エンディング後のアニメ世界に来たけど、ヒロインが怖い (ツム太郎)
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好きなキャラの様子がおかしい

 季節は春。

 麗らかな心地よい気候が身を温め、ほどよい眠気を誘ってくる。

 さながら小鳥のさえずりは子守唄だろう。今瞳を閉じれば、数秒もしないうちに眠りの底へと行けるだろう。

 薄めの布団なんかあったら最高だ。

 

 顔を上げ、空を見上げてみる。

 何の形もとらず、着の身着のままに空を歩く雲たち。

 目を閉じればそのまま夢の中へ。春眠暁を覚えずとはこの事だ。

 

 こんな日はカフェの野外席でゆっくりするのが一番。

 そう思った俺は、早朝から街で一番小さな喫茶店に赴いていた。

 ワケあって人の多い場所にはいられない自分にとって、この店はとても都合がいい。

 お客も少ないし、店主も寡黙だ。俺がいても通報はしないでくれている。

 

 そんなことを思いながら、頬に当たる風を感じる。

 ふわりと身を包んでくれる風。最高だ。

 このまま眠ってしまっても良いが、それでは店主に迷惑がかかってしまうだろう。

 俺はふわふわとする心地に足を着けるべく、注文したコーヒーに手を取った。

 

「……ふぅ」

 

 多めにコーヒーを口に含み、香りを楽しみながらゴクリと飲み干した。

 ふと、自分の今の状況を考えてみる。

 

 異世界転移。転生ではなく、転移。

 この世界に純度100%の不純物な俺が混じっている。

 何が原因でどうやってこの世界に入ってきたのかは分からない。いつものように自室で寝て、いつものように自室で起きる筈が全く別の場所にいたのだから。

 しかし幸いなことに、俺はこの世界自体は良く知っていた。

 

 サァベイション・イン・ザ・ケイブ

 

 直訳して「救いは洞穴に在り」。

 タイトルからして暗い悪臭がプンプンしてくる完全オリジナルアニメ。

 そしてタイトル通り、その内容も果てしなく暗かった。

 

 ただの村娘であった天真爛漫な主人公ララベルがある日、女神からの神託を受けて勇者となり魔王を倒す。

 大まかな内容はこんな感じなのだ。これだけなら何兆回も見たような、よくあるアニメ設定だろう。悪臭どころか晒されすぎて臭いすらしない設定だ。

 

 だがこのアニメの内容は、栄えある冒険譚のように明るいモノでは無い。

 強制的に城へ連行されたララベルは今まで持ったことも無い剣を握らされ、城の騎士達相手に異常なほど苛烈な鍛錬をさせられる。

 女神様に選ばれたのだから、これくらい当然だ。そう言わんばかりの容赦ない仕打ちに、明るかったララベルの顔はアニメ開始から最初のCMまでの間に真っ暗になってしまっていた。

 その表現も生々しかったんだよなぁ。木刀でおもっくそ叩きつけるわ、魔法の火の玉を何発も直撃させるわ。

 

 頼れる人間が全くいない事も酷い。女神に選ばれるくらいだから重宝されるのかと思ったがそういうワケでもない。

 むしろ皆彼女を人とすら見ないで、ただの道具みたいに扱っていた。

 止めて助けてと言っても誰一人ララベルを助ける事は無く、むしろザマァミロって感じで笑っていた。

 何故城の人間が彼女をそこまで虐げるのかアニメでは一切理由が無かったせいで、ただただ胸糞の悪い理不尽なイジメそのものに見えた。

 

 ララベルがどれだけ傷付いても回復魔法ですぐ治り、すぐさま鍛錬という名のリンチを継続。

 まさに無限地獄のソレだ。

 

 そして一気に数年経った後、ララベルは薄い皮の防具と使い古された木刀のみ渡されて城を追い出される。

 RPGじゃ勇者へ送られるのは木の棒と100ゴールドが相場だが、ララベルへ送られるのは打撃と火の玉だけだ。ブラックどころでない。駒を通り越して塵扱いである。

 ララベルも城を出た時には、もう涙も枯れ果てて死人のような顔をしていた。

 ちなみにこの時点でアニメはまだ第一話。既に多くの視聴者は精神をガリガリと削られただろう。

 

 で、数年の苦痛の果てにララベルはようやく魔王討伐の旅に出た。

 その中でも彼女は様々な裏切り、苦痛を味わうのだが……そこは割愛しよう。

 旅の果て、最終面で彼女は人間や女神に対する禁忌を犯してしまう。

 あらゆる苦境に対応するため、その身に多くの魔物の力を取り込んだのだ。

 そのせいで金色の長髪は真っ白になり、眼は人間ではありえない真紅に染まった。

 額からは隠せない程の角が生え、おおよそ人間ではない見た目になってしまったのだ。

 

 結果、ララベルは魔王を討伐できた。だがそんな彼女を人間たちが受け入れる事は無く。

 ララベルは最後、人間たちに封印されてエンディングとなった。

 その時のララベルが絶望し、画面いっぱいに引き攣った笑いを浮かべるシーンは本作ラストにして最大のトラウマシーンだ。

 比較的新し目なアニメだが、動画サイトでよくある「アニメのトラウマシーン総集編」なんかには必ず載ってくる。

 

 当然視聴者からの批判も多かった。

「どうしてこんなアニメを作った!?」

「ララベルがあまりにも可哀想すぎる」

「コレを見た小学生の子供に悪影響が及ぶ」

 そんな批判が相次いだ。

 しかしまぁ、そんなアニメの中毒性も半端ではなく。

 多くの信者を生み出し、様々な同人等も制作された。その内容も大体が良い内容では無かったが……。

 

 とまぁ、これがサァベイション・イン・ザ・ケイブのおおまかな説明である。

 かくいう俺もこのアニメは大好きだった。

 初見の時はあまりに酷い展開に呆然自失になったが、気付いたらもう10周はこのアニメを見ている。

 否定しきれない謎の魅力があるのだ。当然資料集も買った。

 

 おかげで細かい設定まで分かったし、城の人間がララベルを虐めていた理由も分かった。

 だからといってララベルへの仕打ちは許さんけどな!

 

 

 

 さて、アニメの説明はここまででいいだろう。

 次は現状。

 長々と説明したが、俺は現在そのダークアニメであるサァベイション・イン・ザ・ケイブの世界にいる。

 

 何故分かったか?

 そりゃ親の顔程見たララベルのご尊顔前に転移されたんだから、分からない筈がないだろ。

 しかもエンディングの封印されている状態だ。これで間違えたら二度とファンを名乗れませんよ。

 

 鎖に縛られ、暗い洞穴に放置されたまま眠っているララベル。いや正確には眠らされているのか。

 彼女を縛っていた鎖には妙なデザインの札が何百枚も貼られており、資料集によると 意識を深い闇に落とす呪いが掛けられているらしい。本来なら超危険な魔物を封印するための呪術らしいが、ララベルにも容赦なく使われている。

 しかも本物の札は一枚のみで、それ以外は剥がすと辺り一帯を巻き込む大爆発を起こすトラップだ。彼女が誤って起きてしまった場合の保険のつもりなのだろう。

 ていうか、そうでもしなきゃララベルは鎖くらい簡単に引き千切れる。人間をやめた彼女を舐めてはいけない。

 その気になれば第二の魔王にだってなれる。

 

 まぁ逆を言えば、札さえなんとかすればララベルは解放されるのだ。

 故に、俺は迷わず本物の札を引き千切った。

 この封印の札は本物だけデザインがちょっと違うから、すぐに見つける事ができる。

 それによって何が起きてどんな事になってしまうのか。そんなことはどうでもいい。

 俺がなんでララベルの目の前に転移したのかは分からない。

 ていうかどうせなら、城に連行される頃にチート持って行きたかった。そして彼女とイチャラブしたかった(怨)。

 

 だがそれが叶わないなら、せめて彼女を救いたい。

 バッドエンドがなんだ。女の子に似合うのはハッピーエンドなんだよぉ!

 というワケで、その後の行動にシフトするまで秒とかからなかった。

 俺は微塵の迷いなく、一切の躊躇なくその札を引き千切ったのである。

 

 瞬時、明らかに分かる異変が起こった。

 軋んでいた鎖の砕ける音。バラバラに飛び散り光を乱反射させていく。

 幻想的と言ってもいいくらいに輝く鎖たちは、湿った地面にボトリボトリと落ちていった。

 

 そんな光景をポカンとした表情で見ていた時、視線を感じて前を見る。

 そして直後、目覚めたララベルと目が合って――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何を見ているんだい、コウ?」

「いやぁ、お空を少々」

 

 紆余曲折あって、現在に至る。

 ララベルは解放され、封印されていた洞穴からも無事脱出。

 現在は人間の街に溶け込み、古い空き家に住んでいる。

 ていうか、住ませてもらってる。

 彼女を解放してしまったせいで、多勢力から色んな理由で狙われているために。

 

 そして今俺の目の前で椅子に座り、こちらを微笑みながら見ている彼女こそララベルだ。

 身震いするほど美しい顔に、悍ましいほど歪んだ魔力を持つ。

 人間を超越し、魔物を淘汰した化け物。

 生き物を生かし、殺すことも容易く行う人知を超えた力をいくつも内包している。

 あらゆる姿に体を変化させ、あらゆる術を発動可能だ。

 

 これだけでも十分に恐ろしいが、一番恐ろしいのはその目だ。

 感情が籠っているようで、何も映していない。

 優しげに微笑みながら、100にも及ぶ兵士をただの血肉に変貌させる。

 もう彼女にとっては、人も魔物もただの動く肉だというのか。

 

 不滅なる異形。ソレが今現在のララベル。

 いかに冒険者らしい軽装に身を包んでも、歪んだ角をフードで隠しても、その異常さは決して隠しきれない。

 

 そんな彼女が、微笑みながらこちらを見ている。

 異形になろうと綺麗だし可愛いけど、圧が半端でない。

 ていうか貴方、なんでここが分かったの?

 確か貴方が寝ている間にコッソリ家を出た筈なんですけど……?

 

「何を言うんだ。君が何処にいても私にはすぐに分かるよ。当然だろう、他ならない君なんだから」

 

 おぉう、優しい顔で怖い事を言ってくれる。

 誓って言うけど口に出してない。さらっと心を読むのは以降止めてほしい。

 

「ふふ、許しておくれ。君の事となると、ついつい覗いて見たくなってしまうんだ」

 

 そう言ってララベルは目を細めると、身を乗り出して俺の方へ右手を伸ばしてくる。

 ゆっくりと、まるで飼っている猫を撫でる時のように。

 以前なら天変地異が起きても構わないような超嬉しい場面だが、如何せん狩って食われるんじゃないかという気分なワケで。

 彼女の優しげな目も、俺を安心させてどっか真っ暗なところに引きずり込もうとしているような……そんな不安に駆られる。

 

「どうしたんだい、不安そうな顔をして。婦女子に言い寄られるのは男の本望……たしか君はそう言っていたね?」

「ははは、いやまぁ相違ないんスけどね……」

「なら、君は私に身を委ねるべきだろう。私に全て任せれば幸せになれるのに。それをいつまでも、いじらしく……あまり感心出来る事ではないよ」

 

 結構喋っているが、この間でララベルの表情は一切変化していない。

 怒りとか悲しみといった大まかな感じではなく、瞼の開き具合とかそこら辺のレベルで。

 いやホント、好きなアニメの好きなキャラだけど流石に恐怖が半端でねぇ。

 アニメ序盤では明るく活発な女の子だったララベルが、こんな未知との遭遇チックなキャラになるとは思わなかった。

 頼む、頼むからこの状況を誰か打破してくれ。

 

「……ララベル」

「おや、すまない。意地悪が過ぎてしまったようだね」

 

 俺が声を掛けると、ララベルは大人しく席に戻ってくれた。

 クスクスと笑いながら、変わらず底の見えない真っ暗な目でこちらを見てくる。

 蛇に睨まれた蛙とはこの事か。あの目を見るだけで全身が動けなくなってしまう。

 

「では、これだけ言っておこう。とはいっても、もう何回も言ったことだが」

「な……んだよ」

「君だけは私のものだ。私の明かりだ。誰にも渡さないし、誰にも譲らない。決して離しはしないよ……ふふ」

「――!!」

 

 全身に剣が突き刺さる感覚。

 地面に固定され、一切の自由を奪われたかのような。

 きっと殺気ではないのだろう。

 一切の不純が無く、研ぎ澄まされ、刃のように鋭い。彼女なりの「好意」なのだろう。

 そう思っても、やっぱり恐ろしい。

 この世界に来てもうしばらく経つが、未だに慣れず震えてしまう。

 

 好きなアニメの好きなキャラが非常に怖い。

 額から流れる汗のせいで、先程まで心地よかった風が気持ち悪く感じた。

 




書き殴っていたネタの一つを赤裸々投稿。
ご指摘、ご感想がありましたら、よろしくお願いします。


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解放されてすぐのこと

 一応言っておくと、最初からララベルがこんな感じだったワケではない。

 助けてすぐの頃、彼女はほとんど人形のような状態だった。

 

「……貴方は、誰だ?」

 

 おぼろげな目でコチラを見続けるララベル。

 ララベルはその場で膝を突くと、辺りをキョロキョロと見渡す。

 ゆっくりと、不安げな表情をして。

 

「ここは……そう。私は、王や神官たちにここで……」

 

 ララベルは心底諦めきったかのようなため息をこぼす。

 自分がどんな運命を辿ったのか、細かく思い出したのだろう。

 

 彼女は魔王討伐後、王城へ戻った後にここへ呼び出されていた。

 苦境の果て、ようやく元の日常に戻れると思っていたララベルは、この地で封印魔法を施されたのだ。

 鬱蒼と茂る魔物の森。その最奥にある洞窟の中に。

 

 まともな思考回路をしていれば、それが罠だということは分かっていただろう。

 いや、もしかしたら彼女自身分かっていたのかもしれない。

 分かっていた上で、自分の足で赴いたのかもしれない。

 その理由が人への信じる心からか、諦めからだったのか。それは分からない。

 ただ一つ、彼女が封じられる直前に爆発させた感情は本物だったということだ。

 その心情を土足で踏みにじり、荒らす権利は俺には無い。

 

「……ララベル」

 

 だが、いつまでもこのままではいけない。

 俺は彼女の名前を呼び、コッチに意識を向けてもらう。

 彼女はビクリと体を震わせた後、恐る恐るといった感じで俺を見た。

 

「……」

 

 思わず絶句してしまう。

 暗い。暗く、底の見えない目だ。

 怖いという感情よりも、痛ましいという気持ちがわいてくる。

 アニメで見るのとは比べ物にならない。

 本物の絶望を味わった女の子。そのポッカリと空いたような瞳が俺を見ていた。

 

「ッ……」

 

 視線を逸らしてしまいそうになるが、なんとか彼女を見続ける。

 俺が彼女を見ないでどうするのか。そう思ったが故だった。

 

「俺は雨田 幸次。コウでいい。君を助けるためにここに来た。とりあえずここから出よう」

 

 そう言って、ララベルの前に手を差し出す。

 しかし、彼女は俺の手を凝視するだけで何もしない。

 俺のことを疑っているのだろうか。無理もないが、今はとにかくここから脱出しないと。

 

 そう思ってもう一度ララベルに手を突き出すが、彼女は笑いながら下を向いてしまった。

 

「……貴方だけ、逃げるといい」

「何言ってるんだ。そら、さっさとここから出ないと」

「出て、どうする? 私には何も無い。全部奪われて、捨てられた。どうせ逃げても追われ続けるだけだよ」

 

 彼女は俺の手を払うと、力なくその場に座り込んでしまった。

 自分が縛られていた壁に背を付け、ゆっくりと首を傾ける。

 

「これが似合いなのさ。私の全て、その総算だ。せっかく穏やかになったんだ、貴方もこの世界を満喫するといい」

「そんな……そんなワケない」

「あるんだよ。所詮私はこの世界の、そして女神や人間の捨て駒だ。用が済んだら捨てられて当然。首を切られないだけマシというものだ……あぁ切っても死なないんだったな……ふふ。お笑いだ、もう自分が何を夢見て歩いていたのかも覚えていない」

 

 そう言って、彼女は眼を閉じる。

 もう何も言うことはない。そういうことなのだろう。

 彼女は受け入れていた。いや、受け入れてしまっていた。

 自分の運命、振り回され続けた結果。その全てを。

 だからこそ生きる人形として、ゴミ捨て場に捨てられることを良しとした。

 

「ッ! そんなワケないだろッ!」

 

 つい声を荒げてしまう。

 まるで何度も見たアニメを、もう一度見させられている気分だった。

 ララベルは永遠に封印され続け、それを良しとして繁栄する人々が生き続ける。

 そんな事実が許せないし、ソレを受け入れるララベルも許せなかった。

 ソレが俺自身のエゴだということも理解している。でも、彼女には別の生き方がある筈なんだ。

 

 少女らしく普通に生きて、普通に恋をして、素敵な日々を過ごして。そんな人並みの人生を送る権利が当然にある。

 あるいは英雄として人々に崇められ、どこかの国の王子と結婚して、綺麗なお姫様になることだってできただろう。

 ララベルにはその権利がある。それだけの偉業を果たしたんだ。

 そんな彼女が、こんなところで捨てられていい筈がない。

 

「掴まって」

「……何を、私の事など」

「良いから、掴まるんだ……ッ!?」

 

 彼女と共に洞窟を出ようと立ち上がった、その時だ。

 

――グルルル……

 

 獣の声。低いうなり声が聞こえた。

 辺りを見ると、狼に似た魔物が俺たちを睨んでいる。

 それも単体ではない。複数、それも2体や3体程度ではない。

 目で見えるだけでも10体に囲まれている。

 

「しまった……俺の大声で……!」

 

 後悔してもすでに遅く。

 多くの魔物が俺とララベルを囲ってジリジリと距離を詰めてきた。

 

「ララベル、すぐにここから逃げよう。早く行かないと手遅れになる!」

「……出たところで、アレは追ってくるさ。あぁいう生き物は、たとえ首だけになっても襲い掛かってくるものだ……だから早く逃げろと言ったのに」

「ぐっ……うるさい!」

 

 焦る俺に対し、ララベルは全く態度を変えない。

 今から魔物に殺され、ただの肉にされる実感がないというのか。

 いや、覚えがあるからこその不変なのだろうか。

 

 ララベルは封印時、持っていた武器の類を全て奪われている。

 それに武器を持っていたとしても、目覚めたばかりでロクに戦えるかもわからない。

 そもそも彼女には、魔物たちへ抵抗する意思がないように見える。

 つまりあの化け物たちとは、俺が相手をしなくてはならない。

 

 幸か不幸か、ここは洞窟だ。

 投げつけたり叩きつけるための石は無数に転がっている。

 なんとかこれで魔物の群れを追い払わなければならない。

 

「クソッ、やってやる。絶対にララベルを外に出す!」

 

 足元にあった石を持ち、魔物たちを睨みつけた。

 自分の体を奮い立たせるために大声を出す。

 

 直後、今まで感じたことのない明確な殺意が魔物たちから放たれ、まっすぐに俺を射抜いてくる。

 意気揚々と魔物を相手にしようとしたが、命のやりとりなんて初めてだ。

 相手が人間でないとしても、殺し合いなんて無縁の生活をしていた。

 

「ぐ……やらなきゃ……殺される!」

 

 足元が震え、まともに立つことができない。

 震えが腕にまで伝播し、握っていた石がポトリと地面に落ちてしまった。

 

 しまった。そう思い、石を拾おうとして魔物たちから視線を逸らす。

 その時だ。

 

「ガギャァァッ!!」

 

 一番近くにいた魔物が吠え、いきなり俺に飛びかかってきた。

 すぐに視線を戻すが、もう遅い。

 

 ダラダラと唾液を垂らす大きな口からは、ナイフと同じくらいに鋭利な牙が光って見えた。

 死ぬ直前は周りの光景がスローに見えると聞いたことがある。なるほど、確かにその牙はゆっくり俺に向かってきていた。

 まぁだからといって、何か対処ができるワケではないが。

 

 牙が俺の首に届き、勢いよく噛みちぎる。

 ブチリと千切れる音、痛み。

 霞んだ視界に噴き出す血。

 倒れる直前まで、すべてがゆっくりに感じた。

 

「……ぁ……ぃげ……る……」

 

 ベシャリと地面に倒れこむ。

 喉が千切れてしまったせいか、上手く言葉を出すことができない。

 霞んでいた視界も、端から徐々に黒く染まっていく。

 我ながら情けない。勢い勇んで立ち向かって、結果即落ち決め込む事になるとは。

 

 頭がボーっとしてきて、やがて視界が黒に染まりきるその瞬間。

 最後に見たのは、迫り来る無数の魔物。

 そして、ゆっくりと立ち上がったララベルの姿であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が戻る。

 暖かい布団。一瞬元の世界に戻ってきたのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 簡単な家具に木で作られた壁。

 ゲームでよく見る宿屋みたいな部屋だ。

 

 いったいなんでこんな場所に?

 そう思っていた時、ふと妙な違和感を感じた。

 

「……あ、れ?」

 

 ふと魔物に噛み千切られた喉が気になり、ソッと触れてみる。

 痛みはない。それどころか、治療されたようにも感じられなかった。

 声もしっかり出る。まるで初めから無傷だったかのように、なんの異常もない喉があった。

 

 確かに喉を食いちぎられたはず。それなのに、何故無傷なのか。

 そんなことを考えていると、扉が開いて見知った人が入ってきた。

 

「やぁ、目が覚めたようだね」

 

 ララベルだった。

 彼女は小さな鍋を片手で持ち、俺に微笑みながら近くまで歩いてきた。

 

「ララベル……ここは……?」

「あの洞窟の外。森から抜けてすぐ傍の村だよ。宿屋の使われていない部屋を拝借したんだ」

「出て……くれたのか? あの洞窟から」

 

 ララベルは俺の問いには答えず、近くのテーブルに鍋を置いて部屋の奥へ歩いていく。

 そのまま閉じていた窓を開けると、眩しい太陽の光が直接部屋の中に入ってきた。

 

「綺麗な陽の光だ」

「あ、あぁ。そうだな」

「いつか見た景色に似ている。そう、故郷から連れ去られたあの時も。城を追い出されたあの時も。こんな陽の光をしていた」

 

 太陽の眩しさなんてお構いなしと言わんばかりに、彼女は太陽を見続けていた。

 日光のせいで彼女がどんな表情をしているか分からない。

 何を思っているのかも、全くわからなかった。

 

「ララベル……」

「人並みの生活など、もう得られないと思っていた。誰にも相手にされず、孤独に消えるだけなのだと。だから、あのまま眠り続けるべきなのだ、と」

「……」

「でも、でも貴方が来た。名前も分からない、素性も知れない。何者なのか、その一切が分からない。でも、その貴方の言葉には負の感情がなかった。悪意が微塵も……無かったんだ。そう、あの陽の光のように」

 

 日光を背にして、ララベルがコチラに向かって歩いてくる。

 親と離れ、迷子になってしまった幼子のように。

 不安と焦り、そして悲嘆にまみれた悲しい表情でコチラを見ていた。

 そして俺の目の前で止まると、ベッドの上にいる俺に向かって手を伸ばす。

 

「だから……だからだ。その……私と一緒にいてくれないかな? こんな化け物でも、傍に置いてくれないか? 傍にいて、私を照らして欲しいんだ」

 

 本心からの願いだと思った。

 彼女は本当に孤独だったのだろう。

 実際、ララベルの旅の中で彼女に優しい者など一人としていなかった。最初は友好的だった者たちも、最後には必ず彼女を裏切ったのだ。

 

 そんな彼女が望むのは何なのか。考えなくたって分かる。

 ハッキリ言って分不相応だとは思う。

 こんなタダの人間に、彼女の隣が務まるとは思えない。

 

 でも俺にはこれ以外、彼女のためにできることはない。

 それに、俺自身そうなりたいと望んでいた。

 

「あぁ、大丈夫だララベル。一緒にいる、お前を一人になんてしない。それにララベルみたいな可愛い子と一緒にいられるんだから、俺としても非常に嬉しいかなぁ! なぁんて……」

 

 本心から出た言葉だった。

 後半部分は言いすぎたかもしれない。なんか恥ずかしくなってきた。

 

 だが、言うべきことはしっかり言えたと思う。

 彼女の手を取り、その目を見てハッキリとそう言ったのだ。

 

 気持ちはしっかり伝わってくれたと思う。

 ララベルは目を見開くと、顔を伏せて小さく震えだした。

 もしかして、泣いているのだろうか?

 俺の言葉で少しでも彼女が救われたのなら、これ以上に嬉しいことはな――

 

 

 

「ふ、ふふ……ふふふ……」

 

 

 

 ふと、彼女の声が漏れていることに気づいた。

 

「ら、ララベル?」

 

 顔を伏せて笑い続けるララベルを不審に思い、声をかけるが反応してくれない。

 何か失礼なことをしてしまったのか。

 そんなことを考えてみるが、特に思い当たることはない。

 

「く、ふふ……誓いは成された」

「ッ!?」

 

 瞬間、首元に違和感を感じた。

 まるで何者かに撫でまわされるような、酷く気持ち悪い感触。

 ゆっくりゾリゾリと一周撫でられ、身動きが一切取れなくなった。

 

「な、にを……?」

「あぁ、心配しなくていい。貴方は……いや君は、永遠に私と共にいれば何も心配しなくていいんだ。安心して、全て私に任せるんだ。だから……」

 

 ララベルが伏せていた顔を上げる。

 その顔を見て、思わず小さな悲鳴を漏らしてしまった。

 

 彼女の顔。

 そこには張り付けられたような優しい笑みがあった。

 だがその笑みは徐々に裂けていき、おおよそ人のソレではなくなっていき……。

 

「ずっと一緒にいておくれ。私の光。やっと得た、愛しい人……くふふ」

 

 そして三日月のように細く裂けた、底冷えする笑顔を向けていた。

 

 

 

 それからだ。ララベルが今の状態になったのは。

 本当に怖い。どこまでも不気味さを感じる。

 本物の不滅なる異形になってしまったかのような、底冷えする恐ろしさを感じさせる彼女に。

 

 ……もしかしたら、何か間違えてしまったかもしれない。

 




付け忘れていたタグがあったので、追加しておきました。
ご指摘、ご感想があったらお願いします。


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同時刻、王城にて

 

 こうしてララベルとコウは出会った。

 二人は森の近くにある小さな村の宿に身を潜め、数日過ごすこととなる。

 異世界転移をしてすぐの修羅場を抜け、コウはしばしの休息を得ることが出来たのだ。

 

 しかし、それを他の者は許すだろうか?

 否、決して許しはしない。

 ララベルの復活。その異変は、直ちに王城へと知れ渡ったのだ。

 

 

 

 王城、並びに王都ハルメイア。

 女神の信託を受けてララベルを連行し、彼女の力によって繁栄した国。

 かの国の上層部は、緊急事態の発生による会議が急遽行われていた。

 

「ララベルが……勇者が逃亡しただと!?」

 

 声を上げたのは大臣の一人。黒い髭を蓄えた彫りの深い顔をした男である。

 大臣は額から大量の汗を流し、今にも卒倒しそうな勢いだ。

 周りの者たちも同じように顔を青くさせ、ザワザワと小声で話し合っている。

 まるで何か、ララベルに対して後ろめたい事があるかのように。

 

 ララベルの復活が知らされたのは、ほんの少し前のこと。

 彼女の封印を見張る兵士からの、定期的な連絡が途絶えたことが始まりであった。

 

 封印の森。そこには魔物だけでなく、王城から派遣された兵隊がいた。

 その数約50名。全員がそれなりの力を持つ実力者である。

 加えて、この隊には上層部に忠実な者達ばかりが選出されており、森への侵入を一切許さない。興味本位で侵入した者も、無自覚に迷ってしまった者も、問答無用で魔物のエサか彼らの剣の錆になる。

 彼らは定期的に魔物除けの札を装備し、ララベルの封印が万全であるかの確認を行っていた。朝に一回、昼に一回、そして夜に一回。

 一切の抜かりなく、兵隊はその任務をこなしていたのである。

 

 そんな兵隊からの連絡が、いきなり途絶えてしまった。

 ただ事ではない。異変を察知した上層部は、急いで兵を派遣して様子を探ろうとした。

 その時に彼らを支配していたのは、じわじわと押し寄せてくる焦り。もはや50名の精鋭の安否など頭になく、ただ封印のみを懸念していた。

 何も問題なくあってくれ。上層部は皆、女神にそう祈り続けていた。

 

 しかし、彼らの願いは叶わず。封印の森や洞窟にあったのはおびただしい量の血と、無数の死体であった。いや、死体と言って良いモノなのかすら怪しい。

 ソレを明確に示すのならば、肉。

 食いちぎられたような、踏みつぶされたような。おおよそ人間を相手にして生じるモノではない傷跡があった。

 

 かろうじて残っていた原型から、その正体が魔物、そして兵士たちだということが分かったという。

 報告を受けた全員に、今まで感じたことのない恐怖が走る。不滅なる異形、ララベルが復活してしまったのだ。

 

 もし、ララベルが復讐しに来たら?

 魔王を倒したその力に、我らは対応できるだろうか。答えは否。抵抗する暇なく、自分たちは報告にあった肉の塊となるだろう。

 ならば自分たちはどうすべきか。

 

「服従したフリをして、今一度洞窟に封印しよう!」

「そんな子供騙し、もう奴には効かん……降伏するべきだ」

「軍は以前とは違う。強固な力でねじ伏せればいい!」

「お前の傲慢に従うつもりはない!」

「貴様こそ、敗北主義者は消えていなくなれ!」

 

 様々な考えが怒号と共に交差する。もはや会議ではなく、単なる感情のぶつけ合いになってしまっていた。

 

 さて、そんな切迫した中。

 椅子に座ったまま沈黙する者が二人いた。

 

 一人は少女。

 修道服に、金色の装飾。小さな十字架のネックレスに、宝石を散りばめた杖。

 豪奢であり質素。そんな矛盾を孕んだ格好をしている。

 

 もう一人は青年。

 純白の鎧を着込み、これまた真っ白な剣を帯剣している。

 彼を見た人間10人のうち、10人が騎士と言うであろう格好をしていた。

 

「……節穴ですね。誰もかれも、見るべき点を見失っている」

 

 口を開いたのは青年だった。

 彼はニコリと笑いながら、隣に座る少女に話しかける。

 

「仕方のない事です。私も含め、彼女に恨まれない者はこの場にいないでしょう」

 

 対して、少女の顔は暗い。

 この場にいる全員を見ながら、悲しげな表情を浮かべている。

 二人は言い争いを見ながら、ゆっくりと会話を続けた。

 

「貴方の言う通り、見るべき点はララベルの逃亡ではありません。勿論、彼女のことも追々対応するとして……問題なのは、彼女を解放した何者かの事です」

「偶然封印の札が剥がれてしまった可能性は? あるいは、現地の魔物が千切ってしまった可能性も」

「ありえません。あの札は封印の解除を望む意思がなければ、剥がすことも破ることも出来ないのです。魔物が触れようとビクともしません。加えて言えば、偽物の札と本物の札を見分ける知識が無ければ、今頃大爆発が起きています」

 

 青年の問いに、少女は間髪入れず答えた。

 青年は顎に手を当て、目を閉じて思考する。

 

 少女の言う通りならば、ララベルが偶然をもって逃げ出すことは不可能だ。

 自分で封印を解こうにも、意識は深い闇の中。

 

 つまり、ララベルの封印を解いた何者かが存在する。その解にたどり着いたのは至極当然であった。

 

「しかし、それこそあり得ません。あの森には、私の部下も派遣されていました。その実力も、貴方ならお分かりでしょう?」

「えぇ、承知しています。そのうえで何者かが森へ侵入し、ララベルの目覚めに成功したのです。それ以外に考えられません」

「……転移魔法を駆使し、ララベルの前に直接向かった場合も考えられます」

「それならば、私が直後に気づいて対応しています……もう問答はやめましょう。貴方の部下の目をかいくぐり、魔物の猛攻も押しのけ、ララベルの封印を躊躇なく解ける。そんな得体の知れない異物が現れたのです」

 

 ゴクリ、と唾を飲む音が聞こえる。青年の喉からだ。

 世界は広い。魔物の森の包囲網を突破することができる実力者は、少ないにしても存在しないことはないだろう。

 だが、ララベルの復活を望む者は存在するだろうか?

 世界中から忌み嫌われ、永遠の排除を望まれた彼女を。魔王にもなり得る邪悪な魔力を持つ、化け物と化した彼女を。

 それこそ、筋金入りの破滅願望者以外考えられない。

 

「まさか、死んだ魔王の配下では?」

「十分に考えられますが、断定するには情報が少なすぎます。現地から彼女の魔力を辿り、その動向を探っていきましょう」

「危険すぎます。ただの魔術師にそのようなことをさせたら、逆に魔力を押し込まれて利用される」

「……ただの魔術師なら、でしょう」

 

 そう言うと、少女は立ち上がる。

 未だ言い争いを続ける大臣たちを尻目に、扉の方へ向かった。

 

「行かれるのですか?」

「えぇ。彼女が絡んでいるのならば、私が行かなくてはならないでしょう」

「……今一度、彼女を封印できますか? 大神官アステア」

 

 大神官と呼ばれた少女は振り返ると、ニコリと笑う。

 その笑顔はどこまでも優しく、温かく、美しく。

 

「異物もろとも、再び闇へと落としてやる」

 

 そして、獰猛であった。

 




ご指摘、ご感想がありましたらよろしくお願いします。


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宿屋で注意

 朝、スズメっぽい鳥の鳴き声と朝日で目が覚める。

 絶妙な温かさの布団が心地いい。

 もうこのベッドで目が覚めるのは何度目だろうか。いやまぁ3回目なんだけど。

 

 あの洞窟から無事脱出……ていうかララベルに助けられた後、俺はこの宿屋の一室で療養していた。

 俺自身はもう全快したと思うのだが、ララベルがもう少し休むべきだと気遣ってくれたのだ。部屋から出ることは許されず、ひたすら横になって満タンだと思われる体力の回復に徹している。

 正直、退屈の極みであった。

 

 楽しみといえば、ララベルが持ってくる食事。

 彼女が持ってくるのは、全部よく煮込まれたスープだ。味がないということはなく、口に含むと野菜の旨味が溢れてくる。一皿飲むだけで腹いっぱいになるくらいだ。

 たまに具がそのまま残っていることもある。昨日の夜に飲んだスープには、玉ねぎなどの野菜や何かの肉が入っていた。彼女曰く、羊の肉らしい。

 よく煮込まれたおかげでとても柔らかく、非常に美味しかったことを覚えている。

 

 さて、そんな療養生活も数日経った。

 そろそろララベルと相談し、外に出て今後の方針を考えないといけないだろう。

 いつまでも宿屋にいることはできない。下手したら、感づいた王城の連中が俺たちを探している可能性もある。

 可能な限り、王城から離れなければ。そう思いながら体を起こした。

その時だ。

 

「おはよう、コウ」

「――ッ!!?」

 

 ふいに目の前から声をかけられた。目の前というか、目と鼻の先。物理的な意味で。

 顔を横に向けた先には、超ドアップなララベルの顔。

 いつもと同じ、優しく微笑みながらコチラを見ている。瞬き一つせず。

 ギリギリで悲鳴を堪えることができた自分を褒めてやりたい。ていうか、いるなら目を覚ました時にでも話しかけてくれ。

 

「お、はよう……ララベル」

「ふふ、朝から可愛い反応をしてくれるじゃないか」

「……お前が無言で目の前に出てくるからだろ。もう止めてくれって」

 

 この部屋で起きるたびにララベルの顔が目の前に現れる。

 目の前や真横、方向はその時で違うが、安心した後に出てくるものだから心臓に悪い。

 ていうか普通こんなに近いなら気付くはずなのに、なんで毎度気づけないのだろう。瞬間移動でもしてるのかこの子?

 

「おや、ソレはすまなかったね……さぁ顔を洗って、朝食にしよう」

 

 大して悪びれもせず、ララベルは楽しそうに笑いながら水の入った桶を寄せてくる。

 俺はララベルをジロッと見ながら、そそくさと顔を洗ってテーブルの方へ向かった。

 

「いただきます」

「ふふ、いただきます」

 

 テーブルの上には見慣れたスープ。今日も肉や野菜が入っている。

 いくら旨くても物足りない。最初はそう思っていたスープも、今では好物と言っていい程好きになっていた。

 スプーンにすくって一口飲むと、ララベルも嬉しそうに笑いながらスープを飲んだ。

 こういった仕草は素直にかわいい。

 そんな彼女を見ていると、ついホッコリとした気分になってしまう。

 

 しかし、いつもまでも浮ついた気分ではいられなかった。

 

 

 

「ところで、コウ。そろそろ教えてはもらえないだろうか?」

 

 数回スープを飲んだところで、ララベルはそう切り出してきた。

 

「なんだ? 俺に言えることなら良いんだけど」

「もちろん、君だから言えることだよ……率直に聞こう。君は、何者だい?」

 

 ッ……!?

 ララベルの言葉を聞いて、体がぴたりと止まってしまった。手に持っていたスプーンを落としてしまいそうになる。

 俺がどういう存在なのか。今まではスルーされていたが、ララベルはずっと気になっていたのかもしれない。

 ジィっと暗い目でコチラを見てくるララベルが、まるで俺を見定めているような気がした。

 

 彼女には俺のことをなんと言えばいいのだろうか。洞穴ではとにかく彼女の救出だけを考えていたから、そこら辺を全く考えていない。

 正直に異世界から来たと言うべきか。いや、ダメだ。

 仮に異世界から来たと言っても、この世界が作られたアニメ世界だということは教えるべきではない。

 自身の悲劇が大衆娯楽のために作られた物だと知ったら、彼女はどう思うか。

 怒り狂うことはなくても、悲しみが増すのは確かだろう。彼女を悲しませることはしたくない。

 

 しかし、あまり考える時間が無いのも確かだ。目の前には変わらない微笑みを向けてくるララベルがいる。

 とにかく何か誤魔化せることを言わないと。

 

「……実は、遠い地の領主の息子だったんだ。もう没落して跡形もないけどな」

 

 咄嗟に出たのはコレだった。

 彼女も知らないような辺境の土地を治めていた領主。それならば多少魔術の知識を持っていてもおかしくはないし、ララベルを知っていても当然だろう。

 

「ふふ、なるほど……ではどこの地方を?」

「あ、アルディア地方のバース山岳辺りだ」

 

 アルディア地方ってのは、王城から遠く離れた場所。バース山岳はその中でも特に荒れていた土地……のはず。加えてアニメの中だと、ララベルはその地方には向かっていない。

 ここならば、簡単にはバレないだろう。

 

 と、本気で思っていた。

 

「ふむ……では一族の紋章を教えてもらえるかい?」

「も、紋章?」

「そう。いくら滅んでも、かつての屋敷を飾った紋章くらいは覚えているだろう?」

 

 思わず息を呑んでしまう。

 なんだそりゃ!?

 一族の紋章って……家紋みたいなもんなのか?

 そんなもの資料集には書いてなかった筈なのに、どうなってんだ!?

 

「と、鳥の紋章だ」

「ふふ、なんの鳥だい?」

「カッコウ……だった」

「おや、おかしいね。その鳥ならベルモール候が代々使っているはずだよ。いくら辺境の貴族でも、同じ生き物を使うことはないだろう。貴族だというのはウソ、かな?」

「ぐッ……!?」

 

 詰んでしまった。良い言い訳が浮かんでこない。

 滝のように嫌な汗が流れてくる。

 開始数分もしないうちにウソがばれた。

 

「それに、知りたいのは君の生い立ちではない。私が知りたいのは、君がどうやってあの洞穴に来れたのか、だよ」

「どうやってって……」

「君はあそこにいた魔物たちすら相手にできなかった。私が君を抱えて追っ手から逃げなければ、今頃どうなっていたか……想像したくもない」

「う……」

「洞穴の外は森だ。魔物が無数に存在するし、王城が派遣した兵もいただろう。それなのに、君はなぜ私の所へ来れたんだい?」

 

 いやソレは俺も知りたい所だが……今は考えても仕方ない。

 怯んでしまった俺に対し、疑問点を的確に付いて来るララベル。

 詰み将棋どころか崖っぷちに立たされている気分だ。

 状況が悪いのは明らかだろう。このままでは、本当のことを言う以外に道はない。

 

「実を言うとね、紋章の件はウソなんだ。本当は一族の紋章なんて存在しない。あぁもっと言えば、ベルモール候も存在しないよ。カッコウなんて鳥も知らない」

「なっ……!?」

「嘘をついてゴメンよ。でも、これで君が貴族でないことが分かった。ソレに、ウソをつかなければならない身分だということも。違うかい?」

 

 間抜け極まり。なんでもっと早く気付かなかった。

 ララベルが嵌めてくることも、十分考えられたのに……!

 せめてもっと別のウソを、逃げ道を踏まえて考えるべきだった。

 

「ふふ、可愛い私のコウ。君の正体は、なんなのかな?」

 

 ララベルがテーブルから身を乗り出し、俺の頬を撫でてくる。

 くすぐったいし恥ずかしかったが、それ以上に恐怖が勝った。  

 触れる手は恐ろしいほどに冷たく、俺の体温も下げてくる。

 くそ、どうすればいい……!?

 

「……手詰まりかな、コウ?」

「……」

「沈黙は肯定、そういうことだね? まったく、君は分かりやすい人だよ」

 

 そう言うとララベルは小さくため息を吐き、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 そしてそのまま俺の方に歩いてくる。

 コツコツと聞こえる足音が死刑宣告のように感じてしまい、恐怖で身が動かない。

 彼女は俺の目の前で立ち止まると、右手をコチラの方に上げてきた。

 

「ッ!?」

 

 目を閉じ、身をこわばらせる。

 今からどんなことをされるのか、考えることも出来なかった。

 

「……え?」

「ふふ、怖がらせてごめんよ」

 

 しかし、ララベルは俺の頭に手を乗せるだけでそれ以上のことはしなかった。

 子供を宥めるかのように、優しく頭を撫でてくる。

 いったい彼女がどういうつもりなのか、俺にはよく分からなかった。

 

「あ、え……?」

「君には一度、自分の無防備さを理解して欲しかったんだ。コウはあまりにも隙がありすぎる」

「隙、って……」

「あぁ、厳しめに言うと浅慮だね。保身の考えがあまりないように見える。まるで今まで、争いや命の危機が無い世界にいたようだ」

 

 俺の耳に顔を近づけ、そう囁いてくるララベル。

 何も言えない。彼女の言うことはもっともだった。

 

「封印を解除した後も、私に襲われたらどうするつもりだったんだい? 魔物へ挑んだのもだ。それに私への言い訳も、上手く考え付かないのならせめて黙るべきだ。ウソを吐いたことが知れたら、それだけで自分が只者でないことを教えてしまうからね」

 

 ララベルは優しく撫でながら、変わらず耳元で話してくる。

 そのせいだろうか、俺の頭にも彼女の言葉はスルリと入ってきた。

 

 思えば考え足らずだったところが多かったのだろう。

 行き当たりばったりの行動ばかりで、何かの前によく考えるってことをしなかった。

 そのことをララベルから指摘されるとは……。

 

「す、すまんララベル……俺……」

「良いんだよ、分かって貰えれば。しかし覚えておいてほしい。この世界は君が思う以上に物騒だ……箱入りだった君には分からなかっただろうがね」

「あぁ、わか……箱入り?」

 

 ララベルが妙なことを言ってきた。

 箱入りってどういうことだ?

