いつか世界を救うために (夜神 鯨)
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大いなる序章
始まり


 金属の壁で包まれた通路を二人の人物が歩いている。一人は男性、鍛え抜かれた肉体。隙のない足取り。真っ白な制服を身に纏う男性は立派にこしらえた白髭と白髪が無ければ今年で70歳になる老人だとはだれも思わないだろう。

 

 そしてその男の斜め後ろを歩くのは眼鏡をかけた女性。男性とは違い黒い制服を身に纏い腰あたりまで伸びる長い黒髪からは大人びた印象を受ける。

 

「しかし、いつもここは暗いな」

 

「開発科に言っておきましょうか」

 

 照明が少なく暗い通路に男が文句を呟く。足音に消されそうな程小さな呟きだったが、女は聞き逃さず、すかさず、メモ帳にその内容を記入する。

 

「うむ…しかしなぁ、開発科の奴らは言っても聞かないからなぁ…この前も小言を言ったら廊下が七色に光りやがった」

 

 ついこないだも開発棟へ向かう連絡通路が暗すぎると文句を言ったら次の日には廊下が七色に点滅しながら光り輝いていた。即座に男が元に戻すように怒ると、翌日にはいつも通り薄暗い廊下に戻っていたのだ。

 

「はぁ…あそこには捻くれ者しかいませんからね」

 

「まあ、開発主任が捻くれておるからの」

 

 ワッハハと豪快に笑いながら窓のない通路を進んでいると目の前に分厚い扉が現れる。

 

『網膜認証とパスワードをお願いします』

 

 流暢な英語を電子音が奏でる。

 

「毎度、毎度面倒じゃ」

 

毎回ここに足を運ぶ度に求められるパスワード。セキュリティの為に仕方が無いとわかっているのだが、こうも毎回求められると少々うんざりしてしまう。

 

 文句を言いながら男はしぶしぶ網膜スキャンとパスワードの入力を済ませる。それに続いて女も入力を終わらせた。

 

『照合確認、ようこそ不知火様、アメリア様』

 

 何重にも重なり合った扉のロックが1枚1枚ゆっくりと解除されていき、その先の光景が目に映る。

 

 視界の先では全長1200m最大幅200mにもなる巨大な船がそれをはるかに超える巨大なドックに収まていた。

 

「いつ見ても圧倒されるの!」

 

「これが3隻のうち1隻なのですから合体した際の大きさは想像を絶するでしょうね」

 

「おお、序列2位様と序列9位様がご一緒とはどうしましたかね?」

 

 二人が圧倒されていると小ばかにするような声と共に前から作業用のつなぎ服に白衣を着た女性が宙に浮く球体に運ばれるようにやってきた。

 

「ラウラ様、はしたないです! それに髪の毛もぼさぼさじゃないですか! しっかりお風呂に入ってるんですか!!」

 

 だらしなく運ばれてきたラウラと呼ばれる女性を見たアメリアは即座にラウラをしっかりと立たせ、ぼさぼさになった髪の毛を何処からか取り出した櫛で整え始める。

 

「髪は女の命ですよ、しっかり手入れをしないと」

 

「ニッシシ、いいんだよそんなことは」

 

 ラウラはアメリアを鬱陶しがりながらも、されるがままに髪を梳かされる。

 

「どうだ、調子は? 船の方は順調なのか?」

 

 そんな様子を軽く流しながら不知火はラウラに進捗を問う。

 

「順調だぜ、ここにある旗艦スサノオに1番艦のアマテラスに2番艦のツクヨミも二ヶ月後には無事出航できそうだ」

 

「そうか、武装の方は大丈夫なのか?」

 

 満足そうに頷いた不知火は質問を続けた。

 

「完成はしているが、試射なんかは出来てない。縮退炉や反重力推進器も試験と組み立ては終わっているが実施に積んだ状態で動かしたわけじゃない」

 

「そこはぶっつけ本番かのぅ」

 

