 

 彼も、落としたくて落としたわけじゃないのに……。と思う反面で、会社側からしたら確かに彼を責める気持ちも分からなくもない……。というどちらの状況も想像できるからこそ、すごく辛かった。――ま、さすがに「殺してやる」は同情もできないけどね。

 

 一言で暗殺と言っても、この世界にはポケモンという多種多様な技エネルギーが豊富である以上、それを事故と偽装しての殺害事件なんてものも割とよく耳にする。代表例で言えば、ゲンガーやヨノワールといった強力なゴーストタイプのポケモンを有する人物が運営する、暗殺を専門的に取り扱う会社への依頼といった手段がある。実際にそれが繁盛しているあたりに人間の闇が垣間見えることだし、何ならタイチさんだって暗殺されそうになったっていう体験談をこの前、テレビで話していた記憶がある。

 

 とにかく、アタシは彼に対して何もしてやれない。ここまで来て無責任すぎるかもしれないが、彼は「話を聞いてくれてありがとう。話していたら少しだけ前向きに考えられるようになったというか、今は失った信頼を取り返せるように、また一からやり直していくよ」と力無く言うものだったから、うーん大丈夫かなー……と内心で思ってしまいながらも、アタシは屈んだその姿勢で「いつでも話聞くからね」と返していく。

 

「でもお兄さん、ホントに命がヤバいと思ったら、シナノ地方のポリスにすぐ駆け込みなー? 全部自分が悪いからっていうのも、分からなくはないんだけど、だからと言って頭ごなしに殺されていいわけでもないんだから」

 

「ありがとう……。こんなに温かい言葉を掛けてくれるなんて、君はすごく良い子だ……」

 

「あの現場を見ちゃったんだもん。お兄さんが他人だとしても、ちょっとあれを見た後だと、助けたくなるし。……じゃ、アタシはそろそろ行こっかな。またここを覗きに来るからさ、気持ちが辛かったりしたら、いつでもアタシに話し掛けてよ。夜遅くまでは一緒にいられないけどさ」

 

 お菓子もある分を全部彼にあげてから、アタシはラルトスを抱えてその場で立ち上がった。

 と、その時にも彼から「あぁ、待って」と声を掛けられたため、アタシは何だろうと思いながらも船員の服のズボンをがさごそとしていく彼を眺め続けていく。

 

 それを取り出すなり、彼は両手に持った二つの小さな石をアタシへと差し出しながら、それを言ってきたのだ。

 

「これ、落としちゃったヤツ。上司から押し付けられたんだ。こんな一銭もの価値にも満たない石っころなんざ、お前にくれてやるって。お前もこの石っころ同然に何の価値も無いんだから、お似合いだろう。って」

 

「……もらっていいの? だって、これ。ポケモンのカセキなんでしょ……?」

 

 アタシはそれを訊ね掛けながらも、しかしどうぐコレクターとしての血が騒ぐ興奮によって無意識と伸ばしてしまっていたこの両手。その二つの石を彼から受け取ると、落とした際に割れてしまったのだろう真っ二つの断面に刻まれた、太古の時代を生きた歴史的なポケモン達が眠る様子を目の当たりにする。

 

 一目で見ても、それが何のポケモンであるのかが全く分からない。しかし、こうして手に取っていると、手のひらにひしひしと伝わってくる生命の鼓動を、何となく、感じ取れてしまえたものだ。

 貰うまでの流れが流れであったものの、アタシは、初めて手にした命が宿りしロマン溢れるどうぐを入手した瞬間にも、お初にお目にかかるガラルのカセキ達とのご対面によって内心ではものすごく感動してしまっていた。

 

 ――大地に眠り、今も仮死状態で力強く生き続ける生命のエネルギーを感じる。

 両手に持つ二つの断面。よくよく目を凝らしてみると、それは海の生物っぽさを感じられて、一方でもう片方に持つカセキからは、なんだか脚部のようなものを見て取れることから、それぞれ異なる生命がここに眠っているんだなと思えてくる。

 

 と、ここで彼はそんなことを言い出してきた。

 

「あはは……こんなゴミを押し付けちゃってごめんね。本当なら俺、君には相談料としてお金を渡すべきだったんだろうけど、あいにく財布も盗られちゃってて、もうお返しはこれぐらいしかできないんだ」

 

「…………ゴミ? ……そんなことない。お兄さん……そんなことないよ……!!!」

 

 再び屈んで、彼と目線の高さを合わせていく。同時に、大事に握りしめた二つのカセキを感動のままに震わせながら、アタシは何度も何度も首を横に振って彼の言葉を否定し続けていく。

 

