お兄ちゃんのおしごと (エビアボカドロックンロール)
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1

「ねえ、そこのあなた。ちょっと踏み台になってよ」

 

 

 休憩がてらマッカンを買おうと自動販売機の前で財布を開いていると、後方から幼い年頃の少女に声をかけられた。

 幾十人ものロリっ子を面倒見てきたロリっ子鑑定士1級の俺には分かるがおそらく11歳、人を踏み台にして喜ぶ性癖に目覚めるにはやや早過ぎる気がするし(やや?)人生のステップアップとしての踏み台なのだとしたら俺なんかでは行く先が180度変わっちゃいますよと教えてあげないといけない。

 

 どちらにせよテレビ局の廊下で初対面の相手にお願いするようなことでもないので人生のセンパイとしてお願いの仕方でも教えてあげようと思いゆっくりと後ろを振り返る。

 

 

「人にお願いするときはお願いしますにゃんって言いながら手で、猫耳を、……作って………」

 

「手で猫耳を作ってどうすればいいのかにゃん?」

 

「………」

 

 

――――――

 

 

 連続テレビ小説。通称朝ドラ。

 半年にわたって朝の時間帯に放送されるドラマの子役オーディションにウチの事務所からも何人かエントリーすることになった。

 しかし朝ドラの特性上、撮影は長期間にわたって行われることもあり、付き添いの俺もそれに伴って拘束時間がかなり長くなるので面倒なのが半分、もう半分はすでに知名度を得ているアイドルたちではスケジュール調整が大変だろうという理由でパスしようと思っていた。

 

 適当に茶を濁して流そうとしていたが演技の仕事にも挑戦してみたいという櫻井と佐々木が真っ先に手をあげたので付き添いで某国営放送局に向かうことになった。アイドルがやりたいと言うことはなるべくやらせてあげてえからなあ(おぎやはぎ風)

 

 もうまもなく到着する車の後部座席をバックミラーごしにちらりと確認すると二人は目を血走らせてオーデイションの練習をしていた。

 

 

「じぇじぇじぇ!」

 

「びっくらぽん!」

 

「………。意外と余裕そうだな…」

 

「そんなことないですわ八幡ちゃま…。今も緊張でこんなに震えてますもの…」

 

「千枝はこのチャンスを逃すわけには…いかないんです…」

 

 

 決意を秘めた瞳は鏡越しにも眩しく映り少し目を細める。かつては自分にも震えるほど、涙が出るほど欲しいものがあったはず、…それは果たして今自分の手の中にあるのだろうかと。

 ここにいるのが遊佐や市川ならたぶんそんな感じのことを考えたと思う…

 

 

「合格すれば半年以上八幡ちゃまが専属になってくれるそうですわ(コソコソ)」

 

「撮影で長期間の泊りになることもあるそうです(コソコソ)」

 

「なんか言ったか??」

 

「いえなんでも…ないです…」

 

「二人で合格したいですわね。って言ったんですの」

 

「ふーん?」

 

 

 ……まあ、さすがに今さらこいつらがそんな殊勝なことを考えてるなんて欠片も思わんが。

 騙し騙されちひろさんとの700日戦争。休戦協定を結びありがたくアドバイスをいただいた時の『比企谷君は女の子に幻想を持ちすぎですよ』でそげぶされた俺は少女であっても女であることには変わりないということに気付かされた。小町のあれはただただあほで可愛いから騙されていると分かっていても言われるがままになるしかないんだよぉ~

 

 ともあれライバル同士であっても仲間であることを忘れずに切磋琢磨しようと二人が可愛く企んでいるのなら、俺は気付かないフリをして裏から応援するまでだ。例え真の目的が少女らしからぬ、あるいは少女特有の独占欲なのだとしてもモチベーションは人それぞれ、せいぜい全力を出し切ってほしい。

 

 しかし良くも悪くもアイドル事務所に所属している彼女たちが本職で役者を目指す他の子役たちに勝つことは容易ではないだろう。ただそれを知っていても挑戦すると決めたのだから勝つまではいかなくとも一矢報いるくらいはできるポテンシャルはあると俺は信じている。まあ1000分の3だ、慰める準備ぐらいはしておいてもいいだろう。

 

 

「もうすぐ着くからそろそろ準備しろよ」

 

「半年もあればゴニョゴニョ」

 

「まッ千枝さん!はしたないですわ!」

 

「………」

 

 

――――――

 

 

「当然合格しましたわ」

 

「千枝もです…」

 

「…おめでとさん」

 

 

 だよね、受からないと話し進まないもんね!そりゃ受かるよ…。……いや、すごいな。二人ともマジで受かっちゃったよ。

 

 あれから3週間。

 3度の審査を勝ち上がり先ほど行われた最終審査で10人の中から無事2人は役をもぎ取ったわけだが…

 

 合格者の待機室へと場所を移し改めて大変なことになったと感じる。見た目の華やかさで言えば同世代では比類ないものを持っているこいつらだがこと演技の世界においてまさか一線級の実力を持っているとは思わなかった。

 

 

「あら八幡ちゃま。まさかわたくしが合格すると信じていませんでしたの?」

 

「まあ正直二人そろって合格するとは思わんかったわ…」

 

「女はみんな…大女優です…」

 

「FFやった?――つーか最後の審査は何の演技をしたんだ?」

 

 

 興奮から真っ赤に染まるほっぺたに気付いていないのか、あくまですまし顔で感情を抑える櫻井はそれでもはたから見れば喜んでいるのは一目瞭然で素人の俺にまでバレバレなのでこんな調子で演技の仕事ができるのかと苦笑がこぼれる。

 

 なぜこの2人が合格したのか気になり珍しくボケる佐々木に聞いてみる。もしかすると演技の中でも得意分野のようなものが当たったのかもしれない。

 

 

「…別に…いつもどうりに演技しただけです…」

 

「――いつも仲良く遊んでいた幼なじみの男の子が転校生の女の子といい雰囲気になってしまって妬みからあの手この手で転校生の女に嫌がらせして別れさせる役をしていましたわ」

 

「…それだと佐々木がいつも嫌がらせしてるみたいになっちゃうからね?」

 

「あら、千枝さんがご自分でおっしゃたんですわ」

 

 

 俺の質問に佐々木が口ごもると鏡を見ながらリップをぬりぬりとしていた櫻井がぷかぷかと唇を鳴らしながらさらりとそう言った。

 

 

「桃華ちゃんは転校生の女の子を慰めながら最後に裏切って絶望に突き落とす役をそれは楽しそうに演じていました…」

 

「なっ!あれはそういう演技をしていただけですわ!」

 

「それを言うなら千枝も比企谷さんのために一生懸命だっただけです…」

 

 

 なんだかんだで最終審査の結果を待っている間に俺の方まで緊張してしまっていたらしい。朝ドラに出演することがどれだけすごいことか知ってか知らずかいつもどうりにはしゃぐ2人を見ているとほっと肩の力が抜けてたのでマッカンでも飲んで一服したくなってきた。

 

 わたくしが半年間八幡ちゃまをひとり占めするつもりでしたのに、だとか比企谷さんは千枝1人の方が楽だと言ってました、だとか。わふわふと仲良く喧嘩する2人はここに放置して少し休憩しに行こう。

 

 

 部屋を出て喫煙室の前にある自動販売機に向かって歩きながら、昔、それこそまだ大学生だった俺がアルバイトとしてプロデューサーという名の雑用をしていた時に知り合ったガキの癖にプロ意識だけは一人前だった子役を思い出す。なんでって?フラグだよ。

 

 当時は事務所に仕事の依頼が来ることなんてほとんどなく足で営業して引っ張ってくるか片っ端からオーディションを受けるかで事務所一丸となって遮二無二働いていた。

 そのかいあって食っていけるほどには仕事を取ることができ軌道に乗り始めたことに少し慢心していたのかもしれない。そんな俺の心を見透かすようにその少女は自らのプロ意識をもって10歳以上も年上の俺に正面から説教を垂れて見せたのだ。

 

 曰く、プロ意識が足りない。曰く、センパイに向かって態度が大きい。曰く、ジュース買ってきて。

 

 んー。説教じゃなくてただのわがままだな。

 まあ実際がどうだったかは置いといて、母親と二人三脚で頑張るその子役が母親と控室でかわす笑顔が眩しく思え、俺もどうせプロデューサーとして支えるのなら舞台では1人になるアイドルたちをせめてスポットライトの外側から裏方として二人三脚で走っていきたいと思えるきっかけになったことは間違いない。

 

 その後も色々とあったがそれはまたにして。

 

 

 背後から旧友に話しかけるかのように茶目っ気たっぷりに声をかけてきた彼女を見てなるほど、子役のオーディションと言うのなら残りひと枠は一世を風靡したこいつで間違いないとこれ以上ないほどに納得できた。

 

 

「久しぶりだね、お兄ちゃん♪」

 

 

 猫耳のように手をかかげる周防桃子がそこにいた。

 

 



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2

 

 

「久しぶりだね、お兄ちゃん♪」

 

「ああ、久しぶりだな桃子。じゃあ俺は仕事があるからまたな」

 

「あっ、うん。がんばってね。――――っじゃなくて!!」

 

 

 久しぶりの再会っていい思い出がないんだよなー。折本のあれとか…

 適当に挨拶だけして戻ろうとしたのだがジャケットをぎゅむっと握られてその場でつんのめる。

 

 自分で言うのもなんだが俺が現場で他の事務所のタレントと話しているのがアイドルにバレるとそれはもう面倒くさいことになるから嫌なのだ。

 上書きと称して行われる何かしらの代償行為は俺の心の防壁をゴリゴリとすり減らしていくので、できるだけ公共の場では話さないように気を付けなければいけない。そこらへんのアイドルよりアイドルしてるわ。

 

 さらにそれが古い知り合いときたもんだから気まずげにその場を去ろうとする俺を桃子は冷たい目で見やり声を上げる。

 

 

「2年ぶりに会う桃子に何か言わなきゃいけないことがあるでしょ!」

 

「――綺麗になったな…」

 

「んなッ…!!!お、お兄ちゃん!どこでそんな言葉覚えてきたのっ!!」

 

 

 真っ赤になって俺をポコポコと殴る桃子は見た目には少しばかり成長しているがあのころと変わらずどこか背伸びした雰囲気は危なっかしくも頼もしい。

 先ほどまで猫耳が鎮座していたふわふわとした栗色の髪を2度3度と撫でつけるとムッとした顔のまま俺の手をほどき睨みつけてきた。

 

 

「そんな怖い顔で睨むなよ…。可愛いお顔が台無しだ」

 

「だ、だからッ!お兄ちゃんそんなすぐに可愛いとかいう人じゃなかったでしょ!――いきなり猫耳とか訳分かんないこと言うし……」

 

「俺にも色々あったんだよ…」

 

 

 色々ってなに!と詰め寄る桃子をしっしっと払い、マッカン片手に喫煙室に逃げ込む。

 

 くわえたタバコに火をつけ疲労感とまとめて煙を吐き出す。桃子は喫煙室のガラスの向こうから何かを騒いでるらしいがあいにく何を言っているか聞こえないのでこちらはぷかぷかと紫煙をガラスにたたきつけることしかできない。

 

 ガラス越しとは言え煙を吐きかけられた桃子は器用にも前髪の分け目の隙間にビキリと青筋を立てると、わなわなと震える手でお気に入りのポーチからスマホを取り出しラインのQRコードをかかげてきた。

