恋姫星霜譚 (大島海峡)
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最新話までの登場人物紹介(ネタバレ注意)
曹操軍


希望があったので作りました
原作および本編ののネタバレ注意
オリジナル姫武将の画像もAIで作って一応ありますが、希望があれば載せるという感じです。


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曹操(そうそう)/孟徳(もうとく)/華琳(かりん)

言わずと知れた乱世の奸雄。

漢王朝の衰退を感じ取り、宛州を中心に勢力の地盤を固めていく。また、御遣いを天意ではなくあくまで人材として見ており、彼らも在地の才人たちも隔てなく収集していく。

自分に為すことが天下のためと信じているが、一方で自分の思惑を超えた英雄を求めている。

 

夏侯惇(かこうとん)/元譲(げんじょう)/春蘭(しゅんらん)

曹操の従姉妹兼武官兼愛人。

常に陣頭に立つ猛将で、一途に華琳を慕い盲信的に武を振るう。

そのため失敗も多いがなんのかんので愛され体質。

 

夏侯淵(かこうえん)/妙才(みょうさい)/秋蘭(しゅんらん)

曹操の従姉妹兼指揮官兼愛人。

弓の名手にして速攻の妙を持つその字のごとき才人。

 

荀彧(じゅんいく)/文若(ぶんじゃく)/桂花(けいふぁ)

曹操の軍師兼愛人(ペット)。

本作では後述の御遣いより後に帷幄入りした。

華琳の構想の良き理解者ではあるが、嫉妬と男嫌いから御遣いの積極的な受け入れには否定的。

 

曹仁(そうじん)/子孝(しこう)/華侖(かろん)

曹操の従妹。露出狂もとい脱ぎたがり。

愚直に目標に向かって、恐れなく邁進する。そういう手合いが手ごわかったりする。

宇崎ちゃんではないし、ネオ・プロレスラーでもない。

 

曹純(そうじゅん)/子和(しわ)/柳琳(るーりん)

曹仁の実妹。

陣営中きっての良識人で、陣営中きってのアレな部隊『虎豹騎(こひょうき)』の指揮官。

 

曹洪(そうこう)/子廉(しれん)/栄華(えいか)

曹操の従妹にして財政担当。

袁紹とキャラがかぶっているようなそうでない人。

現状陣営内に好みの少女がいないことに軽く落胆中。

 

・オシュトル/うたわれるもの 偽りの仮面

天の御遣い。

ヤマトの右近衛(うこんえ)大将(たいしょう)

帝より賜りし『仮面(アクルカ)』を身につけて智勇を発揮する武人としての姿と、市井に在って民を助け支える義侠『ウコン』としての顔を使い分け、陰に日向にと都の安寧を守らんとした。

だが、謀反の濡れ衣により投獄され、仲間たちの助力により脱出するも道中、宿敵との死闘の末に力を使い果たす。

無二の友に後事と『仮面』、そしてその名を託して消滅した。

 

その後は黄泉において穏やかな日々を送っていたが、この中華に落とされ、華琳に拾われた。

今なお『先帝』と『新帝』に忠義を誓っており、曹操の臣になるつもりはないが、その志の高さは認めており、助力を惜しむつもりはない。

 

・ロイド/ファイアーエムブレム 烈火の剣

オシュトルに次いで登用された『元』義賊。隠密部隊の組織化を任せられた。

覇道を征く曹操のやり方には否定的だが、弟を捜すための出資者であるため、やむを得ず従っている。

 

浅井(あざい)長政(ながまさ)/戦国無双4

天の御遣い。

金色の髪を持つ美男で、性格も爽やか。

元は近江の国主であり、かの魔王の妹婿であったが、「苛烈な化け物に情は通じぬ」と教唆され袂を別つ道を選ぶ。

その後敗退を重ね居城に追い詰められるも、その際に生じた未練により背を討たれ、そして今異界にて再臨することとなる。

 

同時期に拾われた御遣いとは婚姻によって得た災いを通して気脈を通じている。

 

・ロブ・スターク/ゲーム・オブ・スローンズ

天の御遣い。

北の王と称された若き猛将。謀略によって捕らえられた父を救うため、その死後は報復のため王都へ向け南下を開始。

すぐれた戦術眼を持ち、戦場においては負け知らずではあったが、親族や家臣との確執、幾度とない裏切りによって次第に追い詰められていく。

が、自身も女医師と恋に落ちて後ろ盾となる城主との婚約を破棄してしまうという致命的なミスを犯し、それが結果として彼と彼の家族の命を奪うこととなった。

みずから妥協案を提示して誘い込んで一気に陥れるフレイの老獪さが上回ったともいえる。

このドラマにおいて良い人ほど長生きしないという好例。

もっとも悪党にも等しく容赦はないが。

 

上杉(うえすぎ)/景虎(かげとら)/戦国無双4

魔性ともいうべき美貌を持つ好青年。

元は北条家に生まれるも、そのまっすぐな将器を見込まれ上杉の養子となる。

上杉の家族となり華となり活躍しつつ、義兄弟の景勝とはいがみ合いながらも時間をかけて互いを認める好敵手となるも、義父謙信の死後跡目を争い、敗死。

景勝を上杉を託すに足る幹と認め、息を引き取った。

 

李典(りてん)/曼成(まんせい)/真桜(まおう)

曹操軍の技術顧問。

無事史実・原作通り登用された唯一の魏キャラ。

御遣いたちとともに流れ着いた鉄砲に興味津々。

 

徐庶(じょしょ)/元直(げんちょく)/剣里(けんり)

 

【挿絵表示】

 

軍師希望の剣客。

仇討ちのために人を殺め、母と逃亡生活を送っていたところを曹操に救われ、以後オシュトルの右腕となる。

 

司馬懿(しばい)/仲達(ちゅうたつ)/青狼(せいろう)

 

【挿絵表示】

 

俊英と知られる八人兄弟の次子。

曹操からの招聘を免れるべく仮病を使っていたのが露見し、とうとう引きずり出された。

以後、曹純の幕僚として参画する。

一見すると少女趣味の可憐な乙女に見えるが……?

 

曹休(そうきゅう)/文烈(ぶんれつ)/詩華(しいか)

曹家一門の族子。各地を遍歴していた期待のニューホープ。

夏侯淵には劣るが弓術の達者。

ちょっと笑い声がうるさい。



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中原周辺諸勢力

【漢王朝》

 

劉宏(りゅうこう)/霊帝(れいてい)/空丹(くぅたん)

漢王朝の当代皇帝。

よく言って天真爛漫。悪く言えば怠惰で我儘。

が、存外に本質を見抜く目を備え持つ。

 

なお、余談ではあるが、『霊帝』というのは(おくりな)。つまり死後その業績を鑑みて選ばれる名であり、『霊』というのはその最下辺。つまりバカ殿(まぁ簒奪者が自身の行いを正当化するために前政権の統治者にあえてつけさせる場合もある)

なので、本来なら生前にそれを自称することはまずないので創作をする人は要注意。

 

劉協(りゅうきょう)/白湯(ぱいたん)

帝の妹(正史では次子ではある)。後の献帝(けんてい)

ジャージ姿でマインクラフトに目覚める……ことはなく、今はひたぶるに座学中。

 

何進(かしん)/遂高(すいこう)/(けい)

妹のコネで大将軍に上り詰めた元肉屋。媒体によって姿形が違う人(他にも何人かいるけど)だが、基本的に典型的な成金なことには変わりない。

肉屋とは言っても、妹が帝の目に触れる立場にはあったのだから、いわゆる港湾労働者組合的な、ヤの字側の人だと考えられる。

 

何太后(かたいこう)/瑞姫(れいちぇん)

帝の夫人……なのだがその帝も夫人なのでよく分からない立ち位置の人。

朝廷の人事について口挟む権限は持っており、自分自身が本位の女性。

 

趙忠(ちょうちゅう)/(ふぁん)

十常侍。その役職の通り、常に帝に侍り、その御身を第一と考える宦官……宦官?

まこと朝廷がらみの姫キャラたちは史実と女体化の歪みがよく出ている。

なお、本作のオリジナル設定として、後述の張譲が親代わりである。

 

張譲(ちょうじょう)

十常侍の筆頭。権謀術数を用いて禁裏を牛耳り天下を恣としてきた。

だが、それに相応の智謀と情報網を有する、老若男女定かならぬ怪人。

 

皇甫嵩(こうほすう)/義真(ぎしん)/楼杏《ろうあん》

朝廷内における良識派にして最高峰の軍事的才覚を持つ名将。

宮中の腐敗を糺さんとは欲してはいるが、ままならず。私人としてはさっさと身の回りのことを片づけて婚活したい人。

 

盧植(ろしょく)/子幹(しかん)/風鈴《ふうりん》

英雄譚と新作で微妙に性格が違う人。

ただ基本的にはおっとりとした劉備、公孫賛の師にして官軍の穏健派。

皇甫嵩と朱儁の確執の狭間で心を痛ませている。

 

朱儁(しゅしゅん)/公偉(こうい)/雲雀(ひばり)

 

【挿絵表示】

 

漢王朝の女将軍。十常侍など朝廷の腐敗にも取り入り、順調に昇進していく出世頭。

それゆえ皇甫嵩には疎まれているが、それはかつては恩人を救わんがためのやむを得ぬ不正であり、そして今は漢朝に亀裂を生じさせまいとする彼女なりの苦心ゆえである。

多分戦国の方と真名かぶってそうな気もしますが気にしないで下さい。

 

董承(とうしょう)

漢朝の将。元は董卓の部局であったが鞍替えした。

独善的で自己陶酔の人。

 

王子服(おうしふく)/子由(しゆう)

漢朝の臣。武人として参戦するも当然ながら実戦経験は皆無。

 

北畠(きたばたけ)顕家(あきいえ)/破軍の星

日ノ本より流れ落ちた流星。かつて北國にて精強な騎兵を擁し、司馬懿の新城奇襲、秀吉の大返しにも勝りかねないほどの神速でもって南下した軍略の天才児にして貴公子。

北方先生、騎馬軍団好きすぎ問題。

 

【陶謙軍】

 

陶謙(とうけん)/恭祖(きょうそ)/森羅(しんら)

徐州刺史。

穏健な徳治の人として通ってはいるが、賊徒を裏で扇動して周辺諸国を窺う野心家。

しかし、他の勢力と対するにその才質は不足であり、また身体も病弱である。

それゆえ世に謂う英雄たちが自身の栄光の道を邁進するさまを憎悪し、その事績に塗炭を残すべく跋扈する。

 

孫乾(そんけん)/公祐(こうゆう)/美花(みーふぁ)

陶謙の懐刀。

身の回りの世話から諜報、工作までこなす。

幼くしてその手と身を汚し、路頭に迷っていたところを陶謙に拾われた。

そのこと自体には恩義を感じているが、年々ひどくなる彼女の破滅的な性格にはついていけなくなりつつある。

夢と想いつつ大徳の台頭を静かに望む。

 

糜竺(びじく)/子仲(しちゅう)/雷々(らいらい)

糜芳(びほう)/子方(しほう)/電々(でんでん)

徐州の商家を生家とする姉妹。

本作では旅に出ることなく陶謙の家臣としてそのまま収まっている。

その真名のごとく、機動戦を得意とする。

 

丁奉(ていほう)/承淵(しょうえん)/旋律(せんりつ)

 

【挿絵表示】

 

大器晩成の若き将。

聴覚にすぐれ、リズムを取ることで戦場の波長を読み取る、いわく『戦場を音で視る武将』。

 

今川(いまがわ)治部(じぶ)大輔(だゆう)義元(よしもと)/センゴク

いわく唐鏡の申し子。そして海道一の弓取り。

歴史的な敗北者と世には知られているが、その実態は政略戦略人徳いずれも欠けるところのない信玄、氏康に劣らぬ軽やかな明君。

彼らと盟を結を結び万全の体勢で尾張に侵攻するも、時代と銭の寵児たる信長との戦に敗れる。

この世界を新たな遊び場と定めて徐州を豊かにするが、実のところ、陶謙には疎まれている。

 

・オフレッサー/銀河英雄伝説

はるか未来、装甲擲弾兵部隊の総元締めだが、その考えなしで野卑な蛮勇ゆえ、石器時代の勇者と揶揄される。

個人戦においては負けたことがなく、作中のいずれの猛者にも敗北したことはないが、文字通りの陥穽に嵌って捕縛された。

その後解放されるもみずからの盟主に背信を疑われ、彼なりの弁明の最中に謀反人として処断され、自身が毛嫌いしている金髪の孺子の謀略の礎とされる。

本人には自分が殺された自覚がなく、この世界を自分の銀河の辺境惑星か実験台にさせられていると誤認している。

 

【その他独立勢力】

 

陳珪(ちんけい)/漢瑜(かんゆ)/(とう)

沛の相。自身の国と各国とを天秤にかけ乱世を渡り歩く表裏比興の妖婦。

陶謙の躍進には抗し難いと見て、現在はその傘下となっているが……?

 

陳登(ちんとう)/元龍(げんりゅう)/喜雨(すう)

陳珪の娘。農政に確かな知識と実行力を持つ。

親子ともに才女ではあるが、謀略をもって他者を貶める陳珪には距離がある。

 

臧覇(ぞうは)/宣高《せんこう》/蛇苺(じゃばい)

 

【挿絵表示】

 

泰山一帯を取り仕切る勢力の総領姫。周辺からは賊と見做されているが、本人は正道を行く心算で、共に世を正す明主の到来に焦がれている。



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河北諸勢力

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【公孫賛軍】

 

公孫賛(こうそんさん)伯珪(はくけい)/白蓮(ぱいれん)

白馬長史。そこそこの将器を持つ、北方の群雄。

幽州(ゆうしゅう)啄郡(たくぐん)の太守として赴任するも、劉虞(りゅうぐ)に嫉妬と憎悪を抱き対立。その死に責任を求められ、苦悶する。

 

趙雲(ちょううん)/子竜(しりゅう)/(せい)

公孫賛軍の客将。酒とメンマと勧善懲悪をこよなく愛する自由人。

一度は白蓮と同心するも、劉虞の死を巡る問題における彼女の進退を見て失望。

独自の調査によって彼女を潔白と知っても、煮え切らない彼女の態度にさらに不審を募らせていく。

 

田豫(でんよ)/国譲(こくじょう)/奏鳴(そうめい)

 

【挿絵表示】

 

本作オリジナル姫武将。

異民族の扱いに長ける、公孫賛の軍師。

だがその智略と毒舌の鋭さから、基本的に主とソリが合わない。

 

鈴女(すずめ)/ランスシリーズ

ちょっとエッチなキャラゲーからご存じ大人気キャラの天才くのいち。

JAPANという日ノ本に似て非なる国で奔放に生きてきたが、反面その身は忍術の弊害によって蝕まれ余命いくばくもなかった。

個性豊かな仲間たちととともにそれなりに幸福に天寿をまっとうし、若くして世を去る……と思いきや化けて出たりもする。

時系列的には成仏した後転生前の間。

 

土方(ひじかた)歳三(としぞう)/風雲幕末伝

遅れて公孫賛軍へはせ参じた天の御遣い。

かつて北へ北へ転戦した武士であり、北方の勇に巡り合ったのは運命か。

原作はゲームだが、基本的なイメージには史実と同じ。

 

(みなもとの)義経(よしつね)

武蔵坊(むさしぼう)弁慶(べんけい)/義経英雄伝

上の武士と合わせて公孫賛の許へ参上した主従。

そして同様に北の地で果てた天才武将。その身辺を守護する屈強な僧兵と来ればピンとくる諸兄も多かろう。

公孫賛は黒王だった……?

そして同様にゲーム原作、従来のイメージどおりのキャラクターである。

 

【袁紹軍】

 

袁紹(えんしょう)/本初(ほんしょ)麗羽(れいは)

四世三公の名門。

朝廷から黄巾討伐を命ぜられ華北に来たが、実際は厄介払いされた。

俗物には違いないが、ある意味では大人物である。

ドサクサに紛れて公孫賛の所領を奪わんとするも、手痛い逆撃を食らって青州(せいしゅう)に追いやられた。

 

文醜(ぶんしゅう)/猪々子(いいしぇ)

袁紹のお付きその一。

その真名の通り猪突猛進の勇将。

公孫賛にふっとばされた。

最近、配下にある御遣いを抱えた。

 

顔良(ぶんしゅう)/斗詩(とし)

袁紹のお付きその二。

名前どおりの、かつ史実とは真逆のたおやかな美少女で苦労人その一。

文醜と合わせて公孫賛にぶっとばされた。

 

田豊(でんほう)/元皓(げんこう)/真直(まあち)

袁紹軍の軍師。苦労人その二。

革命ではシュターデンみたいな評価を荀彧から食らっていた。腹痛持ちなところも一緒。

 

陳琳(ちんりん)/孔璋(こうしょう)

地味にアニメから拾われたキャラ。本当に目立たない方の眼鏡っ子。

本編では未登場。

 

沮授(そじゅ)/(いぇん)

 

【挿絵表示】

 

袁紹軍の新参の軍師。

先輩の田豊をはじめ、幕僚たちが怠惰の御遣いにつけた『無能者』という評価を訝っているが、逆に有能かどうかは確信が持てずにいる。

 

李通(りつう)/文達(ぶんたつ)/鉄火(てっか)

 

【挿絵表示】

 

何故か河北にいる南陽の猛将。幼名万億(ばんおく)

趙雲に挑むも一蹴された。

 

・ヤン・ウェンリー/銀河英雄伝説

天の御遣い。

武勇はからっきしで私生活はだらしない。

棋戦にも弱く、指揮能力も疑問視されて冷遇されている。

本人も貴族趣味で権威主義の袁紹のために尽力しようとは思わず、生前得られなかった怠惰の日々を存分に堪能している。

そのぼんやりとしたたたずまいから温厚な性格と思われがちだが、実際は冷淡なリアリストで皮肉屋。

 

実は(というか原作を知っていればもちろん丸わかりだが)宇宙随一の智将。

敵の心理や思考の間隙を突いて奇策を打ち出すことで、幾度となく強敵を打ち破り、不敗の魔術師と称された。

だが、その存在を快く思わぬ地球教徒の凶弾に斃れ、還らぬ者となった。

 

(たいらの)教経(のりつね)/義経英雄伝

文醜麾下の御遣い。

公孫賛との衝突後に彼女との知遇を得る。

水戦に長けた荒々しい猛将。公孫賛側の御遣いのひとりとは宿敵である。

 

・キュアン

・エスリン/ファイアーエムブレム 聖戦の系譜

天の御遣いにしては珍しく、夫婦でやってきた。

騎兵の扱いに長けた夫と、不思議な治癒能力を持つ妻。いずれも若い美男美女である。

 

かつてレンスターという小国を負って立っていたが、戦乱の機運において、義兄にして親友であるシグルドとともに正義の戦に身を投じていく。

だが、最終決戦の間際、イード砂漠において彼らは介入してきた第三勢力に背を打たれて兵士たちともども虐殺される。

 

その親友であり兄こそがシグルドであり、エルトシャンとも無論知己ではあるが、同じ世界に蘇ったとは互いに知るべくもない。

 

審配(しんぱい)/正南(せいなん)

袁家の臣。

優秀で忠義それ自体は本物だが、袁紹個人よりもその血統に重きを置いている。

 

張南(ちょうなん)

焦触(しょうしょく)

袁紹軍の部将。

実力としては並以下。

 

麴義(きくぎ)

袁紹軍の下級士官。

兵器や弓具の扱いに長じる。

が、良く言って豪放な、悪く言って尊大な性格が災いして出世できない。

 

【黄巾党】

 

張角(ちょうかく)/天和(てんほう)

張宝(ちょうほう)/地和(ちーほう)

張梁(ちょうりょう)人和(れんほう)

いまいち売れない旅芸人(アイドルユニット)であったが、ある本、そして梟雄との出会いから反乱勢力の頭目に祭り上げられた。

 

・アニキ

・チビ

・デク

いつものアレ。

シナリオによってドルオタだったりモヒカンだったりただの被害者だったりする。

 

于禁(うきん)/文則(ぶんそく)/沙和(さわ)

ガーリーな新米武将。指揮においてはハートマン。

張角たちの可愛さに惹かれ黄巾党に入るも、かえってその人心を分裂させる一因を作ってしまう。

 

松永(まつなが)久秀(ひさひで)/戦国無双

日ノ本を代表する大梟雄。時々逆張りで忠臣扱いされたりする。

原作においてはまごう事なき悪漢として登場。その無道を謳歌していたが織田信長という魔王に嘲笑され、運命を束縛される。

それを拒絶するために自爆を選び、信長を巻き込まんとするが失敗。

名器平蜘蛛(ひらぐも)とともに紅蓮に消える。

 

この世界に飛ばされて後は、再度悪の華を咲かせるべく蠢動。

黄巾の乱を引き起こし、その動乱に乗じて劉虞を暗殺。公孫賛にその罪を擦り付けて河北を混沌へと導く。

が、当の張角たちにとっては自分たちの芸能活動を支えてくれる良きプロデューサーであるようだ。

 

胡車児(こしゃじ)/影奈(えいな)

掴みどころのないNINJAガール。

変装かや速足までなんでもござれ。

久秀の手足となって働いている。

 

 

【劉備軍】

 

劉備(りゅうび)玄徳(げんとく)/桃香(とうか)

言わずと知れた三国志の主人公格。嘘か真か中山靖王の裔。

徳によって天下に静謐をもたらさんと草莽より起つ。

本作の設定として、鄒靖(すうせい)丁原(ていげん)亡き後その残兵の一部を引き継いだ。

性格以上にその主張が割とフワフワしているのは秘密であり、問題。

一応メイン勢力のはずなのだが、製作陣からは多分嫌われ……げふんげふん。

 

関羽(かんう)/雲長(うんちょう)/愛紗(あいしゃ)

劉備の義妹。実はも何も恋姫シリーズの顔。

劉備陣営の実質的総司令官にして常識人。

 

張飛(ちょうひ)/翼徳(よくとく)/鈴々(りんりん)

劉備の義末妹。本陣営の元気印のムードメーカー。

ガラこそ小ぶりだが、その豪放な武は動けば鋭鋒のごとく、止まれば巨岩がごとし。

 

諸葛亮(しょかつりょう)/孔明(こうめい)/朱里(しゅり)

孔明の罠で有名な人。はわわ敵が来ちゃいましたでも有名な娘。

そのほかにもパリピになったり泣き虫になったりゴブリンになったりと三国志きってのフリー素材。

若すぎる歳で出廬してしまったばかりに、その手腕は未だ発展途上といったところ。

 

鳳統(ほうとう)子元(しげん)/雛里(ひなり)

徐庶と諸葛亮の妹弟子。諸葛亮とともに劉備陣営入りした副軍師。

徐庶を姉と慕う。

 

呂蒙(りょもう)/子明(しめい)/亞莎(あーしぇ)

諸葛亮、鳳統と同様に気弱な士官。だが、その華奢な身の丈と裏腹に知識欲と未完の将器を秘めて、日々成長中。

何の因果か、史実の宿敵である関羽の副官となっている。

 

土方(ひじかた)歳三(としぞう)/ゴールデンカムイ

新たな時代の幕開けとともに現れた、旧時代の老侍。

公孫賛配下のそれとは別世界、五稜郭で散らなかった世界線の『土方歳三』。

愛刀たる和泉守兼定を取り戻し、意気軒昂に拾ってくれた劉備たちへの義理を果たす。

 

・エーデルガルト=フォン=フレスベルグ/ファイアーエムブレム 風花雪月

通称エガちゃんという不名誉なあだ名で呼ばれる、元皇帝。

高潔で野心的ながら、私人としては存外素朴で面倒見が良い人物。

だがその出生と生来の生真面目さが平凡な人生を許さず、何かに突き動かされるままに、最期は淡い感情を抱く(せんせい)によって首を落とされた。

 

使命感から解放されたがゆえか、苦労を背負い込みつつも君主としての薫陶を劉備に授けている。

 

駆紋(くもん)戒斗(かいと)/仮面ライダー鎧武

自由なようで不自由な男。戦乱の世に生まれたかったと素面で言っちゃう系ダンサー。実際生まれてくる時代を間違えたと思う。

さすがに特撮シリーズのラスボスなので、本編中は出せなかった没キャラであるし、エピローグでも名前がちゃんと出せなかった。

まぁ没になった最たる理由は、お察しください。

 

・ゼネテス・ファーロス/ジルオール

『剣狼』と称されし、凄腕の冒険者であり兄貴肌の好漢。

その正体は国を牛耳る一族に名を連ねる者にして、天才用兵家。

まぁ言ってしまえばヤン・ウェンリーとシェーンコップのアイノコみたいな都合が良すぎる男。

そしてなまじ出来すぎであるがために、忌避してきた権力闘争の礎として、政敵に一族もろともに謀殺されるという末路を迎える。

叔母に似てるため、エガちゃんは気に入ってる模様。

 

【その他独立勢力】

張楊(ちょうよう)/稚叔(ちしゅく)/(まき)

 

【挿絵表示】

 

河内太守。中立を保っていたが、公孫賛と曹操の争いに巻き込まれることに。

決して無能ではないが、将器としては平凡よりマシ程度。

だが、独特の嗅覚と洞察力で激流を乗りこなしていく。

 

楊醜(ようしゅう)

張楊配下の武将。



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涼州諸勢力

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【董卓軍】

 

董卓(とうたく)/仲穎(ちゅうえい)/(ゆえ)

涼州豪族の娘。

一見して可憐な少女のようではあるが、苛烈さをその身に秘めている。

奸臣掃討のため、手勢を率いて上洛せんとするも、すでに露見しており、窮地に陥っている。

 

賈駆(かく)/文和(ぶんわ)/(えい)

董卓の懐刀にして幼馴染。

離間工作に秀でた、優秀な軍師には違いないが、運が悪いうえに月のことになると途端に視野が狭窄になる欠点を持つ。

天の御遣いによって計画が無茶苦茶になったため、彼らすべてに烈しい嫌悪感を抱くようになる。

 

呂布(りょふ)/奉先(ほうせん)/(れん)

天下無双の飛将軍。その実態は寡黙で純朴で無表情な少女ではあるが、それでも天の御遣いだろうがこちら側の武将だろうが方天戟を振るうことに躊躇はない。

その猛威をもって天下をひっかきまわす。

 

陳宮(ちんきゅう)/公台(こうだい)/音々音(ねねね)

呂布の軍師。

テリー伊藤さんではないし鳥谷選手でもない。あと、名前と字を続けて呼んではいけない。

蹴り技に秀でている新米参謀。軍師、軍師ってなんだ。

 

張遼(ちょうりょう)/文遠(ぶんえん)/(しあ)

呂布軍の猛将。

喧嘩早いバトルジャンキーだが、おそらくはもっとも総合力の高い武将であろう。

好敵を得てウキウキ。

 

華雄(かゆう)

董卓軍の突撃担当。突撃担当しかいない。

色んな作品で色んな人に斬られている。

 

徐栄(じょえい)/(とおる)

 

【挿絵表示】

 

董卓軍武将。

用兵に美意識を見出す天才肌の少女。

ワガママで享楽主義者ではあるが、こんなのでも指揮能力においては屈指の才幹を持つ。

 

荀攸(じゅんゆう)/公達(こうたつ)/伽羅(きゃら)

 

【挿絵表示】

 

董卓軍の軍師。荀彧の血縁上の姪だがこちらが年上。

捉えどころのない戦術家。立場上詠に警戒されており、活躍の場が与えられない。

 

高順(こうじゅん)/破城(はじょう)

 

【挿絵表示】

 

呂布派の猛将。決して破れぬ敵陣はないとして、『陥陣営(かんじんえい)』の異名を誇る。

 

李傕(りかく)/稚然(ちぜん)

 

【挿絵表示】

 

董卓軍古参武将の一人。

傲慢で露悪的。董卓に歪な情愛を抱く。

 

【西涼軍閥】

 

馬騰(ばとう)/寿成(じゅせい)/(へき)

 

【挿絵表示】

 

西涼軍閥の長。

馬超たちの母で韓遂の義姉。

かつては獅子と恐れられたが、今はテキトーな調子で娘たちを引っ掻き回すお茶目さん。

その裏では死病を患っているが、娘たちには明かしていない。

性格の豹変は、その運命を儚むがゆえの自虐でもある。

 

馬超(ばちょう)/孟起(もうき)/(すい)

馬家の長女。

騎兵として随一の突破力を誇る猛将だが、権謀や指揮はからっきし。

母のだらけっぷりを歯がゆく思っている。

 

馬岱(ばたい)/蒲公英(たんぽぽ)

馬超の従妹。

中堅どころの槍働きだが、機転に長け柔軟に勝利に貢献する。

真名が思いっきり和名である。

 

馬休(ばきゅう)/(るお)

馬騰の次女。

西涼軍閥の補給担当にして最後の良心。

 

馬鉄(ばてつ)/(そう)

馬騰の三女。

あまりに原典の情報が少なすぎて何故かオタクキャラとなった。

 

鳳徳(ほうとく)/令明(れいめい)/紅葉(くれは)

 

【挿絵表示】

 

西涼の勇士。馬超とは主従や盟主というよりかは対等の友人。

董卓、馬家、韓遂の三勢力いずれにつくかで揺れ動いていたが、馬家に従うことにする。

 

張繍(ちょうしゅう)/砂霧(さむ)

 

【挿絵表示】

 

賈駆の友人だが、表情と言い言葉遣いといいふわふわとしていて自身の心情を明かさない。

もちろん董卓軍の武将だが、西涼軍閥の東征に対し、真っ先に降伏した。

 

・ヘクトル/ファイアーエムブレム 烈火の剣

天の御遣い。斧遣いの好漢。

長じてリキア同盟の盟主を務めた異世界の猛将。

かつて自身たちが救ったある男がために致命傷を負わされるという運命の皮肉の未、娘や親友の息子の前で戦いの日々に幕を下ろす。

 

若い最盛期の姿で呼び出された。

かつて兄の病に気づいてやれなかった苦い経験から、馬騰が死病を隠していることを気にしている。

 

輪虎(りんこ)/キングダム

天の御遣い。だが、『前の時代』よりやってきた珍しい例。

常に笑みを絶やさぬ、年齢不詳の双剣使い。

隠密行動を得意とするが、将としても高い品格と資質を持ち、強い自負もある。

春秋戦国時代を廉頗の片腕とも飛槍とも言われる部隊長ではあったが、死闘の未、天下の大将軍を志す若者たちのの気概に押し負け討ち取られる。

 

キングダムにも「お前……女だったのか!?」な武人は大勢出てくるが、もちろんギャルゲの歴史に連なるはずもなく彼らの戦った大陸とは完全に別世界の中華である。

 

 

【韓遂軍閥】

 

韓遂(かんすい)/文約(ぶんやく)/金蘭(きんらん)

 

【挿絵表示】

 

馬騰の義姉妹。反逆に美意識を見出す梟雄。

中原の争いには目もくれず、勅命に従い五斗米道を攻めるが……?

 

閻行(えんこう)/彦明(げんめい)/(かい)

韓遂軍武官。

かつて翠と互角に渡り合った……という噂が尾ヒレ付きで出回ったせいで、実力以上の評価を得てしまって、かえって委縮してしまっていて、実力以下の力量しか出せずにいる。

 

成公英(せいこうえい)/転輪(てんりん)

韓遂の参謀。

叛将の腹心ということだが、本人はいたって従順。

韓遂との間柄は主従と言うよりは親子や師弟のそれに近い。

 

楊秋(ようしゅう)/北流(ぺいるう)

韓遂直属の武将ではないが、有力者連合旗本八旗の一人。

ヘタレで臆病。強きに靡くが、弱きに驕らない。

 

姜維(きょうい)伯約(はくやく)/赫光(かっこう)

 

【挿絵表示】

 

天の御遣いではなく、(きょう)族の血の流れた娘。

文武両道の秀才で学習意欲も旺盛。『今孔明』を師と仰ぐ。

執拗に過ぎるのが瑕瑾。

 

王平(おうへい)/子均(しきん)/黙契(もっけい)

 

【挿絵表示】

 

寡黙なうえに文盲な将だが、堅実な戦を得意とする良将。

無駄にテレパシーが使える。

 

張翼(ちょうよく)/伯恭(はくきょう)

擬音を多用するのが口癖の少女。

その長身に見合わず軽妙果敢な機動戦を得手とする。

 

張嶷(ちょうぎょく)/伯岐(はくき)

小柄で可憐な武将。森林、山岳でのゲリラ戦を得意とする愛され体質。

 

馬忠(ばちゅう)/徳信(とくしん)

呉将に同名のヤツがいるまぎらわしいヤツ。

作中では若者らしい言語センスを持つものの、一番の良識人。

主に姜維ら四将の中継ぎ的ポジション。

 

・竹中半兵衛/戦国無双4

天の御遣い。

一見婦女子のようにしか見えないが、立派な成人男性にして天才軍師。

史実を知る彼は『五胡の娘』に軍略を教えながらも、彼女と自身の異名との数奇な巡り合わせに苦笑している。

金蘭の破滅的な思想には思うところあれど、自分も一度は主家に背いた身であるゆえに傍観している。

 

・オスカー・フォン・ロイエンタール/銀河英雄伝説

銀河帝国ローエングラム王朝の元帥。

参謀長であったベルゲングリューンと場所を同じくしてここに流れ着いた。

運命の皮肉か、彼もまた叛将であるが、そもそも彼の離反は止むに止まれぬ事情といくつもの策謀と己自身の矜持によるものであり、そのために友との戦いに斃れた。

女というものに強い不審を抱く彼が、叛いたといえど類まれな名君に忠を尽くした彼が韓遂のごとき嗜好によって他者を裏切る雌犬に従う道理などない。

静かにその野心を再点火させていく。

 

・ハンス・エドアルド・ベルゲングリューン/銀河英雄伝説

ロイエンタールの腹心。その生前はキルヒアイスの幕僚であった。

仕えるべき名将を相次いで守れず喪った自分の運命に絶望。

それらの死に少なからず責任のあるカイザーを痛烈に非難しながら自身の頭を銃で撃ち抜いた。

 

苦労性は相変わらずで、ロイエンタールの相変わらずの露悪ぶりに気を揉んでいる。

当然ながら東西南北真逆の地方に旧主がいることなど知る由もない。



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揚州諸勢力

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【揚州劉氏】

 

劉耀(りゅうよう)/正礼(せいれい)/和同《わどう》

 

【挿絵表示】

 

揚州刺史。すぐれた政治家ではあるが、戦や武人というものが嫌い。

それゆえ配下に任せっきりだがそれが吉と出るか凶と出るか。

本人は至って小役人的な、野心とは無縁の気質。趣味は釣り。

 

張英(ちょうえい)

劉曜の武官筆頭。

弓の腕に秀でた猛者。揚州よりの生え抜き。

劉曜の消極的な姿勢も気に食わないが、自身の立場を脅かす太史慈や御遣いの存在も疎ましく思っている。

 

太史慈(りゅうよう)/子義(しぎ)/梨妟《りあん》

快活にして義に厚い女傑。

恩義に報いるべく冷遇を跳ね除け参戦。

楊奉、徐晃、そして御遣いたちと厳白虎討伐に赴く。

 

徐晃(じょこう)/公明(こうめい)/香風《しゃんふー》

一見してあどけなくぼんやりとした少女のようだが、すぐれた見識と戦術眼を持つ楊奉配下の名将。

中原の難より離れて上司とともに揚州に赴く。

 

楊奉(ようほう)

ラッパーではない。

元は朝廷の官であったが、今は離れて独自の勢力『白波(はくは)』と徐晃を従えて揚州まで下ってきた。

漢室への忠誠心には厚く怖れを知らない勇将だが、思慮が浅く猜疑心も強い。また卑屈で目上や年長者には強く出られない。

宮城谷先生の琴線になぜか触れてめちゃ優遇されてた。

 

・ジークフリード・キルヒアイス/銀河英雄伝説

天の御遣い。

路頭に迷い他の御遣いと合流していたところを兵を募っていた梨妟たちに発見された。

人が宇宙に進出したはるか先の時代、銀河帝国において未来の覇者の友として、忠臣として支えてきたが、その友を庇い死亡する。

穏やかな物腰ではあるが、割とシビアな観察眼を持つ。

 

劉耀や太史慈の義理立てとして戦乱に出て、御遣い達の総元締め兼劉耀派の接着剤的役割を果たす。

 

吉兆(きっちょう)/侍道

天の御遣い。

明治政府に反旗を翻す士族集団、『赤玉党(あかだまとう)』の元党首にして剣客。

本来の姓を黒生(くろふ)といい、鉄心は父。その父と高炉の所有権を巡って争っていたが、それは政府の策略であり、疲弊したところを双方滅ぼされた。

 

その過程で恋人を失っており、自分に対する失望や後悔だけが残ったため、リーダーの座をキルヒアイスに譲る。

 

・チェルシー/侍道

吉兆の恋人のイギリス人。

彼とは海外渡航中に知り合ったチャイナ服の金髪麗人という盛られに盛られた経歴と設定。多分シリーズ全編通しても女性キャラ中一番人気のナイスデザイン。

政府との戦闘中、彼を庇って銃弾に倒れる。

 

余談だが、パンツ見たさに坂道でアングルを変えたり川で討ち取ったりしたプレイヤーも少なくなかろう。

 

井尻(いじり)又兵衛(またべえ)由俊(よしとし)/クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦

天の御遣い。

天正二年、春日家に仕える侍大将。本来は流れ弾に当たって死ぬところを未来から来た一家に救われ、その後攻めてきた大蔵井家の大軍相手に奮戦。無事大切な者たちをを守り切ることができたが、因果は変えられず、どこからか飛んできた凶弾によって斃れた。

 

その死については自身も受け入れていたが、一抹の恋情に反応したシステムによって望まずしてこの世界に呼ばれてしまう。

 

李厳(りげん)/正方(せいほう)/(にゅう)

元は荊州の吏人。智勇に優れているが、サボリ魔。

 

韓浩(かんこう)/元嗣(げんし)/日南(かなん)

演義被害者その一。

北郷一刀が自身になぞらえていたので、そのイメージを逆用したキャラ造形にしている。

 

于糜(うび)

劉耀配下。張英派。演義ではステゴロでコロコロされた。

陳横(ちんおう)

劉耀配下。張英派。この名前をヒワイだと思う人、その少年の心をいつまでも持っていてください。

薛礼(せつれい)

劉耀配下。張英派。

笮融(さくゆう)

略奪とか超好き。チャイニーズ富田長繁。

こんなでもアジア地方での仏教布教に貢献した立役者でもあるというのが何とも皮肉。

 

【厳白虎】

 

厳白虎(げんはくこ)/|牙児(がじ)

 

【挿絵表示】

 

東呉の徳王を僭称。名前にも異名にも負けている孟獲マーク2。

山越(さんえつ)を引きこんで劉耀を滅ぼさんと快進撃を続けたが、太史慈らの前に敗北し、助命を条件に揚州から追い出される。

以後は弟のはぐれ、北へと逃れた模様。

 

厳輿(げんよ)/牙狼(がろ)

厳白虎の弟。体格的にはむしろ逆であり、とてもそうは見えない長身痩躯の青年。短刀投げの達人。

城を退去後は怨みを買っていた連中に襲われ、厳白虎とはぐれてしまってその行方を追っている。

 

【ライコウ軍】

 

・ライコウ/うたわれるもの 偽りの仮面

南海に独立勢力を張る天の御遣い。

元はヤマトの國の八柱の智の筆頭。通り名は『聖賢』。

早くから自身の國の、恵まれ過ぎた在り様に疑問を持ち、また帝の命脈の限りを早期に予知。

おのが目指す理想の国家の樹立がため策謀を巡らすも、『オシュトル』と対立のうえ、何者かの妨害もあって敗北。みずからの信条を捨てて異形と化すも勝てず、冥府へと滑落していった。

 

・シチーリヤ/うたわれるもの 偽りの仮面

ライコウの従者。美貌の童ではあるが、冷徹に状況を分析、主君の智略を支えていた。

だがその裏では黒幕の意向により彼を利用しており、土壇場となってライコウの破滅を手伝うこととなる。

さりとて主人を慕う心は本物であり、自身の肉体に刷り込まれた本能を超える忠誠心を抱き、ライコウの後を追うかのごとく同胞たちに殺害された。

 

楽進(がくしん)/文謙(ぶんけん)/(なぎ)

ライコウに見いだされた流浪の少女兵。

退くことを知らない勇将として、先陣を飾る。

 

郭淮(かくわい)/伯済(はくせい)/幽和(ゆうわ)

ライコウに師事する新米武将。

戦術マニアで馬謖と違い実戦より知識を貪欲に得ようとする。

ことそういう機会に恵まれると若干変態チックになる。

 

馬謖(ばしょく)/幼常(ようじょう)/鹿麓(ろくろく)

 

【挿絵表示】

 

ライコウの自称一番弟子。

郭淮とは対照的に兵書よりの知識に傾倒する向きがある。

とはいえ秀才であることは確か。

よく言えばエキセントリック、悪く言えば軽率で鬱陶しい。

 

文欽(ぶんきん)/仲若(ちゅうじゃく)

名前のみ登場。野心家の騎兵隊長。

 

沙摩柯(しゃまか)

名前のみ登場。孫家に武陵を追われた異民族。

ライコウに庇護を求める。

 

・ドゼー/ナポレオン 獅子の時代

名前のみ登場。ラクダにまたがる天の御遣い。

ライコウも認める優秀な指揮官だが、承認欲求お化け。

 

雪村(ゆきむら)翔太郎(しょうたろう)/SIDOOH―士道―

『高杉晋作』と交流を持つ、幕末の侍。

会津で小隊を率いて動乱の時代を駆け抜けた。

時代の変遷。その波間で宿敵と相討つ形で致命傷を負う。

自らの故地、その山を見ることを切望しながら若き生涯を閉じた。

 

石幻果(せきげんか)/血涙

袁術軍の御遣いに二人の父を持つ、北方の名将。

かつては楊業の四男として生を享けるも、乱戦の中記憶を失い、その宿敵たる遼国の武将となり、耶率休哥の配下として生まれ変わる。

記憶を取り戻しても新たな母国に対する想いは変わらず、兄弟たちに討たれた。



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孫家軍閥

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孫堅(そんけん)/文台(ぶんだい)/炎蓮(いぇんれん)

南の覇王。

孫子の末裔にして、破格の虎将。釣り大好き女ジャイアン。

人を食らい、戦を食らい、色を食らい、そしてそれらと同等に臣民や家族を愛する。

 

孫策(そんさく)/伯符(はくふ)/雪蓮(しぇれん)

孫堅の長子。

母に似た豪放磊落な性格と武才を持ち、あまたの武人や智者の心を惹きよせる。

占いやまじないの類は好まず、あくまで対等の友として御遣い達と接している。

 

孫権(そんけん)/仲謀(ちゅうぼう)/蓮華(れんふぁ)

孫堅の次子。日本語読みだとちょっとややこしい。

母や姉とは違い内治の才に長けている。一方で少々排他的ではあり、御遣いらには常に懐疑的な態度を取る。

その意固地な不器用さと、反面一度懐に受け入れた者に対する情深さに魅力を感じる者も多い。

 

孫尚香(そんしょうこう)/小蓮(しゃおれん)

孫家の末娘。史実でも女性という存外に珍しいケース。

ゲリラ戦や陽動に長ける。

 

孫静(そんせい)/幼台(ようだい)

孫堅の妹。台所を支える。

姉の器量には敵わぬと認めつつも、母娘の破天荒ぶりに辟易している。

 

黄蓋(こうがい)/公覆(こうふく)/(さい)

孫家の重鎮。弓の使い手。

主人たちに劣らぬ豪胆さを持つ。

 

程普(ていふ)/徳謀(とくぼう)/粋怜(すいれい)

孫堅が少女だった頃より仕える重鎮。ちょっとオーパーツチックなデザインの武器を振るう猛将。

黄蓋以上にちょっと年齢不詳気味なお姉さん。

若い頃はくのいちやってそうな声をしている。

 

張昭(ちょうしょう)/子布(しふ)/雷火(らいか)

少女然とした姿をしているが、閥の長老。

論語をはじめ、様々な学識を蓄える生き字引。

 

周瑜(しゅうゆ)/公瑾(こうきん)/冥琳(めいりん)

孫策の義妹にして軍師。本作では水軍司令官も務める。

無印では悪役だったが徐々に性格が柔和になっていった。

 

諸葛瑾(しょかつきん)/子瑜(しゆ)/朱羅(しゅら)

諸葛亮に瓜二つの姉。この世には姉より優れた妹がいることを知り、卑屈になる。

だが、その卑屈さゆえに篤実な人物として知られており、将才とて決して他の者に劣るものではない。

真名の元ネタは小説版恋姫の登場人物だが、名前だけ借りた別人。

 

武田(たけだ)勝頼(かつより)/戦国無双 真田丸

甲斐の虎、武田信玄(しんげん)の子。

心優しい青年だが、戦場においては鬼神のごとく働く。

本来は継ぐはずのなかった家督を襲名。その気負いから性急な戦を仕掛け、長篠にて織田・徳川の鉄砲隊の前に大敗。

その損害は到底覆るものではなく、次第に追い詰められて死亡。

 

以上の経験から孫堅、孫策の領土拡大を危ぶんでいる。

かつ、この『虎』の家族は守らんと決意する。

幸村、左近とは面識がある。

 

・アレクサンドラ=アルシャーヴィン/サーシャ/魔弾の王と戦姫

勝頼と同じく天の御遣い。

レグニーツァ公国という異世界の地の元公主で、『竜具(ヴィラルト)』という伝説の武具を継承した戦姫。

類稀な技量を有する双剣遣いであったが、遺伝性の死病を患っており、その力を発することはあまり出来なかった。

 

領地を守るべく、海戦に出陣。隣国の好敵手と協力して大敵を撃破するも、それが最後の命の輝きとなった。

帰還ののち、ベッドの上で戦友たちに看取られ、夭逝する。

 

その願いは幸福な家族を得ることであり、この地で蘇った後もそのために剣を振るう。

蓮華には疑われつつも、彼女のその頑なさを愛でている。

 

魚沼(うおぬま)宇水(うすい)/るろうに剣心

盲目の槍遣い。孫静の副将として配属される。

失明したのは志々雄の一刀が原因。以後彼に属しながらも宿敵としてその命を狙うという姿勢を見せていたが、その実それがただのアピールにしか過ぎないことを『狼』に看破されて敗死した。

果たしてその『宿敵』との再会はあり得るや、否や。



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南方諸勢力

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【袁術軍】

 

袁術(えんじゅつ)/公路(こうろ)/美羽(みう)

袁紹の従妹。

名門袁家の子女として荊州、南陽に権勢をふるう。

勅命により、董卓の討伐に赴くも失敗。その後は自領のの拡大へ方針を転換する。

ワガママで幼稚で計画性がないが、妙なところで機転の良さを発揮。何より手段を択ばない分、厄介。

天の御遣いの数は全勢力中最多だが、彼らを利用するだけして捨てる予定でいる。

 

張勲(ちょうくん)/七乃(ななの)

袁術の腹心であり、軍事、政治、外交を総括する。と書くとすごい人。

実際意外にも有能であり、袁術に合わせているだけで割と常識があり、主の美羽相手にもさりげなく毒を吐く。度を過ぎた粗相があれば叱りつける。

そもそもは彼女の溺愛が原因なのだが……

 

紀霊(きれい)/実三牙(みみが)

 

【挿絵表示】

 

袁術軍の武将。

イメージ的にはハスキー犬。中身はちょっと駄犬気味。

気が利かず、彼女なりの正論を吐き、そして顔が怖いため美羽からは遠ざけられている。

 

真田(さなだ)幸村(ゆきむら)/戦国無双 真田丸

天の御遣い組の総指揮を執る、言わずと知れた日ノ本一の武士。

大切な者たちの意志を受け継ぎ突き進む、不撓不屈の猛将。

最後まで諦めることなく自身の信念を貫いたが、大坂の陣にて消える。

 

壮年期の姿で呼ばれた。

他の御遣いと違い、袁術を完全には否定していないが、賛同しているわけではなく、付き従うのはただ自身の意志によるものである。

 

耶率(やりつ)休哥(きゅうか)/血涙

後漢より先の時代、遼国の将軍。

髪、眉と言わずすべてが白髪で、白い狼と呼ばれる。

太后の不興を買って北辺の地で冷遇を囲っていたが、宋軍との戦に際し復帰。

少数精鋭の赤騎兵を率いて奮戦。世代を超え、長き因縁の楊家軍と戦い、馬上にて眠る。

 

中原にて戦をするという願いが、奇妙な形で叶った。

と同時に、奇縁による再会を果たし、妙な充足感を得ている。

 

楊業(ようぎょう)/楊家将

『令公』と呼ばれる騎将。

耶率休哥とは好敵手であり、そして同じ『子』を持つ。

かつては北漢に仕える軍閥であったが、猜疑心に駆られた愚帝により孤立し、宋に降る。以後、新たな主家に忠勤を尽くし、一族を率いて対遼戦線を支える。

宿敵、耶率休哥をあと一歩まで追い詰めるも、またしても味方に裏切られ、孤軍奮闘の末、華々しく散る。

 

黒生(くろふ)鉄心(てっしん)/侍道

黒生家当主。

明治において一個師団に匹敵すると言われる六骨(ろっこつ)峠最強の剣士。

名刀大黒生を振ろうとも切り拓くことができぬ武家の凋落に忸怩たる思いを抱えていた。

所有する高炉を巡り、息子の吉兆と争ったが、それは政府の謀略であり、最後は鉄砲隊の前に立ちはだかって死亡。

なお、ルートは宿場GOODを正史として想定。

 

思想から何まで相反する袁術は嫌悪しているが、名だたる武人たちとの斬り合いを楽しんでいる。

 

・エルトシャン/ファイアーエムブレム 聖戦の系譜

ノディオンという公国の元統治者。騎士としても一流であり、騎兵を率い、魔剣ミストルティンを振るいて戦う前線の人。

だが、戦乱に巻き込まれて後、盟主に忠を尽くし友と戦うこととなり、煩悶したところを妹に説得され、盟主に諫言に戻るも逆上され、殺害された。

 

以上の過去から、かつての主君と似た面を持つ袁術を忌避しつつ、今度こそ友のために戦わんとする。

 

山崎(やまざき)新平(しんぺい)俊秀(としひで)/センゴク

元浅井家家臣、磯野(いその)員昌(かずまさ)が陪臣。

家中最強の先駆け大将としてその武名を天下に知らしめてきた。

弓と槍が合体した弭槍という武器を持ち、その軍略と武勇によって姉川にて織田軍を追い詰めていく。

かつて首代わりに鼻を削がれて後、死してなお戦わんとすることを信条としていたが、生きんがために戦う若武者との馬上での競り合いに敗れ死亡。

 

当然ながら、曹操軍の並行世界の『彼』とは面識がない。

 

王騎(おうき)/キングダム

唇の厚い独特の風貌と威圧感を持つ、張勲の副将。

彼女は疎ましがっているが、本来ならば彼女やその主など及びもつかぬ天下の大将軍である。

 

強大国秦。おのが時代において独立した軍権と天下屈指の武才を持っていた『秦の怪鳥』

だが先王の死後、降り立つべき樹を喪った奔放に飛翔する鴻鵠であった彼は、しかして若き王に可能性を見出しふたたび世に出ることを決意する。

多くの新進気鋭の導き手となったが、敵の計策に陥れられ、かつての自分を慕っていた娘の仇である武神との激戦の果てに落命した。

 

汗明(かんめい)/キングダム

自身を超越者と称する、楚の武人。

他を寄せ付けぬ圧倒的な武を誇り、一撃のもとに秦の六将が一角を打ち砕いた戦歴を持つ。

函谷関における対秦連合軍においても当然のごとく先鋒を司るが、覚醒した秦の大将に頭部を潰される。

 

太鼓のおじさん。強いんだ星人ばっかりのキングダムの中で、ひときわ輝く一番星。

 

 

高杉(たかすぎ)晋作(しんさく)/風雲幕末伝

長州を代表する火の玉男児。

奇兵隊を組織し、尊王攘夷のため、討幕のため藩内を一統。小倉ほか四境にて転戦し幕軍を散々に翻弄した。

かくしいぇ明治創業の立役者となるが、その新時代を見ずして夭逝する。

元より豪放な人物ゆえ、これもまた一興と月琴をかき鳴らし新設袁術艦隊を指揮する。

 

【劉表軍】

 

劉表(りゅうひょう)/景升(けいしょう)/宝夢(ほうむ)

王叡(おうえい)の後を継いで荊州刺史となった清流派の名士。

と同時に、孫堅の討伐をも引き継ぐことになる。

固有を兵力を持たず、地方の豪族に依存するが、そんな我が身を儚んでおり、いつか自分を救う英雄が現れることを夢見ている。が、自分から手を伸ばそうというつもりはないらしい。

真名は適当に考えただけで、適合手術を受けずエグゼイドに変身できる人とは関係ない。

 

蔡瑁(さいぼう)/徳珪(とくけい)

劉表の協力者である青年。それなりに信頼はされているが、自身ではその信頼度を高く見積もっている。

そのため強い自負により家中を切り回すが、はっきり言って力量不足は否めない、劉表軍のアンドリュー・フォーク

 

黄忠(こうちゅう)/漢升(かんしょう)/紫苑(しおん)

劉表軍武将。黄祖派に属す。

色香のある未亡人だが、その妙技が中原にも知れ渡った弓の名手である。

璃々(りり)という娘がおり、本作では劉表に質として取られている。

 

魏延(ぎえん)/文長(ぶんちょう)/焔耶(えんや)

金砕棒を振り回す猛将。

未熟ではあるが伸びしろはある。

孫堅に肉薄するもその武威に圧倒させる。

 

黄祖(こうそ)

江夏方面軍司令官。

独自の派閥を持ち、劉表を腐れ儒者と内心で蔑んでいて、従うつもりがない。

甘寧に懸想している、ある意味作中一の乙女。

 

魯粛(ろしゅく)/子敬(しけい)/(ぱお)

劉表軍の食客のひとり。

といっても自身の智棒を天下に知らしめるためのことであり、自身は富豪の令嬢である。

周瑜にも経済的支援をしていた。

 

郭嘉(かくか)/奉孝(ほうこう)/(りん)

戦乱に巻き込まれ、程昱らとはぐれたところを黄祖に保護された軍師。

身体が弱く、興奮すると鼻血を出すが、今回は興奮するほどの出来事や人物に出会えなかったので大人しめ。

 

文聘(ぶんぺい)/仲業(ちゅうぎょう)/波濤(はとう)

 

【挿絵表示】

 

劉表麾下の武将。

立場は弱いが、指揮能力は軍中随一。

主体性というものがない劉表に苛立っているが、見捨てることができないでいる。

野なれども卑ならず。面倒見の良い漢気あふれる女性。

 

蒋欽(しょうきん)/公奕(こうえき)/霧雨(むう)

 

【挿絵表示】

 

劉表麾下の武将。子犬のごとき軽妙さを持つ弩の名手。

元は川賊であったが、その手勢ごと劉表軍に組み込まれた。

だがその出自ゆえに信頼されなかった。

 

張郃(ちょうこう)/儁乂(しゅんがい)/(なだ)

 

【挿絵表示】

 

劉表軍の客将。武者修行中。

武勇もさることながら、自身の指揮能力も高く独特の美学を持つ。

殺しても死なない異常な回復力を持ち、その部隊もかなりの粘り強く攻防に当たる。

黄忠、魏延とは相性が悪い。

 

潘璋(はんしょう)/文珪(ぶんけい)/玄海(げんかい)

 

【挿絵表示】

 

江南を中心に渡り歩く傭兵。銭ゲバヤンキー。

金にがめつく、かつ敏なる嗅覚を持つ。

が、戦いそのものも大いに好み、その部隊は退くことを知らない。

 

張燕(ちょうえん)/飛燕(ひえん)/黒羽(ヘイユィ)

 

【挿絵表示】

 

元は河北で黒山という賊を束ねていたが、戦乱を避け南下。

旧姓は猪という。双剣でもって文字通り、燕のごとく戦場を飛び舞う。

 

凌統(りょうとう)/公績(こうせき)/薄荷(ぽーふー)

 

【挿絵表示】

 

元は孫家譜代の家柄。

親の仇である甘寧が孫家に組み込まれたことに反発して劉表軍に寝返った。

しかしながら、未だ情を捨てきれずにいる。

 

・シグルド/ファイアーエムブレム 聖戦の系譜

シアルフィ公国の公子にして清廉な騎士。

並外れた武勇と(数値上はともかく)高い指揮能力、カリスマ性を併せ持つ。

 

当初は自国や友人たちを守るために戦っていたが、やがてそれは大陸全土を巻き込む戦争に至り、謀反の疑いをかけられる。

父親や友人たちをはじめ、多くの犠牲を出しながらも王都にたどり着いて弁明の場を設けてもらうが、それこそが罠であり、記憶を奪われ他人のものとなった妻たちの前で、戦友たちとともに謀殺される。

……いやでも、結果論とはいえ大陸を敵味方問わず片っ端から制圧しながら都に迫る軍団とか、謀反以外の何物でもないんじゃねぇかな……

 

その失意から立ち直ることができず、消極的になっている。

 

・アーダン/ファイアーエムブレム 聖戦の系譜

上記の経緯において焼き殺されたシグルドの家臣。

何故か妻とかを差し置いてやってきた。

失意に沈む主君を気にかけている。

 

石田(いしだ)三成(みつなり)/戦国無双

豊臣家の能吏。

辣腕を振るって豊臣の天下を支えていたが、一方で怜悧で融通が利かないため、多くの敵を作り、友も離れていった。

 

それでもそこに魅力を見出した仲間たちとともに関ヶ原にて徳川家康へ決戦を挑むも、敗亡。

 

義を重んじるがゆえに拾ってくれた劉表に従ってはいるが、歯に衣着せぬ物言いは死んでもなおらぬようで、武断派の人間と極端に仲が悪い。

 

(しま)左近(さこん)/戦国無双

石田家家臣。その前は武田、筒井と渡り歩いていたが、三成の不器用さな一途さに惹かれ忠臣となって軍務を支える。

指揮能力や戦術の冴えもさることながら、腕っぷしも一流。

 

今度こそは主人の命を永らえようと奮戦する。

 

・ジャン・ランヌ/ナポレオン 獅子の時代

フランスの大陸軍元帥。

ナポレオンの部下であるとともに対等の親友でもある。

当初は芋虫を食う、兵士たちの安全を脅かす老人をぶん殴る、砲撃(釘)から部下たちを庇うために帽子で立ち向かう、かと思いきや誤射した部下を許しつつも徹底的にボコボコにするなど、部下思いだが変人の類として描かれていたが、話を重ねるごとに丸くなっていき、荒っぽいが(他と比較して)良識ある人物としての面が目立つようになる。

 

が、一方で戦争で凄惨な場面が目につくようになり、戦争自体の忌避へと繋がる。

軍人としての自身と、そしてナポレオンの衰えを感じつつあった矢先、砲弾によって両脚を砕かれ、右脚を切断するも、結局熱病によってこの世を去る。

 

そのため、あまり今回の召喚に乗り気ではないが、戦闘に入ると否が応にも若返った肉体にスイッチが入る。



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益州諸勢力

本記事で使用している画像は以下のサイトのAIに生成していただきました。
https://waifulabs.com/
規約上画像のロゴは外せないのでご了承くださいませ。

また、運営サイドより使用に問題があると判断された場合、通知なく削除させていただく場合がございますので、前もってご理解のほどよろしくお願いいたします。


【益州劉氏】

 

劉焉(りゅうえん)/君郎(くんろう)/灰峰(はいほう)

 

【挿絵表示】

 

益州刺史。史実同様男性。

益州を独立国にせんと画策するも、そのために賈龍(かりょう)、五斗米道と対立することになり、親友でもあった前者を謀殺した過去を持つ。

 

劉璋(りゅうしょう)/季玉(きぎょく)/玲峰(れいほう)

劉焉の末娘にして唯一の後継者(他は皆病死や戦死を遂げた設定)。

惰弱で外部からの情報に踊らされやすく、厳顔らからは軽蔑を買っている。

 

厳顔(げんがん)/桔梗(ききょう)

酒と戦をこよなく愛する巴蜀の老将。少女の頃から劉焉に付き従ってきた最古参。

オーパーツ気味な武器を持っている。

 

張任(ちょうじん)/(しゅん)

蜀の硬骨の士。融通は利かないが戦においては目鼻の利く良将にして弓の名手。

実は男勝りの性格を気にしてはいる。

一応キャラの原型あり。

……昔雷子というインディーズの三国志ゲーがあってのぅ……

 

法正(ほうせい)/孝直(こうちょく)/(よい)

 

【挿絵表示】

 

ヤクザな性格な蜀の軍師。オリジナル設定だがかつて賈龍の妹分であり、多大な恩義を受けていた。

本人曰く、賈龍のことを水に流して、今は忠勤に励んでいる。

……だが、忘れないでほしい。

彼女は、あの法孝直である。

 

・アシェラッド/ルキウス・アルトリウス・カストゥス/ヴィンランド・サガ

かつて北欧を荒らし回ったヴァイキングの一人。

だが、その内情は自らを含め、デーン人の蛮族行為に辟易としており、由緒ある王族であることに誇りを持っていた。

 

ついに自身が仕えるべき王者と出会い、その謀臣となって辣腕を振るっていくも、その父王に故郷か主君の二択を迫られたすえ、文字通りの狂言によって父王を殺害。自身もあえて討たれた。

 

偽悪的に振る舞ってはいるが、実際劉焉に含むところはなく、どことなく郷里ウェールズに似た雰囲気を持つ巴蜀を守らんとしている。

 

・セルベリア・ブレス/戦場のヴァルキュリア

東ヨーロッパ帝国連合のガリア方面軍が三将、ドライ・シュテルンが一人。

指揮能力やカリスマ性もさることながら、何よりヴァルキュリア人としての超人的な能力や使用兵器が最たる武器。

だが、主人に見限られ、好敵手との激戦のすえ投降。その後虜囚の辱めを良しとせず最後の力で自爆した。

 

嘘か真かスタッフはここまで人気が出るとは予想してなかったらしく、どんどんあざとかったりヒロイックな設定が盛られていった。

いやでも銀髪だよ? 巨乳だよ?

 

本気になるとどう考えてもパワーバランスが崩壊する。

その自覚があるらしく、兵器は封印中。

(スキル解放したセルベリアが敵にいると無理ゲー化しました)

 

・ロラン/魔弾の王と戦姫

ブリューヌ最強と称された黒騎士。

実際戦姫ふたりがかりでも跳ね除ける強靭な膂力と猛攻の持ち主。

性格も実直である程度話の分かる人物であったが、その気質と能力を警戒され、佞臣に殺人蜂の牢に誘い込まれ、直立不動で謀殺された。

 

袁術の下についてたら蜂蜜を取らせるつもりだった。

 

本作では劉璋の護衛部隊としてついているため、彼女同様本編未登場。

 

王累(おうるい)

益州劉氏の忠臣。

文事において成都を守備する。

 

呉懿(ごい)/子遠(しえん)

黄権(こうけん)/公衡(こうこう)

劉焉軍のたち武将。守勢に優れているがゆえに、成都を守護に回される。

 

高定(こうてい)

朱褒(しゅほう)

雍闓(ようがい)

益南の太守たち。志々雄一派侵攻に際し、真っ先に寝返った。

 

【五斗米道】

張魯(ちょうろ)/公祺(こうき)/(えんじゅ)

神医華佗(かだ)の創設した医療集団、五斗米道の『師君』。

本来であれば福祉団体でしかなかったが、勢力の膨張とそれにともなく武断派祭酒の暴走を止めることができなかった。

本人はあくまで一医師でありたいと願っているが、必要あれば政治的手腕をも用いる。

 

張衛(ちょうえい)/公則(こうそく)/(さかき)

張魯の妹。良く言えば熱血の人。悪く言えば最右翼。

教団に集まった人や物資を用いて天下に五斗米道の威を示さんとしている。

 

司馬徽(しばき)/徳操(とくそう)/水鏡(すいきょう)

名前のみ登場。諸葛亮や鳳統、そして徐庶らの師であり母。

漢中に難を逃れてきた。

 

【南蛮】

 

孟獲(もうかく)/美以(みい)

・シャム

・トラ

・ミケ

南蛮王とその配下。

正直各勢力との温度差に作者も頭を痛ませている。

 

兀突骨(ごつとつこつ)

禿竜洞の族長。刃物を通さずボートにもなる藤甲兵を率いて登場……するも志々雄とは当然滅茶苦茶相性が悪く一蹴される。

どんなキャラにするかぶっちゃけ未定です。

 

徐盛(じょせい)/文嚮(ぶんきょう)/幻夜(げんや)

自称戦闘芸術家。

屈強な南蛮兵に自身の戦術理論を組み込めば精強になるんじゃないか、と考えその軍事顧問に就任するが……

 

【志々雄一派】

 

志々雄(ししお)真実(まこと)/るろうに剣心

交州にて士一族を殺害し挙兵した、招かれざる天の御遣い。

本人は地獄で鬼ども相手に国盗りの腹積もりであったが、これはこれで楽しと中華を弱肉強食の理で塗り替えんと進撃を続ける。

 

駒形(こまがた)由美(ゆみ)/るろうに剣心

志々雄の愛人。『夜伽』の由美。

かつて方治が見た夢うつつのあの世と同様、そしてかつての誓いに違わず、冥府の果てでも志々雄に付き従う。

なんだかんだで風を始め外様衆の世話を焼いており、彼らの心が完全に志々雄から離れないよう重要な立ち位置にいる。

 

佐渡島(さどしま)方治(ほうじ)/るろうに剣心

志々雄の参謀。『百識』の方治。

志々雄の死後、その道理を説こうとするもさらなる絶望を味わわせられ、獄中で自殺。その間際に冥府で志々雄たちと再会する夢の果て、彼とともにここに行き着いた。

その権謀術数は異世界の中華においても健在であり、着実にその覇道の地歩を固めていく。

だが、その謀略の裏で陸遜のおっとりした姿に誰ぞの幻影を見、そして心の古傷を痛ませる。

 

程立(ていりつ)(いく))/仲徳(ちゅうとく)/(ふう)

幼児体形のつかみどころのない軍師。

郭嘉や趙雲、そして道中で拾った御遣いのマロロと旅をしていたが離散してしまい、マロロとともに志々雄に捕まり、協力を強要されている。

その夢に未だ、頂くべき日輪は現れず。

 

陸遜(りくそん)/伯言(はくげん)/(のん)

揚州の名家、陸氏の令嬢。

戦火を逃れて交州に向かっていたが、そここそまさに劫火の中であり、志々雄一派に捕まってしまう。

 

おっとりしているという点においては風と変わらないが、まず体型が違うことをあえて明記しておかなくてはなるまい。

 

・マロロ/うたわれるもの 偽りの仮面+二人の白皇

ヤマトの国の采配師(軍師)。オシュトル同様、常世の國より引きずり出された。

公家を思わせるふざけたナリだが、これでも作中屈指の苦労人で、生前はあまり主人に恵まれなかったが、本作では逆に酷使されることに。

 

かつて友に仕掛けられた苛烈な火計、そして洗脳された自身が行ってしまった虐殺が元で、炎に若干のトラウマが残っている。

そんな彼が志々雄に登用されるのは皮肉以外の何物でもない。

 

だがかつてのように現実から目を背けて逃げ出すことを良しとはせず、少しでも被害を少なくするよう悪鬼共の内側より努力することを決意する。

 

・ディミトリ=アレクサンドル=ブレーダッド/ファイアーエムブレム 風花雪月

ファーガス神聖王国元王子。絶望と憤怒の中仇を追いかけ、己の命を含めたすべてを喪いながらこの地へと彷徨い出た。通称青ゴリラ。闇ゴリラ。

この中華に、かの女帝もまた来ていると踏んで手掛かりを求めて益州南部を暴れまわっていたところを、志々雄に拾われた。

 

・ビョルン/ヴィンランド・サガ

金目の物より殺しが好きという、典型的なデーン人のヴァイキング。キノコ大好き。

元はアシェラッドの副官であり、忠実ではあったが、内心ではアシェラッドの孤独と自分たちへの嫌悪を察していた。

瀕死の重傷を負い、余命いくばくもない間際にアシェラッドへの真情を吐露して、決闘の末に彼の手で送られた。

「お前は自分のたった一人の友だ」という言葉を手向けとして。

果たして、彼はその言葉を信じて逝ったのだろうか……?



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天星の飛来と河北の擾乱
序章:天星の甍


 夜天である。

 都鄙の有様を見渡せる丘にて、その麓の草原を、遊山のごとく手燭も持たずに彼女は歩いている。

 

 少女である。少なくとも、その姿かたちを取った者である。

 そしてその孤影は、少し平坦になったあたりで足を止めて空を見上げた。

 

 星が、ひときわ大きく輝きを放った。いや、夜の(とばり)を払って、どこぞの暗黒より突き抜けてきたのだ。

 

「ひとつ」

 流れていく。

 

「ふたつ、みっつ、よっつ」

 数えていく。増えていく。綾を成すかのごとく、色とりどりの輝きが。

 

 燃えるような紅蓮の星。はたまた青く清らかな星。

 鋭き剣のごとき鉄色の閃き。鈍く黒く、夜闇よりも淀んだ昏きもの。

 

 そのいずれかを、未だ伏する英雄たちも

 ある者はそこに天意を見出すだろう。

 ある者は、乱世の兆しと見て武心を猛らせるだろう。

 ある者は未だ天命を知らぬままに仰天するだろう。

 ある者は不吉と眉をひそめ、またある者はただ好奇の眼差しで仰ぐだろう。

 

 

 やがてその勢いも量も目で追えなくなり、口頭で数えるのを女は止めた。

 それでも夜空を昼のごとくに塗り替えていく星々を、見つめ続けていた。

 

「いやん、キレイ★ お願いごとしちゃおうかしらン?」

 見上げる女の背に、異様な気配が突如浮いて出た。

 褐色の肌を惜しみなく曝け出した、というかほぼ全裸。辮髪(ミツアミ)の巨漢。自称、漢女。

 たくましい声帯から発せられる、猫撫であやすがごとき音調。

 当人の常識か、でなければ自分の認識能力か世界そのものを疑いたくなるような風体をしている。

 

 突如とした驚きはしない。同類……という言葉は用いたくはないが、それでも同位の存在には違いない。

 幾度となく分岐する並行世界。何百回と消滅しては繰り返される時間軸。それを見届け、交わり、楽しみ、慈しむ役割を与えられた存在。

 道化とは嗤うまい。ただ、振り向いてその姿を直視することがためらわれるだけだ。

 

「いよいよ始まるのね、貴女の世界が」

「わたしのではない。皆の、世界」

 

 顧みないままに女は言い、漢女はそれに寄り添うように並び立った。

 

「あぶれた可能性。世界から()()()と弾き出された落ち星たちの行き着く場所。それがこの外史世界」

 

 少女のような者は、鳴禽のごとく小さく囀り、そしてようやく彼女(?)の方を見た。というよりも、去っていく気配を察知した。

 

「きっと、あの星の中に『彼』はいないのよね」

 ほふぅ、といちいち大仰な吐息をついて背より問われる。

 

「『彼』の物語は革命世界において完結している。そもそも、アレは容れ物に過ぎない。正史世界の人々の願望や欲望の。あるいは嫉妬や憎悪と言ったものの」

「でもそういうドロッドロしたものもキラッキラしたのも、好きなのよ。だから、ここで私は降りるわ」

 

 三国志を代表する女性の名を冠した『慈しむ者』は、それこそ原型となった『彼女』が呂布や王允を恋い慕うかのように呟いた。

 

「それじゃあ、頑張ってねン」

「私が頑張るのではない。観測する者。人を見る者。だからこそ私は『この役割』を与えられた」

 

 機械的に自己判断を下した彼女に、漢女は分厚い唇に最後に穏やかな笑いを含めていった。

 

 

 

「それでも、貴女は最後まで見届けるのでしょう? 許劭(きょしょう)ちゃん?」

 

 

 

 ――伝承に曰く。

 天下の政道に過ちが生じ世が乱れし時、数多の星が天を駆ける。

 天外の世、外つ国より弾かれし異能の者たちを乗せて、地に堕ちる。

 

 その先は口伝によって広められるうち、時代とともに解釈が分岐していった。

 彼らは世を救うために現れたのだとも、あるいは王朝を正すために天帝より遣わされたのだと。

 ……あるいは、地上をさらに混沌へ陥れる、凶つ星であるとも。

 

 しかしていずれにおいても彼らは、こう総称される。

 

 

 

 ――『天の御遣い』と。



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曹操(一):蒼天已死(前)

 ――月初めの洛外。

 竹林に閉ざされてそこにひっそりと結ばれた庵に、かの陳留太守兼西園八校尉は、おのが両翼たる宗族と、そしてもう一人を伴ってやってきた。

 

 そこに隠居先を構えた本人は無作為な人の面会を厭うているのだろうが、そんな彼女の希望に反し、さも知識人でございという者らが列を成していた。

 

 庵の名は、『月旦庵』と言った。

 彼女はそこで、個対個の人相見をやっていた。

 

 だが陳留太守曹操(そうそう)の見るところ、居並ぶ者らは皆凡俗の域を出ぬ者らである。琴線に触れる野心と才能(あと美貌の少女)などどこにもない。自分の幕下に加えることにさえ値しない。

 大方は自分が何者かを知るかというよりも、かの朝

 その証左に、自身の武の右腕たる夏候惇(かこうとん)が、父母より授かった獣の双眸をもって睥睨すれば、皆ひな鳥のごとくそそくさに逃散していった。

 

 だが本人からしてみれば、さほど敵意を込めたわけではなかっただろう。

 その瞳がその類の色を込めたのは、前方の庵と、そして興味深げに辺りを見聞している異装の男に対してである。

 

「なにもわざわざ、このようなところまで来ずとも」

「賊討伐の復命のついでよ」

「しかしっ! あのような無礼な言葉を()かした者に、華琳(かりん)様御自ら出向くなど……!」

 

 主の真名を惜しみなく発するほどに激して口吻を鋭くさせる。そんな彼女をたしなめるのが、夏侯淵の役目だ。

 

「姉者、そもそもなんと言ったか覚えているのか?」

「ん? ほら、あれだ……なんとかのナニ……」

「……姉者……」

 

 苦笑いしながらも、その純粋無垢、天衣無縫ぶりをそれとなく愛でて見守るのが

 後ろからもまた、忍び笑いが聞こえてきた。

 ギロリと睨んで顧みる夏候惇……春蘭にその男は、口元を手で押さえながら弁明した。

 

「いや、失敬。……似たような者を思い浮かべてな、つい」

 

 それでも『氏素性も知れぬ妖しき奴』を曹操麾下随一の猛将は許す気はないらしく、掴みかからんとした。

 

 

 

「『清平の奸賊、乱世の英雄』もしくは『治世の能臣、乱世の奸雄』と言い換えても良い」

 

 

 

 ――鈴を転がすような音が、その手足を止める。

 

 庵の口より覗く、鏡のごとき、純度の高い双眸。

 年齢の定かならぬ白皙の美貌に、黄絹のような髪質。この宅のごとく厭世の感を滲ませた所作。

 ある者は期待をもってその眼に己が影を投げかけ、またある者はその口から出る酷評をこそ恐れる。

 あの憚ることなくけたたましく高笑いする傍若無人な袁紹(えんしょう)でさえ、彼女の前ではまるで『淑女』のごとく大人しくなる。

 

 それこそが、人物評において右に出る者なしと謳われた名士、許劭(きょしょう)であった。

 

「それを撤回せよとでも? あいにく、わたしは、一度下した評を覆すことは、決してしない」

「貴様っ、よくもぬけぬけと!」

「姉者、意味はもちろん分かって言ってるのだろうな?」

「持って回ったような口ぶりで何やら侮辱していたのは分かっている!」

「あぁ、まぁつまりはよく理解してなかったのだな」

 

 過日、からかい半分に訪れてその評が下された時には曹洪(栄華)がいた。曹純(柳琳)もいた。おそらく表情を翳らせた彼女らの顔色から、何やら無礼な発言をした。その程度の認識でしかなかったのだろう。

 

「別に私の方は気にしていないわよ。乱世の奸雄大いに結構。小善小悪しか為せぬよりよほど良い」

 

 むしろ誇らしげにうそぶき、華琳は両翼を下がらせた。

 貌の動きに促されて、代わり前に出たのは、件の男である。

 

 少々変わった枝分かれをした眉をしてはいるが、行き当たった町雀たちがはしゃぐほどには、精悍な美丈夫である。

 彼女たちとは似て非なる装束をまとう、一見して優男ではあるが、腰に佩いた一振りの刀は飾りではない。

 相当以上に優れた太刀筋をもって、自分たちが討つべき賊を単身で全滅させてしまった。

 

「世に言われる天の御遣い、らしいわ」

 

 まるで秘蔵の宝物を披露するかのように、華琳は許劭に紹介した。

 

「彼を、視よと?」

 さほど驚きを見せない人相見に少し残念がりながら、華琳は頷いた。

「他者の眼を借りずとも、貴女の鷹眼をもってすれば、その者の価値が判るのでは?」

「そうですぞ! 何もこのような訳の分からぬ占い師の言うことなど聞く価値もありませぬ!」

 

 どっちの味方か分からなくなるようないきり立ち方をする春蘭を、まぁまぁと夏侯淵こと秋蘭がそれをたしなめた。

 

「先と同じ、冷やかしのようなものね。それに、曲がりなりにも為政者たるもの、他人の視点も時には求めなくてはね」

 

 そう言い切った華琳に、春蘭の言うところの『占い師』は軽く頷いた。

 彼女の口にした『為政者』とは、あくまで陳留一都としてのか、あるいは天下のものか、どう捉えたかは別として、少女のごときそれは、男を自宅へ誘った。

 

「ここから先は、個対個の語り合い。他人の視線があっては、その感情が混じる」

 後に続かんとする三人をぴしゃりとした言葉が退かせる。

「あら、存外に人の眼を気にするのね」

 曹操の揶揄を黙殺し、許劭は意外の奥行きの深い庵の中に、天の御遣いとともに消えていった。

 

 ~~~

 

 男は、その人相見について、奥まった場所に行き着いた。

 彼女の私室は驚くべきほど私物の類がなく、せいぜいあるのは机と数冊の本を入れただけでかなり持て余した棚。それに茶とそれを注ぎ入れる一式の食器ぐらいか。

 

 昼間というのに、室内に差し込む陽光のみでは光源が賄い切れず、燭を使っていた。

 神秘的、とも言っても良いかもしれないが、それよりも日中に油を消費できるその懐の豊かさにふと注意が傾く。

 もっと昨日今日とここに漂流してきた身の上、生活様式をまじまじと観察していたわけではないので、彼女の生活様式が異端なのか正常なのか、判断できかねる。

 

「どこまで聞いている?」

 前もって誰ぞを歓待する用意されていたものだろうか。出された茶は、適温を保っていて、覚えのない味ながらもふしぎと舌に馴染んだ。

 

「この世界のこと。天の御遣いのこと」

 

 男は渋みのある声で答えた。

 

「曰く、天の御遣いとは、世情の乱れの兆し。落ち星の群れに外つ国より取りこぼされた者たちが大地にもたらされ、乱れた世を立て直すとも、あるいは混沌に導くとも」

 自身の恩人たる曹操の言ったことを、彼は諳んじた。

「で、貴方は星に乗って(あま)をかけてきたと?」

「さて、どうであったか……」

 

 韜晦しているわけではなく、男はただ自覚の乏しさから言葉を濁した。

 ここが、別の世界であることは分かる。自身が属していた国とはどことなく文化や地形こそ似ているものの、肌身でつながりのない別物だと判る。

 

 ――そもそも己は、すでに死んだ身であるはずだ。

 

 こうして生前の肉体や装備を取り戻していること自体が、異常そのものだ。

 ……もっとも、先君より賜りし、最強の武具は、すでに友に手渡していたがゆえか手元やにも()にも存在していなかったが。

 

(それがし)は」

 男は苦笑した。

「泉下にて、いつの日か友と酒を酌み交わすことのみを楽しみとしていただけの者だ」

 

 それがふと、足下が抜け落ちる感触とともに魂魄が闇に堕ちた。

 気が付けば、この国にいた。

 

 あてもなく歩いているとあからさまな暴徒、賊の類にその身を囲まれ、身銭や刀を要求された。

 もちろんのことながら、身銭はない。士の魂たる刀を寄越せと言われれば、拒み、応戦せざるをえなかった。

 

 そこの領地……苑州(えんしゅう)が一都市、陳留(ちんりゅう)を治めていた曹操の軍が現れた。

 流入した賊の討伐、前の晩に流れた妖星の追跡と調査のために現れた少女らと。

 自分の国ではついぞ見ない、黄金色の髪の娘。おのが義弟と似た発色をしているが、それよりもよりきらびやかであったし、入念に手入れされて巻かれていた。

 

 歳は若いがその主従を一瞥して、超世の傑物だと理解した。

 立場も立場ゆえに得られる情報も多かろうと、同道を求められた際に素直に従った。

 

 そして今に至る。

 

 そこまで語り終えた時、許劭と呼ばれた娘の目の形が、少しだけながら初めて変わった」

 

「死した後の記憶を持っていた御遣いは、初めて」

 ほう、と男は口を開けた。

 言葉少なくとも、そこから得られる情報は大きく、多い。

 

 まず一に、自分が初めての御遣いではないということ。

 第二に、すでにその者を伴って、同じ用向きで訪れた者がいるということ。

 そして……

 

「付け加えておくと、天の御遣いとはすなわち、先の世ですでに死した者と言われている」

 

 追及する前に、人相見が答えてくれた。

 

御遣い(あなた)たちは、強い未練や後悔を抱えてその命運を絶たれた者、あるいはそうでなくとも特異な才覚を持つ者が選ばれる。それが、この世界の摂理」

「某はおのが任を全うできなかった無能非才の身だ。したがって、後者ではないな」

「そうは思えないけれど……であれば、前者だとでも」

 

 男はほろ苦く自嘲した。

 後悔ならば、ある。

 本来であれば自分が歩むべき道。その途上、命が尽きた。半ば覚悟はしていたことであった。

 だがその道を、心ならずも友に歩ませてしまった。そうするよりほか、道がなかった。死してなお、護らねばならなかった。すべてを委ねられるのは、その男しかいなかった。

 その結果、彼が本来進むべき生き方を、歪めてしまった。

 

「だが、その報いがここで代償できるとは、思えぬが……」

「未練が必ずしもこの世界で昇華できるとは限らない。ただ未練の強さが、彼らを星として引き寄せる。あるいは、貴方と縁を持つ者が黄泉より貴方を引き戻したか」

「某はともかくとしても、むごい話ではあるな」

 

 同情とも非難ともとれる所感を口に、男は言って立ち上がった。

 

「では、貴方は二度目の生をどう生きる?」

「どうもせぬよ。元の世において某のすべきことは、我が友がすでに果たしてくれた。ゆえに、急ぐ身でもなし、しばらくは曹操殿の客将となりてこの世を生きてみるとしよう。……もっとも、たとえ死すともこの身は祖国の主に捧げたものゆえ、臣下となることは能わぬが」

 

 背に向けられたその問いに、男は答えた。

 そして「御免」という別辞とともに、彼は颯爽と退出する。

 

 平静を取り持つ彼ではあったが、その胸中で、二つの感情が渦巻いている。

 彼が持つもう一つの顔としての侠気と、イタズラめいた好奇心。

 そして国に忠を尽くす武人としての、身の置き場がないという当惑。

 

 我ながら厄介な性分であると言えよう。だが、どちらも否定はすまい。

 

()()()も、最初は同じ心地であったのだろうな)

 あの生まれたての雛鳥のような、危なっかしさと底抜けの人の良さ、だがその中に垣間見た芯の強さを思い出し、つい笑みがこぼれる。

 そして、らしくもない伝法な口調で、空にそっと問いかけるのだった。

 

「――やれやれ、今度はそっちの真似事でもしろってことかねぇ……アンちゃん」

 

 

 

 ――自分だったら、時間外手当を要求するね。

 己の内にあるものか。あるいは雲の間より降ってきたものか。

 ふと、どこからともかくそんな声が漏れ聞こえた気がした。



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曹操(一):蒼天已死(後)

「申し訳ない、時間をかけた」

「まったくだ、華琳様の貴重な時が、貴様のような胡乱な男のために」

「それで、許劭殿は何を見られた?」

「さて、どうであったか。かえってこちらが色々と教わったような気さえするが」

「おいっ、無視して話を進めるなぁ!」

 

 『月旦庵』より出でた男がほぼ連行のような形で引き取られていく。

 遠のくその姿を見ていた華琳ではあったが、許劭もまた庵を出てきて白日の下にその身をさらした。

 

「あら、お見送り?」

 とからかう陳留太守に、

「わたしも旅に出る。荊州の(りゅう)景升(けいしょう)殿の赴任祝いに招かれている」

 と隠者は答えた。

 

 名士らしいのからしくないのか。面白味に欠けた返答に「でしょうよ」と内心で毒づく。

 何しろ彼女の姿は旅装である。

 赴任祝いにわざわざ都の名士を招聘するなど聞いたことがない。つまり、用向きは自分たちと同じ。

 

(あちらにも、落ちたか)

 もっとも荊州刺史の劉表の場合は、評判(ハク)付けが主目的であろう。

 すなわち、救世の雄が自身の下へ舞い降りたのは、皇統として世を改め、治めよという天意であろうと皆に知らしむると。

 

(果たして、黄祖(こうそ)たちの軍閥さえ持て余す彼女に、その者らを従えるだけの気骨と決断力があるのかしらね)

 赴任前に宮中で見た、したたかな野心を感じさせつつも押し出しの弱そうな年増女へ、華琳はあらためて冷笑を向けた。

 

劉表(りゅうひょう)に仕える気? それならばいっそ」

「そのまま旅に出る。今後は都も荒れるだろうし、これを機に巡っておきたい」

 

 自分の許に来い、という前に先手を打つ形で許劭は言った。

 荒れる。予言めいたその言葉にふと、気にかかった。

 たしかに今の朝廷は惰眠をむさぼる皇帝と、外戚と十常侍らの権謀渦巻く毒蟲の巣となっているし、それによる政の乱れが、暴徒や賊の発生を許してはいるが、『荒れる』とは一体……?

 

()は」

 

 まるでその失言を隠すように、即座に女隠者は話題を切り替えた。いや、本来の華琳たちの目的に戻ったといった方が正しいか。

 

「蒼天を往く者。智勇仁いずれに傾くことなく欠けるところがない。士大将として人として、これほどに完成された者はいない。曹操殿は数多の星の中で最優を引き当てた」

 

 だが、と言葉は続く。

 

「問題は、貴女自身の内にある」

 

 華琳の鷹眼が歪む。もし春蘭が居残っていたら、この前置きの時点で即座に叩き斬っていたことだろう。

 

「わたしは、この世界の『役割』ゆえ貴女に乱世の奸雄の名を与えた。だが、決してその異名にも、『曹操』であることにも自らの心を縛られぬよう。……華琳は、華琳。それを忘れ歪んだ覇道に進んだ時、おそらく彼の刃は貴女自身へと翻ることになる」

 

 奇妙で、持って回った締めくくりとともに、

 

「真名を許した覚えはないのだけれども……まぁ良いわ。話半分に覚えておきましょう」

「それで良い。わたしに諫められたところで生き方を変える貴女でもない」

 

 そう言って最後に、彼女は口元だけで笑ってみせた。

 

「……いずれまた、その道を進んだ果てに得たものでも聞かせて頂戴」

 

 

 

 その後、この動乱の予言者がふたたび曹孟徳(もうとく)という人物と出会うことがなかった。歴史の表舞台より姿を消した。

 落ち着いた頃に招聘してみようとしたが、その行方は杳として知れず、劉曜の下に客分として収まったという風聞もあったがそれも風聞の域を出なかった。

 

 この一月後、洛陽襲撃計画が発覚。その首謀者馬元義は捕縛された後に「だって張角(ちょうかく)ちゃんが天下が欲しいとか言ってたし」などと訳の分からないことを供述。

 

 それにより朝廷は平原(へいげん)において宗教じみた手法をもって人を集めていた張角の捕縛を決定。南皮(なんぴ)を拠とする袁紹、幽州の劉虞(りゅうぐ)公孫賛(こうそんさん)を佐将としてにその討伐を命ずる。

 

 そのため張角側としても、望む望まざるにかかわらず武力蜂起を決意。結果、朝廷に不満を持っていた豪族や流民、山賊の類がこれに呼応し、黄色い布をスローガンとして各地を荒らし回る。

 

 さらには騎馬民族烏丸(うがん)までが共闘すべく南下を開始。

 だがその処遇を巡り、劉虞と公孫賛が対立。その確執は極まり、『黄巾の乱』の最中、公孫賛が踵を返して劉虞を攻め、殺害するに至る。

 それを受けた袁紹は一度黄巾討伐を中断。朝廷には公孫賛を逆賊と上奏し、その本拠北平を攻めるも公孫賛側の客将、趙雲(ちょううん)の獅子奮迅の武働きによって双方痛み分けとなり兵を退き、河北は泥沼のこう着状態へ陥っていた。

 

「むっふふぅ、史実どおりに潰されては面白くないのでなぁ」

 ――黄色い布を巻き狂騒する集団。自分たちの甘い期待や予想を超え、彼らが制御から外れたことに恐怖する三姉妹。

 その影で、蜘蛛が寄生し、蠢動する。

 

 そのように、星々の中で負の輝きを見せる者たちこそが、もっとも早くその頭角を顕していった。

 

 

 

「な、何故……我らがいったい何をした? 貴公らが天よりこの中華を戒めにきた御遣い殿らだとして……何が罪だというのだ?」

「ミツカイがどうのとか知ったことじゃねェが、何が悪いかってのは分かりきったことだ……てめぇらが、弱いことがだよ」

 

 

 交州においては炎を操る異形の剣士率いる集団がそこの豪族()一族を殺害。その領地を奪い、勢力を東西に広げていく。

 だがこれによって、本来中原に集中するはずだった反朝の勢力は図らずも南北に分散させられることとなった。

 

 

 ――だが確実に、歴史は、予期せぬ介入によって本道から外れつつあった。



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公孫賛(一):天地人

 公孫賛、字を伯珪(はくけい)、真名を白蓮(ぱいれん)

 彼女はごく普通に、在地であった幽州で官職に就き、異民族討伐において順当に武勲を重ね、盧植(ろしょく)の下で着実に勉学に励み、順調に昇進してついに太守となった。

 

 大きな失敗もない、比較的穏やかな人生。

 したがって、他人に対しても適当な距離感を保ち、特別烈しい好悪を抱くということもしなかった。

 

 だが、幽州牧の劉虞だけは別だった。

 会った瞬間から、自分の中で今まで覚えなかった烈しい憎悪が生まれた。

 

 生まれ持った知性。なに不自由ない環境で身につけた教養品格、血統。

 自分や、そして学友ら他人が必死に努力して得てきた以上のものを、あの少女はのほほんと持ち合わせていた。

 だが、誰もそのことに異論を唱えない。やれさすがは皇統よ劉氏よと褒めたたえ、本人はそれを表面上は謙遜しつつもまんざらでもない様子でそれを受け入れるのだ。

 治める民は無条件で彼女を信奉し、なんと蝗さえ、彼女の徳を敬って領内を荒らさないというのだ。

 

 そんな馬鹿なと笑うことができたが、自身の治める北平(ほくへい)においてもその声望は自分よりも高い。

 この手の与太を正直に信じて「ここも劉虞様が治めてくだされば」と民が放言したという噂がある。

 

 平時においてもそうした苛立ちが募っていき、ついに限界に達したのが先の対烏丸の論争だった。

 

「お願い、白蓮ちゃん」

 

 許してもいない真名を呼ばわり、飴細工のような髪をさらさらと触れながら、あの女は笑って言った。

 

「みんな、お腹が空いてやったことなんだよ。だから、話し合ってなんとか解決できないかなぁ」

 

(ふざけるな)

 すでにこちらの先遣が何人か殺されている。

 恩徳だがなんだか知らないが、劉虞の地を避けた匪賊に、自分の領地が襲われている。

 

「白蓮ちゃんも悪いんだよ? 白蓮ちゃんが怖い顔してみんなをいじめるから、それでみんな戦うしかないぐらいに追い詰められて」

 

 ――次の瞬間、議席より立ち上がっていた。

 眦を吊り上げ、吐き捨てた。

 

「そんなに助けたければ、助ければ良いだろう!? ただし、お前の命と引き換えにな!」

 

 

 

「――つまり、『ついカッとなってやった。今は後悔している』と?」

 曲がりなりにも一国の治める者が、情操教育の足りない孺子の凶行でもあるまいに、と副官の田豫(でんよ)が透き通った眼で非難していた。

 

「う……仕方がないだろう!? まさか本当に精神を病んで自殺するなんて思わなかったし……おまけにそれで残党が攻めてくるものだから」

「そもそも皇族と……よりにもよって劉虞様と争わんとすること自体が愚の骨頂と申し上げました。そもそも

「わかったわかった! 過ぎたことを言わないでくれっ」

「両人とも、止められい。戦場ですぞ」

 

 白髪を少年のように刈り上げた、目鼻立ちのくっきりした中性的な美少女である。

 利発ではある。劉虞の残兵を吸収し、いきり立つ異民族とは和睦するのが不可能だと見切りをつけるや、内部分裂を煽ることによって疑心暗鬼を起こさせて一兵も派することなく撤退に追い込んだ。

 それらは間違いなく、彼女の功である。

 だがその頭と舌の鋭さゆえに、微妙に公孫賛と噛み合わない。

 

 趙雲のたしなめたとおり、二度目の袁紹の攻勢を跳ね除け、その追撃の最中である。

 河間(かかん)に防衛線を張った袁紹軍に、後はない。本拠の南皮は、すでに背後にある。

 

 自ら陣頭に立ち丘陵に本隊を上らせた公孫賛は、勝勢を駆って逆落としの構え。

 対する袁紹軍は、窪地に陣していたものの、ついにはおのずから軍を動かした。

 

(愚かな)

 

 素直に南皮に籠城し、持久戦に持ち込んでいれば騎兵主体の自分たちには攻めきれずに、かつ黄巾に横腹を突かれることを恐れて退いただろうに。おそらくは肥大化したその自尊心がそれを許さなかったのだろう。

 

 敵軍師田豊(でんほう)の嘆き声が聞こえるようで、敵ながらに同情した。

 

「どうしてくれよう、奏鳴(そうめい)

「二枚看板は殿と(せい)殿で正攻法で突き崩せば、大勢は決しましょう。あとはおそらくその攻勢の裏より田豊が一隊を左翼より回り込ませてくるでしょうから、それは自分が迎えます」

 

おそらくは袁紹は袁紹なりに、次鋒と先鋒を司る顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)らは、彼女なりに思惑や勝算があったのだろう。

 

 すなわち、足場の不確かな場において騎馬は十全にその脚を活かし切れまいと。ゆえに、機先を制し草原に出る前に迎え撃たんと。

 

 だが、彼女の従える白馬義従。多少の悪路などものともせぬ。

 

「待った待ったぁ! ここはこのあたいが……ぐえーっ!」

「あぁ~文ちゃんまたそんな突出して……きゃあああ!?」

 

 またたく間に先鋒を蹂躙し、中央を固めていた袁紹の本隊を衝く。これはさすがに分厚い。安全を期して、というよりもあの高笑い女の虚栄心によるものだろう。

 

(もっと前軍にその兵力を回していれば、それこそ彼女らの思惑どおりに成り得たかもしれないというのに)

 

 やがてその本隊も敗走を始めたが、田豫(奏鳴)の案のごとく、側面に回った一隊が自分たちの後背に回り込まんと田豫の隊に猛攻を仕掛けていた。

 そこで白蓮と趙雲()の隊は反転し、その側部に斬りかかった。

 むろん、その先駆けは星である。

 

 白馬の鞍に立ち、人間離れした跳躍を以て、真名の如く、敵将めがけて流星となって降り落ちて、愛槍龍牙(りゅうが)でもって突きかかる。

 

 鉄音が響く。防がれていた。

 ほう! と感嘆の声を漏らし、防がれた槍穂を引いて星は着地した。

 

「今を防ぐか。……名は」

 

 激戦の中、雑草のごとく乱れた赤髪をばさばさとかき分け、直槍を持った矮躯の少女は名乗りを上げた。

 

李通(りつう)字を文達(ぶんたつ)! 荊州江夏(こうか)の出だけど、今は袁紹殿の元で陣借り武者修行中、ってとこかね?」

 

 星の紅眼に、少し落胆の影が浮かぶ。

 

「なんだ、噂に聞く天の御遣いかと思ったのだが、とんだ見込み違いだったな」

「はっはっは、言ってくれるねぇ……でも、実力は裏切らないと思う、よっ!」

 

 不意打ち気味に李通が突きかかる。

 星はそれを柄でいなす。乾いた音がいくつも立つ。数歩下がりつつ、軽く笑みを浮かべた。

 だが、白蓮の見るところ、この世でもっとも恐ろしい類の笑みであった。

 

「そうか。では()()()()本気を出すか」

 

 李通の顔から勇が消えた。

 本能的に、身を退かせた。彼女のいた辺りを、風の圧が叩いた。

 それは、槍撃の余波である。

 

「そら、もっと速めるぞ」

 

 宣言通り、一合ごとに槍の先端に鋭さと疾さが加えられていく。完全に白蓮にさえ視認できなくなった。

 

「うわっ、ちょっ!? マジで!?」

 一転、李通は防戦一方となった。

 だがそれでも、本気には程遠い。事実として、星は()()()()()()()反復させているに過ぎなかった。

 本来はさらに縦横無尽、柔軟自在の技こそが持ち味であるはずなのに、くり出すのは微妙に角度を変えてだけの直線的な攻めだけである。

 

 最終的に、李通は押し切られる形で吹っ飛んだ。否、槍撃の力を逆用して死線より退いた。

 

「やっぱり強ぇぜ……趙雲殿!」

 

 驚嘆とも歓喜ともとれる調子で唸りながら、李通は武器を構えながら後退。それに合わせて、後背で田豫の反撃を押さえていた部隊もまた、脱兎のごとく逃げ散った。

 

「上手いな。それに退く機の見極めも方法も見事だ。これではどう追ったものか分からぬ」

「隊それ自体が直属の部下なのでしょう。小隊の指揮であれば、顔良殿たちより上かもしれません。元より、全軍の撤退を援護するための突出であったのもありましょうが」

 

 大勢は決した。白蓮の智勇を支える良将二人が、軽い感想戦の後で彼女のほうを向いた。

 

「それで、(ぎょう)まで追撃なさいますか」

「いや……さすがに連戦ともなれば皆疲れ切っているだろう。ここは南皮に留まり、黄巾賊にも備えねばならない。有事の際、(紅蓮)だけでは抑えきれるかどうか」

 

 追うべきだ。奏鳴の目はそう進言していた。

 言わんとしていることは分かる。

 袁紹とて、一個の英雄。

 優勢時の、損害を厭わない大攻勢も恐ろしいが、負けている時は負けている時で、そのしぶとさや諦めの悪さも油断がならない。ゆえに、一度仕掛けたら徹底して叩くべきだと。

 

 だが、田豫はそれ以上何も言わなかった。

 

「……では、私はその賊徒の動向を探ります。よろしいかな、()()()殿」

「……あぁ、頼んだ。()()

 

 劉虞と争う前、黄巾討伐の義兵として加わった星は、ともに命を預ける身柄としてたしかに互いに真名を預けた。

 だが劉虞と争った後、趙雲は公孫賛と一線の距離を引くかのように呼称を戻した。それに引きずられ、後ろめたさもあって、おのれもまた。

 元より、彼女のような素晴らしい美将がいつまでも自分の許にあるとは思っていない。いつか、真の主を見つけ、離れていくだろう。

 

 劉虞を敵とするべきではなかった。それは分かる。だが、死したことに後悔は微塵もない。自分が手をかけずとも、『傷つけるのが嫌だから』と戦場において矢を射ることさえ禁ずるようなお花畑女を、乱世の厳しさが許しておくはずもない。

 

「しかし殿、劉虞様は本当に自殺だったのでしょうか」

 自身の煩悶を見抜くかのように、奏鳴はその話題に触れた。

「あぁ、服毒自殺だったそうだ。奴にしかそうそう許されないだろう、上等の茶に毒を入れてな。遺書も見つかっているし、間違いない。おそらくは末期(まつご)だから、そういう死に方を選んだのだろう」

「……そうですか。…………袁紹が? いや、権威主義の彼女が大義を得るためでも皇族を犠牲と舌策謀に手を染めることなど……ましてや黄巾と二正面作戦を強いられることになるというのに? であれば、いったい誰が……まさか、黄巾のような暴徒に」

 

 問いの後は思索のため、田豫は、奏鳴の意識は内に籠る。

 おそらくはこの田豫もまた、自分から離れていくのだろう。

 何をするにも、このままでは人材が足りなくなる。

 

「……私のもとにも、落ちてこないかな。流れ星」

 

 嘆きを地に落とす彼女に、軍師は言った。

 

「恐れながら殿。地に青色吐息をこぼしてばかりの者に、輝く天星は見つけられないかと」

 

 率直な意見だったのか、あるいはかなり辛辣な皮肉か。

 白蓮はきりきりと胃を痛めていた。

 

 だがその地に嘆く少女の領内に、三筋もの武星がたどり着くのは、それから数日の後のことであった。




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董卓(一):軍師二人と数多の騎将

董卓(とうたく)軍の皆さーん! 残念ながらこの関は通せませーん」

 

 函谷関(かんこくかん)

 黄巾ならびに交州の賊に対策すべく招かれ、ある意志をもって入洛せんとしていた董卓軍は、その古関を前に足止めを食らっていた。

 

 楼の上には華美を極めた琉旗に『袁』の一字。そしてひとりの少女。

 青い髪に均整の取れた顔と身体を白い独特の士官服と帽とで彩り、一見して快活のようでいて、その内は腹の黒い毒物……袁術(えんじゅつ)軍の二番手、張勲(ちょうくん)

 勝ち誇ったように歪んだ口の元に掌をやり、それで声を反響させながら響き渡らせる。

 

「つい先ごろ、朝廷内に密告(タレコミ)がありまして。いわく、中郎将(ちゅうろうしょう)の董卓殿が、近隣の混乱にかこつけて宮中に乗り込み、畏れ多くも陛下ならびに大将軍何進様を逐い代わりに劉協(りゅうきょう)様を傀儡に立てようという大逆を犯そうとしているとか」

「なっ……!」

「そこで我らが主に勅命が下り、貴方がたを捕縛いたしまーす」

 

 露見している。都において行わんとしていた謀略の何もかもが。

 秘中の秘であった。それこそ、率いている西涼騎兵には、率いる将のうち信頼できる一部にしか伝えていないことを。

 

 その侵攻軍の前衛を率いる賈駆(かく)は、この事態に困惑していた。

 董卓の傍らに知恵者ありと謳われた策士、(えい)。それをして、この予想を超える悪夢は、頭の中で処理することが容易ではない。

 

(いったいどこから漏れた!? 国元に置いた砂霧(さむ)が……いや、いくらあのボンヤリでもまさかそんな……一番怪しいのは趙忠(ちょうちゅう)。さては今の立場と特権惜しさに寝返ったか……)

 

「しかーし、美羽さま……袁術さまは寛容でいらっしゃいます。大人しく逆賊董卓さんを引き渡せば皆さんの罪を許すばかりか、配下に加えようと……ん?」

 

 引き続いて高説を垂れていた張勲と、両陣営が固まった。

 董卓軍中より、一個も少女が進み出ていく。

 燃えるような色味の短髪。日に焼けた肌。引き締まった上背に負うは、牙天の方戟。

 

「ふふふ、まさか一番に貴方が来てくれるとは! ……って、え、え」

 

 だが少女は止まらない。

 背より正面に回した戟を大きく一度転回させ、そして門扉に行き着くと、大きく振り抜いた。

 

 斬れた。

 というよりも、割れた。

 兵が数人がかりで開閉するのがやっとという分厚い石扉を、その閂ごとに。

 

 春秋時代より兵家必争の要衝として幾度も古戦場となってきた、函谷関。

 狭隘な道を、堅牢な扉を、数万の軍勢が奪い合ってきた。

 それが今、一個人の腕力によって、強引に拓かれた。

 

 この武こそが(りょ)奉先(ほうせん)

 人中無双の武人、呂布(りょふ)である。

 

「え、ええぇ~」

 

 一転して張勲が気弱げな呆れ声を発したが、戸惑い、嘆きたかったのは詠の方である。

 

「ええい、細かい話とかよく分からん! 皆の者、(れん)殿に続けっ、突撃、突撃だー!」

 

 と華雄(かゆう)が訳も咀嚼しないままに続き、その騎兵が雪崩を打って関内に乱入していった。

 

「ちょっちょっとアンタ達何して……」

「そりゃあまあ行くんじゃないですか」

 

 脇から声をかけたのは、徐栄(じょえい)だ。

 

「だって詠姉さん、『関を通れ』って命令、撤回してないでしょ」

 

 (とうる)の真名のごとく、抜けるような白さを持つ、董卓軍きっての戦術眼の持ち主である。

 

「というわけで、我々も行きましょっか……荀攸(じゅんゆう)

「はぁい」

 

 しかして謀略を忌避する人物であって呂布を制止する側にない。むしろ自身の手腕を芸能の類だと考えているフシがあって、今も新たに組み込んだ幕僚とともにウキウキと後に続いていく。

 

 無駄に戦火を拡大させる危険性さえある、ある意味においては「命ずれば止まる」恋以上に厄介な娘だ。

 

 ――不運属性、ここに極まれり。

 親友の心を悩ませまいと問題児ばかりを自分の麾下に組み込んだわけだがまさか予想外の事態を前にその全員のタガが完全に外れるとは思わなかった。

 結果論だが張遼がいれば、避けられた事態ではあった。

 敵味方の状況は、悩める詠の手腕の許容量を、完全に超えていた。

 

 ~~~

 

 だが、幸いにして……といって良いかは不明だが、ほとんど抵抗らしい抵抗はなかった。

 詠が気を持ち直して入関した時には無人の地が広がるばかりで、袁術軍は早々に撤退していた。高楼にいた張勲も、いつの間にか消えていた。

 

「恋殿の武に恐れをなして逃げたのですっ!」

 

 恋が軍師の陳宮(音々音)が勇ましく主人の武威を誇ったが、詠の見立てとは異なっている。

 

「おっそろしく速い騎兵がいましてね」

 

 徐栄()が楽しそうに言った。言いながら、手提げの首を投げ転がす。

 足下に寄ったそれを見て、ぎゃっと音々音が悲鳴をあげて飛び退き恋の腰にしがみついた。

 

 首を挙げたのは彼女の隊のみである。

 殺到する味方の中、最後尾にいたはずの、この女の。

 

「多分、実際に関内で軍をまとめていたのはその将でしょう。部下はさっさと逃がし、自分らは殿(しんがり)。殺れたのは、張勲配下の取り巻きぐらいですよ」

「それ……どんな奴?」

「一方は私と同じで白い男です。白い髪、鬚。率いているのは少数精鋭の赤い騎兵。もう一方が多分本隊を指揮してました。こっちも相当にやる騎将ですけど、姿は見てません。恋姉さん、見ました?」

「知らない」

 

 恋は、戦が終わると、童女のようなあどけない表情となってぼんやりとしている。本陣に預けてきた獣たちにでも想いを馳せているのだろうか。

 

「羽虫の顔なんて、いちいち覚えてない」

 

 そして、この一言のみ。

 これは悪意あって敵を蔑んでいるわけではない。

 自分の心に触れた者以外のすべてが、彼女の暴威を前にしてみれば矮小な虫ケラも同然なのだから。

 

(ともあれ、例の『御遣い』ってやつらか……)

 

 詠は緑に波打つ髪をかき上げ、息を重く吐き落とす。

 いったい何を考えて袁術如きに身を寄せているかはともかくとして、自領内の探索は急がせねばならない。見つけたとしてそいつらが使い物になるかは分からないが、これ以上の不安要素は可能な限り取り除かなければならない。

 

「それで、どうしますか? 予定通りに洛陽入りを?」

「……まだ袁術軍と事を構えただけよ。しばらくは様子見。函谷関の防衛にも固執せず、とりあえず長安に退く。出立しかけてる(ゆえ)にも早馬を飛ばして止めて。ねね、洛陽にも探りを入れて。状況次第でまだ、()()()()()()()()()という言い訳も立てられる」

「いや、どう考えても無理じゃないですか」

「無理とか言わないっ!」

 

 かくして中原の勢力図は安定の兆しを見せないまま、いかな賢者、群雄であっても誰ひとりとして実情を掴めないままに、さらなる混迷へと落ちていく。




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黄巾(一・終):蝶ひらり(前)

「あ~、これはちとまずい」

 

 南皮にて瞬く間に軍容を整えた公孫賛が北平に留め置いた公孫越(こうそんえつ)の軍と挟撃に出て来た。

 その報を受けた黄巾党の影の支配者は、さほど感情の乗らぬ声で嘆いた。

 義勇軍の加入が、その速攻を可能にしていた。

 

 対する黄巾党は思いのほか勢力が拡大できなかった。

 これは南部で別の旗頭が立ったがゆえであったが、彼の諜報の網は慣れぬ土地にてまだそこまで張られてはいなかった。

 

 彼としてはその星巡りに相応しくもっと大輪の火華を咲かせる腹積もりであったから、その落胆も手伝って彼のやる気は底まで落ちていた。

 そもそも、張角一党はただの大道芸人一行。宗教団体というかはその取り巻きに外側から不平分子が実態もよく理解し得ぬままにすり寄っているという様相で、舞台の上での張角の迂闊な発言によって馬元義が洛陽で暴走し、結果不十分で挙兵せざるを得なくなった。

 

「それでもやれることやったと思うぞ我輩」

 

 とは、その三姉妹付きの演出家兼黄巾の総参謀の弁。

 

「大体、信仰など我輩の趣味ではないのだ。あんなものは適当に付き合って戦を止める時の口実にでも利用すれば良いのだ。于禁(うきん)めの教導とやらも品がなくて好かん。そもそも、熱中する対象が二つに割れてしまっておるのだから、統制が取れるわけがなかろうが」

 

 そう愚痴をこぼす彼に従う少女あり。

 この世界には珍しい黒々とした髪を巻き取り、紺一色の装束に身をまとう。忍び装束を思わせるが、であれば赤い首巻はかえって隠密の障りとなろうに。

 

「いやぁ、そんなことを影奈(えいな)に言われましてもねぇ」

 苛立つような間延びした語尾で当惑を示すのみだ。

 

「というわけで、我輩はあんな気持ち悪い連中とはおさらばよ。……胡車児(こしゃじ)よ、お主はどうする?」

「んー? 拾われた恩がありますので、せめて撤退まではお付き合いしますよ」

 

 男の策に従い、両陣を挟む森林地帯に敵を誘い込み、そこに于禁率いる伏兵を忍ばせ、叩くことに成功。

 果たして案のごとく、公孫賛本隊の足止めに成功。趙雲の隊を一時後退にまで追い込み、半包囲。一時期は優勢を手にしていた。

 

 ――が、そこで誤算が生じた。

 遅れて戦場に到達した公孫越隊。その麾下にあったのが、義勇兵だった。

 

「御恩に報いて公孫賛殿にお味方いたす! 者ども、我に続けっ!」

 緋縅の具足に身を包んだ、よく通る声でもって叱咤し、まるで悪路の踏破などお手のものと木々を突っ切り于禁の隊を突き破る。

 身の丈八尺はあろうかという巨漢の武僧がその傍らにあって、割れるような剛声とともに大薙刀を振るって樹も敵も伐採していき、主の路を切り拓く。

 

(まぁ、こうも正体が分かりやすいのもおらんが、しかし……アレは、何だ?)

 

 そして次鋒を司るのが、黒い羽織をまとった長の率いる歩兵隊。

 これも死地や暗闘に異様に慣れた精強な部隊で、さらに誤算だったのは彼らが銃砲を持っていたことであった。

 森を突っ切り、視界が開けたと見るや、遠間からそれを構え、一気に撃ち放つ。

 男の生きた時代のそれとは、比較にならぬ距離である。

 

 そうなると、所詮は烏合の衆である。

 信奉すべき張三姉妹が早々に戦場を離脱した――というより男が事前に黄河流域にまで避難させていたのだが――こともあって、結束が弱い。

 組頭に立てた三人の賊徒に当然粘りある防戦など期待できようもなく、あっけなく敗走していた。

 

 その傷口から一気に前線が押し込まれた。

「このグズどもー! ケツまくって見せるヤツはタマ蹴り上げ……ってきゃあああっ!?」

 于禁は敗走。

 ついには崩壊に至る。

 

「蔦紋に蜘蛛柄の陣羽織、そしてこここに至るまでの悪辣な罠の数々」

 

 黒衣の男が、いち早くに男の眼前に至った。

「……ふん、露骨すぎてこうも正体が分かりやすい敵将もないな」

 石目塗の朱鞘より刀を抜き放って騎馬武者郎党に向けたものと同様の感想を口にし、そして役者のごとき涼やかな流し目に皮肉げな笑みを作ってみせる。

 

「この乱、そして先の劉虞殺害の糸を引いていたのは貴様だな、松永(まつなが)弾正(だんじょう)久秀(ひさひで)

「いかにもっ! 我輩こそが世紀の大悪党、松永久秀であるっ! 信長を道連れに爆死せんとしたのだが、気がつけばこんな妙ちきりんな世よ! 何なら平蜘蛛見るか? 蓋はぶっ飛んだが」

 

 両腕を大仰に掲げ、しがわれた声で高笑い。

 目の前に在るのは戦国の蟲毒そのもの。だがかえって毒気を抜かれたかのごとく、自分の知らぬ傾奇衣装の『武士』は、ため息をついた。

 

「要らん。……ったく、どこまでもふざけた野郎だ。貴様を斬って、鍋代わりにでも使ってやるよ」

「それではお道化ついでに……これでも食らえいッ」

 

 袂より引き抜いた筒のごときそれを、端正な顔目がけ投げつける。

 驚く男の目に、それが……手投げの爆弾が映り込む。

 剣士の性か。思わず、と言った様子で刀を翻し、両断する。

 

 だが、入っていたのは導線でも火薬でもなく、砂。

 袂で顔を覆う男に向けて、

 

「馬鹿めっ! 貴重な火薬をこのような場で使う訳がなかろうっ!? では、さらばだ!」

 

 ……などと、再び悪の勝利と高笑い。

 久秀は敗兵に紛れて姿をくらました。

 

 ~~~

 

 とは言え、水鳥の如く、余裕ぶる久秀は自身が生き残るため、全身全霊で足を速めていた。老境に差し掛かった身には、堪える逃避行であった。

 

「久秀さーん! こっちこっち!」

 張角を名乗る少女の呼び声に従って、待たせていた岸にたどり着く。

 偽装のために空船を数隻用意して放流し、自身らが乗るのはそのうちでもっとも目立たぬ小舟の選んで乗る。

 

 へぇ、ひぃとへばりつつ息を整えている久秀に、

 

「良かったぁ、沙和ちゃんも帰ってこなくて、せめて久秀さんだけでも無事で……」

 

 と手を握り合わせて張角は目を潤ませる。

 きっと信者がそうされたら昇天せんがごとくに喜ぶだろうが、満身創痍の久秀としてはその柔らかな感触どころではない。

 

「ごめんね、お姉ちゃんたちのために色々と舞台の演出とか考えてくれたのにこんなことに巻きこんじゃって」

(誰が姉だ、誰が。クソマジメでつまらん弟といつまで経っても独り立ちできん息子しかおらんわ)

 

 言いたくなった久秀だったが、まだ軽く動悸が鳴りやまぬ。

 それに舞台作りに協力したこととて、何も奉仕精神からではない。彼の数寄者、教養人としての一面。その美意識が、座視して観客に回ることを許さなかったからだ。

 そして今行動を共にしているのは、まだその扇動能力や人心掌握の能力には天下を乱す価値があるゆえ。いざとなれば、賊の首魁として朝廷に売り渡せばよいという野心と打算からだ。

 

 その傍らで、膝を抱えて張宝(ちょうほう)張梁(ちょうりょう)が震えている。

 

「っていかこれ、ちぃ達もまずい状況じゃん……人の心配してる場合じゃないじゃん」

「だいじょうぶよ、ちぃ姉さん……河の底にもきっと私たちの舞台はあるから」

「ええい、縁起でもないこと言うでないわっ! 壇ノ浦かッ」

 

 そんなことを言われたらそれこそあの鎌倉武者が八艘跳びしてくるではないか。

 と激したところで後漢の人間に通じるはずもあるまい。

 思わずいきり立った久秀をキョトンと見上げる三姉妹。そんな彼女たちに、握った拳を突き上げて力説する。

 

「悪党たるもの、最後まで諦めてはいかん! 生き延びて生き延びて生き延びて、しぶとく生き延びてその果てに運命を掴むのだ!」

「私たち悪人じゃないよ~」

「……いやでも、お尋ね者の大罪人……」

「ていうかオジサン、生き延びきれなかったからこの世界に来たんじゃん」

 

 そしてものの見事に総透かしを食らった。

 これが年齢差による熱意の違いというものか。ちょっと感傷に浸る久秀の耳に、

 

「見つけたぞっ! 悪漢松永久秀っ!」

 

 と、勇ましい女声が響き渡った。

 声がし、孤影が差したのは頭上であった。

 河下りをする松永たちの頭上。太陽を逆行とし、白い衣服の下よりすらりとした脚を伸ばして屹立する。

 

「すでにかの御遣い殿が探りを入れ、かつ教えてくれた! 貴様がしたことはすでにして明白! 天地が許しても、この我が槍が許さぬ!」

「ええい、何奴!?」

「悪党に聞かす名などないっ!」

 

 鋭く、かつどこか楽しそうに誰何の声をあげる久秀に向け、どこか、というかつい先ごろまで戦場で見覚えがある少女は言った。

 

「正義の花を咲かせるために、美々しき蝶が悪を討つ! 華蝶仮面……ここに参上!!」

 

 顔の上半分に、蝶をほどこした仮面が、陽光に閃いた。

 

「…………って名乗っておるではないかっ」

 

 いくらかの間を置いて、久秀は突っ込みを入れた。




7


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黄巾(一・終):蝶ひらり(後)

「はっ!」

 

 裂帛の気合いとともに華蝶仮面は跳躍。

 ともすれば船そのものが保つのがやっとという急流の中、跳躍するや高速で移動する船上に降り立つ。

 

 水面を打って大きく船体が跳ね上がる。抱き合う三姉妹の身柄が軽く浮き上がり、爾来歌唄いに特化した喉より悲鳴が絞られる。

 

「ほう、てっきり別の船に乗り移るかと思いきや、部下を見捨てて戦場より脱けた男にしては意外に勇猛なことよ」

「抜かせっ、我輩の逃げる時は我輩が選ぶ! 我輩の運命は我輩が決めるっ!」

 

 強く嘯く。

 無論、打算あってのことだ。限られて不安定な足場。質もいる。よって仮面の勇士の長柄物は、かえって不利というものだ。

 

「面白い男だ。……悪党とは言え、いや悪党なればこそ、その肝の据わりは嫌いではない。多少見通しは甘くはあるが、そこもまた愛嬌と言ったところか。退治のしがいがある」

 

 華蝶仮面は槍を短く持ち直す。

 そして一文字を切って突いた。ただ一歩も動かず、長短自在、伸縮自在。久秀が奴にとっての死地皆した空間を、穂先が自由に泳ぎ回る。

 

「ぬ、ぐ……!」

 

 久秀は背に回していた自身の武器を展開させて防いだ。

 異様なほどに湾曲した、短尺の鎌刃。それを旋回させて火花を散らすも防戦一方にして反撃の猶予はなし。

 とりわけ強烈な刺突が、久秀の体を崩す。そこで華蝶仮面は一歩踏み出し、我が身を懸命に押し留めた久秀に肉薄する。

 

「何故劉虞様を暗殺した? そして……何故公孫賛殿にその罪を擦りつけた?」

 そのうえで、その武技同様に静かに鋭く問う。

「罪を、擦りつけただと?」

 笑止千万、と久秀は押されながらも鼻を鳴らす。

 

「我輩はただ奴がいずれ為すであろうことを代行してやったに過ぎん」

「戯言を」

「この諍い以前にも、公孫賛は劉虞から兵や物資を奪っておったではないか。あの二人は、いずれにせよ殺し合う運命にあったのよ。もし真に無実であれば、声高にそれを主張したではないか? それをせぬのは、後ろめたい感情があるゆえではないのか? んん?」

 

 粘着質に問い返す。

 だが、蝶面の女は、なお刃圧を緩めない。

 

「……そういう人なのだ。自分の感情を偽れぬ、弱さに嘘がつけない」

「だからこそ奴は人主たる器量などない。天下を差配し、静謐をもらたせる者ではない。貴様もそう感じたればこそ距離を取ったのであろう? 趙……いや蝶面冠者」

 

 彼女の本名をちらつかせ動揺を誘う。そのうえで自身は渾身の力を出し切ってその武威に抗いつつ、

 

「胡車ー児!」

 

 と、この世界で得た己の部下の名を呼ばわる。

 次の瞬間、何知らぬ素振りで櫂を操っていた水夫が、その身を切り返した。

 深編みの傘を水面に放り黒髪を晒し、懐中より抜き放った数口の短刀を華蝶の面へと投げつける。

 無論その程度の奇襲で揺らぐ程度の武人ではなく、翻った銀穂が一閃のみでもってそれらを

 

「おぉ、なんだお主そんなところにおったのか?」

「そりゃまぁさっきお付き合いするって言ったじゃないですかぁ。……あれ? じゃあ今までどこにいると思ってたんですか」

「なーに、怪力速足ということであれば、周倉(しゅうそう)よろしく泳ぎも達者ではないかと思っておってな。泳いで参ってくるのではと。というかお主ら、特徴かぶってない?」

「誰ですかそれ。……まぁ、お望みならそうしますというかそれしかないんで我慢してくださーい」

 

 言うが早いか、胡車児は久秀の細い腰をかっさらうようにして抱え込み、そして自身ごと川の中へと傾けていく。

 

「では諸君、また会おう!」

 

 悪漢一笑。

 久秀と胡車児は、急流のしぶきの中へと飛び込んで、姿を消した。

 

「……確かに、これで死ぬような男ではないだろうな」

 華蝶仮面は柄に刺さった短刀を引き抜き、嘆息する。跳ね上がってかかった雫をぬぐうことなく、彼らの痕跡を探るも、もはや追うことは能わなかった。

 

 とりあえず彼女の急務は、取り残された名も知れぬ娘たちを安全な岸にたどり着かせるべく、櫂を取った。

 

 ~~~

 

 せき込みながら、胡車児影奈は主人の身柄を引きずり、水場から脱して息を整えた。

 だが、主人の方はどうか。

「おーい」

 頬を叩いて反応を確かめるも、ただでさえ白い顔から血色を喪って動く気配がない。

 

 元より黄河はその急流がために知られた天下随一の水の難所である。

 その濁流に呑まれては常人なれば無事では済まず、過去幾度となくその暴を鎮めるべく生贄が河神に捧げられたが効果なし。

 

「いや、ぶっちゃけお前らが直訴すればよくね?」

 と正論とともに祭主や役人がお偉いさんにブン投げられたがついぞ帰ってこなかった、という逸話は無学な影奈にも伝わっている。

 

「……死亡確認」

 もはや、その命は断たれたと判断してよかろう。

 そこで彼のために影奈は悲しみ、久秀が腕を胸の前に合わせてやった。

 そして願わくば彼の三魂七魄――いや十魄ぐらいかもしれないが――せめて来世では善良であらんことを。

 

 

 

【松永久秀……戦死】

 

 

 

「脈ぐらい取らんかぁっ!」

 そこで久秀が目覚めた。

「なぁんだ、生きてたじゃないですかー」

 頭突き気味に跳ね上がった久秀の額を巧みに避け、影奈は言った。

 

「それで、これからどうするんです松永殿? 結局天保(てんぽう)様たちとはぐれちゃって」

 久秀以外の人間はまず愛用しないである独特の衣服を絞り、答えて曰く、

「さてどうしたものかよ……公孫賛に降って三好よろしく内より蚕食するも良し。袁紹に身を寄せるも良し……むっふふう、すべては我輩の胸三寸よ」

「はぁ……よーするに、無計画の行き当たりばったりってことですか」

 

 

 

 ――かくして、黄巾の乱は史実よりも小規模かつ穏当となりながらも、戦乱の口火となり、そして真っ先に消えていった。

 

 当初の目的が果たされたことにより、また劉備たち義勇軍が周辺を保護して自衛自立と中立の構えを取ったことにより、公孫賛と袁紹は互いに集中することが可能となり、河北は一応の安定期を迎えることとなった。

 

 

 

【黄巾党……滅亡】



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厳白虎(一・終):震える虎

 遠くから、雷鳴にも似た破裂音が聞こえる。

 

「ひぃっ!?」

 

 思わず厳白虎(げんはくこ)、真名を牙児(がじ)は思わず布団から飛び起きた。

 その意志に感応して、虎の毛皮で造った帽子の耳飾りがビクビクと痙攣する。

 連日、夜ごとにあの音と投石がくり返される。

 

(いったい、どうしてこうなった!?)

 たしかに、戦端を開いたのは自分たちからだった。

 堕落した中央から派遣された劉耀(りゅうよう)は内治の才には長けるが大の戦嫌いとして知られており、代わりに軍権を委ねられた大将張英(ちょうえい)は負けん気こそ強いものの実力の伴わない凡愚であった。

 

 これが、江東統一の絶好の機となると思った。

 奴を共通の敵とすることで先に赴任していた会稽の同志、王朗(おうろう)、そして山越(さんえつ)よおび諸豪族を取り込み、自身が東呉の徳王として君臨する。

 

 楽に勝てるはずだった。中途まではそのはずだった。精強な山越兵を前にしては張英ごときなど物の数ではなく、曲阿(きょくあ)まで追い込んだ。

 

 だが、そこで冷遇されていた太史慈(たいしじ)が動く。

 不遇をかこち、日夜城壁の上で弓術の修練で無聊をなぐさめていたはずの彼女。

 その姿に目が慣れて、こちらが完全に油断していた隙を突いて城の包囲を突破。

 てっきり落城を悟って逃げたのかと思いきや、新たに将を抱え込んで戻ってきた。

 

 中原から賊同然となって難を逃れてきていた楊奉(ようほう)

 これは生真面目なだけで柔軟性に欠いたが、その配下であったまだ年若い斧遣いが優れた武勇と用兵を発揮。

 他がそれよりもさらに厄介な存在であった。

 

 所謂、天の御遣い。

 あろうことか劉耀の厭戦と諦観はここに極まり、さっと彼らに指揮権を投げてしまった。

 

 城外に取り残された劉耀軍の残党。その寄せ集めの先陣を切ったのは太史慈……ではなかった。

 黒い甲冑をまとった馬上の男。投石に、それよりもはるか後方より筒から小玉を発する奇妙な兵器で牽制しこちらの意気を崩し、「えい」「おう」という奇妙な掛け声とともに上下される長槍の衾がこちらの前衛の調子を崩す。その機を見計らい、その武将は裂帛の気合いとともに馬腹をけって疾駆し、槍をこちらの陣に突き入れてくる。

 その暴れぶり、形相はまさしく鬼神のごとし。

 

 次鋒に徐晃(じょこう)なるその斧遣いと、太史慈、そして坊主頭の剣士が勇猛を奮うとたちまち包囲軍は崩された。

 

 赤髪の優男が後軍より総兵力をまとめ上げる。

 遊兵も作らず、補給路を確保。情報を統制。

 奇をてらうことこそないが、張英楊奉のごとき凡百のそれではない。

 一切の遺漏なく軍を推し進め、慣れた地の利を生かしたこちらの伏兵もことごとく看破され、したたかな逆撃をこうむった。

 

 しかも悪辣なのは包囲の一角をあえて開けて活路を示すのだ。これによって連戦と敗戦の果てに山越はさっさと白虎に見切りをつけて逃散してしまった。そのうえで楊奉の遊撃部隊が建安(けんあん)を占拠、彼らとの外交的軍事的通路が遮断されてしまった。

 

 形勢は一月もしないうちに逆転してしまった。

 本拠、石城山(せきじょうざん)砦を取り囲まれてしまった。そして連日連夜の、この恫喝である。

 

「な、なんだ……なんなのだあの連中は!? 奴ら、自分たちの世界でどれだけの戦を……」

「姉貴っ!」

「ひぃっ!?」

 

 寝所に弟の厳輿(げんよ)が躍り込んできて、敏感になっていた彼女の耳目を驚かせた。

 未だ童女のごとき背丈しかない彼女に比して、すらりとした長身を保つ男である。

 普段はふてぶてしい顔つきだが、今となってはすっかり気が滅入っているようで、目元には疲れと弱気が露わになっていた。

 

「も、もうだめだ……城壁と正門の連中がとうとう根負けして降伏しちまった。王朗殿も消えちまった!」

「なっなんだとっ」

「こうなった以上、オレらも投降して」

「ええい、今更投降して奴らが許してくれると思うのか!?」

「じゃあ、どうすんだよ!?」

 

 強く意見を求められたが、もはや厳白虎に王者としての威信はない。そも、元よりその資質がない。

 智恵をなんとか奮い、半ば無理やりに活路を見出す。

 

「そうだ……南海(なんかい)においても近頃天の御遣い殿が国を興したらしい。そこへ落ち延びて再起を図らんっ!」

「お、おぉ! さすが姉貴だぜっ」

 

 そうとなれば善は急げ。

 手近な金品をかっさらって寝室を出んとした、その矢先であった。

 

 急いだはずの善は、すでに乗り込んでいた敵の首領に捕捉されていた。

 部屋を曲がって裏門に続く廊下の角を曲がると、そこには敵総大将の姿があった。

 彼は華はないが十分に端正な顔立ちで微笑み、そして対等の相手であるかのように彼らに提案した。

 

「厳白虎陛下と厳與殿下ですね……どうか城をお出になる前に、話を聞いてはいただけないでしょうか」

「……ハイ」

「……ハイ」

 

 優美に微笑みを浮かべ、あくまで物腰柔らかな赤毛の大将を前にして、厳姉弟は自分たちの心の柱が折れる音を聞いた。

 

 

 

【厳白虎……滅亡】



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劉耀(一):che cosa è amor

「略奪の禁止を徹底してください。もし破るようなことがあれば、揚州牧劉耀様の名代として、この場にて厳罰に処すと」

 

 戦勝の宴に沸く劉耀軍において、御遣いたち三人は最低限の事後処理を終えてからあらためて自分たちに用意された席に着いた。

 ほぼ損害らしい損害もなく手に入れた城砦。それを肴としての、序列門地出自関係なし・夜天野陣の無礼講であった。

 

「一族郎党の城外退去のみで本人たちはお咎めなしとはな」

「劉耀様ならびに総大将殿のお許しは得てあります」

 

 頭を丸めた剣客がは、胡乱気な目つきでこの事実上の『総大将』を見返していた。

 

「理由は二つ。一つは、敵将の厳白虎は山越や揚州の諸豪族にも顔が利き、また人望も失ってはいません。処断すれば、次は我が身と彼らはまた別の大将を頂いて反旗を翻しましょう。しかし厳白虎殿は今回の一件で我らの強さを見たはず。彼女が生きている限りは諸豪族は彼女の存在を無視できず、また彼女としては我々を警戒して牙を剥く気はないという均衡が生まれます」

 

「もう一つは?」

「それに関することではあるのですが、厳白虎を討たない以上、明確な戦の幕引きが必要でしょう。我らは正式な手続きを踏み、敵味方双方の合意のうえにこの地を手に入れました。この事を知れば逃散した民も戻り、揚州の国力は早期に回復できます」

「…………本当に、それだけか?」

「甘いと、お思いですか? 吉兆(きっちょう)党首」

「まぁな」

 

 いずこかでも部下に向けた問い。それに対し忌憚なく新たな同輩は頷いた。

 互いに、一口も酒を運んでおらず、盃を手にしているのは残る一人のみである。

 

「ま、良いではないか」

 

 甲を脱ぎ、月代(ツキサヤ)といったか。前髪から頭頂までそり上げた奇妙な髪型をしたその武人は、酒気もあってか少し笑いながら言った。戦陣における鬼のごとき活躍が嘘のような、愛嬌のある笑みであった。

 

「戦と言うのはやめ時が肝要よ。そして何よりも難しい。それを間違えなかったあんたを、おれは偉いと思う」

 

 坊主頭の剣士……吉兆にもそれについて色々と思うことがあるのだろう。

 鋭い目元のまま、だが沈痛な面持ちで手酌で濁酒を呑み始める。

 

 

 

「で・も!」

 

 

 

 太史慈(梨晏)がその三人の男の席に、酌片手に割り込んできた。

 相当の酒量を干しているらしく、するりと滑り込ませた褐色の肌に、その匂いが染み付いている。

 

「お兄さんの采配でちょっーと戴けないことがあるんだよねー。ね、言っても良いかなー?」

「それは申し訳ありません。今後の反省点として、是非お聞かせいただきたいと思います」

 

 あくまで物腰は柔らかく、紳士的に。

 たとえ遠く時間軸と文明のかけ離れた者とはいえ、決して敬意を忘れず一個の人間として、男は接した。

 

「じゃあ遠慮なく。……なーんで、私が先陣じゃなかったの?」

梨妟(りあん)将軍は、この討伐軍の総大将。私は、一時的にその采をお預かりしただけに過ぎません。それゆえ御身に万一のことがあれば、この寄せ集めの軍は瓦解してしまいますので」

「……万一(それ)が、この私にあるのかな?」

 

 緑のかかる酔眼が問う。揚州屈指の弓取り、天下に名だたる猛者としての矜持を確かに保持したままに。

 

「……先手(さきて)とは」

 そこで杯を手にしたまま、月代の武将が助け舟を出した。

 

「ただ勇猛であるのみでは足りん。総軍の進退を判断し、敵の士気を挫き、逆に味方の士気を高く保ち、帷幄に敵情を正確に報せる。特に、こういう長陣においてはなおのこと先陣の動きが戦局全体を左右する。おれは主家に在っては常に先手の大将を務めておっていささかの自負がある。よって御仁に無理を言って任せてもらったのよ」

「でも、私じゃないにしても、香風(しゃんふー)もなかなか良い将器(モノ)持ってると思うけどなー」

「ん」

 

 いつの間にか赤毛の大将の横に徐晃が収まっている。その彼女のために、スペースを確保してやる。

 元より表情に乏しい少女ではあるが、彼女も彼女なりに人事に多少の不満が残ったらしい。

 

「香風騎都尉(きとい)は、楊奉将軍よりお預かりした大事なお客人ですから」

「ふーん」

「……ふーん」

 

 梨妟は口を尖らせ、不承知という体。香風も似たような眉の角度をしている。

 残る御遣いは双方ともになんとなくそれに察しがついているらしい。それがゆえの、先の助け舟だったのだろう。

 

(このお二人では、詭弁も通じそうにないな)

 観念した男は、

「私の時代(せかい)では」

 と切り出した。

 

「少なくとも私の属していた国家においては女性が戦場に立つということがまずなかったのです」

「だから、私たちを戦場に立たせることに抵抗があるって?」

「はい」

 

 敵としていたもう一方の国家においてはパイロットや陸戦部隊、あるいは幕僚として任官しているとは承知しているが、それでもやはり体力が物を言うのだから基本は男性社会である。

 

「おう、それよ。この国に来てもっとも戸惑ったのはな」

 たしか武士、だったか。

 彼の生きた時代においては超古代と言って良いほどの時代、極東の島国。そこをかつて一時的に席巻したという職業軍人の一人が、苦り切った様子で酒をすする。

 

「後漢三国の英雄を冠した見目麗しき女性たちが、先陣を争って男顔負けの武勇を競う。生き返ったことも相まって、いよいよ頭がどうにかなったのかと思ったぞ。……ま、おれの場合、妙なことに出くわすのはこれが初めてではないがな」

「うーん、まずそこが私らには理解できないとこなんだけどなー。まぁ敵にいた許貢(きょこう)とか厳白虎の弟とかも男の武将だけどさ、そんなのめったにいない訳で」

 梨妟が首をひねりながら言った。

 

「みんなの生きてたとこでは違うの?」

 

 問いが向けられた異界の戦士たちは、互いに顔を見合わせた。

 生まれた時も場所も違う。だが、彼らは一様にうなずいた。

 

「ただそれでもやはり、自由闊達な女性というのはいましたが」

「俺の時代も、渡ったどこの国も、荒事は男の仕事だ。が、それでも剣を取る女はいた。俺の身近にな。いや、俺がそうさせてしまった。いつも、あいつには自分を犠牲にさせてしまった。俺のワガママに付き合わせてしまった」

「……困ったじゃじゃ馬殿はおったがな。それでもそのような戦装束で敵陣を舞うことなどなかったわ」

 

 大同小異。おそらくそれぞれ異端たる女性に行き着き、最後に武士が締めくくった。

 

「これ? そんな駄目かな?」

 梨妟はともすれば肌よりも面積の少ない服をつまみ上げて小首をかしげた。

「もっとちゃんとしたカッコの人はいる。梨妟のは極めつき……痴女」

「いや、お主の格好も大概だぞ……」

 

 年恰好に見合ったものではない過激な戦装束を、東洋の武人は弱ったようで視界より外し、咳払いした。

 

「ただ」

 と香風は付け加える

 

「肌を晒すと神が宿る」

「それに、絶対に肌に傷をつけられない。捕まって辱めを受けないって自負の表われでもあるんだよね」

「はぁ……なるほど、要するにはねっ返りの傾奇者と似たようなものか」

 

 そういう武士は視線を彷徨わせている。極力、視界に少女らの姿が映らないように。目元が赤いのは酔いのせいのみではあるまい。

 その様子を見てハタと思いついたように、梨晏は言った。

 

「あー分かった! 妙にみんなよそよそしいと思ったら、さては女を知らないんだ!」

 

 武士は、口に含んだ酒をブヘッと吐き出した。思い切り肴にかかり、そこに箸をつけようとしていた吉兆が物言わぬまま眉間にシワを寄せる。

 

「あ……阿呆ゥ! いくら酒の席とはいえ少しは憚れ!」

 と、頭頂の剃り際まで真っ赤にして、声を上ずらせる。歳からして三十そこそこ。さすがに完全に純潔ということはまさかなかろうが、免疫がないタイプなのだろう。だが、打てば響くその反応は酔い乙女には絶好の酒肴である。ますますにして悪戯っぽい笑みを深めていく。

 

「あー、妙に慌てるとこがなんか怪しいんだぁ……お兄さんは、ははぁーん。ほんとはもっとモテそうだし、誰かに操を立ててると見たね!」

「……どうして、そう思いました?」

 

 流れ弾に当たってそう問い返す声は、平静を取り繕いながらもどこか

 

「んー、女の勘って奴? 吉兆さんは……あ、ひょっとしてさっき言ってた一緒に戦ってた女の人が恋人とか?」

「まぁな」

 

 吉兆は否定はしない。すでに想い人と添い遂げた確たる揺るぎのない余裕が、そこにはあった。月を眺め星に望み、空を見上げて杯を干す。

 

「――そして、俺の盾となって死んだ。俺の甘さが、あいつを戦いに駆り立て、そして殺した」

 

 シンと場が静まり返った。

 皆、あらためて思い至ったのだ。

 ここにたどり着いた放流者たちは皆、何かをそれぞれの世界において取りこぼし、そして行き着いたのだと。

 

「あ、アハハ……なんか、ごめんね」

 自分の失言のみではない。その事実を悟ったがゆえに、太史慈は罪悪感に醒めた。

「別に気にすることはない。すべては俺が招いたことだからな」

 

 そう言って吉兆は何杯目かの杯に飲みかかった。

 

「そういうお前はどうなんだ?」

「へ? 私?」

「そうおちょくってるからには、太史将軍はさぞや豊富な手練手管をお持ちと見える」

「え、えと……も、もっちろん! あれなんかやこれなんかは、それこそ蓬莱にも登らん心地? とかなんとか?」

 

 露骨に目が泳ぎ始めた。反応の程度としては、からかった相手とまるで大差がないではないか。

 

「あ、あはは……ちょっと夜風に当たってくるっ!」

 

 言うが早いか退席とともに全力疾走。

 吉兆以外の男たちもまた、ほっと安堵の息を漏らした。

 

「……たしかに、先陣も無事に務められただろうな。何しろ、退き際の思い切りが良い」

 シニカルな笑いとともに、吉兆はその場を締めくくった。

 

「やれやれ、これで少しはあの娘も深酒に凝りてくれると良いのだが」

「……ともあれ、感謝いたします。吉兆党首」

「感謝してるのなら、その『党首』はやめてくれ。俺はもはやただの一介の敗残兵に過ぎん。そしてそんな俺たちを率いているのは、他ならぬアンタだ」

 

 

 

 ――ジークフリード・キルヒアイス提督

 

 

 

 あらためて己のフルネームを呼ばれた赤毛の大将……元銀河帝国軍上級大将ジークフリード・キルヒアイスは、曖昧に笑った。

 艦隊戦ではなくあくまで人の意思と武術との衝突であろうとも、それなりに兵を動かせるという手ごたえは、実際に指揮してみて感じていた。

 

 が、自分の性質はあくまで守成と調和と補佐であることを彼自身はよく知っていた。

 そんな自分が、異能の集団を束ねて頂点に立ち、先導することが能うのか。その点に対しては彼自身が懐疑の念を抱いていた。

 

「まぁそう深く考えるな。あくまで形でのことよ。それぞれがそれぞれの領分で、縁あって出逢ったこの娘らを守り立てる。その程度で当座は良かろう」

 

 そう言って武士は立ち上がった。

 酔いが多少は引いたのか、しっかりとした足取りで座を抜け、頭を船のごとく前後に漕ぎ、すでに就寝寸前の香風を背に負う。

 

「あぁ、それは私が」

「なに、構わん。ゆえあって、子どもの扱いには慣れておるのでな」

 

 そう言って劉耀庇護下の天の御遣いにおける、年齢としても時代として最たる古強者、井尻(いじり)又兵衛(またべえ)由俊(よしとし)ははにかむように微笑んだ。

 

 ~~~

 

 かくして喧噪の中を抜け出し、砦に戻る道中。

 異境の草を踏み分けながら、天地以上に住んだ時代の隔たりのある両名は奇縁をもって並び歩く。

 

「見送りまですまんな。そこもと、一滴も呑めておらなんだろう」

「いえ、お気になさらず」

「ひょっとして下戸か?」

「いえ、ワインや黒ビールなどをたしなみはしますが……一応の責務として誰かが素面であらねばと」

 

 と言ったところで、別の時代の酒のことなど分かるかどうか。

 

「あぁ、びーるは良いな。ありゃ気に入った」

 

 苦笑していたキルヒアイスは、その予想を超えた答えに少なからず衝撃を覚えた。

 あまり込み入った歴史の造詣に深いわけではない。が、当時はポピュラーではない、明確に言語圏の違う酒のことなど、何故……?

 

「意外か?」

 

 思わず足を止めてしまったキルヒアイスに向け、又兵衛は背負った香風越しに振り向いた。

 

「まぁ先にチラリと触れたとおり、奇妙な体験は別にこれが初めてではなくてな……もっとも、以前はあちらが先の世から来たわけだが」

「……つまり、貴方の時代にタイムトラベラーが来たと?」

 

 口にするのも遠慮したいような、SF小説の古典のようなキーワード。

 だが今は、それにさえ縋りたいというのが正直なところだ。

 

「さて、その仕組みは分からぬが、聞かせたところであまり為にならんやもしれんぞ。本人たも何故そこへ来たのか分かっておらなんだし、そもそもあの一家自体が型破りであったがゆえの」

 

 それを聞かされたキルヒアイスの心に、多少ならず落胆が去来しなかったかと言えば嘘になる。

 すでに死んだ身。本来はヴァルハラに送られるはずだった魂。それが蘇って尊敬に足る人物たちと出会えたことは、ある意味においては僥倖なのだろう。

 

 それでも、能うのならば、

 

(戻りたい。戻らなければならない。あの方たちの許へ)

 

 自身の友……主君の烈しさを諫め、そして包むことができるのはおそらくは自身だけなのだから。

 

 キルヒアイスは天を見上げる。

 星は、手が伸ばせぬほどに遥か遠くに在ってまたたいている。



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南陽の大盤狂わせ
袁術(一): ジェネラル・ルージュの参戦(前)


「ぐぬ……グヌヌヌ」

 南陽(なんよう)郡。(えん)城。

 王宮もかくやという政庁、玉座にも等しき首座。

 そこから小ぶりな身を離し、右往左往。

 

「……って負けておるではないかっ、そして攻められておるではないかーッ!?」

 

 袁術公路(こうろ)は叫びにも似た金切り声をあげた。

 

「いかな屈強な西涼(せいりょう)騎兵であろうとも、函谷関を抑えておれば疲弊すると、そういう話ではなかったのかえ!? 何故に一瞬で負け戻って来たのじゃー!?」

「うう……申し訳ありません。御使いの皆さんがあまりに不甲斐なく」

 涙ながらに張勳(七乃)は主人に詫びた。が、誰がどう見たところでそれはあからさまに偽りの涙であって、しかも全責任をそれとなく他の両将に押し付ける悪辣さである。

 

「ええい、せっかく拾ってやったというに、頼りにならぬ連中じゃ!」

 

 彼らにも言い分と矜持はあるが、何も言わなかった。

 理由としては、所詮は小娘の癇癪と取り合わなかったのがまず第一。

 第二に、もしあのまま対峙していたとしても敵わなかったという事実ゆえ。

 そして、名誉を挽回するにも、汚名を雪ぐにおいても剣によってというのが武人の考えであるがゆえに。

 

「えーと、というわけで……敵軍が迫ってきています。長安を出た董卓さんご自身を総大将に、呂布さん、賈駆さん、張遼さん、華雄さん、徐栄さん……ってうわー、完全に主力じゃないですか」

 

 七乃の諜報がもたらした報が袁術軍幕僚の顔を青ざめさせた。

 読み上げられた名は、それを音として聞いただけで、魂の抜けそうなほどに圧倒的な軍容であった。

 

「つまり敵は完全にこちらを叩きのめし、後に勅によって布かれるであろう包囲網に穴を開けようという肚でありましょう」

 

 そこに、毅然と進み出る士がひとり。

 元の板金は良かろうが、いかにも歴戦の傷でございと言わんばかりに大小の損壊が見られる真紅の鎧。

 ぼさぼさと伸びた蓬髪に黒々とした鬚。精悍と言って良いが夜出くわす獣のごとく恐ろしい眼光。

 

 みずからの下に参じる天の御遣いは彼女の美意識とは真逆の無骨者(ハズレ)ばかりだが、この男は極め付きだった。こうして相対すると息が詰まりそうになる。子飼いの諸官や将軍も、呂布の名を聞くときにも似た委縮ぶりを見せていた。

 

()()殿()()()()()()()()、関では大した損害も出さずして撤退することができました。要所こそ失陥いたしましたが、むしろこれは我らにとって幸い。兵力を温存させ、かつ敵に思考させる暇を与えたことにより、かえってこちらは迎撃の準備を整えられております」

 

 ドスの利いた調子で、かつ適度に七乃も立場を取り持ちながら男は一笑だにせず続けた。

 

「さらに言えば、敵が総力を以て攻勢をかけてくること。これは裏返せばそれほど我らに時をかけられぬことでありましょう。事実、彼らがその側背を衝かれることはいずれ時間の問題。よって我らは、これを待ち受けます。凌ぎ切れば、敵の瓦解は必然であるかと」

「ほぉー」

 

 壮年の天の御遣いに賛同したは、またもむさい顔の男。鎧の拵えこそまたこの中華のそれに似ている。ここから遥か後の中華より来たなどと戯言を抜かしていたことが記憶の片隅に残っていた。

 

 (アメ)のごとき、だがどこか底冷えしたような声音でもって、袁術は、美羽は相槌を打ち、そして足を投げ出すようにして再び着座した。

 

 実のところ、彼の語る兵理のことなどそれほど戦機に疎いわけではない――少なくとも彼女はそう自負している――がその関心は別の場所に、方角で言うなれば東へと移っていた。

 それでもあえて、皮肉を込めて問う。

 

「で、勝てるのかの? 呂布や張遼相手に」

「勝てぬまでも、負けぬ戦は出来ましょう。勝手ながらすでに、そのための準備は進めております」

 

 真紅の将軍はよどみなく答えた。

 それを聞き、美羽は頷いた。

 

「ま、良いじゃろう。其方ら、手勢はすでに預けてやったであろう。その兵力を以てそこな落ち武者に助力してやるが良いぞ」

「ちょ、ちょっと美羽様!? よろしいのですか?」

 

 軽く慌てた様子の七乃。そんな彼女を指で呼び寄せ、そして耳打ちする。

 

(別に戦いたいというのであれば好きに戦わせてやればよかろう。どうせ知れ切った負け戦よ。ああいう戦馬鹿どもがせめて敵の追手を食い止めている隙に、妾たちはその間に揚州に帰るのじゃ)

 

 どうせ中原の政争は様々な勢力が入り乱れて荒れに荒れる。

 それを対岸より傍観しつつ力を蓄え、諸勢力が疲弊しきったところで天下に号令すべくふたたび上洛する。

 それこそが袁家百年の計である。

 

(さすがお嬢様! そういう人を人とも思わぬ小狡いところ、痺れます憧れます!)

(うむ、さもあろうさもあろう)

 

 敬愛の念をもって七乃は褒めたたえ、美羽はそこに微妙に含まれた棘に気づかぬままに称賛を受け入れる。

 

 ……袁紹と袁術。いずれも名門の出であることに過剰な自意識を持ち、かつ互いに競争心を持ち合わせた令嬢ではあるが、彼女らを隔てるものがあるとすれば、()()であろう。

 

 袁紹は、妾腹の子であるという微妙な負い目ゆえか。従妹よりもより強く、四世三公の名家であることを意識して、かつそれを表出させる。

 彼女の想う優雅さを体現した高笑いもその一片。搦め手や禁じ手を好まず、兵を動かすにも正々堂々、威風堂々を旨とする。

 

 が、袁術(美羽)は、違う。

 平然と卑怯な手を遣う。さりげなく張勲が酷評したかのごとく、ためらいなく人を酷使し、迷いなく民から搾取し、憚ることなく私腹を肥やし、傲然と女王蜂として蜜が運ばれてくるのを待つ。

 

 それは、袁安(えんあん)以来の名門の矜持を喪ったからではない。

 あえて正嫡として生まれし彼女には、あえてそれを振る舞いとして見せる必要がないのだ。

 自分が生まれながらにして特権を持っているからこそ、人を顎で遣うのは当然。民や兵が己に貢ぐのが当たり前のことだし、いかなる非道に手を染めようとも貴族を弾劾する者などいようはずがない。

 

 これこそが美羽の人生の基本則だ。

 それが悪事だとは彼女自身は思っていない。誰にとっても幸福かつ当たり前のことだと、幼稚な精神のままに信じ切っている。

 

 だがゆえにこそ彼女は、よしんば他人が思い及んでも決して容れない手段をごく普通に取り、敵味方問わず多くの諸侯を悩ませることになる。

 

 

 

 ――ゆえに袁公路は、強いのだ。



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袁術(一): ジェネラル・ルージュの参戦(後)

「――あの小娘め、我らを捨て駒とする気よ」

 

 容貌魁偉。鉄砲の筒のごとき鉄ぐるみの鞘に納めた、肉厚の剛剣を佩く。

 茶筅髷を天頂より伸ばし、豪壮に蓄えた口髭を不快さでゆがめてその老剣士は吐き捨てた。

 言うまでもなく、本来の袁術陣営にこのような気配で分かるほどの剛の者はいない。天の御遣いである。

 

「良いではないか。下手に口を差し挟まれるよりかは、よほどな」

 

 その脇を、足早にもう一人の御遣いがすり抜けていく。歩調を合わせる気がないらしく、颯爽と自身の陣へと戻っていく。彼が預かり、そして短期間に鍛え上げた精兵らの許へ。

 

()()()()なれば、なおのこと」

 

 異様な男ではある。

 老人と呼ばれるほどの齢でもあるまい。にも拘わらず、総身の毛は白く、印象としては孤高の狼である。

 そしてその性質は彼の戦にも通ずるところがあり、これより先に控えた大戦においても、彼は好きなようにやるだろう。

 そして命ぜられるまでもなく、率いる五百の修羅たちとともに自身に求める最大限の働きをするだろう。

 

 その彼と入れ違いになって、向かいの廊下より三人が行き着く。

 中央に位置するのは、瀟洒な赤い衣装に長身を包んだ、鋭さと篤実さを併せ持つ金髪の若武者。その両脇に控えていたのは、少女ふたり。

 

 片方は小柄な背丈と、腰にまで至る黒い長髪を生真面目そうに反り返らせている。

 そしてもう一方は、色素の薄い前髪を左右非対称に切りそろえた温厚そうな娘。これは幼い顔立ちながらもすらりと伸びた背のせいで前述の少女よりも一回り以上年上に見える。

 

 いずれもあどけなさを十二分に残した姿かたちの美少女ではあるが、それ以上に信に足る(もののふ)であった。

 

「エルトシャン殿、周泰(しゅうたい)殿、満寵(まんちょう)殿。長らくの作事、痛み入る」

 蓬髪の男は唐土(もろこし)の作法に従い拱手の礼を取って辞儀を述べた。

「私は何もしていない。……作業と護衛は彼女らがほとんどやってくれた。私に出来たことはせいぜいその周囲を駆けまわって警戒に当たるぐらいだ」

「とんでもない! エルトシャン様のおかげで無事作業も終わりましたし、ほとんどは海望(かいぼう)さんがテキパキとやってくれたおかげで……私はただ突っ立ってただけで」

「あ、その辺りは自覚あったんだ」

「海望さん!?」

「あはは、冗談だよ冗談。護衛ありがとう、明命(めいめい)

 

 しかしながら、と口調と姿勢を正して、満寵伯寧はあらためてそれを命じた男に問う。

 

「数でも機動力でも勝る董卓軍に、真っ向から野戦を挑むのはたしかに愚策。されどもあのような平地に塁城と設けたところで、包囲されるは目に見えており、かつ奪われれば宛城攻めの橋頭保ともされかねません。その辺り、大将殿はどうお考えですか」

 

 純粋な軍事的好奇心と、若さゆえの反発心と不審。その二つを併せ持つ視線でもって、少女は赤い具足の士に問う。彼は彼女らを若輩とは侮らず、見た目に合わぬ丁寧な物腰をもって応じた。

 

「砦を固守することそれ自体が狙いではありません。それをさも要所であるかのようにに見せかけ、敵の目標を分散。砦の攻防に固執させることすなわちそれは、軍の目的を本来求められた急戦より長期戦に変質させること。これこそがこの作戦の肝となります」

「なるほど」

 

 頷いたのは、老剣士である。獰猛に笑いながら、続けた。

 

「あの砦は言わば敵の集中を防ぐ出丸というわけか……二度目の『大坂』でもしようてか」

鉄心(てっしん)殿と満寵殿には、私とともにそこに入っていただきたく」

「面白い。こういう戦をこそ、儂は望んでおったのよ」

 

 ……そう、彼らは袁術のごとき小娘主従に忠を誓っているわけではなかった。

 史実に後漢を終焉へと一気に傾けさせた、暴威の軍。後に名将猛将名参謀と謳われし綺羅星たち。

 それら強敵を挑むことこそ武士の本懐と、彼らを死地へと駆り立てるのだった。

 

「な、なら……私もおそばに! 総大将だけ危険にさらすわけには」

 

 そしてここにも士がひとり。

 名乗り出た明命に、屈んで目線を合わせ、男は優しく笑う。

 

「周泰殿には、別にお任せしたいことがあります。それに、私は総大将ではありません。私が討たれたとしても、彼らがそれぞれに役割を引き継いでくれましょう

 

「いや」

 白髪の男が、戻ってきた。

 

「指揮官は、お前だ」

 すでに準備を済ませてきたのか。あるいは、戦の臭いが彼を呼び戻したのか。

 

「そういう戦を、したいのだろう。そのための支度を、整えてきたのだろう。ならば、遠慮することはない。かつてはできなかった戦を、するがいい」

「我らは軍人だ、こちらはこちらで望み、そして望まれた戦をする」

 

 白い狼の声に、彼の『同郷人』……かつての宿敵であったという武人が同調する。

 

 他の者から異論は上がらなかった。

 新進気鋭の周泰と満寵を除けば皆、不本意な戦によって散ったが末に、ここにいる。あるいは、ただ死後もなお戦地を駆けまわりたいという強い衝動か。

 

 おのれはどうか。

 最後の陣に、不満を持ったことはない。戦の勝敗を決するのは、人事を尽くした果てのに時の運でしかない。

 ただ自身が愛した人々のため、散っていった多くの武士たちの意志に報いるがため、彼は士として生きようと決めた。

 駆けて駆けて駆け続け……その果てに、ここに行き着いた。

 

「エルトシャン殿は、如何か」

 あえて黙認を続ける彼にはあえて問う。

 彼もまた不本意な死に方をしたらしいが、詳細は聞いてはいない。

 ただ、勝敗にこだわるようにも、過ぎた戦に未練を持つようにも見えない。

 

「私は、おのれの進むべき道を見誤った男だ」

 

 閉ざしていた口と瞼を、重く開く。

 

「一度は敵とした友と戦うこともできなかった。主君を諫めきれず、忠を貫くこともできなかった半端者だ。……正直に言えば、拾われた身とはいえ袁術殿のために剣を捧げることには抵抗がある」

 

 しかし、と軍靴を鳴らして進み出る。

 

「もう二度と、友は裏切れない。新たに得た友人たちのため、私はこの剣を奮おう」

 

 騎士と武士がふたり、視線を交わす。

「……たしかに承った」

 それ以上の言葉は無用だった。黙して頷き、彼の意思を受け入れ、我が身を進ませる力と換える。

 肩より打ち掛けた外套を翻し、諸将とともに兵らの前に至ると預け置いた十文字の愛槍を掴み取った。

 

 

 

「されば、真田(さなだ)の軍略、董卓軍に馳走せん!」




最初このメンツが加わったのを見て「なんやこの厨パ!?」となりました。


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董卓(二):緋が走る(前)

 見渡す限りの、平地である。

 一大決戦には打ってつけ。ではあるが、ずいぶん袁術の鼠らしからぬ戦場を選んだものだとは思う。

 というよりも、すでに本隊は陶謙や劉曜を警戒するという名目で盧江に引き上げている、という情報も入っている。

 

(敵の全容は見えている)

 左翼、街道筋に少数の騎兵。

 歩騎を併せ持つ『令』の旗を掲げた一団が中軍を固めている。字面から察するにおそらくそれが本陣か。

 明らかに急ごしらえの、平地の砦に守備兵を詰め、その背にようやく山と城が見える。右翼はその援護か。例の赤騎兵が陣している。

 

 その間に森とも言えぬ木々があるが、これも大兵を隠すには不向きである。

 

(要するに、主人に見捨てられた敵の戦意はそれほど高くないってわけね)

 董卓軍師であり本軍の全権一切を親友より委ねられた詠はそう判断した。

 異郷に流され、あんな俗物に大の男たちがアゴで使われる。これほど屈辱的なこともないだろう。

 せめてもの義理立てで抗戦し、頃合いを見て退くつもりだろう。

 

(あるいは、どうしようもない戦下手か)

 

 相手より下回る兵力での平野決戦。その乏しいのさらなる分散。

 おおよそ兵法を知ったる者の陣立てではあるまい。

 突出した左翼からは詐術めいた臭いを感じるが、それも大軍とそれぞれの即妙の才を以てすれば戦局全体を覆すほどの脅威にはなるまい。

 

「左翼! 徐栄! 中央、呂布、華雄は直進し中央突破! 本隊は敵左翼の騎兵を追いつつ半包囲! 張遼は遊軍として最後にあの小砦を三方より攻め立てて屠り、これを以て本作戦の完遂とするッ」

 

 敵の乙には甲を、丙には乙を。

 何の芸当もない兵力配分ではあるが、ゆえにこそ敵には策を弄する暇は与えまい。

 

 詠は盟友たちに目くばせし、それぞれに持ち場へと返す。

 立ち位置を入れ替えていく馬蹄の音が、地割れを起こさんがばかりに響く。

 ややあってそれらが収まりを見せて、静寂を取り戻す。抑えの利く、天下最精鋭の騎兵団であろう。

 

 最後に友を、董卓を、(ゆえ)を視る。

 互いに信頼と親愛、そしてこの苦境を乗り切らんと言う激励の視線を交わし、そして采を振り下した。

 

 

 

 ――だが、この時点ですでに彼女は決定的かつ致命的な思い違いをしていた。

 彼らは袁術に義理を立てているのではない。自身の武や信念にこそ忠を抱いている。士が士たらんと、侍は侍たらんと、騎士は騎士たらんと、軍人は軍人たらんとした結果、彼らはこの絶望的な戦況に生き場を求めている。

 

 そして武の求道というものは個人的な武勇のみではないということを、武人ではなく智者であった賈文和(ぶんわ)には知り得ないことであった。

 

 

 ~~~

 

 当初は()()()思惑に違わず、董卓軍優勢に推し進められた。

 袁術方左翼、天の御遣い……獅子王エルトシャンの小隊は一当てしたのちに素早く退却。

 純粋な速度だけではない。統率力とその秀麗な容貌を含めた信望が為せる業であろう。

 

「急追の必要はない! じわじわと前線を押し上げて敵の反応を炙りだす!」

 

 これは余裕ではない。袁術軍にあるまじき鋭さを見せた敵が、背を向けて逃走するのだ。当然罠をうかがってかかるべきだし、それを見据えての本隊と詠自身の智の投入である。

 万全を期しての、当然の方針と言えた。

 

 ――だがおそらくは、彼女の思惑に狂いが生じたのはここが端緒であった。

 

 それに気づかぬまま、悟らせ得ぬままに、戦場は推移していく。

 

 本隊は詭計奇策を警戒して前進する董卓軍本隊。だがそれによって中央の進軍速度の差に開きが生まれる。

 

 なまじ障害のない平地であるからこそ、なおのこと。

 それを率いるのがただ進めば敵が崩れる無双の武人であるならなおのこと。

 ……悪く言うのであれば退き知らずの猪武者であるなら、なおのこと。

 

「っていやいやいや……恋と華雄、突出し過ぎとちゃうか?」

 

 董卓軍中において一番この状況に疑念を抱いたのは、張遼こと(しあ)であった。

 智略でもって相手の術策を看破するような将ではないものの、場数を正しく踏み、酸いも甘きも知った将なればこその、勘働きというものだ。

 

「しゃあないっ、間をウチらで埋める! あと透のアホにたかだが五百の騎兵程度に遊んでないでさっさと前出ぇって伝えろや!」

 

 かくして伝使を左翼へと飛ばし、自身は中央先鋒に追従した。

 

 ~~~

 

「……言ってくれるなぁ。カンタンじゃないですってば」

 

 透は、赤騎兵を率いる白き男と対峙しながらそうぼやく。

 早馬が帰っていく音を聞きながら、肩をすくめる。

 

 たかが五百。されど五百。

 

(鶏を割くにいずくんぞ牛刀を用いん……とは言いますが、牛刀で雀蜂が切れますかっていうんですよ)

 

 ただでさえ捕捉しがたいその数が、完全にあの白い狼将の制御下に置かれて縦横無尽に動く。董卓軍のそれとは及ぶべくもないが、それでも相当な修練を、弱兵相手にこの短期間で積んできたはずだ。

 おそらくは、調練で死人が出るほどの。

 

 常に先頭に立つ狼が笑う。つられて透も笑う。

 彼と自分とは、同類だ。

 

遊興(あそび)ですよ。でなければなんだと言うのですか」

 そう呟いて、透は馬腹を蹴った。

 

 ~~~

 

 董卓軍最強の鋒が敵本営を衝きえぐらんとした刹那、砦より打って出た一団がその軍勢に食いかかった。それによって中央の『令』の旗を取り逃がした少女たちは反転。それに斬り返す。

 

 偶然、というよりも相対的な速さによる必然か。一番槍を突けたのは恋である。

 その動きは直そのものである。

 遮る者が兵だろうとなんだろうと、彼女の突撃においては空中を漂う塵に等しいのだから。

 

「見事! その武に方天の戟。あえて名乗らずとも御身が何者であるか察せられます」

 その開いた道の先に、馬上の士大将が立っている。

 その鎧は赤く、背に負うは六つの銭という奇妙な旗。

 

「呂奉先殿、これよりはこの真田左衛門佐幸村がお相手いたす!」

 

 渋みのある声を張り上げて壮年の男がいる。

 だが呂布にそれに応じる作法はない。ただ武のみで粉砕するのみである。常のごとく。

 

「うるさい。死ね、虫」

 

 方天画戟、一閃。たいがいそれで折れる。斬れる。殺せる。飛ぶ。死ぬ。

 事実、その斬威をもって、彼の馬は背骨が折れて潰れた。そのこと自体にはこの表情のない猛将にも多少の心痛が沸いた。本来であれば、傷つけることなく男のみが両断されていたはずである。

 

 本来であれば。常であれば。

 

 だが、男は、真田幸村は生きていた。十文字の槍の柄をもって真っ向から受け止めた。

 

「……ならば三寸の虫の意地、存分にご堪能いただこう!」

 

 それどころか、なお()()()()()()余裕がある。

 二撃、三撃をかろうじてながらも独楽のごとく我が身を捻って威力を殺し、その間隙を縫って槍穂をしごき出す。

 

 それを受ける恋に、頭痛めいた怒りが沸いた。

 それはむずがる童女に似た感情ではあったが、追撃は熾烈を極める。部下が身を挺して引き出して来た空馬にまたがり、幸村は継戦する。継戦しつつ、不利なように見せかけつつ、気づかれぬよう東側へと引き摺り込んでいく。

 無双の武人は、疑いなくそれを追う。

 

 さすがにそこに到れば、陳宮にもそれが誘引の計の類だと悟り得た。

 だがああなった主は、もはや止めようがない。そもすでに、声の届かぬ位置で金属音を響かせて敵味方の耳目を奪って彼女らは競り合っていた。

 

 彼女単独で追わせるという選択肢は、この呂布第一の信奉者には端より存在しない。その支隊は援護をすべく恋を追い、ほぼ付和雷同のような形で華雄隊も追撃に参加する。

 

 一つ斬れば決着が着く。

 一太刀浴びせられれば死に至らしめられる。

 

 ちらつく可能性に、少女たちは縋るように向かっていく。

 あたかもそれは、沼に嵌る博打打ちの心境に似ていた。

 

 〜〜〜

 

 一足遅れて到着した霞は、援護と牽制のため砦を攻め立てていた。これは幸村の退路を断つための動きでもあった。

 

 本来であれば攻城を打ち切って呂布隊を援護すべきであったろうが、彼女の敵を引き剥がすまいと、矢石を投げつけ攻勢のごとき防勢を展開する。ともすれば、追撃して来よう。

 留守居を任された新参の将ではあろうが、粘り強く、かつ己の本分を見失わない堅実な戦を見せる。

 

 その攻防の最中に霞は、件の騎馬武者と恋の斬り合いを見た。見てしまった。

 

「何者やあのオッサン……恋と、あぁまで渡り合うんか……!?」

 

 霞をして、模擬戦でさえ死をちらつかせるほどの剛力を、あの将はいなしていく。そればかりか、明確な指向性をもって引きずり込んでいく。

 

 ――瞬間、冷たいものが背筋を奔る。

 ――瞬間、熱いものが胸の周りをこみ上げる。

 

 口端の左右を、悔と悦が対照に歪ませる。

 あぁ、けったくそ。毒が思わずそこからこぼれ落ちた。

 

 

 

「「美味いところを、持っていきおって」」

 

 

 

 異口、同音。

 多少の発音の違いはあれど、発せられた意味合いと感情が合致する。

 

 気づけば、砦の正門は開いている。

 今こそ突入の好機ではあろうが、そこから進み出た男が、霞と同じ悔いを吐き捨てたその剣鬼が発する圧が、それを許さない。

 

 すでに男として盛りは過ぎたであろうが、それを感じさせない分厚い鉄のごとき肉体。鷲のごとき鋭利さをもって引きしめられた目元、唇。

 これまた、見ているだけで酔いしれるほどの見事な益良雄ではないか。

 

「気が合うやん、爺さん……いや、かろうじておっちゃんか?」

「ふん、言いおるわ小娘。が……張遼であれば、いやそうでなくともその闘気であれば納得の不遜よ」

 

 いささかの瘧もなく、男は剣を抜く。

 にんまりと、餓鬼のごとくに笑って霞は問うた。

 

「そういうアンタの名は?」

「元黒生(くろふ)家当主、黒生鉄心。……さぁ、存分に死合おうではないかっ!」

「おいおいおい……そないな気ィ飛ばしよってからに……あまり喜ばせてくれるなやぁっ!」

 

 恋らの睦み合いを見、飛龍(ひりゅう)偃月刀(えんげつとう)とともにすでに身体は熱くなっている。

 それを惜しむことなく発しながら、張遼は鉄心へと斬りかかった。

 

 

 

 ――かくして、董卓軍は変容する。

 指揮官は武人に、野戦から攻城戦の体へ。早期決着より長期戦へ。大軍の利を活かす場は個人的な勇を競う場に。

 

 だがしかし、対する袁術軍の各々の立ち位置は、それぞれの在り様は、当初からいささかも逸することがなかった。



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董卓(二):緋が走る(後)

 ――いやな、においだ。

 

 恋には戦の駆け引きが分からない。恋は恐れを知らぬ無敗の武人である。

 だが自身の生命が脅かされる危機については、人一倍敏感であった。

 

 ……という内情はともかくとして、侵入したのは森林地帯との間。砦の裏手。

 そこに行き着いた時、真田の姿は消えていた。

 

「お、お待ちくだされ~!」

 ゼイゼイと、息を荒げて陳宮(音々音)が追いつく。それに構わず、屠るべき対象を見失って立ち尽くしていた。

 

 その背を、音々音は惚れ惚れと見つめていた。

 

 似た時を刻む世界にて、ある超世の英雄は独特な表現を用いて『呂布』という存在を評した。

 曰く、「あれは絶世の美女」だと。

 

「抜群の姿形をしており、気まぐれで聞き分けがなくひたむきで傲慢。自分の美しさを他と比較する気持ちすらない。抱きとめてやらなければとめようがない」

 

 と。

 まさに今の彼女の姿こそがそれであろう。

 

 おそらくこの娘には自分の武力に対する自負や誇りなど微塵もない。

 ただ自分が強いのが当たり前で、その以外のすべてが――()()()()()()はあるが――おしなべて弱い。

 それが絶対の摂理であった。

 

 ――が、その摂理に微妙なひずみが生まれつつあるように思えた。少なくとも、この戦は何かが……おかしい。突けば崩れるという詠の予測はすでに破綻し、徐栄と張遼も自分の戦にかまけっきり。華雄は言わずもがな。

 恋の初撃も二撃も防がれ、そしてここに至る。

 

 これ以上突出して戦うことは、危険だ。

 董卓軍の敗北はもちろんのことだが、呂奉先の敗北は絶対に許してはならない。

 

「敵は、どこ?」

 恋は誰にともなく問う。

 この『諮問』に対し、音々音が答えた。

 

「はっ、恋殿の足を、われわれの軍の速度を袁術軍の駄馬が振り切れるはずがありませぬ」

 

 おそらくは……と視線を投げた先に、かの木々の闇があった。

 恋は迷わずそこに進む。

 

「何卒お待ちくだされっ。敵が待ち構える地点にあえて御身をお運びこともありますまい! 恋殿が遅れにとることなど万に一もありませぬが、億に一ということもありますゆえ! ここは一端本陣にお戻りになって詠殿のご指図を……!」

 

 矮躯でもって飛んで跳ねて、その袖を引く。

 数少ない親愛を置く者の諫言である。特別聞く耳を持った様子はないが、それでも恋はその牽引に抗うことなく上体をわずかに傾けた。

 

 それが、武と智、それぞれに通ずる少女たちをそれ以外の部分で救った。

 ます、光が興った。地割れのごとき音が押し寄せた。

 次いで何かが音々音の頬のすぐそばをよぎったかと思えば、後続の騎兵がどうと音を立てて倒れた。

 

「なななな……何なのですかコレ!?」

 

 音々音が仰天とともに恋の腰回りにかじりつく。

 恋にとって、その方がありがたかった。何しろ、自分はともかくこの状況でこの愛玩物を守り切るのは難しい。

 

 音と光の洪水は、二連続く。

 それを合図にしたかのごとく、砦の搦め手より矢石が降り注ぐ。

 砦のほとんどの守兵が、裏手の木柵沿いにに回されていた。本来張遼が抑えているはずの、兵が真田隊の援護に回されている。

 

 隘路。砦側と森林の合間よりの挟撃、射撃。

 それにより、西涼の騎士たちがその機動力を奪われたままに一方的に嬲られていく。

 

 ――いやな、においだ。いやな、音だ。

 

 本来自然に在ってはならない異臭、異音。そして無造作な死。

 戦が終わるのを身を隠して待っている野の鳥獣たちが、怯える気配がする。

 そして闇に、音と閃光の狭間に、緋色の甲冑がちらつく。

 

 ――いやな、『敵』だ……!

