皇帝とオニと愉快な仲間たち (肯定PENGUIN)
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それもまた日常

何番煎じか分かりませんがペンギン急便メインのお話です。


 乱雑に吹き飛ばされて硝子の欠片となった空のボトルが辺りに散らばり、埃の被った様々な家具が吹き飛ばされてなぎ倒されたまま、放置されている。辺りを染める真っ赤な液体。鼻を刺すような刺激臭に顔を歪ませながら、周囲に倒れ込んでいる仲間を見下ろすように、一人のオニの男が立っていた。

 

 身長は凡そ180cm程。鋭く射抜くような深紅の目に、月明かりが反射して煌めく白銀の長髪。何より特徴的なのは側頭部から覆うようにして顔まで生えている太い角である。それも左側のみの片角と言う異形であった。

 幅広に作られた袖口と裾口、波文様が描かれた服からは伝統的な極東の意匠が見受けられるが、脚部や腕部、胴体には現代的な技術を用いられた軽装甲で飾り付けられている。

 彼の手には自身の愛刀である身の丈程の大刀。その刀は真っ赤に染まっており、こびり付いた赤色は水気を失って張り付いている事から、長い時間こびり付いていた物である事が推測される。

 

 マフィアやギャング、そして暴徒にありふれた危険極まりないこの龍門において、生と死は表裏一体。昨日まで肩を預けていた仲間が一夜にして肉片となるのは普遍的な話だとも言える。

 

 オニの男が周囲を見下すように一瞥し、艶やかな銀髪をかきあげた時、ふと違和感を感じて掌を見るとそこには驚く程真っ赤に染まった自身の手。

 

 ──嗚呼、そうか。そういえば昨夜……

 

 ガンガンと叩かれるような頭痛に顔を歪ませながら、彼は一つの事実へと辿り着いた。

 

「──新入社員のソラが入って来て、歓迎会をやったんだったな」

 

 二日酔いで惰眠を貪り続けてる仲間を後目に、一発芸にと取り出した愛刀を片付けて、一足先にシャワーを浴びるのだった。

 

 

 

 

 辺り一面に散らばったワイングラスやCD、お菓子とツマミの整理整頓しながら、酒臭いまま雑魚寝しているペンギン急便の仲間達をソファへと移動させる。ペンギン急便のボスであるペンギンのエンペラーが居なくなってるのに気が付いたものの、そもそも仕事にならない現状の片付けが先と結論付けた。

 

「う゛ー、ぎもぢわるい゛…」

 

 粗方片付けも終わり、いつもの業務に取り掛かろうとしたところで、ノロノロと最初に起きてきたのは目が隠れる程度に切り揃えられた赤い髪を持つエクシアだ。サンクタ族特有である光輪を頭頂部に浮かばせながら、真っ青な顔で歩く姿はさながらゾンビ天使と言ったところか。

 

「おはよう、エクシア。今にも堕天しそうな顔だが大丈夫か?」

「……おはよ、シュテン。大丈夫に見える……? そもそもそんな簡単に堕天……うっ!」

「……掃除したのに嘔吐するのは勘弁してくれ。シャワーでも浴びてきたらどうだ?」

「……そうするー……」

 

 とぼとぼとシャワー室へと歩いていくエクシアを見送った後、オニの男──シュテンは再び業務に戻ろうとすると次から次へと呻き声が上がり始める。

 艶美な黒髪を伸ばしたループスの女、テキサス。オレンジ色の長髪を後ろで束ねている怪力が自慢のフォルテ族のクロワッサン。そして様々な事情の末、ペンギン急便のトランスポーターとなった現役アイドルのソラ。

 まるでチープなゾンビ映画の如くそれぞれが立ち上がり、自身の現状把握も出来ないままに辺りを彷徨い出す。

 テキサスが転けて書類を飛ばし、クロワッサンが棚を突き飛ばしてCDを散乱させ、ソラが飲料水をひっくり返して辺り一面を濡らす。──見事に今朝の惨状の出来上がりだった。

 見るに堪えない光景に思わずシュテンは後頭部を掻きながら、やれやれと言わんばかりに微笑を浮かべた。

 

「ほら、水でも飲んで一旦落ち着いて座ってろ。エクシアがシャワー浴びてるところだから、お前らも順次サッパリして切り替えてこい」

 

 返事とも言えないような呻き声を出しながら蠢くゾンビ達をソファに座らせ、シュテンは仕事を中断して片付けをしつつ、食事の準備をし始める。

 そのまるで家政婦のように文句も言わずに家事をこなす姿。シャワーから出てきたエクシアはその一連の流れを見ていた。一体何がそこまでの原動力になるのだろうとふと見ていたエクシアに笑みを浮かべ、シュテンは言い放った。

 

「何、仕事ならいくらでもあるからな。このくらいの世話で働いてくれるなら安いものだ」

 

 さも当然のように話すシュテンの言葉に、皆の顔が一層青くなったのは言うまでもない。

 

 

 

 

「いやー、シュテンは相変わらず手際が良いよね。理想の旦那さんになれると思うよ、奥さんが羨ましいなー」

「ウチもそう思うで、起きた時には綺麗に片付いとったし、ご飯だって体に考えたものを作ってはるし。……ソラはんもそう思わへん?」

「そうですね。ホントに何から何まで……ありがとうございます」

 

 ゾンビモードから数時間が経ち、遅めのブランチから珈琲タイムへと洒落こんだペンギン急便の一同。アルコールもほとんど抜けたようであり、落ち着いた様子を取り戻した彼女達はテーブルを囲いながらホッと一息吐く。

 

「それに髪だってサラサラで綺麗な銀髪だし、顔だって目付きは鋭いけど整ってるし! スタイルも良いもんね! 最高だよサイコー!!」

「分かるわー! ウチもそう思ってたとこやで! 腕だってそれなりに立つし、立ち振る舞いもクールで大人って感じでええ男やな!」

「うんうん! えーっと……そうそう! この前もあたしがソファで寝てる時に静かに毛布も掛けてくれたし、めっっちゃ優しいんだよね!」

「あーと、えーと……そ、そうそう! なんて言うか……凄くて言葉が出てこへんわ!」

「え、えっと二人とも……?」

 

 最初はシュテンの気遣いに感動したソラは納得して話を聞いていたものの、エクシアとクロワッサンのべた褒め具合──クロワッサンは最早言葉になっていないが──に思わずソラは困惑し始める。

 

「ほら、シュテン。秘蔵のチョコレートだ。食べてもいいぞ」

「嗚呼、ありがとう」

「えぇ!? テキサスさんまで!?」

 

 普段から仕事の合間に食べているチョコレートをテキサスはシュテンの口元へと運ぶ。特に拒否することも無く口に含んだシュテンはソファに体を大きく広げて座り込んだ。

 

「お前らが大変慕ってくれてるのは理解したよ。俺にとってお前らは大切な家族(なかま)だからな。こんな酔い潰れた次の日に仕事だなんて無茶はして欲しくない」

「え! じゃあ今日はもしかして休み──」

「──とは言え、仕事は仕事だ。俺も心を鬼にして血の涙を流しながら頼むしかないからな。……オニだけに」

『えー! せっかく持ち上げたのにー!!』

「ふ、二人とも……」

 

 横暴だーっと暴れるエクシアとクロワッサンであったが、そんな元気があれば問題ないとトドメを刺されて撃沈。漸く二人の意図を理解したソラは顔を引き攣らせていたものの、これが日常的な事なんだろうなぁと理解してしまった。

 口に出していないテキサスも同様、肩を若干落としていたのは言うまでもない。

 

「とは言え仕事自体は大したもんじゃない、ただの配達で車で移動すれば夕方前には終わる内容だ。……が、ソラの初仕事で万が一もある。四人で行って構わんぞ」

「……それ、報酬から足が出たりしてないの?」

「配達にしては破格の額を貰ってる。多少の揉め事も範疇の内なくらいにな」

「つまりドンパチ前提と言う訳か」

「そういう事になるかもな」

 

 これが詳細の依頼だ、と放り投げられた資料に全員が目を通すと、確かに書かれた内容はソラにも分かるほど簡単なものであった。

 

「何、ソラもそんな緊張しなくていいぞ。例え交戦に入ろうともエクシアもテキサスも腕が立つし、クロワッサンはずば抜けた防御技術の持ち主だ。職場見学の気分で行けばいいさ」

「は、はい。分かりました」

「……なんかソラに甘くない?」

「気のせいだ」

 

 エクシアのジト目を気にも止めず、テーブルの上に積まれた膨大な資料──主にエクシアが暴れた事による損害についてだが──の片付けに取り掛かる。

 シュテンは基本的に現場に行く事はなくとも、仕事は山のようにある上、打合せや商談など幅広く活動しているのだ。特に繁忙期となると無駄に時間を浪費する訳にはいかない。

 

「今日の標語は……確か『赤信号 皆で渡れば 怖く無い』だったな。足並み揃えて頑張れよ。……これだけの報酬額だ。不要な出費を抑えられるならボーナスの話をエンペラーに進言してやらん事も無い」

「ホンマに!? なんかめっちゃやる気出てきたわ! エクシアはん、無駄撃ちは絶対控えなアカンよ!……こうしちゃいられへん、急いで準備するで!」

「ちょ、ちょっと!」

「え、あれ!? あたしも!?」

 

 瞳の中に龍門弊のマークが浮かび上がっているクロワッサンに引っ張られるように、エクシアとソラは飲みかけの珈琲をそのままに連れて行かれてしまった。

 部屋に残ったのは資料の処理をし始めたシュテンとチョコレートを齧りながら珈琲を飲むテキサス。妙な静寂に包まれる空間の中で見つめてくるテキサスに、居心地の悪さを感じたシュテンは口を開いた。

 

「……テキサスは行かなくていいのか?」

「私はいつでも準備は出来てる、問題ない」

「そうか」

「そうだ」

「……で、なんでそんな見つめてくるんだ?」

 

 話している最中も視線を外さないテキサスに若干の困惑を見せながらシュテンの手が止まる。普段はクールに仕事をこなす彼女が一体どうしたんだとその視線を受け止めるようにして顔を上げた。

 

「……顔」

「顔がどうかしたか?」

「鼻から毛が出てる。すっごい長いヤツ」

「……は? 本当か?」

「嘘だ。じゃあ私も行ってくる。……ふふっ」

 

 何とも変わったやり取りに満足したのか、テキサスは薄い笑みを浮かべながら足早に部屋から出て行った。全く以て理解出来ないシュテンは首を傾げたものの、珍しく笑うテキサスを見れただけでも良しとし、気にしないものとする。

 

「……一応鏡で確認しておくか」

 

 流石に身嗜みは気にしない訳にはいかないシュテンであった。

 

 

 

 

 一人になって数時間経った頃だろうか。身の丈程あった書類を物の見事に処理し終えたシュテンは、休憩を挟むついでにエンペラーの私物であるCDを掛けて音楽を流す。

 部屋の中を包み込むように響く音色。ゆったりとした曲調が心を落ち着かせ、癒してくれる。そんな一時に珈琲を飲みながら新聞を見るのが彼の楽しみの一つであった。

 何とも年寄り染みたコーヒーブレイクを楽しんでいると、ふと入口から侵入してくる気配に気付き、視線を向ける。

 ダルダルの衣服と真っ黒グラサン。ジャラジャラと重ね付けした金色のネックレスをしたペンギン急便のボス、エンペラーがそこにはいた。

 

「……ほう、今日は帰ってこないのかと思ったぞ」

「俺もそのつもりだったんだがな。ちょっと不穏な情報が入ったから来てみたんだが……他の奴らはどこに行った?」

「アイツらなら昨日受けた割のいい仕事に行かせたぞ。四人で行動させたからよっぽど問題は無いと思うが……どうした? 魚が喉に詰まったような顔をして」

「俺をそこらのペンギンと一緒にすんじゃねえよ。──これを見てみろ」

 

 あちゃーと言わんばかりに天を仰いだエンペラー。テクテクと歩きながら渡してきた書類にシュテンは目を通す。

 そこには今回の依頼の本当の目的が記されていた。

 

「……これは本物か?」

「マジもマジの大マジだ。どうもきな臭いと思って依頼主を洗いざらい調べてみたら出て来た情報だからな」

 

 そこに記されている一つとして配達先の企業の実態。表向きは情報屋と言う話であり、実際にシュテンの記憶でも現地にはそのような店舗は存在していた。

 だがその実態は人身売買や臓器売買を専門とするマフィアグループ。外から進出してきた新しい組織が龍門で何食わぬ顔で働いていたのだ。

 更に情報によると、ペンギン急便に簡単な配達依頼──と言う建前による、トランスポーターへの襲撃が今回の目的である。前金は貰っていたものの、報酬を払う気は元々ない所か、仕事の配達ですら意味の無いものであった。

 

「ペンギン急便かトランスポーター個人への恨み……のようにも見えるが、最近龍門で頭角を現しつつも悪い噂を聞くマフィアか。ウチとの絡みは特に無い筈だ。このタイミングを考えると……」

「ソラの誘拐。それだけじゃなくてもうちの社員は皆可愛いからな。売り物になるんじゃねえのか?」

「嗚呼、十中八九そうだろう。情報の出処も気になるが……まぁ良い」

 

 トランスポーター初日にして災難だなと思いつつも、直ぐに抗争になるのはある意味ペンギン急便らしい事実。大きく息を吐いてソファに身を預けたシュテンが電話を手に取り、彼女達の元に連絡を入れる。

 1コール、2コールと鳴った瞬間に取られた電話から聞こえてきたのは慌てた様子のエクシアの声だった。

 

「よう、無事か?」

『無事か、じゃないんだけど!? 配達先の建物に入ったら訳わかんない奴らに武器で襲われるし! 応戦してたら爆弾で建物は崩れるし! 元からこういう予定だったの!?』

「無事のようで一安心だ。俺もさっき皇帝から話を聞いた所でな。何、元々ドンパチやる予定だったし慣れたものだろ、気にするな」

『いやそうなんだけどさ……まさか拍子抜けで終わる最後にどんでん返しは想定外だよ……。まぁいいや、それであたしたちはどうすれば良いの? 依頼は破棄の方向で進んじゃって問題ない感じ?』

 

 切り替えの早さは流石と言うべきか、ペンギン急便の中でもトラブル率が断トツのエクシアの対応は迅速なものだ。シュテンも数瞬の間に幾つも思考を巡らせながら言葉を紡いでいく。

 

「いや、依頼は破棄よりも達成と言う形で進めて行こうか。支払いを渋る依頼主が武力行使に移行してきた為、反撃し鎮圧と言う流れだな。報酬と迷惑料をたんまりと頂いてこい。……後、ソラはしっかりと守るように頼むぞ」

『……なるほど、あたしらよりもソラが目的なんだね。りょーかい。じゃあ好き放題暴れて資金回収してくるねー! 後の事はよろしく!』

「あぁ、龍門近衛局の方には俺が連絡しておく。だが無理はするなよ」

『まっかせてー! にしてもシュテンが心配して──』

 

 エクシアの言葉に耳を貸さずにシュテンは早々に通話を切った。そのまま携帯電話を操作して続けざまに連絡を取ろうとする。

 その相手は──

 

「お久しぶりです、シュテンです。……えぇ、皇帝も横で音楽を聴きながら寛いでますよ。……いえいえ、ウェイ長官程では。ひとつ耳寄りの情報が入りましたのでご報告までにと」

 

 龍門の執務者のウェイ長官である。今の龍門の飛躍的な発展は彼の手腕によるものと誰もが口を揃える程のカリスマ的統率者。礼儀を弁えた振る舞いこそするものの、自らの利とする為なら手段を選ばず、且つ他勢力との関係を円滑に進められる程の戦略を持つ化け物である。

 流石に立場の違いがあるからか、丁寧な口調でシュテンは話すものの、足を組みながら動じずに話すその姿は物怖じなど感じさせなかった。

 

「あの人身売買で黒い噂の組織をご存じですか? ……えぇ、そうです。通報がまもなく入ると思いますが、彼らがとあるビルで暴徒と化しているお話がありまして。……いえ、確かに龍門近衛局が制圧して下されば良いのですが、情報によると”とある優良企業”と金銭の支払いで揉めてるようなので。……話が早くて助かります。あと2時間後に出動して貰えれば警察方も被害なく取り押さえられるかと。優秀な警備員を抱えている優良企業が自己防衛の為に制圧してくれてるみたいですから」

 

 シュテンとウェイ長官はくどい言い回しで会話をするも、要約すれば実に分かり易く簡潔な事であった。

 シュテンはペンギン急便を嘗めた組織を潰し、元々予定にあった依頼報酬+αを頂く事。更に龍門近衛局からの妨害の阻止。

 ウェイ長官には証拠不十分として乗り出せなかった組織が暴徒とした事で取り押さえてかつ別件にて逮捕。更に無被害の保証。

 それはそれぞれが表向きは無干渉であるからこそ成し得る利益であると言えよう。

 

「私からの報告は以上です。……えぇ、ではまた機会があれば。──嗚呼、ウェイ長官。ひとつ言い忘れてた事がありました」

 

 あからさまに作ったと言わんばかりの忘れてた表情を見せたシュテン。その視線はエンペラーを見据えながら言葉を続けた。

 

「──いつからウチに新入社員が入った事をご存知だったので?」

 

 その瞬間、目に捉えていたエンペラーがビクリと身体を震わせ、サングラス越しにも分かる程に視線がぐらつく。

 その反応を見たシュテンは疑惑だった一つの懸念が、確信へと変わった。

 

「嗚呼、もう良いです。目の前の鳥類から全て察したので。……いえ、それ程でも。ではまた宜しくお願いします」

 

 通話を終えたシュテンが携帯電話から目を離し、室内を見渡すと、そこには扉へと一目散に走り去ろうとする醜い鳥類の姿があった。手元にあった新聞紙を広げて勢いよく投げると、凶悪な風切り音と奏でながらエンペラーの被っていた帽子を切り裂く。

 

「いやこれもう死ぬやつじゃん。つーかなんで分かったの? 無理無理無理無理……」

「お前が拠点に帰ってきたその時点で既に疑っていた。──何故俺に黙ってこんな事をした?」

 

 エンペラーの態度、そして通話越しでのウェイ長官の反応。全ては二人によって仕組まれた計画だった──その事に気が付いたシュテンの顔には激しい怒りが見て取れる。エンペラーもシュテンにバレるのは時間の無駄だと分かっていても、全て終わった後なら笑い話になると楽観視していた。まさかこんなにも早く見つかるとは思ってなかったようで、いつもはどんな時も余裕を見せるその顔は恐怖に染まっている。

 

「みんなで困難を乗り切れば、新入社員にありがちな遠慮の壁も壊して仲良しハッピーだと思ってやっただけだぜ? 獅子は我が子を千尋の谷に落とすって言うじゃねえか」

「ウェイ長官と手を組んで人身売買組織を壊滅とトランスポーターの育成。その為にソラの情報を流して組織を煽ると。……察するにソラの価値、もしくはペンギン急便のトランスポーターの価値を誇張して流したか。そのくらいじゃないといくら何でも組織の行動が過激過ぎる。……やり過ぎだと思わんか?」

「……ぜ、全部仰る通りです、はい……」

 

 全てを見通されたエンペラーに最早弁明の術などなく。器用に正座をするペンギンとはなんともシュールな光景であった。

 

「で、なんで俺に相談しなかったんだ?」

「いやー……だってお前拒否するじゃん? ぜってー嫌だって言うじゃん?」

「当たり前だ。そもそもソラの事務所との契約事項をもう忘れたのか? その鳥頭は飾りなのか?」

「……鳥頭ならむしろ忘れて当然じゃね? ソラの契約事項は確かにあるがシュテンは過保護過ぎんだよ。入りたての頃なら兎も角、アイツらはもう一端のトランスポーターだぜ? ベテランの域に来てるし腕も傭兵以上に立つ。大人だよ大人。ガキだったエクシアも普通にあそこの毛ぐらい生え──」

「それ以上は危ないから止めた方がいい」

 

 そもそもソラの事務所からの加入条件のひとつとして、安全を守る義務がある。彼女自身の影響力を考えれば揉め事が起きるのは仕方がないと言えるものの、流石に初日から抗争に叩き込むのは頭がおかしい。例えトランスポーターが危険な仕事なのだと教える意味であっても。

 

「……まぁお前がどうしてもと決めた事に俺は否定するつもりは無い。だが失敗したらどうなる? もうちょっと危機感をだな──」

「何言ってやがる。そんなのある訳ねえだろ」

「……は?」

「俺とお前がいるんだ。失敗なんて存在しねえよ」

 

 さも当然と言わんばかりに堂々とした物言いに、思わずシュテンの言葉が止まる。一切の迷いの感じない信じきっているエンペラーの瞳。遠い昔に出会った時の事をふと思い出す懐かしいその眼差しにシュテンは笑みを浮かべ、

 

「そんなので誤魔化されないけどな」

「あ? やっぱり?」

 

 丸めた新聞紙で思いっきり頭部を叩かれ、エンペラーの視界には満天の星空が浮かぶ。割れるような頭痛に苦しみ、ゴロゴロと転がるペンギンを見つめながら、シュテンはしょうがない奴だと言わんばかりに笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 日も落ちて既に夜の街が騒がしさを失い始めた頃、昼前に出て行ったトランスポーター達が漸くして帰ってきた。

 

「たっだいまー……ホント今日は疲れたよ……」

「エクシアはんはほとんど弾を使い切ってたくらいやしな。ウチももうヘトヘトや」

「嗚呼、ご苦労だったな。飲み会明けで辛かっただろうによくやってくれた」

 

 帰ってくるなり重そうな体を引き摺っているのはエクシアとクロワッサン。なかなか激しい抗争があったのか、身なりがそれなりに汚れていたが、まるで気にする様子ももなくソファに倒れ込んだ。

 

「やれやれ、2人ともだらしがないな」

「テキサスさんが凄いだけですよ。あたしなんて全然活躍できてないどころか怖くて仕方なかったですから……」

「戦いなんて慣れるまではそんなものだ。最初は私もそうだったからな、気にしなくていい」

 

 続いて部屋に入って来たのはテキサスとソラ。意外にも余力の残っているテキサスにシュテンは少々驚くも、無口で分かりにくいその顔には確かな疲労が見て取れた。

 対してソラは仕方がないことと言えども、足手まといにしかならなかった事実に歯痒さを感じている。

 

「トランスポーターと言ってもウチは戦闘ありきの配達が大半だ。何、一ヶ月もすれば嫌でも慣れる。……新人の内は好きなだけ守ってもらえば良いさ。迷惑を掛けるのが仕事みたいなもんだ」

「あ、はい。ありがとうござ──わわっ!」

 

 シュテンの大きな手でぐしゃぐしゃと乱雑に頭を撫でられ、ソラは驚きの声を上げる。ループス特有の耳を咄嗟に押さえながら上目遣いで見上げたその姿は、あざとさを感じるものの、様になっているのは流石アイドルと言った所だろう。

 

「……シュテン、私には何も無いのか?」

「お前は何を言ってるんだ?」

「テ、テキサスさん……」

 

 ソラの隣に立っていたテキサスは若干頭部を下げて、僅かに尻尾を揺らしながら待つ姿はまるで犬のよう。ショックを受けているソラと言い、訳の分からない展開にシュテンは呆れた表情を見せていた。

 

「え、なになにー? シュテンが褒めてくれるの?」

「そうなん? ならウチもウチも!」

 

 さっきまで死体のように寝ていたエクシアとクロワッサンも飛び起きるように立ち上がり、面白いものを見つけたような表情でシュテンへと近づいてくる。

 見たことも無いほどに鬱陶しそうな顔をしたシュテンは踵を返して背を向ける。そして離れの座席で撃沈していたエンペラーを指差した。

 

「馬鹿な事を言って無いでさっさとシャワーでも浴びてこい。……嗚呼、そう言えば今回の騒動は皇帝が全部組んでたみたいでな。俺なんかに構うよりじっくり話を聞いた方が良いぞ」

「あ、おま! ぶん殴った後、秘密にするって話してた──」

 

 気が付いた瞬間には既に時遅し。エンペラーが反応するよりも早く、エクシアとテキサスがその肩を物凄い握力で掴む。恐怖を感じながらも振り向いたエンペラーの目に映ったのは、素晴らしい笑顔で微笑んでいる四人の天使だった。

 

 エンペラーの断末魔が響く夜。それもまたペンギン急便にとっては有り触れた日常である。



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姦しい日常と化物の邂逅

「そう言えばみんなに聞きたいんだけど」

「ん? どったの?」

 

 ソラがペンギン急便に加入してから一週間が経った頃。シュテンとエンペラーが共に拠点を空け、更には珍しく仕事も無かった為、トランスポーターである四人はダラダラとした時間を過ごしていた。

 仕事にも慣れてきて仲間とのコミュニケーションも深まってきたからか、堅苦しい言葉遣いでは無くなっているソラが三人に問い掛ける。

 

「シュテンさんって普段何やってるの? ボスはうちの音楽のプロデューサーだったり色んな顔を持ってて凄い人……ペンギンなのは分かるんだけど。シュテンさんの仕事の話はあんまり聞かないなぁって」

「あー、なるほど。確かにあたし達みたいに表立って活動してないからねー。一緒に動く事も少ないから。……そもそも今はトランスポーターでも無いし」

「……事務員みたいな立ち位置なの?」

「間違ってへんけど、それはなんかちゃうような……」

 

 矢継ぎ早に出てくる純粋なソラの質問に対し、中々いい言葉が出てこないからか、エクシアとクロワッサンはうーんと眉間に皺を寄せながら頭を悩ませる。ソラもソラで二人の回答ではなかなか要領を得ないようで困っており、ふとテキサスの方へと視線を向けた。

 

「立ち位置で言うならそうだな……マネージャーと言った方が正しいだろうな。仕事のほとんどがシュテンからの説明だったのに気が付いてたか?」

「……言われてみれば確かに……」

「後は……そうだな。ソラが来た初日のトラブルでもそうだ。あれだけの事件が起きながらもペンギン急便にはまるでお咎めがなく、相手組織は龍門警察に捕縛されて壊滅。恐らくは現場がスムーズで行くように段取りや後処理などで見えない所で動いてくれてるからだ」

「……え、マジで? あたしそこまで気が付いてなかったよ……」

「エクシアが壊した損害書類の処理も山ほどあるぞ」

「それは気付いてたかな!」

 

 以前のトラブルに関してはそもそもウェイ長官とエンペラーが二人で企んだことであった為、シュテンが動かずとも同じような結果になっていただろう。とは言え普段から多くの事でシュテンが手を回しているのは事実であり、それを察しているテキサスは、確証はなくとも確信に近い考察を淡々と語った。

 対するクロワッサンとエクシア。まるでそんな事を考えずに暴れていた為か、素直に感心するようにソラと共に驚きを見せている。

 

「と言う事はあたしたちの上司みたいなものなのかな? ……好き放題にする人もいるし大変そう……」

「確かにみんな個性が強いからねー、でもそれでこそペンギン急便って感じなんだけどさ!」

「エクシアの事だったんだけど……」

「……ソラも言うようになったなー、このこの! 口の悪い子にはお仕置かな!」

「ちょ! やめ……じ、冗談だってば!」

 

 エクシアの普段の行いのせいとは言え、仕舞いにはソラにも弄られる始末。流石にエクシアも新人に言われるのは癪だったようで、ソラの頭部を両手で挟み込み、グリグリと反撃していた。

 

「いたた……。それにしてもテキサスさんはシュテンさんの事詳しいんですね。エクシアもクロワッサンも漠然としか理解してないみたいだったから驚いちゃいました」

「むしろこの二人が理解して無さすぎだ。シュテンをなんだと思ってる?」

「甘やかしてくれる先輩?」

「料理上手なお兄ちゃんやろ?」

『…………』

 

 あれだけ騒がしかった部屋が一瞬にして無音へと切り替わる。あのソラですら冷ややかな目線で見つめている辺り、エクシアとクロワッサンの反応は如何に失礼なのかが如実に現れていた。

 

「でもシュテンさんって極東出身のオニなんだよね。……あんまりこういう言い方は良くないと思うけど、オニの人って頭を使うような仕事よりも傭兵とかの方が向いてるんじゃないの?」

「普通に考えたらそうなんだがな……シュテンはあぁ見えて私よりも剣術は弱いぞ」

「力だってウチの方がつかいこなせてはるし」

「動体視力もあたしの方が上だからねー」

 

 意外にも戦いよりも頭脳派であった事にソラは驚きを隠せない。オニという種族の特徴上、強靭で生命力の高い肉体と凶悪な迄の力を持つのが常識的な知識なのだ。

 戦いの際には我を忘れるほどの戦闘への狂気に襲われるとさえ言い伝えられている程、オニは頭脳よりも武闘派である。

 

「とは言え総合的に見れば器用な上に強い部類に入るはずだよ。それに本人曰く、身内だとやる気になれないらしいし」

「でもめっちゃ悔しそうに言うてるから、それがまたおかしくて笑えてくるねん」

「あはは、負けず嫌いなんですね」

 

 クールな態度にそぐわない負けず嫌いっぷりを想像すると、なんだかソラもおかしくなって来て思わず笑い声が出てしまう。

 

「そう考えるとシュテンさんってハイスペックな人だなぁ。……何か弱点とかってあったりするの?」

「うーん……」

 

 どんな完璧に思える人物にも欠点は必ず存在するものだ。だが今の話ではそんな欠点などは欠片も感じられない。そう思ってソラは話を振ったものの、シュテンに詳しいテキサスでさえ意外にも言葉が出てこないようであった。

 

「正直なところ、仕事以外でのシュテンについてはそこまで詳しく知らないんだよね。何度か休みの日に皆でストーキングした事あるけど、気が付いたら私達の後ろに立ってたりするし」

「モスティマならある程度知ってると思うが……」

「ス、ストーキングは流石に良くないと思うけど……。モスティマさんってこの前教えて貰った先輩トランスポーターですか?」

 

 ペンギン急便所属──正確には特殊な立場ではあるが──のトランスポーター、サンクタのモスティマ。とある事情から遠方への配達が主になっている彼女はペンギン急便に顔を出す事は滅多になかった。

 その為、長年働いているテキサスや顔馴染みのエクシアは別として、クロワッサンでも一度顔を合わせた事があるだけである。

 

「そうそう。フラっと現れてはスっと消えるから中々話す機会はないけどね。……あたしも色々と聞きたい事があるのに聞けてないし」

「神出鬼没なんだね。……でもどうしてモスティマさんなら詳しいの? 付き合いが長いから?」

 

 エクシアがポツリと零した愚痴は聞こえていなかったようで、会話を続けたソラは可愛らしく首を傾げながら問い掛ける。

 その瞬間、面白い話題が出てきたと悪そうな顔を浮かべていたのはクロワッサン。誰よりも面白い事には目が無い彼女は意気揚々とした様子で口を開いた。

 

「なんかな、テキサスはんがペンギン急便に入る頃の話なんやけど同棲してたんやって。酔っ払ったシュテンはんが思わず喋った事やから事実やと思うで。きっとオトナな関係やったに違いないわ!」

「わ、わー……! なんか聞いちゃいけないような事を聞いちゃった感じ……!」

「あたしはモスティマのことよく知ってるけど、初めて聞いた時は信じられないくらいだったよ。ホント羨ましいなぁー」

「……エクシアもそう思っていたのか」

 

 予想の範疇を超えた驚愕の事実に、ソラのテンションは一気に高まる。──モスティマの人物像がいまいち掴めないのが不満ではあるものの、あのシュテンにそんな一面があるとは思いもよらなかったのだ。

 しかしエクシアとテキサスはどちらかと言えば不満に近い感情を抱いていたようであり、意見が合うとは思わなかったのかお互いに顔を見合わせて驚く。

 

「え、テキサスもそう思ってたの? なんかすっごい意外! まさか──」

「あぁ、私もだ。まさか──」

『モスティマ(シュテン)と一緒に暮らしてみたいだなんて』

『……ん?』

 

 見合わせていた視線が2度、3度と右往左往として再度交わる。不思議と芽生えた仲間意識が一瞬にして消し飛び、お互いが自らの発言を省みるように黙り込んだ。

 だが完全に爆弾発言を投げたのはテキサス。まさかエクシアに裏切られるとは思わなかったのか真っ赤になった顔をプルプルと震わせながらエクシアを睨みつけた。

 

「くっ! 覚えてお──いや忘れておけよ!」

「テ、テキサスさん!」

 

 駆け足気味に拠点を飛び出したテキサスを追うように、ショックを受けて呆然としていたソラも慌てて駆けて行った。

 

「……エクシアはん、わざとやったやろ」

「……やっぱり分かっちゃう?」

 

 そんな二人の様子をニヤニヤと笑みを浮かべながらエクシアは見ており、流石にやりすぎだとクロワッサンは呆れた表情で窘める。

 

「シュテンはんの事となるとテキサスはんはちょっと抜けてるちゅーか、バカになるけどやりすぎやで」

「でもそんな恥ずかしがる必要ないと思うけどねー、シュテンが魅力的なのはみんな知ってる事だし。なんか認めるのは悔しいけど!」

「そ、そやな。でもそれと恥ずかしいのはまた別の話やと思うで?」

 

 そんなもんかなぁとあんまり釈然としないエクシアであったが、クロワッサンからの再三のダメ出しにとりあえず謝罪しておこうと心に決めたのだった。

 忘れろと言ったテキサスの言葉を忘れて。

 

 

 

 

 

 

「何かアイツらが馬鹿な事をしている気がする」

「どうした突然、頭でもおかしくなったか? 良い医者紹介してやるぜ?」

「お前の御用達の医者か。治ってないところを見るにヤブ医者だろうな」

「口は無駄に達者だなおい」

「口も、の間違いだろ」

「はっ、ちげえねえ」

 

 けたたましい音を奏でながら、真っ赤に染まる派手なスポーツカーが道路を物凄い勢いで突っ切っていく。既に明らかな超過速度だと言えるが、それでも速度が徐々に加速している。

 運転席に座るシュテンと助手席で酒を飲みながら葉巻を蒸かすエンペラー。二人は他愛ない会話をしながら商談の為にとある場所へと向かっていた。

 

「しかしロドスもこの俺を呼び出すたぁ偉くなったもんだな、そう思わんか?」

「ウチみたいな小企業に対して、移動都市と小国家並みの戦力を持つ相手じゃ比べるまでもないだろ。例え同じ私企業であってもな」

「そんなものはリーダーのカリスマ性がだな──」

「非常食としては優秀かもしれんな」

 

 製薬会社ロドス・アイランド製薬。表向きは医療品の研究開発を行っている企業であり、主に源石(オリジウム )に長く触れることで発症する鉱石病(オリパシー )の感染者の保護、及び治療法の研究を行っている。

 致死率100%の鉱石病と言うこともあって感染者の差別が蔓延るこの世界。暴徒と化す感染者も非常に多く、それらを鎮圧、保護するのがロドスの裏の顔であった。

 鉱石病になると病状を進行させる恐れがあるも、アーツの能力が増強されると言う研究データも出ている。一私企業がそんな強力な感染者をかき集めているとなれば、武装組織として警戒しておかないとならない存在だろう。

 

 そんなロドスと交友関係を結ぶか否かを決める為、二人は動いていた。

 

「龍門にまで関わる気配がないから放置していたんだがな……向こうから提携のアプローチを受けていざ調べてみると異常なまでの成長スピードだな」

「あぁ、レユニオンっつー感染者の暴徒集団も最近はよく聞くようになって来てやがる。恐らく感染者関連の組織同士、大きく抗争が起きるだろうな。……しっかし、僅か2年足らずでこの規模の企業か。それだけ優秀な人材がいるってこった。ウチと違ってマネージャーが優秀なんだな」

「何、マネージャーのせいにしなくても、クソみたいな鳥類が頭を張ってる企業なんぞ碌でもないのは当然だ。……龍門でのアドバンテージを取る足掛かりとして、ペンギン急便に仕掛けてきた訳だな」

「間違いないと思うぜ」

 

 ロドスが龍門へ行動範囲を広げる為の第一歩として選んだのがペンギン急便なのだと二人は推測をつける。

 他の移動都市に比べて頭抜けて発展を遂げた龍門には情報も資源も技術も常に最先端を行っていた。そうなると当然の如く、多種多様の企業が犇めき合い、競争中で生きている。

 それは裏社会でも同様であった。スラムと言う龍門の負の遺産には、暴徒やマフィアが我が物顔で跳梁跋扈しているのだから、ロドスにとって地位を得るには並大抵のことではない。

 だがそれは見方を変えれば、ペンギン急便ならば簡単に取り入れられるのだと暗に言っているようなものである。

 

「この俺を嘗めてやがる奴は誰であっても許すつもりはねえ。だがロドスはこの先計り知れない企業になるのは分かるぜ。だから俺自身の目で見極めてやる。就労規則第一条、『真実は自分の目で確かめろ 』だ」

「……昨日は『 今日が最後の日と思って楽しめ』とか言ってなかったか?」

「就労規則第二条、『 細かい事は気にするな』だ」

 

 真面目なのか巫山戯ているのか──なんとも言えないその境目でエンペラーは不敵な態度を崩さないまま言葉を続ける。

 

「ま、そんな感じで今日は頼むぜ。相手も一筋縄じゃ行かねえ相手だろうからな。サイッコーにクレイジーな奴が来ても負けねえくらいにな」

「……そもそも今日の内容に俺が必要なのか? ボディガードという点なら分かるが」

「お前がこの前秘密にするなって言ったんだろうが。もう忘れたのか鳥頭」

「自虐ネタかよ。……しかし、まさか律儀に守るとは……お前のそう言う所好きだぞ」

「はっ、気持ち悪ぃ。モスティマに教えてやろ」

「やめろ、焼き鳥にするぞ」

 

 

 

 法定速度を遥かに超える速度で数時間走ったシュテンとエンペラーは、漸くして目的地へと辿り着く。そこは龍門を飛び出して更に進み続けたその先にある移動都市。

 それは龍門近くにまで接近していたロドスの拠点であった。

 身分と名前を告げて都市へと入国した後、簡単な受付を済ませて案内に従うままに進んでいく。──龍門に比べるのは酷であると言えるが、ある程度の水準が保証されている小さな国、と言った所か。大半が感染者であるからか、差別も区別もない、まさに人によっては理想とも言える地がそこにはあった。

 

 ある程度居住区を歩かされた後、建物の内部へと案内される。一際目立つこの建物がロドスの本部なのだろうと踏み込んだ瞬間、そこに居たのはコータス特有の耳をした女の子だった。

 

「──初めまして、ロドスのCEOを務めているアーミヤと申します。龍門からご足労頂いて申し訳ありません。本来であれば私たちが向かうべきなのでしょうが……」

「別に気にするな。だがこの俺をわざわざ呼んだんだ、つまらん話をするんじゃねえぜ」

「あ……いえ……は、はい。こんな所でお話もなんなので移動しましょうか」

 

 とても初対面とは思えない程に不遜な態度を取るエンペラーに対して、アーミヤは困惑を隠せずにいる。堂々な振る舞いに見えつつも、僅かに揺れる視線や挙動の落ち着きの無さはまだCEOになってから経験の浅さ故か──とシュテンは推測する。

 案内役が受付員からCEOに変わる経験など、普通ならば考えられない状況であるが、彼らの態度は変わりはしない。

 

 そのままアーミヤの後ろをついていくように進み、上の階へと上がった先にあった会議室。そこに入室するとそこには背中の露出が激しい、色素の薄い一人の女が待っていた。

 

「ケルシー先生。ペンギン急便のお二人がいらっしゃいました」

 

 アーミヤに促されるがまま、エンペラーとシュテンは部屋へと踏み込む。何も驚異など感じ得ない、ただの女の子が二人──そう思って一歩を踏み出した瞬間、シュテンの背筋に強烈な悪寒が走った。

 

「……? どうした、シュテン」

「どうかしましたか?」

 

 シュテンの足が止まった事にエンペラーとアーミヤが疑問に思い、振り返るも彼の視線はケルシーへと向いたまま。ケルシーもまた、シュテンの視線を受けるようにしてその生気のない眼で見つめ返す。

 

「……とんだ化け物が居たものだな、長い間生きて来たがこの感覚は初めてかもしれん」

「……ほう、初見で見破られるとは……私も長い事生きて来たが初めてだな」

「……マジで? 俺何も感じねえんだけど。逃げた方が良さげな感じ?」

「いや……大丈夫だ。突然の失言申し訳ありません」

「いえ、お気になさらず。……そうか。その見た目……なるほど、そういう事か」

 

 小さくポツリと零したケルシーの言葉は届くことはなく、仕切り直したアーミヤに誘われるがまま、四人は机を囲んで自己紹介もそこそこにして商談を始める。

 やはりロドス側が求めるものはエンペラーとシュテンの考え通り、依頼という形でペンギン急便の社員をロドスに雇い入れて龍門の地の利、情報を利用するというもの。

 当然、ペンギン急便側にもメリットが存在する。一企業からの依頼にしては破格の金額。更には龍門だけではどうしても手に入れられないような辺境の情報や資源、更には人脈を紹介してくれると言うのだから充分過ぎると言えた。

 しかしそこはエンペラー。商談となればアーミヤの遥か上を行く程に場数を踏んできている。更にはシュテンの巧妙な口先と細かな指摘を対応していく内に、気が付けばペンギン急便には大きな利益を生み出す契約となっていた。

 

「ではアーミヤ嬢。基本的に社内での業務を主としてそちらの依頼を受けていくという形で宜しいですね? 怪我などに関しては自己責任という形で結構です、従来の依頼と変わりませんので」

「はい、構いません。ですがレユニオンや暴徒との交戦の際には命の危険が関わる場合も有り得ますが、ルート確保、車両運転、荷物運搬を他の仕事より優先して頂く場合もあるかと思います」

「その時はその時だ。金さえ積んでくれればウチも問題ねえ。ボーナスと聞けばみんな喜んで付いてくるぜ」

「ミスターエンペラー。これだけ基本依頼料が高くてもまだ足りないのですか?」

「あぁ、足りないね。わざわざ戦線に走らせるのはウチの趣味じゃねえんだ。予定外の出費なんざ幾らでも考えられる」

 

 細かな所までキッチリと回収していくしたたかなエンペラーに、おもわずアーミヤも苦笑いを浮かべてしまう。

 だがロドスはペンギン急便を決して過小評価していない。小企業でありながら龍門には必須とも言える存在であり、龍門近衛局にも睨みが利く権力を持ち得てる事はリサーチ済みなのだ。

 

「……分かりました。その際には割増で請求頂いて構いません。ただし相応の結果と情報を期待しますのでよろしくお願いします」

「嗚呼、ロドスが期待する以上の結果は必ず出せると断言するよ」

「まっ、こんなもんか。じゃあ話も大体終わった事だしとっとと帰ろうぜ。今日はもう普段の倍は働いてるからな」

「あ、はい。もうちょっと詰めても良さそうでしたが……また詳細は後日にしましょうか」

 

 話が大体纏まった頃にはもう日が暮れ始めており、長い間会議を行っていた事が伺えた。概ね要望の通った話し合いが出来たシュテンとエンペラーは満足がいった様子であり、龍門に戻った際には飲みに行く予定も立てていた所で、ケルシーから声が掛かる。

 

「ミスターエンペラー、一つ質問がありました。そちらにいるミスターシュテンは依頼を受けて下さるのですか?」

「……先生?」

「あ? 何言ってんだ。シュテンは現場管理に必須の人材だから余程依頼で外に出る事はねえよ。……ウチの社員の実力なら問題ねえから安心しろ。明日にでも顔合わせに来させるからよ」

「あぁいえ、そういう心配では無いのですが──」

 

 エンペラーの返答が気に召さなかったのか、ケルシーは首を横に振り、そして──

 

「──あの極東の忌み子である酒呑童子が戦場に居ないなんて余りに滑稽な話だと思いませんか?」

「……何言ってるかサッパリだな。頭でもおかしくなったか?」

「一体彼が何人の同胞を殺したのかご存知ですか? 血も涙もないそのような殺人鬼を抱えているにも関わらず──」

 

 ──その瞬間であった。シュテンの瞳には獰猛な殺意が浮かび上がり、それに呼応して口元が大きく釣り上がる。殺せと騒ぐ鬼の血が彼の激情をマグマのように湧き上がらせた。

 目にも止まらぬ速さでシュテンが踏み込みながら、背負っていた大刀をギロチンの如く振り下ろす。耳を劈くほどの轟音と肌を刺す突風。エンペラーとアーミヤにも認識できないその攻撃は凡そ人に反応出来るものでは無かった。

 

 だがその攻撃に動き出していた者が1人だけいる。万が一に備えて隠れ続けていた赤いフードを被ったループスの女。その赤い影はまるで気配を感じさせない隠密性、そして稲妻のようにシュテンの元へ駆けるその脚力は手練の暗殺者そのもの。恐らくはケルシー個人が所持してる隠密に特化した殺し屋なのだろう。

 

 だが何者かがいた事を既に察していたシュテンにとって驚異にならない。

 

 首筋へ斬り掛かるループスに対し、それ以上の速度で大刀から離した片腕を伸ばし、ループスの首を掴む。慣性などまるで感じさせないほど振り下ろしていたはずの大刀はピタリと止まり、首を掴んでいた掌を万力のように締め上げた。

 

「がっ、ぐ!」

「レ、レッドさん!?」

 

 急速な展開にアーミヤの思考が追いついていない中で、ループスの女──レッドは首筋への攻撃を諦め、シュテンの腕を切り裂こうと短剣を握りしめ直したその瞬間、破砕音と共に床に投げつけられた。

 肺に溜まっていた空気が一瞬で抜け切り、内臓が負傷したのか胃液と生臭い鉄の匂いが口内から吐き出される。まるで衝突事故を起こした自動車のように、大きく陥没した金属製の床を見れば、その威力の高さを伺えた。

 もはや手足ですら激痛と痺れで動ける状態でも無いのをシュテンは一瞥して確認すると、そのまま投げ付けた勢いを利用して半身を捻り、ケルシーへと袈裟斬りを放つ。ケルシーの全身から異様な気配が立ち込めて熾烈な争いが予感される──その瞬間であった。

 

「止めろ、シュテン」

 

 エンペラーの静かな一声が聞こえた瞬間、シュテン袈裟斬りが当たる直前にピタリと止まる。恐らくその攻撃はケルシーが反撃するよりも遥かに速かったのだろう、僅かに彼女には冷や汗が浮かび上がっていた。

 

「……だがこいつは」

「俺が止めろと言ったんだ。二度は言わせるんじゃねえ」

「──チッ」

 

 一瞬にして大刀を仕舞うと、シュテンは何も無かったかのようにエンペラーの横に立つ。アーミヤもいきなりの展開に腰を抜かしてしゃがみこんでおり、ケルシーもまた、レッドへと駆け寄って治療の手配と症状の確認を行っていた。

 

「おいケルシー嬢。ウチのシュテンの事を知ってる風な口振りだが、なんの事だか俺には分からねえし関係ない事だ。……とは言えこれでもウチの秘蔵っ子何でな。煽っても殺されない大層な自信があったみたいだが調子に乗りすぎだ、好奇心は猫をも殺すぜ」

「……あぁ、そうだな。申し訳ない」

「……だがシュテンもそちらの私兵を当分使えなくさせちゃったみたいだからな、オアイコって事にしといてやるよ」

 

 ゴタゴタしたけど契約はそのままで頼むぜ──そう言ってエンペラーとシュテンが去って行った数分後、会議場に医療班が到着。レッドが緊急治療室に運ばれていく中、漸く現状把握に務めるアーミヤの姿が見られた。

 

「ケルシー先生、シュテンさんは一体何者なんですか……?」

「忌み子の酒呑童子。大昔の逸話みたいなものだ。極東の情報は基本的に他所に流れることがない程に排他的な地域だからな。特に酒呑童子となると禁忌に等しい程言論統制が取られている物だ。今では極東生まれでも知らない奴の方が多いだろう。……私も半信半疑だったんだが、カマをかけてみたらこのザマとは。下準備がなければ勝てる相手では無さそうだ」

「さっきも言ってましたがその忌み子の酒呑童子って……?」

「私も詳しくは知らない。ただあの強さは研究の結晶であり、それを良いように使われた一人の男が、極東の殺人鬼になったとしかな」

 

 シュテンがロドスに来たその時から、ケルシーの中に棲まう化け物が警鐘を鳴らし続けていた。──自身を殺す事の出来る実力を持つ相手。一度も経験したことの無い事態だからこそ気付けた事実なのだとケルシーは思い返す。

 

「アーミヤ、ペンギン急便との提携は確実に遂行する為に優先項目にする。破棄で流れるなんて事は決して無いように積極的なアプローチを頼む」

「しかしケルシー先生。シュテンさんがあの様子でも大丈夫何でしょうか? それにロドスに危険があるようならば──」

「その心配は不要だ。どういう事情があるか分からないが少なくとも上の指示に逆らう様子は無かった。無下にしなければロドスの敵になることはないだろう。──むしろあの力が戦場に放たれれば、戦況は一気に変わる程の爆薬だ。少なくとも監視下にいてもらわないと危険過ぎる」

「……分かりました。ではペンギン急便との提携を進めてしていく為にも、今回の件の謝罪含めて一度顔合わせに向かおうと思います」

「あぁ、済まないがよろしく頼む」

 

 この一件が吉と出るか凶と出るかはケルシーをもってしても分かるものでは無い。だが、自身の進めていく計画の主核となる存在なのだと直感が告げていた。

 

 

 

 

 

 ロドスから龍門へと帰る道中、少し不機嫌そうなシュテンは行きよりも更に速度を出しながら帰路に就く。

 

「……悪かったな、思わず身体が動いた」

「やっぱりお前の方が鳥頭だな。その自分の過去と仲間の事になると我を忘れるのをなんとかしろよ」

「嗚呼、そうなんだが実際に起きると中々な……。己の未熟さを痛感する」

 

 バツの悪そうな顔をしながら頭を搔くシュテン。かくいうエンペラーもあまり機嫌が宜しくない為か、お気に入りの葉巻を咥えて一服する。紫煙と共に独特の匂いが車内を包み込んだ。

 

「ふー……生き返るぜ。しかしあまり力を見せるなよ。お前はウチのリーサルウェポンである上に、目立ち過ぎると正体がバレる可能性があるからな」

「……分かっている。だがあの女は一目見て俺の実力を見抜いていた。理屈は知らんがな」

「……そこまでの奴だったか」

「そこまでの奴だ。あのまま殺りあっても最悪相打ちになる程にな」

 

 故にシュテンは思う。あの一連のやり取りはケルシーが故意に招いた結果なのだろうと。

 しかし彼女にも誤算だったのがシュテンの実力が想定より遥かに上回っていた事。更には突発的な計画で下準備が足りなかった事。

 事前にシュテンの存在を暴いていたのならばやられていたのは彼の方であり、酒呑童子という存在がペンギン急便への致命的な脅迫材料になっていただろう。

 それこそ、ロドスの傘下に入らなければならなくなる程に。

 

「平和や友好なんて並べても結局は武力がものを言う世界だ。俺が捕まったり死んでたりすれば幾らでも屁理屈を並べてペンギン急便をロドスの傘下に取り込んだだろう。血を調査すれば真実なんてすぐ分かる。下手すれば極東ですら手中に収められたかもな。……まぁ俺が手を出さなきゃそこまで無かった──と言いたいが、あれだけの女だ。有り得ん」

「その時はその時で何かしらのアプローチを仕掛けてきたかも知れねえと。ファッキンな女だ」

「嗚呼、第一あれだけペンギン急便に有利な契約を進めてながらも、ケルシーの奴が口を出したのは二回だけだ。未熟なアーミヤならまだしも、幾ら煙に巻いた所でアイツを騙せるとは思えん。……恐らくはその時点で契約をひっくり返す手を計画していたのだろう」

 

 だがペンギン急便は決定的な証拠を掴ませずにロドスに対して武力が示した。それも人数差をものともしない程の強力な刃を。だからこそ、これでペンギン急便とロドスは対等の立場になれたと言うべきだろう。そしてロドスには必ずペンギン急便の力と立場が龍門攻略の為に必要となる。

 鴨が葱を背負って来たと思えば、来たのは巨大な鷲。例え法外な対価であろうとも、最早ロドスには支払う以外に選択肢は無かった。

 

「ロドスはウチの顔色を伺いに挨拶に来るだろう。その時には更に報酬額を上乗せしつつ正式な契約に強行していくぞ。何、ロドスには拒否権などは無いさ」

「……お前はホントに鬼だな。いやオニだけどよ。鬼すぎんだろ。人の心ってもんがないのか?」

「嗚呼、オニだからな」

「あーそうか。じゃあしゃーねえ。貰えるだけ貰うしかねえな」

 

 一通り話し終えた所で、シュテンはエンペラーの葉巻の一本奪い取り、端部を爪で両断して吸口を作る。葉巻を加えたまま、今度はエンペラーから金属製のオイルライターを強奪して着火した。

 

「俺の秘蔵だぞ。なんか一言言ってから持ってけよ、嘗めてんのか?」

「皇帝を舐めるなんて気持ち悪い事言うんじゃねえ。一本貰うぞ」

「字がちげーだろうが。……つーかお前吸うの止めたんじゃねぇのか。それに元々吸ってたのも煙管だろ。モスティマに文句言われて止めたヘタレの癖によ」

「……何、今日だけだ。吸わないとやってられん」

「あーあ、モスティマに教えてやろ」

「止めろ、唐揚げにするぞ」

 

 そんな他愛もない会話を繰り返しながら、二人は龍門へと戻り、バーを渡り歩いて朝まで飲んでいた。

 連絡を入れるのも忘れて四人から怒られたのは言うまでもない。




本作品のケルシー先生はロドスの為なら他者を踏み台にする事を厭わない設定にしました。内と外を完全に切り離して考えるタイプです。シュテンと似た者同士ですね。
また、ケルシー先生のMon3trには気付きましたが、アーミヤの封印された指輪については感じ取れなかった模様。


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9月29日

 クロワッサンにとって、ペンギン急便とは何かと問われたら、大切な仲間であると断言出来る。モスティマやエクシアのように複雑な事情を抱えていなくても、ペンギン急便で働いた日々はかけがえのないものだ。

 だからこそ、今のこの瞬間の出来事も彼女にとっては大切な事なのだろう。数ヶ月に一度の頻度で行われる一大イベント。それは──

 

「よーし、皆来てくれはったな! 今日こそシュテンはんのプライベートを暴いてみせるで!」

 

 ──シュテンへのストーキング行為であった。

 

「あぁ、今回こそはシュテンの全てを暴いてやる」

「……ふあぁー……幾ら何でも早すぎじゃない……?」

「やっぱり良くないよ、こう言うのは……」

 

 一番鶏が鳴くよりもまだ早い夜明け方。お日様でさえ起きたばかりのそんな早朝に、ペンギン急便の四人娘が集合している。

 やる気満々のクロワッサンとテキサスに、まだ眠たげなエクシア。ソラも集まりはしたものの、あまり乗り気では無いようで咎めるような口調で話していた。

 

「減るもんじゃないしええやろ。もう何回もやってる事やし! ソラはんだって興味津々なのバレバレやで?」

「……うっ、確かにそうだけど……!」

「シュテンは怒らないから心配要らないぞ。私が保証する」

「……なんでテキサスさんが保証するのかよく分からないけど、そう言うのなら……」

「ぐぅ……」

「寝るな、エクシア」

 

 渋々と言った表情でソラは作戦に参加する事を決意。信頼し切っているテキサスの言葉だからなのだろうが、シュテンが絡むテキサスの発言ほど信用出来る筈がない。

 エクシアに至っては眠気に勝てないようで器用に立ちながら寝てたものの、テキサスに頭部をぶっ叩かれて無理矢理に起こされた。不憫である。

 

 今日はペンギン急便の定休日であり、社員全員が休暇となっている状態。それはエンペラーやシュテンも例外では無い為、前夜はパーティナイトを楽しむのが定例であった。

 そう言う日は住処を持っているシュテンも、自動車通勤である為にペンギン急便の宿舎に泊まっていく。交通ルールを守るのは運転手の義務だ──とシュテンの談。

 元々愉快な四人が住んでいる場所ではあるが、空き部屋は十分にあり、様々な共用スペースがあってもシュテンならば特に大きな問題は無い。

 泥酔した振りをして介抱して貰おうとする定例のテキサスも程々に、四人は口裏を合わせてあまり酔いもせずに早朝に目覚める約束をした。

 

 そして現在に至る。シュテンが目覚めるよりも早くに外出しておく事で、まだ、熟睡していると思わせる作戦。前回は熟睡した振りをして部屋にいる作戦だったが、エクシアが実際に熟睡しており、見事失敗に終わった為に切り替えたのだ。

 

 そして待つ事3時間後。雑談やゲームで時間を潰すのも飽きて、クロワッサンでさえも帰ろうと思っていたその時、宿舎の扉が開いてシュテンが出てきた。

 プライベート故かいつもより和服寄りの服装でありながら、全体的にゆったりとしている。鮮やかな赤色と白色で描かれた渦の文様がシュテンの存在感を大きく示していた。

 

 格好いい──そんな事を考えながら瞳を奪われたテキサス。そんな事は露知らず、シュテンは懐から携帯電話を取り出すと、操作を始める。

僅かに一分にも満たない時間であったが、その瞬間、ソラの携帯電話が小さく震えてメール着信の表示が出てきた。

 マナーモードにしておいて良かったと一息吐き、皆と視線を合わせて頷いた後、携帯電話を開いた。

 

『おはよう。朝食は作っておいたから目覚めたらみんなを起こして食べるといい。俺は先に出掛けてくる』

 

「う……!」

 

 余りにも眩し過ぎる善意にソラの心がチクチクと痛む。身を案じてくれてるシュテンに対し、こちらは四人がかりで謀るどころかプライベートを暴こうとしているのだ。

 恩を仇で返すとはまさにこの事。直ぐにでも止めた方がいいと顔を上げたソラだったが、その時のクロワッサンが意外にも苦悩する表情を浮かべていた。

 

「うーん、これは諦めた方がええかもしれへん……」

「ク、クロワッサン……!」

 

 まさかクロワッサンからそんな言葉が聞けるとは思っていなかったのか、ソラは感激のあまりキラキラとした眼差しを向ける。流石にシュテンの優しさが心に染みたのだろうと喜びを顕にしようとした、その時だった。

 

「だってシュテンはんの手料理を放置して出掛けるんやで? そんなの考えられへんやろ! 急いで戻るで! 出来たてのご飯と善は急げや!」

「えぇ……そっち? そっちで悩んでたの……?」

「……シュテンが車に乗った。ほら、急いで追いかけるぞ」

「あぁぁぁ……シュテンはんの貴重な朝食が…」

 

 グダグダと揉めている内にシュテンが車に乗り込み、エンジンを掛け始める。このままでは見失うとテキサスは放心してるソラ、悔やんでいるクロワッサン、寝惚けているエクシアを押し込むようにして車両に詰め込んで、シュテンを追い掛けた。

 

 着いた先はやはりと言うべきか、シュテンの自宅となるとある高層マンションであった。思わず見上げても最上階が見えない程の超高層。繁華街の中心地とも言えるそんな一等地に住んでるとはソラも思わなかったようで、口を開けたまま呆然と見上げていた。

 

「はぁー……シュテンさんってお金持ちなんですね……」

「最初見たらそうなるよね。あたしも連れてかれた時驚いたもん」

「ウチらの給料じゃ住もー思っても、趣味に使う余裕があらへんやろうなぁ……」

 

 そのお金の出処がどこからなのか、はたまた元々お金持ちなのか。それは四人とも把握していない事だった為、必要以上の事を語らずに、荷物を置きに行ったであろうシュテンを待ち続ける。

 それは意外にも短く十分もしない内にシュテンは入口の自動ドアから出てきた。──隣に龍門近衛局の特別督察隊隊長、チェンを連れて。

 

『なっ──!?』

「こ、これはスクープやで!」

「え、え? あの隣の女性は誰なんですか?」

 

 天才の名を冠するに相応しい女性、チェン。若くも警官として多くの組織や暴徒の犯罪、違法を解決し、犯罪率と死傷者数を大きく減少させた。

 この巨大な都市の中で、最年少で特別督察隊隊長と言う立場に居ることを鑑みればその優秀さは語らずとも分かるだろう。

 仕事一筋とも言える堅物のチェンが、あのシュテンと共に歩いている。決してペンギン急便と龍門近衛局の仲は良いと言えないにも関わらず、だ。

 エクシアとテキサスが衝撃の余りに固まり、クロワッサンはまさかの展開に興奮を隠し得ない。ただ一人、ソラはチェンの名前しか知らない為に置いてけぼりとなっていた。

 

「あの人はチェンって言って……まぁ警察のお偉いさんみたいなものだ」

「はぁぁ……なるほど。でもなんでそんな人がシュテンさんと?」

「私が知りたいくらいだ」

 

 ピリピリとした雰囲気を纏い出したテキサスに思わずソラもたじろいでしまう。車内から四人もの人達が一箇所を見つめているのは中々シュールな光景で目立っていたものの、周囲を気にする余裕もないようだった。

 

 程よく離れた距離感から男女の関係は感じさせないものの、堅苦しい事で有名なチェンが薄く笑みを浮かべたりしてる辺り、親しさは感じているのだろう。

 そんな時だった。チェンの視線がペンギン急便の車両へと移る。その位置からではスモークで車内は見えない筈であるが、彼女の視線は動くことはない。

 

「え、何? もしかしてバレたの?」

「……そんな事はない筈だが……」

「でもめっちゃ見とるで?」

「やっぱりこんな事やらなかった方が……」

 

 慌てる三人と悔やむ一人。最早今更どうにもする事は出来ない四人はただ成り行きを見守るしかない。

 だが幸運にもチェンの視線はペンギン急便の車両から離れ、再びシュテンの方へと向く。ホッと安心した様子で息を吐くのも束の間、他愛ないを再び始めたチェンはシュテンから携帯電話を受け取る。

 そしてシュテンの腕を取るようにして密着し、二人の顔が写るように写真を撮った。所謂自撮りである。

 

「──ッ!」

 

 テキサスの顔は見てはいけないくらいの形相となっていたが、誰もが二人の動向が気になって気づく事は無かった。

 そして直ぐに腕から離れたチェンは携帯電話を操作して何やら企んでいるようだったが、その答えはすぐに分かる。何故ならば全員の携帯電話にメールが届いたのだから。

 

『件名:デート』

 

 シンプル且つ破壊力抜群な一言と写真を添えて、メールを全員に送信したのだ。流石にテキサスどころかエクシアも面白くなさそうな表情をしていたものの、逆にクロワッサンは面白いネタが出来たと狂喜乱舞していた。

 携帯電話を返されたシュテンはチラリとデータやメール内容を見ると、やり過ぎだと言わんばかりにチェンの頭を小突いた。

 その後も少し会話した後、二人は別の方向へと歩いていく。どうやら一緒に行動する訳では無かった事に安心と残念な気持ちを抱えた四人。急いで車両を駐車場に停めると、歩いていくシュテンの後を追い掛けた。

 

 

 

 まずシュテンが最初に向かった先は、意外にも有名なラグジュアリーショップだった。コンサバティブなファッションと言うよりも、基本的に極東の意匠を凝らした着こなしばかりのシュテンにとって、縁遠いと言えるそんなお店。

 

「……誰かにプレゼントなんかな?」

「そうなると私だな、間違いない」

「……なんか最近のテキサスってブレーキペダルがぶっ壊れてるよね」

「あ、あはは……」

 

 とは言え彼女達にはそのような話やイベント事は特に聞いた記憶にない。となるとやはり四人の知らない内容なのだろうと推測をつけた。

 

「彼女はんにプレゼントとか? 聞いたことあらへんけど」

「だから! 私だと! 言ってるだろう!」

「ちょっとテキサス、声が大きいって!」

「テ、テキサスさん、落ち着いて……」

 

 クールで無口な大人の女性。そんなイメージのテキサスは今や面影も無く。二人から口元を手で覆われて喋られない状態となっていた。

 そんなこんなとゴタゴタとしている内に、小さな手提げ袋を携えてシュテンが出てくる。素早い退店を見るに元々予約していた品を受け取っただけなのだろう。

 

「よし、じゃあ私はプレゼントを受け取ってくるから解散だ」

「い、いやいやいや! ここまで来てパーになるのは流石に勘弁やで!!」

「テキサスさんが……あたしの中のテキサスさんが……」

 

 阿鼻叫喚と言う状況になりながらも、そんな事には気が付かないシュテンはどんどん進んでいってしまう。クロワッサンが気合を入れて纏めあげた事により、なんとかチーム崩壊せずに済んだ一同は後をつけていった。

 もしかしたらそのプレゼントの渡す相手でも出てくるのか──そんな期待を胸にクロワッサンは監視を続ける。

 

 シュテンが新たに着いた先は賑わうオープンテラスのカフェ。ほとんどの座席が埋まる程の人気の場所で、シュテンは周囲を見渡す。

 

「やっぱ誰かと待ち合わせちゃうんか?」

「ない、それは絶対にない」

「なんでテキサスが断言してるのさ……」

 

 そしてひとつの座席を見つけた途端、そちらへと歩き出した。迷うこと無く一直線に向かった先にいたのは、見目麗しい女性──ではなく、大柄のフォルテの男。はち切れんばかりの胸板でありながら、見るに高そうなスーツを見事に着こなす姿は只者では無いオーラを誰もが感じるだろう。

 

「……え? まさかそっち? そっち系なん? シュテンはんって……え?」

「それは穿ち過ぎだよ、ただの知人だって。テキサスさんもそう思いますよね?」

「……私が今から鍛えればあそこまでビルドアップ出来るか? いや、そもそも性転換からしなければ……くっ!」

「やっぱり最近のテキサスおかしいよね!? あたしツッコミ役じゃなかったと思うんだけど!?」

 

 ワーワーキャーキャー騒ぐ姦しい少女達は他所に、畏まった様子で頭を下げたシュテンは、フォルテの男の正面へと腰掛ける。身振り手振りからその男の豪快さを伺えたものの、何を話しているかまでは四人にはまるで伝わらなかった。

 

「……誰か読唇術とか使えないのか?」

「あ、ウチなら出来るで。えーっと待ってな……ふむ……あ、い、し、て、る。……愛してるってシュテンはんが言ってはるで!」

「だからそう言うのは止めてってば! テキサスさんがおかしくなっちゃうでしょ!?」

「……私がそんな戯言を信じる訳が無いだろう。だが運動不足だな、ちょっと走り込んでくる」

「あーはいはい。もう分かったから。大人しくしてようねー」

 

 何がなんでも恋愛事に繋げたいクロワッサンとシュテンの事で頭がバカになっているテキサス。その二人のせいで普段はお調子者のエクシアも疲れた顔をしており、ソラに至っては珍しく大きな声を上げてしまうほどだ。

 シュテンが座席に着いて1時間が経過した頃、待ちぼうけもなんだと遠くのテーブルからジュースを飲みながら覗き見ていた四人。尽きることの無いガールズトークに花を咲かせていると、会話を終えたシュテンが立ち上がる。礼儀正しくお辞儀をして去っていく姿を見送るとその手には未だ手提げ袋が握られていた。

 

「……結局違ったようだな」

「あれま、ほんなら誰に渡すんやろ?」

 

 慌てて席を立つようにして追い掛け始める四人。その姿を遠くから眺めているフォルテの男の視線に誰一人として気が付くことは無かった。

 

 

 その後は街の中の様子を見る為に軽く散策をした後、一人だと食事は適当なのか、シュテンは携帯食で簡単に済ませてしまう。その姿を遠くから覗き込み、携帯食を食べて移動する四人の姿は些かシュールであった。

 

 いつもならとっくに見つかっている時間なのに、今日はシュテンにバレることも無い為、そのままストーキングを続けていく。ペットショップで餌を大量に買ったかと思えば、路地裏の廃墟となっている場所で多頭の猫を可愛がっていたり。何やら怪しげな店構えの探偵事務所に顔を出して直ぐに出てきたり。武器屋に入って手に入れた特注であろう極東独特の鉄扇を、嬉しそうに振り回していたのは意外な一面であった。

 最初の一緒にいたチェンとラグジュアリーショップ以外は特に大きな出来事も無く、クロワッサンは少々飽きを感じ始めていた。なんとも身勝手である。

 

 そんな時であった。人気の無い路地を歩いているシュテンの前から、明らかに一般人とは違う風貌をした男共の姿が現れる。黒ずくめのスーツを着こなしているが、少しヨレやシワがある事からビジネスマンには到底見えない。

 それどころか、手には得物を持っているのだから以ての外だろう。

 

「あれって……この前仕事の時にぶっ飛ばしたマフィアじゃない?」

「あぁ……多分な」

 

 エクシアとテキサスには彼らに見覚えがあった。以前の配達中、抗争に巻き込まれた時のマフィア達である。何処からシュテンの情報を得たのかは謎であるものの、ペンギン急便への報復としてトランスポーター以外を狙ったのだろう。

 男達は通路を塞ぐようにして広がっていき、仕舞いにはシュテンを取り囲むようにして包囲する。

その中でも恐らくはリーダー格なのであろう男が正面に立ち、物凄い怒号と共に怒りを顕にしていた。

 

「助けた方がいいんじゃないの?」

「うーん、でもシュテンはんはアレやで。たまーに絡まれるの見るけど、ウチらよりエグいから大丈夫なんちゃうん?」

「で、でもこの前は皆より劣るって……」

「んー、まぁ見れば分かるよ、大丈夫だって。ほら」

 

 クロワッサンとエクシアに諭されるようにしてソラが視線を向け直すと、そこには嬉しそうに鉄扇を広げて見せびらかしているシュテンがいた。孤立無援の四面楚歌の中、まるで物怖じしないシュテンの姿に苛立ちを感じたリーダー格の男は顔を真っ赤に染めて、口を開こうとする。

 その瞬間、シュテンがゆっくりと上にあげていた鉄扇を器用に折り畳み──脳天へと勢い良く振り下ろした。

 一瞬にして地面へキスをして意識を手放した男。そんな様子をシュテンは一切視界にも入れずに、歪みもしない鉄扇の頑丈さに感動を覚えている。

 当然そんな一撃を喰らわせば抗争は免れない。素早く臨戦態勢へ切り替わった男達はバットやナイフを構えて今にも飛び掛かる──よりも早く、シュテンは意識を失っている男を持ち上げて盾にし、振り回しては暴れまくった。

 

「……相変わらずえげつないわぁ……」

「……確かに……必要ないね……」

 

 その姿はさながら小さな台風。リーダー格の男を傷付ける訳にはいかない男達に最早為す術もない。バタバタと次から次へとなぎ倒していき、全員を戦闘不能にまで追いやった後、血塗れで意識を失っている人型の武器を投げ捨てて、シュテンは去っていった。

 

 匿名で警察に通報した四人はそのままシュテンを追い掛け続けていく。だがその後は特にこれと言った事はなく、ただただ歩いていたり、道行く龍門近衛局員に話し掛けていたり、偶然会ったお得意様の客と他愛ない会話をしたり──特に彼女達が求めるものは無かった。

 

 日も暮れ始め、そろそろ解散かなぁと一同が思い始めた頃。ベンチに腰掛けてシュテンは携帯電話を取り出すと、何処かに連絡を取り始める。

 まさか遂に本命が──と期待に胸を膨らませたクロワッサン。その彼女の携帯電話が着信のバイブレーションを告げていた。

 取り出して名前を確認してみると、そこにはシュテンの文字。全員で顔を見合わせた後、意を決してクロワッサンは通話を繋げる。

 

「もしもし、どったの?」

『何、そろそろスパイごっこも飽きた頃かなと思ったから電話してやっただけだ』

「……!? な、何の事かさっぱりやなぁ。ウチは宿舎でシュテンの朝御飯を食べた後、ダラダラしてるだけやで?」

『嗚呼、成程。ちなみに朝食の連絡は嘘だ、何も作っていない。……はて、本当に宿舎に居るなら連絡の一つはあったと思うんだがな』

「……あ、あはは。冗談やって冗談! 無いのは気付いたわ! ちょっと嫌味で言うただけやん!」

『……さて、俺が怒る前に五秒以内に出てこいよー。ごー、よん、さーん──』

「──みんな、急ぐで!」

 

 最早言い訳に意味など持たないと早々に判断し、慌てて通話を切って飛び出してクロワッサンに、何事かと思いつつもある程度を察した全員が付いて行く。

 シュテンは不遜な態度で肘をついて待っている。息を切らしながら慌てて駆け寄ったクロワッサンが膝に手を当てて、息も絶え絶えにシュテンを見上げて言い放つ。

 

「はぁ、はぁ……今、何秒!?」

「ん? ……嗚呼、もう数えてなかったから気にするな」

「んな、な、走る事なかったやん……!」

 

 ショックを受けたように地面に手をついているクロワッサンを後目に、後から余裕そうな到着してきた三人は不思議そうな表情を浮かべて問い掛ける。

 

「えーっと……シュテンはいつから気づいてたの?」

「なんだ、もう答え合わせの時間なのか?」

「ええーっと、すみません。全然分からなかったので教えて貰えますか?」

「昨日の夜の時点で疑っていた。余り酔ってなかった上にエクシアとテキサスが部屋にまで絡みに来なかったからな」

「エクシア……」

「だって沢山飲んだら前みたいに寝ちゃうんだから仕方ないって。それにテキサスもでしょ」

 

 何とも醜い擦り付け合いを他所にシュテンは言葉を続ける。

 

「確信したのはソラに送ったメールだな。クロワッサンにも言ったがあれは嘘だ。どう考えてもお前達の気配を感じなかったから朝食を作った体で送ってみたんだが、案の定律儀なソラはメールを返してくれたからな。美味しく頂きましたって」

『ソラ……』

「え!? あたし!? 皆で相談した返信なのにあたしのせいなの!?」

 

 何故かエクシアとテキサスからジト目で見つめられる。ソラ自身はなにも悪いことをしていない筈なのに何故責められるのか全く理解出来ていなかった。

 

「じゃあなんで最初の時点で言わなかったんですか? わざわざこんな夕方まで……」

「その方が都合が良かったからだ。特に見られて困る事も無かったからな」

「……都合? それって──」

「──そうだ、シュテン。今朝一緒に出てきたあの女はなんなんだ? その後に会っていた大男もだ。お前はもしかしてあっち系か? あっち系なのか?」

 

 ソラの言葉をかぶせるようにして、テキサスはふと思い出した出来事を口にする。半分程何が言いたいのか全然分からなかったが、シュテンは溜息を吐きながら渋々と答えていく。

 

「チェンはたまたま会っただけだ。同じマンションに住んでいるだけで階も部屋も違う。……あのメールはお前らのせいで不審車両があると騒動になりそうだったから、一通り説明したら勝手に送り出したんだよ。大男も皇帝の付き合いのある会社のお偉いさんで仕事の話を軽くしただけだ」

「……ふ、そんな事だと思っていたぞ」

「いや、絶対思ってなかったでしょ……」

「──でもシュテンはん! あと一つあるやろ!」

 

 冷静さを手にしたテキサスがクールに表情を決めている中、先程まで倒れ込んでいたクロワッサンが勢い良く立ち上がってシュテンへと振り向く。

 ビシッと言う効果音が聞こえてきそうな程、勢い良く人差し指を突き出して言った。

 

「そこに置いてはる手提げ袋! 誰へのプレゼントやねん!」

 

 そう、シュテンの隣には最初に受け取っていた手提げ袋が未だに置かれていた。ラグジュアリーショップで購入していたのだから、洒落た貢物である事には間違いないとクロワッサンは指摘する。

 その指摘を受けて、これの事かとシュテンが手に持つ。

 

「白状した方が身の為やで!」

「ストーキングした奴の台詞か。──ほらよ、クロワッサン」

「……え?」

 

 軽く投げるようにして渡されたプレゼントにクロワッサンの思考が思わず止まる。まさか自分が相手だったとは思いもよらなかった為か、その戸惑う様は中々珍しくてシュテンも笑みを浮かべていた。

 

「今日はお前の誕生日だろ、忘れたのか?」

「……あ、あぁー! そう言えばそやったな! うっかりしてたわ!」

「既に仲間内で貰ってるだろうから直ぐに察すると思ったんだがな……」

『…………』

「え? クロワッサンの誕生日だったの? 言ってくれれば準備したのにー!」

「……誰からも貰ってないみたいだな」

 

 完全に忘れていた二人となれば新入社員のソラが知る由もない。自分だけでもちゃんと準備しておいて良かったなとシュテンはしみじみ思った。

 

「別に期待してた訳ちゃうからええけど……ね、開けてみてもええ?」

「嗚呼、好きにしろ」

 

 高鳴る胸の鼓動に急かされながら、クロワッサンが手提げ袋から取り出したのはラッピングのされた小さな箱。丁寧に解いていって箱の中身を取り出したクロワッサンの手にあったものは光り輝くネックレスだった。

 

「……シュテンはん趣味が悪いんちゃうんか?」

「お前の肉Tシャツよりは全然いいと思うがな」

 

 貴金属の白金で作られたペンギン。それもよく見るとシャツと帽子とグラサンで着飾っており、明らかにエンペラーをモデルにした製品だったのだ。

 

「要らんなら売っても構わんぞ。素材は一級品だからな」

「そんな事するはずないやん。……ね、付けてもらってもええ?」

「……別に良いが、どうした?」

「せっかくの誕生日やし、たまには甘えてもええかなーって」

 

 そう言ってネックレスがクロワッサンからシュテンへと手渡される。陽の光が当たるように持ち上げると美しく輝きを放つ白金のエンペラー。微妙な腹立たしさを感じる見事な造形美だと自画自賛した後、クロワッサンの首裏へと手を回してネックレスを取り付ける。

 鼻と鼻が触れ合うのではないかと言うくらいの距離。目の前にシュテンの顔が来るのは予想外だったようで、クロワッサンは少し顔を赤くしながら視線を横に逸らす。そこには凄い形相のループスがいたが気にしない。

 

「出来たぞ」

「ど、どうも。……あはは、やっぱこれダサいで」

「じゃあ私に寄越せ。今すぐに」

「それは無理な話やで。……でもあんがとな、シュテンはん」

「気にするな。家族(なかま)だろう。……さて行くか」

 

 そう言ってシュテンが先導して歩いていき、なんの事かとキョトンとした顔をする彼女達に振り返ってた。

 

「クロワッサンの誕生日だからディナーくらい奢ってやる。と言うより既に予約してエンペラーが待ってるくらいだ。早く行くぞ」

「流石はシュテンはん! 太っ腹やなぁ!」

 

 スタスタとシュテンが先に進んでいく後ろで、クロワッサンの元へと彼女達が集まって賑やかに騒ぎ始める。

 

「だから夕方の方が都合いいって事だったんですね。最初にプレゼントを持っていたのもあたし達が途中で飽きないように付いて来させる作戦って事なのかな……?」

「あー確かに。シュテンなら有り得るかも。……でも良かったね、プレゼント貰えて。……あたしからはまた今度ね!」

「ウチですら既に忘れとったくらいやから、そんな気にせんでええよ。……でもほら見てみ、これ。ボスやでボス。ダサいやろ?」

 

 そう言ってクロワッサンは見せびらかすようにネックレスをエクシアとソラの眼前に突き出す。じっくりと視認した二人は納得の表情を浮かべて苦笑いをしていた。

 

「私なら一生の宝物なんだがな」

「……何言うてはるんテキサスはん」

 

 ドヤ顔で告げてくるテキサスに対し、呆れたような表情を見せてからクロワッサンは告げる。

 

「そんなんウチにとっても宝物に決まっとるやんか!」

 

 それは今日と言うかけがえの無い日を含めて。

 彼女の浮かべた笑顔は、今日一番の喜びを表したものであった。




言うほどメインでなかったけどクロワッサンのお話。
幻像黒兎さんの私服イラストだと一番可愛く見えますね。


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少女は非力を嘆き、鬼を縋る

ソラのお話。
書きたい事を書いていたら20000文字超えていたので分割しました。


「あたしに戦い方を教えてください!」

 

 仕事終わりのペンギン急便。他のトランスポーター達が帰った拠点には、後片付けをしていたシュテンと清掃をするソラの二人が残っていた。大概は最後まで残っているのはシュテン一人であった為、珍しい組み合わせであったが彼は気にせずに片付けを始める。

 翌日の準備まで大体の事が終わり、後は帰宅するだけ──そんな時にソラから突然大きな声で言われたのだ。

 

「……急にどうした?」

「その、前々から思ってたんですけど、あたしってあまり戦闘だとあまり役に立たなくて……」

「歌にアーツを乗せて後方支援、だったか。確かに前衛で戦うには向いてないかもしれんが、報告書を見る限りはそんな事は無いぞ?」

 

 自身の力不足にコンプレックスを抱いているソラ。トランスポーターと言ってもペンギン急便では特に戦闘力が求められる為、後方支援一択の彼女にとって、悩みの種となるのは当然とも言えた。

 しかしながらも普段からシュテンが受け取っている報告書にはソラの後方支援の能力には一定の活躍が見受けられる。現にテーブルに戻って資料を漁るシュテンの目にも問題らしい部分は無かった。

 

「確かに皆はそう言ってくれるんですけど、でも守られてばっかりって言うのも嫌で……」

「なるほどな。でもそれなら俺よりも他のメンバーに頼んだ方が都合が良いと思うぞ。現場で直に接した方が指導も捗る」

「頼んでみても、ソラは戦わなくて良い、の一点張りで……」

「嗚呼、成程。それで俺に頼った訳か」

 

 申し訳なさそうにコクリと頷くソラに対し、シュテンは顎に手を当てて思考する。

 ──ソラの身体能力を評価するならば、一般人の域を超えることを無い。だがアイドルなだけあって運動神経は目を見張るものもあるし、学習能力の高さも伺える。しかしながら、事務所に管理されたアイドル。下手な怪我や筋肉が付くような事態は認められないだろう。

 詰まるところ、アイドルと言う立場があるからこそ前線に立つ事が認められず、それを懸念した仲間達が戦い方を教える事がないのだと推測できた。

 

「……強さは一朝一夕で何とかなるものじゃないし、ソラの立場を考えると戦うのはお勧めしないな」

「で、でも……!」

「──だが、万が一という事もある。護身の術くらいは身に付けておいた方が良いかもな。……どうだ?」

「──ッ! はい、お願いします!」

 

 まさか指導してくれるとは思わなかったソラは俯いていた顔を上げて嬉しそうに返事をする。

 

「じゃあ……そうだな。ここでやる事も限られるし、俺の部屋にでも行くか」

「……え?」

 

 その直後、さも当然のように言い放った言葉にソラが硬直してしまったのは言うまでもない。

 

 

 

「お、お邪魔しまーす……」

 

 結局流されるがままに車に乗せられてシュテンの部屋に上がってしまったソラ。緊張のあまりに道中の事を全く覚えていないが、失礼な事は言っていなかった……はずである。

 マンションと言う建物故か、極東で言うところの和風を混ぜた和モダンな内装で仕立て上げられていた。イメージ通りに部屋も綺麗に片付いており、普段から手入れがなされているのが感じられる。

 

「……いつまでも立ってないで、ソファにでも腰掛けててくれ」

「ふ、ふぁい!」

「嗚呼、まだ緊張してるのか。上司の家だからって気にする事はないぞ」

 

 全然そういう事じゃないんですけど──なんて突っ込みをする余裕も無く、ソラは手と足を一緒に出しながらなんとか進み、ソファに座り込むことが出来た。

 シュテンは長い髪を後ろで纏めながら、キッチンへと移動する。そして冷蔵庫の中身を確認してソラに問い掛けた。

 

「……有り合わせのものでも良ければ夕食を作るが良いか?」

「いえいえ、そんな! そこまでして頂く訳には……」

「遠慮するな、アイツらならタッパーに詰めてでも持って帰るぞ」

「あ、あはは……じゃあ折角なので頂きます」

 

 お手伝いしますね、とソラも台所へと立ってシュテンの料理のサポートを始める。他の三人よりも遥かに常識人で良い子なソラに、シュテンは思わず感動すら覚えた。

 そんな中、シュテンは本来の目的である護身術について話を進めていく。

 

「護身術を教えるって言っても体術で撃退とかじゃ無いからな。飽くまで危険になる状況を避けるのが目的で戦うことじゃない」

「……最悪逃げるのも手って事ですか?」

「そうだ、頭が良いな。一番足手まといになるのは敵に捕まって人質になってしまう事だ。……とは言え護衛を兼ねて移送となると、そうも言ってられない事もある。そういう場合や身の危険を感じた際に咄嗟に凌ぐ術を教えてやる」

「つまり危機脱出の必殺技な訳ですね!」

「必殺は龍門じゃ禁止されてるけどな」

 

 そんな会話を続けている内に料理も出来上がり、皿に盛り付けて完成。二人でテーブルを囲みながら着席すると、芳ばしい香りが鼻腔を擽った。

 口内に思わず出てくる唾液を嚥下しながら、ソラは両掌を合わせる。

 

「いただきまーす! シュテンさんって料理上手ですよね。どこかの飲食店で働いてた経験でもあるんですか?」

「いや、無理矢理覚えさせられただけだ。ここに居座っていた居候にな」

「居候……。もしかしてモスティマさんの事ですか?」

「……成程。口の軽い奴らだな。そうだ、モスティマの事だ」

 

 料理に舌鼓を打ちながらソラはシュテンへと問い掛けると、出てきた居候と言う言葉。以前仲間達に聞いたモスティマなる女性と同棲していた、と言うことを思い出す。

 ソラが彼女の名前を口にすると、一瞬、動きを止めたシュテン。その過去を教えた記憶も無いのにソラが口にした事を疑問に思ったのも束の間、大体の推測がついたシュテンは溜息を吐いた。

 

「……良かったらシュテンさんとモスティマさんの事について教えてもらいたいんですけど」

「特訓が終わったら考えてやるよ」

「えー、それって教えてくれないパターンじゃないですか」

 

 そんな会話もしつつ、食事を終えた二人は後片付けをし終えてソファで一服する。先程までの緊張具合はどこに行ったのやら、今は老夫婦の一時のような落ち着きを取り戻していた。

 

「たまにはこういう風にゆっくりする時間も良いですねー……いつもは帰ってから歌の練習ばかりなので……」

「トランスポーターをやりながらだと中々大変だろ」

「でも好きでやってる事なので全然平気ですよ」

「ソラは良い子だな、アイツらに見習わせてやりたいくらいだ」

「えへへ」

 

 テキサスへの執着さえなければ──と心の中で付け加えながら、本当にただの少女のような純粋さに驚く。とは言え、ペンギン急便のようなトランスポーターの仕事を普通であれば耐え切れるものではないのも事実。例えそれが僅かな期間であったとしてもだ。となればソラもまたどこかネジのぶっ壊れた部分があるのだろう。

 

「さて、休憩も挟んだ事だしそろそろ始めるとするか」

「はい。お願いします」

 

 そう言ってシュテンは隣の物置らしい部屋へと入ってゴソゴソと漁り始める。気になって思わずソラが覗き込んでは見たものの、薄暗くてよく分からなかったが、ただ綺麗に整理整頓された部屋に比べて多くの物が詰め込まれている事だけは確認できた。

 そしてシュテンは物置から取り出した幾つかの製品を机に並べて説明を始める。

 

「さっきも言った通り、強さは一朝一夕で身に付くものでは無い。だがそれは素手における護身術も同じだ」

「……それで道具、ですか?」

「素手より武器。武器に秀でてなければ道具を使った方が手っ取り早い。意外と面白いものが揃ってるぞ?」

「じゃあ……これとかなんです? 防犯ブザーにしか見えないんですけど」

 

 防犯ブザーと言うには少し大きめのペンギンの形をした金属製のケース。中央に大きなボタンとサイドに安全ピンが刺さっているだけの実にシンプルな代物だった。

 

「嗚呼、その通り防犯ブザーだ。ただ違法改造された、だがな。」

「防犯なのに違法……」

「……音の出力が自動車のクラクションの2倍に相当する程だ。基本的に投げて使う」

 

 余程の場面でもない限り襲撃者は目立つのを嫌う。ことを荒立てれば必然と目撃者も増え、龍門近衛局が加入してくる可能性が出てくるのだ、当然だとも言えよう。

 