 

「ん、もしかして違ったかな? 大きな貴族、もしくは王族の箱入り息子だと思ったのだが……」

「い、いや。それで良い、そういうことなんだ」

 

 どうやら勘違いしたらしい。

 確かに、世間がどんな状態なのかよくわかっておらず、さらにララベルの知識があるとしたら外を見たことのないお坊ちゃんくらいだろう。

 王城の恐ろしさもよく分かっていなければ、ララベルのことを助けたいと思ってもおかしくない。それに貴族ならば、森の兵士たちが見逃す可能性もある。

 とりあえず、彼女の勘違いに乗っかるとしよう。

 

「……やはりそうなんだね。魔物の気配はしなかったから人間だということは分かったが、それにしても行動が危うすぎるよ。それでは世界全てが敵になっても、文句は言えないさ」

「うぐ……気を付ける」

「あぁ、それでいい。どうか消えないでおくれよ。君がいなくなったら、ここに在る理由が無くなってしまう」

 

 そう言ってララベルは俺の頭から手を放し、扉の方へと歩いて行った。

 雁字搦めになっていた鎖から解放されたかのような感覚がする。心臓の動悸が激しくなり、額からにじみ汗が出てきた。

 

「ど、どこ行くんだ?」

「隣の井戸から水を貰ってくるよ。今は人が少ないようだからね……あぁ、そうそう」

 

 話しながら扉を閉めようとしていた手がピタリと止まった。

 扉の隙間からララベルの目だけがコチラを見てくる。

 ホラーというか、失礼だけど本当にこわ――

 

「今はその設定で構わないが、いつかは本当のことを教えてほしい。いつでもいい、どんな内容でも受け入れるよ。きっと優しい君は、言うことを止めるだろうけど」

「――」

「おそらく私にとって、とても残酷なことなんだろうね。ただ、それでも君の口から教えて欲しい……もう最後に裏切られるのは、嫌なんだ」

 

 それだけ言って、ララベルは扉を閉めて出て行ってしまった。

 最後に見えた彼女の目。

 普段のように底が見えない真っ黒な目だったが、その瞳は確かに揺らいでいたと思う。

 

 そして、自分がしてしまった事を自覚した。

 俺が彼女にやったことは、この世界にいる連中と同じようなものだ。

 

 ララベルのことを騙してしまった。彼女のことを思っていようと、蔑んでいようと、全く同じだろう。

 自分の保身に走った結果だ。本当に情けない。

 しかし、それでも彼女は俺のことを受け入れてくれた。わざわざ逃げ道まで用意してくれて。

 

「……ララベル」

 

 無自覚に彼女の名前を呟いてしまう。

 世界を救い、世界に捨てられたただの少女。

 きっと、彼女は俺なんかが考えられないような悲哀を持っているのだ。

 

 まだこの世界のことを言う勇気は無いが、いつかは全て話そう。

 そのうえで彼女に殺されるのなら、それはそれで構わない。

 だが今は、彼女のためにできることをやろう。彼女が俺を必要としてくれている間は。

 

「……手伝うか」

 

 ララベルは水を取ってくると言っていた。

 それくらいなら俺にも手伝えるだろう。

 そう思いながら椅子から立ち上がり、扉を開こうとした。

 

「あれ?」

 

 ビクともしない。

 カギを掛けられているレベルではなく、ドアノブから完全に動かないのだ。

 魔法で固定されているのだろうか、壁の一つみたいになっている。

 

「ララベルの魔法か……」

 

 部屋から出るな。ララベルからそうメッセージを受けたように感じた。

 

 なら部屋で待っているとしよう。

 そう思って椅子に戻ろうとしたとき、窓の方に視線がいった。

 そこには赤いスカートを穿いた女性がいる。両手でバケツを重そうに持って、水をどこかに運んでいるようだ。

 

「井戸があるのはあっちの方か」

 

 まぁ分かったところで何かできるワケでもなく。

 俺は大人しく椅子に座り、彼女の帰りを待つことにしたのだった。

 




多数のご感想、誠にありがとうございます。
こんなにも多くの方に見ていただけて感無量です。
未熟な面がまだまだ多いので、ドンドンご指摘いただけたら幸いです。

……次回はまだネタを文章化できていないので、投稿が遅れそうです。申し訳ない。


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大神官、コンタクト

 滅びた村。

 名も知れず、何十年も前に消えた村は今もその跡を残していた。

 

 魔物の群れにでも襲われたのか、おおよそ人が付けたとは思えない巨大な爪痕が地面を抉っている。しかも一か所ではなく、至る所に。

 家や建物はほとんどが崩壊しており、いくつかは原型すら残さずがれきの山となっていた。

 凄惨な過去を匂わせるように、がれきのいくつかには血痕が残っている。

 木は折れ、水は枯れ、人が住むには過酷な環境となっていた。

 

 さて、そんな廃村の中。

 かろうじて形を保っている建物2階の一室。

 扉の前に立っているララベルは部屋の中を見ながら、ゆっくりと扉を閉めた。

 

「……」

 

 瞬間、ドアノブから妙な音が発せられる。

 キリキリと万力でモノを潰すかのような音。同時にドアノブには鉄のような黒い物体が発生し、ソレは扉全体に伝播していった。

 侵食するように広がる黒はそのまま壁と同じ茶色に変色していき、そのまま完全に壁と同化させた。

 

「……ふふ。ゆっくりと、休んでいておくれ。家では休むものだからね」

 

 そうつぶやくとララベルは頬を歪ませ、ゆっくりと階段を下りて行く。

 踏むたびに建物が出してはならないような音が響くが、ララベルは決して気にせず1階へと下りた。

 ララベルの目の前には外への扉。そしてその隣には宿屋のカウンターらしきスペースがあった。あくまで「らしき」であり、カウンターの向こうにはがれきの山が出来上がっているために、宿屋としての機能はしていないだろう。

 

 そんなカウンターの近くに、一人の男が立っていた。

 

「……」

 

 男は村人らしき麻布の服を着ており、ピクリとも動かずただ棒立ちしている。前方のやや上を見つめ、口を少しばかり開けていた。店主としては、少々行儀が悪い。

 

「店主、水を汲んでくるよ」

「はい、ララベル」

 

 ララベルはそんな男に目を向けることもなく、簡単な言葉を交わしただけですぐに外へ出て行ってしまった。

 ガレキの山、枯れた草木に、血で錆びた剣。

 そんな滅びの光景を見ながら、ララベルは表情を変えずに廃村の中央の方へと向かっていった。

 そんな彼女を見つけたのか、感知したのか。廃墟の陰から何人もの村人らしき人々が出てきた。

 皆ふらついた足取りで歩き、目は虚ろで光が宿っていない。

 

「おはよう、みんな。元気にしていたかな?」

「はい、ララベル」

「ふふ、それはよかった。では今日は、そうだね……現在の王城と聖教会について教えてもらおうかな」

「はい、ララベル」

 

 何人もの村人がララベルを囲むという異様な光景の中、一人の村人が彼女の前へと歩いて行った。

 その村人はララベルの前でひざまずくと、その頭を彼女の目の前に差し出す。

 

「ありがとう」

 

 そう言ってララベルが男の頭に手をかざすと、男の体から真っ黒な瘴気が発生した。音もなく、ゆっくりと男の何かが取り出されていく。

 だが男はうめき声すら上げない。それどころか、まるで救いを得たかのように空へ手を掲げる。

 そして瘴気はララベルの手に纏わりつき、ゆっくりと彼女の中へと入っていった。

 

「――」

「やはり……彼らは既に知っているのかい。時間もかなり経った。そろそろ来ても、おかしくは無いが……さて、次はコウと何処に行こうかな」

 

 独り言をするララベルであったが、相変わらず彼女の表情に変化はない。

 視線はコウのいる部屋に向いており、既に彼女の意識は目の前の男には無いようだ。

 

 対する男には明らかな変化が起きていた。

 生気を感じさせない顔は瘴気が出るほど干からびていき、ひび割れていく。

 太く丈夫そうであった腕はだんだんと萎んでいき、うっすらと骨すら視認できるようになっていた。

 

 見た目だけなら20代の若者に見えていたのに、今では老人のソレだ。数秒前の事なのに、もう彼の面影はなくなっている。

 

 と、そこで男に妙なことが起きた。

 

「ぁ……ぇぅ……」

 

 全く音のなかった空間に、何者かの声が響いたのだ。

 ララベルは無視していたが、ソレは目の前で老人になり果てた男からだった。

 

「ぁ……ぇぅ……ぁ……ぇぅ……ぁ……ぇぅ……」

「……」

 

 うめき声、いや言葉だ。何か一定の間隔で、同じ言葉を言っている。

 枯れ果てる直前だった男は、弱弱しいが確かに言葉を言っていた。

 

 次いで、男の体が震えだす。自分でではなく、何かに揺さぶられているかのように。

 まるで、子供に振り回される人形のようだ。

 次の瞬間、男は垂らしていた両腕で自分の首を絞めた。

 無表情であった顔は、苦しんでいるかのように歪んだ表情を作っている。

 男の体内で、何か尋常でないことが起きているらしい。

 

「ぁ……」

 

 瞬間、男から発生していた瘴気が途絶えた。

 首を絞めていた両手はだらりと下がり、完全に中身の消えた人形のような様相であった。

 

 ララベルはゆっくりと視線を男へと向けた。彼女だけは分かっていたのだ。

 もぬけの空となった男の中には、確かに他の誰かが入り込んだことを。

 そう、まるで何かが男に乗り移ったかのように。

 

「ララベル様」

 

 彼女を呼ぶ男の声が聞こえた。先ほどまでのうめき声ではなく、ハッキリとした口調で。

 顔は相変わらずしわがれた死人の様相であるが、声だけが変化していた。

 成熟した男性の声だったのに、今では少女の声のように聞こえる。

 

「ララベル様、お久しぶりです」

 

 声はララベルに話しかけた。

 丁寧でいて軽やかに。旧知の仲であるかのような口調だ。

 男とララベルを囲む他の人々には一切の変化がない。無表情のまま、物音すら立てずにいる。本来なら彼らこそ異様であるが、この場では声を発する男こそが逆に異様そのものであった。

 そして、そんな男を見るララベルもまた先程とは違い、ほんの少しだけ楽しそうに男を見ている。

 

「あぁ、この声は知っているよ。久しぶりだねシスターアステア……いや君のことだ、もう大神官にでもなったかな?」

「ご推察の通り、貴方を封印した功績で分不相応の地位に就いております。積もる話もございますが、まず一つ。本来の居場所に戻るつもりはございませんか?」

「ふふ、実に君らしい問いだ。合理的で最適で、そのうえ焦りも感じる。未だに頭痛は消えていないらしいね、啓示は今も降りているらしい」

「……えぇ、今もガンガンと頭の内に叩き込んできます。ご理解されているのなら、私の問いの意味もお判りでしょう?」

 

 最後の言葉には明らかな怒気がこもっていた。空の男を介しているせいでよく分からないが、この場に本人がいたらきっと恐ろしい表情をしているのだろう。

 

「私たちには、今すぐ貴方のもとへ行く準備があります」

 

 途端、男を中心に地面がヒビ割れていく。地面のヒビはそのまま広がり、器用に円を描いていった。

 次に細かなヒビが円の中を走り、徐々にその意味を刻んでいく。その間数秒もかかっていない。

 恐ろしいスピードで円の中が仕上がっていき、やがてヒビは魔法陣を作った。

 びっしりと文字が乱れなく刻まれており、ある種芸術のように美しい。

 

「……なるほど」

 

 ララベルはゆっくり地面に視線を移し、地面に出来上がった魔法陣を見つめる。

 そしてほとんど時間を要さずに、その正体を見破った。

 

「転移の魔法陣かい、こんな寂れた村によく準備していたね」

「いいえ、この村だからこそ配置していました。貴方なら、あるいはここに来るだろうと思いましたので。しかしご安心を、前のように寂しい思いはさせません」

「へぇ、いったいどうしてくれるのかな?」

「貴方のお供がいらっしゃるでしょう? その方もご一緒にとじぼひゅッ――」

 

 声の主は最後まで言い終えることはできなかった。

 男の顔が一瞬のうちに大きく膨れ上がり、まるで風船のようにパンッと割れてしまったからだ。

 飛び散る血や骨、脳が大地を汚す。そしてララベルの顔にも、大量の血が付いてしまっていた。

 

「……」

 

 途端、大きな地鳴りが響く。

 周辺にいた人たちを巻き込み、平らだった地面が砂埃を巻き上げて滅茶苦茶に割れていった。

 ただ一つ、宿屋の周辺のみを除いて。

 

 地割れはそのまま村全体へと広がっていき、がれきの山をさらに細かく砕いていく。一切の容赦なく、分け隔てなく無慈悲に。

 

 魔法陣がどうなってしまったか。確認するまでもないだろう。

 

「……」

 

 依然、ララベルは表情を変えていない。

 優しく微笑んだまま右手を頬に当て、ザリザリとその表面をなぞる。

 そして手を見ると、そこには先ほど破裂した男の血がベットリついていた。

 

「……水を」

「はい、ララベル」

 

 ララベルは一切動かないまま、赤いスカートを穿いた村人に言葉を投げかける。

 その村人は唯一五体が残っており、それ以外の者は地割れに巻き込まれたために所々千切れてしまっていた。

 村人は虚ろな表情のまま返事をすると、ゆっくりと井戸の方向へと向かう。

 

「……血を洗わないと。変な臭いがしたら、コウに嫌われてしまう」

 

 ララベルは何気なくそんなことを呟くと、周りの惨状には目もくれずその場に座り、水が届くのを待った。

 何気なく、それが当然であるかのように。

 




多くのご指摘、ご感想誠にありがとうございます。
ご指摘いただけた箇所は、時間を作って別個に修正していきたいと思っています。

……まとめてご感想に返信するのが厳しいので、少しずつ返信します。お許しください。


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王城、地下

「ぐッ……!?」

「アステア様!」

 

 王城ハルメイア、その地下。松明の光しか存在しないジメジメとした空間に、二人の女性がいた。

 一人は大神官アステア。彼女は右腕を押さえながら蹲っており、すぐ近くには持っていた宝石杖が放られていた。その表情は苦悶に染まっている。

 見ると、彼女の右腕には無理やり裂いたような痛々しい傷がいくつもあった。意識を失ってもおかしくないほどに深い傷だ。

 

 もう一人は質素なシスター服を着た褐色肌の少女であり、アステアと比べて頭一つ分ほど背が高い。

 これといった装飾品は身に着けていない彼女は、アステアのすぐ隣に跪いた。

 傷ついたアステアを心配そうに見つめながら、自分の右手に光を発生させる。回復魔法の類であろうか。

 シスターはそのままアステアの傷に触れようとしたが、アステアはその手を左手で払った。

 

「……やめなさい。これは彼女の呪詛です。女神の御業など効きません」

「し、しかし放置するわけには!」

「心配……しなくても、大丈夫です」

 

 そう言うとアステアは、近くに置いてある大きなバッグの中から包帯と瓶を取り出した。

 彼女は瓶のふたを開けると、傷口にその中身を勢いよくぶちまける。ジュウジュウと肉の焦げるような怪音が響き、アステアの表情がさらに歪んだ。

 しかしアステアは手を止めず、そのまま手慣れたようにテキパキと包帯を巻いていく。そして数秒もしないうちに手当が終了した後、彼女はようやく一息ついた。

 

「これで、あとは自然に治るのを待つしかありません」

「……やはり無茶です。いくらアステア様でも、お一人でララベルの相手だなんて」

「無茶であろうと、私が何とかしなくてはなりません。女神様より、直接啓示を賜ったのですから」

 

 アステアは立ち上がると右腕を気にもせず、何事もなかったかのように出口の方へと歩き出した。

 シスターは何処か迷っている顔をしていたが、やがて意を決したように駆け出してアステアの前に立ちふさがる。

 

「……どういうつもりですか? シスタージース」

「ご休憩なさるべきです。今の貴方はララベルどころか、上級魔物一体ですら相手にできません」

「休憩? 休憩なんて、いつ出来ますか? 傷つこうと死に体になろうと、私の啓示が止まることは決してありません。他の者も然り。それが我々、聖教会の使命です」

 

 アステアは邪魔をするシスターを睨みつける。その目には化粧でも誤魔化せないであろう、深く濃い隈が見て取れた。

 もう何日も眠れていないのだろう。

 

 褐色肌のシスター、ジースはアステアの目を見て悲痛な表情になるが、それでも道は譲らなかった。

 ある種幽鬼のように恐ろしい目をするアステアを前に、一歩もその場から動かない。

 

「それでもお体を休めなければ。睡眠不足で倒れてしまっては、女神様からのご期待にも――」

「アレに期待なぞあるものか!」

 

 言い合いの中、突然アステアが豹変する。言葉を遮り、弾け飛ぶように叫んだ。睨むだなどという生易しい目ではなく、今すぐにでも殺してしまいそうなほどの殺意に満ちた目をしている。

 ジースはビクリと体を震わせ、一歩後ろに下がった。アステアはそれを見逃さず追うように歩を進めると、右腕でジースの襟を思いきり掴んで顔を引き寄せる。

 かなりの力を込めているのだろうか。右腕に巻き付けた包帯からはブシュリと血がにじみ出ている。

 見るに堪えない状態になっているが、アステアがその手を緩める様子はない。

 

「シスタージース。貴方の啓示は?」

「は……」

「お前が賜った啓示は何だと聞いているッ!」

 

 アステアの恫喝に震えが止まらないジースだが、アステアの表情は変わらない。それどころか、味方であるはずの彼女ですら殺してしまいそうな勢いだ。

 

 ジースは数秒頭が真っ白になってしまったが、なんとか口を動かすことが出来た。

 

「あ、貴方の補助。迅速なララベルの封印、です……」

「啓示の回数は?」

「ら、ララベルの復活時から毎日一回です……」

「そう。なら貴方のすべきことは、私を休ませることですか?」

 

 ジースは否定できなかった。

 己の使命への理解。そして、反論を許さないアステアへの恐怖。

 その両方に挟まれ、ジースは口を全く動かせなかったのである。

 

 何も言えなくなったジースを見て、アステアはゆっくりと手を離した。ジースはそのままへたり込んでしまい、浅い呼吸を繰り返す。

 震えている様子を見ると、未だ恐怖が残っているらしい。

 

「ジース、よく聞いてください」

 

 アステアは震えるジースの肩を抱き、その耳元で優しく囁く。

 乱暴な口調ではなく、子を諭す優しい母親のような口調で。

 

「勇者を、ララベルを封印できるのは私たちだけです。どれだけ危険であろうと成し遂げなければ、安寧なんて永遠に来ません」

「アステア……様……」

「負い目を感じますか? 我々も言ってしまえば、彼女と同じ穴の狢ですからね」

 

 そう言ってアステアはジースを放すと、彼女の横を通って扉の方へと向かった。

 その手には宝石の杖が握られており、杖は暗い部屋の中でも怪しく輝いている。

 

「……どのように、止めるのですか? あの怪物を」

「既に策は考えています。今、彼女を動かしているのは近くにいる異物です」

「異物……封印を解いた者ですね」

「そう、ララベルはその者を大切にしています。それも、自分の行いを隠すほどに。話をした時、少し触れただけでこの有様です」

 

 そう言うと、アステアは軽く右腕を上げた。

 その腕の凄惨さが、彼女の説得力の強さを物語っている。

 ジースは再び身をこわばらせたが、アステアは気にすることなく逆に笑みを深くした。

 

「……どのような者なのでしょう?」

「あの廃村に一人、残っている建物の2階から感じ取れました。信じられませんが、これといった魔力も感じない上に村人よりも非力。そんな人間だと思われます。どのように封印を解いたのかも、近づけたのかすらも分かりませんが、少なくともララベルが守っているのは確かでしょう」

「カギを握るのは、その者なのですね。どのようになさるのですか?」

「……取り入れます。我らが聖教会に」

 

 そう言って、アステアは再び歩き出す。

 その目には決して揺るがない光が宿っており、同時に隠しきれない陰りが見えた。

 ジースもアステアを追っていく。少しでも、自分がアステアの救いになれることを祈りながら。

 




ご意見、ご感想がありましたらよろしくお願いいたします。
引き続き、感想は少しずつ返信していきたいと思います。遅れてしまって申し訳ないです。


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村を出る

「……地震?」

 

 ララベルによって扉に魔法が掛けられ、外に出られず部屋で待機すること約一時間。

 椅子に座ってこれからどうするかを考えていると、部屋が少しだけ揺れていることに気づいた。

 大きくはないが、かなり長い揺れ。俺が地震を感知してから、もう数十秒は揺れ続けている。

 

「ララベル、無事かな……」

 

 考えるのはララベルのこと。彼女は水を汲んでくるとだけ言っていたが、それにしても時間がかかっている。

 もしかして村人に見つかったのか?

 ララベルのことは知らなくても、額に生える角を誤魔化すことはできないだろう。多分フードか何か被ったりしているとは思うけど、もしバレたら大変だ。

 角だけじゃない。明らかに異常な白さの肌に、深紅の瞳。どれも見られても一発アウトに近い。

 全員が全員ララベルの容姿を知っているとは思えないけど、その異様さは一目でわかるだろう。もしそうなったら、すぐにでもここを離れないと。

 

 そんなことを考えながら、ララベルに閉ざされた扉の方へと歩いて行った。

 そのドアノブを見つめて、ゆっくりと手にかける。

 

「扉は……開かないか」

 

 相変わらずドアは開かない。先ほどと同じでピクリとも動かなかった。

 解除しないってことは問題がないことなのか、それとも解除する暇すらない非常事態ってことなのか。

 嫌な考えばかり想像してしまう。

 モヤモヤとした気持ちが増していき、部屋中をウロウロと歩きながらララベルの帰りを待った。

 

「……ちょっと遅くないか? やっぱり一緒に行くべきだったんじゃ――」

 

 不毛な独り言を呟いていると、ふと窓が目に留まる。もしかしたら、ララベルの姿が見えるかもしれない。

 そう思って窓に近づこうとした時、扉の方から岩が崩れるような音が聞こえた。

 反射的に扉を見ると、ドアノブがゆっくりと動き出す。

 

「コウ、無事だったかい?」

 

 そして扉が開かれ、ララベルが部屋に入ってきた。パッと見る限りこれといった怪我はしていないように見える。

 だが何だろうか。安堵すると同時に、その様子から少しだけ違和感を感じた。

 

 何処か焦っているような、心配されていたのはむしろ自分だったような。

 それに浮かないというか、悲しそうな顔をしている。

 何か良からぬことが起きてしまったらしい。故に俺も笑顔にはなり切れず、頭に疑問を持ったまま彼女のもとに駆け寄った。

 

「おかえり……どうしたんだララベル?」

「……村が、襲撃にあったんだ。目的は私だったようだけど……住民たちが巻き込まれてしまった。君は、あまり見ない方が良いだろうね」

「なッ……!?」

 

 ララベルの言葉に絶句する。恐れていたことの三倍はマズい状況になっていた。

 村人から密告……いや、だったら村人たちが殺される理由がない。

 もっと穏便に、それこそ村全体を利用して俺たちを油断させることだってあり得た。

 

 なら王城の連中が独自でララベルを追ってきたのか?

 浮かんでくるのは聖教会という集団のことだ。王国に巣食うその連中は、アニメでもララベルの魔力を辿って居場所を探っていた。

 でも疑問が残る。居場所が分かったとして、いきなり村ごと滅ぼしに来るか?

 あり得ない、せめて一度くらい話し合いに来たっておかしくは……いや、いやいやいや違うだろ! 

 

 頭を振り払い、甘い考えを振るい落とす。

 この世界ではソレがあり得る。ララベルが相手ならなおさらだ。

 考えを改めろ、ここはサァベイション・イン・ザ・ケイブの世界。登場人物全員が裏切り横槍なんでもありの鬼畜アニメの世界だぞ。

 王城も聖教会も騎士の連中も、ララベルを除く女神の恩恵を受けた奴らは全員死に物狂いで彼女を追ってくるだろう。周りの事なんて全く考えず、ララベルのみを睨みつけて。

 

「ララベルは……大丈夫なのか!?」

「私は問題ないよ。でも、この場はもう使えない。村も滅んでしまった……」

「滅んだって……全滅したのか? 誰も生き残らないで?」

「君の考え通りだよ。追い返そうとしたら、相手が魔法で地割れを起こしたんだ。なんとかここだけは守り通せたけど、他は……」

「……さっきの地震か」

 

 そう言って、ララベルは顔を伏せてしまった。しな垂れた髪を割るように生える角が、歪に光って見える。まるで彼女の心の内を表しているかのようだ。

 ひどく落ち込んでいる。その感情がこちらにも伝わってきて、胸が痛くなってきた。

 彼女の言う通り、体に傷は一切見られない。だが内面まで無傷とはいかなかったのだろう。

 たとえ襲撃してきた奴らが直接的な原因だとしても、感じる重さは尋常でないはずだ。

 

「やってきたのは……」

「ハルメイアの旗。それに聖教会の刻印が見えた。増援も、しばらくすれば来るだろう」

「クソッ、やっぱり王城の連中か……!」

 

 ララベルには敵が多い。というか、敵しかいない。

 彼女自身が恨みを買うような行動をしていなくても、「勇者」という肩書きは存在するだけで憎悪の対象になってしまう。

 ある種、過去の者たちによる呪いにも近い。それがたとえ、捩じり曲がって「八つ当たり」に成り果てていたとしても。

 

「……国を出よう」

 

 自然と口から出たのは、逃亡の提案であった。

 王城ハルメイアの追っ手を振り切るには、それが一番早い。もちろん他国でも安心はできないが、それでも幾分かはマシだろう。

 

「いいや、逃げ切るのは不可能だ」

「だけど、このまま近くに隠れていてもすぐ見つかる」

「仮に他国へ出たとしても、追っ手の状況は変わらないさ。むしろ数が増えて、逃げるのも難しくなる」

「……くそ」

 

 反論できない。きっと何とかなる、なんて軽々しく言えないのが現状だ。

 この世界では対象の魔力を追って、そのまま追跡するなんて芸当も存在する。飛び切り強い魔力を持つララベルの居場所なんて、どこにいてもすぐにバレるだろう。

 なら、どこに逃げればいい!?

 

「君が気にすることじゃないよ。これは勇者としての運命だ」

「そんなことあるワケないだろ! 勇者のことだって、原因は今までの奴らだろうが……!」

 

 考えが定まらず、浮ついた焦燥のせいでイラつきが募る。乱暴に椅子を寄せ、ドカリと座って頭を抱えた。

 申し訳ないと思っていても、つい悪態をついてしまう。

 このままじゃ、ララベルにまた危害が及ぶ。せっかく解放されたのに、こんな隠れ続ける生活なんてして欲しくない。

 だがララベルの言う通り、どこに逃げようと八方塞がりだ。追っ手ばかりが増えていく。

 

「心配しているのかい、コウ?」

「……ララベル」

 

 ハッとして顔を上げる。声は勿論ララベルのもの。

 いつの間にか彼女はまっすぐこちらを見ていて、いつもの微笑みに戻っている。先ほどまでの悲しげな雰囲気でなく、別の様子が感じられた。

 ……少し、喜んでいる?

 

「コウ、嬉しいよ。君が私の事で、こんなにも頭を一杯にするだなんて」

「そんなこと、今考えてる場合じゃ……ッ!?」

 

 また声を荒げようとしたとき、口を何かでふさがれた。

 何かは分からない。速すぎて見れなかったのだ。

 ただ温かく、柔らかく。不快感は無くて、むしろ心地よさすら感じた。

 

「……ッ!!?」

 

 数秒経ち、お粗末な頭がようやく理解に追いついた。

 キスされてる。ララベルに。顎を手で押さえられ、覆いかぶさるように。

いや、なんで?

 なんでこの場面で……?

 

「ッ!! ッ!!?」

「ん……ふふ……」

 

 ララベルは相も変わらず笑っている。

 押しのけようとするが、この勇者様は一切離れない。肩を掴んで揺さぶろうとしても、1ミリさえ動かないのだ。

 顎を押さえてる手すら外れない。接着剤で固定されてるのかってくらい外れなかった。

 

 何この力、密着しすぎて呼吸すらままならないんだけど。

なるほど勇者の力は伊達ではないらしい。物理的な力も最強に値すると。

 いやそんなこと考えてる場合じゃなくて、いつまで続くんだこれ。押そうと引こうと微動だにしない。開かなかった扉の方が、まだ動きそうな気がするくらいだ。

 

 まさかララベルとキスするとは思わなかったが、時も場所も全くそんな空気じゃないし。

 ていうか本当にいつまで続くんだ。もう何十秒も経っているように感じる。

 いやもう、窒息し――

 

「ッ!? ブハァッ!!」

 

 意識を失いかけた時、ようやくララベルが離してくれた。

 とんでもない解放感だ。心臓がバクバク鳴っている。顔も非常に熱く感じた。

 

「ハァッ……くっ……なに……すんだ……!?」

「こうすれば、一度頭を空っぽにできるだろう? どうだい、さっきまでの悩みは消えたかな?」

「いやおま……そんな簡単にこんなこと……!」

「君だからだよ。私も不慣れでね、多少顔が熱いんだ。触ってみるかい?」

「触ってみない!」

 

 涼しい顔して何を言ってんだ。こっちはまだ緊張して上手く話せないってのに。

 手で隠しているが、口に力が入りすぎて痙攣してしまっている。いっくらなんでも荒療治すぎるだろ!?

 

「ふふ、つれないじゃないか……君がハルメイアの事情を、どこまで知っているかは分からない。でも、行くべき場所は決めているよ」

「このッ……どこなんだよ?」

 

 こっちのテンパリを一切気にせず、そのまま話を進めるララベル。

 もう疲れてきてしまったので、諦めて話に乗ることにした。元々は行き先の話をしていたわけだし。

 

「なに、簡単なことだよ。どこへ行こうと追っ手は来る。場合によっては、辺り一面すら巻き込んで」

「……今回みたいに?」

「そのとおり、なら逆に考えるんだよ。どうせ逃げられないのなら、その規模を小さくせざるを得ない状況にすればいい」

「状況って……」

 

 話の意図が読めない。

 規模を小さくするって、どうすればいいんだ?

 小さくせざるを得ない時って……巻き込むと困る奴らが近くにいる時?

 そんな所なんて、一体どこに……。

 

 ……あ?

 

「いや、ちょっと待て。まさか、よりによって?」

「ふふ、察しがついたかい? 嬉しいよ」

「いや嬉しいとかじゃなくて。マジで? 一番行っちゃならん場所だろ!? 味方とか平気で巻き込むだろッ!」

「必要な情報は流しているんだ。最上のモノをね。ソレを見逃がす彼女ではないさ。なに、君は心配しないで私のそばにいれば良いんだよ」

 

 彼女ってのが誰か気になるが、今はそれどころじゃない。

 ララベルをあの場所に? スラムに美女とかそういうレベルの話じゃないぞ。いや美女は美女でも、野獣の何倍も強い美女だけど。

 虎穴に入らずんば何とかって言葉があるが、虎穴どころか罠だらけ猛獣だらけの風雲城に突っ込む気分だ。

 

「……」

「覚悟は決まったかい? では行こうか、懐かしき王都ハルメイアへ」

 

 もはや死刑宣告である。

 既にこの世界に来てから色々とあったけど、いよいよもって俺は死ぬかもしれない。

 

 




ご指摘、ご感想がありましたらよろしくお願いいたします。
返信が遅れてしまい、非常に申し訳ないです。なんとか全てにお返ししたいと思っていますので、どうかご容赦ください……。


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いざハルメイアへ

 

 王都ハルメイア。

 

 俺が知る限りだとこの国は、『探らなければ安心して暮らせる国』となっている。

 表向きでは国政もしっかりとされているし、兵力も申し分ない。

 各所で問題が発生すれば、すぐに対策を考え実行するフットワークの軽さもあった。

 それが王都ハルメイアだ。

 

 だが、国民に対して不明瞭な点もいくつかある。

 例えば罪人の処遇。

 この国では捕らえた囚人がどういった扱いを受けているか、明らかになっていない。

 ごく稀に、やむを得ない事情で盗みをした子供が、すぐに牢から出てくることはあった。

 その子供の証言によると、牢は日差しが差し込む清潔な場所であったという。

 食事もしっかりと与えられ、時たまやってくる神父に罪の愚かさを説かれるくらいであったそうだ。

 しかも牢から出た後、少年の貧しい家族に生活資金が与えられ、少年にも無理なく働ける仕事が斡旋されたらしい。

 

 ここだけ聞けば、善人どころか聖人君子をそのまま体現したかのような処遇である。民からの支持も爆上がりだろう。

 しかし、そうでないケースも存在する。

 重い犯罪を犯した者や国の秘密を探ろうとした者が牢に入った後、どうなったのか知る者はいない。

 噂によると、強制労働施設なる場所で奴隷のような扱いを受けているとか。

 だがそれもあくまで噂どまり。国民はただ国を信じるほかなかった。

 

 とにかく、表面上は良い国だが裏では何が起きているか分からない国。それがハルメイアだ。

 そんな国の民なら、わざわざ王国の裏を知ろうだなどと普通は考えないだろう。藪をつついて魔物よりも恐ろしい何かに襲われたらたまらない。

 それに不安定なことが多いであろうこの世界において、安定した暮らしができる事はとてもありがたいのだ。

 

 

 

 さて、ここまでが恐らくハルメイアの一般国民でも知っている知識。

 ここからはハルメイアの裏に踏み込む知識になる。

 

 

 

 まず大前提。一番の特徴として、一見トップに見える王族がほとんど力を持っていないことが挙げられる。

 ここまで説明してなんだが、ハルメイアの実権を握っているのは別の勢力だ。これは魔王が討伐される前、というかララベルが勇者とされる前からそうであった。

 

 一つ目は聖教会。全員が勇者と同じく女神の恩恵を授かり、その啓示のもとに神の意思を代行する。聖罰の名のもと、あらゆる「敵」を排除していくのだ。

 それが善であれ悪であれ、彼らが拒否することはない。というか、できない。

 彼ら自身も神に逆らえば、啓示の勢いは激しくなる。夜も眠れず、食事も何もかもままならないほどに。

 ごく一部の人物はこの啓示をまともに受け、今もその苛烈さに苦しんでいる。

 そんな苦痛を国民はつゆ知らず、ただ罰せられる者に侮蔑の目を向け、聖教会の者たちには畏怖の目を向けていた。

 彼らが女神から、装置のような扱いを受けていることも知らずに。

 

 二つ目は聖騎士団。彼らは聖教会のような表向きでも慈悲深いような面がなく、徹底的に女神の敵を潰すために存在する。言ってしまえば殺伐とした処刑人の集まりのような存在だ。

 返り血を浴びても瞬く間に汚れを浄化し、白く輝く鎧や剣は神々しく禍々しい。

 パッと見ヒーローのような見た目をした彼らも、実際は殺伐とした啓示の達成者である。

 ちなみに、勇者を代々鍛えているのはこの集団であり、アニメ序盤でララベルを痛めつけているのは彼らがほとんどだ。同情するが、許すまじ。

 

 王都、そして王城ハルメイアは、この聖教会と聖騎士団という二つの勢力によって支配されている。

 王族は実権を握っておらず、ほぼお飾りの状態だ。いや、お飾りですらない。王様や王妃は恒例の行事として、定期的に国民の前に姿を現す。だがそれ以外は城の一室に幽閉されている。その時にどんな扱いを受けているのか、誰にも分からない。

 資料集には娘がいると明記されていたが、どんな顔なのかデザインすら描かれていなかった。

 

 さて、長々と説明した二つの勢力。実はいくつか共通点がある。

 それはどちらに所属する者も、勇者でないのに女神の恩恵を得られたという点。一般人は聖教会と聖騎士団の裏を知らないという点。そしてどちらの組織も、実際の人数は数十にも満たないという点だ。

 

 一見バラバラに見えるこれらの共通点。真実を知ると非常によく絡み合っている。

 つまり啓示を受ける理由と真実を知られていない理由。そして人数が少ない理由はほぼ同じということだ。

 解を得るために、資料集からある文章を抜粋する。

 

 ――かつて女神から、魔王討伐という身に余る使命を受けた男がいた。だが彼はその使命に耐えきれず、遂には愛する女を失ったその時、その知性を狂わせるに至った。誰も彼を止めることは叶わず、勇者討伐という非道のもとにその者は地に沈んだという。それから数年後。人知れず勇者の怨念が集まり、ソレは神の教えを説く教会と、神の教えを叩き込む騎士団に分かれた。

 

 ララベルが勇者になる前。別の勇者が存在したという事実を示す文章だ。

 王族の失権。明かされない裏。実権を持っているにもかかわらず、数の少ない聖教会と聖騎士団。そして先代勇者の怨念。

 何が原因で先代勇者が狂い、どのような暴虐の果てに殺されたのか。そして数年後に現れた勇者の怨念。形のないパズルピースが自然と合わさり、答えは自然と一つの道へとまとめられる。

 

 つまり、彼らの正体は――

 

「コウ、聞いていたかい?」

「……あ、あぁ」

 

 ララベルに声を掛けられ、ふと我に返る。

 彼女は椅子に腰かけ、テーブルの対面からコチラを見ていた。俺が返事をすると、微笑んで説明を再開する。

 

 彼女は現在、出発に先駆けて俺にこの世界の説明をしてくれていた。とはいっても、親切な村人が生きているうちに教えてくれた情報だ。

 その人は正体が分からないララベルにも優しくしてくれて、知りたいことや食料まで与えてくれていたらしい。

 せめて弔いくらいはしたかったが、ララベルに止められた。死者への哀れみは、親しい者でなければ呪いとして降りかかる可能性があるのだとか。

 

「聖教会と聖騎士団の面々は未だ健在。というより、今は私が封印されてからそれほど時間が経っていないようだよ」

「……そうか」

 

 あまり時間が経っていないってのは、こっちとしてはありがたい。俺の持っている知識も、ある程度は通用するだろう。

 戦闘面では役に立つ自信は無いが、他の何かで役に立てるかもしれない。

 

「どうやってハルメイアに行くんだ?」

「転移魔法を使うよ。壁をすり抜けるには、他に方法はないからね」

「……簡単に言うけど、出来るのか? 確か転移って、行き先に自分が用意した魔法陣が無いと出来ないんじゃなかったっけ?」

「ふふ、良く知っているじゃないか。安心しておくれ、決して知られない場所に用意してあるからね」

 

 そう言うと、ララベルはニコリと笑って立ち上がる。視線の先には、村で準備したのであろう剣や防具、そして何かが詰まっている袋があった。

 さっき彼女が来た時には何も持ってなかったと思うんだけど、いつの間に持ってきたんだ……?

 

「ん……あぁ、これは君のための装備だ」

「俺に?」

「危険な目に遭わせるつもりは毛頭ないよ。でも、一応は準備しておいた方が良いと思ってね。君でも難なく着れるものを選んだつもりだけど、着心地を確かめてもらえるかな?」

「あ、あぁ……」

 

 言われるがままに椅子から立ち上がると、無造作に置かれている装備を身に着けていった。

 服は軽めだが、丈夫で刃も簡単には通しそうにはない。動物の革で出来ているのだろう。剣は金属製で少し大きめだが、重さは問題なさそうだ。こんな重たそうな剣、持ち上げるのも無理そうだけど……案外イケるのか?

 

「その袋って、何が入ってるんだ?」

「……あぁ、干し肉だよ。可能な限り、携帯できる食料はあるべきだと思ってね。これは私が持っておくよ」

「へぇ、本当に色々と準備してくれてたんだな」

 

 なんだか申し訳ない。

 こっちは部屋で寝てただけだってのに、ララベルは出発のための準備をコツコツと進めていたみたいだ。

 

「あぁ、気にしなくていいよ。君のためだ、私も力が入ってしまってね」

「お? あ、ご、ごめん」

 

 いけない、口に出てしまってたか。

 余計に気を使わせてはもっと悪い。これからは気を付けないとな。

 

「ふふ……それで、着心地はどうかな?」

「すっごいピッタリだ。武器の重さもちょうどいいし」

 

 いやホント、恐ろしいくらいにピッタリだわ。

 俺が寝ているうちに採寸でもしていたのだろうか。そういえば、俺が起きるといつもすぐそばにいたし。

 

「それは何よりだ。選んだコチラも嬉しいよ……では、始めようか」

 

 そう言うと、彼女は人差し指をクルクルとまわし始めた。

 その指先にはボウッと小さな光が宿り、ララベルの真下に落下する。

 

「共に新天地へ」

 

 ララベルが呟くと、光は一気に広がっていった。

 バラバラに見えて規則的に動く光たちは、綺麗な円を描いてその中に呪文を刻んでいく。

 アニメで何度か見た光景だ。魔法発動のための魔法陣。

 分かってはいたが、改めて異世界に来たことを実感する。

 

「さぁ、では行こうか。コウ、こっちにおいで」

 

 ボーっと魔法陣を見ていると、ララベルに声を掛けられた。

 彼女はコチラを見て微笑み、右手を差し出している。

 俺が魔法陣の中に入れば、もう転移は発動するのだろう。

 

「すまん、今行く」

 

 そう言って、ララベルの手を取り魔法陣の中に入った。

 雪のように冷たいが、確かにほんのりと熱を感じる。そんな不思議な手だ。

 

「ふふ、君の手は温かいね。繋いでいるだけでとてもいい気分だ」

「は、恥ずかしい事言うなって。ほら、行くんだろ?」

「あぁ、では行こうか……一緒に」

 

 グルリと視界が回転する。数秒すれば、あのハルメイアに着くのだろう。

 王都ハルメイア。聖教会。聖騎士団。

 他にも問題な連中は山ほどいる。だが、彼女が行くのなら俺も行かないと。

 

 何があろうと、絶対に彼女を一人にはしない。

 二度と封印させないし、奴らの好きにはさせない。

 そのために出来ることは、なんだってしてやる。

 そう思いながら、俺は死地へ赴く決意をした。

 




ご指摘、ご感想がありましたらよろしくお願いします。
ご感想を拝見しました。確かに、返信に注力して物語が進まないと本末転倒ですよね……。
返信は疎かになってしまいますが、本文作成を頑張っていこうと思います。
ご感想は今まで通り、励みにさせていただきます。


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即バレ

 

 視界がグルグルと渦巻く中、今後の行動について考える。

 転移後、ハルメイアで注意すべき存在は三人。

 いや大体は接触すらマズいんだけど、その中でも飛び切りのNG。目を合わせることすら駄目な人間は三人だ。

 

 一人は大神官アステア。

 彼女はアニメだと聖教会のシスターでしかなかったが、エンディングでは大神官にまで昇格していた。ララベルの封印という功績をもって。

 アニメ初登場時は中盤頃。他国で出会ったアステアはララベルに対して、他者と比べるとかなり友好的だった。

 一時的とはいえララベルに寝床を提供し、それなりの食事もさせている。

 言葉遣いも丁寧で、笑顔も柔らか。どこからどう見ても、優しくお淑やかなシスターさんそのもの。それがアステアに対する印象だった。殺伐としたアニメの中で、人の温かみを感じる数少ない場面だったことを覚えている。

 ララベルも全く見せていなかった笑顔を浮かべていて、視聴していた自分も嬉しい気分になった。アステアとはその国で別れてしまうのだが、いっそそのまま旅に同行して欲しいと思ったほどだ。

 

 だが最終話、封印の洞窟にて彼女は豹変した。

 地面から飛び出てきた鎖でララベルを縛り付け、今までのイメージをかなぐり捨てるかのようなヤベェ狂笑を見せたのである。

 これには途中でリタイヤせず、最後まで見続けた視聴者もニッコリ(狂)。

 瞳孔が開き切り、それでも瞳に慈愛が感じられる矛盾の塊のような顔。狂人のようで心優しい聖人のような。見ていて頭が可笑しくなるような顔をして封印の呪文を叫んだアステアは、自己キャラ及び顔面ぶっ壊しの功績をもってララベルに次ぐ人気キャラとなっている。

 ちなみに発売された彼女のフィギュアも、例のヤベェ顔に変えることが出来るパーツ付きだ。怖い。

 

――そら、地に伏し眠り続けろ。地獄にも行けぬ永遠の闇が貴様には似合いだッ!!

 

 狂人っていうかラスボスが言いそうなセリフだけど、これ日向でのんびり笑ってそうなシスターさんが吐いたセリフなんだよねぇ……。

 彼女にも事情があるのだが、こんな人に会ったらその場で戦争になりかねない。だから接触はNGだ。

 

 次、二人目。

 聖騎士団団長ベルクター。

 甘いマスクに気品ある振る舞い。短く切りそろえた金髪は光を浴びて神々しく輝き、白い鎧からは後光さえ幻視する。

 まぁ簡単に言えば、絵に描いたような王子様ルックスの男だ。道を歩けば女性からは熱い視線を向けられ、男からは嫉妬が混じった羨望の眼差しを向けられる。

 見た目だけでなく、実力も半端ではない。単騎でドラゴンに挑み、無傷で勝利する程の実力を有している。

 聖騎士団に入る前はフリーの傭兵団に所属し、各国から招待を受けるくらい名の知れた存在だったみたいだが、何故か聖騎士団に迷いなく入ったという。

 

 さて、そんな実力と名声を共に持つ完璧超人なベルクター。

 彼もまたハルメイアの重鎮であり、女神の啓示を受けて聖罰を行う存在だ。当然裏の顔が存在する。

 というか、彼はララベルを痛めつけていた騎士団の一人であり、聖罰によって多くの人間を裁く断罪者だ。眉一つ動かさないで、いつもの気品ある振る舞いのまま。

 いっそ欲望のまま悪逆を尽くす鬼の方が分かりやすい。だが彼はそんな一面すら見せないで、涼しい顔をして日常を過ごしている。

 恐ろしいのは、そんな裏の顔を一切他者に見せない所だ。

 残虐な本性を隠しているのか、はたまた聖教会と同じく無理やり啓示を与えられて従っているのか。聖騎士団の連中はソレが定かではない。資料集にも、彼に関する記述はかなり少なかったのだ。男だし興味ないだろうと、勝手に制作側がカットしたのかもしれない。畜生め。

 まぁとにかく。正体不明、そういった面で彼はアステア以上に扱いづらい。故にベルクターも接触してはならない。

 

 アステア、ベルクター。この二人はすぐに分かるほどの要注意人物だ。だが正直、そこまで危険度は無いと思っている。

 普段彼らは王城の中にいるし、すぐに会うことは無いと思うからだ。

 だが最後の一人。ヤツだけは違う。

 彼女は自分がどれほど危険な人物なのかも自覚せず、当然のように街を歩き回っている。自分自身が、女神に情報を与える「目」であることを知らないで。

 前者二人は会うだけなら逃げれる可能性もあるが、ソイツに会ったらその時点で女神にも視認されてしまう。

 だから、ソイツに会うことだけは避けないといけない。

 

 

 

「……お?」

 

 と、そこまで考え終えた瞬間。

 視界が急に安定してきて、見たことのない場所に足が着地した。

 

 薄暗い部屋だ。閉じられた窓から少しだけ光が差し込んでいるが、それ以外の光は存在しない。薄暗いせいで、奥の方はどうなっているのかよく分からなかった。

 

「……」

 

 耳を澄ますと、窓の外からは人の声が聞こえてくる。一体どんな場所だというのか。

 

「着いたようだね。気分はどうかな、コウ」

「問題はない、けど……どこなんだここ?」

「ある故人の隠れ家だよ。都の死角に設けられた部屋なんだ」

「へぇ……こんな場所がハルメイアにあったのか」

 

 アニメ第一話の前半で、ララベルはハルメイアから追い出されている。つまりハルメイアでの生活は多く描写されてはいない。

 自由時間なんてもの存在しないように思っていたけど、城を追い出されるまでの間に見つけたのか。

 

「あぁ、偶然街に迷い込んだ時にね。あの時は見つかった後、酷い罰を受けたものだよ」

「う……ごめん。嫌なこと思い出させた」

 

 しまった、また余計なことを口走ってしまったようだ。気づいた時には遅く、ふがいなさに頭を抱えてしまう。

 ハルメイアはララベルのトラウマでしかない。彼女だって相応の覚悟をもってここに来た筈なのだから、俺が気を使わないでどうする。

 

「……」

 

 チラッとララベルの顔を見てみると、彼女は嫌そうにしていなかった。むしろ楽しそうに微笑みながらコチラを見ている。

 

「ふふ、そんなことを気にする必要はないよ。この地で起きたことは、最早遠い記憶の欠片でしかない。摩耗して、既に擦り切れている」

「いや、それは……」

「むしろ君がそうして悩んでいるだけで、私の心は満たされるんだよ。そうやって頭の中を、常に私でいっぱいにしておくれ。私以外、何も考えないで欲しいんだよ」

 

 ……なんか、言動が非常に怖い。

 今更だけど、どうしたんだララベル。俺の事を好いてくれるのは嬉しいけど、ここまでの事を言われるとは思っていなかった。

 いや性格はアニメでの非道を受けた結果なんだろうけど、それにしても俺に対するこの重すぎる好意は何だ?