「ありがとう……!! 大変な状況なのに、それでも精いっぱいのお礼をしてくれて……!!! アタシ、これをすごく大事にするから……!!! ――このカセキ達は、アタシにとってゴミなんかじゃない!! なんなら、もう今からでも宝物として大事に大事に保管したいくらいの、絶対に失いたくないぐらいのすごく大切な物なの!! だからね、お兄さん。お兄さんも、価値の無いゴミなんかじゃない。お兄さんのことを大事に思ってくれている人達の顔を思い出して。アタシが今こうやって二つのカセキを手に持っている時の気持ちはね、お兄さんが思い浮かべた人達の気持ちと同じものなんだから!!!」

 

 …………。

 言葉を失う彼。次第と顔を赤くしながら目をうるうるとさせ始めた彼の様子に、アタシは「あっ」と声を出してしまう。

 

 彼は、すごく嬉しそうで、それでいて申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「……ありがとう。ありがとう……。ありがとう……っ。俺、そのカセキが一体なんのカセキなのかってことも知らないんだけど、上司はそれを、ママタポケモン研究所にいる、“セイガ博士”っていうカセキ鑑定ができる研究員に渡すと言っていたから、さすがにその状態じゃあポケモンの復元はできないかもしれないけど、もしカセキの名前を知ることだけなら、その博士に頼めばできるかもしれない……」

 

「分かった……! ありがとね、お兄さん!」

 

「話を聞いてくれてありがとう……! 俺、やっぱ死にたくねぇよぉ……!!! 父ちゃんと母ちゃんのためにも、また一から頑張るからぁ……!!」

 

 そのまま彼は号泣を始めていくと、アタシはカセキをバッグにしまいながらもそんな彼に寄り添い、よしよしとしばらく背を撫でていった。

 

 彼が落ち着いたところで、次第と港に姿を見せ始めてきた船員の仲間達。これを見て彼は、「雨で仕事が中断となっていたけれど、そろそろ再開になる時間だ」と言って、アタシに何度もお礼を言いながら、賑わい始めたママタ貿易港の中へと消え去っていった。

 

 それを見送ってからというもの、アタシはパートナー達を引き連れながら、ママタポケモン研究所へと足を運ぼうと考えた。

 どうぐコレクターなるもの、入手したどうぐを保管する際には、その名称を完璧に把握しておくべし。あのかなめいしに代わる新たな宝物を手にしたアタシは、こうして手渡されたどうぐに失礼の無いよう名称を解明しておくべく、迷いの無い足取りでママタポケモン研究所へと直行した。



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巡り合わせ

 研究所に足を踏み入れると、同時にしてスタジアムから巻き起こった特大の大歓声がアタシを迎え入れてくれた。

 足元に伝ってきた反響音。ポケモン研究所も兼ねたジムのエントランスにはメカニックな内装が施されており、この床も機械のような金属でできていたことから、大熱狂となる人々やポケモンの歓声を吸い取ってはこうして響かせてくる。

 

 研究員達も、よくこんなに騒がしい環境の中で研究に没頭することができるなぁ。アタシはそんなことを思いながらもポケモン研究所の受付カウンターへと足を運ぶと、そこで訪問客の対応を行うスーツ姿のお姉さんに訊ね掛けて、アタシは『セイガ博士』となる人物に用事があることを伝えていった。

 

 カセキの鑑定をお願いしたいという旨を伝えたアタシのそれに、受付のお姉さんが電話を手に取って研究所内へと連絡を行っていく。それから少しして、受付のお姉さんは「こちらにお掛けになって、お待ちください」と言いながら手で椅子へと案内してきたため、アタシはそれに従うまま長椅子にボスッと座り、ラルトスを抱えたその状態でボーッとし始める。

 

 待ち時間の間にも、アタシの目の前にある壁を挟んだ向こう側の、このメカニックな内装とは裏腹となる広大なフィールドからは引き続いて大熱狂が流れ込んできていた。しかも、相当な接戦というか、そのチャレンジャーがジムバッジを七個所持する実力者であるというのも相まってなのか、実況と解説もまたマイク越しに素の興奮を響かせて、チャレンジャーとジムリーダー両者に熱烈なエールを送り続けていくその様子。

 

 ……アタシも、ジムバッジを七個とか手に入れたら、こんなにも観客が湧き上がるほどのすごいバトルをするようになるのかな。ふと巡ってきた考えにアタシは脳内でシミュレーションを行ってみるものの、自分がそんな、みんなが熱狂するほどの実力を以てしてキラキラと輝く、まるでスーパースターのような姿でスタジアムの中に佇んでいくビジョンというものを全く想像することができなかったものだから、いくら妄想をしても「なんか違うな……」と何度も首を傾げてしまいながら、アタシは今も壁を挟んだ向こう側の情景がまるで思い浮かばなかったものだ。

 