 しばらく知らんぷりでマッカンを飲んでいたがいっこうにスマホをしまおうとはしないので仕方なくQRコードを読み取り友だち追加すると即座に着信のメロディーが心なし攻撃的に鳴り響いた。

 

 どうでもいいけどガラス越しにQRってなんかエロくていいな。

 

 

「はいもしもし346プロダクションの比企谷です」

 

『どうしてガラス一枚隔てただけで他人行儀になるのっ!』

 

「つーかほんとになんだよ。久しぶりに会えたのは嬉しいがそれ以上に厄介なにおいがプンプンするんだよ」

 

『嬉しいんだ…。ふ、ふん!桃子もそこそこ嬉しいんだからね!』

 

「なにその雑なツンデレ…?」

 

 

 どこが琴線に触れたのかは知らないがすっかり上機嫌になった桃子は身だしなみをさっと整えると真っすぐなまなざしを俺に向けてきた。

 

 

『お兄ちゃん…、桃子もアイドルになるね!』

 

「は…?デレプロ入るのか?桃子なら余裕で入れると思うが…。役者はやめるのか…?」

 

『ううん、違うよ。お兄ちゃんが桃子の事を大好きでスカウトしてくれるのは嬉しいけどね』

 

「そうは言っていない…」

 

 

 お兄ちゃんのことを裏切りたくはなかったけどなんて悲壮感たっぷりに首を振る。演技派ですね桃子さん。

 

 

『765プロが新しい劇場を造るの。そのオーディションがずっとあったんだけど桃子はその新メンバーに選ばれたの』

 

「…お隣さんが新しいプロジェクトを進めていたのは知っていたがまさか桃子が受けていたとはな…。昔俺がアイドルに誘ったときは断られた気がするんだがな」

 

『うっ、あ、あの時は演技のお仕事しかしたくないと思ってたし、…プロデューサーとアイドルの関係性になっちゃうのも…なんか違うかなぁって…』

 

 

 後半はぽしょぽしょと話すので何を言っているのかは分からなかったが、子役として最大限にプロ意識をもって挑んでいたことは俺もしっかりと覚えているのであの時はそれほど本気でもなかったがそれでもプロデュースしたくないと言えば嘘になるほどには魅力を感じていた。

 

 そのガキが朝ドラに出演するまでに成長して目の前に現れたというのだから感動もひとしおだ。言わねえけどな。

 

 

「ほーん?まあこれからドラマの現場で顔を合わせるようになると思うからよろしくな」

 

『何言ってるのお兄ちゃん?桃子が何のためにこのオーディションを受けたと思ってるの、次は桃子がお兄ちゃんをスカウトしに来たんだよ』

 

「――お前こそ何言っちゃってるの?なに315プロなの?歌って踊れるプロデューサーにでもなれば ピロン♪『765プロ劇場立ち上げの助っ人で比企谷君にご氏名がありました♡せっかくなので弱みの一つや二つは握ってきてくださいね♡ちひろ♡』……は?」

 

 お給料は据え置きです♡じゃねえよ。……この気持ち。もしかして…殺意…?

 

 

 

『―――ドラマだけじゃない、これからはずっと顔を合わせるようになるんだよお兄ちゃん♪』

 

 太陽のような笑顔で、周防桃子はそう言った。

 

 

 

「は、八幡ちゃま…?わたくし達を捨てるんですの……?」

 

「分かりました。千枝はそこのちんちくりんをヤレばいいんですね……」

 



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3

 

 

 久しぶりに再会した桃子との会話を喫煙室からのんきに楽しんでいた俺は、その内容をよりによって絶対に知られてはいけないやつが盗み聞きしていることに、決定的な証拠を握られるまでついぞ気付くことができなかった。

 聞かれてしまったが最後、それを知ったあいつらがどうなってしまうかくらい想像できていたはずなのに…

 

 

ーーーーー

 

 

 桃子から最寄りとして伝えられていた駅から歩くこと15分。

 

 到着したのは大きな体育館ほどもあるサイズが目を引く劇場。

 建物の顔とも言える入り口には大きな蝶をあしらった看板が鎮座し、どれほどの高さがあるのかと見上げてみれば目に入ってくる765LIVE THEATERの文字は初めてテーマパークに連れてきてもらった時のようなワクワク感をもたらし胸のあたりがむずがゆくなる。

 

 何から何まで計算し尽くされたであろうその世界観になるほど、ちひろさんはこれを盗んで来いと言いたかったのだと納得させられる。破壊してこいあるいは乗っ取ってこいと言われなかったのはあの人に残った最後の良心なのだろう。

 

 

 

 ――あ、『私たちを捨てるの』って泣き叫んでたアイドルたち?

 うるせえし事務所に置いてきたけど何か問題でも?

 

 いや、だって新規事業立ち上げサポートと言う名の敵情視察も立派な仕事だし。……別にあいつらの相手するより桃子といる方が楽そうだからとかそんなことは一切ないのであしからず。

 

 つーかあいつら『他の女のところに行くのね』だの『若い女の何がいいのよ』だの割りと余裕あったし、何より代償に色々と約束させられたからな…。実質俺だけが損してる形だ。『ひどい!血も涙もないです!あるのは性欲とSっ気だけなんですか!』などとほざきやがった茄子は後日、たっぷりと時間を取って折檻する。

 

 

「ねえねえお兄ちゃん。ここが765プロライブ劇場、通称シアターだよ♪」

 

「…まあそれは見りゃ分かる」

 

「ねえねえお兄ちゃん。ここが765プロライブ劇場、通称シアターだよ♪」

 

「村人かな?」

 

「――でもほんとに大きいねー。お兄ちゃん何人分かな??」

 

「東京ドームとかでするやつを俺でしようとするな…」

 

 

 俺の周りをうろちょろと上目遣いに話しかけるその姿は大変に愛らしくて結構なんだが、どうにもその口調の節々に毒を感じる。

 故意なのか恋なのか、先ほどから3桁単位で足を踏まれてることからもそれはうかがえる。

 

 故意だとしたらやめてね、革靴よれよれになっちゃうから!

 恋だとしたらありがとう、踏まれるたびに愛を感じるよ!

 

 

「はぁ?何言ってんのお兄ちゃん。社会人になっても相変わらずごみいちゃんだな…」

 

「つーか小町ちゃんなんでついてきちゃったの?お兄ちゃん一応おしごと中なんだよ?――ほら、お小遣い上げるから買い物で―――」

 

「あっ、お兄ちゃん!もうっ、なんで約束の時間ギリギリなの!桃子はセンパイなんだから待たせたりしちゃダメって前も言ったでしょ!」

 

 

 職場に親族を連れていく気恥ずかしさに有り余る財力を駆使して小町ちゃんにエスケープしてもらおうとあれこれ試していると、今回の助っ人先である765プロで唯一の顔見知り、周防桃子が玄関まで迎えに来てくれた。

 

 

「あーすまんな桃子。家を出る時に妹がどうしても見学したいってぐずってな…」

 

「え!?お兄ちゃんの妹さん!?あ、あ、えと、いつもお兄ちゃんにお世話になってます…765プロの…周防桃子です…」

 

「………」

 

「どうした小町?お前にしては珍しく人見知りでもしてんのか?――まあこんだけ可愛かったら緊張するのも分かるけどな」

 

 

 新人アイドルとは言えすでにテレビで見たことのある人が目の前にいるのは緊張するんだろうと思い、なんとかほぐしてやろうと桃子の髪を撫でながらニヤリと冗談を言ってみるも小町はピクリとも動かず、両のまぶただけがピクピクと痙攣していた。んー、美人は雪ノ下で見慣れていると思っていたが、こと有名人となると話は変わるのかもしれないな…

 

 

「ね、ねえねえお兄ちゃん。桃子妹さんに嫌われちゃった…?」

 

「…桃子の事を嫌いな人間なんて平塚先生の結婚相手見つけるより難しいぞ」

 

「ひ、ひらつかせんせ…??」

 

 

 先ほどから変わらず無表情の小町が怖くなったのか、視線から逃れるように涙目の桃子は俺のジャケットを握り後ろに隠れてしまった。

 これほどまでに弱気な桃子は珍しいのでずっと見ていたい気もするがそれより今は小町の様子がおかしいことが気になる。たかが15分歩いただけとは言え猛暑に慣れていない小町にはきつかったのかもしれない。

 

 

「小町もしかして熱中症に――」

 

「お兄ちゃん」

 

 

 うつむきながらゆらりと1歩を踏み出す小町。

 

 

「ど、どうした?タクシー呼んで病院行く――」

 

「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん」

 

 

 万歳三唱ならぬお兄ちゃん三唱。

 

 

「小町ちゃん?目が怖いわよ?」

 

「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん―――お兄ちゃんの妹は小町だけでいいの!!!!」

 

 

 ガバッと顔を上げた小町の瞳に光はなく、幾多の修羅場を乗り越えてきた俺は直感的に小町を抑えるように抱きしめた。

 

 

「お兄ちゃんどいて!そいつロコせない!」

 

 

ーーーーー

 

 

八幡「こら、桃子がマジでビビっちまってるだろ…」

 

桃子「えっ?………えっ?」

 

小町「あいたッ!……もぉー、チョップはやめてよー」

 

桃子「も、桃子これからもお兄ちゃんって呼んでいいの…?」

 

小町「あったり前だよっ!ごみいちゃんのことを好いてくれるのは小町も嬉しいからね♪」

 

桃子「じ、じゃあ桃子もお兄ちゃんの妹になっていいの…?」

 

小町「うん、それはダメ」

 

桃子「――えっ………えっ?」

 

 

 

八幡「………」

 

 




お気に入り、評価、感想ありがとうございます。
何卒甘めの採点でお願い致します。


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4

 

 

 目の前にずらりと並ぶ52人のアイドルたち。

 アイドルブームの火付け役とも言えるオールスターズ組の13人は、突然助っ人などとのたまい現れた俺の本性を暴いてやろうと射抜くような視線で睨みつける。一線で活躍し続ける人間の持つオーラは凄まじく思わず息をのむ。

 

 新規事業の助っ人ついでに765プロの良い所をこっそりと盗んで帰ろうなんてのは甘い考えだった。

 目の前で睨みを利かせる天下のオールスターズは、たかが346プロ下っ端社員の俺ですら自分たちの成長の糧にしようというのだから。

 殺して解して並べて揃えて晒してやんよと言わんばかりの貪欲さこそが圧倒的成長を遂げ第一線を走り続ける765プロのその根幹なのだろう。

 

 げに恐ろしきはその瞳の輝きである。

 だって俺はもう、すっかり彼女たちに魅入られてしまっているのだから。

 

 まあ、戯言だがな。

 

 

ーーーーーー

 

 

「ねえお兄ちゃん。なんか格好つけてるけど、ずっとあずささんの胸見てたよね」

 

「………普通にファンなんだけど、後でサインもらえないか?」

 

「知らないよっ!自分でお願いすれば!?」

 

 

 今日からここで手伝いをすることになりました、うんぬんかんぬん。

 好奇心、嫌悪感、無関心。様々な視線に晒されながら無難な挨拶をした俺は劇場内を桃子に案内してもらっていた。

 あこがれのあずささんの手前、格好つけたいという男心が疼いたがそこはなんとか抑え込んだ。やらずに後悔するよりやって後悔しろ、ただしロシアンルーレットみたいな?。そんな感じのメンタルヘルスマネジメント。

 

 

「まあそんな怒んなよ。そんなことより俺の挨拶大丈夫だったか…?」

 

「――挨拶してる時のお兄ちゃんは、まあまあかっこよかったよ…」

 

「……いや、そういうことを聞いてるわけじゃないんだが」

 