「……普通の防犯ブザーじゃ駄目なんですか?」

「駄目だ。そんなものを気にしない奴らもいる。だがこのレベルの爆音だと、鬱陶しいを超えて耳が壊れるからな。対処せざるを得ない」

「それで投げてる間に逃げる訳ですか」

「それも手だがもう一つある。……俺も作らせただけだから詳しい原理は知らんが、安全ピンが抜かれる事で中の物質が混ざって化学反応を起こし、そこに衝撃を加える事で驚異的な爆発力を生み出す、らしい。──要は止めようとした奴が強い衝撃を与えた瞬間、死なない程度に痛めつけられるって訳だな」

「なんか突然凶器になりましたね。むしろこっちの方が違法要素強くないですか?」

「就労規則第二条、『 細かい事は気にするな』だ」

 

 想像を遥かに超える防犯力に思わず引いてしまうソラであったが、その実用性は確かに優れているのも事実。

 次にソラが手にしたのは、ちょっと大きめの携帯電話の形をした代物だった。

 

「じゃあこっちはなんですか? 見た目通りじゃないのは分かるんですけど」

「それは携帯電話機能を持ったスタンガンだな。巨躯のサルカズでも一撃で沈むくらいの凶悪な性能だ。使い方は簡単で電源をオフにしたままサイドのボタンを同時に押せばいい」

「確かに威力は凄いけど、さっきよりは普通の防犯グッズって感じなんですね……」

「後は音声入力でパスワードを言うと、携帯電話そのものが電気を帯びて触ってる奴を撃沈させる事も出来る。まぁその効果は携帯電話そのものが壊れるから一度きりだが」

「全然普通じゃなかったですね、ごめんなさい」

 

 それから幾つもの製品の説明を受け、触り、時には試したりと予想外にもソラは楽しい時間を過ごした。中には後方支援として使えそうな超高出力レーザーポインターやら簡易閃光弾などがあり、ソラが求めていたものに近いものある。

 気が付けば机の上に並んだ数だけでも十種類は超えるほどの道具が並ぶ。それらをソラは一通り見回した後、唸り声を上げながら頭を悩ませていた。

 

「うーん……この中から選ぶのもなかなか大変ですね……」

「何を言ってる? 全部持って帰っていいぞ」

「……え? 全部良いんですか?」

「嗚呼、俺には必要の無いものだからな」

 

 シュテン自身が特注で作り上げ、且つ結構な数にも関わらず、遠慮なくプレゼントしてしまう。思わずソラも戸惑うほどであった。

 

「……じゃあなんでこんなに沢山の道具が自宅にあるんです?」

「趣味だ」

「……趣味なのにあげちゃうんですか?」

「飽きたからな」

 

 特注で多くの道具を作り上げておきながら、突然の申し出であったソラの頼みに対し、その行動は余りに奉仕的であると言えた。だが当の本人はさも当然のように、冷静な様子で珈琲を飲みながら両目を瞑り、静かに語る。だがソラは強い違和感を感じて追求を進めた。

 

「もしかしてですけど……これってペンギン急便の人達の為に作ってた物だったり?」

 

 ピクリと、一瞬だけシュテンの体が動く。片目だけを開いてソラを見つめるその瞳は何もかもを見通すような感覚すら覚えたが、例えそのような目で見つめられてもソラの違和感を拭い去る事は出来ない。

 

「作ったのは良いけど、みんな自分の武器で戦えちゃうから宝の持ち腐れになってた、ってオチなのかなぁって思ったんですけど、どうでしょう!?」

「その妙な勢いは気になるが……その通り、大した洞察力だな」

 

 ぱちぱちと拍手をするシュテンは、ソラが即座に見抜いた事を素直に賞賛する。

 流石はアイドルをやっているだけの事はあり、様々な大人の裏の顔や汚い所を見てきたのだろう。例えそれを跳ね返してきたのが事務所の力を含めていたとしても、彼女自身の力が無ければ成り立たない話だ。

 その培ってきた洞察力を垣間見れたのは、シュテンにとってもプラスであると言えた。

 

「こう見えて色んな人を見てきてますから! ……でもシュテンさんって優しいですね。そんな事口にはしないのに、裏では心配でこんなにたくさん作っちゃって」

「……。……俺が優しいのは当然だ、家族(なかま)だからな」

「あ、もしかして照れてます? ねね、顔見せてくださいよ、顔!」

 

 珍しくシュテンが受けの立ち位置になった事で、思わずソラはどんどんと踏み込んで攻めていく。

 ──虎を画きて狗に類す。調子乗り過ぎて身の丈を超えた者に待つのは破滅のみだ。

 

「そんな事よりも、だ。折角の機会だから道具だけじゃなくて簡単な護身術を教えてやるよ」

「……え、本当ですか? てっきり道具だけだと思ってました」

「それだけじゃ詰まらんだろうからな。……じゃあまずは腕を掴まれた場合の対処法だ。基本的にそこまで接近されないのが理想だが、抜け出すくらいなら容易に出来る」

 

 そう言ってシュテンはソラの手首を掴む。その後はシュテンの指示通りに手の位置、肘の位置、力や回転の加え方を教えもらって実践をすると、いとも簡単にシュテンの手を振り払うことが出来た。

 

「普通に引っ張っただけじゃ全然だったのに本当に簡単に取れた……」

「人の構造には幾つもの欠陥がある。そこを突けばソラでも簡単に制圧出来る程に人体ってのは微妙なバランスで成り立ってるんだよ。……とは言え俺も基本的な事しか知らないけどな」

「あはは、極めたらそれこそ素手で何でも出来ちゃえますよね」

「そのレベルに到達するにはどれだけの日数が必要になるのやら。……さて、次は後ろを向いてみろ」

 

 はーい、と可愛らしい声を上げて、言われるままソラはシュテンに背を向けるようにしてクルリと反転した。

 何も疑わない純粋なその背中。シュテンは薄く笑みを浮かべながら、手を正面に回して背後から抱き締める。

 

「え、あの、ちょ、ちょっとシュテンさん……?」

「背後から抱きつかれた時の対処法を教えようと思ってな」

「あ、あぁ、なるほど。そういう事なんですね。ビックリしました……」

「…………」

「えーっと……ひゃう!」

 

 無言のまま再度強く抱き締められた事に思わずソラから高い声が洩れる。真っ赤に染まった顔で何とか振り向こうと首を捻っても、シュテンの顔を見ることは叶わなかった。

 

「えーと、そ、そのですね? 早く対処方法を教えて貰えると嬉しいなぁーって」

「なんだ、離れて欲しいのか?」

「あ、いえ、そういう訳じゃなくて、この状況は恥ずかしいと言いますか……!」

「可愛いなぁ、ソラは」

「────ッ!」

 

 耳元で囁かれるように言われた瞬間、ただでさえ赤かったソラの顔がこれ以上は無い程に真紅に染まる。

 もはや耐え切れずに体を捩らせたり、手足をバタバタするも、シュテンの力には敵う筈もない。

 その力強さ、声色、香水の香り、二人きりという空間全てが、ソラの感覚を狂わせた。

 

「シ、シュテンさん、ダメですって! テキサスさんにも悪いですしあたしはそんな──」

「何、男の部屋に一人で来たんだ、分かってるだろ?」

「わ、あたしはシュテンさんの事を信じて──あ、ん!」

 

 首筋に息を吹きかけられて思わず嬌声を漏らしてしまったソラは、恥ずかしさのあまりに最早俯く事しか出来ない。小刻みに震える身体は最早小動物のようだった。

 そんなソラを面白そうな笑みで見つめているシュテンの事も、当然気が付いてはいない。

 

「ベッドにまで運んでやる」

「う……あ……う……」

 

 最早言葉にならないソラを、お姫様抱っこをするようにシュテンは持ち上げる。羞恥心から両手で顔を隠すソラを抱えたまま、勢いよく踏み出し、

 

「ほぉらよ!」

 

 大きな風切り音と共に、ソラが隣の部屋のベッドまで飛んで行った。

 全身に掛かる風圧と衝撃。急な展開にまるで付いていけていないソラは顔を赤くしながらポカンとしていたが、シュテンはそのままソファに座り込んで、大きく体勢を崩す。

 

「ふぅ……俺を揶揄った罰はこのくらいで許してやる。……何、動画もちゃんと撮ってあるから安心していいぞ」

「──んな、な、な……」

「体質上、俺の性欲なんて無いに等しいんだ。そこら辺にいるような下半身で物事を考える馬鹿と一緒にされても困る」

 

 満足そうな表情でシュテンは窓から広がる龍門繁華街の夜景を楽しむ。その顔は一日のやるべき事を終えてスッキリした様子であった。

 だがここまで好き放題やられたソラが納得出来る筈もない。

 

「もー! もー! もう! 女の子の純情を弄ぶような事をするのは流石にNGですよ!」

「なんだ、期待してたのか?」

「そういう事じゃないです! あたしはシュテンさんを信じてここに来てるんですから冗談でも本気でもそういう事はしないでください!」

「顔を真っ赤にしてたのにか」

「そ、それはあたしだって女の子なんですから、少しはシュテンさんの事格好良いとか素敵だとは思ったりしますよ! 気の利くお兄さんって感じですから!」

「つまり期待してたのか?」

「だから! 違うって! 言ってるじゃないですか!」

 

 ベッドに置かれていた枕を投げて抗議を示すも、結構な距離に投げ飛ばされたソラ。彼女の腕力ではシュテンの元にまで届くことは無かった。

 満足そうに笑うシュテンは立ち上がり、ソラに背を向けて一言言う。

 

「戯言はここまでにしておくか。今日はもう遅いし泊まっていくと良い。明日も仕事だからな。……嗚呼、部屋はそこが空き部屋で、モスティマが買った未使用の服や下着もある程度ある筈だから安心しろ。早朝には宿舎まで送ってやる」

「……え、でも大丈夫ですよ。そこまでお世話にならなくても……」

「俺が送るのが面倒なんだ。さっきの詫びだと思って大人しく泊まっていけ。……何、手は出さないから安心して良いぞ」

「それはもう心配していません!」

 

 トイレやバスルームの位置、タオルや消耗品の収納場所を軽く説明したシュテン。そのままやる事があるから、と自室なのであろう部屋へと入っていった。

 一人残されたソラは立ち上がり、冷蔵庫から飲み物を取り出すと一息つく。急に静かになって妙な寂しさを感じながら、態度とは裏腹なシュテンの優しさに感謝しつつ、思わず笑みが零れる。

 

「急に言い出した事なのになんだかんだ全部面倒見てくれるんだから、良い人には間違いないと思うんだけどなぁ……」

 

 意地は悪いけど、と付け加え、言葉に甘えてバスルームへと向かう為にソラは準備をし始めた。

 ──でもなんでシュテンさんってそこまで構ってくれるんだろう。

 ふと芽生えた疑問。マネージャーとしての責務、と言えばその通りなのかもしれないが、度が過ぎていると感じる者がほとんどだろう。

 だがそんな些細な疑問は一瞬で消え失せ、ソラはゆっくりと湯船に浸かるのだった。

 

 仲間達からのメールが沢山来ていた事に気付くのは、その後の事である。

 

 

 

 部屋に戻ったシュテンは手前の仕事用データ端末を起動してソラのに関する個人データや資料を調べ始めた。あらゆる伝手を使ってそれぞれ社員の詳細な趣味からスリーサイズに始まり、知られたくない過去に至るまで、調べられる事は調べ尽くしている。

 本人に知られたら間違いなく反感を買うものであるが、そこはシュテン。知られる抜かりが無いように徹底したセキュリティの元、スタンドアローンで管理していた。

 ソラのページを開いていけばそこには身体能力や反射神経、武器の得手不得手が詳細に記されている。全体的な評価としては普通と表現するのが正しいものの、将来性とセンスを見越せば優等生と言ったところだろう。

その中でも取り分け優秀なのはやはりと言うべきか、その声に乗せて効果が生まれるアーツだろう。

 そんなデータを見ながら、今後のソラの指導方針を考えるシュテン。

 

「悪意を乗せてデスボイスで歌えば指向性の持った後方支援が出来るか……? いや、事務所に止められるな……」

 

 アイドルと言う看板を背負ってトランスポーターをやる以上、どうしても行動が制限されてしまう。面白味に欠けると溜息を吐いたシュテンだったが、ふと視線を移すと目に入ったのはソラの入社に関する資料だった。

 

「…………」

 

 端末データを触って開くと、そこには膨大な量のデータが表示される。少しばかり目を通してみるだけで、彼此一年近く前になる出来事の事をシュテンは思い出した。

 ソラにとってみれば運命とも言える出来事。その一方でシュテンにしてみれば失態とも言える己の不手際を悔やむ事件であった。




次回過去編です。


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過去の悔恨、暴虐の鬼神

ちょっと残酷描写有。


 ソラが初めてペンギン急便を知ったのは、自身がストーカーに被害に遭っている相談を事務所に持ち掛けた時である。

 一ヶ月ほどの間、背後からつけて来る気配や遠くから感じる視線を時折感じていたものの、特に被害はなかった為に放置はしていた。しかし今後のアイドル活動を左右する程の一大イベントが決まり、意気込んでいた所にその事件は起きる。

 ソラの事務所へと届いた一通の手紙。その内容は『先のイベントを中止にしなければソラの命は無い』と言うものであった。

 流石に脅迫状が届く事態となれば放置しておく訳にはいかず、周囲に相談した結果、元々音楽の関係で繋がりがあるペンギン急便に依頼する事となったのだ。

 

「……成程。それでこちらを頼った訳ですか。ボディガードは専門じゃないので遠慮したい所なんですが……」

「良いじゃねえか、俺の新作を龍門の至る所で広告するっつってんだ。依頼報酬なんぞ要らねえくらいハッピーな事だぜ?」

「ハッピーな鳥頭は黙ってろ」

 

 そうしてシュテンとエンペラーはソラの所属する事務所へと訪れてビジネスの話をしていた。護衛を兼ねた送迎はペンギン急便の仕事ならば良くある話であるも、純粋な期間を設けたボディガードと言うものはペンギン急便の管轄外の仕事である。

 そうなれば当然シュテンは不服そうな態度を見せるも、芸能事務所とエンペラーは切っても切れない関係。となれば権限の劣るシュテンの一存で決められるはずも無い。

 

「どうあれこの依頼を受ける事はウチの決定だ。いくらシュテンが醜く喚こうが泣こうが変えるつもりはねえ。それともあれか? ウチの会社を義理も忘れるようなファッキンな会社にするつもりか?」

「チッ、俺を言い様に使うつもりなら高くつくぞ。……嗚呼、すみません。醜い身内の揉め事で。しかしボディガードをイベントまでの一週間も付け続けるとなるとそれなりに費用は掛かりますが宜しいですか?」

「はい、費用に関してはこちらが全て負担させて頂きます。後、こちらはアイドルですので出来れば女性の方を付けて頂けると助かるのですが……」

「テキサスで良いだろ。アイツなら腕も立つしエクと違って暴れもしねえ」

「……そうだな。ただのストーカー被害なら集団相手でも遅れを取ることはないだろう」

 

 そんな会話を続けながら、日程、費用、報酬、人員など、大まかな内容からボディガードに関する護衛範囲の詳細まで、多くの事を取り決めた。

 大体の方針が決まった所で、張本人であるソラがマネージャーに案内されるように連れてこられる。少し緊張気味な様子であったが人前に立つ経験は豊富なのだろう。ハキハキとした口調で言葉を紡いだ。

 

「初めまして、アイドルのソラです。この度は依頼を受けて頂き──」

「そういう細かいのは結構だぜ、嬢ちゃん。俺達が知りたいのはストーカーの相手であって、アイドルの私生活じゃねえ」

「あ、すみません。えっと……正直な所、全く検討が付かない状態です。姿も見た事なければ被害に遭ったって言えるのもその脅迫状だけなので……。ただつけられてる足跡や気配、視線って言うのは時々感じてました」

「……まだ判断する材料が足りないな。取り敢えずはテキサスにボディガードと判断を任せつつ、大事になりそうなら増援と言う形だな」

 

 エンペラーやシュテンにとって、この初めての邂逅はただの要警護の少女に過ぎない存在でしかなかった。それはソラにとっても同じで、偉そうに喋るペンギンさんと綺麗だけれどもどこか怖さを感じる大人の男性。その程度の関係だったのだ。

 その後も軽く会話をした後、エンペラーとシュテンは事務所を後にして拠点へと戻り、テキサスと打ち合わせをする。

 諸事情でペンギン急便から一週間も離れるのは嫌そうな表情をしていたものの、そこは長年働いてきたプロ。仕事ならば仕方ないと割り切っていた。

 毎日シュテンに業務連絡をすると言葉を残して。

 

 翌日から現れた女性を一目見た瞬間、ソラは綺麗だなと素直に思った。艶やかな黒髪と同じループス特有の尻尾。無気力そうな顔をしながらも端正な顔立ちはアイドルの彼女から見ても羨ましいくらいである。

 

「テキサスだ。今日から一週間、護衛をする事になった。宜しく」

「あ、えっと、アイドルのソラです。足でまといになるかもしれませんが宜しくお願いします」

「大丈夫だ、警護には慣れている」

 

 クールで無口な印象が強かった第一印象。だが話してみるとそれはただの間違いであり、感情の起伏が少ないだけなのがよく分かった。

 同じ部屋で就寝を共にして、仕事中は離れ過ぎない距離を保ちながらテキサスは周囲を警戒する。食事も余程の事がない限り二人で済ませ、長い時間を一緒に過ごす。

 何も事件が起きる様子のないまま、二日、三日と経過していく中で、ソラに気が付いた一つある。それは夜の経過報告をする際、テキサスの耳がピクピクと動きながら、尻尾を僅かに振っている事だった。

 内容までは聞こえてこない上、声色や表情には大きな変化は見受けられない。ほんの僅かで小さな変化でしかないのだから、ソラが気が付いたのも一緒に居続けているからだろう。

 電話を終えて近づいてきたテキサスはいつもと変わらない感情の見えない表情。だからこそ余計にソラは疑問を抱いた。

 

「電話の相手ってお仕事の方ですか?」

「ん? あぁ。私たちトランスポーターの……纏めてるマネージャーみたいな人だ」

「……もしかして、あの極東特有の服を着たオニの男性?」

「よく分かったな。依頼の管理はシュテンが行っているから、こうして毎日報告をしないといけないんだ」

 

 シュテンの話をしている間、テキサスの尻尾が動いているのをソラは見逃さない。

 

「……もしかしてシュテンさんのことが好きなんですか?」

「……何を突然言い出すんだ。そんな訳ないだろう」

「本当ですか?」

「本当だ。しつこいぞ」

 

 顔と口調を観察している分には決して感情を見せない完璧なポーカーフェイス。ソラもしっかりと観察してなければ決して見破れなかっただろう。未だに揺れている尻尾を見ていなければ。

 とは言え所詮は仕事の付き合いであり、深く追求する仲でも無い。依頼主とボディガードの関係が崩れる事はなかった。

 四日、五日と経過した所で些細な変化すらテキサスには感じられなかった。ペンギン急便と言えば龍門の中でも名の知れた集団。ストーカー如きがなんとか出来る相手では無い為、諦めたのだろうと推測した。

 それは報告を受けたシュテンも同じ推測をする。危険度の増す最終日には手の空いた誰かがもう一人来る手筈となってはいたが、テキサスから見ても不要と思える程の平和っぷりであった。

 

 そして6日目。いつも通りにテキサスの荒い運転でソラと出勤するのが日課となっていた朝。

 人気の少ない通り道を車両で通過しようとしたところ、目の前の道路に飛び出してきた小さな空き缶があった。

 不自然に転がってきた空き缶であったが、風で転がってきたのかな、とソラが思ったその瞬間、

 

「──伏せろ!」

 

 テキサスの掛け声と同時に、耳を劈くような爆発音と爆風が車両を襲った。

 なんとか反射的にソラは身を屈めたものの、爆風の勢いでフロントガラスは割れ、タイヤは吹き飛んで一瞬の内に廃車となる。エンジンを巻き込んで大爆発しなかっただけでも幸いと言うべきか。

 テキサスは素早く武器を手に取ると、車両から飛び出して身を隠しながら周囲を警戒する。

 

「……ソラはそのまま隠れてろ」

「は、はい。分かりました」

 

 足で纏いだけにはなりたくない──そう思ってソラは息を殺して身を隠し続ける。その姿を一瞥したテキサスは、シュテンへと空メールを送って緊急事態を知らせつつ、敵の数を確認した。

 

「……五、六、七……まだまだ居るな。厄介な」

 

 ストーカーどころの騒ぎではない。明らかに計画性のある行動をした手練の過激系マフィアである事は見るからに推測できる。準備不足に加え、敵の数、更には護衛対象がいるとなると割に合わないどころか、厳しい戦いになるのは必須だろう。

 

 二人の鉄パイプを携えたマフィアが飛び出し、車両へと向かう。目的はソラである以上、彼女の狙うのは必然と言えた。

 勿論、テキサスもそのまま放置するわけにもいかず、迎撃しなければならない。

 身を低くしながら駆け抜ける速度はまるで風の如く。マフィア達の目にも止まらない速度で振り抜いた剣は彼等の鉄パイプを一太刀で両断する。

 そのまま返す剣で袈裟斬り、逆袈裟斬りと一振りずつ切り払う。命までは取らないが、放置しておけば致命傷となるような深い一撃。

 血を流しながら呻き声を上げて倒れ込んだ二人から視線を外すと、僅かに見えたレーザーサイトと反射した太陽光により、狙撃手の位置を確認。突進と同時に放たれた銃弾を避けて距離を縮めながら剣を投擲し、銃を破壊しながら狙撃手の胴体へと突き刺さった。

 駆け足で近づいた後、その剣を遠慮なく引き抜くと、今度はアーツの気配を感じ取った為、先手を打つように最速の絶技で己のアーツを解き放った。

 その名も剣雨。空から剣を模したアーツが降り注ぐ広範囲の一撃は、密かに隠れていた術士達を一網打尽にする。その姿は嵐を纏う如く激しい剣鬼。多くのマフィアが一瞬にして切り払われた。

 

「……それ以上、動くな」

「……ご、ごめんなさい。テキサスさん……」

 

 だが、それもテキサス一人だからこそ出来ていた話に過ぎない。遠距離からの攻撃を対処するが余り、車両から離れ過ぎてしまったのが運の尽き。背後から忍び寄っていたマフィアにソラの身柄が確保され、その首筋にナイフが突き付けられていた。

 

「まさかあのテキサスがこの計画に噛んでるとは思わなかったぞ……随分とやってくれたな」

「……その薄汚い手を離せ」

「はっ、面白い事を言いやがる。元よりこっちはこいつが目的なんだよ。……いい手土産だ、お前もついてこい」

 

 気が付けばテキサスの周りには十人近い武装集団が取り囲んでいる。それもテキサスを警戒しているのだろう、逆に人質に取られ兼ねないと注意しているのが理解出来た。

 

 舌打ちをしながら殺気を飛ばすテキサス。だがそれも人質がいては意味を為さない。そのまま囲まれたようにしてスラム方面へと向かっていく一同。二人はただ大人しく着いていくしかなかった。

 そして辿り着いたのは既に廃墟となっていた工場の一角。そこにはさっきまでの数とは比べ物にならない、少なく見積っても五十は超える程のマフィアの集団であった。

 

(これは……想像以上に大きな組織が絡んでいたみたいだな……)

 

 ソラを人質に取られたまま、テキサスは中央に座していたリーダー格の男──恐らくはボスなのだろう──の前へと連れて行かれる。

 見た所、鉱石病の進行が進んでいるサルカズの大男。横に携えた大斧からかなりの膂力を誇っているのが伺えた。

 

「久しいな、テキサス。まさかこんな所で会うとは思わなかったぞ」

 

 さも当然のように話し掛けてくるサルカズの男。しかしテキサスにそんな男の事などまるで記憶にない。

 

「……お前のようなサルカズの知り合いなどいない」

「そうだろうな。所詮俺はシラクーザで生まれたマフィアの一つに過ぎねえ。……こう言えば分かるか?」

「……成程。わざわざ潰された組織が龍門でコソコソと生き延びてるとは。情けない限りだな」

「あぁ、その通りだよ! お前とラップランドを相手に、シラクーザのマフィア共は頭を垂れるしか生きる道は無かった! だからこそ俺はここにいる! ……だがどうだ? この有様は」

 

 シラクーザに於けるテキサスとマフィアの因縁は一筋縄で行くものでは無い。しかし彼女からしたら大勢の内の一人にしか過ぎない存在なのだ。覚えている事など無理に等しい。

 だがサルカズの男にとってテキサスとはまさに恐怖の象徴のような女。そんな女が自分に対して逆らえもしない事実は呆気無さすぎて落胆すら覚えていた。

 

「ラップランドもいねえどころか、まさかアイドルのお守りをやってるとはな。あのテキサスが落ちる所まで落ちたものだ」

「落ちた? 冗談は寝てから言え。あの暗黒の日々からようやく上り始めた所だ」

「はっ、まぁ良い。俺の目的はそこのガキだ。てめえじゃねぇ。だからよ……」

 

 ソラという人質がいる為か、サルカズの男は何処までも不遜で傲慢な態度を崩しはしない。となれば因縁であるテキサスが無防備に目の前でいるなど、彼に取ってみればその辺に極上の女が転がっているのと等しい。

 その強面が獰猛な笑みを浮かべて立ち上がると同時に足を大きく振り上げ、そして──

 

「嬲り殺してやるよ」

「──かっ、ふ!」

 

 サルカズの大男から放たれた蹴り。鉱石病で身体能力が向上しているのか、まるで自動車に吹き飛ばされたようにテキサスの体が産業廃棄物の中へと叩き込まれた。

 無防備なまま一撃を受けたテキサスは意識があったものの、内臓は傷付き、肋骨は折れて口元から血が流れていた。

 

「──な、テ、テキサスさん! どうして!? ……テキサスさんに酷い事するならあたしにやってよ! 彼女は関係ないんでしょ!?」

「はっ、アイドルの癖に威勢の良いガキじゃねえか。腕の一本くらい折っておくか? ……なぁテキサス?」

 

 自身のせいで傷付いていくテキサスを見ていられないのか、涙を流しながらソラはマフィアを睨みつける。だがこの無法地帯において暴力に勝るものなどこの場にはない。

 加虐的な表情を浮かべたサルカズは今にも倒れそうなテキサスに問い掛ける。もう二度と味わえないような高揚感を感じながら。

 

「折るなら私の腕を折るといい」

「よく言った! ……おいそこのお前。てめぇもテキサスに仲間を殺された恨みがあるだろ。やっていいぞ」

 

 痛みなどないと言わんばかりに堂々とした振舞いと芯のある意志を貫きながら、テキサスは言い放った。だがバットを渡されたループスの男はテキサスへと近付く。その目には確かな怒りを抱いて渾身の力で獲物を握り、そして、

 

「────ッ!」

 

 鈍い音と共にバットが振り抜かれて、テキサスの腕があらぬ方向へと曲がった。

 思わずソラも目を背けてしまう光景。激痛が走ろうとも僅かにでも叫び声を上げないのはテキサスなりの意地なのだろう。だが決して簡単に耐えられる痛みではない。脂汗が滲み、荒い呼吸をひたすらに続けていた。

 

「次は足でもいくか? 先に折っておかねえと何されるか分かんねえからな」

「好きに……すると、いい。……その前に……一つ聞かせろ。何故ソラを、攫った?」

「なんだ、何も知らねえのか。良いぜ、冥土の土産だ。教えてやる」

 

 そしてサルカズは悠々とした態度で全てを語り始めた。テキサスとラップランドに追われて龍門へと辿り着いた彼等は、目に付けられないように地道に力を蓄えていった。

 その後、とある芸能事務所の黒い噂を聞きつけて庇護下に置く事でその対価を貰う──所謂、ケツ持ちとして資金を潤沢に集めて活動していたのだ。

 だがここ最近、ライバルの芸能事務所から出たアイドルのせいで売れ行きが激減。みかじめ料も払えない程の売上しか出なくなってしまう。

 その為のイベント妨害やソラの誘拐。旬こそが売りのアイドルにとって躓く事はあってはならないと分かっているからこそ、芸能事務所はマフィアに依頼を持ち掛けたのだ。

 

「お前の所からは身代金を貰い、こっちの事務所からは依頼料を巻き上げる。俺達としてはこれで龍門とはおさらばする予定だったんだよ。……死に際に理解したか?」

「あぁ、助かる。……お陰で間に合ったよ」

「……あ? そりゃあどういう──」

 

 サルカズの男が口を開いたその瞬間、目を眩ませるほどの閃光と爆音が鳴り響く。

 ほとんどのマフィアが身動きも取れなくなる中、二人のトランスポーターが突入してきた。

 

「お待たせ! あっちゃー……酷くやられちゃってるなんて珍しい。大丈夫?」

「なんとかな……急いで逃げるぞ」

「君がソラはんやね。ほな急いで逃げるで」

「……? え!? えっと何が起きてるんです!?」

 

 閃光弾の中をエクシアとクロワッサンが駆け抜けて、なんとかテキサスとソラの身柄を確保する。テキサスは咄嗟に耳を塞いだものの、ソラは全く対応できなかったようでクロワッサンに引かれるまま廃墟を脱出した。

 マフィア達が視界と聴覚を取り戻した頃には、既に彼女たちの姿は見当たらなくなっていたのだった。

 

 

 エクシア達が乗ってきた車両にテキサスとソラを乗せ、急いで病院へと向かう。道中でシュテンへと報告を入れた所、直ぐに向かうって返事が返ってきたよと聞くと、激痛を堪えているテキサスが少しだけ俯く。

 その後、緊急で医者に診断して貰ったところ、命に別条は無いものの絶対安静で過ごすように、とのお言葉を頂いた。

 肋骨と腕部の骨折に加え、内臓損傷による喀血。一目見ただけで重症だと言える。

 

「ご、ごめんなさいテキサスさん……あたしのせいで……ごめんなさい……」

「まぁまぁ、ソラちゃん、だっけ? 私達トランスポーターに怪我は付き物なんだから大丈夫だって! ……ここまでやられるのは珍しいけどね」

「う、うぅ……ごめんなさい……」

「あーあ、エクシアはんが泣かせてもうた……」

 

 エクシアの余分な一言のせいで、ボロボロと涙を流しながら謝罪するソラ。フォローするどころか悪化させてる間抜け具合にクロワッサンは呆れた表情で見ていた。

 

「……別に死んだわけじゃない。ペンギン急便で働く以上はこのくらいの傷など想定内だ。……ソラが無事でいてくれて良かったよ」

「うー! テ、テキサスさーん!」

「い、痛っ──だ、抱き着くな」

「あっ、ご、ごめんなさい!」

 

 感極まったソラはベッドの上で療養しているテキサスに抱擁する。当然、全身に怪我を負っているテキサスに対して、そのような行為は厳禁であった為、激痛が走って顔を歪ませた。

 その事に気が付いて慌てて離れるソラ。そんな二人をエクシアとクロワッサンは見守るように微笑んで見ていた。

 

「エクシア、クロワッサン。すまないがソラの事を頼む。……明日が本命だから間違いなく襲撃に来る筈だ。組織の規模も把握出来たから、準備さえしておけば遅れを取る事はない」

「私にまっかせてー。テキサスがやられた分やり返しておくよ」

「ほな、今日はもう身を隠して過ごした方が良さそうやな」

「あぁ、事務所にはシュテンから連絡してもらうように伝えておく」

 

 喋るのも辛いのだろう、脂汗が滲み始めている様子を察した三人は、必要な会話を終えると病院を後にしてペンギン急便の隠れ家へと向かった。

 

 そして病院に到着してから一時間もしない内に、ガチャリと扉を開けてシュテンが病室に訪れる。その手には診断書を持っていた為、医者の元に訪れた後に来たのだろう。

 

「随分と派手にやられたな。ソラを人質にでも取られたか?」

「……すまない」

「毎日同じ経路で仕事に向かっていたみたいだな、そうなると待ち伏せするのも容易い。……長期間の護衛が初めてとは言え、考慮しておくべきだったな」

「……すまない」

 

 淡々と無表情のまま告げてくるシュテンに対し、テキサスは俯き加減のままポツポツと言葉を零す。彼女の胸を占めているのは怒りや悲しみなどでは無く悔しさ。

 シュテンに任されておきながら大怪我を負ってしまった不甲斐ない自分と失望されかねない結果に歯痒さを感じていた。

 そんなテキサスに一歩、二歩と歩みを進めて近付く。怯えたように震えるテキサスの肩。その肩をシュテンは優しく抱き締めた。

 

「全て俺の失態だ、すまない。ただのありがちなストーカー被害だと決めつけて取り掛かっていた。万が一を考慮して二人体制で動くべきだったし、背景を入念に調べておくべきだった」

「……ち、違うんだ。シュテンのせいじゃない。私の警戒が怠っていたせいで──」

「それを含めて俺のせいなんだよ。テキサスはテキサスでソラをしっかりと護衛し、その責務をしっかりと果たしてくれただろう。……だからなにがあったのか、全て報告してくれ」

 

 一度離れたシュテンと目を合わせながら、テキサスは事の顛末を全て話す。爆薬で車両が破壊された事、ソラが人質に取られた事、そして鉱石病が進行している巨躯のサルカズの男との因縁で、一方的に殴られた事──エクシア達が助けに来るまでの流れを事細かに説明した。

 シュテンは無表情を崩さず真剣な眼差しを話を聞いて思案すること数瞬、一つの可能性に辿り着いた。

 

「……なるほど。そこまで用意周到にやって来ておきながら監視されている気配すらないと芸能事務所に内通者がいるかもしれんな。ソラのスケジュールを把握している誰かが」

「可能性はある。だが──つぅ!」

「悪い、何時までも話してる場合じゃなかったな。安静にしてるといい。──後の事は全部俺に任せておけ。目が覚めたら全て解決している」

 

 痛む腹部を抑えて顔を歪ませたテキサス。配慮が足りなかったと詫びながら、シュテンは体を支えつつ、ベッドに寝るようにと促した。

 

「……だがシュテンの力はそんな簡単に奮って良いものじゃないだろう?」

「そうだな。だが皇帝からの許可は取ってある。……何、久しぶりに腸が煮えくり返りそうな気分なんだ。誰にも止めさせはせんよ」

 

 精々シュテンの──酒呑童子の実力をペンギン急便の中でも知るのは、皇帝とモスティマ、そしてその片鱗に触れたテキサス位なものだ。

 自制の効かない暴虐と破壊のみに特化したその力は、余りにも無慈悲。ただでさえ殺しが御法度の龍門で振る舞えるものでは無い。

 だが深紅の瞳には燻るように漏れ出す憤怒の気配が確かにあった。テキサス自身に向けられている訳でもないのにゾクリと背中を駆け上がる悪寒。だがどこか頗る心地良くも感じる。

 そしてシュテンは弧を描くように吊り上がった口元を隠そうともせずに淡々と言った。

 

「俺達のルールはやられたらやり返す。これに尽きる。誰に喧嘩を売ったのか解らせてやれ──これが俺と皇帝が昔から守って来た原則であり、歩んできた道だ。だからこそこうして今がある」

「……だからこそ、お前が出ると?」

「打草驚蛇。しかし出てきたのは鬼だったってな。たまには狂気の血に身を任せてみるのも悪くは無い」

 

 その日、酒呑童子が龍門に降り立った。

 

 

 

 

 

 

 人々の喧騒が響く街並みからから大きく離れた薄暗い無法地帯。ゴミが散乱し、お世辞にも安全とは言えないその場所に一人のオニの男が立っていた。

 憤怒に彩られた深紅の目に白銀の長髪。浅く浮かべる笑みが不気味さを一層沸き立たせている。羽織る衣装は波文様が描かれており、伝統的な極東の意匠が感じられた。

 人気のないスラム街を一歩踏み込めば、金属片の擦れる独特の音が響き渡る。そのくらいの静けさの中、迷いも無く進んでいく。

 既に一人を闇に葬り去って情報を得た後なのだ。彼の──シュテンの足に迷いなどある筈もない。

 

 芸能事務所の裏切り者は強引な手口の末、すぐに割り出す事が出来た。多額の報酬に目が眩んでテキサス含むその情報を相手の芸能事務所に売り渡していたらしい。

 そしてイベント前日の今夜。計画が頓挫しかけた事もあり、緊急でこのスラム街に集まる事となったのだと簡単にお話(・・)してくれたのだ。

 

 歩き続けること十分が経った頃、少し開けた場所には既に怪しい人物による人集りが出来ていた。

 

「貴様らか、諸悪の根源は」

 

 獰猛なまでに鋭い犬歯を覗かせながら凛とした透き通る声が響く。シュテンの正面にいたのは全身を黒に統一した見るからに怪しい集団。

 ようやく見つけたと言わんばかりに口角を上げながら笑みを浮かべ、シュテンは背丈ほどはある巨大な幅広の大刀を片手で担ぎ上げる。

 

「……誰だ?」

「そうだな。テキサスの上司って言えば分かるか?」

「──ッ!」

 

 訝しげな視線を送っていた彼等は男が名乗り上げると一転、各々が武器を手に取り瞬時にして警戒態勢へと変わる。その身のこなしは奇襲、襲撃などの戦いに慣れている様を見事に表しているものの、シュテンは笑みを崩しはしなかった。

 

「何故ここが分かった?」

「知った所で忘れる運命だ、気にするな。……さて、サルカズの大男。リーダーはお前だな?」

「良く分かってんじゃねえか。なんだ、テキサスに対しての報復か? だがそれはお門違いだぜ。アイツは何百と言うシラクーザのマフィア共を平気で殺してきた殺人鬼だ。逆に言えば俺達が報復しただけなんだぜ?」

「平気で、ね。……何、元より問答や戯言を聞くつもりは無い。家族(なかま)が襲撃されればやり返す。ただそれだけの話だ」

「はっ、狂ってやがるな。……あいつを始末するぞ」

「嗚呼、話が早くて助かる。直ぐに片付けよう」

 

 集団の中でも取り分け高身長の、サルカズの男が指示を出した瞬間、武器を構えた者達が一気に間合いを詰めに掛かる。短剣、大剣、大斧、弓、杖……マフィアの中でも優秀な人材を選び抜いてバランス良く護衛に付けてきた。

 まさに多勢に無勢。単独での襲撃は無謀である事は一目瞭然だろう。現にサルカズの男は被ったフードから僅かに見える口元には笑みが浮かんでいるのだから。

 

 ──戦いは一瞬であった。

 

 まず最初に突っ込んだ仲間がシュテンの持つ鞘を投擲され、無惨にも四肢と内臓を飛び散らすほどの衝撃を受けて即死。何が起きたのか分からないまま、二人目の仲間は駆けてきた男の大刀の袈裟斬りを受け、真っ二つ。

 後方にいた弓使いは恐怖のあまり動けなくなり、術士はなんとか援護を入れようと震える手をなんとか動かしたその瞬間、亡くなった仲間の大剣が投擲され、脳漿をぶち撒けた。

 大斧を構えていたサルカズの男も一瞬の出来事に思わず立ち止まり、周囲を見渡す。気の知れた抜群なチームワークを誇っていた仲間たちは自分を除き残り一人。幾ら現状把握に努めようとも、この惨状を理解出来るほど彼の心が着いて行かなかった。

 

「……は、はは」

 

 脳天を貫く程に刺激的な光景と悪臭。辺り一面を血に染め上げながらも、何故か目の前の男に返り血は見受けられない。血の滴る大刀をだらんと下げながら、笑みを浮かべているだけ。

 ただそれだけなのに最早サルカズの男の顔には恐怖しか浮かび上がっていなかった。

 

「クソが! 死にやがれ!」

 

 鉱石病故に強化されたアーツ。そのアーツによって強靭となった肉体から放たれる一撃は唯一無二と呼べる程の衝撃を秘めている。

 並のループスよりも強靭なテキサスを、無防備とはいえ一撃で沈めるその膂力は計り知れないだろう。

 

「この俺に力で挑むだと? 面白い奴だな」

 

 酒呑童子が誇る最大の特徴は、体の強固さでも再生力でも反射神経でもアーツでもない。──ただ純粋な腕力。それだけだ。

 一回りも二回りも腕の細いシュテンに、いとも容易く大斧を掴まれ、そして拳を握り込めば刃が砕ける。到底理屈やアーツでは理解出来ない、その血が為せる特殊な体質。

 

 これ程の圧倒的な力を見せられては、最早サルカズの男には逆らう気力など残る筈も無かった。

 

「この、悪魔め…」

「悪魔、か。そう感じるにはまだ早いぞ」

 

 諦めて砕けた大斧手放したサルカズの男へと歩み寄り、その首を遠慮なく掴む。長身痩躯と言っても過言ではないその体型から異常とも言える程の膂力。片手で容易く自身の体が持ち上げられ、へし折られかねない程の圧に窒息しながらついに足までもが浮き上がった。

 

「貴様らだけの犯行じゃないだろう? 報告を聞くに大きな組織のマフィアらしいじゃないか。……洗いざらい情報を吐いてもらったその時、初めて悪魔を見られるかもな」

「がっ……ぐっ!!」

 

 テキサスに手を出すべきではなかった──自身の判断に心の底から恨みながら、サルカズの男は自身の持つ全ての情報を漏らす事となる。

 次の日の朝、周辺警備に当たっていた龍門近衛局が見つけたのは、悲惨な姿にされた5人の死体と、以前から目を付けていたマフィアの組織グループがアジトごと壊滅されていたと言うものであった。

 

 

 

 

 翌朝、緊張した面持ちでエクシアとクロワッサンに護衛されながら、事務所へと辿り着いたソラの元に、驚きの情報が次々と流れ込んできた。

 まずストーカー被害の犯人は捕まった為、イベントの妨害とソラへの被害は無くなったという事。更にライバルだった芸能事務所が業界から撤退。そして一番驚きだったのが、専属で尽くしてくれていたマネージャーが突然退社したと言う話だった。

 

 とは言え刻々と時間は刻み続ける。イベントまで時間に余裕がある訳では無いソラは慌てて準備を進めながら、リハーサルを行う為にも急いで会場へと向かった。

 

「……じゃあ私達はこの辺で依頼完了って事でいいかな?」

「はい、無事に解決しましたので……エンペラーさんとシュテンさん、そしてテキサスさんにもによろしく伝えておいてください」

「……にしても一日で解決しはるなんて、やっぱシュテンはんが裏で動いとったんかなー?」

「なんか後ろめたい情報や近衛局とか使って潰しそうな感じでしょ」

「あ、なんかそれめっちゃ分かるわ」

 

 まさか武力行使だとは思いもよらない二人は芸能事務所を後にしてペンギン急便の拠点へと帰る。

 

 その後、大勢のファンと観衆に囲まれながら、イベントやライブを大成功させたソラは、一躍龍門での話題のアイドルとなる。その際に披露した歌は大切な人へ贈る感謝の気持ちを綴った歌詞であった。

 入院しているテキサスに向けて気持ちを込めた歌が彼女の代表曲になるのは言うまでもないだろう。

 

 そして一年後。アイドル活動が落ち着き始めたところでソラがペンギン急便に入社をする。

 それはテキサスに救われた命の恩返ししたい──ただその一心からだった。




テキサスが不憫な感じになっちゃいましたが、このくらいじゃないとソラがペンギン急便に入る程のテキサス狂いにはならないよね、って感じで不本意ながら執筆しました。

後、シュテンとマフィアがスラム街で好き放題してるから鼠王とか出したかったけど文字数が大変な事になりそうなので諦めました。


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天使は想いを胸に秘めて

可愛いエクシアの話。



 ペンギン急便は配達から要人警護、道案内に至るまで、運ぶ事に関することなら何でも遂行する為か、日常的に多種多様の依頼が舞い込んでくる。日によっては仕事に困るどころか人手が足りない日もあるのだから、トランスポーター界隈での知名度は相当なものである事は見て取れた。

 それほどの仕事内容でありながらも、仕事の分配や日程については基本的に各自の自由で取り決めている。更には報酬も千差万別である事から、トランスポーター達はその日の気分によって仕事内容を大きく変えたりもしていた。

 

「で、エクシア。お前は午後から仕事を入れていないのか?」

「うん。午前中はロドスの割のいい仕事したし良いかなーって」

 

 もうすぐ正午を回ると言ったところで、ペンギン急便の主な拠点となる室内にいたのはエクシアとシュテンの二人のみ。トランスポーター達はまだしも、エンペラーがどこに行ったのかはシュテンさえも知らない。と言うより興味も無い。

 

「感謝しろよ。ロドスからこれだけの依頼報酬を貰うのに苦労したんだからな」

「確かにお財布も潤ってきて感謝してるけど、私達が初めて向こうに行った時はグチグチと言われたんだよ? 特にケルシーって人からかなーり!」

「それは負け犬の遠吠えだ、気にするな」

 

 キーボードをカタカタと打ち込みながら、シュテンはデータ端末と見つめている。特にやる事が無くて暇を持て余しているのか、エクシアも彼の横に椅子を置いて並ぶように座っていた。

 

「それにしてもシュテンやる事って幅広いよね。あたし達のフォローとかもあるし大変じゃないの?」

「大変は大変だが、お前たちみたいに命を賭ける仕事をしてる訳じゃないからな。最大限のサポートをして守ってやるのが最低限の仕事なんだよ」

「……サラッと言うけど全員分のサポートだけでも結構な量だよね? いつも助かってるから感謝してるけど。……ちなみにシュテンって幾らくらい給料貰ってるの?」

 

 トランスポーター達の給料はそれぞれの仕事量で大きく変わる為、一概に幾らとは言えない。だかエクシアもペンギン急便では中々の稼ぎ手だと自負しており、当然そうなればペンギン急便への売上に貢献してると言える。

 だがそれは仕事内容に対して果たして正当な対価であるかどうかはよく分かっていない。となれば他の社員と比べてみるしかないとエクシアは常々考えていた。

 かと言ってペンギン急便で働く人材でトランスポーターとは違う雇用形態と呼べるのはエンペラー、シュテン、遠方を担当するモスティマ、そしてたまに姿を見せるイースくらいなもの。

 モスティマは非常に危険の伴う遠方の依頼を受けつつ、現地でも新たな依頼を受けたりと言う生活を繰り返している事から、常駐しているトランスポーターとは比べ物にならないだろう。

 エンペラーはボスだから例外として、イースも滅多に姿を見せない上、武器の修理やらドリンクの補充やらで少しの間現れたりするのみ。

 となれば身近なシュテンに聞いてみるしかないとエクシアは判断したのだ。

 

「給料か。さてどうだったかな」

「いいじゃーん。教えてよー」

「秘密にしてる訳じゃないんだが……そこの引き出しに明細でも入ってないか?」

 

 秘密にすると言うよりも、さほど金に対する執着が薄いのか自身のテーブルの上にある置棚を示す。

 シュテンにもたれ掛かるようにして、エクシアはテーブルの上へと手を伸ばし、小さな置棚の引き出しを漁った。

 

「あったあった。えーっと……え……んん?」

「どうした?」

「い、いやいやいや! 流石にシュテンはあたしより貰ってるなーって思ってよく考えたら桁が! 桁が違うんですけど!」

「そんな馬鹿な事……ホントだな、いつからこんな貰ってたんだ?」

 

 会社の金の管理はエンペラーに任せ切りである上、元々ペンギン急便に来る前から金を持っていたシュテンは給料明細は見る事もせず、無頓着な生活を送っていた。

 そのとんでもない格差に気が付いたエクシアは納得行かない様子で立ち上がり、テーブルを叩きながら抗議している。

 

「納得行かないんだけど!? なんで現場で働いてるあたし達……って言い方は良くないけどさ! でもいくら何でも格差が酷くない!?」

「……まぁペンギン急便をここまで成長させた元々の実績と功績もあるからな。後は別件で動いてたりするのもある。……でも一番大きいのはお前らが出した被害額──それも0が5個や6個平気で付くのを半分以下に抑えてる所じゃないか?」

 

 問答無用で暴れ回るエクシアを筆頭にペンギン急便のトランスポーターはその場の勢いだけで抗争をすることが多い。そうなると龍門市街からの損害賠償だったり、近衛局からの公共物の修理費用だったり、ペンギン急便の銃弾や爆薬などの消耗品だったり──その場合では基本的に依頼報酬が上乗せとは言え、その額は依頼料の80%に上ることもざらにあった。

 その為、シュテンがあの手この手で苦労を重ねてきた結果、なんとか40%を上回る事が無くなるほどに抑え込んだ。当然、その分泣きを見てる企業もある訳だが。

 その報告を聞いたエンペラーが珍しく感謝感激を述べたくらいであったのだから、その手柄は凄まじい事なのだろう。

 

「そ、それを言われると返す言葉が無くなっちゃうなー……あはは」

「その総額に比べたら俺の給料なんて微々たるもんだ。……何せかなり苦労したからな。修繕作業に携われる企業を龍門から全て洗い出して、徹底的に調べ上げた。その中でも叩けば埃が出てくる所に脅迫──協力を頼み込んで何とか出来た関係だ」

「今脅迫って言ってなかった!? ねえ!?」

「馬鹿な事を言うな、貴重なパートナーの関係だぞ。契約の際にも龍門近衛局の名前を出せば快く引き受けてくれたさ」

「完っ全にアウトな会社だよね! それって!」

 

 澄んだ瞳で遠くを見つめながら珈琲を味わうシュテンの表情は、非常に穏やかでやり切ったような顔をしていた。

 

「と言っても依頼によっては賞与も出るし、ウチの社員はトランスポーターの中でもずば抜けて給料は良いはずだと思うが……金で困った事でもあるのか?」

「あ、ううん。そういう事じゃなくて、純粋に気になっただけだから」

 

 本気で心配してくれている事を察したエクシアは、慌てて首を横に振って否定する。本人絶対に肯定しないものの、身内には親身になって相談に乗ってくれるのがシュテンなのだ。

 

「だったら良いが。不満があるようなら俺から皇帝に言っておくから何時でも言うと良い」

「うん、ありがと。……そう言えばさ、一つ聞きたかったんだけど」

「どうした?」

「……ソラがシュテンの家に泊まったってホント? 本人が言っててテキサスが凄い形相だったんだけど」

 

 何気ない会話の中でふと、エクシア上目遣いで見つめてくる。そこまで真偽を確かめたいのか、彼女にしては珍しく真面目な表情をしていたが、シュテンは淡々と仕事を進めながら答えた。

 

「嗚呼、そんな事か。自衛手段を少し教える為に呼んだだけだ」

「それは本人からも聞いて色んな防犯グッズを見せてもらったけれど……本当にそれだけなの?」

「……突然どうした? 後は精々俺が揶揄って顔を真っ赤にしてたくらいだ」

「あー……それであのソラの反応なんだ……納得」

 

 テキサスがソラを問い詰めた時、真っ赤な表情になって黙り込んでしまった彼女の姿を見て、誰もが一線を超えてしまったのだと思わず察してしまった。テキサスもその場から逃亡してしまい、真実は闇の中になっていたのだが、その説明を聞いて漸くエクシアは合点がいく。

 

 そんな時である。正午が過ぎても喋り込んでいたところ、エクシアのお腹の辺りから可愛らしい小さな音が聞こえてきた。勢い良く両手でお腹を隠し、少し紅潮した顔でシュテンを睨み付ける。

 普段は陽気なパリピキャラを演じているエクシアでも空腹を告げる音を聞かれたのは恥ずかしいのだろう。

 

「エクシアの可愛いお腹が待ち切れないみたいだから一緒に昼食にでも行くか?」

「わ、わざわざ口に出さなくても良いじゃん! 意地悪なんだから!」

「なんだ、行かないのか?」

「行くよ! シュテンの奢りだからお昼代浮くし! 焼き肉がいいかな! 完全個室の超高級店が行きたい気分!」

 

 何とも現金なエクシアに腕を抱き着かれて、シュテンは呆れ顔で立ち上がった。

 

 

 

 シュテンに連れて行かれるまま私用のスポーツカーに乗り、龍門の中心地にある繁華街へ連れて行かれる。その中でも明らかに縁が無いと断言出来る店構えの場所にエクシアは到着した。

 店内に入るとそこで待ち構えていた店員に案内されるまま、座席へと着席する。

 それはエクシアが希望した、完全個室の高級焼肉であった。

 

「ほ、本当に来るなんて……」

「ほら、好きな物頼んでいいぞ。流石にアルコールは控えてもらうがな」

 

 メニューを手渡されて、エクシアは恐る恐る中身を確認する。特選だの最高級だのと記載されていたり、聞いた事も無い部位の肉がメニューに並んでいたが、暫くしてとんでもない事実に気が付き、思わず勢い良くメニューを閉じた。

 

「あ、あのシュテンさん。メニューに値段が書いてないのですが……」

「嗚呼、金の心配はいらん。カードがあるからな。お金の湧き出てくる魔法のカードが」

「それ湧き出てないから! 通帳からちゃんと減ってるから! ……ってそうじゃなくて! 怖くて頼めないんだけど!?」

「普段の仕事はあれだけ好きにやってるのに、つまらんところで律儀になるなよ……。じゃあいつも通りのコースで頼む」

 

 律儀に待っていた店員にそう告げると、畏まりましたの一言を告げて足早に姿を消す。

 

「いつも通りって……そんなよく来る所なの?」

「俺と言うよりは皇帝の行き付けだな。月に一度は必ず来るくらいの顔馴染みの店だ。何年も世話になってるよ」

「うわぁ……何だか格差を感じるなぁ……」

 

 社員は細々とアウトローさえ集まるようなバーや飲み屋で語り明かす中、エンペラーとシュテンは二人で好き放題やっている事を考えると、何だか複雑な気分になるものだ。

 

「……言っとくが、皇帝はペンギン急便の利益なんか遊ぶ為の金って言うレベルで金を持ってるぞ? あれでも音楽界隈じゃ世界に名が売れてるからな。プライベートじゃ殆どアイツの支払いだ」

「……なんかもう二人が雲の上の存在に見えてきたよ……。でもそう思うとシュテンってボスと仲良いよね」

 

 まずテーブルに運ばれて来たのは最高級の厚切りタン。流石にエクシアも奢られるだけなんて悪いと思ったのか、トングを我先にと張り切って取る。

 肉の焼けて脂が弾ける音と食欲のそそる香ばしい匂い。美味しそうに焼かれていく肉に思わず視線奪われながら、エクシアは口を開いた。

 

「確かモスティマが来る前から二人とも一緒だったんでしょ? 一体どんな関係で知り合ったのかなーって気になっちゃうんだけど」

「……また今度な」

「えー……じゃあシュテンってペンギン急便に入る前は何をやってたの?」

「……また今度な」

「もー! いっつもそれで終わっちゃうし、全然話してくれないままだし! 少しくらい教えてくれてもいいじゃーん! ね、ね?」

 

 何度聞き出そうとしても話してくれないシュテンの過去。いい加減痺れを切らしたエクシアは、はしたなくバタバタと暴れ出す。──奢ってもらう上にここが高級店だと言うのも忘れて。

 呆れたように溜息を吐いたシュテンは渋々と言った様子で話を続けた。

 

「……あの時は傭兵まがいで色々と国を跨いで世界を歩いていたからな。今のモスティマに近い。その時に知り合ったんだよ」

「へー、そうなの? 戦闘よりも頭脳ってイメージしか無かったよ。でも、なんでそこからペンギン急便に?」

「……さてな。何十年も昔の事だ、覚えてない。俺も若かった頃はヤンチャしてたから落ち着きたかったんだろ」

「あー! またそうやって誤魔化して! 確かに私が入った頃からシュテンの見た目は変わってないけど、そんなおじさんじゃないでしょ!」

「……おじさん言うな」

「……え? ホントなの?」

 

 シュテンの過去以上が聞きたかったはずなのに、それ以上の衝撃の事実に思わず固まってしまうエクシア。まだ自分が少女と言える年齢だった頃から良くしてくれたお兄ちゃんと言う立ち位置だったシュテンが、まさかそんなおじさんだったとは思わなかった。

 ──確かに言われてみればそうだった。見た目はいつまでも若々しいのに立ち振る舞いは異様なまでに落ち着きがある。なんだか知識が古臭かったり、ジェネレーションギャップを感じたり──よくよく考えればその片鱗は多数出ていたのだ。

 

「うわぁ……なんだかショックだなぁ……。まさかシュテンがおじさんだったなんて……はぁ……」

「生まれつき特殊な体質なものだから一般的な感覚で言われても困るがな」

 

 そんな間に肉は焼けて、シュテンが次から次へと皿に移していく。

 

「肉が焼けたぞ。食べさせてやるから口を開けろ」

「……あーん。──ッ! 何これ!? めちゃ美味い!」

「ほら、もっと食え」

「あーん。んんー! うま! 今まで食べたお肉なんて比較にならないくらいなんだけど!」

 

 頭を抱えていたエクシアは肉を食べさせてもらった瞬間に一転、蕩けるように頬を緩ませてご機嫌な様子だ。続いてカルビ、ヒレ、更には希少部位のサンカクやザブトンなど普段ではお目にかからない代物を最高級で味わえるなど、夢のようなものだろう。

 更には脂っこさを感じていた頃に運ばれてくるアルコールの飲み物。流石のエクシアも戸惑いを見せていたものの、シュテンに遠慮するなと言われれば手をつけざるを得ない。

 

 ──それは全て、シュテンの過去の口封じと余分な詮索を避ける為に取った行動であった。

 

 

 

「あー、もうお腹いっぱい。お肉も美味しくていい感じにお酒も入ってるしサイッコーの気分だよ」

「そりゃあ良かったな。特にやる事ないなら早上がりで帰っても良いぞ」

「ううん。もうちょっとここにいる」

 

 昼食を終えたシュテンは休憩もそこそこに、拠点に戻って午後からの仕事に取り掛かる。とは言え早急の案件は午前中のうちに片付けていた事もあり、比較的余裕そうな様子で書類に目を通していた。

 そしてふと懐から取り出したのは、年季が入りつつも手入れがしっかりとされている煙管。雁首に刻み煙草を詰め込むと火を付けて遠慮なく一服し始めた。

 

「……あれ? シュテンってタバコ吸ってたっけ? 初めて見た気がするんだけど」

「……ん? あぁ、長い事禁煙してたからな。知らないのも無理はない。つい機会があって皇帝の葉巻を吸ったらどうも止められなくてな……」

 

 見たことの無い光景に物珍しそうに見つめているエクシア。禁煙していた人がふとした切っ掛けで再度喫煙者になるのはよくある話とは言え、エクシアが入ってからの数年はまるで吸っている気配を見せていなかったのだ。

 加えてアイドルであるソラにも気を使っての事だろう。喫煙を再開したとしても彼女がいる前で煙管を咥えている事は無かったのだから、気付けなかったのにも納得が行くものだった。

 

「へー、全然知らなかったよ。……ね、一回吸わせて貰ってもいい?」

「別に構わないが酔いと相俟って吐くなよ?」

 

 エンペラーと言い昔のテキサスと言い、未成年の頃から喫煙者を見てきたエクシアにはどこか憧れという物があった。思わずお酒の勢いで頼み込んでしまうもシュテンは承諾。初めての経験に少しドキドキしながら、エクシアは煙管をシュテンから受け取る。火が燻っている吸いかけの煙管を口に咥えると、その吸い込んだ煙の匂いに驚愕を覚えた。

 

「ん? あれ? なんかこれって……何だっけ? 想像していた煙草と全然違うって言うか……いや違うものだよね?」

「あははっ、何混乱してるんだよ。これは煙草もどきのただのフレーバーだ。香りを楽しむ為だけに特注で作らせ──作って貰った代物だ」

「あ、シュテンが笑うなんてすっごい珍しい!」

「食いつくのそこかよ」

 

 気構えていたエクシアだったにも関わらず、その味は余りに拍子抜けだった為、思わずパニックになってしまう。ちょっとした遊び心でエクシアを揶揄ったものの、思いの外良い反応をしてくれた事にシュテンは笑い声を上げる。

 口の中に煙草の匂いが移る──そうとある人物に言われてしまった以上、シュテンは簡単に喫煙者へと戻る訳にもいかない。その雰囲気だけでも味わおうと苦肉の策として作らせたのがこのフレーバーであった。

 当然、煙が出る以上は身体に良いとは言えない代物なのだがそこはあまり気にしないのようである。

 

「なんかこの香り……こーいう感じ好きかも。……懐かしいような、良く香る匂いのような……何だろ、モヤモヤするー!」

「……極東特有の桜の香りだ。ほら、俺が使ってる香水と似た香りだからそのせいだろう」

「……くんくん。うん、確かに似てるかも」

「首筋で匂いを嗅ぐな。変態かお前は」

 

 一気に身を寄せ、首筋に鼻を宛てがう。普段なら考えられないくらいの大胆さはお酒の力もあるだろうが、久しぶりにシュテンと二人で過ごす時間に甘える癖が出たのかもしれない。そんな変態扱いされた本人であるエクシアも無邪気に笑うだけであり、シュテンも呆れたように微笑むだけであった。

 意外にも桜の香りが気に入ったのか、1回と言っていたエクシアは、そのまま何回か吸い込んで香りを堪能している。が、それも束の間、刻み煙草は燃え尽きてしまい、煙が出なくなってしまった。

 

「……あれ、これで終わり?」

「嗚呼、そうだ。そしたら中身を捨ててまた新しく入れれば吸えるぞ」

「ねぇ、他にも違う匂いの奴とか無いの?」

「……そうだな。ちょっと貸してみろ。……ほら、これとかどうだ?」

 

 エクシアから返してもらった煙管に新しい刻み煙草を詰めて火をつける。シュテンは一口吸って火種が出来たことを確認すると、彼女へと手渡した。

 

「どれどれ──ん! こ、これはまさか……林檎!」

「そうだ。アップルパイ好きのお前には丁度いいんじゃないか?」

「いやいや、こんなの吸っちゃったらアップルパイ食べたくなっちゃうって。三時になったら一緒に食べに行こうよ」

「昨日自分用に手作りしてたばかりだろ。我慢しろ」

 

 その後も仕事を放ったらかしにして、シュテンが手渡してくる様々なフレーバーを楽しむエクシア。柑橘系やハーブ、草花など非常に多種多様なものがあったからついついと楽しんでしまったが、ふと気が付く。

 

 ──あれ? これってよく考えたら間接キス……。

 

 そう、よくよく考えなくても間接キスなのである。普段なら飲み物の回し飲みだってよくある事なのだからそんな事は全く気にしないものの、流石に何度も交互に口をつけるとなると話は別だ。最早間接を超えた濃厚接触。一度だけなら気にしなかっただろうが、繰り返し行われたその行動はエクシアの許容量(キャパシティ)を大きく超えていた。

 

「……ん? どうした? ……あぁ。何、この刻み煙草の大半は試供品で貰ったものだ、金の事は気にするな。ほら、吸うか?」

「──ッ!?」

 

 顔を真っ赤にしながら口元を抑え、エクシアは座席に座ったまま勢い良く距離を取る。そのまま首をぶんぶんと横に振る姿はまるで壊れたおもちゃのよう。

 唐突過ぎる反応に思わずシュテンは訝しむ目で見ていたが、考える事数瞬、チラリと煙管を見て合点がいった。

 

「……嗚呼、なるほどな。一丁前に恥ずかしがったりするなんて可愛い所もあるじゃないか」

「か、かわっ……!? も、もう! からかうのは止めてってば!」

「悪い悪い、つい可愛くてな」

「あー! あー! きーこーえーなーい!」

 

 ただでさえ強い照れが入っている所にこれでもかと追撃するシュテン。赤髪と遜色無い程に顔を真っ赤にして耳を塞ぎ、足をバタバタとさせてエクシアは叫び出す。面白そうにニヤニヤと見つめているシュテンを見れば巫山戯ているのは一目瞭然であったが、エクシアにそんな余裕は何処にも無かった。

 

「昔のエクシアは甘えん坊で、先輩先輩と後ろからついて来てたのに成長したもんだな」

「ああもう! 帰る! 帰って不貞寝する!」

「そうか、お疲れさん。明日は仕事が多いからしっかり頼むぞ」

 

 過去を反芻するように語り出したシュテン。ここぞと言う場面で掘り起こされたその過去話はエクシアの羞恥心を大きく煽る。

 もはや耐え切れないと立ち上がってエクシアは、拠点の出口へと足を進めようとしたものの、余りにも軽いノリで送り出そうとするシュテンが気に入らなかったのだろう。真っ赤な顔のまま、鋭い視線を彼に送り付けていた。

 

「少し引き止めてよ! そんな淡白だなんて寂しいでしょ!?」

「お前めんどくさいな……っと」

 

 その勢いは闘牛の如し。全速力で頭から突撃してきたエクシアをシュテンは受け止め、衝撃を上半身だけで上手く受け流す。

 

「……馬鹿」

「馬鹿じゃないが」

「……意地悪」

「意地悪だが」

 

 そして胸元に顔を填めたまま動かなくなる。普段のエクシアでは考えられない行動であったが、誰もいない空間だからこそなのだろう。

 

「酔ってるのか?」

「うん」

「甘えたいのか?」

「……うん」

「……モスティマに会えないのがそんなに寂しいか?」

「……うーん、会いたいけどそれはちょっと違うような……」

 

 一切体勢を変えようとしないエクシアの頭をポンポンと撫でる。頭頂部に付いてる眩しい蛍光灯がちょっと鬱陶しく思うものの、満足そうに声を出すエクシアを見ればそんな気分も心地いいものだった。

 

「あたし、シュテンの桜の匂い結構好きなんだ。あの頃はシュテンが同伴で現場に出てたから、無茶をした仕事終わりに背負ってもらってたりしたのを思い出すの……懐かしいなぁ」

「あの頃は本当に手の掛かるガキだったからな。銃の腕が立つだけでめちゃくちゃやりやがるし、テキサスだけじゃ手に負えなかったくらいだ」

「でも今になってみれば楽しい思い出でしょ?」

「それはそうだが、お前が言うなよ」

 

 ニシシと悪戯っぽい笑みで見上げてくるエクシアを見てると、昔から何も変わらない妹分なのだと再認識する。

 誰にでも明るく笑顔で振る舞うエクシアもエクシアなのだろう。だがシュテンの前で見せるこの純粋な笑顔もまたエクシアなのだ。

 

「あの頃のエクシアは本当に生意気でどうしようもない奴だったよ──」

 

 それはまだ、エクシアが使命に突き動かされていた少女だった頃の話。

 




続きます。



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天命に擲つ追想の少女、胸懐を認識する

 エンペラーとシュテンがペンギン急便を作り上げ、モスティマが入社して運送業として順調に仕事が乗り始めた頃。モスティマから聞いた話がエクシアを初めて知る切っ掛けだった。

 

「ねぇ、シュテン。この前話した親友だった人の妹が、私を追って旅に出たみたい」

「……へえ、まだ年端もいかないガキだったんじゃないのか?」

「そうなんだけどね、やっぱり彼女の妹なだけあって行動力は凄いみたい。で、今度のお休みにちょっと行ってみたいお店があるんだ。デートしようよ」

「別に構わんが、会話に脈絡無さすぎだろ……」

 

 ニコニコと笑みを浮かべながら、長く蒼い髪を揺らすモスティマ。サルカズのような悪魔の角とサンクタ特有の天使の輪を頭頂に浮かべる曰く付きの女は、シュテンの隣で寄り添うように話している。

 この時のエクシアはまだまだ少女と呼ぶには相応しいとも言える年齢の子供。そんな彼女が学舎を卒業と共に一人でモスティマを探す旅に出たと言う。シュテンもそんな馬鹿な話があるかと思っていたが、彼女は本気で信じているようであり、情報を集めては仕事ついでに遠くから見守っていたようであった。

 

「そんなに気になるなら手を差し伸べてやれば良い。危険が迫ったら颯爽と助けるつもりなんだろう?」

「それは彼女の成長を妨げる事になるからね。なるべく自分の力で解決してくれなくちゃ真実を知るに相応しいとは言えないのさ」

「そうか。まぁ好きにすると良い」

「あぁ、言われずともそうするつもりだよ。……あ、それと夕食は魚料理が食べたい気分かな。出来れば味がシンプルの方が嬉しいよ」

「はいはい……」

 

 モスティマの身内ならいざ知らず、親友の妹となればシュテンから言えば最早他人。モスティマの自由にはさせたが、彼自身が動くことは無い。

 

 それから紆余曲折もあってテキサスが仲間になり、彼女とモスティマが不毛な喧嘩をする事が日課となっていた頃。エクシアは龍門のペンギン急便を目的地と定めて歩を進めていた。その事を認識したモスティマは一つの決断に迫られている。

 

「シュテン、今日も良い天気だね」

「何を言っている? 連日雨が降っていて肌寒いくらいだ。頭にカビでも生えているのか?」

「テキサスには話しかけていないんだけど。それに、肌寒いから密着して夜を共にするのに最適だね、って事だよ。……あぁ、そうか。一緒に住んでいないテキサスには関係の無い話だったね、ごめん」

 

 まるでシュテンとエンペラーの掛け合いを見ているかのようなやり取り。だがそれは長年の付き合いだから為せる信頼の証であるのだから、彼女達の掛け合いは決してそんなものでは無いのは誰もが理解していた。

 そんな火花を散らす会話を毎日繰り返していれば流石のシュテンも溜息を吐きたくなるものである。

 

「くっ、シュテン。モスティマのパワハラが酷いぞ」

「あ、こら。誰の許可を得てシュテンに抱き着いてるんだ」

「……いい加減仲良くしてくれ」

 

 そんな騒がしい日々が続いたある日。突然、モスティマが姿を消した。

 とは言えそれはテキサス自身の目線。エンペラーにはいずれ依頼とラテラーノの任務も兼ねて遠出をする日々になりそうと言う話をしていた。

 勿論それはシュテンにも事前に伝えてあった上、前日の夜にも一緒にいたのだから知らぬはテキサスだけである。

 

 それから数日経ったある日、少し寂しさを見せているペンギン急便の元に一人の長髪(・・)の少女がやって来た。真っ赤な髪を揺らしながら強い意志の眼差しで事務所の扉を遠慮なく開ける。それはまだまだ年端もいかない頃のエクシアであった。

 当時はオンボロだった事務所に来た少女の一言は忘れることないだろう。

 

「すみません! この会社にモスティマって悪魔みたいな女がいると思うんだけど!」

 

 ハキハキとした明朗な声が突如事務所に響き渡る。その言葉が聞こえた瞬間、普段からモスティマと揉めていたテキサスの目がキラキラと輝いていたのをシュテンは明確に覚えている。

 

「良くわかってる女の子じゃないか。安心するといい。あの性悪女悪魔は祓魔師(エクソシスト)によって退治され、既にこのペンギン急便を去った。残された私達は祝賀を──痛っ」

「何馬鹿な事を言ってる。……確かにモスティマはこの会社に勤めてるが仕事で不在だ。残念だったな」

「あ、そうなんですね……」

 

 口から出任せにホラを吹き続けるテキサスの頭をシュテンは小突き、モスティマの不在を告げる。気合を入れてやってきたエクシアにとって、それは残念極まりない肩透かしであった為か、少し悲しげな表情を見せていた。

 

「……なるほど、お前がエクシアか」

「……? あたしの事知ってるの?」

「モスティマから話は聞いている。……成程な、確かに言う通りだ」

「……どういう事です?」

「気にするな。……テキサス、今日は仕事も無いだろ。相手しててやってくれ」

 

 突然顔を覗き込まれたエクシアは怪訝な顔を見せていたものの、シュテンは気にせずに観察をする。その時間は僅か数秒。何かに納得した様子で離れていく背中を、エクシアは睨みつけていたが、シュテンは気にする様子もなかった。

 それからある事ない事モスティマについて沢山話したテキサスは、満足そうにエクシアをシュテンの前に連れて来て、宣言した。

 

 ──コイツをペンギン急便で雇わないか?

 

 奥で作曲活動に励んでいたエンペラーに、雇われの分際で何言ってやがる、と叱られていた。しかしモスティマが目を掛けていたとは言え、この地にまで少女が一人で辿り着いた事実は、シュテンとて見逃せるものではなかった。

 採用試験と言う事で知能知識や運動神経。更に最重要となる実戦形式の模擬戦を実施した所、かなり高い数値を叩き出す。特に銃の扱いに関しては長年生きてきたシュテンでさえ舌を巻くほどの高精密と高速度を誇っていた。

 その結果にはエンペラーも即時採用を決め、エクシアはトランスポーターとしてペンギン急便の社員となる。

 

 

 しかし幾ら高スペックを誇ろうともまだまだ幼い少女。テキサスはテキサスで危険な仕事を処理していく必要があった為、なるべく危険度の低い依頼をシュテンと共に動くようにし、現場での動き方、観察力、更には度胸を叩き込めるだけ叩き込む事となった。

 

「エクシア。例えばこの状況でマフィアに襲われたらどう対処する?」

「このビルの中にいる状況でって事?」

「そうだ。相手が銃や爆弾と言った危険物を持っていないと仮定するか」

 

 とある配達任務でビルの中へと入った二人。エクシアもシュテンの人柄に慣れてきているのか、本来の軽い口調となっていた。

 そんな中、年季が経ってコンクリートの所々に罅が見受けられるそんな建物内で、シュテンが階段を登りながら問い掛ける。何の事かと訪ね直したエクシアであったが、特に熟考もせずに再度答えた。

 

「うーん、そのまま突撃して全部倒しちゃえばいいんじゃないの?」

「馬鹿の一つ覚えみたいな戦い方してるといつか痛い目みるぞ。少しは頭を使って戦ってみろ」

「そう言うのは苦手なんだよね。その場の勢いで戦った方が良い方に進むって感じで!」

「……はぁ……」

 

 と、言った風に重要性を全く理解せずにやりたいようにやる。今のエクシアを輪にかけて酷くしたのが当時の彼女だった。年相応と言うべきだろうが先を見据えて行動しないのはシュテンの頭痛の種だったのも忘れはしない。

 

 そんなエクシアの対応や指導プランを仕事終わりに考えるのが常となっており、漸くエクシアの件が片付いた後に自身の仕事をするのがシュテンの生活リズムとなっていた。帰宅時間が日を跨がなかった事がないくらいのブラックっぷりである。

 

 

 そしてエクシアがペンギン急便に入社して一ヶ月、二ヶ月と経過した頃のこと。モスティマに会う事が目的でペンギン急便を訪れたエクシアは、今更であるものの社員になる事を望んでいる訳では無かった。それでも入社したのはモスティマとの繋がりを無くしてしまわない為。

 だが延々とモスティマの姿は見えない事にエクシアは苛立ちを感じてしまう。果たして本当にここに居るのかと疑いを持ってしまう程に。

 隠せぬ苛立ち。焦燥感。自身の唯一の肉親の行末について知るモスティマと話さなければならないと言う余裕のない心が産んだ使命感。それは確かに彼女を蝕んでいた。

 

「エクシア。今日は危険性のない配達任務だが万が一もあるから俺と一緒に行動するぞ」

「あ、そう」

「……どうした?」

「……何でもない」

 

 それは態度にも如実に出てしまい、日に日に不機嫌な態度の割合が増えてくる。シュテンもその原因は理解していたものの、モスティマの教育方針を尊重するようにしていた為、なるべく仕事以外での助言をするような事をしなかった。

 そして社用車で移動の最中、シュテンはいつも通りにエクシアに話し掛けるも、素っ気ない態度の返答が繰り返される。

 次第に会話も減っていき、無言で移動する時間の方が長くなってきた頃。気まずい空気で車内が満たれていた中、シュテンとエクシアは配達先である目的地に到着する。

 

「エクシア、着いたぞ。届けてこい」

「…………」

「おいエクシア。聞いてるのか?」

「……先輩が行けば?」

 

 目も合わさずに外を見つめながら、あからさまに不貞腐れたような態度でエクシアはポツリと呟く。そんな態度には流石のシュテンも呆れたのか、溜息を吐いて無言のまま車外へと出て、任務を済ましに行く。

 数分が経った頃、特に問題も起きなかったシュテンが軽い足取りで社用車へと戻ってきた。

 

「無事に終わったから次の場所に向かうぞ」

「…………」

「……俺にはその態度でも良いが、客先では流石に控えろよ?」

「……るさいなぁ」

「あ?」

「うるさいなぁって言ったの! あたしはこの仕事をやりたくてここに来た訳じゃないんだから、一々構わないでくれる!?」

 

 いつも通りの任務の中で指摘してくるシュテンに対し、思わず癇癪を上げて声を荒らげてしまう。涙目で睨み付けるエクシアに少々驚いた顔を見せたシュテンであったが、その心中を察して数瞬熟考の末、声を出した。

 

「……じゃあ今日の任務はもう終わりだ。ちょっと今から出掛けるとするか」

 

 あからさまに不機嫌な態度を隠そうとしないエクシアを助手席に乗せたまま、シュテンは車を飛ばす。思春期特有の苛立ちとは言え、彼女の立場を考えればその重圧と精神的負荷は確実に心をすり減らしていた。

 先よりも遥かに悪い空気の中、シュテンは龍門繁華街の一角に車を停車させる。エクシアを車内に置いていき、出掛けて行ったその後、帰ってきたシュテンの手には紙袋が抱え込まれていた。

 

「ほら、これでも食って落ち着け」

「……何これ?」

「アップルパイ。高いだけあって美味いぞ」

 

 車に戻ってきたシュテンがガサガサと紙袋を漁り、手渡されたのは出来たての最高級アップルパイ。無理やり外に連れ出されてベンチに座らされたエクシアは、初めて食べる代物であった為に興味はあったものの、そんな気分では無かった。

 

「いい、要らない」

「そう言うな。モスティマに誘われて一緒に来た店なんだ。食ってみろって」

「……そう言うなら、じゃあ……ん、美味しいかも……」

 

 サクサクとした生地の中から芳醇な林檎の香りが口内に広がり、追従するように果汁本来の甘みが上品に舌の上を伝っていく。初めて食べたアップルパイの味に思わず感動したのか、さっきまでの不機嫌な様子も消えて、次から次へと口に運んでいく。

 食べ終わった頃にはエクシアも落ち着きを取り戻した様であり、その姿を視認したシュテンはゆっくりと語り始めた。それはモスティマがペンギン急便に来てからの話を掻い摘んだ物であったがエクシアは真剣に聞き入っている。

 

「──で、モスティマはエクシアの事を頻繁に報告してくるんだよ。昨日はシエスタで息抜きしてたとか、龍門のマフィアと揉めてドンパチしてたとか。そんなに心配なら会いに行けよって思うくらいにな」

「……じゃあなんでモスティマはあたしに何も話してくれないのかな?」

「元々掴みどころのない奴だ。本心はモスティマにしか分からん。……が、一応本人からは聞いている」

 

 そう言ってポケットから取り出したデータ端末をシュテンが操作すると、浮かび上がってきた映像にはモスティマが映し出されていた。

 ラフな格好からプライベートな動画であるのはエクシアも理解出来たが、その浮かべている表情は彼女も見た事が無いほどに柔らかい物だった。

 そしてシュテンはエクシアが覗き込んで来たのを確認すると動画を再生する。

 

「これは長期不在になる前日にわざわざ残していったデータだ。直接言わない辺り、モスティマとは言え恥ずかしかったんだろうな。……あんな女でも恥じらいがあるとは思わなかったが」

『えーっと……この動画を見る頃には私は龍門にいないと思う。でもこれだけは言葉にして言っておかないといけないかなって思ってデータにしておいたよ。……シュテンの事だから察しは付いてると思うけど、お願いしたいのは親友の妹、エクシア事さ。彼女はまだまだ未熟だし、迷惑を掛けると思うけど、もしペンギン急便に来たらよろしく頼むよ。可愛い妹分だからね。……大丈夫、シュテンなら出来るさ。なんたって私が認めた男なんだから』

 

 まさか自身がペンギン急便に来るまで見越していたとは全く思っていなかったエクシア。驚愕の表情を浮かべる他は無い。だがそうなると、たとえ仕事とは言えこうして長い間モスティマが居ないのはエクシアに会わない為だとも思えてしまう。

 そんな負の感情を再度抱き始めたエクシアであったが、次に聞こえてくる言葉で彼女の疑惑は全て霧散した。

 

『……もしエクシアが彼女の事で行き詰まってどうしようも無くなった時、伝えてあげて欲しい。君が一人前のエクシア(・・・・)になった時、真実を語るよ、って。……とても難しいことだけど、絶対に必要な事だからね』

 

 ──真実。それはエクシアが追い求めてきた物。その手掛かりが僅かにでもモスティマから出てきたのは、一筋の光明であった。だが、モスティマはそう簡単には語りはしない。一人前のエクシアとは何なのか──全く検討もつかない事に思わず俯いてしまうも、その頭をシュテンがガシガシと撫でた。

 

「要はエクシアらしく生きて行けばいずれ教えてくれるって事だろ」

「……私らしさって何?」

「それは自分で考えろ。ただ使命感に追われて追い詰められてるのはらしさとは言わんな。……何、この俺が直々に鍛えてるんだ。モスティマも認める一人前になるなんてエンペラーの持ってくるクソ仕事より簡単だぞ?」

「何その例え」

 

 思わず笑ってしまったエクシアに満足したのかシュテンは事務所に戻るぞ、と立ち上がる。その背中を見つめたまま、エクシアはポツリと言葉を漏らした。

 

「先輩、さっきはごめんね。無性にイライラしてたから酷いこと言っちゃって……」

「気にするな。周りが見えなくなれば誰でもそうなる」

「うん、ありがと。……あはは、あたしってまだまだだなぁ……」

 

 なんでも見通すようなモスティマを見て、怒りもせずに諭すシュテンを見て。燻っていた心が落ち着きを取り戻し、いざ冷静になるとエクシアは自身の未熟さを痛感して落ち込んだ様子を見せる。

 

「ガキの内は大いに悩んで成長すれば良いんだよ。世の中にはお前より年下で茨の道を進むしかない子供もいれば、悩む事も出来ずに死んでく奴らが腐るほどいる。スラムで生まれ落ちた奴に比べたらまだまだ幸せな部類だ。……俺もガキの頃は碌でもない扱いだったからな」

「それを言われたらその通りなんだけどねー。でも本人からしたらなかなか割り切れるもんじゃないでしょ、フツー。……でも先輩もそんな過去とかあるんだ?」

「お前が当事者だったら死んでるくらいだな」

「えー、何それ。教えてよ」

「冗談だ。真に受けるな」

 

 振り向いて微笑みを浮かべる中に見えた過去を憂うその表情は、何処か儚げに見えて思わずエクシアは見蕩れてしまう。だがシュテンは即座に表情を切り替えて背を向け直し、社用車へと足を進めようとする。

 エクシアはその背中に目掛けて勢い良く飛び付き、まるでおんぶをねだる兄妹のような様子を見せていた。

 

「……っと、いきなりどうした?」

「ねぇ、なんで先輩はそんなあたしに優しくしてくれるの? モスティマの為?」

「モスティマに言われても面倒を見るまでが義理だ。口を出すつもりは無かった」

「ふーん……あ、もしかしてあたしに惚れちゃった?」

「ガキが色気付くな」

 

 勢いをつけてエクシアを背負い直したシュテンは呆れたような表情で横目でエクシアの顔を覗く。その顔はどこか嬉しそうにしながら悪戯な笑みを浮かべていた。

 

「じゃあなんでなの?」

「……お前はもうペンギン急便の一員、つまり家族(なかま)だからな。我儘な可愛げのある妹分には優しくするもんだろ。……違うか?」

「──ッ。ううん、とっても良いと思うよ!」

 

 妙に照れくささを感じ、熱を帯びた顔をシュテンの背中に預けた。ドキドキと高鳴る鼓動が伝わっていないかエクシアは不安に思いながら、その時に嗅いだ桜の匂いは今でも覚えている。

 

 

 

 

 

 ──それが、エクシアとシュテンの出会いであり、彼女がペンギン急便として働き続ける事を決意した時であった。

 

「毎日手取り足取り優しく教えてやってたのに、突然不機嫌になるから、最初はなんの事かと思ったからな──って……」

「んん……すぅー……」

 

 色々と過去に思いを耽っている内に、気が付けばシュテンに抱きついたままエクシアは熟睡していた。お酒の力は当然あるのだろうが、安心し切って寝てる顔を見るとまだまだ子供なんだなと再認識する。

 

「……そう言えば全く仕事が進んでなかったな」

 

 既に昼休憩を終えて3時間が経過しようとしているところでまだ午後からの仕事に何も手を付けていない。

 更にここからエクシアが起きるまでも時間を考えると、大した仕事量じゃ無いとはいえ、どう考えても予定をオーバーするしかなかった。

 

「今日は残業か……」

 

 しかたないなと呟いて、穏やかな表情で頭を撫で続けるシュテンの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 ──懐かしい夢を見ていた。ペンギン急便に入った頃の、まだ自分が精神的にも肉体的にも幼かった頃の夢。

 モスティマを必死に追いかけ続けた先に見つけたペンギン急便の社員という情報。その情報を追うままに社員となって、思い通りにならなくて癇癪を起こした事もあったけれども、モスティマに言われた通り、エクシアは一人前を目指して成長をした。

 シュテンは本当に優しかった。悪態をついても嫌な顔を一つもせずに接してくれて、不安になればすぐに気が付いて相談に乗ってくれる。テキサスも優しかったけど、基本的に無口だからその事に気が付いたのは少し経ってからだった。

 シュテンが任務の後に自分の仕事を遅くまでやってたのを初めて知ったのは、一人で任務に出られるようになってからだった。余計な心配を掛けさせないようにそこまで徹底してくれてるのを知った時、思わず泣いちゃったのは誰にも言えないエクシアの秘密である。

 

 一人で任務に出れば先輩の背中を追いかけていた日々が恋しくなるも、早く終われば会えると思えば全然苦にはならない。むしろ仕事中、無駄に通話してても怒らずに話してくれるのだ。──テキサスにはバレないように、だけど。

 

 そんな日々が続いてクロワッサンが入社して、シュテンに教わった事を今度はエクシアが教える番となる。如何に右も左も分からない人間に仕事内容を叩き込むのが難しいのかを、本当の意味で理解したのはこの時だっただろう。そして自分の態度が不誠実だったのを思い出し、思わず謝ったのも懐かしい思い出。

 そしてクロワッサンが任務に慣れてきた頃に彼女は漸く帰ってきた。エクシアと同郷であるサンクタの堕天使モスティマ。青い髪を靡かせながら、当たり前のように拠点で待ち受けていた。

 

 でもモスティマに幾ら質問を投げ掛けてもエクシアが納得行くような回答は決して返してくれなかった。──確かに精神的にも強くはなったみたいだけど、まだ一人前とは言えないかな、とモスティマは語る。

 その意味を理解するのはまだ分からなかったけれども、まだ自分が未熟である事を示しているのは容易に察する事が出来た。特にモスティマを見てると、嫌になるほど分かってしまう。

 

 そんな中、ただ一つ、エクシアには納得できない事があった。

 

 それはシュテンの傍にずっとモスティマが居ること。幾らペンギン急便の事務所にいる間は自由な時間とは言え、朝も昼も夜も、見る度にずっと一緒に居た。モスティマの事も大好きだし、シュテンの事も大好きだ。血の繋がりが無くても姉と兄のような存在。でもその二人がいる時はそこに自分は居ないような気がして──

 

 毎日のように顔を合わせると口論の始まるテキサスとモスティマ。毎度の事ながらバカバカしいとクロワッサンとエクシアは笑いながら見てたら、ふとチクリと痛む胸の奥。羨ましささえ感じる二人のやり取りに、何故だか焦りを感じた。

 最近頻繁に感じる胸の痛み。何かの病気かと思っていたけど、よく考えてみるとそこにはひとつの共通点がある。

 

 それは、シュテンがモスティマを見て微笑み掛けている時だった。

 

「あぁ……そっか、そうなんだ」

 

 ──その笑顔が自分に向けられたものじゃない事に嫉妬してるあたしがいるんだ。

 ドロドロと醜い嫉妬。誰にも知られる訳にはいかない感情を、欠片とも表情に表さないエクシア。──そんな気持ちが溢れる中、揉めている二人に気付かれないようにエクシアはシュテンへと近付いて、小声で話し掛けた。

 

「ねね、先輩。先輩のこと名前で呼んでもいい?」

「別に構わないが……急にどうした?」

「なんとなくそうしよっかなって。……シュテン」

「……なんかムズムズするな」

「あはは、あたしも」

 

 その気持ちは胸の奥深くにしまい、吐き出したい気持ちも全て嚥下する。今はただ、妹分である事を口実にまだ少し甘やかせてもらおう。

 いつまでも後ろを追い続けていたエクシアが、シュテンとモスティマに並び立てるようになる為の、踏み出した第一歩なのだから。




実はクロワッサンのお話を書く前から書いていたのですが、流れ的に後回しになった話。
ただソラが2話使ったのにエクシアが1話だなんて……という事で色々と修正しました。

原作では学校卒業と共に龍門に向かった旨が書かれていたと思いますが、本作品ではモスティマを探しながらと言う流れに変えさせてもらっています。
後、プロフィールの戦闘経験の年数に関しても考慮していません。喧騒の掟でのモスティマとの再会が四年後とかその辺の時系列を色々気にすると勤続年数に矛盾が出てきそうなので。




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走れテキサス

出オチ。
可愛いテキサスの話です。



 テキサスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の悪魔女(モスティマ)を除かなければならぬと決意した。テキサスには行方がわからぬ。テキサスは、ペンギン急便のトランスポーターである。剣を振り、仲間と遊んで暮して来た。けれども悪魔的性悪女(モスティマ)に対しては、人一倍に敏感であった。

 

「……シュテン。一つ聞きたいんだが」

「どうした?」

「モスティマの気配……いや匂いだな。性根から漂う酷く腐った腐敗臭だ。この龍門に充満している。……もしかしてモスティマが来たのか?」

「え? モスティマさんって……その……そんな匂いするんです?」

「訳の分からない事を言うな。それにソラも真に受けるんじゃない」

 

 全員が珍しく拠点に集まっている早朝。鼻を摘んで嫌そうな表情するテキサスを見て、思わずソラは妄信する。流石に謂れ無い誹謗中傷は可哀想だとおもったのか、シュテンは擁護するもそれがテキサスの激情を逆撫でる事となった。

 

「なんでシュテンはいつもモスティマの味方をするんだ? たまには私側に付いてもいいんじゃないのか?」

「どっちの味方とかじゃなくてテキサスの暴言を否定してるだけなんだがな……」

「それにモスティマに関してだけじゃない。この前なんてクロワッサンは誕生日プレゼントを貰っている!」

「お前の時も純金のイヤリングを上げたはずだが」

「あれは本当に嬉しかった、私の宝物だ」

「だから何が言いたいんだ……」

 

 机をバンと叩いてクロワッサンを指を差したと思えば、うっとりとした表情でテキサスは思いに耽ける。巻き込まれたクロワッサンも困惑した表情を見せていたが、それ以上にシュテンは頭を抱えて悩んでいた。

 

「それにソラなんて自宅に招いたと聞いたぞ。他の奴等は部屋に入った事も無いのに。……それにソラとエ、エッ……! い、如何わしい事をしたのも知っている!」

「ぅえっ!? あ、あたし!?」

 

 机をバンバンと叩き直し、今度はソラへと指を差した。少し顔を赤くしながら恥じらい混じりで言葉を濁したテキサスであったが、それ以上に過剰な反応を示したソラ。

 その勘違いを理解しているエクシアは、誰からも見えないところで肩を震わせながら笑っていた。

 

「嗚呼、そう言えばそうだったな。あの時のソラは緊張で顔が真っ赤だった。それに後ろから抱き締めてやったら可愛い声を──」

「わー! わー! それは違います誤解ですただの特訓なんですー!」

「え、ちょっと待って。あたしそんな事してたなんて一言も聞いてないんだけど?」

 

 完全に巫山戯ている態度で話をし始めたシュテンであったが、その出来事を思い出してしまうソラは大きな声を上げて誤魔化す。更に話に聞いていた揶揄ったと言う言葉。その想像よりも遥かに過激な行動を起こしていたシュテンに対し、真顔になったエクシアがいつの間にか背後に接近している。

 一度(ひとたび)シュテンが言葉を漏らした瞬間、その場は阿鼻叫喚なものとなった。

 

 その後、なんとかソラの甲斐甲斐しい説明のおかげで、その場を収める事に成功する。未だに納得のいかない表情を見せているエクシアとテキサスだったが、どこか満足気な表情のシュテンは遠くを見ながら珈琲を嗜んでいた。

 

「……ソラの話は誤解なのは分かった。だがこの前仕事を終えて帰ってきたら、エクシアが抱き着いて寝てたのは何だ? シュテンも愛おしそうな頭を撫でていたのを見たぞ。私もされた事がないのに!」

「よし、ソラの事は許してあげるから早く仕事に行こっか! 張り切っちゃおっかなー!」

「待てエクシア。私はまだ納得してないぞ」

 

 素早い気持ちの切り替えで踵を返したエクシア。だが彼女が動き出すよりも早く、その肩にテキサスの手が食い込む。

 ミシミシと軋む肩に気を配る余裕もなく、ぎこち無い様子でエクシアは首を後ろに回すと、そこには凄まじい形相のテキサスが見つめていた。

 

「あ、あたしは全然記憶にないなぁ。もしかしたら寝てる時にもたれ掛かっちゃったのかも……?」

「まぁペンギン急便に入った時から面倒見てるからな。甘えたくなる日もあるんだろ」

「ちょっとシュテン!? テキトーな事言わないでよ!」

「自分で認めてたのに良く言う」

「……エクシア」

 

 テキサスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の天使女(エクシア)を除かなければならぬと決意した。

 

「──いい加減に朝から痴話喧嘩で揉めるのは止めやがれ。ウチの社員共は発情期でも迎えてんのか?」

 

 何度も似たようなことを繰り返し騒いでいたのが気に入らなかったのか、ふんぞり返って寝ていたエンペラーが声を張り上げる。

 

「シュテンもシュテンだ。てめぇが男気を見せて抱いてやらねえからこうなってんのが分からねえのか? 立派なもんが下半身に付いてるんだからやる事は一つだろ。いつヤるか? 今で──」

「──お前が一番発情期迎えてるんじゃねえか。流石に黙ってろ」

 

 空になったマグカップがシュテンの手元から放たれたと思うと、それはエンペラーの頭部を直撃して甲高い破裂音が奏でられる。

 一瞬の内に置物と化したペンギンに誰もが呆気に取られていたが、冷静なシュテンは言葉を続けた。

 

「話が長くなったな。結局テキサスはどうしたいんだ?」

「……私との時間も作って欲しい」

「最初からそう言え。……そうだな、明日は休みだから一日空けられない事もないが……どうする?」

「一日だな?」

「……? そうだが」

「じゃあお願いする」

 

 一部不満そうな人達もいるが、口を出せる立場じゃないのも幸いし、こうしてテキサスとシュテンの逢瀬が決まるのだった。

 

 ──テキサスとデートなんだ。嫉妬するじゃないか。

 ──ま、今だけは良い思いさせてあげないとね。

 ──今だけは、ね。

 

 

 

 

 そして翌日。肌寒い季節となってきた早朝となると身震いするような冷たい風が吹く。

 まだ日が昇るよりも早く、夜の街が静まり返った直後の時間。まさに龍門の繁華街が寝静まったその時に、その女はいた。

 コートを着込んで繁華街の中心にある高層マンションを見上げながら携帯電話を掛け続けるループス。その名もテキサスである。

 

「…………出ない」

 

 一コール、二コール、三コール……そのまま留守番電話に繋がって通話を切り、再度かけ直すことを繰り返して十回以上。寒さで顔が赤くなってきた頃にその反復行動に漸く終わりが訪れた。

 

『……なんだ、こんな朝早くから』

「あ、おはよ、シュテン。約束通り一日付き合ってもらうぞ」

『……何時だと思っている?』

「だって一日って……」

『あー……そういう事か。確かに俺が悪かった。でも準備に時間が掛かるぞ。……そうだな、部屋にでも来い』

 

 あからさまに怠そうな声を出しているシュテンであったが、自身の失言に気付いて素直に謝罪をする。だがそうなるのも全てテキサスの作戦の内。その証拠に彼女は尻尾を振って耳をぴくぴくさせながら笑みを浮かべている。

 

「じゃあすぐに向かうから部屋番号とロック解除を頼む」

 

 シュテンの指示に従いながらマンションへと侵入を成功させ、今か今かとエレベーターのボタンを最速で連打し、シュテンの住む部屋の前へと到着した。

 

『鍵は開けてあるからそのまま入ってこい』

 

 ウキウキした気持ちを抑えられずにテキサスは扉を開ける。

 ループスとは嗅覚も聴覚も人一倍優れており、それ故に小さな違いや些細な違和感にすぐさま反応できるのだ。

 だがこの時のテキサスは浮かれ過ぎていて気が付かなかった。シュテンの声色が篭って聞こえたりしていた事に。

 開放された部屋から伝わるシュテンの香りと水気を帯びた熱気。その先にいたのは、シュテン──なのだが、その姿は、濡れた髪をタオルで乾かしている半裸の状態であった。

 

「悪かったな。シャワー浴びてたから電話に出られなくて──っておい」

 

 テキサスの記憶はそこで途切れている。

 

 

 

 

「……はっ、何か夢の国にいたような気がしたが……」

「ようやく目が覚めたか」

 

 テキサスが目を覚ました時には既に陽は昇り、多くの人々が行動し始める時間となっていた。時刻を確認し、そのタイムロスを惜しむ表情をテキサスは見せていたが、今自分がいるこの場所。ここが夢にまで見たシュテンの住処なのだと思うけど胸の高鳴りを抑えられない。

 

「……モスティマの匂いがする。向こうの部屋にいるのか?」

「いないぞ。そっちの部屋に昔住んでたってだけだ」

 

 だがふと香る眉を顰める匂い。人生最大の敵とも言えるモスティマの匂いを察すると、思わず警戒してしまうのは最早反射に等しい。

 だが所詮は残り香に過ぎなかったようであり、安心した様子でホッと一息吐くと今度は違う部屋を見つめ始める。

 

「……あっちの部屋も気になるな。ちょっと覗いてもいいか?」

「別に構わんが俺の部屋に何の用だ」

「……ちょっと(はた)を織るからその間覗かないで欲しい」

「馬鹿なこと言ってないで出掛けるぞ」

 

 名残惜しむような声を上げているテキサスは、身だしなみを整えたシュテンに引きづられるように連れて行かれる。

 そのまま外へと連れ出されたテキサスは次回には未知の部屋を探索すると心に決め、デートへと意識を切り替えた。

 

「……で、テキサス。何処に行くつもりなんだ?」

「そうだな……この中から選んでくれ」

 

 ──この中から……?