 確かに彼女を助けたのは俺だ。でもなんというか、それ以外に何か理由があるのか?

 そう考えてしまうほどに、彼女の言葉は苛烈なものだ。

 

「ララベル、あのさ――」

 

 少し恥ずかしいが、一度確かめておかないと。そう思って彼女に話しかけようとした。

 その時だ。

 

 

 

「お久しぶりです、ララベル様。そして初めまして、名も知らぬ御方」

 

 

 

 真っ暗な部屋の奥から、聞きたくない声の一つが聞こえてきた。

 少女の声。嫌というほど覚えがある声だ。

 

 次の瞬間、部屋の奥にボウッと明かりが灯る。

 よく見ると、いくつかの蝋燭に火が付けられていた。

 簡素な机、いくつかの椅子。奥の方には少女が座っている。

 

 非常に覚えのある顔だが、俺の知る服装とはだいぶ違う。所々装飾がされているシスター服は、彼女が大神官となった証だ。

 そしてもう一つ。彼女の代名詞と呼べるソレは、机に立てかけられその異様な存在感を放っている。

 

「宝石杖……トゥバ=セルウィー……!?」

「……あら、貴方はご存じなのですね。この杖のこと」

 

 思わず口にしてしまった杖の名前に、椅子に座る少女はクスクスと笑いながら反応する。ハッとして少女を睨みつけるが、もう遅い。

 少女は笑っているが、目は射殺すほどの眼力でコチラを睨んでいる。その下に濃い隈を作って、ララベルではなく俺の方を。

 

「へぇ、ここを知っていたのかい。知られていないと、自信があったのだけどね」

「ふふ、我々の力はご存じでしょう? この程度の隠し部屋、見つけるのは造作もない事です」

 

 この二人、普通に会話しているように見えるが殺気がバンバン溢れている。

 特に少女。今すぐにでもララベルに襲い掛かってきそうな程の、強烈な圧を感じた。

 

「っ……」

 

 心臓がバクバクと鳴り、非常にうるさい。手がカタカタと震えている。

 棒立ちのまま動けない。気を抜いたら、威圧だけで意識を刈り取られてしまいそうだった。

 

「大丈夫だ、コウ」

「ララベル……」

「私の隣にいて、私に身を委ねるんだ。大丈夫、決して君を死なせないよ」

 

 そう言って、ララベルは俺に体を寄せてくる。

 それだけなのに、自分の中で焦りや緊張がスルッと抜けていくように感じた。

 呼吸が安定して、しっかりと相手を見ることが出来る。

 

「……やはりその方、ですか」

 

 アステアはそう呟くと、指をパチンと鳴らす。

 するとコチラ側にあった二つの椅子が、まるで意思を持っているかのように少し後方へ下がった。

 まるでウェイトレスが、客人用の椅子を引くように。

 

「さぁ、そのまま立っているのもお疲れでしょう。お座りください。温かい紅茶でも飲みながら、これからのお話をしましょう……そちらの殿方も」

「……」

「ぜひ、お話を聞かせてください。非力な貴方が何者なのか……その全てを」

「……?」

 

 少女からは余裕そうな言葉が続いていたが、少しだけ違和感を感じた。

 今、奴は俺の事を非力と言った。あちらの様子を見る限り、おそらく俺の存在は知られていたのだろう。

 驚いている様子が一切なかった。もし知らなかったら、俺を見て少しは驚いているはずだ。

 

「……チッ」

 

 思わず悪態をつく。

 どうやって俺の事を知ったのかは分からないが、今は考えている余裕はない。

 

「あぁ、そうです。一応自己紹介しておきましょう。私はアステア、聖教会の大神官をさせていただいております。以後末永く、宜しくお願い致しますね」

 

 そう言って、アステアはまたニコリとほほ笑んだ。

 絶対に逃がさない。

 柔和で暖かな笑みからは、確かにそんな猛獣のごとき意思が感じられた。

 




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勇者が戻る、その直前

 コウとララベルが王都に転移する少し前。

 アステアはジースと共に、一目散に王城の地下を後にしていた。外に出た瞬間、眩しい太陽の光が彼女たちを包む。

 何も知らない人が見れば、日の光を受けて輝くその姿に心を奪われているだろう。聖女である彼女たちは、それほどまでに神秘的な美しさを放っていた。

 

 アステアの手には大きな宝石が埋め込まれた大きい杖があり、彼女はそんな杖を何のこともない顔で持ち続けている。

 しかし右腕からは血がしたたり落ちており、傷が完全にふさがっていないことが分かる。

 ゆえに何事もない様子であるからこそ、彼女は異様に見えた。

 

 対するジースは軽装だ。

 変わらぬシスター服を着ているだけで、それ以外の装備は見当たらない。そこら辺にいるシスターと何の違いもない外見だ。彼女が歩くたびに、ジャラジャラと鉄が擦れるような音がすること以外は。

 

「……本当に、ハルメイアへ勇者が来るのでしょうか?」

「確実に来ます。あの化け物なら、私たちの行動を根元から切り取ってくるでしょう」

 

 二人は少々急ぎ気味の足取りで城門をくぐり、街の方へと向かっている。

 すれ違う兵士や大臣、同じ信徒でさえも完全に無視して。

 挨拶する者、睨みつける者、避ける者。全員が彼女たちを見て、様々なリアクションをする。

 その中で、ひそひそと話をする者たちがいた。

 

「見ろ、アステア様がまたご機嫌斜めだ」

「勇者が目覚めたのも、アレの管理が甘かったからではないのか」

「あぁ嫌だ嫌だ。あんな田舎娘が大神官などと……昔はもっと淑やかで品のある女が――」

 

 行き交う人達の中、裕福そうな貴族らしい恰好をした男たちがそう話している。その者らは、勇者復活に対する会議に出ていた者達だった。

 

「……」

 

 そんな下卑た声も、アステアはまったく気にしていない。

 ジースだけは声が聞こえた方向をキッと睨む。しかし歩くスピードを緩めないアステアに気づくと、少しだけ悲しそうな顔をして後に続いた。

 男たちはそんな彼女たちが可笑しいのか、また笑い声をあげている。

 

「……気にしてはなりません、シスタージース」

「しかし、あのような者らの言葉を放置しておくなど……!」

「諫めようと説き続けようと、彼らは態度を変えません。負の感情というものは、女神様ですら入れない本性の根幹に根付くものなのですから」

 

 歩を止めることなく、そうジースを言い聞かせるアステア。

 コツコツと杖を突きながら脇目もふらず。ただ自分のするべきことを果たすために。

 

「彼らは我々と違い、女神の啓示を賜っていません。心の奥底では、黒い妬みが潜んでいるのです。この非常事態に付き合う余裕はありません」

「ですが、嫌味を言うだけで何もしないというのは……」

「余計な混乱を防ぐため、上は民の皆様に勇者の復活を教えていません。しかし必要以上に動けば、隠した情報はすぐに伝わってしまいます。逆に動かないことを、一番と考える方もいるのでしょう」

 

 そんなことを話しながら、都を歩き続けるアステアとジース。

 ふと、アステアはある方向にチラッと視線を向けた。その視線の先には、辺りを見回る兵士の姿が見える。

 

 普段、兵士たちは能天気とまでは言わずとも、そこまで緊張して警備に当たってはいない。しかし今の彼らは顔を強張らせ、必要以上に辺りを見張っている。

 きっと、別の理由を伝えられて警備に力を入れているのだろう。

 

 だが裏を返せばそれだけであり、鈍感な者ならいつもと変わらないとさえ思うほどの変化でしかない。

 世界の敵とさえ揶揄された勇者の復活だというのに、何故この程度の警備強化しかしないのか。

 そんな疑問が、ジースを余計イライラさせていた。

 

「的外れな意味のない守備ばかり。これであのララベルを防げると、本気で思っているのでしょうか?」

「彼女の恐ろしさを目にしていない者の考えなど、得てして凡庸なモノにしかなりません。無駄に変化させて、失敗でもしたら責任を負うことにもなる。誰もかれも、そんな度胸は無いのです」

「そもそも、ララベルを防ぐのなら国民にも事情を話すべきです。それどころか、勇者の復活だなんて世界規模の大問題、いっそ他国にも協力を要請して――」

 

 ジースが自分の考えを言っている際中、アステアはいきなりその歩を止めた。

 一体何が? もしかして、もう目的地に着いたのか?

 ジースはそう思うが、辺りにはまだそれらしい建物は見られなかった。

 

「シスタージース。確か貴方は聖教会に迎えられてから、まだ日が浅かったですね?」

「え、は、はい。それが何か……?」

「この際ですし、教えておきましょう。私たちが間接的ではあれ、守ることとなっている上層部の考えというのを」

「上の、ですか?」

「えぇ、時間も限られているので結論だけ。アレらが求めているのは、あくまで自分自身と自分の生きる場所、その周辺の安全だけです。それ以外は切り捨ててもいいとさえ考えています」

 

 何の気なしに説明をするアステア。しかしその一言は非情なモノであった。

 

 実を言えば、ジースも薄々感づいてはいた。この国を支配する連中は、国を見ているようで見ていない。

 どれだけの犠牲が生まれても、どれだけの崩壊が起きても。

 嘆くことなく事を鎮め、ゆっくりと正常に戻していく。いつも偉そうな顔をして会議をしている連中は、そんなことを何度も繰り返していた。

 まるで、それこそが自分らの仕事だと言うかのように。

 

「それを踏まえて、先ほどの意見に答えましょう。なぜ民に勇者の復活を伝えないのか。至極簡単、その方が動きやすいからです」

「う、動きというのは、まさか……!?」

「様々な面で、ですよ。しかし一番の意味を持っているのは、おそらく逃亡でしょうね。一番早く、安全に逃げるための足止めです」

 

 ジースはこぶしを強く握った。眉間にしわを寄せ、怒りの感情を隠そうとすらしない。

 もし教えられたことが本当ならば、守るべき国民が肉盾として利用されようとしている。そのことを理解したために。

 善政を敷いていると見せ、自分らを支持してくれている民を。

 

「どこまで、も、あの人たちは……!!」

「憎らしいですか、ジース?」

「当たり前です! まさか自分たちが逃げるために他者を犠牲にするなんて。人のすることではありません!」

「よろしい。では、そんな事態を防ぐために、我々が急いでするべきことは何でしょうか?」

 

 そう言われ、ジースはハッと我に返った。水を掛けられたかのように、意識が冷静になっていく。

 そうだ、非道があるのならばその道を塞げばいい。

 我々がララベルを止められさえすれば、あとは以前の平和に戻るのだから。

 

 ただ世界のため、女神のため。そして何よりも、アステアのため。

 それがジースの中にある正義。己の中にある唯一のルールなのだから。

 

「……失礼しました。私が至らないせいで、無駄な問答を」

「謝罪は必要ありません。人の意思は原動力そのものですから。陰りがあるのなら正さなければ、いつか主幹を崩す大きな傷となってしまいます」

 

 アステアはジースを見て優しく微笑む。

 その内に獰猛さがあるのは確かだが、その優しさもまた彼女の本性なのだろう。

 そう思わせるほどに、アステアの笑顔は自然であり、尚且つ美しかった。

 

「さぁ、着きました。ここにララベルが現れる筈です」

 

 コツ、と杖を突く音が響く。

 薄暗く、狭い裏路地の中。アステアの指さした先には、特になんの変哲もない建物の入り口があった。

 特に装飾もされていない、レンガで固められた丈夫そうな建物だ。

 

 ジースは考える。

 これは誰かの家なのだろうか。いや、人の気配はまるで感じられない。

 店でもなさそうだ。本当に、ただ建っているだけの建物。

 だが、それ故に不自然でもあった。

 

「このような建物、なぜ今まで放置されていたのでしょうか?」

「放置されていたのではありません。気づかなかったのです。私自身、女神様のお導きが無ければ、ここに辿り着くことすら不可能でしたから」

 

 アステアは建物の前に立つと、煙を払うかのように手を大きく振った。

 するとどうだろう。扉から小さな光が発生したと同時に、バチンと何かが破壊されたような音が響いた。

 ジースはこの音の正体を知っている。故に驚きで目を見開いた。

 

「認識阻害ッ……!?」

「ララベルが城を出る前に使ったのです。まさか追い出される直前に、こんなことをするなどと思ってもいませんでした」

 

 アステアは扉を杖で数回突き、何も起きないことを確認して後に開く。

 ギィ、と年季のこもった音が響いた。その奥にはテーブルと椅子のみ置かれている。

 

「奥の方は……台所ですか」

 

 ジースはそう言いながら、中をキョロキョロと見渡す。

 少々ほこりを被っているが、特に散らかっていることもない。

 実に簡素な部屋だった。

 

「さぁ、勇者であろうと異物であろうと敬意は必要です。話し合いの場に、お茶の一つもないのは無礼が過ぎますね……シスタージース、頼めますか?」

「は、はいっ!」

「ふふ、良い返事です。では、この茶葉を使ってください」

 

 アステアがローブから取り出した袋を受け取り、ジースはパタパタとあわてて部屋の中へ駆けていく。

 先ほどまでの怒りはどこへやら。今のジースは年相応の少女のように見えた。

 

 その様子を微笑みながら見るアステアは、気付かれないようにため息を吐く。

 

「あのララベルの心を動かした異物。あるいは私の陰りも……」

 

 そんな呟きがジースの耳に届くことはなく。

 アステアはそのまま建物の中へとゆっくり入っていった。

 

 




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覗く者たち、笑顔

 こうしてアステアとジースは先回りをし、勇者と会う準備を終えた。

 アステアは椅子に座ってララベルと異物であるコウを待ち、ジースはもしもの時のために物陰で隠れている。

 万が一戦闘にでもなったら、相打ち覚悟で封印魔法を仕掛けられるように。

 たとえ無駄だと半ば分かっていたとしても、自分の責務を全うするため。

 

 さて、そんな覚悟を決めた二人を窓から眺める一人の男がいた。

 純白の鎧を着ており、近くに置かれている剣も恐ろしいほどに白い。

 短い金髪に整った容姿。

 名をベルクター。ハルメイアを牛耳る組織の一つ、聖騎士団の長である。

 

 彼は今、ララベルたちがいる所とは別の建物から彼女らを見ていた。

 窓に身を乗り出し、足を組んで悠然と。

 世界の敵とまで言われた勇者を前に、不自然なほど冷静であった。

 

「……思ったより早かったな」

「それは、どれのことだ?」

 

 質問は彼のすぐ横からされていた。男の声だ。

 一見何もない空間のように見えるが、目を凝らすと通常あり得ない揺らぎが視認できる。そう、まるで風にたなびくカーテンのように。

 正体は掴めないが、確実に何者かがソコにいるのは確かだった。

 

「全部さ。勇者がここに来るのも、アステアが感づくのも。それに、あの方のこともね」

「本当に感じたのか? 我々では誰一人感じ取れなかったが……」

「君たちじゃ駄目さ。探知も碌にできない半端者じゃ、あの微細な気配は感じ取れない」

 

 ベルクターは視線をララベル達からそらさず、頬を緩めて質問にそう答えた。

 そんな彼の態度が気にくわないのか、空間の揺らぎが強くなる。怒気を隠す気が無いかと思うほどの激しい揺れだ。

 

「あまり怒るなよ、本当のことじゃあないか。それに、彼女らに気取られたらどうするんだ?」

「貴様、調子に乗るなよ……」

「あぁ怖い怖い。とにかく、私が感じたのは確かさ。何の因果か、ララベルが復活した時とほぼ同じタイミングにね」

 

 そう言うと、ベルクターは視線を少しだけ変える。怒気がこもった声は、毛ほども気にしていないようだった。

 彼の視線の先。そこで立っているのは、聖教会も狙う一人の凡人。

 

「黒髪とは珍しい……君は何者なんだろう。あまりにも重なりすぎている事象の上に、単身で立っているだなんて。とりあえず初手は聖教会に譲ったけど、次は僕らだね」

「……あまりふざけた真似はするなよ」

「ふざけるだなんて、心外だ。私はいつだってほん――」

 

 ベルクターは最後まで言い切らず、顔を硬直させて動かなくなった。

 指先一つ動かさず、息すらしていないように見える。

 

「どうした? おい、返事をしろ」

「……見られた」

「は?」

「一瞬、視線が合ったんだ。彼女と」

 

 そう言った瞬間、彼のいる部屋に奇怪な音が響く。

 鉄が擦り切れるような、キィィ……と静かで気味の悪い音だ。

 ベルクターは依然振り向くこともなく、わずかに頬を緩める。

 

「……くく。まったく、バレたら即撤退とはね。潔いと賞賛すべきか、薄情と罵るべきか」

 

 返事をする者は既に部屋におらず、先ほどまで在った空間の歪みもなくなっている。

 だが、そんなことは彼にとってどうでもいい事なのか。いやむしろ、ベルクターはこの状況を楽しんでいるように見える。

 浮かべるのは笑顔。今にも鼻歌を歌いそうな、子供じみた無邪気な笑みだ。

 

「さて、彼女がその気なら私はもう死んでいる筈だけど。生かされているってことは、まだ存在意義があるのか? うん。これは確かに、信憑性がある」

 

 笑いを堪えることが出来ないのか。ベルクターは顔を押さえてくつくつと笑い続けている。

 肩を震わせ、抑えきれない感情に悶絶しているようだった。

 

「あぁそれにしても、あの子の殺気は変わらない。全身を貫かれるような、身震いする程度では済まされない負の滂沱……この一瞬で、何回死んだかも分からないな。素晴らしい」

 

 ベルクターの笑みが深まる。だが、先ほどまでの無邪気なモノとは違う。

 陰湿で底の無い、まるで人のモノとは思えない歪んだ笑顔だ。

 普段の聖騎士である彼を知る者が見れば、きっと恐怖で悲鳴を上げてしまうほどに。

 

「さて、勿体ないけどこの辺で帰るとしようかな。これ以上邪魔をして、やっぱり殺すなんて事になったら大変だ」

 

 瞬間、彼のいた場所に風が吹く。優しく弱い、そよ風にも満たない風。

 そんな風が部屋を駆け、気付けばベルクターはその姿を消していた。むろん、置かれていた剣も消えてしまっている。

 

 残ったのは何もなく。先ほどまで彼が座っていた場所も、誰もいなかったかのように熱を失っていた。

 

 




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今回短め。次回少し遅れますが、楽しい三者面談始めます。


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探る者守る者怒る者

 

「まずはようこそ、ハルメイアへ」

 

 席につくとアステアは微笑みながら、机の上で両手を合わせてそう言った。

 間違えることもない。何度も見たシスター服に、特徴的な宝石杖。そして簡素なロザリオ。

 ララベルを今の姿にまで貶めた連中の一人、大神官アステア。その張本人が目の前にいる。

 一応友好的なことを言ってはいるが、目が全然笑っていない。見ているだけで喉が干上がってくる。

 アニメエンディングのぶっ壊れた顔面を知っている分、建前でだけ見せる笑顔が非常に恐ろしかった。

 

「……」

 

 たまらず横に座ったララベルの顔をチラリと見る。相変わらずの笑顔だ。

 こういう時は不変の彼女が心強いが、果たしてどうなるのか想像もつかない。

 

 アステアとララベル。

 封印した者、封印された者。

 本来は二度と会うことがなかったであろう因縁タップリの再会だ。正直嫌な予感しかしない。

 

「さて、まずは紅茶でも飲みましょう。せっかく用意したのですから、冷めてしまっては風味も落ちてしまいます」

 

 そう言って、アステアは目の前のカップを持って口元へ運ぶ。

 自分の席に用意されていた紅茶に視線を移すと、確かに湯気が立っていた。来るタイミングまで予想出来ていた、ということだろう。

 

 ……これ、毒とか入ってないよな?

 鼻に届いてくる匂いは紅茶そのものだ。だが無味無臭の毒だっていくらでもあるだろう。

 飲んだ瞬間ポックリとか笑い話にもならない。いや死んだら話も出来ないワケだけど。

 

「エルホワイトの純正物か。相変わらずこの茶葉が好きだね、大神官アステア」

「えぇ、リラックス効果に集中力の上昇。香りだけでなく効能も実に私好みです」

 

 そんなことを言いながらグイッと紅茶を飲み干すアステア。とても大好きな人間の飲み方とは思えないが、それくらい彼女に余裕がないと思えば納得だ。

 ララベルはそんな彼女が面白いのか、少しだけ笑みを深めてカップを口に寄せた。

 そして少しだけ口に含み、ゆっくりと飲んだ後に俺の方を見る。

 

「うん、変わらず強い風味だ。コウ、安心して飲むといいよ。これに毒は入っていない」

「ほ、ホントか? なら、俺も少し……」

 

 ララベルの言葉に安心した俺は、干上がった喉を潤すために紅茶を飲んだ。

 前の世界で飲んだ紅茶と似た味に、少しだけスパイスのようなピリッとした刺激がある。

 確かに強めだが、安心するようないい香りだ。ほどよく温かいのも合わさって、気分を和らげてくれる。

 

「……ふぅ」

「落ち着いたかい?」

「あ、あぁ。ありがとう」

 

 紅茶のおかげで頭に余裕が出来てきた。故に少し思考する。

 原作の知識が正しければ、アステアの頭の中では女神の啓示がひっきりなしに響いている筈だ。

 

 啓示。

 聞こえはいいが、言ってしまえば一方的な鬼電みたいなものだ。

 女神から一方的に命令が下され、重要度によってその頻度や音量は変化する。

 重要度の低い啓示ならば生活に支障は無いが、アステアに下されている啓示はララベルに関するモノ。つまりはウルトラCの超重要案件。

 ゆえに当人の体調なんてお構いなしに、何度も何度も彼女の頭には啓示が響き続けている。それこそ、眠ることすら出来ない程に。

 目元を濃い目の化粧で誤魔化しているようだが、その証拠であるクマは隠しきれていない。

 

「……美味しい紅茶だ。ゆっくり飲んだほうが、より一層楽しめると思うけど」

「ふふ、確かに貴方の言う通りですね。ですが、ご安心ください。もう少しで、またゆっくりと飲めるようになります」

 

 俺の言葉にゆっくりとした口調で返すアステアが、かえって不気味に感じた。

 啓示による苦痛は決して慣れるようなモノではない筈なのに、冷静さをまるで欠いていない。

 本当なら、叫んで狂っても仕方ないはずだ。

 しかしそうはならず、聖女としての自我を保つ彼女の強靭な精神力。もはや常人のソレではない。

 いったい何が彼女をそこまで動かすのか。まるで想像できない。

 ララベルの事も、俺の事もどう考えているのだろうか。いやそもそも、俺に関してはどこまで知っているのかも分からない。

 

「……」

 

 少しだけ、息が詰まる。

 知らぬ間にアステアを睨みつけていた。

 焦りからか、恐怖からか、怒りからか。自分の感情が何なのかさえも上手く分析できない。

 

「ふふ、そんなに緊張なさらないでください。えぇと……あぁ、私としたことが。客人である貴方のお名前を忘れてしまいました。大変失礼であることは重々承知しておりますが、お名前を今一度教えていただけますか?」

「――ッ」

 

 思わず体を硬直させてしまった。

 名前まで知っている!?

 なんで、いや、どうやって。確かに遠方を探知する魔法も存在するはずだけど、そんな細かいところまで探れるはずが……。

 

 ……いや、いや待て。違う。冷静に考えろ。情報を一つも与えるな。

 俺の名前なんて知るタイミングあっただろうか。いや、そんな時は一切なかったはずだ。

 あの村に襲撃に来た兵の生き残りが帰ってきたとしても、ララベルが俺の事を話しはしない……と思う。

 大体、アステアは俺という存在を知っているだけで、それ以外の情報は全くないようだった。そうだ、知っている筈がない。

 

「……知ってるワケ、ないだろ」

「はい?」

「アンタらが俺の事を探れるわけがない。俺たちを追って村まで来た兵は全員、ララベルに倒され――」

「コウだよ、彼の名前は」

「ちょ」

 

 言い切る前に、ララベルが俺の名前を言ってしまった。

 え、割と頑張って考えたんだけど。別に良かったのか?

 ララベルの顔を見ても微笑んだまま表情が変わっていないから、セーフだったのかアウトだったのかも分からない。

 だが、彼女が会話に入ってくるということは、何か良からぬことを口走ってしまった可能性がある。

 

「ふふ、成程成程。村にまで、兵が……」

 

 アステアはアステアで何かが可笑しいのか、手で口を隠しながらクスクスと笑っている。

 ていうか、聞いてきたのに俺の名前ではなくて村の事を気にしているようだ。

 まるで本当に聞きたかったことは、別にあったような。そんな顔をしている。

 

「……だから、なんだってんだ?」

「いえ、貴方は思っていた以上に素直で、愚かだということが分かりまして。コウ様、貴方は先程、村で何があったと仰いましたか?」

「気にすることは無い筈だよ、大神官アステア。そんなことより、私には聞きたいことがある。君たちは、彼に関して何処まで知っているのかな?」

 

 ララベルが強引に話に入ってくる。笑顔のままだが……なんだろう、ほんの少しだが焦りを感じる。

 なんだ、俺は何を言ってしまったんだ?

 

「いいえ、彼の呪縛を解くためにも必要でしょう。コウ様、貴方は先程なんと?」

「……すまん、忘れた」

「ふふ、お忘れに。随分とララベル様に教え込まれたようですね。まぁ良いでしょう、ではココからは私の作り話です。よく聞いておいてください」

 

 アステアは足を組み、余裕たっぷりの表情で何かを始めようとしていた。

 何を言われるのか分からないが、この世界で信じるべきなのはララベルただ一人だ。

 それ以外、よりにもよって聖教会の言うことなんて信じる筈がない。

 

「まず手始めに、我々はあの廃村に兵を派遣なんてしていません。加えて言えば、あの村はとうの昔に滅んでいます」

「……」

「ご存知ではありませんか? 死体を生きているように操る魔物の外法を」

「あぁ、アンタらも似たような術を使うよな」

「辛辣ですね、良い事です。あの場にいた村人は、皆その外法によって操られた死体たちでした。ちなみに、死体の出所は封印の森。そこの警備にあたっていた兵たち約50名です。誰が彼らを殺したのか……言うまでもないでしょう」

 

 淡々と話を続けるアステア。

 なんだ、そんな話誰が信じるってんだ?

 ララベルはあの森を逃げ切ったと言っていた。アニメでだって、彼女は直接人を殺してなんていない。封印される直前まで、人に対する優しさを完全に無くしてはいなかったからだ。

 そんなララベルが、何人も殺して平気な顔しているワケないだろう。それじゃ正真正銘の化け物じゃないか。そんなこと、ありえない。

 それに俺は、村人をしっかりと目で見たんだぞ。ちゃんと歩いている姿だって確認した。

 

「村人をご覧になりましたか?」

「あぁ、この目でしっかりとな」

「しっかりと生きていましたか? 顔に生気はありましたか?」

「だから、ちゃんとみ……」

 

 断言できなかった。

 言い切る直前で言葉を詰まらせ、自分が見たモノを思い出す。

 

 俺は確かに村人を見た。それは確かなことだ。

 だが、アステアの言う通り顔までは確認できていない。それによくよく思い返せば、あの村人は少し違和感があった。

 

 村人が穿いていたのは赤色のスカート。言うまでもなく女性モノの服だ。

 だが女性にしては、随分筋肉質でガッチリしていたような気がする。

 目の前でしっかり見たワケではないが、服から覗かせる腕もかなり太かったような。

 

「兵士の死体が村人の服を着ていた。その可能性を完全に否定できますか?」

「ッ!?」

 

 気付けば、アステアの笑顔が別のモノに変わっていた。

 先ほどまでの優しいモノから、人を食ったかのような恐ろしいモノに。

 俺が彼女に何を教えてしまったのか。なんとなくだが、ようやく理解できたような気がした。

 全身に虫が這いまわるような、おぞましく気持ちの悪い感覚が襲ってくる。

 もしかしたら、アステアの言ったことは本当なのか?

 

「そ、そんなモン、それこそ証拠が無いだろうが! そうだ、田舎は力仕事が多いんだから、た、体格のいい子だって、いても可笑しくない!」

 

 たまらず声を上げてしまった。

 一瞬でも嫌な可能性を考えてしまったせいで、焦りが一気に押し寄せてくる。

 だがアステアはそんな俺が愉快なのか、さらに笑みを深めていた。

 

「えぇ、そうでしょうね。貴方の言う通り、コチラにも証拠はありません……ですが」

「ですが、なんだよ?」

「確証があるお話がもう一つ。コウ様、貴方はあの廃村で何を口にされていまし――」

 

 直後、全身が強制的に硬直した。

 正体不明の轟音。

 アステアが言い切る前に、目の前から大きな音が響いたからだ。

 何の音か、形容のしようもない。どこから聞こえてきたのかも理解が追い付かなかった。

 

「――なっ!?」

 

 一瞬の後、何が起きたのかようやく理解する。

 踏みつけられ、半壊した机。

 遠くにまで蹴飛ばされた椅子。

 宝石杖を前に構えるアステア。そしてその杖を、握り潰さん勢いで握りしめるララベル。

 

 二人は机があった目の前で、表情を変えないまま睨みあっていた。

 

「おや、いきなり襲い掛かるとは。どのような趣でしょう、ララベル様?」

「この話は終わりだよ。君たちに言うことは何もない。早く帰らなければ、辺りを巻き込んで君らを殺す」

「まぁ恐ろしい。黙らない相手には恐喝、良い事です。しかし、だからこそ伝えなければ、彼のためにはなりません」

 

 瞬間、ララベルの目が少しだけ開かれる。

 まるで何かに気づいたような。いやむしろ気づかされたような。

 握っていた手の力を弱め、ゆっくりとその手を戻していった。

 

「ララベル?」

「……」

 

 ララベルは返事をしない。

 いやそれどころか、微笑みすら消えている。無表情に、何もない空間を見つめていた。

 そしてそんな彼女が、とてもつもなく恐ろしい。

 

「……もう一度、聞きましょう。コウ様、貴方はあの村で、何を食されていたのですか?」

「そんなこと、お前に言うはずが――」

「答えろ、貴様には返答の義務がある」

 

 突如、アステアの口調が変わった。

 彼女も最早笑ってはいない。ララベルを封印した時のような、恐ろしい女神の使徒である彼女がその場にいた。

 今までとは比べ物にならない重圧が、体中に襲い掛かってくる。

 

 正直な返答。それ以外の選択肢が頭の中から消えてしまっていた。

 

「……ララベルが、作ったスープだ」

「スープの中身は?」

「……知らない」

「やはりな。貴様は純朴で、愚鈍だ」

 

 杖でトンと床を突き、猛禽類のように恐ろしい眼光を飛ばしてくるアステア。嫌な予感が全身を走り回ってくる。

 おそらく、彼女が言うことを聞いてはいけない。聞いたらもう、戻れない。

 そんな予感をバンバン感じるのに、視線を逸らすことすら出来なかった。

 

「教えてやろう、貴様が今まで食わされていたのは魔物の肉だ。ララベルと同じ、魔の者に成り果てる所だったのだ」

「な……そんな、そんな話、誰がしんじ――」

「証拠はない。だが貴様の体を、何かが蝕んでいる証拠はある。これを見ろ」

 

 そう言って、アステアは修道服の中から小さな袋を取り出した。

 彼女がその袋をゆっくり逆さまにすると、中からキラキラと光る粉が落ちてくる。

 

「……劇毒だ」

「は?」

「人間や弱い魔物なら、数分で泡を吹き死ぬ。貴様の茶には、これが入っていた。勿論、解毒の薬も持ってはいたがな」

「……」

「これを交渉の材料にするつもりだったが、予定変更だ。貴様は我ら聖教会が真に保護する。化け物の玩具にするワケにはいかない」

 

 反論する思考すらまとまらない。

 思い出すのは、紅茶を飲んだ時のスパイスのような刺激。あれがアステアの言う毒だったのならば。

 効かなかった俺は、今何に成っているんだ?

 

 気付けば、手がカタカタと震えている。

 寒くもないのに、背筋が恐ろしく冷たい。

 

 違う、今アステアが言ったことだって証拠はない。

 さっき床に落としたのは、ただの砂糖だ。紅茶の刺激だって、そういう味だったってだけだ。

 

 俺が魔物に、ララベルと一緒に?

 そんな証拠ある筈が無い。

 そうだ、ララベル。ララベルだ。彼女に聞けば、全部解決だ。

 何の問題もない。アステアの言葉なんて信じるな。

 

 そう思ってララベルの方を見る。

 彼女は変わらず、何もない空間を見たまま動かない。

 だが、それでも聞かないワケにはいかなかった。

 

「ララベル、違うよな?」

「……」

「アステアが言うことなんて、全部ウソだろ? 言ってたもんな、羊の肉だって」

「……」

「だ、黙ってないで答えてくれよ! 俺に食わせてくれていたのは、ただの肉なんだろ!?」

 

 返事は返ってこない。

 ララベルはただゆっくりと、顔だけを俺の方に向けてきた。

 真っ白な髪を垂らし、人形のような動きで。

 そして視線が合った、その瞬間。

 

「君は、なんと答えてほしい?」

 

 ララベルは微笑むと、俺の顔を見ながらそう聞いてきた。

 優し気に、そう尋ねるのが当然のように。

 




ご指摘、ご感想があればよろしくお願い致します。


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選ぶべき道

 

「ら、ララ、ベル……?」

「……」

 

 どう答えてほしいか。

 そう言って、ララベルは口を閉ざしてしまった。いつもの笑顔を貼り付けて。

 彼女が問いかけてきたというのに、俺も何かを言えないでいる。

 なんて答えるべきなのか、思考をまとめることも出来ていなかった。

 何もしていないのに、心臓の鼓動だけがうるさく鳴り続けている。いっそこのまま倒れてしまったら。そう考えても、その音が強引に現実へ引きずり戻していた。

 

「答える必要などないでしょう、コウ様」

 

 話しかけてきたのはアステアだった。

 不意に話しかけられ、その方向を見る。アステアの顔は先ほどまでの優しい笑みに戻っていた。

 聖母のごとき、優しい笑顔。火に群がる蛾のように、ふらふらと歩み寄ってしまいそうになるほど温かく感じた。たとえその奥が、真逆の冷え切ったモノであったとしても。

 

「我々聖教会は、貴方を保護いたします。修道士として、貴方を迎え入れましょう」

 

 笑ったまま、右手をコチラにまっすぐ伸ばしてくる。

 必ず手を取るという、自信が込められているような。そんな気がする。

 この静まり切った中ででも、彼女の余裕は消えなかったらしい。

 

 素直に手を取ることが出来るか?

 いや、そんなはずない。相手はあの聖教会だ。言葉通りかどうかも怪しいし、保護という名目で何をされるかもわからない。

 

「……」

 

 俺は返事が出来ず、おもむろに自分の右手を見た。

 何のこともない。見慣れた自分の右手。

 だが、今では別の何かに見えてしまっている。

 

 化け物、あるいはそれ以上の何か。

 知らない間に人外になっていたなんて、思ってもいなかった。

 

「ッ!?」

 

 不意に、右手の自由が利かなくなる。細かく震え、皮膚の内側を何かが這いまわっているような感覚がした。

 うぞうぞとミミズのような生き物が動き、体の構造を変えているように感じる。

 気持ちが悪いのに、拒否することすら出来ない。

 やがてソレは皮膚を突き破り、一目散に俺の顔へと飛んできて、それで――

 

「ッ……」

 

 我に返り、浅く息をする。

 足の力が抜けてしまい、その場にへたり込んでしまった。

 汗が噴き出てきて、不快だというのに身動き一つとれない。

 恐る恐る右手を見ると、そこには元の右手があった。

 幻だ。俺の右手に何も異常は起きていない。

 

 だが、今にもそうなる可能性があるのかもしれない。

 俺の体は、そうなってしまっている。ララベルの手によって。

 その事実が、俺の根幹を酷く揺さぶってくる。

 

「……大神官アステア」

 

 返事が出来ない俺に代わって、アステアの手を取ったのはララベルだった。

 取ったというよりは、ソッと自分の手を添えただけだが。

 

「何か、ララベル様?」

「彼は酷く憔悴している。私の責任だよ。少し彼を休ませたいから、帰ってくれないかな?」

「それは無理なお話です。彼は今この場で助けなくては――」

「帰って欲しい」

 

 ララベルがそう言うと、アステアの体が黒い影のような何かに包まれた。

 一瞬だ。避ける暇すらなかっただろう。

 

「おや、これはこれは……ふふ。まぁ良いでしょう、楔は打ち付けました」

 

 アステアは大した抵抗をせず、ゆっくりと影に飲まれていく。

 それでも彼女は余裕そうな顔を崩さず、むしろ勝ち誇ったかのような表情をしていた。

 まるで俺がどんな選択をするか、その答えを分かり切っているかのように。

 

「ではごきげんよう、コウ様。良いお返事をお待ちしておりますので」

 

 影はアステアを完全に包むと、そのまま音もなく霧散した。

 彼女の宝石杖も、一緒に消えてしまっている。

 

「……」

 

 対するララベルは何の気もなく、ゆっくりと天井を見上げる。

 ジッと天井を見つめていると、彼女はフッと笑みを深めた。

 

「天井にも一人、潜っていたようだね」

「ララ、ベル……?」

「安心しておくれ、殺してはいないよ。見てくれは悪いが、影と影をつなげて飛ばしただけだからね。彼女たちは今、王城の地下にいる」

 

 そう言って、ララベルは自分の影をふよふよと浮かせて見せてくれた。その魔法を俺は知っている。

 アニメでも彼女が使っていた魔法だ。ある程度の距離なら、彼女は魔法を使わず人や物を転移させることが出来る。

 影に潜む魔物の血も取り込んでいるからこそ、彼女にだけ出来る芸当だ。

 

「……俺も」

「ん、なんだい?」

「俺も、出来るようになったのか? ソレ」

 

 震えた声で問いかける。

 薄汚れた暗い部屋の中。存在するのは俺とララベルのみ。

 沈黙し、すべてが沈んでしまうような空間で。しかし聞かずにはいられなかった。

 俺の体に、何が起きていたのかを。

 

「……いいや、まだ無理だよ。そもそも、君に食べてもらったのは違う魔物の肉だ」

「じゃあ、俺に食わせたのは、何なんだ?」

「毒に強い魔物、再生能力の高い魔物、硬い皮膚の魔物。一番多く食べてもらったのは、その三体あたりだね」

 

 ララベルの言う魔物には心当たりがあった。

 毒に強いというか、あらゆる毒を武器にするヴェルノ・サーペント。

 再生力というよりも、生命力のみが異常に高いイディオット・スライム。

 皮膚ではなく、この世界で最も硬い鉱物で覆われたキング・ゴレムス。

 どれもララベルが最初に取り込んだ魔物たちだ。そして、彼女がその三体を最初に選んだ理由も知っている。

 

「俺が、死なないように、か?」

「……そうだよ。まずは死ににくくすることが、一番大切だと思ってね」

「人間の体に魔物の血は毒だ。俺はララベルみたいに、特別な存在じゃない」

「大丈夫だよ。決して死なないように調整したからね」

 

 調整。

 何気ないその言葉に、言いようのない恐ろしさを感じた。

 この世界で魔物というのは、人間とは決して相容れない存在だ。だからこそ、そう簡単に人間の体へ取り込むことも出来ない。

 アニメの中でも魔物の血を体内に入れようとした人間はいた。だがそういった連中は漏れなく、血を取り込んだ瞬間跡形もなく爆散した。

 魔物の血と人間の血が争いあって暴走した、らしい。

 

 人間と魔物。

 二つの存在は決して交差することはない。それは血だけではなく、力から思想に至るまで。ありとあらゆる事柄において反目しあう。

 ソレが「サァベイション・イン・ザ・ケイブ」における常識であり、不変の事実であった。ただ一人、ララベルを除いて。

 ララベルが、彼女こそが、魔物の血を取り入れた唯一の人間だったのである。

 

 ……いや、違う。正確には、ララベルですら魔物の血に拒絶されていた。

 他の人間のようにもだえ苦しみ、内から体を爆散させ、辺りに血肉をぶちまけていたのだ。

 それでも彼女が生きていられたのは、呪いにも近い女神の加護によるものであった。

 加護のおかげというべきか、せいというべきか。ソレによって、ララベルは自分の体が限界を超えても動くことが出来る。

 アニメ序盤だとララベルは回復魔法の補助が必要だったが、時が経った後に自力で加護を活用することが出来ていた。出来てしまっていた。

 

 震えながら血を取り込んだララベルは、体を引き裂かれては再生し、千切られては回復し、潰されては治癒し。

 何回、何十回も続く激痛の中。気付けば、その身に魔物の血を閉じ込めることに成功したのである。

 髪は白く染まり、目は赤く染まり、角が生えた異形となって。

 

「なんで、なんで黙ってたんだ? なんで勝手に、魔物の肉なんて食わせたんだ……!?」

「……ごめんよ。君を怖がらせたくなかったんだ。時間をおいて、言葉を選んで説明するつもりだったんだ。それに……」

「それに、なんだよ?」

「……食べさせなければ、君は死んでいたんだ。あの森の中で」

 

 ララベルに言われて、記憶が脳内を駆け巡った。暑くもないのに汗が吹き出し、呼吸が荒くなる。

 ララベルと会った時、やっぱり俺は魔物に首を食いちぎられていた。夢でもなんでもなく、俺は既に死んでいる筈だった。

 ララベルに助けられていなければ、その時点でもう終わりだったのだろう。

 

「君の首には……そう、種のようなものを植え付けたんだ。私と同じ存在になるために必要な、私特製の種を。ソレを死なせないために、君には栄養を摂ってもらう必要があったんだよ」

「……種?」

 

 思わず首を触る。なんの変哲もない、ただの自分の首がそこにはあった。

 しかし、話を聞いた後では自分の首でさえも別の何かに感じてしまう。

 人を魔物にする種なんてモノは資料集にもない知識だ。知らないことを言われただけで、恐ろしく狼狽えてしまう。

 

「……あの森の兵士たちは、殺したのか?」

「そのとおり、漏れなく全員殺したよ」

「それも……俺のためなのか?」

「気負いして欲しくは無いけれど、正直に言えばね」

 

 なんとなくだが、疑問だった事柄にパズルのピースがカッチリとハマったような気がした。

 ララベルが言っていた調整。その方法が分かった気がする。

 つまり俺が今まで食べていたのは魔物の肉だけではない。調整として食べさせられていたのは、兵士たちの肉なのだろう。

 考えたくはなかったが、事実は俺が考えていたよりも酷かった。

 

「それに、あの滅びた村には村人が必要だった。君には、あくまでも平和な村に住んでいて欲しかったからね」

「なんだよ、ソレ。全部全部、俺のタメだって言うのか……?」

「うん、そうだよ」

「そうだよって……だったら、俺がハルメイアを滅ぼせって言ったら滅ぼすのか!?」

「もちろん、君の望みならね」

 

 全身が震えた。思わず息を呑んでしまう。

 さも当然のように俺の問いを肯定するララベルが、酷く恐ろしい。

 微笑んで、一切表情も変えず、間髪入れずに即答するララベルが。

 

「なんで、そんなこと簡単に言うんだよ?」

「……」

「俺は、ララベルを助けただけだ。それなのに、なんで俺にそこまでするんだ……」

 

 顔を伏せてしまう。

 もうララベルを見ることすら出来なくなっていた。

 怖いというだけではない。彼女をどんな目で見ていいのかも、もう分からない。

 思考することすら脳が拒否してしまっているようだ。

 

「……コウ。私にはね、この道しかなかったんだ」

 

 そんな俺に対して、ララベルは変わらず優しい口調で答えてきた。

 

「私は封印されるまで、魔王を倒すことだけしか考えられなかった。そのために必要なことだけを行っていき、そのためには非道と思えることもした。魔物に対しても、人に対しても。そのせいで魔王を倒した時には、善悪の基準が酷く曖昧になっていたんだ」

