天然ジゴロの小松シェフ (ドン・コルレオーネ)
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支えてくれた人

補足

この話は、前半部はほぼ原作の流れになります。


……夜。

 

オレは、外にある温泉につかって、暖まっていた。

 

今日も、かなりの包丁を研いだ。

 

だいぶん疲れも溜まっていたんだろう、口から深い息が自ずと吐き出されてくる。

 

「ふうー……」

 

「……………………」

 

オレは、綺麗に晴れた夜空を見上げながら、一人の男性を思い出していた。

 

 

小松シェフ。

 

 

美食四天王のトリコとともに、我が研師メルクの下へやって来た。

 

……もっともオレは、ただの偽物だが。

 

そんなオレの下で、今は一時住んでいる人。

 

いつもキラキラした眼で、オレが包丁を研ぐところを見ている。

 

そして、いつも誉めてくれる。

 

『鳥肌がたちましたよメルクさん!!』

 

「……………………」

 

『世界一の“研ぎ”が見れてボク、世界一幸せです!』

 

『こんなにステキな包丁を作るメルクさんが、未熟だんてこと絶対ありえませんよ!』

 

「……ふふ」

 

ああ、ダメだ。

 

綻んでしまう。

 

まだまだ、オレは未熟なのに。

 

……嬉しいと、思ってしまう。

 

 

ざぱっ

 

 

オレは、もう温泉から上がろうとその場から立ち上がった。

 

髪がほどけて、さらりと揺れる。

 

 

 

「メルクさ……」

 

 

 

「!?」

 

小松シェフ!?

 

小松シェフが、温泉の前に来ていた……!

 

 

 

がしゃあんっ!

 

 

 

小松シェフが手に持っていたお皿が、地面に落ちた。

 

オ、オレの……

 

体を、見られた?!

 

「わあ!?小松シェフ!!」

 

はっ!

 

何を動揺しているんだ、オレは……!

 

女なんて、捨てたはずだ!

 

見られて恥ずかしいものなんかない!

 

「メ…メ…メルク……さん……」

 

めちゃくちゃ動揺している小松シェフの前で、“男のように”堂々と胸をはってやった。

 

「何?どーかした小松シェフ?」

 

「いや、あの、ゴメンなさい!」

 

小松シェフは、眼を塞いで後ろを向いた。

 

「メルクさん、えっと……、お、女?女!?え?女性……だったんですか!?」

 

「ああ……。悪いか?」

 

「い、いえ……何一つ」

 

はあ……。

 

しかし、びっくりした。

 

まさか、女であることがバレてしまうとは。

 

これはちゃんと、経緯を伝えた方がいいよな。

 

「小松シェフ、話がある……」

 

オレは、そう彼に伝えた。

 

 

 

 

 

……それからオレは、全てを隠さず話した。

 

オレは捨て子で、師匠に拾われて育ったこと。

 

子どもの頃から、師匠の仕事に憧れていたこと。

 

でもその仕事は、弱い者にはできない。強い者でなければならないこと。

 

そのために、女であることも捨て、強くなろうとしたこと。

 

……でも、オレは。

 

強くなれなかったこと。

 

洗いざらい、彼に話した。

 

小松シェフはそれでも、「メルクさんは二代目として、立派に仕事をこなしてるじゃないですか!」と、励ましの言葉をくれた。

 

でも小松シェフ、オレは偽物なんだ。

 

6年も戻らない師匠の代わりを、ただ必死になって埋めようとしているだけ。

 

師匠のペットのポチコは、ずっと師匠の帰りを待っている。

 

そう。

 

オレでは、ダメってことなんだ。

 

まだまだ未熟な、オレの包丁では。

 

師匠の包丁でなければ。

 

ひょっとしたら、依頼して頂いてる料理人たちも、満足してはもらってないかも知れない。

 

 

 

オレでは、ダメなんだ……

 

 

 

「………………」

 

小松シェフは、黙ってオレを見ている。

 

恐らく、失望されてしまったのだろう。

 

けどそれも、仕方ない。

 

今まで、二代目だなんて嘘をついてて、ごめんなさい……。

 

「……メルクさん」

 

小松シェフが、オレに声をかける。

 

どきりと、心臓が緊張する。

 

「包丁を何本か、お借りしてもいいですか?」

 

「…………?」

 

え?

 

なんだ?

 

包丁?

 

「あと、地下にある冷蔵庫の食材も、お借りしますね!」

 

小松シェフは、ぱっと太陽のような笑顔を見せると、地下に向かう階段へ走っていった。

 

「えーと、これとこれと……」

 

「うん、この包丁も必要だ」

 

食材を抱えて包丁を選び、料理を始める。

 

なぜ?

 

なぜ?

 

なんのために?

 

「さあメルクさん!食べましょう!」

 

数分後、目の前には大量の料理ができていた。

 

「こ、小松シェフ……」

 

「とりあえずまずは、腹ごしらえしましょう!」

 

ニコニコと、小松シェフは笑っている。

 

彼の意図が分からないオレは、ただただ困惑していた。

 

仕方なく彼に言われた通りに、席について食事を始める。

 

まずは、目の前にあるチャーハン。

 

「!」

 

「お……美味しい!」

 

思わず、そう口走ってしまった。

 

「良かった。それは百合牡蠣のチャーハンです」

 

小松シェフがそう答えてくれた。

 

「へえ……百合牡蠣ってこんなに風味が強かったんだ」

 

「貝が閉じてる状態のまま隙間からさばくと、風味が増すんですよ。この仕込みは特殊で、メルクさんオリジナルの“黒小出刃包丁”じゃなきゃできません」

 

そっか。

 

オレの作った包丁じゃなきゃ、できないんだ。

 

初めて知ったな。

 

さすが小松シェフ、料理の知識は一流だな。

 

「これも食べてみてください」

 

小松シェフは、ステーキを指差した。

 

それを食べてみる。

 

これは、どうやらスモーククラゲのようだが……

 

「すごい、スモーククラゲの臭みが全くない!」

 

「メルクさんが作った“蘇生牛刀”で、一定のスピードで切ることによって臭みが出ないんです」

 

そっか、蘇生牛刀。

 

そんな使い方があるんだ。

 

 

……それからどんどんと、小松シェフはオレに料理を食べさせてくれた。

 

その料理のひとつひとつに、小松シェフが解説を加えてくれる。

 

「これは、メルクさんオリジナルの力作、“乱中華包丁”を使いました」

 

「これもオリジナルの“無限ペティナイフ”じゃなきゃ作れません」

 

「これは包丁の芸術“羽衣薄刃”」

 

「これは世界一の鋭さを誇る“一刀柳刃”」

 

「これは……」

 

 

 

……ああ。

 

ここに来て、ようやく分かった。

 

小松シェフの意図が。

 

 

 

「どれもこれも……」

 

「メルクさんの作った包丁だけが可能な調理です」

 

「世界中どこを探しても……この切り方が出来るのは……」

 

「“メルク包丁だけ”なんですよ……」

 

「メルクさん……!!先代の包丁が持つ“信頼”は……十分に繋ぎ止めてると思いますよ!!」

 

「世界中の名だたる料理人たちが、ずっと昔から認めているんです!!」

 

「今も……!!」

 

 

 

 

「メルクさんは“メルク包丁”の名を、しっかり守ってますよ!!」

 

 

 

 

……泣いてしまった。

 

オレは、泣かないと決めたはずなのに。

 

“弱さ”を捨て、“女”をも捨てたオレなのに。

 

小松シェフの言葉は、どこまでも暖かくて。

 

純粋で。

 

真っ直ぐで。

 

オレのことを、本当に想ってくれているのが伝わってきて。

 

涙が止められなかった。

 

オレが、情けないほどに顔をくしゃくしゃにして泣いているのを、彼は優しそうに、涙を浮かべて笑っている。

 

それが、嬉しくて。

 

ああ、もう。

 

オレはこんなに弱かったのか。

 

こんなに心が揺さぶられるほど、弱かったのか。

 

でもなぜか、それでもいいと、今なら思える。

 

きっと小松シェフなら、オレの弱さも受け入れてくれる。

 

自分が弱くてもいいと、そう思える。

 

「……………………」

 

はあ。

 

泣くだけ泣くと、なんだかすっきりした。

 

心の中にあったしこりが、一緒に流れたみたいだった。

 

「……あ」

 

手。

 

小松シェフ、ずっと。

 

オレの手を、握っててくれたのか……。

 

「ど、どうかしました?メルクさん」

 

小松シェフが、オレに顔を近づけて尋ねてきた。

 

「あ、いや……」

 

オレは、握られている手に視線をやる。

 

小松シェフも、それにつられて視線を手に移す。

 

「あっ!す、すみません!」

 

小松シェフは、顔を真っ赤にして謝った。

 

「ははは、突然手を握られたらイヤですよね。ごめんなさい」

 

いや、違うんだ。

 

嫌だったんだじゃない。

 

オレは……

 

「……………………」

 

ああ、どうしよう。

 

恥ずかしい。

 

上手く言えない。

 

「あの、メルクさん」

 

小松シェフが、なんだか申し訳なさそうに訊いてくる。

 

「どうしたの?小松シェフ」

 

「じ、実はその……」

 

彼は、自分のお腹を撫でながら苦笑している。

 

「ボクも、お腹空いちゃって……もし良かったら、一緒に食べてもいいですか?」

 

「!」

 

ふふ。

 

小松シェフってば。

 

素直な人なんだなあ。

 

「うん!一緒に食べようよ!」

 

「わあ!ありがとうございます!」

 

「そもそも、オレ一人じゃ食べきれないと思ってたんだ」

 

「ははは、トリコさんにいつも作ってるから、多目になっちゃったかも知れないですね」

 

小松シェフは、眩しい笑顔を見せてくれた。

 

オレも、なんだか嬉しい。

 

一緒に食事ができて、おしゃべりができて……

 

 

 

……このまま。

 

この時間のまま。

 

時が止まってしまえばいいのに。

 

 

 

 

オレは、心の底からそう想った。

 

 



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自分らしく

オレはいつもより、少し早起きした。

 

肌寒い。

 

まだ日が、完全には昇りきっていないようだ。

 

空は、夜から朝のグラデーションを作っていて、それはなんだか、一枚の絵画を見せられているように綺麗だった。

 

「……すぅ……」

 

「はあーーー………………」

 

標高4000mのメルクマウンテン。

 

その高さ故に酸素は薄いが、空気はどこまでも澄んでいる。

 

息をするのが、とても気持ちいい。

 

「……今まで」

 

「こんなに爽やかな朝を、迎えられたことがあったかな……?」

 

“ここにいてもいいんだ”と。

 

この、メルクマウンテンの頂上で、オレは“研師メルク”としていていいんだと。

 

そう心から思えるから。

 

朝がこんなにも、清々しいのかな?

