何がどうしてこうなった? (小森朔)
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殺生院マユリという女
連載の方のネタ練ってたら降ってきました。ちゃんと両方書きます……書くけどネタは吐き出したかったし夏イベのリリィかわいかった。ありがとう夏イベ……殺生院マダムのくだりもすこだ……
打ち捨てられたように倒れる橙の髪の同級生の男子を見つけたのは、本当に偶然だった。
その夜は占いという名のカウンセリングに出かけていたので、帰りが夜中になってしまっていたからだ。
霊力の残り香の濃さからして、おそらく隊長格と副隊長格が一人ずつ、だろうか。今の彼では勝ち目はないだろう。
本心を言えば、彼が主人公であるとはいえ、普段からお世話になっている一心さんの息子さんをあまり危ない目に遭わせたくはない。だが、彼が成長しなければ世界は滅ぶ。
ここに、空楽町に
──ならば。
「こんばんは、一護さん」
「っ、マユリ……!」
悔しそうな、悲しげな表情に快楽にも似た何かが体内をゾクゾクと走る。
短期間だというのに、彼は随分と入れ込んでいたのだ。物語通りに。いや、彼の意思で彼女を相棒として認めて。それを人の意思の輝きと形容するのは間違っていないはずだ。
「一護さん、ルキアさんを救いたいですか?」
「っ、当たり前だ!」
一点の曇りもない言葉と表情に、どうしようもなく腹の底から湧いてくるものがあった。それに私は耐えきれず、目を伏せる。
嗚呼、やはり。この少年は“そう”なのだ。私は彼を放っておくことはできない。
昔、私という死神は大罪人で、死を恐れているくせに死にたがりだった。それは今だって相変わらずだが、幕が開けてしまったのなら仕方がない。奈落に落ちてバラバラの無惨な死体になるまで、せいぜい踊りきってやろう。
「良いでしょう」
片手で耳飾り型の盗聴防止装置を起動させ、同時に、やっと上半身を起こしている彼に手を差し伸べ、立たせる。これで、会話は別なものにすり替わるから多少は安心して話せる。
くるりとステップを踏むように、助け起こすために私に掛かった力を受け流し、立った位置を入れ替わり──彼の胸元にしなだれかかるように顔を寄せた。
「着いて来給え、盗聴されては堪ったものではないヨ」
何十年ぶりかの口調に違和感を覚えて、随分人間としての生活に慣れていたのだなと泣きそうになる。だが、もうそれもお終いだ。
ここで手に入れた何もかもを捨ててでも、
「ここは……」
「私の家です。とはいっても、養子先なのですけれど」
それなりに大きな白壁と木造建築の家に案内すると、彼は少しばかり驚いたように立ち尽くしていた。だが、私の声ですぐに正気に戻る。
私は元々養子で「殺生院」になった身だ。涅の姓を捨てて身を隠したわけではないが、子供の姿で棒立ちしているのを見捨てられなかった僧に拾われて、この町に居場所を得た。
浦原はどうやって根付いたのか知らないが、それより前は転々と場所や仮初の肉体を替えながら暮らしていたので、今のこの家も身分も気に入っている。
「お入りください。お茶でも飲みながらお話ししましょう」
「……おい、んなことしてる暇なんて」
「わかっております。でも、頭を冷やさないとろくでもない考えさえ浮かびませんよ」
さぁ、と開けた玄関を、一護さんは意を決したようにくぐる。取って食いはしないけれど、原作の私だったなら嬉々として彼を検体にしただろう。これも差異。どこを取っても大筋とは重ならない要素ばかり。
私が研究を愛していて続けたということと、本来浦原達がやるべきだったことや私がすべきだったことを放棄することが矛盾しないなど、つくづく皮肉なものだ。
「我が家の蔵は少々騒いだところで壁が厚いですから問題ありません。少し喉を潤したら其方をお使いください。ご案内します」
冷茶をグラスで出すと、時間が惜しいとばかりに飲み干されたので笑ってしまいそうになる。時間がないのは確かだが、噎せるとどうしようもないのに、そんなことも考えられないらしい。
「ネム、桜! お客人です、お相手なさい」