 

「…………さなだぁっ!」

 

 たどたどしく名を呼ぶ。

 音々音を振り切り、画戟を強く掴み上げると、恋は突進を開始した。

 

 ~~~

 

 愚を承知で、兵を細分化させる。

 小隊の指揮官が足りない。こういう時こそ国元の荀攸が欲しい。

 慢性的な騎馬の動きなど、そのまま敵の好餌となろうが、透はすでに腹をくくった。

 むしろそれをもってあの白狼が食いつけばそれで良し。

 

 屍を築かねばあれは斃せない。

 斃さなければ、後の災いとなる。

 

「駆けますよ」

 徐栄本隊には与えられた五千のうち、五百を、敵の全数と同じ数を残す。

 

 それ以外のすべてを、足止めに用いた。

 やはり敵の手並みは鮮やかだ。蝶か花弁のごとく間隙を縫い、誘うように右へ、左へ。さらすように仕向けた側背を、小突いて回る。

 そうして転ばされている支隊を据え置き、自身は別の戦地へ移動している。

 

(だが)

 

 確実に(ふくろ)の紐は閉じつつある。じりじりと移動範囲は狭められていく。

 

 ――捉えた。側面。

 

 敵正面には重装の騎兵。後方には軽騎兵が迫る。

 ()った。

 そう思った瞬間だった。

 

 が、前後の味方がその部隊に接するより早く兵を切り返す。

 すり抜けられた。左翼に回られる。止めをくれたやるべく突出した徐栄本隊へと。

 それから足を止めぬままに陣形を立て直し、真一文字に突っ込んでくる。

 

 ――捉えられたのは、餌に誘い出されたのは、自分だ。

 

「え、嘘だ。展開、速」

 

 徐栄は兵速を緩めないままに、呆然と呟いた。

 その間に、一切の手抜かりなどなかった。退けという言葉を呑み込み、馬鞭をくれて応戦に出る。

 それでも、彼は、『休』の旗は、前衛を突破し、透本人へと至る。

 

 そして眼前に剣が振り下ろされた。

 

 

 

 ――気を喪っていたのは、さほど長い時でもあるまい。

 ふと目を空ければ、空と雲。愛馬は横転し、部下は駆け寄り、側頭部には鈍痛。峰で殴られたらしい。

 

「目と狙いは良かった」

 そしてすぐそばには、馬上の白い狼と供回りの赤い騎兵。

 

「が、その後の詰めが甘い。お前の考えに、兵がついて来ていない。その悪癖を改めねば、次こそ命はないぞ」

 冷たい教導。それを苦笑と敗北感とともに受け入れながら、

 

「名前を聞いても?」

 

 男は、わずかに目元に笑いを含め、そしてその精兵とともに去っていく。

 風に、己が名を流しながら。

 

 

 

「元遼国将軍、耶率(やりつ)休哥(きゅうか)

 

 

 白い狼の、聞き慣れない名を、その薫陶を、起き上がった白い女将軍は噛みしめる。

 と同時に、首を傾ける。

 

「遼? 遼河、遼東? 公孫度(こうそんど)兄さんを推挙したあの端っこの……?」

 

 ――ここと似た世界にて五百年以上後、契丹(きったん)なる騎馬民族が、漢土に浸食し二百年運営される征服王朝を樹立することなど、明敏なれども一介の武将に予測できるはずもなく、また誰ぞが説明したところで一笑に付したところだろう。

 

 うんうんと思案を巡らせ、その後「負けた敗けた」とこぼしながら手足を大地に再び投げ出す。

 追うように進言する者がいるが、それを退ける。

 

(『令』の旗が、気づけば把握できなくなっている……多分、もう手遅れでしょうよ)

 

 と、苦みを込めて。

 

 ~~~

 

 憤怒に奔る恋を、渾身の腕力にて押しとどめる者がいた。

 董卓軍きっての勇者と言えば呂布に張遼ともう一人だが、張遼はどちらかと言えば力任せに押し切るよりは技術の人間である。となれば、恋を留められる人間は、もう一人しかいまい。

 

「うむ! 見事間に合ってようだな!」

 後続していた、華雄である。

 

「どこがですかっ! 遅すぎますぞ!」

 そう叱責する音々音であったが、華雄のその足は恋に引きずられていくらか地を削っていたことに気づく。

 

「――悔しかろうよ、恋殿」

 そして妙に分別くさい調子で恋に語り掛ける。恋の興味と横顔がそちらに逸れる。

 

「我ら武人の矜持が、あんなよく分からんゲテモノの兵器で愚弄される。戦とは突撃に始まり突撃で継続し、突撃にて終わる。かくあるべきだ。恋殿もそう思っているからこそ怒ったのだろう?」

 

 いやいやいや、と音々音は心中で全力にて否定した。口にはしなかったが。

 おそらく心情を汲んだつもりで何一つとして当たってはいないだろうが、本人が納得しているのだから別に良かろう……どうでも。

 

 最重要課題は猪武者の理解不理解よりも、いかにこの陥穽より愛しき主を引き上げるか。それに尽きるのだから。

 

 

 

「――だから、ここは、退け」

 

 

 

 呂布の軍師は言葉と思考を詰まらせた。

 おおよそ華雄であれば決して言わぬことを、提案してきた。

 何か道中で変なものでも口にしたか、でなければ馬の扱いを誤って頭でもぶつけたのだろうと

 

「この敵は私が受け持つ。ゆえに貴様らは、本隊に合流するが良かろう。いや……退くのではない。先の戦いへの転身と心得よ!」

 

 勇ましく胸を叩く華雄。その姿は道化じみていても、この暗き場においてはどこか頼もしい。

 恋も、何かしらに感じるところはあったらしい。

 

「わかった」

 一諾の後に、踵を返す。

 

「……む、どうした陳宮? 唇などを尖らせて。ついて行かんのか?」

「……べーつに」

 

 自分が能わなかった主君への翻意をあっさりできた相手に、感謝と嫉妬が拮抗している。

 ゆえにそのどちらも表せず、ただ拗ねたように口をすぼめるだけだった。

 残すべきは、ただ一言。

 

「犬死は避けなされ。たとえ華雄殿でも、貴重な戦力なのですぞ?」

「なんだか妙に引っかかる言いぐさではあるが……まぁ良い。奴らを破って合流するとも!」

 

 呼吸も時機もわきまえぬ、華雄隊の吶喊。だが打算のないこういう兵こそが、敵の策士にとっては頭痛の種となることはそう珍しいことではない。

 

 現に入れ替わるかたちで、音々音たちは兵をまとめ死地を脱していた。

 ――再度の破裂音を、その背の向こうで聞きながら。



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袁術(二):君の名は(★)

 異音を聞いた。胸やけのするような、慣れぬ臭いが鼻を衝く。

 それが武人から武将へと、霞を引き戻した。

 

「なんぞ、仕掛けよったな。……火攻めか? いや、どうにも(ちゃ)う……もっとえげつないモン使ったな?」

 

 すでに何合も斬り合わせた鉄心も、どこか不本意げにいかつい鼻を鳴らした。

 

「わしも、あれは好かぬ。誰しも等しく人を殺める。あのようなものに頼ったからこそ侍の矜持も意義も見失わせ、その時代を終わらせたのよ」

「ほーう? よう分からんけど、そないなモン使って袁術みたいなドアホに頭を垂れるんか? アンタほどの士が」

 

 刃と刃。視線と視線。そして戦意と戦意。

 それらを幾度となく絡め合い、老剣士は低く言った。

 

「『あの者』の生きた時代には『勝つことこそ本にて候』という教えがある。己の武も含め、使えるものは余さず用いるというのが、彼奴の士道なのであろうよ」

 

 そして、どちらともなく身を剥がす。

 

「――が、わしの剣がそれに負けるわけではない。わしはわしの戦をするのみよ」

 周囲がその両者の(せり)を固唾を飲んで見守る中、鉄心は大上段に剣を構え直した。

 

 胴を晒すか。余裕か、油断か。否、誘いか。

 逡巡する霞の袈裟懸けの一斬が襲った。

 

「っ!」

 ――来た。

 この拮抗する状況を打開すべく打ち出されたであろう、大振りの必殺剣。

 防ぐ。

 残響に鼓膜を侵されながらも、霞は笑う。

 

 凌いだ。これで体勢を引き戻す前に反撃の一太刀を……

 そう思った矢先、右の耳元に風を感じ、背筋に悪寒が奔った。

 

 伸ばそうとしていた偃月刀を引き戻して風音の方角に傾ける。

 その直感と武錬が、彼女を活かした。そうせねば、首は飛んでいただろう。

 

「ちぃっ!」

 

 ――あたかもそれは夜を行く百鬼のごとく。

 互いに息をつかせぬ剣の乱舞。変幻自在に角度と方角を転じさせながら、存分に斬り立てていく。

 

 その一斬が必殺。

 その一刀が不可避。

 その一剣が致命。

 

 もし機と向き読み違えば、たちまちのうちにその剣風に巻き込まれ、間合いに取り込まれて膾のごとく切り刻まれるであろう。

 

 都合十度前後といったところか。

 さすがに自重と攻めとを支え続けてきた脚に、霞は限界を察した。

 

 あえて吹き飛び、転がって距離を取る。

 

「っはぁーッ!」

 歓喜とも嘆息ともとれる息継ぎとともに、手と得物を用いずに即座に起き上がる。

 どうして中々。異界の剣士が、天の御遣いがこれほどの者とは。

 あらためて武器を構え直す。

 

 ――が、対する鉄心はフンと鼻を鳴らすや、その骨太な鞘に刀を納めた。

 あ? と機嫌を一転、険しい表情を霞は作った。

 

「――なんやそれ? もう勝負はついたって言うんか? ド阿呆。こっちはやっと温まってきたとこやぞ」

「阿呆は貴様よ」

 

 老剣士は呼吸さえ乱していない。

 目つきの鋭さはそのままに、袂に手を押し込めた。

 

「貴様の本道は将であろうが。それに、そのような得物でわしに挑もうてか?」

 

 鉄心の指摘はいちいち尤もであった。

 砦の抑え込みには失敗した。ちらと横目を向ければ、背後で、呂布の旗が西へ後退していくのが見える。

 

 何より、激しい応酬は自身の武器にさえもいたり、刃こぼれが無数。

 あと数度、斬り結んでいたら根元からぽっきりと折れていたかもしれない。

 

 霞は完全に熱を冷まし、大儀そうに息をこぼした。

 

「しゃあないか……命拾いしたな、オッチャン」

「貴様こそな」

 

 二人して笑い合う。当惑する兵たちに巻くようにして腕を振り、撤退を命じる。

 

「まぁまた戦り合うこともあるやろ。それまでくだばんなや」

「応、いつでも挑みに来るが良い」

「へんっ、言ってろや」

 

 さながら密かな逢瀬の後の男女のごとく……という艶めいたものではないが。

 それでも他人の介在できぬ奇妙な縁を結んだ両人は、互いに再会を約し、そして別れていった。

 

 ~~~

 

 すでに、幾度目かの射撃であった。

 それでも、華雄は倒れない。

 彼女らにとってこの未知の兵器を除かんと突撃をくり返し、それに巻き込まれた兵士は死に絶え、自身の肉体は急所こそ外すものの無数の穿孔が開いていた。

 

「どうした、この程度の豆粒で、この華雄を討とうというのか!?」

 

 だがそれでも、前身を止めない。

 挙句、声高に吼える気力と体力が残っている。

 

「……見事なお覚悟」

 闇よりそう称える真田幸村の本質は死兵である。だが、死を望む者ではない。

 仲間たちのため、そして父の意思を継ぐため。なんとしても生き抜く。己が己であるために。

 ゆえにこそ、戦国最後の武士は、死中に活を求めるのだ。

 

 だが、自身の志と信義に殉じようとする者を、幸村は否定はしない。

 先に挙げた両点がなければ、彼もまた本来はそちら側の人間なのだから。

 

(さながら長篠(ながしの)がごとし)

 

 山県(やまがた)政景(まさかげ)馬場(ばば)信春(のぶはる)内藤(ないとう)昌豊(まさとよ)、そして伯父の真田昌綱(まさつな)信綱(のぶつな)

 

 設楽ヶ原(したらがはら)に散った武田の勇士たちも皆、このような鬼気を敵に見せながら散っていったのだろうか。

 

「幸村さま」

 十文字の槍を手に進み出んとする幸村の身を、傍らにあって伏兵の差配をしていた明命の声が押しとどめる。

 

「あとは、私が」

 兵としてではなく、将としては初陣であろう。

 だが、見事に務めおおせた。それでも緊張は未だあるらしく、握る拳は震えている。

 

「――承知した。されば私は(よう)令公(れいこう)の援護に回るゆえ、あとのことはお頼みいたす」

 

 幸村が微笑とともに肩に手を置くと、触れた先の熱によって緊張が溶かされ、震えが止まる。

 

「はいっ!」

 力強く頷き、幸村を見送ってから周幼平(ようへい)は進み出る。

 

鉄砲隊(うちかた)止めっ、抜刀隊、出撃! 残敵を掃討します!」

「抜かせ小兵風情がっ! これしきの雑兵で、華雄を止められると思ってか!?」

 

 そう吼えるは良し。だが哀しいかな、すでに無謀な突撃をくり返した結果、精強を誇った董卓軍の騎兵の姿は見る影もなく、董卓軍指折りの猛将は満身創痍。

 

 麾下を左右に展開させ、明命自身が華雄に対する。

 健常な肉体であれば、まるで歯が立たぬ相手ではあった。だが、互角の状態で立ち合いたかったという思いも確かにあった。

 

 それらを私情として押し殺し、背の剣を抜き放つ。

 華雄が手にしているのは、音に聞こえた金剛(こんごう)爆斧(ばくふ)

 すでに片手が利かなくなっているらしい彼女は、それを右腕のみで振りかざす。

 

 だがその膂力はすさまじきもので、幹を伐り倒してもなお、人体を両断できるだけの威力を伴っている。

 本来長柄物には不向きな閉所をものともしない。刃の嵐が吹き荒れる。

 初撃を地面すれすれに屈んでかわし、振り下ろされた二撃をそのまま草の上を転がってかわす。

 

 起き上がると同時に再び胴狙いの一閃が迫る。

 明命は木を足場に跳ねた。彼女の身代わりとなって雑木がえぐり取られる。

 

「せやああぁぁあっ!」

 裂帛の気合いとともに、振りかぶった長刀。それを華雄は体幹を崩す覚悟で横に避けた。

 当たりはした。だが、切っ先が上腕をかすめただけだ。

 流血もあって、華雄が大きく左右によろめく。

 だが着地した明命もまた、体勢が整っていない。

 

 いずれかが先にくり出すか。それが勝敗を決する。

 先に動けたのは明命だった。刀を右手に握りしめ、突き出す。

 だが華雄の決死の一振りが、それを上から叩き落とした。

 それは片手で支え切れるものではなかった。今度は明命が姿勢を崩してつんのめる。右腕が、痺れている。

 振り上げた斧刃に首筋が晒される。

 

「もらったぁ!」

 

 勝利の叫びとともに華雄が進み出る。

 しかし、明命には元より力比べをする気はない。武器を拾い直すこともしなかった。

 明命もまた、さらに進み出る。腰の後ろに回した匕首。それを左手に持って、華雄の腹部に突き入れた。

 

 驚愕とともに、華雄の足が衝撃によって浮く。

 慟哭にも似た声を振り絞って、総身の体重を乗せてさらに押し込む。

 そして華雄とともに、地面に倒れ伏した。

 

 臓腑をえぐられ、金剛爆斧が物悲しい金音を立てた。

 もはやそれを握り直す余力は彼女にはなく、ただただ自身の吐きだす血に溺れ、むせ込む。

 

「礼を、言う」

 ゆっくり起き上がった明命を、力なく見上げる目はしかし、怨みとは無縁の、晴れ晴れとしたものだった。

 

「みょうな、豆粒にではない。この世の将の刃にかかる、ことができた。……フフ、私の一撃は、重かっただろう?」

「……はい。今もまだ、右手に感覚が戻りません」

 

 当然ながら、今日に至るまで彼女たちにまるで接点などない。

 それでもさながら師弟のごとく、尊敬の念によって目と言葉に湿り気を持たせて少女は答えた。

 

 痙攣する明命の掌を見つめながら、彼女は赤く染まった唇を吊り上げた。

 

「ならば覚えておけ。その一撃こそが、華雄だ。我が名とともに……憶えていてくれ。若き将よ」

「はいっ……」

 

 それが、呂布でもなく張遼でもない董卓軍の勇将の、最期の言葉となった。

 達成感と死闘の悲哀。相反する感情が少女に心の中で涙を流させるが、それを表に出すことはしなかった。

 丁重に骸の腕を組ませ、武器を抱かせると、声高に勝ち名乗りをあげる。

 

「敵将華雄っ、この周幼平が討ち取りました!」

 

 

 ~~~

 

 華雄の訃報が、風に乗って流れてくる。

 本陣に在ってそれに触れた詠は、指揮を奮っていたその両腕をだらりと垂らした。

 

「何よ、これ……なんなのよ、この状況は!?」

 

 小勢を追っていたはずの彼女たちは、側面に襲いかかってきた大兵あり。

 それは本来、呂布、張遼、華雄が抑えておくはずであった敵の『本隊』。『令』の旗。

 それでも絶対数においては、自分たちが勝るはずだった。

 だが、騎兵を主体としたその用兵は精妙にして狡猾。ずるずると先手を引きずり回したかと思えば、騎兵をもってその伸びきった首を討つ。

 

 完全に他の部隊と切り離され、こちらの数ばかりが減らされていく。

 機動力はともかくとして、攻撃性と即断が段違いに速い。

 

 ――自分たちが、進もうとしていたのが荊の路であったことは覚悟していたことだ。

 帝を廃し、劉協を守り立て、月を相国に任じさせそれをもって袁家を挑発。挙兵を誘いその与党を炙りだして、勅のもとに一網打尽にする。

 それが当初の計画であった。当然、諸勢力を敵に回すのだから包囲され追い詰められて負けることもあっただろう。

 

 ――だが、今自分たちは一勢力に負けつつある。

 それも、袁術ごときに。その捨て石であるはずの軍に。

 

 幸いにしてその後、呂布、張遼と徐栄が合流し、取りあえずは兵をまとめ直した。

 敵もそれに合わせて退いた。

 

 さらなる凶報が舞い込んだのは、退き時を見失って、互いに決めてを欠くがためにいたずらに対陣していた時のことであった。

 

「も、申し上げます! 西涼軍閥、我らが領へ向かい東進開始!すでに安定(あんてい)が占拠されました!」

張繍(ちょうしゅう)将軍、降伏!」

鳳徳(ほうとく)が敵方に参陣!」

「さらに長安城を包囲。高順(こうじゅん)将軍、荀攸殿がこれを防戦中、救援を乞われております」

「西涼は城攻めに疎い! 籠城に徹し時間を稼ぐように伝えよ! 韓遂(かんすい)殿に、当初の約定どおりその背を衝くよう依頼して……いや、そもそもそこまでなってるのに何故動かない!?」

「そ、それが……蜂起した五斗米道の討伐のため韓遂殿は漢中に駐屯中につき、兵を動かせぬと」

「長安では斧遣いの異人が先陣に攻め立て、さらには荀攸殿いわく、城内に敵の客将と思しき男が忍び込み、闇討ちによって部隊長が重点的に被害に遭っており、統率がままならず……落城は時間の問題かと」

「……何よ、それ……陥陣営が陣を陥されるなんて、笑い話にもなりゃしないじゃない」

 

 詠は忘我とともに再び呟いた。

 完全に故郷からも見捨てられた。陣中の端から端まで、重苦しい空気に包まれている。

 

 完全に万策が尽きている友を見かねてか、ついに月が口を開いた。

「撤収します。その準備を」

 袖を払って立ち上がった彼女を、詠は見上げた。

 口調こそ峻厳に取り繕ってはいるものの、元々心優しい性根の少女からは、すでにどこか諦めのようなものが感じ取れた。

 

 ~~~

 

「はぁ~? 勝った?」

 馬車に揺られて夢見心地であった美羽は、関係者の誰よりも、ともすれば近隣諸侯よりも遅く、その勝報に触れた。

 

「はぁ、どうにも馬騰さんが長安へ偶然攻め込んだらしくそれで慌てて敵さんが引き返したらしいですねぇ」

 ――それも、又聞きの又聞き、思いっきり歪んだ形でである。

 

 居留していた幸村らの奮戦なくして宛は守り切れず、また西涼軍閥は帰ってくる董卓軍を警戒し、本腰を入れなかっただろう。

 だがそこまで配慮を飛ばせるぐらいであれば長江づたいに廬江を経由して地元に帰ろうなどとはしてはいないだろう。

 

「おのれ彼奴ら、妾のおらぬところで勝手に勝ちよって」

「いや、お嬢様が責任ブン投げたからですけどね」

 

 そうむくれる少女の内面は、人形のごとき愛くるしい外見とは真逆のものではあったが、その不均衡、歪さをこそ、相乗りする七乃は愛している。

 

「それで、どうしましょう? こっちも宛に帰って労ったりとかします?」

「無用じゃ無用。妾はもう知らん。董卓がまた来ても、知らん」

「……拗ねちゃったよこの人」

「何ぞ言うたか? ……まぁ良い。勝ちは勝ちゆえ、早う我が家に帰って宴を開こうぞ! 菓子と蜂蜜も忘れずにの!」

「はいっ、そうおっしゃると思いまして紀霊(実三牙)さんを先に向かわせて準備させてますのでご安心を」

「そうかそうか」

 

 ホホホ、と機嫌を持ち直して哄笑する美羽ではあったが、その馬車が突如大きく揺れてその小柄な身が浮いた。図らずも、向かいの七乃に抱きつくかたちになる。

 

「な、なんじゃ? 急に止まって、大きめの石でも噛んだかえ?」

「美羽さま」

「ぎゃあっ!?」

 

 その帳を払って、強面の女が現れた。

 今少し表情を緩めれば見れた多少は見れた顔になるだろうが、番犬のごとき雰囲気は、やはり親しみに薄い。

 

「あれ? 実三牙(みみが)さん、こんなところでなに油売ってるんです?」

 

 さらに強く縋りつく主をまんざらでもない様子で抱きすくめながら、七乃は紀霊を糾弾する。

 それを睨み据えながら、というよりもそういう顔しか出来ないのだろうが、重たげに、厚みの足りない唇を開く。

 

「申し訳ありません。奪われました」

「奪われた、何を?」

「城です」

「城って、どこのじゃ?」

「寿春が」

「なっなんじゃとー!? というかそれを早く言わぬかこの駄犬め!」

 

 この時ばかりは正しい指摘のもとに実三牙を叱責し、膝を屈して詫びの姿勢を見せる彼女に改めて詳細を求める。

 

「そ、それで、妾の城を奪った愚か者は誰ぞ!? 劉曜か、曹操めがついに本性を表しおったか!? それとも董卓の別動隊か!? あるいは麗羽めがそこまで勢力を拡大しおったのか!?」

陶謙(とうけん)です」

「……は?」

 

 挙げられたのは、また微妙な名である。

 脱力感さえ覚える。

 

「陶謙って、あの今にも死にかけの、風が吹けば飛ぶような雑魚じゃろ? 徐州(じょしゅう)の」

「はい」

「……お主、そんな者どもに負けたのかえ?」

「恐れながら、弁解をお許しいただきたく」

 

 さらに形相険しく、膝を擦って実三牙が進み出る。

 軽く怯える少女に向かい、愚直な忠臣が申し述べた。

 

 

 

「陶謙はかつての陶謙ではありませぬ。そこに行き着いた天の御遣いが兵制、法制を独自に改善。近隣の商圏を丸め込んで基盤を立て直し、(はい)(ちん)親子がこれに恭順。今や東方随一の大勢力となっておりまする」

 

 

 

【華雄/恋姫……戦死】



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曹操(二):風は戦火より

「あーもう、だからこーゆーのは、本人に聞くのが一番っすよ!」

「や、止めましょうよ姉さん……失礼でしょう?」

「ん? 姉妹そろってどうされた御両所」

「ねーねーオシュっち、聞きたいことがあるっす」

「おしゅ……」

「ん、なんか言いにくいっすね。じゃあオシュトンで」

「さほど略せてはいないように思えるが……まぁ呼称はさておき、某にお答えできることなら、何なりと」

「実は兵たちがウワサしてるんすよ。オシュトンになんか獣の耳とか尻尾が生えてるって。で、実際のところどうなのかなーと思って確かめに来たっす」

「……すみません。根も葉もないことを」

「ははは、構わぬよ。むしろ陰口を叩かれるより、華侖(カロン)殿のごとく直截に尋ねられた方が小気味よい」

「で、実際のとこどうなんすか?」

「……いや、そうだな。しばらくは秘密ということにしておこう」

「え、何故でしょうか? そこを否定しないと、もっとあらぬ噂が広がってしまうのでは?」

「いかに口頭で否定したところで、疑惑とは容易に晴れぬもの。文字通り尾ひれがついていようといまいと、我が行い我が戦を見て、諸人には某のことを知ってもらいたいのだ。柳琳(ルーリン)殿たちには、苦労をかけてしまうが」

「いえ、とんでもない。……むしろ肩身の狭い思いをさせてしまって恐縮です」

「え、証明するとかカンタンじゃないっすか? ……脱げばいいっすよ!」

「姉さん!?」

「さぁさぁ、そんなゴチャゴチャした服とか全部取っ払って、裸の付き合いするっすよ!」

「……む……」

「あ! なんかスーッと良い感じに逃げないで欲しいっす! 待てーっ!」

 

 ……調練の最中、眼下で繰り広げられる喜劇のごときやりとりを、丘の上に陣を張る華琳は笑いを押し殺すのに苦労した。

 

「会った時は息苦しい堅物かと思ったけど、存外になじむじゃない……右近衛(うこんえ)大将、オシュトルか」

 

 そう感想を漏らす彼女の耳元で、可愛らしい咳払いが聞こえてきた。

 猫耳の飾りで頭を覆う小柄な少女が、わずかに妬心を滲ませて興味を自身へと引き戻さんとしている。

 

「あぁ、動静の報告だったわね。桂花(けいふぁ)、続きを」

 

 新たに加えた軍師、荀彧(じゅんいく)は傍らで表情を引き締めた。

 

「先に申し上げましたとおり、西においては袁術軍……というよりもその御遣いが董卓軍相手に勝利。損害自体は微々たるものですが、華雄を失って董卓軍は撤退し、陥落した長安の奪回に向け転身しました」

「……で、その引き金となった洛陽はどう?」

「不気味なほど沈黙を続けています。四方の勢力のうち、董卓追討の命を授けたのは袁術と西涼閥のみ。直属の兵力を動かす気配もありませんし、あれほどいがみ合っていた十常侍と何進も、今は互いに牽制のみ続けています」

 

 もし司隷(しれい)に必要以上の勢力を乱入させれば、第二の董卓を生みかねない。

 昨今の朝廷にあるまじき、妥当な判断と言えるだろう。

 

「北は?」

「袁紹軍は勢いに乗る公孫賛に攻め立てられて鄴を放棄。青州(せいしゅう)に落ち延び、そこで防戦を強いられています。互いに互いを朝敵と奏しているようですが、対朝廷の外交においてはやはり多くの縁故と家名を持つ袁紹が上を行きます」

 

 華琳の目が燃えるごとくに閃く。

 桂花はそのことに気が付いたようだが、あえてそこで区切って言及せず、諜報の成果を再び読み上げ始めた。

 

「荊州においては刺史王叡(おうえい)を殺害した孫堅(そんけん)が後任の劉表と争っていますが、中原から流入した大量の将士、御遣いを抱え込む劉表が物量でこれを圧倒。その拠点長沙(ちょうさ)を占領し、武陵(ぶりょう)にて最後の決戦に及ぶ模様」

「怖いわね」

「恐れながら、いかに有能な士を得ようとも劉表に扱いきれましょうか。遠からず膨れ上がった勢力を御しきれず、派閥争いにより自滅しましょう」

「違う。そっちじゃない。……あの猛虎を前線に立たせず隠忍させる『誰か』が、ついたってことがよ。でなければ、今頃流れ矢にでも当たって横死してるんじゃないかしら」

「……っ! すぐに追加で調査を命じます」

「さらにその南もね」

 

 踏み込みの甘さを自覚し、桂花は顔を紅くした。その姿で眼で楽しみながら、さらなる報告を促す。残りは……もっとも身近な関心。東である。

 

「――陶謙の邁進は、異様そのものです」

 

 桂花は、いや荀文若であるからこそ、分かるのであろう。

 元より陶謙は独立の気風の強い勢力である。

 義に篤い人道家として知られてはいるが、その実態はまるで違っている。

 帝を僭称する賊などと平然と組み、自分に従わない豪族や他の小領主へその賊徒や彼らにより追われた避難民を『放流』。混乱を起こしておきながら討伐を名目に乗り込み、どさくさに掠め取って直轄地とするという梟雄である。

 自分たちにも同様の手段で賊を入れさせられたことは比較的新しい記憶だ。

 

 だがそれは、場当たり的なものでしかない。何か生き急いでいるかのような感じさえしていた。勢いはあっても、兵は弱い。

 

 だが今は違う。

 既存の朝廷の物差しを放棄し、自領で定めた独自かつ公正な司法機関を作り、治安を安定。

 流民や賊を積極的ではないものの受け入れ、彼らを開墾や土木工に従事させた。

 さらには傘下の家臣に所領と裁量を与えて間接的に支配することで指揮系統を明確化。これにより即時かつ大量の兵の動員を可能にした。

 ともすれば独立、謀反を招きかねないが、今のところその報には触れていない。

 

「さらには寿春を速攻で奪い、水運の道を確保。それによりさらなる収入源を得るつもりか……政戦両略……いや戦が政の中にあることを弁えた食わせ者ってところね」

 

 華琳の漏らした感想に、ぞっとしない様子で桂花が首肯を返した。

 この天下、その発想に行き着く者がどれほどいるというのか。

 

「それに関連し、別途報告が。その袁術が我が方へと支援を求めて来ました。陶謙攻めを行うので、疾く参ずるようにと」

 

 文面そのままなのだろう。あからさまにこちらを下に見た物言いに、申し述べた桂花は露骨に不快げだ。

 

「今更見捨てた連中に詫びを入れる厚顔さは、さすがにないか……」

 いや、その恥を持たぬがゆえの袁術か。大方、一度は手放した宛を捨てることも出来ず、かと言って寿春も諦められない、どっちつかずの対応といったところであろう。

 

「……さて」

 大方聴き終えたところで、華琳は背後を顧みた。

 

「短期間にここまでよく調べ上げたわね」

 そう言葉をかけたのは桂花に対してではない。さらにその後背に伸び上がった、男の影に対してである。

 

 すらりとした体格。無駄な筋肉を持たず、無精髭を顎に蓄えてはいるが端正な鼻筋を持った青年だった。

 腰に佩くのは片刃の利剣。濃紺の外套をまとい、表情は狷介さと冷徹な為人をよく顕している。

 

「……約束だ。弟もきっと『ここ』に来ている。それを捜すのを手伝ってもらうと」

「援助はしているでしょう? 貴方に間者と元手を預けて、その教育と組織化を命じた。つまりは弟というのを見つけられるかどうかは、その『牙』をどこまで長く鋭く研ぎ澄ませられるかにかかっている。でしょう? その方が、貴方もやりやすいんじゃなくて?」

「……ちっ、食えん女だ」

 舌打ちした男は、一礼も捧げることなく踵を返す。

 

「待ちなさい、曹操さま相手に、無礼な!」

「捨て置きなさい、桂花」

 彼は、『元』義賊だと名乗った。

 つまりは権力者や貴族に対して反骨心を抱くものであり、本来であれば覇道に突き進む自分とは真逆に位置する人間ということだ。その狼を縛るには、その鎖をある程度長く伸ばしてやる必要がある。

 

 その影が見えなくなったあたりで、あらためて桂花に尋ねた。

 

「内については、どうか」

 と。

 

「あいつ以外にあらためて確保した二人の御遣いですが、『ビゼンノカミ』だの『オーミ』だの言ってた方は恭順の姿勢を見せています。もう一人は……」

「まだ、話せる状態でさえない?」

 

 桂花は珍しく口に濁した。

 あの異人を拾い上げた時、傷ついていた。

 肉体がではない。もし生前の傷を引き継ぐようであれば、ほぼすべての御遣いは天から堕ちた時にすでに骸であっただろう。

 

 だが、彼は、あれはすでに、心が死んでいた。

 何を語り掛けても反応はなく、自分が置かれた状況に、生前に行われたであろう仕打ちに、すべてに絶望し、打ちひしがれて食事さえ満足にとれずにいた。

 ただ時折何かを思い出すらしく、首を撫でさするしぐさをする。それのみだった。

 

「……もう一方の境遇にも相通じるところがあるらしく、あの者の懸命な語り掛けでようやく回復の兆しが見え始めたところです。といっても酒を痛飲しては、自分のせいで殺されたという母や妻の名を呼んではメソメソと女々しく泣きわめく始末で……正直に申し上げても?」

「なにかしら?」

「無能無用の者を養う余裕はありません。御遣いだか何だか知りませんが、二、三人抱えておくだけで喧伝としては十分でしょう。氏素性の知れない、ともすれば騙りかもしれない野良犬を過度に拾う必要を、感じません」

 

 桂花の弁はある程度筋の通ったことではあった。大元の理由としては『それらに関心が向かうだけ、自分の寵が薄れるのではないか』という不安なのだろうが。

 

 華琳は桂花を手招きする。彼女の『子房』は、その意図を察して足下に屈した。

 

「『自ら師を得る者は王たり、友を得る者は霸たり、疑を得る者は存し、自ら謀を爲して己に若くこと莫き者は亡ぶ』」

 

 謳うがごとくに唱和したそれを耳にした桂花は、意外そうな眼で少し顔を持ち上げた。

 

「荀子ですか……儒はお嫌いかと思っていました」

「別に儒そのものは嫌いじゃないわ。上下関係を明確にする教導としては、たしかに道理が存在する。憎むべきは、それを言い訳に時代が前進することを阻む連中」

 

 かく言う荀彧こそがその荀子の系譜であるが、もし今この時華琳が厭うと言えば、祖父以来の教えをあっさりとかなぐり捨てるであろう。

 

「この曹孟徳の師たる者、友たる者、臣たらんとする者はみずから光を放つ才人でなければならない。だから野良犬だろうと御遣いだろうと、才あれば重く用いる。貴女も、そしてその男にも才を見出したから採った」

「――曹操さまの深謀と大志を推し量れず、無礼を申しました。お許しくださいませ」

「真名を許す。華琳と呼びなさい、桂花」

「……はいっ! 華琳さま!」

 

 爪先を持ち上げると、喜色満面、陶然とした様子でそこに唇をつける。

 このふたりの歪ながら何者にも侵しがたい関係が生まれた瞬間であった。

 

「――さぁ、おしゃべりはおしまい。兵を動かす。……どこを攻めるべきか、分かるわね?」

「無論です。まずは北の始末をつけるべきかと」

 

 華琳が立ち上がりかけると、唇を名残惜しげに離して桂花は即答した。

 公孫賛は自らの汚点を払拭するかの如く、苛烈に版図を広げているが、体力面でも兵站面でもその軍事行動には限界が近づきつつある。そこに付け入る。

 

「その間に南と東西を引っ掻き回してくれるというのなら、袁術との盟もやぶさかではない。ただし、条件に例の『鉄砲』というのを貸与してくれるよう盛り込んで。李典(真桜)が欲しがってたから」

「ご心配なく、すでに」

 

 御遣いの登場とともに、どこからともなく流れ着くようになったその新技術に、眼をつけないわけがない。

 そしてその優位性にあの小娘が気づいているかどうか。それによって長期的に組むかどうかも判断がつくというものだ。

 

 ――だが、しかしとも思う。何気なく下した視線が、オシュトルのそれとかち合う。

 たしかに桂花の懸念も正しい。おそらくは今までこちら側に引き込んだ天の御遣いたちは皆、それぞれに信念や思惑があって自身に従っている。他の者のように心腹したわけではあるまい。

 

(けどそれが良い)

 

『自ら師を得る者は王たり、友を得る者は霸たり、疑を得る者は存し、自ら謀を爲して己に若くこと莫き者は亡ぶ』

 

 だが実際はどうだ。

 自分の器量と予測の中に、敵も味方も収まっている。仕えた者は誰もが心酔し、明確に否を唱える者がない。

 それが常の不満だった。

 そも、彼女は野心あって天下をうかがい、覇道を往くのではない。

 

 自分の敷く道こそが皆にとっての最善だと信じているからこそ、彼女は進む。

 自分の導く答えこそが天下にとっての最適解だと考えるからこそ、彼女は行う。

 

 だがその裏で、渇望もするのだ。

 それ以外に道があるなら示してみせろと。

 それ以外に天下の姿があるなら、見せてみろと。

 

 おそらくその渇望は、延々と覇者の中で疼き続けるのだろう。

 覇者なればこそ、臣ではなく心のどこかで友を求めている。

 ――頭脳に絶えず差し込む、痛みとともに。



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江上の焔
馬騰(一):馬上母過ぐ


 長安、陥落。

 過去、秦朝漢朝において幾度も首都を務め、軍事、交易の要衝となっていたこの地も騎射部隊と内から切り崩されたことによって幾度目かの落城を迎えた。

 そしてそれは、人が欲を捨てぬ限り、これからも続くであろう。

 

 この攻城戦の最大の功労者たる男は、門を内より開けさせた。

 守将であった高順を引きずり回し、三百ばかりの部下を伴って外に出た。その少年のごとき肉体、細腕からは想像もつかない腕力で、抗うことを許さない。

 それでも暴れんとする虜囚を歯牙にもかけない。

 常に笑うがごとく細められた目は、一度も歪むことがない。

 

「御目当ての人、連れてきましたよ」

 

 そう言って捉えた彼女を、大地に向けてぞんざいに投げつける。

 

「ただ、軍師には逃げられちゃいました。思ったより抵抗が激しくて」

 さほど後ろめたさを見せず、言う。その背にある城内は血潮に満たされている。それを、もう一人の天の御遣いは苦い顔で睨んでいた。

 

 西涼の女王は、そんな彼らの間へと、高順の下へと進み出る。

 波打つ甘い色味の髪。光に満ちた眼差し。

 下馬し、下問する。

 

「高順だな」

「殺せ」

 

 諾否もない。陥陣営と謳われた猛将は、ただ黙して短く死を乞う。

 

「生殺与奪は我にあり」

「ならば、殺せ」

「よくぞ申した。されば、西涼太守()寿成(じゅせい)が勅命に従い裁可を下す」

 

 衆人環視の中、馬騰(ばとう)は腰刀を抜いた。

 硬骨の士の最期である。惜しむかのごとき目があった。機会あれば諫めようという臣下もいた。むしろ死なせてやることこそが華であろうという腕組みする羗族の姿もあった。

 

 その中で、環手の刀を一気に振り下ろした。

 さしもの勇士も、その剣圧に硬玉のごとき目をつぶる。

 

 

 

「じゃ、殺さなーい」

 

 

 

 ……あっさりと。

 あっけらかんと。

 馬騰は手を退いた。

 

 董卓軍において第四の武人の処遇に対し様々な反応が向けられていたが、宗族も真価も協力者も、皆この時は一様に唖然としていた。

 

 そんな様子を知ってか知らずか、ヘラヘラと馬騰()は笑っている。

 

「いや趣味じゃないんだよなー、戦場の外で血を流すのとか、無駄じゃない? 戦場は殺すかもしれない。殺されるかもしれない。あとは笑って酒を呑む。そんで良いじゃない? 好き好んで涼州の士が戦場以外の場で命を奪い合いをする必要もなかろうに。おばちゃんそう思うよ?」

「いや……わたし、涼州人じゃ……」

「ん? そうだったか。まぁ良いじゃないか、これから涼州人になれば」

 

「は、母様~?」

 さしもの長子馬超の凛々しい眉も追撃に備えた槍の穂先も、脱力とともに下がるというものだ。

 子の心、親知らず。虜囚もそのままに呵々大笑のうちに入城した。

 

 ~~~

 

「高順殿は、一応は恭順の意……というか反抗する気も薄れたようで、大人しく房の中に収容されました。後背の『叔母上』はまだ陽平関(ようへいかん)にて張魯(ちょうろ)と対峙。ただ、あの金蘭様のことですから、片時も油断はできません。駅舎をここまでの街道筋に仮設し連携の密に、そのうえで監視を続けます」

 

 内外の情報を一通り報告し終えた馬休()の口に、碧は白い丸薬のごときを投げ入れた。

 

「ほんっとに後ろを顧みられる良い子だよお前は。お母さんがご褒美に酪をやるよ」

 

 嬉しいような気恥ずかしいような、それでいてもうちょっと真面目に話を聞いてほしいといった複雑な表情で、(るお)は発酵乳を固めたものを舐め始めた。

 

「御遣い殿たちも、ようやってくれた。慣れない土地にも関わらず、獅子奮迅のお働きだ。どうだ、酪いるか?」

 

 褒めると同時に差し出したモノを、それとなく彼らは拒む。どうにも、口に合わぬらしかった。

 

「……正直、そいつのは褒められたやり口じゃなかったけどな」

 

 翠は険しい顔を、笑う男へと向けた。

(それはまぁ、こうなるだろうな)

 西涼人の気風そのものというべき娘たちとこの男とでは、まず噛み合わぬだろう。

「えーっ、僕のおかげで勝ったようなものだと思うけどなぁ」

 男が自負し、大言を吐くように、人死には、正面切ってぶつかるよりもはるかに少なかったはずだ。そも、城を落とせていたかどうかさえ怪しい。

 

「まぁ西涼軍閥(ウチ)はほら、自由な職場だからさ。それぞれが好きなようにやれば良いのさ。そこに善悪は問わないよ。補給がしたければ補給を、攪乱がしたければ攪乱を、突撃したけりゃ突撃を、暗殺したけりゃ暗殺を、ってな」

 

 なはははは、と笑い飛ばすと、少し辛みのあった軍議の場は和みを取り戻した。

 

「いやー、感謝します、馬騰殿。貴方は理解ある方のようで何よりです」

 

 ただ、と離席の直前、横顔を向けた。

 

 

 

「僕は、歴とした『将』だ」

 

 

 

 笑うがごとく目を細めた、幼い顔立ち。だが実際には翆たちよりも一回り以上年上であろう。

 その眉間には、ぞっとするような鋭さが潜んでいる。

 

「今回は必要だからやっただけで、もし同数の兵を率いて勝負するなら、きっと僕がこの場の誰よりも強い」

「……悪かったよ。今度は、董卓が相手だ。嫌でも全力を出してもらわんといかん」

「良いですね、楽しみにしてます」

 

 張り付くような愛想笑いと社交辞令の後、彼は後ろ手に扉を閉めた。

 

「……不遜なヤツめ!」

「まぁ、当然じゃないか? あいつの出自が吹聴(フカシ)じゃなければ、あの態度も納得だ。そうでなくとも、武勇と指揮の程の見ればな。っていうか凄いよなぁ、なんたってあの廉」

「母様は悔しくないのか!? あたし達馬家だって武門の家柄なのに、あんな男に馬鹿にされて、そんなんだから朝廷にも舐められてこんな風に顎で使われるんだっ!」

「おぉっ、熱いなぁ」

 

 もっとも、あの笑い男は特別馬家を小馬鹿にしたわけではなく、彼なりに客観的な事実を述べただけだったのだろう。

 それを知るからこそ、擁護も否定もしない。

 

「まぁ私は半分隠居の身だ。本当に気に食わないっていうのなら、お前の好きにしたらいい。久々の柔らかい寝台だ。一足先に堪能させてもらうよ。じゃあな、おやすみ」

 などと口早に言って、娘の鋭鋒を避けるべく席を立つ。

 

 

「――母様は変わられたっ! かつては西涼の獅子とさえ恐れられた武人だったというのに、今は見る影もないッ」

「えー、私は今のお母様の方が好きだなぁ」

「たんぽぽもー」

 

 そんな会話が、壁を通り抜けて聞こえてくる。

「……好き放題言ってくれるなぁ」

 特別耳をそばだてたわけではなかった。ただ壁に寄りかかっていたから、それが聞こえてきた。

 

 扉が少し乱暴に開けられたので、碧は軽く慌てて身を起こした。

 

「あぁ、なんだお前さんか」

 現れたのは青髪の斧遣いだ。

 じろじろと碧の顔を無言で見つめているので、

 

「おいおい、夜のお誘いなら娘たちにしてくれよ? なんなら複数でも多分受け入れてもらえるぞ」

「抱きたいわけじゃねぇよ!」

 

 打てば響く見事な反応ではあった。

 碧としては三割ほどは本音だ。竹を割ったような快男児で、武勇にも優れている。昔彼の世界で似たような騎馬の民と関わりを持っていたようで、涼州の将士とも短期間でよく馴染んでいたし、娘たちも皆なついていた。

 自分とて、もう少し若ければ閨を訪れたいほどの好漢である。

 

「あー、なんだ……その」

 ただこの時ばかりは、その快活な男の歯切れが悪かった。

 ひどくもどかしげで、何と会話を切り出していいか困り果てている様子だった。

 

 がしがしと後ろ髪を梳り、やがて意を決したかのように切り出した。

 

「勘違いだったら悪い、聞き流してくれ」

 と前置きしてから、深く息を吸って彼は尋ねた。

 

()()()()()()()、あいつら知ってんのか」

 

「……ん~、何のことだね?」

 問い返す。その声は、自覚があるほどに強張っていた。

 

「なら、良いさ」

 自分の勘違いだったのなら。

 あんたが隠し通すつもりなら。

 

 二重の意味に捉えることのできる短い相槌の後で、肩をすくめた。

 

「じゃあ勘違いひとつでもう一つ……それがあいつらにとって辛いことでも、早めに告げてやってくれ。突然失って、そして託される方は、たまったもんじゃねーんだ」

 

 この男にも、そういう過去があるのだろうか。

 去り際に見せた横顔は、燭によって深い陰影が刻まれていた。

 だが背を向けた後の声はカラリとしたもので、「水浴びして寝る」とだけ伝えて手を挙げて去っていく。

 

 ふたたび、碧は首を壁へともたれさせた。

 あぁ、と低く見せる天井を見上げる。

 

「あと十年、いや五年早ければなぁ……」

 

 力ないその独語は、誰に聞かせるまでもない、己自身の嘆きだった。



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孫堅(一):虎の城

 その女が軍議の場に現れると、一同は皆一様に身を正した。

 年齢を感じさせぬだが十分に(しし)を置いた豊満な肢体を浮き彫りにした、その覇者の装束こそ風紀的とは言えないが、総身から漲る生命の鋭さがそうさせるのだ。

 

「先に仕掛けてきたのは、連中だ」

 

 沓音を鳴らし、すらりと足を伸ばして進み、女は言う。

 

「家を奪われ露骨に田舎武者と舐められ、挑発され、追いやられた武陵(ココ)で、据わりの悪い椅子にケツをつけてる」

 普段は宗族だろうと臣民だろうと表裏なく接する女傑ではあるが、一方で分け隔てがないからこそ、狂猛な本性をも惜しみなく剥き出しにする。

 こと、不機嫌であればなおのこと。

 

「だのに()()は、反撃はよせとか抜かしたな」

 

 その据わりの悪いという椅子に腰を下ろし、正面に立った黒髪の若武者を冷ややかに見つめた。

 

 淡麗な白皙を持つ容貌は柔らかく、されど戦場においては鬼神のごとし。

 彼の友人を始めとした同志たちはかつてそう評した。

 現に孫呉陣営に迎え入れられてからは、区星の討伐などで並ならぬ武功を挙げている。

 だが、そんな彼であってもこの場においてはさしもの彼も背に額に冷汗を覚える。

 

「何だったけか。劉表とコトを構えてオレが無茶攻めをすりゃあ、伏兵に遭って死ぬ? 歴史がそうなってるだ? 腑抜けたこと言いやがって」

 

 ギシギシと椅子が軋む。それは体重のためではない。それを指摘すれば殺されよう。

 静かに溜められる怒情が、過剰な負荷をそこに与えているのだ。

 

 一度座りはしたものの、慣れぬ座にてやはり心地が悪いらしい。

 女帝が、孫軍閥が長、孫堅文台が起つ。その真名のごとく炎蓮(いぇんれん)が双眸に閃く。

「問う」

 歩き出して青年の前に寄り、抜いた剣先を喉元へ向ける。

 

「貴様は呪い師か? それとも天の御遣いだから、先のことが判るというのか」

 

 下問。恫喝じみたその語気に触れれば、並の人間であれば意気が彼方へ消し飛ぶであろうが、そこは耐えた。

 

「それは私が、私であるがゆえに」

 しばらく考えるような時間の後で、彼は汗を拭わず答える。

 

 かつて、彼は一大決戦の将帥としてある地に立った。

 敵方の将の裏切りを機と見て、周囲の懸念を押し切って攻勢に出た。

 だがそれは、罠。偽りの投降であった。

 今にして思えば、裏切るはずのない重鎮。寝返りなど起きようはずのない戦況、そして兵力差だった。

 

 だが、名に溺れ、紛い物の希望に縋った。明徹な友への軽からぬ嫉妬も手伝ったのかもしれない。

 結果、相手の望む状況に引きずり込まれ、武門の誇りは銃火器によって一方的に消し飛んだ。

 己を生かすために多くの士が討たれ、結果弱体化した家は衰退し、敗亡した。

 

 すべてを諦めていた己が身を異界に在るは、おそらくその悔恨ゆえに。

 

「……闇の中にひとりでに見える道というのは、総じて易き道です。あえてそれを見せる何者かが潜んでいます。どうか孫呉の当主として、それを」

 

 言葉を遮ったのは、炎蓮の手であった。

 若者の髪を遠慮もなく掴み、首を反らせて喉元を曝す。

 

 慌てた娘たちが進み出ようとしたその時、

 

 

 

「上出来だ」

 

 

 

 と、炎蓮はニヤリと笑った。

 

「虎にとって一番強い時ってのは餓えてる時よ。つまり今こそがそれだ。さぁ、今まで溜めに溜めた鬱屈の牙、劉表の喉笛に突き立ててやろうじゃねぇかぁ!」

 

 鶴の一声ならぬ虎の一咆。

 嫡子孫策(そんさく)以下、猛者たちが鬨の声を挙げて柱を震わせる。

 若者にしても、名軍師周瑜(しゅうゆ)の差配のもとに軍法究れり、戦機は十分に整ったと見たゆえに、もはや何も言わなかった。

 

 ――もし「自重すべし」という進言が、なまじ知恵者や占い師のごとく見識ぶったものであったのであれば、たとえ同じ発案であったとしてもその者の首は無かったに相違ない。

 

 いかに周瑜の同調があったとは言え、この若者なればこそ、孫堅を押しとどめられた。

 戦を知り、激情で軍を動かす危うさを知る、愚直な彼なればこそ。

 

 覇王が自分の至近より去り、息をつくと同時に、今までの労苦が若者の一身にのしかかる。

 (くずお)れかけた彼を支えるべく腰に手を差しいれたのは、孫呉が宿老黄蓋()である。

 

「おい、大丈夫か、(ボン)?」

「大事ない。黄蓋(こうがい)殿、お気遣い痛み入る」

「まったく、見てて寿命が縮んだわよ。あっ、私のことはもう雪蓮(しぇれん)で良いからね」

 

 ()()()()()()()()()()()()、笑えない冗談を片目をつぶって飛ばし、孫策は快活に微笑む。

 母とよく似た髪の色、質感。そして覇気と眼光。否が応にも孫武より続く武神の血統を感じずにはいられない娘であった。

 

「で、実際のとこはどうなのよ? これで母様が死ぬ運命とやらは回避できたのかしら? と言っても、私はそこまで信じてないけど」

「……実のところ、分からぬ」

 

 おいおい、と(さい)は表情を翳らせ、

 彼女にとっては己が命よりも大事な主君の去就である。

 

「私はあくまで武士。あくまで教養として触れたのみで、さほど故事に通じているわけではないからな。それに」

「劉表方は大量の御遣いを抱えている。敵侵攻軍の主力は彼らで構成されている」

 

 会話に、周瑜(冥琳)が割り込んできた。曲に誤りあれば周郎顧みるとのことだが、こと戦話においても興が乗ればその美貌を突き出してくるらしい。

 

「奴はいくらその名が割れようとも、予備知識がない状態ではな。現状に至るまで、互いに目隠しして殴り合っていたような状態だ」

「そうなのよねぇ、そこが難しいところでもあり……」

「でもあり?」

「楽しみでもあるのよねぇ……!」

 

 ふふふふ、と少女めいた哄笑を浮かべる雪蓮に、盟友は苦い顔をする。

 

「もしその未知の敵に取り囲まれて孤立しても、助けないからな」

「あら冷たい。とんだ女房殿を持ったものね」

 

 容赦も呵責もない毒舌の応酬。だがそこに相手を傷つけるようないやらしさはなく、乾風のごとくあっけらかんとした小気味よさがある。

 その陽気は周囲に伝播し、笑いが広がる。

 つられて、若武者も笑った。

 

(幾久しく、こう言った日々とは無縁であったな……)

 だからこそ、彼は願う。そして微力を尽くさんと願う。

 己がその輪に入れずとも、弥栄(いやさか)にこの『虎の家』の営みが続くようにと。

 家族を、友を、家臣を、民を、土地を、すべて手放した自分に出来ることと言えば、一将として槍を振るうことぐらいなのだから。

 

「でも、『今までは』、なのよね」

 ずらした本人によって話題が本道へと立ち戻る。

 若武者は少し笑みを引きしめて応えた。

「……あぁ、私のかつての食客だった男が、劉表方に与しているのを見た。同じ師を持つ相手だ。その優劣はともかく、互いに手の内は知っている」

「それ以外の者についても、素性は知れずともここまでの交戦で敵の戦術癖は察しがついている。あとは天命次第と言ったところだろう」

「さっすが私の冥琳(めいりん)ね」

「何が『私の』でどう『さすが』なのかはさておき、準備があるので先に出る」

 

 今回の策戦の総軍参謀は、苦笑とともに踵を返した。

 

「……()()()()()()、借りていくぞ」

 

 そう告げて、部屋の片隅にいた黒髪の少女の肩を掴んで伴って。

 

 

 

「やーね、浮気?」

「ははは、策殿ばかり相手にしておっても肩が凝りましょうて」

(……こういうところは、未だ馴染めない)



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劉表(一):霧の果て(前)

(嫌な霧だ)

 男は長沙城の壁に上り、息を吐いた。

 既にしてここに来て劉表に拾われて孫家と戦を交えることとなり、気づけば秋である。

 この霧では色づく葉を眺めること能わず。そもそも、自分に風流を愛でる生き方などできようはずもない。

 良いものは良い。悪いものは悪い。自身の物差しで国も、人との交流も、大半の事物をそう割り切ってきた。

 否、切り捨ててきた果てに、自分は死してここにいる。

 

(嫌な、霧だ)

 男は再び思った。

 だがそれはこの濃霧に限った話ではない。苦い記憶が、彼にこの自然現象を嫌悪させるのだった。

 

()()()を思い出しますか」

 

 やたら斜に構えたような物言いが、背より降りかかる。

 陣羽織をまとった偉丈夫が、からかうように唇を吊り上げている。

 

 彼に、彼らにしてみれば笑い事ではないのだが、その後悔を緩和せんとするこの腹心なりの計らいであったのか。

 この世界に降り立ち、あてもなく荊州に流れ着いた先に、この男がいた。

 互いに驚き、そして彼にしては珍しく素直な喜びと、そして慙愧を打ち明けた。自身の軍師は、いつもの通りに、屈託なく笑い飛ばしてそれを受け入れた。

 

「別に……過ぎたことをあれこれと悩むのは愚か者のすることだ」

 唇を硬く引き結び、ニコリともせず答える。それが虚勢であることは

 飄々と肩をすくめた男は、自分には到底作れないであろう笑みとともに彼は言った。

 

張燕(黒羽)さんが偵察から戻ってきました。ようやく孫堅さんがお出でになったみたいですよ」

 

 ~~~

 

「やっと出て来たか! 腕が鳴る!」

 

 そう勇んで拳を打ち鳴らしたのは魏延(焔耶)である。粗野で男性的な性格を持つが、他と同様に顔立ちの整った娘となっている。

 黒白がきっちり分かれた特異な髪型をしているが、彼はもっと奇抜な髪をしている問題児を知っているので驚くには至らない。

 

 今回の戦においては黄忠(紫苑)とともに目付役となっている。

 大方は今後重用すべきは何者かを、見定めることが役割と言ったところか。

 だがその本分を忘れ、単身で出撃しそうである。これもまた、先に思い浮かべたのと同じ人間を想起させる。

 

 だが、他の人間はそれほど軽率ではないし、馬鹿でもない。

(もっとも、色物には違いない)

 男は苦笑とともに顔ぶれを窺う。

 

 老将、というよりも成熟した色気を持つ黄忠。

 先に偵察を終えたばかりだが溌剌とした活力に満ちた黒山(こくざん)よりの賊将、張燕(ちょうえん)

 後世、その彼女よりもはるかに勇名を馳せることになる、紫髪を結わえたとある美将。

 

 平懐者とかつては揶揄された、自分の主。

 彼と同様に、終始ブスッとした様子の、創面の異人。

 

 ――そして、

 

「大将殿のお考えは?」

 紫苑が柔らかな声音で、青髪の青年に問いかける。

 青髪の、若くもそれなりに成熟した年齢と精神性を持つ勇者である。傍らには、その家臣だという胡瓜のごとき緑髪を角張った顔の上に生やした、大鎧の巨漢がいた。

 自分たちとは違う世よりの、そして自分たちと同じ落人。

 

 彼は何も言わない。

 明指揮能力は今日に至るまでの実績を見れば判るが、明確に戦意を持っていなかった。

 

「司令官としての役割を果たして貰わねば困る。ただ黙して城に身を置き日和見を決め込む大将など、張子より劣る」

 

 主君は辛辣に自分たちのまとめ役を非難した。

 だがその重臣という巨漢が睨んで凄んだだけで、青髪の大将自身は瞑目したまま何も言わない。

 

「貴様、珍しくマトモなことを言ったではないか。ようやく大魚が釣れたというのだ。それを叩き潰すことこそ本懐!」

「馬鹿か貴様は。誰が貴様の猪突に同心すると言った?」

「あ?」

「討って出るにせよ籠城して劉表本隊を待つにせよ、そこの男に断を下して貰わねば困るというのだよ。この程度のことも分からぬものに、『マトモ』な言葉など通じるはずもないだろうがな」

「……なんだその言い草はぁ!?」

 

 正論にせよ、横柄極まりない。

 今日に至るまでに焔耶が彼と会話してはしばしば激発するのも無理らしからぬ。

 

 どうしたらそこまで悪意もなく罵詈雑言や皮肉の類が自然に出てくるのかと、すでに慣れた付き合いながらも、それを支える者にとっても永遠の疑問であり、悩みである。

 

 内心でため息をひとつこぼし、偉丈夫が代わりに前のめりになって自身の考えを述べた。

 

「たしかに吊り出せた。だが問題は、こちらの挑発はのらりくらりとかわしてきた敵さんが、どうして今になって出て来たかってことです」

「それは、いよいよ痺れを切らして出てきたということだろ。江東の荒くれ者どもであれば、総大将自ら先陣争いに加わったところで不思議ではない」

 

 それをあんたが言いますか。そう思いながらも彼は主と違い、あえては口にしない。

 

「……かもしれませんが、おいそれと城を空けるわけにもいきません。ひとまず、先に黒羽(ヘイユィ)さんには文聘(ぶんぺい)さんの水軍にツナギをつけてもらって、江上より監視を強化してもらいました」

 

「どれほど要る?」

 青髪の男は立ち上がって問う。

 きちんと聴く耳は持っていたらしい。

 

「軍師殿、出撃のうえで野戦にて敵を迎え撃つとして、その攻め手と守り手の兵力はどれほどの配分とするのが良い?」

「……半々と言ったところでしょうな。もっともこれは撃滅するんじゃなくて、追い返すのに必要な数です。もし、孫堅さんを討ち取りたいのであれば、劉表さんの本隊を含めた総軍で一挙にかかるべきです」

「分かった。むやみな殺生は私の好むところではない。その数で行こう」

 

 そう言った青髪の大将は諸将に顔を巡らせた。

 

「私は愛する人を奪われ、目の前で仲間を焼き尽くされてここにいる」

 凄惨な過去を、物語る彼の目からは、光が喪われていた。疲れ切った男の目であった。

 それに付き従う巨漢も、こころなしか暗澹たる表情で眼を逸らしている。

 

「その絶望の淵にいる私を、劉表殿に拾われた。あくまで客分ではあるが、この軍を任された以上すべきことをする。迎撃軍の指揮を私が、守将を黄忠殿にお任せする」

「はい、謹んで承りました」

「お前も、守備にあがってくれ」

「……とほほ、ここでもこういう役回りか」

「そして貴方は、城方の補佐として後方支援を」

「……了解した」

 

 命ぜられた主は、不承不承の体で答えた。

 彼としては前線に加わりたいところであろうが、如何せん戦才と人望の無さを本人が一番自覚しているだろう。

 

「迎撃軍、先陣を魏延殿に」

「待った」

 

 しゅばりと風音が立つほどに勢いづけて、諸将の中から手が伸びる。

 

「そこな猪武者とか絶対孤立しますって。チョコさんに任せてもらえませんかね。最高の先手働き、見せてやりますよ!」

 

 チョコさん、と名乗った紫髪の少女は、やや大仰な身振り手振りで己を誇示してみせる。

 それを見た焔耶は「あ?」と目で凄み、狂犬のごとく食ってかからんばかりだ。

 

 やれやれ、と偉丈夫はそのふたりを見る。

 ……ある程度付き合ってみてわかったことだが、どうにもこの世界の武将の相性というものは、自分の知る史実に準拠しているらしい。

 

 たとえばともに劉表、そして蜀漢に仕えた黄忠、魏延は正反対の性格ながらも互いを損なわずに引き立て、張燕と『チョコさん』もまた、同時期に曹魏に降っている正史の流れに則すかのごとく、連携した機動戦を展開できている。

 

 逆にその『チョコさん』は、黄忠、魏延と反りが合わない。

 たしかに自儘が過ぎるきらいがあるが、進退自在、粘り強い戦をする名将であって、本来はそこまで嫌悪するほどのことではないのだが、彼女らは生理的にこの河北からの亡命者を遠ざけている。

 

「わかった。では、二人に両翼の先陣を任せるので存分に競ってほしい。そして中央には私が。その補佐に軍師殿を預けてもらいたい。張燕殿は遊撃として変に応じた攻め方をしてもらいたい。その時機(タイミング)は一任する。細かい動きはこちらが合わせる」

「わかった!」

「ま、良いでしょう」

「了解! 飛燕の戦ぶり御覧じろ、ってね!」

 

「後衛には……」

「俺も残っていいか」

 問うたのは創面の男である。おそらくは彼に任じるつもりだったのだろう。遮られた後、大将の口が止まる。

「戦争に、もう疲れちまった。そのせいで、どれだけ無茶攻めをしても当たらなかったはずだった弾に当たった。だから、俺はここにいる」

「充分に若いだろう。そもそも貴様が傍観しようとも、いずれ敵は攻めてくる。ならば働け」

 

 主が踏み込んで詰る。

 その語調がカンに障るのだろう。その眼光は、とても一線を退いた者のそれではない。

 その眼が、彼自身の右脚へと移る。

 

「若い肉体を取り戻した。脚を取り戻した。だが、魂は老いた馬のままだ。走り方を、忘れちまった」

 

 そう言って大儀そうに椅子にもたれる。悄然とした彼の様子に、誰も声をかけられなかったが、

 

「私もだ。戦争には、もう飽き飽きだ」

 青髪の大将はそう言った。

 

「だからなおのこと、こんな因果な仕事を誰かに押し付けるわけにはいかない。君がそのタマとやらに当たる前に、せめて自分自身の運命を、まっとうしてほしいと思う。

 

 創面の男の目に、肯定も否定もない。

 ただぼんやりと天井を見上げ、

「『君』、か」

 とだけ呟く。

 

 それによって冷えた空気が、ふたたび温かみを取り戻す。

 

(……上手い)

 軍が組み立てられていく一連の流れを、舌を巻きながら見つめる。

 異界からの来訪者に、史実のことなど分かるよしもなし。だが正確に軍の性格や諸将の特性を見抜き、瞬く間にほぼ忘我に近い状態から陣立てを整えてしまった。

 『生前』は、よほど多彩な色を含んだ混成軍を率いていたのだろう。

 

 異論を差し挟む者は誰もなく、その編成を基本案として作戦が煮詰められ、そして出陣と相成った。



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劉表(一):霧の果て(後)

「どうだい、その気になりゃあやるもんだろう。うちの公子様は」

「確かに、良い大将ですな。きれいな顔して、なかなかやる」

 

 軍議の終わりに、緑髪の巨漢に捕まった。まるで誰がに自慢したくてしょうがない、と言った調子で。

 

「でも、そこへ行くとお前たち主従のことは良く分かんないんだよなぁ。お前さん、腕っ節も強くて頭も切れるのに、なんだってあんな口の悪い、細っちい偏屈な男に仕えてるんだ?」

 

 これは誹謗ではなかろう。誰かの陰口を叩くほどに、この大男は悪辣ではあるまい。ただ率直な所感を口にしているだけだ。

 

「案外そこが面白くてね。なに、付き合っていけば味の良さも分かってきますよ」

「何を悠長にしている?」

 

 まるで乾物か何かのように言われた主人が、身を割り込ませてきた。

 

「いくら動く必要がないとは言え、ずいぶんと余裕なことだ。さすが歴戦の勇者は心構えが違うということか」

「いちいち皮肉を言うんじゃねぇよ! ちょっとお喋りするぐらい良いだろうが!」

 

 と文句をこぼしながら、彼は去っていった。

 

「おっと、それじゃあ俺もお小言を食らう前に出立しますかね」

 と退散しようとする臣を、「待て」と主が呼び止める。

 

「お前も前線に立って良いのか?」

 などと、要領を得ないことを問う。太い首をかしげて見せる彼に、

 

「敵軍に、時折武田菱を負った若武者を見た。動揺したお前もな……あれは、武田(たけだ)勝頼(かつより)だろう」

 

 あぁ、と声にして偉丈夫は得心した。

 確かに、旧師の愛息にして旧主と相対することとなってしまった。

 暇は出されたが、今もなお憎んではいなかったし、むしろ感謝の方が強いだろう。

 ――おかげで、この上ない主君と巡り合えた。

 

 しかし、

「……だから、出るんですよ」

 と男は言う。

 

「負けたとは言え、勝頼さんは大将たる器を有していました。要は物の見方って奴ですよ。長篠城の決死の抗戦、大量の鉄砲隊、綿密な戦略……かの信長公がそこまでしなければならなかった相手とお考えください」

 

 これは多少の贔屓目も入っているだろうが、いずれにせよ敵は自分を抜いて勝てる軍でもあるまい。

 壁に立てかけてあった大剣を担ぎ、出ようとするところを、

 

「待て」

 と主は呼び止める。

 再度呼び止めておきながら、しばし無言で見つめてくる。

 

 だがやがて深く息をつくと

「…………すまない」

 詫びを入れる。ただ一言を紡ぐだけで、彼にとってはよほどの労力を費やすものらしい。

 

「俺は、こういう男だ。ここに来てからも、お前に俺の知る以上の苦労をかけていることだろうな」

 

 ――あぁ、まったくこの方は。

 こういうところを他人にも打ち明ければ良いものを、決して弱みを見せない。

 

「別に気にしちゃいません。ほら言うでしょう、『馬鹿は死んでも治らない』ってね」

 哄笑を含む男に、むっと眉をしかめつつも言い返さない。

 並みの主君であれば、この悪態に逆上するところだろうが、非を非と、欠点を欠点と認めれば、素直に受け入れる。

 それでも『認める』範囲の狭さと譲るべきところを譲らないところが厄介ではあるのだが。

 

(だがこういうところなんだ)

 その未熟さが、弱さが、青臭さが、危うさが、たまらなく自分は好きなのだ。

 あぁ、この人の無謀に命を賭しても良いか、と思えるほどに。

 

「とにもかくにも、ここは俺にお任せください……殿」

 もう二度と呼ぶこともないと覚悟していたその呼び名。会うこともないと思っていた顔に親しげに呼びかけた後、その大太刀をもって風を切り裂いた。

 

 

 

「――石田(いしだ)三成(みつなり)が家臣、(しま)左近(さこん)……今度こそ身命のすべてを使い、殿の道を切り拓いてご覧にいれましょう」




ミッドフィルダー。


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劉表(二):我々のウォーゲーム(前)

 武陵と長沙の中間地。

 いまだ朝霧が薄く残るその地にて、

 

「かかれ!」

「行っきますよー!」

 

 競り合うように劉表軍先陣が動くのを機として、両軍が動く。

 

「ブッ殺せェッ」

 

 ……そして、なぜか後陣が動く。

 側面に重圧感を伴って回り込む部隊は、そのまま臆することなく、創面の大将自身を先手として敵の脇腹へと食らいつく。

 

「邪魔だ、どけっ! 俺が選抜歩兵として手本を見せてやるッ!」

 雄叫びは、中央に身を置く左近の耳朶をも震わす。

 

「……老いた馬じゃなかったんですかね」

 左近は青髪の大将の傍らにあって苦く笑った。

 彼は、遠く先の時代、異国にて国を代表する猛将として戦い抜いたというその男は、左近らの見立て通り、いざ戦場に立てば勘を取り戻したようだった。

 

「どうする? 止めるか?」

 その彼が諮る。左近は馬上、半身を上回る尺の大剣を構え霧の幕の奥へと目を凝らし、つらつらとその様子を見守っていたが、首を振った。

 

「いやぁ、どうして中々。むちゃくちゃな攻め方に見えて、敵に悟らす前に全軍を右翼の魏延さんと黒羽さんの中間まで引きずり回してます。ここはお任せするのが吉でしょう」

 

 そう言って自身は鐙をゆすって部隊を率い、大将の進路を遮るがごとく馬を前身させた。

 

「どこへ?」

「このままでは両翼が孤立することですし、俺が間を埋めてきます」

「だが、敵の女公も先陣に立って勇を奮っている。ここは私も」

「あれは特殊ですよ。大将ってのはどっしり構えてるもんです、普通はね……」

 

 それに、と左近は視線を中央に定める。

 孫軍が背にした山。そこに靡く『孫』と『周』の旗。

 

 おそらくは孫権(そんけん)と、周囲。後方に在ってしかるべき将ではあるが、ゆえにこそ搦め手より彼女、もしくは彼らの策謀に乗ることを警戒する。本隊は出張ってきている孫堅よりも、そちらを警戒すべきであろう。

 

「なに、ちょっとあいさつしたい方がいるだけですよ」

 おのれの苦慮は表に出さず、あくまで飄々とした体にて左近は言う。

 

「……分かった。では君に任せる」

「はい。それじゃあそちらもどうかお気を付けて……シグルドさん」

 

 そう言い置くや、左近は馬と部隊の速度を上げる。

 

 とは言っても、その青髪の騎士……シグルドの勇み足をたしなめられる立場ではあるまい。

 本来であれば、左近とて軍師である。

 大将の傍に在って戦闘の進行に合わせて作戦に調整を加えていくのが筋であろう。

 

(我ながら、度し難いことに)

 その前に、彼は前線の人であった。

 

 そしてさらに困ったことには、向かいに立ちはだかった男もまた、かつては甲斐の主でありながら……一個の勇将であることを好んだ。

 

「……左近」

「お久しぶりです、勝頼さん。こうして言葉を交わすのも、新府(しんぷ)で暇を乞われて以来ですな」

 

 両隊がぶつかる。孫と劉の軍旗が入り乱れて激戦が繰り広げられる中、旧知の彼らはまず刃ではなく言葉を交わした。

 

 父譲りのヤクの毛飾りの兜の下、その眼が曇る。

 だが意を決したように、端正な顔を持ち上げた。

 

「遠ざけた私に今更言えた義理ではないが……改めて、私に仕えてはもらえないだろうか」

「申し訳ないが、あの後に主を得ましてね。何の因果かこの世界でも仕えることになりまして」

「……私では、その者よりも不足か」

「まぁあの方は、人の上に立つ者としちゃあ不出来でしょうが……それでも、俺には過ぎたる者ですよ」

 

 問答と勧誘の時は終わった。

 今が戦闘の時だ。それを剣撃の音が教えてくれる。

 馬上の将は旧交をかなぐり捨て、それぞれの武器を打ち鳴らした。

 

 ~~~

 

 舞うがごとく、翔ぶがごとく。

 紫髪の少女は片手の短槍を振るう。兵を動かす。

 

「く、うー!」

 

 二つ丸を作った髪を逆立て、同じ形の暗器を振り回すのは、孫家の末娘、孫尚香(そんしょうこう)である。

 兵も己も敏捷そのものだが、その分に脆い。動けば動くほどに、あがけばあがくほどに彼女の用兵の網に絡め取られていく。

 

「もーっ! なんなのこいつ! 劉表軍にこんなヤツがいるとか聞いてないんだけど!」

「はい、まだ無名です。……これから先、知らぬ者がこの中華よりいなくなりますがね」

 

 己が能力にもとづく自負とともに、少女はニコリと得意満面の笑みを咲かせる。

 咲かせつつ、手にした槍穂が風を穿つ。

 

 孫尚香が頓狂な声をあげて頭を屈ませる。

 彼女の武練が一定の成熟を見せている以上、たとえ童女の域にある者であろうとも手を抜かない。

 

 だが、孫家との栄えある戦の相手がコレとは、落胆はなはだしい。

 これならば魏延と左右交代したほうが良かったというものだ。

 

「かっ、しょうもな。せめて孫策()同伴で来てくださいよ」

「呼んだー?」

 

 間延びした声。だがその剣撃はすさまじく、速く、彼女の面を打った。

 とっさに孫尚香から身を退き、体勢を立て直す。

 

「シャオ、無事?」

「姉様!」

 

 信頼と親愛を込めて顔を華やがせる少女を見れば、何者かとあえて問う必要はあるまい。

 その女、孫伯符(はくふ)がどこから来たか、ということも、すぐ脇に穿たれた陣形の孔と、草を濡らす真一文字の血道を見れば察しがつくというものだ。

 

 あーあー、と声を低くして嘆く。

 

「チョコさんの完璧な隊列が、戦運びが、芸術が……台無しじゃないですか」

「あらぁ? この程度の横槍一撃で綻びるような脆い細工だったのね。ごめんなさい」

 

 べっと舌を出して、かつ的確に傷を抉っておちょくる若き女獅子に、いえいえと少女は謙遜する。

 

「いえいえだいじょうぶですよ。この程度のほつれ、簡単に修復できますので」

 笑顔で自信を示しながら、穂先は孫尚香からその姉へ。殺意は真一文字に、真正面へ。

 わずかに伏せた顔。その影で、瞳が新星の煌めきを見せる。

 

 

 

「張儁乂(しゅんがい)、推して参る」

 

 

 

 武心を露わに槍を回し、突進。

 その身体が、稲妻のごとき軌道を描きながら蛇行し、剣筋をかわしながら孫策へと急接近する。

 

 逆手に持ち替えた短槍がその蒼眼を突き抉らんとした瞬間、

 

「なぁんだ、こっちの世界の奴か」

 その眼が、失望に眇められる。

 

 交錯。その後に、互いの立ち位置は入れ替わっていた。

 瞬間、少女、張郃(ちょうこう)は自身の肉体に熱い線のようなものを感じた。

 そして次の瞬間、その熱より血が吹き出した。

 気がつけば足は浮き上がり、背はゆっくりといった感じの体感でもって地に落下し、そのまま動けなくなる。力と意識が抜け落ちて、そのまま立ち上がれなくなった。

 

「げぇっ、張郃さまが討たれた!?」

「うわぁー!」

「ひぃー!」

 

 それを目撃した兵士たちは、蜘蛛の子のごとくに四散した。

 

「さっ、妙なのに構ってないで、次行くわよ」

 大地に沈み、劉表軍兵士たちに回収された『骸』にはもは目もくれず、左翼を打ち破った姉妹は、さらに前進を続けた。




意味があるのか知らないユニット紹介はお休みです。

Q:張郃がしゅんころされたのに★がついてないんだけど?
A:ヒント、吉川英治


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劉表(二):我々のウォーゲーム(中)

「うう……張郃様……」

 

 敵をやり過ごした張郃隊は、兵を寄り集めて避難して、亡き武将を囲んでさめざめと泣いていた。

 

「良い人だった」

「まだ若かったのに」

「というかぶっちゃけ変な人だったけど」

「それでも俺たちに分け隔てなく接して下さった」

「変だったけど」

 

 それぞれに故人を偲んで声を濡らし、そしてその内の一人がやがて彼女を抱え上げ、穏やかなる場所へ移さんとした。

 

 だが、そこで違和感に気付いた。

 

費耀(ひよう)殿、どうされた?」

「いや、なんか斬られた傷が塞がってる……」

「んな馬鹿な……」

「いや本当だ! というか熱も脈も」

「チョコさん復活ッッッ!」

 

 死んでいたはずの少女の手が伸び足が伸び、支えていた副官の費耀の顎や脇腹をしたたかに打ちのめす。

 今度はその衝撃を受けて彼が昏倒する番だった。

 

「うぁぁぁぁ! 張郃将軍が、この世に練り蘇ってる!」

 

 周囲の驚嘆や如何ばかりか。よくよく吟味しなくても意味の分からない述語まで飛び出す始末である。

 潰れた副将除き飛び退く部下を見回して、張郃は尋ねた。

 

「で、状況は? 『眠って』からどれぐらい経ちました?」

「ちょ、張郃様!? お、お怪我は」

「あ? こんな傷、お肉食べれば塞がりますよ。あっちゃー……ケッコー経ったなぁ。あのパンダ女に差がつけられるじゃあないですか」

 

 人間かとさえ疑わしい上司に唖然とするばかりの兵士たちより先に、太陽の傾きから時間の推移を割り出した彼女は、改めて「状況は?」と問う。

 

「は……おおむね軍師殿の予測通りに動いており将軍の遺ご……あ、いえ! 対策案に従い、我が隊は敗兵散兵を装いつつ各伍長の指示のもと、敵の背後にて再集結の途中であります!」

「うん、結構結構。では、準備が整い次第……費耀クン! 何を呑気に寝ているのですか!? さぁ、行きますよ!」

 

 みずからが()した副官をズルズルと引きずりながら、

 死んでも蘇っても、人騒がせな変人である。

 きっとこれからも妙なこだわりと率先して危地に赴く強引さに、苦労させられることだろう。

 

 ――だけど。

 

 彼らは思う。

 

 ――この将軍(ひと)に、ついて行こう。

 

 と。

 

 ~~~

 

 そういう指揮官が、いる。

 激戦に身を置き、苛烈な令を敷き、その行いに過ちあればどんな部下であろうとも厳しく叱責し、体罰も辞さぬ。

 独特の価値観で動き、その言動で部下を含めた周囲を当惑させながらも、どこか強く惹きつけるという将が。

 

 ()もまた、そうだった。

 虫を頬張り、銃弾の嵐の中に率先して飛び込み部下を消耗させ、だが彼らがひとたび危地に追いやられれば鬼のごとく敵を仇として襲いかかる。

 ゆえに彼の兵もまた、その将軍がために勇者となってみずからの命を投げ出して戦った。

 

 そういう、男であった。

 そしてそれは、過去形で語ることができた。

 

 ――俺は、死体を見過ぎた。

 

 自分ではまだ戦えると思っていたが、そう思った瞬間からきっと、武運という名の砂を詰めた袋に小さな穴が開いた。

 そしてそれが尽きた瞬間、あの砲弾が両脚を打ち砕いたのだ。

 

 ――砲弾のごとき、音が聞こえる。

 戦場である。戦意はある。

 だが、その脚を再び返してもらっても、ふたたび走れるや、否や。

 

 (ルイーズ)はかつて言った。

 

「人は大切な人のそばで死ぬべきだ」と。

「どんどんいろんな物が加わって、人生は豊かになる」と。

 

 自分は、彼女の側で死ねなかった。

 そして熱病の中、すべてを取りこぼした。

 

 皇帝()は言った。

「物事は、単純が一番である」と。

 

 彼女は、それに反論した。

「それは現実ではなく、夢の世界だ」と。

 

「夢の世界、か」

 天を見上げ、独りごちる。

 まさしくこの奇怪な世こそがそれであろう。

 

 ――ならば、あの頃のように、単純(シンプル)に生きてみようか。

 あの青髪の大将の言うように、あの砲弾がふたたび自分の脚を奪うまで。

 

「ブッ殺せェッ」

 

 彼は鬱屈を殺意と怒号に換えた。

 少し気が晴れ、霧のかかった視界が開ける。思考が戦場のそれに置き換わり、目前でまごつく兵士たちに焦れる。

 

「邪魔だ、どけっ! 俺が選抜歩兵として手本を見せてやるッ!」

 

 その心の転換はあまり健全とは言えずとも、そう吼えて兵を押しのける彼は、もはや老兵にあらず。

 皇帝の絶対と信と友情の置いたフランスきっての猛将、ジャン・ランヌとして復活を遂げた。

 

 サーベルを手に敵の左翼へと踊り込み、そこに痛打を叩き込んだ。

 焼け鉢気味ではあったが、精神的にはともかく肉体的には全盛の感性と本能を取り戻した彼の勇が、敵も味方を惹きつけた。

 味方は大いに勢いづけられ、敵はそれを討ち果たさんと

 

 誰もが、突然戦場に沸いて出てきたこの勇者に追従する。

 彼はそれを本能的に、そして後退というよりも転身をもって、山裾へと誘い込んだ。

 そこに、飛燕が舞い降りた。

 

 小柄にして敏捷。

 それこそ翼に形状を似せた双剣を振りかざした張燕率いる黒山賊が、追ってきた程普(ていふ)隊の出鼻を衝いた。

 伸びきったところに足止めを食らい、浮足立ったところに本来正面に受け持っていた魏延隊が追いすがる。

 

「ちぃっ、戦意がないと思ってたのに、油断した……っ!」

 

 先鋒を担当していた青髪の女将……程普(ていふ)の旗を掲げる彼女は、そう舌打ちした。

 孫呉の将兵は武心猛き精鋭ぞろい。だがかえってその武心がランヌの雄姿に触れた時、本来は質実剛健、無駄な戦を避け的確に急所を抉るのが味の程普隊の判断を個人個人で狂わせ、かつらしからぬ不覚を取らせていた。

 

 なればと、その混乱の元凶たる異人を討ち果たさんと、蛇矛を手に乾坤一擲の勝負をと突撃を敢行したものの、

 

「させるかっ!」

 

 そこに魏延が割り込んだ。

 かなり強引な介入であったがために、程普の鋭鋒を受け損ねて二の腕の肌が裂かれる。

 

 だがそれをも気にせず、雄叫びとともに無茶苦茶に鈍器を振りかざす。

 程普のそれも、刃というよりは竜頭を模した鉄塊であろう。彼女たちの長柄物が合を増やしていくごとに金属音を醜く軋ませる。

 そういった手合いほど、明確に術理を修めた者にとっては厄介なものはない。

 

「……ここまでか」

 

 ここで拘泥したところで戦局は悪化の一途である。

 程普は包囲の一角を切り崩して離脱を図ったのは、当然の判断と言えた。

 

「待てッ!」

 

 猟犬のごとくに焔耶がさらなる追尾を行おうとする。それを、ランヌは押しとどめた。

 掴んだ肩先で、血がぬるむ。息を荒げて、狂犬は睨み返した。

 

「あんたは下がっていろ、老兵なんだろ」

「追えば、本陣だ。孫堅がいるぞ。その怪我で挑むのか?」

 

 もはや武勇のみなれば劉表軍きっての猛者は、二の腕の負傷のみでは収まらない。

 先駆けに単騎駆けに、今の強引な一騎打ち。もはや肌をさらした部分に血の流れないところがない。

 

 ――だがそれでも彼女は嗤う。

 

「それがどうした」

 と。

 

 ランヌはついぞ見なかった直情の勇者を、眼を瞠った。

 

「男だな、お前は」

「ワタシは女だっ!」

 

 これは彼の生きた時代と国なれば最大限の賛辞だったのだが、通用はしなかったらしい。

 不本意げに鼻を鳴らす娘に、かつては同じタイプだった男は、獰猛に笑い返した。

 

「じゃあ、俺も最後まで付き合おう」

 

 ~~~

 

 ――各戦線が、劉表軍の優勢を物語っている。

 中央に食い込んだ敵将、島左近という楔を勝頼が切り離すことができず結局雪蓮と小蓮(しゃおれん)はその援護に回らざるを得なかった。

 

 あるいは敵本体を直撃すれば勝利を得られるかもしれないが、そも、劉表でも黄祖でもない一客将を討ったところで何の益もない。

 むしろ、彼らをこちらに引き込めないかと思案している。今こうして戦って分かる通り、誰もかれもが殺すにも惜しい、劉表ごときにそのまま従わせるのも惜しい英雄名将ばかりではないか。

 

 きっと中央に座したまま不動の母も、そう考えていることだろう。

 そう考える雪蓮のもとに、報がもたらされた。

 

「もも、申し上げます! 張郃隊、復活! 背後にて展開を開始しています!」

「復活!? 復活って何!?」

 

 復帰とかではなく復活と来た。ついぞ戦場では聞かない単語である。

 たしかに致命的な一撃を与えたと思ったが、今となってはその実感が薄れつつある。思えばあれも不思議な将であった。

 

「……けど、背後に回られたってことは」

「ここまでのようね。()()()()()()()

 

 そして姉妹はそれ以上はあえて言わず目語で示し合い横合いから武田の騎兵を援護するのではなく、直接本陣を護衛すべく脇についた。

 だが、その直後に程普隊を猛追してきた魏延と異人の隊が孫堅本隊にも強襲を仕掛けた。

 

「孫堅、御徴頂戴!」

 

 勇しく最大級の獲物を狙い突撃する魏延。それを止める者は何もいない。いや、むしろ素通りさせてさえいる。その大将の絶対的な指示によって。

 

 あぁ、と雪蓮は手を目元に当てて嘆く。

 これは、まずい。

 

 

「亜ッ!」

 

 

 

 孫堅が咆えた。

 南の覇王が吼えた。

 

 殺気を迸らせて剣を地面に叩きつけれ震撼が疾る。

 風が斬り裂かれ、大気が震える。

 

 ただの一斬が、その場に殺到せんとしていた敵味方の士ことごとくを凍りつかせた。

 剣風を間近に浴びた魏延は、先までの威勢など忘れたかのごとく、まるで蹴り転がされた仔犬のごとくに消沈と恐怖とで脚を萎えさせ尻餅をついている。

 紙一重でその命が救われたは、覇者の気まぐれと、割り込んだ創面の異人がそれを受けたがためだ。受けたがゆえに、母の機嫌は良くなり、彼らは命を存えたのであろうが。

 

 その様を、敵ながらに雪蓮は憐んだ。

 自分でさえ、あれを正面にて感じれば正気を保っていられるかどうか。

 

「伯符」

 母が、彼女の字を呼ぶ。思わず背を正す彼女に、炎蓮は脇目を振った。

 

「悪戯に武を誇って張郃を甘く見積もったな。仕留め損ねたは偶然ではなく貴様の責よ」

「……ハイハイ」

 

 どの口が、思わぬでもないが、こと武事に関して母に意見できようはずもない。少なくとも、今はまだ。

 

 そして知っていた。

 自身が本陣に座したままだというに。全体の戦局の経過も、端の敵将の名、そして恐らくはその資質に至るまで。

 

 これこそが、孫堅。これこそが王者の姿。

 ただひたすらに、理屈もなく勁く、思う様に他国を切り取り、大義も必要なくただ威をもって有無なく兵を従わせ、敵味方関係なく有能な才質を愛して貪る。

 

 娘ながらに改めて畏敬を抱く雪蓮に、

「退くぞ」

 とのみ言い置いて、踵を返す。あえて剣を振らずとも敵は追わず、何も命じずとも味方が追従すると信じて疑わぬ。

 そんな雰囲気を持つ剥き出しの背に、果たして孫劉両陣はその通りとなった。




没キャラ紹介

・葦名の弦ちゃん(隻狼)
地元から切り離したら枯れて死にそう

・クルーガー(ラングリッサー)
ちょうど良い画像がなかった

・鍾会(三国無双)
だから無双出過ぎだって!

今回出てきた漫画『ナポレオン』シリーズのランヌも無念はあれども最期は完全に戦が嫌になって燃え尽きてたキャラなので、正直出すかどうか迷ってました。


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劉表(二):我々のウォーゲーム(後)

「あ~あ、どうせなら勝ちたかったな」

 

 頭の後ろに手を当て、孫策は軽く嘆いてみせる。

 その頭と手越しに、海の深さを称えた瞳が中央を突破してきた左近を見返していた。

 

「で、どうする? 追ってくる?」

「……やめておきましょう。不慮の奇跡をアテにする以外で、あんたらを討てる気がしない」

「そ? じゃあ遠慮なく。……そっちも、せいぜい気をつけなさい」

 

 そう言って指示を飛ばすや、神速をもって殿軍の孫策たちは引き上げていく。

 まさか嫡子が最後尾にて任ずる方も任ずる報だが、あっさりと立場を差し置いてそれを受ける方も大概である。

 が、無鉄砲さや奔放な家風がどうにも嫌いにはなれない。戦となれば容赦はしないが、それは別として絶対的な敵と見なせない。

 もし同性同士であったのなら、さぞ気の合う友垣となれたであろうに。

 

 退かせた勝頼と、一瞬目が合った。

 そちらとは、言葉を交わさなかった。一瞬未練気な青年の目をしたが、左近は首を振ってそれを袖とした。

 

 敵軍の姿が遠くとなった。武と熱の塊が退いていく。

 体温が下がったかのような、逆に恐怖から解放されて上がったかのような、熱病に近い名状しがたい感覚が左近を襲っていた。

 

 が、安堵の息を漏らし肩を力を脱いている暇はなく、後事を憂えるのが軍師の仕事である。

 特に、違和感のようなものを肌身で感じている、この状況は特に。

 

「左近」

 シグルドが名を呼ぶ。戦巧者たる彼もまた、同じ感覚を抱いたらしい。

 左近は頷いて大剣を担いだ。

 

「えぇ、どうにも行儀が良すぎる。むやみに追わない方がいいでしょう」

 と言うよりも、追撃態勢の整う状況でもあるまい。

 すっかり牙の抜け落ちたまま、自分を取り戻せていない焔耶を盗み見て、そう判断した。

 

 それに、あの最後の孫策の言葉。

 

()()()()()勝ちたかったな』

 

 あれは、どういう意味であったのか。単なる悔恨から発せられたものだったのか。

 それにしては語調はあまりに軽く、そして……まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()……

 

 思いを巡らせる左近がふと持ち上げた視線の先、はるか向こうの周瑜、孫権の旗が入った。

 ただ風に煽られるままに揺れ、不動の構え。

 だが瞬間、雷で打たれたかのような衝撃が左近を襲い、その頭脳は刺激を得て高速で回り始めた。

 

 張郃が、(なだ)がその付近より血相を変えて戻ってきたのはその折であった。

 

「灘さん、孫権と周瑜は」

「いませんよ! あれ、擬兵です!」

 

 不世出の名将と歴戦の軍師の危機感は合致した。

 

「やられた」

 口の中で嘆く。

 孫権、周瑜のことゆえ武に頼らずして何かを仕掛けてくると思って警戒していたのが、逆に仇となった。

 むしろ敵は、そんなおのれらの思惑を逆用し、戦の始まる前よりすでに仕掛けていたのだ。

 

「撤収準備を急げ! 長沙城へ戻るぞ!」

 常の飄然とした仮面をかなぐり捨て、左近は鋭く雄々しく令を下した。

 

 ~~~

 

「左近、どうした? ずいぶんと早い帰城ではないか」

「えぇ、ちょっと気になることがありましてね」

 

 主君、三成が困惑して出迎えた。

 ひとまずは長沙それ自体は無事だ。楽観的な見方をすれば、敵に先んじて抑えることができたともいえるが、そうではなかった場合、状況が最悪の方向性に進んでいることが考えられた。

 

「変事が起こったということ、でしょうか。であれば諜者に命じましょう」

「それは退却の際に切り離した黒山の皆さんにやってもらってます」

 

 紫苑の懸念を遮るような性急さで左近は言った。と同時に、その焦燥を自嘲する。

 黒羽たちの成果を待つしかないのに、今更気だけを急いてなんとするというのか。

 そも、左近の想定する『最悪』の結果であれば、事はすでに済んでいて、何もかもが手遅れになっているというのに。

 

「だが、どこへ飛ばしたというのだ。敵の狙いとは」

 軍議の席に腰を下ろした左近は、そう尋ねた主に、

「北へ」

 とのみ、短く言った。

 

 シグルドも、紫苑もそして問うた三成自身も、それぞれの聡明さをもって敵の真の狙いを悟り得たようだった。

 

 戦は一応の勝利で飾ったというのに、最大級の警戒態勢を解かない中で、黒羽たちは程なくして帰還した。

 

 

 

「……孫権軍により、江陵(こうりょう)陥落。劉表様は襄陽(じょうよう)へ撤退……荊北(けいほく)への道が、完全に遮断された」

 

 

 

 顔を青くした彼女によってもたらされたのは、その最悪中の最悪。

 ただただ敵の見事さとこちらの見通しの甘さに笑うしかない凶報であった。




没キャラ紹介(半分以上冗談です)

ビッグボスの二人;MGS
そもそも大集団戦に向かないというかダンボールどうすんの

烈海王:刃牙
異世界転移した

ガルシア(or28号);タフ
そろそろ猿先生が死んだこと忘れるかサイボーグ化させるかして復活させそう

嶋野の親父;龍が如く
やってみたら絵面がヤバかった

島津四兄弟;戦国ランス
恋姫がエ○ゲになっちまうー!


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孫堅(二):ディープリバー

ちょっと長くなりそうなので、分けます。
いつものことなれど、ご了承ください。


 水面が波打つ。霧の中、彼女たちを載せた楼船は公安を発し、出港して海と見紛うばかりの長江の流域と漕ぎ出した。

 

 艦隊を率いるは総大将孫権(蓮華)……というのを名目とした実質上の指揮官である周瑜とその佐将たる諸葛瑾(朱羅)張昭(雷火)。そして客分たる少女。

 彼女らを乗せた手勢五千を乗せた強襲艦隊は一路江陵城を目指す。

 

「……というわけで、今のところ荊南の敵が気づいた様子はない。気づいたとして、本隊がその足止めを食らわせるであろう。中央の旗艦には仲謀(ちゅうぼう)様と私、そして『彼女』が。支隊には子瑜(しゆ)公覆殿(こうふく)にお任せしたい」

「ようやっとか、腕が鳴るわ!」

「これより一挙に江陵城を奪取する。その後、劉表勢を締め出すがごとく、追い立てるがごとく、子布(しふ)殿には戦後処理に取り掛かってもらいたい。何か異論や質問は?」

「こと軍事に関して、おぬしに意見を申すものかよ」

 

 発言したのは、その場においては一、二を争う年長者で、二番目に小柄な雷火(らいか)である。

 

「どうせ、好き放題に遊んで、散らかしたものの片づけを年長者に押し付けようという肚であろうが」

「恐れ入ります」

「少しは目上を敬って遠慮せんかっ! まったく……」

「で、お主は? 子瑜」

 

 祭が最年少にして、最低身長の軍師に話を振る。

 彼女は幼さの多分に残る顔立ちを、どこかふてくされたように彼方へと向けた。

 

「……公瑾(こうきん)殿の策、どうして私のごときが口を差し挟めましょうか」

「謙遜するでない。おぬしもまた、仲謀様に見いだされた智者であろう」

 祭がその頭部をつかみ上げ、元の角度へとぎちぎち戻していく。 

「されば、遠慮なく」

 その腕を振り払った二番手の軍略家は、表情を軽く改めて進言した。

 

「江陵は堅城。もし敵が船戦ではなく籠城を選び、荊南の御遣いたちが北上するまでの時間稼ぎをすれば、如何します」

「劉表は未だ刺史に着任し日が浅く、かつ文弱ゆえに主戦力となる荊州豪族と折り合いが悪い。その兵を抱え込んで籠城すれば、城内が乱れるは必然。少なくとも劉表自身が彼らを信じ切れていない。ゆえに彼女が取るべき選択は撤退か、あるいは武勇を見せて出撃し、これを機として勢力の意思統一を図らんとするか……おそらくは前者を選ぶであろうよ」

「はぁ……結局、私が恥をかいただけじゃないですか」

 

 朱羅は暗澹たる様子で目を伏せて屈みこんだ。甲板の上に指文字を刻み、いじけてしまった。

 冥琳はそんな彼女の丸まった背に手を置いた。

 

「すまない。そんなつもりではなかったのだが……皆の懸念を貴殿が代弁してくれた。それだけでもこの問答に価値はあったぞ」

「私は当て馬ですか。良いですよ、当然ですから。まぁ馬は馬でも驢馬ですけどね。ハハッ、より一層みじめだなぁ~」

 

 装束も背格好も、軍事と政治の天才であるという妹と瓜二つであるというが、違いはその丸帽子についた驢馬の飾り。そして才質。それを(ネタ)としたかなり後ろ向きな冗談であろう。

 冥琳は苦笑と共に総大将を見返す。腕組みする年若い孫家次女は、ため息を軽く吐いて彼女の前で膝を折った。

 

朱羅(しゅら)

 ぱしん、と音を立ててその朱羅の両頬が主君の手によって挟まれた。

 

「貴女の篤実さは美点よ。けれども、過ぎた卑屈は推挙した私と登用した母様や姉様の沽券にかかわる。私は、諸葛亮(しょかつりょう)とかいう知らぬ者の姉だから貴女を見出したわけじゃない。その才と徳があればこそ、私は朱羅を引き立てたの」

「……申し訳ありません」

「貴女への偏見あれば私が請け負う。だから、その力を貸してほしい」

「承知いたしました」

 

 朱羅の曇りかけていた目が輝きを取り戻す。

 孫仲謀に、母姉のごとき烈しさはない。だが、こういう膝を屈して目線を合わせ、誠実さを正直に見せるところは、逆に彼女たちには成し得ないことであろう。

 未だ本人も多くの者も知らない孫権の器量を、冥琳は見出した思いであった。

 

「……どこの馬の骨とも知れぬ、胡乱な者どもにも、見せてあげなさい」

 

 しかしそう言った矢先、碧眼が向いたのは霧の向こうの江陵方面ではなかった。

 すぐ傍らにて参画している、黒髪の女に鋭く向けられていたものだ。

 彼女は肩をすくめて、冥琳へと視線を向けた。

 

(やれやれ……まだまだ、だな)

 

 少し評価を下方修正し、そこで軍議は終わり、それぞれの艦へと移乗する。

 その折に、冥琳は個別にその客人を呼び止めた。

 

「すまないな、仲謀様は信の置ける者には相当の情愛を注ぐのだが、そこに至るまでに少々の壁がな……孫家としての責務を必要以上に重く感じているゆえだろう。気を悪くしないでくれ」

「良いさ。僕としては、彼女の頑なさが嫌いじゃない」

 

 肩の長さまで切りそろえた黒い髪、幼い顔立ち。他の者には少女に見えるが、無礼を承知で冥琳の問うたところ『享年』は二十そこそこだという。

 顔立ちはそれよりも幼く見える。それでも戦士としての貫禄を喪わないのは、泰然とした物腰に、燃えるがごとき黒い瞳。左右の腰に二本、元の得物に似せて打たせた、見事な装飾の小剣を佩くがゆえだろう。

 

 少しせき込んだ彼女を、それとなく支えに入る。

 その身はかつて不治の肺病を患っていたという。それによって命の灯を消された。

 そして死して後は、病原自体は取り除かれていたようだが、その痕跡はまだ肺腑に巣食っているという。

 

「申し訳ないついでにもう一つ……この功を、仲謀様の、蓮華(れんふぁ)様ものとして喧伝する。その許しをもらいたい」

「それは別に構わないけど、何故?」

 

 耳元でちいさく頼み込む冥琳に、彼女は問い返す。

 

「戦力の大半が豪族というのは我らも劉表軍とて同じでな。孫家の立場というのは『当主』というよりかは『盟主』に近い」

「なるほど、だからその威勢がいささかも陰ることがあってはならない。その次子を差し置いて君や僕が活躍しては、その立場が揺らぐかもしれない、と?」

「孫家勇躍の場には、常に孫家の血がなければならぬ」

 

 頭の巡りは相当に良い方らしい。あるいは元は一領主であったという来歴からすぐに察しがついたのか。

 そして自分でも細かすぎる気回しであると冥琳は思っていたが、どうせならそうしないに越したことはあるまい。

 

「まぁそこまでせずとも、彼女は功を立てるよ。きっとね」

「そうであって欲しいとは思うが、先に言ったとおり必要以上に気負われている。有事の際は援護を頼めるか?」

「もちろん、それは構わない」

「事が成った暁には、謝礼は用意させてもらおう」

「いや、それには及ばないよ」

「では、望みはないというのか? 未練があって、貴殿はここに落ちたのではないのか?」

「そうだね。ある心残りがある。そのために僕はここに蘇った」

 

 戦乙女はあっさりと肯定する。

 

「それはね」

「それは?」

「母親になること」

 

 ――は? と、冥琳らしからぬ聞き返しが、河に落ちて流れていく。

 

「素敵な旦那様に出会って、出来れば男の子を生んで……まぁ女の子でもいいけど、温かい家庭を築く。それが、そんなものが僕の願いだ。だからこんな戦はさっさと終わらせないとね」

 

 冗談めかしく言ってのけて、黒髪をなびかせた彼女は持ち場へと戻っていく。

 

「ふっ……ははははは!」

 その影が消えてから、冥琳は軽やかに笑った。

 愚弄したわけでも、嘲ったわけでもない。

 

 笑うしかないではないか。

 過日の立ち合いにおいて、彼女の剣技を知っている。

 あの腕で?

 

 ――雪蓮に余裕で勝ち越し、炎蓮にさえ拮抗したあの技量を持ち得ながら、望みが暖かな家庭? 母親になること?

 

(だが、なんだろうな)

 どこかで共感している自分がいることに気づく。

 命の限り、戦乱の渦中に在ってそれを魂で感じているからこそ、そのささやかな願いがどれほどに至難で得難いものであるか、知っている。

 

 ……どうやら、笑った拍子に冷たい秋風が肺腑に入り込んだらしい。

 冥琳は何度かせき込んだ。




さすがにほぼFDみたいな小説までは把握してないので諸葛瑾は名前だけ借りた別キャラです。


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劉表(三):シンデレラシンドローム

 波濤(はとう)が劉景升の配下となった折、ふとした拍子からその心中を漏れ聞いたことがある。

 

「わたしには、夢がある」

 

 と荊州刺史に着任したばかりの、線の細い儒者は言った。

 

「いつか、わたしのもとに英雄が舞い降りるの。欲深いことは言わない。見目麗しいわけでも格式や門地が高い必要もない。男か女であるかもさしたる問題ではない。ただそれでもその人は、わたしの求めに応じ、わたしを信じ、わたしを救い、わたしを愛してくれる。そんな人が、来てくれると」

 

 夢想(ゆめ)の、話だ。

 二十後半も過ぎた女が唱えようともそれ自体を哂いはすまいが、想うばかり待つばかりで、彼女は自分からそれに手を伸ばすこともしない。自らその夢に歩み寄る努力もしない。

 

(まぁ無理もない話ではある)

 波濤は同情だけは示してやる。

 

 伝え聞くに都は腐敗が進み、平然と汚職が横行し、宦官如きに、もしくは肉屋の姉妹に将軍たちが頭を下げ、そうでない者たちは閑職へと追いやられる。劉表もその被害者だ。

 

 左遷された荊州においては虎狼のごとき孫家が幅を利かせ、豪族たちは固有の兵力を持たない文弱の徒たる新任刺史を露骨に舐め切り、逆に彼女を利用せんと目論む。

 

 そんな中で、疲れ切った末の発言とすればまぁ納得もいく。

 

 だがただいまにおいては青色吐息をついて妄想にふけっているのだけではならぬ。現の話である。現実において、孫権が船団を率いて奇襲を仕掛けてきたという報が入った。

 

(シグルド殿に通告を受けて、念のため哨戒網を作っておいて助かったわ)

 が、それにもまして敵の進行が速すぎる。

 早船でも送って当人たちとの連絡を取りたいところだが、遮断されよう。

 この上は江陵にて防戦し、彼らとの挟撃、それが成らずとも撤退するだけの時を稼がねばなるまい。

 

 あるいは捨て身の覚悟で漢水(かんすい)を越え、孫堅の本隊を撃滅。かなわずとも味方と共に一撃離脱するというのも積極的ではあるが一考の価値ある戦術だ。

 

「ご主君にご注進申し上げる! ……なにをなさっておいでなのです」

 

 波濤が主を見つけたのは、政庁の表門であった。

 そこではすでに必要なだけの荷を車や水路に配した船に積み上げて、自身もまたその船に乗り込もうとしていた。

 

「我々は襄陽へ退却します。波濤、準備を手伝いなさい」

 珍しくはっきりと聞こえる声量で、彼女はそう宣言した。

 

「……長沙のお味方はどうなさるつもりなんです。貴方が命じて、江を越えさせ背水の陣を取らせた! 彼らを見捨てるというのですか! せめて彼らが戻ってくるまでに、ここで敵を食い止めるべきです! どうかご再考を」

「あのような下賤不遜の者どもに、何故宝夢(ほうむ)様が、身を盾とせねばならぬのだ?」

 

 そこに、割り込んできた青年がいる。

 身なりを整え、鼻梁の通った貴公子然としているが、そこには門地も確たる血統も持たない波濤に対して明確な侮蔑を浮かべている。

 

蔡瑁(さいぼう)……っ!」

 

 荊州豪族の筆頭であり、自称荊州刺史最大の協力者である彼は波濤と劉表の間に自身を差し込むや、横目で冷ややかに彼女を見た。

 

「それに、この撤退には彼らを救う意味合いも含まれているのだよ。……まぁ黄祖の教え子ごときには、理解しえぬ境地の軍略であろうがな」

「……あいにくとアンタと違って戦場暮らしで世事に疎くてね。そんなあたしにも分かるように話していただけないかしら」

 

 ふんと鼻を鳴らして、蔡瑁は答えた。

 

「良いか。この江陵の地は堅牢と言えども兵家必争の地。もしこの地に強いて防衛線を展開すれば、こちらの被害も甚大となろう。ゆえにここを一端は敵に明け渡す。どうせ一城取ったところで、江東の田舎武者ごときに、周辺の豪族は靡きはすまい。敵が追撃も鎮圧もままならぬところに、傘下の劉度(りゅうど)と御遣いどもが北上、さらには西よりは同族の劉焉(りゅうえん)殿が! そして曹操殿に助力を乞うてその援軍を求める! 私は彼女とは知己であるし距離も近くなったことで応じてくれよう! そうしてとどめに黄祖を動かす! 立往生する孫権を覆滅せしめる! これこそが我が戦略構想、包囲殲滅の計なり!」

 

 すごい、と波濤は思った。

 

(コイツ、すごい馬鹿だ)

 

 蔡瑁自身と言う好例が今まさに存在するというのに、荊州の風見鶏どもが何かの役に立つわけがないだろう。

 劉度が北上? あの小便漏らしは劉表をとうに見限っているからこそ孫堅軍の通過を自由にさせて自領に引きこもることが許されているのではないか。

 

 劉焉が益州(えきしゅう)から出てくるわけがあるまい。

 もしその可能性があるとすれば、韓遂の南征への警戒を解いた後、自身の野心からである。曹操とて同様のことが言えるし、そもそも蔡瑁の誘いに乗るかさえ怪しい。彼女は独力で、正々堂々と荊州を切り取るだろう。

 

 何が戦略構想だ。

 仮定と楽観によるただの誇大妄想ではないか。

 

「――殿、それで良いんですか」

 劉表にあらためて問う。こんな男が、お前の求めていた理想なのかと。

 彼女の白皙に表情はない。ただ長い睫毛を伏せて、輸送船に乗り込む。

 

「わたしも、御遣い殿については虚心ではいられません」

 と彼女は空を見上げて言った。

 

「きっと、彼らの中にこそわたしの追い求める英雄がいるのかも」

「だったら援けにいきましょうよ……」

「なればこそです」

 

 むしろ波濤を憐れむがごとき眼差しで、劉表はキリリとした表情で言った。

 

「わたしを愛してくれる勇者は、この程度のことでわたしを見捨てない。見限らない。裏切らない。憎まないし恨まない。降らない、死なない。きっと忠義と誠心でわたしの許へ、還ってきてくれる」

 

 そして半数以下の守備兵と軍船を残して出立した劉表軍を見送りながら、波濤はあらためて思った。

 

(すごい、こいつら全員馬鹿だ)

 

 ~~~

 

 かくして城に残った波濤は、残る戦力物資をすべてかき集めた。

 むろん、自身の指揮下に置いた、もしくは息のかかった兵力もまたそのまま手つかずとさせた。

 それでも、大半を蔡瑁と劉表に持っていかれた。

 なれば将の質によってそれを補うしかあるまい。

 

潘璋(玄海)! 蔣欽(霧雨)! 魯粛()!」

 

 彼女は陣中において客分幕僚の名を呼ばわった。

 さすがにむやみやたらに名士や食客を集めただけあって、その中には物の分かる有為の人材もいて、彼女らもまた留まっていた。

 

「御前に」

 最初にふてぶてしい顔を見せたのは、潘璋(はんしょう)こと玄海(げんかい)なる、くすんだ金髪の少女である。

 彼女は正規の武人ではなく、いわば金でついた波濤の軍の私的な部隊長。いわば傭兵である。

 

「アンタが一番立場が身軽だから頼んだのだけれども、黄祖将軍への要請の返答は?」

「やってますよ。で、その使者殿が今参られました」

 

 玄海の身体の裏から、咳払いの音が聞こえた。

 現れたのは、無駄のない髪量に痩躯で眼鏡、智的な要素の体現者のごとき、妙齢の美女であった。

 

郭嘉(かくか)字を奉孝(ほうこう)と申します。友とともに天下の主を求めて流浪をする身ではありますが、今はその友と散り散りとなり、黄祖殿の知遇を得てお世話になっております」

 

 つまりは黄祖や劉表などは天下人の器量たりえないと、暗に、だがはっきりと言明している。

(まぁあたしもそれには同感だけど)

 皮肉な笑みを内心で浮かべつつ、波濤は続きを促した。

 

「黄祖殿の意を伝えます。現在、江夏(こうか)の流域にて甘寧(かんねい)なる水賊と対峙しており、援軍は出せぬ。現有戦力をもって孫賊と当たられたしと」

「まったくこのザマですよ。あの年増、年甲斐もなく若い娘の尻を追っかけやがって」

 

 玄海が悪意的表現をもって毒づく。孫家の側に雇われたほうが、さぞ水に合っただろうに。

 

「アンタの意見は違うってこと? 御客人」

「……黄祖殿は甘寧が袁術と組んだと思っているでしょうが、であれば宛方面を預かる御遣い……エルトシャンが動いているはず。その兆候は見受けられませんし、董卓、陶謙と二方面に敵を抱えているのに荊州にまで伸ばす指が残っているとも思えません。孫家と連動した陽動と考えたほうが自然でしょう。無視して江陵救援に赴くべき。それを具申いたしましたが、取り下げられたばかりかこの役をお命じになりました」

 

 つまり体のいい厄介払いとして、彼女はここにいる。

 

「それで、どうなさるおつもりなのです? やはり劉表様に従って撤退を?」

 眼鏡の奥底で劉表陣営全体への不審を抱え、郭嘉は問い質す。

 

「……先に、しんがりの役目を買って出た。つまりはこの江陵における全戦力はこのあたしの配下に組み込まれたってことよ」

「なるほど、ブチ切れてたと思ってましたがキッチリ指揮権は得てたってわけね。どうしてどうして。で、籠城しますか」

「ところがそうもいかないんです。劉表さんたち、兵糧もがバーって根こそぎかっさらって行っちゃいましたァ。これじゃ数日と保たずにこっちがカラッカラに干上がっちゃいますよ〜」

 

 独特の言い回しとともに(ぱお)が泣き言を吐き出す。

 彼女を直接励ますことをせず、郭嘉を正視したままに波濤は言った。

 

「そんな城の状態を、孫権に悟らせるわけにもいかない。ここに接近させず、出鼻をくじく」

「なるほど、あるいは敵に我が方に余力があると思わせることができるかもしれませんね。……しかし」

「しかし?」

「こちらも、色々と苦労なさっておいでなのですね」

「身内の恥を晒すようなんだけどね。兵力の大半を蔡瑁と黄祖が握ってるから、こればかりはどうしようもない」

 

 波濤が苦笑を漏らした時、一個の風の塊がそこへと飛び込んできた。

 

「大将殿大将殿! ということは、船戦ですかッ」

霧雨(むう)、アンタにも存分に働いてもらうわよ」

 

 まるで磯風で髪を撫でられたがごとく特異な髪型をする少女は、蒋公奕(こうえき)は飛び上がって喜んだ。

 あらためて言うまでもなかったことだ。

 彼女とて、勇猛果敢な水将なれども、元川賊という出自のため、囲われるだけ囲われて冷遇されてきた身だ。

 ようやくその活躍の場を得て、仔犬のごとくはしゃいでいる。

 

「アンタはどうするの? 郭嘉ちゃん」

「……できれば、共に旗艦に乗船させていただきたく。何かお役に立てるかもしれません」

「死にに行くようなもんよ、ぶっちゃけ」

「天下に近しい軍です。その威容を肌身で感じてみたいのです。それは貴殿とて同じはずです。……文聘殿」

 

 それもそうか、と波濤は思う。

 今、自分は劉表軍としてではなく、一個の将帥として居残っている。

 それはここの将兵いずれも同様であろう。シグルドたちとて同心であろう。

 今持ちうる才幹のすべてを以て、至強の軍に当たらん。

 

「これにて決まった! 荊州水軍、惰弱に非ず! それを孫家の者どもに見せつけてやれ!」

 

 喚声があがる。実像以上の熱量を帯びたその叫びは、孫の旗をなびかせた城外の船団にも聞こえたことであろう。

 

 

 

「…………え゛、これってパオも出る流れですか?」



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孫堅(三):船を編む(前)

 白く濁った川面、霧。その先に、海獣のごとき巨大な影が見え始めた。

 

「敵艦確認。楼船一隻、蒙衝数十二隻。ほか軽装の戦船三十隻。敵将は旗より文聘かと」

 

 目利きの者よりの報告に、冥琳は柳眉を軽く吊り上げた。

 

「さっそく読みを軽く外したね」

「……貴様」

 黒髪の娘がそう茶化すのを、蓮華が冷たく睨み据える。

 

「怒らない。軽い冗談じゃないか」

「そうだ。まだ軽い冗談で済む。……迎撃せよ!」

 

 そう鋭く号令を発したが、同時に一抹の動揺もあった。考えざるを得なかった。

 すなわち、敵兵は思うのほか多く、未だ江陵城には劉表の本隊が詰めて待ち構えているのではないかという恐れ。

 

 だがそうであるなら、伝え聞く劉表の人物像らしからぬ周到さと決断力と忍耐強さである。

 

 よってこれは文聘一派の独断である公算が高く、それが敵の総兵力であると思われる。

 その見立てが希望的観測でないことを願いつつ、提督は船を進ませる。

 

 〜〜〜

 

「敵艦、多数!」

 

 そりゃあそうでしょうよ。船首に立って陣頭指揮を執る波濤はそう毒づいた。

 少なくとも、城の攻落、そしてその後の維持が可能な兵力ともなれば、自然それを乗せる船も多く大きくなければならない。

 

「慌てないで。水戦の粋とは整然とした行動がとれるかどうかよ。数はさして問題ではない」

 

 それは自身を励ます言葉でもあった。

 が、言語化してからあながち嘘ではないということに気が付く。

 孫呉の軍はおそらく急造船が多い。艦隊の主軸となっているのは、闘艦(とうかん)という、強襲船である。それほど多様な種の戦船は用意できなかったらしい。

 

 傍らにあるのは臨時の軍師たる郭嘉と魯粛である。

 魯粛には策戦立案、郭嘉には状況に応じた細かな調整を任せてある。

 経験の乏しさゆえか、気が気でなさそうな包に、

 

「おい、天才軍師」

 

 と、常日頃自称している異名とともに尻を叩く。

 ひゃわあ、と頓狂な叫び声があがる。

 

「しっかりなさいよ、実際に指揮するのはあたしだけど、それでも勝敗はアンタらの目と頭にかかってるんだから」

「わ、分かってますっ!」

「どうかねぇ、実は自信なかったりして。どこからともなく流れて来た評判によれば? 曰く『天下に二賢あり。その一人の周公瑾は水戦においては右に出る者なし、魯子敬(しけい)は陸戦において右に出る者なし』とか。じゃあ船戦で後者が勝てないのも道理ってわけよ」

「むかっ! じゃあやりますよ、やってやりますよ! 冥……周瑜さんとは旧知の間柄ですが、この魯粛が水陸両用の無敵の軍師だってこと、見せてあげますっ」

 

 挑発に乗っていつもの調子を取り戻して声を大に、力強く掌を突き出して令を発する。

 

蒙衝(もうしょう)部隊、前進!」

 

 〜〜〜

 

 (牛皮)でもって衝く。それがゆえの蒙衝。

 牛の生皮を船体に張った、防水、防御、そして機動性に優れた遠近いずれの攻め方にも秀でた艦船である。

 

 前面に押し出して来たその艦列を見て、カッと祭は呼気を吐き出した。

 

「さすがに造船技術に関しては、荊州水軍に一日の長があるようじゃの」

 しかもそれは漕ぎ手を船室にて防護するような作りとなっており、自慢の弓で彼らを狙撃し、操舵力を奪うことが難しくなっている。

 

 これがこの黄蓋と目してのあてがいであるのであれば、自分の弓取りとしての武名も中々に捨てたものではない。

「やれやれ……名が知れるというのも考えものじゃな」

 祭は満更でもない気分で笑った。

 

 そして自らその矢の腕を披露すべくつがえる。

 船の揺れ、水位の変化を目線で読み抜き、風流を肌に、水流を耳に、五感総てをもって一矢の向かう先を読み、それが狙いと合致した瞬間、祭は射放った。

 

 放物線、というよりも直線に近い軌道でもって、矢は敵船の窓をくぐり抜けた。

 くぐもった声がその窓を突き抜けた。途端、その敵船は統制を喪い、味方を巻き込んで転覆した。

 

「まず一隻」

 涼やかにそううそぶいた自分たちの指揮者に、部下が喝采を送り、我も我もと子どものごとく腕の程を見せんと矢嵐を生み出す。

 それに負けじと同様の要領で、祭が矢を射放った。

 

 が、その矢は軌道から外れた。否外された。そこに飛び込んできた強矢によって。

 

「あ?」

 その軌道の方角へと祭は首を向ける。

 しぶきをあげて、蒙衝に紛れ、いくつもの小型艦が敵味方の間隙を泳ぎ回っている。

 走舸(そうか)という。実に単純な作りの船だが、余計な虚飾がない分速いし、小回りも利く。

 

「黄蓋殿黄蓋殿!」

 

 敵味方という別の無い、溌剌とした声が黄蓋隊の乗艦を震わせる。

 色味の薄い短髪を風になびかせ、その走舸の床板にべたりと張り付くようにして弩を構えている。

 自身の矢を妨げた射手は、おそらくはこの者だろう。

 

「蒋欽です! ちょっと弩の腕には自負がありまして! お手合わせ願います!」

 四つん這いに近い姿勢と言い、うろちょろと駆けまわる長蛇の隊列といい、まるで海の子犬のごとし。

 

「おう、これはまた元気の良いのに懐かれたわ」

 快笑した祭であったが、むろん手は緩めない。

 三の矢をつがえる彼女に対し、蒋欽なる賊将も全身の力を使って再装填する。

 

 射出の時機は、ほぼ同時であった。

 そして軌道も射角も、威力もほぼ同じ。真っ向から衝突し、弾け飛ぶ。

 

 引き分け。だが祭はそれを憮然と見守っていた。

 自分のそれは熟練の経験に基づくものだが、向こうはあくまで動物的な感性によるものだろう。

 まったく誤用も承知で言うなれば、後世畏るべしと言ったところか。

 

 ~~~

 

「霧雨がよくやってくれた」

 

 と言いたいところだが、その実それよりも上回る戦果を求めていたというのが正直なところだ。

 ワンワンと吠え回って孫呉の老番犬を翻弄するは良し。だが、肝心の蒙衝が遊兵となっているではないか。

 

 とは言ってもそれを本隊に戻すだけの戦術眼は、将来はともかく今の蒋欽には欠ける。

 

 それにつけても孫軍の揺らぎの無さよ。

 互いの力量を信頼するがゆえか。出鼻を挫かれようと、黄蓋隊に一隻の援軍も送らない。

 陸ではともかく、水上においてはそれが正しい。半端な情けは船を傾けさせる。

 

「その向こう見ずさと思い切りの良さが彼女の持ち味ではあるけどね」

 苦笑とともに、だが力強く波濤は爪先で甲板を叩いた。

「第二段階へ移行。本艦を動かす」

 

 〜〜〜

 

「敵文聘隊、諸葛瑾隊を半包囲!」

 その報を受けた時、冥琳に再び苦渋の色が浮かぶ。

 

「ずいぶんとまた思い切って舵を切ったものだ」

 という独語のとおり、文聘はどちらかと言えば水際での守勢を得意とする将である。彼女らしからぬ猛攻に、作為めいたものを蓮華も感じ取っていた。

 と同時に、敵方にも優秀な軍師の存在することを疑わざるを得なくなる。

 

 とは言え、これで両翼の頭が押さえつけられた形となる。傍観していたところで、好転するはずもなし。

 そう思っていると、冥琳が進み出た。

 

「救うべきは新参にして他の艦隊と歩調が合わん諸葛瑾隊。黄蓋隊を囲む敵は小勢ゆえに決め手に欠けよう。よってその目的は掣肘と陽動と見た。今しばらくは保つ」

 

 と冥琳は見解を見せ、蓮華もそれに同意した。

 

「とは言え、ただ救援するというのも芸がないな。朱羅にも経験を積んでもらいたい。よってここは隊を二つに分け、文聘を逆包囲するのはどうでしょう」

「良かろう」

 

 冥琳が悪戯っぽく策を献じ、武人の口調で蓮華はそれを採った。

 

「ならば私がその背を襲う。公瑾は横より撃て」

 と言い出した蓮華を、驚き半分と言った様子で見返す。

 

「案ずるな。私とて孫家の(むすめ)だ。一度や二度不意を突かれたところで崩れるような下手な指揮はしない。小蓮とともに興覇(こうは)を降した手腕、其方も知っていよう?」

 

 と、自負を見せる。剣技とて、母姉には及ばずとも並みの者どもには負けるはずがないと思っている。

 

「――されど、寡兵なれども御遣いを除けばあの軍は劉表軍最強です。何卒、ご油断なされませぬよう。何かあれば、名誉よりもお命をお取りください」

「分かっている。……私とて、考えがあってのことだ」

「それは……承知しました。くれぐれもお気をつけて」

 

 かくして軍師は本格的な戦闘に入る前に、游艇(ゆうてい)という連絡船に乗って自身の旗艦に移った。御遣いは、彼女に付けた、というよりも追い遣った。

 二つに分かれた軍は、前方の諸葛瑾隊を敵とした文聘の水軍を取り巻きにかかる。

 

「いいぞっ! このまま敵の背後を衝け!」

 

 ――この時、らしくもない焦燥を感じていなかったか、と自問すれば、ウソとなろう。

 卓越した双剣術と飾らない自然体な人柄をもって母や姉の評価を得たあの黒髪の魔女に、猜疑以上の嫉妬と対抗意識がなかったかというと、そうでもないどころか多分に自覚のことだ。

  

 

 そして、後悔というものは事が起こって後にするものだ。

 

 蓮華の旗艦が、横合いから殴りつけられ左右に揺らぐ。

「何事だっ!?」

 身を持ち崩すもすぐに立て直した蓮華が、するどく左右の者に問う。

 

 船体側面に張り付いているのは、強襲特化の小型船『先登(せんとう)』。

 おそらくは大掛かりに動いた文聘本隊を囮として、そこから生じた死角より切り離された別動隊。

 

「よう、お嬢ちゃん」

 それに乗る金髪の少女は、ぞんざいな口調で言うや、縄を旗艦にくくりつけた。

 ただの縄でもない。先に熊手のごとき鉤を取り付けた暗器……いわゆる飛爪(ひそう)である。

 

 その食い込みを取り外す間もなく、

 

「褐色の肌、桜色の髪。これほど目立つ姿もないわな」

 そして彼女の配下と思しき荒くれ者どもが次々と船に乗り込み、その重量分船体が傾く。

 

「……孫家の娘、値は千金のその首、潘文珪(ぶんけい)がいただく」



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孫堅(三):船を編む(中)

「潘璋殿、敵後尾を捕捉! 乗っているのは総大将孫権の模様!」

 

 その報を受けた時、してやったりと周囲は沸き立ち、波濤は首脳陣は複雑な様子だ。

 狙っていたのは周瑜、孫権両名の拿捕。だが実際は、手足のみならず頭を二つに分けてきた。

 

「さすがは周瑜。偶然かもしれないけど、それでもこれ以上の付け入る隙がありゃしない」

 

 孫家の血脈の一条を絶つことだけでも大殊勲と言えなくもないが、欲をかきすぎたということか。

 二兎を追う者は一兎をも得ず、の好例とはなりたくないものだ。

 

 結果本隊は二方に敵を受け持つはめに陥り、一方で黄蓋、孫権が孤立した。

 だが、包や郭嘉の策がしくじったと思えない。物資や兵力の乏しさを考えれば、これが最善手、いや必然の道であっただろう。

 

「この戦い、勝敗によって、後世の史家の評が分かれそうなところね」

 

 と冗談ならぬ冗談を飛ばし、防衛軍総大将文聘はみずから銅鑼を打ち鳴らした。

 郭嘉の二の矢である。

 文聘本隊もまた七、三の割合で船を分けた。諸葛瑾に相手に時間を稼ぐには三にて充分。

 七隊にて、合流せんと動く周瑜の艦隊に並行追撃を仕掛ける。

 

 ~~~

 

 切れるような兵力配分と指揮に、冥琳は舌打ちを隠さなかった。

 よほど鋭い軍師がついているらしい。そして、その指揮が文仲業の戦を実像以上に際立たせている。

 

 船戦の移動というものは、言うまでもなく至難を極める。

 陸とは違い、進むにしても風と帆、水流による推進あってのもので、それに逆らって垂直に、後退に転換することなど出来ようはずがない。

 

 前進以外の何をするにしても、迂回行動が要る。

 周瑜隊が現在進行形でやっているのも、まさにその行動の最中である。

 だがその船が生んだ潮流に、文聘はしつこく乗って来る。

 当然、主家筋の、義姉の愛する実妹の危機を思えば、関わっている場合ではないのだが、

 

「冥琳」

 

 真名で呼ばれ、『彼女』が荒波に揉まれて激しく上下する船首に進み出た。

 黒曜の瞳の見つめる先に、敵の伏兵に押されつつある孫権の姿がある。

 

「僕が、行こうか?」

 矢が飛び交う戦場の中、まるで買い物でも請け負うような言葉の軽さで、彼女は言った。

 

 どこからと(方向)は、尋ねなかった。

 どうやって(理由)は、問わなかった。

 できるのか(可否)は、聞くことさえ無粋であった。

 

 ただ一言。命令ではなく、一期一会にて知己を得た異界の仲間に、

 

「任せた、御遣い殿」

 とのみ告げる。

 

 だが対するその言葉に、見返り美人はどこか不服そうだ。

 

「その御遣い殿っていうのは堅苦しいなぁ」

「すまないな」

 

 冥琳は苦笑とともに詫びた。

 彼女なりに理由あってのことだった。

 

「だが、なじみの薄い響きゆえに口が中々に慣れてくれなくてな……アレクサンドラ=アルシャーヴィンというのは」

 

 言えてるじゃないか。そう言いたげに半月状に瞳が細められる。

 だが文句の代わりに彼女は

 

「サーシャで良いよ。親しい人たちはそう呼ぶ」

 

 おそらくは自分たちにおける真名のごとき通名を明かし、そして大きく飛び上がった。

 

 ~~~

 

 久しく感じたことのない、冷たい風だった。いや、元来水を含んだ風とはそういうものなのだ。

 彼女が統治していたレグニーツァも、水の商都ではあったが、晩年は気軽に外を出歩けるような肉体ではなかったし、かつては自分の愛剣たちがその冷たさを忘れさせてくれた。

 

(バルグレン)

 その剣たちを、無二の戦友たちを一瞬、だが強く想う。

 おそらくは歴史に則って他の戦姫を主として選び取っている頃だろう。そこに寂寥も未練もない。むしろ、満足に遣ってやれなかった自分によく仕えてくれた。ただあの子たちに幸あれと祈るのみだ。

 

 ゆえに自分は、戦場を再駆する。

 ささやかな願いのために。星がくれた二度目のチャンスを掴み取るために。

 

 敵の主力艦……冥琳によらば『楼船(ローセン)』であったか。

 そのうちの一隻へと甲板の上へと身を躍らせた『刃の舞姫(コルティーサ)』は、一気に駆け抜けた。

 

 ――船を乗っ取るつもりか?

 ――それをもって、総大将を救いに行こうとでも。

 

 動揺を隠しきれないままに向かい来る敵の水兵らの目に、信じられないという色が覗える。

 それこそまさかだ。独りで漕げるわけでもなし。

 行き交う無数の剣刃をすり抜けて、ただ最短の道を作るためだけに必要最低限の剣を奮う。

 

 触れる者、触れんとする者。捕らえようとする者、害さんとする者、犯さんとする者。

 なべて、その肌に触れる前に二筋の剣閃に絡め取られ、血の華を咲かせて道を開ける。

 十重二十重に囲もうとも、彼女の妨げにはならなかった。

 

 サーシャは余裕とともに苦笑する。

「艦隊戦で燃え尽きた命が、艦隊戦で始まるのか。皮肉と言うかなんというか」

 そして取るべき手段もその再現だ。

 ゆえに狙いもすでに絞れていた。

 孫権の艦との中間に位置した船。そしてある一点が、激戦によってある程度の損壊を受けている船。

 それが今、たどり着いたこの艦、この地点だった。

 

「うん、まぁここかな」

 角材のごときその部位に入った亀裂を見つめながら、黒衣の戦姫は自身の見立てが間違っていなかったことを確かめた。

 

 その背に、追い抜いていた敵兵が反転して迫ってくる。

 

 孫呉軍閥の自由な風は肌に合う。剣も、最上の逸品を打ってくれた。

 ――それこそ……半壊した帆柱程度であればたやすく両断できるほどの。

 

 彼女は挟むがごとく、双剣を振り抜いた。

 硬い感触が腕に返るが、問題はなかった。信じられないぐらい、不安になるほどに身体が軽かった。

 

 その帆柱が、支えを半ばえぐり取られて傾く。孫権艦の方向へと。

 生じた傾斜に、サーシャは足をかけた。その重からぬ体重でまた柱が傾き、足場と化す。

 

 その上を、彼女は駆けた。

 船体まで届かずとも良い。完全な橋である必要はない。ただ跳ぶまでの距離と助走を稼げれば。

 そして周囲が唖然とするなか、戦乙女は再び飛翔する。

 

 飛んだ先、その甲板で我らが総大将は敵将とおぼしき金髪の女と相対していた。

 それどころか、剣を鉤縄のような暗器で絡め取られ、あわやという時であった。

 どちらが敵でどちらが味方かは容易に見分けがつく。

 

 が、あえて中間に着地する。彼女らを結ぶその縄を、利剣でもって断つ。

 さながら競技のごとく、綱の引き合いをしていた彼女らはその反動で正反対の方向へと飛び下がった。

 

 立て直したのは敵将が先だが、彼女はもつれた縄を腕に巻き取っている。

 その隙に、転がった孫権へと手を伸ばす。掴むかどうかはこのお姫様の自由だ。

 

「……推し量っていた。そして、今なお半信半疑だ」

「何が?」

 要領を得ない孫権の述懐に、サーシャは小首をかしげる。

 

「貴様がだ。真に孫家の臣たらんとするならば、その武勇をもって血路を開いてやってくるものと」

 戦姫は面食らう。

 つまり、化かされて試されたというわけか、自分は。

 あるいは負け惜しみかもしれない。だがいずれにしても、騙されたという感覚はない。むしろその意固地な態度が好ましい。ある意味ではこれも人徳という奴か。

 

 手は借りず、未来の王は自力でもって立ち上がる。

 そして、それとなく背を預け、剣把を両手でつかみ、直ぐに刃を立てる。

 柔軟性には欠けるが隙の無い構えを見れば、敵将とさほど力量の差があるようには思えない。あながち自分を試したというのはまったくの嘘ではないのかもしれない。

 

「そもそも僕はあくまで客将(ゲスト)であって家臣ではないんだけどね。まぁそれはともかく、僕は孫仲謀殿の目に適ったのかい?」

「武のほどは申し分なし、機転も利く。だが、その透かした態度と物言いは変わらず好きにはなれん」

「やれやれ、可愛げがあるんだかないんだか」

「うるさいっ」

 

 真っ赤になって怒鳴られた。その間、敵将はとうに武器を引き戻しているにも関わらず、どこか面白そうにやりとりを眺めていた。これもまた、相当の変わり種であろう。

 

 だが、武器は破損し、敵総大将を捕らえる千載一隅の好機を逃した彼女に、これ以上この場に居座る意味はない。むしろ逆撃の危険さえある。

「また会おうぜ」

 不敵に笑むや、戦格(船壁)に足をかけて飛び降りた。部下もあっさりと剣を引いて彼女に続く。だが、水音はしない。おそらくは船が待機していたのだろう。

 

 そして孫家水軍は、次子権の大号令の下に立て直しを図り始めた。



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孫堅(三):船を編む(後)

 無理だな。そう思った瞬間、波濤の両手より力が抜けた。

それでも脚が萎えなかったのは、最後に残った一片の矜恃が為せる技か。

 玄海の部隊が孫権艦より離れていく。おそらくは失敗したのだろう。本隊には逆に合流することなく、そのまま北へと逃れていく。

 

 それに合わせるかのごとく、諸葛瑾の隊が猛反撃を開始。三の隊を破り、勢いのまま此方へ迫っていた。

 さらには黄祖を振り切った甘寧が背後から迫っているという報も入って、ここにおいて文仲業は抵抗を諦めた。

 

「……申し訳ありません。かえって兵力分散の愚を犯してしまいました」

 

 郭嘉はそう詫びたが、それは結果論というものだ。

 あと一歩、詰めを誤ったがゆえにそこに至るまでの全てが誤ちであったなど、誰が言えようか。

 

「仕方ないわよ。あんなもん、読めるもんですか」

 

 一個の武勇でもって、戦場を覆す。

 あれはおそらく、天の御遣い。それも破格の存在であろう。

 その異能の者たちに対応し切れないこと、政争の生臭さを嫌い自身の派閥と大兵を持たなかったこと。遁走する主劉表らを押し留められなかったこと。

 それら総て含めて、自分の限界だ。

 

「これ以上は付き合うことない。子敬、奉孝、退艦の準備を」

「ちょ、ちょっと!? じゃあ波濤さんはどうするんですか!?」

「劉表軍の武人としてその使命をまっとうする! ……なーんて格好のつくような負け方じゃないけど、頃合いを見て身を処すわよ。それとも、心中でもしてくれるってわけ?」

 

 冗談めかしく顧みると、軍師たちは目を伏せた。

「それで良いわ」

 波濤は笑った。

 

「軍師たるもの、その軍略に殉じ、戦場に散るは良し。けどこんな不満足な状況で泥舟とともに沈むべきような人材ではないわ、あんた達は。だから、生きて真に仕えるべき主そ見出し、その下で才を尽くしなさい。……貧乏性なのよ、あたしは」

 

 自嘲する彼女に、郭嘉が首肯をもって応じた。

 

「……分かりました。我が真名は(りん)。またいずれお会いしましょう、文聘殿」

 

 最後にその将器と気概に敬意を表し、軍師は一礼と共に包を伴い、戦場を去った。

 孤影となって、波濤は息をつく。

 

 嗚呼、と声を伸ばし、嘆ず。

 きっとこの戦場のどこかしらで、敵味方を超えて同じように嘆く者がいるだろう。そうであって欲しいと願う。

 

 ――敵味方に分かれはしたが、同じ旗の下で戦えればどれほどの僥倖であったことか。

 などと。

 

 しかしながら、感傷に耽っている場合でもない。

 

「方円陣を取って周瑜孫権の包囲を突破し、黄蓋に突っ込ませる。その後、蒋欽の部隊が撤退するまで、粘るわよ」

 

 〜〜〜

 

 体勢を立て直し、数を惜しみなく投入した結果、大勢は決した。

 敵の走舸、先登の隊はいずれも取り逃がしたが、文聘は蒙衝でもって守りを固め、最後まで残って奮戦した。

 しかし衆に寡が敵うはずもなしというのが兵理の基本則であり、多少の波乱を生んだこの戦もその原理に帰結した。

 味方艦を可能な限り離脱させたのを見届けた文聘は、残る兵の助命を条件に投降した。

 その後はさしたる妨害もなく渡河に成功。対岸で孫権隊、諸葛瑾隊と合流を果たした。

 

「完璧だ」

 

 実質上の司令官周瑜の呟きを戦術的、戦略的完勝と捉えて、孫軍は沸き立った。だが冥琳は自画自賛をした訳ではなかった。むしろ彼女自身は優越とはほど遠い感情の上に立っている。

 劉表がいま少し文聘たちに兵を回していれば、あるいは勝利は彼女たちのものではなかったか。

 

 完璧と評したのは、その好敵、文聘の進退である。

 おおよそ考えられる最悪の条件の中で智勇を尽くして敵の心胆を寒からしめ、武運拙く戦機を喪ったと見るや、自暴自棄にならず付き従った味方を生存させ、そして生き残った直属の部下をも救わんと首を差し出す。

 まさしく語源となった藺相如のごとく、彼女はおのが『壁』を完うした。

 

 将とは、人とは、勝っている時より負けている時にその価値が問われる。

 降将とはかくあるべしと無言のうちに冥琳は称賛した。

 

「彼女を決して粗略には扱うな。王者の軍たる者、制しても辱めるな」

 冥琳は部下にそう厳密に言い添えた。

 

 さて孫権である。

 危地をサーシャとともに脱した彼女は、江陵城に至っても憮然とした様子だった。

 また御遣い殿と悶着を起こしたのか、と思いきやそうではないらしく、

 

「物資を奪われた」

 

 というのが不機嫌の理由らしい。

 どうやら奇襲部隊は蓮華の命を狙ったばかりでなく、その備蓄庫に侵入。金品や鉄器の類を物色すると、どさくさに紛れて後方に控えていた雷火の隊も襲撃。そちらにも少なからぬ被害が出ていた。

 

「潘文珪と名乗っていた。錦帆よりタチが悪い」

「潘……業突く張りの潘璋でしたか。それは災難でした」

 

 自身の頭の中に在る有力者目録を紐解き、冥琳が応じた。

 蓮華は不快げだが、奔放、豪放な為人と聞いており、孫呉との相性はそれほど悪くはないはずだ。今回は、先んじて劉表が金で囲い込んでいたというだけの話だ。戦が執着すれば、あらためて話をしてこちら側に誘うというのも

 

「お呼びかい?」

 

 ……手で、あったのだが。

 頭上より声がかかる。

 

 仰ぎ見れば、無人のはずの城壁の上。すでに暮色にはある江陵城の壁には篝火が焚かれ、弓兵が詰めている。

 そしてその中心に、自分たちの頭上に、金髪の少女が足を組んで腰を下ろしていた。

 

 ほぼ、不意打ちである。その気になれば、矢の雨を降らせることもできただろうが、それをしなかったということは、敵意のない顕れか。

 

「……もう一戦を所望ということか」

 

 だが蓮華の思考は一度敵とした相手には極端に頑なになる。

 傍らの祭に、射るように碧眼が示唆しようとしていた。

 

「ナメんな。その気になりゃあ最後の一兵まで戦い抜いてやる」

 鋭い眼差しが頭上から返す。決してそれは誇張ではないだろう。弓をつがえる兵の眼光もまた、主人の戦意が浸透したかのごとく揺らぎがない。

 そして彼女がその選択をした場合、自分たちにとっては都合が悪いことになる。

 

「ただここで時間をかけりゃ、あんたらがせっかく封じ込めた長沙軍が動き出す可能性がある。それに外聞も悪いだろ? ……良いのかねぇ、それで。でも劉表にそこまでやる義理はないしねェ。金払いも悪いし」

「……ではなにが、目的だ」

 

 指で城壁の傷をなぞり、埃をすくいとるかのような手つきを作り、その口調は迂遠そのもの。

 呻くように問い質す蓮華に、

 

「なに、簡単な商談(ハナシ)じゃないか」

 と、歯を見せて潘璋は笑いを返す。

 

「江陵城とそれを攻める時、そしてあたいの腕……全部ひっくるめて、いくらで買う?」

 

 ――完全な日没までに、江陵城はあっけなく開放された。

 ともすれば、今回の勲功を得た者の賞与よりも高額の銭と引き換えに。

 

 それに従い潘璋とその部下は孫呉の軍列に加えられた。蓮華の冷視を飄々とかわしながら。

 だが、文聘は主を替えることを潔しとせず、説得にも応じなかった。

 やむを得ず冥琳は軟禁したままに彼女を義姉らの下に護送することにした。むろん、いかに戦い、潔かったかという添え書きも忘れずして。

 

 かくして荊州の戦線は、孫家軍閥の圧倒的な優勢のままに一時の小康状態となったのだった。




お待たせしました。
次回、やっと登場人物の整理です。

そして、ここから乱数君が本気出したのでどんどんお亡くなりになっていきます。


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涼州相剋
馬騰(ニ):武王の門(前)


「まさか俺が使番なんざすることになるとはなぁ」

 男は、かつてオスティア侯弟であった。

 放蕩者、変わり種。そんな風評が付き纏う。

 兄の急死によって正式に侯爵となり、やがて長じてリキア同盟の盟主となった。

 

 それがヘクトルという男で、要するに貴種には違いない。

 自身の生前の家格がこの国の官職に言い換えるとどれほどのものになるかは不明だが、誰かの雑用だの使いっぱしりなど、放蕩時代にもやった記憶がない。

 

 が、困惑こそあるが、別段嫌というわけでもない。元より、立場や責任はともかくとして、身分差などはまるで気にしていない。

 それを抵抗なくさせるのも、あの女、馬騰の人徳というのもある。

 

 その女に、娘たちを呼んできてくれと言われた。

 あるいは、どちらかと言えば閉鎖的な馬家と御遣いの距離を縮めようという打算でもあるのだろうか。

 

 城より少し離れた草原で、彼女たちが調練をしている。

 そこまで行き着くと、仮舎がいくつも点在している。サカの民もよく用いていたテントだ。ここではパオというらしいが。

 

 その中でもひときわ威容を示す柄の宿舎を訪れる。

「よう、蒲公英(たんぽぽ)

 

 その前に立って身繕いをしていた碧の血縁者に、手を挙げる。

 年頃のわりにやや発育の良い肢体。他の馬家の者たちどうように結わえた挑発に、やや濃いめの眉。

 馬岱なるその少女を真名で呼ぶと、少し嬉しそうにはにかんだ。

 

「あれ、ヘッ君じゃん」

「そのヘッ君っての止めろ。……翠はこの中か? おふくろさんから召集だ」

「うん、そうだけど今は」

「今は?」

「あー、うん。なんでもない。入ってみれば?」

 

 一瞬見せた逡巡、そして一転、にぱっと満面の笑み。

 そこに作為的なものを感じ、ヘクトルは小首を傾げつつも、そこに邪気のようなものは見えない。

 

 つい反射的にノックをするかのごとく、拳を握っていたがそもそも叩くドアがない。

「おう、入るぞ」

 やむを得ずそのまま幕内へとくぐり抜けると、白い肌が目に飛び込んできた。

 少女が、上着を脱ぎかけたまま固まっている。ヘクトルも硬直させた。

 せめて向き合う形ではなく背を向けていたことが幸いか。

 だが引き締まったその背筋と、運動の後ゆえにつたう汗が、描きかけた名画のごとく芸術的な美しさを持っている。

 というか、そうでもなく、まずは、だ。

 

「あー……まぁ、その、なんだ? 悪い」

 

 そんな気まずげで、我ながらどこか感情のこもらない謝罪が、止まっていた時を動かす切欠となった。

 その少女、馬超の白皙に血色が戻る。というよりも、過剰に血が結集して紅潮する。

 

「……詫びる前でさっさと出てけーっっっ!!」

 

 あらん限りの怒号がヘクトルの鼓膜を破らんほどに轟き、パオを突き破って大地を揺るがし、そして従妹の笑いを誘発させた。

 

~~~

 

「無思慮、覗き魔、破廉恥漢、色情大魔人」

 

 足早に城への帰途を先行する翠は、繰り言のように呟いている。

 それら不名誉な呼称がすべて自分に向けられていることを、道中にさんざん聞かされたヘクトルは痛感していた。

 

「だからわざとじゃねぇって……というか槍まで投げてくるか? ふつう」

「うるっさい!」

 

 これは何を言っても、激怒を返されるだけだろう。

 重く溜息をつくヘクトルは、傍らを連れ歩く蒲公英をジロリと睨み返した。

 

「企んだな」

「え~? なんのことかな~?」

 と知らん顔。まったくいい性格をした娘である。

 

「おはようございます。……何かあったんですか?」

「ヘクトルさんがお姉様の着替え覗いたの」

「だから違うっていうかお前のせいだからな!」

「うわー……あ! でもでも、そういう状況オイシイかも」

 呆れているうちに鶸と蒼とが合流し、さらなる賑わいを見せる。

 

「美味しいって何が美味しいってんだ、食い物じゃあるまいし!? だいたい、何でそんなに平然としてるんだよ! あ、あたしが勝手に馬鹿みたいに取り乱してるみたいじゃないか!」

「馬鹿なんじゃない? 実際」

 

 そこに、張り付いた笑顔が飛び込んできてヘクトルを軽く驚かせた。

 

「うおっ、お前いたのかよ! っていうか、お前仮にも主人の娘相手に」

「僕の主は別にいるよ。僕はその人に飛ばされた槍だ。それが、こんな遠い時代の西の果てに飛ばされた。そう思うことにした」

「……そうかい」

 

 こいつも、この輪虎(りんこ)という少年のような男もまた、いろんな意味で良い面の顔をしている。

 呆れ、と同時に認めざる得ず、ヘクトルは肩をすくめて仲間たちと連れ歩く。

 

「ね、ヘクトルさん」

 

 その矢先に、蒲公英が指で招き寄せて耳打ちした。

 

「ほんとにお姉様の裸に、何か思うところはなかったの?」

「あ? 思うって、何が」

「もうっ、鈍いなぁ! せっかく気を利かせてあげたってのに」

 

 やはりわざとか。首筋まで赤くなって早歩きになった翠に思うところがあるよりも先に、まずその従妹殿に一つ苦言を呈したくなるところである。

 

(思うところと言っても、()()()()()()()のヤツを見てもなぁ)

 彼らの間を草原の風が吹き抜ける。こうして仲間たちと連れ歩く雰囲気も相まって、どこか懐かしい。

 先を征く翠の髪の結び目が揺れる。その後ろ姿が、風に乗って左右に流れる髪の一房が、どこぞの誰かの緑色の髪の少女を想起させた。

 

 と同時に、胸に軽い痛みをも覚える。

 

「……妙なことになっちまったもんだなぁ」

「はぁっ!?」

 

 ノスタルジーじみた感傷をごまかした呟きは、その翠に拾われた。

 妙とは自分のことかと嚇怒し、振り返る彼女はしかし、身を翻した拍子に肩を硬い方形の物体へと打ち当てた。

 

「いった!?」

 いい塩梅にその鋭角に肌を刺した彼女が悶絶すると、

「おい、気をつけなよ」

 と、筺体の向こう側で声がかかる。

 見れば、鳳徳が横顔を覗かせていた。

 長安戦の後に去就を決して馬家の陣に加わった少女ではあるが、その馬家とは旧知の間柄で、特に翠と親しい。

 そしてどちらとも男勝りではあるが、翠よりもイガのついた部分が取れた、しゅっとした立ち姿が魅力の美少年然とした娘だった。

 

 その少女が、腰に巻いた束帯(ベルト)に携行しているのが、翠が肌を刺した件の箱である。

 

「なんだよ、紅葉(くれは)。その妙な函は」

「棺桶だよ」

「……随分、小さいみたいですけど」

 

 もちろん、腰に巻いてある国は、過ぎた大きさではある。

 死体を入れるには、という条件を鶸はかろうじて呑み込んだようだった。

 

「なに、心構えの問題だよ鶸。こうしていつも死の象徴を背負っていれば、覚悟はいつでも出来できる。うちも騎馬の民だ。死ぬときは野ざらしだよ」

 

 からりと言ってのけるあたり、この女も相当に変わり者らしい。西涼の民というのは、皆こうなのだろうか。

 

「で、どうした? 