 

 

『メルクさんは“メルク包丁”の名を、しっかり守ってますよ!!』

 

 

「……小松シェフ」

 

オレは、彼に握られた左手を、じっと見つめる。

 

暖かかった。

 

小松シェフの温もりが伝わってきて。

 

そして……

 

「……………………」

 

うん。

 

もう、認めてしまおう。

 

嬉しかった。

 

“研師”として。

 

そして、“女”として嬉しかった。

 

小松シェフの笑顔が、まぶたの奥から離れない。

 

胸も顔も、熱くなっているのが分かる。

 

自分がまさかそんな気持ちになるなんて、思いもしなかった。

 

……いや、違う。

 

“思わないように”してきた。

 

女を捨てたオレには、縁のないもの。

 

浮わついた気持ちなんて、“弱さ”の象徴。

 

そうやって、気持ちを塞ごうとしていた。

 

でも、もう。

 

それは止めよう。

 

オレはオレなんだ。

 

師匠のようには、いかないかも知れないけど。

 

オレはやっぱり、一人の女であり、一人前の研師なのだから。

 

“オレ自身”を認めてくれる人が、ちゃんといるのだから。

 

「ふぁあ……」

 

あ。

 

小松シェフも起き出したみたいだ。

 

眼をこすりながら、二階から降りてくるのが見える。

 

「おはよう、小松シェフ」

 

「おはよーございます、メルクさん……」

 

小松シェフはまだ眠たそうだ。眼がしょぼしょぼしている。

 

「今日も早いですねえ……もう研ぎを始められるんですか?」

 

「え?ああまあ、そうだね」

 

研ぎ……。

 

そうだ。

 

依頼された仕事は、まだ山ほどある。

 

でも今日はきっと、今までよりもいい研ぎができる気がする。

 

「今日はどなたの包丁が研がれるのかな~?ボク、楽しみです!」

 

小松シェフは、子どものように無邪気な顔で笑っている。

 

「あ!でもその前に、朝食の支度をしましょうか!ボク作ってきますよ!」

 

「そんな、いいよ小松シェフ。今日はオレ……」

 

……ここまで言いかけて、少し考えなおした。

 

「ん、んん」

 

咳払いを間に入れて、もう一度言う。

 

「わ、“私”がするよ小松シェフ。いつも作ってもらって申し訳ないし」

 

「!」

 

小松シェフも、さすがに気がついたみたい。

 

「メ、メルクさん、今“私”って……」

 

「ほら……その、わ、私も女でいてもいいんだって思えるようになったし、だから、オレって言うのは止めようかなって……」

 

 

『女だからどうとか、強さがどうとか、関係ないじゃないですか!!』

 

『“先代”は“先代”、“メルクさん”は“メルクさん”です!!』

 

 

「オ……私もその、女であることを無理に曲げない方がいいかなって……。自分らしくあるために、少しは女っぽくなった方がって……」

 

「……………………」

 

うう。

 

顔が熱い。

 

なんか今、すごく恥ずかしいこと言った気がする。

 

小松シェフに言われたから、オレから私になおすって。

 

まるでそれって、小松シェフに“女として見てほしい”って言ってるみたいで。

 

どうしよう。

 

言わなきゃ良かったかな。

 

「あ、あの~、メルクさん」

 

小松シェフが、顔を覗きこんで尋ねてきた。

 

「な、なに?」

 

「“私”って、言いづらいですか?」

 

「まあ……うん。ちょっと恥ずかしくはあるかな?」

 

それを訊くと、小松シェフはにこっと笑った。

 

「なら、無理に“私”なんて言わなくてもいいと思いますよ!」

 

「そ、そうかな?」

 

「はい!確かに“私”の方が女性っぽくはありますけど、でも“メルクさん”は“メルクさん”です!メルクさんが言いやすい言い方が、一番良いと思います!」

 

 

 

どきっ。

 

 

 

……胸が、締め付けられる。

 

小松シェフの言葉に、心が喜んでる。

 

こうまで、自分のことを肯定してくれるなんて、思わなかった。

 

ダメだ。

 

心臓が、バクバクしてる。

 

嬉しい。

 

嬉しい。

 

「メルクさん、どうしました?」

 

小松シェフが、心配して尋ねてくる。

 

「いや、なんでもないよ」

 

“オレ”は、なんとか平静なフリをして答えた。

 

「ありがとう小松シェフ。オレはオレ。言いやすい言い方でいようと思う」

 

「はい!その方がきっと良いですよ!」

 

小松シェフ……。

 

いつも、本当にありがとう。

 

あなたがいなかったら、オレ、ずっと苦しかったと思う。

 

あなたに会えて、良かった。

 

「さて、今日も腕によりをかけて作りますよ~!朝ご飯は一日の始まりですからね!栄養のあるものを食べなきゃ!」

 

小松シェフは、台所に走っていった。

 

黙々と頑張る彼の姿を、オレはずっと見つめていた。

 

 



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またいつか

「悪りィな!遅くなって!」

 

トリコが、ヘビーホールから帰ってきた。

 

「トリコさん!!」

 

小松シェフが、いち早くトリコの下へかけていった。

 

「ホントに遅かったじゃないですかーっ!実はひそかに心配してたんですよーっ!」

 

「ひそかにすんなよ……」

 

小松シェフはわんわん泣きながら叫び、それに対してトリコは苦笑しながら答えた。

 

良いなあ、トリコ。

 

オレもあんな風に、小松シェフに心配されてみた……

 

こほん、こほん。

 

恥ずかしいので、今はこんなこと考えるのは止めよう。

 

とりあえず、無事に帰ってきたトリコを出迎えようじゃないか。

 

「トリコ……おかえり」

 

そう言うと、トリコはオレの顔を見てきた。

 

そして、なんだか嬉しそうな表情で、にっと笑った。

 

「さて」

 

「メルク……何から話していいか」

 

「伝えたいことが山ほどあるぜ」

 

ヘビーホールの最下層。

 

やっぱり、師匠はそこにいたらしい。

 

良かった、無事ってことが分かっただけでも、朗報だ。

 

そしてオレは、トリコから師匠の今の状況について、たくさんのことを聴いた。

 

うん。

 

そうだな。

 

まず、これは言わせてくれ。

 

 

 

「声小さかっただけって、アンタそれアリ……?」ガビビビーン……

 

 

 

美食神アカシアのサラダ『エア』を捌くための包丁を作るとか、きっとオレなんかでは想像もできないほど大変なんだろうけど……

 

なんか……こう……

 

えええ……

 

二代目の話も併せて、もうオレに言ってた訳?

 

全然聞こえてなかった……

 

こちとら6年間、気が気じゃないほど心配してたから、余計にショックが……

 

た、確かに……いつも何かゴニョゴニョ言ってる気はしてたけど……

 

……でも、今はとにかく。

 

師匠が無事で、本当に良かった。

 

「初代のオッサンの仕事が終われば、きっとまた逢えるさ」

 

「良かったですね、メルクさん」

 

トリコも小松シェフも、にこやかに答えてくれた。

 

うん。

 

そうだよね。

 

また、いつか逢えるよね?

 

“お父さん”

 

 

 

 

 

 

 

……それから幾日かが過ぎた。

 

その間オレは、全身全霊を込めて、小松シェフの包丁を作った。

 

その包丁には、初めて“二代目メルク”の刻印を入れた。

 

それには二つ理由がある。

 

一つ目は、小松シェフに対する感謝の気持ちだ。

 

オレのことを、本気で支えようとしてくれたこの人への恩を、形にして伝えたかった。

 

あなたのお陰で、自信を持てるようになれたと、オレらしくあっていいんだと、そう思えるようになった。

 

本当に感謝している。

 

その気持ちを、思いっきりぶつけたんだ。

 

……と。

 

その。

 

もうひとつの理由の方だけど……

 

あの。

 

これは、恥ずかしくて誰にも言えないんだけど。

 

小松シェフは、この包丁を使ってくれる度に、この刻印を、“オレの名前を”見てくれる訳で。

 

つまり、いつもオレのことを思い出してくれそうだなって。

 

そうなってくれたら、すごく嬉しいなという……

 

はあ。

 

自分がまさか、こんなに女々しいとは思わなかった。

 

女だけどさ、オレは。

 

 

「……それじゃあメルクさん、そろそろボクらは行きます」

 

小松シェフとトリコが、荷物をまとめて玄関に立つ。

 

二人は確か、次は“グルメピラミッド”に行くと言っていたな。

 

別名、美食屋の墓場。

 

そうとう危険な場所であることは、間違いない。

 

「小松シェフ、本当に気を付けてね」

 

「ははは……何とか頑張ります」

 

彼は、頭を掻きながら苦笑する。

 

「トリコ、小松シェフを頼んだよ?」

 

「へへ、当たり前だ。なんたって、コンビなんだからな!」

 

トリコは、親指を立ててにこっと笑う。

 

「それに、なんだかんだ小松も慣れてきたろ?危険な場所」

 

「ちょ、ちょっとトリコ!慣れる慣れないじゃないよ!危ないことに変わりはないんだから!」

 

「そうですよトリコさん!ボクはトリコさんみたいに強くないんですから!」

 

「ははは!すまんすまん」

 

もう。

 

まあ、トリコが小松シェフのそばにいてくれたら、安心だけど。

 

「しかし、あれだな」

 

な、なんだ?

 

トリコが顎に手を当てて、ニタニタといやらしく笑っている。

 

「メルクはよっぽど、小松が心配みたいだな?」

 

「そ、そりゃあ……」

 

「さっきなんか、“嫁さん”が“旦那”のことを心配するように必死だったぜ?」

 

「……え?」

 

オレは、一瞬フリーズした。

 

「い、いやいや!オ、オレはそんな……」

 

その時、オレの言葉を遮って、小松シェフがモーレツに否定した。

 

「もートリコさん!そういう冗談は止めてくださいよ~!メルクさんは純粋に、ボクらを心配して下さってるだけなんですから!」

 

「……………………」

 

うん、そう。

 

小松シェフ、オレもそう言おうとしたんだ。

 

けど、なんか……

 

小松シェフに言われると、ちょっと寂しいかも?

 

なんでだろう。

 

「ごめんなさいメルクさん、長々とお邪魔しちゃって」

 

小松シェフが頭を下げた。

 

「いろんな研ぎを見せてもらって、本当に勉強になりました!ありがとうございました!」

 

「そんな、オレの方こそ世話になりっぱなしで……」

 

小松シェフは頭をあげると、眩しいほどに笑った。

 

「またいつか逢える日まで、ともに頑張りましょう!」

 

「!」

 

ああ、なんて。

 

なんて真っ直ぐな眼なんだろう。

 

純粋で素直で、下心なんかない。

 

そんな、小松シェフらしい眼。

 

「……うん!お互い、頑張ろうね」

 

「はい!」

 

「もちろん、トリコもね?」

 

「ああ、分かってるさ」

 

オレたちは、微笑みあった。

 

「じゃあ、またな!」

 

「メルクさん、またお逢いしましょう!」

 

二人は手を振りながら、メルクマウンテンの階段を降りていった。

 

オレも手を振り返して、見送った。

 

「ぎにゃあああ!?トリコさん!猛獣が出ましたよ!!」

 

「お、ほんとだ。食えるかな?あいつ」

 

早速猛獣に襲われてる二人の背中が、どんどん遠退いていく。

 

「……………………」

 

オレは一人、家に戻った。

 

 

 

…………………………

 

 

 

静かだ。

 

そう言えば、一人になるのは久しぶりだな。

 

「……………………」

 

オレは“メルクの星屑”を手に取り、ぼんやりと眺めた。

 

「……小松シェフ」

 

無意識に出たのは、彼の名前。

 

……ああ。

 

寂しい。

 

あの人がいなくなっただけで、こんなに寂しくなるなんて。

 

師匠がいなくなった時とは、また違った寂しさ。

 

妙に切ない。

 

「ふふ……」

 

オレは、自然と笑みがこぼれた。

 

もう、完全に自覚できたからだ。

 

己の気持ちが、どんなものか。

 

何が心を揺さぶるのか。

 

眼を閉じて、小松シェフの顔を思い出す。

 

子どものように素直な笑顔が、オレの顔をほんのり熱くさせる。

 

 

 

 