 方舟計画で作成された戦闘艦である3隻は、1隻1隻が超巨大な戦闘艦である。完成形態では旗艦スサノオを中心に残り2隻が左右に合体することで1隻の空中戦闘母艦になる。しかしその巨大さから、外に出して試験稼働や兵器の試射などは出来ず、出航する日までこのドックで調整を受ける事となるのだ。

 

「では残りは最終調整とソフトウェア関連かの?」

 

「そうだな、ソフトも8割がた組み終わったし、残るは各種兵装の最終チェックと物資の搬入だな。スサノオに積む通信モジュールや揚陸艇、衛星兵器なんかはおおむね積み終わってる。それにアマテラスに積む陸戦用パワースーツと陸上用の兵器は大体終わったが、ツクヨミに積む航空機の組み立てに手間取ってる。それに空戦用パワースーツは複雑だからなぁ、メンテ用の機材も含めて搬入に手こずっているみたいだ」

 

「そうか…」

 

残された時間はあまり多くない、これ以上時間をかければあちらに勘づかれてしまう。

 

「だが問題はないぜ、期間までには私たち開発科が確実に仕上げてみせる! そんなことよりアンタの義娘は大丈夫なのか?」

 

 不知火の義娘、不知火 加奈は今作戦の最重要人物。この作戦の要となる人物だった。しかし彼女の姿はこのドックどころか、このドックがある瀛州(えいしゅう)島にすら存在しない。

 

「こちらも問題はない。あと一ヶ月もすれば戻ってくるわい」

 

「アンタがそう言うんならいいや、それじゃあウチは作業にもどるからな、好きにいて行けよ」

 

 ラウラは再び宙に浮く球体へと横になると運ばれるように戻っていった。

 

「さてとわしらも戻るかの、()()()()もしなきゃならんしの」

 

「わかりました。もどりましょう」

 

 ラウラの髪の毛を満足いくまで梳かしたアメリアは不知火と共に来た道を戻っていくのだった。

 

 


 

 

 そこには地獄があった。折り重なるように倒れた無数の死体と血痕で汚れた部屋。むせ返るような鉄と硝煙の臭い。広い屋敷なのだが、その何処を見渡しても足の踏み場がないほどの死体と、至る所にこびり付いた血だけが視界に映る。惨澹たるこの光景を表現するには『地獄』と言う言葉以外無いだろう。

 

「撃て! 撃て!」

 

「あの化け物を近寄らせるな!!」

 

「攻撃を絶やすな!! 奴に反撃の隙を与えるんじゃないッ!!」

 

 そんな地獄の一画、長く伸びた廊下では、絶え間ない銃声と男達の怒号が響き渡っている。

 

 男達が撃ち続けているのは一人の女。170cm程のスラッと伸びた身長にモデルの様な体型、ポニーテールにしてもなお、腰にかかる程まで伸びた白金色の美しい髪を持ち、琥珀色に輝く瞳はまるで作り物のようだ。非常に整った顔に、透き通った肌。その美しさはまるで人形のようだが、整いすぎている美しさはむしろ不気味にすら感じる。

 

「クソッなんで弾が当たらないんだ!!」

 

「…化け物め」

 

 銃弾の嵐とも呼ぶべき機銃の掃射が絶え間なく女を襲っているが、弾は女を避けるように曲がり、かすりもしない。

 

「くそっ……もう後退もできねぇ」

 

 男達の数歩後ろには、4m程もある鋼鉄製の巨大な扉が立ちふさがっている。屋敷の主から守れと命じられた扉だ。男達ではこの扉を開くこともできない。侵入者対策で廊下の窓にはシャッターが降りていて逃げ道はない。

 

「弾も残り僅かです」

 

 残弾の数を告げる男の声に絶望が加速する。

 

 さらに銃が出す騒音と排熱は密閉された廊下を加熱し、暑さとむせ返るような臓物の匂いが男達の精神を削っていく。

 

 男達の精神が限界に達しようとしていたその時、熱せられた廊下にふと、優しい風が吹き抜け、男達を撫でる。

 

「あぁ、いい風だ……」

 

 不意に出た心からの言葉、その言葉を最後に男達は呆気なく、その命を散らす。最後に火照った体に当たる風に心地良さを感じられたことは男にとって唯一の幸福だったのだろうか。