「…ッ!……おっ、…」

 

「お?」

 

「お兄ちゃんのえっち!!!!!」

 

「エッチ!?エッチナンデ!?―――っておい!どこ行くんだ!?」

 

 

 廊下は走っちゃいけませんとか何がえっちなんだとか言いたいことは色々あるがそんなのが些細なことに思えるほどのピンチが目の前の角を曲がりカツリとヒールが床を叩く音ともに現れた。

 

 

「ごきげんよう~♪ところで私、たまたま今の音声を録音してたんですけどそちらの魔王さんは何をすべきかおわかりですね~?」

 

「お歳暮でも送りましょうかね、聖母だけに」

 

「つ、強がっても無駄ですよ~。本当は焦っているのが私にはお見通しですからね~?」

 

「つーかお前だれなの?いきなり現れて人を魔王呼ばわりとか、なに?熊本出身なの?」

 

「ぐぬぬ……」

 

「俺今おしごとで忙しいの!用がないならあっちに行って!」

 

「あ、あなたなんか嫌いです~~!!」

 

 

 フッ、たあいもない。

 10歳近くも年下の女の子をあほなフリして追い込み、まるで自分の非など最初から無かったかのように勝ち誇る男がいた。

 

 まあ、俺なんだけどな。

 

 ぶっちゃけかなり焦ったし勢いで聖母って言った後に誰なのって言ったりかなり矛盾はあったが所詮は小娘。百戦錬磨どころか億千万の胸騒ぎの俺の相手にはまだまだ力不足だったようだ。

 

………やべえ、初日からクビかもしれん。

 

 

「お兄…ちゃん…?」

 

「あ、そうだ。タピオカでも飲みに行くか桃子?」

 

「いや全部見てたから…。―――ほら朋花さんに謝りに行くよ」

 

「……はい」

 

 

 そりゃそうだ。悪いことをしたら謝る。当然です。

 

 桃子に連れられて劇場内を歩く。途中、姫を自称する完全にキメちゃってるロリータファッションの少女や346プロへの潜入を要求してくるツインテールの呂布に絡まれたりもしたが、鉄壁の桃子ガードに守られ天空橋のもとにたどり着くことができた。

 

 

「あー、すまんな。……天空橋」

 

「なんですか。私の事なんて知らないんじゃないんですか…」

 

 

 生まれてこの方、蝶よ花よと育てられアイドルになる前から多くのファンがいた天空橋は俺からのあまりにもあんまりな態度にショックを受けたようで両ひざを抱え顔をうずめている。まるでぽむぽむとしたお団子がしゃべっているかのようだ。萌える。

 

 

「あのね朋花さん。お兄ちゃんはみんなのことをちゃんと覚えて来てくれてるんだよ」

 

「――そういえば、先ほど聖母って言われた気がします……」

 

「さっきは桃子も急に大きい声を出して悪かったと思うし、お兄ちゃんのこと許してあげてほしいんだ」

 

「あまりにも天空橋が可愛くてな。…ほら、好きな子にいじわるしちゃう小学生みたいな感じ。………たぶん」

 

「………ふぇぇ!?」

 

「ちょっ!お兄ちゃん!?」 

 

 

 やば、口が滑った。涙目+上目づかいの攻撃力が高すぎていらんこと言ってしまった。

 つーか天空橋はこの手の誉め言葉は言われなれてるだろうになんでこんなラブリーなリアクションを取ってくれてんの?俺があと10歳若かったら確実に惚れてたわ。

 

 

「そ、そそそ、そこまで言うならと、特別にっ、んんっ………私だけの騎士王にしてあげてもいいんですよ~」

 

「ちょっと朋花さん!お兄ちゃんは桃子のお兄ちゃんに、あ、これはダメなんだった……」

 

「なんだこいつら、おもしれえ」

 

 

ーーーーーー

 

 

歌織「このみさん!このみさん!なんか甘酸っぱい空気が流れてますよ!」

 

このみ「……あんなにいじけちゃうまで下げておいて、最後は一気に褒める。比企谷君、並みの鬼畜じゃないわね……」

 

歌織「――ねえねえこのみさん、酔わせたら私たちのことも情熱的に口説いてくれるんじゃないですか?」

 

このみ「…それいいわね。さっそくみんな誘って歓迎会をしましょう」

 

歌織「……ガンガン飲ませましょうね」

 

このみ「……そうね、ガバガバ飲ませるわよ」

 



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5

 

 

 初めは冗談のつもりだった。

 

 そう言えば許されるとでも思っているのだろうか。

 被害の大小はあれど、犯した罪に大小はない。

 等しく罪であり、己の過ちを認め代償によって償わなければならない。それが咎人の責任である。

 

 少なくとも俺は自分のしでかしたことを許してもらおうなんて考えていないし、だんだんと楽しくなってしまっていたことも認めるにやぶさかではない。

 謝罪する準備も責任を取る準備も随分と前から整っているのだから。

 

 

 ただひとつ言っておきたい。

 

 初めは冗談のつもりだった。

 

 

ーーーーーー

 

 

 抜き足差し足忍び足。

 お仕事が終わり先ほどまでの気だるげな雰囲気とは打って変わって、心なし軽くなった足取りでシアターの扉をくぐるその後ろ姿。タイミングを計るように追跡していた私たちはついになされたこのみさんの合図とともにターゲット確保に駆け出しました。

 

 ところで忍び足は分かるんですけど、抜き足と差し足っていったい何なのでしょうか…?

 どことなく下ネタの波動を感じるのは私だけでしょうか。

 

 

「ほら歌織ちゃん!ぼーっとしてないで確保するわよ!」

 

「は、はいっ!」

 

 

 思考が逸れてぽやぽやとなってしまった私にこのみさんから叱咤の声が飛びます。

 

 ハッとなり見てみるとターゲットは莉緒ちゃんと風花ちゃんに腕をがっしりと捕まえられすこぶるめんどくさそうな表情を浮かべていました。……いえ、風花ちゃんに抱えられた方の腕をしきりに気にしていますね。あの溢れる母性に包まれてそれでも表情を取り繕うことができるのは大したものですが、彼もやっぱり男の子なのだと再確認です。

 

 

「確保ーー!逃がさないわよっ!」

 

「す、すいません!このみさんの命令なんですぅ~」

 

 

 両腕を二人に取られてしまったので私のつかむ場所がなくなってしまいましたね…

 

 

「歌織ちゃん背中ががら空きよっ!」

 

「なるほど!――えいっ!!」

 

 

 全身に新人アイドルをまとわりつかせ、いよいよ身動きの取れなくなった彼の前にゆったりとした足取りでこのみさんが仁王立ちしました。

 

 

「八幡君、あなたに選択肢はないわよ!私たちの命令に従ってもらうわ!!さしあたってまずは居酒屋に――」

 

「……なるほど、そういうことか。―――まずはこのみちゃん、今日はお疲れ様でした」

 

 

 もったいぶるほどでもなかったかもしれませんが、ターゲットは助っ人プロデューサーの比企谷八幡さんです。

 比企谷さんはこのみさんを視界にとらえるとめんどくさそうな表情から一転、春の陽気のようにあたたかな表情になりました。その表情を間近で見てしまった莉緒ちゃんと風花ちゃんはすまんと一言かけられふぇっと手を放してしまい比企谷さんは一瞬にして自由の身になってしまいました。

 私ですか?恥ずかしくなってすぐ離れましたけどなにか?

 

 

「え、あ、――お疲れさまでした…」

 

「よし、ちゃんとあいさつできてえらいな。お姉さんたちに遊んでもらってたのか?」

 

「あ、いや、あの…私もう」

 

「そうかそうか優しいお姉さんばかりでよかったな」

 

 

 このみさんの前までゆっくりと近づいた比企谷さんは片膝をつき目の高さを合わせると、腰に手を当て仁王立ちするこのみさんの髪を優しい笑顔で2度3度と撫でました。

 ただでさえ至近距離で顔を見られて真っ赤になっていたこのみさんは髪を撫でられ、いよいよ目を回してしまいました。可愛い。

 

 

「そ、そうじゃなくて、あの、私もお仕事終わったから、よかったらこの後飲みにで」

 

「このみちゃんもお仕事終わったのか。よく頑張ったな。ちょうど帰るところだったから駅まで送ってやるよ」

 

「じゃなくてじゃなくて、―――あっ、あうあう」

 

 

 わっ!抱っこですよ!

 ふわりとこのみさんを包み込んだ左腕はそのまま腰へと回されひょいと抱えあげられてしまいました。このみさんは恥ずかしそうに比企谷さんの首筋に顔をうずめぎゅーってな感じです。

 コアラさん抱っこ、あるいは駅弁と言うと想像しやすいかもしれないです。

 

 

「3人も今から帰りですよね?せっかくなんで駅まで一緒に行きましょう」

 

「は、はいっ!」

 

「ちょっと歌織ちゃん!飲み会はどうするの!」

 

「でも比企谷さんこのみさんのこと子供だって思ってるみたいですし…」

 

 

 反射的に返事をする私の反応を確認した比企谷さんはこのみさんに今日は楽しかったか?やアイドル楽しいか?と優しく話しかけながら駅に向かって歩き始めてしまいました。 慌てて後を追うと莉緒ちゃんが耳元で器用にも小声で怒ってきました。

 

 しかし今は控えめに「うん…」とうなずくこのみさんが可愛すぎて写真と動画を撮るのに夢中でそれどころじゃないです。

 

 

「……歌織ちゃんはだめね。風花ちゃん、その身体で八幡くん誘惑してきてくれないかしら?」

 

「ええぇっ!!私なんか無理ですよ…。さっきもあててみたんですけど反応してくれませんでしたし…」

 

「もうやってたのね……。風花ちゃん、強くなったわね」

 

 

 いつも作戦を立ててくれるこのみさんは比企谷さんに抱っこされたままで、リーダー不在の私たちは話をまとめることができず、そうこうしているうちに駅まで到着してしまいました。

 

 このみさんをゆっくりと下ろしカバンからセンスのいい定期入れを出す比企谷さん。

 今誘わないともうすぐにでも改札を抜けてしまうというところまで来てしまいました。

 

 

「それじゃみなさん、あまりお話しできなかったですが明日からよろしくお願いします」

 

「莉緒ちゃん、誘わなくていいの…?」

 

「だって八幡くん、もう帰る気マンマンじゃない…」

 

「わ、私が聞いてみます…!―――あの比企谷さん!」

 

「どうかしましたか豊川さん?…っと、もう電車の時間なのでお話はまた明日でお願いします!」

 

「あ、はい………」

 

「それじゃ、女性4人で飲みに行くのもいいですけど、飲み過ぎには気を付けてくださいね!お疲れ様です!!」

 

 

 コソコソと話す莉緒ちゃんと私にしびれを切らしたのか、風花ちゃんがずんずんと近づき比企谷さんに話しかけますが、腕時計をチラリ。先送りされてしまいました。

 

 最後に比企谷さんはふるふると振るえるこのみさん含め、私たち4人にくぎを刺すとピッと間抜けな音を残して人の波に消えて行ってしまいました……

 

 

ーーーーーー

 

 

 

このみ「ぐぬぬぬ~」

 

莉緒「このみ姉さん完全に子ども扱いされてたわね」

 

歌織「でもちょっと嬉しかったんじゃないですか…?ずいぶんと照れてたみたいですし」

 

このみ「なんでよしよしされて抱っこされて嬉しいわけがあるのよ!!」

 

莉緒「――私はちょっとうらやましかったり…」

 