私の声に応え、奥の部屋から女性が二人出てくる。私の娘、私が作った中でも最高の人造死神だ。
あの娘達に任せれば戦闘技術についてはまず間違いはない。足腰立たなくなるまで鍛えられては回復されて嫌になるほど訓練を積ませられることだろう。
「は?!」
「あの子達が気に入れば大丈夫ですよ」
ぎょっとして私の方を振り向く一護さんをよそに、自分の冷茶をゆっくりと味わって飲む。
その間に準備するものがあるだとか、そういった野暮なことは言うつもりはない。彼だって私が手を差し伸べたのだから何かしら用意をすること程度は理解は出来るだろう。
「私も後から行きますし、そのときは見ていて差し上げますから」
文句は言わせないという気持ちを込めて微笑めば、彼は何か言いたげな顔をしても何も言わなかった。良い心がけだ。
「まずは基礎からです。しっかり揉まれていらっしゃい。」
行き着く先はいったいどうなるか。とにもかくにも、まずは蔵の地下修練場で、しっかりすっかり対死神想定の訓練で揉まれてからだ。
少女二人に引きずられるようにして出ていく彼を見送って、もうひとつの盗聴盗撮観測対策を施した隠し蔵へ向かう。
準備は万全に。死なないための努力は、死ぬほどするものだ。──そうだろう、浦原喜助。
私が涅マユリになったと気づいたのは、もうどれほど前だったか。やったこと自体は彼と変わらなかったし、もう取り返しが着かない程度に帝国からも恨まれていると分かっている頃だったと記憶している。
それだけだったならまだ耐えられただろう。
私の今世の体は、なぜか涅マユリなのに女だった。
痩せぎすな体は随分と白いを通り越して青くすら見えた。牢獄であれ大人しくしているうちは食べ物には困らないが、食が細いのかエネルギー効率が悪いのか、鶏ガラじみて細い。
「気色が悪い」
本当に、この体はあまりにバランスが悪い。
とりあえずは出される食事が絞られているにしろ、熱中しすぎず食事だけは摂っておいたほうが良いだろうと思う程度に、それに月経が止まる程度には、私の体は不健康だった。
そんなふうに生活を緩やかに正しているうち、代わり映えのなかった生活に異物が放り込まれた。
その日のことはよく覚えている。あまりに一般階層が騒がしかったので耳をそばだてようとしたその瞬間──
「アナタが涅サンっスね!」
忙しく入ってきた男の、バカみたいな大声に耳がやられかけたのだ。
……この能天気が新しい看守になるのは、心の底から勘弁して欲しいと本気で思ったから、まだ覚えている。ただ、それだけだ。すぐにでも忘れて良いはずなのにまだ覚えているのには自分でも笑ってしまう。そのときのあの声は、もはや全く思い出せない。
何も無くともやってきては私を相手に話をし、相手をせずとも手持ちの話の種を使い切り満足したらふらりと帰っていく。現役の隊員は暇でもあるまいに、よくやったものだ。時折、女を称賛する話をするのは愉快だと思って楽しむことができたが、あれはきっと惚気を話す相手が居なかったのだろう。今なら割と迷惑な行いだと断じられる。
あれは恋をしている人間の狂気だった。そうした不可解なものに触れるのは嫌いではなかったし、科学に取り憑かれてなお恋をできるというのはまた不思議な男であると思っていた。
それが身分違いの姫君であるというのは「原作」で知っているので余計に愉快だ。この能天気がその小娘にこっぴどく振られてしまえばより愉快なのだけど、脈はありそうだからそこまでの娯楽的な展開は望めないか。
本をめくっていてもなにも気にせず自分の話を続けていた浦原が、ふと、言葉を紡ぐのを止めた。
30秒、50秒。──1分。
「……涅サン、出たいとは思わないんスか」
ぼんやりと私が読む姿を眺めて思ったのか、浦原は堪えきれなかったようにそう溢した。
よくよく考えれば、この男から私に対しての言葉が投げ掛けられるのは初めてではないだろうか。それも、囚人にそれを訊くかと言いたくなる問いだとは、つくづくお気楽なものだ。
「そんなもの、どうでもいい事だヨ」