 ラルトスも、こんなアタシを見上げていっては不思議そうな顔で見遣っていたものだった。しかし、その視線はすぐにも他へと移っていき、それも、ラルトスはエントランスの入り口付近へと向けたそれを、じーーーっ、と向け続けていたものだから、アタシはそれに気が付くなり「何だろう」と思いながらそちらへと振り向いていく。

 

 すると、向けた視界の中を横切る、見慣れた変装服。相変わらずの付けヒゲも、もうすでに彼の身体の一部なんじゃないかとも錯覚してしまうほどに見慣れてしまった、本物のスーパースターの気配を完全に殺した一人の男性の姿が見えてしまえた。

 

 ……待ち時間の間も暇だし、ちょっとちょっかい出しに行こ。バッと立ち上がってコソコソと歩き出していくアタシ。敢えて彼の死角を突くような角度で少しずつ近付いていくと、音も気配も最小限に控えた忍び足で彼へと接近するなり、アタシは「わっ!!」と死角から飛び出すように彼の目の前に現れた。

 

 そして、彼は期待を裏切らない。「うぉっ!!」と付けヒゲに見合わないイケメンボイスを出しながら短く驚くと、アタシを見るなり彼は、してやられたといった冗談めかした笑いで喋り始めていく。

 

「あっははは! ヒイロちゃんか! これは参ったな。俺としたことが、ヒイロちゃんに驚かされてしまうなんて。周囲への警戒が行き届いていなかったか。これは失態、失態」

 

「タイチさん、前にテレビで話してたもんね。暗殺者に狙われたことがあるって。でもアタシに驚かされるようじゃ、その話ってホントは嘘だったんじゃないのー??」

 

 ニシシと、からかい気味にアタシがそれを言ってやった。

 すると、タイチさんは「参ったなー」なんて手を首の後ろにやっていきながらも、それでも何か表情がパッとしないその様子に、アタシは疑問を抱いていく。

 

「……なにか考え事?」

 

「ん、そうだね。ちょっと、考え事をしていて周りが見えていなかったよ」

 

「マサクル団のこと……?」

 

「その可能性は拭い切れない。と言ったところかな」

 

「???」

 

 首を傾げていくアタシ。こちらの様子にタイチさんはふと周囲の人々を眺めていくと、みんながこちらを意識していないことを確認するなり、アタシの耳に口を近付けながら、小声でそれを話し始めてきたのだ。

 

「以前にも、“JUNO”と名乗る人物から連絡が届いたって話をしたのを覚えているかな? ほら、ショウホンシティの、ショウホン城の前で」

 

「そう言えば、そんなこともあったね。タイチさんも守護隊の皆さんも行方すら掴むことができなかったマサクル団の団員を、その人がひっ捕らえて身柄を渡してくれたっていう話でしょ」

 

「そうだね。で、今回もその人物から連絡を貰って、俺がこうして駆け付けたってことなんだけど。その受けた連絡の内容がまた、不明瞭でありながらも物騒なものだったから、もしこの内容が真実なのであれば、俺はこれからどのように動くべきだろうなと、色々と考えていたところだったんだ」

 

「不明瞭でありながらも、物騒……?」

 

 アタシはさらに首を傾げていく。

 ラルトスも真似してアタシのように首を傾げていくこちらの様子を見ると、タイチさんは少しばかりと口を閉ざして何かに考えを巡らせていき、若干と躊躇いを感じさせながらも言葉を選ぶようにして、アタシへとそれを話し始めてきた。

 

「ヒイロちゃんに話をしたところで、ヒイロちゃんを変に怖がらせちゃうだけになるかもしれない。ただ、まだまだここに滞在するつもりなのであれば、ヒイロちゃんにも少なからず関係する事態となるかもしれない。――ここだけの話だよ。実はね、JUNOという人物から、『そう遠くない未来に、ママタシティは災害に見舞われる。それを阻止しなければシナノ地方は多くの悲しみを背負うことになる』という警告文が届いたんだ」

 

「……へぇ。なんか迷惑メールっぽいっていうか、なりすまし詐欺みたいな未来予告だね」

 

「俺としても、これはさすがに悪戯なんじゃないかと思っていたんだけど、如何せんあのJUNOがこれを警告してくるんだ。今までにも何通か届いた警告文にオレは半信半疑で従ってみたところ、その予告はすべて的中し、マサクル団による被害を未然にも防ぐことができていた」

 

「あー、じゃあ今までの流れからして、この災害が来るよっていう警告文も、本当の可能性が高いかもってことなんだ」

 

「そういうことだね。ッハハハ、話の呑み込みが早くて助かるよ」

 

 と言って、タイチさんはアタシの頭を撫でてきた。それにアタシは気分を良くして、ゴロニャーンと効果音が聞こえてきそうな表情をしながら、ラルトスを抱きしめて話を続けていく。

 

「ママタシティのどこに甚大な被害が出る、ってのは書いてなかったの? もし書いてあるんならさ、タイチさんのスーパースターのパワーで守護隊を動かしてそこを見張らせておけばいいじゃん」