 

 男達の頭は体から離れ自らの血で赤く染まった絨毯の上へと落ちていく。その顔は先ほどまで戦っていたとは思えないほど穏やかで満足そうな顔をしている。おそらく自分たちが死んでいることすらも気づいていないだろう。

 

「……夜見、別に手伝う必要は無かったのよ?」

 

 女がそうぼやくと再び風が吹き、女の前に影のように不鮮明な物体が跪いた。

 

 影のような物体は、よく見れば女性に見える。段々と不鮮明だった姿が鮮明になりスーツ姿の女とそっくりな顔が現れる。

 

 まるで双子のようにそっくりな2人だが、夜見と呼ばれた女は闇のように黒い瞳と濡れ羽色の髪色を持ち、スーツではなくカーキー色の軍服を着用していた。そしてその姿はスーツを着た女よりも少し幼く感じる。

 

「いいえ、加奈様。いくら当たらないと言っても、銃弾に晒されている貴方様を見るのは我慢なりません」

 

「そう、まあ別にいいわ。それで残りはどう?」

 

 加奈と呼ばれた女は、夜見へと質問しながら男達が守っていた扉へと歩き出す。

 

「はい、館内の人間はこの先に残る1人を除き皆、始末済みです」

 

 夜見の報告を聞いた加奈は夜見の頭に手を置きポンポンと頭をなでながら念のために『感知』魔術を用いて確認をする。水面に広がる波紋のように屋敷全体に広がった魔術は夜見の言葉が間違っていないことを証明する。

 

「あらそう。じゃあとっとと、先に行きましょうか」

 

 扉の前へとたどり着いた二人は一呼吸置いてから取っ手へと手を伸ばす。しかしどれだけ力をかけようとも扉はピクリとも動かない。試しに引く事も試してみたが、結果は同じで全くと言っていいほど動かった。まるで1枚の板のように感じる程扉は強固に閉ざされている。

 

「…結界魔術ね」

 

 そうぼやいた加奈は、慣れた手つきで魔力を練り『感知』魔術の応用で扉へと魔力を流した。すると流れた魔力は波紋のように扉全体へと広がったのち先ほどとは違い加奈の元へとに返ってくる。

 

 流した魔力が多くなかった為、ダメージは受けなかったが、返ってきた魔力の衝撃で加奈は少しよろける。

 

「加奈様!」

 

「大丈夫よ、これくらいなんともないわ。それにしても見た事ない術式ね…受けた衝撃を返してくるなんて」

 

 魔術の専門家として様々な研究を行っている加奈ですら見た事のない術式。一時期、世界を支配する1歩手前まで行った【魔術結社ヒュドラ】その名前と実力は申し分ないという訳だ。

 

「大丈夫です。私におまかせ下さい」

 

 加奈にダメージを与えた扉に怒りを抱いているのか、声を荒らげた夜見は、何処からか取り出した2振りの刀を既に構えている。すぐさまにでも突撃しそうな夜見は、扉が返せるエネルギー量を超えた攻撃を繰り出す事で扉を破壊するつもりだろう。

 

「少し待ちなさい」

 

 弾丸が如く扉へ突き進もうとしていた夜見を、直前で制止した加奈はもう一度扉をよく観察する。先程のエネルギーが返ってきた感触から推察するに、今は術式が完璧に機能しているお陰で扉へ与えた攻撃は攻撃した側へ返ってくるが、扉を破壊した場合、蓄積されたエネルギーは攻撃をした側ではなく無差別にそして四方八方に飛び散る可能性が高い。

 

 どれだけの攻撃に耐えるかは分からないが加奈が力を加えてもビクともしない程には強固だ。それに敵が最後の扉として設置したのだから、性能は十二分と考えてもいいだろう。

 

 下手に全力を出して攻撃したら、反動で屋敷とその周辺くらいは軽く吹っ飛んでしまうだろう。

 

 そうすれば爆破に紛れて奥にいる男に逃げられてしまうかもしれない。そうなってしまえばわざわざここまで来た意味が無くなってしまう。

 