私がここに存在している。それ以上は望まなかった。本来望まれている私ではない私は臆病だから、安寧であるならばそれでもと緩慢な死を、精神の堕落を受け入れていた。
研究をしたいという気持ちはあれ、どうにもならないことだ。それは知っている。看守達に接するうちに私に肩入れするからと入れ替りが激しくなったことを考えれば、仕方もなかろう。出ることどころか、それなりに親しくすることで情報を得ることすら儘ならないのだ。
「──り、マユリ!」
「……嗚呼、終わったかネ」
汗まみれで息が上がりきった黒崎一護に声をかけられ我に返る。
昔を思い出すうちに思考に沈んでしまっていたらしい。記憶に沈むというのは、やはり良くないな。
「準備は整えておいたヨ。しかし、隊長格に対応できる水準にはまだまだ足りないネ」
「っ、けどよ!」
「分かっているとも。しかしそのヘボ以下の戦闘力をどうにかしないと死ぬのはお前だ、黒崎一護。朽木ルキアの目の前で肉塊になって彼女を絶望させたいなら止めないが」
「……クソッ」
自覚はあったのだろう。黒崎一護はどかりとその場に座り込んで脱力した。
こういうとき、煽ることはできても背中を押すような言葉を掛けられれば良いのだろう。だが、生憎と私はそうしたやりとりが非常に苦手だ。
「……というか何なんだよ、その口調」
私の口調に強い違和感を覚えたらしい。それはそうだろう。
実際のところ私は10年ほどの期間、成長する義骸で町に居座り続けて馴染んでいるのだ。あの口調で居ることを心掛けていたのだから、彼がこちらの口調で話すのを聞いたのは今日が初めてだろう。
「私もかつては死神だったんたヨ。名前も殺生院じゃなければ、口調だってこちらが素だ。……もっとも、あちらに帰ったら極刑ものの大罪人だから、随分前に捨てたがネ」
罪がある人間も、ない人間も沢山殺した。生きるためにも、研究のためにも殺した。八千流よりは少ないかもしれないが、研究をしたいだけという理由は蛇蝎のごとく嫌われたし、それも当然だ。異質なものも、害あるものも排斥されるのが当たり前だからだ。多少上手くやったところで、バレたら追放か極刑になるのが普通なのだ。殺しと研究が功績にならない時代になったという、それだけのこと。
黒崎一護は騙されたと思うだろうか。失望するか、あるいは嫌悪するか。
どんな反応をするかと口角が上がるままに笑いながら眺めていたが、彼は表情をあまり返ることはなかった。ただ、随分考え込んでいるように見える。
「恐ろしくなったか」
あまりに口をつぐんでいることに痺れを切らして問いかけると、座って脱力した格好はそのまま、動かずに視線だけを合わせてきた。
「……いや」
一言、否定だけが返ってきた。
何故だろうか。この少年は私を嫌悪しないのか。自分はカチコミに行くとも明言せず死後の世界へ行けと唆すだけ唆しているのに。
どう言うことかきくために、黙ったまま続けろと促すと、言いあぐねるかのように、黒崎一護は口を重々しく開いた。
「たとえお前が極悪人だとしても。オレが知ってて、手を取って着いてきた奴は殺生院マユリだ」
予想外の言葉にそれまで考えていた返事を出せなかった私は、彼をじっと見ることしかできない。
そんな考えをするとは想像していなかった。しかし、だが、そうでなくては始まらないのだから仕方がないのだ、きっと。
だから、最大限きれいに見えるよう笑って、後方に大きく跳ねて距離を取り、彼に向かって吠えるように言葉を放つ。
「良いでしょう。特別修練の時間だ、覚悟し給えヨ!」
浦原が作った特殊な義骸──霊子を含まぬ素材で作り上げた、使用者を捕捉不能にし霊力を分解してしまうそれは、未だ解析ができていないものだった。何をトチ狂ったか、私はそれを持って浦原より先に、許可も取らずに出ていた。無謀だと、無策で飛び出すのは自殺と変わらないとわかっていた。それでも、あれこれ考えるよりも先にあるだけの策だけ引っ提げて走った。もちろん、義骸の完成度に対する大きな信頼もあったせいだが。
あの男が偶然に作ったというそれは、検証が行なえていなかった。つまり、一時的にだが捕捉されにくくなる。奪ったことが報告されれば極刑に処されてもおかしくはないが、バレずに加勢できればこちらのものだと思った。
