PERSONA5 The BlackJack (柴猫侍)
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Ⅰ.終わらない日々

あなた自身の心を覗き見るときにのみ

 

あなたの視界はクリアになるだろう。

 

外を見るものは夢を見、

 

内を見るものは目覚める。

 

‐カール・グスタフ・ユング‐

 

 

 

 

 

 

PERSONA5

The BlackJack

‐ペルソナ5 ザ・ブラックジャック‐

 

 

 

 

 

 

 騒々しいセミの鳴き声も落ち着いてきた時期。

 まだ残暑は厳しいが、それでも朝は涼やかだ。仄かな朝の香りを運んでくる風は微睡みを覚醒させるには十分だった。

 

「はぁ~、また今日から学校か」

 

 だが、そんな爽やかさからかけ離れた辟易したような声が足下から聞こえる。

 

「学生だからな」

「にしても、アン殿が居ない学校に行っても張り合いがないぜ……ああ、アン殿! ワガハイ、今からもう恋しくなってきちまった!」

「次に会えるのはいつになるかな」

 

 喚き立てる()()に対し、少年は軽く微笑んだ。

 対して、少年の荷物が詰め込まれているバッグにへさも当然と言わんばかりに滑り込んだ黒猫は、語気を強めて応答する。

 

「レン! 次の長い休みにも東京に行こうぜ! 夏休みの次となると……冬休みか!」

「その頃は受験に忙しいだろうけどな」

「フンッ、こういうのはメリハリが大事なんだよ! 勉強する時は勉強、遊ぶ時はトコトン遊ぶ! それが―――」

「怪盗の美学、か? モルガナ」

「ああ、その通りだぜ。レン」

 

 この蒼玉(サファイヤ)を彷彿とさせる瞳を揺らす黒猫はモルガナ。

 そんな彼としっかり会話が通じる少年、雨宮 蓮は定期的に訪れる人生の転機を迎えようとする高校三年生だ。

 大学へ進学か、はたまた就職か。どちらにせよ夏休みを終えた彼は、そろそろ進路をはっきりと決めなければならない時期を迎えていた。

 

 世間では“夏は受験の天王山”とも謳われる一方、彼がしていたことと言えば―――“心の怪盗団”として、再び世界を救っていた訳である。

 悪人の心を盗み“改心”させる。イセカイの存在を認知できぬ人々からすれば手口が不明な怪盗団の所業は畏怖の対象でもありながら、退屈で屈しそうな日常を賑わせる話題の種でもあった。

 時には策謀にハマり、謂れのない罪を被らされそうになることもあったが、今回の事件も無事に解決。

 

 そうして大切な仲間との絆を深めた波乱の夏休みを終えた彼は、未だ暴行事件の加害者としてのレッテルを剥がし切れていない地元へと舞い戻った。

 すでに冤罪として処理されてはいるが、一度張られた加害者としてのレッテルは剥がし切れるものではないことは地元に戻ってからひしひしと感じている。

 

(茜の気持ちも分かるな)

 

 モルガナを詰め込んだカバンを持ちながら通学路を進む蓮は、夏休みに出会った一人の少女との言葉を思い出す。

 自分の言葉を信じてもらえず、無実の人が死に、その家族も罪人の家族として白い目を向けられる。少女の曝け出した思いの丈は、かつて強きを挫き弱きを助ける怪盗団にも拘わらず、目的と手段が入れ替わってしまい危機に陥った頃を思い出させる。

 

 だが、もう意志を曲げるつもりはない。

 イセカイが消え、歪んだ人の心を改める為に使役した反逆の意志(ちから)―――『ぺルソナ』が使えなくとも、心に宿した正義だけは煌々とした火を灯している。

 

 二度、世界を救った変革者(トリックスター)は信じていた。

 

 それさえあれば世の中は少しずつでも良い方向へ変えられる、と。

 

 

 

 

 

 

 蓮が通う学校は、どこにでもあるような普通の高等学校であった。

 家から近い、大抵はそのような理由で同じくらいの偏差値の学生が集った普通科だけの中堅進学校。

 保護観察中に通っていた秀尽高校と比べると制服がややお洒落に欠けている、という点を除けばおおむね似たような雰囲気であることが幸いか。

 

「にしてもこっちは田舎だな。渋谷なんかはビルばっか見上げて首が痛くなったってのに」

「東京と比べたらどこでも田舎さ」

「かもな。けど、遊び場がジュネスぐらいしかないってのも考えもんだよな」

 

 さも当然のようにカバンの中に忍び込んでいるモルガナであるが、当然学校に猫を持ち込んでもよいという校則はない。

 しかしながら、秀尽でも毎日連れて来ていたのだから今更だ。

 それでもモルガナの声は特定の人間以外にはただの猫の鳴き声にしか聞こえない。つまり蓮とモルガナの会話を一般人が見ても、にゃーにゃー喚く猫に少年がしゃべりかけている構図にしかならない訳だ。それを微笑ましいと見るか危ない人間だと思われるかは感性にもよるが、場所が場所だ。あまり見られるのもよろしくない。

 

「あ……」

「ん?」

 

 けれども、秘密裏に持ち運ぶには不用心過ぎたらしい。

 通学路の途中、よく同校生徒が通る曲がり角から、一人の少女が現れた。

 丸めた瞳から放たれる視線は、確かにカバンから頭だけを出しているモルガナへと向かっている。咄嗟に中へと潜り込むモルガナであるが、『にゃんこ……』と言葉を漏らす少女を見る限り、しっかりと一部始終を見られていたらしい。

 

「君は……」

「あっ、ご、ごめんね! おはよっ! 急がないと遅刻しちゃうよ?」

「ああ」

「それじゃ!」

 

 逃げるように立ち去る少女を見送ると、むぅ、と唸るモルガナが頭を飛び出させてくる。

 

「ありゃあバレちまったな……」

「問題ない」

「おいおい、危機感が足りないぜ? お前、学校じゃあまだ札付きの扱いされてるんだろ? 教師にチクられでもしたら……」

「モルガナが言うか」

「それもそうだな」

 

 納得する両名。

 再び学校へと足を向かわせながら、彼らは話を続ける。

 

「あの生徒……同学年だったよな? 確か名前は……」

福田(ふくだ) (あきら)

「そう、フクダだ! どことなくアン殿と似たような雰囲気を感じるぜ」

「杏一筋じゃなかったのか?」

「そういう意味で言った訳じゃねえよ! つか言われなくてもワガハイアン殿一筋だ!」

 

 と、モルガナにからかいつつ、蓮は語を継ぐ。

 

「去年の4月からこっちに転入してきた生徒らしい。ハーフとは聞いたな」

「なるほどな」

「……」

「おいおい、また行きずりの女を引っかけるつもりか?」

「人聞きの悪いことを言うな」

「どうだかな、この女誑し」

 

 無礼極まりない言いようだが、それも互いを相棒や親友、あるいは家族のように思い合う気の置けない仲だからこそ吐ける冗談だった。

 

 そうこうしている内に蓮は校門へと辿り着く。

 多くの生徒が校門を潜って昇降口へと向かう光景は見慣れたものだ。

そんな中、何の気なしに時間を確認しようとスマホの電源をつける。

 

「―――?」

「どうした、レン?」

「……いや、何でもない」

「おいおい、新学期だぜ。シャンとしろよな」

「ああ、わかってる」

 

 眉間を摘まみ、眠気を覚ますように頭を振る。

 

 

 

 まさか画面に()()()()()()()()()()()()()など気のせいだろう。

 

 

 

 そんな寝ぼけたことを抜かすつもりは毛頭ない。現に画面をスワイプしても、それらしきアプリは見当たらない。

 単なる見間違いだろう。そう自分に言い聞かせた蓮は靴を履き替える。

 新たな学期。気分は晴れ晴れ―――とまでは言わないが、否応なしに転機の始まりだと感じさせるものはあった。

 

 

 

 

 

 

 福田 瑛。

 プラチナブロンドのショートヘアーに碧色の瞳が眩しいヨーロッパ系のハーフ。親の仕事の都合で引っ越し、その流れでこちらの高校に転入したらしい。

 ダンス部に所属しており、その日本人離れした美貌と快活な性格が合わさり、クラスの男子からは高い人気があるとのこと。

 

「今度の文化祭で踊るみたいだしよ、一緒に見に行かね?」

「ああ、楽しみだな」

「おっ、雨宮もそういうのイケる口!? いやぁ、いいよなぁハーフ……魅惑的な言葉の響きだぜ……」

 

 休み明けのテストで死に体になったクラスメイトと共に、地元のジュネスに併設されているファミレスに来ていた。

 冤罪が晴れたとは言え、噂が絶えない日常だ。それでも関係なく接してくれる友人というものは貴重と言う他ない。

 

 テストの出来にこの世の終わりのような顔を浮かべた彼に、さり気なく朝の少女についての話題を振れば、次から次へと話題が出てくる。

 かねがね好意的な評判。部活動のダンスにも熱心に打ち込んでいることから根が真面目であることも推測できるが、真ほど堅物という印象も受けない。

 モルガナについて告げ口されて問題に発展―――という事態にもなりそうに思えず、ひとまず胸を撫で下ろした。

 

「杞憂だったな」

「ん? きゅう?」

「いや、急にファミレスで夕飯を食べていくって家に伝えてなかったと思って」

「真面目か! ってか、それよりテストでズタボロの俺を慰めてくれよぉ~」

「慰めなくても明日には元通りだろ」

「それな! いつまでも引き摺ってられっかっての!」

 

 他愛ない談笑で盛り上がった後、今度はジュネスの一角に佇むゲームセンターで息抜きだ。

 未だ人気が衰えないガンナバウトで一汗掻き、未だ自分の銃撃スキルが衰えていないことの確認をする。

 ―――というのは方便であり、単に慣れしたんだゲームでハイスコアを叩き出す度に飛び出す友人のリアクションを楽しむが故のセレクトだ。

 

 今日もまた『チートだろ、それ!?』と騒ぎ立てる友人の隣でほくそ笑みながら、囁かな青春を謳歌する。

 怪盗団の面々と過ごした非日常は掛け替えのない思い出だが、こうした普遍で普通な日常も乙なものだ。

 

「じゃあな! また明日!」

「ああ」

 

 友人と別れた蓮はジュネスを後にする。

 実家と学校の徒歩圏内の遊び場など大したものはなく、大抵の高校生はジュネスに足を運ぶものだ。

 時間が時間とだけあって、帰路を進む間にもちらほらと顔に覚えのある学生も見かけた。

 ただ蓮の家が佇む住宅街へと近づくにつれ、人気も少なくなってくる。

 朧げな街灯に照らされている道を進めば、不思議と一つの場面がフラッシュバックしてきた。

 

(あの日もこんな風に静かな夜だったな……)

 

 全ての始まりだった事件。

 正義感から酔いどれから女性を助けたと思えば、難癖をつけてきた男と彼に指示された女性によって暴行事件の加害者に仕立て上げられた。

 それが原因で保護観察の身となり、地元を離れざるを得なくなった。

 結果として怪盗団の面々に出会えたものの、苦々しい経験であることには違いない。

 

―――それとも、あれは間違っていたのか?

 

(いいや、間違いじゃないさ)

 

 しかし、心の内に潜むもう一人の自分が問いかける。

 だからこそ胸を張って言い切れるのかもしれない。

 

 

 

 あの日の選択が……。

 

 

 

「おい、レン! 聞いてるか?」

「モルガナ?」

「なんかあっちから女の声が聞こえるぞ」

「なんだって?」

 

 モルガナの呼び声でハッと我に返る。

 即座に耳を澄ませれば、確かに少女と思しき声が―――それと怒気を孕んだ男の声が聞き取れた。どうにも穏やかな雰囲気ではない。

 

 

 

「―――だ、誰か……!」

 

 

 

「急ぐぞ」

「おう!」

 

 自然と体が動いていた。

 駆け足で言い争う現場へと向かう蓮。彼の湛える真摯な面持ちをカバンから眺めるモルガナは、実に嬉しそうな表情(かお)を浮かべている。

 

「お前も懲りない奴だな。前もそれで痛い目見たんだろ?」

「だからと見過ごせないな」

「それでこそお前だ。安心しろ、今度はワガハイがついてる」

「フンッ、心強いな」

 

 かつての冤罪の二の舞にはならない。

 そのことも頭の片隅に置きながら、不穏な空気が流れる場へと辿り着いた。

 夜中ともなると、目の前の人間の顔すら満足に見ることのできない歩道。

 

「は、放してください……!」

 

 何の因果か、かつての冤罪事件が起こった場所で彼女は助けを求めていた。

 

「あれは……フクダか!?」

 

 猫らしく夜目が利くモルガナが、いち早く被害に遭っている少女の正体を口にする。

 恐怖の滲んだ声音で助ける少女、瑛。しかし、体が強張っている所為か、助けを求める声はひどくか細かった。モルガナが居なければ聞き逃していたかもしれない。

 彼女に絡んでいるのは赤らんだ顔を湛える中年男性だ。サラリーマン然とした風貌と漂う酒臭さから酔っ払いであると察するにはさほど時間を要しなかった。

 

 軽やかに躍り出、瑛を掴む男の腕を掴む。

 

「な、なんだお前はぁ……!? 私はこれからこの子とだな……」

「失せろ」

「う、失せろだぁ!? このガキぃ……口の利き方がなってねえなぁ!」

 

 敢て挑発染みた言葉を投げかけ、ヘイトを自分へと向ける。

 案の定腹を立てた酔いどれは、瑛を掴んでいた手を放し、拳を握ってみせた。

 そして蓮へと振り抜かれる―――が、するりと潜り抜けた当の蓮は、酔いどれがバランスを崩してもたついている間に瑛の手を取った。

 

「こっちだ」

「え? ちょ……!?」

 

 華麗に切り抜けた蓮は、そのまま瑛を引き連れて近場の公園へとやって来た。

 この時間になれば遊んでいる子供も居ない。あるのは寂れた遊具ぐらいだ。

 

「はぁ……はぁ……!」

「撒けたか」

「ッ……」

「……大丈夫か?」

 

 息を切らして俯いたまま面を上げない瑛を訝しみ、蓮が屈んで覗き込む。

 次の瞬間、彼は目尻に大粒の涙を拵えた瑛と視線が重なった。

 

「怖……かったぁ……!」

 

 上ずった声を絞り出す瑛は、そのままはらりと一筋の涙を零す。

 それを目の当たりにした蓮はどんな顔をすればいいものかと一頻り思案した後、出来得る限りの優しい笑みを湛え、彼女の背中を手で摩る。

 

「もう安心してくれ」

「っ……うん。―――ありがとう」

 

 感謝。

 簡素で簡潔で平凡な一言だった。

 けれども、それだけの言葉で悶々と心の片隅に追いやられていたわだかまりが綻んでいく。

 

「こちらこそ」

 

 相手からしてみれば変な応答でも、蓮はその言葉以外に告げる言葉を見つけられなかった。

 

 

 

 

 

 

 本来なら警察を呼ぶ場面だろうが、僅かに心の奥に抱いている警察への不信感からか、通報するという選択は終ぞ頭に浮かばなかった。

 代わりに泣きじゃくる彼女に親身に寄り添う。公園のベンチに腰掛け、近くの自販機で買ったコーヒーを手渡す。だがしかし、まだ夏の暑さも厳しい時期からかホットは販売されていなかった。

 

「コーヒーはホットに限るんだがな」

「?」

()()()するから」

「……ぷふっ」

 

 掴みは良かったらしい。僅かに瑛の頬が綻んだ。

 と、冗談はさておき。

 

「落ち着いてきたか?」

「うん……でも、あんなこと初めてだったから。声、上手く出なくて……」

「大事がなくてよかった」

「本当にありがとっ。あの……雨宮 蓮くん、だよね?」

「知ってる?」

「うん、その……」

「悪い噂でか?」

「っ!」

 

 何となく予想はしていたが今更だ。

 

「ちなみにどんな噂だ?」

「え? えっと……飲酒に喫煙、トドメに暴行事件で退学させられたって……」

「象牙の密売と無免許運転も付け足しておいてくれ」

「象牙? ……ふふっ、あはは! 何それ、初めて聞いた」

 

 こちらでの噂は秀尽ほど尾ひれがついてないようだ。

 ならばと自分から脚色してみたところ、堪え切れずに瑛が噴き出した。

 

「あー、おかしっ。ごめんね、雨宮くん。私、ずっと勘違いしてたみたい」

「何をだ?」

「その……冤罪とか何とかは聞いてたんだけど、やっぱり怖い人なのかなって。でも、話してみたら結構話しやすいかも。聞き上手って言われない?」

「照れるな」

 

 とは言いつつも、表情に然したる変化はない。

 ただ、伊達眼鏡をかけていた頃の癖で眼鏡を上げる仕草をした結果、指が空を切り、彼の滑稽さに拍車をかけた。

 それを見ていた瑛は尚更笑みを深くする。赤く泣き腫らしていた頬も、今では笑いに笑って火照る体温で赤らむほどだ。

 

「鼻の下伸ばしてんじゃねえぞ、レン……」

 

 と、ここで呆れた顔のモルガナが堪らず零す。

 だが、それが彼女に()()を抱かせてしまった。

 

「……えっ!?」

「っ、ヤベっ!?」

「猫……嘘じゃなかった……」

「いや、猫じゃねえよ!」

 

 カバンの中のモルガナ。

 中々に珍妙な光景を目の当たりにする瑛は、ぽかんと口を開いたまま、にゃーにゃーと抗議するモルガナを見つめていた。

 

「……この子、雨宮くん家の猫?」

「ああ、モルガナだ」

「モルガナ……なんだか、その……凄いね」

「撫でるか?」

「あっ……今日はいいや」

 

「ガーンッ!!?」

 

 猫扱いは不服だが、いざ撫でられないとなるとそれはそれでショックのようだ。

 何とも気難しい自称人間の猫だが、彼の存在もあってか、瑛はすっかり普段の調子を取り戻したらしい。

 

「ふぅ……大分落ち着いてきたかも」

「家まで送ろうか?」

「え? でも……迷惑じゃない?」

「あんなことがあったばかりで一人帰らせるのは心配だ」

「……そっか、ありがとう。じゃあお言葉に甘えちゃおうかな」

 

 花のような笑みを咲かせる瑛と共に、蓮(&モルガナ)は彼女と共に暗い住宅街を歩む。

 

「普段からこんなに遅いのか?」

「ううん。ほら、今月の末には文化祭もあるでしょ? 部活で出し物があってね、その練習で……」

「確かダンス部だったか」

「うん! 気合い入れて練習してたの。それで遅くなったら……」

「災難だったな」

「ホント。あんな目に遭うなんて夢にも思ってなかった」

 

 『これからも一人で帰るのかぁ』と瑛は漏らす。

 確かに夜道で男に絡まれたばかりで一人下校するのは不安だろう。

 

「なら、一緒に下校するか?」

「それは……雨宮くんが大変だよ。下校する時間も別々だし……」

 

 言われてみればそうだ。いくら善意とは言え、押し付けがましいものでは、相手を困らせるだけだ。

 

「なら、困った時だけでも呼んでくれ」

「雨宮くん……?」

「その代わり、困ったことがあったらこっちからも頼る」

「……そっか! お互い様って訳だね! 私なんかが力になれるかどうかわからないけど、君も困ったことがあったら私に相談してね」

「取引成立だな」

「と、取引……? なんだかアブない言葉の響きだね……!」

 

 目を輝かせる瑛。

 彼女もまた多感な時期のようであり、取引として提示された内容には食い付かざるを得なかったようだ。

 

「うん、任せて! それじゃあ、これは私と雨宮くんの取引だね!」

「よろしく頼む」

 

 明るい声と共に、蓮は瑛の家の前で別れた。

 

 改心然り、人助けをした日の夜は気持ちよく眠りにつけるだろう。

 

 

 

 

 

 

我は汝…汝は

汝、ここにたなる契りを得たり

 

契りはち、

囚われをらんとする反逆の翼なり

 

我、「慈善」のペルソナの生誕に祝福のを得たり

自由へと至る、更なる力とならん…

 



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Ⅱ.告白/秘密

 心地よい静寂が辺りに広がる。

 

「―――ここは……」

 

 見知った天井だ。

 慣れ親しんだ古ぼけた牢獄は、運命の囚われたる自分の心の写し鏡のようなもの。

 

「ごきげんよう、マイ・トリックスター」

 

 鈴の音のように軽やかで凛とした声が反響する。

 硬い牢獄のベッドから身を起こし、鉄柵越しに見遣る先には、青色を基調とした服に身を包む少女が佇んでいた。

 彼女はここの住人。

 数多のペルソナを宿せる“ワイルド”―――その素養を持つ者を導く青き蝶とでも例えようか。

 

「ラヴェンツァ」

「お久しぶりです……というには些か早い再会でしょうか。ですが、一先ずは再会できた喜びを。ようこそ、ベルベットルームへ」

 

 人形のように端正な美貌を可愛らしく崩したラヴェンツァが応える。

 ここは夢と現実、あるいは精神と物質の狭間に存在する空間、『ベルベットルーム』。

 本来ならば部屋の主たるイゴールが出迎えてくれるはずだが、今のところ彼の姿は窺えない。

 

「どうしてここに?」

 

 だからこそ問う。

 彼女との再会がある種の()()の予兆と言ってもいいことは、二度も経験した身である蓮にとっては既知の事実だ。

 牢屋の扉に手をかければ、いとも容易く扉が開かれる。

 蝶番が軋む甲高い音を響かせながら歩み出た蓮。そんな彼に対し、仄かな憂いを表情に浮かべるラヴェンツァは、はぁ、とため息を吐いてから客人を見つめ直した。

 

「歪み……でしょうか」

「歪み?」

「ええ。今はまだほんの僅かな歪み……その気配を、貴方の町から感じ取ったのです」

「それは……また何かが起こるのか?」

「今は何とも。ただ、こうして私と相まみえたということは、無意識ながらも貴方自身が違和感を覚えている事実に他なりません」

「違和感……」

 

 思い当たる節は―――一つだけある。

 

「イセカイナビか。だが、あれは」

「そうです、あれは偽神がもたらしたもの。彼の偽神が貴方たちに討ち取られた以上、存在しているはずもありません」

「なら、EMMAか?」

 

 偽神の仕業でないならば夏に討った神を騙るAIの存在がまだ、と一つの推測を立てる。

 しかし、ラヴェンツァはゆっくりと頭を振った。

 

「いいえ、そこまでは……ただ、イセカイとは影のようなもの。人の心がある限り、消えてなくなることはありません。ふとしたきっかけで現実とイセカイは繋がり得る……それは貴方もよくご存じのことでしょう」

 

 一年前にはパレスやメメントスとして存在していたイセカイ。

それが今年の夏にジェイルという形で復活していた出来事は記憶に新しい。

 

 ふむ、と唸る蓮。

 対してラヴェンツァは心苦しそうな面持ちを湛えていた。

 

「私の役目は人の精神を“導く”こと。これ以上貴方を手助けできず歯痒くはありますが……」

 

 不意に蓮の瞳を見つめる。

 まるで心配していないような真っすぐな瞳。覗き込んだ側の姿がはっきりと映り込むほどの堂々たる佇まいを前に、ラヴェンツァの口元がフッと綻んだ。

 

「貴方ならば大丈夫……そう信じています」

 

 固く結ばれた剛毅なる絆が、そう告げた。

 

「―――さて、新たな旅路を行くトリックスターの眠りを妨げるのはこのくらいにしておきましょう。月並みの言葉にはなりますが、これからの貴方の行く末の無事を切に願っています。武運を、マイ・トリックスター」

 

 意識が再び闇に落ちようとする感覚。いや、これは意識が現実へと引き戻されていると言った方が正しいだろうか。

 暗く、深く、そして落ち着いた静寂に満ちた青い牢獄からの帰還。

 例えるならば深海より晴れ渡る空の下へ浮上する解放感。それと共に、蓮ははかない夢から目を覚ますのだった。

 

 

 

 

 

 

「おはよっ、雨宮くん」

「おはよう」

 

 一夜明けた朝。

 普段の通学路を進んでいると、昨日と同じ曲がり角から爽やかな笑顔を浮かべた瑛と遭遇する。

 はきはきとした挨拶に清涼感を覚えつつ、蓮も柔和な笑みを以て挨拶を返す。

 

「昨日は眠れたか?」

「あれ、心配してくれてるの? 大丈夫だよ、あんなこと滅多に起こらないだろうし……とは言っても、実は眠れてなかったり……困りましたなぁ」

 

 ほんのりと浮かぶ隈を見逃さなかったから言い放った言葉だ。

 蓮の視線から寝不足を見抜かれた瑛は観念したように頭を掻く仕草を見せる。

 

「あっ、でもね! 大丈夫なのは本当。今度あんなことが起こってもいいように色々準備してきたから!」

「準備?」

「ふふっ、それは秘密。なんなら今襲ってみて確かめる?」

「襲うくらいなら正々堂々口説き落とす」

「えっ? ……って、いやいやいや! 違うから! 別にそういうのは求めてないからァ!」

 

 とは言うものの、瑛の顔は真っ赤に染まっている。意外と口説かれることには慣れていないのだろうか。

 

 予想だにしていなかった返答に耳まで真っ赤に染め上げて取り乱した瑛は、『これは問題児だぁ』と揶揄しつつ、気を取り直して話を戻す。

 

「私も自衛できるくらいには準備してきたつもり。だから、雨宮くんもそんなに心配しないで」

「何事も準備は念入りに越したことはないぞ」

「それはそうだけど……本当に冤罪なんだよね?」

「フンッ」

「意味深な笑い!」

 

 わざとらしく鼻で笑ってみせる蓮。

 それにリアクションする瑛も中々に楽しそうだ。冤罪という中々にセンシティブな問題ではあるが、こうして相手と友好を深めるジョークとして使えるのは、誤解が解けたからだと言えよう。

 

 こうして他愛のない会話でまた一つ仲を深められた登校時間。

 別々のクラスである二人は、生徒の談笑が朗らかに響きわたる昇降口で一先ずの別れを告げた。

 

「それじゃあね、雨宮くん!」

「ああ」

 

 軽やかな足取りで階段を駆け上がっていく瑛。

 踊り場に差し込む朝日が浮かび上がらせるシルエットは、一つの絵画であるかのように幻想的だ。

 そんな彼女に続き、自分たちも―――と階段を上がりかけた蓮であったが、

 

「ねえ、ちょっといい!」

「うん?」

 

 反対側の階段―――蓮から見て頭上に当たる場所から、ひょっこりと顔を覗き込ませる瑛がしゃべりかける。

 

「放課後、時間があるならダンス部の練習見に来てね! 体育館裏でやってるから!」

 

 それだけ告げてピューっと風のように去っていく。

 なるほど、彼女が男子に人気がある理由が分かる。男女共に多感な時期、こうして男子を邪険にせず、さらには部活の練習を見に来てもいいと告げられようものならば、ワンチャンあるのではと勘違いもしてしまうだろう。

 

「こうして悲しい青春が生まれるんだな」

「オマエ……よく言うぜ……」

 

 呆れたモルガナの声。

 それを聞くや、蓮は自分に痛い程突き刺さる男子生徒の視線に気がつくのだった。

 

『なんなんだ、あいつ……』

『福田さんと仲良くしやがって……』

『まさか……彼氏か?』

『ありえねえ! あんな冴えない野郎が!』

『いや、でもよく見てみるといい男かも……ウホッ』

 

 ゾッと背筋に悪寒が奔る感覚を覚え、蓮はそそくさと教室に向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 放課後、体育館裏。

 普段閑散としている場所には、文化祭に向けて練習に励むダンス部員が集まっている。

 スマホから流れる音楽は陽気で軽快なジャズ調のダンスナンバー。クラスでは大人しく過ごしている蓮にとって、些か場違いな雰囲気が流れてはいるものの、ライオンハートな彼は撤退することもなく目的の少女を探す。

 

「言われた通り来てみたはいいが……」

 

 居ない。

 誘った本人が居ると思うのは、至って普通の思考だ。しかしながら、どこを見渡しても彼女の姿は窺えない。

 

「まだ来てないのかもな。教室まで戻ってみようぜ」

「ああ」

 

 そろそろダンス部員の視線も厳しくなってきた。

 不審に思われる前に体育館裏から退散する蓮は、モルガナに言われた通り彼女のクラスへと向かった。

 

「カバンは……見当たらないな」

「まさか行き違ったか?」

「可能性はあるな」

 

 しかし、可能性の話をしたらキリがない。

 先生の呼び出し、委員会の仕事、はたまたトイレか―――ざっと教室以外の校舎内に留まる理由を思い浮かべたところで、ふぅと息を吐く。

 

「日を改めよう」

「そうだな。今日じゃなくてもダンスは見れるしな。それに今日は雲行きが怪しいらしいし、一雨来る前に帰ろうぜ」

 

 見に行けなかったことは正直に説明すれば済む。

 彼女のダンスを見られない点は素直に残念だが、それは後日の楽しみだ。

 そうと決めた蓮は、踵を返し下校の準備を整える。今日は昼ぐらいから曇天だったのもあってか、湿気が酷い。足元が滑りやすいだけに留まらず、元々癖っ毛な蓮の髪型はいつもに増してクリンと飛び跳ねている。

 嫌な天気だ。そう思いつつ昇降口を目指していた時だった。

 

「……瑛?」

 

 昇降口のすぐ横に位置する部屋に入る少女の姿が見えた。

 間違いない、あのプラチナブロンドの髪は瑛だ。やや急ぎ足で入室する後ろ姿からは、そこはかとない焦燥感のようなものを感じ取れる。

 

「おい、レン! フクダの奴、どこに入ってったんだ?」

「保健室だ」

「保健室? 怪我でもしたのか?」

「行ってみよう」

 

 昨日もこともある。実は蓮に告げていないだけで、痛む場所でもあったのだろうか?

 そのようなことを思いつつ、保健室の扉に手をかけようとした―――その瞬間だった。

 

『―――ちゃんと先生には相談した?』

『ううん……まだ』

『どうして!?』

 

 瑛の声とは別に聞こえる陰鬱とした少女の声。

ただならぬ気配を覚え、蓮は咄嗟に手を止めた。

 

『ちょっと絵美、手首見せて!』

『あっ、待って瑛ちゃん……!』

『ッ……! ()()()()()の……?』

『ごめん……』

『謝らないでよ……でも、こんなに悩んでるならちゃんと相談しなきゃ!』

 

 快活な彼女とは思えぬ深刻そうな声色に、話相手と思しき絵美と呼ばれた少女は、ヒュっと息を飲む。

 

『やめっ……てよ!』

『ッ……絵美?』

『あ……ごめん。ホント、ごめん……怒鳴るつもりじゃ……』

『ううん、気にしてない。でも、どうして?』

『だって……高校最後の文化祭だよ? 私がいじめられてることがバレて問題にでもなったら、中止になるかもって』

『だからって絵美が我慢することじゃないよ! こんな……そんなっ……』

 

 涙声で訴える瑛。

 言葉にならない感情がひしひしと伝わってくるようだった。

 

『瑛ちゃん……ありがとう。けど、やっぱり瑛ちゃんの思い出がダメになっちゃうようなことだけはしたくないよ』

『ダメ……って。こっちの方がもっとダメだよ! 決めた、やっぱり他の人に相談するの! そしたら……』

『余計なお世話だよ!!』

『絵美?!』

『私だって……私だって一生懸命考えて決めたの!! なのに、頭ごなしに否定しないで!!』

『違っ……そんなつもりじゃ!!』

 

 制止する瑛の声を振り払い、大きな足音を立てる少女が保健室から飛び出す。

 扉の前に立っていた蓮とぶつかりかけ、『あっ……』と気まずそうな声を上げるも、すぐさま面を伏せて逃げるように去っていく。

 彼女が絵美だろうか。などと思いつつ、悲痛な背中を見届けた後に保健室へ視線を移す。

 そうすれば絵美に目を向けていた瑛に気づかれるのは当然とも言えよう。

 

「雨宮……くん?」

「盗み聞きするつもりはなかったんだが……」

「……そっか」

 

 遠回しに会話の内容を聞かれていた事実を告げられ、瑛は目を伏せた。

 重々しい吐息を紡ぎ、しばしの間、項垂れる。様々な感情が綯い交ぜとなった胸中を他人が推し量るにはあまりある為、蓮もまた黙ったまま彼女の応答を待つ。

 

「……あの、ちょっといいかな」

「どうした?」

「今から、()()できる?」

 

 精一杯繕った笑顔で持ち掛けられた取引。

 断る理由など、なかった。

 

 

 

 

 

 

 校舎内の一角に佇む自販機。

 その傍のベンチに腰掛ける蓮と瑛。無言のまま握りしめるのは冷えた缶コーヒーだ。表面に浮かび結露が時間と共に床に滴り落ちていく様は、瑛の内心を表しているようだった。

 

「絵美はこの学校に来てから初めてできた友達でね」

 

 懐かしむように紡ぐ。

 

「ほら、私って目立つ見た目だから中々友達ができなくて……でも、絵美はそんなの関係なく話しかけてきてくれたの」

「いい子だな」

 

 似たような境遇の人物は知っている。

 容姿で忌避され、挙句妬まれる経験こそないが、鼻摘み者が自身の手を取ってくれた者をどれだけ大切なものとするかは共感できた。

 端的に同意すると、瑛がからりと笑う。

 

「うん、ホント。絵美もダンス部でね、『部活どれにするか悩んでるなら一緒にやろう!』って誘ってくれたの。ダンスなんで体育の授業ぐらいでしかやってなかったのに……絵美ったら強引でさ」

「居場所を作ってくれたんだな」

「そうだね。あの子の隣が私の居場所()()()

「……?」

 

 含みのある言い方に、蓮は視線で次の言葉を促す。

 

「ダンス部に入ったおかげで友達は増えた……けど、絵美が私と一緒に居るのを気に入らない子が居るなんて気づけなかったの」

()()()()()()()?」

「絵美が隠して……ううん、私が気づかないようにしてくれてた」

「他の誰にも相談していないみたいだな」

「そうなの。私が気づいたのだって偶然」

 

 『見て』と瑛が掲げるのはシンプルなリストバンドだ。

 彼女が右手に嵌めているものとまったく同じデザイン。てっきり左手の分を外したのかと思えば、続く瑛がそれを否定する。

 

「これね、去年のクリスマスに絵美にあげたプレゼントなの」

「お揃いという訳か」

「大事な宝物なんだ。でも……これでリスカしてたの隠してたなんて」

 

 それ以上の言葉を吐き出さないが、重々しい瑛の表情から察するに胸中に抱える感情は並々ならぬものだろう。

 しかも、全ては瑛の為なのだから、当人にしてみれば堪ったものではない。

 そこまで自分を大切に想ってもらえている事実は喜ぶべきかもしれない。

しかしながら、自傷行為に至る程に思い悩み、あまつさえ自分の善意をはね退ける強情さへの怒りもある。

 

だが、それ以上に―――。

 

「親友だと思ってたのに……何も相談してもらえなかったことが悲しいや」

 

 ポタリと。

 また一つ、雫が零れ落ちた。

 

「……難しい話だな」

「ごめんね、雨宮くん。こんなこと相談されても困るよね……」

「構わない、そういう取引だ」

「……ふふっ、雨宮くんって結構キャラ設定大事にする方?」

「……役柄に徹していると言ってもらおう」

 

 スッ……と眼鏡を上げる仕草をするも、伊達眼鏡をかけてなかったことから指は空を切る。それがまた滑稽さを煽り、沈痛だった瑛の顔に明るさを取り戻す。

 

「ふぅ、話したらちょっと楽になったかも」

「何か解決策はあるか?」

「まだ思い付いてない……けど、このままで終わらせたりなんかしない! 私の為だって言っても、だからって絵美がいじめられたままなんて間違ってる!」

「手伝うぞ」

「えっ?」

「これでも伝手は多いつもりだ。何か役立てるかもしれない」

「雨宮くん……」

「警察と弁護士の知り合いだっているぞ」

 

 すかさずモルガナが『ゼンキチとニイジマか』と相槌を打つ。

 共に夏の事件でも世話になった二人だ。正義感の強い彼らであれば、片田舎の高校で起きるいじめであっても真摯に対応してくれることだろう。

 だが、予想外の伝手に驚いたような瑛は目を丸めている。

 

「け、警察と弁護士……? 冗談……だよね」

「……フンッ」

「意味深な笑い! 怖いよ!」

 

 天丼だ。

 だが、明確に協力の意を示されて安堵したのか、瑛の顔は目に見えて緊張が解けていく。

 

「ありがとう、正直私一人じゃ不安だったの。雨宮くんが力になってくれるなら、何かいい方法が思いつくかも」

「二人で一緒に考えよう」

「うん!」

 

 瑛から信頼を感じる。

 

 すっかり彼女も調子を取り戻したようであり、満面の笑みを湛えたかと思えば、『温くなっちゃったね』と缶コーヒーを開けるや中身を一気に飲み干す。

 同様に飲み干した蓮は、空になった缶をゴミ箱へと放り投げる。綺麗な放物線を描く缶は、見事に入ったことを示すかのようにカラカラと音が立てた。

 

 と、次の瞬間、校舎内に帰りのチャイムが鳴り響く。

 

「うわっ、もうそんな時間!?」

「すっかり長く話し込んだからな」

「外も暗くなっちゃったし……」

「霧も酷いな」

「こんなになるなんて聞いてないよぉ……あっ!?」

「どうした?」

「教室にスマホ忘れたかも……」

 

 あちゃー、と瑛は頭に手を当てる。

 

「私、ちょっと取りに行ってくるね。雨宮くんは先に帰ってて!」

「ああ、また明日」

「バイバイ! あとでメッセージ送るから!」

 

 教室へと忘れ物を取りに行く瑛を見送り、蓮は今度こそ昇降口へと向かう。

 部活で残っている者にも下校を促す最後通告のチャイムが鳴る時間だ。校舎内に残っている生徒もほとんど居らず、昇降口は不気味なほどの静寂に包まれている。

 

「それにしてもひどい霧だな。心なしか毛が湿気を吸って体が重いぜ……」

「奇遇だな」

「オマエは頭だけだろ! ワガハイは全身なんだよ!」

 

 湿気でクリンクリンになっている髪を揺らしながら下駄箱からスニーカーを取り出す蓮。

 モルガナの抗議もほどほどに聞き流し、靴を履き替えようとした―――その瞬間、外に濛々と立ち込めていた濃霧が校舎内に吹き込んできた。

 思わず目を瞑ってしまうほどの勢い。

 咄嗟の出来事で蓮とモルガナは慌てふためく。

 

「っ!」

「わっぷ!? なんだなんだ、突風か!?」

「いや、風じゃ……」

 

 

 

『―――ナビゲーションを開始します』

 

 

 

「「!」」

 

 不意に聞こえた電子音。

 聞き慣れた声と聞き覚えのある内容に、蓮とモルガナは霧中で瞠目する。

 

 しかし、辺りは一切見渡せない。となれば、真っ先に音源でも調べる必要がある。

蓮がポケットから取り出したのは自前のスマホ。一年前も今年の夏も、あの場所へ入るには誰の手にしている電子機器が鍵となっていた代物。

 

 それが今、()()()()()()()()を画面に映し出していた。

 

「これは……!」

「おい、()()()()()!」

()()!」

 

 コードネームで呼ばれ、反射で応答する。

 それから程なくして霧が晴れたかと思えば、小脇に抱えていたはずのカバンは影も形もなくなっていた。

 

「気を付けろ!」

「ああ」

 

 二人、何かに納得したように辺りを見渡す。

 目の前には、学校とは似ても似つかない牢獄のような光景が広がっていた。

 レンガ造りの建物内には、所せましと牢屋が並んでおり、中には手枷を嵌められた()()が無数に収監されている。

 

 突如として現れた非現実的な空間。

 しかし、驚きはしても動揺しない二人の怪盗が、正装たる()()()を正す。

 

 

 

 何故ならここは、

 

 

 

「―――イセカイだ」

 

 

 

 消えた筈の世界が今、眼前に広がっていた。

 

『きゃああああああああああああああ!!!』

 

 しかし、思案する間も与えられず、劈く悲鳴が通路に響き渡る。

 

「ジョーカー! 今の声は……!」

「瑛だ。急ぐぞ!」

「おう!」

 

 

 

 

 

 

「えっ……」

 

 教室だったはずの部屋で困惑する少女。

それも仕方のないことだろう。普段の日常の代名詞とも言うべき光景が、悍ましくも恐ろしい拷問器具が並ぶ部屋に移り変わったのだから。

 

「夢……なの?」

 

 誰に問う訳でもない。

 だが、不気味なほどの静寂で気が狂いそうになったから声を発した。

 

 すると、

 

―――コツン。

 

「! 誰か居るの!?」

 

 不意に響く靴音。

 酷く怯えた面持ちを湛える瑛は、尚も歩み寄ってくる気配を感じ取り、音が聞こえてくる方へ目を遣った。

 

「誰……?」

 

 音が近づく。

 

「誰なの……!?」

 

 ゆっくり、ゆっくりと。

 

「答え、て……?」

 

 そして、()()は現れた。

 

『―――』

「あ……」

 

 白いロングコート。

 白いフェドゥーラ。

 白い包帯に巻かれた顔面に血のように浮かび上がる顔は、歪な笑みを湛えてこちらを覗き込んでいた。

 

 言葉を失い、数拍。

 

 刹那、二人を阻んでいた鉄格子が瞬き一つする間もなく切り裂かれた。

 甲高い金属音を響かせて床を転がる鉄棒を蹴り飛ばす。鋭利な半月状の刃物を携えた靴底は、それだけで辺りに並んでいた拷問器具を次々に切り刻む。

 

「うっ……ぁ……」

 

 無差別に。

 半狂乱で。

 目に見えるもの全てを切り刻む姿は、切り裂き魔に他ならない。

 

「っ、きゃああああああああああああああ!!!」

 

 泣き叫ぼうが、助けを呼ぼうが。

 この場には、彼女一人しか居なかった。

 



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Ⅲ.覚醒

「あっちこっちにシャドウが居やがる! 用心しろよ、ジョーカー!」

「ああ」

 

 監獄塔と化した学校を駆け抜ける二つの影。

 辺りを徘徊するシャドウに見つからぬよう、壁や置物の陰に隠れる蓮とモルガナは、悲鳴が聞こえてきた方向を目指す。

 イセカイを徘徊するシャドウは、一般人が太刀打ちできるような存在ではない。一刻も早く瑛を救出しなければ取返しのつかない事態になることは想像に難くなかった。

 

「チッ、まだまだ上があるな……」

「掴まれ、モナ!」

「おう!」

 

 上を目指す螺旋階段に到着するや、普通に駆けあがっては埒が明かないと判断した蓮が袖口からワイヤーフックを射出する。

 飛び込むモルガナを腕に抱え、ワイヤーが巻き取られる勢いで上へと昇る。

 

「かなり広いな……」

「これも認知の歪み、か」

「ああ。『学校』を『監獄』とはな」

「……」

 

 難なく着地し、窓の鉄格子越しに外を見渡す。

 不気味な赤い空が広がる外はさることながら、暗雲を貫かんばかりに聳え立つ監獄塔のスケールにも圧巻される。

 イセカイ―――認知世界とも呼ばれる場所は、現実を生きる人々の認知や認識が大きく形を変えてしまう。

 

 学校を色欲に塗れた城と。

 あばら家を虚飾に飾られた美術館と。

 渋谷を暴食で肥やした銀行と。

 家を憤怒に埋もれた墓場と。

 会社を強欲で働かせる工場と。

 裁判所を嫉妬の巡るカジノと。

 国会議事堂を傲慢で築いた箱舟と。

 

 ありとあらゆる形へと変化する認知世界だが、それらにも二種類存在する。

 

「パレスかジェイルか……ジョーカー、お前の見立ては?」

「見ろ」

「ん? ……あれは!」

 

 蓮の視線の先に聳え立つ塔。

 その天辺には牢獄が建っており、中には幻想的な光を放つ光球が浮かんでいた。

 

「牢獄塔……! つまり、ここはジェイルって訳だな!」

(キング)も居る訳だ」

「ああ。だが、今は王の正体よりもフクダが優先だ」

「分かっている」

 

 漆黒のコートを翻し、先を急ぐ。

 パレス然り、ジェイル然り、認知世界を歪めるにはそれだけ強大な欲望を抱いた一個人の存在が居る。

 ジェイルにおいては“王”と呼ばれる存在。現時点では何者のシャドウが担っているか判断できないが、それを明らかにするのは今ではない。

 

「―――待て」

「何か見つけたかっ!?」

「床を見ろ。何か跡がある」

「跡? うーむ……まだ新しいな」

 

 捜索の最中、レンガの床に刻まれた謎の轍が目に付いた。

 鋭利な刃物で引っ掻いたような跡だ。それが延々と先へと伸びている。

 

(これは一体……?)