「あぁ、お姉様が裸でヘクトルさんとどうこうっての?」

「なに!? ついにやったのか、翠、ヘクトル!」

「やっない! 紛らわしい言い方をするなッ」

 

 拳骨を飛ばさんとする翠を避けて、蒲公英はぐるぐるとヘクトルの周囲を巡ってきゃっきゃとはしゃぐ。

 そうしているうちに、城から出てきた馬上の大将、馬寿成がのほほんと顔を出した。

 

「おいおい、早く来なさいよ」

「母様……ごめん」

「で、何か楽しそうな話してたけどなに?」

「母様!?」

「あぁ、一つ屋根の下ヘクトルさんとお姉様が、ちょっと……ね」

「ほう! 詳しく……説明してくれ。今、お母ちゃんは冷静さを欠こうとしているよ」

「話すたびに盛るんじゃねぇよ!」

「その前に曰くありげに言葉を切るな!」

 

 ついにヘクトルも声を荒げた。翠も顔を並べて同調した。結果、ふたりの呼吸はぴたりと合った。

 そのことを自覚した瞬間、翠はふたたび赤面してそっぽを向いた。やれやれとヘクトルは苦い顔を持ち上げた髪の分け目を撫でつける。

 

 が次の瞬間、背に死神を感じた。

 風に乗って、死が、暴威の前兆めいたいやなざらつきが運ばれてくる。あるいはかつて、竜と対峙した時と同じ心地かもしれない。

 知らず、首が南に向いていた。

 

「お姉ちゃん……?」

 

 ふしぎそうに蒼が尋ねる。鶸も疑問符を浮かべているようだ。

 ということは、翠も羞恥も照れもすべて吹き飛ばしたかのごとく、似たような反応をしているということだ。

 

 そして同様に感じ取ったのは、棺の模型を握りしめた鳳徳。笑みの掘りをさらに深くさせた輪虎。そして、静かになって豊かに波打つ髪を逆立たせた、碧であろう。

 

 その碧が呼んだのも、この死の先触れに関することであろうということが、この時点ですでに察せられた。

 

 

 

「董卓軍が帰って来る。狙いは長安の玄関口、武関(ぶかん)。敵先鋒は、呂奉先だ。袁術との敗戦に怒り狂って、こちらに全力で八つ当たりにくるぞ」



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馬騰(ニ):武王の門(中)

試験的に原作名を変更しました。
何かしらの指摘が入ったり何の変化も見られなかったら戻します。


 関の上にあって眼前の平地に流れ込む騎兵を、馬騰はあらためて見下ろした。

 見知った姿もある、同郷人である。

 

「大計破れ、思いもよらぬ小者相手に一敗地に塗れてもなお、あの威容を誇るか。いや感心感心! 董卓にはともすれば王者の徳というものがあるのかな」

 

 などと他人事のように壁を叩いて称賛する母に、焦れたように翠が進み出てきた。

 

「出撃の許可を」

 

 そう希う娘に、

「すごいこと言うね、お前は」

 と碧は言った。

「アレと戦う気か」

 

 華雄を喪ったと聞くが、今の呂布の武威はそれを補って余りある。

 百里を超えて飛んできたその闘気は、今眼下に在って誰の目にも脅威として映っていることであろう。

 背後に控えた翠の姉妹たちも、慄然と棒立ちになっていた。

 

 脇を固めるその軍勢にしてもそうだ。実数以上の実力を有する精鋭だ。

 袁術相手に敗けたのだ。もはやいささかの緩みも油断もありはしない。

 

呂布(アレ)が、いるからだ」

 翠は怯むことなく答えを返した。

「そもそも城を取った取られたってのはあたしらの本領じゃない。ここで打って出ずして何のための調練だ。何が西涼の士だ」

「わ、私達も、姉様に同意します!」

 

 鶸や蒼の姉妹までもが進み出た時、碧は軽く驚いた。だがそれが彼我の戦力を比較しての客観的判断ではなく、矜恃から来る虚勢であることは一見して明らかだった。

 

「えー」

 それを察して、碧は軽く身を引いた。

「勝てる気でいるの、あいつに」

「自分の娘を見くびるなよ」

「そんなことはないさ。ちゃんと評価してる」

 

 柔らかく言って碧は翠の肩に手を置いた。

 

「成長したな、翠。幼い頃のお前はただ泣く事しか出来なかった……でも今のお前は、心に怒りを宿している。それは西涼人たる武を手に入れ、お前が強くなったからだ。だが忘れるな。本当の強さとは、力が強い事じゃない。心が強い事だ。今のお前ならもう、その意味が分かるはずだ」

「絶対適当に言ってるだろそれ!?」

 

 なるほど不満はそこにあるわけか。敵を尊重する言葉を放言しつつ、かつ自分たちを過少に評価していると。

 だが、感情で軍を動かすことが諸刃の剣であることを、碧は知っている。

 ともすれば意気をあげあの軍さえも打ち倒せるかもしれないが……一方で戦の本質を見失いかねない。

 

「どうよ、ヘクトル、輪虎、紅葉」

「うちとしちゃあ、翠に同じく」

 

 涼州の勇者にして友の賛同を得て、ますます娘は自信を持った。

 

「けど、問題は、大殿の胸三寸じゃあないですかね」

「あぁ、僕はどっちでも」

 次いで答えたのは輪虎であった。

「与えられた兵力で、やることをやるだけですよ」

 

 平然と言ってのけるが、要するに自分が死なない、その部隊が敗北しない自負がある一方で、勢力それ自体の勝敗はどっちでも良いということか。

 

「俺は、出るべきじゃないと思う」

 ようやく意見らしい意見が出たのは、最後に回ったヘクトルからだった。

 仔細は求めず、碧は指を鳴らした。

 

「良いねそれ。楽できる」

「楽かどうかで戦を決めるのかっ!?」

 

 翠が息を巻いて詰め寄った。

 

「あたし達は帝より勅をいただいた正義の軍勢だろ! 進んで逆徒を打ち砕く! それ以外の選択肢があるはずもないっ!」

「そうは言ってもなぁ。同じ西涼人だろ? この攻勢もやり過ごしてさ。長安落とした時点で朝廷への義理は果たしたし、さっさと高順ちゃん返還するのを条件に裏で和議を結んで引き上げたほうが良いと思うんだけどな。寒いし怖いし」

 

 瞬間、碧の肺を娘の腕が圧迫した。寒い、怖いと子どもじみた感想で締めくくったことが限界まで溜めていた怒りへの着火剤となったようだった。

 母の喉元を絞り上げながら、翠は声を荒げた。

 

「どうしてあんたはそうなっちまったんだ!? 何があんたをそんな弱腰に変えた!? 昔は、昔はもっと……」

 

 言いよどむ西涼の荒武者の、吊り上げられた眦に、涙玉が浮かぶ。

 「くそっ」と毒づき碧を解放した腕がその目元をぬぐい、踵を返す。

 

 中立的に立ちすくんでいた両妹も紅葉も、慌てて姉の後に追従する。

 おそらくは、どうにかしてなだめすかそうという魂胆だと思いたい。

 

 輪虎もさして興味がなさそうにその場を後にし、残ったのはヘクトルのみである。

 碧は、しばらく立ち上がれずにいた。

 呂布の武威と、そして我が娘ながらも馬超の激情。その二つの覇気は彼女の眠らせんとしていた武心を猛らせ、また一方でその分消耗させもする。

 

 手足の震えが止まらない。感覚さえなく痺れた続く。

 

「……豪族というのは、長陣を嫌う。遠征を厭う。長安を落としたという一定の成果を得たことが、かえって彼らの意気を削いでいる。必死な董卓軍に今の軍で当たれば、まず負ける。どこかで落としどころが必要だ」

 説明とともに呼気を整えていく。

 動悸が鳴りやみ、指先が少し動く程度まで回復させる。

 

「だったらなんで、本当のことを言わない」

 ヘクトルの問いは、厳しく冷たいものだった。立場はともかく、心情は翠に傾くところがあるのだろう。

 心なしか焦れるような彼の物言いに、碧は薄く嗤って答えた。

 

「怖いのが、事実だからさ」

 と。

 

「ある時を境に、戦が怖くなった。人の死が、怖くなった。……今更お前さんに隠す必要もないが、自分の命に限りが見えた時、あぁこの若者にも先の人生があろう、この者にも残した家族や恋人もあろうとか考え、手にかける兵士に心を寄せるようになっていった。彼らと争わぬ手立てはないかと考えるようになった」

 

 戦場の外で情をかけるのはいい。

 だが、目の前の敵兵を同情するようになれば、もはや武人としては終わっている。

 もはや肉体がどうのという問題ではない。

 馬寿成という女の精神が、もはや戦場に耐えられなくなってきていると感じていた。

 

「笑えよ、ヘクトル」

「笑えねぇよ」

 

 短く答えたきり、無骨だが情緒に満ちた異邦人は押し黙った。

 紅葉が引き返してきたのは、そんな重苦しい空気の中だった。

 

「あの馬鹿、出ちまいました」

 

 それが当主の令嬢を呼称するものとは思えず、だしぬけに報告された碧は、それが何のことなのか分からなかった。

 それを理解したのは、足下で関の門が開かれた時だった。

 

 碧は舌打ちした。

 そこは、親たるおのれが慮らなくてはならないことだった。

 あの娘の気性を思えば、こうなることは目に見えていたはずなのに。

 

「妹御が追いかけてはいますが、彼女らさえ巻き込んで開戦に突入する可能性が高いです……どうします」

「こんな状態で戦になるものか。呼び戻して、犠牲覚悟で長安まで退く」

「……了解です。であれば、その役目はうちが」

「頼めるか?」

「殴ってでも、止めますよ」

 

 棺をポンとはたいて、足取り軽やかに階を飛び降りる。

 爽風さえ感じさせる見事な所作に、強張っていた頬もついほどけるというものだ。

 

「ヘクトル、いつでも後詰めに出られるようにしておけ。輪虎は?」

「まだ関内にいるみたいだな」

「よし、飛ぶ時と兵力は任せる。敵の包囲を受けた場合、その外周から錐穴を開けられるよう、伝えておけ」

 

 最低限のことをしておかんと指示を飛ばして座り込む。ややあって、痛む頭を抱え込む。

 この時ばかりは、ままならぬ我が身がもどかしかった。



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馬騰(ニ):武王の門(後)(★)

 関より出た敵の騎兵五千。突出してきたそれを前に、董卓軍師、賈駆の指令は簡にして素にして冷酷を極めた。

 

 命じて曰く、「殲滅」の二字。

 大略無用。ただ一撃をもって鏖殺し、速攻をもって駆逐せよと。

 無為無策に言ったわけではない。先陣を切る馬家の直属部隊と、豪族との連携の乱れ、その間隙を認めたがゆえ。勝利を確信したがゆえ。

 

 だがその攻勢は単純な力任せではなく、巧妙を極めた。

 こと、脇を固める徐栄の動きは機敏かつ柔軟、あえて表現するなれば庭を駆け回る溌剌な童女そのものといったいった様子で、敵の騎兵を足止めしつつ、騎兵ひしめき限られた空間を遊撃部隊として有機的かつ流動的に戦闘を展開していた。

 

 もちろんそれは、最硬度にて中軍を固める張遼の助攻あってのものであることは捨て置けまい。

 ただ単純に、先の敗戦を猛省したというわけではなかった。

 自分たちと異なる世界の技術、あるいは先取りされた戦理を前線に手目の当たりにして、彼女らは意識するしないにかかわらず、それを学びとして自らの内に取り込んでいた。

 

 唯一変わらぬ存在があるとすれば、それは言うまでもなく、すでにして頂点に立つ者であろう。

 呂布、奉先。

 汗血の悍馬にまたがって戦場を疾駆する突然変異の并州人と、同様に西域馬にまたがって猛る涼州の武の体現者。

 

 両陣営最鋭の衝突は、いわば避けられぬ必然であったかもしれない。

 

 ~~~

 

 ただ、一個の騎手であれば良かった。

 一本の槍であれば良かった。

 一頭の悍馬であれば良く、一人の武人であれば良かった。

 

 それが、馬孟起の根幹である。

 命ぜられれば駆けて義がために敵を討つ。用兵など無用。政などもってのほか。

 単純ではあるが、それがゆえに勁い。

 

 自身も、それで良いと思っていた。だが、頭首であった母の堕落が、衰退が、そこに留まることを許さなくなってきている。一抹の迷いが浮かぶ。

 

 ――考えるな。

 考えるな考えるな考えるな。

 留まるな、退くな。

 

 ただ目先の敵を討てば良い。

 

 武関より出でて久しい。

 何人突いた。いくつの陣を貫いた。

 気がつけば、妹たちの制止の声が絶えて、単騎。だがその甲斐あって、目当ての武人に邂逅を果たすことができた。

 

 自分よりも上位の武。そして自分と同様、一個の勇。

 

「呂布だなっ! あたしは馬超、涼州の獅子の娘だ!」

 

 翠は誰かへの当て付けがましく名乗りをあげる。

 呂布は応じない。ただ一斬をもって返答する。

 斬撃というよりも重圧、粉砕という似合う一撃は、なるほど呂布の名乗り等しい。その愚直さが、むしろ一層に好ましい。

 

 自身の直槍を握りしめて突き出す。それは刺突というよりかは射撃に近い。速度と質量を伴って打ち出されるそれは、手数においては呂布の重撃を凌ぐかもしれない。

 

 人中の呂布。

 されど、それは人の範疇にあることと同義である。

 ならば倒せぬ道理がない。加えて、馬上においては自分に一日の長がある筈だ。

 

 が、憶測も楽観も虚名も、等身大かつ圧倒的な現実の前には、塵に等しい。

 呂布の吸う息は歳相応の少女の如く。吐く息は荒き獣の如く。

 

 刹那、光と風が翠の視界を覆った。

 それを正しく認識する前に、本能が総身に退却を命じる。

 内にある武の神が在り、かつそれに突き動かされるかのごとく、少女の肉体は落馬し、その寸毫の間を一閃が通過する。

 

 己に代わり、悍馬の胴が切り落とされ、両断された。

 血のしぶきさえも突き抜けて、地へと鉄刃が突き立てられた。

 十年そこらで体得した小手先の技芸などものともしない、天性の暴力。

 

 ――これが、人中? 人の範疇だと?

 

 それによって、数年来の友が、今斬り倒された。

 剥き出しの股に粟が立ち、背筋に瘧がはしったのは確かだ。

 

 だが、愉しい。

 

 ただただに個と個の競り合い。それを余すところなく、自身の命さえも質に差し出して、翠は堪能していた。これこそが、自分の求めるべき姿。探していた戦場だ。

 

 なお戦意を喪わず、むしろ前進を続ける翠と対峙しつつ、赤毛の豪傑は鞍より下りた。

 手綱を、必死に追いついてきた軍師らしき緑髪の小兵に投げ渡す。

 

 歩兵となった自分に対し、正々堂々を重んじ対等の条件となるか。

 否、違う。

 乗馬、徒歩。集団戦、尋常の立ち合い。どのような状況でも、彼女の個人的武勇が頂にあることは変わりないのだ。

 単純に、ここで生まれた高低差がわずらわしいというだけなのだろう。

 だが、負けるわけにはいかない。何よりも、かくも至高の戦場に、背を向けろというのか。

 

 ――馬孟起、俗世のわずらわしさを超越し、修羅道に突入せん。

 

 そう意気込んだ矢先、頬を強い衝撃が張った。

「この……ッ、馬鹿翠が!」

 鈍い痛みとともに、厳しい叱責とともに、戦友の姿が目に飛び込む。

 

「この状況を見てみな!」

「あ!?」

「これが戦場と呼べるものかッ!? 自分の立場を思い出せ!」

 今まで自分が見て見ぬふりをしてきた光景が、その少女、鳳徳の指摘をもって蘇る。

 すでにして押し包まれて、歩騎いずれも一方的な蹂躙のもとに倒れ伏している。

 

「蒲公英たちは」

 できることは、わななく声で

「妹たちと一緒に退かせたよ。あんたも退きな……といっても」

 

 苦笑とともに、自身の得物たる筆刀を掲げ持ち、紅葉は苦笑した。

 

「素直に退かせてくれそうにもないけどね」

 呂布は、この喧嘩を看過していた。それは温情ゆえではない。いつでも殺せるから。

 

「はー、しょうがない。手伝ってやるよ」

「……お前、本当は戦いに来たんじゃないのか」

 翠は呆れながら、どこか楽し気な紅葉に悪態をつく。

 

「それでもあんたほど、自分を見失っちゃいないし、おふくろさん泣かせじゃない」

 そう言うや、示し合わすでもなく、紅葉は飛び出した。

 翠もそれを受けて、彼女とは左右対称の方角と動きに跳躍した。

 

 蛇行しながら再接近を図るふたりの姫将に、呂布の表情がはじめて煩わしげに動く。

 彼女の間合いに、踏み込んだのは、紅葉が先であった。

 一瞥もくれず、戟が振られる。

 紅葉はそれを屈んでかわす。凡百の武将なれば、その風圧のみで吹き飛んでいただろうが、野鹿のごときその脚が踏みとどまる。大刀を投げつける。呂布はそれを首をそらすのみで避けた。

 

 ――なんたる判断の速さか。

 だが、鳳令明の武運は、そこで尽きるほど甘くはない。それを信じて、翠も続いて間合いに入った。

 その槍穂の狙いは呂布の身柄に非ず。その画戟。さらに言えば月牙と呼ばれる、側面の鋒刃の隙間である。

 

 そこに穂先を押し通すと、叫声とともに我が身もろともそれを押し込んだ。

 呂布の武器が、自身の槍とともに地面に縫い止められた。

 

「今だっ!」

 

 翠の示唆を受けて、紅葉は呂布の上へと飛んだ。

 その棺の蓋が開き、中から弓と矢がまろび出る。その箱、ただの飾りじゃなかったのかと翠が驚きあきれる一方で、それを起用につかみ取った紅葉は数本の矢をつがえて地上へ射落とす。

 

 鳳徳ほどの弓馬の達者、あえて狙いを絞る必要もないほどの距離である。

 ――()った。

 自分たちの勝利を確信したその刹那だった。

 

 拳が、飛んできた。

 翠の側頭部が、思い切り殴りつけられた。めきめきと、嫌な音が外からではなく頭蓋から響く。

 硬い地面に叩きつけられ、そして中空へと一度跳ね上がってから墜落する。

 

 思えば、単純なことではあっただろう。

 武器を止められた。ならばその柄から手を離し、徒手で倒せばよい。

 

「なっ!?」

 驚く紅葉の前で、封じられていた方天戟が呂布の手元に戻っていた。

 

 一閃。

 必死の矢が、ことごとく吹き飛ばされた。

 そして、一突。

 天へと衝き出された矛先は、その紅葉の肉体を磔刑のごとく貫いた。

 

「くれ、は……」

 降り注ぐ友の血を浴びながら、西涼の勇者は意識を手放した。

 

 ~~~

 

 恋が、ぞんざいに長柄を振るう。

 串刺しにされていた赤毛の敵将が解放された。弓を握りしめたままに、地面を滑って血の轍をつける。

 

 見事、という賛辞さえ呑み込んで、音々音はその威に打たれていた。

 一方で、自分もこの勝利に貢献したという手ごたえを感じていた。

 

 敵軍も、そして御大将自身も知覚してはいなかっただろうが、呂布軍が行ったのはただの包囲ではない。

 この呂布の唯一無二の軍師は、先に宛での戦で敵将が自分たちに行った戦術がこの平地においても応用できないかと考えていた。

 

 掎角のごとき、攻守と正奇入り混じった、あの策を。

 すなわち呂布自身を城と見立て、その武威に誘われた強者とそれに率いられた敵兵を、徐々に深みへと引きずり込んで側背よりすり潰していく。

 

 これは呂布を不落の人間城塞と信じて疑わず、かつ未だ発展途上で自信家であった陳公台ならではの吸収力といったところであろう。

 

 それを知る者はおそらくここにはいないだろうが。己のみが誇れば良い。

 そう考えて、音々音は促した。

 

「さぁ恋殿。この鼠賊めらに止めを」

 恋は頷き、地に濡れた刃をもって馬超を断頭せんと振り下ろした。

 

 その矛先に、金属音が響く。

 見ればもう一方の、援兵として現れた者が矢をつがえて射放っていた。

 

 意識がそちらへ向いた呂布の脇を転がるようにすり抜け、血の泡を吹きながら馬超を抱きかかえる。

 目覚めぬ旗頭に苦笑をこぼすと、切なげに言う。

 

「……ほんっと、次は命を大事にしな。あんたはうちらの、馬家の錦なんだから」

 

 そして、掠れた勇声とともに、第二射を放つ。

 だが、万全でも敵わなかった無双の武人、呂布にそんなものが届くわけがなかろう。

 

 しかしそれは、恋を狙ったものではなかった。

 勇み足とともに敵を追わんとしたこちら側の騎手。その眉間を射抜き、落馬させた。

 撃ち尽くした弓を投げ打ち、空馬となって近づくその馬の轡を取り、足を止めさせないままにまたがる。

 棹立ちになったのも束の間、ふたりを乗せた馬が、新たな主を乗せて陣を突っ切っていく。

 

「ええい、しぶとい! 恋殿、今度こそ引導を渡してくだされっ」

 歯噛みしつつ、音々音は弓を持ち出した。

 弓を取っても天才的な主人ならば、十分に射程に収めている距離だ。

 

 だが、恋は首を振ってきびすを返した。

 

「れ、恋殿……?」

 まさか虫に情けをかける方でもあるまい。

 その意図を汲みかねている軍師に、彼女は

 

「意味がない」

 

 と短く言い置いた。

 

 ~~~

 

 敗兵をまとめた蒲公英と馬家の二姉妹が、関へと退き返してきた。

 駆け寄り、長女の安否を問い質す碧に対し、申し訳なさそうに首を振る。

 圧倒的な董卓軍の智勇。それに触れて、皆が色を喪って、満足に息を整えられずにいた。

「お姉ちゃんは、最後に呂布と戦ってたのは見たけど」

 蒼がらしくもない暗澹たる表情で言葉を紡いだ時、もはやその生存に期待をかける者はいなかった。

 

 そして、誰もが顔を地に向け、すすり泣きさえ聞こえてきた時、ヘクトルが何かに気が付いたように声を張った。

 

 見れば地平と戦場の向こう。一頭の馬とそれに揺られたふたりの少女の姿が見えた。

 その追っ手を関の上より矢を射て追い払いつつ、彼女らを招き入れた時、やや軍中は活気、というよりも生気を取り戻した。

 

 馬上でぐったりとしている翠を下ろし、その呼吸を確かめる。

 

「生きてる、生きてるよぉ!」

 喉元に耳を当てていた蒲公英が顔を上げ、声をあげる。

 周囲にいた兵士たちが安堵の息を漏らし、勝利のごとく喚声を発した。

 

 が、頭からの出血がひどく、予断を許さない状態には違いない。

 すぐに抱えられて軍医に見せることとなった。

 

「……すまん。苦労をかけたな紅葉」

 碧は、それを見届けてから、馬上の紅葉にねぎらいの言葉をかけた。

 

 

 

 ――出立に際し感じていたあの爽風が、彼女の内から絶えていた。

 

 

 

 手は力なく手綱を握りしめたまま、眠るように項垂れていた。

 ヘクトルが目をそらす。鶸が口元に手をやり呼気を震わせその場に崩れる。

 

 碧は、その指を解いてやった。

 天命を使い果たした少女の肉体は、常に見るより華奢で軽く、碧の胸の内にするりと落ちてくる。

 

「――すまない……紅葉……ッ」

 今一度、詫びる。それしか、かける言葉が見当たらない。

 肉体を貫通して穿たれた空の棺。そこに魂の残滓を感じて、碧はそっと撫でつけた。

 

 

 

【鳳徳/紅葉/恋姫(オリジナル)……戦死】



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馬騰(三):修羅の刻(★)

 しかるべき者に紅葉の亡骸を譲り渡した碧は、その場にしゃがみ込んだ。

 無言で、何時も、戦闘の最中に。

 

 ややあって、立ち上がった彼女は言った。

 

「この首ひとつで、董卓は許してくれるかな」

「なっ……お母様!?」

 

 それが投降を意味する言葉であることは、あえて明言する必要はなかった。

 独語とも諮るともとれるような茫洋とした調子の彼女に、すぐさま反論に応じる者はいなかった。

 

 紅葉の死に続いての、衝撃発言である。その意味を吟味し、答えを出す方がおかしいというものか。

 だが、言ったところですでに、碧はゆるゆるとその決意を固めていた。

 

 もはや、良かろう。

 これ以上の戦いに、老体が意地を張るのみの戦に何の意味があろうか。

 この身と魂は、その愚戦に決着をつけるために捧げる以外の、何の用途があろうか。

 

 そう思い、碧は口を開く。

 

「門を開け」

「門を開けろ」

 

 別口より、だが明らかに彼女とは別の意味合いを強く含めた同音が、隣より響く。

 脇を見れば、勇壮な斧の武者が並立していた。

 

「俺と輪虎が出て時間を稼ぐ。あんたは撤退の指揮を執れ」

「……これ以上、無駄な血を流したくないんだがね」

 

 そうぼやいた瞬間、ヘクトルは彼女の頬を平手で打った。

 客分とはいえ、臣に等しい者が涼州軍閥の総領を殴ったのだ。その衝撃はいかばかりか。

 他の者は、ざわめきとともに硬直していた。

 

「……鳳徳の流した血は、無駄か?」

 

 厳しい目だった。鈍い痛みだった。きっと紅葉も戦中にそうして翠をぶって諫めたのだろうと思った。

 

「心中は察する。たしかに、志半ばでその道が絶えてしまうことほど、無念なこともない。それが見えてしまった時もな。それで投げ出したくなる気持ちもな」

 周囲に聞こえない程度の声量で言う。

 

「だが、それでも……其方は、当主であろうが。あの娘たちの、母親であろう」

 

 背格好には似合わぬ物言いと優しい語調であった。

 目を細め、口元には笑み。

 止まりかけていた心の臓が、それで吹き返した心地であった。

 

「ならば、生きよ。最後のその時まで、人の上に立つ者の姿と、親の背をあの者らに見せてやれ。その道程は、我が子にとっては無意味なものとはなり得まい」

 

 そう言って、碧の前へと進み出る。

 閂を自身の一人の手で、外した。

 

「行くんだ?」

 その脇で、双剣を背に負う輪虎が声をかける。

「悪いが、付き合ってもらうぞ。……その呂布って化け物は俺が引き受ける。お前は敵中を引っ掻き回して撤退の機を作ってくれ」

「ハイハイ」

 

 肩をすくめ、碧に代わり、ヘクトルの隣に並び立つ。

 その背後に、麾下の騎兵が並び立つ。この混乱においても、不気味なほど静寂を保った精鋭である。

 

「で、実際のとこどうなんだ、お前」

「何が?」

「いっつもはぐらかしてきたが、この家の人らに何か思うところはないわけか」

 

 ヘクトルは、あえてそれを皆の前で言わせようとしていた。

 んーと伸びをするかのごとく声をあげ、即答を渋っていた輪虎であったが、ついに勘弁したかのように答えた。

 

「明るい人たちは、嫌いじゃないよ。馬鹿も含めてね。僕の主と同胞たちが、そういう人たちだった」

 

 そうか。そう呟いたヘクトルが、輪虎の肩をしばし抱く。

 力強く。だが、引き離すにしても未練を残さず。

 何か感じたり、思い起こすことがあるのだろうか。この不敵で過剰なほど誇り高い男が、その間されるがままになっていた。

 

「なら、今はそれで良い。……後を、頼む」

 

 ヘクトルはそう言って完全に門を圧し開いた。

 次の瞬間、閃光のごとき戟の一突きが、その隙間より彼を襲った。

 

 鉄の音が響く。だが、肉の音は聞こえない。

 斧の柄が、その不意打ちの威力を殺していた。

 

「よう、小娘」

 苦悶に満ちた、だが多少の笑みを含んだ声を、異世界の勇者は門を挟んだ先に入る赤髪の鬼神にかけた。

 

「少し、力比べといこうぜ」

 彼はそう言うや、渾身の力を手足に込めて踏み出した。

 門が完全に開き、そして呂布は……門の外へと押し返された。

 

 ~~~

 

 戦場全体を凍らせるほどの残響の尾を引いて、関門の前でふたりの豪傑は打ち合っていた。

(なんて剛腕だよ……っ)

 かつて人外の者たちとの死闘を繰り広げていたヘクトルをして、慄然とさせる天性の暴威。

 そしてそれをしのぐヘクトルに対してもまた、董卓軍の将士、そして呂布自身も驚きを見せていた。

 

 鎚を打つがごとく、鉄音が繰り返される。

 その間隔が次第に狭まり、一つの破裂音となって聞こえるようになる。

 

 間合いを詰めないままに、無理を承知でヘクトルは呂布を追い立てていく。

 ひとつにはそうやって肉薄することで、周囲の敵の援護射撃を防ぐため。そしてもうひとつは、方戟と戦斧とのリーチをあって無きものとするため。

 

 いずれも、特定の師を持たぬ我流である。

 だがその経験の差からヘクトルは、呂布の繰り出す攻撃を読み、その出鼻を挫く形で防いでいく。

 

 十全に腕の伸びきらない攻めは、脅威ではあってもヘクトルを討つまでには威力が出ない。

 そのことを、呂布とて痛感しているのだろう。

 

(焦れている)

 

 ヘクトルはそう捉えた。

 攻勢はさらに苛烈に、だが単調に。そして明らかに集中力を欠き始めていた。

 

 そう感じた直後、敵軍の背後より声が沸いた。

 見れば、本陣と思しき後方のあたりに、切り込む縦隊の姿があった。

 

 輪虎。

(あいつ)

 二刀の部隊長に苦笑する。攻めるは徐栄、張遼で良かったものを、無茶攻めを承知で、サービスでさらに上を狙ってくれたということか。

 我を見よとばかりに真一文字に突っ切って、衆目を浴びる。

 まさに、天下を資する胆力の持ち主と言えよう。

 

 そしてそれは、呂布の龍眼さえも動揺させた。

 

「月」

 感情の乗った幼い声が、この無双の者より漏れた。意識が寸分、ヘクトルより離れた。

 

 ヘクトルはその機を見逃さない。乾坤一擲、大技の構えを取る。

 頭上で斧刃を旋回させ、地に一度叩きつけて気を充溢させる。

 そして鎧の重量などまるで度外視したかのような高い跳躍をもって、そして背のマントを巻き込むようにして肉体を翻し、呂布を瞠目せしめる。

 

 狙うは脳天。次点で肩口。

 加減のできる相手ではない。現にすでに迎撃の体勢を取りつつある。

 だが、焦りすぎた。急いで突き出した矛先がヘクトルの右手を捉えた。二の腕を突き立てられたが、武器は取り落とさない。そも、そちら側にはすでにない。

 

 マントで作った死角で左手に斧を持ち替え、呂布の眉間目がけて振り下ろした。

 

 

 

 

「ある時を境に、戦が怖くなった。人の死が、怖くなった」

 

「自分の命に限りが見えた時、あぁこの若者にも先の人生があろう、この者にも残した家族や恋人もあろうとか考え、手にかける兵士に心を寄せるようになっていった」

 

「彼らと争わぬ手立てはないかと考えるようになった」

 

 

 

「笑えよ、ヘクトル」

 

 

 

 ――嗚呼、畜生。

 笑えない。まったくもって、笑えるものか。

 

 結局、つまるところ。

 それなのだ。自分が命を落とした理由は。

 

 そして、今もこの少女の目を見た時、想ってしまった。

 彼女を。同じ年頃に育った娘を。

 

 

 

 刹那の追憶が、斧を寸手を止めた。

 その寸手が、寸刻が、一瞬ただそれのみであった勝機を喪失させた。

 そしてそれは、彼の命脈をも消し飛ばした。

 

 一瞬の交錯。斧は彼女の耳の側をすり抜け、代わり迫る方天戟の月牙はヘクトルの装甲の隙間を呆気ないほどたやすく貫通し、腹を抉り抜いた。

 

 生きていくだけに必要な血潮がこぼれ落ちる。

 その身は赤き海に沈む。その魂は暗い闇に沈む。

 

「リリ……ナ」

 

 今際に紡ぐ言葉は、娘の名。

 されども閉じる瞼に浮かぶのは、ここに来てからの短くも楽しき日々。

 祈るのは、この世界で息づく一家の安泰。

 

 

 

「あばよ……手のかかるじゃじゃ馬ども」

 

 

 

 口端に笑みを浮かべながら、彼は二度目の生に幕を下ろした。

 

 

 

【ヘクトル/FE烈火の剣・封印の剣……戦死】



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董卓(三):誉れなき勝利

 双刀で攻め立てていた敵将の手が、止まった。その笑みの陰影に潜む魔が抜けた。

 同時に、救援として対していた霞も気が付いた。

 関の前に立ち上っていた圧倒的な闘気ふたつ。

 その片割れが、消失したことに。

 

 一騎打ちにおいて恋が敗ける道理がなく、かつ万一にそれが起こっていれば、その驚天動地を目の当たりにしていれば、前線はたちまちのうちに崩壊していただろう。

 となれば、勝敗は明らかであろう。

 

「……もう良えやろ」

 

 剣を交えていた敵将に、剣を下ろしてそう告げる。だが勝利の優越とはまるで無縁の表情で。

 霞とて、戦うのは好きだ。武の道を志した以上、戦場にては切り替えもする。

 だが同郷相食む死闘の苦しみは、并州生まれの彼女とて痛ましさを感じずにはいられない。

 

「……まぁね」

 

 天の御遣いと思しき男はそれを否定しない。何か名残を惜しむかのごとく、自分が落ちてきたであろうその天を少し見上げて、そして怪鳥のごとく、剣を水平に持ち上げたままに馬首を返し、凄まじい速度で引き上げていく。

 

「あ、そうだ。次に戦う時は、ちゃんと長物を用意しておきなよ」

 と、言い残して。

 

「なんや。バレとったか」

 

 罰が悪そうに紫髪をかき、苦笑する。

 先の老鬼との戦いによる損耗は、彼女自身ではなく武器の方が酷かった。

 なので今は打ち直していて万全ではないことを、彼はその手癖から見抜いていたようだった。

 

 奥で気を張り詰めていた月が、脅威去りし後に崩れそうになる。それを、詠が支えていた。

 それほどに、あの敵の突破力は脅威であった。もし本腰を入れてかかられていたら、どうなっていたことか。

 ややあって、軍容を立て直した透も、荀攸を連れて戻ってきた。

 

「なんだ。もう終わってるじゃないですか」

 馬上の天才児は開口一番、まるで他人事な感想である。

 

「このアホ、本陣崩されとったほうがよかったっちゅうんか」

「いえいえそうではなくてですねホラ、霞姉さんだったら『ヒャッハー! 強者じゃ、一騎討ちじゃー!』とか言って形勢そっちのけで延々敵と殴り合ってるんじゃないかと」

「尚更気分悪いわ!」

 

 とは言え完全に否定できないところに、自分の性分の悲しさがある。

 

「……しゃあないやろ。華雄も逝ってもうて、ただでさえ指揮官が足りん。自分抑え込んでそれ相応の陣固めせんとな。変わらんといかんやろ、軍全体も、ウチ自身も」

 

「へぇ」と、愛馬の鬣に頬を寄せるようにして、上体を倒しながら、透は笑った。

 

「笑いたきゃ笑えや」

「まさか、評価してるんですよ」

「上から目線やな」

 

 不本意げに鼻を鳴らす霞に、透は姿勢をそのままに言った。

 

「自分より、月さんより詠姉さんより、ともすれば恋姉さんより……霞姉さんは、遠くに上にいける気がするんですがね」

「は? なんやそれ」

「さぁてね。ふいに頭の中に浮かんだんですよ」

 

 透は言葉に隠しているのではなく、ろくに考えの整理もせず率直に所感を口にしたに過ぎないのだろう。

 霞は呆れつつも、飾り気のない彼女の『神託』を誇りとともに胸に刻んだのだった。

 

 〜〜〜

 

 勝つには勝った。いやむしろ完勝とも言って良い。

 だが、詠や月にとっては、失う物があまりに多すぎる勝利であった。

 

 華雄の死。そして今また、涼州の烈士が死んだ。

 

(紅葉……)

 

 恋は名など覚えてはいないが、音々音がその名を記憶していた。

 新たに主人に加わった武勇伝を誇らしげに喧伝する少女を、表面上は褒め育てつつ、複雑な心境であった。

 

 詠の生地は涼州武威郡。馬家との交流はなかったが、鳳令明とは旧知である。いずれ新政権を打ち立てた時、武官として参画して涼州中央の仲介役をしてもらう未来図もあった。

 

 その勇者の死を、公的には呂布の殊勲としつつ、詠も月も一個人としては深く悼んだ。

 

 だが、()()は別だ。

 回収された骸。呂布が討った重装の異邦人に向けて、詠は冷ややかに睨みを落とした。

 

 ――こんな奴らが現れたから!

 

 自分たちの構想が狂っていった。

 方々に散ったこんな化け物どもが、地方の軍政を好き放題に作り替えるからこそ、力の均衡が崩れ世は乱れた。

 無用の者たちに、要らぬ野心を植え付ける。

 結果、流れるはずのない血が流れた。

 

 その悪魔の一頭は、どことなくやり切ったとでも言いたげな、晴々とした死相を浮かべている。それが尚更癇に触る。

 そんな表情を、許してはならない。尊厳を保ったままに、弔ってなどやるものか。

 

「……この死体の首を切れっ、手足をもげ!」

 賈文和は周囲に鋭く命じた。

 

「そしてその肉片ことごとくを天下の往来に晒し、このような凶徒が迎える末路を他の御遣いを名乗る愚者ども、それを匿う賊どもに見せつけるのだ!」

 

 だが、この鋭利な軍師の命に、即応する者はいなかった。誰もが、感情が追いついていない。

 

「止めて」

 

 月が、その袖をそっと掴んだ。

 悲しげに睫毛を伏せて、

「これ以上、惨めにさせないで」

 と短く言う。

 

「惨めにって……」

 親友のまさかの言葉に、空気が喉に詰まる。

「月の言う通りや」

 次いでその肩を押さえたのが、霞であった。

 

「……もしそれをやったら、引き返せんようになるぞ」

 

 華雄なき今、名実ともに軍部の二番手となった武人の冷視は、さしもの詠にも堪えるものがある。

 

 そのためこの場は自身の発言を一時の気の動転として撤回したが、それでも根は残る。

 

 今の天下には、余計なものが多すぎる。

 天の御遣いしかり、宦官しかり門閥しかり外戚しかり豪族名士しかり。

 

 新帝劉協の賢徳による親政があれば良い。

 その下で董卓の敷く法制があれば良い。

 さらにその下に張遼、徐栄の将器、呂布の武、自分や陳宮の智略があれば良い。

 

 かくも明確な線引きがされたのなれば、世は自分にとって……いや、月にとって生きやすいものを。

 

 〜〜〜

 

 長安城まで退いた西涼軍閥。

 その目下最大の懸念は、董卓軍の追撃の有無よりも次期馬家当主の生死にあった。

 

「驚異的な生命力ですね。運も良い。あと少し打ち所が悪ければ、生きていたとしても日々の暮らしにも支障が出ていたことでしょう」

 医師はそう評した。

 

「……たしかに、悪運だけは強い娘だ」

 碧は寝台に寝かしつけられた翠を見て、そう苦笑した。たまたまこの医術者が城都を訪れていなければ、どうなっていたことか。

「それで、そう断じるからには助かるのか」

 娘たちの中では蒼にもっとも近い、豊かな髪量の中にその眼を伏せて、あらためて尋ねる。

 

「……本人の気力次第と言ったところでしょうが」

「必ず助けてほしい」

 

 と言ったが、それは親心ゆえでも温情でもない。

 むしろ、このまま目覚めることがない方が、戦の高揚の中で死ねて幸福であったろうに。

 だが、それでも生かす。

 

「鳳徳も死んだ。そしておそらくはヘクトルも……おのれだけ死に逃げることは、許さん」

「……お母様……」

 

 そう、おのれだけ。同じく死にたいぐらいの罪を負ったのは、この母とて同じなのだ。

 それでも、同胞の血を吸ったからには自分たちに逃げは許されない。

 打てるべき手はすべて打ち、限られた命数はすべてそのために使い果たす。

 

 少なくとも、この新たなる馬家当主が本当の意味で目覚めるまでは。

 

「董卓と停戦する」

 碧はそう命じた。えっ、と蒲公英が頓狂な声をあげるのを、眼で制す。

 

「向こうとて、なお中原を諦めてはいないだろうし、この連戦だ。それに特定の拠点を持たん。落ち着ける場所と時が欲しいところだろう。それに、こちらもあいつら()()()関わっている場合ではなくなった」

 

 そう言って、娘たちに受け継がれた光輝に満ちた瞳を、かの医師へと振り分ける。

 その師より譲り受けたという白い外套。それに劣らぬ絹糸を拠り合わせたかのような頭髪。やや医療に従事するには不釣り合いな豊かな胸と尻。細い腰。男を篭絡するにこれ以上ないほど適格な肢体は、かつて益州の王を篭絡させたという母親譲りといったところか。

 

「よくぞ訪れてくれた……といいたいところだが、漢中の王たる貴殿が領地を捨てここにやって来たということはそういうことだな? 『張師君』」

 いまいち年齢の読めない彼女は、しずしずと頷いた。

「はい。韓遂軍閥により、五斗米道は解散。貴方の義妹は、返す刀で西涼を席捲しつつあります」

 

 

 

 この者は、医者か。

 否、それを技術として会得しているだけ、彼女の本質はすぐれた民政家である。

 そして、万を超す信徒を従える教祖でもある。

 

 統治者としていくつもの顔を持つのが、『五斗米道』師君、張魯(ちょうろ)であった。



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巴蜀の反乱者たち
五斗米道(一・終):すべての旗に背いて


「……すでに語るまでもないことですが」

 

 時間は、前後する。

 香と鍼と灸。そしてこの己の手指と智。

 それらを駆使して、張魯は目の前の患者を施術していた。

 

「この五斗米道(ゴッドヴェイド)は西域の言葉で『神の御業』を由来とし、神医華佗を祖とする医療慈善団体でした」

 

 朱色の後ろ髪が分けられ、裸の背が蒼天の下、山塞の庭、霊峰に囲まれて白日にさらされる。

 いかな獣皮を鞣したところでこの光沢は出ないであろうと言う、肌膚。細かい傷は無数にあれど、それもまた妙な色香となっている。

 

「餓える者には食を。傷ついた者には治療や薬を。弱きを嘆く者には武を。救いを求める者には言葉を。愛を求める者には温もりを。見返りはその名にちなみ五斗の米のみ。母もまた、そうあれかしと我が身を劉焉殿に差し出されたのでしょう」

「それが何故、その益州劉氏を見限って危険思想の独立武装教団となったのかね」

 

 堅い台座の上に桃の実のごとき胸を押し当てたまま、患者が問う。

 

「成り行き、と言えばそれまでなのですが……えぇ、人が増え過ぎた。それを統率するには法が要り、法に盲従させるために信仰が要り、彼ら鬼卒に役割を与えるために軍務が要り、その維持に土地が要り……」

 

 そこでようやく、息をついた。

 五体いずれも癒しほぐして、血と気の脈を整えて心を養う。

 

「でも正直、際限ない拡張には疲れました。これを機に本道に立ち返りたく思います」

 まだ抜いていない鍼を自ら抜き放ち、かの女傑は立ち上がった。

 

「如何ですか」

「悪くない。おかげで久方ぶりに手から痺れが抜けたわ」

 

 素肌に上衣を通して、拳の開閉を繰り返して、その来訪者は率直に感謝した。

 

「医師としては、安静にすることをお勧めしますが……それにさえも叛くのでしょうね、貴女は」

 皮肉とともに、張魯は、(えんじゅ)は苦笑を零す。その背後に信徒十万がひしめいている。

 

「叛くが故に、我あり」

 怒哀渦巻く彼女らの視線の先で敵の軍師、成公英が甲斐甲斐しく裸の女王の着付けを手伝い、その先で騎馬民族が列を成している。

 そして、彼らを率いる筆頭は、異装異能の天の御遣いたち。

 

 彼らに、難攻不落のこの陽平関(ようへいかん)は落とされた。

 

 先には蜀と戦ったが、そこにもやはり御遣いはいた。

 老境に差し掛かろうかという不敵な笑みを浮かべる水将に銀髪の女軍人、それに黒鎧と大剣の騎士。

 

 教団には来なかった。せいぜい、荊州の乱を逃れて移民してきた司馬徽(しばき)なる賢人ぐらいなものだ。

 所詮、信仰や奇跡などはそんなものだ。

 

「治療の礼だ。約定どおり信徒とそなたの命は助けてやろう」

「朝廷には、如何な報告を?」

「ありのままを。それでも文句があるのなら、近衛だろうと帝ご自身だろうとかかって来るが良かろうと」

 居住まいを正した年齢不詳の怪人は、一頻り笑った後に続けた。

 

「今なお抵抗を続ける妹御の安否までは保障せん。その辺りは如何かね」

「求める者に、求める物を」

 

 張魯は抑揚なく答えた。

 

張衛(ちょうえい)と武断派の祭酒(さいしゅ)たちが戦いの場をなお求めるというのなら、思いに任せるのが最善の処方でしょう……あれは師の悪い部分ばかりを真似る」

 

 すでに袂を別った仲ではあれど、肉親である。想わぬところがないでもない。

 だがこの命を投げ出そうとすれば、この女は自分に延命の施術を施せと冗談めかしく言ってのけ、その挺身を一笑に付した。

 それ以上に差し出すものなど、この漢中にはない。すべて奪われた後だ。

 この場でさらに要求をすることは、縋ることであり、媚びである。

 

 おそらくそれをこの女、韓遂文約(ぶんやく)は決して許しはすまい。

 

「姉に叛く妹か。それもまた良し」

 後は満足げにそう言うのみで、この奇妙な降伏の儀は滞りなく終わった。

 

 ~~~

 

 その風貌、婦女子のごとし。

 大目に見ても小柄で華奢な美少年のそれであり、その立ち振る舞いは気まぐれな猫か悪童じみている。

 

 それが韓遂軍に最初に拾われた天星よりの落とし子であるが、今彼は、天水(てんすい)への帰途。馬上で器用に寝ていた。

 鞍を敷物に鬣を枕に、帽子で顔を隠し膝を立てる。

 

 短兵急をもって難所を落とすのは自分の得意とするところで、張魯も物わかりの良い娘であって漢中の奪取は滞りなく成し遂げることができた。

 

 問題はその後の引き継ぎ。韓遂の本隊は西涼の占拠に向けてとって返すとして、漢中に居留して張衛ら残党の掃討を任せられたのは、自分の同じ天の御遣いである男とその副官だ。

 

 薄く目を開く。

 帽子の裏側に投影されるのは、その端正だが絶対的な自負と服従とは無縁の、矜持に満ちた冷たい顔立ち。

 燃えるように輝く、左右非対称の瞳の色。

 矛盾を承知で評するなら、全体的な印象は氷に閉ざされた燃える牡丹だ。

 

「良いの? 金蘭さん」

 それを踏まえて、先行する韓遂に『進言』する。

「彼、裏切るよ」

 

 別に確たる証拠があるわけでもない。金蘭が手酷く彼を冷遇したわけでもなく、むしろ厚遇し、信任していた。

 

 だがそれでも、あの鷹のような男は、その気位と能力は、凡百の器量に収まるものではない。

 無論、韓遂も逆徒ながらも一個の梟雄として大人物であることに違いない。

 だが、それでもなお、足りぬ。

 それこそこの天下を超え、星々の果てまで手中に収めるほどの器量と気宇と信念がなければ。

 才資はともかく、そう言う目をした男を、自分の時代で何人も見てきた。それが故の、断言だ。

 

 わずかに笑った気配があった。御遣いは帽子を持ち上げ、視界を開けた。

 

「大いに、良し」

 後漢を代表する叛将は、答えて言った。

 

「叛逆とはこれすなわち、真なる言葉である。大義忠義正義、それら一切の虚飾を突き抜け取り払った果ての自己表現よ」

 

 まるでこの世の真理のごとく講釈する彼女に、呆れたように苦い顔を向けた。だが、表立っての反論は避けた。

 

(そりゃまぁ俺だって諫言代わりに主君から城を奪ったりしたけども)

 

 彼女の理は極論だ。

 叛逆が美徳? 自分の言葉? そんなものを容認すれば、この天下は修羅の巷となるではないか。

 

「面倒くさいなぁ」

「何が?」

 

 横から声が聞こえる。

 若草色の髪が揺れる。風を運ぶ。同色のつぶらな瞳が、無垢に見返していた。幼さを色濃く残す少女。

 その最新参の武将が気がつけば轡を並べている。

 

 男はゆっくり身を起こした。

 別に叛気を疑われるほどの言葉は漏らしていない筈だ。

 別に、慌てて隠すほどのことでもない。

 自分とて武士の端くれだ。落馬など無様を晒すものか。

 

「いやね、金蘭さん達が涼州鎮定に動くなら、引き返してくる馬騰さん達の抑え、俺たちじゃない? ってあぁそうか」

 

 言ってから思い至ることがあって、彼は声を漏らした。

 

「そうなった場合、君は涼州かもね。血筋が血筋だし、向こうに身を置く方が羌族の慰撫もしやすいだろうし」

「血筋がどうのとか、そういう見られ方は、嫌ですよ。(せんせい)とともに戦に出たいです」

 

 そう言って口を尖らせながら、自分を師と仰ぐ。

 男は苦笑した。もし韓遂陣営に属する理由があるとすれば、おそらく彼女の存在に、運命の皮肉を感じたからだろう。

 壇上にのぼる武将が、自分の知る史実と前後していることが多々あるが、彼女はその最たる者だろう。

 

 だが、見てみたくもある。

 本来であれば現れるのがあまりに遅過ぎた不運の名将。それが群雄割拠の最盛期に才を発揮していれば、どうなっていたか。

 肺は癒えたが、戦乱である。いつ命絶えるとも知れぬ。

 その儚さを知る身としては、この時代にふたたび受けた生の証、経験の伝授、それを残したいという願いも少なからずあった。

 

 あー、と抑揚なく嘆く。

 それにつけても皮肉も皮肉、なんたる皮肉か。

 

「たしかに俺も『孔明』には違いないんだけどさぁ」

 

 はい? と小首を傾げる少女の頭に手を伸ばし、苦笑する。

 

「なんでもないよ、姜維(赫光)さん」

 

 よもや後世、臥龍の愛弟子と伝わる少女に、自分自身の本道や未来など分かろうはずもなく、それにちなんだ異名を持つ彼にも、答えようがなかった。

 

 果たしてその後、漢中にて半独立状態となった太守代行は独断で益州劉氏との戦端を開き、南下を開始。戦力差ではるかに勝る相手に梓潼にて勝利。一時は成都(せいと)を包囲するに至る。

 

【五斗米道……滅亡】



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???(一):剣の先

 一人の男と、五千の将兵がいた。

 漢中の太守代行として与えられたその兵数に、公人としては賛意を示しつつ、一個の野心家としては内心で舌打ちした。

 

 だが、それは彼の端麗な横顔に顕れていたらしい。

 一見して無骨な武人ではあるがこまやかな気遣いの取れる彼の副官は、少し顔を近づけて言った。

 

「如何なさいましたか?」

「守る分には問題ないが、天険の地に攻め込むには少々数が足りないか。大方あの成公英という小娘の差し金だろうが、放任主義の主と違っていちいち小賢しいことだ」

 

 いや、だからこその謀であるか。

 

 陣中である。

 自身は高みの幕の内にあって戦況を眺望しつつ、火線を敷いて敵の戦線を圧し崩していく。

 

 その、最中の独白であった。

 生前より仕えた彼にのみ打ち明けた不満であり、その彼もまた変わらぬ心配性を言外に見せていた。

 

 彼の嘆きは続く。

 

「それにしても我が身の滑稽さはどうだ? 今頃はヴァルハラの門の内に迎え入れられていたというはずなのに、かつては数百万の将兵を指揮したこの俺が、五千足らずの兵とごく少量のマスケット銃(骨董品)を持たせてこんな閉ざされた未開の土地で原住民と争っている。生前の行いが大神オーディンによほどの不興を買ったらしい。それとも俺が先に送ってやった連中が、この者不義の大逆人につきこの『地獄』に送るが相応と彼に言上したのかもしれんな」

 

 毒のあるジョークとともに一気に吐き出した彼は、言っても詮無きことと苦笑。表情を翳らせながらも直立する部下を見上げて気遣った。

 

「卿も、俺などに付き従わなければ、今頃は軍に復籍していたか、あるいはヴァルハラにて旧主と再び見えていただろうに、気の毒なことだ」

「いえ……いいえ、元より両提督亡き王朝に未練などございませんでした。小官は閣下と再びお目見えし、こうして共に戦えること、望外の喜びとして噛みしめております。閣下もお嘆きにならず、何に縛られることもなく、存分に采配をお執りください」

 

 これ以上は余計なことを言うな。本当に言いたかったのはこの言葉ではなかったろうか。

 確かに、前世の厄災は多少の陰謀が絡んだ結果とはいえ、元を辿ればすべて己の言動がその源流ではなかったか。

 そのために自分の仕えた者にも、無二の友にも無用の迷惑をかけてしまい、果てには我が身を滅ぼした。

 どこぞの寄生虫ではあるまいし、せめて死後ぐらいはその振る舞いも改めようと思わないでもないが、生まれついての性分で、困ったことのそれを持て余しているのは他でもなく自分なのだ。

 

「スケールが小さくなればなったなりに、それに相応の好敵というものもございましょう。現に目の前にいる敵将の面々も、女だてらに中々の用兵巧者と見ました」

 それとなく副官は話題を逸らした。

(まるで駄々をこねているところに動物園の象やショーウンドウの汽車の模型を見せられている子どもだな)

 男は黒い右目と青い左目を歪めた。

 

 だが否定はすまい。

 現に敵右翼。丘陵に陣した敵兵の動きは見事である。技巧の問題ではない。おそらくは信仰心に近しい類の強さである。

 銃把を執り、先頭に立つ銀髪の戦乙女(ヴァルキュリア)の存在が、それを可能としていた。

 そうした非合理的な観点を好まないが、他とは明らかに雰囲気が違っている。異物感と言って良い。おそらくは同類。

 それも五十歩百歩には違いないが、自分たちと技術体系や文化がもっとも近い。

 

 その存在を視覚的に除いても、相手は銃器に手斧で挑みかかってくるような西部劇のインディアンではない。歴然と、その進退に指向性を持たせた軍隊である。

 

 なるほどハードウェアの進歩は人間の精神性の向上には一切のかかわりがないことが、自身の耳目をもって証明されたというわけだ。

 人は変わらない。歴史の流れはくり返される。いつの世でも、どこの世界においても。

 

 しかし、その抵抗も、終息に向かいつつ、男が向かわせつつある。

 

「ベルゲングリューン」

 男は自身の参謀長の名を呼んだ。

 

「敵の右翼に砲火を集中して牽制。敵の兵が寄ったのを見て、中央突破を図る」

「承知いたしました」

 

 すでにその命を読んでいたのだろう。

 彼は用意させた西域馬にまたがり、集結させた一隊を率いて攻勢をかけた。

 元の上官たるジークフリード・キルヒアイスに不足しがちであった勇の部分を担当していた男である。銃器に弓騎兵、それぞれの機能を最大限に活かし、献身的に戦術的な課題をクリアしていく。

 

 それを見届けた男は、前線へと打って出た。元より貴族としてのたしなみとして乗馬は心得ていたし、陸戦戦闘においても退けを取らない自負がある。それに、惜しむべきほどの命でもあるまい。

 

 元より戦線の維持でやっとのことだった敵は、最大の機に打撃を与えられてたちまちに崩れた。

 

 それを追い立て河まで追い詰める。

 だが、そこで『韓遂軍益州方面独立部隊』は足を止めて渡河を諦めた。

 

 橋は焼かれ、軍船が敗軍の一部を収容し、悠々と彼らの眼前を去っていく。

 のみならず、その船上に女が立っている。

 やや歳は重ねているようだが、女の扱いには酷なれども長けた男をして、十分に美しいと思える顔立ちをしているし、体格も他よりもしっかりしている。

 その彼女にさえ持て余すような巨砲を抱え、その口を追撃部隊の先手へ突きつけた。

 

豪天砲(ごうてんほう)、発射ァ!」

 

 中央に身を置いていた男の耳にも届くような轟音と豪声。

 勢い余って突出していた騎兵の一部が、曲線を描いて落下した砲丸とその衝撃で潰された。

 

 その混乱に乗じて、軍船は離脱した。

 勝ちには勝ったが、足は止められた。そのうえ橋を落とされたとなれば、迂回するか再架橋するかのいずれになる。

 だがもし道を逸れれば、それこそ地の利を生かしたゲリラ戦術を仕掛けてくるだろう。となれば、時間をかけてでも前者を選び、街道を注意して進むしかあるまい。

 

「やられたな。艦砲射撃とは、あれも天の御遣いとやらということか」

「……さぁ、『厳』なるアジア圏の文字による軍旗を掲げていましたので、何とも。しかしながら、韓遂の情報では劉焉陣営に艦戦に長けた武将は元よりいなかったと聞いていますので、操船していたのはおそらくはその類ではありましょう」

「戦いながらそれぞれの性質を探り当てていくしかない、ということか」

 

 そもそも、名を聞いたところでそれが何者であるのかを知る由もない。

 何しろこの並行世界は、服飾技術や食文化が現代並みにも関わらず今なお矢が槍が戦闘の主流を務めているという、異様な文明の体系なのだから。

 

「如何なさいますか。韓遂から離れたということは、軍閥として独立を?」

「別に今すぐに反旗を翻すというわけではない。もしこちらの動きを掣肘するようなことをされたら、どうなるか知れんがな」

「では、その今後の活動のためにも、閣下の本望をお聞かせいただきたく存じます」

 

 それについては、男は意図的に聞き流した。

 そもそも明確な目的があるわけではない。現状においては益州を制し、天険の国を得る事であるが、それさえも元は何のためなのか自分自身でも分かっていない。

 

 ただ、怒っているのかもしれない。憎んでいるのかもしれない。

 

 動乱の時代において地の利に安穏と潜んでやり過ごそうというこの国を。

 自分をこんなところにまで引きずり込んで、不本意な戦争をさせるこの世界を。

 何より自分を叛将、梟雄、野心家などと同一視するあの狂った女を。

 

(あるいは)

 どことなく苔がかったような天を仰ぎ、彼は想った。

 

 自分においては至上の御方。唯一無二の主君。挑もうともついに届くことのなかった皇帝(カイザー)を、極小の規模ながら追体験でもしようというのか。

 

 雌伏を時を費やし、国を盗り、ついには外敵を打ち滅ぼして覇者たらんという。

 

 そんな自身のナイーブさを、男は哂った。

 女々しいことだと自分でも思った。

 

「卿はどうだ?」

「小官は、先に申したとおり不満はありません。ただ閣下に従うのみです」

「ほう、ではもし仮に、ジークフリード・キルヒアイス提督が我々と同じ夜に星となってこぼれ落ちていたとしたら、どうか?」

「……お意地の悪いことをおっしゃらないでください」

 

 泣き言を吐くかのような調子で、ベルゲングリューンは言った。

 

「すまない。益もないことをつい訊いてしまった」

 男は、心より反省した。

 まったく無益なことだ。

 あの時と同じく、僚友に恵まれぬ。梯子は外され、余計な真似をさせまいと見積もられた現有戦力でもって事態を打開せねばならない。

 なのにその自身が生前より持ち越したものの中で唯一誇れる者の忠誠心を試して、なんとするというのか。

 

 ――人は、変わらない。同じ過ちを繰り返す。

 その轍からは、今まさに己の悪性に苦笑するこの男、オスカー・フォン・ロイエンタールをもってしても容易に抜け出せるものではなかった。



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劉焉(一):枯山水

 四川盆地に挟まれた急流を見事に乗りこなし、劉氏新設の小型高速船団は成都へ向けて下っていく。

 間を挟む嶺が剣のごとく峻厳になっていくにつれ、川幅もまた狭く険しいものとなっていく。

 それを巧みに乗りこなしながらも、それを指揮する男は器用に、両腕を枕に寝そべっていた。

 

 行儀の悪い、壮年の男である。

 金色の髪はその生え際が後退の兆しを見せ始めているが一向に気にした様子がなく、伸ばした髭の中でふてぶてしく薄い唇が歪む。

 

「良い時機(タイミング)だったでしょ?」

 

 恩着せがましく言ってのける。だが、妙な愛嬌と色気、渋味があって嫌いになれない。だが、張任(ちょうじん)はそうは考えないらしく、眉をひそめた。

 男とは焦茶の髪を少年っぽく切り揃えた、ようやく小娘の域を出かかった若い将軍である。

 

「貴殿、敗勢を見越して後方に待機していたな」

「まっさかぁ」

「とぼけるな。でなければ、こうも早く動けるものか」

 

 味方の動きにまで届くその戦術眼は見事といえるが、それを直接的に言ってしまうあたりに、青臭さが残る。

 彼女を含め、特に若い女武将や、別動隊を率いる別の御遣いのような道理や礼節を重んじる者には、煙に巻いたような彼の言動はすこぶる評判が悪い。

 

「やめよ、(しゅん)。彼には、アシェラッド殿には予備兵力として待機命令を出したのは俺だ」

 

 劉焉はそう言って助け舟を出した。

 主君が弁護したことがかえって張任()の忠誠心を刺激したらしい。さらに口吻を鋭くさせた。

 

「しかしお屋形様にも非礼を今まさに働いております。いくら天の御遣いとはいえ、威風堂々、誇り高き武人たるロラン殿やセルベリア殿とは似ても似つかぬ横暴の数々、臣としてとうてい看過できる者ではありますまい」

 

 確かに、靴底を向けられてはいるが、無礼を働かれているという意識は薄い。

 自身の傘下に入りながらも、臣とならぬ者たち。そういった者たちと対等に付き合って、今の益州はあるのだから、こういう手合いとの付き合い方は慣れたものだ。

 

賈龍(かりょう)、張氏)

 この巴蜀に平穏をもたらさんと誓った友も、愛した者も、皆最後には自分と袂を別った。

 気づけば、自分ひとりが孤独な支配者になっていた。

 それだけのことだ。

 

「俺が本気を出してないってんなら、そっちのセルベリア嬢はどうなんです?」

 

 追憶の旅から戻ってくれば、口論の場は少し離れた銀髪の戦乙女のもとへと拡がっていた。

 試すように、アシェラッドは凛とした横顔を風に当てている彼女へと視線を投げた。

 

「本当は、もっと力があるんじゃないですかね。あの城に置いてきた仰々しい盾や槍とか、なんのためにあるんです?」

「あぁ、あれな。わしの衝天砲にも似ているが、材質からしてまるで違う逸品であろう。何故使われぬのか」

 

 厳顔(桔梗)の年不相応な無邪気な問いに、銀髪を振って、天の御遣いセルベリア・ブレスは答える。

「否定はしない。そして、当面は使うつもりもない」

 淡々と答えるこの黒衣の女軍人は、若い女の中では唯一、アシェラッドに好も悪も抱いていないような様子が見受けられた。

 

 アシェラッドもまた、一定の敬意と距離とを置いていたようだった。

 公明正大なその人柄や類まれな美貌に惹かれたか。まぁそれはあるまい。そういった甘ったるい憧憬に傾くような人生の送り方をしてこなかっただろう、この海賊まがいの男は。

 では、あるいは彼女が最初に名乗ったヴァルキュリアなる人種の呼称に、何かしら想うところがあるのか。

 

 もっとも、この男がそれを素直に表出させることはないだろうし、こういう手合いは詮索をもっとも嫌う。暗黙の考察を早々に打ち切って、第二の御遣いの言い分に耳を傾ける。

 

「第二の居場所を下さった劉焉殿たちには恩義を感じている。だが銃火器でさえそうなのに、この世界には私の力はさらに過ぎた力だ。むろん、相手の御遣いに同等以上の存在が確認できれば、使用はためらわない。その点においては安心してほしい」

 

 眉ひとつ動かさずに、言う。だが胸襟を開いて話してもらえている、という感触が劉焉にはあった。単に腹芸を得意としないというのもあるのだろうが、貴重な武器を国庫に預けているのが、多少は信頼をしているという証でもあるだろう。

 だが、それゆえに先に伝えた状況以外で能力を開示することは決してしない、という表明でもあった。

 

「オレとしては一発撃って敵の警戒心を煽りたいところですが、まぁ現有戦力で対応可能ですよ」

孝直(こうちょく)

 

 劉焉は自身の謀臣を字で読んで顧みた。

 波打つ濃紫の髪。陰気を多分に含んだ、隈の濃い眼窩。蒼白な顔は生まれつきだが、船揺れのためかさらに血の気が失せて、船べりにしがみついている。

 

「あの敵と戦えば必ず負けましょう。なので、戦わなければ良い。軍を正と奇の二手に分けて、敵の目を分散させ、一方で失地を取り返しつつ後方を脅かします。もしそれさえも敵わぬ場合であっても、あちらには劉璋様がおられます。一方が滅ぼされたとして、劉氏の血は残せます」

「成都も、都さえも時と場合によっては棄てると?」

「成都のみが城ってこともねぇさ。この益州そのものがオレらの堅城ってことさ、姐さん」

 

 桔梗の危惧に、軍師法正は一切の淀みなく答弁する。

 見た目は華奢な少女なのだが、有り余る才気とそれに裏打ちされた乱暴気味な語調は身の丈一回り以上大な桔梗や隼の硬骨に勝るとも劣らぬ。

 

「うわははは! 相変わらずか、そういうところは!」

 大笑とともに肩を抱き、老臣は遠慮も悪意もなく法正を称えた。

 

「……揺らさないでくれ……うぷ」

(よい)

 顔面蒼白になって、決死の力で振り解いた彼女に、劉焉は真名を持ち出し、問う。

 

「今は亡き賈龍のためにも、勝たねばならぬ。尽力してくれるか」

「……何故、今更にあの方の名を持ち出したんです?」

「深い意味はない……だが、せっかくだ。この際問うが……恨んでいるか? 俺を」

 

 ただ、久方ぶりに思い出した旧友の面影が、そうさせたのかもしれない。

 多少の血の色を顔に取り戻した少女は、居住まいを正して答えた。

 

「益州を衰亡の兆しを見せる漢室から切り離し独立国としようという殿。あくまで朝廷の臣たらんとした賈龍のオジキ。この両者の衝突いわば必然の儀礼。そこ勝敗と生死が伴うのも自明の理です」

「では、養父の仇を討たんとする気はないと? 何なら、今こそ機であろう」

 

 そう言って両腕を広げた劉焉に、一同緊張した面持ちで視線を注ぎ、法正は、宵は視線を落として言う。

 

「まさか、そんなことをすれば桔梗の姐さんや隼に叩き殺されますよ。……たしかに、殿を仇と思ったこともありました。でも、今は違います。オジキも承知の上で、あなたに挑み死んでいったのでしょう」

 

 そして、陰は強いがこざっぱりした様子で、笑って見せた。

 

「復讐なんて馬鹿らしい。過去の恨みなんて、さっさと洗い流すのに限るというのが、オレの信条ですよ」

 

 だがその軽やかな笑みが、アシェラッドの側よりは見えないような身体の向きになっていた。

 

 〜〜〜

 

「すまんなアシェラッド殿。部下が不調法なことを言った」

「いいえ。気にしちゃいません。張任殿の疑念はもっともなことでしょう」

 

 安全を確保して船から降りる時、劉焉はアシェラッドに一言詫びを入れた。

 おそらく、自身の言動が不審を招くことは十二分に承知しているのだろう。実際、気にした様子を見せてはいない。

 

「俺としちゃあ、ここはけっこう気に入ってるつもりなんですがね」

「本音であれば嬉しいことだ」

「険しい大地がどことなく故郷に似てますし、何より貴方を含め、人物揃いだ」

「ほう、だが貴殿にも仕える明君がいたと聞くが」

「けど、周囲はロクでもないのばかりでしたよ。飽きもせず戦いや掠奪を繰り返して、戦い抜いた先に楽園に導かれて、そこでもまだ戦えると無邪気に喜んで死にに行く。救いのねぇバカどもです」

 

 ――知れば知るほどに、語らえば語らうほどに、複雑怪奇な雄である。

 辛辣に旧知を嗤っておきながらも、その眼差しにはどことなく懐かしげで、楽しげな影がある。

 一方で、冷酷で無慈悲な非難も間違いなくそこにある。

 

 だが、そうして冷笑する彼こそが、再びの戦に身を投じているのだから、皮肉というほかあるまい。

 そして益州の安寧を願った、己も気が付けば何度となく血でこの国を濡らしている。

 

「耳が痛いな」

「いやぁ、別に劉焉殿のことを言ったわけじゃ……国に安寧をもたらすという明快極まりない信念のため兵を動かし、謀を巡らせる。結構なことじゃないですか」

 

 本心かどうかわからない賛辞を、アシェラッドはにやつきながら送る。

 返してやれるのは苦笑ばかりである。

 

 劉君郎(くんろう)は、灰峰(はいほう)は川水を耳で感じて、その流れに目を遣る。

 かつてと比べてその質はよどみ、かつ水位も心なしか下がっている気がした。

 

「賈龍」

 今度は、口にして友の名を呼ぶ。言葉を返す者は、誰もいない。

 それでも、滔々と碧水は流れていた。



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???(一):炎立つ

「ぎにゃー!」

 

 猫を手裂きにしたような悲鳴があがる。

 密林が焼ける。獣が燃え散る。禿竜(とくりょう)洞主(どうしゅ)兀突骨(ごつとつこつ)自慢の無敵の藤甲兵部隊が、油で固めたというその性質がためにかえってその延焼を手伝っていた。

 

 逃げ惑う獣に扮した南蛮兵の中心で、逃げ遅れた総指揮官徐盛(じょせい)はその異様な敵将に吊し上げられていた。

 

 白い帯で総身を隠し、その奥で皮膚が焼け爛れている。

 手には無数の刃こぼれを起こした刃が握られ、それは掠めただけで摩擦がために激痛がはしり、男自身の尋常ならざる発熱に呼応して炎熱を引き起こす。

 

「終わりだ」

 

 紅蓮をまとう(かいな)が爆ぜる。

 炎に巻かれて身悶える女の絶叫が、耳をつんざく。

 

「お待ちを」

 彼がトドメを呉れてやらんと焦土を転げ回る彼女に近づいた時、その軍師が、特徴的なその眉一つ動かさずに進み出た。

 

「生きている以上、まだ使い道があります。後の処理はお任せを」

 

 進言すると、フンと鼻を鳴らして男は鞘に刀を納めた。

 もはや、敵将徐盛には目も遣らなかった。

 

 彼の思考思想は単純明快だ。

 気骨の折れた弱者など、もはや歯牙にかける価値さえない。好きにしろと背を向ける。

 

「どうせ、お前のことだ。先の先まで段取りつけてんだろ」

「はい。程なくして、入蜀の準備は整いましょう」

 

 それ以降、異形の男は何も言わない。

 だが短い予測のその後の沈黙こそが彼なりの信の証のようで、その時こそが参謀としての至福の瞬間でもあった。

 

 彼はコートを翻し、『百識』と号するみずからの智、指揮能力の欠点を補う軍師衆の元へと足を運んだ。

 

 〜〜〜

 

(ふう)ちゃん、いい加減起きなさい」

 美しい呼び声に従って、重い瞼を薄く開く。起きれば、あの男の情人の膝の上である。

 ほぼ単騎で南蛮を制圧していった、あの恐ろしき天災の、恋人。

 

「……おぉ~、終わりましたか」

「残念ながら、アンタたちの仕事は今から始まるみたいよ。あのムッツリが近づいて来てるでしょ」

「なるほどなるほど。ではまたイカ飯いかめしいおじさんが来たときに教えてください。ぐぅ~」

「……いや、だからそろそろ重いんだけど」

 

 緩慢な口調。ぼんやりとした風貌。どれも鈍重に見えるが、実際のところ頭の回転は凡人のそれとは及びもつかぬ。

 ただ本音をそれによって韜晦し、陰惨な光景に対しざわめく心に、錠をかける。

 程立(ていりつ)のそうした言動は、拉致同然に連れてこられたこの陣中においては半ば、自己防衛と処世術に近かった。

 

 艶やかなその女、駒形(こまがた)由美(ゆみ)と膝を並べて自身の頬をすべすべと撫でていた陸遜(りくそん)も戦とは不釣り合いな穏やかな所作もまた、そんな彼女の自己操心術に倣ってのことだろうか。……体形は、まるで正反対であることを別として。

 

 だが、この光景から目を向け続けていた者が、いない訳ではなかった。

 いたのだが、

 

「ヴォおぇぇぇぇぇ……」

 

 ――思い切り、吐いていた。

 叢に屈みこんで、平素とは異なる野太い慟哭と吐瀉物を絞り出している。

 

 風は両手を伸ばすようにして、自身の矮躯を持ち上げた。

 丸まったその背に近づき屈みこみ、よしよしと小さい手で撫でつける。

 

「ううう……申し訳ないでおじゃる」

 

 天の御遣いの言葉は(たま)を帯びていて、自然その意志が万民に伝わるようになる、というのが通説ではあるが、それにしても奇妙な訛さえも翻訳されている。

 いや、というよりも異質さ加減ではいい勝負である。

 

 顔立ちは若く端正なようだが、なぜか白塗りの化粧をしている。

 こぎれいに分けた黒髪にはやや物足りないほどの小ぶりの冠。何より仔犬のごとき獣の耳と尾があり、しかもこれは肉体の一部であるという。

 同道の際、つい興味本位でさわって悲鳴をあげられたことがある。

 

「まったく、情けないお公家様だね。こんなんで私たち、いやあの人と同じ御遣いとやらなの?」

 

 その風貌は獣の部分を除けば由美の元いた世界における文弱の徒と類似するらしく、よくそう言って揶揄する。

 

「はぁ……醜態をお見せするでおじゃる」

 文化は異なれど意味合いは伝わるらしい。酸い胃液の異臭をかすかに残す唇を、無念そうに尖らせる。

 それでまた催したらしい。残る腹の内容物を余さず吐き出し、またそれを見て風はよしよし。遅れてきた陸遜……(のん)もそれに訳は知らないままにとりあえず加わった。それを見て、またもや由美は呆れ顔。それでも唇をゆがめ、見下して嘲ったりなどはしないところに、悪道に寄り添えども染まり切れない人の善さを感じさせる。

 

 ――が、かの悪鬼の軍師はどうか。

 高い背と鼻筋。特徴的な髪型。腰には銃。

 佐渡島(さどじま)方治(ほうじ)が、風たちの前に背骨を伸ばすようにして立ち止まる。

 

 

「軍師衆……と、そこな御遣い殿の国では『采配師』であったか。お待たせした。早急に戦後の処理と、孟獲(もうかく)一派の追討。南蛮の諸氏の調略と従属した民の戸籍の作成に取り掛かってもらいたい。陸遜殿には、引き続き益州への接触(アプローチ)を続けていただく」

 

「ヴぉ……おおおお……」

「ぐぅー」

「よしよし~」

「…………」

 

 が、三者三様に聞いているやらいないやらといった様子。方治の眉間と口元の険が強くなる。

 「よろしいなッ」と強く念押しする彼に、風は挙手して尋ねた。

 

「次の狙いは巴蜀と伺いましたけども、かの天険の地を攻めるにあたっては、長期戦が予想されます。となれば、本拠の交州との中継地点はこの南中(なんちゅう)。その地歩を固めず兵站線をぐいぐいと伸ばしてしまうのは、いかがなものでしょうか」

 

 風の指摘はのほほんとした調子ながらも的確なものであっただろう。その温度差に、他の者は面食らったようである。

 

 対する方治は、その問いが出たこと自体に満足した様子で「うむ」と首肯する。

 

「兵站が伸びきるは元より危惧していたこと。よって交州は放棄し、三江(さんこう)城を新たに我らの拠点とする。幸いにして火の神祝融(しゅくゆう)の土着信仰があり、本日の火計火剣による勝利はその神の再来を想起させるものとなろう。抵抗はそれほどあるまい。成都を落とした暁にはそこを新たな本拠とし、漢中、涼州を落として中原を窺う」

 

 まるで蝗害のごとし。そう言いたいのをこらえる。

 机上の空論だ。そう反抗するのもためらわれる。

 

 ――おそらく、この男ならばやる。

 戦闘指揮や戦術構想は今一つ。だが、外交能力と兵站管理、組織化と運営能力、その他大小の事務処理能力のきめ細やかさ。

 それらにおいては屈指の才幹を持っている、この男であれば。

 

 何故これほどの智者があの無道の男の国盗りに加担するのかと思わないでもないが、覇王項羽(こうう)における范増(はんぞう)しかり、当代に伝え聞く鬼神呂布と陳宮の取り合わせしかり、ともすれば暴虐ともいえる圧倒的な武とそれに心酔する謀士というのは、そう珍しい取り合わせでもないのかもしれない。

 

 そして指揮能力の不足を自覚すればこそ、それを埋め合わせるべく、戦乱によって知己や土地からはぐれた自分たちは連れてこられて智を貸す羽目になったのだ。

 

 あのぅ、と今度は穏が進み出た。

「まだなにか質問が?」

「あぁいえいえ、そうではなくですねぇ」

 

 風よりも輪をかけてのほほんとした調子で間を詰めると、方治の外套に手を飛ばした。

 

「お召し物の留め金が外れかけてますけども……よければ繕いましょうか~?」

 

 若干空気を読んでいない申し出ではある。風は、怒る方治を想像した。

 だが彼は、ほんのわずかな時間なれども、固まっていた。

 見開いた目が、穏の向こう側に、したっ足らずなその言葉の裏に、何者かの影を見ていたような気がした。

「豆」

 一瞬、何かを言いかけた。

 

「……無用に願いたい。軍務と外交に専念するように」

 だが、すぐに我に立ち返り、方治は咳払いとともにその申し出を振り払った。

 

「なんか怒らせちゃいましたかねぇ」

 悪気もなさそうに小首を傾げる彼女に合わせ、風もまた同じ角度と方角に頭を傾けていった。

 

「……放っておきな。あんな不器用な男」

 由美には思い当たるフシがあるのだろうか。やや苦み走った表情とともに背を向け、自分の伴侶の世話をすべく小走りに遠のいていった。

 

 ~~~

 

 悪鬼の従者たちが去っていったことにより、ひとまずの心の安寧を取り戻した。

 はふぅ、とあくびに交えて安堵の息をこぼす。

 

 本調子を取り戻していないのは、例の『お公家様』である。

 背を丸めたまま、撫でられるがままになっている。

 

 荒療治を承知で、ぴこぴこと揺れる尾を握れば、活気を取り戻すだろうか。

 と言い訳づけて好奇心が芽生えたその時、

 

「風殿には出会った時より迷惑をかけっぱなしでおじゃるなぁ」

 介抱される老人のような塩梅で、しみじみと男は言った。

「いえいえ、袖フリフリもタショーの縁と申しますので」

 風は残念に思いつつも、死角より手を引っ込めた。

 

 慰めつつも、正直言って面倒のかけられ倒しには違いない。

 あの頃には星、稟などがいて、彼を拾い上げた。

 公孫賛のもとへ星が身を置くことになり別れ、そして荊州の騒乱に巻き込まれて稟とはぐれ、その後二人で旅を続けていたが、体力的に限界が来た彼が動けなくなり、仕方なく車付きで御者を雇い入れて運ばせた。

 だが、こんな異質きわまる風体の獣人などすぐに面が割れて目がつけられ、同じく揚州の難を逃れていた穏とともに交州で士氏を族滅せしめたこの反乱軍に捕らえられたというわけだ。

 

「それにしてもぉ」

 その背を撫でさすりながら穏が言った。

 

「あんまり無理しちゃ駄目ですよ~。身体強くないんですから」

「はぁ……まぁこの場合は肉体的に、というよりもマロの心の問題でおじゃるが……」

「と言いますと?」

「マロ、炎にあまりいい思い出がないでおじゃる」

 

 弱々しい告白は、風にとっては少し意外だ。

 実のところ、公言はしていないがこの御仁は火球を操る鬼道を心得ている。

 なのに、自分の領分の事象に対して引け目を感じているとはこれいかに。

 

 答えは、ほどなくして彼自身の口から語られた。

 

「友が断行した苛烈な所業、己がしてしまった愚行……いずれにも火が関わっているのでおじゃるよ」

「では、寝てればよかったのでは? 風みたいに」

「……もう、眼を逸らすのは嫌でおじゃる」

 

 そう言って、青年は、マロロは顔を持ち上げた。

 

「その両者とて、元をたどればマロが自分の気持ちからも友の気持ちからも、逃げ出したことが原因でおじゃった……だから、ここでもう一度逃げればいよいよマロは愚かな道化でおじゃる……」

 

 か細い声で懸命に、言葉を紡いでいく。

 

「この軍を止める事、マロのごとき者では到底できぬでおじゃる。なればせめて、少しでも無用の犠牲を生まぬよう、内部から立ち回ることしかできないでおじゃる。……お笑いくだされ、天の御遣いとやらと言っても、マロと彼らとでは雲泥の差。せせこましき者なのでおじゃる」

 

 そう自嘲するマロロに、風は首をゆるやかに振った。

 

「マロさんは、強いと思いますよー」

「……にょほほ……慰めでも嬉しでおじゃる」

 

 風のそれはゆるやかな物言いだが、本心からの言葉だった。

 彼は、一見して頼りなさげに思えるが、この場にいる誰よりもきっと辛いものを見てきて、かつそれがゆえに強い心を持っていると。

 

 自分の弱さに正直で、そこから目を背けることがない。

 あの男のように、自身の欠落を欠落として認めず、弱肉強食などという歪んだ思想をこの世の真理と憚らない者よりもはるかに。

 

 

 

 ――あの悪鬼、志々雄真実よりも、ずっと。

 

 

【南蛮……滅亡】



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徐州の興亡
陶謙(一):星月夜(前)


 徐州、下邳郡(かひぐん)

 そこは早朝の時点で既にして盛況の様相を持っており、人の出入りの激しさにその隊商の護衛頭はハァと呆気に取られた声をあげた。

 

 国境の関、城市の門においては戦乱から逃れてきた流民。保護を求める小豪族などが列を成しており、しかもそれが停滞することなく確実に処理されていく。

 それでも並ばねばならぬのは、速さに勝る流入量であるからだろう。

 

「か……かの『鏡殿』にお取り次ぎいただきたい……我は、東呉の徳王……ガクッ」

 

 何やら素性の怪しげな者もいたりしたが、そういった手合いも、あとついでに自分たちも、厳しい取り調べもなく入ることができた。

 

 注文の革製品や米などを納品したのは、徐州随一の豪商、麋氏の邸宅である。

 元より徐州の重鎮かつ資産家として知られていたらしいが、昨今とみにその実入りは好調らしい。

 というのも、揚州の一部を切り取ったことで商いの幅が広がったためと言われている。

 

 さらに言えばその後も寿春一帯を切り取られた袁術は孤軍で挑んだがその守備に立った男が、強い。

 指揮の強さではなく、剛腕で敵をねじ伏せていくという。

 熊を思わせる粗野な巨漢で、獣のごとき咆哮をあげては大斧を振り回しては、城への突入を防ぐこと三度だそうだ。

 

「……さんね、で、こっちは同じ用心棒の」

「単なる福と言います」

「ハイハイ、単福(ぜんふく)さんねっ」

「いえ単なる……まぁこの際どうでも良いよ」

 

 当代を取り仕切るのは糜竺、糜芳の姉妹であり、小動物的な彼女たちみずからの歓待を受けた男は、荷下ろしの傍ら、ふと気になるところを率直に尋ねた。

 

「あまり大きな声じゃ聞けねぇけど……道中に露店みたいなほったて小屋があったろう。ありゃあ、ひょっとして盗品市かい?」

「違うよー!」

 

 妹の糜芳が、それに対して可愛らしく憤慨してみせた。

 

「あれは、働き先を差配する窓口! 行き着いたみんなを募集をかけている農地に送り込むんだよ」

「はぁ、なるほどねぇ」

「働かざる者なんとやらってね! お兄さんもここからの仕事がないなら、行ってみると良いよ!」

「ハハッ、そいつぁ助かるや。どれ、ちょいと後で顔でも出してみるかね。単福さんよ」

「……それ、帰ってからも定着させないでくださいね」

 

 恨みがましそうな少女剣士の視線を風に流し、用心棒はさらに質問を重ねた。

 

「ここ最近この徐州が羽振りが良いってことだが、何ぞあったのかい。それとも、病に伏していた陶謙様が本復でも?」

 

 そう言うと、姉妹は顔を見合わせた。

 そしてどことなく誇らしそうに、憧憬を馳せるように、一人の男の名を挙げた。

 

 ~~~

 

 その夜、打ち上げのために下邳一番の規模の酒屋に足を運んでいた。

 付き添いの商家の者、護衛の武人。それらの隔たりを取っ払っての無礼講。どんちゃん騒ぎである。

 

 その中心にいたのが件の頭で、まだ少女の域を出ない『単福』は、そうした輪から外れてもくもくと肴に手をつけていた。

 

 それにつけても、繁盛している。活気に満ちている。

 つい先年の年明けまでは枯れた土地、定住するより町村を捨てて逃散したほうがまだ生きやすいとさえ酷評されていたほどであったが、今となっては過去の与太話となっている。

 物の値は他の裕福な地と比較すれば割高ではあるが、それでも人の入りは昼夜を問わず激しいものだ。

 

「にしても、ここは特に騒がしいねぇ」

 大騒ぎもひと通り堪能し、あとは若い衆に任せて一人酒としゃれこんでいる男は、そう独語した。

 

(めし)と酒が、あるからだろうね」

 その独語に、私見を呈する者がいた。

 

 大頭巾の下から、つややかな黒髪と黒鬚がのぞく、壮年の男である。

 白い衣に紫衣を覆い被せ、顔立ちから気品さえ感じられる。そこから判断するに、どこぞのお大尽と言ったところか。

 同じ心境であるのか、少し離れたところで、わずかな供回りとともに酒を呑んでいる。

 

「……だっはっは!」

 少しの沈黙の後、用心棒は大笑した。

 

「たしかにそりゃそうだ! 飯と酒さえありゃあ、そらァもう言うコトなしよ!」

 頭目の痛快は笑い声に、引きずられていくように部下たちもどっと沸き立つ。

 そして彼自身は座をそのお大尽に寄せていく。色めきだったその側人たちを手で制し、酒器を傾ける。

 

「第一声から気に入ったぜ旦那。俺はウコンってケチなもんだが、そっちは?」

 少し考えた後、鬚の下で唇が動いた。

 

「そうだね、五郎(ごろう)とでも呼べば良い」

 

 ~~~

 

 そしてまた、馬鹿騒ぎが始まった。

 盃に口をやる所作ひとつとっても、『五郎』の居住まいは貴種そのものと言った様子で、始めこそ近寄りがたい雰囲気だったが、かと言って偉ぶった様子というものがない。

 

 時折冗談めかしく街の様子を語ってみて、それにウコンは気の利いた洒落を返してみせれば、一目寄るほどに豪快に笑って見せる。

 かと思えば団子を宙へと放り、それを鯉のごとく一口で頬張ってみせたり、なかなかに器用な芸達者ぶりで、宴もたけなわと言った頃合いには、すでにウコンはますます好感を抱いて入れ込んでいた。

 

「なぁ、ゴロウさん」

 と酔眼とともにウコンは言った。

 

「昼間に聞いたんだが、この国をデカくしたのはここに落ちて来た御遣いらしいね。えーっと、なんだったか」

「『鏡の申し子』『月のごとき御仁』……そう呼ばれてるらしいね」

「そうそうそれだ。なんでも鏡みてぇに人の心を照らし、月のごとく柔らかな光で民草に恩恵を与えるってな大層な御方だそうじゃねぇか」

「それと似たような男なら我も聞いたよ。なんでも、曹操殿の幕下に在るとか」

「……へぇ、どんな?」

 

 どれほど呑めども醒め渡り、澄み切った眼をしている。すべてを映し出す鏡面のごとく、ウコンを見定めていた。

 

「曰く、天を行く者、天駆ける星。その仁は鋭さと静謐さ、清さを併せ持ち、時代の前途を切り拓いていくとか。過日、藏覇(ぞうは)殿を降した先陣働きも、大したものであったとか」

「へっ、それこそ小っ恥ずかしくなるほど大仰な気もするがねェ」

 

 ウコンは酒に手を伸ばし、一気に呷った。

 

「でも、その月だか鏡だかの申し子さんだがね、ちょっと思うところが無いわけじゃないんで」

 

 ほう、と酒気とも相槌とも取れる調子で、『五郎』は息をついた。

 

「気の遠くなるような果てから来たってのに、たまたま行き着いた国を立て直し善政を敷く。そりゃご立派なことだと思うさ。けど、他人の領地を掠め取るってのは、どうにもいけねぇ」

「……それは、国境の諍いが発展し、図らずともそうなっただけさ」

「だがその後の兵力の迅速かつ大量の動員による寿春城の一挙制圧。見事すぎだ。明らかに仕掛けただろう。……だから、そこだけは合点がいかねぇ。こんな富める街を作っておきながら、どうしてまだ領地を拡大する必要がある? あるいは殿様が余計な野心を剥き出しにしてそう命じたってのかい?」

 

 貴人は机に肘をかけ、その指先を頭巾の縁に這わせる。それが何かを思考すりがゆえか。あるいはこちらの意図を探っているか。

 

「米と酒があるから」

 ふいに、彼はそう切り出した。

 気がつけば、彼らの周囲のみが切り離されたかのごとく静まり返り、単福がウコンの背を守るように立っていた。

 

「と先に言ったがね。それにしても物価が高い。そうは思わないかね」

「……」

「それは、この地が痩せた土地であるからだ。(はい)陳登(ちんとう)殿を招くなどして農政改革には努めているが、それでも今夏の猛暑にそれに伴う旱魃、不作だ」

「それでも、銭回りは良いじゃねぇか」

「そう、その銭という奴が厄介でね」

 

 ふいに袂より取り出した硬貨を手に取り、『五郎』は苦笑した。

 

「上手く回っているうちは良いが、一度動かし方を誤れば、たちまちに財政は破綻し、物も食も滞る。人々は困窮する。それに流民の受け入れも限界に近い。陶謙殿は侠者として名を売っておられるゆえ、拒むこともできないのさ」

 

 そう言って、彼は銭を再び袂に戻した。

 

「……だから、そのためにさらなる領地を得て銭を回し続ける必要があると?」

 声色をまったく別人のそれに転じて、ウコンは問いを重ねる。

()()()としても、織田弾正忠のごとく金に重きを置いた政は好まぬのだが」

 

 独白に近い調子で返した貴人はしかして、やがて声を大に笑い始める。

 

「ワッハッハ! ……などと格好をつけて申してみたが、その者にとっては面白いかどうかだろうね」

「は?」

「かつて、我には遠き縁者がいた。その者、未踏の荒戎(あらえびす)の地に下向し、恩人を輔弼してやがては国を奪いて一円の首座に立った。そしてこう仰ったそうだ」

 

 その者の真似事なのか、拳を挑まんがばかりに天へと突き上げ、そして声を作って言った。

 

「『乱世とは、果てるまで命を燃やす遊び場である』と」

 

「……そいつはまた、随分とブッ飛んだご先達で」

「また、こうも言ったそうだ。『自分が遊んでばかりで申し訳ないゆえ、民を救いたい』とね。その御遣い殿も、似たような心境なのかものぅ」

 

 ウコンはただただ打ちひしがれて、すっかり醒めてしまった。

 花酒を以て酔いを戻しながらも、上目遣いで探る。

 果たしてこの者、天より遣わされし救世主か。それとも世を混沌に陥れる魔か。あるいはそれらを超越した鬼神か。

 

 ただ一つ確かなのは、この男が、心地の良い明るさを備えた仁者であるということであった。



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陶謙(一):星月夜(後)

 ややあって宴は自然的な流れでお開きとなった。

 それぞれの足で、もしくは誰かに介抱されながら各々に割り当てられた宿に戻り、あるいは現地雇の者らは家や故郷への帰り支度をし、そしてウコンらは、かの大人の見送りを受けていた。

 

「じゃあな、色々と面白ェ話を聞かせてくれてありがとよ」

「ウコン殿」

 そう別辞を告げようとするウコンを、『五郎』は名を呼んで押しとどめた。

 

「お主、迷うておるな?」

 背に向けられたその問いに、ウコンは思わず足を止めた。

「どうして、そう思う?」

 その問い返しの語調も、どことなく重かった。

 

「ん、意味などないよ。闇に沈むその表情が、幼き頃、最初に出会うたお師匠と似ておって、ついその時と同じような説法(セッポー)をのぅ」

 

 する側なのかされた側なのか。

 呆れ見返すウコンに、優雅に目を細めて貴人は、鏡の申し子は続けた。

 

「肩の力を抜くと良い。損得より善悪より、面白き方を選べば良いのさ。義理人情がそこもとの楽しきことだと言うのなら、その道を進むといい」

 

 全くもって不可思議な仁である。

 おそらくは、お互いについて察するところはあるだろうに。それでも、一夜の邂逅を酔狂として言葉通りに楽しみ、かつ教え導かんとするのか。

 

 そこに、単福が割って入った。

 

「お頭、そろそろ潮です。行きましょう」

「なんでェ、もうちょっとぐらい良いだろ?」

「これ以上は、方寸が乱れます」

 

 翻訳されても耳慣れぬ表現だ。だが剣筋同様に一本気な彼女らしい響きを伴っていた。

 

(深入り肩入れはするな、ということか)

 ウコンはあらためて『五郎』を見た。

「そうした方が良い」

 と彼も、ウコンを正視して同意した。

 

「……ちょいと名残惜しいが、仕方ねぇやな。……いずれ、近いうちに。()()()()()()()()()

「あぁ」

 

 力の抜けた、苦笑いに近い表情で別れた二人ではあったが、思い描いたその場所と状況と立場は、おそらく同じであったろうと思う。

 

 〜〜〜

 

 城壁を抜けた隊商は、街道筋から少し外れたあたりで空となった荷車を停めた。

 ふぃーと息をつきながら、ウコンは襟元を正して息を整えた。

 

「やれやれ、おっかねぇ人だったなぁ……」

 そうごちる彼は単福に渡された手ぬぐいで顔を拭く。

 糊付けされた顎鬚を取り、あえて乱した蓬髪を整えて後、

 

 

 

「――して、追跡もしくは追撃の気配は?」

 

 

 

 声音と口調を、改める。

 その素性を、無頼の侠客ウコンより、曹操軍麾下武将のオシュトルへと切り替える。

 

 問われたのは単福と名乗っていた、曹操軍幕僚ではない。

 頭上、適当に寄りかかった樹上より、気配が沸き立った。草音も立てずに降り立った痩躯の青年は、その異国じみた顔立ちゆえに注目されるゆえ、城外に待機させて辺りを探らせていた。

 

 諜報機関の長は、首を振った。

 

「そうか。まぁ始めよりこちらを害する気であれば出来たであろうからな。無用の世話をかけたな……ロイド殿」

 

 ロイド、と呼ばれたのは彼と同じく、だが異なる世界より来た剣士である。

 その彼は、薄気味悪そうに眉をしかめていた。

 

「……如何した?」

「切り替えが速すぎるんですっ、本当に同じ人格ですか?」

 

 寡黙な彼に代わって答えたのは、単福こと徐庶(じょしょ)元直(げんちょく)である。

 オシュトルは苦笑する。こちらとしてはオシュトルとウコン、その両面を見せることは胸襟を開いて彼女らや部下を信じた証なのだが、不気味がられるのは少し残念だった。

 

 彼の妹より同程度か少し上、と言った年頃の少女だが、すでにして仇討ちがために人を殺めて追われる身であったところを、母親とともに曹操に保護された。

 撃剣の達者ということだが、本人が求めているのは軍師働きであると嘆くのが常である。

 もっとも、華琳としては元より自身が抜群の智者であるうえに、荀彧と()()()()()()がいる。

 さらなる領地と人材を確保するまでは、その希望を叶える気は当面なさそうだ。

 

「それで、どっちが素なんだ?」

 

 ロイドの問いに、オシュトルは容易に答えなかった。

 どちらか片方、もしくは両方と答えに挙げれば、それは自分の中でにわかに真実味を喪う気がした。

 

 その問いは、その線引きは、自分の中で曖昧としているからこそ、オシュトルはオシュトルとして働くことができて、ウコンはウコンとして確かに彼自身の内に理想の侠者として存在しているのだろう。

 

 だから、天を見上げてごまかすことにする。

 またたく星々は、その配列こそ異なるが輝きは同じだった。

 

 ~~~

 

 ウコンたちの姿が見えなくなってから、『五郎』の背に影が忍び寄った。

 

「本当に、追わなくてよろしいのですか? 彼らはおそらく曹操殿もしくは袁術殿の諜者ですが」

 

 藤花を思わせる色味の髪。傾国ともなりかねないほどの魅力的な肢形。侍女としての体裁を整えたらしい瀟洒な着衣。

 おおよそ忍び働きには不向きともとれるが、ここまで完璧に隠形を果たしていた。

 もっとも、それもウコンたち相手には通用しなかったらしいが。

 

 ――曹操が袁術につくということは、彼女や彼女の主にとっては予想外の出来事であったらしい。

 あるいは本腰は入れまいと見積もり、二勢力の離間工作など仕掛けていたようだがそれも無駄に終わりそうだ。

 あれほどの武人を直接送り込んできたということは、おそらく曹操は一定以上の戦力を介入させる気でいるらしい。

 

「構わんさ。困るほどのものは見せてもいないし語ってもいない。政の仕組み、次なる軍事行動についても、いずれ他の口から洩れるだろう」

 

 年齢を感じさせない身のこなしで、彼は植樹に上った。

 

「しかし、戯れが過ぎると思われます。名実ともに徐州の宰相として、今や欠けてはならぬ方なのです。貴方は」

 侍女兼護衛、そして陶謙の懐刀孫乾(美花)は、軽い叱責(たしなめ)とともに見上げる。

 

「病身の主に忠誠を果たせ、とは申せません。しかしどうか、徐州の民を覆う闇より、絶えず照らしてお守りください。……今川(いまがわ)義元(よしもと)様」

 

 ウコンに語った名とて、偽名ではない。

 今川五郎義元。

 それが彼の通名である。

 もしくは海道一の弓取りなどと取り沙汰されたこともあるが、それは過去の話だ。

 

 義元はハッハと笑声とともに体を揺さぶる。

「我にはそんな徳などないさ。望月とて、いつかは欠ける……が、闇が濃くなれば、月はより輝くのが道理。お師匠からの受け売りだがね」

 

 しかし、と苦笑しながら、袂に腕を隠し、身体を傾けていく。

 落ちるのでは、と美花(みーふぁ)が気を揉むのをよそに、蝙蝠のごとく脚で枝を挟み、上下逆さまに翻す。

 天地がひっくり返ってもやはり月は月として、やわらかな光を湛え続けている。

 それに細めた目を遣りながら『唐鏡の申し子』は、嘆くがごとく、もしくは楽しげに独語した。

 

 

 

「やはり、何国(いずくに)においても、我が遊びたい時は皆が遊びたいらしい」



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曹操(三):偽りの仮面

 ――陶謙軍、動く。

 何度目かの奪還作戦に失敗した袁術軍本隊を追撃した陶謙軍は総軍をもって追撃。寿春の守備部隊も背後から襲いかかり痛撃。

 盧江城を包囲し、追い詰めるに至る。

 

 ここにおいて袁術軍南陽方面軍総司令官、真田幸村は後詰め部隊の出動を決定。

 董卓軍の攻勢はないと判断し、最低限の守備兵をエルトシャンに預け、完全包囲の成る前に周泰を先行して盧江城へ潜入させてその事実を報せるとともに守備を強化。

 自身を含めた宛方面軍を救援部隊に振り当てる。

 

 最大の機において最大の一撃を。

 烈火のごとき猛将ならではの思い切りの良さと言えよう。

 

 と同時に、綿密な根回しもその副将たる満寵は忘れなかった。

 曹操軍への後詰を要請。孟徳、これを二つ返事に快諾し、みずからが股肱と頼む夏候惇に曹仁曹純姉妹、オシュトル、李典ら新参武将を派す。

 今後後背を狙う勢力の減退を狙うとともに、新たに取り入れた武将たちの資質を実戦にて試すという向きも強い組み合わせであった。

 

 夏候惇は、春蘭は一見して主の側より視野を広げられぬ直情の頑固者なれど、単純なればこそ理屈に惑わず本質を見抜く力には長けていた。

 

 かくして戦乱と袁術の痴政によって見向きもされなくなったはずの荒野に、武の華が咲かんとす。

 

 ~~~

 

 士は士を知るという。

 たとえば、袁術と真田幸村は一応主従の契りを結んではいるものの、袁術は武辺者の感情を汲むことも読むこともしないし、今後理解しようともしないであろう。

 互いに好悪が湧かぬほどに興味がない。良くも悪くも棲み分けが出来てはいるのだが。

 

 だが、オシュトルとは違った。

 両軍合流し、ひとたび視線が合えば、同じ境遇、同じ気質の士として出逢った瞬間より打ち解けた。

 

「曹操軍の夏候惇殿、そして御遣い殿と皆々様、救援痛み入る」

「オシュトルと申す。……真田殿、天下の猛将と智勇を尽くし争ったというお噂はかねがね。お会いしたいと思っていた」

「それはなんとも面映いことです。オシュトル殿のお働きこそ、泰山における寡聞な私の耳にも入っております」

 

 互いへの謙遜、讃えあい。

 それをはがゆげに見ていた春蘭が鼻を鳴らし、沓を鳴らす。

 

「やはり天の御遣いは御遣い同士、気が合うらしいな。他家の者であろうともすぐに打ち解ける」

 

 彼女なりに精一杯考えた皮肉を言う。その要領の得なさは決して、いや恐らくは彼女の学の乏しさ故ではなく、非難しつつも意識が別のところに向いているからであろう。

 

 それを汲んだのか、あるいは天然によるものか。

 幸村は今度は春蘭を見返し、にこりと笑いかけた。

 

「そちらは夏侯惇殿ですか。あなたの武名は、曹操殿第一の名臣として我が国にも伝わっております。時代を超えてそのような方と轡を並べられるとは、この幸村、僥倖の至です」

「……そうか……そうか!」

 

 一転して上機嫌。まぁ要するに自分と、自分の主君も気に掛けられて欲しかったのだろうが、その両人に言及されると大輪の笑みの華を咲かせる。

 

 もしくオシュトルの種族たちと同様に人体の尾が存在していれば、あらんかぎりに左右に振っていたに相違あるまい。

 

「……得な人やなぁ」

 

 豊満に過ぎる胸を組んだ腕で支える李典(真桜)がボソッと呟いた感想に、オシュトルも心の中で肯く。

 数多の武人賢人を抱える華琳が、とりわけ春蘭を可愛がる理由が、それとなく理解できた気がした。

 

 〜〜〜

 

 適当な野陣を敷いての合議となるも、すでに主軍の袁術軍の主目的とそれを果たすための方策は定まっている。

 一に盧江城の救援。二に追撃の上寿春の奪回。三に徐州平定がための橋頭保の確保。

 むろん、幸村と参軍の満寵としては、一もしくは二で打ち止めとしたいところだが、その家長は際限ない野心家であって、三まで求めることは容易に想像できた。それがゆえの、万全以上の陣立てである。

 ともすれば、宛の自落をも考慮に入れた。

 

 とまれ、まずは目先の総大将の命である。

 

「……敵はすでにニの門まで突破しており、内門を破るは時間の問題でしょう。かと言って、その包囲には一穴なりとも不備がございません」

 

 オシュトルは、脳裏に先に出会った貴人の顔を思い浮かべた。

 典雅かつ明朗な、だが一歩先の感情の所在を読み取らせぬ表情を。

 

「よって迅速にして精妙なる戦運びが求められます。各兵種を再編成。曹純殿の虎豹騎と私の部隊が陶謙包囲軍側背を面にて攻め、タガを緩めます。次いで夏候惇殿、鉄心殿が弱まった箇所を見抜き穴を穿ち、曹仁殿、満寵殿がその穴を確保。他友軍は状況に応じ、各々の判断で援護を」

 

 ここにて諜報して得た情報か。あるいは生前の予備知識あってのことか。

 幸村は出逢ったばかりの軍をさえ的確に作戦に組み込み、自身の戦を組み立てていく。

 曹軍、これには口を挟まぬ。もしここに荀彧が派遣されていたならば、自身の策謀を暗の内に忍び込ませるべく、異見を申し立てていただろうが、曹操側の名代は策謀ぎらい、直情猪突の夏候惇である。だからこうした『雑事』は戦の主である袁術軍の者どもに任せ、自分は自分と割り切っていた。

 

 これは曹孟徳の人事の妙と言えるだろう。

 桂花の策謀は、華琳のそば近くにあって初めて実体を持つ。彼女が調整せねば、毒が強すぎた。

 

「オシュトル殿」

 幸村は最後に同士の名を敬意とともに呼んだ。

 

「あなたには軽兵を率い、城内への突入と袁術殿らのお救いいただきたく」

「……良いのか?」

 

 同盟を結んだと言って、仮とは言え、他国の者に主君の生死を委ねるわけである。

 元よりオシュトルには謀殺など思いもよらぬことではあるが、自身を見捨てたと取られ、後日袁術の不興を買うことにはなるまいか。

 

 その危惧を目で訴えるも、幸村の眼の光が揺れることはない。

 頭と辞を低くして、あらためて言った。

 

「なればこそ敵の不意ともなりましょう。何卒、お願いしたい」

「……なれば、是非もなし。たしかに承った」

 

 だがそれとは別の不安もないわけではない。

 それについては、徐庶が半身を進みだして問うた。

 

「外部の連携を密にするとも、城方が保つかどうか。その、袁術軍の本隊は」

 

 惰弱、という言葉をかろうじて呑んだようだ。

 ただ漫然と、行き当たりばったりに兵を動かすだけの袁術軍本隊。その弱兵ぶりはつとに有名だった。統制がとれておらず、将士の長所も短所も見る事なく、適当に組み込み武器を持たせているに過ぎない。

 御遣いたちの調練によって多少はマシになったと言えど、それでも袁術や張勲の近衛兵は、論ずるに値しないほど脆く、間者が忍び込むのも容易らしい。

 

「心配はご無用。周泰殿もついておられる」

 そこについてはあえて触れず、幸村は徐庶に答えた。

 

「また、袁術殿、張勲殿のお側にはそれぞれ新たに二将加わっております」

「天の御遣いか?」

 

 隠すことなく幸村は首肯した。

 

「張勲殿の副将となった御仁は……奔放な御仁ゆえ協力する様子が見受けられませんが、いま一人は武の求道者にして体現者。優れたる先駆け大将です」

「その人なれば、耐えると?」

 

 徐庶が問う。幸村が頷く。

 

「のみならず、たぐいまれな戦術眼をお持ちです。あの御仁の合図をもって、作戦の決行とします」

 

 幸村がそう締めくくったことで、とにもかくにも皆同調した。

 どのみち、採るべき手段は、それほど多くはないのだから。

 

「……しかし、また袁術の下に天の御遣いか」

 そこについては、春蘭は不満げに肩を揺さぶった。

 

「何を想って袁術のごとき小娘に寄り集まるのやら。後のことを考えれば曹操様の下に馳せ参じるのが妥当ではないか。おい、真田とやら、その辺りどうなってるのだ」

 

 柳琳は青ざめ、皆は苦笑するばかりである。

 仮にも同盟の相手の主人を名指しで非難したのだから、紀霊あたりがいれば赫怒し、口論となっていたかもしれないが、この場合彼女に擦り寄るような輩が全てそのそば近くに置かれていたことが幸いした。

 とは言え、ともすれば盟約が破綻する恐れさえあった。

 

 だがそれは真に曹操を地上を治めるべき明君と無垢に信じるがゆえの発露であって、特別袁術を敵視して貶めるような卑しさの響きはない。

 それが「まぁ元譲殿なら仕方ない」済むあたりもまた、春蘭の美徳の一つであっただろう。

 

 〜〜〜

 

「オシュトルー」

 軍議が終わり、退出しようとしたその口で、オシュトルは自身を間延びした声で呼ばれて顧みた。

 

 李曼成(まんせい)。新参の女武将であり、オシュトルとはほぼ同期と言ったところか。

 次代を担うと目された有能な部隊長であるとともに、技術的奇想を備えた天才でもあるが、抜きん出て目のやり場に困る格好をしている。自然、彼女と対する際は顔を見るよう一層心掛けている。

 

「これは真桜殿、何用か」

「何用かとはご挨拶やなぁ。ほれ、頼まれてたモン出来たで」

 

 その服の何処から取り出したる物か。

 たしかにオシュトルがその器用さを見込んで頼んだ代物が彼女の手に置かれていた。

 

 すなわち、仮面。

 目元を隠すのみの形状。額より一角を伸ばした意匠。白き色。

 彼が元の世において帝より賜った品と、あえて似せたものだ。

 流石に、理外の異能まで兼ね備えてはいない、格好だけのものだが。

 本物には肉体を異形に巨獣へと変質させると知ったら、一体目の前の好奇心旺盛な少女はどんな反応を見せるか、興味はある。

 

「ちゅーても、有り余った材料で作っただけやし、ウチは面打ち師やないんやから、多少の不恰好は堪忍な」

「いや、充分だ。感謝する」

 

 とは言え、元より下賜されたこと自体に恩義と誉れを感じていたし、戦の早期決着のためには人外と化すことも躊躇しなかったが、内心では能力を行使することに少なからぬ抵抗を感じていたから、これで良い。

 

 さっそく、身につけてみる。

 採寸に違わずぴたりと顔の輪郭に収まったそれを真桜の反応は微妙ではあった。

 

「作れと言われりゃ作るし、似合うと言えば似合うけど……せっかくの男前が台無しやんか。何のための面や?」

 

 たしかに、これで矢が防げるはずもなし。原型のごとき力もない。

 にも関わらず求めたのは、強いて言うなら、

 

「……やはりこれがあると落ち着くのだろうな」

 己の懐古と未練による自嘲を、とりあえずの真桜との返答とした。

 

 しかし、一方で思う。

 あらゆる意味において、真が偽に、偽が真に。

 天命の持つ皮肉を感じざるを得ない、と。

 

「だが、それゆえに人の世とは面白いものだ」

 オシュトルとウコン、両面の共有する感性が、そう呟かせた。

 

 そしてヤマトが國の右近衛大将は、再び仮面とともに戦場に立つ。



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陶謙(二):紅蓮の弓矢と野獣の咆哮

 落されかけた本丸にはただただ震える童女あり。その癇癪をなだめる腹黒い側女あり。

 兵の大半は至弱。糧食不足。軍馬とそれを養う飼葉不足。武具は錆びつき矢も足りぬ。

 外には後詰め。

 

 ――問題なし。

 機械的に味方の観察を終えたその武者は、そう判断した。

 元より『惰弱な主君』がために常に機を逸していた。それでもなお、戦術を繕い、あと一歩のところまで魔王を追い込んだ、はずだった。

 

 真紅の具足を打ち鳴らし、兜の前立ての鳳を揺らし、怯える袁術の前に膝を折る。

 

「殿、機は熟しました。これより紀霊殿および後詰めと共に敵を打ち払って参ります。後事は何事も周泰殿の差配に従ってくださいますよう」

 礼は整い、言葉遣いも慇懃にして淀むところがない。

 だがその眼光、その語気の強さ、冷気にも似た武気は決して親愛の類を新たな幼君には見せることがない。

 それがなおさらに美羽を不気味がらせていた。

 

「なっ、なんじゃと!? そちは前線ではまともに働きもせなんだというに、今になって戦うと申すか」

 だが、最低限の矜持による虚勢が、そう怒鳴り声をあげさせた。だがそれにも山の如く動じず、底冷えするような調子で答えた。

「あの敵軍に本隊のみでは勝てませぬ。しかし盧江に退き守城に持ち込めば真田殿の援護を得やすく、勝機を得られます。そして今こそがその時です。我ら窮鼠となって敵の喉笛に食らいつき、そして怯んだ敵の背に大鷲が食らいつきましょう。これこそ我らが秘計『鼠鳳挟撃の計』にござる」

「……どうなんですかね、その名づけ」

 

 七乃が眉をひそめてぼやいた。

 

「まぁこちらとしては脱出の糸口さえつかめれば良いだけですし? 大口叩くぐらいならその退路の確保ぐらいはやってくださいね。……こっちはこっちで存在自体が暑苦しいですし」

 

 そして傍らに立つもうひとりの御遣いに視線と声を投げた。

 異相の巨漢である。

 厚みのある肉体と唇。常に笑みのごとき何かを目と口元には蓄えているが、感情の所在は彼以外の何者にも理解しえない深みに沈めてある。

 

 腰に手を当てたままの恰好で、他を圧する闘気を放っている。ともすれば露骨に刃を向けられるより、恐ろしさを感じる。それこそ、この歴戦の武者からしてみても、はるかに上位の武人と見た。

(だがなるほど)

 武事に疎い者からしてみれば、そのあからさまな人として、将としての位格の違いも若干の息苦しさにしか感じないわけか。

 

「私に、『児戯』に加われと?」

 重層な、だが不思議と色艶のある声の調べである。

 

「このような『お遊び』は、童同士で存分に楽しめば良いでしょう。ねぇ、山崎?」

 山崎、と名をかけられた顔を覆い隠す鬚の総面の奥でも表情を歪めない。

 確かに男には、自分の武も策も、それと対するこの包囲軍の戦略も遊びと嘲弄するだけの力量を持っていると見受けられる。

 より大規模な武略の応酬。天下を分ける大戦。より強大な敵手との競り合いこそ、この男の舞台には相応しかろう。

 

 だが袁術や張勲のごときにはそれが理解できようはずもなく、

 

「もうっ、まーったく図体と口ばっかりなんですから!」

 などと見当違いの恐れ知らずもはなはだしいことを所感を口にしていた。

 本来であればこの時点で主従ともども首が飛んでいてもおかしくないのだが、この男にしてみればそんなものは小鳥のさえずり、野良犬の遠吠え、あるいは能狂言の端役の科白ぐらいにしか聞こえていないらしく、

「ンフフフ」と怪鳥のごとき独特の響きで甲高く笑い飛ばし、無視を決め込んでいた。

 

「されば、童の児戯、高みにてご覧いただきたく」

 そう言うや山崎は外苑に留めた駿馬にまたがり、自身の組下を率いて死地へと赴く。

 

 児戯。その言葉を噛みしめる。

 芸術とも自負すべき己の戦術が児戯か。なるほど確かにまだまだ詰めが甘い。その甘さがゆえに、己は勝てるはずの戦を取りこぼした。

 

 だが、それがなんだというのか。

 幾度貶められようとも、仕損じようとも、命を落とそうとも、武士とはそれでも刃を振るうもの。

 

(我は、死してなお、戦う者なり)

 

 鼻を削がれて後、戦場に在って何度も唱えた信条を抱え、彼はこの異なる唐土(もろこし)でふたたび弓を手に取る。

 異形の弓である。否、槍でもある。

 弓筈の先に、銀穂が光る。

 

 門を開く。高々と棹立ちにさせた馬が、驚き身を退く敵兵の頭を踏み砕く。

 細い息を戦意とともに吐き出し、駈ける。

 その陣形は車輪のごとく。いわゆる車懸かりの陣法にて敵を巻き込み、屠っていく。

 まず矢をつがえて撃つこと数度。敵先鋒の眉間に一矢漏らさず命中させ、崩れ立ってところでしならせる。迂闊に近づいた頸の血脈を裂傷させ、さらに包囲を遠巻きの者とさせる。

 

 その機において、彼は今度は天頂を穿つがごとく、真紅の鏑矢を射放つ。

 鳥が鳴くがごときその音こそ、逆撃の合図であった。

 

 敵の旗印を見る。

 ――丸に二つ引両。今川。今川治部(じぶ)大輔(だゆう)

 相手にとって不足なし。

 

「良かろう、体裁こそ河越夜戦が如し。されどここは貴様の二度目の桶狭間よ」

 

 かつてその天敵たる魔王を追い詰めた自負とともに、山崎(やまざき)新平(しんぺい)俊秀(としひで)は戦場を疾駆する。

 

 ~~~

 

 にわかに城方の動きが騒がしくなった。

 と同時に、輿に在って義元はそれによって異変を察知した。

 それは第六感や勘働きといった類によるものではなく、五感と経験とに基づくものである。

 

 顧みれば、地平の先にちらつく影。めくれ上がる土の臭い。

 

「良き、臭いじゃ」

 思わず発した言葉に、傍らの紫陽花色の髪色の美少女が反応した。

 副将として、かつ実際に軍を動かす指揮官として抜擢した丁奉(ていほう)である。

 戦略はともかく、戦術においてはいささか脆弱さを見せる自分を補うために。

 

「来るのは想定通り。けれども思いのほか、多いわ」

 指と指とを打ち鳴らし、苦い顔をする。それは余裕のなさ、落ち着きのなさのためではなく、彼女の癖だ。それで頃合いを図り、戦を差配する。

 年若いが、その天稟の感性ゆえに、熟達した指揮が可能となるのだ。

 

「外円の糜姉妹を。押しては退き、退いては攻め、包囲軍から遠ざける。城内の敵の逆寄せは遠巻きにやり過ごし、袁術を擒とすることにのみ専念せよ。この戦はそれのみが目的だ」

 

 それからややしばらく、拍子を刻んでいた丁奉の、旋律(せんりつ)の指がはたと止んで、その指示を伝令に復唱した。

 人と方針は義元が決める。時と場合は旋律が決める。

 そう住分けることで、陶謙軍の陣容は成立していると言っても過言ではない。

 

 その後、果たして敵の騎兵が突破を狙った。

 それは槍衾にて迎え撃ち、ついで迫る歩兵は糜竺らの軽兵でもって翻弄していく。

 

 内外より挟まれてなお、その布陣は盤石ではあったが、なかなか決め手に欠けるというのもまた事実であった。

 

(本丸を落とすのに時がかかり過ぎている)

 そう思う矢先、その城内より壁を越えて声が響き渡る。

 

「笑止な! 貴様らのごとき未開の猿どもに、この俺が討てるものかっ!」

 

 熊のごとき体躯から発せられる大音声を想像し、義元の口元に有利不利を超えた感情から笑みがこぼれ落ちる。

 旋律が、わずらわしげに眉間を寄せた。

 

「相変わらず粗暴な野人……あれ、本当に我々よりはるか先の世から来たんですかね。美しい音曲を奏でる今川様とは、大違い」

「本人曰く、そうらしいね」

 

 にしてはやたらと『当代』の甲冑が良く似合い、蛮勇蛮声とともに大斧を振りかざす姿がサマになっている。人を殴り殺すために、あるいは挽き潰して肉塊とするかのように生まれてきた大男である。

 

 そこもまた、義元からすれば愛嬌ではあるのだが、それにしてもおそらくは周りや戦局などまるで顧みず、城方の陽動に思う様に振り回されているのだろう。

 

 いくら盤石といっても、包囲陣も着実に削られつつある。

(あの時と同じだ)

 桶狭間。運命の氷雨を思い出す。

 万全の戦略を組んだとて、鉄壁の方陣を組んだとて、感情の爆発、欲への衝動の前にはいつか綻びが生じ、その一穴の破綻が全面的な崩壊を招く。どうやらその怒涛の洪水こそが、乱世が選ぶ流れらしい。

 

(将が足りない)

 こと、突破口をこじ開けるだけの、あの城内の野人ではなく個人的武勇ではなく戦術的に攻勢をかけられる人物が明確に不足している。

 

 あのラヴィニスなる異人の女部隊長を連れて来ればよかっただろうか。否それでもまだ足りないし、『盟友』袁紹への備えのために残さねばならぬ。

 それ以上に、巷説違わぬ綺羅星のごとき将星が、敵に多すぎた。

 

「重ねて厳命する。もし敵の新手が城内に踊り込むようなことがあれば、城攻めを諦め、寿春へと撤退せよ」



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曹操(四):漆黒の残響

 曰く、用兵巧者には、戦場において浮き足立つ箇所が澄んで見えるという。

 例えば兵の弱き備。例えば将の質が低い部隊。例えば士気の低下した軍団。

 

「あー、まさかいきなり戦に駆り出されるとはなー」

 例えば、まだ帰順した勢力に馴染めず、他との連携が取れていない新参者。

 

「姐さん、しょうがないっすよ。陶謙軍だと、その働きに応じて所領を任せられるってハナシなもんで、ここで頑張らないと兵も養えない」

「姐さん言うな、徳王と呼べ。……弟とは恨みを買ってた豪族どもに襲われてはぐれちゃうし。はぁー、どうしてこうなった」

「劉耀攻めたからじゃないっすかね……ん?」

 

 まさにその最後者の例に当たるのが、厳白虎と山越の残党であった。

 彼女らは、包囲西側にあって、自分たちに猛然と迫る二種の騎兵軍の集団を目の当たりにした。

 

「なっ、なんだぁっ」

 

 それこそが曹純と幸村の部隊であった。

 両者は轡を並べるかのように、あるいは競り合うように、二筋の縦隊となって真一文字に駈け入り、猛攻を仕掛けた。

 

 だが、その軍としての在り様は大きく違っている。

 自ら十文字槍を引っ提げて陣頭に立ち、誰よりも速く槍を突き入れる幸村隊に対し、曹純は部隊の中核である。自分たちの偶像、あるいは姫を守らんとして、高い士気を維持しつつ一つの塊となって敵陣に投じられる。

 

「ぐえー!」

「厳姐ー!!」

 

 馬蹄によって蹂躙された厳白虎。その後備が動く。

 崩れ立った味方を、左右の味方が援護すべく推移していく。

 

 さながら、潮浜に掘った穴を波が埋めるがごとく、陣容は元の厚みをあっという間に取り戻していく。

 

 俗人は言う。

 包囲網は弱きところより打ち崩すのが常道であると。

 

 だが、戦を知る者は言う。

 さにあらず。戦とは流動物である。

 将士とは人であり、戦とは彼らの思考の集積体である。

 

 したがって、敵とて自身の有利不利は把握しており、それを埋め合わせるために敵の弱り目が定位置にあろうはずがない。

 

 つまり、包囲陣の抜き目とは、まず弱きところを攻め、然るのちに隣接した陣などに生じた隙を突く。これが常道である。

 

 合図を送ったのは虎豹騎の最後尾に在った一書生である。

 家に籠っていたところを無理やり戦場に引き摺り出された『次子』は、自身の兵も旗も持たず、曹純の保護下にあった。

 だがその的確な時機に、曹軍よる夏候惇と曹仁が、袁術軍より鉄心、満寵が動く。二の矢となって、厳白虎隊を両脇より抜けようとした。

 

 だが、それを遊撃する二部隊あり。

 伏兵のごとく、味方の間隙にて息を潜めていた麋竺、糜芳の姉妹である。

 

「でんでんでーん!」

「ジャジャジャジャーン!」

 

 奇妙な掛け声と銅鑼の音で耳目を惹きながら、彼女たちは軽業師のごとく方々に跳ね回る。

 

「おのれ小癪な!」

 夏侯惇が吼える。衝動のままに猛追する。

 だが、幸村も満寵も止めない。曹姉妹も止めない。

 

 後者は問題多くともそれを上回る美点を持つ従姉であれば、あの程度の敵には敗れないことを知っている。

 前者は呼吸だとか兵法の則を図らぬ、ガムシャラな追走をさせることで、逆に遊撃部隊への掣肘とした。

 

 幸村は敵軍の性格をほぼ正確に見抜いていた。

 軍隊としての、集団としての強さが向こうのほうが上であろう。一部の異才の采配に、疑いを持たず兵たちは従っているのが見て取れる。

 だが、えてしてそういう軍は突破力に欠ける。枠組みから逸脱した結果を生むことがない。そこにこそ、この老練の猛将は間隙を見出した。

 

 乱戦の中、曹仁、鉄心隊は脇目もふらず突っ込んでいく。

 

「うわははは! ぬるいぬるい! その程度でこの儂が斬れようか」

 愛刀大黒生とともに修羅となって斬り込む鉄心の向かうところ敵なし。まさに当方不敗と言った様相であり、曹仁さえも驚き呆れた。

 

「うわっ、めちゃくちゃっすね。あのお爺ちゃん」

 

 だが足を止めて思わず注意が逸れたその側頭部に、流れ矢が飛んだ。

 それが彼女の頭蓋を射抜く直前、満寵の投げつけた円盾が防いだ。

 いかな術理を持ったものか。それはいくつかの兵士を跳ね飛ばした後、反動でふたたび彼女の手首へと引き戻される。

 

「気をつけて。将はともかく兵の練度が高い。ヘタを打てば雑兵に討ち取られる、なんてことになりかねないから」

 

 それとなく毒を混ぜて諫める満寵(海防)ではあったが、どこかサラリと爽やかな調子を持つのは本人の役得とも言うべきであろう。

 

「おおっ! どうもありがとっす! 足とか手とか、引っ張らないよう気をつけるっす!」」

 

 曹仁もまた、そんな彼女を憎からず思っているらしく、少し軽はずみなきらいはあるものの、素直に感謝と反省を見せた。

 

 しかし、と海防は背中合わせに揺れ動く金髪の編み込みを顧みて思う。

 攻と防。動と静。

 恐れ知らずの曹仁が半ば強引に突破口を開き、自身の部隊がそれを維持する。

 真逆の性質にも関わらず、いやだからこそ表裏一体となって上手いこと連携が取れている。

 いっそのこと、気味が悪いほどに。運命さえ感じるほどに。

 

 ――同じ旗の下であったのであれば、いかな難局でも跳ね除ける、絶好の組み合わせとなっていただろうに。

 

「……っと、危ない危ない」

 

 戦場でそんな可能性に思いを巡らせることと、その仮定をすることの意味。

 二重で少女は空恐ろしくなって、ただ無心となって『三の矢』のための道を作る。

 

 

 ~~~

 

 仮面の士、オシュトルは振り分けられた兵に抜刀を命じた。

 武の補佐をするロイド、智の輔けを申し出た徐庶をはじめ、解体された後に行き場を喪った黄巾残党を組み込んだ、いずれも恐れ知らずの兵士たちである。

 

「作戦は?」

 ロイドが魔性を帯びた愛剣を鞘から奔らせて問う。

「なにも」

 オシュトルは答えた。

 

「事ここに至った以上、ただ一心にて華侖殿らが開いた口を突き抜け、城に入る。ご一同、風となって続いてもらいたい。露払いの一切は、この右近衛大将……否、ただオシュトルがお受けいたす」

 

 足の具合、土の加減を確かめる。

 多少湿り気があるが、徒歩の走行には問題なかろう。

 『ウマ』を使っても良かったが、この世界のそれは自分たちのウォプタル(ウマ)とはだいぶ色形が違う故、未だ慣れなかった。

 

 ――この距離であれば、徒歩にて十分である。

 

 そう判断するや、オシュトルは地を踏みしめて駆けた。

 少し遅れて兵たちが続いたが、みるみるうちに間が開いていくばかりである。唯一彼に追いつけるのがロイドであって、徐庶はその後で兵をまとめつつ続く。

 

 だが彼らを孤立させるべく間に割って入ったり、行く手を遮る者はなかった。

 先の、宣告どおりであった。

 

 蒼さを帯びたオシュトルの剣閃は、文字通りの血路を開いていく。

 何者が割って入ることも寸時たりとも遮ることも許さない。

 一太刀が数人の列を屠り、その一斬が隊伍を崩す。

 

 行儀が行き届いた一方で貪欲さに欠ける兵たちが、自然間合いを取るようになる。

 それを見透かした徐庶……剣里の号令一下、決死の剣士たちはさらに速度を上げていく。

 

 そして完全に敵を振り切った後、城門へと至る。

 その跳ね橋が落ちるように懸かり、空堀の上に彼らの前途を作る。

 見上げれば、真紅の甲冑をまとった士が、城壁に足をかけていた。

 

(城壁を奪回したか)

 

 おそらくは袁術方の天の御遣い。自分と同じく面をかぶり、その奥で油断ならぬ眼光の鋭さを帯びているが、この状況ではそれぐらいの恐ろしさを持った方が頼りがいがあるというものだ。

 

 城内に突入するも、まだそこでは乱戦が続いている。いや、拮抗とはなかなかに言い難い部分がある。

 如何せん、兵の質という質が違い、局所的で袁術方勝利は得ているものの、やはり全体的には押されつつある。

 

「……先を急ぐぞ」

 

 麾下の結集を少しだけ待った後、オシュトルはそう低く命じた。

 その首元に、冷たい気配が奔る。

 とっさの反応は、剣里の方が速かった。

 

 突き出した撃剣が、オシュトル目がけ飛んできた匕首を払い落とす。

 

「あいやー、失敗失敗」

「……どこかで感じた気配かと思えば、あんたか」

 剣里が呻くように言う。

 鈴が鳴るがごとく金属音が響き、そのすぐそばから、音もなく紺衣の少女が降り立った。

 

「兇徒胡車児。河北で御遣いに雇われたって聞いてたんだけどね」

「まぁそれはそれ。これはこれ。陶謙殿には、侠者として世話になりましてね」

 

 どこか道化じみた所作とともに、だが表情には何も浮かべず刺客が言う。

 どうやら剣里と旧知の仲らしいが、寝ぼけたような面で続けた。

 

「こちらとしても、意外でしたよ。まさかのまさか。こんなところで『宵闇の剣姫』と出会えるとは」

 

 ――ぴしり、と。

 空気が、主に剣里の周りを軸として凍り付くのが分かった。

 

「宵闇……?」

「あ、それともその次に名乗ってた『黒光の斬滅』の方が通りが良かったですか」

「オシュトル殿、ロイド殿」

 

 オシュトルの追及をぴしりと遮るように、剣里が早口で言った。

 

「この者の相手は、私が務めます。みなさんは、袁術殿の安全を確保してください」

「いや、だがしかし」

「『私』? 昔は『ボク』でしたよね」

「疾く」

 

 有無を言わせない力強い語気とともに、剣里がずいとオシュトルの面に目元を寄せて圧迫する。

 

「……分かった」

 

 何か拠無い事情、秘事というものがあるのだろう。

 釈然としないものがあるものの、気で押し出されるかたちで、オシュトルと何事かを察したらしい兵士たちは連れ立ってその場を後にした。

 

 一瞬とはいえ、オシュトルの不意を打った相手である。

 多少、気がかりがないでもないが……

 

「いやー、懐かしいなぁ。全身黒ずくめのカッコウ、止めちゃったんですか?」

「……」

「お、構えも変えたんですか。昔は二刀流でしたよね。順手と逆手持ちで」

「…………」

「あ、出すんですか? ほらアレ。何やらの構えとか、必殺剣ホニャララとか、ナントカの呼吸とか」

「………………」

「ちょっとー、なんで怖いカオしてんですか。やっぱりどこかお加減が悪かったんです? 良く言ってましたもんね。『くっ、静寂(しずま)れ、ボクの方寸!』とかなんとか。やっぱりアレ、不整脈かなんかだったんですね」

「………………よし、殺すっ! お前を殺して私も死んでやるーっ!」

 

 

 

「…………まぁ、あの調子なら平気か」

 オシュトルもまた、何となく見てはいけない気がして、全力で目を背けつつ先を急ぐことにした。



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陶謙(三):三人が斬る!