 そう考えた加奈は1歩前に出ると、眼鏡を外しゆっくりと目を閉じる。そして再びゆっくりと開かれた加奈の瞳はまるで月のように淡く輝いていた。

 

「くっ…やはり負担が…大きい…」

 

「…加奈様」

 

 不完全な力を使い、頭が割れそうな程の強い頭痛と倦怠感に襲われ瞼を閉じかけるが、加奈はしっかりと目を見開き、歯を食いしばって真っ直ぐと扉を直視する。

 

 そうすることで開けた世界で、加奈は常人では見ることの出来ない世界を見ていた。普通の視界では捉えることの出来ない魔力の流れや紫外線や赤外線そして偏光等の情報に加え、常人の5倍を超える量の色彩などの膨大な情報を視覚から得ているのだ。

 

 しかし当然負担も大きい、膨大過ぎる情報は脳に普段の10倍以上の負荷をかけるため酷い頭に直接ドリルでもねじ込まれたかのような頭痛に襲われ、さらに体内の魔力を多く持っていかれる為、酷い倦怠感にも襲われる。

 

「……なるほどね、術式は分かった。後はこうすればッ!……」

 

 苦痛に耐えながら、加奈は扉に書かれていた魔術式を解析し、自らの魔力で構築した解除の術式を扉へと書き込んでいく。全ての式が書き終えると同時に扉を覆っていた魔力は霧散し、ただの扉へと戻っていく。

 

「はぁ…はぁ……」

 

「大丈夫ですか? 加奈様」

 

 扉を解除した加奈は右手で頭を抑えると膝から崩れ落ちる。

 

 肌寒く感じるこの季節に滝のように汗をかき、呼吸を荒くして肩で呼吸をする加奈。輝きの収まった瞳には無数の細かい亀裂が走っている。

 

「やっぱり、ハァハァ…前の瞳の方が…良かったわ……」

 

 加奈が持つ瞳、元は『月夜見の瞳』と呼ばれたその瞳は、ある事件のせいで能力の一部を使うだけでもかなりの負荷が掛かってしまう。

 

「ごめんなさい、夜見やっぱり、肩を借りていいかしら?」

 

 呼吸を整えている加奈を夜見は精一杯支えながら、ゆっくりと前へ進み扉を開けようとするが、加奈が扉に触れる前に扉はまるで二人を招き入れるように独りでに開き、奥へと続く道が姿を表す。

 

「来いと言うことですか.」

 

「そうみたいね、行きましょうか」

 

 二人が奥へと進むと開けた部屋へとたどり着く。部屋の真ん中に置かれた会議用の机と4脚の椅子。まるで大企業の社長室を想像させる豪華な部屋の奥には、黒塗りの立派な机が置かれていて、その机に付属されている本革で出来た椅子には1人の男が座っていた。

 

「やぁやぁ、待っていたよ」

 

「トバルカイン!」

 

 加奈は感情を丸出しにして叫ぶと、同時に取り出した拳銃を男に向けて発砲する。しかし男は薄らと笑うと座ったまま飛んできた弾丸を魔力の纏った手で受け止める。

 

 静まり返った部屋に弾が机にばら撒かれる音だけが響いた。

 

 加奈が、トバルカインと叫んだ男は質のいい、赤と黒のストライプ柄のスーツを着込んだ初老の男性だった。しかし初老と言うには若干違和感があり、その姿とは相反して肌や髪に艶がある。その姿はまるでまるで徐々に若返っているかのようにも見える。

 

「おやおや、大きな声を出す割には元気が無いね、体調でも悪いのかい?」

 

「くっ…」

 

わかっているだろうにわざとらしく挑発するトバルカイン。

 

 彼のの言う通り、加奈は先程の疲れが回復しておらず、拳銃を撃った後、膝を着いてしまう。

 

 その様子を見たトバルカインは、座っていた椅子を愉快そうに数度回転させると、椅子から飛び退いた。そして満足そうに笑うと加奈達の方へと歩みを進める。

 

 しかし、その行動を夜見は許さなかった。扉が開いた瞬間から加奈を守る為に影に潜んでいた夜見は、一瞬でトバルカインの背後まで回り込み、腰の鞘から引き抜いたナイフで背後からトバルカインの心臓を突き刺した。