「好……………………」

 

 

 

 

「………………………」

 

……だめだ。

 

まだ、言葉にはできない。

 

どくんどくんと心臓が揺れ動いて、邪魔してくるから。

 

でも、いつか。

 

いつか本人に伝えられたらいいな。

 

小松シェフ。

 

また、逢いたい。

 

 



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謙遜

……これは、トリコと小松がゼブラを迎えに行く前の、“グルメ馬車”内での出来事である。

 

 

“豪華客馬”で行われた賑やかなパーティが終わった後、小松とトリコは寝室にいた。

 

「いやーすごいですねホント!料理が美味しいのはもちろんですが、ダンスホール、映画館、プール、スポーツジム、図書館にカジノ!!他にもたくさんの娯楽がわんさかありましたね!!」

 

「二年間の世界(人間界)一周旅行だからな、娯楽に困ることがあっちゃいけねえさ」

 

トリコは寝室に置いてあるテーブルの席に座り、葉巻樹の枝をくわえて一服していた。

 

小松はその対面に座って、豪華馬車のパンフレットを楽しそうに眺めている。

 

「わあ~!癒しの国ライフとか、IGOの第1ビオトープとかも巡れるみたいですよ!!」

 

「おいおい小松、オレらはもうそこ行ったじゃねえか。ビオトープに関しては、一般には非公開の“研究所”まで見れただろ」

 

「か、観光で行くのとはまた別ですよ~!あの時は死んでもおかしくないことばっかりでしたし……」

 

小松は当時を思い出し、冷や汗を流す。

 

「あっ!ほらトリコさん!グルメ恋愛スポットの“ラブホープ島”にも行くみたいですよ!!」

 

「へえ、確かそこの島にある“恋の二枚貝”をペアで食べれば、その二人はずっと結ばれるって言い伝えがあったとこだよな?」

 

「はい!普通は白い貝なんですけど、1000万分の1の確率で“ピンク”の貝が見つかるみたいです!それが恋の二枚貝らしいですよ!」

 

小松は天井を見上げて、切なげにため息をつく。

 

「……恋人、かあ……」

 

「なんだ?小松はそういうの欲しいタイプか?」

 

「そ、そりゃそうですよ!今まで恋人がいたことないボクとしては、憧れたりしますもん」

 

「ふーん、そっか」

 

「トリコさんは、そういう気持ちはあんまりなさそうですよね」

 

「まあな。もともとあまり興味がねえってのもあるが、特にオレの場合、美食屋っていう“いつ死んでもおかしくない”職業だからな。家に嫁さんを待たせたまま帰れなくなった、なんてこともあり得るからな」

 

それじゃ、待ってる嫁さんがあんまりだろ?と付け加えて、トリコは葉巻樹を灰皿の上に置いた。

 

「……確かに、そうですよね。そういう意味では、トリコさんのコンビであるボクも、その覚悟は必要ですよね……」

 

「ノッキングマスター次郎みたいに、コンビが節ばあのような超強え人が相手なら、一緒にいられるかも知んねえがな?」

 

「ははは、それは確かにそうですね」

 

「………………」

 

にこやかに笑う小松を見ながら、トリコは一人の女性を思い出していた。

 

二代目メルクである。

 

(メルクが小松を見る時は、明らかに眼の輝きが違う。もちろん敬意と感謝もあるんだろうが、それ以上の“何か”を感じさせる。色恋沙汰に無頓着なオレでも、どことなく気づくぐらいだからな。たぶん、“想い”がその分強いんだろうよ)

 

(ふふ、小松め。オレのいない間に何があったか知らねえが、好かれる才能は“食材”だけじゃなさそうだぜ?)

 

にたにたと笑うトリコに、小松が気がついた。

 

「な、なんですか?トリコさん。ボクの顔を見てニヤニヤして」

 

「ん……いやな」

 

トリコは席を立ち上がり、寝室にある備え付けの冷蔵庫から、お酒の瓶を一本取りだした。

 

「お前、メルクはどう思ってんだ?」

 

「え?メ、メルクさん?」

 

「あ、初代の方じゃねえぞ?」

 

「いやもちろん分かってますよ!?」

 

瓶をテーブルに置き、席についてコップに酒を注ぐ。

 

「ほれ、前に“可愛らしい”とかなんとか言ってたろ?」

 

「え?ま、まあ……」

 

恥ずかしそうに、視線を下に下ろす小松。

 

「ああいうタイプが、お前の好みなのか?」

 

「こ、好みというか……フツーに可愛らしいじゃないですか。努力家ですし、優しいし、美人さんですし……。とても魅力のある方だと思いますよ」

 

「ほお……」

 

酒を飲みながら、トリコは興味深そうに聴いている。

 

「じゃあ、メルクを恋人にしたいって感じか?」

 

「い、いやー!ボクなんかがメルクさんの恋人だなんて畏れ多いですよ!ボクはイケメンじゃないし、背も低いし、臆病だし。メルクさんには、もっとお似合いの人がきっといますよ」

 

苦笑混じりに答える小松。

 

(……あまり自己評価の高い方ではなかったが、こうまで消極的だとはな。謙遜しずきてる感じか)

 

トリコは顎に手を当てて、小松を見つめながら考えている。

 

(まあ、こいつの人生はこいつが決めることだ。オレがどうこう言うべきじゃない)

 

(ただ……“もったいねえな”ってくらいか)

 

酒を飲み干したトリコは、ほろ酔い気分で小松に告げた。

 

「……なあ、小松よ」

 

「はい?どうしました?」

 

「謙遜するのはお前らしいし、自分なんかがって考えも、昔からお前にあった一面だからな。それはそれでいいとは思う」

 

「は、はい」

 

「だが、“美食屋”のオレから言わせるとな?」

 

にっと、口角をあげてトリコは笑った。

 

「“狩り”は、“できる!”って思ってるヤツが成功するぜ?」

 

「…………?」

 

いまいち、トリコの言った言葉が理解できない小松だった。

 

トリコはそれを分かった上で、微笑を浮かべながら、それ以上は何も言わなかった。

 



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憧れの人

……美食人間国宝、節乃。

 

その人が、私の先生です。

 

「“のの”や、ロンリーグリズリーのノッキングを頼むじょ」

 

「はい、先生」

 

私はこの節乃先生の下で、働かせてもらっているスタッフになります。

 

「グリズリーのノッキング、完了しました」

 

「おお、早いの。じゃあ次はフグ鯨の毒袋を抜いておくれ」

 

「フ、フグ鯨、ですか?」

 

「おや?まだしたこと無かったかの?」

 

「すみません」

 

「よしよし、なら捌き方を教えてやるじょ」

 

まだまだ未熟者の私ですが、憧れの先生に少しでも近づけるよう、今日も一日頑張りたいです。

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

食材の仕込みが一段落した私は、節乃食堂のカウンターに座り、少しだけ休憩をさせてもらってます。

 

“特殊調理食材”を多く扱うお店なだけあり、いつも神経を集中させないといけません。

 

気がつくと、額にたくさん汗をかいてしまいます。

 

「今日は初めてフグ鯨を捌いたけど……何匹か失敗しちゃった」

 

「あれをさらさらっと捌ける先生は、やっぱりすごいなあ」

 

改めて、先生の凄さを見ることができました。

 

私も、もっと頑張らなきゃ。

 

「ん?」

 

カウンターの端に、一冊の雑誌が置きっぱなしになっていました。

 

先生が読んでいたものかな?

 

『週刊シェフインタビュー!~期待の若手料理人たち~』

 

雑誌のタイトルは、このように書かれていました。

 

興味を持った私は、それを手にとって読んでみることにしました。

 

『エスニックキング、「クララマン」!民族料理店「ノスタルジア」を開店してからわずか一年で世界料理人ランキング12位に上り詰めた、今最も勢いのある料理人!今回はその民族料理への熱意へ迫る!』

 

『若きデザート王子「あんよJr.」!どんな人も彼のスイーツにはとろけてしまう!その料理の秘訣は、誰よりもスイーツを愛する彼ならではの調理方法だった!?』

 

わあ、すごい……!

 

若手の有名人が、いっぱい特集されてる!

 

私とほとんど年齢も変わらないのに、世界ランキングにランクインした方もいて……

 

まだまだ世界は広いなあ、なんて思ってしまいました。

 

「あれ?」

 

ふと、ページの端を折り曲げてあるところを見つけました。

 

先生は、ここを読んでいたのかな?

 

そこをめくると、ランキング外の料理人が、何人かまとめて載ってあるページでした。

 

その下の方に、おそらく先生がつけたのでしょう、ペンで囲われた記事がありました。

 

 

『小松シェフ、センチュリースープの特許は申請せず』

 

 

センチュリースープ。

 

確か、先生が30年かけても完成できなかったスープを、半年で完成させてしまったと聴いたけど……

 

もしそれが本当なら、この小松シェフって方も、先生に負けず劣らずの才能を持ってらっしゃるかも知れない。

 

『インタビュアー:小松シェフ、センチュリースープの特許は取らないとのことですが、よろしかったんですか?』

 

『小松シェフ:はい。特許を取るとレシピを公開しなければいけません。それを避けるために、スープの特許は取りませんでした』

 

『インタビュアー:もったいない!伝説のスープの特許なら、いくらでも稼ぐことができるのに!それほどまでに、レシピに思い入れが?』

 

『小松シェフ:センチュリースープには、かなり特殊な調理が必要です。下手をすると、“ある食材”の乱獲が起こる可能性がありましたので……』

 

『インタビュアー:なるほど。では食材の秩序を守るために、特許を申請しないと』

 

『小松シェフ:はい。飽食のグルメ時代だからこそ、そこは守っていきたいと思いました』

 

へえ。

 

小松シェフって、とても立派な方だなあ。食材のことを大事にされてる。

 

先生が小松シェフを気に入られるのも、何となく分かるかも知れない。

 

『インタビュア:では、レシピが公開されない代わりに、センチュリースープを作る際の“コツ”を教えてもらえますか?』

 

『小松シェフ:コツ、ですか?』

 

『インタビュア:普通のスープを作る時に、センチュリースープを作っているかのような気分になりたいんです(笑)』

 

『小松シェフ:なるほど!わかりました。えっと、そうですね……』

 

 

 

『小松シェフ:“声”を、聴くようにすることかと』

 

 

 

「!」

 

『インタビュアー:声?誰の声でしょうか?』

 

『小松シェフ:食材の声です。“こういう風に調理して欲しい”、“この方法で出汁を取ってほしい”というような、こう、なんというか……食材の気分を尋ねる、といった感じです』

 

『インタビュアー:いきなりスピリチュアルだなあ(笑)』

 

『小松シェフ:これは、ボクの尊敬する料理人から御聞きした話なんです。食材の気分を尋ね、それに合わせて調理できなければ、まだ半人前だと』

 

……す、凄い。

 

小松シェフは、“先生と同じこと”言ってる。

 

インタビュアーはスピリチュアルだって言ってるけど、これはきっと、そういう類いじゃない……

 

たぶん、“本当に”小松シェフは聴いてるんだ。食材の声を。

 

身近に先生がされているからこそ、それがよく分かる。

 

「ののや」

 

後ろから声をかけられました。

 

振り返ると、そこに先生がいらっしゃいました。

 

先生は、私が手に持っている雑誌に気づき、少し微笑まれました。

 

「小松くんのページを、読んどったのかい?」

 

「はい、先生」

 

「ふふふ……あの子は才能がある」

 

「ええ、私にも分かります」

 