後編カットするので副題変更しました。


 男はかつて、ミンチメーカーと呼ばれていた。

 ただし彼が挽肉を作る場合、その材料は敵の人間であった。

 彼の残虐性を象徴するに、簡にして要を得ている呼称ではある。そしてそれに類する異名をいくつも持ち合わせ、そのどれもが血生臭いものであった。

 人類が宇宙に進出して久しく、ビーム銃や珪素ダイヤモンドのトマホークなどが主流と化した時代において、流血によって武勲を立ててきた男である。

 

 石器時代の、という揶揄が接頭語に付けられて評されていた勇者オフレッサーは、彼の感覚からしてみれば石器時代に毛の生えた程度の文明レベルの世界では、真に並び立つ者のない猛者であった。

 

 ぐふふ、と咽頭を鳴らして血塗れの大斧を手に、彼は少女剣士を追い詰めていた。

 ここまで彼の猛攻をいなしていた少女も、この圧倒的な肉体の差においては敏捷も活かせず、体力を削られ息切れを起こしていた。

 

「小娘めが。この俺を殺せる者などこの宇宙においてはおるまい」

 

 裏切り者として銃口で脳髄を撃ち抜かれた者がそう言うのだから、皮肉かつ滑稽というほかあるまい。

 もっとも、現状の彼には『殺された』という意識はなかった。

 自分が『麻酔銃』で眠らされた後、大方勝ちに驕る『金髪の孺子』あたりに捕らえられて辺境の惑星に流刑にされたか、でなければ思考実験的な殺し合いに参加させられている、というのが彼の認識である。

 

 多少ならず矛盾や齟齬が生じた突飛な発想だが、元より部下の統制のためなれば薬物の使用さえも躊躇わぬ男である。倫理や常識など生まれ落ちた時点で胎の奥底に忘れてきた違いない。

 そのため彼の中でその『推測(妄想)』は整合性の取れた現実的な世界観として構築されていた。

 

 敵は少女である。

 だが彼には嬲り者にするつもりも趣味もなかった。 

 対する相手が女だろうと男だろうと関係ない。貴族だろうと平民だろうと関係ない。ある意味彼は平等な男ではあった。彼が得物を振るえば、等しく物言わぬ肉袋となるのだから。

 

 ~~~

 

 大男が、それに見合う長柄の斧を大上段に振り上げる。

 明命は壁際に追い詰められ、逃れる余地などない。それに彼女の小隊が最後の、政庁を守る盾であった。

 

 意地と使命感とが彼女に物理的にではなく精神的な後退を許さない。

 せめて一太刀と腰を沈め、切肉断骨の構えにて挑みかからんとした、その時だった。

 

 少数の剽悍な兵が、駆け足でこちらに向かってくる。

 率いるのは仮面の剣士と茶髪の剣客である。

 

 敵の新手か。そう視線を向けたのは敵も明命も同じであった。

 その反応が彼らが第三の勢力……助勢に来た曹操軍の一派だと証明してくれた。

 

「周泰殿とお見受けする。曹操軍が客将オシュトルとロイド、義によって助太刀いたす」

 敵の巨躯ごしに、仮面の男……オシュトルが明命を目で労った。

 

「すみませんっ、お手をわずらわせてしまいました」

 人心地ついた想いで素直に謝意を示した。その眼がそれとなく、壁向こうの政庁へと遣られる。

 そこで丸まっているであろう、一応の主君にも。

 

「行かれよ。ここは我らが引き受ける」

 その視線の意図を察し、オシュトルが言った。

「お前たちもその娘について行け」

「し、しかしっ」

 難色を示す部下たちにロイドはほろ苦く笑った。

「生半の腕では、()()相手には障りとなるだけだ」

 

「ええい、何をごちゃごちゃと言っておるか!? 貴様らが束になろうとも、俺に敵うものかっ」

 

 その豪語が虚勢ではないことは明白であった。この男なら、力量や有利不利は二の次に、万人の兵にその蛮勇を振るうだろう。

 そういう手合いこそ、恐ろしい。

 

「だそうだ。どうする?」

「では、ご好意に甘えさせてもらおう」

 

 そう言って両剣士は身体を斜にして左右に分かれる。大振りな相手に対して投影面積を少しでも狭めようという咄嗟の工夫である。

 明命は勇を絞り疲弊した肉体を叱咤し、彼らに並び立つ。

 

「周泰殿」

 少し驚いたようにオシュトルが彼女の方を向く。

「この男を倒さない限り、公路様たちの無事はありません! わたしも共に戦います!」

 そう剣を構える彼女に、言葉なく仮面の将は頷いた。

 

 そして三人の武人は、暴力の塊へと挑みかかった。

 まずロイドの姿が消えた。

 高速で動いた彼の身体は、巨躯の懐に潜り込む。

 男は動物的な反射能力で彼を足蹴に吹き飛ばした。

 

 次鋒はオシュトルである。

 直にして曲。剛にして柔。だが間違いなく鋭。

 そんな奇妙な剣技には一切の無駄も妥協もなく、的確に死角と致命傷を狙っていく。

 それにはさしもの蛮人も苦闘を強いられた。

 だが何を想ったか、大きな肉体を屈ませた。回避、否……目的は嫌悪感とともにすぐに明らかとなった。

 

 男は袁術方の兵、周泰麾下の骸を拾うと自身の盾としたのだ。

 頚を狙って打ち放たれた必殺剣が、その身代わりの寸手で停まる。

 ニヤリと鬚面が狂喜で歪む。そして骸ごとにオシュトルを切り裂かんと大斧を旋回させた。

 

 オシュトルはそれを跳んで避け、明命は元より小さな身体を屈せさせてやり過ごした。

 

「其方には、士としての心がないのか」

 仮面の将は冬の清水のごとき、澄んで冷たい声調をもって男を非難する。

 男は嗤うばかりである。それこそが何よりの返答であった。

 

 二度とそのような真似はさせまいと、明命とオシュトルは左右に分かれて挟撃を仕掛ける。

 大斧は剣閃をいなしていく。否、完全に捌ききれているわけではない。牽制に当てる小手先の技は自身の肉体や甲冑でもってのみ受け切り、確実に本命の攻めのみを砕き、それどころか逆撃さえ狙って打つだけの余裕さえもある。

 これは武技というよりも天性の資質……というよりも動物じみた本能であっただろう。

 

「伏せろっ!」

 

 するとロイドが声を発した。

 その命令に従って二人が再び低頭する。奇襲でも仕掛けるかと思いきや、枯れ草色の剣士は、剣の間合いの外にあった。

 

 だが、その剣の切先が突き上げられるとともに、月明りにも似た冴え冴えとした、だがどこか妖しい光輝を放った。

 怪訝そうな大漢であったが、にわかにその心臓のあたりが同じ妖光を発し、それが彼の肉体から抜け出し、刃へと巻き取られていく。

 

 すると、敵の剛力が陰りと鈍りを見せ始めた。

 このどれほどの連戦も物ともしなかった怪物が、にわかに疲弊をし始めたのだ。

 さてはあの剣、魔剣や妖刀の類か。

 

「ロイド殿!」

 

 そういった魔導の類に慣れているのか、素早く順応したオシュトルが、同胞と互い違いになりながら自身の剣を預け渡す。

 

 その『銀の剣』を手にしたロイドが、敵へ迫る。

 苦し紛れに男が大斧を振り下ろすが、明確にその切れが鈍磨していた。

 それでも人の頭蓋を粉砕するだけの圧を帯びていたが、その軌道上からロイドの影が消えた。いや、いくつもの像に分かれたかのようにさえ見えた。

 

 男もまた、その剣士の姿を見失っていた。だが次の瞬間、彼はその懐に出没し、胴板に刃を食い込ませていた。

 雄叫びをともに、さらに刃を推進させる。

 自重によるものか、それとも吸い上げた力がそのまま彼の腕力を倍化させたのか。

 

 細腕とも思えぬ力量でもってロイドは男の巨躯を吹き飛ばし、壁へと激突させ、その壁を粉砕した。

 

「……やったか」

 

 剣を返されたオシュトルが問う。だが、巷間の軍談においてはこういう科白はむしろ生存を示唆するものである。

 果たしてロイドは首を振って、苦々しげにそれを否定した。

 

「いや、とっさに身を退かれた。というか、筋肉で刃が通らん」

 

 だが舞い上がった土埃の中、男は起き上がるどころがすでにその影さえなく、ひとまずの脅威が去ったということで三人は胸を撫で下ろした。



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曹操(五):北へ

「山崎様、貴殿の読み通り、城内の敵軍、曹操軍の新手によって追い返された模様。南門より敗走をしています」

 

 山崎新平麾下の兵は、袁術軍の中でも新参ながらに異様な雰囲気を持っている。

 寡黙にして厳。精妙にして峻。

 同じく精兵でありながら溌剌として野性味を感じさせる耶率休哥の赤騎兵や幸村の直情により命を惜しまぬ愚直な赤備とも違う。

 親に子が似るかのごとくに、その求道的な人格に染め上げられていた。

 

「頃合いや良し」

 その報を受けた山崎は弭槍と馬首を返した。

 

「城壁付近の掃討を止め、これより城外に討って出る。しかる後壁沿いに南部へと回り込み、横槍にて敵を突けい」

 

 その戦への正確な目付に従い、長槍を主体とする彼の部隊はその下知に従った。

 敵の脆きその瞬間。陣の替え時、兵の退き時。敵に無防備をさらけ出しながらも、冷静な判断と合理的な進退が求められる。

 

 その困難さを、この熟練の先駆け大将は知っていた。

 ゆえにこそ絶好の時機をもって、陶謙軍に最大級の横撃を与えることに成功したのだった。

 

 だがそれでも、元より袁術の身柄こそが目的だったのだろう。その安全が確保されたと知るや、すぐに城の包囲軍も遠巻きとなって退却を始めていた、こと本陣の周囲は容易に崩れず、整然さを保ったままに敵は寿春への退却に成功したのだった。

 

 ~~~

 

「うむうむ。皆の者、妾の威光の下、よう励んだ」

 

 先に奥殿にて震え上がっていたのはどこへやら。いや、故にこその精一杯の取り繕いなのか。

 戦が終わってのち、唯一無事な謁見の間にて、オシュトル以下曹操軍の手の空いた武将と、幸村たちは殊の外上機嫌な袁術に謁していた。

 

「まぁ妾が直々に指揮を執れば、陶謙軍などこの程度の衆よ」

 この認識は大いに誤りである。救援軍の将たちが、そして城内の強者たちがそれぞれの権限と裁量の及ぶ限り最善を尽くした結果に過ぎない。

 

 それは言わずもがなであったが、言わずが華でもある。

 異見を申し立てたところで本人の認識が改まるでもなし。むやみに勘気を被るだけで一利にもなるまい。

 本気で信じているかはどうかはともかくとして、機嫌の良さとともに見てくれだけは愛らしい笑顔を振りまく。

 

「そこな者どもも、まぁそれなりに頑張ったとでも褒めてやろうかの」

「はっ、恐れ入ります」

「まぁおらぬでも勝てたがのう」

「名門袁家に宗主の救援、であるから曹操さん直々に来るのが筋ですけどもねぇ」

「良い良い。妾は度量深いゆえ、その不遜さも水に流してつかわそう」

「…………」

 

 複雑そうに仰ぎ見たオシュトルの眼差しにも気付かぬ。あるいはその機微の鈍さこそが大人物たらしめるのかもしれないが。

 

「さて、この上は寿春を奪い返し、然るのち徐州をも切り取りにかかるとしよう」

「お待ちを」

 進み出たのは幸村である。

「すると、袁術殿は追撃をなさると?」

「あれー? 幸村さんは反対なんですかー?」

 

 困った()()()笑みを浮かべて、張勲が問う。

 おそらくは彼女の脳内おいては、生真面目なこの老武者が強硬に追撃に反対し、それをもって袁術の不興を買う、という絵図が描かれているのだろう。そして、そうすることで余所者、無骨者どもの出る杭を打つと。

 

 だが幸村は口端に笑みを浮かべて首を振った。

 

「とんでもない。苦境を乗り越えてもなお前進せんとする勇猛果敢な戦いぶり、この幸村感服いたしました。しかしそう言われると思い、すでに手は打ってあります。紀霊殿、満寵殿とともに、ただちにその準備に取りかかりたく存じます」

「む? おぉおぉそうかそうか! よう励んでたもれ」

 

 どこまでが本心なのやら。幸村の勇ましい言に上機嫌の袁術は快諾し、張勲は肩透かしを食らった様子で笑みをわずかに引きつらせ、背後に控える怪人が「コココ」とそれを愉快気に眺めている。

 

 ――さては『生前』、よほど足並みそろわぬ味方に苦労を強いられたらしい。

 天然なのかもしれない微妙なさじ加減、ともすれば老獪な誘導によって幸村は、徐州経略の主導権をも得、我欲に溺れ差配を乱し、疫病のごとく世に混乱をもたらす彼女らを戦場より『隔離』することに成功したのだった。

 

 ~~~

 

「如何でしたか、袁家の自称宗主殿は」

 やや辛辣な言い方をしたのは、剣里である。天敵たる胡車児にスルリと逃れられたらしい彼女の物言いには、今なお不機嫌さからくる棘が残っていた。

 それに気おくれしたわけではないが、オシュトルはわずかに言葉を濁した。

 

「なんや、さっきも似たような表情で見とったな」

 問うのは真桜である。

 

 言うべきか言うまいか。軽く悩みながらもオシュトルはついに口にすることに決めた。

 

「いや、実は……袁術殿という御仁……どことなく姫殿下……つまりは某の旧主に似ていてな」

 真桜は「ほう?」と目と口を丸くした。次いで浮かべたのは悪戯っぽい笑みである。

 

「じゃあこのまま袁術のとこにでも行くか? 幸村はんともご昵懇みたいやったし」

 そう言われることを恐れて、オシュトルはためらったのだ。もしこれを聞きつけようものなら、春蘭の辺りはさてこそこの不忠者謀反人と大義を得たと言わんばかりに斬りかかって来ることだろう。

 

 目でその影を探るオシュトルに、カラカラと真桜は笑った。

 

「春蘭様なら先に次の戦場に向かったで~? そもそも居ったらあの袁術が威張り散らしてるのを見ただけでまとまるもんもまとまらんくなる」

 散々な言われよう、からかわれようではあるが、人を不快がらせない小気味よさが彼女にはある。ともすれば、これこそが後々の将器につながるかもしれない。

 

 ふっと苦笑をこぼし、オシュトルは続けた。口調は少し悩ましげではあったが。

 

「が、一方で張勲殿も含めて我が国の佞臣どもとも相通ずるものがあってな。複雑な印象なのだ」

「……そらまた難儀やなぁ」

「面倒くさい人間関係ですね」

 

 忌憚なく漏らした剣里に、重い頭を上下してみせる。

 だが善悪の比率で言えば、後者のほうがより近いだろう。

 さしづめ、多少は救いようのある『デコポンポとボコイナンテの美少女版』と言ったところだ。

 

 もっとも彼女らをどう更生させていくのか、それは自分の仕事ではないだろう。

 袁術をまっすぐ見据え、やんわりとそのアクの強さと付き合っていた幸村の姿を思い返し、オシュトルはそう判断した。

 

 そしてようやく、戦の終わりを肌で感じ、仮面を外す。

 単体で次へと向かったという春蘭に代わり後始末をつけた華侖と柳琳が彼らのもとにやってきたのは、そんな折である。

 

「オシュトルさん、お疲れ様です」

「柳琳殿、それに華侖殿こそ、お見事な戦いぶりだった」

 なんとなく波長が合うらしく、曹一門中、オシュトルがもっとも懇意にしてもらっている姉妹であった。

 

「そんな……姉さんはともかく、私なんてまだまだです。曹一門として、それに見合う働きが出来ればと必死になっていただけで」

「何を言われる。初顔合わせの幸村殿らと良い連携をなされていたではないか」

「えぇ、それは彼女の目付によるものですけど」

 

 そう言って柳琳は視線を丘陵に遣った。

 そこには小柄な少女がいた。どこか消えてしまいそうな雰囲気。白亜の髪と肌。だが狼のような眼力だけが蒼く鋭く輝いていて、顧みた彼女と目が合った際、痺れるかのような感覚に囚われた。

 

「彼女は……天の御遣いか?」

 その異質さ、異物感からそう受け取ったオシュトルは思わずそう問うた。

「違うっすよ。なんか偉ーい八人兄妹の二人目でー……そうそう! 優秀だってんで招かれてたんすけど、仮病使ったりして引き篭もっててー、それが華琳姉ぇにバレてブチ切れ。『家に火ィつけてクビに縄かけてでも連れてこい!』ってな感じで引っ立てられたっすよ」

 

 いつもにざっくばらんな説明による、意図せぬ脚色かと思いきや、その柳琳の顔色目の色を窺うとどうやら全部が誇張というわけでもないらしい。

 

「私の時もそんな感じでした」

 剣里はしみじみとした呟きで同調する。オシュトル自身にも覚えがあることでもある。

 曹孟徳の人材蒐集の執念にあらためて畏敬を覚える一同であった。

 

「それで今は柳琳殿の部隊に?」

「頭良いヒト大好きっすからね、柳琳は」

 

 従姉に感化されてのことなのか、曹純が知識層の庇護にも一役買っているという話は、曹操幕下においても有名な話である。それゆえに彼らを満足させるだけの環境が整っているのだろう。

 

「ですが彼女は」

 柳琳はどこか複雑そうに言った。

「紙上に兵を談ずるような人物ではありません。たしかに理論に傾倒しがちなところもありますが、有り余る才と伸びしろ、両方を感じさせます。経験を積んだ後が恐ろしい……いえ、失礼しました。頼もしい娘です」

 

 なるほど、とオシュトルは首肯する。

 柳琳が言い間違えなどするとも思えない。おそらくはその資質に何かしら危ぶむところがあるのだろう。

 それが欠点によるものなのか、あるいは有能すぎるがゆえなのかは分からないが。

 そしてそれは同時に、柳琳自身にも圧迫を与えているようだった。

 

「これより、彼女を連れて公孫賛討伐の先鋒を仰せつかりました。……私も、曹一門として、あの子に負けないようにしないと」

「……」

 

 そう言って意気込む都度、曹一門と口のする時、オシュトルには一抹の不安が過ぎる。必要以上に曹孟徳の一族であることを気負い過ぎているのではないかと。

 華琳は、たしかに万能の天才ではあるが、だからこそ、その才が一代であることを多分に自覚している。

 ゆえに血統や門地、来歴にさえ固執しない。彼女が従妹たちに求めているのは、曹子孝には曹子孝の、曹子和には曹子和なりの将器の完成、武人としての生涯の全うではないのか。

 

 かつて自分の朋友にも、一世一代の天才児の兄を持つ武人がいた。

 弟の方は兄に少なからず引け目を感じていたようだったが、兄の方は武術はからっきしでも少なくとも対外的には弟は弟、己は己と割り切っていたように思える。

 

 だからこそ、言葉でそれを伝えても容易に改まるものでもないことを知っている。

 

「いずれまた、折を見て酒でも酌み交わそう」

「はい、オシュトルさんもどうかお気をつけて」

「柳琳は料理も美味いっす」

「ほう、それは肴にも期待したいところだな」

「もぅっ、いきなり何言ってるの姉さん」

 

 だからそれとない言葉と視線でもって少し気を楽にさせる。

 そうした気遣いを汲んでか、面映げにオシュトルを見返し、それをもって別辞とし、姉妹とその軍は出立していった。

 

「相変わらず、休まることなく慌ただしいですね。この軍は」

 剣里は遠ざかる両軍を見送りながら、忌憚なく感想をこぼした。

 その剣筋同様にその物言いにはキレがある。もっとも彼女に言わせれば、昔は妹分たちが「はわわ」「あわわ」と狼狽えることが常で、それを叱咤するためについきつい言い方になっていってしまったのだそうだ。

 

「まぁ今ではその娘たちは、知識量でも軍略でも私なんか超えてるんですけどねフヘヘへ」

 ……などと薄暗い自嘲とともに。

 

 それについては今言及はせず、オシュトルと剣里は連れ立って歩く。

 しばし陣中を見て回った後、オシュトルはふと思い立って、というよりも彼の中の『ウコン』の好奇心が疼いて衝動的に呟いた。

 

「……宵闇の剣姫」

 

 げしげしげしげし。

 それとなく、あえて半歩遅れて間を作った剣里の、抉るような蹴りが、オシュトルの後肢に間断なく浴びせられる。無表情、かつ無言で脇目も振らず。

 

 乙女の秘事に反応見たさの軽い興味本位で踏み込んだことを深く反省しながらオシュトルは、その連蹴りを甘んじて受け続けるのだった。



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袁紹(一):机上の名人

王手(チェックメイト)

 パチリと小気味良い音を立てて、ビショップの駒が王を指す。

「ありゃ」

 対手の男は頭を掻いて、あらためて盤上を一望した。

 気がつけば、詰みである。

 

「参ったなぁ。これで十連敗じゃないか」

「貴方が教えた遊びじゃありませんか」

 

 眼鏡をかけた少女の指摘は、その目つき同様に鋭い。

 たしかに、このテーブルゲーム……チェスは自分と同じく何処ぞより黄河に流れ着いたものらしく、原型はともかくそれ自体は存在しないもののはずだった。

 だから手慰みにと相手欲しさに少女……真直(まあち)に遊び方を教えたわけだが、あっという間にその技量は超されてしまった。

 

「ルールを知ってると言っても、私のいた時代からすれば骨董品も良いところさ。我々が常に遊んでいたものとはだいぶ勝手が違うんだ。文字通り、『次元が違う』ってね」

 

 などと冗談めかしく見せたが、それが負け惜しみのであることは誰にも、というよりも自分自身でも明白であった

 その後も二戦して二敗。真直はすっかり気を良くして得意満面。元より何かと不遇な扱いを受けることが多い娘である。たとえお遊戯であったとしても、自分の領分を発揮できる場を得て勇躍しているといったところか。

 対して彼は他に娯楽もないこともあって、ますます躍起になって再戦(リターンマッチ)を所望した。

 

「おー、お二人さん。白熱してるところ悪いんだけどさ、陶謙さんがお呼びだって」

 そこに文醜(猪々子)が現れた水が差され、もう一局といかなくなってしまった。

 

 ここは下邳城の貸し与えられた一室。

 青州へと落ち延びた後の袁紹軍は今、陶謙と命を結び、半ば客将としてこの城にて起居していた。

 

 ~~~

 

「今川様が、敗走したとの報が入りました」

 

 謁見の間。そう痛まし気に頭を抱えてみせたのが、陶謙である。

 四十をとうに超えようかと言う枯れた様子の女で、線が細い。

 ひと昔前は侠者として名を馳せたとは到底信じがたい、華奢な女であった。

 髪の深い緑も相まって、どことなく古木を思わせる彼女は、深く嘆息した。

 

 その側に近侍する孫乾が、詳細に言い添えた。

 

「敗走といっても、さしたる被害は出ていないようです。寿春に撤退し、万全の守勢をもって敵を待ち構えています。もし敵がこれを追って城を囲んだところで、十分に耐えうるとのことです。敵の意気が下がったところでこの城より挟撃の軍を出せば」

「これ以上徐州の民草の血を流すことは、できません。誰かの我欲のために無辜の兵が傷つけあう。それはとても悲しいことです」

 

 孫乾の言、おそらくは今川義元の内意を受けての進言を、陶謙は遮った。

 

「今回の敗戦、おそらくは義元様の暴走と専横をお留めできなかった私に責任があるのでしょう。この上は我が身の非力を恥じるのみですが、せめてこれ以上は無用の戦いが起きないよう、広陵(こうりょう)に身を移し敵意がないことを曹公、袁術公に訴えるよりほかありません」

 

 メイドは何かを言いたげに目を眇めた。

 だが、主人の方針に異見を差し挟むことはせずに、直立したまま瞼を下ろした。

 代わり、高笑いでもって応じた者こそ、彼らの雇い主である。

 

 豪奢な鎧、見るも眩き金色の髪。忍ぶことや遠慮というものをまるで知らないことは、この声量の大なること、客将の身分で陶謙と並立していることで初見の者にさえわかる。

 

「ご心配には及ばなくてよ恭祖(きょうそ)さん! 身内の不始末にくるくる娘、この袁本初がこの下邳に在るかぎりギッタンギッタンのケチョンケチョンにして追い返して差し上げますわ!」

 

 袁紹(麗羽)はそう豪語し、手を口元に添えて背を反らし、聞いてる者にとっては頭の痛くなるような甲高さで再び笑い声を轟かせた。

 

「……なぁ、あたいら逆に公孫賛にギッタンギッタンのケチョンケチョンにされたからここにいるんじゃなかったっけ」

「しっ、文ちゃん聞こえるよ……」

 

 まるで古典アニメーションの敵役(かたきやく)のごときその姿は、耳語し合う顔良や文醜、あるいは田豊といった一部の者にとっては庇護欲をかき立てられ、支えてあげねばと奮起するような役割を果たしているのだろう。

 だが、その男にとっては忠誠心や責任感を刺激させられるタイプの人間ではない。

 元よりそういう勤労意欲は低いうえに、長く貴族や権威主義と争ってきた国家の水を飲んで生きてきた人間である。

 態度や言葉に出してこそいないが、麗羽(れいは)の振る舞いを陣中においてもっとも冷ややかに見ていた者こそ、彼であろう。

 もっとも、向こうもそんなことは毛ほどもこちらに期待していないだろうから、その点においては彼は感謝していた。

 

 軍師田豊……すなわち先に盤上で覇を競っていた真直が、咳払いとともに彼の隣より進み出た。

 

「隠棲されるというのであればお留めしません。しかしもしよろしければ、せめて我々に兵とこの城をしばしお貸しいただけないでしょうか。寿春城もこの徐州も、決して悪いようにはいたしません」

 

 眼鏡が理智と謀略への自負に閃く。

 当然難色を示すものと思っていたが、意外にも陶謙の表情は晴れやかであった。

 

「まぁ、力をお貸しいただけるというのですか!」

「当然ですわ! そのためにわたくし達、ここにいるんですもの!」

「素晴らしい。袁紹殿こそ、まさに当世の傑物と呼ぶにふさわしい御方です。喜んで兵も城もお預けいたします」

 

 ――陶謙の巧言に、ふと欺瞞めいた臭いを感じ取った。

 男の脳裏をかすめたのは、過去の残滓。ある一人の政治家の、役者のような顔立ちと薄っぺらな作り笑顔。

 同じ勢力に属しながらも、自分が不倶戴天の敵としてもっとも嫌悪した相手。

 

 あくまで感覚的なものだが、この女からは同等のベクトルの臭気がただよって、鼻先をかすめる気さえした。

 田豊は上手く丸め込んで拠って立つ地を得たものと手ごたえを感じているようだったが、傍目から見ていると()()()()()()()()()()()()()()()()()といった塩梅であった。

 

「どうかなさいましたか?」

 左隣にあって執事然とした立ち振る舞いで様子を窺ってくるのは、沮授(そじゅ)である。

 

「……いや、なんでもないよ。ついデジャヴを感じてね」

 しかしいちいち言うほどでもなく、言う義理もない。

 彼は頭を掻いて懸念を黙殺した。

 

 ~~~

 

「田豊殿」

 いっそあっけないほど指揮権の引き継ぎも終わり、陶謙が退去して後、使()()()()()()()()天の御遣いが声をかけてきた。珍しいことだが、夫婦で落ちて来た一組である。

 

「右も左も分からず放り出されて途方に暮れていた我らを保護していただいたこと、感謝にたえない。だが、非礼を承知でおたずねしたい」

「……何でしょうか」

「この地は、いつ陶謙殿にお返しになられる?」

 

 至極当然の質問だった。

 正義感の強い実直な、いや愚直に過ぎるほどの性格とはここまでの付き合いで理解できていたので、糾弾されるのは覚悟していた。むしろ身構えていたより穏やかな口調であったとさえ思える。

 

「陶謙殿は我らの後ろ盾、今後も南の抑えとなっていただけかなければなりません。この徐州を狙う賊徒どもを跳ね除け、しかる後に返す刀で旧領を奪還する。幸いにして曹操は袁術の増援には本腰を入れず、このまま河北を攻める様子。こちらの攻めも緩くなりますし、逆に公孫賛と争いでに我々の国を奪還する隙も生まれましょう。これにおいて青州、徐州、冀州に確固たる地盤を築いて諸勢力と対抗することが……」

 

 だが、それでも端正な顔立ちふたつにずいと凄まれれば、それ相応の迫力も生まれる。

 整然とした論をもって説得しているはずなのに、そのたびに額には汗が生まれては流れ落ちる。

 

「では、遅くとも捲土重来、南皮を取り戻した後にあらためて陶謙殿にお委ねすると?」

「えぇ、そのつもりです」

「相違ありませんか」

「……そうだと、思います」

「……」

「…………返すんじゃないかしら」

「……あの」

「まぁ、ちょっとは覚悟しておいてください」

「つまり、先の見通しは立たないと」

 

 真直はそれ以上の言葉もなくうつむいた。ふがいないことだがそれが答えだった。

 もちろん、彼女としては虚妄なくそうするつもりだ。単純に道義の面ばかりでなく今後の戦略面、外交面から言ってもそうせねばならないのだ。

 

 だが、袁紹という人は、形式主義でありながら、ある意味においては奇想の人である。身も蓋もない言い方をすれば、突拍子もない考えに至る主君である。

 

 徐州の統治権があくまで預けられたことを本気で忘れるか、でなければ完全に譲られたと本人の頭の中に刻まれてしまっている可能性が高い。

 それこそ冀州を取った時がそうであった。彼女との認識の齟齬が生じた結果、前任者は謀殺を恐れるあまり厠で自殺してしまった。

 

「キュアン」

 

 夫の名とともに、エスリン夫人が袖を引いて、それ以上の追及を諌める。

 いっそ哀れなほどに窮した様子の真直を見兼ねてのことだろうが、言いたいことを言わせ切ったあたり、根本的には彼と同意見らしい。

 彼……キュアンは吐息とともに身を引いた。

 

「私もかつては一国を背負って立った人間です。袁紹殿にも田豊殿にもお立場や言い分や大義正義があることは十分承知しています。ですが、我らは戦場において無防備な背を撃つことを良しとはしません。田豊殿にはそのことをご承知おき下さい」

(え、何それ? 場合によっては出奔!? いや最悪戦場で謀反ってこと!?)

 

 ただでさえかつての威勢は何処へやら。とかく人材、兵力が不足しがちの袁紹軍である。

 そこに来てキュアンの武勇と騎兵と、エスリンの奇妙な治癒能力が抜けるともなれば、全体の崩壊さえ招きかねない。

 

 いや、騎兵が脱けるだけならまだマシとも言える方だ。

 それが旗幟を翻して横槍を付けてくるともなれば……

 

(どうしよう? 戦線から彼らを外す? いやいや、袁術も曹操もそんな生中な陣容で勝てる相手じゃないわよ!? そもそも背後に回してもそのまま裏切って突かれたら……)

「あの、真直さん? 貴女が即答できない立場なのは分かってるから、今の段階でそこまで気を張り詰めなくても」

(ああああああ! じゃあどうすれば良いのよ〜!?)

 

 エスリンの遠慮ももはや耳に届かず、キュアンの言葉をありもしない裏まで深読みして胃と頭を痛める。

 

「真直くん。もう彼ら、行ったよ」

 膨らませた糖蜜菓子のような髪をぐしゃぐしゃと潰して塞ぎ込む真直の意識を引き上げたのは、沮授であった。

 どこか男性的な所作とともに、真直の細腕を引き上げて立て直させる。

 

「話聞いてたけど、キュアンさん達は義理堅い人だからね。君が考えるようなことにはならないんじゃないかな」

「どうしてそんなことが言えるのよ?」

「ほら、わたしだって韓馥(かんふく)さんの元参謀だけど袁紹殿に仕えてるじゃない。あの方はあの方なりに魅力と器量を持っているから、それに砂をかけることはしたくない。わたしも、キュアンさんもね」

 

 さらに頭痛がひどくなりそうなことを言う。そう、この副軍師の旧主は自分たちが自殺に追い込んだ男なのだ。ともすれば報仇に奔って、キュアンたちよりも獅子心中の虫となってもおかしくない立場ではないか。

 

「ほら、またそういう顔をする」

 沮授はそう言って眉根寄せた。

 

「他の御遣いたちも含めて話し合うことだ。それぞれの適正を見抜き、適所に配する。それもまた軍師の務めだろう? ちゃんと相手を見ないからそういう過大で漠然とした不安を膨らませるんだ」

「他のって……駄目よ。語ったところであのキュアン殿が一番まともじゃないの。教経(のりつね)殿は自分と自分の一門とやらへの自信が強すぎて言うこと聞かないし、もうひとりはなんのために呼ばれたのかさえ分からないじゃない」

「『彼』とは親しいと思ってたけど。さっきのとか、飲んで愚痴とか聞いてもらってるんだろう」

「そりゃあまぁ……嫌いではないけれども」

 

 その辺りの感情については、真直は濁した。

 

「でもいかんせん使い物にならなさ過ぎよ。武勇はからっきし。乗馬どころか自分の世話さえ満足に出来やしない。その上棋戦も下手。三十そこそこで伸びしろもないし、やることと言えば本読むか寝てるか酒飲んでるかだし。何が出来るのか、逆にこっちが聞きたいところでしょう?」

「だから面談でそこを突き詰めていくのも君の仕事だろう? わたしは、彼はまだ何か隠していると思うけれども」

「根拠は?」

「なんとなくさ。あの何事にも揺るがない泰然とした言動は、大物感あるよね」

「……『なんとなく』でただでさえ貴重な兵力や資材を任せられないわ」

 

 言う方はいつだって楽だ。

 そう言う思いで睨み返す真直に、沮授は笑って退散した。

 残されたのは彼女と、解決しえないままの彼女の苦悩のみである。

 

「ううう……お腹がぁー」

 内より鳥に啄まれるがごとき断続的な胃痛に、彼女は苦悶する。

 

 〜〜〜

 

 後になって、沮授、真名を(いぇん)はある時弟に述懐する。

 もし彼女が彼を試したのが棋戦(チェス)ではなかったのなら。

 もしそれが実戦形式、たとえば模擬戦の類であったのなら。

 

 真直に彼、そして袁紹軍全ての将校それぞれの歩む運命は、また違った顔を見せていたのではないだろうか、と。

 

 

 

 魂と肉体は再び異なる現世へ。

 されど魔術師の才腕は、未だ宇宙の闇より還ってはいなかった。



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陶謙(四):血の刻銘

 広陵へ向かう道中、陶謙は馬車より馬に直接乗りたいと言い出した。

 周囲はその容体を慮って引き留めたが、ついに折れることがなかった。

 

「もしお体に、あるいは周囲の状況に異変があれば、すぐにお伝えください、徐州公。私が背負ってでも、広陵へとお連れします」

 

 そう頼もし気に言った女騎士ラヴィニスに透き通るような笑みとともに礼を述べた。

 だがそんな心配も杞憂に終わり、毅然と背を反らし、綱を手に取り股で鞍を引きしめている。

 

 その様子を見遣りながら、轡を取る美花は問うた。

 

「そろそろ、本心を打ち明けていただけませんか」

「まぁ、本心など大層な……わたしはただ、外の空気を吸いたかっただけですわ」

「周囲の者は下がらせました。外部に漏れ聞こえる心配もありません。ラヴィニス様も、前方にて敵襲の警戒に当たっています」

「…………」

「何故、寿春への援助を打ち切り、そして本初様に本拠をお譲りになられました?」

 

 くすり、と小さな笑い声が、美花の頭上で起こった。

 

「勘」

 とだけ、まず短く答えた。

 だがその声は、涙ながらに袁紹に感謝を伝えた時とはまるで違った。

 寒々として、乾いて枯れている。

 

 怪訝な表情を隠さぬ腹心に、徐州刺史陶謙は唇を歪めてみせた。

 

「侠者ってのは勘を失くしたら仕舞いさ。英布(えいふ)彭越(ほうえつ)。大侠として名を馳せようとも、なまじ顕職を得てそいつを鈍らせたから奴らは滅んだ」

 

 漢の功臣にして反逆者たちの名を挙げながらそう言って、低く笑う。

 それは死体を啄むカラスの鳴声にも似ている。

 

「……つまり、袁曹連合軍には二の矢が存在すると?」

「だから、勘さね。細かいことはわかりゃあしないよ」

 

 たおやかな貴婦人から一転、伝法な口調とともにサラリと切り捨てる女に、美花は眉のあたりをますます歪めた。

 

「その勘に従うとして、ますます合点がいきません。であれば寿春や本初様になおさら警戒を促し連携を密とすべきであり、何より下邳の民を避難させるべきではありませんか」

 

 むろん、義元の戦略的、経済的構想があるのは理解している。

 だがそれは民草の命や幸福あってのものだ。もし彼がこの場に戻っていたとしても、自分と同じ判断を下したというのが美花の見立てであった。

 

 主君は少しだけ笑顔を退かせた。

 馬上、しばし瞑目している。そのまま死んでしまったのではないかとさえ思えるほどに、その横顔は透き通って儚げだ。

 ――今更、残された命を惜しみ、民を投げ出して己ひとりが逃げるような狭量な人物ではないはずだった。

 

「憶えてるか?」

 ふいにその陶謙が問うた。

 

「先に、曹家のご隠居が領内を通過したことがあったろう」

「えぇ、先に私たちに帰順した賊が彼の一行を襲わんという企てで、義元様が知らせてくれなければ、阻止できていなければ、あの方の知る歴史のとおり曹操様の怒りで徐州はあの時点で血の海と焦土と化していたことでしょう」

 

 一体それがどうしたというのか。軽く戸惑いながらも美花は淀みなく事実と起こり得たかもしれない予測を口にする。

 それを聞いて「あぁ」と陶謙は蒼天を仰ぐ。睨む。歯ぎしりとともに、白日を射る様にその眦を引き絞る。

 

 

 

「なんとまぁ、余計なことを報せてくれたものだと思ったよ」

 

 

 

 風がすさぶ。

 街道筋、道中の柳が揺れる。

 終始余裕をもって侍る美花は、らしくもなく完全に瞳孔を開かせていた。

 

 そんな彼女を見て、陶謙は歪に笑みを作っていた。

 まるで邪教の神像をさえ想わせる、憎悪と歓喜の二面が内包された表情。

 

「あれはな、死んだ張闓(ちょうがい)にあたしが吹き込んだのさ。もちろん名は伏せたがね、『かくかくしかじかと貴人が通るから、殺して身ぐるみ剥いじまえ』ってな」

「何故、そんなことを」

「おや、お前は薄々感づいてたんじゃないか、美花」

 

 声が凍り付く。

 もしやという思いはあった。そんな凶賊を跋扈させるほど、周囲が侮るほどには陶謙は無能ではなかったからだ。それを計画すること自体の意味が分からない。たしかに苑州とは緊張した関係ではあったが、それ近隣勢力であるがゆえある程度は避けられないことである。が、そんな戦略性もない謀略に出るほどに憎悪に凝り固まった仲ではなかったはずだった。

 名を伏せたとて、先に言った通り、ともすれば、責任を追及され、沛さえ巻き込んだ大虐殺が起こり得たではないか。

 

「いつぞや、朝廷でか打ち合わせだったか、初めて会った時から、あの曹操ってのが嫌いだったのさ」

 事もなげに、陶謙は言った。

 

「威風堂々とした振る舞い。優秀な一門、中原に近い確たる土壌。何よりその才気。奴には当たり前のようにしてすでに天下の牛耳を獲るだけのモンがすべて備わっていた。そいつが徐州の賊にさえ手間取るような年増女を、さも地に転がる芋虫のように蔑んだ目をしていたのを今でも覚えてるさ」

 

 つまりは逆恨みも良いところではないか。

 そう言いたかったが美花は言葉を隠す。

 極力表情を押し殺したつもりだったが、意図は汲まれたらしい。フンと陶謙は鼻を鳴らした。

 

「慌てて結論を出しなさんな。お前が今考えてるような単純なハナシだったら、最初の問いと繋がらないじゃないのさ」

「……では、何をお考えなのです」

 

 肩を揺すった。声を忍ばせ笑ったのか。咽こんだのか。

 

「たしかに意味の無い行いだ。互いに損しかなく、曹孟徳の私怨によって民草は家を焼かれその骸が河を埋め立てるだろう。……だから、良かったんじゃないか! 陶恭祖の名のもとに、徐州虐殺という繕いようもない汚点が曹操の生涯に刻まれたはずだった!」

 

 カラスのような声調をもって女は馬上、狂い笑う。その情動で咽こむ。

 だが一方でその眼差しは、自身を護衛する天の御遣いの背を睨んでいた。

 

「だが今こうして機会は戻ってきた! あぁあぁ快なること哉! 名門袁家、天の寵児曹操、そして御遣いと呼ばれる異界の英雄ども! 虐殺でもするがいい! 奪いたければ奪うがいい! 徐州で好きなだけ殺し合うが良い! 連中が後生大事にしてきた信念! 正義! 家臣領民! すべてを血で汚すが良い! そして義元ォ! せっかく築き上げてきた楽土が崩壊する様を寿春で指をくわえてみていなっ!」

 

 口端を切って流れたものか、あるいは肺から突き出たものか。

 吐血しながら、呪いながら、老いた侠者は、深く昏い自嘲を見せた。

 

「どうせあたしは死ぬ……何事も為せず、何者にも成れず。だったら汚名でも良い、被害者側だろうが加害者側だろうが構うもんか。奴らの絢爛豪華な絵巻物を、陶謙の血文字で汚してやる……ッ」

 

 在りもしない何者かに挑むように、地平の果てを遠望しつつ、陶謙は声だけで美花に問うた。

 

「……お前はどうする?」

 美花は自覚せぬ内に、衣の内に秘した短刀に伸ばしていた指を引かせた。

 

「いえ、元より陶謙様に拾われたこの身この命、いかな理非曲直あろうとも最期の一時まで使い果たす所存です」

 感情の乗らぬ声で宣誓した。

 

 どことなくもの惜しげな横顔を見ながら、内心で嘆息する。

 生かしてはおけぬ類の下衆。

 だが往年の彼女に、自分は救われた。精神はともかく、肉体は。

 

 何よりすでに、人として死した者を、どうして殺めることができようか。

 

(やはり、夢物語なのでしょうか)

 荒み切ったこの半生、諦め切れない子どもじみた理想。

 誰もが傷つけ合わずに済む、笑顔で暮らせる楽園のごとき世界は。

 たとえ叶わずとも、擦り切れることなくその夢のために邁進できる、日輪のごとき英主に仕えることは。

 

(義元様)

 南へ向け、その理想に近しき月光の申し子の名を呼ぶ。

 

 自分の中の少女が、未だあの闇の路地に沈んでいることを、美花は改めて自覚した。



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袁紹(ニ):狼牙の戦端(★)

「さぁっ、進発しますわよ!」

 

 既にしてさながら大勝の後の凱旋のごとく、意気揚々と袁紹は軍を南下させた。その陣容の大半が寄親寄子制度によって編成された陶謙軍であることに目を瞑れば、まさしく王者の進軍と言って良い威勢であっただろう。

 

 先陣には袁紹軍の定法に従い顔良文醜の二枚看板。そのキュアン、エスリン最新鋭の武将が続く。

 中軍を固めるのは田豊。自身の方策に珍しく聞き耳を持ってもらえたことに鼻を高くし、胸躍らせての進軍であった。

 後尾に袁紹の本陣。その脇を固めるのは李通と沮授。

 さらには海上より天の御遣い、平教経が黄河に慣らした水軍が続き、これが別働隊として水上より寿春包囲軍を撃つ構えだ。

 

 まさに正と奇を織り交ぜた新たな軍勢の初陣である。初陣とは思えぬ堂々たる進軍である。

 

 ……のはずだったのだが。

 袁陶連合軍『盟主』袁本初こと麗羽はどこか不服そうである。

 

 その原因となっているのは、自分より後ろで寝ながらに牽引されている男であろう。

 帽子で顔を覆い、さながら春秋戦国の王師のごとく、御者に馬車を引かせてその上に寝そべっている。

 

 麗羽自身は貴族である以上に己が武人であるという自負も無くしておらず、白馬にまたがっている。

 それが彼女には不服であるらしい。公平不公平だとか、無駄な人員を遣わせているくせに役立たずという以上に、向こうの方が目立つからだというのが主な理由で。

 

「ちょっと! なんとかなりませんこと、あれ?」

 最初は無視を決め込んでいたらしいが、ついにそれほど強くもない忍耐に限界が来たらしい。

 中軍の真直を呼びつけて言った。

 何事も諮れる腹心、と表現すれば聞こえは良いが、有体に言ってしまえば無理難題を押し付けられているだけだ。そのくせ、彼女の策を採り上げることは稀で、もし取り上げてもその後の気分次第であっさりと撤回させられる。

 

「いや、そう言われましても……仕方ないじゃありませんか。あの人馬に乗れないし」

「だったら恭祖さんの人質代わりにでも城に置いておけば良かったでしょう!」

「……そう思わないでもないですが、今更引き返すこともできないじゃないですか」

 

(だったら置き去りにでもしてくれればいいだろう)

 やや捨て鉢気味に、彼は思った。軽く帽子を持ち上げ視界を開けると、彼の時代では考えられない、みずみずしい緑の木々や、通り過ぎていく山々が見える。

 そして彼女たちの雑言は、潜めているつもりかもしれないが、しっかりと耳に届いていた。

 

 彼は自分の置かれた状況を捨て犬と重ね合わせた。

 拾ってくれと頼んだ覚えがないから感謝を伝えて忠義を尽くす義理はないが、かと言って今の環境を自分から捨て去る気にもなれない。

 

 そして彼が想ったとおりに捨てられれば、現代的な生活においてでさえその能力に欠ける彼としては、路頭に迷って賊にでも襲われて殺されるのが関の山と言ったところだろう。

 これはもはや予想なのではなかった。絶対的な自信とさえ呼べるものだ。

 

 とはいえ、自分を巡って問題を吹っ掛けられている真直の境遇には、上官に恵まれなかった経験も踏まえて同情を禁じ得ない。

 だが容易に辞表を提出することもできないというのが、封建社会の難しさであろう。

 

 そんな雑事で召喚された彼女は、やはり迷惑そうに眉間にシワを寄せていた。胃痛も併発したらしく、しきりにヘソの上を摩ってさえいる。

 

 助け舟を出したのは、沮授こと円である。

 

「かつて孟嘗君(もうしょくん)は、世においては無用者、悪党と謗られた者らさえ客として囲っていました。しかし彼らはそれがために忠義を尽くし、それぞれの一芸をもって主人の窮地を救いました。彼にもきっとこの厚遇を感謝し、尽くすべき何物かの才がありましょう」

 

 その名は歴史家を志した身として、男も聞いたことがある。太古の、ここでは二、三百年ほど前、アジア圏における賢人のひとりだ。そして例として挙げられたのは鶏鳴狗盗の一事であろう。

 

 もっとも、彼には()()()()()()()()()()()()才能はないし、よしんば持ち得ていたとしても袁紹に用いられる義理もない。

 

 とはいえ、古の聖賢になぞらえられた麗羽は虚栄心を大いに刺激されて機嫌を改められたようだ。

 

「えぇそうですわね! 気の利いたことをおっしゃいますわね。たとえ非才の下男でも、飼っていればまぁそのうち矢の的になる程度の働きをするかもしれないでしょう! オーホホホ!」

 

 などと高笑い。高揚のままに馬を速めていった。

 その背を見送り、顔を見合わせながら軍師たちはため息をついた。

 こちらの視線に気づかれ、ばつが悪そうに頭をかいて男は状態を持ち上げた。

 その緩慢な動作に、ますます真直の呆れの色が強くなる。

 

「あなたのせいで、とんだ苦労をかけさせられます」

「いやぁ、どうも悪いね」

 

 我ながら誠意に欠ける調子で、男は頭を下げた。

 円は苦笑を彼と、そして同僚へと向けていた。

 

「でも真直くんだって、もう少し言い方ってものを考えなきゃ。あんな言い方ばかりしてるから、殿の反発を生む。良薬口に苦しといっても、糖衣で包まなければ彼女は飲まないよ」

「それでも誰かが正論を言わなければならないでしょう? そしてそれを言えるのは斗詩(とし)以外には私しかいないのよ。本当は円、貴女にも」

「わかったわかった。で、軍師殿。狙いは烏江(うこう)?」

 

 愚痴の方向に傾きつつあるところを円はごく自然体でいなし、話題を変えていく。

 自分でも本道を見失いつつあったことに気が付いたのだろう。真直もまた、表情を引き戻して言った。

 

「えぇ。水陸両面より曹操軍と袁術軍の攻囲を破る。陶謙様が広陵に退いたのも、彼らにとっては油断を誘う要因となっているはず。その隙を突き、一気に破る」

 

(……一気に、ね)

 ふたたび寝そべりながら、男は表情を帽子で隠す。

 陣容に隙はない。陶謙軍の順応性、汎用性の高さと何より彼女たちの軍事的処理能力が非凡なものであるがゆえに、この混成軍は上手いこと調和がとれている。

 

 ――だが、遅すぎる。

 

 斥候によれば南方の敵はこちらに警戒するそぶりさえ見せずに背を晒しているという。

 この行軍の遅さ。頻発させている偵騎。それでもこの無防備さというのは、楽観視できるものではあるまい。

 

(たしかに曹操軍の戦略的目標は河北と見てまず間違いない)

 帽子の中で彼は、職業病と自嘲しながらも思考を続けていく。

(だが()()()目標は、そうとは決して限らないだろう)

 

 ~~~

 

 中軍に戻った真直は、あらためて手ごたえを感じていた。

 特に陶謙軍の扱いやすさといったらない。動員の速さもさることながら、兵も

 豪族たちから供出された兵が、それぞれに自前の武器を用意できていることからも、飛躍的に向上した陶謙軍の経済能力の高さが覗えた。

 それを為したのは、寿春を堅守する御遣いだという。あくまで別勢力であるとは承知しているが、是非とも共に語らいたいものだ。

 

(御遣い、御遣いか)

 

 ふと思い浮かべたのは、キュアン夫妻でも水軍を指揮する教経でもなく、あの怠け者。

 頼りになる猛者たちではなく、彼だったのはきっともっとも心配だったからだろう。

 いちいち気を回してしまいがちな自身を顧みて、真直はふぅと雲に息をつく。

 その心配性も、円の忠告どおりにちゃんと語らえば多少はマシになるのだろうか。

 

 懐に収めたままだったチェスの駒を思い出して指でつまみあげる。また一勝を飾ろうかと、ふとらしくもない柔らかい笑みがこぼれた。

 

「申し上げます!」

 だが、その一瞬の歓楽も裂くような報告とともに霧散した。

 

「我が方の水軍、夏候惇軍と張勲軍の先触れと交戦を開始! 合わせてその右側面を敵の水軍が回り込みつつあります」

「なんですって?」

 

 さすがに烏江までは目と鼻の先である。気づかれて迎撃が出るのもある程度は想定済みだ。

 だがそれにしても早すぎる。わずかにではあるが、教経は功を誇って突出しがちだった。その微妙な距離感が敵に隙を与えてしまったのだろう。

 

 だが、不意を打たれてもいつものような動揺はない。敵味方の成り行きが、すでにみずからの内に収まっていると真直は確信していた。

 

「慌てるな。顔良文醜キュアン前三軍の速度を上げさせ、援護させよ。教経殿は譴責せず後退させ、夏候惇の猪を我らの間に逆に誘い込めと伝えるように」

 事務的な口調とともに指図を飛ばしつつ、次の展開に頭脳を巡らせる。

 

 水軍。敵にも水軍。袁術軍に船戦の達者がいるとはついぞ聞いたためしがない。

(もしや向こうにもまた御遣いが……)

 動揺しかけた己を叱咤し、落着きを取り戻す。この戦運びは、いくつか想定していた流れの一筋でしかない。知らぬものはこの戦でその性質を知れば良いのだ。

 敵であろうと、味方であろうと。

 

「も、申し上げますッ! 敵襲、敵にございます!」

「それはすでに聞いた! すでに前軍を向かわせたゆえ、教経殿には再三」

「ち、違います! 西から新手が……」

 

 息を荒げた兵士の声が途切れる。姿が絶える。

 代わりに彼女の眼前に現れたのは、白い狼のごとき影と、紅蓮の騎兵衆であった。

 

 ~~~

 

 鎧袖一触、とはまさにこの一瞬のごとく。

 息を吐く間さえ与えず袁紹の中軍を穿ち抜いたのは、耶率休哥の部隊であった。

 彼らは盧江に幸村たちが発つのと同時に並行するかのごとく、別動隊として動き始めていた。

 彼に権能を与えた幸村がその裁量をもって与えた命は、ただ一語。

 

「好きにせよ」

 とのこと。

 

 ゆえに、好きにした。

 汝南を突破し、小沛を通過し、同様の目的と性質を持っていた曹操軍の別動隊と合流して敵の長蛇の列を急襲した。

 赤騎兵は、だいぶ己がものになっていた。自分の理想にはまだ遠いが、それでも過去のそれと近い動きは出来る。

 

「北と南、どちらを狙いますか?」

 隊の副長が問う。

「南。旗」

 短く答える。命じる。これがこの部隊の常であった。

 隠密行動から示威行動へ。『休』の旗が立ち上り、敵に我の存在を標榜する。

 北の本隊は分枝した曹操軍の夏侯淵へ譲ってやり、自身らは勇猛果敢なる敵先鋒へと挑みかかる。

 

 馬蹄を響かせる中、ふと想いを馳せる。

 中原を思う様駈けるような戦をする。歪ながらも半ばながらも夢を果たせた。

 女が智と武と受け持つというのにはいささか面食らったが、それが摂理というのなら従おう。

 戦場に立つ以上、男であれ女であれ容赦はしないし、すぐれた兵士軍人は敵味方の別なく尊重しよう。

 

 ――だが、それでもやはり。

 

「あまり、味の良いものではないな」

 耶率休哥は、血に濡れた刃を袍でそっと拭った。

 

 ~~~

 

(ううう……)

 いまだ収まらぬ戦塵の中で、真直は眼鏡を拾い直して起き上がった。

 あの赤い獣と白い狼の群れは、彼女が視認さえできずに別の戦場に向かった。

 

(また、お腹が痛くなってきたわ)

 

 だが、敵の奇襲があれで終わりというわけがあるまい。

 おそらくはその魔手は前と後、両軍に伸びているであろう。敵の狙いも、おおよそは察しがつく。

 今となってはあとの祭りだが、読み違えたのは自分だ。

 すぐに善後策を講じなくてはならない。軍師として、その義務がある。

 

(こうしちゃいられない……麗羽さまに、伝えなくちゃ)

 すでに味方は彼女のそばになく、使っていた馬も潰された。

 しかたなく徒歩で向かおうとした。

 だが、ふと砂塵を孕んだ風にあおられて、ぐらりと身体が揺らぐ。

 

 倒れた。身体の内から、今まで聞いたことのないような音が聞こえた。

 痛みにより手で押さえていた腹から、血が滲み始めてぼろぼろになった服地を濡らしていく。

 

 

 

 おかしい。

 立て、ない。

 

 

 

 手足から瞬く間に力と体温が抜けていくのが分かる。

 血のめぐりが衰えはじめ、やがて軍師としてもっとも大事な頭の巡りも悪くなっていく。

 眼鏡をかけ直したはずだ。なのに意識と視界を覆う霧が、時とともに濃くなっていくのはどういうわけだろう。

 そしてそれに抗う意志力さえ残されておらず、ただ自分の肉体が終わりに近づきつつある感覚だけを残して削ぎ取られていく。

 

 転げた拍子にこぼれ落ちた駒。『王』を具象したというそれに、訳もわからず、ほぼ無我夢中で手を伸ばす。

 だがそれさえも叶わずに、掌は砂地にぼとりと落下した。

 

 

 

「ごめん、なさい……みんな。ごめんなさい、麗羽……さま」

 

 

 

 常日頃直言をくり返していた忠臣が、最期に紡ぎ出したもの。

 それは策でも諫言でもなく、ただおのが詰めの甘さを悔いる、謝罪の言葉だった。

 

 そして田元皓(げんこう)が胃を痛めたり、主人たちの奔放さに苦悩させられることはなくなった。

 ―――もう、二度と。

 

 

 

【田豊/真直/恋姫……戦死】



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袁術(三):王城一の強弓、洛西一の奇才、そして盲夏侯(前)

※あとがきに原作に対して不適切な発言があったので訂正しました。
ご不快な思いをさせ、大変申し訳ありませんでした。


 田豊討死。

 その報にまず触れたのは実は後背に控えた袁紹本隊ではなく、敵方の袁術軍であった。

 

「あっちゃー、田豊さん死んじゃいましたかー」

 迎撃軍の名目上の大将たる七乃は、あっけらかんとした調子で敵軍師の死を嘆いてみせた。

 その様子にむしろ周囲の味方の報が呆れていた様子であった。

 

 

 

 ――莫迦な(ひと)

 

 

 

 七乃は胸中で呟いた。

 その声は自分でも驚くほどに低く、冷たかった。

 

 彼女には田豊が死んでいったさまが見て取れるようにわかった。

 いや、真実は微妙に違うのかもしれないが、少なくとも彼女の内では定まっていた。

 

 世評曰く、田元皓は性剛情にして上に逆らう。

 きっと、自儘な主人に振り回されつつ、正論を振りかざして直言しつつ採り上げられたり採られなかったりして胃を痛め、そしてその主人がために、最期まで大真面目に指揮を執り、そして忠義に殉じたのだろう。

 

 まったく、つまらない最期ではないか。

 

 主人の放蕩は諌止するものではなくともに興じるもの。

 振り回されるのではなくむしろその上を行く悪辣さをもって主君さえも利用するもの。

 仕える者が道化ならば自身も道化に成り果てること。

 意味なく死ぬより最後まで側に在り続けるもの。

 

 そんな自分のような器用な生き方が出来ないから、そういう報われることのない、誉れもない死を迎えるのだ。

 

 あるいはそれは、同じ腹心にありながら真逆の生き方をする七乃なりに抱いた、憐れみ、であったのかもしれない。

 

「――さぁさぁ、この調子でどんどん袁紹さんをすり潰していきますよーっ!」

 

 そんな感傷などはおくびにも出さず、そう指揮()()()()()をする。

 軍事的才能などないことなど、彼女自身が一番知っている。

 戦などという生臭く面倒臭いものは、それを好むような者どもにやらせれば良いのだ。

 

 そうたとえば、と目を海面へと遣る。

 沖合では、袁術軍の水軍が優勢を誇っている。

 ――そうたとえば、悪童狂児のごとき、天の御遣いなどに。

 

 ~~~

 

「我は平教経っ! 我こそはと思わん者はかかって参れ!」

 

 海原を縫うようなその大音声が、男の耳朶を震わせる。士魂を震わせる。

 その名乗りが騙りではないことは、船頭にあって二股の大得物を握り、かついささかも揺れることがないその佇まいで分かる。

 

 源平武者。能登守教経。

 知盛と並んで堕落し、没落する平家を支えた猛将。だが武勇一辺倒というわけではないことは平家物語を紐解けば瞭然であろう。

 咄嗟の機転が利き、速攻により勝利をもぎ取り敗北は無し。

 時流潮流こそ味方しなかったが、かの義経公に勝るとも劣らぬ戦術眼の持ち主であろう。

 

 この度の猪突は、むしろ遅れを生じさせた陸軍に非がある。

 もし彼の動きについていけたならば、緒戦は向こう側が優勢に進んでいたことだろう。

 

 世を超え、時を超え生死を超えて巡り合った西国の英霊に、琵琶の一曲でも手向けたいところだが、あいにく持ち合わせは生前より愛用していた月琴のみ。

 

 代わりにそれをベンと鳴らし、艦を進ませた。

 対する袁紹軍、否平家水軍は、橋と鉄鎖で船と船と繋ぎ、一個の巨船、もしくは浮遊する要塞化させている。そして兵員の移動を容易にさせるとともに、船体を安定。優れたる弓手を選り抜き、精妙無比な矢雨を浴びせかけてくる。

 何より恐るべきはその威圧感であろう。

 戦理がこちらにあろうとも、あれが推し進むたびに味方の兵は及び腰になってしまう。

 

 それでも卓越した操船技術を必要とするはずだが、その問題も難なく解決している。なるほど青州へ追い落として以降公孫賛の攻めが鈍ったのも頷ける。

 兵糧不足や疲弊もあろうが、なによりも洋上に展開したこの船団があった故であろう。

 

「じゃあ、こういうのはどうだい」

 

 ベン。月琴が鳴る。それを合図に小型船隊が散開、重厚なる敵に左右に分かれて挑みかかる。

 だがそれは客観的に見れば大熊に飛びかかる猟犬のようなものだ。挟み込まれるように射られてもその倍は矢が返ってくる。

 

 だがそれで良い。

 これで決着がつくとは端から思っていない。この部隊の目的は陽動と誘引にある。

 すなわち、こちらの有効射程内への。

 

「霹靂砲、用意」

「撃てぇ!」

 

 そして時至る。

 こちらの船団を分散したままに粉砕せんとした敵艦隊の前に、軍勢の奥に秘していた本船。そしてそれに搭載した兵器が姿を晒す。

 

 艦砲ならぬ、投石器。介添えとなった満寵、李典の合作である。

 少しでも実物に近づけんと積んだ火球が、彼女たちの指導のもとに放物線を描いて敵の船団の端を掠めた。

 だが、一投にしてその効果は大なり。

 端の軍船が焼けて落ちる。

 

「小早による翻弄と大安宅による一撃粉砕。さながら木津川口の毛利方(ご先祖サマ)と信長公の良いとこ取りってところよ。あぁー、これで小さい方にも積めたらなぁ」

「無茶いいな!」

 

 愚痴めいた独語を耳聡く拾った曹操側の李典が食ってかかった。

 

「この船に一基乗り入れてモノにするまでにエライ苦労したんやで! 伯寧の助けがあってそれが出来たんや。良ぇか!? 技術っちゅうんは、デカく一品物作るよりも量産、簡便化、小型化こそが最大の課題で」

「あぁ分かった分かった」

 

 すでに幾度となく要望として零したことで、そのたびに似たような注意を受けていた。それでも懲りずに言うのは未練。満寵こと海防も目でそう叱っている。

 

(果たしてこれで終わるかどうか)

 狐にも似た切れ長の目をさらに眇め、男は水平線を見守った。

 だが、もうもうと上がる煙の中で敵の本艦は潰せていない。

 

「続投! 第二射用意!」

「放てっ!」

 

 両将の号令一下、再び火球が投じられる。

 だが、一部は確かに焼けるものの、大打撃というわけにもいかない。

 袁紹軍の船員たちは散々に訓練を重ねたのだろう。

 慣れた手つきで消火、船を切り離して延焼を防ぎ、損害の分を補わんとさらに苛烈に攻め立ててくる。

 

「くそっ、やけに燃え移りが悪いなぁ」

「鉄張り、ってなわけじゃあ流石にねぇな」

 

 濡れた海草やらを船体に張って火矢を防ぐ。

 室町後期あたりまで、鉄砲が出る前時代における海賊衆の対策法である。

 

「やるねぇ、さすがに王城一の強弓だ」

「強弓……?」

「敵将、平教経の異名さ。俺よりはるか前の人だが、都において、そして平氏一門において並ぶ者のない弓取りだったと伝えられている」

 

 嬉しくなってくる。

 たとえ異なる世で敵味方に分かれていようと、大和魂を、その偉才を惜しみなく発揮して異郷異能の者たちと渡り合う武士の姿に。

 となればこちらも敬意と全力をもって、相応の覚悟で臨まざるを得まい。

 

「ほう、それは聞き捨てならんな」

 そう言って黒髪を磯風になびかせ、軍靴を鳴らし、最前面に女が進み出た。

 

「て……春……元譲様!?」

 その女、夏候惇の登場に部下である李典が驚いた。

 

「あれ、聞いてなかったのか。乗せてくれってんで乗せたんだよ」

「いやいやいやいや、なにしとるんですこんなとこで!? 陸の方の指揮は!?」

「ふん、張勲ごときの差配に従えるか。新しく来たあの華奢な男……(かげ)なんとかに任せてきた!」

 

 たはー、と李典が声を漏らして額に手を遣る。言い出したら聞くまいのを、おそらくは多分にこの副将は知っているのだろう。

 

「平氏だか兵士だか知らんが、たしかにやるようだ。私がこっちに来ていて正解だったろう! 奴を仕留めてくるから、船を寄せろ!」

 

 戦意に双眸を爛々とたぎらせ、口端に猛虎の笑みを浮かべながら号砲のごとき音声を発する。

 

「……海戦で一騎打ちとか聞いたことないよ」

「そもそもどうやって乗り込むんです?」

 満寵と李典はそう言って諫めたが、男は長く尖り気味のアゴに手をやり一考し、そして答えを出した。

 

「よぅし、じゃあ突っ込んでみるか!」

「は?」

「はい?」

 

 二人の副将は仰天した。

 そもそもこの奇想でもって敵軍を破らんとしたのは他らなぬこの男である。

 

「いやおかしいやろ!? なんのためにコレこしらえたと思っとんねん!」

「正気とも思えません」

「正気で大道が成るものかよ! なぁに、要は射たせなきゃあいいわけだ。火砲で出来た隙を突いて、このまま乱戦に持ちこみゃあ、接敵できる」

「しかながら……!」

「それともあれか、霹靂砲に乗せて飛ばすか? 嘘か真か、織田有楽斎は関ヶ原において古田織部正を同じように小早川の陣にブッ飛ばしたって聞くぜ」

 

 ――にも関わらず、まるで子供が遊びに飽きたかのような調子であっさりその作戦を放棄し、柔軟に方針を変更していく。突拍子もない提案をしていく。

 猫や嵐の中の雲より、彼の気分は移ろいやすい。

 

「ほう、袁術軍にも気骨のある者がいるではないか!」

「おうよ、長州男児の肝っ玉、侮るんじゃねぇぞ?」

 

 自分の特攻戦法を全面的に肯定され、夏候惇は殊の外上機嫌でその男と笑い合った。

 

「しっかしアレだな」

「なんです?」

「夏候惇、満寵、李典を乗っけて平家の亡霊相手に壇ノ浦の再現か。今際の夢にしては面白すぎるな」

「……いや、何を言ってるのか分かりませんが」

「少なくとも、面白さではあんたも大概や……高杉(たかすぎ)はん」

 

 鋭い指摘(ツッコミ)を受けて、幕末の志士……長州藩士、奇兵隊総督高杉晋作(しんさく)は、にやりと笑い返した。




今回明らかになった武将の原作ゲームについて補足

・義経英雄伝(修羅)
ACの後、デモンズとかの前のフロムが大河ドラマの何やらで作った歴史アクション

・風雲新選組/幕末伝
元気が作ってたシリーズ。傍流ではあるが剣豪シリーズの系譜。

両者とも硬派で面白いのですが、悲しいかなそれ故にメジャーではないのでそれぞれ一般的な歴史のイメージどおりと捉えてください。
興味を持った方はPS2かPSPで遊んでください。


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袁術(三):王城一の強弓、洛西一の奇才、そして盲夏侯(後)(★)

初の評価付与を頂きました。
ありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。
このまえがきを含めて色々と試行錯誤でしくじりばかりの本作ですが、今後ともよろしくお願いできれば幸いです。


「つまらぬ」

 船体と船員を比喩でなく削り合う激戦の中、平教経の吐いた言葉が、それである。

 現状、中軍の横腹を突かれ分散。我が方苦勢。それは理解できる。

 前方の敵、兵器を持ち出しそれを用いた鬼手によってこちらを翻弄。敵将は上将なり。それも肌身で感じている。

 

 だが、それと武士としての面目はまるで違うものだ。

 もし己が沈んだ海の先、何かしらの未練を残して亡者となって再び世に浮上したというのなら、その未練というのは一つしかあるまい。

 その一つのために、自身は死に切ることができずまだ戦っている。

 その唯一無二のために、自分は再び死海に立っている。

 

 軍法の妙を得て、兵法の粋を究めてもなお、手に入れられぬものがある。

 

 敵方より攻め来るには火球と矢のみ。我こそはと率先して乗り込まんとする者はなし。

 

 この世にも強者は無きか。

 落胆と怒りのままに表情を鬼のごとくに険しくさせた、まさにその時だった。

 

「てっ、敵の本艦っ、吶喊してきます!」

 雷撃のごとき急報。急接近する敵の軍船。

 あるいは、早くに察知して避けることができただろう。そうでなくとも素早く指示を飛ばせば、回避は可能であっはずだ。

 だが教経はそうしなかった。あえて正面から受け、船頭にあって勇ましくこちらの艦へ飛び移った女武者と対峙する。

 

「天の御遣い平教経とやらだな!? 我が名は夏侯元譲、曹孟徳の剣として、その首、掻き切りに来てやった!」

 

「面白い!」

 そう甲高く名乗る彼女に、この世界に来て初めて教経は笑みを見せた。

「よくぞ申した! いかにも我こそが教経よ! この首取れるものなら取ってみせろ!」

 

 そして互いに得物を肩へと担ぐようにして構えた。

 最初に膠着を破ったのは、夏侯惇であった。

 

「教経さまっ、何も御自らこのような敵を相手に戦っては……!」

「賢しらな口を聞くなっ! つわもの相手に退く道理があるというかッ」

 

 と随員と悶着を起こしたそのわずかな間隙を突いて、というより踏み込んではいけない空気などまるで読まずに、大刀を打ち込んでくる。

 だが片手間に、左手のみでそれを捌く。

 獣のごとき眼が、ギョロリと彼女へ向けられる。

 

 背の裏で閃光が疾る。

 彼の二股の切先が刺突……否、射出とも言うべき速度を伴って風を穿つ。

 その裂け目の部分に、夏侯惇は剣身を潜らせた。

 

 刃が鳴り散る。耳をつんざく余韻が尾を引く。

 交錯し、互いの位置を入れ替えた後、夏侯惇はさらに二度打ち込むも、身の丈にも等しき長さを持つ武器を、振り回すその剛勇は、曹操幕下随一の猛将をも退ける。

 

 しかも、右腕のみである。左腕は石突に添え、その技の軌道に微妙な調整を加えるのみである。

 

 さしもの夏候惇もそれを防ぐことは能わず。ただ退きと避けとに徹するのみである。

 だがその行動に逃げはない。相貌に、微塵もその気配がない。

 女だてらに剛の者ではないか。

 

 猪突のきらいはあるが、武人としての矜持、背負う何物かを見失ってはいない。

 決して賢しらに船を飛び回って味方を裏切らせいくつもの禁じ手を犯す、戦に水を差すがごとき真似はしない。

 

 ――その愚直さが、好ましい。

 

 教経は改めて周囲の兵に厳命した。

 

「手を出すでないぞっ、この者は、我の敵ぞ!」

 

 言われずとも出せる状況ではない。すでに斬り結ぶこと数合。その都度に苛烈を極め、助太刀どころか一矢撃つことさえ能わなかった。

「夏候惇将軍!」

 そして向こうも、上背のある女が声高に呼ばわる。牝牛のごとき女が、無茶をするなと制止する。

「構うな! 私が、曹孟徳の剣たるこの夏候元譲が! 盧江ではまともに働けず、今また甲斐なくおめおめと退くことなど出来ようか! この敵は、私が討たねばならんのだ!」

 そして同様に突っぱねて、さらに攻勢を烈しくさせて教経の懐中に飛び込まんとしてくる。

 

 いや、さにあらず。単純に間に入る入れぬの話にあらず。

 古今、船上での一騎打ちなど例がない。それを目の当たりにし、かつ足場の不安定さを感じさせない武人の応酬。戦場に咲いたその華を摘むほどの無粋さが、彼らにはなかったのだ。

 

 だが、ふいに大きく船体が傾いた。

 おそらくは、戦局の、そして敗色濃厚な夏候惇を援護せんという水師の悪戯であろう。

 一度大きく離れた敵船が、わずかな迂回とともに今また突撃を敢行してきたのだ。それがための衝撃であった。

 

 しかし、それで揺らぐ教経ではない。

 むしろその傾きを逆用して弾みとし、大きく跳躍した。

「セアァッ」

 大股を開いて遠近感を狂わせつつ、その間より大得物を唐竹割に振り抜く。

 対する夏候惇は、その言の通りに退かない。

 

 敢然と挑みかかる。

 ――通常、人の、生物の性として眼前に突起物が向けられれば、目を守るべく背けるのが常である。

 しかし夏候惇は、のけぞりさえしない。最後の一瞬まで敵を捉えんと、逃すまいと頑として睨み続け、やがてその切先が左眼を掠めることとなっても、その前進を止めない。

 

 互いを捕捉。教経はそのまま頭蓋。夏侯惇は首。それぞれに最善手と見た一撃を打ち出すべく、得物を振り抜く。

 

 やがて、その影が交錯の後、甲板を強く踏み締めた。

 

 ――手を抜いたつもりはない。十分すぎるほどの手ごたえを感じた。

 夏候惇の身体が、大きく傾く。

 

 ――だが、ふと思いが掠めたことは事実だ。

 動揺に揺れた船体に対し、身体を持ち直す気力も残ってはいなかった。

 

 ――あぁここで討たれねば、次にいつこのような機が与えられるともしれぬ、と。

 そしてそれと同時に、教経の頚の脈が破れて血が吹き出た。

 

 それもそうか。

 それを想えば、負けか。

 

 まるで遊び疲れた子どものごとく、安息にも似た呼気とともに、教経は船縁に寄った。

 あの時もそうである。

 自分はまた、船で死ぬ。戦で死ぬ。

 

 あの時は、際限なく沸く有象無象に囲まれた。

 斬って斬って斬り潰して、どれほど声高に名乗りをあげようとも、強敵を招こうとも、ただ弱卒ばかりが群がるのみである。武ではなく、時代の趨勢と物量が自分たちを圧殺した。

 やがて詮無きことをするなと、従兄にたしなめられた。

 無念の臍を噛み、まとわりついた雑兵どもを道連れに、海の藻屑となった。

 

 ――だが、だから、似ているようで、違う。

 低く笑った。

 

「見事」

 ひゅうひゅうと空気を漏らしながら、この好き敵を称える。

 そして海面へと我が身を投げ入れ、ふたたび白波に沈んだ。

 

 

 

 供はもはや要らぬ。此度は、我のみで死途に就く。

 

 

 

「……貴様もな」

 残された夏候惇の、春蘭の左眼で、一拍子遅れて滂沱のの涙のごとく血が溢れ出した。ぶつりとその視界が絶えたことを自覚した。

 

 あえて来歴を語るまでもなく、出自を詳らかに照らし合わせたわけではなかった。

 それでも、一門を武で支えた者として、武人たちは敵味方の別なく感応していた。

 

 

 

【平教経/義経英雄伝……戦死】



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袁紹(三):魔術師の帰還

 流れ者たちを取りまとめたとある小集団が、誰に与するわけでもなく丘の上に陣していた。

 流民。敗残兵。あるいは中原に兵力として招かれたまま指揮権が宙づりとなった少数部族。それら玉石混交の軍を取りまとめているのは、ふたりの武人であった。

 狷介そうな大将を旗頭、そして短く黒髪を切りまとめた腹心は袁の水軍が相打ち、片方が破られたのを見た。

 そして、その内にかつての見知った武者の姿が在って、その者が散った様さえも。

 

「……教経め。敵ながら見事な最期であったわ」

 憎悪を超えてそうこぼした主君に、感情の動向はともかくとして副将は頷いた。

「それで、如何なさいますか。このまま傍観を?」

 問うた後で、副将はその問いの無意味さを悟った。この良くも悪くも迅速果敢な大将が、そのような腰の引けた去就を選ぶわけもない。

 

 果たしてその読みは当たっていた。

「知れたこと。勝ちの決まった戦になど興味はない」

 などと気を吐いた後、すぐに名駒の腹を蹴った。

 いずれへの加担を決めたのか、それさえも部下たちには明らかにしないままに。

 

 やれやれと首を振りつつ、共に駆ける様をどこか楽しみにしている自分がいる。

 その奔放な武勇を信奉すればこそ、この集団は成立していることも事実である。

 

 やはりこの方の本質は戦場に在る。

 思う様に野を駈けてこそ、その真価が発揮される。

 再びその日が巡って来ることを、我も、彼も待ち望んでいたのだ。

 

 ~~~

 

 突如として弓騎兵に襲われた袁紹軍本陣は、ものの見事に虚を突かれて浮足立っていた。

 その隙を突いてかの敵軍は懐深くにまで入り込み、麗羽のすぐ足下に、矢が突き立つほどの窮地に追い込まれていた。

 

「袁紹様、危険です。ここは万億殿にお任せし、ひとまず身の安泰をお計りください」

 そう袖を引く円を、麗羽は毅然と振り払った。

 

「名門袁家の嫡たるこのわたくしが、どうして矢を恐れて退かねばなりませんの!? 皆のもの、その名家の威信にかけて華麗かつ勇猛に戦いなさいっ!」

 

 らしくもなく蛮勇を誇りつつも、それによって味方が元気づけられ、持ち直したことも確かであった。

 

「下郎、何者か知りませんが、せめて名を名乗りなさい」

 麗羽は敵の先頭に身を置く将に誰何した。

「やれやれ、鈍さもここまで行くと堂に入ったものだ」

 空色の髪を短く切りまとめたその指揮官は、嫌味ではなく妙に感心してしまったらしい。

 弓を構えて礼の代わりとする。

 

「すでに面識があることかとは思うが、我が名は夏侯妙才(みょうさい)。曹孟徳が左腕にして、此度は袁術殿の手伝い戦としてご挨拶に伺った……が、そこまで姉妹喧嘩に首を突っ込むのも野暮というものだ。これにて失礼させていただく」

 

 その飄々とした物言い同様、さっと部隊を取りまとめて退路が閉ざされる前に退き下がって北へと抜けていく。

 

「逃がしませんことよっ! 皆さん、追いかけてぎったんぎったんのけっちょんけっちょんにして縛り上げて、あの金髪くるくる娘に突き返して差し上げなさい!」

 

 やや擬音過多な命を下す袁紹に、

「いけないっ!」

 と声をあげる者があった。

 

 それは沮授でも李通でもない。

 例の、無用者とされていた男であった。

 思わず叫んでから、彼は自分の染みついた性分を呪った。

 

「……いけない、と言うのは?」

 水を差されて不興を露骨に見せる麗羽に代わり、円が尋ねる。

 もはや勘違いでした出過ぎましたで引き下がれる状況でもない。この令嬢の機嫌を損なっただけに足る、明確な理由が求められていた。

 ため息とともに、男は答弁した。

 

「敵は、こちらの中央を打ち破った後、残った前軍と後軍を各個に撃破しようとするのが目的と思われます。あの奇襲部隊の動きがまさにそれで、彼女たちを追って顔良殿たちの部隊を引き離されれば、ますます合流が困難となります」

 

 円は軽く頷いて、切れるような所作とともに踵を返して袁紹に言上した。

 

「わたしも彼と同意見です。まずは前軍との距離を埋め、その軍勢を取りまとめてこの攻勢を跳ね除け、しかる後撤退を図るべきかと思います」

「前軍の心配なら無用ですわ! 真直さんのこと、すでに何らかの手を考えてなんとかしてくださるでしょう。だから」

「……申し上げにくいことながら」

 

 あえて主君の言を遮って、円は続けた。

 未だ鎮静化しきれていない軍中にあって、つとめて平静を装っているようには見えるがその唇からは血色が喪われている。かすかに呼気も震えていた。

 

「彼女が健在であれば、その仰せの通りに残存兵力を取りまとめ中継となり、顔良殿文醜殿キュアン殿、教経殿らとともにこちらに向かっていたでしょう。しかし、ますます中央の軍は混乱し、統制が出来ていない」

「……なにを、おっしゃってますの」

「はっきり言います。田豊は、真直くんはすでに死」

「そんなはずはありませんわっ!」

 

 袁本初の高笑いが止んだ。今まで浮ついていた彼女から聞いたことのないような声が空気を切り裂いた。

 

「だって……だってつい先ほどまで話していたではありませんか……直接顔を見せて、まあいつものようになんだか困ってらして……そうですわ。きっとまた、どこかでお腹を痛めてうずくまってるんでしょう。まったく真直さんは無駄に苦労性なんですから……」

 

 そうは言うものの、言葉を重ねるたびに無理が生じ、語気も弱まって縋るような類のものへと推移していく。それが虚勢であることはもはや誰の目にも明らかであった。

(まぁ、そりゃ察しがつくだろうさ)

 男はお嬢様の取り乱しように比して、冷ややかな眼差しで見送っていた。

 

 そしていい加減にこうも悟ったところだろう。

 戦争とは、名声や意地でやるようなゲームではないということを。

 軽はずみに軍を動かせば、すぐ隣に立っていた友人が気が付いた時には死んでいるなどそう珍しいことではないのだと。

 

 とはいえ、彼の属していた軍や国家は、彼女を批判できるような性質のものでもない。上官や政治家も、閉口したくなるような理由で開戦継戦を主張する者が大半であった。その点矢面に立つ分まだ救いようがあると言えなくもない。

 

 さて、と男は他人事のように状況をあらためて顧みた。

 軍は分断。実質的な指揮官が戦死。この調子では孤立していた水軍も駄目だろう。

 

(目標を正面にいると誤認させて側面より戦略的な奇襲で中央を突破、分断。残った前後の勢力を各個に殲滅……いつぞや私が()()()ようなことを)

 

 そのうえ総司令官は戦意喪失の現実逃避ときた。

 

 もはや退く以外の選択肢しか残ってはいないが、問題はそのタイミングと方法だろう。

 

(……私は、どうするかな)

 いつもなら、そう、かつてならそう愚痴をこぼして顧みれば、少なからず諫める者がいたが、今彼は軍中で一兵も指揮する立場にないし、その義理もない。

 

 だが、とふと懐中に収めた駒を、ビショップとルークの駒を取り出してじっと眺める。その奥に、真直を視た。

 かつての残影。いつもは報われずに浮かばれずにいた彼女が、机上においてのみ生き生きとその手並みと表情を、年相応に輝かせていた。

 

 次の瞬間、知れずため息がこぼれた。と同時に、自分がどうしたいか、どうすべきかを否が応にも認めざるを得なくなった。

 彼は車の上で立ち上がり、円に顔と目を寄せた。

 

「円」

 そっと名を呼ぶと彼女は素直に顧みる。

 

「それとミス李通も呼んできてくれ。……この状況をどうにか打開できるかもしれない。偉そうなことを言えば、私なら。だが君の名と権限で軍を動かしてほしい。私はどうやら、袁紹嬢には疎まれているらしいからね。それでも受け入れられなかったら、まぁお手上げだけど」

「……ようやく、ですか」

 

 喜ばれるとは期待していなかったが、円はむしろ受け入れがたいというよりは非難めいた口調と目つきである。ようやく言うより何を今更と言いたかったに違いない。

 

 勝手だと思う反面、心情としては理解できる。回天の策があるというのならそれはすなわちこの状況をある程度予測できていたと言うことであり、事実男は敵の戦略パターンの一つとして考慮していた。

 もう少し早くにそれを伝え、動けていれば、友は死なずに済んだかもしれないと。

 

 だが彼女があえてその非難を明らかにしないのは、他ならぬ戦略戦術決定の場から彼を遠ざけたのが、強く推挙できなかったというのが他ならぬ田豊や自分であったという手前があるからであろう。

 遠慮することなく言わせてもらえれば、呼ばれたことも拾われるだけ拾われて放置されていたことも、そして今頼られることも、すべてが勝手な都合だ。

 

「あぁ、ようやくだよ」

 とはいえ、今この戦局でしゃしゃり出るのは自分でもどうかと思ったから、苦い顔をしつつも彼はあえて暗黙の非難を甘受した。

 すぐに円の方でも感情を引っ込めて、頼むがごとく深く頭を垂れた。

 

「分かりました……天の御遣いとして、その手腕に期待にさせてもらいます。『楊殿』」

 

 今までまったく良い所を見ていない男に実質的な指揮権を移譲するにあたり、円としてはその立場を名目として持ち出すほかないのだが、その呼ばわれ方にヤンは良い気分がしない。

 

 思えば、彼の前世は虚名だらけの人生だった。

 『エルファシルの英雄』から始まり、『魔術師』、『不敗』、『奇跡(ミラクル)』……そして最期に『血まみれ(ブラッディ)』。

 本人からは遠くかけ離れた異名でまるで悪趣味な着せ替え人形のように飾り立て、やりたくもない仕事に従事させられ続けた。

 

 そう考えると、虚名を含めて実のないものを追い求めて道化となった麗羽と自分とは、案外通じるところがあるのかもしれない。かつての『魔術師』はそう自嘲した。

 

「……スタンプ帳に血の手形を押させられ続け、ようやくそれが満了したと思えば、もう一冊と来たか。まったく我ながら因果な人生だな、まったく」

 

 嘆いてみせても同情した敵が兵を退いてくれるわけでもない。

 運命かどうかは知ったことではないが、とりあえず逃れられるものでもない。

 

 腹を括って、もとい観念して彼……『不敗の魔術師』ヤン・ウェンリーは、ベレー帽を正した。



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袁紹(四):魔術師と怪鳥(一)

「ヒィィィ、もう敵わねェ! 逃げろーっ!」

 袁紹軍の中でも急ごしらえで組み込まれた、おそらくは黄巾あたりからの流れ者だろう。黄色い幘を被り髭を生やした男を筆頭に後ろから崩れ去った。

 それを追ってまた別の部隊が続く。

 

「やれやれ、釣り出そうにも自壊する方が先とはな。天下の名門も落ちぶれたものだ」

 それを呆れながら見守っていた秋蘭は馬首を返した。

 逃げるその様に欺瞞の気配はなく、紛れもなく士気を失った弱兵の逃散であった。

 

 迅速な判断とそれを形にする用兵。これこそが彼女の妙味であろう。

 ゆえにこそ、それは今回、彼女に災いした。

 その即断ゆえに、自身の見識を吟味しなかった。

 

 一つには、袁紹軍の変質をただの凋落と誤認したこと。

 もう一つには、一度目に崩れた賊徒の逃走が本物だとしても、()()()()()()()()()()()()()という点。

 

 その後続が、動く。

 突如敗走路を違えた部隊はそのまま赤髪の大将が先頭を切るままに、追走を始めていた夏侯淵隊の不意を突き、出鼻を挫いた。

 

「なっ!?」

 

 らしくもなく驚嘆する間もなく、こちらの先鋒を打ち砕いた敵の『伏兵』は、そのまま薪を割るが如く一気に貫通し、そして反撃を許さないままに南下して行った。

 

 それ自体は少数である。ゆえに被害は軽微ではあるが「してやられた」という思いだけは強く秋蘭の士魂に刻まれる。

 だが果たしてあれは、やぶれかぶれの特攻なのか。あるいは何かしらの意味を持たせているのか。

 よも袁紹軍にそんな積極策を取れる軍師などおるまいと理屈をつける一方で、彼女の戦勘は後者であると判断している。

 

 それに従い、また受けた辱めを挽回すべく追わんとしていた彼女の元に、急使がやってきた。

 

「申し上げます! 夏侯惇様、敵の水軍大将を討ち取るも、その一騎打ちの最中に重傷を負いました!」

「なんだと」

 彼女にとってはこの上ない凶報に、秋蘭は眉を顰めた。

「して、姉者は?」

「命に別状はないとのことですが」

「……そうか」

 

 ひとまずは安堵の息をついたが、足を止めてしまったばかりに件の部隊は地平の果てである。

 それでも自分の全速をもって追えば、そのうえで弓を射れば、捉え切れない間合いでもないが。

 

「――やめておこう」

 

 自らにそう言い聞かせるかのように彼女は呟いた。

 深入りするつもりはないというのは挑発に用いた言葉ではあるが、本心でもあった。犬も食わぬ姉妹喧嘩の、それも手伝い戦など命ぜられなければそもそも誰が行くものか。

 

「……勝ちはしたかったがな」

 悔いが残る結果ではあるが、姉の回収、そして傷の具合を確認することが最優先事項となる。

 おのが未練を嗤うかのように、秋蘭は愛馬を慰めた。

 

 〜〜〜

 

「李通隊、夏侯淵隊を突破! そのまま南下!」

 よし、と円は軽く拳を握る。

「張勲を側面に回り強襲して前軍の半包囲を切り崩しつつ合流! そのまま作戦を彼らに伝えて!」

 顧みてヤンを窺えば、車上、片膝立ちに彼方を見守り、聞いているのかいないのか微妙な塩梅で首を動かした。

 

「……しかし、黄巾兵はあのまま逃して良いのですか」

「むしろ本格な戦闘中にあれをされなくて良かった。もし乱戦の最中に逃げられようものなら、そこから軍全体が崩れるおそれがあった」

 

 試しに問うたことにも、すぐさま答える。

 その様子は風采の上がらぬ先の様子とはまるで別人で、自分の世界に没入している感があった。答えたことも、円に応対したというよりは自分の考えをまとめるための独語であったように思える。

 

 そのうえで、ヤンは敵軍を評する。

 

「残る袁術陣営は、多頭の蛇だ」

 と。

「それぞれの頭が別々の思考、信念、美学をもって自律的に行動している。そのためどれか一つを潰したところで致命傷にはなりえない。しかしだからこそ、こちらはそれぞれ時間差をつけて各個に対応できる余地を作ることができる」

 

 ――言うは易し。だが行うは難し。

 円としては、それが実に見合った言であることを祈るばかりだ。

 

「ちょっ、ちょっと! 円さん、何やらわたくしに断りもなく色々と出て行かれたようですけども!?」

 

 そこに麗羽が上ずった声で怒鳴り込んできた。

 しかしその反応は予想し得たことでもあるので、しれっとした風に円は答えた。

 

「申し訳ありません。先の発言、わたしが浅慮でした。これより本隊は後退し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう説明すると、麗羽はわずかに声を上ずらせて

「そ、そうですわ! まったく円さんたらそそっかしいのですから」

 と機嫌を改める。そして自分の頭越しに命を出したことなどすっかり抜け落ちたように、ふたたび(ヤン)に指揮権を委ねたのだった。

 

 ――無論、真直がすでに生きているわけがない。いくら麗羽が鈍感であろうとも、それを察知しえないはずがない。

 ただ、そう信じたかったのだろう。今の麗羽は、一片の板切れにすがる溺死寸前の者でしかない。

 

 ヤンと顔を見合わせて、円は苦笑する。

 だが一方で、飄々としつつも円はおのれの欺瞞を烈しく嫌悪する。

 名門袁家の権勢による道義立国、天下の秩序の回復。その王道を支えることこそが、自身の大望ではなかったのか。それが、死した友の名を借りるなど。

 これが露見すれば、いかに寛容な袁本初とも言えど憎悪を受けることは必定である。

 

 それでも、方法はこれしかない。

(許してくれ、真直くん。まだ麗羽様の魂を現世に繋ぎ止めるためには、まだ君に()()()()()困るんだ)

 みずからの悪辣さを再確認するとともに、この軍の、自分の、そして麗羽に穿たれた穴の大きさを痛感していた。

 

 ~~~

 

 いかな名槍を振るう英雄と言えども、半包囲されて、その重厚な敵陣に足を止められては、その乗馬技術も武芸も十全に活かし切ることができないでいる。

 この苦境キュアンが思い起こすのは、砂漠における苦い敗北である。友を救わんとする焦りのあまり、進軍路を過ち、そして同じように騎兵の足を満足に活かしきれないままに、(エスリン)とともになぶり殺しにされた。

 

 今また、同じ轍を踏もうというのか。

 すでに敵の数度目かの攻勢を退け、満身創痍。肩で息をしながら、背後に控えるエスリンを顧みる。

 文醜やキュアンの負傷をライブの杖で癒すこと数度。その耐久も体力もすでに限界が近いであろう。

 

「……エスリン」

「退けなんていう言葉は聞かないわ、キュアン。どのみち逃げ道なんてないでしょう?」

 

 この国で言うところの鴛鴦の契と言うのだろう。心を通わせた者として、その考えは良人に的確に読み取られていた。

 彼が肩に負った手傷に癒しの燐光を当てつつ、エスリンは厳しい目をしている。

 

「それに私はあの時と同じことになったとしても……アルテナのことは間違ったとしていても、変わらずあなたの側にいる」

「……すまない」

 

 拒みきれないおのれの弱さを呪いながら、キュアンは深く妻に謝した。

 その不意を突くかのように、凶刃が迫る。

 

「おーおー、お熱いねぇご両人!」

 

 それを防いだのは、猪々子であった。

 敵兵とキュアン達の間に割って入り、大刀を持って一刀両断。ヒロイックな感じの血ぶるいの後、屈託なく笑いかけて傍らの幼馴染を抱き寄せた。

 

「でも、あたいらの夫婦仲も負けてないよな! 斗詩」

「この状況で『な!』とか言われても……」

 

 顔良こと斗詩は温和そうな少女だったが、中々に凶悪な鈍器で現在進行形で敵兵を薙ぎ倒していくのだから、なかなかに侮れない。

 

「ええと、君たちはそういう関係なのか……?」

 女主体の世界である。つい同性婚も許容されているのかと思いつつ、デリケートな問題ゆえに上手いこと切り出せないでいるキュアンは、

「あはは、気にしないでください……冗談で言ってるだけですから」

 との斗詩のやんわりとした否定に安堵する。

 とは言え、どことなく満更でもなさそうではあった。

 

 猪々子の冗談と底抜けた明るさは、この苦境においては心の救いだが、未だ窮地は続いている。

 前線の崩壊は免れぬ。

 そう思っていた矢先、敵の外周の一角より、文字通りの血路が拓かれた。

 猪々子の斬山刀(ざんざんとう)には劣るものの、十分に長尺肉厚な巨剣を以て赤い短髪の将は敵陣深くに突き入る。考えなしの猪突に見えて、的確に敵の散漫な部位を打ち砕いての、参着であった。

 

「お待たせェ! 李文達(ぶんたつ)、命の差し入れに来ましたよっと!」

 

 そういうや返す刀で殺到する敵兵を一蹴。包囲の穴をさらに拡張させた後、そこから内の味方を逃がしていく。

 

「そのまま足を止めずに聞いて欲しいんだけどさ。というか怒らずに聞いて欲しいんだけどさ」

 と切り出しつつ、エスリンとキュアン、そして袁紹軍の二枚看板に、彼女は『首脳陣』が打ち出した脱出プランを披歴した。

 その策は――いや、そもそも策と呼べるに足るものなのか。

 キュアンのような正道の騎士にとっては到底受け入れがたく、斗詩とエスリンは息を張り詰め、それを伝言した本人もどことなく申し訳なさげだ。

 唯一猪々子だけはケロリとした表情でいたものの、

 

「いやー、あたいにしちゃ珍しくやること自体は分かったんだけど……そんなんでいいのか?」

 その方針そのものについては、懐疑的であった。

 

「ヤ……いや、『軍師殿』いわく、『それが現状もっとも逃げ公算が高い。これでだめなら頭を掻いて詫びる』ってさ」

「なんだそりゃ……まっ、良いや! 要するに、出たとこ勝負ってとこか!」

 

 一目して瞭然であるとおり、この猪々子、物事に対して熟慮はしない主義らしい。そしてギャンブラーでもあるらしく、危険が多大に伴うこの策に唯一乗り気であった。

 一応理屈のうえではキュアンも理解はしたが、あくまで机上の論でしかない。もし策にかけるあの『白い狼』の将器を見誤り、失敗すれば死ぬどころではない。自分たちはともかく顔良文醜、そして李通袁紹の名は愚将として百年の汚名をこうむることとなるだろう。

 

「ちょっと待って」

 制止をかけたのは斗詩である。

 だが彼女が気にかけているのは事の正否ではなく、

「それって、誰の策?」

 という、発案者の所在であった。

 必死の形相で李通の腕を掴み、血色の抜けた唇で問い質す。

 

「たぶん真直ちゃんじゃないでしょう。そもそも、なんで援軍に来たのが真直ちゃんじゃなく、麗羽様の護衛の鉄火(てっか)ちゃんなの? ……まさか、中軍は、真直ちゃんは」

 

 その問いかけに答えたのは、当の李通(鉄火)ではなく、猪々子であった。

 

「考えんのは後々! 今はどっちみち立ち止まってたら死ぬって!」

「さっすが文醜殿は話がわかる」

 

 そう李通は称えたものの、肩に剣を担ぎ、もう一方の手で斗詩の肩を抱いた瞬間、横顔に一瞬濃い影がよぎるのをキュアンは見逃さなかった。

 ――おそらくは、気づいている。

 なんとなく察しがついていて、それでも今は浅慮の猪武者として振る舞い、皆を無理やりにでも引っ立てていこうという信念を感じる。

 それを認めて、キュアンはエスリンを顧みた。頷き返す彼女を見てから、あらためて鉄火に伝えた。

 

「……分かった。騎士道には悖る行いだが、その『軍師殿』の策に従おう」

「感謝します、キュアン殿……では遠慮なく、これより作戦を実行に移します」

 

 それを受けて鉄火は、やや引きつったような笑みを浮かべ、だが怖じた様子もなく低く告げた。

 

 

 

「……目標は、敵左翼。赤騎兵、耶率休哥隊」



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袁紹(四):魔術師と怪鳥(ニ)

「申し上げます! 敵軍敗走! 算を乱して荷駄を散らす有様です」

「そうですかそうですか」

 

 せせら笑うような物見の報告に、迎撃軍の総大将を務める七乃が満足げにうなずいた。

 さほど勝ち負けには興味がなさそうにも見えるし、勝って当然と言った様子にも見える。

 だがそのいずれにしても無理らしからぬことではあろう。

 

 勝利は当然の陣容であり、戦況であり、その経過であった。

 それも、自分のほとんど感知も関与もしていないところでだ。実感もなかろう。

 

 馬上、彼女の傍らにある巨漢は地平の果てを遠望した。

 たしかに今、敵軍は耶率休哥の隊を通過中であった。陣形もなにもあったものではない醜態をさらしながら。

 

(でも、ちょっと気にかかりますよねェ)

 

 そしてあの白狼の対応も、ある程度予測がついた。

 それが現実のものとなるまで、それほど時間を要さなかった。

 

「も、申し上げます! 耶率休哥隊、動かず! 敵の眼前の通過を許しました!」

「……え~」

 

 さすがにこれには七乃も不満顔を隠しきれずにいた。

 その報は寿春包囲軍の総大将たる美羽にも伝わっているのだろう。さっそく真意を問い質すようにとの急使が届き、不承不承、七乃は耶率休哥を詰問すべくその隊のもとへと向かった。

 

「ちょっとちょっと! どうして追い討ちかけないんですかぁ」

 唇を尖らせ芬々たる様子で尋ねる袁術軍の永遠にして不動の筆頭に、白い狼は鞍から下りずに告げた。

 

「誘いの臭いがした」

 短く言葉を区切るように、それのみ。

 やはり戦巧者であるがゆえにその辺りの嗅覚は優れている。

 

「確かに、荷駄は捨てている。だが武器は、打ち捨てられていない」

 自身の直感を伝えた後に、理でもって語る。

 

「……ま、良いですけど。それよりも今は物資の鹵獲が先ですし。何せ急激に大所帯になっちゃいましたからねぇ。貰えるものは貰っておきましょう」

 困った風に言いつつも、その口ぶりは順風により嬉しい悲鳴を隠せないでいる。

 

(彼女が問題外なのは当たり前ですが、耶率休哥でも今少し踏み込みが足りませんねぇ)

 

 大将ではなく武人の思考だ。将の思考であって帥の域には至っていない。

 荷駄が放棄されていること。これみよがしに敗走すること。

 たしかにいずれも策謀の気配を忍ばせているが、その二つの偽装が目的を矛盾させていることに気づいていない。

 

 この敗走が敵を計の地点へ誘い込む罠であるとすれば、荷駄をあえて捨てて足止めをするというのはおかしいではないか。

 

 あるいはそうと知ってなお、背を向ける兵を追い立てて殺戮することを拒んだのか。

 だとすればなんと清い……否、いじましい男であろうか。

 

 その曰くありげな男の視線に気づいたのか、少し気味悪げに耶率休哥が見返してきた。

 

 その両雄の間に、割り込む影があった。

 巨人である。

 筋肉で甕のごとく縦横に肥大化した肉体。濃い眉に不遜な顔立ち。前頭を剃り上げた特異な髪型。「また暑苦しいのが」と手狭そうに七乃が退いた。

 

「おや、出るのですか?」

 問うとその男はフンと鼻を鳴らした。

 

「弱者を狩るのも小遣い稼ぎにも興味はない。敵が罠を仕掛けていようと完全な見せかけであろうと、天下の武の前には塵に等しい。この俺に勝る者がおらぬのは道理であろうが、このような戦、見ているだけでも苦痛だ。一瞬で終わらせてくれる」

「そうですか、まぁ頑張ってください」

 

 言い振りはぞんざいであったが、男はたしかにかつての敵国の大将軍。その武人としての位格を認めていた。()()()()()

 あるいは実際敵に奇計奇策があろうとも、食い破ってくるかも知れない。

 

「次は貴様だ」

 

 その豪語を肩をそびやかして適当に流し、見送る。

 巨人に従う兵士も南陽の戦を戦い抜いた兵より選ばれた剛の者であったが、彼の体躯と比すれば小人のごとし。

 その兵士らが必死に軍鼓を鳴らし、将の名を連呼し、大仰とも取れる言い回しとともに讃える。

 

「……ですが、そう上手くいくのでしょうかね」

 男は独語するとともに、風向きが転じつつあることを感じていた。

 だが彼にとっては少し興がくすぐられる変化であった。

 

 ~~~

 

「先の奇襲において、あの赤い騎兵隊は敗残兵には目もくれず、一撃離脱とともに次の戦場へと移った」

 

 車上のヤンは気のない目を前方の戦闘の気配に向けつつ言った。

 

「つまりあの部隊は将兵ともに行動の切り替えが早く、自分の戦術に絶対的な矜恃と美学を持っていると判断した。だから、『無様な敗走』を追うようなことはない。むしろ停滞した先鋒は敵軍全体の足止めとなる。我々としては彼の軍事的ロマンチズムに意地悪く付け込むのが最良の手段というわけだ」

 

 ――どんどん態度、というか姿勢が悪くなってるなコイツ。

 という眼差しで円は見返していた。

 戦場にあるまじき風体だと言う自覚はある。だがそもそも自分は軍人になったのが間違いで、再び采を取っているのも何かの過ちなのだと思っている。

 

 そう訴えてもどうしようもないから、あらためて円を介して指示を飛ばす。

 

「前軍の逃走は四散した中軍敗残兵の逃走路にもある程度の指向性を持たせることができるだろう。それが出来れば上々なんだが……とりあえず本隊は洋上の敵の射程外へ後退して丘陵を背に再布陣。敗軍の収容を確認次第撤収する」

「前方に軍影!」

「味方か?」

 

 戻ってきた物見の報に、自発的に円が問う。

 いくら隊形を取り繕わない撤退とは言え、戻ってくるにはまだ早かろう。

 そのヤンの見立ては当たっていた。そしてあえて偵察を再度差し向ける必要などなかった。

 

 軍鼓の音が地を震わせる。

 後続の兵士たちは重ねて問う。誰にともなく、いや天下に質す。

 

「誰が至強か!?」

「誰が至強か!?」

「誰が至強か!?」

 

 答えるのはその先陣を切る大漢。

 分厚い掌を突き出し、グワリと目と大口を開けて高らかに宣言する。

 己のものであろう、その名を告げる。

 

 

汗明(かんめい)!」




忙しかったり疲れ気味でちょっと短めですが、これが本年最後の更新となります。
来年もよろしくお願いします。


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袁紹(四):魔術師と怪鳥(三)

「……明快な自己アピールどうもありがとう」

 ヤンのところまで届く大音声に、彼は呆れたような調子で返した。

 その派手なパフォーマンスでその為人は瞭然である。

 

 個人的な武勇や武勲を徒に誇り、それを頼みに戦場を突き進み、それによって命を奪うことを栄誉とし、躊躇わず兵を酷使する。

 ヤンがもっとも嫌悪すべき、そして実は苦手とすべき相手である。

 策謀を噛み破らんと犠牲を度外視して猛攻を仕掛けてくる相手は、損耗を嫌う彼のような指揮官にとっては交戦したくないタイプである。

 こと、とりわけ数的不利に陥っているこの状況においては。

 

「新手のようですね。それも、前情報がない、おそらくは天の御遣い」

「だが、分かりやすい相手ではある」

「と言うと?」

「あれを聞いただろう? あの敵は過去の武勲に過剰とも言えるプライドを持ち、新参者ということは、それを誇示する手段を強く求めている。つまりは正々堂々、こちらの強者か、でなければ袁紹殿の首級を。この場合敗走した先陣には目もくれずにこちらに向かってきているのだから、前者と見ていいだろう」

 

 未知の敵に対して泰然と言い放ったヤンに、円は変わらず半信半疑の様子を見せる。

 もっとも、好かれようとも思わない。

 過剰に持ち上げられたり、逆に命令に不服従を示されるわけでもない、適当な距離感と言えた。

 

 敵軍の速度自体は遅い。

 屈強な兵たちに己を賞美させつつ、体重を感じさせない軽やかな馬捌きで悠然と接近してくる。だが、罠を警戒してのこととも思えない。むしろ罠だろうと力押しであろうとかかって来いという挑発的な様子さえ見受けられる。

 

 その軍が加速したのは、互いの先鋒の顔が目視できるようになってからのことだった。

 

「使わずに済めば良かったんだが」

 そうぼやきながらヤンは、傍らの箱を脇目に見つめた。

 

「李通に代わって我が方の中央を指揮する将は?」

審配(しんぱい)です。性狷介にして袁紹様、というよりも袁家そのものの盲従者ですが、退き際を見誤る愚か者ではありません」

「では、かねての打ち合わせどおり、本陣は重装歩兵を前衛へと押し出しつつ、さらに後退。中央は折を見て左右に分かれて敵を分断。無論、君の名で」

「しかし、如何せん急ごしらえの訓令ですし、あの勢いと重厚です。ともすればそのまま中央突破されるおそれがありますが」

「やってくれないと困るが……」

 

 そんなことはヤンにしても重々承知していた。将兵は質量いずれをとっても不足。そも、勝ち目などとうにあろうはずもない。

 

「最悪、敵を勝ちに奢らせ中央を明け渡しさえしてくれればそれで良い」

 時間稼ぎ。敵軍の進撃の遅滞。その最大目標を過たらなければ、なんとかなるはずだ。

 ヤンは息を吐いた。

 

 ~~~

 

 汗明は大楚、いや大陸最強を自認する武人である。

 強国秦を代表する六将のうち一人を一合のもとに撤退せしめてより()()()()不敗。

 自身のごとき超越者が産み落とされたのは、天意の気まぐれと放言して憚らず、それはむしろ誇りではなく悲運であった、というのがこの男の弁であった。

 

 ゆえに強敵が自身と対すべく名乗りをあげぬ現状においても、不満や誉れというよりも当然のものとして受け入れている。むしろそのような()()()()をしている者がいたとすれば、彼はそれを正すべく得物を振るっていただろう。

 

 敵の中央がどっと崩れた。真一文字に汗明は陣太鼓とともに前進を続ける。

 不自然なのは左右に分かたれた敵であろう。

 だが彼は構わず進む。進めば、弩による斉射が彼を襲った。

 

「つまらぬ」

 

 ――他愛なし。ただ振り払って推すのみ。

 自分に小手先の戦術を向ける愚を哂い、手にした大錘を一薙ぎ。それでもってすべての矢を撃ち落とす。

 だがそれとは別に、火箭がより高い曲線を描いて飛来する。

 大方足下には連中が落としたとおぼしきいくつかの木の函。それを標として、高みに上った弓兵が必死に射ていた。

 

 明らかにその軌道上に自分の身体はない。見せかけ。陽動。すべてが愚行に過ぎぬ。

 ならば一息にその無駄な努力を省いてやるのが最低限の慈悲というものであろう。

 そう意気込んだ刹那であった。

 強く馬が踏みしめた蹄のあたり、燃える鏃が筺体に突き立つ。

 

 ――次の瞬間、異様な発光が彼の身体を覆い包んだ。

 

 ~~~

 

 火が吹き上がる。膨張し、結合し、連鎖する。なまじ一塊となっていた敵の軍勢は、兵馬武具荷駄一切合切が火中に巻き込まれる悲劇に招かれる結果となった。

 その様子を、円はしばし現世の光景だとは信じられない様子であった。

 

「きゃあっ!? い、一体何事ですの!?」

 麗羽に至っては敵が大挙して押し寄せてくるよりも激的に、かつ年相応に怯えている。

 

「なんだったのですか、あの函の中身は?」

黒色火薬(ブラックパウダー)。私も知識としては知っているが、使ったのは初めてだ」

「どういう代物なんです?」

「用途は色々あるけど、弾丸の推進剤……あぁいや、要するに火の威力を倍化させるものと言った方が良いのか」

 

 概念のないものを説明することは難しい。盲人に空の青さを説明することが難しいように。初めて自転車に乗る幼児にその操縦方法を伝授することが難しいように。

 

「チェスと一緒に出てきてね。ススか何かと勘違いした陳琳(ちんりん)殿に捨てる様に言われてたんだけど、念のため取っておいたんだ。銃にも必要なものだよ」

「……銃。あの袁術軍に配備され始めた兵器ですか。であれば、もっと有意義な使い方ができたんじゃ」

「だが現状その銃を持っていない。だから取っていたは良いものの、正直持て余していたんだ。食べられないしね」

 

 ニトログリセリンは口にすると甘い味がするというらしいが本当だろうか……などと思考が脱線しそうになるも、まだ円は納得がいっていない様子でさらに尋ねる。

 

「……いや、単純にそれを材料に停戦交渉の余地があったんじゃないかと」

 

 ヤン、しばし沈思して曰く

「なるほど、それはちょっと思いつかなかった」

 

 韜晦して見せたが、実際ヤンもそのことは考慮に入れないでもなかった。

 ただ個人的な嗜好(ワガママ)を言わせてもらえれば、そんな死の商人の真似事はしたくない。

 まだ銃も火薬も、大量に数を揃えるには、現在の文明においては過ぎた代物だ。

 そもそも、このまま勝てばそのまま奪えるものを敢えて取引するほど、敵は奉仕精神を持ってはいまい。

 

「いずれにしてもこれきりだよ。今回は敵の追手に火薬の知識を持つ者がいなかったことが幸いしただけだ。次からは敵も対応して」

 

 そう言いかけたヤンの口が止まる。

 その『突発的火計』の成功に沸いていた兵士たちも、火の渦を突き破って孤影が立ち上ってきた瞬間、喝采が潮目のごとく引いていった。

 

「卑怯千万」

 男は、軍馬は失いつつも色も強さも変わらぬ大音声とともに、言った。

 

「――などとは言うまい。貴様らがこの汗明を打ち倒すには、このような外道を用いるよりなかろう。その卑小さを許し、受け入れようではないか」

 

 ――化け物か。

 総身軍勢を焼かれてもなお泰然としている巨漢。彼に慄きながら円が掠れた声で呟いた。そして目線で、この並々ならぬ生命力を持つ相手を打倒しうる秘策を求める。

 

「いや、今までの食い扶持分ぐらいの仕事はしたと思うんだが」

 ヤンは肩をすくめた。さすがに円も苛立ちを覚えたらしく、眦が吊り上がる。

 

 だが、あえてそれに気付かぬ体で、彼は眼下で吠える男を見た。

 時間は、稼いだ。来るとしたらそろそろだ。

 

 そう見立てた瞬間、高らかな馬のいななきが轟いた。

 北方に由来する名馬は本来恐れるべき炎を突っ切り、自身を操る騎士を敵のすぐ背後まで回り込んでいた。

 

「はぁっ!」

 

 黒衣をはためかせ、その彼……キュアンが繰り出した一槍は、不意を打たれて顧みる汗明の鎧の縫い目、脇腹を鋭く貫いた。



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袁紹(四):魔術師と怪鳥(四)

 浅い。否、硬い。

 キュアンの繰り出した必殺の一突きは、鎧を押し貫いたものの、その裏の腹筋に阻まれた。

 汗の一滴さえも流さず、巨人が傲然と自らを突き刺す相手を顧みた。

 

「斬斬斬ーッ」

 次いで猪々子が斬りかかる。それを難なく避けもせず肩口で受け切ると、剛腕が彼女に迫る。

 少女の頭蓋を躊躇なく打ち砕かんとする鈍器に向けて、鉄火の手にした短槍が飛ばされる。だがそれを持ってしても彼の得物は勢いを僅かに弱めたのみで止まらない。

 斗詩が無二の友人を守るべく割り込み、自身の武器で汗明の猛攻を凌いだ。

 同じく得物は鈍器である。だがその大きさも膂力も、大きく差があった。

 自身さえも盾とした挺身は、結果として少女自身の身体を、守ろうとした対象たちとと含めて彼方へ吹き飛ばした。

 

 結局手傷らしきものを負わせられたのは初撃のキュアンによる不意打ちのみで、後はことごとく退けられた。

 武人としては大いに不名誉なことではあるが、今は拘っている場合ではない。彼らは退却、本隊の合流に出た。

 キュアンとて敵に背を向けることは良しとしなかったが、彼の背後にはエスリンがいる。落馬した彼、妻が乗る馬に乗り換えてともに手綱を取った。

 

「うはーっ、強いなぁもう! 退却退却ーッ」

 ……という、猪々子のいっそ清々しいまでの遁走ぶりに気を抜かれなければ、もう少し生き恥を晒すことに抵抗はあったかもしれないが。

 

 〜〜〜

 

 汗明とて、彼らを追い、本陣への合流前に殲滅することはやぶさかではなかった。

 だが、その前途を遮る刃があった。

 その大刀の刃紋が己の側に向けられていることに、その鈍い閃きを浴びて、汗明は激昂し、得物を振るった。

 

「おのれっ! 誰も彼もがこの神聖な戦の邪魔立てをするか!!」

 

 無論、図体同様態度も巨大なこの男に、他人の健闘を尊重することなどあり得ない。

 その男がこの戦を神聖視したのは、己がいたからに他ならない。

 神の如き彼の降り立つ戦場こそすなわち聖地であり、彼の戦いそのものが聖戦である。

 少なくとも彼は、そう本気で信じていた。

 ゆえに水を差すことを過度に嫌う。

 

 だがその武を、対峙した同陣営にいたこの男は涼やかに防いだ。

 

「神聖な戦も何も、負けたでしょう? 貴方は」

「黙れ! 敵の小賢しい策も奇襲も、我が肉体には届かなかった! これのどこが負けだと言うのだ」

 

 現れた男は、彼に負けず劣らずな体躯を揺さぶり、冷ややかに笑った。

 あえて答える必要もなかった。自覚があるが故の激昂でもあろう。

 

 なるほど敵の攻撃は彼自身には届かなかったかもしれない。

 だが、迂闊に踏み込み敵の術中に嵌り、部下を焼かれて己の身に刃を立てられた。

 凡百の余人は知らず、楚の巨人にとってこの事実が敗北で無くてなんなのか。

 

 言葉を詰まらせた汗明の前に駒を進める。

 背後に従うは五千ばかりの歩騎。攻め手としては少々不足気味だが、この男が采を握れば一軍どころか三軍さえも粉砕するには十分過ぎた。

 

「ちょっと気が向いたので遊んできます。張勲さんにもようやくお許しを得たことですし」

 許しといっても敵からの『貢物』にご執心で気もそぞろになっていた彼女が片手間に出した許可ではあるが、それでも承諾は得たに違いない。

 

 彼の理念によらば、武将とは二種類に大別される。

 動物的な感性でもって敵の弱り目や奸計を嗅ぎ分け、その上で策謀の網を食い破る本能型。

 経験にもとづく論理的思考によってあらゆる攻勢を無力化し、確実に勝利のための算段を組み立てていく知略型。

 

 戦場に身を置く者としていずれが正しいのか。優れているのか。

 それはこの男とて容易に出せる答えではない。むしろすべての武将にとっての命題ともいえることではあろう。

 

 だが今回に限って言うなれば、田豊に代わって指揮を執り始めた敵将は徹底的に後者であり、汗明はまぎれもなく前者であり、そして己は複合型であると自負している。

 

「……さて、それでは私も遊んでもらいましょうかね」

 

 ――図らずも、皮肉にも。

 眼前に迫る難を除かんと知略を尽くしたヤンではあったが、その働きがかえって刺激となって、さらなる脅威の誘い水となってしまった。

 

 脅威の名は、王騎(おうき)

 ここより遥か前、春秋戦国時代。

 六将として天下に名を馳せた大将軍は、その異名に相応の怪音を喉奥から発しながら、緩やかに進軍を再開した。

 

 ~~~

 

「敵の第二波、来ますっ!」

 味方の収容を終えた袁紹軍は、その方によってふたたび軽い恐慌状態がもたらされた。

 

「掲げている軍旗は?」

「『王』ですっ」

(ワン)……」

 

 円が放った誰何への答えを、ヤンは口の中で復唱した。

 やはり記憶や印象に乏しい、ごくありふれたファミリーネームだ。

 少なくとも史実の袁術、曹操陣営に王姓で、しかも中核を任せられる敵将など聞いたためしがない。

 

 おそらくは先と同じどこぞの時代、あるいは並行世界から呼ばれた敵将ではあろうが、いかな自分の血統の大元ルーツとは言えど、膨大かつ煩雑極まりない東洋史すべてを網羅することなど、さすがの歴史家志望も不可能なことであった。

 

 ――この後の時代、愚かな司馬一族たちが他民族が長城の内に引き入れ、統御しえなくなった結果、数多の国家が盛衰し幾多の非人道的行為が容認されてきた五胡の時代などは、特に。

 

(我々のような異物も、その五胡と変わりがないのではないか。いや、なまじ未知の知識や技術が流入した結果、このまま大陸のパワーバランスが崩れて群雄割拠の時代が継続されているからもっと質が悪い。史実通り彼らが入り込めば、あるいは引き込まんとする何者かの意図が存在した場合、この国は本来の時代よりさらに陰惨な悲劇を引き起こすのではないか)

 

 そうなった時、自分自身を含めたこの『亡霊』たちは、自分がいたずらに乱世を引き延ばしたことの責任を取ることができるのだろうか。

 

 ヤンはキュアン夫妻を見つめながらふと思った。

 もっとも、今更な問いだった。自分がイゼルローンで戦っていた時も、己が時流に逆行し、停滞させているのではという思いに、何度駆られていたことか。

 

 ハンサムなその騎士と視線がぶつかり、頭を掻いて身を退いた。

 

「ちょっと真直さん、真直さんはいらっしゃらないの!? 戻ってきているのでしょう?」

 

 遠く後方に控える麗羽の呼び声が高らかに響く。声だけで、自分から来はしない。

 彼女の姿を求めていつつも、その所在の有無を確かめることに恐怖している。

 その姿は、滑稽を通り越してあまりに痛々しいものであった。

 

「――彼女のことは、わたしが宥めます。貴方は『わたしの名代』として、指揮に専念を」

 通りすがりざま、円がそう伝える。あらためてその重責を痛感するのみではあるが、果たして子どものごとき後方の主君と前方の未知の敵、どちらの相手が楽であるのか。

 

 実質的な総司令官たる円は、自分の代理としてヤンを立てる事を諸将に通達したうえで、自身は麗羽の相談役、もとい精神安定剤として後方に引き下がった。

 周囲の視線を首筋の辺りに感じ、苦笑しながら改めて挨拶をした。

 

 露骨に胡乱気な表情を見せたのは審配、張南(ちょうなん)焦触(しょうしょく)らであり、疑いもせずそれに賛同したのは猪々子であり、何かを洞察したかのようであったのがキュアン、エスリン。半信半疑といった様子ではあったのが斗詩であった。

 李通こと鉄火は元よりその内意に従って行動していたため、舌先に賛否を乗せることこそしなかったが、とりあえずは全面的に支持する様子であった。

 

 短く限られた時間の中で彼らは方針を決めた。

 円――もといヤン―は即時撤退を主張したが、他の者がそれに反対した。少なくとも、反撃をくれて撃退して後、悠然と軍を転身させるべきであると。

 そうこうしているうちに敵の第二陣は後続の軍と合流し、看過できない地点にまで達しつつあったことで、ヤンも妥協せざるを得なかった。

 意志の統一性を欠く軍では進退もままならぬ。それを知るがゆえに、主張を取り下げた。

 

 

 

 ――かくして不敗の魔術師と秦の怪鳥、遠く時代も処も隔てた名将は、互いに手持ち不如意の状態ながらも、数のみでは互角の状態で対峙することと相成った。



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袁紹(五):旭は二度昇る(前)

チョイ役は戦死にカウントしません。
ご了承くださいませ。


 再戦の火蓋は、ごくごく平凡な競り合いから始まった。

 何しろ、互いに前情報のない未知の敵とのぶつかり合いだ。手探りで相手の性質を探り合い、かつ自分たちの手の内を隠匿するというのが欠かすべからざる戦術的努力であった。

 

 最初に動いたのは、かつ敵の相を見抜いたのは、袁術軍が先であった。

 小競り合いの後、一度退き体勢を整えていく。それに合わせて袁紹軍も不完全であった隊列の調整に注力した。

 

 袁紹軍が稜線に沿って陣を形成したのに対し、袁術軍が採ったのは、斜傾した横形陣。俯瞰すれば飛行する雁の群れにも見えることから、基本的な八陣のうち雁行陣と呼ばれる形態であった。

 

 だが、それは攻勢に出る部隊の援護や柔軟な防御に向いた性質のものだ。攻め方が単軍で成すような陣形ではあるまい。

 汗明とやらとは明らかに動きが違う、明確な思慮を持った兵の動作。それがヤンにわずかな逡巡と慎重さへと傾斜させ、前衛は自律的な判断のもとに攻勢に出た。

 

 先走ったのは、その指揮官代行に疑問を抱く張南、焦触らであった。

 両翼の彼らが動くのに引きずられる形で、中央の審配、顔良、文醜らもこれに続く。

 

「いけないな。すぐに後退命令を」

 と言って伝令を飛ばしたが、先に動いたニ将は嗤った。

 

「先にはすぐに退却すべしと主張しておきながら、今やろうとしている戦術は持久戦ではないか。朝令暮改もはなはだしい。沮授殿もその名代も、田豊殿のごとき才腕には遠く及ばぬ」

 

 ヤンがそのことを聞きつければ、朝決めた戦術が暮れにも正しいとは限らないと反論したであろう。

 だがその反論も、嘲笑も、互いに交わされることがなかった。

 

 袁術軍は雁行の構えに合わせて、逆撃に出た袁紹軍前衛の間隔も不揃いなものとなった。

 敵将が攻勢をかけてきたのはその瞬間であった。

 中央の抑えはそのままに、左右に孤立した部隊を急襲した。しかも左翼張南を襲ったのは、追撃軍の総大将と思しき大柄の怪人であった。

 

 軽騎五十ばかりのみを動かした彼は黒鹿毛を疾駆させるや一合さえ刃を鳴らさぬままに張南を両断し、残存兵力もほぼ独力でこれを制圧し、なお横撃を止めぬ。その対応に追われる中、中央と敵左翼も前線を押し上げてきた。

 やがて、焦触もその左将紀霊の三尖刀の餌食になったという凶報がもたらされるのに、時間はかからなかった。

 

 まるで散髪でもするかのように、敵総大将自身が鋏となって、伸びた戦線を横合いから刈り取っていく。

 

「キュアン隊に伝令。敵左翼の部隊を防ぎ、背後に待機させた李通隊でその後背を突いてくれ。決して深追いせず、追い払ったらすぐに顔良隊への援護を。その間に文醜隊に中央を立て直させ、しかる後に反転して敵右翼を左右から挟撃。これで時間を稼ぐ」

 

 すぐさま新たな指示を飛ばしながら、車上のヤンは頭を掻く。

 やはり艦隊戦とは勝手が違う。将兵の人間性が、露骨に戦局に反映される。

 何より強く痛感するのは、指揮官と幕僚の不足であった。自身の案を諮り、かつこの世界の尺度に作戦を調整するための理解者兼助言者であった沮授もまた、後方へと引き下がっている。

 自身の奢り、大量殺戮者としての業。それを自覚しつつも歯がゆい思いだけは拭いがたい。

 未だ残存する幾千の兵に囲まれながらもしかし、彼は孤独だった。

 

 

 ~~~

 

 王騎には、敵将の孤独が分かる。焦燥が読み取れる。そして目論見の大略が分かる。

 おそらくこの知略型の権化のごとき将は、こちらの後詰を引き出すことが目的だったのだろう。

 もしこれ以上余計な手出しをしてくる者が増えれば、その分この限定された戦場は動きが不自由なものとなるし、そもそも指揮系統が滅茶苦茶なこの軍は混乱することになる。

 

 だが、その意図を将兵のうち理解に及んでいる者がいない。

 敵を打ち負かすことしか、あるいは逃げることしか頭にない連中ばかりであろう。そして彼らに厳命できるほどに、この臨時の指揮者は権限を持っていない。

 かつては、彼の指示を良く汲み取る補佐役でもいたのだろうか。あるいはある程度――たとえば軍船のような――将の武力よりも判断力と指揮能力が重きを占める戦場が主であったのか。

 この将の描く図と現場とで、若干の齟齬が生じていることまで王騎は見抜いていた。

 

 同情はする。共感もする。何しろ歯がゆいのは己も同じだ。

 七乃の名代として率いているのは袁術軍の生え抜き。もとい増長させ放題の、武将とさえ言えない雑草どもだ。

 かろうじて見るべき点があるのが意固地さと退かん気のある紀霊……実三牙と、あとは中央の橋蕤《きょうずい》の凡庸と堅実の中間ぐらいの資質ぐらいであろう。

 

 だが、その彼女たちが敵の中軍以降、その地の利を生かした機動戦に翻弄されつつある。敵先鋒の失態から生じた間隙が埋められつつある。このままいけば自分の右陣のみ孤立するだろう。

 それに合わせて退く……というのが常道ではあったが、敵の理に従属する、つまらない選択でもあろう。

 

 ゆえに王騎は猛進した。強襲した。

 丘陵を一息に上りあがり、敵の司令部側面に回り込む。

 元よりこの惰弱な軍容に、自身の武で負かす者がいようはずもない。

 

 驚き群がる敵兵を一喝のもとに薙ぎ払い、大きく本陣へと躍り出た。

 そして血路を開いた先に、かの将を見出した。

 

 次の瞬間王騎の分厚い胸の内に意外の念が去来した。

 

 線の細い男である。

 今まで、ついぞ見ることのなかった型の将ではある。

 王騎の国、そして世では、いかな智将であれ他を圧する武技と、それを含めて己こそが天下一だという自負は将軍にとって欠かすべからざるものであった。

 

 だが車上の男は偽首か、影武者かさえ疑いたくなるほどにそれらが欠落していた。

 しかしそれでも、王騎には判る。

 

 この骨細子だ。眼を見れば瞭然である。

 幾万の兵の命の重さを知る男の眼だ。しかも、王騎の武威を浴びても泰然と構えたまま、逃げようとも抗おうともせず、

 

 この中華に落ちて後、初めて人に関心を持った。

 ――その興ゆえに、怪鳥は目の前に割り込んできた駿馬への対応が後手に回った。

 

 閃いたのは三叉の矛。

 それを受けた時、確かな手ごたえを王騎は感じた。

 そして慣れた、いや懐かしくさえ思える感触である。

 武人としての絶対的な矜持と自負。それこそが彼の知る闘将たる者の在り方そのものであった。

 

 ――近くに潜んでいることは気配で察知していた。

 いずれ来るとは思っていた。

 だが、こうも愚直に、関わりのないはずの敗軍に加勢するとは思わなかった。

 その不意もまた、愉しい。

 

「名は?」

 

 狼か、野良犬か。雪野か枯野か。

 そんな荒涼とした雰囲気を抱く漢に、王騎は唇を吊り上げた。

 

 似たような猛者を侍従としたその男もまた、傲然と笑い返して馬上、矛で虚空を裂いた。

 

帯刀(たてわき)先生(せんじょう)義賢(よしたか)が次男。旭将軍、木曽(きそ)義仲(よしなか)



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袁紹(五):旭は二度昇る(中)

 既にして明らかにするまでもないことではあるが、ヤンには武断的面は皆無である。

 攻めよりも守勢。肉体労働よりも頭脳労働を専門とする。自他の流血を好み敵を殺傷することを誉れとする者を嫌悪する。

 だがその武事に疎い彼をして、その競り合いは見事というべきほかなかった。

 

 達人同士の刃が互いの肉体に迫り、かつそれが紙一重で阻止される。様々な技法を凝らし、別々のベクトルをもって圧し合う。相手の命脈を探り、狙うその術理は集団戦にも相通じるところがあった。

 

 やがて突如として現れた男の副官が太刀を振るって横槍を突いたことで、また、ヤンを仕損じたことで、かつ足を止めたことで包囲の危険が生じたことで、敵の少数奇襲部隊……否、本隊は退いていった。

 ただし悠々と、確固たる地歩を踏みしめて。誘いの可能性と、そもそも彼を追い討てる可能性の低さを考慮し、追撃を固く禁じた。

 

 従う手勢はわずかなれどもいずれも精鋭。ここまで侵入を許したのは、質や指揮を数と地勢のみに着眼していたのは手落ちだと、ヤン自身も考えていた。

 

「いやぁ、感謝します。まさか救援に来ていただけるとは」

 状況を収集させた後、礼を述べたヤンだったが、実のところこの潜在的中立勢力の存在には気が付いていた。

 だがいかに状況が推移しようともどちらに加勢するまでもなかったので、大方どこぞの別勢力からの威力偵察、あるいは様子見と言ったところだと踏んで、無視を決め込んでいた。

 まさかこの土壇場になって、しかも逆転したとて恩賞に預かれるとも知れぬほど圧倒的に不利な側につくとは、さすがに予想しえなかったが。

 

 ――これだから、どうにも武人という生き物とは疎通が難しい。

 そうヤンは苦笑を浮かべた。

 

「えぇと、旭将軍(ジェネラル・モーニングサン)?」

「そのような持って回ったような呼び方はやめよ。……名乗りはしたが、すでに過去のものとなった名声よ。ただの木曽義仲よ」

「同じく、今井(いまい)兼平(かねひら)

 

 正直苦手な類の人間ではあったが、必要以上武張った感じも見受けられない。

 ここに来る前によほど手痛い失態を犯したのか、どこか自嘲気味にそう名乗り、それに合わせて副官も名乗る。

 

 ヤンは曖昧にうなずいた。

 彼とて銀河に比すれば極小の島国の、そのまた瞬時にさえ満たぬわずかな期間、首都を制圧し暴政を敷いた一軍部の首長と、その国随一の剛の者と称されし副将など、知るべくもなかった。

 だが、知っていればおそらく、この厭戦家はもっとも軽蔑すべき人間と嫌悪と偏見を持ち、その行動に疑念を持ったであろうから、この場合は両者にとっては僥倖であったと言えるだろう。

 

「それで、お二人は今この時に限定して言えば味方……ということで良いのですね」

「まぁ、乗りかかった船よ。中々に面白き戦をするゆえ、つい力を貸してやりたくなった」

「面白い、ですか……」

 ヤンは頭を掻いた。

 

武士(サムライ)には、卑怯と映ったのでは?」

 ヤンは自身の知識によって同一視したが、彼の想像する江戸期の、いわゆる『侍』と、彼ら『武者』とは曖昧だが大きな隔たりがある。

 

 大まかに言ってしまえば戦国以前の武士は、軍事政権どころか権力と軍事力を手にした強盗の集団と言ったほうがどちらかと言えば正しく、それを儒教的指導によって去勢したのが『侍』だ。

 

 むろん、それでも源平武者たちの間にも軍事的公序というものは確かに存在したが、何事にも例外は見受けられる。

 

 『かの有名な御曹司』もそのうちの一人ではあろうが、この木曽義仲は彼に先んじて、火牛をもって敵の大軍を崖へ追い落とすという奇策をもって勝利を飾っている。

 本人たちが知り得るかどうか、人格的に波長が合うかどうかはともかくとして、固定観念に囚われず実を取るという点においては二人の戦術的嗜好は合致していた。

 

「お主であれば、あるいはこれも上手いこと使えるのではないか?」

 そう言って自身の兵に持たせた大荷物を解いて、その中に在った物を披歴した。

 

「我が郎党、行親(ゆきちか)の用いていた代物だが、我にはどうにもこの手合いの物が分からんのでな。お主であれば、使えるか?」

 

 そうは言われても、銃の扱いすら危うい自分に、それを操作方法など分かるべくもない。

 だが、それが何に用いるものなのか。形状からはおおよその察しはついた。

 

 

「――感謝します、義仲公」

 

 一応の礼を言ってから、それの扱いや性能の件も含めて、今後の方針を話し合うべくヤンは諸将を呼びつけた。

 どうやら彼ら自身の着到とともに、打開策は見つかったようだ。

 

 

 ~~~

 

 後方に下った円は困惑していた。

 正直に言えば麗羽を持て余していた。

 

 いつものように大音声で騒いでいればそれを適当にいなすこともできただろう。

 馬鹿笑いとともに奇想を披露しても、真直ほどではないにせよそれなりの付き合いも可能だったはずだ。

 

 だがかの姫君は……沈黙していた。

 豪奢な金髪の下に顔を伏せ、椅子に腰かけたまま立ち上がることもせず、一声も漏らさない。

 

 決して普段の麗羽からは想像もつかないような姿が、その本陣には存在していた。

 何を想っているのか。どう声を掛けたものか。

 

 どの地を攻め、どの城を落とすかを考えるのは軍師の仕事だ。

 だがそれが人の心の機微ともなれば、そう上手くは運ばない。

 

「円さん、真直さんは……亡くなったのですわね」

 

 考えあぐねる円ではあったが、切り出したのは麗羽の方が先だった。

 円は沈黙した。

 彼女自身に必要な思考の時間と、驚きによる感情の空白。

 

「……はい」

 そのうえで、率直に切り出すことを選択した。

 まさか、承知しているとは、いや自分から認めて受け入れるとは思わなかった。

 どの段階で知っていたのかは分からないが、少なくとも体勢を立て直した時点では薄々察していたそのうえで、常と変わらぬ様子で振る舞っていたのか。

 おそらくは、将兵の動揺を防ぐために。

 

 周回遅れの気遣いではある。

 彼女以外の誰もが、言葉にせずともその現実をすでに受け入れていたのだから。

 

 だが、そんな麗羽なればこそ、良いのだ。

 豪放にして不器用なれども、彼女なりの気遣いと慈愛を持った袁本初なればこそ。

 

「前線に戻ります」

 

 麗羽は短くそう告げる。

「なんのために」だの「何をする気だ」などとは問わなかった。

 一にも二にもなく、随従すべきだと、軍師沮授ではなく人間円としての奥底の部分で、理解しているがゆえに。



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袁紹(五):旭は二度昇る(後)

「皆さん! お待たせしましたわね! 体調も良くなってまいりましたので、お目見えを許してあげても良くってよ!」

 

 待ってないし見たくもない。

 そんな暗なるヤンの抗議もむなしく、我らが総大将閣下が軍議に戻ってた。

 

「君が彼女の勤労意欲を刺激したのかい」

 沸き立つ三羽烏、感涙にむせぶ審配の裏で、皮肉めいた口調で円を非難すると、彼女は静かに首を振った。

 

「あれでも空元気ですよ。むしろ、こちらを元気づけようとなさっているのです。とても軍議に口を挟むほどの精神的余裕は戻ってきてないですから、ご安心を」

 

 と、これまた鋭めの口調でヤンに返す。

 そう言われてしまえば、容姿に見合わずシニカルな毒舌家であるヤンであろうと、死人に鞭打つような言動はためらわれた。

 

 代わり、深いため息をつく。

 

「ようやく打開策が見つかったところだから、ここだけは大将らしく後ろに鎮座してもらいたいものなんだが」

「……あの義勇兵たちですか?」

 義仲主従を胡乱気に見やりながら、姫軍師は尋ねる。

「信頼にあたうるのですか」

 

 ヤンは肩をすくめて答えた。

 

「私の感受性には製造当初から武人の心得とやらに価値を見出す回路が組み込まれなかったようでね。ただ、今更自分たちを危険にさらしてでも罠にかけるほどの値打ちが我々にあるとも思えない。この場合は彼らの伊達と酔狂に甘んじるほか道はないように思えるんだ」

「悲しいことながら」

 

 裸の王様を遠望しつつ、円は嘆息した。

 

「この際だから聞いておくが、君こそ彼女をどうしたいんだい」

「勝者の座へと押し上げていただきたかった」

 

 円は即答した。ただし、過去形で。

 口を閉ざしたヤンに、少女は複雑そうに微笑み返した。

 

「でもこの状況でそんなものは奇跡に近い。そして奇跡というものは起こらないこと奇跡なんですよね」

「他人が勝手に期待を寄せる以上にね」

 

 自身の虚名を想いながら、シニカルに彼は首肯し返した。

 

「だから、ただ生きててほしいと思います」

 

 声を張って皆を一方的に叱咤激励する麗羽をじっと見据えたままに、円は静かに、そして母のごとく女性的で優しく、続けていく。

 

「好きなんです、彼女が。ワガママでもそれがつい許せてしまい、他人から土地やモノを無意識のうちに奪おうとも、あるいは奪われようとも、喜劇や笑い話にしてしまう。願わくばそういう方にこそ世をあまねく照らしていただきたかった」

 

 だがそれはすでに叶わぬ願いとなった。

 その王道の邁進に必要な車輪が、永久に欠けてしまった。

 

「だからせめて、賑やかな『余生』を送って欲しいんです。益体もない馬鹿話ではしゃいだり、持ち前の強運で賭け場で荒稼ぎしたり、果てには自分たちで競馬場でも開いたり……そんな人並みの幸福を求めることさえ、今の彼女たちには遠い夢なのでしょうか」

 

 細められた眼差しはまるで、三人の中に、もうひとり在るべき人を見出しているかのようでもあった。

 

 王道だ主君だののために忠を尽くす義理はない。

 カボチャを馬車に変え、ネズミを御者に変えるような奇跡は使えない。むしろ人として出来ることの方が相対的に見て少ないだろう。

 それでも、目の前でけつまずいた少女に手を差し伸べる程度には、良識のある人間でいたいと、ヤンはそう思った。

 

「まぁ、出来る限りのことはやってみせるよ」

 かつて魔術師と呼ばれた男は、一軍の将としてはかなり消極的な、そして彼にしてはわずかばかり積極的な決意表明を示した。

 

 ~~~

 

 かくして袁紹軍は仮復活を遂げた麗羽の号令と円、もといヤンの指揮の下、前進を開始した。

 最初に敵が見せたのは、困惑であった。よくてこれまで通りの持久戦、あるいは犠牲を覚悟の全面撤退というのが袁術三軍の総意ではないにせよ、多数を占める見解であった。

 

 そしてその心理的間隙を繕うよりも速く、先鋒が文字通りの矛先となって敵を穿った。

 苛烈極まる攻勢を担当するは、義仲主従である。

 

「ふっ、懐かしい。横田河原を思い出すわ!」

 

 三又の大得物を振るい荒ぶる主君を、古青江の愛刀を握って援護しながら兼平は苦笑をこぼした。

 あの時は、自分たちが敵城の正面に攻勢を仕掛け、主力を引きつけている隙に別動隊が山道を抜けて城を奇襲する、という策を採った。

 義仲が言っているのはそのことではあろう。

 が、実はその軍談の恐ろしきところは、別動隊を待っている間に敵正面の主力を殲滅してしまった、ということであろう。

 まさかとは思うが、それを再現しようとでも言うのか。

 そう思いたくなるほどに義仲の攻めはあまりに向こう見ず過ぎた。

 

「しかしよろしいのですかな。ともすればあの者ら、最新参の我らを矢面に立たせて捨て石とする肚やもしれませぬぞ」

「元より今更惜しむべき命でもあるまい。久しく忘れていたな。無我夢中で戦場を駆ける、かような戦を」

 

 憧憬とともに、兼平は主君を仰ぎ見た。

 そうであった。この仁は徹頭徹尾戦場の人であり、敗走からの逃避行はこの武人らしからぬ悲惨な最期であった。

 退嬰の都。そこに留まったがために木曽党の武は濁ってしまったと今にしては思う。

 

 最期まで共にあった兼平には消沈し切ったその肩が、今でも記憶にこびりついている。

 その鬱憤を晴らしたい、という無念が痛いほどに分かる。

 だが今、その発散の機を得た。征夷大将軍ではなく、一個の武人として戦場にふたたび立つことに彼は喜びを見出しているようだった。

 

「ふっ、今日はやけに鎧が軽いわ!」

 

 ならば己も供にしよう、改めて支えよう。

 再び武の一華を咲かせるべく、兼平もまた剣を奮う。

 

 ~~~

 

「袁紹軍の一部、さらに突出! その他部隊も全面攻勢に出ていますっ!」

 

 袁術軍はそれを進退窮まった末の無謀な攻勢だと哂った。

 だが、その余裕が次第に焦りと転じるにはそれほど時間は要さなかった。

 勝勢への奢り、そして敵将への見くびり。それが表面化したうえで、さらに将の質においても劣り始めた。

 いや、最初から劣っていたことが露見したのだろうと、唯一その顛末を視野に入れていた王騎は中央に戻りつつ思った。

 

 ここまで敵が消極的な方策を採っていたのは、指揮する将が彼我の力量差を見誤らないようにして、無難な戦い方をあえて選んでいたのだろう。

 

 だがその見積もりも終わったがゆえに、実は自分たちの方が個々の将の指揮能力の正確さと個人的武勇が上と判断したがゆえに、部分的にではなく面での攻撃に転じたのだ。

 こちらと噛み合わせるかのように、斜線陣を敷き、要所の利を捨てて押し出してくる。

 勇を誇り矛を振るっていた紀霊も、文醜の大剣とかち合った結果、じりじりと退き始めた。

 

 ――だが、あの突出した将についてはどうか。

 王騎は後詰め要請を無視して思考する。

 どちらかと言えば、武による戦局の転覆に対しては、あの骨細の知略型は懐疑的かつ慎重的に思える。

 

 相反する将質、自陣の二将が切り崩されても徹頭徹尾守勢に回った合理的な判断を下す。

 となれば、敵の策はおのずと見えてくる。

 あれを捨て駒とし、彼らが穿った穴より一点突破を図る腹積もりだろう。

 

 そう判断を下した王騎は、自身も黒馬の腹を蹴って駈けた。

 

「左右の橋蕤、李豊に伝令! 三方より敵先鋒を速攻で斬り潰し、敵の目論見を端諸から摘むとしましょうか」

 

 ~~~

 

 敵の陣形に変容が生じた。

 キュアン、顔良の反抗を避けた中央付近の兵が、先駆するあの大男に続くのが、麓まで降りて来たヤンの本陣からも見て取れた。

 おそらくは量と質とをもって木曽勢を圧殺するつもりだろう。おそらくあの敵総大将の力量には、我が方のいずれも太刀打ちできない。

 

「例の物は?」

 ヤンは円に尋ね、そして答えはすでに返ってきた。

 

「わたしの元同僚に麴義(きくぎ)という(もの)がいます。あまり誉められた性格ではありませんが、そう言った代物に対しての腕は確かです。あれの扱いは『見ればわかる』とのことで、新しい玩具を得て喜んでいますが、実態は出たとこ勝負と言ったところでしょう」

「そいつは重畳」

 

 と言いつつヤンもまたその効果については半信半疑と言ったところだ。

 もっとも、使えるのであれば結果として人死にが少なくなるのだからそれに越したことはない。

 

「木曽軍、敵総大将の突撃を受けて苦戦中! 救援を求めています!」

 

 やはりあのせめぎ合いは、敵にとって戯れであったのか。

 本気、あるいは力をさらに引き出せば、木曽義仲さえも勝ち得ぬ相手であるらしい。すぐに凶報がもたらされた。

 

「まだだ」

 

 ヤンは強く厳命する。

 ともすれば見捨てるのか。そんな疑惑の眼差しが向けられてもなお、彼は黙秘を続けていた。

 自分の判断を信じて針の筵に座り切れるかどうかが、指揮官に求められる資質のひとつであろう。

 

 やがて、さらに敵の後詰が動いた。

 『李』の旗。『橋』の旗。それらが左右よりさらに押し包まんと翼を広げた。

 そしてこの瞬間、魔術師は立ち上がった。

 

「今だ!」

 

 ずっと焦れていたのか。それとも自身でもここだと見当をつけていたのか。

 沮授へ、麴義へ、その伝令は電流のごとく浸透した。

 李通を護衛とする麴義隊は前線へ急進。そして例の代物を敵味方へと披歴した。

 

 それは、白檀で組まれた四足の筺体。その前面は掘り抜かれ、中で矢が横列を成してつがえられていた。

 

 目標は中央の敵総大将に非ず。突破すべきは難敵控える中央にあらず。

 ――包囲せんとするその折れ目。陣容の整わぬその箇所、そのタイミング。

 

「ウワハハハ! ようやく出番かッ、石弓機、発射ァ!」

 その猛者の号令と指導のもと、レバーとおぼしき部位の引かれたその兵器は、無数の剛矢が直線的に飛来していき、やがて敵の左軍に穴を開けた。

 

 ――古来、戦においては自軍を勝利に導く将こそが華であったろう。

 またそれと同様に、敗色濃厚な戦場において輝きを放つ将器というのもまた確かに存在し、そしてこの場合袁紹軍がそうだった。

 

「皆、進みなさい!!」

 麗羽が檄を飛ばす。

「これは退却ではありませんッ、喪った者たちの分も背負って、それぞれの未来をつなぐための転身と心得なさい!」

 

「承知! 