 何が言いたいのか良く分からなかったシュテンであったが、テキサスはゴソゴソとポケットから何かを取り出すと、それを大きく広げた。

 そこには可愛い文字で多数の行き先が書かれたお手製のメモ用紙であった。

 

「ふ、この日の為に書いておいた。何処がいい?」

「……ここまで構って欲しかったとは思ってなかった。ごめんな」

「……別にそう言うのじゃない」

 

 尻尾を振りながら待つ姿はさながら犬のようであり、思わずシュテンも頭を撫でる。目を細めながら尻尾を振って大きく揺らす辺り、やはりテキサスはループスの本能に逆らう事は出来ていない。

 

「ならここの喫茶店へ行ってモーニングにでもするか」

「あぁ、構わない」

 

 紙に記された店名の場所へと向かうと、そこはアンティークな彩りで飾り付けられた小さな喫茶店。

 店内へと進み、席に着けば適当にメニューからサンドイッチを選ぶ。数分して運ばれてきた朝食を済ませて、珈琲で一服していた。

 となると欲しくなるのはやはり煙草。シュテンは懐から煙管とフレーバーの刻み煙草を取り出して準備し、火をつける。

 

「吸うのは止めたんじゃなかったのか?」

「ニコチンやタールを含んでないからセーフだ」

「……シュテンが止めたから私も頑張って禁煙したのに……」

「別に良い事だろ。俺はチョコレートを咥えて喜んでるテキサスの方が好きだぞ」

「──ッ、そ、そうか。なら良い」

 

 それこそシュテンと出会うより前から喫煙者であったテキサス。ペンギン急便に加入してからも吸ってはいたものの、ふと禁煙を始めたシュテンを見て、ならば私もと禁煙を決意。だが中々止められなかったテキサスはエクシアが入社しても喫煙は続く。

 では何故彼女が止める事が出来たのか、それはふとエクシアが口にした言葉だった。

 

 ──なんか煙草吸ってる人が珈琲を飲むと口臭が凄いみたいだね。テキサスは何か対策してるの?

 

 自然と出た言葉であったが、それはまさに晴天の霹靂。テキサスの口臭が云々と言うより、その事実に今まで気が付く事が無かったのだ。

 翌日にはキッパリと煙草を断ち、更には歯を磨く回数も倍に増えたと言うのはテキサスの言えない秘密である。

 

 そんな経緯もあったが、今こうしてシュテンに褒められれば喜ぶ辺り、現金なテキサスであった。

 

「でもその煙管、昔と違う奴だな。……ほんの微かに女の匂いがする」

「この前エクシアが吸ったからだろ」

「……その煙管をか?」

「嗚呼」

 

 テキサスは激怒した。必ず、かのムッツリ天使(エクシア)を除かなければならぬと決意した。

 

「その件はエクシアにじっくりと聞いておく。……だが私が感じたのは違う女だ。恐らくお前と同じオニの」

「俺と同じオニだと? そんな奴が知り合いにいる訳──」

 

 突如シュテンの言葉が、身体が、思考が一瞬の内に止まる。訝しげな様子で見つめてくるテキサスに対し、視線だけを動かして言葉を続けた。

 

「……お前は超能力者か? エスパーなのか?」

「シュテンの事なら任せてくれ。……で、どうなんだ?」

「……遥か遠い昔の話だ。何、この煙管が名前も知らない女の遺品ってだけだよ」

 

 吸い口を咥えて味わい、桜の香りが漂う中でシュテンは遠い目をして過去を反芻する。その様子がテキサスは気に食わないのだろう。ムッとした表情を浮かべてシュテンを睨んだ。

 

「よし、捨てよう」

「……いやいや、これが無ければ今頃ペンギン急便にいなかったぞ?」

「なら感謝の証として溶鉱炉に投げるとしよう」

「あのな……お前にだって大事なものが一つや二つあるだろ。そのイヤリングとかネックレスとか」

「こ、これは命に代えても捨てないからな!」

 

 無理難題を押し付けてくるテキサスに対し、じゃあお前はどうなんだ、と言葉を返したシュテン。どちらも以前に彼からプレゼントされた品だけあって、テキサスにとっては手放せない宝物であった。

 

「解釈は違えと似たような代物なんだよ、これは。俺が俺である為に必要な思い出だ」

「……過去の女とかじゃないのか?」

「断じて違う。顔も記憶にない程だ」

「なら良い。……今からシュテンの煙管を買いに行くとするか」

 

 シュテンは吸い終えた煙管の雁首を逆さにして叩き、吸殻を捨てる。

 過去を甘受して今があるシュテンと過去を切り捨てたテキサス。それぞれの生き方には違いはあれど、紆余曲折の末、お互いに同じ道を歩いていた。お互いがお互いに凄惨たる過去を持つからこそ、触れては行けないラインを弁えており、故にテキサスはそれ以上私情に踏み込むことは無い。

 だがそんな訳の分からない煙管を使うのはテキサスが容認する訳では無い。となれば新品の購入を視野に入れるのも必然であった。

 

 喫茶店を後にして繁華街へと戻った二人。既に多くの人々が行き交う街並みとなった龍門には活気が戻っている。

 シュテンの横を付かず離れずの距離でテキサスは歩いていた。これから向かう先はシュテンが行きつけにしている極東特有の商品が多く集まる店。お忍びでウェイ長官も愛用していると言われる場所であった。

 20通りのデートプランを考えていたとか何とか聞こえてきた幻聴をスルーしつつ、シュテンは人並みを避けるようにして進んでいく。

 

 

 その後、目的の店へと辿り着いたシュテンとテキサス。想像よりも様々な品物が揃っている事にテキサスは目を輝かせながら店内を周り始める。

 振袖と簪を試着したテキサスが嬉しそうに披露してシュテンが即購入したり。

 極東に伝わる抹茶を振舞ったスイーツを食べて目を輝かせていたり。

 般若のお面を着けてシュテンと同じと笑えば頭を小突かれたり。

 意外にも幸せそうに過ごしている二人であった。

 

「ふふっ……シュテン、楽しいな」

 

 珍しく笑い声を上げながらテキサスは笑顔を見せる。鮮やかな花柄の振袖を着ながら、クルリと一回転して見せれば、誰もが目を奪われる美しさ。まるで絵画のようなワンシーンに店内の視線を釘付けにする程だ。

 

「よく似合ってるぞ、綺麗だ」

「ほ、本当か? 嫁に迎えたくなったか?」

「その気は無いが本当だ」

 

 顔を赤く染めながらテキサスは嬉しそうに微笑む。そんな彼女に引っ張られるようにして煙管の販売所に向かった。

 そこには柄や色が様々な煙管が並んでおり、匠の技術で仕上げられた品はシュテンも思わず凝視する程の美しさがある。

 

「私がお金を払うから好きな物を選んでくれていい」

「別に金なら持ってる──」

「私がシュテンに買ってあげたいんだ。……ダメか?」

 

 日頃の恩返しも兼ねてか、上目遣いで見つめるように言われてはシュテンも断る訳にはいかなかった。普段使いで使用するとなれば拘りも出てくる為、シュテンの選んだ品は決して安くはない。だがテキサスは嫌そうな表情を浮かべるどころか嬉しそうな笑みを見せながら、シュテンの煙管を購入した。

 

 

 店内を一通り回って満足し、振袖姿のままテキサス達は店を後にする。和服を着た美男美女のペアとなれば龍門と言えど流石に目立つようで、通行人のほとんどが振り返るようにして見つめていた。

 

 そんな視線も心地が良く、浮かれているのが周囲からも丸わかりな様子のテキサスの元に、一人のループスが現れる。

 

「──まさかこんな所で会うなんて。やっぱりボク達は惹かれ合う運命なんだよ。……でもそんな腑抜けた姿は見たくなかったかな。ねぇ、テキサス」

「……ラップランド」

 

 シュテンのような真白の長髪を靡かせ、テキサス達の前に立ちはだかったのはループスの女、ラップランド。差別の蔓延る龍門で、見るからに鉱石病(オリパシー)が進行している身体を隠そうともせずに歩いているのは、自らの強さに自信があるからなのだろう。

 不敵で不気味に狂笑(わら)いながら、彼女は腰にある刀に触れている。

 

「……なんでお前がここに居る?」

「キミのいる所にボクがいるのはおかしい事かい? ……と言いたい所だけどね、残念な事にロドスの任務で龍門に来ただけさ」

「お前がロドスの任務だと?」

「だから言ったじゃないか。キミのいる所にボクがいるのはおかしい事かい?」

 

 どうやらラップランドはロドスの仕事の為に龍門に来ていたようであり、この出会いは偶然なのだと語る。だがロドスと協力関係にあるテキサスからしたら、彼女が所属してるなど寝耳に水の話だ。

 厳しい視線で睨みつけるテキサスを見られるのが嬉しいのが、ラップランドの笑みは深まるばかりだ。

 

「でもまさかあのテキサスが女の顔を見せてるなんて、ボクには想像も出来なかったよ。……シラクーザで牙を抜かれて袂を分かったキミが、ロドスで武勇を披露してると聞いて駆けつけたんだけどね。まさかここまで堕ちていたなんて」

「……シラクーザの人間はどいつもこいつも好き放題言ってくれる」

「おや、自称シチリア人にも会ったのかい? 勿論、キミの事だから皆殺しにしたんだよね?」

「そうだな、手を下したのは私じゃないが」

「へぇ……それはまた興味深い話だね」

 

 シラクーザ、マフィア、テキサス、ラップランド──その関係は一筋縄ではいかない程に深く結びついた因縁がある。それはシュテンであっても全てを把握しているわけではないので無い為、彼が口を出すような事は無い。だが自分が、テキサスが標的となれば話は別だ。

 シチリア人──端的に言えばシラクーザのマフィアである事に誇りを持っているループスを指しているが、その者達がテキサス以外の手で葬られた事に、ラップランドは感嘆の表情を見せる。

 

「その人とは是非とも手合わせ願いたい所だけど……それよりもキミの事だよ、テキサス。あの頃の触れる者を全て切り裂くような鋭さはどこに行ったんだい? てっきり元に戻ったんだと期待していたのに」

「私には新しい生き方が出来た。それだけの話だ」

 

 狂気の笑みを絶やさないままであったが、カチカチと鍔を鳴らしながら話をするラップランドには確かな苛立ちが見て取れた。それ程までにテキサスへの執着があるのだろう。

 だがテキサスはラップランドを突き放す。もう闇に生きる彼女は必要ないのだ、と。それは過去との訣別を決意したその日から決めていた事なのだ。

 だがラップランドがその程度で諦めるはずも無い。過去のテキサスを取り戻す──それは身命を賭してでも叶えなければならない願いなのだから。

 

「つまらないなぁ……。そうだ、そこにいる彼の首でもプレゼントしたら元のキミに戻ってくれるかな? それとも生きたまま手足を切り落とす、そんな素敵なショーを披露するのも良いね」

「はっ──出来るのか? シュテンを殺す事が」

「何を言ってるんだい? 確かに少しは腕が立つみたいみたいだけど、この程度の実力者なら幾らでも──」

 

 その時、初めてラップランドはシュテンを見た。正確には視たと表現するのが正しいだろう。

 その容姿、服装、そして独特な片側にしかない角──その特徴をラップランドは忘れもしない。冷ややかな視線は熱と殺意を帯び、口元が大きく狂気を見せて弧を描く。唇の端が切れて血が滲み出るのもお構い無しに、ラップランドは吐息を漏らしながら言葉を紡いだ。

 

「──ハハハ! まさかあのオニィサンだったなんて気付かなかったよ! あの後も二人は一緒だったんだね、それはテキサスも腑抜ける訳だよ!」

「……あまり殺意を向けるな。身体が震えるだろ」

 

 シュテンを認識した瞬間、嬉々として語り出すラップランドからは、禍々しい程の狂気に満ちた殺意が叩き付けられる。

 だが覇気のない、感情を殺したような表情でシュテンは受け流した。

 

「相変わらず大した擬態だね、あの震え上がるような狂気は一体どこに忍ばせているんだい? ボクでも戦いに身を置かなきゃ自我を保てないのに──」

「──聞こえなかったか? 殺意を向けるなと言った筈だ」

 

 ──血が騒ぐんだよ。

 

 隣にいたテキサスまでがゾクリと震え上がる程の濃厚な殺意と狂気。シュテンの瞳孔が狭まる事で真紅に染まった瞳を大きく開き、口元からは犬歯が見えていた。

 存在ごと上書きするような威圧感にラップランドは身体を大きく震わせる。その顔には歓喜と恐怖を浮かべ、しかしながらも身体は反射的に反撃しようと刀の柄を握りしめて引き抜く──その瞬間、テキサスの手が柄頭を押さえた。

 

「こんな所で争うつもりか。……シュテンも控えてくれ」

「……俺は忠告したつもりだったんだがな。大した戦闘狂だよ」

 

 シュテンは目を閉じて大きく深呼吸をすると、次の瞬間にはいつも通りの気配に切り替わる。ラップランドは震える掌で額に浮かぶ冷や汗を拭うと同時に気付く。いつの間にか彼の空いた手には護身用の鉄扇が握られており、何時でも反撃できる態勢だった事に。

 そして赤面と動悸を感じながらテキサスは2人を宥めている。

 

「ハハッ! やっぱりオニィサンはサイッコーだよ! その殺気に感化されて昔のテキサスを取り戻して欲しいところだけど──」

「それはテキサス自身が決める事だ」

「そう。だからオニィサンじゃなくてボクが導いてあげないといけないし、ボクの使命でもあるのさ。オニィサンと言えども譲るつもりは無いよ」

「人の話聞いてんのか? テキサス譲りなのか?」

「ボクとテキサスが似てるなんて照れるじゃないか」

 

 未だに震える身体を奮い起こしながら、ラップランドは狂笑み(ほほえみ)を絶やさない。その在り方はある意味一つの完成形なのだとシュテンは内心で賞賛していた。人の話を聞かないのは論外であったが。

 

「それにテキサスも変わってないようで安心したよ」

「……? 何を言っている?」

「何ってオニィサンの殺気に当てられて昂揚しているんだよね? 顔を赤くしてバレバレだよ」

「──んな、いや、これは……」

 

 嬉しそうに語るラップランドと照れたように動揺するテキサス。二人の間には少しばかり齟齬があるようだが、その事に気付くことなくラップランドは言葉を続けた。

 

「シラクーザにいた時の戦意はまだ無くなってはいないみたいだし、暫くはテキサスはオニィサンに任せておくよ」

「あ、そっちの意味……」

「この間から鍛えていたつもりだったけど、まだまだボクも強くならないといけないみたいだね。オニィサンを嬲り殺せるその時まで待っててね、テキサス」

「……ラップランドが勝てるとは思えないがな」

「その時は源石(オリジニウム)を持ち込んで、相打ちになってでも殺してみせるよ」

 

 ──全てはテキサスが元に戻る為に。

 

 そう言って最後まで笑みを絶やさないまま、ラップランドは去って行った。機会があればロドスで顔を合わせる事になる事実に、テキサスは憂鬱そうに肩を落とす。

 

「難儀な奴に目を付けられてるもんだな」

「いつかは過去に追いつかれる。……分かっていた事だ」

「そうだな。いずれ精算しなければ終わる事は無い」

「あぁ。だが今はこの時間を大切にしたい。……駄目か?」

 

 上目遣いで不安そうに見つめてくるテキサスの頭をぐしゃぐしゃと乱雑に撫でて、シュテンは不敵な笑みを浮かべる。

 

「好きにしろ。どんな事があっても俺はテキサスの味方だ。……捨て犬を拾ったあの日からな」

「素敵なレディに向かって捨て犬とは失礼だな。……だが感謝している」

 

 頬を染めながら恥ずかしそうにテキサスは呟く。絶望の環境からは考えられもしなかった幸福の未来。

 全てを切り捨てた過去の中でも、シュテンに出会えた小さな希望の光は、今も決して忘れはしない出来事であった。




過去編続きます。


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孤高の狼と復讐の炎

テキサスの過去話。
とてもシリアスです。



 テキサスとシラクーザの関係を知る為には、まずはクルビアとテキサス家について知る必要がある。

 

 多くのループス族の故郷がシラクーザであるのは世界共通の認識である。それは、ペンギン急便に務めるテキサス。彼女の父と母が一代で築き上げて隆盛させたテキサス家も例に漏れずにシラクーザ生まれの人間であり、マフィアの抗争にも大きく関わったりする人物であった。

 だがそんな生活に嫌気を差して東に位置する国、クルビアへと移り住んで事業を成功させたテキサス家は平穏な日々を過ごしている。

 

 元々、クルビアと言う地域の特徴上、鉱石病(オリパシー)への差別も薄く、どちらかと言えば自然の多い国である為、自給自足での生活も成り立つ。シラクーザや龍門のような栄えている反面、裏社会の蔓延る国とは正反対の、平和と呼ぶに相応しい国であった。

 

 元々、シラクーザにいた頃から多くの企業との交流を図っていたテキサス家にとって、クルビアでの生活に何一つ支障はない。例えクルビアに無くとも必要な物があれば連絡一つで届き、逆にクルビアにしかない特産品の手配が出来れば連絡一つで大金が舞い込んでくる。コミュニケーション能力を含めて商人の才を遺憾無く発揮した天才的な両親であったと言えよう。

 

 テキサスには両親の他にも少し離れた兄と歳の近い妹がいた。互いに互いを尊重し合う良き兄妹だった。

 全員が両親から受け継いだテキサス家特有の艶やかな黒髪。そして父からは剣術を学ぶのもテキサス家特有教育であった。

 その中でもテキサスは誰よりも剣技に秀でている。源石剣を使ったアーツも難なくと使いこなし、女らしい体つきになる頃には一家の中でも飛び抜けた強さを誇り、クルビアの一部地域で見ても図抜けた腕を持っていた。

 逆に兄と妹が、商人やコミュニケーションでの才を発揮していたのに劣等感を抱いていたようである。

 

 何気ない家庭で過ごし、平和な将来が約束されていたそんな日常。

 

 

 ──それは唐突に終わりを告げた。

 

 元々テキサスの両親は全員のマフィアの同意の元で組織を抜けた訳では無い。その為、有力な人材であった二人がいなくなった事で次第にマフィア同士の均衡が崩れ始め、元同僚達の多くが死に追いやられる。待つのは最早破滅のみと言ったところで、その彼等の怒りはテキサス家へと向けられた。

 組織時代のコネクションを利用して商人としての才を発揮させたのも悪手だったと言えよう。その伝手によってマフィアに居場所を突き止められたのだから。

 そしてマフィアは最後に残された多くの私財を(なげう)って大量の傭兵達を雇った。種族も厭わず腕の立つ者をとにかく掻き集めて出来た寄せ集めの集団。

 それほどまでにテキサス家に対する私怨(うら)み、更には費やした私財が端金な程に、潤沢な資金が眠っている事を知っていた。

 

 そしてテキサス家は、一夜にして滅びた。

 多勢に無勢と言える圧倒的な武力の元、BSWのボディガードも含めて鎮圧。援軍が来るよりも早く、彼等は全てを奪ってシラクーザへと撤退して行った。

 

 テキサスが生き延びたのは不幸中の幸いだと表現するに相応しいだろう。たまたま(・・・・)その日は学び舎の行事で家を空けており、不在だったのだから。

 シラクーザのマフィア自らの手で惨殺された亡骸には会う事も叶わず、テキサスが帰宅した際には既に骨組みだけとなった実家だった。

 

 頭が真っ白になり、何が起きたのか理解することが出来ない。否、考える事が脳を拒絶しているのだろう。心が壊れてしまわないようにと無意識の自衛。絶望の中でクルビアに保護され、ただ生きるだけの日々を過ごしていたテキサスは、二度と戻らない日々が毎日夢に出てきて涙を流す。

 

 幾多の夜を越え、幾多の朝を迎え、されど罪人が捕まる事は無く、無念の日々を迎える中。テキサスの元に一つの噂が聞こえてきた。それは誰の言葉だったのかすらも覚えていない。

 曰く、テキサス家の当主はシラクーザのマフィア上がりで恨みを買ったのだと。

 曰く、シラクーザのマフィア達にクルビアは屈したのだと。

 曰く、多額の裏金でマフィア達は逃れているのだと。

 

 保護された施設の中でも最早腫れ物のような扱いをされるテキサス。ループス特有の敏感な聴覚だからこそ聞こえてきてしまう噂話は、彼女の心を蝕む。

 

 ──あぁ、この世界は──どこまでも腐っている。

 

 あの時、あの瞬間、家族と共に死ねた方が幾分楽に逝けたか──そんな思いを胸に唯一残された源石剣を手に取り、刃を出現させた。

 この世界に最早未練などない──自らの首を断とうと刃を喉元に突き立てたその瞬間、彼女の手が止まる。

 脳裏に浮かび上がる優しい両親の顔が、意地が悪くも優しかった兄の顔が、後ろにどこまでも着いてきていた妹の顔が、家族の顔がその刃を動かなくさせた。

 

「……そうだ。そうだったな」

 

 殺人剣と呼ばれる程の実践的な剣術を、いつか誰かを守る為に役立てたいと言っていた父。

 ならば今、家族の無念を晴らす為にも、家族の誇りを守る為にもやらなければならない事がある。

 

 源石剣を腰に携え、静止の言葉を全て振り切ってテキサスはシラクーザに向けて駆け出す。

 全ては己が人生を賭けた家族の誇り(復讐)の為に。

 

 

 

 

 若き女が一人で異国の地を生きるのは決して容易ではない。保たれた秩序の元であれば働き口も見つかり、身の安全も確保されようが、テキサスの生きる道は日陰者の集まる地にあるのだから並大抵の事では無いだろう。

 

 一度(ひとたび)スラムに足を運べば鉱石病(オリパシー)の感染者が蔓延る無秩序の世界が広がる。男は暴力を、女は身体を武器にして今日という日を生きるのに命懸けで暮らしていた。

 そんな中、テキサスは孤高の一匹狼として、スラムの頂点に君臨していた。シラクーザに訪れて数ヶ月。人を見下していた低俗も、舐め回すような目付きで見てきた下衆も、不意打ちで襲いかかってくる野卑も、全て切り払い、死体を積み重ねてきた。

 初めて人を殺したのは、シラクーザに訪れた初日。その足でスラムに行き、マフィアの詳細を訪ねようとして連れて行かれた先で襲われた。必死の反撃の末の殺害である。

 手に残る肉を切り裂いた感触を思い出し、何度も嘔吐した。だが今となっては嘔吐する方が難しい程に、造作もなく切り捨てている。

 天賦の才能を以て殺人剣を成す。触れるもの全てを殺す程の鋭利さがそこにはあった。

 

 

 スラムに蔓延るならず者達を使い、テキサス家に関するマフィアを人海戦術で発見しようとしても、中々手掛かりが得られない事にテキサスは苛立ちを感じ始めている。いざ報告が入って行ってみても、そこにいるのは弱小のマフィア崩れが(たむろ)しているだけであり、有力な情報の一つも手に入らない。

 そろそろ別のスラム街へと拠点を移そうとする、そんな時であった。虚ろな目で黄昏ていたテキサスの前に、目の抉り抜かれた生首が生暖かい血を吹き出しながら三つ転がってくる。

 その顔はどれも見た事がある。今朝まで指示を出していた、ならず者達なのだから当然であろう。だがテキサスの感情は何一つ沸き立つ事は無い。その視線はただ捨て置かれた不要物を見つめるような冷たい視線であった。

 

「へぇ、仲間が殺されても顔色一つ変えないなんて。中々楽しめそうだね」

 

 二刀の刀と身体に大量の返り血を浴びたまま、テキサスに近づいてくるのは、狂気に満ちた笑みを隠そうともしないループス、ラップランド。

 これがテキサスとラップランドのが初めて邂逅した瞬間であった。

 

「……誰だ?」

「ボクの名前はラップランド。しがないマフィアのボディガードみたいなものさ。……さて、確認なんだけれど、ここ最近マフィア達が次から次へと消されてるみたいでね、なにか心当たりは無いかい?」

「心当たりがあるからそいつ等を殺してここに来たんだろう」

「──ハハッ! 察しが良いね!」

 

 次の瞬間、ラップランドがその場で剣を横薙ぎに一閃。届くも筈の無い距離にいたテキサスは不審がる表情を見せていたが、突如本能が告げる危険を感知し、その場にしゃがみ込んだ。

 その直後である。テキサスの背後にあったコンクリートの壁に大きな斬撃の傷跡と共に亀裂が走った。突然の出来事に唖然としたテキサスであったが、瞬時にラップランドの攻撃によるものだと判断し、反撃に移る。

 

「アハッ! 今の一撃が避けられるとは思わなかったよ! まさかボクの一撃が見えるのかい?」

「それだけ殺気を垂れ流していれば誰でも分かる。──切り尽くす」

「色々とマフィアについて探ってるみたいだね。キミが勝てたら知りたい事をなんでも教えてあげるから、手加減無しで頼むよ? ボクを退屈させないでね!」

 

 源石剣を起動し、瞬時に距離を詰めたテキサスはラップランドの首筋に剣を突き立てる。皮一枚切らせるギリギリの動きで避けたラップランドは、笑みを深めながら逆袈裟斬りで反撃。

 僅かに手元を器用に返して剣の根元で受ける──が、ラップランドの膂力はテキサスを予想を遥かに上回った。

 浮かび上がった全身はラップランドの腕力によって吹き飛ばされ、体勢を大きく崩す。

 

「しま──」

「ほら、抗ってみなよ!」

 

 ラップランドの体表に現れている源石(オリジニウム)が淡く光り、アーツが放たれた。振り抜かれた二刀から巨大な狼の頭部のような斬撃がテキサスを追従していく。急遽、テキサスは剣を地面に突き立てて体勢を立て直し、外壁を駆け登るようにして大きく回避。僅かに逸れたラップランドのアーツ──狼魂は外壁へと噛み付き、豪快な破砕音と共に外壁に大きなクレーターを作り上げた。

 

 それからテキサスが距離を詰めて一合、二合と武器を打ち合わせればラップランドの技術と膂力に打ち負けてギリギリの所で回避する──そんな流れを二度三度繰り返した所でラップランドが口を開く。

 

「その程度なのかい? ボクに傷一つ付けられないのにシラクーザのマフィアと一人殺り合おうだなんて……覚悟も努力も足りないんじゃないのかな?」

「……黙れ」

 

 戦闘技術も膂力もアーツも質もラップランドの方が優秀なのだろう。本能で戦っているような存在でありながら、全てが的確な一撃であり、小手先の技は反射的に出る技術だけで覆されてしまう。精々テキサスに勝っていたのは知恵と機動力だけであった。

 だが、全てを賭してでも殺すと決めた相手がいる。その覚悟が、決意が、ただの戦闘狂に貶されるのは我慢ならない。

 

 小さく息を吐いて再度ラップランドへと距離を詰めたテキサスは、今までと同じように首筋に向けて剣を突き出す。

 

「もうその攻撃は見飽きたよ。キミはその程度なんだね」

 

 ラップランドが優れている能力は卓越した戦闘技術だけでは無い。相手の弱点や特徴を即座に把握するその観察力も非常に長けていた。

 最早避けるまでもなく、カウンターを叩き込んで終わる。そんなあっけない結末。

 

「さようなら。もっと楽しめる相手だと思ったのに──ッ!?」

 

 テキサスの胸元へと突き刺さる予定だった刀身は、空から降ってきた剣によって軌道が逸れて脇腹を掠めるだけの一撃と変わる。

 剣を投げるようにして手放したテキサスは、突き出したラップランドの腕を掴み、決して逃がしはしない覚悟の元、空に放っておいたアーツを発動させた。

 

「これが私の覚悟だ……!」

 

 テキサスのアーツ、剣雨──降り注ぐ数多の剣が、両者の身体を切り裂く。逃げようとラップランドが動くも、テキサスに腕を掴まれて動く事は叶わない。片手に残った剣で剣雨を凌ぐも、全てを弾き返しは出来ずに全身は瞬く間に血に塗れていく。

 だがそれはテキサスも同様であった。投げた剣が僅かに弾いて致命傷は避けられるも、剣雨相手では心許ない。直ぐに全身に傷を負って血が吹き出す。

 だが良く知る己のアーツと初めて見る他人の技では、対処の方法は断然前者の方が有利であった。それは互いの傷の重度具合を見れば一目瞭然である。

 

「ハ、ハハハハハッ! 何だ! やれば出来るじゃないか!」

 

 嬉しそうに狂い笑うラップランドは、全身の傷はおろか、手足を剣が貫いており、最早まともに戦える状況では無いのは明白であった。

 それに引き換えテキサスは、空に投げた源石剣をラップランドへと突き付け、殺意に満ちた視線を送っている。全身に傷は負っているものの、致命傷になり得る直撃は全て回避していた。

 

「……終わりだ。情報を洗いざらい吐いてもらうぞ」

「ハハハッ、こんな傷じゃまともに動けそうもないしボクの負けだよ。……だけどその前にひとつだけ。今のアーツはいつの間に撃ったのかな? そんな気配は微塵も感じなかったよ」

「知らなくて当然だ。奴等からの定時連絡が無かったから、念の為に仕掛けておいただけに過ぎない」

「あぁなるほど……ボクが殺しを楽しんだのが不味かったんだね。アハハッ! 良い勉強になったよ!」

 

 ラップランドは来るよりも前に仕掛けておいた設置型の剣雨。まさかこんなに上手くいくとはテキサス自身も思ってはいなかったが、結果が全てである。

 

「で、君は何を知りたいのかな? なんでも答えてあげるよ」

「テキサス家の関わったマフィアについて、知ってる事を全て話せ」

「……なるほど、キミはあのテキサス家の関係者だったんだね。ますます気に入ったよ!」

「良いから話せ」

 

 テキサスの剣がラップランドの首筋に食い込む。流れ出る血が剣を伝って地面に滴っていくも、ラップランドの笑みが消えることは無い。

 

「とは言えボクは詳しくは知らないからね。あまり話すことは無いかな」

「そうか。だったら死──」

「──でも、ボクの雇い主はマフィアを全てを把握してると言っても過言では無い人だ。……会わせてあげる事も可能だよ」

「………」

 

 ラップランドから得られる情報は無いと即座に判断したテキサス。このような危険人物を生かしておく利点の方が少ないと考え、即座に殺そうとする。しかしラップランドにはラップランドの繋がりを持っている。それはシラクーザにおけるマフィアの情報を束ねている人物、そんなマフィアのトップに立つような人物に面会させられるのだと彼女は語る。

 

「どうする? 選ぶのはキミ自身さ」

「…………」

 

 罠かもしれない。元々テキサスの命を狙ってやって来たのだからそう考えるのは当然であろう。

 だが同時にその話が本当であるのならば、一気に核心へと近づけるのも事実であった。

 運命の分かれ道に悩む事数十秒。結論を出したテキサスは口を開く。

 

「……良いだろう。会わせろ」

「ハハッ! そう言ってくれると思ったよ!」

 

 こうしてテキサスは、ラップランドの雇い主の元へと向かうのだった。

 

 

 

 ラップランドとテキサスは互いの傷を癒す為、数日程共に廃屋の中で過ごしている。その間にお互いの自己紹介を済ませたり、似たような境遇に意気投合したりと意外にも互いに嫌悪したりはしなかった。

 鉱石病(オリパシー)にならないようにと生活環境に気を付けていたテキサスに対し、一緒の感染者になろうよと掻き乱すラップランドに本気で怒っていたのは別の話である。

 

 傷も癒えた頃、ラップランドのバイクの後ろに乗ってテキサスは雇い主の元へと駆けていた。どうやら相当離れた所に位置しているようであり、道理で幾ら調査した所で、まともなマフィアの情報が出ないのだと納得したくらいである。

 

 多くの廃墟や工場跡を抜けた更にそのスラム抜けた奥。そこがラップランドの関係するマフィア達の拠点になっていた。

 バイクを降りてラップランドに着いていくように進んでいくテキサス。周囲を見れみれば確かにスーツを着込んだ姿の男達が大勢いるのが一目で分かった。そしてそのマフィア達が、怯えた様子でラップランドを見ていた事も。

 

 ラップランドに案内された先には、スラムに似合わないモダンな豪邸がそこにはあった。普通であればならず者達の標的にされるであろう建物が、こんな奥地に堂々と建っている。

 どう考えても異質な光景に呼吸さえ忘れていたテキサス。だがラップランドは我が物顔で建物の内部へと侵入した為、背後をついて行く。

 

 屋内に入ってもその豪勢さは変わりはしない。巨大なシャンデリアに左右に並び立つ銅像や甲冑。力を誇示するように見せつける様々なインテリアからは、家主の性格の悪さが伺えた。

 

「ここだよ、テキサス。この先にボクの雇い主がいる。……あまり無礼のないように頼むよ」

「お前がそれを言うか」

 

 だが逆に考えてみれば、ラップランドですら気を使う相手なのだと言う事を指している。思わず緊張に体が強ばるも、ラップランドは気にも留めずに扉を開けた。

 

「今戻ったよ、ミズ・シチリア」

 

 中で待っていたのは、リクライニングチェアに座って揺り籠のように動いている老年の女性であった。

 ループスの女性── ミズ・シチリアは柔和な笑みを浮かべながら二人が来るのを待っていたように話しかける。

 

「ご苦労様。無事にテキサス家の娘を連れて来たようですね」

「……テキサス家の娘だって事は知っていたんだね。相変わらず食えない人だ」

 

 その会話を聞いて、テキサスは初めて自身の命が目的では無かった事を理解した。そして恐らくはこのラップランドの勝手な行動なのだろうとも。

 その可能性が考えられる程に、彼女の戦闘狂振りをここ数日で理解したのだから。

 

「それで、彼女はどうでしたか?」

「アハッ、それはもうサイコーだよ! 腕もシラクーザじゃ類を見ないほどさ。そして何より命を省みない覚悟と戦略! 一瞬でボクを虜にさせたよ!」

 

 嬉々として語るラップランドの表情を、にこやかな笑みで聞くミズ・シチリア。その姿、気配、どこをどう見ても一般人にしか見えない老年の女性が、マフィアを束ねるような立場にいるとは到底思えない。

 

「さて、テキサス家の娘さん。貴方は自分の家族を殺したマフィアの所在地を知りたいようですね」

「私の事はテキサスで良い。……全てお見通しと言う訳か」

 

 初めての対面にも関わらず、その目的を把握している事にテキサスは警戒心を高めて睨む。だがミズ・シチリアは温厚な態度を崩さず、ゆったりとした口調のまま言葉を続けた。

 

「警戒しなくて良いですよ。私は貴方の両親と親友だったのですから。彼等を許せない気持ちも分かります」

「大丈夫さ、テキサス。ボクも独り身になってからお世話になってる人なんだ。安心していい」

 

 二人から諭されるように言われると、流石のテキサスも馬鹿らしくなってその警戒を解く。

 

「……確かに私の目的はマフィアの居場所だ。……貴方はそれを知っているのか?」

「ええ、把握しています。そしてそれを貴方に伝える事も私の宿命なのでしょう」

「なら──」

「その前に一つだけ。私の話を聞いて貰えますか?」

 

 もうすぐ復讐が果たせる──そんな焦りから回答を催促するテキサスであったが、ミズ・シチリアの言葉を受けて頷く。

 

 彼女の話はテキサスが思うよりも遥かに壮大な話であった。

 このマフィアが溢れるシラクーザの裏側の世界を憂いているミズ・シチリア。多くの命が当たり前のように失われ、産まれ、そしてまた消えて行く。そんな中でありながらも、鉱石病(オリパシー)に感染するのも当然と言えるような劣悪な環境で過ごす物が多数存在していた。

 そんな命を物として扱うマフィアを統治するべくして彼女は動いていた。マフィア同士の抗争が無ければ失う命も、奪われる物資も、壊される住処も減っていく。そんな理想の裏社会を目指しているのだと。

 故に彼女はラップランドを右腕として雇い入れ、ラップランドと言う狂器(凶器)を存分に奮ってマフィア達を従えた。例えそれが恐怖によるものであろうと、確かに裏社会は秩序のあるものへと変わりつつあった。

 だがそれでもミズ・シチリアには従わない者達は多数存在する。シチリア人としての誇りを持ってマフィア稼業をしてきた者達に、突如現れた女の傘下に下るなど考えられないからだ。

 そんな彼等の多くを惨殺し、ミズ・シチリアの地位が確立されてきた頃に起きた事件。それがテキサス家の襲撃であったのだ。

 

「あと少しの所まで彼等を追い詰めたのですが、その後テキサス家を襲ったのは不運であったとしか言いようがありません。……ですが先日、ついに逃げ出した彼らの居場所を突き止めたのです」

「貴様のご高説は良い。早く教えろ」

「……確かにラップランドの言う通り、強者の気迫を感じますね」

 

 慰めのような言葉など不要。寧ろ逆撫でする言葉にしかならないミズ・シチリアの台詞にはテキサスは吐き気すら催す。

 鋭い眼差しに殺気。ラップランドが認めたその威圧感はミズ・シチリアの求めていたものだった。

 

「これは取引です。私は貴方にマフィアの居場所を教える。代わりに貴方の力を私に貸してください」

「……私の力だと?」

「えぇ。マフィアを統一し、秩序を求めるその夢。復讐を果たした後の貴方に手伝って欲しいのです」

 

 詰まるところ、ラップランドのような立ち位置を所望しているのだろう──テキサスはそう考え、即座に回答した。

 

「あぁ、問題ない」

 

 復讐を終えた後の事など今は考えても仕方がない。

 ただこの胸に燻っている想いを、無念を晴らさなければ生きた心地などしないのだから。

 

 

 

 

 

 ──結末は呆気ないものだった。

 

 血塗られた源石剣を振り払って最後のマフィアの首が宙に舞う。血溜まりの中で月夜を見上げ、煙草を吹かしながらこの日を反芻する。

 ミズ・シチリアに拠点の位置を聞いた後、数日間身体を休めてから直ぐに出発した。ラップランドとの二人だけの奇襲だったが、何一つ手こずる事は無い。

 命だけは助けてくれ──その言葉を何度聞いたかも分からない。ただ、その言葉を家族が口にしても、皆殺しにしたマフィア共に言われるのは我慢ならなかった。

 ただ我武者羅に殺し続けた。数十といたマフィアだろうと、被弾も構わずに殺戮し続けるテキサスを止める事は出来ない。その姿はラップランドさえ震え上がり、昂揚した程であった。

 

 拠点にはテキサス家にあった豪勢な貴金属は何一つ無く、全て紙幣に変えられて豪遊する為の資金になっていた。ただマフィアの頭が持っていたロケットペンダント。そこには若かりし頃の両親が写っていた。

 何故彼がそのロケットペンダントを持っていたのから分からない。だがその持ち物を持っていたと言うことは間違いなく彼が復讐の相手である事は分かった。

 

 全てを終えたテキサスとラップランドは拠点に火をつけ、外へと脱出する。全てを忘れるように燃えていく木々。天にまで届くような豪炎と黒煙が、天国にいる家族に届くように──そんな想いを馳せながらテキサスはロケットペンダントを火に投げ入れた。

 

「良いのかい?」

「……私にはもう不要な物だ」

 

 過去も未来も全てをこの日の為に捨ててきたテキサスにとって、思い出など最早不要なのだと語る。

 その流した涙は、彼女の最後の良心だったのだろう。

 

「ラップランド、今日から正式に宜しく頼む」

「──ハハッ! 良いよ! どこまでも一緒に行こうじゃないか!」

 

 こうしてテキサスはラップランドど共に、ミズ・シチリアの為に力を振るう事となる。

 多くのマフィアを殺害し、血も涙も無い殺戮兵器と化したテキサスは、シラクーザにおいてラップランドと並ぶ恐怖の象徴となる。

 

 その空虚な心は、何一つ満たされる事は無い。




続きます。



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酒呑と皇帝と対の執政者

 

 テキサスがミズ・シチリアの私兵となって四年の月日が経った頃。

 とある廃れた夜のバーにて、シュテンとエンペラーがカウンターに座って酒を嗜んでいた。既にかなりの量を飲んでいるのか、周囲にはボトルが多く転がっている。

 ウイスキーをショットグラスで浴びるように飲み続けているエンペラーに対し、ストレートで飲みつつも、チェイサーで味覚を戻しながら味わうようにしているシュテン。そこには性格の違いが大きく出ていた。

 そんな中である。誰も来ない貸切の店内に二人の男が現れた。

 一人は龍門を代表する実質的執政者、ウェイ。そしてもう一人は裏路地で飴屋を営むネズミの姿をした高齢の老人。

 

「この俺を待たせるとはいい度胸じゃねえか。お釣りは鉛玉でいいか?」

「すみません、エンペラーさん。しかし時間より早く来たつもりなんですが」

「それだけ仕事が無くて暇だと言うだけの話だろう。ワシらが気にするだけ無駄じゃ」

「このクソネズミ。まずはてめえの腐った脳みそ撒き散らかすぞ」

「……お久しぶりです、ウェイ長官。それと鼠王」

 

 その老人は龍門の裏社会を纏める鼠王──リン・グレイ。灰色の(リン)であった。

 龍門のツートップが相手なだけあり、シュテンの態度は畏まったものとなっているものの、エンペラーは全方位に喧嘩を売る真逆な態度を貫いている。

 

「相変わらず礼儀正しいのう。エンペラーの下で働いてるのが不思議なくらいじゃ」

「えぇ、本当に。私も理解できないくらいですよ」

「ハッ! 内心だと化け物扱いしてる癖に良く言うぜ。良いか? シュテンが本気を出せばお前らなんて今頃酒瓶の中に漬けられて──ぶへっ」

「人の威を借りて威張るな。……申し訳ありません」

 

 シュテンに後頭部をぶん殴られて、ショットグラスを見事に砕きながらカウンターに顔を沈める。思わずウェイ長官と鼠王も引き気味であったが、シュテンに薦められるがままに席に着いた。

 

「私が()ぎますので遠慮なく申し付けてください」

「悪いのう」

「あぁ、すまないね。中々こんな時間が取れないから懐かしい気持ちだよ」

 

 シュテンが席を立ち、ウェイ長官と鼠王の元に行って酒を注いでいく。それはエンペラー秘蔵の高級酒であったが、当の本人が撃沈している為、誰も気が付くことは無かった。

 

「しかし龍門も変わりましたね。あのウルサス帝国の一件はどうなるかと思いましたが、数十年でこの変わりようには本当に驚きましたよ」

「その件に関して、シュテン殿の活躍には本当に感謝している。……私からしてみればその一件があったからこそ、今の龍門があると言うべきかな。しかし急激に光が増えた分、龍門には闇も増えた」

「ワシの掌から零れ落ちる闇を増えてきておるからな。そやつ等がまたコソコソと執拗(しつこ)い連中だから困ったもんじゃ。……ワシも老いたのう」

 

 腰を曲げ、辛そうに溜息を吐く鼠王を見て、シュテンとウェイ長官は思わず笑みが毀れる。未だに現役で誰よりもスラムを把握し、それを従える手腕を持っているものが老いたなどと。

 

「ご冗談を。鼠王に適う若者が何処にいると?」

「目の前におるではないか」

「お戯れを。それに私は貴方よりも年上ですよ」

 

 見た目だけの話で言うなら確かにシュテンは若者であるが、実年齢で言えば四人の誰よりも年老いている。確かに彼であれば、或いはその王の座に着けたのかもしれない。

 だがシュテンにはシュテンの目的がある。その目的にスラムの王など、微塵も関係は無いのだから興味など沸くはずもない。

 

「──んな、事よりだ。ビジネスの話の為に来たんだろうが。とっとと話やがれ」

 

 サングラスまで砕けて顔面にグラスの破片が突き刺さっている筈のエンペラーがムクリと顔を上げる。何故かその顔は無傷のままであり、机に散らばったガラスの破片を床下へ吹き飛ばしていた。そして何も無かったかのように新しいショットグラスにウイスキーを注いで、一気に飲み干す。

 

「そうですね。時間に余裕はありませんので。……恥ずかしい話なのですが、今龍門には外部から違法薬物が流れ込んできています。その大元を絶つ──それが依頼です」

「はっ、そりゃあ随分とデカい仕事だな……。でウェイよ、お前はペンギン急便を嘗めてんのか? その何処に配達の要素があるんだ?」

「それを言われるとこちらとしても痛いのですが……。ですがハッキリと言いましょう。その規模はスラム街に留まらず表の社会にまで蔓延し始めようとしています。ペンギン急便としてもそれで宜しいのですか?」

「……それはいつでも俺達を摘発できるっつー脅しなのか? あ?」

 

 違法薬物。依存性が高くて人体に悪影響のあるドラッグを指すものであり、そもそも製造自体が国際法で禁止されていた。

 それが当たり前のように蔓延し始めているとウェイ長官は語る。警戒していても取り締まり切れていない現状が、如何に異常事態なのかを認識しているのは、近衛局でもひと握りだろう。

 それが表世界にまで蔓延するとなると、ペンギン急便の配達物資の中に紛れてくる可能性も大いにある。

 そうなると龍門近衛局としては、違法薬物の運び屋として蔓延を助長させている可能性があるとして動かざるを得ない。

 

「……察しが良くて助かります。ですが分かって頂きたい。力が持ちながら自由に動ける人材で無ければ、今回の件は解決しそうに無いのです」

「……それで鼠王もここにいる訳ですね」

「聡いのう。ワシも色々と手を尽くして潰してはおるんだが、どうも龍門の者達とは違う奴等が我が物顔で薬を撒いておるようじゃ。それも格安の、赤字覚悟の価格でな」

 

 裏事情に詳しい鼠王ですら全貌を把握していないとなると、巨大な組織が外から干渉してきている──そう言う事のなのだとシュテンは推測する。

 本気で阻止するとなれば、龍門を離れて壊滅させる必要がある程の大仕事である事が理解出来た。

 

「龍門を薬漬けにでもして自分達の居場所を作ろうとしてるみたいですね。……で、その話を持ってきたと言う事は相手の目星が付いているのでしょう?」

「えぇ、その通り。……相手はシラクーザのマフィア。それも恐らく、龍門のマフィアとは比較ならない程の巨大な組織です」

 

 オンザロックのウイスキーを口に含み、小さく息を吐いたウェイ長官。天才的な彼であっても悩みの種になる程には大きな組織が相手なのだろう。

 

「で、龍門はウチに対してどのような報酬をくれるんだ? 執務室でもくれるっつーならやってやるが」

「エンペラーさん、冗談がキツすぎますよ。……そうですね、費用は龍門が持つ上でこの金額でどうですか?」

「0が足りてねえんじゃねえのか? こんな金額じゃまともな酒も飲めねえぞ」

「それとペンギン急便の活動拠点が幾つか欲しいですね。ウェイ長官の息が掛かっていても構わないので手配して貰えますか? 後、曰く付きでも良いので軍用車両を幾つか貰えると嬉しいですね」

「……やれやれ、ここぞと言う時には似た者同士だのう……」

 

 呆れたように呟いた鼠王の言葉にはウェイ長官も同意せざるを得なかった。

 相手の弱みについてここぞとばかりに要求する姿は、マフィアも真っ青になるほどの悪どさである。

 

「……流石に私と言えどもそこまでの条件は呑めませんよ。幾ら大仕事とはいえ、余りにも──」

「ミズ・シチリア。この大物が相手でもですか?」

「……ほう」

 

 シラクーザのマフィアを統治したと言われる女傑、ミズ・シチリア。被害なき裏社会を目指すべく動いたとされ、他の都市でも名を聞く程の人物である。

 違法薬物を取り扱う人物とはかけ離れた存在であったが、その名が出た事に鼠王は感嘆の声を漏らした。

 

「……何故その名を?」

「可能性の話ですよ。彼女が掲げる名目はご立派ですが所詮はシラクーザのマフィアの頭。この件に一枚噛んでいない訳がありません。……例え違ったとしても、どの道ミズ・シチリアとは話さなければ物事が進展はしません。そうなると龍門がマフィアと対談など表立って出来る筈もない。だからペンギン急便に依頼を持ちかけた。……違いますか?」

「一本取られたのう、ウェイ長官。お主の負けじゃ」

 

 パチパチと手を叩きながら、鼠王は素直な賞賛を送る。まさかこの件にミズ・シチリアを繋げられるとは思っていなかったのか、少しばかりウェイ長官は戸惑いを見せていた。

 龍門は表立って動かないのではなく、動けない状況なのであった。仮にミズ・シチリアが噛んでいるような自体があれば、龍門とシラクーザの全マフィアと大きな戦争に発達する恐れがあり、噛んでいない状況だとしても、どの道彼女を通さねば解決出来ない問題。

 古き友人である鼠王なら兎も角、顔も知らないマフィア相手に談合など、情報操作をされればウェイ自身が違法薬物を取り扱っている容疑者として取扱われかねない。

 そしてスラム街からの侵入とはいえ、鼠王であっても全てを把握しきれないとなれば、龍門内の処理だけではいたちごっこの繰り返しにしかならなかった。

 

 詰まるところ、これはペンギン急便への依頼要請では無い。龍門からの懇願なのだとシュテンは語った。

 

「この件は中々事情が混み合ってるみたいですからね。モスティマじゃなくて俺自身が動きますよ。……で、報酬はどうしますか?」

「……分かった。さっきの条件で呑もう」

「はっ、最初っからそう言えっての。バーカバーカ」

 

 諦めたように頭を垂れたウェイ長官に追い討ちをかけるようにエンペラーが調子に乗る。だがシュテンの顔は真剣なままであり、喜びを見せる様子も無い。一体どうしたのだと鼠王が訪ねようとした時、入口の扉が開いた。

 

「そろそろ仕事の話も終わったかい? ……終わってるみたいだね。それなら早く帰ろうか、さぁ帰ろう」

 

 非礼を一切詫びずに真っ直ぐに歩いてきたのは、ペンギン急便の社員、モスティマ。ニコニコとした笑みを浮かべてシュテンの腕を取ると、颯爽と立ち去ろうと引っ張っていく。

 

「あ、おい。ちょっと待てって」

「何言ってるのかな? 今日は私の誕生日だよ。あぁ、まさか忘れたなんて言わないよね? そうだよね。今朝から十回は言ってるから覚えてるに決まってるよね。……コーテー。彼を連れて帰っても問題無い?」

「あぁ、話は今終わった所だから好きにしろ」

「ちょ、まっ……。ウェイ長官、鼠王。また機会があれば宜しくお願──」

 

 最後まで言い終わるよりも早く、モスティマに引き摺られて行ったシュテンはバーを後にした。

 見送ったウェイ長官と鼠王は何とも言えない表情でいたものの、すぐに切り替える。

 

「本人は優秀なのに何とも締まりのない終わり方じゃの……」

「……確かにいつ見ても優秀な人ですね。私達より長く生きているとは言え、なかなかお目に掛かれない逸材ですよ」

 

 呆れてように溜息を吐いた鼠王に対し、良いようにやられたにも関わらずウェイ長官は嬉々としてシュテンを褒め称える。

 そんな二人に対し、エンペラーはウイスキーを浴びるように飲み干すと、軽い口調で話した。

 

「確かにアイツの強さは天性のものだ。だがそれ以外の物は全部、俺と出会ってから身に付けたものだぞ」

「……ほう、中々興味深いのう」

「箸の使い方も知らないで手で食うし、戦いは愚直で殺すまで終わらねえ。はっ、まさに獣みたいな──っと、余計な事を言うとシュテンに怒られるな。黙っとけよ?」

「フミヅキから話は聞いていたので有り得ない話ではないと思ってましたが……まさかそこまでだったとは」

「誰でも地獄を見て死を実感すれば成長するもんらしいぜ? 俺は勘弁だけどな」

 

 シュテンのいなくなったバーに残った三人。その姿は日が昇るその時間まであったと言う。

 

 

 

 

 情報収集と準備を終えたシュテンとエンペラーは、二人で軍用車両に乗り込んでシラクーザへと向かっている。

 置いてけぼりのモスティマは当然怒りを顕にしていたものの、シュテンの口八丁で上手い事言い包めた為、なんとか出発できた。そもそもトランスポーターが不在ではペンギン急便として成り立たない為、当然と言えば当然なのだが。

 

 シラクーザのマフィアの規模と位置は既に頭に叩き込んでおり、寄り道をする事無く真っ直ぐに向かっていく。あったとしても途中で他の移動都市に寄ってガソリンの補給や宿を取る程度くらいであった。

 

「ったく、まだ着かねえのか? これだったら龍門で待ってた方がマシじゃねえか」

「こっちと進む方向が同じ移動都市に向かうってのがそもそも間違ってるんだよ。文句はウェイ長官に言いやがれ」

 

 シュテンはアクセル全開のフルスロットルで車を走らせる。荒野なだけあって乗り心地は最悪であったが、少なくともこの時間を長く過ごすよりはマシだろう。

 グチグチ文句を言い続けながら自作の音楽を流すエンペラー。そんなボスを隣に置きながら車中泊をする事になっても文句を言わない辺り、シュテンの器の広さが伺えた。

 

 そして荒野を駆け抜ける事数日。流石に話す事も無くなってきた所で漸く目的地のシラクーザが見えてきた。

 一見は他の移動都市に負けずとも劣らずの大都市。だがその実態はマフィアが権力を持ち、蔓延(はびこ)っている腐敗した都市であった。

 とは言え表向きは大都市である為、多くの種族が訪れてきている。そのお陰もあってか、特に不憫な思いをする事も無く、シラクーザに入り込む事が出来た。

 

「シラクーザは来た事無かったが良い国じゃねえか。街並みも綺麗で繁華街もあって楽しめそうだ」

「……表向きはな。その殆どがマフィアの息が掛かってると思うと笑えもしない都市だ」

「俺からしたらウェイと鼠王の息が掛かってる龍門も大概だと思うがな」

「中々面白い発想だな、嫌いじゃない」

 

 車両を繁華街の外れにある駐車場に止め、徒歩で歩き続ける事数十分。シラクーザの郊外に辿り着いた二人の先には、鼻を突く悪臭と見窄(みすぼ)らしい格好をした者達が地面に座り込んでいる異様な光景──スラム街であった。

 その多くが見るからに感染者であり、肌から見て取れる侵食度合から言って先も長くないのだろう。

 

「スラムはどこに行っても変わらないものだな」

「あ? なんだ、感傷にでも浸ってんのか?」

「まさか。俺だったら死ぬ気でクルビアにでも駆け込むのになって思っただけだ」

 

 尤も、彼らにはそれを考える余裕も知識も無いのだろうがな──そう付け加えて、二人は奥へと足を進めていく。日々を生きるのに精一杯のスラム街に、先を見据えて動く程の余裕は無い。獲物が来たと襲ってくるならず者達と軽く弾き返したり、エンペラーがゴム弾で撃ち放ったりと、造作も無く突き進んでいく。

 シラクーザにきて僅か半日。目的地を把握している彼らの足は止まることが無く、ミズ・シチリア率いるマフィアの蔓延(はびこ)る奥地へと辿り着いた。

 

「……ふむ」

「どうも俺達の情報が漏れてやがったみたいだな。……一体どういう事だ? 嘗め腐りやがって。どこのどいつだよ?」

 

 確かに得た情報ではここから先がミズ・シチリアの統治する領土──の筈だったが、まるで人気(ひとけ)のない空間と古めかしい建物がずらりと並ぶだけでマフィアの姿などどこにも無い。

 路地の整備はされているもののスラム街と同じ──むしろ浮浪者がいない分スラム街よりも寂れている様子が見て取れた。

 

「まさか本当に来るとは龍門からの刺客が来るとは思ってなかったけど。流石はミズ・シチリアだね。彼女の情報網は只者じゃないよ」

「……ふん。どうでもいい事だ。早々に終わらせるぞ」

 

 突如聞こえてきた声に振り向く二人。そこにはまだ若い二人のループス──ラップランドとテキサスが刀と剣を構えて立っていた。

 

「おいクソガキ共。龍門からの刺客とはどういう事だ?」

「言葉通りの意味さ。シラクーザのはぐれマフィアが都市外に流した薬物を格安で買い叩き(・・・・)、あまつさえシラクーザにまで奪いに来る(・・・・)。そんな龍門マフィアの精鋭の刺客が来るとね」

「……待て、その情報は──」

「あぁ、話す事なんて無いよ。口八丁に乗せられる前に殺せと言われてるからね。……でも折角の精鋭なんだ。ボクたち二人と遊んでもらうよ!」

 

 明らかに食い違う主張。だがシュテンとエンペラーの話を聞こうともしないラップランドとテキサスは、疾風の如く駆け抜け、数メートルはあった距離を一瞬にして縮める。

 

「エンペラー、下がってろ」

 

 エンペラーを蹴り飛ばして後方に追いやり、瞬時に引き抜いた大刀でラップランドの二刀連撃を受け止める。純粋なオニとしての膂力でラップランドを吹き飛ばし、背後から迫るテキサスの源石剣を背中の鞘で受け止めて体を反転し、受け流した。

 そして勢いを殺さずにカウンターの右の拳でテキサスの体を撃ち抜く──よりも早く、両腕でガードされる。だが体重差も腕力も大きく違うシュテンの一撃はその体を大きく吹き飛ばした。

 

「チッ、上手いな……」

「ハハッ、中々やるね! 雑魚達を連れてこなくて正解だったよ! さぁ、もっとギアを上げていくから抗って見せてよ?」

 

 建物を蹴って宙へと浮いたラップランドが、シュテンを見下ろしながら刀を振るった。空を斬ったその剣閃は大気を切り裂く刃へと変わる。一目見て特性を理解したシュテンは大刀を振り抜いて相殺。距離を置いたままのテキサスを一瞥したシュテンはラップランドへと駆けようとしたその瞬間、強烈なアーツの気配を感じて空を見上げる。

 

 そこには、無数の剣の形をしたアーツが漂っていた。

 

「──ッ!」

 

 即座に回避行動へと移ったシュテンの元に大量の刃が降り注ぐ。なんとか全弾を回避仕切る事には成功したがみっともなく避ける事に徹底した為、お気に入りの一張羅の和服が砂まみれになってしまっていた。

 

「……へぇ、あれを避けるなんて。もしかしたらテキサスよりも強いかもね」

「そう思うのなら本気を出せ。いつまで遊んでいるつもりなんだ?」

「アハハ、やっぱりテキサスにはバレバレだったみたいだね。まぁこの程度(・・・・)でしか無いなら殺しちゃおっか」

 

 狂気の笑みは変わらないまま、ラップランドは強烈な殺意を纏い始める。テキサスの殺意が全身を針で刺すものと例えるならば、ラップランドの殺意は心臓へとナイフを突き立てられている──そう表現するに相応しい程凶悪なものだった。

 

「おいシュテン、ピンチじゃねえか。俺の手がいるか?」

「馬鹿言え。……エンペラー、アイツらを殺すぞ」

「あ? 程々なら良いぞ」

「程々か……」

 

 葉巻を銜えながら悠々と鑑賞していたエンペラー。そんな彼に振り返り、シュテンは軽い口調で殺人予告をする。

 程々に殺すと言うなんとも難解な注文を受けて悩むシュテンに対し、苛立ちを隠せない様子でラップランドが睨みつけていた。

 

「キミがボク達を殺す? 面白い冗談だね。キミが本気を出した所でボクも本気を出すだけなんだから。精々楽しませて──」

「そうだな、大刀を捨てるか。運が良ければ死なないだろう」

 

 最早ラップランドの言葉など耳にしていないシュテンは、持っていた愛刀を遥か後方へと放り投げる。本気を出すと言うよりも、完全に嘗めた態度を取られれば、無言でいたテキサスの視線すらも鋭くなるのは当然であった。

 だが、その考えは次の瞬間には消え去る事となる。

 

 その空間を包み込む程の威圧感が、ラップランドとテキサスを襲う。何処からなどでは無い。明確なまでに目の前にいるオニの気配が変わったのだから。

 

 体が竦み、恐怖から手足が震える。そんな感覚をラップランドとテキサスは感じながらも、彼女は大きく狂笑()みを浮かべた。体が、本能が、強者との戦いを求める。それは鉱石病(オリパシー)に侵されてから止められもしなくなった感情であった。

 

「──ハ、ハハハハハ! なんだいその気配と殺気は!? 一体どこにその実力を隠していたのさ!? 良いね、最高だね! こんな恐怖を味わったのは初めてだよ!」

「……ラップランド、これは私達の手に負える相手じゃない」

「分かってるさ! でも今更どうしようもないよ! それに……あぁ、死ぬとしても身体が殺され(戦い)たがってる!」

 

 熱い吐息を吐きながら、右足を踏み出したシュテンの挙動を、ラップランドとテキサスは全神経を集中させて注視する。僅かでも体重移動を認識したらアーツで仕掛ける──そう、考えていた瞬間であった。

 

「ぐっ──はっ!」

 

 シュテンの足元が爆発したようにクレーターを作ったかと認識した瞬間、ラップランドの腹部に拳が突き刺さる。ラップランドの全身から骨の砕ける音が響き渡るも、目にも止まらぬ瞬撃に対し、ラップランドは反射的に刃を振るった。

 だがシュテンはその一撃を見切って薄皮一枚で回避。吹き飛ばされながら激痛に顔を歪めたラップランドは、己が最大威力のアーツである狼魂を放った。

 狼の頭部を模したアーツがシュテンに向かって突撃していく。その一撃は並の戦闘員なら半身が分かれるほどの威力を秘めていた──筈だった。

 まるで虫を払うようにシュテンが手を振ると、最初からなかったかのように霧散して消えていく。到底考えられない光景。だが決して幻では無い。そのシュテンの手には確かに鮮血が滴っており、軽い裂傷が見て取れるのだから。

 だがその傷も数瞬にして塞がり、十数えるまでには完全に消え去ってしまう。オニ特有の異様な回復力までもが酒呑童子の血が活性化させていた。

 

「はっ! これだったらリンの方が幾分か手応えがあったぞ! なぁ!?」

 

 酒呑童子の血が彼を荒ぶらせるのか、シュテンは激しく獰猛な口調で声を上げた。シュテンの深紅の瞳が大きく動いて横を向き、端正な口が大きく弧を描く。その視線の先にはテキサスが諦めた様子でしゃがみこんでいた。

 あのラップランドですら相手にならない化け物。あのアーツでさえ掠り傷にも成り得ない怪物。

 

 最早テキサスに抗う術など無かった。否、抗う気力が無かったという方が正しいのだろう。何故ならばシュテンが見せたその圧倒的な強さに、神々しささえ感じていたのだから。

 自身の死期を悟り、静かに目を閉じたテキサスの首を、シュテンが掴み上げる。千切れるのかと思う程の握力に表情が歪むも、テキサスは身を預けた。

 

 

 

 家族と死別(わか)れ、ラップランドと出会い、四年の月日が経つ。多くのマフィアを、ならず者を、時にはスラム街の孤児でさえ必要とあらば殺してきた。命を奪わなかった日の方が少ないかもしれない。それ程までに罪を重ねてきたのだ。

 全ては殺された家族への復讐の為に。そして、その理不尽な世界を無くそうとするミズ・シチリアの掲げた理想の為に。空っぽで空虚となった自身を、自分のような被害者を出さない為に、と鞭を打ってきたのだ。

 

「だが、それももう終わりだ」

「何を言っている?」

 

 だからと言って自分が正しい事をしてきたなどと、テキサスは微塵も思っていない。擦り切れた身体と心。最後は無惨な死を遂げるのが殺人鬼の最後になるべきだと。

 

 彼のような強者に殺されるならば、ミズ・シチリアへの恩に背く事は無い──そう、心に思い、死を覚悟したその時であった。

 

「おいシュテン、ちょっと待て」

 

 葉巻を咥えたまま堂々たる様子でエンペラーが近付く。何事かと訝しげにシュテンが睨み付けていたが、エンペラーの視線はテキサスの顔へと注視していた。

 そして僅かな時間考え込む様子を見せた後、記憶が蘇ったかのように顔を上げて言う。

 

「お前もしかしてテキサス家の生き残りか?」

 

 その言葉を最後に、テキサスの意識は闇の中へと消えた。






まだ続きます。




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狼と優しい世界

 

「ん、んん……。あれ……」

「やっと目が覚めたか」

 

 月明かりが差し込む深夜。廃墟の暖炉を灯しながら、シュテンとエンペラーがソファに座り込んで寛いでいた。

 そして埃まみれのベッドには包帯の巻かれたラップランドとテキサス。つい今し方目を覚ましたテキサスには、この現状を理解出来ないでいる。

 

「……これはどういう事だ?」

「テキサス、どうも私達はミズ・シチリアに踊らされてたみたいなんだ」

 

 そんな困惑しているテキサスに助言するように、ラップランドは今までの経緯を話した。

 あの戦いの後、エンペラーの一声でシュテンが矛を収めて戦いは終了。気絶したテキサスと重症のラップランドを背負うようにしてこの場所に訪れたのだ。

 そして意識のあるラップランドとエンペラー達が話し合いをした結果、互いの違法薬物に対する認識に齟齬があるのをラップランドは理解する。

 当然、虚偽である可能性も否めない訳では無いが、圧倒する実力を持っておきながら生かしているこの現状が、真実なのだと直感で思わせた。

 

「だとしたら何故ミズ・シチリアが私達に嘘を……?」

「それはボクにも分からないよ。少なくとも彼女の理想は本物だ。キミとボクを雇った経緯、そして遂行してきた仕事の全てが間違いなく、善意とマフィアの撲滅に繋がるものだったからね」

「……盛り上がっている所で悪いが、ミズ・シチリアについて教えてくれ。その経緯や行動を詳細にな」

 

 素直に話していい物だろうかとテキサスが悩んでいたものの、嬉々としてラップランドは饒舌に語り出す。

 テキサス、そして自身が事件によって独り身となった所を拾われた経緯、そして思想に基づいた殺戮と脅迫、そして救済の内容を事細かく話した。

 その間、真剣な表情で思案していたシュテン。彼が何を考えているのか分からないが、ラップランドの会話が残虐な話に寄り始めた所で打ち切り、口を開く。

 

「どの道一度ミズ・シチリアには会わないと解決しない問題な訳だな。……悪いが案内を頼めるか?」

「そうだね。ボクも真意を確認したいからついていく……と言いたいところだけど、正直喋るのも辛いほど激痛が走るんだよね。……だからテキサス。彼らを案内ついでに話を聞いてきてよ」

「あぁ……そうだな。……私が案内する」

 

 シュテンに殴られた腹部を押さえながら、残念そうな表情を浮かべるラップランド。だがまだ夜中という事もあり、ミズ・シチリアの元に向かうのは翌朝という事になった。

 

 

 そして早朝。警戒心を高めて徹夜で監視していたシュテンは眠たそうにしていたものの、三人はミズ・シチリアの元へと向かう事になった。

 その道中の会話となるとやはり話題となるのはテキサスの話である。

 

「そう言えばエンペラー、コイツの事を知ってたのか?」

「ん? ……あぁ。この嬢ちゃんってよりテキサス家と色々と交流があっただけだ。クルビアは俺の音楽活動拠点だからな。一代で財を成した天才がそこにいてよく話してただけだ」

「……私の事はテキサスと呼べ。では私の父と母の事を知っているのか?」

 

 コイツだの嬢ちゃんだのと呼ばれるのは癪なのだろう、テキサスは無表情のまま二人に対して苦言をする。

 エンペラーはこんな巫山戯た容姿をしているものの、数多くの音楽アワードで指名された経験があり、西クルビアのラップ界では知らない者が居ないほどであった。更にその地位と資金を運用して、莫大な商業投資と実績を持ち、世界中に名が売れる程のカリスマ性を誇っている。

 つまるところ、世界有数の権力を持つ富豪なのであった。

 

「知ってるぜ。アイツらの商才は俺でさえ学ぶものがあった。交流も深かったし元マフィアだっつー話も聞いてたぜ。……一家惨殺と聞いていたがまさか生き残りがいたとはな」

「……運が良かっただけだ。……いや、今となっては良かったと言っていいものなのかも分からない……」

 

 エンペラーがテキサスに気が付いたのも本当に偶然の事であった。実際に子供と会った経験がある訳でもないエンペラー。それでも彼が気が付いたのは、ループスの中でも極めて珍しい艶やかな黒色の髪をしていたからだ。

 だが本人のテキサスは最早生きている意味を見い出せず、俯いたままであった。

 

「運が良かった、か。……だが命あっての物種だ。それにお前のおかげで家族の無念が晴らせたのだろう」

「確かに復讐は出来た。……だが、私の心には何も無い、空っぽのままなんだ。それに今からまともに生きるにも人を殺し過ぎた」

「それはお前の心の弱さの表れに過ぎん。死んだ家族のせいにでもするつもりか?」

 

 吐き捨てるように悠然と、淡々とシュテンは話す。その言葉が、態度が気に入らないのだろう。テキサスは鋭い目付きで睨みつけた。

 

「お前に何が分かる!? 気が付けば家族が皆殺しにされていた、悔やんでも悔やみ切れないこの無念が!」

「ならば何故(いきどお)る? 死んだ家族の為か? 自分自身の誇りの為か? ならば何故その意志を燃やして生きようとしない?」

「…………」

鎮具破具(ちぐはぐ)なんだよ、貴様は」

 

 いつの間にか取り出していた煙管を口に咥え、大きく息を吐いたシュテンから紫煙が立ち登る。テキサスから返ってくる言葉が無いのは、その言葉を反芻しているのか、それとも聞き捨てているのか──それは誰にも分からない。

 

「おい言い過ぎだ。お前に限度って物がないのか? 確かにテキサスの生き方に腹が立つっつーのは分かるが、まだこんな若造だぞ? 経緯を考えればこうもなるだろ」

「……? 何を言っている? むしろ人間らしくて良いじゃないか。俺は好きだぞ」

「落として持ち上げるマッチポンプかよ。それが女を落とす秘訣か? あ? あーあ、モスティマに言ってやろ」

「モスティマは関係ないだろクソ鳥頭が」

 

 苛立ちと共に(いき)り立った感情が、予想外の一言に一瞬で冷え切る。ただただ純粋に、不思議な人だな──そうテキサスはシュテンを評した。

 

 

 

 ミズ・シチリアの住んでいたのは更に奥地の豪邸。それはシュテンでも得られなかった情報であり、テキサスの案内がなければそれなりの日数が掛かっていただろう。

 幾つもの分岐路、横道、裏道を通り抜け、更には獣道を超えたその先にその建物はあった。

 

「随分と豪勢な建物だな。悪趣味極まりない」

「はっ、性格の悪さが滲み出てる。大した自己顕示欲だぜ」

「……入るぞ」

 

 滅茶苦茶な暴言を吐きながら、二人はテキサスの後を追うようにして屋内へ進んでいく。道中のインテリアには目もくれず、目的を遂行する為だけに真っ直ぐ向かっていく。

 

 そして大広間に繋がる扉を開けた瞬間、

 

「お待ちしておりました。まさかラップランドとテキサスを無傷で倒されるとは、想像を遥かに超える方々だったようですね」

 

 だだっ広い空間の真ん中でリクライニングチェアに座り、ミズ・シチリアは待ち構えていた。

 その空間は異質であり、異様。薄暗いせいで奥まで見えない室内の明かりと強烈な香水、もしくはアロマによって匂い付けされた部屋。

 ループスは嗅覚が人一番敏感なだけあってか、一瞬だけテキサスは顔を歪めた程だ。

 

「……ミズ・シチリア。彼らと貴方の情報に大きな食い違いがあるのは一体どういうことだ?」

「その件に関しては謝罪します。ですが彼等がはぐれのマフィアを処理出来る者かどうか試したかったのです。……龍門の方々も申し訳ありません」

 

 明らかに殺気を持って襲ってきたラップランドとテキサス。それはミズ・シチリアが敢えて誤情報を流した事によりシュテンとエンペラーの対応力を試したのだと、ミズ・シチリアはゆったりとした口調で語る。

 

「仮に俺達が死んだとしたらどうするんだ?」

「見えないところで私のマフィアたちが待機しており、いつでも介入出来る措置はとっておりました。……不快に思われたのなら、私の出来る範囲で何でも対応させて頂きますのでどうか矛をお納めください」

「そうか。なら考えておこう」

 

 深々と頭を下げるミズ・シチリアに対し、シュテンは堂々たる態度で頷く。だが本来の目的はそこでは無い。早々に会話を断ち切ったシュテンは違法薬物について追求していく。

 

「俺達が来た理由は知っていると思うが、シラクーザから流れてきている違法薬物についての弁明を聞きたい」

「……私達をうたがっているようですね。ですが無理もありません。その一件はシラクーザと龍門で起きたマフィアの事件なのですから、私にも責任はあります」

「つまり違法薬物には関わっていないっつー訳か? 本気で殺しかけておいて随分と都合の良い腐れ女みたいだな」

「どのように呼ばれようとも、事実は事実なのです」

 

 未だに強い当たりを見せるエンペラーの言葉を、軽い様子で受け流すミズ・シチリア。元々証拠のない事件に対して強気でいるエンペラーに非があるとも言えるが、彼女が気にする事は無い。

 

「疑って悪かったな。だがこちらにはそれだけ情報が少ないと言う事実を理解してもらいたい」

「はい、承知しております。……では、こちらが持ち得る情報を全てお話しますね」

 

 そしてミズ・シチリアは己の集めた情報を放出していく。元々仲間であったマフィア達が、違法薬物の入手ルートを手に入れた事により、私欲に走って組織から離脱。だがシラクーザでは、マフィア全域がミズ・シチリアの管轄である事から販売ルートを確保できない為、龍門への販売ルートを開拓。その足掛かりとして格安の値で売り捌いている。

 そして彼らはここより遥か南、即ちシュテン達が入ってきたの入口付近に居を構えているのだと言う。更にそこには(トン)にも及ぶ違法薬物の蓄えがあるのだと、語った。

 

 確かに合理的で矛盾の無いその情報にシュテンとエンペラーは意外にも沈黙して聞き入っている。

 

「じゃあその場所に行けば真実が分かるっつー訳だな?」

「はい、間違いなく。つい最近になって漸く見つけた場所ではありますが、ここ数日は滞在し続けているようですので」

 

 エンペラーの問い掛けに一切の躊躇いも憂いも無くミズ・シチリアは答える。

 ならばシュテンとエンペラーに出来る事はマフィアと違法薬物を確保し、龍門の安全を確固たる物にする事。それでこの長い任務は終わりとなる。

 

「事情は理解した。道案内にテキサスを借りていくが問題ないな?」

「そうですね……彼女の疑念を払う為にも、その目で真実を知ってもらうのは大事な事でしょう。テキサス、頼めますか?」

「……分かった、行こう」

 

 渋々と言った様子のテキサスであったが、万が一を考えた場合に彼女と言う存在は間違いなく必要不可欠。そもそもシラクーザの地理に関して、シュテンとエンペラーは疎いのだから案内は必須と言えた。

 

「では情報の提供に感謝する。結果が分かり次第、また来るぞ」

「えぇ、宜しくお願いします」

 

 背を向けて歩き出したシュテン達に、ミズ・シチリアは深く頭を下げて送り出す。それは龍門とマフィアの問題を押し付けた事に対する非礼か、はたまた感謝の気持ちか。

 それは彼女にしか分からない。

 

「嗚呼、そうだ。さっきの貸しの話なんだが」

 

 何かを思い出したかのようにシュテンは足を止めて振り返る。何事かとテキサスはシュテンの横顔を見つめるも、ただ静かにミズ・シチリアを見つめているだけ。

 そのミズ・シチリアも頭部を垂れたまま動きはしなかった。

 

「このテキサスを俺にくれないか? ウチは万年人手不足でな、新入社員を探していたところなんだ」

「……は?」

「はっ、社員の分際で突然何言いやがる。……だが面白い、採用だ」

 

 テキサスの肩を抱き寄せ、公然と告げるシュテンに対し、エンペラーは面白そうに声を出して笑う。なんの事かまるで理解出来ていないテキサスが反応するよりも、ゆっくりと顔を上げたミズ・シチリアが困惑したような表情を浮かべていた。

 

「……確かに先程は出来る範囲でと申しましたが、個人の意思が絡むのであれば、それはテキサスが決める事です」

「……私は……もう何でもいい。考えて生きるのに疲れたんだ。……ただミズ・シチリアへの恩と理念は私にとって大切なものだ。だから、裏切る事は出来ない」

「だ、そうです。申し訳ありませんが諦めて下さい」

 

 空虚な心と表情を隠そうともせず、シュテンの手も払わずにテキサスは淡々と語る。ミズ・シチリアはテキサスが味方がいてくれる事が余程嬉しいのか、微笑むようにシュテンを見つめていた。

 

「なるほど、ならば恩と理念が無ければ来るわけだな?」

「……そう、だな……」

「……そうする訳か。相変わらず無茶苦茶な野郎だぜ」

「……何が言いたいのです?」

 

 不穏な言葉を紡いだシュテンに対し、何かを察したエンペラーは神妙な表情で何度も頷く。

 だがその言葉の真意を汲み取れないミズ・シチリアとテキサス。困惑と疑念の表情を浮かべながら、彼等を睨みつけていた。

 

「ミズ・シチリア。ここまでの経緯、どこまでが思い描いたものなんだ?」

「……思い描く? どういう事ですか?」

(とぼ)けなくていい。龍門に薬物が広まる事はお前の計画通りか? マフィアの違法薬物のルートはお前が確保したのか? 薬物の卸しは噛んでいるのか? はたまた俺達がここに来る事さえ、そしてマフィアを捕らえに行くこと全て思惑通りか?」

 

 淡々と、ありとあらゆる可能性を考慮した言葉をシュテンは並べていく。どれもこれも根拠も証拠もない言葉。それ故、ミズ・シチリアの顔に一切の変化は無く、無表情のままシュテンを見つめていた。

 

「……そんな証拠もない妄言ばかりとは言え、あまり非礼が過ぎるようなら痛い目を見ますよ?」

「──ほう、それはあのテキサス家の悲劇みたいにか。実に面白いな。テキサスが手元に来る事さえ読んでいたみたいだ」

 