「ひょっとするとな?この“あたしゃ”よりもあるかも知れんじょ」

 

「え!?先生よりも!?」

 

まさかそんな言葉が先生から出るなんて、思いもしませんでした。

 

「ど、どうしてそう思われたんですか?」

 

「ふふ、勘じゃよ」

 

「勘……」

 

「あの子は、“食材に好かれる才能”があるんじゃよ。食運が強いとも言うべきかの。あたしゃよりもきっと、それが強い……。ふふふふ、今後が楽しみじゃよ」

 

「………………」

 

せ、先生がここまで言われるのは、初めて見みました。

 

「さて、ののや。そろそろ仕込みを再開しようかね」

 

「あ、はい。先生」

 

私は雑誌を閉じて、カウンターに置きました。

 

そして、先生と共に厨房へと向かいます。

 

(……小松シェフ)

 

憧れの先生が認める料理人。

 

なんだか、気になっちゃうな。

 

いつかお逢いしてみたい。

 



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センチュリースープ

 

とある日曜日。

 

私は、ある有名なレストランへやって来ました。

 

まさに今、その入り口の前に立っています。

 

どきん、どきんと、胸が高鳴るのを止められません。

 

「さて、行くじょのの」

 

先生が私の前を歩きながら、そのレストランへ入っていきます。

 

ウェイトレスさんが私たちにぺこりとお辞儀をして、言いました。

 

「いらっしゃいませ。ようこそホテルグルメへ」

 

 

 

 

 

……ウェイトレスさんにお席を案内されながら、私は店内を見渡していました。

 

先生と私の他には、お客さんが一人もいないんです。

 

「先生、もしかして……」

 

「ふふふ、今日は貸し切りにしたんじゃよ」

 

すごい……

 

こんな立派なレストランを貸し切りにできるなんて。

 

「どうぞ、こちらへ」

 

レストランの真ん中にあるテーブル席へ案内された私は、おそるおそる椅子に座らせていただきました。

 

「ふふふ、ホテルグルメ……“六ツ星”になってから来たのは、初めてかの?」

 

先生は微笑みを浮かべながら、ぼつりと独り言を言われました。

 

「あの……先生、良かったんですか?」

 

「ん?何がじゃ?」

 

「……“センチュリースープ”を、ご馳走してくださるなんて……」

 

「いいんじゃよ気にせんで。飲みたがっておったじゃろ?」

 

「……なんだか、申し訳ないです。貸し切りまでしてくださって」

 

「ふふふ。のの、謝るのは止しなしゃい」

 

「え?」

 

「お前さんはええ子じゃよ。あたしゃの仕事を、少しも不満げな顔をせず手伝ってくれとる。我慢強く、そして気配りのできる子じゃ」

 

「………………」

 

「じゃが、ちょっぴり“気配りすぎる”ところもある。もう少し、自分の好きなようにしてもいいんじゃよ?」

 

「……先生」

 

私の顔を見ながら、先生はにこっと、満面の笑みになられました。

 

「お待たせしました。バナナきゅうりのベーコンの葉巻きです」

 

ウェイトレスさんがお料理を運んできました。

 

「さて、そろそろ食事にしようかの」

 

「はい」

 

「センチュリースープだけを飲むのはもったいないからの。他にもいろいろと頼んであるじょ。好きなだけ食べなしゃい」

 

先生のおっしゃった通り、注文は前もって受け付けているらしく、ウェイトレスさんたちが次々と料理を運んできました。

 

「カニ豚のステーキです」

 

「クリーム松茸のバター醤油焼きです」

 

「ストライプサーモンのグリルです」

 

わあ、美味しい……!

 

ひとつひとつの料理がとても丁寧で、じっくり調理されているのが分かる。

 

ステーキも固すぎず柔すぎず、程よいミディアムで焼かれているし、クリーム松茸の味の深みを醤油で引き立ててるし……

 

あ、すごい!グリルの味がとても繊細!

 

ぐっと濃厚なサーモンがありながらも、ソースの香りが口当たりを爽やかにさせてくれてる。

 

ちゃんと飽きがこないように工夫されてる。

 

ああ、なんだかこう。

 

“食材を大切に”している感じが、とても伝わってくる。

 

そして、すごく。

 

「……優しい味」

 

私は思わず呟きながら、夢中でお料理を食べ続けました。

 

 

 

「……さて、次が最後の料理かの?」

 

先生は口をナプキンで拭きながら、そうおっしゃりました。

 

確かにテーブルの上の料理は、全て空になりました。

 

じゃあ、次がいよいよ……

 

 

カラカラカラカラ

 

 

ウェイトレスさんが、蓋を被せた料理を二つ、こちらへ持ってきます。

 

「お待たせしました」

 

私と先生の前に、その料理が置かれました。

 

蓋を、ゆっくりと開けます。

 

 

ゆらぁ……

 

 

「!」

 

オーロラ!

 

お皿と蓋の間から、オーロラが立ち上ぼりました!

 

ああ、これが……

 

「センチュリースープ……!」

 

 

 

ゆらぁ、ゆらぁ……

 

 

 

思わず見とれてしまうほどに、綺麗なオーロラ。

 

それはさながら、空に浮かぶ虹色のカーテン。

 

そして、肝心のスープの方は……

 

「!?」

 

わあっ……!

 

テレビで見た通りだ!

 

本当に透明なんだ!

 

 

ふわっ

 

 

全く具材は入ってないけど、その香りの奥深さは、他のスープの比じゃない!

 

「ほれ。飲んでみんしゃい、のの」

 

「……い、いただきます」

 

私は、震える手でスプーンを持ち、スープに浸しました。

 

そして……その一口をいただきました。

 

 

 

!?

 

 

 

「……………………」

 

「……ふふふ」

 

先生はニコニコした顔で、私を見つめてきます。

 

「どうじゃ?のの」

 

ええ、先生。

 

本当に。

 

本当に美味しいです……

 

こんなに美味しいスープは、初めて飲みました。

 

でもそれらを口にすることは、私はできませんでした。

 

あまりの衝撃に、体が固まっていたんです。

 

だから先生には、うなずくことしか返事ができませんでした。

 

そんな時……

 

 

「こんにちは、節乃さん!」

 

 

一人の小柄な男性が、厨房からやって来られました。

 

「!?」

 

私には、二度目の衝撃でした。

 

そこにいたのは、紛れもありません。

 

小松シェフです。

 

「小松くん、久しぶりじゃのう」

 

「節乃さん、今日はお越しいただき、ありがとうございます!」

 

ど、どうしよう……

 

本物の小松シェフが目の前に……

 

か、顔を隠さなきゃ。

 

「今日はな、スタッフを連れてきたんじゃよ」

 

「あっ!節乃食堂唯一のスタッフの方ですね!?」

 

「名前はののと言う子じゃ。小松くんと年は近いじょ」

 

「わあ~!まさかスタッフさんまで来てくださるなんて!」

 

!?

 

こ、小松シェフがこっちに来た!

 

手を口許にもっていって、口を隠しています。

 

「どうも、こんにちは!」

 

小松シェフが、私に頭を下げて挨拶をされる。

 

私はすぐに席を立って、慌てながら頭を下げました。

 

「こ、こんにちは……」

 

つい、声が震えてしまいます。

 

「いや~まさか節乃食堂のスタッフさんが、こんなに若い方だとは思いませんでしたよ~!」

 

「は、はあ……」

 

にこやかに話してくれる小松シェフに、私は不器用な言葉しか返せませんでした。

 

「……あ、あの~」

 

小松シェフが、顔をまじまじと見つめてこられました。

 

「どうして、口許を隠されてるんです?」

 

ギクッ!!

 

ど、どうしよう……

 

恥ずかしい……

 

「どうしたんじゃ?のの」

 

せ、先生まで訊いてきた……

 

……仕方ない、正直に言おう。

 

「……セ、センチュリースープのせいで、顔が緩んでしまって……」

 

「それを見られるのが、恥ずかしいんです……」

 

ううう。

 

顔が熱い。

 

こんなに笑みを止められないなんて、思わなかった……

 

「はははっ!確かにあのニヤケ顔は、あまり見られたくありませんよね」

 

小松シェフは苦笑されていました。

 

すると彼は、私たちに背を向けられました。

 

「じゃあボク、スープが飲み終わるまで、後ろ向いてますね!」

 

「い、いやそんな、申し訳ないですよ……」

 

「いえいえ、全然気にされなくていいですよ!」

 

「………………」

 

小松シェフ……

 

やっぱり。

 

やっぱり“優しい方”だ。

 

テレビで見た時も、インタビュー受けてる時も、そしてお料理の味すらも。

 

小松シェフの、暖かく優しい気持ちが溢れていました。

 

そして今。

 

まさにそれを、再確認しました。

 

この方は、とても良い人だ。

 

それがとても分かります。

 

「実はな、小松くん」

 

先生が、なにやらニヤニヤしながら話始めました。

 

「ののは、お前さんのファンなんじゃよ」

 

「え?!そーなんですか!?」

 

「小松くんの出てるテレビや雑誌は、必ずチェックしとるんじゃよ」

 

「先生!」

 

は、恥ずかしい!

 

そんなことを、本人に言わないでくださいよ……

 

「ははは!いや~。節乃食堂のスタッフさんがファンでいてくださるとは」

 

「ボク、すっごく光栄です!」

 

小松シェフは気恥ずかしそうな、でもとても嬉しそうな笑い声をあげて、頭を掻いていました。

 

 

 

 

どくん

 

 

 

 

……?

 

なんだろう?

 

小松シェフの、あの小柄な背中を見つめていたら。

 

なんだか、妙に。

 

胸が騒がしくなります。

 

憧れの人に逢えたから?

 

もちろん、それもあると思います。

 

でも、何か。

 

尊敬や羨望とは違う。

 

何か“別の感情”が。

 

私の中に、産まれた気がします。

 

だって。

 

だって私は今。

 

小松シェフの背中から、眼が離せなくなっているからです。

 

 



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逢えて良かった

 

「……ふぅ」

 

先生の方が、私より先に食べ終えたみたいです。

 

ウェイトレスさんが、空になった食器を運んでいかれます。

 

「さてと」

 

先生は、よっこらしょと言いながら席を立たれました。

 

「しゅまんな、のの。あたしゃちょっとトイレに行ってくる」

 

「分かりました」

 

席から離れると、先生はまず小松シェフの前まで歩いていかれました。

 

「小松くん、ごちそうさま。腕が上がっとったじょ」

 

「本当ですか?!ありがとうございます!」

 

嬉しそうに笑う小松シェフを、先生は暖かい眼で見られていました。

 

「ところで、トイレはどこにあるか教えてくれんかの?」

 

「店を出られて右に進んでいただくと、廊下の突き当たりにありますよ」

 

小松シェフに言われた通りに、先生はレストランから一度出られて、そのまま右へ歩いていかれました。

 

「……………………」

 

私は今、黙々とスープをいただいています。

 

先生が今いらっしゃっらないから、ここには私と小松シェフだけ。

 

なんだか緊張してしまって、スープを飲むペースが早くなってしまいます。

 

「あの~」

 

「!」

 

小松シェフが、背中を向けながら話しかけてきました。

 

「ののさん、でよろしかったですか?」

 

「……はい」

 

「ののさんは、節乃さんのところで何年働いてらっしゃるんですか?」

 

「えと……五年目です」

 

「へえ~!そんなに長く!」

 

「でも全然、私はまだ未熟者です。先生や小松シェフには、遠く及びません」

 

「い、いや~そんな。ボクだってまだまだですよ」

 

苦笑混じりに、小松シェフは答えられました。

 

「……あの、小松シェフ」

 

「はい?」

 

「もう食べ終わりました」

 

「あ、良かった!じゃあ後ろ向きじゃなくて大丈夫ですね」

 

小松シェフが、こちらに振り返ってきました。

 

真っ正面から見る、彼の顔。

 

ちょっと恥ずかしくなりました。

 

「どうですか?お味は」

 

小松シェフが、わくわくされた顔でお尋ねされました。

 

「はい、とても美味しかったです。今までのスープの中で、一番だと思います」

 

「い、いや~、節乃さんのスタッフさんにそこまで誉めてもらえると、ついついニヤケちゃいますよ~」

 

えへえへと、まるでセンチュリースープを飲まれたような顔でニヤケられました。

 

……今なら、いいかな?