歌織「でも私たちだとプレイ感でちゃいますよね…」

 

このみ「アイドルがプレイとか言わないの!―――風花ちゃんは急に静かになってどうしたの?」

 

風花「……比企谷さん女性4人で飲みに行くって言いませんでした?――それってこのみさんが成人してるって知ってるってことなんじゃ……」

 

 

「「「………」」」

 

 



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6

 

 

 出向、あるいは左遷。

 果たして今の自分がどちらに当てはまるかは知らないが346で鍛えられたボッチセンサー改め社畜センサーは見事、ふいに目の前に現れた面倒くさそうな飲み会を無事に回避してくれた。ちなみに346での回避率は5%くらい。うん、ほぼ全敗だな。

 

 ポカンと口を開ける4人をしり目に本日の勝利を確信し意気揚々と電車に乗り込んだはいいが、公共の場で大人を抱っこする恥ずかしさとか明日以降もあいつらに会う気まずさとか、そんな精神的ダメージとのトレードオフは正しい判断だっただろうか……

 

 タイミングよく空いた座席に座ることができホッと一息。

 桃子、小町、朋花、そして先ほどの4人。

 わずか1日の出来事にしてはずいぶんと濃かった気がするが、電車が発信するアナウンスとともに一粒のかけらも残すことなく記憶からきれいさっぱり消えていった。

 

 よーしっ、今日は帰ったらビールいっぱい飲んじゃうぞ~

 

 

 

 ――小町ちゃん?俺から5人の諭吉を連れ去って以降連絡がありませんけど何か?お兄ちゃんさすがに寂しい。

 

 

------

 

 

「杏奈ちゃん杏奈ちゃん!!なんとか気付かれずに同じ電車に乗り込めたねっ!」

 

「うん…、でも尾行なんて……いいのかな…?見つかったら…逮捕されちゃう…かも」

 

「ええっ!?で、でもでもいきなりライバル事務所からの助っ人なんて怪しいし…何か狙いがあるに違いないよ!!」

 

「じゃあ…みんなのため…?――百合子さんだけを…危険な目には合わせない……杏奈が守る…!」

 

 

 ありがとう!じゃあ杏奈ちゃんのことは私が守るね!じゃねえよ。なんで俺が危害を加える前提で話してんだよ。なんもしねえから。

 

 少しの距離を置いてこちらをちらちらと見ながら小声で話す二人は、隠れてるつもりなのかもしれないがその極めて優れた容姿じゃどうあがいても人の波に紛れることはできねえし、七尾にいたってはツイードにハウスチェックの鹿撃ち帽とそれに合わせたマント。挙句の果てにはパイプまで装備してるもんだから浮いてるとかいうレベルじゃねえ。見た目から入るにしても、尾行=探偵=シャーロックホームズはひどすぎやしないか?

 

 

「それにしても比企谷さんの眼力…す、すごいよね!シアターでちょっとだけ目が合ったんだけど、心を覗かれた気がしたもん!」

 

「おそらくあれは…魔眼。森羅万象を…見通している…。杏奈たちの尾行にも…気付いているかも…」

 

「どどど、どうしよっ!私たちどこかへ誘い込まれてるの!?」

 

「大丈夫…もしもの時は………防犯ブザーを鳴らす…」

 

 

 防犯ブザーは本当にやめてね!その攻撃は俺と武内さんに効く!

 

 つーかこいつらほんと楽しそうな。

 

 仕事終わりの電車と言えば誰もかれもが疲れ果て、赤ん坊が泣こうがバカそうな大学生の集団が騒ごうが全くの無関心を決め込み、そこは鍛え上げられた社畜によって異空間の様相を取る。

 そんな中でシャーロックホームズとワトソンの二人組は美少女だけが身にまとうことができる天使のオーラで疲れ切った社畜たちにひと時の癒しを与えていた。

 

 かくいう俺も開いた文庫本に目を向けながらも、わふわふとはしゃぐ二人の声に耳を奪われていた。

 

 

 そーするとムクムクといたずら心が湧いてくるのは俺の悪い癖。

 パタリと本を閉じると電光掲示板を確認し荷物に手をかける。少しずつスピードを落とす電車がやがて停車すると、到着のアナウンスとともに開いた扉から下車する。

 

 

「わわっ!降りちゃうよ!」

 

「…つまり…ここが比企谷さんの…最寄り駅…」

 

「よしっ!せっかくだからお家も特定しちゃおっか!あっ、でも346プロのアイドルと同棲とかしてたらどうしようっ…!?」

 

「桃子ちゃんは…お兄ちゃんは桃子の事が大好きだからって…言ってたよ…?」

 

 

 手をつないで後ろをついてくる二人を確認した俺はそのまま数メートル歩き隣の車両へと乗り込んだ。だめだ。ニヤけるな俺。

 

 ……あれ?今の俺、防犯ブザー鳴らされても仕方ないくらいに変質者なんじゃ……

 

 

「ふむふむ、比企谷さんはロリコンさんだったんで……あれ?比企谷さんは?」

 

「百合子さんこっち…!隣の車両…!」

 

「えーっ!なんで!?―――ハッ!346プロにはお嬢様がいっぱいいるから、それを狙う裏組織の追手からアイドルを守るために日ごろから警戒してるのかも!!」

 

「それは後で…聞くから…!!早く…乗らなきゃ…!」

 

 

 なんだこいつら、おもしれえ。あと俺はロリコンじゃないよー

 

 完全に自分の世界に入ってしまった七尾をひきずり、何とか電車に乗り込んできた望月はふぅっと一息つき額の汗をぬぐう。しかし自分たちの状況を思い出し、はっと勢いよく顔をあげる、その際にフードが外れてしまい、おめめとおめめがこんにちは。ばっちり目が合っちゃったよ。

 少なくともシアターで挨拶した時に顔を合わせているので、ここで声をかけることは何も不自然ではないがあえて俺は気付かないふりをした。

 

 

 突然だが人間の認識とは不思議なもんで、1人対多人数においての多人数側は、自分がその他大勢の中から個人として認識されているとは考えないもんだ。ほら、授業中に先生から見られていないと思って手紙を回すとしっかりバレてて怒られるやつ。手紙が回ってきた経験ないから知らんけど。

 

 つまり何が言いたいかというと、望月のその“バレてないよね…?”みたいな顔が可愛すぎるってことだ。

 

 深くフードをかぶりなおす望月といまだブツブツと妄想を繰り広げる七尾を見ていると、もうなんか俺も遊びたくなってきた。見せてやるよ、俺の黒歴史の一片を。

 

「ふぅ、やっと諦めてくれたか。にしても、ずいぶん強くなってやがったな…、次からはもうちょい本気で相手してやらねえとな……」

 

 

 俺はキメ顔でそう言った。

 

 ………あ、やば。想像してた100倍楽しい。

 

 続いてカバンから眼鏡を取り出し意味もなく装着、それにより自らの視界にのみ映し出されたホログラム的な何かを操るように、特に意味もなく空中を右に左にスワイプしてみたりなんかして。おまけに『後で相手してやるから今は大人しくしてろ』なんて無意味に小声で呟いちゃう。

 はた目にはきっとヤバい人。それでも二人には伝わるはず。信じてる。

 

 

「にゃッ!!杏奈ちゃん!私たちには見えない何かを比企谷さんが操作してるよ!!!地球にはまだない技術かも!!」

 

「胸ポケットには…精霊がいるみたい…それも比企谷さんにしか…見えない…。あと…何かに…追われてるとも…言ってた…」

 

「やっぱり比企谷さんは普通の人じゃなかったんだ!!765プロにも何か危険が迫ってるから守りに来てくれたんだよ!!」

 

「確かにそれなら…つじつまが合う…かも」

 

 

「―――今回の依頼も金にはならなさそうだが、あいつらの笑顔が何よりの報酬だな…」

 

 俺はキメ顔でそう言った。(本日2度目)

 

 

「ふわわわわーッ!杏奈ちゃん!今音がしましたよ!私が恋に落ちる音が!!」

 

「百合子さん…だめだよ…、比企谷さんは…裏の世界の……人なのに…。――ビビッとなっちゃだめだよ、杏奈…」

 

 

 ……あー、失敗したかもしれん。

 ちひろさんの“またですか…?”というあきれ顔がやけに鮮明に脳裏に浮かぶ。

 

 本格的にどうしたもんか。今の状態でネタバレしたら今後の仕事に支障が出るレベルで嫌われそうだし、いっそこのままでいいかというとそれはそれで自ら地雷を埋めるようなもんだろう。

 

 

「それじゃあ私と杏奈ちゃんの子供で競わせて、どっちが真の比企谷を受け継ぐが決めるしかないね!」

 

「百合子さんの子供が相手でも…比企谷の正当継承者は譲れない…勝つのは杏幡」

 

「私の八百幡も負けないんだからッ!」

 

「望む…ところ…!」

 

 

 ちょっと俺が悩んでる間にどこまで話し進んでんだよ。比企谷家にそんな血みどろの歴史はねえよ。何を一子相伝すんだ、目か?アホ毛か?

 もはや隠れる気もなくなったのか目の前ではっきりと俺の名前を出して妄想ワールドを広げていく二人。完全なる自縄自縛なんだが取り急ぎ、電車内での視線が痛くなってきたので次で降りるしかないな……

 つーか明日からこの電車乗りたくねー

 

 

 結果的に最寄りまではひと駅歩くことになるが遊び過ぎた罰として甘んじて受け入れよう。

 こいつらが空想から覚めるのも時間の問題だろう。これに関してもそれまで遊び相手になるくらいは甘んじて受け入れよう。

 

 それもまたお兄ちゃんのおしごとだろう。

 

 

------

 

 

桃子「あれ?百合子さんに杏奈さん。ここお兄ちゃんの住んでるマンションだよ、こんなところで何してるの?」

 

百合子「えへへー、聞きたい?…んー仕方ないなー。桃子ちゃんだから特別だよー?」

 

桃子「え、めんどくさいんだけど。なに?酔ってるの?」

 

杏奈「桃子ちゃんこそ…どうしてここにいるの…?」

 

桃子「べ、別に桃子はお兄ちゃんがちゃんとご飯食べれてないかもって思って作りに来てあげただけなんだからっ!」

 

百合子「ちょっと!私の話も聞いてよ桃子ちゃーん!」

 

桃子「べたべたしないのっ!ほら、それより二人はどうしてここに来てるの?」

 

杏奈「杏奈たちも…作りにきた…」

 

桃子「ふーん?じゃあ桃子と勝負だね。桃子はハンバーグを作るけど二人は何を作るの?」

 

 

「「比企谷さんとの子供っ!」」

 



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7

 

 

「39プロジェクト。

 

 新たに迎え入れられた39人の新人アイドルが専用のシアターで定期公演を行い、全員を売り出していく我々765プロがこの春打ち出した大型プロジェクトだ。

 すでに国民的アイドルとしての地位を確立しつつある765オールスターズの後輩としてデビューすることは新人アイドルの君たちにとって非常に大きなプレッシャーかもしれない。

 遥か先を歩く先輩の背中を見て挫けそうになるかもしれない。

 

 ―――だが私は信じている…君たちの可能性を。

 

 先輩となるオールスターズのみんなも後輩たちに負けないように全力を尽くしてほしい……まあ、君たちにこんなことを言っても野暮だね。

 さぁ待ちに待った初日だ。張り切っていこうじゃないか!」

 

 

 こけら落とし公演のその日。“シアター”の舞台上にて、アイドル、事務員、裏方、総勢80人以上を前にしてやけに黒い社長はそう締めくくった。

 

 

 それにしても空気のピリピリ感がすごい。10ピリピリは固い。

 1年以上の時間をかけてようやくここまでたどり着いたらしいこのプロジェクトだが、今日という日がゴールではなくあくまでスタートに過ぎないことを全員が理解しているのだろう。中には緊張感から表情がガチガチになっているやつもいるが、そこは百戦錬磨のオールスターズがケアに当たっているようだ。ほほえましい光景とは裏腹にまだまだ少女と言えるであろう年齢の彼女たちがくぐってきた修羅場をうかがえ恐ろしくもある。

 

 聞けば桜守と白石を除く37人のメンバーは半年以上前から集められレッスンや現場の見学などをしていたらしい。だがあと2人の枠に社長の御眼鏡にかなう原石を見つけることができず39人揃うまでにずいぶんと時間をかけてしまったとは音無さんの申し訳なさそうな表情とともに昨日聞いた情報だ。

 

 オーデションかスカウトどこから始まったのかは知らないが、半年も動きのない中でよくレッスンを頑張ったもんだと感心しながらメンバーを見渡しているとふいに北上と野々原と目が合った。

 

 刹那。俺の脳内をシナプスが駆け巡り、あれの名前なんだっけ?ほら、あれだよ、あれ。そう、それ!な感じのアハ体験。

 

「あ……」

 

 思い…だした!