 

「おい、ジョーカー!」

 

 注意深く辺りを見渡しながら熟考する蓮。

 そんな彼にモルガナが掲げてみせるのは、一本の金糸のような髪の毛であった。

 

「こいつは……」

「……瑛の」

「ビンゴかもしれねえ。だが―――」

「急ぐぞ!」

「おうよ!」

 

 床の傷跡から発見された髪の毛。

 瑛の髪色に酷似したそれを発見し、二人は彼女の行く先に検討を立てると同時に、一時も無駄にはできないと駆け出した。

 軌跡のように刻まれた轍を辿り、先へ先へ。

 焦燥が背中を押すかのように、通路を駆けていく二人の速さは増していく。

 だが、それだけ早く突き進めば相応の足音が鳴り響くものだ。

 

『ム、なんだキサマらは!?』

『脱獄者か!? いや……侵入者?!』

『ひっ捕らえて殺せ!!』

 

 異変に気付き、看守姿のシャドウが次々に集まる。

 行く手を阻む敵に眉を顰めるモルガナ。

 次の瞬間、彼は己の仮面に手をかける。

 

「邪魔だ!! 速やかに黙らせてやる!!」

 

 蓮の一歩先へ躍り出たモルガナが、仮面を剥がす。

 刹那、迸る青い炎と共に反逆の意志―――ペルソナが顕現する。

 

「威を示せ、ゾロ!!」

 

 黒い鎧を身に纏ったマッシブな体形の騎士。

 これこそがモルガナのペルソナ、ゾロ。吹き荒れる疾風にマントを靡かせるゾロは、モルガナの心のままに構えていた剣の切っ先を押し寄せるシャドウへと突きつける。

 次の瞬間、波の如く迫るシャドウを一陣の疾風(ガル)が吹き飛ばす。

 

「いちいち相手してたらキリがねえ!! 一点突破だ!!」

 

 間髪入れず、バスへと変身したモルガナが残るシャドウをドリフトで一蹴する。

 しかし、ワラワラと湧いて出てくるシャドウの数は尋常ではない。騒ぎを駆けつけた看守のシャドウが通路のあちこちから現れる。

 悠長に構えていれば囲まれる。確かにモルガナの言う通りだ。

 だからこそ蓮も己が仮面に手をかける。

 

「ショータイム!!」

 

 モルガナカーを飛び越えて前へ躍り出る。

 前方には密集するシャドウの群れ。三十は下らない数だ。

 ナイフや銃で相手取るには些か敵の数が多いが、それでも予想の範疇。

 勢いよく仮面を引き剥がせば、不意に蓮の背後に黒と赤を基調とした紳士然とした服とシルクハットを被った存在が顕現する。

 

 漆黒の翼を羽ばたかせ、不敵な笑みを模った模様をバイザーに浮かべるペルソナ。

その名は、

 

「アルセーヌ!!」

 

 翼を広げる余波で複数体のシャドウが吹き飛ばされる。

 しかし、これはほんの序の口。

 にやりと口角を吊り上げる蓮は、アルセーヌの羽ばたきでたじろいだ敵の群れ目掛け狙いを澄ませる。

 

「喰らえ!!」

 

『ぐあああああああああ!!!』

 

 解放される呪怨の波動が怨霊の形を模ってシャドウを襲う。

 一瞬遅れて爆発するほどの攻撃。辛うじて巻き込まれなかったシャドウも、予想だにしていなかった攻撃に唖然と立ち尽くすだけ。

 そうしている間にも活路を拓いた二人は、颯爽と前へと突き進んでいく。

 

「追手に構う必要はねえ!! 行くぞ!!」

「ああ」

 

 尚も前方から襲い掛かるシャドウをモルガナがカットラスですれ違いに一閃し、蓮がハンドガンで眉間を撃ち抜く。

 前だけに目を向け突き進む彼らの勢いには、心なしか看守のシャドウも怯えた様子を見せる。

 

 そうしたシャドウの合間を掻い潜り、一人と一匹の怪盗は目指すオタカラの下へ走る。

 

(無事で居ろ、瑛……!)

 

 思いを馳せるのは、友達を想う心優しい少女。

 しかし、変革はすでに産声を上げ始めていることを、彼らはまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

「んっ……んぅ……?」

 

 頭に響く鈍痛と共に目を覚ます瑛。

 意識を失う直前の出来事をうまく思い出せず目を白黒とさせる彼女であったが、ひどく揺れる体に異変を覚え、ゆっくりと隣を見遣る。

 

「ひっ!?」

『―――』

 

 自分を抱きかかえる存在。

 それは確かに拷問部屋にて器具を切り刻んでいた怪物―――否、怪人に他ならなかった。頑なにナイフを握りしめたままの腕で自分を小脇に抱える怪人に、瑛は声を失う。

 

(どこ、ここ……?)

 

 それでも自分の所在がどこか調べようとする思考力が残っていたのは幸いか。

 瑛は刺激しないよう視線だけで周囲を見渡す。拷問部屋と代わり映えのないレンガ造りの壁や床が延々と続く通路だ。

 だが、前方から仄かに差し込む灯りが終着点だと告げる。

 

(あれは―――)

 

 ベッドだ。病院に置いてありそうな簡素な造りのもの。

 

『……瑛ちゃん』

「え?」

 

 ベッドにばかり意識を向けていれば、不意に耳に入った友人の声に反応する。

 しまった―――などと後悔する考えは、彼女の姿を見れば欠片も過らなかった。

 

「絵美……?」

『どうしたの、瑛ちゃん? そんな不思議そうな顔して』

「いや、だって……」

 

 頭が追い付かない。

 何故ならば、ただでさえ非現実的な場所に移動したかと思えば、ナイフを振り翳す怪人に拉致され、あまつさえ居る筈のない親友と対面したのだから。

 困惑する瑛の視線に先には、病衣に身を包んだ絵美がベッドで上体を起こしていた。

 別人かとも勘繰ったが、金色に輝く虹彩以外は本人そのもの。

 顔も、声も、ちょっとした仕草でさえも。

 

「絵美……私に怒って、帰って……それで……」

『ああ、そんなこと? 大丈夫、私全然気にしてないよ』

 

 朗らかに笑う絵美の様子に、恐怖で強張っていた瑛の顔がほんの少し綻ぶ。

 

『立ち話も何だしさ。おいで、瑛ちゃん』

 

 絵美が告げる。

 すると、瑛を抱えていた怪人が歩み出し、そのまま彼女をベッドまで運んでいく。

 そのまま解放された瑛であったが、親友を目の前にして逃げる選択肢が浮かばぬまま自然とベッドに腰かける。

 

「あの……絵美?」

『なに?』

「その、ごめんッ! あの時はカッとなっちゃって……」

『気にしてないって。それより、瑛ちゃんが私のこと心配してくれて嬉しかったよ』

「絵美……!」

 

 放課後の喧嘩について謝罪する瑛であるが、これも絵美は微笑みを湛えて応えた。

 親友の笑顔を前に、瑛の緊張はみるみるうちに解けていく。

 ああ、これはきっと悪い夢だ。夢の中だから突飛な世界が広がっているし、怪人も居るのだろう―――そう割り切った瑛は、いっそのこと清々と開き直って絵美と談笑することにしたのだった。

 

『ねえ、私と瑛ちゃんが友達になった頃のこと覚えてる?』

「友達になった頃? うん、勿論! 絵美がタピオカ噴き出したのは大笑いしたなぁ~」

『あははっ! それを言ったら体験入部で踊った瑛ちゃんさ、ズボンのゴムが切れてダンス部全員にパンツ見せびらかしたよね』

「見せびらかしたって言うのやめて! 今でもネタにされると恥ずかしいんだから!」

 

 恥ずかしい過去を暴露され、瑛は茹蛸のように顔を真っ赤にさせる。

 

「もう、絵美ったらぁ!」

『ごめんごめん。でもね、それじゃないんだ』

「え……?」

『私さ、瑛ちゃんと約束したんだ。憶えてる?』

「約……束……」

『うん。私たちはずっと友達。ずっと傍に居るって』

「あ……うん! あははっ、そんなこと確かに言ったね。ズッ友宣言も懐かしいなぁ~」

 

 学校にうまく馴染めず、一人寂しく過ごす時間が多かったあの頃。

 そんな瑛の世界を変えてくれたのが絵美だった。

 色々な場所に連れて行って、色々な友達を紹介して。無色に見えた青春を、彼女が華々しく彩ってくれたのだ。

 

「それがどうかしたの?」

『……ねえ、瑛ちゃん』

「なに? そんな重そうな顔して……」

『私たち、ずっと友達だよね?』

「絵美……当たり前じゃん! 急にどうしたの? あっ、もしかして進学とかで悩んで……た、り……?」

 

 刹那、絵美の()()()が変わるのを瑛は見逃さなかった。

 黄金色の虹彩が濁る。

 ドス黒い感情が滲み出すかのように、彼女の顔にも影がかかる。

 

『―――瑛ちゃんの隣に居ていいのは私なんだよね?』

「……絵美?」

『だって、そう約束したもの。なのにあいつら、最初は可愛いからハブいてやろうなんて言っといて、いざ男子に人気が出たからって掌返して……!』

「ちょ……タンマタンマ! そうカッカしないで、ねっ? それはもう前の話だし……」

『許せない……許せない許せない許せない許せない許せない!! 瑛ちゃんの隣に居ていいのは私だけ!! 私だけの特権!! 後から出てきた奴らになんか渡せない!!』

 

 ―――おかしい。

 

 そう気づいた時には、すでに絵美―――いや、絵美の形をした怪物の狂気は溢れて止まらなくなっていた。

 

『あんな奴らが!! イジメる奴らが!! 犯罪者如きが!! 瑛ちゃんの隣に居ていいはずがない!! だってだってだってだって!! あんな奴ら許せないんでしょ? ずっと言ってたじゃない、イジメるような人が許せないって!!』

「そ、れは……!」

『嘘なんて吐かなくても大丈夫だよ? だからこうして()()()()()()()()んだから』

「え……?」

 

 絵美が狂気的な笑顔を湛えたまま、仰々しく腕を広げる。

 次の瞬間、仄暗い部屋の各所に佇んでいた蝋燭の火勢が増した。

 すると暗闇で窺えなかった部屋の全貌が明らかとなる。

 

「ひっ……!?」

『見える? 瑛ちゃん』

 

 怯え竦む瑛の顔に両手を添える絵美。

 その目的は部屋を取り囲むように並ぶ牢獄と、そこに捉えられている囚人をはっきりと見せる為だ。

 閉じ込められている囚人はいずれも学校で見知った顔。生徒も居れば教師も居り、いずれも牢獄から出してと呻き声を上げるばかりだ。

 

『あれが()()だよ』

「悪、者……って?」

『瑛ちゃんを苦しめる悪い奴らに決まってるじゃない。イジメた奴も、見て見ぬフリをする教師も、みんなみーんな悪者。ああして牢屋に閉じ込めておけば、悪さなんてできないでしょ?』

 

 さも当然と言わんばかりの言い草。

 許しを請うように呻く囚人と、彼らを眺めて悦に浸る絵美の狂気―――それらを目の当たりにした瑛はゾッと総毛立つ感覚を覚えた。

 

「お……かしいよ」

『……なんて?』

「おかしいよ、こんなのっ!!」

 

 背後から両頬に手を添えていた絵美を振り払い、瑛は立ち上がる。

 

「確かに絵美の言うことも分からなくない……けど! だからって」

『―――優しいんだね、瑛ちゃんは』

「へ……?」

『そうやって悪者にも優しいんだね。でも、それで苦しんでるのは瑛ちゃんじゃない』

 

 呆れたような眼差しを送る絵美が、押し黙る瑛に向けて語を継ぐ。

 

『誰にでも優しくするのは結構だけど、許せるかどうかとはまた別の問題でしょ?』

「そ、れは……っ!」

『優しいと悩みが多くて大変だね。他人なんか省みないで馬鹿やってる子たちが許せなくて仕方ないよね』

「違う! そんなんじゃないよ……!」

『ううん、無理なんかしないで。私だけが瑛ちゃんのことを理解できるから。そうやって一人で抱え込まないで』

「う、あ……」

 

 甘く囁く声。

 言葉を失う瑛は、ゆっくりと手を取る絵美を振り払えずに居た。

 それは相手が限りなく親友に近い容貌をしているからか。

 もしくは―――。

 

 

 

「おい、ジョーカー! 見ろ!」

 

 

 

「えっ……?」

 

 騒々しい音と共に響き渡る声。

 思わず振り返る瑛は、その流れで受け入れかけていた絵美の手を振り払う。『チッ!』と忌々しそうな舌打ちが聞こえるも、今だけは瑛の耳には入らない。

 彼女が目にしたもの、それは入り口で物騒な武器を構えるロングコートの男と、デフォルメされたような頭身の謎の生物であった。

 後者は元より、前者の仮面舞踏会にでも出席するような恰好には、直前までのやり取りを忘れるほどの衝撃を受ける始末だ。

 

「モルガナちゃんのこ―――!?」

「あいつは……フクダだ! 友達の女子も一緒だ!」

「変な生き物が喋ってる!?」

「変な生き物じゃねーし!? せめて断定しろよ!!」

 

 ガーン! とショックを受ける謎の生物、もといモルガナ。

 彼の横に構える男―――蓮は、瑛の無事を確認するやほんの僅か表情を緩ませるが、依然ベッドの傍に佇んでいた白装束の怪人に、臨戦態勢を取る。

 

「瑛、そこから離れろ!!」

「えっ、えっ、えっ!?」

『瑛ちゃんを困らせる悪者……!! 皆、やっちゃえ!!』

 

 逃げるよう勧告する蓮であったが、当然状況を飲み込めない瑛は右往左往するのみ。

 その間にも蓮たちに敵意を示した絵美が、応援を呼ぶ。直後、地面から沸き上がるように無数のシャドウが現れるではないか。

 

「こいつは……!」

「彼女がここの王か」

「エミって奴だったか!? だが、フクダの救出もまだなのに相手取るには……!」

「諦めるのか?」

「ああん!? そんな言葉、ワガハイの辞書にゃ載ってねェー!!」

「フンッ、その意気だ」

「我が決意の証を見よォー!!」

 

 ゾロ! と叫び声と共にペルソナを顕現させるモルガナ。

 次の瞬間、ゾロの解き放った複数の竜巻が、どこからともなく現れるシャドウを次々に吹き飛ばしていく。伊達に心の怪盗団として戦ってきた訳ではない。彼にかかれば烏合の衆など、マハガルダイン一発でどうとでもなる。

 

「とぉりゃー!!」

「頂いていく!!」

 

『ぐぎゃあああ!!』

 

 マハガルダインを潜り抜け、一人敵の懐へ飛び込む蓮。

 大技を前に隙を晒す敵の喉笛を掻き切るなど、今の彼にとっては容易い業。一閃、二閃と刃を滑らせてシャドウを何体か蹴散らした後は、残る敵に向けて銃口を構える。

 狙いを澄ませた不可避の銃撃。

 ゲームセンターで鍛えた、と聞けば安っぽく聞こえるが、正確無比な連射が次々にシャドウの眉間を捉えていく光景を目の当たりにすれば、そのような考えも失せるだろう。

 

―――イケるか?

 

 幸いにも一個体の強さはそこまでではない。

 このまま瑛を救出するだけならば、滞りなく事が運ぶかもしれない―――そのような考えが脳裏を過った直後だった。

 

「ジョーカー! 右だ!」

「ッ!!」

 

 白い影が迫りくる。

 咄嗟にナイフを構えて盾とした。が、繰り出された一閃の重さは尋常ではなく、蓮の体は弾かれるように壁側へと吹き飛ばされる。

 

「ぐっ!」

「ジョーカー! チッ、手練れが居やがるな!」

 

 すかさず蓮のカバーに入るモルガナが、白い怪人目掛けてパチンコで狙撃する。

 しかし、細身のナイフを構えた怪人は、迫りくる一発一発を丁寧に斬り落とすという人間離れした業を見せつけてくるではないか。

 

 単純な直接攻撃や銃撃は効果が薄い。

 そう考えたモルガナは、迷わずゾロを顕現させ、研ぎ澄まされた一陣の疾風を繰り出す。

 

「うおおおお!!」

『―――』

「アルセーヌ!!」

 

 モルガナの攻撃に身構える怪人であったが、背後から雄々しい声が響き渡る。

 そこには壁へ激突した蓮が居るはず。だが、いざ振り返ってみれば、アルセーヌを顕現させて頭上から急襲する彼の姿があるではないか。

 今尚、袖口からワイヤーを伸ばしたワイヤーを巻き取っている。そう、彼は壁へ激突する寸前にワイヤーフックを天井に引っかけて勢いを殺し、逆に壁を蹴る勢いも乗せて飛び込んできたのである。

 

 挟み撃ち。

 この間合いであれば回避する暇もない。

 例えどちらを防御しようとも、確実に片方の攻撃は当たる。

 言葉を交わさずとも仕掛けられる戦法は、長い間共に過ごしてきた固い信頼関係が為せる業だ。

 

『―――』

(背を向けた?)

 

 しかし、この連携を前にした怪人は、蓮に対して背を向ける動きを取る。

 不審に思う蓮。こうしている間にもアルセーヌが解き放とうとする“エイガオン”は臨界寸前まで凝縮していた。

 

「!!」

 

 だからこそ()()()

 

 今から攻撃を止めて暴発しようものならこちらが危ない。

 攻撃はする。けれど避ける。

 その心は、

 

「反射持ちだとっ!?」

 

 背後からの“エイガオン”を反射する怪人にモルガナが叫ぶ。

 シャドウにも属性による得手不得手が存在するが、その中でも特段厄介であるのが反射持ちの種族だ。

 無効化ならまだいい。吸収するなら、以後攻撃を仕掛けなければいいだけだ。

 しかし、いずれも一度は攻撃してみなければ分からない以上、不意のカウンターになり得る反射は厄介極まりなかった。

 

 それを寸前で回避する蓮。

 不規則に蠢く呪怨の力の余波はアルセーヌの翼を盾にして防ぐ。それでも頬を掠る攻撃に血が流れる事態は免れない。呪怨に対し耐性を持つアルセーヌで済んだからこの程度で済んだが、そうでなければ最悪の事態もあり得た。

 

 歯噛みする蓮の一方、当の怪人はと言えば真正面から迫りくる疾風を迎え撃つ。

 しかも、たった今アルセーヌが繰り出した呪怨の力を、そっくりそのまま模倣でもしたかのような魔法で。

 

「こいつ!!」

『―――』

「うぉあ!?」

「モナッ!!」

 

 正面衝突するガルダインとエイガオン。

 数秒拮抗する攻撃であったが、押し勝った怪人が怒涛の竜巻を霧散させる。その余波で小さな体のモルガナは煽られるように吹き飛ぶが、辛うじて猫の身のこなしで体勢を整え、無事に着地してみせる。

 

「―――やはりな」

 

 銃で牽制する蓮。

 怪人は難なく切り落とすが、その間にも彼はモルガナの隣へと駆けつける。

 

「やはりって……どういう意味だ、ジョーカー?」

 

 身だしなみを整えるように誇り塗れとなった体を軽く毛繕いするモルガナが、訝しげに訊き返した。

 蓮の観察眼を認めている彼だからこそ、切り札(ジョーカー)が見つけた情報は耳を傾ける価値があると理解している。

 

 だからこそ待つ。逆境を跳ね返す打破の一手を。

 

「あのシャドウ―――アルセーヌに近い力を持ってる」

「……なるほどな」

 

 それは二つの答えを意味していた。

 

 一つは、アルセーヌに類似した耐性を持つ怪人には、今の面子では有効な手立てがないこと。

 

 もう一つは、手札を変えてしまえばその限りではないという事実。

 心を鎧う意志の力たるペルソナは、一人の人間につき一体しか宿らない。

 だが稀にアルカナの旅路を辿る愚者のように、何も持たざるが故に何者にもなれる素養―――『ワイルド』を持つ者が居る。

 

「だったら、ここからがお前の真骨頂の出番だぜ! 見せつけてやるぞ!」

「ああ―――瑛は頂戴する」

 

 威勢よく声を上げるモルガナに対し、蓮は不敵な笑みと共に応える。

 

 

 

「……どういうこと……なの?」

 

 

 

 その時、一瞬の静寂を突くように瑛の声が澄み渡った。

 誰もが彼女の方へ意識を向ける。

 困惑した面持ち。当然と言えば当然と言える様子だが、彼女の視線は頑なに絵美のシャドウへと向けられていた。

 

『どういうことって?』

「あの人たち……分かるの! 雨宮くん! 同じ学校の!」

『ああ、暴行事件の子?』

「ッ、違う! それは冤罪だって! 今日だって絵美のこと話したら力になってくれるって言ってくれた人なんだよ!」

『―――冤罪かどうかなんて関係ない』

「え……?」

『私にとっては瑛ちゃんに悪い虫がつくのが許せないの。どんなに中身が清廉潔白な人だとしても、悪い噂が絶えない人と一緒に居たら、瑛ちゃんの評判まで悪くなっちゃうじゃん』

「絵……美……ッ!」

 

 現実の親友からは考えられないような口振りで紡がれる言葉に、瑛の顔が悲痛に歪む。

 シャドウとは、言わば現実の人格が抑圧する負の一面。大なり小なり個人が抱える欲望そのものと言って過言でない存在だ。

 加えて認知世界を書き換える程の歪みを持った人物であれば、抱える欲望も尋常ではない。そこは善人も悪人も関係ない。

 

『私は瑛ちゃんの傍に居られればいいの。それだけで―――』

「違う」

『……なんて?』

「間違ってるよ、絵美……そんなの……!」

 

 淀んだ金色がねめつけてくるも、瑛は臆さず鋭い眼光を閃かせる。

 

「そんな理由で除け者にするなんて、絶対に違う!! 嫌だよ!! そんなことされたら、私……!!」

 

 

 

許せない?

 

 

 

「う゛っ……!!!?」

『瑛ちゃん!?』

 

 刹那、頭に響く声と激痛に膝をつく瑛。

 咄嗟に駆け寄ろうとする絵美であったが、蹲って喘ぐ少女から吹き荒れる力の波により近寄ることさえままならない。

 唖然とする絵美の一方、遠目からその様子を眺めていた蓮とモルガナは『まさか』と口を揃えた。

 

「何……この声……!?」

 

不撓不屈の優しさは結構。

 

けれど、優しくあればこそ

許せぬものも見つけましたね。

 

「誰、なの……!!?」

 

我は汝、汝は我

 

己を押し殺してまで貫く信念があるならば、

さて、今こそ内に孕んだ激情を解放しましょうか。

 

「ぐぅ!!?」

 

さぁ…血盟を契る時です!

 

「ぅぅううあああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 金切り声に似た悲鳴が轟く。

 次の瞬間、部屋を仄かに照らしていた蝋燭の火が一斉に消える。

 しかし、一つ、また一つと幽玄な青い炎が代わりに灯っていくではないか。

 やがて全ての火が灯った時、瑛は頭痛が治まるのと同時に違和感を覚えた。

 仮面―――激痛で滲み出た汗を拭おうとした時、顔面を覆う白いペストマスクが手を阻んだのだ。無論、身に着けた覚えなどない。

 ただ、自分が何をすべきかだけは分かっていた。

 はっきりと、鮮明(クリア)に。

 

 ()()()()を湛えた瑛は、心に従って仮面に手をかける。

 

 

 

「 ペ 」

 

 

 

それは心を鎧う仮面。

 

 

 

「 ル 」

 

 

 

それは欲望に呑まれぬ為の反逆の意志。

 

 

 

「 ソ 」

 

 

 

もう一人の―――自分。

 

 

 

「ナアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!」

 

 

 

 引き剥がされる仮面。

 顔と癒着したそれを剥がすのは、顔面の皮を剥ぐに等しい行為。

 当然血飛沫が舞い、辺りに撒き散らされる―――が、それらが床に模様を描くよりも前に、爆炎のように噴き出す青い炎が瑛の全身を覆い尽くしていく。

 仄暗い闇を煌々と照らす炎。

 やがてそれが晴れると、制服とは似ても付かない装束を身に纏った瑛が姿を現した。

 

 背後に浮かび上がる()()姿()()()()()と共に。

 

『―――フフ、フフフ、フフフフフ。よくぞ呼び出しました、契約者よ。(わたくし)は貴方の心の海より出でし者……』

 

 右手に携えたランプを掲げた瞬間、無差別に広がっていた青い炎の全てがランプの中へ収束する。

 

 

 

『命灯を掲げし貴婦人―――ナイチンゲール!!』

 

 

 

 眩い光が、また一つ反逆の意志が灯った事実をありありと告げる。



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Ⅳ.脱出

 ゆらゆら、ゆらゆらと。

 不安定な幽玄の光。けれども力強く灯るランプを掲げるペルソナ―――ナイチンゲールは、瑛の背後で不敵な微笑みを見せている。

 当の瑛はと言えば、認知の歪みから心を鎧う装束を身に纏っていた。

 白衣とロングコートを一体化させたような白い怪盗服。中に着込む赤いシャツが、より彼女の衣装の白さを際立たせている。

 

 清廉ながら、内に秘める情熱を感じさせる姿だった。

 

「―――これが私の心の力」

 

 胸に手を当てる瑛。

 心臓の鼓動とは別に、脈動し、全身に通う熱い力を感じ取る。

 

「そうだよ……どんなに押しつけがましくったって私には―――助けたい人が居る!! もう一人の私! 貴方が本当に私なら、貴方の力を貸して!!」

『喜んで』

「刻め、ナイチンゲール!!」

 

 嘘偽りのない言葉と共に燃え盛る情動。

 それを表すかのように収束する炎は、みるみるうちに巨大な火球となり、次々に湧き出るシャドウへと解き放たれた。

 その首領と思しき白い怪人だけは飛び退いたが、一歩出遅れたシャドウの群れは、広がる爆炎に呑み込まれて消滅する。

 

「うおおおお!? な、なんつー威力だ……!」

「それだけ彼女の想いが強いんだろう」

「へっ! よくもまあそんな歯が浮く台詞を言ってくれるぜ、ジョーカー!」

「フンッ。モナ、それよりもこんな好機を逃すか?」

「逃す訳ないだろ。瑛の攻撃で敵が動揺している……攻めに出るなら今しかねえ!」

 

 一陣の風が吹き、影が奔る。

 次の瞬間、瑛の隣には刃物を手にした二人が立ち並んでおり、彼らの軌跡の傍に立っていたシャドウは形を保てなくなり、地面へと染み込むように倒れていった。

 そうした早業を前に、瑛は『わっ!?』と驚きの声を上げながら二人を見る。

 

「あ、雨宮くん……だよね?」

「ああ」

「えっと、色々聞きたいこととかあるんだけど」

「こっちも説明したいことは山々ある。が、今はこの場を切り抜けることだけを考えてくれ」

「う、うん!」

 

 困惑しながらも蓮に言われた通り、前方で群がるシャドウに目を移す。

 そこでモルガナが掛け声を上げる。

 

「よし! フクダ、さっきの炎を撃ってくれ! 狙いは適当でもいい!」

「……やっぱり喋ってる」

「にゃー! 今はそこに触れなくていいんだよ!」

「そ、そうだったね! お願い、ナイチンゲール!!」

 

 掲げるランプから解き放たれる無数の火球。

 それらは着弾すると同時に天井を焼き焦がすほどの火柱と成る。強力無比な火炎の海が広がり、雑魚シャドウは瞬く間に一掃されていく。たとえ倒すまでに至らずとも、これでは火傷を負うのは必至だ。

 だからこそ、()()()()()()()()()()()()

 

「よーし、ワガハイの出番だな!! スマートに決めるぜ!! とおりゃあああ!!」

 

 解き放たれる疾風―――マハガルダインが火の海で吹きすさぶ。

 するや、瞬く間に熱風が部屋を覆い尽くす。火は風に煽られ、より猛々しく燃え上がるという訳だ。

 これで先ほどのマハラギダインで辛うじて生き残っていたシャドウも駆逐された。

 しかし、たった一体だけは依然火の海の中を掻い潜り、三人の元へと迫って来ている。

 

『―――』

「ジョーカー! 来たぞ!」

「任せろ! ペルソナァ!!」

 

 最も危険視すべき敵の襲来を前に、蓮が仮面の下の素顔を晒す。

 その所作に伴って現れるペルソナ。

 だが、現れたのは逢魔の掠奪者たるアルセーヌではない。

 

「メタトロン!!」

 

 現れ出でたのは光沢が眩い金属で組み上げられた天使だ。

 アルセーヌとは似ても似つかない―――それこそ対極の位置にあるかのような姿形。かつて蓮と固い“正義”の絆を結んだからこそ誕生したペルソナは、その装甲から神秘な輝きを放ち、迫りくる切り裂き魔に対して眩い祝福の光を解き放つ。

 

「マハコウガオン!!」

『―――!!』

 

 広範囲に殺到する聖なる光。

 逃げ場など皆無に等しく、軽快な身のこなしをするこのシャドウですら避け切れずに被弾して怯む。

 膝を折り、地面に屈する。

 

 それこそが最大の好機。

 

「総攻撃だ! いいか、やるぞ!」

「えっ、そ、総攻撃!?」

「後に続け!」

「うっ、あぁー! こうなったら、ノリにノっちゃうんだから!」

 

 各々の武器を構え、膝をつくシャドウへと飛びかかる三人。

 瑛は懐に仕舞っていたフォールディングナイフを取り出し、流れるままに一斉攻撃に参戦する。

 軽やかな身のこなしから繰り出される、前後左右からの息をつかせぬ猛攻―――これこそが怪盗団の真骨頂の一つであり、

 

「これで……トドメだぁー!!」

 

 激しい死闘に相応しい幕引き(フィナーレ)だ。

 

「ッ……はぁ! はぁ……! これでッ、いいの……?」

「おう! 中々の動きだったぜ!」

 

 息を切らしながらも自分たちの動きに付いてこられた瑛の身体能力にはモルガナも感嘆した様子だ。

 

『―――ッ!!!』

「チッ、ワガハイたちの総攻撃も耐えるか。タフな奴だぜ」

「えぇ!? それじゃあもう一回……うっ?!」

「フクダ!」

 

 突如、立ち眩みでもしたかのようにフラつく瑛。その直後、彼女の背後に佇んでいたペルソナの姿も青い炎と共に霧散して消える。

 咄嗟に蓮が支えに入るものの、これでは攻勢を維持するのに拙い。

 

「やはり覚醒してすぐじゃ消耗が激しいか……」

「モナ、瑛を連れて退くぞ」

「分かってる! おい、疲れてるところ悪いが走れるか!?」

「な、なんとかイケそうかも……」

「よーし! なら、逃げるが勝ちだぜ!」

 

 引き際が肝心と言わんばかりにモルガナが撤退を促し、三人は部屋を後にしようとする。

 だが、瑛だけが後ろ髪を引かれるように振り返り、病床に臥す親友を見遣った。

 

「絵美……」

 

 黄金の双眸でこちらを見つめる少女を前に足が止まった。

 彼女が本物だとは思っていないが、万が一の“もしも”を想ってしまうだけでこうも決心が揺らいでしまっている。

それだけ彼女達の絆の深さを感じ取る蓮であるが、悠長にしていられる時間がないことも確かであり、やや強引ではあるが瑛を抱きかかえて走り出す。

 

「ちょっ、雨宮くん!? ま、待って……!」

「彼女の説明は後だ。少なくとも本物じゃない」

「そうなの? って、そっちじゃなくて……!」

 

 ペストマスクの下に隠れる顔を真っ赤に紅潮させる瑛。

 と言うのも、余りにも自然な流れでお姫様抱っこされようものなら、このように取り乱してしまうのも致し方のない話だろう。

 そうして最終的には押し黙ってしまう彼女を目にし、隣を並走するモルガナはやれやれと首を振るのだった。

 

『―――』

 

 その後ろ姿を切り裂き魔は見続ける。

 ジッと、彼女の影が見えなくなるまで。

 

 

 

 

 

 

『ナビゲートを終了します』

「はぁ……はぁ……戻ってこられたの?」

「そうみたいだ」

「やれやれ、つくづくお前は持ってるな。トラブルに事欠かないぜ」

 

 三人は学校の昇降口に居た。

 すでに校舎内の灯りは消え、不気味に照らす街灯だけが光源だ。

 そのように目を凝らさなければ他人の顔も満足に見られない中、瑛は目を細めて蓮の顔を凝視する。

 

「……ホントに雨宮くんだ」

「疑っていたのか?」

「だって変な仮面被ってたし」

「瑛も被っていたぞ」

「えっ、嘘!?」

 

 パンッ! と両頬に手を当てる瑛だが、当然ながらイセカイから脱出した今、仮面が顔にあるはずもない。

 結果としてはもっちりとしたたまご肌に指が食い込むだけであるが、頬を奔る衝撃で数秒黙り込んだ彼女は、ハッとした面持ちを浮かべる。

 

「きゃあああ!?」

「うぐむっ!?」

「あっ、ぎゃぴ!? お、お尻がぁ……!」

 

 唐突にお姫様抱っこされている状況を思い出して赤面した瑛が蓮を押し倒す。が、抱きかかえられている以上、蓮が倒れれば瑛も一緒に倒れる訳だ。まんまと運命を共にした彼女は廊下の硬い床にお尻を打ち付けて悶絶する。

 若い男女が二人、夜中の校舎で重なって倒れる。そんな光景を目の前にするモルガナは呆れたように溜息を吐いた。

 

「おいおい、静かにしろよ。一応夜中なんだからな。警備員なりなんなりが居るんじゃあ―――」

『おい、そこ! 誰か居るのか!』

「ほら、言わんこっちゃない! 逃げるぞ、お前ら!」

 

 すると騒ぎを聞きつけたのか、警備員と思しき人間の声が足音と共に廊下の先から近づいてくる。

 

「えぇ!? 今逃げてきたばっかなのに……」

「今度こそ前科者になるな。罪状は……不法侵入と言ったところだな」

「逃げよう! 今すぐ逃げよう!」

「ほら、走れ走れェー!」

 

 正真正銘の札付きとならないよう、二人と一匹は死に物狂いで走り出す。

 

 全力疾走すること数分、何とか撒けたと思えるコンビニ前まで辿り着いた彼らは、息を整えながら額を伝う汗を拭う。

 

「ひぃ……ひぃ……ダンスでもこんなに疲れないよ……やっぱ嘘。ものによる……」

「ダンスも随分動くんだな……」

「そりゃ、まあね……ふぅー」

 

 ようやく息が整ってきた頃、金糸のような髪を頬に張り付ける瑛は、ジッと蓮を見つめる。

 

「? どうした」

「いや……夢じゃなかったんだな、って」

「そうだな」

「ねえ、教えてよ。あそこがどんな場所なのか。聞きたいことさ、色々あるんだ」

 

 それは当然の疑問だった。

 ただの一般人だった者が突然イセカイを訪れようものなら、混乱して然るべきだ。それまでの人生の中で築き上げた価値観が一変する奇想天外な世界なのだから、彼女の聞きたいことも山ほどにあるのは想像に難くない。

 

「構わない。だが」

「だが?」

「飲み物でも飲んで帰りながらで構わないか?」

 

 すぐ傍のコンビニを指さす蓮が、くたびれた笑みを浮かべながら告げる。

 

「……うん、賛成!」

 

 

 

 

 

 

「―――つまり、あそこは人の認知が作り出したもう一つの世界みたいな場所で、そこにはもう一人の私たちも生きてる……みたいなこと?」

「おおむね合ってる」

「う~ん……頭がパンクしそう」

「誰だって最初はそうさ」

 

 頭を抱える瑛の傍で、一頻り説明を終えた蓮がコンビニで買ったホットコーヒーを口に含む。ここ最近コンビニのコーヒーも侮れない味へと進化してきているが、やはり惣治郎の淹れたコーヒーには及ばない―――と、ほんのり郷愁の念を憶えつつ。

 

「問題はどうしてワガハイたちがイセカイに侵入しちまったかだが……」

「……」

「ん? どうした、フクダ。そんなにワガハイを見つめやがって」

「イセカイの姿も猫がモチーフだったのかなぁ、って」

「おい、猫じゃねーよ!!」

「いや、猫だよ!! どこからどう見ても猫の見た目してるよ!?」

「確かに今の姿は猫だけどな!! あっちの姿は猫じゃねえって意味で……って、おい!! ワガハイを撫でるなぁー!!」

「もふもふ……この撫で心地、まるでぬいぐるみ!」

「ぬいぐるみじゃねーよ!!」

 

 と、瑛もすっかりモルガナの現実とイセカイでの姿の違いに慣れた様子だ。猫を撫でる手つきも慣れたものである。

しかし、いい加減話を進めたいモルガナは猫特有の液体の如く柔らかい体を活かし、瑛の手から脱出し、話を戻す。

 

「ともかく、情報を整理したい。ワガハイたちは霧に包まれたと思ったらイセカイに居たんだ。フクダはどうなんだ?」

「えっと……確か私も似たような感じだったと思う」

「なるほどな。その後で聞いたのがイセカイナビの声だ。レン、スマホには―――」

「探してみたが、影も形もないな」

「なんだとっ!?」

 

 軽やかに蓮の肩に飛び乗ったモルガナが、彼の携えるスマホの画面を見る

 だが、いくらホーム画面をスワイプしてみても、かつてのイセカイナビらしきアプリは見つからない。

 

「でも、確かにあの声は……!」

「問題は霧の方か」

「……ああ、ワガハイもそっちが原因だと踏むぜ。ありゃあ普通じゃない」

 

 昇降口を覆い尽くす濃霧。

 いくら霧深い土地だとしても、あれほど唐突に霧が雪崩れ込む現象などありえない話だ。

 とすれば、あの霧こそがイセカイへと繋がる“扉”、あるいは“鍵”のようなものなのだろう。全ては憶測の域を出ないが、今はそう考えた方が筋道も通る。

 

「あの……二人とも、少しいいかな?」

「ああ、いいぜ。こうなっちまった以上、無関係とは言い切れないからな」

「ありがとう、モナちゃん。単刀直入に訊くんだけど―――二人ってもしかして心の怪盗団なの?」

 

 その問いに、一瞬だけ蓮とモルガナの表情が固まり、互いの顔を見つめ合うようにアイコンタクトを取った。

 そして、

 

「ああ、そうだ」

 

 余りにも呆気なく認めた。

 これには瑛も面食らったのか、ぽかんと口を開けたまま硬直する。

 

「そう……なんだ。ホントのホントに居たんだ」

「驚いたか?」

「うん。なんていうか、突然有名人と会っちゃったみたいな感覚……かな?」

「間違いないな」

 

 フッ、と蓮は笑う。

 確かに心の怪盗団の知名度は高い。ハワイに修学旅行で赴いた時は、現地人にさえ名を知られていたほどだ。それだけワールドワイドならば有名人と呼んでも間違いはないだろう。

 しかし、知名度は高ければ高いほど良いものでもない。

 特に素顔を隠し、闇に潜む悪人を改心させる謎の手口で活躍する正体不明の集団ならば尚更だ。

 

「誰かに口外するか?」

「ううん。きっとこんなこと他の誰かに話しても信じてもらえないだろうし……それに、雨宮くんとモナちゃんは命の恩人だから、そんなことしないよ」

「ありがとう」

「それに―――私、怪盗団のファンなの!」

「なに?」

 

 今度は蓮が面食らう番だ。

 突然のファン宣言を受け反射的に振り向けば、キラキラとした眼差しを送ってくる瑛の表情が目に入る。

 

「ファンだったのか」

「うん! お恥ずかしながら、実は怪盗団の追っかけみたいなこともしてて……えへへ」

「(……アカネみたいな奴だな、レン)」

「(嬉しいことだ)」

「(まあ、確かにな)」

 

 夏休み中にも熱烈な怪盗団ファンと出会ったばかりでもあり、意外と身近に怪盗団を応援する人間がありふれている事実には、驚きと喜びを覚えるばかりだ。

 そんな本人すらも置きざりにする勢いで怪盗団への思いの丈を騙っていく瑛は、単なるミーハーでないことをひしひしと感じさせる。

 

「私ね、特に最初の改心事件……あっ、あの金メダリストの体育教師が体罰事件を自白した奴がお気に入りでね! ……って、こういう言い方じゃ不謹慎かな。お気に入りって言うか、凄く勇気を貰えたって言うか」

「お、おう……怪盗団を応援してくれるのはありがたいんだが、話を戻すぞ」

「あっ、ごめん! 長々と喋っちゃって」

 

 このまま語らせていたら深夜を回りそうな予感を覚えたところでモルガナが割って入り、本題へと入る。

 

「どうして霧がイセカイへの玄関口になってるかはさておき、あのジェイルの(キング)は絵美のシャドウだ」

「シャドウ……ってことは、もう一人の絵美って意味でいいんだよね?」

「ああ。シャドウは人間の抑圧された負の内面だ。あれも絵美自身と言って間違いじゃない」

「ッ……」

「そう暗い顔すんな。確かにシャドウは当人と表裏一体だが、悪いところだけ判断するニンゲンは居ないだろ?」

「……うん、そうだね」

「だが問題なのは彼女がイセカイの景観が変わるほどの認知の歪みを持っていることだ」

 

 認知―――つまり、心の歪み。

 理由はどうあれ、今現在絵美の心が歪んでいる事実を、あの監獄は体現している。

 

「歪み……? を持ってるとどうなるの?」

「ありきたりな表現をすれば人格が歪んでる。大抵は悪い方向にな」

「それじゃあ絵美は……」

「……話を聞く限りじゃあ、イジメが原因で人格に異常が来されていると見て間違いねえだろ」

「そんな!」

 

 『何とかならないの!?』と瑛が悲痛な声を上げる。

 確かに彼女は見てしまった。監獄と化した学校を。閉じ込められている同級生や教師の姿を。

 それらは全て、己をイジメ、それに加担し、あるいは見て見ぬフリする者たちを監獄に閉じ込めておくべき罪人と認知しているからこその景観だ。

 そして本人は病衣をまとい、ベッドに横たわる始末。

 認知の歪みが引き起こした光景とは言え、余りにも悲痛である。これまで戦ってきた王は例に漏れず自身の力に傲り、各々を支配者としてジェイルに君臨していた。

 

 にも拘わらず、あの痛々しい支配者の姿はなんだ?