「……」

「何が正しくて、何がいけないのか。自信をもって区別が出来なかった。ただ、城に戻って人間の暮らしに戻れば、あるいは思い出すのかもしれないと。そんな希望を抱くことも、私には許されなかったけどね」

 

 ゆっくりと顔を上げ、声がする方向を見る。

 天井を見上げ、淡々と話し続けるララベル。悲哀や憎悪といった感情は一切こもっておらず、まるで絵本を読むように自分の歩んだ道を語っていた。

 その表情に、見覚えがある。

 

「これが正解なのだと、眠る直前に思いこんだ。私には、居場所などとうに無いのだと……でも、君が来てくれた」

「……俺が?」

「そう、来てくれたんだ。私の事を知っていながら、私を外へと導いた。閉じた道に光をくれたんだよ。これ以上に嬉しいことがあるかい?」

「俺の正体も分からないのに、嬉しかったのか? また道具として使われるかもしれなかったのに?」

「それでも、私は嬉しかったよ。君のことは分からない。正体も、私の所に来てくれた理由も。ちょっぴり不安で、悲しいさ。でもそれ以上に、私には君が大切だった」

 

 そう、あの宿屋の中。

 俺に一緒にいてほしいと言ってきた、あの時。無表情だというのに、怯えて泣き叫んでしまいそうな。

 そんな彼女の心情が伝わってくる。

 

「私は君といる時、昔の自分を思い出す。もう他人のような感覚だけどね」

「……村にいた時の、ララベルか?」

「そう、そうだよ。昔の私が何をされたら喜ぶか、何をされたら嫌がるか。そう考えて、嫌だろうと思ったことを隠していったんだ。そうすれば、君と離れなくて済むと思ってね。だからこそ、アステアに言われて動けなくなってしまった。私は君にどうするべきかと、考えてしまってね」

 

 そう言って、彼女は俺の頬を撫でる。

 前に触れた時と同じ、冷たさの中に仄かな温かさを感じる不思議な手だ。

 

「私にはこうなる道しかなかった。だけど、君はまだ道を選べる。アステアのもとで修道士になっても良い。あるいは冒険者に成れば、ある程度は大成できるかもしれない。ただ……もし君が残ってくれるのなら、私は」

「……ララベル」

「君が望むことは、何でもしてみせる。財が欲しいのなら、いくらでも取って来よう。従者が欲しいのなら、いくらでも従えてみせる。だから、その……」

 

 言い終えて、ララベルは口を閉ざしてしまった。

 数秒の沈黙が、無限に長く感じる。

 針に突かれているように空気が鋭く、それでいて重い。

 非常に流れる時間の中、やがてララベルは諦めたかのように小さく笑うと、首を横に振った。

 

「いや……これ以上は止めるよ。すまない、君に強制はしたくないんだ。私と同じ、一つの道しか選べない状況にはしたくない」

「ぁ……」

「君の傷は完治している。体内の種も、これ以上魔物を食べなければ消えるよ。これで君は、本当の意味で自由だ」

 

 そう言って、ララベルは部屋の出口の方へ向かう。

 ゆっくり、重い足取りで。

 もしかしたら、もう消えてしまうのかもしれない。彼女の背中を見ると、そんな気さえしてきていた。

 

「……」

 

 浮ついた感覚が宙回りして、酷く気持ちが悪い。

 乗り物酔いしたかのように、胃の中がグルグルと回っているようだった。

 

 かろうじて残った感覚をもとにララベルの背中を、いやララベルそのものを見て、自分自身を考える。

 ララベルが、どんな思いで俺を守り続けてくれたのかを。

 俺という存在が、ララベルにとってどれほど重いモノだったのかを。

 

「……」

 

 そして、自分が今この瞬間まで何をしていたのかを考える。ただただ、自分自身が情けなかった。

 

 言ってしまえば、俺は未だ異世界に来たという自覚がなかったのだ。元の世界の時と同じ、ララベルやこの世界をアニメ感覚で見続けていた。

 ただ、目の前に悲しいエンドを変えられるスイッチがあって。何も考えないで、単純にそのスイッチを押した。それだけでしかなかった。

 まるでコーラを片手に映画鑑賞するように、安全な位置で見る存在でしかなかったんだ。だからこそ、いきなり魔物化という形で劇中に引きずり込まれ、こんなにも動揺している。

 情けなく、子供のように喚きながら狼狽えて。

 

 この世界の事も、ララベルの事も、アステアや他の連中の事も。

 とっくに当事者になっていたのに、まだ自分は安全だと思い込んでいた。

 そのせいで、ララベルにここまで言わせてしまっている。

 

「……ララベル、待ってくれ」

 

 震える声で、彼女を呼び止めた。

 足を止め、振り返る彼女の顔は先程と変わらない。優しい笑顔のまま、俺の事をまっすぐ見つめている。

 ただ、ほんの少し寂しさが混じった表情で。

 

「なんだい、コウ」

「……俺には選べる道がいくつもある。そう言ってくれたよな?」

「うん、そのとおりだよ。君にはいくつも選択肢がある。どれを選ぶのも、君次第だよ」

「だったら……」

 

 自分が彼女のために何ができるか。

 劇を見る観客ではなく、登場人物の一人として。ララベルを解放した、ただの人間として。

 そう考えて、思い浮かんだのは一つだけだった。

 

「話したい、ことがある」

「……何を教えてくれるんだい?」

「全部だ。そう、全部」

 

 俺がこの世界に来た意味。出来ること。その全てが分からないし、あるいは何も出来ないのかもしれない。

 でも俺が今彼女に出来ることといえば、これくらいしか思いつかなかった。

 だからこそ――

 

「この世界のこと、俺のこと、ララベルたちのこと……俺の知ることを、全部話したい。それでララベルの不安が、少しでも晴れるなら……」

「……」

「聞いて、くれるか……?」

「……うん、もちろんだよ」

 

 俺は、彼女に全部話そうと思った。

 目の前の女の子を今度こそ救うために。その第一歩として。

 

 




ご指摘、ご感想があればよろしくお願いします。
色々あって遅くなってしまいました。申し訳ナス……。


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ありがとう

「……」

「……」

 

 座り込んでいた体に力を込めて、ゆっくりと立ち上がる。

 椅子に座り直し、ララベルをじっと見つめた。ララベルも微笑んだまま、自分が座っていた席に戻る。

 アステアとのやり取りで机は壊れている。そんな机の残骸を目の前に、コチラを見つめて俺の言葉を待っていた。

 

 落ち着くために、深呼吸をする。揺れていた視界が、ほんの少し落ち着いたように感じた。

 ララベルは何も言わず待ち続けてくれている。俺が自分から切り出す時を。

 

「……俺は。俺は、この世界の人間じゃない」

 

 たっぷり数分時間をかけ、ようやく話し出すことが出来た。

 突拍子もない俺の言葉に、ララベルは目を丸くしている。もしかしたら、上手く理解できていないのかもしれない。

 

「この、世界?」

「もっと別の、遠いのか近いのかも分からない別の世界から来たんだ。どうやってきたのかは分からないけど、気付いたらこの世界にいて、ララベルの目の前にいた」

 

 ほんの少し、ララベルの瞳が開いた。見逃しがちな変化だが、それだけでも彼女が驚いていることがよく分かる。

 当たり前だろう。いきなり異世界から来たなんて言われて、はいそうですかと納得できる人間がいたら逆に怪しい。

 

「地球って星の、日本って国で育った。俺の世界だと魔物は存在しないし、戦争とかもどこか遠い存在でしかなかった。法律が整備されていて、この世界よりかはだいぶ安全だったんだと思う」

「……なるほど、そうだったんだね」

 

 しかし、すぐに元へと戻った。何か納得したかのような、そんな感じが彼女から感じられる。

 

「そんなに驚かないのか?」

「驚いたよ、心底ね。でも、同時に納得したんだ。なぜ君が自己の保身にここまで無頓着だったのか」

「う、ぐ……」

 

 あの宿屋で言った苦しい言い訳を思い出して、恥ずかしい気持ちになる。

 彼女の言う通り、俺には自分を守るという意識がまるでなかった。ただその場を乗り切るために出た苦しすぎる言い訳だ。

 今思えば、相手が相手なら捕まってもおかしくない返答だっただろう。「自分は怪しいです」と直接言っているようなものだ。

 

「……あの時は、ごめん。嘘ついて」

「些事に過ぎないよ。君も不安だったんだろう? いきなり異世界から来たなんて、普通じゃ誰も信じないからね。だけど、それでは一つ疑問が生まれてしまった」

「……ララベルのこと、か?」

「そう、その通りだよ。君は抵抗も出来ず私の目の前に転移された。でもそれなら、なんで知る筈のない別世界の私を知っていたんだい? それも、君は私の境遇まで知っていた。その理由が、私にはどうしても分からないんだよ」

 

 ……やっぱり、その話になるよな。

 異世界転移に関しては俺自身の身のことだが、ララベルの事に関しては別問題になる。

 世界、そして自分自身の歩み。地獄のようだった毎日が一般大衆の娯楽でしかなかったと聞いたら、彼女はどう思うだろうか。

 どのようなことが起きてしまうのだろうか。

 

「……」

 

 やっぱり彼女のためにも、馬鹿正直に全部言うべきではないのかもしれない。

 別世界を見れる装置か何かあったって誤魔化せば――

 

「ッ……!」

「コウ?」

「なんでも……ない……」

 

 両膝を思いきりつねって、甘い考えを捨てる。また逃げようとする自分自身が許せなかった。

 この期に及んで誤魔化してどうする。そのせいで、彼女は不安を堪えていたんだろうが。もう逃げるな、どんな結果になっても。

 

「……サァベイション・イン・ザ・ケイブ」

「ん? 何かの、呪文かい?」

「この世界の名前、だ。正確には、この世界を舞台にした物語の」

「物語……」

 

 一言、口から出すだけなのに力がいる。

 まるで鉛のように重く、喉の奥で出まいとしがみ付いていた。ソレを一つ一つ強引に剥ぎ取る感覚で、言葉を続けていく。

 

「俺は全部、見たんだ。ララベルが、村で神託を受けた時から、どんな目に遭って、どんな結末を、迎えたのか」

「……成程。私が経験したすべては、別世界の何者かによる創作物だった。そういうワケなんだね?」

「それはッ――」

 

 思わず顔を上げてしまう。

 否定しようとしたが、ララベルと視線が合い言葉を詰まらせてしまう。

 すべて理解し、そのうえで事実を良しと受け入れたような。いやむしろ、諦観からの受け入れなのか。

 とにかく、ララベルの目は深く濃い悲哀を帯びていた。

 

 自分の悲劇、その正体を彼女は知った。

 全ての頑張りが幻だったような、そんなことを言われて冷静でいられる人間はいるだろうか?

 怒ることは無くても、酷く落ち込んでしまうかもしれない。そうなってしまったらと考えると、酷く悲しい気持ちになる。

 やっぱり、選択を間違えてしまったのか。そんな後悔さえ自分の中に芽生えていた。

 

「……よく話してくれたね。嬉しいよ、コウ」

 

 しかしララベルからの言葉は、至極優しいモノであった。

 いつものように、俺を肯定するような言葉で。微笑みながらそう言ってきたのだ。

 

「それだけ、か? 嫌な気持ちになったりとか、しなかったか?」

「ふふ、そんなことあると思うかい? 君は自分の事を話し、私はソレを知ることが出来た。それだけで、私はとても嬉しいんだ」

 

 そう言って、ララベルは俺の手を取る。包まれる俺の手は、いつの間にか小さく震えていた。酷く緊張してしまっていたようだ。

 彼女はそんな俺の手の平を親指でなぞり、愛しそうに見つめている。仄かな熱がジンワリと伝わってきて、温かい気持ちになった。

 

「それに、君は間違えている」

 

 ララベルは視線を俺に戻し、諭すようにそう言ってきた。

 

「まちが、え?」

「私はこの歩んだ道を、少なくとも自分で選んだ。この気持ち、感情にウソ偽りはないよ。私は間違いなく、自分で歩いた。一つしかない、細い道だったけどね」

「ララベル……」

「それに、君に対するこの感情も。決して偽りなんかじゃない。それだけは、誰にも違うとは言わせないよ」

 

 ララベルが微笑んだ。

 いつもと同じなのに、なんと言うべきか。本心というべきか、温かみのあるララベル本人の笑顔のように感じた。

 村人の時、ただの少女であったララベルの。

 

「ありがとう、この世界に来てくれて。私はそれだけで、もう救われているよ」

「――」

 

 言葉が出てこない。

 

 ウソを吐いて、彼女を騙して。言い訳しながら自分の保身に走った。

 その場の勢いで彼女を解放して、その後のことなんて考えないで。

 彼女の気持ちも理解しないで、勝手に慌てふためいて。

 置き去りにされても、その場で殺されても文句は言えなかっただろうに。

 それでもなお、俺にありがとうと言ってくれた。

 

「俺、俺こそ……」

 

 嗚咽が止まらない。

 うるんだ瞳から、涙が容赦なく溢れてくる。

 彼女の本心を知って、自分の愚かさを知って、それでも彼女に受け入れられて。

 情けなく、辛く、ありがたく。容赦なく、形容できない感情が俺の中を駆け巡っていた。

 

「……ありがとう」

 

 その言葉だけしか言えなかった。

 薄暗く、窓の隙間からしか陽の光が入らない空間で。

 俺は、彼女を受け入れることが出来た。魔に堕ちる決意ができた。

 多分、世界中が俺とララベルの敵になるのだろう。想像すれば恐ろしいし、何が起きるか予想も出来ない。

 それでも、俺はララベルの隣にいたかった。ララベルのためでもあるけど、今は俺自身が彼女のそばにいたいと思っている。

 

「……一緒にいて、くれるのかい?」

「あぁ、あぁ……! 俺はララベルといる。お前を、一人になんてしない……!」

「あぁ……コウ、嬉しいよ。本当に、本当に嬉しい」

 

 ふわりと全身が温かく包まれる。いつの間にか彼女は立ち上がって、俺の目の前まで近づいていたようだ。

 きっと情けない顔を俺はしているのだろう。でもそんなこと気になんてしないで、ララベルを見た。そして応えるように、彼女を抱きしめる。

 相変わらず冷たい肌だ。でも、それが酷く愛おしい。そして、その中から感じられる仄かな熱も。

 

 この瞬間、俺はようやくこのアニメ世界に、いや異世界に転移したような気がする。とても長くて見栄えの良くない道のりだったけど、ようやく観客から当事者になることが出来たんだと思う。

 決して誰にも邪魔はさせない。彼女が迎えたバッドエンドの、その先を彼女と共に生きていく。

 

「……」

 

 ふと、光を感じて目を開く。夕暮れの温かい光だ。

 その時、窓の隙間から見える光が俺には神々しく見えて。まるで祝ってくれているかのような、そんな気さえした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「……」

 

 ……。

 ……。

 ……。

 

 ……あれ?

 ふと、意識が戻る。戻るくらいに、長い。

 別に嫌だというわけではない。でも、ララベルが俺を抱きしめてから、もう結構立っていると思うのだが。

 

「ララベル……?」

「なぁに、コウ?」

「あの、少し離れないか? とりあえず体を休めて、これからどうするかも話し合わないと」

「あぁそれなら、君の目の前にいるのが一番休まるよ。君以上に安らげる場所はない」

「そ、そりゃ嬉しいけど……」

 

 心なしか、彼女の腕の力が強くなっている気がする。

 最初は少し強いくらいだったが、今は抜け出すことも出来そうにない。

 あとなんか、口調が少し変じゃなかったか?

 

「それに、私は傷つかなかったワケではないんだよ」

「え……」

「私の傷、私の痛み。その全てが作られたモノだったなんて……あぁぁぁ、私は悲しかったよ。うん、本当に」

 

 ……なんか、俺でも分かるくらいに嘘くさい。

 いや真実なのかもしれないけど、なんかララベルの言い方のクセが強い上に仰々しいせいで芝居っぽく感じてしまう。

 こんな悪戯っ子みたいなララベル、初めて見た。どうしよう。さっきまでの感動が潜み始めている。

 

「だから、コウ」

「な、なんだっ――」

 

 グイッと顔を寄せられ、言葉を最後まで言い切れなかった。すごい力だ、後頭部に当てられた手をどけることすら出来ない。

 近すぎる。目の前一杯にララベルの顔があった。なんか、魔物の肉を食べていたことを知った時とは違う恐怖を感じる。

 

「今日はもう陽が落ちる。次の朝まで、一緒にいておくれ。私の前にいて、私を満たしておくれ」

「……」

「傷心の私を慰めてほしいんだよ。君も、私で満ちてはくれないかい?」

「……っす」

 

 自分の今の状況を改めて理解し、顔が熱くなってくる。

 疲れやら興奮やらで意識が擦り切れそうなんですけど。ララベルを見ても微笑むだけで腕の力を緩めてくれない。

 しかし他ならないララベルのお願いだから断ることも出来ず。

 

「……」

「ふふ、コウ。私だけのコウ」

 

 トリップし続けてるようなララベルを目の前に。

 次の夜明けまで、俺はそんなヤバい体勢を維持し続けることとなった。

 

 あ。

 誓って言うが、やましい事は一切していない。ただ抱き寄せられた状態で一夜を過ごしただけだ。

 ただまぁ、ソレがある種の仕置きよりもキツかったワケだけど。

 

 




ご指摘、ご感想があればよろしくお願いいたします。
鬼滅の刃面白いですね……新たな発想が啓きそうです。


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飛ばされた者達、その考え

 

 場所は変わり、王城ハルメイア。その地下。

 変わらず陽の光が届かず、松明の光しかない暗い空間に蠢く何かがあった。

 それは、言ってしまえば影。まるで生きているように質量の無いはずの影が動き、うねりを上げて溢れ出ていた。

 

 影はそのまま溢れ続け、大きくなっていく。

 そして人がスッポリ収まるほどの大きさになると、その中から二人のシスターをペッと吐き出した。

 

「……ここは、城の地下ですか」

「あいたっ」

 

 アステアはしっかりと着地し、問題なくその場に立ち上がる。ジースは尻もちをついてしまい、思わずうめき声をあげてしまっていた。

 アステアは尻を撫でるジースに呆れたような目を向けながら、体のあちこちを見て問題がない事を確認している。

 

「身体に異常はない。本当に転移させただけ、ですか」

「いたた……」

「シスタージース、立てますか? 貴方も体に問題が無いか確認してください」

「は、はい」

 

 慌ててジースは立ち上がると、アリシアと同じように体に何かされていないかを確認する。

 

「……特に、なさそうですね」

「ふむ、ということは本当に帰らされただけみたいですね」

「いかがしますか? 今すぐにでも兵を集めて、あの建物に襲い掛かれば間に合うかもしれません」

「そうですね……大臣たちにも内密にお伝えした上で、聖騎士団からも手練れを集め――」

 

 今後何をしていくかを考えている途中で、ハッとアステアは何かに気づいたかのように口を閉ざした。

 そして苦々しく顔を歪めたのちに、足を止めて瞳を閉じる。長考しているようだった。

 どうしてそのような行動をとったのか、ジースにはよく分からない。彼女は妙に思いながら、その場から動かないアステアに問いかける。

 

「アステア様?」

「……やはりある。いや、だがなぜ?」

 

 ガン無視である。

 ジースが話しかけても、アステアは反応しないで思考し続けていた。口元に手を当て、さらに深く考えているようである。

 やっぱり体に何か仕掛けられていたのか? 

 若干へこみつつジースはそんなことを考えながら、今一度シスター服をもぞもぞと動かして体の調子を再確認する。

 アステアはそんな彼女に気づかず、恐ろしいほどの早口で独り言を延々と続けていた。

 

「だがあの化け物が気づかないとは思えない。それなのに敢えて遠ざける原因は何だ? やはり彼か? いや、それなら別の方法を考える。ソレもせず呪いすら仕掛けないのは……」

「……傷の一つもない。何かを奪われた感覚も、ないです。あとは……」

「いや、考えるべきではない。一方だけを注視することは可能性を曇らせる。ここですべきは……何をしているのです、シスタージース」

 

 アステアはふと思考を止め、自分の隣でシスター服を脱ごうとしていたジースに話しかけた。

 ジースは両手で裾を掴んでいる真っ最中で、今まさに服を勢いよく脱ぎ捨てる直前だったようである。

 

「え、その、お腹とかを直接見て、呪いの類が無いか見ておこうかと……」

「はぁ……よく考えなさいシスタージース。あの局面ですぐに分からないような所に呪いをかける必要がありますか? もし掛けるのなら、いっそその場で殺すほうがよほど効率的です」

「あ、あぁー……なるほど」

「なるほどではありませんよ、まったく……貴方はたまに出るその天然をどうにかなさい。それだから貴族にも勘違いされるのですよ?」

 

 軽く説教を受け、ジースは乾いた笑みを浮かべて服を正す。

 それを最後まで見届けたあと、アステアはシスター服の中から小さな袋を取り出した。手の平にスッポリと収まるほどの大きさである。

 麻布で出来た簡素な小袋だが、何か様子がおかしい。袋の下部が赤く染まり、その中心辺りからこれまた同じ赤色の液体が滴り落ちている。

 いやもっと言えば、その液体は赤い上に黒色まで帯びている。

 

「……血、ですか?」

「えぇ、中には肉が入っています。おそらく魔物のソレでしょう」

「……あの男を、魔物化させるための?」

「十中八九そうでしょうね。しかし、可笑しい点がいくつかあるのです」

 

 アステアは袋を自分の目の前まで寄せ、その上で袋を縛るヒモをプラプラと揺らす。

 じんわりと血がにじんでいく様子を見ていながら、アステアは言葉を続けていった。

 

「まず量が少なすぎるのです。こんな少量を一口食べるだけで魔物化の効果を得られるのなら、彼はとっくの昔に手遅れでした」

「では、他にも肉が……あれ? アステア様、この肉はいつの間に?」

「先ほどララベルと接近した時に。懐に何かあるかもと思っていましたが……これは大正解でしたね」

 

 アステアは無表情のまま袋を見つめ、そのままゆっくりと服の中へとしまった。

 彼女はジースの方へ視線を移すと、ゆっくりと彼女の方へと歩き出す。

 

「あの屋敷へ向かうのは、止めておいたほうが良いでしょう」

「……なぜですか?」

「あの場、やはりララベルにとっての最適解は私たちの殺害でした。コウ様に真実は伝えずとも、私たちは殺したのちにそこらの荒れ地にでも捨てれば良かった」

 

 極論ではあるが、確かにそうかもしれない。ジースはそう考えながら、アステアの考えを聞き続ける。

 

「しかし、彼女はソレをしなかった。私たちを生かすことに利点を感じたのでしょう」

 

 利点。

 その言葉を聞き、ジースは自分の脳をフル回転させて思考する。

 あの場で、ララベルの居所という超ド級の情報を持った自分たちを殺さず、生かして帰す利点。

 呪いの類、そんなモノさえ付与させず。

 

 数秒思案し、考え付いた利点は一つのみであった。

 

「……まさか、抑止として?」

「えぇ、おそらくその可能性が濃いでしょう。手を出すな、代わりに手を出さない。言ってしまえば、不可侵の間柄になりたい、と。そういうことでしょうね」

 

 ジースの考えを聞いて満足そうに笑いながら、ジースの前で止まった。

 抑止として自分たちは生かされた。ソレはなんとなく納得できるジースであったが、逆に疑問も残っている。

 

 抑止として扱いたいのなら、やはり無傷ではなく何か呪いを付与するべきだ。

 何かしらの鎖が無ければ、抑止の意味すらなく何度も侵入を許してしまう。

 いくらコウという存在がいても、そこまで甘いララベルでないことはジースも分かっているつもりだった。

 

「倒したいとすら思われていない、ということですか?」

「そうとも取れますし、あるいは信頼の証拠としてかもしれません」

「信頼……ですか」

 

 先に手を出さないということを証明し、逆に相手にもソレを強制する。

 互いに互いの力を理解しており、そのうえで成せる信頼を利用した抑止。

 

「私とジースしか来なかった所から、私たちしか居場所を知らないことをララベルも分かったのでしょう。だからこそ、彼女はこの手を取った。私たちが情報を広げなければ、彼女に干渉する者も増えないと」

「……そこまでララベルは信じているのですか?」

「えぇ恐らくは。まったく、光栄なことですね」

 

 不快そうに顔を歪めるアステアだったが、すぐに顔を元に戻した。

 

「まぁ、ソレは良いでしょう。それよりもシスタージース。コウ様をちゃんと見ましたか?」

「え? は、はい、確かに。天井から顔は見ましたが……」

「それならば結構。最優先だった目的は果たしています。後は結果を待つとしましょう」

 

 意図を理解できない質問をされたジースは首をかしげるが、アステアは全く気にする様子がない。説明する気も無いようだ。

 彼女は宝石杖を振るってジースに付いてくるよう促すと、彼女は地下の出口へと向かう。

 少々早歩きであることに面食らったジースは、急いで彼女の後を追った。

 

「ど、どちらへ!」

「準備を。と言っても、目立ったことはできませんが……精々が料理の腕を上げるくらいでしょう。あぁ、あと貴方には調べ物を一つしてもらいましょうか」

「は、はぁ……料理ですか?」

「えぇ、おそらく半月ほど彼女らは動きません。そしてその後、おそらく不可侵を彼方から破ってくるでしょう。私の予想が正しければ、コウ様が単身で」

「あの男が……一人でですか!?」

 

 ジースは驚きながら、同時に違和感を感じた。

 アステアの声色。ソレが、ララベルの話をする時と比べて明らかに違う。

 まるで子供のように楽しそうであるのだ。先ほどまでの忌々しそうと言うべきか、憎々しげであった感じから。

 その違和感が、少しだけジースの歩みを遅くしていく。

 

「あぁ、あのお方。コウ様。やはり想像通りの方でした。また早く、早くお会いしたく思います」

「想像通り……どういうことでしょうか?」

「初対面の人間の言葉すら信じてしまう純粋さ。親しかった者さえ疑ってしまう愚鈍さ。その全てが……ふふ、そっくり」

「アステア様……? アステア様、お待ちください!」

 

 早歩きでアステアを追いかけるジース。

 しかしアステアに追いつけず、遂には走って彼女を追う。それでもアステアには追い付けない。

 そんなジースを尻目に、アステアはただただ楽しそうに歩いていた。

 いっそ不気味ささえ感じるような笑みを浮かべて。

 




ご指摘、ご感想がございましたら宜しくお願い致します。


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距離感がバグってる

 受け入れ、受け入れられた日から数日。何の異変もなく俺たちの日々は平和に過ぎていった。

 

 アステアたちが再びこの住処に襲ってくることはなく、俺たちは安穏と暮らしている。

 聖騎士団や国の連中も来ず、コチラを認識しているのかどうかも怪しい。

 そこに不安が無いかと言われればウソになる。ここは王都ハルメイア。いわば敵陣のど真ん中だ。次の瞬間何が起きるか分かったモノではない。

 だが、それ以上にララベルと一緒にいられることが嬉しかった。俺は毎日少しずつ元の世界の事を話し、ララベルからもこの世界の細かい知識を教えてもらっている。とはいっても、ほとんどアニメや資料集で見たことがあるような内容だったけど。

 

 あの日からも変わらず食事を続けている。魔物の肉の入った、ララベルお手製のあのスープだ。

 肉の正体が分かってすぐの頃は多少ウッとしたものだが、今では何も気にせず食べれている。これもひとえに、ララベルが美味しく調理してくれているからだろう。

 違いがあるとすれば、魔物の血の過剰な摂取を防ぐために混ぜていた兵士の肉、つまりは人間の肉が無くなったことくらいか。

 ララベル曰く、俺の中にある魔物の血が定着してきているおかげで、もう人肉で調整する必要はないらしい。

 普通に恐ろしい話ではあるが、もう開き直っているせいか吐き気も何もない。ただひたすらにスープが美味しいです。

 

 違いといえば、俺とララベルの生活にも今までと変化があった。

 大きく分けて二つ。一つ目は俺の鍛錬だ。

 ララベルから貰った剣。この世界で一般的な、鉄製のショートソードを振り回す毎日だ。素振りは基本。

 時たまララベルに稽古してもらっているが、大半は振った剣をサクッとはじかれて終わり。最初はそれだけで筋肉痛待ったなしだったが、今では数回打ち合いが出来るようになっている。

 げに恐ろしきは魔物の血というべきか。たった数日でまさかここまで筋力が上がるとは思わなかった。ゲームのステータスアップなんて目じゃない。数値を確認するまでもなく、自分が頑強になっていくのを感じる。

 さすがに剣術なんて覚えるのは無理があるが、基礎的な体力の向上はそれだけで喜ばしい。

 

 鍛錬に関しては以上。次は二つ目の変化について。

 ていうか、こっちが主な変化である。

 ララベル、いよいよもって様子がおかしくなってきたのだ。主に距離感が。

 

「コウ、私のコウ」

「何でございやしょうや?」

「ふふ、変わった言い方だね。聞いたことがないのに意味が伝わるなんて、不思議な感覚だよ。ソレも前の世界の言い方なのかい?」

「……まぁ、そんな感じだけど」

 

 現在、ララベルとの距離がさらに縮まっている。

 いや距離だけでなく、その時間も飛躍的に上昇している。一息つく間、などという生ぬるいモノは存在しない。

 具体的には、俺の視界の端には常にララベルがいるようになったのだ。

 食事をしていようと、風呂に入っていようと、ベッドで寝ていようと。ふと気づく間もなく彼女が瞳に映るようになっていた。

 俺が彼女を見れば確実に視線が合うし、何をしていても紅眼を輝かせたララベルが目の前にいる。

 比喩だとお思いだろうか。残念だけど、本当に目の前なんです。

 

 この家にはある程度の家具があったので、それなりの家事もすることが出来た。故に俺も多少手伝ったりしている。

 電気の無い環境での家事なんて初めてだし、洗濯機を使わない洗濯はすごくシンドイ。

 だけども守られてばかりではコチラも申し訳が無いので、その一部を手伝わせてもらっている。

 

 んで、その間ララベルが何をしているか。

 最初の頃はベッドや椅子に座って、ニコニコ笑いながらコチラを見ているだけだった。

 視線が合うと楽しそうに笑い、俺も気恥ずかしさと嬉しさが入り混じってついつい笑ってしまっていた。

 

 でも最近は違う。いつの日からか、俺が何をしていてもほぼゼロ距離でコチラを見つめてくる。

 男女の仲は冷めるにつれて掛け算で距離が離れていくと聞いたことがあったが、彼女の場合はそんなモノ存在しないらしい。ゼロに何を掛けてもゼロということか。

 そして暇さえあれば、今現在のように耳元で囁いてくる。唇が触れそうな距離、なんて生易しいモノではない。ガッツリ触れてくるし、なんならねぶりついてくる時もある。

 その都度俺の体が脳から首にかけてドルンドルンと激震する。本当に勘弁してほしい。

 

 そして顔を向ければ延々と微笑み続ける。ちょっと怖い。

 今更な話だと思うけど、表情筋どうなってんの?

 

 逆に、ララベル自身が何かしていても関係ない。というか、彼女が何かしている姿を最近見ていない気がする。

 ララベルが俺とゼロ距離で見つめあっていると、知らないうちに気づけばスープが出来上がっている。洗濯も干されているし、何なら綺麗にたたまれている。生乾きなんてこともない。

 他にも掃除とかしている様子もないのに気づけば部屋は綺麗になっているし、用があると言ってその数分後にはもう済んだと言う。相も変わらず俺を見つめながら。

 

――あの、少し離れない?

――良いじゃないか、私はこうしているのが一番安らぐんだ

――さ、左様で

――それにここはハルメイアだ。私もずっと心細い事は、君なら分かってくれるだろう?

――ぐ……

――ふふ……さぁ、君も私を見ておくれ

 

 こんな感じのやりとりになるから断ることも出来ない。なんかアニメ知識の事をバラしてから、その事すらも利用されている節がある。

 このままじゃ開いてはいけない何かが開いてしまいそうだ。不快かどうかと問われればもちろん不快ではないが、このままでは理性が焼き切れてしまう。

 

 何とかしなくては。そう思って突破口を考え始めてから早3日。ぜぇんぜん良い案が出てこない。

 最早お手上げ。ララベルと一緒にいると言ったワケだし、彼女が喜ぶならまぁええか。我慢できなくなったら鎖か何かで縛って貰おう。

 そんな感じで自己完結しようとしていた時。

 ついに妙案を思いついたのであった。

 

「……あ、そうだ」

「どうしたんだいコウ?」

 

 間髪入れずララベルが聞いてくる。彼女のお顔は今日も視界右端をジャックしている。俺の両肩に手を乗せ、吐息が感じられるほどの距離だ。怖い。

 前まではいつも悲鳴を上げていたが、馴れというのは怖いモノだ。逆に彼女が視界から消えたら不安になってしまうかもしれない。

 

「魔法、教えてくれないか?」

「魔法……かい」

 

 そう、魔法。というか、自衛手段。

 俺が部屋から出られず何も出来ないでいるのは、結局は俺に自分の身を守る手段がないからだ。

 いくら常人より成長が早いといっても、熟練の騎士を相手に戦うのはさすがに厳しい。それならば、簡単でもそれなりに使えそうな魔法を教えてもらうのが手っ取り早いだろう。

 ……どれくらい難しいのかは見当つかないが。資料集だと努力さえすれば身分に関係なく覚えられると書いてあったと思うし、無理な話ではないだろう。

 

 そして対人において一層強くなる。もしくは逃げれるようになれば、ある程度の自由時間が許される……かもしれない。

 それに行動の幅が広がれば、買い物とか他の面でも手伝えるようになると思う。

 

「一応、理由を聞いても良いかな?」

「ほら、剣ばっかりじゃなくて魔法も覚えていたら便利だろ? 囲まれたりしても逃げ道を作りやすいし」

「……ふむ、なるほど。つまり外に、ひいては私からも一定の距離をとりたい。そういうことで良いかな?」

 

 なになになに?

 俺全く違う理由言わなかったか?

 間髪入れず返事してきたし一秒すら考える時間なかったと思うんだけど、一を知って十どころか万くらい知ってない?

 

 と、そんなことを考えていると、ララベルは不意に視線を逸らし暗い表情を見せてきた。

 目元を手で覆い、いかにも悲しんでいるような様子だ。

 ここ数日で分かったことだが、彼女が芝居をするときは俺でも分かるような表情の変化をしてくる。

 

「……私と居続けるのは、苦痛になってしまったのかい? あぁ、とても悲しいなぁ」

「そ、そんなつもりはないって! ただ、時たま自分一人になりたい時もあるんだよ。ララベルだってそんな時くらいあるだ――」

「無いよ。私はいつも君と在る」

 

 はひぇ。反論の余地どころか付け足しや補足すら許さない物言いだ。

 完全に詰んでしまった。

 

 逃げ道なしのお手上げ状態になってしまい、もはや思考すら動こうとしなくなった時。

 ララベルは愉快そうに笑いながら、俺の目の前から離れていった。

 

「魔法を教えるのは大丈夫だよ。今すぐにでも始められる」

「あれ、良いのか?」

「もちろん、他ならない君の頼みだ。それに、少しだけ反省しているんだ。確かに、君にも自由はある程度必要だろう」

「……なんか、気を使わせてゴメン」

「あぁそんな、謝る必要なんてないんだよ。私が君に甘えすぎていたんだ。これからはゆっくり、君との時間を過ごすとしよう」

 

 なんかだいぶ物分かりが良い。

 普段なら離れようとすると頭を両手でガッと掴んで放そうとしないのだが、今回は妙にすんなり受け入れてくれた。だがまぁ、今は気にしないでおこう。

 

 何はともあれ、魔法を教えてもらえるのだ。

 魔法と言えば剣の対、ファンタジーにおけるメインの片割れ。いやむしろ代名詞と言っても過言ではないだろう。頭の片隅では何度もちらついていた存在だ。

 見るだけでなく、もしかして使えるようになるかも。そう期待した時も実はあった。

 正直楽しみでしょうがない。いやホントに、どんな方法で教えてもらえるのか――

 

「……何してるんスか?」

 

 フワッとしていた気分が落ち着き、ふと正気に戻る。

 気付けば俺は床に座ってあぐらをかき、その後ろからララベルが抱きついていた。膝を突き、しな垂れかかる感じで。

 胴体だけではなく、腕から手の先までピッタリだ。当然のように俺の肩に顎を乗せている。

 

「ふふ、君の要求通りさ。魔法の使い方を教えているんだよ」

「いやだから、なんで体を密着させてんの?」

「魔法というのはね、一から魔力を形成して発動するまでの総称なんだ。君の世界で言う、工場を作って物を生産するまでの流れと一緒だよ。言葉でその全てを伝えるのは意外と難しくてね。感覚で覚える部分もあるんだ」

「は、はぁ……」

「だからこうして、体を密着させて魔力の流れを教えているのさ。君の世界にも、体で覚えるという言葉があるだろう?」

 

 そう言って体をさらに寄せてくるララベル。

 なるほど確かに、初歩の初歩なら体で覚えるのが一番なのかもしれない。古今東西あらゆる面でその原理は適用されているようだ。

 しかしなんだ、まったく魔力の流れなんてモノは感じない。というか、冷静に感じようとすることすら出来ない。

 ララベルの熱と呼吸、そして程よい重みが全身に襲ってくる。今までのゼロ距離見つめ合いとはまた違ったヤバさを感じる。

 

 こんなことになるなら魔法教えてもらうなんて……あれ、もしかしてハメられた?

 なんかヤケにあっさりと許してくれたと思ったら、コレのため?

 

「ふふ、コウ。君はいつも心地いいね。このまま溺れてしまいたいよ」

「ま、魔法。魔法はもうい――」

「動いてはダメだよ。せっかく教えているんだから、私を……いや魔力の流れを全身で感じるんだ」

 

 ひ、ひぎぃ。もぞもぞ動いて脱出しようとしたらガッチリ固められた。ていうか単純な力だけじゃない。指先一本も動かせない辺りを見ると何か仕掛けられてるみたいだ。

 あぁオイ、指を絡めるのは止めろ、本当にやめてお願いします。理性が死ぬ。

 いやホント、撤回するから許して……おいコレいつまで続くんだ?

 

 そんなことを考え続け数時間。

 結局ララベルの「食事にしようか」という言葉と共に解放され、気付けば日が暮れていた。つらい。

 




ご指摘、ご感想がありましたら宜しくお願い致します。
気付いたら新年が明け、あっという間に約半月過ぎてしまいました。
相変わらず投稿が遅くて申し訳ないですが、今年もよろしくお願いします(激遅)。


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魔法は無理みたいです

「コウ、私のコウ。よく聞いておくれ。君に言っておきたいことがあるんだ。いや、むしろ言わざるを得ないかな。君がこの世界に来てから、もうかなりの日数が経ったと思う。いや君はほとんど室内にいたのだから実感は湧かないだろうけど、とにかく日が経ったんだよ。その間に気づかなかった私に非がある。本当に申し訳ないと思っているよ。でも直面しないといけないんだ、この現実にね。あぁ、本当に何故気付かなかったのか。もっと早くに気づいて、それとなく伝えておくべきだったんだ。私の怠慢だ、言い訳のしようもない。コウ、私は今から君を酷く傷つけてしまうだろう。本当に、本当にごめんよぉ……」

「お、おごっごごごご……」

「コウ、無視しないでおくれ。拗ねないで、私を見て、聞いていて欲しいんだ。いいかいコウ、君には魔法の才が、いやもっと言えば魔力が欠片も存在しなかったんだ。だから、その……君は魔法を使えないんだ。ごめんよ、コウ。ほら、こうやって薄布の格好で触れても、魔力の流れなんて感じないだろう?」

「わがった……わがったから離れてぐれ……」

 

 ゆっくり、ただひたすらにゆっくりと囁いてくるララベルの声が、俺の全身にゾクゾクと震える何かを伝えてくる。

 自分で言うのもなんだが、もはや虫の息と言っても過言ではないと思う。いやむしろ、息をしたらララベルの甘い匂いがしてくるから呼吸すらロクにできない。

 生物として最低限必要なことすらも制限しないと、今の彼女と向き合うことは難しかった。

 目を閉じて、頭だけでも彼女から離れようと必死に抵抗している。

 

 昨日は夕飯が終わったあとすぐに眠り、また朝から例の密着ムーヴが続いていた。

 前回と同じで指先一本動けない上に、首元にはララベルの顔。そして耳にゼロ距離で囁きかけてくる。吐息と水音が直に聞こえて艶めかしい、とか言ってられる状況ではない。

 

 普段ララベルは冒険者っぽい軽めの皮装備を身に着けている。彼女が封印された時に着ていた装備だ。

 正直言えば、昨日もその格好だったからまだ大丈夫だった。密着しても触覚で感じられるのはほとんど皮の装備なワケだし。

 

「コウ、どうだい? ほんの一端だけでも良いんだ。感じられるモノはあるかい?」

「なんも感じねぇ……! 何にも感じねぇッ……!」

 

 だが現在は白くて薄い布を身に着けているだけだ。布のように薄いのではなく、本当にただの布なのが重要。

 

 見た目だけでも体のラインとかモロ見えで視線に困るんだけど。純粋に寒くないんですか?

 今現在は気温的にそこまで寒くは無いが、それでも裸だと風邪をひくかもしれないというのに。

 ていうか、薄い布のせいで色々意識していなかった所が勝手に自己主張してくるし、今もなんか……なんか当たってるんすよ!

 

 ていうか普段は革装備だから忘れてたけど、ララベルも普通に出る所は出てる子だ。

 元の世界で秘密裏に買ったアニメ雑誌で確認済みである。彼女もアニメ業界に呑まれ、よくある世界観ぶっ壊しの水着姿になっていた。ポスターはお恥ずかしながら丁寧に切り取り、勉強机に隠してある。

 

 そしてそんな彼女のあられもない姿を知っているからこそ、今の彼女は精神衛生上非常によろしくない。

 訂正、特によろしくない。いつもよろしくは無いわ。

 

「聞いてるから……離れて……くれぇ……!」

「そんなに慌ててどうしたんだい? 教えてごらんよ。私に出来ることなら、なぁんでもしてあげるからね……ふぅぅ」

「ぎぃぃ、ぎぃぃぃぃぃィィ……!」

 

 耳に息をするな囁くな!

 本当にどうなっても知らんぞ!

 どれだけ懇願をしても彼女は動かない。ていうかこの子、俺の精神状態分かっててやってないか?

 

 全身にあらん限りの力を込め、振り払おうとしても体は言うことを聞きやしない。力みすぎて首を絞められた小動物のような声が出ている。

 

「ふふ、必死な君もなかなかどうして。そんな姿を見せてくれるなんて、嬉しいよコウ」

 

 わ、笑ってやがる。

 大の男、いやまだ高校生ではあるが。男一人が必死になって拘束を外そうとしているのに、焦るどころか微笑んだままかよ……!

 これが魔法の力なのか。アニメで見たモノとは種類が違うが、実際に体験するとその強力さに驚いてしまう。

 いや、ララベルが群を抜いて恐ろしい力を持っているのだ。さすがは魔王を倒した勇者、出来ればそのお力をこんな青少年一人のために使うのはよして欲しい。

 ていうか普通に腕力もおかしいんだけど。

 

「この……いいか……げんに……!」

「うん?」

 

 しかしそんな彼女相手でも諦めるワケにはいかず、何とか逃げようと力み続けていた。

 いやむしろ、彼女だからこそ誤った道を歩むワケにはいかないと言うべきだろう。

 

 俺はララベルと一緒にいると決意した。確かにした。

 だけどその理由は彼女が好きだからというと、全てがそうではない気もする。

 俺がララベルと一緒にいるのは、彼女を幸せにするためだ。ララベルは俺と一緒にいると安らぐと言ってくれるが、ソレに溺れて欲しいだなんて思ってはいない。

 

 ララベルの今までは不幸そのものだった。

 人として感じるべき楽しさや喜び、悲しみや怒りを経験することはなく。勇者として生きることのみを押し付けられだけの人生だった。

 俺はそんな彼女に、勇者としてではない視点で色んなことを経験してもらいたいと思っている。

 やりたいことを見つけたのなら、ソレを頑張って欲しい。その過程で他の誰かを好きになったのなら、少し寂しいがその人と一緒にいて欲しい。

 ソレが彼女の幸せになるのなら、俺は大手を振って見送る。

 

 そして、その過程で俺がララベルを縛るワケにはいかない。

 自惚れているワケではないけど、彼女は俺以外の救いを知らない状態だ。

 そんな状態のララベルに迫ることは、彼女に俺以外を見ないよう強制することに他ならない。

 言ってしまえば、ララベルに勇者の役割を押し付けた連中と同じである。少なくとも、俺はそう思う。

 

 だからこそ、俺は過ちを犯すワケにはいかない。甘い匂いや柔らかさが全身を襲おうと、鉄の心で逃げねばならない。

 これは俺自身が決めたことだ。

 だから何としても彼女から離れないとッ――

 

「オッ……!?」

「おや、これは驚いた」

 

 少し、ほんの少しだけ指先が動いたような気がした。本当にちょびっとだけだけど。今まで微動だにしなかったからこそ感じられた変化だ。これを逃すわけにはいかない。

 さながら地獄の盗賊に落とされた蜘蛛の糸。幸いにも糸を取り合う輩はいないので、遠慮なく取らざるを得ない。

 

「おッ……ゴッおッ……!?」

 

 次いで手、腕、肩、遂には上半身。感覚で言うと飴細工を砕く感じで、目に見えない極薄の何かがバリバリと砕けていくような感覚がした。

 この時点でやはり魔法的な何かで拘束されていたのは確定なわけだが、それ以前にその拘束を自分が破れたことに驚きである。

 

「とけ……たッ!!」

 

 最後に体全体が解放され、爆竹のごとき勢いで部屋の端まですっ飛んでいく。

 その過程でベッドの毛布をぶんどり、鎧のように全身をくるめてララベルを睨む。 

 今の俺は、きっと路地裏で襲われた少女のような恰好をしているのだろう。みじめったらしいが、そんなことを構っていられる余裕は俺には無かった。

 解放された喜びと羞恥、そしてほんのちょっぴり存在する心残りが俺の顔を熱くさせる。鏡が見れないが、きっとリンゴのように真っ赤なのだろう。

 

「ハァッ……ハァッ……!」

「おや、ここまで成長していたとは。ふふ、さすがはコウだね。嬉しいよ」

 

 汗だくになって息を乱している俺を、ララベルはうっとりとした目で見てきている。

 何ホント、俺を大切だと思ってくれるのは嬉しいけど、ここまでするかね普通!?