 すっきりしたー。なんとなく二人ともどこかで会ったことがある気がしていたが二人並んで立っているのを見てようやく思い出した。会ったことあるわ。むしろ遭ったことあるわ。

 

 どこかで会ったことあるか?なんてナンパ師みたいなセリフを吐く前でよかった。

 

 半年ほど前のことだ、

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

 久方ぶりの休日、正座でニチアサを鑑賞した俺は涼しくなってきたことも手伝いバイクに跨っていた。

 

 緊急時や時間が押しているときは機動力に優れるバイクをアイドルの送迎に使用することもあるのだが、いかんせんクーラーなど気の利いたものが付いていないので夏の暑さを全身に浴びながら風を切ることになり、目的地に着いてヘルメットを脱ごうものならそれはもうぺっとぺとの髪が風呂上りが如くなので暑い間は極端に使用頻度が下がっていた。

 

 長かった夏も終わりが近づき、秋を感じさせる涼し気な風を切りながら高速道路を走るのはトライアンフのボンネビルをカフェレーサーっぽくカスタムした自慢の一台だ。パラレルツイン特有の低音とシャカシャカとした軽快なエンジン音がたまらない。

 

 果たしてあの人が007が好きでアストンマーティンに乗っているのか、ついぞ尋ねる機会に恵まれなかったが、どのバイクにしようか考えたとき真っ先に浮かんだのがタバコ片手にハンドルを握る平塚先生だったのだから仕方ない。合言葉はジェームスボンド。

 

 

 ここでバイクを購入した時の回想。

 

 

茄子「比企谷さーん、誕生日おめでとうございます♪」

 

八幡「dunhillのキーケースか。ちょうどバイク買おうと思ってたから助かるわ、ありがとな」

 

茄子「のんのんのん。中を開けてみてください?」

 

八幡「……カギ?」

 

茄子「バイクも買っちゃいましたー♪てへっ♪」

 

八幡「………俺からのプレゼントは2万円くらいだったはずなんだが」

 

茄子「そーですよ?だから2万円分宝くじを買ったんです。するとあら不思議!手元には300万円あるじゃないですか!――ってことで比企谷さんはこれから私が買ったバイクに跨ってその次は私にも跨るってな寸法ですよ!」

 

八幡「……これが超ヒモ理論。……つらみ」

 

茄子「ところでトライアンフって下着のメーカーみたいな名前ですね?ほら、天使のブラで有名な」

 

八幡「それはトリンプだ。TRIUMPHとTriumph全然違うだ、、、うわっ!同じだったわ!」

 

茄子「トライアンフの次は茄子のトリンプをお願いします~♡」

 

 

 以上、回想終了。

 

 うん。購入してなかったわ。あまりに情けなくて記憶封印してたけどこれ茄子に買ってもらったやつだわ。さすがにカスタムは自分でしたけどほとんど買ってもらったやつだったわ。

 

 

 そんな俺のほろ苦い記憶も、どぅんとアクセルを開けばバイクは思いのままに加速し、それに応じて増す向かい風に乗せて拭い去っていく。

 フルフェイスマスクに包まれ狭くなった視界は前だけを見据え、他に走る車やトラックを一瞬のうちに把握しこれから自分が通るであろう道を示してくれる。極限まで研ぎ澄まされた集中力は全能感にも似た何かをもたらしてくれる。………もちろん安全運転5則は守った上でね!

 

 やがて見慣れた景色が増えのでチラリと案内標識に目をやれば目的地が近づいてきたことが分かった。

 

 

――――――

 

 

「たまらん…」

 

 ドッグランの傍らにあるベンチに腰掛けペロッと一口。

 ここでしか味わうことのできないマックスコーヒーソフト。なぜかソフトクリームより本家のコーヒーの方が甘いという謎の認知的不協和はわざわざ東京から市原まで来たかいがあったと思わせる逸品だ。

 程よい苦みと濃厚な甘みが長時間の運転で疲れた身体に染み渡る。

 

 休日は休みで自由だからえらいと思います。なんてポエムが一瞬頭をよぎるがそれすらどうでもよくなるほどの解放感がここにはあった。

 

 サービスエリア自体はわざわざ高速道路を走らなくても一般道から入ることはできるがそれについては一言言いたい。邪道であると。

 また本来の用途として目的地までの移動時間を短縮するために走る高速道路で休憩のために入るサービスエリアにも一言言いたい。寂しすぎると。

 

 俺レベルのぼっちになるとここに来ること自体が目的になる。ぼっち関係ないけど。

 

 

 そんな風に圧倒的自由な時間を過ごしていると一匹のボーダーコリーと一人の天使がドッグランへとふわりと降臨なされた。

 これぞツインテールのお手本でおま。と言わんばかりにふわりと流れる髪は陽光を浴びてキラキラと輝き、それを見てやっぱりあの子は天使で間違いないと証明されここぞとばかりに癒される。

 ジュニオール行くよー!と犬にサインを出して走り出す少女。ライトグリーンのスカートがふわりと舞い、エメラルドグリーンのパンツがこんにちは。……エメラルドグリーン!?

 

「―――あの輝き、いったい何カラットなんだ……」

 

「ねえねえ視姦デューサーさん。そんなに熱心に女の子のパンツ見てちゃ捕まっちゃうよ?」

 

「ちょっ、麗花ちゃん!知らない人に声かけちゃだめだよ!変な人だったらどうするの!?」

 

「視姦じゃねえ、愛でてるんだ。なので呼ぶのならメデューサ―とでも呼んでくれ」

 

「ほらっ!変な人じゃん!―――って、あれ?デューサーはプロちゃんに使うんじゃなかったっけ?」

 

 開口一番失礼なことを言いながらぬっと現れたのは同世代くらいのこれまた驚くような美人だった。しっとりとした黒髪をこれぞツインテールの守破離でござい。と言わんばかりに結っている。……ツインテール?だよね?

 

 そんな麗花と呼ばれる少女を追って来た子もまた美少女であるのは間違いないのだがどこか残念なオーラがある。ぴょこりと外にハネた髪は既視感があり次の瞬間にでもボクカワが飛んでくるのではないかと身構えてしまう。

 

「そーだよー?視姦デューサー改めメデューサ―はデューサーだから、……あ、そっか。まだ知らないはずだもんね♪」

 

「タイムリーパーみたいなこと言ってる!?」

 

「ふふっ、タイムキーパーだよ♪」

 

「何の時間を管理してるの!?」

 

 息の合ったやり取りは聞いていてクスッとくるし、さらには見目麗しい女性がそれをしてるとなれば金を取れるレベルだ。視界の隅には犬とたわむれる天使の舞も映ってるし、なんだこれ?

 

「茜ちゃん!そろそろ時間だよ!」

 

「だから何の!?」

 

「アーディブさんがそろそろカレーできるよーって」

 

「ナンの?」

 

「ナンでやねーん♪」

 

「てゆーかアディーブさんって誰!?」

 

 なんだこれ?っていうかナンだこれ。

 …カレー食いたくなってきた。帰りにどっか寄るか。

 天使を撮影するのに使用していたスマホのアドレス帳を開き、そこからカレーに詳しそうなやつに電話することにした。

 あと、なんか面白そうだし。

 

……プルルル pi

 

「もしもし日野か?」

 

『もしもし、日野茜です!!』

 

「都内でナンのうまいカレー屋知らないか?」

 

『ナンですか?』

 

「だからナンのことだよ」

 

『え?ナンですよね?』

 

「ちげえよ、ナンだよ」

 

 

「あーー!もう焦れったい!!茜ちゃんに代わって!!―――もしもし茜ちゃんです」

 

 電話したついでにじゃれついてると二人組の小さい方にスマホを強奪された。

 

『代わるも何も私が茜ですけど?』

 

「茜ちゃんは茜ちゃんだよ!?」

 

『むむっ、それよりもあなたは誰なんですか?比企谷さんに代わってください!』

 

「だーかーらー!茜ちゃんが茜ちゃんなんだって!」

 

 こっちもこっちで埒が明かないのでスマホを取り返す。

 ところで埒ってなんのことなんだろうな?

 

「中国原産のムクロジ科の果樹の果実ですよ♪」

 

「誰もライチの話はしてない」

 

「沖縄の県庁所在地がどうかしましたか?」

 

「誰も那覇市の話はしてない」

 

 ソフトクリームの最後の一口をほり込み日野に話しかけようとすると何らかの電波を受信した黒髪に絡まれてしまった。

 その間も手に握ったスマホからは日野の大声がはっきりと聞こえてきており最小音量まで落としたはずのスマホを二度見してしまう。

 

「さっきそっちのちんまりしたのも言っていたが知らない人に話しかけるのは注意しろよ」

 

「えー?知らない人じゃないですよー?……もしかして、私のことは忘れてしまったと言うのっ!?あんなに情熱的な時間を過ごしたのに!!」

 

「…なんだそのキャラ?」

 

「えへへ♪冗談ですよ♪―――まあ、情熱的な時間を過ごしたというのはあながち嘘ではないんですけどね…」

 

 自らの貞操をベットしてまでするほどのボケでもねえだろ……

 

 冗談ですよなんて可愛くはにかみながら俺の前に立つと、柔らかに微笑む笑顔と目が合う。そしてそのまま声には出さず口の中だけで何かを呟いた。

 

 真っすぐにこちらを覗き込む瞳に耐えかねて視線を逸らすと駐車場の方からスーツの男性が手を振っているのが見えたのでここぞとばかりに声をかける

 

「…んんっ。よく分らんがあそこで手を振ってるのお前らの知り合いじゃないのか?」

 

「んー?」

 

「あっ、ほんとだ!プロちゃん呼んでるよ!ちょ、麗花ちゃんタイムキーパーは!?」

 

「だねー」

 

「だねー!?ほら、行くよ!―――それじゃまたね、変なお兄さん。茜ちゃんのカワイイお顔を覚えておいたら来年までには得した気分になること間違いないしだからねっ!!」

 

 カワイイ茜ちゃんはガシッともう一人の腕を握るとそのまま天使も回収して駐車場に止まっていたハイエースへとハイエースされていった。

 

 

 

ーーーーーー

 

 

 

茜「もーっ、麗花ちゃんが急に知らない人に話しかけるから茜ちゃんびっくりしちゃったよー」

 