 

「ワガハイたちは悪人の敵である以上に苦しんでる弱い者の味方だ。すぐにでもエミを助けてやりたいところだが……」

「アプリがない以上、自由にイセカイに侵入もできない」

「それじゃあ……!」

「まあ待て、結論を急ぐな。本来ならワガハイが心の怪盗団らしく華麗にオタカラを―――つまり、心が歪む原因となったブツを盗んでやるんだが、今回ばかりはそれが使えない。なら」

現実(こっち)で何とかするだけだ」

 

 コーヒーを飲みほした蓮がゴミ箱に空の容器を放り投げる。

 綺麗な放物線を描いた“弾丸”は、そのままゴミ箱へと狙い通りに投げ入れられた。

 

「雨宮くん……!」

「言っただろう? 取引だって」

「ッ……ありがとう!」

 

 目頭を熱くしながら礼を言う瑛に、蓮とモルガナが微笑み返す。

 そうだ、イセカイなど無くとも人の心を変えられることは彼ら自身よく知っている。戦いの場がイセカイから現実へと変わっただけだ。

 

 絵美の歪んでしまった心を救うことを二人は決意する。

 

「(だが、仔細については他の奴らにも連絡しといた方が良さそうだ)」

「(ああ)」

 

 事情が事情である為、他の怪盗団の面子を招集するか悩ましいところであるが、異変については情報共有すること間違いない。

 こうして一先ずの話し合いを終えた三人は、家族が心配するよりも前に帰路へつくのだった。

 

 

 

 更なる異変が訪れる明日が待ち受けているとも知らず。

 



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Ⅴ.Suspicious Person

『ジェイルってマジかよ!』

 

『EMMAは倒したはずなのに……まだ別に黒幕が居るって訳!? 絶対やっつけなきゃじゃん!』

 

『杏の言う通りね。それにしても、二人が無事で本当によかった』

 

 画面に並ぶ文面。

 それは掛け替えのない仲間から送られたメッセージであった。一年以上も前から続いている怪盗団のグループにて議題とされているのは、無論、今夜の出来事である。

 竜司、杏、真からは驚愕と労いの言葉を投げかけられた。

 彼らもまたイセカイに精通している人間。故に、少人数で潜り込む危険性も重々承知していた。

 

『マコちゃんの言う通りだね。怪我してたらどうしようかと……』

 

『ま、そこは流石の怪盗団のリーダーとモナだな! 踏んで来た場数が違うのだー、っとそれはさておき。面白い事件見つけたぞ』

 

 続けて安堵のメッセージを送る春であったが、明るい語調の双葉が、突然一つのウェブサイトのリンクを貼りだした。

 

『見ろ。数年前の連続殺人事件だ』

 

『連続殺人? んなもん、今回のイセカイとはなんも関係ねーんじゃねえの……?』

 

『まあ聞け。私が注目したのは二人が見たっていう“霧”だ。この連続殺人はそっち界隈じゃ怪事件として有名でな、事件がもっぱら悪天候の後に起こってる。んでもって、死体はテレビのアンテナなりに引っかかったり変な場所で発見されたらしい』

 

 情報に敏い双葉曰く、数年前に普通の事件とは一線を画す怪事件が発生したらしい。

 これには訝しげな反応を見せた竜司も『マジかよ』と引いたメッセージを送った後、口を噤むように無反応になってしまった。

 しかし、ここで怪盗団のブレインたる真がいち早く察する。

 

『まさか、その事件もイセカイと関係あるって?』

 

『可能性はなくはない。私が言いたいのは悪天候って条件がイセカイに繋がる“鍵”の一つじゃないかってことだ』

 

『いくら何でも話が飛躍しすぎじゃない?』

 

『どちらにせよ今じゃ情報が足りないね……私たちが直接行けたらいいんだけれど』

 

 双葉の推論に杏が難色を示す。

 これも続く春が言う通り、結局のところは情報が不足しているからという理由に帰結する。今回の事件はあまりにも突然で、原因が分からない。

 故に、現場へ赴きイセカイへと侵入すること事件解明へと繋がるベストな方法だが、夏季休暇に向けてコツコツ貯めた旅の軍資金も使い切った面子に、いきなり東京から遠い田舎へ赴く資金も時間もない。

 

『……っつーか、祐介静かじゃね?』

 

『待たせた』

 

『お。オイナリ反応キタコレ』

 

『霧について調べてみたが、日本神話において天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)と呼ばれる霧を神格化した神が居て、霧と異世界の境界線を司っているらしい。また、北欧神話では九つの世界のうち、下層にあると言われる冷たい氷の国として存在するニヴルヘイムが“霧の国”という意味だ』

 

『急に反応したと思いやがったら!』

 

『なんかデジャヴ感じるかも……』

 

 怪盗団において独特の感性を持つ男、祐介。

 以前にもハッカー集団『メジエド』の情報を集める際、語源の方について調べた出来事を彷彿とさせるやり取りに竜司と杏がすかさず反応を見せた。

 当時も頓珍漢という他なかった祐介の解答だが、今回についても同様と言う他ない。

 

『―――いや、案外イイ線いってるかもな』

 

『双葉?』

 

『認知世界、つまり集合的無意識だな。これで“霧がイセカイと繋がっている”っていう認知が神話として幅広く知られてるなら……』

 

『マジかよ……』

 

 認知は歪で自由だ。

 大衆の認知は集合的無意識の世界に影響し、様々な形へと変化させる力を持つ。それは時に、神に反逆する一人の仮面(ペルソナ)を大魔王へと昇華させ、一発の弾丸で屠るに至る力を得る程に。

 もしも人々の中に霧とイセカイが繋がっている認知が世界規模で広がっているならば、万が一もあるかもしれない―――それが双葉の見解だ。

 

『でも、そんなに有名な話なのかしら?』

 

『私も初めて聞いたくらい』

 

『だよなー。あくまで憶測の一つってことで軽く流してくれ』

 

 だが、真と春の反応から見ても分かる通り、“霧がイセカイに繋がっている”認知は決してポピュラーではない。幅広い認知が強力に働く認知世界において、それは致命的な部分であった。

 

『私はもーちょい色々調べてみる。蓮とモナも勝手に突っ走るなよ~?』

 

『それがいいわ。私はお姉ちゃんにさっきの事件について聞いてみる』

 

『私も私でなんか調べてみる! 巻き込まれた子もだけど、これは怪盗団として見逃せないから!』

 

『事件の方はあんまり力になれないかもだけど、いじめの方なら会社の人に法律とか詳しそうな人を尋ねて力になれるかも』

 

『俺はもう少し霧について調べてみよう。何か分かるやもしれん』

 

『いや、多分それについてはもう大丈夫だわ』

 

『馬鹿な』

 

 各々が今後の動向を示す中、祐介だけが竜司に止められて動揺したような文面を返す。これもまた彼ららしいやり取りだ。それでいて一つの目的に一致団結して取り掛かろうとする団結力の高さを実感し、思わず蓮も画面の前で微笑んだ。

 そして、その想いは通話グループに加わっていない別のメンバーにも向けられる。

 

『ソフィアと善吉にも伝えようか?』

 

 不意に投げかけた蓮の通知。

 両者共に夏の間戦ってきた戦友だ。

 片や、生みの親であり友人でもある者と旅に。

 片や、長年の家族の仇を取っている真っ最中。

 

『もちろん! ま、向こうの状況配慮した感じで伝えるけどな』

 

『頼んだ』

 

『任された!』

 

 画面越しでも伝わってくるような双葉のやる気から分かる通り、彼らもまた固い絆で結ばれた怪盗団の一員。仲間外れは良くないと情報だけでも共有する義理がある。

 

『それじゃあ今日は解散だ』

 

 最後はリーダーらしく蓮が締める。

 続けて面々の労いの言葉が連なったことで、今夜の作戦会議は終了したのだった。

 

 

 

 刻一刻と変化する怪異が、現実を侵食しているとも知らず。

 

 

 

 

 

 

「おはよっ、雨宮くん」

「おはよう、瑛」

「おう、フクダ! おはようさん!」

「モナちゃんもおはよっ!」

 

 朝の通学時間。一昨日、昨日と同じ曲がり角で出会った瑛は、目元に隈を浮かべながらも溌剌とした挨拶を投げかける。

 

「眠れてないみたいだな」

「そんなことは……あるかも」

「まあ仕方ないさ。あれだけのことが立て続けに起きりゃあ誰だって疲れる。だからこそ無理は禁物だぞ」

 

 心労を気に掛けるモルガナに『うん』と返される瑛の言葉は、やはりどこか活力に欠けている。

 

「ま、暗い話もここらへんにしとこうぜ! こっからはお楽しみの()()の時間だ」

「アレ?」

「モルガナ、まさか()()か?」

「どうして『アレ』で通じるの!? なになに!? 怖いよ!!」

 

 仄暗い雰囲気を一変させるべくモルガナが提示する話題。

 やや瑛を慄かせ過ぎているきらいはあるが、最早()()は恒例行事なのだ。

 

「フクダ、お前はこれからワガハイたちと一緒にエミを変えちまった元凶を正す訳だ」

「それはもちろん! そのことに関係する話?」

「ああ。経緯はどうあれ、オマエはペルソナの力に目覚め、認知世界についても知り、友達の歪んだ心を正したいと願った。その志は心の怪盗団と同じだと言っていい」

「私が……怪盗団……?」

 

 本人を前にファンを公言する瑛が、自身も怪盗団と言われている口振りを前に高揚したように落ち着きがなくなり始める。

 

「何かあるの? 団員の証のバッジみたいな物を渡されたり!?」

「物じゃねえ―――コードネームだ」

「コードネーム……?」

「知っての通り、ワガハイたちは闇に潜み人の心を盗む怪盗……いくら認知世界の中とは言え、本名を公言するのはスマートじゃあねえ」

「なるほど!」

 

 流れのままに肯定する瑛だが、実際のところはよく分かっていない。

 とは言え、イセカイに存在する認知の人物が倒された途端、現実のパレスの主が変心するといった事例もあることから、細心の注意を払うという意味では道理が通っているとも言える。

 

「ちなみに二人のコードネームは?」

「ワガハイが『モナ』! んで、レンが『ジョーカー』だ!」

「モナにジョーカー……モナちゃんはあだ名みたいな感じなんだね。何というか、すぐに連想しやすいっていうか」

「ガーンッ!!」

 

 無邪気なまま遠回しに安直と言われ、あからさまにモルガナがショックを受ける。

 

―――確かに安直だったかもしれない。

 

 名付け親の一人である蓮は、今更ながら反省してみた。

 

「でも、ジョーカーってかっこいいね! なんか、海外の映画に出てきそうな敵キャラみたいな感じでさ!」

「こいつは怪盗団のリーダーで切り札だからな。ワガハイが命名してやったんだぜ」

「え、凄い! モナちゃんがつけたの?」

「そうだぜ! どうだ、ワガハイのセンスは!」

 

 だが、命名のセンスを褒められて気を良くしたことで、慰める必要もなくなった。調子のいい奴だとはちょっとだけ思わざるを得ない。

 

「それじゃあ私のコードネームは!?」

「そうだな……レン、何か候補はあるか?」

「うーん……」

 

 顎に手を当て、熟考する。

 恒例行事とは言え、ノリで決めることもあれば提案を却下されて本人が決めることも少なくなかった―――というより、大体本人が決めていた気がしないでもない。

 瑛らしいコードネームを考えていく中、思いついた候補はと言えば、

 

「ダンサー」

「……なんか、緊迫した場面で呼ばれると合わないかも」

「ナース」

「もっと合わなくなってきたね……」

「ドクター」

「ちょっと待って! 最初は分かるけど、その次からは何を以て候補に挙げたの!?」

 

 次々に出される候補に異議を唱えていた瑛が語気を荒げて問いかける。

 

「服装がそれっぽかったからだ」

「服……って、イセカイの?」

「ああ。白衣に見えた」

「言われてみればそうだったかも……あっ、ナースを挙げたのはペルソナから? ナイチンゲールってナースだったんだっけ」

「そうだ」

「でも、流石にナースとかドクターじゃ緊張感に欠けるかも……」

 

 おっしゃる通りだ、と蓮も納得する。

 パッと思いついたものが粗方却下された以上、また別の方面から考えなくてはならなくなった訳だが、うーんと唸っていたモルガナが突然ハッと面を上げた。

 

「そう言えばフクダ。お前、昨日懐からなんか取り出してなかったか? ナイフみたいな」

「ナイフ……あ、これのこと?」

 

 指摘されるや、あっけらかんとした表情でバッグから取り出されたのは小型の折り畳みナイフだった。

 銃刀法違反に抵触しそうなラインを攻める持ち物にギョッとする蓮とモルガナであったが、即座に瑛が弁明を始める。

 

「違うからね!? そんなおもむろに取り出してヒャッハー! って舐める為に持ち歩いてる訳じゃないから! ほら、一昨日のことがあったでしょ? あれがあったから護身用にって……」

「護身用にしちゃあ物騒だな……もっとスタンガンとかなかったのか?」

「一昨日の昨日で用意できないよ、そんなの……」

 

 田舎にスタンガンが置いてある店など早々にない。

 だからこそ苦渋の決断として折り畳み(フォールディング)ナイフを選んだのだろうが、物騒であることには変わりない。よもすれば逆にこちらが加害者になりそうだ。

 とは言え、瑛のナイフを目にした蓮が閃いた。

 

「―――『ジャック』」

「え?」

「ジャックはどうだ。ジャックナイフとも言うだろう」

「……あっ、ナイフからコードネームを取ったの?」

「それに有名な闇医者も『ジャック』がつくだろう」

「あ、なるほど!」

 

 国民的闇医者と知られている者にも『ジャック』がついているなら、医療方面で歴史に名を残した偉人の姿にペルソナを顕現させた瑛に合っているかもしれない。

 これには瑛の感触も悪くない様子だ。

 何度も反芻するように頷いた後、ニパァ! と笑顔の花を咲かせる。

 

「うん! それじゃあ私はこれからコードネーム『ジャック』で! よろしくね、ジョーカー」

「よろしく頼む」

「よぉーし! コードネームも決まったことだし、今日から早速ジェイル攻略に取りかかろうぜ! おー!」

『おー!』

 

 モルガナの掛け声と共に声を上げる二人。

 朝から盛り上がる男女一組と猫に向けられる視線は生暖かいが、それも些細なことであった。

 

 

 

 

 

 

 それは昼休みの出来事だった。

 

「なんだと!?」

 

 声を荒げるモルガナ。

 ここが体育館裏だったから良かったものの、校舎内で叫ぼうものなら、ただちに蓮が生徒指導室へ連れて行かれるところであった。

 しかし、問題はそこではない。

 

「間違いないのか?」

「う、うん……絵美から、朝になってイジメてきた子たちが謝ってきたって」

「昨日の今日で、そんな……!」

 

 昼休みでも貴重な時間だ。

 だからこそ聞き込みに出て回ろうとした蓮とモルガナであったのだが、突然瑛に呼び出されるや、絵美へのイジメが止まったという事実を伝えられた。

 

「ねえ、二人とも。これっていいこと……だよね? イジメが終わるんなら、私たちがやれることはないし……」

「いいや、そうとも言えねえ」

「え?」

 

 おずおずと物申す瑛であったが、モルガナがぴしゃりと言い返す。

 

「こんな突然の改心、ジェイルで何かあったに違いない」

「ネガイを奪われたか」

「かもな」

「えっと……それの何がダメなの?」

 

 モルガナと蓮のやり取りに首を傾げる瑛。

 いまいち事の深刻さを理解できていないのか、目を白黒とさせている。

 

「いいか、フクダ。ネガイってのは人が持つ願望そのものだ。こいつを(キング)に奪われた人間は、現実世界でも王に崇拝するような態度を取るようになる」

「それってつまり……絵美が、イジメた子たちのネガイを奪ったって意味?」

「ああ、そうだ」

 

 イジメの被害者に加害者が突然謝るなど、普通に考えて可能性が低い出来事だ。

 だからこそ今までの事件を鑑み、イセカイの中で改心するに至った事象が起こったと見るべきである。それが心のネガイを奪取されたという答えに繋がった。

 

「―――でも、ホントにダメなことなの?」

 

 だがしかし、不意に瑛が問い返す。

 

「だって、イジメが終わるんならそれでも……」

「……」

 

 瑛の言いたいことは蓮とモルガナも理解できる。

 何も改心そのものが悪い行いではない。王のように人を盲目的に崇拝させ、破滅に導くやり方もあれば、悪い心だけを盗むことで善人にし、暴かれていなかった悪事を日の目に晒すこともできる。だからこそ怪盗団は寄る辺もなく不安と焦燥に駆られた弱い人々に支持された。

 瑛も怪盗団を指示していたからこそ、“イジメが止む”という改心の結果だけを見た時、無理に絵美を改心させる必要があるのかと疑問を抱いたのだろう。

 

それに対し、蓮の答えは―――。

 

「ダメだ」

「どうしてっ!」

「改心に魅せられた人間は、最初こそそれだけで満足するかもしれない。だが、欲望に限界なんてない。膨れ上がった欲は、いずれ人の心や願いを足蹴にすることに、何とも思わなくなるようになる」

「絵美はそんな子じゃないよ!」

「俺たちだってそうなった」

「……!」

 

 蓮の口から飛び出た言葉に、瑛が押し黙る。

 あの怪盗団が、まさか悪人と同じ心持になっていたことなど、信じられるはずもない。

 けれども真っすぐこちらを射抜いてくる視線が、真実から目を背けることを許さなかった。

 

「目的と手段が逆転することは往々にしてある。それを取り返しのつかないことを犯した後に知るのは遅すぎる」

「雨宮くん……」

「被害者だった彼女に加害者のレッテルまでも貼らせる訳にはいかない。イジメが止むことはいい。けれど、彼女の心を歪んだままにはしておけない……そうだろう?」

「……うん!」

 

 真摯な訴えを聞き、蓮が伝えんとしていた想いを受け取った瑛は力強く頷く。

 そうだ、絵美を助けるのは当然。それはイジメを止めるという意味でも、歪になってしまった欲望を正すという意味でも。

 実態はどうあれ、一時的にでもイジメが終わったというのなら、残るは絵美の心のネガイを盗むことだけだ。

 

「やはり、イセカイに潜入する必要がありそうだな。しかし、入り口に入る手がかりが霧だけってのもなぁ」

 

 目下の問題は、そこに帰結する。

 いくらジェイルがあると分かっていても、潜入手段がないのなら手が付けられない。

 

「それなら霧が出やすい場所に行くっていうのは?」

「心当たりがあるのか?」

 

 しかし、単純明快な答えが瑛から返ってくる。

 反射的に問い返す蓮に『うん』と頷く彼女は、スマホを操作するや、とある地図画面を見せつけてきた。

 

「ほら、ここ!」

「ジュネスの裏山か?」

「学校からはちょっと離れてるけど、よく朝とか夕方に霧がかかってるのとか見るよ」

「なるほどな……行ってみる価値はありそうだ」

 

 手がかりが少ない以上、些細な情報でも頼りにし、可能性を虱潰しにしていくしか活路はない。

 少なくともジェイルとは街の広範囲に広がるイセカイだ。歪みの中心から多少離れた場所から侵入しても一向に問題はない。

 

「それなら明日の朝に行ってみよう」

「貴重な休日だが、構わないか? フクダ」

「うん、絵美の為だもん。休んでなんかいられない」

 

 話はまとまった。

 潜入の手掛かりを得るべく、明日の明朝ジュネスに集合することになった三人は、昼休み終了直前を報せるチャイムを耳に入れたのを機に解散する。

 

 密かに、新たな面子を加えた怪盗団のミッションが始まる瞬間だった。

 

 

 

「……」

 

 

 

 学校の敷地の外から覗き込む人影には、気づかぬままに。

 



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Ⅵ.Erosion

『はぁ……』

 

 今日も今日とてため息が出る。

 いわれのない嫉妬で疲れることなんて馬鹿馬鹿しい。いっそ、誰の言葉も耳にせず、気にせず、自分一人だけの世界を謳歌できればいいものだなんて考えたことは一度や二度じゃない。

 けれども、現実はそれを許さない。

 どんなに耳を塞ぎたくなるような言葉を投げられても、自然と聞き耳を立てては、ジクリと心が痛みを放つ。

 癒えるよりも早く、そして立て続けに迫りくる陰口は、着実に私の心を蝕み、傷つけていた。塞がらない心の傷口からは、膿のようにネガティブな気持ちばかりが溢れ出し、その日一日を憂鬱に染め上げる。

 

 でも、いつかきっと向こうが飽きて終わる。

 それが間違いだと知ったのは、取り返しのつかないところまで壊れかけていた頃だった。

 

 日に日にエスカレートするイジメ。

 次第に向けられる理不尽な嫉妬は、“言葉”ではなく“力”という形で現れるようになった。

 絶えない生傷。内側からも外側からも虐げられて、私は自分自身が生きているのかさえ曖昧になった。だって、心も体も痛みに鈍感になってしまったのだから。

 

 ただ、傷口から血が出る瞬間だけは生きていると実感できた。

 熱いものが溢れ出し、さっと体が冷たくなる感覚。

 きっとこれが死に近い感覚なのだろう。そう思うと、不鮮明な思考が恐怖と焦燥で叩き起こされて、否応なしに私が生きていると知らしめてくれた。

 

 ふと、家に帰った時に鏡を見た。

 そこに立っていたのは死人。

 殺された私が居た。

 

 

 

 だから、私は、刃物を手に取った。

 

 

 

『―――助けて』

 

 

 

 

 

 

 朝早くのジュネスにやって来た蓮とモルガナ。

 確かに瑛が言っていた通り、裏山の方へと目を向ければ薄い霧がかかっているように見える。

 

「あれがフクダの言ってた奴か……」

「見たところ普通の霧だな」

「まあ、それはこれから調べてみて分かることだ。沖縄みたいな例がない訳じゃない」

「ああ」

 

 夏には無人の研究施設に、王の無きジェイルがあったほどだ。イセカイの在り様が、自分たちの把握しているものよりもずっと多様であるとは何となく察している。

 だからこそ、考え付いた可能性の一つ一つを検証していく必要があった。

 心の怪盗団も、最初の頃は手探りで行き当たりばったりだった。ある意味原点回帰―――初心に帰ったとも言えるやり方こそ、今回の事件を解決する第一歩に他ならない。

 

「フクダと合流したらまずは聞き込みだ。ここのジュネスも建ってからそれなりなんだろ? 裏山の霧について知っている人間が居てもおかしくねえ」

「その後は現地調査か」

「だな。ジェイルに入れたら御の字ぐらいに思いつつ、準備は万端にしておくぞ。ちょうど色々買い物できそうだしな」

「それも瑛が来てから―――」

 

「おっ、はっ、よっ!」

 

「うっ」

 

 ペローンッ! と、パーカーのフード部分を捲り上げられ、視界が塞がれる。

 何者かという愚問は抱かない。

 

「おはよう」

「うん……って、あれ!? 眼鏡かけてる! もしかしていつもコンタクトだったの?」

「裸眼だ。だが、こっちの方が調子が出る」

「へー、なんだか新鮮!」

 

 伊達眼鏡に大層興味を抱く瑛が、フンフンと鼻息を荒げながら食い入るように蓮を凝視する。物珍しさを隠さない視線だ。秀尽に居た頃とは毛色が違う視線に狼狽していれば、存分に眼鏡を堪能した彼女は、ようやく顔を離してくれた。

 ようやく全貌が望める距離感になった。

 当たり前と言えば当たり前だが、休日の彼女は私服姿だった。

 制服のようなきっちりとした姿でも、体操服のような活発さを感じさせる姿でもない、どこにでも居る様な少女を彷彿とさせる清楚なワンピース姿だ。白いワンピースに赤いポーチというシンプルな装いだが、彼女の美貌も相まって輝いて見えんばかりである。

 加えて、花のような満面の笑顔を咲かせるのだから、同年代の男子からしてみれば堪ったものではない。

 

「私も伊達眼鏡買ってみようかな!」

「今日はそんな予定じゃない」

「分かってる分かってる! でも、今度普通に買い物に来た時は付き合ってね。雨宮くんのセンスで選んでもらおっかな」

「ハイセンス過ぎてついてこられないかもな」

「おぉ……予想外のビッグマウス……!」

「二人とも、お喋りはそこまでだぜ」

 

 挨拶がてらの談笑もほどほどにと割って入ったモルガナが、今日の概要を端的に説明する。流石はトリックスターの先導者たる猫とだけあって、説明も分かりやすい。瑛自身が怪盗団の一員としてノリ気なこともあり、話はスイスイ進んでいく。

 

「つまり、足で探すって訳だね!」

「ワガハイたちは探偵じゃねえが、その通りだ。加えて今回のジェイルへの侵入方法が不明瞭と来た。まずは万全の準備を整える為に道具の買い出しをだな……」

「……」

「ん? そんな小難しそうな顔してどうした」

「いや、怪盗団ってこういうお店で道具を調達するんだ~って……」

「だぁー! そんな細かいこと気にするな!」

 

 どうやら、華がないことを気にしていたらしい。随分と夢のない現実を見せてしまったが、アンタッチャブルも武見医院もない土地ではこれが限界だ。通販で揃えるにも、早急な調達ルートを確保してくれる有能AIが今は傍に居ない。

 違法改造(カスタム)してくれた武器商人や、独自の調合で作った薬を売ってくれた闇医者―――彼らとの繋がりこそが宝だと思い知らされる場面は一度や二度ではなかった。

 しかし、結局はないものねだりだ。揃えられるものだけでも揃えて用心するしかないのが現状である。

 

「買い物がてら聞き込みでもしよう」

「任せて! 私、ここの店員さんと知り合いだったりするから!」

「頼もしいな」

 

 そう胸を張る瑛を先頭にジュネスの中を練り歩いていく。

 求めるのは道具と情報。前者は新参よりも造詣が深い蓮が物色するとして、後者に関しては瑛が中心となって進んでいく。

 

 彼女の言う通り、多岐に渡る品が棚に並ぶ売り場や店子では、随分と仲が良さそうな店員を見受けられた。

 片や彼女の後輩がビッグバン・バーガーでバイトをしていれば、片や中年の女性が愛想よく笑顔を振り撒き、瑛と談笑をしていた。

 

「フクダの奴……去年来たばっかりだってのに、随分と顔が広いんだな。見てみろよ、通りすがりのバアさんから飴もらってるぞ」

「愛想がいいからな」

「そういうお前は不愛想もいいところだ。いやぁ~、懐かしいぜ。新聞部の女子に話を訊きに行く度ビクビクされてたのが」

「失礼だな」

「そんなこと微塵も思ってもねえ顔してるのに、よく言うぜ。だから眼鏡かけてても不良だなんだ言われてたんだよ」

「モルガナはそう思ってたんだな。今日のおやつは抜きだ」

「んなッ!?」

 

 と、他愛のない会話をしつつも道具を買い込む。

 すると、いつの間にか先を進む瑛に買い物袋を抱えた蓮が後を追うという形となり、傍から見れば彼女の買い物に振り回される彼氏という構図が出来上がっていた。

 周囲から薄々羨望と嫉妬のような視線を感じるが、いかんせん歩みが早い瑛に追いついていくのに精いっぱいで気に掛ける余裕もない。

 

 こうしてジュネスを練り歩くこと一時間。

 

「はぁ……ダメダメだ~。ごめんね、自分で言ったのに」

 

 屋上に存在するフードコート。その一角に佇むテーブル席で、口から魂が抜けかけている瑛が突っ伏していた。

 どうやら聞き込みにおいて手応えを感じられず、こうして項垂れているようだ。

 そんな彼女の傍らに歩み寄るモルガナは、慰めるように肩に手を置く。

 

「まあ、そんなもんさ。今回に限っちゃ標的の情報が少な過ぎる。何か聞ければ御の字って感じだ。道具を買い揃えられただけでも満足しようぜ」

「モナちゃん……なんて懐の広いにゃんこなの。ちょっと吸わせて……」

「猫じゃねーよ! ってか吸うな! ぐふっ!? 顔を埋めるなっつの……にゃはは、くすぐったい!」

 

 慰めを求めてモルガナを抱き寄せる瑛。

 そのまますぅ~っと音を響かせるや、モルガナがくすぐったそうに悶え始める。

このような真似をしてみたい気持ちは十二分に理解できる蓮であったが、流石に屋上で猫が騒いでいると人目が集まってくるため、程々で止めるよう割って入ろうとした。

 

 その時だ。

 

「―――おや? 君は……福田さんかい?」

「はいっ?!」

 

 猫吸いスタイルから飛び起きた瑛が、声の主に目を向ける。

 彼女に声を掛けたのは、三十代くらいの優男風の男性だ。瑛を知っている風の口振りであったが、今一度彼女の顔を覗き込むや、満足そうに頬を綻ばせた。

 

「ああ、やっぱり。元気そうで良かったよ。お友達の方は大丈夫なのかい?」

「あっ……お久しぶりです、(はざま)先生! え~っと……」

「おっと、ごめんごめん! こんな場所で話すことじゃないっか。彼氏さんも一緒に居るみたいだし……」

「か、彼氏じゃないです! 友達です! クラスが別の!」

「おや、そうなのかい? 私はてっきり……」

 

 やはり互いに知っている様子だ。

 

「知り合いか?」

「あ……うん。この人は間先生。心療内科のお医者さんなの」

「心療内科?」

「ジュネスの中にクリニックがあったでしょ? そこで働いてるの。っていうか、週一で学校にカウンセラーとして来てくれてるの知らない?」

「……知らなかった」

 

 てっきり与り知らぬ外部の人間だと思っていたら、がっつり学校にも顔を出す人間のようだった。

 神妙な面持ちで知らない旨を口にした蓮に、一瞬キョトンと目を丸めた『間』と呼ばれた男は朗らかに笑う。

 

「あははは。まあ、私の顔なんか覚えないくらい元気に過ごしてくれているのが一番なんだけれどね」

「えっと、間先生。一応言っておくと、雨宮くんは今年の四月に来て……」

「今年の四月に? なるほど、それなら知らなくても仕方ないさ。私が君たちの学校に訪れるようになったのは去年あたりからだからね。初めまして、私は(はざま) (じょう)。普段はクリニックで心療内科医として働いてて、時々学校の訪問カウンセラーをやらせてもらってるよ」

「雨宮 蓮だ」

「雨宮くんだね? よろしく」

 

 物腰柔らかに手を差し出す丈に、特に断る理由もない蓮が応えるように握手する。

 

「よろしく」

「……うん、なるほど。思っていたよりも平気そうで安心したよ」

「何のことだ?」

「いや、こっちの話だから気にしないでくれ」

「冤罪の話か?」

「っと! 彼女の前で口にしても平気なのかい?」

「もう話している」

「……そっか」

 

 誰を経由してか、蓮の冤罪事件について把握していたらしき丈は、瑛の方へと振り返るや、温かな微笑みを湛えてみせた。

 

「彼は君を信頼してくれているんだね」

「え? いえ……それはまだ……信頼してくれてるなら嬉しい限りなんですけども……」

「ううん、こうして人に言いづらいことを打ち明けられるのは、他でもない君の人となりが為せることさ」

「そう、ですかね……?」

「ああ、君は昔から優しい子だったさ」

 

 おどおどしつつ丈と会話する瑛は、普段の明るさが鳴りを潜めているように見えた。

 それに、彼の口振りからして知り合ったのは昨日今日の話ではないことが窺える。どういった関係であるか詮索するのは悩ましい部分であるが、モルガナの『聞いてみろ』と訴える視線が突き刺さり、仕方なく口を開く。

 

「二人の付き合いは長いのか?」

「ん? そこは人の感覚次第かな」

「それもそうか」

 

 しかし、呆気なく流されてしまった。

 これ以上深掘りするのもよろしくないと悟る蓮は、口直しにコーヒーを含み、一拍置く。

 そこで声を上げるのは瑛だった。何かに気がついたようにハッと面を上げた彼女は、真摯な眼差しを丈へと送る。

 

「間先生。絵美のことなんですけど……実は雨宮くんに相談してるんです」

「なんだって?! それは本当かい……?」

「はい! 雨宮くん、凄く頼りになって! 絵美のイジメも何とかなりそうなんです」

「それはよかった!」

 

 手を叩いて喜ぶ丈。

 恐らく瑛と丈の付き合いは、絵美のイジメ問題が始まりだろうか。

 

「いやぁ、雨宮くんだったかい? 凄いじゃないか! 私からも礼を言わせてくれ」

「別に何もしていない」

「あれ? ま、まあ、相談できる人が多いことに越したことはないからね。これからも福田さんの相談に乗ってあげてくれないかい?」

「医者と相談した方がいいんじゃないか?」

「私はあくまで心の傷に向き合うのが仕事だからね……情けないけれど、部外者の私が校内のイジメを解決することは難しいんだ。どこまで首を突っ込んでいいものか……それに当事者のお友達の方も内密にしたかったみたいだし。あくまで本人の意思は尊重したいからね」

 

 苦々しい笑みを湛えながら丈は言う。

 

「それじゃあ二人とも。これ以上若者の付き合いを邪魔するのは忍びないからね。私はこれくらいでお暇させてもらうよ」

「せ、先生!」

「ははは、冗談さ。でも、何か相談したいことがあったら気軽に連絡をくれるといい。案外、何の責任も持たない大人の方が動ける問題もあるからね」

「はい、お気遣いありがとうございます!」

 

 程々で話を切り上げた丈は、そのまま屋上から去っていった。

 蓮の印象としては、飄々でお人よし。加えて、心療内科医とだけあって、相手との円滑なコミュニケーションを築く為の所作が随所に窺えるヤリ手というものだ。他人に相談しにくいイジメ問題を打ち明けられているのも、彼のフレンドリーな雰囲気の為せる業と言ったところか。

 

 だが、

 

「苦手か?」

「……え?」

「あの先生のことだ」

「先生って、間先生のこと? ま、まさか!」

 

 あたふたと手を振りながら否定する瑛。

 しかし、余りにもあからさまな挙動に、モルガナも呆れてため息を吐く。

 そうした反応に観念したのか、彼女はバツが悪そうに俯いた。

 

「……苦手、っていうか……緊張するの」

「緊張か。実は怖かったり?」

「ううん、そんなことないよ! ホントにいい先生! 優しいし、話しやすいし……でも」

「でも?」

「話しやすいから……なんでも話しそうになっちゃって。それでね、私、嫌な部分まで口にしちゃいそうで……」

 

 深々と吐き出されたため息が、湿った空気に溶けていく。

 これから紡ぐのは自分自身の陰の一面だ。人目に晒したくない弱さでもある。しかしながら、信頼できる人間にだからこそ話せると腹を括った瑛が面を上げれば、神妙な、それでいて穏やかな面持ちを湛えた蓮が次の言葉を待っていた。

 

 ごくり、と喉を鳴らして唾が飲み込まれる。

 そうして喉を潤した後、瑛は背筋を伸ばして向き直した。

 

「私ね……人前じゃできるだけ善い人になろうって猫被ってるの。こういう見た目だしさ、性格まで悪かったら独りになっちゃう……っていうか、中学は実際ぼっちだったっていうか」

「性格が悪い瑛、か。想像できないな」

「悪い……って言い方はアレかな。なんていうか、暗い?」

「なるほど」

「これでも見た目で絡まれないように髪も染めてたんだよ? でも……それじゃダメなんだって気付いたのは、もう卒業した後だった」

 

 碧色の瞳は、今にも零れ落ちそうなくらいに揺れている。

 声音には後悔が滲んでおり、今にも辛うじて堰き止められている感情の波が溢れ出しそうであった。

 それを一歩手前で踏みとどまる瑛は、絞り出すように語を継ぐ。

 

「居場所ってさ、結局自分で作らなきゃダメだったんだよ。他人の居場所に入り込もうとしても突っ撥ねられるだけで……」

「出来たら苦労はしないな」

「それ! 自分で居場所作るなんて、ホントに強い人じゃなきゃ……でも私は強くないから、せめて善い人にはなろうって思ったの」

「どういう風に?」

「居場所がない人に『傍に居ていいよ』って寄り添ってあげられる人。くだらない理由で仲間外れになんかしない。イジメに真正面から立ち向かえるほど口も頭も回る訳じゃないけれど、イジメられている子を見捨てないように……って」

 

 だからこそ絵美に寄り添った。

 彼女がイジメられようとも、ずっと。

 理不尽な暴力に立ち向かう勇気や知恵がある訳ではない。それをできるのが一部の本当に数少ない人間である事実は嫌と言う程理解していた。それでも弱者に寄り添う慈善の心だけは。これこそが瑛という人間を成す根幹。

 

「でも、私……怖いんだ。みんな私のことを良く思ってくれる。絵美のことをイジメてる子だって、私に笑いかけてくれる。だから、そんな子のこと……全部を全部悪く思えない。酷いでしょ? 親友をイジメてる子なのに」

「瑛……」

「卑怯でしょ? 私だって絵美をイジメる子たちが許せない気持ちはホントなのに……なんで責められないんだろ。こんな……こんな悩み、割り切っちゃえればいいのに」

「本当にそうか?」

「え?」

 

 頭をぐしゃぐしゃと搔き乱していた彼女へ、蓮は今一度問いかけた。

 

「本当にそれは間違ってるのか?」

「間違ってるのか……って、ダメ、なんじゃないの……?」

「ダメかどうは自分で答えを出すしかない。でも、人の一面だけを見て悪人だなんだのと割り切ることがいいとは思えない」

 

 瑛の息を飲む声が聞こえてくる。

 

 彼女からしてみれば、自分を“好意を抱かれているから”という理由だけで、イジメの加害者を糾弾せずにいる卑しい人間と思っているのだろう。

 

 だが、蓮は見てきた。

 自分を傷つけた人間を許せず、忘れられず、癒えない傷から膿の如く湧き上がる憎悪で苦しむ人々。やがて誰にも打ち明けられぬまま時を経て、どうにもならない場面に直面した時、自分の思い通りになる超常的な力に縋り付いた末路を。

 

 彼らは間違いなく罪を犯した。

 だがこの夏、一人の人間が過ちを犯すまでに何が起きたのか―――そこへ目を向けなければならないと痛切に感じた。

 

 彼らもまた、救われるべきだった被害者だったと。

 

 だからこそ浮かび上がるものもある。

 

「瑛は優しいんだろう。一面だけを見て判断しない。良い部分も知っているから、悪い部分ばかり見て批判できない。違うか?」

「……そんな立派な言い方しないで。私はただ、自分が痛い思いをしたくないだけなんだと思う……痛いのも、痛い思いをさせるのも気分が悪いんだ」

「誰も傷つけたくない。大層な心構えじゃないか」

「ッ……!」

「でも、それだけじゃダメだと気付いたはずだ。あの時―――ペルソナの力に目覚めた時に」

「……うん!」

 

 反逆の意志。

 苛烈なまでの心の激情が身を纏った時、己は何を思っていたのか。原点を振り返れば、自ずと見えてくるものがある。

 

 あの時の絵美の姿は、未来の彼女の姿だったかもしれない。

 虐げられた過去に苦悩し、心を侵す恨みのままに他人を虐げ、過去の自分を再現する。

 そして、自分の立ち位置が変わったのだと()()()()()()()()―――あまりにも悲しい自慰の果て。

 

 それをどうしても止めたかった。

 何が何でも助けたい―――だからこそ目覚めた。

 彼女なりの反逆(ペルソナ)(すがた)に。

 

「―――ありがとう、雨宮くん。こんなこと誰にも話したことなんてなかったのに」

「気持ちが楽になったか?」

「うん……相談できる相手が居るって心強いね」

「絵美も同じ気持ちだったはずだ」

「!」

 

 それまで暗かった瑛の顔が、一瞬様々な感情が綯い交ぜとなったものから、満面の笑みへと花開いた。

 

「そういう訳だ、フクダ。ワガハイたちは仲間だ。別に隠し事があるのは構やしない。けど、一人で抱え込んで苦しむだけなんてのはナシだぜ?」

「……モナちゃんもありがと~~~!!」

「んにゃー!? なんでワガハイだけこんなスキンシップが激しいんだよ!!」

 

 頃合いを見て話に参入したモルガナ。が、すぐさま頬を擦りつけられるスキンシップにより、猫なりの決め顔が間もなく崩れた。一応怪盗団としては創設メンバーの一人であるのだが、最早威厳など形無しだ―――と思いかけたが、割と当初から雑な(このような)扱いだった気がする。

 

「あぁ~、癒される……ねえ、モナちゃん。ちょっとの間うちで飼われてみない?」

「飼われるってワガハイは猫か! それにワガハイにはアン殿という心に決めたレディがだな……」

「へぇ~、モナちゃんが心に決めたアンドノってどんな猫ちゃんなの? マンチカン? スコティッシュフォールド?」

「猫じゃねーっつの!!」

 

(ある意味猫だがな)

 

 女豹(パンサー)も一応ネコ科か。と、冗談は程々に。

 

「情報収集はこれくらいにしておこう」

「あれ? じゃあ、これから現地調査?」

「ああ」

「っとォ! 怪盗たるもの、オタカラまでの侵入ルートは自分の足で確保しないとな」

 

 瑛の抱擁(ホールドアップ)からヌルリと抜け出すモルガナ。何故かドヤ顔を浮かべながら、現地調査を促す彼の先導の下、二人はフードコートを後にした。

 

「それにしても先行きが長いなぁ……なにも手掛かりなしだなんて」

「珍しくもない。けれど、いつも結果的に俺たちは成してきた。そう焦る必要もない」

 

 下の階へ下りるエレベーターに揺られること十数秒。

 間もなく一階に到着するといったところで、エレベーター内に案内の機械音声が鳴り響いた。

 

『―――ナビゲーションを開始します』

「なにっ……!?」

「おい、全員離れるな!」

「う、うん!」

 