 

「ララベル、おま、ホント、止めといて、くれよ……!」

「ふふ、何をそんなに焦っているんだい。君だって、女性の体に興味はあるんだろう?」

「げ、限度があんだよ! そんなこと他の男にしてみろ、一瞬でアウトだからな!?」

「おや、心外だね。こんなことをしてあげるのは、君が相手だからだよ。それに、アウトになっても問題はないさ」

 

 余裕そうな顔をしているのが余計腹立たしい。いっそ一回押し倒して分からせるべきか……いやそんなことしたら最後、もっとヤバい状況になりかねない。

 

「何で言い切れんだよ。現に今だって俺我慢のげんか――」

「一度、路銀が尽きた時があってね。売る物が無いから、身売りでもしようかと思った時があったんだ」

「ッ……!」

 

 一瞬で血の気が引いていく気がした。現実が押し寄せてきたと言うべきか。

 考えつかなかったと言うよりも、考えないようにしていたと言った方が正しい。

 少し考えれば分かることだ。勇者とはいえ、大して支援もされていない一人旅。決して裕福なワケがない。

 途中で資金が尽きることなんて当然あるだろう。そんな時、どうやって金を稼ぐのか。

 手っ取り早く金を稼げる方法はいくつかある。しかし、彼女が言った方法はその中でも一番考えたくない方法だった。

 

「……ごめん、嫌なこと思い出させた」

「ん? 気にする必要なんて無いよ。本当に体を捧げたワケではないからね」

「は、いやでも、ならどうやって金を……?」

 

 俺が聞くとララベルは楽しそうに笑いながら立ち上がり、お腹の辺りを覆っていた布を少しだけ捲って見せる。

 思わず目を隠してしまいそうになったが、その後に見えた光景に目が留まり動けなくなってしまった。

 

「――」

 

 切り傷、刺し傷。火傷に打撲。痛々しい青あざから、ねじ切られたような跡まで。痛々しいなんて通り越した、無残な痕がララベルの体には見えた。

 

「これって……」

「安心しておくれ、痛みは感じないよ」

「そういう問題じゃなくて……そうか、女神の恩恵も弱かった頃。ハルメイアにいた時の……」

「良い答えだよ、まさにその通り。この城にいる時だと、まだ回復能力も上手く使えていなかったからね。その時の傷が残っているんだよ」

 

 平然とした表情でそう言うララベル。

 そんなことは分かっている。分かってはいるんだ。元の世界のアニメ雑誌に付いていた彼女の水着姿でも、その痛々しい傷跡は見えていたし。

 それでも、実際に見ると抑えきれないモノが湧いてくる。

 

「この体を見せると、男は漏れなく逃げてしまってね。その時に落とした財布を失敬したんだ。ふふ、魔に堕ちる前から、化け物だとよく言われたものだよ……失礼な話じゃないか。ねぇ、コウ?」

「……そうだな、許せない話だ。好きで傷だらけになったワケじゃないのに」

「ふふ……私のコウ。君もこの体、気持ちが悪いと思うかい?」

「思うワケないだろ。俺がそう思うと、本気で考えたのか?」

 

 そう言って、俺は自分からララベルの方へと近寄った。最近じゃ滅多になかったことだが、今は俺から近づかないと。

 身をかがめて膝立ちになって、彼女が見せてくれた傷をまじまじと見つめる。

 全部ではないが、目立つ傷はほとんど知っている。

 

「……右わき腹の傷は、最初にララベルが斬られた場所だ」

「ふふ、正解だよ」

「ヘソから少し離れた箇所にあるのは、傲慢ちきな槍兵に貫かれた箇所」

「ソレも正解。なるほど、よく私の世界を見てくれていたようだね」

 

 当たり前だ、何回見たと思っている。ララベルが泣きじゃくりながら攻撃を受け続け、何度心が折れても剣を放さなかった姿を。

 お前の痛み、悲しみ、憂い。残念ながら、当時に戻って分かち合うことはできない。

 それでも、そんな今の彼女を作り上げた傷を、醜いとか怖いだなんて思う気持ちは微塵もなかった。

 

「あと、確か左肩。魔法の火の玉を受けた傷があったよな?」

「おや、見せていない所まで。本当によく知っているんだね、嬉しいよ」

「全部全部、今のララベルを作り上げた結晶だ。嫌な気持ちになるワケないだろうが」

「っ……」

 

 ほんの少し、ララベルは言葉を詰まらせた。

 心底驚いたのだろうか。心外だ、ただ本心を言っただけなのに。

 

「ふ、ふふっ……!」

「お、おい。真剣に言ったのに笑うなよ……」

 

 いきなり笑い出したララベルを見て、急に恥ずかしくなった。

 全く意識していなかったが、だいぶクサイ事を言ってしまったかもしれない。

 

「ふふふ……あぁ、すまない。つい可笑しくってね。少しは拒絶されても仕方ないと思っていたのに、ここまでまっすぐ肯定してくれるとは。むしろ嫌われても可笑しくないと、覚悟していたのだけどね」

「いや、だから当たり前だろ。そんなことで嫌うやつがあるかよ」

「あぁ、そうだろうね。そうだとも、そうだからこそのコウだよ。本当に……ありがとう、嬉しいよ」

 

 そう言って、ララベルはニコリと笑った。

 いつもの微笑みとは違う。純朴そうで優しい笑みだ。

 

「ッ!?」

 

 覚えがある。

 ララベルが故郷の村で見せていた笑顔だ。感情の読めない微笑みではなく、本当に楽しそうな。そんな笑顔だった。

 村人に呼ばれ、振り向きながら笑うララベルを幻視する。角が無く髪も金色のまま、肌も年相応の少女らしい色の。

 子供たちや羊と戯れ、お店の手伝いをしながら、毎日を平凡に楽しんでいるララベル。

 いきなり女神の神託を得て、地獄を見ることになる直前の姿だった。

 

 ドキリと心臓が高鳴った気がした。

 別に今までが違ったワケじゃない。しかし、しかしだ。

 今のララベルが見せてくれた笑顔は本当に明るくて、綺麗で、優しくて、可愛くて。

 そして何処までも、残酷に見えた。

 

「どうしたんだい、コウ?」

「……」

 

 ふと我に返る。目の前には、いつもの微笑みを浮かべるララベルがいた。

 

「……いや、何でもない」

 

 目の前の女の子は、もう以前の彼女には戻れない。

 魔の底へ堕ちたら最後、二度と這い上がることは許されない。

 

「ごめん、やっぱり魔力は全然感じなかった」

「……そうかい。こればかりは、本当にどうしようもないね」

 

 だが、そんなことは関係なかった。

 戻れないのなら、今から導けばいい。彼女が幸せになれる道へ。

 俺は恐らく、そのためにこの世界へ飛ばされたのだから。

 

「でも、魔法に似たようなことなら今後できるかもしれないね」

「似たような? それってどういう……あぁ、魔物の力か?」

 

 ララベルの言葉を聞いて、自分の記憶を引き出す。

 数日前にアステアを飛ばしたように、ララベルは血を取り入れた魔物の力を使うことが出来る。もしかしたら、俺もその力が使えるようになるのかもしれない。

 

「その通り。でも、ソレを教えるのはまた明日にしよう。今までより効率も良くなるだろうからね」

「え、そうなのか?」

「うん、これからは裸でも大丈夫ということが分かったから」

「え゛」

 

 やっべ墓穴掘った。

 




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在るべきモノは敵陣に

 結果だけ言えば、ララベルが裸になって迫り来ることは無かった。ていうか、阻止した。

 いやこればっかりは本当に防げてよかった。あぁもう、ホントつれぇ。

 

 

 

 いつもと同じように眠った後、目覚めるとララベルの顔は視界の何処にもなかった。

 あら珍しい。そんなことをのんきに考えながら、ララベルが言っていたことを思い出し、嫌な予感がして彼女を探す。

 

「ヌッ……!?」

 

 途端、背筋を走ったのは極度の悪寒。

 第六感というべきなのか。警鐘のように伝ってきたソレは、迅速に俺を行動へと移させた。

 横を向き、机がある方を見る。そして目の前にいたのは、今まさに服を脱ごうとするララベルであった。

 彼女の足元にはいつも着ている革装備が無造作に置かれており、薄い布服しか着ていない。

 

「おや、いつもより少しだけ早いね。ふふ、もう我慢できないのかな? 私も同じ気持ちだ――」

「良いから服を着てくれ。本当に頼む」

 

 ベッドから飛び降り、猛ダッシュ。

 自分でもビックリするほどの速度でララベルのもとへ駆け寄り、彼女が掴んでいた服の裾を握って定位置へ戻していく。

 

「おや、今日は積極的じゃないか。嬉しいよコウ」

「冗談じゃ、ないッスからッ……!」

 

 勿論ララベルは俺に抵抗していた。いつもの笑顔でとんでもないパワーを出しやがる。

 完全な拮抗、いや少し負けている。徐々に服は捲られていき、少しも経たないうちに彼女の可愛らしいヘソが顔を出していた。

 そんな様子にドギマギしながら抵抗し続け数分。先に折れたのはララベルだった。いやむしろ折れてくれたのか。

 

「……仕方ない。食事にしようか」

 

 気付けばいつものようにスープが机の上に置かれており、俺はソレを美味しくいただいた。いつものように美味しそうである。

 願わくば汗だくの状態で食べたくなかったが、もう良しとしよう。

 いやぁ、何も変わらない日常で本当によかったわ。

 

 そんなこんなでいつものスープ(魔)を美味しくおいしくいただき、着実に自分が人外に染まっていくのを実感する。そんな日常。

 正直落ち着くというか、なんかかんや楽しんでいるのかもしれない。

 ララベルはほっとくとコッチを延々と見つめてくるし、下手すれば脱いだりするようになったけど。

 それでも、彼女との毎日は楽しかったと思う。いやまぁ、惰性と言われれば否定できない部分もあるけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、そんな変化があるような無いような微妙な時間はそうそうと続きはしなかった。ある日突然、事態は急速に変化する。

 

 きっかけは、椅子にドサリと座り込む音。

 いつも通り素振りをしていた時だ。

 

 一体何事かと思い手を止めて音の方向を見ると、そこには力なく座り込むララベルの姿があった。そういえば、今日は昼ご飯を食べてから彼女の顔が視界に入っていなかった。

 当たり前なんだけど、妙に違和感があったのを覚えている。

 

「……やられた」

 

 額に手を当て、悔しそうに顔を歪ませたララベルはそう独り言を呟く。

 アステアと対峙していた時さえそんな表情をしていなかったのに、一体どうしたというのだろうか?

 やられた、という一言ではどうにも予想がしにくい。だが彼女がこれほど狼狽えるのはただ事ではないのだろう。

 このまま突っ立っているワケにもいかず、俺は焦りの正体を知るべく彼女に話しかけた。

 

「どうしたんだ、いきなり?」

「気付かなかった……いつ……いやタイミングはあの時だ。なんで、どうしてすぐに気付かなかった……浮かれてしまって……いたのか……」

「お、おい。ララベル、どうしたんだって」

「ッ……コウ……」

 

 再度声を掛けると、ララベルはピクリと反応して俺の方を見た。

 いつもの余裕そうな微笑みは無く、少しだけ眉間にしわを寄せている。

 正直それだけで驚愕だった。焦る表情どころか、微笑んでいる彼女しかろくに見たことが無かったからだ。

 

「そんな顔するなんて、お前らしくもない。いったいどうしたってんだ?」

「……コウ、あぁコウ。すまない、私のせいで、君の覚悟を無駄にしてしまうかもしれないんだ」

 

 ララベルの声は震えており、かなり動揺しているようだ。

 いつもの彼女らしさがまるでない。言ってしまえば、俺と初めて出会った時のような不安定さを感じる。

 本当に何かよからぬことが起きてしまっているらしい。

 しかし俺の覚悟が無駄って、どういうことだ?

 

「……頼む、教えてくれ。一体何があったんだ?」

 

 そう言って座り込むララベルの肩を持ち、まっすぐ彼女を見つめた。

 ララベルは恐る恐ると言った様子でコチラの方を見ると、迷っているかのように何度も視線を逸らす。

 しかし数回して意を決したのか、鉄よりも堅そうだったその口を開いた。

 

「……足りないんだ、魔物の肉が」

「肉? 分量をミスってたってことか?」

「いいや、君に対してそんな過ちはしないよ。奪われたんだ、アステアに」

 

 ……あぁ、マジかよ。いや、悲観するな。

 何が起きてしまったのか冷静に考えよう。

 

 ララベルの言う魔物の肉というのは、間違いなく俺が食べる予定だった肉だ。

 ソレが今、ララベルの手元には無い。

 そしてアステアがソレを持っている。奪われたタイミングは、恐らくララベルが奴に迫った時。

 気を取られた瞬間、懐にでも手を入れられたということか。

 

「ソレを食べないと、俺は人間に戻っちまうのか?」

「いいや、それどころじゃないよ。人間と魔物は完全に相反する。一度は受け入れても、二度目は出来るかどうか……私の作る種も、次は意味を成さないだろう」

「今から別の肉を調達するのは?」

「……無理だろう。ここら一帯の弱い魔物では、時間稼ぎにもならないよ。次の夜明けまでには最後の一口を食べないと、君は私と同じではなくなる」

 

 既に半ば諦めたような様子で首をゆっくりと横に振り、現実を認めたくないように瞳を閉じた。

 ふと窓の方を見る。日はまだ明るいが、既に昼食を取ってからかなりの時間が経っていた。日の光が赤くなり、次第に消えていくのは時間の問題だろう。

 

「アステアは、聖教会か?」

「恐らくは、そうだろうね。でも、確信が無い。もしかしたら、聖教会から通じている王城の地下かも……」

 

 ララベルの情報には覚えがあった。確か資料集の王城に関する項目に、そんな説明があったと思う。

 聖教会の奥には、誰とも知らぬ地下路がある。その先には、罪人と断罪者のみが歩く冷たい祭壇があるのだとか。

 それ以上の説明は無かったのだが、女神を祀る聖教会の儀式場みたいなのがあるのだろう。

 

「……」

 

 だが、そっちの可能性は低いように感じた。

 自分の脳にある知識をフルに活用させ、アステアという人物を考える。

 

 アステアは用心深い。

 普段はそんな本性が信じられないくらい穏やかな振る舞いをしているが、実際は狡猾で知略に長けている。

 残忍な上、冷酷で間違いはない女だ。

 そんな彼女が、権力が分けられている王城に重要な代物を隠すだろうか?

 考えにくい、奴ならきっと自分の目が届く位置に置いておく。

 

「……いや、在るとしたら多分アステアの手元だ」

「なぜ、そう言い切れるんだい?」

「アニメの知識だけど、王城の権力は聖教会と聖騎士団が分割しているんだ。つまり王城は、聖教会の完全な支配下じゃない。それにアステアは、聖教会以外の人間を信用しない……男の多い聖騎士団が相手なら尚更だ」

 

 もしかしたら、ララベルから奪った魔物の肉も。

 

「……うん、その通りだ。なら、聖教会に……早く行かないと……ね……」

 

 そう言って椅子から立ち上がろうとするララベルの動きは、酷く鈍い。もとよりゆったりと動く彼女であったが、今はどうにも毛色が違う。

 立ち上がろうにも、上手く動けない様だった。

 

「……どうしたんだ?」

「ん……ふふ、なんでもないよ……」

「嘘つけ、それくらい俺にも分かる」

「気を使って……くれるのかい? 本当に、嬉しいよ……」

「当たり前だろ、大体さっきから様子がおかしいぞ? まるで怯え――」

 

 そこまで言って、ようやく理解して口を閉ざす。いやむしろ、なぜ今まで理解できなかったのか。

 いつものように微笑むその顔が、酷く引きつっているように見える。さらにその手は、顔以上に分かりやすかった。

 彼女に押し寄せているであろう恐怖が、震えに変えている。

 

 考えてもみれば当然のことだ。

 年端も行かない少女が散々痛めつけられた場所。その一端。

 トラウマを抱えていない筈が無い。アニメを見ている人間からすればただの悲「劇」でしかないが、本人からすれば心を深く抉る現実だ。

 願わくば、二度と足を向けたくなかっただろう。

 

 いやもっと言えば、このハルメイアだって。

 俺のことを考えて、苦肉の思いでこの場を選んでくれたんだ。

 アステアと会った時だって、奴の眼前にまで迫って俺を守ってくれた。

 本当なら、誰とも会わず世界の端で隠れていたかったのだろうに。

 

「は、はは……やはり、いざとなるとこうなるか。本当に、自分が情けない」

 

 ララベルはそう言いながら、力なく笑って自分の手を抑える。必死に震えを隠しているようだが、そんなものでは隠せない程に震えは大きくなっていた。

 

「コウ、君は優しいから。いつも甘えるだけなのは、嫌だと思っていただろう。でも、違うんだ。甘えているのは私なんだよ。君がいるから、こうやって平然としていられる。優しい日々に浸かっていたのは、私の方だ」

「……ララベル」

「あぁ、でも。消えないんだ。目が、視線が。私を化け物のように、何度も何度も。あの城を見るだけで、碌に思考も出来なくなってしまう」

 

 ララベルは見えるほどに顔を暗くし、両手で頭を抱える。

 なぜ何かと理由を付けて、あんなにも俺に寄り添っていたのか。なぜ察することもできなかったのか。

 

 思えば当然のことであった。というより、彼女は常日頃言っていたではないか。

 自分を散々痛めつけた連中の住処に、今も俺たちはいる。その恐怖、そして不安を。

 俺を相手に押し殺していたのだろう。そして冗談交じりの様に見せかけて、その実俺以上にララベルは恐怖していたのだろう。

 

「ララベル……」

「あぁ、そんな顔をしないでおくれ。本当に、なんでもないんだよ。君は私と共にいると言ってくれた。その思い、決して無駄にはしないさ。だからこそ――」

「それ以上言わないでくれ」

 

 ララベルの言葉を遮り、俺は彼女の前に立った。

 肩を優しく押すと、その身は抵抗なくゆっくりと椅子に戻る。

 

「……俺が行く」

「っ……何を、言っているんだい。駄目だよ、聖教会は君が思うほどに優しくはない。必ず君を捕まえる。アステアのもとへ辿り着くことすらも――」

「大丈夫だ。道は知っている」

 

 ハルメイアの聖教会への道は大通りをまっすぐ進んだ先、王城に辿り着く前で何度か曲がった先に存在する。

 大きな女神の像が飾られているから、見れば一発で分かるだろう。

 信徒の祈りに限りは無い。朝、昼、夜。絶え間なく祈りを捧げ、不躾な願いの成就を請う。

 

 だからこそ、俺も信徒に扮して聖教会へ入ることは容易だ。

 入った後だが、それも問題ない。アニメや資料集を通して、アステアの部屋がどこにあるかよく分かっている。

 見つかりさえしなければ、簡単に潜り込めるだろう。

 そして魔物の肉を見つけたら、その場で食ってしまえばいい。

 

「でも、でも駄目だ。危険すぎる。君は知らないんだ、アレらは知識がある程度でどうにかなる相手ではないよ」

「……あぁ、分かってる。アイツらの本性も、ララベルへの理不尽な恨みも」

「だったら、君は行ってはならない。大丈夫だ、魔に堕ちなくったって、君さえいれば私は――」

「ララベル、大丈夫だ。俺がなんとかするから」

 

 ララベルの言葉を遮り、近くに置いていた剣を持つ。

 鞘におさめて腰に付け、一緒に彼女がくれた装備を身に着けた。 

 向かうべきは、聖教会。

 

「行くなら、日が暮れてからの方が良いか。制限時間は短くなるけど、可能性は高い方が良い」

「……コウ、ダメだ」

「ララベル、俺は――」

「行くことが、じゃない。時間だよ。もし行くのなら、今からがいい。紛れるのなら、今しかない」

 

 ……今? なぜ今なんだ?

 考えながら窓の隙間を見る。

 差し込んでくる光が、赤く優しい色になりつつある。もう夕方が近いのだろう。

 夕方、夕方……。

 

「……ララベル、この建物って広場から近いのか?」

「その通り、ここを出て狭い路地を走ればすぐだよ。加えて言うと、今日は火の曜日だ」

 

 ララベルの言葉を聞いて、ようやく彼女が言っている意味を理解した。

 夕日が差し込む赤い広場、女神の敵を誅する瞬間。

 今の聖教会、聖騎士団を象徴する公開処刑。

 

「聖罰か……!」

 

 そう、女神に対する罪人を裁く聖罰が行われる時間だった。

 

 




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静かなる聖罰

「……コウ」

「大丈夫だ、必ずここに戻ってくるから」

 

 ララベルの不安そうな目をあえて見ず、そのまま出口の方へ向かう。

 あんな顔のララベルを見ていると、彼女から離れてしまうことを躊躇ってしまいそうになっていた。

 部屋を出れば全てが敵だと言っても過言ではない状況になる。逃げ道は無い。

 だけど、ララベルのためにも俺が行かないと。

 

「たとえ人のままででも、君がここにいてくれさえすれば……」

「そんなこと言わないでくれ。俺が、お前のためにやりたいんだよ」

「……分かったよ。ならせめて、これを着ていくんだ。この世界で、その黒髪は悪目立ちするから」

 

 ララベルは目を閉じ、少し考えた後にゆっくりと立ち上がった。

 彼女はそのまま棚の方へ歩いていくと、その中から古ぼけた黒色のマントを渡してくる。

 古ぼけてはいるが、汚れてはいない。きっと有事のために手入れをしてくれていたのだろう。

 

「ありがとう、ララベル」

「……それと」

「ん? なん――」

 

 グイッと引き寄せられる。勢いが良すぎて一瞬意識が飛びそうになった。

 そのままララベルに抱き着かれ、顔を胸元に埋められている。少しだけ、まだ震えていた。

 

「……」

「……落ち着いたか?」

「……うん、もう大丈夫だよ」

 

 ララベルはゆっくりと名残惜しそうに俺を離し、後ろへと下がった。

 今にも泣きそうなのを必死にこらえて、強引に笑顔を作って俺を見送ろうとしてくれている。

 

 罪悪感が無いワケではないし、恐怖だってある。今から行くところがどれだけ恐ろしいのか、十二分に理解しているつもりだ。

 女神の世界、その正義を執行する聖教会。その警備は恐ろしく堅い。

 少しでも怪しまれればアウトだし、下手をしたら俺自身が聖罰待ったなしだろう。

 でも俺が何とかしないと。ララベルを聖教会へ近づけるワケにはいかない。

 

「じゃあ、行って来るから」

「……うん。必ず、必ず帰ってきておくれ」

 

 ララベルの言葉を聞いて笑みを浮かべる。

 ニッと笑いながら、意を決して住処を出た。

 

「……」

 

 音を立てずに扉を閉め、少しだけ辺りを見渡す。アニメで見た通り、よくある中世ヨーロッパ風な街並みだ。

 狭い裏路地。太陽の光は届かず、少しだけジメジメとしている。

 ララベルが言っていた通りに聖罰が行われる直前だからか、人の気配も全く感じない。

 

 確か昔の日本みたいな国は存在するはずだが、あまり交流は無い筈だ。俺のような日本人顔の黒髪がいたら、下手すればそれだけで異端扱いされかねん。

 そう思い、マントに付いていたフードを深くかぶる。

 

「……ララベルから借りといてよかったな」

 

 これのおかげで、それとなく動くことが出来るだろう。素顔のまま動くよりは何倍もマシであった。

 顔を見せずに済むのはありがたいし、ただの旅人だと勘違いしてくれたらより嬉しい。

 

 心の中でララベルに感謝しながら、彼女の言っていた道を進む。

 目の前にある路地をそのまま突っ切って、開けた場所が広場だ。その先には堀があるから、中央の橋を渡らないと聖教会へは進めない。

 あくまで一般人らしく。普通に橋を渡っていけば問題は無い筈だ。

 

「……よしッ!」

 

 バチンと頬を叩き、目を見開いて歩き出す。

 ここから先、ララベルの力は頼れない。俺自身で何とかして、目的のブツを手にしないといけないのだから。

 

 そんなことを考えながら走り続け、数分もしないであろう後に強い光が見えた。

 出口が近いらしい。大通りは、そして広場はもう目の前にあった。

 

「アッチが広場。出たらそのまま進んで、左側に沿って行けばアレがある……!」

 

 よし、ここからが本番だ。とにかく聖教会へ行って、中に侵入しない、と――

 

「――」

 

 思わず息を飲んでしまう。ほんの少し、呆けてしまっていた。

 見慣れぬ道、建物、人。人は薄い布地の服を着ている人から、頑丈そうな鎧を着ている人もいる。パッと見で魔法使いだと分かる見た目の人もいた。

 

 そして剣や盾、それに杖。それぞれ色んな武器を持っている。

 ファンタジー、そして異世界。改めて感じるその二つの言葉が、俺の中で一気に駆け巡っていた。

 

「ッ……あれか」

 

 そして、見たくなかったものも見えた。

 大きな女神の像。ソレを背後に、純白の鎧や兜を身に着けた聖騎士団が大勢いる。そして、修道服を着た聖教会の連中も。アステアは……いない。

 そのうちの数人が、みすぼらしい恰好をした人間を縛るロープを握っていた。おそらく、アレが今回の罪人なのだろう。

 

「……」

 

 罪人は男性が一人に女性が一人。

 悪い人間には見えないが、一体何が罪となったのだろうか。もはや知る由もない。

 

「……聖罰を、執り行う」

 

 そう言った聖騎士の声は、凍てつくほどに冷たい。

 叫んでいるわけでもないのに、その声は広場全体に隅まで行き届いていた。

 その声が聞こえると同時に、広場にいた国民は祈りの姿勢をとる。

 両手を眼前で合わせて指を交差し、膝を突いて頭を下げる。よくある祈りのポーズだ。

 

 もちろん、そうでない人もいる。冒険者らしい連中が最たる例だ。だが刑の様子は直視せず、ソレを認識しないようにしている。

 

「……」

 

 静かだ。

 大勢いるというのに、誰一人声を出しはしない。

 

「……」 

「……」

 

 沈黙のまま、罪人とされる二人は静かに首を垂れた。騒ぐ気力すらないといった表情である。

 罪人も、執行者も、聖騎士も、修道士も、シスターも。観客ですら、何一つ言葉を発しない。

 

 聖罰。

 神に捧げる罪人の浄化。

 罪人が女神を前に、騒ぐことは許されない。

 罪人から漏れる言葉の一つでさえ罪。故に命乞いも許さず、ただ沈黙のまま粛々と罰を待つべし。

 

 それがこの世界における、聖罰という名の死刑に対する姿勢だ。

 前の世界にて、他の漫画やアニメでも処刑の場面を見たことはあった。ほとんどの場合は刑の執行時、観衆がひそひそと話をしていたと思う。刑の不当を叫ぶ者だっていた。

 その刑が不当なものであったら尚更だ。

 

 だが、この場で騒ぐ者はいなかった。

 聖罰に異を唱えることは、女神に対して異を唱えること。そんなことをすれば自分もタダでは済まない。故に誰一人として声を上げなかった。

 聖騎士団も聖教会も、奴らは異端者を決して見逃さない。アニメでも、巻き込まれた人間が無慈悲に処される場面があった。

 

「……」

 

 もし、もし彼女たちが無実だったら?

 もしかしたら、聖教会や聖騎士団の不都合によって捕まってしまったのかもしれない。

 胸糞悪い話ではあるが、ありえない話ではなかった。特に聖騎士団は刑の執行側であり、一切の容赦もない。

 女神からの啓示はもちろんのこと、少しでも動機があればすぐに聖罰へと移すとんでもない連中だ。絶対に接触してはいけない。

 

 今まさに斧を振り下ろそうとする執行者に、動かない罪人。

 位置からして、最初に殺されるのは男性の方だろう。男は何処を見る様子もなく、何かを考えている様子でもなく。

 ただただ、粛々とその刃を首へと受け入れた。

 

 肉の切れる音。首の落ちる音。そして、置き去りにされた胴体が倒れる音。それらの音だけが、この場を支配していた。

 異様、ただこの一言に尽きる。聖罰も、ソレを是としているこの場の全員も。

 誰一人、女神の統率を不服とすら思っていない様子だった。ソレが在って当然とでも言うかのように。

 

「……次の者」

 

 執行者は許されている最低限の言葉の後、躊躇う様子もなく次の罪人の前に立つ。

 そう言われて女は少しだけ体を震わせたが、すぐに首を前に出した。

 

 沈黙しながら今の状況を考える。

 現在、この広場には大勢の聖教徒や聖騎士がいる。つまり、弊害となり得る多くの人間がここにいるワケだ。

 広場を直接通れば悪目立ちしてしまうが、こっそり建物の裏から進めば通常時より侵入が簡単だろう。

 ララベルの言った通り、夜よりも今の方が断然忍び込みやすい。

 

 行くなら、今しかないだろう。

 そんなことを思いながらこの場を離れようとしたが、叶わなかった。体が硬直してしまったのだ。

 

「ッ!?」

 

 まるで時間が止まったかのような、そんな感覚を覚える。暖かさも冷たさも感じず、体でさえ自由に動いてくれない。

 なぜそんなことになったのか。至極簡単な答え。

 目が合ったからだった。

 

「……ぁ」

 

 死を待つ人形に成り果てている筈の女が、何を思ったのか少しだけ首を上げて俺と目を合わせている。

 ソレだけのことで、何かが起きたワケではない。

 

 時間も僅か。

 朧げで、暗く澱んだ眼。何も希望を抱いておらず、ただただ己の終わりを待つのみの瞳。

 だが、確かに目が合った。そしてそんな彼女の目が、出会ってすぐのララベルを幻視させたのだ。

 

「……たす、けて」

 

 ほんの少し、ほんの少しだけ彼女は声を漏らした。

 死の間際、最後の力で救いを求めたのだろう。その目に、微かな光が映っていたように見えた。

 

 しかし、声を上げたと同時に首が切断される。

 ララベルの顔が、頭が。俺の目の前で切り落とされ、ごとりと落ちていく。

 呆気にとられ、その場で立ち尽くしてしまった。動悸が激しくなり、視界が大きく揺らぐ。

 吐き気がする程鮮明で、眩暈がする程恐ろしい。

 

 そしてその恐れが、俺の行動を遅らせた。

 

「ッ!?」

 

 我に返り、前の世界の知識を思い出す。

 聖罰においては、いかなる騒音も許されない。

 罪人は声を漏らさないように「下準備」がされ、観衆も声を上げないのが常識だ。

 故に罪人は声を漏らさない。しかし、例外は必ず存在する。

 

 もし刑の途中で罪人が声を上げた場合どうなるか?

 罪人の末路は変わらない。今見たように、即処刑される。

 精々が順番の変更くらいだ。

 

 

 

 そしてここからが肝心。

 漏らすべきでない罪人の声に、標的がいた場合どうなるか。

 今のように、明確な誰かに助けを求める声だった場合どうなるか。

 

 

 

「……」

 

 処刑人は彼女が見ていた先を確認し、ゆっくりと顔をこちらに向けてくる。

 次いで、俺の近くにいた観衆たちが一気に離れていった。反応が遅れた俺だけ、ぽつんとその場に突っ立っている。

 

「……」

「……」

「……」

 

 次いで、近くにいた聖騎士たちも。

 彼らはフルフェイスの頑丈そうな白兜をかぶっており、その表情は読み取れない。

 だが、読み取れないからこその恐怖が、俺の背筋を十二分に凍らせた。

 

 しまった。

 後悔する余裕もなく、聖騎士たちは続々と俺の眼前にまで迫ってくる。

 観衆は声を上げず、人間でないモノを見る目でコチラを睨みつけていた。既に奴らの中で、俺は異端者になっているのか。

 

「ち……くそっ……!!」

 

 逃げなければ。

 そう思い、即行動に移す。気づけば、体も自由が利くようになっている。

 ここで捕まるワケにはいかない。すぐさま踵を返し、裏路地へと走りだした。

 自覚している以上のスピードで走ることが出来る。鍛えた覚えは無いが、脚力もそれなりに成長しているようだ。

 

 だが、それ以上のスピードで聖騎士団の連中が追ってくる。

 裏路地に入り、一心不乱に曲がりながら走るが、それでもガシャガシャと鎧の音は確実に近くなってくる。

 

「はぁっ! はぁっ! くっ……」

 

 次第に息が上がってくる。

 民衆が取り押さえに来ないのが幸いだが、それでもこのままではジリ貧だ。

 

 このままでは確実に殺される。しかし逃げ続けることも難しい。

 

「……くそっ!」

 

 侵入できそうな建物の入り口や窓を探す。

 だが住人たちは聖騎士に追われている俺を見るや否や恐ろしい勢いで扉を閉め、俺が入ることを一切許しはしない。窓もしかり、侵入できる場所など存在しなかった。

 当然か。聖騎士に追われている人間なんざかくまったら、今度は自分たちまで標的になりかねない。

 

「……」

 

 立ち止まり、腰にある剣を睨みつける。このままでは逃げ続けても意味は無い。聖教会への道も遠くなる。

 

 幸い、俺を追って来ていた連中は一般的な鎧を着ていた。まだそれほど強くない筈。

 不意を突けば、何とかなるかもしれない。それに倒せなくても、逃げる時間さえ稼げれば良い。

 相手は俺の背後、剣もマントで隠れている。やるなら今しかない。

 

「……やってやる」

 

 足音が近づいて来た。

 気取られないように、ゆっくり。

 少しずつマントの中で剣に手を伸ばし、そのまま一気に引き抜いて――

 

 

 

「そんな物騒なモノ、仕舞っておいた方が良いよ」

 

 

 

 不意に、耳元から声を掛けられた。

 

「――ッ!!?」

 

 声。俺と同じ年か、少し上くらいの男の。

 背後、吐息を感じられるほどの近距離。

 まだ少し距離があったはずなのに、どうしてこんな近くまで!?

 いや、そんなこと今考えている場合じゃないッ!!

 

「ハァッ!!」

 

 反射的に剣を引き抜こうとした。

 声から感じられたのは、背筋が凍るほど冷たい威圧感。

 一切の迷いなく、俺の中の何かが背後の存在を殺せと叫んでいる。

 

「ダメだよ、危ないじゃあないか」

 

 しかし、剣は想像通りに抜くことが出来なかった。

 不発。剣の柄頭を掴まれ、初動を封じられてしまう。

 なら距離を取れ。掴まれた勢いを逆回転に回し、全身全霊を込めて肘鉄を叩きこむ。

 魔物の血で俺の体はかなり強化されている筈だ。鎧相手でも多少は響いて――

 

「ハハ……発想は悪くないけど。実戦、練習不足かなぁ」

「なっ!?」

 

 止められた、指一本で。

 一瞬でも気を逸らせればと考えていたが、意味を成していない。

だが、そんなことで止まってたまるか。

 

 驚く暇なんてない。今すべきことを全力で考えろ。

 まず相手の手を払って後ろへ飛び、すぐに回れ右してまた全力逃走が一番だ。

 いっそこのまま聖教会へ。下手に警備を強化される前に、到着した方が良い。

 

 そう思って下がろうとした瞬間、息が止まった。

 

「なんで、ここにッ……!?」

 

 目に映った男の顔。見覚えがある。ありすぎた。

 煌びやかな白色の鎧。聖騎士団の中でも、限られた人間が装着を許される聖鎧。

 一切の濁りがない女神から与えられた聖剣。

 綺麗な金色の髪をなびかせた、碧眼の男。

 

「聖騎士、団長ッ……!?」

「こんにちは、異端者君。今日は素敵な天気だから、紅茶なんていかがかな? 見晴らしの良い席を、用意しているよ」

 

 聖騎士団長、ベルクター。

 アニメにてララベルを痛めつけていた連中の一人。

 そんな絶対に会ってはいけない人間が、目の前で楽しそうに笑っていた。

 




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助かったけど助かってない

 

 ニコリと笑うベルクターからは、温かみといったモノを一切感じられない。

 むしろ真逆、姿勢を正し粛清を待てと言わんばかりの威圧感。同じように笑ったらぶっ殺すぞみたいな、独裁に近い傲慢ささえ感じられる。

 

「さて、冗談は良いとして……君は何者だい?」

「……」

「身なりは冒険者のようだけど、汚れが全くない。履いている靴さえ泥一つ付いていないね。駆け出し……にしては装備の質が良すぎる。この都の住人なら、君くらい珍しい顔は忘れない筈だけど、ソレも記憶にない」

 

 ベルクターはふむふむと顎に手を当て、品定めするように俺を見続ける。

 蛇に睨まれた蛙、程度の話ではない。少しでも妙な真似をすれば、腰からチラついて見える聖剣の餌食だろう。

 ふざけた振る舞いをしているが、実力は本物だ。少し強化された程度の俺じゃ赤子と同等だろう。

 

 俺の中で焦る気持ちがドンドンと膨れてきた。

 どうやったらこの化け物を撒ける?

 どうしたら、コイツの目を掻い潜れる!?

 

「ソレに、なんだろうね。魔法の才は無いように見えるけど、魔を感じる。本当に奇妙だ。君、名前を教えてもらえるかな?」

「ッ……」

「はは、だんまりかい? 寡黙な人は好きだよ」

 

 しかし、と。

 一方的に話を切りながら、彼はその右手を聖剣に添える。それだけなのに、自分の首の在処が相手に握られているようだ。

 

「これもお仕事なんだ。君とはもう少し話をしていたいけど、そうもしていられないんだよね……これが最後だよ。君は誰で、何が目的なんだい? 答えなければ、この場で君は本物の異端者になる」

 

 ほんの少しだけ、握られた聖剣が刃をのぞかせる。

 何百人もの血を吸ったというのに、その身はゾッとするほど純白に輝いていた。

 

「……」

 

 状況が悪すぎだ。

 避けなければならなかった聖騎士団との接触。それによりにもよって、超危険人物の団長。

 そんな奴相手に、どう誤魔化す。いや、もしかしたらどうやっても意味すらないのかもしれない。

 

 不意打ちは不可能。半端な言葉は意味を成さない。

 このまま黙っていたら捕まるか、それとも殺されるか。ベルクターの様子を見るに、この場で殺される可能性が高い。

 

「答えられない、かな?」

「……」

 

 どうする、どうすればいい。

 今もベルクターは、鞘から聖剣を抜きつつある。ゆっくりとゆっくりと、まるで制限時間を知らせるかのように。完全に刃が見えた時、俺の命も終わりということなのだろう。

 だが諦めるワケにはいかない。俺が死んだら、ララベルはどうなる。

 考えろ、俺の出来ることを。

 

 俺の武器となるモノはなんだ?

 魔物の力、未だ使い方すら分からないのに?

 腰に付いている剣、ありえない。マジモンの聖騎士、しかも団長相手にどうやって勝つんだ?

 アニメの知識……も正直アテになるかどうか。

 ハッキリ言って、アニメでも資料集でも聖騎士団に関する情報は限りなく少ない。

 ほとんど登場する場面が無いのだ。ララベルを痛めつけていた最序盤が花だったと言われる程に。

 

 あと頼りに出来るのは、不確定な領域の知識だ。

 アニメや資料集に明記されているワケではないが、その中の知識から導き出される考察の領分。

 今使うのはリスクが高すぎる。もし仮に正しかったとしても、一般人が知らない危険なモノだらけだ。

 下手をすれば状況を悪化させる可能性もある。

 

「……」

「残念だよ。何か面白い話が聞けると思ったけど、意味はなかったみたいだね」

「ッ……!」

 

 ベルクターの一言で尻に火がついた。

 悩んでいる暇はない。何もしなければ、この場で殺されてしまう。ヤツの様子を見るに、捕らえられることもない。

 だったら、今ここで出来ることをしないと。背に腹は代えられない。

 

「……さすが」

「ん? なんだい?」

「さすがは、先代勇者のちす――」

 

 しかしソレも叶わなかった。

 暗転。覚悟を決めて言おうとした途中、視界を何かに阻まれたのだ。そのせいで声を止めてしまう。

 自分の瞼に触れる何かからは、確かに体温を感じる。たぶん手だ。

 一体誰が。そう思う前に、手の主が声を発した。

 

 

 

「いけませんよ、聖騎士団長。貴方の任務は、信徒をいたぶる事ですか?」

 

 

 

 割り込んできた者の声を聴き、全身が硬直する。

 声だけで分かる。ベルクターもヤバかったが、目を覆っている手の主も同等にヤバい。

 

「おや、ご機嫌麗しゅう大神官アステア。貴方のような方が、どういった御用でこんな場所に?」

「用も何も、同じ神に祈る者を庇うのは当たり前でしょう」

 

 ……うっそだろ、なんでコイツまでいる!?

 声の正体は大神官アステア。

 ハルメイアに来た俺たちを待ち構えていた聖教会の重鎮が、俺とベルクターの間に立っていたのだ。その手には、あの宝石杖が握られている。

 

 彼女は俺に当てていた手を離すと、以前見た笑顔のまま俺の方へ振り向いた。温かい、聖女を思わせるような笑顔だ。

 だが逆にその笑みが、相も変わらず不気味で恐ろしい。

 

「こんな所にいらしたんですね。もう、本当に心配したのですよ?」

「な、にを……」

「何って。貴方は先日、神託を受けて聖教会の信徒となったではありませんか」

 

 キョトンとした顔でさも当然のように言うアステア。何をいけしゃあしゃあと言ってるんだコイツは?

 たらりと流れる汗を不快に感じながら、笑みを深めるアステアと目を合わせる。

 彼女の表情は一切変わらない。

 

 ……いや、待て。今のこの状況、俺にとっては逆に好都合だ。

 アステアが勘違いしてくれているおかげで、俺は女神の信徒だと思われている。そしてこのまま話が上手くいけば、ベルクターも俺に手を出すことはできない。

 切り抜けた後が大問題なワケではあるが……今はとにかく生きてこの場を乗り切るのが一番大切だ。

 

「神託を……ソレは本当ですか大神官?」

 

 ベルクターは納得がいかないような表情をしてアステアに問いかけた。立ち振る舞いも先ほどまでの人をいたぶるような感じではなく、整然たる騎士のような振る舞いに変わっている。

 外面が良いのはアニメ設定そのまんまのようだ。

 

「えぇ、確かに。私の直属の部下であるジースが、女神様より彼に関する啓示を賜りました」

「ジース……彼女がですか」

「彼の名前はコウ。つい先日、遠くの農村よりこの地に来られました。既に洗礼は終え、今は私たちと共に生活している身です。そんな彼が、女神の代行である聖罰を妨げるなど、ありえません」

 

 淡々と事実をでっち上げ続けるアステアに戦々恐々とする。

 ベルクターはベルクターでヤバい目つきでこっちの方を見てくるし。聖騎士の振る舞いはどうした。

 どうすんだこれ、いや黙っているのが得策か。

 

「しかし、彼が罪人の沈黙を破らせたことは確かです」

「本当に彼でしたか? 私もあの場に居合わせましたが、私には彼の隣にいた男を見ていたように見えましたが」

「……ふむ、なるほど。ではあの罪人が助けを求めたのはこの御仁ではなく、その近くにいた男、と」

「その通り。故に彼は無実、貴方のお世話になることも無いでしょう」

 ……会話が早すぎて追い付けねぇ。

 やけに良いテンポで会話が進んでいく。いやむしろ良すぎる。アステアはともかく、ベルクターのこの異常な物分かりの良さは何だ?

 さっきまで俺を怪しんでいたというのに、アステアの一言で全て合点がいったという感じである。

 

 もしかして、予め話を合わせていたのか……?

 いやだが、それならなんでこんな回りくどい事を?

 奴らの最終目的はララベルの無力化。これは確実だ。

 手っ取り早く終わらせるなら、この場で俺を殺すのが得策だろう。ララベルが怒り狂うのをリスクに感じたのか?

 駄目だ、追いつくのに必死で思考がまとまらない。

 

「では、真の罪人はその男ということですね?」

「えぇ、間違いなく。処罰はお任せしても?」

「はい、コチラの不手際ですので。必ず」

「それと、彼に罪を被せようとしたあの執行者も処罰を。標的を誤った執行者に、執行者たる資格はありません」

「えぇ当然に。全てはコチラの不手際でしたので」

 

 違和感をそのままに、二人の話はそのまま終了しそうな勢いで進み続けていた。

 ……ん? いや待て。今俺の隣にいた男に処罰って言ったか?

それってまさか、俺の代わりに殺されるってことかよ!?

