練習短編集 (わんわんわ)
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溺死

 スマートホンのバイブの音が聞こえ、目を覚ます。アラームの音だ。いつの間にか寝ていたようだ、部屋の真ん中にあるスマホから微かに振動する音は、狭い部屋ではどこにいたって聞こえる。持ち上げようと耳元まで近づけ、スマホの震えが強いのか、全然上に上がらない。苦労して持ち上げたのに、不思議と音は一切鳴っていない。画面を見る。画面は暗く電源ボタンを押してもつかない。強く押しても、長く押しても、画面はつかない。

 そうだ、何日も前に充電が切れてから、ずっと充電をしていなかった。だからつかなかったんだ。じゃあ、なんでバイブの音が聞こえているんだ? なんで震えを感じていた?

 ふと、手を見る。見て分かるくらいに大きく震えている自分の手を。

 そういえば、僕は何日この部屋に閉じこもっていたのか。五日前にスマホの電源が切れたなら、それより前から?

 日にちの感覚はもうない。それどころか朝か夜かすらも分からない。

 これに頼り切りになってしまったら、きっと僕はおかしくなる。もうおかしいのかもしれないけど、これ以上僕が僕でなくなる事はしたくはない。だから、もう、取り返しのつくうちに止めよう。

 

 

 赤い部屋に僕が一人で立っていた。一面に埋め尽くされたいる、ガラクタになってしまった液体の入っていた容器と一緒に。中に入っていたアルコールの入っていた液体は殆どない。結局僕は止めることができなかった。傾ければ少しはあるのかもしれないけど、そこまでするほど気力は枯れた。髪は伸びきっている、服もヨレヨレでいつから外に出ていないのだろう。こんなにもくたびれてしまったのだろう。換気をしようとして動こうにもこの部屋に窓はない。扉も。あるのは、残骸だけだ。毒にしかならない残骸だけ。

 液体が垂れてくる。体が落ちてくる場所に本能的に行ってしまう。蜜を求めた虫のように群がるみたいに。僕にはこの液体が必要だと、今まで以上に口にした。僕は人なのか? 理性のない獣のみたいじゃないか。水滴が落ちてくる度に、赤は黒く変わった。腐食するように、この部屋を蝕んでいく。何度も何度も頻繁に繰り返すと、もう黒い場所は赤には戻らない。

 黒い場所が大きくなることは、原理は理解はできないけど、なんとなくこれ以上は溜めてはいけないことは分かる。それでも、今の自分にはその液体がどれだけ悪だろうと必要だった。

 飲めば飲むほど、その部屋は黒く、暗く。光沢を失った狭い部屋に天井にまで満たされていく。逃げ場のない液体達は僕を責める。なぜここまで飲んだんだと。訴えるみたいに。

 死ぬんだなと直感的に分かってしまった。どうせなら泡みたいに消えたい。落ちぶれた死体なんて誰にも見せたくないから。



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監視

 虫の鳴き声が聞こえる。夜に聞く虫たちの声は、明日の他の虫たちに嫉妬するみたいに儚げなのに朝に聞くその声は嫌いだ。鳩も嫌いだ。ここはまだ、都会だから良い。それでも朝早くから独特な声は寝起きの頭には悪い。

 あれはこれはと、数えだすときりがない。生きていくだけで憂鬱になるくらい嫌いな物が沢山ある。だから、数えるのは止めた。嫌いな物は嫌いな物として無視するようにしてきた。それでも、無視できないモノは生きていく中で何個もある。

 生きてから二十年。いつからか部屋に圧迫感を覚えた。天井と壁が迫ってくる。寝ている間に金縛りと一緒にその光景を見てしまう。起きていれば、目を開けていれば大丈夫なのに。

 迫ってきた天井や壁が中心に向かって押しながら、最後は一立にも満たない小さな正四角形になる。もちろん、現実に起こってるわけではないし、普通の人間がそんなに小さくなれるはずもない。その夢は見る度に死ぬ。夜になって眠ると毎晩丁寧に潰される、幾つもの夢が恨みをもって、執拗に現実じゃないから殺せるはずもないのに。それでも何回も見たせいか、本当に死んでいるんじゃないかとたまに疑うことがあった。その夢を見る頻度は多くなる。いつからか家で寝れなくなった。夜が来く度に、夢で起きたことが現実になることを恐れて、いつでも動けるようにベッドに腰掛ける。そんな夜を迎えてばかりいると、生きているだけで憂鬱になりはじめていた。

 大学に行くために外に出て、電車をホームで待っていると衝動的に飛び込みたくなる。死ねばあの夢は見ないですむんじゃないか? 嫌な事から逃げられるんじゃないか?