そう思う程度には、私は猿柿ひよ里に肩入れしていた。散々嫌みや罵声を飛ばし合う仲ではあったが、相容れないだけでそのまま野垂れ死ねば良いと思うほどではなかったのた。
「さて」
怪しまれそうな資料はすべて燃やした。記録自体は私の体に隠した媒体以外には無い。探られても、〈殺生院マユリ〉ではなくとも、人間が暮らしていた程度の情報以外は何も出て来はしない。卒業記念にもらうような写真もない。体が弱かった殺生院の娘は顔の切り抜きを入れられる程度でしか記録がなかったから、処分する必要もなかった。
「ネム、桜、いいですね」
「はい、マユリ様」
「いいですよぉ、マユリさん」
作った口調にそのまま肯定の意を示して二人が笑う。ネムは微笑みで、桜はいたずらっぽく。
私の娘。現世に来てから苦労しながら環境を整えて作った私の傑作。彼女らの後継機達であるメルトリリス、パッションリップ、ヴァイオレッド、カズラドロップ、キングプロテアの5体も、もうすぐメンテナンスが終わる。今日はたまたま二人しか起きていなかったが朽木ルキアの奪還には全戦力で乗り込ませる予定だ。私は、途中まではサポートの兼ね合いもあってこの家に籠っていなくてはならないけれど。
「全員、大怪我をしたら許しませんよ」
「もう、心配性過ぎませんかぁ?」
「桜、マユリ様は当たり前のことを言っているだけです」
「わかってますよぉ。でも、私達ならよっぽどのバカに袋叩きにされない限り大丈夫でしょう?」
クスクスクスとさざめくように笑う桜に、どうしようもなく心の安らぎを覚えると同時に一抹の不安を覚える。彼女らが大虚相手でも余裕で生き残れることは検証している。霊力も、鬼道も負けたりしないだろう。だが、それでも。私の娘が負けることはないと胸を張れても、あちらに天才がいる以上は油断も慢心も、安心すらもできない。
「ネムと桜のことは私が一番よくわかっているつもりです。……でも、貴女達が居なくては私はきっと悲しいですから」
だから、どうか無事にと。私が失敗して死ぬことは許せても傑作の娘達が壊れることは許せない私は、ただ目を伏せるしかできなかった。
「……見、つけた」
百十年越しにやっとモニターで捉えることができた彼女は、次の瞬間には纏う義骸と同じ年頃の少年にしなだれかかっていた。
自分より少し背の高い相手を見上げる彼女の目は、女のそれで。
『私が、慰めになりましょう。癒して差し上げましょう。ねぇ、一護さん?』
「……なんで」
信じたく、なかった。
出奔したのはいい。咎められても庇うだけの準備はしていたし、夜一サンの助けも借りてどうにかすることは出来た。
現世に留まっていたのも許せた。いつかは、僕らの元に帰ってきてくれると思っていたからだ。あの人は研究しかしない、蛆虫の巣と十二番隊での様子では人に馴染まないと。
でも、現実は違う。紛れもなく彼女だと、涅マユリだと断言できるあの人は、あれではまるでただの女だ。蠱惑的な、男を破滅させる色を孕んだ女の顔をしている。
何を企んでいるかはわからない。だが、ずっと逃げ続けてきた彼女が分かりやすく行動に出たのだ。これを逃せば、きっと二度と姿を現さなくなるに違いない。
ここで彼女を捕らえられなければ大きな損失になる。彼女にはまだ研究を続けてもらわなくては。そうでなければ、罪人である以上は殺さなくてはならないのだ。
涅サンと彼らが行方をくらましたときの疑惑もそのままに、この案件に対応しなくてはならない。冤罪──しかも自分の替わりに被った罪である可能性が高いのに罪状がさらに増える。
一瞬でも他の死神に見つかれば殺される様な立場になる可能性は決して低くはない。だからこそ早く彼女を確保しなくては。
「阿近サン、これから忙しくなりますよぉー」
気持ちをこらえ、ボクが彼女と共に引きずり出した囚人の、その中でも古株に当たる彼を呼ぶ。
最近副隊長になった彼は、彼女に随分可愛がられていた。
彼はあの様子を見て、どう思うのだろうか。
「……あの人、めちゃくちゃノリノリでふざけてますね」
……は?