 

「守護隊の皆さんを動かせる力があるのなら、俺もきっとそうしていたかもしれない。だけどね、ちょっとそれができない大人の事情があるというか。いくらチャンピオンという地位を持つ人間からの警告であったとしてもね、その、あまりにも不明瞭かつ漠然とした、起こるかさえも分からない事象に対して国はリソースを割くことができないもんだからね」

 

「おっけー、把握。だから、タイチさんはこうして一人で抱え込んでるってことなんだね」

 

「ッハハ、話が早くて助かるよ」

 

 参ったなといったお手上げなカンジに苦笑するタイチさん。

 タイチさんも色々と大変なんだなぁ。そういう、国が重い腰を上げるにまで至らないような地道な調査をタイチさん一人で行っているってことなんだろうし、そのJUNOって人物からの警告文であったとしても国が動かないのであれば、そりゃ事情を知る残りの人員は遊撃部隊のタイチさんくらいしかいないものだから、こうして一人であれこれしないといけなくなるんだろうし。

 

 ……アタシも手伝えるんなら手伝いたいんだけど。そう思って内心では「アタシもそれ、手伝うよ」なんて何度も何度も連呼を続けていたものだが、これもまた悩む大人の複雑な事情が絡まっており、先ほどにも大失態君の問題も解決に導けなかった身としては、ただただタイチさんを応援することしかできないというもの――

 

 ――と、そうしてタイチさんと話し込んでいる間にも、アタシの後ろから聞こえてきた受付のお姉さんの呼び掛け。

 

「ヒイロ様ー。おられますかー」

 

「あっ、ハーイ!! じゃ、タイチさん。アタシちょっと用事あるから」

 

 お姉さんのそれに答えながらも、アタシはタイチさんに小さく手を振ってそれを合図する。タイチさんもまた事情をすぐに汲んでくれて、「あぁ、行ってらっしゃい」と言ってくれた。

 

 で、アタシはお姉さんの下へと駆け付けようとするのだが、やはりタイチさんのことも気になるわけで……。

 

「タイチさん、タイチさん。アタシもマサクル団を知る貴重な人材なんだから、何かあったらアタシを上手く使ってよ?」

 

「あぁ、ヒイロちゃんのことは、とても頼もしく思っているよ。ヒイロちゃんも、俺やジムリーダー、守護隊と同じ秘密を共有する者同士として、対等の仲間意識を持った貴重な存在さ。だから……ヒイロちゃん。いざという時には、ヒイロちゃんに頼る場面も訪れるかもしれない。その時は、一緒に戦ってくれるとありがたいな」

 

「もっちろん! 任せてよ!」

 

 小さくガッツポーズを見せていく。で、ラルトスもアタシを真似して小さくガッツポーズをしていくものだったから、こうして二つのガッツポーズで応えるアタシらにタイチさんは笑みを浮かべながら、手を振ってアタシを見送ってくれた。

 

 

 

「ヒイロですー! お待たせしましたー!」

 

 受付のお姉さんの下へと急いで駆け付けるアタシ。その言葉と共にお姉さんが手で案内する方向を見遣っていくと、その先には白衣を着た一人の男性が佇んでいた。

 

「ヒイロ様がお探しでした“セイガ博士”は、こちらの方でございます。本来であればセイガ博士の面会には事前の連絡を有するものでございますが、今回は博士が特別に面会を許可されましたので、次回からセイガ博士とコンタクトを取る際には、まず受付へご連絡ください。では」

 

 そう言って、受付のお姉さんはアウンターへと歩き去っていく。

 こうしてセイガ博士となる人物と二人きりになったエントランスの中、アタシは目にした男性の姿に既視感を覚えると同時にして、ふと蘇ってきた記憶が脳裏を駆け巡り始める――

 

 

 

 『と、いう時にも、ママタジムと繋がる通路から駆け寄ってくる一つの足音が、段々と大きくなってくるのを三人は感じ取った。』

 『すぐにも姿を現してきたのは、白衣をまとった一人の男性研究者。ゴム手袋に長靴で、頭にはゴーグルを着けているというまさに研究途中から抜け出してきたかのような、オレンジの髪をヤンチャに上げているその人物。手に持つバインダーを掲げるようにしながら口に手を当てていくと、普段通りといった調子でラオ博士を呼んでいくのだ。』

 

『博士ぇー! ……おっと、取り込み中んとこすまない! 博士。ジムチャレンジの関係者が博士んこと呼んでたぞ! なんか来客ってことで、博士んことを探していたようだ!』

 

『そう言えばそうだった。変装したイケメン君と会って話をしなきゃ。教えてくれてありがとう』

 

『いいぇー!』

 

 ――――

 