 その言葉にピクリと、ミズ・シチリアの頬が僅かに動く。その瞬間を見逃す程、シュテンとエンペラーは易しくない。

 いつの間にか葉巻を取り出していたエンペラーは一歩前に踏み出し、忽然とした態度で口を開いた。

 

「ミズ・シチリア。アンタはテキサス家の当主と友人だったらしいじゃねーか」

「えぇ、よくご存知で」

「んで、テキサス家の当主はマフィアの反対を振り切って独立したから殺されたっつー話だったな。確かに世間もそう語ってる」

「……その通りですが何か?」

 

 訝しげな表情のまま、睨みつけてくるミズ・シチリアへと葉巻を突き出し、エンペラーは堂々たる態度で語る。

 

「俺もクルビアで長い事活動してたからアイツらとは一晩語り合うような仲であった。……だがおかしいな、アイツらは自身の知恵を部下たちに託して、円満で組織を抜けたって話だったんだがな?」

「マフィアも一筋縄ではありませんよ。一部の反感が組織に蔓延するのも有り得る話です」

「そう! その通りだファッキン女! ただ一人、ボスの右腕だったミズ・シチリアだけがその才能を手放す事を拒否してたっつー話じゃねえか! それもアイツらの抱える独自のルートを把握し切っていたのもお前だけって言うオチも──」

 

 その瞬間であった。突如室内に響き渡った銃撃音。シュテンは気にも留めずにゴソゴソと煙管を出して一服し始めるも、その彼の前にいたエンペラー。

 彼の頭部には銃弾を受けた穴が空いており、血溜まりの中に倒れ込んでいく。ピクリともせず、僅か一瞬の出来事で肉塊へと変わってしまった彼を横目に、紫煙を口元から漏らした。

 そしてミズ・シチリアの手元には黄金に光るハンドガンが握られているのを、シュテンは視認する。

 

「ボスを殺されたのに無反応とは。貴様が噂に聞く龍門の抱える秘蔵か。大した化け物だな」

「漸く本性を現したか。薄汚いハイエナの分際でここまで良くやったもんだよ」

 

 物腰柔らか老年の女性であったミズ・シチリアが、悪魔のように険しい表情と荒い口調でシュテンへと睨み付ける。その姿はテキサスでさえ見た事が無いほどの豹変っぷりであった。

 

「ミズ・シチリア……貴方は……それが貴方の本性なのか……!?」

「出来ればもう少し働いて貰いたかったんだがな。知られた以上お前との関係も終わりだ」

「本当に貴様が父と母を! 家族を殺したというのか!?」

「あぁそうだ。この私に逆らったからな。──おかげで大金と目の前の良い私兵が手に入ったが」

「──ッ!」

 

 家族の仇を討った──その筈だった。目の前で語る悪魔のような女(ミズ・シチリア)が本当の憎き相手だったにも関わらず、良いように使われ続けた四年間。その理想に共感して心身共にすり減らして戦ってきた筈が、全てが幻だった。

 許せる筈がない──底から湧き出る怒りと殺意が、テキサスの心を再び燃え上がらせる。ここで殺さねば気が済まないと源石剣を抜いたその瞬間、シュテンに腕を掴まれた。

 

「ッ! 離せ!」

「まだ話の途中だ、黙ってろ。……さてもう一度聞こうか。どこまでが貴様の描いた通りなんだ?」

「貴様達の慧眼に免じて教えてやるよ。……全てだよ全て。ラップランドを手に入れ、テキサス家を滅ぼし、テキサスを招き入れ、違法薬物を横流して龍門に蔓延させ、貴様らを招き入れる。全てだ。……尤も、私が直接手を下しはしてないがな」

「……なるほど、異様なまでの人心掌握術だな。それが貴様のアーツか」

 

 ラップランドをヒトリオオカミ──家族を失わせた上に村からの迫害を受けさせて類稀な才能に狂気を孕ませ、テキサスの性格と才能を把握した上でテキサス家を惨殺する。全ては私兵を手に入れる為に。

 違法薬物も、独自のルートで手に入れた物をマフィアに横流しにしているだけなのだと語る。それもはぐれのマフィアに気付かれずに利益だけを掠めるように。

 そして思惑通りに追い込めば龍門へと販売ルートが移行、後はシュテン達の知る通りなのだと。

 

 直接関与してそれだけの大事を繰り返し行っていれば、間違いなく何処かで綻びと証拠が残るもの。だがミズ・シチリアは違った。その人格を、感情を、環境を、情報を全て把握した上で、どのような行動を起こさせるべきか判断し、第三者を操っている。

 全てを見通すの目と判断能力。あまりにも人外染みているその力に、シュテンはアーツによるものと推測をつけたものの、ミズ・シチリアは小さく横に顔を振った。

 

「これは私が培ってきた努力の結晶だ。そこらの凡人と一緒にされては困るな」

「なるほど、随分と泥水を啜り、媚び(へつら)いながら生きてきたみたいだな。優位に立っていても顔色を伺う癖は抜けていない薄汚いハイエナだ。流石は死肉喰らいの天才。良くここまでの地位を築いた物だ。賞賛に値する」

 

 最大限の賞賛と揶揄を以て、シュテンは拍手喝采する。その態度や過去に何かしら気に障る事があるのだろう、先までの態度が嘘のように顔を歪めていた。

 

「大した度胸なのは認めよう。だがその探偵映画のような推理を披露した所でどうなる? 自己陶酔の主人公気取りで心理的な駆け引きでもするつもりか? 敵地に踏み込んだ、その無謀で」

「言質を取ってテキサスが俺の仲間になった。それだけだが?」

『……は?』

 

 シュテンの口から吐き出される煙が、室内の濃厚な匂いと混ざり合っていく。ただ冷静なまま、彼は己の望むがままに口を開いただけに過ぎない。

 それぞれの思惑と思考が混ざり合う中で非常に短絡的な答えが出た事に、思わずミズ・シチリアとテキサスは間の抜けた声が漏れる。

 ──シュテンの視点で言うのであれば、敢えて緊張を解かした、と表現するべきなのだろう。

 

「俺にとって仲間とは家族だ。つまり運命共同体とも言える。家族(なかま)が傷付けば俺も苦痛を覚え、家族(なかま)を失えば半身を喪失した感覚になる」

 

 (おど)けた雰囲気を醸し出しながら、彼は煙管の雁首を逆さにして吸殻を捨て、懐に仕舞う。

 そしてゆったりと大袈裟に両手を広げたシュテンは言葉を続けた。

 

「嗚呼、だが安心していいぞ。そこのエンペラーは別だ。この程度(・・・・)で死ぬ玉では無い。むしろ自分の仇敵は自分で殺るのが奴の鉄則だ。俺が口を出す事じゃない」

 

 血溜まりの中で脳漿を撒き散らしているエンペラー。瞳孔も開いており、口も半開きのまま微動だにしないのにも関わらず、シュテンは何一つ気を使う事は無かった。

 

「だがテキサスはどうだ? 家族を殺され、怨敵に誑かされて殺人を重ね、心身共に摩耗し切っている。その相手は心の中で嘲笑(あざけわら)いながら操り人形を得てご機嫌のようだ。──テキサス、お前はその死に逝く心の(ざま)の中、真実を見せつけられた。どうだ? この女を許せるか? お前の全てを自らの糧にしたこの女を、燃え尽きたままの心の赴くままで終わらせて良いのか?」

「……許せる訳が無いだろう! コイツが! ミズ・シチリアさえ居なければ私は何も失う事など無かった!」

「……だからどうした? 代わりにこの場で貴様が報復するとでも?」

 

 怒りや悲しみが強く織り交ざり、テキサスの心情は最早自身でも理解が出来ていない。感情に体が追い付かず、枯れたかと思われた堰を切ったように涙が頬を伝う。

 だがどれだけグチャグチャになった心の中であろうと、一つだけ確かに存在しているものがあった。

 ──この女だけは許さないと。

 

「テキサス、その怒りは家族を大切に思うからこそ湧いてくる怒りだ。……実に美しく愛おしいな。同時にその怒りは俺の怒りでもある」

 

 テキサスの顔を覗き込むとその雫をシュテンは拭い去る。自身の持ち得なかったその感情が余りにも美しくて眩しく見える。そんな事を考えながら薄く笑みを浮かべた彼は、ポンとテキサスの頭を叩き、そして──

 

「──お前の望み通り、報復してやろう」

 

 その視線をミズ・シチリアへと向けて、シュテンは大きく狂喜の笑みを浮かべた。

 

「……やれ」

 

 シュテンが動き出すよりも早く、ミズ・シチリアは小さく呟くと、その暗闇の背後から多くのマフィアが姿を現す。その手に握られているのは、遠距離からの攻撃に特化したハンドガンや手投げ式の爆弾。最初から彼等が来ることを想定していた待機であったのは明らかであった。

 

「はっ! そんな奴等がいた事なんぞ元からわかっていた事だ。この部屋中に漂う匂いがループスにも感じ取らせない為の偽装なのは目に見えている」

 

 殺気と纏い、荒々しい口調でテキサスを抱え上げたシュテンは即座に離脱。その直後、大量の爆薬と銃弾が投げ込まれて、耳を劈くほどの轟音が響き渡る。建物が崩れ落ちる程の揺れ、そして辺り一面が白煙に包まれる中、シュテンは室内を走り回っては何かを蹴りつけて移動していた。

 

「おい、何をしているんだ!? 早くしないとミズ・シチリアが逃げるぞ……!」

「だから上の部屋ごとぶっ壊して全員生き埋めにしてやるんだよ」

「は? ちょっと待て──」

 

 テキサスの制止も虚しく徐々に崩壊し始める天井。走り回って蹴りつけていたのは建物を支えていた柱であり、外壁であった。

 そして僅か十数秒後、(かしがま)しい音と共に2階の部屋が崩れ始め、大量の瓦礫が降り注ぎ出す。並の人ならば衝撃死か圧死するのは免れないだろう。それはテキサスにとっても同様であったが、シュテンが覆い被さるようにして守っていた為、被害も無くやり過ごせていた。

 

 辺りが静まり帰った後、シュテンは片手を大きく動かして瓦礫を吹き飛ばす。衣服の破れはあったものの、何一つ傷の無いシュテンの身体を化け物を見たような表情でテキサスは見ていた。しかし、そんな事よりももっと気にするべき事が彼女にはあった。

 

「……ミズ・シチリアは?」

「気配はある。……あそこだな」

 

 不自然な瓦礫の山になっている部分に、シュテンはコンクリートの破片を投げる。ぶつかれば互いに弾かれるよう砕け散ったその下部には、仲間達の肉塊を盾にして生き延びていたミズ・シチリアの姿があった。

 ──だがその両足は瓦礫に押し潰されており、血飛沫が飛び散っている。

 

 苦悶の表情を浮かべるミズ・シチリアの元へ、テキサスは歩み寄る。その手には源石剣を握り締め、力強く噛み締めた口からは血が滲み出していた。

 一歩、また一歩と近づく度にミズ・シチリアの表情が、そしておなじようにテキサス表情も歪んでいく。

 

「……とんでもない化け物に手を出したみたいですね。やはりシラクーザだけで我慢しておくべきでした」

 

 シュテンは最早ミズ・シチリアに興味は無いのか、元の様子に戻り、煙管を吸いながら突き抜けた壁から外を見ていた。

 この場に残るのは対峙し合うテキサスとミズ・シチリア。自身の人生を狂わせた元凶が、目の前で逃げる事も出来ずにいる。

 確かに実行犯は既に殺し、家族への弔いは済んでいた。だが本当の意味での復讐と過去との決別は、この女の殺害の他にない。

 

 テキサスが源石剣をミズ・シチリアの首へと添える。殺す事など毎日のようにやってきたテキサスにとって、動かない相手となれば造作もない事。

 ゆっくりと両手を上げて振り降ろす──その時であった。

 

「今まで嘘をついてごめんなさい、テキサス。最後に貴方の家族に会わせてあげましょう」

 

 ミズ・シチリアがテキサスにだけ聞こえるようにポツリと呟く。その言葉はテキサスの心に響く一言。まるでガソリンの尽きた機械のように彼女の体がピタリと止まる。

 その様子を見たミズ・シチリアは嬉しそうに言葉を続けた。

 

「ありがとう。話を聞いてくれて。……貴方は本当に優しくて甘い子でしたね。──家族に会ってらっしゃい」

 

 そう言ってミズ・シチリアは手元に置いてあったハンドガンを即座に構えてテキサスへと向ける。外しもしない至近距離。最後の最後まで抗うその姿勢は、醜く這いずり媚びて生きた自分との決別を含めたものだったのだろう。

 そして無情にも響く発砲音。

 それはミズ・シチリアの背後(・・)から聞こえてきた。

 

「この俺に手を出しといて背を見せるたぁ嘗めてんのか? このファッキン女が。地獄に落ちろ」

 

 放たれた弾丸が無情にもミズ・シチリアの脳天を貫き、即死させる。そこには葉巻を咥えた無傷のエンペラーが、血塗られたTシャツのまま、ハンドガンを構えていた。

 

「だから自分の仇敵は自分で殺るのが奴の鉄則言ったんだがな。つまらん幕引きだ」

 

 紫煙を立ち昇らせながら、シュテンはポツリと呟いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 その後、シュテン達はミズ・シチリアの情報通りに違法薬物の貯蔵庫へと向かって、特に大きな問題もなくマフィア達を制圧。そしてシラクーザの国家組織へと連絡を入れて無事に依頼を完了させた。

 その際に多くのマフィアを芋ずる式に逮捕出来た事に対して、シラクーザから感謝されたのはまた別の話。

 

 そして全てのやるべき事を終えたテキサスを連れ、ラップランドの元へと向かう。彼女はミズ・シチリアの死亡にさぞ驚いてはいたが、自身の過去と操られていた件については彼女の手腕を認めるだけで笑っていた。

 

「テキサスはこれからどうするんだい?」

「……私はシュテン達に付いていく。約束だからな」

「へぇ、あのテキサスが。てっきりボクと傭兵稼業でもやるのかと思ったよ」

 

 シュテンとエンペラーが車両に待機している中、ラップランドとテキサスは二人で話し合っている。

 

「でも今のキミにあの時の鋭さを感じない。実につまらないね……。そうだ、オニィサンを怒らせてみたらどうだい? あの狂気に触れれば直ぐにでも目覚めるはずさ」

「……いや、私は──」

「その時にはまたボクとペアを組もうじゃないか! オニィサンに勝てるようにボクも鍛えてくるからその時は一緒に殺してあげないとだね! ……あぁ、つまらないトランスポーターなんてやってたらボクが迎えに行ってあげるから、安心していいよ」

 

 じゃあボクは先を急ぐから──そう言ってラップランドはテキサスへと背を向けて去っていった。

 テキサスの話も聞かずに足早に去ったのも、マフィアと言う肩荷が降りた空虚な彼女の思いを理解してしまったからなのだろう。

 だがいずれは元に戻るとラップランドは信じて今は彼女の元を発つ。──より凄惨な戦場を求めて。

 

 

 

 

 

 そうしてシュテンの運転で龍門へと帰る車両の中。助手席にテキサスが座り、後部座席にエンペラーが繕いでいた。

 

「……ミズ・シチリアの件は感謝している。だがなんで私を仲間にしようとした……?」

 

 荒野故に激しく揺れる中、テキサスは小さな声で感謝を告げる。だが未だに自身がスカウトされた理由が理解出来ないでいた。

 

「言った通り優秀な人材を求めていたのも理由の一つだ」

「他にもあるのか……?」

「家族を大切に思う気持ちが俺に響いたからだ」

 

 真剣な顔付きで運転を続けるシュテンの顔をテキサスは思わず見つめる。その顔に浮かんでいる感情は理解できなかったものの、冗談で言っている訳ではないようだった。

 

「法の無い所に不義は無い。善も悪も無いから俺達無法者(アウトロー)は全ての行動に責任が伴われる。……そう分かっていたからこそ、テキサスは自らの手で復讐を成し遂げたんだろう?」

「……あぁ、アイツらは法で裁かれない無法者。だから私がこの手で殺したんだ」

「ならば自らの行動を誇ると良い。お前は自身の家族の為、同じ境遇の者達を減らす為に身命を賭して殺し続けたんだ。……死んだ方がマシの人間を殺す奴は必ずこの世には必要だが、その屍の上に立つ責務は重い。だがそれを否定する事はお前自身のその想いを否定する事にもなる。だから誇ると良い」

「…………」

 

 シュテン言葉には一理あるとテキサスは素直に認めている。だが、そこに至るまでの過程はただ我武者羅に切り尽くしてきただけ。気付けば自身の足元には沢山の死体の山が築かれていたのだから。

 目的があった。賭けたくなる理想があった。だが一心不乱に突き進んだだけで屍を積み上げる覚悟がある訳でもなかった。だからこそ自身の心が、体が、こんなにも磨り減っているのだと──初めて理屈として理解する。

 

「俺にはそんな生き方は出来なかった。……いや、する資格が無かったと言うべきか。だからこそ俺はお前の復讐を賞賛する」

「だが私には過去を背負っていく覚悟が……」

「なら俺を頼れ。辛くて押しつぶされそうになるなら支えてやる。泣きたくなる時は胸を貸してやる。お前がどうしても許せない相手がいるなら俺が殺してやる。お前が傷付いた時には仇を取ってやる。何時如何なる時も俺はテキサスの味方だ」

 

 さも当然のように言い放つシュテンの横顔を、テキサスは再度ちらりと視線を向ける。僅か二日にも満たない邂逅の中で、理解に及ばない程の庇護。正面を見据えたまま、運転に集中している彼の横顔からは何を考えているのかまるで理解出来ない。

 

「とは言え今はまだ過去を抱え切れなくても良い。いつかは精算する日も来るとは思うが。……そうだな、まずはお前の幸せでも見つけようか。不幸なだけじゃ割に合わないだろう。何、俺も死力を尽くすから安心しろ」

「……どうしてそこまで私に構うんだ……?」

「愚問だな。家族(なかま)を助けるのに理由なんているか?」

 

 龍門に行けば驚くような楽しみは沢山ある──そう、シュテンは言って、テキサスの顔を初めて見た。薄く笑みを浮かべ、まるで慈しむような表情で。

 その表情に、どこか遠い、昔に感じた懐かしい記憶が蘇る。それはまだ自分が小さかった頃に見た父と母の優しさで──

 

「あぁ、そうだな。楽しみにしてるよ」

 

 霞む視界を足元に向けると一雫が頬を伝う。震える声色の中、テキサスの呟きは空へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、良い雰囲気の中で悪いが、死にかけていた俺に対して掛ける言葉はないのかよ」

 

 そんな中、後部座席から突如聞こえた声にシュテンが振り向く。窓を開けて偉そうに葉巻をするエンペラーがそこにはいた。

 

「テキサスの仇だったにも関わらず、良く後ろから殺したな。俺でもそんな事はやらんぞ」

「あ? そりゃあアイツが俺の頭に鉛玉をぶち込んだから返してやっただけだろ。おかしい話じゃねえよな? なぁテキサス」

「……貸し一つで許してやる」

「あー……まぁ入社祝いで許してやるよ」

 

 いつの間にか復活していた事には二人とも突っ込みもせず、涙を拭い去ったテキサスが空気を読んだ一言で言葉を返す。

 流石に頭が冷えればエンペラーも悪いと思ったのだろう、珍しく一歩下がる形で彼女の言葉を肯定した。

 

「しかしミズ・シチリアは大したこと無かったな。人心掌握の力は絶大だったがクソネズミにも劣る統治能力だ」

「あれで大したことがないとは龍門はどうなっているんだ……?」

「……だが一つ気掛かりな事がある」

「どうした? シュテンにしては珍しいじゃねえか」

 

 クソネズミ──数十年に及んで龍門の裏の王となり続け、一時期はウェイ長官と全面戦争すら起こした鼠王と比べるのは些か分が悪いと言えるが、それでも彼女の成し遂げた力は過去に例を見ない程。

 だがその話を振られたシュテンが少しばかり険しい表情を浮かべている。普段ならば裏の裏、その裏まで読んでいる彼がそうも反応したのは、エンペラーですら見たことがなかった。

 

「俺が数十年前にシラクーザに行った時にも確かにミズ・シチリアはいた。だがそいつは当時(いち)マフィアのボスであり、ループスの()だった筈なんだが」

「気の所為だろ。そんな沢山いてたまるかっつーの」

「だと良いがな」

 

 そんな他愛もない会話をしながら、彼等は龍門へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ありとあらゆる財が無法者によって奪われ、瓦礫と死体の山と成り果てたミズ・シチリアの豪邸。

 その中を一人の少女が軽快な足音を立てながら進んでいく。

 崩れ落ちた屋内の危険性など顧みない足取りで辿り着いたのは大広間──シュテン達が争った崩壊の中心地であった。

 

 少女は中央に座したまま腐敗している死体の前へと立ち止まる。両足が瓦礫に挟まったままのミズ・シチリアの死体であった。

 

「結構いい出来だったんだけどなぁ、ここまで長生きしたのも初めてだったし」

 

 鈴のように響き渡る残念そうな声色。阿鼻叫喚な環境でありながらその冷静さと無邪気さは少女の異常さを表している。

 

「ま、彼が出てきたんだからしょうがないけど。でも真正面から挑むだなんて最後の最後に無能な所を見せちゃうだなんて。やっぱりスラム生まれは所詮その程度ね」

 

 少女はミズ・シチリアだった肉塊に指を向ける──その瞬間、そこにあった物体は一瞬にして細切れにされ、原型を留めない肉団子となる。

 その様子を見て、彼女は笑みを深めた。

 

「さて、じゃあ新しい()を作らないとね。そろそろあの日に備えて真面目に動かないと」

 

 そうして彼女──ミズ・シチリアは廃墟と化した豪邸に背を向けて歩き出した。

 

 そして数年後。シラクーザにはミズ・シチリアの名が再び広まる事となる。







以上でテキサスの過去話は終わりになります。
関係のある話を先に投稿したせいで色々と辻褄合わせが大変でした……。細かく書きすぎるものでも無いですね。
全30000文字オーバーと言う普通なら6話分と考えるとなかなか長くなりました。

ミズ・シチリアも原作ではシラクーザの女帝みたいな立ち位置くらいの話しか出てきてませんので、完全にオリジナル設定になります。





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可愛いモスティマは酒呑童子の夢を見るか?

可愛いモスティマが書きたかった話。後悔はしていない。



 まだ日が昇り始めた早朝。誰も居るはずのないその時間に、シュテンはペンギン急便の事務所にいた。

 特に仕事をする訳でもなく、ただ煙管を片手にソファに座り込んで(もた)れ掛かっている。ソラの新曲を小さな音量で流しながら、ただ一人過去を反芻しながら思いに耽った。

 

 紆余曲折の中で様々な出会いがあって、シュテン自身も大きく変わっていた。エンペラーと出会った当初を思い出せば、如何に自身の視野が狭かったのかが身に染みて理解出来る。

 そしてモスティマとの出会い。それはお互いに大きな影響を与えたと言っても過言ではなかった。彼女からは今のシュテンの在り方を、そして彼女には生きていく意義をそれぞれが学び、教え、現在がある。

 

 そんなことを思い出しながら一人思わず笑みを浮かべた。だからこそテキサスがいて、エクシアがいて、クロワッサンは──普通に入社しただけだが、ソラがいる。

 ここまで来る道のりは間違いなく並大抵の事では無かっただろう。それは地獄の底で生まれたシュテンだからこそ理解している。

 

 その後、豆を自ら挽いてドリップしたコーヒーを三杯分(・・・)作り上げたシュテンは、テーブルの上に置いて再度ソファに座り込んだ。自信作とも言えるコーヒーを口に含めば、砂糖が入っていないにも関わらずビターチョコレートのような仄かな甘味を感じさせる。豆本来の旨みと程よい苦みが混ざり合い、焙煎された香ばしい風味が鼻を抜けていく──まさに自信作とも言える出来栄えであった。

 

「──良い珈琲が出来た。こんな日はモスティマに会える気がする」

「……私が外にいるのを分かってて言ってるよね?」

「だから言ったじゃない。彼に隠し事をしても無駄だって」

 

 ふとシュテンが大きな声で呟けば、入口から足跡を立てながら二人の女性が入ってくる。シュテンは振り向かずとも誰なのか理解していた。

 それは青い髪を靡かせるペンギン急便の社員、モスティマ。そしてもう一人はラテラーノ公証人役場から任務によってモスティマを監視する──所謂、監督官の女であった。

 

「来ると分かっているから、こんな時間に事務所に居るんだよ。……おかえり、モスティマ。それと……久しぶりだな、秘宝の番人」

「うん、ただいま。でも今は秘宝の番人じゃなくてベタベタマンなんだってさ」

「久しぶりだな、ベタベタマン」

「わ、わざわざ言い直さなくても良いじゃない!」

 

 監督官の女──ベタベタマンは公証人役場からの気分によってコードネームが頻繁に入れ替わっている。以前シュテンと出会った時には秘宝の番人と名乗っていたのだが、ここ数年の旅の中で幾度と変更されて言ったのだろう。

 彼女はサンクタの故郷であるラテラーノの公人であるものの、頭に光輪が浮かんでいる訳でもなく、それどころかモスティマのように角が伸びていた。

 ベタベタマンは顔を赤くした様子で少し怒り気味にシュテンを睨む。そんな中、シュテンはテーブルの上に置いてあった煙管を手に取り、再び桜のフレーバーを詰めて吸い口を咥えた。

 

 その瞬間である。突如走ってきたモスティマがシュテンへと抱き着くように頭から突撃。突然の衝撃に、シュテンは思いっきり煙をはき出す。

 

「なんだ突然」

「なんで吸ってるの? 臭うから止めてって言ったよね」

 

 不満気なシュテンをジト目で見上げるようにしてモスティマが頬を膨らませている。

 

「これは一種フレーバーだからセーフだ」

「……ふーん。じゃあ確認するね」

 

 そう言ってモスティマはシュテンの首の後ろに手を回す。ニヤリと悪戯な笑みを浮かべながら、顔を近づけていた。

 目と目が合い、吐息が顔を撫でる。ちろりと妖艶に舌先を出ながらモスティマは距離を縮める。唇と唇が触れ合う──その瞬間にシュテンの顔が横に動いた。

 

「なんで避けるのかな?」

「ムードが大事だと聞いたが」

「それはそれ。これはこれだよ」

「俺には違いが分からん」

 

 その後もモスティマの顔が近付いてはシュテンが避け、また緩急をつけて繰り返しても避けられる。仕舞いには、あ、ポンペイがいる──と、謎のフェイントで仕掛けたものの、簡単に避けられてしまった。

 

「んー! ちょっとシュテン! 久しぶりの再会なのに酷くないかな?」

「節度を弁えたらどうだ? ほら、これで我慢しろ」

「──んっ。これはこれで良いかもしれないな……」

 

 煙管をテーブルに置いて両手を空けたシュテン。モスティマの背中へと手を回して抱き締める。力強くも壊れない程度に優しい、まさに彼らしい抱擁であったと言えよう。

 目を閉じてシュテンの胸元へと顔を埋め、モスティマは幸せを享受しながら噛み締める。

 

「シュテン成分が空っぽになっていたからね。しっかり充電しておかないと」

 

 モスティマが深く深呼吸すれば、彼と、彼がしている桜の香水の香りが脳を痺れさせる。思わず恍惚な表情でうっとりとするような、麻薬如きの危険な香りであった。

 ズブズブと深みに嵌っていく自身を憂いつつも、最早抜け出せない。モスティマにとってはそう表現するに相応しい代物だった。

 

「……そろそろ充電出来たか?」

「んー、後二年くらい時間が掛かりそうだね」

「……アナタ達ね、いい加減砂糖を吐きそうなんだけど、離れてもらっても良いかしら?」

 

 全然満足しそうにもないモスティマの頭を、シュテンは優しい表情で撫でている。

 そんな二人を表現のしようも無いほどに嫌そうな顔で見ているベタベタマンがいた。

 

「あぁ、居たんだね」

「居たんだね、って一緒に来たんでしょうが。第一、彼会えなくて毎晩(・・)泣きそうな顔をしたと思ったら、データ端末を開いて寝るまで彼の写真をニヤニヤ眺めてる癖に何が充電なのよ?」

「──な。ず、随分とプライベートな内容を喋ってくれるね。幾ら君と言えどそれは看過できないよ」

「そんな姿を見せられながら定時報告する私の身にもなって頂戴」

 

 散々スルーされてきたベタベタマンは皮肉るように、呆れた様子で話す。まさか個人的な情報を当たり前のように開示されるとは思わなかったモスティマは、少しだけ顔を赤くしてベタベタマンを睨んでいた。

 

「なんだ、モスティマにも可愛いところもあるじゃないか。よしよし」

「あぁ、自分が駄目になって行くのが分かるね……」

 

 愛しい人から手櫛で髪を撫でられて熱い抱擁を受ければ、誰だって駄目になるものだとモスティマは自身に言い聞かせる。ふわふわと心が浮き上がるような心地良さを覚え、今にも蕩けてしまいそうな感覚。

 そんな二人を未だに冷めた目でベタベタマンは見ている。

 

「いや、だからね。私の話を聞いてるの?」

「なんだ、お前も甘えたい年頃なのか? モスティマが世話になってるからな。家族(なかま)じゃなくても特別に許そう。ほら」

「な、なんでそうなるのよ! 貴方の所の社員と一緒にしないでくれる!?」

「……シュテン。もしかして私のいない間にそんな事をしてたのかい?」

 

 やたらと狼狽しているベタベタマンを他所に、モスティマは上目遣いでシュテンを見上げながら問い掛ける。ふと、彼の脳裏に()ぎったのは、ソラとエクシア。そしてデートに出掛けたテキサスの姿。

  ──何一つ、後ろめたい事は無かった。

 

「……そうだ、会心のコーヒーが出来たんだよ。是非とも飲んでみてくれ」

「そんな事は置いといて──」

「散々置いておいたんだ。冷め切る前に飲むといい」

 

 やれやれと言った様子でシュテンから離れ──ようともせず、膝の上を陣取ったままテーブル上のコーヒーを口に含む。釣られるようにしてベタベタマンも同様に一口飲むと、驚きの表情でシュテンを見ていた。

 

「貴方凄いじゃない。これならお店に出しても看板になる程の味だわ」

「そうだろう。ただ一口で飯代が吹き飛ぶ金額なのが欠点だな。ここぞと言う時の一杯に過ぎん」

「じゃあ私が帰ってきたのは特別な事なんだね」

 

 素直に感嘆の表情を見せてベタベタマンは賞賛する。だが一口で食事代並の手間と材料が掛かってるとなれば気安く飲む訳にはいかないのだろう。

 そしてその言葉を聞いたモスティマはニヤリと悪戯な笑みを浮かべていた。

 

「当たり前な事を。モスティマとの再会を喜ばずして何を喜ぶんだ?」

「──ッ。そう言うのをサラッと言えちゃうのがもうポイント高いよね。キュン死しちゃうところだよ。君もそう思うでしょ?」

「気持ちは分かるけど、貴方の場合はわざと言わせてない?」

 

 バレたか、と小さく呟いたモスティマはそのままを反転し、再びシュテンの方へと振り向いて再び抱き着いて顔を隠した。

 無表情で無機質な顔を見せているベタベタマン。そんな彼女を苦笑しながら見つめ、モスティマの頭を撫でてシュテンは口を開く。

 

「帰ってきた初日はいつもこんなものだ。お前も分かっていた事だろう?」

「ラテラーノに居た時を考えたらありえない光景って思っただけよ。……けれどこんな彼女にしたのは貴方なのよ?」

「こんな俺にしたのはコイツ(モスティマ)だ。ペンギン急便らしくて良いじゃないか」

 

 社員それぞれが互いに大きな影響を受けて仲間となったペンギン急便。それはモスティマも然り、シュテンも例外に漏れていない。

 だからこそ彼は嬉しそうな表情で笑う。とても満足そうな笑みを浮かべて、彼女の頭を撫でながら。

 そんな他愛のない会話を社員が出社するまで続けていたのだった。

 

 

 

 

「と言う訳で新入社員のモスティマだ。皆、仲良くするように」

「紹介頂いたモスティマです。今日からしばらくの間宜しくね」

 

 そして早朝。社員が出社してきたタイミングでベタベタマンはペンギン急便の事務所から出ていった。その後、シュテンの合図を出した事で社員全員が一箇所に固まる。

 そして何を思ったのか、サプライズでのモスティマの登場。しかも何故か新入社員と言う肩書きである。

 

「え、えぇーと……? ど、どういうことです?」

「え、モスティマ!? いつ帰ってきてたの?」

「はー……まさか本当にモスティマはんが帰ってきはるなんて。テキサスはんの嗅覚はどないなってるんや……?」

 

 三者三様の反応を見せるペンギン急便。誰一人にもモスティマの情報を開示していなかった為、彼女達は驚いた表情をしていた。

 そんな中、一人だけ鋭い視線を送る者がいる。言わずもがな、テキサスであった。

 

「ふん、新入社員の最初の仕事は雑巾掛けからだ。早く床に這い(つくば)って拭いているといい」

「ふふ、変わってないようで安心したよ、テキサス。まずは君の顔でも拭けばいいかな?」

 

 ニコニコと笑みを浮かべるモスティマに対し、テキサスは尻尾をピンと立てながら警戒を(あらわ)にして睨む。そんな様子を呆れたように見ている周囲の中、ソラだけはオロオロと慌てた様子を見せていた。

 

「私の顔よりもまずはその汚れきった心を拭いた方が良い。尤もこびり付いて落ちないと思うが」

「シュテン、テキサスのパワハラが酷いんだ。慰めて欲しい」

「なんて姑息な手を……!」

 

 泣いている振りをしてシュテンへと抱き着いたモスティマ。それを引き剥がすようにテキサスは彼女を引っ張り始めた。

 どこかで見た事がある光景だな──そんな他人事ような思考の中、シュテンの体は激しく左右に揺さぶられている。

 

「……あの、テキサスさんがおかしくなっちゃったんですけど……?」

「あー、うん。あの三人がいる時はいつもの事だよ」

「エクシアはんが入る前からあんな感じやったと思うと……シュテンはんも大変やな……」

 

 どこか羨ましそうに見ているエクシアに呆然とした表情で見ているソラ。唯一無関係とも言える立場のクロワッサンは感慨深い様子で面白そうに見ていた。

 

 そんな二人の揉め事もシュテンの一声によって一段落した所で、モスティマがソラの前へと進み出る。

 

「え、えっと……?」

「ふむ」

 

 モスティマはソラの顔をジッと見つめる。突然の出来事に戸惑いをソラであったが、モスティマは気にする様子もなく覗き込んでいた。

 

「君は大丈夫そうだね。まだシュテンに毒されてないかな」

「あ、ありがとうございます……?」

「君の名前は?」

「ソラです。こう見えてアイドルをやってます」

「へえ、中々立派な子じゃないか。これから宜しくね」

 

 そう言ってにこやかに片手を差し出したモスティマ。その手を両手で握って深々と頭を下げるソラを見て、彼女は一層笑みを深める。

 前半の言葉の意味はソラに理解出来なかったものの、礼儀正しい先輩社員の様子に感動しているようであった。

 そしてその一連の様子を見ていたエクシアはモスティマの元へと近づき、ニヤリとした表情で口を開く。

 

「でもソラってシュテンに抱き締められたらしいよ?」

「……へぇ」

「しかも耳元で囁かれて顔を真っ赤にしてたみたいだし」

「前言撤回だ。ソラ、君はどうも危険な存在らしい」

 

 モスティマは握り合っていた手を離し、ビシッと指を突き出す。余りにも早い手の平返し。顔を赤くして口をパクパクさせていたソラであったが、エクシアを睨んで声を上げた。

 

「い、いつまでその話をするの! それにエクシアだって人の事言えないでしょ!?」

「……ほぉ、エクシア、どういう事なのかな?」

「え、ほ、ほらあたしって妹分でしょ? 甘えたくなる時もあるかなーって……ね?」

「そうだね。じゃあしばらくは私が甘やかしてあげるから安心していいよ」

「あ、ありがと……」

 

 ソラからの反撃を受け、今度の標的はエクシアへと移る。突然の事に狼狽を隠せないでいるエクシアであったが、モスティマの強い圧力に屈して静かに頭を垂れていた。

 

 そんな時である。遠巻きに彼女達を見ていたシュテンは、全員を一瞥。数瞬考え込むように顎に手を当てた彼は、唐突に口を開いた。

 

「しかしこうして見るとウチの社員の胸元は慎ましいものだな」

 

 姦しい空間が、突如凍結したように静まり返る。社員達から集まる無機質な目線がシュテンへと集まった。まるでアーツでも放たれたような無音の重圧を感じながら、過去にも似た感覚に包まれたのを思い出す。

 それは鼠王の娘──ユーシャと楽しげな雑談を鼠王に見られていたその時と。足元が突如地盤沈下して、ユーシャに鼠王が叱られていたのも懐かしい出来事である。

 大小で優劣をつけるものではない──そう教えられたシュテンは本気で失言などなかったと思い込んでいた。

 

「……シュテン、何か言ったかい?」

 

 決して笑みを崩さずにモスティマがシュテンを見つめている。だがその威圧感はまさに歴戦の強者。ピリピリもした雰囲気の中、いつの間にか彼女手には黒錠と白鍵のアーツユニットが握られていた。

 後ろで黙ってふんぞり返っていたエンペラーがゲラゲラと大笑いしているのを後目に、シュテンは言葉を続ける。

 

「何、今朝一緒にいた奴が所謂グラマラスな体型だったからな、ふと思っただけだ」

 

 外から何かが崩れ落ちるような激しい音が響き渡り、シュテンは目を瞑りながら満足そうに笑みを浮かべた。たが目の前に居る彼女達には(いた)く不満のようであり、他人事のように見ていたクロワッサンでさえ、冷たい目をしている。

 

「……どうやら余計な一言のようだったな」

「流石に私でも見逃せないぞ」

「シュテンはん。それはウチでもおもろないなぁ」

 

 気付けばテキサスに肩を掴まれている。その間にモスティマがアーツユニットを起動。シュテンは体に妙な鈍重感と拘束感を覚え、腕を持ち上げようとしたがまるで動きはしなかった。

 

「ふむ……」

 

 酒呑童子の力を振るえば問答無用で引き千切れるものの、仲間達に向けて使うのはシュテンが自身に課した掟に反する。

 となれば最早彼に為す術もない。ただありのままに起こる事を受け入れるしかないだろう。

 

「酔っていたとは言え、ピーターズ殿は正しかったのだな。これは俺の敗因だ。奴が言っていた──おっぱいは偉大なのだ、と。覚えたぞ」

 

 これでまた一つ賢くなれた──そう、心に刻んだシュテンはこれから起こる事に覚悟を決める。

 机をバンバンと叩きながら爆笑しているエンペラーを視界に収めたのを最後に、シュテンは静かに目を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

 そしてその日の夜。積もる話もあるだろうとシュテンに追い出されたモスティマは、ペンギン急便の宿舎へと泊まる事となっていた。

 風呂上がりに全員はロビーへと集まり、懇親を目的とした女子会を開いている。

 

「しっかしモスティマが帰ってくる時はホントに急だよね、三年振りくらいじゃないの?」

「確かウチが入ったくらいやったもんなぁ。……なんかあっという間に時間が過ぎてる気分や」

 

 モスティマが前回帰ってきたのはクロワッサンが入ってすぐの頃。濃密な日々を過ごしてきたペンギン急便の社員にとっては思った以上に日数が経っていた事に驚く。

 

「そうだね。私も色々と事情があるからいつまでのこの地に居られる訳じゃないんだ。ウルサスにヴィクトリア、イェラグ……様々な国に訪れたよ」

「一人でそんなあちこちに仕事で行ってるんですか? みんなから聞いてはいましたけどモスティマさんって凄いんですね……」

「モスティマで良いよ、ペンギン急便に堅苦しい関係はいらないさ。……元々私は一人で旅をしていたくらいだからね。このくらいなんて事ないよ」

 

 過去を反芻して遠い目をするモスティマ。ラテラーノを離れる事となって世界を旅する中で、ペンギン急便の社員となった。

 

「そう言えばなんでモスティマはペンギン急便に入ったの? あたしはモスティマを追い掛けて来た結果成り行きでこうなったけど……」

「シュテンがいたから。他に理由がいるかな?」

 

 ふと疑問に思ったエクシアがモスティマに質問を投げ掛ける。モスティマについてはペンギン急便の中でもブラックボックスに等しい程、謎に包まれていた為、誰もが過去を把握出来ていたりはしない。

 対してモスティマは即答にて言葉を返す。その自信はどこかシュテンを彷彿させる程であり、思わずエクシアはたじろいでしまった。

 

「そ、即答……。じゃあ聞くけど、どうしてシュテンにそこまで拘ってるの?」

「それは愚問だね、エクシア。君自身の過去を振り返ってごらんよ。それ以上に私やテキサスは彼の恩恵を受けている、って言えば分かるかな?」

 

 そう言われてエクシアが入社当時の事を思い返してみれば、如何に自分がシュテンの世話になっていたのかを思い出す。その一方で今以上に迷惑を掛けていた自身に自己嫌悪と羞恥心を感じ、思わず身悶えてしまった。

 

「……テキサスさんもシュテンさんが目的で入社したんですか?」

「……私の過去はそう簡単に──」

「そうだよ。テキサスが捨て犬だった時にシュテンが拾ってきたのさ。私は捨てて来なさいって怒ったんだけどね。彼は一度決めた事は梃子でも動かないから」

「……貴様。そもそも私とシュテンの運命の赤い糸は源石(オリジウム)で繋がっている。そんな簡単に切れる訳がない」

「なんかその糸呪われてそうやな」

 

 ふと気になったソラの質問に対し、回答を拒否しようとしたテキサスよりも早く、モスティマが端的に説明する。なんとも悪意のある表現ではあったものの、概ね間違っていない為にテキサスは否定しなかった。

 

「そうであっても私と君では立場が違うからね。私はシュテンに影響を与えた数少ない人物さ。……まぁコーテーには劣るけどね。悔しいけど。……悔しいけど!」

「どうせすぐに無くなる差だ。気にしない。……気にしない……!」

「シュテンってなんでも一人で出来ちゃうイメージだったから、人からの影響なんて受けるなんて想像出来ないなぁ」

 

 二人してやたらと悔しそうにクッションを叩きまくっている姿を見て、残りの三人は思わず苦笑してしまう。

 そしてエクシアの一言でふと元に戻ったモスティマが真面目な表情を浮かべる。それはエクシアやテキサスでも見た事が無い程の謹厳な様子であり、周囲には緊張が走った。

 

「……やっぱり君達はシュテンの事をよく知らないんだね」

「……モスティマ?」

「テキサスならどうかな? 君はシュテンの過去について知ってる事はあるかい?」

「……彼の本当の強さと、暗い過去がある事、後は……煙管に思い入れがある事くらいだ」

 

 エクシアとクロワッサン、そしてソラは会話に付いていく事も出来ずに困惑した表情を浮かべている。

 あの完璧超人に近い人に暗い過去。マフィアを蹴散らすえげつないやり方でさえ本来の強さでは無い事。そしてエクシアが吸わせてもらった煙管には大切な思い出があったと言う。

 それだけ彼女達の知らない事実が出ていたとしても、モスティマは不満気な様子で頭を捻っていた。

 

「じゃあ彼の強さの秘密は? 産まれてきた経緯は?

何歳ぐらいなのかも知ってる? あの強さを持ちながらペンギン急便に来て、なんで裏方に徹しているのかも分かる?」

『………』

 

 3人どころかテキサスさえも答える事が出来ない。否、何一つシュテンから聞けていないと言うのが正しい答えなのだろう。聞いた所でまともに答えて貰えない──そんなのが繰り返しの日々だったのだ。

 残念そうな様子でモスティマは大きく溜息を吐く。それは彼女達に対して──では無い。何も語らずに過ごしてきたシュテンに対してであった。

 

「なるほどね。なんとなく事情は分かったよ。……じゃあ特別に私が教えてあげようかな」

「え!? ホンマに!? シュテンはんの過去を教えてくれるん!?」

「……ちなみにそんな明るいものじゃないから覚悟はしてもらうけどね?」

 

 嬉しそうに目を輝かせたクロワッサンへと警告するように、モスティマは苦笑しながら諭している。

 

「でも……良いの? あたしって色々シュテンに聞いてはみてるけど、大体はぐらかされてるから喋りたくないのかなーって」

「……シュテンはああ見えて臆病だからね。物怖じせず人の心に踏み込んで来て、欲しい言葉や行動を平気でする癖に、自分の過去は決して語らない。でもそれは悪い言い方をすれば君達を信頼していない事にもなるのさ。──それは心から敬愛を見せていてもね。……でも彼にとって本当の家族(なかま)となる為には、彼の事を知らなくては話にならないよ。それはシュテンの為でもある。……尤も、その過去を知る覚悟がある人だけが聞いてもらいたいけどね」

 

 そう言ってモスティマは全員の顔を見遣る。軽い気持ちでシュテンの過去を聞こうとする奴は許しはしない──そんな強い意志と威圧感を放ちながら彼女は問いかけた。

 だが彼女達も大なり小なりシュテンのおかげがあって今があると言える関係。少なからずその恩を返したい──それがシュテンの為となるのであれば彼女達も聞かない訳にはいかなかった。

 

「……良いのか? その過去を教えたとなればシュテンに嫌われるかもしれないぞ?」

「テキサスが心配してくれるのかい? 珍しい事もあるんだね。……確かにその可能性は否めないけどね。でも私はそれ以上にシュテンの為になるならば厭わないさ。なんたって私は彼の一番だからね」

 

 胸を張って自信満々に語るモスティマ。その態度には流石のテキサスと言えど呆れざるを得ない自意識過剰っぷりであった。

 

「さて、じゃあ忌み子の酒呑童子について語ろうか」

 

 そしてモスティマは語る。遠い遠い血に(まみ)れた御伽噺(シュテン)の物語を。




ギャグ調から一転して真面目なお話になります。
次回はシュテンの過去話。



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酒呑童子の御伽噺



お待たせしました、シュテンの過去編となります。
完全オリジナルのシナリオと設定です。






 これは遠い遠い昔のお話である。ペンギン急便が設立されるよりも、龍門が龍門たらしめるよりも昔。それこそシュテンが産まれるよりも遙か昔に起きた極東での御伽噺だった。

 オニと言う種族もいなかったその時代。極東では今では考えられぬほどに多くの古代人で溢れかえっていた。

 戦も起きない平和にも等しい地。土地の関係上、他の地とは隔離されている彼らであったが何一つ不自由なく暮らしている。

 

 そんな時であった。本来ならいる筈もない生物が突然極東に生まれ落ちる。

 体長は凡そ成人男性の二倍。筋骨隆々であり、拳一つで鋼を容易く砕き、その身には傷一つ負わない化け物。白髪が逆立ち、片角の悪魔のように鋭い目付きを持つ生物であった。

 何故そのような怪物が生まれたのかも未だ不明である。宙か海か──何処からにせよ、彼が及ぼした影響は果てしなく大きかった。

 

 思うままに力を振るい、歯向かう古代人を殺害。武器も、アーツも、源石(オリジニウム)も、何一つ彼に致命傷を与えることが出来ない。

 一騎当千の暴虐王。男共は馬車馬の如く働かせ、女共は己の肉欲を満たす道具。そして自らは酒を呑み続ける酒池肉林。国交を持たない極東であったからこそ、化け物の望むままの世界が構成されていた。

 

 だがその時代も長く続く事はなかった。多くの男が衰弱して死んでいき、女達も怪物の子を孕む中で多くの者が耐え切れずに死んだり、発狂したり、自害したりする。

 だがその中でも確かに生まれ落ちた命があった。古代人と怪物の混血。人の心を持ちながら巨大な力を持つ子供達であった。

 だが怪物には到底適わないほどの実力。それでも多くの者達は母の無念を晴らそうと集い、計画し、怪物を退治する事を決めた。

 

 平和ボケしていた怪物の酒に毒薬を混ぜて大量に呑ませる。無論、その程度で死ぬ生物では無かったものの、確かにダメージは蓄積されるものだ。

 そして寝静まった夜に数十人に及ぶ息子達に惨殺された。幾ら本人に劣るとは言え、彼らもまた、古代人とは遠く掛け離れた化け物なのだから。

 

 そして多くの古代人が死んで行った中で残された子供達は平和で暮らしていった。まるで過去を忘れるようにして幸せに永い生涯を終えていった。

 そして多くの種族と交わり、過ごしていく中で化け物血筋は次第に薄まっていく。その血も精々人より秀でている程度の肉体となって来た時には、極東にはオニと呼ばれる種族が支配する土地となった。

 

 それが語り継がれない怪物──酒呑童子。鬼の始祖にて傍若無人の怪物。何時しか人々の記憶には消え去っていた歴史である。

 

 

 

 

 そしてシュテンの物語はここから始まる。

 酒呑童子の名を知る人々が一握りしかいない極東にて起きた悲劇。

 

 酒呑童子を知る者達も亡くなっていき、風化して言った頃。何十年、何百年と時の中で化学と技術が大いに発達し始めた極東で、一つの実験が行われていた。大いなる意志の元集まった異様な集団。その大元となる人物は、酒呑童子を惨殺したあの日に埋葬を申し出た人物の一族である。

 

 その者は自らの手で酒呑童子を惨殺しておきながら、その強さ、その生き方に誰よりも心を躍らせていた。自身には到底出来ない自由気ままな生活。嫉妬と憎悪と羨望と期待を混じらせながら、その計画の片棒を担いだのだ。

 そしてその者は埋葬するべき遺体を全て持ち帰り、保管した。目的も計画もあった訳では無い。ただその様になりながらも勿体ないと、本気でそう思ってしまったのだ。

 それは子供、孫、曾孫へと受け継がれていく。腐りゆく肉体。それでも何故かその血は鮮血のように何にも侵されない神秘的な輝きを放っていた。

 そして様々な叡智を集めて作り上げた集団と研究所。酒呑童子を崇め、現世に呼び戻そうとするカルト集団である。

 

 酒呑童子を現世へと呼び戻す為に志望者を募い、その集団は様々な人体実験を繰り返してきた。

 その血を投与──発狂または拒絶反応を見せて死亡。

 その血を飲用──内臓が破れて死亡。

 その血を塗布──皮膚が爛れていき激痛により自殺。

 

 多くの実験と死者を出しながらも結果を出せないままでいる為、彼らは頭を悩ませていた。

 その後、彼らの対象は崇拝者達の子供や幼児にも及ぶ。だがそれであっても芳しい成果を得られないでいた。

 そして最終的には対象は胎児へと移る。まだ母親の腹部にいる子供や受精卵、ありとあらゆる状況下の妊婦へと投与を繰り返した。

 多くの母体が耐え切れず死に行き、胎児もまた、人の形を為す事が出来ずに流産していく。

 ありとあらゆる手を尽くしても実らない結果の中、人の身に宿すのは不可能と諦めた──その時であった。

 

 受精卵にその遺伝子を組み込み、被検体の中で生き抜いた貴重な一人。その彼女は激痛を訴えど、他に異常もないまま生きていた。

 

 研究員と一族の誰もが期待に胸を躍らせる中、母体は痛みに耐え切れずに精神的に狂ってしまう。

 二年の月日が流れても、産まれる気配の無い赤子。だが確かに検査を行なえばそこに生命は宿っている。ただ生かされているだけの母親は暴れる気力すらない程に痩せ細っていた。

 そして更に一年が経過したところで異変が起こった。異様な程に発達した腹部を押さえながら、突如母体は苦しみもがくようにしてのたうち回る。

 来るべき時が来た──そう一族達はその光景を今か今かと目を光らせて見つめ続けている中、ついに誕生した。

 

 三年の歳月を経て母親の腹部を突き破るようにして生まれた子供。髪と歯が既に生え揃っており、生まれながらにして二足脚で立っていた。

 

 真っ赤に染まった白髪と伝説通りの片角を持つ被検体No.0410。

 彼は地獄の中で産声も上げずに産まれたのである。

 

 

 

 

 なにか最後に一言ポツリと呟いたものの、母体は衰弱も相俟って息を引き取る。そんな母をチラリと一瞥した酒呑童子を継ぐ忌み子。

 すぐさま母体の死体を処理し、忌み子を拘束しようとした研究員達はその体に触れようとした瞬間、嫌がるように振るわれた拳によって吹き飛ばされた。

 一瞬の内に壁に叩きつけられて失神した仲間を見て彼等は畏怖するどころか歓喜の笑みを浮かべる。幾ら研究に没頭していたとは言え、腐っても肉体的に優れているオニ。忌み子の肉体に宿る膂力は、並大抵では無いのを一見して理解出来た。

 

 そして忌み子は腫れ物を扱うようにして別室へと移動する。そこは研究員達が技術を存分に奮って作られた、源石爆弾でも傷一つ負わない部屋であった。

 何一つ言葉を理解できない忌み子はただ待機している。表情も変えずに部屋の中をウロウロしたり、壁を叩いてみたり。様々な物事に興味津々のようで部屋中を動き回っていた。

 トイレとシャワーをジェスチャーにて学び、後は指示通りに行動が出来れば食事が提供され、違えば食事を抜かれる。そんな生活を繰り返していた。

 研究員とコミュニケーションも簡単ではなかった。何せ忌み子には言葉も常識も何も通じはしない。そして不用意に知識を持たせない為にも一族は教育など一切させなかった。

 腕力や脚力を測定する内は忌み子も言われた通りに行動している。だが次第に痛みを伴う──酒呑童子の回復力や耐久力を試す試験となると忌み子は強い拒否反応を示していた。

 だが飢えを凌ぐには彼等の言う通りにしなければならないのは忌み子も理解している。だからこそ、痛みを堪えて彼は耐え忍んでいた。

 

 そんな日も数年が続いた時には異様な速度で忌み子の身体は成長している。胎内にいた事を考えても十には満たない年齢。だが彼の見た目は既に成人男性そのものであり、そしてその思考や理性も近しいものとなっていた。

 だが研究を続けてきた彼ら一族にとって、これまでの結果は芳しいものではなかった。確かにありとあらゆる分野にて高水準を叩き出していたものの、逆に言えばその程度。

 伝説とも言える強さを誇った酒呑童子には遠く及ばない存在であったのは、誰の目から見ても言えることだった。

 

 そして一族一同は顔を合わせて話し合う。全ては酒呑童子復活の悲願の為に何を成すべきなのかを。様々な仮説や議論、推測が飛び交う中で、彼等の中では一つの方針が決定される。

 それは酒呑童子の血を忌み子へと投与し、より本物へと近づけると言う結論であった。

 

 そして数日後、忌み子は何も告げられぬまま、その腕に酒呑童子の血が入った注射器を打ち込まれる事となる。

 怪訝な顔をした忌み子であったが痛みを生じないのであればと気軽に受け入れてしまった。それが如何に過酷な物であるかも知らずに。

 

 突然強烈な吐き気と目眩を催した忌み子はその場で(うずくま)る。血が沸き立つように身体が脈打ち、脳が弾け飛びそうな程の頭痛が彼を襲う。それでいて妙な高揚感と全能感を忌み子は感じ取っていた。

 副作用が出た、と研究員の一人が制止を振り切って忌み子へと近づく──その瞬間、彼の振るった拳で肉塊と化した。

 飛び散る血と肉の中、忌み子は悪魔のように笑みを浮かべる。真っ赤な瞳を大きく見開きながら、未だ収まらぬ殺人衝動を肉塊へと叩きつけ続けていた。

 

 その結果に一族は継続的な血液の投与を決定した。投与される度に彼の力は大きく増大され、凶悪性が増していく。実験も徐々にエスカレートしていき、源石生物の殺害から始まり、次第に人を殺す事も当たり前となっていた。

 そして彼自身の耐久試験もより過酷なものになる。切られ、焼かれ、殴られ、潰され。落ち着きを取り戻した際に拘束されては拷問のような、それこそ四肢の切断さえ最終的には行われていた。

 

 一族が管理していた酒呑童子の血がほとんど費やされた頃。彼の肉体は最早彼らには測りきれない程の性能を誇っていた。軽く振るう拳で源石爆弾ですら傷つかない部屋が大きく罅を作り、走って駆け抜ければ撃ったボウガンを追い抜く事さえ可能。鋼の肉体も最早準備しておいた武器では皮膚を切るのが精一杯。

 そしてその血も酒呑童子に適応してきた為か、殆どオリジナルと変わらない純度を誇っている。

 まさに彼等が求めていた酒呑童子がそこにはいた。

 

 常に殺意を纏う忌み子は凶悪な笑みを浮かべ続けている。そんな扱いを受ける事になっても何故彼が何もしないでいたのか。

 それは彼自身がそこに居る事で全てを学んでいたからだ。言葉を、仕草を、態度を。目線も歩き方も全て彼は無言のまま吸収し続けた。

 未だに研究員達は忌み子は言葉を理解せず喋ることも出来ない──そう、思っているがそれは間違いである。

 彼は既に会話の八割の言葉を理解しており、その仕草や態度から何を示しているのかを十全に理解していた。

 

 忌み子は自身が実験動物に過ぎない事を知っている。酒呑童子と言う存在について詳しく知る術は無かったが、その化け物を生み出そうとしている事も。

 だがそれも全て彼は受け入れていた。本能が決して許さないと囁き続ける憎悪、即ち彼等に復讐を果たす為。

 母を実験道具として使った奴等を殺し切る力を得るまで、忌み子は殺人衝動を抑え込み、その血を我が物にしていたのだ。

 

 そして全ての血を取り入れたその直後である。最後には彼の心ごと酒呑童子の血に呑まれ、彼は殺人衝動と心に淀んでいた憎悪を元に、血の思うがまま訪れた研究員を惨殺。容易く扉を殴り壊して室外へと飛び出れば、次から次へと一族を骸へと変えていく。

 だが彼等とてこの叛逆を予想していなかった訳ではなかった。酒呑童子の血の研究の成果により、血を投与することが叶わなくても一般的なオニ達にも眠る僅かな酒呑童子の血。それを呼び起こす──所謂先祖返りを無理矢理に引き起こさせる研究を成功させていた。

 その数おおよそ五十人。並のオニをはるかに凌駕していながら武術を修めているのだから、戦いの素人である忌み子には荷が重い。苦戦を強いられながらも彼は傷だらけの身体を力の思うまま振る舞い続けた。切られようとも叩かれようとも愚直に拳を振るう。

 

 そして無我夢中で我武者羅に暴れ続けた結果、彼は血溜まりの中で意識を失って倒れ込んだ。

 死者七十八名、重傷者二百五十名。それが彼が破壊し尽くした研究所の被害数であった。

 

 

 その大事件が切っ掛けとなり、酒呑童子の計画が公のものとなる。遂には国が動く大事となるが、最早血に呑まれた忌み子は誰にも手も付けられない存在となっていた。その為、苦渋の選択として緘口令を敷くと共に、忌み子を封印する事となる。

 

 大掛かりな仕掛けの元、彼は山の中へと囚われる事となった。山そのものが大きな結界となって酒呑童子の力を抑え込み、その中の小さな祠に忌み子は鎖に繋がれ、目隠しをされている。

 

 何年、何十年、何百年の時を過ごしているのか忌み子には分からない。1ヶ月(ひとつき)ほどの周期で見に来る監視者の足音が百を超えたあたりから、彼は数える事を諦めていた。

 酒呑童子の血と完全に同化した彼は不老の体となっている。空腹に激しい飢えと乾きを感じながらも、文字通り霞を食うだけでも生きていける強靭な肉体。

 そして凶悪なまでの殺人衝動に気が狂いそうになりながらも、暴れる事は敵わない状況。精々鎖に繋がれた体を揺さぶる事しか許されなかった。

 

 殺したい殺したい殺したい殺したい──そんな思考が頭を支配し続ける毎日。乾き過ぎて口を開いていても唾液のひとつも出てこないそんな中、一つの声が聞こえてくる。

 

「へぇ、本当に酒呑童子っていたんだ」

 

 凛とした若い女の声だった。独特な香りの煙たさを感じた忌み子であったが、その声に呼応するようにして、口を開き、叫ぶ。

 

「──ッ! ──!」

「……あぁ、ずっとこのままだから喋られないのね。ほら」

 

 そう言って忌み子の口の中へと何かが流し込まれる。封印されて以来何も口にしていなかった彼には貴重な水分であった。

 次から次へと嚥下して喉を潤していく。全てを飲み終えた忌み子は大きく咳き込んだ後、再び口を開いた。

 

「殺す! 殺して、やる!」

「……何突然。そんな封印された状態でビビる訳ないでしょ」

 

 牙をむき出しにして叫ぶ忌み子に対し、妙齢の女性は呆れたように見つめているだけである。

 狂気に自我を奪われて身を捩ることしか出来ない。それを見て何を思ったのか、女は突如忌み子を優しく抱きしめた。

 

「貴方辛い過去があるんだって? ……私は味方よ、安心していいわ」

 

 興奮状態の彼は、彼女の肩口へと喰い千切るようにと噛みつかなか。幾ら弱体化しているとは言え、人の皮膚くらいは容易く傷付ける口筋力は有していた。

 だが彼女は肩から流血してもその慈愛が消えることは無い。ただただ優しく彼の頭を撫でていた。

 

 そんな日が三日、四日と続いても忌み子の狂気は収まる事はない。五日、六日と経てば彼女の身体は生傷が絶えないものとなる。

 そして七日目。いつも通りに女が訪れると、そこには狂気を失った忌み子がいた。

 

「あら、今日は噛み付いてこないのね」

「……悪かった、な」

 

 荒く、熱い吐息を吐き出しながら、彼は俯いて堪えていた。酒呑童子の血を抑え込むのに必死なのだろう、一切たりとも目を合わせようとしなかった。

 

「貴方って本当に伝説の忌み子、酒呑童子なの?」

「……違うます。俺は被検体No.0410。忌み子、と呼ばれる、た事もある。が、酒呑童子の血が適合する、だけだ」

「変な言葉遣いね。……でも世間に流れている噂とは違うわ。大昔に人体実験でも行った名残なのかしら……?」

 

 辿々しい言葉遣いで語る忌み子に、彼女は紫煙を立ち昇らせながら苦笑いで応える。

 そして世間で(まこと)しやかに囁かれている噂。それはこの山奥に伝説の忌み子(・・・)である酒呑童子が眠っていると言う御伽噺のようなお話。

 多くの研究データと鬼の始祖である酒呑童子の情報が欠乏している極東。先人と国の力を用いて隠滅してきただけの事はあり、時代の流れもあって真実を知る者は一握りしか居なかった。

 実際にこの地も多人数のアーツによって隠蔽されており、並の者では見つけ出すことすら困難である。

 

「なんで貴方はこんな所にいるの?」

「……知りません。だが、酒呑童子の血が人を殺し、たくなる。だから、ここにいた、と思った。みんなが、殺されるからって」

「ならなんで今の貴方は普通に喋られるの?」

「……お前を傷付ける。だから、必死に抑えてる」

 

 そう語る忌み子に対し、彼女は微笑みながら言葉を返した。

 

「優しいのね」

「……? 言葉の意味が、知らん」

「うーん、人の為に動けるって事だよ」

「じゃあお前も、一緒」

 

 私はそんなできた人じゃないよ──そう彼女は語り、色々と彼に対して質問を重ねていった。自身の知識と忌み子の重ねてきた経験には大きな差異が生じていた事に大きな驚きを見せたりする。

 

 そんな日々が続く中、彼女が煙管を咥えながらふとした拍子に尋ねた。

 

「そう言えば貴方の名前は?」

「……被検体No.0410」

「そうじゃなくて、本当の名前」

 

 そう言われると忌み子は不思議そうな顔を浮かべる。本来なら親が子に授ける名前。その習慣も理解していない彼ならばその反応も当然と言えた。

 

「他の名前は、ない」

「……そうなのね」

 

 どこか寂しそうに呟く彼女の声に理解が出来ない忌み子。目が見えていなくてもその彼女の声色が変わった事を彼は認識していた。

 

「なら私が決めてあげる」

「名前は必要、なのか?」

「貴方が貴方である為に必要なものだよ。……そうね。酒呑童子の酒呑と、No.0410の410。二つを取ってシュテン。どう?」

 

 名前の意義も意味も分からない忌み子にはその良し悪しなど分かる筈も無い。しかも母では無い遥か年下であろう女が相手なのだ。

 たがそれでいても──どこか胸の奥が温かくなるような、そんな感覚を覚える。

 

「いい、と思う」

「そう。なら貴方は今日からシュテンね」

 

 そしてその日から忌み子はシュテンと名乗るようになった。

 

 

 それからも毎日訪れる彼女とシュテンは沢山の会話をする。栄養食しか知らない彼に多くの料理について語り、飲料は水しか知らない彼にジュースやアルコールについて語る。

 極東の中でも珍しく他の国々を知る彼女は、研究所と言う一点しか知らないシュテンに世界の広さを教え、喋るのも拙いシュテンに多くの言葉を教えた。

 その話はシュテンにとっても日々の楽しみとなり、未知に対して大きな期待を膨らませる。想像するだけでも心が踊るような気持ちになっていた。

 

 それはシュテンの最後の心の拠り所だったのかもしれない。

 

 そんな日々が一ヶ月程経過した頃。突如彼女の姿が現れなくなった。突然の出来事に寂しさを覚えたシュテンであったが、元より一人で永年囚われ続けていたのだ、多少の孤独は慣れたものである。

 だが一週間、二週間と時が経っても彼女の姿が現れる事は無かった。ただただ彼女の話を反芻するだけの日々。待てども待てども人一人も来ず。

 

 そして三週間が経った頃。いつも通りに巡回に訪れる監視者の足音が響き渡る。特に感慨も無く音が反響して耳に届くが、その音がいつもと異なっており、複数人いる事をシュテンは感じ取れた。

 そして聞くつもりもなかった彼等の声が聞こえてくる。

 

「全く、あの女のせいで余計な仕事が増えちまった」

「だが関係者諸共極刑にした。何も無いとは思うが……」

 

 ──頭が真っ白になった。彼等が何を話しているのかが理解出来ない。否、脳が拒絶している。

 極刑とは人の死を意味していた筈とシュテンは知っていた。では何故彼女が極刑とは関係あるのか──。

 

 ──分からない分からない分からない分からない分からない。

 ──分からないならば、どうすれば良い?

 ──嗚呼、そうだ。分からない事は全て彼女が教えてくれていた。

 ──だから聞きに行けばいい。

 

 身を動かせばジャラジャラと鎖が音を立てた。監視者達からは驚くような言葉が飛び交うが、それ以上は動く事も出来ないと口を揃えて話す。

 

 だがシュテンは理解していた。この程度(・・・・)の封印など、本来の酒呑童子からしたら足枷程度な事を。では何故彼が今まで抗う事が出来なかったのか──それは、彼自身の意志の問題であった。

 ただ復讐の為だけに受け入れたこの力。自我の弱かったシュテンは血に取り込まれ、その力を忌み嫌い、拒絶し続けていた。

 意志なき心には力は宿らない。それは酒呑童子の力であっても例外ではない。

 

 だからこそシュテンは決意する。その酒呑童子の血を、力を、狂気を、殺人衝動を。全てを呑み干して我が物とする為の覚悟を。

 

 全ては彼女から話を聞く為(彼等を殺し尽くす)に。

 

 無理矢理に押さえ付けて拒絶していた血に応じるように心を開けば、直ぐ様狂気が彼の心を侵食していく。

 赤く、より紅く染まる瞳と釣り上がる口角が鋭い犬歯を見せる。

 込み上げてくる殺人衝動と狂気に呑み込まれないように堪えた。だがそれは決して否定している訳では無い。その感情を全て自らの意志によるものとし、自身の心と融合させていく。

 

 そして初めてシュテンは酒呑童子の血を自らの血とした。こびりつく殺意に力の制御はままならなかったものの、身体そのものは自身の意思として動かす事が出来る。

 大きな咆哮を上げながら、シュテンは身体に力を込めた。山そのものが震撼していると思える程の力に呼応し、大地が揺れる。

 怯え戸惑う様子を見せる監視者達の前で、シュテンは強引に鎖を引き千切った。長年封印し続けたアーツによる結界が破壊された為か、辺りには轟音が響き渡るも、シュテンは自由になった両手で金属製の目隠しを破壊する。

 

 久方振りの明かりは目を焼くほどの熱さを覚えたものの、目の前にいるオニ達を視認した瞬間、身体が強烈な高揚感が襲う。その心の赴くまま、自らの意思で大地を踏み締めて駆け出し──一人の首を削いだ。

 まさに目にも止まらぬ早業。オニ達が気づくよりも早く、二人、三人と手と足で首をへし折っていく。

 ただ暴れる訳ではない、純粋に殺すことに特化した動きは、まさに彼がその力を制御している他ならない。

 そして血溜まりの中一人立ち尽くすシュテンと、怯えながら腰を抜かした一人のオニ。そのオニの首を剛力で掴み上げて彼は口を開く。

 

 ──彼女のところに案内しろ。

 

 有無を言わさない気迫と威圧感。オニに選ぶ手段などなかった。

 

 山を下り、車に乗せられてどこか遠くへと移動していき、果ては多くのオニ達が住む街へと到着する。

 車も道も街も喧騒も。何もかもが初めてのシュテンにとっては余りにも情報過多な世界であった。全てを理解したい、だからこそ早く彼女に会いたい──そんな一心で男を連れて進み続ける。

 周囲の奇異な視線を気にも留めず、彼らが着いた先は都市の中心地。一見しただけでも他の建物とは訳の違う巨大なものであった。

 

 そしてオニは慌てた様子で守衛に話し掛ける。滑稽無稽な説明に鼻で笑う男達であったが、後ろにいた者の気配がおかしい事に表情を変えた。

 そんな中、シュテンは守衛達を押し退けて一人で敷地内へと進んで行く。当然ながら許されるはずもなく、武器を向けられながら警告。シュテンは見向きもせずにその武器を素手でへし折り、ただひたすらに奥へと進んで行った。

 

 道中では多くの者が彼を阻んだ。その度に頭部を破砕し、首を手で切り飛ばし、死体を投げつけては戦闘不能に追いやっていく。

 殺せば殺すほど人が増えていく。だが先祖返りもしていない奴等如きに傷を負う訳もなく、シュテンは問答無用で進んで行った。

 

 そして上階へと進んで行った建物にある一際豪勢な広間へと到達する。そこには今までの者達とは漂う気配の違う初老の男がいた。

 

「来たか。待っていたぞ」

 

 堂々たる振る舞いで玉座に座す男。彼は極東を総べる現国王であった。

 臣下達の助言を無視し、ただ自分だけがこの場に残ると言う豪胆さ。恐らくはオニの頭首と言うだけあって実力にも自信があるのだろう。

 

「伝説の酒呑童子の忌み子よ。貴方の過去は俺達王族は全て把握している。まさか狂気に呑まれていた筈の理性を持っているとはな。……さて、実験や封印について積もる恨み辛みはあるのは分かっている。その上で問おう。──何故ここに来た?」

「彼女をどこにやった?」

 

 王の言い分など何一つ汲み取ることなく、シュテンは淡々と言葉を返す。

 その言葉に王は嘆息した。まさか部下から報告は受けていたとは言え、まさか本当にその程度(・・・・)の事で国に喧嘩を売っているのかと。所詮は暴君の忌み子だな──そう結論付けていた。

 

「貴方の言う彼女とはこれの所有者の事か? そうであれば既にこの世にはおらんよ」

 

 そう言って王が何かを放り投げると、シュテンの足元へと転がってくる。なんの事かさっぱり分からない彼がしゃがんで拾い上げた物。それは金属製の細長い筒であり、シュテンには見たことも無い代物である。

 だが、そこから僅かに香る匂い。それはあの日々で何度か漂ってきた煙と同じ匂いで──。

 シュテンはフツフツと湧き上がる怒りを抑えようともせず、その足を王へと進めた。

 

「話は聞いている。あの女が貴方の心の支えになっていたのはな。だがそれも全て国を滅ぼす為に計画したものだと知っていたか?」

 

 男は悠然とした態度で語る。曰く、極東に恨みを持つ組織がどこからか酒呑童子の噂を聞き付け、あの山を探索していたのだと。

 そして長い年月をかけて見つけた酒呑童子(シュテン)。だが封印されていた上に理性もまともに働かないとなっては使い物にならない。

 そこでシュテンを懐柔する為に選ばれたのがあの女。

 

 全ては自身の復讐を果たす為、その為に彼女はシュテンに訪れていたのだと。

 

「つまりは貴方は利用されていただけに過ぎない。極東を恨む気持ちは分かる。俺の命で良ければ差し出そう。……だが、彼女の恨みと言うのであれば、それはお門違いに過ぎん」

「だからどうした?」

「……何?」

「喩え彼女の言葉が偽物であろうと、救われてここに俺という意志が生まれた。呑み込まれていた酒呑童子の中で俺と言う自我が芽生えたんだ。……恐らく彼女の事だ、自身が死のうとも俺がここに来る事を予見していたかもしれない」

 

 唖然とする王の前に、シュテンは殺意を高めながら言葉を続ける。

 

「だからこそ──俺は恩を返す為にお前を殺す」

「はっ、面白い。これでもオニの王だ。そう簡単に──」

 

 最早続く言葉などはなかった。頭と胴体が分かれてしまえば喋る事など出来る筈もないのだから。

 血の吹き出ている肉塊が脳を失い、制御出来ずに倒れ込んで行く。浴びた血が全身から滴り、ぽたぽたと音を立てていた。

 鉄の匂いが鼻を刺す。そんな中でシュテンは静かに遺物である筒──煙管を眺めていた。

 

「貴様等には分からんだろうな。御伽噺の存在と、個として扱われて来なかった者の気持ちが。どれ程その優しさが心を動かしたのか」

 

 だが──そうであったとしても、だ。

 彼女の本心がそこには無かったのは、シュテンにとって心を抉るような真実であった。触れ合う中で僅かな情が湧き、そこに優しさがあったのかもしれない。

 だがそれも最早答える者はいない。真実は闇の中に葬られ、ただ国の復讐が目的であったという事実のみ。

 

 ──貴方なんて産まなければ良かった。

 

 ふと、そんな母の死に際に言った言葉を思い出す。何故なのかは自分でも分からない。ただ、今の心の有り様は、その時の感情と似たようなものなのは間違いなかった。そんな感情を理解出来ぬまま、生まれて初めて、彼の目からは涙が伝い落ちる。

 

 目的も、喜びも、何もかもを失ったシュテン。だが彼女は言っていた。──そんなつまらない顔が出来ないほどに世界には楽しい事が待っているよ、と。

 心にぽっかりと穴が空いてしまったシュテンには、そのくらいしか頼れるものはなかった。

 

「そうだな……世界を見て回ろう」

 

 そうすればきっと楽しい事が見つかると信じて。

 






少し続きます。




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皇帝とオニと愉快な仲間たち




これで本編は完結となります。





 シュテンが極東を去り、多くの未知と出会う為に世界へと旅に出た。都市間での移動手段など知らない彼は自らの足で各地を彷徨い続ける。

 飢えや鉱石病(オリパシー)には無縁な彼は、意外にもそんな過酷な旅にも順応していた。原生生物を狩っては食し、時には都市に持ちこんで素材として売り捌いて路銀を得ている。

 そんな旅の中でシュテンの武勇を聞いた者達が彼に依頼を持ちかけるようになった。原生生物の撃退から族の退治、更には都市間での配達など、様々である。

 その中でもシュテンは金払いの良かった傭兵業を主にこなしていた。人を殺す事に一切の躊躇はなかったものの、彼女が言っていた優しい人である為になるべく、弱者や善人の為に──所謂義賊的な仕事を選んでいる。

 イェラグに行っては寒さに凍えてすぐ様離れ、ラテラーノに行けば同族殺しが禁忌と聞いて鼻で笑い、シラクーザに行ったと思えば何故かマフィアを壊滅する事となる。

 

 まだまだ非常識な行動は多いものの、それでも知識は人一倍蓄えてきた。何十年と世界を巡ったかも覚えていない。時には天災と遭遇し、興味本位で近付いて身ぐるみの殆どが消失したのも苦い思い出であった。

 

 長い旅路の中でシュテンの心の傷は殆ど癒えている。多くの楽しみも出来た。だがそれでも彼の心の乾きは消えない。

 それはシュテンが本当に知りたい事を知り得てないからなのだろう。

 

 

 そんな生活を続けている中、シュテンは依頼のついでにクルビアへと立ち寄っていた。何度も訪れた事のある土地であった為、それなりに土地勘はあったのだが、その日は何故だかいつもと様子が違っている。

 住民達がソワソワした様子でどこか浮き足立っており、明らかに違う都市から来たであろう種族達がクルビアに蔓延っていた。

 見た事もない光景にシュテン周囲を見渡して確認する。するとそこにはとあるイベントの広告が貼られていた。

 

「……ライブ?」

 

 そこにはペンギンが中央に写っている巨大な張り紙。でかでかとライブの単語と座席、時間等が掲載されている。

 シュテンにはライブと言うものが何なのかは理解出来ていなかったものの、大多数の者がそれを待ち遠しくしている事は理解出来た。

 大衆の多くを魅了するそのイベント。その事実はシュテンの心を惹きつけるには十分である。

 

 

 決して安くはない料金を払って、シュテンはエンペラーと書かれている者のライブの観戦をする事とした。

 全くもって意味も意義も見い出せていないものの、人波に揉まれながらシュテンは待機している。肌と肌が触れ合う距離感と暑苦しい雰囲気も兼ねてとても居心地の良いとは言えない。それでも周囲の者達は今か今かと待ち構えていた。

 

 そして始まるライブ。ド派手な演出と耳を劈くほどの爆音と共にエンペラーが登場する。

 それだけで会場の興奮度は一気に最高値まで跳ね上がり、歓喜の歓声が響き渡り、大地が揺れ動くと感じるほどの盛り上がりようであった。

 対するエンペラーは聞くに耐えないような個人や国家に対する口撃とスラングを交え、異常なまでの攻撃性で声を上げる。

 

 その様子を、ただただ無表情で見つめ続けるシュテン。それもその筈、彼はその場の雰囲気も魅力も何一つ理解していないのだから当然であった。

 確かにエンペラーの流している曲にはどことなく心地良いメロディを感じはするものの、所詮はその程度の感想である。シュテンからしてみれば、何をそんなに盛り上がる要素があるのか不可解であった。

 

 エンペラーの言動一つで気絶する程のファンがいる。皆が心を一つにして同じように言葉を紡ぎ、動作を見せたりする。

 シュテンはその光景を、ただただ見つめ続けていた。

 

 

 

 

 ライブが終わり、余熱の残ったままの会場をシュテンは後にする。結局最後まで冷め切った様子で見ており、彼等の熱の一割も伝わりはしなかった。

 一際盛り上がりを見せる歓楽街を後目に、シュテンは廃れた裏路地を歩いている。一転した静けさとチカチカと点滅する街灯に照らされた先にあった古ぼけたバーへと入った。

 アンティークを基調とした店内にクラシックの音楽が流れている。店主の趣味で開いているような、そんな閑散とした雰囲気をシュテンは好んでおり、クルビアに訪れる度にこの店へと足を運んでいた。

 

 やはり音楽というものはこういう物だ──そうシュテンは心を穏やかしながら耳を傾ける。ウィスキーをストレートで口に含んでは、焼けるような熱さを楽しみ、使い古された煙管から紫煙を立ち昇らせていた。

 そんな時である。シュテンしかいなかった店内。カランカランと音を立てて一羽の男が入店して来た。

 

「クソみたいに寂れてる割にはセンスあるじゃねえか」

 

 高圧的な台詞と共に現れたのは、先のイベントでの主役だったエンペラー本人であった。

 カウンターに座っていたシュテンからひとつ飛ばしの席にエンペラーが座り込む。無口なマスターもその態度は気に障ったのか、少しだけムッとした表情を見せたものの、彼の注文通りにアルコールを提供した。

 

「……あ? なんだお前」

 

 無機質な視線を向けていたシュテン。その視線に気が付いたエンペラーは刺々しい言葉遣いで言葉を投げた。

 

「別に。横暴な態度はステージの上と変わらないんだなと思っただけだ」

「……あぁ、誰かと思えば。見覚えがあるぜ」

 

 嘆息しながら煙管を吸うシュテンの顔を、エンペラーは覗き込む。その時間は僅か数秒。立ち止まっていても目立つシュテンとは言え、数多くのファンの中に紛れていた彼個人を認識するのは、そう簡単に出来る芸当では無い。

 だがエンペラーは彼の顔を記憶の中に留めて居た。何故ならば──

 

「俺のライブで唯一クソみたいにつまんねえ顔してた奴か。何しに見に来てたんだ? 俺の命でも狙ってんのか?」

「そんな物に興味は無い。ただ人が集まっていたから見に行っただけだ」

「はっ──それで面白くねえから突っ立ってた訳か?」

「そうなるな」

 

 煙管を口に咥えながら視線を外したシュテン。その横顔をエンペラーは機嫌が悪いのを隠そうともせずに睨み続けている。

 

「俺のライブに来ておいて面白くねえだと? 余程クソみてぇな人生を送ってんだな。そんなオンボロの煙管なんかで吸ってっから頭ん中まで錆びちまうんだよ。帰ってママのおっぱいでも吸ってやが──」

 

 鬼が嗤う。酒呑童子が腕を振り抜く。

 エンペラーの頭が容易く弾け飛び、血の雨が店内に降り注ぐ。突然の出来事に顔を真っ青にした店主を一瞥し、シュテンは席を立った。

 

「迷惑掛けたな」

 

 そう言ってシュテンは懐から札束を出してテーブルに置き、背を向けて歩き出す。目立つつもりは無かったのに思わず殺してしまった事を悔やみ、クルビアを旅立つ算段を立てていた時であった。

 

「おい、忘れ物だ」

 

 確かに頭部ごと粉砕したはずのエンペラーの声が背後から響き渡る。例え生きていたとしても声帯すら消し飛んだのにどういう事なのだろうか──そう思い、シュテンが振り返った瞬間であった。

 強烈な衝撃が走り、弾かれるように顔が天井を向く。

 カランカランと薬莢がエンペラーの足元へと落ち、転がっていた。そこには真っ赤に染まりながらも傷一つ無いエンペラーが、銃を構えてシュテンを撃ち抜いている。

 

「この俺に喧嘩を売るとはいい度胸だな。あ?」

「お前こそいい度胸だな」

 

 獰猛な笑みを浮かべたシュテンが、ぐるりと顔をエンペラーに向ける。眉間にめり込んでいた銃弾が床に落下し、シュテンは強烈な殺意を身に纏った。

 

「原理は知らんが次は木っ端微塵になるまで潰してやる。お前が死に切るその時まで見張ってやろう。何、何日でも付き合ってやるよ」

「はっ、やれるものならやってみろ──と言いたい所だが、銃が効かねえ上にお前の実力は本物だ。……悪かった、失言を認めるぜ」

 

 ハンドガンをテーブルの上に置いて降伏のサインとして両手を上げるエンペラー。その様子を見て、熱が冷めたのだろう、シュテンは静かに深呼吸をして荒い気性を収めていた。

 

「長生きしたいなら無闇に喧嘩を売るのを止めるんだな。俺が知ってるだけでもお前を殺せる奴は何人もいるぞ」

「忌み子の酒呑童子が言うならそうなんだろうな」

 

 背を向けたシュテンが再び振り向き、エンペラーを睨み付ける。そんな様子を介せずにエンペラーは葉巻に火を付けて咥えこんでいた。

 

「……何故知っている?」

「蛇の道は蛇だ。極一部の奴等は忌み子の酒呑童子伝説を知っている。バベルも奴等もその血を求めて極秘計画を立ててた事もあったくらいだからな」

 

 忌み子と酒呑童子伝説は別の話ではあるが所詮は外に漏れた御伽噺などその程度なのだろう──シュテンはそう結論付けたものの、決して見逃せる情報では無い。

 

「……成程、わざわざ激高させて俺を試したのか」

「一目見てお前が只者じゃない事は分かっていた。酒呑童子かどうかは俺の勘に過ぎなかったが……どうやら正解みたいだな」

 

 ニヤリと笑みを浮かべてエンペラーは言葉を続ける。

 

「さて酒呑童子。お前に話が──」

「その名で呼ぶな。殺すぞ」

「……オーケー。なんて呼べばいい?」

「シュテン。それが俺の名前だ」

 

 個人ではなく御伽噺の存在として扱われる事は気に食わないのだろう、睨み付けるようにエンペラーを見据えたシュテン。

 同じ轍を踏まないようにエンペラーは言葉に気を付けながら会話を続けていく。

 

「じゃあシュテン。まず聞きたいがお前より強い奴を知ってるか?」

「なんだ藪から棒に。……俺の知っている範囲ではいないな」

「だろうな。俺もお前程の気配の奴にあった事がねえ。……だからこそお前の力を借りたい」

 

 特に意識したこともなかった事を突然尋ねられたシュテン。数瞬考え込むような仕草を見せたものの、特に思いつく様子は見せなかった。

 その答えはむしろ予想通りだったようで、エンペラーは納得した表情で頷いている。

 

「俺はいずれ龍門に進出するつもりだ。あそこにはクソ鬱陶しい奴だが腐れ縁のウェイっつー天才がいる。まぁ俺には劣るがな。……アイツは間違いなく龍門をこのテラに於ける最大都市にまで発展させるだろう。その時に俺は確固たる地位を確保するつもりだ」

「何の為に?」

「誰よりも自由な存在でいる為に」

「──はっ」

 

 まさに暴君であり覇王。エンペラーを自称するだけの事はあった。自由の象徴と表現しても遜色ない程に横暴な振る舞いをしているにも関わらず、まだ自由を欲するその強欲さに思わずシュテンは笑みが零れる。

 

「だが俺にとって利点が無い。その生き様は嫌いじゃないが他を当たってくれ」

「ならお前の乾きを俺が満たしてやる」

「……何?」

 

 突然の言葉にシュテンは訝しげな顔でエンペラーを見つめる。対するエンペラーはサングラスで表情は分かり辛いものの、その口元には大層な自信を携えているのが伺えた。

 

「力っつーのは我儘を、自分の意思を貫く力だ。お前にはそれだけの暴力が備わってる筈だろ。にも関わらず、クソつまんねえ顔をしてまで理解の出来ない俺のライブに来ていたんだ。……つまりお前の中で満たされない何かが、俺を通して見えていたんじゃねえのか?」

「…………」

 

 心の底から驚愕の表情をシュテンは見せる。エンペラーはどこまでも先を見据えて言葉を紡いでいた。それはまるで彼の心の中を見透かしているような堂々たる振る舞いで。

 裏の裏を読み切る──そんな視野で世界を見据え、音楽一つで民衆の心を鷲掴みにする。その行く先は大都市の権力者へと到達するつもりでいた。

 

 そんな圧倒的なカリスマ性を持った彼ならば──もしかしたらと期待してしまう。シュテン自身が抱え続けていた、その渇望を。

 

「否定しねえって事はあながち間違ってなかったみたいだな」

「大した男だな。何十年と世界を歩き渡ったが、お前程の慧眼を持った奴は見た事が無い。……良いだろう、お前の思惑に乗ってやるよ」

「俺を誰だと思ってやがる? 覇王のエンペラーだぞ。……それで、お前の望みは何だ?」

 

 エンペラーに問い掛けられたシュテンは言葉に詰まりながら、煙管を咥えて天井を見上げる。

 

 ──世界を見た。

 スラム街の子供が死に行く様を見た。難病の中、死んでいく依頼人を見届けた事もあった。天災に巻き込まれて消えていく人々を見た。暴徒やマフィアに嬲り殺された死体を回収した事もあった。

 多くの死に立ち会った。理不尽に殺された弱者達。命に貴賎は無いとは言え、悪人とは違い、彼等には一つの共通点がある。

 ──それは誰かしらがその死を悼み、嘆いていた。家族が、知人が、友人が、恋人が。心を一つにして慟哭を上げる。

 

 それはシュテンに理解が出来なかった。

 母に怨恨の言葉を遺され、心の拠り所にしていた彼女には利用されただけの歪んだ関係。

 

 だからこそ、彼は追い求め続けていた。

 

「俺は愛を──家族と言うものを知りたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 カラン、と氷が溶けてグラスから音が響き渡る。

 龍門のサンセット通りにある、ペンギンが大きく描かれた看板を掲げた店、大地の果て。

 モスティマが帰ってきた初日の夜。そこには彼女を追い払ったシュテンとエンペラーが二人でカウンターに座っていた。

 店は閉め切っており、二人だけの貸切状態。最初に出会った頃のように一つ席を飛ばして二人は腰掛けている。

 

「こうして二人で座ってるとあの時の事を思い出すな。真面目な顔をして、家族を知りたいっつーもんだからゲラゲラ笑っちまった」

「思い出させるな、ぶん殴るぞ」

「あの時のシュテンは遠慮なくぶっ殺してきたけどな。そう思えば大分丸くなったもんだ」

 

 笑い声を上げた瞬間に顔面を吹き飛ばされた事を思い出し、エンペラーは揶揄する。まだ未熟だった頃の自分を恥じているのか、シュテンは悔しそうな顔を見せていた。

 

「あれから何年も経ってるんだ。考え方の一つや二つ変わるものだろ」

「百歳を超えてる爺がよく言うぜ」

 

 そう言ってエンペラーはウイスキーのボトルごと口に咥え込み、ラッパ飲みで喉を慣らしていく。いつもよりハイペースな摂取量であったものの、シュテンが止めることは無かった。

 

「裏社会に生きる奴等にとって、酒呑童子って言えば同族殺しで名を馳せた極悪のオニなんだよ。それがまさかそんなピュアでナイーブな悩みを抱えてるなんて思う訳ないだろうが」

「御伽噺は所詮は御伽噺だ。俺の過去そのものでは無い」

「そうだな、お前が御伽噺通りの化け物だったら俺は今頃使い捨ててる所だぜ」

 

 空っぽになったウイスキーのボトルを投げ捨て、焼ける様な息を吐きながらエンペラーは言葉を続けた。

 

「だがお前は違った。常識はぶっ飛んでいたが根は善人そのものだ。だから俺はお前と約束したんだ」

「──血が繋がっていなくても家族と言える関係がある。大事なのは心の距離。俺はお前の為に、お前は俺の為に。お前の幸福は俺の喜びであり、俺の不幸はお前の悲しみだ。それが運命共同体、だったか?」

「一言一句覚えてるとかどんだけ気に入ってんだよ。まさかそれを地で行ってモスティマとテキサスを落とすとは思わなかったがな」

「落とすとか言うんじゃねえよ鳥頭が」

 

 ──そう。シュテンが仲間を思い行動するその根源は、エンペラーから教わったものであった。意味も分からず始めたその行動も、日に日に心がついていくようになり、いつの間にか心の底から仲間を大切に思うように変わっていく。

 そしてその思いは仲間にも伝わり、何時しか彼自身も大切に思われる存在となっていた。

 

「……今だから言えるが、お前には暴力の面でしか期待はしてなかった。事実お前はウルサス帝国の襲撃の際にリーサルウェポンとしてウェイに武力を示し、亀裂の入った鼠王との関係にも力技で解決した。それだけでお前の仕事は十全に果たしたと言える」

「そうだな。エンペラーに力を貸すのが俺の仕事だった筈だ」

「だがお前の能力は俺の予想を遥かに上回っていた。相手を出し抜く計略も俺の上を行くようになり、懐に取り入る交渉術も巧みなもんだ。それでいて(したた)かは決して忘れねえ」

「全てお前から見て学んだだけの事だ。俺自身の凄さではない」

 

 この世界で生きる術は自身が培ってきたものであったが、シュテンの社会に生きる能力は凡人にも劣っていた。

 だからと言ってエンペラーは彼を指導してきた訳では無い。本当に心から武力での役割しか期待していなかったのだ。

 だがそれも全て、見聞だけでシュテンは成長して見せた。恐らくは酒呑童子の物ではなく、彼個人が生まれつき備えていた能力なのだろう。

 模倣し、取り込み、糧として成長する。決して誰にでも出来る事ではない。

 

「それを含めてお前の能力なんだよ。……期待を超えてきたシュテンに対して、俺はまだ半分も返しきれちゃいねえ。だからこれはほんの感謝の気持ちだ。遠慮なく受け取りやがれ」

「……は? いきなり何を言って──」

 

 ガチャリ、と音を立てて扉が開く。貸切となっていた店内には響くはずの無い音に、シュテンは思わず振り向いた。

 そこには、宿舎に居るはずのモスティマが、いつも通りの笑みを浮かべて立っている。

 

「……モスティマが何故ここにいる?」

「んー、それを答えるには色々と事情があるんだけれど、強いて言うなら彼女達がすぐにでも会いたいって言ったからかな?」

「……だからお前まで何を──」

 

 またもシュテンが言葉を言い切るよりも早く、物事が進んでいく。

 モスティマの背後から複数の慌ただしい足音が響き渡る。夜中にしては騒がしい音に違和感を覚えながら彼が見つめていると、そこからはペンギン急便の社員達が駆け足で突入してきた。

 

 全員が目を赤く腫らしながら、シュヘンの元へと駆けてくる。中でもエクシアとテキサスの様子は酷い有様であり、勢い余ってシュテンに抱き着いた。

 彼は驚きを隠し得ない。それどころか全くもって現状を理解出来ず、混乱した様子さえ見せていた。

 

「うぅー! シュテンに辛い過去があったなんて知らずに我儘ばっかり言っててごめんね……!」

 

 エクシアが涙声で言った台詞に、シュテンの頭が真っ白になった。

 ──何故エクシアが俺の過去を知っている? 何故……では無い。その原因は一人しかいない。

 ぐるりとシュテンの視線が動き、モスティマを見据えた。対する彼女はバツが悪そうな表情を浮かべながら頬を搔く。

 

「……そうか。道理で妙なタイミングで帰ってきたと思ったら……その為に呼んだのか」

「あはは、バレてるよ。コーテー」

「聡すぎるのも面白くねえな……」

 

 モスティマが帰ってきた事。シュテンの過去を社員に話した事。そしてこの場に全員が集まった事──その全てがエンペラーによって仕組まれた出来事なのだとシュテンは漸く察知した。

 

「……どういうつもりだ?」

「お前こそいつまでヘタレてるつもりだ? ソラが来た時にも言った筈だぜ。コイツらはもう大人だ、お前は過保護過ぎるってな」

「……だが」

「だが、じゃねえ。お前の不幸は俺の不幸でもあるっつーのはお前だけの話じゃねえ。コイツらにも言えることなんだよ」

 

 そう言われてシュテンは抱き着いていている彼女達の顔を見やる。

 真っ赤に腫れた目に、恥じる様子も無く垂れてくる鼻水を啜っている。目のやり場に困る程クシャクシャとなった泣き顔を見て、シュテンは思わず困った表情を浮かべていた。

 

「泣くな。いつもの騒がしいお前達が好きなんだ。そんな顔をされると……その、困るんだよ」

 

 そんなシュテンの言葉に感極まった様子で、クロワッサンとソラさえもが彼に飛びついた。

 気が付けばモスティマですらもニコニコとした表情を浮かべて背後に抱き着いている。

 

「はっ、誰のせいで泣いてると思ってるんだよ」

 

 ──そう、他ならぬシュテンの為に彼女達は泣いていた。

 決して理解出来ないと思っていたその光景。エンペラーと出会う前の自分では何一つ思いも感情も湧き出てこなかった。

 自分の過去を知ってこんなにも思ってくれている彼女たちがいる。御伽噺として扱われる現実味の帯びない出来事を、疑いもせずに泣いてくれる。そう思うだけで胸の奥が驚くほどに熱を帯びていた。こんなにも泣いてくれる仲間たちの姿が、シュテンの視界にはボヤけて映る。

 その理由は何故だか分からない。感じたことも無い感情を持て余すも不思議と嫌ではなかった。

 

「どうだ? 少しはお前の求める家族には近づいたか?」

「そうだな……」

 

 そして彼はその思いを反芻した後、言葉を続ける。

 

「俺にとって最高に愛する愉快な仲間(かぞく)たちだよ」

 

 そう言ってシュテンは心からの笑みを浮かべたのだった。







これで本編は完結となります。

この作品のテーマは家族です。
下手に長く書きすぎて纏まらずにエタる方が宜しくないので、小さな世界観での物語となりました。

と言っても家族をテーマとした本編が終わっただけですので、後日談や喧騒の掟、日常話は番外編として書きますので更新はしていく予定です。

モスティマの過去編も書きたかったのですが、シュテンの過去編後に書くとテーマにそぐわない完結になるので、喧騒の掟に加えながら執筆しようかなと考えています。

今後とも宜しくお願い致します。





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EX.ママになった日


沢山の感想、お気に入り、高評価ありがとうございます。
再評価してくださった方も何人かいらっしゃったみたいで大変嬉しく思います。






 自身の過去を知ったあの日からペンギン急便達の様子がおかしい──そう、シュテンは思いに耽ける。

 何故なのかは分からない。だが決して悪い意味では無いのは理解していた。

 

 特に様子がおかしかったのはテキサスとエクシアである。テキサスは何やら慈愛の目で頭を撫でてくるし、エクシアは人の目が無くなると無言で抱擁を強請(ねだ)ってくる。

 エクシアは妹分として可愛げがあったものの、テキサスの行動は実に不可解なものであった。

 

 そんな彼女達の様子をニコニコとした表情でモスティマは見ている。シュテン自身が追い求めていた関係がようやく形を成したのだから、それは彼女自身の喜びともなった。

 仮にテキサスが転んだふりをして抱き着こうとも、モスティマの存在に気が付かなかったエクシアがハグをしていても、ソラが些細な相談事でも最優先にシュテンに持ちかけようとも、クロワッサンが甘えた声でお小遣いを貰おうとしていても、モスティマの笑みは崩れることは無い。

 例え額に皺が寄ってアーツユニットを握りしめていたとしてもだ。

 

 そして珍しく姦しい女五人だけになったペンギン急便の拠点のバー。仕事終わりに打ち上げとモスティマの慰労会と言う事で、彼女達は集まっている。

 ちなみにシュテンとエンペラーは喫煙も兼ねて夜風を当たりに外へ行っていた。エンペラーは堂々と店内で吸っていたが、ソラの喉を考慮してかシュテンが無理矢理に外へと連れ出している。

 

 そんな中、ふとソラが声を上げて立ち上がった。

 

「あたし、シュテンさんのママになろうと思います!」

 

 全員の頭が真っ白になる。誰一人としてその言葉を理解できなかったのは言うまでもないだろう。

 

「えーっと……どないしたの? テキサスはんの爪でも煎じて飲みはった?」

「……クロワッサン、どういう意味だ?」

「いやいや、完全に酔っ払いの発言でしょ」

 

 困惑しつつも巫山戯(ふざけ)ているクロワッサンをテキサスは睨み付けている。そんな二人を咎めるようにエクシアは突っ込みを入れた。

 確かにエクシアの言う通り、既に二時間も経過している慰労会では多くの空になった酒瓶が転がっている。つまりはそれだけアルコールを摂取したことを示しており、個人差はあれど誰もが顔を赤く染めていた。

 その中でも特にソラは酔いに酔って泥酔しきっている。

 

「だって! シュテンさんってあんな辛い過去があるのに誰にも甘えずに生きてきたんですよ! それどころか皆から頼られてて! いつ甘える時があるのかってそう考えたら……あたしがママにならないと、って!」

「……なるほど、ソラの言う事は一理あるな。よし、私もシュテンのママになるとしよう」

「テキサスの思考が相変わらずぶっ飛んでいるようで安心したよ。……でもソラに悪影響なのはよくないと思うけどね」

 

 ネジの吹き飛んだ二人が訳の分からない事を口走る。何故かテキサスは良いことを言ったと言わんばかりに頷いており、エクシアとクロワッサンは呆れた様子で呆然としていた。

 そんな中、モスティマは馬鹿にした様子で呟くも、それを見逃すテキサスではない。

 

「ふん、シュテンに甘えん坊の赤ちゃんはお家に帰るといい」

「あぁ、そうだね。今日はシュテンの家にでも帰るとするさ」

『…………』

 

 言われっぱなしでいる訳もなく、実に攻撃的な口調でテキサスは言葉を返す。当然モスティマの返す言葉も皮肉めいたものであり、一触即発の雰囲気へと早変わりした。

 

「ほらほら、モスティマもテキサスも。喧嘩してるとシュテンが悲しむよ?」

『うぐ……』

「ほんま似た者同士やなぁ……」

 

 エクシアに宥められるようにシュテンの名前を出されれば、思わず言葉につまる二人。結局はテキサスもモスティマも根本的な行動理由は同じである。それを感じ取ったクロワッサンは呆れたように呟いた。

 

 そして喫煙から帰って来た二人が店内へと戻ってくる。くつくつと笑っているシュテンを見ると、やはりエンペラーとの仲は特別なものなのだろうと彼女達はそう思わされた。

 そんなシュテンを認識した瞬間、立ち上がっていたソラは腕を大きく広げながら彼を見据えて言葉を放つ。

 

「さぁシュテンさん! あたしがママですよ!」

「……は?」

 

 シュテンの思考が一瞬にして硬直する。発言の意図が一切理解出来ない。

 

 ──あたしがママ? 一番若手のソラが? 