 

「まっ――」

「では、私はこれで。コウ殿、先ほどは失礼な対応をしてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 俺の言葉を遮り、ベルクターは俺に跪いて謝罪してきた。

 胸に手を当てて頭を下げ、本当に申し訳なさそうな様子だ。怪しさ満点ではあるが。

 彼はしばらくその状態のままでいたが、すぐに立ち上がって広場の方に戻っていく。呆気に取られている俺と、視線を一切合わせずに。

 ベルクターは凄まじい速さで走って行き、数秒もしないうちに姿が見えなくなった。

 

 残ったのは俺とアステアのみ。他にこの場にいる人はいなくなった。

 ポツンと立ち、置いてけぼりにされている気持ちである。

 

「……」

 

 あまりに流れが早すぎて脳が追い付いていかない。とりあえず俺は助かった……のか?

 いや、無傷でヤバい奴から助かったのは確かだが。助けてくれたのはもう一方のヤバい奴だぞ?

 

「……何か、失礼なことを考えていませんか?」

 

 話し始めたのはアステアだった。

 見ると彼女は、少しだけふくれっ面になってコチラを見ている。不機嫌であることを隠す気もないらしいが、どうにも子供っぽい。

 

「……悪い」

「ふふ、本当に素直ですね。良い事です」

 

 そう言ってアステアは俺の腕に抱き着き、そのまま裏路地を奥へと進もうとする。

 聖教会とは別の方角だ。助かったのは良いが、肝心の標的から離れてしまう。

 

「では参りましょう。コチラの方へ」

「お、おいアンタ。どこに行こうってんだ?」

「まだ夕食まで時間があります。お茶でもいかがですか? ぜひ紹介したいお店があるんです」

「は? いやそんな――」

「良いですから、一緒に来てください。それとも……ご褒美は必要ないですか?」

 

 そう言って、アステアは修道服の中から小さな布袋を取り出す。ソレを見て、思わず目を見開いてしまった。

 袋は清潔そうではあるが、その下部が僅かに赤く染まっている。間違いない、ララベルから奪った魔物の肉だ。

 アステアは俺に見せびらかすように袋を弄ぶと、すぐに服の中へと戻してしまった。

 

「っ……」

 

 聖教会にあると思っていた魔物の肉が、あろうことかアステアの手元に……!

 なんとか声を上げることは抑えられたが、焦りが尋常でない。可能なら、今すぐにでも奪い返してしまいたい。

 だが、実力的にソレが出来ないのは明らかだ……ちくしょう。

 

 いやでも、だったら本当に意味が分からない。

 てっきり俺が聖教会側についたと勘違いしていると思っていたが、今の様子ではそうじゃない。

 むしろ魔物の肉を求めていることがバレているなら、すぐにでも処罰したいはず。

 

 何が、目的だ?

 分からない、分からないが……今は従うしかない。時間は限られているが、目的の代物が目の前にあるのだから他に方法が無いだろう。

 

「……」

「分かって貰えましたか? では参りましょう」

「あ、あぁ」

「ふふ……少し疲れましたので、体を寄せさせてもらいますね」

 

 そう言って、アステアは俺に体重をかけてくる。

 だがそんなことに気を回す余裕もなく、俺はアステアと共に歩き始めていった。

 




ご指摘、ご感想があればよろしくお願いします。


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怨敵との茶会

 

「今から行く所は私のお気に入りの場所なんです。建物と建物の合間にちょうど出来ているので、大通りからは死角になっていまして」

「……」

「疲れた時に、一人でこっそり行くようにしているんです。店主も寡黙な方なので、変に噂が流れることもありません。これからは、二人で隠れて行きましょう……ふふ」

 

 アステアに腕を引かれ、裏路地を進む。

 アステアは楽しそうに話をしているが、未だに困惑しかない。

 

 結局、俺を助けた理由は分からないままだ。

 本心はバレている筈なのに、なぜ聖罰の餌食にしないのか。いや、むしろ俺を捕まえてララベルに言うことを聞かせるつもりか?

 ただ封印することも考えられるが、ララベルの力は言わずもがな世界最強の部類だ。神託で俺を利用しろと命令された可能性もある。

 

 ていうかそうだ、神託。

 今もアステアの頭には、女神からの神託がひっきりなしに鳴り響いている筈。

 一切違和感なく振舞っているように見える彼女だが、そんな余裕は絶対に無いと思う。俺に寄りかかっているのも、実は倒れそうなのを隠すためか……?

 いや、ハルメイアに来た時も問題なくララベルとやり合っていたし、その可能性は低い。

 やっぱり人質としてが一番あり得そ――

 

「コウ様、聞いてくださってますか?」

 

 アステアの呼び掛けで我に返る。横を見ると、また不機嫌そうに頬を膨らませていた。

 

「……悪い、聞いてなかった」

「もう、あんまり無視しないでください。貴方のお気持ちも分かりますが、一方通行だと寂しいではありませんか」

 

 こうやって見ると、見た目は本当にただの女の子だ。見た目は、だけど。

 シスター服を身に纏い、少女のように微笑む様は聖女そのもの。肌は白く髪は日の光を浴びて金色に輝いている。

 しかし腹は真っ黒だ。誤解してはいけない。

 

 彼女がどれだけ少女であろうとしても、聖女のように振舞っても。結局はララベルを狂面で封印した人間だ。

 その本心を決して忘れない。今の様子も、何かの策略でしかないのだろうから。

 逆にその隙間を掻い潜って、ララベルのために無事に戻らないと。

 

「さぁ、着きましたよ。コウ様……こーうーさーまー!」

「っ……あぁ」

「はぁ……考え事も良いですが、あまり浸かりすぎてはいけませんよ」

 

 隣でしゃべり続けていたアステアは、返事の薄い俺にしびれを切らしたのか大声で名前を呼んできた。

 ハッとして前の方を見る。気づけば目的地に着いたようだった。

 

 アステアの言っていた通り、確かにこじんまりした喫茶店らしき建物が見える。

 他の建物と同じレンガ壁。古ぼけているが、ホコリが立ってはいない。

 店の中にはいくつか白いテーブルと椅子があり、庭の方にも同じ席がある。

 

「……」

 

 微かに、紅茶のにおいがしてくる。

 本当にただの喫茶店のようだ。客が一人もいないことを除けば。

 

「ほら、私の言った通り。誰も他のお客がいないでしょ?」

「……あぁ、そうだな」

「ふふ、ご安心を。このお店は私のお抱えというワケではありません。まぁ、金銭面で援助をしてもいますが。それも個人的なことです……少々お待ちを」

 

 そう言って、アステアは楽しそうに店の中へ入っていく。カランとベルの音が響き、店の奥から店主らしき初老の男が出てきた。

 仏頂面だったが、アステアの顔を見ると嬉しそうに顔を綻ばせて手を庭先に差し出した。席に誘導されている。

 アステアはそのまま深く一礼し、ニコリと笑った後に外の方へと出てきた。

 

「外の席を使ってもいいそうです。今日は快晴ですから、外でお茶を楽しみましょう」

「……あぁ」

「もう、さっきからそればっかり。そんな不機嫌そうな顔をしていたら、せっかくの紅茶がマズくなってしまいますよ?」

 

 いやこの局面で暢気に紅茶なんか楽しめるかよ。さすがにそんな余裕、今の俺の胸中には無い。

 だが抵抗できないというのも事実。言われるがまま席に着く以外、俺に選択肢はなかった。

 

「どうぞ、私は奥の方に座ります」

 

 アステアは先導するように進み、席に着いた。

 俺を見て微笑み、早く座るように急かしてくる。

 

「……」

 

 軽くアステアを睨みながら、ゆっくりと椅子に座る。罠の類も疑ったが、そもそもハメるのなら既に何かしてきている筈なのだから、考えるだけ無駄かもしれない。

 ……かもしれない、という推測でしかアステアの狙いが分からなかった。本当に、コイツは俺をどうしたいんだ?

 

「……」

「……」

 

 座ってからの会話はない。耳鳴りがする程静かだ。

 睨む俺、微笑むアステア。

 会話は進まず、無駄に神経が過敏になっていく。ただの風さえ不快に感じた。

 目の前の少女。その本性は知っていても、理解はできない。

 だからこそ恐ろしく、ララベルと比肩する化け物のように思えてしまう。

 

「何か、お話してくださいませんか?」

 

 切り出したのはアステアだった。

 

「い、いや、話すったって……」

「何でも構いません。最近の貴方がどんな生活をされていたのか、とか。とにかく貴方のお話が聞きたいです」

 

 思わず頭を抱えそうになる。俺の何を聞きたいんだアステアは。

 切り出し方もどこかおかしい。言ってしまえば、俺は女神の敵。つまりはアステアの敵となる。

 だが彼女の言い方は、どこか仲の悪くない間柄のソレだ。気まずさ満点だが、憎い相手というワケでもない。そんな仲。

 例えば、長年会っていない誰かと久々の会話をしているような。そんな感じがする。

 

「そうですね……では、ここ数日の暮らしはいかがでしたか?」

「……」

「言いたくはないですか、なら結構です。私は寂しかったですよ。たとえ貴方がコチラ側に来ることは無いと分かっていても、もしかしたら自ら門を開いてくれると。そう想い願った回数は100を下りません」

 

 聞いてるこっちがむず痒くなるような事を平気で言ってくる。

 アステアは赤く染まる頬を気にする様子も一切なく、ただ俺に自分の思いを言い続けた。

 ……だったら。

 

「なんで助けた?」

「はい?」

「あの場所で俺を殺すのが最適だった、違うか? 女神からも、俺のことは始末しろとか言われなかったのかよ」

「女神様の神託はありません。貴方の件は、私個人が決めたことです」

 

 ……女神は関係ない?

 なんだ聖教会、一体全体どうなってんだ。女神も俺を無視って、ララベルの封印を考えてるのに、どうして犯人の俺を放置すんだよ。

 やっぱり俺を傀儡にして、独自でララベルを抑え込むのが目的だったりするのか……?

 コイツの豹変ぶりを見るに、そう考えるのが妥当かもしれない。

 

「俺を捕まえたって、ララベルはアンタらには従わない」

「ふふ、ご安心を。ララベル様、勇者も関係ございません」

「信じられるかよ大神官。俺を助けた理由を言え。あの場で、聖騎士団長にウソを吐いてまで助けた理由を」

「ふふ、女の思いを打ち明けろだなんて。女性との駆け引きは経験しておりませんか?」

「茶化さないでくれ。その理由が分からないと、アンタを信用なんてのは微塵もできない」

 

 アステアをジッと見つめる。

 彼女の瞳は一切揺らいでいない。本当にやましい気持ちが無いのか、やましい気持ちを隠しきれているのか。

 

「……ふぅ、仕方ありませんね。もう少し仲良くなってから言おうと思っていたのですが、お教えしましょう……お茶を飲みながら」

 

 彼女にそう言われ店の方を見ると、ちょうど店主が紅茶を持ってきていた。

 両手で持ったトレーには、アステアが注文したであろうティーセットや茶菓子が置いてある。

 茶菓子はクッキーのようだった。

 

「お待たせしましたアステア様、ご友人様」

「いいえ、ちょうどいいタイミングでしたよマスター」

 

 マスターと呼ばれた男はアステアにニコリと笑い、慣れた手つきでカップに紅茶を注ぐ。

 一滴もこぼさず注がれた紅茶は、その強い香りを俺やアステアに届けた。

 

「……では、ごゆっくり」

  

 マスターはそう言うと一礼し、そのまま店の方へと戻ってしまった。

 アステアはカップを持つと口元で少し止め、香りを楽しみながらゆっくりと飲んでいく。

 

「前とは大違いだ」

「え?」

「前、一気に飲んでただろ。ソレ」

「あぁ、そうでしたね。ふふ、本当にはしたなかったです……あちっ」

 

 アステアは恥ずかしそうに苦笑いとしながら口に紅茶を寄せ、その熱さにやられて少し舌を出す。

 

「……」

 

 まるで別人。外見的な特徴は同じだが、その口調も振る舞いも全然違う。

 なんというか、影に隠れた獰猛さも感じられない。無邪気に笑う子供のようだ。

 芝居……いや、そんな感じすら一切感じられない。

 

「ふふ、やってしまいました。本当は猫舌なんですけど、気付けのためにすぐ飲んでいるんですよ」

「……あぁ、そうだな。いつものアンタは、そうしていないと女神の神託にも耐えられなかった」

「おや、ララベル様に聞かれたのですか?」

「そんな所だ。今だって、頭の中では命令がガンガン響いてるんだろ?」

 

 アステアは答えない。微笑んだまま、視線を俺の動かない手元に移した。

 カップに残った紅茶が、少しだけ揺れている。

 

「貴方も飲んでください。心配せずとも、もう毒は効かないでしょう?」

「……だからって飲むかよ。アンタの息のかかった人間が淹れたモノだぞ」

「ふふ、良い警戒心です。でも、あのマスターは仕事に私情を挟みません。私が命令しても、きっと美味しいお茶を持ってくるでしょう」

 

 そう言って、再び紅茶を飲むアステア。手持無沙汰だったのか、茶菓子にも手を付け始めている。

 飲め、と無言で訴えかけられているようだ。カップの取っ手に触れるが、持つべきかどうか……やっぱり迷ってしまう。

 彼女の言う通り、俺の体は毒耐性を持っている……筈だ。だがソレを上回る毒だってあるかもしれない。やっぱ飲まない方が――

 

「もうっ、じれったいですね」

「あっ!? お、おい!」

 

 カップをぶんどられた。

 コップの縁をワシッと掴んだアステアは、目の前で俺の紅茶を飲んだ。俺のも熱々のはずなのに、口の中に含んでいる。

 そしてチラリと俺を一瞥しながら、舌をもごもごと動かした後にゴクリと飲み込んだ。

 

「……どうですか? 毒など入っていないでしょう」

「う、うす……」

 

 アステアは俺の手元にカップを戻し、減った分紅茶を注ぎ足す。

 荒々しいがどこか気品っぽさを感じる。自分で考えてなんだが、相変わらず矛盾している動きだ。

 

「ふふ、では……改めて。クッキーもございます。ごゆるりと、楽しみましょう」

「……」

「あぁ、お菓子も心配ですか? ほら、私がちゃんと毒見してあげますから。何なら口移しで食べさせても良いですよ」

 

 そう言って、アステアはクッキーを無造作に掴んで口へ放り込む。

 ボリボリと音を立てながら、それでも笑みを絶やさない。

 

「んぐ、んぐ……ほら、安全です。これでお茶もお菓子も口にしないのなら、いい加減泣いてしまいますからね」

「えぇ……」

 

 もはや疑念を通り越して混乱してしまっている。

 ふと空を視界に映す。未だ日は暮れておらず、この茶会もまだ続くようであった。

 




ご指摘、ご感想がありましたら宜しくお願いします。


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先代勇者の怨念

 

「えいっ」

「おごぉ!?」

 

 不意の一撃。反応すらできなかった。

 一瞬アステアがブレたかと思うと、次の瞬間には俺の口の中に彼女の手が突っ込まれていた。変わらない微笑のまま、机に片足を乗せている。

 そして何かを舌の上にのせると、ゆっくり手を引いて席に戻った。

 何これ、机にあったクッキー?

 

「ふぉい、あにふんだ――」

「もっとどうぞ」

「ぶっ!?」

 

 今度は片手で俺の頬を掴んできた。縦に押された口が、少しだけ開かれていく。

 

「お、おごへほ……」

「え? おかわりが欲しいですか?」

「うぼぉッ!?」

 

 そしてその隙を見逃さず、アステアは追撃のクッキーを押し込んできた。

 おかげで口中クッキーだらけ。ていうか量が多すぎて噛むことすら難しい。

 

 吐き出すべきか?

 いや、目の前で無毒なのはアステアが証明したワケだし、粗相してマジギレされる方が厄介だ。

 

「……」

 

 どうにか口内で隙間を作り、少しずつクッキーをかみ砕いていく。

 いや旨いよ? 風味とかも良いし、ほどよいバターの味もする。

 問題は食わせ方よ。

 

「このお店のお茶はとても美味しいのですが、それに比肩してお菓子も美味しいです。特に今食べているクッキーは、茶葉を粉末状にして混ぜてあるそうですよ」

「……ほうか」

「あら? 貴方のお口には合いませんでしたか? 以前部下にお土産で渡した時には、とても美味しそうにしていたのですが」

「ひは、ふはいのはふはいへほ……」

「ふふ、そんなに口いっぱいに食べて。気に入られたようで何よりです」

 

 いや押し込んできたのはお前だろうが。なにウフウフ笑ってんだこの野郎。

 ていうかなんだ今の動き。まるで見えなかったぞ。あの部屋でララベルとやり合っていた時もそうだけど、単純な力も常人のソレではないらしい。

 やり方は野蛮人そのものだけど。

 

「ぐっ……んぐっ……ぶはぁっ!」

「ふふ、そんなに急がなくても。クッキーはまだまだありますよ」

「このッ……」

 

 コロコロと楽しそうに笑うアステアに軽く苛立ちを覚えたが、彼女は全く気にもしていない。

 

「……」

 

 体の調子は変わっていないから、毒は本当に入っていなかったのかもしれない。入っていたのが俺に効かなかった可能性もあるが。

 とにかく、アステアの言う通り俺の体に異常はなかった。

 いや遅効性の可能性もある。まだ気を許すわけにはいかない。

 

「さて、楽しいティータイムはこれくらいにして」

「おい」

「日もまだ沈みきってはいません。聖教会へ戻る前に、少しお話をするとしましょう」

 

 俺の言葉はガン無視して、アステアは何かを話し始めた。

 夕日を背に、彼女は少しだけ落ち着いた雰囲気になる。聖女と呼ばれる普段の彼女のようだ。なんていうか、こうコロコロと様子が変わるのも慣れてきている。

 

「そうですね、何から話しましょうか……コウ様」

「……なんだよ?」

「前提としてお聞きしたいことがあります」

 

 ……前提?

 

「何を今更聞くんだ? 言っておくが、俺がアンタらに言うことなんて一つも――」 

「貴方は何故、勇者ララベルを助けようとするのですか?」

 

 一瞬だけ、呼吸が止まる。

 問われた質問は予想だにしていなかった内容だった。

 思わず目を細めてしまう。また何か揺さぶりでも掛けようとしているのか?

 

「……なんでそんな事を聞くんだ?」

「いえ、純粋な疑問です。失礼ではありますが、部下に貴方の経歴を調べさせました。とは言っても、碌な情報は得られませんでしたが」

 

 あったりめぇだ。アニメ見て寝たら異世界飛んでましたなんて、天地がひっくり返っても分からんだろうよ。

 いや、コイツの場合ソレすら予想してきそうだけど。

 大丈夫だ、それだけはない。無い筈……無い事を祈る。

 

「そう、恐ろしいほどに分からなかったのです。貴方の全てが。故に、ララベルとの接点も分かりませんでした。だから聞きたいのです。親族でも友人でもなかった貴方が、なぜここまで身を捧げるのか」

「……」

 

 下手なことは言えない。何も分からないのなら、何を言っても情報に成りえるということだ。

 言葉の一つも気を付けないと、前のようになってしまうだろう。

 

「……知って何になる」

「いえ、深い意味はありません。貴方の信念、その根幹が何なのかを理解したかったのです」

「……」

「私の予想なら、そうですね……可哀そうだったから。コレが一番の理由なのでは?」

 

 優しく諭すように言ってくる。

 どれだけ抵抗していても、言葉の一つ一つが耳に届くと同時にじんわりと沁みついてくるような。そんな感じがした。

 

「ただ可哀そうだったから、ただ救いたかった。子供が悲劇の絵本を読んで、可哀そうだと泣きじゃくるように。あるいは悪者に腹を立てて、ついその顔に落書きをしてしまうように。そんな純粋な思いが、貴方の原動力なのではないですか?」

「……お前に関係あるかよ」

「あります、大いに。もしその通りだとするのなら、救われるのがララベルだけなのはズルいです」

 

 そう言って、アステアは視線を下に向ける。

 両手の指を合わせて、小さくため息を吐いた。思考に耽るように、あるいは祈るように。

 相手が相手だが、一枚の絵にもなるくらい綺麗に見える。

 

「なにも悲劇というモノは、ララベルだけの特権ではありません。あるいは餓死寸前の子供のように、あるいは食肉として殺される動物のように。大小の関係なく、世界は悲劇に溢れています。いえ、いえいえ。もしくは世界そのものが、悲劇という名前なのかも」

「話が飛躍しすぎている。何を言いたい?」

「……そうですね。貴方がもし可哀そうという理由だけなら、救うべき存在はもっといるということです。例えばそう……私とか」

 

 ……は?

 なんだいきなり、どうしてそんな話になる。

 確かにアステアにだって可哀そうなところはあるけど、ソレとララベルを一緒に出来るワケが無いだろ。

 

「……お前たちの啓示は、確かに哀れなモンだ。女神ってのも、もっと人の気持ちを理解しないと信徒も離れるだろうに」

「ふふ、優しいですね貴方は。ですが、私が話しているのはもっと昔。言ってしまえば、神官となる前です。先代勇者と言えば、貴方にはお分かりですか?」

 

 ……あぁ、そういう。

 アステアの言うことには心当たりがあった。

 アニメや資料集ではハッキリと言及されていない、サァベイション・イン・ザ・ケイブの過去話の領域。なぜ勇者が虐げられるのか、なぜ神官や聖騎士は女神の啓示を得られるのか。そういった物語の根幹に関わる話だ。

 しかし明言されていないとはいえ、資料集にはヒントが書かれていた事から大多数が行き着いたであろう説。

 ソレは先代勇者の暴走であった。

 

「先代にして初代。その者はララベルが勇者となった時から、おおよそ30年ほど前に現れました。性別は男、村人の出です」

「ソイツにもララベルと同じ扱いを?」

「……いいえ、むしろ厚遇されていたと聞きます。鍛錬もキチンと行われ、旅の途中で寄った各国も手厚くもてなしたとか」

 

 アステアはそう言って紅茶を飲む。

 数秒時間を置いた後、視線を俺に移して口を開いた。

 

「先代、もしくは初代であるその男は天才でした。天才の中の天才。不死性を除けば、人間の身でありながら実力は今のララベルと同等だったと」

「天才、か」

「えぇ。教えられた魔法は全て操り、あらゆる武器を熟達者のごとく使う。旅立つ時には、城の何者も彼に敵わなかったとか」

「……そんな強い奴が、魔王に負けたのか?」

「いいえ、彼は魔王に辿り着いてすらいません。彼を殺したのは……言うならば人です」

 

 アステアの言葉を聞きながら資料集の記憶を思い出す。

 先代勇者の怨念。その理由となった存在がいたはずだ。

 そして暴走するに至った事件も。

 

「……先代勇者の、恋人か?」

「えぇ、その通り。彼は天才でしたが、心は農民のソレでした。いきなり重い使命を与えられて、正常で在り続けるのは難しかったでしょう。そんな彼が心を許せたのはただ一人、共に村からハルメイアまで来た彼の恋人でした」

 

 アステアは淡々と本を読むように言葉を続ける。

 先代勇者の恋人についてまでは資料集にも書かれていた。問題はその先だ。

 

「美しい人だったと聞きます。外見だけでなく、内面も。全てを許し、全てを愛する。そんな絵に描いたような聖女であった彼女は、不滅なる善性とまで呼ばれていたそうです」

「……不滅なる」

「そう、ララベルの異名もその名から取られたとか」

「……」

 

 思わず怒鳴りそうになった衝動を抑える。酷すぎる皮肉だった。

 ララベルは旅の果て、人々に不滅なる異形と呼ばれている。似ている呼び名ではあるが、その意味は決して同じものではない。

 どこまでも馬鹿にしていやがる。

 

「その先代勇者の恋人は……どうしたんだ? 先代勇者を捨てて、他の男とでも結婚したのか?」

「分かりません」

「おい」

「本当に分からないのです、誰も。ある日突然、勇者の前どころか世界から消えてしまったのです。どこを探しても、彼女は見つからなかった」

「……」

「心の在り所を失った先代勇者は、日が経つにつれ冷静さを欠いていきました。言動も行動も荒々しくなり、目に映る全てを疑うような。あるいは幽鬼のように、見えない恋人を求め続けて歩いていたそうです……そしてある時、妙な噂が広まりました」

 

 ただの考察だった知識が、確信に変わっていく。

 優しかった先代勇者。その恋人。

 愛し合っていた二人、しかしその一方は暴走するに至った。あろうことか、人間を相手に。

 そして資料本に書いてあったあの一文。理由には簡単に辿り着いた。

 

「不滅なる善性は、人間側の手によって攫われた、と」

「……なるほど」

「明確な証拠などありませんでした。その噂すら、もしかしたら魔物の仕業だったのかも。しかしどのような過程であれ、先代勇者はソレを信じてしまった。愚かしくも、ただ純粋に……」

「そこまで、追い込まれてたのか」

「えぇ、彼は限界でした。たとえ天才であろうと、相手はすべての魔物を率いる魔王。その道は困難であり、何度も心が折れそうになったでしょう。そんな彼の拠り所、宿り木であったのが彼女でした。恋人を失った先代勇者は徐々に正気を失い、狂い、自分を失っていきました」

 

 人間からしたらたまったものではないだろう。

 先代勇者に人格的な問題が無いのなら、人質すら必要ない。

 むしろ魔王の討伐なんて大命を背負っているんだ。可能な限り助けて然りだろう。その恋人なんて、手を出して一利もない。

 先代勇者にとって心の拠り所だったらなおの事。むしろ手を出せばどうなるか、分からない筈が無いだろう。

 それこそ干渉しないようにするのが当たり前にも思える。いっそ国同士で決めていても可笑しくない。

 

 しかし、何者かがその禁を破った。

 その結果、何が起きたのか……。

 

「先代勇者は怒り、そしてララベルと同じ方法で魔に堕ちました。魔物を力で従え、世界を相手取ったのです」

「それで、倒されたのか」

「えぇ、各国の連合軍によって。従った魔物は全滅、そして先代勇者は捕らえられ、あの聖罰が行われる広場にて処刑されたのです」

「魔王は、その時何もしていなかったのか?」

「……何も。人間が滅びれば文句はないと、高見の見物をしていたのかもしれません」

 

 アステアは微笑んでいた顔を少し歪ませた。

 確かに、魔王から見れば絶好の状況だっただろう。

 宿敵である勇者は機能せず、それどころか人間を殺す暴走状態。下手に手を出さず、成り行きを見守り続けるのが正解だ。

 

「先代勇者の率いた魔物達は悪夢のように強かったそうです。ただでさえ強いのに、勇者がその力を分け与えた」

「……それで人間たちに攻め込んだのか」

「えぇ、諸国を無作為に。どの国も、相当の痛手を負ったそうです」

 

 アステアはゆっくりと目を閉じ、空を仰ぐ。

 少しだけ震えているように見えた。

 

「彼は狡猾でした。兵の少ない農村ばかり狙い、その被害を拡大させていく。男は殺され食料に、そして女は……」

「……魔物まで、襲ったってのか!?」

「ララベルと同じ、勇者は人と魔物の境界を曖昧にする。先代勇者は魔物側の境界を破いたのです。反転、とでも言うのでしょうか。魔物に本来無い筈の欲望を植え付けたのです。」

 

 本当に胸糞悪い話だった。資料本では「先代勇者の怨念」としか書いてなかったから、てっきり先代勇者単体での暴虐だと勘違いしていた。

 実際はもっとひどい。

 犯人が分からないのに、勇者が暴走。魔物ですら使って、物理的にも精神的にも深い傷を刻んだ。

 誰も救われない。

 

「先代勇者が殺された後、女神から神託がありました。世界に残された勇者の残滓を始末しろ、と」

「は、残滓って……まさか!?」

「えぇ、この件で生まれた子を全て殺せと言ったのです。その残滓を受けた母親と共に」

 

 体温が急に下がっていく。

 女神の判断はかなり極端だということは分かっていたが、そんな神託をするとは……本当に人を生き物だと思っていない。

 

「……くそッ!」

「気分を荒げるのも分かります。ですが、まだ終わりません。まだ先があります」

 

 アステアは顔をこちらに向け、鋭い視線を飛ばしてくる。

 一瞬怯みそうになるが、受け止めないワケにはいかなかった。

 根底が、ようやく今につながるのだから。

 

「生き残りがいたのです。庇われた者、隠された者。様々な方法で守られた子が、少しずつ育っていったのです」

「まさか、それが怨念……?」

「ふふ、怨念とは。言いえて妙ですね。ですが的を射ています」

 

 俺の言葉が可笑しいのか。いやむしろ腹立たしいのか。

 アステアの笑みが、今までとは気質の違うモノへと変わっていく。隠れ家で見た時の、獰猛で悲嘆を帯びたソレになる。

 そして両手をこちらに向け、懇願するように言葉をつづけた。

 

「そう、我々こそが怨念。数年前に女神の神託のもと集い、聖教会と聖騎士団を乗っ取った……先代勇者の子らです。誰もかれも、祝福などされずに生きてきた」

「……」

「私は子供の頃、父親を殺しました。母が死に、狂い襲い掛かってきた父親を。そして一人で生き続け、砂をかみ汚泥をすすって今の居場所を得ているのです」

「っ……」

「分かっていただけましたか? 悲劇なんてモノは、何もララベルだけではありません。貴方に救われる権利は、私にもあるでしょう」

 

 そして目を細めてコチラを見つめる。得意げに、あるいは儚げに。

 

「聖教会に来てください。聖教会で、私と共に暮らしてください。それで私は救われる」

「……」

 

 目を閉じて、自分の激情を抑える。

 彼女の言う悲劇が何なのか、しっかりと理解できた。先代勇者の怒りや、アステアたちの悲劇も……よく分かった。

 

 考察をネットに載せていた人たちの中で、誰かが「このアニメで本当の加害者はいない」と記していた事を思い出す。

 今なら理解できる。誰もかれも、好き好んで加害者になんてなりたくなかったのだろう。

 

「……ふざけんなよ、聖教会」

 

 分かったうえで、自信をもって。アステアを否定した。

 




ご指摘、ご感想がありましたらお願いします。
……こんかいちと駆け足過ぎたかもしれないです。


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解けて歪む

 

「ふざけている、と」

「……」

「貴方にはそう見えますか。私の過去、現在、悔恨、屈辱。その全てが」

「……あぁ」

 

 一瞬だけ、アステアの表情から怒りが漏れる。だけど次の瞬間には悲しみの表情へと変わった。

 彼女にとって俺がどれだけの存在かは分からないが、ソレで全てが許されるわけない。

 

「お前の過去は分かった。お前の母親も、辛かっただろうさ」

「なら、なぜ――」

「なぜか? その全てを差し引いてでも、お前らの所業は悪魔のソレだったからだ」

 

 同情もしている。憐れんでもいる。

 いっそ救えたらと、ほんのちょっぴりも考えなかったと言えば、多分嘘だ。

 だけど、それを上回る感情が勝っていた。

 

「なぜララベルをあそこまで貶めた? 女神の神託があったからか?」

「……はい。女神は我々を集めた後、次の勇者の管理を言い渡しました。自由の一切を奪い、人として扱うな、と」

 

 小さな声で、しかしハッキリとアステアは答えた。

 コイツらを纏めた理由はなんとなくだが分かる。散り散りになった勇者の力を掃除しきれないのなら、いっそ集めて利用すればいい。

 そんないっそ清々しい程の物扱いから来た考えなのだろう。神託という首輪があるからこそ出来る暴君のような策だ。

 

 こいつ等はその犠牲者。

 分かっている。分かってはいる。

 だけど目覚めてすぐのララベルが、脳裏から離れなかった。あの暗い目が、俺の中からアステアへの同情をかき消していく。

 

「あの子が俺になんて言ったか分かるか? 自分じゃ何が正しいのかも分からなくなっていたって、そう言ったんだぞ。そこまで追い詰めた自覚はあるのか?」

「……従う他に道はありませんでした。国の人間も、先代勇者への腹いせがあったのかもしれません」

「あの子がお前らに何かしたのか? いつか殺すだなんて言ったのか……!?」

 

 言葉にすればするほど、聞けば聞くほど、ララベルへの理不尽を思い出して怒りが増してくる。

 魔物化の影響なのか? こんなに怒りっぽい性格じゃないはずなのに、震えるほど憎かった。

 

 コイツらが今も苦しんでいることは事実だ。

 女神の神託を守らなければ、自分たちの神託もまた鳴りやまない。寝ることも許されないくらいのソレが、聖教会や聖騎士団の連中を苦しめ続ける。

 

 俺の怒りは……言ってしまえば、八つ当たりなのだろう。

 アステアを通して、女神を否定しているような。つまりは俺すらもこいつを八つ当たりの媒介にしている。結局誰も、女神に直接言えないから。

 その事実が腹立たしくて、手に込める力が強くなる。

 

「ララベルは何もしていなかっただろ。なぜ少しも助けようと考えなかった!?」

「……人間は、女神の管理があってこそ今があるのです。女神の神託、その力が無ければ、結局魔物に押し潰される。勇者という存在も、女神の指示のもとで扱う他には――」

「その結果があの子なんだろうがァッ!!」

 

 叫ぶと同時に、力いっぱい拳を机に叩きつける。ただ叩きつけただけだというのに、机はミシミシと今にも壊れそうな音を出していた。

睨みつけているというのに、アステアは表情一つ変えやしない。

 

 だが言葉は止まった。

 もう聞きたくなかったし、認めたくなかった。アステアの言い分も、何も解決できない現状も。

 

「……貴方は、本当に」

 

 アステアは呟くと机に身を乗り出し、息を荒げる俺の頬に手を寄せる。

 ララベルにも同じことをされたというのに、感覚が全然違う。

 

「……」

 

 幼げというか、おぼつかないというか。彼女の本来の感情が漏れてくる。アステアの目に憂いが濃く見えて、俺の怒りも少しずつ引いていった。

 同時にこの店に来る前、楽しそうに話しかけてくるアステアを思い出す。今思えば、その姿はまるで家族に話しかける子供のようにも見えた。

 

 そして今聞いた話。アステアが殺した存在。

 ……なんとなくだが、コイツが俺に何を求めているのか分かった気がした。

 

「コウ様、あぁコウ様。貴方が愛おしいのに、酷く憎らしいです」

「手をどけろアステア」

「何故あの子なのですか。何故もっと前に、私のもとへ来てくださらなかったのですか。そうすれば、あるいは……」

「……俺は、アンタの父親には成れない」

 

 ハッと目を開いて、硬直する。

 数秒経った後、アステアは俺から手をどけた。

 

 音もなく席に戻る。

 何もしていないのに酷く焦燥しているような、諦めているような。そんな顔をしていた。

 力なく笑って、視線を下に向ける。

 

「……父は、純粋な人でした。騙されているとも知らず、母が私を産んだ時も自分の子だと喜んで」

「でも、アンタは先代の子だった」

「えぇ、事情も聞かされず母が兵たちに連行され、理解できず混乱していました。そして直後に真実を知らされ、絶望に顔を染めたのです」

 

 アステアは話をしながら紅茶を飲む。さっきのゆっくりと楽しむ感じではなく、一気に。

 きっと、自分でも話すのが辛いのだろう。

 

 俺も視線を逸らし、一口飲む。さっきと同じ強い風味のはずなのに、随分と薄く感じた。

 アステアはカップを置いて手を合わせ、自分の顔を寄せる。落ち着こうとしているようだったが、感情を殺しきれていない。

 

「先代勇者は、何も暴れて奪っただけではありません。言葉巧みに人を欺き、その人心を操った。私の母も、何を言われたかは分かりませんが、進んでヤツを受け入れた」

「……父親は、ずっと騙されていたのか」

「えぇ、母も当たり前のように貴方の子だと言って。ですが、私にだけ教えてくれました。選ばれた子なんだと、誇らしげに……ふざけた道化です」

 

 ポツポツと話し続けるアステアの手は震えている。

 言葉の一つすら苦痛であるようで、もう見ていられなかった。

 

「仰る通り、私は貴方に父を見出していたのかもしれません。いえ、実際そうなのでしょう」

「……」

「その優しさ、純粋さ、愚鈍さ、脆さ。全てが父と同じだった。父が真実を知った時の顔と、自分の体がどうなっているかを知った貴方の顔が、酷く似ていたのです」

 

 アステアは顔を歪め、もう泣きそうだった。

 弱弱しく、まるであの聖罰で見た囚人のように。そして己の罪を告白するかのように。

 彼女の奥底、普段の優しさと傲慢さの根源を見ているような。そんな気さえした。

 ……痛々しいにも限度がある。

 

「父は全てを知り、狂ったように笑ってしました。そしてひとしきり笑った後、ナイフを持って駆け寄ってきたのです」

「……もういい」

「抵抗し、暴れました。部屋を滅茶苦茶にして、必死にやめてと叫びながら。そうしてしばらく経って、父が動かなくなって。ゆっくり視線を移すと、その胸に――」

「もういいッ!!」

 

 叫ぶと同時に、アステアが言葉を止める。

 既に彼女は聖女のような様子ではなかった。無情な聖教会の人間でもない。

ただ救いを求める子供のソレだった。ララベルの敵だってのに、悪いのはこっちの方だとさえ錯覚する。

 

「……」

 

 カップに手を伸ばす。

 あまり紅茶は残っていなかった。それでも最後の一口を飲み干し、気持ちをどうにか落ち着かせる。

 

聖教会は、そしてアステアは許せる相手ではない。王城の連中も、聖騎士団も、世界中の人間も。

奴らはそれだけのことをした。罰を受けて当然、報いを受けて当然。

そんな奴らを助けるなんてありえない。吐き気がする偽善、いやそれ以上の自己満足でしかないだろう。

 

「……クソ」

 

だが、それでも――

 

「……救えるかは、分からない」

「……」

「ララベルと一緒にいる中で、少し寄り道が出来そうだったら。そんでもって、ララベルが許したら……無視はしない。だけど、助けるかどうかは別だ」

 

 俺に言えるのは、ソレだけだった。自ら救おうだなんて毛ほども思ってはいない。

 でもララベルとの道中で、傷ついて道端に倒れ伏すアステアを見かけたら。その時は何も考えずに目を瞑ったりはしない。

ただ、それだけのことだ。

 

「……ふふ」

 

 俺がそう言うと、アステアの目に光が映った。

 次いで少しだけ微笑む。さっき見せた笑顔とは全く違うモノだった。

 

「絶対に助ける、とは言ってくださらないのですね」

「あぁ、薄情なのは分かっている。友好を結ぼうだなんて思ってないからな」

「十分です。いえ、むしろそうでなければ」

 

 そう言うとアステアは少し黙った後、俺の目の前に紙切れを置いた。

 いきなりのことで少し面食らったが、見ると紙には何か書かれている。かなり乱れていて、何を意味しているのか分からない。

 

「……なんだ、それ?」

「今の一言で、貴方のことを深く理解できました。故に一つ、最後に問わせてください。こうやって話し合う機会は、もう二度と無いでしょうから」

 

 唐突すぎて質問の意図が分からなかった。

 何故今そんなものを見せたのか。そしてどんな内容なのか。

 

「今じゃないといけないのか?」

「ご安心を、すぐに終わることです。先ほど不滅なる善性に手掛かりは無いと言いましたが、実は一つだけ。彼女が消えた日、彼女の部屋でコレが見つかりました」

 

 不滅なる善性の手掛かり。その言葉に反応し、出された紙をチラッと見てみる。

 彼女の言う通りなら随分と古いモノであるはずだが、妙に新しい。一目で疑念が生まれた。

 

「……本物か? どうにも綺麗すぎるような気がするぞ」

「写したモノを持ってきただけです。本物は厳重に保管してあります」

「ふぅん、そういうことか」

「魔法や地学など、あらゆる専門家に事情を伏せた上で解析させたのですが、全くその意味を理解できなかったのです。貴方ならもしかしたら、と思ったのですが……」

 

 そう言われて納得し、改めて書かれている内容を見てみる。もしかして元の世界の知識なら、とも思った。だが、あいにくどれも当てはまらない。

 文字のように法則があるように見えて、そうでもないように感じた。魔法陣とも違う。見たことがあるような気がするようで、その実何なのかは結局分からなかった。

 俺はアステアへ結果を知らせるため、目をつぶって首を横に振った。

 

「……やはり、貴方にも分かりませんか」

「あぁ、悪いな」

「いえ、ダメもとで聞きましたので。この件は忘れてください」

 

 アステアは微笑んだ後、紙切れを服の中へ戻した。もう少し見ながら考えてみたかったが、専門家でもないのだから仕方ない。

 

 そう思っていた時、アステアは見覚えのある袋を机の上に置いた。

 見間違えることはない、ララベルから奪った魔物の肉だ。

 

「ッ……」

 

 目を見開き、思わず息が詰まる。

 奪わなくてはならないと思っていたソレが、今アステア本人から目の前に差し出されていた。

 

「貴方に、お返ししましょう」

「おい、俺はララベルの味方だ。そんな事して、女神の意思に反するんじゃないのかよ?」

「構いません。貴方がその道を選ぶのなら、私もその後押しがしたい。そう思っただけです。勿論、貴方が聖教会の門をくぐるのなら、今でも歓迎はしますが」

「冗談はよせ。味方になるつもりは微塵もない」

「……そうですか。残念です」

 

 アステアは名残惜しそうな顔をしていたが、ニコリとほほ笑む。

 杖にも手を掛けてはいない。どうやら本当に渡してくれるようだった。

 何かの罠である可能性を考えたが、疑い続けても手に入ることは無い。膠着していても、時間が無駄に経つだけだ。

 

 そう考えながら数秒アステアの顔を見続け、意を決して袋を取ろうとする。

 素早く、彼女の気持ちが変わらないうちに。そう思いながら手を伸ばし、あと少しで届きそうだった、その時。

 

「……本当に」

 

 取るに足らないたった一言。

 その小さな呟きが、どうにも不可思議に聞こえた。なんというか、今までとはまた明らかに気質が違うような。

 言ってしまえば、何か不穏な雰囲気を感じさせる声だった。

 

だが手を止めようにも、既に袋は指先に触れるほどの距離。今更引っ込めることは出来なかった。

 

「まぁ、それも良いでしょう……ふふ」

 

 そして触れた瞬間。

 辺りの景色がグルリと一変する。ソレが転移魔法だと気づくのに、さして時間はかからなかった。

 




ご指摘、ご感想がありましたら宜しくお願いします。
今回特に難産となってしまいました。申し訳ないです。
色々とよそ事をしていたら、こんなに間が空いてしまいました。


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行き着く先は

 

 視界がグルグルと回る。やがて足場が不安定になり、座っていた感覚がなくなった。

 足元を見てみると椅子が無くなっている。机も、カップや菓子も。

 あくまであのマスターには迷惑を掛けない、ということか。

 

「……」

 

 不思議と焦りはない。

 なんとなくだが、こんなことになる気はしていた。アステアがどんな過去を持っていたとしても、結局は女神の信徒。敵にならない筈が無い。

 だからこそ、触れることのできた魔物の肉だけは離さなかった。

 何が起きるかは分からないけど、これだけは手放してはならない。だから、あらん限りの力で袋を握った。

 

 そして数秒経って、視界が安定していく。

 

「……ここ、は」

 

 見覚えは無いが、予想の付く場所だった。

 松明による明かりのみの薄暗い空間。ジメジメとしたレンガの壁、天井、床。

 音が全く聞こえない、完全な静寂。

 そして奥の方に見える、簡素に作られた大きな扉。

 

 恐らくは王城に続く道。そして聖教会の地下だった。

 

「さてコウ様、最後の慈悲です」

 

 無機質な声が響き、その方向を見る。

 そこにはアステアが立っていた。あの宝石杖を片手で持ち、無表情になって。

 さっきまでとはまるで違う。その姿、出で立ち。まさしく聖教会のソレだった。

 

「聖教会の門を潜ると、今この場で誓ってください」

「断る。何度も言わせるな、俺はララベルのみか――」

「誓えと言っている」

 

 底冷えする大神官の声。

 瞬間、アステアの姿が消える。どこにと探そうとする前に、後ろから強い衝撃を受けた。

 鋭く、突かれたような痛み。しかしもだえる前に、体は冷たい床へと叩きつけられた。

 

「がッ……!?」

 

 意識を持っていかれそうになる。

 視界がグラつき、急激な吐き気。全身に痛みが走る。魔物に成りかけているというのに、ここまでのダメージ。

 だが加減されているのか、ギリギリで気を失うことは無かった。おかげで袋を手放さなくて済んでいる。

 

「罪人コウ。貴様の犯した罪はこの世界で最も重い類だ。ソレを理解しているか?」

「ぐッ……ハハ……言うに事欠いて……罪人かよ……」

「黙れ、問いに対する答え以外の発言は許可しない」

 

 アステアは言葉と共に、宝石杖の底で俺の右足を突いた。

 

「グぎッ……ィァァッ!?」

 

 ふくらはぎの真ん中あたり。一切の躊躇、容赦の類は無く。

 経験したことのない怪音、感触。一瞬呆気にとられ理解が出来ないうちに、ソレは熱に、そして痛みとなって俺に正体を教え込んでくる。

 今までに感じたことのない、体の自由を食いちぎるかのような恐怖。

 

 確認をしなくても分かる。杖が足を貫いたようだった。

人間の力だけではない。魔法で杖の先に鋭い何かを付与している。

 

「痛いですか? しかし幸運です。本来の罪人ならば、この程度では決して許されませんから」

「が……グ……この……クソ……やろう……ギぁッッ!!?」

「言葉を選んでください。今現在、貴方の運命は私が掴んでいるのですよ……ふふ」

 

 アステアの表情が変わる。喫茶店で見せていた、子供のように楽しそうな表情だ。

 しかし杖を持つ手が緩むことは無い。逆にグリグリと回して、足に更なる激痛を与えてきた。今にも泣き叫んでしまいそうだ。

 