 まず一番に離脱したのが、手前の李通、麴義。次に渾身の力で敵を退けた義仲たちであった。

 その突破力でもってさらに穴を拡充し、そのあとに続いたのがキュアン隊だ。

 

「恥じる必要はない! 生き抜いて故国に戻れっ、これに勝る武勲、勝利などありはしない!」

 とキュアンが吼えて剛槍を振るい、エスリン夫人もみずから剣を執って健闘した。

 さらに突破口を広げていく。

 

「しゃあっ! ここが命の賭け時だ!」

「せめて麗羽様と文ちゃんだけでも、なんとしてでも生かしてみせる!!」

 と猛獣の咆哮とともに文醜が、そして顔良が、本陣の離脱まで殿を買って出て敵の追撃を退けていく。

 

 円みずからが手綱を取って猛進した戦車にしたたかに背と頭を打ちつけてひっくり返ったヤンは苦笑する。

 ――仮に穴を開けたとして、そこに各々の意志力が伴わなければ成功しなかった。

 そこに在ったのはやはりあの派手な御令嬢の、憎み切れない人徳……

 

『できればこの人を、こんなところで無念とともに死なせたくない』

 

 という想いが確かにあったからだろう。

 

 ~~~

 

(まさか、私が読み違えるとは)

 

 針鼠のごとくに矢だらけになって転がる橋蕤の骸を見下しながら、王騎は苦笑した。

 この時代に来て、智において勇において、自身と渡り合える武将など、敵にも、そして味方にもついぞ見なかった。

 それがゆえに、やはり無意識のうちに驕っていた。

 だからこんな単純な手に引っかかったのだ。汗明のことを、嘲笑できまい。

 

 完全に読み違えていた。まさか土壇場になって計算を捨てて情を取り、確信よりも不確定要素を重んじて打って出るとは思わなかった。

 いや、今までがそうとは思わせないための演技であったのか。

 読み切ったと踏んでいたあの智将の貌が、最後の最後で見えなくなっていた。

 

 とにかく、底の知れない将であったと言えるだろう。

 

「少しばかり楽しみが増えましたね」

 次こそは万全で戦う。そして確実に完勝してみせる。

 児の反抗期を目の当たりにした母のごとくに、感傷と充足感を噛みしめて王騎は呟いた。

 

 とうに戦が終わった後になって、ようやく張勲がやってきた。

 もう少し早くに来ていれば、こちらの前線を突破した部隊を挟撃できただろうに。

 

「もう、なんで勝手に本軍を動かしてるんですかぁ」

 と、自分が気もそぞろに許可を出したことも忘れたかのように、咎めつつ。

 

「それで、敵はどうしたんです?」

「ンフフフ、反撃を受けて逃げられちゃいましたァ」

 

 悪びれることなく、それでも明確に自分の非を認めて王騎は言った。

 えー、と張勲は唇を尖らせる。

 

「ほんっっと王騎さんは口と図体だけなんですからっ」

 

 そこで実際に行われた激闘や読み合いなどまるで読み取る能力などなく、表面的に顕れた単純な結果のみで袁術軍の参謀はプリプリと怒りながら辛辣に王騎を酷評した。

 

 彼の指揮下で戦い、その将帥ぶりと無双の武を目の当たりにしていた者は皆さっと血の気を引かせたが、その空気の変化さえまるで斟酌する様子がない。

 

 序列として異見できそうなのが実三牙であろうが、口下手で不愛想な彼女は猛犬のごとき面立ちのまま冷汗を飛ばしておろおろとするばかりだ。

 

「いや、すみませんねェ」

 一方で王騎もまた自身がしてやられたとは承知していたのと、祭り上げられるばかりであった自分が下に見られるというのがなんだか新鮮な体験であったので、謝罪と共にこの女道化の思い違いぶりを愉しんでいたのだった。



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陶謙(五):終戦の譜(前)

 かくして、陶謙軍は盧江の戦に敗退。寿春は堅守すれども後詰の袁紹軍は破られ青州へと引き上げ、下邳は占領された。

 

 四散した陶謙軍中より、天の御遣い今川義元の命を受けて別行動を取った二将が沛国に在った。

 

 丁奉こと旋律、そしてオフレッサーである。

 もっともオフレッサーは伸びているところを回収されてそのままここに運ばれてきたせいで、最初はパニックと激怒で我を失って暴れ回り、寝室の調度品のいくつかを破壊した後に落ち着きを取り戻した。

 その後はここの歓待に対して野趣あふれる健啖家ぶりを発揮して周囲を瞠目せしめた。

 ……というのは極めて好意的かつ文学的に捉えた解釈である。

 実際は野獣そのものと言った食事風景に、旋律も、かの国の相たる母娘も、辟易していたことは言うまでもない。

 

「……それで、話の続きだけれども」

 すぐ横でひっきりなしに鳴らされる食器の音や、遠慮のない咀嚼音。体重のかかる椅子の軋み。それら雑音を丸々無視して、旋律は続けた。

 

「えぇ、兵を貸して欲しいと?」

 ほんの少し煩わしげに、豊満に過ぎる胸を押し固めるように寄せつつ口元に手を遣る女性こそが、沛の相、陳珪であった。

 

「たしか、袁紹殿が敗走なされたとか」

「さすが、耳ざといこと」

 

 実のところ、旋律はその報にこの時初めて触れた。が、予想はしていたので驚くには至らなかった。驚嘆すべきは、陳珪の諜報の速さであろう。

 

 これ以上踏み込めば、こちらの無知を曝すだけである。

 だからその敗報自体はそこそこに打ち切り、彼女は本題を切り出した。

 

「たしかに後詰は寿春に届かずして敗走したわ。それでも、おかげで袁曹連合の眼は北へと向けられた。今側面を襲えば少なくとも寿春は押さえられる。逆に今動かなければ、徐州連合は遠からずして共倒れになるわよ」

 

 乱世の申し子と名門の正嫡に比して、後者の盟名のなんと貧弱なことか。

 だがその名の重さがいずれ覆ることとなる。五年、いや三年持ちこたえて独立国としての体裁を整えることができれば。

 

 ――だがそれも、むなしい夢に終わるか。

 

 旋律は貪るオフレッサーと見苦しいはずのそれに視線を絶やさぬ陳珪を見て嘆息した。

 

「……なるほど」

 たおやかな声とともに、陳珪は頬に掌を当てた。

 その横で薄く紅を塗った唇が妖しく吊り上がった。

 

「けれども気づいてらして? 徐州はともかく沛が生き残る術は、いくらでもあってよ?」

 

 そう言った瞬間、オフレッサーの側からひときわ大きな音が立った。

 皿に顔を埋めた猛獣は、その姿勢のまま高いびき。それを見遣る旋律の首筋に、陰より槍穂が突きつけられた。

 

 

「……だと思ったわ、この牝狐」

 旋律は冷ややかに取り繕った横顔を陳珪に向けた。

 かの獣には眠り薬を食事に盛って、彼女の食卓は、甲兵に囲ませ、まったく用意周到というか機を見るに敏と称し、軽蔑すべきか。

 

「さっきから小うるさいほどに囁き合っていたのよ、物陰から擦れ合う鉄や絹が」

「あら、そうなの。身近な私には聞こえなかったけど……さすがは丁承淵(しょうえん)、音で戦場を視ると言われる晩成の将器、といったところかしら。その割には」

 

 揶揄する陳珪の目の前で旋律は指を鳴らした。

 すわ何かの合図か策かと、警戒する沛兵たちだったが、そこでもっとも注意しなければならない当人への注意そのものが解かれた。

 直後に旋律は動いた。

 手前の兵士に肘鉄を食らわせ、その槍をもぎとり大きく旋回させる。

 間合いを開けた兵士たちの合間を縫って、単身戸口へ。

 

 だが、その道中にぬるりとした気配が立ちはだかった。

 蛇のごとく、執拗で堅固な構えを取る、灰髪紅眼の少女。

 今この瞬間まで、まったく気配もわずかな物音も感知できなかった。否、いくつもの雑音と人気の中に、それはまぎれていたのだった。

 

「あんたは……ッ」

 

 当惑は刹那にも満たず、武人としての感性は目の前の敵を突破すべく肉体を自走を続けさせた。

 地面すれすれまで屈んだその敵は水面蹴り。跳んでそれをかわすも、蛇のように伸びた腕が浮いたくるぶしを絡め取って地上へと引きずり戻す。

 

 床に叩きつけられ、槍を取りこぼしたた旋律はなお抵抗を諦めず、逆に拘束を抜け出て間接を極める。

 そういう技能と工夫を凝らした応酬が続いた。

 だがややあって優位に立ったのは旋律の側であった。

 敵の喉輪に広げた指を食い込ませ、仰向けに組み伏せる。

 

 だが、それはあくまで個人間の優劣や勝敗でしかなかった。

 彼女ひとりに対抗していた旋律の周囲には、ふたたび笹穂が傾けられている。

 その兵士たちのうち、妙な気配と敏捷さを持つ者がいる。おそらくは、()()()()の手の者がすでに紛れていたのだろう。

 

 息をついて、旋律は足下の少女を解放し、両手を掲げた。

 

「……さすがは泰山賊。毒薬不意打ちの類には手慣れている、というわけね……(ぞう)宣高(せんこう)

「実を取っただけなのに賊呼ばわりは不本意さぁね」

 

 一息に直立した、自分と同じぐらいの娘はふてぶてしく笑いながら応じた。

 藏覇。先に独立勢力として曹操と戦い、そして敗れて帰順した将である。

 

「そもそも貴方は逃げる気もなかったでしょう?」

 まるで子供の喧嘩でも見るような目つきで、陳珪が口を差し挟む。

「そのつもりなら、気取った瞬間にいくらでも逃げられるはず。ここまで気づいていなければ、そもそも食べ物を口にして眠りについているはず」

 

 この女に看破されることは癪ではあるが、いちいちもってその通りだ。

 

「えぇ、元より降るつもりよ。だからこうして、『手土産』も用意したんだから」

「だったら、もう少し大人しくしていてもらいたいもんだ」

 

 外してやった手首を涼しげな表情のまま、藏覇は骨音を鳴らして調整した。

 

「背後に誰がいるか知りたかったのよ。藪を突いて(あんた)が出てきたってことは……ここはすでに曹操の手に落ちたと」

「止まり木を替えたと言ってもらいたいものね」

 

 図々しい物言いの陳珪の裏で、小さな影が反応して動く。それを意地悪く覗きこみながら、尋ねる。

 

「そっちの小鳥ちゃんは、納得していないようだけれども?」

 小鳥ちゃん、と揶揄されたのは陳珪の息女である。

 理知的な目の鋭さはその眼鏡によって誇張されている面があるものの、今回の場合は明らかに不機嫌そうで、ほどよく日に焼けた肌は、知識のみでなく実地を知ることを証明していた。

 

 陳登(ちんとう)元龍(げんりゅう)。若くして農政に一家言を持つ徐州の宰相である。

 

「義元さんには、もっと聞くべきこと、学ぶべき先の時代の知恵があった」

 なるほど内政家として相通じる者らしい異見であった。

 だが娘に冷視されつつもけろりとした様子で陳珪は言った。

 

「そうして得た知識も技術も、それが元で土地を戦火で焼かれたら意味のないものよ。そうでしょう? 丁奉殿」

「……そうね」

 

 政で師事したのが陳登であるのならば、自分にとって今川治部大輔は戦の師だ。あるいは人として、あるいは生という名の楽曲の師として。

 そんな恩師を、今おのれは裏切ろうとしているのだ。

 ……他らなぬ、その男自身の指示によって。

 

(曹操の内情を探り、対陶謙戦における落としどころを見つける。それで良いのですよね、義元様)

 

 盧江よりの退却の間際、受けた密命を思い返し、旋律は悩まし気な息をひっそり胸中へ落とす。

 だがそれでも、徐州が膨れ上がった栄華をふたたび手にすることはあるまい。

 そのことを想い、静かに旋律は瞑目した。

 

 まこと、惜しい。

 もう少しだけ、我々に時があれば。徐州が元より富める土地であったのなら。

 ――あるいは、かの天の御遣いが落ちたのがかような惰弱な地と君の許でなければ。

 

 だがすべては過ぎた話だ。

 今は当面の頭痛の種をどうにかすべきであろう。

 

「ついでに確認したいことがあるんだけど」

 再度昏倒して突っ伏したままの肉団子を指で示しながら、旋律は尋ねた。

 

「曹操殿がこいつをどう評すのか。どう扱うのか。そもそもどう説得し、味方とするのか……陶謙殿に義理はないだろうけど、負け戦の直後に騙し討ちだから、たぶん起きた瞬間から滅茶苦茶荒れるわよ」

 気後れする女妖どもを見て、旋律は少しだけ溜飲を下げた。



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陶謙(五):終戦の譜(後)

「どうだー?」

「駄目ですな。将軍の左眼は完全に潰れておりますぞ」

「くそっ! 向こう十年はまだ使えるはずだったのにっ」

(いや、逆に十年しか使わない気だったのか?)

 

 老軍医の診断を受けて悔しがる春蘭の様子を盗み見ながら、オシュトルは面を外した。

 下邳城。そこで一端腰を落ち着けた連合軍に在って治療を受ける曹軍大将夏候惇。片目を喪うという重傷を負った猛将に代わって軍容をまとめ、かつその宥め役を買って出ているのが秋蘭こと夏侯淵である。

 オシュトルをすり抜けて夏候惇の前に進み出て、苦笑を浮かべる。

 

「まぁまぁ姉者、逆にこれは吉祥かもしれんぞ」

「吉祥だと!?」

「天の御遣い相手に命を得た。あるいは今からの公孫賛戦に際して我らの厄災を引き受けてくれた、とか肯定的に捉えても良いのではないか?」

「そっ、そうか?」

「そんな幸運な姉者に曹操様より言伝だ。『夏侯元譲、宛州に留まりかの地を鎮護するとともに、その身の養生をすべし。また、大将たる身でありながら一騎討ちに及ぶその軽率さを猛省し、自らの将器を見つめ直しなさい』とのこと」

「なぁっ!?」

 

 機嫌を直したのも束の間、北伐から外されたことを知り、春蘭は愕然と口を開いた。

 衝撃で応急処置をしたばかりの左眼から血が吹き出た。

 

 その反応をどことなく秋蘭は楽しそうだった。

 個性派ぞろいでアクの強い曹操一門中でも比較的温厚で気の良い性格だが、一方で良い面の皮もしていた。

 

 そんな姉妹のやりとりを横目で見送りつつ、ふと気配を感じた、あるいはそう錯覚したかのごとく背後にそびえる施設へと振り返った。

 軍の駐屯地と定めたのは、かつて『ウコン』と『五郎』が飲み交わしたあの酒場である。

 

 民も難を逃れて逃散した今、もはやあの夜の賑わいはどこにもなく、ただ空しく、物々しい武具や兵の容れ物となるばかりであった。

 

「オシュトル殿」

 

 今度は背後から声をかけられ、オシュトルは顧みた。

 真紅の鎧武者、真田幸村が立って、一礼を交わした。

 

「こたびのご助勢ならびに袁術殿の救出、感謝いたします」

「いや、すべては曹操殿とそのご家中の計らいによるものだ。礼はそちらに」

「無論、そちらにもまたあらためて」

 

 あえてその御礼を分けたのは、曹軍とオシュトルが、自分と同様に完全な主従関係ではないと知るがゆえか。あるいは自分たちの邂逅を格別に運命めいたものと感じているがゆえか。

 

「こたび、揚州経略の後背の憂いを絶つべく、この徐州の守りを仰せつかりました。聞けばオシュトル殿も、夏候惇殿の補佐役として留守を任せられたとか。今後も何かと縁があることでしょう。今後ともお付き合いのほど、お願いします」

「そうだったのか。では、これからもよろしく頼む」

 

 与するにせよ、対するにせよ。

 そういう言葉を呑み込み、オシュトルはその清々しい士たる態度に強く頷いてみせた。

 

「幸村殿、ついでと言ってはなんだが……頼みがある」

「私に出来ることであれば、承ります」

「徐州の民が泣かぬようにしてほしい」

「無論心がけます」

 

 そう言って、オシュトルは再度酒場を見上げた。

 そしてためらわず幸村は快諾してくれた。

 

「義元公とはかつても今もお会いしたことはないが、この街並みを観るだけでも政の見事さが覗えます。その域には遠く及ばずとも、法度自体はそのまま据え置き、早急に民を安堵することにしましょう」

 

 口約束なれども、オシュトルは何枚もの証書にも勝る確証を得た想いだった。

 

 それ以上の言葉は別辞に要らず。

 さっぱりと分かれたオシュトルは、改めて留守居組の面々と会合することにした。

 

「あぁ、お前がオシュトルか。話は聞いてるよ。俺は」

 まず声をかけたのは、濃茶の髪と白い陣羽織、それに貴人然とした美貌を持つ好青年だった。

 上下の隔たりというものを良くも悪くも感じさせない表裏のない性格と見た。

 風聞には、そういう天の御遣いを新たに囲ったとは聞いていた。

 

上杉(ウエスギ)景虎(カゲトラ)殿、でよろしいかな?」

「なんだ、知ってたのか。なんだか形式ばった呼ばれ方するとなんだか面映ゆいな」

 

 そうはにかむと、周囲の女子衆がそわそわとしだす。

 なるほど確かに、この青年の微笑と少年のごとき純粋さには、聖人さえ惑わすほどの魔性を帯びている。

 本人は無自覚であろうが、いやだからこそ余計にタチが悪いというべきか。

 

 もっとも、その色香が通用せぬ女性もいるにはいるだろうが。

 守将筆頭でありながら凶刃により潰れた眼球の完全摘出のために欠席している娘を想い、オシュトルは苦笑した。

 

(あるいはだからこそ、この者は春蘭殿に宛がわれたのか)

 他にも、居並ぶ面々はたしかに理にかなった選出であるように思えた。

 

「オシュトル殿、またご一緒できて光栄です。……またあの名を口にしたら、蹴り入れますからね、蹴り」

「本当は華琳さまや秋蘭さまの身を守りたかったけど」

「今はとにかく春蘭さまのもとで訓練あるのみだよねっ、流琉(るる)!」

「はいっ! 新しく配属されました松永久秀です! よろしくお願いします!」

 

 徐庶をはじめ、経験の浅い者、新参者……あるいはどうにも胡散臭くて信頼のおけない者などが多く、主力と多くの血縁者は曹操とともに従軍することになっていた。

 

 それだけ、今回の北伐には本気でかかっているとも言えた。おそらくは盟友なれども最大勢力であり野心旺盛な袁術の眼が南と西に向けられている今なればこそ、一気に河北を平定する気でいる。

 

 今回の援護はそのための布石。徐州一帯の地盤を固め、袁紹を無力化するための。

 かつ、陶謙軍残党がほどよく散ったことで袁術に余計な野心を向ける余裕を与えないために。

 

 そして陣容は今、整った。

 

 ――北伐軍。

 総大将に曹操。首席幕僚に荀彧。

 先鋒、曹仁、曹純。

 次鋒に夏侯淵。

 中堅を固めるのは例の御遣い二人の歩騎。そして藏覇。

 その糧秣一切を曹洪が取り仕切る。

 

 ――留守居組。

 太守代行に夏候惇。

 その補佐にはオシュトルと李典、景虎。

 ほか、徐庶、ロイド。

 新顔としては許緒(きょちょ)典韋(てんい)の組み合わせに、陶謙軍より鞍替えした丁奉とオフレッサー。

 江東よりの亡命者たる朱桓(しゅかん)、公孫賛に追われたという元黄巾兵の矮躯(チビ)と松永久秀なる天の御遣いがそこに加わった。

 

 天地人、三者の利を完璧に揃え、乱世の奸雄は、北を跋扈する白馬の逆賊を狙う。



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忠道、荊州
劉表(四):義なき忠


 連絡と補給とを絶たれてしばらく。

 荊南に取り残された劉表軍の評定は、すでに日数と糧食と気力とを浪費するばかりのものとなっていた。

 もたらされるのは江陵陥落、その後間もなく襄陽も落とされたという凶報のみである。

 

 答えはすでにして決まっている。

 これ以上深入りしても益なし。

 そも、孫堅を討てても孫策が、万に一つ孫策をも討ち果たしても孫尚香や江陵を取った孫権が、その軍を引き継ぎ報復戦を仕掛けてくるだろう。

 現時点において奇跡的かつ最大の戦果を挙げたところで、無意味である。

 即時退避。この四字しかあるまい。

 

 だが問題は、いつ、どうやって、南北からの敵の眼と追撃をかいくぐって、江夏、あるいは新野へと落ち延びるかであった。それについてさえ議論や案が交わされたが、現実的なものが出る事は稀であった。

 ついには焔耶が痺れを切らして玉砕覚悟の特攻を主張し、他の全員よりたしなめられるという事態まで発生していた。陣営内における溝が広がるのもそう遠い先のことではあるまいと感じ始めていたその時、光明が差し込んだ。

 

 にわかに長沙城内、議場の片隅より侵入してきた若草色の短髪は、ともすれば雑草が驚異的な速度で生長したようにさえ見えただろう。

 文聘とともに孫権軍の迎撃に当たっていたはずの、蒋欽である。

 

「ふぃー、やっと準備が整ったァ」

 などともぞもぞ蠢きながらどこからともなく現れた少女は、苦境に似合わぬ溌剌とした笑顔を浮かべ、あっけにとられた諸将に言った。

 

「あ、仲業さんからの指示だよっ! ありったけの船、大小問わずかき集めるだけかき集めて、君らを救援に行けってね。そしてその後は、『好きにしろ』って」

 

 水戦に敗けた文聘が擒となったことはすでに周知の事実ではあったが、どうやら自身の敗色を見越して、自由な采配と周辺の河の知識を持つ少女に自分たちのことを託したらしい。

 そのことを知ったシグルドは深く瞑目して感謝の様子を見せると、同様に息を吹き返した様子の諸将と顔を見合わせ、行軍の段取り一切を委任してある三成に問う。

 

「どうやらこれで、目処がつきそうだな」

 

 三成はしばし沈思した後、腕を組んだ。

 

「……多少の細工は要るだろう。それほど手間は取らせぬが」

 

 それを受けてシグルドは強く頷き、ようやくにして、正式な撤退命令を下した。

 

 さっそくの準備に取り掛かるべく名だたる将が退席するなか、もっともすべきことが山積しているだろう三成は、その場に居残っていた。それに従い、謀臣島左近も留まっていた。

 

 その原因はむしろ三成よりも、左近の側にこそあった。

 

「……どうした」

「何がです?」

「お前にしては珍しく、このところいやに物静かではないか」

 

 彼なりの冗談(皮肉)を含めての問いではあったが、語調は剣呑そのものだった。

 ここ数日の議において、あの左近は策も献じることなく、じっと何かを悩んでいる様子であった。

 らしくもないと三成は思っている。自分に数倍する実戦経験を持つこの知勇兼備の猛将である。長篠の退き口も経験した。関ヶ原においては黒田に狙撃されてもなお、崩れる味方を鼓舞して敵陣に斬り込まんとした。

 この程度の苦境、幾たびも乗り越えてきたはずだ。その男が、一切の打開策を出さずに、かつふてぶてしい笑みも消していた。

 

「いえね、考えてたんですよ」

 この時点で切り出そうか、そう逡巡する様子ではあったが、ついに切り出した。

 左右に目を配り、声量を削ぎ、

「無事このまま荊北に撤退するとして、果たしてその先どうするのか。そもそもそれは天下のためになるのか、ってね」

 

 三成は答えなかった。明敏にしてすぐ解を出す、この男が。

 

「そもそも劉表さんや蔡瑁さんは、見捨てた俺たちが帰ってくることなんて、期待していないでしょう。無事帰還できても、その先に待つのは疑いの目です。確実に持て余して、余所に追いやるか、謀殺か」

「あの女に、粛清を断行できる胆力があるとも思えんがな」

「だとしたら、なおさらこの陣営に身を置くことは危険じゃありませんかね。覇気も器量も半可通。とうてい、孫堅さんには及ばない。むしろ敵方の孫家の方が、殿のご気性には合ってると思いますがね」

「……冗談の度を超してるな。少なくとも、ここで笑えるような話でもあるまい」

 

 ぎこちなく三成は冷笑を浮かべて背を向けた。

 だが、返事はなかった。椅子から腰を上げる、わずかな物音が聞こえただけである。

 その沈黙が、今の発言が本音であることの証左であった。

 

「……俺に不義の輩になれというのかッ!」

 

 予感はあった。だが、それでも感情を抑えきれなかった。

 嚇怒して踵を返し、左近を難詰する。

 

「俺に、藤堂(とうどう)高虎(たかとら)のごとき者になれと……ッ」

 

 おのが嫌悪する男の名を出す。

 たしかにその才気に支えられたこともある。だが、奴の業績を見よ。

 幾度も主君を替えたあげく、自身の主君の仇たる者の弟にすり寄り、かつての主家の奥方を自害に追い込み、そして旗色が悪くなれば、今度はその遺児に刃を向ける。

 

 悪しざまに穿った視方ではあろう。裏切りは乱世の常であろう。

 だが、あまりに足取りの軽いその生きざまが誉れある生き方と言えるのか。

 

 そう言わんとした三成の足下に、左近は膝と手を突いていた。

 石高を折半し、自分に士官すると言った時と同様、見事なばかりの、辞儀であった。

 

「一度死合って理解しました。孫家は世評どおり剛直で、殿の頑なさを受け入れ、笑い飛ばせる器量と明るさがあります。一方で、今後天下邁進するに当たっては、その地固めに心もとなさがある。きっと今後、殿の吏才も重く用いられることもありましょう」

 

 常の挑発的な物言いとはかけ離れた、理路整然とした進言。

 そのうえでさらに、追い込むがごとく言い募る。

 

「高虎さんの名前を出されましたが、その境遇は吉継(よしつぐ)さんも同じ。そして、この俺もです」

「……!」

「今敵にいる勝頼さんの元客将であり、次に筒井(つつい)家に仕えました。殿に忠を誓ったのは暇乞いしたその後のことです。俺たちは……殿にとって不忠者と見えますか」

 

 三成は幼稚な感情から発したおのれの迂闊な発言が、自分自身を矛盾の袋小路に追い込み、かつ自身の忠臣の心を傷つけたことを悟った。

 返す言葉もなくいかり気味であった肩を落とす彼に、立ち上がった左近は告げた。

 

「忠義ってのは、どの家に何年仕えたかじゃない。どんな人たちの下にあって、その人たちのため、天下のため、どう生きたか……俺なんかは、そう思ってますがね」

 

 左近の顔にようやくいつもの不遜な笑みが蘇る。

 と同時に、三成の脳裏にはいくつもの残影がちらついた。

 日輪と、父母と仰ぎ見ていた天下人の夫婦。家族であったはずの馬鹿ども。不器用な自身に付き合ってくれた友人たち。

 無謀な戦に挑む己は、それすらも見えなくなっていたような気さえする。

 

 せめてもう少し早く、今の言を聞きたかったと思う。

 『生前』にしてもも今にしても、遅い。

 

「その理屈で言うなれば、現状この軍を見捨てて身の安泰を図ることもまた、臣としても人としても、見苦しい有様だと思うがな」

「……たしかに、この状況で鞍替えするというのは、いくらなんでも聞こえはよくありませんな」

 ほぼ揚げ足取りのような物言いではあったが、大振りの双肩をすくめて左近は引き下がった。

 

「でもせめて、如何ともしがたくなった時ぐらいまでは、今の言葉を心に留めておいてくださいよ、殿」

 という最後の諫めを最後に、これ以上左近がこのことに触れることはなかった。

 

 そして雨が降りしきる日をあえて待って、劉表軍は長沙城を脱した。



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孫堅(四):雨に願えば(一)

 劉表軍の姿を濃い雨がかき消す。

 その足音を水音がかき消す。

 

「大丈夫かよ、そんな裸みたいな格好で」

 と今更なことを気にするランヌが魏延の負った荷駄とか得物を預からんとする。そもそも純然たる男社会に生きた彼にしてみれば、女が戦場に立つこと自体が埒外のことだ。女子供を連れ歩き戦場で身勝手に振る舞う放蕩者もいたが、ヤツなどは特に嫌悪したものだ。

 

 この配慮はそんな彼なりの、異常な世界に対しての歩み寄りの結果なのだが、それを手を振り払って、焔耶は足を速めた。

 

「裸ってなんだ、裸って!」

 と、憤りながら。雨の中をものともせず。

 かつて、友より聞いたことがある。

 優秀な兵士というのは何者と戦える兵士ではなく、どこへでも行軍できる兵士なのだと。いかな難所を脱落することなく踏破できる兵士がいれば、それだけで戦略の幅は増す。

 

 魏文長、将質自体は未熟。武に長じつつもやはりそれも、黄忠や敵将孫堅の老練の者を相手にしては頭一つ劣る。

 だがそれでも彼女の不撓不屈の魂は、この敗軍においては欠かすべからざる資質であった。

 

 濃い雨が兵士たちの姿を消す。

 雨の音が沓音を上書きする。

 

 だがそれは、背後に迫る獣とて同じ条件である。

 その轟音が気配をも消す。

 水の匂いが、捲れ上がる土の臭いを塗り潰す。

 

 孫伯符。

 若き虎を先鋒とする追撃部隊が、その爪牙を研いで獲物を追う。

 

 ~~~

 

 ――長江、支流。

 蛇のように川面がうねる。巨獣のごとく唸る。

 いかな強固な軍船を用意したとて、そのような激流を踏破できるのは天下広しといえど孫家の兵だけであろう。

 少なくとも雪連はそういう自負のもと、みずからその軍船の首に立っていたが、それを否定するかのごとく荊南より脱した劉表軍の軍船が今彼女の視線の先に在る。荒波に揉まれながら逃げていく。

 

「蒋公奕……興覇とはまた別の川賊と聞いたことあるけれども……その胆力と操船技術はなかなかのものね」

 

 劉表を滅ぼした後、あるいは叶うならば調略にて、自分たちの陣営に招聘すべき人材として、雪蓮は自身の頭の内にその名を組み込んだ。

 

 だが、いかに彼女が勇敢な船頭であろうとも、すでに拿捕は時間の問題である。

 捕捉圏内に入った時、余裕さえ浮かべていた雪蓮の表情はにわかに剣呑なものとなり、そして軽く舌打ちした。

 

「姉様?」

 佐将であり、末妹である小蓮が問う。

「やられたわね」

 彼女に聞かせるまでもなく、そう呟いた。いかに敵に地の利や技術があろうとも、その航行は速すぎた。

 やがてあちらの船員の姿が確認できるようになると、それらの大半が偽装で、乗っているのは本船ふくめて数人の、おそらくは蒋欽自身とその部下であると知れた。

 

 かの水将とおぼしき少女と目が合った。

 おおよそ敵に向けるとも思えぬ、人懐こい笑みをニパッと華やがせた彼女は、そのまま部下とともに荒波の中に怖じることなく飛び込んでしまった。

 

 その豪快さとあどけなさは、「騙された」という悔しみもつい抜けてしまうというものだ。

 配下に弓を射させんとする弓腰姫(きゅうようき)を押しとどめ、雪蓮は濡れ髪を絞る。

 

「放っておきなさい。それよりも、敵の主力が道を逸れた。本命の逃走路……岳陽(がくよう)を中継して頼るのは、劉表のいる新野ではなく江夏。ほどなく劉表自身もそこに逃れることを見越してのことでしょうよ」

 

 理屈では野生の勘をもって、若き女虎は手近な湾岸への上陸を鋭く命じた。

 そして主を喪い沈みゆく船を眺めつつ、おのが未練を嗤うのだった。

 

 ~~~

 

 雨の中、あえて危険を冒して水路を突破する。

 ……そう見せかけんとする三成の策は、果たして奏功した。

 

 敵の追手であった孫策はその偽船に吊られて道を逸れた。この激流である。上陸するにも場所を選ぶだけでも相当の労力と時間を要するであろう。

 それを物見より知った三成はたしかな手ごたえとともに見えぬ位置で拳を作った。

 

 だが、感情を露呈させることなく、常の冷淡な官僚面にててきぱきと指示を飛ばす。

「敵は策に嵌った。だが油断はするな。先に示した順路に従い、当初の計画どおりに進め。行軍を速めよ」

 言葉に出して諫めほどのことではないにせよ、その物言いにいささかの懸念を覚えたのは、他ならぬ左近であった。

 

 なるほどここで計成れりと安堵し足を休めれば、稼いだ時間は瞬く間に埋められて捕捉される。一度下した足を立たせることは難しい。慌てて逃げ出すこともできずに間抜けなぬか喜びと終わることだろう。

 だが、足をにわかに急がせることができないにもまた確かであった。

 ぬかるみ、一目を嫌って整備されてもいない、崖と隣り合わせの悪路である。下手をすれば脱落者も出てくるおそれとてある。

 

 そこを無理にせっつかせれば、かえって混乱の元となりうるのだ。

 また殿の悪い癖が出た、と左近は思った。

 

 よく物事の本質を見抜き、人の感情も奥に踏み入る直截さを持ち、今の手配も、短期間でほぼ最善というべき事務処理を行い、遺漏というものがない。

 が、どうしたわけか微細な心遣いは不得手とする。理に奔る。あるいは自分に分かるのだから他人がそれを汲み取れて当たり前、という意識が他者との齟齬と軋轢を生むのか。

 

 そんな三成の机上の要求を吸い上げ、総軍をまとめるシグルド、中央を固めるランヌ、紫苑はよく調整を加えてくれる。

 よほど主の理想図と各将の抱える現実問題とが噛み合わなくなった場合は諌止するだろうが、今のところは上手くいっている。いや、行かせてくれている。

 

 ――だが、危難は味方の内にはなく、背後にあった。

 

「も、申し上げます!」

 一応の備として後背に置いていた灘の殿軍より報告が挙がったのは、もっとも峻厳な地に至った時のことであった。

「敵の追撃部隊に追いつかれました! ほどなくここに至りますっ!」

 

 

「なにっ」

 三成は思わず声を上ずらせた。

「孫策がもう追いついたのか!?」

 伝令はむずがる童子のごとく、烈しく首を横に振った。

 

 

「さにあらずっ! 敵総大将……孫堅ですっ! 程普、武田勝頼を伴って猛進してきます!!」

 

 

 ――この時三成ではなく、左近も己らのことにかかりきりで失念していたと言って良かった。

 

 

 

「まだまだ青いわ、餓鬼ども」

 敵の宗主こそが、後漢の終焉と乱世の台頭を象徴する、理外にして破格の英雄であることを。



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孫堅(四):雨に願えば(二)

更新が遅れまして申し訳ありません。
執筆カロリーがデカいので、モチベと時間がないと露骨に更新間隔に出てしまいます。


 死地であった。

 逃げるにしても隘路ゆえにままならず、一歩でも道を踏み外せば断崖からの落下が待っている。

 

 あるいは竹林にまぎれて逃れるすべもあるが、事前に示し合わせたわけではあるまいし、もはや再集結は望めまい。遠からず各個に捕捉されるか、でなければ落ち武者狩りに遭うのが関の山か。

 一度は通った道ゆえに、三成にはそのことがよく分かっている。

 

 虎は猛追する。

 大半は長子孫策の追討軍に割いたはずだ。総大将とは思えぬほどのわずかな供回りのみ引き具し、奪い返した本拠長沙の鎮静をすべきところを別動隊として出陣した。

 

 史実においてはその蛮勇さが災いして黄祖配下のなにがしかの落とした石に圧殺されたという無様な末路を迎えたわけだが、この場合は彼女の前途を遮るような策は用意されていない。

 

 ただ猛々しき爪牙は、思うがままに蹂躙を為す。

 

「くっ、静まれ!! 迎撃は殿軍に任せ、各々はこの死地を早々に抜けることのみ専念せよ!」

 そして悲しいかな、この状況を好機に転ぜられるほどに三成に応変の軍才はない。

 シグルドも個人や部隊としての勇、人望はあるが、それでも機転が利くほうではなかった。

 前後不覚に陥った軍は、各々の力量が問われることとなった。

 

 ランヌは他の隊のことなど知ったことかと、軍全体よりもみずからの部隊の脱出を優先させた。だが、これこそが最適解であった。熾烈極まる強行軍を幾度となく付き合わされてきた男であるからこそ、ためらわずに断行できた。

 付随していた魏延隊もまた、本能でその行動の正しさを嗅ぎ取り、追従していく。

 

 次いでそれを知ったのは張燕の黒山賊である。

 元より正式な主従関係ではなく、ただ客として身を寄せていただけであったから、仲間意識は薄い。

 義よりも命を優先すべき時を、彼女もまたよく知っていた。

 朝廷より討伐軍を繰り出された時と同じ。この賊徒どもにのみ関して言えば集合離散は自在であり、竹林の中にさっと身を飛び入れて逃げていった。

 

 このように中軍は歯抜けとなったがゆえに、シグルドは自身がその穴埋めをせざるを得なかった。

 否、彼()である。

 

「……頼めるか?」

 傍らに巨木のごとく佇む、前世よりの重臣に諮る。

 その魁偉な容貌に見合わぬ、少年じみた微笑とともに答えた。

 

「こういう戦のために、俺がいるんですよ」

 

 ~~~

 

 主人に乞うて最後尾まで下がった左近の前に、緋縅の若武者が直槍片手に突っ込んでくるさまが見えた。

 

「すでに劉表公はそなた達を見捨てた! 果たすべき義理もあるまい! 大人しく投降せよっ」

 言わずもがな、旧師が子息たる勝頼である。

 この修羅場において吐く勧告は婦女子のごとく甘く、さりとて振るう槍撃に容赦はなく、鬼神のごとく追い立てていく。

 

 先に己が吐いたのと同様、まったくもってその通りなのだが、主君がそれに肯じない限り、左近とて折れる道理はない。

 

 すでに行軍の最中、すでに弾込めを終えている火縄を並べて猛進する勝頼に向けた。

 孫呉の足が止まった。先に武陵間の戦にて幾度もなく彼らにとっての未知の兵器が威を振るったからであった。

 

 だが、

「問題はない!」

 と、勝頼は率いる馬廻りを叱咤する。

 

「いかな銃器であろうとこの雨では撃てぬ! こけおどしだ!」

 と言うのだ。

 

「そうですかい」

 左近はその音声を聞き、ニヤリとほくそ笑んだ。

「それじゃ、遠慮なく」

 

 すでにして火縄に着火されていた銃は、その左近の声を合図に発せられた。

 吐かれた弾丸が敵隊の最先端を潰す。勝頼もその中にいたが、未だ武運は絶えず、音に驚き棹立ちになった馬の鬣を数発かすめたのみで、間一髪まぬがれた。

 左近はそのことに心のどこかで安堵していた。

 

 要するに、火薬や火縄が湿気れば、撃てぬというのであろうが、それなら火縄を蝋で保護する。銃そのものを油紙で包むなどという工夫をすれば良いだけの話だ。

 鉄砲の威力と弱みを知る勝頼なればこそ、通用した手と言えるだろう。

 

(とはいえ、勝頼さんの突進を防ぐためとは言えここで使っちまったのは、まずいね)

 鉄砲の効果的な運用とは、数を揃えて火力で敵を制圧するか、でなければ不意を打ち将を狙うのが主流と言えるだろう。今回の場合、防水用にあつらえたのは数挺のみ。もはや手の内を明かした以上二度目が通じる相手ではあるまい。

 

 軽い混乱を収拾すべく、勝頼が退く。

 それに合わせ、左近は猛攻に耐えていた灘を自分たちと入れ替わりに後退させた。

 これは中央の穴埋めをする意味合いも兼ねている。

 

 だが、陣替えをしたのは向こうも同じで、しかも速い。

 程普が大得物を引っ提げて入れ替わり様攻めてくる。

 これは堅実かつこちらを逃さぬ、蛇のごとき戦ぶりを魅せてくれる。

 

 左近自身は迎撃の指示もそこそこに、その程普の勇の相手をせねばならなくなった。

 

「はァい、左近殿。勝頼君から聞いてた通り、智勇に長けてもいるし、匂い立つような色男ぶりね」

「はッ、そいつはどうも」

「それでモノは相談なんだけれども……うちに来る気はない?」

「こいつはまた、情熱的なお誘いだ。正直に言って嫌いじゃない」

 

 苦みを含んだ哄笑。だが互いに大太刀を振るうその腕に曇りはない。

 互いの士魂を削り合うがごとき斬撃は重ねた経験や年齢、男女の隔たりさえもがない。追う者とそれを遮る者という立場の違いもあって、左近はこの細身の女武将相手に苦闘している。

 

 そこに、横槍が入った。

 どちらか一方に、ではない。

 

 宝剣を引っ提げて孫堅が来た。だが左近の裏手よりも、シグルドみずからが剣を執ってその横に割って入った。

 都合、四騎の英雄の斬り合いとなった。

 乱戦となっては、戦術的、戦略的有利不利など意味を為さず、付き従う兵も彼らの激戦に介入するだけの力量はなく、自然同程度の相手と組み打つ形となり、その武華を飾り立てるだけの添え物としかならなかった。

 

「見た目のわりに存外やるじゃねぇか、優男」

 伝法な口調で孫堅が敵将を称える。だが、それに応じる口舌を振るう余裕さえ、シグルドにはない。

 白刃を介しての、単純な腕力の競り合い。だが対手は、男女の垣根を超えている。人の域さえも抜き出ている。ただ生命として、『虎』は勁かった。

 

 獰猛さを隠さない笑み、気迫。それらとともに、跳ね上げた剣筋がシグルドの銀剣の真芯を打ち抜いた。

 その余力でシグルドの半身が鞍の上で大きく揺らいだ。

 

 ――士としてその勇を認め合っている。

 このような場所で犬死させるには惜しいとも思っている。

 だがこの場における尊敬(それ)生殺与奪(これ)とは話が、別だ。

 躊躇なく、その隙を逃さず、返す切っ先がシグルドの喉元を抉らんとした。

 

 だが、そこに緑の鉄塊が転がり込んできた。

 否、緑の甲冑をまとった大漢である。

 徒歩にて追いついてきた彼はその身と大盾をもって孫堅の剣戟を防ぎ、それを押し出す形で孫堅とシグルドの間合いを拡大させた。

 

 その威もさることながら、孫堅の軍馬はまずその質量を恐れて後ずさった。

 巨大な鉄球を思わせる、鎧われた肉体。

 無骨な風貌の天頂に、根菜を思わせる若草色の短髪が特徴的に茂る。

 

「御無事で」

 と彼は、主人の身を案じつつ、いかつい横顔を見せた。

 

「すまない、アーダン」

 この地で再会した唯一無二の知己であり不抜の忠臣を、シグルドは全幅の信を込めて労った。



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孫堅(四):雨に願えば(三)

「うーん、だいぶ削れたなぁ」

 

 部隊とともに中軍へと引き下がった張郃こと灘はそう嘆いた。集団的生命の減少というよりは、物質の、彼女の芸術品の摩滅に対する嘆きに近かった。

 この発言ひとつとっても人としてはどうかとは思うが、元よりその非人間的な言動と美少女揃いのこの世界でもとりわけ抜きん出た容貌、独自の美的感覚があればこそ費耀を始め多くの私兵がこの気分屋を女神の如く尊崇して慕うのであろう。

 

「しっかし鬱陶しい雨ですねぇ」

 と、彼女は薄く貼り付いた服の襟のあたりを捲り上げた。

「いっそ、日乞いの舞でもしてみんなで龍神に祈りでもしますか」

 他の姫将と同様、女として、武人として絶対的な自身を持つ灘もその例に漏れず肢体の曲線が浮き出るような、扇情的な格好をしている。そのため、男どもとしては目のやり場に困り、またそのこと自体を彼女に気取られぬよう、それとなく視線を外した。

 ただ一人、費耀のみがそんな男衆の反応を冷ややかに見つつ

「そんなことより早く体勢を整える方が先だと思いますけど?」

 と常識的な物言いをした。

 

 その灘の目が俄かに眇められ、唇は固く引き結ばれた。

「まったく、乞われもしないのに荒神サマのご降臨ですよ」

 そう独語するや、手槍をなんの前触れも予告もなしに掲げ持って投げつけた。

 崖の向こう、あらぬ方向へ飛んでいくはずだったその穂先が、稲妻に打たれて宙へと弾け上がった。

 否、実際にはそこから頭より顕れんとした者が、迅雷の剣技を以て投槍を防いだのだった。

 

 浮いた得物を、片足跳びに掴み直した灘は、口端をやや歪に吊り上げたままに着地した。

 崖を鹿のごとく一息に上って現れたのは、敵の御曹司、孫伯符であった。

 なるほどたしかに、集団行動をとりながらの上陸よりも、大将ひとりが攻め上ればはるかに速かろう。

 残された方はたまったものではないが。

 

「兵も伴わずに単身奇襲上陸? それが、孫家次代の棟梁ですか」

「それこそが、孫家次代の棟梁よ」

 雨中、童女のごとく女荒神は笑う。

 

 灘には知り得ぬことではあったが、その孫策は元より奔放な娘であった。

 物見遊山気分で陣中を抜け出、ふらりと戻ってきたかと思えば敵の頭目の首を土産に持ち帰ることもしばしば。それゆえ周瑜や孫権にも驚き、呆れられ、老臣たちには口を酸くして文句を言われるが、その尋常のものではない蛮勇こそが彼女最大の持ち味と言えよう。

 

「で、あなたこそまず生きてたことが驚きなんだけれども……このまま劉表ごときに付き合えば、本当に命を落としかねないわよ。その将幹、今後は孫家のために活かしなさい」

 

 依願でも勧告でもない。厳然たる現実を前にして、まず断られるなどとは思っておらず、相手の意志など知ったことかと言わんばかりの勝者の傲岸。

 その態度が、それに媚びてここまで苦労を共にしてきた仲間を重要な局面で裏切って要所を明け渡すおのれ自身の仮想が、張郃にとりては、

 

「キレイな生き方じゃあ、ありませんね」

 

 ということだった。概念的な判断基準が全てだった。

 そう、と孫策は言った。灘がこぼした感想でその全てを汲んだ。

 二人の間には、雨気でしっとりとした、静かな空気が流れた。

 それでいて、その静寂に耐えかねてどちらともなく吹き出して、笑い合うかのような、妙に和やかな雰囲気でもあった。

 

 だが次の瞬間、彼女らは向け合ったのは刃であった。

 単身灘が孫策に挑みかかったのは、なまじの兵では障りとなり、かつ無駄な出血は彼女の芸術的戦術の損壊を意味するからだ。

 そして実際、両者の武技には、さほどの開きがあるわけではなかった。

 ただ差があるとすれば、一分の、だが絶対的な隔たりとなる天賦と血統であっただろう。

 だが、命運を分けたのはただ一合。

 

 泥を蹴っての跳躍。一度の交錯。数度の剣戟。

 互いの位置を入れ替えるようにして着地する。

 こうした場面において、一方の勝利に見えて、結果そちらの方が致命傷を負って崩れ落ちる、というのが作劇の定番だが、この場合はそうした溜めもなく勝敗は時を待たずに瞭然となった。

 

 地に足をつけた灘の首根より鮮血が噴き出で、留める術なく白い首元を朱に染めていく。

 やがて大きく肉体の均衡を崩した少女は、敵手が上がってきたその崖から転落し、ゴツゴツとしたその岩肌に頭や手足など数度となく激突し、不自然に身体を折り曲げさせられながら荒れ狂う濁流に飲み込まれていった。

 

「ゲェーッ、張郃将軍がやられた!」

「あわわ」

「ひぃーっ」

 

 と、灘への尊崇でのみで結束していた兵士たちは、その彼女の消失とともに武器を擲って逃亡を始めた。

 先と変わらぬ逃げ足の速さに、呆れる孫策雪蓮は追う気も失せて、立ち尽くした。

 が、雨に濡れる肌がジワリと痛みだし、押し拭うと袖口に赤い線が垂れている。

 

 頬の皮膚が、薄く裂けている。もう少し強く押し込まれていれば、口の中にまで達していたやも知れぬ。

 だが先には、一切傷など負わせられるような相手ではなかったはずだ。

 

(あの娘、成長している……)

 心中の呟きが過去形ではなかったことに、雪蓮は薄ら寒いものを覚えずにはいられなかった。

 

「まさかとは思うけど、流石にもう死んだわよね……?」

 

 ~~~

 

 アーダン、左近、シグルドが敵の出鼻をくじいたことで一時は体勢を立て直したかに見えた劉表軍ではあったが、中央を孫策軍、否孫策に中入りされて制圧されたことで、いよいよ軍隊の体を保てなくなった。

 

 張燕、ランヌ、張郃、魏延その他多くの将兵。

 次々の飛び込んでくる消息断絶の凶報を耳にし、目の当たりにするたび、三成の白い顔からはさらに血の気が抜けていき、意固地に引き結ばれた唇はさらに頑ななものとなっていた。

 訃報がないだけいくらか救いがある、という程度だった。

 

 残るは、三成、左近、シグルド、アーダン、そして劉表軍の生え抜きは黄忠のみとなっていて、

「……我ら、五人か……!」

 と、三成は愕然と呟きを落とした。

 

「……きっと、あの方たちなら大丈夫でしょう、三成殿」

 そう彼をねぎらったのは、紫苑である。

 彼女らから受けた言い分を信じるのなれば、戦乱から彼女らを助けんがために天より遣わされたのが所謂御遣いであろう。それが、逆に無用の乱を呼び込み、かつ慰められているのなら世話がない。

 

 だが、三成は申し訳なさに肩をすぼめるより、己の不甲斐なさに腹を立てる平懐者である。

 この場合も、バテレンでいうところの聖母のごとき、あるいは『おねね様』とはまた違った母性的な寛容や慈悲に甘えるよりも、それに反発する方を選んだ。

 

「余計な世話だ。戦場において敵味方の生死が発生するのは当然のこと。それにいちいち狼狽して足と思考を止めるなど、馬鹿のすることだ」

 

 老婆心は無用に願おう、という言葉を呑み込んだあたり、一応の気を遣った、とも言えなくもないだろうか。

 暗雲しか見えぬこの状況においては、その気丈さはむしろ苦笑と種と励みとなった。

 

 雨が上がり、岸にたどり着いた。

 すでに渡りをつけていた豪族や劉表派の海賊により船は確保されていたが、当初の見立てよりは少なった。だが、幸か不幸かこちらも兵数が減少しているゆえ、さしたる問題はなかった。

 

「殿、シグルドさん、紫苑さん」

 兵を船に移す最中に、にわかに左近が声をあげた。

 

「こうして足を止めて敵は遠からず、俺たちに迫るでしょう。そして、江陵から水軍を派して、前後より挟撃する算段が高い。……この左近に、それに抗するだけの策があります」

 かしこまったような物言いとともにそう献言するも、三成はいったんは懐疑的な眼差しを向けた。

 今更に小手先の戦術でどうこうできるような状況ではないと、それは構想を組み立てている左近自身がよくよく承知していることではないか。

 

 だが、その眼に冗談や虚妄の気配はない。自暴自棄となった様子もなく、ただただ静かに理性と闘志の輝きをたたえていた。

 そんな主君の疑わしげな様子を悟ったらしい、「おっと」と大振りの肩をすくめて飄々と言ってのける。

 

「詳しいことは秘中の秘ってやつなんで申せませんが、成果は挙げてみせますよ」

「その策とやらに必要なものは?」

 差配の合間にシグルドが問う。

「それほど多くはありません。まずシグルドさんのところからえりすぐりの勇士を百騎ばかり。どのみち馬が船戦じゃ使えないんです。ここで預けておいて損はないかと思いますがね……どうです?」

 敬語と砕けた口調の入り混じる、左近特有の調子と笑み。それをもってまるで詐欺師の講釈のごとく説く。

 

「勇士……というと当然俺のッ」

「いやぁ、アーダンさんは馬乗れないじゃないですか。大人しく総大将を守っててください」

 

 とそれとなく言ったが、あえて自負するとおり屈指の勇士であるアーダンを除外する理由が適当なあたりにも、三成はかすかな不安を覚えていた。

 どうにも既視感じみたものを覚えるが、それが形となる前に、左近は今度は三成に目を向けた。

 

「それと、殿のお覚悟が不可欠です」

「俺の、だと」

「はい。それも尋常ならざる覚悟ってやつです。人を信じて黙ってお任せになるという、殿には至難極まりないことをしてもらうことになりますので」

 ひどく抽象的な物言いだったが、主とも主とも思わぬ挑発めいた誘い文句でもあった。

 軽く自尊心を傷つけられた三成は、低い口調で答えた。

 

「……馬鹿にするな。子どもでもあるまいし、己に出来ることと出来ぬこととの区別はついている」

「良かった。それじゃあ、決まりですな」

 

 そうして話がいつの間にか落着することになり、左近の策が採用されることとなった。思わず要らざる口車に乗せられる形となってしまったが、異論を唱える者はいない。

 他に対案があるわけでもなく、これ以上事態が悪化することもなかろうという見通しからだった。

 

 精鋭騎馬隊とともに左近の姿が消えたのは、船が岸を離れたあたりからであった。



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孫堅(四):雨に願えば(四)(★)

 果たして、岸に追いついてきた孫堅軍の攻勢は、左近の読み通りに水陸前後からの挟撃となった。

 

 水流の中間、流れの分かれ目に出た時、すでに出撃してきたと思しき孫権、黄蓋の水軍が下って来て銅鑼を打ち鳴らし矢を射かけ、応射する黄忠隊の矢は指揮官以下いずれも名手にして技量精妙なれども、いかんせん数が足りない。

 

 不足の分はアーダンの耐久性と三成の鉄扇が防ぐも、それとて完全には相殺することは能わない。

 

 遠巻きに包囲を完成させつつ、着実にこちらの防御線を削りながら敵将孫仲謀の名で投降を呼びかける。

 もはやこれまでかと腹を括る一方で、左近に託した望みも捨てきれない。この状況まで読んでいた彼だ。その秘策も現在の展開を織り込んだうえでのものであるはずだった。

 

 問題は、その内容が如何なるものであるかだった。

 敵の攻勢の重点が激しさよりも堅実さに傾きつつある中、三成はあらためてそれを手を休めないままに推察し始めた。

 

 左近と自分とでは智の種と質とが違うことは良く弁えている。

 その上で、左近の言動を振り返ってその狙いを自分なりに探る。

 

 包囲される味方。

 精強ではあるものの戦略を覆すほどの数はなく、かつ水戦では役立たぬ騎兵を借り受け、かつそこにはアーダンやシグルドなど、主要な武将を含めない。

 

 では速攻奇襲というわけか。

 とすれば、どこに?

 誰に対して?

 何処から?

 

 その問いが組み合わさって一つの解へと結実した瞬間、稲妻のごときものが三成の脳天から足先にかけて襲った。さっと血の気が引いた。

 

「ま、待てっ! 待て左近ッ」

 

 衝動的に声をあげた三成に、同乗していた紫苑が瞠目した。

 つがえていた矢が意識が逸れたことによって軌道が敵より外れ、あらぬ方向の江面へと落下した。

 その着水の先、自分たちが離れた岸に、左近とその一隊を見た。

 狙うは中途に渡河した敵背後。

 

 総大将、孫文台の身柄であった。

 

 ~~~

 

 本陣、直撃されん。

 その報に触れた時、敵が動揺した。味方も当惑した。

 すべての陣営の衆目が、島左近一世一代の武略に集中した。その突撃に注視した。

 

 左近は乗船などしていなかった。

 三成とは別の船に乗ったと見せかけて空船を切り離し、自身は貸与された精兵と共に伏勢となって潜んでいたのだ。

 

 もはや退路などない。行動方針を一極化させた小集団は、勝勢にあった孫家を浮足立たせ、物理的な間隙を縫い、心理的な間隙を形成させた。

 そこを、突いた。

 

 鹿毛にまたがってみずから先鋒となった左近の揮う大太刀は、屈強な南方の強兵さえものともしない。

 その刀身に直接触れずとも、刃風が前方に並居る敵を封殺していく。

 

「悪いね、あんたらに付き合わせちまって」

 その風に紛れて呟いた言葉を、後続の騎兵は敏く拾い上げた。

 

「お気になさいますな、左近殿」

「むしろ感謝しております。よき死に場所を与えてくださったことに」

「このような場が与えられなんだら、荊州の諸氏豪族は戦らしい戦せずに故地を奪われたのかと天下に恥をさらしましょう」

「これをもって我らの気骨が証としましょうぞ、左近殿」

 

 と悲壮な響きを持たず、だが過度に息まくことをせず、静かに死の覚悟を示す彼らに、左近は強く頷いた。

 どうにもこの荊州という地というのは、左近の知る戦国の、こと和州の雰囲気に良く似ている。

 強くになびき、時流によって主を替える。国の央に在るがゆえの処世というものではあろう。

 だが、三成ほどに潔癖ではない左近は、知っている。

 

 それは確かに不義理ではあろう。だがその地に住まう士がすべてそうではあるまい。にも、意地がある。信念というものがある。

 かつての自分がそうであったとおり、地を出でて信念に生きんとする人々。

 

 彼らと命運を共にすることに、左近は誇りを抱いた。

 

「やめろ、左近!」

 

 離れた水平線で、三成が声をあげている。

 

「また俺のために死ぬというのか!? また俺を置いていくのかッ」

 

 普段の怜悧さをかなぐり捨てて、まるで父母に捨てられる子どものごとき上ずった声を遠く甲高く響かせる。ともすれば船を転覆させんがばかりに船縁に乗り出す彼を、紫苑が必死に押しとどめていた。

 

(まったく、隙を作って差し上げたのだから素直に逃げてくれればいいものを)

 そんな主君に、馬上左近は苦笑をこぼす。

 

 だが、その言霊の発する熱が、有り難い。

 この熱が、死んでいた己を甦らせた。

 かつて武田に棄てられ、筒井(つつい)を捨ててくすぶっていた時も、そして今も。

 

 途上、追いついてきた孫策が単身遮った。

 だが、全霊を乗せた左近の打ち放つ一閃は、彼女さえも寄せ付けぬ。

 すでに第一にして最大の目標は達成された。囲魏救趙。敵の急所を狙うことでその攻囲を外す。彼の主君たちを囲んでいた水軍もまた、宗主の危地に動転してその舳先を南へと転じた。

 孫子の裔に孫子の故事で一矢報いることは、痛快なことよ。

 

 太い頚を震わせて、左近は吼えた。

 

「石田三成が家臣島左近! 孫文台殿に注進すべく……今再び、一命捧げ奉る!」

 

 ~~~

 

 さすがにそこは雪蓮であった。

 凡将であれば二つになるか無様に転がるところを、空中で我が身を切り返し刃風を受け流し、砂利を轢き潰すがごとく足裏で岸を滑る。

 

「ま、待ちなさいっ」

 

 だが少なからず動揺はあった。知らず、声調は上を向く。

 母を案じた。そして奇妙なことだが、手にかけんとしている左近を案じた。

 

 あの太刀筋は尋常なものではない。

 あの剛力は、人の域を捨てたそれであった。

 

 その追走を止めんと馬首を返してきた騎兵も、文弱の劉表軍とは思えぬ気勢でもって、敵わぬまでも雪蓮に食い下がってきている。

 

 とすればあの男は、この者らは、とうに命を捨てている。

 もう充分ではないか。降れば命までは取らぬばかりか、より厚く遇してやれるはずだ。

(なのに、何故?)

 劉表がごとき者のため、かくも見事な男たちが犬死せねばならぬのか。

 それは、何者の意志であるのか。

 

 と同時に、左近の旧主勝頼の戯言がいやでも思い浮かぶ。

 孫文台は本来の歴史であれば、劉表攻めの最中に圧死するという――

 

 そんなことは信じない。殺しても死なないような、自分の知る限り地上最強の女傑ではないか。

 だがもしや、その代わりが()()だというのか?

 歴史を正しく運行する。そのためにあの男は天より遣わされ、修羅と化したのではないか。

 

「……っ!」

 矢も楯もたまらず、雪蓮は左右より迫る二騎のうち、一騎手を斬り伏せそれが使っていたうちの軍馬一頭を奪うと、挟み込んでくる追撃部隊を振り切って左近の背を追った。

 

 敵をかき分けるようにして突っ切った先、あらためて左近の姿を視認した時にはすでに、炎蓮と撃ち合っていた。

 

 もはや技巧などない。

 力と力。剛と剛。命と命。天運と天運。

 それぞれの全てを懸けて、英傑は斬り結んでいる。

 

 やがてやがてそれは剣撃の領分に留まらず、鞍の上で組み打ち、もつれ合いながら落馬した。

 

 驚いた馬が駆け去っていくのも構わず、(かち)となった炎蓮、左近はなお南海(なんかい)覇王(はおう)と大剣で競り合う。

 

 知れず、雪蓮の足は止まっていた。

 追いついてきた敵に遮られたというのもあるが、ふたりの立ち合いは彼女をして介入を許さない、武神同士の闘争であった。

 

 言わんや他の者も、当然。

 岸に戻ってきた者もまだ渡り切っておらず引き返してきた者も。

 はたまた江上に在って包囲を解き、艪を急がせつつあった江陵襄陽方面軍も。

 皆、固唾を呑んで見守っていた。もし無思慮な者がたとえ忠義立てによる横槍を入れ左近を討ったとしても、母は決して喜ぶまい。

 激怒し、たとえそれが何者であろうとも斬り殺すであろう。

 

 一騎討ち。これこそがこの知勇兼備の名将の忠道に対する、最大の返礼であり、賞賛であり褒美であった。

 

 だが、再び拾った一命をこの策に擲つ左近のそれはやはり、尋常のものではない。

 さしもの炎蓮も直に受けるのは避け、かつその表情には強者との戦いにも関わらず喜色を浮かべる余裕さえもない。

 

「悪いね」

 対する左近、唇を吊り上げる程度にはまだ元気が余っている。

 いや、もはや余裕だのそういう段に彼はいないのだろう。

 

「こっちは命懸けなんでね、もう少し付き合っていただきましょう」

 との言い分に違わず。

 

 そして左近の剣が、大薙ぎに叩きつけられた。

 水面が弾け、砂利が飛ぶ。南海覇王がその切っ先を後退させた。

 ――打たれる!

 雪蓮が呪縛から解かれたごとく、駈けだした。

 

 

 

「――命懸け?」

 

 

 

 厳密には、駈けだそうとした。

 だが出来なかった。身体が凍り付いた。ついぞ江南では感じない、寒波のようなものが彼女を襲った。

 そしてそれを発したのは敵将島左近にあらず。他ならぬ、孫文台であった。

 

「まるで、こっちがそうではないかのごとき言いざまよ」

 

 瞬間、桃色の髪が浮き上がり、その頭頂が左近の鼻先に叩きつけられた。

 左近の鼻柱が折れ、血が噴き出した。

 

「ナメんじゃねぇ。いつ何時だろうと、戦してようとも殺し合いしてようとも、釣り糸を垂らしていようと男を貪る夜半であろうと、貴様との斬り合い、その一合一合すべてにもっ! 命なんざ使い果たす覚悟なんぞとうにできておるわっ! 家を守り孫家の誇りを天下に示し、すべてを喰らい覇業に乗り出すと決めた瞬間からなぁ!」

 

 大器と武心、双方の面が混合された荒々しさと荘厳さを兼ね備えた口調でもってまくし立てながら、体を崩した左近を斬り立てていく。

 瞬く間に形勢は逆転し、左近の腕部に数創の裂傷が刻まれる。

 

 だが、左近にも今更怯む道理がない。痛みも感じぬかのごとく反撃を繰り広げ、陣風は色づいた母の肌を切り裂いていく。

 目を覆いたくなるような、烈しくも痛ましい応酬が繰り広げられた末に。

 

 左近は、背に大刀をかついだ。

 

「――なら、天下を(おお)う覇王の気概に、挑んでみましょうか」

 おそらく最後になるであろう軽口とともに、左近が地を蹴った。炎蓮が足をめり込ませてそれを迎える形をとる。

 やはりそこは男女の身体の違いというか、左近がそもそも大柄というべきか。

 体格上においてはやはり彼が勝り、頭上より剣を打ち下す。

 

 東西ふたつに分かれていた影が融合した。

 小鳥の羽音さえ許されないがごとき静寂が、戦場一帯を支配していた。

 

 やがて、左近の上体が孫堅の身を覆い包んだ。

 母様、と声をあげたのは三姉妹のいずれであったのか。

 だがその左近の胸のうちで、何かが蠢く。その胸を貫き背より出でた南海覇王の剣先が、旭日を照り返す。

 勝者は、母であった。

 左近の一撃を支えていた腕でもって彼の図体を押し上げる。

 

「やはり、俺の軍略……『天下人』には、届かないか」

 生前に由来するものか、血の泡まじりに横顔に自嘲を浮かべてはいるが、一方でどこか満足げだった。満足げに……彼は二度目の生涯の幕を、瞼とともに下した。

 

 さもあろう、かように気持ちよく競わせれば、たとえ敗けたとしても武人の本懐であろう。

 ともすれば、嫉妬さえしてしまえるほどに。

 

 その左近の身が炎蓮より離れる直後、その耳元に唇を寄せた。何事かを囁いたかのように見える。それがどれほどの長さの『遺言』であったのかも、陰影の関係で知るべくもない。

 炎蓮は一語も発さなかった。わずかに眉を動かしたのみであった。

 

「――あぁ足りねぇな。まるで至らん」

 母はそう吐き捨てた。

 

「次は、()()()()()()()()()()()()()()……忠心(こころ)が後方に向いていて、オレに勝てるものかよ」

 

 とはいえ、と大義そうに左近の亡骸を投げ下ろし、折れたと思しき左腕を熱っぽく見遣った。

 

「このオレの耳元で睦言を囁いた漢は、久方ぶりよ」

 武人としての充足感か、三女を産み落としてなお枯れぬ女としての色情か。

 母の吐息はどこか嬉しげであった。

 

 だが次の瞬間には、

「何をしてやがるガキども。追え、どこまでも追え。追ってすべてを踏み潰せ」

 と諸将兵を我に立ち返らせる、冷厳な命を下した。

 

 その追うべき河の先、左近の名を呼ぶ声は遠ざかりつつもいつまでも悲痛な調べとともに響いていた。

 

 

【島左近/戦国無双……戦死】



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劉表(五):柿喰らい

 一時とは言え主君の命を危うくさせられた孫家の追撃は、熾烈を極めた。

 左近の挺身もあって辛くも江上の危機を脱しながらも、孫尚香の軍もそこに合流して三方より追い立てられた。

 船は揺れ、もはや我が身を支える気力さえなかった三成はそのまま水中に転覆。それを救助する余裕が他の者にはなく、彼はあえなく網によって、漁をされるがごとくに絡め取られた。

 

 虜囚となったその身柄が投じられたのは、襄陽である。

 かつてこの地に降り立った時は天の御遣いとやらとして国賓がごとくの、分不相応な待遇を受けたが、今は石牢の中である。

 

 やや湿り気を帯びた暗い室内に、一応の礼節を以てだが投獄された三成は、そのまま何の表情もなく呆然と虚空を見据えていた。

 

「……捕まったのか、石田」

 

 隣の牢より、声が聞こえた。

 覚えのある声。魏延……焔耶の声である。

 だが気配があったのはそれのみで、他の者が捕えられている様子はない。

 他は脱したか潜伏したか。あるいは討たれたか。

 だがそのことを詳らかに問うことさえ、今の三成には億劫であった。

 

「無念だ……っ、無念ではある、だが!」

 だが、暗闇の中の孤独というのは、犬猿の仲の者相手にさえ饒舌になるらしい。尋ねもしないのに、独語にも似た調子で表明する。

 

「ワタシにはまだ力が足りない。孫家の武にはまだ遠い! だからヤツらの下で牙を研ぐ……いずれその喉笛に食らいついて我が悔恨を晴らすその瞬間まで……っ」

 暗がりに思い描く焔耶の双眸が、その真名のごとくに燃え盛る。

 

「キサマはどうする」

 三成は一言も答えなかった。

 

 〜〜〜

 

 その数日して後、焔耶が出獄して孫軍に列した。互いに別辞はなかった。

 が、三成の下へも孫家の者らが面会には来た。

 孫権のように冷ややかに一瞥するのみの者もいた。御大将とあれほどの激戦を繰り広げた島左近の主君とは何者かと興味本位に覗き見る者もあった。

 江陵城を売り渡しあっさり鞍替えした潘璋が、ニヤニヤと笑いながら無言の揶揄を送った。

 

 だがいずれにも三成は反応することはせず、また供された食事にもろくに手をつけることはなかった。

 一方で訪問者たちも三成に対し強いて臣従を求めることはしなかったし、刑場の露とすることもしなかった。

 

 言葉らしい言葉をかけたのは、武田勝頼である。

 同じ世界の住人。だが、かつて同じ組下を持っていたということと、天下の分け目の決戦の敗者という以外に共通すべき点はない。

 

「お前があの左近の主君……だと?」

 向こうとしても、織田の旧臣のそのまた陪臣に、好意的に接する理由などあるまい。また、武士の転換期に取り残された男にとって、優れた武人より格上に立つ文治の輩など、理解の埒外にある人種であろう。

 

 何者と見比べたのかは、語らずとも瞭然であった。それは武田信玄公と比べれば、さぞ見劣りするだろう。

 

「お前のような者などに、左近は過ぎたる者であった」

「貴様が言えた義理か、諏訪(すわ)四郎(しろう)

「…………否定はしない。私にもまた、あの男は過ぎた者だった。だから突き放した」

 

 ようやくにして開いた口は、やはり辛辣な正論であった。

 苦々しげな表情で首を振った勝頼は、そのままじっと三成の相貌を見返していた。

 

「殺すなら殺せ。貴様の見るところの『愚か者』に時間と糧食を費やすことは、互いにとって不毛となるばかりだ」

 

 三成に過ぎた者、それは他ならぬ三成自身がよく知っていた。精神の去就を定かにせず、つまらぬ意地でまたあの男を殺してしまった。

 

 それについても、勝頼はかぶりを振った。

 

「そうはいかぬ。お前だけは決して殺さず、血肉の一片残さず孫家のために使い尽くせと炎蓮殿……孫堅様のお達しだ。張昭殿なども、すでにお前の働きを勘定に入れて動いている」

「……勝手な話だ。迷惑極まる」

「あの方々は、そういうものなのだ」

 

 自分で痛感していることらしい。きれいな顔に、やや疲れたような苦笑が奔る。

 

「だが、私としてもお前のような者、強いて求めているわけではない。荊州は文化の地。計数に優れた人材など数多くいる。そのまま朽ちていくのが望みというのが、そうすれば良かろう」

「自分の言うことの矛盾にも気づけぬのか、ならば何故俺を求める?」

 

 複雑そうな表情のまま、勝頼は返答せずに踵を返した。

 

 〜〜〜

 

 その矛盾と表情の訳を教えられたのは、それから間もなくのことであった。

 そのことを伝えたのは張子布なる老臣で、一見して小娘のようでさえある小柄な女によれば、

 

「それが、あの左近とやらの遺言じゃった」

 

 とのことだ。

 左近、事切れる寸前に孫文台の耳元に囁いた。

 

「我が主人石田三成。狷介にして正論家、融通の効かないところは数多し。されどその吏才と豪胆さ、何より義を重んじ家や家族を想う心、天下の傑になんら劣るところなし。今後天下に邁進する孫家に不可欠な人材にして、何卒お引き立て下さいますよう」

 

 などと、頼みもせぬことを。

 彼の最後の忠言は、誇り高き武人同士の、守るべき約定となった。

 ゆえに孫家は血眼になって三成を追い回し、そして捕縛したのだそうだ。

 

「これが最後の食事じゃ、あとは好きにせよとの、大殿よりのお達しじゃ。……あの者の本懐は、お主の立身出世ではなく、ただ生きてほしいということであろうしの」

 強く唇を噛み締める三成を意図的に平坦な口調で、張昭は言った。

 

 牢番より差し入れられたその膳に、干柿が添えられている。

 なんの皮肉かと眉間の皺をさらに寄せる三成ではあったが、果たしてこの時代に干柿があったのかという疑問も生じる。

 

 その視線を追いながら、張昭は問うた。

 

「お主、葦名(あしな)一心(いっしん)という老人を知っておるか?」

「……知らぬ」

「そうか。名の響きが似ておるゆえ、あるいは知己かとも思うたのじゃがな」

 

 それが何者かは、時を待たずして語られた。

 

「大殿がお若き頃、ふらりとこの地に立ち寄ったのが一心殿じゃった。尋常ならざる剣気をまとい、大酒喰らいで豪放磊落。ゆえにご両人ともひどくウマが合うたのじゃが、これまたふらりと益州へと足を運び、それより先は我らも知らぬ……が、思えばあのご老体は、時期外れに落ちてきた天の御遣いであったのじゃろう」

 

 まこと惜しい者を見逃した惜しんでいるのか。あるいはその老人が逗留していたその日々が楽しかったものか。

 くれなずむ夕陽差し込む牢の中でも、その瞳が細められたのが分かった。

 

「その干柿(柿餅)は、その御仁が伝えたものよ。曰く『我が郷里においては柿は血となり肉となる。たとえ落柿とて粗略に扱うべからず』とな。……お主とて、その落柿じゃて」

 

 そう言い切って、張昭はゆるりと上衣をたなびかせて背を翻した。

 

「我ら孫家、早生の青柿だろうと渋柿だろうと余さず愛でて使い尽くす。劉表のごとく、飾り立てるだけ飾り立てて、腐れば切り捨てるがごとき真似は決してせぬ」

 

 温かな、それでいて自身の感情を押し付けがましくしない言葉。

 夕闇の中に張昭は消えた。

 牢の口は開け放たれたままである。

 

 残された三成はじっと『最後の晩餐』へと視線を落とした。

 そして、故人を、生者を想う。

 今際の際まで自分の今後を案じた左近。その左近の最後の願いを受けつつも強制はせず、あくまで本人の意思を尊重して精神の恢復を求めた孫呉の面々。

 そのどちらにしても。

 

「……余計な、世話だ」

 

 底まで沈んだ、だが揺るがぬ調子で三成は地に吐き捨てた。

 だが無駄には出来ぬ。柿は血となり肉となる。

 左近の命を二度も喰らったこの命脈、容易に絶つこと能わず。

 たとえそれが一時の痰の毒となろうとも、生きねばならない。

 

 三成は柿に手を取り、翌日牢を出た。



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エイプリルフール企画:ウソじゃないもん!ほんとにゲーム作ったんだもん!(ゲームプレイレポ)

 というわけでフリーゲームの自作ヴァリアントが基となっている本作ですが、エイプリルフール企画にかこつけて各勢力のプレイ感想を軽く紹介。

あんまり意味のない記事ですが、まぁ下馬評がわりにでも使ってください。


【曹操】難易度:易

初心者ホイホイ。

優秀な武将が揃っているうえで空白地も周囲に多く、初手から一気に人材を囲いやすい。

また、外交面でも相性がそれなりの勢力が多く、その時々において柔軟な対応ができるのも魅力。

が、反面急速に勢力を拡張させると連合を組まれてボッコボコにされる。

あと、何故だかCPUの戦略面での動きがめっちゃ優秀。敵に回すと油断を突かれて一気に逆転してくる。

 

【孫家】難易度:易

初心者ホイホイその2。

すでに序盤から人材がパンク状態なので新しい血を取り入れることは多くない。

なので在野プレイでここを目指すなら早めの就活がオススメ。

また、劉表という名を養成所兼人材バンクがすぐ目の前に存在するので、勢いにさえ乗れば序盤から中盤にかけて一気に質量を兼ね備えた最大勢力と化す。

また、後述の袁術、志々雄との相性が非常に良いため、互いに大勢力となった後もなかなか手を切らないので、敵に回すと非常に厄介。

反面、孫堅孫策の死亡率が高めに設定されているので、味方の場合はある程度気を配る必要があり、敵の場合は二人を孤立させて集中攻撃するのが定石。

また、無印の影響で周瑜の野心が高いかつ配下武将持ちなので、忠誠度が減ると空白地で造反する。上記ふたりが倒せない場合はこっちを狙うのも一つの手。

 

【劉備】難易度:難

おそらく防御面においては全勢力最有力……なのだが、劉備の野心がかなり低いので空白地さえ占領したがらず、結果として終盤でもほぼ初期ステータス+メンバーというのがザラ。配下武将プレイの場合は劉備の気分次第のほぼ運ゲー。

が、曹操や袁紹でプレイする場合は非常に厄介で、公孫賛などに肩入れしてこちらの覇道を妨害し始める。

あげくレベルを上げていき、諸葛亮がデバフを充実させてくるわ関羽張飛は固くなるわ劉備は後方支援を始めるわで長引けば長引くほど厄介になってくる。

誰が呼んだか河北の現地ゲリラ。

また、勢力を滅ぼしても曹操には絶対に登用されず死亡率もかなり低めなので他の勢力へ亡命し、そこでまた反曹活動にいそしむというある意味原作再現ムーブをしてくる。

 

【黄巾党】難易度:難

デバフ最強トリオが主軸なのだが、いかんせんアタッカーとディフェンダーが三馬鹿しかおらず、三姉妹にしてもすぐ逃げるので最弱候補。

だがオシュトルやランヌと言った前線を任せきりにできる御遣いや在野武将が登用されると大化けする可能性がある。もっともこの二人が入れば大概の勢力は有力候補となるのだが。

主に袁紹の背後を突くのがお仕事。河北平定の後はあまり動かない。

 

【後漢】難易度:普

末期の王朝。兵力とそれなりに優秀な武将を持っているものの、真っ先に董卓に食われるのがお仕事。なのでCPU操作で、一戦も交えず静観している本作のケースは極めて稀。

はっきり言って洛陽はかなり動きにくいマップとなっているので、さっさと捨てて許昌あたりに移住し、そこから反董卓包囲網を形成していくのが理想的な動き。

董卓さえ凌げればあとは外交しやすいので各個撃破が狙えて比較的楽。

 

【董卓】難易度:普

この勢力の滅亡が本作の終了の目処。

かなり優秀な武将が揃っており、後漢滅亡までは比較的優位に立てる。

が、いかんせん周辺との相性がかなり悪く、こと袁紹袁術の二大勢力とは絶対に親交を結べないので孤立しがち。

おまけに司隷周辺は騎兵が十全に活かせる場所がないため戦いにくい。呂布より張遼が攻撃の主軸となる。

そのため涼州に戻って西から固めていくのがベスト。……何のための挙兵なんだろう。

さらに本作では御遣いが一人も来なかった。

 

【袁紹】難易度:難

名門でラッキーガール……のはずなのだが、大抵はかなり不運な結果になる。

というのも空白地が本拠周辺に少なく敵対勢力も多い。背後に黄巾を抱え公孫賛と対決しつつ劉備の横槍を入れられる……というのが序盤の基本的な展開となる。

だが劉備は隣接すると日和見がちになる傾向があるので、初手から黄巾を平らげ北平を強襲し劉備と公孫賛を切り離すのがベスト。

そこまでやっても中原には曹操、袁術、董卓が跋扈しているので黄河の南下は至難となる。

あと、配下プレイだと上官に収まっている二枚看板や田豊、審配などが地味に行動の邪魔になる。

 

【袁術】難易度:易

原作では典型的なやられ役……だが、本作ではかなり安定して強い勢力。

袁紹と比べ陣容は絶望的に薄いはずなのに、野心が高めで資本もあるため、空白地を支配して優秀な天の御遣いをどんどん抱え込み、版図を拡張させていく。あと、半端に歩兵をやる袁紹よりもスピード特化のヒーラー兼バフ要員である袁術の方が味方NPCとしては頼もしい。

とは言え対董卓の最前線に立たされることになるので、曹操を牽制しつつ地盤を確固たるものにする……という外交努力が常に必要になる。

 

【公孫賛】難易度:普

ザ・普通。難易度も普通。

劉備とは相性が良いので終盤まで裏切られる心配はない。

彼女と手を取り合いつつ袁紹、黄巾を駆逐していくのがベストな動き。

が、北平を袁紹に取られると劉備が袁紹に擦り寄って日和見を決め込むので絶対に明け渡してはならない。

その後は董卓曹操袁術の内から組むべき相手を状況に合わせて移しつつをそれぞれを締め上げていくとなおのこと良い。

 

【劉表】難易度:普

文官の国……と言いつつ案外水軍も充実しているし、曹操袁術の次に在野を囲い込みやすい。

孫堅の北上をいかにして防ぐかが中盤にかけてのポイント。無理をせず江陵を堅守し、孫堅が犬死するのを待った方が良い。

逆に不用意に自分から仕掛けると本作のように背後を取られて荊南で孤立、滅亡の黄金パターン。

 

【西涼軍閥】難易度:普

馬騰派と韓遂派に分かれているが、基本的には同じムーブが必要になる。

互いの背を取り合って涼州を統一。その後韓遂は五斗米道、馬騰の場合は董卓と争うこととなる。

実は山や砂地ばかりで地元の方が戦いにくい。さっさと都会(中原)へ進出しなければならない。

さらに馬騰の場合は死にやすく、孫堅たちほど頑丈ではないので注意が必要。

補給線も細いので長安と上庸の確固たる連携の確保が不可欠。

 

【劉焉】難易度:難

益州の引きこもり……と思いきや劉焉の野心が高めなので頻繁に漢中や荊州に出兵してくる。

敵に回すと劉焉本人よりも抵抗不可の挑発持ちの法正が厄介。益州のダイソン。

一方で自勢力とする場合、北上してくる南蛮に注意が必要。

最大の脅威は交州あたりで挙兵してくる志々雄やロイエンタール。

バージョンアップ後弱点が急増した志々雄はまだ討ち取れる可能性があるが、ロイエンタールには完全に隙がなく、その防御力を突破できるユニットが初期メンバーに存在しないので、ランヌや幸村など、高火力の歩兵が必要となる。

 

【南蛮】難易度:難

おそらくこのゲームに限らずこいつらがラスボスとなる三国志ゲームは数多存在するであろう。

当初は例に漏れずそんな感じだったが、志々雄などが登場するようになってからはもはやエサと化した。

一方中原で彼らが挙兵した場合は兵力をかなり温存できるため、ゲーム終盤になって物量で益州周辺を蹂躙していくというのが基本戦法となる。

 

【劉度】難易度:激

無理。

 

【劉耀】難易度:難

大人と都合で名前を変えられた人。

極度交戦を避けるきらいがあり、三分の一にしか満たない厳白虎にビビりまくって揚州中を逃げ回り、東呉の徳王相手に中盤まで低レベルなゲリラ戦を展開していくのが常。

そのためろくすっぽレベルが上がらず、厳白虎を降しても成長し切った曹魏孫呉に食われるのがオチ。

 

【東呉の徳王】難易度:激

無理。

でもデモプレイの時一度だけ揚州入りした曹操を討ち取るミラクルを起こした。

 

【陶謙】難易度:難

バフ要員としては優秀なネームド武将が揃っているものの、いかんせん火力とタンクが圧倒的に不足していて、曹純一騎さえ持て余すような状況。

臧覇やオシュトル、オフレッサー、アシェラッドなどが、それを補える武将でプレイすれば案外中盤まで生き残れる。

逆に他勢力では優秀なサポートキャラを確保できるので真っ先に攻略したいところ。



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???:散星の行方(前)

 数年前。

 その少女は、恐らく今もではあるが、血気と義侠心を華奢なその身体に満ち溢れさせた、優れた剣士であった。

 乱れ始めた世に、跋扈する凶徒どもに憤り、一対の姉妹剣をもって正義を成さんと意気込んでいた。

 

 だが、悪貨が良貨を逐う世情である。

 純烈の気概を以て世直しせんとした彼女ではあったが現実は如何ともしがたく非情であり、信じていた者の奸計に嵌り、その時窮地に陥っていた。

 

「まさか……あんた達に売られるなんてね!」

 

 と責める少女に、仲間であった侠者……否凶徒どもは、下卑た笑いをめいめいの唇に浮かべてにじり寄る。

 すでに袋小路の壁際。前方にはすでに待ち受けていた増援。ここに至るまでにすでに幾重もの刺客を斬り払ってきた双剣は拭う余裕もなく切れ味を失っていた。

 

「悪いね頭、今の世は力こそモノを言うのさ」

「あんたのようにやれ正義や侠気なんぞ言ってたら、時代に押しつぶされちまわぁな!」

 

 そううそぶいた彼らが、物量に頼り押し寄せてくる。

 かすかに残った情と疲労とが、彼女の刃を鈍らせていた。

 

 このままでは、いずれは殺傷、ともすれば女の尊厳を徹底的に踏みにじられていたことだろう。

 だがそこに、救いの主が現れた。

 

「誰デェ!?」

 自身らの背後、にわかに伸びあがった影を認め、凶漢どもは振り返った。

 そこに屹立していたのは、強固な肉体である。

 引き締まった筋肉。細くも、その巨体を支えるに十分な、無駄なく鍛え上げられた野趣あふれる脚。

それらを覆う硬い皮膚。

 鋭さと涼やかさを兼備した眼光に、すらりと突き出た鼻先。

 

 ――そして、頭部より突き出た、白亜の両角。

 

 牛である。

 並の農耕牛とは比較にならない、見事な牛がそこにはあった。

 

「なんでぇ、牛かよ」

「まぁ良いや。とっとと済ませてソイツも喰らっちまおうぜ」

 

 最初こそ、その尋常ならざる体躯に面食らったようではあったが、所詮は畜生と見切りをつけて、賊はまず目の前の少女をこそ始末してしまおうと意識を戻した。

 

 だが、その見積もりは大いに誤りであった。否、そういう認識であっても、彼らを迂闊と嘲ることは何人にも出来まい。

 誰が、信じられようか。

 

 ――その牛が、突如として二足で直立して駆け出したなどと。

 

「なっ!?」

 その怒涛の足音に気が付いた時にはもう遅し。

 顧みた賊の横面を後肢の蹄が強打し、哀れ彼は少女を素通りして壁に激突した。

 

「こ、このっ」

 動揺はそのままに、他の賊が刃を振りかざす。

 だがその刃が牛皮を切り裂くより速く、牛は前肢で彼らの手首を連打し、刃を取りこぼし、あるいは上腕をねじり上げて無力化していく。

 その体捌きの無駄のなさは、思わず少女が見惚れるほどではあったが、同時に疑問も沸き立つ。

 

 ――何故この牛は、自身が生まれついてから持ち合わせるその『武器』を用いないのか?

 と。

 

 だが少女を庇うべく背中合わせになり、その涼しい眼と視線が合った瞬間、その真意を悟った。

 

 ――外道相手に、表道具は用いぬ。

 という、その誇り高さを。

 

 その清さ、正しさをもって、少女もまた一度は萎えていた勇を取り戻した。

 そして並び立ち、反転して無頼の者どもを一気に駆逐していった。

 

 ~~~

 

「……というのが、猪燕(アタシ)と前頭目、(ちょう)牛角(ぎゅうかく)サマとの馴れ初めってわけよ」

「あの、すんませんお頭……逃げる途中で脳天ぶつけたんスか?」

 

 劉表軍より離脱した後、安全を確認した後の野営時である。

 ようやく火も使えるようになり、それを頼りにぽつぽつと部下も戻ってきていた。

 そんな折の、談話である。

 

「なによー、アンタらが聞きたいっていうから答えてやったのに」

「いや、なんでいつもお頭の席にやたらデカイ牛が股開いて座ってんだろうって常々思ってましたけど。劉虞攻めの際、流れ矢当たってめっちゃ悲しんでましたし」

 

 そう返したのは今の団員の中では最古参のひとりである眭固(すいこ)である。

 彼を含めて黒山賊は口だったり顔だったりが悪く、学はなかったり粗暴であったりする。

 だがかつてのように、猪燕……もとい張燕黒羽は無暗に団員を増やすことはせず、信の置ける人物ばかりを拾い上げていた。

 

 その彼でも、『なんか偉そうにふんぞり返ってる牛』については何も知らず、ただただ『お頭のヘンテコな愛玩物』という認識であった。

 話を聞き終えた眭固は、げんなりした表情で、焚火を見つめている。

 燃える薪の近くに置かれた串と肉がある。

 

「つーか、そもそもオレら今からその牛をかっ捌いて食おうってんですけど」

「じゃあどうしてそんなときに牛角サマについて訊いたのさ」

「だから牛食おうって時だからなんとなしに聞いたんスよ!」

「これは牛角サマじゃあないでしょうっ!? こんな食われるか畑耕すかしか能のない牛と一緒にしないでよっ」

 

 そこは譲れぬ部分があるらしい。

 憤然として言い返すや、牛角への憧憬を語っていたはずの本人が平然とそれを同じ種の肉を串焼きにして食っているのである。

 

 それでも、眭固の強面から発せられる強烈な疑念の意味はさすがに悟り得るらしい。

 奥歯で筋張った肉を咀嚼しながら、答えた。

 

「人が人を喰らう世でしょうよ。たとえ牛でも尊敬に値する方はいる。この乱世に大事なのは個々に力があるか、いかな才を持ちそれを発揮させるか。人か畜生か、貴人か賊か、御遣いか在地の人材か、そんなことは関係ないわよ」

 

 はぁ、と生返事を返す眭固はやはり、得心がいかぬ様子ではあった。

 

「結局、あいつらの言い分は乱暴な身勝手な自己正当化ではあっても、まぁ正しかったわけか」

 肉を腹に収めた後、黒羽は吐息をついた。

「この剣も、だいぶ錆びが取れなくなってきたなぁ」

 と、双剣の片割れを腰間より抜きつつ嘆く。

 

 なるほど彼女や張牛角とともに乱世を駆け抜けたと思われるその剣は、十分に手入れが行き届き、まだ現役とは言えるだろうが、幾人も斬ったがために刃こぼれもひどく、火を照り返してもやや剣光は濁っている。

 

()()()()()、乱世の摂理に呑まれたってクチかな?」

 

 そう言い放つや、少女は剣を闇への投げ放った。

 渇、と音。太い樹木の幹に、剣先が突き立つ。

 むろん、この問いは眭固らに向けられたものではなく、樹間に潜む者へと向けられたものである。

 

 そこにおいて敵襲かといきり立つ部下たちを、眭固は一喝して静まらせた。

 孫家や敗残兵狩りであれば、とうに自分たちの命はない。接近して気配など沸いて出さずとも、この灯火を目印に矢を射かければ良い。

 

 そもそも、気配は二つである。相当に手練れであろうが、集まりつつある黒山賊全員を相手取るには、圧倒的に不足している。

 

「突然の訪問をお許しください、張燕殿」

 闇の帳を開いて先に声をあげたのは、薄手の鎧をまとって武人然とした女である。

 

 いや、まだ十分に少女と言える年頃であろう。そうとは見えなかったのは、しっかりと据わった腰つきと、鋭い眼差し……そしてその若い肌に無数についた傷跡ゆえであろう。

 何故だか本能的に、その精悍な顔立ち、というよりも存在そのものに、眭固は腰の辺りが寒くなる心地がした。

 

(がく)文謙(ぶんけん)と申します。あの孫堅相手の疾風怒濤の戦ぶりと巧妙な退き際、お見事でした」

 

 がっしりと力強い拱手とともに名乗った小娘にへぇ、と黒羽は夜目を眇めた。

 

「ずっと盗み見ていたというわけ? で、品定めしたうえでの、ご用の向きは?」

 

 愛想笑いさえ浮かべず、楽文謙は少し脇に逸れた。

 用件は、もうひとりから切り出すというのであろう。そしておそらくは、それは天の御遣い。過剰な警戒を誘わないがために、この大陸出身であろう彼女を先に出して安心させたのであろう。

 

 そしてその思惑は、たしかに道理であった。

 なぜなら、その天の御遣いは彼女らが知る何者よりも異質であったのだから。

 

 男か女かさえも判然としない、小柄で美貌の若者である。そこまではまだ驚嘆に値しない。絶世の美男と言えば同じ陣にいた三成やシグルドなども同様と言えよう。

 

 だが、それは明確に異なる部分がある。

 黒髪の隙間から突出した、耳にあたる部分。そこは三角の形状をとり、かつ白い体毛がびっしりと生えそろって覆っている。

 それは人のモノに非ず。獣の、犬のそれである。

 

 黒山の面々はどよめく。黒羽を驚嘆する。

 

「……人間に、獣の耳が……!?」

「いやアンタ二足歩行する牛と戦ってたんでしょーがっ!!」

 

 ……驚嘆はしたが、それが頭目の方が激しかったことには、眭固は思わず突っ込まざるをえなかった。

 

 愛くるしい顔立ちとは裏腹に、どこか無機質な表情は、黒羽の発言に気分を害したかそうでないかさえ判別がつかない。ただ突き立って黒羽の剣を抜くや、鮮やかな手並で持ち主へと投げ返す。

 敵意こそないが、精妙かつ鋭い。

 収まらぬ動揺もそこそこにそれを難なく掴み取った黒羽に、容貌同様に愛らしく、だが平坦な声音とともに本題を切り出してきた。

 

「従者シチーリヤと申します。我が主が客人として皆様を迎え入れたいと南海にてお待ちです。是非とも、ご同道いただけないでしょうか」



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???:散星の行方(後)

「張将軍ーッ」

「灘様!」

 

 劉表軍より文字通り落伍した自分たちの主を捜して、その部下は山間の河に沿って連日連夜渡り歩いていた。

 その行軍指揮を執る費耀は、底より天を仰ぎ見た。その雲の高さで、人の肉体では如何ともしがたい高低差を思い知る。

 あの崖から落ちては、よもや生存は絶望的であろう。せめてそれならば亡骸だけでもと、汗をぬぐい上官の身体を捜すのだ。

 と言ってもそれさえも、もはやマトモな状態で残っているか。

 

(ようやく、というところであったのに)

 

 孫策に鎧袖一触に敗れて後、あの気分屋な灘が血のにじむような研鑽を積んだのを、間近で見ていて費耀は知っている。身体能力の向上はそのまま将器の向上にも通じ、以前のような軽はずみさは薄れ、代わりその指揮にはさらなる粘り強さが加わった。

 今回の殿軍でも、彼女と自分たちの奮戦がなければ劉表軍はとうに猛虎の牙に食い破られていただろう。

 

 そう、名将張郃の器量は、ここから天下に問われるはずであったのに。

 

「費耀さん!」

 先遣の兵が切迫した様子で舞い戻ってきたのを見て、

「見つけたかっ」

 と費耀は直感をそのまま口にして問うた。

 部下が首肯し、彼をその地点にまで誘導する。

 

 果たして、彼女の姿はそこに在った。

 そのまま川面に転落することなく、その巨岩の表面に接したのだろう。

 大の字となって、少女の身柄は多量の血液を岩盤に散らし、力なく臥していた。

 

 まだうら若き、それこそ男さえ知らぬような娘の非業の最期に、嘆く者もいた。その美華を無慈悲に摘んだ孫策への恨み言を垂れる将士もいた。

 

 だが、費耀の胸に去来したのは「らしい」という感想であった。涙ぐみつつも、笑みさえこぼれる。

 同じく悲しみつつも怪訝に見返す諸兵に、彼は震える指で彼女の死を示した。

 

「見ろ……飛び散った血が、あたかも華のようでさえあるじゃあないか」

 

 なるほど彼の指摘の通り、血の大輪が、彼女を中心として咲いている。

 自身の血を、生きた証を塗料として、人生の閉幕を演出する。独特の美的感覚を持ちつつもついぞそれを発揮する機に恵まれなかった美将としては、このうえない芸術であったことだろう。

 

 とはいえ、そのまま捨て置くわけにもいくまい。

 費耀は彼女の亡骸を抱え起こすべく、同じ岩盤に手をかけ、顔を持ち上げた。

 

 

 

「チョコさん復活!!」

「へぶっ!?」

 

 

 

 費耀はピンと伸びあがった足裏に強打されてそのまま蹴落とされた。

 元気いっぱいに起き上がった張郃こと灘は、上下の半身を交互に屈伸させつつ、

「あー、死ぬかと思いました」

 などと呑気に宣う。そこでようやく、自身を取り巻く部下たちと、逆に川岸に後頭部を打ちつけて伸びている費耀の存在に気が付いた。

 

「ってあれ? 何やってんですこんな場所で」

「CHOKOォォーッ」

「うわあああ、CHOKOが生きてるゥーッ」

「いや、なんで呼び捨て?」

 

 錯乱のあまり張郃に奇妙な発言をする者あまた在り。

 とにもかくにも当惑しつつも歓ぶ兵士たちに、酌然としてなさげに小首を傾げ、そのまま座り直して左右を見渡す。

 

 

 

「これはこれは……さすがは魏の五大将、張将軍。大敗を喫したと言えども見事な復活劇ですな」

 

 

 

 その眼差しが、一角を捉えた。

 砂利を、精巧に編まれた、見慣れぬ茶革の沓で踏みにじり、男が侵入してきた。

 異装の外套、異相の広い額。冷たい容貌に好奇を滲ませつつ、接近してくる。

 危機に至れば、さんざん死線をくぐり抜けてきた灘以下の将兵の動きは速い。号令も無しに彼女を中心とした円陣が組まれた。

 

「チョコさんを妙な呼び名で褒めるのは、はてさてどちら様ですか?」

 と問い質す灘に、

「西へと移る者」

 と男はまず短く切るようにして答えた。

 

 嗅覚にて分かる。

 男に敵意はない。が、利用をする肚を隠そうともしていない。

 何より……この空気の違い。異物感は……天の御遣い。

 

 射程のぎりぎり外の範囲で、男は踵を並べるようにして立ち止まって背を反らした。

 

「天の御遣い、志々雄真実が懐刀、『百識』の方治。西征の道中、張将軍にお会いできたのは何よりの僥倖。これより、貴殿に相応しき舞台を用意させていただく」



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去り行く星々
韓遂(一):涼州再相克(前)


 雍州。

 董卓と停戦して後、西へ返った馬家軍は、鳳徳、ヘクトル、そして療養中の馬超を欠きつつも猛攻を仕掛け長安を奪還。逃げる韓遂軍を追撃する途にあった。

 

 だが、さしたる抵抗もなく逃げ散った韓遂軍は、その撤退の最中にも断続的な攻撃を仕掛けてくる。その一撃離脱の時機の巧みなこと。距離感の狡猾なこと。

 今日も今日とて遠く地平の果てに、土煙が消えていく。

 

「んもー! なんで追いつけないの~!?」

 と不満の声をあげるのは、蒼である。

 無理もなかろうと碧は内心で答えた。

 

 涼州馬(アシ)は同じ。出だしは向こうの方が早い。となれば、追いつける道理もなし。

 行動を読んで先回りすれば捕捉も出来ようが、まるで弄ぶがごとき動きは、常にこちらの意表を突くことを前提に動いているかのようだった。

 それら一つ一つには法則性を見いだせずにいる。

 

「叔母さまの軍、以前とはだいぶ動きが違いますね……」

「でも、ちょっと面白いかも」

 鰯と蒲公英の言葉に、碧は「そだね」と短く返す。だが、反応の薄さとは裏腹に娘の漏らした所感に大いに同意はしていた。

 姉妹の契りを結ぶ前も、そして後も、これまでは騎兵同士の単純なぶつかり合いでしかなかった。そこに多少の変化を織り交ぜることはあっても、決着はつかず、和すれども同ぜずということをくり返してきた。

 

 だがそれが、韓遂には、金蘭には気に食わなかったのかもしれない。ただ時代の流れであると妥協をし続ける、その涼州人の、そして天下の馴れ合いが。

 董卓に与し、漢中を併呑しこちらの背を突いたのもそれが由来か。

 

 燻っていた金蘭に火付け役となったのが、やはり先に涼州に降り立った御遣いなのだろう。

 

「成公英以外に、良い軍師を得たようだな、金蘭」

 その変容に気が付いた馬休も馬岱も明敏と言えようが、前者は構想力に欠け、後者は天下の智者に比すれば目的性や展望に乏しい。

 

 輪虎はどうか。ヘクトル亡き今、唯一こちらに残った、天の御遣い。

 笑顔を絶えず見せつつも、自身の武の体現者、かつこの時代の傍観者という距離感を崩そうともしない。

 その彼でも、一定の目的を与えれば必ず果たすが、そういう資質なのかやる気の問題か、自分からは動こうとはしなかった。

 

「あ」

 その彼が、ハタと思いついたように目線を上げた。

「あー」

 碧も間の抜けた声をあげて、その視線の先を追った。

 

 そこに来ては、軍師ならずとも居らずとも、ここに至るまでの散発的な奇襲の意味を知る。

 気が付けば深入り。その窪地を囲む峰に、消えた数の馬影が、数を増して馬家軍を囲い込んでいた。

 数を減らし軍を破ることが目的ではなかったこの死地に、自覚させないままに引きずり込むための誘導。

 

 これも軍師ひとりの采配によるものか。

 ――否、構想あれども実行できなければ意味がない。

 

 金蘭に帰順した閻行(えんこう)、旗本八騎らしからぬ、軽妙な進撃、鮮やかな退却。

 それはやはり御遣いなのか、あるいは……

 

(ともあれ)

 戯れあい最早無用。徹底的に殺し尽す。そんな金蘭の冷たい布告を、碧は聞いた気がした。

 

 ~~~

 

半兵衛(はんべえ)

 一見して美少年、下手をすれば少女にしか見えぬその男の名を、金蘭は背越しに呼んだ。

 

「姜維、王平(おうへい)張翼(ちょうよく)張嶷(ちょうぎょく)馬忠(ばちゅう)

 謀臣の脇に居並ぶ新参の将らの名を呼んだ。

 

「前線は引き続きお前たちに任す。撫で斬りにせよ」

 撫で斬り。その言葉に、半兵衛は細い眉をわずかに動かした。

 彼女のはためく袍が、あの『魔王』の外套を想起させた。

 

「お待ちください! 我らはすでに連戦に継ぐ連戦で疲弊しきっています! それに、この大兵に遊兵を作らず囲い込んでこそ初めてこの策は意味を為すのです!」

「それは我らも同じこと。それに万一そちらが討ち漏らすことのないよう動じず包囲を維持することも、また必要ではありませんか?」

「あたしたちが、仕損じるとでも!?」

「疲弊していると、そう言ったのは貴女でしょう? それに新参と古参では、連携が取れぬが道理。下手に合流せず、それぞれの領分で動くことこそが最善手であるかと」

 

 食って掛かる姜維だったが、成公英はにべなくそれをいなす。

 麒麟児はそれ以上何も言えなかった。成公英が反論を許さないのは人生経験による老獪さというのあろうが、それ以上に赫光の故地は韓遂軍に抑えられている。命に反すれば、そこに住まう母の命が危うくなろう。

 それを汲んで竹中(たけなか)半兵衛は弟子を下がらせた。

 

「叛くか? 半兵衛」

 

 謀臣の方針に諾否を示さぬまま、金蘭は短く問うた。

 命に叛くか。自分に叛くか。あるいは己自身に叛くか。

 そこには複雑な意味合いが込められている気がした。そこもまた、かの織田信長には似ている。もっとも、あの魔王ほどに、魑魅魍魎のごとき深い闇や信念があるわけでもないだろうが。

 

「やれば良いんでしょ? どーせそう来るとは思ったから、段取りはしてあるよ」

「いやー! 苦労しますねぇ、軍師殿も!」

 

 いつになく大きな声量でそう言ったのは楊秋であった。

 小兎を思わせる小動物的な体躯から発せられたその労いには、言葉とは裏腹に浮ついたものを感じさせた。

 それは揶揄というよりかは、自分は矢面に立たずホッとした、といったところだろう。

 付き合ってみてわかるのは、この少女が病的なまでの自己保身の体現者であるということだった。

 

「貴女も行くのよ、北流(ぺいるう)、ここまでマトモに戦いもせずずっと逃げ回ってただけなんだから」

 成公英は冷ややかにそう命じられ、ピィッとこれまた楊秋は小動物的な悲鳴を発した。

 一方で半兵衛らに対しては、

「それでは、よろしくお願いしますね……『軍師殿』」

 と殊更に慇懃無礼に言ってのける。

 

 忠実であるがゆえか、あるいは嫉妬か。

 成公英の半兵衛ら天の御遣いに対する風当たりは、ことさらに強い。

 

「そんなんだから、ロイエンタールさんに愛想尽かされるんだよ」

 遠のく主従の背を眺めつつ、聞こえても良い、という体で半兵衛はぼやいた。

 

 去り際、韓遂の護衛も務める武人、閻行が

「悪いな」

 と短く二人に代わって謝したことぐらいが、せめてもの救いというべきか。

 

「どうします、いっそ叛いちゃいます?」

 と張嶷が物騒なことをだしぬけに言う。

 深い緑の髪を両端に結わえた、この中でもひときわ若年の少女である。

 

「いやぁ、なんか叛いたら叛いたであの人喜ばせることになっちゃいそうでさぁ」

 と一応は乗りつつも、半兵衛は消極的な姿勢を見せた。

 本当に、諾と従っても苦痛。かと言って金蘭の本懐を果たしてやるのも苦痛。

 

「あれっすか、いわゆる無敵の人ってヤツすか」

 と馬忠が乗る。様々な色を編んだ特異な髪。やや男性的に傾いた美貌に見合う、これまた独特の表現である。

「うーん、まぁそれはよくわかんないけど、そんな感じ」

 と、適当にいなしつつ、棒立ちになって放心している楊秋の肩をポンと叩く。

 

「どどど、どうしてアタシが巻き込まれてんですかぁっ?! 敵は錦馬でしょ!? 対馬超最終兵器の閻行()ちゃんが出るのが道理じゃないですか!」

 

 我を取り戻すや、半兵衛の身体を逆に揺さぶり返す楊秋の悲痛な訴えに、赫光が割り込んで答えた。

 

「ここまでの戦いで、馬超の姿は確認できていません。彼女が健在であれば、その性質から、またその無事を見せるべく陣頭に立っているはずです。おそらく呂布との交戦の傷がまだ癒えていないのでしょう」

「あー……紅葉ちゃん……死んじゃったんでしたっけ……馬超、翠ちゃんも?」

「死んだとまではいかずとも、戦える状態にないことは確かだろうね」

 

 半兵衛が赫光の言葉を継いだ。

 いくらか肩の強張りが溶けた様子の楊秋の脇をすり抜け、黒髪を切り揃えた少女が顔を出した。

 

「なに、どうしたの王平(黙契)さん」

 

 元来、無表情で寡黙、自分の名を含めて四文字以上の筆談も出来ない彼女が見せる尋常ならざる様子を察した半兵衛が尋ねる。

 千手観音のごとくわたわたと四方八方に手を動かし、必死に身振り手振りで合図を送って来る彼女に、さしもの半兵衛も苦笑する。旧知にして彼女の勝手を知ったる張翼が、すらりと伸びた背と髪を翻して、

 

「先手を取らんと馬騰がばびゅんと動き始めました。ずんずんとこちらに向かって来てます。ぱぱっと中央突破のうえ、離脱を図る模様です」

 

 擬音を多用し解読する。

 

「それじゃ、こっちも片をつけようか。……ぱぱっとね」

 北伐でもさせる気かという新参組の面々もまた、韓遂たちに負けず劣らず個性派ぞろいである。

 

 いつの時代も、いずこの世界でも、『若い子』の感性には追いつくのに苦労させられる。

 しみじみと噛みしめつつ半兵衛は、腰と背を大きく伸ばして前線に進み出た。



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韓遂(一):涼州再相克(中)

 ――語る者の言葉にも依るであろうが。

 兵法とは、味方をいかに効率の良く運用するか、敵をいかに効率悪く動かさせるか、という二点こそが礎石となる学術であろう。

 

 人数の多寡というのは、たしかに軽視すべからざる重大事であるが、結局のところはより良い効率性を求めるだけのひとつの要素に他ならず、そしてそれをより深く弁えた者こそが利と理を得るのである。

 

 今回の場合において弁えたる者とは、今回の図を企み、今また矮躯を前線へと押し上げた軍師、竹中半兵衛であり、その手並をわずかな妬心とともに遠望する成公英であり、また表裏比興の群雄韓遂である。

 一点突破という目標にのみ絞った馬軍は、それこそ、彼らの用意した狩場に迷い込んだ獣に過ぎぬ。

 

 勝敗は、始まる前より決していた。

 

 とはいえ、それを知る術などない。いや、自分たちの行動が敵に予測され、かつ望む通りに移動させられるなどと知覚させないところに、韓遂方の用兵の妙がある。

 

 馬騰は何となくにキナ臭いものを本能と経験とで嗅ぎ取りながらも、選択の余地など既になかった。

 攻めよ。碧は号令を掲げる。痛みの伴う高揚と動悸。濁る声。そこに忍び寄る死の影を悟られまいとしながら。

 

 起伏の多い土地である。

 馬騰らとしては、一文字に斬り行ったつもりであったが、その道程は実のところ湾曲と収縮をくり返し、折れた先に何が待ち受けているとの知れず。

 歩兵を主体とした軍容であればまたもし多様な動かし方も出来たであろう。もしくは精強な涼州軍馬であれば、多少の難路は踏破できたであろう。

 

 だが、人はえてして易き道を好む。まして、疲労した今となっては、漠然とした理由からあえて道と則を外れて奇手に奔ることは躊躇われた。

 

 しかしそれもまた、軍師の読むところであった。

 

 ――第一手。

 馬超不在にして鳳徳戦死ともなれば、先手は自然馬岱である。

 だが、代役にして実のところは絶妙の人選でもあった。

 ただ愚直に突き入る翠よりかは、柔軟性と判断力に優れる。敵の策謀の気配にも敏感である。

 

 対するは、張翼である。

「ばびゅん」

 妙な音を口ずさみ、直槍をもって元気よく馬軍の出鼻に衝き込んでくる。

 だが、この程度の先手働きを読めぬようでは将とは言えぬ。みずから先頭に立った蒲公英は、影閃(えいせん)をもって難なくその奇襲を受け止め、代わり溌剌とした逆撃に転じた。

 

 さすがに張翼はこれはたまらぬと退いた。いや、その判断はいっそ小気味よいほどに鮮やかだ。

 馬軍はそれを追う。どのみちその先にしか道はない。

 

 果たして、逃げた先の横合い。馬忠張嶷の二将が重歩兵をもってその行く手をふさぐ。

 蒲公英は、柳眉をしかめた。それをこそ敵伏兵と読んでいた。

 ――否、読まされていた。

 

 敵味方ともに正史においては劉備死後の蜀を支えた輔臣ではあるが、この外史にとっては互いに無名新参ゆえに名も知らぬ。だが将質は互いに理解していた。

 

 堅実にして重厚。縦陣大盾をもって隘路を防がれれば、いかに精強な騎兵といっても時が要る。時をかければ包囲される。

 その常道を知ればこそ、蒲公英はそれを避けた。

 

 ――あるいは翠であれば、我が武威をもってして無理にでもこじ開けたであろう。あるいはそれが、正答であったやもしれぬ。

 だがその是非を極められる者は、当代においては無いであろう。

 

 馬軍は順調に敵陣を突破していく。その策謀を打破していく。

 ()()()()()()()()()()

 

 一見して順調に見えたその流れに変化が生じたのは、第三波の時だった。

 若草色の髪がふいに視界の片隅に紛れ込んだ時、ぞっとするような風音が蒲公英の耳朶を襲った。

 

「馬岱殿、お覚悟」

 遅れて声がやってくる。だが、かえってその声により、蒲公英は奇手を遮ることに成功した。

 

 だが、その年若い敵将には自身の迂闊さを呪う様子も、小賢しい敵と思うような様子もなく、爽快な面持ちと敬意をもって蒲公英を眩いばかりに細めて目で見返していた。

 と同時に

(面白い)

 と、蒲公英も自信に仕掛けてきた少女を初見より好ましく思った。

 

 馬上にあって捧げ持っているのは、鉤鎌槍(こうれんそう)。その通名のごとく、呂布の方天画戟を彷彿とさせる、槍先とは別に湾曲した刃が添えられた武器である。

 これは宋代に流行した長柄物なのだが、時代を超越して火砲さえ飛ぶ外史において、多少の技術の齟齬など問題ではあるまい。

 

 侮りはしなかった。むしろ、こちらの中枢に、敬慕すべき親類たちには接近を許してはならない強敵だ。

(だったら)

 からかいついでに、引きはがしてやろうと、あえて呼吸や距離感覚を無視し、理合を崩して強引な攻めに出た。

 

 逆に吊り出すべく、そのまま若き敵将の鼻先を通過し、奥へと駆け入らんとする。

 

 ――が。

 

 転瞬、喉のあたりに蒲公英はいやなものを感じ取った。

 音もなく、最低限の動きで、月光にも似た閃きが蒲公英の喉輪を襲った。

「あっぶな!」

 率直に声を漏らし、蒲公英はのけぞった。

 

 偽逃を企図した蒲公英隊の動きをその一閃でもって封じた。

 そして、人馬一体、将兵一体となって苛烈に攻め入りつつも、あえてその陣に一穴を開けて明示させつつ、その中に押し込まんとする。

 

 ――訂正。

 やっぱり、可愛げなどない。若さに似ぬ狡猾さである。あるいは指揮する軍師の令をよく実行しただけなのかもしれないが、それとて本人の底意地の悪さ、周到さと執念深さがなければ成し得ぬことだ。

 

 おそらくは御遣いなどではなく『現地人』であろうが、噂のその又聞きに思い当たるフシを耳にしたことがあった。

 

 曰く、天水に麒麟児あり。

 幼くして兵書に通じ、長じては諸武芸を修め、清廉実直、孝心に厚い英才。

 姓を姜、名を維、字を伯約(はくやく)と。

 

 おそらくは彼女の描いた図であろう、と蒲公英は踏んだ。その彼女を抑えてさえいれば、指揮系統に間隙が生じると。

 ――だが真実はそうではなく、知らぬ顔で敵陣の奥底より、四本目の刃は着実に馬軍の背に忍び寄りつつあった。

 

 ~~~

 

 最後尾にあってその姫将はぼんやりと虚空を仰いでいた。

 着崩した衣と鎧。乱雑に幘を巻き、その隙間より銀髪がはみ出ている。

 

 茫洋と開かれた瞳はこの地形にて唯一切り開かれた空をそのまま取り入れたがごとくに、蒼い。

 それが、張繍であった。

 

 あまりに場違いなその佇まいに、いつものことながら配下の士卒はいずれもそこはかとない不安に駆られる。と同時に、なんだかんだで、意図してかどうか知らず、最終的に良い方へと導くこともまた知っていたのだった。

 

 ただこの時ばかりは、さすがに意を探りかねたし、探らざるを得なかった。

 何しろ、前線よりの状況報告が絶えて久しい。押し出すべきか。このまま起伏の口にて待機を続けるべきか。せめてその去就を明らかにして欲しいと彼らは願っていた。これではまるで、

 

 そこに、敵方より鏑矢が上がる。白く塗られたそれが、頭上に陣したまま動作せぬ韓遂本隊よる突き抜けて天を穿つ。やはり敵には何らかの策があったのではないか。そのための何事かの合図だと彼らとて察するところである。

 

 だが、張繍は変わらずぼんやりその方角に視点と角度を固定させたままであった。ただ「あ」と短く息をこぼしたぐらいであった。

 だが、その矢の軌道を見届けた後で、

 

「じゃあ、行くね」

 と寝ぼけまなこの下に微笑を称え、おもむろに告げて言った。

 

「目標、馬家後軍、馬休馬鉄の隊」

 

 下した命はふわふわとした態度とは裏腹に明快であった。

 だが、その対象とするところに、一同は唖然となった。

 

「す、すると……董中郎将を見限り、今また韓遂軍に寝返ると!?」

 

 そう確認してきた配下にあどけなく少女は小首を傾げて見せた。むしろその者の正気を問わんとさえする風でさえある。

 

「だって、成公英から合図来たし」

 

 ……そこに至って、彼らは鏑矢の意味を知った。

 

 ――初手から謀を頓挫させた董卓を見限れ。

 ――しかるのちに東征する西涼軍閥に就き、その動向を逐一報告せよ。

 ――そして来るべき決戦時、我が意に従い馬家の背後を襲え。

 

 それが韓遂の謀主、成公英よりの密命であった。

 それを知っていたのは、彼女と彼女の意を受けたごく一部の間諜のみであった。

 これは秘中の秘であったから……と言うのではなく、絶望的に言葉が不足していた結果に他ならぬが、それが幸いして、ぼんやりとした人畜無害のごとき降将の内心去就などは、韓遂を追っていた碧たちの意識の外にあったのだ。

 

 順調に戦を運んでいたはずだった。それが敵の狙いの内であったとしても、今ひとたび馬蹄を打ち鳴らして攻めかかることで、それらをひっくり返しつつあるはずだった。

 だが戦略において手落ちのあった軍が、戦術において状況を覆えすことなど稀である。

 

 包囲を恐れて一点突破を図っていた馬軍はしかし、逆に右往左往の果てに今、敵の真芯で孤立していた。

 

 〜〜〜

 

「も、申し上げます! 張繍軍、離反! 我らの背後に攻めて参りました!」

「なんですって……っ!」

 

 その報に触れた馬休こと鶸は歯噛みした。

 惚けた様子でいたあの娘。何という恥知らずか、人面獣心か。

 

 だがいくら恨み節を唱えたところで、そのまま相手が呪殺できようはずもない。

 

「参ったな」

 量の多い髪をまさぐるようにしながらぼやいたのは、母であった。

 

「母様!? 危険ですっ、いますぐ中央にお戻りに……」

「安全なところなど、すでにどこにもないよ」

 

 やや諦観にも似たぼやき。聞きたくもなかった弱気な発言に、母姉譲りの凛々しい眉もつい下がるというものだ。

 

「ですが……」

 この場には、いまいち信の置けぬ者たちも控えておりますゆえ。

 出かかった言葉ではあったが、当人たちの前ではさすがに口にするのは躊躇われた。

 

 ひとりは何を考えているのか分からぬ異邦人。もうひとりは董卓配下の降将である。張繍のごとく、この不利に母の首を手土産にいつ鞍替えするか知れたものではなかった。

 

「輪虎」

 

 碧はその片割れに声をかけた。

 

「私としては、別にお前を疑っていたわけではなかった。ただ城攻めの最前線に立たせたうえで張遼の相手だ。連戦はきつかろうという、要らん老婆心だった。素直にお前に先鋒を任せて飛ばしていれば、多少なりとも勝ちの目があったのかな」

「まったくね」

 

 奢りに傾きがちではあるが、余計な気負いも虚飾もない、等身大に近い返答ではあった。

 とは言っても、すでに時遅し。蒼と蒲公英が東西に展開して戦っているが、すでに攻勢は防戦と持久戦にその色合いを変えつつあった。そこに止めと言わんばかりの張繍の転身である。

 四方八方で乱戦が続き、いずれここも突破される恐れがあった。もはや輪虎隊を投じてどうにかできる状況ではなくなってしまっていた。

 

 そこにおいて、もう片方も身じろぎした。

 腰かけていた岩縁から剥がれるや、天を仰ぎ見て、

 

「今日が晴れていて、よかった」

 と妙に落ち着き払った調子で言う。

 

 ――まさか死ぬには良い日だと続くのでは、と鶸は気を揉んだが、彼女の危惧が表面化するよりも先に彼女は視線を

 

「輪虎」

 

 へと注ぎ向けた。

 

「私から奪った武器は、どこですか」

「あぁ、アレなら僕には要らないオモチャだから」

 

 と、極限まで細めた目が橋渡しでもするかのごとく鶸へ投げられる。

 

「あれ、武器なんですか……?」

 西涼軍閥の後方管理官として、様々な武具物資を扱っていた馬休ではあるが、いったい彼女から鹵獲したものが何なのか、皆目見当もつかなかった。

 

 ちょうど手近な荷車に、それがあった。

 その衣を剥ぎ取ると、自重、硬い鉄音とともに地にその口が叩きつけられた。

 利器にあらず、鈍器にあらず、什器にあらず。

 こんなもので、一体何を行う気だというのだ? この死地において。

 

「往くのかね」

 碧が問う。

 

「はい。敵に風穴を穿ちに。これと自分なら、出来ます」

「お前自身はどうなる」

 

 碧の問いに、金髪を結わえた娘は答えなかった。

 その表情は硬い鉄面に覆われたようなものだが、そこから何がしかを汲み取ったらしく、碧は良い顔をしなかった。

 

「おいおい、勘弁してくれ。身内同士の争いに、客人にそこまでさせられるか」

「客ではない」

 

 母の言葉を、降将は即座に否定した。

 

「『涼州人』だ。貴女が、そう言いました。もう余所者では、ありません」

 捕らえられ、降るにあたって談笑まじりに言ったことを少女は憶えていて、それを逆手に取る形でそれ以上の反論を封じた。

 

「……ならば、なおのことだ。もう若者に先立たれるのだけは、御免こうむる……生きて帰れ」

 往年の鋭さ、真剣味をほんの少しだけ取り戻した涼州の獅子は、

 

 それにはやはり答えない。代わり、再び手にした鉄塊のごとき強硬な決意を語調に滲ませつつ、少女は背を獣のごとく少し丸めつつ地を踏みしめた。

 

 

 

「陥陣営、推して参る」



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韓遂(一):涼州再相克(後)

 昔々……と言うほどでもない時分。

 明主を求め諸国を巡り歩く、無名の将士がいた。

 その少女、生まれつき手先が器用にして奇想を持ち、生活を潤滑化させる発明品から子どもにさえ鼻白まれるようなガラクタまで、衝動のままに作っていた。

 いわばこれは彼女の習性とも言うべきもので、採算を度外視したものであったが、然りとて生活費は路銀は必要だし、作るにしても材料費も要る。

 そこで彼女はその幾つかを売り払うことにした。あるいは逗留の間、個別に発注を受けていた。

 

 そのうちの一つに、かの兵器はあった。

 

 あまりに時代を先取りし過ぎたそれは、原理を知らぬ者からすれば、ただの扱いにくい鉄鍋や鼎にしか見えぬであろう。あるいはなまじ兵理を解する者は、説明を受けて冷笑を浮かべた。

 

「逐一鋳造した鉄塊を特殊な薬品で飛ばすぐらいなら、その金と手間とで矢をより多く用立てた方が早いではないか」

 と。

 

 結局、二基作成したうち、ひとつは益州の女武芸者に興味本位で購われ、もう一つは、それよりか改良を重ね、威力を犠牲に多少の小型化軽量化に成功したものは、懇意にしていた武器商に情けにより置かせてもらうことになった。

 

 ほぼ置物なっていたそれと、自身の武人としての在り方に懊悩していた高順、真名を破城とが邂逅を果たしてのは、まさに運命といって良かったであろう。

 

 ~~~

 

 楊秋。字は知らず。真名は北流(ぺいるう)

 これでも旗本八旗なる関西を代表する士大将の一角である。

 他の西涼武者の例に漏れず弓馬を得意とし、指揮ぶりもそれなりの見事さである。小動物的な容姿と立ち振る舞いは妙な人気もある。

 だが他の七騎に比べれば、いずれも見劣りするものであり、旗本中もっとも格下の存在であった。

 

 ――しかしながら、彼女には武勇でも智謀でもない、天下有数の才覚……否、体質があった。

 

 その性質が、この戦場の変化を誰より早く嗅ぎ取っていた。

 

「……後退。なんかいやな予感する」

 まだ兆候さえ表れない戦局。消え入るような声で命じつつ、そろりそろりと後ずさり。

 だがその後頭部と、硬い胸板が遮った。

 

「どこへ行く? 野鼠」

「げぇっ、馬玩(ばがん)さん!? 金蘭様の護衛では!?」

「貴様の目付を仰せつかった」

 

 窪んで深い陰を作る凶悪な目元に、角の張った頬骨。毛の一本も残さず剃り上げた頭。

 ゆうに六尺を超える体躯は、余人では持て余すような大鎧の着用にさえ耐えうる筋骨を有していた。

 

 

 ――これで、生物上は女である。

 

 

 乙女を誰に誇張してみせるものか。申し訳程度に髪飾りが……いったいどこにくくりつけているのか分からないが、頭の後ろから覗いている。

 

 これで外見だけで内面も可憐あればまだ愛らしげもあったのだが、ところがどっこい、中身も堂々たる女丈夫であったのだから救いがない。声に至っては艶っぽさとは無縁の酒に焼けた胴間声である。

 

「まったく見下げ果てた奴め。それでも末席といえ我ら旗本が一騎か。涼州の烈士か」

「そんなもん家の事情なんだからしょうがないじゃないですかっ。それよりやばいんですって。何か来るんですって」

「あ? 何かって、なにが」

 

 そう言いさした馬玩の拘束から北流が強引に抜け出したのと、抜け出したその胴が槍で穿たれるのは、ほぼ紙一重の時間差であった。

 

 あんぐりと大口を開けたままに転がる北流が見たもの。

 それは馬玩を貫く槍。それ自体は柄が通常のものよりも太く作られた、大身槍でしかない。

 刺殺せしめた本人にいたっては、自分たちと似たり寄ったりの背格好の金髪の美少女である。

 

 だがその速度が異常であった。その勢いが尋常ではなかった。

 その勢いに楊秋の陣は高低差をものともせず瞬く間に突破され、足を止めないままに中央に陣取っていた馬玩目付を討ち抜いた。

 

 それを可能にしたのは、少女が腰に刀代わりに佩く、奇妙な鉄筒であった。

 

「陥陣、突撃。第一陣、突破。第二、陥陣再突撃」

 

 呪文のごとくそう唱えるや、かの鉄器の把手に備え付けられている指懸けを引く。

 地に向けられた筒の口が、火を噴いた。

 

 その火勢は少女を押し出し、浮き上がらせてさらなる猛進を開始させた。

 その烈しさに、その形容に、恐慌状態に陥った部隊にあって、

 

「ぴいぃ……あ、危なかった……」

 

 と北流は頭を抱えてうずくまっていた。とても、それが一軍の将帥の姿とは思えなかった。ゆえにこそ、あの敵は堂々たる武人馬玩をこそこの軍の長と誤認し、そして本物は見逃された。

 

 楊秋。

 たとえ無様で無力で魯鈍と言えど、いかな過酷な状況からも、政治的判断が難しい複雑な情勢からも、とっさの判断と強運、そして道化じみた愛嬌と微妙に薄い存在感で乗り切ってしまう。

 それこそが、関中関西のみならず天下にも稀な、彼女の資質であった。

 

 ~~~

 

 血しぶきが舞う。火柱が躍る。

 

「第二、陥陣。再突撃、開始」

「第三、陥陣。突撃再動」

 

 どこか人外じみた調子の声が方々で鳴るたび、死が生じる。

 東へ西へ。蛇行しながら突き進むこの敵は、無軌道に見えて確実に竹中軍の本営へと迫りつつあった。

 ついには、遊軍に在って各間の緊密を保つ役割を担っていた馬忠隊が、その餌食となった。否、あえて餌と罠と網の役を買って出て、王平隊と合流。そのうえでこの小癪な単騎を押し包まんとしたわけだが、

 

寗随(ねいずい)ッ! くそっ」

 果たして読み通りに来たは良し。だがそれをさえも破られ、すぐ横でその修繕の時間を稼ごうと応戦しようとして、分隊長があっという間に討ち取られた。

 

 頬にかかった副将の血を袖口で拭い、遠ざかりつつある金髪の敵将を追った。

 だがその背筋に、氷柱を突き立てられたかのごとき感覚が襲った。

 

 もはや隠れ潜む必要なしと言わんばかりに、何かの気配が、湧いて出た。

 風音が唸りをあげて、白刃の閃きが瞳の幕を焼くようだった。

 

(なッ、こいつ、いつの間に!?)

 

 すでにして至近。動物的な敏感さを持つ馬忠をもってしても察知しえなかった男は笑み――のごとき――張り付いた表情を顔に作っていた。

 

 唐突な死。覚悟が伴わないままにその気配が迫る。

 そこに、王平隊が合流した。

 いつにない積極さで我が身を両者の間に滑り込ませた黒髪の少女は、方形の大盾でこの後続の敵の一斬を防ぎ切った。ただその代償に、その盾自体は真っ二つ。

 平時一切動作することがない王平の眉が、驚きに歪む。

 

 ただ敵にしてみれば、彼女らのごとき『小物』を仕損じたとしても拘泥して足を止めるわけにはいかぬ。彼の少数の突撃部隊は、難なく両隊の中央を引き裂くようにして突破していき、あの金髪の人間兵器に続いて行った。

 

「わ、悪い」

 

 馬忠は、二重に詫びた。

 一に無様をさらした自分を救われたこと。二に、あの敵どもを防ぎ止めることができなかったこと。

 

 とは言っても、王平に反応は求めていない。必要以上に語らず、慣れ親しまないのがこの王子均である。

 

(徳信、聞こえていますか、徳信)

 と、思っていたのだが。

 

 ふいに、声が聞こえてきた。馬忠の字を呼ぶ。

 琴を爪弾くがごとき、可憐な音調。だが実際に馬忠の鼓膜を揺さぶっているのではない。

 

「ふゃ!? なんじゃこの声!? 頭に直接響いてくる!」

 思わず頓狂な悲鳴をあげる少女に、王平は曰くありげな眼差しを注いでいる。

 

(そう気に病む必要はありません。元より個々の勇や器量が劣っているのは承知の上。堰とはただ真っ向から激流を受け止めるものに非ず。その勢いを分かち、散らし、殺すことこそが肝心であり、我らの役務です)

「なんかやたら饒舌だけど……ひょっとして、子均なのか!?」

 

 あいも変わらず無表情。だが明確に分かる深さで、少女は首肯した。

 

「なんだかよくわからねぇけど……すげェぜ子均! 文字も読めねぇ喋れもしねぇでコイツどうやって指揮執ってんだって常日頃思ってたけどこういうことだったんだな! なぁ、もっと遠くに伝えられたら伝令要らねぇじゃん!」

 

 その称賛と打診に反応するがごとく、馬忠に定められていた黒曜石の瞳がふいと逸れる。

 

「なんか、やっぱり距離とかに限界あるのか?」

(…………大声出すの、いやです)

「いや声は出してねぇよ!?」

 

 思わず反論(ツッコミ)を入れざるをえなかった。

 そんな彼女たちのもとへ、駿馬を疾駆し、姜維も踊り込んで来た。

 

「遊んでいる場合じゃなかったな」

 と馬忠も気まずそうにはにかんだ。

 そんな彼女を険しく睨み据え、

「その通りですよ」

 とつれなく言う。

 師以外の相手には、こと戦場においてはこの麒麟児は峻厳である。

 

「で、どうするね弟子殿」

「所詮は包囲の網を破ったとして、所詮は針です。問題は第二第三の後続を合流させないこと」

「その針が、お師さんの眉間を貫くかもしれんぜ」

 

 お前はあれらを間近で受けてないからそうタカをくくれるのだ、という揶揄を込めて言う。

 それを如何に受け取ったのかは知らず、ただ姜伯約……赫光は、

 

「そんな、ことは、させない」

 

 と圧を味方相手にさえかけてきた。

 

「そうさせないために我々がいるんです。後続の馬騰らの相手は二張に引き続き担当させます。敵を戦力的にも戦術的にも集中させず、可能な限り遅滞させます。その間に我らも本隊まで退き、そこにて間に合えば迎撃の準備。もし先に敵がたどり着いているようなら、その側背を襲います」

「うん? てぇことは、包囲は解くのか?」

「完全には解除しません。たまわせつつ、あらためて師の部隊を中心に編み直すんです」

 

 やや詭弁じみた抽象的なことを言いつつ、その双眸の炎は苦境に転じてもなお、燃え盛っている。

 

「たとえ計が破られたとしても練り直し、一敗の後に地に伏したといえど、智勇の限りを尽くして回天の機をうかがい続ける限り、敗けはありません」

「……お前」

 

 言い放つ少女に、馬忠は胃の腑に熱した石をねじ込まれた気分に陥った。

 まだ寸手のところで正気と言えようが、その肩入れしたものに対する情深さ、一度敵としたものに対する執念深さ、執拗さは異様の領域に近い。

 一方でひたむきなまでにその姿勢を貫くありようは、清く、狼の如く美しい。その姿こそが、後に周囲を巻き込んで滅びへと突き進むのではないか、と馬忠は言外に危惧する。

 

 とまれ、今はその感情の熱こそが頼もしい。

 新進気鋭の将星たちは、その筆頭たる姜維のもとで前線の再構築を始めた。

 

 〜〜〜

 

 まこと、この装置を作ってくれたものには感謝しかない、と破城は思う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()など、古今東西いずれにおいても例を見ない。

 

 だが未完成品であったのか、当初はその調整に苦労したものだ。

 用いる炸薬の量が多すぎるせいで足が千切れかけたり、制動をしくじって腿を折ってこともあったが、そうした痛みを伴う実践と調練の果てに、ようやく実用化に漕ぎつけることができた。

 

 そんな現在となっては、こと侵攻戦においては負ける余地など、あろうはずもない。

 

「最終線、突破。陥陣、突撃」

 自身に暗示をかけるが如く、その口上を漏らすとともに、彼女は着火した。

 

「軍師殿をお守りせよーッ」

 

 この叫び声が敵による機転でなければ、自分の勘働きのとおりにこの向こうには敵の指揮者が存在している。

 

 さりとて残る炸薬もわずか。

 敵本陣迎撃軍の第一波。その肉の帳を突き抜けた彼女は、今度は自分の足で間合いを詰める。

 武器の重量などとうに我が身に慣らした。鎧を纏い鉄塊を抱えながらも、常人の倍の速度で我が身を動かす。

 

 射程圏内に至る。肉と鉄器の壁が作られるが、突破には問題なし。

 引き金に指を懸け、炸薬を破裂される。

 飛翔。空気の壁にまともに打ち当たり、総身の前面が加圧される。

 

 その中でギリギリと肩甲骨を弓弭のごとく引き絞り、槍を矢の如くに番える。

 

 その場にいた何者よりも高く飛翔する。

 そして地上に視た。少年のごとき、あるいは少女のごとき、小柄で華奢な、だが明確なるこの世の異物。

 

 捉えた。

 軍師。

 

「――陥陣、突撃」



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韓遂(二):総て是玉関の情(前)

 逆噴射による高順の特攻が、地表を抉る。黒い煙を巻き上がらせる。

 だが、手ごたえはない。逃げ場も逃げ時もなかったはずだ。

 

「あっぶないなぁ」

 

 少年とも少女ともつかぬ類の声が、その頭上より落ちてくる。同時に、断続的な風音も。

 天を仰げば、そこに美貌の軍師はいた。

 

「てか、それはさすがに反則でしょ」

 

 呆れたように彼は言う。

 だが破城から言わせれば彼が捧げ持ったそれこそだ。

 

 円盤に取り付けられた針が高速で回転し、如何なる原理かそれが彼に浮遊の力を与えている。

 自分のそれとは違い反動が発生せず、しかも長い時間滞空している。

 

 だが、まだ射程内だ。

 そう見切りをつけた猛将の周囲に、その近侍の武者どもが槍穂を押し出して殺到する。

 

「陥陣……突撃!」

 

 爆風で彼らを弾き飛ばし、破城は再び天へと自身を打ち上げた。

 天に挑みかからんばかりに突き出した槍穂が、軍師の足裏を掠める。全身で螺旋を描いて再浮上する彼に対して、直線的かつ最短距離を突き抜けて急追する。

 

 〜〜〜

 

 重力を無視して天へと打ち上がっていく両将の様を、地上の将兵悉く唖然と見送っていた。

 

 韓遂方においては防戦に心血を注がなくてはならないはずの張嶷がはたと手を止め中空を見上げ、

「すごい、あの二人……飛びながら戦ってる」

 と我知らず呟いた。

 

 対する馬騰陣営においても

「何アレェ?」

 と碧が頓狂な声をあげるのに、次女が反応して曰く、

「ちなみに長安戦ではあの武器? を頑張ってヘクトル殿と輪虎が抑えてました」

「……」

「すごく、がんばってました」

「………そっか、頑張ってたか」

 

 あの男、元の世界では巨龍を相手取って奮戦していたという。実のところまさかと疑ってかかっていた碧だったが、あれ相手に戦っていたとなると、あながち大ボラというわけでもなさそうだった。

 

「なぁ蒼、お前のよく買う読本にあぁいうの出てきそうじゃないか?」

「出ないよ」

「いやでもいそうだろ、お母ちゃんが幕舎で片づけた中にそんなのあった気も」

「ないよ」

 

 ふだんはおっとりした喋り方の蒼が、ピシャリと拒むような、強い口調で返した。

 母には分からぬが、そこにおいては微細だが絶対的な線引きが娘の中には存在するのだろう。

 

 歳や年代による感性の違いか。娘たちとの間に溝を感じる碧であった。

 

 そしてその手短な対話の中で軽く名の挙がった輪虎もまた、その光景を目撃して助攻の苛烈さは弛まぬままに意識をそちらへと傾けた。

 

 彼の生きた中華では、敵陣を遊泳する鮫がごとくに食い破る超人はいたが、彼らとて飛空はできなかったであろう。

 それを知る『廉頗の飛槍』が何を想ったか。余人が分かる限りの反応と言えばただぽつりと、

 

呉鳳明(ごほうめい)でも、さすがにアレは無理だろうなぁ」

 などという、かつての亡命先の上将の名を挙げて独語したぐらいのものであった。

 

 

 

 ……等々。

 

 

 反応は各々様々。もしこの場に仮に、揚州に身を寄せる大斧遣いの少女などいれば、彼女にしては珍しく喜悦と興奮を露わにして空を飛ぶ人間を望んだであろうが、それはありえぬ仮定の話。

 

 敵味方が見守る中、彼らが手出しできない領域にあって熾烈な空中戦を展開していた軍師半兵衛と猛将高順であったが、その滞空にも限度はある。

 

 先にその兆しを見せたのは、高順であった。

 多用に過ぎた炸薬はあとわずか。着地の制動に必要な分を加味すれば、限界は実量よりさらに下回る。

 

 ならばせめて一矢。

 せめて一槍。

 せめて一突。

 せめて一発。

 

 高順には字がない。郷里がない。親がなく、主もいない。

 并州人であるというらしいのだが、半端に分かる出生地が涼州人が多くを占める董卓陣営においては肩身を狭い思いをしていた。

 同郷ではあっても呂布張遼ほどに花も実もなく、またそれよりもはるかな小者の李粛(りしゅく)のごとく愛嬌を振りまけぬ。よっていまいち信に置けぬとして賈駆よりは留守居を命ぜられたがその任さえも果たせなかった。

 

 そんな彼女に、馬騰は涼州の民となれば良かろうと言った。

 あるいはそれは戯言であったのかもしれぬが、それでも十分であった。

 涼州人として、馬騰の客将として、せめて最後の一義を貫き果たす。

 

 最後の、一世一代の点火。

 

「陥陣……突撃!!」

 

 高順ここに在りという想念を込めて吼え尽す。

 瞬間、軍師がふわりと身を翻す。

 柳に風がごとく、腰をひねり破城が熾した火の粉を払い、爆炎の間隙を舞った。

 

 その身の裏……破城にとっては死角より、例の羅針盤が水平になって旋回していたのが現れた。

 外輪には無数の刃歯。

 ついおそろかになった首筋を回転するそらが削る……ことはなかった。

 途端に引っ込められ、代わり脇腹に打撃が加えられて身体の軌道を変えさせられる。

 

 ――加減を、された?

 

 理解できぬままに、決死の覚悟も気抜けし、あとはただ落ちるのみ。

 ただ向こうも向こうで、飛ぶのに使っていたそれを武器として用いたのだから、空中での支えを失って落下していく。

 とうてい助かる高さではあるまい。

 

(情けなし)

 

 恩義さえまともに返せず、敵の手にかかるでもなくただ徒死するか。

 返す返すも無念ではあるが、戦場においてはそういう死に方をするのもまた武人としての覚悟のうちだ。

 そう思い至って、従容と死を受け入れようとする破城ではあったが、その次の瞬間、小柄な身柄を救う腕があった。

 

 その者、獣の尾がごとくに髪を結い上げ、悍馬にまたがり、その背骨に負担がいかぬように、落下の衝撃を片腕のみで受け切った。

 だが彼女とて、張魯の施した方々の固定器具がまだ取れてはいない。呂布に受けた傷の癒えぬままである。

 

「ごめん、アタシのために無理させた」

 

 言葉を交わすのはこれが初である。そもそも、自分は彼女の……馬超の意識があるかなしかという時点において僚友となった。

 にもかかわらず、西涼を代表する姫将が自分を認めて、奇跡的に拾った命を

もう一度投げ打ってまで自分を救ったのだ。

 

「帰ろう、朋友(とも)

 

 あるいはそれは、去りし誰ぞの影を重ねたがゆえかもしれない。

 だが破城はその逞しさに、気高さに、度量に深く感じ入りつつ、頷き身を委ねたのであった。



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韓遂(二):総て是玉関の情(後)

「師、ご無事ですかっ、師!」

 

 本陣一帯の安全を確保するや、赫光は一番に踊り込んで半兵衛の落下地点のあたりをすぐさま捜索した。

 天の御遣いと言えど、その高さまで自ら舞い上がったといえど、高順と交錯の後の急速な落下速度は尋常のものではない。

 

 急く心臓を抑えつつ駆けずり回る彼女の頭上から、

 

「こっちこっち」

 と、戦場には場違いな、のほほんとした声が聞こえて来た。

 仰ぎ見れば、枯れ木の枝に半兵衛が腰周りを絡め取られている。

 

 一先ずは目立った傷もなく、五体満足なその姿を認めて安堵の息を漏らす。韓遂が死んでも、ここまで動揺することはないだろう。

 

「心配しましたよ。遠目であの高順と一騎打ちとなった時には……ともあれ、ご無事で何よりです」

「ごめんごめん。いやー、次からは居場所を分かってもらえるよう鼓でも打つことにするかな」

 

 などと本気か冗談か分からない調子で言う。

 だが、そこまで彼を追い詰めてしまったのは、ひとえに前線を指揮していた自分たちの不手際や甘さのゆえだ。

 

「ニ張の隊が、突破されました。馬家本隊にも離脱を許したようです」

 

 半兵衛は枝の間から抜け出ると、ひらりと飛び上がった。

 それを地上で万全の姿勢で抱き止めた赫光はしかし、申し訳なさでいっぱいだった。

 

「すみません……せっかくここまで膳立てしていただきながら、力及ばず」

 

 そして半兵衛を下ろすと、あらためて周囲の状況を目視する。

 復帰した馬超の参入は特に予想外の出来事で、長安より急行してきたと思われる彼女率いる決死隊は、たまさか、ここに行き当たり、孤軍奮闘する降将を救ったのだろう。

 先の失敗で懲りたらしく必要以上のことはせず、真っ直ぐに斬り行ったのち、また同じ道をまっすぐに脱していった。

 

 彼女たちと、そしてあの細目の御遣いが方々に切り開いた血路は、それこそ幾重にも、紅く広げた錦の帯のようでさえあった。

 

「なに言ってんの、上出来だよ」

 あっけらかんと、軍師は答えた。

 

「でも、韓遂……いえ金蘭さまは、殲滅をお命じに」

「それは金蘭さんの考え。俺としては、これからも馬騰さんたちには曹操に董卓に袁術と、抑え役になってもらう程度の戦力を残してもらわなくちゃ困るんだよ」

 

 その弁は果たして、誰にも打ち明けていなかった真の狙いであったのか。それとも弟子の不始末を擁護するためだけの方便なのか。

 ひとつ確かなことは、事の真偽は別として、自分は師に託され、全力でその策を実行に移した。そのうえで、当初の目的を果たせなかった。その無念さのみである。

 

 気落ちする少女に、半兵衛は時を見計らうがごとくに、こう訓示を垂れた。

 

「百戦百勝は、善の善なるものにあらず」

 孫氏謀攻篇。

「……戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」

 幾度となく誦じた舌が、歌い合すがごとくに続きを紡ぐ。

 

「つまりはそういうこと。同郷人で潰し合っても、得なんてないよ。それよりも大切なのは人の心を治めること……でしょ?」

 

 この半兵衛の問いかけに、柔らかな眼差しに、少女は自らの背を顧みる。そして、そこに込められた二重の意味を思い知る。

 

 まず勢力においては、生乾きの領内を固める必要があり、この勝利は馬家を締め出し韓遂の声望を高めるための手段であった。

 

 そして未完の大器、姜伯約に向けられた問いかけ。

 いかな俊英が天下の大局を描こうとも、将兵に心情を寄り添わなければ所詮は画餅。今回の自分の動向が、それであった。そも、張翼張嶷と呼び分けずニ張などと一括りに語るその口が、奢りでなくて何なのか。

 

 その未熟さを知ればこそ、師匠はあえて失敗を予期しつつも見送ったのであろう。

 語らう必要がある。ともに高め合う必要がある。

 張翼、張嶷、王平、馬忠。

 続々と集まって来る、新時代の星々たちと。

 

 息を吸う赫光の横隔膜を、半兵衛の指先が突いた。

 思いもよらぬ時と場所に受けた奇襲に、ひゃあっと頓狂な声をあげる。

 それを聞きつけた四将が驚きつつもやがて大笑いし、和んだ空気の中で怨みを込めて師を睨むと、彼は少年然とした、いたずらっぽい笑みとともに手を差し伸べた。

 

「帰ろうか、俺たちの天水(うち)に」

 

 韓遂に徴収された拠点。西域への交通路。

 自分の生地。母の居る場所。そして……夜天より振り落とされた師と、初めて出逢った運命の地。

 

「はいっ」

 天水の麒麟児は、その日初めて年相応の笑みを称えた。

 

 ~~~

 

 土煙を巻き上げて、分散した騎兵が東へ転身していく。

 対した時よりいくらか窄んだ義姉の軍容を、金蘭は高みより望んだ。

 

「あがけ、あがけ」

 

 投げた言葉は、ただそれのみ。

 だがそこには種々様々な情感と、韻があった。

 

 そんな主の耳目を寄すべく、成公英は意図的に咳を払った。

 

「殿に撫で斬りと仰せつかりながらも、主要な将どころか手負いの馬超さえも取りこぼすこの体たらく。いかな天の御遣いといえども、相応の処罰は必要でしょう」

「相応の処罰? 実数で上回る相手に連戦を強いられつつ、ほぼ無傷で傍観している我ら本隊の援けも得られないまま勝利する。これを罰する軍紀があるのか?」

 

 答えたのは、閻行であった。

 青銅色の髪を持つ武人は、その競り合いを間近で見させられながらも、そして馬超と再戦の機を得られながらもついに参入を許されなかったのが、大いに不満であるらしい。そしてその矛先は、成公英という分かりやすい嫌悪の対象へと集中していた。

 

「金蘭殿、獅子奮迅の働きを見せた客人たちか、ろくに動きもしないで嫉妬に駆られて大言を吐くのみの無能な軍師、罰せられるべきはどっちだ?」

「黙れ、まぐれ勝ちで馬超に一勝した程度で、殿と対等な口をきける立場でないことをわきまえなさい」

「おう利くともさ。あたしがこっちに就いたのは、ひとえに翠との再戦のためだけよ。あんたらの家臣になったおぼえはない」

 

 武人特有の傲然さでそう言い切った彼女に、成公英は苦い顔を隠さない。

 途端に剣呑な気を飛ばし合う両者の合間を、身を翻した金蘭が素通りした。

 

転輪(てんりん)

「はっ」

 真名で呼ばれた成公英は、葡萄色の頭髪と伸びあがった背を反らすようにして居住まいを正した。

 

「つまらんなぁ、お前だけは」

 嘲るがごとく、蔑むがごとく、憐れむがごとくに、主は眇を作ってみせる。

 転輪は反論などしない。ただ奥歯を噛みしめ、首を垂れるのみである。

 

 何とでも言え。

(わたしは間違っていない。ただ、殿の悪癖が過ぎるだけだ)

 相互不信のうえ、背を刺し合うような関係など、健全な主従の間柄ではない。それを是とするならば、この世は闇ではないか。

 

「帰るぞ」

 とだけ短く言い切って、反逆の涼王は帰郷の途に就いた。

 

 かくして涼州の戦は終わった。

 だが、董卓、馬騰、韓遂という、乱世の産み落とした巨影に涼州の人心は惑乱して定まることを知らず、かと言って衰退の道をひた進む漢朝に帰順などもってのほかであり、以後も国内外に常にくすぶる火種をもたらし続ける。

 

 あるいはそれは、関西という異国と都とをつなぐ要衝の、いわば宿命というべきなのかもしれない。

 後世、変わらず戦禍に呑まれこの地の民は嘆き、詩仙は謳う。

 

 長安一片月

(長安の空に月が浮かぶ)

 萬戸衣擣聲

(家々では絹を打ち)

 秋風吹不盡

(秋風は尽きることなど吹き渡る)

 總是玉關情

(その風があらゆる玉関の想いを運ぶ)

 何日胡虜平

(いつの日か夷を討ち平らげて)

 良人遠征罷

(あの人も遠く征旅より還ってくるだろうか)



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公孫賛(ニ):黒竜の棺(前)

 袁紹が這々の体にて北海に逃げ帰ったところを、河北をほぼ手中に収めた公孫賛軍は見逃さなかった。

 先にはその東進を阻んでいた教経の死んだことで苦戦もなく、済南(せいなん)を通過。一気に袁紹の籠もる城に猛攻を仕掛けていた。

 

 だが、その軍中に思いもかけぬ震撼が奔った。

 

「なにっ、曹操が動いた!?」

「はい、濮陽を突破し、渡河の準備を進めております。ほどなく、鄴都へ攻め込むのでしょう」

 

 袁紹に止めを刺すべく陣頭に立って北海を攻囲していた公孫賛は、その報を触れた時に愕然としたようだった。

 

 田豫もとい奏鳴としては案のうちであった。警戒も表明した。だが返事は「その可能性は薄い」というものだった。

 だが、そうならないだろうという客観的判断と、そうあって欲しくないという逃亡的願望は、自分では容易に区別のつき難いものの似て非なるものだ。

 そして現実は得てしてこういった願望とは逆をいくものだ。

 

 もっとも、奏鳴としては白蓮の母親ではないので、そこまで訓戒を垂れて諌める義理はない。内心煙たがれていることも知っている。

 良識的ではあっても徹頭徹尾武人である公孫白珪は、武断的思考を持つ天の御遣いを信任し切り、趙雲とは距離を取りつつもその武勇に頼むことが多い。

 事実、彼らの立案は今のところ順調だった。過ぎたるほどに。つい今しがたまでは。

 とは言え、彼らが大きな失態をしたわけではなく、それに小言を言えば、公孫賛の目には、すでに自分は、口先ばかりで己は動かぬ横着者だの不平屋だのとしか映らないだろう。

 

 だから、もはや忠言無用。

 無駄な思慮も言動も切り捨てる。それこそが『氷の頭脳』という、賛否の入り混じる人物評の所以だ。

 

「ど、どんな名分を以て、曹操はこちらに宣戦布告したんだ?」

「ひとつには、『旧友』袁紹を救わんがためと」

「あいつらつい先ごろまで争っていただろう!?」

 しかし自分がもたらした情報ということもあり、求められたことに対しては雪女は返答した。

 たとえそれが激しい怒りを呼び込むことになろうとも。

「そしてもうひとつには、皇族であり次期の帝とも目されていた劉虞殿の死に対し責任を求める、と」

 

「劉虞! ……劉虞劉虞劉虞ッ!」

 死してもなお憎悪有り余る、そして今また己を縛る怨敵の名に、公孫賛は顔を赤くして怒鳴り散らした。

 

「いつまで奴に縛られてなくてはならないんだ!? どいつもこいつも、都合よくあいつの名を使って私ばかり責め立てて……どうして私ばかりこんな目に遭わなくてはならないんだ!? 私はただ、幽州の静謐がために戦ってただけだ!」

 

 布陣図に拳を叩きつけ、らしくもない赫怒を見せる。

 それを冷ややかに見遣り、黒衣の色男が鼻を鳴らす。

 

「今更殺ってしまったものを嘆いても仕方なかろう」

「殺してなどいないッ!! それはお前の調べで証明されただろう、土方(ひじかた)

 

 土方、と呼ばれたのは抜き身の如き、独立した硬質な美しさを持つ成人男性である。

 

「だからその真偽に拘っていても意味などないと言っている。問題は、それを理由に黄河を渡ろうとしている奴らをどう捌くかだ」

 

 切長の目を鋭く雇用者へと投げかける。その軍紀の厳しさから部下の兵たちからは鬼神の如く畏敬される男の視線である。敵意がなくとも、白蓮を萎縮させるには充分だった。とは言え、これではどちらが主従か分からぬ。

 

「……謂れなきことで相手を貶め、大義を我が手にせんとする。この国においてもそれは変わりなきか」

 

 鬼、と言えばひとつ置いて右にいる大男もそれ相応の形容であろう。

 仏僧を自称してはいるが、恐ろしい形相に、物々しい大得物。甲冑と法衣に覆われた屈強な肉体。とても常人のそれではない。

 それが隣にいる優男の郎党というのだから、傍目には主従関係の成り立ちとはよく分からないものである。

 

「控えよ、弁慶」

 

 土方と怪僧武蔵坊(むさしぼう)弁慶(べんけい)の間にいるその青年が、嗜める。その軽い制止のみをもって、荒法師は唇を引き結んで、一礼とともに押し黙った。

 

「されど、土方の申すことは道理。ただちに取って返して鄴城を守るか、それともこのまま青州を落とした後に劉備殿と連携して冀州に攻め入った曹操軍を挟撃するか、決めねばなるまい」

 

 土方の声が多少の陰を含んでいるのに比して、この線の細い甲冑武者は透き通った声をしている。

 だが戦に長く否数多く身を置いていたことは、一本筋の通ったような語気の太さからよく伝わってくる。

 

「攻めればあと少しで落ちるだろう。袁紹が被弾して負傷したという噂も立っている。……あの悪目立ちする格好だ。あながちデマカセとも言い切れん」

「されど、あくまで風評に頼って無理攻めをすれば。曹操との戦いに支障を来たす」

 

 ここにおいて進退を争点に御遣い二将の意見は対立した。

 それからニ、三言議論を重ねた後、彼らの視線は一様に総大将へと注がれた。

 

「私に、今ここで決めろというのか……」

 呟いた彼女の面持ちは、今までになく物憂い。

 どうして自分ばかりがこんな決断ばかり強いられるのか。最低限の矜持としてそれだけは口にすまいが、それでも他者の耳目がなければそう嘆きたかったところだろう。

 

 同情はする。置かれた情勢、取り巻く敵軍容、果てには己が手駒でさえ。

 それらは完全に、公孫賛という一大名の器量の分限を超えていた。

 あるいは袁紹が如く血統のみを恃みとした尊大なまでの鈍さがあればまだ良かったのかもしれないが、なまじ優秀で自分を過少気味に客観視できることが不幸であった。

 

 たとえ勝ちを重ねていっても、いずれは膨れ上がる勢力を管理できず、高転びに瓦解する。漢朝に帰順しあらためて忠誠を誓おうとも、もはや彼女の一存だけで解散できるような勢力の規模でも指揮系統でもなくなっていた。

 

 何より、彼女はただ掛かる火の粉を必死に振り払っていただけで、天下に確固たる展望など持ち合わせてはいないのだ。その未来図の空虚さはいずれ高い壁に行き当たることになろう。

 

 ――すなわち、詰みである。

 

 自身の影の薄さ、華のなさ。そういってものにまだ一喜一憂していた頃は可愛げがあったが、いざ舞台の上に立たせられると、及び腰になってしまった。いちじるしく精神の軟性を欠くようになった。

 

「……っ、土方に一任する」

 熟考――らしきものの末、妹の公孫越の咳払いを機に絞り出した方針が、それだった。



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公孫賛(ニ):黒竜の棺(後)(★)

「ふん、まさか丸投げとはな」

 だが榎本、大鳥のごとき者とは違い、作戦実行に応え得る現実的な兵数を供出してくれただけ、いくらかはマシと言わざるをえまい。

 

 北海包囲軍……否撤退軍に先んじて、土方歳三(としぞう)の組織した別動隊は粛々と山野を進んでいた。

 

「それで、どうするつもりなのだ?」

「なに、少しからかってやるだけさ」

 追従する緋縅の鎧武者の問いに、かつての新選組副長はこともなげに答えた。

 

「曹操軍本陣に達する時には夜半となっているだろう。それに、敵としちゃあ今去就を決めかねているとタカを括っているはずだ。そこで仕掛ける」

「夜討ちか。さほど敵に痛打を与えることにはならぬと思うが」

「だから断髪的にこれを繰り返す。こちらの戦意高揚と敵の士気落としも兼ねてな。それにより少なくとも本隊が離脱する時間は稼げるはずだ」

 

 加えて言えば、敵はこちらは騎馬主体の軍団と勘違いしているだろう。よも、馬で越せぬ難所より攻めくるはずもなしと。だからこの歩兵の集団は、敵にとって有効となり得るはずだった。

 欲を言えば全軍でこの奇襲に出れば乾坤一擲、一気に形勢逆転し片がつく公算が高いのだが、そこまでの勇断を今の白蓮に求めるのは酷というものか。

 

「そういうのは、あんたが得意とするところだろう。鵯越(ひよどりごえ)とかな」

 

 ――(みなもとの)九郎(くろう)義経(よしつね)

 

 その名を口にするおかしさを、土方は冷笑に紛らわせた。

 講談で語られたどおりの、英雄然とした雄姿。颯爽としたたたずまい。

 自身が焦がれてやまぬ、『武士』の源流とも言うべきかの御曹司と肩を並べる我が身の滑稽さに。

 

 もし今蘇った自分の姿を見たら、朋友たちは笑うだろうか、羨ましがるだろうか。

 ……あるいは同様にこの大陸のどこぞに流れ落ちており、敵として対峙する日が来るのだろうか。

 

 だが、答えは土方の予想を外すものだった。

 

「あのような蛮行は、二度と御免だ。仲間たちも危険に晒した」

 と、苦々しい面持ちで首を振る。

「意外だな、あんたほどの英雄が。勇躍して事に挑んだものだと思っていた」

「戦を楽しんだことなど一度もない。今でも戦は怖い」

 

 だが、と草の根を脚でかき分け、息をつき、そこで一度語を切った。

 

「それでも、源氏として、武士として、演じねばならぬこともある」

「演じる……」

「いくさ人として、そなたにも覚えがあるのではないのか、土方」

 

(嫌なところを突いてきやがる)

 

 土方は内心で苦笑した。

 如何にも仰せご尤も。自分は元を辿れば源平藤橘いずれの家流などからも声をかけられることさえ程遠い、多摩の百姓、薬売り。

 それがたまさか動乱の時流に乗って、会津藩お預かり新選組の副長として京師を取締まり、果てには蝦夷の臨時政府の陸軍奉行並だ。

 

 自分は意地と好き好んで戦地に身を置いてきたが、一方でやはりどこかでそういう己を、武士としての理想の生きざまを演じてきたのやもしれぬ。

 

(だが、あぁ、そうか)

 皆、同じなのであろう。皆、士なのだ。

 志半ばで病に斃れた者も。自らの正道を訴えるために敵方に投降した者も。袂を別った者たちも。

 先に挙げた者たちにしても、その言い分は正しかった。

 死んで務めを全うする者のみではなく、生きて責任を果たす者はたしかに必要だったのだ。

 

 皆、英断の裏に怯懦があった。恥辱にまみれる勇気があった。

 そして皆演じきったのだろう。

 

 そして蘇ろうとも己は進む。自らが張り倒す意地と士道の果てに。

 

「……そろそろだな」

 すでに暮色。眼下には黄河を前にした敵の営地が見えて、そろそろと篝火が焚かれつつあった。

 だが疲れは感じない。むしろおのが生に一つの答えを得て、その背から荷がひとつ外れたがごとき軽さであった。

 

「かかれっ」

 号令一下、土方の指揮する部隊は一気に坂を駆け下り、森を抜け出た。

 無理をする必要はない。あくまで威力偵察を兼ねた、挑発行動だ。これを連続して行い、渡河を徹底して妨害するのが、第一前提である。

 

 

 ――前提で、あった。

 

 土方隊と、義経主従が顔を出した瞬間、矢の嵐が彼らを襲った。

 死角となる森から打って出たはずの彼らだがしかし、視界が限定され死角を作っていたのは彼らも同様であった。

 

 森の口、その左右に伏せられていた弓騎兵がたちまちのうちに半包囲に展開、彼らに間断なく矢を撃ち込んでいく。先頭が潰されたのだから、後続が進退ままならず往生するのは道理であった。

 動揺は停滞として顕れ、次々と注がれる飛来物の好餌となっていく。さながら、翡翠(カワセミ)が小魚を川面より掬うがごとく、命が刈り取られていく。

 

敵将(こいつ)……初手から読んで潰して来やがった!?)

 

 その後ろ備を率いている者が何者かは知らぬ。『曹』の軍旗を掲げているが、曹一門か、あるいはそこに所属する新手か。

 重い衝撃を肚に覚えつつ、土方は膝をついた。

 

「土方ッ」

 義経が駆け寄らんとするのを制止した。

 狼狽し、寄ったとして最早どうにかできる段階にはなかった。

 

「……恰好ひとつつかなくて悪いんだが、こっからはあんたが指揮してくれ」

 と苦笑まじりにこぼすのを、前立てを振りかざして義経は声をあげた。

「何を言っている!? そなたが」

 だがその言葉は、暮れなずむ中に融けて消えた。土方の状態、腹の中央に突き立った矢。

 それが薄闇の中で浮き彫りになったがゆえに。

 

「腸をやられた……もう駄目だ。せめて敗将らしく、意地を張り倒させてくれ」

 

 あるいはこの致命傷がなければ、再起の目処のひとつも立てただろうが、とかく武運がなかったということだ。

 あらためて弁慶に目線を投げた。

 

「言うまでもないことだが、そいつを頼む。あんたも二度の仁王立ちは御免こうむりたいところだろう」

 元より寡黙であるゆえ、この豪傑とは、会話らしい会話をしたことがなかった。今もってなお、皮肉に対する返しもなければ、離別の辞さえ伝え合わない。

 

「……承った」

 それでも士魂で通じ合う。ゆえにそもそも、あえて多くを語らう必要もなかった。

 弁慶の丸太のごとき腕に、半ば強引に牽引されて、源氏の御曹司は来た道を引き返していった。

 

 残されたのは幕末の死にぞこないただ独り。腰より抜き放つは、譲渡したはずの和泉守兼定。

 殺到するは騎兵。鎧武者。刀に槍に矢石。

 

 ――皮肉と言えばこの末期もまた皮肉であろう。

 武士の矜持を貫くため、戦い抜くため、「これも時代だ」と切り捨ててきたものたちが今、洋装に転じた己を殺そうとしている。

 

「まぁこれはこれで、似合いの最期だろう」

 敵とも味方とも知れぬ銃弾に射抜かれるより、余程。

 

 こぼした土方歳三は、指揮官としては独特の目利きを持つ才児であったが、今剣客に、バラガキに戻った。

 遊ぶがごとくに大上段に剣を振り抜き、飛び上がってその重量で騎馬武者の首を狩り落とす。剣も使い足を使い、何なら己が流す血さえも利用する。

 作法に囚われないその剣技が、功名目当ての雑兵たちを屠っていく。一時は曹操方も辟易したかのように包囲が緩んだが、やはり衆寡敵せず。生命力の摩耗とともに太刀筋も鈍くなり、やがて囲まれて膾のごとくに切り刻まれた。

 

 みずからの血潮に沈む土方を黒い軍服が、闇が、雑草が、棺のごとくに包み込む。

 幕を下ろしつつある二度目の生涯。先頭に立靡いた一旗を見、ようやくにして最後の敵の正体に気づく。

 

(なるほどこいつは、相手が悪い)

 ともすれば関羽より張飛より、あるいは諸葛亮よりも厄介な存在。

 それが、この『終わらせる者』の正体であった。

 

 ああ、それでもやはり。

 仰ぎ見るのはやはり、北の空か。

 

 童子のごとく、土方歳三は永の眠りに就いた。

 その骸に爪先を向けて立つ、可憐な影あり。その背の軍旗には、まだ真新しさの残る墨色で、

 

『司馬』

 

 の二字が染め抜かれていた。

 

 

 

【土方歳三/風雲幕末伝……戦死】



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曹操(六):司馬懿仲達の議

 公孫賛の夜襲は退けた。

 本隊および別動隊の追撃を打診する桂花に対し、その追跡のみを命じて後、華琳は自軍の背後。北の餓狼たちの『噛み痕』を見に向かった。

 

 首を獲られた武士の死があった。命果たしてもなおその士魂に燃えよと命ずるがごとく、剣が突き立っていた。

 

 華琳の背には桂花のほかにもうひとり、最大の功労者たる少女が影のごとくに控えている。

 波打つ銀髪を結わえ上げたその小柄な身に向かい、大地よりその見事な利刀を抜き放って投げ与えた。

 

仲達(ちゅうたつ)

 事もなげにそれを掴んだ彼女に、再度投げるは問いかけ。

 

「最強の軍、その戦とは何ぞや」

「戦うべき時と地とを過たぬこと。過不足なく、遊兵を作らぬ兵力の投入、展開。明確に設定した最終目標。そこから逸脱することなく細かな状況に対応できる柔軟性」

「面白味のない答えをためらわず言うのね」

 

 他の若き才子であれば妙に分別くさったことを言うか、でなければ誇らしげに持論を振るったであろうに。

 司馬の俊英は淡々と、息を吸うがごとくに淀みなく答えた後で、ふわりと口元を綻ばせ、裾を軽くつまみ上げた。

 

「出題があまりに広義に過ぎますわ曹操様。陳腐、凡庸、普遍。しかしながらそうして嘲る者ほど、それさえ出来ぬもの。孫子が等身大の範を文章にしてすでに示しているというのに、何故世の将はやたらと己の智勇を誇りそれを蔑ろにするのか。理解ができません」

「そう、ならば……その論をもって、この歴戦とおぼしき武士の智勇を否定し、討ったか、司馬懿(しばい)

 

 対して透き通るような肌と銀髪を持つ少女は糖蜜のごとき笑みを浮かべ、どこか錆びのようなものを感じさせる、抑揚のついた声で言った。

 

「まさか。ただの僥倖ですわ。それこそ公孫賛が総軍で仕掛けてきたのなら、一溜りもなかったでしょう」

 そう言って、男の骸、その革の腰帯より鞘を奪い取るや、剣を納めてその若き虎豹の副長、司馬懿仲達は辞去した。

 

「なるほど……尾は掴ませない、ということ」

 その背を目で追いつつ、心ながら愉しげに言い捨てた愛主を脇目に見つつ、わざとらしく桂花は咳払いした。

 

「しかしながら、隠しても隠しきれない、怜悧に過ぎる娘です。緒戦で天の御遣いを討ち取るという大功を立てたことですし、他の軍との均衡も鑑みて、また次は城攻めということにもなることでしょうし、休憩も兼ねて柳琳さまの軍は後方に回すのがよろしいかと」

「なぁに、嫉妬?」

 

 からかう華琳に、桂花は、他には見せぬ紅潮した顔を晒して慌てふためいた。

 笑い声を転がせながら遠のいていく主の背より数歩遅れ、ようやく理性を取り戻した彼女は、自分でも奇妙な感覚に囚われていた。

 

「なんでかしら……あの娘、なんか好きになれないのよね」

 あの余裕を含んだ笑みを思い返し、桂花は自身の袂の内に生じた鳥肌をそっと撫でた。

 

 ~~~

 

 柳琳が姉や親族に囲われ慰労され、軽い宴状態となっているところに、件の司馬懿が紛れ込んで来た。

 温まっていたその空気を阻害したり水を差したりすることなく、ごくさりげない体で我が身を中枢に滑り込ませてきた少女は、ふわふわとした、極端に露出の少ない衣装の裾を軽くつまみ上げて、主将である曹子和へと祝辞を述べた。

 

 その腰に、不釣り合いな無骨な刀が納まっている。

 それを鞘ぐるみに抜き取るや、柳琳の無沙汰気味になっていた掌に置いた。

 

「曹操様より拝領いたしました。されども、これは本来殊勲を立てた柳琳様が頂くもの。どうかお受けくださいまし」

「おぉっ! やったじゃないっすか柳琳! いーなぁー!」

 

 姉が囃し立て、羨ましがる傍らで、やや緊張の奔った手で朱塗りの鞘より剣を抜いた。

 

 重い。硬い。そして強く、熱い。

 

 如何な練り上げ方をした鉄なのだろう。この世のものとも思えぬ……いや実際異界からの賜り物なのだろうが、それを置いても、工匠の作の中でもとびきりの一口には違いあるまい。

 それを打った者、振るった者の意志を感じさせた。

 

 己はどうか、

 焚火を舐める刃。薄く浮き出る紋に照らし出された柳琳の目元は、いかにも消え入りそうだ。

 軽く未練と、己に対する羞恥を噛みしめながらそれを司馬懿へと捧げ返した。

 

「……いいえ、受け取れない。私は何もしていないわ」

 先に敵の奇襲を看破したのも司馬懿。半包囲して彼らを壊滅せしめたのもその方策。正直、機動戦以外で虎豹騎が武功を立てられるなどとは、柳琳自身思い及びもしなかったことだ。

 すべて、軍師司馬懿がいたからこその幸運であった。

 

「そう思っているからこそ、お姉様も私ではなく貴女にこれを譲ったのよ」

「虎豹騎なくして、そして子和様が策を容れて下さらなければ、あの御遣いは討ち取れませんでした。将士の功は、それを指揮する者の手に渡るべきもの、そうではなくて?」

 

 皆を代弁するかのごとく、柳琳に対して微笑を称えたままに彼女の客将は説いた。されども少女は容易に肯じない。曹家としての誇りあればこそ、自身に功なくしてかくも熱情を宿す名刀を手にして良いものかと懊悩する。

 

「……では、こういたしましょう」

 と、一旦はそれを返してもらってから副官は、座る彼女の腰元に改めて置き直した。

 

「これは柳琳様のみならず、虎豹騎全員で勝ち取った功。その全員の名代として、貴方がこれを佩くのです。……わたくしひとりの手にもまた、これは余りありますわ」

 声に抑揚が入るたび、どこか不自然な力みや錆びついたような調子が混じり、それがかえって奇妙な聞き取りやすさ、不思議な魅力を帯びている。魔性とも言って良い。

 ゆえにそれ以上は柳琳も拒むことができず、コクリと頷き返した。

 

「……では、わたくしは準備がありますので」

 

 と、目元を細めて来た時の同じように、場の空気をそれ以上は見出すことなくするりと少女は退出していった。

 はぁー、と両脚を野に投げ出し、華侖は息をついた。

 

「綺麗なコだったっすねぇ、いや可愛いというかなんというか……」

 そしておもむろに隣でその跡をじっと見つめる曹洪こと栄華に

「いくらなんでも戦場で手出しちゃだめっすよ」

 と釘を刺した。

「なっ、人を見境なしのケダモノがごとく言わないで下さいまし!?」

 茶々、というよりかは本気で案じているかのような調子に、ムキになって栄華は否定する。

 大股を開く華侖と、きちんと持参の絨毯を敷いて脚を畳む栄華の座る姿は、好対照と言って良い。

 

「……けど、そうですわね」

 栄華は歯切れ悪く呟いた。

 いくらなんでも従姉妹の言い草は誇張に過ぎるが、華琳のそれとはまた違った意味で色が盛んであるとはまた栄華自身認めるところだ。

 

 あどけない口元。やや鋭過ぎるきらいもあるが美しい虹彩。それを天蓋のごとく隠す長い睫毛。小柄で華奢で、それこそ纏う衣の良く似合う俗世離れした人形的な全体像。

 

 司馬懿という少女性の全てが、栄華の嗜好に的中している。

 常ならば戦場とは言わずとも、私室に引き込んであれやこれやと着せ替えていただろう。

 

 にも、関わらずだ。

 

 自身の感覚に戸惑いを覚えつつ、愛玩する縫いぐるみを抱きすくめて、その頭部に口元を埋めた。

 

「何故だかあの方、妙ーに食指が伸びませんわ」



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公孫賛(三):忍ぶ者たち

 土方歳三、延津にて散る。

 公孫賛軍がその報に触れたのは、鄴城に帰還し、迎撃のための準備をしていた時、敗兵をまとめて義経が帰城した際であった。

 計破れたるを知ったのがかくも遅れたのは、そして反応が著しく遅滞したのは、自分たちの本隊がさしたる袁紹側の追撃も曹操側の妨害も受けず悠々と北海攻めを切り上げて離脱的できたからに他ならない。

 

 つまりつい先ほどまでは、土方と義経が善戦して敵を食い止めているのだろうと、信じ切っていたのだ。

 

「……お分かりか。この意味が」

 緊急的に設けられた軍議の場で義経よりその一部始終とその後の経緯を知るや、開口一番発言したのは趙雲子竜であった。

 

「お分かりか、この無念が」

 ふだんは飄々とし、かつ自身の勇を口舌に語らせることを良しとせぬ星が、この時ばかりはいつになく熱弁を振るう。

 

「つまり敵は、我らを襲うことも義経らを殲滅することも可能であった。にも拘わらず、我らは間の抜けたことながら友の死を知らず容易に入城を果たし、曹操たちは此処にじりじりと迫りつつある」

「えぇと、つまり」

 反応したのは、公孫越(こうそんえつ)であった。顔こそ姉の白蓮に似てはいるが、三割ほど彼女から勇の気配が抜いたような表情を作り方をする。

 

「土方さんの奇襲の失敗は残念だったけど、それだけの損害を敵に与えて」

「さにあらず!!」

 

 即座に否定が入り、公孫賛の妹御はひぇっと短く声をあげて椅子を擦った。

 

「つまり我らは、舐められ切られているッ! お前たちなど到底勝ち目などないと! いつでも殺せると! これで良いのか! 土方歳三という男の死は、いったい何だったのか!?」

「……心苦しい限りだ」

「なんだと」

 

 白蓮の独語に、星は真紅の瞳を鋭くさせた。

 

「私が丸投げにしてしまったせいで、天界よりの客人を死なせてしまった。私が、決断に欠けていたがために。……それこそ私じゃなく曹操の元へ流れ着いていれば、もっと彼らしい戦を与えられたのだろうな」

「今はそういう話ではないっ! 土方殿が死んだのは、貴公のせいでも、貴公のためでもない! 彼は自身の戦に魂を捧げ、己の武心に殉じたのだ! 残された者たちが、如何にしてその意気に応えるかっ、今決めねばならぬのはそういうことだ」

 

 百人が百人、友を喪った趙雲に気圧されて、何事かの反応を見せていたことだろう。

 だが白蓮は消沈したままに黙りこくって顔を横へと向いていた。

 やがて立ち上がって、

 

「……玄徳(桃香)の軍師、諸葛亮(しょかつりょう)より援軍を取り付けた。準備が整い次第に壺関より回り込み曹操軍の背を突くゆえ、今は鄴城に籠もって耐え忍んでもらいたいと。籠城の準備を続行しろ」

 

 方針が決まっている以上、それ以上の感情論は無用とばかりに、自分はさっさと退出してしまった。

 

「……」

 

 星もそれ以上は言葉を積まなかった。

 ただ目力に託して主人の背へと送るのは、煮え切らぬ相手への憤懣、やるせなさ、諦念と失望。

 口にすればそれこそ義士趙子竜らしからぬ、負の存念だった。

 

 〜〜〜

 

 靴音を鳴らして互いの軍務に奔走していた公孫賛軍中、鄴城。

 その回廊において、田豫と趙雲はすれ違った。

 向かう方向は、完全に真逆である。

 

 愛槍龍牙を手に、総身を漂う刃のごとき気配を嗅ぎ取った奏鳴は、背中合わせにおもむろに

「行くのですか?」

 と問うた。

「あぁ」

 横顔だけを向けて、星は首肯した。

 

「劉備殿には申し訳ないが、ほぼ民兵あがりの寄せ集めでの奇襲など、それこそ土方殿の二の舞になるだけだ。おそらくは彼女らにしても義理立てによる、やむを得ぬ挙兵であったことだろうよ。そもそも、騎兵を城に押し籠めてどうしようというのだ。連戦続きで備蓄も心許ないというのに」

「そうですね」

 田国譲は元を辿れば劉備の参謀であった。しかし、旗揚げより間もなく故地に残した母の病()()()()暇乞いしていた。そのため、内情や劉備陣営の為人にはよく精通している。

 

「近頃はとみに寡黙だが、お主としても、他所の軍師と戦力を当てにされるのは歯痒いことであろうな」

「……」

「いや失敬、口が滑った。私は逆に、ずいぶんと口数が増えたものだ」

 自嘲気味にそう嘆いてみせた星に奏鳴は多くを答えず、

「殿に見切りをつけた、死にたがりの兵五百で良いですか」

 と問うた。

「……感謝する」

 

 人格面はともかくとして、その手腕と忠義には大いに恃むところがあるらしく、公孫賛の軍師に信頼の眼差しを送り、足速に去っていった。

 ……が、実のところ奏鳴はそこまで白蓮に忠義立てしているわけでも従順に尽くしているわけでもなかった。そのことを自覚もしていた。

 

 人気がなくなった頃合いに、氷の軍師は回廊の窓を見遣り、

 

 

 

「そこに居ますね、()()()殿()

 

 

 

 と、声を投げた。

 戦に逸っていたとしても星を相手に気取られなかったその隠形。無論奏鳴には感知することは出来なかったが、それでも己に侍っていることぐらいは、筋道を立てれば察しのつくことだった。

 

「ういうい」

 

 窓の外、その樹木の合間にふいに気配が浮いて出た。

 無論、こんなふざけた掛け声とともに登場するのが義経であろうはずも、まして実は土方が生存していたというはずもない。

 枝葉の狭間に現れたのは、大胆に過ぎるほどに異様に来崩して肌蹴た装束とネコのごとき雰囲気をまとった、日に焼けた痩躯の娘である。

 

「呼んだでござるか?」

 彼女が個人的な契約のもとに抱え込む、星はおろか主君公孫賛でさえ把握していない天の御遣いであった。

 

「いかな星殿と言っても、五百では心許ない。陰助をお願いします」

「えーっ、まさかあのコ、あの大軍の中に突っ込む気でござるか! しかも勝つつもりと?」

「趙子竜は今こそ気を張り詰めていますが、元来は享楽主義者の自由人、放蕩児。つまりは貴女と似たような人間です。よって誇りのため命を擲つようなことはしますまい。生きたままに成果を挙げるために征ったのでしょう」

 

 まるで草木の観察結果のように淡々と言った奏鳴は、懐よりいくらかの金子を抜き取って窓の外へと放り投げた。

「お駄賃です。終わったら彼女と酒でも酌み交わすなり遊びに行くなりしてください。陰気な小娘と謀事を重ねるより、気が合う者同士で連む方が浮世の憂さも晴れましょう」

 音もなく葉陰に呑まれていく。「わーい」と童子じみた声とともに、喜びの声があがる。せっかくのシノビの隠れ身の術とやらも形無しであろう。

 

 だがそんな彼女が、死んだゆえか元よりか、独特の死生観を持っていることを奏鳴は知っている。

 彼女の独自色の濃い言語を一般的な言い回しに調整して曰く。

 

 一度死したこの魂は、いずれどこぞに流れ着く木っ葉のごときもの。今はたまさか、どこぞの枝に引っかかったのみのもの。また風が吹けば去っていく。

 

 むろんそれは、折悪ければ見限られる、と捉えることもできよう。

 だが奏鳴にしてみれば、そうした確固たる根幹があればこそ、ともすれば現主君らよりも高く買いもする。

 チャランポランに見えて、よも戦時においては裏切るまいと信じている。

 

 だが、彼女の姿は前触れもなく消えた。片時とて注意を抜いていないにも関わらず、去っていた機がまったくつかめないままに。

 

 

 だが、と奏鳴は完全に人気の絶えた道半ばにて、ふと天井を見上げて胸中で呟く。

 

 ――果たして戦うたとて、勝ったとて、万一の僥倖重なり曹公討てたとて……それは、天下のためになり得るのであろうか……?