 ──誰のママだ? 俺の名前を呼んでいたか?

 

 頭が混乱して正しく言葉を認識しない。

 言葉の裏を読もうとする為か、余計に理解が出来ずに頭が真っ白になっていく。

 

 シュテンは思わずエンペラーを見た。爆笑しているだけである。

 次にエクシアを見た。ニヤニヤと笑っている。

 そしてモスティマを見た。ニコニコと笑みを絶やさない。

 更にソラを見た。真顔で両手を広げて期待しているだけだ。

 次いでクロワッサンを見た。面白そうな顔をしてGOのサインで親指をソラへと向ける。

 最後にテキサスを見た。何故か嬉しそうに両手を広げて待ち構え始める。一番理解が出来なかった。

 

「……ソラ。何を考えてるか知らんが──」

 

 そう言ってシュテンが一歩踏み出した瞬間である。エンペラーが足元に転がっていた酒瓶を上手いこと蹴り転がし、シュテンの着地地点へと配置させた。

 普段ならば察知していたであろう出来事。だが取り乱していたシュテンにはそんな気を配る余裕がなく、エンペラーの思惑通りに酒瓶を踏んでしまった。

 

 バランスを崩して前のめりに倒れていくシュテン。その先にいるソラへと徐々に近づいて行く。

 一度崩れた体勢を瞬時に立て直すことは決して容易ではなかった。だが大きな身長差もあり、下手をすればソラが大怪我を負う可能性すらあると考えるとそう簡単に諦める訳にはいかない。

 持ち前の反射神経と筋力をフル活動させて、足を前に突き出し、倒れ込むのを何とか回避する。それはソラに当たる直前の事であった。

 

 ──だから、なのだろう。ソラは目の前に頭が下がって来た事に勘違いをし、優しく抱き寄せたのは。

 

「んぐ」

「あたしに甘えちゃっても良いんですよ」

 

 顔を胸元へと押し付けられ、思わず息が詰まる。そのまま愛おしそうに頭を撫でてくるソラ。顔を包む柔らかさと鼻腔を(くすぐ)る甘い匂いが否応にも意識させられた。

 そう言うのは本来自身の役割だったはずなのにどうしてこうなったのか──訳も分からない彼に聞こえてくるのは、エンペラーの喧しい笑い声だけである。

 

「……離してもらって良いか?」

「今日はあたしがママなんですから! お気になさらず!」

「……いや遠慮している訳じゃないんだが……ふむ……」

 

 周囲からの目線が突き刺さる中、ふとシュテンの言葉が止まって思いに耽ける。柔らかな胸に顔を埋めたまま固まっているのは何ともシュールな光景であったが、顔を上げた彼は再び口を開いた。

 

「なるほど、ソラ()着痩せするタイプなんだな」

「あ、分かってくれますか!? あたしスタイルには多少自信があるんですけど、体が細身なせいか服を着てるとそうは見られなくて! でもよく分かりましたね?」

「顔に当たってれば誰でも分かると思うぞ。他の奴等とは違うからな」

「もー! シュテンさんったらエッチなんだから!」

「言っておくが、押し付けてるのはソラだからな」

 

 カラカラと憚らずに笑いながら、ソラはシュテンの頭を叩いている。その姿は酔っ払いそのものであり、呆れた様子で彼は呟いていた。

 何故か自身に非があるような言われように不服そうなシュテンであったが、ふと襟首を掴まれて頭部が起き上がる。

 後ろを振り返ってみれば、そこにはニコニコとしたモスティマとエクシアが立っていた。

 

「どうかしたかな?」

「成程……」

 

 ニコニコとしたモスティマの顔を見て、次いで胸元を見る。そして再び顔を見たシュテンはエクシアへと視線を移した。

 

「そんなにソラの胸が良かった?」

「成程な……」

 

 ニコニコとしたエクシアの顔を見て、次いで胸元を見る。そして再び顔を見たシュテンは天井を見上げた。

 

 この状況はつい先日にあったものと同等だ──シュテンは自身の状況を瞬時に判断する。彼はとても頭が冴える為、同じ轍を二度踏んだりはしない。有りとあらゆる自体を想定しながら、シュテンは慎重に言葉を選んだ。

 そして二人の肩をポンと叩くと彼は口を開く。

 

「ピーターズ殿が熱弁していた。──小さき中にこそ無限の可能性があると。曰く好きな人に揉まれれば大きくなるらしいからな。諦めるにはまだ早い」

 

 その後、部屋の掃除が大変な事になったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 未だワイワイと盛り上がる慰労会の中、シュテンは一人で箒を持って、砕け散った酒瓶を片付けていた。

 頭を左右に振れば、髪の毛の隙間からガラスの破片がパラパラと落ちてくるその光景を見て、彼はなんて理不尽な世の中のだろうと呟く。

 

 ふと盛り上がっている仲間達に視線を送れば、クロワッサンが何処からか仕入れたスナック菓子をおつまみだと提供していた。ウキウキとした様子でエクシアが手に取って口に含めば、瞬時に顔を青くしてトイレへと駆け込み出す。

 そんな様子をゲラゲラとペンギン急便達の連中は可笑しそうに見ていた。

 

 遠くから眺めていたシュテンはまるで保護者のような眼差しで見守っている。そんな光景を望んでいたと言わんばかりに嬉しそうな表情を浮かべていた。

 そんな中、クロワッサンがシュテンへと振り向く。

 

「そう言えばシュテンはんって年寄りなんやろ?」

「……お前らより多少はな」

「今お幾つなんですか?」

「百五十くらいじゃないか? お前らも知っての通り、数えられない期間も長かったからな」

「ちょっと気になったんやけど、そんだけ生きてはるなら恋人とか嫁はんとかおらへんの?」

 

 ペンギン急便の社員達がピタリと体と口の動きを止める。モスティマも興味は無いですよと言わんばかりに横を向いたままの姿ではあったものの、聞き耳を立てているのは傍から見ても分かるほどであった。

 

「いないぞ。そもそも不老の体になったせいか実験の影響か分からんが、子孫を残そうとする本能欲求が希薄だからな」

「あ? だからお前は女も抱かないインポ野郎なのか──ぐぇ」

「言葉を選べ言葉を。希薄なだけだと言ってるだろうが。……それに俺だけ生き延びるのにパートナーなんて作る気なんて起きはしない」

 

 落ちていた酒瓶をシュテンが投擲すると、エンペラーの額で木っ端微塵に砕け散り、一瞬で意識を飛ばした。

 意外にも純情なのだろう。一連の流れに少し恥じらいを見せながら、テキサスはシュテンに問い掛ける。

 

「だがそうなるとシュテンは私達が死んでも一人で生きていくのか……?」

「……確かにそうなるんですね。それって凄く悲しいことじゃ……」

「やっと気付いたのかい? 確かに酷かもしれないけど……生きるとはそういうものさ」

 

 どこか悲しそうに呟くテキサスとソラに対し、モスティマは冷静に言葉を返した。

 世界を見て来ているモスティマだからこそ、この世の非情さ、そしてシュテンの在り方をよく理解している。

 その言葉を肯定するように、彼も素直に頷いていた。

 

「そうだな。だが不老だからこそお前達と出会えたんだ。感謝こそすれ後悔する事は無い。……仮に死別する時が来てもお前達は俺の幸せそのものだ。忘れる事はないさ」

「もー、シュテン! そんな寂しい事言わないでよ!」

 

 どこか達観した様子で呟いたシュテンの背中へと、いつの間にか戻って来ていたエクシアが抱き着く。

 そんな彼女の表情は、どこかスッキリとした様子を見せていた。

 

「頼むから俺の背中で嘔吐するのは勘弁してくれよ」

「んな──それは女の子に言う台詞じゃないと思うけどなー!」

仲間(かぞく)に遠慮なんていらないと思うが」

「そー言う問題じゃないよ!」

 

 首に手を回してぶらーんとぶら下がっているエクシア。シュテンは気にすること無く掃き掃除を続けていたものの、ニコニコとしたモスティマが近づいてくる。

 

「エクシア、甘えるなら私に甘えてくれて良いんだよ」

「シュテンが良い」

「へぇ……」

「ほぉ……」

 

 まさかエクシアに口答えされるとは思わなかったモスティマと、その回答が意外だったテキサスから驚愕の声が漏れた。

 そんなエクシアも自分の発言がらしくないと分かっているのか、照れた様子でシュテンの背後から覗き込んでいる。

 

「妹分で可愛いじゃないか。たまにはモスティマよりも俺に甘えたい時もあるんだろ」

「そう言うのじゃないと思うんだが……」

 

 どこかズレているシュテンへ呆れたようにテキサスは呟く。酔っ払っているエクシアは嬉しそうに顔を擦り付けていた。

 

「そうだ! どうせなら何か思い出でも作りませんか?」

「思い出?」

「あたし達がいなくなってもシュテンさんが忘れないような、そんな思い出です」

「ほう……」

 

 ふとソラの言葉を、シュテンは思案するように顎に手を当てた。

 

「確かにそれも面白そうだな、考えておくよ。……とは言え何十年先の話になるだろうからな。焦る必要も無い」

「シュテンは良いかもしれないけどね、私達は若くて綺麗な内にやっておきたい物だよ」

「そう言うモスティマは入社した時と変わらないまま綺麗だけどな」

「あはは、嬉しいこと言ってくれるね」

 

 そこは不老としての感性の違いか、人の一生は長いと語るシュテンと、ピークは一時に過ぎないと話すモスティマ。

 とは言えそんなモスティマも長い事ペンギン急便に勤めているものの、見た目ほど年齢を重ねているように見えない──そうシュテンに言われればニコニコとした笑みを浮かべていた。

 

「何、どうせその内忘れられないような出来事でも起きると思うぞ」

「……へぇ、それは楽しみだよ」

 

 どこか意味深に呟いたシュテンに対し、皆が不思議そうな顔を浮かべる中、モスティマだけか何処か嬉しそうに答えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 そして翌日。日を跨ぐまで騒いだペンギン急便の社員達は、二日酔いになりながらも朝早くから出勤していた。けろりとした顔をしていたのはエンペラー、シュテン、モスティマだけである。

 フラフラとしながら頭を手で抑えていたソラは、シュテン元へと顔を青くしながら近づいていた。何事かとシュテンは見ていたものの、目の前にやってきたソラは勢い良く頭を下げる。

 

「き、昨日はとても失礼な事をしてしまって申し訳ありませんでした……」

 

 深々と頭を下げたまま、ソラは沈んだ声色で謝罪をした。根が真面目な彼女だからなのだろう、申し訳の無い気持ちが溢れんばかりの表情でいる。

 

「気にして無いから安心しろ。俺のママだからな」

「凄い根に持ってるじゃないですかー!?」

「冗談だ。本当に気にしてない」

 

 少し涙目で顔を上げたソラに対し、少しばかり悪戯が過ぎたとシュテンはその頭をポンポンと撫でた。

 そんな二人の元へ、今度は顔色の悪いテキサスがふらつきながら訪れる。彼女もまた、何処か悔しそうな表情を浮かべており、昨晩の謝罪でもするのかと思わせる態度をとっていた。

 だがテキサスの言動には珍しく可笑しい部分がなかったのをシュテンは思い出す。

 

「……シュテン、悪かった」

「……何が?」

 

 そして飛び出して来る謝罪の言葉。幾ら昨日を回想しても思い当たらないシュテンは素直に疑問を問い掛けた。

 

「昨日思い出作りと言ったのに私の意見をしっかりと言ってなかったからな……」

「何かいい案でもあったのか?」

「あぁ」

 

 今にも嘔吐しそうなほど青い顔をしたテキサスであったが、何か深い考えがあるのだろう。

 彼女は静かに深呼吸をして心と吐き気を落ち着かせる。その様子を誰もが注視しながら静かに見守っていた。

 そして決意したテキサスは目を見開き、シュテンを真っ直ぐと見つめた。

 

「子供は何人欲しい?」

「……は?」

「式はいつにする? マイホームは……シュテンの家で良いか。ハネムーンはやはりシエスタが定番だろうな……」

「……お前は何を言っている?」

「……? それは私とシュテンの結婚と言う思い出作りをだな──むぐ」

「テ、テキサスさーん、ややこしくなるから大人しくしましょうかー?」

 

 後ろからソラに口を塞がれてたテキサス。

 腹が捩れるほど笑っているエンペラーの声だけが響き渡る中、テキサスの顔がどんどんと青く変化していく。

 酷い二日酔いの中、口元を強引に塞がれもしたら、誰もが吐き気を催すものだろう。

 

「う……うぷ」

「わー! わー!」

「やれやれ……」

 

 シュテンに導かれるまま、テキサスは別室へと連れて行かれるのだった。

 

 

 

 

 その後、休憩を得てお酒の抜けた社員達は任務を遂行する為にペンギン急便の拠点を後にした。

 拠点に残っていたのはエンペラーとシュテン、そしてモスティマの三人のみとなる。

 

「このメンバーでいると昔に戻った気がするよ」

 

 ペンギン急便の初期メンバーとも呼べる三人。その期間は決して長くは無かったものの、モスティマにとっては最も思い出深い時間であった。

 

「あの頃は事務所も必要最低限だったからな、気が付けば私物ばかりだが」

「コーテーは音楽と酒だけあれば良いからね。シュテンもシュテンで必要最低限だけだった。……それに今程優しくもなかったかな」

「……モスティマには感謝してるよ」

「コーテーは面白がってたけど酷かったんだよ? 家族って事には人一倍努力してたみたいだけど、一般常識と女の子の扱いは私のお陰なんだからね」

 

 シュテンの過去を考えれば仕方のないこととは言え、エンペラーの指導方針には教育のきの字も無い。となれば多少の感覚に差異があろうとも、それで正しいのだとシュテンは自身の中で結論づけていたのだ。

 さらに言うならば比較相手がエンペラーであるの言うのも彼の感覚を狂わす一因となっていたのだろう。

 

「それは良いとしてもだ。お前がされて嬉しい事をそのまま鵜呑みにしちまってるから、垂らし具合が酷くなってんだぞ」

「それは確かに私も誤算だったかな。まさかここまで女の子を甘やかすとは思わなかったよ」

「モスティマがされて喜ぶならアイツらも喜ぶ事だろ。褒めるところで褒めてなにがおかしい?」

 

 思わずエンペラーとモスティマが顔を合わせて笑う。

 シュテンは本気でそう思っているのだから普通の感性からしたら可笑しく見えるのも無理は無い。

 だがそれも本能的の愛と考えて発言したモスティマとエンペラーに対し、家族愛の一点で言葉にしたシュテンとの違いとも言えた。

 

「お前には男女の愛っつーもんがねえのか? もしかして俺の事が好きだとか言うんじゃないだろうな?」

「ほざくな。男女の愛も突き詰めれば夫婦、即ち家族愛だろう。第一お前こそ女の影を見た事がないぞ」

「過程が大事なんだよ。お前は食材が胃に入れば料理なんていらねえっつってんのと変わんねえぞ。……それと俺は俺が一番好きだからな、浮気なんて許されるはずがねえ」

 

 椅子にふんぞり返ったエンペラーに問われれば、仕事の手を休めずにシュテンが言葉を返す。互いに意見が食い違う中、ニコニコとして聞いていたモスティマが口を開く。

 

「じゃあさ、私と結婚しようよ」

「……何テキサスみたいな事を言っているんだ?」

 

 思わず訝しげな目を送るシュテンであったが、モスティマは気にすること無く会話を続ける。

 

「お互いに支え合う関係だからこそ夫婦と呼べるんだよ。つまり私とシュテンの関係さ。そして私達は仲間(かぞく)と呼べる仲。なら結婚しても問題ないと思うんだけど……どうかな?」

「……ふむ」

 

 上目遣いで覗き込んでくるモスティマの顔を、シュテンは視線を逸らさずに見つめていた。その顔は僅かながら赤くなっており、僅かに揺れる瞳からは声色からでは伝わらなかった緊張が窺える。

 他の社員が居ないからこそ、咎める者は存在しない。遠くで、きゃーと言いながら白々しく目を隠しているエンペラーが巫山戯ているくらいであった。

 

 確かにモスティマの言う通り、シュテンにとっても他の者達よりも世話になっている部分がある。それはモスティマにとっても然り。

 例えそれが屁理屈であったとしても、彼女の言い分は彼にとってあながち間違っていないと判断を下すのも当然であった。

 

「なるほどな、考えておくよ」

「ッ!? 本当!?」

「……自分で言って何驚いている?」

「まさか検討してもらえるなんて思ってなかったからね。……ふふ、楽しみに待ってるよ」

 

 安堵の表情を浮かべながら、今にもスキップをしかねないほどに機嫌を良くしたモスティマ。

 そんな彼女を仕方がない奴だとシュテンは微笑みながら見ている。

 

「あーあ、テキサスに言ってやろ。下手したらエクもブチギレだな」

「他の奴等が悲しむようなら却下だぞ」

「──コーテーッ!」

 

 結局、いつも通りのペンギン急便であった。





可愛いペンギン急便を書きたかっただけのお話。
ママのネタを書きたかっただけなので逆に文字数が少な過ぎて難産でしたね……。


完結後は適当に書いていく予定でしたが、思った以上に沢山の高評価を頂けたので喧騒の掟を真面目にプロットを組み立てて書きたいと思います。
ベースのみでほぼオリジナルの内容になるとは思いますので、間隔は空きますがお待ち頂けたらと。


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EX.喧騒の掟 序章

お待たせしました。何とかプロットを書き上げたので投稿します。
プロローグとして少し短めです。




 エンペラーに依頼されたモスティマがシュテンの過去を暴露した後、彼女は再び世界へと旅立っていった。

 珍しく立ち去る日を伝えていたモスティマは皆と挨拶を交わして、見送られながらペンギン急便を後にする。

 何故シュテンとエンペラー以外には無言で立ち去って行く彼女がそのような行動をしたのか。それは去り際にあった目的の為なのだろう。

 

 シュテンは私のだからね──そう、堂々と宣言してシュテンの首に腕を回し、不意打ちで唇を重ねたのだから。

 飛び交う怒号の中、妖艶に舌を出してウインクをして去っていくモスティマ。

 その後のペンギン急便が荒れ放題だったのは言うまでもない。

 

 そして幾許かの時間が過ぎた。騒がしい日々はまるで毎日がお祭りだと錯覚させるよう。

 モスティマの存在はまるでなかったかのように過ぎていく中で世界は大きく動きだしていた。

 

 ──ウルサス帝国の都市部であるチェルノボーグが陥落。

 元々感染者に対する風当たりと迫害が激しかったウルサス帝国であったが、日が経つにつれてその差別は一層激化している。溜まりに溜まった不平不満が感染者の心を一つにし、感染者で構成されたレユニオン・ムーブメント──通称、レユニオンが巨大なレジスタンス組織となった。

 そしてウルサス帝国の一大都市を陥落する程の力を有してしまったのだ。

 

 そしてそのチェルノボーグ事変と呼ばれる一連の大事件は、ロドスも大きく関わっていた事をペンギン急便は知る。

 そこから運び出されたとされるドクターと呼ばれる男がロドスの指揮官を務めているのも、彼らの耳に届く。

 その事実を知ったシュテンが声を出して笑っているのを、テキサス達は不思議そうに見ていた。

 

 

 そんな移ろい行く時代の中で起きた、龍門の未来を別ける珍事。盛大な茶番劇の始まりである。

 

 

 

 

 

 夜の繁華街は昼間以上に煌びやかで騒々しい。その中でも大通りより一つ外れたサンセット通り東1301号。酒場が多く立ち並ぶその通りの中でも一際目立つ、ペンギンの看板が飾り付けられているバー、大地の果て。

 CLOSEDと書かれた札を掛けられ、ネオンの光も灯されていないその店舗には、客足が向く事は無い。

 

 そんな休業中の店内には、錚々(そうそう)たるメンバーが集まっていた。

 龍門の執政者であるウェイ・イェンウー。そしてその龍門の裏側とも呼べるスラムを統治しているリン・グレイ。

 ペンギン急便からは、世界的ミュージシャンでありながら過去の経歴によって、ウェイにも劣らない社会的地位を築き上げたエンペラー。そして彼の懐刀であり、自他共に認める最強の個、シュテン。

 そして龍門の殆どの物流業務を請けておっており、大陸にさえその名が広がっているフェンツ運輸。その創始者であるフォルテ族の大男──オエル・ピーターズがいた。

 

「今日はお忙しい中お集まり頂き、ありがとうございます」

 

 大柄な見た目とは裏腹に、物腰の柔らかい様子でピーターズは礼を告げる。

 

「御託は良いからさっさと話しやがれ、お前に俺の残業代が払えるっつーのか?」

「お主は本当に喧嘩腰じゃのう……」

「構いませんよ。諸経費は私のほうに請求して貰っても。その分、今回の負担は増やさせて頂きますけどね」

「とは言えお互い、時間を無作為に消費するのは避けるべきでしょうな」

 

 相変わらずの高圧的な態度を崩さないエンペラーに対し、鼠王は呆れたように呟く。

 とは言えピーターズとてエンペラーとの交流は非常に長く、深い付き合いなのだ。その程度の反応は日常茶飯事であり、動揺の欠片も見せはしない。

 されどここに居る全員が龍門を担っていると言っても過言ではない程の顔ぶれであるのも事実。一分一秒が大金を、大衆を動かす程の人材なのだ。言葉だけの挨拶など不要と切り捨てるウェイの発言も、合理的であると言える。

 

「ウェイ長官のおっしゃる通りですね。早速本題に入りましょうか」

「端的に言えば、安魂夜の日に息子のバイソン君の成長を兼ねた、シラクーザのマフィアを炙り出す作戦なんですよね?」

「えぇ、その通りです。前にお話した通り、シュテンさん達にはバイソンをペンギン急便に同伴させて頂きたい」

 

 それぞれが役割を持って動く事で、二つの目的を同時に達成させる──と言えば聞こえは言いものの、それは本人達が真摯に舞台に立てばの話。

 全てを理解した上で裏から操り、必要とあれば茶番劇を演じなければならないとなれば、シュテンとしても乗り気にはなれないのだろう。億劫な表情を隠しもしなかった。

 

「しかし、シラクーザのマフィアは一筋縄ではいきません。裏に意図を引いている()はいませんでしたか?」

「シラクーザに赴いて情報を収集してみましたが、噂どおり、龍門にいる彼等は彼女の反感を買って追放されたようです。鼠王の方もどうでしたか?」

「ワシの方も探ったが、特にそれらしい影は見当たらなんだ。それどころかここに居るマフィアは資金難で首も回らんようでな、弾け飛ぶ寸前じゃったよ」

 

 シラクーザのマフィアと切っても切れない関係の化け物──ミズ・シチリア。確かにエンペラーが殺害した筈だったにも関わらず、僅か数年の内にその名が再び聞こえてくるようになった。

 幾ら背景を探ろうとも正体不明の人物。テキサス以降での関係性は無かったものの、小物とは言え龍門にシラクーザのマフィアが存在しているのは事実なのだ。

 万が一が無いようにシュテンは警戒を強めてはいたものの、特に情報は得られず。更にはピーターズも鼠王も掴めていないとなると、実際に無関係なのだろうと、彼等は結論付ける。

 

「あと一つ大きな課題があります」

「……またですか。そろそろその話も終わりにするべきでは?」

 

 真面目な顔でシュテンが話を切り出せば、少々疲れたようにウェイが口を挟んだ。

 だがそれでもシュテンの表情が変わる事は無い。

 

「マフィアと揉める事でバイソン君は心身共に鍛えられるでしょう。──ですが、ペンギン急便の社員に危険が及ぶ事は看過出来ません」

「だからお前は過保護だっつってんだろうが。マフィアと抗争なんて普段から突発で起きてるもんだろうが。……なんだ、それでも心配だっつーのか? お前は皆のお母さんか? シュテンママか?」

「……もしかして最近、今日は私がママ係、とか訳の分からない事を言い出すようになったのはお前のせいか?」

「……いやいやいやいや、俺は知らんぜ」

 

 相変わらずの溺愛っぷりに誰もが呆れたような様子を見せる中、唯一厳しい口調でエンペラーが突っ込む。

 だがそれも薮蛇だったのだろう、妙な鋭さで自身の思惑が見抜かれてしまった事に、思わず動揺を隠し切れていなかった。

 

「ま、まぁ兎にも角にも、その件については問題ありません。私も息子の命が懸かっていますからね。何とか見つけることの出来た彼女──モスティマさんに依頼する事にしました」

「あ? お前何勝手にモスティマを使ってんだよ?」

「ペンギン急便に対して依頼をさせて頂きましたので、彼女が参加する事が筋違いと言う訳でもないでしょう」

 

 話が逸れ始めた事に、慌ててピーターズは自身の策を披露する。事前に話を持ち掛けられなかったエンペラーは少し不満気な様子を見せていたが、ピーターズは平然としていた。

 

「モスティマか……そうですね、それなら私も安心出来ます」

「トランスポーターのモスティマが相手となるとなかなか骨が折れるのう……」

「貴方はヒール役に徹する必要がありますからね。リンと言えども一筋縄ではいかないかもしれませんな」

「……言っておきますが、モスティマはお世辞抜きにして強いですよ。本気で怒らせるなら覚悟しておいて下さい」

 

 その言葉に、エンペラーを除く全員が驚いた表情を見せていた。例え口先でモスティマを持ち上げていようとも、鼠王の強さは誰一人疑う事無く、世界でも指折りの実力者。本気で小娘が適うなどと思ってはいない。

 そして鼠王の実力はシュテンとて把握している。彼自身、その身に鼠王の強さを体験しているのだから当然であろう。──にも関わらず、モスティマの強さを忠告すると言う事は、匹敵する程の化け物なのだという事。

 

「お前らはウチの社員を軽視し過ぎだ。この少数で龍門のトランスポーターを代表する会社だぞ? ここぞと言う大仕事は全部俺ん所に回ってくる。業界最大規模のフェンツ運輸を差し置いて、だ。分かるか? リスクを伴うもんに対しての評価がダンチなんだよ。特にモスティマは俺達が一任している程だ、そう簡単に測り切れるもんじゃねえぞ」

「私の会社も龍門のトランスポーターの大半を抱え込んではおりますが、それでもトランスポーター業だけで見るとペンギン急便の足元にも及びませんからね」

「やっとる事は自称トランスポーターなんじゃがな……」

 

 無免許での違法トランスポーターとペンギン急便を除く全てのトランスポーターは、フェンツ運輸を介して仕事をこなしている。それ程までに大きな規模での業務を遂行しているにもかかわらず、事トランスポーター業においてペンギン急便に適わないことからも、人材の質に大きく差があるのは明確であった。

 

「話が逸れましたね。私とエンペラーは基本的に不干渉を貫いていれば宜しいのですよね?」

「えぇ、そうして頂けると。流石に御二人が本気で絡むとなると、私の目的の一割も達成できませんので」

「めんどくせえ話だな。その上、クソ程も俺達に利点がねえ。やっぱり割増で請求させて貰うぜ」

「ハッハッハ、相変わらず強気なお方だ」

 

 あまり乗り気でない表情を見せる二人に対し、ピーターズは豪胆に笑い声を上げた。

 

「あまり派手な事は控えて頂きますよ。私と言えども、龍門のルールを破り続ける者を野放しに出来る訳ではありませんからな」

「分かっておりますよ。そこは鼠王の腕の見せ所です」

「やれやれ……年寄りを労わらんかい……」

 

 その後、安魂夜当日の計画を綿密に詰めていき、彼等の語りは明け方まで続いたのだった。

 

 

 

 

 

 そして安魂夜の前日となった今日もペンギン急便は騒がしかった。

 まだ朝日が登り始めたほどの早朝。誰よりも早くシュテンが出社をして掃除をしていると、最初に来るのは決まってソラである。

 

「おはようございます、お掃除手伝いますね」

「おはよう、毎日悪いな」

「いえいえ、むしろあたし達がやらないといけない事ですので」

「本当にソラは良い子だな……」

 

 そう言ってシュテンが頭を撫でれば、少し恥ずかしそうにしながら笑顔を見せるソラ。その後も二人で他愛も無い会話を続けながら、掃除を続けていれば、次に訪れるのはエクシアであった。

 

「おっはよー!」

 

 元気な挨拶と共にシュテンへ突撃する。モスティマがいなくなって以降、最早日常とも言えるその光景。ソラも苦笑いをしながら挨拶を返す。暫くして満足した様子でエクシアは自身の机へと戻り、守護銃の手入れをしていた。

 そして次にやって来るのはテキサス。少し眠たげな様子で顔を見せると、すぐ様近付いて嬉しそうに挨拶するのはソラである。

 

「テキサスさん、おはようございます!」

「あぁ、おはよう」

 

 相変わらず感情の薄い表情をしたテキサスであったが、やたらとシュテンへチラチラと視線を送り続けていた。

 掃除も終わり、シュテンは珈琲を淹れていただけであったが、それでもひたすらに見つめてくるテキサスに言葉を向ける。

 

「……どうかしたのか?」

「──良し」

「……何が良しなんだ?」

「最初に話し掛けてきた人が運命の人だと、今朝のテレビでやってたからな……ふふっ」

 

 幸せそうな笑みを浮かべたテキサス。しかしシュテンとしては色々と突っ込みたいところであったが、それよりも早くソラが反応する。

 

「って言う事はあたしとテキサスさんは運命で繋がってるって事ですか!?」

「なんでやねん、その発想はおかしいやろ」

 

 突如背後から聞こえてくる声。いつの間にか出社して来たクロワッサンが呆れた様子で、入口に立っていた。

 そしてペンギン急便の一日が始まる。

 

 

 

「……フェンツ運輸の御曹司がここに来るのか?」

「そうだ、オエル・ピーターズの息子、オエル・バイソン。フェンツ運輸の役員でもある。前にお前らがストーキングして来た時に会っていたあの大男の息子だ」

「……はぁー、そんな大物と会っていたんですね……」

 

 フェンツ運輸と言えば、言わばライバル会社。その規模の大きさはペンギン急便の社員達も知るほどの大企業である。

 その御曹司となればペンギン急便のメンバーからして見れば、雲の上のような存在。まさかそんな人物がペンギン急便に交流研修に訪ねてくるとなれば驚きを隠しえない。

 

「しっかし急やなぁ。そないな大手がウチに来てまで学ぶことがあるんか?」

「言っておくが、トランスポーターの質や業務に限って言えば、ウチより勝るところは無いぞ。……まぁ武力行使も頻繁な上に厄介事も多いが、そこを含めて勉強になる事はあるのだろう」

「でも御曹司って親の威光……って言い方は良くないけど、なんか鼻に突くイメージがあって歓迎する気分にならないよねー」

「ピーターズ殿からの情報によれば、まだ年端もいかない子供のようだが、大人顔負けの判断力と冷静さを兼ね備えている、っと言う話だ。根も真面目なようだから危惧するような事は無いだろう」

 

 御曹司と言う言葉の響きから不満気なエクシアに、シュテンは資料を投げ渡す。そこにはバイソンに関する詳細なデータが記載されており、彼の顔写真も添付されていた。

 

「え、あんな豪快そうな男の人から、こんな可愛い子が産まれてくるの? 養子とかじゃなくて?」

「言いたい事は分かる。俺も初めて見た時は目を疑ったくらいだ」

「……ホントだな。女装したら女の子と間違えそうな位じゃないか」

 

 エクシアの手元を覗き込むようにテキサスも資料に目を通すと、そこにはまだ未成年の可愛らしいフォルテの男の子が写っていた。

 角の形と髪の色しか共通点が見当たらないほどの差異。流石のテキサスも予想外だったようであり、エクシアと共に驚愕の表情を浮かべる。

 

「はー、ホンマやな。ピーターズはんの息子より、むしろウチの弟って言った方がらしいんちゃうんか?」

「……クロワッサンの弟だなんて、そんな人がペンギン急便にいたら喧し過ぎて──」

「ソラはーん、聞こえてるでー?」

 

 慌てて逃げ出そうとしても間に合わず、クロワッサンに捕まったソラ。上級合成コール味のガムを口の中へと捻り込まれ、悶絶してトイレへと駆け込んで行ってしまう。

 

「兎に角、明日の夕方にはバイソンが来る手筈になっている。その夜に任務もあるから各自日中は休むように。──何、いつも通りのペンギン急便を体験して貰えばそれで十分な筈だ」

 

 シュテンはそう区切り、意味深に笑みを浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

 そして安魂夜前日の夜。準備に忙しない様子を見せる街中を、二人の女性が歩いていた。キラキラと街頭が輝きを放つ繁華街を歩けば、前夜祭だのと言って騒ぎ立てる民衆が、飲み屋で大きな声を上げて盛り上がっている。

 

「安魂夜には相応しくない光景だね、そう思わないかな?」

 

 腰に二本の杖を携えた青い長髪の女が、隣にいる白髪の少女に声を掛ける。

 

「そうかしら? 生を授かった人々が死者の魂を受け入れて宴を開き、鎮魂とする。実に相応しいと思わない?」

「……へぇ、まさか安魂夜の定義を知ってるなんて詳しいね。でも彼等はただ騒ぎたいだけだと思うけど」

「それは私達には分からない事よ。議論する余地も無いわ」

 

 赤い目を周囲に向けながら、飛び切り長い尻尾のような髪を揺らして歩く。

 

 青い髪の女は隣にいる少女の博識さに舌を巻いていた。龍門に辿り着くまでの道中で様々な話をしていたものの、様々な都市を巡ってきた自身でも知らない未知を多く語っていたのだ。そして今も尚、初めて訪れたと言う龍門にも関わらず、安魂夜について熟知している。

 不可解な人と呼ばれ慣れている彼女以上に、十代半ばにしか見えない白髪の少女は未知数であった。

 

「それにしても助かったわ。偶然に貴方がシラクーザから龍門へと移動する予定があって。定期便だと予約も埋まってて、一ヶ月待ちだなんて言われたもの。そんなの待ちきれないわ」

「気にしなくて良いさ。私も道中で色々な話が聞けて楽しかったからね」

 

 移動手段を持っていなかった少女は、移動車両を所持していた人物を探していた最中、青い髪の女と出会い、輸送という形で依頼を申し出た。破格の金と目的地が同じという事もあり、トランスポーターとして青い髪の女はその依頼を承諾し、今がある。

 

「……そう言えば、貴方の言っていた探し物とやらは見つかったのかしら?」

「残念ながらお目当ての物の気配すら見つからなかったよ。仕方ないと言えば仕方ないのだけどね」

「そうなのね。──っと、同行はここまでで良いわ。後は案内通りに向かうだけだから。……貴方が楽しい安魂夜を過ごせる事を祈っているわ」

「ありがとう。久々に仲間達と会えるから楽しんでくるつもりさ。君も良い安魂夜を」

「ええ、ありがとう。またどこかで会いましょ」

 

 そう言って礼儀正しくお辞儀をして、少女はヒラヒラと手を振りながら去っていく。

 その背中を見えなくなるまで見送った青い髪の女は、少女とは違う道を歩き出す。

 

「さて、取り敢えずピーターズさんの所に行って話を聞いてくるかな」

 

 今年は騒がしい安魂夜になりそうだ──そう、モスティマは笑みを浮かべながら、明るい街の中へと姿を消して行った。




一体何シチリアさんなんだ……。

原作では本編から数年後とか考察されておりますが、本作品では六章前と時系列とさせて頂きます。
六章の流れから喧騒の掟のスラムの話とか悲しすぎますので。


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EX.喧騒の掟 Ⅰ


展開は緩やかに閑話多めです。






 窓から外を覗けば、赤く染まる空が視界を覆う。黄昏時。心の何処かに少しばかり寂しさを感じながら、夜を迎えていく龍門に灯る明かりから、微かな温かさが見え隠れする。

 龍門環状道路を走る高級車の後部座席に座るのはフォルテの少年、バイソン。外を見つめながら、何処か緊張した面持ちでいた。

 

「バイソン様。無理ならさずとも、御心に沿わないようであれば旦那様に申し出ても宜しいかと」

「……ううん、そう言うのじゃないんだ。確かに不安もあるけど、それ以上に楽しみでもあるんだ」

「楽しみ……ですか?」

 

 運転席に座る執事に問い掛けられ、気が付けば握り締めていた掌には力が篭もり、じっとりとした汗が滲んでいる。不安と喜びの混ざる混沌の中、バイソンは自身のすべき事をしっかりと見据えていた。

 

「父さんが民間のトランスポーターの大半を掌中に収めながらも、ペンギン急便には一歩及ばないのが龍門の評価だよね。……それが不思議なんだ。大きなミスは何一つ無く、仕事の大半もウチに依頼される。にも関わらず、ここぞと言う大役と世間の評価はペンギン急便が掻っ攫っていくんだ」

 

 理屈と見聞だけでは決して理解の及ばない世界。オエル家の中でも最年少でトランスポーターになったと言われようとも、優秀な業務遂行能力を持っていると評価されようとも、所詮は井の中の蛙。彼の心には(わだかま)りが残る。

 自分の居る舞台のその先に、奇妙な噂が多いペンギン急便が必ずいるのだから。

 

「そんなペンギン急便に僕が行く。これがワクワクしない筈も無いでしょ。……それに、その技術(スキル)を身に付ければ父さんの周りの人達も口出し出来なくなる筈だよ」

「バイソン様……ご立派になられましたね……」

 

 感極まる様子で執事は潤んだ瞳を拭う。苦節十数年。赤子の頃からお世話して来た主君の愛息子。

 世間と周囲の重圧に苦しみながらも、エリートと呼ばれる道をバイソンは歩き続けてきた。父をも追い越していく才気を放ちながら、彼は成長をし続けている。

 そして今、更なる高みを目指すべく、新境地へと勇敢にも一歩を踏み出した。それを喜ばずして何が執事だろうか。

 

「差し出がましいと思いますがバイソン様、ペンギン急便はトランスポーター業務でありながら抗争の絶えない会社。マフィアと揉める事が日常と言える危険な所です。……そのご覚悟はおありですか?」

「……それは……分からない。でも、僕にはやるしか選択肢は無いから」

 

 ペンギン急便の戦力が異常と言える為、中々認識されにくいものの、マフィアとは暴力を資本とした集団。言わば暴力のプロフェッショナルである。一般人や民間トランスポーターの視点で言えば、それは畏怖するべき対象でしかない。

 それはバイソンにとっても同様であった。態々危険に飛び込むのはトランスポーターの業務ではない。如何に事故を避けながら業務を遂行出来るかが本来のトランスポーター。不安が入り混じるのも当然である。

 

「それに父さんが口癖のように褒めていたシュテンさんと一度会ってみたかったんだ。──男として一つの完成形であり理想像。あの父さんにそこまで言わせてしまうなんて一体どんな人なのかな?」

「……それは私にも判断し兼ねます。ただ、一つの信念を永きに渡って貫き通している人だと」

「それって単純な様に見えて、凄い難しい事だよね。……会ってみたいなぁ」

 

 顔も知らない相手に憧憬を抱くバイソン。まさかピーターズの発言が、ペンギン急便と言うハーレムを築いたと言う冗談だとは思い付く筈も無く。

 

 まもなく日が沈む龍門に安魂夜が訪れる。

 

 

 

 

 

 特にトラブルが起きる事も無く、バイソンと執事はペンギンの拠点の一つに辿り着いた。ネオン光が煌びやかな飲み屋街とは少し離れる廃れた場所。人影の少ないその地に彼女達はいる。

 案内を終えた執事が去っていく様子をしっかりと見届けた後、少し小洒落た扉をバイソンはノックした。

 

「フェンツ運輸から来ました、オエル・バイソンです」

『良いよー、入って入ってー』

 

 扉越しに砕けた様子のくぐもった声が聞こえ、バイソンは深呼吸した後に扉を開ける。

 ──その瞬間であった。耳を劈く、乾いた空気が弾ける様な発砲音。反射的に身体が硬直し、身構える。

 銃声での歓迎。まさかそこまで過激な会社だなんて──そんな事を考えていたバイソンの頭部に、ヒラリと紙屑が降り注いだ。

 

「あはは! ビックリし過ぎでしょー?」

「ホンマやな! ビクーってなってたで、ビクーって」

 

 エクシアとクロワッサンが、巨大なクラッカーの残骸を片手に声を出して笑っている。その姿を見て自身の認識が謝っていた事に思わず恥じ、バイソンは顔を赤く染めた。

 

「……脅かして悪かったな。ようこそ、ペンギン急便へ」

「いつもこんな感じだから気にしないでね、若旦那さん!」

 

 無表情のテキサス、そして初めての後輩が余程嬉しいのか、ニコニコとしたソラが彼女達の後ろから話し掛ける。

 その顔ぶれを見て、思わずバイソンは呼吸を忘れる程の感覚に陥った。

 荒唐無稽とも言われる程に少数精鋭で成果を上げ、龍門を代表するトランスポーター集団。その実態がまさか見目麗しい美少女達だとは思わなかったのだから、年頃のバイソンには仕方ないとも言えよう。

 そして赤く染めた頬をそのままに、彼女達の奥に視線を送る。個性的な社員を凌ぐ遥かな存在感。ユニークという点においては、龍門でも最上位に位置するであろう二人の男がいた。

 一人はペンギンのボスであるエンペラー。堂々たる様子で誰を相手取っても臆すること無い。その姿は(さなが)ら皇帝であり覇王。今も尚、汚い罵声を飛ばしながら声を荒らげている。

 そしてもう一人はエンペラーの隣に立つ男、シュテン。長身痩躯で極東特有の波紋様の服で着飾った眉目秀麗のオニ。独特の片角と白絹のような長髪を持ち、同性であるバイソンも思わず見蕩れる色気があった。

 そんな憧れにも近しい感情を抱いていた少年。対してシュテンはと言うと、ペンギンのロゴの入ったエプロンを上に着て、フライパンを片手に凄い形相でエンペラーに詰め寄っている。

 

「だから卵料理は半熟が至高だと言っている。口の中でトロリとまろやかに溶けていくこそが黄身の醍醐味だろうが」

「はっ、卵は生か完全に火が通った物に限るんだよ。0か1で味わうからこそ素材の美味しさが引き立つもんだ」

「……これだから鳥野郎の口は信用ならないんだよ。生魚ばっかり食ってるから味覚がおかしいんだろ」

「あ? そこらのペンギンと一緒にしてんじゃねえぞ。お前こそ半熟だなんて中途半端な女々しい事言いやがって。だからモスティマにも中途半端に折り合いつけてんだろ?」

「──良し、今晩は鳥肉をメインに変更しようか」

「お前には溝鼠がお似合いだぜ? 最高の食材を紹介してやろうか?」

 

 フライパンの底部で小突くシュテンと、葉巻を突き出して火をつけろと言わんばかりのエンペラー。

 殺伐とした雰囲気に思わず息を呑んだものの、自然と聞こえてきた下らない言葉にバイソンは目眩すら覚えた。

 ──父さん、ペンギン急便は確かに凄い所みたいです。

 

 

 

 

「色々と迷惑を掛けたな」

「い、いえ、そんな事ありません。むしろお食事までご馳走頂けて助かりました」

「シュテンの手料理を食べられるなんて幸せな事だよー? クロワッサンなんてお金払ってでも食べたがるし!」

「確かにとても美味しかったです。シュテンさんって料理得意なんですね」

 

 お互いの自己紹介も終え、挨拶代わりにとシュテンが料理を振舞った。最初は戸惑っていたバイソンも、手料理に舌鼓を打てば自然と頬も緩み、緊張も和らぐ。

 そんな彼の瞳を、シュテンは屈みながら覗き込む。澄んだ深紅の両眼。全てを見通す錯覚すら覚え、バイソンは本能的に身体が竦んだ。

 そしてふとシュテンが何処か懐かしそうな表情をし、優しく微笑む。

 

「よく見れば若い頃のピーターズ殿にそっくりだな」

「あ? あのおっさんと何処が似てるんだよ。隠し子って言われても俺は信じるぜ」

「容姿や性格は別物だがな。その真っ直ぐな瞳は龍門に来た頃のピーターズ殿そのままだ」

「……若い頃の父さんをご存知なのですか?」

 

 幾ら自分より年上とは言え、シュテンは見るからに青年と呼ばれる容姿をしている。その事に疑問を呈していたバイソンに対し、耳元に顔を寄せたクロワッサンが小さな声で囁いた。

 

「あんな、ああ見えてシュテンはんは結構なご年配なんやで。若作りの賜物や。間違ってもおじさんなんて呼んだらあかんよ?」

「へ、へぇー……そうだったんですね……」

「言っておくが聞こえてるからな?」

 

 呆れた様子で溜息を吐いたシュテンは言葉を続ける。

 

「ピーターズ殿が来た頃はまだ配送業としては個人事業だった上、色んなものに目を輝かせていたガキだったからな」

「その割に俺にはタメ口な癖に、あの野郎には敬語使いやがるんだな」

「年下だろうが敬意を払うべき相手には敬語を使うものだろう? 利益を貪ろうとする排他的な集団を相手に一進一退を繰り返しながら、その経験を血肉とし、龍門で確固たる地位を築いたんだ。認めざるを得ない」

「え? 俺にタメ口なのは関係無くね?」

 

 父を褒められて誇らしくも、何処か羞恥心を覚えてバイソンは顔を赤く染めた。

 喩えシュテンにとって小僧とも呼べるピーターズであろうとも、彼の成して来た経歴は賞賛に値する。龍門と言う世界を代表する大都市にて、その名を轟かせるのはほんのひと握りなのだから。

 だがそれはエンペラーとて同じだ。寧ろラップ界隈でも右に出る者はいない結果を残しているのだから、蔑ろにされているのは不服なのだろう。

 

「まぁまぁ! それだけボスと仲良しって事でしょ!」

「その通りだ。……それとバイソン、ペンギン急便に入るにあたって一つ覚えておくべき事がある」

「あー、就業規則とかありましたもんね、コロコロ変わってますけど。流石テキサスさんです」

 

 ソラから尊敬の眼差しを向けられるも、フルフルと首を横に振ってテキサスは否定する。予想外の反応に少し動揺を見せていたソラであったが、テキサスは真っ直ぐな瞳をバイソンに向けていた。

 

「私とシュテンは恋人同士──これは龍門では誰もが知っている事実だ。決して忘れず覚えておくように」

「あ! それあたしもだから! ちゃんと覚えておいてねー!」

「じゃあウチもウチも!」

「クロワッサンも!? え、えーっと……それならあたしも!」

 

 テキサスに続いてエクシアが嬉しそうに手を挙げ、面白そうなものを見つけた表情をしたクロワッサンが続いて声を上げる。

 戸惑いながら右往左往としたソラも珍しく彼女達のノリに合わせて、顔を紅潮させながらも挙手する。

 誰一人として突っ込みはしない惨状。不可解な状況にオロオロとしたバイソンはシュテンの顔を一瞥した。

 そのシュテンの表情。果てしない程に途方に暮れた顔をしており、この状況が日常茶飯事なのが理解出来てしまう。

 

「……さて、仕事の話をするぞ」

 

 まるで何も無かったようにシュテンが仕切り直すと、態度こそは変わらなかったものの、ほんの僅かにだけ雰囲気に緊張が走る。

 どれだけ巫山戯ていてもやはり実績を残すプロフェッショナルなんだ──そう、バイソンが思案する中、シュテンが言葉を続けた。

 

「とは言え大した話じゃない、私用だからな。──モスティマが龍門で彷徨いているらしいから捕まえてきて欲しい」

「……え? モスティマが帰ってきてるの?」

「モスティマ……さんって、あのトランスポーターのモスティマさんですか?」

「嗚呼、バイソン君の想像どおりの人物だよ」

 

 シュテンの言葉で一様に驚く様を見せていた。その中でもモスティマと面識の無いバイソン。しかしながらもトランスポーターのモスティマとなれば、この界隈では知らぬ者がいない程に有名な人物。

 何故ならば、現存するトランスポーターの中で唯一、都市を股に掛ける伝説的な存在なのだから。

 

「でも何でモスティマを捕まえるんですか? 放置しておけば勝手にシュテンさんの所に来そうなものですけど……」

「ソラはんも案外酷い事ゆーとるなぁ……」

「へっ!? そ、そんなつもりじゃ……!」

 

 ペンギン急便に馴染んで来た証拠なのだろう、ソラの言葉の節々には棘を含まれており、クロワッサンも感慨深い様子で呟いた。殆ど無意識での言葉であった為か、ソラは慌てて言葉を否定する。

 

「……安魂夜だからな。アイツを見つけてやる必要がある」

「……? 安魂夜と何か関係が──」

「それとイースにアーツユニット預けさせて、わざわざ俺に渡してきたからな。つまりそういう事なのだろう」

 

 何処か意味深に呟いたシュテン。彼女たちの疑問を遮るようにして彼は言葉を続けた。

 諸事情で姿を現さないのであれば、態々存在を知らしめす必要は無い。更に術士にとって半身とも呼べようアーツユニットを託すとなれば緊急事態と言う訳でも無いのだろう。

 シュテンとモスティマとの間で何か繋がる部分があるのかもしれない──そう、邪推をする事も可能。そうなると最初に反応するのはテキサスであった。

 

「ふん、ソラの言う通り、モスティマ(あの女)は放っておけば良いだろう。遠回しにそんな事をする女など、典型的な面倒臭いヒステリックな奴だと相場で決まっている。……やはり、私のような清廉潔白で淑女を代表するような乙女がシュテンに相応しい」

「……清廉潔白やて?」

「テキサスさんが……淑女?」

「……ソラまで私にも口答えするとは良い度胸じゃないか」

 

 とても清廉潔白の淑女とは思えない悪態と毒舌を吐きながら、テキサスは険しい顔をしている。まさに悪女と呼ぶに相応しい。

 そんなテキサスを揶揄うように周囲が煽れば、またも騒がしく暴れて笑声を上げるペンギン急便の彼女達。それを遠くから見つめている男三人。

 

「……いつもこんな感じなんですか?」

「その通りだ。騒がしくて面白いだろう?」

「う、うーん……少し自由過ぎる気もしますが……」

「ペンギン急便の就労規則第一条、自由気ままに暴れまくれ、だ。覚えておくんだな」

 

 強過ぎる個性と自由奔放なペンギン急便達の性格。模範的なトランスポーターと言えるバイソンにとっては余りにも規格外過ぎた。

 そんな彼女達を統括して指揮するシュテンとエンペラーもまた、常人では測り切れない存在。

 バイソンにとって刺激的な一夜となるのは間違いないだろう。

 

 

 

 

 

 

 そして日が完全に落ち切った龍門を、ペンギン急便達は大型社用車にて環状線を走り抜けていた。

 街灯と電光掲示板の明かりしか無い薄暗い車道。テキサスの荒い運転で助手席に座るバイソンが目を回していた。

 

「ちょ、もうちょっとゆっくり走ってもらえると……!」

「もっと飛ばしてええでー! テキサスはんなら世界を狙えるはずや!」

「任せろ」

 

 奥の後部座席にエンペラーと共に座るクロワッサンが大きな声を出して煽ると、バイソンの意志とは無関係にテキサスがアクセルを踏み込む。

 轟くエンジン音が環状線に反響し、その唸りが車内にまで響き渡った。

 

「それにしてもボスとシュテンが一緒だなんて珍しいよね」

「確かにそうだね。あたしはシュテンさんと一緒に行動するのは初めて……ですよね?」

「そうだな。俺が現場に出たのはエクシアが新入社員の頃以来か」

 

 二列目の後部座席にはシュテンを挟むようにしてソラとエクシアの三人が着席している。中々機会に恵まれないメンバーでの仕事が嬉しいのか、ニコニコとしたエクシアとソラであった。

 

「エクシアが新入社員の頃って聞くと、問題児だった気配が凄い伝わってきますね……」

「む、ソラに言われるのは心外だなー。これでも当時から射撃の腕は超一流だったんだからね?」

「射撃の腕だけは、な。当時の俺がどれだけ始末書に追われて近衛局にも顔を出したと思っているんだ?」

 

 普段のエクシアを知っているからこそ、新入社員のエクシアが如何に(おぞ)ましいのは容易に想像出来る。不満気なエクシアが反論するものの、当時の彼女を担当していたシュテン。彼からしてみればソラの言い分は実に正しいと結論を下した。

 

「それはー……ほら、若気の至りって奴?」

「やっぱり問題児だったんだ……今もかな?」

「うわーん! ソラが虐めるよー!」

 

 態とらしい声を上げながら、エクシアはシュテンに抱き着く。救いようの無い程の大根役者振りに呆れ顔のシュテンであったが、甘やかすのは忘れないようであり、頭を優しく撫でていた。

 

「ズルいぞ、エクシア! それは私の役目な筈だ!」

「テ、テキサスさん! 前をしっかり見て下さい!」

 

 ハンドルを握ったまま、テキサスは反射的に勢い良く振り返る。彼女にしては珍しい感情の発露。その事実に驚愕するよりも、バイソンは前方不注意の恐怖から大声で叫んだ。

 とは言え流石はペンギン急便のメンバー。誰もが大した反応を見せずに他愛の無い会話を続ける。

 

「でもこの依頼って私事なんやろ? ぶっちゃけた話、報酬ってどないなるん?」

「ん? ……嗚呼、そうだな。俺に出来る事なら何でも良いぞ」

「え!? 何でも良いの!?」

「……常識の範囲内でならな」

 

 大して内容を突き詰めずに拠点を後にした為か、今更になって報酬についてクロワッサンから質問が飛んでくる。

 とは言えシュテンも深く考えていた訳では無かった為に思い付きで言葉を紡ぐと、誰よりも早くエクシアが食い付いた。

 

「シュテン、本当に何でも良いんだな?」

「だから常識の範囲内だぞ?」

「どーしよっかなー!? シュテンのお部屋に住まさせて貰うとかいいかも!」

「あ、それあたしも希望したいかな。シュテンさんの部屋って広いし居心地とっても良かったから」

 

 姦しい女達がそれぞれの欲望を口にしてキャーキャーと黄色い声を出す。色欲から物欲、金欲に至るまで好き放題盛り上がる姿を呆れた様子で男達は眺めていた。

 

「お前が無責任な事言うからクソ喧しくなったじゃねえか。責任取れよ」

「落ち着くべき所に落ち着くから問題無い。安心しろ」

「そうなんですか? それってどう言う──」

 

 ──その瞬間であった。

 耳を劈く爆音と車体が跳ね飛んでいると錯覚を覚える程の振動。まるで天変地異──それこそ、天災が起きたのかと思う程の衝撃がペンギン急便の車両を襲う。アスファルトが弾かれるように吹き飛び、勢い良く車両に向かって破片が飛来。

 脊髄反射にも等しい速度でテキサスはハンドルを勢い良く切った。タイヤが金切り声に等しい悲鳴を上げ、ゴムの焼けた異臭が漂う。

 その甲斐もあってか、車体に致命的損傷が出る事も無くテキサスは危機を回避した。

 

 歓喜を孕んだ悲鳴が車内に飛び交う中、シュテンはただ冷静なまま状況を俯瞰的に見ている。そして隣にいるソラが怯えてしがみついていた事に気付いた。

 恐らくはテキサスが大怪我をした入社前の出来事を思い出してしまったのだろう──そう思い、シュテンは落ち着かせるように優しく肩に手を回して抱き寄せでやれば、少しだけ安らいだように震えが弱まる。

 

 そして彼はスモークの貼られた窓の外の様子を見逃しはしなかった。

 ──明かりに照らされて僅かに見えた鈍色に光る鉛玉が二発。車両の足回りに迫って来ていたのを。

 空気が炸裂して鼓膜が鳴動する。銃弾が命中してバーストしたタイヤ。ハンドルを取られたテキサスは慌てて対応するも、操作不能に陥った社有車は外壁にぶつかりながら横転した。

 

「何!? もしかしてマフィアが襲ってきちゃった!?」

「お、その通りみたいやな!」

 

 嬉々とした声を上げながら、車両の窓から這い出でるようにクロワッサンとエクシアが顔を出せば、辺りには多くの車と黒服の男達が配置されていた。

 まるでこの場所を通過する事を分かっていたかのような計画性にテキサスは警戒を露わにしている。しかし、ソラにとってはそれどころでは無かった。

 

「シュ、シュテンさん。あの、その、手を離して貰えると……!」

「ん? ……嗚呼、悪いな。だがこの体勢だとソラが退いてくれないと俺も離れられないんだが」

「あー! ずっるーい! ソラが抜け駆けしてる!」

「だからって中に戻ってくることは無いだろう……」

 

 窓から顔を出していたエクシアがモゾモゾと動いて中に戻り、シュテンに擦り寄るように胸元へ顔を近付ける。

 顔を真っ赤しながらも、安心感からか離れる様子のないソラと自らくっついているエクシア。そしてゲラゲラ笑うエンペラーとクロワッサンに対し、テキサスは後部座席に移動出来ずにいたストレスでクラクションを鳴らしまくっていた。

 

「……あの、状況を考えて欲しいんですけど」

 

 ただ一人、滅茶苦茶な状況のお陰か冷静さを取り戻したバイソンが突っ込みを入れるのだった。

 

 

 

 

「待たせたな」

 

 乱れた服装を整えながら、シュテンは艶やかな髪を大きく掻き分けた。

 あの後、痺れを切らしたマフィア達がペンギン急便の車両に怒号を飛ばし始めた所で、自社内の事態は収拾する。

 何とも格好のつかないメンバーであったが、彼女達の自信ありげな表情は崩れる事は無かった。

 

「シチリア人相手に随分と嘗めた真似をしてくれるじゃねえか、ペンギン急便の事務員さんよ」

 

 二百、三百を超えるマフィアの集団から一歩踏み出して言葉を放ったのは彼らのボスであるループスの男、ガンビーノ。獣色が強く、傲慢な態度と荒々しい口調は、シラクーザのマフィアが自称するシチリア人に相応しい不遜な姿であった。

 

「ガンビーノ、なんであんな量の爆薬を使った? あの方との約束を反故にするつもりか?」

「あ? あの(・・)テキサスが乗ってるんだぞ?

だったらあそこで仕留めておくのが合理的ってもんだろうが」

「フェンツ運輸の坊ちゃんまで一緒に始末するつもりか? そうなればあの方だけじゃない。龍門すらも敵に回す事になるのが分からないのか?」

「ふん、そんな甘い考えだからチャンスをみすみすと逃す事になってんだよ。カポネ、てめえのやり方はつまらねえ龍門に染まっちまったみてえだな」

 

 そしてもう一人。ボスであるガンビーノに口を挟むのは、同じくループスであるカポネと呼ばれた男。カラーレンズの眼鏡を掛けてボウガンを片手に、ガンビーノの元へと近付く。

 古くからの付き合いがあるのだろう、ボスが相手にもか変わらず苛立ちを隠そうとしていなかった。

 

 そんな仲間内の揉め事を遠巻きに見ていたシュテンは、冷静に状況把握に努めていた。

 敵の数に武装。飛び道具や術士の有無。立地と周囲確認を含め、気温や風向きも全て脳内に叩き込む。

 ──何故ならばこの状況は、決してシュテンが描いていたものではないからだ。

 

 少量(・・)の爆発物を避けたペンギン急便が停車(・・)し、少数(・・)のマフィアを率いたガンビーノ達と対峙する──それが彼の求めていたシナリオだった筈なのだ。

 そして何より気がかりなのが見えもしない距離から放たれた銃弾。スコープ越しにこちらを確認しているのは容易に想像できる為、シュテンとて迂闊に視線を向ける事は出来なかった。

 

 一通りの計画を練り直したシュテンは、彼等の前へと歩み寄る。その行動には口論が白熱して来ていたマフィアの二人も思わず口を閉じた。

 

「ようこそ龍門へ。──いや、表立っていないだけで昔からいたのか? スラムに暮らす薄汚いハイエナが、飢えに飢えて表社会に出てきたと言った方が正しいのかもな」

「……ペンギン急便ってのはトランスポーターが武であり力である組織だ。そのくらいは俺でも知ってるぜ。だから……あまり裏の人間が出しゃばると死ぬ事になるぞ?」

 

 ガチャリ、と音を立ててボウガンに矢が装填されれば、カポネは即座にシュテンの頭部へと照準を定める。

 そこまで言われればガンビーノも怒り心頭と言った様子で睨みつけていたものの、シュテンの態度は変わる事は無い。

 

「撃ってみろよ。言っておくがウチの天使の腕前は貴様の比じゃないぞ?」

「ハッ──煽ったのはお前だからな」

 

 距離にして四歩分。射撃の腕はシラクーザでも随一の自負を誇るカポネにとって、外す筈も無い射程であった。

 トリガーが引かれて射出されたボルトがシュテンの頭部に目掛けて接近する。人の頭部を貫通するのも容易い威力。──その鏃がシュテンの斜め後ろから放たれたゴム弾と衝突し、弾かれるように吹き飛んだ。

 

「シュテンにそんな褒められたらバッチリ決めるしかないよね!」

「シュテンはんは無茶しよるなぁ。後はウチに任せとき!」

「ぼ、僕も戦えます!」

 

 ずば抜けた反射神経と動体視力を持つエクシア。守護銃を構えた彼女は見事にボルトを撃ち落とす。

 神業にも等しい妙技を見せられ、カポネ達は理解が追い付かずに呆然としていた間に、クロワッサンと彼女に続いたバイソンが重盾を構えて立ちはだかった。

 

「この状況で本気で戦うつもりか? あのテキサスがいるとは言え、覆しようも無い人数差っつーのを理解出来てないようだな」

「でもさっきの口論を聞く感じだと、シラクーザから逃げて来たマフィアなんだよね? そんな人達がテキサスさんの相手になんてならないと思うけどなぁ……」

「──アイドル風情のガキが一丁前に語るんじゃねえぞ!」

「きゃっ! シュ、シュテンさーん!」

 

 ソラが悪意無く呟いたつもりだった言葉はガンビーノの琴線に触れたようであり、怒りを表情に表していた。

 突然怒鳴り声を聞かされた為か、ソラも反射的に恐縮した様子であり、シュテンの背後へと姿を隠す。

 

 そして源石剣を出現させて戦闘態勢へと移るテキサス。バイソンも震えていた体を奮い立たせて、覚悟を決めた表情を見せていた。

 当然、その様子はマフィア達にも伝わり、全体の空気が緊張で張り詰める。正に一触即発。後はガンビーノかカポネが指示を出せば大きな争いが勃発する──そんな時であった。終始冷静なままでいたシュテンがパンっと手を叩き、一同の視線を集める。

 

「バイソン君、君は泳げるか?」

「え、あ、はい。どちらかと言えば得意な方ですが……」

「それは良かった。何、他意は無いから安心して良い。ウチの社員も皆泳ぐのが得意でな、社員旅行でシエスタに行った時は子供のようにはしゃいでいたよ」

「……おい、エク、クロワッサン、ソラ。ついでにバイソンもだ。見ておけ」

 

 テクテクと歩いて道路の中心辺りに位置を変えたシュテンが他愛の無い駄弁を弄する。余りにも場違いな行動に緊迫していた空気は霧散し、ガンビーノ達ならず、ペンギン急便の者達も呆気に取られていた。

 そんな中、唯一意図を理解したエンペラーが一部の者達に言葉を掛けると、シュテンは再び言葉を続ける。

 

「──と、下らない話をして場が白けた事だ。ここは解散としようじゃないか」

「……何ふざけた事を言ってやがる? むざむざとお前らを逃す道理はどこにもねえだろ」

「嗚呼。何もかも正論で正しいな。だが正しい事が常に最善とは限るまい。腐肉を貪る事しか知らないハイエナの鼻は効かないようだな。……こちらとて負けるつもりは毛頭もないが、仲間(かぞく)が無傷とはいかないからな。悪いが仕切り直しにさせて貰う」

 

 そう言ってシュテンは振り返り、ペンギン急便のメンバーへと視線を向けた。

 

「──大地の果てでまた会おう」

「……ここで殺す!」

「待て、ガンビーノ! コイツは関わるべき相手じゃ──」

 

 シュテンの目が真紅に染まり、全身から狂気とも呼べる重圧感が放たれる。殺意を持って踏み込んだガンビーノのさえ思わずその足を止め、その視線を初めて正面から受けたエクシア、クロワッサン、ソラ、バイソンは本能的に後退りをしながら冷や汗を流してしまった。

 

「あれがお前らが初めて見る酒呑童子(シュテン)だ。良く覚えておけ」

「……仲間に引かれるのは少し寂しいものだな」

「あ、シュテン! そう言うのじゃなくて──」

 

 何処か少し孤独感を見せたシュテンがその狂気を身に纏えば一転、殺意に満ちた笑みを浮かべていた。その姿は(さなが)ら破壊神。触れる物を全て消し去る程の威圧がそこには存在している。

 そしてシュテンは大地を足で踏み鳴らすように振り下ろす──ただそれだけの動作でアスファルトが大きく陥没して砕け散った。

 ──否、アスファルトだけでは無い。その環状線を支えていた橋脚にまで衝撃が伝わり、大きく罅が入った。

 大地が揺れる衝撃にマフィアたちの多くが転倒する。ペンギン急便のメンバー達ですら、彼の元に駆け寄る事は出来ず、立っているのがやっとであった。

 徐々に崩壊していくコンクリートとアスファルトの破片が環状線の真下──人工川へと落ちていき、大きな水飛沫が立ち上る。

 そこで漸く、一部の者はシュテンの思惑を把握する事となった。

 

 だが既に時遅し。誰にも彼の行動を阻害するのは叶わず。もう一度大地を踏み鳴らせば、環状線は完全に崩壊し、多くの者が人工川へと落とされる事となった。

 

 

 

 

 

「……バイソン様は無事、船に乗られたようですね」

 

 マフィアとペンギン急便の抗争があった場所から離れた建物の屋上に、フェンツ運輸の執事が静かに佇んでいた。

 狙撃銃を携えて照準器からずっとペンギン急便の動向を見続けている。そして彼等の車両を狙撃したのもこの男であり、所謂フェンツ運輸の懐刀──ピーターズの抱える最強の私兵として極秘に動いていた。

 

「さて、そろそろ移動しなければバイソン様に追いつかなくなってしまうかもしれません」

 

 そう呟きながら展開していた装備を片付けようとしたその時であった。背後から伝わってくる強烈な殺意と気配を感じ取り、懐から拳銃を取り出して即座に振り向く。

 

「ハッ! 貴様か。遠巻きにこっちを監視し、見事に車両を破壊してくれた痴れ者は」

「おいおい、マジでこんな奴がいたのかよ。あ? お前は一体誰の差し金だ?」

「……シュテン様とエンペラー様」

 

 そこに居たのは先程まで監視していた筈のシュテンと、その脇に抱えられたエンペラー。見失ってから僅か五分。まさか短時間でこの場に現れるとは思わずに執事は驚愕の表情を浮かべる。そして拳銃を向けるよりも早く、シュテンの鉄扇が首元に突き付けられた。本来であれば命に関わりは無い筈のそんな武器であろうとも、彼が扱うとなれば全てが凶器と化す。

 執事は素直に降伏の意思を見せるように手を挙げるも、シュテンが気を緩める事は無い。

 

「あんな狙撃をする腕と銃器なればラテラーノ──それも執行人クラスかと思ったんだがな。で、てめえは何者だ?」

「──ぐっ」

 

 本来、銃器の類は非常に扱いの難しい上、その希少価値から貴重な武器として重宝されている。そのせいもあってか大半の銃器はラテラーノのとある機関によって管理されているのが一般的であった。

 故にシュテンは警戒をし続けている。この遠距離からの精密な射撃は唯一無二と呼ぶに相応しい程の代物。

 未だ血の昂っているシュテンは、執事の首を遠慮無く掴み上げた。口調も行動も共に荒々しく変化しており、その獰猛さは容易く命を奪われかねない恐ろしさを秘めている。

 

「……わ、私はフェンツ運輸に仕えている者でございます」

「あ? お前はピーターズの右腕っつー事なのか? それで俺の車をよくぶっ壊してくれたな。お前にウチの慰謝料と車両代と危険手当含めて全部払えんの?」

「その件に関しましては、全てが終わった時に旦那様からお話があるかと」

「てめえの事なんぞ何一つ聞いてなかったぞ。……餓鬼が裏でコソコソと動きやがって。俺の社員に傷が付くようならお前だろうが容赦はしない、と伝えておけ」

 

 綿密に計画を練ったにも関わらず、自身の関与しない所──それもペンギン急便を含めて危険を伴うとなれば、シュテンとは言え看過できない。

 だがピーターズも息子を危機に立ち向かわせるとなれば、ペンギン急便が最適と言えども、シュテンの過保護は望ましいものでは無かった。

 その為に執事を起用し、その射撃の腕を活用して危険に巻き込ませる。運良くとは言え、まさかピーターズも一度目で気付かれるのは予想外だろう。

 

 シュテンが手を離して執事を解放すれば、咳き込むようにして息を整える。そんな状態になっていても冷静さを失わない執事は言葉を返した。

 

「お伝えしておきます。……ですが私とてバイソン様を危険な目に合わせるのも心苦しいのです。……いえ、この事はシュテン様とエンペラー様には関係ありませんね。ですがバイソン様の命の危険に関わるのであれば、私が全て排除致します。同時にそれは共に行動するペンギン急便の方々にも当てはまるかと」

「ハッ! だったらシュテンにオシオキされないようにちょっかいは程々にして、気合入れて護衛するんだな!」

「肝に銘じておきます」

 

 脇に抱えられたままのエンペラーがドヤ顔をかました後、シュテンは建物から飛び降りるようにして龍門の街へと消えて行った。

 煌びやかに光る繁華街。最早彼等の姿が見えるはずもなく。

 その彼等の背中を見送った執事は数瞬考えた後、携帯電話手にして連絡を取り始めた。

 

「……申し訳ありません。一度目で彼に気付かれてしまいました。……はい、恐らくはその通りかと。……はい。……やはり仰った通り、危険な存在かと思われます。彼は龍門よりも自身のルールこそが全てのようですから。……はい、正面から対峙したとなれば、私とて勝機など考えられません。…………分かりました。またご報告させて頂きます」

 

 通話を終えた執事が携帯電話をポケットへと仕舞うと、深く溜息を吐いて眼下を見下ろす。

 安魂夜で盛り上がり始めた街並み。本来であれば学友と遊んでいる筈の年頃のバイソンを憂いながら、彼は頭を悩ませていた。

 

「……本当にこれで宜しいのでしょうか?」

 

 その真意も、それぞれの真意も。何一つ語られること無く。

 呟かれた言葉は龍門の喧騒の中へと消えて行った。







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EX.喧騒の掟 Ⅱ




書きたい事を書き殴ったお話。






 移動都市と言う形式上、自然が織り成す海や川が存在しないのが普遍的な考え方である。だが水は人類だけでなく、あらゆる生物が生きて行く上で必要不可欠なもの。

 故に古代人は移動都市の中に水路を造り上げ、用水を循環させるシステムを構築した。現代では失われた技術。今となっては精々水路を継ぎ足す程度しか行われていない。

 そんな水路も龍門ほどの規模となれば、多種多様の水棲生物が生息する。必然的に水産業も盛んとなり、水産業が発達すれば船が走るようになった。次第にその技術が応用され、龍門内での運送に貨物船が用いられているのも、大都市ならではと言った所だろう。

 

 そして運送業の者達は喩え安魂夜であろうとも──否、安魂夜だからこそ、日が落ちてからでも働いている。

 

 詰まる所、人工川に落ちたバイソンは運良く貨物船に拾われていたのだった。

 

「おい坊主、もう夜の川に飛び込むなんて無茶すんじゃねえぞ」

「は、はい。すみません……」

 

 なんでこんな理不尽な目に遭うのか──とは言えシュテンにも船員にも、命を助けられた自覚があるバイソンに悪態をつく事など出来る筈も無かった。

 それも水を吸い込んだ衣服と重すぎる盾のせいもあり、半ば溺れかけていたのだから当然と言えよう。

 靴と下着までずぶ濡れになってしまったバイソンは不愉快そうな表情を隠そうともせず、貨物船から降ろされて港に一人置いて行かれていた。

 

 ペンギン急便のメンバーの姿は環状線から落下してから見掛けていない。更に言えば集合地点と語っていた大地の果てについても把握していなかった。

 極めつけはペンギン急便の誰とも連絡先を交換していなかった事。

 龍門の地理については頭に叩き込んでいたものの、バイソンは行先が分からずに途方に暮れていた。

 

 父さんの認めるシュテンさんの事だ、きっとこれも僕を見極める試練なのかもしれない──そう、前向きに考えながら、バイソンはずっしりと鈍重になった靴で歩き出す。

 水滴で彩られた足跡を大地に残しながら、宛の無い旅に出る──そんな時であった。

 

「大丈夫? そんなにびしょ濡れで寒くないのかな?」

 

 気配も無く近寄っていた青い髪の角の生えたサンクタの女性──モスティマに背後から話し掛けられたバイソンは、驚くように身を竦ませて振り返った。

 

「え、えと……はい、大丈夫です」

「そんな警戒しなくても良いよ、取って食おうなんて思ってないから。……君の事はピーターズさんから聞いてるのさ」

「父さんからですか……? もしかして貴方は──」

「ご想像の通りだよ、私はモスティマ。しがないペンギン急便のトランスポーターさ。……さて、まずは風邪引く前に服を脱ごうか」

 

 一瞬、何を言われたのか理解出来なかったバイソン。無遠慮に顔の距離を近づけたモスティマにどぎまぎしながらも、彼は自分のするべき事を忘れはしていない。

 

「い、いえ。それよりも大地の果てと言う場所に向かいたいんですが……分かりますか?」

「私が歩いて案内してあげるから心配は無用さ。……さ、早く脱がないと。アーツで乾かしてあげるからね」

「うぇ!? ──だ、大丈夫です! 自分で脱ぐので待って下さい!」

「そう? ……でもそうしてくれると助かるかな。流石の私も異性を脱がせるのは抵抗があるからね」

 

 明らかに手馴れた手つきで上着を脱がそうとしていたような──そんな突っ込みが出来る筈も無く、バイソンは物陰に隠れて衣服を脱いだのだった。

 

 

 

 

 モスティマのアーツによって、バイソンの衣服の水気が瞬時に吹き飛んだその後、二人は安魂祭で盛り上がる大通りを歩いている。

 まるで別世界のように絢爛たる賑わいを見せている龍門。一日限りの屋台には様々な食料や遊具を並び、立ち並ぶ店舗も負けじと特売を掲げて集客を行っていた。

 路上ライブやダンスを披露したり、テラスで酒宴を開いていたりと、各々が何かしらの賑わいとなっている。

 

 そんな中、バイソンは何処か警戒した様子を見せながら、モスティマは浮き足立つような雰囲気に笑みを浮かべていた。

 

「あのお店に寄ってもいいかな? ちょっと買っていきたい物があってね」

「えーっと……あの、今マフィアに追われてるので出来れば控えて頂けると」

「そうなのかい? でもこれだけ人気(ひとけ)があるならマフィアも暴れることは出来ないと思うけど。という事でレッツゴー」

「あれー……」

 

 まるでバイソンの心配事など無かったかのように自由気ままな行動をしていくモスティマ。やはり彼女もペンギン急便の一員らしい性格をしている、と思いつつ、バイソンはその背中を追いかける。

 そして彼女が辿り着いた店舗からはとても甘い、脳髄を刺激するような香りが鼻腔を擽った。少し時間の空けたスイーツと思えば、丁度良いとも言える時間帯。

 少し食欲の湧いたバイソンはモスティマに問い掛けた。

 

