岸辺露伴イギリスへ飛ぶ (TUTUの奇妙な冒険)
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エピソード1 沈黙する天使
ロンドンに着いて──ああ、当然だが通訳はなしだ。以前イタリアで痛い目を見たのでね──最初に向かったのはセントポール大聖堂やロンドンアイなんていう名の知れた場所じゃあなかった。勿論そういう場所だって欠かせないが、それよりも僕が求めているのは『体験』による『リアリティ』だ。ロンドンに暮らす一般市民の生活を体験してこそ、僕の求めるリアリティが得られるんだ。
……というわけで、まずはロンドンの普通の街並みを見て回った。土着の風俗というのか、単に人々の生活を写真に撮るだけでも興味深い体験だった。そしてふと目についた一軒のDVDショップに足を運んだ。何の変哲もない店にすぎないだろうが、日本とは違う映画やドラマがたっぷりと並んでいることだろう──ロンドン市民はどんなセンスでどんな映画を見ているのだろうと期待に胸を膨らませてね。
店にはホラー、アクション、SFと、日本でもよく見るような分類でディスクが並んでいた。しかし、僕の目を引いたのは品揃えではなく、行方不明者のポスターだった。赤色の地に白抜きで情報提供を求める文言が並んでいる、その周りにはまるで何者かに警告を発するような……明らかに手書きのマークアップがされていた。
「何だ……?妙なポスターだ。ここの部分は手書きだな。ここもか。一体どうしたんだ、まるでここの店員が行方不明者に入れ込んでいるような──」
「どうかしましたか?」
振り向くと、そこには髭の生えた若そうな男性店員がカウンターに座っていた。
「あなたアジア人ですね……ここには旅行で?」
「……取材旅行だ」
「なるほど。そのポスターですが、気を付けてください。ここのところ行方不明事件が頻発していましてね」
行方不明事件。杜王町で耳に胼胝ができるほど聞いた言葉だ。
「このあたり、治安悪そうだな。ちょっぴり恐怖を覚えるよ……なにせ外国人なものでね」
「治安は悪くないですよ。ただ……本当にその事件には気を付けた方が良い」
「オイオイ、妙なことを言うんだな。『治安は悪くない』『行方不明事件が頻発』──これ、この国では矛盾って言わないのか?」
「……その事件が起きたのは、10年ほど前のことです」
店員はおもむろに席を立つ。コツコツと靴音を鳴らしながら、ポスターとその前に立つ僕の方へ歩いて足を止める。
「俺の姉もやられました。犯人は人間じゃあない、『彫像』だ。『彫像』に気を付けてください」
「は──?」
意味の取れない発現を聞くや否や、僕はこの岸辺露伴の精神エネルギーの発露──『スタンド』を発動させる。白いコートとクールな蝶ネクタイ、そして格子状のシルクハットを纏った亡霊のような実体。それが僕のスタンド『ヘブンズ・ドアー』。この能力を使えば離れたDVDだって万引きできるし、この男の顎に一撃かましてやることだってできる。それは僕の能力の本質ですらなかったが、ここではひとまず置いておこう。
「貴様新手の──」
『ヘブンズ・ドアー』の手が男の顔の前に伸びたとき、僕は異常を察知した。男にはこの『ヘブンズ・ドアー』の手が見えちゃあいないのだ。まるでそこには岸辺露伴以外の人間が存在しないように、ポスターに視線を送っている。
「……!?」
(スタンド使いじゃあないッ!?するとこれは、この男が話しているのは──)
「彫像が動くなんてあるはずがない……そう思っているでしょう?」
状況を整理しつつ、ゆっくりと認める。
「それが普通の反応です。それが常識ですから。彫像が動くはずがない……そう、『見ている間』は」
「……見ていない間に動くとでも?ハッ、そんな『トイ・ストーリー』みたいな話──」
「そうです」
短文から放たれる言葉の圧は、この僕を一瞬黙らせるほどのものだった。彼の目には怒りとも怖れとも掴めない、複雑な感情の集合体が渦巻いていた。これが『経験者は語る』、そういうものだろうという思考が僕の脳裏をよぎる。
「彫像には気を付けることです。もし遭遇したならその時は──」
「『ヘブンズ・ドアー』」