 悩んでいるうちに電車は到着していた。生きるのは辛いのに、死ぬ勇気がないから。深呼吸をしても、気分は落ち着かない。鼓動は、速く汗も全身から出ている。本当に死ぬ気はない。

 憂鬱な時は、掲示板かショートブログを見る。同じような気持ちを持って人生を送っている人を見つけ自分がまだ、正常な人間だという事を確認する。中には明らかに嘘の感情を書いて注目を集めようとしている人もいた。純粋な感情じゃなく、やましい事が組まれた言葉を見ると、気分が悪くなる。そっとスマホの電源を閉じポケットの中にしまい込んだ。

 それから不審者にならない程度に辺りを見渡す。みんなスマホを持っていた。ほんの少し前、スマホが一般化される前のガラケーなんていじっていたら、怪訝な顔をされていたのに。今は電車でスマホを開かない方が異端者だ。周りがやっていればそれは普通になる。いつもいつも、歪になっていく。自分らしく生きる度に他の人と違って不器用になっていき。それでも死ぬ勇気が出ないほど、この世界は嫌いではない。好きにもなれないけれども。

 

 大学に着くと、講義の度にすぐに寝た。家では寝れないから。幸いどの教授もうるさくしない分には特に問題視をしないし、レポートはしっかり提出をしているので単位の問題はない。

 講義中に寝ているのが気になったのか、食堂でコトンと缶ジュースをわざと音を鳴らし。大学で唯一の友人が前の席に座っていた。

「最近どうしたんだ? 体調悪そうだけど」

「いや、別にたいした問題じゃないけど」

 最近、部屋からの圧迫感を感じること、そして多分夢で死ぬことを話す。彼は頷きながら、目を真っ直ぐ見られる。光沢のある黒い目が、濁った自分の目を射貫くように見られる。逸らしたくなる、こんな綺麗な目は嫌いだから。だけど、友人の事は嫌いになれない。

 静かに話を聞いてくれた友人が、しばらく考え込んだ後、静かに口を開いた。

「常に、一人でいるのが怖いんだろ? 多分だけど、彼女とか作っちゃって同棲すれば?」

 突拍子のないことを言われて、少し焦りつつ

「女の知り合いもいないし。そもそも、君みたいにイケメンじゃないから女の子とは付き合える気がしない。それに」

 言葉は沢山出てくるが、彼が両手を前に出して待ったと言うようにジェスチャーをする。それから、「たしかに、知り合いはいなさそうだ」と一番否定して欲しかったところを頷いていた。真剣に言うの彼を見て何も言えなくなった。彼なりに向き合ってくれているのに話を遮るのは失礼に思えたから。

「じゃあ、インターネットで毎日何かを投稿するとか」

「……ネットで投稿するのは危なくないか? その、住所とかばれそうだし」

 昔の知り合いを思い出す。馬鹿なことをやって、住所がばれて夜逃げをするように消えていった知り合いを。それから見るだけで十分だと思っていた。アカウントを作って匿名性が薄れるのが少し怖いと思っている。

「相当、アホなことをするか顔を出すことさえしなきゃそんなこと起きないから大丈夫だって」

 けらけらと笑っている。こっちのことはあんまり考えていない友人の、この笑い方も強引なところも嫌いにはなれない。

 仮にやるとして具体的に何を投稿すれば良いのか考えていると、空の缶を机に置いて、下から覗きこむように見てくる。

「特別凄いことをやるんじゃなくて、何でも良いんだよ。日記みたいに毎日必ず一回やれば」

 それで本当に夢は見なくなるのか? そもそも、長続きできるのかと疑問は多くあったが、分かった振りをしながら頷いた。友人も納得したのか頷いている。

 その日から一日一回、写真と短い文章を投稿することにした。下手に文章だけにすると、何を書けば良いのか分からないし。写真だけだと自分が何をしたくなるのか分からなくなるから。

 友人からアドバイスを貰いつつ、何とか続けて写真を撮っていた。休みの日も友人が連れ出して、色々な場所に写真と思い出を作る。それを投稿をして、誰かに見られる度に憂鬱な気分が少し晴れたから。しばらくの間だけ気分が良くなった。何回も投稿を続けてやると、効果が薄くなる。まるでクスリのようだ。クスリが薄くなったら量を増やすように、投稿する回数も次第に増えていた。

 かなりの人にアカウントを見られはじめてから、壁の圧迫感はなくなった。代わりに一人でいると、目がことを見ている。無数の目だ。どの部屋にいても、目は着いてくる。日がたつ度に、その目の数は増えていた。

 監視をされているみたいで嫌だ。憂鬱になる。無視を投稿を止めたい。だけど、仕方がない。私にとってこの目よりも夢の方が怖い。それなら、目の方が私には我慢できる。一つの嫌な事を受け止めて、他に嫌な物が無くなるなら。私はそれでも良い。

 すがって生きていかなきゃ、多分今の自分を保たない。

 すぐにまた、憂鬱な気分になるかもしれないけど、それでも一瞬でも辛いことから離れられることができる方が私には良かった。スマホをカバンの中に入れ、扉から外に出る。太陽を背景にしているのか虫や鳥の姿がまぶしく、色が綺麗に見える。ワンピースの裾が優しい風に軽く揺れた。背中を押すように。

 人生に嫌になる度に写真を撮れば良い。ボトルシップに、嫌な事を閉じ込めて海に流す。それが今の私の生き方になっているのだから。



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