「何のお店なんですか?」

「ん? それはね──っと、出てきたね。……はい、私の奢りだから気にせずに食べて良いよ」

 

 モスティマは店員から受け取った二つの食べ物の内、一つをバイソンへと渡す。それはパイ生地に包まれた芳醇な林檎の香りを放つアップルパイであった。

 

「あ、ありがとうございます。これって……?」

「見ての通りアップルパイだよ。やっぱりここのお店は外せないよね。……あ、エクシアには内緒だよ? このお店は彼女にとって思い入れのある特別なものだから」

「──あっ、これ美味しいですね。でもどうしてエクシアさんに思い入れがあるんですか?」

「エクシアも乙女って事さ」

 

 モスティマの言葉に今一要領の得ないバイソンであるも、手に所持しているアップルパイを口に含めば、そんな疑問など瞬時に吹き飛ぶ。

 何層にも重なったパイ生地の食感と香ばしさの後に、湧き出てくる林檎の純粋な甘味と果実を口内が支配した。

 余韻に浸っているバイソンであったが、何時の間にか食べ終えていたモスティマは自由気ままに歩き出す。慌てて口に詰め込んだバイソンも後を追うようにして駆け出した。

 

「あ、ここのお店も寄って良いかな? いつもは高くて中々手を出せないお店だけど、安魂夜だけ特別に割引されてるからね。見逃す訳にはいかないよ」

「…………」

「無言で頷いてどうしたの? ……あぁ、口の中がいっぱいで喋られないんだね。──えい」

「ぶふっ──何するんですか!?」

 

 まるで頬袋に食べ物を詰めているかのような顔をして頷いていたバイソン。そんなパンパンに膨らんだ顔を見て何を思ったのか、モスティマは彼の両頬に掌を勢い良く押し付けた。

 不穏な声と共にバイソンの口から吐き出される何か(・・)。うわっ──なんて声を漏らしながら、モスティマは反射的に動いて回避する。

 

 流石にバイソンも不愉快だったのか、少しだけ声を荒らげていたものの、モスティマはニコニコとした笑みを崩しはしなかった。

 

「なんか小動物ぽくて……つい?」

「つい、で口から色々出しちゃうのは酷いと思うんですけど」

「ごめんごめん。お詫びと言ってはなんだけど、ペンギン急便に来た記念も兼ねて好きな物プレゼントしてあげるからさ。ね?」

 

 覗き込むような姿勢で両手を合わせ、ウインクをしながら赤い舌をちろりと覗かせた。蠱惑的な雰囲気の中に小狡さが見え隠れするも、端麗な容姿も相俟って可愛らしさを際立たせている。

 思わず胸の高鳴りを感じ、顔を赤くしたバイソンはモスティマから目を逸らした。

 

「……顔が赤いけど大丈夫かい?」

「だ、大丈夫です。それとプレゼントはいただなくても──」

「良いから良いから。私も買いたい物があるからね」

 

 言葉を遮るようにしたモスティマは、バイソンの腕を掴んで引っ張るように店内へ進んでいく。少しどぎまぎとしていた彼であったが、中に陳列している貴金属のアクセサリーの値段を見て思わず硬直してしまった。

 

「えと、あの……思ってたより値段の桁が違うんですけど」

「別に気にしなくていいよ。これでもお金は持ってる方だからね。で、どれにするか決めた?」

「……じゃあこれで」

 

 豪華絢爛とも言える内装の中で遠慮気味にバイソンが選んだのは、シンプルな作りをした飾り付けのないネックレスであった。

 視界に入る中でも最安値──その謙虚な姿勢にモスティマは笑みを浮かべつつも、店員に話し掛けて購入の手続きを始めている。

 

「後、あの商品も良いかな?」

 

 そう言ってモスティマは他とは離隔されているショーケースを指差した。そこに展示されているのは、見事に貴金属と宝石で装飾されたペアリング。号数や在庫、保証について話し合っている中、ふと値札を覗き込んだバイソン。

 その金額はとても彼の給料では払えない物だったのは言うまでもない。

 

 ラグジュアリーショップを後にした二人は再び龍門の町を歩き出した。早速着けるように促されたものの、アクセサリーで飾り付ける機会なんて無かったバイソンは悪戦苦闘。その姿を見兼ねたモスティマが手伝ってくれたものの、距離感と無知さから羞恥に悶えていた。

 

「ネックレスありがとうございます。……あの指輪って誰に上げるんですか?」

「うーん、それはプライベートだから教えて上げられないかな」

「……残念です。テキサスさんみたいにシュテンさんのような恋人がいるのかなって思っ──」

「ねえ、誰にそんなデタラメを聞いたの?」

 

 バイソンが言い終えるよりも早く、笑みを消したモスティマが顔を近づけてくる。普段とのギャップのせいか、より一層威圧感を放っていた。

 

「え、いや、その……テキサスさん本人が言ってたので……」

「彼女は少し妄言癖があるから。シュテンも困惑してたでしょ?」

「あー、言われてみれば確かにそうでした。てっきり他の人達も同じ事を言い出したから困っていたのかと」

「……へぇー、そうなんだね」

 

 再び笑みを取り戻したモスティマ。誤解が解けて安心した──そう、バイソンが勘違いをしてしまうのは、出会った日の浅さ故なのだろう。

 ニコニコと貼り付けたような笑みにはとてつもない感情が込められていた事を知るよりは無かった。

 

 そして再び歩き出した二人は、大通りから一つ離れている、少し廃れた脇道へと入って行く。多くの者が行き交って店舗が立ち並ぶ大通りとは対称的な空間。そんな差異のある雰囲気は、まるで異世界に飛ばされたような感覚にバイソンは陥る。

 その中でも一際古びた店舗──と呼ぶには小さな屋台。モスティマは迷わず一直線に向かって行った。

 

「何年も前、初めて龍門に来た時に寄ったお店でね。色々と思い出深い場所なんだよ」

「そうだったんですね、何のお店なんですか?」

「飴が凄く美味しい駄菓子屋さんさ」

 

 そう言って二人は店前へと近付けば、シンプルながらも美しい造形のキャンディやマシュマロなどの駄菓子が売られている。子供向けと言えども、何処か童心に帰らされるような、そんな魅力を放っていた。

 そして奥から現れたのは鼠の姿をしたザラック族の老人。優しい笑みを浮かべながら、彼は若者達を歓迎する。

 

「おや、若者が二人で珍しい。こんな暗いところで逢い引きかね? 折角の安魂祭じゃ。盛り上がっている繁華街に行ったらどうかのう?」

「あ、逢い──ッ!?」

「そんなんじゃないよ。それに騒がしい夜はまだ始まったばかりさ。……お爺さんこそ、今夜のお祭りには参加しないの?」

「ワシみたいな老いぼれにはこの喧騒はちと荷が重い。代わりにキャンディ達が参加してくれる筈じゃよ」

 

 揶揄うように老人が口を開けば、バイソンは口をパクパクとさせて顔を紅潮させた。しかしながら年上としての余裕を見せるモスティマは冷静に言葉を返し、老人もまた、楽しそうな表情をして口を開く。

 

「それも良いんじゃないかな。喧騒だけが龍門を龍門たらしめてる訳じゃないからね。陰と陽。この静寂もまた、この都市を彩るファクターだと思うよ」

「若いのに聡明だのう。……だが間違っておらん。必ずしも光の中に生きられる者達だけでは無いのが世の常。何時の時代も影があるからこそ光が生える訳だからの」

 

 そんな中であった。ふと老人の顔を見つめていたバイソンの顔に皺が寄り始めた。何事かとモスティマが疑問を投げ掛けるよりも早く、彼は思いついた事を口にし始める。

 

「モ、モスティマさん。この人ってもしかして──」

「──口は()れ禍の門、舌は()れ身を斬るの刀なり」

「……? え、えっと……?」

「口は災いの元、って事さ。各々が各々の事情で重なり、交じりあって生きているのが龍門だよ。無用な詮索は控えるのが長生きする術かな」

 

 諭されるように老人とモスティマから言われてしまえば、バイソンも迂闊だったと反省をして口を閉ざした。

 

「それでキャンディは要るかね? 昔と違い、今なら自腹で買えるだろう」

「あはは、そこまで覚えられてるのは少し恥ずかしいね。……そうだね、少し貰えるかな?」

 

 過去を反芻させるような会話を続けながら、流れるように会計を済ませ、モスティマは商品を受け取る。

 

「毎度。()にもよろしく伝えておいておくれ。……安魂夜は本来、死者の魂を安らかに送るもの。生者の楽しむ姿こそが何よりの供養じゃ。……今宵のイベントを存分に楽しんでおくと良い」

「うん。お爺さんは気が向いて顔を出しても無茶はしないようにね」

「騒がしいのは若者に任せるつもりじゃよ。……少年も余り気に病む事はないぞ。お主の父親の方が、よっぽど無鉄砲でやんちゃをしていたからのう」

「お爺さんも僕のお父さんの事を……いえ、ありがとうございます」

 

 老人に見送られながらモスティマとバイソンは再び歩き始める。大体の予定も済ませて満足した彼女は、軽い足取りで裏通りを抜けて行く──その時であった。

 

「すみません、モスティマさんですよね?」

 

 突如背後から声が掛かり、二人は振り返る。少し警戒する雰囲気を纏ったモスティマは、アーツユニットに手を触れたまま笑みを絶やしはしなかった。

 そこに立っていたのはザラック族の若い娘。黒を基調とした服装に、薄いピンク色の髪を束ねており、凛とした振る舞いと非常に似合っている。

 

「そうだけど、何か用かな? ……君は今夜の喧騒に関わるべきではないと思うんだけれど」

「私のことをご存知なのですか?」

「君が私を知っているように、私が君を知っていてもおかしくはないでしょ。ね、貧民窟の令嬢さん」

 

 貧民窟の鼠王──リン・グレイ。その令嬢となればただ一人しかいなかった。

 その愛娘たるリン・ユーシャ。若輩者でありながら、王たる器の片鱗と手腕を見せ、その落ち着き様は堂に入っている。

 

 そしてユーシャは少し呆れたように息を吐いた。

 

「父の時とは態度が大違いですね。部外者である以上、仕方ないのかもしれませんが。……大したお話じゃありませんよ。この手紙をシュテンさんに渡して下さい」

「なんでシュテンが出てくるのは取り敢えず置いておくとして。私も中身を確認しても良いかな?」

「駄目です。それはシュテンさんが共有すると判断した場合のみにして下さい」

 

 飽くまでシュテンに拘るユーシャの姿勢に、少し面白くなさそうにしたモスティマが言葉を返す。

 

「ま、良いさ。預かっておくよ。……でも電話やメールで伝えた方が早かったんじゃないのかな? 尤も、連絡先を知ってる必要はあるけどね」

勿論(・・)、連絡先は把握しています。ですが誰にも知られたくない内容でしたので。万が一に備えての貴方です」

「──。へぇ、随分と信用してくれるんだね?」

「あなたを信頼するシュテンさんを信じているだけですよ」

 

 言葉を返すようにして要件を伝えたユーシャは足早に立ち去っていく。会話の意図を理解出来なかったバイソンは口を挟む事は無かったものの、その背中を見送った後、口を開いた。

 

「彼女って鼠王の娘さん……なんですよね? なんだが少し焦っているように見えましたけど」

「……意外と良い目をしているんだね。まるでピーターズさんを彷彿させる慧眼だよ」

 

 表には出ていなかった裏の感情。偶然とは言え、それを見抜いたバイソンを、モスティマは素直に賞賛した。

 そしてモスティマは彼の瞳をじっと見つめる。照れた様子のバイソンを気に留めず、彼女は口開いた。

 

「うん、良く見ればその瞳もピーターズさんの面影を感じるかな。きっと君は大物になると思うよ」

「あ、それシュテンさんにも似たような事を言われました」

「シュテンが同じ事を? ……ふふ、そうなんだね。あはは」

 

 今まで心の内を見せないような薄い笑みだったのに対し、今のモスティマは心底嬉しそうな笑顔を見せていた。

 その姿は余りにも綺麗で。思わずバイソンも目が奪われてしまったのだった。

 

 

 

 

 そしてモスティマとバイソンが寄り道している頃。びしょ濡れになったテキサス、エクシア、クロワッサン、ソラが大地の果てに到着していた。

 

 運良く近場で上陸していた四人。バイソンがうっかり失念していたモスティマを探すと言う目的もしっかりと忘れずに、気を配りながらの行動する。

 しかし、道中でマフィアと遭遇するアクシデントもあり、モスティマを見つける事は叶わず。その際に車両を奪い取って、早急に大地の果てへと辿り着いたのだった。

 

「うへぇ……びちゃびちゃだよ……」

「……ソラ、耳が取れてるぞ」

「うぇ!? ホントですか!?」

「あ、ホンマやな」

 

 ループスのアイドルを売りとしているソラにとって、何時何処でファンが見ているか分からない状況で、耳を外す(・・)事は禁忌にも等しい。

 とは言え仲間内には一ヶ月も経たない内にバレている辺り、その管理は杜撰なのかもしれない。

 

「ソラの耳は兎も角、ここってシャワー無かったよね?」

「無いな。だが一応着替えだけは何処かに置いてあった筈だが……」

「あー、そう言えば掃除した時にありましたね。予備の制服……かな? そんな感じの奴」

「確か段ボールに仕舞っておいた筈やで」

 

 今すぐにでも着替えたい──そんな思いを全員が抱きながら、バーの中をひたすらに探し回る。そして部屋の隅に埃被っていた段ボールを見つけ出した。

 

「あったあった。そんじゃ早速着替えちゃおっか!」

「その前にドアの立て札と鍵だけ確認しておきますね」

 

 人の出入りを封鎖すれば、そこは秘密の花園と化する。水を含んだ衣服を取っ払えば、カラフルな模様で描かれた下着が露わになる。あまりにも無防備な姿であるが、それは閉ざされた空間だからこその話。

 そして当然全身が浸かるほどの水量となれば、下着すらも濡れているのは明瞭たる事実であった。

 一糸纏わぬ姿となり、バーの中を過ごす彼女達。流石に替えの下着は持ってなかったのだろう、一生懸命に火の元で乾かす姿が見受けられる。

 

「こんな時にモスティマがいてくれたら、アーツで乾かしてくれるのになぁ」

「結局姿は見せなかったな。普段から神出鬼没のせいで足取りも掴めていない」

「……て言うかソラはん、また胸がおっきくなってへん?」

「え? そんなことないと思うけど──って、なんで掌を動かしながら近付いてくるの!?」

 

 ふと神妙な顔をしたクロワッサンに話しかけられたソラ。その声に反応して顔を向ければ、卑猥な手付きで近付いてくるクロワッサンの姿があった。

 そんな不振な行動をする人物が接近してくるのならば、逃亡するのが定石。

 裸で逃げ惑う者と追い掛ける捕食者がいた。

 

 ケラケラ笑いながら見ているエクシアと呆れた表情を見せているテキサス。

 そろそろ下着も乾いて着替えようとする──そんな時であった。

 

 本来ならば聞こえる筈の無い、ガチャリ、と扉が解錠される音が響く。走り回っていたソラとクロワッサンもピタリと動きが止まって入口に視線を送った。

 大地の果ての鍵を持つ人物など限られているものの、秘密の花園が覗かれるのはあってはならない事だ。だが緩み切って思考の停止した彼女達。身を隠す手法を取るよりも早く扉が開かれた。

 

「わざわざ鍵を閉めてまで暴れて、る……」

 

 顔を覗かせて固まったのは言うまでも無く、シュテンである。彼もその有り様は予想外であったのだろう、珍しく対応に戸惑いを見せており、硬直していた。

 シュテンの視界には、一糸纏わぬ彼女達が映っている。暖炉の元に下着を手にしているエクシアとテキサスの姿。テキサスでさえ、顔を赤くして視線を返していた。

 そして眼前と言っても等しい距離。そこには一切隠す事無く呆然としているソラと、彼女を追い掛けるクロワッサンがシュテンを視界に収める。

 

 無言のままにシュテン視線が動き、ソラと見つめ合った。そして視線は胸元へと移り、下腹部へと移り、爪先へと移って往復する。

 再度目と目が合えばソラの顔は徐々に赤く染まって行き、プルプルと震え出していた。シュテンはソラの後方に目を向ければ、他の者達も紅潮する顔を見せながら、身体を手で隠している。

 

「あー……その、なんだ。絹のように綺麗な肌だな。恥ずかしがる必要は無いと思うぞ」

 

 返事を聞く前にバタンと扉を閉めて、シュテンは店外へと顔を向ける。彼の背後に居たエンペラーが訝しげな表情をして待機していた。

 

「中に入るんじゃねえのかよ。一体どうした?」

「……思ったより大人だったんだな、と改めて実感しただけだ」

「あ? 何言ってるのか全然分かんねえぞ」

 

 その直後、甲高い悲鳴でエンペラーが察したのは言うまでもない。

 

 

 

 

「シュテンさんに見られたシュテンさんに見られたシュテンさんに見られた……」

「……これはどう言う状況なのかな?」

 

 愉快な仲間たちとの一悶着が落ち着いた頃、バイソンを連れたモスティマが大地の果てに到着する。

 モスティマが帰ってきたと騒いでいたものの、皆一様にして様子がおかしい事に彼女は気付いた。

 いつもなら噛み付いてくるテキサスは顔を赤くして興奮気味。エクシアとクロワッサンは半ば自暴自棄になってシュテンに絡んでいるし、ソラに至っては部屋の隅で落ち込んでいる。

 そしてシュテンの様子──と言うより、外見も可笑しかった。一見はいつも通りだったものの、その片角の生えた特徴的な頭部──その頭頂に、ループスの耳が生えているのだから。

 

「気にするな。少し手違いがあっただけだ」

「シュテンはん! 語尾がおかしいで!」

「そうだよ! ちゃんと約束を守らないと!」

「……少し手違いがあっただけだ……ワン」

 

 ──全く意味が分からない。モスティマの心情はこの一言に尽きる。物凄く不服そうなシュテンの表情から、この状況は予定外の出来事であるのは伝わった。

 

「少しの手違いで、あたしは舐め回すように裸を見られたんですね……」

 

 ポツリと呟いたソラの言葉を、モスティマは聞き逃しはしなかった。無表情の能面のような顔がシュテンを捉える。心做(こころな)しか目のハイライトが消えてるようにも見える青い瞳を、シュテンは真っ直ぐ見つめ返していた。

 

「……シュテン、どういう事?」

「バイソン、良くモスティマを見つけてきたワン。約束通り好きな褒美を上げるワン」

「シュテン」

「ワン」

 

 強烈なまでの威圧感に流石のシュテンもスルー出来なかったようで、素直に返事をする。まさに絶体絶命の危機。声を掛けられたバイソンも口を挟む事は出来ず、見た事もないモスティマの様子に脅えていた。

 

「説明して」

「橋から落ちて水浸しになったんだろうな。鍵を掛けていたから安心して此処で着替えていた所、丁度俺が来ただけの話だ」

「語尾! 語尾!」

「丁度俺が来ただけの話だワン」

 

 不慮の事故。となればモスティマの怒りも僅かに収まる様子を見せる。

 

「……その様子だとエクシアも、クロワッサンも、テキサスも……なんだね?」

「……あ、あははー。思い出すと恥ずかしいから言葉にして欲しくなかったんだけど……」

「わ、私は責任を取ってもらうからな。問題ない……」

「その割には動揺を隠せていないみたいだけどね?」

 

 エクシアも名前を出されてしまえば先の光景を思い出してしまうのだろう、照れたように目線を逸らしている。

 そしてテキサスも普段の態度とは思えない程に純情な様子で、未だ動揺を隠せないでいた。

 そんな二人を見て、モスティマは諦めた様に溜息を吐く。

 

「はぁ……次からは気を付けてね。もし見たかったら私の身体なら幾らでも見せてあげるからさ」

「モ、モスティマさん!?」

「お、なんやバイソンの坊や。モスティマはんの本性知らなかったん? ……もしかして気になってたり?」

「いやいやモスティマ。その役はあたしでも良いんじゃないかな? ほら、一回見られたなら二回目も同じような物だし!」

 

 いつも通りではあるものの、それぞれが好きな事を言い出す阿鼻叫喚な事態に陥り始める。傍観に徹していたエンペラーも、あまりの愉快さに床に転げて爆笑しており、誰も咎める者はいなかった。

 

 そんな中、勇気を振り絞ったバイソンが手を叩いて注目を集める。場を仕切り直す為の英断。皆が声を止め、バイソンを注目した。

 

「えーと! その! モスティマさん! 手紙を預かってましたよね!?」

「あぁ、そうだったね。……はい、シュテン」

「ワン?」

 

 思い出したかのようにユーシャから受け取った手紙を渡すモスティマ。怪訝そうな顔をして受け取ったシュテンであったが、その中身に目を通すと真面目な表情を浮かべていた。

 思案するように空中に視線を向けて集中し始める。巫山戯ていた彼女達もシュテンの様子が変わった事に気が付いたようで、誰もが彼に視線を向けていた。

 

「おい、エンペラー。鼠王の事知ってるか?」

「あ? 何が言いてえんだ?」

「……いや、把握した。問題無い」

 

 抽象的な質問に悪態をつくエンペラー。その様子だけでシュテンは要点を把握したのだろう、納得した表情を見せている。

 

「……私には教えてくれないのかい?」

「これは俺自身の問題だ。手に負えなくなったら助けを求めるさ」

「……語尾……」

「……悪いが遊びは終わりだ。また今度一つ言う事を聞いてやるからそれで許せ」

 

 そう言ってシュテンは一人出掛ける準備をし始める。大刀を持ち出している辺り、やはり重要な案件なのだろう、とモスティマは推測した。

 だがそれ以上に一つ言うことを聞くと言う発言。何よりも甘美な一言を彼女達は逃しはしなかった。

 

「え!? ウチもええの!?」

「……良し、言質は取ったぞ」

「あたしはどうしようかなー!?」

「……好きにしてくれ。バイソン君も考えておけよ」

 

 そう言ってシュテンは急ぎ足で大地の果てを後にする──前に、未だ隅っこにいたソラの元へと駆け寄る。彼女は顔を真っ赤にしてビクッと身体を震わせた。

 

「ソラも悪かったな。何かして欲しい事があれば何でも言ってくれ。……あまり哀しまれると俺も哀しくなる。いつもみたいに笑顔を見せてくれると嬉しい」

「う、あ、その……哀しいとか嫌とかじゃないんです……。ただその……は、恥ずかしくてっ……!」

「……お詫びに俺の身体でも見るか?」

「うぇ!? そ、そ、それは……!」

「冗談だ。真に受けるな」

 

 くしゃくしゃと頭を撫でで、ソラの頭にループスの耳を付けて上げたシュテンは、大地の果てを後にした。

 顔を真っ赤にしながら、行ってらっしゃい、と小さな声でソラはその背中を見送る。

 

 和気藹々と妄想を膨らませていた各々。漸く冷静さを取り戻した所でエクシアがポツリと言葉を零した。

 

「……あれ? そう言えばシュテンって何処に出掛けたの?」

 

 結局、誰もその目的を理解出来ぬまま、シュテンは別行動を取る事となる。

 

 

 明かりの灯らない龍門の裏へと向かっていくシュテンの後を、駆け足でモスティマは追い掛けていた。大地の果てから少し離れた距離。その背中へとモスティマは勢い良く抱き着く。

 

「ちょっと無警戒じゃないかな?」

「お前だってバレバレなんだから警戒する必要も無いだろう」

 

 幾百幾千と感じ取っていた気配を今更間違える筈も無く。シュテンは驚きもせずに振り返る。

 

「それで、わざわざ追い掛けて来て何か用か?」

「……用がなきゃ駄目なの? 久しぶりの再会なのに?」

「やれやれ……」

「ほら、ちゃんとギュッてしてくれないと」

 

 急かされるようにシュテンも背中に手を回せば、モスティマは嬉しそうに顔を(うず)めた。まさに至福の時間。心と身体が消えて無くなりそうな幸福感に包まれながら、モスティマはポツリと言葉を漏らした。

 

「無理だけはしないでね」

「した事があるか?」

ペンギン急便(わたしたち)の為ならするのがシュテンでしょ。……何か嫌な予感がするからさ」

「確認しに行くだけだぞ、気にし過ぎだ。……俺のいない間、アイツらの事を頼んだぞ」

 

 良し、充電完了かな──そう言って離れたモスティマには、心底嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 

「安魂夜が終わったら話があるから。ちゃんと覚えておいてね」

「……巷でそう言うのは、死亡フラグって呼ぶらしいぞ」

「え、そうなの? じゃあ話なんて無いから無事に今夜を過ごそうね」

 

 最早何が言いたかったのか訳が分からなくなるが、そこもまたペンギン急便らしいと言えよう。踵を返して再び喧騒から離れていくシュテンを、手を振りながらモスティマは見送っていた。

 

「嗚呼、それと──そこで覗き見してる奴等の相手はしっかりしてやれよ?」

「……え?」

 

 そう言ってモスティマが振り返ると、そこには好奇と無機質に満ちた瞳が並んでいたのだった。







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EX.喧騒の掟 Ⅲ



遅くなりました。
シリアス回です。




 月明かりだけが頼りになる薄汚い路地。埃っぽさと害虫が蠢く中、マフィアを率いているガンビーノは焦りを露わにしていた。

 

「──クソがッ!」

 

 ガンビーノが怒りに任せてゴミ箱を蹴り飛ばせば、腐乱した生ゴミが散乱し、周囲のマフィアは恐怖と腐敗臭に表情を歪めている。

 

 ──全てはあの環状線での出来事が計画に大きな支障を及ぼした。

 化け物と呼ぶに相応しいシュテンの力により、全て頓挫。カポネとも道路の崩落から落下して以降、会えておらず、連絡もつかない状況である。

 

 予定以上の爆薬を使用したとあってはガンビーノとて悠長にしている余裕は無い。最悪、あの一連の崩落が自分達の起こした事件だと扱われ兼ねなかった。それ程までに一個人で成せる所業では無いのだから。

 

 大地の果てでまた会おう──その言葉を頼りにガンビーノはペンギン急便を探し続けたものの、その隠語(・・)の意味はいつまで経っても把握出来なかった。

 

 そして有限の時間を無作為に浪費する訳にも行かず、最終手段とも言える手段を取る事となったガンビーノ。

 それは鼠王への対談。このスラムのみならず龍門全体に情報網を網羅している彼であるならば、大地の果てについて把握している筈、と踏んでの行動であった。

 

 だが鼠王もまた行方を知らず。我慢の限界を超えた故の悪態である。

 

「おい、スラムのゴミ共を痛めつけてでも、鼠王の居場所を吐き出させろ」

「……しかし、カポネさんは住民に手を出すなと──」

「てめえらのボスは誰だ!? あんな腑抜けた男じゃねえだろうが!」

 

 腹の底から響き渡る怒号。家族とも呼べる仲間(ファミリー)を恐怖で支配するガンビーノは、シュテンの立ち位置とは程遠いと言える有様である。

 そして彼はスラムの住民を虐げながら情報を聞き出していく。だが何一つ鼠王の所在に関する物は得られる事は無かった。

 命までは奪わずとも、骨の一本や二本を折られようが知らぬ存ぜぬを突き通す住人。余程の緘口令を敷いているのか、はたまた誰にも知られていないのか──その真偽はガンビーノに判断がつかない。

 

 その数が三十を超えた頃、苛立ちがピークに達したガンビーノは、八つ当たりで仲間の一人を蹴り飛ばした。

 それでも消えぬ焦燥を何度も蹴り付ける事で発散させようとするも、変わる事は無い。

 

「──クソがッ!」

 

 再び声を荒らげたガンビーノ。鼠王を探す手段はより強行なものへと変わって行く。

 

 

 

 

 

 

 他の移動都市から逃亡して辿り着いた先が龍門だった──その一連の流れは決して珍しいものでは無い。

 裏社会では数少ない物資や金品を奪い奪われ、時には人を殺めて這い上がって行く。そして落人に待つのは死肉まで喰らうハイエナ達。出涸らしであろうとも貪る彼等の前では骨一本すら残りはしない。

 そんな血肉を奪い合う死地から逃げ延びた者に頼る先など無い。命辛々逃げ延びた地が、多種多様の種族が住み、表と裏が同時に繁栄して成り立つ地、龍門だったと言うだけの話。

 

 だが龍門は外部の者に寛容であるとは言え、決して無法では無い。龍門には龍門のルールがあり、スラム街もまた、例外では無かった。

 

 そしてガンビーノとカポネ。彼等が龍門でマフィアとして生き抜く条件として、スラムの統治者である鼠王から幾つかの制約が提示されていた。

 その中でも重要視されていたのは、不殺を貫く事。そして住人に手を出さない事。この二つが龍門を生き抜く上で守るべき秩序とされていた。

 

 カポネは知っていた。何年も前からこの地に訪れており、フェンツ運輸の中に潜む反乱分子とのコネを作り上げたからこそ、ペンギン急便に成り代わる作戦だったのだから。

 ガンビーノは知らなかった。この計画の為に龍門に訪れており、鼠王など所詮はスラムの象徴たる地位にいるだけの置物に過ぎないと侮っていたのだから。

 

 故に彼等は破ってしまったのだ。この龍門におけるルール、喧騒の掟を。

 

 

 目を瞑ってでも進める程に歩き慣れた道を鼠王は行く。喩え月明かりすら入らぬ裏道だろうと、その足取りが阻まれる事は無い。

 スラムの王である彼の元には多くの情報が転がり込んでくる。龍門のありとあらゆる場所に目があると表現しても過言では無い程、鼠王の腹心は存在していた。

 

 そしてガンビーノの狼藉も漏れる事無く彼の元に届いている。龍門が大都市として名を挙げるよりも、数十年前から心血を注いで作り上げたスラム。表を光とするならば、闇を一身に背負い続けてきたからこその貧民窟の鼠王。

 彼からしてみれば、スラムとは家族であり、自身そのものと言える存在であった。

 

 その中でも幼馴染と呼べる仲の人物がいる。龍門の闇を共に背負うと決めた仲間達。同じ釜で飯を食い、汚泥に塗れながらも龍門の為に、と誓い合ったのだ。

 長い年月が経つにつれ、その仲間も多くが亡くなっている。多くの同胞の亡骸によって成り立つこの世界で、心を許せる仲間が喩え僅かに生き残っていた。

 

 そしてその一人である伝説の元マフィア、菫。龍門を作り上げる最中で後遺症を負った彼は、この平穏となった龍門で魚団子スープの屋台を経営していた。

 子息には恵まれなかったものの、大きく歳の離れたジェイと呼ばれる少年を弟子に付け、日々を満喫している。

 

 そんな彼に会う為、鼠王は路地裏を歩いていた。年相応のゆったりとした牛歩で進み、息一つ切らしてはいない。一見してみれば平静の一言に尽きるだろう。

 だがもし、エンペラーが彼を見たらこう言うだろう。

 ──おいクソ鼠。そんなに急いで何処に行くんだ? と。

 

 観察力のずば抜けた者が見れば容易に悟られる程、彼の視線と足取りは一点のみに集中していた。

 

 

 そして辿り着いた先に待っていた菫。

 だが彼は──暗い裏道で血を流して倒れている。

 

「……菫や。生きておるか?」

「…………」

 

 鼠王が声を掛けようとも返事の一つも返らないどころか、その身はピクリとも動きはしない。鼠王は眼を微塵も揺らさない冷静さを見せつつも、万が一の覚悟を決めていた。

 だが菫とてその名を轟かせていた人物。年老いても多少の暴徒相手であれば物ともせず、また引き際を瞬時に見極められる猛者でもある。

 確信にも似た予感を抱きながら、鼠王は言葉を続けた。

 

「ふむ、元気そうじゃの」

「……なんだよ、分かってるならわざわざ聞くなよ」

 

 軽快そうな声を出しながら状態を起こし、汚れた外壁に(もた)れ掛かった菫。しかしながら僅かに苦痛の表情を見せており、身体の張った悪ふざけだったのだろう。

 

「冗談じゃよ。事情は把握しておる。……ワシの居場所など、このご時世なら隠す必要も無かろう」

「遠い昔の契りだろうと、約束は約束だ。俺がスラムのルールを守らねえで誰が守る?」

「相変わらず頭が固いのう。……そんな事よりもお主の傷を治療せぬとな。ほれ」

「痛、いだだだっ! リンさん、少しは優しくしてくれよ!」

 

 命に別状が無いと判断した為か、鼠王は少し巫山戯た様子で強引な手法を用いて治療していく。

 それもどこか懐かしいのか、痛みに悶えながら菫も少しだけ笑みを浮かべていた。

 

「のう菫よ。お主は今、幸せか?」

「なんだ、藪から棒に。……そうだな。苦労も多いが、この平穏は俺達の求めていたもんだ。幸せだって言えるんじゃねえか? 愛娘まで作って過ごしてるお前だってそうだろ?」

「……その通りじゃな。ワシもお主も、あの頃に比べたら遥かに幸せな時を生きておろう」

「……言ってぇどうした?」

 

 含みのある言葉遣いに顔を顰めた菫の視線が、鼠王を貫く。だが鼠王の瞳には感情を一切浮かんでおらず、何一つ思考を読ませる事は無かった。

 

「今回のシラクーザのマフィアは、ギリギリのラインを見極めておったつもりじゃった。彼奴が力を見せようとも、掟を破る極僅かな線を踏ませようとな」

「……オニの兄ちゃんか。あの桁違いの強さは初めて見た時は腰を抜かしたもんだ」

「そこを考慮してもじゃ。対面して奴等の底は確かに見えておったにも関わらず、ワシは見誤った。歳といえば歳なのかもしれん。……だがそれ以上に、スラムが大きくなり過ぎた」

 

 十全に事態を想定して何重にも策略を張り巡らせていた。それはシラクーザのマフィアだけの話では無い。この騒ぎに乗じて起こりうる惨事の全てを考慮する必要があった。

 全二十二区に区分けされる龍門。その七区相当の広さを持つスラム。その大きさでありながら、日に日に住民が増え続けているのが現状だ。

 

 それもその筈、迫害を受ける感染者の受け皿は此処にしか無いのだから。

 

 ロドスのような感染者に対する寛容──意識改革にも等しい所業を、大規模の龍門で行える筈も無く。かと言ってスラムの住人が飢えに苦しみ、生命すらも奪い合う生き地獄へ鼠王が落とす訳もなく。

 

 ただその受け皿(鼠王の懐)が耐え忍ぶしか無かった。

 だがそれも最早限界なのだろう。スラムの王である鼠王が管理しきれないレベルとなれば、誰の手にも負えはしない。

 

 僅かに見えた綻び。その結果が今、目の前にある。

 

「──何れにせよ、スラムには転機がやって来る。ワシの手か、執政者の手か、はたまた炎国からか分からぬがの。その時にワシは──」

「リンさんよ。難しい事を話されても俺には分からねえぞ。……でもな、俺達は──スラムはお前の志に付いて来たからこそ、築き上がった結晶なんだよ。誰もお前の決めた事に異論を唱えたりはしねえ。それが俺達(スラム街)にとっての最適解だって分かってるからな」

「……万が一、死ぬ事になろうとも同じ事が言えるかのう」

「俺は言えるぜ。散々仲間達の亡骸を乗り越えて来て今があるんだ。俺だけ見っとも無く逃げようだなんて思っちゃいねえよ。……ま、今の若い奴等は知らないがな。でも一つ言えるのは、鼠王がスラムを統べているからこそ、子供達も人らしく生きていけるんだろう」

「…………」

 

 覚悟と決意を固めている菫の様子を静観して見つめる鼠王。少しばかりとは言え弱音を吐く。知己の者達が見ればありえない光景であった。

 だが苦難を共にして来た菫だからこそ分かる事もある。

 この世界に蔓延る感染者問題。その緩衝材として、龍門の為にと作り上げたスラム街。心血を注いで作り上げた、まさに我が子のようなもの。

 

 龍門の為だった筈のスラム街。それは何時しか自身の大切なものの一部となり、全ての貧困層を救おうと鼠王は躍起になっていた。

 

 冷徹で残忍だった貧民窟の鼠王。人を殺す事に躊躇いも嫌悪も感じはしない。時には部下を率いてウェイと対立した時もあった。時には共に手を取ってウルサス帝国と戦った時もあった。

 

 歩み続けた道程の中で生まれたスラム。何時しかそれは掛け替えの無い宝物へと。

 

 ──だがそれでも掌から零れ落ちていく。

 命、仲間、信頼、そして大切な子供達。

 

 レユニオン、感染者、シラクーザ、ウルサス帝国──その零れ落ちた隙間を縫うようにして潜り込み、破綻させられていた。

 

 平穏の中、慈愛言う心を持ってしまった鼠王はスラム街の明暗を分ける決断を迫られている。

 

「のう、菫よ。魚団子屋は繁盛しとるか?」

「あ? ……そりゃグルメ本に載るくらいだからな。ジェイ坊がいなきゃ今頃過労死しとるぞ」

「ホホッ。それは良い事じゃの。……お主も立派な龍門の一部じゃ。最高の魚団子屋が無くなれば、沢山の人が悲しむのう。──だから菫や。お主は長生きするんじゃよ」

「棺桶に片足突っ込んでる爺に何言ってやがる。……それにそう思うなら一度くらいは俺の店に顔を出せよ。娘を連れながらリン・グレイとしてよ」

 

 悪戯な笑みを浮かべた菫。それは伝説の元マフィアとして、スラム街を作り上げた者としてでは無い、一人の龍門市民としての言葉である。

 

「……そうじゃな。落ち着いた頃に行くとするかの」

 

 そう静かに、鼠王は夜空を見上げながら言葉を零したのだった。

 一つの決意をその胸に秘めて。

 

 

 

 

 

 

 真紅に染まる瞳を滾らせながら、オニが宙を舞っている。決して比喩では無い。独特の紋様をした和服を靡かせながら、空を駆けていた。

 

 力を解放したシュテンが一足飛びで建物の屋上へと着地した後、建物から建物へと飛翔するように跳躍を繰り返す。その姿は宛ら鳥の様であった。

 まるで重力を感じさせない足取り。駆けていく速度は疾風の如く。常人為らざる者だからこその手法である。

 

 目にも止まらぬ速度で移動して数分後。シュテンの辿り着いたのは、先程までモスティマとバイソンが訪れていた駄菓子屋であった。

 

「……チッ、リンはいないか。ユーシャの気配も無いな」

 

 人気(ひとけ)の欠片も感じない様子に対し、舌打ちで悪態をついたシュテン。獰猛な視線を周囲に向ければ、必然とスラムの住人の背筋に悪寒が走って身震いを起こす。

 シュテンは苛立ちを隠そうとしないまま、荒ぶっていた血を鎮静化させた。落ち着きを取り戻した彼は、静かに目を閉じて思案する。

 

 ウェイとの連絡も取れず、鼠王との邂逅も叶わず。ただ無作為に時間が流れている。

 刻一刻と夜明けが迫る中、明らかに計画から逸脱した事案。恐らく(・・・)エンペラーも把握していない状況であり、ウェイもピーターズの意図も読めばしない。

 ただ一つ言えるのは、鼠王。彼はシュテンの思惑の上に居ると言う事。

 

「……チッ」

 

 再び舌打ちをすれば、シュテンは踵を返して闇へと姿を消そうとする。鼠王がいなければ用などある筈も無い──そう、思った時である。

 

「──シュテン、何故お前が此処にいる?」

 

 近付く気配に首を向けると同時に、彼の元へ声が掛かる。余り馴染みの無い、だがそれでいてスラム街では異質過ぎる気配に、シュテンは隙を決して見せていなかった。

 そしてそこに居たのは二人の女性。龍門近衛局の特別督察隊隊長であるチェンと、その部下であるオニの大女であった。

 

「チェンか。……その横にいるのは誰だ?」

「あぁ、面識は無かったか。私の部下のホシグマだ。そんな事より、私の質問に答えて貰おうか」

「個人的な確認だよ、気にするな。──寧ろ、近衛局がスラムに何の用だ?」

「環状線がマフィアの抗争で破壊されて、住民に暴力が振るわれる被害が出ている。その主犯が此処にいると情報が入ったからな」

 

 淡々と事務的なまでに徹底した、近衛局としての姿をチェンは見せる。その行動に過失は落ち度は無いだろう。模範的な姿勢はシュテンですら賛辞を送る程だ。

 だが、この一件はウェイの元で検閲され、情報を統制されるべき案件である。起こるべくして起きた事件。確かに環状線が破壊されたのは予定外なのかもしれないが、それでもウェイの力を持ってすれば闇に葬るのは可能であるとシュテンは判断していた。

 にも関わらず、彼の右腕たるチェンが直々にこの場にいる。その事に思わずシュテンは溜め息を吐かざるを得ない。

 

「そうか。なら解決に向けて頑張ってくれ。俺は俺で急ぐ所があるからな」

 

 そう言ってヒラヒラと手を振り、シュテンはその場から離れようとする。

 

「──ホシグマ」

「了解」

 

 名前を呼ばれて小さく言葉を返したオニの大女──ホシグマがシュテンの腕を掴んだ。並みのオニを遥かに超える膂力。車両ですら片手で軽々と持ち上げる彼女に掴まれたとなれば、通常のシュテンでは振り払える筈も無い。

 

「……ほう。お前、先祖返りのオニか。それも中々の濃さだ。その狂気、良く抑え込めるな」

「──ッ!?」

「俺の存在を本能で理解したようだな。──で、チェン。何のつもりだ?」

 

 酒呑童子と言う狂気。強さの元凶であるその血──より多く受け継いだオニを先祖返りと呼ぶ時代があった。

 現代となっては滅多に現れない事象。シュテンでさえ忘れかけていた存在が目の前で怯えた様子を見せている。

 それもその筈、酒呑童子の血そのものであるシュテンに対し、大きく薄まって劣っている存在が歯向かおうなど、本能が拒絶反応を示すのは当然であった。

 

 そんなホシグマに目もくれずに、シュテンはチェンを見据える。最悪の事態を想定した上で、ただ静かに。

 

「……ウェイ長官直々に拘束命令が出ているのはシュテンに対しても、だ。……お前は好感の持てる男だから、出来れば荒事にしたくは無い。大人しくしてくれないか?」

「……悪いが構っている暇は無い。ウェイ長官には俺から伝えておくから放っておけ」

 

 ──何故ウェイが俺を拘束する?

 派手にやり過ぎて隠蔽が不可能だった?

 

 ──第一、此処へ即座に辿り着くのも不可解。

 ユーシャと鼠王、ウェイが繋がっている?

 

 ──そもそも、二人で俺を拘束出来るなど、ウェイは本気で考えていない筈。

 となればこれは単なる時間稼ぎなのだろう。

 

 ──何故時間を稼ぐ? 

 俺と言う驚異が不在のペンギン急便に意義がある。

 

 思考を巡らせ、現状の把握に務めるシュテン。ウェイと鼠王の思惑が読み切れず、掌に踊らされているのは実に不愉快であった。

 だがそれ所では無い。シュテンの推測が正しいとなれば、ペンギン急便に何かを仕掛けようとしている。

 仲間(かぞく)に危機があるとなれば、シュテンとて見過ごす訳には行かない。

 

 歩き出そうとするシュテンの腕をホシグマは気力を振り絞って引き寄せる。全身が浮き上がって強引に引っ張られたシュテンの両腕に、チェンが金属製の手錠を掛けた。

 

「余り手を煩わせないで下さい。確かに貴方は不気味ですが……此方も仕事ですので」

「……チェン、二度は言わんぞ。俺を離せ」

「私も仕事だからな。悪いがこれ以上抵抗するなら武力行使に移るぞ」

「そうか……」

 

 ガチャガチャとなる手錠を鬱陶しそうにシュテンは見つめる。恐らくは並みの力自慢にも壊されない特別製なのだろう。力を込めてもビクともしない強度を誇っていた。

 

 ──だが遊んでいる時間は無い。

 

「っ……ぁ……」

「ホシグマ、どうした? 何か体調でも──」

 

 オニが狂笑(わら)い、空気が張り詰める。膝から崩れる程の威圧感。まるで全身が沼地に沈んだような重圧を感じさせる。

 

 今まで出会った強敵にも感じ得なかった命の危機。本能に刻まれた酒呑童子への恐怖がホシグマを支配し、チェンもまた、冷汗を流しながら震え、シュテンを見る。

 そこには、粘土細工のように手錠を毟り取るシュテンの姿があった。

 

 酒呑童子(ばけもの)と視線が交錯する。ただそれだけで、チェンにとって抜刀するには十分過ぎるものだった。

 

「──目が覚めたらウェイの野郎に伝えておけ。相応の代償を払って貰うとな」

 

 一足飛びで距離を取るチェンと、何とか身体を動かして対面するホシグマ。

 酒呑童子は笑う。狂笑う。強者との死合いは、彼の血を何処までも滾らせるのだから。

 

 

 

 

 

 カポネは動揺していた。急ぎ足でスラム街を抜けて行くも、その動悸は高鳴っていくばかりであり、不安が募っていく。

 

 ──ガンビーノがスラムの住人に暴力を振るっている。

 

 その報告を部下から受けた時、全身から血の気が引いた感覚を覚えたカポネ。この龍門で生きる為には決して破ってはならない掟なのだから当然であろう。

 唯一シラクーザのマフィアに許されているのは、ペンギン急便に対する行動のみ。ただそれだけである。

 

「あの馬鹿は何処にいやがるんだ……!」

 

 部下に命令を下してガンビーノの居場所を探ろうとしても、行方不明のままに時間だけが過ぎていく。唯一にして絶好の日でありながら、全てが徒労に終りかねなかった。

 

 何度か部下の報告を受けても見えない足取り。煙草を吹かして紫煙を立ち登らせようとも、その焦燥は収まる事を知らない。

 

 そんなカポネの元に、緩慢な動作で訪れる者が一人いた。

 娘の手作りである純白のコート着込み、杖を突いたザラックの老人、鼠王である。

 

「──お主ら、随分と好き放題やってくれたのう」

 

 気配などまるで感じもしなかった中、突如響き渡る声に、カポネは身を震わせる。

 振り向けば厳格な顔をした鼠王が張り詰めた空気を纏って立っていた。

 

「……鼠王。アンタの言う通り(・・・・)、現れたペンギン急便を罠に嵌めて追い込んでやった。だが何だあの化け物は? そんな情報は調べても出てこねえし、何も聞いてなかったぞ」

「なんじゃ、彼奴の情報も知らずにペンギン急便に成り代わろうと思ったのか? やれやれ、随分と浅はかじゃのう……」

「ジジイ……てめえ……」

 

 半ば言い掛かりのように難癖を付けるカポネであるも、鼠王は一蹴。それどころか、軽んじるような口調で揶揄されてしまう。

 怒りを見せるカポネは額に青筋を浮かべるも、まだ口に出したりはしない。

 龍門のルールを破ったのは他ならぬ自分達(ガンビーノ)なのだから。

 

「さて、どう落とし前をつけてくれるんじゃ?」

「……アンタが事前に化け物の情報を教えてくれれば俺達は別のやり方で始末出来た。この責任は鼠王、アンタにもある筈だ」

「ほう、異な事を申す。シラクーザから逃亡したマフィア如きに彼奴が倒せると? ならば教えて欲しいものじゃな。お主に天災を止められる、その方法を」

「………そこまで言う相手を秘密にしておくとは随分と嘗めた真似をしてくれるじゃねえか」

 

 カチャリ、と音を立ててボウガンを照準したカポネ。結局の所、良い様に嵌められただけなのだと気が付いた彼の瞳には、明確な憤怒が見て取れる。

 だがそれでも鼠王の態度は一変足りとも変わることは無かった。

 

「何のつもりじゃ? まさかワシと──スラムと、事を構えるつもりか?」

「…………」

「──ハッ、随分と怒ってんじゃねえか、カポネ」

 

 突如鼠王の背後から降り注いだ声──そこには大量のマフィアを引き連れたガンビーノが立ち尽くしていた。

 カポネの部下達に連れられて此処まで来たのだろう。情報把握が出来ていない様子であったものの、古き友人が怒りを見せているのを、嬉しそうにしていた。

 

 そしてカポネは矢を充填したボウガンを鼠王へと向ける。後はトリガーさえ引けば何時でも射出され、すぐ様に対象の肉体を貫くだろう。

 

 決意を瞳に宿したカポネの指先は、既に撃ち抜く準備が整っていた。鼠王と交わる視線。恐怖も敵意も浮かべはしないその姿はまさに老獪の王。

 

 数瞬の束の間の時。膠着は一瞬にして解かれる。

 目にも止まらぬ高速で撃ち抜かれた矢。夥しい鮮血を撒き散らせながら肩口へと深々と突き刺さった。

 鼠王──その背後にいた、ガンビーノへと。

 

「ぐっ……がっ!」

 

 苦痛に声を漏らすガンビーノを、カポネは静かに見つめる。旧知の仲──それも、自身のマフィアのボスに向けた視線とは思えない程、冷酷なものであった。

 

「鼠王、これが落とし前だ。……俺達は、この龍門のスラムでしか最早生きられない。アンタには逆らうつもりは毛頭も無いのを理解して欲しい」

「こやつはお主のボスじゃろう。そんなトカゲの尻尾切りが許されると思うのか?」

「許されないならこいつを殺すだけだ。ガンビーノ一家は龍門のルールを破った事で壊滅し、新しくカポネファミリーとして生まれ変わる。簡単な事だ」

 

 決意したカポネは、何処までも冷め切った思考で言葉を紡いでいる。

 そして痛みに(うずくま)るガンビーノ。強い敵意を向けながら彼は口を開いた。

 

「カポネ……てめえ……俺を裏切るって言うのか!? 誰がボスだと思ってやがる! 臆病な犬に成り下がりやがって……!」

「ガンビーノ、ここはシラクーザじゃねえ。確かにシチリア人であることを誇りに思うのは立派だが、龍門には龍門のルールがある。……無謀を突き通してファミリーを壊そうとしているのはお前だ」

「ホッホッ、思ったより知恵が働くようじゃな。……その思慮深さがあれば今頃シラクーザであの女に潰されず済んだろうに」

 

 スラムで起きた住民への暴行騒動。ボスと言う立場と指示者としての責務を全うさせる、と、カポネはガンビーノを生贄として差し出した。

 組織として考えれば頭が責任を取るのは常套とも言えよう。尤も、それは本人自身による申し出が主であるが。

 

 だがどうあれ、理に適っていると判断した鼠王は、予想外の方向に転ぶ事態にからからと笑う。されどカポネ、彼にとって悲願とはこの龍門で確固たる地位を作る事。今目の前に居る貧民窟の王に許しを乞うことでは無い。

 

「……そこまで把握してるなら、俺達が如何に切羽詰まった状況なのか理解してる筈だ。……鼠王の力無くして、あのペンギン急便は討ち取れねえ。俺達のファミリーは、アンタには従う」

「……ええじゃろう。お主の見上げた生への執念に免じて保留にしておいてやる」

 

 そして鼠王は不遜の態度のまま、言葉を続ける。

 

「次いでに朗報じゃ。お主らが怯えとる彼奴の身柄を遠い地で押さえ、逃げ込んだ先──探しておった大地の果ての位置をこちらで掴んでおる。まさに千載一遇の時じゃな」

「……臭うな。余りにも胡散臭い。用意周到過ぎやしねえか? 一体俺達を使って何を企んでやがる?」

「それをお主に教える意味は無かろう。他意があろうともなかろうとも、お主らに選べる道は突き進むのみじゃ」

 

 まるで鼠王によって敷かれたレールをただ走るだけの暴走列車。本性を隠そうともせず、ただ行く先を指定する鼠王に対し、カポネは訝しげな表情を浮かべる。

 だがそれは列車が出発する前に気が付かねばならなかった。一度走り出せば止まる事の無い急斜面。ただ鼠王によって作られた道を往く事しか、彼らには選ぶ選択肢しかないのだから。

 

「……チッ、じゃあ今更だが一つだけ教えてくれ。この件──ペンギン急便に成り代わる話は、元々俺達が持ち掛けたものだ。スラムへの流通を第一に優先する利点を差し出して、な」

 

 少しだけ言葉を止め、言葉を反芻するようにカポネは目を瞑る。そして再び、言葉を選ぶように口を開いた。

 

「だが調べている内に気が付いた。アンタとペンギン急便──と言うより、あの男とエンペラーに繋がりがあるって事がな。……古い仲なんだろう? それで何故、ペンギン急便を裏切られる?」

 

 蛇の道は蛇。喩え部外者と言えども、シラクーザでは長年活動していたマフィアなのだ。この程度の当たり障りの無い情報収集程度ならば造作もない。

 

 全てが仕組まれた茶番劇なのだから何故も糞もない──そう、言ってしまえば身も蓋も無い話ではあるも、カポネの瞳に映る鼠王の顔。

 それは今まで見た何よりも、真剣な顔付きとなっていた。

 

「表向きは型破り極まりない連中だが、それでも龍門のルールには触れない範囲での行動じゃ。彼奴等は間違いなくこの龍門に新しい風を吹き込む。そう思わせる程の人材じゃよ」

「……余計理屈に合わないじゃねえか」

「──だがあの男は別格じゃ。ルールは龍門に在らず、全ては自身の信条の元によるもの。特に仲間の事となれば何一つ省みない。仲間の為ならば環状線道路を破壊し、必要とあれば人を殺す。仮にもし、ペンギン急便が龍門と対立する事となれば、龍門に喧嘩すら売るじゃろう」

「……つまり、龍門にとって強力な刃でもあり、暴発する爆薬でもある、か。……この巨大都市となった龍門にそんな爆薬は必要ねえ──そう言う訳だな?」

 

 コクリと頷き、鼠王は空を見上げる。最早言葉を紡ぐ事は無く、何を思い浮かべているのかは、カポネには分からない。

 だがそれでも。鼠王に比べたら児戯にも等しい観察力だとしても理解できる程、鼠王の瞳には強い意志と決意が滲み出ていた。

 

 その発言の真意が分かればカポネにとって、これ以上の言葉は必要は無い。それぞれが思い描く未来図に口を挟む程、自身に余裕など無いのだから。

 

 鼠王から必要な情報を聞き出し、カポネは背を向けて歩き出す。部下達にガンビーノを引き摺らせながら向かう先は大地の果て。

 喩えそれが罠だとしても、引き返す先など無いのだから。

 

 そんな中、ふと思い出すのは鼠王の言葉。ペンギン急便の化け物の男──シュテンは仲間の為なら龍門のルールをお構い無しに破るという事。

 

 ふと感じていた違和感。重要な事では無いと無視していた筈なのに、何故か今になって思い出されてしまう。

 一度考えてしまえば消えぬ思考。無意味に巡らせる事となり、何度も反芻した後に漸く、その違和感に辿り着いた。

 

 龍門──否、スラム街の為にその手を汚す事を厭わない鼠王。必要とあらば私見で裁き、ルールに反するならばシラクーザのマフィアすらも手中に収めようと強引な手段を用いている。

 

 ──まるで一緒じゃねえか。

 

 そしてそれは、カポネ達マフィアにも言えるファミリーの為に奔走する今があるのだから。

 

 ──アンタは気が付いているのか?

 

 否、気が付いていない筈が無い。

 まるで何かに──それこそ、自分に言い聞かせるかのような台詞。違和感は疑惑へと変わるも、それは今は不要な感情。

 夜風に吹かれ、寒さと共に思考が消えて行く。そしてカポネ達は夜のスラム街へと歩いていくのだった。

 

 

 

 

 喧騒も街灯も無い静かな裏路地で、鼠王は立ち尽くしていた。

 暖かいコートに包まれるも、心は冷えきったまま。言い表せない感情を心に秘めたまま、彼は無表情で空を見上げ続けている。

 

「……ふぅ」

 

 重い溜息を吐けば、白くなった吐息が空へと霧散する。

 

 鼠王の中(・・・・)での計画には、何一つ支障は出ていない。菫の負傷は予想外であったものの、スラム街の住民に手を出す事さえ、鼠王は計算の内であった。

 それでいても、鼠王の心情は幽幽たるもの。まるでスラムの未来を示すかのように暗雲が立ち込めている。

 

 それ程までに彼の決断は重圧を伴うものであった。

 

 昔の鼠王ならば──冷血の王であった鼠王ならば、迷いも無く即決断しただろう。

 

 都市と都市がぶつかり合い、硝煙を上げる街の中を敵兵が蹂躙していく市民を見ても、顔色一つ変えなかったあの頃。

 寧ろ百計を張り巡らした敷地内に踏み込む敵に笑みさえ浮かべていたスラムの王。

 

 それが今のなっては、決意しながらも揺れる心に踊らされていた。

 

 古き友──シュテンを自らの手で始末する事に。

 

 共に汚泥に塗れた訳でも無い、親友とは呼べない関係。だが幾度と無くその武勇に助けられた。

 その相手に今、仇で返そうとしている。

 

 エンペラーにもシュテンにも知られてはならない。

 飽くまで独断での計画の変更。その延長線に偽装させ、実行しなければ、鼠王自身の身の安全──そしてスラムすら危ういものとなるのだから。

 

 誰もいない静寂の中、コツコツと無防備に歩く音が響き渡る。

 鼠王の感じた事の無い、その上、蜃気楼のように揺らぐ不安定な気配を纏いながら彼女は近づいていた。

 

「お初にお目に掛かるわ、鼠王。──私はミズ・シチリア。少しお話したいのだけれど、良いかしら?」

 

 尻尾のように長い真白の髪を揺らし、甘美な毒を持つ魔性の女が、鼠王へと接触する。

 








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EX.喧騒の掟 IV



あけましておめでとうございます。
大変長らくお待たせしました。





 このテラの世界には理不尽で有り触れている。

 

 富裕層と貧困層。感染者と非感染者。都心部とスラム街の出生。──隔絶たる差がそこには存在しており、混じり合って入れ替わるなど有り得はしない。

 喩え目の前にある物が黒色だとしても、強者が白色と言えばそれは白色になる。

 

 即ち、追い詰められた側(弱者)には選択肢の余地など無い。

 

 そして今、大地の果てではペンギン急便の社員が追い詰められていた。殺到したマフィアの大軍──では無く、ペンギン急便の社員よって。

 

 追い詰められている社員はただ一人、モスティマ。彼女は今、ホットパンツ姿で冷たい床に正座を強要されている。

 モスティマに対面するは四人の女達。各々が多種多様な表情を浮かべていたが、その中でも特にテキサス──彼女の顔は能面のような表情を浮かべていた。

 

 バーテンダーの位置であるカウンターに座るのはエクシア。ドンドンとカクテルシェーカーでテーブルを叩きながら、厳粛な声を出す。

 

「それでは開廷します。被告人、前へ!」

 

 一体何を言ってるのだろう──そんな思いをモスティマの中で浮かぶも、口に出す事は無い。

 ちょいちょい、と手招きをするエクシアと視線が交わる。モスティマは大きく溜息を吐きながら、呆れた様子を見せるが、素直に立ち上がって歩を進めた。

 

 本来であればニコニコと嘲笑いながら立ち去る所であるが、シュテンに頼まれた手前、この場を離れる訳にはいかない。

 その結果、身柄を拘束されるモスティマ。仕方なく茶番劇に付き合う事となった。

 

「名前を言ってください」

「……モスティマだけど?」

「住所を言ってください」

「……シュテンの家だけど?」

「真面目に答えなさい!」

 

 バンバンとテーブルを叩くエクシアの姿を、何とも冷ややかな目線でモスティマは見つめる。だがエクシアの熱意は決して冷める事は無い。その瞳には強い意志を宿していた。

 

テキサス(検察官)、起訴状を読んで下さい」

「はい」

 

 エクシアが視線を送りながら言葉を掛ければ、モスティマの左前方にいたテキサスが静かに立ち上がる。

 まるで朗読をするように手に持っているメニュー表。商品と金額しか書かれていないそれを開けば、彼女の表情はより一層険しいものとなった。

 

「……公訴事実。今から……えーっと一年くらい前か。モスティマ(被告人)が龍門から立ち去る際、シュテン(被害者)に対し、せ、せ、せ、接吻をだな……」

 

 顔を赤くしながらモゴモゴと話すテキサスに痺れを切らしたエクシアが再び、ドンドンと音を鳴らす。

 

「検察官、続けて下さい」

「……更には十分程前、人目を(はば)らずに公然の場で抱擁をしていた。両件とも被害者の意志を考慮しない、身勝手な行いだ。……罪名、強制猥褻罪及び公然猥褻罪だ」

「強制猥褻は百歩譲ったとしても、流石に公然猥褻扱いは酷くないかい?」

「被告人、許可無く喋らないで!」

 

 淡々と、抑揚の無い声色で語るテキサスに対するモスティマ。彼女もまた、感情の籠らない言葉で返した。

 そんな中、炎の如く燃え上がる激情。白熱したエクシアは止まらない。

 

「先程、検察官が読み上げた起訴状に間違いは無いですか?」

「間違いだらけさ。中々表には出さないけど、あぁ見えてシュテンも喜んでるからね。良かったら今度エクシアもやってみなよ」

「え!? ホント──じゃなくて! ……ごほん。もう一人、この罪状を裏付ける証人がいます。──ソラ!」

「はい」

 

 その生い立ちを示すかのようなお手本とも言える佇まいと姿勢。優等生を代表するソラは静かに語り出す。

 

「約二年前かな、あたしがとある相談事を兼ねてシュテンさんの家に泊まった時なんだけど。急遽決まった事だったから服や下着をモスティマの物を使わせて貰ったの。勿論、新品のを、ね。……で、その時に見つけちゃったんだ」

 

 ポツポツと語り出したソラであったが、言葉を区切るとおおきく深呼吸する。まるで一つの壮大な決断をするような、その様子。決意を胸に秘めて彼女は口を開いた。

 

「──二重底に隠されていた収納棚。そこにシースルーのネグリジェがあったの!」

「はい私刑! 私刑判決! はい、終了! 閉廷!」

「異議有り、って言えば──」

「却下します!」

 

 ソラの暴露によって、熱い心を滾らせたエクシア。モスティマの言葉を遮るように叩きつけられていたカクテルシェーカーは、原型も無い程に歪んでしまっていた。

 とは言えモスティマも理不尽過ぎる判決に反撃の手を止めない。

 

「せめて弁明くらいはさせて欲しいんだけど」

「……検察官、どうしますか?」

「死刑だ。死刑」

「検察官の仕事じゃないし、さっきと違う意味の言葉になってるよね? ……ほら、普通ならこっちにも弁護士がいるべきじゃないかな? ちょっと理不尽が過ぎると思うし」

「……仕方ないなー。じゃあクロワッサン(弁護士)!」

 

 満を持しての登場──そう言わんばかりの表情を浮かべるクロワッサン。威風堂々たる佇まいは宛ら熟練の弁護士か。コツコツと踵を鳴らし、モスティマの横に並ぶと彼女は口を開いた。

 

「私刑や」

「はい、閉廷!」

「……全く弁護してないよね?」

「だってウチ、弁護士役やけどお金貰ってへんし。悪が裁かれるのはきっと神の思し召しやで」

 

 結局モスティマが居ようが居まいが、愉快で姦しい日常に代わり映えは無い。

 そんな彼女達を遠巻きに見ているバイソンとエンペラー。果実ジュースとアルコールで乾杯を交わしながら、傍観に徹していた。

 

「……なんか出会ってから半日も経ってないですけど、慣れてきました」

「お、センスあるじゃねえか。本格的にウチで働くか?」

「い、いえ、流石にそれは……」

 

 とは言え目上の──それも父と肩を並べる者から揶揄されれば流石に恐縮するのだろう。少しばかり緊張した面持ちでバイソンは言葉を返す。

 

 そして突如響き渡る電子音。何事かと全員が無言で固まる中、ただ一人過敏に反応する女がいた。

 ループス特有の耳と尻尾をピンと立てた、テキサスである。

 少し駆け足気味に走る彼女の尻尾。余程ご機嫌なのかユラユラと揺れており、希薄ながらも笑みを浮かべていた。

 ゴソゴソと自身のカバンを漁れば出てきたのは電子音の響く携帯。

 

 コミュ障(テキサス)に電話が来るなんて一人しか有り得ない──全員が同じ推測をする中、彼女は通話を開始する。

 

「……私だ」

『問題無く出られるって事はまだ無事の様だな』

 

 言うまでも無く、シュテンであった。

 僅かに聞こえてくる男の声に、全員が聞き耳を立てるようにして静寂と化す。ジリジリと距離を詰めてくる仲間達を一瞥しながら、テキサスは会話を続けていた。

 

「何かあったのか? 周囲が騒がしいようだが……」

『少し出し抜かれてな。俺の事は兎も角、そっちに襲撃があるかもしれないから注意しておけ。──ハッ、そう激情するな! うっかり殺してしまうだろう!?』

 

 明らかに正常とは言えないシュテンの荒々しい言動。その現象をよく理解しているテキサスにとって、只事では無いのを一瞬にして察知する。

 

「……了解した。シュテンも気を付けてくれ」

『安心しろ。俺はこの程度(・・・・)でやられたりはしない』

 

 シュテンがそう言葉を漏らせば、一層激化した攻防が受話口からテキサスへ伝わる。何重にも合わさって聞こえる閃電の剣戟。それでも尚、彼の余裕が崩れる事は無い。

 そしてシュテンの小さな息遣いと共に響き渡った鈍重な爆砕音。まるで重機と重機が正面衝突したのかと錯覚を覚える程。思わずテキサスは顔を歪めた。

 

「大丈夫なら良いが……。でも何故私に連絡を?」

『あー……あれだな。お前を一番信頼してるからだ』

 

 嘘である。大嘘つきのこの男、その名もシュテン。履歴の最上位に居たのがテキサスだっただけ。

 この行動の真意は気紛れか、はたまたモチベーションを上げる為の一言か。どちらにせよ、テキサスにとって掛け替えの無い台詞であった事には変わり無かった。

 

 しっとりと頬を赤く染め、漏れる吐息には熱く湿り気を帯びる。ピンと立てた耳をぴくぴくと揺らしながら、一言一句逃さぬ構えでいた。

 そんな彼女の様子を見れば、ペンギン急便のメンバーも好奇心を沸き立たせて一層耳を寄せていく。

 そしてテキサスは(おもむ)ろに携帯をスピーカーモードに切り替えて言葉を続けた。

 

「シュテン、もう一度言ってくれ。後、私の名前を呼ぶようにして欲しい」

『……? テキサスを一番信頼してるからだ』

 

 その直後、耳を劈くような破砕音と共に通信が切れ、スピーカーからは静寂が訪れる。周りにいる彼女たちの表情にもまた、静寂が訪れた。

 そんな中、唯一笑みを浮かべているのはテキサス。高らかに声を上げながら彼女は宣言する。

 

「ふ、ふふふ……ふはは! 聞いたか!? 聞いたな! これが私とシュテンの絆だ。……どうやら見せ付けてしまったようだな。もう一度聞きたいか?

……聞きたそうな顔をして仕方無い奴等だな」

 

 固まったままの彼女達をどう捉えたのかはテキサスにしか分からない。だが有頂天となっている彼女には最早他者の意図など問わず、自らの進みたい道を邁進するのみ。

 素早く携帯を操作し、ドヤ顔で突き出したテキサス。そして──

 

『テキサスを一番信頼しているからだ』

 

 少しノイズの混じった、シュテンの音声が流れる。

 そう、テキサスという女。彼女はシュテンの着信だと分かるようにメロディを変更しているのみならず、彼との通話記録は全て録音していたのだった。

 

 ──その瞬間である。ガラスの砕け散る音と共に室内へと飛来して来るアソート缶。余りにも不自然過ぎる事態に、誰もが危険を察知して物陰に隠れる中、唯一テキサスだけが浮かれていた事もあり、反応に遅れてしまう。

 

 嫌な予感は的中し、中に詰められていたのは殺傷能力を持つ爆薬。今にも爆発せんと缶の隙間から光が漏れている。

 

 そして響き渡る轟音。破砕音と閃光を撒き散らす中、僅かに遅れながらもテキサスは持ち前の反射神経でギリギリ物陰に飛び込んだ。

 

 だがその回避行動は身の安全が第一であり、一心不乱で行った行動。故に利き手に持っていた携帯には一切の考慮はされていなかった。

 

 テキサスが静かに見つめている先──その手に持っていた携帯は見事に破損。彼女が一心不乱に操作を試みても、画面の点灯さえしなかった。

 

「──漸く見つけたぜ。随分と分かりやすい所に隠れてるじゃねえか」

 

 散乱した室内を介せず、踏み荒らしながら入ってくるカポネが率いるマフィア達。

 言動とは裏腹に、その表情には油断も余裕も見せない。ありとあらゆる飛び道具を構え、彼等はペンギン急便を追い詰めようとしていた。

 

 ──だがしかし、テキサスにとってそれどころでは無い。念願と言っても過言でない程のシュテンの一言。それをバックアップを取る前に消されてしまったのだから。

 

 テキサスは激怒した。必ず、かのマフィアを除かねばならぬと。

 

 

 

 

 

 

 まるで蜘蛛の巣を張り巡らされるが如く、緋色に染まる剣閃が折り重なる。

 その連撃を全て大刀で受け止めるシュテンであったが、その左腕の衣服が大きく切り裂かれ、真っ赤に染まっていた。傷こそ既に治っていたものの、砕け散った電話が足元に散らばっている。

 

 チェンの才能そして潜在能力。それはウェイから聞いていた上にシュテン自身も理解していた為、消して油断などしてはいなかった。

 ──否、理解していたつもりだったと言うべきか。アーツコントロールが不出来とは本人からも聞いていた為、何処か慢心があったのかもしれない。

 

 そんな経緯が起こる前の出来事である。

 チェンの攻撃をシュテンがいなし、返しの一撃をホシグマが受け止める。ホシグマが押し負ける前にチェンが再び連撃を繰り出す──そんな攻防を何度か繰り返した後、僅かに見え隠れする癖を見抜いたシュテンが携帯を取り出した。

 獰猛さの中に冷静さを(したた)かに忍ばせ、仲間への連絡を取りつつチェンの激昴を煽るシュテン。怒涛の斬撃には激しさが増したものの、より単調となり、癖を見極め易くした。

 そして予測通りに訪れる一閃。真正面から打ち合うように一合切り結ぶ。腕力の差が顕著に出た結果故か、チェンは無防備な上体を晒す事となる。

 そして大刀を振り抜いた勢いのまま、繰り出された回し蹴り。殺人的とも呼べる凶悪な一撃がチェンの身体を意図も容易く吹き飛ばした。

 

 残るホシグマも片手持ちとは言え、純粋な膂力ではシュテンに敵う筈も無い。般若で受け止めるも最終的には押し負け、大地を砕きながら叩き付けられる。

 

 思ったよりも呆気無い結末の中、若干の落胆をシュテンは見せながら、電話越しのテキサスが意味不明な言動を繰り返している。その要望に応えながら意識をチェン達に向けた──その時であった。

 

 遠方から漏れ出した殺気と威圧感。視界には何も映らずとも瞬時に気配を感じ取ったシュテンが弾くように拳で払う──事は出来ず、その手に持っていた携帯が破砕し、腕と肩口には悲痛な裂傷が刻まれた。

 

「……ほぉ」

 

 痛みに声も上げず、純粋に感心する。吹き上がる血もそのままにただ真っ直ぐ視線を向けていた。

 暗闇から真紅に染る剣──赤霄(セキショウ)を引き抜き、不得手であるアーツの斬撃を飛ばしたチェンが歩み寄っていたのだから。

 

 そして現在に至る。赤霄によるものかアーツによるものか不明であるものの、飛躍的に速度と膂力が増幅したチェンの一撃は、全てが不可視の必殺。だがその一つ一つをシュテンは確実に弾き返していく。

 

 神速の斬撃が阻まれ、遅れて甲高い金属音が反響する。苦悶の表情を見せるチェンに対し、より獰猛と歓喜の笑みを深めていくシュテン。怒涛の如く攻めているのはチェンにも関わらず、その心境は真逆であったと言えよう。

 

 袈裟斬りを大刀の腹で流し、返す横薙ぎを踏み込んで手首を掴み、動きを静止させる。即座に逆手持ちに切り替えたチェンが片手で腹部を切り裂こうと身を捩った。

 だがその一撃が当たるよりもさらに一歩踏み込んだシュテン。肌と肌が、顔と顔が触れ合う程の距離。当然斬撃どころか打撃すらもまともに与えられない距離。

 その移動と同時にチェンの胸元へと手を添え、全身の体重移動が終わる前に全身の関節を駆動。そのベクトルを全て手掌へと集約させて解き放つ。

 

 炎国由来の武術で言う所の寸勁であった。

 

 不完全な我流とは言え、シュテンの腕力も考慮すれば致命的な一撃。チェンと言えども大怪我は避けられないだろう。

 

「──隊ッ、長!」

 

 その瞬間、地に伏せていたホシグマが血を流しながらチェンの脚を引っ張り、体勢を崩させた。衝撃を与える相手がいなくなればシュテンとて、技を不発に終わらざるを得ない。

 そして即座に反応するチェンは崩れた体勢から強引に踏み込み、逆袈裟にて赤霄を切り上げた。

 

「── 赤霄ッ!」

 

 神速にも相応しい一撃。今日一番──否、チェンの人生に於いても最高とも言えるアーツの一撃。

 

 近衛局に勤めてからは挫折の文字を知らぬ類稀な才能。その鬼才が生命の危機を感じ取ったが故の飛躍的な成長である。それはシュテンの実力と放つ殺気による弊害であったと言えよう。

 

 音速を超え、人智を超え、空間すらも切断する一刀。一足飛びで遥か後方まで跳躍したシュテンであるも、その一太刀は目の届く範囲全てが射程圏内であった。

 無論、彼もその威力を認識している。だがこれ程の事象を前にして回避に徹するなど選択肢にある筈も無く。真正面から受け止めてこその娯楽(・・)であった。

 

 迫り来るアーツの一撃に対し、大刀を振り上げて力を込めて振り下ろす──ただ単純な唐竹の一撃。だがその一手もまた、シュテンが扱うとなれば必殺の絶技であると言えた。

 

 オニと深紅の斬撃が交錯する。余波だけで大地が爆ぜ、建物が崩壊し、耳を劈く音が響き渡る。

 まるで天災の始まりを告げるかのような事態にホシグマも般若を構えて衝撃に備えていた。

 

 そして大刀を大地に振り切ったシュテン。赤霄の一撃は彼によって切り裂かれ、霧散した──だけでは無かった。

 

 パキパキと罅を立て、同時に舞う鮮血。耐え切れずに砕け散った大刀が空へと塵に成っていく。

 

「──く、あははははは! 炎国の年姫に創らせた一級品なんだがな! 大したアーツと武器じゃないか!」

 

 自身の胸元に手を触れれば、べっとりと血で濡れていた。流れ出す鮮血と鉄の臭い。そして何より、十何年も強敵を屠った愛刀を喪失するとは思わず、シュテンは狂ったような笑い声を上げる。

 久しく感じられなかった脳が痺れるような感覚に無意識に身体が歓喜に震えた。

 

 ──認めざるを得ない。チェンが強敵であると。

 

 ペンギン急便の社員達でさえ、この世界に於いては天才と呼ばれる部類の人材である。

 だがそれも飽く迄も常識の範囲内での規格。理解を超えた人外の存在──世界の不具合(イレギュラー)は一握りしか存在しない。

 

 そしてチェンはその境界を越えつつある。

 テキサスとラップランドを相手取った時さえ感じ無かった死の淵。間違い無く命を刈り取る実力を有した猛者なのだ、とシュテンは決断を下した。

 

 ──だからこそだろう。故に彼は理性を溶かした。

 

「人の一生分は世界を観てきたんだがな、それでもお前のセンスは五指に入るぞ。──ハッ! 良い女だよ、お前は! 俺が認めてやる!」

「……そうか。私はお前に騙された気分だよ。まさかこれ程とはな。……一運送業に従っているべき強さじゃない」

「だろうな。だがウェイの野郎は俺の実力を認識している。──分かるか? 天災と喩えられる俺に対して、たった二人で挑めと言い渡された、その意味が」

「…………」

 

 ──だがそれもどうでも良い事だ。

 

 ドロドロと融解していく理性。混ざり合う殺人衝動と狂気が脳内麻薬のように分泌していく。

 

 ──早く大地の果てに向かわなければならない。ならないと分かっているにも関わらず、シュテンの理性は本能に侵食されていた。

 飢餓を迎えた者の前に至高の馳走が並ぶように。禁欲の果ての男の前に絶世の美女が全裸で横たわってるように。

 

 極限の最中での本能は何物にも侵されない聖域。それが酒呑童子の血となれば尚更である。

 

 何せ、目の前に極上の実力者がいるのだから。

 

「まだ本気じゃないだろう。……いや、その剣とアーツを御しれていないと言うべきか。どちらにせよ、底を見せていない訳だな」

「……何が言いたい?」

「俺も同じだと言うだけだ」

 

 即座に体勢を立て直して再び構えを取るチェン。しかしながら不完全なアーツと腹部に受けた一撃の為か、その顔には脂汗が浮かび上がっていた。

 対してシュテンは衣服こそ破れているものの、傷は全て完治している。戦況は目に見えていた。

 

「さぁ、ギアを上げるぞ」

 

 大気が、空間が、世界が。

 軋み、歪み、犇めく。

 

 浮かべていた獰猛な笑みはより一層深みを増す。最早その表情は獣と表現するのが相応しい。感情と殺意を剥き出しにした姿は裏表も無い、まさに野生。

 理性よりも本能が優位に立ち、単純に目標を狩るのみの猛獣。

 

 逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ──と、本能が警鐘を鳴らす。チェンの意志とは反して全身が身震いするような恐怖が襲い掛かった。

 自然と足が竦む。命を賭ける覚悟はあろうとも、命を投げ捨てる覚悟がある者などいる筈も無い。居るとすればそれはただの狂人か、自殺願望者に過ぎないのだから。

 

 シュテンの踏み込んだ一歩で大地が爆ぜる。超攻撃的な前傾姿勢。開いた腕は一切の防御を介さずにただ獲物を殲滅する為だけの構えであった。

 

 そんな中であった。ホシグマがチェンの前へと遮るように立ち塞がる。

 

「待って下さい。少し話をさせて貰っても宜しいですか?」

 

 ──シュテンの踏み出した足がピタリと止まる。

 水を差すその一言。燃え盛る闘志が冷え切っていくのを感じざるを得なかった。

 そしてそれはチェンとて同様である。喩え恐怖でその身が動かなくなろうとも、胸に秘めた決意に揺らぎはしない。

 龍門近衛局の特別督察隊隊長と言う立場。言わば龍門の秩序そのものと言える。個人の感情は意図せずとも、悪と制定された対象を見逃す事は断じてあってはならないのだから。

 

「ホシグマ、下がっていろ。私が赤霄を抜いて終わりにする──それだけの話だ」

「しかし、もし彼の言葉が本当だとしたら──私達はウェイ長官の掌で踊らされているだけに過ぎません。それも、命を賭して。……真偽はどうであれ、一度話を聞いてからでも遅くは無いと思うのですが」

「…………」

「隊長」

「……シュテン、一つ確認させて貰う。本当のことを教えてくれ。──お前は今夜の騒動に関わっているのか?」

 

 冷え切った闘争心。シュテンの滾っていた本能は鎮静化し、純然たる理性が感情を支配する。

 淀んでいた空気は霧散し、獰猛な笑みは消え、スラムの雰囲気は日常へと切り替わった。

 

 舌打ちをしながら煙管を取り出したシュテン。火種を作りながら口を開く。

 

「嗚呼。更に言えば環状線を壊したのは俺だ」

「……そうか。なら──」

「──だがな。この一件は俺だけじゃない。お前らの上司であるウェイ、そしてスラムの統治者である鼠王も関与し、認知している案件だ」

 

 数瞬の思考の中、話しても支障がないと判断したシュテンが紫煙を吐きながら淡々と語っていた。

 

「ならば私達が来るのを知っている上で事を構えたと言う事ですか?」

「そうだ……と言いたい所だがな。無様にも鼠王とウェイに出し抜かれた。俺には何一つ伝えられてない」

「……協力関係なのにですか?」

「お前らが想像するよりも(したた)かで強欲な奴等だからな。裏で何を考えてるかまでは読み切れん。特にウェイは必要とあれば市民ですら即座に切り捨てる冷血な男だぞ」

 

 淡々と、それでいて饒舌に語るシュテンの言葉を反芻するように、チェン達は言葉を返していく。だがその表情は苦虫を噛み潰したよう。

 自身を掌で踊る操り人形(マリオネット)と呼ばれているのだから、当然とも言えた。

 

「……話が見えて来ないな。何故長官がこんな回りくどい事を?」

「さぁな。だが十中八九時間稼ぎだろう。……俺が此処に来たのも鼠王の娘──ユーシャから手紙を受け取ったからだ。精々その事を把握してるのはウチの社員と鼠王くらいなものだろう」

「……つまり鼠王とウェイ長官が繋がってお前を陥れてると。それはお前が龍門に対して何かしでかしたからじゃないのか?」

「そう言う捉え方もあるだろうな。何、信じるか信じないかはお前ら次第だ、真実なんて物は誰の口からも語られはしない。……とは言え、中々面白い内容の手紙だったものでな。チェンも読めば気が変わるかもしれんぞ」

 

 そう言ってシュテンは手紙を指の間に挟み込んで、手首の返しで勢い良く投げる。下手をすれば怪我をするような飛来物を器用に掴んだチェン。

 プライベートな私物を見てもいいのか、と困惑していた彼女であったものの、構わんぞ、と言葉を投げられて丁寧に中身を取り出した。

 

「──な、なんだこれは……」

 

 視線を右往左往させ、丁寧に熟読したチェンが目を見開く。意外にも可愛い便箋に丸い文字で書かれていたものの、その内容は驚愕の一言に尽きる文面であった。

 

「……これは本当なのか?」

「それを確かめる為にわざわざ此処に来たんだよ。残念ながらもぬけの殻だったがな。……嗚呼、手紙そのものの真偽を問うているなら、ユーシャの同級生だったスワイヤー嬢にでも確認すれば良い」

「……いや、その態度と目を見れば嫌でも理解出来る。……分かった、私達は一先ずシュテンから手を引くとする」

 

 軽快な足取りで近づいて来るシュテンへと手紙を返し、敵意を仕舞うように刃を納めたチェン。

 

「……チェン隊長、宜しいのですか?」

「私はウェイ長官の為に働いている訳じゃない。龍門の市民──延いては弱者の為に秩序を正しているんだ。……権力を持つ者が正義とは限らない」

 

 何処までも貫く真っ直ぐな強い意志。揺らぐ事の無い瞳でシュテンを捉えて離さない。

 この手紙の通り、鼠王が黒とするならば、その手助けをするようなウェイも黒に近しい存在なのだろう。

 とは言え、そうであってもシュテンが黒では無い理由にはならない。潔白であると言う裏付けが存在しなければ灰色に染まったままだ。

 

 だがチェンは知っている。シュテンは善人と呼べずとも悪人では無いという事に。

 そうでなければ、あれほど社員達から愛される筈も無いのだから。

 

「理解のある友人で助かったよ。お陰で手を汚さずに済むようだ」

「随分と傲慢な発言だな。……それで、お前と龍門のツートップは何を企んでいたのだ?」

「シラクーザのマフィアを一掃するだけの話だ。尤も、計画に対してのメリットが少ないからな。水面下で何かしらの動きがあるのは予測していたが……まさか対象がペンギン急便だとはな」

 

 シュテンは口に出してなかったものの、チェン達が現れたこの状況──時間稼ぎと評していたが、その為に近衛局長を駆り出すメリットが鼠王から提示されたとは考えにくい。

 長期で見れば──もしくは何重にも折り重なった思惑の末であるならば有り得るかもしれない。

 

 だが、それはあり得ないだろう──シュテンは心の中でそう呟き、思案する。

 こちらに一切悟られずに画策したとなれば、よりシンプルに、より単純でなければならない。

 

 鼠王よりも付き合いの長いウェイが相手だからこそ分かる事もある。即物的で直接影響のある物、それは目の前にいる存在であった。

 

「……?」

 

 じっと見つめてくるシュテンを訝しげに見つめ返すチェン。

 挫折を知らないエリート中のエリート。出生は複雑であったものの、壁らしい壁にはぶつかる事無く生きて来た。

 ──否、この表現には語弊があるだろう。類稀な才能と血の滲むような努力を惜しまないその性格が、意図も容易く壁を乗り越えてしまっていたのだから。

 

 挫折が人を成長させ、敗北が人を強くする──その理論が有るとするならば、チェンは強敵(シュテン)を前にして潜在的な能力を引き出したと言えよう。

 

「チェン・フェイゼ。もし近衛局──ウェイの元を離れる気になったら、ペンギン急便(俺のところ)に来ると良い。お前なら何時でも大歓迎だ」

 

 突如降り掛かった言葉に、チェンは驚きの表情を浮かべた。それはシュテンにとって最大の賛辞とも言える言葉。

 その言葉の真に意味するところを彼女は知らずとも、シュテンの声色を聴けば、如何に真剣な発言であるのかを認識出来た。

 

「随分と評価して貰えているようだが、私は近衛局を辞めるつもりは無いぞ」

「お前とウェイの思想は似ているようで根本が違うからな。可能性は十分ある。……何、ペンギン急便が経歴や素性を問う事は無い。喩え感染者であろうともな」

「……その時になったら考えておく」

 

 だが近衛局を離れる気はチェンに微塵も無い。軽くいなすような態度で受け流した。

 

「嗚呼、そうそう。──折角の記念だ。持っていくと良い」

 

 そう言ってシュテンは自身の携えていた、刀身の折れた大刀を投げ渡した。両手で受け取ったチェンであったが、思いの外に重量感のある残骸だったのか、体勢を崩している。

 

「ウェイに渡して嫌味の一つでも言うと良い。きっと喜ぶぞ」

「……対峙した証拠として受け取っておく」

「それでも構わんさ。……さて、遊び過ぎたな。俺は急いでいるから先に行かせて貰うぞ」

「あぁ、気を付け──つぅ」

 

 言葉を遮るようにズキンと痛む腹部を押さえたチェン。少しだけ顔を歪めたその様子を確認したシュテンは近付き、シャツの裾を捲り上げた。

 

「少し見せてみろ」

「んな──」

 

 普段から腹部を露出させる着こなしで過ごしているとは言え、無遠慮にも触れてくる者などはいない。

 狼狽え、固まるチェンに対し、シュテンは真面目な表情をして打撃痕を見つめていた。

 内出血を示すように拳大の青痣が出来ているものの、他の傷跡一つない細身の柔肌。──そんな前人未到の腹部を触るシュテンの掌に伝わるのは、尋常ではない程に鍛えこまれた腹筋。見た目には表れずとも男性の強度を遥かに超えているようである。

 

「思ったよりは傷が浅いな。衝撃の瞬間に後ろに跳んで緩和させたか? だがアーツの酷使もあって内臓に損傷があるかもしれないから治療は受けた方が良さそうだな」

「そ、そうだな……!」

 

 怒気を孕む震えた声。しゃがみこんで問答無用にチェンの腹部を触っていたシュテンは、訝しんだ表情をして見上げる。

 そこには顔を真っ赤にして拳を震わせているチェンの姿があった。

 

「……伝承通りの色欲ですね……」

 

 本来であれば過剰に反応するであろう言葉にも意識が割かれる事は無い。

 ただただ理解出来ぬ現状に首を傾げるしか出来ないシュテン。

 

 普段からチラリズムの甚だしい服装である以上、腹部を捲り上げた行為に対しては何ら失礼には当たらないと彼は判断していた。

 腹部に触れた行為についても同様である。ペンギン急便の社員を煽る為、はしたなくも腕に抱きついてくる女に対してであれば、決して軽犯罪に当たるとは思えない。

 

 寧ろ、経緯があれど、親身になって怪我の様子を診ている者に対しての反応では無い──そう、シュテンは本気で思っていた。

 

 まるで怪奇を目の当たりにした表情。実に珍妙な光景だったのは言うまでも無い。

 

「……何時になっても女心だけは理解し難いな」

「──常っ! 識っ! だっ!」

 