スタンド使いである疑いは晴れた。しかし僕は岸辺露伴。この身に降りかかるかもしれない危険に対処できる情報は欲しいし、何より『リアリティ』のある漫画を描くために『体験』が欲しい。無実の彼には悪いが、『本』にさせてもらう。
彼の顔に切れ目が入り、本のページのようにバラバラと滑らかに捲れていく。いや、ページの『ように』ではない。既に本のページ『そのもの』だ。そしてページが開くとともに彼は意識を失い、力を失った体が崩れ落ちる。
「おっと──すまない」
彼が頭を打たないように支え、ゆっくりと床へ横たえる。ここからは僕のターンだ。あまり無暗に使うことは避けているが、僕には人を『本』にしてその人物の『人生』を文字として読むことのできる能力がある。『ヘブンズ・ドアー』に同調した人間には100%通じる能力だ。
「名前はラリー・ナイチンゲール……まるで看護師のようだな」
辞書のように指に吸い付くページをめくり続け、彼の言っていた10年前まで指を動かす。そしてそれらしい記述が見つかった。Weeping Angels ──『忍び泣く天使たち』とでも訳すべきか。
店を後にした僕は、しばらくぶらぶらと町を巡りながら、忍び泣く天使たちのことを考えていた。彼の記憶から読み取れた情報を整理すると、天使は翼の生えた石像の姿をしている。ハイエナやライオン……この地球上に存在するどんな猛獣でも説明に足りないほどの凶暴性と貪欲さを誇り、触れた人間を『過去』へ飛ばしてしまう。『過去』へ飛ばした人間が持っていた時間エネルギーを吸い取って生きている生命体だ。そして最大の特徴は──『見ている間は動かない』、しかし『見ていないと高速で襲う』──それに尽きる。
天使に襲われた彼がどうやって切り抜けたのか、そして天使たちが狙っていた『青い箱』とは何なのか……店に来客の気配があったのでそこまでは読めなかったが、また足を運べばいい。思わぬ『体験』だった。スタンドとは違う異質な存在がここロンドンに存在している。非常に危険極まりない存在ではあるが、同時に彼は素晴らしい『体験』をしていたのだ。
(──そういえば)
彼の記憶から何かが引っ掛かり、僕は自然に足を止めた。
(写真がなかったな。写真というよりもイメージ図というべきかもしれないが。康一くんの記憶を読んだときにはクソッタレ仗助の『クレイジー・D』や空条承太郎の『スター・プラチナ』をはじめスタンドの写真もあった。天使の写真はなぜ載っていなかった?僕が捲れなかった次のページにはあったのか?)
僕の思考は、石臼を引きずるような小さな音に断絶された。
タイヤが道路に擦れる音とは明らかに違う、重い石がアスファルトの上を動いているような雑音。日常では耳にすることのない異質な印象を抱かせる音。
「……まさか」
振り向く。全速力で振り向く。夕暮れの光の中に、陰を宿した天使の石像が立っていた。距離は──イギリスにいても僕は日本人だ。メートル法を使わせてもらおう──20メートルほど。表情を窺い知ることは不可能だが、両手を顔に当てている様子はまさに『忍び泣いて』いるように見える。
全身の毛穴から汗が噴き出す。こんなに迅速な遭遇があるか、と脳が見えている石像を否定する。しかし肉体は石像の脅威を感知しているのか、あんよも覚束ない子猫が筋骨隆々のドーベルマンに出会ったように、全身が危機を知らせている。
「まずい……これはまずいッ」
ヒグマと遭遇した際の鉄則をご存じだろうか?クマから決して目を離さず、背を向けないで刺激しないようゆっくりと後ずさる。その鉄則を僕は遵守していた。
(まばたきするな……まばたきをしてはならないッ!)
その瞬間、小さく風が舞った。開きっぱなしだった眼球にホコリが付着したのか、異物混入の知らせが脳に届くよりも先に、僕の脳は反射行動──『まばたき』をしていた。
「しまッ──」
僕の視界が再起動したときには、笑みを浮かべた天使の顔が僕の目と鼻の先に迫っていた。
「うおおッ」
驚愕のあまり全身が躍動する。防衛本能で動いた手が視野を遮って運動する。
(これはヤバい!このままでは天使が視界から外れてしまう──)
「『ヘブンズ・ドアー───』ッ!!!」
最早天使の挙動を確認する暇もなく、僕は自らのスタンドを発動させる。ページの捲れる音がした数舜後、僕は安全を確信し、安堵と共に再び塩水が全身から滲み出る。
(危な──かった──!)