 

「こ、小松シェフ。質問をしてもいいですか?」

 

「質問?ボクにですか?」

 

「はい」

 

「良いですけど……」

 

小松シェフは、一体なんだろう?といった感じで、頭を傾げられました。

 

とうとう逢えた、憧れの方。

 

訊きたいことがいっぱいある。

 

でも、何を訊こうかな?

 

どうして料理人を目指されたのか?

 

夢や目標はあるのか?

 

尊敬する料理人や美食屋は誰がいるのか?

 

訊いてみたい。

 

いろんなことを訊いてみたい。

 

うーん、何を最初に訊こう?

 

「……………………」

 

私は、思わず固まってしまいました。

 

「……?あの~、ののさん?どうされました?」

 

「あ、えと……」

 

いけない、小松シェフが待ってるのに。

 

えーと、えーと……

 

「……小松シェフは」

 

「はい」

 

「……今までで一番、美味しく作れたお料理って、なんですか?」

 

「今までで一番?」

 

「はい」

 

小松シェフにとって最高のお料理が、どんなモノなのか。

 

やっぱり、センチュリースープなのかな?半年以上もかけて作ったらしいし。

 

それとも、他に何かあるんだろうか?

 

「一番はですね……」

 

小松シェフは、少し照れ臭そうにされながらも、真っ直ぐに私の眼を見て言われました。

 

 

「今日、作った料理です」

 

 

「……え?今日の、ですか?」

 

「はい」

 

小松シェフは、恥ずかしそうに頭を掻きながら、こう説明してくださいました。

 

「ボクはいつも、“今日のボク”にできる最高の料理を作ろうと決めています。今日この日に作れるものを、全身全霊で作りたい。だから、今日の料理が最高傑作で、一番美味しいものです」

 

「……………………」

 

「と、まだ半人前のボクがこんなことを言うのは、傲慢かも知れませんね」

 

苦笑される小松シェフの顔を、私はずっと見つめていました。

 

「……………………」

 

眼が、離せませんでした。

 

 

 

「ののや、帰ったじょ」

 

あ、先生が戻って来られた。

 

「そろそろお暇するかの」

 

「あ、はい……」

 

私は席を立って、先生の下へ駆けていきました。

 

「それじゃ小松くん、またいつかな」

 

「はい!またお越しください!」

 

小松シェフは、先生に満面の笑みを向けられました。

 

「ののさんも」

 

「!」

 

私の方にも、小松シェフは笑顔を向けてこられました。

 

「是非また、いらしてくださいね!」

 

「……はい!」

 

私は、はっきりとそう答えました。

 

 

 

 

……帰り道を、先生と二人、並んで歩いています。

 

先生も私も、特に会話はなく、ただただ歩くだけでした。

 

 

『いや~。節乃食堂のスタッフさんがファンでいてくださるとは』

 

『ボク、すっごく光栄です!』

 

 

「………………」

 

小松シェフの真っ直ぐな笑顔が、ずっと頭から離れません。

 

六ツ星レストランの料理長なのに、少しも高圧的な態度もなく、謙虚で親しみ深く、そして……

 

「……優しい、人」

 

私が恥ずかしがって顔を見せようとしなかった時も、ちゃんと気を使ってくれたり、特許よりも食材の方を大切にされていたり。

 

「……………………」

 

「……ふふふ、ののや」

 

「あ、はい。先生」

 

先生は歩みを止めて、私を呼びました。

 

私も、それに合わせて止まります。

 

「逢えて良かったかの?小松くんに」

 

「!」

 

……ええ。

 

もちろん。

 

もちろんです。

 

「逢えて、良かったです」

 

「しょーかしょーか」

 

先生は、嬉しそうに笑ってくださいました。

 

「……先生、今日はありがとうございました」

 

「いいんじゃよ、お安いご用じゃ」

 

先生はそう言われると、またゆっくりと歩き始めました。

 

私も、それについていきます。

 

 

 

『是非また、いらしてくださいね!』

 

 

 

……小松、シェフ。

 

優しい方。

 

また、お料理を食べさせてもらいたい。

 

私のお料理だって、食べてみてもらいたい。

 

また。

 

また、逢いたい。

 



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愛の対象

……夜の九時。

 

街灯がぼんやりと光る中、トリコとココは“あるモノ”を持って、節乃食堂へとやって来ていた。

 

食堂の入り口前で、セツ婆はトリコたちから小さな豆のようなものを渡される。

 

「……ふむ」

 

それを、セツ婆はまじまじと眺めている。

 

「どうだ?これが何か分かるか?」

 

「会長(オヤジ)の“フルコースの

前菜”なんだが……」

 

トリコが、おそるおそる尋ねる。

 

「……これは、“ミリオン”という樹の種じゃな」

 

セツ婆はじっくり観察した後、はっきりとそう答えた。

 

「ミリオン?」

 

「何だそりゃ?何かの食材かセツ婆?」

 

ココもトリコも、その樹については知らなかった。

 

頭を傾げて、セツ婆に詳細を尋ねる。

 

「これは食材なんかじゃないぞ。グルメ界の奥地に生えとる樹じゃが、特に珍しいものでもない」

 

「なんだよー!やっぱりかよ!オヤジのヤツ、わざわざこんなもん宝箱に隠しやがって!!」

 

トリコは頭を抱えながら、空に向かって嘆いた。

 

だが、セツ婆はその後、ぽつりと一言呟いた。

 

「ただし、この種……なんじゃろう?“誰かを呼んどる”な」

 

「……?呼んでる?」

 

「ふむ。誰を呼んどるかは分からんが、これは“食材の声”に似た叫びじゃよ」

 

「……!」

 

トリコとココは、互いに顔を見合わせた。

 

「オヤジのヤツ、いったいなぜこんなものを前菜に……?」

 

「分からない……。だが、ビオトープに隠されたフルコースの内七つは回収できた。最後の八つ目を見つけられたなら、おそらく理由が分かるはずだ」

 

「はあ~、第1ビオトープをくまなく探すしかねえなあ……。たくっ、広すぎなんだよなあの庭」

 

トリコは、渋い顔をしながらぼやいていた。

 

 

カララ

 

 

と、そこに。

 

食堂の扉が開いて、中からののが出てきた。

 

「先生。極楽米の脱穀、完了しました」

 

「お~ご苦労じゃったなのの」

 

「ん?」

 

トリコは、ののへ顔を向けた。

 

彼女はそれに気がついて、ぺこりと少しだけ頭を下げた。

 

「その子が前に言ってた、“唯一のスタッフ”ってやつかい?」

 

「そーじゃよ。まだトリコたちには紹介しておらんかったかの?」

 

「ああ、初めましてだな」

 

「……どうも、先生の下で働かせてもらってます。ののと言います」

 

「オレはトリコ、美食屋だ。よろしくな」

 

「ボクはココ。美食屋と占いもしているよ。よろしくね」

 

「はい、こちらこそ」

 

無難に挨拶を終わらせると、トリコはセツ婆に顔を向けて話を戻した。

 

「しっかし、“食材の声”に似た叫びか……誰を呼んでるのかは分からねえんだよな?セツ婆」

 

「そうじゃな。まあ、反応する者は一人ではないと思うがの」

 

「むーん。とりあえず、小松にも見せてみるか」

 

「……!」

 

トリコがぽつりと言ったその言葉を、ののは聴き逃さなかった。

 

「あの……小松って、センチュリースープの“小松シェフ”のことですか?」

 

「ん?ああ、そうだぜ。へへ、さすがに伝説のスープを作っただけあるな。あいつもすっかり有名人だ」

 

トリコは、コンビである小松が有名になったのが誇らしいのか、口角を上げて嬉しそうな顔をした。

 

「トリコ……さんは、小松シェフとお知り合いなんですか?」

 

「おお。オレのコンビなんだ」

 

「え!?小松シェフとコンビ?!」

 

ののが、思いの外大きな声を上げる。

 

「ふふふ。実はののは、小松くんのファンなんじゃよ」

 

「へえ~!そーだったのか!」

 

「せ、先生!またその話を……」

 

ののは、顔をほんのり赤くさせながら、うつむいてしまった。

 

そして、小さく言葉を呟いた。

 

「……でも、本当に羨ましいです。トリコさんが」

 

「ん?」

 

トリコが聞き返す。

 

「小松シェフとコンビ……すごく、羨ましいです。私も料理人ですから、美食屋と料理人のコンビにはなれませんけど……。でも、本当に羨ましいです」

 

「ははは!ファンらしい台詞だな!小松に聴かせたら喜ぶぜ」

 

「………………」

 

ののはより赤くなり、耳元まで赤で染まった。

 

「……………………」

 

そんな彼女の姿を、ココは無言で見つめていた。

 

 

 

 

……結局、ミリオンの種で何をするのかまだ分からないため、今日は帰宅することにしたトリコとココ。

 

夜の静かな町を、二人はこつこつ歩いていた。

 

「……トリコ」

 

「ん?」

 

「小松くんは今、ガールフレンドはいるのかな?」

 

「な、なんだ急に?ココ、もしかしてお前……」

 

「いや“ボク”が小松くんをどうこうって話じゃなくて!」

 

トリコの変な勘繰りに、思わずココは苦笑した。

 

「……さっきのあの子、ののさんだったかな?小松くんの名前を出した途端、“縁の電磁波”が現れた」

 

「?なんだそれ?」

 

「ののさんと小松くんは縁が強いってことだ。トリコも分かってると思うが、ののさんはおそらく小松くんのことが好きだ。ひょっとすると、恋人同士になるかも知れない」

 

「マジか!?へー、小松に彼女な~」

 

トリコは手を頭の後ろで組みながら、小松がののと付き合っているのを想像した。

 

「まあ、案外お似合いかもな、あの二人」

 

しかし、同時にトリコは、“二代目メルク”と小松の姿も浮かんでいた。

 

「むーん、小松のヤツ……“どっち”を選ぶかな?」

 

「どっちを?トリコ、もしかして他にも、小松くんを想っている女性を知ってるのか?」

 

「二代目メルクも、そういう感じなんだよな。小松を見る時は、眼の色が違う」

 

「ふふ、羨ましい限りだよ小松くん」

 

「モテまくるおめーに言われても、なんかビミョーだぞ」

 

トリコはじとっとした眼で、ココを睨む。

 

「ボクは別に……“アイドル”みたいなものだよ。憧れの対象としては見てくれるけど、愛の対象としては見てくれない。本当にボクを好いてくれる女性は、未だいてくれたことはないよ。毒もあるしね」

 

「………………」

 

「だから、純粋に“人柄”で好かれる小松くんが、やっぱりボクは羨ましいんだよ」

 

「……ココ」

 

ココは、少し寂しそうに笑った。

 

「………………」

 

トリコは、ココの首に腕をまわして、にたっと笑った。

 

「このやろー、誰が“アイドル”だって?」

 

「し、仕方ないだろ?他に表現の仕様がないんだ」

 

「ちくしょー!オレもモテモテになりてえなー!」

 

「思ってもいない癖に」

 

「あ、バレた?」

 

二人は、顔を見合わせて笑った。

 

夜の静かな町を、二人はのんびりと歩いていった。



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彼女たちの予定

 

……シュリ、シュリ……

 

「ふう……」

 

オレは額にかいた汗を、手に持っているタオルで拭った。

 

今日はこれで、100本目の包丁を研ぎ終わった。

 

ノルマは達成だ。

 

さて、ちょっとお腹も空いたし、流石に休憩を挟もうかな。

 

「そうだ。たしか朝の残りが……」

 

地下室へ向かい、冷蔵庫を開ける。

 

中に朝食に作ったスープが冷やしてある。

 

あ、もうだいぶん食材も無くなってきたな。冷蔵庫の中がほとんどない。

 

「明日辺り、街へ買い物に行かないと……」

 

オレはスープを小鍋に移して、コンロの火にかけて温めなおす。

 

街へ買い物……

 

街。

 

そうだ、小松シェフに会いに行こうかな。

 

せっかくメルクマウンテンを下山するんだから、会いに行ったっていいよね?