ちゃんと書き直すかもしれないし、しないかもしれない。
追記:誤字報告をいただき、訂正させていただきました。ご協力ありがとうございました。
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涅マユリが殺生院マユリになるまで
JKやり始めた経緯の話。原作前まで。
ノリと勢いで書き始めたからネタストックありません。大丈夫なのかなこれ……
「殺生院さん!」
「あら、何でしょう?」
「い、一緒に帰りませんか」
恥じらいながらも私に声を掛けてきた生徒は愛らしい少女だった。交流の無い相手ではあるが、無下に断るとあまり良い噂にはならない。
この少女の性根がどうかは知らないが、手を出して来るならその時には躾てやれば良いだけのこと。
「ふふふ。ええ、喜んで」
大人しく淑やかな子供として殺生院マユリという女は生きて居るのだから、子供らしく生きるべきなのだろう。だから、最適な解をなぞる。
どうにも退屈だが、これもきっと慣れれば楽しいことだろう。
物語なんてもうほとんど崩れて関係なくなってしまっているのだ。私には、私にできることをこなすという目標しか特には存在していない。
行き当たりばったりは数百年の習慣とはことなるけれど構わない。本当の私はこうだったのだから、別にこれでいい。今は演じなくていい。
「涅サン?」
「なんだネ、今集中して──ッ?」
ガッ、と襟首を掴んで後方に引っ張られて体勢を崩す。
と、同時に、手元の調薬中の液が爆ぜたように跳ね、私が先程まで居た位置の床を溶かした。
「その薬品は合わせたら危ないんです」
「……」
アハハ、と困ったとでも言うように眼前で笑っている馬鹿に血管が切れそうになる。
もっと早く言え、だの、何故その知識を共有しておかないのか、だのという文句が浮かぶが、口には出さず喉奥に留める。
この男、私の無様を笑いたいか、失態をからかいたいのかなんなのかは知らないが時折こういったことをするのだが、今回は薬品の爆発前に気づいて対応しただけまだマシだ。
助けられたと思うととても癪だが、要らぬことで補肉剤を使わなくて済んだと思えば、まぁギリギリ許せる。
「……早く言い給えヨ」
「え、あ……はい。スミマセン」
「それと、早く手を離せ。いつまで掴んでいるつもりかネ」
離してなお不自然に浮かせた手を軽く払い、薬品の始末のために手袋を取る。妙な感覚には気づかない振りをして。
……初めは、檻の外でこうした扱いを受けることは嫌で嫌で仕方なかったのだ。
自分の行いが好ましからざることだとは自分の全うな人間としての部分が理解していたし、研究を続けることは楽しくて止めがたい。だからこそ、浦原喜助が私をこんな日の当たる場所に置いたことが理解できなかった。
だが、ある程度の制約を受け入れれば研究はできること、誰かと研究について語ることができること。それを理解していなくても真摯に耳を傾ける相手が存在したことが、いつの間にか当たり前になっていた。
その日常が、ほんの少しだけ愛おしくなってしまった。愛おしいと、思ってしまった。
そのせいで、この日常が失われるものだと猿柿の出ていった扉に焦りを感じて、どうしようもなくなってしまう。
あと少し。あと数時間もないわずかなうちに、すべてが失われるのだ。檻から出て強欲になったらしい私は、それが許容できなかった。
「(黒腔の研究を進められたのは、本来であれば浦原ただ一人)」
私の知っている筋書き通りならば、朽木ルキア奪還までに黒腔を解析できていたのは浦原だけであったはずだ。だが、今は私というイレギュラーが存在している。
このところなど真っ当に敵蹙心を持っていた私は、前世で特に好きだったキャラクターの間桐桜を再現するために虚数空間についても考察し、検証していた。偶然の副産物として、非正規ルートとして黒腔を渡れる死神が「ただ一人」から「二人きり」になったのだ。