 開かれる扉。

 その先から押し寄せる濃霧が、三人を包み込む。

 逃げる間もなく視界が白に染まる。息が詰まりそうだ。咳き込みそうになりながら身構える三人。

 濃霧に覆われるのはほんの数秒の出来事だった。

 狭い部屋に満ち満ちていた濃霧は役割を終えるや、あっという間に部屋から消え去っていく。

 その先に広がる光景は何の変哲もないジュネスの景色。

 

 ただ一つ違うものがあるとすれば、

 

「……イセカイに侵入したか」

「ああ、そうみたいだな」

「あっ、二人とも! その恰好!」

「ジャックもな」

「えっ!? ……ホントだ!」

 

 エレベーター内の鏡で自分の怪盗服姿を確認した瑛が驚愕の声を上げた。その中にやや喜悦の色が混じっていたのは、初めて自身の怪盗としての姿をマジマジと観察できたからだろうか。

 

 しかしながら、予想だにしていなかったとはいえイセカイへと侵入できた。

 まさしく僥倖。これを逃す手はないと、蓮とモルガナの二人が視線を交わして頷く。

 

「ジャック、用心しろよ。ここからは何が起きてもおかしくねえ。常に辺りに注意を向けておけ」

「うん!」

「モナ。ここからジェイルまでは距離がある」

「そうだな。よし、まずは外に出るぞ!」

 

 認知の歪みの影響を受けておらず、然したる変化もないジュネスから苦労せず外まで出た三人。

 

 自動ドアを潜り、広い駐車場から見上げた時、()()は見えた。

 

「こいつは中々デケェな」

「これが……絵美のジェイル」

 

 禍々しい空の下、悍ましい雰囲気を漂わせる監獄の城が聳え立っていた。

 これまでに経験したジェイルと同様、スケールはかなり大きい。遠巻きに眺めても圧倒されるのだから、近付けば逆に全貌を窺うことが困難になるのだろう。その点、今回は予期せぬ幸運だったとも言える。

 手慣れた二人は兎も角、今回が初の潜入となる瑛の表情は強張っている。

 そんな彼女を奮い立たせるべく、声を上げるのはモルガナだった。

 

「いいか? ワガハイたちの狙いはエミの改心……つまり、彼女が奪い集めたと思われるネガイを盗み出すことだ! その為にはまず三つある牢獄塔を落とす必要がある!」

「牢獄塔……?」

「ジェイルの(キング)の欲望の根源とも言えるブツが守られてる場所だ! そこを落とせばジェイルの機能をダウンさせることもできる!」

「すぐに絵美のところには行けないんだね……」

「ああ、王の守りは固い。それに見ろ、あの檻をな」

 

 モルガナが指さす先。

 そこには鳥籠を彷彿とさせる巨大な檻が、数本のこれまた巨大な鎖に繋がれていた。ちょうど監獄城の中央―――それも天辺。

 いかにもな、それでいて忍び込む側からしてみれば接近さえ困難な場所に、瑛の表情も苦々しいものと化す。

 しかし、それも一瞬。すぐさま彼女の瞳は決意に彩られた凛然たる目つきになった。

 

「あそこに絵美が居るんだね……急ごう!」

「ああ。この戦力で潜入するのは心許ないが、状況が状況だ。次いつ侵入できるかも分からない以上、時間の許す限り潜入ルートを切り拓く!」

「出来る限り戦闘は避けて……だな?」

 

怪盗らしく隠密行動で

 

「だが、まずはジェイルの近くまでトばすぜ! モルガナ~……変☆身!」

「きゃあ!? バス……って、いよいよ……」

「皆まで言ってくれるなよ! さっさと行くぞ、乗り込め!」

 

 と行くには、落ち着きの足りない三人は先を行く。

 

 

 

 向かうは嫉妬の監獄城。

 

 

 

 

 

 

「―――やれやれ……厄介なのが忍び込んだものだ」

「追わないのか?」

「追うさ。彼には()()があるからね」

「なら急ぐぞ」

「そう急かさないでくれ。さぁ……待っていてくれたまえ、心の怪盗団」

 



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Ⅶ.What you wish for

 禍々しい波紋が広がる空。

 赤と黒のストライプが円となって連なる光景は、現実の空とは似ても付かない。

 少し足取りを早くすれば、紫紺の水飛沫が飛び散る。が、それらは突き進む三人の衣服を濡らすことなく、再び地面の中へと吸い込まれていく。

 

 そうした浮世離れした光景の中心に佇む監獄城。

 高く聳え立つ塔からは、脱獄者を照らしあげるために幾条ものサーチライトが伸びていた。

 

「……流石に正面は守りが固いな」

「だが、地下はそうでもないらしい」

 

 マンホールを押し上げ、周囲に人気がないことを確認したモルガナと蓮が、難なく絵美のジェイルの中へ潜入を果たした。

 続いて梯子を上ってきた瑛は感嘆の息を漏らしつつ、先のモルガナの言葉を思い出す。

 

「牢獄塔……だっけ? 先に行かなきゃいけない場所って」

「ああ。近いところから落としていく。遅れるなよ!」

「もう、誰に言ってるの? ノリの良さだったら負けないんだから」

「その意気だぜ、ジャック」

 

 自分を奮い立たせるように胸を張る瑛。

 彼女の姿にフッと笑みを零す二人は、細心の注意を払いつつ一つ目の牢獄塔を目指す。

 

 潜入に当たって最低でも四人は戦力が必要である訳だが、潜入できるタイミングが不規則かつ不明瞭である今、戦力不足を押してでも攻略に奔走しなくてはならない。

 可能な限り戦闘は避ける。それが現在の方針だ。

 故に先頭に立つ蓮は、普段以上に神経を研ぎ澄ませる。

 

(それにしても警備が固い。迂闊に前へ飛び出せないな)

 

 どのジェイルにも共通しているが、浮世離れしたジェイルの内部構造は複雑だ。

 それに対し、初見で、しかも警備の目を掻い潜って行かねばならないというのだから、潜入する側にしてみればこの上なく神経をすり減らす作業である。

 

「巡回するシャドウにサーチライト……それに監視カメラと来た。脱獄者を逃がさないって気概がプンプン匂ってくるな。こりゃ脱出するには苦労しそうだぜ」

「逆に侵入者に対しては手薄だと考えよう」

「……」

「おい、ジャック。ボーっとしてどうしたんだ?」

「あっ……ううん、ちょっと気になる場所があって」

「なんだァ?」

「ここ……」

 

 心ここに在らずであった瑛が向かうのは、監獄城の裏口から入ってすぐ目の前の階段―――の裏だ。

 乱雑に置かれている木箱を見るからに、適当な物置に使われているのだろう。

 特に目ぼしいものがある訳でもないが、ゆっくりと歩み寄る瑛はおもむろに木箱の一つを退かす。

 

「! これって……」

「壁に穴……? なんだってこんな場所に……」

 

 壁の下に穿たれていた穴。

 人一人容易く通り抜けられそうな穴に手を翳す蓮は、微かに吹き抜けてくる風の感触を確かめる。

 

「どこかに続いている。使えるかもしれないな」

「ホント!?」

「先に何があるかは見てからのお楽しみだな」

 

 と、一番小柄なモルガナが率先して穴の中を突き進んでいく。

 

「そろそろ出るぞ」

「えっ、近くない?!」

「階段横の部屋に繋がってたらしいな……とぅ!」

 

 勢いよくモルガナが飛び出し、辺りを見渡す。

 一切の灯りが無い―――と言えば嘘になるが、ほとんど灯りのない部屋の中には一つだけ朧げな光が浮かび上がっていた。

 

「非常口だと? 階段……じゃねえな」

「モナ。屋上まで行けそうだ」

 

 非常口の電灯が明滅するエレベーターを前に右往左往する面々。

 やって来た抜け穴以外に出入口が見当たらない異様な造りになっていることを怪訝に思いつつも、操作盤を弄っていた蓮は普通に扉を開けてみせた。

 

「ねえ、大丈夫? こういう場所って監視カメラとか……」

「安心しろ。見たところそれらしいものはないぜ」

 

 昨今のエレベーターのように監視カメラが設置してある様子はない。

 となれば、使わない手はないだろう。

 しかしながら、見つけた張本人である瑛は首を傾げて思案に耽る。

 

「なんでこんな変な場所にエレベーターがあるんだろう? 他に扉なんて無いのに……欠陥住宅?」

「欠陥って……まあ、ここはイセカイだ。認知の歪みが影響している以上、普通じゃない場所なんて山ほどある。いちいち気にしてたらいくら時間があっても足りないぜ」

「それもそっか」

 

 二階、三階……それなりの階数がある建物の屋上まで上がるには、それ相応の時間を要した。

 そして屋上に到達する音が鳴り響いた後、顎に手を当てていた蓮がハッと面を上げた。

 

「いや……むしろ、()()()()()()()に造られたんじゃないか?」

「見つからない為?」

「―――なるほどな。合点がいったぜ」

 

 瑛が理解できていない傍で、蓮の言葉に得心いったモルガナが目を細める。

 

 監獄の屋上、と言われたら無駄なものがない物々しい空間を思い浮かべるだろう。

 だが、現在目の前に広がる光景はある意味常軌を逸していた。

 

 鮮やかに発色するレンガ床の周りには、色鮮やかな花が咲き乱れる花壇が並んでいた。また、ほんの少し年季の入ったベンチの横には自販機も設置してある。

 まるで、現実の中庭を彷彿とさせるように穏やかだ。

 

「見たところ、他に上ってくる手段も見当たらない。不自然な通り道からしかたどり着けない屋上……ジャック。エミがイジメられていた頃、彼女はよく居た場所はどこだ?」

「絵美が? えっと、教室とかは避けてたかな。人目がつきにくい場所って言うの? それこそ保健室とか、屋上に……あ」

「そういう訳だ」

 

 話を続けながら第一目標である牢獄塔の方へ進む。

 屋上とだけあって見晴らしはいい。

 すぐに牢獄塔を視界に入れた蓮は、どうやってたどり着くか頭の中で淡々とルート構築に勤しむ。

 

 そう、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「―――エミのジェイルは学校が監獄へと変わったものだ。なら、彼女がどこをどういう風に認知しているのかが鍵になってくる」

「じゃあ、さっきのエレベーターも……?」

「そうかもな。誰にも見つからず、人目のつかない屋上(ばしょ)に行きたい……そんな認知の産物なのかもしれない」

「っ……」

 

 仮面越しでも分かる程に瑛の表情が曇る。

 それが親友の陰惨な心の歪みの一旦を垣間見たからかは本人にしか分かり得ないものの、同じ立場であれば少なからず同じ面持ちになっていただろう。

 そう同情する蓮であるが、先行きが不明瞭なジェイル攻略の状況を鑑み、一つ瑛に発破をかけることにした。

 

「このジェイル攻略……鍵になるのはジャックだ」

「え……私?」

「さっきの抜け穴然り、この中で一番絵美を理解している親友だからこそ気付けることがある」

 

 刹那、瑛がハッと息を飲む。

 

「そうだぜ、ジャック! さっきの調子で仕掛けを見つけてくれりゃあ、彼女を助けられる時間もグッと縮まる! お前が……いや、お前しか彼女を助けられないんだ!」

 

 そこへモルガナが付け加える。

 これは誇張でもお世辞でもない。認知世界の攻略の要となるのは、いかに歪みをもたらす主の思考を理解できるかにかかってくる。

 故に、ほとんど他人に等しい蓮やモルガナなどよりも、瑛の方が絵美のジェイル攻略には適任だ。

 

「勿論任せっきりにはしないが、何か少しでも気付いたことがあったらすぐに言ってくれ!」

「うん! そのくらいお安い御用!」

「よし……行くぞ!」

 

 瑛を勢いづけたところで、三人は一つ目の牢獄塔へ駆け出した。

 屋上から他の建屋の屋根や壁を伝い、あるいは縁に手をかけながら下りていく。蓮たちは当然ながら、瑛も負けじと鮮やかな身のこなしで進んでいけば、瞬く間に目の前へ目的地が迫ってくる。

 

 だが、牢獄塔とはジェイルにおける重要施設。

 そこに警備が配置されていないなどという都合のよい出来事は、今までの経験上一度たりともない。

 

「オマエら! シャドウのお出ましだ……ぜ?」

 

 そう、一度たりと。

 一度たりともなかった光景が目の前に広がっていた。

 

 ぱちくりと目を白黒させるモルガナの傍では、つぶさに周囲を警戒する蓮が不気味な静寂の中、神妙に独り言つ。

 

「……気配はないな」

「それらしい罠も見当たらない……どういうことだ?」

「誰も居ないんならチャンスじゃない? 今のうちに行っちゃおう!」

「うーむ……どうする、ジョーカー?」

「立ち止まっていても仕方ない。注意しつつ進もう」

 

 警備が手薄どころか無防備な牢獄塔を怪しみつつも、細心の注意を払いながら進むことに決めた後の行動は早い。

 牢獄塔の外壁の螺旋階段を駆け上がれば、あっという間に鳥籠のような鉄柵に囲まれた天辺へと到達する。

 

 無機質な屋上に浮かぶのは、周囲の禍々しい雰囲気とは対極的に眩く輝く光球。

 それを始めて目の当たりにする瑛は、しばし目の前の代物に目を奪われたように立ち尽くす。

 幻想的と思っているのだろうか。ただ二人は、それが美しいとは言いきれるものでないということを知っている。

 

「これがお目当てのものだ。(キング)の力の象徴みたいなものでな……手に取ってみろ」

「う、うん……―――!」

「それは……リストバンドか」

 

 言われるがまま光球に手を伸ばした瑛。

 何かを掴み取って腕を引けば、その掌の中には彼女にとっては見慣れたデザインのリストバンドが収まっていた。

 

 見間違えるはずもない。これは―――絵美とお揃いにしたリストバンドだ。

 

「これが……絵美の力の象徴なの?」

 

 瑛は困惑する。

 大切な思い出の品が力の象徴とはどういうことだ?

 今持ち得る情報だけで答えを導こうとすれば、否応なしに親友の知られざる負の一面を覗いてしまうようで忌避感が凄まじい。

 しかし、

 

「……行かなきゃ」

「ジャック?」

「絵美が私と友達なのを誇りに思ってるんだもん! なよなよなんてしてらんない!」

 

 湧き上がる想いが渦巻く嫌悪を凌駕する。

 曝した姿には、それ以上もそれ以下もない。ありのままの福田 瑛という人間を見せ、絆を結んできたつもりだ。

 そんな自分を友達と―――例えシャドウであろうとも―――呼んでくれるのならば、期待に応えたいと思う。思うことを止められない。

 

「ジョーカー、次はどこに向かうの? 確かこれでどこかの仕掛けが解けるんだよね」

「待て……あそこだ。サーチライトの数が減っている」

 

 脱獄者を照らしあげる光が幾条か減っている。

 これだけで先ほどよりもジェイルの探索が容易になった。牢獄塔に収められている物は、王の力の象徴―――つまりは歪みの元。それらを奪取するだけでも王の思い通りに歪められている認知世界の機能を弱体化させられるという寸法だ。

 

「なんの苦労もなしに牢獄塔を一つ攻略できたのは僥倖だったな。けど、次もそういくとは限らない。気を引き締めるぞ」

「うーん……でも、本当に三人だけだと戦力不足なのかな? 最悪強引に突破できないの? ほら、ジョーカーもモナちゃんも強いし……」

「おいおい、そいつは御法度ってモンだ。怪盗のやり口はスマートに……って、流儀に酔うのは二の次だぜ。何よりもまず仲間が無事であることが先決。ジェイルは開けた場所も多い分、囲まれる危険性が高い。そうなりゃあまず無傷で逃げだすのは難しいぜ」

「多勢に無勢ってやつかぁ……」

 

 次なる牢獄塔への移動する間、話題として挙がっていたのは戦闘についてだった。

 蓮とモルガナのペルソナ使いとしての経験は熟練と呼んでもいい域まで達している。瑛の言う通り、シャドウの軍勢を強引に突破することも不可能ではない。

 しかし、可能である事実と実情は別の話だ。

 大勢を相手するにはそれだけで体力を要する。不意を突かれて背後から攻撃でもされれば一気に態勢を崩されるだろう。

 では、ちまちまと武器を振るわずにペルソナで一掃すれば良いのかと言われれば、そうとも限らない。

 心の力たるペルソナを降魔させ、強大な技を使うとなればそれだけで多大な精神力を費やす羽目になる。そうなればどんな道を辿るか?

 

―――瞬く間に気力を失い、体力を回復する手段さえ失ったところを叩かれ、全滅の一途を辿るだろう。

 

 今は怪盗団のブレインたる真も居なければ、高度なハッキング技術によりジェイルの一部システムさえ掌握してみせる双葉も居ない。

 良くも悪くも初心に帰ったような編成の今、蓮たちが慎重にならざるを得ないのは当然のことであった。

 口にこそ出さないが、初心者故に無意識のまま地雷を踏みかねない瑛の挙動に、お目付け役として目を光らせているモルガナが気を揉んでいる様子だ。一刻も早く親友を助けたい余り暴走しかねない可能性を危惧しているのだろう。

 

「そうだ! そんなワガハイたち心の怪盗団の頼もしいメンバーについて興味はねえか?」

「えっ!? あるある!」

「だろだろ? 道すがらちょっと聞いていけっ」

 

 緊張や焦燥からくる余裕のなさが危うい行動を後押しするならば。気を利かせたモルガナは瑛が食いつきそうな話題を挙げるや、それに彼女もすぐに興味を示す。

 

「まずは切り込み隊長、スカル! 麗しい美貌の演技派美少女、パンサー! 刀捌きさえ作品……怪盗団の芸術担当、フォックス! 鉄拳を持つ怪盗団の頭脳、クイーン! コンピューターならこいつに任せな、ナビ! 悪い子にはお仕置きしちゃう美少女怪盗、ノワール!」

「おぉ~! ……あれ? 大阪で流れた映像じゃもう二人くらい居なかった?」

「よく気付いたな、ジャック。実はその二人、怪盗団が華々しい復活を遂げてから参入した新メンバーだ」

「どういう経緯で加わったんだろう? 気になるぅ~!」

「おいおい、そこを訊くのは無粋だぜ。ただ悪い奴を改心させたいっていう想いだけは共通してるがな」

「……そっか!」

「今はオマエもその中の一人だぜ」

 

 キメ顔で告げるモルガナ。

 が、

 

「それで残り二人のコードネームは?」

「んにゃあああ!! もうちょっと間を置けよな、間をォ!! 折角ヒトがいい感じに言ってやったのに!!」

「あっ、ごめん! 結構臭い台詞だったからあんまり真剣に受け止めてもアレかなって……」

「ヒトが滑ったみたいに言うな!! 大真面目だわ!!」

「流石大阪帰り……ツッコミの切れがすごいね! あっ、モナちゃんって怪盗団のツッコミ担当?」

「誰がツッコミ担当だ!! 大阪帰りは関係ねーわ!!」

 

「なんでやねん」

 

「ジョーカー、ノるな!! っつか、間が微妙過ぎるだろ!!」

 

 澄ました顔で悪ノリする蓮も話に混ざりつつも、三人は二つ目の牢獄塔へと難なく辿り着いた。

 

「ここも手薄だな……ここまでくると薄気味悪いぜ」

 

 静寂が辺りに満ちる中、モルガナが感想を零す。

 

「罠はあるのかな? うーん……」

「考えていても仕方がない。警戒はしつつコアを回収しよう」

 

 立ち止まっていても始まらないと悟った三人の動きは早かった。

 瞬く間に牢獄塔の頂上まで上り詰め、力のコアを手に取る蓮。

 

「これは……カッターだな」

「ッ……」

「ジャック、大丈夫か?」

「うん、平気だよ……」

 

 何の変哲もない市販品だ。

 それを見た途端、瑛の顔からサッと血の気が引いていく。察するに余りある様子だ。『平気』と口にしているものの、どことなく息遣いも荒々しい。

 

「次の場所へは急がず進もう」

「ごめんね、心配かけて……でも、いざとなったら頑張るから! ……ほどほどに」

 

 意気込む瑛だが、いざ戦闘になった事態を想像し身震いしている。

 

「これだけは数をこなさなきゃな……」

「安心しろ。いざとなったら守る……モルガナが」

「ワガハイだけかよっ!」

「車を乗り回していればいい」

「車前提かよ!? 一応言っておくけどな、車になってる時も感覚はあるんだぞ!! 壁とか硬いシャドウにぶつかったらワガハイも痛いんだからな!!」

「―――だ、そうだ。柔らかい相手を狙っていけ」

 

「うんっ!!」

 

「今日一番元気のいい返事をするな!! 柔らかさの問題じゃねえよ!!」

 

 元より蓮とモルガナも瑛に過度な期待を寄せてはいない。いくらペルソナ使いとは言え覚醒したばかりの上、戦闘経験も一度のみ。寧ろ真面な戦力と見る方が愚挙である。

 良くて後方支援。立場を例えるならサポート方法が攻撃となった双葉と見るべきか。

 

(願わくば戦わずに済むのが一番だが……)

 

 蓮の思惑も、最後の牢獄塔を目の前にして潰えた。

 

「なんだ、あいつは? シャドウか、いや……」

 

 じっと目を細めるモルガナは、牢獄塔へ通じる城門の前に佇む人影を訝しんだ。

 ただの看守のシャドウにも見えない。

 警戒する三人であったが、辺りをいくら散策してみても城門以外に牢獄塔へ続く道は見つけられなかった。

 見つからない道は皆無。戦闘になることを覚悟した三人は物陰に隠れつつ武器を構えて城門を潜る。

 すると、

 

「!! 閉じ込められた!?」

「落ち着け、ジャック」

 

 轟音を立てながら閉まる門に慄く瑛を蓮が宥める。

 

 それを見計らうかのように歩み寄る人影。

 暗がりではっきりと視認することが叶わなかった存在は、ゆっくりと伏せていた面を上げる。

 

「……私?」

『―――』

 

 瑛と瓜二つの容貌。

 思わぬ相手に瑛も思わず息を飲んだ。

 

「ジャックのシャドウか?」

「いや。ペルソナ使いになった今、シャドウが居るなんてことはありえない。エミの認知が生み出したんだろうな」

 

 鴨志田のパレスに居た杏がいい例だ。杏がペルソナ能力に覚醒した後も、パレスの中で鴨志田に付き従っていた。

 

「つまりどういうこと?」

「絵美の心の中の瑛……ってトコだ。誰か個人のシャドウじゃない以上、倒しても問題はないぜ」

「そっか、了解!」

 

「……」

 

 快活な返事をする瑛の傍ら、依然として蓮が腑に落ちていないと言わんばかりに立ちはだかるもう一人の瑛を見つめる。

 妙な違和感を拭えぬまま―――。

 

「……力のコアは頂いていく」

『本当にいいのか?』

「どういう意味だ?」

 

 もう一人の瑛が口を開いた。

 現実の快活な性格の彼女とは正反対な、酷く陰鬱な声色で。

 

『お前の触れようとしている真実は、本当にお前が追い求めているものか?』

「戯言をほざいたトコロでワガハイたちは止められないぜ?」

『部外者は黙っていろ。瑛、私はお前に言っている』

「えっ、私!?」

 

 指名された瑛があからさまに狼狽える。

 自分と瓜二つな偽物―――もとい、認知によって生まれた自分自身と話す経験など生まれて初めてだ。

 

「わ、私に何の用なの?」

『真実は残酷だ。場合によっては知らない方が幸せなこともある』

「それは……絵美のことを言ってるの? だったら違う! 絵美が心の中でどう思っていたって、絵美は私の親友!」

『私を見てもそう言い切れるか?』

「?」

 

 もう一人の瑛の言葉に瑛は混乱する。

 ひどく婉曲した物言いだ。何かを気付かせたいのかそうでないのか曖昧で話の核心を捉えられそうにない。

 

「……貴方が何者でも、私は絵美を助けたいの。本当に貴方が絵美の思う私なら、貴方は私の邪魔なんてしないはずなんだから!」

『その通りだ。()()()()()行かせる訳にはいかない』

「なっ……!?」

 

 突如として周囲に広がる力の波動。

 カッと閃く光と共に、瑛だった影は見たことのあるシャドウへと変貌したではないか。

 

「こいつはあの時の!?」

「―――切り裂き魔!」

「ひっ……!?」

 

『汝、真実を追い求める者ならば……今こそ発せよ!!』

 

 両手にナイフを構える英国紳士風の怪人。

 蓮に“切り裂き魔”と称されたシャドウは、紅血が滲んだ瞳を瞬かせながら斬りかかってくる。

 

 三人へ一斉に襲い掛かる剣閃の群れ―――“空間殺法”は、さながらレーザートラップのように隙間なく押し寄せてきた。

 

「くっ……ナイチンゲール!!」

「止せ、ジャック!! 躱すんだ!!」

 

 次の瞬間にはサイコロステーキにされる斬撃の嵐を前にペルソナを召喚する瑛。

 しかし、耐え切れないと断じたモルガナが呼び掛ける。

 

「―――アバドン!!」

 

 そこへ現れる大口を備えたヘドロ状のペルソナ。

 ヨハネの黙示録において『破壊の場』や『滅ぼす者』と呼ばれる奈落の王を顕現させた蓮が、瑛と切り裂き魔の間に割って入った。

 刹那、辺りの床や置物を細切れにしつつ迫っていた斬撃は、アバドンの体に当たるや、吸い込まれるように消滅していく。

 

「無事か?」

「あ、ありがとう」

「まだ来るぞ! うおおおお、ゾロおおおおお!」

 

 空間殺法を無力化されるや追い打ちを仕掛けてくる切り裂き魔に、モルガナが迎え撃つ。

 数度切り結んで火花を散らした後、接近戦では分が悪いと踏んだモルガナはガルダインを解き放った。

 しかしながら、軽快な身のこなしで飛び退いた相手を前に、一陣の疾風は向かい側の壁に裂傷を刻むだけに留まってしまった。

 

「こいつ! この前より速い!!」

「メタトロン!!」

 

 今度は蓮が攻撃を仕掛ける。

 前回通じた祝福属性の魔法“マハコウガオン”の光で戦場を覆い尽くすように切り裂き魔を狙う。

 だが、相手の身のこなしは蓮の想像以上であった。

 一斉に瞬く光に慄く様子もなく姿勢を低くすれば、ナイフを構えながら光の中へ吶喊する。そのまま微かな光の隙間を掻い潜り、無傷のまま三人の前へと躍り出たではないか。

 

(“大天使の加護”でもついてるのか!)

 

 余りの回避率に目を見開く。

 そうしている間にもナイフを振り翳す敵を前に、蓮はすぐさまメタトロンからアバドンへとペルソナチェンジを果たす。アバドンは物理攻撃にも呪怨攻撃にも耐性を持つペルソナだ。それら二つを主な攻撃手段にする切り裂き魔に対し、まさしく適任。

 

 ―――そう踏んでいた蓮に鮮烈な痛みが襲い掛かる。

 

「ぐッ!?」

「ジョーカー!!」

 

 苦悶の声を上げる蓮の下へモルガナが駆け寄り、パチンコ玉で牽制する。

 どんな手段で―――と切り裂き魔へ目を向けた彼らが目の当たりにしたのは、ロングコートの陰でたなびく包帯の先から血が滴り落ちる光景。

 

「血を吸われたか……っ」

「回復手段もあるって訳か! 厄介極まりない相手だ……!」

「刻め、ナイチンゲール!!」

 

 吸血された蓮を庇うように前へ出る瑛が吼える。

 爆炎を巻き上げながら顕現するナイチンゲールは、その右手に掲げるランプから巨大な火球を連射する。

 着弾する度に火柱を上げる火球の威力もさることながら、これだけの威力を有すアギダインを繰り出せる瑛の精神力も脱帽ものだ。

 

 しかしながら、瑛はあくまで素人。ただのシャドウとは一線を画す身のこなしの切り裂き魔に対して有効打となる一撃を与えることができぬまま、精神力を浪費していくだけの時間が過ぎていく。

 

「やたらめったら撃つんじゃない! 来るぞ!」

「分かってる!」

 

 そうは言うものの、瑛の額からは滝のような汗が流れ出ている。

 心なしかナイチンゲールの攻勢の手も緩む。

 その隙を狙ってか、切り裂き魔の狙いは瑛へと移った。レンガ床を踏み砕き、爆発的な加速を以て肉迫する。

 

「ジャック!」

 

 前へ飛び出ようとするモルガナだが、もう間に合わない。

 

 凶刃を閃かせる切り裂き魔がとうとう瑛の前へ辿り着いた。血塗られた刃は鈍い銀色の光を放ち、瑛を袈裟斬りにせんと横薙ぎに一閃。

 

『!』

 

 だが、紙一重のところでゲットダウンの要領で屈んだ瑛を前に斬撃は空振り。

 空を切る虚しい音が鳴り響く中、依然素顔を晒したままの瑛が切り裂き魔を睨み上げる。

 

「どんな理由があったって……他人を傷つける人は許せない! ペルソナあああッ!!」

 

 激情を露わにする瑛に呼応し、ナイチンゲールから迸る力の波動も強まる。

 一瞬たじろぐ切り裂き魔。

 次の瞬間、ナイチンゲールはどこかから取り出した注射器を眼前のシャドウへと突き立て、押し子を引いていく。

 すると切り裂き魔の血液―――ではなく、仄かな光を放つエネルギーが吸い上げられ、そのままナイチンゲールの体へと流れ込んでいった。

 

「はあああああ!!」

 

 吸魔にて精神力を補充した瑛。

 続けざまに繰り出した爆炎は、そのまま切り裂き魔へと直撃する。

 

「やったか!?」

『―――!』

 

 しかし、モルガナの期待も虚しく切り裂き魔は多少焦げた箇所を手で払うだけ。決定打には至っていない様子だ。

 

「チッ。やはりあいつは別格だ、長期戦を覚悟しておけ!」

 

 よもすればジェイルの王に匹敵するかもしれない戦闘力。

 戦力も十分に確保できていない中、なんという強敵に出会ってしまったものかと嘆く暇もない。

 

 と、次の瞬間、幾つものサーチライトが牢獄塔周辺に屯する蓮たちと切り裂き魔を照らしあげた。

 

「見つかったか!?」

「ええ!? こんな逃げ場所がない中で……ちょっと待って!! あれ銃じゃないの!?」

 

 ジャックが指さす先。

 一見何の変哲もない監視カメラにも見えるが、よく目を凝らせば真下に構える銃口を確認することができる。

 侵入者―――否、脱獄者を見つけ次第銃撃するものだろう。

 

 それらが一斉に照準を定めているとなれば、逃げ道を塞がれた三人からすれば堪ったものではない。

 

「おいおい……」

「マ、マンホールはない!? 地下に逃げたりとか!」

「残念だが見当たらないな」

「じゃあどうしたら……!?」

 

 最悪手元の銃で破壊するしかない。それも切り裂き魔の攻撃を掻い潜りながら。

 狙撃用の銃でもない代物でそれを為すことは至難の業。蓮の頬にも冷や汗が伝う。

 

 そうこうしているうちに銃口の下からはレーザーポインターが伸びる。

 無数の赤い点が刻まれる第一の標的は―――。

 

『!!』

 

 一斉に轟く発砲音を前に切り裂き魔が飛び退いた。

 さっきまでの立ち位置は蜂の巣。集合体恐怖症の者が目の当たりにすれば卒倒ものだ。

 それだけの銃弾の雨を掻い潜る切り裂き魔は、時に監視カメラごと銃を真っ二つに両断しつつ逃走を図った。

 

 逃げ場などない。

 自分たちでさえそうなのだからと考える三人であったが、突如として鉄柵の間から流れ込んでくる霧が切り裂き魔を覆い隠す。

 

「……消えた」

 

 茫然とする瑛が何者も居なくなった場所を眺める。

 しかし、残りのサーチライトが自分達を照らしあげた瞬間、依然緊迫した状況であることに変わりがないことを思い出す。

 銃口が火を噴く光景を幻視すれば、体中から汗が噴き出していく。

 いつ攻撃か来るかと身構えること数秒。仕掛けは一向に動く気配を見せなかった。

 

 怪訝そうに全員が首を傾げる。

 その瞬間だ。三人を照らしていたサーチライトがあらぬ方を向き、謎の人影を浮かび上がらせたではないか。

 

『はっはっは! いやぁ~、システムをハッキングするのに少々時間がかかってしまってね。しかし、どうやら大事無くてよかったよ』

「とぅ」

 

 スピーカーから大音量で流れる女性の声に続き、塀の上に立っていた人物が飛び降りる。

 

「こういう時は久しぶりと言えばいいのか? でもまずは会えて嬉しいぞ、ジョーカー。モナ」

「オマエは……!」

「来てくれたのか」

 

 現れた赤髪の少女を前に、蓮とモルガナは喜びの色を隠さない。

 

「えっと……この子は?」

「初めましてだな、ジャック」

「えっ、私のコードネームを……!?」

「当然だ」

 

―――同じ怪盗団なら。

 

 そう言わんばかりの微笑みは、浮世離れした容貌とは裏腹に人間味を帯びていた。

 

 

 

「よろしくな、ジャック。私は『ソフィア』。人の良き友人だ」

 



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Ⅷ.Blood of Villain

 

「うーん! 噂に違わぬボリューム……これがげんこつハンバーグか! こっちに来てみたら一度食べたいと思っていたんだよ!」

 

 歓喜の色を滲ませる女性。徐にナイフを手に取った彼女は、向かい側から投げかけられる視線も厭わず、眼前に佇む拳大のハンバーグへ刃を入れる。

 スッ……と滑り込んだナイフは、赤々に煌めく肉汁を滴らせる肉塊の断面を露わにした。

 すると香ばしい肉の香りが広がる。ファミリーレストランでは珍しい炭火焼だ。ただでさえ芳醇な薫香に炭火の香ばしい風味が加わり、そのクオリティはチェーン店とは思えぬ高さへと昇華する。

 

 しかしながら、どこにでもある――そんな安心感が漂うファミリーレストランにてテーブルを囲むのは、中々に珍妙な組み合わせの面々だった。

 おどろおどろしい監獄城からファミリーレストランへ場所を移した五人。

 彼らの内、声を上げたのはモルガナだった。

 

「まさかあんな場所でオマエらと会うとは思わなんだ」

 

 一見ただの鳴き声にしか聞こえない声を理解するのは、今まさにハンバーグを口に運んだ女性ともう一人。

 

『ああ、久しぶりに会えて嬉しかったぞ』

 

 立てかけられたタブレット端末に映し出される赤髪の少女。

 通話アプリで話している――訳ではなく、実際に電子世界に存在する彼女はただのAIなどではない。

 心の怪盗団との繋がりにより、人工知能でありながらも人の心を持つに至った怪盗団の一員。

 

 その名も、

 

「ソフィア。それに一ノ瀬もどうしてあそこに居たんだ?」

 

 コーヒーを片手に尋ねる蓮は、隣で知りたくてたまらないと言わんばかりにうずうずしている瑛を一瞥しながら問いかけた。

 それに応えるのはハンバーグを頬張っていた女性。

 

「なに、こっちに来ていたのは本当に偶然さ。君の地元を見てみたいっていうソフィアのリクエストでね。ただ、この子の鼻がイセカイを感じ取ったみたいでね。それがまさかこんな事態になっているとは……」

『実は双葉から連絡を受けていた。間に合ってよかったぞ』

「なんだって? それは本当かい、ソフィア」

『済まない、一ノ瀬。どうしても気がかりでな』

「ふふんっ、人間に隠し事をするAIなんて初耳だよ。君の生みの親として鼻が高いね」

 

 名は一ノ瀬(いちのせ) 久音(くおん)。東鳳大学でAIの研究をする才色兼備が似合う女傑であり、ソフィアの生みの親である。

 

 今年の夏――心の怪盗団が復活するに至った一因であるジェイル。そのきっかけを作ることとなったのが他ならぬ久音の仕業であるが、自身が生み出したソフィアの説得により改心し、事件が収束してからはソフィアと共に人を知り、過去の自分を見つめ直す旅に出ていたはずだった。

 これを偶然と呼ぶべきか運命と呼ぶべきか。

 しかし、どちらにせよ異変が蔓延る町にやってきてソフィアが反応しないはずがなかった。

 

 ジェイルを創り出す存在――それは久音が基盤を作り上げた人工知能・EMMAが、人々の欲望を一身に受けることにより、認知世界にていつぞやの聖杯同様に君臨した偽神だ。

 ソフィアは、そのようなEMMAのプロトタイプである人工知能。それ故、ジェイルを感知できる能力が備わっていた。日本中を巡っていた心の怪盗団も、その能力の恩恵にあやかっていたからこそ世直しの旅へ赴けたと言っても過言ではない。

 

 瞼を閉じれば、彼女との思い出が鮮明に蘇ってくる。

 温かな懐古と再会の喜びを感じるのもほどほどに我に返って蓮は、窮地に駆け付けた仲間へ微笑んだ。

 

「ああ、助かった」

『困った時はお互い様だ』

「しかし、ソフィアが来たとなれば心強いな。これで神出鬼没のジェイルに対抗できるってモンだ」

『任せてくれ』

 

 無機質さを感じさせぬ天真爛漫な笑顔。

 見る者を魅了する表情を湛える彼女がAIだとは思えぬ瑛は、度々啞然としながらも、意を決したように口を開いた。

 

「あっ、えっと、ソフィアちゃん……?」

『ああ。私はソフィア、人の良き友人だ。そして蓮やモルガナたちの仲間だ。よろしくな』

「う、うん! よろしくね! 私は瑛! 私も雨宮くんたちとは仲良くしてるよ」

『そうか、なら私たちも仲間だな』

 

 すぐに打ち解けた両者を見遣り、一人感慨深い面持ちを湛える久音。

 例えるのなら、友人と仲睦まじく触れ合う子供を見守る親のそれだ。これまで自身の感情に希薄であった彼女も、他ならぬソフィアに諭されることにより人らしさを――心を取り返した。

 だからこそ浮かべられる表情には、蓮もモルガナもあの戦いが無駄ではなかったと実感できる一幕であった。

 

 しかし、呑気に談笑するのはここまでだ。

 ほぼ同じタイミングでコーヒーを口に含み、気を入れ直した蓮と久音。二人は本題に入らんと真剣な眼差しを交差させる。

 

「さて……ジェイルから戻る時にも軽くは聞いたが、現状を詳しく把握しておきたい。説明を頼めるかい?」

「ああ」

 

 ともすれば、ジェイルの生みの親と言っても過言ではない久音だ。

 EMMAが関与していないとは言え、現に心の監獄が存在している以上、彼女以上の相談役は居ないだろう。

 

「そうか……つまり、絵美という子のジェイルがこの町に誕生してしまっている訳だね?」

「心当たりはないか?」

「済まない。はっきり言って、その子にはまったく心当たりがないな。特に王にされた理由がね」

「そうか……」

「とは言え、『何も分かりません』じゃあ情けないにも程がある。これまでのケースを踏まえた上での推論なら語れるが……どうだい?」

「頼む」

 

 真面目な話し合いの始まりに、談笑していた瑛とソフィアも聞く態勢に入った。

 

「まず、第一にジェイルを生み出せる存在が居ることは確かだ」

「そうだな。聖杯然りEMMA然り、強大な力……歪みを生み出す根源がなけりゃあ現実と認知世界は繋がらねえ」

「モルガナくんの言う通りさ。その歪みを生み出す根源こそ」

「欲望、か」

 

 そう言って蓮が目を伏せる。

 

 欲望と一口に言っても種類は多様だ。

 軽い願望や肥大化した野望。善悪を分け隔てることなく、人の心には大なり小なり欲望が蠢いており、特にそれらが一つに収束される時に歪みは広がっていく。

 欲望を抱く人間は、往々にしてそれらの成就を神に託す。

 そうして生み出された不定形な”神”という偶像は、流れ込む欲望により形を得、力を得、やがて人々の認知世界において神として君臨するようになる。

 

 集合的無意識の世界において、人々の認知は馬鹿にはならない。

 不安を拭い去る安心な拠り所を求めるあまり、怠惰に堕落した人間が生み出した偽神と二度も戦ってきた怪盗団だからこそ分かりうる事実。

 

「……良くも悪くもEMMAの存在は大きかった。サービスが停止されてからもEMMAを求める声はあちこちから聞こえてくる」

「確かに便利でしたもんね。他のアプリを入れてみたけれど、どーしても見劣りしちゃって」

「それだよ」

「へぁっ?」

「EMMAという拠り所を失った人の欲望は、新たな安住の地を求めている……って言うと、少々臭いかな?」

「えっと……つまり、他の便利なアプリを探してるっていう意味ですか?」

「概ねね」

 

 瑛の言葉に頷く久音が言いたいのは、つまりこうだ。

 

「EMMAに成り代わった者が居ると私は推測する」

「? 成り代われるAIアプリがないんじゃないのか?」

「発想を変えてみるんだ。別に心の拠り所がアプリである必要はない。宗教なりメディアなり、人の注目を集められればなんだって構わないはずだ」

「なるほど……そういうことか」

「何か分かったのか、レン?」

『私は分かったぞ。少し待て』

「え? え? ちょ……私話についていけてない!」

 

 ただひとり困惑する瑛を余所に、ソフィアは調査を始める。

 プロトタイプとは言え、彼女の検索能力はEMMAにも劣らない。生身の人間では不可能な速度で導き出される答えには、他の誰もが注目していた。

 

『――よし、出てきたぞ』

「ねえ、ソフィアちゃんは何を調べてたの?」

『ここ最近……特にEMMAがサービス停止になって以降、話題になったアプリやトレンドだ。その中でも比較的新しいものに絞ってみたぞ』

「なる……ほど?」

 

 こてん、と瑛は首を傾げる。

 いまいち把握できていない彼女に代わり、久音が話の先を続ける。

 

「……EMMA然り、獅童の事件然り、政府関係者の中に認知訶学を知っている者が居たことは紛れもない事実だ」

「まさか、政府関係者が?」

「可能性は捨てきれないな」

「チッ……フタバの母親の研究を悪用されてるって訳か」

「あくまで可能性の一つさ。ただ、偶発的なイセカイの発生を除くのならその線が一番濃いだろう」

 

 一般人には効き慣れない認知訶学という学問。学問そのものは意外にも古くから存在していたものの、蓮たちが知る認知訶学と一般の認知訶学との間には大きな認識の違いがある。

 あくまで心理的な学問の一つであった認知訶学を、イセカイを通じて他人に干渉するという認識に至ったのは、つい最近の出来事だ。

 怪盗団の一員、双葉の母親・若葉も認知訶学を研究する人間であったが、口封じの為に認知訶学を応用した廃人化によって始末された。このように誰にも知られることなく他人を始末する手段として政府に目をつけられた認知訶学は、怪盗団の活躍により獅童 正義が逮捕されるまで数多くの犠牲を生み出してきた訳だ。

 

 有用性は十二分に証明されている。

 あとはそれを利用出来得るだけの知識と技術を持った人間が居るか、だ。

 可能性があるとすれば、若葉のように認知訶学の研究員として政府に通じていた者であるだろう。

 