 

「疾く、死になさい」

 

「アハハ、おっかないねぇ、加奈ちゃんの部下かな?…あれ、それにしてはうちに来る前の加奈ちゃんにそっくりだねぇ」

 

 夜見に刺されたトバルカインは煙のように消え去り、黒塗りの机に座るように再び出現した。そしてトバルカインは再び愉快そうにケラケラと笑うと、机から降りて再び加奈の方へと歩き始めた。

 

「くっ、面妖な」

 

 悔しそうに顔を顰める夜見、感情の昂りに合わせて揺れた魔力が、僅かに彼女の瞳から淡い光となってが漏れる。その光を見た瞬間トバルカインはゆっくりとした歩みを止め、一瞬で夜見へと近付いた。

 

 それまでのゆっくりとした動作からは考えられない程の速度で接近された夜見は意表をつかれたは一瞬の間あったが、トバルカインにされるがまま観察される。

 

 トバルカインが夜見に近付いた同時に、加奈の周りを不規則に動き回る5つの白い球体からトバルカインに向かって熱線が照射される。

 

 不意を突くように光速で飛来する熱線だったが、トバルカインは紙一重で回避し、彼に殆どダメージを与えることは出来なかった。しかし、トバルカインを夜見から引き剥がす事には成功する。

 

「あぁなるほどね、瞳の力を2つに分け与えたのか。それでその見た目ね、しかも瞳を見るに誕生からあまり時が経っていないようだね。おそらく経って2年くらいだろう。加奈ちゃんの疲労もそのせいか、瞳の力を分けた時に自身の力も二つに分けてしてしまったんだね、もったいない。そのせいで全盛期の半分以下まで力が低下している。瞳の制御すらおぼつかない、だからあんな結界魔術を解析するのにそこまで疲労するのか」

 

 トバルカインは夜見に接触した一瞬でその秘密を暴き出した。彼も伊達にウロボロスの長を長年やっている訳では無いのだ。

 

「……」

 

「貴方はなにを言っているのです!?」

 

 沈黙している加奈とは違い、夜見は動揺するようにトバルカインの言葉に反応する。

 

 自身の知らない情報をペラペラと喋るトバルカインの言葉に惑わされぬよう夜見はトバルカインにがむしゃらな攻撃を仕掛ける。

 

「あぁ、伝えてないのかい。自分の半身だろうに.」

 

 迫り来る銃弾をトバルカインは何事も無く防ぎながら、夜見の事を憐れむ。更なる攻撃を与えようとする夜見だが、行動する前に加奈に肩をグッと掴まれ動きを止める。

 

「だとしても貴方には関係の無いことよ」

 

 加奈がそう呟くと同時に、突如トバルカインの右半身が空間ごと切り取られたかのように消失する。残った左半身は大量の血を流しながら地面へと倒れ込む。

 

一瞬にして出来る血の水溜り、そして確実に致死量を超えているであろう出血。どんな化け物であろうと人間であるなら確実に死んでいるはずだ。

 

「さようなら。トバルカイン」

 

 加奈は安堵の表情を浮かべながら静かに呟いた。

 

「これでやっと前に進める」

 

「まさか、まだ終わらないよ」

 

 加奈が振り返り扉から出ようとすると死んだはずのトバルカインから声がする

 

「ッ!!」

 

 加奈が咄嗟に声のした方向を振り向くとそこには、身体が徐々に復元されていくトバルカインの体があった。彼は既に体の8割を回復させ、ゆっくりと立ち上がるろうとしていた。

 

「加奈様!!」

 

 危険を感じた夜見が即座に加奈とトバルカインの間に割って入る。そしてなにがあっても良いように『防御』の魔術を発動させながらトバルカインの動きをよく観察する。

 

「…まさか貴方、不死の身体を…」

 

「…いいや、違う。僕では不死に至れなかった。ただの人である僕には…」

 

 体を完全に復元したトバルカインは1度立ち上がったが、立っているのがやっとな状態だったのか、すぐその場に座り込んでしまう。

 