 チェンから振り下ろされた拳を器用に躱したシュテンは、滑るように懐を抜けて崩れ掛けた建物の外壁を足場に駆け上がる。

 今にも崩落しそうな屋根の上から、彼は二人を見下ろして口を開いた。

 

「ホシグマと言ったか。狂気()に躊躇っているようだが、もう少し受け入れてみると良い。間違いなく酒呑童子()の系譜だ。何時でもアドバイスは教えてやるぞ」

「そう、ですか。では機会がありましたら」

「おい、シュテン! まだ話は終わってないだろう!?」

 

 オニの母体そのものが相手では、エリートとも呼ばれるホシグマとて適う相手では無い。そんな結果であったとしても、彼女の持つ潜在能力をシュテンは感じ取った。しかしながらも理性を最優先とした闘い方。それはオニとしては不完全な戦い方である為に淡々と助言を投げ掛けたシュテンであったが、まるで聞き流すかのようにホシグマは静かに言葉を返す。

 激高するチェンは相手にしないまま、シュテンは背を向けて手をヒラヒラと振った。

 

「じゃ、散々壊した後始末は頼んだぞ。近衛局長様」

「──ッ! だから待てと──!」

 

 まるで意に介さずにシュテンは去って行く。その背中に怒号が飛んで来ようとも、その足を止める事無く、屋根を伝って消えて行った。

 

「……ホシグマ、直ぐにでも追い掛けるぞ」

「しかし隊長、この惨状を放置しておく訳にもいかないと思いますが」

 

 チェンが辺りを見回せば、そこに広がるのはあらゆる建物が崩壊──とまで言わずとも、激しい戦闘の傷跡が大きく残っている。それも殆どが斬撃痕。アーツを込めたチェンの剣圧によって刻まれたものであった。

 

「それに彼の正体については凡そ特定出来ています。……事実であれば、本気を出された場合には近衛局の手に負える相手では無いかと」

「……確かに常識を逸していたが……それ程なのか?」

「それ程です。小官にとって──いえ、極東にとって、知る人ぞ知る御伽噺の存在ですよ。……分かりやすく言うなら、神話に出てくる様な怪物に挑む様なものです」

「大した比喩だな」

 

 そんな言葉を吐きつつも思案するチェンは、自らの手に握られている刀身の無い大刀を見つめた。

 ずしりと重く、まともに扱えると思えない程の重量感。オニ特有の怪力ならばと考慮しても、長い刀身で自身の連撃を受け流すなど未だに信じられずにいた。

 そもそもの話、チェンの猛撃を凌ぎ切れる人材が居る事自体、奇怪千万な出来事と言えよう。

 

 何より一挙一動が殺意を纏うような有り様。死神と称しても過言では無い程、手足に死を宿していた。

 一撃が致命的とも言える怪腕と対峙すればそれだけで精神が摩耗する。それでも尚、チェンが平常心のまま五体満足でいられているのは、シュテンにとって余興に過ぎないからであろう。

 無邪気な子供が残酷にも虫を殺し尽くすように。

 

 だがその力は一個人が持つにしては余りにも強大過ぎる暴力である。チェンも知らなかったとなれば、それは龍門の中でも極秘中の極秘とも言える情報。

 ウェイ長官が見逃す筈も無い──否、懇意にしているからこそ、ペンギン急便に対する対応の緩慢さがあったのだと、チェンは今更ながらに合点が行く。

 

 ──だからこそ解せない現実がある。

 

 身を以て体験したからこそ理解した。虚勢を張って強い言葉を吐きはしたものの、アレは命を賭しても適わぬ相手なのだと。

 ならば不用意に敵対するのは命知らずと言うべき状況。ともすれば龍門そのものを危険に巻き込み兼ねない自体と言えた。

 

「何を考えているんだ……?」

 

 ウェイ、そして鼠王の思惑が見えないまま、チェンはシュテンの去って行った場所を見つめているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、あれですね。隊長の女性らしい所を初めて見た気がしますよ」

「……忘れろ」

「隊員達には仕事人間って印象らしく、恋愛対象にはならないと専らの噂ですから。あんな姿を見たら皆驚きますよ」

「お前はアイツらと何を話しているんだ?」

「他愛も無いコミュニケーションですよ。……でも相手があの人じゃ、不憫と言うか見る目が無いと言いますか……」

「ただの知人だ。下衆の勘繰りは止めろ。……それに噂だけで実際に会った事は無かったんだろう? 実際に会っていた私の方が人柄は良く知っている。……詳しい話は戻ってから聞かせてもらう」

「そうやってフォローする辺り──」

「良いから手を動かせ」



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EX.喧騒の掟 Ⅴ


あけましておめでとうございます。(錯乱)
詳細は活動報告にて。


 

 

 粉塵と硝煙に満たされた空間の中で、狂気に満ちたテキサスの声が響き渡る。

 橙色に染まる剣閃は音速を超え、天賦の才の赴くがままに疾って、鮮血を舞い上がらせた。

 

「はははっ! 痛いか!? 辛いか!? ──だが私はその百倍以上傷付いたぞ!」

 

 激しい感情の発露を見せながら、憤怒に染まった瞳がマフィアの姿を捉えて続けている。鬼神の如く刃を滑らせるその姿は、昔の殺戮兵器だった時代を彷彿させる程。

 余りの豹変っぷりにドン引きするペンギン急便の社員達であった。

 

「ちょっとテキサスはん! 無茶はあかんで!」

「いやー……ああなったテキサスはもう止まらないんじゃないの──っとと!」

 

 重盾を構えたクロワッサンが、無謀にも突っ込むテキサスへと叱咤を投げるも、彼女の猛攻が止まる気配は無い。

 半ば呆れたように呟いたエクシアも銃弾の飛び交う中で、周囲を見渡す余裕も無い様であり、慌てて物陰に姿を隠す。

 

「チッ! あのオニだけじゃねえのかよ! なんだこの化け物は!?」

「うら若き乙女に向かって化け物は酷いんじゃないかな? ま、今は気分が良いから許してあげるけど」

 

 カポネの構えるボウガンから高速で射出される矢が、薄ら笑みを浮かべるモスティマが持つ二杖によって干渉を受ける。燃え盛っては灰となり、見えない壁に遮られたように地へと墜落した。

 片手間に放たれたアーツにも関わらず、その効果は絶大。比類無き実力の底は計り知れない程である。

 

 そんな中、物陰に隠れていたソラがゴソゴソと棚の中を漁っていた。エンペラーを背後で守りながら、マフィアからの攻撃に耐えていたパイソンが彼女へと問い掛ける。

 

「ソラ先輩! 危険ですから僕の後ろへ!」

「大丈夫だよ、こう見えて場数は踏んでるから。……えーっと、確かこの辺に……あ、あったあった!」

 

 そう言って彼女が取りだしたのは、二分の一スケール程のエンペラーを模した人形であった。若干の傲慢さが伺える辺り、如何に精巧な代物なのか理解出来よう。

 

「んーと、こうだったかな?」

 

 サングラスとなる部分をソラは強引に引き千切り、そして、

 

「──えいっ!」

 

 マフィア達が密集している地点へと放り投げた。ゴロゴロと転がっていく人形に、何事かと誰もが注視する中、静かにサングラスと耳栓を付けたソラ。

 嫌な予感を察知したペンギン急便の社員達が備える中、唯一人、テキサスは源石剣を振るい続けている。

 

 定間隔で左右に揺れるエンペラー人形を鬱陶しそうにマフィアが蹴り上げた──その瞬間であった。

 辺りを包み込む極光の閃光。空間を切り裂く炸裂音と真白に染まる視界によって、マフィア達は本能的に身を硬直させてしまう。

 

「ソラ、ナイスアシスト! よーし、行くよ!」

 

 又と無い好機に声を上げるエクシアが、手馴れた様子で弾丸を再装填していく。器用に守護銃を掌で弄びながら、口角を上げて高らかに叫んだ。

 

「── Barrage(バラージュ)!」

 

 緻密なアーツコントロールを要求される射撃。針に糸を通すような技術を、目にも止まらぬ速度で連射し、的確に頭部へと命中させる。

 非致死性を旨としたゴム弾に過ぎずとも、その一撃は大の男を昏倒させるには十分な代物。魔弾にも等しい百発百中の銃撃は、瞬く間に多くのマフィアの意識を刈り取った。

 

「テキサス、フォロー宜しく!」

 

 黄金ペアの鉄板とも言えるコンビネーション。エクシアの一斉掃射で分散し崩壊した集団を、俊敏なテキサスが確実に鎮圧していく──その手筈だった。

 しかし声を上げたエクシアに対し、テキサスからの返答は無い。マフィアに遅れをとったのかと危惧して視線を向けたエクシアが見えたものは、意外な姿であった。

 

「う、あう……目が……」

 

 器用に耳を畳みながら、両目を抑えて悶えているテキサスがそこにいる。幸い、テーブルの物陰に逃げ込んでいた為にマフィア達には見つかってないものの、悲惨な事となっていた。

 

「あちゃー、モロに食らっちゃったみたいだねー」

「……ソラはん、一言言ってからやらなあかんで」

「うぇっ!? だ、だって、いつものテキサスさんなら冷静に対処してるから大丈夫かなって思って!」

「……流石の私でも不憫に思えるよ」

 

 誰もが手を休めずに動いてる中で、軽口を叩きながらソラへと非難が集まっている。激情に身を任せていたテキサスであったとは言え、流石にソラも予想外だったのだろう。狼狽した様子を見せていた。

 

 そんな中であってもマフィアの猛攻は止まる事を知らない。狭過ぎる室内の戦場には収まりきらない程の圧倒的戦力差。こうしてペンギン急便が優勢に傾いているのも、(ひとえ)に密閉空間であるからだろう。

 

「──随分と余裕そうじゃねえか、なぁ!?」

 

 憤怒に満ちた様子のガンビーノが、倒れ込んだ仲間を踏み台にしながら建物を破壊して侵入してくる。肩口に巻いた血に染まった包帯が痛々しいものの、彼の表情は一切の翳りを見せていなかった。

 

 宿敵故の嗅覚、そして観察力か。テキサスが隠れているテーブルへと真っ直ぐ向かったガンビーノは、携えていた剣を全力で振り下ろす。テーブルごとテキサスを両断しようとする一撃。

 

「危ないっ!」

 

 だが誰よりも真剣に注意深く周囲を見渡していたバイソンが、間へと身を割り込ませた。交差する刃と重盾。金属の擦れる音が響き渡り、火花が飛び散る中、ガンビーノは声を荒らげる。

 

「フェンツ運輸の御曹司か。随分と威勢良く邪魔してくれたが……だが所詮は素人か。足が震えてるぞ?」

「──ッ!?」

「だが安心しろ。こうなった以上、命を奪ったりはしねえ。お前にはまだまだ利用価値があるからな」

 

 高圧的で獰猛な笑みを隠そうともしないガンビーノへと、怪訝な顔をしたバイソンは言葉を返す。

 

「……どう言う意味ですか?」

「全てに恵まれてる坊ちゃんには分からねえか。成り上がりの奴ってのは大体嫌われるものなんだよ。──例えそれが身内だろうとな!」

「……身、内……?」

 

 呆気に取られたバイソンの隙を見逃す程、ガンビーノは甘い男では無い。力の抜けたその瞬間、重盾を弾き飛ばすように剣を切り上げた。

 浮き上がる上体と無防備な胴体。生命を奪う一閃が駆け抜けようとする──も、距離を詰めたクロワッサンの盾によるバッシュが炸裂。ガンビーノの体は大きく吹き飛ばされた。

 

「戦いの最中に気ぃ抜いとったらほんま死ぬで!」

「す、すみません!」

 

 普段とは異なり、真剣な表情で叱咤を飛ばすクロワッサンの姿がある。それもその筈、言動こそ巫山戯ているペンギン急便とは言え、彼女達はプロ中のプロ。一挙一動に気を配り、ここぞと言う時には堅実な決断を下していた。

 

 そしてそれは、テキサスとて例外では無い。

 

「──ふっ!」

 

 小さく息を吐きながら、艶やかな黒髪を靡かせてテキサスは姿を現した。少しばかりぼやける視界の中、隙だらけのガンビーノの姿を捉える。

 明らかに離れた距離の中、テキサスは手の中にある源石剣を振るった。刃先が触れる筈も無い距離。だが彼女の周りに浮かんでいた数多の剣──アーツを用いた剣雨が、射出される。

 

「ア、ゥグ、ガァァァッ!」

 

 高速で殺到する剣身に容易く体を貫かれたガンビーノは、悲痛の声で絶叫する。命を奪われずとも貫かれて血を流す身体。その痛みは計り知れないものであった。

 

 そんな様子を片目に深く考え込んでいたモスティマが、ニヤリと笑みを浮かべてカポネへと言い放つ。

 

「なるほど、君達の自信はその人の後ろ盾があるからなんだね。で、一体誰なんだい? 役員? それともライバル企業? もしかして本当に親族だったりするのかな?」

「……チッ、すぐ調子に乗って口を割りやがる。シチリア人の誇りだのと豪語する癖に、何一つ行動が伴っちゃいねえ」

「ん? まるで自分は違うみたいな言い方をするんだね。シラクーザから尻尾を巻いて逃げる事しか出来なかったのに、ね」

「──。……挑発には乗らねえぞ」

「それは残念。……でも、少し遅かったんじゃないかな?」

 

 そう、モスティマが発言した瞬間であった。突如カポネの後頭部に現れた衝撃。視界に閃光が走る程の鈍痛が突き抜ける。

 倒れ込むその刹那、カポネは首だけを捻って背後を確認してみれば、そこには砕け散った酒瓶を持ったエンペラーの姿があった。

 

「動くんじゃねえぞ。でなけりゃ生き地獄を味わわせてやる」

「……あ? 何言って──」

「アルコール度数が90%を超えるウォッカだ。俺の葉巻を近付けりゃ一瞬で火達磨だぜ?」

 

 全身を包み込む異様なまでの冷感。水とは比べ物にならない程、冷え切っていく身体。高濃度アルコールが蒸発し、気化熱で体温が下がっているのを否応にも感じさせた。

 そして漂う紫煙の匂いを感じ取れば、自身の命運がエンペラーにある事は明白である。

 

「この落とし前はどうつけるつもりなんだ? あ? 酒もグラスも内装も、何より俺の命に次に大事なレコードまでぶっ壊してくれたからな。大金を積んでも手に入らねえ物まであるぞ?」

「……クソ。これで終わりかよ」

「終わり? 二束三文にもならねえお前の命で元が取れると思ってんのか? 随分とハッピーな頭してんじゃねえか」

 

 何処までも高圧的な態度を崩さないエンペラーが支配する中、自体は転々と進んでいく。

 リーダーを捕らえられたマフィア達の統率力は著しく低下し、困惑した様子で右往左往していた。そんな彼等に降り注ぐ弾丸と斬撃。忠誠心だけが心の支えだった者達が戦い抜くには、過酷過ぎる戦場だった。

 十、二十と倒れ込むマフィアを重ねた頃、恐怖に駆られた者から次々と背を向けて逃亡し始める。一度瓦解すれば最早時間の問題。脱兎の如く去る背中をペンギン急便達が見送れば、地に伏せる者と戦闘不能に陥った者だけが残った。

 

 なんて事の無い、いつも通りの抗争と変わらない結末。シュテンの心配は杞憂だったのだ、とテキサスが安堵の息を吐いた時である。

 

 ──カラン。

 

 静寂となった空間にグラスと氷が奏でた音が響く。爆風と銃撃で殆どが床へと散乱する惨状には相応しくない、澄み切った発生音。

 カウンターの更に奥──従業員のみが立入る扉の方から聞こえていた。詰まる所、ペンギン急便の誰の視界にも入らない、背後の位置である。

 

 まるで誰もが導かれるように、全員が自然と振り返って視線を向けた。

 

 そこには誰にも気配を悟られずに座っている女がいる。

 

 尻尾のように長い白髪を毛先で束ねて、真ん丸な深紅の瞳を輝かせた少女──ミズ・シチリア。

 だが見た目通りの年齢ではないのだろう。その証拠と言わんばかりに、片手にはアルコールの注がれたグラスが握られていた。

 

「あら、もう終わりなの? つまらない結末ね。これじゃ物語どころか序章にも為り得ないじゃない」

 

 テーブルの上に広げていた本をパタンと閉じ、少し高めの座席から飛び降りるようにして着地する。

 純白な衣服を身に纏い、ふわりと揺れるスカートを押さえる姿は、宛ら(さなが)深窓の令嬢。

 だが隠そうともしない雰囲気。それは妖艶でありながら、死臭と儚げな気配が混在しており、見る者を酔わす程の歪さがあった。

 

「お初にお目に掛かるわ、ペンギン急便の皆さん。私はミズ・シチリア。此度のお祭りに少しばかり参加させて貰うわね」

「……ミズ・シチリアだと?」

 

 誰よりも早く反応し、鋭い視線を向けたのはテキサスである。自身の人生を狂わせたと言っても過言では無い相手の名前。シュテンと出会ったあの時、確かに絶命したのを見届けたにも関わらず、再びシラクーザ中に響き渡った女帝の存在であった。

 

 その名を名乗る少女が目の前にいる──テキサスの警戒が高まるのも必然である。

 だが当の本人であるミズ・シチリアの余裕は崩れない。優雅にお辞儀をして、テキサスへニコリと笑みを返した。

 

「えぇ。お久し振り──と言うのは語弊があるわね。そうね……不出来な玩具()が随分と迷惑を掛けたようで謝罪するわ」

 

 極自然と非礼を詫びるミズ・シチリアの態度に、思わずテキサスは面を食らう。だが続けて放った言葉。それはテキサスの激情を煽る一言であった。

 

「──でも、貴方の人生はとても面白かったわよ? 実に私好みの物語だったから、つい魅入ってしまったわ。彼から救われずにバッドエンドならベストだったけれども……まぁスラムの玩具の限界よね」

 

 純粋無垢な少女のようにクスクスと笑みを零す──そんな姿を見たテキサスの表情は一転。怒気に染まった彼女は、瞬時に源石剣を手に取って距離を縮める──よりも早く、モスティマが手で制した。

 

「落ち着いて。不用意に近付くと危険だから」

「あら、よく気付いたわね。もしかして、その歪な魂のお陰なのかしら?」

「……年齢不詳の君に言われたくないかな。昨日と違って随分と禍々しい雰囲気を纏ってるようだし、老獪も極まれば大した物だね」

「あはは、言うじゃない。……まぁ罵り合いに意味なんて無いわ。──それで、あの時の言葉を再び問わせて貰うけど、楽しい安魂夜は過ごせたかしら?」

「残念ながら。意中の相手と過ごす時間も減らされて、こうして予定外の来客もあるからね。さっさと帰って欲しい所だよ」

「それは叶わぬ願いよ。……でも気の毒だわ」

 

 深い溜息を吐きながら頬に手を当て、ミズ・シチリアは言葉を続ける。

 

「貴方達が待ち受けている結末は不幸そのものなのよ。せめてもの安息と思っていたのに」

「随分と好き勝手言ってくれるじゃねえか。あ? そもそも、だ。お前が本物のミズ・シチリアである証拠なんてねえだろうが。あの時に殺した──もしくは、今シラクーザで名を馳せている奴こそが本物かもしれねえ。得体の知らない奴の言葉なんざ、まともに聞いてられるかよ」

 

 カポネへの警戒を緩めないまま、エンペラーが口撃する。矢継ぎ早に言葉を重ねるも、ミズ・シチリアはクスクスと笑みを零して余裕を崩さなかった。

 

「では何を以て本物と言うのかしら? 表立って活躍してる者が本物? だとしたら不思議ね、エンペラー。あなたの魂もその体に定着していないようにも思えるわ。──極地とも言える不死性。エンペラーと言う個を為す核は一体何処に存在するの? もしかして、全く別の場所に有るのかしら?」

「──ハッ! 笑える程調べ尽くしてるっつー訳か! 熱狂的なファンも真っ青な個人情報だ。もしかして俺に惚れてんのか? そこまで調べたっつーなら火傷だけじゃ済まねえぞ」

「興味の尽きない対象なだけよ。……ま、本物かどうかなんて些細な事だわ。私が原初のミズ・シチリアであり、累世のミズ・シチリアを選定して来た。ただそれだけ」

 

 エンペラーの揶揄にミズ・シチリアは顔色一つ変えない。饒舌に言葉を重ねて達観した視野。一種の仙女のような境地であった。

 自身の言葉を最後に静寂へと包まれた空間を、ミズ・シチリアは思い出したかのように手を叩く。

 

「そうそう。うっかり忘れるところだったわ。お二人共、お勤めご苦労様」

 

 ニコリと笑みを浮かべながら、ミズ・シチリアは名を告げずに労いの声を掛ける。だがこの場にいる部外者二名となれば自ずと導かれるもの。

 その言葉、存在、真意──全てが本物なのだと認識したカポネは冷や汗を流しながら口を開いた。

 

「あのクソババアの裏にアンタみたいな化け物が居たとはな。……俺達の処理に来たのか」

「自惚れないで。貴方達の優先度は暇潰しにも劣るわ。……でもそうね。裏切り者はしっかりと処分しないと私の矜恃に関わるもの」

 

 ──纏う雰囲気が一転する。

 

 全身を包み込むような殺気に、カポネとガンビーノに悪寒が走る。身体に大蛇が絡みつき、今にも喉元を噛み砕かれるような──そんな恐怖に駆られて手足が硬直した。

 シュテンの殺気が本能に警鐘を鳴らす代物だとするならば、ミズ・シチリアの放つ殺意は本能を凍りつかせる代物。

 故にペンギン急便のメンバーも感じ取る事が出来た。

 彼女もまた、規格外の存在なのだ、と。

 

「でも貴方達のお陰で、私が動き易かったのも事実だわ。素人同然の動きで派手にやってくれたから、誰にも怪しまれる事無く龍門に入られた上に、自由に歩き回れたのよ」

「……そうか。俺を──俺達のファミリーを、その為に追い詰めたのか……」

「あら、ご明察よ。やるじゃない」

 

 牽強付会とも言える程、強引な手で追放された事に復讐を誓うと共に、龍門での一か八かの大博打を打った。

 だが実際の真意は、今日この日の為の布石に過ぎなかった──そんな残酷な事実を突きつけられた二人。多くの仲間の人生も狂わせながら、安魂夜での自由を得る為だけと言う傲慢さに、先まで顔を青くしていたカポネでさえ怒りを露わにして赤色に染まりつつあった。

 それでもミズ・シチリアの様子に何ら変わりは無いまま、嘲笑うように賞賛の拍手を送っている。

 

「貴方の聡明さに免じて選ばせてあげるわ。ヒトリオオカミに嬲り殺されて鼠の餌になるか、此処で私に首を撥ねられて何も語れない仏になるか。素敵な二択だと思わない?」

「……他に良い選択肢があるぞ」

「あら、そうなの? 言ってご覧なさい」

「──お前が死んで、俺達がシラクーザに戻るって選択肢がよ!」

 

 カポネの言葉を皮切りに、血に塗れていたガンビーノが決死の思いで立ち上がった。駆け寄る力は無いものの、その手に持つ剣を投擲せんと大きく振りかぶる。

 そしてカポネも同様であった。やり取りの中で見えたエンペラーの隙を突き、ボウガンの照準をミズ・シチリアへと向ける。

 最適化された無駄の無い動き。僅か1秒で射出までの準備が整う技巧を見せていた。

 

 トリガーに指を掛ける──その瞬間であった。

 

 ゴキリと不快で鈍い音が響き渡り、続いてブチブチと肉の引き千切れる音が断続的に聞こえてくる。

 ミズ・シチリアから──では無い。彼女は全員の視線が集まる中、静かに指を振っていただけであった。

 直後、鼻を突く強烈な鉄の匂い。誰にも嫌な予感が過ぎる中、全員が臭いを辿って視線を向ける。

 

 ──そこには首を螺旋の如く捻られたガンビーノの姿があった。

 

「……え? あ、え……? く、首が……」

「……ソラ、見ない方が良い」

 

 声も発さないまま、即死したガンビーノの頭部が音を立てて落下する。噴水のように血液を撒き散らしながら、次いで胴体が倒れ込んだ。

 幾ら荒事に慣れたとは言え、見慣れない光景にソラの理解が追い付かない。龍門内での殺人は御法度である為に当然とも言える反応であったが、過去が過去なだけあるテキサスは冷静に助言を発した。

 

 死が間近に存在する非現実的な空間に緊張が走る中、未だ態度の変わらないミズ・シチリアは落胆した様子で呟く。

 

「迂闊に立ち上がるからそうなるのよ。プライドだけが一人前で何一つ成長しない奴に、シチリア人を名乗る資格なんて無いわ。──ねえ、カポネ。貴方ならば理解出来るでしょう?」

「な、あ……ば、化け物め!」

 

 不可視の一撃が容易く命を奪う。

 意見の食い違いの多い関係だったとは言え、同じ釜で飯を食った比類無き家族だった。口を開けば煩わしく傲慢な男。そんな彼が今、骸となって死に絶えている。

 

 死が誰よりも身近にあるマフィアだとしても、カポネ達にとって、死とは敵対者に向けるもの。数と武器、そして暴力を以て一方的に蹂躙する際の副産物に過ぎなかった。

 

 そんな彼に対して、小さな少女から濃厚な殺意を向けられる。数も無ければ、武器も暴力も通用しない化物。ペンギン急便が相手ならば命までは取られないだろう──そんな、深層心理にあった甘えにすら気が付けないまま、カポネは一心不乱に逃亡を始めた。

 

 無様に背を向けて入口へと駆け出す。ペンギン急便の誰もが咎めずに見送る中、 ミズ・シチリアは静かに溜息を吐いた。

 そして扉へと手を掛けて外へ身を出した瞬間、カポネの頭部だけ(・・)が振り返る。──聞くに耐えない鈍い音を鳴らしながら。

 力無く倒れ込む体に侮蔑の視線を向けながら、化け物は小言を漏らした。

 

「少しは知恵が働くと思っても、やっぱり同じ穴の狢ね。シラクーザのマフィアも落ちぶれたものだわ」

「……龍門で殺しをやるってこたぁ、覚悟出来ているんだろうな?」

「あら、これはあくまでシラクーザの内輪揉めよ。龍門のルールに従う必要は無いらしいわ。──ね、そうでしょ?」

「……あ? お前誰に向かって話し掛けて──」

 

 エンペラーの言葉を遮るように、カランと入り口の鈴が透き通った音を鳴らす。首を拗られて倒れているカポネでは有り得ない。ミズ・シチリアのように、モスティマやエンペラーですら感じ取れなかった気配。龍門の二大巨頭の一人がそこに居た。

 

「ワシが特例で許可したんじゃよ。これも龍門の為。役目も果たせぬ罪人は裁かれねばなるまいて」

「……クソネズミ、なんでお前が此処にいる?」

「それも同じ事。龍門の未来を憂いているからこその行動じゃ。……さて、シチリア嬢の戯れに少々時間を取られたからのう、単刀直入に言うぞ。──これまでのペンギン急便の不祥事。その代償を払わねばならぬ時が来た」

 

 リン・グレイ。またの名を貧民窟の鼠王──裏路地に店を構える駄菓子屋のお爺さんとしての姿はそこに無く、龍門の闇を一手に担う執政者としての姿があった。

 王者たる威厳と立ち振る舞い。その姿が初見であったペンギン急便のメンバーでさえ、強者の器である事を納得させる存在感がある。

 

「……鼠王がどうしてここに……」

「……鼠王? 今、鼠王と言ったか?」

「鼠王って言ったらスラムのお偉いさんだよね?」

 

 その姿を知るバイソンの言葉を皮切りに、初見であったテキサスとエクシアが事の重大さに疑問符を浮かべた。増してシラクーザを統べていると言っても過言では無い存在であるミズ・シチリアまでこの場にいるとなれば、只事では無い。

 

「……代償だと? お前、これまでの経緯は──」

「お主がおると要らぬ事まで語り始めそうじゃのう。今宵は席を外してもらうとするかの」

 

 躇いも遠慮も無く。

 ただ鼠王が言葉を発したその瞬間、砂の刃が容易くエンペラーの首を切り跳ねた。

 

 夥しい程に噴水の如く吹き出る鮮血。

 無防備に倒れ込む胴体。

 

 この程度でボスは死なない──そう、ペンギン急便のメンバーが理解していようとも、余りに非常識な事態に、警戒度が一気に引き上げられた。

 

「若輩者には理解の及ばぬ領域の話じゃ。──何、難しく考えずとも、大人しくしておれば命までは取らぬよ」

 

 されど鼠王に変化は無く、コツンと杖を突いて床を鳴らし、一歩踏み出す。

 

「学びて思わざれば即ち(くら)し、思いて学ばざれば即ち(あやう)し」

 

 炎國に伝わりし古語を紡ぎつつ、再び杖を突き立てる。

 

「思慮深い奴の事だからな。真の意味で酒呑童子を理解出来る者は一握りもおらんじゃろう。……だが老いてもこの鼠王、スラム街に関わる事ならば把握しておる」

 

 静寂に包まれる中、歩を進めた鼠王が三度杖を鳴らした。

 

「お主らの為に幾多の血が流れ、生命が散っていったと思う? 龍門において殺しは御法度──幾度と言えど改めるつもりなど無く、暴力の権化とも呼べる天災(シュテン)を止める術も無い」

 

 ──なればこそ、である。

 

「これは龍門──延いては炎国の治安を守る為でもあるのじゃ」

 

 異様なまでの地響きが鳴り響くと同時に、建物が大きく沈み込んだ。

 言葉に聞き入り先手を取られた──そうペンギン急便の者達が判断するよりも早く、彼女達の身体は大きくバランスを崩す。

 

 その事態に最速で動き出したのは、誰よりも場数を踏んでいたモスティマ。杖を振るって即座に状況を立て直そうとする──が、アーツが発動するよりも早く、ミズ・シチリアの持っていた本が飛来して衝突し、阻害されてしまう。

 

「貴方は少し厄介だもの。計画に支障が出ても困るし、私が相手をするわ」

「……嘗められたものだね」

 

 ミズ・シチリアとモスティマの視線が交錯し、硬直状態のまま牽制し合う。だがモスティマの動きが止まるとなれば、優位をもぎ取った鼠王を止める者が不在となってしまう。

 

 エクシアは体勢が崩れながらも双銃を構えて撃ち抜く。人体の弱点を的確に狙撃する妙技であったものの、在らぬ方向へと弾かれてしまった。

 

 鼠王が纏うのは砂で生成された強固な障壁。腕に覚えがある者でも、肩に掛けたコートを落とす事すら叶わぬ絶対防御。

 

 鼠王の狙う先は戦闘員と呼べないソラの身柄。一歩、また一歩と近付く中で、誰よりも早く駆けたのはテキサスであった。

 

「──ふっ!」

 

 超低姿勢から鼠王の懐に飛び込み、切り上げる一撃。不可視とも言える最速での一閃でさえ、鼠王の障壁に傷一つ与えられずに刃が砕け散る。

 

「随分と血に染まった一撃。誠に恐ろしき刃じゃのう。彼奴が気に入って拾って来るのも納得じゃ。……元を辿れば、シュテンがシラクーザに行った事が間違いだったのかもしれぬがな」

「──貴様に否定される筋合いなど、ないっ!」

 

 即座にアーツの刃を復元し、横薙ぎの一太刀。僅かに障壁に傷を見せた。

 だがシュテンとの戦いを経て、長い歳月を掛けて完成系へと昇華させた障壁。自動修復機能さえ備わっており、何事も無かったかのように元に戻っている。

 

「テキサスはん、ちょっとどいてーな!」

 

 緊張感の無い訛り。誰の声なのか瞬時に判断したテキサスが身を地に伏せる。──と、同時に鼠王が視認したのは、大槌を勢い良く振り回す怪力無双のミノス──クロワッサンの姿であった。

 

「どっせい!」

 

 渾身の全身全霊で叩き込んだ一撃。まるで自動車が突っ込んで来たかのような衝撃に、鼠王は大きく後退する。

 それでも絶大な信頼を寄せる絶対防御には微かな罅を与えただけに過ぎなかった。

 

「鬼の居ぬ間になんとやらじゃよ。余り手間をかけさせるでは無い」

 

 少しばかり鬱陶しそうな表情を見せた鼠王が杖を翳した瞬間、テキサスとクロワッサンのいた床が弾け飛ぶ。怒号と共に人体が浮かび上がる程の砂嵐が巻き起こり、二人は為す術なく無防備な姿を晒してしまう。

 ──と、同時に鼠王の背後に突如として現れた蠢く砂塵。スラム街の頂点に立てる程に精錬されたアーツは人智を容易く超えていた。

 

 空中へと浮かんだ二人の体を貫かんとばかりに砂の槍が生成される。

 

「あたしの出番ってとこかな!」

 

 腰を低く落として狙いを定めたエクシアの双銃が、寸分の狂い無く槍の穂先を撃ち抜く。だが鋭利さを失っただけでは槍の動きを止める事は出来ない。

 

 勢い良く射出された砂の槍は、テキサスとクロワッサンの身体を容易く吹き飛ばした。

 

「ワシをただの弾丸如きで止められると思ったか?」

「……言ってくれるね。これでもアーツを込めた守護銃なんだけど」

「……若いのう。少しの揶揄で苛立ちから隙を見せるとは」

 

 ほんの微かな、秒に満たぬ瞬時の出来事。

 警戒の緩んだエクシアの背後には、砂で形成された拳が浮かび上がっていた。

 

「なっ──」

 

 索敵能力の優れたエクシアは微量のアーツを感知し、即座を振り返る──も、鼠王が許すはずもない。

 砂の拳が無防備なエクシアの腹部へと突き刺さる。

 

「え……テキサスさんも……クロワッサンさんも……エクシアも……」

 

 ──バイソンの思考は凍結したまま動かない。

 緊張感の無いままマフィアを蹂躙する程の戦闘力を誇るペンギン急便が、たった一人の老人によって壊滅する。

 地に足が付かない。まるで夢や映画を見ているかのような感覚。

 

 クロワッサンとテキサスは血を流しながら意識を失っている。エクシアは意識があったものの、内臓と肋骨がやられたのか倒れ込んだまま。動ける状態では無かった。

 

 頼みの綱であるモスティマも、ミズ・シチリアに足止めを食らったまま硬直をしている。

 援護でアーツを撃てばミズ・シチリアの謎の力によって掻き消され、対するモスティマも未来視をするが如く、床が弾け飛ぶ瞬間に回避行動を取る──その繰り返しであった。

 

「いい加減にしてくれないかな? 君のアーツはもう見切っているんだけれど」

「あら、だったら早々に私を倒してみたらどうかしら? 貴方のお仲間が傷付けられてしまう前にね」

 

 自身の不可視のアーツを見破られた事にミズ・シチリアは内心で感嘆をしていたものの、この状況を打破する術は無いと笑みを崩さない。

 

 倒れ込んだペンギン急便の元へ、鼠王は一歩、また一歩と距離を詰めていく。

 年相応の緩りとした所作で杖を突く。

 

 疑うまでも無くご老体。

 されど万人を凍てつかせる威圧感。

 

 鼠王の背後に現れた砂の巨腕が気絶しているテキサスと無防備に立ち尽くすソラを掴みあげる。

 

「いっ……がっ……!」

 

 肺から空気が押し出され、ミシミシと骨が軋む音を奏でながらソラは声にならない声を漏らす。

 圧倒的強者を前にした絶望。そして足手纏にしかならぬ自身の無力さ。

 

「──ぅ──あ……! ソ、ソラ先輩!」

 

 震える声を絞り上げ、動かぬ手足を奮い立たせたバイソンが、ソラを捕らえていた巨腕へと突撃する。

 盾を構えながらミノスの怪力を乗せた一撃。その破壊力は巨腕を容易く粉砕し尽くした。

 

「……僅か数時間の経験で著しく成長を見せるのう。フェンツ運輸の御曹司として相応しい姿じゃろうて」

 

 小僧としての甘さを持っていたバイソンの姿は無い。適わぬと知っていても立ち上がる小さき勇者の姿がそこにはあった。

 

「なん、で……どう、して……あ、貴方程の力があれば、もっと良い方法があるはずですっ!」

 

 ガチガチと震える顎を強く噛み締めて押さえ込み、今にも力が抜けそうな足腰は重心を低くさせて耐え抜く。弱さを顕すバイソン。されどその瞳に映る意志は強き者が持つそれそのものだった。

 

 そんな彼の姿に感嘆の意を見せる鼠王であるも、その心は巨岩の如く動く事は無い。

 僅か十数年しか生きていない若造に、数十年の苦悩の末、辿り着いた答えと掲げる理想を覆す力などある筈も無かった。

 ──尤も、それはシュテンでさえも有り得ない。

 

「若くして弱くも勇ましく。向こう見ずの無能共とは違い、身の程を理解しても尚、挫けぬ心。……何れは龍門を背負う身となるのかもしれんな。……じゃが時には知らねばならぬ事もある」

 

 ──実力の伴わない勇気は蛮勇に過ぎない。

 

「現実の残酷さ、己の無謀さを、の」

 

 冷徹な瞳のまま、鼠王が視線を送ったのは、未だ巨腕に囚われたままのテキサスであった。その意図に理解したソラとバイソンであるも、駆け出して間に合う距離では無い。

 

 締め付ける巨腕の圧にギシギシとテキサスの体が悲鳴を上げる。全身へと激痛が走ったのか、テキサスは意識を取り戻して苦悶の声を上げるも、その痛みから逃れる術は無い。

 

 助けを乞う為に、とソラは周囲を見渡しても、この状況を打破出来る人は存在しなかった。

 

 未だにミズ・シチリアと牽制し合うモスティマ。彼女もまた、周囲の状況を把握し切った上で、不満げな表情を浮かべながらポツリと呟く。

 

「……流石にこれ以上は看過出来ないね。お爺さんは──スラムは本気で私達と事を構えるつもりなのかな? どちらにせよ──シュテンに任された以上、計画外の行動は──」

「あら、言った筈よ? 貴方は私が相手をすると。それに──そんな化け物を出されちゃこの物語が台無しじゃない」

「……気味の悪いくらいに知ってるじゃないか」

 

 鍵と錠。対となる二杖をモスティマは構える──のをミズ・シチリアは許しはしない。懐から抜かれた短剣に阻まれ、不可視のアーツへの対処で体勢を崩される。

 決してモスティマも本気ではないとは言え、ミズ・シチリアも笑みを浮かべて余力を残している。加えて相手が鼠王となれば、幾らモスティマと言えど荷が重すぎた。

 

「……ぐっぅ……」

「テ、テキサスさん!」

「安心せい、先も言った筈じゃ。これはシュテンの犯した罪の代償。命までは取らぬと。……尤も、その後の生活を保証する術は無いがな」

 

 締め上げる力が強まり、最早身動きも、呼吸さえままならぬテキサスは表情を大きく歪める。

 

 何一つ助けにならない自身の弱さ。そんなソラの心は歯痒さと劣等感を抱き始めた。

 シュテンの手助けにより、サポートの面においては優秀な結果を残す事は出来るも、いざと言う非常事態においては余りに無力。

 腕力もスピードも知恵も特筆するべきものが無い。ただユニークとも呼べるアーツを歌に込められるだけの──

 

「──ッ!」

 

 劣等感に苛まれる中での本能的な一つの閃き。一筋の活路にもならない唯の直感。

 

 ソラの震える手足と身震いする程の恐怖。それでも尚、彼女の心は未だ折れてなどいない。

 

 ──怖い。

 ──怖い。

 

 力になれるかどうかも分からない。精々、補助としての役割しか果たせない自身のアーツ。

 

 ──でも。それでも!

 

 それでも尚、テキサスを想う心はペンギン急便の誰よりもあると信じている。

 

 ──だからこそ、彼女は歌う。

 

 テキサスを救いたい、ただその一心を歌に込めて。

 

 殺伐とした場に相応しくない、陽気でアップテンポな歌声が響く。ソラは周囲の情報を遮断し、瞳を閉じて言葉を紡いだ。

 

「……慮るだけで人を救える程、甘い世界で無い。その理解しておらぬ訳ではあるまい」

 

 そんなソラに対し、嘆息する鼠王の表情に浮かぶのは憂いを見せる物悲しさ。その意味を、その内心を真に理解出来る者などいる筈も無い。

 されど鼠王の手は緩みはしない。テキサスを見据えたまま片腕を伸ばし、淡々と圧力を強めていた。

 

「……?」

 

 ふと、鼠王の手元に感じる違和感。

 伸ばした腕に視線を送るも、何一つ変化は見られない。老化による身体能力の低下──とも違う不自然さ。

 

 ほんの僅か鼠王の動きが止まった直後であった。

 

 心地良い歌声に誘われるように、一秒に満たない瞬く間、鼠王の意識が掠れる。瞬時に力が抜けて崩れそうになる膝。杖に体重を預けて事なきを得たものの、確かな隙が生まれていた。

 

 その瞬間、鼠王は自身の認識間違っていた事を認める。

 

 ただのサポートだけの女ではない。歌に乗せるアーツは変幻自在に姿を変える万能の代物だと。

 

 直ちに対処するべき優先度を改めた鼠王は、テキサスへ意識を配ったままソラへと視線を向けて、杖をかざしてアーツを発動させる。

 そして即座に間に割り込むバイソン。盾を構えて衝撃に備える──が、音も風も砂も、何一つ訪れはしなかった。

 

 静寂の中、ソラの歌声だけが響き渡る。その不可解な状況に痺れを切らしたバイソン。盾越しに鼠王へ視線を向ければ、目を見開いて驚愕の表情のまま硬直していた。

 

 ──コツン、コツンと重厚感のある音が聞こえてくる。

 

 そして甘い、砂糖と果実──特に林檎を混ぜたような胃を刺激する香りが漂い始めた。

 目紛しく流れてくる情報にバイソンは混乱気味になるも、鼠王からは決して目を離さないように注視している。

 

 その直後であった。透き通るような声で心地良く響いていたソラの歌声が、まるで存在が消え去ったかのように消失する。未だ鼠王に動きが無ければ、ミズ・シチリアもモスティマと対峙したままであり、歌声が消えるような危険がソラの身に迫る筈も無い。バイソンは状況を把握しきれないでいた。

 

 だがその不安も、混乱も、恐怖も。

 

 次いで聞こえてくる声に全てが霧散する。

 

「──ソラ、よく頑張ったな。おかげで間に合ったぞ」

 

 僅か数度の顔合わせに過ぎない存在。それでも尚、自身の誇る最高の実父に匹敵する存在がそこにいた。

 

「バイソンも随分と逞しく成長したじゃないか」

 

 声に呼応するようにバイソンが振り返る。

 

 煙管を片手に紫煙を立ち昇らせ、空いた片手でソラの頭を乱雑に撫でている──シュテンの姿があった。

 

「シュ、シュテンさん! テキサスさんが! ……え、あ、そ、その姿は……」

「遊んで来ただけだ。騒ぐ程の事じゃない」

 

 シュテンの登場により、歓喜や安堵を見せるソラである──が、その姿は異様と呼べる状態であった。

 傷らしい傷は無いものの、一張羅である筈の和服は上半身を曝け出す程に大きく裂けている。それ所か、残った衣服には夥しい程の血糊が張り付いていた。

 そして出ていく前に持っていた筈の大刀の姿は無いとなれば、何かいざこざがあった事は窺い知れるだろう。

 

「後は俺に任せておけ」

 

 ──だとしても。シュテンにそう言われてしまえば、全てを委ねてしまう不思議な魔力があった。

 彼に任せれば全てが上手くいく──そんな予感がソラの不安を消し去る。

 

 チラリとシュテンが周囲を視界に納める。

 

 胴体と首が切り裂かれたエンペラー。

 真っ白な少女──ミズ・シチリアと推測出来る者と対峙しているモスティマ。

 痛みに顔を歪めて倒れ込むエクシアとクロワッサン。

 そして──今にも握り潰さんと掴まれたテキサスの姿。

 

「……随分と早い到着じゃな。フェイゼの娘でも時間稼ぎにならんか。とは言え──肩に背負っていた貴重な刃を失ったのう?」

「つまらん問答もお前の思惑もさして興味は無いが、ひとつ聞いて良いか?」

 

 冷静さを取り戻した鼠王が口を開くも、シュテンは一蹴。視線を合わせもせず、周囲の状況と経緯把握に務めていた。

 

 既に酒呑童子の血が沸き立っているのか、真っ赤に染まる瞳は感情が膨れつつある。大気が震えると思わせる程の威圧感。長く白い髪が波打っているようにさえ感じさせた。

 

 自身の中で全ての情報を処理し終えたのだろう。何処までも力強く、揺らぐ事の無い眼差しが鼠王を貫く。

 

「──お前はペンギン急便()に喧嘩を売っているのか?」

 

 怒気を孕んだ鬼の申し子が、貧困窟の王へと牙を剥く。



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EX.喧騒の掟 Ⅵ

 

 シュテンと敵対するという意味。それは自殺行為に他ならないと、彼の暴力を見れば誰もが思うだろう。

 一挙一動が死を纏う死神。その認識はウェイや鼠王に於いても変わりは無い。争うくらいであれば、上手く利用して使役した方が幾分も利益を生む事は言う迄も無かった。

 

 当然、シュテン自身の認識も同様であり、その結果が今の龍門に於ける立場なのだと理解している。

 

 だからこそ、シュテンは鼠王に問い掛けた。

 

「お前はペンギン急便()に喧嘩を売っているのか?」

 

 その言葉は言わば最終警告。今にも暴れ狂う衝動を抑え込み、熱い吐息を吐き出しながらシュテンは構えていた。

 ここで矛を収めれば全て不問にしてやる、と。長い付き合いの執政者が相手だからこその問いである。

 

 不遜。

 紛うことなき傲慢な態度。

 

 鼠王と言うスラムの王に対して余りにも無礼な発言は、聞く者が聞けば逆上しかねない程の暴言である。

 されど鼠王の心は平静を保ち続けた。恐れなど(おくび)にも出さず、冷徹な笑みを浮かべて口を開く。

 

「愚問じゃのう、売っておらぬ訳が──っと、油断も隙も無い。動けば子奴がどうなるか分かっておろう?」

 

 言葉を返したその瞬間、シュテンの全身に力が漲ったのを鼠王は見逃しはしない。その剛力が振るわれるよりも早く、捉えているテキサスを人質として突き付けた。

 まるで石像の如く微動だにせずにシュテンは停止する。

 

「何、命までは取らん。それが龍門の掟じゃ。だが──手足の一本は貰う予定でいたがの」

「だったら俺の腕でどうだ?」

「──ホ。ホ、ホ……カ、カカカッ! 異な事を言う! その暴力が振るわれぬまま鋼よりも強靭な肉体を切り飛ばせる保証など、万が一にも存在せぬだろうに!」

 

 喉の奥から込み上げる声で笑い、鼠王らしからぬ姿を見せていた。

 狂気にも似た荒唐無稽な発言。その上、自己犠牲を是としない筈のシュテンが、そこまでの言葉を口にする事自体、余りに異常なのだと。

 

 故に鼠王は思う。

 ──それでこそあの信憑性が増す、と。

 

 だがシュテンは鼠王に言葉を返すこと無く、チラリとモスティマを視界に収めた。

 

「モスティマ」

「……はぁ、うん、そうだよね。分かってるよ。それが貴方の生き様なんだから」

「その女の相手は任せたぞ」

「うん。シュテンも気を付けてね」

 

 何処か憂いを帯びながらも諦めたように笑うモスティマ。言葉など不要と言わんばかりにたった一言名前を告げるだけで心を通じ合わせる。

 そんな彼女の姿を見て納得したシュテンは、手にしていた煙管から火種を捨ててソラへと手渡した。

 

 コツコツと足音を立て、少しだけ鼠王へと歩み寄り、対面する。

 

 そして──

 

「ッ!」

 

 ──自らの右腕で左腕を掴み、引き千切った。

 

 肘から先が無くなった左腕から、夥しい程の血煙を上がる。

 想像を絶する痛みを伴うであろう自傷だと言うのにも関わらず、シュテンは眉間に皺を寄せるだけであり、悲鳴どころか呻き声すら出さないでいた。

 

 幾ら本人が言葉にしていたとは言え、余りに突発的な行動。鼠王、そしてミズ・シチリアさえ、瞠目し、思考が停止して硬直する。

 忽然とした事態を把握するのに肝要なのは老練な人生。鼠王ならばコンマ何秒とあれば正常な思考を取り戻すだろう。

 

 ──されどその刹那の時間。シュテンを前にしてその隙は致命的である。

 

 予備動作も音も無く、鼠王の視界からシュテンの姿が颯と消え去る。──否、無音では無い。音を置き去りにする程、稲妻の如く動いただけの話。

 鼠王がその事実を把握出来たのは、シュテンが目の前に現れたその直後。先まで居た場所の床が弾け飛び、爆音を奏でていたからだった。

 

 シュテンの全身が悲鳴を上げるように、ビキビキと不穏な音を鳴らす。鼠王に対して半身となって脚を広げているその姿から、力を溜め込んだ豪脚が放たれるのは誰が見ても明らかであった。

 

 ──思考が、身体が追い付かぬ。

 

 絶対防御に守られたその身でさえ、死の予感を感じさせる暴力。未だ鼠王の思考はシュテンに隙を突かれて距離を詰められた状態に過ぎず、その一撃が到達するまでに行動を起こせる余裕など無かった。

 

 ──それ故、鼠王は全身の遍く筋肉を脱力し切った。

 

「疾ッ──!」

 

 訪れるべくして訪れた衝撃。小さく息を吐いたシュテンから放たれた回し蹴りは鼠王の身体──に纏う砂の障壁に直撃する。

 

 轟音の響き渡る衝撃波。宛ら空爆を受けた爆心地のような、人体同士の衝突とは到底思えない。

 まるで弾丸の如き速さで鼠王の身体が吹き飛んで行く。鉄板の外壁を容易く貫き、隣の家屋、更にその先の家屋へと貫通した。

 幾度と続く破砕音が十数秒続いた現実を考えれば、遥か遠くまで鼠王が飛ばされたのか容易に想像出来るだろう。

 大きく破壊された壁の先、深淵と言わんばかりに延々と続く爪痕。鼠王の姿は最早視認する事は叶わない。

 

 余りに遠くへ引き離された結果、鼠王のアーツ──テキサスを捉えていた巨腕が崩れ落ちる。倒れ込みそうになるテキサスを支えるように、シュテンはそっと体を体で受け止めた。

 

「シュテン、すまない……」

「いや、俺の見立てが甘かった。良く耐え抜いたな、十分な働きだ」

「違う! そうじゃない! わ、私のせいで腕が!」

「ん? ……嗚呼、安心しろ。こんなもの(・・・・・)そのうち元に戻る」

 

 まるで余裕の無い、焦りすらも感じさせるテキサスの対応に対し、怒りを顕にしながらも冷静のままなシュテン。

 切断面すらズタズタになっていた左腕の傷口同士を右腕で押さえ、いつの間にか密着させていた。さも当然のようにその手を離せば、既に出血は止まっている──どころか、癒着し始めており、痛々しい傷跡を残すだけであった。

 だがその腕は万全な状態とは言い難いようであり、僅かに指先の震えが見られる。

 

「エクシア、クロワッサン。仇は取ってやるからな」

「いやいや、あたしはまだ死んでないからね?」

「あたしは、じゃないやろ! ウチも死んでへんで!」

 

 軽い言葉を返しながらも、エクシアは脇腹を、クロワッサンは腕を押さえていた。動く度に激痛が走るのだろう、笑みを浮かべながらも時折痛みを堪えるように顔を顰めている。

 

「さて、続きだ」

 

 ペンギン急便の容態を確認し終えたシュテンがミズ・シチリアへと振り向く──事は無かった。鼠王の吹き飛んで行ったその先。ただ一点を見つめ、目にも止まらない速度で駆け抜けて行った。

 

「……なぁソラ」

「……? どうしたんですか?」

 

 何処か神妙な面持ちで、テキサスはポツリと話し出す。

 

「……仮にもし、だ。シュテンの腕が動かなくなったとしたら……」

「……そうなったら、皆で支えて行かないと、ですね……」

「いや、私の全てを捧げてでもシュテンの右腕となれば良い。……寧ろ、そこまで行けば最早伴侶なのでは無いのだろうか?」

「テキサスさん、頭打ちました?」

 

 ほんの僅かな時間、たった一人の男が現れた──それだけで場の空気が一転する。殺意と暴力に塗れた緊張は見事に解け、何時もの軽口を叩く様子すら見られた。

 

 そこまで全幅の信頼を寄せられているシュテンだからこそ、物語が上質に彩られる──そう、ミズ・シチリアは確信し、笑みを深めた。

 

「あら、私の事は見向きもしてくれないのね。これでも絶世の美少女なのだけれども」

「君のようなちびっ子には興味無いんじゃないかな? それよりも──まだやるつもり?」

 

 シュテンが鼠王を相手するとなれば、モスティマにとってこの状況は、錠を解く必要の無い易々たる物である。

 何時もの余裕を取り戻し、手馴れた手つきで杖を構えた。

 

 しかしミズ・シチリアは笑みを浮かべるばかりであり、無防備な姿を晒したまま。既に闘う意志は無いようであり、音も無く静かに歩き出した。

 

「彼が来たのならもう貴方と争う必要は無いわ。飽くまで鼠王が貴方達を捕らえる為の時間稼ぎだったのだもの」

「そうだろうね。ならもう貴女の計画は瓦解したと諦めたの? 次いでにその計画について話してくれても良いけれど」

「私はただ楽しければ良いのよ。人の不幸と悲劇。それを見る事だけがこの世を謳歌する全てなの。だから──この結果も物語の分岐の一つに過ぎないわ。……それよりも鼠王の計画について考察した方が良いんじゃないかしら?」

 

 真に考えるべきは鼠王の行動だとミズ・シチリアは語る。

 

 何故ペンギン急便、もといシュテンと争うのか。

 何故シュテンを引き離し、ペンギン急便のメンバーを襲ったのか。

 何故メンバーを狙うなどとシュテンの琴線に触れる行動をするのか。

 

 その酒呑童子の強さを誰よりも知っている筈の鼠王が。

 

 そしてミズ・シチリアと言う異分子。シラクーザを裏で支配する鼠王と同等の怪物。

 蠢く情勢と龍門の立ち位置とスラム街に蔓延る懸念。

 

 モスティマはその全てを混ぜ合わせて黙考し、混沌とした其々の思惑を仮定とした中で、一つの結果だけが視えてくる。

 

「……まさか、君が、彼を……」

「ご明察よ。聡いのね、モスティマ。私、賢い子は好きよ。そんな子が簡単に私の掌に踊ってくれるのだから、本当に可愛いわ」

 

 普段から全てを見通すように笑みを浮かべているモスティマが驚愕の色に表情を染める。そんな光景でさえ、ミズ・シチリアは愛おしそうに狂った笑みで見つめていた。

 純白の絹糸のような髪を揺らし、蛇の如く赤い瞳がペンギン急便達の姿を捉えるように視線を動かす。

 

「主人公はシュテン。ヒロインは貴方達。不本意だとしても鼠王は必ず遂げるわ。それが彼にとっての悲願なのだから」

 

 コツコツと歩く姿は無垢な少女そのもの。だがカポネやガンビーノの死体を見向きもせずに踏み抜き、出口に立つ彼女の姿は間違い無く死神であった。

 

「さぁ、悲劇の結末を奏でに行きましょう。貴方達が居なければ、物語は不完全燃焼で終わってしまうもの」

 

 ──死色に染まる、酒呑童子の結末を見る為に。

 

 

 

 

 

 

 チカチカと明滅を繰り返す視界と全身に走る鈍痛が生の実感をさせる。

 

 砂煙の中、杖に身を任せながら鼠王は立ち上がった。

 

「……ふぅ」

 

 ペンギン急便にさえまともな傷を与えさせなかった障壁は、殆どに亀裂が走っており、特にシュテンの回し蹴りを受けた場所に関しては無惨なまでに砕け散っている。

 だがそれでも──大きな傷を負う事無く直撃を受け流す事が出来た。

 

 それは紛う事無き珠玉の経験。本来であれば衝撃だけでも上半身が消し飛ぶ威力を、ただ脱力を仕切るだけでも四肢の欠損も無く、継戦する事が可能なのだ、と。

 

(尤も、限度はあるが、の……)

 

 だが鼠王には対シュテンの対策として、十年の時を越える対策を行ってきた。辛酸を舐めさせられた過去。その苦渋は忘れもしない。

 

 初めて鼠王がシュテンと出会ったのは、龍門と全面戦争をしていた頃である。それも戦場。互いの兵士が命を削り合う真っ只中で、ウェイが直々にその男を連れて鼠王の前にやってきたのだ。

 

 ウェイの連れて来た傭兵。その程度の認識でしか無く、嘗めていたのも事実であった。

 結果は敗北。それも文句のつけようが無い程の大敗。

 

 獰猛な笑みを浮かべて拳のみで鼠王の障壁を破壊していく、まさに鬼を体現する姿。恐怖し、逃げ、命懸けで反撃するのがやっとだった。

 その直後に鼠王は気付いたのだ──この男はまだ遊んでいるだけなのだ、と。

 何故ならば飽きたように直後に取り出した大刀。その一撃は不可思議な力が加わっているとしか思えない程、容易く障壁を切り裂かれた。

 そして隙間を貫くように叩き込まれる拳。小柄なザラックではどうしようも無い暴威に、一撃で意識を刈り取られた。

 

 気を失う直前、恐怖と驚愕を浮かべるウェイと、悪魔的な笑みを見せていたシュテンの姿は未だに焼き付いている。

 

 それが鼠王にとって初めての敗北であった。

 

「……ホホ。当時はワシも若く、天狗になっておった」

 

 その過去が鼠王をより強く、強靭さと柔軟さを兼ね備えさせた化け物へと進化させた。

 それでも尚、未だ彼にとってシュテンとは、最強の代名詞であり、恐怖の対象でもある。

 

 ──故に今日の戦いには凡百の計謀が張り巡らせてあった。

 

 シュテンが鼠王の元へ訪れようとするのも、

 

 チェンとの戦いで大刀を失うのも、

 

 途中で仲間達の助けに入るのも、

 

 全てが計画通りに過ぎない。

 

「策略においてはワシの方が上手じゃろうが、洞察力は間違い無くお主の方が上じゃ。何処まで未来が読めておる?」

 

 そしてペンギン急便の仲間達に手出しして怒りを買う事さえ。

 鼠王にとって、情報(・・)の信憑性を高める確認に過ぎない。

 

「──のう? シュテンよ」

 

 埃を払い視線を向けた先には、紅蓮の瞳に怒りを宿し、昔のままの姿で獰猛な笑みを見せる鬼がいた。

 

 

 

 

 シュテンと鼠王が対峙する。邪魔も観客も居ない。間違い無く今宵の終着点は此処にあった。

 

「……愛娘の為にも先に一つ伝えておくぞ。ユーシャは何一つ噛んではおらぬからな。彼奴を恨む事は勘弁してやってくれぬか?」

「……成程。俺を出し抜く為に娘の思いさえも利用するか。随分と手の込んだやり方だな。……次いでに聞かせてもらうが、ウェイとピーターズについてはどう言うつもりなんだ?」

「各々の思惑の中でワシに力を貸しとるに過ぎんよ。あまり責めてやるでない」

「……まぁ良い。下らん事を聞いたな。詳しい事は本人から聞いてやる」

 

 その言葉を皮切りに、シュテンが大きく腰を落として腕をだらりと脱力する。

 今にも獲物に飛びかかろうとする猛獣の姿そのものであった。

 

「昔の馴染み故に警告はしたぞ。俺が遊んで(・・・)やった昔みたく、死に物狂いで足掻け」

「何故ワシがペンギン急便の仲間を狙ったのか聞かずによう言うのう。……そもそもじゃ、シュテン。お主が龍門の掟を破り、スラム街で人を殺し過ぎたのが事の発端なのじゃよ。それを見兼ねた──」

「──詰まらんな。言葉に重みが無い。貧民窟の鼠王と呼ばれる程の男が、俺を相手取るのに浅はかな理由の筈が無いだろう。……いや、その浅はかさだからこそ見える理由と言うのもあるか」

「……フォッフォ。やはり鋭い読みと強靭な精神。お主に言葉を掛けても微塵も心は揺れぬか」

 

 鼠王の纏う障壁が音を立てながら修復していく。──否、それまで以上の強度と柔軟性を備えた、対物理障壁へと変化を遂げていた。

 老いても尚、卓越したアーツは未だ現役。両手で杖を突き、龍門の混沌を掌握してきた灰色の林が牙を剥く。

 

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず。幾度とお主の事を思い、敬い、憎み、生きてきたと思う? もう意表は突かせんよ。その暴力、最早ワシには届かぬ」

「ぬかせ。俺は仲間──いや、家族に手を出す奴は誰であろうと赦すつもりは無い。だから──」

 

「──潔く死ね」

 

 疾風迅雷。

 怒涛の砂煙を立ち込めながら、最初に動いたのはシュテンであった。暗闇の中でも分かる程、血の滾る瞳をギラつかせながら鼠王に接近。その直後に右拳が弧を描いて飛来する。

 

 目にも止まらない神速。鼠王の動体視力では捉える事は不可能であり、右拳を振りかぶった時点で未だ視線は動かないままであった。

 

 間違い無く鼠王の顔面を捉える一撃。──だがその拳が鼠王に当たらないまま、障壁を沿うようにして空を切る。

 

「──ほお」

 

 感嘆の意を見せるシュテンであるも、即座に大きく背後へ跳躍した。直後、鼠王の周囲に砂の槍が貫かんとばかりに地面から顕現する。

 その予兆を見事に感知して回避したシュテンに対し、鼠王は追撃。着地する足場を事前(・・)に察知して軟化させた。更に重心が崩れて膝を曲げたシュテンに向けて、数多の砂の刃を生成する。

 身丈程までに立ち昇り、切り裂かんとばかりに地を這いながら殺到させた。

 

 回避する術など無いシュテンの取る行動はただ一つ。真正面から打ち砕くのみである。

 

 砂の刃が自身の射程圏内に入った時、右拳を眼前に構え、体重を乗せない手打ちの打撃を繰り出す。速度に特化した拳は風切り音すら置き去りにし、絶え間無い破裂音を鳴らしていた。

 ほぼ同時に放たれた数多のアーツさえ、シュテンに届くこと無く霧散する事となる。

 

「随分と小癪なアーツの使い方を覚えたな」

 

 流石に無傷とは行かなかったのだろう。右拳から血を滴らせながら、視界には何も映らない筈の周囲を眺めてポツリと呟く。

 その言葉に鼠王は眉を跳ね上げてシュテンを注視した。

 一手交えただけの言わば挨拶代わり。にも関わらず、鼠王が時間を掛けて構築した結界。それをシュテンが容易く見破るとなれば、敵ながら見事な慧眼と褒めざるを得ない程であった。

 

「ここ一帯の宙に舞う砂は全てお前の手中か」

「……お主は粘土の粒子すらも見極められる視力を持っておるのか?」

「まさか。ただ似たような事を仲間にやらせてみただけだ」

 

 そう言ってシュテンが思い浮かべたのはソラのアーツ。歌に乗せて効果を発揮する特殊な能力故、その多様性は見張るべきものがあると常々考えていた。

 その一つとして声の反響を利用した索敵──所謂、一部の動物が利用するエコロケーションが可能かどうかをテストした事がある。

 しかしながら、アーツを飛ばして反響させ、その僅かな違和感を感じ取って計算し、敵の位置や体勢を把握する──その繊細な感覚と緻密な計算と絶え間無くアーツを使いながら行わなければならない。

 

 余りに高い難易度故、試験にすらならなかったのを覚えていた。

 

 だが、それでも。指先の如く繊細なアーツを有する目の前の男ならやって退けるだろう──そう、シュテンは周囲に漂っているであろう砂を触れるように、腕を動かす。

 

「しかし……相変わらずの化け物じゃな。話には聞いておったが、まさか術者も無しに腕を接合させるとは。……だが左腕が動かない所を見るに、万全とは言い難いようじゃのう」

「それはお前も同じだろう? 空間に張り巡らせた砂塵で空間認識と先読みを繰り返しながら、並行思考で攻撃する為のアーツを発動させ、命懸けで俺からの攻撃を避けねばならん。脳を焼き切るつもりか?」

「ホホ──シュテン、甘く見るなよ」

 

 鼠王の老体には過負荷な思考の積み重ね。シュテンは腕の不利など気にも留めず、まるで老体を労わる様な、憐れみを含んだ笑みを見せる。

 

 ──その言葉を皮切りに鼠王から年相応の穏やかな空気が霧散した。

 

 余裕の笑みを消し、肌が痺れると感じさせる程の威圧感。龍門の深淵を肌身に感じて見続けてきた男の瞳に映るのは、感情の見えない混沌であった。

 

 一定の強さを超えた者にしか出せない雰囲気(オーラ)と言うものがある。

 先のチェンがその領域に踏み込んだものの、この男の才能は彼女を凌駕する。昔の鼠王でさえ、その領域に踏み込んでいたのだから。

 

 そして今も尚、シュテンを倒す──その一点だけに特化し、対策し、開発を繰り返してきたのだ。

 

 戦いを楽しむのは自身の悪い癖──そう、シュテンが分かっていても止められるものではない。肌を突き刺す圧を感じれば感じる程、笑みが溢れ、口角が上がっていく。

 目的と大きく掛け離れた感情と理解しつつも、その本能に抗う術は無かった。

 

「多くの同胞の亡骸で作り上げたスラムの為であれば、命を削る事に恐れなど無い。安魂夜が明けるまで戦い抜けるだけの精神力は持っておる」

「──はははは! そうか、それが本音なんだな! ならばリンよ、理由はどうあれもう止まる訳にもいかんな!」

「左様。愉快な戯れも終焉じゃ」

 

 最早言葉は不要、と腹を抱える程に大声で笑っていたシュテンの姿が闇へと消えた。

 だが鼠王は見えなくとも知っている。その姿は地に伏せるようにして足元に現れたと言う事を。

 

 視界に映らない位置からのシュテンの足払い。一般人であれば脚ごとへし折れる攻撃も、全てを予兆していた鼠王は軽く跳躍して回避する。──が、僅かに浮いたその瞬間、強引に筋力を最大限に活かし、体勢を変えたシュテン。有り得ない体勢から掬い上げるようなアッパーが放たれた。

 

 回避行動を取らせない為の不規則な一撃。だが当然、鼠王はその行動を逸早く察知している。

 拳が当たる直前に、生成した砂の足場にて体勢を変えてギリギリの回避。障壁がビリビリと悲鳴を上げて、空気を切り裂く拳の音が耳元で響き渡った。

 

 神経が擦切れる程の相剋。だが精神的な負担は間違い無く鼠王の方が大きい。

 

「仕切り直しとするぞい」

 

 超接近戦の戦いは分が悪いと判断した鼠王。自身の纏っていた障壁を爆散させてシュテンを吹き飛ばす。

 激しい耳鳴りが響く中、シュテンは即座に体制を立て直して鼠王へと接近。だが爆ぜた障壁に使われた砂が全身に纏わりつく。それは行動を鈍化させ、動きを阻む。何十キロにもなる砂の重り。

 歩く事すらままならない筈の重さの体──を、シュテンは変わらぬ速度で駆けた。

 

「この程度、枷にもならんな!」

「──ッ!」

 

 想定外の速さに刮目する鼠王であるも、戸惑う事無く即座に対応する。シュテンに纏わせた多量の砂。その砂を収縮、収縮、収縮──と、ひたすらに加圧させていく。

 

「ほお……!」

 

 僅かに動きを鈍らせたシュテン。好機と睨んだ鼠王は更に砂を掻き集め、全身を覆う程に砂を殺到させた。

 逃がさんとばかりに纏わりついた砂が徐々に、徐々にとシュテンの形に変形していく──そう思わせる程に砂が全身を覆う。

 

 多少腕に覚えがある者でも、瞬く間に肉塊へと潰される重圧。最早シュテンでさえ身動きを取る事は不可能であった。

 

「──ふむ」

 

 鼠王がグッと掌を握り込めば、黄土色の砂の山が所々真紅に染まった。

 

 より強く、強固に砂が収縮して肉の潰れた音が響き渡る。

 

 延々と流れ出る血液がそのダメージを物語っている。先程まで獰猛さを見せていた状況とは裏腹に、最早シュテンからの動きは感じられなかった。

 

「……思ったより呆気ない結末じゃの」

 

 砂から伝う情報を探っても、心音はあれど呼吸をしている様子は無い。

 自身の中でシュテンと言う偶像が余りに巨大だった事に対する落胆か。鼠王は何処か拍子抜けた、覇気の無い言葉を漏らした。

 

 

 

 

 

 

 だが鬼の始祖たる酒呑童子。

 

 その不死性は鼠王の想定を上回る。

 

「──ハ、ハハハハハッ!」

 

 豪腕を振り回して血で凝固した砂を吹き飛ばす。

 

 全身の皮膚が裂け、一部の肉が削がれ、余すこと無く鮮血に染まる身体であろうとも、シュテンは豪快に笑って姿を現した。

 

 鼠王の知る中でシュテンを追い詰めた者が存在しない以上、その耐久力を、生命力を正しく測る事など出来なかった。

 故にこの分岐点において、鼠王は選択を誤ったのだ。

 

「リン、誇って良いぞ! 俺と殺し合いが出来る相手など、この混沌の世でも数える程だからな!」

 

 敢えて(・・・)動きを止め、呼吸を溜めていたシュテンは大きく息を吐き、一足飛びで鼠王の正面へと到達する。

 

 と、同時に振り抜かれる右拳。変わらぬ神速を誇る打撃が未だ撃てる事に、鼠王は驚く余裕すら無い。思考をフル回転させ、体勢を崩しながらも何とか避け切る。だがその衝撃を逃がし切れなかったようで、障壁に僅かにだが罅が入った。

 そして備えるべき追撃。左腕は使えない物として、両脚からの蹴りのみに注視。僅かな動きすらも見落とさぬ集中力と冷静さを即座に取り戻す。

 

 そしてシュテンから、最速のみを特化させた一撃が振り抜かれた。

 

 動かない筈の左腕から。

 

「──が、はっ!」

 

 亀裂の入った障壁見逃す事無く、貫かれた拳は鼠王の腹部を捉えた。内臓を全て抉り出すような一撃に、鼠王の肺から一気に吐息が吐き出される。

 小柄なザラック族故に、その身は容易く空中へと浮かび上がった。吐瀉物を撒き散らしながら見せる苦悶の表情。均衡は一瞬にして崩れ去った。

 

 アーツを駆使して鼠王は空中で体勢を整える。緻密な操作の元、宙に浮きながら周囲を確認する──が、目を離していた僅かな時間。既にシュテンの姿は消えている。

 

 ここに来て漸く、鼠王はシュテンと言う個体の強さの本質を理解する事が出来た。

 腕力でも知力でも耐久力でも無く、真に対策しなければならないのはその圧倒的な回復力。

 

 ならば全身に重傷を負った今こそがチャンスなのだと理解する。追撃の手を休める事無く、傷を負わせ続けるべきなのだ、と。

 

 しかし幾ら砂塵の範囲を広げようとも、その姿を認知する事は出来なかった。それどころか、廃墟となったこの建物中を探せど生物の姿は無い。

 

 と、なれば残るは開け放たれた扉から出て行った可能性のみ。

 

「逃がす訳にはいかぬ」

 

 ──後一つの欠片を待つのみなのだから。

 

 



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EX.喧騒の掟 Ⅶ



賛否両論あるかも。




 

 凄惨な場となった酒場を抜け、ミズ・シチリアを追うようにしてペンギン急便のメンバー達は龍門の車輪街を歩く。

 安魂夜に浮かれ、煌びやかで騒がしい街。辺りを眺めているペンギン急便達とは違い、この場に相応しくない顔をモスティマは見せていた。

 

「何故シュテンが酒呑童子と呼ばれるのか、貴方達は知っているのかしら?」

 

 ふわりとスカートを靡かせながら、ミズ・シチリアは薄い笑みを浮かべて振り返る。何を考えているかなど少しも悟らせない赤い眼。まるでペンギン急便を見定めるかのようにその視線を向けていた。

 

「私が教えたよ。シュテンの求めていた理想に近づく為にね」

「ふふ、健気ね。でもその位の方が都合が良いわ」

 

 嘲笑する姿は宛ら人造の絡繰人形。端正過ぎる顔立ちが余りに人外染みており、ソラとクロワッサン、そしてバイソンの背筋に悪寒が走る。

 

「傍若無人の権化。酒呑童子はまさにそんな男だった(・・・)わ。女とあらば襲い、歯向かう者には死を。アーツも無しに腕力のみで欲望のままに生き抜いた。強さの極地の一つね」

「……まるで見てきたような言い方だな。シュテンですら三桁の時を生きていると言うのに」

 

 さも酒呑童子を知人のように語るミズ・シチリアの様子に、テキサスは訝しんだ表情を見せて言葉を返した。

 しかし、その後に放たれた言葉には、モスティマでさえ驚愕せずにはいられない。

 

「何の因果か生まれた特異点。つまりね、私も酒呑童子も同じ存在なのよ。……尤も、あんなに品と知性の無い存在とは分かり合えないのだけれども。それでもあの強さには一目置いていたわ」

 

 何処か落胆するような表情を見せるミズ・シチリア。達者な口振りに反して見た目が少女と言う時点で年齢不詳と言わざるを得ないものの、シュテンを超える年齢だと言うのは想定の遥か上を行っていた。

 それどころかシュテンが酒呑童子と呼ばれるその存在──それすらも認識していたとなれば、如何に人を超越した存在であるのかは、ソラでさえ否応にも理解してしまう。

 

「──でも殺された。怨みを買う生き方では長生きしないものね。それだけ夥しい程の屍の上に彼の血は成り立っているのよ」

「……だからこそシュテンが生まれたんでしょ? そりゃ生い立ちや過去の話は確かに凄惨だったかもしれないけど、それでもあたし達は出会えた事に感謝してる」

「──ふふ。良いわ。凄く良い反応」

 

 悪徳非道を極めた酒呑童子の呪縛。その血の呪いはシュテンにも絶大な影響を与えており、時折見せる暴力性と残虐性がその事実を表していた。

 

 だがエクシアは苦虫を噛み潰したような表情で反論する。喩えそのような事実があろうともシュテンはシュテンであり、彼個人だからこそ救われてきた過去があるのだから。

 

 そしてミズ・シチリアは再び笑みを浮かべた。その言葉が聞きたかったと言わんばかりの満足そうな笑みを。

 

「でもそんだけシュテンはんの事を知ってるのに、悲劇だのなんだのって──」

「──知っているからこそ、断言出来るものがあるのよ。逆に聞くわ。あの酒呑童子すら殺された。その手法は知ってるかしら?」

「えーっと……毒で弱っている所を嬲り殺されたくらいにしか」

 

 シュテンの強さを知るからこそ、ムキになって反論するクロワッサンであったが、ミズ・シチリアはそれを一蹴。

 更に返した言葉に対し、ソラが過去を思い起こしながら言葉を紡いだ。

 その返答は凡庸だったのだろう。少しばかり嘆息しながらミズ・シチリアは語り出す。

 

「それでは正解とは言えないわね。正確には毒と酒によって無抵抗な状態のまま、心の臓を短刀で貫かれて死んだのよ」

 

 疑惑と警戒の眼差しを浴びながら、ミズ・シチリアは愉快そうに言葉を続ける。

 

「尤も、短刀の切れ味が悪いのも相俟って、まともに刺さらなかったようだけれども。何度も何度も何度も突き刺して──仕留めたらしいわ」

 

 その言葉が意図する事は、モスティマ以外の者が察知する事は無い。

 

「果たしてその方法が酒呑童子に有効であったのかしら──そう問われれば否としか言い様が無いわね」

 

 首を振り、自らの言葉を否定するミズ・シチリア。

 彼女の意図を理解しているモスティマだけが、小さく息を呑んで緊張からか拳に力が入る。

 

 ──確証など無い、身元不明の女が語る妄言。

 

 だがその底知れぬ異様さだからこそ、納得させるだけの力が言葉に籠っていた。

 

「だけど因果律と逆因果律。原因が結果を生むはずなのに、結果が原因を作り出す矛盾。その矛盾が前提をひっくり返してしまうのよ。本能、細胞、そして血が覚えてるのかしら。まるでウルフハンターに怯えるループスのようにね」

 

 そこまで語られて漸く、テキサスとエクシアの二人は勘付く事が出来た。

 長々と語る説明への合点。そしてシュテンを相手にして尚、これ程までの自信を備えている根拠に。

 

「さて、着いたわよ。私の仮説が正しいかどうか──直に理解出来るわ」

 

 ミズ・シチリアを追うままに辿り着いた廃墟の立ち並ぶ路地裏。

 未だ鳴り止まぬ破砕音が、シュテンと鼠王の存在を彼女達に報せた。

 

 

 

 

 

 

 静寂に静まる中、緊張を緩めない鼠王が地上へと降り立つ。

 僅か一撃を受けただけ。それだけの筈なのに内臓が悲鳴を上げており、今にも座り込みたい衝動にすら駆られる。

 だが弱音を吐いている暇など無い。アーツによる索敵範囲を広げてシュテンの姿を探し続けた。

 

 本当に逃げた訳ではあるまい──そう内心で呟きながら、破砕された壁と出入り口を見つめる。

 

 紛う事無き戦闘狂。血肉沸き立つ闘いを誰よりも好む男が、この状況下で逃亡する筈が無いと断言する。

 

 そして一分、二分と時が過ぎる中、全神経を研ぎ澄ました最中であった。

 

 突如として索敵内の空間が歪む。シュテン──では無い、無機質な何か。

 相当な大きさであるにも関わらず、弾丸の如き速さを以て接近している事を、鼠王は認知した。

 

「──」

 

 呼吸を止め、ほんの数センチだけ身体をズラすと、直後に削られる空間と鳴り響く金属の轟音。

 罅の入った障壁の先へと視線を向ければ──そこにはへし折れた道路標識が突き刺さっていた。

 

「やはり当たらんか。過去会った奴等の中でも、頭一つ抜けた空間把握能力だな」

 

 ザクザクと大地を踏み鳴らし、片手にもう一つの道路標識を携えたまま、気配を隠そうともしないシュテンが出入口の扉から姿を現す。

 それも何故か、赤く燃えるような紅色の映える和服へと着替えた姿であった。

 

「……随分と嘗められておるな」

「嘗めてなどいない。ただウチの娘共が此処に来る可能性を考慮する以上、裸同然の姿で居る訳にもいかんだろう?」

「それを嘗めていると言うのじゃよ!」

 

 痛む腹痛から滲む脂汗。それでも尚、アーツの精度は未だ変わらずに刹那の時間で砂の槍を作りあげた。

 より強く、貫通性能を持たせんとばかりに螺旋状に捻れた穂先。シュテンの心臓に目掛けて高速で射出されれば、空気を切り裂く甲高い音が鳴る。

 

 後手に回るシュテン。だが目にも止まらぬ動作から道路標識が投擲され、砂の槍と真正面からぶつかり、大爆発と共に霧散する。

 

「嘗めてなどいない。お前の未来視にも成り代わるアーツだからこそ、俺は小賢しい手段でしか打ち破れなかった。……だが悲しい哉。俺は正真正銘の人外であり、お前はザラックの域を超えられない。──たった一撃。それだけでその差は一目瞭然だ」

 

 そう。ただ着替えただけでは無い。至る所の皮膚と肉が裂けて流れ出ている血。それらは全て拭い去ったのだろうが、注目するべき部分はそこでは無かった。

 既に血の滴る様子は無い。それどころか、完治とまだは行かずとも生傷らしい傷さえ見当たらなかった。

 

 鼠王の背筋の凍る。どれだけ重傷を与えどもそれは致命とも言えず、この化け物相手に一撃で仕留める技量を持たねば、まともに立ち向かえない事に。

 

 ──それでも、だ。

 

「ワシは止まらぬよ。否、止まる事など出来ぬ。血に塗られた道を今更棄て、引き返す事など出来る筈も無かろう」

「だろうな。そう思っていた。──奥の手があるのだろう? ……早く見せろよ!」

 

 されど闘いは続く。最早この二人を止める術も理由も存在はしない。

 

 最速最短で駆け抜けたシュテンが拳を溜める。弧を描く左腕から繰り出されるフック。大きく回避せねば避けられない一撃が鼠王へと牙を向いた。

 

「くっ──」

 

 捻る身体。走る激痛に顔を歪め、鼠王の動きが僅かに鈍る。

 避けられない──そう判断した鼠王は即座に障壁を定点に展開した。より緻密で精巧な、極集中型のバリアである。

 

 その全てを踏まえ、理解した上で──シュテンは拳を止めなかった。

 ミシミシと骨が軋み上げる程に膨張する筋肉。獰猛な笑みを浮かべて、真正面から対抗する。

 

 耳を劈く破壊音と共に障壁に亀裂が走った。

 

 同時に小柄な鼠王の体が宙へと浮かぶ。凄まじい力故にまるでボールのように吹き飛ばされた。

 

 そして壁にぶつかる直前に、後方へと障壁を展開。コンクリートで造られている外壁を砕きながら遥か彼方へと──

 

「行かせると思うか?」

 

 追撃。

 

 音速を超えた移動術が鼠王とシュテンの距離を無へと縮める。極限まで地に伏せた姿勢から繰り出されたのは、定点の障壁に対しての蹴り上げだった。

 

 修復もままならぬ状態からの二撃。ボロボロと障壁が崩壊を始めて行く。

 

 そして吹き飛ばされていた衝撃を打ち消す程の、強烈な脚撃。鼠王の身体は遥か上空へと運ばれるように飛ばされて、天井を貫いていく。

 

 情報処理の最中に行われる追撃。脳へと過負荷を掛け続けようとも、軋む身体が最適解を拒んでいた。

 だがその時間も束の間である。音速を超えた衝撃波と共に現れたシュテンが既に屋根の上で待機しており、鼠王の姿が見えたと同時に再度追撃を放った。

 

 三撃。

 

 鼠王の定点の障壁を敢えて狙い叩き込む打撃。力尽くで叩き潰すと言わんばかりの不遜な行動であるも、シュテンの狂気たる笑みは深みを増していた。

 

 そしてその表情を裏付けるかのように──鼠王の障壁が完全に砕け散る事となる。

 

 障壁を突き破っても尚、止まる事の無い拳が鼠王へと炸裂した。

 胸元へと振り下ろすように放たれた一撃は肋骨を容易くへし折り、その身を地上へと突き落とす。建物など意に介さない強烈な一撃から想像するに、鼠王への身体的負傷は著しいものであった。

 

 シュテンからの追撃は──訪れない。だが同時に鼠王もまた、地に伏せたまま。

 

 吹き抜けとなった建物から飛び降りたシュテンは、ボロボロになった鼠王の姿を見下ろす。

 

 愛用の外套どころか衣服すらもズタズタに破れており、それでも離さなかった杖は手元からへし折れている。

 目、鼻、口何れも出血が見られ、内臓を痛めていた事は容易に想像が着くだろう。

 

「──あら、鼠王。随分な様になったわね」

 

 ミズ・シチリア率いるペンギン急便の社員達が、荒れ果てた戦場に辿り着く。

 圧倒的回復力で無傷にも等しいシュテンと満身創痍の鼠王。見るからに勝者と敗者が分かれる様子にミズ・シチリアは落胆を、そしてペンギン急便の全員は安堵の様子を見せていた。

 

「貴方はここで死ぬのかしら。……あぁ、それも良いわね。スラムの王である鼠王を殺したシュテン。龍門が沈黙に徹しようとも、その脅威を排除するべく動き出した炎国との戦争──なんて結末を迎えるのも楽しそうだわ。多くの血が流れて国が滅んでいく様を見られるわね。色々と手回しは必要だけれど不可能ではないもの。……尤も、スラム街は火の海に包まれるかもしれないけれども」

「……黙って見ておれ。ワシの意志は揺るがぬ」

「そ、なら良いわ。……一つ教えてあげるわ。もうすぐよ」

 

 理解の及ばぬ程に非現実的な発言をするミズ・シチリア。大国を動かすと言う不穏な言葉を吐きつつも、嬉々とした表情を見せている。

 

 だが鼠王の決意は確固たるものであった。未だ揺るがずに強い瞳のまま、シュテンを見つめる。

 

 今にも崩れ落ちそうな震える身体を起こし、砂のアーツの応用にて、ガラスのナイフを作り上げた鼠王。卓越した手捌きでナイフを自在に操る。その滑らかで淀みの無い動きはまるで手足のようであった。

 

 娘であるリン・ユーシャは近接格闘術において言えばテキサスさえ超越している。それが鼠王直伝によるものとしたら、彼自身もまた、並外れたものであろう。

 

 だが負傷に次ぐ負傷。歩く姿でさえ、今は年老いた姿が相応しいほどに力が無い。

 

 静寂の空間の中で響く鼠王の足音。眼前に立つシュテンでさえ見下ろしたまま動こうとしなかった。

 

「リン。何がそこまでお前を掻き立てさせる? 死に体になってでも、ミズ・シチリアの甘言に縋る何かがあるのか?」

「……シュテンよ。お主は間違い無く最強じゃ。肉体的にも、そして揺るがぬ精神も。だからこそ理解の及ばない世界もある」

 

 シュテンの問い掛けには答えようともせず、鼠王は言葉を続ける。

 

「……じゃがお互い変わったのう。こうして血迷った行動をするワシも、即座に殺そうとしないお主も。──ハリボテの家族ごっこで得られた愛はあったのかのう」

「…………。家族(なかま)の前だから命くらいはと思ったが……そうか」

 

 その一言はシュテンの琴線に触れる。

 

 何故鼠王が家族に拘る事実を認知しているかなど、最早些細な問題であった。今宵の中でも圧倒的なまでに膨らむ怒気と威圧感。モスティマやミズ・シチリアでさえ、本能が逃亡を選択したくなる程の恐怖。

 当の本人であり、目の前の鼠王に掛かる負荷は比では無い。かつてない手足の震え。反射的にナイフを切りつけてしまうも、集中力の切れたアーツでは肌を切り裂くことさえ不可能なまま砕け散る。

 

 炎のような双眼が鼠王の瞳を捉えた。たったそれだけで、金縛りにあったように全身が硬直してしまう。

 

「──死ね」

 

 小さく吐き捨てた言葉と共に、シュテンの剛腕が鼠王の首を掴みあげる。反応すら出来ない速度。両足は瞬時に宙へと浮く。

 

 反論も反撃も許さず。気道も声帯も圧迫された鼠王に為す術は無い。

 

 ──この空間に囚われていない者が現れなければ。

 

「シ、シュテンさん! 待って下さい!」

 

 ミシミシと音を立てて首がへし折れるその瞬間──大きな声を上げて建物へと侵入してきた者がいた。

 現状を把握出来ていないが故の無謀。だが彼女だからこそ、唯一異議を唱える権利を持っている。

 

 紫と黒色を基調とした服に身を包んだザラック族の女性──鼠王の娘、リン・ユーシャであった。

 

「…………」

 

 力を込めていた筈のシュテンの動きがピタリと止まる。ユーシャとシュテンの視線が交錯する中、掛ける言葉がある訳でも無い。

 

 だがシュテンは理解していた。ユーシャのその想いを。

 そしてユーシャも理解していた。目を合わすだけで理解出来るシュテンの聡明さを。

 

 不安、憤怒、悲哀──感情の入り混じる視線を受けて、シュテンは確信する。ユーシャは鼠王の計画とは無関係であったと。

 喩え鼠王の口から説明されようとも、元を辿ればユーシャからの手紙があったが故に、後手に回った事実がある。そこを楽観視出来る程、シュテンはお人好しでは無い。

 

 そして同時に、鼠王と無関係と判断した上で反芻してしまった手紙の内容。頭の回転が早すぎた故に脳内を過ぎらざるを得なかった。

 

 父とミズ・シチリアが安魂夜に何かしでかすようです。スラムの安寧の為には仕方の無い事、そう言っておりましたが、シュテンさんを巻き込む大事のようでした。どうか父を止める為にも助けて下さい──と。

 

 父を想う娘の手紙。愛し、愛されて育ったのを知っているシュテンだからこそ、尊さを感じてしまう親子の愛。

 それはシュテンの望んでいた夢でもあった。

 