 

あ、でもお邪魔かな……?

 

小松シェフのことだ。きっとレストランも繁盛してて、時間なんて全然ないんじゃないかな。

 

それにオレも、まだまだやらなきゃいけない仕事は山ほどあるし。

 

う~ん。

 

……止めとこうかな。

 

 

グツグツ

 

 

「あ、いけないいけない」

 

スープを温め過ぎた。ちょっと煮だっちゃってる。

 

火を消して鍋からお皿へ戻す。

 

テーブルに持っていって、席に座る。

 

「いただきます」

 

スプーンで一口、小さくすする。

 

あちちっ!

 

やっぱり温め過ぎたみたい。

 

オレはふぅふぅ言いながら、スープを食べていた。

 

小松シェフの作ってくれた、優しい温度のスープがまた食べたいよ。

 

 

『メルクさん、またお逢いしましょう!』

 

 

「………………」

 

うん。

 

やっぱり、逢いたい。

 

あの人に逢いたい。

 

どうしても逢いたい。

 

「どうしよ、今日もう行こうかな?」

 

早く。

 

早く街に行きたい。

 

「あ、いやでもちょっと待って」

 

オレは洗面台へ走り、小さな鏡で自分の顔を見る。

 

ああ、やっぱり……

 

肌がカサカサだ。

 

ここんとこ、仕事ばっかりでちゃんと眠ってないもんな。

 

ああ……髪もまとまってない。

 

どうしよう。

 

流石に恥ずかしいな。

 

でも、化粧品なんて持ってないし……

 

「そうだ!せめて温泉に入ろう!」

 

温泉で顔を潤そう!

 

そしたら幾分マシのはず!

 

そして……そうだな。

 

今度からは化粧品を用意しておこうかな。

 

はあ……

 

オレも、女なんだなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……じゃあ先生、さようなら」

 

「うむ。また来週頼むじょ、のの」

 

私は先生へ頭を下げて、節乃食堂を後にしました。

 

夕方の六時半。

 

空が、もう大分暗くなってきた時間帯です。

 

その代わり、グルメタウンに灯る繁華街の光が、キラキラと輝いています。

 

私はその繁華街にあるバス停に向かって、歩き始めました。

 

「明日は日曜日か……」

 

久々の休日に何をしようかと、私は思い悩んでいました。

 

……いや、本当はしたいことがあります。

 

でもそれをする勇気がなくて、悩んでいるんです。

 

「……小松シェフ」

 

私は最近、いつもあの人のことばかり考えてしまいます。

 

そして思い出す度に、胸がぎゅっと切なくなってしまう。

 

なんだか恥ずかしい気持ちと、すごく暖かい気持ちと、色々複雑にからまってます。

 

「小松シェフに、また逢いたい……」

 

その想いが、ずっと頭を支配しています。

 

顔がぽおっ……と、熱くなってきます。

 

でも実は、逢いたいだけでは何か“足りない”気がしてるんです。

 

だけど、何が足りないのかが、イマイチ私には分からないんです。

 

自分のことなのに分からないなんて情けない話ですが、こればっかりはどうしようもありません。

 

「ん?」

 

ふと見ると、前から一人の女性が歩いて来ました。

 

右手に携帯電話を持ち、楽しそうに話しています。

 

「ねーねーじゃあさー、今度のデートはグルメ神社行こうよ!就職試験の合格祈願にさ!」

 

どうやら、電話先の方は恋人のようです。

 

デートのお約束か、いいなあ。

 

私もいつか素敵な恋人ができたら、ああやって電話とかデートとか……

 

「ん?」

 

もし。

 

もし小松シェフの連絡先が訊けたら……

 

ああして電話できるのかも?

 

『ののさん、今度ご飯食べに行きましょー!』

 

『はい!』

 

……い、いいかも。

 

電話、してみたい。

 

そしたらいつでも会うお約束できるし、お料理の相談とかも、普通の雑談とかも。

 

いっぱいいっぱい、お話できる。

 

「小松シェフの連絡先……」

 

知りたい。

 

教えてほしい。

 

ああでも、私なんかがいいのかな?

 

まだ一回しかお会いしてないのに、突然「連絡先をください!」なんて、図々しい過ぎるかな?

 

というかそもそも、私と電話をしてくださるほどお暇じゃないと思うし……

 

「はあ、どうしよう……」

 

私は顔をうつむかせながら、バス停のベンチへと腰を下ろしました。

 

自宅までのバスが来るまでの間、ぼんやりと辺りを見渡していました。

 

「ママ!またカレーのお店行きたい!」

 

「なあ、ケントッキー行こうぜ?」

 

「久々にしゃくれラーメンでも食いに行くかな」

 

ガヤガヤガヤガヤ……

 

 

いつ見ても、すごい人だかり。

 

今日も繁華街が賑やかです。

 

「あ、先生だ」

 

私は、先生がオーナーを勤めるハンバーガー屋さんの前で“セツのん人形”を発見しました。

 

さすが先生、人気者です。

 

 

『ののや』

 

 

「………………」

 

その人形を見つめていると、先生が私におっしゃってくれた言葉が、ふいに頭の中に甦ってきました。

 

 

『お前さんはええ子じゃよ。我慢強く、そして気配りのできる子じゃ』

 

『じゃが、ちょっぴり“気配りすぎる”ところもある。もう少し、自分の好きなようにしてもいいんじゃよ?』

 

 

「……好きなように」

 

その言葉が、何となく背中を後押ししてくれたような気がしました。

 

よし、そうしよう。

 

勇気を出して、小松シェフに連絡先を訊いてみよう。

 

明日の予定は、もう決めた。



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ライバル 上

翌日。

 

久しぶりに街へとやって来たメルクは、早速ホテルグルメへと向かった。

 

がやがやと賑やかな街の中を、地図を片手に歩いている。

 

(ふ~、暑いなあ)

 

眩しい太陽の日と人々の熱気に当てられて、メルクは少し額に汗をかいていた。

 

「この後さー、ちょっとタピってかな~い?」

 

「いいね!ウチも飲みたかった~!」

 

横を過ぎ行く女の子たちの格好を、メルクは見つめていた。

 

すらっとした細いズボンや、ひらひらのスカート、水色の可愛いパーカーや、大人っぽい白色の薄手シャツ……

 

(み、みんなお洒落だなあ。どうしよう、オレ普段の服で来ちゃった。今更ながらすっごい恥ずかしい……)

 

(ダサく思われてないかな?変に見られてないかな?)

 

そんな不安が頭の中をぐるぐると巡っていく。

 

前までは全然、そんなこと気にもしなかったのに。

 

「小松シェフ~……」

 

まるで迷子になった子どもみたいな気持ちで、ホテルグルメへとメルクは向かっていた。

 

 

……数分後。

 

なんと彼女は、本当に迷子になってしまった。

 

「うーん、おかしいなあ。地図ではこの辺りにあるはずなんだけど……」

 

メルク自身があまり地図を読むよが得意ではないことと、慣れない街に来たという緊張感から、上手く目的地へとたどり着けないでいた。

 

「はあ、仕方ない。人に尋ねるしかないか」

 

そう思い、周りに訊けそうな人がいるか見渡した。

 

「……ん?」

 

ふと、小さく小柄で、大人しそうな女の子を見つけた。

 

この子なら、優しく教えてくれそうだ。

 

「あの、ごめん。ちょっと道を訊きたいんだけど」

 

メルクがその子に近寄り、話しかける。

 

「ホテルグルメってレストラン、知ってるかな?」

 

「……ホテルグルメ、ですか?」

 

「うん。実はこの辺、オレよく知らないんだ。良かったら道案内をしてほしいんだけど……」

 

「ええ、良いですよ」

 

「ありがとう。助かるよ」

 

「いえ、私もちょうど“ホテルグルメに行くところでした”から」

 

そう言って、その少女……ののは、にこっと優しそうに笑った。

 

 

 

 

 

……ホテルグルメへと向かう二人。

 

少し前をののが、その後ろをメルクがついていく形で歩いている。

 

互いに会話はしていないが、実は少し相手のことが気になっていた。

 

(学生なのかな?この子は。まだだいぶん若そうだ。でもホテルグルメに用があるってなんだろう?高級レストランに食事へ行くようには見えないし、もしかしたら職員の誰かが知り合いで、訪ねに来たとかなのかな?)

 

メルクはののを見つめながら、そのように推察していた。

 

また、ののはのので、メルクのことを考えていた。

 

(背が高くてとってもスタイルが良い。なんだか、スレンダー美人って感じ。ああ、羨ましいなあ……。私、自分が寸胴体型なのがコンプレックスだから、この人みたいな体型憧れる……)

 

と、それぞれ様々なことを考えながら、ホテルグルメへと到着した。

 

「こちらです」

 

「ああ、ありがとう!」

 

メルクは“ホテルグルメ”の看板を見つめながら、改めてののへ礼を言った。

 

メルクとののは、二人同時に店内へと進む。

 

 

ガヤガヤガヤガヤ……

 

「すみません、にんにく鳥のチキン南蛮をひとつ」

 

「かしこまりました」

 

「あの~、イカマグロの活け作りを追加で注文良いかしら?」

 

「はい、承りました」

 

ガヤガヤガヤガヤ……

 

 

……レストラン内部は、今まさに大繁盛中。

 

店員たちがせわしなく働いているのを見て、メルクとののは思わず足が止まった。

 

明らかに忙しそうにしている店員。ということは、無論小松も忙しいだろう。

 

であれば、自分の“会いたい”という気持ちだけで、会いに来て良かったのだろうか?という疑問が、彼女たちの頭に再び現れ始めていた。

 

(私、やっぱり来ちゃ行けなかったかな?で、でもせっかく来たし……)

 

(うーん、どうしよう。オレ、店が終わるまで待ってようかな?)