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曹操(七):青釭の剣(前)

 程なくして、白蓮の籠もる鄴城を、曹操の軍勢が取り巻いた。

 普段は優しい良人に、頬を打たれた妻がごとく、大将公孫賛はなおも忘我と動揺を隠しきれないままに、待ち構えている。

 その心の乱れを、趙雲出城の報がより激しいものとした。

 

 まして、包囲軍の後尾から、悠然とその部隊が現れた時などは。

 彼女に従うのは、常日頃、劉虞の一件以降より自分への不平を憚りなく漏らしていた士卒ばかりであった。

 

 味方の兵たちも、それを認知したようだった。

「おう、あれって趙雲殿じゃねぇのか……」

「それにうちの兵まで」

 やや憚った様子もなくささめき合う側で、白蓮もまた城壁に在って低く、

「星……」

 と呟いた。

 

 だが、一方で

(嗚呼、やはり)

 とも心の何処かで思っていた。

 彼女ほどの烈士もまた、自分の甲斐性のなさにほとほと呆れ果てて、ついには敵に回ったのだと。

 咎めるべきは彼女ではない。自分なのだろう、と。

 

 〜〜〜

 

 順風の中、『趙』の旗指物をたなびかせて、その五百騎は悠然と曹操軍の側背に着到した。

 

「我が名は常山の趙子竜。曹操殿に目通り願いたい」

 

 娘にしてはやや重みと力があるが、それでもよく通る声で近頃耳にする武名を名乗り上げた。

 応対したのは、後方に在って予備兵力として待機していた曹純の部隊である。

 

「どう見ますか、軍師」

 一応の体裁を保ちつつ、柳琳は司馬懿に尋ねた。

 だが、この時ばかりは当意即妙、というわけにもいかず、しばし沈思した。

 

「城に紛れさせた間者によれば、顔を合わせれば口論に発展するほど公孫賛と彼女の間に亀裂が生じていることは確かです。ですけども、趙雲ほどの武人が容易に、かつ自ら進んで鞍替えするとも思いがたい」

 

 では一度降ったと見せかけて、機を見て再度表返って内部より敵を引っ掻き回す腹積りか、と考えたがそれも断定はできない。

 降る手土産にしては敵が少なすぎるし、そもそも公孫賛陣営の最大の主力を敵中に割いて留めおく意味が薄い。

 その上で城兵の動揺も紛い物とも思えない。

 真意はどうあれ、この行動自体は趙雲の独断であるようにも思える。

 

「……とにもかくにも、今の段階では、判断材料に欠けます。まずは様子見し、そのうえで重要な場所には置かず、兵と切り離しつつ城兵に向けて投降を呼びかけさせる、というところが妥当な対応ではないかと。もっともそれを判断するのは曹操殿とその参謀たる荀彧殿でありますれば、我らは取次のみに従事すればよろしいかと」

 

 柳琳は重く頷き、前へと進み出んとする。それを留めて司馬懿は言った。

 

「お待ちを。御一門があえて降将の相手をすることもありませんわ。ここは然るべき者に」

「曹一門だからよ。それに趙雲殿は音に聞こえた上将。これを遇するに不足などあるものでしょうか」

 

 答える少女の口ぶりは、どことなく強張りがある。

 彼女が恐るるは、出迎えを待つ騎将に非ず。曹家に名を連ねておきながら使番ひとつ出来ぬのかという、あるかなしかという周囲の目であっただろう。

 

(やれやれ)

 

 司馬懿は胸中で嘆息する。理ではなく意地や感情に準じた思考は、己の望むべくところではない。

 一応は彼女の判断を尊重しつつ、周囲の兵へ、

「万一のことがあってはいけないわ。弓馬の備えをしておきなさい」

 とそれとなく命じておいた。

 

 そして眼前に、趙雲が伴われてきた。

 女のかたちをした武神である。気高さと華麗さを備え、余裕の笑みを浮かべているが、そこには増長による隙というものがまるで感じられない。

 

「出迎え感謝する。貴殿は?」

「曹家の純と申します」

 ほう、という呼気とともに趙雲の目が品定めするかの如くに細められる。

 こうして並ぶ構図が出来れば、曹子和と趙子竜、同じく美貌の女丈夫ながらも好対照の二人だと分かる。

 一方は馬上、堂々たる振る舞いであるが、もう一方はそんな相手にどことなく気後れするかの如くに、馬にも乗らず肩を窄ませ萎縮の兆しを見せている。これではどちらが降将なのやらと言った塩梅だ。

 

「趙雲殿におかれましては、さぞ苦渋の決断であったこと、察するに余ります。ですが我が陣営にお招きできたことは我らその勇名に憧れた武人にとっては無上の喜びであり、我らが宗主曹孟徳もまた快く貴殿を受け入れることかと」

 

 即興とは思えない見事な歓待の辞と笑みをもって、柳琳は趙雲に伝えた。

 だが、返ってきたのは曰くありげな、含み笑いであった。

 

 

 

「――なにを、勘違いしておられるか」

 

 

 

 え、と下げていた目線を柳琳は客人に持ち上げた。

 そして視た。知った。その獰猛な鷹の表情を、意気を。彼女みずからが語る、来訪の意図を。

 

「趙子竜が敵陣に用があるとすればそれは唯一つ。すなわち敵将の首級である」

 

 あっと至近の曹兵らより声が漏れた時にはもう遅い。

 平素神槍を扱き出すであろうその腕が、反応が遅れた柳琳の襟髪を掴んだ。

 一瞬浮き上がったその身に、拳を食わせる。

 

 衝撃や力それ自体は大したことがなかったが、丹田を的確に打ち抜いている。

 たちまちの呼吸不全に陥った少女の手足より力が抜け落ち、それを軽やかに拾い上げた敵将は嬰児のごとく彼女の身柄を胸の内に抱き絡め、背に回していた愛槍を掴むや、

 

「押し通ォォる!!」

 

 竜の一哮とともに、自らの手勢とともに陣中奥深くまで一気呵成に吶喊していった。

 

「言わんこっちゃない」

 誰に聞かせるまでもなく、舌打ちとともに毒づいたのは司馬懿である。

 素早く切り返して

「何をしている! 射なさい! 追撃なさい!!」

 と命じた。最悪、質とされた柳琳を傷つけても仕方ないと腹を括り。

 

 だが、顧みて司馬懿もまた、自分たちが遭遇した変事が()()に起こっていたことを知った。

 そもおかしかったのだ。すでに配備していた兵らが、愛する主将の危機をただ棒立ちで見守ることなど。

 

 虚ろな顔をしたままに立ちすくんでいた兵士たち。

 彼らはまるで司馬懿が自分たちの方を見るのを待っていたかのごとく、思い思いの方角へと崩れていく。

 

 皆、すでにして殺されていた。

 それも一撃の致命傷。彼らを討ったのは、それぞれ一個ずつの、十字にも似た奇妙な鉄片である。

 

 

 

「軍師、見ー付けた、でござる」

 

 

 軽やかな、まるで児戯にひたる童のごとき声がした。

 気配はしない。影も形もない。だが、居る。嗤っている。

 この陣営の闇に。幕間に。兵士たちの影に。

 そして今、筋道から判ずるに間違いなく司馬懿の後尾に立っている。背の窪に冷汗が伝う。

 ――対しているのは、本当に人か?

 

「……」

 浅い一呼吸の後、司馬懿は袖口ごとその腕を伸ばした。

 その袂より、格納されていた暗器が飛び出、司馬懿の手に収まった。

 

 そして振り向きざま、それらを投げ放った。

 だが、むなしく空を裂いたのみ。振り返った先には骸以外の何物もなく、代わり、南蛮の怪蛇のごとく、司馬懿の首に褐色の股が絡みついた。

 

「えいっ」

 

 今、頭上にいる刺客が気の抜けるような掛け声を放つ。だが、抗いがたいほどの回転と負荷によって、司馬懿の面は、みずからの背の方、前後真逆にねじ回され、そしてその小柄な身体はどう、と血も流すことなく地に伏したのだった。



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曹操(七):青釭の剣(中)

「曹純さまが狼藉者に人質にされたぞーっ!」

 

 ……その急報と並走するかのごとく、公孫賛より離脱した五百騎と一つの影は曹操陣中を疾駆する。

 

 その兵差、実に十倍とも二十倍とも思われる。

 だが遠き曹軍は「如何にせん」だの「虚報か、虚報としてもしや城より打って出るための策か」と余計な思慮を巡らせ、近き者は鬼気迫るその武威と、曹一門の身柄を傷つけてしまうのではないかという気おくれから容易に手出しができず、また己がやらずとも誰かがやるという、自分たちが多勢ゆえの慢心、億劫。

 

 ――だがそうした物理的、精神的な間隙こそが彼女たちの進む道となる。

 まるで、服の間に飛び込んだ雀蜂のごとく、大なるものの手をかいくぐって。

 

 むろん、精鋭曹操軍。ただ雁首を右往左往させるばかりではない。

 軍中において真っ先に動いたのは、夏侯淵であった。

 把握が速い。判断が速い。陣立てが速く、そして狙いを定めるのも速い。

 

 すでに物見を要所に、的確に放ちおおよその状況を掴むや、深くに斬り込む趙雲隊の進路を先読みして弓騎兵を引き具して側面に回り込む。

 実際であれば出鼻を打ち砕きたかったところだったが、敵の侵攻が思いのほかに速い。

 

 射かけたのは秋蘭自身である。

 横に並べた三本の矢をつがえて、偏差をも読んだ、線による狙撃。

 

 それは従妹の身をすり抜けて、趙雲の白帽子の下のこめかみを抜くはずだった。

 だがその射線上に、横合いから同じ本数の鉄片が飛び入り、秋蘭の必中を期したそれらのことごとく墜とされた

 

「ちぃっ」

 秋蘭は舌打ちした。

 撃った者の影はない。だが、趙雲とはまた別行動を取る異物が入り込んでいることは確認できた。

 

「まずは他の曲者を探るぞ……でなければ到底おぼつかん」

 

 そう下知を飛ばして、秋蘭は部隊を移す。

 

 ~~~

 

 横に回り込んだ夏侯淵の狙撃には気づいていたが、星にしても「さてどうしようか」と持て余していたことは事実だった。そこに、思わぬ援護が入った。

 孤立無援と思われていた己らに、味方がいるとは読めなかった。

 おそらくは奏鳴の手引きによるものだろうがしかし、余計な世話と怒れば良いのか、今なおそんな戦力を隠匿していた彼女の不義理を詰るべきか。

 

 いずれにせよ、すべては曹操を討ち、そしてこの場を切り抜けられればの話だ。

 

 次いで迫ってきたのは、曹仁であった。

 

柳琳(るー)を放せーっ!」

 

 と、大刀を掲げて、自身の兵をも置いてきぼりに、馬にも負けぬ脚力で星へと挑みかかる。

 悪くはない。さすがに妹の危機に躊躇もなくこちらに追いすがる。

 それに勢いのある直剣だ。だが工夫が足りぬ。

 

 事もなげにそれをいなした星。曹仁の両断の一撃は、旋回する槍の柄を薄く削ったのみだった。それ以上は構わずに、彼女の眼前を素通りしていく。

 

 だがその衝撃と大音声により、意識を取り戻したらしい。

 手の内の曹純が、まだ力の戻り切らない肉体を必死に蠢動させて、抵抗を始めた。

 

「はなし、なさい……卑怯者!」

 そう罵る曹純を、星はせせら笑った。

 

「卑怯? これは武略というものだ。お主に案内するだけさせて曹操の首を獲ることもできたが、それでは芸がないのでな」

 そして馬脚を止めぬままに続けて言った。

「そも卑怯と言うのはな、曹賊。謂れなき罪を被せて己が野心がために他者の地を侵す、貴様らのごときを言う」

「貴女には、判らない……! お姉様の覚悟も、気高さも!」

「そうだ、分かりあえぬがゆえに我らはこうして争っている」

 

 だが目覚めたとあっては、もはや潮であろう。

 手早く判断した星は、曹純の身をぞんざいに地へと投げ下ろした。

 

「同伴ご苦労。本陣の位置も目星をつけたゆえ、ここからは我らのみで行く」

「ふざけないで……っ!」

 

 衣裳にまぶされた土を払うこともせず、生まれたての鹿のように必死に身体を奮い立たせる曹純。そしてそんな彼女の健気さに応じるかのごとく、その精鋭虎豹騎が追いついて来る。

 

「速いな。それに、皆必死だ」

 一応はそう称めつつも、曹純の抜いた刀剣を、土方の遺品だと認めた時だった。

 星の目に、感情に、暗い怒りが灯った。

 

「だがそれは返してもらおうか、お主には過ぎた品だ。それを振れば、児戯では済まなくなるぞ」

「ここまではお遊びだったというの!? 見くびらないでっ、私とて曹家一門、容易に敵に与えるものなどありません」

 

 だが本人も多分に自覚のあるのだろう。

 その瞳の閃きが大きく揺らぐ。声が上ずる。

 

「――よほど、大事にされているのだな」

 

 虎豹騎が迫る。

 星は、馬首を返し、突き出されんとした銀穂の前に踊り込んだ。

 

「待っ」

 曹純が声をあげんとしたが、最早遅い。集団としてはともかく、個人の勇では敵であろうはずもない。

 彼女に合流せんとしていた精鋭の騎兵らは、一瞬の交錯のうちにたちまちのうちに龍牙の餌食となって屠られていった。

 

「あ……あぁ」

 あえて出血の激しい致命箇所を狙って突いた。

 ばたばたと燻された羽虫のごとく、落馬して散っていく味方の血を浴びて、曹一門とうそぶいた少女は震えて膝を突いた。

 

「そして戦場において、かくも大事にされる将など、本来であれば居はしない」

 その様子を冷ややかに見下し、星は言った。

「剣を捨てろ、武から身を退け、『お嬢さん』……お主のような者は、戦場に立つべきではない」

 

 それは敵味方を超えた――否――己と敵するような相手ではないと評価を下したがゆえの、心よりの忠告であった。

 

 だが少々時間を使いすぎたようだった。

 夏侯淵か曹仁か。虎豹騎の後続か。はたまた外部に控えていた意図不明の遊軍か。いずれかの部隊かが、差し迫る軍馬の音が聞こえる。

 

 ふんと軽く息を吐くと、趙雲とその決死隊は猛進を再開した。

 

 ~~~

 

 曹純隊の割り当てられていた陣所に、死屍の山が築かれている。

 この大半は一人の隠密の手によって作られしものなどと、いったい誰が信じようか。

 中でも悲惨であったのは、それこそ軍師司馬懿であっただろう。

 

 首はあらぬ方向に捻じ曲げられ、そのまま抵抗らしい抵抗もできずに斃れ伏している。

 これが先の緒戦において的確に敵方の狙いを看破し、かつ主将を討ち取った名参謀の末路などとは、諸行の無常とはまさにこのことである。

 

 一気に佐官と指揮官とを喪った残存兵たちは、彼らなりに混乱を収拾しつつも、彼女の死体を前にしてそう思わざるをえなかった。

 

 

「……そが」

 ――その折、であった。

 

 

 誰ぞの呼気が、いや不明瞭だが間違いなく声が、暗澹とした空気の中に落ちた。

 皆が首を傾げたのは言うまでもない。誰も何も言えるような状況ではなかったうえに、不審がる彼らの前には例の司馬懿の骸しかないのである。

 

 気のせいか、と思った矢先。

 

「クソがぁっ!!」

 

 今度は誰しも疑う余地のない、大声量が轟いた。死んだはずの司馬懿が、起き上がった。我が手でおのが頭部をあるべき角度へと、まるで鋲でも回すがごとくに引き戻した。

 兵士たちは身をのけぞらせて彼女から距離を取った。

 

 ――『彼女』。

 否、と。

 男としての本能が、平素とは様変わりした乱暴な怒号を聞いた瞬間にその前提に否と言う。

 

「馬鹿どもが! 全然理屈じゃねぇっ! 今この瞬間に公孫賛の死兵となることになんの意義がある!? 今更奴に忠義立てしてっ、自分の功名を顕したとして、いったいどんな得があるってんだ、あぁあぁ畜生!! 理不尽で不条理すぎて苛々する!」

 

 何しろその荒げられた声は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 愕然とする曹純隊の前で深々とため息をつくと、その怒情はたちまちナリをひそめた。裾を払いつつ起き上がり、髪を漉き上げ歩き出す。

 

「――何をしているのかしら」

 

 どことなく不本意そうに――よくよく思い返せば不自然きわまる女口調に戻った司馬懿は、虎豹騎を顧みて、静かに冷淡に言った。

 

「曹純さまを追わねば彼女、死を選びかねませんことよ」



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曹操(七):青釭の剣(後)(★)

 ――どうして、こうなのだろう。

 

 馬蹄が跡と臭いとを濃く残す土の上に膝を突いたまま、柳琳はぼんやりと思った。

 敵はまさしく神速にてこの場を去っていった。

 それを率いる敵将は曹操軍きっての機動部隊である虎豹騎を単騎で屠り、しかも返り血さえ浴びぬ始末であった。

 

 強かった。怖ろしかった。そして……美しかった。

 

 舞うがごとく翔ぶがごとくに手綱を操り穂先を切り、みずから身内を刺殺されるその姿は、例えるならば大輪の一花だ。自身が生まれついて持ち合わせた天稟を如何なく咲かせ、そこに何一つ気後れすることも恥じることもしない。奢りによって武辺を曇らせることも、かと言って卑下することもなく自負が身の丈に充溢している。

 

 対して自分はどうだ。

 覇王の血筋として地位を与えられ、兵に護られ、功を部下より奪い、剣は譲り受け、敵には情けを施されて生殺与奪の権を握られる。

 

 ――どうして、こうも違うのだろう。

 

 同じ将として、この乱世に生まれ落ちておきながら、彼女と、自分とでは。

 悔しく思う。土を毟り、歯を食いしばる

 

 ――剣を捨てろ、武から身を退け、『お嬢さん』……お主のような者は、戦場に立つべきではない

 ――それを振れば、児戯では済まなくなるぞ

 

 だがそれでも、彼女の忠告が彼女に立ち上がることさえ許さなかった。

 

 ~~~

 

 変事、生ず。

 その金色の髪を持つ若者は、傍目には虫も殺せそうにない好青年に見えるが、それでも歴戦の士であり、その経験と本能が火急の報せに先んじて事情を掴むことに成功していた。

 

「御免っ」

 

 天を衝くがごとく伸びあがった兜を小脇に抱え、音声を発して足早に彼が乗り込んだのは、すでに兵備が整えられた自陣ではなく、隣接する営舎である。

 本来であれば前線の人である若武者が後詰めに回されているのは、この部隊の、厳密に言えばその指揮官にあてがわれた男の介助のためだと言っても良い。

 

 そして現に、その舎に寄るほどに酒気は強くなっていく。

 外に放りだされるように転がるのは、西域より取り寄せたる葡萄酒、あるいは麦や蜂蜜を発酵させた彼の世界の酒造法の模造品である。

 

「彼は未だ?」

 その番、というかお守り役をしている兵に尋ねる。

「えぇ、相変わらずです。よく分からない繰り言ばかり、酒浸り。飲むが愚痴るかにしか口を使ってませんよ」

 

 若い番兵は辟易したように答えた。

 自分たちの指揮者よりもむしろ、それを甲斐甲斐しく世話するこの美丈夫にこそ、彼らは親しみと尊崇の念を覚えているようだった。

 

 だが、このまま呑ませ、呑まれているのを看過することはできない。

 せめて一言なりとも告げねばならぬと、若武者は場酔いしてしまいそうな幕内に踊り込んだ。

 

 そこで、独りの男が痛飲している。

 かつては整えられていたであろう口鬚を酒に浸し、酩酊からくる錯覚のためか、寒がるがごとく上体は小刻みに揺れて、羽織った毛皮にくるまって俯く。

 

「ひどい悪夢を見たんだ」

 

 と、例の繰り言。

 

「皆死んだ後の話だ。旗は焼かれ、兵も、『狼』も、家族も殺された。そしておれは、おれ自身の骸は、首を自分の『狼』(グレイウィンド)のものに挿げ替えられて、馬で引き立てられて、裏切者どもは囃し立てる。『北の王のお通りだ!』って……でも、今こうして酒を浴びているの人間の顔だ。おかしな話だ。どっちが現実だ? どこまでが悪夢だ?」

「……そうだな、お互いに妙な因果ではある」

 

 不得要領に、だが誠心を込めて青年は幾度となく聞いた話に根気強く頷き返した。

 

「ひとつ確かな現実は、我が軍で異変が起こりつつあるということだ。曹純殿が危険に晒され、敵は深くに斬り込んでいると思われる。これを即座に押し返さなければ、敵の挟撃を招きかねない。そうでなくとも、被害はいやますばかりだ」

 

 その茶髪の異人は答えない。深く酩酊の息を吐き、頭を大きく左右に往復させるばかりである。

 

「某は打って出るゆえ、あとのことはお頼みいたす」

 

 言うだけのことは言ったので踵を返した矢先、

 

「……そうやって感情や目先のことだけに気取られているから、足下を掬われる」

 と、『北の王』は夢現のこと以外のことを口にした。

「君もまた、そうやってこの夢に来たんじゃないのか……長政(ナガマサ)

 

 目は未だ、此方を向かず。

 されども聞く耳は絶えず持っていた。少なくとも、浅井(あざい)備前守(びぜんのかみ)長政なる名を覚えてもらえる程度には。

 

「……然に非ず」

 男の懐疑の詰問に、長政はさっぱり笑って否定を言った。

「むしろその逆だ。某は、きっと迷ったがゆえにここにいる」

 

 最後の戦、居城に籠っての、勝ち目のない戦。

 せめて愛する者たちは、付き添ってくれた家臣の命だけでも守ろうと、命を擲って怪物に挑んだ。それ以外に望むべき何物も、己の内にはなかった。

 

 だが抗い続け、槍を振るうその最中に、想ってしまった。

 愛する者の顔を。自分が死んだ後の彼女の安否を。

 

 ――そして、共に生きたいと願ってしまった。

 しかし魔王は……義兄はその一瞬の停滞を、逡巡を、翻意を赦さなかった。

 そして今、その未練こそがここに立たせている。

 

「某はもう迷わない。少なくても、戦場に在ってはそうありたいと願ってこの槍を振るう」

 

 そう言い切った長政に、『王』は言った。

 

「それでも、待っていた方が良い」

 と。

 

 足を止めて完全に彼の方を顧みた長政に、続ける。

 

「ここからは兵の動きがよく見える。味方の兵は蹴散らされているように見えて、皆本営に移りつつある。あの『女王』は、散兵だろうと死兵だろうと、必ず自分を狙いに向かって集中することを知っている。迎え撃つ準備を進めている。君はそのお呼びがかかるのを待つか、でなければ攻めきれなかった敵の側背を攻撃するべきだ」

 

 官位においては未だ名誉職しか持ちえない少女をあえて『女王』と呼称しつつ、彼はそう指摘と忠告をした。

 あらためて陣中を見直せばなるほど、丘陵に配されたここ、解放された営舎よりは、座して眼下の動きが手にとるように分かる絶好の場所となっていた。

 

 やはり御仁もひとかどの士。それも、酔い潰れていても戦機を掴むのに長けた戦巧者であると見た。

 

「……感謝する」

 本心より、長政は謝礼を述べた。

「されば、その忠告に従って貴殿の分まで働いてみよう。それまで、酔いを醒ましていてくれ」

 

 ~~~

 

 城壁から、趙雲の少数精鋭の部隊が白昼斬り込み、快進撃を続けるさまがよく見えた。

 趙旗が風を切り、その尾には常に血煙が立つ。

 

 その鮮やかさに喝采の声をあげる兵は、すぐさま白蓮を見て進言した。

「我らもすぐさま打って出て、内外より挟撃いたしましょう!」

「駄目だ!」

 それに対して、白蓮はすぐさま否定を入れた。

「諸葛亮からはここを堅守しろと言われている! 何があろうともその指示を反故にするわけにはいかない!」

 冷水を浴びせられたがごとく、面食らっていた彼らではあったが、やがてその眼差しは守将公孫賛への疑念と軽侮へと遷っていった。

 

 ――そうして余所の軍師の、それも遠く時と場の離れたうえの言に唯々諾々と手駒になるのか。

 ――自分を見限って手勢五百がために、居残った兵を出し惜しんでいるのか。

 ――いや、あるいは趙雲殿に嫉妬し、見殺しにせんとする腹積もりであろうよ。

 

 などと言いたげに囁き合い、聞こえよがしの声量と間合いで放つ者もいた。

 白蓮がそれに強く否定しなかったのは、もはや彼女にさえも、この選択の是非や、公私いずれから来たものなのか、判別がつけかねたからでもあった。

 

 ゆえに、佐将の厳綱(げんこう)などは痺れを切らしていきり立つや、怒号気味に発声した。

「されば我らのみでも出撃いたす! 妹姫さま、参りましょうぞ!」

「え、えぇと……姉さんが、良いのなら」

「姉君は臆病風に吹かれておられる!」

 

 などと拉致気味に公孫越を代将として擁立するや、兵たちとともに門を開け放って出撃していった。

 側に残ったのは、奏鳴のみであった。常と変わらぬ様子で、だが毒舌を口にすることさえ無意味といった調子で直立する彼女に、心許なさげな眼差しを投げかける。

 氷の視線に、否定の色は浮かんでいない。おそらくは公孫賛の意見こそが道理であろうとは踏んでいるらしいが、どちらに肩入れするような熱意もすでに喪っているようだった。

 

 ――敵将には、曹操、お前には……

 そんな愚かで卑弱なおのれの姿は、どう見えているのだろうか。

 

 ~~~

 

「敵軍、三陣まで突破ぁ!」

「程なくして、こちらに向かってきますっ」

「なお、曹純様は道中で解放された模様っ。ご無事が確認できました!」

 

 その報せにも、覇王は、曹孟徳は動じず。

 ただ低い声で、

「『絶』を」

 と、手をかざしつつ自らの愛器を要求したのみである。

 むしろ青ざめていたのは日ごろ智を絞る軍師衆であった。

 

「……狼藉者をここまで誘い込むのは策の通り。しかしながら、万一のことがあっては……どうかこの場は影武者にお任せになって、本隊とともに後退を」

 

 その中でも比較的マシな顔色をしている桂花が持て余し気味に鎌を捧げ持ちながら献言する。

 

「あれは、趙雲よ」

 華琳は答えた。その呟きの意を、『子房』は掴みかねるようであった。

 無理もない。理外の領分である。武人にしか分かり得ぬ。

 

「小手先の偽装なんて瞬時に看破して、猛追を仕掛けてくるでしょうね」

 それこそ、雀蜂がごとくに、一度敵と認識したものは徹底的に追い回す。そして殺す。

「あとどこぞの名族殿の申し状ではないけれど……天下を相手にしたこの緒戦、どうしてこの程度のことで取り繕って逃げようか」

 

 その言霊の威を恐れてか、桂花はそれ以上食い下がらなかった。だが、自身も退かない。愛する君がそう決めた以上、おのれもまたそれに殉じ、心中も辞さぬ覚悟なのだろう。

 

(とはいえ)

 小柄な背を反らして鷹眼を眇め、地平の先に現れた五百騎を視る。

(全然減ってないじゃない)

 ぼやいた瞬間、荀彧の号令とともに、左右に配した伏兵の横矢が飛んだ。

 速い。それに間も空いている。

 あわれその矢も射手も、蛇行する趙雲の穂先の好餌となった。

 

 勝てる故の、身命の吝嗇。ここまで自軍の何者にも敵わなかったという事実の誤認。実像以上の恐怖。

 それが牽制といえ、伏兵の効果を半減させていた。

 

 ――死ぬか。

 ――ここで死ぬるか、曹孟徳。

 愛鎌『絶』を握りしめたその手は固い。

 

 自身も武芸に心得はある。

 だがそれをして、今の最高の状態の趙雲を相手にしては、数合が限度か。

 

 ついに自身とその刺客を隔てるものが無くなった。

 さらに馬脚を速め、趙雲が吶喊してくる。

 その意気に応じて華琳もまた、桂花を庇って突き飛ばし、腰をひねって一騎打ちに応じた。

 

 ――その、刹那。

 曹孟徳の時間は、視界は、緩慢で冷え冷えとしたものとなった。

 

 自身とよく似た髪色がたなびく。華奢な影が、自分と趙雲の合間に割って入った。

 駿馬にまたがり、趙雲に向けて剣を振り抜く。

 互いの武器が擦れ合うことなく交差し、青白い剣閃は趙雲の頬を撫で、代わり豪槍は娘の腹部を貫通した。

 

「…………柳琳っ!!」

 悲鳴の混じるその声で、華琳は少女の真名を呼んだのは、彼女の手から手綱がすり抜け、落馬した後だった。

 

 ~~~

 

(馬鹿な)

 星は驚いた。この介入は、この殺傷は、彼女の目論見の内にはなかったことだ。

 すっかり気萎えし、ともすればそのまま武の志を棄てるものと思っていた可憐な少女が、まさか文字通り刃向かってくるとは。

 

 だが、衝撃はそれのみに終わらなかった。

「なっ」

 愕然とし、また呆れた。

 

「趙雲殿をお助けせよーッ!」

「皆の者、趙雲将軍に続けぇ!」

 城方が出撃してきた。

 そして瞬く間に、敵味方入り混じる大戦となってしまった。

 

(莫迦が)

 胸中で言い直した。そも正攻法で容易に勝てるようなら、かくも無茶などするものか。

 乱戦になれば、それこそ総大将の首など遠のくではないか。今この場で勝利を得ても、立て直した曹操軍に勝てるものか。曹操の首のみが、唯一の勝機であったのに。

 

 出てきたのは公孫越のようだったが、そんな判断もつかぬほどに、公孫賛の将器は衰えてしまったのか。田豫は何も言わなかったのか。

 

 自分のものではない、友軍の優勢に浮かれた程度の士気と軽率さで、精鋭相手に勝てる道理などあろうはずもない。

 たちまち各方面が押し返された。厳綱が曹仁に真正面から挑んで討たれたという報がもたらされた。公孫越のこめかみが夏侯淵に打ち抜かれたのを見た。

 

(だがまだ終わりではない)

 現にまだ影に潜んでいたかの刃が、さすがに身内の致命傷に狼狽する悪鬼の背に……が、これも防がれた。飛来してきた、円錐の鉄器によって。

 それが槍だと気づくのには、その形状ゆえに遅れた。

 

「攻めよ!」

 透き通った号令の下、趙雲の決死隊にも負けずとも劣らぬ騎兵隊が躍り込み、あえて戦場をより混沌へと引っ掻き回す。

 先頭を指揮する若き騎将はみずから投げたと思しきその槍を抜き、溌剌とその武勇を発揮していた。そしてその勇猛ぶりを機として、旗色は曹操軍への傾きが強くなっている。

 

 その者とあえて撃ち合いたい衝動に駆られたが、すでに自分たちと曹操との間には敵味方の分厚い壁が出来上がっていた。仕損じた以上は、とにもかくにもこの場より離脱せねばならなかった。

 

 中空より転がり落ちてきたかの援助者に、星は手を差しのべた。

 

「すまぬな、ここまで付き合わせたが、これ以上は難しい……あぁ、ええと?」

鈴女(すずめ)でござる。まぁお仕事なんで気にしないで欲しいでござるよ。周りグッチャグチャのグッダグダでござるが」

 

 彼女の言葉遣いはおそらくは天の御遣いにしても、とりわけ軽妙にして奇異なるものではあったが、しかしてこの状況を良く表している。

 

「……そのようだな」

 遠くに城を棄てて離脱していく公孫の旗を、星は冷ややかに見た。総大将としては、すでに支えきれぬ城を出て身の安全を図るが妥当であろう。間違ってはいない判断だが、鼻についた。

 

 もはやこのような混戦、美しいとは言えぬ。それを自覚した時、一気にやる気が削がれた。

 いったい何のための戦だろうか、これは。

 

「詫びといってはなんだが、乗っていくか?」

「おぉー、そのてばさきとうまのアイノコみたいなの、一度またがってみたかったでござる」

「てば……? まぁ良いか、そらっ」

 

 細いが確かな天賦と修練を感じさせる手を取り、鞍に乗せながらも、星は最後に斃れ伏す少女を見た。

 腹を穿たれ、落馬の後も決して土方の遺刀を手放すことはなかった。そして振るった刃は、寸毫の間なれど確かに趙子竜の肌に達したのだった。

 

「……認めよう」

 薄く裂かれた傷口を親指で撫でつつ、静かに星は言って馬首を返す。

 

 他は知らず、何時と知らず。

 今この一時だけは確かに、かの名刀は曹純の握るべきものであった。

 

 ~~~

 

 日が傾く頃には、はや体勢は決していた。

 だが華琳は城へとは入らず、戸板に寝かせられた従妹の手を握りしめていた。

 趙子竜の突き出した槍は、おそらくは彼女でも意図せず柳琳の腸をえぐり抜いた。懸命に軍医が応急手当をしたが、血が流れ過ぎた。もはや、巻き返して回復できる余地などないことは、知識の有無にかかわらず誰の目にも明白であった。

 

「いやー、危なかったっすけど、なんとかな…………え…………」

 

 戦を切り上げて帰ってきた華侖が、その二人の姿を目の当たりにして立ちすくんだ。

 天真爛漫な少女とは思えぬ声と、取りこぼした剣の金属音が、華琳には我が身を引き裂くようだった。とても、顔を顧みることはできず、白皙よりさらに血の抜けていく柳琳の姿を見た。

 

「お姉様、わた、し……お役に……」

「……えぇ、貴女に助けられた」

 

 ――まったくではないにせよ、犬死であろう、と怜悧な指摘が内より響く。

 数合さえ耐えればよかった。疎通していない趙雲の独断行動に吊られて城兵が吊り出せるのも予想の範疇だったし、現に浅井長政が横槍を入れてくれた。

 

「でも、馬鹿よ……あんな無茶、貴女らしくないじゃない」

「そう、ですね……」

 

 愛すべき少女の、終わりが近づく。

 虎豹騎の面々が声をあげてむせび泣き、栄華が人形を抱きすくめたまま崩れ落ち、秋蘭が肩を落として見守り、華琳以外はどうでも良いという態度を取る桂花でさえ、痛ましげに目を伏せていた。

 外様の長政や臧覇でさえ、重々しく瞑目している。

 

「柳琳……うそ、っすよね、こんなの」

 ただひとり、そうつぶやく華侖の顔だけが、華琳にはどうしても見返すことができなかった。

 

「それでも、目に見える形で……役に立ちたかった。お姉様たちや姉さんのように、堂々と……曹一門として、武を」

「もういい……もう良いから……」

 

 ――違う。

 曹子和に求めていたのはそうではない。そんな武勇など、たかが知れている。これからの戦、剣を振るって敵兵の首を刈る時代は終わる。司馬懿の言う通り、戦略戦術と兵の練度の応酬となる。

 

 何故分からない。分かってくれなかった。

 その変遷の時期において、己が身に委ねられるべき役割を、その晩成の将器の重みを。

 

 ――そしてどうして、愛妹の死に際して、そんな打算ばかりで素直に悲しむことができないのか。

 

「ねえ、さん……どうかお姉様を……きっと……」

 

 駆け寄り、逆の手を握りしめた姉に贈る言葉。それは、不安から来る願いだったのか信頼だったのか。

 だが命の残り火を言霊に乗せて発した間際、曹子和の肉体から、なくてはならぬ重みが、すっと抜け落ちていく。

 

 それを掌を通して感じ取った華侖が、狂ったように妹の真名を呼ぶ。

 彼女の慟哭が、華琳の鼓膜を刺す。それをぐっとこらえるように奥歯を噛みしめて耐えながら、ぬくもりが消えていくまで、柳琳の細やかな手の甲に顔を押し当てていた。

 

 曹純、字を子和。真名を柳琳。

 曹一門にあってもっとも清純な魂を融かした夕陽は、山の向こうへと沈んでいく。

 そして、一寸の先の見通せないほどの深い闇が訪れた。

 

 

 

【曹純/柳琳/恋姫……戦死】



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曹操(八):理と仁

 司馬懿が其処に至った時には、すでに全てが終わっていた。

 戦には勝ち、己の戴く主将が死んだ。

 

 その間に何にも関与できず、そして今も我から何事かを言い出す権利などあろうはずもなく、黙し、俯いたままにその悲劇の従姉妹を見守る環に加わるよりほかなかった。

 

「仲達」

 

 そうしているうちに呼ばれた彼女の声は、仮病を使っていた時の比ではない、尋常ならざるものであった。

 そしてあの曲者に命を狙われた時以上の恐怖を、『彼』は今感じていた。

 

「……は」

 

 拒むわけにもいかず、大罪のうえでの出頭するがごとき心地で進み出る。

 少女は顧みることなく続けた。

 

「先の高説の割に、ずいぶんと情けない顛末だったようね」

「……面目次第もありません」

 

 望まずして前に進み出た司馬懿に、擁護者は現れない。

 とりわけ嫌われる振る舞いをしたわけではないが、庇ってくれる友を作っていなかったこともまた事実である。均等に他者との距離感を持っていたツケが、ここに来て回ってきた。

 

(死んだか、これは?)

 

 冷汗にまみれ司馬懿が思ったのもまた無理らしからぬことであった。

 そして剣風が彼の喉を撫でた。

 

 敵の御遣いの、否曹純の剣が、それを抜き放った曹操が、本来女性であればないはずの咽頭の突起を指している。が、貫くつもりはないらしい。司馬懿の薄い胸板に峰を押し当て、少女は言った。

 

「戦も、理も、結局は人が作り上げしもの。故にこそ絶対はない。今回の戦は、そこが抜け落ちていたわね。貴方も、私も」

 

 言葉もなく、司馬懿は顎を引いた。

 

「青狼、この剣を象徴とし、虎豹の残兵を結束させよ。この戦においては、隊の指揮は、貴方が執り挽回しなさい」

「お、お待ちください!」

 その決断に待ったをかけたのは、荀彧であった。

「いくら隊における次席と言えども、未だ客分の域でしかない司馬懿に御一門の部隊を委ねるなど! どうか曹純様の代わりは……そう、たとえば姉君の曹仁様など、然るべき方に」

「柳琳の代わりなんていないわ!!」

 

 彼女にしては珍しい、感情に任せたその一喝は、軍師のみならず周囲の武官たちまでをも凍りつかせた。

 だがそれを至近で浴びた司馬懿、真名を青狼と持つ()()は……有り体に言えば醒めた。汗が急激に引いていくのを感じた。

 

 そして曹孟徳が少女の面を露呈させたのは、その一瞬のみである。

 それを恥じるかのように唇を結び直した後、首を振って続けた。

 

「……この戦だけの、臨時の処置よ。以後その兵は我が近衛に組み入れる。それで文句はないでしょう」

「…………はい」

「御下命、承りました」

 

 司馬懿に先に覚えた恐懼はない。しれっとその意を遺刀とともに受け入れ、引き下がった。

 それを冷ややかに見送った後、華琳は例の酔いどれ異人を呼びつけた。

 

「ロブ・スターク」

 

 進み出た男の足取りはまだ、多少はおぼつかないものではあった。だが、その眼からいくらかの酒気は抜けている。

 

「長政から話は聞いている。高い酒で引き留めておいた甲斐があったというものね」

「でも守れなかった」

 

 毛まみれの顔を手で覆いながら、男は感傷のままに嘆いた。

 

「いつもそうだ、おれは……感情に任せて、誰かを犠牲にしたことを、骸を目にするまで気づかない」

「泣き言ならもう聞き飽きたわ」

 

 男の愚痴をぴしゃりと言い止め、そして女王は続けた。

 

「おれに、どうしろと」、

「今回に関して言えば不明は私にあり、貴方はそれを救ってくれた。それでも己に不足を感じるというのであれば、その戦才を研ぎ直しなさい」

「……少し、時間が欲しい」

 

 年頃としては、五つ以上は離れているだろうに。それほどに年下の娘に訓戒を垂れられれば腹のひとつも普通は立つだろうに。そこは華琳の大器を認めたのか、あるいはまだ酒が残っているためか。逆らいもせず、ロブなる北の王は鷹揚に頷いて見せた。

 

 曹孟徳は身を切り返す。

 すでに持ち上げた視野の中に、曹子和の姿はない。

 

「司馬懿、ロブ」

 『反省会』を終えた両者の名を呼び、

「長政、藏覇」

 とさらに新参者たちの名をそこに付け加える。

 

 そして命を下す。

 

「お前たちの隊を合わせ一軍と成す。大将は仲達。他はその者の剣となりその策戦を支えよ。そして、ただいまより、公孫賛を追撃し、以てこれを初任とする」

 

 否はない。あろうはずもない。己の無力さを噛みしめている者たちに、その雪辱の機を与えられたのだ。奮わぬ道理などあろうか。

 

「他の将は飲食物への毒や伏兵に気をつけつつ城内を制圧。言うまでもなく、子和の仇討ちなどと称して捕虜や投降兵を虐待することも禁ずる」

 

 その厳命により、そして曹純の亡骸を収容したことで、その場は解散となった。

 

「あらためまして、司馬仲達にございます。奇縁ではございますが、どうか歴戦の士たる皆さまには、お引き立てのほど何卒よろしくお願いいたします」

 

 無難な言い回しとともに挨拶をした司馬懿だったが、そのうちの一画、浅井長政の目が気になった。

 

「あの、わたくしの名が何か?」

「いや……気にしないでくれ。こちらこそよろしく頼む」

 

 問いを向けられた金髪の貴公子は、すぐに表情を改めてややぎこちなく笑いかけた。

 それは、我に返ったよいうよりも、彼の内で何かしらの判断を下した、という塩梅の変化だった。

 

(何を想った……?)

 見るからに純朴そうなこの青年が、ほぼ初対面の己の『擬態』を見破ったとも思えない。

 とすれば彼の世界において、『司馬懿』の名は尋常ならざる意味を持つのか。

 ――先の世にて、何を為した? 司馬懿。

 

 まぁそれでも、今の自分にはかかわりのない話だ。理さえあればいずれは行き着く末路(こたえ)。そこに寄せる期待も恐れもない。

 

「――が」

 ぐるんと首を真逆に捻り、少年は主君を狼の眼差しで顧みた。

 先に、刹那的に見せた少女の顔を、彼は決して見逃さなかった。

 

「あんたも結局は感情の人間だったなぁ、曹操殿」

 合理的な為政者に徹さんとする努力や良し。子を成せるはずもなく女と交わる奇癖も、まぁ嗜好の範囲として許容しよう。だが存外に内容物は脆いのやもしれぬ。

 その鉄仮面が割れてその少女の相が露わとなった時、果たしてどうなるか。己はどうするか。

 

 だが決して今の己も過大に見てはいない。

 認めよう。理が足らぬ。智が足りぬ。

 やれ武人の矜持だの意地だのが時として理外の、不完全な結果を生むとするなら、それさえ呑んでより精度の高い術理を形成するのみ。そしてそんな無意味な感情論などは総ておのが理合にて屈服させる。

 

『……何故お前は男として生まれてきてしまったのですか、懿よ』

『女として生まれなば、寵も受けられようものに』

『何故女の身の丈、顔で生まれてきてしまったのか』

『そのような体躯では、乱世では組み敷かれるぐらいしか価値があるまい』

『――いいや、お前は不完全なればこそ美しいのだ。矛盾しているからこそこの肌はかくも冷たく心地良いのだ、仲達』

『兄は、兄は決してそなたの躰を離さぬぞ……!』

 

 ――嗚呼、嗚呼、嗚呼まったくもって苛立たしい。

 おしなべてこの世は、不合理なことがあまりに多すぎる。

 

 ~~~

 

 かくして司馬懿は、虎豹騎の喪失感が復讐心で埋まっている間に、公孫賛勢力の駆逐を開始した。

 ロブ・スタークの戦勘と、そして北方の騎士であるがゆえの経験則、そして藏覇の情報網をもとにその動きを予測し、反撃の芽をことごとく踏み潰していく。

 

 公孫賛を逃すべく、鳥丸への警戒を放棄して転身してきた従弟の公孫範(こうそんはん)を邀撃の後殲滅。それに合わせるべく、同盟者であった斉国(せいこく)田楷(でんかい)が合わせて蜂起したのを長政に急襲させて壊滅。

 白馬長史の威風などとうに消し飛び、孤立をした……かに見えたその時、司馬懿軍の追撃が止まる。

 

 それと対するは、界橋(かいきょう)

 公孫軍が渡り切った橋向かいに、二人の娘が立っている。

 いや、少数の部隊を率いてはいるが、まず注目の必要があるのはその先頭の二名だろう。

 

 黒髪と凛とした面立ちの美しき少女が地を突くのは、青龍偃月刀。

 紅とも橙とも思える短髪で、溌剌とした小柄な少女が抱くのは、蛇のごとき矛。

 共通して言えるのは、自分たちのその行いが正しいと信じて疑う余地がないあたりだろうか。

 

 長短一対の神像かと見間違えんばかりに屹立する、ふたりの猛者たち発する武気が、並々ならぬものであることは、さしもの司馬懿も悟り得る。

 いわんや歴戦の武将たちは。

 

長生(ちょうせい)か」

 と、藏覇がそのいずれかの名をそう呼んだ。

 知らぬ名だが、暗黒界では畏怖された異名なのだろうか。

 だが今は何処かの軍勢に属しているのかは、その少女たちの後方に控える副官……片眼鏡の華奢な小娘が旗手として掲げる一字から把握できた。

 

 麻布に染め抜かれたのは『劉』。

 劉備。劉玄徳。幽州で旗揚げした、公孫賛の妹弟子と聞いている。

 

「今更かよ」

 司馬懿は誰に聞かせるでもなく、低く毒づいた。



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劉表(六):愛憎混淆

 曹家と公孫家相克ち、互いの骨肉を削る前哨戦を終えた頃、視点は荊州へと移る。

 孫家の追撃を振り切って生存した荊南駐留部隊。その生き残りを劉表は、逃亡先の江夏の港で歓喜の表情で出迎えた。

 

 彼らこそ、そして軍馬を喪いつつもそれを先頭で率いていたシグルドは、如何な苦難を乗り越えてでも裏切ることなく()()()助けにきてくれる救い主に見えたのであろう。

 

「あぁ、やはり貴方こそが、真に信じられる者です。仲業も三成殿も文長も、敵に降ったと聞きます。こと魏延などはやはり人相見の評どおり、叛骨の相という」

 陶然となってその身体に飛びつこうとした女を、

「……では貴公は何をしていたのかッ」

 という、そのシグルドの怒号が遮った。

 

「兵も民も見捨てて、自分とその供回りのみ逃れる領主がどこにおられる!? 貴方のために身を尽くして戦った波濤殿は、士としての誇りを喪わず戦った三成や左近や焔耶は、不義理か、不忠者か!?」

 

 金槌で頭を横合いから受けたかのような表情で立ちすくむ劉表を見て、はっとシグルドは息を呑んだ。

 つい荒い言葉が出てしまったところで、もう遅い。

 一歩遅れて、アーダンが両者の間に割って入った。

 

「もう行きましょう、シグルド様……意味ないですよ、こんなこと言ったところで」

 そう言いつつも、女領主と、色めき立つ荊州豪族たちを顧みる彼の目線は、主人と意を同じくして冷ややかだった。

 

「無礼な……っ、いかな御遣い殿とは言え、その暴言は見過ごせませんぞ! 我々は、確固たる戦略にもとづいて……」

 蔡瑁が何がしかを吼えているのを無視して、マントを翻す。

 

 『生前』は、大陸を征旅していた頃はまだ良かった。

 その最期はともかくとして、()()()()()()()、戦う敵がはっきりしていた。世を乱す蛮族、野心に取り付かれた悪漢、謀略によって不名誉な死を遂げた父の仇。

 だが、今はこんな非力な女を面罵し、善悪を超えて気高き虎の群れと対峙している。

 

「……ほどなくして、此処にも孫家の軍が北上してくるでしょう。防備を早急に整えられよ」

 いったい、己が何のために戦っているのか。無事逃げおおせて考える暇ができたがゆえに、シグルドは言いながらも重く苦悩するのだった。

 

 ~~~

 

「ふっ、色惚け領主、腐れ儒者とその腰巾着がために、色男もその白皙を歪めざるを得ぬ、というわけか」

 その小規模な衝突の現場より少し離れた陣幕の内、本来の江夏の王はその様子を見て冷笑していた。

 

 くすんだ海の髪色。均整のとれた腰つき。

 顔は全盛の頃であれば美貌であったろうが、武人としても女としても盛りを過ぎた今は、世を拗ねたような狷介と偏執さが目立つようになってきていた。

 同じ年頃であろうはずなのだが、経産婦である紫苑よりも、一回りほど老けてみえた。

 

 その女が、背より招いた小柄な少女……否、未だ童女に過ぎぬそれを、対峙したその紫苑のもとへと突き返した。

 

「おかーさーん!」

 黄漢升が死線をくぐり抜け、そして今また戦地になるであろうこの地へ還ってきたきたのは、すべてはこの小動物のためであった。

璃々(りり)!」

 弓を放った腕で娘を抱きとめた紫苑は、再び彼女に会えたこの幸福に感謝をしていたようだった。もっとも、それを『保護』していた者を見上げたその眼差しには、わずかながらも険が潜んでいたが。

 元より仲良く談笑をする仲でもあるまい。割り切ったうえで、

 

「この恩は必ず返せ……紫苑」

「……えぇ、言われるまでもありませんわ。太守さま」

 

 江夏太守黄祖(こうそ)は、低く喉奥を鳴らした。

 

「といっても、はや大勢は決した。返すならこの戦以外のところにしてもらおうか」

「では、孫家に降ると」

「まさか」

 

 眉を吊り上げて黄祖は答えた。

 

「奴らは、この私から大切な者を奪った……どれほど時を費やし、如何な手段を用いようとも、必ずあの娘を奪い返し、その者の眼前にて孫に連なる者どもの首を並べてやろう……っ」

 

 あの娘、と言ったが何も自身の愛娘を孫家に殺された、というわけではないことは周知の事実である。もとより、夫も子も彼女にはいない。

 枯れてもなお、否枯れているがゆえに偏狂に燃える双眸に、ふだんは天真爛漫に誰もに懐く璃々が怯えを見せた。幼けな女には、理解しえぬ感情ではあった。

 

「私が言わんとするのはこの後のことよ。分かったのなら、せいぜい弓の弦でも張り直すが良かろう」

 

 黄祖はそう言って母娘を追い払った。

 それと入れ替わるように入り口に立った影に、黄祖は目を眇めた。

 尋常ならざるその殺気に、つい腕が反応しそうになる。

 

「ついに念願叶うというわけか? 裏切者」

「あたしは裏切っていない」

 この者もまた、頼ってきた割にはそれを恩に思わぬような語調であった。

 

「裏切ったのは、孫家だ」

 と言い切るその翠緑の双眸には、愛憎反転した激しさがある。つまりは、黄祖と同じ質のものだ。

 

「まぁ良い」

 椅子にもたれかかり、軋む音を背に聞きながら、黄祖は言った。

 

「愛憎の別はあれど、あの者に執着するは私も貴様も同じ。だがそれぞれ孤立して追っていてはその影さえ踏めぬがゆえに、貴様は孫呉を見限り我らと組んだ。そうであろう?」

「……あんたがどう思うが知ったことじゃない。あたしは、あの賊を殺す。父上の仇を討ち果たす。それだけだ。それだけ再確認しに来た」

 

 言うだけ言うや、その少女は踵を返した。

 その熱量においては、確かに己の『愛』に等しいやもしれぬ。だが、

 

「貴様程度の技量で思春(ししゅん)を討てるものかよ」

 と女は哂った。

「せいぜい役に立て……捨て石としてな」

 そして、愛しき彼女と戦場で逢うに備え、紅を取り出しあらためて唇に引き直すのであった。



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孫堅(五):以直報怨

 劉表軍の予想よりも三日早く、陸口にて陣容を再編成した孫堅軍は長江を遡上。

 夏口へとその狙いを絞った。読んで字のごとく、江夏の門口であり、そして江夏、寿春を制すれば長江の水運はほぼすべてが孫呉に帰するものとなる。その運航に荊州ならびに孫家の船を動員すれば、それは経済的にも軍事的にも大いに主導権を握ることになるはずだった。

 

「おー、慌ててる慌ててる」

 対岸で忙しなく左右する兵を眺望しながら、孫策雪蓮は上機嫌だ。

 

 理由は二つ。

 一つには、この荊州の戦の締めくくりの総指揮が己に委ねられたこと。

 もはや死に体となった荊州閥などより、江陵での主釣りにこそ愉しみを見出したらしい母炎蓮に丸投げにされた形ではあるが、それでもやはりそこには信頼が前提にあると思いたい。

 

 もう一つには、まさかここまで速く再出撃が適うとは、彼女自身が望んではいても思いもよらぬことではあったからだ。

 勢いに任せて全てを刈り取るのが孫家の風。そう思いつつも、兵站には限界が来ているというのが、再戦に難色を示す叔母らの意見ではあった。

 だが、そこに別の意見を

 

「試しに言ってみるものねぇ」

「ずいぶんと幼台(ようだい)様が苦い顔をしていたがな」

 呟くように言う彼女に、補佐する義妹が応じた。彼女も消極的ながらも再戦肯定派である。

 一方で名の挙がった幼台こと孫静(そんせい)は、継戦反対派筆頭である。

 台所を担う者として、これ以上の出費は見過ごせぬと言い、主要都市をこちらのものとしたのを落とし所として劉表と和解せよと主張する。

 

 和睦のことは容れられないにしても、物資に不安を覚え体勢を整える必要はあるとは皆考えていたため、強いては継戦を主張できなかった。

 

 だが、そこに待ったをかける者がいた。いや、無理を承知で雪蓮に頼み込まれつつも、それに応じて数の理をもって反証を示した者が引き出された。

 

「まったく、誰ぞのせいで余計なことになったわい」

 

 などと、雷火の小言。その目は持ち上げるかたちで、新たに加わった男の痩躯へと寄せられた。

 

「『出来るか』と問われたがために『出来る』と答え、それを机上と罵られたので証明と実践をしたまで。尋ねたのも決めたのもそこの孫策であって、それを俺が余計なことをしたとは心外だ」

 

 新参者、投降者とは思えない、辛辣な物言いに、さしもの雪蓮と冥琳の笑みにも苦みが奔る。

 

 石田三成。

 死に際し左近が推しただけはあり、孫家に不足しがちな部分を補って余りある。

 元より荊州に留まってそこでも算用方の面倒も見ていたというのもあるが、まさか戸籍の整理からせいかくな収支の割り出し、豪族の隠し田など不正の摘発まで、ほぼすべて短期間にやってしまうとは思いもしなかった。

 いや、劉表に属していた頃より、『出来た』のだろう。

 だが蔡瑁ら豪族、他名士らの影響力が多大な劉表勢力は、彼ら豪族たちの反発が強く実施が阻まれ続けてきた。着手できたのは、他ならぬ孫家軍閥なる侵略者が風穴を開けたからに過ぎない。

 

 そしてこの能吏の頭脳は、『三日で決着が着くのなら』損得勘定の上では追撃は益、と判断を下したのだった。そして三日で劉表を仕留める陣立てを、周瑜と諸葛瑾ら首脳陣で同時並行で立案し、再出兵に至る、というわけだ。

 

「……なんでも数や利で割り切るものではないわ」

 が、口舌にろ吏才にしろ、切れすぎる。

 このような男を下につけられた孫静が、そして今の雷火が苦言を漏らすのも無理らしからぬことであった。

 

「無論、言葉のみで解決できるような時代ではない。だが徳をもって人の心を治めて、礼を説いて荒みし心を癒してこそ、真の王政は成るのじゃ。千乗の国を(おさ)めるにはじゃ」

「事を敬しんで而して信あり、用を節し而して人を愛し、民を使うに時をもってす……ふん、ここにきて論語か」

「ほう、一応は修めておったか……が、お主も儒は処世の術などという戯けた見方をする者か?」

「別にそのようなことは考えてはいない」

 

 三成は不敵に哂った。

 

「何しろ、当の孔丘自身が大の世渡り下手だろう」

「…………孔子もお主にだけは言われなくないわっ、つい先ごろまでしょぼくれておった喪家の犬めが!」

 

 中華の美徳の祖たる聖人を真っ向から非難にかかる三成の暴言に、さしもの義姉妹も苦笑を強めに、雷火の怒髪が冠を衝く。

 

(仲が良いのか悪いのか)

 だが、果たして石田三成自身は不義者か。李斯(りし)のごとく法家思想と謀略に染まり切った冷血漢か。

 そうではあるまい。そうであれば、左近ほどの男が忠命を尽くすまい。その死に悲痛な声をあげまい。その挺身に報いるべく、恥辱を惜しんで孫家に仕え、彼の遺志に応えまい。

 おそらくは、この男は非情に見えて誰よりも義を貴ぶ者であろう。孔子の言を学びつつその真意を汲まず、栄達の種とし盾とする儒者どもより、誰をも憚らぬ直言こそが、生きづらくも好ましい。

 

 雪蓮はそこで助け舟を出した。

 

「まぁまぁ。心を治めるって意味でも、この戦は重要でしょ?」

「策殿……」

「この期に及んでどっちに就くか迷ってる荊州の学者先生たちに、誰がこの地の主に相応か知らしめる。これは荊州の民心をきっちり定めるための戦、でしょ冥琳?」

「まぁ、あけすけに言えばな」

 

 む、と眉根を吊り上げながらもこれといった反論は返ってこない。そういう面も認めたがゆえに、小言を絶えずこぼしながらも最終的には賛同したのだろう。

 

 だが心を治めることの難しさは、戦に臨んで雪蓮もまた重々に承知していた。否、痛感していた。

 

「甘寧様、合流いたしました」

 朱羅からの控えめな声量での報告があり、その方角を雪蓮は遠望した。

 出迎えに行ったのは旧友たる蓮華。岸にて膝を折り、剣を捧げる甘寧一党を見て、本来は曇りなく喜ぶべきところを、妹の碧眼はどこか物憂い。

 

 その甘寧の受け入れにおいて、孫家において衝突があった。譜代の家臣が、出奔した。

 いくら宥めても気性の烈しい彼女はついに折れず、劉表軍に与したという凶報がもたらされたのは、つい先ごろのことだ。

 

 いかな理由や事情があれ、裏切者に一たび戦場で邂逅すれば慈悲などない。一息に斬り伏せよ、とは母の厳命。

 だが、明確に孫家に仇をなしていない今ならまだ間に合うはずだ。力づくでも、連れ戻す。その復讐の足場たる劉表軍を一片残さず粉砕する。

 

「……容赦はしないわ。薄荷(ぽーふー)。全力で貴女の復讐の炎を消し飛ばしてやるんだから、覚悟しなさいよね」

 

 水平線の向こうで、こちらを待ち受けているであろうかつての仲間。

 彼女の真名を呼び、雪蓮は用意された軍船へと乗り込み、長江を渡った。



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劉表(七):新編 夏口の戦い ー愛讐並行ー

「孫軍、出撃ー!」

 鉦が鳴る。水面が荒れる。

 おそらく文聘軍から鹵獲したであろう軍船を引き具して、孫の旗が風を切って現れた。

 

「馬鹿な、速い、速すぎる」

 とりわけ蔡瑁の狼狽ぶりが顕著であったが、漏らした言葉が劉表軍の総意であった。

 シグルドはすぐに追撃が来るであろうと言っていたが、流石に連戦はあるまい、その間に軍事的、外交的に体勢を整えれば良いとたかを括っていたのだから。総大将の劉表などは平服のまま。その補佐役にして実質上の総司令官たる蔡瑁も軍装を解いていたのだから、立て直すには時間がかかることは明白であった。

 

 先陣を切って現れたのは、蒙衝である。

 それが一隻、悠然と水流に沿って右翼に突っ切っていく。

 

「まずいっ、強襲揚陸するつもりかっ、整った戦力よりあの船へ投入なさい!」

「あれは餌よ」

 

 黄祖と蔡瑁の意見が、衝突する。彼は嫌そうな顔を振り向けた。

 

「黄祖殿、私はそうは思わない。謀多き周瑜めのこと。必ずや何らかの作為あってあの船を向かわせたに相違ないではありませんか」

 

 なるほど周瑜の策ではあるだろう。だが、今や兵力においてはこちらをすでに上回り、また実をもって虚を突くの優位を得た孫軍が、今更別働兵力をもって陽動もあるまい。この男は自他の立場に踊らされて本質を見失っている。

 

「そも、この戦の指揮はこの蔡瑁めに委ねられております。我らを受け入れて変わらぬ忠義を尽くしてくれることには感謝しておりますが……臣としての立場をお忘れなきよう」

 

 そしてその口舌を、兵への叱咤ではなく身内の恫喝に用いる。

 黄祖は転じてその主君とやらの目を見た。

 顔を伏せ、かたく身体を強張らせながら現より全力で目を背ける劉表の、群雄としての生命が終わりを迎えているのが、まざまざと見えた。

 文聘がいればかくも不細工な戦をしなければならぬ道理もないが。いや、彼女と荊南の御遣いたちを見殺しにした時点で、この勢力は己が手足をもがれるのを痛みを感じず傍観していたに等しい。

 

「……いや、失敬した。まったくもって仰る通りだ」

「分かればよろしい。では、貴殿も迎撃に向かいなさい」

 

 だが、そんな態度はおくびにも出さず、男の自尊心を満たさせてやりながら黄祖は紫苑ともうひとりの佐将を伴い、背を翻す。

 その殺意の眼差しを決して気取られぬように努めながら。

 

 ――果たして先の船は、藁人形を詰めただけの空船。

 本命を載せた闘艦らが正面と左翼より突入して着岸。シグルドら荊南残存兵がそれを寡兵で迎え撃つ。

 

 

 ~~~

 

 その偽装船を除けば、いち早く敵陣に切り込んだのは軽装船により左翼より突入した甘寧と孫権であった。

 

「甘寧一番乗りっ!」

 本来であれば、甘寧こと思春(ししゅん)は、先陣を争うことも、高らかに名乗りを挙げることもしない。

 闇影に紛れ、一撃離脱を旨とし、軽妙な機動戦を得意とする者である。

 今回に関しそうせねばならないのは、己らがまだ孫家においては信を置くに足らぬ新参であるという自覚のため。

 そして、独立小勢力であった彼女ら錦帆賊が、孫家と敵した際、『あの女』とも関わりを持っていたがため。想像するだにおぞましき女とのありもしない蜜月を、疑われることを良しとしないがため。

 

 ――そして、お互いのそうした執着を知るがゆえに、彼女たちは採るべき道を採り、出逢うべくして邂逅した。

 

 鈴音(りんいん)を逆手に振るい斬り入った敵陣。その兵の間より、

「私を探しているのか?」

 などと見えない糸が絡むがごとく、声がかかった。

 

 一度聞けば忘れもしない、その耳障りな音調。その眼差し。その姿。

 暗刃を傾けながら、思春はその女……黄祖を顧みた。

 

「このような無粋な場においても、お前は懸命に私を求めてくれるか……まったく、愛いことよな」

 違う、と怒喝を浴びせたくなるも、その姿を追い求めていたことは事実なので、思春、苦く唇を噛みしめる。

 

「……あぁ、確かに貴様に用はある……ただし、その首だけにだがな!」

 返す返答はそれと、振りかざした刃のみ。

 黄祖は緩慢に後ずさりしながら、紅を縫った唇を曰くありげに吊り上げた。

 

「ただ残念ながら、此度は先を譲れと希う者がおってな。悪いがその者の相手をしてくれ」

 

 このまま直進すれば、この切っ先は黄祖の喉首に届く。

 だが、一抹の不吉な予感が彼女の足を留めた。果たして、一個の影が両者の間に割って入った。

 

「見つけたぞ、水賊」

 

 燃ゆる夏草がごとき髪、双眸を持つ少女。その彼女が突き出した手甲には、鋭く尖らせた刃が取り付けられていて、思春は寸毫の間にて避けた。なお少女の連撃が続き、思春は押された。

 

 まともな呼吸や間さえ測りもしない。

 技量はともかく、熱量はある。

 彼女が先んじて行動することが出来たのは、娘の全身より放出された気焔ゆえであり、同時にそれがゆえに、一瞬遅れをとった。

 

(一体何者だ? 何がこの者をそうさせる?)

 思い当たるフシはない。否、山が築ける程にある。

 だがかくも烈しい殺気には、思春は初めて触れた想いがした。

 

 追いついてきた蓮華の顔が、その少女を認めた瞬間さっと血色を喪った。

「蓮華様?」

 訝る思春の問いかけをよそに、主は少女のものらしきその名を、震える唇より紡いだ。

 

 

 

凌統(りょうとう)……」

 

 

 

 ――その名を聞いて、得心がいった。そして、侮蔑もした。

 武人としての責務として、主だって殺めた将の名と顔は、決して忘れはしない。

 

 長江の覇権と自由をめぐり孫家と争っていた頃、夜討ちにて仕留めた将が、ちょうどこのような、夜でも目立つ髪色をしていた。

 後で調べたところによらば、それこそが凌操(りょうそう)

 常に先陣を任せられた孫家譜代の臣にして……そしておそらくは、この凌統の父。

「そうか、貴様か……私と入れ替わって孫家を裏切った臣とは」

 刃を絡め合わせるその裏で、蓮華は我に返って心火を灯し直して吼えた。

 

「おのれ黄祖! 貴様か、貴様が我らが臣を、友を、家族を! 言葉を弄して誑かしたかッ」

「私が? これは異なことを! この娘をかくも追い詰めたのは孫権、その家族とやらの父の仇と承知で甘寧を組み入れた貴様ではないか」

「……っ」

「私に操られたかどうか、その者に問うてみるが良いわ」

 

 蓮華の目元は、それとなく、気弱げに凌統を視る。

 甘寧の急所を狙い続ける鋭さを喪わないまま、凌統は言った。

 

「孫権さま、ではお尋ねしますが……もしこの甘寧が討ったのが父凌操ではなく、孫堅さまやご姉妹であったら、今のように受け入れましたか?」

「それは……っ」

「あるいは、そこな黄祖が勝頼とやらの言ったとおりにお母上を殺し、そのうえで降伏したらどうです?」

 

 甘寧と凌統の応酬は、剣のみに限らず拡張していく。凌統が死角より脚を撃ち込んで払おうとするのを千手をとって潰し、思春は代わり、回し蹴りで頚の脈を狙う。寸手のところでそれを逸らして躱した凌統は、やはり技練と経験の差で次第に押され始めていた。

 

 同時に、俯き答えぬ旧主の娘に、

 ――ほらみたことか

 と言わんばかりの冷ややかな目を、甘寧の背ごしに向けた。

 

「結局、あなた方の家族なんて言葉は口先だけ。本当に大事なのは自分と血のつながりのあるものだけ。それ以外はあたしたちのように、より便利で使い勝手の良い駒を得れば体よく入れ替える」

「……違う」

「違う? どうせ孫家を脱けたあたしには、殺害命令が出てるでしょうに」

「……それ、は」

「いずれあなたは、その偏愛ゆえに本当に大事なものさえ破壊するんだ」

「戯言を!!」

 

 嚇怒したのは蓮華本人ではなく、思春であった。

 

「さっきから聞いていれば己に都合の良い言い訳ばかり! 私怨に駆られ大道を見誤り、恩義ある孫家に弓引く愚か者、もはや仲謀様の視界に入れることさえ汚らわしい! 今ここで葬ってくれる!」

「貴様がそれを言うなぁッ!」

 

 互いの刃風に弾き飛ばされるかたちで飛び退いた凶手ふたり。

「はぁッ」

「死ねぇっ、賊が!」

 再度必殺の構えをとって肉薄せんとする彼女たちの間に、蓮華が割って入った。

 

「やめ、ろ……やめて、薄荷」

 凌統の凶刃の前に立ちながらもその挺身は、彼女自身を思春より護るためのものであった。

 そして凌統は、何か見えざる腕に後ろ髪を掴まれたがごとく、苦悶の表情で刃を留めた。

 

「何故なのです、蓮華さま……何故ッ」

 

 敵方の鐘の音がする。

 老人のような、枯れた声を絞り出した凌統は、甘寧を討つ機を逸したという判断か、それを合図にそのまま身を翻して塁壁の内へと走り去っていった。

 

「薄荷!」

 真名とおぼしきその名を呼び、単身追わんと駆け出す蓮華の袖口を、思春は引いた。彼女たちのわずかな隙間を、矢が通過していき、浜に突き立つ。

 

 この時機を的確に狙い定めた精妙さ。こちらの因縁とそこより生じる心理的な空白を読み切って利用する老獪さ。おそらく射手は黄漢升。

 

「では私も見たいものは見たゆえ帰るとしよう。我が心と同じ傷、奪われる痛みを孫家のご令嬢にも堪能いただけたようで何よりだ」

 

 などと抜かして悠然と後退していく黄祖への殺意を押し殺し、自身もろともに味方の垣根の内に蓮華を押し戻した思春は、そのまま彼女の頬を張った。

 

「今、孫仲謀の果たさねばならぬ務めとは、何だ!?」

 

 声を荒げて友を叱咤する。碧眼の動揺は、その喝破によって多少は収まったようだった。それを見届けた後、思春は臣下として、万死に値する振る舞いをしたおのが頭を垂れた。

 

「ご無礼の段、お許しください。しかしながら、あの時私に語った孫家の夢、天下の論。それらがどうか虚言でないことをお示しいただきたい」

 

 その諫言を受けて、袖口を目元を拭ってシャンと少女が屹立する。

「……敵は退いた! 大盾隊、前に押し出し矢石を防ぎ、我らで後続の友軍の橋頭堡を作るぞ、急げ!」

 そう素早く思考を切り替え檄を飛ばす主に、思春は死角にて静かに、一瞬笑み返し、そして彼女のために改めて剣を揮うのだった。



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劉表(七):新編 夏口の戦い ー善悪の盾ー(★)

 孫静幼台は、言うまでもなく覇王孫堅の妹であるが、その在り方は姿形からしてまず大きく異なっている。

 歳を経てもなお女として迫力と魅力ををいや増すばかりの姉から生命力を吸い上げられたがごとく、骨ばった痩せ型で、そのせいで実年齢よりも老けてみえる。

 性格も正反対で、暴力的かつ豪放な炎蓮に対してこちらはきわめて消極的で常識的だ。

 よく言って奔放、悪く言えば身勝手な孫家軍閥においてこれは得難い気質ではあるのだが。

 同じ常識家であっても、むしろ炎蓮と距離が近しいのは、面と向かって小言諫言がぶつけられる雷火である。

 孫静はそのように正面切って姉の方針には逆らうことができず、いつも物陰でぶつぶつと恨み節を呟くばかりであった。

 

 そんな彼女だが、荊州の命運を分ける戦とあってはいつまでも遠く後方に補給に専念しているわけにはいかず、前線との兵站の確立のために、戦場に駆り出されていた。

 むろん、戦闘自体が姪たちに任せきりで、本艦に腰を据えたまま。そして近衛の兵で己を護り、かつしっかりと副官付きではあるが。

 

 姉よりあてがわれたその男というのが、またうさんくさい。

 南方の蛮族を思わせる粗末な衣の上下に、大亀の肉を削いで作り上げたがごとき大盾。

 たまさか見つけた天の御遣いということではあるが、槍というにはあまりに短い柄の得物を小脇に抱え、くつくつと、湯を煮るがごとき異音を喉から零す。

 

「そろそろ、首筋が寒くなってきたか。孫幼台」

「……黙れ」

「孫権に続き、孫策も上陸を果たした。いかに目付け役と言えど、このまま前線にも出ず傍観することが、姉上の目にはどう見えるか……よろしければ、敵将の首の一つや二つ代わりに獲ってきてやっても良いのだぞ、んん?」

「無用だ」

 絡むような言い草に、孫静はぴしゃりと跳ね除けるように返した。

 

「そもそも、盲人が戦場において物の役に立つものか」

 ……と、強めの正論を最後に言い添えて。

 

 そう、この男は先天的なものか後天的なものかは知れず、視力を失っているらしい。

 あるいは吹かしかもしれぬが、実際今現在においては布で双眸を塞いでいるのだから、視力があろうとなかろうとその視界は塞がれているはずだった。

 だがその指摘に対し、

 

「いやいや、いやいや……」

 と不気味な薄笑いとともに否定を入れた。

 

「よく視えておるとも。我が『心眼』をもってすれば、凡人の肉眼よりもずっとな」

 と男は細長の異相を孫静に寄せた。自らの目元の隠しをまくり上げると、孫静は悲鳴をあげそうになった。

 生々しい、斬傷の痕。その真一文字に刻まれたその古傷の深さから察するに、どう考えてもその時に受けた一太刀は眼球にまで達している。

 

「姉上や姪御に、お主は引け目を持っている。が、その横暴ぶりを苦々しく思っている。さりとて己にとって代わる器量などあるべくもなし、それがお主の苦しみに拍車をかける……生きれば生きるほどに袋小路に追い詰められていく、大した生き地獄もあったものよ」

「黙れ!」

 

 揶揄とも本物の同情ともつかぬその言葉を振り払うべく、孫静は袖で空を切った。

 だがその軌道上にすでにその盲人の姿はない。直後、彼女の眼下でしぶきがあがり、彼は浜に着地していたのが見えた。

 

「もっとも、許しなどなくとも行くがな……古今の強者の集う、本物の戦場だ。さすがの私も血の滾りを抑えられん」

 そして五感満足のものと変わらない、堂々とした足取りで、兵たちの喚声の中へと飛び込んでいった。

 

 孫静は憚ることなく舌打ちした。

 いんちきな占い師と同じだ。当たり障りのない、広く意味を持たせられる言葉を弄び、あたかもそれが心の内を読み、的中しているかのように振る舞う。

 その程度のことは彼女にも分かっている。

 ――だが。

 

(姉上は、何故あのような胡乱な者を私に……)

 

 その事実自体が、あの男に言われたかのような心境へと彼女を追い詰めていく。

 すなわち、自分は姉に粗略な者として扱われているのではないか、と。

 いや、己のことのみならばまだ良い。天の御遣いのみに限った話ではない。

 あの男や甘寧のごとき新参者を重用し、それで公績(こうせき)のごとき譜代の臣に見限られては元も子もないではないか。

 

「やけにうるさいが、何かあったのか?」

「……貴様の同郷が、私の護衛の任を放棄して前線に行ったのだがな、石田」

「時代も、そしておそらく場所も在り方も違う。あんな男と一緒にされては困る」

 そして近寄ってきた石田三成。つい先ごろ敵であった奴輩に内情を伝え管理させるなど、正気の沙汰ではない。唯一の自分の身の置き場さえ、姉は奪おうとしているのか。

 

 その理由について、炎蓮は言明しない。

 元より他人に理解を求めようとしないきらいはあったが、昨今は特に周囲に説明の手間を面倒がっている。孤高の覇者だ。人を統べる獅子の王だ。

 

 ――炎蓮にとって、家族とは、何だ?

 ――いや、諸人にとって孫家とは、何だ?

 

 ~~~

 

「分散するな! 一つ塊となって戦えっ!」

 シグルドは中央に在って、孫軍後続の流入を阻止し続けていた。

「はぁっ!」

 と自ら宝剣を振るえば、さしもの南方の強兵どもといって太刀打ちできる者はなく、その地点のみが、早急に敵の襲来に万全の体制で迎え撃つことができたし、かつ今もってなお、一切の綻びなく陣を堅持し続けていた。

 

 だが、兵を叱咤する声は枯れていた。枯れてしぼみ、いずれは己が存在もろともに消え入ってしまいそうなほどに、自身で感じられた。

 原因は分かっている。荊南で劉表らに見捨てられ、かつ己も焔耶や左近を見殺しにして生き延びてしまってよりずっと、内で渦巻き続ける疑問。

 

 ――いったいこれは、誰のための献身だ。

 ――いったい何のために、部下たちに死力を尽くせと命じているのか。

 

 その心の間隙に、逡巡の波間に、潮騒がごとく敵兵が寄せる。

「くっ!」

 やがてその剣筋も鈍くなりつつあり、ついには二頭目の馬よりも引きずり下ろされた。

 

「敵将だ!」

「組み打てっ」

「首を獲れ」

 

 落馬したシグルドを狙い、目を血走らせた雑兵たちが殺到する。馬乗りになったのは、彼よりも年若い少年兵である。恐怖に駆り立てられたためか。乱世に臨んでの功名心ゆえか。その双眸や押さえつけようとする必死そのものだ。

 殺すな、という声が何処ぞで聞こえた気がした。

 それは味方による助命か、天の御遣いの身命を惜しんだ敵将のものか、あるいは……最後の一線は越えてはならぬという己の内なる声だったのか。

 

 もう戦う意義など見失った。

 捕らえられるなり殺されるなりして、それでこの無意味な戦の終結が早まるのであればそれも良かろうと、ふと力を抜く。

 だが、シグルドに折り重なっていた敵兵らは、横合いから突如として加えられた重圧によって吹き飛ばされた。

 従者アーダンがまとめて彼らを突き飛ばしたのだ。

 

「どこぞのヒョロ男じゃあるまいし、悩まないで下さいよ。こんな戦場(ところ)で」

 などと諌めつつ、敵兵をまとめ抱いて主人から突き放す。

 

「でも、左近のやつと同じです、俺も。自分の主が危険になれば、体を張る。迷ってるなら命を張る。なんでディアドラ様やキュアン様たちじゃなくおれだったのか、今ならなんとなく分かります」

 

 言うが早いか、それをアーダンは実行に移した。

 数人がかりで押し返そうとする兵たちを逆にさらに押しやっていく。

 

「あぁ、そうだ。ちゃんとあの時、告げられなかったことを、言わせてください」

 そしてその強面に子供じみた、澄んだ笑みを称えた彼は、はにかみながら最後にシグルドに伝えた。

 

「シグルド様……あなたにお仕えできて、悔いのない一生でしたよ」

 

 主人の安全を確保すべく、さらに多くの兵を受け持ち、もつれ込みながら先へ、先へ。

「待て! 待ってくれっ、アーダン!」

 シグルドは声を限りなく大にして呼びかける。一度は萎えた脚に力を込めて立ち上がったが、すでに彼らの間を敵味方の乱戦が埋めていた。

 決してアーダンの足は速くはないが、それでも追いつくことができなかった。

 

 〜〜〜

 

「お、おぉぉォォッ!!」

 剛声をあげて、アーダンは敵の側面に回った歩兵隊を単騎で押しのけた。

 見知った顔もあるゆえ、彼らは孫家に鞍替えした荊州兵たちであっただろう。

 よって戦意は低く、猛牛にも似た勢いに気圧されて転がり逃げていく。

 

 だが、逃げるその背をアーダンから遮るようにして、怪人が現れた。

 亀の甲羅を負い、鉄球と短槍を両端に取り付けた武器を手にした兵士。異国の文字と思しき紋様の目隠しを巻き、胸元の開いたローブのようなものを纏った、痩せぎすの男。

 

「あのような雑魚どもを追い回しても楽しくもあるまい。次は私と遊んでもらおう」

「……誰だ、あんた」

魚沼(うおぬま)宇水(うすい)。人呼んで『盲剣』の宇水」

「そうかい、俺は」

「あぁ、聞くまでもなく分かる」

 

 名乗りに応じて自身も名と所属を伝えようとするアーダンを制し、

 

不二(ふじ)ほどに規格外ではないが、安慈(あんじ)程度には肉体が出来上がっておる。夷腕坊(いわんぼう)は……まぁ例外として。そしてその体躯に自信を持っておると」

 アーダンには知り得ぬ者らの名を出し、腰を曲げて彼の相貌を占うがごとくに覗き込む。

 そして見えぬはずのアーダンの肉体と、その精神的指向性を言い当てて、少なからぬ動揺を与えた。

 だがそれを気取られてはならぬ。ゆえに強気に押し出し、無理やりにでも笑ってみせる。

 

「おれも、お前みたいなのを良く知ってるぜ」

 

 当然、アーダンには男の素性に見当もつかないが、それでもこの男がどう生きてきたか、どんな人間なのかは一目して判別がつく。

 戦場でいくらでも見てきた。

 この江夏の地に足を踏み入れることも、敵方ながらも闊達な孫家にもそぐわぬ凶漢。

 

「臭いで判るんだよ……お前は、血に酔ったクソ野郎だ」

「ふん、世迷言を。一たび剣を取ればいずれも行き着くは修羅道よ。善悪の区別などあるものか」

 

 互いが相容れぬ生き物だと知れた以上、会話らしい会話はそれで打ち切りとなった。

 重装と軽装。だが盾と盾。

 それぞれ得物を構えて対峙する。

 

「ぬあっ」

 先手を打って仕掛けたのはアーダンであった。

 厚い刃肉の一端でも当たれば、薄い衣と肌と骨を断ち切ったであろう。

 だが、その間を阻んだのは、亀甲の盾である。

 ――いや、それさえもアーダンの剛力剛剣をもってすれば、破壊できるはずだった。

 

 にも関わらず、その盾を破ることは能わなかった。

 

 くり出す必殺剣は表層の曲面を上滑りし、いなされていく。

 それによって生じた隙に打ち込む余裕はあったはずだが、宇水はあえてそれをせず、代わり、

「ほれほれどうした。盲人相手に加減でもしてくれているのかな」

 だの、

「私とは頭ひとつほども違うその身体は、無駄に肥え太らせただけのものか?」

 などと口撃を飛ばしてくる。

 

「野郎ッ」

 騎士の立ち合いとも刺客とのやり取りとも、あまりに違うその技術に翻弄されるアーダンは、乾坤一擲の刺突を繰り出した。

 肥満と揶揄されたその体重を載せた一撃である。干した亀の甲羅程度、容易に貫けようというものだ。

 

 だが、渾身の突きもむなしく、亀甲をわずかに削るのみ。

 それどころか跳ね上げられたその盾によって、あらぬ方向に剣先は飛び、それに引きずられる形で、アーダンの体形は伸びきった。

 

「いらっしゃーい」

 

 そして胴の下に潜りまれた……否、誘い込まれた。凶漢の唇が、ニィ、と吊り上がる。

 

 ――宝剣宝玉百花繚乱

 

 その技の名を、アーダンは確かにそう耳にした。

 おぼろげなのは、次の刹那には彼の五体のあまねくを激痛が襲ったからだ。

 鉄球が(メイル)が歪むほどにアーダンを叩き据え、またその間隙には槍穂がねじ込まれる。

 

 砦を、村々を、城を耐えず我が身を盾に護り抜いてきてなお、一度もあげなかった苦悶の声を、たまりかねてアーダンはあげた。

 無数の暴力の洗礼を浴びるアーダンの身体、その腹に、トドメの刺突がねじ込まれ、腸にまで達した。

 

「介者剣法、なる術理を知っているかね?」

 本人の意志とは関係なく倒れ伏すアーダンの頭上から、哂いを含んだ声が落ちてくる。

「西洋にはない理論かもしれんが、刃は甲冑の筋目に通すもの。そして鎧そのものには斬撃よりも金砕棒などによる打撃こそが有効」

 すなわち、と言い添えて、宇水は続けた。

「どのような世界に生きていたかは知らんが、そのことを弁えず力押ししか知らぬようなお主が、私に勝てる道理などないのだよ……木偶殿」

 その悪態にはもはや答える言葉もなく、地響きの轟音とともに完全に倒れ伏した。

 その掌の裏より、指輪がこぼれ落ちて、剣盾とともに泥に浸かった。

 

 ~~~

 

「ふん、他愛もない」

 抗するすべなく横臥した巨漢を『見下ろし』、宇水は低く嘲りを落とした。

 ()()もあることゆえ、一挙に勝負を決めるべくつい本気でやってしまったが、これならばもう少し玩弄することもできたものを。

 

 ――心眼。

 それこそが光に代わりて彼が得た超知覚。

 実際は異様に発達した聴覚で、筋肉の収縮や鼓動の変化によって相手の心理、肉体的状況を正確に把握するといった代物なのだが、その特異能力を持つ己が、ただ自身の頑強さのみ押し出してくる相手に敗けるべくもなかったのだ、と彼は結論付けた。

 

 手槍(ローチン)甲羅(ティンベー)を納めた彼は、久方ぶりの勝利の味に酔いながら、その場を立ち去り、新たな標的を物色し始めた。

 

 その、矢先である。

 彼の耳が、かすかな水音を捉えた。

 そして直後の瞬間、

「ガァッ!!」

 という咆哮とともに、倒したはずのその木偶が起き上がった。

 

「なっ……!?」

 宇水が愕然としたのは無理らしからぬことだった。

 心臓音は確かに止まったはずだ。呼吸も倒れてからずっと、してはいなかったはずだ。

 

 再び剣を突き出した男は、勢いを殺さず宇水を掴みかかる。

 慌てて構え直した宇水ではあったが、一足出遅れた。

 

 

 最初から、勝り続ける必要などなかった。あえて競り合う必要もなく、勝利は得られたはずだった。

 ――そう、死したはずの男の背に飛び降りてきた、華奢な者がそうしたように。

 

 足の軽やかさからして、女。それも、相当に身軽、いや軽すぎる。つい先ごろまで病んでいた者の体重であった。

 おそらくは孫家と同じく寄宿する剣士。アレクサンドラ=アルシャーヴィンなどという、舌を噛みそうな名の異人の小娘。

 

 彼女のくり出す二筋の剣風は、挟み込むようにして大男のうなじより首を刈り取った。

 頭部を切り離されて均衡を喪った彼の肉体は、宇水の横をすり抜けてふたたび地へと沈んだ。

 

「大丈夫かい?」

 腰の引けた恰好となった宇水に、少女が手を差しだしたようだった。

「……要らん、余計な世話だ」

 示しがつかずに、宇水は憮然と声を放って突き放した。

「そうか、それは申し訳ないことをした」

 額面通りに受け取ったか、あるいは皮肉のつもりか。

 平常そのものの心音を立てる娘は、肩をすくめてみせたようだった。

 

 そう、余計な世話だ。

 この男は己の秘技『宝剣宝玉百花繚乱』を受けた時点で、やはりとうに死んでいた。

 死したはずの肉体が動いたのは、人間として事切れる間際に脳が送った遺命を、果て往く肉体が実行に移しただけに過ぎぬ。

 だから、たとえ一瞬時遅れを取ろうとも、自分が不意を打たれて殺されることなど、あろうはずもないのだ。

 そして少女の一閃は、せめてもの苦痛を取り除かんとする、いわば慈悲であったのだろう。

 

 その甘さに、忌々しげに宇水は舌打ちした。

 

 

 

【アーダン/ファイアーエムブレム 聖戦の系譜……戦死】



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劉表(七):新編 夏口の戦い ー王子様になれなかった男―(★)

 旗色、著しく悪し。

 自陣の不利に蔡瑁が気づいたのは、いよいよその勝敗が決さんとしていた時分であった。

 

(馬鹿な)

 

 荊州には、多くの学が集まっていた。才が溢れていた。天に祝福され、その御遣いの多くを得た。文治の国といえ、兵も多く居た。刺史劉表は皇族にして、益州の劉焉、荊南の劉度も同族にして交わりを持っていた。

 

(にも関わらず、何故南方の無作法な田舎武者ども、その単軍に押されるのか!?)

 

 彼にはその結果が信じられなかった。そして、そこへと至るまでの原因と過程は、彼の認知の中にない。

 

(いや……まだだ)

 こちらには劉表がいる。

 反孫の旗頭にして、いと尊き劉氏の麗人。そして己は荊州における大長者であり、彼女の忠良なる臣下である。

 この両名が存命である限り、荊州は他の奴輩のものにはならない。その存在が楔となり続ける。故にこそ孫家の者どもは躍起になってかくも猛攻を仕掛けてきているのだ。

 

「……景升様、宝夢様」

 後方で青ざめた顔で憂える女主人に、蔡瑁はぎこちなく振り返った。

「不甲斐なき味方ゆえに、戦況は著しく不利です。ここは一時、屈辱に甘んじても荊州をお捨てあそばし、回天の機を窺うのが妥当であるかと」

「……任地を、捨てるの?」

 宝夢の顔がグッと強張った。

 

「まことに残念ながら。されども、一旦都にお帰りとなって、奴らの非を朝廷に上訴申し上げて、然るのち捲土重来を果たしますよう」

「都……」

「そうです。洛陽までお守りいたします。宝夢様」

 

 失意に沈んでいた劉表の目が、わずかに光を取り戻した。

 ……そう、彼女にはそも荊州になど未練はあるまい。間抜けな前太守王叡の、対孫という負債を無理やり押し付けられた、悲運な女。

 

 それを救えるのは己だけだ。彼女を理解できるのはこの蔡瑁のみだ。

 黄祖ずれに何ができようか。シグルドが何だ。文聘が何だ。

 己が、己こそが……

 

「まるで己のみは違う、とでも言いたげだな。蔡瑁殿」

 ――蜜のごときその甘やかな時間に、蛇の言葉が紛れ込み、まとわりついてきた。

 腰に手を当て、紅の双眸に陰と険をありありと浮かべ、いやな笑いを口に浮かべている。劉表とは対極に位置するその姿形は、ある種の嗜好者にとっては蠱惑的なものなのだろうが、蔡瑁にとりては妖怪のそれだ。

 

「これはこれは、さしたる武働きもせず、ずいぶんと早いお戻りですな、黄祖殿」

 などと蔡瑁も負けじと皮肉を飛ばしたが、宝夢をそれとなく黄祖の視界の死角へと追いやった。

 前線から遠い男の、なけなしの武心と本能がそうさせた。

 しかし黄祖はその必死な嘲りを無視し、身体も素通りした。そして怯える劉表の前へと膝を折った。

 

「されども、この者の申す通り、これ以上の抵抗は意味を成しませぬ。どうか御身はしかるべき場所へと落ち延びるべきかと」

「う、うむ……」

 ふたたび委縮してしまった荊州刺史に代わり、蔡瑁は相槌を打ちつつも軽く安堵した。

 みずからが打ち立てた方針に、この女とて異論はないらしい。さきに感じた不穏な空気は、杞憂に過ぎなかったと判断した。

 

「されば黄祖殿にはこの地に殿軍として留まっていただき、江夏太守としての任を全うし、どうか華々しく、劉表麾下の兵として見事なご最期を遂げられますようお祈り」

「されども」

 

 今度こそ、黄祖は蔡瑁をいないものとして扱った。

 無防備に背をさらしつつ、さらに言上する。

 

「この大乱世に都に引きこもり続ける朝廷に、失地を取り返す意志などありましょうや。亡命先とはすでに段取りをつけておりますゆえ、どうぞ劉表様には思い煩うことなどなく、お心安くそこでお暮らし下さいませ」

「なんですと…………おいっ、誰がそんな勝手な真似を許した!?」

 

 蔡瑁は黄祖へと掴みかかった。

 だが強気な態度に出られたのは衝動的な怒りに駆られたのみにあらず。この女が余裕をもって武器を持たず、背などを晒すがゆえであり、すなわち自分が彼女を制するにあたっては、圧倒的に優位な立ち位置を確立できていると知るがゆえである。

 

 ――()()()、対しては。

 

 だが、その蔡瑁の喉輪を、何者かの爪が……爪を模した武器が背より貫いた。

「がはっ……あが……!?」

 詰まらせていた呼気が、血反吐とともに、口以外のあらぬ方向から漏れていく。

 

 その返り血を後頭部より浴びながら、黄祖はゆったりと立ち上がった。

 居合わせていた蔡瑁麾下の親衛隊も降り注ぐ矢に軒並み打ち倒されて、己と同じように血液の沼に沈んでいくさまを、おぼろげになっていく視界の中で蔡瑁は視た。

 

「ご苦労。まぁ私がやっても良かったが、それでは後々障りとなりそうなのでな」

 悲鳴をあげて逃げようとする劉表の襟髪を掴み、黄祖は蔡瑁の背にいる何者かを軽く労った。

 鉤縄を引き抜いたその女は、枯れ穂にも似た髪を振り乱し、蔡瑁の手前に回り込んだ。

 見覚えがある娘将であった。

 

「……一応これでも孫家に鞍替えした身上なんで、あまり呼びつけないで欲しいんですがね、黄祖将軍」

「裏切る前にすでに前金は手渡したであろう。『一度は確実に、私の役に立て』と。その権利を使う機などここ以外にそうはあるまい」

 という嘆きにも似た声で、思い出した。

 たしか潘璋とかいう、江陵を易々と売り渡したという裏切者だ。

 

「それに、お前は孫家の将として晴れて劉表軍司令を討ち取ったのだ。そこになんの後ろめたいことやあらん」

「まぁ、特別報酬としていただいておきますがね……その頭花畑女を土産に孫家に寝返るつもりなら、口利きしてやっても良いですけど」

「申したであろう、すでに段取りはしてあると……奴らに頭を垂れるなど、想像だけでも反吐が出るわ」

「そりゃ安心しました。これで貸し借りなく敵同士ってわけだ」

 

 などと勝手な申し状を繰り広げたすえに、彼女らは袂を別った。

 そして半死の体の蔡瑁と、苦悶する劉表もまた、離れ離れにさせられつつある。

「あーあー、刺しどころが悪かった。こりゃもう助からんね……波濤殿やあたしらの無念、その一片たりとも残さず噛み締めながら絶望と苦痛の中で、死ね」

 蔡瑁は潘璋に罵倒されつつふたたび身に爪を刺し込まれて地を引きずられ、宝夢も抗う力もなく引っ立てられていく。

 

「ほ、ほうむ……様!」

 

 ごぽごぽと血の泡を喉の傷より溢れさせながら、蔡瑁は懸命に手を差し伸べる。

 己が救わねばならぬのだ。己だけが愛せるのだ。己だけが、想われるだけのことをしたのだ。

 

 ――だが、宝夢の目は。

 最後に見た彼女の表情(かお)は。

 

 確かに恐怖はあった。嫌悪もあった。哀しみもあった。

 だがそれはあくまで己独りに対して向けられたものであって、蔡瑁個人に対しては憐憫さえも寄せてはいなかった。

 せいぜい、通りすがり様に死にゆく虫を見るそれだ。

 

 そこで初めて蔡瑁は己の立ち位置を客観視できた。

 彼女にとって、あくまで臣のひとりであり、口やかましく喋る駒であり、それどころか荊州豪族の筆頭として、事あるごとに意見をおのが望む方向に曲げる奸物。国政の障りとなる目の上の瘤に等しかったのだ、と。

 

 ――決して、救い主なのではなかった。

 

「わたし、は……あなたの、ため、に」

 何が出来たのか、という自問も。何もできなかったという自答も。

 彼の魂魄とともについに闇に沈み、そして外界に発せられることはとうとうなかった。

 

 

【蔡瑁/恋姫(オリジナル)……戦死】



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劉表(七):新編 夏口の戦い ー公子の慟哭―

 今までそれなりに抵抗をしていた劉表軍が、にわかに後方から崩れ立った。

 最初は罠を警戒していた孫軍ではあったが、その理由が判明するのにさほど時を要さなかった。

 いつの間にか手勢を率いて後方に回り込んでいた潘璋が、蔡瑁を討ち取ったという。

「そう」

 届けられたその無残な亡骸とともに報を受け取った孫策雪蓮は、複雑な苦笑を浮かべた。

 

 夏口港を完全に占拠して軍勢を落ち着かせた後、亡骸を手ずから曳いてきた潘璋に上官たる蓮華が問うて曰く、

「本陣深くに籠っていた蔡瑁を、如何にして討ったのか」

「元は劉表方ゆえ、顔見知りに手引きしてもらったんです」

「蔡瑁は討てたのにも関わらず、至近にいたであろう劉表を捕殺できなかったというのは理解し難い」

「いやぁ、これでも旧主殺しは気が進まず。それにこの蔡瑁とて中々の男。決死の抵抗激しく、ついつい脱出を許しちまいまして」

「……その手引きした者に然るべき褒美を与えなくてはならない。その者は何処へ?」

「それが自分の行いを恥じて顔見せすることが出来ないと申しまして。こちらから手間賃を与えて郷里に帰しましたとも。えーと確か荊州の……いや、并州つってたかな?」

「ふざけるな!」

 

 のらくらと遁辞をかます潘璋に、蓮華の堪忍袋の緒が切れた。

 

「真実有益な協力者が居たとしても、その存在を秘匿して持ち場を離れ、己のみ功を貪る! これは蔡瑁の首程度では補えぬ軍律違反だ! そもそも貴様の行動の全てが疑わしい! 貴様のような野党崩れ、もはや孫家には不要!」

「やめなさい、蓮華」

「しかし……っ!」

「面白い娘じゃない」

 

 雪蓮ごのみの、肝の図太い小娘だった。蓮華の剣先が睫毛を掠めても、身じろぎ一つしない。

 いかに傲岸な態度、不透明な言動であったとしても話には一応の筋が通っているし、確たる不正の証はない。こうして成果を挙げて戦局を一気にこちら側に傾かせる機を作ったのも確かだ。それを敢えて斬れば家名を貶めるだけのこと。

 

 それでも蓮華が自身の正義と綱紀に従って彼女を処断しようとするのであれば、止めはしなかった。

 だがおそらくは、妹を今駆り立てるものは、私憤。それも潘璋に対してではなく、薄荷を逃してしまった己自身へ向けられたもの。

 

「……ま、たしかに貴女が仲謀のそば近くにいれば、その縄術で公績のやつをふん縛れたかもね」

 と両者に迂遠な釘を刺すと、やや苦み走った様子で少女たちは緩やかに、互いに距離を取った。

 

 そして青髪の貴公子が本陣に連れてこられたのは、事後処理の半ばのことであった。

 最初に整然とした動きを取り戻し、かつ軍の中核たる周瑜と孫静軍の攻勢にも最後まで耐えていたのは、この天の御遣いの部隊であった。

 

 進退きわまって、劉表も行方をくらました末の、自ら進んでの投降であった。

 ゆえに、その身が縄目の恥を受けることはなかったが、身元を割り出すために晒された首級を見た、彼の顔色が変じた。

 さながら店先に並ぶ青果のごとく、一際太く雄々しい首は鎮座していた。

 孫静配下、魚沼宇水なる士が討ったというその男の首を見た時、青年のうなじから上から血の気が抜けた。

 唇と睫毛をわななかせ、周囲の人間を力なく押しのけながらその頭部の前に転がり出る。

 

「ああ……あぁぁあああ……」

 

 震える喉から発せられるのは呻き声ばかりで言葉らしい言葉は出ない。

 だが臓腑から絞り出したがごときその慟哭は、彼らの間柄がたまさかくくりつけられた紐のようなものではないことは、明らかだった。

 

「……どういう関係?」

「アーダン。(シグルド)の旗本だ。そしてこの世界で唯一の、同郷の士でもある」

「そう」

 

 雪蓮は、つとめて平静を振る舞って答えた三成からそれとなく視線を外した。

 彼とて境遇は同じだ。左近という右腕を喪っている。

 

「ふん、なんという醜態だ。たかだか家臣ひとり死なせた程度でメソメソと」

 などと、遠巻きにその悲痛な有様を眺めつつぼやいたのは、叔母であった。

「伯符殿よ、あんな者が役に立つものか。早々に従卒めの後を追わせるがよろしかろう」

「ごめん、叔母さま……少し黙っててくれる?」

「なっ……!? おいっ、仮にも私は貴様の!」

 

 それ以上の雑言を、孫静は吐けなかった。

 覇王を継ぐ武気と眼力。若き雌虎のそれらが、敵将と言え相手を貶めることを良しとしなかった。

 そして、それは雪蓮のみではない。蓮華も、側近くの思春も祭も、彼女の痩躯を冷視していた。

 完全に孤立無援となった孫静は姉の影をちらつかせて虚勢を張ることもできずに、すごすごとさらに後方へと引き下がった。

 その後ろ姿に、雪蓮は息を吐きかけた。

 

 孫家の慎重派として、叔母が家中で窮屈な思いをしていることは十分に承知している。

 だがどうにもその屈折した思いを、今の如く反論のできないような相手に必要以上にぶつける傾向があった。それが、どうにも気に入らない。

 

「……しかし、あの男も捕縛できなかったのか」

「無理だったよ。僕が来た時には、すでに彼は死んでいた。暴れ狂うその骸を、せめて安らかにするのが精いっぱいだった」

 ぼやく蓮華に答えるサーシャ。その眼前でシグルドなる異国の勇者は、硬直した腕をアーダンの首へと懸命に伸ばして膝の上へと取り落とし、自身の青髪を千切れんばかりに引っ掴んで吼えるがごとくに嘆き続けている。

 

「あああぁぁぁ……ああぁぁぁああ!」

 聞くに堪えぬ。だがそれでも、最後までその悲嘆の響きを聞き届けねばならぬ。

 孫家がこの動乱の時代を泳ぎ切るには、きっとその数万倍の怨嗟を背負うことになるのだから。

 

 少々味の悪い幕引きとなったが、それでも残すは江夏、黄祖の手勢のみ。

 薄荷もきっとそこに居る。両名共に、逃がしはしない。

(まぁ奇妙な言い回しだけど、『母の仇だったかもしれない奴』だしね)

 そういう思いも新たに、進発を命じようとしたその矢先、斥候に差し向けていた朱羅が還ってきた。

 だがその慌てようは、常に消沈しているがごとき彼女らしからぬ。

 その小柄な体躯を鞠のように転がしつつ、息せき切って馳せ参じた。

 

 ぜえぜえと過呼吸になりかけている少女の、へろへろと伸ばされた腕より差し出された書簡をもぎ取り、その字面に目を通す。

「――なんですって……?」

 そして雪蓮もまた、その狼狽の理由を知るとともに、顔色を変えた。

 

 ~~~

 

「どういうこと?」

 江夏へ進む足を速めながら、道すがらに雪蓮は冥琳に問うた。

「恐らく、どこぞの愚か者が手引きしたのだろうな、()()を」

「黄祖」

 『どこぞの愚か者』の最有力候補者を名で呼ぶと、義妹は重々しく首を引いた。

 

「やってくれたわね、あの女。最初から勝負なんてする気なかったってわけ」

「しかも、選んだ相手も最高に性質(タチ)が悪い」

 まさしく劉表以上に、孫家に仇なすために存在しているかのような水将であった。

 

 伴う兵はそれほど多くはない。

 それもそのはず。江夏に赴く目的は攻落ではなくなった。その地の支配者が劉表からすげ替わっている。その連中に、雪蓮らは代表者として呼びつけられた。

 

「停戦交渉」

 の孫家側の代表として。

 

 江夏城と、その手前の河岸に佇む女を見た時、拳の振り下ろし場所を取り上げられて不機嫌な雪蓮の眉間の陰がますます濃いものとなった。

 それを知ってか知らずか、金髪の貴公子と長身の女軍師を連れて、その女はゆったりと余裕をかまして近づいてきた。

 

「いやぁー、荊州は文化の地って聞きましたけど、やっぱり荒れてるんですねぇ。お嬢様をお連れしなくて正解でした」

 

 雪蓮たちとは対照的に、にこやかでありながら彼女はどこか上滑りするような調子の声であいさつ代わりに言った。

 

「蛙たちが、鳴いたり跳ねたりわずらわしいこと」

 

 その女……張勲の背後の江夏城。

 その城壁には劉旗が取り外され、『黄』『袁』の二旗が並列して靡いていた。



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劉表(七・終):新編 夏口の戦い ー幕は下りず―

「……それは、どういう意味かしら」

 雪蓮は嫣然と笑んだまま、冥琳が色を変えるほどの殺気を飛ばした。

「イヤですねぇ、言葉通りの意味ですよ」

 それを知ってか知らずか、張勲がすっとぼけた様子で足下を指で示した。

 なるほど確かに、その爪先に水蛙が沈んで、グェグェと喉を震わせた。

 

 こちらの怒りは伝わっているだろうが、武術の心得など最低限、あるやなしやという女に殺意を察知する感覚など持ち合わせてはいないだろう。

 伝わらぬ恫喝の無意味さを悟った雪蓮はため息とともに衝動的な怒気を吐き捨てると、顔を上げてあらためて言った。

 

「それで、どういうことなのか説明していただけるかしら。盟友殿」

 

 盟友、こと張勲もとい袁術軍。星が降り、異人たちが現れる前よりの友好勢力である。属する個々の感情は別としても、ずっと誼を通じてきた。

 その物言いは以下の通りである。

「いえね、荊州擾乱の話は元より聞こえてたんですが、そこに来て黄祖さんを始め多くの方からもどうにかしてもらえないかと届け出がありまして。そこで我らが袁術様、揚州攻めの間際にありながらもこれは捨て置けぬと英断なされまして、そこで我々がこの騒動を預かるべく馳せ参じたと言うわけです」

 

 なるほど、と珍しく抑揚のない声で雪蓮は相槌を打った。

 つまりは言葉の裏を返せば、黄祖は劉表と荊州を売ったというわけか。

(そして)

 城外に設けられた会談の場。

 その陣幕の裏には、先に逃れていた黄忠がいる。追討の折に見かけた創面の軍人、蒋欽などが憮然と立っている。劉表も、黄祖が連れ去ったに相違あるまい。

 察した。彼女らとその兵力の仲介こそが、そして劉景升という荊州鎮定の大義名分こそが、黄祖が袁術軍に鞍替えし、かつ己の所領を安堵してもらうことへの条件であったと。

 

 あらためて相対した黄祖はと言えば、微妙な表情である。間違いなく勝利を得た優越を感じさせるが、一方で多分に苦みもある。

 まがりなりにも武人ならば、袁術ごときの下風に立つことは良しとすまい。だが、背に腹は代えられない、という心境であり、かつ知っているのだろう。

 自分が江夏に留まり続ける。しかも表向きは盟友として。

 そのことが、孫家にとってどれほどの苦痛を与えることになるのかを。

 

「まったく、孫家の皆さんには困ったものですねぇ。袁術様に面倒ばかりかけて足引っ張って。孫武の裔と称するならもうちょっと……ねぇ、らしい振る舞いを心得てもらいたいものですよ」

 うわべばかりの情感たっぷりに、張勲は嘆いて見せる。

 だがどことなく勝ち誇った響きを想わせるのは、雪蓮自身の僻目か。

 

「ふざけるな」

 

 知れず、声が漏れる。

 ここまでの戦いは、敵味方の英雄たちが流した血は、それを弁えぬ小人どもの供物として捧げられるものだったというのか。そんなことは断じてあってはならない。でなければ、彼らの死はなんだったのか。

 

 その独語を、隣で蓮華も思春も耳聡く拾ったらしい。

 後押しするがごとき強い眼差しを送って来る。

「斬り捨てますか」

 思春に至っては、そんなことを口語で囁き、腰に回した剣把に後ろ手をかけている。ヘタをすれば、黄祖や張勲と刺し違えても、という腹積もりらしい。

 

 だが、自分よりも激した相手が傍にいれば、我が身に立ち返って冷静になれるのが人情の奇妙さである。

 そして彼女らに拮抗しうる無言の諌止を、雪蓮を挟んで隣に座す冥琳と雷火が送ってきている。

 

 戦略的には今調子づく袁術軍ともコトを構えるは剣呑。そして今この時においても、思春の凶刃は両名に届くまい。

 背後に控える益良雄どもが、その前に返り討ちとするだろう。ひとりはほっそりした金髪の優男だが、その細やかな身体はすなわち、無駄のなさの顕れである。獅子のごとき、猛々しさを内に秘めた野生の美だ。

 

 もうひとりがそれ以上に厄介だ。

 唇も、骨も、放つ気も厚い漢。身体も武人としての位格も、この場の誰よりも巨きい。

 

 まったく何故これほどの者らが袁術ごときに侍らされているか。

 この場はさておくとしても、厄介で、かつ心躍る。彼らと剣を交わらせるのもまた良いと思ったが、さすがに講和の席で腰のものを抜くほどの不分別はない。相手があからさまに舐めた口を叩けば、椅子の脚の一本でも斬り落として転ばしてやろうものを。

 

 そんな己の勝手を知ったる冥琳が眼鏡を光らせているので、とうとう雪蓮も折れて「ふぅ」と息をついて脚を地に投げ出す。そんな姉の様子を合図に、不本意そうに他二名も乗り出しがちであった身を退いた。

 

「それで、和睦の条件は?」

 雪蓮はあらためて問い質した。

 答えたのは、すらりとした長躯の女……否、少女である。

 身体的特徴と張勲の左隣という立ち位置から判ずるに、おそらくは満伯寧。近頃名を聞くようになった袁術軍の幕僚である。

 

「孫軍の江陵までの撤収。襄陽以北は袁術様の名代として黄祖将軍が江夏太守と兼任し、経営。そして捕虜としている文聘殿、魏延殿、三成殿らの身柄を返還いただきたい」

「ずいぶんと欲を張るわね」

 

 雪蓮は冷えた声を浴びせかけた。

 剣呑なその雰囲気に続いて、雷火が告げた。

 

「天の御遣いや捕虜を交易品か何かと勘違いされておるようじゃが、あくまであの御仁らは己の意思で我らに降ったのじゃ。しかも劉表殿に見捨てられ。それを今になって返還せよとは、乱暴な物言いではないか」

 

 冥琳も続いた。

 

「そもそも事の発端は、先代と当代の荊州刺史の無用の怯懦。王叡はこちらが自分を追い落とさんとしていると怯えてこちらを貶めようと兵を動かし、後任の劉表殿も、同じ理由で区星(おうせい)討伐中の背後を突いて我らの本拠を奪った。こちらの軍事行動は、いわば正当防衛だ」

「ずいぶん過剰な正当防衛ですね」

「そうね、だって私たち、お行儀が悪いみたいだから」

 

 ちらりと視線を外して、雪蓮は続けた。

 

「だから袁術閣下が揚州に行ってる間に、あるいは董卓が来襲したりした時、ついまたイタズラしちゃうかも」

「……とにもかくにも、持ち帰って孫堅様にお伝えいただきたい。容れられない場合の譲歩案もこちらの書簡に示してありますゆえ」

「そうね……まぁ、和睦自体は受け入れるとは思うけど」

 

 雪蓮は苦く笑った。

 満寵の条件があえて高く見積もった吹っ掛けだとしても、ある程度の妥協であれば。

 

 炎蓮は何かと袁術に甘い。

 その孺子(クソガキ)っぷりを、珍獣か何かのごとく愛でているフシがある。

 親というのは実の子には厳しくとも他家の子には甘いというヤツか。

 

「まぁなんだかよく分かりませんけど? わずらわしいことも何もなくなったようですし、一件落着、ですね♪」

 すっかり場の流れ作りやおそらく草案も任せきりだった張勲が、再度に締めくくりだけ持っていった。

「じゃ、仲直りの証に抱擁でも」

「やらないわよ」

「するかよ」

 

 〜〜〜

 

「……待てっ、黄祖!」

 座を立った宿敵に、鋭く蓮華が制止をかけた。

 わずらわしげに顧みた黄祖に、妹はさらに畳みかける。

 

「とにかく和が成ったのだ! 凌統を返せ!」

「返せとは、また物のごとき言い様よな」

「またつまらぬ言葉遊びを……っ!」

「おらぬ」

「なに?」

「我らが盟友ともなれば、甘寧を討てぬ。見切りをつけて早々と出奔したわ」

 

 いちいち言葉尻を捉えては揶揄するような黄祖ではあったが、あからさまな虚妄を吐くことはするようには思えない。おそらくは事実であろう。

 

「くくっ、まったく生き急ぐことよ。少しずつ着実に、執拗に準備して、相手が破滅する様を見ながら事の成就を噛みしめる。それもまた復讐の醍醐味であろうに」

 

 そしてやはり黄祖もまた、因縁を捨て手を取り合う気など毛頭ないらしい。

 絡みつく悪意は、程なくしてまた孫家に仇を為すだろう。

 

「まぁそう気を揉まずとも、いずれ奴めは貴様らの前に立つ……今度こそ明瞭に、孫家の敵として、な」

 

 この邪将、あえて無法を犯してでもこの場で討つべきではないのか。

 蓮華はそう思ったが、その逡巡の間に黄祖の背は射程外にまで離れていた。

 いや、悩みはしたものの、やはり袁術と事を構える時機に非ずと結論が出ていたことだろう。

 一族の家名は重きもの。己の意思ひとつで曲げて良いものでは、ない。

 

 〜〜〜

 

 孫軍と離別の最中、エルトシャンが興味半分にその軍に投げかけた視線が、ある影を捉えた。

「なっ……」

 言葉を喪う。否、止めどなく脳内に迸る。

 まさか。そんな。ありえない。

 

 捕虜と思われる暗澹とした一人の敗将。

 その身ばかりでなく心までも擦り切れたらしく、力なく項垂れて、むしろまたがる馬の方が気遣い、彼を運んでいるかという惨めな有様ではあったが、見間違えるはずがない。

 

 慌てて馬を駆って再接近を図るエルトシャンではあったが、先方の陣列より褐色の弓取りが進み出て彼の前途を遮った。

 

「何の御用か、美丈夫殿」

「い、いや……」

 

 友の面影に肖たその虜囚の顔が、見えるか見えぬかという間合いである。

 その射手――たしか黄蓋なる老臣だったか――の背越しに何とかその素顔を見んとしたが、その性急さがかえって彼女の不興を買った。

 

「確かにそちらの条件を聞き入れはしたが、すべてではない。正式に取り決めもしておらんうちに『我らが将』を連れていくのは、遠慮いただこう」

「そうではないっ! ただ、遠目には知己に見えたゆえ、もしやと思い……お願いだ! せめて面会を、話をさせてはくれないだろうかっ」

 

 ほう? と眇めた黄蓋の目の色に興が乗る。だがそれでも、こちらに対する険しい感情が勝る。

 無理らしからぬことではあった。何しろ、死闘の果てに横合いから旨味だけをかっさらっていった袁術軍、エルトシャンはその走狗に見えたことだろう。

 

 それに、

(仮に友人だとしたらなおのこと厄介。言葉など交わして翻意させられてはたまらん)

 という思惑もあるにはあったのかもしれない。

 

「事情は承った。が、儂の一存ではどうにもならん。満寵なり張勲なりを通して正式に申し出るが良かろう」

 そう言ってからふと、艶の残る目元を緩ませた。

「……そもそも、今は股肱と恃んでおった者を喪ったばかりゆえ、まともな会話さえできるかどうか。しばらくはそっとしておくが良かろうよ」

 降将を顧みたその眼差しには、紛れもない惻隠の情があった。

「……不躾であった。許されよ、黄蓋殿」

 その良心を信じて、引き下がったエルトシャンではあったが、その実確かめることが怖かったからではないか、とも自己分析をする。

 

 もし彼が、朋友(シグルド)本人であったとして。

 何故、この世界にいる?

 何故、あんな有様になっている?

 己が死を賭して決して容れられぬであろう諫言をした後、彼らに何があったというのだ?

 

 見えたものは別として、あれは他人の空似と思いたかった。

 シグルドは自分たちの世界で、エルトシャンの死を乗り越えて、世に正しきを顕したはずだ。光輝く王道を突き進んだはずだ。そうでなければならない、はずだった。

 

 満寵こと海防が呼び戻しに来るまで、馬上のままエルトシャンはその場で愕然とし続けていた。

 

 ~~~

 

 母に復命した後、結局和睦自体は受け入れることとなったが、それでも第三案となった。

 すなわち、分捕った領地は孫家の所領として認め、かつ袁術よりそれを朝廷に奏上することで公に認めさせる。将もまた同様である。

 だが一方で黄祖と江夏一帯、博望(はくぼう)新野(しんや)といった荊北の大半は袁術方の預かりとするという。

 一応はかなりの好条件……と思いたいところだが、雪蓮らにしてみれば、納得など出来ようはずもない。

 北上の道が閉ざされたばかりか、そもそもは労せずして得られるはずだった土地は、憎き敵の下に帰するのだから。

 

 朱羅を伴って再び彼女が会合に赴いたのは、今度は宛の地であった。

「やっとですか。しかも第三案。まぁ良いですけど」

 約定の誓紙を仰ぐようにして弄びながら、張勲は口を尖らせた。

「大人しく最初の条件を受け入れた方が、後々得だと思いますけどねぇー」

 つまり彼女の言い分としては、今の内に袁術に媚を売っておいた方が、後に彼女が天下を席捲するようになってから美味い汁を吸える、ということらしい。

 

 それこそ反吐が出る提案だ。

(殺す)

 常ならばそれこそ自身の矜持に衝き動かされるかたちでこの女を斬っていただろうが、今日のところは気分ではない。ただ一応の礼節として、

()()()()()()()、残念だったわね。貴女たちには、複雑な事情もあるでしょうけど」

 と告げておく。

 

 はい? と張勲は小首を傾げる。

 腹の底の読めないところのある黒い女だが、この当惑は本物のようだった。

 

「まさか、まだ知らなかったの?」

 

 だがそのことに雪蓮みずからが教えてやることも、そして無知を当てこするような真似も、躊躇われた。

 

 

【劉表……滅亡】



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袁紹(六):笑いの殿堂(前)(★)

 北海国の御殿。

 そこは仮でありながらも斉の桓公を気取るがごとく、豪勢な佇まいであった。

 だが、豪奢であるのは見てくれだけ。敗亡を間近に控えた今時分となっては衛士も少なく、ただでさえ寡兵というのに、管亥(かんがい)なる周辺匪賊の討伐に追われてこの室内にはまともな数が揃わず、城壁は公孫賛の猛攻によりずたぼろ。

 世話をする女官や奴婢も乏しく、財の多くは流散した彼らに奪われて、ただ広さ大きさだけがその分だけ目立つという有様であった。

 

「おーほっほっほ! ようやく来ましたわね。ご覧になりなさいこの壮麗なる佇まいを! いつか陛下の別邸として使うことになろうとも何ら恥じることのない、見事な造りでしょう!?」

 にも関わらず、いやだからこそか。

 この空疎な御殿の王の笑い声は、よく通る。耳に響く。

 

 彼女の寝室まで通された華琳は、呆れつつも軽く驚いて彼女を正視し、そして複雑そうな笑みを貼りつかせたまま俯く顔良を顧みてから、一度大きくため息をついた。

 

「わざわざこんな場所を見せびらかすために呼びつけたっていうの? 誰の尻拭いのために冀州入りしたと思っているのよ」

「まッ、品も教養もないセリフですこと」

「そっちもいい趣味とは言えないでしょう? まぁ如何にも貴女らしい虚栄心の象徴だとは思うけど。そもそも、その品性下劣な女とやらと一緒に花嫁泥棒したのはどこの誰だったかしら?」

「あ、あれは華琳さんが無理矢理……!」

 

 何という事のない、他愛無い会話。

 互いに立場ある身となってからは久しく、してこなかった交流。

 ……よくよく考えたら平素よりソリが合わず、悪態はつけても軽口を笑って言い合えるほど昵懇の仲でもなかったが。

 

 そんな相手に、

 

「……貴女は、全てを託すというの?」

 寝台に伏す袁本初に、揶揄の笑みを収めた華琳は問いを投げた。

 背後で顔良が血の気を抜く音を、聞いた気がした。間違いなく息は呑んだ。

 

 目の前の令嬢は、また甲高く笑った。

 贅沢により得た肉付きの良かった肢体は長く続く戦闘の日々により痩せこけて、窶れは頬と目元にまで達している。

 せめてもの矜持と嗜みか、あの無駄に存在感のある金髪の手入れは行き届いているが、それでもなお、やはりどこか鈍く曇りがかかっている。

 

 城壁にあって残兵を鼓舞する袁家宗主。彼女の脇腹を射抜いた鉛玉はそのまま一部が摘出し切れず内に収まり続け、それが毒を発してこの娘の肉体を着実に死へと近づけつつあるという。

 

「えぇ! 光栄に思いなさいな!」

 もはや一語を放つことさえ苦痛であろうに。この声量と明るさを保てるのは見上げた根性と思わねばなるまい。

 

「何故私なの」

 その虚勢を無視して、華琳はあらためて尋ねる。

「家督もろともに袁術に譲り渡すのが筋目じゃない」

「あら、そうして欲しいのかしら?」

「その時は真っ向から踏み潰すまでよ。そもそも貴女と私は、盟友でもなんでもない、というかつい先頃まで敵よ」

 

 死にゆくものに忖度しても媚の一つでも売って良いのかも知れないが、そうしたくないというのが曹孟徳の性分だ。

 

「せめてものケジメ、というものでしょうね」

 熱に浮かされたゆえか。ぼんやりとした目を高い天井へと移した。

「戦国のならいとは言え、美羽さんは真直さんを討った。おいそれとその仇に降ることは許されませんわ」

 心なしか、麗羽の声量が常人並みに静まっているような気がした。

 華琳はそっと寝台に腰を置いた。

 

「貴女も」

 と、ふたたび幼馴染に視線を戻して麗羽は言った。

「従妹さんのこと、聞きましたわ。なんでもかんでもご自分の頭に詰め込んでいるような貴女にも、手落ちというものがあったのね」

 そう言われた瞬間、死した柳琳の影が痛みとともに脳裏をよぎる。

「そうね」

 短く少女は答えた。言われるまでもなく、落ち度は趙雲の侠気と武威を侮った己の油断にある。それこそ、死にゆく者には取り繕う必要もなかろう。

 

「斗詩さんは」

 と、麗羽は本題に取って返した。

「なんというかワタワタしていて落ち着きがないですし、猪々子さんは……あら、そう言えば猪々子さんはどこかしら?」

「は、はい……外でずっと泣……お稽古を」

「もう、こんな時までオツムが筋肉で出来てるような娘なんですから、部屋に来るときにはきちんと汗を落としていらっしゃいと伝えなさい……で、円さんは掴みどころがなくて鉄火さんも戦いのことしか頭になくて、あと……よく分からない方もいらっしゃるけど、それでもとっても賑やかで……楽しい方々。きっと貴女の痛みを和らげてくれますわ」

「――つまり、何?」

 

 華琳は眉を吊り上げて言った。

 

「私に面倒を見ろ、というのではなく……私を、慰めるために?」

「えぇえぇ、これも旧友のお情けというものですわ! ついでに運も分けて差し上げるから、感謝なさい、オーホホホホ!」

「呆れた。でもまぁ、貰えるものは貰っておくわ」

 

 果たしてこの時の呆れ声が聞こえていたかどうか。

 かつての河北の名族が意識を手放したのは、この前後であった。

 まったく喪心する直前まで、騒がしい女であるが、

 

「人の心配をしている立場じゃないでしょう」

 未だかすかに脈打つ手をそっと握りながら、華琳は目を伏せた。

 

 人は袁紹という人物のことを恵まれた側の人間だという。天運の持ち主であるとも。

 だが、実際はどうだろうか。

 確かに、素寒貧になっても一財を築くような、妙なツキの持ち主ではあるだろう。

 だが妾腹として生まれた彼女は、多くのものの蔑視に晒されていた。そして今、逆賊公孫賛に追われ、友を喪い、戦乱の煽りと頻出する賊とによって荒らされた国に逃げ込み、ついには悪運にも見放されて銃弾を喰らった。

 

「……ずっと良いことがなかったのは、貴女も同じじゃない」

「そういう、人なんです」

 

 掌で顔を覆った顔良が、涙で濡れた声で言い添えた。

 

 ~~~

 

 袁紹が目覚めたのは、それから数日して後のことだった。

 何を想ったのか、やおら曹操や顔良文醜などを呼び集めるや、愚にもつかぬ、傍から聴いていれば頭の痛くなるような漫才じみた応酬に花を咲かせたかと思えば、ふと疲れたがごとく枕に後頭部を沈めて目を閉じて、そのまま目覚めることはなかった。

 

 その永い眠りにつく間際。

 最後に放ったのは、やはり彼女らしい、底抜けに明るい高笑いであった。

 

 

 

【袁紹/麗羽/恋姫……死亡】



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袁紹(六・終):笑いの殿堂(後)

 袁本初の葬儀は盛大に行われた。

 こんな荒地ではその規模に限りはあるが、それでも曹孟徳が幼馴染として旧敵としてできる弔いは、せめて故人の自尊心を満たす程度には仕遂げたという自負はある。

 

「まさか、柳琳の葬儀より袁紹の方を先にすることになるとは思いませんでしたな」

 と、介添えの秋蘭が言ったが、これは彼女なりの精一杯の苦言であるような気がした。

 だが、順序を間違っているとは思わない。

 戦略的には己こそが麗羽の遺領の後継者であると公に喧伝するために必要な行いであり、心情的には、

 

「柳琳の弔いは、こんな場と時では行って良いものではないわ」

 というものだった。

 それは、自らの苦い過ちとして深く噛みしめながら執り行うべきだと思っている。

 

 秋蘭のほかにも、この間に冀州で得た新参の将を華琳は呼び寄せていた。

 言わずもがな、青州の鎮定のための人選である。

 

 一人は于禁文則(ぶんそく)。これは黄巾に心成らずも組み込まれていたところをその瓦解に従い公孫賛に降ったが、今また曹操に天下人の機運満ちるを悟り、敗走中の公孫賛軍より脱した。そして以前李乾(りけん)なる侠徒に身を寄せていたことを縁として、その姪の李典を通じて帰順してきた。

 

 そしてもう一人。河北に伏して悠々自適にここまで情勢を静観し続けていた男。

 それがにわかに、かつ太々しく、曹軍に合流した。そしてやや持て余していたところに、今回の袁紹軍吸収の事業に名乗り出て来た。

 

 冀州の留守居は、曹仁である。

 将としての質には今なお不安が残つ。義経なる機動の将に翻弄され、後手にさらされ鄴城を失陥しかけることしばしばだと言う。そのたびに、司馬懿に貸与した一軍が巧みに補助してくれて事なきを得ている。

 

 が、どうにもあの従妹、格上相手に苦境を立ち回っていた方が成長する向きがあると知った。

 実際、趙雲を相手取っていた頃よりも、少し腰を据えた武を覚えつつある。

 

 ……そして、多忙を極めていた方が、彼女としても愛妹の傷心を少しは和らがせることもできるだろう。

 

「それで」

 頭の中で手早く整理を終えた華琳は、喪服の袁紹の旧臣たちを顧みた。

 

「結局、どうするの? 袁術に与することが出来ずとも、公孫賛になら」

「それこそ、まさかだろ」

 

 少なからず目を赤く腫らした文醜が言った。

 

「あいつらは、麗羽様の仇だ……と言いたいんだけど、撃った土方ってヤツとその部隊は、とうに全滅しちまったんだろう?」

「だったら、仇を報じてくれた曹操さんに……いえ、曹操様にお仕えするのが道理です」

「別に麗羽のためじゃない」

「それでも、恩には報います」

 唱和のごとく言い添えた顔良。常の頑強な鎧の内に秘められていた、女性らしい肩に腕を置いた文醜は「そーそー」と相槌を打った。

 

「つまりは、麗羽の遺言でもあるけど、自分たちの意志で、この曹孟徳に従うと」

「アンタが何すんのかはしんないけど、そのうちとんでもないコトしよーってのはまぁ分かる。賭けはでっかく賭けて、ドハデに負けるのが良い! それに一枚噛ませてくれってことさ」

「いや、負けたらだめだから……」

 

 やや喜劇じみた軽い応酬は、なるほど確かに麗羽の言う通り微笑を誘う。

 

「その言や良し。以後は、我が大博打に力を貸しなさい……斗詩、猪々子。と言っても、しばらくは于禁(沙和)らとともに青州の抑えに当たってもらう」

「はい」

「応さ!」

 

 二枚看板の拱手の誓いを受けた華琳は、寡黙を貫いている沮授へと視線を傾けた。

「さて、貴女には特別訊きたいことがあるのだけれども……その愁眉、何のことかは察しがついているようね」

「さて、二度も我が不手際と怠慢により主人を喪った愚物にして、何のことやら」

 

 こちらはやや険のある、というよりは卑屈気味な言い回しである。

 

「では問いましょうか……先の袁術軍との戦い、後半から際立った回天を見せた。如何なる者の仕業によるものか」

 

 実際に干戈を交えた秋蘭を一度顧みてから、言葉で追い詰めていく。

 

「貴女や田豊には、戦略眼はあっても応変の軍才と戦術には乏しい。それが急に方針を丸替えに出来るとは思い難い」

「はっきり言いますね……自覚はしていますが」

 

 偉才、唯才。

 それらを求める貪欲さからの、断定じみた物言いに根負けしたのか。

 息を一つ吐いて、

 

「ですが、ものぐさな御仁ですから、素直に貴公に従いますかどうか」

「あぁ、それについては」

 と、華琳は背後から歩み寄ってきた、自分より二回り近く大柄な中年男を顧みた。

「何かしら、手立てがあるそうよ」

 

 ~~~

 

(どちらが上等なのだろうか)

 権力者の走狗となって民衆や部下を苦役に従事させることと、個人的な倫理観のために責任を放棄して知己の横死を坐視することと。

 

 それは、ヤンが軍人として身を置く以上、常について回っていた命題であった。

 そして、真直と麗羽の死に際して、また強烈に蘇ってきた感傷でもある。

 

 そこに、円がやって来た。

 総大将が倒れてのちの守城から葬儀の手伝い、曹操への指揮権の返上まで、文武何れにおいても八面六臂の活躍の末にようやく肩の荷を下ろした少女は、憔悴し切った様子で自室の床に座り込んだヤンを黙して見下ろしていた。

 

「私を非難でもしに来たかい?」

「愚痴の一つでも言おうとは思ったんですけど、止めました。背を丸めてしょげ返っている三十そこそこの指揮官を罵倒する趣味はありません」

「好きでなったんじゃ無い」

 

 三十路にも、指揮官にも。

 だがそれを言っても詮のないことなので、むっつり黙ったままでいると、

 

「寧ろ、こちらが詫びたいですし、どっちかと言えば自分を責めてます」

 と円は自嘲した。

「きちんと袁紹様に打ち明けて、完全に貴方を参謀として信任してもらえれば、もっと効率よく防戦が出来たはず。そうなれば、麗羽さまも」

「にわかに宗旨替えできるような精神的軟性の持ち主なら、こんなことにはなっていないと思うけどね」

 皮肉とも慰めともとれる言いぐさを意図的にした。受け取り方は本人次第だ。

 

 その反応を伺う前に、もう一組の客が来た。

 出入り口の壁をノックする、その風習を持つ人たちはこの陣営においては一組の夫婦のみであった。

 

「やぁ、どうも」

 

 そのキュアンとエスリンを迎え入れたヤンではあったが、出立直前の旅装といういで立ちに、やや面食らってしまった。

 

「私たちはお暇させていただきます」

 切り出したのはエスリンである。

「それはまた……突然ですね」

 

 こういう時に即断で「お元気で」と手を差し出せる者は稀であるし、出来たとして著しく情緒面に問題を抱えた人間であるだろう。

 大概の場合は、本人がその仔細が語るのを待ち、ヤンもその凡例に倣って、キュアンの言葉を待った。

 

「袁紹公が亡くなられたし、義仲殿も嵐のように去っていった。曲がりなりにも戦は終わった。薄情なようだが、これ以上は泥沼に浸かるようなものだ。曹操殿のやり口にも賛同は出来ないしな」

「そうですね、それが良いかと思います」

 

 ヤンも正直にそれを認めた。叶うことならば、自分も帯同したいところだが、円の険しい眼差しがそれを妨げていた。

 

「沮授殿、後事をすべて貴女に押し付けてしまったばかりか、旅費まで工面してもらって」

「円で構いません……こちらこそ我らの私戦に巻き込んでしまい、すいませんでした。そのお金はせめてもの感謝の証です」

 

 差し出された手を、ややぎこちなく円は彼らを模倣するかたちで差し伸ばした。夫婦はその手を厚く掴み取った。

 

「……ご武運を、イェン」

 名状し難い諸々の感情をその一言に乗せて、キュアンたちは今度はヤンへと目を向けた。

 

「貴公とも、もっと色々語るべきことがあったろうに、なかなか機に恵まれなかったな……だが最後の戦、共に戦えて良かった」

 

 今まで見たことも向けられたこともないような、美しい微笑とともに差し伸べられた手を、ヤンもまた、やはりぎこちなく笑い、たどたどしく握り返してもう片方の手で頭を掻いた。

 

 むしろ距離を取っていたのは彼の方だった。

 住む世界も時代も違い過ぎたし、あまりに正道然とした彼らと自分の価値観は相容れないだろうと言う見立てから、一方的な苦手意識を持っていたのも確かだ。

 こうして握手している今も、良い歳をした大人がテーマパークかヒーローショーで着ぐるみ相手にしているような面映さがある。

 

(だが、悪い人じゃない。良くも悪くも純良な方たちなんだろうな)

 そう思うと、途端に名残惜しくもなるのが人情というものか。

 しかし無理にこの場に押し留める権利などあろうはずもないし、する気も起きない。夫婦旅行に第三者が同道する無粋さも、我が身をもってよく知っている。

 

「ええと、こういう場合に言って良いかは分かりませんが……願わくば、実りある第二の人生を。プリンスキュアン、プリンセスエスリン」

 

 というヤンの送別の辞は、戦乱の世には少し場違いで間の抜けた、とぼけた感じのものだった。

 やや目を丸くした二人だったが、やがて苦笑を見合わせてから、

「あなたも、ヤン」

 エスリンが返した。

「どうか、ご無事で……遠き空の友人よ」

 とこれはキュアンの別辞だったが、芝居がかった台詞回しに比して、その表情は歳相応に溌剌としたものだった。

 

(しかし『ご武運を』と『ご無事で』ね)

 どうやら自分の生命は、十以上も歳下の少女の方よりも危ぶまれるほどの線の細さらしかった。

 

 〜〜〜

 

 旅人たちが去っていくのを見届けてからも、少女軍師はなおヤンの部屋に留まり続けていた。その滞在の理由を、ヤンは自身の身の振り方と併せ考えた時、何とはなしに察していた。

 

「で、私はいつ解放してくれるのかな」

「おめでとうございます、新都督どの」

 

 一縷の望みを賭けた問いは、祝辞とともに打ち砕かれた。

 

「曹公直々のお声がかりです。『先に我が軍と袁術軍を退けた兵法家、その者に軍政に当たらしめよ』と」

「冗談じゃないっ」

 

 割り当てられたベッドの上に身を投げ出しながらヤンは憤った。

 

「何であの夫婦や旭将軍は許されて、私は牢番よろしく居座り続けなきゃいけない? もう給料分の役割は徐州で果たしただろうに」

「そりゃ、貴方が夏侯淵を出し抜いたから一際興味を持たれたんですよ。もちろん、あの方々も曹操殿に認知される寸手のところでした。自分は、曹操を好きにはなれない。麗羽さまをここまで追い込んだ一人がこれからご主人様? それこそ冗談じゃない。彼女に兵力や人材が集約されることは極力避けたいし、許されるなら背後から矢が飛んできても自分が出奔したいぐらいですよ」

 

 中性的、というよりかは男性的寄りの所作で腕を組み、壁にもたれかかりながら、

「……けど、誰かが責任を取らなければならない。後始末をしなければならないんだ」

 と、自身に言い聞かせるように呟いた。

 それなら君一人で取れ、と言えるだけの酷薄さを持っていれば、どれほど楽であったことか。

 

「そもそも、国境を越える意味も力もないでしょう。ヤン殿」

「失礼な」

 

 これでもサバイバル訓練ぐらいは士官学校時代にやったことがある、はずだ。自活する術ぐらいいくらでもある……そう言い返せたのならどれほど良かったか。食用植物の見分け方も夜戦料理の術も、もはや記憶に遠い。現役時代もきちんとやれていたかさえ怪しい。

 食い扶持を稼ぐにも、先立つものも得られる術もないときた。

 ここを出たところで野垂れ死か落武者狩りが関の山だ。そう円の目が言っているし、多分に自覚のあることだった。

 

「ただ、実は国元の弟に匿って貰おうとも思ったんですけど、その前に先手を打たれました」

「へぇ、そうなのかい」

 ヤンの眼差しは拗ねた子どものごとく、猜疑心に満ちていた。

「言い訳じゃなく本気でね。繰り返しますが先手を打たれました。『例の御仁は受容性の人で逆に主体性というものがない。故に先んじて役職に就かせて責任を負わせれば、それを無下に出来る人間ではない』と進言した者がいたみたいで」

「知った風なことを言う」

 ヤンは毒づいた。

「その男と于禁殿が、あちらからの出向兼目付役です。強いて辞退したいのなら、そっちに掛け合ってください」

 円はそう言ってから退出し、それとは入れ違いに件のヤンを陥れたという男が挨拶にやって来た。

 

「どうぞ、ただし『辞令書を受け取れ』という辞令書は来ていないから、読むかどうかは分からないがね」

 その男の太々しい顔つきを目にした瞬間だった。

 ヤンの脳から送られた信号は理性に咀嚼されることなく脊髄を直通し、さながら解剖された検体の四肢に電流が流し込まれるがごとく、意図せず彼を不貞寝から起こさせた。

 

曹操(こちら)側の人員のリストと、彼らのここまでの実績です。どうぞ、お納めください。()()

 簡易的な敬礼。挨拶や前置きを飛ばし、本題。

 有無を言わさない一連の流れに感情が追いつかず、事務的に承諾しつつ、きわめて理性的に手渡される書類群をベルトコンベヤーのように収めていく。

 

 驚き、困惑、呆れ、喜び、疑惑、怒り、悲しみ。

 それら複合的な情緒が追いついてくるのは、それらに九割がた目を通した頃合いで、しかも最初に言い放ったのは、

 

 

 

()()

 

 

 

 ――という、ごくごくシンプルかつフラットな確認だった。

 伊達男はニヤリと口端を吊り上げて、あらためて靴底を揃えて敬礼した。

 

 

【袁紹……滅亡】



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凋落 ~南陽悲憤~
袁術(四):巨星去りし後


 曹操軍の特使として浅井長政なる美丈夫が、袁術軍徐州を訪れていた。

 ちょうど張勲は何やら荊州に変事ありとして宛へと出向き、代わりにそこを守る真田幸村が予備外交官として応じて迎え、そして袁紹の死を告げられた。

 

「そしてこれが、袁家の宝刀と、家督を正式に袁術殿にお譲りする旨の遺言書だ」

「たしかに。遠路はるばるかたじけない」

「……奇妙な感覚だな。官渡の戦いは起こらず、本来であれば河北の王者であった袁紹殿が先に斃れ、袁術殿は天地人に恵まれ長江の覇者か。この時点で歴史は我らの知る本道とは遠くかけ離れている」

 

 諸々の受け渡しを終えた長政が感慨深げに息を漏らすのを、話半分に幸村はその眉目を探るように見返していた。

 

「? なにか」

「いえ、やはり茶々様に似ておられると思いまして」

 

 愛娘の名が挙がり少なからず驚く近江太守に、幸村は鬚の下の口元を綻ばせた。

 

「そなた、茶々の知己であったか」

「はい、我が魂、我が命、一度ならずあの方に救われました」

 

 見かけ、幸村の方がはるかに年長者なのだが、幸村にしてみればより多難な群雄割拠の世を生き抜いた大先達である。自然、彼が長政を上に置く姿勢を見せた。

 

 ……もっとも、彼らの世界は微妙に世界線を異とする。あるいは彼らの思い描く娘の像は別物かもしれないが、多少の齟齬には寛容に解釈して、やり取りは違和感なく成立していた。

 

「某は良いとしても母親ともども息災であってくれたのなら、嬉しいのだが。天下に恥ずべき裏切者の妻子などと、謗られてはいなかったか?」

「……お市様のことは存じませんが、利発で、繊細で不器用ながらも優しく、それゆえ多くのご友人に恵まれておられます。ご安心を」

 

 幸村はそうとのみ告げ、多くを語らなかった。

 無事で居てほしい、というのは父親のみの願いではない。諦めず、最後までおのれの信念を貫き通し、生きて欲しいと幸村も想った。

 