「クソッ…やっぱり駄目かぁ…色々とやってみたんだけど、やはり無理だね。ほら、身体が崩れていくよ」

 

 手を握ったり開いたり、まるで機能を確かめるように繰り返しているトバルカインだが、彼の言う通り完全に復元された彼の体は少しずつ、まるで草木が朽ち果てるように指先から崩れていく。

 

「どれだけ研究してもこれが限界さ、所詮、私では神に至れなかった。人間の限界を超える事は出来なかったのさ」

 

「人の身体を弄び、他人の命を愚弄した貴方の最後がこれとは、哀れね」

 

「…化け物には分からないさ、人ならざる君には、神に成りたかった僕達の気持ちなんて理解できないだろう」

 

 既に四肢を失い、残った胴体も徐々に灰になっていくトバルカインに対して、加奈はトドメを刺す事をしなかった。

 

 彼に身体を弄ばれ、両親も殺された。自身の人生、その全てを変えてしまったヒュドラ。そしてその元凶であるトバルカインは静かに息を引き取ろうとしている。

 

「確かに理解できないわ、狂人の戯言なんて理解したくもない」

 

「ハ…ハハッハ…可愛く…ない…」

 

「今度こそ、さようなら、トバルカイン。神を目指した可哀想な人」

 

「……」

 

 もはや喋る力すら残ってないのかトバルカインは嫌そうな顔をしながらゆっくりと塵になる。そして残った部位も塵となり空へと溶けていく。

 

「これで終わったのですか?」

 

「ええ、終わりよ、私の復讐は…今終わったわ……」

 

 幼き日の悪夢、自らの手で両親を殺させられたあの日の記憶にようやく終止符が打てる。加奈の止まっていた時をようやく動かすことが出来る

 

「…加奈様」

 

「どうしたの?」

 

 夜見は声を震わせながら加奈の名前を呼ぶ。今にも消えそうなほどに弱々しい声、加奈を見る彼女の目は酷く怯え、握る手は震えていた。

 

大きく息を吸ってゆっくりと吐く、肺の中に取り入れた空気全て出し切ると夜見は小さく息を吸って胸のうちを明かした。

 

「私は…私は一体、なんなのでしょうか?」

 

 トバルカインの放った言葉、自身を惑わせる為の狂言だと夜見は自身に言い聞かせようとしたがトバルカインの言葉が頭の片隅から消えない。

 

何故なら何も知らないから、加奈に拾われてから自分自身の事は何も聞かなかった。聞けば教えて貰えたかもしれないが復讐に燃える加奈にそれを聞くことはできなかった。

 

何が真実なのか夜見には分からない。自分は何者なのか、何故加奈が復讐に燃えているのか。ただ、言われるがままに加奈を手伝い、自身を拾ってくれた彼女に尽くそうとして己が手を血で染めた。実施、それでいいと思っていた何も問題は無い。加奈に尽くせればいいとそう思っていた。

 

だが、いざ復讐が終わりを向かえると突然怖くなった。トバルカインの言葉もあるが、それ以前から気になっていた事、自分は何者なのか、今の夜見にあるのは漠然とした恐怖。

 

加奈に拾われてから2年間、そうあるべきだと思い加奈に従ってきたが、トバルカインの言葉を聞いて、加奈が目標を達成したこの瞬間、次に進む為に自分の存在を明らかにしたかった。

 

「そうね、それもしっかりと話さなければいけないわね。そうね、先ずは事の始まりから……『pipipipi』

 

 加奈が話出そうとしたタイミングで、胸ポケットに入れていた携帯端末が着信音を出す。着信に出るか夜見に説明を続けるかを少し迷ったが、電話先の相手は分かっていたので、夜見少し待って欲しいと伝えてから端末を取り出す。

 

『話してる最中に悪いのう』

 

 端末から聞こえてくるのは渋い男性の声、声の持ち主はもう70歳になるいい歳したおじいさんなのだが、そんなことを感じさせない若々しい声が聞こえてくる。最近は身体が鈍ったと嘆いているらしいが見た目は立派な筋肉ゴリラだ。

 