 だからこそ──だからこそ、シュテンはユーシャを慮る。

 

 ここで鼠王を殺すと言う選択肢が、ユーシャと言う愛娘に対しての影響力を。

 

 猛っていた筈の血が淀む。

 

 力んでいた力が緩む。

 

 憤怒に染まる瞳が揺れる。

 

 喧騒が静寂へと変わるような──まさにそんな瞬間だった。

 

 

 

 この時、この瞬間だけ(・・)に勝機を見出していた男が、胸元に手を忍ばせて動く。

 

「──三たび思いて(しか)る後に行う」

 

 ユーシャと言う劇薬が投げ込まれた事による、鼠王への意識と警戒の抜け落ち──その事に気が付いたのは、鼠王が炎国に伝わりし言葉を紡いだ後だった。

 

「シュテン!」

「お父さん!」

 

 慟哭にも似た悲痛な叫び。モスティマとユーシャが声を上げるも、その意味する所は似て非なるものだった。

 鼠王が大地へと危なげに降り立つ。そして更に一振──手にしていた鈍く血に染まる短刀でシュテンの右太腿を深く切り裂いた。

 

 まるで乙女の柔肌のように、容易く。

 

「──ッ!」

 

 シュテンが見せる驚愕、困惑、そして焦燥。

 その切れ味に対してもであるが、そもそもの話、鼠王から手を離した記憶など何処にも無いのだから。

 

 筋肉が切断されて、多量の出血と共に脚から力を失う。地へとしゃがみ込む体勢を立て直そうと、右手を地面へと向けたその時だった。

 

 モスティマが叫んだその意味が漸く理解出来た。

 

 痛みを覚えない程に綺麗な断面で、手首から先が切り飛ばされていたのだから。

 

「ただこの瞬間だけを目指し、繰り返し描いてきたのじゃ。逃がさんよ」

「て、めえ──」

 

 血反吐を吐きながらも殺意に目をギラつかせる鼠王に、最早迷いなど無い。

 想定を遥かに超える窮地。だがシュテンは獰猛な笑みを消しはしない。

 

 鼠王の狙うはただ一点、心臓のみ。愚直なまでに真っ直ぐな、腰構えの姿勢で鼠王は踏み込んだ。

 

 右足、右腕が共に使い物にならない。とめどなく溢れ出る血が辺りを鮮血に染める。治癒する様子の無い傷口に大きな違和感を感じながら、シュテンは短刀を凝視した。

 

 古く錆びた切れそうにもない短刀。禍々しい色を帯びているのは塗られていた毒と血が混じり合った結果なのだろう。

 そして本能が強く警鐘を鳴らす。これこそが鼠王の奥の手であり、酒呑童子にとっての鬼門なのだと。

 

 逃げ出す事は叶わぬ身体では迎え撃つしか方法は無い。迫る刃を跳ね返すには素手で不可能だろうと判断したシュテンは、懐から鉄扇を取り出す。

 

 喩え戦闘技術で劣ると言えど、健在する左腕は容易く鼠王を吹き飛ばす一撃を放てるのだから。

 

 短刀を弾き飛ばす狙いの元、交差するようにして放つ一撃。仕切り直す手段さえあれば、まだ挽回する手立ては幾つもあった。

 

 だが──聞き覚えのある銃声が鳴り響く。

 

 超人的な聴力を持つシュテンだからこそ、突如聞こえてきた銃声。この音でさえも鼠王の策略の内ならば非常に危険だと判断するも、最早打つ手など無い。

 

 視線を即座に送れば迫り来る弾丸。

 

 そして刻一刻と近付いてくる鼠王の短刀。

 

 笑みを絶やさず浮かべていたシュテンは一つの決断を下した。

 

「ここまでか」

 

 ピーターズの執事を始末しておけば──そう、今更後悔しながら、流れに身を任せる。

 

 弾丸が鉄扇と手の甲を撃ち抜き、獲物を手放す。

 

 迫り来る刃を止める為、強引に左手で払うも、返す刃で腕ごと切り捨てられた。

 

 力無く宙に舞う左腕。三度吹き出た鮮血。

 

 四肢の内、二箇所も切り落とされたシュテンに出来る事など無い。頼みのモスティマに視線を向けても──狂気の笑みを浮かべているミズ・シチリアによって全てを阻まれている。

 

「ハッ──リン、お前の勝ちだ」

 

 シュテンがポツリと言葉を零した瞬間、鼠王の短刀が心臓を貫いた。

 

 ドス黒い、夥しい酒呑童子(シュテン)の血の雨が降り注ぐ。刀身は肺もズタズタに引き裂き、異様なまでの吐血を見せた。

 

 誰ものかも分からない阿鼻叫喚の──慟哭にも等しい叫びが響き渡る。

 

「……ミズ・シチリアの……おかげ、か」

「……お主の『家族』への妄執を知り、そしてこの短刀と毒──酒呑童子を殺したと言う曰く付きの代物を渡されたのじゃよ」

「だから、か。ペンギン急便を襲い、俺の想いを試したのは……」

「左様。全てはスラム街を守る為に、のう」

 

 息も絶え絶えのシュテンへと、まるで贖罪のように鼠王は語り出す。

 

 

 

 感染者組織、レユニオン・ムーブメント。

 感染者にも権利を、と言う聞こえは良い目標を掲げているも、実態は排他的な過激派組織である。

 だが感染者と言うだけで虐げられ続けていた現実の亀裂は、世界を二分化してしまう程に巨大化していたのも事実であった。

 

 そしてその魔の手は龍門にも及んでいる。誰しもがスラムのような劣悪な環境を望んでいる筈も無く、生まれながら、そして感染者であるが故に身を置かねばならない者もいた。

 

 そんな彼ら、彼女らの乾いた心を潤すような甘露は容易く染み渡ってしまう。

 親から子へ、友人から知人へ、他人から他人へ──波紋のように広がっていたのだ。

 

 それは最早鼠王には止められない負の連鎖。自身の幸福と安寧を求める声が龍門の毒へと変わっていくのも時間の問題であった。

 

 そんな時に現れたのが、ミズ・シチリアを名乗る男性(・・)だった。

 

 スラム街の至る所に存在する鼠王の目をすり抜けて、突如として現れた男は雄弁に語る。

 スラム街に蔓延るレユニオンの芽を摘む代わりに手を貸して欲しいと。

 だが初対面で戯言にも等しい言葉は鼠王の心に届く事は無い。

 

 そして月日の経ったある日の事。鼠王の元に、レユニオン中枢への内通者が捕まったとの報告が来る。

 その者は鼠王の古き知人であったと同時に──ミズ・シチリアから忠告を受けていた人物そのものであった。

 

 ミズ・シチリアを語る本人がレユニオンと通じている可能性があるのかもしれない。だがそれでも彼が残した爪痕が鼠王にとって希望の光になるのは、必然だったのかもしれない。

 

 多くの情報により裏付けと確信を得られた後、鼠王はミズ・シチリアに協力する旨を伝えた。そしてニヤリとほくそ笑む彼から告げられた依頼はただ一つ。

 

 シュテンを殺害し、ペンギン急便に絶望を与える事。

 

 その言葉を聞いた時、鼠王は困惑を隠せないでいた。共に龍門を築き上げてきた者として、そして何よりシュテンの強さを知る者として言葉に詰まる。

 

 幾度の夜を越えても葛藤の繰り返す日々。だが決断をせねばならぬのが王の責務。喩えそれが非道たる結果で最善で無くとも、他人に委ねられないのだ。

 

 鼠王は深い意識の中で思いに耽ける。

 

 仮にもし、龍門に危機が迫るとしたらウェイ・イェンウーならばどうするか、と。

 彼ならば苦悩の末、龍門の為ならばスラム街すらも焼き払うだろう。その結果失脚する事になってでも。

 

 仮にもし、ペンギン急便に危機が迫るとしたらシュテンならばどうするか、と。

 彼なれば即決即断の元、龍門すら敵に回してでも戦うだろう。敵とみなせば死をばら撒く事さえ躊躇しないのだから。

 

 ならばスラムの王として鼠王の取るべき行動は一つしか無い。

 

 そして色良い返事を聞いたミズ・シチリアは満面の笑みを浮かべる。安魂夜に起こるマフィアのいざこざについて説明し終えた後、首元にナイフを当ててこう言った。

 

 ──計画については任せるわ。安魂夜でまた会いましょう。

 

 まるで証拠を隠滅するかのように、女の口調で喋りながら男は自決した。

 

 

 そして一人では到底勝てないと判断した鼠王はウェイ、そしてピーターズと協力関係になる契約を結ぶ事となる。

 

 一人は社内で転覆を計画する癌──マフィアと提携して息子を脅かす存在の露呈。そして息子の成長の為に。

 

 一人はシュテンと戦う事は無謀だと嘲笑いながらも、スラムの抱える闇の解決と──後継者となり得る少女の成長の為に。

 

 そして首謀者は──スラム街の安寧の為に。

 

 

 

 

 ペンギン急便、そしてシュテンを前にして全てを語り尽くした鼠王がポツリと呟く。

 

「──お主は負けるべくして負けた。ここまでの流れに何一つ計画の狂いは無かった。……強いて言うなら、マフィア共の使い物のならなさ、くらいかの」

 

 苦しそうに息を繰り返すシュテンへと、重い表情をしたまま語る鼠王。全てが思惑通りに言ったにも関わらず、鼠王の纏う空気にシュテンは悪態を吐いた。

 

「──ハッ。長々と、説明すれば……死んでも仕方ないと、思うのか? 軽くなるのはお前の心、だけ、だろ?」

「……決してそう言う──」

「冗談だ。だが勝者なら……少しは胸を張れ」

 

 鼠王にとってこの結末は本意では無かった。幾度と別の道を探そうとも、ミズ・シチリアは妥協を辞さない。

 だが多くの屍の上に作られたこのスラム街。その故郷や家族を見捨てられる筈も無く。

 

 その葛藤はシュテンも理解出来たのだろう。何処か諦めたような、達観した様子で呟いていた。

 

「お主の居なくなったペンギン急便の身の安全は儂が保証しよう。それがせめてもの償いじゃ」

「そう、か……ガ、ハッ」

 

 ホッと安心したような一息と共にシュテンが吐血する。いくら内臓が過負荷で働き続けようとも、塞がらない傷口から溢れ出る出血の方が遥かに多かった。

 残る命も僅かと判断したシュテンが近付いてくるペンギン急便達へと首を向けて声を掛ける。

 

「ソラ、悪いが煙管を……咥えさせてくれ」

「え……ぁ……そ、そんな事より、早く治さないと……」

「悪かったな……。テキサスと肩を並べられる……トランスポーターにしてやる話だった……のに」

 

 ソラの手助けもあり、紫煙を口から吐き出しながらシュテンは一服する。死期が近いにも関わらず落ち着いた様子を見せている姿。

 救いようの無い自身よりもソラを思う言葉には、彼女は涙ぐみながら言葉通りに動かざるを得なかった。

 

「クロワッサン」

「……はいな」

「お前好みの提携出来そうな良い店を、見つけておいた。……交渉は出来ないが、お前なら何とかなるだろう。……テーブルの上にある筈だ」

「──ウチの事よりももっと大事な事があるやろ!」

 

 怒号にも近い叫び。

 何処までもペンギン急便の事だけを考えている思考。快活を売りをしているクロワッサンでさえ、涙目に怒りを顕にするしか無かった。

 だがシュテンに返す言葉は無い。想定以上に弱まる身体に時間が無い事を理解していたのだから。

 

「エクシア」

「……うん」

「生意気な餓鬼だったお前が……今や一人前のトランスポーターだ。……お前なら俺のサポートが無くても大丈夫だろう」

「──ッ。ダ、ダメだよ。あたしはシュテンがいないと……」

「謙遜するな、大丈夫だ」

「ち、ちが……そうじゃなくて……」

 

 溢れる感情で、エクシアの思考がグチャグチャに掻き乱される。言葉にならない嗚咽。慕うと言う点で言えば、誰よりもシュテンを慕っていたと言っても過言では無い。

 

 血に塗れてもお構い無しに抱き着くエクシア。だがシュテンに返す言葉も返せる行動も無い。手が無ければ頭を撫でる事さえ叶わないのだから。

 

「テキサス、幸せは……見つかったか?」

「……あぁ。一生を共に過ごすと決めた幸せが、私の前にいる」

「相変わらずだな……」

「……相変わらず……だと?」

 

 真っ赤に目を腫らしながらテキサスは憤怒を見せた。感情の起伏の無い彼女が見せる怒り。それすら稀有にも関わらず、相手がシュテンとなれば、モスティマでさえ見た事が無い。

 艶美な黒髪を乱雑に払いながらシュテンの胸ぐらを掴みあげる。抑えようも無い激情が、彼女を奮い立たせていた。

 

「ここまで私を変えたのはお前だ! お前に──シュテンに会わなければ……私は幸せなんて……考えないでいられた! だから……だから……! 最後まで責任を取ってくれ……!」

「…………」

「お願いだから……一人にしない、で……」

 

 家を失い、家族を失い、堕ちる所まで堕ちた彼女は絶望と復讐に囚われて生きていた。そんな中で出会ったシュテンはまさに光だった。

 全てを照らし出す大陽のような存在。そんな彼に惹かれ、依存するのも必然だったのだ。

 

 血溜まりの中で啜り泣く姿を、ただ見つめる事しかシュテンには出来ない。

 そして彼を掴んでいたテキサスの手が解かれる。立ちはだかるように割り込んだのはモスティマ。

 

 徐々に薄れていく思考の中、モスティマの姿だけはハッキリと見えていた。

 

「すまん……約束は……守れそうに、ない……」

「ダメだよ」

「……は、そうだな。……鼠王相手に……気を抜い、た……俺が駄目だった」

「うん。だから──またやり直さないと」

「また無茶、を……」

 

 最早、煙管すらも吸う気力は無い。全身に走る激痛さえも何処か遠い出来事のように意識が薄れていく。

 

 涙も、感情も無いモスティマの視線がシュテンを貫いた。

 

 何処か達観したような──諦めにも似た覚悟を見せて。

 

「悪いが、もう……眠たくてな……少し寝させて……もらうよ……」

 

 ──咥えていただけの煙管がカランと音を立てて落ちる。

 

 静かに瞳を閉じたシュテンへと驚愕の表情を見せる中、エクシアが慌ただしく彼の胸元へと手を当てる。

 

 そこに感じる筈の鼓動は、微塵も感じられない。

 

「……ははっ」

 

 乾いたエクシアの笑い声が響く。見開いた目から零れる雫は止めどなく溢れて、シュテンの血溜まりへと混ざっていた。

 

 崩れ落ちるように倒れ込んで泣き出すテキサスとその場に立ち尽くして啜り泣くソラとクロワッサンの姿。

 

 そんな彼女達の姿を、鼠王はただ静かに見つめていた。心が押しつぶされないように発露した悲嘆、哀傷を全て受け止めるように。

 

 仮にもし、スラムが滅びるような運命にあるとしたら、今よりも遥かに多い悲劇を生む事になる──そんな慰めにもならない戯言(たにんごと)を嚥下して真摯に受け止めていた。

 

 だがただ一人。自身の願望が叶った事に狂気の笑みを浮かべた女がいる。全身を小刻みに震わす程、歓喜を露わにしており、淫靡なまでに蕩けさせた顔を見せていた。

 

「アハハハハッ──最ッ高だわ! 生まれながらにして不幸の積み重ね! そんな彼が唯一見つけた幸福を前にして未練のまま死んでいくだなんて──なんて救いようのない悲劇なのかしら!」

 

 声高く叫びながら嘲笑を繰り返すミズ・シチリアであった。無邪気なまでの邪悪な悪意。ただこの瞬間、人の死に行く悲劇のみが彼女の生きる原動力だった。まるで映画を見る観客のように、この世界に起こる出来事が全て物語に過ぎない。

 

 そんな人の不幸を嘲笑い、果ては自らが引き起こす悪意を許す筈も無い。

 

「お前さえいなければ──!」

 

 牙を剥き、刃を立てたテキサスが怒りのままに源石術(オリジニウムアーツ)を放つ。姿無き刀身が空へと浮かび上がり、直後に降り注ぐ剣雨。

 だがその結果は意味も無く霧散する事となる。微動だにしないミズ・シチリアを庇うように立ちはだかるのは死に体の鼠王。対となる砂の槍が瞬時に生成、射出されて全ての剣を撃ち落とした。

 

「やらせぬ。シュテンの死を無駄にさせない為にものう」

「シュテンを殺した本人が──そんな事を言わないでよ!」

 

 叫ぶエクシアから撃ち出された銃弾が鼠王へと殺到。その眼に憤怒を宿し、射殺さんとばかりに放たれた弾丸は、同様にして鼠王の砂によって阻まれた。

 

 

 怒り狂おうとも待ち人は帰らない。

 

 それでも尚、受け止め切れない悲しみを怒りに変える事でしか正気を保てない。

 

 数多の滂沱の涙が空間を悲壮に染めた。

 

 ただ一人、時が止まったままの少女を残して。

 

「……ねぇ、シュテン」

 

 モスティマの呟きは届く事無く、喧騒に溢れた空間に溶けていく。

 

「戦争でも天災でも──喩え心臓を貫かれても死ななかったシュテン……ううん、貴方が、あんなちっぽけな短刀で死ぬ筈ないよね」

 

 不老不死に最も近い存在──そんなシュテンがこんな簡単に死ぬ筈が無いとモスティマは語る。──が、答える者はいない。

 

「自信家で頭もキレるのに、幼児かと思っちゃうくらいの非常識で。……初めてのドライブの事覚えてるかな? 自信満々で運転出来るなんて言ってたのに、いざ車が発進したらアクセル全開で反対車線を走り、建物に直撃だったよね。……アーツが間に合って無ければ私は死んでたんだよ? それなのに貴方は脳と心臓を建物の鉄筋に貫かれても『見るのとやるのは全然違うな』だなんて言って。……心配を通り越して笑っちゃったよね」

 

 しゃがみ込んだモスティマがコツンとシュテンの横顔を小突く。

 力の無い彼の首は、抵抗の無いまま反対方向へと振り向いた。

 

「女性には優しくしろなんて教えたら、私以外の女の子にまで優しくして……どんどん身内を増やしちゃうし。凝ってる料理だって礼儀正しい作法だって、全部私が教えたんだよ?」

 

 モスティマとエンペラーしか知り得ない遠い過去の話に想いを馳せる。目を瞑ったまま動かないシュテンの頬に手を添えて、まるで語りかけるようにして呟いた。

 

 モスティマには必ず成さねばならぬ使命がある。その為、特定の所在を持たずに国際的トランスポーターとして世界を巡る必要があった。

 共にシュテンと過ごした時間で言えば、テキサスよりも短いのかもしれない。だがその密度は唯一無二。他の追随を許さない程である。

 

 シュテンが居たからこそ今のモスティマがあり、モスティマが居たからこそ今のシュテンがある──そう、胸を張って言えるくらいの自負心。

 

 モスティマにとってシュテンは半身とも言える存在だった。

 

 だから、許せる筈も無かった。

 

「は、はは──」

 

 乾いた笑いが響く。

 

 冷たい雫が頬を伝う。

 

 ──駄目だ。

 ──駄目なんだよ。

 

 対となる杖を手に握り締めてモスティマは立ち上がる。無重力を感じさせるような浮遊感を纏っているのか、青く染まる髪の毛が沸き立っていた。

 

「シュテンが死ぬのだけは──駄目だよ」

 

 殺伐とした世界を共に生き抜く決めたあの日。

 

 許される決別はモスティマが天寿を全うしたその瞬間のみ。

 

 髪に触れるあの優しい掌を。

 

 慈愛に満ちて真っ直ぐに見つめるあの瞳を。

 

 全てを委ねたくなる逞しい体を。

 

 愚直なまでに仲間(かぞく)を思う心を。

 

 ──私から奪う事だけは許さない。

 

「ごめんね──」

 

 それは誰に向けての言葉なのかは分からない。

 此処には居ない最高の戦友に向けてなのか。

 遠方から見てる最高の戦友に向けてなのか。

 

 既に死したシュテンに向けてなのか。

 

 そしてモスティマは、二つの杖(錠と鍵)を重ね合わせ──扉を開いた。

 



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EX.喧騒の掟 Ⅷ

 

 ──世界の時を刻む音が聞こえる。

 

 そう、認識出来たのはミズ・シチリアと鼠王だけであった。

 

 まるで空間だけが切り取られたように街の喧騒が静寂へと切り替わる。時計の針が進む音だけが響き渡る不可思議な空間。

 その変化にペンギン急便の者達が気が付いたのは、やや遅れてからだった。

 

「……その姿は──」

 

 ふと笑いを潜めたミズ・シチリアが見つめる先にはモスティマの姿がある。──が、その変容にはエクシアも驚きを隠せないでいた。

 

 くすんだ色を見せていた光輪は漆黒に染め上げられ、禍々しい形へと変化。本来であれば赤い筈の口元から見える舌──それは青く染まっており、まるで悪魔のような異様。

 

 モスティマの背後に浮び上がる幾何学的文様と時刻を映し出す時辰儀。そして何より──時空を裂くように、罅割れた空間から覗く異形の目であった。

 

「は、あははははは! そう、そうなの! 貴方はその化け物を解き放つだけじゃなくて従えてるのね! 驚いたわ。人の身を遥かに超えた、シュテンと並ぶ程の化け物じゃないの! ──もしかしてその角はただのサルカズとの混血じゃないのかしら? それこそ、古代──ううん、もっと古の──」

「黙りなよ」

 

 ──鈴のような音が鳴り響いた。

 

 興奮気味で語っていた筈のミズ・シチリア。だがモスティマがただ静かに杖を振るうと同時に背景の時計が止まったと思えば──ミズ・シチリアの時すらも静止する。

 世界へと干渉する、常識を覆すような力。時を自在に操る事がモスティマの本来の力であった。

 

 だが幼少期をモスティマと共に過ごしてきたエクシア。彼女の知っているモスティマのアーツとは余りに掛け離れていた。

 

 敵の動きを拘束して止め、動く速度を僅かに遅くし、時を巻き戻すように吹き飛ばす──卓越したアーツであれど、常識の範囲でしか無い。

 

 だが今のモスティマが見せた力は──明らかに人智を超えた物であった。

 

 誰もが刮目する中、モスティマの姿が消滅する。音も気配も無く、鼠王の索敵にすら捉える事は出来ないまま、彼女はミズ・シチリアの眼前に現れた。

 そして動かぬミズ・シチリアに対してモスティマがもう一つの杖を振るう。出現した数多の不可視のアーツの弾丸。目前に殺到するも、ミズ・シチリアに避ける術は無い。

 一発、二発、三発──数え切れない攻撃が直撃するが、時が止まるミズ・シチリアはその衝撃にすら微動だにしなかった。

 

 再び、鈴のような音が鳴り響く。

 

「サル、がっ──!」

 

 停止していた映像が再生されるように、ミズ・シチリアが動き出した。

 その直後、停止していた間に受けていた衝撃が全身へと突き刺さる。まるでシュテンからの一撃を受けたかのように、ミズ・シチリアの身体は建物を突き破って遥か彼方へと吹き飛ばされた。

 

「……ねえ、お爺さん」

 

 感情の無い瞳が鼠王を貫く。普段の彼女とは正反対の、光の灯らない陰鬱とした雰囲気。

 だがその纏う雰囲気は絶対的強者そのもの。一介の小娘には出せる筈も無い代物であった。

 

「なんでシュテンの優しさを裏切ったのかな?」

 

 鼠王の額に冷や汗が伝う。

 本来であれば鼠王にとって、力で押し通す素手のシュテンと言うのは非常に相性の良い相手である。その差すらも覆す程の強さを持つシュテン故、苦戦を強いられた。

 だが今は違う。間違い無く目の前の少女は自身の天敵だと確信する。

 

 満身創痍の身体では──否、万全の状態であっても絶望的な程に。

 

「口ではあぁ言ってても、最後の瞬間まで本当は殺意なんて無かったんだよ。鼠王を殺す結果が生み出す多くの敵──スラムや龍門からペンギン急便を守りながら戦い抜くのは、シュテンとて不可能だからさ」

「ほう。では本気では無かったと申すのか?」

「だって貴方が死んでいないもの」

 

 偶像崇拝にも近い、盲信的なまでの信頼。会話を続けながら策を練ろうとする鼠王であるも、その狂気に当てられて僅かな困惑を見せていた。

 

「喩え不意打ちだったとは言え、貴方の苦悩を理解していたからこそ、シュテンは敗北と死を受け入れた。……本当は和解出来る妥協案を模索していた筈なのにね」

「……だとしてもじゃ。終止符は打ち終えた筈じゃよ」

「ううん、駄目だよ。喩えシュテンや仲間が納得していたとしても、私が許しはしないから」

 

 パキパキと空間が音を立てて亀裂を伸ばしていく。モスティマの背後に現れていた謎の化け物。広くなった時空の狭間から鱗に覆われた巨大な腕が伸びて出てくる。

 鼠王の理解が及ばぬ程の異形。ただ一つ。彼奴が暴れ出せばこの場が塵に還ると言う事だけ──それだけは直感で理解出来てしまった。

 

「だから私は──もう一度、やり直すよ」

 

 甲高い金属音と共に、モスティマの背後から巨腕が鼠王へと振るわれた。

 ミズ・シチリアのように静止はしない身体。何か条件、若しくは化け物の影響でもあるのかと思考の渦に囚われながら、鼠王は砂の槍を創り出す。

 

 そう、創り出す筈だったのだ。

 

「──な」

 

 指先の如く繊細な操作すら可能とする砂が、まるで押し潰されているかのように動く事が出来ない。初めての経験に戸惑いを見せつつも、迫る巨腕。全身の痛みに耐えながらも鼠王は地に伏せて回避しようとする。

 

 再び、鈴のような音が鳴り響く。

 

 自身の上方を通過する筈の腕。何故か鳴り響いた音と共に姿を消したかと思えば、眼前へと迫っていた。

 

 肉の潰れる音と共に、鼠王の身体が吹き飛ぶ。

 

 相手の源石術(オリジニウムアーツ)さえ干渉を可能とし、静止、加速を自在に操る。まるで平行世界の結果を引き出すような、常識を逸した妙技。

 

 だがその代償は余りにも大きいのだろう。普段は涼しい顔をしているモスティマが、額に汗を浮かべていたのだから。

 

「……エクシア、テキサス」

 

 目を真っ赤に腫らし、狼狽する様子を見せていた二人に対し、モスティマは声を掛ける。

 今から告白する初心な少女の決心のように、覚悟を決めた表情を見せるモスティマ。その決意を見た瞬間、動揺していた彼女達も自然と冷静さを取り戻した。

 

「──シュテンの時間を戻すよ」

 

 その言葉はまさに青天の霹靂だった。

 

 テキサスが、エクシアが、ソラが、クロワッサンが、瞳に生気と希望を取り戻してモスティマを見つめる。バイソンとユーシャさえもその顔を驚愕に染めていた。

 

 だがそれは人の死すらも巻き戻してしまうと言う事実。倫理を度外視した禁忌にも等しい奇跡である。

 その言葉の重みを理解したのは、他の誰でもないラテラーノ出身のエクシアであった。

 その表情を読み取ったのだろう。モスティマはエクシアへと視線を向けながら、言葉を続ける。

 

「エクシアの思ってる通りだよ。死者を蘇らせる──本国に知られたら、それこそ逃亡生活をしなければならなくなるかもね。ただでさえ監視が必要なくらいだからさ。……そもそもこの術が人に対して成功した事が無い。もしかしたらシュテンの存在が無くなるまで時が戻ってしまうかもしれないし、時の中で囚われてしまうかもしれない」

 

 ──だとしても、モスティマの瞳と決意は決して揺れ動かない。

 

「でも、シュテンのいない世界なんて──死んでしまった方がマシさ。万が一でもシュテンが生き返る可能性があるなら、その手段を取るよ。……テキサスも分かるでしょ?」

「……不本意だが、今ばかりはモスティマに同意する」

「じゃあ死ぬ気で護ってもらおうかな。……鼠王は間違い無く阻止しに来るからね。術式が乱されれば──シュテンの命は助からないと思って欲しい」

 

 誰一人、モスティマに対して意義を唱える事は無かった。命を賭してでも守りたいものがある──それはモスティマとテキサスだけでは無いと言う事を示している。

 

 そしてモスティマが視線を外へと向けた。他の誰でもない、この場では異物とも言えるユーシャに対してである。

 

「君は私達の敵なのか否か──見定めたい所なんだけど」

「…………」

 

 邪魔なのであれば強制的に退去を願わねばならない──そんな強い意志を宿した視線を向けるも、ユーシャの答えは無言であった。

 聡明な彼女であればある程度の現状は理解出来る──が、その現実を即座に受け入れられる程、冷徹で経験が豊富な訳でも無い。

 

 毒にも薬にもならないと判断したモスティマは視線を外して、動かないままのシュテンへと杖を向けた。

 

 チクタクと時を刻む音が止まる。

 

 モスティマの背後に浮かび上がった時計が反対回りに動き出すと共に、再び時を刻む音が響き渡った。

 

「────」

 

 まるで全てを無かったかのように時が巻き戻っていく。

 辺り一面に広がる夥しい量の血が、シュテンへと集まって行く。切り離された両腕、切り裂かせた太腿、穴の空いた心臓でさえ、異様とも言える光景の中で蠢き始めた。

 

 ──誰よりも愛おしい人が目の前にいる。

 

 こんな目に合わせた奴等を生かせておける筈も無い。だが同時にシュテンがそのような行為を許す筈も無い。

 

 家族(なかま)を光の中で楽しませる為に、ペンギン急便の裏方──闇の部分を担うのがシュテンの役目なのだから。

 

 だからモスティマに殺人をさせる筈も無く、許す筈も無い。

 

 故に彼女は自制したのだ。自身の復讐よりも、シュテンの意志を尊重する為に。

 

 周囲からの情報を遮断し、モスティマはただひたすらにアーツへと集中した。

 

 喩えラテラーノの追われようとも、アーツの暴走で自分の命が散ろうとも──必ずシュテンは生き返らせる一心で。

 

 

 

 

 

 本日何回目か分からない経験。瓦礫に埋もれながら鼠王は空を眺めて思案していた。

 

 シュテンの言っていたモスティマの実力を認める発言。常識の範囲内での依怙贔屓なのだろうと思っていた鼠王に取って、大きな誤算であった。

 だが身の丈を超えた力と言うのは大きな代償が求められる。現に奥の手と言わんばかりのタイミングで切られたのは詰まる所、そういう事なのだろう、と。

 

 同時に、時を操るとなれば時を戻す──即ち、シュテンを復活させられるのも同義であるのを鼠王は見抜いていた。

 そしてミズ・シチリアと鼠王を吹き飛ばしたとなれば、相応の集中力を求められるアーツなのである事さえも。

 

「…………」

 

 ──ほんのわずか一瞬、それで良いとさえも思ってしまった。

 

 目的を達成した鼠王に去来したのは、空虚にも似た喪失感。平和と幸せの中で過ごしていた者共を不幸のどん底へと突き落としたと言う事実。

 大人と呼ぶにはまだ幼い少女達が、泣き、喚き、怒りを顕にしなければならない程の大切な者。それをこの手で奪ったのだから当然とも言えた。

 

 そして既に満身創痍なこの身体。シュテンを相手取ってここまで戦い、あまつさえ命にまで届いたのは、過去の自分が知れば天晴と褒め讃える程である。

 

「──ッ!」

 

 だがそれでは駄目なのだと瞬時に否定する。脳裏に過ぎるのは、多くの命と同胞を引き換えにして創り上げたスラム街──その掛け替えの無い世界が崩壊していく姿であった。

 

 スラムが無くなる事──それは即ち、龍門の終焉が訪れると言う事。どんな犠牲を払っても、それだけは避けなければならない。

 

 だが鼠王は指先を動かせど、立ち上がる余力すらも無い程の疲労と負傷。継戦を望むには絶望的な状況であった。

 だが卓越したアーツは容易く人の想像を超えていく。動かぬ身体に砂を纏い、まるで全身を補助するかのように──操り人形の要領で動き始めた。

 

「終わらぬ──終わらせぬよ」

 

 砂に運ばれるがまま、鼠王は移動する。まるで風に運ばれるように駆け抜けて戻ってきた鼠王の目に映ったのは、光に包まれていたシュテンの姿であった。

 対面するモスティマは鼠王を見向きもせず、ただ目の前のシュテンに集中している。その結果だけで、如何に難易度の高い技を発動しているのかを、鼠王は理解した。

 

 彼女が敵に回らないのであれば、この場を支配するのは容易──そう、思っていた。

 だがその認識は間違っていたと直ぐに理解する。彼女達にもまた、命を賭してでも守りたいものがあるのだから。

 

 

 

 心を躍らせるような、心地良いソラの歌声が響き渡る。それは仲間のみを対象とした、身体能力を向上させるアーツだった。

 そんなソラを守るように立ちはだかるのはバイソン。客人であると同時にシュテンとの関わりも薄い彼が何故こうも関わるのか──それは、バイソン自身の中にある正義、そしてペンギン急便への恩義故なのだろう。

 

 そんな中、最速最短で駆け抜けたのはテキサスだった。受けた傷など構いはしない胆力。死力を尽くすと覚悟を決めたテキサスは、かつて無い程の底力を生み出している。

 源石剣の刀身が弧を描く。迫る凶刃を視認した鼠王は、紙一重に避けられる位置へと一歩退いた。

 

 満身創痍の身体を操るアーツと並行しながら、先読みの技術を使う余裕は無い。だが鼠王にとってこの程度の攻撃を避けるのは、朝飯前だと言えよう。

 

 だが眼前へと剣先が迫った瞬間、その刀身が伸長する。甲高い音と共に、砂の障壁とアーツの刃が火花を散らした。

 叩き潰さんとばかり表情を険しくしたテキサスであるも、鼠王の障壁を貫くには程遠い。

 

「──ッ! エクシア!」

 

 テキサスの叫びと共に、エクシアが動き出す。大きくスライディングをしながら、守護銃から撃ち放った多数の弾丸。鼠王の両目を狙い、一つ足りとも狂う事無く命中させ切るも、鼠王がダメージを負う事は無い。精々弾丸が放った閃光が視界を明滅させる程度であった。

 だが塞がる視界は、スピードに難のあるクロワッサンにとって好都合である。

 

「今だよ、クロワッサン!」

 

 大盾を捨てて身を低くし、存在感を消したクロワッサンが、鼠王の背後から現れた。

 片手槌を両手に握り締めると、機械式のハンマーが唸りを上げてエンジン音を上げた。瞬間、鼠王はクロワッサンの存在に気が付いたものの、その不意には後手に回らざるを得ない。

 大振りで振るわれた一撃。破壊力と言う一点ならば、人体を破壊しうる程の代物であった。

 

 衝撃音共に鼠王の身体に伝わる威力。必然的に鼠王の身体は前方へと突き動かされる事となる。

 だが正面には刃を以て競り合うテキサスの姿。

 

 成るべくして為った挟撃であった。

 

「フッ──!」

 

 クロワッサンの放った一撃は間違い無く、鼠王の障壁を亀裂を入れる代物だった。しかしながら、身軽な鼠王の身体は容易く吹き飛んで衝撃を緩和する。──そうなってしまえば、この挟撃も然して意味を為さない。

 

 テキサスの両手に伝わる衝撃が、鼠王を完全に捉え切ったのだと確信する。それと同時に、テキサスでは障壁を破壊し切れないと鼠王も確信していた。

 

 だが源石剣の刃は実体の持たない特殊な物。使い手によって大きく性能が変わるのが特徴であり、精神状態にも大きく影響される。

 

 強い信念を持つ折れぬ意志とは、喩え命が散ろうとも揺らぎはしない。

 それは、シュテンを救おうとするテキサスの意志も同様であった。

 

 両腕がへし折れようとも決して両腕を放しはしない覚悟。真っ向から受け止めて斬らねばならないと、紙のように薄く、それでいて鋼よりも強靭な刃へと昇華させていく。

 

 ──ならばその刃が鼠王に届くのも、必然だったのだろう。

 

 確かな手応えと共に剣を振り抜いたテキサス。硝子の割れるような音が響くと同時に、鮮血が舞った。

 

「ぐっ……!」

 

 苦悶の表情を見せて体勢を整えた鼠王。だがテキサスの与えた傷は決して浅くはなかった。

 

 横一文字に切り裂かれた胸元から溢れ出る血を、強引に砂で塞き止める。だがその隙も許さないテキサスの追撃。怒涛の剣撃の嵐だった。

 

 切れ味の増したテキサスの剣撃。その数が増す毎に鼠王に刻まれる傷は増えていく。空を切り、障壁を切り、皮を切り、そして肉を斬るに至る。

 

 シュテンに口約束をした手前、制圧を目的とした手段を講じていた鼠王。だが認識を改めなければならなかった。

 シュテンの命と言う起爆剤によって、敵と称さねばならぬ程の強さに変化しつつある事に。

 

 故に鼠王のアーツは激化していく。混濁しつつある思考を奮い立たせながら、命を削る前提で。

 

 対集団戦に於いて必殺と呼べる切り裂く砂嵐を鼠王は掌で生成する──が、酷く小さな渦のまま消え去る事となった。

 

「……もう止めようよ、お父さん」

 

 毅然とした態度を崩した一人の娘として、リン・ユーシャが同様のアーツを対として放った結果である。

 

「……よもやスラム街の窮地を分からぬ訳ではあるまい。シュテンへの情の方が強いとでも言うのか?」

「違うよ、私だって今の立場を理解しているつもり。……でも無関係な人達を巻き込んで殺して良い程に守るべきものなんて無いと思うの。お父さんが……ううん、私達の力が足りなかったから。その代償を彼女達に押し付けるのは、間違ってるよ」

 

 ユーシャの口から放たれた言葉は、何処までも真っ直ぐな正論だった。

 清く正しくで生きてきた訳では無い。スラムの抱える混沌を理解した上での綺麗事(はつげん)。それは生まれながらにして凛とした良心を持っている証左であった。

 

 鼠王にしてみれば実に喜ばしい事だろう。その心の様で王になればスラム街も安泰と呼べる──が、まだ駄目なのだ。

 成長期である龍門は不安定そのもの。故に如何なる犠牲を払ってでも御する精神の元で無ければ、何時でも崩壊しうるのだから。

 

「ならば糧となり死んで行った同胞達にどう説明するつもりじゃ? スラム無くして龍門は成り立たぬ。築き上げてきた全てが無に帰すのじゃぞ」

「……ウェイさんやシュテンさんと触れ合うから分からなくなるのかもしれないけれど、お父さんが思うより、人は弱い生き物なの。一人で創る事も出来なければ、壊す事も出来ない。だけど──」

 

 ユーシャは強い眼差しで鼠王を見つめて言葉を続ける。

 

「龍門を愛している気持ちは本物だと思う。喩え今と姿や形が変わっても、龍門が無くなる事なんて絶対に無い。……それが龍門と名乗らなくても、お父さん達が創り上げたスラム街、そして龍門があったからこそなんだから」

 

 ユーシャの言葉に鼠王が答える事は無い。──否、答える術を持ち得なかったと言うべきか。

 心に突き刺さる言葉が信念を揺らがせる。言葉にならない複雑な感情が、揺らぐ瞳に映し出されていた。

 

 その直後であった。

 耳を劈く獣の遠吠えが響き渡る。

 

 何事かと全員が視線を向けると、そこにはモスティマの背後に現れていた怪物が上半身まで姿を現していた。

 獰猛な爪と牙。尋常では無い巨躯。伝承にも聞かぬ化け物の姿が血に染まっており、その口元には──半身に裂けたシュテンがいた。

 

 頭の中が真っ白になる程の衝撃。モスティマのアーツが失敗に終わった──と、誰もが認識した時である。

 その姿が偽りの物である事にペンギン急便のメンバーは気が付く。実体の無い、まるで映像でも見せられているかのような幻視。

 

 時を戻すと言う事は即ち、生じた出来事を無に帰すと言う事。

 時を司る生物が亡くなったシュテンを喰らう──鼠王がその意味を理解出来たのは、次に聞こえてきた声が誰によるものなのか把握したその後だった。

 

「俺と殺し合う覚悟を持つ反面、自分の娘に諭される意志とは。中々面白い光景じゃないか」

 

 化け物の姿が消えていくと同時に光に包まれ──そこに現れたのは、消耗し切ったモスティマを支える、傷一つ無い完全復活を果たしたシュテンの姿があった。

 

 

 

 

 シュテンの生還。それは奇跡とも言えるアーツの産物。

 待望の存在に歓喜の表情を見せるペンギン急便であったが、近寄るのをシュテンが手で制する。

 

「傲慢な態度で大言を吐いた末、無様に殺されるのは……まぁなんだ、死に際の言葉と言い、流石の俺でも羞恥心はある」

 

 目を逸らして頬に薄く血気をみせる姿は、稀有と称するに相応の姿だった。息を荒くして見つめる者がいたものの、シュテンは小さく息を吐いて平静を取り戻す。

 

「ユーシャの言う事は正論だろうな。過去の屍が無駄になる事は無い。だがその過程で多くの血が流れる事になる。──それさえも許容出来ぬ程老いたからこそ、俺を殺すと決したのだろう? 喩えそれがスラム街の引き起こした自業自得であっても」

「……左様。老いたからこそ、湧いてしまった情がある。積み上げてきた友の亡骸を無碍にする事は無くとも、今を生きる家族(感染者)を切り捨てるだけで身を削られるような想いなのじゃよ」

「嗚呼、痛い程に気持ちは分かるよ。得難き物を手に入れた同士な。命を賭しても尚、守りたいのだろう?」

 

 コツコツと地面を鳴らして歩を進めるシュテンに対し、血に塗れて震えながらも古びた短刀を構え直す鼠王。

 争えば結果は一目瞭然だろう。だが戦いに是非など無い。

 

「十全にリンの悲痛を理解出来たからこそ──負けた暁には死んでも良いとさえ思えた。血溜まりに産まれ落ちたこの命。不可解だった感情を教えてくれた家族(仲間)がこの龍門の元で幸せに生きられるなら、捧げられる覚悟はあった」

 

 シュテンは瞳を閉じて思案した後、破損して吹き抜けた天井から夜空を見上げた。瞬時の逡巡を越えて瞳に決意を宿し、周囲にいたペンギン急便達の仲間へと視線を送る。

 

「だが死に際にあいつらの顔を見た時──その行為が如何に独り善がりだったのか気付いてしまった。……俺にとっての生き甲斐がそうであるように、ペンギン急便にとっても俺は必要不可欠な存在らしい」

 

 ユーシャの肩へと手を添えて場所を入れ替わり、半身を鼠王へと向けて、シュテンは拳を構えた。

 

「死ねない理由が出来た。元より何が正しいとか間違っているなどと言うつもりは無い──が、この世界であるテラに生きる以上、積み上げてきた歴史は常に勝者によるものだ」

「……根本は変わらんのう。お主もワシも。そしてこの世界も」

「嗚呼。……仕切り直しだ──行くぞ」

 

 何かしらの違和感を覚えつつも、鼠王は文字通りに身を削りながら対応していく。霞む視界の中でアーツによる先読み。迫る拳に対して曰く付きの刃を向けるも、直前でシュテンの動きが静止した。

 ──と、同時に筋肉の動作から寸止めを読み切っていた鼠王が力無く前傾へと倒れて行く。糸の切れた人形みたく沈んでいく様は、力尽きたように人々の目には映った。

 だが、シュテンは冷静に判断を下して半歩後ろへと下がる。その直後、落下の勢いを利用した鼠王の短刀が、シュテンの太腿のあった位置を通り過ぎて行った。

 

 その鈍く光る短刀を見るだけで血が凍る──そんな文字通りの事象に苦笑しつつ、シュテンが口を開く。

 

「酒呑童子の命を奪ったと言うのは事実なのだろうな。血が冷めていき、本能的に全身が震えるのを感じる程だ」

「ほう、お主にも弱点に対する恐怖はあるのか」

「俺もそう思ったよ。──だがその認識にこそ、誤りがあった」

 

 アーツによって呼応した砂塵が鼠王の背中を押し上げる。届かぬ僅か一歩を強引に潰し、射抜かんとばかりにナイフを突き出した。

 まるで恐怖など無いように掌を突き出したシュテン。短刀が容易くその皮膚と肉を突き破り、血に染まる。その刃を振り抜けば、手指はいとも簡単に切り飛ぶ──そう、思い描いていた鼠王は力を込めた、その筈だった。

 

「俺はシュテンであって酒呑童子では無いと言葉にしつつも、その力の本質は酒呑童子でしか無かった。御しているつもりでやはり完全とは言えなかったのだろうな」

 

 満身創痍とは言え、鼠王の全身全霊の薙ぎ払いが一寸足りとも動く様子は無い。先迄とは余りに相違のある事実に困惑せざるを得なかった。

 それと同時に、鼠王は違和感の原因に逸早く気付く。

 

 酒呑童子として力を振るう際に見られる狂気にも似た威圧。それが微塵足りとも感じられなかったのだ。

 

「だがその忌み嫌う血は、過去の因縁を乗り越えて生き返った俺に対して畏怖を抱いたらしい。こればかり(・・・・・)は思わぬ収穫だった。リンよ、感謝するぞ。俺はシュテン(オレ)のまま、強くなれた」

 

 今し方の死を切っ掛けに、酒呑童子はシュテンへと至る。

 

 故にシュテンがシュテンで在り続けるが為に、酒呑童子の致命とも言える特性を活かしきれていないと判断した鼠王は、抜けはしない短刀を手放す──事は叶わなかった。

 深々と掌を突き刺したシュテンによって、短刀の柄と手を掴まれていたのだから。

 

 シュテンは空いた利き手を振り上げて拳を構える。酒呑童子の血が騒いでいた時の殺意も暴威も感じられない、ただただ構えられた拳骨。

 だが長年の経験から鼠王は理解出来ていた。命を容易く奪い取る暴力がそこには秘められている、と。

 

「リン、これは敬意だ。正真正銘の全力を見せてやる」

 

 拳に力を込めて握る──ただその動作だけで、大気が収縮して震える程の錯覚を覚える。腰と重心を僅かに落とし、両脚を開いたシュテンの姿勢は、間違いなく理に適った一撃が放たれるだろう。

 

 死の予感を全身に浴びた鼠王の思考が活性化され、時が止まったかのように時間が間延びされる。走馬灯のように脳内に流れていくのは龍門での数々の思い出。

 

 ウェイ、シュテンとの会遇。

 死に逝く仲間と作り上げたスラム街。

 そして今を生きるこの世界と愛娘だった。

 

 だが反撃も回避も叶わない。それでも尚、死だけは避けねばならぬと、淀む意識の中で度重なるアーツが展開される。

 

 何重にも及ぶ定点の障壁。そして背後には柔軟に対応し切れる耐衝撃の障壁を。

 

 シュテンの拳が消えたと同時に、重ねた障壁が砕け散る。拮抗と言う言葉が余りにも遠く感じる事象。鼠王は全身に突き刺さるであろう衝撃に耐える為、強く歯を食い縛る。

  死に体ながらも万全を尽くした鼠王へと訪れた一撃は──過去に類を見ない衝撃だった。

 

 腹部へと突き刺さった拳が鼠王の全身を浮かび上がらせる。内臓と骨が悲鳴を上げ、上半身が千切れ飛ばそうな感覚。

 だがその力を逃がす術も避ける術も持ち合わせてなどいない。身体が吹き飛ぼうともシュテンの掴む握力は尋常では無く、僅かでも離れる様子は無かった。

 関節そして靭帯が伸びてギチギチと悲鳴を上げる。全身が引き裂ける程の激痛。それこそ、腕を切り落とす覚悟を決めていた方が懸命だったと感じてしまう程に。

 

 だがその苦痛が永遠に続く事は無い。一秒にも満たぬ時間の中で、間延びした時間を極限の鼠王が感じただけに過ぎないのだから。

 

 最初に綻び始めたのは鼠王の身体では無く、奇しくも古びた短刀だった。

 歪み、罅割れ、そして砕け散っていく刃と共に、シュテンが掴んでいた掌を開くと、鼠王の身体は弾丸の如く建物を貫いて吹き飛んでいく。

 繰り返し響く破砕音が、その小柄な体を如何に遠くまで吹き飛ばしたのかを物語っていた。

 

 一分か二分か。大地が揺れるかのような衝撃が収まれば、辺り一面が静寂に包まれる。

 

 待てども貧民窟の鼠王が戻ってくる事は無かった。

 

 これで全てが解決した──そう、ペンギン急便の緊張が緩和する中でシュテンが振り向き、ユーシャの肩へと手を置いた。

 

「ユーシャ、俺を恨むか?」

「……いえ、父の独断による暴走を止めて欲しいとお願いしたのは私ですから。どのような結果であっても恨むような事は決して。……元々、スラム内で解決すべき問題なので」

 

 敬愛する父を殺し得る一撃を叩き込んだシュテンに対して、心中に去来する思いは好感触と呼べる筈も無い。

 だがユーシャは全てを飲み込み、個としての感情を微塵も見せずに語る。年齢に分不相応な達観した振舞い。シュテンも何処か満足そうな笑みを浮かべて答えた。

 

「なら父の元に急ぐと良い。手当さえすれば命は助かる筈だ」

「……ですが──」

「大丈夫だ、後は俺に任せておけ」

「……はい。ありがとうございます」

 

 歩みを進めてすれ違いざまに背中を押したシュテンに対して、頭を下げて礼を述べたユーシャは鼠王の吹き飛んだ先を駆け足で走っていく。

 

 残る姿がシュテンだけとなった瞬間に、最初に駆け抜けてきたのはテキサスだった。誰よりも感情の起伏の薄い彼女が、激情を露わにして飛び込むようにして抱きつく。

 

「……バカ」

「悪かったな」

「シュテンが死ぬなら私も死ぬからな」

「……そうか、それは責任重大だな」

 

 テキサスから零れ落ちたのは言葉と涙。シュテンは優しく背中へと片手を回し、彼女を抱きしめた。

 だが短刀に貫かれた片手は未だに血が滴っており、足元に血溜まりを作りつつある。そんな彼の手を取り、手当てを始めた少女がいた。

 目を真っ赤に腫らせた心優しい少女、ソラである。

 

「こんな事は二度としないで下さいね」

「……そんな約束は出来な──」

「良いですね?」

「あ、あぁ……」

 

 有無を言わせないソラの威圧に、シュテンは思わずたじろいでしまう。感情を込めた真っ直ぐな視線。そこまで我を通そうとするソラの姿が如何に珍しいのかは、彼の反応を見れば一目瞭然であった。

 

 その直後である。突如として響いた銃声。吐き出された弾丸はシュテンの額の中心を正確に撃った。

 だがその弾丸は、シュテン相手では実用性の伴わないゴム製の弾丸。そんな手段を用いる人物は一人しかいない。

 

 不機嫌な顔を隠そうともしないエクシアだった。

 

「……なんだ突然」

「……まだ……えてない事……から……でよ……」

「は?」

「──ッ! まだ伝えてない事あるんだから! 勝手に死なないでよ!」

 

 必死に思いを押さえ込もうとする表情をするも、溢れ出る激情がエクシアの言葉を荒らげさせる。

 涙が零れそうな瞳を見せながら貫く視線を、シュテンは真っ直ぐ見つめ返していた。

 

「そう言うのはホンマにアカンで。シュテンはんがおらんかったらペンギン急便が成り立たへん。そこをちゃんと理解して貰わな」

「……そうだよ。シュテンの生き甲斐が私達であるように、私達もまた、どうしようも無い程に依存してるんだからね。……ふふっ。命を助けたお礼、楽しみにしてるよ」

 

 苦しそうな表情を浮かべるモスティマと、彼女に肩を貸しているクロワッサンの両者が苦言を呈しながら近付いてくる。

 

 全てはシュテン、そしてペンギン急便の為。

 

 誰もが自身の願いを口にしながらも、その思いは決して揺らぎはしない。だからこそ──シュテンもまた、一つの決心を下さねばならなかった。

 

「見ているんだろう? ミズ・シチリア」

 

 シュテンは虚空へと視線を送ったまま声を発するも、返って来る言葉は無い。だが確認にも似た直感故、その視線がブレる事は無かった。

 

「あら、良く分かったわね」

 

 集中力が僅かに散漫する瞬間。二拍程タイミングをズラした所でミズ・シチリアが姿を現す。

 妖艶な笑みを消して詰まらなさそうな表情を浮かべる姿は、見た目相応の少女そのものであった。

 

「お前は鼠王と違い、龍門にとって劇薬にしかならん。──どういう意味か分かるな?」

「ええ。真正面から貴方に勝てる要素は無いもの。今宵の敗北に免じて、聞きたい事があれば答えてあげるわ」

 

 シュテンにとってペンギン急便とは掛け替えの無い存在。そしてその存在が生きていく上で龍門もまた、無くてはならない必要な存在である。

 だがこの時点に於けるミズ・シチリアとは、毒を孕む不純物に過ぎない。ならばシュテンにとって、その命を奪う事に何の躊躇いも持つ筈も無かった。

 

 故にミズ・シチリアは両手を上げて降参のポーズを見せる。策は既に破られた手前、褒美とばかりに協力的な態度を示した。

 

「本当にお前にはスラム街の問題を解決する手立てがあるのか?」

「ええ。簡単に、とは行かないのでしょうけど。だけどレユニオン如きに遅れをとるつもりは無いわ。これでもマフィアの蔓延るシラクーザを纏めてきたのよ? 有象無象の感染者の集団。情報で手玉に取るくらいなんて事無いわ」

 

 それはシラクーザの執政者としての矜恃なのだろう。永きに渡って創り上げられた歴史が裏付けるように、その能力を疑う余地は無い。

 揺らがぬ自信が視線となり、シュテンを射抜く。

 

「……もう一つだけ確認させて貰う。何故コイツらじゃなくて俺を狙った? お前の目的が真に俺達の悲哀──いや、特異性を考えれば俺なんだろう。ならば命よりも大切にしていると理解しているコイツらの存在を狙うべきだ」

「……理由やサブプラン、話せば長くなるけれども……そうね、明確な要因を語るのであれば貴方だから、としか言い様が無いわ。──仮にもし、その子達を殺しでもすれば、貴方は人の皮を剥いだ怪物に成り得る。鼠王を殺すだけで収まる筈も無い怒り。炎国とシラクーザをも巻き込む戦火となる最高の馳走なんでしょうけど──私も殺されるのは不本意だもの」

 

 コツコツと足音を立てながら語り、ミズ・シチリアは背後に手を回しながらシュテンへと近付く。好奇心に満ちた視線を向けつつ、彼女は言葉を続けた。

 

「つまりね、この作戦自体が妥協案に過ぎなかったのよ。……さて、全て理解出来た筈よ。──それで貴方は私に何を提案してくれるのかしら?」

 

 圧倒的な人心掌握術を所持するミズ・シチリアは確信している。シュテンと言う男は合理主義であり、害を成せば不要と即座に切り捨てられる思考を持つのは、少ない会話の中でも把握できる程。

 ならばこの状況に持ち込んだのは、今後を左右する選択の提案をする他成らないのだと。

 

 ミズ・シチリアでなければ成り立たない交渉。故に一瞬で優位にさえ立てる確信。ミズ・シチリアは一言一句──その言葉の真意さえ決して逃すものかと脳を活性化させる。

 

 僅かでも隙を見せる懇願であれば地獄の深淵だと感じる程に使い潰し、自己犠牲を伴う交渉であれば骨の髄まで捧げる代償を要求──それ程までにミズ・シチリアの思考は悪意に澱み切っていた。

 

 だがシュテンの瞳には弱気や迷いは一切映りはしない。愚直なまでに前を──将来を見据えたまま、彼は語った。

 

「ペンギン急便の──この俺の生涯を見届ける権利をくれてやる。家族が老いて死んでいく俺の悲痛と苦悩を存分に楽しむと良い。その為にも──今の龍門を徹底して維持しろ」

 

 傲慢で不遜。徹底した命令口調で有無を言わさない程の圧力。頼む立場でありながらも提案とは思わせない言葉遣いは流石と称するべきだろう。

 

 何一つ失う事無く利を得ようとする言葉には、ミズ・シチリアでさえ驚きの余りに目を見開いていた。

 それでも尚、シュテンは語る。この血と欲に塗れた世界で日常こそが珠玉の時間。その日常の最中で円熟された幸福からの転落こそ、真の不幸なのである、と。

 

 余りにも魅力的な提案にミズ・シチリアの思考は停止する。だがそれと同時に一つの思惑もまた生まれ始めていた。

 

「でも私が手伝わないと言ったらどうなるのかしら? 龍門が戦火に巻き込まれようとも他所で生き延びるでしょうし。傍観者であるのは協力者で無くとも出来るわよ?」

「飽くまで最善手として言っただけの話だ。鼠王とウェイへの義理。ただそれだけで不用意に龍門と拘るつもりは無い。そもそも、だ。それを死に行く者に説明しても仕方ないだろう?」

「あら、私が逃げ去る──いえ、そもそも本物の私はここに居ないのかもしれないと考えないのかしら?」

「眼前の敵を逃がす程耄碌していない。それに喩え本物で無くともお前から感知出来る気配は常軌を逸する。今迄の傀儡とは違い、何かしらの情報が出てくるだろう。……嗚呼、安心しろ。これでも尋問は得意な方だ。一晩もあれば洗いざらい吐きたくもなる。そしたらシラクーザに赴いてやるから楽しみにすると良い」

 

 常識では測り切れない内と外を割り切れる精神力。足枷となれば龍門でさえ切り捨てる冷徹さと、仲間(家族)の為ならば人生すらも見世物にする自己犠牲。

 狂気と言う言葉さえ、シュテンを称するには物足りない。それを実現しうる能力さえ兼ね備えているのだから。

 

「は、あはっ──あははははッッ!」

 

 だからこそミズ・シチリアは高々と笑う。嗤う。狂ったように笑い続ける。まるで壊れた人形のように腹を抱えながら、高らかに声を吐き出した。

 緩んだ涙腺から溢れた雫を拭いながら彼女は言葉を続ける。

 

「そんな慈悲の無い冷徹さを持ちながらも、彼女達の為なら命を投げ出せるんだから狂ってるわね! 私が可愛く見える程の異常者じゃないの!」

 

 ──だからこそ、魅力的に見えてしまう。

筋肉だけの馬鹿(酒呑童子)とは違い、知性の中で見せる確固たる強き意志。

 見届けるのも悪くないと本気で思ってしまったのだ。

 

「──良いわ。貴方達が龍門で過ごせるよう、万全を尽くして上げる。元々レユニオンが気に入らないのも事実だもの」

「そうか」

「でも一つだけ。私の求める物は遥か未来の事。保証となる担保が欲しいわ。私に誠意を示す為の何か──それは、貴方が決めて」

「……ならこれをくれてやる」

 

 約束を反故にする男では無いと理解していても、全幅の信頼を寄せるほど関係を築けている筈も無い。

 その事を理解したのだろう、一言呟いてシュテンが投げ渡したのは、いつも手にしている古びた煙管だった。

 

「俺が俺である証そのものだ。どうせ詳細は把握しているのだろう」

 

 被検体が酒呑童子からシュテンとして旅を始めた根源であり形見。シュテンがシュテンであり続ける為、そして永き時の中で忘れぬように、と持ち続けていた代物だった。

 だがそれも今となっては過去の遺物。それ以上に守るべきものがあり、そして掛け替えの無い家族(あかし)がここにあるのだから。

 

「──。……ええ、十分よ。貴方の誠意は確かに伝わったわ。これからは共に未来を創って行きましょ」

 

 笑顔を見せたミズ・シチリアから差し出された掌。それは今までと違い、悪意と戦意の無い友好を示す行為だった。

 何らいつも通りの様子であるシュテンもその手を取り、握り返す。

 

 先までの喧騒が嘘であったかのように、こうして安魂夜の争いは幕を閉じたのだった。



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EX.喧騒の掟 終

 

 薄汚れて砕け散った家具が散乱する一件のバー。死体こそ無いものの、夥しい程の血。商品となるべき酒の数々は見るも無惨な姿となっており、夜が更けるこの時間であっても開店するには些か問題がある程だ。

 通称──大地の夜明け。仮補修された建物にはCLOSEと書かれた表札を掲げられていたものの、店内は騒がしいと称するに相応しい程だった。

 

「てめえはよくも俺を殺しておいてノコノコと姿を現したな? あ?」

「お主がおると話が拗れるんじゃ。結果的円満になったの──っと。本当に撃つとはのう」

 

 怒るエンペラーが構えていた銃から放たれた弾丸。車椅子に乗ったままの鼠王がアーツを用いて跳ね返した。鼠王の至る所にある包帯と石膏から、如何に満身創痍である事は伺えよう。

 

「しかし驚きましたよ。まさか本当にシュテン殿が負けるとは……こうしてお会いしてる様子を見ても信じられませんね」

「ウェイ長官の言う通りですよ。シュテンさんは私の小さい頃からの憧れ。まさか凶刃に倒れるとは思いもしなかった」

「ウェイにピーターズの小僧。散々コソコソと邪魔した挙句に随分な態度を取るじゃないか。この落とし前は分かってるだろうな?」

「シュテンも随分と砕けた口調になったのう。昨日の敵は今日の友と言う訳じゃな」

「まだ敬意を表す価値があると思ってるのか? そもそも元凶のお前が口にするな」

 

 緊張感の一切無いウェイとピーターズ。そんな空気の中でシュテンが悪態を吐き続ける。

 龍門に大きな影響を与える五者が再び集まると言う事──それは、安魂夜での思惑が全て精算された事他ならない。

 

「おや、それは心外ですね。私は飽くまで予定外にも橋を壊した犯罪者を追っていただけに過ぎなかったのですが」

「ほお、一般人の立ち入りが禁止された筈の道路で現場を目撃し、更には鼠王の店に丁度現れる事を予知出来る善良な市民が通報したようだな。誰だ? もしかしてリンと言う名前じゃないだろうな?」

「ウェイ長官と同感です。邪魔するだなんてとんでもない。私も社内に蔓延る不穏分子の処理をしなければいけなかっただけですよ。その為に鼠王の力を借りると同時に、執事を鼠王に貸しはしましたが。……シュテンさんを殺害する、などと危険な行為に及ぶのであれば、私が手を貸すなんてありえません」

「戯言を吐かすな。接近した際に付けた盗聴器からお前への報告が聞こえた。直ぐに外されたようだが……随分な言われ様だったぞ?」

 

 各々の思惑が交差し、自身の利益の為に利用し合う中で、ただペンギン急便だけが不利益を被る結果となった事。エンペラーやシュテンが不服に思うのも無理は無かった。

 だがこの騒動が個人的な怨嗟で無い事は誰もが理解している。龍門としても利益に転じる出来事なのだ。

 

 故にシュテンは真に怒りを露わにする事は無い。強いて言うならば去来するのは自身の不甲斐無さ。その一点に限る。

 

「どうか気を宥めて下さい。今回の一件は全て私と父さんが責任を持ちますから」

 

 凛とした落ち着きのある少女の声が、シュテンの右隣が響く。それはこの場には相応しいとは言えない、リン・ユーシャの声である。

 シュテンを出し抜く鼠王の計画上、彼女の存在は必要不可欠だった。鼠王と言えどもこの場に来るなと今更拒絶する事は不可能に等しい。

 更には数日経てども未だ歩く事さえ困難な鼠王。介護無しではまともに行動出来ないのだから同伴するのは必然だった。

 

 そしてシュテン。鼠王に刺された右の掌の傷は塞がっていたものの、その特異の短刀故か未だ痺れが残っている。

 そんな彼に対して、ユーシャは敬愛を抱きながらも悔悟の念から甲斐甲斐しく世話をしていた。

 

「ほら、私がさっき作った料理です。我ながら良い出来栄えだと思いますから……はい、口を開けて」

「これ、ユーシャ。婚前の娘がそんなはしたない──」

「お父さんは黙ってて」

 

 酒の肴としては申し分無い、塩味の濃い肉料理。ユーシャは器用に箸で摘み、シュテンの口元へと運ぶ。

 そんな恋人にするかのような行為に鼠王は苦言を呈すも、ユーシャは一蹴。利用された事をまだ許していないようであり、刺々しい態度である。

 

 だがシュテンとて日常生活に影響を及ぼす後遺症がある訳では無い。半ば困惑した表情を浮かべたまま、ユーシャの行動を見つめていた。

 

「別に止めろとまでは言わん。だが左手は問題無く動く上にそこまでしてもらう必要が──」

「シュテンの言う通りさ。そう言うのは家族である私がやるべきじゃないかな? だから子供はお爺さんのお世話でもしてなよ」

 

 そんなシュテンの言葉を遮るように、彼の左側に座していた招かれざる客──モスティマが、不満気に口を挟む。

 ユーシャの行動が随分と気に障ったのだろう。テーブルに置いてあったチーズを乱雑に掴むと、シュテンの口元へと運んだ。

 

「……モスティマ。お前は俺の話を聞いてないのか?」

「聞いていたからってやらない理由にはならないと思うけど?」

「ふうん、人を子供扱いするくらい歳を取ると話も聞けなくなるのかしら」

「つまらん喧嘩をするな」

 

 売り言葉に買い言葉。親しい仲でも無い二人。どうして俺がいると女同士はこうも揉めるのか──そんな他人事のように、シュテンは俯瞰的に物事を見つめていた。

 

「しかし……見ない間に良い女になったな」

「そ、そうですか? ……ありがとうございます」

「む」

 

 突如としてちらりと視線を送ったシュテンから出る、思いがけない言葉。ユーシャとしても予想外であった為か、驚愕と羞恥に塗れた表情を見せた。

 面白くなさそうな鼠王とモスティマの視線を無視しながら、シュテンは言葉を続ける。

 

「細身ながら靱やかな筋肉。立ち振る舞いや歩き方一つで体幹と重心に意識している事が良く分かる。徒手なら相当な腕前じゃないか?」

「……あぁ、そっちの話ですか。シュテンさんと父さんの言われた通りにやってますので」

「素質だけならチェンと同等だろう。彼奴は思考や判断にまだ甘い部分が見られるが剣技は卓逸しているからな」

「……チェン・フェイゼですか」

 

 女性的な意味合いを持たなかった言葉に落胆を示すユーシャだったが、素直な賞賛には悪い気はしなかった。

 だが知った名前──学生時代からの古き知人であるチェンの名を出した途端に一変。隠そうともしない不機嫌な声と同時に辺りの空気が冷える。

 

 その名、その雰囲気を悟ったウェイが我先にと言葉を紡いだ。

 

「そう言えばシュテン殿。チェンが貴方にご執心でしたよ。奴は何者なんだとか私の秘密をなぜ知っているなど──はぐらかしておきましたが、直ぐにでも貴方の元へ向かうでしょうね。……それにチェンをペンギン急便に誘ったらしいですね。驚きましたよ。貴方の持つ刀をへし折った事よりも、遥かに」

「──は? 聞いてないんだけど」

 

 ペンギン急便に引き抜きをすると言う真意を理解しているモスティマにとって、その言葉は聞き逃せるものでは無い。鋭く重圧のある視線が注がれた。

 左右から感じる非難には流石のシュテンも堪えたのだろう。余計な言葉を発したウェイへを睨み付けていた。

 

「そんな言葉、私は聞いた事が無いのですけど──まさか私よりもあんな堅物女の方が良いとは言いませんよね?」

「……あのな、お前とチェンでは立場が違う。リン・ユーシャには鼠王を継ぐ器になれると俺は思っている。そんな奴を勧誘出来る筈も無いだろう」

「……そう言う理由なら仕方ないですね」

 

 チェン・フェイゼに自慢してあげるわ──そんな呟きは誰にも届く事無く消え去ると同時に、ユーシャから感じていた圧も霧散する。

 それと同時に左から感じる視線がより強くなるのをシュテンは感じた。左肩へと乗せられたモスティマの右手。爪が食い込む程に強く掴み、ギシギシと骨の軋みさえ聞こえる。

 

 ニコニコと作られた笑みを浮かべたモスティマがシュテンへと問い掛けた。

 

「それなら私はどうなのかな? 彼女達の評価がそこまで高いと言うのなら、相当なものだと思うんだけど」

「何を今更。お前は俺の知る中でも最高の女だ」

「──っ。そ、そう。……ふ、ふふ、ふふふっ。うん、そうだよね。私の評価が誰かに劣るなんて、そんなのは有り得ないからね」

 

 シュテンから一言褒められただけで、先程までの不機嫌は跡形も無く消え、不気味な笑みを零す。過剰な反応に流石にユーシャも反応が出来ずにいた。

 

 兎にも角にも、混沌になりつつある場が落ち着いた瞬間。それを見逃さないシュテンが一つ咳き込む。一瞬の間で周囲の視線と意識を集めた彼は会話を続ける。

 

「鼠王、そろそろ本題に入ったらどうだ?」

「……ふむ、そうじゃの」

 

 この時間、この場所に皆を呼んだのは他ならぬ鼠王。彼はシュテンの声掛けに対して重く静かに頷いた。

 そして鼠王は語り出す。自身がシュテンに敗北したその後の出来事だった。

 

 

 

 シュテンの一撃によって意識を失った鼠王が目を覚ましたのは、自身の息が掛かった病院に運び込まれた後である。ユーシャの素早い対応もあり、早い段階で上級医療術師の手当てを受けた事で何とか一命は取り留めた。

 医療ベッドに眠ったまま、純白な天井を見つめて鼠王は憂う。シュテンに敗北を喫し、約束を果たせぬまま、スラム街の感染者達を地獄へ落とさねばならないのだから。

 身体を動かす事もままならない鼠王。だが目が覚めてから感じていた気配へと、数十秒の時が経過した後に視線を向けた。

 そこに居たのは、いつもと変わらない笑みを浮かべているミズ・シチリアの姿でだった。

 

 極上の愉悦を提供する事──その責務を果たせなかった鼠王は素直に謝罪する。それと同時に不平、不満そして怒りを抱いていないミズ・シチリアに対し、不可解な感情を抱く。

 そんな考えを見抜いたのだろう。ミズ・シチリアは静かに頷きながら、シュテンと交わした約束について説明を始める。

 その時に手持ち無沙汰と言わんばかりに掌で転がしていたのがシュテンの持つ煙管だった──それだけで、その言葉が事実なのだと鼠王にも判断出来た。

 

 スラム民の為では無いとシュテンが語ろうとも、結果としてスラムの抱えた問題の責務を負わせてしまった事に、歯痒さ、そして感謝の思いが胸を占める。

 喩え命を奪い、全ての罪を背負った上で贖罪を果たそうとした経緯があろうとも。

 

 そしてその対価である龍門の不安要素──感染者の反乱を掻き立てるレユニオンの存在の排除。

 鼠王に手渡されたのは、十数人の切られた生首の写真と共に、要所を纏められたレユニオンに関与した証拠。ミズ・シチリアの成果は異様なまでに的確で早かった。

 現状確認出来うる全ての内通者を始末した上で彼女はご機嫌なまま助言として語る。

 

 ──龍門と言う大都市の闇を一手に引き受けて、王として君臨したその手腕は私でさえ不可能だもの。間違いなく王の器よ。

 

 ──ええ、そうよ。私は所詮概念に過ぎないの。貴方とは根本から違うのよ。

 

 ──でも貴方は龍門と言う鳥籠の中で囚われすぎていたんじゃないかしら? ウルサスそして表と裏の軋轢。考える事は沢山あるのでしょうけど、対外的な情報には疎かった。

 

 ──……そうね。龍門の中であれば理解出来たのでしょうね。少しの異物さえも見つけ出す情報網。今まで私が手を出せなかったのもそれが要因だもの。

 

 ──でもレユニオンの手段は人と言う単純な戦法とは違い、噂程度に流れてくる思想。でもそれは感染者には蠱惑的なまでの甘言。だから意識せずとも……ううん、意識してまでもレユニオンに縋ってしまったのね。表と裏が二極化する龍門だからこそ。

 

 ──なんで私がそこまでレユニオンに詳しいのか、ですって? 当然じゃないの。私は貴方と違って最初から意識していたんですもの。でも所詮は烏合の衆。身元も確認しないのだから、幾らでも内通者は送り込めたわ。

 

 ──貴方に必要なのは二つ。極限のバランスで成り立っている龍門の感染者問題。そして世界に向けた情報網。

 

 ──尤も、どこも抱えている問題なのだけれどね。でもそれを理解出来ていない国が多いのも事実よ。貴方は優秀だから先輩(・・)として応援するわ。

 

 

 

 

 

「──以上がミズ・シチリアの残した最後の言葉じゃったよ」

 

 全てを語り尽くし、溜息を吐くように緊張を解いた鼠王。

 あの安魂夜の一件以降、誰一人としてミズ・シチリアを龍門で見かけていない。ただ一人、重傷を負っていた鼠王を除いて。

 故に鼠王は全員を呼び出したのだ。今後の龍門──その問題を解決する為の方針を決めていく為に。

 

 そして全てがミズ・シチリアの言葉通りだと言うのであれば──鼠王には誰よりも礼を述べねばならぬ相手がいるのだ。

 

「のう、シュテンよ」

 

 ポツリと呟くようにして言葉を零した鼠王。改まめて畏まった表情を見せてシュテンへと顔を向ける。何時に無く真剣な、憂いを帯びた表情。神妙な面持ちのまま、彼は口を開いた。

 

「ワシはお主に──」

「言うな」

 

 そんな鼠王の言葉を力強い意志と共に遮ったのはシュテンの言葉。怒りを孕ませた揺らぐ事の無い視線が鼠王を貫く。

 

「この龍門の執政者──王の一人である男が頭を下げるな。俺は俺の為にやっただけだ」

 

 生殺与奪が主となるこの世界に於いて、王とは傲岸不遜、唯我独尊であれ──そう、シュテンは考えていた。

 過ちを過ちと認める許容もまた、王の器には不可欠と理解している。だがそこに重きを置いてしまっては、炎国と言う大国の大都市である龍門を統治する事など出来はしない。

 汚泥を全て飲み干し、黒を白と言い切る尊大さこそがあるべき姿なのだと。

 

 そんなシュテンの意思を汲み取ったのだろう。少しの空白の後、静かに鼠王は頷いた。

 

「……うむ、そうじゃの。それよりも我らには成さねばならぬ事がある」

「スラム街に対する差別の解決、ですか」

「左様」

 

 一般市民と感染者の隔絶された差別。この問題は龍門だけでは無く世界に於いて言える事である。その緩衝材として何処の国でもスラム街は存在するも、龍門の抱える規模は世界中を探しても比類無き物だった。

 その混濁を巧みに操って積み上げてきた過去。故に大国として名を馳せたものの、飽くまで鼠王とウェイは感染者を利用して管理してきただけに過ぎない。

 感染者と一般市民との溝が深まるばかりなのである。

 

「は──お前らが散々放置してきた結果だろうが」

 

 吐き捨てるように言ったエンペラーの辛辣な言葉。だがその言葉は龍門の在り方に対してぐうの音も出ない正論であった。

 統治、管理と言えども結局の所は不要な衝突を避けてきただけに過ぎない。問題を先送りにするだけの応急処置。根本的な歪みの解決にはならない。

 

 だが一市民として一蹴するには事態が進み過ぎているのも事実だった。

 

「しかしその問題が表まで波及してくるのも時間の問題だ。そうなったら龍門全体に関わる一大事になる」

 

 そう言ってシュテンは舌打ちをし、背もたれへと深く座り込んだ。既に巻き込まれた身としては鬱陶しくもある悩み事なのだろう。

 その上、この問題を放置しておけば龍門やレユニオンだけに収まらない事をシュテンは理解していた。

 唯でさえあのミズ・シチリアを自由に行動させたと言う不安要素に加え、大国のウルサス帝国の動きも活発化している。隙を見せれば国ごと喰われる事態となりうる、と。

 

「スラム街を撤廃しては駄目なのですか? ダウンタウン区の名称の元、龍門市民として扱えば立場の差は無くなるでしょう。身元が保証されているのであれば、何人か私の企業で雇っても構いませんよ」

「ピーターズさん、それこそ悪手ですよ。感染者と非感染者の格差は周知。同等に扱うとなれば今度は龍門市民からの反発が起こり、より対立が加速して行くだけでしょう」

 

 人とは脆く弱い生き物。人を見下し、下層の存在を認知する事で自己存在価値を見出している者がいる。そんな市民の意識を覆すように、龍門の一声で立場を変えたりすれば──ウェイの言葉通りだろう。

 

 故に何れは進めて行かねばならない計画とは言え、ピーターズの提案した計画は時期尚早であると、ウェイが苦言を呈す。だがそこに代わる案を出す事は出来ずにいた。

 

「…………」

 

 龍門に影響を及ぼす者達でさえ、沈黙が場を占める。押せども引けども未来への展望に良い兆しが見える事は無い。

 そもそもの話、そう簡単に案が出るのであれば国際問題にまで発展しない。それ程までに複雑であり、長年に及ぶ捻れからの禍根だった。

 

 だが先までに話していた通り、最早放置しておく事が出来ないのは誰もが理解している。神妙な面持ちのまま、会話が進まない空気の中──招かれていないモスティマが口を開いた。

 

「別に差別はあっても良いんじゃないかな」

 

 皆の視線を集める中、シュテンの食していたピザを一切れ手に取り、モスティマは咀嚼する。

 責任の無い立場故か、緊張や危機感などは一切見られない。世界を見て回った経験と柔軟で聡明な頭脳。

 故に彼女は一つの結論へと至った。

 

「人って不思議なものでさ。約束された希望があれば、喩え腐敗した環境にいようとも、みんな目を輝かせて生きているんだよ。──ねぇ、シュテン。死に至る病に罹った感染者にとって、希望とはなんだと思う?」

「……生き延びる事。詰まる所、鉱石病が完治する事か?」

「ふふ、流石だね。それだけは誰もが平等に心から望んでいる事さ。……そんな夢物語を本気で取り組んでいる組織がある──と言えば、もう分かるんじゃないかな?」

 

 ペンギン急便と契約を結ぶ相手であるからこそ理解出来る。そして彼女自身も、仕事の一環で訪れた経験から語ったのだろう。

 

 ロドス・アイランド製薬。凡百の感染者に関わる問題を解決へと導こうとする理念を持つ無国籍企業である。

 

「なるほど。ロドス、のう。面白い案だとは思うが……これ程の重き課題と龍門の弱点を任せるにはちと新参過ぎるのう」

「私もリンの意見に賛成ですよ。長い年月を掛けて感染者に寛大な対応を用いた龍門でさえ、この有様なのです。……夢物語を語るだけならば誰にでも出来ますから」

「──おい、シュテン。ロドスの首脳陣と何度か顔合わせしてんだろ。お前の意見はどうなんだ?」

 

 得体の知れない企業。保守的な意識を持つ鼠王とウェイの意見が否定的なのも必然であろう。

 だがそんな憶測の話では議論にもならないと思ったのだろう。仰け反りながら葉巻を咥えたエンペラーが、横柄な態度のままシュテンへと問い掛けた。

 

「……そうだな」

 

 シュテンは瞳を閉じて思案する。第一印象こそ最悪だったものの、その後の追加の契約や規約、仕事の範囲の拡大や物資の取引など、様々な件で顔を合わせて来た。

 プライベートで顔を合わせたり、龍門に招いたりした事は無いような浅い関係。それでも尚、理解し得た事はある。

 

「ロドスアイランドは唯の製薬会社では無い。あのバベルの生き残りが立ち上げた企業だ。はっきり言って掲げた思想の言葉通りだとは思えないだろう」

 

 アルコールを含んだ吐息を漏らしながら、シュテンは言葉を続けた。

 

「……ロドスのCEOを務める幼いコータスの少女に、一度だけ問い掛けた事がある。──感染者であるが故に感染者の保護と権利を謳うのか、手段の違うだけでレユニオンと何が違うんだ、と」

 

 意地の悪い質問だと理解しながらも、真意を図る為に投げ掛けた言葉である。だがその答えはシュテンを驚愕させるものだった。

 

「ハッキリと言われたよ。貴方はロドスを誤解しています、と。──感染者である以前に私達はこの大地の一員。この大地で鉱石病の災禍に立ち向かうのは、ロドスや感染者の為だけでは無い。この世界に生きる人全ての為、だとな」

 

 多くの感染者がオペレーターとして所属し、彼らの境遇や環境を知るからこそ、ロドスは専門家として理解出来る事がある。

 その時、シュテンは自らの迂闊さを恥じた。十代の少女だったが為に嘗めていたと言う認識。感染者と言う一括りでの視野と浅慮──その全てに対してであった。

 

「久しぶりに芯の通った瞳を見たよ。CEOを務める以上、バベルに於ける鍵なのだろうが……それでも、今のアーミヤには本気で鉱石病へと立ち向かう意志がある。それは間違い無いだろう」

 

 その理念こそが多くの避難民や感染者、延いては世界各国に影響を与える人物へと関係を作り上げる。

 故に感染者にも非感染者にも敵対しうる危険な立ち位置の中、一企業が持つとは思えない戦力になったのだろう、とシュテンは推測した。

 

「無論、計画や見通しがある訳では無い。ウェイの言う通り、夢物語で終わる可能性もあるだろうな。だが嘲笑や蔑みが向けられても──それでも前向きに生きている感染者がロドスにはいるのも事実だ。今の龍門には無い、それこそ希望を持った感染者の世界がそこにはある。……俺はロドスの手を借りるのは賛成だ」

 

 永き人生の中で世界を巡り、多くの生死と見届けて来たシュテンだからこそ、人を見定める力は十二分に備わっている。そんな彼が直接やり取りした上で語る言葉は、何よりも説得力のある物であった。

 

 だが最終的に判断を下すのはシュテンの仕事では無い。龍門の執政者であるウェイ・イェンウー他ならないのだから。

 

 誰もがウェイの言葉を待つ中で、彼は一人、思案に耽ける。そして数秒の思考の末、ウェイは決意を胸に言葉を告げた。

 

「分かりました、ではこうしましょう。──シュテン殿。貴方には龍門とロドスの橋渡しをお願いしたい」

「いや待て。それは違うだろ」

 

 是非を問うただけのつもりであったにも関わらず、堂々たる態度で宣言するウェイに対してシュテンは即座に反応を示す。

 間違いなくその仕事は公務であり、立場のある公人が行うべき仕事だ。その上、酒呑童子と言う存在故に表舞台に立つべきでは無い、と判断しているシュテンへと頼むのはお門違いだと言えよう。

 

 だがウェイの示した決意は揺らぎはしなかった。

 

「この中で誰よりもロドスを知り、誰よりもロドスと関わりを持っているのは貴方ですから。国を相手取れと言う訳でも無いですし、飽くまで最初のきっかけだけなのです。適任と言えると思いますが?」

「そう言って最後までやらせるのがお前のやり方だろうが。ウチのシュテンはそんな安く──」

「エンペラーさんの言いたい事は理解してますよ。報酬とペンギン急便への補填に関しては言い値で構いません。それで龍門の安寧が確保されるのであれば安い物です」

「シュテン、お前なら出来るだろ。さっさと済ませて来い」

「……あのな……」

 

 ペンギン急便の代表として抗議をするエンペラーであるも、無制限の報酬と理解した途端に容易く掌を返す。

 そんな光景に深く溜息をするシュテン。ニヤニヤと傍観を務める鼠王とピーターズに若干の苛立ちを感じながらも、彼は口を開いた。

 

「……仕事云々の事を置いておいても、だ。俺が公の場に晒されるのを許容する訳が無いだろう。酒呑童子の血を欲しがる組織は無数にある。そのリスクの上で大使として龍門を背負う──その意味を理解していないお前じゃないだろう?」

「だからこそ、ですよ」

 

 龍門そしてウルサスなど、過去に派手な戦闘痕跡を残して来た為かシュテンを探る者達が現れ始めている。ミズ・シチリアが事前に把握出来ていたのも、それが原因なのだろうとシュテンは推測していた。

 不用意な争いを避けねば家族を危険に晒す事となり、龍門の居場所さえ失いかねない。故にここ十年は裏方に徹して行動している。全てはペンギン急便の為。精々一社員として動くのが常であり、大きく活動したのもエンペラーの付き添いとしてロドスに赴いた事のみ。

 後は表に出る事の無い非合法(イリーガル)な仕事だけだろう。

 

 だがその全てを踏まえた上で──ウェイは語るのだ。だからこそ、と。

 

「今回の一件で貴方に迷惑を掛けた事をフミヅキに怒られましてね。極東の姫として貴方の事を大いに気に掛けていた事も相俟って、相当なものでしたよ。……貴方の存在は本国や極東に秘密裏なのですが──それでもその武力に多くの恩恵を受けたのは事実です。ならばしっかりと報いなさい、と。そう、仰ったのですよ」

「……執政者としてそれで良いのか?」

「同じ事を言わせないで貰いたい。──だからこそ、ですよ」

 

 喩えどんな経緯であれ、他国でシュテンが抗争を起こしたとなれば、それは大虐殺にも成りうる。寧ろその強さを利用して龍門と事を構えたい大国さえ有り得るだろう。

 故にシュテンの存在そのものを利用しても認める訳にもいかなかった龍門。

 

 だがその存在を認めて龍門の一部として活動するとなれば──騒動が起こる際には龍門が対応せねばならない。

 存在が公になれば尚の事、リスクは高まるばかりである。

 

「私とて早急だと感じていますよ。ですが──これも変遷の時なのでしょう。龍門もスラム街も、そして貴方の存在も全て。……尤も、事を荒立てるつもりはありません。必要なのはシュテン殿の武力では無い。その知恵と経験なのだから」

「私はシュテンの為になると思うし、受けてみたらどうかな? テキサス達も過保護(・・・)なサポートが必要無いくらいには育ってるしね」

 

 レユニオンの侵入を排除し、停滞する今こそが転機なのだとウェイは語り、その言葉を後押しするようにモスティマはシュテンへと視線を投げた。

 確かに龍門としてもシュテンとしても、その契約に損は無いだろう。実力と面識のある者に任せられる龍門に対し、多くの報酬を受け取る事が可能なシュテンとペンギン急便。シュテンの心情を除けば断る理由など無い。

 

 シュテンとしても、龍門がそこまでの覚悟を持つと言うのであれば拒否する理由は無い。だがそれよりも──

 

「一つだけ質問しても良いか?」

「ええ、何なりと」

「ウェイ・イェンウー。お前の瞳には何処までの未来が見えている?」

 

 その質問、そしてこれまでの違和感。その真意に気が付けているのは当の本人であるウェイと鼠王だけだろう──そう、シュテンは推測する。

 

 さも当然のようにフミヅキの言葉を語りはしたものの、シュテンを通じてロドスに交渉する解決策を提示されたのはつい先程の事。それまでの流れの中で、シュテンが公務に携わる雰囲気は微塵も感じられていない。

 

 これを偶然の産物と捉えるには、ウェイと言う人物をシュテンは知り過ぎていた。

 鼠王と並ぶ龍門の双璧にして稀代の傑物。凡百の分野にて卓越した能力を持つ規格外。シュテンとて戦闘力と言う一点でしか優位に立てない。

 

 そんな男の発言が、偶然と偶然が重なり合うような奇跡で済ませられる筈も無い。ウェイの口からロドスと言う言葉を発していなくとも、この流れは必然なのだろう、とシュテンは思う。

 

 そんな意図までも察しているのだろう、ウェイは不敵な笑みを浮かべながらも、軽い口調で語った。

 

「目の前に映る景色だけですよ。尤も、こんな破壊され尽くした店とは違う、ただただ平穏な龍門の景色ですがね」

 

 ──龍門と、そして家族の永遠の安寧を求めて。

 

 その意志をウェイは決して見せる事は無い。

 

 今後の進展と今回の補償を含め、彼等は軽快な様子で盛り上がったまま、話は弾むのだった。






喧騒の掟については以上となります。ほとんどオリジナル展開でした。

シュテンが死ぬ展開は否定意見も多いかなぁと思いつつも書き終えていたので投稿しましたが、想定を超える低評価でしたので早々に最後まで投稿しました。最強物である以上気持ちは理解できますがやはり悲しいですね。

エピローグの投稿予定は今のところ未定です。シュテンの理解していた計画への独白やモスティマの過去、ペンギン急便の絡みが書きたくはあったのですが。



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