麗花「ところがどっこい。実は知らない人じゃないんだよ?」

 

茜「あ、そーなんだ。大学の友達とか?それなら初めからそう言ってくれればよかったのに」

 

麗花「んー、それも違って。たぶん346プロのプロデューサーさん。この前のライブに見学に行かせてもらった時にいたでしょ?」

 

茜「この前のライブってドームツアーだよ!?覚えてるわけないよ!」

 

麗花「―――プロデューサーならスカウトされるかもって近づいてみたけど、眼中にもなかったみたいだね……」

 

茜「それで距離が妙に近かったんだ……」

 

麗花「デビューがいつになるか分からないけど次ぎ合う時は見返してやりたいね!」

 

茜「そうだね麗花ちゃん!……でも麗花ちゃんがそんなことを気にするなんて珍しいね…?」

 

麗花「うふふ♪その辺は秘密だよー♪」

 

 

 

星花梨「さっきの目つきの悪いお兄さんの全身を舐めるような視線……ゴクリ。悪くなかったです……♪」

 



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8

 

 

「そういえば今日から助っ人のプロデューサーが来るそうですわ」

 

「そうなんですか?フレッシュなマンパワーでシナジー効果が生まれそうですね!」

 

「ふふっ、きちんと挨拶できますかコロちゃん?」

 

「むっ!コロじゃなくてロコです!それに挨拶はコミュニケーションの基本、イージーです!」

 

 いよいよ今日から公演がスタートする。

 通いなれたシアターまでの道のはずなのに歩みを進めるにつれて手が震えてくる。わたくしは自分で思っていたより繊細な心をしているのかもしれないですわね。

 

 踵を返してしまおうかなんて弱い気持ちを紛らわすように駅で合流したコロちゃんに話しかけるといつものように可愛らしいリアクションを取ってくれる。天才肌のコロちゃんには緊張なんて感情は存在しないのかもしれないなんて少しうらやましく思いながら、それでもいつものわたくしを取り繕うようにお姉さんぶってしまう。

 

「そうでしたわね。わたくしは少し緊張してますので心強いですわ♪」

 

「んん……。よしっ!オン ザ タイタニックな気持ちで任せてください!」

 

「お、おんざたいたにっく…?―――あぁ、大船に乗ったつもりのことですのね。………その船、世界一有名な沈没する船ですけど大丈夫ですの?」

 

「アフターフェスティバルにならないようビーケアフルですっ!」

 

「それじゃあ後の祭りではなく祭りの後ですわ……」

 

 もしかしたらコロちゃんも緊張しているのかもしれないですわね…

 ボケなのか本当に間違っているのか判断がつかない言葉に苦笑がこぼれる。おかげでリラックスできたのでコロちゃんには感謝しないといけませんわ。

 

 シアターに到着するころにはこけら落とし公演に向けて気分も前向きになり、先ほどまでのふわふわとした足取りもようやく地に足がついたという感じだ。

 

「やっといつものスマイルが戻ってきましたねチヅル」

 

「……やっぱり気を使ってくれていたのですわね。もう大丈夫ですわ、ありがとうございます。コロちゃん」

 

「だーかーらー!コロじゃなくてロコです!」

 

 

 

「およ?そこにいるのはいいちこさんではないですか?」

 

「いいちこではなく二階堂ですわ!……ってあら、常連さんの妹さん?こんなところで会うなんて奇遇ですわね」

 

 年下の彼女に励ましてもらった気恥ずかしさをふわふわの髪を撫でることでごまかしていると、元気な声で声を掛けられ反射的に返事を返してしまった。

 振り返るといつもウチに買い物に来てくれる常連さんの妹さんがにこぱっと眩しい笑顔を浮かべていた。

 ……この子、わたくしが常連さんと話しているとニコニコ隣で聞いてるんですけど目の奥が暗く淀んでいるので怖いんですのよねー。

 

「んー?あっそうか。かのかさんは知らないんですね…」

 

「かのかでもなく二階堂ですわ……」

 

 妹さんは少し考えこんだ後、思わせぶりなセリフをつぶやく。

 

「チヅル?常連ってなんのことですか??」

 

「えっ?……あ、えーと……。そう!浄蓮の滝ですわ!わたくし天木越えが十八番なんですの!」

 

「ビヨンド アマギですか?チヅルはヤンデレの方だったんですか?」

 

「それは絶対違いますわ。あと演歌の愛はだいたい激重ですわ…」

 

「ふーん。うちの兄にコロッケで熱心に餌付けしてるのはそういうことだったんですねー」

 

 …気が抜けていたからかどんどんと墓穴を掘ってしまいましたわ。

 どちらかと言えば地域密着のお店なので地元にいる時はお客様が話しかけてくださることはあるのですが、まさかこんなところで出会うなんて思わずキャラがぶれてしまいましたわ…

 

 だいたい浄蓮の滝ってなんですの?

 

 そのせいでまた妹さんの目の奥からどろりとダークマターが滲み出ていますわ。

 

「まあいっか。それじゃ小町、臨時収入が入ったんでお買い物してきますっ!ではでは、またレンタルしますね、千鶴さん」

 

「水原ではなく二階堂ですわ!それからウチはレンカノではなく精肉店ですわ!」

 

 買い物してストレス発散するらしい妹さんはコロちゃんと少し挨拶を交わしデパートの方へと歩いて行ってしまった。

 

 ……さて、コロちゃんになんて言ってごまかしましょうか。

 

 

 

 なんてお気楽なことを考えていられるのは助っ人の方がみんなの前で挨拶をするまでの間だけでした。

 

「じ、常連さん…?」

 

 

ーーーーーー

 

 

 助っ人として働き始めてから一週間。

 とあるアイドルからの差し入れであるコロッケの最後の一口を飲み込み、デスクの対面に腰掛け先ほどからチラチラとこちらの様子を窺う二つの視線へと目を向ける。

 

「こうしてディスカッションするのは初めてですね。ぜひロコナイズでシナジー効果を生み出していきましょう!」

 

「……なぁコロちゃん、これ合わせてあげた方がいいのか?」

 

「なっ!コロじゃなくてロコです!まさかチヅルから聞いたのですか!?」

 

「あ、いや。コロちゃんってのはコロちゃんのことではないのですわ……」

 

「むむっ、それはロコのアイデンティティーについてディスカッションするということですか?」

 

「そういうことでもなくて……」

 

「―――チヅルがずっと八幡pを避けてるように感じたので恥ずかしがりなチヅルに代わってロコがチームワークを高めようと思ったのですが……」

 

 との事らしい。

 しゅんと眉根を下げてぽつりとこぼされた言葉は散りばめられたロコ語に覆い隠されて少々難解だがそこには優しいぬくもりがあった。

 

 たしかに心当たりはある。髪型からファッションから化粧に至るまで、普段お店で見ている姿とは違い過ぎてこちらからは話しかけにくかったのもあり一週間たった今でも会話らしい会話をできていなかった。いつもは素朴で商店街のアイドルって感じだがシアターで見かけるコロちゃんは正真正銘のアイドルだった。

 ……これがギャップ萌えか。

 

「どうして見つめ合ってるんですか…?もしかしてロコお邪魔ですか…?」

 

「い、いえっ、いつもお店で見かけるジャージ姿と違ってスーツが新鮮でつい見蕩れてしまいなんでもないですわ!!」

 

「ほとんど隠せてないですよチヅル……。ところで八幡p、コロちゃんとはロコのことではないのですか?」

 

「あー。買い物したらサービスでコロッケつけてく――」

 

「―――あーあーあー!!!なんでもないですわ!!わたくし口癖が『殺して差し上げます』ですの!なので一部界隈ではコロちゃんと呼ばれてるんですの!!」

 

 いつもは揚げ物のおいしそうな匂いなのに、今日は女の子みたいな香りがする。

 いや、出会った当初からずっと女の子ではあるのだが、言うなればクラスで高嶺の花の美人が実は家庭的だったの反対で、家庭的で親しみやすい幼なじみが実は風俗嬢だったみたいな。……やっぱ今のなし。意味も全然分からんし。

 

「前から思ってましたけどチヅルって……。いや、やっぱいいです」

 

「そ、そうですわ!なのでわたくしがコロちゃんと呼ばれていてもなんの問題もないのですわ!」

 

 とにもかくにも。

 もはや悪癖とでも言うべきか、またしても俺は知ったつもりになっていたらしい。

 人は中身なんて言うが仮にそれが耳触りの良い真理なのだとしても、一目見ただけでこれほど引き付ける魅力があるのだから外側を取り繕う努力だってないがしろにしてはいけないのではないだろうか。

 

「プロブレムだらけですよ…」

 

「うっ…。ど、ドSアイドルと言うやつですわ」

 

 どうせ見たいものしか見ないのだから、こちらが見せたいものしか見せないことも許されてしかるべきだろう。

 覗き見たつもりのそれすら計算され尽くしたものだとどうして考えないのか。

 

「……まあそういうことにしておいてあげます」

 

「ふぅ、助かりましたわ。―――というか常連さん!さっきから黙ってますけど、どうして助けてくれないんですの!」

 

「え?あ、すまん。見蕩れてたわ…」

 

「見蕩れ!?ん、んん゛ッ。と、ととと、当然ですわ!これがセレブの魅力ですわねっ!!」

 

「あぁ、きっとそうなんだろうな」

 

 いつも商店街で見かける彼女の姿とのあまりのギャップについ笑みがこぼれてしまう。

 

 どの表情もきっと彼女そのものなのだろう。

 誰かから借りてきて固めて作った仮面ではなく、一瞬一瞬を全力で走るその姿が俺には眩しく見える。

 素直に誉め言葉が出たのもきっとそんな姿にあてられたからだと思いたい。

 

「ま、またそんな屈託のない笑顔を浮かべてッ」

 

 コロちゃんは口の中で何かつぶやくと用事ができたと席を立ちドアノブに手をかけた。

 

「コロッケいつもありがとな。今日も最高においしかったわ」

 

「もうやめてください!恥ずかしくて死んでしまいますわ!!!」

 

「殺して差し上げます」

 

「くっ!ボーっとしてたから聞いていないと思っていましたのに!忘れてくださいまし!」

 

 最後にキッとこちらを睨んで出て行ったと思っていたらドアの隙間から顔をのぞかせ、ほんとにほんとに忘れないと殺して差し上げますからね!なんて捨て台詞を残し今度こそ本当にどこかへ行ってしまった。

 

 まあなんだ、久しぶりに話せてよかったわ。

 

 

ーーーーーー

 

 

ロコ「……あんまりチヅルをイジメないでくださいね?」

 

八幡「―――いつから気付いてたんだ…?」

 

ロコ「実は一週間ほど前にシアターの前で話しかけられたんです。話の中で彼女はチヅルは知らないけれど自分は知っているある情報について言及しようとしていました」

 

八幡「…それが?」

 

ロコ「結果論になりますが、その情報は八幡pが助っ人に来てくれるということだったんだと思います」

 

八幡「…なるほどな」

 

ロコ「それを踏まえてもう一度先週の会話について考えると、彼女は途中から会話に入ってきたはずなのになぜかロコとチヅルがアイドルをしていると確信していたということになります。おそらく彼女は話しかけるもっと前からロコたちに気付いていたんだと思います」

 

八幡「それがどうして俺が知っていたということにつながるんだ?」

 

ロコ「先ほどのあなたのチヅルに対する反応は大げさではありましたが、そこに嘘はなかったように思えます。――普段の八幡pの知っているチヅルの姿はロコの知っているそれと大きく違うのではありませんか?それこそ確信するまでに一週間の時間を費やすほどに」