 悶えるほどの痛み、こらえ切れず叫び声をあげながら思い出す。

そうだ、コレだ。アニメで見た時も、コレがアステアの一番怖い所だった。天使のような笑顔で誰かを助けたと思ったら、次の瞬間には冷徹な目で誰かを殺す。

 コロコロと変わるその表情が、どこまでも恐ろしくて仕方なかった。

 

「あぁ、可哀そうなコウ様。私もこんなことはしたくないのです。貴方を痛めつけるなど、あってはならないこと」

「どのッ……口がッ……!」

「ふふ、でも思うのです。貴方には聖教徒の格好で祈りを捧げる姿も良いですが、地下牢でボロ布を着て媚びを売る姿もお似合いだと。まぁどのような形であれ、私は貴方が傍にいれば構いません」

 

 聞いているのか、聞いていないのか。

 頬に手を当て、優しいまなざしをこちらに向けてくる。しかし今も杖は貫かれたまま。そして痛みも続いていた。

 

「ララベルはこの場にいません。アレに助けを求めることも出来ませんよ」

「助けなんざ求めるかッ……あの子をこの場所に呼んだりはァ゛ッ!?」

「そうですか……それは幸い。ならばこのまま話を進めましょう……ジース」

 

 杖をひねりながら、アステアが誰かを呼んだ。

 聞き覚えの無い名前。だがジースを呼ばれた誰かはどこからか音もなく現れ、アステアの隣に歩み寄った。

 

「……はい」

 

 痛みで歪む視界でソイツを確認する。

 シスター服。褐色肌。そして何よりも、この暗い中で薄っすらと輝いて見える紅色の瞳。

 

「その……眼ッ……!?」

 

 思わず声に出してしまった。

 最悪だ、知識が正しければ最悪の状況すぎる。

 ハルメイアの聖教会において、紅色の瞳を持つ人間はただ一人。この世界へ直接干渉が出来ない女神のため、視覚的な情報を与える存在。

 外見的な特徴は資料集でも特定されていなかったが、その目だけはよく知っている。

 

 女神の瞳。

 アステアやベルクターと同じレベルで接触してはいけなかった、別の意味でヤバい相手だ。

 彼女は敵対半分、物珍しさ半分といった表情でコチラを見下ろしている。

 俺が聖教会にとって殺すべき存在なのは分かっているが、アステアが生かしている事情もよく理解できていない、と。そんな様子だった。

 

「おや、彼女のこともご存知でしたか。まったく、情報の過多も女神への反逆と捉えられますよ」

「アステア様、彼は一体何を?」

「貴方は黙っていなさいシスタージース。それよりも、2本出してください」

「……承知しました、大神官アステア」

 

 アステアに命令され、ジースと呼ばれたシスターは顔を強張らせる。

 そして服の中から何か細いモノを取り出すと、アステアに手渡して数歩後ろへ下がった。

 

「本来、この場で行う問い掛けでは、死なない程度の毒を使います」

「……」

「ですが、貴方に毒は効きません。神経を蝕む類も、内臓を穢す類も……ですがやり様はあります」

 

 アステアは受け取った何かをクルクルと手で回すと、次の瞬間ものすごい勢いで俺の右手に突き刺した。

 

「ぐギッ……!?」

 

 手の平に五寸釘並みの大きさを持つ、針のような何かが刺さる。

 堅く、鋭いソレは容易に俺の右手を貫いた。

 

「ふふ、痛い……痛い痛い。痛くて耐えられないでしょう、コウ様?」

 

 倒れ伏す俺の耳元でアステアが呟く。刺さった針を抜こうともがくが、痛みのせいでろくに動かすことも出来ない。

 

「うッ……ぐぅ……」

 

 痛みに耐えきれず、小さくうめき声を上げる。まるで子供に遊び半分で弄ばれる虫の気分だ。

 そんな俺が可笑しいのか、アステアは楽しそうに笑いながら俺の背中に腰かけ、頭を撫でてきた。

 

「ふふ、きひ……まるでただの肉の塊。貴方は抵抗も出来ず、芋虫のように地べたを這いずる事しかできない。屈辱でしょう、無念でしょう……かつての私のように」

「クソ……どけ……この……」

「まぁ、なんて座り心地の良い椅子。この圧倒的な優劣の差、貴方に覆せるはずが無いというのに。どうしたら、言うことを聞いてくださるのですか?」

 

 余裕たっぷりと、まるで子をあやす母親のように。アステアは俺へと話しかけてくる。

 そして俺の髪を掴み、グイッと上げてきた。

 

「ぐぁ……」

「もっと痛みがあれば、考え直してくださいますか?」

「お前……と……一緒……に……すんな……」

「一緒です。貴方も私も、結局は痛みのもとにひれ伏すのです」

 

 言うと同時に髪を掴んでいた手が離され、2本目の鉄針が放たれる。

 次は俺の左手。親指の爪と皮膚の間に。

 

「ひィ……ギぃぃ!!」

 

 体が強張っているせいか、絞り出すような悲鳴が出てくる。ソレと同時に持っていた袋を放してしまった。

 袋は俺の目の前に放られ、中身の赤い肉が少し出てしまっている。

 

「……!」

 

 心臓がドクンと鳴った。

 目の前にある魔物の肉。俺が食べる筈だった最後の肉。

 ララベルは最後の肉を食わなければ、俺が人間に戻ってしまうと言っていた。ならば、食えば完全な魔物になるということ。

 

 今の俺は右足を貫かれ、両手に鉄の針が突き刺さっている。悔しいが、アステアの言う通り何もできない。

 突破口があるというのなら、目の前のソレ。

 何が起きるかはもちろん分からない。だが、他に頼れるものは無かった。

 

「……」

 

 口を広げ、顔を寄せる。

 体を動かせないのがもどかしいが、かろうじて辿り着くことは出来た。

 舌が触れ、あと少しで口に引き入れられそうになる。

 

「ソレを口にしたら、本当に引き返すことは出来ませんよ」

 

 その時、アステアの声色がまた変わった。

 冷徹なソレでも、子供のようなソレでもなく。心から懇願しているような。

 そんな声に。

 

「何を躊躇うことがあるのです。ここで暮らせば、女神のもと不自由のない暮らしが出来るのですよ?」

 

 俺の背中を撫で、再び優しく言ってくる。

 どこまでも傲慢な命令を、まるでそうなるのが当然のように。

 

「ララベルは捨てろ、私だけを愛しなさい……それ以外に助かる道は無い!」

「嫌に……決まってんだろ……」

「っ……このッ! 人の気も知らないで、貴方はどこまでも!!」

 

 激昂。次いでアステアは立ち上がり、杖を思いっきり振り下ろしてきた。

 

「がグッ……!」

「アイツッ! だけがッ! 苦しんでッ! いるワケじゃッ! ないのにッ!!」

「あ、アステア様! それ以上殴り続けたら死んでしまいます!」

「やかましいッ! 貴様は黙っていろ!!」

 

 味方の静止すら役に立たず、アステアは何度も杖を振り下ろしてくる。

 足にも、背中にも、腕にも。頭にさえ。

 鈍い音と共に目の内側がチカチカとして、あっという間に赤く染まっていく。

 

「なんで、アイツばかりッ! なんで、私はッ! 私は救ってくれないのですか!? なんでもっと前に、私のもとには来なかったのですかッ!? あの日、あの場所で! 大丈夫だと、共にいなかったんですかッ!?」

「ぐッ、がッ……」

 

 叫び声を聞きながら、必死に気を失わないように耐え続ける。だが数回もしないうちに、痛みが来ないことに気づいた。

 ゴンと鈍い音が傍でして、霞む目で見ると宝石杖が床に転がっている。

 

 そしてすぐ近くには、両手で顔を抑えるアステアが見えた。

 両手の間からは、大粒の涙がこぼれ続けている。

 

「わた、私、だって、本当は……だけど従わなければ。女神の啓示は、反逆を決して許さない! 従わなければ、生きる道なんてない! どれだけ醜くても、どれだけ歪んでいても、それがこの世界の摂理――」

「ッ……あの子はッ!!」

 

 もう救えない慟哭を叫んで止める。その体が、びくりと震えた。

 

「あの子は……世界が汚いことくらい、とうの昔に分かっていた。自分に味方なんていないって、この城を追い出された時から」

「っ……」

「それでも、旅を続けていた。まだ受け入れられる筈だって。まだ綺麗なところだってある筈だって……ソレをお前らがぶち壊したんだろうが! もっと他に、皆笑っている終わり方もあったんじゃないのかよ!!」

「ッ……黙れェッ! 夢理想を語るだけなら、そこらで死体を喰らう野良犬が吠えるのと変わらない! ただの肉塊でしかない貴様に何が出来る!?」

 

 いつの間にか流していた涙をぬぐいながら、アステアは叫び続ける。もうすべて終わらせてくれと、そう言っているかのように。

 

「……教えてやる」

 

 確信はもちろんない。何が起きるかなんて決して分からない。

 だが、ララベルのため。アステアを、女神を止めるため。 

 出来ることは、ただ一つだけだった。

 

「今、教えてやる」

「ッ!? やめろ吐き出せッ!」

 

 アステアの言葉を無視して目の前の肉に食らいつき、一気に飲み込んだ。

 

「かッ……!?」

 

 飲み込んだ瞬間、世界が大きく揺らぐ。

 明らかな異常が起きた。目の前には、俺の口元を掴みながら何かを叫んでいるアステア。

 何を言っているのか分からない。聞こえないワケではないが、まるで理解できなかった。

 

 彼女の動きが酷く遅く感じる。

 彼女だけじゃない。松明の揺らぎも、周りの音も、何もかも。

 ゆっくり、鈍くなっていく。

 

 

 

 

 

 

 そして全ての動きが完全に止まった時、視界全体が突然現れた霧に包まれた。濃く、意思を持つかのようにうねる霧に。

 

 いったい何が?

 そう思い辺りを探ろうとする。だがそれよりも早く、霧はすぐに晴れていった。

 

「……は?」

 

 そして気づけば、俺は地下にはいなかった。アステアや女神の瞳もいない。

 

「光……なのか……?」

 

 松明ではない、薄緑色の不自然な光。ソレが辺り一面を照らしている。

 周りの物体も不自然だ。明らかに自然のソレではない。人の手で削ったかのように角ばっており、材質は石でも鉄でもない。目の前のソレに触れてみると、今までに無い感触だった。

 そんな物体が、あちらこちらに無造作に置かれている。

 

「なんだここ……って、怪我が!?」

 

 理解が追い付かない中で、自分の体の以上にも気づいた。

 手を貫いていた鉄針が存在せず、その傷跡も無い。痛みすらなく、立ち上がることも出来た。

 

「……ワケ、分かんねぇ」

 

 そして上を見上げれば、星のように輝く何かが見えた。

 まるで意味不明。理解も把握も出来ずにただただ困惑している。

 

「やぁ、こんにちは」

 

 しかしどこからか声を掛けられ、混乱していた意識は一気にそちらへ向けられた。

 ビックリして勢いよく顔を向けると、そこには人影が二つ。

 一人は黒いローブで全身を包み、その顔も見ることは出来ない。だがもう一人の方は、とても見覚えのある姿をしていた。

 

「……ララベル?」

「そうだよ、コウ。私がララベル、初めましてと言うべきなのかな?」

 

 綺麗な金色の髪。麻布で出来た質素な服。そして人間らしい綺麗な肌。

 物質の一つに腰かけて楽しそうに笑っているのは、勇者になる前、つまりは村人であった頃のララベルであった。

 




ご指摘、ご感想があればよろしくお願いします。


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境界

「……」

「ふふ、どうしたんだい? 呆けたような顔をして」

 

 ララベル、と言っていいのか。断言していいのか分からない。

 目の前の少女は俺のことが可笑しいのか、俺を見ながらクスクスと笑っている。

 

 俺が知る、ララベルの最初。

 天真爛漫な村人だった頃。その姿で、普段のララベルの雰囲気。

 ここがどんな場所なのかとか色々と気になることはあるのだが、とりあえず目の前の彼女から感じる違和感が凄かった。

 

「いや、なんていうか……ララベルなんだよな?」

「ララベル……そう、その通りだよ。私がララベル。だけどねコウ、君からはぜひ――」

 

 ララベルは何かを言おうとしていたが、すぐに口を閉ざしてしまう。

 なんというか、俺を置いてけぼりにして何かを考えている様子だ。

 

「……ふむ、ほぉう。コウ、少し目を見せておくれ」

「う、えっ?」

 

 反応する暇もなく、ララベルは一瞬で目の前に飛んでくると俺の目を凝視する。

 いやもうゼロ距離なんて麻痺レベルで慣れてるワケだけど、やっぱりドキッとしてしまう。

 

「な、なんだいきなり」

「……なるほど、そういうことにしているのか。確かに、それなら問題は無い」

「そういうこと? ていうか、アンタはララベルじゃないのか?」

「あぁ、君は気にしなくていいよ。大丈夫、安心しておくれ。私は、そうだね……君の首に埋め込まれた魔物の種。ララベルという存在から切り離された、小さい私みたいなモノだよ」

 

 魔物の種、その中に切り離されたララベルの一部。

 そう言われ、思わず首元を撫でる。ララベルが俺を助けるために埋め込んだ魔物の種。あの中に、今目の前で笑う彼女がいたというワケか。

 酷く恐ろしい話だとは思うが……まぁ彼女ならやりかねないだろうとは思う。

 

 つまり正確に言えば、この子は俺の知るララベルとは少し違うということか。

 まぁだからといって、他に気の利いた呼び方が浮かぶワケでもないが。

 

「……とりあえずララベルって呼ぶぞ。ララベル、単刀直入に聞くけどここは何処なんだ?」

「どこか、かい。難しく言えば魔物と人間の境界、その最奥。簡単に言えば君の内側だね」

「は、内側?」

「あぁ、別に内臓の中とかってワケではないよ。君の潜在意識。不可侵の城とでも言おうか」

 

 ララベルはそう言うと、もともと座っていた場所に戻る。

 そしてさっきからピクリともしないもう一方の何者かの隣に座った。肩を寄せ、その腰回りを優しく撫でている。

 

 アレってなんなんだ?

 人……にしては動かなさすぎる。真っ黒なローブを纏っているせいで、顔どころか男か女かもわからない。

 

「……」

「ふふ、よしよし。怖がらなくていいんだよ」

 

 ララベルにあやされても撫でられても、何をされようと動かないようだった。

 彼女の様子を見るに大分思い入れがあるようだが、生憎思い当たる存在はない。

 敢えて言えば、いつも俺がララベルに受けている扱いと似ていた。普段の俺の立ち位置に、そのままあの正体不明の何かが収まっている感じだ。

 なんというか、少しだけモヤっとする。

 

「……あの、ソイツは誰なんだ? ていうか、人なのか?」

「ん? あぁ、これは人形だよ。ただの人形。ここは殺風景で寂しくてね、気を紛らわすために私が持って来たんだ」

「持って、来た……?」

「ふふ、君は気にしなくていいよ。コレはただここにいるだけ。君を害することもない」

 

 いやそういう問題でもないんだが……。

 何気ない様子でララベルは答えながら、また人形とやらに頬ずりする。なんだろう、人形にしては思い入れが深すぎるように感じる。

 彼女を疑うわけじゃないが、とりあえずその人形にも話しかけてみた。

 

「な、なぁアンタ。アンタはなんでここにいるんだ?」

「……」

 

 ガン無視。いや本当に人形なら至極全うだが。

 確かに、人形らしくピクリとも動かないし喋りもしない。ララベルを見ても微笑むだけだし、これ以上の説明は無いようだ。

 考えても仕方ないだろう。

 

 とりあえず人形の事は置いといて、別の事を考える。ララベルが先ほど言った「城」という単語が引っ掛かった。

 辺りをもう一度見渡してみるが、他に人らしい姿は見当たらない。城というには寂しすぎる。

 人もそうだが、この場所そのものもそうだ。材質不明なブロックが無作為に積まれているだけで、他に装飾らしいモノは存在しない。目を凝らすと薄っすら壁や柱のようなものが見えるが、それだけだ。

 城と言うより、神殿の方がしっくりくるような気もする。

 

「神殿ではないよ、ここは君の場所だ。神だなんて無法者の名はふさわしくない」

「無法者って……ん? 俺、口に出してたか?」

「いいや、覗いただけさ」

「は?」

「覗いたのさ、君の心をね。目を見ていれば、ある程度は思考を読み取れるんだよ。外の私は出来ないのかい?」

 

 初耳だ。ていうかそんなことあるのか?

 そういえばここに来た時、ララベルは俺の目を凝視していた。あの時に心を読み取られていたということか。ある程度と言っていたし、読み取る量には限界があるようだがゾッとする。

 

 いやだが、少なくとも本物のララベルには出来ないだろう。

 だとしたらあの封印の洞窟で出会った瞬間俺の素性は知られていたはずだが、そんな様子もなかった。

 その後もそうだ。目なんて何回ゼロ距離で見つめられたと思ってる。

 

「ないだろ。ていうか、なんでお前は出来るんだよ」

「ふぅん、そうかい」

「……なんか含みのある言い方だな」

「おや、気を悪くしたかい? ごめんよ、性分なんだ。それより、君には知りたいことがあるんじゃないのかな?」

 

 彼女に言われて現状を思い出す。

 そうだ、混乱している場合じゃない。外は今どうなっている?

 

「安心しておくれ。外は止まっているよ。ここでどれだけ時間を掛けようと、外が変化することはないからね」

「……あぁ、そうかよ」

 

 疑問に思った瞬間、返答が返ってくる。いやホント、いよいよもって何でもアリだな。

 確かにララベルは無数の魔物の血を飲んだワケだし、そういう力があっても可笑しくはない。だがどうにも慣れない。

 これじゃ何か考えるのも気を付けないと――

 

「……ぁ」

 

 そこで思考を止める。しまった、今の事も覗かれているのか?

 そんなことを思っていると、ララベルの笑みが深くなる。隣にいる人形とやらの手を握り、自分の憂いを慰めているようだった。

 

「ご、ごめん。隠し事とかするつもりは……」

「ふふ、謝る必要なんて無いんだよ。勝手に私が見ているだけなのに、そんなことで罪悪感を抱くとは」

 

 そう言いつつも、ララベルは人形から離れようとはしない。それどころか、さらに身を寄せて体を完全に預けていた。

 

「……」

 

 なんとも情けない気持ちになってきたが、今は現状把握が先だ。

 

「……ララベル、俺は何でこんなところに来たんだ?」

「おや、てっきり自分の意思でここに来たと思っていたよ」

「そんなことできないって。俺はララベルが用意してくれた魔物の肉を取り戻すためにアステアのとこへ――」

「なに? アステア?」

 

 状況を説明しようとして、遮られる。普段では一切聞いたことが無いような、体が固まってしまうほど冷たい声で俺を凍り付かせた。

 なんだ。アステアなんて名前どころか実際に会ったくらいなのに、なぜ今になってここまでキレだす?

 ていうか怖い。いつものとはまた別の意味で、ただ単純にその威圧感が恐ろしい。

 

「う……どう、した?」

「なぜ奴が出てくる。外の私は一体何をしているんだい?」

「なぜって……お前がアイツに魔物の肉を奪われたから、取り戻すために聖教会へ行こうとしてたんだろ」

「それで君は、取り戻せたのかい?」

「いや、失敗して尋問を受けてた筈なんだけど」

「……へぇ、なるほど。よし、君がどんな状況なのか理解できたよ。ここからでは外がどんな状況なのか分からなくてね」

 

 そう言うと、彼女は怒りを潜めて左腕を軽く上げる。それだけで、周囲に変化は何も起きない。

 

「……何したんだ?」

「なに、住人を呼んだんだよ」

「住人? ここって俺の中なんだよな?」

「あぁ、その通り。だからこそ呼んだんだよ」

 

 意味が分からないが、何かを呼んだと言われて辺りを見渡す。

 一体どういうつもりなのか。そう考えていると、妙な気配を空間の奥から感じた。

 

「なっ、魔物!?」

 

 出てきたのは三体の魔物。

 ぶよぶよとした白く肥大したスライム。紫色を基調とした毒々しい模様の大蛇。そして金色の鉱物で覆われた魔物。

 

 アニメでも見たことがある。イディオット・スライム。ヴェルノ・サーペント。キング・ゴレムス。

 どれもララベルが最初に食べた魔物達であり、俺が食べた魔物達だった。

 奴らはいきなりブロックの影から現れると、のそのそとこちらの方に寄って来る。

 さすが最強の部類の魔物と言うべきか。アニメとは違って、実物だと威圧感が段違いだ。

 

「……」

「ふしゅるるる」

「ごぉー……」

 

 だがなんだ、敵意らしいモノはまるで感じない。

 物珍しさというべきか、おっかなびっくり探ろうとしているような感じだ。

 

「……まさか、俺に食われた奴らなのか?」

「その通り、彼らは君の中で住む家臣。魔に堕ちた君の呼びかけに応じ、君に力を託す。自由自在さ」

 

 そう言ってララベルは魔物達を一瞥した。魔物達は各々体を震わせたりして反応すると、近くにあったブロックに近寄る。

 そのままキング・ゴレムスは人間っぽくチョコンと座り、イディオット・スライムやヴェルノ・サーペントはブロックに乗っかった。

 

「さて、配置は完了した。あとは君が彼らを呼ぶだけだよ」

 

 呆気に取られていると、ララベルが再び話しかけてきた。

 

「呼ぶって、どうやって?」

「……外の私は何をやっているんだ。まぁ良い。なに簡単さ、頭の中で彼らを呼ぶと良い。そうだね、門の中から引っ張り出すような感覚だ」

 

 ララベルの説明を聞きながら、アニメで彼女がどうやって魔物の力を引き出していたかを思い出す。

 

――――――顕現ッ!

 

 魔法ではなく、魔物の力。

 その力を人間の身で行使するには、内に秘めた魔物の存在を常に意識する必要がある。

 脳内にそのスペースを作る合図として、ララベルは「顕現」と叫んでいた。

 覚えている。忘れる筈が無い。魔物の血を飲み、拒絶の痛みに耐え、体を歪めてララベルが得た力。

 

 雨の降る日、魔物に囲まれ。

 泣きながら、変わり果てた体を震わせて使っていた。

 その力が、今俺の中に在る。

 

「知っているだろう? 私が君の事を知っているように、君は私の事を知っているんだから」

「……あぁ、そうだな」

「なら、あと必要なのは決意だけだ。君はその力を使えば、もう本当に戻れない。世界の、そして女神の敵になる」

「……」

「それでも、君は私の隣にいてくれるかい?」

 

 ララベルの問いが耳に届くと同時に、視界が狭くなる。

 黒が迫り、この空間から追い出されるような感覚を覚えた。

 

「さぁ、コウ。見せておくれ。君の決意を、善意を。君だからこそ見せられる。その意思を」

 

 瞬間、視界が完全に黒くなる。ソレと同時に、小さく笑った。

 当然だ、至極当然。もう決意なんてとうの昔に出来ている。

 人に留まるか、境界を超えるか。もう既に、選択する必要すらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……顕現」

 




ご指摘、ご感想がありましたらよろしくお願いいたします。
色々あって凄く遅れてしまいました。申し訳ないです……。


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終着、あるいは門出

 ぽたぽたと自分の顔に落ちる何かでコウは目を覚ました。

 

「コウ、様……!」

 

 コウの意識が戻った時、彼の目に映ったのはアステアの泣き顔であった。

 怒り、悲しみ、その二つではぬぐい切れない後悔の念。本来大神官が抱くべきでない感情が、彼女の泣き顔から見て取れる。

 だが、ソレでコウが止まることはなかった。

 

「……これ、は」

 

 瞬間、アステアの顔が驚愕に変わる。

 先ほどまで自分が痛めつけていたコウ。その体がみるみるうちに癒えていくのだ。

 いや、癒えるなんて生易しいモノではない。まるで最初からダメージなど無かったかのように、体の至る所の傷が消えていく。

 

「御下がりください、アステア様。何か様子がおかしいです!」

 

 突然の出来事に面食らったアステアに代わり、最初に動けたのはジースだった。彼女は事の異様さをいち早く感じ取り、即アステアのもとへと駆け寄る。

 彼女の叫びで我に返ったアステアは、少しだけ躊躇ったが後ろへ飛び退いた。涙をぬぐい、コウをキッと睨みつける。

 

「あれは、魔物の力ですか?」

「……そのようですね」

「では、やはりあの者は魔物に」

「……えぇ、堕ち切ってしまいました。もう、引き上げられません」

 

 アステアの反応が鈍く、遅い。そのことに寂し気な表情を浮かべるジースであったが、今はそれどころではない。

 一番恐れていた事。第二のララベルの誕生という、絶対に避けなくてはならなかった事態に陥ってしまったのだから。

 

「……イディオット・スライム」

 

 目を覚ましたコウは、小さくそう呟いて難なく立ち上がる。もう体のダメージはほとんどないことが見て取れる。

 地鳴りが起きているワケでもなく、どす黒い魔力が溢れているワケでもない。だが彼女たちの前に立つ少年は、明らかに別の何かへと変貌していた。

 魔物、いやあるいは魔物すら超える何かに。

 

「消滅しない、再生。意識さえあれば、元に戻る」

 

 対するコウの顔は暗い。いや正確に言えば、感情を表に出す余裕がない。

 彼の中には、今まで生きてきた中で全く経験のない感覚があった。

 

 それは再生、魔物の能力。やり方、強弱の方法、オンオフの切り替え。その全てが彼の中で、さも当然のように居座っているのだ。

 例えば右手を握り締めるように、左足を上げるように。知っていて当たり前のような感覚が、彼の脳に叩き込まれていた。

 その混乱、異常は彼の余裕をなくし、あるいは精神を大きく揺さぶるまでに至っている。

 

「……は、はは」

 

 だが、そんな中で彼が漏らしたのは笑みであった。

 乾いてなどいない。純粋に嬉しそうな笑み。

 

「何が、可笑しいのですか」

「……良かったって、思ってんだ。ちょっとだけ、苦痛が分かれて」

「……」

「こんな感覚だったんだな、あの子は。体中、ワケの分からないモノに変わっていく感じだ」

「ッ!!」

 

 この場にいるのは自分とコウ、そしてジースの三名のみ。それなのに、彼が意識するのは最後までララベル。

 自分などまるで眼中にない。その事実を自覚する前に、アステアは杖をコウへと向けた。

 

「輝くは女神の化身。その輝きと御名をもって不浄の敵を射抜け」

 

 無機質な声に呼応し、宝石杖に神々しい光を放つ。彼女は本気で振りかぶり、光の中からいくつもの巨大な宝石を飛ばした。ただの宝石ではない。それぞれが炎、水、雷。その他にも様々な女神の「力」を纏わせている。

 死なない程度、しかし無傷では済まさない程度で。

 

「……顕現、キング・ゴレムス」

 

 しかし、ソレを許すコウではなかった。手段はある、そして行使しない理由もない。

 彼が呟くと同時に、また脳裏に生まれた感覚を手繰る。そしてアステアの攻撃が届く前に、感覚の通り自身の表面に強固な鉱物が構築された。

 当然アステアの攻撃は届かず、ガキンと鈍重な音が響くと同時にその杖の動きが止まってしまった。

 

「ゴレムスの鉱鎧、しかも王種のッ!?」

 

 ジースが驚き、声を上げる。服の中から何本も針を取り出し、指に挟んでコウへと飛ばす。

 しかしコウを守るかのように表れたソレは彼を守り、脆弱な針を簡単に弾き飛ばした。

 

「くっ……硬度も本物だなんて。魔王城の近くまで行ってようやく見れる程の希少種が、よりにもよって!」

「落ち着きなさい、シスタージース。あの程度の装甲なら突破はまだ難しくないでしょう」

 

 アステアはジースを諫めながら、手に持つ宝石杖を勢いよく地面に叩きつける。

 同時に杖を中心に、細かい呪文が刻まれた大きい魔法陣が現れた。魔法陣は水色の光を放ち、そこから彼女の体を優に超えるであろう大きさの氷塊が現れる。

 数は三つ。その先端は容赦なく尖っており、さらにその周りにはバチバチと電気のようなモノを帯びている。

 

「キング・ゴレムスの装甲は確かに脅威です。しかし、ソレはあくまで物理でのみの話。その弱点は……把握しているッ!!」

 

 叫ぶと同時に杖を前方へ向ける。そして浮かび上がった氷塊はその標的を定め、勢いよく飛んで行った。

 狙いは正確。その威力にも手心は一切感じられない。

 直撃すれば確実に無事では済まないであろう勢いで、コウの命を獲ろうと迫っていった。

 

「……」

 

 しかし、対するコウに動揺はない。

 彼は右手を前の方に出すと、目を閉じて集中する。どのような感覚で何をしようとしているのか。おそらく通常の人間には、一生を掛けても分からないであろう何かをやろうとしていた。

 

 瞬間、コウの足元から何かが勢いよく出現する。

 彼を守る鎧とは違う輝き方をする鉱石の壁。ソレはアステアの氷塊を優しく受け止めると、その勢いを殺して地面へ落とした。

 その様子を見て、アステアは厄介そうに目を細める。

 

「……なるほど。ただ魔物のようになるだけではない、と」

「そんな、ゴレムスに魔法耐性があるなんて」

 

 ジースは怯えるように声を震えさせる。目の前で立つ少年が、彼女には既に魔物としか見えていなかった。

 

「ただでさえ王種の調査は碌に進んでいません。偶然、彼が食した個体がその力を持っていた可能性もあります」

「では、やはり不意を突いて本体を叩くしか……でもどうやって……」

「恐怖してはなりません。ジース、貴方は一度後ろへさが――」

 

 正面突破が無理だと悟り、アステアはジースに次の指示をしようとした。その直前、彼女は確かにソレを感じた。

 殺気。人間ではなく、魔物が放つ純粋で鋭い殺意。

 どこから放たれたのかなど、考える必要もない。

 

「顕現、ヴェルノ・サーペント」

 

 コウはその場から動かず右手を前に出すと、その手の平に真っ黒な渦を発現させる。

 正体不明の渦。その中の何かが小さく蠢くと同時に、怒涛の勢いで何かが噴出した。

 

 濃い緑色。液状。

 ソレはアステアの視界一杯に広がると同時に、触れた床や天井にシュウシュウと怪音を生じさせた。

 

「ッ!? ジィ―スッ!!」

「はいッ!」

 

 何が出てきたのか瞬時に理解したアステアとジースは、左右に飛んでソレを躱す。

 そして自分たちがいた場所を確認すると、液体に触れた床が無残に溶けだしていた。

 

「毒、しかもこれほど強力な……うぐっ」

「極力離れて、こんなものを吸って気絶したら目覚められるか分かりませんよ!」

 

 その場でうずくまってしまうジースを尻目に、アステアは杖を振る。

 

「全霊を持て女神の臣下! 汝の前に立つは世界の敵なりッ!!」

 

 叫ぶように呪文を唱えると、さらにいくつもの魔法陣を出現させた。

 火炎の竜に稲妻の光弾、そして刃を孕んだ暴風。魔法陣からは様々な魔法が繰り出され、その全てがコウへとぶつけられた。

 もはや対人で使用するような威力ではない。化け物や魔物、その中でもさらに脅威な相手を打ち倒すような威力である。その一つ一つに明確な殺意が込められ、必殺に見合った破壊力を持ち合わせていた。

 

「顕現、キング・ゴレムス」

 

 常人が見れば絶望し、諦めすら生まれるであろう光景。だがそれでも、コウの瞳は揺らがなかった。

 まるで見通しているかのように、魔物の力を行使する。

 彼は先程生じさせた銀色の鉱物を、今度は周囲全域に発生させた。一人分のドームを形成すると、魔法の全てを受け止めていく。

 

 アステアの魔法はコウのドームに触れるたび轟音を生じさせ、何度もその中に侵入しようとした。

 アステアは魔法が消えるたび新たな魔法を発動し、その弾を隙なく無限に放つ。

 

 いつしか大きな砂埃を生じさせ、アステアの視界を阻む。しかし、それでもアステアの手が緩まることはない。

 何度も何度もぶつけ、容赦なくその壁を壊そうとする。

 

 その情け容赦ない姿に、味方であるジースですら息を飲んだ。

 彼女は知っている。目の前の悪鬼のごとき怒涛の攻撃を続ける姿こそが、アステアの本来の戦闘スタイルだと。

 

 しかしその一方で、彼女の様子に違和感が拭えなかった。

 ジースの目にはまだ見えたのだ。猛攻を続けるアステアに、微塵だが確かに残る慈悲が。拭いきれない躊躇が。

 

「アステア様……ぐっ……」

 

 ジースの言葉はアステアには届かない。

 自分の中の矛盾を自覚して尚、アステアはコウへの攻撃を止めなかった。

 

「ハァッ……ハァッ……」

 

 しかし、間もなくしてアステアの猛攻は止まった。コウからの反撃があったワケではない。彼女は自分から攻撃を止めてしまったのだ。

 いや、正確には止まってしまったというべきか。光り輝いていた魔法陣はその威力を失い、徐々に姿を消していく。アステアは息を荒げ、杖を支えにしてその場に膝を付いてしまった。

 

「……もういいだろ」

 

 そんな彼女を見下ろし、コウは呟く。もう用はないと言うかのように視線を逸らし、次に隅で蹲るジースを見た。

 

「そこのアンタ、ジースって言ったよな?」

「な、なんですか……」

「そこの聖女サマの面倒を頼む。アンタも今なら死ぬことはない。俺は魔物の肉さえ食べれればあとはかえ――」

 

 帰る。そう言おうとした瞬間、彼の背中にドゴンと何かが打ち付けられた。

 しかし、当然だが衝撃は鉱物に防がれる。

 

「何を、勝手なことを、言っているのですか」

「アステア様ッ……!?」

 

 コウが後ろを見ると、そこには震える足で立つアステアがいた。

 額から滝のように汗を流し、顔も真っ青になっている。見せないようにしているが、重心を逸らして杖に体重をかけているのが見て取れた。

 息も荒く、目も霞むのか虚ろになっている。いつ倒れても可笑しくない状態だ。

 

「……それ以上やったって、無駄なことくらい分かるだろうが」

 

コウはそんなアステアを一瞥すると、相変わらず無表情のまま口を開く。

 

「……」

「魔力切れだろ、ソレ。短時間であんなに魔法を使った代償だ。全盛期のアンタならワケなかっただろうけど、急に使ったせいで体が追い付かなかったのか?」

「ふ、ふふ……随分と詳しいのですね。魔力の魔の字も感じないというのに」

「あぁ、知っているさ。これ以上魔法を使い続ければ、命にかかわることもな」

「えぇ、そうで……あぁうるさい! 分かっているから黙っていろッ!!」

 

 突然アステアは叫びだし、頭をガシガシとかき乱す。目は血走り、何かを追い出すように頭を大きく振った。

 

「いいから止めろ。もう女神からの啓示にも耐えきれないんだろ」

「……何を、止めろと? 何も知らない、筈の、貴方が」

「それ以上女神に従って何になる? お前にとって、そんなに信奉する価値があるのか?」

 

 コウは静かに、諭すようにアステアへ訴える。喫茶店の時とは立場が逆転してしまっていた。

 アステアは理解している。コウの言葉に裏が無い事を。その真意が、敵であるはずの自分に向けられた哀れみであることを。

 

「……ふふ」

 

 しかし、それでも杖を振り下ろした。

 当然防御される。人智を超える硬度はただの人間程度が放つ打撃など弾き、逆に強烈な反動を与えた。

 ゴトリと音を出し、彼女の限界を伝えるように宝石杖が横たわる。だが、それでもアステアは止まらなかった。

 

「……」

 

 痺れる右手を左手で掴み、使い潰す勢いで握りしめた。そうして出来上がる脆い拳を使い、再度コウへ向き合う。

 

 何度も、何度も、何度も。遂には耐えきれず手から血が流れ、グシャリと肉を潰したような怪音と共に彼女の拳も使い物にならなくなった。

 それでもアステアは止めない。握ることすら困難な状態になろうとも、指が折れ曲がり原型が無くなろうとも。

 

「アステア様、それ以上はッ!!」

「……」

「もうお止めください! この男の言う通り、それ以上は何をしても……!」

 

 ジースは大声で叫びながら、毒でまともに動かない体に鞭を打ってアステアを止めようと駆け寄る。

 背後に回りアステアを抑えようとするが振り払われ、さらに打撃を続けた。

 その勢いで背後に飛ばされたジースは、その衝撃を感じる暇もなくアステアの異様な雰囲気に当てられてしまう。

 

 普段の凶暴なアステアなら彼女は知っている。しかし、亡霊のごとき今の彼女は観たことが無い。

 恐ろしく不気味、あるいは膨大な狂気。ソレを全身に受け、遂にジースは身動き一つとれない。干上がった喉からは声すら出ず、ただ二人を見続ける事しかできなくなった。

 

「止めろって、言ってるだろ」

 

 そんな行動不能となったジースを尻目に、コウは鉱物の鎧から手を伸ばす。そして未だ迫るアステアのボロボロとなった手を掴んだ。

 

「ッ……!?」

「顕現、イディオット・スライム」

 

 コウがそう呟くと、アステアの手に異変が起きる。

 魔法陣も光も生じないが、彼女の手には確かな熱が発生したのだ。

 そしてあらぬ方向に曲がっていた指は正しい方向へ戻り、砕かれていた骨が綺麗に戻っていく。

 そう、先ほど自分の体を再生させたコウのように。

 

「やっぱり、他の奴にも出来たか」

「……これは?」

「俺の再生力をアンタに移した。感覚でやってみたが、ある程度は自分以外にも出来るみたいだな」

「そう、ですか……ッ!?」

 

 アステアはボーっとした表情でみるみるうちに治っている自分の手を見ていると、いきなり目を大きく開いて自分の頭を掴んだ。

 突如彼女を襲った謎の「解放感」。驚いたように目を大きく開き、自分の身に起こった異変を信じられないでいた。

 

「まさか、神託が……」

「……成程、和らぐのか。まぁ、曲がりなりにも魔物の力だ。神託を受けるアンタらにとっては毒なのかもな」

「……」

「まぁ、それでも良いだろ。これでもう女神に従う必要は――」

 

 ないだろう。

 そう言い切る前に、不可解にもアステアは再びコウに殴りかかった。

 

「何で止めない?」

「……」

「もう、次は治さないぞ?」

「……ふふ」

 

 アステアは返事をせず、笑いながら殴り続ける。一心不乱に拳を振り、不気味に微笑みながら人形のように動き続けていた。

 そうしているうちに、彼女の手からまた鈍く痛々しい音が響き始めていた。そしてその激痛も意に介さず、無意味な攻撃が続く。

 

「いい加減にしてくれ、止めろアステア」

「いいえ、止めません。ここで止めなければ、ならないのです」

「……」

 

 コウは黙ると再びアステアから視線を逸らし、出口の方へ歩き出した。

 

「ッ……出で……よ……!」

 

 それを見たアステアは再び杖を手に取る。そして絞りカスしか残っていないであろう魔力をさらに絞り、出口の前に再び魔法陣を発生させた。

 そしてそこから大きな氷が現れ、壁のようにコウの前へ立ち塞がった。

 

「……」

「ふ、ふふ……もう、分かっているのでしょう? 私を止めるには、どうしたら良いのか」

「……やめろ」

「何を躊躇うことがあるのです? さぁ、私の首はここです。その力をもってすれば、簡単にへし折れるでしょう」

 

 コウが考えもしていなかったこと。いや、考えようとしなかったこと。

 それをさも当然のように、アステアは囁く。まるでコウに殺されることを望むかのように。

 

「さぁ、さぁ、さぁ、早く。そうすれば、この目障りな女は動かなくなりますよ」

 

 気付けばアステアの微笑みは、また別の何かに変わっていた。人形のようだった微笑みから、血の通った聖女のごときモノに。

 対するコウは少しだけ目を細める。この場でそんな笑みが出来るアステアが、どこまでも不気味だった。

 

「……あぁ、そうかよ」

 

 コウは拳を振り上げる。力を込め、バキバキと怪音を上げ、その表面に鈍重な凶器を纏わせて。

 

「お前が、ソレを望むんなら、その通りにしてやる……」

「ふふ、えぇ。さぁ早く」

 

 アステアの笑みは変わらない。

 それどころか、今から自分を殺そうとしているコウへ両手を伸ばし、その殺意を受け入れようとしていた。

 コウの無表情も変わらない。アステアの言う通りその顔を殴りつぶそうとしていた。

 

「これ、で、おわり、だ」

「えぇ、終わりでしょう。感謝いたします、コウ様」

「……」

「……コウ様?」

 

 その時。今度はコウの方に異変が起きた。

 言葉が何度も詰まらせ、無表情のまま動かない。

 

「コウ様、どうされたのです?」

 

 次いで目から血が流れる。いや目だけではない。

 耳、口、鼻。そこから静かに血が止まることなく流れ続ける。そしてその目が真っ赤に染まった瞬間、その場にドサリと倒れてしまった。

 身動き一つとらず、起き上がる様子もない。

 

「コウ様?」

「――」

「早く起きて、私を殺してください。そうすれば、私は貴方の物に」

 

 コウへ寄り、まるで親を起こす子供のようにその身を揺する。

 音のない空間で、アステアの声だけが響く。コウは返事をせず、目覚めもしない。それでも、アステアは囁き続ける。

 

 故に、彼女は気付かなかった。

 出口に生じさせた氷の壁が、いつの間にか消失していたことに。

 

 

 

「無駄だよ、コウは目覚めない」

 

 

 

 無機質な声が、部屋中に響く。

 

「ただでさえ最初の段階なのに、一気に三体も使ったんだ。既に脳が限界だったんだよ。どれだけ怒っても悲しんでも、その表情を変える余裕すらない程にね」

「な、に……?」

 

 部屋のどこからともなく、何者かの声が聞こえた。まるで地獄からの呼び声。凍えるほど冷たく、叫ぶほどに熱く。

 そんな矛盾をはらんだ恐ろしい声が、まるで呪詛のように空間を包んだ。

 

 次いでコツコツと足音が鳴る。静寂なこの空間では、鬱陶しい程にやたらと響いた。

 そして闇の中から、その正体が露になる。声の顔を見て、アステアの顔が驚愕と憎悪で歪んだ。

 

「ララベル……なぜ……貴様が……!」

「ダメだよ、アステア。ソレだけはダメだ。絶対に許しはしない」

 

 声の主。ソレは決してこの場にいない筈の存在。

 魔の象徴たる銀色の髪をなびかせ、勇者ララベルは静かに嗤った。

 




ご指摘、ご感想があればよろしくお願いいたします。
色々詰め込んでたら、いつもの倍近い字数になってしまいました……。


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勇者と大神官

 勇者。

 人間の希望であると共に、絶望。

 運命、破滅、結束、綻び。その全ての象徴。 

 そして一縷の光であり、無限に広がる闇。

 

 そんな勇者ララベルが、悠然と聖教会の地下へとやってきた。

 

「そん、な……ララベル……!?」

 

 隅で動けずにいたジースはガタガタと身を震わせ、絶望に顔を染める。

 その声を聴き、ララベルは彼女に視線を移す。蛇に睨まれた蛙、どころではなく。子供に潰される寸前のアリのような心地。

 そんな死刑直前のような感覚にジースの体は震え、欠片しか残っていなかった戦意も完全に消え去った。

 

「……あぁ、ソコから見ていたんだね」

 

 ララベルは目を細め、ジースに手を向ける。

 そして次の瞬間には、彼女の視界は真っ暗になっていた。

 

「ッ……!?」

 

 声にならない悲鳴。

 その暗闇が目を手で覆われたことによるモノだと気づく前に、一瞬で間合いを詰めたララベルの言葉が耳に届いた。

 

「いつまで覗いているつもりだい?」

「ひ……ぁ……」

「いい加減、目障りだよ。無法者はこの場に必要ない」

 

 瞬間、ジースの頭をバチンと何かが走った。

 その衝撃は彼女の意識を容易に刈り取る。ララベルの言葉の意図を理解出来ないまま、ジースはそのまま冷たい床へと伏してしまった。

 残っているのは、今も憎々し気にララベルを睨みつける手負いの大神官のみ。

 

「さて、野次馬は退出してもらった」

「貴様……ジースを……」

「安心しておくれ、彼女自身は眠らせただけだよ。君も知っているだろう、彼女が起きていると面倒だ……さて」

 

 言葉とは裏腹に横たわるジースを気にする様子もなく、ララベルは再び姿を消した。

 

「ッ!?」

 

 霞のようになどと生易しくは無い。ララベルは瞬きをする間もなく、その身を消した。

 当然アステアは追うことも出来ず、辺りを見ても見つからない。

 

「……どこ、に?」

「隣だよ」

「ッ!? このッ……」

 

 直後、耳元から吐息を感じられるほどの距離。アステアの目が驚愕に染まり、右手を大きく振る。

 だが、彼女の手は既にボロボロ。容易にララベルによって掴まれ、その拘束を振りほどくことすら出来ない。

 

「っ……」

「ふふ、実に不憫だ。こうでもしないと、彼の心を掴めないとは」

「何が言いたい、この化け物め」

「君は最初からコレが狙いだったんだろう? 初めて彼と出会い、彼の本質をすぐに理解できたその瞬間から」

 

 言葉と共に、ララベルは己の力の一つを使う。その手からは先ほど使われた再生能力、などとは比べ物にならない程の輝きが生じた。

 