笑ってしまうほど、これは好都合だった。知らないはずの死神が一人増えている。しかも、本当なら出奔した相手の名前を引き合いに出されるとヒステリックに怒鳴り散らすはずの私が。
ならば、使わない手などない。
「浦原、三徹目のくせにいつまで起きているつもりだネ」
「……涅サン、今はそれどころじゃない」
大急ぎで準備を整えている浦原は振り向きもしない。想定通りの大惨事にすべての意識を向けていて、私が企んでいることに気付いていない。手元に薬品を持っていることには気付いているはずだが、それが何かというところまでは気が回っていないだろう。
だが、それは当然のこと。
浦原は隊首の仕事と技術開発局での業務を掛け持っている。故に、慢性的な睡眠不足だ。
そこに今回の異常事態。元囚人で普段から反目している私に対して欠片程度は残すはずの警戒心は、今この瞬間だけはと手元への集中力に回されている。
あと少しで完成するであろう、霊力を遮る外套。これは虚数魔術もどきでどうにかできそうだ。崩玉は絶対にこの男に持たせておくべきだ。
だから、これらは奪わなくても問題はない。必要なのは時間と、この男が編み出した義骸の技術と義骸そのもの。
筋書きでは、表向きにはそれを咎としてこの男を追放したのだ。それらがまだ安定して作れるわけではないこと、それらを用意するのに時間がかかることを私は知っている。
それらさえ持ち逃げしてしまえば、きっと私を処分するという一言で終わる。その方がきっと愉快で、この場所のためになるだろう。
「浦原」
もう一度、声をかける。次は怒気が飛んできたが狙いどおりだ。馬鹿め、私が見越していないとでも思ったか。
「だから! ッ!?」
「お前は寝ていろ、大馬鹿者が」
頭から浴びせた薬品に、大馬鹿者は倒れ伏した。
……よし!
義骸と制作レポートを回収して、崩玉を奴の保管庫に雑に放り込む。金庫の鍵の番号は管理上の都合で知っているので問題なかった。
「阿近! 居るかネ!」
「どうかしましたか、涅三席」
「しばらく留守にする。お前は、そこの馬鹿が起きたら無茶をしないか見ておくんだヨ」
記録も残っていなければ、私が生きた痕跡すらない。蛆虫の巣を出てから首輪付きで研究しかしていなかったので当然だが。
「頼んだ」
「涅さん……わかりました。ご武運を」
阿近は何か察したのか、それ以上は口を利かなかった。やはり見込んだだけあって、阿近は優秀な子だ。……このまま浦原の元で育つとどうなるか気になりもするが、そんなことに後ろ髪を引かれている場合ではない。
必死だったので具体的にはあまり覚えていないが、藍染に喧嘩を売った。奴の言葉に噛みつき、嘲笑することを繰り返していればつまらないとばかりに逃げたので、ここは一つ平子達を纏めて回収し、現世に逃亡することにする。
何故戻らないかといえば、私が思想犯だったことが原因だ。どうせ今頃は密告されているだろうし、帰ったところで時間の無駄になるばかりなので。流魂街の持ち主を失った適当な家で荷造りをしている。
そろそろこの家にも追手が来るだろう。偽装のため爆散する準備は出来ているが、平子達の時間固定と空間固定が多少甘いので心配だ。
鉄裁がやっていた禁術も、虚数魔術もどき……面倒だからもう虚数魔術でいい、それのお陰でどうにでも出来る。要は実際に現象として起こらないようマイナスの虚化にマイナスである虚数魔術の要素を与えた霊子をぶつけて力を拮抗させ、虚数空間に保存することで保たせている。
……そういえば、アレには何も言っていなかったか。まあ想定外なのだろうから仕方がないだろう。
だが、あの男は悪巧みと悪事と悪戯が恐ろしく上手い。身も蓋も無く言えば腹が黒くて外道だ。だから、私がへまをした程度で技術開発局をむざむざ取り潰させるほど立ち回りが下手でもない。