 

八幡「……」

 

ロコ「沈黙は肯定とみなします。――しかし彼女は一瞬でチヅルだと看破しました。さらにチヅルの隠しているつもりの正体については誘導していましたけど、彼女自身があそこで何をしていたのかは隠しきっていました。“お兄ちゃんが新しい女に囲まれるから監視に来た”と言えば一言で済んだはずなのに。……八幡pに対する感情が家族愛なのか何なのかまで探るつもりはありませんが、少なからずそれは八幡pの周囲にいる女性を妬ましく思う程度には強かったのでしょう。結果的にチヅルは何の心の準備もないまま八幡pに会ってしまいアイドルとしての姿を見られたのが恥ずかしいのか、取り繕うようにあなたから距離を置きました」

 

八幡「その推測だと小町は俺にその日のことを何も教えないんじゃないのか?」

 

ロコ「ええ、教えれば八幡Pからチヅルに話しかけるきっかけを作ることになりますからね。だからここまではすべてブラフです。―――あなたならもう分かりますよね?ロコは話しかけられたのが小町さんだったなんて一言も言ってないはずですよ?」

 

八幡「ぐっ」

 

ロコ「つまりあなたは初めからロコたちが話しているのを見て気付いていたんです。だってそうですよね。自他ともに認めるシスコンのあなたが妹を見送って最後まで見守らないはずがないですから。……過保護すぎるってよく言われません?」

 

八幡「……」

 

ロコ「―――だからこそロコも安心してあなたを信じることができます。………1週間もチヅルの決心を見守ってくれてありがとうございました。人が見たいものしか見ないように、チヅルにも見せたいものがあったんだと思います。でも幸運なことに、不運なことに、あなたという見せないことが許されない存在と出会ってしまいました。そして今日はそんな自分と向き合うきっかけになったと思います。……だから、ありがとうございました」

 

八幡「ふん、徹頭徹尾何のことだか分からんがお前がそう思うならそうなんじゃねえの?」

 

ロコ「はい。そう思うことにします」

 

八幡「……お前もたいがい過保護だと思うがな」

 

ロコ「好きなんだから仕方ないじゃないですか」

 

八幡「えっ」

 



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9

 仕事終わり。夕食や晩酌の買い物をするこの時間は誰にも邪魔されず自由でなんというか救われてなきゃダメなんだ。一人で静かで豊かで……

 

 買い物客が一番多い時間帯を過ぎ、ぽつぽつと街頭に明かりが灯り始めた商店街でしゃぶられ尽くしたパロディーを使ってしまった気恥ずかしさをごまかすように目的のお店へと足を進める。

 

 馴染みの酒屋でビール数本と炭酸水を買い親戚が送ってきたというレモンをおまけでもらい店を後にする。

 

「では!八幡の若旦那!お嬢によろしくお伝えください!!」

 

「心配しなくてもあいつはいつでも元気ですよ」

 

 実は以前、事務所で雑談をしていると某村上のお嬢さんから酒がそんなに好きならウチの若いのに運ばせるとかなんとか。まさか定期的に家にヤのつく職業の方々に来られても困るので縁のあるという酒屋を利用させてもらうということで納得してもらっていた。最近はしのぎも真っ当になってきたんじゃとはお嬢様の言葉だ。

 

「お嬢と八幡の若旦那がいればウチも安泰ですね!」

 

「いや、俺はかたぎですから……」

 

 

 

 その後コロちゃんのお店に寄り適当につまみになりそうなものを買い、ずっしりと重くなった荷物を両手にぶら下げ自宅へと歩く。

 明日が休日ということもあり家が近づくにつれて足取りは軽くなる。

 

 オートロックを抜けエレベーターに乗り込み閉まるボタンを押した後8階のボタンを押す。これ重要。少しでも時間を短縮するために先に閉まるボタンを押す。

 

 内臓の下がるような感覚が終わるとぽへーんとまぬけな音が鳴りドアが開く。

 

 そういえば廊下でお隣さんとすれ違ったこともなければ挨拶の時も不在だったなーと所々色の褪せた表札を見て思う。ポケットからカギを取り出し玄関を開け帰宅しようやく今週も終わったとひとごこち。

 

「……ん?」

 

 買ったものを冷蔵庫へと入れ、ビール片手にソファーへと座り込んだが包み込むような優しさは帰ってこず座面からは妙な感触があった。

 立ち上がり落ち着いてソファーを見てもいつもと同じにしか見えないし、それならと確かめるように周りをぐるりと一周してもそれは変わらない。

 

 最後に座面を恐る恐る手で叩いてみる。

 手に与えられたのはスプリングの押し返すようなものではなく人の背中をたたいた時のような硬さだった。

 

「へ、えへへ。わたし今、椅子として使われちゃってます…えへへ…」

 

「………」

 

 

 カバーをめくると四つん這いになり身をひそめる箱崎星梨花がいた。

 スプリングに当たる部分がまるまるくり抜かれ、身体の小さな人間がすっぽり収まるくらいのスペースにそいつはいた。

 

 

「人の部屋で何してんの…?つーか俺のソファーこれ、どうなっちゃってるの…?」

 

「お疲れですよね?もっと深く座ってもいいんですよ??」

 

「いや座んねえから……」

 

 会話が全くかみ合わない……

 しかし体勢を維持したまま顔だけをこちらに向けるように見上げるその上目遣いが俺の心の弱いところにクリティカルヒット。天使かな?

 

 いやいや、違う。

 不法侵入は百歩譲ってソファーえぐるのも天使に免じて譲るとして、何が許せないって限りなく初対面に近い関係性でこの奇行…もまあ、346プロではよくあることなので許すことはできるが……あれ?特に問題ないんじゃねえの?

 

 座る?座っちゃう?

 

「ドキドキ…ドキドキ……物のように扱われちゃってます…」

 

「うん。やっぱねえわ。13歳の女の子の背中に座ってビール飲むとかマジでねえわ」

 

「あ、あの…やっぱり怒ってますか?」

 

「いや、まず怖い。なんで人の家でそんな自由にできるの?俺たちまだそんな仲良くないよね?」

 

 箱崎はすくと立ち上がると自らの手にビールを注ぎその手を差し出してきた。……え、飲めってこと?

 脈略なさすぎねえ?

 

「どうぞ」

 

「いや…冷凍庫にジョッキ冷やしてるから……」

 

「どうぞ…」

 

「もしかして俺の声届いてない?」

 

「どうぞ……」

 

「だから飲まないから…。いや、飲まないって、ほんと無理だか……分かった!飲むから服を脱ごうとするのはやめろ!!!」

 

 器用にも片手で靴下を脱ぎスカートの中に手を突っ込みパンツまで脱ごうとしたところで白旗をあげた。

 

 箱崎の小さな手には黄金色の液体がぱちゃぱちゃと揺れ俺を見上げる瞳は無言の圧力をかけ続けている。いつまでも見つめ合っていても仕方ないので覚悟を決めてずずっと一息にてのひらにある聖水を飲み下す。

 

 体温で温められたビールなどまずいに決まっているはずなのにどうしてだろう。これほど渇きの潤う飲み物がかつてあっただろうか。砂漠での湧き水にも匹敵する至高の甘露が俺の心と身体を犯していく。

 

 まあ普通にまずいんだけどな。

 つーか体温くらいの黄金色の液体ってもう完全にアレだわ……。オプションだわ……

 

「あぁ、わたしはコップです…あなただけのコップです…」

 

 胸元まで赤く染めた箱崎は空っぽになった手のひらを見つめるとペロッとひと舐めし浮かれたようにわたしコップ宣言をこぼしている。

 ただでさえ大きな瞳は限界まで見開かれ、黒目と白目の境がぼやけるほど瞳孔は開ききっている。もう完全にイッちゃってる人のそれだった。

 

 底知れぬ悪寒を感じその言葉を否定するように食器棚を指さす。

 

「ぷはっ。違うよ?俺のコップは食器棚に入っているあれだからね?」

 

 箱崎はこてんと首をかしげると俺の指さす方へと視線を向け、もう一度俺へと視線を戻し再度こてんと首をかしげた。

 

「あの棚どころかこの部屋に八幡さんのものは一つもないですよ?しいて言うならわたしくらいなものです」

 

「なに?ジャイアン理論?」

 

「そうではなく、この部屋の契約者に始まり家具家電から小物に至るまですべてわたしが購入したものです」

 

「………なぞなぞ?」

 

 さっき洗面所で手を洗ったときも冷蔵庫に荷物を片付けたときも部屋着に着替えたときも、普段の行動と何も違和感はなかったし、それらが自分のものではないと言われても、そうですか、勘違いしてました、とはならない。

 

 そういえば普段から部屋に誰かが不法侵入してくることなど日常茶飯事なので特に変には思わなかったが、もしかして常識的に考えてカギのかかった部屋に自分以外がいるのはおかしいことなのか?庇を貸して母屋を取られるみたいなことが言いたいのか?

 

「八幡さんのお部屋番号は何番ですか?」

 

「……808号室だ」

 

 契約するときは喜んでここにしたが、いざ書類などに記入するときに八幡が808号室に住んでいると書くことになり今となっては照れくさく、そんな思いから質問に答える口調もぶっきらぼうなものになってしまった。

 

「ここは708号室です♪」

 

「いやいや。いやいやいやいや。俺の持ってるカギで開いたし」

 

「合鍵ならぬ合鍵穴です」

 

 なにそれ?新しすぎない?

 

 割りとあっさりとなされた種明かしに驚く暇もなく箱崎の暴走は続く。

 

「エレベーターで8階のボタン押したぞ?」

 

「クラッキングしました」

 

「お隣さんの表札もおなじだったし」

 

「スキャンして3Dプリントしました」

 

「洗面所にあった歯ブラシは?」

 

「わたしのと比企谷さんのを一日ごとに変えてます♪」

 

「え…?」

 

 ぷにぷにのほっぺに手を添えていやんいやんと体をくねらせる箱崎の表情を確認するが嘘や冗談を言っているようにも見えない。

 体の動きの合わせてゆらゆらと揺れる魅惑のツインテールにも今は空恐ろしさを感じる。

 

「八幡さんの使用済みほやほやの歯ブラシおいしいです♪」

 

「最高の笑顔で想像を絶するセリフをはいてんじゃねえッ!」

 

「わたしの使用済みの歯ブラシはどうでしたか?」

 

「気付いてたけどあえて言及しなかったんだよ!」

 

 …いつからだ?

 北上とシアターで話した際に半年前に会っていたという話題になったことがあった。あの時見つけた天使の正体が箱崎だということもそこで確認済みだ。

 しかし半年前に直接の面識を持ったのはあの二人だけでその時に箱崎と言葉を交わすことは無かった。となれば今週の頭に挨拶した時がほぼ初対面といってもいいはずだ。

 

「もしあの時に少しでも話してたんならまだ分らんでもないが。……いやそれでも分らんけど」

 

「炎の魔人がどうかしましたか?」

 

「イフリートじゃなくてIFルートの話だ。………一応聞いておくがいつからここに住んでんだ?」

 

「まだまだほんの最近ですよ?」

 

 最近か……

 最悪半年前からずっと住んでますとか言われることを覚悟していたがさすがにそこまで謎の生態をしているわけではなさそうだ。

 ………だとしたらなんでこの短期間でここまで執着されているんだ?

 

「半年ほど前からです♪」

 

「出会って4秒でヤンデレ!?」

 

 くそっ!思い出せ!俺はあの日なにか取り返しのつかないことをしてるのか!?