 

彼女たちが逡巡していると、ウェイトレスが声をかけてきた。

 

「いらっしゃいませ。お二人ですか?」

 

「「あ、いや違います」」

 

メルクとののが、咄嗟にそう答える。

 

「えーと、その……」

 

「わ、私……」

 

二人とも、なんとも言えない困った顔をしながら、頬を赤らめていた。

 

「あ、あの、ウェイトレスさん」

 

だが、ののが先に言葉を整理したらしく、とうとうこのように告げた。

 

「小松シェフは、今いらっしゃいますか?」

 

「!?」

 

その言葉に、思わずメルクがののへ顔を向けた。

 

「料理長、ですか?はい、今は調理場で作業をしておりますが……お知り合いの方でしょうか?」

 

「は、はい。その、知り合いと言えば知り合いですけど……」

 

もじもじしながら、ののは次の言葉を探していた。

 

その姿を、メルクはじっと見つめている。

 

「……………………」

 

「あの、そちらの方も料理長のお知り合いですか?」

 

メルクにもウェイトレスが尋ねてきた。

 

「は、はい。そうです。私も小松シェフに会いに来ました」

 

「!?」

 

今度は、ののが驚いていた。

 

「うーんと、すみません。このレストランは何時に閉店しますか?」

 

メルクがウェイトレスへ尋ねる。

 

「午後3時に、一度お昼の部を終了いたします。その後、午後六時より夜の部を開始いたします」

 

「じゃあ午後3時過ぎなら、小松シェフはお暇ということですね?」

 

「はい」

 

「わかりました。また改めて伺います」

 

メルクはそう言うと、出入り口に向かって歩き始めた。

 

その瞬間、ちらりと横目でののを見ていった。

 

「……あの、私も後程、また来ます」

 

ののもそう言って、メルク同様にレストランから出ていった。

 

 

 

「「………………」」

 

ホテルグルメの外で、二人の女性が見つめあっていた。

 

互いに何も言わない。

 

だがその頭の中は、相手のことを測ろうと必死に動いていた。

 

(知り合い、か。小松シェフの妹さんとかかな?でも、それなら初めから“妹です”とか名乗るよね?“知り合いと言えば知り合い”というような言い方はしないはず)

 

メルクはののを分析し。

 

(……小松シェフのお友だち、とはちょっと雰囲気が少し違う気がする。お友だちの職場に訪ねてきたにしては、なんだか照れ臭そう。まるで“旦那さんの職場へ初めて来た奥さん”みたいな……)

 

ののもメルクを観察していた。

 

「「……………………」」

 

両者、動く気配がなかった。

 

「…………ふう」

 

だがとうとう数分後、痺れを切らしたメルクが、ののへ次のような提案をした。

 

「……君も、小松シェフに用事があるんだね?」

 

「はい、そうです」

 

「なら、午後3時になるまで、一緒にどこかで時間を潰さないか?“聴いてみたいこと”もあるし」

 

「……わかりました。私もあなたと、“お話したい”と思っていたところです」

 

二人とも、互いの顔を見つめながら笑いあう。

 

だが、その眼は少しも笑っていない。

 

(……直感だけど、この子はオレの)

 

(……たぶん、この人は私の)

 

((ライバルだ))

 

……同じ者に想いを抱く二人。

 

それ故に彼女たちは、今ここで相間見えることとなったのだ。

 



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ライバル 下

 

……とある喫茶店。

 

その店内の隅にあるテーブル席に、メルクとののはいた。

 

互いの前にはアイスコーヒーが置かれているが、全く飲まれた様子はない。

 

一口も手がつけられていないまま、からんと氷が溶けていくばかりであった。

 

「「……………………」」

 

メルクもののも、眼を合わせない。

 

先ほど互いの名前を教えあった以外は、全く会話をしていない。

 

メルクは外の風景に、ののは自分の手元に視線をやっていて、妙な静けさがその場を包んでいた。

 

「…………ねえ」

 

だがその沈黙は、メルクによって破られた。

 

「ののさん、でいいんだっけ?」

 

「……はい」

 

彼女はののへ視線を移し、なるべく笑みを絶やさないようにしながら質問した。

 

「君は、小松シェフに会いたいって言ってたけど、どういう用事だったのかな?」

 

「どういう用事……?」

 

「うん」

 

「……………………」

 

ののはのので、視線を上げてメルクの表情を伺っている。

 

「……お料理の相談、です」

 

「料理の?」

 

「はい。実は私も料理人なんです。それで、プロである小松シェフからアドバイスを承ろうと思って……」

 

ののは淡々と答えていくが、これは彼女の嘘である。

 

逢いたい理由が“ただただお会いしたいから”とか、“連絡先を訊きたいから”と本音を話すと、小松シェフに好意を持ってるのを自分から吐露することになる。

 

まだ初対面であるメルクに対して気恥ずかしさと警戒を持つが故に、ののは少しばかり嘘をついたのだ。

 

(でも、いつか小松シェフに料理を教わりたいと思っていたのは事実……全部が全部嘘じゃない……)

 

ののはなるべく事実に近い嘘をつくことで、話にリアリティを持たせていた。

 

「料理……か。そうだね、確かに小松シェフの料理はとても美味しいし、教え方も優しそうだね」

 

「……………………」

 

メルクは微笑を浮かべたまま、コーヒーに手をつけた。

 

少しだけ口に含み、その苦さを堪能する。

 

「…………メルクさんは、どうなんです?」

 

「小松シェフに逢いに来た理由?」

 

「はい」

 

コーヒーを静かに置き、外の雑多な街並みを見つめながら、少し恥ずかしそうにメルクは言った。

 

「特に理由なんてないよ。ただ、逢いたかっただけ」

 

「!?」

 

ののは、その言葉に驚きを隠せなかった。

 

自分が避けたその言葉、本音を、メルクは真正面から答えてしまった。

 

己の思っていることをそのまま伝える……。ある種の“男らしさ”すら感じられた。

 

「………………」

 

乾いた唇を舌で濡らし、意を決した顔でののは、メルクにこう尋ねた。

 

「メルク、さんは……」

 

「うん?」

 

「小松シェフの、恋人さん、ですか……?」

 

緊張のあまり、手をぎゅうっと握りしめてしまう。

 

「………………」

 

そんな彼女の姿を見たからか、メルクは比較的優しく、柔らかに答えた。

 

「ううん、オレは違うよ」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。この前初めて会ったばっかし」

 

「………………」

 

「ふふ、そっか」

 

「え?」

 

「やっぱりののさんも、小松シェフが好きなんだね」

 

「!?」

 

顔が真っ赤になるののを、メルクは暖かい瞳で見つめていた。

 

「わ、私は、その……」

 

「会った時にね、なんとなくピンッときたよ。こう、直感的に理解できたって感じかな」

 

「……メルクさんもですか?」

 

「あ、やっぱり気がついてた?」

 

「はい……」

 

「そっか、そうなんだね」

 

「……………………」

 

メルクは、少し切なげな顔で、コーヒーに浮かぶ氷を見つめていた。

 

ののも顔をうつむかせ、じっ……と何かを考え込んでいた。

 

「……………………」

 

店内には、静かにジャズが流れている。

 

他の客の話声が、ぼんやりと耳に届く。

 

「……あ、もう2時50分だね」

 

メルクが席を立つと、ののもそれにあわせて立ち上がる。

 

二人は会計を終わらせ、店の外に出た。

 

「「……………………」」

 

会話をすることもなく、ただただ歩くのみ。

 

妙に張りつめた気不味い空気が、彼女たちの間に産まれていた。

 

その時だった。

 

 

 

ドンッ!!

 

 

 

「「!!」」

 

ののとメルクの目の前で、事故が起きた。

 

自転車に乗っていた老婆が、きたんと停車せずに横の路地から出てきた車と衝突。

 

自転車は横転し、老婆は地面へと倒れた。

 

「メルクさん!」

 

「うん!行こう!」

 

彼女たちは直ぐ様、事故現場に駆け寄った。

 

「ヤベエ!ババア轢いちまった!」

 

運転手の男がパニクっている。

 

「また免停くらったら面倒だぞ!ずらかっちまえ!」

 

助手席に座っていた友人がそう叫ぶと、車をまた発進させ、その場から逃げようとしていた。

 

だがその時……

 

 

パアンッ!!

 

 

「え?!え?!」

 

大きな音と共に、車は全く動かなくなった。

 

メルクが包丁を使い、タイヤを切りつけてパンクさせたのだ。

 

「轢き逃げなんて、絶対させないよ」

 

ぎらりと、メルクの眼が鋭く光った。

 

車のドアを開けて、運転手に向かって睨む。

 

「救急車と警察、すぐに呼んで!」

 

「な、なんだてめぇ!」

 

「オレは携帯を持ってないんだ!だから早くしてよ!」

 

「このやろ!なんで俺達が!」

 

メルクに向かって男たちは歯向かった。

 

「……もう」

 

メルクはため息をつきながら、包丁を一振りする。

 

すると、男たちが耳につけていたピアスが、ぼろりと下に落ちた。

 

「なっ?!なっ?!」

 

「ほら、早く連絡して!さもないと、次はピアスだけじゃすまないよ!」

 

「は、はい!」

 

ビビりあがった運転手は、メルクの言葉通りに携帯を手に持って119番へ連絡した。

 

その間に、ののは老婆を歩道へと移し、容体を確認していた。

 

「大丈夫ですか!?」

 

「う、うう……」

 

轢かれた老婆は、苦悶の表情を浮かべて、唸ることしかできなかった。

 

(肩から腰にかけて強く打ってる……確か、こういう場合は……)

 

ののは膝を曲げ、手を老婆へかざした。

 

 

……キラキラキラ……

 

 

彼女の手から出る優しい冷気が、老婆の体を包んでいった。

 

事故直後のむちうちの際は、患部を冷やすのが良いとされている。痛みを和らげて、炎症が酷くなるのを抑えられるという。

 

「……うう……」

 

その甲斐あってか、老婆の表情は少しずつ和らいでいった。

 

 

 

 

 

……その後やって来た救急車に老婆を乗せてもらい、すぐに病院へと向かってもらった。

 

警察は事故を起こした運転手と、目撃者の二人に事情聴衆し、運転手をパトカーに乗せて老婆の病院へと連れて行った。

 

結局全てが終わったのは、4時を過ぎてからだった。

 

「「……ふぅ」」

 

メルクとののは、深く息をはいた。

 

「……なんとかなったね」

 

「はい」

 

互いに顔を見合わせる。

 

そして、ふっと優しく、二人に笑みが溢れた。

 

「メルクさん……どこかで御聞きした名前だと思ったら、“メルク包丁”のメルクさんだったんですね」

 

「え?ああ、まあね」

 

「さすがの切れ味。車のタイヤなんて楽々切れてしまいますね」

 

「ははは、ありがとう。ののさんも冷気を扱えるなんて、すごいじゃないか」

 

「いえ、そんな……」

 

二人は、先ほどまであった緊張感がとけて、自然と笑い合うことができていた。

 

「……ねえ、ののさん」

 

「はい?」

 

「オレたちはさ、言うなれば恋のライバルってことになるよね」

 

「……はい」

 

「でもさ、だからと言ってオレは、ののさんを嫌いにはなれないな」

 

「え?」

 

「おばあちゃんのためにすぐ駆けつけたののさんは、きっと優しい人だと思ったから」

 

「そ、そんな。そんなことを言ったらメルクさん、あなただって……」

 

「ふふ」

 

メルクは、朗らかに笑った。

 

「オレは小松シェフとも仲良くなりたいけど、ののさんとも仲良くなりたい」

 

「……!」

 

「恋のライバルだからって、仲良くしちゃいけないなんてことは、きっとないはずでしょ?」

 

「ま、まあ……たぶん」

 

「オレは、ののさんとも友達になりたい。ダメかな?」

 

「………………」

 

ののはしばらくの間、驚きで固まっていた。

 