『ん? どうした? 俺の顔に何かついてるか?』

 

 『ニコッとした笑みで、とてもフランクに声を掛けてくる男性。これを聞いてアタシは、「あ……」なんて声を零して少しだけ恥ずかしくなってしまう。』

 『……と思ったが、彼が向けた視線がアタシから全く外れていることに気が付くと、その対象がアタシの隣に存在していたことに気付いてそちらへと見遣るアタシ――』

 

 『――目を見開いたユノさん。口をぱくぱくとさせて、上手く言葉が出せないその様子……。』

 

『ぁ、えっ……い、いいぇ! その――何でも、ない、わ』

 

 

 

 ――白衣をまとった一人の男性研究者。ゴム手袋に長靴で、頭にはゴーグルを着けているというまさに研究途中から抜け出してきたかのような、オレンジの髪をヤンチャに上げているその人物……。

 

「おろ? 見覚えがあると思ったら、前に展示コーナーでラオ博士と話していたお嬢さん方の子か! 前にも見た顔だと、初対面ってカンジがしなくて気軽でいいよな! ま、そんなワケで俺が、お嬢さんが探し求めていた『セイガ博士』ってことでひとつ、よろしく!」

 

 悪戯な笑みのような、清々しい表情で話し掛けてくるその男性。

 右手で指をビッとして軽い挨拶を行ってくるものだったが、アタシはその人の顔を見た瞬間から、こう、心臓によぎってくるというか、どこか胸がざわつく落ち着かない気持ちに鼓動を速まらせてしまって、うまく言葉を口にすることができずにいた。

 

 ……この人と会ってから、ユノさんは泣き崩れてしまった。

 

 ――え、何。この、彼から感じられる、どことなく切ないこの気持ちは……。

 

「……あ、もしかして意外と人見知りするタイプ?? ま、そんな緊張することはないさ! 俺は、お嬢さんが持ってきたカセキを鑑定して、お嬢さんはそのカセキを復元するか持ち替えるかの二択をその場で決めてもらって、それでおさらばになるだけの一時的な関係なもんだから、こう、気楽にいこう!!」

 

「え? あ、うん……! その、アタシはヒイロっていうの。よろしく……」

 

「おう! よろしく! じゃ、俺の研究所はこっちだから、ついてきてくれ。あっと! 足元に引かれた電線には気を付けてくれよな! たまにそこで躓いちゃう人もいるもんだから!」

 

 なんとも、しっかりした風格と、飄々とした一面の両方を兼ね合わせたような人物だ。

 ……結局、ユノさんはどうしてあの時に号泣をしたんだろう。ただでさえ謎ばかりが深まるユノさんを泣かせるにまで至らせたその人物。本来ならばこれでカセキを鑑定してもらって、そのカセキの名前を把握してそれで終わりというだけのつもりだったのに……。

 

 色々と思うところがあった。しかし、今はそんな彼であるセイガ博士についていくことが最優先であったため、アタシは遅れを取らないよう、足元に気を付けながらセイガ博士と共に研究所の中を歩き出していった。



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セイガ博士

 メカニックな機械がずらりと置かれた、個室程度の小さな空間。ジムと直通する通路をしばらくと進むなり辿り着いたその部屋に招かれると、アタシはセイガ博士の案内のままに部屋の一角へ行くよう手で促され、そこに構えられたテーブルとソファの談話室っぽい雰囲気のスペースで待機を命じられた。

 

 ラルトスを抱えた状態で、アタシはソファに座っていく。とてもふかふかとしたソファであり、座り心地は抜群。何なら実家の自室にでも置いて、ここで寝て過ごせるくらいには質の良いソファで、アタシはこのまま溶けてしまいそうな気持ちになりながらも、そこらを忙しなく歩いては台所でお茶菓子なんかを用意してくれるセイガ博士を眺め続ける。

 

 で、その一環でアタシは周囲を少しばかり見渡した。

 なんともまぁ、研究所と自室を融合させたかのような、仕事とプライベートの両方を兼ねた空間と言うべきか。台所にはフライパンといった調理器具なんかも完備されていたことから、ここで料理もしているんだろうなとセイガ博士の生活がうかがえる。

 

 それでいて、機械がたくさんと置かれたスペースには、ローラー付きの棚と、それに入れられたり乗せられた大量の実験器具の数々。さらには縦に長い壺のような形をした機械であったり、セイガ博士並みの大きさである顕微鏡のような機械も置かれているという、専門外の人間からすれば一目では理解もできないほどの、とてもメカニカルな光景が広がっていたものだ。

 

 少しして、セイガ博士はお茶とお菓子を乗せたお盆を持って、アタシらのとこにやってきた。

 

「名前、ヒイロちゃんだっけね。時間は? 余裕ある?」

 

「うん。アタシは時間に余裕あるけれど、セイガ博士は大丈夫なの?」

 