端正な顔立ちをした石像が『本』になっている。端から見れば異様な光景だったろうな、顔がページのように捲れている天使の石像が道端に立っているというのは。
「……ページが捲れない?」
天使の顔に出現した本は捲れないどころか、どれだけ力を込めても動くことがなかった。物理学に詳しくはないが、量子力学というミクロな現象を扱う学問では観測することで状態が『固定』されてしまうのだという、アレを思い出した。見つめられていると状態が『固定』され、『ヘブンズ・ドアー』の能力でもページ1枚捲れなくなる……完全防御形態とでも言うべきか。表面に羅列された文字も、英語やイタリア語といった人類の言語からはかけ離れた体系で成り立っているように見える。
「だが、書き込みはできるよな?ページに傷をつけるわけじゃあない……情報を書き足しているんだからな。仮に状況が『固定』されていても、それはお前の体の外にまで及ばないんじゃあないか?仮にそうでなくても書かせてもらうぞ」
『岸辺露伴に攻撃できない』というセーフティロックを掛ける前に、ふと指が止まる。数秒考えて僕は命令を書き込んだ。
「お前は『もう他者に攻撃できない』……これで決着だ」
その夜ディナーを取った後、僕はロンドン中心部のホテルの部屋でゆっくりと写真を眺めていた。最近のスマートフォンというやつは当然一眼レフやデジカメには劣るもののすこぶる画質が良い。その性能で何を眺めていたのかと問われると──それは取材したロンドンの街並み、そして遭遇した謎の天使だ。
スタンド使いでない店員がその姿を見ていたのだから、あの天使はスタンドではない未知の生物の可能性が高く、そして仮にスタンドだったとしても一般人に見えるタイプのスタンドに違いない。だからこうして写真に収めることができたわけだ。これが日本に居ないとも限らない。空条承太郎や康一くんに念のため知らせておいた方が──
「ン……」
急に視界が明滅した。その明滅はどうやら天井の電灯に起因するらしかった。
「……オイオイオイオイオイそんなに安いホテルじゃあないんだがな。仕方ない、フロントに連絡を──」
テーブルの受話器に手を取ろうとした時、信じられないものが目に入った。スマートフォンの画面から石の色をした物体が伸びている。手。あの男であればモナリザのようだと喩えるだろう美しい手が、画面からテーブルの上に伸びていた。
(は──)
蛍光灯の明滅。それに伴い、テーブル上の腕は劇的に長さを増し、爆発的にそのポージングを変えていく。
「これはッ!あの天使の──ッ!!!」
何故ラリーのページには天使の写真が1枚たりともなかったのか。『天使の姿をした物は全て天使になる』──そういう性質があるとでも言うように、液晶から伸びる腕は実体化を遂げていく。ラリーが無意識に天使のビジュアルを封印していたのか、あるいは製本の過程で僕の『ヘブンズ・ドアー』が排除したのかは分からない。しかしいずれにせよ、この状況は絶対的な危機じゃあないか。この蛍光灯の異常もこの天使が原因なのか。電気に干渉して観測を妨げようとでも言うんじゃあないだろうな。
「『ヘブンズ・ドアー』ッ!」
『ヘブンズ・ドアー』が通用しない。量子ゼノン効果の影響下に置かれ、スタンド能力さえも弾く防御状態。この手を本にするためには、『わざと』目を離してヤツを自由にし、手が僕の首を掴むまでに『ヘブンズ・ドアー』を叩き込まなくてはならない。正直言って、一度目にそのタイミングで通用したのは奇跡としか言いようがない。今度やれば間違いなく間に合わず、僕は過去へ飛ばされてしまう。
「電源も切れないかッ!クソッ!『ヘブンズ・ドアー』、窓を破れッ!!」
非スタンド使いからは突然窓ガラスが破裂したように見えるだろう。『ヘブンズ・ドアー』の拳で窓を破壊した。残る手はこれしかない。
「お前が何者だろうと今はもうどうでもいいさ……もしスタンドなら余計なお節介だが、聞いてくれ。人類が他の動物と比べて長けている点とは何だと思う?え?」
スマートフォンを掴み、窓に向かって飛び出す。その間も画面から一切目を離すことはない。
「『投擲』だ」
窓の外へ全力でスマートフォンを投げ飛ばす。端末はロンドン市街の空を切って飛び去り、アスファルトに叩き付けられて破片を散らしながら、テムズ川に着水する。金属がふんだんに使われたスマートフォンは滑らかに水中に没していく。
「これで携帯が壊れて消滅してくれれば最高だ……次に期待するのは、水底に沈んで二度と上がって来られないことだが……」
散らばるガラスの破片を手に取り、僕は思わず大きくため息を漏らした。下からはガラス窓の落下を目撃した市民たちの雑然とした声が聞こえた。蛍光灯は明滅を止め、綺麗に白い光を煌々と放ち続けている。緊迫した状況からの解放で、どっと疲れと別の事への不安が湧き上がってくる。
「カメラを別に用意していたからまだよかったが……今日の写真のほとんどがパーか。それに窓の弁償もしなくちゃあならない──あ~~~あ、初日から何てザマなんだ……」
停滞してる連載をどうしようか考えているうちに別の二次創作のアイディアが浮かんだため、短編として書いてみました。ジョジョとのクロスオーバーをするなら『岸辺露伴は動かない』の形式が良いのではないかと思い、『ドクター・フー』をはじめイギリスを舞台とする作品(製作国はイギリスとは限らない)を選びました。
アイディアは他にもあるのですが、続くかは未定です。ではでは。
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