「獅童や大和田の周りが臭いか」

「しかし、残念だけれど私たちじゃ彼らの周りを洗うのは困難……というより不可能だ。対処療法になってしまうが、私たちは今回のジェイルを何とかすることを第一の目標にしよう。……ソフィア、さっきのデータは長谷川警部補に送ってくれないか?」

『任せろ』

 

 いきなり事件の根源にたどり着けるはずもない。

 だからこそ、政府関係者を洗う為に協力してくれる人物が居る。

 

 長谷川 善吉。警視庁公安部に所属する()()だ。

 その実、彼の正体は――というより、成り行きで心の怪盗団と行動を共にし、ペルソナ能力に覚醒してからは怪盗団の一員として事件解決の立役者となったナイスミドルである。

 彼は事件解決後、近衛と嗾けられ認知訶学を悪用していた国会議員の大和田の余罪を洗い出すべく奔走していた。大和田には叩けば出る埃がいくらでもある。そこへ情報提供の体でデータを渡せば、大和田に協力していた認知訶学研究者も洗い出せるという寸法だ。

 

 その間、自分たちは目先のジェイルを攻略する。

 心なしか各々の面持ちが険しくなった。

 

「さて……それじゃあ次にジェイル攻略の進捗状況をまとめようじゃないか」

「力のコアは三つ集めた。後は……」

「それについてなんだが」

「?」

「どうやらあのジェイルには鳥かごが存在していないようなんだ」

「……確かな情報なのか?」

「私が調べた限りでは、だがね」

「ふむ……」

 

 久音の口から紡がれた内容に、蓮は眉尻を下げながらカップを手に取りコーヒーを一口含む。かなり長い間話し込んでいた為か、コーヒーもすっかり冷めきってしまっていた。

 一方で蓮の深刻そうな雰囲気を察したのか、恐る恐るといった様子で瑛が問いかける。

 

「そんなに不都合なの……?」

「いや、手間自体は省けたと言ってもいい。ただ、なんにしても例外ってのは厄介ってこった」

「例外……えっと、その鳥かごがないことが?」

「正確には鳥かごの鍵がないことだがね」

 

 モルガナの説明を補足する久音が続ける。

 

「鳥かごとはジェイルに(キング)を閉じ込めておくための檻そのもの。(キング)がどこへも逃げられないよう、鳥かごにはあらかじめプロテクトが掛かっているのさ」

「プロテクト……ですか?」

「ああ。(キング)にとって触れられたくないもの……例えば、辛い過去の思い出とかだ」

「ッ……!」

 

 サァ、と瑛の顔が蒼白と化す。

 

『大丈夫か?』

「う、うん……大丈夫……大丈夫だから」

「……あまり聞いていて気分のいいものじゃないことは許してくれ。けれど、目を背けたくなる過去が人の心を縛るのに効果的、という論理だけは頭の隅にでも置いてくれ」

「はい……」

「話を戻そう。”鳥かごがないと何が問題なのか”……それは結局のところ鳥かごの中と外がフリーアクセスになってしまう点だ」

「話を聞いてる限りじゃ、(キング)が鳥かごの外に出たら、私たちみたいな侵入者に狙われて危ない……って感じですよね?」

「そうだね。そこにもう一点、心のネガイを奪わせて大衆を自在に操る歯車として(キング)を操れなくなるという問題だ。簡単に言えば管理が難しくなるって訳だね」

 

 一通り話を終えた久音は、鉄板の上に転がっていたハンバーグ――その最後の一かけらを平らげ、残り少ないコーヒー全てで胃袋の中へと流し込む。

 冷え切った肉とコーヒーの味わいはお世辞にもよろしいとは言えず、苦渋に満ちたような表情を浮かべる久音。それは己の過去の過ちに対する忸怩たる思いもあるからだと察するのは、蓮たちにとって難しくはなかった。

 

「……ふぅ。今回のジェイルを生み出した黒幕が未熟なだけか、もしくは別の狙いがあったのか。厄介だとすれば後者だ」

「だが、動かなければ何も始まらない」

「その通りだ」

『予告状はいつにする?』

 

 久音の懸念に対し、強い意志を宿した眼差しを向ける蓮。

 社会のはぐれものを率いた義賊の長たる少年の姿に、ソフィアは心より滲み出るやる気を抑えられないと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべる。

 そして、今となっては怪盗団の一員だが、ファンでもある瑛は脳内で木魚の音を響かせた後、ハッとした様子で立ち上がった。

 

「予告状……予告状って、あの!?」

「シーッ、静かにしろ!」

「! ……ごめんなさい」

「……鳥かごがないにしろ、生徒たちの様子を見る限りエミが心のネガイを奪っていることは確かだ。けど、それを盗み出す為にも手順がある」

「だから予告状を?」

「人の欲望ってのは、奪われると自覚して初めてはっきりと浮かび上がるモンだ。だから、ワガハイたち心の怪盗団が盗むって予告してやるのさ」

「なるほど、そんな意味があったんだ」

 

 『ただのパフォーマンスだと思ってた』と零す瑛であるが、それがイセカイを知らない一般人の感性だ。人の思い至らない部分にこそ真意が隠されている。

 なればこそ、見極めなければならない。

 今回の事件、その裏に隠された黒幕の真意を――。

 

「予告状は皆が集まってからだ。来週の土曜日でどうだ?」

「異論はないな」

「私もオッケーだよ!」

「足は私に任せてくれ。ここから東京なら車で半日もあれば十分さ」

『了解した。グループチャットで伝えておくぞ』

「頼んだ、ソフィア」

 

 この場に居るメンバーに了承を取って決行日を決める蓮を一瞥し、カップの中身を空にした久音が立ち上がる。

 

「よぉーし! 今後の予定が決まったことだし、今日はお開きにしよう! ほら、君らは先に帰った帰った! 会計は私が済ませておくから!」

「え!? 幾らなんでも初対面みたいな人に支払わせるのはちょっと……」

「いいんだよ、このくらい。気が引けるっていうなら、今度美味しいご当地グルメでも教えてくれないかい? それこそAIアプリじゃ見つけられない穴場をね」

「はぁ……ゴチになります!」

「うん、ゴチになってくれたまえ!」

 

 食い下がっていた瑛も、大人の顔を立てるべく適当な頃合いで快活に感謝を述べる。

 席を立ち、レジへと向かう面々。改めて久音に礼を述べながら一足先に店外へと出ていく瑛の背中を見遣る蓮は、転がる鈴の音が止むのを見計らい、不意に足を止めた。

 

「一ノ瀬」

「……なんだい?」

「三つ目の力の象徴……覚えているか?」

「ああ、私も気になっていたところだ」

 

 振り返らぬまま、淡々と話を続ける。

 

 それは最後の監獄塔で見つけた、とある物についての話。

 

「カルテだったかな」

「心療内科のものだった」

「心当たりでも?」

「ああ」

「成程ね。案外核心はすぐそこに迫っているのかもしれない」

「決めつけるには証拠も少ない」

「分かっているよ。こればっかりは怪盗団(きみたち)に任せるさ。だが、私なりにも出所を調べてみるよ」

「頼んだ」

 

 一区切りついたところで店員がレジへとやって来た。

 久音はすぐさま真面目な雰囲気から一変、陽気を振り撒くような満面の笑みを咲かせて店員に対応する。怪盗団も吃驚の二十面相であるが、今はそれよりも回収した力の象徴へ思考が向いていた。

 

「カルテか……所々黒く塗りつぶされていたな」

「……」

「どうした、レン?」

「いや……モルガナ。一つ聞きたいことがある」

「なんだ」

 

 バッグの中から顔だけ出すモルガナに、視線は外へと向けたままの蓮が問いかけた。

 

「仮に心が二つあったなら……その人のシャドウはどうなる?」

「心が二つ? どういう意味だ?」

「明智のようになるのか?」

「!」

 

 もう一人のワイルド。

 神の掌で踊らされた道化師。

 ”憎悪”と”嘘”の仮面を使い分けた裏切り者。

 

 もしも彼のような人間が居たとするならば――生まれ出る影もまた二つになるのだろうか。

 

「……無くはない話だ」

「そう……か」

 

 意味深な問答を経て外に出る二人。

 山の方を見遣れば、頂上の方は白い霧に覆い隠されている。遠い景色に見えるが、肌に張り付く湿気は今立っている場にも届いていた。

この事件の真相は、近くにありながらも手の届かない――距離感が狂う不鮮明さを感じずには居られなかった。

 

 

 

 

 

 

「これで午後が暇になったな」

「だね。丸一日予定空けてたからどうしよっかな」

 

 本来ならば、丸一日かけて攻略するはずであったジェイル。

 それを半日で済まし、昼食も奢ってもらった蓮たちは手持無沙汰になってしまっていた。時間にゆとりができたと言えば聞こえはいいが、突然の余暇を与えられた瑛の脳裏に巡るのは、来週に決定した決行日についてである。

 否応なしに脳裏を巡る不安と緊張。傍から見ても分かる程に落ち着かない様子の彼女へ、怪盗団のリーダーたる蓮は気を利かせんと声をかける。

 

「今から不安になっていても仕方がない。気晴らしにどこかへ遊びに行くか」

「……それもそうだね。いつもどんな風に緊張解してるの?」

「占いに行ってみたり、医者に診てもらったり、取材のネタを提供したり、将棋をしてみたり、勉強してみたり……だな」

「へぇ~! 東京に住んでたら、そんなにやれることがあるんだね」

 

「感心するトコそこかよ……」

 

 もっとツッコむ場所があるだろ、とモルガナが呆れつつ声を上げる。

 

「まあ、何にしてもメリハリってのは大事だぜ。やる時はやる、遊ぶ時は遊ぶ。それがスマートな怪盗ってモンだ」

「どうする? ジェイルに行ったんだ。疲れているだろうから、このまま家に帰るのも手だぞ」

「う~ん……ううん、今日は遊ぶ! 明日はダンスの練習あるし、放課後も時間取れないから。ちょうどいい息抜きの機会かも」

 

 最後の文化祭前だ。部活動も相応のスケジュールが組み込まれており、中々怪盗として活動できる時間を取り辛い。こうした点は帰宅部が少なくなかった怪盗団との違いだろう。

 ならば、わざわざ彼女が作ってくれた休暇をお開きにするのは『勿体ない』の一言に尽きる。いよいよ遊びへ赴く雰囲気になった二人と一匹は、自然ととある方角へ足を向ける。

 

「ねえ、雨宮くんってゲームセンターに行く方?」

「友達に誘われてなら」

「おぉ! 雨宮くんってなんかUFOキャッチャー極めてそうなイメージ。狙った獲物は逃さないぜ……って感じで♪」

「初めて言われた」

「あれれ、違ってた?」

「レースゲームとシューティングゲームも極めてる」

「おぉ~っと、これはビッグマウス! ここまで極めてるとゲームセンター……いや、夜の帝王だね!」

「語弊がある言い方だな」

 

 と、談笑しつつジュネスの一角に佇むゲームセンターを目指していた。

 男友達とはよく足を運ぶ場所だが、こうして女子とやって来ることは地元に帰ってきてから初めてだ。

 

(真はガンナバウトに夢中になっていたが……)

 

 正直、女子が夢中になるゲームが分からないといったのが本音だ。

 当時俗な娯楽に疎かった真ならば兎も角、お堅い彼女と正反対な性格に等しい瑛ともなると好みも変わってくるだろう。

 

「瑛は何で遊んでるんだ?」

「私? ほら、あれ!」

 

 浮足立つ様子を隠せない瑛が指さしたのは、そこそこ大きい筐体を構えるアーケードゲーム。

 タイトルは絢爛な装飾で飾られており、人が乗ると思われる場所もまた鮮やかなに光り輝いている。

 実際に稼働している筐体を見れば、ゲームセンターでも一際目立つ躍動感溢れる踊りが繰り広げられているではないか。

 

「ダンスゲームか」

「うん! 『ダンシング☆スターナイト』っていうゲーム。名前くらいは聞いたことあるでしょ?」

 

 ダンスゲームと言えば? と問われれば真っ先に上がるであろう根強い人気を誇るビッグタイトル。それが『ダンシング☆ナイト』――略して『ダンナイ』シリーズである。スターナイトはその内の三作目であり最新機である。

 

 ラップとボーカルメインの洋楽ディスコナンバーと落ち着いたJPOPを揃えた一作目『ムーンナイト』。

 中高生向けの陽気なポップナンバーが人気を博した二作目『オールナイト』。

 そして三作目、お洒落なジャズナンバーを揃えた『スターナイト』は、曲自体の評価が高いと巷では有名だ。

 

 手広く遊んでいたつもりの蓮であったが、ダンスゲームは盲点であった。

 そこはかとない興味を引かれるように、自然と彼の脚も筐体の方へと向かっていく。

 

「面白そうだな」

「でしょでしょ?!」

「そういやコイツが躍ってるのは見たことねえな」

「あれ、意外。私の中だとキレッキレな動きでシャッフルダンスとか踊ってるイメージなんだけど……ショータイムだ! って」

「おいおい、あんまり幻想持ち過ぎるな。澄ました顔で初心者晒すのがコイツだ」

「練習すればできる」

「うん! 今度は私が手取り足取り教えてあげるんだから!」

「ああ、よろしく頼む」

 

 こうしてダンスゲームデビューした蓮。

 その後、足を縺れさせて派手に転倒するとは想像しておらず、頭を下げて瑛に教えを乞うことになるのであった。

 

 

 

――瑛との距離が縮まった。

 

 

 

 

 

 

「うぅん……昨日は張り切り過ぎたかな……くぁ……」

 

 昨日長時間に及ぶ交流を経て帰宅した瑛。朝のシャワーを終えて尚、体に襲い掛かる睡魔に耐えられず、目尻に大粒の涙をこさえて大きな欠伸をする。

 今日は午前から予定が立て込んでいる。文化祭に向けての練習も大詰めと言ったところだ。きっと練習後はファミレスかカラオケにでも集まってガヤガヤと談笑するだろう。しゃんとしなければ、午後にはダウンしてしまうに違いないという確信が脳裏に過る。

 

(観たい番組もあったけど……今日は諦めて布団に入ろっと)

 

 どうせ録画もできるし……、とテレビのリモコンを手に取った、その瞬間だった。

 

「ん? 電話……誰から?」

 

 机の上に放り投げていたスマホが着信音を鳴り響かせる。

 反射的に端末を手に取り、画面に映る時間と名前を見る。気の置けない仲であれば軽い挨拶で済ませて出立する時間であるが、今回ばかりはそうもいかなかった。

 

「絵美……? はーい、もしもし?」

『あっ……もしもし、瑛ちゃん? ご、ごめん、朝早くに……』

「ううん、全然大丈夫だよー! ……それよりどうしたの? なんかあったの?」

 

 電話を掛けてきた相手は騒動の渦中に居る親友。

 そのただならぬ雰囲気を感じ取り、瑛の眠気も彼方へ消える。

 

『え、と……こ、こういうの、誰に相談したらいいか分からなくて……っ!』

「絵美? 落ち着いて……ゆっくり話してみて」

『うん……その、変なメールが届いてね』

「メール? よくある詐欺メールみたいな奴じゃなくて?」

『なんていうか、詐欺っていうより……ごめん、見てもらった方が早いと思う。チャットの方に画像送るね』

「画像? ……分かった。一旦切るよ」

『うん……』

 

 終始、絵美の声色からは不安がにじみ出ていた。

 一体何事かとチャットを開き、送信された画像を目の当たりにした瞬間――瑛は瞠目した。

 

「これっ……!?」

 

 

 

 

       

        殿 

        

           

             

         

           

            

         

 

 

 

 

 今日送られるはずのない予告状。

 さらに標的に加えられている人物は――他でもない、自分(あきら)だ。

 

 それが本物か偽物か判断つかぬ程に焦燥に煽られる瑛は、汗ばんだ指を走らせ、蓮へと電話を掛けるのであった。

 



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Ⅸ.Keeper of Lust

 本来の決行日より一週間前の今日。

 半ば緊急的に集まった面々は、個人差はあれど険しい面持ちを湛えているのだった。

 

「してやられたな」

 

 そう口火を切ったのは久音だ。

 

「迂闊だった。敵に私たちの動向は筒抜けだったという訳だ」

「模倣犯にしては内容がデキ過ぎている。イチノセの言う通りだな」

 

 瑛が見せる画面に映し出される予告状。

 何も知らない大衆からすれば、またもや心の怪盗団が予告状を叩きつけたと信じて疑わない仕上がりだ。

 別に予告状の偽造自体は難しくない。大々的にばら撒いていることもあり、無数の画像がネット上に上がっている。見様見真似でそれらしくは作れるだろう。

 

 だが、内容はそうもいかない。

 今回の標的は地方の一高校生。何かしらの肩書があるのならば兎も角、それもない。

 そうした絵美を標的にするような文面を作るとすれば、怪盗団を騙って悪戯を仕掛けようとした身近な人物か、今回の蓮たちの会話を盗聴し計画を水泡に帰そうと画策した人物に限られる。

 

 不安に駆られた様子の瑛は、それぞれの顔色を窺う。

 

「ど、どうするの……?」

「予告状の効果は長くて一日だろう。それに何度も送っちゃターゲットへの効果も薄れる……」

 

 蓮に怪盗のイロハを叩き込んだモルガナの言葉は重い。

 認知世界のオタカラやネガイを顕現させる予告状の効果は永続ではない。可能な限り一度目で狙いの品を盗むのがベストであるのだが、それが自分たちのタイミングで送られたものでないことは予想外と言う他なかった。

 

『強行するか? それとも皆が集まるのを待つか?』

「難しいところだ。足並み揃えてならば兎も角、こうも急に集まれということになったら……」

「フム……」

 

 既にグループチャットで連絡はした。

 各人、驚愕とやる気を見せた文面を送ってこそくれるが、一同に会するとなると相応の時間が掛かってしまう。

 

 どうしたものかと顎に手を当てる蓮。

 

 怪盗団のリーダーは自分だ。ブレインやナビゲーションを担うメンバーも居るが、最終的な決定権――そして責任感を有している。

 

 万全を期す為に今回は見逃すか。

 リスクを冒して強行するか。

 

 様々な要素を考慮しつつ思案を巡らせる蓮は、不意に瑛と視線を合わせた。

 昨日までは明るかった笑顔が、今や不安と緊張に彩られて影が差している。不測の事態への不安は当然あるだろう。絵美を救い出せないかもという焦燥もあるだろう。しかし、それ以上に自分も標的にされている事実に恐怖を覚えているはずだ。

 

 心なしか呼吸も荒く、固く握りしめられた拳をずっと胸に当てている。

 その姿を目にし、決意した。

 

「――今日やろう」

「! ……レン、本気か?」

「罠の可能性も拭えない。が、俺たちの仲間も狙われている以上、見過ごす訳にもいかない」

「雨宮くん……!」

 

 ブレない瞳は意志の固さ。

 怪盗団の中心として幾度も訪れた危機を乗り越えてきた彼の堂々たる佇まいに、雨に濡れた子犬のように震えていた瑛の不安も拭い去られたようだ。

 それを待っていたと言わんばかりにモルガナは鼻を鳴らす。

 

「ヘッ! そう言われちゃあワガハイも黙ってられねえな!」

『ああ、仲間は見捨てない。それが怪盗団だ』

「皆……!」

「俺たちは先陣を切る。後続を後から来るメンバーに任せよう。一ノ瀬、済まないが現実からのバックアップを頼まれてくれないか」

 

 いくらジェイルに精通しているとは言え、久音はペルソナ能力を持たぬ一般人だ。

 現実に待機してもらいつつ、後からやってくるメンバーに状況説明するなど、サポートに徹してもらおうというのが蓮の考えであった。

 一瞬の思案の後、『分かった』と頷く久音は茶化すように語を継ぐ。

 

「君の頼みを断れる身の上じゃないさ。最善を尽くすよ」

「恩に着る」

「私が返す方だよ」

 

 これで大まかな役割は振り分けられた。

 残るは一人、

 

「瑛。お前はどうする?」

「え……私?」

「相手は瑛の存在を把握している。偽の予告状にお前を示唆する内容を綴ったのは、もしかするとお前にジェイルに潜入されると不都合だからかもしれない」

「……」

 

 僅かばかり俯き、考え込む瑛。

 キュッと噛み締められる唇は、彼女の苦悩が現れていると蓮には窺えた。

 

 今言い放った内容はあくまで憶測。

 文面に綴られていた”親愛なる友人”が瑛であるという確証はない。

 けれども、現に予告状を読んだ絵美が当の友人を瑛であると解釈し、わざわざ本人に相談したことは事実であり、それが怪盗団まで知れ渡ったのもまた事実。何の意図もなければ、このような真似はしないだろう。

 明らかに瑛の不安を煽り、牽制する意図が見受けられる。

 

 だからこそ問いかけ、聞き届けなければならなかった――瑛自身の覚悟を。

 

「私……行くよ」

「無理はしていないか?」

「うん」

 

 力強く、彼女は頷いた。

 

「勿論怖いよ。さっきから心臓がバクバク言ってるし……でも、これを逃したら絵美を助けられないと思うと、自分だけ震えてらんないんだ」

「親友だからか」

「当たり前じゃん。だけど、それだけじゃないの。今を逃したら、私……ずっと誰かに助けられてばかりの人生になっちゃいそうだから」

 

 だから、ともう一度語気を強めて紡ぐ。

 

「勇気を出して……怖くて、どうしようもなくて震えてる私の心も助けに行きたい」

「……ああ、分かった」

 

 そこまで言われれば連れて行かない訳にはいかない。

 口元に三日月を浮かべた蓮は、覚悟を決めた面々を順に見据える。

 

「敵の素性は不明。逆にこちらの正体は知られている……が、だからといって助けを求めている人を見捨てるのも、そう仕向けようとする悪人に屈するのも流儀じゃない」

 

 次第に不敵な笑みを湛える彼は、喉から発せられる言葉が不遜な声音に彩られることを自覚しながら、正体不明の敵を睨みつけんと眼光を閃かせた。

 

 我々は怪盗。

 正体不明の掠奪者。

 得体の知れない相手など、寧ろ望むところだ。

 

――その謀略の幕を引くのは他の誰でもない、心の怪盗団だ。

 

「全てひっくり返してやる……ショータイムだ」

『おぉ!!』

 

 

 

 

 

 

「――ねえ。私の心を頂戴するって書いてあったけど……大丈夫かなぁ」

「心配することはないぜ、ジャック。オマエはペルソナ能力に目覚めてる。本来無防備なシャドウも、今は仮面になって片時もオマエの傍を離れない。つまり、他人にどうこうされることはないって訳だ」

「あっ、なるほど……って、それならあの時の私の意気込みは!?」

 

 ソフィアの案内の下、ジェイルへの潜入を果たした四人。

 心なしか監獄城全体の警戒が高まっている中、ふとした質問を投げかけた瑛であったが、モルガナから明らかにされる事実に衝撃を受けていた。

 それもそのはず。あれだけ覚悟を決めたにも拘らず、実のところは同級生に行われているような認知改変を受ける可能性が杞憂だと知れば、拍子抜けを通り越して羞恥の余り赤面してしまう。

 

 しかし、嘘偽りない本音にこそ意味があった。

 瑛の肩に手を置いた蓮は、微笑みを湛えながら慰める。

 

「カッコよかったぞ」

「そ、そんな風に褒めても……てへへ」

「顔がニヤけてるぞ、ジャック」

 

 気恥ずかしそうにはにかむ瑛に、ソフィア――もとい、コードネーム『ソフィー』が茶化す。

 

 そうした緩やかな雰囲気も、いざ監獄城へ足を踏み込めば一変。仮面の奥に真摯な表情を浮かべ、颯爽と闇を駆けていくジョーカー、ジャック、モナ、ソフィーの四人。

 戦力としては必要最低限しか揃っていないが、端から負けるつもりはない。

 揃えられる道具も可能な限りは揃えた。

 久音から渡されたデータを用い、潜入ルートもより盤石にした。

 

「目的地はあそこだ」

「あれが……ネガイ」

 

 見晴らしのいい高所へとやって来た四人の視界に映る紅色の輝き。

 三人にとっては見慣れた、そして瑛にとっては初めて見る実体化した心のネガイだ。

 

 妖しい光を放つネガイには、油断すると魅入ってしまいそうな魔性を孕んでいる。

 思わず瑛も釘付けとなっていたが、本来の目的を思い出すやブルブルと雑念を振り払う。心のネガイを取り戻すのもそうだが、何より重要なのは絵美を改心させること。

 

 瞼を閉じ、深呼吸する瑛。

 吹き荒ぶ風をその身に受けた彼女は――刮目した。

 

「よしっ……行こう、ジョーカー! モナちゃん! ソフィー!」

 

 怪盗服をはためかせ、高所より身を投げ出す四人。

 強風に煽られ重力に引かれる彼らの落下速度はかなりのものだ。

 しかし、微塵も臆する様子を見せないジョーカーが、その練達した動体視力でタイミングを見計らう。

 

「ジャック!」

「うん!」

「モナ!」

「頼んだ!」

 

 蓮は瑛を、そしてソフィアがモルガナを抱え、侵入者を発見する為に点灯していたサーチライト目掛けワイヤーとヨーヨーと絡まらせる。

 振り子の要領で勢いをつけた彼らは、そのまま前方に聳え立つ一際巨大な看守塔へと迫っていく。丁度いいところで飛び降りれば、ネガイまであと少しという場所にまで辿り着いた。

 

 パノプティコンが採用された円型の刑務所の中央に、高い看守塔が聳え立つ造り。

 ネガイは看守塔の頂上。さながらサーチライトのように監獄城全体を紅い光で照らしあげている。

 

「よし……もうちょっと!」

 

『ダメだよ、瑛ちゃん』

 

「ッ……この揺れは!?」

「まずい! 構えろ!」

 

 あと少し、と意気込んだ瞬間、足元から地響きが鳴り始める。

 それが刑務所の天井であった足元が開いているが故と気づいた時には、四人は既に近くの凹凸に掴まりつつも刑務所の中へ落とされていた。

 

「ここって……あの時の!」

 

 一度見た光景。

 間違いなく自分がペルソナ能力に目覚めた場所だと察した瑛は、中央の看守塔からゆっくりと姿を現した絵美の(シャドウ)へと振り返る。

 

「絵美……!」

『瑛ちゃん、どうして? ここは誰も瑛ちゃんを傷つける人なんて居ない。悪口を言う人も居ない。誰も彼も瑛ちゃんが居ることを肯定してくれる場所なのに……』

「そんな場所、私は望んでなんかない!」

『嘘。私には分かるよ』

「っ……絵美!」

『そう強がらなくたっていいの。ほら、こっちにおいで』

 

 病衣を纏うシャドウ絵美は、優しい声音で瑛を誘う。

 それに対して瑛は、

 

「いらない」

『……瑛ちゃん?』

「他人を傷つけてまで手に入れた居場所なんて、私はいらない……!」

『……嘘だ』

「嘘じゃないよ。絵美……私、ちゃんと見つけられたんだ。本当に私が居たい場所……それは絵美みたいに陰で泣いている子を助けてあげられる()()()なんだって」

 

 他三人が武器を身構える中、ただ一人武器を取らず、仮面を脱ぎ捨てて素顔を晒す瑛が手を差し伸べる。

 

「そこには絵美の居場所もあるから。今度は……今度こそ、私が絵美を守るから。だからこんな場所なんてもういらないよ」

 

 だから、と瑛は微笑んだ。

 慈母のように優しい眦を湛え、

 

「こっちにおいで」

 

 親友の手を取ろうとした。

 

『瑛ちゃん……』

「絵美……」

『――違う』

「え……?」

『違う、違う、違う違う違う違う違う違う嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘ぉ!!!』

「っ!?」

『瑛ちゃんはそんなこと求めてなかった!! 瑛ちゃんはそんなこと望んでなかった!! 瑛ちゃんはそんなことそんなことそんなこと――!!』

 

 錯乱するように頭を掻き毟り、狂った機械の如く言葉が繰り返される。

 伝播する狂気は収監された囚人に伝播し、四方八方から絶叫と呻き声が上がり、四人の腹の底を揺るがす轟音と化す。

 気圧され一歩退いた瑛であったが、そんな彼女の背中を蓮がそっと支える。

 

「ジャック……やるぞ」

「ジョーカー……分かった!」

「気負い過ぎるなよ、ワガハイたちがついてるんだ!」

「大切な友達なんだろう? 絶対に助けよう」

 

 隣から飛んでくる激励の声に、瑛の意志の炎が猛りを見せる。

 噴き上がる蒼炎はやがて形を成し、真紅に彩られた軍医の姿を光臨させた。

 

「刻め、ナイチンゲール!!」

「奪え、アルセーヌ!!」

「威を示せ、ゾロ!!」

「ぶっ飛ばせ、パンドラ!!」

 

 並び立つ四体のペルソナ。

 壮観な光景を目の前に、ドロドロと――まるで掃き溜めに捨てられた悪感情を煮詰めたように粘着質な液体を滴らせるシャドウ絵美は、ギロリと眼球を見開いた。

 

『そうか……お前たちが瑛ちゃんを誑かしたんだ。それが傷つけることだって知らない癖に……許せナい……許サナァァァアアアアイッ!!!』

 

 次の瞬間、地面に滴り落ちていた黒い液体が膨れ上がり、勢いよく弾け飛んだ。

 

 シャドウのお出ましだ。幾百、幾千と目の当たりにしてきたであろう光景。

 しかしながら、紅い血管状の模様を浮かび上がらせるシャドウの姿は()()()()()()。これまでに見てきたシャドウも千差万別だ。奇怪な妖怪や絵画に出てくる神秘的な姿、時にはシャドウ当人がそのまま化け物然とした見た目となるパターンもあった。

 

 今一度相手の姿を観察する蓮。

 人間のような四肢はあるが、上半身には鋸や警棒を携えた四本の腕が備わっている。顔はなく、胸には一つだけ穴が開いていた。

 

 明らかに神話や伝承の怪物を模った存在ではない。そんな確信を蓮は抱いている。

 初見の瑛は理解できなくて当然であるが、モルガナとソフィアは少なからず現れたシャドウに驚いていた。

 

(いや……()()は後だ)

 

「来るぞ!」

 

 頭を切り替えた蓮の掛け声を受け、ほぼ同時に飛び退く面々。

 一拍遅れて飛びかかって来たシャドウ絵美の一撃は地面を抉り、周囲に無数のレンガ片をまき散らす。

 その圧倒的な膂力を目の当たりにし、瑛の表情も引きつる。

 

「なんてパワー!? 近づけない……!」

「無理に接近するな! 距離を取って弱点を探るぞ!」

 

 降り注ぐ破片を巻き起こす疾風で振り払うモルガナに続き、蓮が跳躍した。

 

「喰らえ!」

 

 蓮の声に呼応し、反逆の翼をはばたかせるアルセーヌが漆黒の奔流を解き放つ。

 着弾するや、大爆発を起こすエイガオン。何体ものシャドウを屠ってきた攻撃が通じるかどうか――誰もが事の行く末を見守る。

 

『ガアアッ!!』

「アバドン!!」

 

 土煙を切り裂いて飛来する斬撃を、アバドンで受け止める。

 埃の中から這い出てくる巨体には、これといった傷は見受けられない。どうやら効果は薄かったようだ。

 

「それなら……!!」

 

 今度は瑛のナイチンゲールが火球を繰り出す。

 

『コンナモノ!!』

「ッ、吸収された!?」

 

 しかし、今度は”アギダイン”を吸収される始末だ。

 立て続けの連撃を無力化される面々に対し、シャドウ絵美の刃が閃いた。剛腕より繰り出される斬撃は、そのまま暴力の波と化して四人に襲い掛かる。

 

「厄介な奴め!! だが、大味な技だな!! 隙だらけだぜ!!」

 

 驚異的な威力を孕んでいた一撃であったが、ペルソナを降魔させ身体能力が上昇している四人に避け切れない技ではなかった。

 さらりと躱し、隙を見出したモルガナの銃撃(パチンコ)が火を噴く。

 微かに”ガル”で弾道制御されている銀色は、拳銃の弾と遜色ない威力でシャドウ絵美の武器を握る手に直撃する。

 それで武器を手放すまでにはいかないものの、攻勢を緩めるには十分だ。

 

「フルパワーだ!!」

 

 刹那、ソフィアの背後に浮かぶ箱状の頭部を有す女性の姿をしたペルソナが、その掌から”コウガオン”を解き放つ。

 禁忌の箱(パンドラ)の名を冠すペルソナがもたらす祝福の光は、寸分の狂いもなくシャドウ絵美を呑み込んだ。

 

「どうだ!」

『ウグゥ……!』

 

 地面を穿つ光芒より現れた影がぐらりと揺らいだ。

 

 少しずつ光明が見え始める。

 複数のペルソナを扱える”ワイルド”の蓮でも、ただの一人ではこうも上手く事は進まない。誰かが誰かを守り、庇い、その間に仲間が試行し、思案し、見えてきた勝利へと繋がる糸を手繰り寄せるのだ。

 

「ナイスだ、ソフィア!」

「畳みかけていくぞ! そおりゃあ!」

 

 蓮が仮面(ペルソナ)を付け替える間、白い牙を剥き出しにする好戦的な笑みを浮かべるモルガナが奔る。

 担いだカトラスを振り抜けば、顕現したゾロより淡い光が迸る。

 それが怯んだシャドウ絵美に纏わりついたかと思えば、あからさまに彼女の動きが鈍くなるではないか。

 

『コノォ……!! ワタシノ……瑛チャンノ邪魔ヲシナイデ……!!』

「邪魔をしてるのはどっちかな」

『ッ!!』

 

 緩慢となった敵の懐へ潜り込んだ蓮は、その手に握るナイフを滑らせる。

 一撃一撃の威力は少なかろうが、連撃で畳み込めば確実に体力を減らせていける。

大ぶりな攻撃に対し、身を翻すように紙一重で躱していく蓮。傍から見れば曲芸染みた洗練された動きに、攻撃を仕掛けているシャドウ絵美のヘイトはみるみるうちに溜まっていく。やがて彼女の視線を釘付けにした蓮は、”マハスクンダ”の効果が切れる頃合いを見計らって飛び退き、

 

「そろそろ幕引きだ」

 

 取り出した拳銃の引き金を引くと同時に、背後で羽ばたくアルセーヌより”至高の魔弾”を繰り出す。

 幾条もの閃光が爆ぜ、巨体に凄まじい衝撃を叩き込んでいく。

 それは銃撃と呼ぶには余りにも苛烈。ほとんど落雷であった銃撃の嵐に晒されたシャドウ絵美は、息も絶え絶えとなりながら膝をついていた。

 

『グ……ギ、ガ、……!! 嘘……嘘嘘嘘嘘嘘!! ナンデ私ガヤラレルノ……!? 瑛チャンヲ守ロウトシテイル私ガ……』

「――嘘、か」

『!』

「その真実(こたえ)は……ジャックだけが知ってる」

 

 漆黒のコートを翻す蓮が、アルセーヌと共に闇へ消える。

 次の瞬間、シャドウの瞳に映っていたのは天使が舞う姿――否、瑛が華麗なステップを踏む姿であった。

 

 死闘の最中に一体何をしているのか?

 脳裏を過る疑問は、間もなくして彼女の体を鎧う闘気のオーラを目の当たりにするや、彼方へと消し飛んだ。

 

 恐怖を打ち破る為、自身の勇気を鼓舞する舞――”ブレイブステップ”。

 

 極限まで練り上げられた闘志を宿した今、最早彼女が剣そのものと言っても過言ではない。

 

「――行くよ、絵美」

 

 仮面の奥に佇んでいた瞳が蒼炎に彩られる。

 顕現する真紅を纏うペルソナは、その懐より取り出したメスを構えた。

 

『ッ……嫌、ダヨ……』

「ナイチンゲールッ!!」

『来チャ駄目ェェェエエエッ!!』

 

 絶叫しながらも武器を振り翳す怪物目掛け、果敢に飛び込んでいく瑛。

 

 一つ、縦振りの斬撃をターンで回避する。

 一つ、右から迫る薙ぎ払いを瞬時に屈んで避けた。

 一つ、左から迫る足払いから跳躍して逃れる。

 一つ、突き出される剛腕を柔らかく受け流し、そのまま宙がえりしてみせた。

 

 流麗な舞踏で四連撃を凌いだ瑛は、シャドウ絵美の頭上を翔ける。

 

 その時、誰もが白衣の天使を目の当たりにした。白いコートは翼のようにはためき、艶やかなプラチナブロンドの髪にも天使の輪が掛かっている。

 

 しかし、そんな光景に見惚れるのも刹那に等しい時間。

 瑛の背後に揺らめくナイチンゲールは、掌の上で踊らせていたメスを人間大の剣へと変化させる。

 四つの刃が閃き、それぞれがシャドウの握りしめていた武器を手から弾き飛ばす。

 空虚な音を響かせ、地面を転がる武器の数々。

 咄嗟に取り戻そうとするも、次の瞬間にはナイチンゲールの放った火柱が、それらを一山いくらの鉄くずへと熔かし尽くす。

 

『ア……』

「これでフィニッシュだよ」

 

 茫然と立ち尽くすシャドウ絵美に言い放つ瑛。

 どちらが勝者かは火を見るよりも明らか――いや、火を見るからこそ明らかと言うべきか。

 

「もうやめよ? これ以上、絵美を傷つけるような真似なんかしたくないよ」

『シャドウ……でも?』

「当たり前じゃん」

 

 戦意を失った絵美の姿が怪物のものから人の姿へと戻る。

 茫然自失とした絵美の瞳は虚ろで、とめどなく涙が溢れ出している。

 そんな彼女にゆっくりと歩み寄る瑛は、ためらいなく親友の震えた体を抱きしめた。

 

「シャドウでも絵美は絵美だよ。どっちが偽物で本物とかもない。どっちも本物。本物だから、自分の嫌な部分を受け入れることにもすっごい勇気がいる……違う?」

『……うん』

「私は私の嫌な部分なんて数えたらキリがないや。でもね、絵美を助けたいって気持ちは本当だったから……」

『なら……もう大丈夫そう』

「え?」

『今の瑛ちゃんなら、きっと助けられるよ』

 

 今にも泣き出しそうな笑顔で言い放つ絵美。

 しかし、その要領を得ない言葉に、瑛は困り果てて首を傾げる。

 

「助けるって誰を……?」

『瑛ちゃんが一番助けたかった人』

「私が……一番……」

『もうすぐ来るから』

「来る……?」

 

 言葉を繰り返すオウムとなる瑛。

 

 何度も噛み砕き、反芻し、飲み込んでいく。

 

 その度に胸の内に込み上がる不快感は留まることを知らず、みるみるうちに彼女の血の気は引いていった。

 直後、鮮烈な痛みが頭を襲う。

 

「うぅっ!?」

「ジャック!」

『私……信じてるから……今の瑛ちゃんなら、きっと……!』

 

 激しい頭痛に崩れ落ちる瑛を蓮が介抱する一方、光に包まれるシャドウは親友の身を案じる旨を告げ――在るべき場所へと還っていった。

 

「どういう意味だ、一体……!?」

「……」

「ソフィー?」

「おかしいぞ」

 

 騒然とする場の中、口火を切ったのはソフィアであった。

 

「ネガイが――還っていかない」

『!』

 

 (キング)に奪われた人々のネガイ。

 それが持ち主の下へ戻るどころか、散らばる気配も見受けられない。

 (キング)が改心しても尚、元に戻らないなど今迄はなかった。

 

 その時、蓮たちの脳裏に過った不安と懸念。それから生じた推測が、今となって現実味を帯び始める。

 

 ジェイルに君臨していた絵美の姿。

 偽物の予告状に隠された意図。

 三つあった力の象徴の持ち主。

 

 一つ一つの謎が紐解かれ、真実がすぐそこへと迫りくる。

 

 

 

 

 

『偽善仕立ての三文芝居をどうも』

 

 

 

 

 

 パチ、パチ、と軽い音が木霊する。

 頭痛に呻く瑛を抱きかかえる蓮の他、モルガナとソフィアが身構える先には一体のシャドウが佇んでいた。

 

 血塗れの白装束。靡く包帯。握られたナイフ。

 どれも見間違えることのない特徴だ。

 

「あの時のシャドウか。気をつけろ、モナ」

「言われなくても。切り裂き魔……! 見てねえと思ったら、今更ノコノコとご登場か? 役者は間に合ってるぜ」

『まさか。私抜きにこの監獄(ステージ)は成り立たない』

「やっぱり……オマエがここの真の(キング)か!」

『……』

 

 カトラスの切っ先を突きつけるモルガナが叫ぶ。

 

 一つ目の懸念、それは絵美ではなく別の何者かが真の主であること。

 

 二つ目は、

 

『そんなに苦しんで……どうして来てしまった』

「はぁ……はぁ……!」

『絵美はああ言っていたが、お前には助けられないよ。一度見殺しにしたお前には』

「う、ぐぅッ……!? はぁ……どう、いう……?」

『隠さなくてもいい』

 

 血が滲んだような色の口元が三日月を描く。

 紡がれる言の葉は、

 

 

 

『殺したかったんだろう?』

「……あ」

 

 

 

 瑛の脳天を殴りつけ、()()()()()()

 

 

 

――貴方、生意気なんだけど。――

――何様のつもりぃ?――

――まさか自分が特別とか思ってるクチ?――

 

 

 

『憎かったんだろう?』

「ぁ……あぁ……」

 

 

 

――ね~え~。なんで黒染めにしてこないのかなぁ?――

――不良だ不良だ! そんな悪い子の髪は切ってあげなきゃ!――

――キャハハ! それより今度誰かバリカンでも持ってこようよ!――

 

 

 

『辛かったんだろう?』

「ゃ……め……」

 

 

 

――ちょっと泣けば済むと思ってんの?――

――明日まで染めるかなんかしてこなきゃ……ってのはどう?――

――アッハ! それ面白そう! ……まさか逃げないよね?――

 

 

 

『だから、私が生まれた』

「ち……がッ……」

 

 

 

――ご、ごめッ……ほんと、ごめんなさい……!――

――今までのこと謝るから、()()下ろして……!――

――こ……殺さないで!――

 

 

 

『何が違う? どう違う? 違わないから私が居る。殺意(わたし)の存在を否定するのか』

「違う……違うッ!! ()()()()()!! ()()()()()!!」

 

 

 

 

 

 

 薬品の臭いが鼻をつく。

 

「――手首の傷……リストカットなんかもしてたんです。ああ、どうしてこの子があんなことをする前に気づけなかったのかしら……!」

 

 切羽詰まった母の声が、どこか遠い場所の出来事のように聞こえた。

 

「お宅の娘さんは解離性同一性障害……いわゆる多重人格障害に当たる症状が見られますね。過度のイジメによるストレスからでしょう」

 

 淡々と喋る医師の声も頭に入ってこない。

 

『――先日未明、〇〇県××市の中学校で女子中学生が起こした傷害事件ですが、学校の調査によると、同級生による執拗なイジメがあったと判明し……』

 

 テレビから聞こえてくる音声にも耳を貸さず、ひたすらに窓に映った自分の金髪と碧眼をなぞっていた。

 

 

 

 

 

 

『ク……ククク……クハハハハハハハハ!!!』

 

 苦しむ瑛から発せられた言葉を聞き届けた切り裂き魔は、狂ったように嗤い始める。

 途端に噴き上がる突風。切り裂き魔から解き放たれる魔力は凄まじく、三人も顔を顰めるレベルであった。

 

「間違いねえ、コイツは……!!」

 

 

 

『我は影……真なる影……!!』

 

 

 

()()()()()()()()()()!!」

 

 モルガナの声と時を同じく、切り裂き魔の体から伸びる包帯が周囲の牢屋へと突き立てられる。

 するとみるみるうちに包帯に血管の模様が浮かび、本体の切り裂き魔にどす黒い血液が供給されていく。

 それにつれて切り裂き魔の体は紅く膨れ上がっていく。

 やがてはち切れんばかりに肥大化した体を覆い隠すことは叶わず、あちこちの包帯が破れ、素顔が露わになる。

 

 それは瑛に瓜二つ。けれど、天真爛漫な彼女からは想像もつかないような憎悪に満ちた表情が、薄汚れた包帯の合間から覗いていた。

 

 

 

『殺してやる……私を苛めるもの……虐げるもの全部!! ズタズタに切り刻んでやるううううウウウウウウ!!!!!』

 

 

 

 

 

       

ジャック・ザ・リッパー

-Jack the Ripper-

 

 

 

 

 

彼女こそ、慈善と相容れぬが故に分かたれた殺意の衝動。

 



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Ⅹ.I`ll Face Myself

 リストバンド――親友との絆の証であり、目を背けたい傷を隠す道具。

 

 カッター――殺意と憎悪を覚えた相手へ振り下ろした復讐の武器。

 

 カルテ――見事犯罪者になってしまった自分へ授けられた免罪符。

 

「は……ははっ」

 

 喉からは乾いた笑い声しか出てこない。

 忘れていた。いや、忘れずには普通に生きられなかった。

 海外の血を受け継いだ自分は、世間一般には幸運と言われる見目麗しさを得て生を授かった。そして、均整を取るように見舞われた不運こそ、中学時代の陰惨な苛め。

 

 自分は優しい子()()()

 優しく在れば優しくされると――それが、中途半端な自分が人並みを享受できる手段だと信じて疑わなかった。

 けれど、そうした幻想はまんまと打ち砕かれる。

 

 醜い嫉妬でしかない悪感情を毎日ぶつけられ、目元の腫れは中々に治まらなかった。

 それでも家族に迷惑をかけたくない。ただでさえ不慣れな日本で四苦八苦している母に迷惑をかけたくないと、自分が抱えていた問題は自分だけのものとした。

 

(私は、私に優しくなかった)

 

 自身の中で渦巻くどす黒い何かが膨れ上がっていくことに気がつきながら、それは()()()()()()()()に相容れないものだと頑なに認めなかった。

 ある日のことだ。家のテーブルの上に無造作に置かれたカッターを見つけた。

 徐に手に取った自分は、何の気なしに刃を手首に添えた。

 プツリと白い肌が裂け、血が滲め始めた時――自分ではどうしようもない程に膨れ上がっていた黒い感情が、紅い激情と共に心に満ち満ちた。

 

 理不尽だ。不条理だ。

 ふざけるな。

 私は悪くない。

 ふざけるな。

 私の所為じゃない。

 ふざけるな。

 私だって好きでこんな見た目に生まれた訳じゃない。

 ふざけるな。

 それを妬まれるなんて。嫉まれるなんて。

 ふざけるな。

 それで傷つけられるなんて。

 ふざけるな。

 それで泣かされるなんて。

 ふざけるな。

 それで私の心が殺されるなんて。

 ふざけるな――殺してやる。

 

 次の日、屋上へ続く階段の踊り場に呼び出された。

 いつも通りニタニタと気色悪い笑みを浮かべる同級生。

 髪を切ってこなかっただとなんだと半笑いで捲し立て、とうとう鋏やバリカンを取り出してきたが、そんなものは眼中になかった。

 ポケットに隠し持っていたカッターを取り出した瞬間、彼女たちの表情が一変した。途中までは辛うじて余裕ぶっていた者も、こちらが話に耳を貸さずに一人を切り付けたら半狂乱になって泣き喚き始めたのだ。

 

 ごめんなさい。殺さないで。許して。

 そんな虫のいい言葉が次々に吐き出されていたが、ゲラゲラと笑う心の中の自分の笑い声に掻き消されて何も聞こえてはこなかった。

 すぐに騒ぎを聞きつけた教師に場は収められたが、自分の中の殺意と憎悪だけは悶々と胸の内に留まり続ける。

 

 事件はかなりの大事になり、自分もイジメの主犯であった生徒も転校を余儀なくされた。

 新天地にやって来ても尚、生まれ落ちたどす黒い自分は耳元で囁く。

 

 やり返さなくていいのか?