「貴様の……施しなど……」

「黙って受けるんだ。君の体に彼が付けた傷なんて見たくもない」

 

 その輝きは意志を持つようにアステアに纏わりつく。アステアは忌々しく思いながらも、その光から感じたくもない暖かさを感じていた。

 

 まるで神の御業。あるいは悪魔の所業。

 そう思ってしまうほどに激しい光は、アステアの傷を瞬く間に癒していった。本人の意思など、初めから存在しないと言うかのように。

 

「君は最初から理解していたんだ。どうあがこうと、コウが君の隣に立つことはないと。だから、こうなる道を選んだんだろう? 優しい彼のことだ。きっと憐れであればある程、殺したあとの傷は深くなると。そう、まるで楔のように」

「……」

「だから君は自分の過去を話したんだ。だが、そんなことは許さないよ。彼の心の中に、君は決して存在させない。そら、もう啓示も完全に聞こえなくなっただろう。ここでなら、二人きりで話ができる」

 

 ララベルは治ったアステアの手を優しく戻す。確かにアステアからはもう頭痛を気にするような様子はなかった。

 しかしその表情は非常に険しい。図星を突かれたからか、ララベルの言動や存在の全てが腹立たしいのか。

 いずれにしても、アステアの彼女を見る目は親の仇のソレのようであった。

 

「貴様は……」

「ん? なんだい?」

「貴様は、皆を殺しに来たのか。貴様の全てを奪った、憎い私たちを……」

 

 真っすぐ、射殺すほどの眼光でアステアは睨む。

対するララベルはわざとらしく首をかしげて顎を撫でた。楽しそうに微笑み、まるでこの空間に流れる空気すら楽しんでいるかのようだ。

 

「ふむ。憎しみ、それに皆殺しときたか」

「貴様はいつもそうだった。封印される時も、旅の時も、この城にいた時も。いつも何かを憎んでいるかのような、ただの村人が出来ない程に暗く悍ましい目をしていた」

「酷く曖昧だね。あぁ一応言っておくけれど、君らの私に対する所業に関しては微塵も怒ってはいないよ。それは保証しよう」

「……なら、ならば尚のこと、貴様の真意が分からない。封印されるときも気掛かりだった。あの時、封印の洞窟で貴様が見せた笑みは、諦めや悲嘆から来るものではない」

「へぇ、ならば何だい?」

 

 言葉遊びを楽しんでいるかのようにララベルは軽口を交わす。真実に辿り着く主人公を楽しむ悪役のように、その頬は愉快気に吊り上がっていた。

 

「喜び、見る者の底の底まで凍えるような、狂喜だ」

「ほぉ?」

「他の者は誤魔化せていたが、私は騙されなかった。上手く諦観しているように見せていたが、アレは確かに『何かを待ち望む者』のソレだった。まるで、コウ様が助けに来ることを分かっていたかのように」

「……そうかい。そこまで分かっているのなら、教えてあげよう。どのみち、これから先の事を考えるのならば知っておくべきだろう」

 

 そう言って、ララベルは近くの瓦礫に腰かけた。

 その体に震えは無く、隠れ家で見せた弱弱しい少女の様子は微塵も感じられない。

 

「さて、どこから話すか……君は私の力、いや勇者の力は知っているね?」

「……境界の変容、侵食」

「そう、その通り。勇者とは、この常識、在り方の全てに存在する境界を変える。まるで金色の糸を揺らす鐘の音のように。人間と魔物、女神と勇者。そして……世界と世界」

「世界、だと?」

「その力は私が封印される直前、勝手に作動した。そして私に見せたんだよ、彼を……こんな風にね」

 

 そう言うと、ララベルは何の気もなしに人差し指を前に向け、スゥーと横になぞる。 

 するとどうだろう。何もない筈の空間はいきなり歪み始めると、その景色を全く別の何かに変貌させた。

 ソレはアステアにも見覚えがある。ララベルとコウがハルメイアにて潜伏していた、あの隠れ家だった。

 

「純朴そうで、優しそうで。疑うことに慣れていないような、そんな目の少年。彼が何者なのか私には分からなかった。だがそんな彼が、私を救う天使に見えたんだ。そして理解したんだよ。今までの全ての苦痛は、きっと彼と会うためのモノだったとね」

「……天使、だと?」

「あぁ、そうだよ。彼は天使の名にふさわしい存在だ。この世界そのもの、女神ですら創造した者たちが住む世界から来たんだからね」

 

 アステアの表情から憎悪が薄まる。ララベルから視線を逸らし、頭の中で考え事をしているように見えた。

 そして何かに気づいたかのようにハッと顔を上げると、震える口をゆっくりと開いた。

 

「女神ですら、と言ったな?」

「あぁ、そうだよ。全ては創作。この世界は何者かが作った喜劇であり悲劇。そして大衆を満足させるためだけの存在。それがこの世界の全てさ」

「そう、か。なら彼は……」

「真なる神々の住まう世界。ソコから送り出された天使、ということになるね。まぁ、人間が望むような力は持ち合わせていないけど」

 

 そう言ってララベルはニコリと笑う。本当に楽しそうに、まるで恋する乙女のように。

 

「……チッ」

 

 その様子がどこまでも気に食わないのか、アステアは眉間の皺をさらに深くした。

 舌打ちをして、自分のいら立ちを隠すことなく言葉をつづける。その中に、確かな怒気を含めて。

 

「私を生かした理由はなんだ? 貴様にとって私は、真っ先に消したく思うほど邪魔な存在のはずだ」

「簡単だよ。彼に居場所を作って欲しい」

「……居場所だと?」

「彼は確かに魔へと堕ちた。でもね、その根幹はやはり人間なんだよ。私と隠れ続ける切迫した生活は、その精神を摩耗させていくだろう。だからこそ、人としての生活が必要なんだ」

「……」

 

 納得のいくような、いかないような。そんな顔をしてアステアは話を聞いていく。

 ただ、その表情は少しずつ和らいでいた。自分の中で膨らんでいた謎が、たとえ荒唐無稽な話であっても明らかになったからなのか。

 何にせよ、アステアの怒りは潜み始めていた。

 

「そこまで、コウ様の事を?」

「うん、彼は私に全てを与えてくれた。もう何もかも無くなってしまったこの身に、新たな光を与えてくれたんだよ」

「光、か……」

「だからこそ、私は彼に全てを与える。勿論、押し付けるつもりもない。彼には負担なんてかけない」

 

 その微笑みは優しく、まるでララベルこそが聖女であるかのように慈愛に溢れていた。

 まるで、ソレこそが本来の彼女であるかのように。

 

「それで、大神官たる私を選んだのか」

「あぁ、君なら彼にある程度の財も与えられるだろうからね。彼に人として生きるための場所を作れるだろう。君も彼が天使だと納得できれば、その身の心境を和らげれるだろう?」

「意外だな。貴様はなりふり構わずコウ様を縛り付けて、自分だけのモノにすると思っていた」

「ふふ、あぁそうだね。本当なら、彼の心の中には私だけを映して欲しい。でも駄目だ。彼を嫌な気持ちにさせてしまうからね。彼が望むなら、私はどんなことでも成してみせるさ」

 

 綺麗で、優しい思想だった。決して強要せず、あくまで相手の事を第一。

 虐げられた者であるララベルが至った、たった一つの考えだったのだろう。

 

「……」

「これが、私の全てだよ。私の今は、彼のためにある」

 

 その思想に、冷たい空間すら温かくなるような。そんな雰囲気さえ流れ始めて――

 

 

 

「……ふ、ふふ」

 

 しかし、その温かい空間を裂いたのは、道化を見るような笑い声だった。

 

「随分と、らしくないことを話しますね」

「……何を、言っているんだい?」

「えぇ、先ほどから実に滑稽です。まるで沼の底から手招きをしているよう……ふふ」

 

 アステアは何が可笑しいのか、意味深なことを笑いながら言う。

 その様子が理解できないのか、ララベルは少しだけ目を細めてアステアに問いかけた。

 

「……そういえば、不思議だ。かなり飛んだ話だと自覚していたのに、君はあまり驚いていないようだね」

「そうですね、そこまで驚いてはいません」

「理由を聞いても良いかな?」

「えぇ、しかしその前に聞きたいことがあります」

 

 アステアは近くに転がっていた宝石杖を手に取り、ゆっくりと立ち上がる。

 一息つき、顔を少しずつララベルへと向けた。

 

 

 

「そのお話、どこまでが本当ですか?」

 

 

 

 そして強く目を開き、殺す勢いでララベルを睨みつける。

 その豹変を見てララベルは微笑を消し、その視線を図るモノへと変えた。

 

「……なに?」

「質問の意図が分かりませんでしたか? ならば、言い方を変えましょう。貴様が隠す秘匿はなんだ?」

 

 睨み続けるアステア。手に持つ杖を軽く振ると、壁に掛けられている松明の勢いが増した。

 言葉に一切の陰りは許さない。そう言うかのように、火の光はララベルを強く照らした。

 

「さて、何のことか。私が言ったことがすべてだよ」

「シラを切るな。お前は確実に真実を隠している。そう確信するほどに、不可解だ」

「おや、一体何がおかしいと言うんだい?」

「コウ様のこと、そして貴様のこと。彼と会話をした時もそうだったが、妙な違和感が私に纏わりついて離れないのだ」

 

 アステアはそう言うと、杖で床を強く突いた。

 仕切り直し。ここからが本番であり、答え合わせだと言わんばかりの勢いで。

 

「まず、彼が別の世界から来訪者だということ。そんなことは、ある程度予想出来ていました」

「へぇ、そうだったのかい。ちなみにどこから?」

「知識だ。私が知った彼の中の知識には、大きな偏りが見えた」

「先ほども言っただろう。彼は異世界から来た人間だ。多少偏りがあってもおかしくはな――」

「ありすぎだ。知らなくていい事、知っていて当然の事。そしてソレに対する認識。その全てが」

 

 アステアの言葉に、ララベルはピクリと眉を動かした。

 その様子を見逃さず、アステアは間髪入れずに話を続ける。

 

「彼と話をした時、先代勇者の所業を初めてのように聞いていた。そんな事、この世界では知っていて当然の事なのに。それに貴様の事も、その歪んだ笑みすら知らず悲劇の少女だと認識していた」

「彼が遠くの田舎から来た人間だったとしたら、知らなくても仕方ないだろうに」

「えぇ、それなら知らない可能性もあるでしょう。多少の知識の違いも頷けます。しかし彼からは、多少なりとも学を受けた雰囲気があった。世間知らずなド田舎の出だとしたらおかしいだろう」

「……なるほど、ソレは確かに不自然だね」

「他にも妙な点はいくつかありましたが……確信に至ったのはコレです」

 

 そう言って、アステアは服の中から一枚の紙きれを取り出す。

 ソレは喫茶店にて、彼女が見せた不滅なる善性の手掛かりであった。

 

「かなり汚く、かろうじて読める程度の代物だが……コレは文字だ」

「……」

「コレにはある存在の名が書いてあります。誰もが知っているが、誰もが見たことのない……あぁいえ、貴方だけが見たことのある者の名が」

「ふむ、確かにそうだね。私にも読めるよ」

「勇者ララベルの事は知っているのに、先代勇者の知識はない。しかし余程の田舎から来たとしても、振る舞いからはそれなりの教養を感じる。鎧で隠した衣服は見たこともない代物で、おまけに文字は分からず書かれた名の意味も理解できない。こんな可笑しな人、考えられるのは別の世界から来たくらいでしょう」

 

 しかし、と。

 アステアは言葉を区切ってララベルを再び睨みつけた。

 

「そうなると、可笑しい点が一つ。彼が何故、この世界と繋がりがあったのか」

「それは先程言ったはずだよ。彼は物語を通してこの世界を――」

「違う。私が言いたいのは、彼が何故この世界に来たのか、だ」

 

 アステアは手の甲をさらし、二本の指を上へと向ける。

 捲し立てるその様子は実に彼女らしく、そしてララベルを前にして震える子羊のような無力さが見えた。

 しかし、それでもアステアは杖を握り、その口を閉じない。

 

「そもそも、貴様は女神から世界の境界を揺らすほどの力は与えられなかったのではないか?」

「ふふ、ではどうやって彼を見たというんだい? ただの村人だった私が」

「本当にただの村人だったら、だろう。貴様はその力を既に持っていたのだ。自分の力を使って、コウ様を見たに過ぎない」

「成程、それなら辻褄は合う。しかし、それなら私は、一体何者なんだい?」

「……そうだな、ソレが一番重要だろう」

 

 アステアは杖をコンと床につき、一度深く深呼吸した。

 

「自力で世界を揺らす程の存在。その正体について、納得出来てしまう仮説を二つ立てた。勇者なんかよりずっと危険な、この世界に古くから根付く存在を」

「……へぇ、そうなのかい」

 

 瞬間、その場に異常が発生した。

 地鳴り。まるで地の底から何かが這い出てくるかのような。冒涜的で悍ましい、そんな根源的恐怖を彷彿とさせる理解不能な何かが、この空間に起きていたのだ。

 

 その源は誰か、探る必要すらなく。源はただただ微笑み、その答えを待つ。

 だがその内に秘める興奮を隠しきれず、その目を少しばかり輝かせた。早く早く、その答えを言えと捲し立てるように。

 

「一つ目は女神、しかしこれは違う。貴様のようにハッキリと世界に存在できるのなら、もっと早くこの世界は『平和』になっている」

「うん、確かに間違いだ。それで、もう一つは?」

「……誰一人その姿を見たことが無い存在。しかし、その名前だけは何故か遥か昔から知られていた。人間が倒すべき存在であり、コウ様が読めなかった名を持つ者。女神と対立するほどの力を持ちながら、直接この世界に君臨する化け物」

「回りくどい事を言わなくてもいい。早く私の名を口にするんだ」

 

 アステアの息が荒くなる。

 汗を垂らし、顔から血の気が失っていく。視界が揺れ、今にも倒れそうな状態だ。

 そんな体に鞭打ち、定まらない焦点でララベルを睨んだ。

 

 ただ一つ、その隠され続けた真実を暴くために。

 

「貴様は、女神の真似をしたのだ。彼がこの世界に来る前から、似たような手段をとって彼の世界へ干渉していた。そして自分の正体を隠し、コウ様が自分を悲劇の存在として認識しているのかを確認したのだ。コウ様自身も、恐らく他の誰かがその場にいたとしても、全くその違和感に気付かない方法で」

 

 アステアの声が震える。

 きっと、彼女の脳は理解していたのだ。もっと前から、ララベルがどんな存在なのか。

 魔に堕ちた悲劇の勇者。その肩書を隠れ蓑にして世界を生きていた、その本性を。

 

「何故コウ様の知識にこれほどまでの偏りが、いや『改竄』があったのか。なぜ彼はこの世界に来たのか。なぜその場所が、貴様の目の前だったのか。その答えは、貴様の正体にある」

 

 同時に、アステアが持っていた紙が地に落ちる。

地に落ちた紙は極彩色の輝きを放ち、その名を床に刻み付けた。

 

「古の存在。人類の敵。深き闇の支配者……魔王ベルモール」

 

 内に押し殺せない程の恐怖を抱きながら、それでもアステアは触れてはいけないであろう何かに触れた。

 まっすぐララベルを見て、その正体を明かすことの恐ろしさを理解したうえで。

 

 ハッキリと、その名を口にした。

 

「く、く……ふふ……」

 

 そしてララベルの顔が歪んでいく。優しく獰猛で、どこまでも楽しそうに。暗い暗い、見る者を震え上がらせる瞳、その奥を輝かせて。

 

 そして一言。

 

「やはり、辿り着いたか。流石にコウと共にいただけの事はある。勇者の付き人、醜い裏切り者のアステア」

 

 そうして、笑顔が変貌する。

 恐怖を抱かせる化生のソレ。裂けるような狂笑で、ララベルはそう言った。

そのうちに、確かに感じる怒りを覗かせながら。

 




ご指摘、ご感想がありましたら宜しくお願いします。
あと少しで一区切りになりそうです。読んでくださっている方、コメントや誤字の修正をしてくださった方。本当にありがとうございます。
あと少し、お付き合い下さったら幸いです。


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魔王と勇者

 

「全部、全部貴様が仕組んだことだったのか。コウ様がこの場に来ることも、このハルメイアに来たことも……いや、魔に堕ちたことさえ」

 

 アステアの言葉を肯定するかのように、ララベルはその笑みを深める。

 消えない怒気を明確に示しながら、それでもその歪んだ笑みは消さなかった。

 

「どこからだ、どこから仕組んでいた?」

「どこから、とは?」

「いつから貴様は干渉していた? 貴様が勇者に選ばれた時か? それとも先代勇者が暴走した時か!?」

「……」

「答えろ魔王ッ! 返答によっては、いやどう返答しようとッ!!」

 

 叫ぶと同時にアステアは立ち上がり、杖を構えてその先をララベルに向ける。

 背後には魔法陣。しかし先ほどの戦闘に見せたモノとは明らかに違う。

 その大きさ、数、緻密さ、輝き。ありとあらゆる面で、今アステアが発生させたソレは圧倒的に勝ってた。

 

「おや、あれだけ魔を注ぎ込んだのに、まだそれだけの力を出せるのかい」

「侮るなよ化け物。この力は自ら身につけたものだ!」

 

 魔法陣は地鳴りと共に幾つにも分かれていき、地下空間全てを包み込んでいく。

 壁や床に押し込まれるように生じていくソレらには、一つ一つに込められた殺意、敵意、悪意。明確に対象を殺そうとする意志が感じられた。

 絶対に殺す。そうまるで、死刑宣告そのものを体現させているかのように。

 

「……否定はしないよ。その怒りはもっともだ」

 

 常人なら圧倒され、命乞いどころか身動き一つさえ取れなくなる程の濃密な殺気がララベルにぶつかる。

 放たれる魔力は空間をきしませ、見る者に身悶えするほどの恐怖を与えるだろう。

 

 しかしそんな魔力を前にしても、ララベルの表情一つ揺らがない。立ち上がることすらせず、アステアをまっすぐ見つめるだけ。

 

 彼女は指先を軽く振ると、目では見えない何かを発生させた。

 光でも、音でもない何か。波のように震え、空間を泳ぐように流れていく。

 そして何事も無いかのようにアステアをすり抜けると、その背後にある魔法陣全てに浸透していった。

 

「でも、ダメだよ」

 

 瞬間、無数の魔法陣に亀裂が走る。

 ビキビキ、バキバキと。まるでガラス細工を割るように。飴細工を砕くように。

 いとも容易く砕かれていき、遂には全てが地に落ちて霧散してしまった。そんな惨状を気にも留めず、アステアは憎しみや怒りで体を震わせる。

 

「今の私なら理解できる。でもね、私を殺すべきなのは……少なくとも君じゃない」

「何を今更……先代勇者の悲劇も、全て貴様の仕業なのだろうが!」

「違うよ。ソレは明言できる。そもそもアレが生きていた頃、私には何かをしようだなんて意思すらなかったからね」

 

 まるで子供をあやすような、いやそれ以上に興味がないような。そんな様子でララベルは怒れるアステアに答える。

 その様子も腹立たしいのか、アステアはさらに感情のまま叫んだ。

 

「意思すらないだと!? なら貴様がしたことは何だ! 彼を人形にして、自分の玩具にでもしたいのか!?」

 

 次いでアステアは杖を大きく振りかぶり、ララベルとの間合いを一気に詰める。そして勢いのまま、宝石杖を思いっきり殴りつけた。

 重く、鈍い音が響き渡る。きっと頭蓋など粉々に砕かれているだろうと。そう思わせるほどに酷い音であった。

 

 しかし、それでもララベルの表情は揺らがない。何かが触れたかという様子すら見せず、小さく微笑んだままアステアを見つめる。

 その場を動くことすらなく、ダメージなどまるで無いようであった。

 

「玩具、か……君にだけは言われたくない言葉だが、まぁいい。とにかく、そのまま私の話を聞くといい」

「何を、このッ……!」

「まったく、君のその諦めの悪さは美徳だが、今出来ることは私の話を聞くことだけだよ」

 

 ララベルはゆっくりとした動きで右手を宝石杖に添える。ピタリと触れた手のひらは、さも当然のように杖を逸らしていった。

 対するアステアは杖に全力を込めている。全身を力ませ、全力でララベルの頭をたたき割ろうとした。

しかしそれでも、ララベルのゆるやかな動きに勝てない。

 

「チ……この……化け物ッ……!」

「ふふ、いくらでも憎むがいいさ。でも、そろそろ話がしたい」

 

 そう言って、ララベルは少しだけ指を振る。それだけなのに、アステアは強烈な何かに押し出されたように背後へ吹っ飛び、受け身の姿勢をとる前に壁へ叩きつけられた。

 

「ぐぁ……」

「そこに座るんだ。そして動くな。今からは、私との会話以外の一切を許さない」

「何、を……!?」

 

 ララベルの言葉に、アステアは当然抵抗しようとする。しかし今度は彼女の体が動かなくなっていた。

 座ることは出来る。姿勢を変えることも。しかしアステアは立ち上がる事や杖を握ること、要はララベルの言葉に反する行為が出来なくなっていたのだ。

 

「……エルの言霊、か」

「おや、この力も知っているのかい?」

「世界の創生に存在していたとされる、神話に属する化け物達の一端。絶滅した支配者、エル。そんな力さえ、貴様は従えていたのか」

「あぁ、コレは何かと便利でね。えぇと、どこで手に入れたのだったか……」

 

 ララベルは話す途中で自らの喉に触れた。そうして頬をなぞり額まで到達させると、思考するようにトントンと叩く。

 まるで何かを言おうとして、本当に言うべきか悩んでいるかのように。

 そんな様子すらわざとらしく思え、アステアはさらに苛立っていた。

 

「ふむ……あぁそうだ。思い出した」

 

 そんな彼女を一瞥し、ニコリと笑った後にその口を開いた。

 

 

 

「何かを企てる時には、コレが大抵役に立つ。そう言われて……女神から貰ったんだった」

 

 

 

 さらりと当然のように発せられた言葉だが、アステアは一瞬その意味を理解できなかった。

 そして理解してなお、その意味が分からなかった。

 

「……は?」

「女神だよ。ヤツからこの力を受け取ったんだ」

「貴様何を言っている? 女神が、魔王の貴様に……?」

「あぁそうさ、いや思えば当然だったのかもしれないね」

 

 ララベルは眠るジースを見つめ、すぐに視線を逸らしてハァと小さくため息を吐く。まるで、思い出したくもない何かをついうっかり思い出してしまったかのように。

 

「そもそもの話だ。我ら魔物とはどういった存在か、君は正しく把握しているかな?」

「……古くから存在する女神の敵。いつしか根絶しなければならない、悪そのもの」

「ふむ、正しいね。正しく、不正解だ」

「なに? まさか人間と仲良くなりたいとでも思っているのか?」

「いや、そんなことは露ほども思ってないさ。私が言いたいのは、女神の敵という所だよ」

 

 魔物の最たる特徴を否定され、アステアは目を細める。

 魔物は女神の敵。ソレは人間にとって常識であった。故に女神の信徒である人間を害する存在。

 

 現に魔物達は人間たちを襲い、何度も村や城を滅ぼしていた。

 復讐を誓う騎士がいれば、打倒を決意する賢者もいる。

 倒して当然。滅ぼして当然。

 ソレが人間たちの知る魔物であり、疑う余地の無い事実であった。

 

「君らは何をもって、魔物が女神の敵だと認識しているんだい? 私たちが女神に対して宣戦布告でもしたのかな?」

「それは、女神が――」

「女神が君たちにそう言ったのかい? なんの根拠もないのに?」

 

 ララベルは可笑しそうにクスクスと笑い、困ったように首を横に振った。

 

「君らは何もわかっていない。いや、知らされていないのか。まさか自分たちが、女神の失敗作を処理させられているなんて、ね」

「女神の、失敗作だと?」

「あぁ、そうだ。我々魔物が何故古くから存在するのか。その理由がまさにソレだよ」

 

 そうしていると、ララベルは両手を軽く上げてその笑みを消した。

 同時に彼女が纏っていた雰囲気そのものに変化が生じる。今までの怪しく悍ましい魔王たる雰囲気ではなく、荘厳な神のごとき存在感。

 そうまるで、アステアたちが今まで信奉していた、かの存在のように。

 

 

 

「我らの正体は原始の獣。世界が始まったその時、初めて女神が放った獣たちの……成れ果てた姿だよ」

 

 

 

 アステアは目を大きく見開き、言葉を失った。

 あまりに唐突で、理解不能な話。女神の、人間の敵とされていた魔物が、まさかその女神によって生み出されたなどと。

 

「この世界が始まった瞬間、まだこの地には人間も魔物も存在しなかった。果てまで広がる自然のみ、あとは何も在りはしなかった」

「……」

「女神は自らが受け持つ世界の発展を期待した。そしてそのキッカケとなるように、獣を世界に放ったのだ。思考も碌にできなかった、知能を持たない正真正銘の獣をね」

 

 ララベルは淡々と話をしながら、ジッとアステアを見続ける。

 馬鹿な作り話だと切って捨てても可笑しくはない。それほどまでに、今繰り広げられている話はトびすぎている。

 

 だが、アステアは何故か聞いてしまっている。その全てが真実であると、アステアの本能は受け入れてしまっていた。

 

「女神は無謀にも、獣に完全な自由を許した。自由な発展、自由な繁栄。全てを獣たちに委ね、自らの介入をほぼ無にした」

「自由……か……」

「ふふ、その結果何が生まれたと思う?」

 

 答えなど確認する必要もなく、アステアの目の前で『答え』が微笑んでいた。

 

「完全な自由を許された獣たちは、まさしく獣のように生き続けた。理性など存在せず、ただ自らの欲求のまま動く獣ども。その姿は今の魔物達に違いなかった」

 

 つまりは、女神より語られていない創生の失敗。女神の秘匿。

 自らの失態を押しつぶすため、この世界の人間は生み出されたということ。

 

「魔物達の世界は酷いモノだった。地は荒れ、水は乾き、木々は枯れ果てていた……まさに終焉のソレだった」

「その結果、女神はあなた方を見捨てたと?」

 

 返事をせず、ララベルはただニコリと笑うのみ。

 ゆるやかに両手を前に出すと、その指を目の前で交互に合わせた。

 

「さて、そんな世界に女神は新たな獣を放った。そしてその獣は女神の過ぎた管理を受け……強引に人間へと成り果てた」

「信じられると? 女神ではなく、魔王である貴様の話など」

「あぁ、君は信じる。信じざるを得なくなる。そもそもの話だけど、『女神に正しさなんてあるのかい』?」

「……ッ!?」

 

 ララベルの問いを聞いた瞬間、アステアの頭で異変が起きた。バキリと何かが砕けたような、靄が掻き消えたような。そんな感覚を覚えたのだ。

 

 そして新しく思考が動いていく。

 当たり前すぎて思考が至っていなかった。いやむしろ、至らないように強制されていたのか。

 

「ふ……くッ……!?」

 

 アステアの呼吸が荒くなる。頭を抑え、倒れそうな体を杖で支えた。

 気付いた瞬間、疑問は限りなく膨れ上がっていく。たった数秒しかたっていないのに、アステアの脳内は女神への疑問で満たされてしまっていた。

 

「なに、を……」

「君たちの指針は女神が決める。しかしその指針自体の正当性は、いったい誰が証明してくれるんだ?」

「待て……何も言うな……」

「言うまでもなく、ソレすら女神の役割だっただろう? 時期だってそうだ。君たちが魔王の存在を知らされたのは、なぜ発展した後の時代だったんだい? それに――」

「止めろッ……止めてくれ……!」

 

 捲し立てるララベルの口に止めろと叫ぶように手が押し出される。

 うつむき、息を荒げるアステア亡者のごとき様相で。すがる場所を失った迷い子のように不安いっぱいに表情を染めていた。

 艶やかで美しい金髪も乱れ、小刻みに震え恐怖すら抱いているようであった。

 

「……」

「まったく、酷い形相だ。気持ちは分かるが、話を続けるよ。まだ本題に入ってすらいない」

「……な、に?」

 

 アステアは自分の両肩を抱き、今にも泣きだしそうな顔をしてララベルを見る。

 もう先ほどまでの獰猛さは微塵も残ってはいなかった。

 

 そのあんまりな姿に、ララベルは一瞬だけ口を歪めた。

 

「……何を今更、被害者ぶっているんだい。君らが始めたことだよ」

「私が、私たちが始めただと?」

「……いいさ、もう少しで分かる。君は黙って聞いているんだ」

 

 アステアの言葉を無視し、ララベルは話しを続けた。

 その身に隠しきれない感情を漏らしながら、その口を少しだけ震わせて。

 

「……」

 

 アステアもその微細な変化に気づいた。

 彼女はその目に見覚えがあったのだ。ララベルが旅の途中で時々見せた、全てを憎むかのような瞳を。

 

「……違う」

 

 違う、そう違っていた。何故忘れていたのか、たった今アステアは思い出す。

 旅の途中、ララベルの瞳に映っていたのは、底の無い憎悪だけではなかった。

 

 ソレは悲しみ。何かを悼むような、嘆くような。

 そんな感情の入り混じった瞳を、アステアは思い出したのだ。

 

「女神は魔王を、私を殺すために勇者という存在を作り出した。時代を分けて、二つ。一つ目は君たちに大きな爪痕を残した男だ」

「……あぁ、よく、知っている」

「そしてもう一人、実は女神はこの選別にとても頭を悩ませてね」

 

 ララベルは近くにあった瓦礫を掴み、思いっきり握りつぶす。欠片すら残らず砂のように細かく砕かれ、サラサラと彼女の手から流れ落ちていった。

 気分を落ち着かせたいのか、ララベルはその流れを見続けながら話す。

 しかし抑えきれていないのだろう。その手は震え続けていた。

 

「同じ人間を選んでも結果は同じ。どれだけ縛ろうと、何らかの形で暴走してしまう可能性があった。故に、一つズルをした」

「ズル……?」

「あぁ、女神は自分の世界に巣食う人間を信用しなかった。しかし自らの恥部を殺せる存在は必要であった。故に、別の世界から呼び出したんだ」

 

 その瞬間、アステアの頭の中で、合ってはいけないピースが合わさった。

 全ての疑問に、考えたくもない答えが埋まっていく。

 

 女神が呼び出したのは何だったのか?

 誰が魔王を殺したのか?

 何故、死んだはずの魔王が勇者になっているのか?

 勇者になってまで、魔王は何を改竄したのか?

 

 改竄し、知っている筈の苦痛を受けてまで、何を守ろうとしたのか?

 

 気づき、驚き、そして信じたくない一心で、頭を強く振る。

 しかし、ぬぐえない。

 気付いてしまった疑念を、真実を。殺しきれずに身悶える。

 

「まさか、まさかそんな……その呼び出した、人は……」

「ソレが本来の勇者。彼は押し付けられた座に着き、人間の悪意を受けてなお魔王討伐を果たした。本当の物語の主人公……いや、被害者」

 

 ララベルの頬を、静かに涙が流れる。

 皮肉にもその姿は、アステアたちが知らない筈の女神のように美しく。

 清らかささえ感じるほどに、どこまでも残酷だった。

 

「その者の名は、雨田 幸次。あだ名はコウ。私を、魔王を唯一殺すことが出来た……どこまでも愚かで、優しかった人だよ」

 

 本当に寂しそうな目をして、彼女は天を仰いだ。

 

 




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サァベイション・イン・ザ・ケイブ

 

 ――我らの今が終わらないように、全ての物語に終着は無い

 

 

 

 瞬間、明かりがすべて消える。

 真っ暗な闇の中。先ほどまで空間の広さは分かっていた筈なのに、満ちる黒が無限を感じさせた。

 

 その中にいるのは、魔王と大神官のみ。

 

「観客にとっては終わりだとしても、その中身は決して止まらない。フィナーレに拍手の喝采、しかし下りた幕の奥では未だ想いが蠢いている」

「……」

「今から話すのは、在り得てしまった過程の果て。君が知るべき真実も、底に埋もれている」

「……」

「アステア、君はそのままソコに座ったまま聞いているといい。折角揺らいでいるんだ、どうせなら一度に済ませた方が良い」

 

 不安定そのもの。迷える羊のように震えるアステアは、肯定も否定も出来ずにいる。

 そんな彼女を見たのか見なかったのか。ララベルは少しの沈黙の後、言葉を続けた。

 

「さて、大筋は同じだ。私が彼の立ち位置に居座っているだけ。違う点があるとすれば二つ、私と君の――」

「私が」

「……ん?」

「私が……あの人を……封印した……のか……?」

 

 震えながら、しっかりと問う。

 行き着いているのに、ゴールが見えているのに、辿り着きたくない。そんな表情をして、アステアはララベルを見つめていた。

 

「……分かるよ、そして許される。君の心情も、そう在って然るべきだ。咎める理由の一片だってありはしない」

 

 言葉とは裏腹に、ララベルの言葉は冷たい。

 口調に変化は感じられない。それなのに、アステアにはその言葉が冷たくて仕方が無かった。

 

 ソレが本来の彼女であると気付いている故か、それとも全てを察するうえでの諦観か。

 凍えるほどの冷たさの中、それでもアステアの頬は緩んでいた。そして左目から、何の意図によるモノかもわからない涙を流す。

 

 呆けたのか、それとも崩壊したのか。

 その内にどんな感情を持っているのかも、推し量ることは出来そうにない。

 

「……見ていられない」

「ふふ、貴方がそう言うのですか?」

「きっと彼を封じた時の顔は、私の時より凄惨だったのだろう。実際に見てはいないが、間違いない」

 

 労うつもりも、慰めるつもりも、怒るつもりすらない。

 あくまで事実。包むことなく述べた感想であった。

 

 ララベルは徐に手を開き、閉じようとして、また開く。

 かつて何かがソコに在ったのか。もしくは求めた果てだったのか。

 しかしソコには、やはり何も見られなかった。

 

「全ての終わり、結末、完結、終局、最後。後、後、後……」

「……」

「全てそうだ。自らの所業を、過ちを知ることが出来るのは、終わった後」

 

 優しく諭す母のように、駄々をこねる子供のように。

 どのようにも感じ取れる歪な声色が、アステアの身に刺さっていく。

 その一つ一つが、知る筈のない世界を鮮明に描いていった。

 

「気が付いたのは、全て終わった後だった。ハルメイアから離れた場所にある、あの廃村で」

「……あの村は、吹く風の音が酷く気持ち悪かった。まるで子供が放つ怨嗟のような、純粋で無垢な悲鳴のようで」

「そう、私も同じように感じた。だから彼には聞かせたくなかった。だけどね、その風が私を覚ましたんだ」

 

 硬い石が砕ける音。

 苛立ちを冷ますには、ほとほと頼りない微音であった。

 

「頭蓋を駆け巡った。疑問、焦燥、悲嘆、そして憤怒。彼と出会い、彼から得ることが出来た感情の滂沱。気づいた時には、彼の下へ走っていた」

「私はその時、何を?」

「さて、どうだろう。きっと城の連中と一緒に、勝利に酔いながらパレードに参列していたのだろう。そういうエンディングだったからね」

「……そうですか」

 

 エンディング。

 どれだけ抵抗しようと、決して変えられない結末。

 ソレを言われ、アステアは少しだけ眉間に皺を寄せた。

 

「疑う余地すら、無かったと?」

「そうだ。一片の疑う余地も無く、全てがそう在るべきだと思い込まされていた。私という存在も、彼を見つけたことも、旅に同行したことも、そして……」

 

 ――君が彼の恋人になったことも

 

 アステアの呼吸が少しだけ乱れた。

 その言葉の意味は理解している。衝撃の重みも。

 だがそれ以上の変化がない。いやむしろ、その程度で留めることが出来た。

 

「……私が、彼の?」

「そう、私が自身に芽生えた感情に気づく前に、君は彼を横から奪っていったんだ」

 

 微かに漏れる怒気。

 しかしアステアはソレを感じ、あろうことか少しだけ噴き出した。

 その目に少しだけ、光が戻っていく。

 

「ふふ、違うのでしょう? きっと貴方は人間を理解していなかった。奪われるなんて明確な感覚も無かった」

「……あぁ、そうだね。君の言う通りだ。私は当時、彼に興味があっただけだった。ただ彼を知りたくて、接しやすいだろう同性に化けていた」

「おや、素直に訂正されるのですね」

「偽の釣り餌を、感づかれた上でもなお振り回すつもりはない。なに、君の頭がしっかりと動いているか確かめたまでさ」

 

 瞬間、真っ暗な空間の一部が照らされる。

 そこには一人の少年が立っていた。短い金髪に茶色の瞳。

 この世界ではごく一般的な姿だ。顔が恐ろしい程に整っている点を除いては。

 

 そして、その奥に二人。

 顔は見えない。だが二人は、仲睦まじく寄り添っているように見えた。

 

「永く彼と接し、様々なことを知ったよ。そして気づけば惹かれていた。だが、肝心な伝え方が分からなかった」

「そもそも男女の違いもよく分かっていなかったのです。無理も無いでしょう」

「ふふ、だがその結末がこれだ。彼は激情をぶつけ合った君を選び、私は抵抗することなくソレを受け入れた」

「……そして、彼は封印された」

 

 ララベルが微笑む。

 その指をパチンと鳴らすと、少年達を照らしていた光が消えた。

 

 ソレと同時に、次はアステアに見覚えのない場所を照らし出す。

 荒れ果てた玉座のような空間。その最奥に立つ何者かと、ソレに対面する何者か。

 彼女は二人の顔に覚えがあった。

 

 装備は違うが、片方はララベル。そしてもう片方はコウ。

 ララベルは魔王たる姿で。コウは魔に堕ちた勇者の姿で。

 

「私は決戦の直前、彼にだけ正体を明かした。そして伝えたんだ。私を殺せと」

「勇者であるコウ様に、その力があったのですか」

「あぁ、私が無抵抗であるという前提条件があるけどね。彼には魔王である私を殺しきる力があった」

「しかし、彼は……」

「あぁ、殺さなかった。別の方法をもって、魔王という存在だけを殺したんだ」

 

 照らされる場面が動き出す。

 優しい目で魔王を見つめる勇者。両手を広げて勇者を迎え入れようとする魔王。

 対峙する勇者の眼が燦然と輝きだし、魔王を包み込む。

 驚きながらその光を浴び続けた魔王は、瞬く間にその髪を金色に変えていった。

 

「これは……アルの瞳?」

「そう、全てを従わせる支配者エルに対し、否と唱えることが出来る唯一の存在。異端なる反逆者、アルの遺産。ソレを彼は何処からか入手していた」

「その眼で、貴方を人に?」

「あぁ、転じさせることによって魔王は殺された。残ったのは、ララベルと名付けられたか弱い少女だけ」

 

 光がおさまったその場所にいたのは、村人であった時のララベルの姿だった。

 場面はそこで途切れ、鉄が擦り切れるような雑音と共に再び暗闇が満ちていく。

 

「彼が魔に堕ちたのは、私に人としての生を与えるためだった。人の身に余るアルの瞳を得るために、魔を取り入れたんだ」

「……」

「かくして、魔王は人に至った。そして勇者から貰い受けた名の下に、人として世界を見る旅へと出る。勇者の結末など知りもせずに」

「……それが、魔王ベルモールの結末ですか」

「お笑いだろう? 彼が魔に堕ちる原因となったのは、他でもない私自身だったんだからね」

 

 ララベルがくつくつと笑い出す。

 何もない闇を見つめながら、楽しそうに笑った。

 

「く、くく、ふふふ……さて、話を戻そう。そう、私が廃村を出たその後だ」

 

 少しして笑い声が止むと、新たな光が差し込む。

 しかしその光は、先ほどとは違い酷く小さかった。

 

 かろうじて見れるのは、どことも分からぬ場所を走り続ける何者か。

 足は傷つき、地面に血を沁み込ませながら、何者かは走り続けていた。

 

「遅すぎた激情のまま、私は彼の下へ走り続けた。何日もかけて、かの森の奥へ。そして、なんとか辿り着いた」

「……」

「その封印術には見覚えがあった。魔力を失った身であっても、解印自体に問題は無かったよ」

 

 しかし、と。

 そう言って、ララベルは言葉を詰まらせる。

 

 アステアにはその理由が分かっていた。至極簡単なことだ。

 

 魔王である彼女ならともかく、勇者は強くなろうと元はただの人間。

 裏切られ、捨てられ、そして我が身すら失うこととなった末。

 勇者の心はどうなるか。

 

「解放後、彼は変わってしまっていた。私が何を言おうと、何をしようと、身動き一つ取らない人形に」

「ならば、今のコウ様は……」

「物語を覆した結果だよ。私は開幕にすら至っていない別の次元へと転移し、玉座に座るこの私と繋がった。そして、彼に成り代わり勇者という役柄を引き受けた」

「直接過去には、戻らなかったのですか?」

「劇中ならともかく、既に幕が下りてしまっている事象だ。やろうとはしてみたけど、私でも覆せなかったよ」

 

 別次元への転移。

 コウという前例がある故に、アステアはララベルを信じることが出来る。

 自身には不可能だが、あるいは魔王の力があれば可能なのかもしれない、と。

 

「……」

「そして、この地に至ることが出来た私は――」

 

 しかし、腑に落ちていなかった。

 納得しかけて、どうにも引っ掛かる疑問が出てきてしまったのだ。

 

「……待ちなさい。魔王であった貴方ならともかく、その時は人間だったはずだ。魔力もないのに、どうやって次元転移なんて果たしたのです?」

「なに、簡単なことだよ。魔王として在るべき力を、取り戻しただけのこと」

「だから、その手段を聞いて――」

 

 その時、ララベルとアステアの視線が合う。

 それだけなのに、アステアの脳内にあってはならない可能性が生まれた。

 

「……」

 

 アステアの体がわなわなと震えだし、顔から血の気が引いていく。

 そう、ソレは人間が魔を食することでその力を得るという邪道。正確には、勇者である程の強靭さがあってこその外法。

 

 ララベルは例外。元々が魔王なのだから、通常の人間よりは抵抗も弱いのだろうとアステアは考えた。

 ならば、後はその力の入手方法。

 

 そこらにいた魔物を食したのか?

 いや、それでは得られる力は弱いだろう。何よりもララベルは人間に変じているおかげで、弱い魔物ですら返り討ちにあっている筈だ。

 

 ならば、ララベルはどうやってベルモールへと戻ったのか。

 何を否定する必要があるのか。簡単なことではないか。

 

 そら、おあつらえ向けに全く動かない肉の塊が目の前に――

 

「ふざけるなァッ!!!」

 

 アステアの顔が怒りに染まる。

 爆発するかのように喉から出たソレは、否定できない可能性をそれでも否だと切り捨てようとしていた。

 

「……当たりだよ」

「何がだ、化け物ッ!?」

「君の想像通りだ。私は彼を……喰らった。魔王と勇者、その両方の力を得るために」

「ッッ!!」

「あぁ、喰らったよ。一切の躊躇なく、欠片も残さず、彼をこの身に引き寄せた」

 

 ララベルは手を合わせ、祈るように顔の前へ出した。ただそれだけなのに、全身から歪んだ何かが滲み出る。

 

 赤く、黒く、錆びついていて、どこまでも醜くて。しかし深くまで澄んでいて、清らかさが垣間見える。そんな、純粋なララベルの想い。

 ソレは間もなく溢れ出し、辺り一面に飛び散っていく。

 自らを容易に飲み込むであろう勢いに、アステアは叫ばないでいるだけで精いっぱいだった。

 

「……」

 

 アステアはその狂気に覚えがある。

 そう、勇者であったララベルを封印したその時。彼女が見せた恐ろしい笑み。

 その片鱗、隠しきれていなかった喜び。まさしく狂喜のソレだった。

 

「魔王に戻ってすぐ、私は次元を繋げる境界の糸を探った。試したこともない別次元との接触。その強靭な糸は、私の四肢を容易に千切っていった……然したる問題でもない」

「きさ、まは……」

「進み続け、終いには小さな肉片に成り果てた。だが、辿り着くことが出来た。呆けた顔で玉座に座り続ける、この私の下に」

 

 姿勢を変えず、ララベルは笑う。嗤い続ける。

 何に対する嗤いなのか、もう本人すら分かっていないのだろう。

 それでも嗤い続ける。自らが見る劇の全てが、愉快で愉快で仕方がないように。

 

「彼の進む道を先回りして、悉くを塞いだ。あらゆる手段をもって、彼が遭う筈だった悲劇を全て斬り捨てた。君ら人間の蛮行も、全て引き受けた。全ては、あの洞窟で出会う救いのために」

 

 ただひたすら求め続け、全てを請け負った。

 ソレがララベルという勇者の正体。

 

 想い続けた存在との再会を欲して、強請って、求めて。

 求めて、求めて、求めて、求めて。

 

「閉じた意識の中、私はようやく、聞くことが出来た。自らの意思で、辿り着いたんだ、あの足音に」

「……そして出来上がったのが、今か」

「ふふ、ふ、女神にも、君にも、任せはしない。誰にも彼を、否定など、させない。もう、彼の隣には、私がいる……」

 

 そうして、狂気が飾る道の果て。

 魔王ベルモールは、その妄念を果たすに至ったのである。

 

「……」

「ふふふ、ふふ、は、は、コウ。あぁ、私はようやく、君を……!」

 

 口を閉ざしたアステアを気にもせず、ララベルは嗤う。

 その声は闇に溶け込んでもなお、暗く響き渡っていた。

 




ご指摘、ご感想がありましたらよろしくお願いします。
えらく時間がかかってしまい申し訳ないです。
なかなかに纏らなかったです……


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