「おっと、俺の心配をしてくれるのかい。ありがとさん! ま、本当なら今も研究員として勤務中なもんだが、今は休憩時間なんだ。あまり長い時間は取れないもんだけど、復元ならともかくカセキの鑑定くらいならすぐにできるさ」

 

「休憩中? カセキの鑑定もセイガ博士のお仕事じゃないの?」

 

「カセキの鑑定は、俺が自主的に取り組んでいる、まぁ趣味みたいなもんさ。でも、大手の企業からの依頼かなんかが舞い込んでくると、そちらの対応をするようラオ博士が特別に手を回してくれる。そのおかげで俺はカセキの鑑定や復元に集中することができるし、俺がそちらの作業に集中できることで、カセキの復元といったより多彩な活躍もできる研究所として他にPRすることもできる。ラオ博士ってどんなことでも結論をすぐ求めたがるお人なんだけど、ここら辺に関してはすごく柔軟に対応してくれるもんだからね。はい、自由に食べたり飲んだりしてな」

 

 テーブルに置かれた、お茶の入ったグラスと小さな皿に入れられた袋入りのお菓子。そして、ラルトス用にとポフィンも添えてくれたセイガ博士の心遣いにアタシは「ありがとう」とお礼を言っていく。

 

 セイガ博士も、アタシと対するソファに腰を掛けていくと、両膝に両肘をつけ、その両手に顎を乗せながら、少し食い入るよう早速といった具合にそれを口にしてきた。

 

「それで、カセキの鑑定だけでいいのか?? 復元も、カセキの質によっては数十分ほどで出来上がるけど」

 

「あー、そのことなんだけど、アタシの持ってるカセキってちょっとワケありで……」

 

 そう言いながら、バッグから取り出した二つのカセキをテーブルに置いて、セイガ博士へと見せていく。

 彼はそれを待ってましたと言わんばかりに目にすると、外していたゴム手袋を再び付け直してからそれらを手に取って、真っ二つと割れた断面を興味深げに眺めていった。

 

「ほお、シナノでは見ないカセキだな」

 

「そー。話がちょっと長くなるかもだけど、そのカセキはね――」

 

「ガラルで採れたやつだな。――ははぁ、話が見えてきたぞ。だからドタキャンしてきたんだな」

 

 悪戯っぽい笑みを見せながら、カセキを一目見ただけでその裏側を全て悟ったかのような顔で彼はアタシを見遣ってくる。

 

「どういったご縁でヒイロちゃんがこれを手にしたのかまでは知らないが、俺としてもガラルのカセキを鑑定できるという期待感が少なからずあったもんだから、こいつぁとてもありがたい案件だ。んで、こりゃ確かに復元は無理だな。二つとも、元となる素体がパックリといっちまってる」

 

「アタシとしても、そのカセキはどうぐとして保管したかったから、鑑定だけの方が都合が良いかも」

 

「へぇ、カセキそのものに興味を示すなんて、ヒイロちゃん変わっているね」

 

「……やっぱ、変わってるよね」

 

 ちょっとだけ、アタシは気にしてしまった。尤も、彼は手にしたカセキに意気揚々としていて、アタシどころではなかったものだけど。

 

 と、いうところで、彼はふとこんなことを訊ね掛けてきたのだ。

 

「んで、だ。ヒイロちゃん、ここからは大事な大事なお話になってくるんだけど。……ところでヒイロちゃんは、鑑定料ってのは持ち合わせているのかな?」

 

「……え?? 鑑定料……!!?」

 

 うそ!? 鑑定ってお金掛かるの!?

 完全に情報不足だった……!! でもそうだよね、よくよくと考えてみればそりゃあ、カセキの鑑定で食べている人達も存在しているよね……!!!

 

 アタシの反応に苦笑するセイガ博士。でも彼の様子は既に想像ができていたというか、アタシがとてもその資金を持ち合わせているとは思っていなかったという、想定内の反応に悪戯に笑んでみせたような表情を向けてきたものだ。

 

「ごめんなヒイロちゃん! 俺も本当はタダで見てやりたい気持ちは山々なんだけど、こればっかりは、銭というか、コッチ、の事情も少なからずとあって!! それも、二つのカセキの鑑定を依頼するのだとすれば、そうだな……ざっと、これくらいは掛かるもんだから……!」

 

 そう言って電卓を取り出してきたセイガ博士がポチポチと入力していくと、それをアタシへと見せてきてすごく申し訳なさそうにしてくる。

 アタシはその数字を見て、ぎょっと目を見開いてしまった。うわ、カセキの鑑定ってこんなにするの!? あまりにも想定外すぎた金額に、これじゃあパパに払ってもらうしかないじゃん!! という手を出せない領域のそれを目にして気が遠くなってきてしまう始末。

 