 あれで十分だったのか?

 いっそ殺してやればよかったのに――と。

 

 そうした幻聴も母が連れてきたカウンセラーとカウンセリングを続けていく内に聞こえなくなり、やがて自分があのような事件を起こしたことさえ忘れるようになった。

 

 そのままで居られれば幸せだったのに、どうして。

 

「どうして……」

「しっかりしろ、ジャック!」

「ッ……ジョーカー……?」

「敵が来るぞ!」

 

 そう叫ぶ蓮が瑛を抱え、モルガナやソフィアと共にその場から離れる。

 直後、巨大な怪物と化したシャドウから伸びる包帯の雨が、四人の立っていた場所に降り注ぐ。

 たかが布かと思えばかなりの切れ味だ。硬そうなレンガに刻まれる切り口は余りにも滑らかである。もしも人体に喰らえば豆腐のように切り刻まれることは間違いない。

 

「チィ!! あの野郎、以前戦った時とは比べ物にならないくらいにパワーアップしてやがるぞ!?」

「どうやらジェイル全体の力を取り込んでいるみたいだ。気を付けるんだぞ!」

 

 桁違いの強さの片鱗を見せるシャドウに歯噛みするモルガナに対し、ソフィアが冷静に分析する。

 ジェイルとは王にとっての監獄。ただ閉じ込める為だけではなく、時に攻防一体の城塞にもなり得るという訳だ。

 

「フタバの時と違って、悪い意味で自分の認知世界を思いのままにしてやがる……コイツ!!」

「それだけじゃない」

「なんだと?」

 

 口を挟むソフィア。

 彼女の瞳は目の前で暴れる怪物を前に揺れていた。

 

「これは……心だ。たくさんの人の心……悲しくて、怖くて、苦しくて、それで憎くなって……そんな現実(おもて)に出せない悪い気持ちが、あのシャドウに集まってきている……!」

「ッ……つまり、ジャック以外のシャドウの力も集まってる訳か!! クソッ!!」

 

 今まで戦ってきたパレスやジェイルの主は、自身の認知世界を思いのままに利用してきたことこそあるが、他人のシャドウの力を吸収するといった芸当を見せた覚えはない。数少ない例外を挙げるとすれば、一度現実と認知世界を融合しようと画策した聖杯くらいだ。

 規模こそ小さいが、それと同じ芸当ができる相手だとするならば苦戦は必至。それどころか戦力が足りるかどうかさえ疑わしい。

 

「どうする、ジョーカー!?」

「まずはあの包帯を絶つ。シャドウから力を吸収しているのはアレだ!」

「成程な、任せおぉっと!?」

 

 力を供給する管の役割を果たす包帯を絶とうと意気込んだモルガナへ、これまた血が滲んだように薄汚れた包帯が斬りかかってくる。

 紙一重で躱したが、背筋を冷やす思いにモルガナはブルリと身震いした。

 

「不味いな……味方が少ない分、攻撃の手がワガハイたちに集中する!! 反撃に出られねえ……!!」

「それでもやるしかないぞ、モナ」

「当たり前だ! ここで尻尾撒いて逃げるなんざスマートじゃねえからな。怪盗はきっちり仕事を遂行してこそだ!」

 

 激励の言葉ももらったところで、モルガナとソフィアがそれぞれ疾風の嵐と祝福の光を解き放ち、迫りくる斬撃の嵐を相殺する。

 

(だが、今は……!)

 

 しかし、モルガナの気がかりは、目の前の敵以上に他へ向いていた。

 

「ジョーカー! ジャックはどうだ!?」

 

 戦意喪失に等しい状態に陥っている瑛。

 今尚蓮に抱きかかえられている彼女は、息も絶え絶えといった様子で震えている。

 

「私……私……ッ!」

「しっかりしろ、ジャック。立てるか?」

 

 優しくも厳しい声音で蓮が問いかける。

 が、弱弱しく頬を涙で濡らす瑛は首を横に振るばかりであった。

 

「駄目……無理だよ……」

「諦めるのか?」

「諦めるって、何を?」

「自分の心をだ。あのまま一生憎しみに駆られたまま自分を押し殺すつもりか?」

「……分からない、分からないよ。確かにあれも私だよ。でも、あれを受け入れたら……私は私じゃなくなっちゃいそうで……!」

「……」

「それならいっそ、嘘で塗り固めたままの自分で居たいよ……私は……誰も傷つけたくないの……!」

 

 だからこその葛藤。だからこその苦悩。

 蓮に瑛の全てを推し量ることはできない。ただ、この触れ合ってきた短い間でも、彼女の優しい心根を垣間見る瞬間は幾つもあった。

 そんな彼女が自身に芽生えた殺意を認められるかと言われれば――答えは否。平凡で優しい少女だったからこそ、理不尽に向けられる嫉妬と悪意によって生じたどす黒い殺意は受け入れ難いのだろう。

 

 それこそ、心が二つに分かたれてしまう程に。

 

 これまでに何度も挫けそうな者を叱咤激励した経験はある。

 けれども、自分が彼女に掛けるべき言葉が見当たらず、蓮も一度は閉口してしまう。

 

「ごめんね、力になれなくて……私は傷つけたくない……私なんて、皆みたいに強くなれないよ……」

 

 ただ涙を流すことしかできない瑛は、そんな蓮へ謝る。

 

「それは違うぞ!」

「ッ!?」

 

 そんな時だ。

 煌々と眩く輝く光でシャドウの猛攻を押し留めるソフィアが、喉が張り裂けんばかりの勢いで吼えた。

 とてもAIが発したものとは思えない声。

 

 それもそのはずだ。これは、

 

「強いってことは、力で悪人を挫けることじゃない! 傷つけられることでもない! 強さは……意志の固さだ! 立ち向かおうとする心そのものなんだ!」

 

 彼女の()から迸った叫びなのだから。

 

「立ち向かおうとする……心」

「そうだ! 私は見てきた! 自分が悪い訳じゃないのに傷つけられた人を! それで心が歪んでしまった人を! 一歩間違えたら怪盗団の皆もそうなってしまったんじゃないかって教えてもらった!」

 

 誰もが足を踏み外す可能性のある局面があった。

 そこで道を踏み外さなかった者が居る。歪められ、外道に落ちてしまった者も居る。

 ほんの些細な掛け違いで簡単に人生が――心が歪められてしまうのだとソフィアは、()()()()()()()()()()()()()怪盗団と触れ合い、人知れず胸に刻み込んでいた。

 

「それと、もう一つ知っている! 一度踏み外してもやり直せるってことを! 人生は変えられるってことを! いいや、怪盗団が変えてみせる!」

「ッ……!」

「ジャック、私には分かるぞ! お前にはまだ反逆の意志が残ってることを! その仮面が教えてくれる!」

 

 言われてから、咄嗟に顔に触れた。

 反逆の意志の象徴たる仮面は――まだ着けられたまま。それ即ち依然として自身の心が挫けていないことを示していた。

 

「まだ立ち向かう意志があるなら立つんだ! それが強さだ! 人の心なんだ!」

 

 燻っていた炎に火が灯る感覚を覚えた。

 次第に道の先が開いて見える。なんだ、こんなにも単純な理由であったのかと。

 

「ジャック!!」

 

 ソフィアの声が、

 

「う……」

「ジャック!!」

 

 モルガナの声が、

 

「うぅぅう……」

「ジャック!!」

 

 ジョーカーの声が、

 

「ううぅぅぅううううぅぅぅうペルソナぁぁぁぁあああああああああああ!!!!!」

 

 一人の少女を立ち上がらせた。

 

「ナイチンゲール!!!」

 

 絶叫に等しい咆哮と共に剥がされる仮面。

 蒼炎と真紅の衣を纏う貴婦人が現れるや、掲げるランタンからはこれまでとは比べ物にならない熱量を孕んだ一条の光線がシャドウ目掛けて発射される。

 

『う、ぎゃあああああ!!?』

 

 地獄の業火に焼かれたかの如く身を捩らせるシャドウ。

 その余波も凄まじく、牢屋へと伸びていた包帯の幾つかを焼き切ってみせていた。

 

「こ、こりゃ凄ぇ……!」

「絶景かな……だな」

「フッ……用意はいいのか?」

「――うん!」

 

 涙で腫れた素顔を晒す瑛。

 けれども、どこか清々しさを覚える面持ちを湛えた彼女は、苦しみ悶えるシャドウ目掛けジャックナイフを突きつける。

 

「待っていて……もうはっきりしたから」

『ウ、ギギギッ……!』

「私はあの頃、私を……他の誰でもない自分自身を助けたかったの。自分に優しくしたかったの。貴方はそんな私の影……そうでしょ?」

『違、ゥウウ……!!! 許セナイ……私ダケヤラレルナンテ不平等ダァ……!!! 私ハ悪クナイノニィイイイ!!!』

「……ごめんね、もっと早く気付いてあげられなくて」

 

 後悔するように目を伏せる瑛。それも一瞬の間だけ。

 再び瞼を開けた時には、決して目を逸らさない固い意志を感じられる瞳を、シャドウの方へと真っすぐ向けていた。

 

 その姿に周りの三人は心底感服する。

 自分たちとは違う。単なる反逆の意志ではなく、受け入れ難い過去と直面しようとする姿勢は並大抵の意志では為し得られない。

 明確な敵対者と対峙するのではなく、あくまで相手は己そのもの。

 

「ハンッ! 一時はどうなるかと思ったが……やっぱり只者じゃないぜ、オマエは!」

「そんなことはないぞ、モナ。誰だって持ってる力だ。誰だって持ってる可能性だ。自分を乗り越えられるのも心の強さだ。違うか?」

「違いないな」

 

 一皮むけて逞しい姿を見せるようになった瑛へ、三人が笑みを零して語る。

 そして、確信を得た。

 

 これからが――反逆の時だと!

 

「狙った獲物は逃がさない!」

 

 モルガナがカトラスを構え、

 

「それが心の怪盗団だ」

 

 ソフィアが照準を定め、

 

「その歪んだ心……」

 

 蓮が銃口を向け、

 

「私たちが頂戴する! ってね!」

 

 瑛が地面を蹴った。

 

 たった四人の怪盗団が、嫉妬と憎悪の拠り所となった悪意へと立ち向かっていく。

 

『私ニィ、近寄ルナァ!!!』

 

 対してシャドウは先程の“インフェルノ”で焦げ、幾分か短くなりながらも依然凶悪な切れ味を誇る包帯を鞭のように振るう。

 それを軽い身のこなしで躱す四人。

 だが、ただ敵も振り回す訳ではない。一度避けたと思わせてから、自身の体同然に動く包帯で背後から攻撃を仕掛ける。

 

 四人を狙う包帯の速度は凄まじく、直線ならば敵の懐へたどり着く前に追いつかれてしまうだろう。

 

 味方が味方であれば詰みの状況。

 しかし、この窮地においても盤上をひっくり返すのがこの男。

 

「ヨシツネ!!」

 

 蓮が仮面を剥がせば、刀を携えた鎧武者が参上し、全員に迫りくる包帯を放射状に広がる連続の斬撃でいなしていく。一瞬の内に叩き込まれる八度の斬撃。これには焦げついていた包帯もまんまと細切れにされる。

 まさか対処されるとは思っていなかったのか、シャドウは驚愕の余り目を見開いていた。

 

 そのようなシャドウの心火に焼かれる肉体は、ミイラのように干乾びているにも拘わらず、身を支える腕――特に手首から溢れ出す血は留まることを知らない。いや、それこそがシャドウに集う悪意そのものなのだろう。

 差し向けられる悪意に殺されぬよう、膨れ上がる殺意を自傷で絞り出す。

 苦い思い出が脳裏に過りつつも、瑛はその手を仮面にかけた。

 

「その流れを断ち切る……力を貸して、もう一人の私(ナイチンゲール)!!」

『それを貴方が望むのならば!!』

「ありがとう……! 刻むよ、これが私の心の力!!」

 

「ジャック、援護するぞ! いっけぇー!」

 

 後方からやって来るソフィアの支援により、シャドウの守りに穴が出る。

 それを突くかの如く跳躍した瑛は、召喚したナイチンゲールによる流麗な“剣の舞”を叩き込んだ。

 

 彼女の動きも中々に冴えてきた。思わず蓮もフッと笑みを零す。

 

「やるな、ジャック」

「そんなことないよ。でも不思議……今ならなんだってできる!! そんな気がするの!!」

「そりゃあそうさ!! ここはオマエの心そのもの……オマエが主役の舞台(ステージ)だ!! オマエを縛るものは何一つだってありゃしない!! 存分に見せつけてやればいい!!」

 

 瑛が覚えている全能感は何も根拠のない自信などではない。

 半身のシャドウがジェイルの力を吸い上げているように、残り半分の心を鎧う瑛もまたジェイルの力を利用することができる。

 イセカイとは、より強大な認知こそが上を行く世界。

 仮に、悪意に染められたシャドウがネガイを奪い、大衆の心を思いのままにしたとしよう。

 だが、現実の世界で見せていた天真爛漫で心根の優しい少女の姿は嘘偽りのないものである。故に、善意の瑛に力を与えるネガイもまた、遥か頭上で輝く宝石には含まれていた。

 

 それをほんの少し借り受ける。

 かつて、変革者(トリックスター)が人々にしてもらったように。

 

 トランプにおけるジャックは最弱の絵札。

 しかし、時にはキングさえも打ち砕くトリックスターとしての形態も備える存在だ。

 弱者にとって反撃の嚆矢となる存在、それこそが『ジャック』。

 

 この窮地を逆転させる存在が居るとすれば、彼女(ジャック)をおいて他にはいない。

 

「うん……! 皆、私のリズムに乗っちゃって!」

「その調子だぜ!」

「アゲアゲって奴だな」

「望むところだ」

 

 瑛を先頭に、四人全員がペルソナを召喚する。

 

「ナイチンゲール!」

「ゾロ!」

「パンドラ!」

「アルセーヌ!」

 

『喰らえ!!』

『ウアアアアアッ!!?』

 

 四体のペルソナによる一斉攻撃がシャドウに降りかかる。

 業火を煽る旋風に、呪怨と祝福の光が突き刺さった。混沌としながらも一糸乱れぬ同時攻撃には堪えたのか、流石にシャドウもぐったりと項垂れる。

 

「やった!?」

『グ……ゥウ……』

「いや……まだだッ!!」

『ウウウウオオオオアアアアアアッ!!!』

 

 様子を見る瑛にすぐさま注意を促す蓮。

 警告通り、ダウンしていたシャドウはすぐさま起き上がり、憎悪を孕んだ瞳を瑛へと向ける。

 

『オマエダ……オマエサエ居ナケレバァァァアアア!!!』

「なっ……なに、このシャドウ!?」

「こいつは……不味い!」

 

 悲鳴にも似た叫び声を上げるシャドウ。

 すると次の瞬間、手首から垂れ流れていた赤黒い液体から二体ほどシャドウが生み出された。頭部を布で覆い隠し、鎖を引き摺る姿。それは二度と忘れない恐怖を与える死神の如き存在。

 

「“刈り取るもの”だ! あんなモノまで生み出しやがるとは……!」

「刈り取るものって!?」

「強敵だ! どうする、ジョーカー?!」

「あれは後回しだ! 本体を止める!」

 

 一体でも苦戦する刈り取るものを二体生み出され、苦虫を嚙み潰したような表情になる面々。弱点らしい弱点のないシャドウであるが故、真面に戦っていては時間を食いつぶす羽目となる。加えて体力と精神の摩耗も必至。やり合うだけ無駄な相手だ。

 しかし、だからといって無視できる相手でもない。

 刈り取るものが四人を認知するや否や、緩慢だった動きが途端に俊敏と化し、モルガナとソフィアへと斬りかかってくるではないか。

 

「うおおお!? ワガハイかよ!!」

「そう簡単にはやられないぞ! ジョーカー、ジャック!! 私たちがこいつを引き受ける。その間に標的を仕留めてくれ!」

 

 二体の難敵をワンマンで食い止めると宣言するソフィア。

 それがどれだけの危険を背負うことか、蓮は理解している。だが、現状を打開するには自分たち――万能な“ワイルド”とジェイルの王本人、この組み合わせでしか成し得られない。

 

「頼んだ、ソフィー! モナ!」

「任された!」

「ええい、乗りかかった船だ! その代わり、仕事はきっちりこなせよ!」

「ありがとう、二人とも!」

 

 そして、刈り取るものを一手に担う役目も、AI故の素早い判断力で動くソフィアと、小柄な体で身軽に動くモルガナにしか任せられない。

 しかし、長々と時間を掛ければ彼らを危険に晒してしまうことには間違いない。

 急いで本丸のシャドウを叩きに向かう蓮と瑛であったが、

 

「何っ?! 見たことがない攻撃だけど……!」

「不味い、あれを阻止するぞ!」

 

 天を仰ぐシャドウが準備する銀色の光球。

 鈍い輝きを放つ魔力の塊にただならぬ気配を覚えた瑛は、平静を保ちつつも声に焦燥がにじみ出ている蓮の言葉を受け、その感覚が間違いでなかったと悟る。

 

 とある宗教において、最終戦争の起こる地を意味する言葉を冠す技。

 反撃を許さず、森羅万象の人と悪魔を吹き飛ばす暴力の波動――その最上位に位置する魔法の名は“メギドラオン”。

 

 一発でも発動を許せばパーティが崩壊する可能性を孕む一撃だ。

 

「どうすればいい!?」

「防ぐのは無理だ、怯ませて中断させるしかない! ジャックは包帯を切ってエネルギーの供給を絶て!」

「オッケー!」

 

 問答にかける時間も惜しいと言わんばかりに突っ込む蓮に続く瑛。

 相手に反撃を許さぬ猛攻“剣の舞”でシャドウの周りに張り巡らされる包帯を次々に切り裂く。

 その間、包帯すらも足場にシャドウの頭上へ跳躍した蓮はペルソナを光臨させる。

 

「射殺せ、メタトロン!!」

 

 姿が大きく変わっても耐性が変化していないことは、先ほどのソフィアの攻撃で見抜いていた。

 “メギドラオン”が収束し切る前に怯ませるべく、瞬く間に収束した光芒がシャドウを射抜く。

 ――“マハコウガオン”。広範囲を焼き尽くす光の矢は、包帯を絶たれてシャドウから力を奪うことができなくなった本体に突き刺さる。

 

『ヴワアアアッ!!!』

 

 祝福の光に焼かれるシャドウは耳を劈く悲鳴を上げる。

 弱点を突かれた激痛に身を捩らせれば、辛うじて残っていた包帯が周囲を巻き込み、結果として円型の監獄が崩壊を始めていく。

 崩れる建物の破片に巻き込まれぬよう着地した蓮は、尚ものたうち回るシャドウから目を離さない。

 

(これは……)

 

 

 

 

 

『ア゛……アアアアアアアアアア!!!!!』

 

 

 

 

 

(間に合わなかったか!)

 

 時すでに遅し。

 既に臨界点まで達していたエネルギーは本体を怯ませたからと言って止まるものではなかった。

 敵に狙いを澄ませる時間を与えずに済んだだけでも僥倖とするべきか――眼前に迫る絶体絶命的状況に対し、蓮は冷静に思考を巡らせる。

 

 仮に“メギドラオン”が暴発したとして、その範囲は広大だ。少なくとも現在立っている場所から逃げるには時間が足りない。

 とすれば、一か八かに賭けて守りの堅いペルソナを降魔させて耐えるしかない。

 

(いや、それよりも瑛のシャドウが――ッ!?)

 

 仮面に手をかけた、その時だった。

 

「お願い、ナイチンゲール!! あの子を助けて!!」

「ジャック!?」

 

 今すぐにでも爆発しそうなエネルギーの塊目掛け、ナイチンゲールを顕現させる瑛が吸魔を試みる。

 恐らくは爆発するより前にエネルギーを吸い尽くしてしまおうという魂胆なのだろう。

 しかし、余りにも危険だ。間に合わなければ至近距離で“メギドラオン”を喰らうのだから、命にも関わる。

 

 状況の流れから、それくらいの事態になるとは彼女も察していたはずだ。

 それでもシャドウへと飛びかかった――いや、飛び出したのは単純な理由。

 

――助ける為に。

 

「くっ……うぅぅうう……!!」

『私カラ離レロオオオ!! ソウヤッテ私ヲ苛メル……私ヲ傷ツケル!! ダカラ近寄ラナイデヨオオオ!!』

「絶対に嫌!! だって貴方は私なんだから!!」

『!!?』

「貴方は私!! 私も貴女!! どっちが影とかじゃない!! もう、私ならそのくらい気付いてよ!!」

 

 それと、と限界一歩寸前で踏みとどまる瑛は、思い出したかのように柔らかな微笑みを湛え、シャドウへと告げる。

 

「お礼を言うのがまだだったね。あの時、私を助けてくれてありがとう」

『――』

「貴方が居なくちゃ、きっと私はここに居なかった……ずっと弱くて、蹲って、一人で泣いたままの私だったと思うの。だから――貴方が居てくれて良かった」

 

 時が止まったように見つめ合う二人。

 

「ジャック!!!」

 

 そんな静寂を打ち破るように、自分の身を挺して瑛を庇いに向かう蓮。

 己が信じた正義の為、あまねく冒涜を省みぬ者だからこその行動だった。

 

 しかし、現実は無情――“メギドラオン”が殻を破り、破壊の産声を上げた。

 

「ジョーカー!! ジャック!!」

「ッ……!」

 

 刈り取るものを相手取るモルガナとソフィアも、思わず足を止めてしまう光景。

 爆発の余波は尋常ではない。吸魔されたにも拘わらず有り余るエネルギーは、少し離れた二人の下まで爆風を届かせた。

 

「うぐぁ!?」

「くっ!」

 

 さらに、気を取られたモルガナとソフィアの二人も隙を突かれてしまい、体勢を崩してしまった。

 すぐに追撃の魔の手が迫るが、真面な防御姿勢を取ることもできない。

 二人の命が刈り取られるのも時間の問題。

 

 救いの手を差し伸べる者は、

 

 

 

 

 

『しかと聞き届けた』

 

 

 

 

 

 生まれ落ちんとしていた。

 刹那、木霊する声に誰もが視線を向ける。

 

『!?』

「これは……ッ!?」

 

 間もなくしてあちこちに散らばっていた包帯の欠片が浮かび上がる。物によってはトドメを刺そうとしていた刈り取るものを妨害する軌道を描き、集まる先――そこは包帯が解かれ、干乾びていた肉体もなくなり、ただの巨大な影と化したシャドウの頭上だった。

 天高く聳え立つ看守塔に吊るされる包帯の繭は、背後に慈母の笑みを湛えるナイチンゲールに抱きかかえられながら、辺りを煌々と照らす蒼炎を迸らせる。

 

『何人たりとも押さえられぬ激情。例え血に染まろうと道を切り開かんとする覚悟……ああ、殺意よりも苛烈な自愛を抱いて貴方は突き進むのね』

「……うん。もう迷わないから」

『ク……クフハハハハハッ!!! 喜びなさい、契約の(とき)よ!!!』

 

 狂気を孕んだ笑い声と共に繭が解かれる。

 するや、暴虐の嵐から主を守った包帯は、迷いなくナイチンゲールへと向かっていく。

 真紅の体を包み込む純白。最初、混ざり合うことのなかった赤と白は、片や血へ。片や骨となり新たな心を形作っていく。

 

『我、命灯を掲げし貴婦人――ナイチンゲール』

『我、紅血の切り裂き魔――ジャック・ザ・リッパー』

『新たな真名を以て』

『今こそ、転生せしめたり』

 

 二つの仮面(ペルソナ)が、一つに生まれ変わる。

 

 白いコートにシルクハット。英国紳士風の恰好は切り裂き魔の頃と変わらない。

 しかし、コートの裏地を染める真紅の彩りや、女性的な肉付きは彼の貴婦人の名残を匂わせる。

 

 そして、執拗なまでに体を覆っていた包帯は、半分を残し背中へと行き場を求め――白亜の翼の形を成した。

 

 

 

我は汝…は我…

汝ここに、りを血盟の絆へと転生せしめたり

 

絆は反の翼となりて

魂のくびきを打ちらん

 

今こそ汝、「慈善」の究なる秘奧に目覚めたり

無尽の力を汝にえん…

 

 

 

 生まれ変わった怪盗が、そこには立っていた。

 そんな彼女の背後に佇む殺人鬼。ナイフを構え、血に濡れた唇で妖艶な三日月を描く影は叫ぶ。

 

『一人殺せば殺人者……百万人殺せば大英雄! 汚れた自分を受け入れるならば……己が身丸ごと真っ赤に染めて! 敷いてあげましょう、レッドカーペット!』

「うん……刻んでいくよ、私の生き様!」

『我は汝!』

「汝は我!」

 

 血に濡れる刃は───殺人鬼の凶刃か、救世主のメスか。

 

 

 

    使

ジル・ザ・リッパー

-Jill the Repper-

 

 

 

 貴婦人と切り裂き魔が死に、生まれ落ちた殺戮の天使。

 新たな自分を背負う瑛の傍では、共に包帯に守られた蓮が珍しいものを見たように目を丸めては、感心したような笑みを浮かべていた。

 

「大した奴だ」

「どういたしまして♪」

「……やれるか?」

「勿論!」

「よし……行くぞ!」

「私に付いてこられる?」

「手取り足取り教えてもらったからな」

「オーライッ!」

 

 二人の怪盗が駆け出す。

 仮面に手をかけ、引き剥がす時に()()は現れる。

 

「アルセーヌ!!」

「ジル!!」

 

 逢魔の掠奪者と殺戮の天使。

 宵闇に紛れて奪い去る者たちが向かう先に佇む刈り取るものは、身に迫る危険を感じ取り、咄嗟に身構えた。

 

「無駄だ」

『!!?』

「チャンスは自分で作るもの、ってね!!」

 

 そんな死神を穿つ銃撃と斬撃。

 “至高の魔弾”と“剣の舞”は隙のない二体の刈り取るものを打ち崩し、強引に包囲する好機を作り出した。

 こうしている間にもモルガナとソフィアの二人は復帰。

 見事に四人による包囲網が敵を取り囲む。全員が各々の銃器を敵へ向けている。

 

 絶対的優位。

 

 そこから始まるのは当然、

 

 

 

「トドメだァー!!」

 

 

 

 モルガナの掛け声と共に、激闘の幕が下ろされるフィニッシュが繰り広げられる。

 縦横無尽に駆け巡る怪盗による、目にも止まらぬ速さの連撃。

 斬撃と銃撃が入り乱れる舞台の上で、最後のステップを踏んだ瑛は、再度の一撃を掻っ攫っていく。

 すれば、限界を迎えた刈り取るものが体を留められぬようになり、首から液体を血の如く噴き出した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「最高のクルーだね!!」

 

 彼らが華麗に盗み出したのは――紛れもない勝利。

 




Not listening
【意味】:リズムに乗れてないね!


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Ⅺ.霧

 走る。走る。走る。

 風よりも早く。あの地平線に映る野を超え山を越え。

 美少女怪盗を筆頭とする一台のレンタルカーは、のどかな田園風景が続く道の上、けたたましいエンジン音を轟かせながら突き進んでいた。

 

「仲間の窮地……遅れる訳にはいきません! 飛ばします!」

「うおおおおッ!?」

「春! 十分飛ばしてるから、それ以上はやめてぇー!」

 

 車内から悲鳴が上がるも、道路を駆け抜けていく車の速度が衰えることはない。

 法定速度を超えているか否かで言えば当然アウトだが、それでもハンドルを握るスピード狂となったお嬢様を止められぬ差し迫った事情があった。

 こうして地獄のドライブに相乗りとなった面々は、それぞれ血相を青くしながらも、何とか死なずに目的地へと辿り着くこととなる。

 

 そこに立っていたのは一人の女性。

 

「やあ、怪盗団の諸君……って、随分とお早い到着だったね。私が想定していたより一時間ほど早いんだが……」

 

 手首の腕時計を一瞥した久音が苦笑を浮かべる。

 

「はい! なんたってソフィアが選んだ経路ですので!」

「……成程」

 

 朗らか笑みを湛えて応えるのは、唯一グロッキーになっていない春である。

 今回、都心から怪盗団の面子を運んできたのは彼女だ。一大事とは言え、電車や新幹線を使わず、わざわざ車を利用するとはどういう理由(わけ)か――ソフィアからの提案とはいえ、やや怪訝に思っていた久音も実際の光景を見ては納得せざるを得ないだろう。

 顔を青くする杏と祐介や、『うっぷ!』と戻しそうになる竜司と双葉が、車内から這いずり出てくる。

 

そんな中、春以外で辛うじて話せる余裕のある真が久音に問いかけた。

 

「着いて早々ですみません、首尾の方は?」

「今のところ彼らの反応は健在だ。少なくともやられてはいないことは確かだろう」

「そうですか……」

 

 真の表情に浮かび上がる僅かな安堵と拭えぬ不安。

 基本的には現実とイセカイ間での連絡ができない以上、久音のようにソフィアを通じて安否を確認できるだけ御の字と言ったところだ。

 しかし、怪盗団の頭脳を担う真だからこそ、様々な状況を想定してしまう――それこそ彼らの命に関わるような状況も、だ。

 

「あ゛~ッ、とにかくよ! 早いところジェイルに続く入り口に案内してくれよ!」

 

 が、ここで陰気な空気を変える男こそ、怪盗団が切り込み隊長の竜司だ。

 『話は道すがら聞くとしてよ!』と急かす彼のせっかちさに呆れつつも、全員が同意見だと言わんばかりの眼差しを久音へ向ける。

 一致団結した彼らの意志は神にも屈しない。

 それを知る久音だからこそ、余計な口は挟まずに踵を返した。

 

「分かった。すぐにでも案内しよう」

「よろしく頼む。新入りの歓迎会もできないようでは怪盗団の名折れだからな」

「いや、もっと心配するとこあるだろ。おイナリ」

「ま! 変に焦るよりは私たちらしいでしょ?」

 

 双葉のツッコミを受ける祐介。

 そんな彼らに噴き出した杏が、いざ久音の背中に追いかけようと視線を上げた――その時だ。

 

「え……? 何、この霧……」

 

 視界の先に広がる霧。

 光すらも阻む白い靄は、その奥に何が佇んでいるのかさえ覆い隠しているかのようだ。

 ただならぬ気配に身構える面々。その中で久音だけは、何かを察した様子でポケットから端末を取り出す。

 演じる仮面を脱ぎ捨てた彼女の感情表現が拙いとは言え、その一挙手一投足から感情を推し量るくらいのことならばできる。

 

 不穏な気配の匂い。

 どうか外れてくれと願う怪盗団の一方で、久音の瞳はおおきく見開かれた。

 

「これは……そんな馬鹿な!?」

「どうしたんですか、一ノ瀬さん!」

「四人の……反応が消えた」

「え……」

「それだけじゃない」

 

 一つ目の内容だけでも絶句するには十分過ぎる。

 だが、それに勝るとも劣らない現実が映し出される画面を、久音は目を凝らして睨みつけていた。彼女の端末は、ソフィアと同期することによりジェイルの地図を映し出している。

 しかし、これはそんなレベルの話ではない。

 

「町そのものの反応が……消滅した?」

 

 

 

 

 

 

 二体の刈り取るものは、覚醒を果たした瑛を含む四人を前に敗れ去った。

 時を同じくし、瑛のシャドウを依り代としていた人々の悪意もまた、心の海の中へと還っていく。

 

「これで……終わったの? はっ……」

「ジャック!」

「だ、大丈夫……ちょっと力が抜けただけだから」

 

 張り詰めた糸が切れるように膝が折れた瑛を、寸前のところで蓮が抱き留める。

 封じ込めていた記憶。それでも尚奮起して激闘を繰り広げた強敵。そしてもう一人の自分を受け入れて覚醒した力。

 これらが立て続けに巻き起こったというのだから、彼女が満身創痍になってしまうのも無理はない話だ。事実、この手合いには慣れた蓮やモルガナでさえ、表情に疲労の色が窺える。

 

「でも、これで元通りになるんだよね?」

「ああ、よくやったな」

 

 ジェイルの(キング)が瑛自身だったとは言え、彼女のシャドウはこうして仮面(ペルソナ)へと生まれ変わった。

 徒にネガイを奪う存在が居なくなった以上、ネガイはあるべき持ち主の下へ還り、歪んだ現実は本来の姿を取り戻すことになるだろう。

 

 それを聞いた瑛はふにゃりと緩んだ笑顔を咲かせる。

 

「あはは! それだけ聞いたら安心した……あ~あ、なんだかお腹が空いてきちゃったな!」

「帰ったら祝勝会だ」

「ハッハッハ~! 遠路はるばる来てくれたアイツらにゃ悪いが、今回はワガハイたちに華を持たせてもらおうぜ」

「私は皆が来てくれるだけで嬉しいぞ」

 

 と、和やかな雰囲気が漂う中、

 

「あっ……ネガイが……」

 

 ふと空を見上げた瑛が、霧散していくネガイを捉えた。

 巨大な塊を形成していた宝石は、さながら流れ星のように四方八方へ飛び散っていく。認知世界のどこかを彷徨うシャドウの下へ向かっているのだろう。

 眩い煌きが尾を引く光景は、傍目からすれば美しいものだ。

 しかし、実際に彼女が想い抱く感想はと言えば、得も言われぬ寂寞感。

 

 その理由に見当をつけた瑛は、目を伏せてキュッと唇を噛み締めた。

 確かに自分の影を蝕み、王へと持ち上げたのはどす黒い悪意だったかもしれない。

 だが、それが全て唾棄されるべき感情だったとは思えなかったからだ。イジメを憎む心、親友の無事を願う心、義憤のままに力を振るおうとする心――見方を変えれば正義と捉えられる思いもあった。

 いや、だからこそ正義なのかもしれない。

 心の底から願った思いだからこそ、過ぎては消えていく尊くも儚い輝きを放つのだろう。

 

 あの中には、自分を守ろうとしたネガイも込められている。

 そう受け取った瑛は、そのまま手を組むや、祈るように瞼を閉じた。

 

「ジャック?」

「……もう大丈夫。お願いしたから」

「お願い?」

「皆のネガイにね、『幸せになりますように』って」

 

 現実の流れ星と同じように。

 

「届くといいな」

「きっと届くさ」

「うん……ジョーカーが言うと、不思議とそんな気がする」

 

 身を賭してまで庇おうとしてくれた蓮に対し、瑛は全幅と言っても過言ではない程度に信頼を置くようになっていた。

 これもまた彼を怪盗団のリーダーたらしめる才能だろう。

 モルガナもうんうんと首を振りつつも、その様子はどこか忙しない。

 

「オラ! いつまでも駄弁ってないで現実に帰ろうぜ!」

「どうしたのモナちゃん? そんなに急いで……」

「別に急いじゃねーよっ!」

「きっとパンサーに会うのが楽しみなんだ」

「ギクッ!」

「パンサー? ……あぁ、確か杏ちゃんって子だっけ?! モナちゃんが好きな女の子。そう言われると私も本物の“アン殿”に会ってみたくなってきたなぁ~!」

「べ、べべべ別にアン殿に会いたくてウズウズしてるとは言ってねーぞ!」

 

 ソフィアに考えを見透かされるモルガナだが、愛しの杏への情熱が冷める気配は見受けられない。一刻でも早く杏に会いたいという思いを表すかの如く、尻尾はビンビンに伸びきっている。

 

「仕方ない。モナが会いたがってるから早く帰ろう」

「そうだね。モナちゃんが会いたがってるから」

「だな。仕方のないモナだ」

「だぁー! なんでワガハイの我儘で帰る流れになってるんだ!? オマエら、そんな態度じゃワガハイに乗せてってやらねえぞぉー!」

 

 モルガナカーへの乗車権を盾に抗議するモルガナ。しかし、哀しいことに露ほどの効果も見受けられない。

 三者から向けられる微笑ましいものを見る瞳――モルガナにとって、これ以上の辱めはなかった。

 

「ったく……いつから全員こんな小生意気になったんだか……んっ?」

 

 トボトボと帰路につくモルガナであったが、彼の髭が微細な震動を捉えた。

 

「これは……不味い! 全員乗り込め!」

 

 咄嗟に車へと変化するモルガナ。

 態度が急変する彼へ呆気に取られる瑛であったが、真剣な声色を聞き取った蓮が彼女の手を引き、車の中へ飛び乗った。

 続けてソフィアも器用に荷台から乗り込む。

 全員の搭乗を確認するや、車は土煙を上げて爆走を始めた。レンガの地面にもきっちりとタイヤの跡が残るほどの速度。ハンドルを切る蓮の真横で、シートベルトを着ける間もなかった瑛は上下左右へ激しく揺れる車内で悲鳴を上げていた。

 

「んひぃぃぃいいい!!? なになになになに、この急なアトラクション!!? 痛っ、頭ぶつけたァ!!?」

「くっ……ソフィア! 後ろの様子は!?」

 

 ミラーで後方確認する余裕もない蓮がソフィアに問いかける。

 一方、レンズのように均整が取れた瞳は、迫りくる物体を確かに捉えていた。

 

「あれは……()だ。霧がこちらに向かってくる!」

「霧? でも、ここまだイセカイだよ!?」

 

 ソフィアが告げる存在に耳を疑う瑛が振り返るが、言われた通り、数メートル先も見えなくなるような濃霧が監獄のあちこちから滲み出し、爆走する四人の後を追いかけてきていた。

 イセカイの崩壊か? と蓮の脳裏に過る考えも、次の瞬間には切り捨てられる。

 パレスならば兎も角、ここはジェイルだ。統治する王が居なくなったとしても崩壊が始まらないことは経験済みである。

 だからこそ、今回の事態は異常だと理解できた。

 

「うわぁ!? ジョーカー、霧がもうすぐそこまで来てるよ!! もっとトばせない!?」

「アクセルはベタ踏みだ! これ以上は……!」

「頑張れ、モナ! ここが踏ん張りどころだぞ!」

『分かってるっつーの! クソッ、追いつかれ……う、うおあああ!!?』

「きゃあああ!!」

 