だが、少し恥ずかしそうにしながらも、メルクへちゃんと笑みを返した。

 

「……ダメじゃ、ないです」

 

「そう?」

 

「はい。私も、あの“メルク包丁”のメルクさんと友達になれるなんて、光栄です」

 

「ははは、ありがとう」

 

二人は、またホテルグルメに向かって歩き始めた。

 

先ほどみたいな沈黙は既になく、楽しそうに会話をしている。

 

ライバルだからといって、仲良くできないことはない。

 

それは、優しい二人だからこそできる関係性だった。

 







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一抹の不安

……IGO第2ビオトープ。

 

その研究所内にある海中レストランに、彼らはいた。

 

トリコたちである。

 

大きな円形のテーブルに座って、彼らは食事をしている。

 

食林寺に向かうために恵方巻の具材を探していたトリコと小松は、鍋池に生息していた“マダムフィッシュ”をココ、サニー、ゼブラ、リンと共に捕獲を行う。

 

そのマダムフィッシュを、小松が海中レストランの調理場を借りて、いくつかの料理をこしらえたのだ。

 

「お!?刺身があるじゃねーか!」

 

トリコは皿に盛られた刺身を、箸で大量にすくった。

 

それを醤油に少しつけてから、口いっぱいに頬張る。

 

「すげえ……!この脂肪分は、極上サーモンやマグロの大トロ、いや牛のサーロインにすら負けねえくらいのインパクト!食いごたえがハンパじゃねえ!」

 

「うめえうめえ!こりゃうめえ!」

 

刺身の山をばくばく食べるトリコを、ゼブラが睨んできた。

 

「おいトリコてめえ……刺身独り占めしてんじゃねえよ、オレにも寄越せ」

 

「ああ?お前さっき大分食っただろうが!」

 

刺身を奪い合う二人を見て、サニーもココもため息をついていた。

 

「ったく、落ち着きのネやつら」

 

「変わらないな、二人とも」

 

ココは目の前にあった料理を手前に持ってきて、それを食べ始める。

 

「ん、これはムニエルだね」

 

ココが身にナイフを当てると、ふわっと優しく刃が通った。

 

切った身をフォークで刺し、口へ運ぶ。

 

「うん、うん。美味しい」

 

「口に入れるとふんわり身が崩れ、中からステーキにも負けないジューシーさが顔を出す。でもステーキほどのクドさがないから、どこか品のある味わいになっているな。なるほど、“マダム”と名を冠するだけはある」

 

上品さを好むココにとって、マダムフィッシュは好みの食材だったようだ。

 

そしてそれは、サニーにとっても同じだった。

 

「う~んデリシャスっ!マダムフィッシュ蒸したやつめちゃんこうまっ!蒸された身と添えてあるレモンの香りがサイコーに調和してるっ!盛り付けもほんのりピンクの身に、ぱっと光るレモンの黄色で色合いも良っ!美(つく)しい!」

 

「あ、お兄ちゃん。そこにあるパフェ取ってほしーし」

 

「ちょっ!リンおま、甘いモンばっか食いすぎだっての!」

 

ガヤガヤと食事を楽しむ一同。

 

そこに小松が額にかいた汗を拭いながら、みんなの下にやって来た。

 

「みなさん、お味はいかがでしょうか?」

 

「おー松!ちゃんと調和してるぜ!」

 

「小松くん、前よりもぐんと腕が上がったね」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「小松!お前も一緒に食おうぜ!マダムフィッシュ、すげーうめえぞ!」

 

「わあ!いただきます!」

 

小松はトリコとゼブラの間に座り、みんなと同様ぱくぱく食べ始めた。

 

「小僧、刺身はもうねえのか?」

 

「ああゼブラさん、ごめんなさい。残りは恵方巻用にとっておかないといけなくて……」

 

「そーだぞゼブラ。もうお前の分はねえ」

 

「トリコ……お前、チョーシにのってるな」

 

「わあっ!落ち着いてくださいゼブラさん!」

 

「おらトリコ!喧嘩しようぜ……!」

 

「うるせっ!黙って食え!」

 

「ほら二人とも、小松くんが困ってるだろ。落ち着いて食べたらどうだ……」

 

ガヤガヤガヤガヤ……

 

 

 

 

 

 

……数十分後。

 

料理のほとんどをみんな食べつくし、残っているのはデザートが数点ほどであった。

 

「そういえば小松」

 

トリコがアップルパイを手掴みで食べながら、にやにやした顔で尋ねてきた。

 

「あれから彼女らと“進展”はあったのか?」

 

「ちょ、ちょっとトリコさん!“お二人”は別にそういう仲じゃ……」

 

「進展?」

 

「お二人?」

 

ココやサニーたちは、言ってる意味が分からず、頭を傾げている。

 

そんな彼らに向けて、トリコは事の顛末を教え始めた。

 

「数日前な、小松の下に女の子が二人も訪ねに来てたんだよ。しかも、小松に合いたいがために遠方からわざわざやって来て、たしか連絡先まで訊かれたんだよな?」

 

「あー!?なんだぁ松~!おまモテまくりじゃねーの!」

 

サニーもトリコと同じように、ニタニタと笑っている。

 

「もー、だから違いますって!僕は全然、モテてなんかいないですってば」

 

心底困ったように眉を八の字にしながら、小松はそう弁明した。

 

そこに、リンがこう小松へ告げた。

 

「でも、普通好きでもない人のとこに行こうなんて思わないし、連絡先まで訊かれたんなら、好印象なのは間違いないと思うなー?」

 

「お!リン、良いこと言うじゃねえか!」

 

「だってえ!ウチもトリコのいるとこならどこだって連いていきたいし~♥」

 

「お、おう……」

 

対応に困るトリコであった。

 

「ふん……恋愛だのなんだの、そんなものはチョーシにのって浮かれたヤツのすることだ」

 

「た、確かに、ゼブラさんはそーゆーの好きじゃなさそうですよね……」

 

「ほっとけ松、ゼブラは自分がモテねから僻んでるだけだ」

 

「……サニー、てめえよっぽど殺されてえらしいな」

 

「あ?俺(れ)はホントのこと言っただげだし。美(つく)しさが足んねーからなお前は」

 

「ケッ、美しさとか女々しいこと考えてやがるから、てめえはいつまでもナヨナヨ野郎なんだよ」

 

「んだとゼブラぁ!?」

 

睨み合う二人を放って、ココは小松へ話しかけた。

 

「小松くん、訪ねに来てくれた二人というのは、誰なんだい?」

 

「えーと、メルクさんとののさん、という方々なんですけど……」

 

「ふふ、やっぱりそうだったか」

 

「え?やっぱりって?」

 

「実は先日、僕とトリコが国宝の節乃さんへ訪ねに行った時に、ののさんとはお会いしてたんだがね?その時、小松くんに対してすごく好意的な反応だったんだ」

 

「そ、そーなんですか!?」

 

「うん。それにトリコから訊いたけど、メルクさんも小松くんを憎からず想っているだろうと言われてね。おそらくその二人が来てたんだろうと予測していたのさ」

 

小松は照れ臭そうに顔を赤くしながら、頬を指で掻いている。

 

「そんな……僕なんかがあのお二人に……」

 

「もっと自信を持ちなよ小松くん。リンちゃんの言っていた通り、わざわざ訪ねに来てくれるということは、それなりの好意がないとできないんだから」

 

「そーそー!ウチが保証するしー!」

 

「う、うーん……」

 

しかしそれでも、“自分なんかがそこまでモテる訳がない”という思い込みのせいか、小松はまだ自分に自信が持てないでいた。

 

「………………」

 

コンビであるパートナーの姿を、トリコはじっと観察していた。

 

(自信……か。小松の慎重な性格上、ちゃんとした成功体験がねえ限りは、自信をつけるのは難しそうだな)

 

(よし!ならここはパートナーとして、ちょっと背中を後押ししてみるかな)

 

そう考えたトリコは、ココへこう話しかけた。

 

「なあココ、どうだ?良かったら小松の恋愛を占ってやってくれよ」

 

「え!?トリコさん!?」

 

「ふむ……占いか」

 

「ココの占いで良い結果が出れば、小松も多少は自信がつくんじゃねえか?」

 

「そ、それはまあ……確かに」

 

「でもトリコ、僕はやるからには“正直に伝えたい”人間だ。悪い結果が出る可能性だってある。それでもいいのか?」

 

「なーに、その時はその時さ。小松もそれでいいだろ?」

 

「は、はい!」

 

「……分かった。よし、じゃあ小松くん。僕の方へ顔を向けてくれるかな?」

 

「わかりました」

 

小松は対面しているココに向かって、顔を向けた。

 

ココは小松をじっと見つめ、電磁波の様子を探っている。

 

「「……………………」」

 

一気に、場が静かになった。

 

しんと張りつめた空気が、辺りを厳かに包んでいた。

 

(……な、なんか緊張するな)

 

(ウ、ウチも)

 

トリコとリンが、ひそひそと声を潜めて話す。

 

(……んか、ココと松が見つめあってるみたいでちょっとキショイな)

 

サニーは相変わらずだった。

 

(ん?このアイスうめえな)

 

ゼブラは完全に興味なかった。

 

「……小松くん」

 

「……はい」

 

ココに呼ばれた小松は、思わず背筋をぴんっと立ててしまう。

 

「恋愛、は」

 

「…………」

 

「うん、今後はすごく良さそうだ。この調子なら、ののさんかメルクさん、どちらかと付き合うことになる」

 

「ホ、ホントですか!?」

 

「おお!良かったじゃんか小松!」

 

「わあ!いいなあ小松くん!ウチも後からココに恋愛見てほしーし!」

 

「松にカノジョか!今度俺(れ)にも紹介しろな!」

 

「………………」

 

ココの言葉を受けて、トリコたちは喜びと安堵の表情を見せているが、当のココがまだ険しい顔をしたままだった。

 

「……?どうしたココ?」

 

「…………」

 

ココは顎に手を当てて、冷や汗をかいている。

 

(なんだ?この感じ……小松くんの恋愛が今後順調なのは間違いない……)

 

(だが、何か胸にしこりが残る……“イヤな予感がする”……)

 

(これは一体、何なんだ……?)

 

……ココは小松の電磁波を注意深く観察し、なるべく現状をありのまま話すことにした。

 

「……小松くん、ちょっと訊いてもいいかな?」

 

「はい?」

 

「その……メルクさんとののさん、そして小松くんの“三人”で出掛ける予定は今のところあるかな?」

 

「?いえ、ありませんけど……」

 

「三人で出掛ける機会がもしあったら、注意しておいてほしいことがある」

 

「え?な、なんですか?」

 

「……僕の占いによると、“三人で行動を共にする時、良くないことが起こる可能性がある”と出ている」

 

「良くないこと!?そ、それって一体……!?」

 

「分からない……事故や事件?いや、ダメだ……ぼんやりとしていて把握できない」

 

「おいおいココ、えらく抽象的だな」

 

トリコが困った表情でそう告げる。

 

「すまない……たまにこういう風に“ぼんやりとしか分からないこと”もあるんだ。僕ももっと、占いの精度を上げないとね……」

 

「いえいえそんな!ありがとうございますココさん!少しでも今後のことが分かるなら、僕はとても有り難いです!」

 

小松はココに気遣って、笑顔を見せながら感謝の言葉を述べた。

 

(三人で行動を共にする時、良くないことが起こる可能性がある……)

 

だがそれでも、ココの言葉は気にならざるを得なかった。

 

胸の中にじんわりと、だが確実に、不安の影が染み込んでいった……



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