 そして長政もあえて深くは踏み込まず、娘の『現状』を報せてくれたことに感謝と安堵を示して、再び河北へと還っていった。

 

 ~~~

 

 幸村はさっそくその足で、袁術の宿を訪れていた。

 政庁は質素そのもの、滞在していて芸者の類も未だ戻らぬということで、大酒家を貸し切り、そこで揚州出立の間まで惰眠と飽食の日々を送っている。

 

「七乃かえ?」

「いえ、幸村殿に」

「なんじゃ、むさくるしいのが来おって。会いとうはない、帰りや」

 

 紀霊が来訪者の名を告げると、深く寝台に身を沈め、温州蜜柑の蜂蜜漬けを頬張りながら、娘はにべもなく手を振った。

 

「いえ、是非にもお耳に入れなければならぬ急報です」

 と、紀霊が押し留める暇を与えず、幸村は部屋に乗り込んだ。

 そして無礼者めが、と怒るのを中途で遮り、幸村はあえて平坦な声で、

 

「袁紹公、北海の地にてご逝去あそばしました」

 

 従姉の訃報を、直截に告げた。

 美羽は食いさしの菓子を吐き出し、咽こみながら寝所を転がり出た。

 その彼女の目に映り込んだもの。それは一口の刀と印綬と文書。

 文字は一読できる量ではないが、刀は瞭然である。

 

 袁家伝来の刀。嫡子たる者の所有物として、袁本初が肌身離さず帯びていたもの。そしておそらくは、この娘が喉から手が出るほどに渇望していた、袁家の長としての証であった。

 

 目線を合わせて屈みこんだ幸村が差し出したその一刀を、震える指を近づけ、そして豪壮なつくりの鞘に触れるや、一転して脱兎のごとく胸に掻き抱いた。

 

「ほ、ホホホホホ……」

 

 暗澹と目元に陰をため、唇は何か見えざる者の仕業のごとく、端が吊り上がって歪む。

 喉を震わせていた笑声はやがて大なるものとなって、持参して誂えさせた部屋の調度品を共鳴させるほどであった。

 

「死におった……あやつめ、死におったか!! ザマを見よッ、妾腹の分際で、袁家の長子などとうそぶきおったがゆえに、天罰が下ったのじゃ!」

「……袁術殿」

「じゃが……じゃがこれで! 袁家はまごうことなく妾のものじゃ!」

「美羽殿っ」

 幸村のあげた声が、その狂喜を妨げた。眼を見開く

「な、なんじゃいきなり……しかも、許してもおらぬ真名など呼びおって無礼者、妾は、妾こそが真の袁家の長なるぞ」

 

 そうは言いつつも、正式に袁家の主となりしも、そうでなかった時より語気はどことなく弱い。

 ここまで表立って幸村が食い下がることがなかったというのもあるのだろう。聞く耳を持ってもらうために、幸村はあえて真名を出してまです踏み込んだのだ。ともかくも当惑した美羽の前に屈した幸村は深く頭を垂れながら言った。

 

「無礼の段、お許しあれ。されど、御身のためにあえて申し上げます。どうか、ご自身を傷つけるがごとき無理などなさいますな」

「な、何を言っておるか!? 妾は別に……憎っくきあの女が死したのであれば、むしろ喜ぶべきところじゃ! そしてそちらは素直にそれを寿げば良いのじゃ!」

 

 なるほど天下を伺う群雄として、それもまた一個の見方であろう。戦人として、そうした考え方に理解はある。

 だが年端もいかぬ少女に、そうした乱世の理を押しつけて良いものか。その理に馴れていくに任せて良いものか。

 まして、血を分けた者の死に、虚心や喜悦でいて良い訳がない。他事は知らず、せめてその一線は、越えさせてはならぬのだ。

 

「……たしかに、互いに譲れぬ信念がため、兄弟姉妹で争わねばならぬことはたしかにあります。かく言う幸村も、兄や姉と争わねばなりませんでした」

「ほれ見よ。言えた義理ではなかろう」

 

 と否定せんとかかる仮の主に

「されど」

 と幸村は続けた。

 落とした先、空の掌に、三文の古銭を幻視した。夜に兄と交わした拳の感触が、蘇った。

 

「やはり兄弟で争うのは、寂しいものです」

 

 朴訥な言葉。しかし、今幸村が彼女に捧げられるのは、その一語のみである。

 兄、信之に旧主茶々。振り返ることもあるまいと思い定めていた人々の顔が、今日はやけに思い返された。

 

「なっ、なんなのじゃ……そちは!? いつもは口やかましく言わぬくせに、このような時のみ……!」

 苦虫を噛むがごとく顔をしかめ歪む少女の目にはしかし、うっすらと涙の膜が張っている。声が怒り以外の情により震えている。

「そう、私は貴方にとっては木石のごときもの。そして紀霊殿も、戦時以外にはかくあるべしと心得、かくも寡黙に侍しておられるのでしょう」

「え、いや別に……」

「故に、ここには美羽殿以外の何者も居りませぬ。どうぞ、心置きなく」

 

 最後は何も言わず、和らげた目元にて促す。表裏比興と謳われた父とも、天下を見据える展望と柔軟性を併せ持つ兄とも違う、生来の無骨者なれども、それぐらいの気遣いは出来た。

 

「ううう、うああぁ……うわああああっん」

 ついに、目先の我欲にて秘していた少女の感情が決壊した。

 剣を打ち捨て珠のごとき涙を流し、言われた通りこの武者を木の幹にでも見立ててその首っ丈にかじりつく。

 

「何故死んだのじゃ麗羽! 何故妾を呼ばなんだのじゃ!? 我が言葉を聞け、我が国を見よ、我が大軍を見よッ、我が威光を見よ! せめてその一端なりともに触れ、敗北の言葉を口に上らせてより死ねッ、うう、うううううう!!」

 

 ぶち撒ける感情の中には、純良な想いばかりではない。

 嫉妬、悔恨、虚栄心。そう言った暗いものも深く根を張っている。だがその中心に眠るのはやはり、良くも悪くも『姉』への強い感情であった。

 

 ~~~

 

 ――実のところ、憚りないその泣き声は、部屋の外まで達していた。

 そして、急ぎ戻ってきていた七乃もその声を耳にし、愛すべき幼君が何を知ってしまったのかを悟り、その足を速めた。

 

 だが、借宿のその一室の傍まで来た時、その声が止んだ。

 代わり、可愛らしい寝息を立て始め、そっと足音を忍ばせて部屋から出て来たのは、客将幸村と実三牙である。

 

「あぁ、これは張勲殿。早いお戻りでしたな」

 嫌味もないこざっぱりとした調子で、幸村は先んじて声をあげた。

「先ほど、お嬢様の胸張り裂けんばかりの慟哭が聞こえてきたように思ったんですけど……もしかして、袁紹さんの件、話しちゃいました?」

「張勲殿も、その件でしたか」

「まぁ、孫策さんから聞いちゃいまして。でもですよ? そういう重大事は私を介してもらわないと、ねぇ?」

「それは申し訳ない。知らぬことの方が、不幸ではないかと愚考ゆえ気を急いて粗忽なことをしてしまいました。お許しあれ」

 

 幸村、これまた愚直に頭を垂れる。

 両者ともに口調は穏やかで、幸村の側は心底より謝しているのだろう。

 

 ――故にこそ、忌まわしい。到底、分かりあえぬ生き方だ。

 

「まぁ良いですよ。お嬢様もなんだかんだ平気そうですし」

「平気、ですか」

「おや、違うと?」

 自分が美羽のことで判断を過つはずがない。その自負もあって、七乃は曰くありげに苦笑したその武者へ問い返した。

 

「平気なのではなく、ただ受け入れる度量をお持ちなのでしょう。貴殿の主は、日々成長されておられる。失礼ながら、あらためてその器を見直した次第。貴殿もどうか、その成長ぶりを見守っては如何か」

「…………はいー、反省します」

「では、御免」

 

 いつになく踏み込んで来て直言を呈して来た幸村は、飄々と首をすぼめておどけてみせた七乃に暇を告げて、その場を後にした。紀霊も一礼の後、それに続いた。

 

 彼らの背を顧みた張勲の顔に、常の余裕にして鈍重な笑みはない。

「――人のいない間に、勝手な真似を」

 舌打ちとともに眇めた眼差しは、他の何者に対する以上に敵意に満ちていた。

 

 ~~~

 

 いくら零落したと言えども、袁本初は四世三公の名家の巨星であった。

 よって中身はどうあれ、その輝きと大きさが喪われたと知れた時の天下の動揺は大層なものであった。

 

「――袁紹が、死んだ?」

 

 そしてそれは、拠るべき地を喪ったある集団にとりても衝撃で、かつそれを率いる軍師にとっては挙兵よりこの方かつてない吉報であった。

 

 少女、董卓軍の実質的司令官たる詠は小躍りせんばかりに喜んだ。

 それは彼女とその友人が設定した目標が曲りなりとも達成されたというのと同時に、戦略的にも大いに意義があることであったゆえだ。

 

 北の脅威が取り払われたうえは、袁術軍の視線は東の陶謙か、南の劉耀へとより傾くことであるだろう。

 その同盟相手である曹操は曹操で、公孫賛との対決に。

 こちらの牽制に当てられた馬軍は韓遂との攻防にかかりきり。

 

 ――となれば、軍を再動させるのはこの瞬間をおいてほかない。

 月はどことなく物憂げで何か言いたそうであったが、許しは得た。確固たる地を得て身を休めることが出来れば、その愁眉を開くことができるだろう。

 

「者ども、これは国の興亡を賭けた一戦であるっ! すでに命無き者として奮励せよ!」

 張遼、徐栄以下諸将の陣頭に立った詠は、采を手に馬を棹立ちにさせて声を枯らす。

 狙うは袁術軍本拠。本来の目標たる帝都との連絡線。

 

「我らは手薄となった宛城を、あらためて制圧するッ!」



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曹操(九):手向けの譜

 曹操軍守将、許昌太守夏侯惇に、禁忌が二つあり。

 一に鏡。二に『盲夏侯』。

 前者投影されれば破壊され、後者を口にすればその者は容赦なく叩きのめされる。

 戦傷は武人の誉。それが強者相手であればなおのこと。

 しかし一方でそれは彼女の不覚の証でもあり、それが原因で愛する宗主の供が出来なかった後悔の象徴でもあったからだ。

 

 だが、袁紹の死と並行してもたらされたその訃報を耳にした後に砕かれた姿見は、殴った彼女は、不器用ながらも喜劇めいた愛嬌とは無縁の、見るも痛ましい光景であった。

 

 その様子に彼女を敬慕する許褚さえも怯えている。

 無理らしからぬことであった。

 

 冀州攻めの厄災を吸い上げたゆえの、名誉の負傷。

 それは秋蘭が戯れついでに言った願掛けであったが、そんなものは現実の戰の無慈悲さの前ではまるで意味を為さず、華琳からも春蘭たちからも半身に等しき者を奪っていった。

 もし彼女が目を欠損せず予定どおり冀州に従軍していれば彼女……曹純子和は失わずに済んだ命ではなかったのかと。

 詰まるところは、激しい自己嫌悪が故である。

 

「……どうしましょう? 正直に報告します?」

 政庁は春蘭の居室の前。次なる報せを持ってきた典韋が少しおろおろとしながら尋ねた。

「そうするしかないでしょ」

 とは、剣里の弁。それに便乗するかたちでオシュトルが言った。

「もし知らせなかった場合、その後が怖い」

 率直なその一言と、そこに結びつく容易な想像とが、武将らの意見を一決させた。

 

 注進役を買って出たのは、佐将たるオシュトルである。役割以上に、来たりうる激発に対し理性と武力両面で抑え込めるのも、彼以外の適任はいなかった。

 

「失礼する」

 鏡の他に、多くの価値あろう武具や貢物が破壊された光景にあえて触れないようにしながら、オシュトルは部屋へと足を踏み入れた。

 

「事前のロイド殿の報告どおり、董卓軍、袁術軍が手薄になったのを狙い、宛へ進行中。救援を求める早馬が、太守代行のエルトシャン殿より遣わされてきた」

「……わかった、盟約は違えん」

 

 返ってきた反応は、意外にも平静なものであった。

 だがゆらりと幽鬼のごとく立ち上るその気は、尋常のものではない。

 

「逆賊にさえなり損ねた敗残兵どもなど、撫で斬りにしてくれる」

 と静かに息まきながら剣を掴み上げた春蘭であったが、その真正面にオシュトルは立った。

 

「いや、まだ春蘭殿は傷が癒えてはいまい。此度は我らが救援に赴くゆえ、養生されよ」

「はっ、眼などとうに痛みも引いた。隻眼の間合いにも慣れた。それでもなお本調子でないと思うのなら、貴様の身で試してくれようか」

 

 元より心を許した相手以外に愛想を振りまく娘ではないが、いつに増して剣呑である。

 剣把に手をかけた彼女の腕を逆に握り返し、オシュトルは首を振る。

 

「某が気にかけているのは、眼のことではない。心の方だ」

「……」

「その私憤を以て誰を斬るおつもりか。誰の仇を討つ気か。董卓軍に、柳琳殿を斬った者が紛れているとでも」

 

 夏候惇は歯を剥いてオシュトルの襟元を絞り上げた。そのままの勢いで壁に叩きつけ、その衝撃で棚より多くの品が零れ落ちた。

 

「貴様に何が分かる!? 貴様にッ」

 オシュトルはそれを受け流すことも真っ向から相手取ることもできたが、一旦は彼女の怒れるままに任せた。

 そしてその目当ての通り、春蘭は己で今この激情の無意味さと虚しさを悟り得たようだった。

 

「どうして、あんな娘が……っ」

 あれほどに純良な娘が、乱世の犠牲にならなければならないのか、という問いかけは、嗚咽の中に沈んだ。

 

 自分の剣が護るべき人々に届かなかった無念さ、痛いほどによく分かる。少なくともオシュトル自身としてはそう思っている。

 もし生き残ったのが()であったのなら、生死の狭間にあってそう仮定しなかったと言えば嘘になる。

 

 だが、きっと武人の枠組みから出られぬ自分では、きっと自分を陥れたであろうあの賢将には太刀打ちできなかった。

 そしてより大切な者達を犠牲にしながら敗退を重ね、己のみが生き延びてしまう。それは肌寒くなるような夢想であった。

 

 ――ともなれば、やがては何も果たせなかった不義人(フギト)などと己を揶揄しながら、空しい余生を送っていたのではないか。

 

 そう思うがゆえに、暴力性の裏に秘めた彼女の恐れを知るがゆえに、今、己が胸の内に額を叩きつけて哭く春蘭を征かせる訳にはいかなかった。

 その悔恨は、無関係の相手に発散させるのではなく、将器を育てる糧とすべきだ。

 天下を資する人材たちの養成。そのために華琳は自身の右腕をあえて留守居に置いたのではなかったのか。純良なる柳琳をあえて前線に立たせたのではなかったか。

 

「そなたは曹孟徳が剣なのだろう」

 オシュトルは強い口調で言った。

「ならばその刃を私怨で曇らせるな。何者にも揺らぐことなく輝き続ける、直ぐなる一筋の銀閃で在れ」

 

 〜〜〜

 

「どうだった? 太守殿の様子は」

 どうにか部屋を出てより一番に話しかけてきたのは、上杉景虎であった。

 オシュトルが黙して首を振ると、

「そうか……」

 と我がことのように痛ましげに目を伏せた。

 

「家族が離れ離れになるのは、辛いからな」

 と感受性を隠さない面持ちで呟いた彼には、生別か死別か、そういう経験があるのだろう。

「でも、散った花のためにも、幹は枯らしてはいけない。次の春に、新しい花を咲かせるために、太く強くなければいけない」

 だから、と紅顔の若武者は拳を突き出した。

「今は俺たちでその幹を支えよう、オシュトル」

 やや青臭い言葉も、芝居がかった所作も、爽やかなこの青年がやれば、ごく自然に受け入れてしまう。

 苦笑とともに、オシュトルはその拳を打ち鳴らした。

 

「あ、そこ」

 典韋が目ざとくオシュトルの装束の一端を指で示した。

 ちょうど胸板か肩口のあたり、春蘭に哭かれたあたりで、涙の痕がにじんでいる。空の眼窩からは、悲憤のあまり血も滲んでいたのか紅いものもぽつぽつと混じっている。

 

「どうします? 出陣するならその前に、着替えたほうが」

「いや、このまま行こう。春蘭殿の無念も、柳琳殿の死も、すべて抱いて我らは戦場に赴く」

 

 そう言い放つと、許褚も典韋も、初陣の気負いも程よく抜けた表情で強く頷き返してくれた。

 彼女らを伴い、政庁を出る。

 すでにして展開を読んでいた剣里により、オシュトルを主将として戴くべく、援軍は編成されている。

 

 許褚、典韋、景虎、徐庶、李典、朱桓、久秀と黄巾残党、丁奉、オフレッサー。今こそ姿は見せないが、この軍容の裏にはロイドの隠密部隊がある。

 背より抜け出た武将らがそれらの持ち回りの兵の前に列し、その仮面の士の下知を厳かに待つ。

 

 オシュトルは息を深く吸った。

 ただし、厳命を下すためではない。

 胸中に去りし者のため、はにかみながら自分に手料理を振る舞ってくれると言ってくれた、あの可憐な娘を自分なりに送別するために。

 

 ――今はただ、安らかに眠れ。

 ――この世の果てに常世(コトゥアハムル)があるかは知らず。

 ――されどいずれまた、馳走になることもあろう。

 

 そう謳い終えた後、剣を抜き放つ。

 鍔鳴りの残響とともに諸将を引きしめた彼は、

「では、参ろう」

 と短く言った。



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董卓(四):将の果て、武の先(前)

「もはや遠慮も呵責も無用! 老若男女に関わらず、目の前に立ちはだかる敵すべてを打ち倒せ!」

 

 その年の暮れ、賈文和の苛烈に極まる号令の下に、宛城はふたたび戦火にさらされた。

 

「徐栄、郭汜(かくし)樊稠(はんちゅう)は弓騎を率いて機動戦を展開! 城兵に主導権を握らせず翻弄し、出血を強いて防衛線を削り取りつつ、各方面の守備部隊の孤立を誘い、包囲のうえ各個撃破! その上で機を見て突入する張遼、李傕(りかく)両隊を援護射撃!」

「……何やら軍師は小難しいコト言ってますけど、やらなきゃいけないことはただ三つ! 射って、走って、敵を囲む!」

 

 詠の微に入り細を穿つがごとき指示を極めて簡略化して、透が部下や配下に申し伝えて、切先となって城の周囲を駆動する。

 

 彼女の率いている騎射隊は、極めて精妙かつ効率化され、放つ矢はその実数以上の威と殺傷能力をもって城壁の兵士たちを狩り立てて行く。

 

「分散するなっ! 隊伍を崩さず、盾で互いの背を守りながら、自分たちが流動する塁壁となって、敵の射線を読んで防ぎ切れっ!」

 

 みずから円盾を振って城兵を統率する守将は満寵である。

 ()将である。()将ではない。

 防御側の総大将エルトシャンは、みずから手勢を率いて、幸村、満寵、周泰らが築き上げた防塁の中に籠もり、出撃を見計らっている。野戦において長じているのは彼とて同じ。いずれ背後を突くその戦機を見出すつもりであろう。

 

 留守居組の最年長は、黒生鉄心ではあるが、彼は士であって将ではない。棟梁であって指揮官ではない。

 ――そして、個にして軍勢である。

 

 生前(これまで)の鬱屈を晴らすがごとく、愛刀を引っ提げて城壁へと上がった彼は、一剣客として乗り上げてくる敵勢相手に大小の技を使い分けて圧倒していた。

 

合計三千が、二万余の涼并最強の混成軍を迎え撃っていた。

 

 ~~~

 

 エルトシャンは初め、袁旗の下に剣を振るうことに乗り気ではなかった。

 それでもなお望まぬ戦場に身を置き続けた彼を支えていたのは、自分自身の騎士としての矜持と、表裏のない高潔な、自分とは違う世界からの来訪者たちとの友誼であった。

 

 だが今は違う。少なくとも、この一戦、ここ南陽においては。

 ここは孫家との連絡線。友と思しきあの虜囚と己とを結ぶ唯一の手がかり。

 あの男が真に友なのか。それであったとして、自分が処断された後に一体何が起こったのか。それを知るまでこの地を、董卓に譲り渡すわけにはいかない。言わずもがな、己が命も。

 

「孫堅殿よりの返答は?」

「『荊州の民心の慰撫こそが只今の孫家の務め。私闘に介入するが如き、()()()()()真似には応じかねる』と」

「そうか……」

 

 おそらく取次いだのは孫策であろう。でなければ周瑜か。いずれにしても当てつけがましい返答は、荊州の完全制圧を火事場泥棒的に阻止された恨みの根深さを感じさせた。

 

 

「止むを得ないな。曹操軍の救援まで時を稼ぐ。徐栄の背後を衝くぞ……十字騎兵隊(クロスナイツ)、続け!」

 そう宣告するや、銀の剣を手に、獅子王は疾駆した。

 

 ~~~

 

 背後の部隊が、ようやく自分たちを狙いを定めたことを徐栄は知った。

 甘い、と彼女は低く哂った。

 いや判断は的確。だが、惜しむらくは速度の完成度がわずかに不足している。そも、西涼の馬とは地力が違い過ぎる。

 

「追いかけっこは自分らがやります! 郭汜姉さんがたは、脚を止めずに射続けてくださいなっ!」

「あっ、おい!」

 

 透はそう言って兵を分けた。

 従う兵に当惑はない。彼らは知っている。将軍徐栄の征く先に、勝利あっても大過なしということを。

 代わり、取り残された郭汜らが、

「蕩児め」

 などと舌打ちする。

 

 それを半ば無意識に聞き流す。ちょうど空いた両部隊の間隙に、吶喊して来たエルトシャンの騎兵が突っ込んで来た。

 いや、後尾より突き入り、中央を粉砕せんとしたところを、回避したのだった。

 いずれを追うべきか、討つべきか。

 その一瞬の逡巡が、さらなる間を開く。透の部隊はあえて絶妙な距離感を保ちつつ、それ以外の部隊は確実に城兵を討ち減らしていく。

 エルトシャンが狙い定めたのは、樊稠。

 城方の援護射撃の射程外に逃れつつ、エルトシャンの出鼻に横槍を突き入れた。

 

 敵将の舌打ちが聞こえてきそうだった。その会心の避けっぷりに、透自身も我誉めし、酔った。

 

 もちろん、軍隊というものはただ命じたからと言って寸毫過たず即時その判断の結果が出力されるわけではない。

 伝播の時間、反映される時間。

 その差を、透は計算や経験ではなく、本能と嗅覚でやってのけるのだ。

 それこそが、ともすれば張遼呂布より敵しがたいと言われる所以であった。

 

 ――ただ、やはりあの方は別格だったなぁ。

 あの白狼を思い出す。

 遼国将軍、耶率休哥。

 

 彼の将器はまさしく神妙の域であった。突かれた。割られた。引き裂かれた。

 あの袁術軍に、数で劣っていたのに、練度で勝っていたのに、良いように打ち崩されたのだった。

 だが、ぶるりと身震いするほどの、今までにない高揚と甘やかな尊崇を感じたこともまた、確かであった。

 

「――はやく、はやくおいで下さいな、耶率将軍」

 白き天才児は馬上でそう囁く。

 今度こそ、此度こそはと恋い焦がれる。

 

 そして、彼女の削り取った城の防御線に、張遼の歩兵隊が衝き入る。

 

 ~~~

 

「今だっ! 張遼、李傕! 外門へ突入せよ!」

 

 涼州兵は野戦に強いが、反面、攻城戦や長期戦には不向きである。

 攻城兵器を作る余裕もなく、自然その攻めは騎射による牽制と雲梯や縄梯子などにより歩兵を城壁より内部に進ませることが主軸となる。

 

 そしていざ本格的に攻勢に出んと、詠率いる本隊をも前進させ、反撃の矢が総大将の足下に届くほどとなった。

 

「おう、ようやっとか!」

 意気込む霞の姿を見て、詠は瞠目し、直後に呆れた。

「何その恰好」

 霞は腰に大小数口ずつ短めの刀槍を帯び、背には修復したばかりの飛龍偃月刀を負い、あたかも古の武神めいた、威容を伴った佇まいとなっている。

 ……が、あからさまに身に余る重装備は、詠のような理智的な人間から見れば、はっきり言って彼女の速足を殺すばかりの枷であろう。

 

 だが霞はふっふっふ、と会心の含み笑い。

「安心せえ、ちゃんと目論見あってのことや。んじゃっ、行ってくるわ!」

 見た目の重苦しさとは真逆の、まるで散歩にでも出かけるような軽やかさで、董卓軍第二の猛将は城へと駈けだした。

 

「どいたどいたぁっ!」

 味方を押しのばかりの剣幕で怒鳴り上げて道を開かせ、雲梯に足をかける。

 重みで体勢を崩さぬように前のめりに全速で。兵は伴っていない、単騎駆けである。

 またぞろ詠か透あたりに小言をぼやかれていそうだが、仕方あるまい。この先で剣気を放つ魔を前に、生半の兵など連れていけるものか。

 

「ひぃっ……ひぃ。さすがにしんどいわぁ」

 身を乗り上げてから、堰き止めていた疲労がどっと肉体に押し寄せる。

 だが身を休ませてはいられない。呼吸を整えるのがせいぜいである。

 

 置かれた状況については、判っている。

 功を焦り先んじようとした李傕隊が、皆変わり果てた姿で骸の山となっている。

 一合も報いるところができず、伏している。

 そして軽く持ち上げた視線の先、悪鬼のごとき貌がある。否、その紋を背に負った剣鬼が、ちらりと横顔を向けてきている。

 そして低い声で、

「貴様か」

 と言った。

 

 黒生鉄心。

 かつてその魔剣を容赦なく霞に向けて振るった、異界の剣客。

 

「ふっ、張文遠ともあろう者が、武蔵坊弁慶の真似事かよ。貴様もおのが本質を見極めぬ阿呆であったか」

「そのベンケーっちゅうのが何かは知らんが……見た目に惑わされると痛い目見るで!」

 

 霞は間を図ることさえ惜しむかのごとく、男との再戦に挑んだ。

 力任せの猪突に見えて、肉体に刻まれた術理は、彼女にニ槍を選択させた。間合いの利を得んがために。

 

「笑止!」

 一喝とともに、振り向きざま鉄心は突き出されたその腕を掴み、投げ飛ばした。だが宙を翻りざまに、霞は槍を投げつけた。続きざま、小刀を腿と胸元のサラシより抜き取って放った。

 それを、鉄心は愛刀による、同じ軌道の上段からの切り落としですべて叩き落とした。

 霞が見切れたのは三度。振りは最小限。引き戻しも速い。彼が剛剣のみならず練達した技芸の持ち主であることの証であった。

 

 舌打ちとともに着地した霞を待っていたのは、ずお、と迫る鉄心の分厚い体躯であった。

 今度こそ、一撃必殺の断撃が来る――来た。

 

 竹どころか、鉄さえも断ち割るがごとき破壊性を伴った重い一斬、二斬。

 霞が応戦したのは、双刀である。

 だが、やや刃肉の乏しいそれらは、迎撃の毎にそこかしこが毀れていく。そして受け止め切った時には、すでに武器として成立しない形状となっていた。

 

 だが、第一波は凌いだ。第二波は、打たせぬ。

 刀を打ち捨てて次いで抜いたのは、直刀である。鞘走らせた銀光は巨躯と言えども鉄心の臓腑に至るはずであった。

 

 だが次の瞬間、鉄心の姿が丸ごと消えた。

 左右を見た。上を仰いだ。そして最後に、

(下!?)

 残った可能性は、それのみである。まさかと思いつつ目線を下ろすと、足下に鉄心が屈んで、剣筋を跳ね上げた。

 亀の如く、蛙の如く平べったく。されども繰り出されたのは竜が昇るがごとき、一閃。

 

「しっ!」

 霞がかろうじてそれに対処できたのは、ひとえに彼女の武がすでにして達人の域に至っているからに他ならない。

 あらたに抜いた双棍を犠牲に、斬撃を防ぐ。だが鉄心の攻勢はそれに終わらない。

 息つかせぬままに、再び同じ軌道で二度、三度と斬り上げていく。

 その連続的な攻めに、ついに霞の得物が浮いた。腰と足が浮いた。

 

 だが鉄心はその重量に見合わぬ跳躍力をもって、さらにその上を行き、翻した刃で霞の脳天を破壊せんとした。

 

 ためらうことなく、また腰斬を覚悟で、霞は地に飛び込むようにして避けた。

「ほう、よう足掻きおるわ」

 むろん、彼らの間で兵たちの攻防は続いている。だがその喧噪はどこか遠い。

 それは両武人が放つ闘気が、自覚無自覚にかかわらず、凡百の者を遠ざけさせるがゆえだ。

 

 そして鉄心の側の圧が、さらに加わった。

 ――来る。

 あの百鬼の軍勢がごとき魔剣が。

 

 待っていた瞬間が訪れた。

 それを知った時、霞は大きく息を吸い込み肺に溜め、そして我からその死地へと飛び入った。

 

 可能な限り剣筋の初動を目で追い、躱すことに専念する。

 どうしても避けられぬ軌道、あるいは躱したとて体勢を大きく崩す状況についてのみ武器にて応戦する。

 

 自身の咄嗟の判断と死が、背中合わせであった。

 その事実が彼女の肌にうすら寒いものを覚えさせた。

 

 刀、剣、槍、鋒、戟、斧、鉞、錘、棍。

 武器の最小限にも関わらず、迎撃に用いた武器は一合とて持たない。

 だが彼女は手と眼を休めず、我が身をもってその剣撃の嵐を耐え忍んだ。

 

 知らず、ふたりの周囲には武器の墓場が出来上がっていた。

 

 そして最後に大振りの一薙ぎが迫った。

 線ではない。面的な、広範囲の大技。もはやそれは避けようがない。手を替え品を替えて防戦に当たっていた霞だったが、それも尽きて、ようやく大本命の偃月刀を背より抜いて、寸手のところで相手の大刀の鍔元へと叩きつけた。

 

 そこで、鉄心の表情が変わった。弾かれた己の金属音。その常とわずかに異なる響きを聞き分けたがゆえの、苦みばしった表情である。

 彼の刃が熱を帯びている。さしもの剛剣も、彼自身の腕力と大技の連発に、悲鳴を上げてきているのだ。

 

 そしてそれこそが、霞が戦に及んで鉄心がこの城にあると知った時より立てていた筋書きでもあった。

 だからこその、凡百の武器の大量導入である。

 

「へっ、ようやっと気づいたか! ハナっからこれがウチの狙いや!」

 という嘯きもまた、餌である。

 鉄心の意識がわずかに敵将張遼より外れ、己が剣へと向いた。

 

 すでに霞自身も二の腕から先に感覚がない。己が愛刀を今握れているかどうかさえ答える自信がない。

 だがそれでもここまで鍛えげた肉体を信じ、少女は飛翔する。

 

 よくて鉄心自身の首。さもなくば、唯一無二、換えがきかぬであろうその刀を叩き潰せればそれで良し。

 そういう心境で、最後の一撃を霞は打ち放った。

 

「甘いわっ!」

 と鉄心、怒喝。左手を柄より放して突き出した。

 遠間からの掌底……否、発勁であった。

 固められた空気の圧が、鉄球のごとく霞の腹を叩いて吹き飛ばした。

 

(なんやそれ、アリかいなそんなん!?)

 心で吼えるが、一言とて発せる余裕も、城壁の外に投げ出された己を引き戻すゆとりもなかった。

 

 一瞬手放しかけた意識を取り戻したのは、真っ逆さまに落下していく最中、

「アレは張遼将軍だ!」

「やられたんだ」

「落ちてくる」

 と、地上の部下があげた声によってである。

 奇しくもそこからは、逆向きではあったものの、戦場の様相が一望できた。

 

「っ!」

 最後に腰元に残っていた鉤爪。それを城壁に掛けて削りながら落下の速度を減速し、安全を確保して後、地表へと降り立つ。

 

「くそっ」

 霞は毒づく。

 またしても、あと一歩。先よりもより肉迫できたとしても、自分の武は鉄心に届かなかった。

 だがまた一方で武将としては、個人的な武闘を切り上げて戻って来られたことは、僥倖だとは思った。

 

「ちょっと大丈夫なの、霞」

「詠、仕切り直した方がええ」

「は?」

 

 落下の最中に見た光景。近づいてきた軍師にそれを簡潔に、霞は報告した。

 

「曹操軍の後詰がもう少しで来よる。このまま行くと透とカチ合うで」



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董卓(四):将の果て、武の先(中)

 ――曹軍、来たれり。

 伝えられた時、賈文和の眉間にわずかに皺が寄った。

 他の者には分からぬ微細な動作ではあったが、霞にはその思惑が外れた……否、読みが甘かったことを知っていた。

 

 曹操軍の援軍は、ないと彼女は踏んでいた。

 一門の騎兵筆頭曹純が北の地に斃れ、各個の心理的には動揺し、戦略的には侵攻軍守備軍両方の再編が求められることになり、一時的に組織は麻痺する。そう思っていた。

 

「あのう」

 そこに、割って入った影に、両者は瞠目して距離を取った。

「ひどいなぁ、さっきからそこにいたじゃないですかぁ」

 およそ戦場には不釣り合いの、間を取った独特の口調。犬耳を垂らした頭巾に、青い髪。小柄な童顔に見合わぬ、女性的な肉付き。

 

 荀攸。字を公達。

 立ち位置的には副軍師である。

「一旦騎兵を戻した方がいいと思いますけどー」

 伸びやかな声に、詠は峻厳な声で返した。

「差し出口は無用。アンタは後方に別命あるまで待機」

 まだ何か続きそうな気配だったが、上司に聞く耳がないと悟るや「あーい」と承知して彼女は引き下がった。

 

「えらいキツい態度やないか」

「あいつは曹操の参謀荀彧の叔母……いや姪だったか。ともかく同族だからね。信じられるわけないでしょ。ボクたちがこうして後手に回るのも、きっとあいつのせいだ。今に化けの皮を剥いでやる」

(今は身内でいがみ合ってる場合ちゃうやろ)

 

 元より賈駆は自分だけが月の代わりに汚名を被り、天下を切り回せば良いと考えているフシがある。外様の頭脳を極端に嫌う。音々音が受け入れられているのは、あくまで彼女が恋の軍師であるためであろう。

 さらに言えば荀攸には、董卓入朝時よりその権勢を恐れた一派の密命を受けてその暗殺を図らんとした……という噂もある。彼女が月の幕下に加わってより詠はこれを除かんとしばしば画策しているようだったが、あのおっとりした外面ゆえに、確証が掴めないというのが現状であった。

 

「けどまぁ、今回の場合はあいつの言う通り退くべきやろ。恋を残した本拠は無事やろうが、それでも次の機会に」

「それは、出来ない」

 

 俯きがちになりながら姫軍師は即答した。

 まぁ確かに、と霞もそれは認めるところだ。端緒の計画は頓挫しその目標はすでに遠く、痛み分けたは良いものの、本拠長安は未だ馬騰に占領されたままだった。あれ以上同郷同士の流血を月が厭うたゆえのことであったが、やはり無理やりにでも追撃し、奪還しておけばよかったと、詠は後悔しているようである。

 

 董卓軍の多くは、涼州の民、(きょう)の民である。

 これ以上の継戦に意義を見出せず、帰路も断たれ拠り所もないとなれば、士気の低下は不可避であった。実際、脱走兵も出始めている。

 

 ゆえに、ここで南陽を落として一時的なものであるのを承知のうえで将兵の意気を高揚させ、確たる再起の地盤を形成しなければならなかった。

 その時機は、袁紹死して天下が動揺しているこの瞬間しか、なかったのだ。

 

「霞、透とともに曹操軍の迎撃に当たって」

「良えんか?」

「満寵の逆襲は、ボクが留める。その間に、どうか」

 

 思考の切り替えと決断の速さは、迂闊の危険を孕んではいるものの、詠の美徳であった。

 その詠が、最後に淀んだ。

 言わずもがな相手は精鋭。しかも袁術軍と共闘のうえ、挟撃体勢を取られつつある。

 それに、勝てる算段も立てられないまま挑まざるを得ないのだ。

 

 ゆえに、気位の高い彼女なりに、懸命に嘆願した。

 ――どうか、勝ってくれ、と。

 それに応じずして、なにが天下の武人か。

 

 霞は愛刀を担いだままに、か細く、かつ震えるその肩に手を遣った。

「楽に勝てると思っとらんが、勝てんと思わんままに戦うアホもおらん。心配すなや」

 そう嘯いて狂猛に笑い、地平の先に舞い上がる砂塵の尾を見た。

「見ィ、透を。アンタの指図も待たんとさっさとするべきことのために動いとる」

 小者に馬を引き立たせた彼女は、続けて言った。

 

「一度()()()アイツに『いくさ』で勝てるヤツは、そうはおらん」

 

 〜〜〜

 

 董卓軍先鋒を司るのは、徐栄こと透である。

 最速最鋭の機動力をもって曹操軍に急接近。虚を突かれた形となったのは、むしろ彼らの側であった。

 

「遅い」

 先手を務める二角あり。

 一手。青年武将。声を枯らして反撃を命ずる。

 勇敢。されども地に足のついていない将である。浮き足立った今であったなら余裕である。将に兵が馴染んでいない。

 

 一点突破あるのみ。

 

 退路なき涼州兵の馬蹄は、瞬く間に曹軍先鋒を蹂躙した。

 が、次いで『朱』の旗が徐栄隊の前に割り込んできた。恐らくは失敗すると読んで、あえてその先をあの若武者に譲ったのだろう。

 

「ふふん、露払いご苦労様ですっ、上杉さん! ここからは私の独壇場ですよーっ」

 

 賢き将、若き将。が、才気走り、武と念より理と利が先に来る。

 徐栄は軽く両翼を展開する動きを見せた。

 それを上回って覆い包まんと朱の隊の左右に兵と勢いを振り分ける。

 

「賢しい」

 ――見せた、だけである。

 

 たちまち徐栄は手合図によって翼を格納して紡錘の陣を作った。

 みずからが尖頭を努めた錐の一突は、薄くなった敵中央を革袋を破るがごとく貫いた。

 

「と、止まりなさい!!」

「ここはボクらが通さないよっ!」

 

 先よりも若い、否幼ささえ残る新参者が、ふたつ。歩兵がそれぞれ二隊。

 初陣ゆえであろう。恐れ知らずの覚悟をもって騎兵の真っ向に立つ。

 

 だがいずれも、剛の者。

 柔と軟、守りと速度。いずれも武の向きは違えど、いずれも堅守にして不退転の勇と見た。

 

「じゃあ、通りませーん」

 されども視野が狭窄である。

 

 小兵にして寡兵。突破は容易いが、あえて透はそれを避けた。

 一時は呆気にとられ、一瞬は踏ん張らんとしていた力が抜けた。だが、すぐに我に返って、追走を始めた。

 

 そこに偶然……否、必然的に、割り入った部隊があった。

「なっ!?」

 それは、エルトシャン隊であった。

 曹操軍到着の報を受け、反転して追わんとしていた袁術軍屈指の騎兵隊は、的確な時機を見計らい、董卓軍の中核を担う徐栄への横槍を狙わんとした。

 だが、それを見切っていた透は、あえて曹操軍の新参たちにその後尾を迂闊に追わせ、もつれこませてその進路を塞いだのだった。

 

「未熟」

 糸が絡まるがごとき混乱と喧噪を背に、透はそう断じた。

 

 なるほど曹操軍は、種々様々な将兵で構成されている。

 

「傍観」

 あくまで義理立てのために兵を派しつつ、見せかけるだけの曲者あり。

 

「論外」

 そもそも戦う気概さえ見せずに、威に負けて逃散する賊兵ども。

 

 だが、いずれも透に立ち向かえる者はいなかった。

 兵の練度、戦術の駆け引きはもちろんのこと、戦場の空気の変化を感じ取る鋭敏さ、瞬時に敵将の性質を見抜く洞察力、それに合わせて動きを千変万化させる柔軟な感性。

 

 彼女は、先鋒に求められる条件を十二分に満たした、いわば機先を制する天才児であった。

 

「不足不足不足! 曹操軍にどれほどの将兵あろうとも、士は一人もおらずや!」

 

 そう過剰な言をもって吼え立て、なおおのが隊に敵を好んで寄せていく。

 

「――さぁ、敵前線は引きつけてあげたんですから、きっちり本陣落としてくださいよ……霞姉さん」

「応、任しとき」

 

 その部隊の脇を、紫電が駆け抜ける。

 

 ~~~

 

 なるほど、詠の考えんとしていることは、霞にも分かる。

 呂布を見よ。張遼を見よ。そして徐栄を見よ。

 それぞれの領分において最強の者どもが揃う董卓軍こそが、今なお天下の冠たる軍勢であろう。

 新しい血などあえて入れれば濁るだけよ――と。

 

 霞は確かな自負と高揚のもと、軍馬を疾駆させた。

 薙ぎに薙いで敵の中陣を攪乱……ではなく、()()せしめた後、本陣に近づいた後は馬を止めぬままに飛び降りる。その虎眼が、すでにして敵総大将とおぼしき仮面の男の姿を捕捉していた。

 

 口上は無用。全霊の初太刀が名乗りである。その受け答えで総てが知れる。

 伸びあがった跳躍から、全体重と推進力を乗せた斬撃は、男の細身の刀身に防がれた。否、いなされた。

 さながら流水のごとく威力を押し殺し、やり過ごした力はそのまま刀の練りと粘りとなって、男の重い反撃に転用される。

 

 背を曲げて着地した霞に対し、涼やかに面の奥の双眸を細め、男はゆったりと剣を引き戻した。

「お見事な挨拶痛み入る。某はヤマトが國の右近衛大将にして、曹操殿が客将、オシュトルである」

 

 ……名乗られたからには、こちらも不本意ながら返さざるを得ない。

 確かに、このままでは無名でどちらかが命を落とすことになるだろう。そうなるには、惜しい男ぶりであろう。

 

「張文遠。生は并州雁門は馬邑……アンタが総大将っちゅうことは、剛勇夏候惇はおらんのかいな」

「如何にも」

 

 と、これまた馬鹿正直に肯定する。

 

「某が相手では、不足かな?」

 問い返され、虚を突かれたのも束の間のこと。

「ンなワケあるかいな、呆けが。余りあるくらい、美味しい獲物や」

 霞の口元には望む望まぬに関わらず、黒生鉄心と相対した時と同等の綻びが生じていた。

 

(きっちり落として来い……か。そらちと難儀な仕事やったわ、透)

 

 ~~~

 

 オシュトルと張遼の剣戟の喧噪が、すぐ傍らに聞こえてくる。

 かつて華雄が仕留められた森林に陣所を設けた剣里は、そこに机を置き、置き石を施した文書や竹簡を並べ、それら一切に凝らした目を通していく。

 

「徐栄の部隊、こちらの第四陣まで突破、止まりません!」

 

 という伝令の声も、どこか遠くに感じていた。

 

「――おい、聞いているのか?」

 その裏手から、声が聞こえた。葉陰の中に、ロイドの姿が見えた。

「聞いてます。我が方の内に、討たれた将は?」

「いない。皆、敗走中だ。指示は飛ばさないのか?」

「なら結構。方々に散った将に早馬を飛ばせば、気取られます」

 

 それも、剣里にとっては予測済みだ。

 これら目の前に広げた彼女の戦歴から判断するに、徐栄は敵を壊滅させるよりも、己の才覚を表現する気質の将だ。おそらく敵の首級を挙げることには固執すまい。何より、一個の部隊にかかずらうことは、彼女に与えられた陽動と速攻という任にそぐわぬ行いではないか。

 

「ではどうやって策を伝える?」

「すでに」

 

 剣里は視線は報告書に固定させたまま、ロイドに答えた。

 

「『それぞれの裁量をもって徐栄に当たり、もしそれで仕損じた場合は指定の地点にて待機せよ』と命じてあります」

「わざわざ総大将でありながら囮を買って出たオシュトルもそうだが、お前もお前で不遜な小娘だな」

 

 葉擦れの音に交じり、舌打ちが聞こえた。

 

「味方が失敗するのも織り込み済みか」

「そうでもしなきゃ、誰も軍師見習いの言うコトなんて、聞きゃしないでしょ?」

 

 確かに情愛と恩徳を以て信を得ていた師、司馬徽の意と教えには反する不誠実な手口だが、それでも失敗は許されない。命令はなんとしても実行してもらわなければ困る。故にこうしてなお、策定めた後も最終確認は怠らない。

 自分は、賈駆よりも徐栄よりも、朱里よりも雛里よりも、如何な智者よりも劣っているのだから。

 

「お頭、各隊所定の位置に着きました」

 ロイドの諜報部隊の一人がそう告げた。

 

 思い悩む時は了った。

 今は唯、実行あるのみである。

 

 徐元直は腰の撃剣を抜き放ち、机を断ち切った。

 

「張遼を徐栄より分断、包囲する――閉じろ、八門(はちもん)金鎖(きんさ)



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董卓(四):将の果て、武の先(後)(★)

 敗残兵……と思われていた兵が、曹軍本陣に流入していく。

 彼らを蹴散らしたがために、がら空きとなったと思われていたそこは、あらかじめ拵えられていた木柵に沿って瞬く間に人の波で埋まり、亀甲がごとき陣形、あるいは一個の城砦のごとく変化した。かえって孤立したのは、総大将目当てに突っ込んだ霞だ。

 

「ヘェ」

 透をして、その鮮やかな手際に嘆を放ったほどである。

 どうして中々。熟練の士や智者は軒並み北で出払ったと思っていた。事実、透の前に立ちはだかった者らは皆、ついぞ知らぬ新参の顔ぶればかりだ。

 

 だがそうした味方の未熟さ、連携の甘さ、負けを込みで兵を動かしていたとするならば、この奥に引っ込んで姿を現さぬ軍師、他とは異なる切れ味を持つ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 透に焦燥はない。嵌められたという感覚さえない。

 彼女は己が直感と眼力に身を任せ兵を任せ、その陣地へと吶喊した。

 

 ~~~

 

 八門金鎖。

 奇門遁甲の理術になぞらえ、休、生、傷、杜、景、死、驚、開より成る陣にて形成されている。

 

 如何な大兵と言えども傷門、休門、驚門より出づれば損害を被り、杜門、死門より入れば滅びを免れず。正しき進路を知らねば、無敵の構えである。

 反して、それを突かれれば数百の敵であったとしても脆く乱れる。

 

 そして……

「徐栄隊、生門、景門、開門に三手を分けて突入!」

「いずれも突破され、二段目も程なく突破される模様!」

 徐栄は、その三つの弱点のうち、いずれもを当てて見せた。

 

 これといった血統も家名も持たぬ、常在戦場の人である。

 然るべき門を叩いて軍学を修めたという話は、ついぞ聞いたためしがない。この八門の解法など、事前に知るべくもないのだ。

 

 だが、それでも彼女はそれを当たり前のごとく、最適解を以て破ってのけた。それはひとえに、彼女自身の才覚ゆえであろう。

 

 ――天才はいる、悔しいが。

 徐庶は、剣里は、偉大な後進に追い越されつつある秀才は、そのことを知っていた。

 

「好きなだけ、誇ってなさい、勝ってなさいよ」

 止まらぬ徐栄。その威に驚懼する司令部に在って、少女は掌の内に、血の滲むほどに爪を食い込ませた。

 しかしその言葉、果たして徐栄のみに向けられたものであったのか。

 

 ~~~

 

 徐栄隊が本陣中央を直撃すると、霞は周囲の状況そっちのけで、徒歩(かち)で敵総大将と斬り結んでいた。

 呆れと同時に、「あー」と思わず透の口より声が漏れる。

 だが救わないわけにもいかず、手勢とともにそこへと割り入った。

 

「おう、透か」

「透か、じゃあないんですよ。指揮そっちのけで愉しんでまぁ。ほら、さっさと仕切り直しますよ」

 

 そう言って手を差し伸ばし、霞を引き上げ我が身の後ろへ乗せる。

 元より、透自身が小柄で身軽ということもあるが、さすがは涼州の名馬。二人分の体重によく耐えた。

 

 馬首を返した彼女たちに追いうちをかけんと、仮面の敵将が剣を振るう。

 だが、他二方より迫った別動隊が、それを取り囲み、そして受け流して徐栄本隊へと合流した。

 討ち取りはしない。個人的な武には疎いが、それでも張文遠と長時間渡り合ったという事実が、透に敵しがたき猛者ということを教えてくれていた。かかずらっていれば、包囲されるのはこちらの方だ。

 

 高潔さゆえか。あるいは袁術への義理立ては果たしたということか。

 その男も、一定以上は追っては来なかった。

 

「武関で言ったこと忘れたんですか」

 と、未だ混乱収まらぬ雑兵どもを蹴散らし、南西へと向かいながら、透は小言を続けた。

「小うるさいこと言うなや、アンタだってはしゃいどるくせに」

 

 敵の刃を受け、反撃していきつつ、霞は否定しない。

 それについては否定はしない。

 

「自分のそれは嗜好と実益を兼ねてるんですぅー。霞姉さんのは、ただの自己満足じゃないですか。どうせ深入りなんてする気がないんだから、曹操軍なんてテキトーに散らせばそれで良いんですよ。それが敵総大将と一騎打ちなんて」

「わぁーとるわ! くどくどくどくど、アンタはウチのオカンか!」

「くどくども言いますよ……本当に、もったいない」

 

 知れず、透の口からはふぅ、と息が漏れる。

 

 ――目と狙いは良かった。

 

 頭の内、記憶を収めた部分より、声が反芻した。

 

 ――その後の詰めが甘い。お前の考えに、兵がついて来ていない。

 否、とその異見を拒む。

 それは改めた。自分の思考速度に耐えうるだけの部隊を鍛え上げた。

 だから、詰めが甘いなどと、いうことは。

 

 ――その悪癖を改めねば、次こそ命はないぞ。

 狼の幻影を見たその先に、門の口が見えた。

 

 あれは、なんだったのか。

 広がる地平、悪夢から醒めたような心地で透は肩の力を抜き、手綱を緩めた。

 

 刹那、正面で何かが閃いた。遅れて、音が轟いた。

 涼州の騎兵が、何者にも屈することのない無敵の部隊が、先より崩れ落ちていく。

 

「これ、は……」

 華雄の時と同じ兵器。

 何故、曹操軍に配備されている?

 

 指揮しているのは、紫髪の二つ結びである。

「っしゃあ! 細工は流々、仕上がり上々! 鉄砲隊二番組、ってぇ!」

 霞とよく似た訛りでもって指揮すると、再び前方へ光が爆ぜた。辺りには濛々と煙と血が立ち込める。

 

 その幕の内に、ぼんやりと旗が挙がる。

 『丁』と『李』。そして『徐』。未だ陣より出切らず立ち往生を喰らう董卓軍を、三方より挟み込んだ。

 

 ――そして、先陣を突っ切って、大斧を手にした鬚面の男が、野獣の咆哮とともに差し迫る。

 

 ~~~

 

 剣里には良く分かっている。

 自分は天才にはなれない。自分は劣っている。自分の学問は報われない。自分の努力は報われない。

 自分は王にはなれない。王佐にはなれない。

 子房にも陳平にも韓信にも蕭何にもなれない。

 楽毅にもなれない。管夷吾にもなれない。晏嬰にはなれない。子産にもなれない。商鞅にもなれない。

 

 よしんば名君に出会えたとしても、きっとその傍にあって支える者は自分よりも遥かに優れていて、自分よりも寵と信を置かれ、そして劣った自分は、何かと理由を付けて、惨めな劣等感とともにその幕下を去るのだろう。

 

 ――だが、それでも。

 どんな天才相手にも、ただ一度だけ上回る可能性は、誰にだってあると思う。神がいたとしたら、我が天命にそれぐらいは用意してくれているはずだ。でなければ、あまりに惨め過ぎる。

 

 勝ち続ける必要などない。勝り続ける必要などない。

 ただ、生き抜いて戦い抜いて、最後に一度、相手に致命的な敗北を与えれば良い。

 今がそれだ。

 

「あんたは、八門金鎖の弱点を即時に見抜くほどの天才……逆に言えば、あんたは敵陣の脆弱性を看破するがゆえに、必ず出る時に()()()()()()()()()()()

 となれば、対処は簡単だ。その口に伏兵を設けて一撃のもとに覆滅すれば良い。

 

 そしてかの臥竜鳳雛にも言えることだが、得てして天才とはどこか童子じみた部分を持つ。

 ――いや、朱里も雛里も未だ童女なのだが。

 

 八門金鎖という玩具を与えられた時、徐栄はその謎解きに夢中になった。そこまでは万全であった周囲への警戒と集中力が緩んだ。

 

 果たしてその名のごとく、生より出でて、死へと至る。

 

 ~~~

 

 陽が沈む。遊びの時間は終わりであった。

「クソがっ!」

 霞は毒づいた。

 敗兵をまとめて川面に沿って、片腕で手綱を取る。透は、逆に後背に回していた。

 

「あの熊男、好き放題やりおって」

 猛者との三連戦は、さすがに霞にとっても限界であった。

 まるで息をつかせぬ斧の連撃は、もはや武というよりも暴の化身であった。人のかたちをした、人以外の獣と殺り合った、と言ったほうが良かろう。恋でも、あそこまで力任せで野卑ではない。

 少なからず手傷を負わされた。利き腕も、最早感覚がない。あるいは斬り落とされたのではないかと錯覚したほどであった。

 

「にしても、さっすが透やな」

 あの死地においても、その進退は鮮やかで際立っていた。

 彼女の采配でなければ、全滅していたかもしれないところを、半数以上は救い上げたのだ。

 これを名将と呼ばずしてなんというのか。

 

「それは、良かった」

 ――直後、透の身体の感触が、霞の背から消えた。

 

 水音が聞こえた。霞の総身を、雹が張ったがごとき怖気が襲った。

 

「――おい」

 川面へと力なく落馬した透を顧みた霞は、先ず声をかけた。

 だが反応を見せない少女に、慌てて下馬して助け起こした。

 ここまでは正確無比に彼女を支えて来た兵士たちも、初めて動揺した。いつ敵が追撃してくるかもわからない状況下。にも拘わらず、危惧をかなぐり捨てて、彼女へと駆け寄った。

 

「ここまで、頑張ってみましたけど、もう駄目みたいです……例の、兵器に腹貫かれましたし、首の脈もあの獣人の斧にやられてます」

 

 霞らの動揺とは裏腹に、自己診断さえもしてのけるほどに透は冷静であった。

 だが、今なお水に流れていく血の量は、とうてい助かるほどのものではなかった。

 

「死ぬんか、お前ほどの(オンナ)が」

 渇いた独語とともに、霞は認めざるをえなかった。

 ぐっと顔をしかめる彼女に、透は儚い笑みと澄んだ眼差しを返した。

 

「ほら、言わんこっちゃない。突っ込んで敵将の首取ろうとしたところで、戦局なんて容易に覆らないんですよ」

「……すまん。ウチが逸ったばかりに」

 将ではなく、武人たることを選んだばかりに。

「なんてね」

 透は咽こみながら言った。

 

「分かってますよ、これは自分のしくじりです。敵を侮った報いですよ。だから」

「だから……大人しく死ぬっちゅうんか!?」

 

 霞は透の上体を揺らした。そうして乱暴に扱わなければ、そのまま彼女の魂魄がどこかへと霧散してしまうような、そんな恐怖に駆られた。

 

「アンタがおらんようになったら董卓軍はどうなる!? この軍を誰が支える!?」

 感覚がないために加減が出来ず、過剰な力みの入った霞の腕を、そっと透は握り返した。

「それは、あんたがやれば良い」

 天才児の総身より、力が抜ける。血のぬくもりが消えていく。

 首の据わらない嬰児がごとく、くったりと霞に身を預けながら、

 

「たしかに、姉さんの武は恋姉さんには遠く及ばず、大軍を指揮するだけの器量もない。数千数百がせいぜいでしょう」

「……言うなや、これから託す相手に、そないなコト」

 

 だが、その空気を読まず場の流れを汲まないあたり、最期まで徐栄らしい。

 

「――それでも、姉さんは一流の武を持っている。将器がある。華があり、敵味方を問わず相手を知ろうとする情義がある。そして何より、天運がある……ゆえに、その数千数百の部隊は、きっと最強になれる」

 

 口からこぼれた血泡をぬぐい、肺腑に溜まる血反吐を戻しながら、それでも少女の遺言は止まらない。

 

「だから姉さんは生きて……生き残って、そしていつか見せてください。兵の差、器量の差、ありとあらゆる不条理を覆すような奇跡の戦を、張文遠の、大舞台を」

「……かんたんに言うなや」

 

 どうしろというのだ。どうやれば、この少女の死に報いることができるのだ。

 

「馬鹿だなぁ……かんたん、じゃあないですか」

 赤い舌を出して、透は目を細めて返した。

 

「最後まで生き抜いて戦い抜いた果てに、舌出しながらテキトーに言ったモン勝ちですよ、そんなの」

 

 そんな詭弁とともに、瞼を下ろす。舌を戻し、朱の抜けた唇から震える呼気を吐きだしていく。

 

「あぁ……でも、悔しいなぁ……まだ、いけると思ったんだけどなぁ……きっと、これから先もっと時代は楽しくなって……いっぱい、あそべた、はず、なのに……あの、(ひと)、とも」

 

 霞は何も言わなかった。ただその無念を汲んで、力一杯に小柄なその身を抱きすくめた。

 

「後悔を抱いて、ここに堕ちてきたのが天の御遣い、なら、この後悔は、どこに堕ちていくのか……? もし、また生まれ変わることがあるならきっと……月さまや、霞姉さんたちと……ともに」

 

 言葉が絶えた。命が絶えた。

 少女のかたちをした彼らの軍神が死したと知った時、兵たちの間で嗚咽や慟哭が漏れ始めた。

 それらがついに、霞の感情をも決壊させた。

 

 未だ戦場である。それは深く強く承知している。

 それでも霞は、吼えるがごとくに哭いた。

 

 

 

【徐栄/透/恋姫(オリジナル)……戦死】



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曹操(十):斜陽

 どこかから、虎の啼き声を聞いた気がした。

 暮色に紛れ、地平の果てに散っていく董卓軍を、剣里は見送った。

 

「追わないの?」

 丁奉が聞いた。剣里はまっすぐ問い返した。

「徐栄が致命傷を負ったのは、本当なんでしょうね」

「えぇ、あの肉団子(オフレッサー)の裏からきっちり()()()したわ」

「だったら、問題はない」

 

 追撃する必要はない。袁術への義理は果たしたし、董卓軍が潜在すればこそ、袁術は曹操との同盟を疎かにはできないし、ちょっかいもかけられない。

 だが、追跡は要る。董卓軍の所在動向は、曹操軍にとっても重要事だ。

 

「ロイド殿、ご足労ですが、董卓軍の逃走先を確かめて貰えませんか」

「人遣いの荒い」

 

 そう毒づくロイドだったが、その彼が戦の中、命ぜられもしないのにそれとなく自分の援護に回り、かつ目と剣の届く位置にいたことに気づいている。

 それは、剣里の後ろぐらい過去と共鳴するがゆえのことなのかも知れないが、荒涼の雰囲気をまとう無頼でありながら、本質は不器用で純良な人間なのだろうと思う。

 

 ロイドが気配ごとその姿を断つと、ふと気が抜けた。

 知れず、後ろに我が身に傾きかける。

 丁奉がそれとなく腕を伸ばしたが、それに先んじて背より添えられた手があった。

 夏候惇に代わりこの軍の大将となった、オシュトルである。

 

「軍師の『初陣』、見事な働きであった。色々と心労も多かったことだろう」

 などと仮面の奥で目を細めて褒める彼から、それとなく身を剥がす。

「別に、軍師ならば当然のことです。妹弟子たちなら、私などよりもよほど首尾よくやったでしょう」

 これは我ながら冷たい物言いではないかと、口にしてから後悔する。

 

 自分の代わりに負け戦をさせた諸将、総大将の身の上で一騎打ちを演じさせてオシュトルの方が、よほど自分よりも、称賛に価する。

 

 しかしオシュトルは剣里の味気ない態度に、別段不快感を見せていない。

 むしろ、

(あぁ気丈な年頃の娘とは、こうして片意地を張るものであったな)

 などと、微笑ましく見ているフシがある。それがなおさらに気に入らなかったが、悪態を返す前に、横合いからけたたましい、地を揺さぶるがごとき笑いが聞こえた。

 オフレッサーである。

 

「卿がそうして女子供と戯れている間に、おれは敵将を討ったぞ!」

 などと誇る。盧江での敵対の遺恨あっての、張り合いであろう。あるいは純粋に、言い換えれば幼稚に、自慢をしたかっただけなのかもしれないが。

「……それは祝着」

 オシュトルの相槌は短いながらも、重たげだ。

 別段悔しさや対抗意識などは持ち合わせていないだろうが、敵を嘲弄するがごときオフレッサーの戦への姿勢は、やはりこの義士とは相容れぬ価値観なのだろう。

 

 剣里が身を持ち直している間に、袁術軍の留守居組が返礼にやってきた。

「曹操軍の各々がた、援兵に感謝する。不甲斐ない戦をお見せしてしまった」

 筆頭たるエルトシャンが、謝意とともにそう挨拶をする。

「なんの、この国最強の兵団相手に、寡兵でよくぞ持ちこたえられた」

 と、オシュトルが返す。

 

 オシュトルにはヤマトが國の作法があろう。

 エルトシャンたちにもまた、彼らなりの流儀があろう。

 だが互いの国家の礼法を知らぬ両者が採ったのは、お互い共有できる知識、この国の拱手の礼であった。

 

「そう言えば、敵将の徐栄を討ったと聞いたが、まことか?」

 その奇妙な交流を経て、エルトシャンが切り出した。

 側に控える満寵の取り澄ました顔を見遣ってから、剣里が答えた。

「断定は出来ませんが、十中八九は間違いないでしょう」

 付き合いは短いが、丁奉の鋭敏な五感を信頼しているし、武人として些末な偽りを言うこともないだろう。

 それにいずれは、袁術側にも知れ渡る情報だ。秘すだけの意味はない。

 

「……そうか」

 金髪の貴公子の頷きは、緩慢であった。

「現在南下の途にある耶率休哥将軍が、目にかけておられた少女だった。私から見ても、類い稀な用兵術の持ち主であった。彼に、その訃報を伝えても?」

「ご随意に。どのみちそちらにも報告の義務はあるでしょうし」

 

 しかし、と剣里はあらためてエルトシャンを見遣った。

 敵将を正当に評価し、その死を惜しむほどに実直な士が、何故に袁術がごときに仕えるのか。夏侯惇ほどに露骨ではないが、袁術側と会見するたびに頭を過ぎる疑問ではある。

 否、実直なればこそあの馬鹿娘に根気良く付き合っていられるのか。

 

「それは私も同じか」

 曹操が有史以来稀な英君であることは剣里も認めるところではあるが、それでも真に忠誠を尽くしているわけではない。唯才を掲げつつも、常に政治軍事の中枢には曹氏夏侯氏が在る。ここに居ても重用はされないだろうことは、最初の扱いを見ても瞭然である。

 すべては母のため、己の才腕が真に臥龍鳳雛に届かぬのか、その命題に生涯をかけて挑むためである。

 

 そしてその機は、程なくして巡ってきそうだと、不安と期待がないまぜになったままに、剣里は北天を仰ぎ見た。

 

 〜〜〜

 

 数日して後、遣わしたロイドが帰還して、徐栄の戦死が確定した。

 と同時に、董卓軍本拠も知れた。

 地名は知らずとも彼が地図で示すところによれば、場所は上庸(じょうよう)

 独裁の梟雄にも、王朝の救い主ともなれなかった少女の、終焉の時が近づきつつあった。



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主亡き賢臣たち
袁術(五):巣立ちの片鱗


 袁術軍においては、吉凶いずれにも拘らず、一事あるごとに宴を催すのが常である。

 

 寿春侵攻軍たる袁術本隊は、その常の如く、士気発揚のためというお題目の下に宴会が催されていた。

 従姉麗羽への服喪の間、差し控えるべきという声もあったが、不自由なく養われた女童に、いきなり娯楽を長期間禁ずるというのは、酷な話であろう。

 

 そして事件は、宴も総大将袁術が睡魔に襲われた頃合に、いよいよお開きとなった時に起こった。

 

 流れに乗じ、末席より退出しようとした少女の袂より、蜜柑が一個転げ落ちたのである。

 

「……んん?」

 そして不幸にもそれが、美羽の足下に至った時、

「手をつけておらぬではないか」

 と、醒めたような声音で言った時、和やかに締められようとした酒席が凍りついた。

 そして、その娘に視線が集まった。

 

「も……申し訳ございません!」

 少女は慌ててその場で膝を突き、低頭した。

 主君同様未だあどけなさを残すその容貌に、あちゃー、と七乃は美羽の傍らにあって小さく声を発した。

 

 美羽にはその者の名も、何故末席にいたのかも知らぬであろう。

「其方、名は?」

 故に目を愛らしくも吊り上げて問いただす。

 少女は今にも泣きそうになりながら詫びるばかりである。その卑屈さが、なおさらに美羽を苛立たせた。

 

「名はと聞いておる!」

 その一喝が、逃れようとした諸官人の足を完全に止めた。

 

「り……陸績(りくせき)、字を公紀(こうき)と申します」

「陸績……さては陸家の者か」

 まずい、と七乃が思った理由が、その出自である。

 

 先において、寿春を占拠した袁術に対して、其処は劉耀の治所なりと強く反発した豪族がある。

 それが名門陸氏であった。

 怒りし美羽は、直ちにこれを攻めんとするも、後難を危ぶむ七乃に止められる。そして孫家に出動を要請。孫策が代将としてその本拠盧江を攻囲した。

 だがその抵抗は激しく、直系の陸遜は消息不明。彼女の後見であり績の父であった陸康(りくこう)以下、一族郎党の大半が討死あるいは自刃。非常に味の悪い顛末を迎えつつも、幼かった陸績とその母は人質として袁家に引き取られることとなった。

 そして今回従軍したのは、その家名を南進軍の経略に用いんがためであった。

 

 だが、この失態においては生家が裏目に出た。

 すなわち、仇敵袁術の施しなど、受け取るだけしておけという意志表示ではないかという。伯夷(はくい)叔斉(しゅくせい)がごとく、たとえ抗せずとも情けは受けまいという。

 この場に居合わせた何人かは間違いなくそう解釈したであろうし、そのうちには美羽自身も含まれていた。

 

 眠気も吹っ飛び、眦を吊り上げて、唇を噛みしめてぶるぶると肩をわななかせる。

 それは一見すればなんとも愛らしいが、ひとたびその癇癪を爆発させれば、免ぜられるか、でなければ頭と胴が離れるか。

 

「……ただ、母上に……食べさせて差し上げたかったのです」

 陸績が我から弁明を紡いだ。

「故郷の味です。在りし日は、家族揃ってこの水菓子をよく……よくっ……」

 言葉を涙で詰まらせながらの彼女の申し開きは、真偽いずれにしても苦しいものであった。

 

 やれやれ、と七乃は肩をすくめた。

 別に小娘ひとりの首がどうなろうと知ったことではないが、せっかく孫家に押し付けた陸家の憎悪を、今更こちらが拾う必要などあるまいし、この程度で愛主の手を汚したくはない。

 

 となれば(あめ)でもって美羽を吊り、その歓心をもって起こった事自体を忘れさせる。これに如かず。そして宥められるのは己しかいないのだ。

 七乃がそう思い定めて口を開きかけた、その時である。

 

 

 

「――そうか、母御がのう」

 かつてないほどに、美羽が神妙な声をあげたのは。

 

 

 

「妾が憎いか、陸績」

 怒らせた肩よりすっと力を抜き、美羽は少女に目線を合わせた。

 公然の場でそう問われて、肯定する者などそうはいまい。陸績は顔を伏せたままにかぶりを振った。

 

「我が一族と袁家が対立したは、ひとえに任官任地の行き違い程度で血を流して争う乱世の混迷ゆえ。そして盧江の悲劇は孫策の蛮勇と父の意固地が衝突したがゆえ……哀しくはございますが、お恨みはしておりませぬ」

 などと、幼さに見合わぬ殊勝な答弁であった。

 ふたたび、美羽は相槌を打って、ぼんやりと中空を見上げた。

 

「今にして想えば、あの女も妾腹ゆえ苦労も多かったであろう。生前は癪に障る馬鹿笑いが煩わしく、そうは思えなかったがの」

 と、彼女なりに故人を偲びつつ、ちょっと大人な、ほろ苦い笑みを口端に浮かべた。

 そしてあらためて、平伏する陸績を見つめた。

 

「良かろう。事情は分かった。じゃが、この蜜柑を拾うことは許さぬ」

 と、ぴしゃりとした口調で告げられ、陸績は暗澹とした表情となった。

 だがそれから、何かを図るかのごとく一拍子置き、美羽は言った。

 

「――そのようなケチくさいことなどするでないわ! 明日には山のような蜜柑を邸宅に届けようではないか!」

 陸績の目が輝きとともに持ち上がった。だが衝動的なその童心を恥じるかのように、かえって身をすくませてしまう。

「そ、そんなもったいなきこと」

「ほほほ、気にすることではない。どーせ、これより揚州は我らの地になろうでな、蜜柑どころか山海の幸などいくらでも取り放題じゃ」

「あ、ありがとうございます! このご厚情、終生忘れません!」

「うむうむ、これからは妾がために励め」

 

 と、会心の笑みを称えてうそぶき、周囲に明るさを取り戻した。

 その恩徳を称えるがごとき歓声の中、美羽はと言えば、そこまで成り行きを見守っていたらしい幸村へと目を掛けた。

 

「……お見事な差配でした。美羽殿」

 と、等身大の称賛を受け、美羽ははにかんで歯を見せた。

 

「いかがした七乃? 妙な顔などしよって」

 そしてついで、七乃を不審げに顧みた。

 予期せぬ事態に出鼻を挫かれ、そこまで硬直していた七乃は、慌てて表情を繕った。

 

「いえいえ、私も、下々に対する美羽様の寛大なるご処置に、思わず感涙で咽んでしまい……」

 と、両の目元を袖口で覆う。

 

「ほほ、七乃はいつも大げさじゃのう……そこまで言われると、かえって嘘っぽくなるぞよ」

 

 ――おそらくそれは、美羽にしてみれば戯言程度の発言であったのだろう。

 しかしながら、その感想が七乃に与えた衝撃は、彼女自身が意外なほどに大なるものであった。

 

 袖を内で極限まで絞られる眦を必死に和らげてみせて、ゆっくりと七乃は顔を持ち上げた。

 

「それでは、先に戻ってご寝所を整えておきますね♪」

「うむ、よきに計らえ」

 主に断りを入れてから、七乃は宴席を発った。

 

 独り楼閣の廊下を歩く彼女は脚を速めた。

 そして道程の柱を、あるいは踝で蹴りつけ、あるいは腰の剣の鞘ぐるみ抜き放っては叩き、ついには両手でもって殴りつけたりなどしたのだった。



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劉耀(二):天地の法

 ジークフリード・キルヒアイスは曲阿の、かの貴人を訪っていた。

 官舎は仕える人数に比してやや広大なきらいはあれども、常識の範疇は逸脱していない。

 邸の中心には巨池がある。水質は澱んでいるが、底から浮き上がってくるかのような翠には、奇妙な神秘性と魅力がある。

 その池は人工のものではない。古くよりある天然の、神々が長江より水を引いて作りたもうた代物であろう。奥底には、池と同じぐらいの齢を重ねた古魚が棲みついており、『大主』なぞと呼ばれているとか。

 

 かの邸が広大ならざるを得なかったのは、奢侈を求めんがためではなく、この池を囲い込まんがためであった。

 

 今日も今日とて、揚州の刺史が太史慈を伴いその池に釣り糸を垂らしていた。

「刺史様、失礼いたします」

 キルヒアイスがまるで長年仕えた老僕がごとき距離感と調子で声を掛けると、揚州刺史劉耀はやや気のない様子で顧みた。

 

 東洋人らしからぬ――とは今に始まった話ではないが――妙齢の貴婦人然とした、キルヒアイスと同じ年頃の娘である。門閥貴族の舞踏会の来客で見た、と言われればさもありなんという、品の良さだ。

 簡素な髪留め(カチューシャ)を打ち込んだブロンズの髪は、旧主の燃えるような、あるいは獅子の鬣がごときそれと比しては輝きが劣るが、それで十分に手入れが行き届いていた。

 

「やぁ、キルヒアイス君。どうかね、君も釣り。やれる方かね。それとも、先の世には釣りとかなくなっちゃった?」

「いえ、ありはしますが……わたくし個人は残念ながら、機会がありませんでした」

「それはもったいない。どうかね、今付き合わんかね」

 

 ……が、どうにも統治者として威厳に欠けるというか、緊張感が乏しいというか。とかくその言動は、小役人、中間管理職の中年のようであった。

 行政処理能力は非凡ではないが公正で良質なものではある。かつての主には見向きもされないであろう人物ではあった。

 

「刺史様は、釣りがお好きなのですか?」

「趣味ではある。ただ、やっぱり勝手知ったる青州の方が釣果は良かったなぁ。治安(ガラ)は悪かったが、それでも故郷が良いよ。揚州には海も江もあるが、賊も山越もいるし、本拠の寿春は袁術やら今川とかいうのがなんか占拠しているし、ろくなことがない」

 などと嘆息してからハッとしたように、目を瞠り、

「いやいやいや、そんな話を帰れない君にするべきではなかったな。すまんね」

「いえ……」

 小心だが、無頓着な人間ではない。だが、その神経質な気遣いが、かえってキルヒアイスの心に郷愁という名の疵をつけた。

 

「では、何故郷里で役人となられなかったのですか?」

 と、自らキルヒアイスはその話題を切り替えた。

 

「三互の法と言ってね、詔勅によって任官された太守や刺史は当人や姻戚の本籍地に就いてはならないのだよ……私は出来れば普通に主簿程度で良かったのに、劉氏だからって大層な役職に就かねばならんこともないだろうに」

「なるほど、軍閥化を回避するためですね」

 キルヒアイスは鷹揚に頷いてみせた。

「まぁそうなんだけど、結局はその束縛のせいで地方に人が回らなくなるから、董卓のような例外が作られる。結果、そういった例外が軍閥化を生む、と。はぁ、いったいなんのための方策なのやら」

「ちなみにこのヒト、こんなだけど私と同郷」

「こんなって……」

孔融(こうゆう)さまってヒトを賊からを救い出した後、武者修行に出ようとしたところに不安だからついて来てくれって泣きつかれちゃって」

 

 梨妟が説明の捕捉を入れ、劉耀は消沈する。元より自尊心の高い方ではなく、すぐに受け入れて持ち直した。

 劉耀は我が身の不幸を嘆くがどうして中々、太古にあたる時代にもかからわず、その官僚制度には軽視しがたい道理が備わっている。

 

「そこへ行くと、君らの時代などはそういう矛盾も解消され、整備されているのだろうね」

 劉耀がそう話題をキルヒアイスへと切り返したが、彼はほろ苦く笑って首を横に振る。

「そうでもありません。初代皇帝に取り入った貴族の家柄は私腹を肥やし、外敵を抱えつつも権力闘争に明け暮れる有様。さすがに我々の世代ではありませんが、その初代が打ち立てた、劣性遺伝子排除法なる悪法が施行されていた時代もありました」

「いで……? なんだね、それは」

「遺伝子……先天的に身体的異常を抱えている者とその血統への虐待を公的に推し進める、愚劣きわまりない行いです」

 こればかりは、ドブの中にも美点を見出すがごときキルヒアイスの口をもってして、酸くならざるをえなかった。

「うへぇ! またそりゃおっかない。偉い人の考えることはいつの世も分からんねぇ」

 などと大仰に嘆きつつも、一旦不首尾に終わった釣り糸を持ち上げ、餌を付け直して垂らす手はどこか他人事だ。

 

(この人も、十分に『偉い人』なんだが)

 一州を任された地方行政官にして、軍権も委ねられた、皇統に連なる者。

 それがまるきり抜け落ちたかの言動に、キルヒアイスはますます苦笑の量を強めた。

 

 だが、そう総てを他人事に置かれても困る。

 表情をやや引きしめた赤髪の御遣いは、一歩進み出た。

 それを目ざとく察した梨妟が、

「劉耀さまー、なんか用事があるからここに来たみたいだよー」

 とフォローをしてくれる。

 

 んー、と気の抜けた感じで顧みた揚州刺史に、キルヒアイスはあらためて言った。

 

「袁孫の連合軍、南下を開始。牛渚(ぎゅうしょ)豫章(よしょう)の二方面へ向けて進軍中とのことです」

 タイミングと言い方にはキルヒアイスは十分に気を払ったつもりであったが、劉耀と梨妟の見せた反応は対照的にして劇的であった。

 

「よっし、やっとおでましかっ! 相手にとって不足なし!」

 と釣竿を捨てて意気込む梨妟の傍らで、ひえっとそれ自体が消え入るような悲鳴とともに、みるみるうちに血の気が抜けていく劉耀。

 

「その件にて、張英(ちょうえい)司令官より至急のお呼び出しです。ご足労いただけますか」

 彼我の軍容の差を正確に知るキルヒアイスとて、かなり苦しい戦となることは承知しているが、努めて冷静かつ穏当に依願した。

 

 その視界の片隅、池の奥底より、嘲笑うかのごとく大魚が身を翻したように視えた。



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劉耀(三):大地は怒り、揺らぐ(前)

 さっそくにして、各方面より袁術軍の南下を警戒していた揚州軍の指揮官が、曲阿へと召集された。

 

 かく言う井尻又兵衛も遊撃部隊として四方への連携と哨戒に当たっていたひとりであった。

 兜を小脇に抱え大足で歩く彼は、別口より入庁していた吉兆と蜂合わせた。

 

「おう、備えこそしておったが、いざ来るとなるとえらい騒ぎだのぅ」

「あぁ」

 

 この()()()の頭目の口数は多くはないし、精悍な顔立ちも常に岩のように引き締まっている。

 そのせいで国元では何かと誤解と内外の反発を招いた、とは本人の朴訥とした弁。

 

 だが、決して他者を拒絶しているわけではないことは、又兵衛と付かず離れず並び歩くその間の取り方から見て取れる。

 苦笑する又兵衛ではあったが、ふと吉兆の身辺に気になる影が寄り添っているのが見えた。

 

 過剰に裾に切れ込みの入った、上下一対の唐土風の衣服。

 だが顔立ちは異人の目鼻立ちで、金色の髪を結い上げている。

 均整の取れた肢体を持つ、妙なる美女である。

 そして帯には拵えの美しい細い直剣を佩いている。

 

「ときに……そこな娘は一体?」

 恐る恐る、という体にて又兵衛は問うた。

 一体どういった素性の者なのか。現地のものか天の御遣いか、上記の容姿ゆえに判別がつかなかった。

 

 

「ん? あぁ、そう言えば紹介していなかったか。チェルだ」

 と、慣れぬ音声でもって

「初めましてね、おじさま。チェルシーよ。吉兆との関係は……見れば分かるでしょ?」

 

 ふふ、と嫣然と笑みを含ませながら、吉兆の毛皮のついた奇妙な上衣に背より寄りかかってみせる。

 吉兆はやや苦みはあるが、まんざらでもなさそうに彼女の態度を受容する。

 

「なに、するとふたりは夫婦か?」

「……まぁ、婚姻はしなかったが、あんたらの時代で言うところの恋仲といったところだ」

 

 これには又兵衛は驚き入った。ある者より伝え聞いてはいたがよもや後の世が、政策や身分血縁門地のみならず、海の垣根を越えてまで情を交わすことが出来るというのか。

 

 ――あるいは、そうした時代に生まれていたならば……

 

 又兵衛は首を振り、刹那に思い浮かべた麗人を、邪念にして未練と断じて打ち消したのであった。

 

 ~~~

 

 現状、劉耀軍のは大雑把に四派に分類される。

 太史慈などの劉耀自身の縁故の者。

 キルヒアイス、又兵衛、吉兆、チェルシーなどの天の御遣い。

 楊奉と徐晃、そして厳白虎戦以降にあらたに加わった李厳(りげん)韓浩(かんこう)などの流浪者。

 そして、最後に現地より召し出された一派であり、これがもっとも発言権が強い。

 

「承服いたしかねるッッ!」

 

 そして軍議の席にて一番に気を吐いたのは、その筆頭たる張英であった。

 事実上の、劉曜軍の最高司令官である。

 

 二十も半ばを超えた年頃の女性で、無駄なく切り揃えた灰色の髪の下にある顔が笑ったところを、初対面以降キルヒアイスは見たことがない。

 平常時でも、何かに追われるかのような気忙しさがあり、誰と対する時であっても敵に挑みかかるかのごとき向きがある。

 

「我らにこの連中の指揮下に入れと言われるか!? 何を根拠にッ」

 

 極め付きは、この大音声である。

 指揮をするにもこうして論議を重ねるにしても、その声量はいささかも衰えるところを知らない。

 

「いや、しかしだね? このキルヒアイス君は厳白虎をたちまちに退けているし、向こうも先手は御遣い殿というじゃあないか。ここは彼らに任せた方が良いんじゃ」

「黙らっしゃい!!」

 

 ひぃっ、と劉耀はその一喝に屈して目に見えて退いた。

 

「あのような蛮族がいかほどの者か! 我らは先年、袁術配下、孫一族の孫賁(そんふん)呉景(ごけい)を散々に打ち負かしている! その功績を、よもやお忘れではあるまいなッッ」

「……いや、忘れてはいないけど……その厳白虎の時、君らどうしてたの」

「だから! その孫賁呉景と再び対しており申した!!」

「……さっきも聞いたよ。というか、再来するってことは別に散々に打ち負かしてはいないんじゃ」

「何ィッ!?」

「いえ、なんでもありませんっ」

 

 これでは、どちらが主従か分かったものではない。

 キルヒアイスの視るところ、張英のそれは叱咤ではなく恫喝であり、諫言ではなく暴言であり、威厳ではなく威圧である。

 そして劉耀も劉耀で、その剣幕を浴びてしまうと彼女の主張の是非を考える前に「さもありなん」と納得してしまう。

 

 他の派閥の者らはそんな主従に辟易している様子で、揚州派の于糜(うび)陳横(ちんおう)などはそれに乗じて同調し、

「ふん、所詮他所者は」

「守ろうとする意識がないからそのような軽率な言動を取るのだ」

 などと、聞こえよがしに漏らす。

 

 言わずもがな、非難している対象は劉耀である。

 それに反論出来ず、刺史は肩身を竦ませた。

 

 なるほど、三互法の欠点はこれかと、脇目でキルヒアイスは眺めていた。

 意識の差が如実に表れている。

 彼らの指摘通り、揚州派にとっては純然たる防衛戦争なのだろうが、劉耀や一部の新参にはその意識が薄い。ともすれば、刺史自身が状況によりては降伏ないし逃散しかねない。

 その逃げ腰の支柱を、曲がりなりにも支えているのが張英らの、帰属意識からくる過剰なまでに強硬な気骨であるという面も確かにある。

 

 もっとも、赴任時より劉耀が良好な主従関係を形成できていれば、かくも拗れることはなかっただろうが。

 詰まるところ、制度とはそれを運用する人間次第なのだろう、とは彼の知る誰ぞが言いそうなものだ。

 

「だいたい、先手が孫景呉賁が如きでは、袁孫の実態もたかが知れようというもの! 劉耀様、虚名に揺らいで取り乱しては、揚州刺史として鼎の軽重を問われましょうぞ!」

「……名前逆」

「香風、控えぬか! ……申し訳ない、普段は無口なくせに、こういう時ばかりはしゃしゃり出てくる者でして」

 

 と、配下である香風を叱りつけたのは、外様の楊奉である。

 生真面目な一方で野党まがいの出自であるが故か、必要以上に自身の立場を気にして卑屈になってしまうらしい。

 

 その噛み合わせゆえか殊更に軍議が荒れることはなかったが、皆憮然としていることは確かである。

 そもそも今までの侵略者が容易に退く凡将ばかりだったのは、後背に敵を抱えて本腰を入れて渡河しなかったがゆえ。今回の軍事行動とそれとを同一視するのはいささか危うい。

 

 が、このまま纏まりを欠いて強敵に当たることこそ剣呑で、確たる論拠もなく異見を唱えればますます頑なにさせるだけだ。

 

「我々としても、未知の敵との戦いに際し、司令官閣下の軍権を侵すことは本意ではありません。対袁孫軍の経験豊富な閣下の指揮下、その手腕を後学とさせていただきたく存じます」

「そ、そうかね? キルヒアイス君がそう言うんじゃあ仕方ないなぁ」

 キルヒアイスが本音と建前を織り交ぜて譲歩すると、劉耀は露骨に安堵の様子を見せた。

 

「ふん、見え透いた世辞を……」

「所詮は部外者ですな、この戦の帰結、揚州がどうなろうと、知ったことではないのだろうよ」

「返り忠にて寝首をかかれないよう、気を配らねばなりますまい」

 一方で張英らの反応は変わらず辛辣であった。

 ではどう返せば良かったのか。そう問いただしたところで、おそらくは彼女らの中にも答えはないのだろうな、と赤毛の大将は思ったのだった。



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劉耀(三):大地は怒り、揺らぐ(中)

 南下した袁術軍に、エルトシャンより便りがあった。

 恐らく西域のものであろうその文字を、御遣いの特権で難なく読み解いた耶律休哥は読みつつ、息を吐いた。

 

「どうしたよ、狼の旦那」

 そう問うたのは、高杉晋作である。その書状を風に乗せて寄越された彼は、同じように異国の文字を一読し、

 

「ほう、そうか! 宛は守り切ったうえ、董卓軍の中核を穿ったか! ……にしちゃ」

 と、その糸の如く細まった眼が、白い狼へと移る。

 この遊撃水軍の長にもやはり、己は浮かぬように見えるのだろう。

 

「徐栄の死を、悲しむか、耶律休哥」

 そう声をかけてきたのは、また別の武人である。

 そして、かつて将と将、北辺に生きた男と男として、相対した宿敵でもある。

 

「悲しみなど、しない。ただ一声、教示を垂れただけの、小娘に過ぎない。だが、時折、思うことがある」

「何を、思う?」

「勝ち負けが分かれ、戦が終わる。だが、敗者が死ぬ必要があるのか、と。日が暮れ、敵味方ともに、酒を飲み交わし、互いの健闘を、讃えあう。それで良いではないか、と」

 

 高杉が、クスリと笑った。

「ははっ、そりゃあ良い。時代が革まりゃあ幕府も薩長も、正義派も俗論党も関係ないってか」

 などと軽妙に節をつけて宣い、手元の弦楽器をかき鳴らす。

 

「私が死んだときも、そう考えたのか? 耶率休哥」

 だが別の漢は、笑いもせず質した。その背に、楊家の旗が風を孕んで大きく靡く。

 それを見上げるようにしながら、耶率休哥は答えなかった。ただ、目元には苦みのある苦笑が浮かんでいた。

 

 男は、楊業(ようぎょう)は、強いて答えを求めなかった。

 ただ馬上の人になる。

 

「ならば先陣は、私がやらせてもらおう。武人が、名将の死を惜しむ。その程度の時は、稼いでみせる」

 整然とした歩騎の兵五千を整然と従え、颯爽と馬を駆る。

 

「異人相手に古事記を諳んじた俺様も、さすがに唐土の歴史にゃ詳しくないが」

 その疾走を目で慕いながら、高杉は肩をすくめた。

 

「それでも分かるさ。あんたら二人を先陣に投入しようなんざ、贅沢にも程があるってな」

 

 ~~~

 

 劉耀軍は、もとい張英軍は、愕然とした。

 万全の態勢で迎撃に赴いた豫章の口。そこにはすでに、袁術軍の先陣が渡河を完了していた。

 

「馬鹿な」

 愕然とする張英の軍事計画では、寿春方面の袁術本隊を陶謙軍が今川なる将が散発的に防戦し、時を稼いでいる間に、先手を打って豫章方面軍を水際にて総軍をもって一気に叩く、という算段であった。

 

 ところがいざ急いで来てみれば、すでにそこには袁術軍の橋頭保が築かれ、兵が詰めてある。

 

「おそらくは、先に取り込んだ荊州水軍があればこその行軍速度でしょう。率いている提督の指揮も見事なものです」

「そんなことは解っているっ!」

 

 差し出口を叩かんとする赤髪の孺子を怒喝し、張英は歯噛みした。

 

(くそっ、いかに劉表の残兵ごときが船を漕いだとて、劉耀()が余計な口入れをして現場を混乱させていなければ、十分に間に合ったのだ!)

 

 などと脇目で外様者どもらを睨む張英であったが、その認識は誤りであった。

 いかに軍議の席で一悶着があったといっても、キルヒアイスが大人しくみずから退いたがゆえに、乱れはあくまが一時的なものに過ぎない。

 

 その原因は、張英が先に打ち倒した呉景らを袁孫の基準と判断して軽視したがゆえの油断であり、劉耀軍自体の足の遅さにある。

 だが、そのことに気づかず、他者に失敗の責任を求めるその精神性は、彼女にとって幸であるのか不幸であるのか。

 

「申し上げます! 敵勢の一部、動き始めました!」

「数は!?」

 

 それでも彼女は、場数()()()踏んだ、戦歴()()()()()()不敗の宿将であった。

 物見からの報告に、すぐさま切り返した。

 

「数、五千!」

「五千!? こちらの半数以下ではないか! されば他の部隊は!?」

「動きなし」

「おのれ、舐めおってからに!」

 

 奥歯を軋らせた張英は、首座を温めるしか能のない総大将に首を向けた。

 

主公(との)!! お聞き及びのとおり、敵の一部勝勢に奢ったか、あるいは足並みそろわぬがゆえに突出しており申す! まずはこの出鼻を挫くが肝要かと存ずる! ぐずぐずしていれば、次陣の孫家も到着してしまう!」

「い、いやしかしだねぇ……勝てるのかね、キルヒアイス君?」

「確かにそういう見方もできます。敵が一枚岩でないのもまた確かですから……しかしながら」

 

 張英は聞こえよがしに何度も舌打ちした。

 具申しているのは自分であり、かつそれは己の口から発せられた時点で決定事項なのだ。

 なのに言った側からすぐそれだ。まるで新しい玩具に飛びつく孺子がごとく、この揚州刺史を称する余所者には、重んじるべき順序と節操というものがない。

 

「い、いや! 話を腰を折って悪かったよ! じゃあ、いつものように君に一任するよ」

 

 キルヒアイスが黙礼して引き下がる。そして劉耀が重圧から解放された一心で下した決定により、『楊』の旗を引っ提げたその最先陣と、張英率いる揚州生え抜き組が、まず相対することとなった。



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劉耀(三):大地は怒り、揺らぐ(後)(★)

 かくして張英軍は全軍の三分の二を引き具し、一気に敵先鋒へと差し迫った。

 機先を制し虚を突いたつもりではあったが、敵に動揺は見られない。粛々と後退を始める楊の軍を、揚州勢はさらに追った。

 ただし、急進は禁じた。敵の偽走である可能性ももちろん考慮していたし、そうでなくても射程外の段階で過剰に刺激すれば、こちらの体勢が整わないうちに後詰めの来襲を招きかねない。あの先鋒は確実に撃滅するのだ。

 

 ……何故かよく勘違いされるが。

 張英は攻勢の人ではなく元来守勢の人であり、猛勇を揮うよりも手堅く勝利を積んでいく将である。

 だが一方で、今この時の如く。おのが勇を投機しなければならぬ事態もあることもまた、弁えていた。

 

 いよいよ敵も逃げきれぬと覚悟したものらしい。

 ちょうど自陣と敵陣の中間地点、丘陵を背に兵を並べた。こちらとしても都合が良い。寡兵ゆえ別動隊に回り込まれることを恐れての采配であろうが、背に高所があっては、後詰めの援護はしにくい。敵は悪手を採った。

 歩騎ともに、割合としては揚州軍と同じである。数は言うまでもなくこちらが勝る。

 負ける道理は、無し。

 

「江東が浮沈、掛かりてこの一戦にありィィィ! 揚州に生を享けし猛者たちよ、その士魂を北の蛙どもへ見せつけよ!」

 

 さながら己が王が如く、揚州が主のごとく、威厳に満ちた声を、高らかに轟かせる。そして一部の隙もなく兵を動かしたのであった。

 

 〜〜〜

 

 ――豫章近隣の村の顔役、均忠(きんちゅう)は後日語る。

 

 いや、ワシも長いこと合戦(いくさ)好事家なんぞをやらせてもらってますがな、あれほど見事な戦っちゅうもんは中々見られるもんじゃありませんわ。

 ……え? いやいや直接見たわけやおまへん。ただ戦場跡を見て、浮かび上がってくるもんがあるっちゅうだけのことですわ。

 

 おそらくは、初手を制したのは張英軍。先鋒は薛礼(せつれい)っちゅう……まぁ元はどっかの相だった方で、陶謙さまといざこざ起こしたとかで揚州に逃れてきた方ですわ。揚州派、古株、重鎮っちゅうても、大半は元々徐州あたりからのあぶれ者が大半と違いますか。要は、張英将軍に気に入られるかどうかっちゅうだけのこと。

 

 まぁその方が果敢に一当て。しかし袁術軍もさるもの、寡兵ながら重装の歩兵を押し並べてよく防ぐ。

 しかし止められることまでは張英将軍も読んどった。すかさず本陣を押し出して分断の隙を与えずさらに敵を圧迫した。

 

 とどめとばかりに秘蔵の騎兵や。

 率いているのは笮融(さくゆう)という人で、言ってしまえば悪たれの類ですわな。何や仏教ちゅう西方の教えに帰依してるハナシですが、富を持ってると知るや恩人であろうとも躊躇なく殺す。

 ブッダなる人、この振る舞いとこの人に庇護される信者さんらを見たら、どう思いますのやろ。

 

 ただこういう無法の人が今日まで生きて来られたんは、そんだけ腕っ節があればこそでっしゃろ。

 実際、堂々たる体躯の豪傑だとかで、この時も馬上、けったいな格好して掌を合わせても、少しも体幹がブレることがなかったっちゅうハナシですわ。

 

 事実、この騎兵が強くて速い。南船北馬ゆう言葉どおり、北方は騎兵、南方は船戦が得手と相場が決まっとるんですが、その意外性を突いて精強な騎兵を鍛え上げてたってことですわな、張英さまは。流石に確たる自負を持つだけのことはある。騎兵を後退する敵陣に楔みたく打ち込ませしかも抜かせないまま、さらに押し込んで山際まで敵を追い込んだ。今までの袁術軍もその戦術にしてやられたんでっしゃろなぁ。

 

 けど、それは呉景さまらの話ですやろ?

 

 いかにも追い詰められ、進退窮まったという体の袁術軍に、ここで一気呵成に揚州軍は攻勢に出たんですわ。

 もちろん、張英将軍にしても追い詰められ、要所に上がった兵を攻めるんは難しいとは承知しとった。

 やけど、ぐずぐずしとるとせっかく切り離した後続が来る。手柄を自分たちで独占したいという功名心もあったと違いますか。とにかく攻める決断をした。

 

 まぁ当然真っ先に襲いかかったのは、肉薄していた笮融。

 丘陵に逃げ込んだ敵の左翼を追った。これが立派な軍装の、見るからに精鋭。これの行動を封じるためという名目やったが、まぁ物資や甲冑目当てだったのは明らかですわな。

 

 ところが、この左翼が攻めきれない。

 元より登り坂を騎兵で攻めるんですから、そりゃあ持ち味の脚を殺すことになりますわな。

 

 それを置いても強いの硬いの。

 このちょっと前までは袁術軍なんぞは弱兵、寄せ集め、賊上がりの代表格みたいなもんで、それこそ劉耀軍相手に難儀するようなもんでしたわ。

 

 それが今となっちゃあ御遣いさんらがそれぞれの領分で、それぞれ好みに兵を仕立て上げるんだから、そら強いですわ。

 

 これには流石の笮融も苛立ち、

「こちらに兵を回せ!」

 と来たもんですわ。

 遠くの張英よりも近くの笮融ってなもんで、近隣の兵はその脅しに怯えて持ち場から離れてこの悪漢の援護に回った。

 

 ……そーぉやって少しずつ、少しずつ中央の兵は身内から削られていったんですわ。

 

 そして頃合いを見計らって、いよいよ対する御遣い……楊令公が動いたんですわ、多分予定通り。相手の手の内が出尽くしたのを見透かして。

 

 防戦から一転、丘陵の裏に秘していた騎兵が、遊撃に出て左回りに張英軍の背後に回り込む!

 ハナからここが戦場になるって楊将軍は踏んどったっちゅーワケですわ。

 

 そして兵隊ってのは駒とか碁石やあらへん。予定外の行動にはてんで弱く、出遅れる。

 慌てて揚州勢の右翼がこれを追った。それで詰みですわ。

 

 ここで袁術軍の中央がどっと駆け下って来る。逆落としでっから、そらもう土めくれ上がり大地が揺れるという有様で、あっちゅう間に手薄になっとった中央を蹂躙。

 

 こうなると、もういけませんわな。

 勝ち筋を見失った大将ってのは哀れなもんです。数がどれほどいようとも関係ない。刀を振りかざして声を張って制止しようとも、あるいは恩賞で釣ろうとしても、ここで死にゃ元も子もないって分かってるから皆言うことを聞きやせん。

 

 例の薛礼将軍はあっという間に勢いに呑まれ、笮融将軍はさっさと逃げ出し、味方をなんとか押し留めようとする張英将軍は、敗兵に押しのけられて落馬。

 

 立ち上がったは良いものの、そのまま戦意喪失茫然自失。背後を完全に取った騎兵の、槍衾に突き殺されるまでずっと棒立ちになってたってなハナシで。果たしてその間、どう想っとったんでしょうなぁ。察するに余りありますわなァ。

 

 ……え? 『さっきから偉そうに講釈垂れてるけど、アンタならこういう時どうする』?

 しゃっしゃっしゃ、そらアンタ、解ればワシかて天下の大将軍ですわ。

 

 

【張英/恋姫(オリジナル)……戦死】



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劉耀(四):獅子の残響

 揚州軍重鎮張英が率いていった大半が、孤立していたと思われていた敵の寡兵に難なく敗亡させられたという事実は、劉耀の精神的な支柱をも打ち砕いたようであった。

 

「そ、そこまで……」

 そこまで強いか、今の袁術軍は。

 そこまで開きがあるのか、戦力の。

 そしてそれは、劉耀が考えていたような、単純な兵力の多寡ではない。将兵の質、経験値からしてまるで異なる。

 

 戦慄く唇から発せられる続きは、おそらくはそれらに類する驚愕の嘆きであったはずだ。

 その首脳の著しい動揺は、そのまま陣営全体の当惑として伝播する。

 さしもの剛将太史慈も、笑みにはやや引き攣りを見せるし、沈着な徐晃をして、いつもの無表情の裏に焦慮の兆しを垣間見せる。

 

 キルヒアイスはその中でも、もっとも等身大に事態を把握していたと言って良いだろう。

 敗残兵から収集した情報を整理する限り、敵の先鋒は智と勇のバランスの取れた、かつセンスも経験も併せ持つ軍人だ。

 恐らくは後続もまた、同等以上の名将らが控えていることであろう。

 寿春方面は今川、陶謙勢と袁術本隊とが対しているが、こちらもいつその連合を突破して揚州へ渡ってくるか。

 

(それと……)

 キルヒアイスはそれとなくシャープな体躯を西へと向けた。

 

 それでも、キルヒアイスの見るところ、まだ絶望的というほどではない。これ以降の戦況の推移如何によっては、負けない戦は容易ならざるとも可能である。

 ただしそれは、自分に軍権が渡れば、の話である。

 そして今、対立者のいなくなったこの混乱期、スムーズにそれを譲り受けるだけの条件は出来上がっている。ただ総司令官であり自分に少なからぬ好意と温情とを持ってくれている劉耀に一言具申すれば良い。

 

 だがその卑劣さに対する後ろめたさと、来るべき顛末が、その一言を躊躇わせる。

 なるほど確かに今だけはこの苦境をやり過ごせるかも知れない。

 だがそれは、あくまで延命措置に過ぎない。ともすればさらなる攻勢……大攻勢を招く恐れも出てくる。和を講じようにも、元より袁術の狙いは揚州の地そのものだ。

 

 故に、余計な介入をするよりかは、むしろこの時点で劉耀には折れてもらって、降伏した方が、民将兵のためなのではないか。

 

 そう逡巡していた時であった。

 

 ――何をしているっ! キルヒアイス!

 

 天啓にも、あるいは霹靂にも似た大喝が、キルヒアイスの全身を打った。

 顧みても、もはや進行さえままならぬ軍議の席がそこにはあるのみ。

 

 ――ただ一時の安泰のため、愚劣きわまる為政者どものために、今ここにいる彼らが犠牲になって良い理由がどこにある? 富める者が持たざる者たちを蹂躙するのでは、貴族どもに泣き寝入りすることと同じではないかっ、俺とお前は、それを良しとしないからこそ立ち上がったのではないか!

 

 声は、己の内側より聞こえてくる。

 烈しき声。だが、全霊をもって傾聴するに値する、かつての主君、懐かしき友の音。

 

 むろん、それが自身の感傷より生じた幻聴に過ぎないことは、キルヒアイス自身がよく承知している。

 だが、在りし日の彼がここにいたとして、やはりそう叱りつけたのではないか。いや、そうであって欲しいと願う自分がいる。

 

 そして、初歩的なマキャベリズムのために、自分のエゴのために、今を生きる人々を見殺しにするのでは、自分が忌避し、彼に諫めたヴェスターラントの悲劇と何ら変わらぬのではないか。

 

「……まだ、私を休ませては下さらないのですね……ラインハルト様」

 直後に頬に浮いた苦笑が、彼に一歩を踏み込ませた。

 

 惑う陣営において、唯一毅然とした所作とともに前へと進み出たキルヒアイスの姿は、他の何者を差しおいてもっとも目立つ構図となった。

 もはや茹でられ過ぎた青菜のごとく、しおしおとしている劉耀に、彼は面と向かった。

 

「揚州刺史さま」

「ウム? な、何かね。暇乞いかね?」

「いえ、閣下にお尋ねしたいことがございます」

「こんな時に?」

「こんな時、だからこそです」

 

 赤毛の大将は、怯える娘より視線を外さず、尋ねた。

 

「閣下は本望よりこの任地に就いたわけではありません。ですが……務めを果たそうという意欲は、お持ちですか」

 

 その問いかけに、劉耀はピエロじみた雰囲気を引き上げて息を呑んだ。

 常日頃の彼女を知る者であれば、十中八九は「持ち得ておられまい」と答えるだろう。

 だが、そうした彼らの軽侮に反し、そしてキルヒアイスがそれとなく見抜いていたように、色を喪った唇を浅く噛んで、なけなしの良心を揮わせて答えた。

 

「……たしかに、能うならば故郷に帰りたいともさ……だが、私は勅命を仰いでこの揚州にいる。この地を安んじよという、天子の御意志により。その詔が取り下げられない限りは……劉氏のはしくれとして……退くことは、できない」

 

 息も絶え絶え、だが譲れぬ意志を瞳の奥底に宿して、揚州刺史は毅然と背を反らして言い放った。

 もっともその一瞬後には、「できるかぎりね、できるかぎり」と総身を震わせながら付け足したが。

 

 彼女の決断はこの後どのような結果を生むかはさておくとして、キルヒアイスはその決意のほどを聞けて、その気高さを垣間見られて良かったと思った。

 

「わかりました。ではわたくしも『できるかぎり』を尽くしましょう」

 誠心より深々と礼をし、キルヒアイスはそう言った。

 

「……決まりだな」

 そこまで黙して成り行きを見守っていた吉兆がそう言ったことで、指揮権の移譲とキルヒアイス自身の梯子外しが決定的なものとなった。それは、張英派以外の皆が望むところであった。

 

「だが、具体的にはどうする?」

 首ごと向けて、赤玉党主は尋ねた。シャープな肉体ごと向き直り、新司令官は答えた。

 

「まずは戦略の見直しを。まず北部、袁術軍本隊に対しては、今川公に。あらためて彼と盟約を結び、物資面より支援します。これには、李厳将軍、韓浩将軍に担当してもらいましょう」

「えぇー、そんな細々とした地味作業、めんどくさ……ぎっ」

 

 隣に座る韓浩に、足の甲でも踏まれたらしい。

 李厳と呼ばれた新参の女武将が甘く緩めの顔つきが、苦悶がために引き締まる。

 

「わかった。託された以上は非才を尽くすよ」

 と、嫌味の無いさっぱりとした、少年的な語調で韓浩が二人分の返答をした。

 李厳も李厳で肩をすくめて、

 

「……ま、重要な局面で兵站を欠かすようなヤツなんかいませんて。そんなヤツの末路なんてまぁ、知れたモンですよ」

 消極的とも挑発的ともとれるような物言いで同意した。

 

「又兵衛殿と赤玉党のお二人には、豫章城まで退いて防戦を。劉耀閣下にも、そこで総大将として鎮座いただきます。楊奉将軍は、その護衛と守りの手配を」

「エェッ、私も!? できればその……本拠地でみんなを督戦するとかね」

「さっきできる限り務めを果たすって表明したばっかりじゃない」

「曲阿まで退けば、兵士(みんな)に逃げたと思われる」

「そうそう、ドーンと構えて動かなければ良いの」

 

 呆れたような目つきで総大将を軽く睨んだ少女たちは、それからキルヒアイスに意識を移した。

 

「で、今言った中に太史子義と徐公明(私ら)の名がないってことは?」

 と、授業を終わらせた幼年学校の生徒がごとく、目を輝かせる梨晏に、キルヒアイスは苦笑して首肯した。

 

「両将軍には、わたくしと共に、撃って出てもらいます」

 

 〜〜〜

 

 かくして、青州しかり、益州しかり。

 銀河の中で瞬いて消えた赤き仁星は、他と同じように再輝の兆しを見せ始める。

 

 その光を嘉したもうたものか。

 あるいは驕れる孫袁を罰したもうたものか。

 

 ――この時奇しくも一つの悲劇が、孫軍内部で起こっていた。



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孫堅(六):お前は家族か(前)(★)

 九江のほとりへ、孫家の船団は駐留した。

 物資や兵員を上陸させるその中に、甘寧がいた。そして、つい先ごろまで劉表軍の客将であり虜囚となっていたシグルドがいる。

 いずれも荊州旧権劉表軍とは浅からぬ因縁を持ち、それがゆえに先鋒を任せられた両名である。

 

「分かるか、この選抜の意味が」

 いくばくかぶりに馬上の人となったシグルドに、甘寧は問いかけた。

 投げた視線の先に待ち構えているのは、切り立った崖に拵えられた砦。棲まうは、江賊である。また、黄祖より離反して彼らと結託した劉表兵残党であった。反発するまでならまだしも、旧地奪還がための兵糧物資の確保と称し、近隣の村々を襲撃していたのでこれは看過できない。ゆえに劉耀討伐の片手間に征伐してしまおうというのが、名目である。

 しかしながら砦を占拠するニ勢力にも、甘寧の見知った顔があるという。シグルドもまた同様であった。

 

「我らに求められるのは、勇武のみではない。あの古巣の亡霊を駆逐し、新参者が孫家に対する忠義を証明する。そのための陣立てだ」

「……あぁ」

「また、戦略的にも大いに意義がある。一見これは、此度の劉耀攻めの援軍とは無関係に思えるが、九江は揚州に対する恒久的な拠点だ。いずれ袁術に先んじてかの地を奪取するためのな」

「あぁ……」

「おい、聞いているのか?」

「聞いている」

 

 鷹揚に、否茫洋と頷いた貴公子の首筋に、鈴の音とともに切先が突きつけられる。

 

「これは貴様の腑抜け様を叩き直すための荒療治でもある。だが、もしそれでも気萎えが治らず我が軍の妨げとなるようなら、その時は」

「分かっている」

 

 それにも生返事をするシグルドに、剣を納めた少女はため息を吐いた。

 この鈴鳴りの女水賊は半信半疑であっただろうが、シグルドは事実情報として漏らさず言われたことを呑み込んでいた。

 

 だが、感情はまるで死んでしまったようである。

(私は、何をしているのだろう)

 彼女らが悪人ではないととうに分かっている。大望あって天下を切り従えんとしていると。

 一時は梟首にされたアーダンも、その出自が定かとなると丁重に弔ってくれた。この悪党相手の先陣も、居心地の悪かろう己の立場を少しでも良くしようという、彼らなりの配慮であったろう。

 

 だが、守るべき友はすでにいない。

 悪党といえ、半ばは同胞。その成敗の後に先に待ち受けているのは、不毛な侵略行為ではないか。

 これ以上、なんの、ために?

 

 軍を進め、勝手知ったる甘寧と指図のもと、彼女の子飼いの手勢が雄声をあげて搦手より攻めかかる。だが堅固に拠り、後のない敵方もまた死兵と化して抵抗する。

 彼女がそうして敵を引きつけている間に、シグルドが騎兵を率いて正面から攻めかかって突撃する。あるいは可逆でもあっただろう。彼女とは指揮官として毛並みが違う。他ならぬ甘寧からの申し出は、妥当なものであったとシグルドは思う。

 

 そして半ばまでは、その作戦は奏功した。

 シグルドの武人としての肉体は、精神の状態如何に関わらず、自動的に動いた。

 かつて大陸を横断する征旅を敢行した、仕上がった体躯と武練。それをもって突っ込んだ。遠慮すべき理由も、惜しむべき命もなかったのだから、単身での突破力はいかほどのものか。

 

 常人では苦労する難所を片手の手綱捌きで上り詰め、並み居る賊兵を片手斬りで薙ぎ倒し、単騎駆け。背に追い縋る部下をも置き捨てて。

 

 だが、賊兵とて元は正規兵である。弱卒であったと言え、元は学術の水都の部曲である。内には知恵者も紛れていた。

 思考があった。思惑があった。相手を嵌めんとする思慮があった。

 

 正面を破ったシグルドに、頭上に潜んでいた伏兵が矢戦を仕掛けた。

 風切る羽音とともに降り注ぐ矢を、シグルドは仰ぎ見た。

 ぞんざいな一閃は、その多くを叩き割ったが、除き損ねた一矢が、シグルドの腹に突き立った。

 

 貫かれた箇所が不自然に熱を持った。おそらくは即効性の毒の類であろう、とシグルドは他人事のように診断した。

 白馬より転がり落ちる無様は侵さなかった。だが、世界が揺らぐ。意識が溶ける。不安定になった視界の先で、騎兵が追いついてくるのが見えた。

 

 だが、もう良い。

 もう、良い。

 すべてに。

 疲れた。

 

 〜〜〜

 

「……どうしてこうなった!?」

 半死の降将を抱えて九江より撤退した思春に、中軍を統率していた蓮華は詰め寄った。件の傷病者、戦犯を収容した医室の手前、咎める声は激しくも控えめである。

 

 無論、あらましのみを聞いても、彼女に非がないことは承知している。

 それでも、先鋒の予期せぬ失態は、排他的ながらも穏当な孫仲謀を当惑させるに充分であった。

 

「……面目次第もありません」

 極力私情を交えず説明し、不必要な弁解をしなかった思春。彼女は、主君の叱責を浴びてようやく自身の見解を示した。

 

「さりとて蓮華様。お分かりでしょう? あの男は、その心は、すでに死んでいたのです。夏口で。守るべき者を守れなかった、あの瞬間に。……私とて、貴方を喪えばそうなるかもしれないのです」

「くっ……」

 

 そうだ。分かっている。分かっているつもりであった。だがあえて孫家(われら)はそれを無視して見ないようにした。あるいはやり直せると楽観視して、家族として迎え入れる腹積りであった。

 

『結局、あなた方の家族なんて言葉は口先だけ。本当に大事なのは自分と血のつながりのあるものだけ。それ以外はあたしたちのように、より便利で使い勝手の良い駒を得れば体よく入れ替える』

 己の内より浮かんできたのは、凌統が吐き捨てた怨嗟。

 そして、嫌っているはずの天の御遣い、その内の一人の男の死に揺らぐ己がいる。

 

 王者とは、どうすることが正しいのか。

 すべてを愛して赦し、迎え入れるべき度量を示すことか。

 それともどうあっても容れられぬ事物を、その者のためにも毅然と跳ね除ける峻厳さか。

 

 双極に在って孫権は、迷い惑う。

 

 〜〜〜

 

 そして数日間熱病に浮かされていたシグルドは、もはや持ち直す気力も意欲もなく、そのまま枯れ果てるようにして死んだ。

 

 今わの際、青髪の貴公子は何者かの名を口にしたというが、その発音が耳慣れぬものであったことと、滑舌自体がもはや定かであったことから、ついに聞き取る者はいなかった。

 その音調が甘やかで穏やかなものであったことから、おそらくは彼にとって大事な女性であったことのみが、窺い知れるのみである。

 

 

【シグルド/ファイアーエムブレム 聖戦の系譜……戦死】



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孫堅(六):お前は家族か(後)

 蓮華は最重量の足取りにて、総大将孫堅の、安陸(あんりく)の陣所を訪れていた。

 陣所と言っても半ば隠居所のような装いである。

 今回限りの配剤か恒久的なものか。長子孫策に指揮を任せて一線を引いた母は、長江の流れを汲む堀に釣り糸を垂らしている。その肉体の内に抱え込んでいるのは、末妹の小蓮である。

 

 隠居と言っても寂しい光景とはならず、絶えず官民問わず多く入り混じるのは、いかにも出鱈目な人気を得ている母らしいといえばらしい。

 

「応、どうした仲謀」

 皆の手前、娘を字で呼んだ。

「……申し訳ありません」

 母の悠々自適を邪魔したことと、この凶報と失態に先んじて。二重の意味を込めて蓮華は謝った。

「お預かりしていた御遣いシグルド、賊の刃に掛かりました」

 

「そうかよ」

 母の釣竿が、やや重みが加わり撓む。

「私の監督が行き届かず、有為の人材を喪いました。むろん、姉様にも報告済みです」

「なら、伯符の判断を仰げ。それとも、何かおねだりでもしたいのか」

 いえ、と蓮華は言葉を濁した。ここに来るまではただおのが失態の自己申告のつもりであった。

 だが、事後策や対案を用意していない報告に、いったい何の意味があるのか。あるいは炎蓮の言う通り、自分は何かを求めてわざわざ自陣から引き返してきたのか。

 

(……叱られに来たのか、私は?)

 

 思えば姉に伝えた時、彼女は痛ましげな苦笑とともに、妹の肩を叩いた。

 そのうえで、九江の敗軍をまとめ、切り上げるようにとの指示を受けた。その時から、痛みを帯びた煩悶は強くなったような気がする。

 

 誰かに、男の傷心を汲めずあたら犬死させた咎を、責めて欲しかったのではないか、と。

 

「母様っ、見てみてっ! 竿、引いてるよ!」

 場の空気の重さを読まぬゆえか、それとも読んだがゆえか。

 上下に揺れる竿を認め、炎蓮の腕の内で妹がはしゃぐ。

 

「おぉ、そうか。今魚籠取ってくるからなァ」

 おおらかにそう言いつつ、母が竿を娘に握らせて立ち上がった。

 部下から寄越された籠を手にせんとする彼女を、蓮華は追った。

 

孫家(かぞく)になれなかった野郎の犬死なぞ、いちいちオレらが気にする必要などあるか?」

 ぞんざいに吐き捨てられた言葉に、蓮華は愕然とした。

 

「あぁ、だがまぁちょうど良い塩梅の手の引き頃だな。これを口実に、軍を退かせろ。公路にも、いい加減独り立ちさせてやらねぇとな」

 

 なんて事なさげに苦笑とともに袁術を想う炎蓮の感情を追い切れず、蓮華はしばしその場に立ち尽くしていた。

 

 〜〜〜

 

 桟橋を渡る蓮華の足は速く粗い。

 いったい何に苛立っているのか。好いてもいない男の死に振り回される己にか。あるいはそれを雑事と切り捨てた母にか。

 

(私は今、どちら側に立っているの)

 

 荊州戦を終えて以降の孫文台には、わずかならず変化が覗えた。

 どこが、と問われれば難しいが、それでも強いて言語化するなれば、極端になった。

 民草にも分け隔てなく接する豪放さはそのまま、豊かな情愛と懐の深さを持つ器量人。

 だが、一旦己が情を抱いたものにはとことん甘くかつ執着し、一方で無関心なものについては、酷薄な対応をする。嫌いな者については徹底的にそれを破壊せんとする。

 かつ、いつその愛憎が切り替わるか。境目が定かではない。

 日に日にその乖離は広がっていく。

 

 皆は笑みを向けてその情愛に謝す一方で、その裏ではいつ自分が彼女の怒りに触れてその爪牙に引き裂かれるか、気が気でない。

 実際に、すでに降伏した荊州の儒者や学者のうち、些細な失言や失礼から南海覇王の錆となった者が何人かいた。

「まるで、虎が放し飼いにされているような……」

 心持ちであることは、言葉にせずとも暗黙の了解となっていた。

 

 ふと想う。

 苛政は虎よりも猛なり。だが悪政暴政を敷くよりも、あの母が鎮座し続ける限りは、民は心休まることなないのではないか。

 炎蓮がいる限り、薄荷は帰参したとて縊り殺されるだけなのではないか。

 

 ――孫文台は、荊州北上の途にあって、薄命の暁将として散った方が

 

 ごん、と蓮華は着岸する軍船の体に額と拳を叩きつけた。

(何という事を……なんておぞましいことを!!)

 一片でも、一瞬でも考えてはならないことだった。

 己が空想に蓮華は戦慄した。

 

「やぁ、孫権」

 

 その疚しさゆえに、背後から掛けられた声に、大仰なまでに蓮華は反応した。

 声の主は、黒絹の髪の端をふんわりと浮かび上がらせながら、小首を傾げた。

 

「どうかしたかい?」

 まずいところを、嫌な相手に見られたものである。

 その気まずさ自体は包み隠さず、蓮華はサーシャなる愛称の少女を苦い顔で顧みた。

 彼女の悪感情は伝わっているだろうに、それに対する反応はおくびにも出さず、サーシャは言った。

 

「シグルドさんのこと、聞いたよ。気の毒なことだった」

「気の毒だと?」

 蓮華は、おのが唇が抗いようのない力の作用によって、不自然に吊り上がるのを感じた。

 

「はっきり言ったらどうだ? 御遣いを孫家(お前たち)は使い捨てたのだと」

「そんなことは」

 

 異国の戦姫はやや細まった肩をすくめて見せた。

 

「ただそうだな……あえて言うなら、君は気負いすぎだ。シグルドさんの死は、君の責任じゃない。ただ、間が悪かったんだ」

 

 また、慰められた。「お前のせいじゃない」と言われた。

 まるで自分だけが聞き分けなくむずがる童のようではないか。

 

「あぁ、そうだ」

 だが、それでも。

 稚拙であろうと甘かろうとも。欺瞞であろうと偽善であろうと。

 譲れぬこの一線が、己が真芯であった。

 

「シグルド殿は、私が……孫家が殺したのよ」

 納得いっていないのは、自分自身だ。

 認める。同情してしまった。

「せっかく無念の死からこの中華へと生き返ったあの人を、私たちは何ら希望も持たせられないままに殺してしまった! ひどすぎるわ、こんなのッ、どうしようもなく、申し訳なく思うのよ」

 

 口調も感情も乱れて吐露する蓮華を、サーシャは黙って見つめていた。

 その訳知り顔が、なお神経を逆立てて、蓮華は御遣いへと詰め寄った。

 

「それを認めた上で、貴様は……貴女は、悪くないと言うの!?」

 

 が、激情をぶつけられてもなお、静やかにその双眸を細めるだけであった。

「……家のことはともかくとして、君はひとつ思い違いをしている」

 その目の形を留めたままに、唇が動く。

「僕らは、鎖で繋がれた奴隷じゃないよ」

 と。

 

「剣を捧げる相手を選ぶ自由を、対する敵を選択する余地を、僕らは等しく与えられていた。この世界に何を見出すのかもね」

「……」

「たしかに、シグルドさんのように自分を見失ってしがらみに絡みとられる人もいると思うけど、そういうままならなさも含めて、この第二の命は僕たちの人生だ……どうしようもないほどにはね」

 

 サーシャの論理は、見た目の年齢不相応に達観し、老成している。

 過剰な期待は寄せず、しかして確実に前を向いている。

 ただそれが故に、子守唄のごとくに彼女の声は蓮華の心拍を鎮めた。

 

「だから僕は、せっかくもらったこのチャンスを精一杯に生きてみるつもりだ。君はどうかな? 何がしたい?」

「私、は」

 

 自分は彼女のようにはなれないと蓮華は率直に自認した。

 あるいは目の前の女剣士はかつては肉体や立場に枷を負った人物であったかもしれないが、今は自由な立場である彼女は、やはり蓮華とは違う。

 

 自分には、家族も天下も切り捨てられない。

 ただ、己が裁量と権限の及ぶ限り、今回のごとき悲劇は引き起こさない。

 孫家に、天下に恥ずべき振る舞いは決してすまい。

 今はただひたすらに、そう誓うしかない。

 

「……良い顔だ」

 目の前の少女がふっと微笑んだ。

「何に行き着いたのかは聞かないよ。ただ、孫権のあるべき姿がこの世界に顕れることを、願う」

「蓮華」

「ん?」

 

 ひらりと、超人的な跳躍力で軍船に乗り上げた戦姫に、石を含んだようなぎこちない物言いであらためて言った。

 

「蓮華で良い……いい加減、孫権孫権と呼ばれるのも収まりが悪くなってきた」

 少年っぽくサーシャは歯を見せた。

「うん、それも良い真名(ひびき)だ」

 

 この異物異端だらけの大天下。

 そこへの歩み寄りを孫仲謀は、先ず黒髪の戦姫より始めた。

 

 〜〜〜

 

 軍事計画の急変を余儀なくされた孫家軍。

 しかしてその隙は、僅かな時間と箇所でしかなかった。

 凡人ならば見落としか、でなければ罠を疑い二の足を踏むような、針か綱の如き機を、揚州軍副将は決して見逃さなかった。



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孫堅(七):東興の失態

 江南、東興(とうこう)、孫軍前衛。

 そこに堤を作り要害と成さしめていた孫家でばあったが、別働にて地固めに動いていたシグルドが横死。それに関わる人事の再編により、立ち往生を食っていた。

 

 本来であれば渡河のために水流を緩めるという堤の工事も一休み。

 慰労と慰霊とを兼ねて、昼間より酒盛りを開いていた。

 

 その宴もたけなわ。

 ふと一兵が見上げれば、逆行の中、堤の上に小さな影がせり上がった。

 

 一瞬は腰を浮かせたが、その小ささと少なさから、彼は

(よも敵襲でもあるめぇ)

 と酩酊した頭で高をくくった。

 前衛と言っても所詮は手伝い戦。真の先陣は袁術軍の高杉水兵団であり、工作が主任なのである。

 

「んん……?」

 そう考えていた矢先、影が空を飛翔した。

 

 鳥か? 蜻蛉か?

 ――否、少女である。

 

 厳密に言えば、堤の上より駆け下った娘は、その中途で高らかに跳躍したのだが、彼の頭は正しくその構図を理解できる状態にはなかった。

 元来の身軽さと、斧の旋回を利用した常人離れした滞空時間も、そう錯覚させる一因となった。

 

 結果、彼は旋風となって舞い降りた少女の、斧の刃に巻き込まれた。その頭部は敵襲を触れ回るより先に血煙に沈んだ。

 

 そして誤解はもう一つある。

 なにも彼女は……揚州軍客将徐晃は、単身敵陣に斬り込みに来たわけではなかった。彼女はあくまで先遣に過ぎない。

 

 彼女の奇襲。生じた悲鳴が合図であった。

 それに呼応し、付近に潜伏していた軽船十数隻より、選りすぐりの精鋭がどっと突き出す。

 

 都合三千。

 これは真っ当に対すれば恐るるに足らぬものであったが、弛緩しきっていた孫堅軍を脅かすには、充分過ぎる数であった。

 

 〜〜〜

 

 雪蓮が急行した時、東興はすでに火の海と化していた。

 物資や天幕より燃え上がる火炎が天を舐め、地を焦がす。

 兵は右往左往し、盛んに鳴らされる銅鑼は、もはや危機以外何ら示すところがないという醜態であった。

 

 混沌としたその状況ゆえに、規律正しく襲撃者たちは引き返していくのは澄んで見えた。

 大斧の少女の差配のもと、撤退していく彼らを追わんとする雪蓮の前に、孤影が立ち塞がった。

 

「やーっ、露払いは買ってみるもんだね」

 

 ちょうど火の具合によって陰りとなっているゆえ、全貌は見えない。

 だが、すらっとしたその立ち姿と得物の堂々たる長尺、そして双肩より発せられる武威は、疑うべくもない。

 

「――太史子義!」

 

 太史慈。揚州の女傑。孫賁の攻略軍従軍中に出逢い、何度と小競り合いを続けてきた、好敵。

 激怒と喜悦。決して交わることのない感情を目元に同居させながら、雪蓮は焦土を蹴った。

 

 辞儀合い無用。初手より必殺の一閃。当然その程度の直線、容易に防いでのけると弁えたうえで。

 

 鉄が噛み合う音が、右往左往していた士卒の足を止め、一帯の喧騒を鎮めた。

 

 それは武というよりは舞。舞踊であった。

 

 ただしこの場合、物言わぬ木石や什器を得意げに破壊して格闘者を気取る人間を揶揄する表現ではない。

 いずれも本気、いずれも殺気。互いの生命を刈り取るために技術を惜しまず、工夫を練り、功夫を練る。

 だがその身のこなしは溌剌とし、互いに示し合わせたかのごとくに一つ手を過てば大惨事となりうる応酬を繰り広げている。

 生まれ持ってきた才覚、今までの培ってきた機略。それらを全力で打ち出せる相手の存在。それがゆえの歓喜であった。目の敵愾心はそのままに、両人の口端には、極上の笑みが浮かんでいる。

 

 その他者の介在できぬ時間において、傍観者たちは、おのが責務も危機も忘れてこの剣戟に立ち合えることを眼福に思い、かつ長く観戦できることを言葉に出せずとも求めた。

 

 だが蜜時というものは、実際にも体感にも短いものである。

 退いたのは、太史慈が先であった。すかさず雪蓮、これを追う。

 容易に離れさせず、相手に刃の置く。太史慈も太史慈で、堤防に上がり退きながらそれに応対して刃を振るうという、常人になし得ぬ技量でもって応じた。そして腰に秘していた小弓を雪蓮の死角より引き抜き、絞った。

 

 江東の姫丈夫。自身の眉間を抜かんとする鏃をしっかと睨むも、避けない。止まらない。僅かの速度も緩めない。

 その身に矢が達する直前、餓狼の如く、地面を這うが如く、頭を低めて雪蓮はさらに加速した。

 

 脳天を掠める風の圧、凶器の気配。それらをやり過ごした孫伯符の切先は、かすかに驚愕を浮かべる太史慈の喉笛を切り裂くはずであった。

 だが、突如としてその姿が消えた。否、堤防の頂点に達した太史慈の肉体は、長江の激流に投げ出されたのであった。

 

 咄嗟の出来事に足を踏み外した? 否、そんな間抜けであるものか。そも、逃げ道を意図していないわけがないだろう。

 雪蓮が眼下を望むと、そこには帆船があった。作戦を完遂したその船団はすでに発進している。その帆に我が身を受け止めさせた彼女が、船上に足をつけてべっと舌を出して愛嬌を見せた。返すものは、今の雪蓮には苦笑しか持ち得なかった。

 

 あとに残されたのは、奪うだけ奪われ、壊すだけ壊された自陣のみである。

(しかし、まさかね)

 太史慈に『戦闘』でなく『戦術』をさせる将がいるとは。

 ともすれば、柔らかな容貌と裏腹に、時として雪蓮以上の武辺者の面を見せる彼女に、作戦行動に従事させる器量の持ち主が、いたというのか、劉耀軍に。

 本来であればいい加減、柔弱な劉耀に見切りをつけて、肌が合うこちらについても良さそうなものであったろうに。

 それに針の如きこの隙を突いてくる目付けも、並の戦巧者のそれではない。

 

「いやいや、神速の救援、恐れ入ります。瞬く間に太史慈を退けるとは、さすが孫家お血筋じゃ」

 と声をかけたのは、元よりこの東興にいた部曲の一人である。

 初めは嫌味かと思ったが、どうやら媚を売らんとしているらしく、へへへとだらしなく相合を崩していた。

 

 その中年男の口元に、雪蓮は鼻先を突きつけた。

「な、何か?」

 何を勘違いしたものか。だらしなかった表情が、さらに締まりのないものとなる。

「なにか?」

 一度それに応えてニコリと笑み返したのも一瞬、鬼気迫る表情へと転じた雪蓮は、

「……戦場で悠長に酒なんか呑んでんじゃないわよっ!」

 と、その男の腹を蹴りつけて川面へと落とした。

 尾を引く断末魔の悲惨さから一見乱暴に見える仕打ちではあったが、蹴り落とす地点は選んでいる。しでかした事を想えば、相当に温情ある罰でもあった。

 

 掠めた矢が、半分切断していたらしい。その拍子に髪留めが千切れ、バラバラと長い髪が散った。

 

「荒れているな」

 苦笑とともに、褐色の義妹が寄ってきた。理知を眼鏡の奥底の双眸に閃かせた周瑜は、自然体に進言した。

「炎蓮様よりの指示だ。シグルド殿の死を名目に、我らは揚州より完全に手を引く」

「……気に入らないわね、えぇ、気に入らないわよ」

「だが、寿春攻めも難航しているとのことだ」

「今川は、そんなに強いの?」

 彼女の興味は、惰弱な味方よりも強敵に向けられていた。

 

「元より堅陣なのもあるが、ここに来て揚州からの支援が本格化してきた。あと、どうしてだか総司令官の『張勲閣下』がここのところ妙にやる気がなくてな。遠からず、揚州入りを断念して陶謙の掃討に主眼を置くことになるだろう」

「……豫章方面の高杉たちは」

「無論、知らずじまいだろうな」

「じゃあ、仕方ない。彼らにこちらの撤退を伝えて退くとしますか」

 

 自他の失敗をいつまでも引きずるのは己の性分ではない。そう見切りをつけて、雪蓮はさっぱりと決断した。

 

「それにこっちもこっちで、色々と問題が浮き彫りになってきたしね」

 天下を窺うがための、孫家の新基軸。そのための陣立ての試行錯誤が、この益無き援軍の主目的である。

 ゆえに、この敗北による目的は果たされたと言って良い。

 ここを守っていた情けない者らは、いずれも新参。元劉表軍の投降者であった。もちろん荊州閥の中でも勇者たちはいたが、その多くは左近やアーダンとともに散ったか、でなければ黄祖が抱え込んだままであろう。

 

「で、どうするの、こいつら? 今のままじゃ、まるで役に立たないわよ」

 自分達の部隊長が突き落とされたのを見て、ようやく東興の守備兵はおのが咎を痛感したかのように、肩を窄めて俯いた。

 

 冥琳は彼らを睨み回しながら、嘆息して言った。

「灸を据え、叩き直しておく必要があるだろうな……そろそろ蔵にしまい込んだものを、出す時が来たようだ」

 その役割を果たせる人物。雪蓮にもよく心当たりがあった。

「いつまでも律儀に操を立てて引き篭もっている、あの『荊州の盾』をね」

 

 〜〜〜

 

 キルヒアイスの採った方策は、ケレン味のない、ともすれば凡庸なものであったかもしれないが、その最低限の工程で最大の効果を引き出すことに成功していた。

 

 孫策らが素直に敗北を認めて撤退。本隊の停滞。それらを知った高杉、楊業、耶律休哥の三軍もまた、後援が得られない事を察して漢水を遡上して引き返した。

 

 自分らの土地が救われたことを知った揚州強襲部隊は、船上にて勝利に沸き立った。だがそれを率いるキルヒアイスの表情には、勝利への達成感と言ったものはなかった。緩やかに首を振る。穏やかに、だがぴしゃりとした物言いで新たな指示を飛ばす。

 

「全艦、進路を西へ。次なる敵へと備えます」



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???(2):それぞれの再会

 男の足下を、劉旗をたなびかせた船団が通過する。

 渓谷を流れる水流の速さに比して、その走行はゆったりと、安定したものだ。

 明確にこちらの所在と動向を知り、かつ牽制するための行軍であった。

 

「――ほう?」

 己が計が破れたにも関わらず、男の嘆息はどこか楽しげで、酷薄そうながらも口端は吊り上がる。

 

「さすがに気取られたか」

 隙あらば揚州南部。厳白虎が旧領を掠め取って拠り所とせんと画策していたが、どうして中々。孫袁両軍を相手取った手腕と言い、揚州軍の新規司令官は奇のてらいはないが、その決断と行動は非凡なほど大胆で速く、しかも的確であった。

 

 もっとも、そうでなくては面白くもない。自分と同等にこの世界に呼ばれた者たちが、この程度であろうはずもない。それゆえの、笑みである。

 

「……向こうが気づいているともなれば、狙撃の恐れもあります。ここはお退きになるべきかと」

 可憐なる従者がそう進言するのに、男は頷き返した。

 

「無論、引き上げる。だが、それも無用の心配ではある。奴らとて強いて我らと事を構える心算ではあるまい」

「であれば、彼らはなんのためにここまで進出を?」

「第一に、我らと同様の威力偵察。第二に、有事の際にはここまで行動圏を引き伸ばせるという誇示であろうよ」

 

 そう答えた男の足下で、一人の少女が筆を走らせている。

 地を掴むようにして背を丸め身をかがめ、書き損じの紙片をかき集めたものであろうものに、男の知るところの神代文字に似た羅列や図を書き連ねていく。時折、思い出したように頭にかぶせた丸帽子の上から、意味があるのか指をガシガシと前後させる。

 

「……あの規模の軍船をこの川幅に!? となると行軍速度は……ふむ、なるほど! そうとなれば、兵糧の消費量とそこから割り出される乗員の数は……」

 という独語から解るとおり、完全に彼女自身の世界に没入していた。

 

 同輩の醜態と不敬に眉をひそめた楽進こと凪が、諌めようとしたがそれを制したのは男自身であった。

 

郭淮(かくわい)よ」

 男がその名を呼ぶと、少女が緩やかに頭をもたげた。

 

「戦を学ぶのは、楽しいか」

「はい! 伝え聞く遠方の名将同士の邂逅! そして楊業軍の寡兵にして一方的な蹂躙! この時代に生まれて良かったー!」

 あけすけに声を張り上げ灰色の目を輝かせて我が身をかき抱いて身悶えする少女に、男はさしたる嫌悪も好意も見せずに言葉を落とした。

「ならば覚えておけ。この世にただ一つとして同じ戦などない。微に入り細を穿つがごとく書き記せば、かえって障りとなることもある。己が肌と頭に叩き込み、自由にそれを出し入れできるよう努めることだ」

 

 その訓戒を受けて、

「はいっ! 師父!」

 と、元気だけは良く応答して掌と拳とを合わせた。

 まったくらしくないことを言った、と男は我ながら思い、眠るがごとく目を細めた。

 

「それと、留守の文欽(ぶんきん)様より伝令。以前孫家に追われた武陵の沙摩柯(しゃまか)様、さらに劉度軍にも追討されて庇護を求めているとの由」

「差し当たってはドゼーを派遣せよ。ちょうど趙範(ちょうはん)を降す頃合いであろう」

「よろしいのですか? おそらく、劉度軍の背後には」

「分かっている。孫家の要請を受けての掃討作戦よ。だが、あえて従属勢力を差し向けるということは、荊南に割く余剰がないということに相違ない。主力は荊州に守備と揚州の攻略とに置いている」

 

 劉表を討って支配領を拡充した孫堅軍ではあったが、その陣容は領地に比して薄まった。劉表はじめ大半の将官が袁術軍にさらわれたことが痛手であったことだろう。

 

 その隙に、自分はこの大陸南部の厳白虎や劉表など反揚荊州勢力の旧臣、志々雄に蹂躙された士家の遺臣、そして沙摩柯ら南部の異民族を扇動し、糾合して取りまとめる。

 無論、自分に反する者らの登場もあるだろう。この世界において、彼ら主従はことに異物だ。こうして一勢力を成した今でさえも、常に偏見と好奇の視線はつきまとう。

 

 だが、この肌寒さが心地良い。

 聖上の恩恵から突き離され、徒手空拳で己が勢力を作り上げる。現王朝も帝の威光も漢民族であることにも阿らない、理想国家を自らの才腕のみで築き上げる。

 この大事業の、なんと痛快なことか。

 

「――よろしいのですか?」

 

 それを踏まえて、そして溜まりかねた様子で、従者シチーリヤは進み出て言った。

「私が、お側に再びお仕えすることを、お許しいただけるのですか」

「どういうことだ」

「……すでにお気づきでしょう。私は」

「お前は俺にとって良き副官であった。最期の一瞬まで、そこに何者かの意思が介在していようとも。そしてこれからもな」

「……!」

 

 伏せかけていた目と顔を持ち上げる美少年に、男は背を預けるがごとくに向けた。それに郭淮が続き、楽進が寄り添う。

 

「以後も我が智を支えよ、シチーリヤ」

 そう促されて、彼は

「……はい!」

 人形として、作られたものでも指示されたものでもない、己が真情に従い破顔した。

 

 前述の通り、男たちは異物であった。

 やや鋭利にすぎるきらいはあれど容貌に優れ、気宇は大きくそれに相応の才器を持ち合わせている。

 ただ、同様に天下に理想を掲げ勇翔する群雄たちと違う点は、彼らには獣の耳尾が生えていたことであった。

 

 男の名は、ライコウ。

 聖賢と冠される、彼の世界随一の智慧者であり、革命児であった。

 

 〜〜〜

 

 陸口より撤収していく袁術軍を、ライコウ軍の別働隊は対岸の竹林にて、その存在自体を秘しつつ監視していた。

 その栗色の蓬髪を風に靡かせ、少女が兵と竹の合間を疾駆する。

「しゅばーっ!」

 奇声とともに踵で地を削りながら、その先頭に躍り出る。

 

「ライコウ軍第一の幕僚()幼常(ようじょう)! 荊南に撤退すべきという最重要指令を持って参上いたしました!」

「うるっさい。こちとら隠密任務中だっつの」

 

 踊り込んで来た馬謖(ばしょく)を邪険に出迎えたのは、新参の張燕である。

「それで、大将は?」

 彼女の黒山の手勢を主力とする軽歩兵による斥候部隊、その長を目で捜す自称幹部に、張燕は顎をしゃくって断崖に立つ男たちを見た。

 

 その副将は、精悍な若者であった。

 むろん、馬謖よりも年長ではあるものの、精悍な顔立ちの、未だ幼さの残る顔立ち。だがそれは実際に若いのか、童顔なのか判別がつきかねるところである。

 黒衣の軍服をまとう細身は、骨格がしっかりしている。腕を組み、竹をしならせもたれかかる今も、一分の隙も見せない。よしんば刺客が不意打ちを仕掛けたとして、腰の大刀をまたたく間に抜いて両断してしまうだろう。

 

 しかしそれでいて武張ったところがない。沈着でその所作には荒々しいところがなく、まるで静かに降り積もる雪のような青年であった。

 その細められた眼差しが、聚鉄山に向けられていた。

 

「ほうほう?」

 丸みを帯びたしたり顔に掌を当てながら、青年に馬謖は並び立った。

「いーい所に目をつけますなぁ。『高きによって低きを視るは、勢い既に破竹』と言いましてですねぇ」

「悪いが兵法の話じゃなく、オレが山を眺めていたのはただの個人的な感傷だ……やはり、同じ山でも勝手は違う」

 苦笑とともに青年は、少女を懐近くまで迎え入れた。

 じっとりとした、険のある眼差しで、馬謖は青年へと詰め寄った。

 

「じゃあユキムラさん、ちゃんと敵も見ずにぼんやり山見てただけってことですか?」

「いや、きちんと撤収と動員兵力、行軍速度は見届けた」

 

 ――実のところ、山ばかりではなく、あの軍にも興味があった。突き詰めて言えば、それを率いる水将に。

 

(本当に、あの水軍を指揮しているのはオレの知る貴方なのか……? 高杉さん)

 守るべき(もの)が違った。貫くべき信念(もの)が違った。それがゆえに敵となったが、それでも互いに憎からず想っていた。

 命をくれ、と言われた。死にたくないと。血を吐きながらのその言葉が、今も耳に残っている。

 

 こうして互いに蘇り、互いの宿業から解き放たれて再会すれば、友と成り得るのだろうか……?