 そして、この“霧”こそが異変の元凶であると思い至ったところで、四人は白い霧の中――その奥に広がる暗い闇の中へと飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 暗い闇の中に光が見える。

 どことなく冷たい印象を与える深い青色。だが、この時ばかりは人の手の及ばぬ海底に差し込む一条の陽光を思わせる温かさを覚えた。

 

 体に伝わる熱に、意識が覚醒した。

 深い眠りから叩き起こされたような頭痛こそ覚えているが、幸いなことに体に痛みは感じない。

 

「ここは……どこ?」

 

 初めて来る場所に瑛が首を傾げた。

 寝覚めの視界と朦朧とした意識では、自分がどこに居るのかさえままならない。

 しばし、頭を抱えて呼吸を整える。少しばかり頭痛が止んだところで思考を巡らせれば、途端に記憶が鮮明に呼び起こされた。

 

「そうだ! ジョーカー!? モナちゃん!? ソフィー!? どこぉー!?」

 

 意識が落ちる直前――迫りくる霧に呑み込まれた時、共に居た仲間の名前を叫ぶ。

 すると、直後に大音量で声が反響するものだから、依然として鈍痛に苛まれたままの頭を抱える羽目になる。

 

「うっ……ここは一体……あれ?」

 

 見慣れた、と言っては語弊が生まれる。

 割と()()()()()な部屋に閉じ込められていると分かり、瑛の頬には一筋の汗が伝う。

 

「ろ、牢屋……?」

 

 まさか自分(シャドウであるが)の悪行がバレて御用になったのでは? と悪い妄想が脳裏に過るが、怪盗服のままである姿に気づく。

 仮面もそのまま。少なくとも現実世界でないことは確かだ。

 となればイセカイ――自分のジェイルに無数に存在した牢獄にでも投げ込まれた可能性が最も高い。

 

 しかし、それはないだろう。

 理屈ではない。

 直感が、自分が閉じ込められている牢獄がジェイルでないと訴えているのだ。

 

 と、自分でも分からない確信を抱く瑛は、不意に聞こえてくる靴音を耳にし、弾かれたように振り向く。

 

「貴方は……?」

 

 檻の前に佇むのは、何とも愛らしい見た目の少女であった。

 白銀の長髪、蝶々の髪飾り、金色の双眸、深い青を基調としたワンピースなど、見れば見る程に人形とでも見間違う整った美しさだ。

 

「ようこそ、ベルベットルームへ」

「ベルベット……ルーム?」

「申し遅れました。私、ベルベットルームの主の付き人を務めております、ラヴェンツァと申します。以後、お見知りおきを……」

「こ、これはご丁寧にドウモ……あ、あのっ!」

「貴方が捜しておられる方々は、既に客室へ案内しております。どうぞこちらへ。それと鍵は最初からかかっておりません」

「え……? あっ、ホントだ!?」

 

 なんで私気づかなかったの!? と紅潮する頬を覆い隠すも、興味がないのか、あるいは単に流してくれているのか、ラヴェンツァと名乗った少女は小さな歩幅で道案内を始める。

 自分のジェイルとはまた違った雰囲気の牢獄だ。

 向こうがおどろおどろしい雰囲気に満ちていたのに対し、こちらは幻想的な印象さえ感じられる。それどころか得も言われぬ安心感さえ覚えてくるではないか。

 瑛は、この温もりに身近な人間の顔が脳裏に過ったところで、意を決して問いかける。

 

「あの……ラヴェンツァさん?」

「どうされましたか?」

「その、ベルベットルーム……でしたっけ? ここもイセカイなんですよね?」

「現実の世界ではないという意味では間違いありません。ですが、単なるイセカイかと言われますと、それは違います」

 

 一際眩い光が差し込む扉の前で立ち止まるラヴェンツァが、聞き返すタイミングを見失い茫然とする瑛へ、中へ入るよう手で促す。

 

「ここは精神と物質の狭間に存在する空間……どうぞ奥へ。我が主がお待ちしております」

 

 

 

 

 

「ようこそ、我がベルベットルームへ」

 

 

 

 

 

 円形の部屋の中央にポツンと置かれる机。

 そこに肘をかけていたのは、正しく異様な人間であった。長い鼻や細長い手足など、普通の人間から見れば不自然と感じる特徴を有した老人が、目を見開き、歯を剥き出しにしながらも口は開かないという器用な喋り方で語り掛けてきた。しかも、見た目に反して不自然なまでに甲高い声だ。

 ふと過る“悪魔”の言葉。

 口にこそ出しはしなかったが、彼の特徴はそう言い表す他なかった。

 

 仮に一人で来ようものなら、目の前の存在に慄く他なかっただろう。

 しかし、ラヴェンツァが告げていた通り招かれていた客人に気づき、瑛は何よりもまず駆け出した。

 

「皆!」

「ジャック! 無事でよかった……ここまで案内してくれてありがとう、ラヴェンツァ」

「いえ、私は自分の役目を全うしたまでです。マイ・トリックスター」

 

 瑛の無事の安堵を見せる蓮の礼に、ラヴェンツァは恭しく頭を下げる。

 何とも奇妙な関係性をやり取りだ。

 だが、安否が判明した三人が揃って『イゴール』を名乗る男の前に並ぶものだから、自然と瑛もその列に並ぶ。

 

「あの~……これはどういう集まりで?」

「それを今からお話するところでした」

 

 イゴールは並び立つ四人を一瞥し、クツクツと喉を鳴らす。

 

「こちらにお目見えになるのが初めてなのは、そちらのお二方ですかな? こうして大勢をお相手するのも久方ぶり……いやはや、その折は誠にありがとうございました」

「だからこそだ。事の重大だってのはひしひし伝わってくるぜ」

 

 どことなく背筋が伸びているモルガナが口を開いた。

 が、“その折”を知らないソフィアは首を傾げる。

 

「前に大勢来たのはいつの事だ?」

「世界が滅びかけた時だ」

「え……?」

 

 蓮の言葉に瑛は耳を疑った。

 思わず懐疑的な眼差しを送ってしまったが、どうにも嘘を言っているようには見えない顔だ。

 

「世界が滅びかけた時って……それじゃあ町は!?」

「順を追ってお話しましょう」

 

 最悪の事態を想像した瑛をイゴールが落ち着いた声色で遮る。

 

「貴方たちをベルベットルームへお呼びした理由……それこそまさしく現実世界の危機に直結しているのです。あの霧は御覧になりましたかな?」

「ああ。……あれが元凶なのか?」

「恐らくは」

 

 断言できない。すなわち、イゴールでさえ正体を掴めない相手に、蓮とモルガナの表情が険しくなる。

 

「あれは暗き闇の深淵……心の海より生じたものでしょう。人々の熱狂に沸かされた欲望が、王という拠り所を失いあのような形に……すなわちあれは『世界』そのものであり、異界への門……いや、鍵と言うべきでしょうか。一つ一つは小さな欲望の寄せ集めとは言え、その力が計り知れないことは、貴方自身もよくご存じの筈だ」

「人間の欲望が認知世界を創り出したと?」

 

 イゴールは頷き、続ける。

 

「時に人の関心は己が手に握る一つの道具へと寄せるようになりました……それは気安く語らう友人を生み出す一方で、存在しない虚像を生み出したのです」

 

 確かに情報機器が発達し、容易く人と人が繋がる時代になった。

 SNSでは出会ったこともない人間の言葉や生活を覗き見し、時には画面越しで言葉のやり取りをするようにもなっただろう。

 ただし、人との繋がりが容易になった一方、ネットの海に流れる心無い言葉を目の当たりにする機会や、匿名だからと過激な発言を発信する機会も増えた。

 それが本人に届くこともあれば、届かないことも勿論ある。

 しかし、人の目――特に母数の多い第三者に触れる以上、生じた悪感情は心の海を漂うようになる。ここまではいい。

 

 問題なのは、悪感情の行き場。

 正確に言えば、悪感情の矛先となる存在が居ない事実である。

 不快感や嫌悪感から生じた悪感情は、間違いなく実在する人間により生み出されたもの。ただ、ネットというフィルターを通している分、人々は目にしたこともないような人物を想像するようになる。

 

 やがて、それはネット上の偶像という“空虚”を生み出すようになった。

 人々に認知される非実在的存在。奇しくも認知する人の母数が多いことから、心の海――普遍的無意識の中には不透明で不明瞭、そして不確かな空虚が漂うに至っていた。

 

 それが今、ある時を境に意志を持った。

 

「これまで辛うじて心の海近くに漂っていた“空虚”……しかしながら、ある時大勢の人間が画面の奥に心を奪われる事件が起こった。貴方はよくご存じでしょう?」

「EMMAか」

「左様。彼の悪神にも劣らぬ力を得た電脳の神の登場に、認知世界は大きく揺らいだ。そして神が打ち倒された後、信ずる神の喪失に穿たれた心の空虚へ、彼の霧は居座ったのです……」

 

 ソフィアの方へ目を遣る蓮。

 表情を取り繕ってこそいるが、やはり親子なのだろう。久音と同じように感情表現が乏しそうに見えて案外分かりやすい。今回の事件のきっかけを生み出したEMMA――そのプロトタイプである己にも責任の一端があるのでないかと考えているようだった。

 となれば、少々お門違いだ。

 確かに彼女自身は過去の久音に見限られ、その後にEMMAが生み出された経緯こそあるが、どこを見ても彼女が責任を感じて然るべきことはない。

 

 しかし、少しずつ事件の全貌が見えてきたのは事実。

 ソフィア自身が黙して耳を傾けている以上、蓮は不必要に言葉を投げかけず、静かに次の言葉を待った。

 

「此度の相手は少々厄介でしょう。彼の霧は、人々の心に立ち込める靄より生じた存在……一にして全であり、全にして一である有様は、最早『世界』の仮面(ペルソナ)と言っても過言ではありません」

「『世界』……か」

 

 蓮が、その言葉を繰り返す。

 “愚者”の終着点。最終にして最上の結末であり、絆の涯に得られる無尽の力。

 それを育まれた絆などではなく、不定形の虚像を呪う心から生み出されたと考えると怖気を覚えるようだ。

 

 

「そんな相手……一体どうやって戦えばいいの……?!」

 

 瑛はようやく対峙していた黒幕の強大さを呑み込んだのか、慄いたように震えた声で紡いだ。

 確かに自分は恐怖を乗り越え、過去の自分と向き合い、新たな自分へと生まれ変わった。

 しかし、それはあくまで一個人に起こった事象でしかない。

 到底『世界』を変え得るだけの力はないのではないか――とすれば、なんと自分は無力なのだろう。

 

 だが、それで折れた訳でもなかった。

 聳え立つ壁の大きさを知っても尚、どうにかして乗り越えようと、どうしようもない程に心が燻っている。

 

「立ち向かう術は一つ、歩み続けることです」

「え……?」

「人ならば誰しもが持ち得る力。それこそが、此度の難局を打ち破る道標となりましょう」

 

 そんな少女の背中をイゴールが押す。

 

「ペルソナ使いだからと言って、それは選ばれた存在でも、『世界』を変えられるのでもありません。死の恐怖を乗り越えることも、隠された真実に目を向けることも、降りかかる不条理に抗うことも、全てはきっかけに過ぎないのです……必要なのは()()()()()()()()。それが何にも勝る人の強さ。永い旅路を辿るに必要な心構えです」

「前向き……ふふっ、あはは、あはははは! なーんだ、そんな簡単なことでいいんだ!」

 

 穏やかに諭すイゴール。

 すると真摯な面持ちで聞いていた瑛が、堪え切れなくなったように噴き出した。

 

 そうだ、今更だ。

 絶望が立ちはだかろうと、『世界』が影に満ち満ちようと、それで自分たちの道が終わる訳ではない。

 道を阻まれたのならば切り開くだけ。

 新たな自分に生まれ変わった瑛にとって、それはストンと胸に落ちるような核心を突いた答えだった。

 

「フンッ……願ってもない」

 

 一方、蓮は仮面に手をかけ、不敵に笑う。

 

「もう一度『世界』を頂戴してみせる。一度も二度も大差はない」

「……それでこそ我がトリックスターです」

 

 全人類に対する挑発に等しい宣戦布告に、待ち受けていたと言わんばかりの微笑みをラヴェンツァが浮かべ、手にしていた本を開く。

 ペルソナ全書――そう記された書物の中には、優に百を超える仮面が記されている。

 無論、蓮のアルセーヌや、ついさっき誕生したばかりのジル。ありとあらゆるペルソナの名が連なる中、ラヴェンツァが目に止めたのは竪琴を奏でる奏者と漆黒の衣を纏った偉丈夫だった。

 

「かつて『世界』を手にした者たちは、立ちはだかる苦難を前に、その絆より生まれる無尽の力を用い、世界を滅ぼさんとする絶望を打ち払ってきました」

「ある者は死の答えにたどり着き、ある者は霧の中に隠された真実を見つけた……そして貴方は、反逆の御旗のもとに集った仲間と共に自由を勝ち取った」

「その掛け替えのない未来を取り戻せると……私たちは信じております」

「『希望』……『神官』……そして『慈善』。新たなアルカナと育んだ『世界』は、より強固な絆へと昇華しているはず。細やかではございますが、貴方方の行く旅路に幸多からんことを願っております」

 

 

 

 

 

――貴方方は、最高の客人なのだから。

 

 

 

 

 

 最上級の賛辞を背に、四人はベルベットルームを後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

『――ィー。ソフィー、聞こえていたら返事をしてくれ!』

「! 一ノ瀬か。私だ」

 

 ベルベットルームを発つや、ソフィアに組み込まれた通信機器から通信が入る。

 切羽詰まった声。余程自分たちを心配してくれているのだろうと一種の安堵を覚えながら、ソフィアは応答してみせた。

 すると、驚くような息遣いが響いてから一拍置かれる。

 

『やっと連絡が繋がった……良かった。全員無事かい?』

「勿論だ。それよりも厄介なことになった」

『ああ、こっちからも想像はつく』

 

 互いに神妙な声色だ。

 そこへ口火を切ったのは蓮である。

 

「とりあえず外の状況を知りたい」

『ジョーカーくん……済まない。後から来た怪盗団の諸君を案内する手筈だったんだが……どうやら町とそれ以外が霧で断絶されているようだ。それで……』

「イセカイに入って侵入できない、か?」

『ッ……! 何か掴めたのかい?』

「ああ、実は――」

 

 イゴールとの会話で得られた情報を久音と共有する。

 内容が内容だ。顔こそ窺えないものの、余りにも壮大で荒唐無稽にも聞こえる話に、彼女の呻き声がはっきりと聞こえてくるようだった。

 だが、彼女もまた事情を知る人間の一人。この呻き声も、あくまで相手の強大さ故の苦慮によるもの。

 

『成程……そんなことになっていたとは』

「ああ。俺たちはこれから元凶を倒しに行ってくる」

『待ってくれ。いくら君たちでも戦力が心許ない。私とナビくんでどうにかするから、全員が揃うのを待ってからの方が……』

「済まないが猶予がない。どうやら現実とイセカイの融合が始まっている。このまま侵食を許してしまえば取返しが付かなくなる」

『それは……しかし』

 

「信じてくれ、一ノ瀬」

 

 四人を案ずるが故に引き留めていた久音であったが、ジッと口を結んでいたソフィアが言い放つ。

 

『……ずるいよ、ソフィー。そんなことを言われたら、送り出さずには居られないだろう』

「ごめんなさい」

『いいや、いいんだ。君は私の子供で……大切な友人だ。君が望むなら、私は君を送り出す。そう……決めていたからね』

「一ノ瀬……」

『だから約束してくれ。無事に帰ってくると』

「……了解だ!」

 

 母娘であり友人。

 奇妙な間柄ではあるが、互いに信頼し合っている事実は歪められない真実だ。

きっと見えない声の向こうでは困ったような笑みを浮かべているのだろう。そんな久音の姿を想像したソフィアは、せめてもと元気いっぱいに応答してみせた。

 

『おおい、ジョーカー!! 聞こえてっか!?』

「スカルか」

『悪ィ、今すぐそっちに行きてえけど無理みたいだ……すぐに追いかけっからくたばったりしてんじゃねえぞ!!』

 

 そして、今や今やと待っていた怪盗団の面々も口を開き始めた。

 

『んもう! 言いたいことあるのはあんただけじゃないっつの! ジョーカー、モナ、ソフィー、それにジャック……顔も見たことのない貴方に任せるのは正直気が引ける。でも、これだけは忘れないで。私たちが付いてるってこと!』

「パンサー!」

『霧、か……やはり人の心は不可思議だ。虚妄とは言え、一つの世界までをも生み出してしまうのだから。だが、お前達には造作もないだろう? 世界を盗み出すぐらいの芸当はな』

「フォックス!」

『いい? 絶対に無理はしないこと。撤退も立派な戦略なんだからね……だから怪我だけはしないでよね? それからまた皆で一緒に旅に出かけるんだから』

「クイーン……」

『ま、わたしは皆が勝つって分かり切ってるけどな! ……んでも、わたしゃ自分が参加してナンボな性質だからな。待ってろ、このわたしがパパっと皆を連れてってやる! もしも負けたら……そうじろうの家で皿洗いだ! いいな!?』

「ナビ……」

『ごめんなさい、皆……折角来たのに何もできなくて。本当に無理だけはしなくていいんだよ? ……って言っても、私の知ってる貴方たちは行っちゃうよね。だからこれだけは言わせて……貴方たちの勝利を信じています!』

「ノワール……!」

 

 送られる激励の言葉に、四人は体の芯から奮い立つような感覚を覚えた。

 力が満ちていく。これは錯覚などでは決してない。四人の勝利を信じる仲間の心が、少なからず彼らに力を与えたのだ。

 

「皆、ありがとう」

「フーンだッ! ワガハイらがパパっと解決してきてやる! その目にしかと焼きつけろよォ!」

「素直じゃない奴だ、モナ」

「そこがモナちゃん可愛いところなんだけどね」

 

 分かる~、と女子陣からの声が上がれば、モルガナが赤面しつつ抗議する。

 と、瑛が怪盗団女子と距離を縮める一方で、久音が『最後に』と付け加えてきた。

 

『ジョーカーくん』

「一ノ瀬?」

『この前話していた件についてだが……――』

「――!? 本当か?」

『ああ、間違いない』

「恩に着る。これで敵の居場所に見当がついた」

『本当かい?』

「ああ」

 

 全ての黒幕が居座る根城。

 その場所が推測できたと断言する蓮に、空気が一変する。

 誰もが四人の無事を、勝利を、必ず帰ってくるようにという願いを胸に、見送る態勢に入っていた。

 

 世界の命運は、まさしく自分たちが担っている。

 

 こんな時、勇者ならばどうするだろうか?

 ここまで辿り着いた遥かなる旅路に思いを馳せるだろう。

 こんな時、英雄ならばどうするだろうか?

 臆する者達を奮い立たせる言葉で場を沸かせるだろう。

 

 だが、怪盗はそのどれとも違う。

 

「さぁ……ショータイムだ!!」

 

 大胆不敵に宣戦布告。

 なぜならば、自分たちは『世界』を救うのではない。

 『世界』を――奪う側なのだから。

 

 

 

 

 

 

「――実はね、ジョーカーとモナちゃんの二人に黙ってたことがあるの……」

「なんだと?」

「その……二人に酔っ払った人から助けてもらった後、公園に行ったよね。実はあの時モナちゃんの声、聞こえてたんだ」

「ナンダトッ!?」

 

 目的地へ向かうモルガナカーの中、神妙な面持ちの瑛が語る衝撃的な事実。

 同時に浮かび上がる一つの疑問。

 

「それじゃあジャックはあの頃にはもうイセカイに行ったことがあるのか!?」

「イセカイには……ごめん、覚えてないの。私もあの時は幻聴だとばかり思ってたから言いそびれちゃって……」

「そう、か……いや、助かったぜ。少なくとも今回の敵は、その時期にゃオマエと接触していたってことだ。それだけでも話してくれた価値はある」

「モナちゃん……ありがとう!」

 

 励ましの言葉にはにかむ瑛。

 一方、ハンドルを握る蓮の座席の背もたれに、背後からソフィアが腕を回した。

 

「ジョーカー、今の話はどうなんだ? 一ノ瀬から聞いた話……敵の居場所に見当がついたと言ってたな。それと合わせてみたら……」

「ああ。尚更確信を得られた」

「……私も、一人だけ心当たりがあるの」

 

 迷わずハンドルを切る蓮。その隣に座る瑛は、車が突き進む道のりも併せ、これから向かう先――そして出会うであろう人物に当たりをつけていた。

 

「私は……ううん、()()()()()()()()()シャドウが(キング)にさせられてたなら、それは過去の私を知ってる人しかありえない」

 

 傷害事件を起こし、転校せざるを得なかった瑛。

 そうした彼女の経歴を知る者は、遠く離れたこの地では限られてくる。

 

 

 

「――ですよね、(はざま)先生」

 

 

 

 辿り着いた場所。

 週末には一家団欒の光景に溢れかえるスーパーマーケット――正確には言えば、その中にひっそりと佇むクリニックが、虚像の皮を捨て去っていた。

 在ったのはガラス張りの扉などではなく、中世を彷彿とさせる堅牢な鉄の扉。大仰な装飾と奇怪な紋様が描かれている扉は、余りにも異質であった。

 

 そして、その扉の前に佇む男は、不気味な薄ら笑いを浮かべていた。

 

『……よくここまで辿り着いたね。まさか君までもやって来るとは正直驚きだ、福田くん』

「いつからですか?」

『いつから……とは?』

「私に目をつけ、ジェイルの(キング)に仕立てあげ、この町を欲望で歪めようとしたことです!」

 

 怒気を孕んだ声がキンキンと響き渡る。

 が、男は薄気味悪い笑みをそのままに淡々と答える。

 

『ずっと昔から……と言えば、君はどれくらいの時間を想像する?』

「え……?」

『君と出会った時から? この男が認知訶学などという学問に触れてから? それとも認知訶学という学問がこの世に生を受けてから? ……どれも違う』

「キサマ……何者だ!?」

 

 モルガナの剣呑な声が飛ぶ。

 

 それは男の様子が、現実世界で出会った心療内科医である姿とは明らかにかけ離れているからだ。いや、そもそも目の前の男が本物であるか定かではなくなる口振りをするからであった。

 金色の瞳を見る限りシャドウであることだけは分かるが、それ以上のことはどうしても憶測になってしまう。

 

 だからこそ、全てを明らかにすべく蓮が告げる。

 

「正体を表せ」

『――いいだろう。この男の体も用済みだ』

「!」

 

 刹那、丈の体が崩れ落ちる。

 するや、彼の体から浮かび上がる“霧”が形を成していく。

 

 人間よりも小さく、布を被ったような姿。

 しかし、定まった輪郭がないのだろうか。一度瞬きすれば、また違った姿を晒す存在は極めて不安定であった。

 

『我が名は、命永らえしもの……『ウムル・アト=タウィル』。この門の番人である』

「門だと? 一体何の門だ」

『……ところで君たちは、夢は見ているか?』

「……なに?」

『夢や願望……小さなものから大いなる野望に至るまで、遍く命は望みを抱いている。欲望が命を生み、欲望が命を繋ぎ、欲望が命に意義を与える。欲望とはすなわち、命そのものさ』

「何が言いたい」

『この先には、全ての欲望を叶えられる力がある』

「大した妄言だな。そんなものに付き合っている暇はない」

『妄言と望むのもまた欲望だ……いいだろう。僕はあくまで化身であり番人。この門を潜るに相応しい旅人とその一行よ、世界の真理を見に行ってくるといい』

 

 そう言って、ウムル・アト=タウィルは白銀の鍵を取り出し、門の鍵穴に差し込んだ。

 悲鳴染みた金属の軋む音を奏で開かれる扉。中からは一寸先も見えない濃霧が満ち満ちており、とてもではないが先へ進めるようには見えない。

 

――進まざるを得ない。そんな威風を、奥から感じる。

 

 しかし、瑛が向かう先は門よりも前にあった。

 

「間先生!」

『死んではいない。彼もまた一人の夢追い人……その知識と記憶から体を借りたが、悪いようにはしていない』

「……本当?」

『僕は命にとって敵ではない。純然な味方でもないが、与えられた役割を超える真似はしない』

「……」

 

 半信半疑といった眼差しを送る。

 だが、現に丈のシャドウの息がある以上、しつこつ追及しても無意味だと悟ったのだろう。倒れた丈を近くに寝かせ、瑛は先に門の前に待機していた三人の下へ並ぶ。

 

「ごめんね、待たせて」

「気にするな、ジャック」

「ああ。……フタバの母親と同じで利用された人間だったか、アイツも」

「一つ、やることが増えたな」

 

 気さくに応えるソフィアの傍ら、憐れんだ瞳を浮かべるモルガナと拳を鳴らす蓮。久音と善吉の調査から、若葉と同じ研究機関に所属していた経歴を有していた丈であるが、彼もまた利用されていた側の人間に過ぎなかったのである。

 義憤に燃える蓮に、思わずモルガナも『オマエ、そんなに血の気が多かったか……?』と呆れるが、緊張を緩めるには十分なやり取りだった。

 

 万全を期した四人が、門の前に並び立つ。

 

「……行くぞ」

 

 そして、足を踏み入れた。

 

 空間に(ひし)めく霧、霧、霧……。

 

 じっとりと肌に張り付く不快感は、虚像へと吐き捨てられた人の悪意を表しているかのようだ。

 そのような空間を延々と歩いていれば、一つの門にたどり着いた。

 先程よりも大きく、荘厳ながらも不気味な門。圧巻され、次には絶句するような果てしなさを兼ね備えている。

 

 しかし、それは出入りするものではなく、中に居る何者かを閉じ込める為にあるのだろう――四人は自然とそう思い至った。

 

 次の瞬間だ。

 どこからともなく差し込む光が霧を照らし、無数の虹を浮かび上がらせる。

 虹は次々に霧を抉り取り、球体と化し、最後には幾百もの虹の球体が合わさった塊が出来上がっていた。

 

『――汝、何者だ』

 

 重く、鈍く響く声。

 圧し掛かる重圧に、思わず閉口せざるを得なくなりかけたが、ここで口火を切るのは蓮であった。

 

「お前に用があって来た者だ」

『願望を叶えに赴いた旅人か……今や世界は我の力により、表裏なく一体となろうという道の半ば。誰しもが自分の影を知られまいと怯える世界はなくなり、全てが影を受け入れられる時が来ようとしている。ままならぬ現実は消え去り、己が望むままに塗り替えられる世界だ……良かろう。手始めに汝だ、言ってみせよ』

「そうか」

 

 蓮は、隣に並び立つ仲間の表情を見遣る。

 誰もが決意に満ちた瞳を浮かべ、そのまま浮遊する『世界』を睨みつけた。

 

「俺たちがお前に望むのはただ一つ」

 

 蓮は、そんな彼らの心を代弁するように、

 

 

 

 

 

「――失せろ」

 

 

 

 

 

 取り出したハンドガンの銃口を突きつけた。

 

『……良かろう。ならば、我の仮面……屈して手に入れてみせよ』

「ッ……なに、この揺れ!?」

「チィ!! ま、ただ願いを聞いて叶えるたぁ端っから思ってなかったがな!!」

 

 突如、霧に満ちた世界が地響きと共に開かれていく。

 霧は門の中へと吸い込まれるようにして消え行き、残ったのはひたすらに広大な闇ばかり。宇宙に放り出された浮遊感を覚える四人は、直後に轟音を鳴らす扉を見遣った。

 

『我は影……全なる影……』

 

 幾条も重なる封をかけていた鎖が、何度も何度も歪む扉にとうとう耐え切れなくなり、次々に引き千切れていく。

 

『無名の霧より生まれし、無限を体現するもの……』

「ジョーカー! 出てくるぞ!」

「ああ――()()()()()()

 

 完全に封が解かれた。

 巨大な門を奥から開くのは、無数の触手と恐ろしい口を携えた怪物。見る者の根源的恐怖を呼び起こす外見を備えた、人知を超越した存在――否、“空虚”であった。

 

 

 

 

 

 

    

      

 

 

 

 

 

 

 『世界』そのものが、顕現した。

 



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Ⅻ.Life Will Change

 

───ぐろぐろぐろぐろ……。

 

 そう形容する他ない渦巻く音が、闇を震わせている。

 

「来るぞ、オマエたち……!」

 

 蠢動する混沌を前にするモルガナが注意を促す。

 敵は彼の悪神・ヤルダバオトや、偽神・デミウルゴスに匹敵する力を持っているとみて間違いない。

 数多もの窮地を潜り抜けてきたモルガナでさえ、その仮面の奥の緊張を隠し切れてはいない様子だ。

 

「言われなくても、準備オーケーだ!」

 

 対して、ソフィアは緊張をおくびにも出してはいない。

 それは彼女が心を持たないAIだからなどではない───心を持つが故に、自身を勇気づけている願いや想いがあると知っているから、恐怖に挫けることなく面と向かえていた。

 

「俺達は一人じゃない。みんなの心は傍にある」

 

 銃を構える蓮が続いて言い放った。

 彼の仮面(ペルソナ)は、紡いできた絆の軌跡。“世界”そのものと呼ぶべきヨグ=ソトースとは相反する素養を持つ彼だからこそ、遠く離れた仲間の力を感じ取ることができる。

 

 だからこそ、負ける未来は存在しない───ではない。

 勝つ未来しか、頂いていくつもりはない。

 

「うん。分かってるよ、ジョーカー」

 

 蓮の言葉に呼応するように、仮面の手をかける瑛から蒼炎が立ち上る。

 

「私もようやく見つけられたの。本当の……強さの在り方を!」

 

 燃え上がる闘志は、やがて人の形を成す。

 純白のコートを靡かせる殺戮の天使は、これから血に染まるメスを握り、鋭い眼光を以て窮極の邪神をねめつけた。

 

「貴方が捨てられた心の寄せ集めって言うなら……私が頂いていくから! そこには捨てちゃいけないものも、きっとあるはずから!」

 

 自分がそうだったから、と。

 真っすぐな視線を向けられた邪神は、虹色に輝く光球を歪ませる。

 

『───ならば、抗え』

 

 試すような声色。

 刹那、闇に嵐が巻き起こった。立つことすらままならなくなる程の向かい風は、反逆の意志を見せる四人を一蹴せんと吹き荒ぶ。

 暴風を前に細められる四人の双眸。

 その狭まった視界の中、強大な闇の声が、胎動のように腹の底へ震えて響く。

 

『抗い、勝ち取ってみせろ』

 

───仮面(ペルソナ)を宿す、人の児よ。

 

 瞬間、耳を劈く轟音が吹き荒れた。

 

「全員下がれ! ゾロぉ!」

 

 弾かれるように飛び跳ねたモルガナが、己が半身を呼び出す。

 モルガナがカトラスを構えたように、ゾロもまた右手に握るレイピアの切っ先を突き出す。

 羽織るマントを靡かせる“ガルダイン”は、迫りくる暴風を相殺せんと迸った。

 

「ぐ、ぅううおッ!」

 

『───知恵の実を食べた人間は、その瞬間より旅人となった……』

 

「!」

 

 モルガナは格上の攻撃に何とか拮抗してみせるが、ぐるり、と悍ましい虹色の光球を裏返してみせた邪神が言葉を紡ぐ。

 するや、光球が一つ弾けた。と同時に、暴風が一層苛烈さを増してモルガナを襲う。

 悲鳴を上げる間もなく、小さな体躯が暴風で浮き上がった。

 

「モナ!」

『カードが示す旅路を辿り、未来に淡い希望を託し……絶望へ塗り替えられ』

「ジョーカー! あいつの様子が変わったぞ! なんだか、さっきよりも強い力を感じる……」

「なに?」

 

 モルガナの援護へ回ろうとした蓮へ、異変に気付いたソフィアが注意を促す。

 振り向く蓮が眼にしたもの───それは無数に伸びる触手の一つが、吐き出すように暗く彩られた言葉を紡ぐ様相だった。

 

『そう……、とあるアルカナがこう示した』

「ッ……、フツヌシ!」

『混迷と裏切り……理想と現実の剥離が無気力を生み出すと……』

 

 先の暴風を上回る嵐が迫りくる。

 幾重にも重なる真空の刃は、無数の円を描きながら四人を切り刻まんとしていた。

 対する蓮は、顕現させた剣神の剣を意のままに操り、迫る真空刃を一つ残らず叩き切る。

 

 危ないところだった、と半開きになった口で声にならない言葉を紡ぐ蓮。

 シャボン玉のような光球が裏返ったかと思えば、それまでとはまるで違う力の波動がこちらを襲ったのだから。

 

「まさか……」

『そのアルカナは示した……』

「私に任せろ! パンドラ!」

 

 今度はソフィアが前へ躍り出る。

 無数の泡が光り輝いた光景を前に、禁断の名を冠するペルソナも負けじと光を産み落とし、幾条もの光線を解き放つ。

 

『悲観より止まぬ疑心暗鬼……それから逃れるには孤立しかないと』

「光がっ……、こっちに!?」

 

 しかし、射線上の万物を焼き焦がさんとする“マハコウガオン”の光を受け、虹色の泡は閃光を乱反射させるように撒き散らした。

 

 降り注ぐ光の雨は、ソフィアの覚悟をそっくりそのまま敵意となって返ってくる。

 即座に防御体勢を取ろうとするソフィアであるが、攻撃直後で硬直した体では間に合わない。

 

 そこへ割って入る蓮は、宿す仮面を入れ替える。

 

「キュベレ!」

 

 燦々と放たれる光を食らっても尚、死と再生を司る女神は微動だにしない。

 浴びせられる祝福の光の悉くを無力化し、女神は闇に消え入る。

 

「無事か、ソフィー?」

「済まない、迂闊だった。だが、やっぱりあいつの力は変だ……」

「同感だ。奴の力は俺と……」

 

 覚える違和感───否、既視感と言うべきか。

 答えが確信に迫る中、また一つ、邪神を取り巻く泡の一つが弾け飛んだ。

 

『そのアルカナは示した……』

「また……来る!」

『生が持つ輝き……それに焼き焦がされる嫉妬と挫折を……』

「マザーハーロット!」

 

 業火が龍となって襲い掛かる。

 紅蓮に燃え盛る炎は、息をするだけでも肺が焼けそうな熱風を伴っていた。

 

 それを凍てつく冷気で相殺するのは、女帝のアルカナを宿す大淫婦。複数の獣の首から冷気を吐き出しては、次から次へと吐き出される炎を鎮圧する。

 その間、吹き飛ばされたモルガナを介抱していた瑛が『そんな……』と愕然を露わにしていた。

 

「シャドウって、こんなにたくさんの攻撃が使えるものなの……!?」

「いや、違うな。あいつが特別なんだ……こいつは厄介な相手だぜ」

 

 痛む体に目を細めるモルガナは、次々に手札を変えるヨグ=ソトースに、同様に手札を変えて対抗する蓮の姿を重ねる。

 

「嫌な予感はしていたんだがな。……あいつは、()()()()()()()()()()()()()()()!」

「ど、どういうこと?」

「複数のペルソナを扱える能力だ! ただ、あのバケモノは一人で全部をこなせちまうらしい!」

 

 『休んでる暇はねーぜ!』と気合で飛び起きたモルガナは、そのまま前線で戦う二人に加勢する。

 流石に二人で戦線を維持するには手数が足りない。その窮状を表しているかの如く、二人の手が回らぬ場所にあった触手が紅蓮の炎を収束させていた。

 

「させねえぞ! コイツを喰らいやがれェ!」

 

 炎の収束が限界を迎える寸前、正確無比な疾風が火球を貫いた。

 刹那、風に煽られた火球は爆散し、それを収束させていた触手は爆炎の巻き添えを喰らって灰になる。

 

「どんなモンだァ!」

『そのアルカナは示した……』

「今度は……雷撃か!」

『あらゆるものと毅然と向き合ったところで、罷り通る横暴は留まらぬと……』

 

 触手の一つがモルガナに照準を定める。

 剥き出しになった口腔からは今にも弾けそうな雷が、連続した破裂音を轟かせている。

 

 炸裂は一瞬。

 臨界点に到達したエネルギーは、モルガナの反応を置き去りにし、稲光を迸らせた。喰らえばただでは済まない一撃を前に、モルガナは微動だにしない。

 

───動く必要がなかったからだ。

 

「オーディン!」

 

 隻眼の皇帝が、雷槍を地に穿つ。

 モルガナを射ようとした雷撃を粉砕したオーディンは、そのまま槍を投擲し、たった今仲間を狙った触手を貫いた。

 狙った標的を外さない魔槍は、目的を達して主の下へと返ってくる。

 それを手にするや、オーディンはまたもや槍先に電光を集め、“真理の雷”を猛威を振るう触手へと叩き込む。

 

 だが、一本触手を消し炭にしたところで、混沌より生まれ出ずる影はまた新たな触手を生み出すばかりだ。

 キリがない……と辟易する一方、蓮は一つ得心がいったと言わんばかりに眉を顰めた。

 

「アルカナに対応した力……それが邪神(やつ)の神髄か」

 

 アルカナシフト。

 名付けるならば、それが相応しい。

 

「ラヴェンツァの語っていた肩書に違わぬ力だ」

「だが、似たような力ならオマエが負ける道理はないぜ! そうだろ? ジョーカー!」

「フンッ……」

 

 当然だ。

 そう言わんばかりの気炎を燃え滾らせ、蓮が鼻を鳴らし、仮面に手をかける。敵がいくら手札をコロコロ変えるならば、自分もまた持ちえる複数の手札を行使するのみだ。

 それもただの手札ではない。ヨグ=ソトースが“世界”を寄せ集めた手札と例えるならば、こちらは選りすぐりの絆より生まれた至高の逸品ばかり。数で劣ると言えど、湧き上がる無尽の力は有象無象に勝るとも劣らない。

 

「活路は必ずある……見極めてやる!」

『そのアルカナは示した……』

「来い!」

『己を導く存在……それこそが己を束縛する正体だと……』

 

 紅蓮の爆炎が青く彩られる。

 幻想的にも見える色合い。しかし、それに秘められた暴力を見逃さなかった蓮は、迫る核熱の波濤を前に黄金の龍を顕現させた。

 

「捻じ曲げろ、コウリュウ!」

 

 四神の長たる龍は、金色の鱗から燐光を振り撒きながらけたたましい咆哮を上げた。

 景色が歪んだのは、その直後。コウリュウの解き放つ念動波は、四人を狙う核熱を霧散させて無力化してみせる。

 

 そのままコウリュウは昇りゆく。

 続けてゾロとパンドラも駆け上り、がら空きとなった邪神の懐を目指す。

 

 しかし、それを許すような相手ではない。

 泡が弾け、混沌の深淵が生まれる。底の見えぬ扉の奥からは、無数の帯が飛び出してくるではないか。

 目にも止まらぬ速さ、尚且つ逃げ場を塞ぐかの如く多角的に迫る帯。

 当然抵抗する三体であったが、数の暴力を前に奮戦虚しく帯に捕えられてしまう。

 

「いけない!」

『そのアルカナは示した……』

「切り刻んで、ジル!」

『他者と心を通じ合わせようとも空回る……その失意と空虚を……』

 

 拘束した三体目掛け、刃のようにしなる帯が突き進む。

 それらを蹴散らすべく飛翔するジルは、華麗なナイフ捌きで三体を捕える帯を切り裂く。続けてこちらを切り裂かんと突進する帯を紙一重で躱す、そのすれ違い様にも刃を奔らせる。

 

 そうして帯は、地に足をつける瑛の眼前へと迫った。

 が、次の瞬間に帯は二股に分かれ、ちょうど瑛を避けるようにして刃たり得る強度を失う。

 

「やるな、ジャック!」

「なんてことないよ! それより、今のうちに態勢を!」

「ああ! ……イシュタル!」

 

 妖艶な美貌を有す愛と美の女神が、癒しの光を仲間へ振りまく。

 “メディアラハン”は拘束によって負ったダメージを完全に回復し、四人を万全な体力にしてみせた。

 

 これで振り出しに戻った───と言いたいところではあるが、蓮の表情はどこか芳しくない様子だ。

 

(打開策を見出すのが先か、こちらの気力が尽きるのが先か……)

 

 懸念を抱くのは蓮だけではない。

 歴戦のモルガナや、AIのソフィアも早い時点で脳裏に過っていた。体力は今のように回復すればいいが、ペルソナを発動する気力や精神力といった心の力の回復は容易ではない。

 無限に等しい手札に対し、逐一迎撃するだけではじり貧だ。多少のリスクを冒してでも勝負に出なければならないと、自身の勘が訴えかけている。

 

 短い思考の中、蓮は冷静に状況を進める。

 同時に、いつも盤面を適宜整理してくれる天才ハッカーへの感謝の念を抱く。いつも存分に力を揮えるのは、彼女のサポートがあってこそだと身に染みるようだった。

 

(双葉だけじゃない。杏は相手の目を欺き、祐介は冷静に勝利の絵図を描いた)

 

 抜き身のハンドガンを構えたまま駆け出し、迫りくる触手を紙一重のところで回避する。

 直接攻撃してくる触手は回避で潜り抜け、遠く離れた場所から狙いを澄ませる相手に対しては弾丸を叩き込む。

 脳があるかも定かではないが、間もなく撃ち抜かれた先端がだらりと項垂れる。

 好機、とワイヤーを射出する蓮は、仕留めた触手を足場にしつつ、猛威を振るうヨグ=ソトースへ肉迫していく。

 

「上からジョーカーが攻めてく! オレたちは下から行くぞ!」

「了解だ!」

「うん! 気をつけてね、ジョーカー!」

 

 下からは暗に自身の意図を組んだモルガナが先導となり、触手を蹴散らしながら突き進んでいく。

 そんな彼らに微笑みを向け、蓮は薙ぎ払うように襲い掛かってきた触手の一本を飛び越えた。

 

(モルガナは反逆の使者として俺を導いてくれた。あいつが居なければ、世界は悪神の掌の上で踊らされたままだった)

 

 二撃目。

 今度は足場との隙間を見逃さず、スライディングして薙ぎ払いを潜り抜けた。

 

 しかし、狙っていたかのようなタイミングで左右から無数の触腕が迫る。

 いちいち狙撃していては間に合わない───手札を一つ明かそうと仮面に手をかけた蓮であったが、真下で光が輝くや、影の触腕は幾条もの光線に焼き落された。

 

 ふと視線を向ければ、してやったりと笑みを浮かべるソフィアが目に映る。

 そのまま得物を自由自在に操る彼女は、縦横無尽に駆け巡り、迫る魔の手を一つ残らず叩き切った。

 

 目を見張る獅子奮迅な活躍ぶりには、見ている方も否応なしに勢いづけられるようだ。

 

(ソフィアも自分の意志で立ち上がった。あの偽神を討てたのも、ソフィアの強い心があってこそだった)

 

 仮面の裏に、思い出の場面が一つ、また一つと過っていく。

 

(真は怪盗団の頭脳として支えてくれた。春も辛い中懸命に頑張ってくれた)

 

 今となっては懐かしい。が、鮮明に焼き付いた記憶は当時の熱意を呼び起こす。

 そうして燃え滾る心が、力となって仮面に流れ込んでいく。発露する反逆の意志は蒼炎を伴って燃え上がり、殺到する触手を解き放つ覇気で硬直させる。

 

(竜司は……どんな時でも真っ先に切り込んで、俺達に活路を見出させてくれた!)