 そんなアタシの膝の上では、ラルトスはとても満足げにポフィンを平らげていたものだ。

 

「ご、ごめんなさい……! アタシ、カセキの鑑定にお金が掛かるってこと、知らなくて……!」

 

「あ、あぁあぁ! 心配しないで!! まだ! まだ完全に鑑定し切っていないから、何も今すぐ払えってことではないから! さすがにそんな、知らないじゃあ済まさせないぜ~みたいな悪魔のようなことはしないから!!」

 

「う、うぅーー……」

 

 アタシを落ち着けるように声を掛けてくれるセイガ博士。手に持っていたカセキをテーブルに置いていきながらも、明るい調子でそんな言葉を投げ掛けてくれたものだから、アタシはすごく申し訳ない気持ちを感じてしまいながらも、渋々とカセキをバッグに戻してこの場は撤退することを決めていく。

 

 とは思うものの、セイガ博士は「だからと言って、ヒイロちゃんを追い返すこともしないさ。むしろ俺としては、ヒイロちゃんのような女の子が、カセキという年配の物好きな方が趣味で採集するような代物に興味を持ってくれていることを、すごく嬉しく思っているんだぜ!」と言いながら、本棚から大きな本を取ってきて、それを開いてテーブルに広げてくる。

 

 アタシはそれを見るなり、宝物庫の中を目撃したかのような輝きが視界に飛び込んできた気がした。

 大量の写真が収められた、一冊のアルバム。そこには、これまでにも研究で取り扱ってきたカセキの写真がびっしりと並べられており、その際にとったメモなんかも一緒に添えられていたことから、カセキという太古のどうぐを解き明かした数々の成果を、お金も払わず生で見せてもらえた感動で思わずと感極まってしまう。

 

 ――言葉を失うほどの絶景。どうぐ好きには堪らない、本の形をした至高の宝箱。

 アタシの様子に、セイガ博士はものすごく珍しげなものを見る目で、驚いていた。同時にして気分を良くしたのだろう、アタシのような女がこんなにもカセキというどうぐに興味を示していくその反応をうかがうように、彼は一ページ、また一ページとアタシに見せびらかすようにそれらを見せていってくれる。

 

「せっかく、こうして訊ねてきてくれたんだ。それなのに何の成果が無いのは、あまりにも心寂しいもんだろう? カセキの鑑定については、まぁヒイロちゃんに任せるとして、今日はカセキに興味を持ってくれたヒイロちゃんを歓迎する意味も兼ねて、時間が許すかぎりに俺の研究成果を見せてあげよう!」

 

「い、いいの……!!? アタシ! 小さい頃からずっと、どうぐコレクターをやってきたものだから!! そ、その……!! 今、めっっっちゃ興奮してるっ!!!!」

 

「おぉ!! どうぐコレクター!! これまた渋い趣味をしてるねぇ!! どれどれ、それじゃあ、今の若者には珍しい趣味を持っているヒイロちゃんに、今この時だけこのアルバムを貸し出してあげよう! さすがに外に持ち出されちゃうと困るけど、俺の休憩時間内だったら、好きなだけ見ていってくれ!」

 

「ホント!!? いいの!!? わぁ……!! カセキ自体が、アタシの地元じゃ全く採れなくて……! だから、長年ずっとどうぐコレクターをしてきたのに、今の今までカセキの実物さえも見たことなかったから。わー、こんなにもたくさんの種類のカセキが、あぁ……すごい……!!!!」

 

 うっとり……。セイガ博士の研究成果がただただ眼福だったアタシ。たくさんのカセキが写るその写真だけでも大満足でお腹いっぱいだと言うのに、このアルバムは現役の鑑定士がまとめた宝物。セイガ博士直筆のメモも付いてきていたことから、それと写真を見合わせることでカセキと現役鑑定士の説明の両方を堪能することができるという夢のような至福の一時を、アタシは過ごしていったものだ……。

 

 

 

「おっと、そろそろ俺の休憩時間が終わっちまうな。――あぁ、そんなに悲しい顔をしないで! 俺としても、まさか自分の研究成果をここまで喜んでくれる人がいただなんて、思いもしなくってな! 同じくどうぐコレクターを自称する周りの研究者でさえ、俺の成果をあまり気に留めないというのにな。そんな点では、ヒイロちゃんはとてもイイ目の付け所をしている! カセキの鑑定とかは関係無く、また来てくれれば好きなだけ見せてやれるからな!」

 

 コーヒーを入れたカップを持ちながらそれを言うセイガ博士。彼の言葉に、アタシは「また来てもいいの!? 絶対に来る!!」と目を光らせながら、アルバムを閉じてテーブルへと戻していく。

 

 あぁ、思わぬ収穫があった。本来の目的は達成できず終いだったけれど、まぁそれとほぼ同義となる想定外の利益があったものだから、まぁこれはこれで良し!!