『お前さん、今、失礼な事を考えてないか?』

 

「いえ、大丈夫です。それよりも、やっぱり見ていたんですね?」

 

 この戦闘が始まるよりもはるか前、この復讐が始まった時から監視されているのは分かっていた。しかし加奈は見ているのが彼だと知っていたからあえて放置していた。

 

『絶対、大丈夫じゃないだろ……全くまあいい、取り敢えず任務遂行ご苦労さま、3年に渡る長い任務だったがよく遂行してくれた』

 

 端末からきこえて来るのは形式的な労いの言葉。今回の一件は復讐ではなくあくまでも任務。ここまで取り繕ってくれた恩人に対してしっかりと形式に乗っ取った返事を返す。

 

「ありがとうございます。お陰で悲願を達成する事が出来ました」

 

『……加奈、どうだ気は晴れたか? お前から全てを奪っていった奴らから全てを奪って少しは楽になったか?』

 

 硬い話はこれまでだと言わんばかりに感情の篭った言葉。先程までの堅苦しい声色とは違う、まるで親が子を心配するかのような優しい言葉。

 

「気は晴れませんよ。ウロボロスを、いえ、トバルカインを殺したからと言って私の体が治る訳でも両親が帰ってくる訳でもありません.」

 

 加奈は唐突に夜見の頭に手を乗せて頭を撫でる。夜見も初めは驚いていたが、加奈の手を受け入れ大人しく頭を撫でられる。こうして見るとまるで姉妹のようにも見える。

 

「それでもやっと前に進めます。夜見もいますし、やっと先を見て歩き出す事が出来ますよ」

 

『…そうか、なら良かった』

 

 男は静かに、しかし力強く言葉を吐く。そして数秒黙り込むと次の指示を加奈に飛ばした。

 

『任務が終わってすぐで悪いんだが、1度本部に戻ってくれ、伝えたい情報や次の任務も待っている。迎えのヘリを送ったからそれに乗るといい』

 

「分かりました」

 

 男からの指示に加奈は素直に従う。本来なら加奈がウロボロスの壊滅を2年間という長きに渡り行うのは不可能だ。それ程、加奈の力は凄まじく、組織の中でも重宝されている。そんな加奈をウロボロス壊滅に張り付ける事が出来たのは彼のおかげだ。

 

『夜見共々気を付けて帰って来いよ、帰ってきたら久し振りに食事でも行こう…3人でな』

 

「ええ、ありがとう。お義父さん」

 

『……』

 

 通話が切れると同時にヘリのローター音が聞こえてくる。音は段々と大きくなっていて、おそらく5分もしないうちに到着するだろう。

 

「ごめんなさいね夜見」

 

加奈は申し訳なさそうに夜見に謝る。本当はゆっくりと話したかったが、ヘリが近付いて来ている以上ここでゆったりする訳にもいかないだろう。

 

「加奈様、先程の方は?」

 

 屋上に上がる途中で夜見が聞く。加奈が親しそうに喋る男性を夜見は知らない。加奈に拾われてからの2年間、戦闘と修行に明け暮れた夜見は加奈の事を何も知らない。

 

 彼女は少しでも情報が欲しかった。トバルカインの言葉を聞いたから、という訳では無いが、何も知らないという不安を少しでも消したかったのだ。

 

「彼の名前は不知火 誠。私の恩人で義理の父親よ」

 

 父親、考えた事もなかったが、私にも親はいるのだろうか? わからない。全ての言葉に疑問が生まれてしまう。

 

「夜見には分からないことばかりだものね、大丈夫。時間はかかるだろうけどすべて説明するわ」

 

 不安を抱き怯えている夜見の頭に手を置き加奈は再び笑う。その行為に何故だか夜見も少し安心することが出来た。

 

 そうこうしていると、屋上に着いた二人を黒塗りヘリが出迎える。ヘリは事後処理の部隊を下ろすと、入れ替えで二人を乗せる。部隊が屋敷へと無事侵入した事を確認するとヘリは飛び立ち目的地へと飛行を始めたのだった。

 




すいません、いつも通り主人公の名前は加奈です。


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