そもそも、思想犯の私を陽の下に引きずり出したのだ。腹芸は朝飯前だろうし、大丈夫。そのうち違和感の原因も割り出すだろうし、藍染の本性にも気付くだろう。
阿近には常々何か起きたときにはと伝えてきたし、言い残して来もしたから、特に気にすることは残っていなさそうだ。
……しかしあの男、ちゃんと技術開発局を維持できるんだろうか。猿柿がそれなりにまともな副隊長だったから回っていた面も少なくないだろうし、その点だけは心配だ。
「さて、と」
現世に行けば何もない。研究環境だって一から作らなくてはならないし、そもそも彼らを人間として生かすためにどれ程頑張れば良いのか、検討もつかない。
だが、筋書きの上では浦原はどうにかしていた。だったら私に同じことが出来ない道理はないだろう。時間も、味方も、見通しも儘ならなくとも。
「……存外、ここは嫌いではなかったヨ」
ここは、私ではなくあの男が守るべきだ。
現世はいつも通りに人手不足な程度なので、まぁ良い。時折力を貸す程度のことはしてやろう。それと、対応できることはしてやろう。
ただ、どうしても、私がここにいることは良くないだろう。私が望まれる正しい形でないから、仕方ないことだが。
そうやって、虚数魔術で彼らをそのままの状態で連れ去り、重霊地を転々としながら人に紛れて生きていく生活が始まった。
何とか虚化を御させるために腕を数本犠牲にしたり、猿柿に悪態をつかれたり、人に絶望しそうになったり、まあ色々なことがあった。だがそんなことは些事だった。ただ、死神のまま虚の力を引き出せるようになったことで、彼らは危険にはなったろう。
とはいえ、藍染に喧嘩を売り付け、全員で叩きのめす算段をしているので正直あまり積極的に混ざる気は起きなかった。多少丸くなった罪人という身分を返上してまでするべきだったかと疑問に思わないこともないが、構うまい。
私はこうしたかった。だからやった。その選択に後悔はない。あるなら修正すれば良いだけの話だ。
十年もすれば人に紛れることには慣れたし、人らしく振る舞うのも板についた。元々がただの人間だったのだ、食うに困って親族を頼ってきた田舎娘を装えば、大体の人間は誤魔化せたし親身になってくれた。多少の身分の保証や金銭の確保さえ出来れば、あとは持てる手段を総動員して戸籍も用意して人間として生きる地盤を確保できた。
それからまた十年もすると、研究施設を作る手だてを見つけた。
これには私の虚数魔術を使い、空楽町の山奥で、分霊を本霊に返して廃された社を見つけたので地下を掘削したり拡張して作り上げた。
もちろん全力で死神を造る実験も始め、それ以外に定期的に義骸を作り替えるようになった。容姿は一定のもの、私が好きだったキャラクターに似せたものにしたけれど、時間の経過に合わせて歳を取っていくかのように変化させていった。戸籍を作り替えるのは面倒であったし、見た目と昨日は別物だ。タフな戦闘さえこなせるスペックで作成したので大男を伸すことだって楽にこなせる。一度強盗に入ってきた人間を叩きのめして実験しているのでなんの問題もない。
さらに五十年したころには、尸魂界の目を誤魔化しつつ安定した研究を続けることが出来るようになった。多少の霊力の揺らぎなどでは観測されなかったし、材料の仕入れ先も贔屓ができてやりやすくなったのだ。
この頃にはネム創造に王手をかけ始めた頃だったので、上手く出来たときには思わずガッツポーズしたし、育児は大変すぎたが楽しかった。大人しい子供だったからということも、理由としてはもちろんある。
それからさらに三十年したころ、はじめの義骸を捨てた。
現世任務に来ていた死神と、虚に襲われた人間を助けたために。
その死神はBLEACHを知っている人間にはお馴染みの志波一心だ。彼は滅却師の少女を助けて、彼女の容態を安定させるために死神を辞める決意をあっさりと固めてしまった。