 

 硬直が解かれ、再び突撃してくる触手を曖昧なビジョンが多腕を振るって蹴散らす。

 

「シュウ!」

『そのアルカナは示した……』

「蹴散らせ!!」

『目的に視野を奪われ、暴走し、無知を晒す……人が命を得たからこそ垣間見える愚かさを……』

 

 無数の触手が、唸り声のような音を響かせる。

 が、それらは蓮に届く寸前、一度に放たれた斬撃と打撃に阻まれて霧散した。

 現れ出でたのは、複数の腕に武器を携える戦の神。邪神の魔の手すらも『下らん』と鼻で笑った牛頭は、徐に腕を突き出した。

 グオン、と空間が軋む不快な音と共に、強力な念動波がヨグ=ソトースの触手の動きを止める。

 

 そうして邪神が無防備を晒すも束の間、下から迫っていた三人が仮面の内を曝け出す。

 

「ゾロ!」

「パンドラ!」

「ジル!」

 

 気炎を吐くような声と共に、疾風の槍、祝福の光、呪怨の刃が得体のしれない混沌のど真ん中へ突き刺さる。

 ぐるぐると渦を巻いて混ざり合ったエネルギーは、あれよあれよという間に形を留めることをできなくなって爆散した。無尽の影を生み出していた渦も、三人の一斉攻撃を受けた影響か、心なしか震えている。

 

「どんなモンだ!」

 

 一矢報いたモルガナが叫ぶ。

 黒煙の奥に佇む敵影は未だ見えないが、この暗澹たる闇が存在している以上、健在であることには違いない。いつでも動けるように身構える三人であるが、ふとした瞬間にソフィアのガラス玉に似た双眸が見開かれた。

 

「……『痛い』?」

「ソフィー、どこか痛むの?」

「いや、声が……」

 

 困惑したソフィアの言葉は要領を得ず、傷を負ったかと心配する瑛も何が起きたのか図りかねていた。

 

 彼女は『声』と言った。

 言われるがまま耳を澄ませてみる。だが、耳は爆発の余韻である耳鳴りしか拾えない。とても声と言われるような音は聞こえてこなかった。

 

───いや、違う。

 

 ハッと面を上げる瑛は、ゆっくりと晴れていく黒煙から垣間見える“影”に眼を向けた。

 

「貴方……()、なの?」

『───』

 

 言葉は無い。

 代わりに、獰猛な悪意が牙を剥き出しにする。続けて吐き散らされるのは、空気と液体を逆流させるような不快な音。

 

『そのアルカナは示した……。何もかもが不確か故に、正しき答えを他者に依存する自我の脆さを……』

 

 グポロッ、と悪意が形を伴って生れ落ちる。

 鋭利な刃先を携えた舌は、極太な触手のやや大振りな動きとは反対に、俊敏で不規則な軌道を描いてきた。

 歯噛みする瑛は、即座に抵抗する姿勢を見せたモルガナとソフィアに続き、手に持ったナイフを滑らせて漆黒の槍をいなす。一撃一撃が速く、重い。ナイフから伝わる振動で手が痺れ、少しでも油断すれば武器を手放してしまいそうだ。

 

「くっ! 激、し……!」

「射殺せ、メタトロン!」

 

 痺れで腕に力が入らなくなり、槍先が頬を掠めるようになった頃、ヨグ=ソトースの頭上に飛び上がった蓮が仮面の内を曝け出す。

 刹那、祝福の光とも違う苛烈で清廉な後光が降り注ぎ、暴力で三人を叩きのめそうとしていた凶刃を天に召した。

 

 影の御手は塵となって消える。

 体という概念が存在するかも定かではないものの、攻撃に回す大部分が消失し、放心したように邪神の動きは緩やかになった。

 

「今だ! このチャンスを逃す手はねーぜ!」

『そのアルカナは示した……』

「どいたどいたァー! ワガハイの通り道を阻もうなんざ、百年早いっつーの!」

『己を解き明かそうとする行いこそ、これ以上ない悲観の目覚めであることを……』

 

 新たに生み出された複数の触手が絡み合う。

 そうして描かれた輪の中央からは、目を見張るばかりの巨大な拳が顕現する。

 

 しかし、突撃するモルガナの足取りに怯えは見えない。

 望むところだと言わんばかりに吼えたかと思えば、背後に佇むもう一人の自分が風を切って拳を突き出した。

 

 ボヨヨ~ン、と響く気の抜けた音。

 だが、タイミングよく放たれた拳は、一回りも二回りも巨大な拳と拮抗するどころか、当たり所が良かったのかそっくりそのまま弾き返した。

 まさしくラッキー……いや、“ミラクルパンチ”だ。怪盗団の招き猫は、ここぞという時に奇跡を引き寄せる。

 

「凄い、モナちゃん!」

「私も負けていられないな!」

 

 勢いづくソフィアが闇を滑り、両手のヨーヨーを振り回す。

 綺麗な円が描かれるや、眩い閃光が辺りを照らす。それらは触手を穿ち、明確に触手から戦意を削いだ。“マハラクンダ”の光を受けた敵は、どことなく及び腰な様子が伺えるようだった。

 

 そこへ瑛が滑り込む。

 位置取りは相手の真下。ともすれば、敵の総攻撃に遭いかねない危険な場所だ。

 現に懐へ潜り込まれた危機感を刺激された邪神は、混沌より生み出す触手や触腕を一斉に彼女目掛けて走らせる。

 

『そのアルカナは示した……』

「ジルゥーッ!」

『流れ落つ命運……解放という名の失墜が訪れることを……』

 

 数多の切っ先を向けられようと、死への恐怖を欺く反逆者は魂の声を轟かせていた。

 刹那、生まれ変わった自分を祝福する眩い光と、押し殺していたドス黒い感情の闇───相反する二つの心が渦を巻いて混ざり……顕現する。

 

『クフ、フ、アハハハハハッ、ハァー!! 斬殺!! 斬殺!! 斬殺!! 気に入らないものはみんな刻んであげるの!! さぁ……大量虐殺の時間(ショータイム)よ!!』

 

 歪な三日月を湛える殺戮の天使は、笑いながら紫電を走らせた。

 握りしめる刃物だけではない。全身から垂れている包帯もまた、一つの自我を盛った生命のように蠢き、純白を真紅に染める鮮血を求めて牙を剥く。

 

 ザンッ、と一閃。

 宙を舞う羽根は───否、無数のナイフは、喰らい掛かる悪意の喉笛を掻き切った。

 それでも悪意は尽きる気配がない。ならばと瑛も奮い立ち、湧き上がる闘志の蒼炎より刃となって、暴虐の流れを絶ち切らんとする。

 

 ゾバッ。

 ゾバッ。

 ゾバッ、ババババババババババ───バァッ!

 

 剣閃は格子の如く折り重なり、舞い散る影の破片が近寄ることも許さない。

 まさしく、一切合切を絶つ殺戮ショー。

 繰り広げられた一幕の主役はと言えば、可憐で、それでいて過激な微笑を浮かべながら、ナイフを伝う鮮血を振り落とし、こう呟いた。

 

 

 

「───マス・ディストラクション───」

 

 

 

 喝采のような音を立て、宙に舞っていた血飛沫が地面を打つ。

 

「こ、怖ぇ~……!」

 

 思わずモルガナが呟く。

 つい先日までただの女子高生だとは思えない身のこなしだった。いくら稀代の殺人鬼を降魔させているとは言え、神業に等しい剣舞には唖然とするしかないだろう。

 

「けど、そろそろ攻め時だ! 新入りのお膳立て、ムダにする訳ねーよなッ!?」

 

 調子のいい声が響く。

 それを聞き届けるのは、当然この男だ。

 

「フンッ……オンギョウキ! ラクシュミ!」

 

 闇に紛れて近づく鬼の一閃が混沌に消え入るように叩き込まれた。

 続けて、華麗に踊りながら迫りゆく女神が、すれ違い様に極寒の冷気を浴びせて消えていく。

 

 畳みかける連続攻撃。

 朧げな形を保っていた混沌は、そのビジョンに誤魔化し切れない歪を生じさせる。

 

(効いている───行ける!)

 

『───辛い』

 

「ッ!?」

 

 不意に聞こえる声。

 ノイズがかかり鮮明とは言い難かったが、それでも辛うじて言葉と認識できる音声が脳内に直接響いてきた。

 

 予期せぬ幻聴に、蓮は顔を顰める。

 だが、同様の事象は三人にも起こったようだ。攻勢に傾いていた四人の足取りに、一瞬ながら乱れが生まれた。

 

「なんだ、この声は……」

 

『どうして、私がこんな……。悪いのは私じゃないのに』

『ねえ、本当に学校に行かなきゃダメ? 楽しくないよぅ……』

『なんで分かってくれないの! そうやって、いっつも反対してばっかり!』

 

「ッ、また……」

 

 邪神という影がブレる度、実にありふれた不平不満がちくりと胸を刺す。

 しかし、ただの台詞ならばこうはならない。これが()()()()()()()()()()()()だと直感的に分かってしまった。

 

『また模試の判定悪かった……志望校、別にしようかな』

『なんで思った通りにならないんだろ……』

『適当にやればいいよ。あとは誰かがやってくれるだろうし……』

 

「……」

 

『あーあ。今日も何してんだろ、俺……いや、()()()()()()()()

『でも、努力したところで結果が出るとは限らないし……』

『全部思い通りになってくれれば、こんなに悩む必要もないのに』

 

 鬱屈とした声が止む気配はない。

 延々と、延々と四人の脳内に響き渡れば、燃え滾っていたはずの戦意に少しずつ燻りが見え始める。

 

「クッ……耳を貸すな! おそらくは精神に作用する攻撃だ! 真面に取り合ったら、こっちが引き込まれるぞ!」

 

 翳りが見えるや、モルガナが叱咤を飛ばす。

 それで幾分か戦意を取り戻す面々だが、あれほど苛烈な攻撃を前にしても衰えることのなかった足取りには、やはり迷いが伺えた。

 

───あれは、悪意じゃない。

 

 誰かが悟った。

 瞬間、湧き上がる戦意とは別の代物。

 それが各々の心に、また違う覚悟を宿らせる。

 

 こうしている間にも幻影は形を定め、薄暗い感情で鎧った手を伸ばす。

 

『そのアルカナは示した……振るわれる権勢に、いかに己が小さく惨めな存在であることを……』

「それは……違う!」

 

 混沌の渦から解き放たれる光線に、蒼炎を破って現れた忿怒相の権現が拳を振るう。

 衝突に次ぐ爆発。余りにも大規模な爆炎を目の当たりにした瑛は目を見開く。

 直後、怒髪天を靡かせるザオンゴンゲンが爆炎を突き破って現れた。その腕の中には、自身に勝るとも劣らない憤怒の形相を湛える蓮が佇んでいる。

 

「ジョーカー!」

「……気持ちは分かる」

「え……?」

 

 誰への同意か、一瞬図りかねた。

 だが、仮面の奥に佇む瞳───鋭くも力強い優しい色をにじませる眼光は、一直線に見据えていた。

 

───窮極の邪神を。

 

「誰だって不満や怒りは抱えている。思い通りにならない現実に……俺もその一人だった」

 

 諭すように。あるいは宥めるように語り掛ける。

 

「現実はこっちの都合なんか考えない。理不尽だって何度も味わった。その度にふざけるな! って殴ってやりたい気持ちにもなったさ」

『───……』

「それが当然だ、当然であるべきだ。……だからといってあれもこれも自分の思い通りになったとしたら歯止めが利かなくなる。俺たちはよく知っている。人の欲望に際限がないことをな」

 

 押し黙る混沌を前に、少年は思い返しながら続けた。

 

「ヨグ=ソトース。お前が変えようとしている一人ひとりの現実は“キャンバス”だ。夢を自由に思い描けるたった一枚の……一つの人生だ。だが、お前の力で際限なく欲望を叶え続けてしまえば、他人の人生さえも簡単に上塗りにしてしまえるようになる」

『それもまた人の願いだ』

「違うな。お前のエゴだ」

 

 毅然と言い返した蓮は説く。

 

 

 

───色欲に溺れた教師やアイドルを想い返しながら。

 

 

 

「確かに夢や願いは希望になりえる。だが、人を明るい未来で照らす反面、暗い影も落とす」

 

 

 

───虚飾に塗れた老画家や小説家を想い返しながら。

 

 

 

「挫折や苦悩を経験し……それでも夢半ばで諦める者なんてざらだ」

 

 

 

───暴食に染まった犯罪者や市議員を想い返しながら。

 

 

 

「そんな彼らを誰が支えると思う? ……共感してくれる、同じ過程を味わった人間だ」

 

 

 

───憤怒に燃え上がっていた仲間や少女を想い返しながら。

 

 

 

「経験があるから共感する。共感するから思いやる。思いやるから他人を支えられる」

 

 

 

───強欲に父親を捨ててしまった社長を想い返しながら。

 

 

 

「全てがそうだとは言い切らない。だが、そうした過程を……成長を経て、人間の心は出来上がっていく」

 

 

 

───嫉妬に震え上がっていた検事を想い返しながら。

 

 

 

「お前は与えようとしているつもりかもしれないが……逆だ。お前が奪おうとしているものは、そういう他者を思いやる心だ」

 

 

 

───傲慢に揮った政治家と取締役を想い返しながら。

 

 

 

「人は一人じゃ生きられない。だから人と人が支え合うように……心が繋がるように世界はできている」

 

 

 

───怠惰に堕ちかけた民衆と社会を想い返しながら。

 

 

 

「もっとも、お前には言うまでもないな」

 

 

 

 数多の心から生れ落ちた悪感情の塊である邪神。

 単純な怒りや悲しみに留まらず、苦悩や葛藤といった成長の途中で否応なく生まれる諸々を孕んでいるのだろう。時折聞こえる助けを求める声こそ、その証拠だった。

 単に欲望を叶えたいだけではない。

 あの混沌渦巻く心が真に求めているものを暴かなければ、窮極の深淵にたどり着くことはできないだろう。

 

 それを明らかにした時こそ、決着だ。

 

「さて……そろそろ頂戴といこうか」

『愚かな……。そのアルカナは示した……』

「人の願いを……お前から奪い返す!」

『耐え忍ぶ道を選ぼうと、いずれ欲望に負けては徒労に終わることを……』

「アティス!」

 

 弾ける泡と共に溢れ出す怨嗟の濁流。

 おどろおどろしい空気を撒き散らす悪意は、そのまま蓮を取り囲むように流れていく。

 

 しかし、寸前でパッと蒼炎が閃いた。

 刹那、包帯を身に纏った人柱が現れ出でては、押し寄せる呪怨を吸収し、あまつさえ無力化する。

 

 神に仇なす四人を、仄かな光が包み込んだのは直後の出来事。

 

「───“テルモピュライ”」

 

 勝利への道を切り開く一手。

 全身に力が満ち満ちる四人は、思考が導き出すよりも早く駆け出していた。

 

 包囲される邪神の影が、今度は崩れる。

 どろどろと融解する強大な影が千切れる度、闇の中には無数のシャドウが出現し、迫ってくる四人の前に立ちはだかった。

 

 しかしながら、それで止まる心の怪盗団ではない。

 行く手を阻むシャドウの仮面を剥ぎ、切り裂き、あるいは自身の仮面を顕現させては蹴散らす。

 

 総攻撃まで、あともう少し───。

 

『知恵の実を食べた人間は、その瞬間より旅人となった』

 

 尚もシャドウを産み落とし続ける邪神に、ドス黒い光が収斂する。

 その異様には蓮やモルガナも警戒し、目を離さない。

 

 刻一刻と矛盾する光が膨れ上がる間、彼らのいる闇そのものが鳴動を始めた。

 これから終焉が訪れると言わんばかりの異変に、瑛の頬に汗が伝う。が、握るジャックナイフは手放さない。

 

「させない……絶対に!」

『カードが示す旅路を辿り、未来に淡い希望を託し……絶望へ塗り替えられた』

「絶対に終わらせるもんかっ!」

 

 肉迫する四人だが、如何せんシャドウの数が多い。

 このままでは間に合わない───そんな時、可憐なおねだりが鈴の音のように響く。

 

『ねぇ……───“死んでくれる?”』

 

 刹那、影が死んだ。

 あれほど分厚かった闇の壁を一瞬の間に蹴散らす少女の霊(アリス)は、くすくすと笑いながら消えていく。

 名立たる神にすら劣らぬ呪力でシャドウが消滅すれば、残るは窮極の邪神のみ。

 今にも炸裂せんばかりにヨグ=ソトースの前で収斂を続ける極光を前に、これが最後のチャンスだと仮面を脱ぎ捨てる。

 

「幕引きといこうか!」

 

 姿を現す逢魔の掠奪者(アルセーヌ)を背に、稀代の変革者(トリックスター)は刃を振り翳す。

 続く反逆の徒もまた、難局に立ち向かう固い意志を燃え滾らせる。

 

「ワガハイ達の決意……とくと味わえーっ!」

「困難に抗う人の心の強さをだ!」

「私たちが……貴方達に教えるの!」

 

 人間の闇へ、果敢にも飛び込む。

 深い暗闇でこそ浮かび上がる心の光は、蒼炎を伴って力を解き放つ───が。

 

『そう、アルカナは示した……』

 

 遂に、極光が爆ぜた。

 

 

 

『その旅路の先にあるものが、“絶対の終わり”だということを……いかなる者の行きつく先も……絶対の“死”だということを!』

 

 

 

 告げられる死刑宣告と共に、光が辺りを飲み込んでいく。

 邪神へと立ち向かった反逆者諸共、闇は終末を迎えたのだ。

 

 

 

 

───ハルマゲドン───

 

 

 

 

 最終戦争の名を冠する破滅の光芒は、天を衝かんばかりの勢いで立ち上っては、やがて辺りに塵一つ残さずに消え去った。

 残るはヨグ=ソトース、ただ一人。

 訪れる静寂に耳を傾ける彼らは、決着の余韻に浸るかのように黙って佇んでいた。

 

『───終わりか……』

 

 淡々と。

 しかしながら、ほんの僅かな寂寥と落胆を隠せぬ声色が、混沌の形を浮かび上がらせてできた影の中へと溶け込んでいく。

 

『……?』

 

 違和感。

 邪神の本能が感じ取った異変に、虹色の光球が周りを見回し───見つけた。

 

 ()()は探す必要もなく、後ろに立っていた。

 

『……何故……』

「チェックメイトだ」

 

 かちゃり、と金属が擦れる音が木霊する。

 

『如何様に我のもたらした“死”を退けた……?』

「生憎、生還トリックは二度目でな。慣れたものさ」

 

 素顔を曝け出し、魔王を背にするトリックスターは生きていた。

 背後の魔王は右腕の銃を構え、ヨグ=ソトースの中心に狙いを澄ませていた。かつては悪神を討った奇跡の仮面は、あの時ほど巨大でこそないものの、満ち満ちる反逆の意志に呼応するかの如き威厳と覇気を放っている。

 

 これは多くの絆が結び得た奇跡の仮面(ペルソナ)

 ある少年が“世界”を手にした一方、あくまでも“愚者”を貫き続けた変革者の化身だ。

 

 死を欺き、再びこの世に舞い降りた威容は荘厳そのもの。

 七大罪を精錬した徹甲弾を込めた銃身も、闇の中でさえ鈍い銀光を放っている。

 

『馬鹿な……そんなもので』

「そうでなければ、俺達が生還を願う人間が居るだけのことだ」

『……ほう……』

「お前の力が本物ならばの話だがな。今、そう願っている人が居ることを……俺たちは知っている」

 

 傍らに佇むモルガナ、ソフィア、瑛の三人は力強く頷いた。

 人知れず戦う彼らを応援する者は少ない。だが、その限られた者たちこそ、邪神を形作る鬱屈とした感情を上回る強い願望を抱いているのだ。

 良くも悪くもヨグ=ソトースは全人類の総意。普く人々の願いを叶えんとする見境のない欲望の塊なのだ。

 

「竜司が。杏が。祐介が。真が。双葉が。春が。一ノ瀬が。みんなが俺たちの無事を願ってくれている」

『我を利用したと』

「さてな」

 

 惚けてみせる蓮に対し、無数の触手を蠢動させる邪神が身じろぎする。

 

『我を撃つつもりか。だが、無駄なこと……我は全にして一、一にして全なる者。その引き金を引いたところで、我を撃ち倒すことは叶わぬ。人の心の闇がある限り、我は何度でも甦る』

「かもしれないな」

『ならば如何する』

 

 試すような視線を、歪んだ光球が放つ。

 彼の悪神や偽神と違い、この邪神を生み出したのは他ならぬ民衆の願いだ。一度倒したところで、人の欲望と闇は際限なく膨れ上がるばかり。根本的な解決にはならない。

 今までとは勝手が違う相手だ。蓮も熟考するように目を伏せるが、既に心は決まっていたと言わんばかりに微笑みを湛えた。

 

「心の怪盗団は悪人のココロしか盗まない。そうして虐げられる弱者に勇気や希望を与える……そういうはみ出し者の集まりだった」

『その心は?』

「俺の仮面(ペルソナ)を……お前にやる」

 

 闇が鳴動する。

 それは困惑か動揺か。

 どちらにせよ、目の前の男が言い放った内容は驚愕に値するものに違いなかった。本来、ペルソナとは一人につき一体。仮に自身のペルソナを他人に与えようものならば、それは確固たる自分を失うのみならず、それこそ廃人になってもおかしくはない真似だ。

 

 しかし、彼は違う。

 悪神にもう一人のトリックスター対抗馬としての才能を見出された器には、長い旅路の間に出会った仮面が宿っている。

 

 だが、それでもだ。

 他者にペルソナを与えるなど前代未聞。

 

『正気か』

「お前は人々のシャドウの集合体なんだろう? ペルソナとシャドウは表裏一体。俺から離れたペルソナは、お前を形作るシャドウとして還っていくだけだろう」

『たとえできたとして、それが何になる?』

「少しは世界が変わって見えるはずだ」

 

 にべもなく言い返す。

 

「世界を変えるのに、ペルソナやお前のように強大な力は必要ない。ただ、ほんの少し見方を変えるだけでいい」

『……』

「辛い時は逃げたっていい。苦しい時は吐き出したっていい。心の影(おまえ)を否定する人間なんて居やしない」

 

 銃を下ろした蓮は、代わりにもう片方の手を差し伸べる。

 膝をついた人間に手を貸すように。強く激励を送る訳でもないが、逸らさない視線が何よりも雄弁に語っていた。

 

───俺はお前を見捨てない、と。

 

 しばしの間、静寂が闇に満ちる。

 

「ねえ、あの……」

 

 それを切り裂いたのは一人の少女。

 静穏な面持ちを湛え、中々羅列できない言葉を何とか整理した瑛は、徐に邪神の触手の一本を手に取った。

 

「聞いてくれる? 私もね、貴方達に頼ってた。自分の意志じゃあどうしようもないことを、神様が何とかしてくれないかなぁって……だから、貴方達にはとても感謝してるの」

 

 過去のイジメを振り返りつつ、優しい声音を紡ぐ。

 

「でもね、気づいたの。他人に頼って変えられるのは、結局自分以外のところ。自分を変えようと思ったら、やっぱり自分自身の力でどうかしなきゃならないんだって」

 

 事実、ヨグ=ソトースの影響で周囲の人間が優しくなったことは事実だ。

 しかし、それは瑛が変わった訳ではない。周囲の人間の瑛を見る目が変わっただけであり、瑛本人は明るい素顔を晒せるか否かであった。

 

「それはとても難しい話かもしれない……けど、貴方達を見て確信したの。一人ひとりの力は小さくても、みんなが力を合わせれば世界だって変えられるって」

『……』

「他の誰でもない……貴方達が教えてくれたんだよ?」

 

 だから、ね? と掴み取った手を強く握りしめる。

 すれば、優しい光が瑛とヨグ=ソトースの体を包み込んでいった。戦いで傷ついた肉体を癒す光は、冷たく渦巻いていた感情を……ゆっくりと解かしていく。

 

 

 

───メシアライザー

 

 

 

 分け隔てなく降り注ぐ癒しの光。

 “慈善”のアルカナを宿す仮面(ペルソナ)は、傷ばかりで涙に膿んだ心を、その純白の包帯で優しく抱き留める。

 

「“人生は変えられる”、って」

 

 はにかむ少女の笑顔が、邪神の瞳に映り込む。

 

 溶け込んでいく。

 少女の優しさが。

 

 溶け込んでいく。

 少女の温もりが。

 

 溶け込んでいく。

 少女の悲しみが。

 

 他人事とは思えぬような心の震えが襲う。

 紛れもない、共感を示す魂の鳴動だった。

 

『これが……───』

「世直しなら、俺たちも手を貸すぞ」

 

 手を差し伸べていた蓮から、次々に宿っていた仮面が邪神の影へと流れ込む。

 永い旅路を経て、多くの出会いを経験した記憶が教えてくれる。

 

「その為の……心の怪盗団だ」

 

 カードに裏表があるように。

 人生に光と影があるように。

 

 悲観するばかりが人生ではないと。

 それまで光に背を向けて闇と影の区別もつかなかった地面から、怪盗は一つのオタカラを掴み上げた。

 

 真っ黒なキャンバス。

 だが、よく目を凝らせば複雑に塗り重なる色が浮かび上がるようだった。

 

「悪くないな」

 

 酸いも甘いも知ってきたらこその素直な感想。

 仮面を脱ぎ捨てた少年は、フッと笑みを零す。

 

 

 

「これから塗り替えられるかは……俺たち次第だ」

 

 

 

 心の闇は、いつの間にか晴れていた。

 あるのはただ、いつもと変わらぬ青い空と───いつもよりほんの少し眩い太陽の光だった。

 



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XIII.Wake Up,Get Up,Get Out There

 

 

『それでは続きまして、ダンス部の発表となります!』

 

 溌剌とした進行と喝采の中、壇上に数人の少女が現れる。

 登場と同時に流れ始めたビートは、これから始まる熱狂を期待する鼓動のように体育館に響いていた。

 

「楽しみだな、レン!」

「ああ」

 

 観客に溶け込んでいた少年は、体を上下に揺らす一人の少女へ目を向ける。

 未だ背中を見せるダンス部だが、彼女の後姿だけは遠めから見てもくっきりと浮かび上がっていた。

 

 誰よりも彼女が待ち望んでいた。

 そして、絆と乗り越えた過去を象徴するリストバンドを着けた腕が掲げられた瞬間(とき)

 

『ユニット名は“GROOVY”! 曲は───』

 

 何の変哲もない、純粋な笑顔が目に飛び込んできた。

 

 

 

 

 

 

「いやぁー、迫力あったな!」

「ホントそれ! 動きキレッキレだったし!」

 

 学内の一角で盛り上がる集団。

 一見まとまりのない集まりにも見える彼らの内、金髪の少年と少女は先ほどまで眺めていた文化祭の出し物の興奮冷めやらぬといった様子であった。

 

「あまり舞踊は嗜んでいないが、確かにあれは凄かったな。いいインスピレーションを受けた。他校の文化祭に来るのもやぶさかじゃあないな」

「そうね。前は色々と大変だった時期だし……でも、違う学校で楽しむっていうのもいいものね」

 

 一年前を思い出しながらたこ焼きを頬張る少年に、知的な少女は懐かしんだ様子を見せる。

 と、そこへ横から手が伸び、熱々のたこ焼きが一つ器から消え、『なッ!』と落ち着いた少年に驚愕の声を上げる。

 

「俺のたこ焼きが……!」

「はふッ! はふッ!」

「大丈夫、双葉ちゃん!?」

 

 案の定熱い思いを味わう一回り小さい少女に、上品な気風漂う少女が飲み物を差し出す。

 

 当たり障りのない会話に、当たり障りのない光景。

 文化祭という非日常の一幕を切り取った中では、何の変哲もないやり取りではあるが、それを眺めていた一組の少年少女は実に穏やかな表情を浮かべた後、同時に見つめ合っては破顔した。

 

「みんな仲が良いんだね」

「ああ」

「……ちょっと妬いちゃうかも」

 

 端的な返事であるが、その一声にはどれだけの思いが込められていたのだろうか。

 しみじみとした蓮の様子に、瑛は怪盗団の面々を順に観察しながら考えを巡らせた。

 

 先日、邪神は打倒された───悪神を討ち取った時とも、偽神を討ち取った時とも違う結末の果てに。

 劇的な逆転劇とは言い切れないが、それでも戦った四人には清新な感覚は、未だ心に残っている。

 

『我は汝、汝は我……』

 

 

『影とは常に汝の傍に纏うもの』

 

 

『我の旅路は、汝らと共に……』

 

 

『なればこそ……祈ろう』

 

 

『汝の旅路に、幸多からんことを……』

 

 

 邪神は、最期にそう言い残して消えた。

 否、消えたと言うと少し違うかもしれない。正確には世界と一つに───元の場所へ帰っていった。

 

 取り戻した日常は、取り沙汰するような出来事も起こらない平穏な日々。

 報道番組に目を向ければ、良いニュースと悪いニュースは半々で、以前の怪盗団ほど世間を賑わせているスクープなんてものは流れてこない。

 

 が、それでも。

 仮面を脱ぎ去り、暗澹たる闇の世界から帰還して望んだ世界は、今までよりも明るく見えた気がした。

 

 それは自身の見え方が変わった所為か、それとも邪神を通じて認知世界に異変が起こった所為か。

 はっきりとした答えは出てこない。

 だがしかし、“それでもいい”と前向きになった心が笑って背中を押してくれているような気がした。

 

「夢じゃないんだよね? 私たちが戦った記憶」

『もちろんだぞ』

 

 不意に談笑へ加わる声に振り向けば、紛れもない怪盗団の一員が共犯者と現れた。

 

「ソフィア! 一ノ瀬さんも!」

「やあやあ、全員楽しんでいるようだね!」

 

 片方にソフィアを映したタブレット端末、もう片方に屋台で買ったであろうフランクフルトを携えた一ノ瀬が全員の視線を集める。

 

「だけれど、今回の新入り兼立役者が蚊帳の外で寂しがってるがいいのかな?」

「えぇッ!? いやぁ、寂しがってなんて……」

『そうだぞ。竜司、もてなしてあげろ』

 

 唐突なソフィアの無茶振りに『俺かよ!?』と頭を抱える竜司。

 ドッと笑いが沸き起こり、瞬く間に話の中心は一人の新顔が据えられた。

 ここから音頭を取り始めたのは杏だ。全員がジュースを片手に持ったのを確認し、明るい口調で歓迎を始めた。

 

「それではぁ~! 我々の新たな一員である瑛ちゃんの歓迎とお疲れの意味を込めてぇ~……かんぱぁ~い!」

『乾杯!』

 

 カァン! と缶ジュースがぶつかる甲高い音が鳴り響けば、密かに世界を救った怪盗団の祝勝会が幕を開けた。

 

「この前は全然話せなかったけど改めてよろしくね、瑛ちゃん!」

「わぁ! もしかしてって思ったけど、やっぱり読モやってる……!?」

「あ、もしかして知ってる感じ? 嬉しぃ~!」

「本物の杏さんだぁ~! 実はあのファッション誌読んでます!」

「ホント? ありがと! ってか、そんな“さん”つけとかしなくていいし! 呼び捨てで呼んじゃって! タメでしょ?」

「あわわッ、有名人と話してるみたいで緊張するっていうか……!」

 

 真っ先に声をかけた杏と瑛は打ち解け合う。

 クォーターとハーフという身の上だからか、この中では最も距離感が近しいという理由もあるだろう。

 そんな杏に続いて、他の女性陣もこぞって話しかけていく。

 

「さっきのダンス、とてもカッコよかったわ。ああいう出し物は文化祭ならではよね」

「はい! 真さん……でしたよね?」

「ええ。そんな堅苦しくなくていいわ。わざわざ文化祭に誘ってくれてありがとうね、楽しいわ」

「楽しんでくれて嬉しいです! あっ、そうだ! 私たちのクラス、出し物でお化け屋敷やってるのでぜひ来てみてください!」

「えっ、お化け……!?」

「きっと楽しいですよ!」

 

 落ち着いた雰囲気が一変、真はみるみるうちに青ざめていく。

 そのあからさまな狼狽えようには、実質初対面な瑛も疑問を覚えるほど。

 まさかと考えを巡らせる内、子細を把握している仲間はやれやれとかぶりを振って助け舟を出す

 

「うふふ、それじゃあ後で立ち寄ってみるわね。瑛ちゃん」

「ありがとうございます! えっと……奥村先輩、ですっけ?」

「覚えてくれてたんだ! 改めまして、奥村春です」

 

 優美な所作で自己紹介する春は、にこやかに微笑みながら握手を交わす。

 と、そこへ、

 

「またの名を美少女怪盗!」

「へ? 美少女……怪盗……?」

「ちょっ……双葉ちゃん!?」

 

 頭一つ分小さい少女が、かけている眼鏡を光らせながら声高々に叫んだ。

 瑛は『確かに美少女……』と意図を察さぬまま納得するが、青ざめる真とは対照的に、春は赤面する。

 というのも、黒歴史とまではいかないまでも恥ずかしい過去を掘り返されれば、誰でもこうはなるだろう。

 

「あ、あんまりそれは人前で言わないで……!」

「ん、ダメだったか? いつもここぞとばかりに言ってたもんだから、つい」

「素面だと恥ずかしいの……って、そういう問題じゃなくて!」

 

 自称でも他称でも美少女呼ばわりは恥ずかしい。

 

 そうして散々年上を弄んだ少女───双葉はと言えば、悪戯が成功した子供のような笑い顔を浮かべていたが、

 

「双葉も自己紹介はしないのか?」

「え、わわわ、私がかっ!!?」

「当然だろう」

「ちょ~っと待ってくれ! こういうのは心の準備が必要なもんで……!」

 

「いや、動揺し過ぎじゃね?」

 

 蓮からの振りに挙動不審になる双葉へ、竜司の冷静なツッコミが入る。

 

 代わる代わる豊かな表情を見せる面々。

 そうした気の置けないやり取りを見れば見るほど、年の差など関係ない仲の良さが垣間見えるようだった。

 

 本当に───本当に深い絆で繋がっているのだろう。

 あの常識外れな景色を見たからこそ感じ取れる。彼らは単純な“友達”ではなく、それこそ“仲間”や“戦友”といった深い関係を築き上げているのだと。

 

 この形容し難い関係を何と呼ぼうか?

 顎に手を当てる瑛は、しばし眼前の光景を反芻したところであたりをつけ、

 

()()()

「え?」

「だな? 俺たちは」

「……うん!」

 

 見透かしたように言い放った蓮に、瑛は清々しい笑顔で答えてみせた。

 

 そう、共犯者だ。

 おいそれと他人に話せぬ秘密を共有するからこそ、紡がれる絆の形。

 

「でも、それだけじゃないもんね」

「ああ」

 

 しかし、それもあくまで彼らの関係性を言い表した一面に過ぎない。

 

“友達”であり。

“仲間”であり。

“戦友”であり。

“共犯者”であり。

 

 折り重なる関係こそ、共に見せ合う表情の厚みをもたらしている。

 瑛にはそう感じ取れた。

 

「私もああいう風になれるかな?」

 

 純粋な羨望から言葉が漏れた。

 そんな何気ない問いに、

 

「なれるさ」

「雨宮くん……」

「変えたい気持ちがあるなら、何にでも」

「……ふふっ、そうだね」

 

 自身の世界を変えてくれた怪盗が迷いなく答えた。

 瑛を見据える瞳は逸れることなく、じっと二人が見つめ合う時間が流れる。

 

 すると、先に耐え切れなくなった瑛がぷっと噴き出した。

 ポケットに入れたタブレットが振動したのは、その時だ。

 

「あれ、誰からだろう……あっ!?」

「どうかしたのか?」

「お化け屋敷! そろそろ交代の時間だよ!」

「……しまった」

「そんな悠長にメガネを上げてないで!」

 

 交代制で要員を回しているクラスの出し物だが、そろそろ二人の時間がやって来たようだ。

 

「すまない、みんな。また後で来る」

「気にしないで。二人共、気をつけてね」

 

 真をはじめとした面々に、瑛と蓮(とバッグの中で振り回されるモルガナ)は送り出されながら駆け出す。

 

「ほら、急いで急いで!」

「待て。そんなに急いだら……」

「きゃっ!?」

 

 転ぶぞ、と言わんとした矢先で瑛が前のめりに倒れかけた。

 地面に埋まる石に躓き、綺麗に体が伸びきった状態。そこから体勢を立て直すには瞬時に足を前に出すしかないが、

 

「……言わんこっちゃない」

「め、面目ない……」

「気をつけてな」

「うん! ……うん?」

 

 すんでのところで蓮が手を取って引き上げたおかげで転倒は免れた。

 それも引っ張った先で絶妙な力加減で抱き留めたのだから、傍目からすれば演劇の一場面に見え、無駄に周囲の視線を集めてしまったようだ。

 

「い、急ごっか!」

「? だからそんなに急ぐと……」

「今度は転ばないから!」

 

 駆け出すやハッと気づいた瑛は、平然と並走する蓮とは裏腹に茹蛸のように顔を染めて速度を上げて消えた。

 

「とてつもなく早いムーブ……私じゃなきゃ見逃しちゃうね。これじゃあ蓮の毒牙にかかるのも時間の問題、と」

「双葉、人聞きの悪いことは言わないの」

「でも、さっきのあれはちょっと憧れるかも……」

「春、マジ……?」

 

 メガネを光らせる双葉に苦笑いする真。隣では乙女になる春を信じられないものを見るような眼を杏が浮かべていた。

 

 片や男性陣はと言えば、

 

「蓮の野郎、なんてナチュラルに……!」

『祐介。竜司は何を羨ましがってるんだ?』

「それはだな、ソフィア。人間には高嶺の花のような自分の手に届かないものを欲しがる性質があってだな……」

「いや、他人に手が届かないって言われるの残酷過ぎね?」

 

 歯に衣着せぬ祐介の説明に竜司が肩を落としていた。

 その様子に一ノ瀬は呵々とばかりに笑い、落ちた肩に手を乗せる。

 

「人生これからさ、そうめげる必要はないさ!」

「いや、なんで俺失恋したみたいな扱いされてんスか?」

 

 そう言い返したところで笑いの渦が巻き起こる。実に無情だ。

 

 怪盗団の輪に交じっている共犯者の一ノ瀬もまた、取り戻した平穏を前に偽りのない微笑みを零す。

 しかし、徐に伏せる表情。

 その奥には今回の一件への憂慮が覆い隠されていた。一人の大人として見逃せぬ、それでいて少なからず自身が関与しているであろう問題へ───。

 

(今回はあくまでも自然発生した認知世界だったが、また人為的に生み出されるケースは十分にあり得る。政府関係者……いや、認知訶学に携わった何者かが悪用する可能性はこれからも捨てきれないだろう)

 

 人間の欲望に限りはない。

 彼の邪神が証明したように、時に欲望は人智を遥かに超える超常現象を引き起こすことだってあり得る。

 

 その時、被害を受ける大部分は認知世界を知らぬ者ばかり。

 どす黒い悪意に人生を好き勝手される世の中などあってはならないが、生憎と社会の闇は暗く深いものだ。光と影ともつかぬ深淵は、いずれその淵を広げては無辜の民を犠牲にしていくだろう。

 

(私も研究を続けなければな……償いとして)

 

 密やかな決心を立てる一ノ瀬。

 するとそこへ、

 

『また難しい顔をしているな』

 

 ソフィアの心配そうな声が響いた。

 

「あれ? そんな顔をしていたかい?」

『私の目は誤魔化せないぞ。なんてったって、私は一ノ瀬の友人だからな』

「……ふふっ、こりゃ敵わないね」

『相談があるのなら私に言ってくれ。力になるぞ』

「ありがとう、ソフィア。頼りにしているよ」

 

 一人で抱え込もうとした憂慮でさえも暴かれる。

 そう、彼女は怪盗団の一員。心の中に隠された秘密や嘘など、華麗に頂戴するのだろう。

 

(……また君達が必要とされる世の中は来てしまうのかな)

 

 年端もいかない少年少女を頼りにするのは大人として情けなく思う反面、最後に残された望みと捉えれば、得も言われぬ心強さを覚える。

 

 虐げられる弱者の味方であり、現代に現れた義賊“心の怪盗団”。

 彼らが居る限り、人の心と願いを踏みつけにする欲望は、掲げられた正義の下に改心されるだろう。

 例え怪盗団が居なくなったとしても、第二、第三の模倣犯が現れる可能性も否めない。

 

 いつの時代も、叛逆の意志を抱く者は存在するのだから───。

 

(大衆の認知に強く焼き付いた印象はそう易々とは消えない。もしも、その時が来たとすれば……)

 

───案外、認知世界の方が君たちを呼び寄せるのかもしれないな。

 

 光と影が表裏一体であるように、認知犯罪と怪盗団もまた切っては切り離せぬ関係。

 認知を悪用して横暴を働く者が現れたとするのならば、叛逆の旗を掲げる者もまた現れる。

 

 

 

 一枚の予告状と共に。

 

 

 

 

 

 

「───ねえ、雨宮くん」

「どうした、瑛?」

「……ううん、やっぱりなんでもない。こういうのって奪ったもの勝ちだから!」

「? そうか」

「ふふっ♪」

 

 

「……オマエって奴はつくづく罪な男だぜ、レン」

 

 

「?」

「あっ! 下駄箱に予告状仕込んでおくのも逆にオシャレかも……

 

 

 

───TAKE YOUR HEART(貴方の心を頂戴する)───

 

 

 

 人々の心を奪う怪盗は、貴方の傍に居るのかもしれない。

 




こんにちは、柴猫侍です。

これにてPERSONA5 The BlackJack完☆結でございます!
始まりは他の作者様も参加した杯の為に用意した作品でございますが、無事に終わりまでこぎつけることができました……。
ペルソナの中でも一際オシャレな演出が特徴“5”、その雰囲気を味わっていただくために色々と目で楽しんでもらえるように試行錯誤を凝らしたりしましたが……まあ、それは裏話なので程々に。

この作品を経てペルソナ、延いては女神転生といった関連作品にご興味を持っていただければ嬉しい限りです。
何より読んでいただいた皆様に、一時でも娯楽になれば筆をしたためた甲斐があるというもの!

重ね重ねになりますが、最後まで読んでいただき大変ありがとうございました!
画像一覧の方に、この作品のためにしたためたイラストや表紙などもご覧になれるので、ご興味があればそちらもどうぞ!

また別の作品でお会いしましょう!
それでは、柴猫侍でした~。


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