 尤も、あわよくばこれでアタシの持っているカセキの名称なんかも分かればなと、微かながらの期待もあったものだけども。結果としては、アタシの持つカセキに関する写真も情報も無かったから、この思惑は失敗で終わり。

 

 でもすっごく、充実とした時間を過ごすことができた気がした。アタシは「ありがとうセイガ博士!!」とアルバムを渡していき、それを受け取った博士も「おう! またいつでも来なよ!」と清々しい調子で言ってくれながら、そのアルバムを本棚へと戻していく。

 

 と、そんな彼の動作を眺めている最中にも、アタシはある物を目にすることとなった。

 

 この視界にふと入ってきた、本棚の一角に立てられていた複数もの写真立て。縦にも横にもなって置かれたそれらに写る大勢の人々が、白衣であったり、私服であったり、時には泥まみれの汚れた作業着姿であったりと、それぞれの表情を見せたりポーズをしていく、このママタポケモン研究所を楽しく過ごす研究員達の様子が垣間見える写真を発見したアタシ。

 

 みんな、楽しそうだな。……アタシの実家のパパ達も、こんな感じでみんな楽しく研究をしているのかな。ポケモン博士のパパを持つ者として少なからずの感情が巡ってきた、その写真の数々。そして、ジョウダポケモン研究所での集合写真なんかにもアタシは誘われたりしていたなと。まあ、当時はポケモン嫌いだったものだから、結局はパパ達のお誘いを断って、アタシだけこういう写真に一切と入らなかったりしていたなと、過去の自分と今の自分を照らし合わせてしまったりして、ちょっと寂しくなったりとノスタルジックな感傷に浸っていく。

 

 ――と、その写真を眺めていく中で、縦に立てかけられた一枚の写真にアタシは注目した。

 

 髪の長い、一人の少女。九歳か、十歳くらいの、アタシよりも年下で、そろそろポケモントレーナーの免許が取れるか取れないかといった具合の年齢をうかがわせる、まだまだいたいけなその姿。

 幼さを思わせながらも、とても綺麗で、可憐な少女だった。色白でまつ毛が長くて、白色の長髪を腰辺りにまで伸ばした、まるでお人形さんみたいな美少女。その子はニコニコと笑いかけながらも、今にも元気よく声を掛けてきそうなピュアな面持ちで、両手のピースを見せ付けるように写っていた。

 

 可愛いな、この子。もしかして、セイガ博士の娘さんかな。

 でも、それにしては似ていないというか、セイガ博士の子供と言うにはその特徴を引き継いでいないというか。

 

 ……というか、待てよ。この雰囲気、どっかで見たことがあるような……。

 

「ねぇ、セイガ博士。その写真に写ってる、小さい子は……?」

 

 アタシは、無意識にそれを訊ね掛けてしまっていた。

 

 アルバムを戻した彼が振り向いてくる。そしてアタシの視線を辿った末に目についた少女の写真に気が付くと、彼は「あぁ」といつもの清々しい調子で答えながら、それを喋り始めていったのだ。

 

「俺が面倒を見ている子でな、今は一緒に暮らしているんだ。俺は独身なもんだし、実の娘ってワケではないんだけどな。ま、ちょっとワケありな事情を抱えていて、今は俺がこの子を預かっているっていう。……そうだなぁ、養子、とでも言えば分かるかな」

 

「へぇ」

 

 養子かぁ。よそ様のそういう事情に関しては、アタシは口出しするつもりなんか無いけれど。でも、それにしてはちょっと意外だったというか、セイガ博士も複雑な事情を抱えた大人なのかなっていう雰囲気が伝わってくるというか。

 

 そんなことをアタシが内心で考えている間にも、セイガ博士はその子の写真を手に取っては、どこか遠くを見つめるような目でそれを見遣っていく。

 ……じっと見つめ、少女と見つめ合うようにしていたセイガ博士。少ししてその写真を元の位置に戻していくと、次の時にも、セイガ博士は何気なく、その言葉を口にしてきたのだ――

 

「子育てってのは、難しいもんだよな。俺もヒイロちゃんの頃の時なんかヤンチャばかりしていたもんだから、父ちゃんと母ちゃんを散々と困らせてきたもんだが。いざ育てる側の立場になってみりゃあ、俺は本当に両親を困らせて育ってきたんだなって、すげー反省したな。……俺はこいつの親に成り切れているのかどうか。預かって二年は経ったけど、今でも不安に思うことはいっぱいあってな。俺は本当に、こいつを幸せにしてやることができるのだろうかって、今も毎日そんなことを気にして生きちまってる。……あ、あぁ、悪いな。突然、変なことを語り出して。今ではこの子、俺の自慢の娘なもんでさ。名前は『ユノ』って言うんだけどな――――」



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