 

「あの日…八幡さんの視線が、私の子宮にとんでもない快感を注いだんですッ……!!」

 

「………」

 

 白目を剥かんばかりに唾を飛ばして熱弁する箱崎と完全に白目を剥く俺。驚異の黒目率0%、プリクラ撮りたい。

 美少女ってスゲーよな。白目剥いてても美少女だもん。つーかこれ完全にアヘ顔だわ。

 

「最初は足音を感じるだけで我慢してたんです……」

 

 レベルたけぇ~

 

「でも次第に布団を交換するようになって、食器にパジャマに下着に歯ブラシに…歯止めがかからなくなっちゃったんです。歯ブラシだけに…」

 

 やかましいわ。

 それなりにインパクトの大きいカミングアウトの最後にボケられたらブレるだろ。

 

「それでもほんとに今日までは我慢してたんです」

 

「……の割にシアターで話しかけられた覚えがないんだがな」

 

「えへへ♡恥ずかしくて♡」

 

「………可愛すぎかよ」

 

 可愛すぎかよ!!!!!!!!!!!

  

「なので、自分から行くのが恥ずかしくて八幡さんから来てもらったんです……ごめんなさい…」

 

「まあ今となっては俺の方が不法侵入した形になってるから何とも言えないんだが…。あとそれは俺が今日この部屋に誘い込まれた理由であって、この部屋が存在する理由にはなってなくないか?」

 

「……ちょっと何言ってるか分かんないです」

 

「なんで分かんねえんだよ……」

 

「わたしはただ八幡さんと仲良くなりたかっただけなんです…」

 

「強過ぎる力を持て余して友達を傷付けたツンデレキャラみたいなこと言ってんな」

 

 仲良くなりたかった。

 切実な想いをもう一度つぶやくとスカートを両手でぎゅっと握り俯いてしまった。目元がキラリと光った気がしたが前髪に隠され窺うことはできない。

 

「夫婦のように信頼し合いたいんです」

 

「……えっ?なんて?」

 

 間違ってスキップ押したのか?

 テキストが一気に飛んだ気がする。

 

「夫婦のように信頼し合いたいです。恋人のように愛し合いたいです。母のように守りたいです。姉のようにかまってあげたいです。妹のようにおもちゃにされたいです。親友のようにさらけ出してほしいです。友人のように少し気を使ってほしいです。他人のように無視してほしいです。敵役のように嫌悪をぶつけてほしいです。僕のようにこき使ってほしいです。道具のように感慨もなく使ってほしいです。芸術品のように愛でてほしいです。………あなたの全てが欲しいです」

 

「………助けてちひろさーーーーーん!!!!!」

 

 

 

ーーーーーー

 

 

ちひろ「……クシュンッ」

 

武内p「風邪ですか?辛いようでしたらお仕事引き継ぎますが…」

 

ちひろ「いえいえ、きっとどこぞの社畜がほいほいと巣穴に誘い込まれて捕食されそうになり、せめてドッキリであってほしいという最後の願いを込めて私の名前でも叫んでるんで、、、すみません。風邪っぽいので家まで送ってもらってもいいですか…?」

 

武内p「し、しかしまだ仕事が…」

 

ちひろ「たった今終わりました♪」

 

武内p「そ、そうですか。では、―――お送りします……」

 

ちひろ「はい♡よろしくお願いします♡」

 

武内p「あの、あまり引っ付いて歩くと勘違いされて」

 

ちひろ「すみません…ちょっとふらっとしてしまって……」

 

武内p「そうですか。(……いつもならこのあたりで比企谷君が助けてくれるはずだったのですが)」

 

ちひろ「うふふ♡(作戦通りッ!!)」

 



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10

 

 

「……お、お兄ちゃん…大丈夫……?」

 

「…………むりぽ」

 

「お兄ちゃーーーーん!!!」

 

 

―――

 

 

 心地よい揺れにゆっくりと目が覚める。

 

 冷たい床の感触を頬に感じ、そこで初めて自分が気を失っていたことに気が付いた。

 最後に記憶に残っているのは今まさに自分へと迫りくる壁だが、あれは壁が迫っていたのではなく自分自身が床へと倒れ込んでいたんだろうと今になって理解した。

 

 俺を揺り起こしてくれた桃子は間近で顔を覗き込み今にも泣きだしそうな表情を見せるので、ようやく状況を把握できた俺としては情けなくてこのまま二度寝をしてしまいたい気分だ。

 

「大おやぶんはたまきの歌で気絶するくらい感動したんだっ!くふふ~♪」

 

 げに恐ろしきはBOUNCING♪SMILE!

 ―――歌詞が胸に響き過ぎて脳がこれ以上聴き続けるのは危険と判断したんだろう……

 

 平塚先生とか聴いたら滂沱の涙を流すんじゃね?

 なんなら俺も肩を組んで一緒に泣いちゃうわ。

 

「お兄ちゃん…なんでまた泣いてるの…?」

 

「ももこ、そんなのも分かんないんだー?たまきはすぐわかっちゃったぞ♪」

 

 平塚先生と二人で泣きながら飲んでるところ想像したらまた泣けてきたなんて言えそうにもなかった。

 

「む、じゃあどうゆうことなのか桃子に教えてよっ!」

 

「それはねー、まじめにやってきたからだぞっ♪」

 

「アリさんマークの引越社みたいなこと言わないでっ!」

 

 先ほど見たものを思い出す。観客もいないレッスンルームにもかかわらず大神のパフォーマンスは弾けるほどのエネルギーが籠められており、これがステージ上で発揮される時が来たなら、きっと客席には涙を流す大人たちが溢れるだろう。

 ややもすれば子供に何が分かるんだ、と思われるかもしれないほど能天気ともいえる歌詞だが、それを純真無垢のど真ん中を走る大神が全身全霊で楽しさを表現しているのだからこちらとしては涙とともに心にへばりつく澱みを流すしかない。

 

「シアターの本番見ちゃったらお兄ちゃん死んじゃうんじゃない?」

 

「……今のうちに慣れておくわ」

 

 マジで娘の結婚式とかそんなレベルで泣いちゃいそうだわ。

 

「大丈夫だぞ、大おやぶん!まだ残機が99万9999残ってるぞっ!」

 

「お兄ちゃんを勝手に100万回いきたねこにしないでっ!」

 

 ふと猫という言葉を聞いて絵本を雪ノ下が読んだらどうなるんだろうかと想像してみるが見たこともないはずの号泣する姿がなぜか鮮明に想像できてしまった。

 

 今度プレゼントしてやろうかな。

 ―――いや、陽乃さんあたりがとっくにプレゼントしてそうだしやめておこう。

 

「大おやぶんにとっての白い猫はたまきだもんねー♪」

 

「たしかにお兄ちゃんは100万回いきたねこみたいに歪んだ自己愛を持ってるけど、その猫に本当の愛を教える白い猫は桃子だもんっ!」

 

「桃子、俺のことそんな風に思ってたのか…?」

 

 大人に膝をつかせる歌のショックからようやく立ち直ってきたと思ったら、予期せぬ方向から再びダメージを喰らう。

 大神は外で遊ぶタイプかと思ったら絵本とかも読むのか。今度読み聞かせでもしてやろう。とか和んじゃってる場合じゃなかったし、今日は桃子がツッコミなのか?とか感心してる場合でもなかった。

 

「あ…、それはちがくて…桃子が言いたかったのは……えと……お兄ちゃん、初対面で人より自分を下に置くことで、相手が本当のお兄ちゃんを知った時のそのギャップに面喰ってるのを見て気持ちよくなるタイプの変態だってことで…」

 

「ぜんぜんフォローになってませーーーん」

 

「たまきもそれは最初に気付いたぞ?この人は好意を素直に受け取らず“一過性の感情の揺れを好意と勘違いしているだけだから”とか言い出しそうだなーってすぐ分かったもんね♪」

 

「事実無根ですーーーー」

 

「でもたまきはそんな大おやぶんのことが大好きだぞ♪くふふ~♪」

 

「俺も大好きだよーーーーー!!」

 

 ノータイムで気持ち悪い鳴き声を上げてしまった。

 

 それよりも高校生のころから見たらだいぶましになったであろう性分も、無垢な瞳を通してみればまだまだ成長が足りてなかったらしい。大げさにリアクションして見せたものの、こいつらがこの若さで人を見る目をしっかり養えていることの方が俺にとっては驚きだった。

 

 すりすりと俺のお腹に頭をこすりつける大神を撫でながら、これくらいの年齢の時の自分はどうだっただろうかと思い出す。まあ少なくともこいつらの方がしっかりしていることは比べるまでもない。

 

「ちょっ!も、桃子もお兄ちゃんの事ずっと……ずっと」

 

「くふふ~♪大おやぶんのなでなで気持ちいいし、このままお家に着いて帰っちゃおかなー♪」

 

「はっはっはー、今日だけは特別だぞー?」

 

 陥落寸前のロリコンだった。

 

「お、おにおに、お兄ちゃんのこと…ずっと」

 

「おにおん?玉ねぎの話でもしたいのか桃子?すまんが俺はそっちには精通してなくてな…」

 

「えっ!大おやぶんまだ精通してないの!?たまきはもう初潮が来てるから赤ちゃんを産める身体なんだぞっ♪」

 

 よし。この言葉は二度とつかわないでおこう。生々しすぎるわ。

 ……つーか、こいつに1日署長の仕事とか来たらどうすんだ?現場の空気が凍るぞ。もうとっくに初潮は来ている署長ですとか高垣さんでも言わないレベルのダジャレだぞ。

 

 そして何かを言おうとして真っ赤になっていた桃子は赤を通り越して白かった。

 赤い炎より白い炎の方が温度が高いとかそういうのではなく白い目で俺を見ていた。

 

「お兄ちゃん最低」

 

「……客観的に見てどうだ?今の俺が悪いっぽいか?」

 

「客観的にも何も、お兄ちゃんとっくに精通なんかしてるのにまだ精通してないって嘘ついてまだ子供ができる心配はないから今日は着けなくてもいいって言いたかったんでしょ」

 

「うん、全然違うよ?」

 

 この子、俺の事なんだと思ってるの?

 

「桃子が泊って同じベッドで寝たあの日の朝に、こっそり夢精したパンツ洗ってたの知ってるんだからね!!」

 

 それに関してはできれば一生黙っててほしかった!

 

 つーかあの虚しさってなんだろうな。夢の内容は自分で操ることできねえからうっかりちひろさんの夢で夢精した日はマジで死にたくなったわ。そしてそのパンツを自分で洗ってる時にもう一度死にたくなるし、事務所で実際に会った時も死にたくなる。ひと粒で三度おいしい。アーモンドグリコ越えおめでとうございます。

 

「なー親分、夢精ってなんだ??」

 

「精通と初潮は知ってるのに夢精を知らねえわけがねえだろ!」

 

「チャップリンのことかー?」

 

「それは無声映画でしょっ!とにかく今日は桃子も泊りに行くんだからねっ!!」

 

 力強く宣言する桃子の頬には赤みが戻り瞳には何かを決意したような光が灯っていた。

 

 

 

「―――今日は戸塚が泊りに来るからむりぽ……」

 

 まあ今日だけは無理なんだけどね

 

「そうだっ!育もさそってみよっか!!」

 

「んー、お兄ちゃんのベッドそんなに大きくないからなー…そうだ!amazonのお急ぎ便でキングサイズのベッド買えばいいんだ!」

 

 

「あれ!?聞こえてらっしゃらない!?無声か?無声なのか!?」

 



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