前もって知ってはいたが、やはり気風が良いというべきか、豪放磊落というべきか、あるいは底抜けの馬鹿というべきなのか。
「なあ、あんた」
「何だネ」
「これからどうするんだ? 俺達を助けてくれたのはありがたいが、言っちゃあ難だがアンタも追われるんだぜ」
黒崎真咲を虚化治癒から派生した技術で改造した後、撤収の準備をしている私に志波一心が声をかけてきた。
「私とて理解しているヨ。まぁ、しばらくは姿をくらますとするかネ。まぁ、夜中にだけは連絡をつけてやろう。虚も虚化も、活発になるのは夜。それとこちらもこちらで応えられるのは夜中だけだヨ」
「……大変なんだな」
「何故そこで労りの目を向るんだ」
「追われる身だろ」
「時が来れば姿は現すヨ」
片付けが終わった頃には、私は志波一心とのやり取りに少し疲れていた。彼にやり方にあまり口を出して欲しくはないし、踏み込まれるのはもっての他だ。戻ったら重罪で首が飛びかねないのだから当然と言えば当然だが。
なので、最後に一つだけ、帰る前に教えてやることにする。
「まあ、昼間は自分のことも分からなくなるような擬態でいるとだけ覚えておき給え」
煙るほど雨が降る中で、童女がひとり、傘も指さずに立っていた。
淡い桃色のワンピースを着た、長い癖のある髪の子供だ。周囲に親らしき人影もなく、ただひとり、いつの間にか境内の御堂近くに立っていた。
「きみ、そんなところに居ては風邪を引いてしまうよ。傘は、親御さんはどうした?」
ぼんやりと雨に打たれるままの彼女に、住職は心配で堪らず声をかけた。
「おやごさん? わたくしはひとりきりです」
親はと訊かれ、子供は首をかしげる。まるで親というもの自体を知らないとでも言うかのような反応だ。そのわりに口調は見た目の年頃の子供らしからぬ、教育をされたようなそれであった。
「それは……名前は」
「マユリともうします」
警戒心のない、丁寧な言葉遣いの子供。それが示すところは誘拐か、あるいは虐待の可能性である。しかし、親という言葉に首をかしげている様子を見るに、只事ではない事情があることは察せられた。
それらの事情を深く尋ねる前に、住職はマユリに傘を差し出した。手遅れな濡れ鼠とはいえ、雨に打たれただけ体を冷やしてしまうと思ったからだ。
「マユリか。とりあえず、境内に居らずに雨宿りをしていきなさい。今タオルを持ってこよう」
「おきづかい、かんしゃいたしますわ」
にぱ、と邪気無く笑うマユリに住職は不安を覚える。この子供がもしもこの寺ではなく人攫いの前にいたら、すぐに連れ去られて食い物にされてしまっていただろう。
すぐに警察に電話をすることにし、まずは妻を呼んでマユリが風邪を引いてしまわぬよう、髪や体を乾かしてやることにした。
それから来た警官の質問にマユリは淀み無く答えていったが、ただ、親と住んでいた場所、姓は分からず終いになってしまう。
畢竟、警察の方で彼女の親兄弟や親戚を探しはしたもの見つかることはなく。不憫に思って保護していた子供の無い住職とその妻がマユリの養い親となることに相成った。
彼女は天真爛漫であり、人のためになることを喜んで行う心根のよい子供であったので、人には好かれた。
そして成長するにつれ体を崩しがちになりはしたものの、それを補って余りある学習意欲と向上心を持ち、決して折れることなく育っていく。彼女は助けを求める人に声をかけられると喜んで応え、また自らも人助けをすることを志すようになっていった。
住職一家が欠けることがなかった頃、法会の日の寺では笑顔の彼女が手伝いをし、声をかけて回っていた。
「にちようあさから《さいどのひどり》でございます。こまっているかた、いませんか?」
それは、幸せな光景であったのだと檀家の人たちは口を揃える。
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