 

「大将殿ー」

 唐突に黙り込んだ『ユキムラ』を、訝しげに見つめていた馬謖であったが、すぐに身を転じて今度は大将自身に向かって声をかけた。

 興味も表情も、ころころと移り変わる、せわしない少女であった。

 

「聞こえている。すぐに、陣払いを始める」

 と短く切り返したのは、中華風の装いの男であった。彼がこの陣営における、最年長と思われた。

 中華と言ってもその軍装は胡服のそれに近く、どこか荒涼とした、北の風を常に伴っている。

 

 だが峻厳な彼も彼とて、どこか尾を引く感じの眼差しで、袁術水軍が長江に残した波紋を顧みた。

 

「貴方も、知己がいましたか」

 自身のことも踏まえてそう軽く気紛れに問うた青年将校に、

「父がいた」

 と抑揚なく答えた。

 旧友かもしれない男がいた『ユキムラ』よりも、よほど深刻な運命の皮肉であろう。

 

「どちらが?」

 高杉ではまずなかろう。となれば、残るは二将。遠目に見る限りでは、そのいずれでもさもありなんという佇まいの武門ではあったが。

 

「どちらもだ」

 

 北の武人は、冗談としか聞こえないことを、冗談とは取れぬ調子で告げて去っていった。



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天道撃墜 ~上党覇戦~
曹操(十一):行き着く運命


 空となった易京城塞。その内門を、臧覇は足裏で蹴り付けた。

「またも外れか」

 と毒づく彼女の表情には、勝利だとか攻略の喜びはない。

 

「鄴を棄て北平に戻ったかと思えば易京に拠り、そして今また物資兵員だけを掻っ攫ってトンズラかい。戦い方が真っ当じゃないねぇ」

(お前が言うな野党)

 

 内心でそう入れつつ、司馬懿は北風に曝されて冷え切った城壁に触れた。

 

「南皮では義経公が兵を挙げられたとか。このままでは退路が脅かされる。一旦曹仁殿と合流した方が良いだろう」

 と長政が進言した。その前に残兵伏兵の有無を確かめるべく、居ないと半ば承知しつつも、砦内を連れ立って巡る。名に聞こえし天下の要害にも個人的な興味はあった。

「しかし、こうも機動戦を徹底されると空恐ろしいものがあるな。六角(ろっかく)殿を思い出す」

「おそらく主導権が劉備側に回り、指揮を取る軍師(もの)が変わったのでしょう。それも、複数人に。そうでなければ、この癖の違う進退に納得がいきませんわ」

 長政の素朴な感想に、司馬懿こと青狼は、一応の少女らしい声音を保って答えた。

 

玄徳(げんとく)公か……となれば、その軍師はやはり、諸葛亮か、あるいは龐統(ほうとう)か」

「あぁ、司馬徽殿の門人として、名は聞いたことがありますわ……浅井殿は、何故その名を?」

 

 問われた長政は、やや言い淀んでから

「……すでにして某の知る三国の世とはだいぶ毛色が違うが……」

 と前置きしたうえで答えた。

 

「劉備公は、曹操殿の天敵として、この後の時代に幾度となく干戈を交える運命となる。そして諸葛亮殿は……司馬懿殿、貴殿と兵略と智略の限りを尽くして戦うこととなるのだ」

 

 先の事象を打ち明けられたとしても、青狼の心は動かず、ふぅん、と曖昧な相槌を打つことに終始した。

 実感のないことだ。己は未だ一時的に曹純の指揮権を預かる書生に過ぎず、相手も農兵上がりの参謀もどき。この立場から一体何がどう転じてそのような運命に巡り合わせるというのか。

 

「ほう、じゃあアタシはどうなるのかね」

「臧覇殿は……孫呉と……たしか荊州で……良い感じで防いでいたと思う」

「え、そんな濁すほど影薄いの?」

 

 ゆえにそれ以上は聞かず、彼は意識を、城壁に在って芒洋と北天を見るめるロブ・スタークへと向けた。

 

「スターク公、いかがなさいました?」

「ロブで良い、公と呼ばれる資格はない……あれはなんだ?」

 

 あれとロブが示した先、地平の果てには長々と連なる類壁が見える。

 青狼も知識としては知るが、初めて見る。と同時に、近づこうとも思わぬ場所である。

 

「あぁあれは、長城です。北からの侵入を防ぐための」

「北には何が?」

「たとえば烏丸、鮮卑……所謂五胡(ごこ)と称される漢にまつろわぬ騎馬民族たちですわ。ロブ殿も北方のお生まれとうかがいましたけれども、故郷には何が?」

「似たようなものだ」

 

 苦笑を髭の下にたたえて、北の王は言った。

 

「『壁』がある。その先には雪と氷と、そして野人が。そこに異母弟(おとうと)も送られた」

「防人としてか……過酷な務めだろうな」

「ホワイト・ウォーカーが現れたという者もいた」

「ほわいと……?」

「数千年前の怪物だ。その身体は氷で覆われて、死者を操る。その時には皆、出鱈目だと言った。だが今は……おれが『ウォーカーもどき』だ」

 

 そう言って自嘲したロブを、長政が肩に手を置き慰めた。

 

「怪物うんぬんはともかくとして、面白い巡り合わせだねぇ」

 蛇の如く臧覇は青狼に絡みついた。

「世界は違うのに、似たような『壁』が北辺にある」

 

 自身の秘事を察せられる前に、それとなくその腕を外しながら青狼は

(そう偶然の一致とも限らねぇがな)

 と考えた。

 

 この天下に相容れぬものが並び、互いに成長と拡張を続ける限り、いずれ何処かで境界を引き、それを超えた瞬間に攻撃し合うのだ。スターク家と野人、漢人と胡人。曹操と劉備。司馬懿と諸葛亮。

 それは余人にとっては運命と呼び、青狼にしてみれば必然の理、行き着くところに行き着いた結果でしかない。

 

「司馬懿殿、公孫軍と劉備軍が、五胡を味方につける可能性は?」

 長政に懸念を、青狼は首を振って否定した。

 

「嘘か真かはともかく、匈奴への懐柔政策を採っていた劉虞を、強硬派として公孫賛は殺害しています。その方針を今更翻すとも思えません。それは白馬長史としての彼女自身の半生と実績を否定し、憎き劉虞を肯定する策です。また、胡人らも彼女を仇として憎悪しておりましょう」

 

 それに、と皮肉っぽく付け加えて嗤った。

 

「何のためにあの長城があるとお思いです? その意義を見失い、統御できる力なくして匈奴を漢土に引き込むなど正気の沙汰ではありません。鎖もつけずに狂犬を我が家に放つようなもの。もしそんなことをするような馬鹿がいたら、親の顔でも見てみたいですわね」




司馬穎「おっそうだな」


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劉備(一):彼女には見えない亀裂

 幽州義勇軍の長、劉備玄徳が当座の野営地にて披露した奇策に、その場に居合わせた人間は良くも悪くも唖然とした。

 

「えーと、ダメ、かなぁ?」

 

 さすがに肯定的ならざる空気を察したのか。桃香(とうか)の真名のごとく、桜桃色の髪を持つ少女は控えめに眉を下げながら首を傾げた。

 

「ダメですっ!」

「そんなことをしたら、ますます状況が厄介なことになりますっ」

 

 はわわ、と。

 あわわ、と。

 

 諸葛亮、鳳統の両軍師はこぞって異を唱えた。

 他の者も、面と向かっては言わないものの、難色の様子をそれとなく示している。

 

「そうかなぁ。五胡のみんなも、南から曹操軍(敵さん)が来ているのを、不安に思ってるはずだよ? これをきっかけにして白蓮ちゃんと仲直りできれば、きっと力を貸してくれるって思って……」

「恐れながら、その可能性は低いかと」

 

 黙殺するつもりだったが、田豫こと奏鳴は、五胡の渉外ならびに防衛担当として旧主に進言した。

 

「我らの陣営との遺恨は抜きにしても、胡族に長城を越えさせることは漢帝国それ自体を危険に晒す行いです。朝廷に断りなくそれをすれば、逆賊と見做されても」

「控えよ、田豫。()幕僚とはいえ、言葉が過ぎるだろう」

 

 遮ったのは、関羽こと愛紗(あいしゃ)である。彼女の声音と得物の冷たい艶は、出奔者に対する辛辣さを隠しきれていなかった。

 彼女を追い払うような目つきをした後、あらためて自身の主へと向き直る。

 

「すでに朱里(しゅり)らが掛け合い、盧植(ろしょく)様をツテに朝廷を介して停戦交渉を進めております。ともすれば、不義なる曹操めを逆賊と認定し、官軍との挟撃もかないましょう。それまでは我らは逃げと防ぎに専念することこそ肝要かと」

 と言うからには、さすがに賛同自体はしかねるらしいがそれでも美しい黒髪の娘は目元に奏鳴に対するものとは打って変わった優しさを称えている。

 

「……それにしても、この乱世に胡族との融和を求めんとするとは、桃香様の器量と気宇、容易に押し測ることができません」

 呆れたような物言いとともに、その響きにはこの上ない忠愛を感じさせる。

「でも、それでこそお姉ちゃんなのだ!」

 と唱和するかのごとく張飛(ちょうひ)翼徳(よくとく)こと鈴々(りんりん)である。少年っぽく白い歯を見せて笑う彼女の隣で、双子の如く朱里雛里(ひなり)も互いに顔を見合わせて声を揃えた。

「わ、私たちも!」

「桃香様の理想の世に近づけるその日まで、努力します!」

「……うん、みんなありがとう!」

 そんな未来の名臣たちの健気な励ましと称賛に、陶然とするかのような極上の笑みで桃香は出迎えた。

 

(……相変わらず、なんというか、ヌルッと気持ち悪いな、この人たち……)

 引き下がった奏鳴は、外野からその集団を冷ややかに眺めた。

 議するべきは当座の方針であったはずなのに、何やら言っていることは漠然と壮大になっていく。比してその関係性は内輪で小さく固まって排他的なものとなっている。

 その自己矛盾への居心地の悪さが、奏鳴の心を彼女らから遠ざけさせた所以である。

 

「でも、本当は公孫賛さんたちには鄴城に踏み留まってくれていた方が上手く立ち回ることが出来たのですが……どうして出撃してしまったんです?」

 その内輪から進み出てきた朱里がそう白蓮に質してきた。

 

 顔を引き攣らせる白蓮。両隣の星も奏鳴も何も言わなかった。

 星にしてみれば自分のみでカタをつけるところを、暴走した守兵が邪魔をした形になったと考えているだろうし、奏鳴は最早この戦の帰趨自体に興味が薄れている。そして白蓮はなるほど自分の咎であろうと、従容としてその控えめな非難を受け入れるのだった。

 

「朱里! 居合わせなかった我々には感知し得ない事情もあるだろうっ」

 代わりに、愛紗が彼女をたしなめ、

「はわっ! すす、すみません! 出過ぎたことを」

 劉備軍の軍師は帽子を抑え頭を下げようとした。白蓮はそれを手で制し、立ち上がった。

 

「早くこの場も出立しなければ、追撃軍に勘付かれる。哨戒には我々が当たるから、お前たちは離脱計画の調整と準備を頼む」

 と、言って去ろうとした。

 

「白蓮ちゃんっ」

 宵闇に沈んでいこうとする公孫賛主従を、ややあって桃香が追いつき、声をかけてきた。

 

「桃香か、援軍ありがとうな。あらためて、礼を言う」

 立ち止まって顧みる姉弟子に、少し遠慮がちな笑みを浮かべながら、言い淀みつつ、

 

「うん。あの、その……ね」

 らしくもなく言い淀んでいたような彼女ではあったが、やがて弾けるような笑みとともに、白蓮の両手を握りしめた。

 

「劉虞様とたとえ何かあったとしても、私は白蓮ちゃんの味方だからねっ」

 

 突然の接触に目を丸くした白蓮だったが、彼女たちにとっては慣れた距離感と交流だったのだろう。

「……あぁ」

 苦笑とともに、白蓮は桃香の握手よりすり抜けた。

 そして再び妹分に背を向けて、小さく呟く。

 

「……冤罪だとは、信じてくれないんだな……」

 

 独語を聞き漏らした桃香は「え?」とキョトンとした顔つきで聞き返すも、

「いや、なんでもない」

 と首を振ってほがらかに笑い直した白蓮は、そのまま抑えめの篝火から逃れるようにして闇の中へと自ら沈んでいった。



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曹操(十二):天より降る謀

 曹操と、そして彼女によって呼び戻された司馬懿軍が鄴城へと還ってきたところで、あらためて一帯の略図を挟んで軍議を開くことになった。

 だが初端からその空気は重く、一人として浮かぬ顔をしない者はいなかった。

 元気印の曹仁をして、なんとなく居心地の悪そうな面持ちで肩をすぼめている。

 

「ここに至れば、敵の狙いは明らかです」

 その空気を破るべくあえて切り出したのは、進行役の荀彧である。

 

「特定の拠点を持たず、散発的に攻勢を仕掛けこちらの進軍を遅滞させること」

「はっ、所詮は悪あがきだろう。そもそも悪戯に戦を長引かせたところで、奴らにこの状況をひっくり返す術なんぞないさね」

 臧覇がそれに意気を見せて答えるが、桂花は冷ややかに見返すばかりであった。

「九郎義経と劉備軍が前後より神出鬼没に我らの輜重に少なからず打撃を与えているのよ。すでに末端の部隊に不足が出ている」

「それこそ微々たる問題じゃないか。だろ、曹洪さんよ……ってわけでもなさそうだね」

 

 ぐったりと肩を落として顔を机上に突っ伏したままの栄華。憔悴しきった本人の様子とは裏腹に、その手先にある人形が、臧覇の楽観を否定すべく全力かつ盛んに手を振っている。

 

「さらに言えば」

 と、良くも悪くも議が動き始めた頃合いに乗じて、司馬懿が発言した。

「これは朝廷に出仕している司馬朗()よりの報せなのですが、どうにも朝廷内での我らの出兵に非難の声が出ているようで」

「我らは皇室に連なる劉虞殿の弔い戦をしているのだがな。その上奏も行っただろう」

 と、秋蘭がそれが建前であることを承知したうえで口を挟んだ。

「もっぱらその非を鳴らしているのは北中郎将盧子幹(しかん)。劉備と公孫賛の師で、彼女らの依願を受けての働きかけでしょう」

「厄介なのがしゃしゃり出てきたわね」

 

 桂花は舌打ちを隠さなかった。

 人品、将器、見識、声望いずれにも劣るところのない清流の大物である。

 

「停戦要請があるのならまだ良し。最悪、我らが逆賊に認定される恐れもあるな……」

 長政もまた表情を曇らせて言った。

 

「しかしていっそ、こちらから朝廷を頼り、公孫賛と手打ちとするのもまた手かと」

 煮詰まった議場を眺めまわし、司馬懿こと青狼はあえてそう進言した。

「河北の過半を手中に収めたのです。今後は戦局を再整理して、後事に備えるのも」

「思案のほかよ」

 

 青狼の提案を、にべもなく華琳は蹴った。

 

「朝廷からの介入が生じるのは承知のうえ。ただ誤算は介入して来たのが盧植だったのと、それを呼んだ劉備の影響力。相手にも時間を与えることとなれば、河北の平定に尋常のやり方なら十年はかかる」

「おぉっ、みんなおばちゃんおじさんっすね」

 

 場の空気などそっちのけの、ある意味天真爛漫な華侖の発言に苦笑するロブが、

「じゃあ、尋常()()()やり方で期間を短縮する、と?」

 と皮肉を言った。だがそれの通じない華侖はパッと華やがせて、

「あ! じゃあ食べ物を道中にばらまいて、公孫賛がお腹を空かせてやってきたところをとっ捕まえるとか」

「鳥獣じゃないんだから」

 桂花がぼそっとツッコミを入れたが、華琳は殊の外上機嫌だ。

 妹の死後、何かと塞ぎがちだった従妹がようやく立ち直りの兆しを見せたことが、嬉しいのだろう。他も同様に、苦笑ながらも温かいまなざしで彼女を見ていた。

 その微妙な塩梅の空気を察してか、所在なさげに華侖はきょろきょろと左右を見渡す。

 

「あれ、ダメっすか?」

「いや、何か餌を用意して散った敵を引き寄せるのは、案としては悪くない」

 と、長政は真面目くさった調子で受け応えた。

「ただ、問題は城や土地さえも捨てて見せる彼女らが、今更兵糧に飛びつくとは思えない」

「そもそも、あの方たちに差し上げる兵糧などなくってよ!?」

 がっくりと肩を落とした華侖ではあったが、それでも重圧な空気に埒を開けたことには間違いない。

 

「だが、子孝の言や良し」

 華琳はおもむろに口を開き、そう前置きした。

「皆、彼女に倣うべし……起立し、好きにこの場を巡りなさい」

 そう言い放った当主の意図を察しかねるように、一同は顔を見合わせた。

 そんな彼らに喝を入れるがごとくに、華琳は机上の図面を叩いた。

 

「門地出自席次領分才気、一切問わぬ。あるいはこの戦から外れても良い。己のままに議し、有為無為を問わず発言をしなさい」

「……曹操殿、しかしそれでは」

「構わない」

 青狼の懸念を聞く前に

「さぁ、智勇の士よ、この曹孟徳とともに立ち上がり、天下の方策を想う様に論じようではないかッ」

 

 稀代の主君の号令一下、居並ぶ将星たちは腰を持ち上げ、敢然と屹立した。

 

 ――結果、その曹孟徳は肩身の狭い思いをすることとなった。

 彼女の両隣には長政、ロブといった上背のある男たちが並び、しかして彼女自身の身長は下から数えた方が早い。

 しばし憮然と瞑目していた華琳であったが、やがて、重たく言った。

 

「…………やっぱり、着席はしておきなさい」

(言わんこっちゃねぇだろ)

 

 自身の命令を撤回した曹操の意に従い、青狼以下武将たちは着座しようとした。ふとした拍子と角度で、女装の少年は地図を俯瞰するかたちとなった。

 

(曹仁殿の発想は、浅井殿の言う通り悪くはない。が、同様に吊り出すだけの餌がない。餌ねぇ……)

 

 当代の製図である。当たり前だがあまねく全土を網羅したかのごとき巧緻なものではなく、あくまで周辺一帯を概略的に記したものではあるが、その一点に目がいった時、

 

「あ」

 

 声が、漏れた。

 それは意図してのものではなく、その地点に目が行ったのも、思いついたのも偶然であった。したがって、不意にこぼした呼気は、常の彼ならぬ声量を伴っていた。

 だが、諸将らが気づいた様子はない。胸をなで下して自身も椅子に着こうとした時、

 

「仲達」

 と、自身の名が曹孟徳の唇から紡がれた時、彼の心の臓は跳ね上がった。

 

「今、何に気が付いた?」

 天下人の鷹眼は、決して軍師の表情の変化を見逃してはくれなかった。

 追い討つがごとき問いかけに、青狼は自身に向けられた衆目にも憚らず、身を切り返すようにして膝を地につけた。

 

「口端にのぼらせることさえ愚かしき妄想でございます。できれば、お聞き逃しいただきたく」

 拱くその手に不自然な負荷が加えられ、血管が手の甲に浮き出ている。

 だが、それを承服する気配など毛ほども見せず、薄く笑って華琳は掌を彼へと突き出した。

 

「有為か無為か。有害か無害か。それは私が判断することよ。さぁ、聞かせて頂戴な。貴方が今、何を見出したのかをね」

 

 ――これ以上遁辞をかませば、首を刎ねるぞ。

 絞られた眼差しには、まごう事なき殺意が込められていた。

 

 〜〜〜

 

 かくして無理やりこじ開けられた青狼の口より紡ぎ出された着眼点に、驚かぬ者はいなかった。

 皆して言葉を失い、めいめいに見たこともないような表情で、信じられない怪物でも見るような目つきで発言者を見返していた。

 

 荀彧にいたっては、

「な、な……」

 と、俎板の上に載せられた魚がごとくに、ともすれば死相とも取れるような目の剥き加減で、

「なんておっそろしいこと考えてんのよ、アンタはぁっ!?」

 と後輩を怒鳴りつけた。

 

(文句はあんたの敬愛するご主人様に言えよ)

 発案者たる青狼とて、披瀝を促した華琳よりも寧ろ、狼狽し怒る将らにこそ道理があると考えている。

 さしもの曹操とてこれは後悔する判断であっただろう、とそれとなく睨む青狼だったが、その視線の先で華琳自身は横顔を向け、手で口元で覆い、その眼差しは真剣そのものであった。

 沈黙が恐ろしい。戯言と一笑に付してくれた方が、いや激怒してくれた方がいくらかマシであった。叶うならば首を捻じ曲げて全員の視線から逃れたいぐらいであった。

 

「青狼」

 針の筵に立つ心地の彼へと向き直った華琳は、今度は真名を呼んだ。

 

「ずいぶんと、貴方らしくない献策じゃない。手酷くやられて殻が破れた、と言ったところかしら」

「は……わたくし自身の言ながら、名門司馬家として、そして曹操殿の幕下として、恥ずべきことと存じます。重ねてお願いいたします。どうかとるに足らぬ雑言と、切り捨てていただきますよう」

「その通りですっ! なんならこいつごと切り捨ててくれて構いません!」

 と、勝手に人の生殺与奪を委ねつつ、桂花も諫止の声をあげる。

 

「もし仕損じれば、敗退どころではありません! 我らの三族子々孫々、永劫に汚辱に塗れる末路が待っていますっ」

「じゃあ成功すれば?」

「は、え……」

「成功すれば、どうなる?」

 

 取り乱しながらも、荀文若の王佐の才は本人の意思とは関わりなく計算を始める。

「……我らを取り巻くあらゆる諸事が除かれるばかりでなく、その勢力は飛躍し、一躍して天下第一に上ることとなりましょう」

 奥の歯を食いしばり、汗顔を真っ赤に染めながらも、震える唇より強張った解答を紡ぐ。

 

「さりとても!」

 前のめりになりながら、桂花はなおも食い下がる。

「あまりに分の悪い賭けではありませんか! 見返りも特大ながら、危険はそれに三倍して余りあります!」

「それでも華琳さまは……成算がこの無謀のうちにあると?」

 

 秋蘭の問いかけに、重く顎を引いた。

 手の離れた口元には、不遜にして確信めいた強気の笑みがあった。

 

「多少の手直しは当然必要だけど、やれないことはない。いや、やらなければならない。でなければ私たちは冥府の穴の上で、そこを繋ぐ橋の中途で、爪先で我が身を支え続けなければならなくなる」

「それでもですっ、ただ一手、一時、選別する将の一人でも誤れば、全体が一気に崩壊することとなります! どうか、ここは無難に地固めを……」

「それは曹操の戦いではないわ!」

 剣で空を裂くような声音をあげて、華琳は立ち上がった。

 

「我が覇道に躓き、あらゆる苦難から怖じて目を背けるような人材を、私は集めた覚えはない! 私とて、乱世の奸雄と称されたその日から、この身は汚辱に塗れる覚悟が出来ている!」

 

 金色の髪を風に流し、覇王は諸将へ顧みた。

 

「臧宣高、信義を重んじ高い志を掲げるお前が『奴寇』と蔑まれながらも朝廷の意に反して起ったは何のためか! ロブ・スターク、浅井長政! 貴殿たちが家を挙げて時流に逆らい、節や道義を曲げて己を貫かんとしたのは何がゆえか!? お前たちと同じく、この曹操とて己が信じる答えに行き着くためならば、あえて荊の道を征く!」

 

 誇り高く吼えた彼女の前に、もはや反意はない。動揺しつつも彼らの瞳は、確たる意志の輝きを取り戻していた。

 

覚悟(こたえ)は、決まったようね」

 それらの輝きを浴びて、華琳が総身の覇気もまた、一層の煌めきを放つ。それを神のごとく、一門譜代および桂花は仰ぎ見る。

 

(……滅茶苦茶だ。不合理だ)

 内心でそう毒づきながらも青狼の脳では、無茶苦茶と当初は自他ともに認めていたおのが策に、道理がひとりでに肉付けされ、色づいて、明確な勝算のかたちが出来上がりつつあった。

 そしてその新たに生まれつつある摂理に、狼顧の謀士の頬は、熱を持って吊り上がり、歪な笑みを形作っていた。



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漢(一):穢れた中庸

 漢帝国。

 すでにして劉氏が王莽より政権を取り戻して二百年ほどが過ぎ、その治世を支え続けてきた基盤にも歪みが生じ始めていた。

 戴くのは自身の権限の多くが剥奪されているという自覚さえない、怠惰な皇帝。官僚の間で不正や権力争いが横行し、そんな社稷の腐敗に群雄はすでに蒼天已に死すを悟り、手前勝手に洛外で勢力を拡張して覇を競い、まつろわぬ民や賊徒が跋扈する。

 

 が、さながら目の届く箇所のみ雑に履き清められた一室のごとく。

 未曾有の民衆反乱も発生せず、また宦官と外戚一派の衝突も起こらず、その混乱に乗じた涼州軍閥の乱入も未然に防がれた都それ自体は、静謐さが維持されて、まるでこの世に現出した楽土とさえ思われていた。

 

 しかし、それは未発の病魔がただ潜在したのみに過ぎず、歪な形でそれは発露の兆しを見せ始めていた。

 

 〜〜〜

 

 盧植、子幹。真名を風鈴。

 廷臣の中でも屈指の良識派として知られる女性で、年の頃に見合わぬ幼い顔立ちと、またそれに反した肉体の豊満さというさながら天女のような容姿も相まって、臣民問わずその人望は高い。

 だが今、常に柔和さを称えていた彼女の表情には、わずかながらに翳りが生じていた。

 

 その彼女が、同僚に出会したのは宮城の階の先であった。

 

「やぁ、風鈴」

 その姓に相応の朱色の髪を靡かせて、今より参内せんとしている彼女は、口端を左右非対称に歪め、眼を眇めた。

 

「例の教え子たちのために連日連夜の出仕かい。精が出ることだねぇ」

「う、うん……」

「あまり、臣としてはよろしくないなぁ。公務に私事をねじ込むのは、天下の義人盧植将軍らしからぬ振る舞いじゃあないかな」

 

 多分に自覚のあることゆえ、控えめに微笑み返すよりほかない風鈴に、彼女は粘っこく畳み掛けた。

 

「そういう貴女はどうなの、朱儁(しゅしゅん)

 

 見兼ねてか、その横合いから口を挟むようにして現れたのは、皇甫嵩(こうほすう)義真(ぎしん)である。

 こちらはその字の通りに、武人としての分を外さぬ実直な人柄ゆえに、主に軍部よりの信任厚き人であった。

 

「やあ、楼杏(ろうあん)。これはまたぶしつけだね」

「真名で呼ばないで頂戴。私がその名を委ねたのは、共に漢を憂える勇士に対して。宦官たちと結託して出世に憑りつかれた佞臣にではないわ」

「ふん、やたら辛辣に言ってくれるじゃあないか。賄賂を出し惜しんだばかりに中常侍(ちゅうじょうじ)に反感を買って背後から梯子を外されるより、よほど利巧な生き方だと思うがね」

 と、盧植の事績を、彼女の目前にて引き合いに出し、楼杏の眉をさらに引きつらせた。

「呆れた。そうまでして権力にしがみつきたいのかしら……さっきの続きだけれど、そんな私欲にまみれた貴女に、風鈴を蔑む資格なんてないわ」

「言ってるが良いさ。さて、私はもう行くよ。清貧を気取って閑職に飛ばされた君らより、よほどやることがあるのだからね」

 

 などと悪態を去り際に吐き捨てつつ、朱儁は肩で風を切るように登殿していった。

 

「……雲雀(ひばり)ちゃん」

 と、物憂げな貌を伏せた僚友に、楼杏は優しく手を置いた。

「真名で呼ぶ必要なんてないわよ、あんな女。私からも、陛下には申し上げるわ。教え子たちのことは抜きとしても、曹操軍の北上は危険すぎる。彼女が河北を制すれば、あるいはこちらまで呑み込まれてしまう」

「……そうね。うん、ありがとう」

「だから、あんなヤツの嫌味になんて負けちゃだめよ」

 

 それに対しては曖昧に頷きつつ、風鈴は旧友の去っていった方向へとずっと眼鏡の奥底で視線を注ぎ続けていたのであった。

 

 ~~~

 

 朱儁。字を公偉(こうい)。真名を雲雀という。

 叩き上げの軍人が呼ばれて参じたのは、帝の足下ではなく、妖しげな香を焚き込めた豪奢な一室であった。

 

()()()朱儁殿には、ご存じなきことかもしれぬが」

 主となっているのは、丁子であろうか。あるいは西域より取り寄せたる香料もあるいは混ざっているかもしれない。

 ともかくも少し眉間の辺りが痛んでくるような強烈な芳香の中で、その男とも女とも、老いも若きも定かではない、人のかたちをした何かは紅を塗った唇を蠢かせた。

 

「かつて、この国には名宰相と呼ぶに足る男がいた。そして、一人の子息がその後を襲った。漢王朝大将軍という、奴には過ぎた位をな」

「……」

「その男、梁冀(りょうき)はさしたる才もなく大権を手にし、奢侈を極め国庫を傾かせ、果てには『自分に悪口を言った』という理由で十歳たらずの帝さえも手に掛けた」

「歴史の御教授でしたら、またの機会に。張譲(ちょうじょう)殿」

 

 帝の近くにあって諸事の世話や取り次ぎを役務とする十常侍(じゅうじょうじ)の筆頭は、鼻筋を反らして自らの茶を煎れた。

 

「なに、確認作業だよ将軍。そして確認というのは手順こそが肝要だ。関係のないように思えてこれは大いに関係のある起源の話である」

 勿体ぶったその物言いに、本来であれば遥かに上役である朱儁への敬意は微塵も感じられない。

 世話役というだけあって、喫茶の一連の所作は見事なものではあったが、あくまでそれは己自身のためだけの手並であった。

 

「では、その暴政の最中にあって、諸子百官は何していたか? ……何もしていない。皆耳目を塞ぎ、帝が弑されようと気づかぬふりをした。何故だと思う?」

「……その権威が己に及ぶのを恐れてのことでしょうか」

「違うな」

 

 妖星のごとき目をかっと開き、張譲は歯を見せて答えた。

 

宦官(われら)憎しがゆえだ。儒に則らば我らが穢れ物であるがゆえだ。ゆえに外戚が暴威を振るおうと、我らがそれにとって代わるよりましだと、そう考えたのだ。一天万乗の天子様が公然とお命を縮められるという最悪の結末を経てなお、だ。せいぜい幼き趙忠(ちょうちゅう)の葬儀にケチをつけて、その亡父の棺を暴いて憂さを晴らす程度しか、奴らはしていない。嗚呼、桓帝(かんてい)のお嘆きが、今このわたしの耳にも聴こえてくるようだ」

 

 さも誠心があるかのごとく天井を仰ぎ、空涙をこぼす張譲を、雲雀は悟られぬ程度の冷ややかさで見遣った。

 

「そして、宦官は帝の御為立った。本来何の力も持ち得ぬはずの宦官が、巨悪を打倒したのだ」

「連座した文武百官は余さず処罰され、社稷は空となったとか」

「……が、恥知らずにも儒者や党人どもは己らを顧みることなく、また我らを敵視し、外戚を立てた」

「しかし皇統をつなぐためにも、御子は成さねばならず、どうあっても外戚は不可欠となりましょう」

「無論承知している。わたしとて、何も官吏どもと好んで争っているわけではない。己らの領分を超えることは本意ではないのだ。が……」

 

 と、張譲は向き直って言った。

 

「出る杭は叩かねばならぬ。朝廷内における力の均衡を調整し、第二第三の梁冀を生まぬこと。それこそが、我ら十常侍に与えられた役割と自負するところである」

 

 では李膺(りよう)竇武(とうぶ)は梁冀の成り損ないであったのか。

 そんな皮肉な笑みを愛想と受け取ったのか。張譲は嫣然と頷き返し、革を鞣すがごとき手つきで、雲雀の肩の輪郭に触れた。

 

「それを踏まえて今一度確かめおくぞ将軍。そなたの役目は我らの目となり口となり軍部に働きかけることだ。このところ、やれ劉備だとかなんとかだとかの件で、盧植や皇甫嵩が跳ねっ返っておるようだが、我らの許しなくしてみだりに軍を動かすことは許さぬ」

「心得ております」

「ならば良い。差し当たっては、何進(かしん)姉妹さえ押さえておけば奴らには何も出来まい。ゆめゆめ監視を怠り迂闊な接触をさせるなよ……さもなくばせっかく便宜を図って救ってやったそなたの恩人、また不運な目に見舞われようぞ」

「――ははっ」

 

 表情を押し殺して、雲雀は自身よりもはるかに小柄な相手に低頭したのであった。

 

 ~~~

 

 張譲の部屋を出るなり、雲雀は猛烈に顔を洗いたくなった。

 帝には目通りを願い出ずに、兵舎の井戸にて冷水を顔面に叩きつけた。

 

 そこに人の気配を感じ、顔を上げた。

 

「――やぁ、将軍?」

 

 そう言って声をかけたのは、楼杏でも風鈴でもない。

 若い、男の貴人である。そして、天の御遣いであった。その涼やかで颯爽たる風貌と御遣いという虚名にいたく興を惹かれたとして、珍しくあの帝が自発的に判断のうえ、胡騎(こき)校尉(こうい)へと任じていた。

 将軍、と呼ぶのはそのためではなく、彼がおのれの国では北辺を鎮護する将軍であったことに由来しているが。

 

「貴方には、相応しからぬ匂いがする」

 と、出し抜けに男は言った。

 

「また、張譲に呼ばれていたのか」

「奴の許諾なしに、この朝廷では何事も出来ない。たとえそれが大将軍であろうと、天の御遣いであろうともね」

 

 眠るがごとくに細められた御遣いの目が、何か言いたげであった。

 それが何なのかは、雲雀には解っている。解っていてやっている己を、どこかで腹立たしくも思う甘さが、まだ彼女の内にもあった。

 そのささくれが、つい無用の口を叩かせた。

 

「聞けば、将軍の世界(くに)では、公家なる文官と武士とに分かれ、そして政権さえも武士とやらに奪われつつあるとか? はてさて、どちらの国も似たり寄ったりの事情を抱えているとみえるが、どちらが上等なのだろうね」

 

 男は容易には答えなかった。

「かつて、ある老人と、国というものについて語ったことがある」

 充分に間を置いてから、きまじめに口を開いた。

 

「その時には、答えは出ずじまいではあったが、それでも民草とはなんなのか。それを忘れて国は語れない。そういう結論には、達した。民の一語も出ないその問いに、私は答えるすべを持たない」

 肺腑に切り込むような物言いであった。

 それは、遁辞だろうと雲雀は思った。いや、そう思い、哂いたかった。

 だが、楼杏らに向けたようには上手く表情は作れず、やや頬を引きつらせたのみであった。

 

 目礼とともに、男は去っていく。

 雲雀はそれを苦々し気に見送った。

 

 自分の振る舞いが、間違っているとは思わない。

 やたら清廉たるを求める楼杏や風鈴にも、夢を追うがごとく漠然と理想を示すあの男にも問われればそう即答できる覚悟がある。

 

 誰かが、繋ぎ止めねばならない。

 負わねばならぬ業なのだ。

 被らなければならない汚穢であった。

 

 でなければ、武断と文治、禁裏の内外の軋轢で、このような砂でこしらえたような社稷などたちまちのうちに分解してしまうに違いない。たまたまその役を務められるのが、己であっただけの話ではないか。

 

 雲雀は蒼天を仰ぐ。

 中だけくり抜いたかのようではあるが、周囲には分厚く淀んだ雲がかかっている。

 その様相にも、朱公偉は静かに腹の底を煮やした。



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漢(二):燕雀の志、鴻鵠いずくんぞ知らんや(前)

 自身の権勢を誇示するためにまずその規模を拡張し、内部の侘しさを埋めるために調度を買い置き、侍人を雇い入れる。そうして引き上げた生活の水準を保つべく、また法外な金策にて利を貪る。

 

 かくして、洛内における何進の邸は、目を惹くほどに巨大かつ華美なものへと成長……否、肥大化していった。

 

 もっとも彼女……(けい)にしてみれば、

(私の惨めな前半生を想えば、まだ足りぬ。まだ不足じゃ。人臣位を極めたと言えども、いずれは巻き返して余りある力と権能を手に入れてくれる)

 という言い分のもとの、拡張であった。

 

 その彼女の屋敷に、曹操からの密使と貢物が遣わされたのは、ある日の朝のことであった。

 

「松ぅー永、久秀と申す。何進大将軍におかれてはご機嫌麗しゅう」

 あからさまに胡散臭い風体。ふてぶてしい物言い。見え透いた辞儀。

 見るからに怪しい天の御遣いを、中庭にまで招き入れて階の上より大将軍何進は冷ややかに見下した。

 

「貴様には、早朝に叩き起こされた余が上機嫌に見えるのか」

 浅黒い、西域の羅紗地のごとき素肌にそのまま寝着を通した傾の左右には、近衛の兵がずらりと並ぶ。

 そろそろ老境に差し掛からんと言う年頃の男の枯れ首をたちどころに斬るには、十分すぎる数と質であった。

 

「あいや、これは失敬」

 肩をすぼめる松永とやらはしかし、道化じみた態度を示しつつも怯えた様子は見せなかった。

 

「されど、まさか昼間にこれを運び入れれば無用に探られ、かと言って夜半に城門をこじ開けて入れるわけにも参りますまい」

 と、曰くありげな眼差しで、運び入れられていく馬車や荷車を顧みる。

 先乗の金と称するそれらの流入を、傾は冷ややかに眺めていた。今顕職を得た彼女にとっては別に珍しからぬもの、そして意図である。

 

「用向きは分かっている。冀州の一件であろう」

「さすが、お耳が早い」

 

 まるで筋書きで示し合わせたかのごとく、松永は恭しく辞儀をしてみせた。

 

「慮外者め。宦官の義孫(まご)風情が、分も弁えず兵馬を恣とするからそういうことになるのだ」

「仰せごもっとも」

 

 ぎしり、と車が揺れた。

 一瞬それに注意を逸らした松永ではあったが、主君への非難も平然と受け入れ「されどぉ」と芝居がかった調子で応じて曰く、

 

「恐れながら何進大将軍様も、市井の出よりのし上がったお方。かくいうこの久秀も、かつては腕一本にて一国の主ともなった男子(おのこ)にございます。ゆえに、我らは言わば同じ穴の狢! ……ではなく、似た者同士、惻隠の情をもってお助けいただきたく」

 

 抜け抜けとそう言う男の目には、共感ではなく多分に揶揄が込められている。

(我らが頼みとしてきたはおのが才覚であるが、お主は妹の縁故だ)

 とでも言いたげに見える。

 あるいはそれは、傾の負い目からくる被害妄想であったのかもしれないが。

 

 なんとでも(さえず)れ。如何様にも邪推するが良い。所詮手に入れられなかった者の遠吠えに過ぎぬ。

 その縁や天運時流なくしては、如何なる麒麟も世に浮かぶことは能わぬのだ。そしてその天命を授かった己と妹こそが、選ばれし者に違いないのだ。

 

「……ふん」

 むしろ相手を冷ややかに見下し、大将軍何進は言った。

 

「まだ足りぬ」

「ほう?」

「金銀財宝など、あっても困らぬが見飽きたわ。代わり、曹操めに伝えい。我が口添えにより公孫賛との和議ないし足止めを求めるのなら、自らその鬱陶しい頭を下げに来い、と。そして来るべきその時、持て余したおのが軍兵を率いて我が手足となって働け、と」

 

 来るべき時。いわずもがな、十常侍との決着の際である。

 今までの外戚と宦官がそうであったように、何進ら軍人たちととあの内侍どもの仲は剣呑そのものであった。

 あの悪辣な害虫どもは、いずれ駆逐する。そしてそれに蕩かされ切った『玉座の上の駄肉』も屠る。

 だが、梁冀と同じ轍を踏み、気が付けば大将軍の印綬を剥奪され、真裸でなぶり殺しにされることは避けねばならない。そのため、都の外部に己のための遊撃軍を造る。そのためならば、口舌と権力の一つや二つ、曹操に貸してやるのも悪くない。

 

 ぎしり、とまたも荷車が揺れた。必死に積み込んだであろう贈り物の重さで車軸が歪んでいるのか。

 

 優越とともにそうほくそ笑み、ついにはこらえ切れず哄笑を漏らす。

 ――だが、同じく笑声を轟かせた者がいた。

 言わずもがな、松永久秀であった。彼女のそれよりもより露悪的で、どこか破壊的な高笑いとともに、肩を大仰に揺する。

 

「……なにが可笑しい?」

 気分を害された傾は眉根を潜めた。

 すると久秀は、やや控えめに表情を引き戻して言った。

 

「いやなに、()()の思い違いぶりがあまりに面白きゆえ、つい笑いがこみ上げそうになったのよ」

 と上っ面の経緯さえ剥いだ物言いとともに唇を歪める。

 

「……なんだと?」

「一つには、我らは公孫賛と和睦など望んではおらん。我輩とて、奴らには借りがあるしな。第二に、お主自身の力など頼りにもしておらぬ」

 ならば何故、何故、自分の邸宅を訪れたのか。この賂は……いったい。

 

「ま〜だ分からんとはおめでたい奴よ。では三つ目を言ってやろう」

 目の前の怪人が得意げに嘯くのに合わせ、車の幌が捲れ上がった。

 

「お主の名義でこの車らを都深く、宮の傍まで入れさせてくれた時点で、すでに謀は成就しておるのよ」

 

 あっ、と何進が驚愕に突き動かされるまま立ち上がる。

 先ほどより不自然かつ不規則的に揺れる荷の正体が、金銀財宝のたぐいではないことを察知した左右の護衛が、慌てて白刃を抜いて駆け出し、車内を串刺しにせんと駆け寄った。

 

 だが、解かれた荷袋より突き出た大刀が彼らの剣を弾き飛ばす。

 次いで現れたのは、女丈夫。

 長い間狭いところに閉じ込められ、主人への嘲笑に耐えてきたその隻眼を烈しくいからせていた。地上に降り立った彼女は、まるで猛獣がごとくに息を巻く。

 

「そしてこれは賂にあらず。ご所望の、洛外の兵力よ。せいぜいありがたく頂戴してくれい!」

 

 さながら蜘蛛の子を散らすがごとく。

 松永が手を挙げれば、ばっと車の内より精兵が討って出てきた。



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漢(二):燕雀の志、鴻鵠いずくんぞ知らんや(中)

 何進の屋敷から突如出てきた武装者たちが都に乱入する。都雀たちは戸惑い、何の様子かと目を瞠り、警邏の兵たちも何のことぞと抵抗する間も無くその通過を許した。

 洛中は、日常と非日常の交錯する混沌の場と化した。

 

「無抵抗の雑魚や民には構うなァ! 我らの目標はあくまで朝廷を私する何進姉妹ならびに十常侍、そして讒言をもって陛下を惑わす奸臣盧植であり、陛下をお救いするのだ!!」

 

 少数精鋭を率いる春蘭の大音声は、都のみならず果ての鄙にさえも届きそうなほどである。

 これについては、曹孟徳の人事の妙であろうと久秀も認めざるを得ない。

 

 多少知恵の働く者であれば、その大義名分があからさまな建前であることを承知している。その言動に後ろめたさから澱みや躊躇いがあるはずだ。

 だが夏侯惇にはそれがない。

 そこに余計に回す知恵がない。愛しい主が御為には、たとえ鄙であろうとも都であろうと攻め落とす。この作戦の是非を論ずることがまず無意味だ。それに異議を唱える者がいればその者が間違っているし、世間が拒むというのならその全てが間違っているのだ。

 

 そういう信念のもとに爆進する娘だったが、その粗暴さゆえに策が破綻するのはまず困る。それ故微細な部分……春蘭にとっては些細なことは、すべて久秀に委ねられた。

 

 兵を潜伏させていたのは、何進の賄賂にのみ限らず。

 すでに前日に、回数を分けて、都の方々に、それぞれの名目、偽装変装のうえで伏兵を送り込んでいた。

 その中には人畜無害な大道芸人の一座として組み込まれていた者たちの姿もあった。

 

「ひええぇぇ……ど、どうなってんのこれぇ?」

 

 突然『真面目で優しいお手伝いさん』が俄に変心して都内に進撃をやらかそうというその光景に、『張角』の名を捨てた少女は震え上がり、指揮所と化した広場の片隅で妹たちにしがみついた。

 

「久秀さん!? なんなのこれ!? 偶然ここで再会して……それからまた公演を手伝ってくれるって話だったでしょう!?」

「阿呆、偶然なわけあるかい。お主らの動向は逐次胡車児とその手の者らに監視させておったわ」

 

 そしてよりにもよって、図々しくも朝廷の膝下で、名を捨てあえて真名を晒して芸人に戻っていた張三姉妹を、これ幸いと隠れ蓑に利用させてもらったというわけだ。

 

「う、うう……酷い。ようやくまとまったお客さんもついてきて、ここからだって時だったのに」

「おーおー、それはまた不運なことだの〜」

 

 ガックリ膝を突いて項垂れた人保に対して、久秀は他人事のように、かつわざとらしく同情してみせた。

 

「久秀のおじさん、良い人じゃなかったの!?」

 

 という地保の抗議に、久秀はムッと振り返った。

 それは、他の何を置いても久秀には容れられぬ人物評である。

 

「馬鹿者。清廉潔白な松永久秀など、それはもはや『我輩』に非ず。というか、いきなり方針転換して『実は久秀さんはぁ、高潔な世の中を目指す理想家なんですぅ』とか言われても、説得力皆無で薄っぺらくて薄ら寒いだけではないか。いかに現状の停滞を打破したいからと言って、既存のものをむやみやたらに否定しようと躍起になったところで、良い結果が生まれるわけが無かろう」

「なんの話ぃ?」

「ともかーく! 貴様らも悪党ならば! 悪党らしく! 腹を括ってこの企てに加担せい!」

「ちー達悪党じゃないよー!」

 

 重ねての地保の訴えももはや聞き流す。彼女らの公演は丸潰れとはなったが、久秀演出の演目は、これより幕を開けるのだから、両腕を高らかに掲げて笑うほどのその昂りは誰に口挟みできるものではなかった。

 

「にしても、もうちょっと派手にやりたいのー。いっそ、火でも点けるか」

「させないぞ、松永久秀」

 思っていたところを率直に口にすれば、それを止めにかかる者が現れる。

「ほう?」

 非人間的な動作とともに久秀は声の方へと振り返った。

 敵ではない。一応、味方である。

 上杉景虎。夏侯惇付の御遣いにして、久秀とは『同郷の士』でもある。

 だが義父より拝領の品と思われる利剣の柄に手をかけ、穏やかならざる態度を見せる。

 

「俺たちの目的はあくまで奸臣たちの排除し、その正義を示すことだ。かつての京のように焼かせはしない!」

「おうおう、借り物の大義をまた威勢よく吼えるものよ。だいたい、我輩は京を焼いてはおらぬわ。せいぜい将軍殺しと主家乗っ取り。あとは焼いたのは東大寺ぐらいよ」

「充分なんだよそれで!」

 

 煩わしげに手を払いながら、久秀は続けた。

 すでにこの時には剣呑な空気を悟った間抜け三姉妹は、コソコソとその場を離脱している。

 

「だがそれとて理由があってのことよ。お主の『家』の長尾や北条とて、守護管領を討って下剋上を成したではないか」

「黙れ! 俺の家族や先祖のことを、よく知らずに」

「ならば、お主とてよく知らぬ我輩のことを罵倒できる立場にあるまい。存外に高潔な世を目指しての義挙であったやもしれんだろうが」

「……さっき、自分で悪党だとか企てだとか大声で言ってなかったか?」

「……なんだよも~、聞いてたのかよ」

 

 とぼけた調子で久秀は長い舌をべっと出した。

 口八丁でこのような青臭い若造に負ける道理などなし。あわれ上杉の御曹司は、毒気を抜かれた調子で立ち尽くしていた。

 

 それはさておき、朝方に都を襲撃した曹操軍は所在を調べ上げていた兵舎詰所などを迅速に確保。宮殿へと乗り込んだ。

 だが、春蘭も景虎も、愕然とすることとなった。

 すでにして真っ先に占拠したいずれの場所にも、帝はおろかその妹たる劉協、宦官や主だった重臣の姿さえも存在していなかった。



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漢(二):燕雀の志、鴻鵠いずくんぞ知らんや(後)

「下策も下策」

 十常侍筆頭張譲は、すでに洛外へと脱出していた。のみならず、帝も劉協も、皇甫嵩以下宿将らも同伴である。

 目指す退避先は、河内(かだい)。帝は、物見遊山の誘いという名分を愚直に信じているようで無邪気にはしゃいでいる。

 

「大方、玉体を奪い公孫賛討伐の勅でも戴かんとしたのであろうが、僭越にも程があろう。そして軽挙に過ぎるわ。我らの『網』が張られておるのが、禁裏洛中のみとでも思うたか」

 

 自身の天蓋つきの車にてそう呟き、羽扇で仰ぎながら背後を顧みた。

 

「よくぞ知らせてくれた。徐庶よ」

 剣を佩いた少女へ嫣然と笑みを向けつつ、美貌の宦官は誉めた。

 

「恐れ入ります」

 ニコリともせずかつて闇に生きていた少女は俯いた。

 

「しかし良いのかね? せっかく日の目に当たらせてくれた主君であろうに……あえて裏切りの汚名を被ってまで、何を求める?」

 細められた眼の奥底が獲物を探るような獣性の輝きを放つ。

 

「曹操の寄寓に甘んじたは、あくまで自身の母との安寧がため。彼女自身に忠誠心はありません。そして小心ゆえ、帝を拉致するなどという大それた企てなど受け入れられるはずもなく、千々に乱れし我が方寸を鎮めるべく、旧縁に縋り張譲さまの下に馳せ参じた次第」

 自身の鼓動を抑え込むがごとく、徐庶こと剣里は服と胸肉を掌にて押し潰した。

 

「そして張譲さまに求めるのも、ひとえにその安寧。願わくば、母の安泰と、分相応の官職さえいただければと」

「ふうん、寡欲なことよな」

 含むような調子で張譲は相槌を打った。

「して、当座は如何する?」

「すでにして母を奪い返し、こちらへお連れしております。密告と併せてすでに曹操陣中に知れ渡っていることでしょう。願わくば、このままお側にお仕えさせていただきたく。それと」

「何かな」

「先のお約束の証となるもの、お預けいただけましょうや」

 

 切っ先のごとき気配を身の内に忍ばせて、剣里はねだった。

 しばし沈思していた張譲ではあったが、勘定が終わったらしい頃合いに懐中より一対の玉飾りを取り出して手渡した。

「事が済んだ後は、それを持って我が邸宅を訪れるが良かろう……まぁ、屋敷が敵に荒らされていなければの話だがな」

 と冗談めかしく言うのを、剣里は頭を下げつつ受け取った。

 

「張譲様」

 後方へと下がった剣里と入れ替わるように、一人の女将軍が進み出た。

 おそらくは、張譲と癒着しているともっぱらの噂の人、朱儁であろう。

 

「仰せの通りに退却の指揮を執りましたが、しかし……事前に分かっていたのなら迎撃も出来たものを」

「そして都を戦場とするかね」

「なれば、伏兵どもを事前に拿捕しその悪だくみを吐かせては」

「奴らの悪辣なところは、分散して兵を潜入させていたところだろうよ。徐庶も、すべての潜伏先を把握していたわけではないそうだ。無理にこれを一つ潰したところで、何ほどのこともない。その間に他は逃げ出し、捕らえた者を尋問したとて、曹操は知らぬ存ぜぬで通すであろう」

 

 それに、と海千山千の宦官は、その美貌を歪めて付け加えた。

 

「これは何進の手落ちである……いい加減、あの肉屋とその妹も降ろし時だろう。姉の方は曹操に首を刎ねられている頃合いかな?」

「残念ながら、いえ、喜ばしいことに」

 

 朱儁は真顔で伝えた。

 

「何進大将軍様、命からがら曹操軍の包囲をくぐり抜けて都を脱出。こちらへの合流を求めているとの由」

「ほう? それはそれは。次期大将軍は貴殿でも良いと思ったのだがね」

「……御冗談を」

 

 剣里同様の沈痛な面持ちで、朱儁は首を振った。

 この国の、ある意味においては最高権力者なのだから、誰しも自然、そういう渋い態度となるのだろう。

 

「が、私からも貴殿に伺いたいことがあったのだがね?」

「は。何でしょう?」

「何故、直前とは言え盧植、皇甫嵩に襲撃を伝えた?」

「……」

 

 朱儁は、顔を背けて黄河へと視線を投げた。

 その岸では辛くも曹操軍の魔手から脱し、テキパキと迎撃と渡河の準備両方を並行して推し進める、両将軍の姿が見えた。

 

「あのまま何も知らせぬままに曹操軍に討たせてやれば良かったものを」

 その朱儁の横顔に、羽扇でぬるい風を送りつける。

「迎撃に彼女たちの声望と能力は不可欠です。今はまだ……生かすだけの価値があるかと」

 

 傍目から見ても、かなり苦しい朱儁の言い分であった。

 だが、確かに一度散らした官軍の兵を召集するためには、旗頭としては何進や朱儁では不十分だろう。

 それを汲んでか、意味深な笑みを含ませ張譲は扇ぐその手を止めた。

 

「それで張譲様、いつになったら都へ帝を御還しすることができるのです?」

 そこに、新たな客が現れた。

 趙忠。張譲の後輩にして、信任、もといその依存性はその先達よりも上、何太后に匹敵するであろうという青髪の娘である。

 

「心配いたすな。程なく上党にて河北の諸侯を糾合し、大逆人どもに天誅を加えん。しかるのち、堂々と凱旋するのだ」

 張譲の目に、らしくもない情のごとき色が浮いた。

 伝え聞くところによれば、幼い頃両親と死別し、かつその葬式を心なき廷臣に踏みにじられた時、哀れに思い引き取ったのが張譲であるという。なんとまぁ本当に、らしくもない馴れ初めであろう。

 

「まぁ、疾く帰りたいなどと我儘を言うようであれば、あのような駄肉、山野にでも捨て置けば良いぞ?」

 ――それは、大よそ朝臣として吐いてはならぬ諧謔であった。

 

「おのれで考える頭を持たず、快楽を貪り余計なことに関心や感情を向けないのが美徳の娘よ。それさえ無くしては、もはや何の価値もない。幸い劉協様もこちらにおわすゆえ、そちらに挿げ替えれば良いだけの話だ」

 さすがに声量には憚りこそあれ、それを平然と口に出来るあたり、都から切り離されてもなお権勢を維持できる十常侍筆頭の怖さがある。

 

 趙忠もまた、それには異論をはさまぬままに、粛々と、静々と頭を下げた。

 垂れた青髪の奥底の表情は、伺い知れない。

 

 もはや自分は居ても居なくとも良い存在であると自覚した剣里は、一応の辞去を述べたのちその場を離れた。

 

 しばらく黄河沿いに歩いたあたりで、握りしめた掌を開き、張譲から下げ渡された品を検めた。

 思わず、笑いが出そうになった。

 その因果を知ってか知らずか。その玉飾りの意匠は龍と鳳凰であった。誇張されて見開かれたその眼は、自身の悪業を蔑視するかのごとき向きがあった。

 腹の底、方寸が、冷え切っている。一度総身がぶるりと震えるのを、彼女は抑えることができなかった。

 

「――分からないよ、あんたらみたいなのにはね」

 

 握りつぶそうかとも思ったが、淡く碧の光沢を放つそれらを、剣里にはどうあっても毀すことができなかった。



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エイプリルフール企画:恋姫星霜譚ZERO

 数多の将星禍つ星降り注ぐ夜より二十年ほど前。

 益州成都近郊にて、二つの勢力が決戦に及ぼうとしていた。

 

 一には益州刺史、劉焉(りゅうえん)

 巴蜀を漢王朝より切り離し、独立国家にせんと画策する。

 もう一方は賈龍(かりょう)

 かつては劉焉を英雄と仰ぎ友として志を同じくするも、劉焉の展望を知り、一豪族でありながらも漢の忠臣たらんと欲し袂を分つ。

 

 一見すれば前者こそが悪党であり、後者にこそ道理と正義があると思われたが、劣勢に立たされた賈龍に、邪仙左慈(さじ)が接触。彼の率いる凶徒たちを引き込む。

劉焉もまた、方子管路を客として招き、突如として現れたその怪人たちへの対策を余儀なくされる。

かくして両陣営の善悪は容易に定かならぬものと化し、天険の地は混沌の坩堝と化す。

 

そして彼らの傍には、時を外してこぼれ落ちた星々が、寄り添っていた。

 

 〜〜〜

 

 さながら源平合戦がごとく。

 劉焉軍先触れの武者が進み出、それに誘われるかたちで賈龍方の先手が現れ、一騎討ちの図と相成った。

 双方ともに、外見中身いずれも尋常のものではない。

 一方は老境の武者。首より下は着流しにして、兜の下で澱みのない鋭い双眸が光を放っている。

「人生、楽しからずや」

 手に太刀と十文字槍を引っ提げ、低く喉奥を鳴らした。

 それに同調するがごとく、荒涼とした風が枯れ草を撫ぜる。

 

「思えば儂は、偏にお主のごとき者を斬るために此処へと招かれたのであろうよ」

 その老将、葦名(あしな)一心(いっしん)に対するは、漆黒の甲冑をまとう騎兵。

 端正な面体を髑髏の総面で覆い、大鎌を携え、黒鹿毛の手綱を執って操る。

 

「お主の不器用さは、決して嫌いではなかったのだがなぁ……イエリッツァよ」

 

 心底より惜しむがごとく、そして孫に昔語りをするかのようなしみじみとした優しい調子で呟いた一心。その感傷を、死神騎士イエリッツァは

 

「……下らん」

 と面の内側で吐き捨てて一蹴した。

 

「我らが身命、この戦、何もかも所詮は泡沫の夢。ならば一時といえその逸楽に耽溺するのみ……貴様の中にも、私と同じ魔が見える」

 

 それは、一心には読み解けぬ狂気。彼のみ解する信条。だが鎧の奥底で輝く青年の瞳は、確かに老人の心に鬼を認めていた。

 

「まこと、業深き身よ。儂も、お主も」

 柔弱な笑みの内、眉間には苦渋が寄る。だがそれも束の間のこと。

 クワっと目を見開いた一心は、大音声を張った。

 

「――参れ、外つ国の修羅よ!!」

 

 それ以上の言葉は無用であった。

 一心は攻防一体の構えを取り、飛燕のごとく黒馬を駆って死神がサリエルの大鎌を振り上げる。

 そんな両者の裏にて、雷鳴が轟き、それをもって開戦の狼煙とした。

 

 ~~~

 

This is Spartaaaa(これがスパルタの流儀だぁぁぁ)!」

「野郎ォブッ殺してやるぅあああああ!」

 

 劉旗たなびく成都城正門より討って出てきたのは、二人の指揮官に率いられた歩兵隊である。

 それ自体が巌のごとき肉体を曝け出した軽装の男たちが、怒号とともに我先に、我こそが勇者なりと

 先んじて率いるが故に、率先。

 スパルタの王レオニダスと、元コマンドー部隊大尉ベネットは、競うように、いやむしろ敵として張り合うが如く敵陣へと斬り込んだ。

 両人、ともに容貌魁偉。鬼神の如き形相が大口開けて並立すれば、それだけで敵を圧迫する威となった。

 

「……ふん、なんとまぁ見苦しき敵か」

 攻め手にあってその突撃に対応したのは、燃え盛るが如き髪を靡かせた騎将である。

 彼……ムズラク将国が将王(スルタン)バラバンは、己の美意識からは大きく外れた敵歩兵隊に蔑みの表情を隠さず、いささか興を削がれたような調子であった。

 

「では見て見ぬふりして素通りさせるかね、将王陛下」

 

 と皮肉とともに彼を呼んだ紫髪の青年もまた、かつては王と呼ばれていた。

 こちらもバラバンと同様に美男子と呼ぶに耐える容姿の持ち主であった。いずれも野心と覇気に満ちた顔つきではあったが、この青年の方は、それよりもいささか陰を含んだ、どこか作り物めいた鼻筋である。

 やや耳が人並み外れて長いというのも、異物感を増している一因であった。

 

「まぁ良いわ。我がイエニチェリ軍団が、あのような醜悪な連中は跡形もなく戦場から排してくれる。クルーガーよ、魔導隊と飛兵隊で頃合いを見て城壁を制圧せよ」

「……承知した」

 

 まるで小姓にでも命じるがごとき高圧的な要請にも、その青年、レーゲンブルク連邦王国の大王クルーガーは一も二もなく快諾した。

 だが内心では敵将同様に、蛮勇を恃みとするこの同輩を冷視している。時と場合によれば、背を刺すことに躊躇いはない。

 

「踊るが良いさ」

 という嘲りを、彼は黒衣の美少年騎馬軍団へと投げかけた。

「……今度こそ私は私として、この私自身の力と才覚をもって、世界を制するのだ!」

 

 〜〜〜

 

「急げ……! 包囲が完遂するまでに、成都へ兵糧を運び込むのだ!」

 朝服を纏い、丞相を表す冠をかぶった男が輸送隊を叱咤する。

 本来であれば、彼は帷幄にあって権謀を振るう『人物』であったが、如何せん人手不足である。

 自ら出張して、輸送計画の監督役として指揮を執らねば到底おぼつかない多忙ぶりであった。

 

「ク……カカカカ!」

 突如、けたたましい鷲のごとき笑声が頭上より轟き、彼は天を仰いだ。

 

 

 見れば母衣をまとった武人が、見慣れぬ蜥蜴にまたがり山道を抜け、青龍刀を振りかざして駆け下ってくる。

「くっ……敵か!?」

 男はみずからの腰を抜き、走りざまの斬撃を防いだ。

 

「ほう、多少は剣も遣えるか。いくつもの偽装偽報を立て攪乱していた策士、どのような者かと思えば……よもや人語を解する獣とはな!」

 と、轡を翻しながら余裕の表情で、奇妙な『ウマ』にまたがる痩せぎすの老人は言う。

 

 ――そう、男の衣裳こそは中華風の文官の装いであったが、風体は黒い毛側に覆われた、猫であった。

 その名を、骸延(がいえん)と言った。

 だが対する老君もまた、生やした耳は人のそれではなく、鋭く尖っている。そちらのほうこそ、骸延の生きた銀河(せかい)では、ついぞ見なかったたぐいの者である。

 

「猛っているな、『狼』よ」

 駆け下った坂の上から、新たに女の声が響く。

 錆びついたような音色は呪詛のごとく、脳に染み入る妖しさを帯びている。

 

 全身を黒い鎧で多い、顔を含めた一切の表皮をも露出させていないが、猛る老将に対する熱っぽい視線は、そのフルプレートの隙間から十分に感じることが出来た。

 

「ク、カカカ……そういう其方とてケダモノではないか、アポリヨン。その甲冑と人皮の裏に、おぞましい闘争への渇望を秘めたな」

 低く嗤って顧みた男……ニウェに、女黒騎士アポリヨンもまた合流してきた。

 

「そうだ。我らは皆獣。狩るか、狩られるか。狼か羊かの二つに一つだ」

 

 これで二体一。率いる兵も多勢に無勢。各将兵の勇の差は言うにおよばず。

 万事休すだが、骸延は白旗を揚げるわけにはいかない。自身の形状にも拘らず後方支援の一切を委ねてくれた劉焉。その恩義には報いねばならない。認めてくれる。ただそれだけで、彼には才知と忠義を捧げるには十分であった。

 

 だがそんな彼の意気に応えるかのごとく、突き立った矢が敵味方の間に突き立った。否、骸延を守るために射放たれた。

 

「お主らに、狼という言葉は似合わぬ」

 木々を悍馬で抜けてきたその戦士は、負った箙より二の矢をつがえつつ、

「狼とて、捨てられた幼子に兎を分け与える慈悲はあるわ」

 と吐き捨て、両者を牽制した。

 

「おぉ……シャプール殿!」

「すまぬ、遅くなった宰相殿。教義主張は違えど、今は志を等しくする身。ここからは共に戦おう」

 生真面目にそう言った万騎長(マルズバーン)シャプールに頷き返し、骸延も顔色に生気を取り戻した。

 

「ふん、まぁ良かろう。飼い慣らせぬなら殺すまでよ」

 (オウロ)は不敵に鼻筋を反らし、アポリヨンとともに得物を構える。

 

 いずれが人か、獣か。狩人か、獲物か。

 それを決める一戦が、この一局地において始まろうとしていた。

 

 ~~~

 

 異界の将らが表舞台で死闘を繰り広げている中、また裏側でも闇に生きる者たちが飛び交っていた。

 

「始まってしまった……っ」

 奥歯を噛みしめて竹林の合間を疾駆するのは、赤髪の細作。名をレイラと言った。

 かつてはオスティアに仕えていた彼女もまた、一たび兵乱に陥れられた益州の平穏を取り戻すべく、それが左慈により仕組まれたものである証を掴み、急いで事を構えている賈龍と劉焉の本隊と合流するために、脚を速めていた。

 

「無駄なことは止めておけよ、レイラ。もう戦は止められねぇ」

 

 どこか倦怠感と艶の伴う男の声が、竹々の合間より振ってきたのは、その中途であった。

 故国で一、二を争う密偵レイラの鋭敏な感覚をもってしても、気配がするだいたいの場所は割り出せても特定には至らない。

 

百地(ももち)三太夫(さんだゆう)! どうして貴方が……」

 あの剽軽で兄貴肌であった細作が、左慈と組んで両陣営も情報を巧みに操り決裂まで指嗾したのか。

 それとも、隠密であるがゆえにその所作や仲間たちとの交流のすべてが、偽りであったというのか。

 だとしても、未知の世界であるはずのこの国の、何が彼をそこまで駆り立てると言うのか。

 

「そりゃお前……腹が立って仕方ねぇからさ。もっともらしく自分の国を手に入れようって為政者様も、腐った朝廷に忠義立てする馬鹿な男にもな」

「そのために戦火をさらしては元も子もないじゃない。正気じゃないわよ、貴方」

「おいおい、口の利き方に気をつけろよな、レイラ」

 

 転瞬、さっきまで頭上に存在したはずの気配が、声の源が、気が付けばレイラの背後に立っていた。

 振り返らんとする彼女の下顎を、三太夫が強烈な握力で押さえ込む。その手には、甲殻類のごとき手甲。横目で覗きこめば、かつての人の良さそうな表情から反転。雀蜂を想わせる仮面で顔を覆い、その眼窩奥底で殺気を漲らせた双眸が紅蓮の輝きを放っていた。

 

「分かってるよな。隠密(しのび)の腕じゃ、お前は俺に敵わねぇ」

 

 死角の股より抜いたダガーナイフで、レイラは身を翻しざま三太夫の頸動脈をかき切らんとした。

 だが振りむいた先にはすでに三太夫の偉丈夫然とした体躯はなく、代わり無数の蜂が辺り一帯の中空を蔓延る。

 

「まぁせいぜい励んでくれよ」

 と、もはや何処から発しているのかさえ分からない三太夫のうそぶきとともに、見るからに毒を持つ凶相の飛虫たちが、乱舞してレイラに迫る。

 

「惑わされないでっ、それは幻術よ!」

 そこに駆け付けた少女が、鋭く声を、指先より紙片を放った。

 

 少女陰陽師、南条(なんじょう)(らん)

 蜂達目がけて投げた符は、かつて使徒を宿し朱雀を操ったほどの火力はないものの、レイラの幻惑を晴らすには十分であった。

 レイラは、消し飛ばされた蜂たちのうちに潜ませられていた手裏剣を認めた。

 自分に当たる軌道上のものだけを的確に処理して切り落としていく。

 そして笹に長い腕を巻き付けたままにに舌打ちする三太夫の姿を、手裏剣の角度を辿って見つけ、すぐさまダガーを投げ返す。

 

「……クワイエット!」

 

 三太夫の声に多少の焦慮が混じり、その声に呼応して弾丸が、竹林のわずかな隙間をくぐり抜けて飛来した。

 次いで、何処からとも知れず鼻歌が聞こえ、骨が浮かび血肉がそれを覆い、火傷の跡が浮かび上がった後に女性の肌膚がそれを包む。

 

 煽情的なポーズを取った後、再び狙撃銃を構えた彼女ではあったが、それが外れたことを目視にて確認していた。

 臨時的に張り巡らされた妙なワイヤーとガスを駆使して戦場に飛び込んで来た黒いスーツの娘、サシャ・ブラウスが標的の二人を両腕で抱え込んで弾道から逸らしたのである。

 ……深い狩人の森から抜けても、彼女はまたも殺戮の森へと囲われていた。

 

 代わりに撃ち返さんとして、愕然とするのも、視えた。

 もちろん装備している銃の性能差というのもあるが――クワイエットからは射程内でも、サシャからは射程外である。

 

 だがそれ以上撃つつもりはなかった。あの虫遣いの奇術師、百地三太夫はすでに撤退している。

 もはや声帯虫の蔓延を恐れる必要はないと、肌と体内から感じるところではあるが、それでも強いて喋ろうとも思わない。彼女はどこまでも静寂(クワイエット)であり、そして俯きがちに再び透明となって、三人の女たちの前から姿を消失させた。

 

「……ありがとう、助かったわ」

 と、蘭は珍しく正直に謝礼をサシャへと述べた。

「気にしないでください」

 異世界の友人は年頃の割りにはあどけなくも、頼もしい笑みを浮かべて言った。

「一緒に生きて食事をしようって誓い合った仲ではありませんか」

「……いや、前の食事、私の分のお肉、あなたに鬼の形相で横取りされたんだけど」

 

 他愛ないやりとりに、いち早く体勢を立て直したレイラも表情の強張りを和らげさせ、しかし戦場であるがゆえに完全には弛緩させ切らず、

 

「行くわよ。劉焉様が、待っている」

 と、二人を助け起こして促し、年長者として先導する。

 

「……もっとも、もう手遅れかもしれないけれど」

 嶺の向こうで立ち上る黒煙を見上げながら、二人には聞こえない声量で独りごちた。

 

 ~~~

 

 劉焉と賈龍の目の前で、仙人たちが人の枠組みから外れた闘いを繰り広げていた。

 否――正しくは剪定者、と言った方が正しいか。

 

 彼らは武器など持たず、ただ互いの肉体を全力で駆使して技の応酬を繰り広げる。

 余人を近づけさせず、空気が破裂するかのような音が、けたたましく鳴り響く。

 

「馬鹿々々しい……!」

 左慈は毒づきながら拳を振り抜いた。

 対する筋骨隆々の漢女……貂蝉(ちょうせん)は、のけぞってそれを躱し、本来は頭蓋を打ち砕くはずだった必殺の一撃は鼻先をかすめたのみに留めた。

 

「天の御使い……否『御遣い』を大量にこの地に降ろすだと? 歴史の運行もあったものではない、こんな馬鹿げた外史があるかッ! 貴様も、管路も何を考えている!?」

「あ~ら、そのシステムを正式稼働の前に悪用してるコのセリフじゃないわねぇ」

「構うものか、奴らもろともに、この時代を破壊する。そして我らが望む劉備、曹操、孫権らを作り上げ、正しく歴史を進めていくのだッ」

 

 震脚にて撃ち出した足裏を衝突し合わせる。一見してあどけなさの抜けない少年に見える左慈ではあったが、『彼女』との体格差をものともしないその蹴りの威力は、決して貂蝉に引けを取るものではない。

 

「正史か、虚無か。ウソかマコトか。ゼロとイチしかない歴史……そんなのつまらないでしょう? この世界を見ている人たちにとっては虚構であったとしても、こういう歴史(モノガタリ)も、あった方が楽しい。チャンスは、御遣いちゃん達にもありとあらゆる外史自体にも、あってしかるべきよン」

 と言った貂蝉の分厚い唇が、ふと綻んだ。

「ずいぶん懐かしい問答ねぇ。もっとも、その時は別の個体(アナタ)だったけれども」

「戯言を……!」

 

 ――だが、これはあくまで領域外の戦いである。戦いの次元の話ではなく。

 劉焉には劉焉の、賈龍には賈龍の正義があり、言い分があり戦いがある。

 

「離れていろ、孝直(こうちょく)!」

 賈龍は未だ幼い妹分を押しのけるようにして、塁壁を飛び越え劉焉に肉薄した。

 矢嵐を浴びた勇将の身体はすでに幾本もの矢が突き立ち、それに対する痛痒を感じないかのごとく、若武者は竜槍を旧友へと突き出した。

 

「いい加減目を覚ませ、賈龍!」

 帯より抜きだした鉄扇でそれを受け流した劉焉はしかし、彼の説得を諦めてはいなかった。

 

「貴様、おのれが左慈に操られていると何故気づかん!」

「すべては、お前の邪心を打ち砕くため!」

「ふざけるな、あの魑魅魍魎たちを呼び込んで、成しえる正義がどこにある!?」

「それは羌族や御遣いを雇い入れたお前とて同様だろうが!」

 

 そう返されては真っ当に返す言葉もない。

 ゆえに奥歯を食いしばりながら、

 

「……すべては、貴様も望む益州の平穏がためだ」

 と答える。

「ならば俺とて同じだ。たとえこの身は悪事に染まろうとも、正しき道理の礎とならんッ」

 そう気炎を吐いて巴蜀と英雄と目された男は、刃を友へと振りかざす。

 

 そして異世界の英雄たちの影が、ありとあらゆる枠組みとしがらみを打ち壊し、今ここに交錯する……

 

 

 

 恋姫星霜譚ZERO~益州前夜と魔王梁冀~

 近日公開……しないっ!




例年のごとく嘘企画。
嘘企画という名の没キャラ未登場キャラの一斉放出でした。
登場したキャラの詳細については完結後に登場人物紹介に追加予定です。


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劉備(二):外にて患う者たち

 ――曹操、都を襲う。

 その凶報は董卓の計画していたそれよりもはるかに勝り、かつ袁紹の死にも匹敵する速さと勢いをもって中原の群雄たちの間を駆け巡った。

 

「離せッ、曹操の横暴を赦すわけにはいけないだろ!」

「いや、その状態で戦に出たら今度こそ死にますよ、貴女」

 とある者(馬超)は憤り蛮勇をもって出撃せんとしてある者(張魯)に止められ、

 

「やってくれたな孟徳、この我を、差し置いて……!」

 とその大逆にある者(韓遂)は臍を噛んで悔しがり、

 

「なに、それ……横取りかっ!? ボクらの計画を!」

 ある者(賈駆)も恨み節を潜伏先の上庸で吐き捨て、それを聞いたある者(董卓)はもはや敗者として語る言葉もなく悲しげに目を伏せ、

 

「今すぐに盟を切り曹操軍を背後から襲うべきです! 主力のことごとくが北へ目を向けた以上、豫洲宛州を攻め取り、名門袁家として勤皇の志を示すことこそが肝要!」

 袁術軍においてはある者(満寵)が机を叩いてらしくもない強弁で主張するも、

「西には董卓さん、南に劉耀さんと今川さん、北に陶謙さんを抱えてるのに、そんな余裕あるわけないじゃないですか」

 などというもっともらしい建前で、本音では彼女や御遣いらの『増上』を曹操の挙兵以上に悪むがゆえに、ある者(張勲)がそれを拒む。

 

 そして言わずもがな、河北で転戦する公孫劉備連合部隊にもまた、それは届けられたのであった。

 

 ~~~

 

「おのれ曹操め! 野望が挫かれたのなら大人しく引き返すならまだ可愛げもあったものの、平穏な都まで我らの戦に巻き込むか!?」

「まったく、往生際が悪いどころのハナシじゃないのだっ」

 

 平原(へいげん)の周辺、当座の野営地にて愛紗、鈴々ら義人たちはその横暴に憤りつつも、

「だが、そんな破れかぶれの無謀も破綻に終わった、陛下を始め、主だった武将たちさえも誰ひとり擒とされなかったのだからな!」

 と安堵と嘲りを示した。

 が、対して軍師衆の表情は決して楽観的なものではない。むしろ困惑と動揺は、智者である彼女らの方にこそあった。

 

「如何した、朱里、雛里?」

「い、いえ……それこそ大胆な策です。本当に、都が掌握されていればわたし達への決定打になっていたほどの」

「でもだからこそ、より入念に練られていたはずのその計画が、どこで漏れたのか」

 

 それは彼女らが過大に曹操を恐れていただけで、その程度の粗末な策を出せないほどに曹操もその幕僚も凋落したのではないか。

 愛紗はそう思ったが、思考力においてはこの臥龍鳳雛らに自分は遠く及ばない。それを知るがゆえ、余計な口を差し挟まず、主従ともども結論がまとまるまで彼女らが小さな額を突き合わせて議するに任せた。

 

「得てして、天才とは至上を望むがゆえに足下には目を向けず、それがために高転びするものよ」

 

 ――が、あえてそれを遮る者が、唐突に割って入って現れた。

 

「何者か」

 成り行きを静観していた星がやおら愛槍を掴んで誰何する。

 その彼女や関張の義姉妹をして間合いに入られるまで気配を察せられなかったのだから、この侵入者の隠形の術は中々のものである。

 

 が、予想に反して現れたのは細身の娘であった。鋭気と理智とを兼ね備えてこそいるが、朱里らよりも少し年上といった塩梅の、さほど齢を重ねていない面持ちである。

 

 そして彼女のその面を認めた瞬間、臥龍鳳雛はあっと声をあげた。

 

「剣里さん!?」

「えっ、ほんとです。先生のところ以来ですっ」

「久しぶりだね、朱里、雛里」

 

 どうやらふたりの旧知らしい。久闊を叙すのもそこそこにして切り上げて、まずは警戒を解くべく娘は桃香へと礼を捧げた。

 

「徐庶、字を元直と申します。劉備様のお噂は、かねがね」

「わぁっ、こっちも朱里ちゃんたちから話には聞いてるよ。私にとっての、白蓮ちゃん的な存在なんだよね」

 と、みずからの肩を公孫賛のそれに寄せて微笑み返す。

 その姉弟子の方はと言えば、どこか居心地が悪そうにしつつも、星に槍を下ろすよう促し、桃香の方も義妹たちにそれに倣わせた。

 

「先ほどの言葉の意味は、どういうことだ?」

「藪から棒にすみませんでした。まず、先にお話ししておきますと、自分は曹操軍に属していました」

 と、剣里なる娘は穏やかならざる文言であらためて切り出した。

「ほう?」

 目を眇めた星は尋ねた。

「すると、今は違うと?」

 顎を引く剣里は、全体的に視線を振り分けつつ続けた。

 

「しかしながら、今回の曹操の野心を知った私は、かつてツテを持っていた十常侍の張譲様の下へ馳せ参じ、事の次第を告げたわけです」

「十常侍……」

 

 これもまたきな臭い相手ではある。

 ともすれば曹操以上に社稷を食い荒らす宿痾ではないか。

 

「つまりは、密告か。あまり褒められた手段ではないな」

「分かっています。ですが、あの時はそれしか手段がありませんでした。そして今は、副使としてここへの案内を頼まれてここに参りました。妹弟子たちが潜伏先として選ぶのなら、おそらくここであろうと」

 

 田豫ほどではないにせよ、キッパリとした物言いをする娘であった。

 

「副使?」

「流石にその密告者に正使は務まらないので」

 半ば自虐を含んだ皮肉を返したその裏から、林をくぐり抜けて踊り込む影があった。

 

「おおおおお! 劉皇淑であらせられますか!」

 ……こっちは声量は言わずもがな、気配はダダ漏れ、物音を鳴らしまくりの、装いこそ武人のそれだが……というかその格好こそ密使としてどうかとも思うが……まったくなっていない二十歳そこそこの、全体的に丸い顔つきの女である。

 

董承(とうしょう)と申します! 皇淑様の凶賊ども相手の弛まぬ抗戦、わたくし心より感じ入っております!」

「は、はい。ありがとうございます……? で、その皇淑って」

「盧植様によらば、劉備様は中山靖王の末裔であらせられるとか! されば、ざっくばらんに申しますれば今の陛下の叔母御に当たります!」

「おば……」

 

 固まる桃香に星が思わず吹き出し、さしもの愛紗も憤るより先に苦笑をこぼすしかなかった。

 悪気なく褒めたつもりなのだろう。そして邪心を持つ人ではないのだろう。

 が、ともに大事をなせる器量ではないことは、この時点で既に明らかであった。

 

「ええと、それで、わざわざ我らを訪れた御用とは?」

 朱里が尋ねると、董承は頷いて答えた。

 

「今、我ら官軍は混乱により散った兵を取りまとめている最中でございます。それと同時に義勇軍にも招集をかけ、曹賊を討滅するべく堂々たる正面決戦を挑む所存。詔勅により、是非にも劉備様と……まぁあと公孫賛殿にも河内に参陣していただきたく」

「あのあの、であればなおのこと私たちはこのまま遊撃して曹操さんたちの後方を脅かしていた方が」

「なんと!? 畏れ多くも帝からの勅を、なんとお心得か!! 一も二もなく漢室の御為に従うのは筋ではございませんか!?」

 

 そこまでの好感触より急転直下。煮えたぎる湯がごとき剣幕の女将軍を前に、異論を唱えた雛里は萎縮した。

 常人ならざる智の泉をその幼き身柄に秘めた両軍師だが、押しが弱いのが瑕瑾である。縋るような視線で徐庶を見たものの、彼女は首を振った。

 

「残念ながら、今の私は軍師じゃない。発言権を持たない張譲様の刃」

 とにべもなく返したことで、如何に天才軍師と言えど、その方針を覆しようがなくなった。

 あわわと固まる妹分へと目を背けた徐庶は、振り返って田豫へ向けて、一通の書簡を上衣より抜き出した。

 

「それと、こちらは公孫賛将軍ならびに田豫殿へ、我が主人よりの親書でございます」

「親書だと?」

「はい、『こちらに参られたら、いずれ折を見つけ天下のことなど語りたい』と」

「佞臣が何を白々しい、その天下をかき乱しているのは曹操と奴らではないか!」

 

 憤る愛紗を無視するように進み出た田豫はそれを受け取るや、本当に目を通しているかさえ分からない速さで一読した。そして氷の眼差しで徐庶を一瞥した後、文は己の懐に押し込みつつ

「……確かに。いずれ主君ともども日取りを決めてご挨拶に伺います故、貴殿の御主君には、どうぞよしなに」

 慇懃無礼な、取り澄ました調子で答えた。

「お、おい奏鳴。勝手に」

「状況が状況ゆえ、この件についてはまた後ほど打ち合わせいたしましょう、殿」

「……わかった」

 このように人の血の通わぬ言動が、この北辺の才媛を愛紗が好まざる所以でもあった。

 

「白馬長史。私はその件預かり知らぬが、また別にこちらからもよろしいか」

 董承は割り込むようにして言った。

 

「劉虞様の死について、問い質したきことあり」

「……」

「京師を取り戻した後、あらためて朝議の席査問させていただくが、よろしいな?」

 桃香に対するものとは一転、辛辣な態度であった。

「ちょ、ちょっと待ってください! それについては」

 慌てて弁護に回ろうとする桃香本人を手で制し、その身を庇うがごとく女将軍の前へと立った。

「良いんだ。誰かが劉虞、様の件で責任を取らなければならないんだからな……承知した。朝廷が平穏を取り戻した暁には、あらためて参内する」

 

 当然だ、と言わんばかりの傲然とした顔つきで胸を反らした董承。その裏より、一連の流れを黙して静観している少女の姿を、愛紗は見咎めた。

 

「如何した、子明(しめい)?」

 字を呼ぶと、その片眼鏡の娘、呂蒙(りょもう)は大仰なほど双肩を跳ねさせた。

 

「い、いえ……」

 と、彼女は俯きがちになって袖で口元を覆う。その所作を見ると、愛紗は心臓の奥底がひりつくのを微に感じた。

 ()()()()()()()()()()()、流れ者の一兵卒から関羽隊の従者として取り立てられたのが、この娘である。

 あるいはそれは、将来の士官候補としての成長を見込むと同時に、愛紗自身の人材育成能力自体を養ってもらいたいという桃香や朱里あたりの配慮であったのかもしれない。彼女に悪心がないことは承知している。任務にひたむきな、良い娘だとは思う。

 しかしどうにも、いっそ運命的なほど、相性が悪い。

 小動物的な性格が気に入らぬのか、とも自問したが、それなら軍師たちの方が余程ではないか。強いて言うなら、呂蒙は気後れして今のように言葉を濁した後になって、こちらを窺うような目つきをする。

 今のそうしたことで、愛紗はさらに不興を覚えた。

 

「……何か言いたいことがあるなら、申してみよ」

「え……」

「我らは何も朱里や雛里の意見ばかり聞く耳を持っているわけではない。時には別の切り口から物事を見る必要もあるだろう。気づいたことがあるのなら、遠慮なく言ってみてくれ」

 

 自分なりに懸命に、語気を柔らかくし言葉も選んだつもりだった。

 その甲斐もあってか、呂蒙は遠慮がちに目を持ち上げたあと、まだわずかに強張りの残る声で、

 

「あの、徐庶さんという方の、その……目が」

「自分が、何か?」

 

 間の悪いことに、言いさした呂蒙を遮る形で、その徐庶が現れた。

 

「関羽殿……でしたね。お話し中に申し訳ありません」

「いや、良い。大した話はしていない」

 あう、と愛紗の横で呻き声が漏れた。

 

「すぐにこの場を出立し、官軍と合流します。董承様と自分とで先導しますので、どうかご準備を」

「また急な話だな」

「都の襲撃は曹操軍全体に知らされていたものではありません。動揺が彼らの内にも広がる今こそ、追撃もなく転身できる好機です。……本当に、雛里の言う通りに非合理なれども、どうかここは後日のために従っていただきたく」

「なるほど、さすがは朱里たちの姉弟子か。納得の見識ではある」

 

 徐庶はやや自嘲の色を含む苦笑とともに、一礼して去っていった。

 言葉を中断させられた呂蒙はというと、露骨にホッとしたような顔で、

「あ……私も準備に入ります。貴重なお時間をとらせてしまい、ごめんなさい」

 と辞去していった。

 

 どうやら自分は、よほど年少には好かれぬ性分らしい。

 あらためてそう思い至り、小型なその背を眺めつつ愛紗は嘆息した。



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曹操(十三):内にて憂う者たち

 最初こそ就任を渋っていたが、青州軍都督という役柄も存外悪くないと、ヤン・ウェンリーは考えを改め始めていた。

 

 何しろ、わずらわしい出兵もない。せいぜいが跋扈する黄巾賊残党の掃討であり、それも方針を示せば沮授ら袁紹の遺臣たちで十分に対応できる規模と質である。

 自分の仕事としてはどういう理屈か同盟の公用語に自動翻訳される文書に目を通し、逆に伝わるかどうかの分からない署名を書いて円の構想する施作を認可する。

 

 沮授主導による領地経営を嫌った郭図(かくと)逢紀(ほうき)、審配らが離脱し、壺関(こかん)に拠って中立を貫く袁家類縁の高幹(こうかん)を旗頭に立てる、というアクシデントは起こったものの、それも袁紹軍内部で乱立していた派閥を整理する結果となり、青州はおおむね平穏であった。

 

「あとは、紅茶とブランデーさえあれば言うことなしなんだがな」

 聞けば同勢力のロブとか言う中世騎士にはワインやエールなどを取り寄せ、あるいは醸成して与えていたと言うが、それと同じように都合をつけてくれないものだろうか、と切望するところである。

 

 サングラスで目元を覆い居館の中庭で寝そべる青洲軍司令官の顔を、真上から覗き見る中年男がいた。

 

 グレーとブラウンを混成させた髪と瞳。シャープなラインを描く顎。

 それらが皮肉げに傾かせ、あるいは揺らめかせながら、目下の指揮官を眺めつつ、故意的に嘆息してみせた。

 

「やれやれ。生前の念願叶ったり、というわけですか、提督」

「そうでもないさ。どこでも色々と不満や不足はあるものだよ、中将」

「それは労働の対価として得るものですよ。私にユリアンの真似事をさせんでいただきたい」

 容赦だとか呵責だとかのない悪態を苦笑で流して、ヤンは起き上がった。

 到底上官へと向ける言葉と態度ではないものの、今となってはその応酬も懐かしい。

 

 一瞬、だが強烈に脳裏をかすめた、亜麻色の少年の記憶。

 それは重たげな呼気へと還元されて放出され、半ばそれをごまかすようにして帽子をかぶり直した。

 

「……そういえば、ずっと確認を怠っていたんだが」

「なんです?」

「その、ユリアン達は」

「もし私の背に見た顔が並んでいたら、後ろ蹴にしてでも追い返していますとも」

 その不良中年、ワルター・フォン・シェーンコップはシニカルに笑った。

 

「ただ小官は自分で考えていた以上に若い者たちからの人望が薄かったようでしてね。まぁ最早仕上げの段階に入っていたことですし、上手いことやったんでしょうよ」

「……そうか」

 

 それについての安堵は、包み隠さず露呈させた。

 何でもいい。理想だとか遺志だとかに後継が殉ずる必要はない。夢破れたとしても、生きてさえいてくれればそれで。

 

「ま、私としてもやり残したことがないでもないですが、若者たちの楽しみまで奪ってしまうのもどうかと思いましてね。一足先に天国だとかヴァルハラだとかを巡って良い席を確保してやろうと狙っていたわけですが、まさかこんなアミューズメントパークに迷い出るとは思っても見ませんでした」

「アミューズメントパーク」

 

 とヤンは鸚鵡のように返した。

 この陸戦のプロフェッショナルの肝の太さをして、この世界は驚愕と困惑に相当するのだろう。その揶揄には多少の苦味がある。

(まぁ、ポプラン辺りなら雀躍しそうなものだが)

 

「過去の確認作業はともかく提督、そろそろ未来の航路について定めませんか」

「はっ、遊園地の幽霊役の未来ね」

「とんでもない。私はともかく貴方はVIP待遇ですよ。この娯楽を思い切り堪能しろと何者かにチケットを渡された」

 

 断定じみた強い口調で、シェーンコップは説いた。

 

「私が呼ばれたのですから、貴方ほどの才幹の持ち主が選ばれないわけがないとは踏んでいたのですがね。まさかこんなところでまで怠惰にパジャマのまま、ベンチの上で不貞寝しているとは思わなかった。これでは他のキャストも興ざめってもんです」

「君たちの助けも借りず、ここまで生き延びたんだ。そこは素直に評価してくれても良いんじゃないか?」

 草原に寝そべっていたゆえ、枯れ草を絡め取った同盟軍服をつまみ上げながら、ヤンは苦笑した。

「まぁそこについてはね。ですが、そのことや小官と再会出来たことも含めて、何か天命めいたものを感じませんか」

 

 いいや全く、とヤンは即座に否定を入れたかった。だがこの指嗾癖を持つ伊達男は、そう答えることも勘定に入れているような気がした。

「君は相変わらず見合わない服を仕立てようとしてくれているようだね、シェーンコップ中将」

 ヤンはこの似非運命論者を睨み上げた。

「余計なお節介だとは承知していますよ。ですが、貴方にしか見合わないサイズですよ。『民主主義の先駆者』という服はね」

 押し黙った上官に対して、押し売りのセールスマンのようにシェーンコップは不敵で魅力ある笑みを称えて畳み掛けた。

 

「この群雄割拠の世に民主主義の種を蒔く。これ以上貴方にとって意義のある事業もないのではありませんかな?」

「かつてはルドルフの再来を求められ、そして今はハイネセンの真似事か。君の示唆にはずいぶんと振れ幅があるようだね、中将」

「貴方の内に明確な指標がない以上、原典に学ぶのも一つの視点では? そもそもイデオロギーというのは追従者あってのもので、創始者が自身の商標権を主張するものでもないでしょう。ハイネセンとその脱出団だって、救いの手を民主主義という掘り起こした化石に求めたに過ぎません」

 

 ヤンは肩をすくめて歩き出した。

 これ以上の問答をしたくもなかったし、必要も感じなかった。あるいは、それこそ明確に拒絶する理由が自身の中には存在しえなかったがためであるのかもしれない。

 あえてその駆け引き自体を、男女の恋愛のように楽しむ向きがあるシェーンコップも、即断即決を強いることもなく、ヤンに従った。

 

 だがどちらにせよ、思索の時間は終わりを告げた。

「た……たいへーん! 大変なのーっ!」

 曹操軍出向役、于禁文則。

 彼女が、息せき切って足下に踊り込んできたからであった。

 日ごろ大事にしているファッションもヘアスタイルもそぞろになった彼女を助け起こしながら、

 

「青州黄巾党に、動きでもあったかい?」

「そっちは無事、沮授ちゃんがやっつけて……じゃなくて!」

 

 告げられたのは、敵襲の報ではなく、むしろ味方の主体の暴挙。

 すなわち、夏候惇軍が洛陽を占拠したとの報であった。

 

 ~~~

 

 袁紹の居館を縮小改築した北海の政庁は、その旧主が息絶えた時と等しき動揺を奔らせていた。

 曹操の暴挙と、それが失敗に終わったという顛末を知らされた麗羽の遺臣たちは、こぞって自分たちが何もしない内に逆賊となったことを悟り、狼狽していた。

 というより、ひとしきり叫んで震えあがっているのは、もっぱら斗詩であったが。

 

「やったやったやったなぁ、いつかやらかすとは思ってたけど、とんでもない博打じゃないか!」

 猪々子は喜んでいるのか怒っているのかわからない調子で、少なくとも興奮しているのは明確な様子ではしゃいでいた。

 

「それで賭けに敗けてちゃ意味ないよ、猪々子くん」

 と、忌々しげに円が掌で机上を叩いた。

「しかし曹操め、こっちに断りもなく、勝手なことを……!」

「なるほど、お嬢様は乱世の楽しみ方を心得ていらっしゃる」

 冗談めかしく、曰くありげなことを口にしたシェーンコップを、その円が横目で睨む。

 形ばかりの委縮を見せる自身の副官を呆れながら見遣った後、

 

「それで文則、曹操閣下からは何と?」

「う、うう……それが『すべての責任はこちらで取るゆえ、引き続き青州の保守に尽力すべし』とかなんとかって便りが来たの!」

「なんだ、それならカンタンじゃないか。いつもみたいにきったない言葉使って部隊を調練してれば」

「ひとつ前の話抜け落ちたの!? 今はそれどころじゃないのー!」

 

 むしろ袁紹サイドよりも板挟みになっている于禁の狼狽ぶりこそ、顕著である。

 いや、逆に彼女や斗詩などが哀れになるほどにパニックになっているからこそ、他の皆が落ち着けている、という側面もある。そこまで狙っての割り当てであるならば、それは紛れもなく曹孟徳の人事の妙というものである。

 

 ――そこまで人の本質を視ることに長けた人間が、かくも粗末なプランを立案するだろうか?

 

「文則」

 そこであらためてヤンは、首座より少女に尋ねた。

「報告に上がったうち、朝廷側の捕虜は皆無だったんだね?」

「そうなの!」

「せめて陛下の玉体を確保さえ出来ていれば……」

 

 悔しがる円をひとまずは置いて、ヤンは問いを重ねた。

 

「皇帝も、その妹姫も、大将軍何進も十常侍も、皇甫嵩も朱儁も盧植も……誰も?」

「だからそう言ってるの! 徐庶ちゃんが朝廷側に寝返ったせいでだーれも捕まらなかったの!」

 

 名を挙げた辺りで、円にも何かしら悟るところがあったらしく、息を呑む音が横合より聞こえてきた。

 

「あの……まさか」

 おずおずと尋ねんとする円を、そっと手で制する。

 まだ断定すべきではないし、あえて衆目の場で披露すべき答え合わせではない。

 

()()()()()()()よ。お嬢様の火遊びは今なお継続中だ。多分ね」

「では、その眼鏡に適わずすでに計画が破綻していたとしたら?」

 シェーンコップが意地の悪い質問をした。

 対してヤンは、所作を示してそれに所作をもって示して答えた。

 すなわち、いつものように。『頭を掻いて誤魔化すさ』と。

 

「いずれにしても、出撃の辞令が下っていない以上は下手に動くことは得策ではない。東の守りを固めて、袁術軍の北上を警戒することがせいぜいだ。あえて我々に知らせなかったのは、いざ計が破れた時になって、その追及に巻き込まないようにという、レディの配慮であるように私は思える」

 

 一部を除けば、いつもの自然体で素朴な、悪様に言えば覇気もなく冴えない彼とは想像のつかない滑らかなる弁舌に、一同は呑まれていた。

 その一部の内に入る件の不良中年は、何か悪辣なことを進言したげな様子ではあったが、さすがに衆目の場でそれを言語化することは控えたようだった。

 

「……なぁ、ところでさ。なんでいつの間にかヤンのダンナがあたいらのこと仕切ってんだ?」

 中には、そもそもそこから理解が及んでおらず、純粋にそう首を捻る少女もいた訳だが。

 

 兎にも角にも、かくして自勢力の暴走、天下の震撼とはまるで対照的に、東部は平穏ならずとも安定はしていたのだった。



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漢(三):嗅覚と智と経験と

「……大将軍様におかれましてはご無事で何よりでございました」

 河内の女太守張楊(ちょうよう)は笑みを繕いながら、何進を労った。

 歳の頃は二十歳を過ぎたあたりで何進よりは幾らか年下。眉の濃さがやや悩みどころの娘であった。

 

 面通しの場が設けられるまでにかなりの時間と人を介し、かつ対面がかなったこの時においても、かの大将軍は自身の足を水桶に突っ込み、侍女に揉ませて労らせている、という有様である。

 

 そして、自身の名や素性など、いかにも興味がないといった風に手を振った。

 

「窮屈で辺鄙な土地だが、まぁ良かろう。一時の忍耐と思い受け入れようぞ。曹操を討ち果たすまでのな」

 褒めているのか貶されているのか。というかそもそもはこちらに向けられた言葉であったのか。

 忿懣に満ちた大将軍の前で膝を屈して首を垂れながらも、張楊はそれとなく観察していた。

 

「……まこと、よくぞご無事で。大将軍様の私邸がまず襲撃されたと聞き及んでおります」

 

 よほどの屈辱であったのだろう。横を向いて烈しく目尻を引き絞る。

「し、失礼しました! 出過ぎたことを申しました!」

 その怒りも、低頭平身して詫びる自身の姿も、張楊にとっては予想の範疇である。その上で、この肉屋上がりの出方を窺った。

 

「一時は捕われたが番兵を斬って逃げてきたのよ」

「はい?」

「ふん、冗談だ……余とて武に身を置くものぞ。鞭を手に取り敵の将兵を打擲し、包囲を切り抜けて参ったのだ」

 

 自分でも拙い洒落だと思ったのだろう。

 苦しげにそう答えた女に、「左様、でございますか」と短く相槌を打った。

 自分たちを迎え入れた河内太守のことなど最早眼中にないかのように、桶を蹴って立ち上がった。女官が悲鳴をあげ、その飛沫が張楊の頬を打ったが、もはや気にせぬようにずんずんと歩き出す。

 

「すでに諸侯に早馬を飛ばし号令をかけた! 程なくして先軍万馬の大軍勢がこの地を埋め尽くし、我が下知のもと、曹にまつわることごとくを、この中華に棲めぬように駆逐すべし!」

 

 そう高らかに号した女は、もはや張楊のことはおろか、曹操への憎念さえも忘れている気がした。

 ただあるのは、諸氏が己の足下に跪く、その想像のうえの恍惚であった。

 

 一応の礼とともに退出した張楊は、待機していた穆順(ぼくじゅん)へ肩をすくめてみせた。

「栄達は我も望むところだが、あぁはなりたくないものだ」

 と嘆息しつつ、

「それで、曹操軍本隊の動きは?」

「西進しつつ、公孫賛旧領を制圧。司馬懿なる者の手勢が壺関も攻落させ、ほどなく上党に迫る勢いとのこと」

「ふーん、退かないんだな」

 曰くありげに首を動かした張楊は、おのが鼻の先端がむず痒くなり、スンと鳴らした。

 微妙な空気の変化を、彼女自身が知覚せぬままに感じ取ったがゆえの、無意識の行動であった。

 

「……なんか、嫌な予感がするよなぁ。立場上陛下たちを受け入れざるを得なかったが、このまま属していていいものか?」

 

 張楊、字は稚叔(ちしゅく)

 その知名度は他の群雄に較べれば著しく低いものの、それでも都と雛、黄河と山野、匈奴や大勢力との狭間にあってみずからの軍と土地を維持し続ける一群の当主であった。

 

 ~~~

 

 その張楊の嗅覚はほぼ本能的なものではあったが、かの若き俊英たちの智もまた、同様の困惑と結論に行き着いていた。

 

「おかしいです……撤退しないなんて絶対におかしい」

「黄河以北を捨てて豫洲宛州を中心に防衛線を張り直すのが次善策のはずなんです……なのにどうして……何を見落としているというの?」

 

 河内でとりあえず官軍の末席に加わった劉備軍中の、その智の双壁たる朱里に雛里は、睦事のごとくに囁き合いながら、額を突き合わせて地図と睨めっこをしていた。

 

「まぁまぁ、お茶……はないけどお湯沸かしたから一緒に飲もう?」

 そのあまりの根の詰めように気を揉んだ桃香がそうささやかに申し入れたが、それにさえ気づかぬほどに両名は熱中していた。

「あう」

 消沈する主人に生暖かい苦笑を手向けつつ、一応の参謀格として、愛紗もまた進み出て割り入った。

 

「そう深刻視することもあるまい。あるいは考えなしの、進退窮まっての玉砕特攻かもしれぬではないか」

 これは半ば、二人の緊張を和ますための助言ではあったのだが、逆効果だったようだ。それはありえぬと頑なに首を振る二人に、愛紗は嘆息した。

 

「……あのっ」

 と、そこに進み出てきたのは、呂蒙であった。

 煮詰まった両軍師を見かねてのことだったか。いつにない積極性で。あるいは本人自身が望んでそうしたわけではなく、衝動的なものであったのかもしれない。

 

「あの、その……ここまでの状況を整理して、一つ思い当たることがあるのですが」

「下がっていろ……悪いが其方が口を挟んでどうこうできる話でも」

「ううん。こういう時だから、みんなの意見もちゃんと聞かなきゃだよ?」

 たしなめる愛紗とは対照的に、義姉は乗り気である。腰をかがめて片眼鏡に合わせた桃香は

亞莎(あーしぇ)ちゃんは何を思いついたのかな?」

 天から舞い降りた仙女がごとく微笑みかける。すると、息を吸うだけで乱心してしまいそうなほど緊張していた呂蒙の表情からこわばりが抜けた。

 ――どうにも、こういうところでは到底自分は義姉に及ばぬことを思い知らされた。

 

 一拍子置いてから彼女が紡いだのは、

 

「この状況、囲魏(ぎをかこみ)救趙(ちょうをすくう)に似たり」

 

 というものだった。

 

「…………えーと、なんだっけそれ?」

 問うた桃香自身が、困ったように小首を傾げるので、愛紗は答えた。

「故事です。孫臏(そんぴん)が包囲された同盟国を救わんがために、敵国の首都を攻め、転身した侵攻軍を有利な地形に誘い込んだという。だがその話の要点は、兵力を分散させることにある。逆に我らは無事合流を果たし、帝の玉体をお守りして河内上党を抑え、まとまった戦力を確保している。天地人いずれの有する我らとその故事の、いったいどこが似ているというのだ?」

「で、でも」

 呂蒙が珍しく食い下がって反論した。

 

「でもあの詔のために、我々は潜伏先をその作戦ごと放棄してここへ赴かざるをえなくなりました。その状況があの……以前雲長さまより聞いた桂陵(けいりょう)の戦いにどことなく似てるんじゃないかと」

 

 愛紗の後ろで、にわかに気配がせり上がった。ここまで反応らしい反応を示してはくれなかった朱里たちが、何かに弾かれたように屹立したことによるものだった。

 悲痛と驚愕に歪みながらも、爛々と輝く龍鳳の眼差しは、停滞からの打破を意味していた。

 

「――ありえない」

 彼女らに先んじて声をあげたのは、愛紗であった。

「我らを潜伏先から決戦の場に引きずり出す。ただそのためだけに、帝と都と詔勅を餌にしたと、そう言いたいのか?」

 

 ばかげている。鯨で雑魚を吊り上げるようなものではないか。

 恐ろしい空想、いやそう言うことさえ憚られるような妄想の類ではないか。

 一笑とともにそう否定したかったが、代わり愛紗の白皙から伝ったのは、冷汗であった。

 均整の取れた武人の肉体の内で、心の臓が暴れて四肢を小刻みに揺らしていた。

 

「でも……いくらなんでも……何進さまを取り逃すというのがまずありえないことです」

 か細い声で、朱里が言い、唱和するがごとく雛里が続いた。

「加えてここ河内は黄河を後ろに持つ、いわば背水の陣。加えて大軍を十全に展開できる余地がありません……もし曹操軍が最初から、この地を戦場として目をつけ、失敗を装って大将軍さまを怒らせて詔を乱発させ、我らをあえて集結させていたとしたのなら」

 

 ――そのうえで、万が一この軍勢が正面から破られるようなことがあれば。

 天地が覆る。あらゆる道理も、正義も喪われ、曹操の無道を阻む者が、この河北や中原から存在しなくなる。

 

「愛紗ちゃん」

 経験がためか。あるいは彼女の肉体に眠る劉邦の血や魂がそうさせるのか。

 こういう時の、劉備玄徳の判断は速い。

 無言のうちにその意図を目で受け取った愛紗は、首肯とともに鈴々を叩き起こし、また朱里を伴って盧植につなぎをつけるべく脚を急がせた。

 

 出立の際に一度、愛紗は自陣を顧みた。

 留守を任された雛里はその場から動かず立ち尽くしたようで、

 

「……まさか……」

 

 と、その小さな唇が動いた気がした。

 

 ~~~

 

「なに、盧植が?」

「はい、『ここに集められたは曹操の策謀。その術中に完全に陥る前に、現段階の兵力のみで南進し、都を急襲して奪回すべし』と大将軍へ具申したとの由」

「それで、何進はなんと?」

「まともに取り合わなかったそうです。また、盧植自身も確たる論拠あっての進言ではなく、駆け込んで来た弟子たちに代弁を頼まれてのことで、それ以上は強いては押し出せなかったようで」

 天幕の下、密偵からの報告を受けた張譲の頬には、冷笑が浮かんでいた。

 

 が、そのすべても益体もないことだとは思ってはいなかった。卑賎の者の取るに足らぬ妄言とは。そもそも、宦官自体が本来であれば蔑まれる側である。いかに相手が矮小な出自であろうと、聞くべき点があれば採り入れることもやぶさかではない。

 

「なるほど中々に鋭き考察ではある。何進の脱出に不審な点があるのも確かだ。が、その意見には大きな見落としがある」

「と、言われますと?」

「まず第一に、洛陽を焼け野にするのを厭うたがゆえに脱出したのだ。それを今取って返し攻めるとなれば、本末転倒ではないか?」

 

 せせら笑いながら、張譲は丹念に煎れた自身の茶を杯に注いだ。

 

「第二に、この河内を退避先に選んだのは、他ならぬ私だ。まさか神でもあるまいに、曹騰(そうとう)が孫ごときに我が思惑を操ることができるはずも」

 

 そう言いさした、まさにその刹那。

 剣閃のごとき直感が、張譲の首筋を襲った。手首のあたりまで茶が大きく跳んで溢れた。

 

「――待て」

 十常侍筆頭、張譲。

 宮廷の権謀術数を支配してきたこの宦官は、その海千山千の老獪さゆえに気づいてしまった。

 自身の呟きを切欠に。その仕組みに。

 

「待て、待て待て待て、待て……!」

 

 杞憂に過ぎぬと思っていたが、その欠落を埋められる存在を、知っている。

 とするならば、その者を用いた曹操の、次なる一手も自然見えてくる。

 ともすれば己以上に、天を天とも思わぬ、その鬼手を。

 

 悟ってより後、小刻みに震える腕をもう一方で押さえ込み、杯をゆっくりと文机の面へと下した張譲は、声を上ずらせながらあらためてその密偵へと尋ねた。

 

 

 

()は今、どこにいる?」



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劉備(三):さよなら遠き日よ

 剣里が背に女性を担いで陣所の口まで現れたのは、その夜半のことであった。

 

「母が長旅に疲れて気分を悪くしてしまいまして。夜風に当たりたいので外出を許可していただけませんか」

 そう門番に掛け合うと、彼らは顔を見合わせて難色を示した。

 

「しかしなぁ、まだ敵の斥候がうろついてるかもしれん」

「まだ危険だとは思うが」

「すでに張譲様よりお許しは出ております。それでも阻まれますか」

 

 十常侍筆頭の名と、少女が身につけるに不相応の玉飾りの効果は絶大であった。

 

「し、失礼を」

 先までの態度嘘のように、男たちは歳下の少女へ驚懼し、道を開けた。

 

「ま、待ってください!」

 身に余る帽子を揺らして、息を切らして妹分が追いついてきたのは、その間際であった。

 

「雛里?」

 訝しげに彼女を顧みた剣里に、小ぶりな胸を押さえて息を整えながら、鳳士元は何か言いたげであった。

「どうしたの、そんなに慌てて。大丈夫だって。私だって乱世に揉まれて、荒事にも慣れたんだから」

 そう剣把を掴んで揺らして見せる姉弟子の所作を、雛里はやや面食らった様子で見返していた。

 そして、不安と安堵がないまでになると言う、奇妙な面持ちでぎこちなく笑うと、

 

「あわわ、その……私もご一緒しても良いですか? おさんぽ」

 と掛け合ってきた。

「……良いよ」

 苦笑混じりに、剣里は応じた。

 

 〜〜〜

 

 先は黄河に通じるその道中、満天の星が、帷を作っていた。

 その下で、二人の少女と、剣里の背負う、頭から風避けの布に包まれた女性は歩いている。

 剣里が少し足速になると、過剰な慌てようで雛里はくっついてくる。そして少し遠慮がちに剣里の袖を掴むと、下がり眉ではにかむのだった。

 

「懐かしいです、こういうの」

 ん、と剣里は相槌を打った。

「こうやって並んで水鏡先生の塾から帰ったり、お菓子を買ったり」

「そんなことも、あったかな」

「あ! お菓子と言えば、剣里さんよくお菓子作って塾に持ってきてくれましたよね! また食べたいです、特にあの……『真月ノ夜ニ甘ク狂オシク咲く漆黒ノ氷華』!」

「お願い、マジでその名前出すの止めて」

 本人にとっては永久に闇に葬り去りたい、過去の爪痕であった。

 

「剣里さん」

 それに辟易している彼女に、雛里は表情をあらためて言った。

「もし良ければ劉備軍に、来ませんか?」

 その勧誘に、今度は剣里が驚嘆して彼女を見返す番だった。

 

「色々大変になって別れちゃったけど、また三人でいっしょにやれるはずです! 桃香さま……玄徳さまは、どんな過去があったって受け入れてくださる懐の大きな方です! きっと剣里さんの智謀を活かしてくれます! だから……だから」

「雛里」

 剣里が静かに真名を呼ぶと、鳳統は息を呑んで目を見開いた。

 

 

 

「気づいてるんでしょ、貴方。この私が、()()()誰の命でここに来たのか」

 

 

 

 それが、答えだった。

 すでにして、決して交わることのない隔絶が自分らの間には存在することの証言だった。

 

 密告者と偽り十常侍に取り入りここまで誘導し、かつ劉備軍らの潜伏先に目当てをつけてその思惑を制限させつつ董承を操り官軍の指揮下に組み込ませ、そして……

 それが出来るのは、曹操軍において己だけだった。

 

「……気づいているのは、貴方だけ?」

「おそらくは今頃は朱里ちゃんも……でも、その前に気づけて良かったです。ずっと剣里さんが私たちと目を合わせようとはしてくれなかった。話もしたがらずに避けてたことが気になってました。多分その差が出て、私の方が早く来れました」

 

 帽子を目深に被り直して俯き、消え入りそうな声で雛里は必死に感情を殺してあらためて言った。

 

「朱里ちゃんは、ここぞと言う時には非情な決断を下せる娘です。きっと今同じ立場だったら、先に兵を先回りさせて、剣里さんと、『そのお方』を確保しています。だからそうなる前に、どうか引き返して、全部やり直してください!」

「それはできない。これは、私が選んだ道だから」

「なんで……どうして!?」

 

 今にも地面に突っ伏して泣き出しそうなぐらい、帽子の下の表情は崩れていた。

 ……本当は、言わずに去るつもりであった。

 だが今こうして出逢った以上、(なが)の別れとなるかもしれない。告げておいた方が良かろうと、剣里は意を決した。

 

「貴方たちが、劉備(てき)についたからだよ」

 

 悲嘆に歪む雛里の貌に、戸惑いが混じった。えてして天才とは、どれほど遠くを見通そうとも己が他人の目にどう映るかはからきし見えぬ。

 

「別に、雛里たちが嫌いなわけじゃないよ。玄徳様も、貴方の言う通り度量の広い、天下を担うに足る立派な方だと思う。けど、それでも……私はね、雛里。貴方たちに勝ちたかった」

「え……え?」

「生涯でただ一度きりで良い。諸葛孔明、鳳士元を出し抜いたという事実が徐元直(わたし)の中で欲しかった。過去を捨て、将来も擲ってでも」

「そんな……剣里さんはいまでも、私たちの優秀なお姉さんですっ」

 せめてもの慰めに、剣里は自嘲めいた調子で首を振った。

「きっと貴方たちはこれからまだまだ経験を積んで成長していく。私はますます置いて行かれる。今この時点でも、貴方はぎりぎりのところで策を見抜いた」

 

 ――それに抗する人間がいるとするならば、きっと。

 剣里は、薄い髪色をたなびかせる、あの白い軍略家を思い描いた。

 

 つい先ごろまでは曹純の一客分に過ぎなかった『娘』。

 それが今、曹操直属の幕僚となって仮初とは言え独立部隊を指揮し、ただの空想から此処に至るまでの展開の絵図を引き直した。

 

 雛里は愕然と立ち尽くし、それでもなお、袖を手放さない。

 剣里は、ここまで抱え込んでいた鬱屈、思いの丈をぶちまけられたことで、張っていた肩の弦を緩ませることができた。その荷が半ばは下りた気がした。なんだかんだ、最後に雛里だけでも会えて良かったと思う。

 

 もはや説得の言葉もなく、駄々っ子のように首を振る妹弟子に、剣里は苦笑しながら言った。

 

「最後に姉貴分として偉そうなことを言わせてもらうよ……人の醜さに寄り添える軍師になりなさい、雛里。それは、貴方たちが護ると誓った『弱き人々』の大凡を占める感情(もの)なのだから」

 

 次の瞬間、徐庶は腕を振りほどいて持ち上げた。

 くり出されたのは、手刀。恐ろしき速度。達人でなければ見逃してしまうほどの。

 

 それが的確に雛里の後ろの頚脈を瞬発的に圧迫し、彼女を昏倒させた。

 か細い呼気をあげてずるずると崩れる彼女を置いて、徐元直は洛陽へと向かうその足を速めたのだった。




クソです…あのクソ女…
軍略だ母上だの吠えてた奴が…
合流した時の董承将軍放置…あれ…わざとだったんですか…
あなた相当切れ者でしょう…おかげで冀州放棄させられました…
剣里さんは本当に優秀な方でした
どんな時でも冷静に大局を見て…自分より妹弟子のことを1番に考える人で…
私もあなたみたいな軍師になれたらいいな…とか思ってました…
ねぇ剣里さん
今あなたがどんな顔してるのか知りませんがあなたは本当にクソ軍師です
多分…中華史上こんなに悪いことした奴はいませ……いました。白起とか項羽とか呉漢とか梁冀とか、枚挙にいとまがありませんでした。
でも消さなきゃ…貴方はこの世にいちゃいけない人です
一体何考えてたんですか?本当に気持ち悪い
あなたのお姉さん風を吹かせたあの面構えを思い出すだけで…吐き気がしてきます
このでけぇマザコン中二病が
私は今から的盧に乗って落鳳坡を踏破する


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漢(四):地虫(★)

「こ、困ります! いくら張譲様と言えども、お休みのところを……!」

「どけ」

 

 慌てふためく宦官を押しのけ、張譲はそのとりわけ豪奢な帳の内へと入った。

 異変はすぐに鼻先で察知できた。

 鉄錆にも似た血潮の匂い。衛士はことごとく斃れている。目立った外傷も出血もない。最少の行程で、一声もあげることさえままならずに彼らは殺害されていた。

 そして彼らが護っていたはずの人物は、影さえ見えなくなっていた。

 ついて来ていた宦官が衣を裂くがごとき悲鳴をあげた。その過失と凄惨な光景とに打ちのめされて、その場に昏倒する者さえいた。

 

「これの、どこがお休みだ?」

 苛立ちながら褥に触れる。

 まだ温い。この惨事が起こってより、さほど時は経過していない。

 

「馬を出せ、私が直接追う」

「し、しかし……ほかの方々には?」

「身内の恥を晒す馬鹿が何処にいる? そもそも手勢を集めている暇はない。差し当たっては朱儁にのみ変事を伝えよ。今いる近衛は私に続け」

 

 静かに、鋭く指図を飛ばしながら、張譲は彼女の、徐庶元直の逃亡先を推察する。

 東から迫る曹操の本隊と合流した? 否、それは考えにくい山越えをするとは考えにくい。

 

(となれば、南か)

 

 船着き場までたどり着かれれば、面倒なことになる。

 おそらくはそこには、手引きをした仲間が待機しているはずだった。

 

 ~~~

 

 果たして徐庶の痕跡を急追していた張譲は、倒れ伏す少女を発見した。

「こやつ……義勇軍におりました娘です。如何なさいますか?」

「放っておけ。欺かれ、連れ出すための口実にでも使われたのであろうよ」

 馬上、言下に吐き捨てた張譲はしかし、その娘よりさらに先、ついに徐庶とそれに折り重なる女の影を視た。

 それはそうだろう。人を背負っての逃避行。馬で急げば追いつけぬところではない。

 

 向こうも、張譲が手にした炬火からこちらの存在を悟ったようであった。

 一端顧みるも、迷いなく全力の逃走を開始する。

 もはや偽装する必要もないか。あるいは目くらましのつもりか。頭からかぶっていた女の帛が、はらりと風に流れた。

 

 ――髪質だけは神秘の輝きを持つ豊満な少女……ただいまの帝その人の姿が、露わになった。

 

「徐庶ッ、貴様ぁぁぁ!」

 

 ここまで堪えていた憤怒を爆発させた張譲の意気に応じ、供を含めた馬脚もまた加速する。

 だが張譲はまだ冷静な部分を己の内に確保し、意志力をもって維持している。

 

「弓は射つな! 陛下に当たる!」

 矢をつがえた騎士たちにそう命じ、あくまで白兵戦をもって制圧を目論む。

 いかな徐庶の剣才と敏捷さをもってしても、容易には振り切れまい。ここからまだ黄河までは距離がある。

 

 ――が、帝を背負いながら全力で疾走する裏切者の行く手に、一台の馬車が停まっていた。

 一同がしまったと思った時にはすでに、徐庶はひらりとそこの幌の内に乗り込み、天の御遣いとおぼしき茶髪の男を御者としたそれが発進した。

 

 が、それで当然断念できるわけもなし。

 猛追する騎馬団であったが、にわかにその軍馬のうちの一部が嘶きをあげてにわかに棹立ちとなって騎手を振り落とした。

 

 見れば、徐庶は幌の内より鉄の菱を張譲たちの追跡路に地面に撒き散らしている。

「次から次へと悪あがきを……ッ」

 歯噛みした張譲ではあったが、諦めない。さらに加速し追いつくや、車の横合いへと馬を寄せて幌を剣で引き裂き、炬火を投げて空けた手でもって縁へと手をかけた。そこから帝の身柄を中抜きしようという算段であった。

 

 だが、その切れ目より張譲は、信じられぬ者を視た。居てはならぬ者が居た。

 徐庶のほかに、己が良く知る青い髪の娘が、帝の後頭部を自身の膝に置いていた。

 

(ふぁん)……ここで、何をしている」

 朝廷に絶大な影響力を誇った権謀家は、愕然として趙忠へと尋ねた。

 だが、彼女の方はさして驚きもせず冷ややかに養父を見返し、

 

「常に似ぬ、浅ましきお姿ですこと、張譲さま」

 と吐き捨てた。

 

「山野にでも捨て置けと、ご自身でおっしゃったではありませんか。その御方を曹操に預けることに、なんの不都合がありましょうや」

「なにを、言っている?」

 

 黄は懐より短刀を静かに抜いた。

「おい……なにをする気だ? やめろ、やめろォ!」

 何のためのものか。如何に用いるか。あえて考えるまでもないはずのその所作に、美貌の宦官は取り乱して声を荒げた。

 

 

「えい」

 

 

 その声は愛らしく。だが明確な殺意を憎悪をもって。

 縁にかけられたその指を、黄は易く切断した。

 あがる断末魔。支えを喪い宙に浮いた張譲は路上に転がり、その首を馬車の後輪が巻き込み、自然ならざる負荷を加えられたその頭部はあらぬ方向へとねじられた。

 

 ~~~

 

 ……張譲は、義娘への愛それ自体は人らしきものであったがゆえに、計算が狂ったことに気づいてはいなかった。

 彼の打算としては黄と帝……劉宏(りゅうこう)とを幼き頃より起居をともにさせることで、彼女に黄より与えられる情報のみがこの世のすべてだと思い込ませ、自分に都合の良いよう御するつもりであった。

 

 だが、それ以上に黄の方が、劉宏への並々ならぬ愛情を抱いてしまったのだ。

 それこそ、ありとあらゆる労苦をさせず、わずかな罵倒さえも許容できず、もしそれを侵す者があれば、たとえ義父であろうと容赦なく切り離すことを厭わぬほどに。

 

「ふゃっ?」

 車体が一度大きく揺れ動き、ようやくそこでかの殿上人は目を覚ました。

「どうしたの、黄? やけに騒がしいけれども」

 起き上がって寝ぼけ眼を擦る、無邪気な童女そのものという帝に、少し残念そうに間を取りながら黄は頭を下げた。

 

「お騒がせしてしまい申し訳もございません。地虫が車にへばりついておりましたので、追い払っておりました。どうもそれが車輪に挟まってしまったようで」

「まぁ、虫が? こんなに揺れるほどなんてよほど大きな虫なのね。ぜひ見てみたいわ!」

「いえいえ、本来であれば陛下のお目に触れることさえ汚らわしい、害虫ですわ」

 

 悠然と、だが徐庶にのみは察せられる微妙な酷薄さを口元に称え、彼女の忠臣は目を細めた。

 

「しかし、これよりは黄めがついておりますゆえ、何に煩わされることもございません。帰途はどうかお心安く」

「あら、もう都へと帰るのね。もう少し遊んでいたかったわ」

「えぇえぇ、でもあまり遠出をするのも危のうございますゆえ、今宵のお遊びはこれまでといたしましょう」

 

 ……何故都を出ることになったのか。何故戻るのか。そしてこれから何が起こり、今は一体何者が死んだのか。

 それら一切を知らされぬまま、ただ一夜限りの遊山と思い込んだまま、帝は帰洛する。

 

 黄は、最後に張譲のいたあたりを睥睨した。

 そこにこびりついた指の残骸を袂越しにつまみ、そして外へと投げ捨てたのであった。

 

 

 

【張譲/恋姫(オリジナル)……轢殺】



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漢(五):暗夜長陣(前)

 十常侍筆頭の無残な骸が、戸板に載せられて戻ってきた。

 首がねじ曲がったその死体を視た残る十常侍は嗚咽と共に吐き、蹲って震えた。もはや彼らは、何の役にも立たない野鼠でしかなかった。

 車駕を天下の往来にて堂々と乗り回してきた権力者としての往時を思い返せば、あまりに悲惨な末路と言わざるをえない。

 

「これは一体どう言う事だ!? 帝が拐かされたなどと!」

 だがその死せる張譲よりも哀れなのが、生ける何進である。

 逃避行の疲れもあって泥のように眠っていた彼女は、その大凶報が周知の事実となってから初めて触れた。

 

 髪もばさばさと振り乱し、夜着のまま陣中に駆け込んで来た彼女に、朱儁こと雲雀は

(今からこいつの指揮で迎撃せねばならないってのか)

 と暗澹たる気持ちで受け入れた。

 

「どういうことですか!? 雛里ちゃんが……私たちの軍師が捕まったって!!」

 時同じくして、桃髪の少女が陣幕を払って入ってきた。衛兵もとりあえずは制止しようとしたが、左右の女傑たちに睨みを利かされその務めを果たせなかった。

 

「落ち着いて、桃香ちゃん」

 と風鈴が宥めているのを見て取るに、彼女こそが劉備玄徳なのだろう。

 

「聞いての通りだよ。張譲子飼いの徐庶が、裏切った。陛下を拉致し、都の夏候惇軍へと引き渡した。おそらくは元よりそれが狙いだったのだろう」

「そんな……そんなはず」

「いえ、それは事実と心得ます」

「朱里ちゃん!?」

 

 劉備の裏より、青ざめた顔の少女が俯きながらも、しかししっかりとした口調で答えた。

 

「で、でも雛里ちゃんは関係ありませんっ! 彼女はおそらく止めようと単独で動いたのですっ!」

「そう願いたいね」

 雲雀は嘆息して答えた。

 

「だが聞くところによると、君らは同門というじゃあないか、諸葛亮殿。そこについて、しっかり事情を説明してもらいたいと思い、道中で倒れていたあのお嬢さんは拘留させてもらっている」

「我らが、裏切った徐庶に通じているとでも?」

「そんなハズないのだ! もっとちゃんとよく調べるのだ!!」

 

 黒い長髪を束ねた娘が、大人さえも圧迫する気を飛ばしながら凄んで来た。隣接する小娘も大層な剣幕である。

 さしもの雲雀も後退したいほど肌をひりつかせたが、感情を制せないことこそ彼女の未熟の顕れである。そう理性で押さえ込んで、踏みとどまった。

 

「実際の、ところ。徐庶独りで成し得ることだと思うのかい? 彼女だけで、帝の御座所を割り当て近衛を全員殺し、そのうえで逃走経路まで用意できたと? おそらくそこには協力者がいた。そして今なお、ここにいる。それも、我らのすぐ近くにね。いくらなんでも噂が広まるのが早過ぎる。誰かが触れ回ったに違いない」

 

 そう言って雲雀は、ゆるやかに目線を愕然として立ち尽くす何進へと向けた。

 

「――それにしても、ずいぶんと深いご就寝だったようで、大将軍様」

「なんだと……?」

 曰くありげな雲雀の物言いに、何進が眉を逆立てた。

 

「いえね、ずっと不思議だったんですよ。何故軍最高位たる貴方が、それも謀反の発生地点にいた貴方が、無事にこの場へとたどり着いたのか」

「私……余を疑っているというのか!? この無礼者めが、妾をなんと心得るか!」

「その大将軍の位でさえ、もはや夜が明けるまで保つか怪しいもんではありませんか。もっとも、閣下があくまで無実であればの話ですが」

「ば……馬鹿らしい! 何故総大将たる私が宦官の孫娘ごときに裏切らねばならんのだ!?」

「その宦官を朝廷内より排斥したかったのでは? それがゆえに、あえてその孫と結託したと」

 

 幾度と一人称を切り替えながら狼狽して怒鳴りつける何進を、皮肉っぽく追い詰める。

 いつもであればもちろんある程度の礼節と社交辞令は弁えているが、己の行いのすべて無駄となり、雲雀もまた心を荒ませていた。

 

「お姉様なら、事が起こった時、間違いなく眠りこけていたわ」

 と、陣中の片隅で膝を抱えた娘が答えた。

 家臣の妹であり、帝の情人たる太后である。かつては十常侍に匹敵する権勢を担っていた彼女も、その中枢がこのザマでは、もはや何の影響力も持たない無用者となってしまっていた。

 

「多分、その内通者は趙忠よ。あいつの姿がないですもの。脅されて不逞の輩に与した、と見るのが妥当でしょうよ」

「あいつがそんなタマですか」

 

 霊帝が害されると知れば、その百倍にして相手に返すことを厭わぬ、おそらくは帝個人の『忠臣』ではないか。

 いや、なればこそ養父の増上はとうてい許容できるものではなかったのだろう。

 あの帝を無能者呼ばわりしたあの瞬間。張譲にとっては娘相手の他愛ない戯言のつもりだったのだろうが、それが最後の一線だった。それを聞いていた徐庶に付け入られた。

 

(とするならば、結局言葉によって権勢を得たあの奸物は、その言葉と権勢によって身を滅ぼしたか)

 自虐を含んだ、低い朱儁の哂いを不遜と見た人物がいた。

「趙忠のことはともかく、共犯者は一人だけとは限らない。貴女も大概に怪しいと踏んでいるのだけどね、朱儁」

 皇甫嵩であった。

 

「私かい?」

「さっきから頼まれてもいない進行役を買って出ているようだけど、えてしてそうやって混乱に乗じて場を取り仕切ろうとする輩こそ、実のところ真の敵、ということはよくあることじゃなくて?」

 眼鏡に冷ややかな光を宿す旧友に

「おいおい」

 と呆れつつ雲雀は返した。

 

「私を嫌うのは君の勝手だが、きちんと物事の筋道というやつを考えて欲しいものだね。今回の件でもっとも割りを食ったは他でもない、殺された張譲を後ろ盾にしてきた私じゃあないか」

「自業自得でしょ……けど、まぁそうね」

 

 そこは再考できる理性が残っていたらしい。口元を押さえて険を和らげた。

 

「あるいは、現状がごとく相互不信に陥らせることこそ、徐庶の策なのやもしれません」

 と、またしてもそこに闖入者が足早に登場してきた。

 

「唐突に申し訳ありません。公孫賛が軍師、田国譲と申します」

 小柄ながらも氷柱を想わせる、冷たく鋭い雰囲気を持つ少女であった。

 

「白蓮ちゃん、陛下が……徐庶ちゃんが」

「あぁ、聞いた……大それたことを、してくれたものだ」

 度重なる連戦と行軍がゆえか、その後ろで友人と話す公孫賛は精彩を欠き、物憂げな様子である。

 これではどちらが主が知れたものではない。白馬長史とはその顔色が青白きゆえかと揶揄したくなるほど、憔悴していた。

 

「とにもかくにも、噂は広まり、脱走を図る将兵がそろそろ現れ出すかもしれません。あるいは彼らの口づてに、諸侯にも広まれば、彼らも引き返すか、模様見に切り替えることでしょう。とにもかくにも、我々は兵力の減退、士気の低下だけは阻止せねば」

 

 さながら荒涼とした北風が吹きこんで来たがごとく。

 公孫賛の軍師の、理路整然とした状況の整理と献策に制圧された場の空気は仕切り直しとなり、何進が勇を取り戻したがごとくにわめきたてた。

 

「おぉ、そうよ! まだこちらには劉協殿下がおわす! あの方を新帝として擁立し、不遜なる曹操を討ち破っていずれが正義かを天下に示すのだ!! 者ども、さっそく今の言に従い、各々の兵力の保持に務めよ!」

 

 ~~~

 

「も、もう駄目だ! 帝が逃げちまったってよ!!」

「いや、張譲に殺されたって……」

「逆だ逆、張譲と趙忠は長年の悪事が明るみに出て、ついには帝と衝突したのさ。今も各陣営間で秘密裏に殺し合いがされてるって、これは確かなスジからの情報だぜ!?」

 噂は、数日と経たず官軍……否、何進連合軍の陣中を尾を生やしヒレをつけて駆け巡り、果たして田豫の危惧したがごとく脱走兵が相次いでいた。

 

「姉ちゃん、悪いことは言わね。あんたも逃げぇや」

 夜半、取るものも取りあえず手荷物をかき抱き逃げようと誘う兵士に、少女は首を振った。

 その男は悪友たちにそそのかされ、程なくして彼女の説得を諦めて逃げていった。

 が、裏切者に逃散と、今軍中も兵士の動きに敏感になっている。間もなく彼らは処断されるだろうというのが、娘の見立てである。

 

 その横合いに、馬上の大将が現れて、その様を遠望した。

 異形の大将である。見たことのない軍装に、童が遊びに用いるような面をつけている。

 

「追わなくていいの?」

「あれは、我が手勢ではない。それに、この地形では、大軍は動員できない。数は絞るべきだと、私は思う」

 

 仰ぎ見る少女に向けたものか、独白か。

 

「似たような光景を、見たことがある」

 と若い男の声で言った。

 

「敗れ落ち延びていく敵を、追う味方がいた」

「追撃のため?」

 思わず尋ねた彼女に、異形の面が左右に揺れた。

 

「合流するために。勝ったはずの、我らから、離反者が出た。あれが、如何ともしがたい時代の流れかと、そう思った。今も、時流は、曹操に傾きつつある」

 

 曹孟徳。

 朝廷に弓を引いたにも関わらず、今人為をもって自らの手中に天の理を収めた女。

 果たしてそこに、正義はあるや否や。主命に背いてでも、貫くべき信念とは在って良いものか。

 それと相対し、未だ迷いを残す己自身に問うために、彼女はここに義勇兵として参じている。

 

「お前の名は」

「凌公績」

「……凌統、孫呉の者が何故ここに」

 

 名を言い当てた仮面の男は、耳慣れぬ語句を混ぜて軽く驚いたようだった。

 だがそれ以上は何も言及することなく、自身の持ち場へと馬首を返したのであった。



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漢(五):暗夜長陣(後)

「……一応、兵の流出は止まりました。ですが、それでも当初の見積もりの三分の一しか残りませんでした」

 

 如何な名将とて、一度敗亡の匂いを嗅ぎつけた兵士たちを引き留めるのは難しい。そのことをあらためて噛み締めながら、風鈴は軍議の席でそう報告した。

 

「さらに、敵軍が上党に差し迫りつつあります。壺関が落ちた後も抵抗を続ける袁紹の旧臣らから、救援要請が発せられております」

 と便乗する形で凶報をもたらしたのは、張楊である。それを頭を痛ましげに片腕で支える何進は、

 

「殿下……いやさ陛下は何処に座す?」

 と、まったく別の話題に触れた。

 

「大将軍様、未だ劉協様は天子ではございません。そうされたいのであれば、正式な禅譲をお受けしてからそうお呼びするべきです」

 楼杏の直言に、ますます何進は昂ったように喚き立てた。

「詭弁を申すな! 今我らが帝を擁さねば、大義のうえで我らが押し負けるではないか! で!? 結局劉協様は!」

「……繊細なお方です。ただただ姉君様のことを案じ心痛め、勉学に励んでおられます」

「要するに、現実を受け入れられず引きこもっておられるということだろう……悠長に本などお読みいただくような状況ではない! 陣頭にお立ちいただくとか建設的な発言をなされよというのではない! せめて次期皇帝として皆の前にお姿を見せ、あらためて姦雄討滅の詔を発して正義は変わらず我らにありと示していただく!」

「未だ曹操側の内通者がいるかも知れないのに、衆目に晒させるわけにもいかんでしょう」

 嫌味ったらしい調子で雲雀が返す。

 

「おう、事あるごとに我が意に背く貴様が、やはり裏切者ということも考えられるがな」

 などと買い言葉で何進が冷笑を浮かべる。両者の間で穏やかならざる気配が醸され、その不味い空気の滞留を楼杏が咳で払った。

 

「とにかく! 今は曹操軍の迎撃を優先すべきです。来るはずのない援軍を待ち、過ぎたことの議論を重ねるよりも、先んじて要所を押さえて曹操軍本隊の西進に備えるべきです」

「……南下し、都を直撃すべきではないのか」

「恐れながら、その機は逸しました。今あえて渡河をすれば、曹操軍に挟撃されます」

 

 そう説く風鈴の胸にも、暗い後悔が過ぎる。

 あの時、桃香たちの言葉を真摯に受け止め、もっとしっかり何進に進言していれば、もっと別の結果があったはずである。

 

「とすれば、主戦場はこの并州、ということになりましょうな」

 あまり気乗りしない様子で、末席より張楊が言った。

「張楊殿、とすれば軍を展開できる場はどこになりましょうか」

 頷き返した風鈴が尋ねれば、張楊は上党の一区画を指し示した。

 四方を山に囲まれた、いわば盆地である。

 

「あの、それであれば一つ提案が」

 白蓮の副将待遇で軍議に参加していた桃香が、その背に立ったままおずおずと言った。

 

「であれば、上党の口を抑えて侵攻を防ぎつつ、予備に回される予定の一軍を鄴城へと回し、その背後を脅かしてはどうでしょう。そうすれば、曹操さん達も決戦を前に貴重な一部を割かざるを得ず、比較的有利な条件で戦えるものって朱里ちゃ……一案があるんですけれども」

 恐らくそれは、彼女自身の考えでは無く、その軍師たる朱里の発案だろう。この議場が開く前に、ここまでの流れを先読みしていたに相違ない。

 

「誰だ貴様は? 下郎のせせこましい策などいちいち採り上げていられるか。下がりおろう」

 だが、虚しくその有効打は言下に退けられた。

 

「なるほどねぇ」

 と、雲雀が皮肉っぽく笑い、またも何進に睨まれた。

「いやね、大将軍様への疑いが今、私の中で解かれたというだけの話ですよ」

 本人自身は不審げに眉を顰めただけではあったが、風鈴にも言葉にしないまでも察せられるところがあった。

 

 要するに、曹操が何進を穏当に官軍へ送り返したのは、彼女に仕切らせた方が都合が良いからだ。

 決して愚劣な指揮官ではないのだが、もはや現状は彼女が独力で対処できる範疇を超えている。にも関わらず、本人自身は報復戦に率先して乗り出す気でいるし、その矜持の高さゆえに自身の器量と理解を超えるものには排他的となる。

 

 自分が桃香の案を後押しすればそれは、教え子ゆえの贔屓と見られ、やはり何進の態度をより頑なにさせるだろう。となれば、戦が始まり変化する状況の中で誤った判断を何進は下しかねない。

 その恐れが、縋るような桃香の目つきに対しても風鈴に沈黙を選ばせた。

 

「では、次の方策を私から」

 と楼杏が進み出て言った。

「確かに劉備殿の案には魅力がありますが、その結果膠着を生み、持久戦ともなれば兵糧を持たない我々が一層の不利となります。短期決戦が望ましいかと思います」

「うむ、それで具体的な陣立ては何とする?」

「大将軍様と殿下は中央に陣していただき、両翼を私と子幹とで敵に攻勢を加えます。そして要点はここから」

 

 と、楼杏は眼鏡を閃かせて筆を取り、製図に線を引いた。

 執った筆先の示すところは、右翼側の裏手に当たる山麓である。

 

「その攻勢に紛れさせ、一軍をこの高所に進めます。……皆さんの何人かは承知ですが、曹操は多く優秀な幕僚を抱えてはいますが、基本的には独力の人です。両翼の主導権を握れないとあれば、状況を打破するべく自ら押し出してくるでしょう」

「そこを、高所からの逆落としにて……いや中央両翼から包囲し、一挙に曹操を討ち取ると言うわけか」

 

 理解を示した大将軍に、楼杏は強く頷いた。

 風鈴としても、次善の策としては申し分ないとは思った。奇のてらいこそないものの、いかにも歴戦の皇甫嵩らしい、即興とは思えない老練で手堅い陣立てである。雲雀も何も言わず、平素の憎まれ口を閉じている。

 

「大将軍様、この公孫伯珪も皇甫将軍の意見に賛同します」

 と、そこで白蓮が起立して言った。初めて弟子間で意見が割れた。

 

「そして願わくばその別働隊の任、私にお授け下さい」

 といつになく、強い口調で続ける。

「奴は妹と従弟たち、数多家臣戦友らの仇です。私の手でその首を挙げたい」

「白蓮ちゃん……」

 未だ顔色は戻らないものの、その目には往時以上の気合と悲壮さが宿っている。

 

「曹操は自身の尊大さと悪行によりて身を滅ぼす、というわけか」

 何進はそう呟いて、強い毒気を持つ嘲りを浮かべた。

「良かろう。その策を採る」

「お待ちください、大将軍様」

「決めたのだ。子幹よ。もはや考えを改める気はないぞ」

「……分かりました。であれば、少しその案に修正を加えたく存じます」

「修正だと?」

 

 訝る何進と皇甫嵩の前で、盧植は言った。

 

「願わくば、私は万難を排するべく別働隊の介添に回りたいと思います。左右いずれかの指揮は、公偉将軍と、あとその麾下の御遣い殿にお任せいただきたく」

 その意外な提案に、雲雀と白蓮、両名の目が丸くなる。

「まぁ良いわ。その辺りの細々とした打ち合わせは貴様らで詰めていくが良かろう」

 勿体ぶって進言してきた割にはどうでも良かったな、と言わんばかりに雑に手を振られ、漢王朝の三羽烏にある程度の裁量が委ねられた辺りで、軍議は切り上げとなった。

 

 〜〜〜

 

「……すみません、風鈴先生」

「良いのよ〜、こちらこそごめんなさいね、白蓮ちゃん。そんな思い詰めてしまうまで、何もしてあげられなくて」

 本陣夜営地より出て、すっかりやつれた頬を包み込みながら、精一杯の慈愛を風鈴は示した。

 

「……ほんとうに、ごめんなさい」

 それでもなお、詫び足りないと言うのは生来の愚直さゆえか。

 風鈴は首を振って身体を離した。

 

「あなたは、あなたの進むべき道を進みなさい」

 白蓮は張り詰めた息をそのまま呑み込んだ。水面の如く揺れ動いていた瞳の輝きが、師の訓戒を受けて定まったようであった。

「では、準備に入りますのでこれにて……行こうか、桃香」

「え、あ、うん……先生、それじゃあまた!」

 

 自陣へと出立していった愛弟子たちを見送った後、風鈴は思わせぶりなため息をこぼした。

 

「戦の前に、そのため息は不吉じゃない」

 師弟水入らずの時間を慮ってか。それから間を置いて悪戯っぽい感じで楼杏が語りかけてきた。

「ええと、ごめんなさい。何か用事? 話しそびれたことでもあったかしら」

「あったわよ……どうして、朱儁との部署替えを希望した?」

「……まぁ、言った通り、もしもの備えって感じかしら。雲雀ちゃんは、そんなに信頼できない?」

「手元に置いていた方が安心よ」

「ですって、あなたはどう思う?」

 

 と、陣幕の裏へと風鈴は声をかけた。

 朱色の女将軍は、バツが悪そうに背を丸めてその影から現れた。

 

「彼女の将器は決して汚れ衰えてなどいないと私は信じている。先手となっている胡騎校尉殿は言うに及ばず……というより天凛が備わっているお方。そんな人たちを戦力に組み込まないのは、炊いたばかりのご飯をそのまま固まるまで放置するようなものではないかしら?」

 

 ふんだ、と楼杏は歳不相応に拗ねてそっぽを向いてしまった。だが拒んではいない。

 それに苦笑しながら、今度は億劫そうに接近しつつあった雲雀へと話題を転じる。

 

「雲雀ちゃん、宦官たちの様子は?」

「残された十常侍含め、もはや腑抜けて人畜無害な生き物だよ。全てを取り仕切っていたのは張譲だ。その張譲があぁも無惨に殺され、自分らは帝や趙忠に見捨てられては、すでに軍政に口を差し挟む気概もないだろうに」

 

 あれほど敵視し、いずれその特権は奪わねばならないと考えていた相手。

 そのあまりの凋落ぶりに、さすがに憐憫の情も湧きかねなかった。

 

「皮肉なものね」

 楼杏が言った。

「十常侍の無力化、何進一派の追放。月さん達が思い描き、ついに成し得なかった理想を、おそらく漢王朝の権威などまるで気にしていない曹操が、たった一夜で実現してしまった」

「そして我らはその旧弊の加担者としてまとめて片付けられる、というわけさ」

 雲雀が叩く軽口に、楼杏は冷ややかに睨み返した。

「冗談だよ」と彼女は肩をすくめて見せた。

 

「だからと言って、この行いが肯定されて良いわけがない」

 珍しくきっぱりと言い切った風鈴に、ふたりはそれぞれなりの重みをもって頷いた。

 

「でもね」

 二人の間に立った彼女は、両手を僚友たちに差し伸ばして繋ぎ止める。

「やっと社稷を糺せるところまで来た。たしかに窮地には違いないけど、曹操さんに勝てば、その先に私たちの夢が続いている」

 わずかに逡巡を見せた後に雲雀と楼杏は向かい合った。互いの瞳を覗き込み、そして確かめ合った。

 すなわち、漢朝に異心ありや、なきやと。

 

「だから私たちもやり直しましょう。ここまではいくつもの間違いを犯したかもしれない。手を携えて進むべきだった。これからも道を外れ、ひょっとしたらまた袂を別つこともあるかも分からない。それでも、この戦だけは共に戦い抜きましょう」

 

 強く、しかし優しく卵を暖めるように友人たちの手を握りしめる風鈴。

 その手には確かに握り返す感触があった。

 そして互いに合図するでもなく見上げた空には、満ちた月が白く輝いていた。



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曹操(十四):決戦前夜

 帝を送り届けた洛陽より、徐庶が戻ってきた。随伴者はオシュトルである。

「元直、重責をよく果たしてくれたわね」

 華琳はそれを懇ろに労った。

 

「こちらこそ、本来であれば身に余る大任にもかかわらず、自分を最後まで信用していただきありがとうございました。もはや戻れぬこの身、如何様にも殿の思う通りにお使い下さいませ」

「あら、そう?」

 英雄の目に好色が滲む。声が上する。

「……出来うれば、臥所の外にてお願いします」

 近侍する荀彧の、ものすごい形相を感じ、また華琳自身の性癖も知るが故に、徐庶はそう言って固辞した。

 舌打ちとともに彼女を自身の席に着座させて後、最後の軍議が始まった。

 

「さて、すでにこの時点で多少の誤算は生じている。何進を逃すのは予定通りとしても、皇甫嵩、盧植の脱出を許した覚えはない。特に盧植は、質として抑えておけば劉備、公孫賛の行動に掣肘を加えることもできただろうに」

「申し訳ありません。朱儁は確かに張譲派ではありますが、軍人としての良識までは売り渡してはいなかったようです」

「それについて文若、如何」

 

 意見を求められた桂花は、一度徐庶の様子を盗み見てから答えた。

「この程度で躓く戦略は練っておりません。それに初戦はどのみち主導権を敵に握らせることになるのです。多少敵にも歯応えがあった方が、敵に気取られる可能性も低くなるかと」

「漢朝を代表する二名将を、歯応え扱いか」

 相も変わらず第一に華琳を置く桂花の申し様に、秋蘭が苦笑した。それを実際に受け持つのは、彼女達なのだ。

 

「それで、元譲が軍は?」

「司隷周辺の安全を確かめて後、丁奉に留守と監視を任せこちらに到着の予定です」

 秋蘭が間を置かずに答えた。

「代わりに馬騰と韓遂の備えとして洛陽に入る子孝は、口を尖らせていましたが」

「仕方ないでしょう。いい加減春蘭にも、まともな活躍の場を与えてあげなければ部下や、下手したら陛下の近辺に当たり散らすかも知れないじゃない」

「それであれば、私が代わりに入ってもよろしかったのですが。速攻では西涼の騎兵にも遅れは」

 そう言いかけて秋蘭は、華琳の眼の色の変化に気がついたようである。

「……いや、出過ぎたことを申しました」

 と何事かを察しつつも率直に引き下がった。

 

「他の者で何か異見のある者は?」

 すでにして方策は伝え済みである。無いことを前提の最終確認であったが、そこに挙がる手があった。

 右近衛大将、オシュトル。

 すでにして戦装束でこの場に臨んだ彼は、仮面の奥底に険しい眼光を浮かび上がらせて、

「曹操殿に、お尋ねしたい」

 と前置きした。

 

「人死にが少ない手段と信じるがゆえにあえて都を攻めた。その言葉は信じよう。かく言う我らが國においても、大義なき戦を開いたことがあるゆえに強いては諫めぬ。が……何故徐庶にかつての友と再会し、そのうえで裏切れなどという、酷なことを命じられた? いや、そうでなくとも大逆の徒として彼女らに殺される危険とてあったのだ」

「……そうね」

「無礼者。殿に是非を問うな」

 

 桂花の言い分は、華琳から見ても傲慢に過ぎた。彼女の言葉を手をかざして遮った。

「オシュトルは、これで良い」

 と。

 放言の通り、彼はあくまで他に主君を持つ身。客将である。自分にとっては、あくまで協力者に過ぎないのだから。

 

「自ら志願したことです」

 しかしこの時幸いしたのは、徐庶が華琳の代わりに応答したことであった。

蘇秦(そしん)張儀(ちょうぎ)しかり、孫臏鳳涓(ほうけん)しかり、李斯韓非子しかり、戦国の世においては同門の士であっても互いを欺き合うなどよくあることです。半端な同情は、どうかお止めくださいますよう」

 ときっぱりその直言を否定され返されては、蒼天を往く義剣士としてもあえて踏み入るわけにはいくまい。

 

「……そなたがそれを良しとするのなら、某としてもあえて何も言うことはないが」

 とほろ苦く笑って引き下がった。

 

「他には、ないようね」

 これ以上混ぜっ返されても困るので、華琳はそう言って質疑応答を打ち切って立ち上がった。

「最後に、あらためて言わせてもらう……ありがとう。この悪事に加担をしてくれて。この礼はいつか必ず返す。そのためにも、皆には全身全霊をかけて、仕上げてもらいたい」

 

 あの華琳が頭を下げた。乱世の覇者たる女が。

 それを知った譜代宗族の忠臣たちは一層の奮励を誓い、外様の武将たちも最後まで付き合おうという気になった。オシュトルもまた、仕方なさげにため息を吐きながらも、心のしこりを取りあえずは収めたのであった。

 

 彼らが全員が戦支度に赴くべく陣を出で、策の全容を知る桂花と青狼のみが残された。

 

「……やはり、留守居に華侖殿を残されたのは」

 脚を組みつつ腰を落とした華琳はしおらしい少女の顔より一転、冷厳な支配者の貌に転じて眉間に影を刻みつつ、答えた。

 

「この戦、あの娘には酷な謀が待っている……一武将の懊悩に足並みが乱されている余裕はない」

 案じているのは身内か、戦運びか。

 それは今の曹孟徳自身にさえも分からないことであった。

 

 ~~~

 

 かくして、夏候惇の到着を待って後、両陣営合わせて十万余の戦闘員が、上党に結集した。

 すなわち、布陣は以下の通りである。

 

 何進連合軍

 名目上の総大将は劉協。その補佐として何進姉妹が当たり、この大将軍が事実上の総大将である。

 目下最大の兵数であり、抑止力となる。

 左翼、皇甫嵩。与力として董承ならびに劉備一党が加わる。

 右翼、朱儁。先陣は仮面の大将と凌統ら義勇軍。その後の備として公孫賛軍と盧植。

 また、遊軍は張楊を先頭に南側の麓に布陣。義経ら郎党がこの後詰めに回される。

 

 曹操軍

 総大将は言わずもがな曹操。自ら中軍を指揮する。参軍は荀彧、曹洪。

 その前衛をオシュトル。許褚、典韋が護る。

 左翼、夏候惇、オフレッサー、その先陣に上杉景虎。制止役兼参謀として徐庶が一時的に加わる。

 右翼、夏侯淵が李典、ロイド、青州兵を率いて皇甫嵩と対峙する。

 司馬懿はロブ・スターク、浅井長政、藏覇は遊軍として各戦線の調整役を任せられる。

 

 かくして早朝、乳白色の霧が覆い包む盆地。

 最大の会戦が今開幕する。



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漢(六):北の風林火山と猛虎大喝

だいぶサボってました。
リハビリ的にUPします。


「進めぇ!! 未だ勅は我らの手にある! 逆賊は奴らの方ぞ!」

「笑止! 天子の身も心も離れた詔を掲げたとて、一体何の意味がある! 過去の栄えにすがる凡俗ども、ここでも諸共についえるが良い!!」

 

 互いの名分を叫びながら、霧を切り裂き、両軍合わせて十万の兵士たちが前進を開始した。

 一番槍は夏候惇軍。その先触れたる上杉景虎である。

 

 戦国の転換期にあった彼の部隊には騎兵鉄砲が均等に配備されてはいたが、基本的には彼自身は軍神の尚武を受け継ぐ勇の気質である。

 

「かかれ! 景虎、上杉の気概を見せる! ……でないといくら『あいつ』でも、笑われるからな!」

 

 まず銃砲によって敵の出鼻を挫き、しかる後に歩騎を投入する、というのが常套にして有効な段取りである。まして鉄砲の未だ浸透し切らない戦場において、動揺は彼の知る戦場よりも大であったことだろう。

 しかるに景虎はその矜持に従い、まず騎馬を出した。それをもって敵の力量を試し、引っ掻き回して脇腹を晒させた後、横槍を突けるも良し、それこそ鉄砲で撃つも良しという算段でもある。あるいは、夏候惇本隊にぶち当てても良い。

 

 果たして釣り出されるかたちでか、百騎ばかりが押し出してきた。

 先頭を切るのは、童が用いるが如き面の将。その背の裏に立つ幟に刻まれた四字を見た刹那、馬上の景虎の全身は稲妻にでも打たれたかのごとくに固まった。

 

 ――風林火山

 

 忘れるはずもない。軍神たる義父が五たびに渡り智勇を競わせ、それでもなお完全に打ち負かすことの出来なかった男が好んで孫子より引用した言葉。

 そしてこの霧と騎馬が合わせれば、川中島の戦場が否が応にも呼び起こされる。

 

「武田信玄……まさか奴もここに呼ばれていたというのか……!?」

 

 が、さらに現れた旗印は武田菱ではない。

 白地に丸。だが安堵は出来なかった。その剽悍な騎兵は左右に分かれて回り込む気配を見せたかと思えば、それにつられて追った景虎軍の騎兵を横合いに(かち)の兵を回り込ませて逆に景虎の企図していた横槍をもって痛打する。

 

 並の将ではない。あるいはその子勝頼かとも考えた。

 最後の最後で、自分を金で売って義弟へと寝返った、あの愚息。

 だがそうではない。その愚直な用兵とは異なり、のたうつ長蛇がごとく変幻自在の動作を見せるそれは、あるいは信玄の旗本をも上回る機動やもしれない。

 そして、あの面はおそらく蘭陵王(らんりょうおう)になぞらえた代物であろう。味方の士気を乱さぬため、美貌を隠したという、唐土の英雄。

 ――それほどの美男が風林火山を戴くとなれば、もはやただ一人しかありえない。

 

 その名は太平記を多少かじった者であれば記憶に焼き付けて然るべきもの。

 武田信玄が父に匹敵する軍神であるならば、奥羽北陸においてはもはや伝説とも言うべき存在。

 

 奥州鎮守府将軍、北畠(きたばたけ)顕家(あきいえ)

 

 南北朝時代の英雄が一人。公家として生まれながら、奥州の荒武者たちをまとめ上げ、神速をもって北端より強行し都を足利尊氏から奪還せしめた、天才的な軍略を持つ麒麟児。

 

 景虎は、一度その勢いと名に呑まれそうになった。

 だが踏みとどまる。生まれも、そこまでの事績も関係ない。大切なのは、それを幹として如何に自分らしく花咲かせるかであろう。

 

 歯を食いしばった彼は、陣刀を抜き放ち、そして額に押し当てて祈る。

 義父(ちち)よ、どうか自分に一時でも良い。伝説に抗しうる神威をお授けください。

 実父(ちち)よ、不撓不屈不退転の覚悟をご覧ください。

 

「……来いっ、伝説!」

 

 逡巡も怯みも一瞬で済まし、龍の義子は咆哮とともに、馬腹を蹴った。

 

 〜〜〜

 

「駆けるぞ」

 その一言とともに、北畠顕家は先手を動かしていった。

 騎兵を一塊としてぶつかった後、それを三つに分けた。それらが、敵軍の臓腑を寸断する。

 その内の一隊に集中してつぶしにかかった敵先鋒ではあったが、すでにその背後に回った残る二隊が結集して、再びその背に食らいついた。

 

 遠目から見ている分には、まるで奇術のごとくに見える。

 緒戦の趨勢を、完全に自らの内に取り込んでいる。

 戦が変幻なるを、知る者の動きだ。

 

「おぉ……校尉殿、お見事!」

 朱儁軍の属将を務める王子服(おうしふく)はもう中年に差しかかる男だというのに、童のようにはしゃいだ。

 

 胡騎校尉。まったく役不足である。まったく申し訳程度の二千名足らずの兵でよく()る。あるいは言うことを聞く二万騎を与えられていたのなら、この戦場はあの貴公子が席巻していたのではないかとさえ思う。

 

「我らもこの勢いに続くべし!」

 と息巻いて進言する『前線知らず』を、雲雀は冷ややかに「無用」と退けた。

「何故!」

 今参加している漢軍の武将たちは、ただ目の前の戦場の華麗さに心奪われ、その現実を知らずに今日に至っている。それを噛み締めながら、雲雀は引き攣っ表情で理由を告げた。

 

「我らに、同じ芸当(マネ)が、できないからだ」

 と。

 

「いくらあんたらが戦を知らないからってあれを基準にされても困る。援護に向かったとて、むしろ足を掬うだけだ」

「では、ただ見ているばかりと」

 

 冷水を浴びせられたがごとく主将を見遣る王子服を露骨に無視し、朱儁将軍は指示を飛ばす。

 

「ゆえに、無理に呼吸を合わせる必要などなし。斜形陣を敷け。前線に弩兵部隊を配備。北畠の攻めによりかき回され列を乱した敵勢に、矢を浴びせてやれ……楽して勲功を拾おうじゃあないか」

 

 あえて偽悪的にそう言って見せたが、実際顕家に歩調が合わせられるでもなし。援護射撃を加えつつ、その数により相手を牽制して顕家が動きやすい環境を築く。これが最良手であったはずだ。

 

 そこで、夏候の旗が押し出してくる。敵が数と勢いに恃んで反攻してくる時機は予定よりもやや早い。この呼吸さえまともに図らぬ蛮勇が、えてして恐ろしい時もある。如何な顕家とて寡兵ではこの敵味方の流血を厭わぬ獣性には手を焼こう。

 ならばあらためて押し出して手を貸すか。否、否。乱戦に持ち込まれることこそ、顕家の持ち味を殺すことになる。おそらくは夏侯惇に付いた軍師は、それを承知で暴走を許容している。

 

 自身が何の才華もない凡将であることは重々に承知している。だから、張譲の権威を利用した。この戦に先駆けて楼杏の軍と風鈴の後援を頼んでいる。

 

 そして、今この間際においても、なお。

 

「今日は特別でね……異才は、もう一人いる。たまには奇手の一石でも打とうじゃあないか」

 不敵に笑ってそう嘯いた雲雀の脇から、小柄な少女が進み出る。

「ほら、出番だぞ。小娘」

 そうけしかけると、いーっと白い犬歯を見せて彼女は威嚇する。

 雲雀は苦笑する。馴れ初めや自身の世評からして、無理らしからぬ反応だと受け入れる。

 

 朱儁の具体的な指示を待つことなく、少女は駆け出した。

 燕人、というのが通り名であるらしい。陣借りの際に娘はそう告げてきた。

 もっともそれは、易く想像するような自身の敏捷さを誇るものではない。

 燕、という旧国名を生地として告げたに過ぎない。

 

 だが前線へと馳せる姿はまるで飛燕が如く。

 しなやかに敵中に飛び入る様は猫の如く。

 しかしひとたびその身の丈不相応の矛を奮えば、毒蛇の如くに並居る猛者の命を奪う。

 そして大地に屹立する姿は、猫より転じて猛虎が如し。

 

「畏れ多くも治天の君をかどわかし、天下を強奪せんと目論む外道ども。我が武、我が蛇矛は左様な不義を断ずるためにこそ、劉玄徳とともにあり」

 

 大時代的な口上を鈴が鳴るような音調に乗せ、石突で土を叩き、そして大喝した。

 

「張飛翼徳(よくとく)、義によりて朱儁軍に加勢……なのだ!」

 

 本来の劉備軍の持ち場を離れ、客将ならぬ客兵となった少女の放つ並々ならぬ闘気に、夏侯惇軍に肌膚を震わせぬ者は無かった。



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劉備(四):真の絆

 中央、曹操軍の前衛。

 そこにて敵を待ち構えていたオシュトルの目が、仮面の奥底で軽く持ち上がる。するりと剣を鞘走らせる。

 その所作ゆえか、霧の向こうで濃くなりつつ武の気配ゆえか。許褚典韋の小さな双璧たちもまた、進み出てきた。

 

「ここは任せよ」

 

 霧の先の敵、其方たちの手に余る。

 そう言外に告げるオシュトルとあえて張り合うがごとく、両名はずんと進み出る。

 

「いえ、共に!」

「ここで退いたら、何のための護衛か分からないって!」

 と息巻くも、緊張に顔を強ばらせている。

 両名ともに初陣はすでに済ませている。その身を固くさせるのは偏に、この霧向こうから発せられる闘気……否凍気がゆえであろう。

 

 それが姿を顕すと同時に仕掛けたのは、季衣と流琉である。否、仕掛け()()()()()。接近と共に倍加して膨れ上がる威圧感に、怖じはせずとも先制を余儀なくされたのだ。

 

 敵は、上背から放たれた流琉の大盤、低く腰を落としてせり出した李衣の大鎚。それらの合間を掻い潜り、オシュトルと直接肉薄し、競り合う。

 

 その速きこと、風伯が如し。

 

「我が名は関雲長! 劉玄徳が仁道を切り拓く一筋の剣であるッ」

 先に左翼側から響いた大音声と、似たような口上、主人の名を挙げながら競り合う。

 その迷いのない太刀筋。あえて挟撃をやり過ごし、おそらくは三人の内もっとも武練の者を選んであえて一騎討ちに持ち込む潔さ。

 清らかで意志の強い、その眼差し。

 

 いずれも彼女が賞賛と尊敬に値する士であると教えてくれる。彼女も、そしておそらくは彼女の朋友も、主君も、出会う場所と機が違えばきっと、通じ合えただろうにと思う。

 

 果たしておのが振るう刃に、義はありやなしや。

 

『肩の力を抜くと良い』

 心の月下で、男が言った。

 

『損得より善悪より、面白き方を選べば良いのさ。義理人情がそこもとの楽しきことだと言うのなら、その道を進むといい』

 と、敬意に値するその敵の言葉に従い、余計な力を脱く努力をしてみせると見えてくるものがある。

 

 そして己の内には、今更に翻す刃などないことを知る。曹操の覇道、劉備の仁道、それらを秤に掛けるのは己の仕儀ではないと悟る。

 それはとても、己らしくもなく、楽しくもない。

 

「我が名はオシュトル。右近衛大将オシュトルである」

 

 敵方に名乗りつつ仮面の者(アクルトゥルカ)は、己が今この場においては他の何者ではないと自他に強く言い聞かせた。

 

 ~~~

 

 漢軍左翼を担う皇甫嵩勢は、夏侯淵に機先を制される形となった。

 というのも、初陣の緊張がためか、必要以上に先手の董承が守りに入ったことがその一因となった。

 一番槍を左翼側の夏候惇に譲ったことで、神速で鳴る夏侯妙才も、さては風聞ほどではなかったかという侮りもあったのだろう。

 おそらくは河北侵攻、あるいは宛の董卓迎撃において活躍の場を与えられなかった姉に華を与えてやろうと意図あってのことだとにも気づかず。

 

「退くな! 逆賊どもに遅れを取るなぁ!」

 威勢だけは良いものの、実が伴っていない。

 それにしても、夏侯淵の速攻は見事なものである。錐のごとくに瞬く間に董承を抜いて、こちらに迫ってきているという。彼女のみならず、いったい宗族に、どれほどの才人を抱えているというのか。

 

「……我らの失態は、後進を見出し、育て上げなかったことね」

 否、高い意識とすぐれた才覚を持つ者は皆、今の中央政府に失望して地方に散ったのである。

 眼前の敵のみならず、四海に目を向ければそういう結論に至る。

 これまでの後漢と、我が半生とを思い返せば――

 

(あぁ、これは、いけない)

 自身の限界(おわり)を、数え始めている。

 

「あの、大丈夫ですか」

 戦場とも思えない、甘く柔らかな声が聞こえた時、ふっと暗き底に光が差し込んだ心地だった。

 顧みれば、下がり眉の劉備玄徳がいる。

「どこかお加減でも?」

 ほぼほぼ初対面とも言うべき間柄とは思えない、真心から案じる様子の娘に、楼杏は苦笑を返した。

「大丈夫よ。久々の戦場に、ちょっと気を入れ直していただけだから」

 と表情ごとに心根を取り繕う。

 

 そうだ。

 まだ、このような若き芽が漢王朝の将来を憂え、なんとか立て直そうと志を抱く。

 そのような者が飛翔を遂げるまで、あるいはそれさえも飲み干して世を改めんとする野心の前に立ちふさがるための壁として、この身と軍はある。それまでは腰を下ろすことの許されぬ、責務を負っている。

 

「しかし、貴女たちもまた大胆なことを考え付くものね」

 もっぱらは良い意味で、楼杏は劉備に言った。

「まさか、自分の腹心たちをこの戦場の方々にばらまくなんて」

「あ、あはは……」

 自身でも如何なものかという思いは少なからずあったのか、桃色の少女は眉を下がらせたままぎこちなく苦笑した。

 

「でも、どのみち私たちは村のみんなや鄒靖(すうせい)丁原(ていげん)両将軍の兵の一部を無理やりまとめた寄合所帯ですから、『兵力』としてはあまりお役に立てないわけで」

「でもでも、武人としては雲長さんや翼徳ちゃんは一騎当千。それを皆さんには上手く使って補ってもらえれば、と」

 

 その策に秘められた事情を、ちいさな両軍師が補足する。

 

「言ってたんです、私たちのお姉さんが。『人の弱さに寄り添える軍師になりなさい』って……だから、互いに互いの欠けた、弱い部分を補い合えるようにする。それが玄徳様のお考えです」

 

 なるほどそういうことかと、頭脳の片隅で頷く。

 たしかに夏侯淵隊の出遅れは、あながち意図されてだけのものではなく、劉備勢力の思いがけぬ与力がこちらにも回されているのではないかという逡巡があったがためではないだろうか。

 となれば、董承の見立ては行動が伴わなかっただけで存外に本質を見抜いていたのではないか。

 この小さな齟齬と誤算を積み重ねていけば、きっと覇者曹操の足を躓かせる巨石と化すはずだ。

 

 だが、一方で上手くいっているのは今のところはだ、ということにも気にかけなくてはならない。

 

「……その志は立派なことだと思うけれど」

 楼杏は水を差すことを承知で言った。

「その真心が大将軍様や朱儁にどこまで通じるものかしら。今でこそ上手く使ってくれているようだけど、戦況が少しでも悪化すれば捨て石にしてくる可能性だって」

「大丈夫ですよ」

 劉備はすかさずに断言した。そこまで押し出しの弱かった娘が、気持ち(そこ)ばかりは譲れないと言わんばかりに、楼杏の懸念を遮って。

 

「まさか……信じているというの?」

 身内ですら猜疑心に駆られ、蹴落とすことが常となった乱世で、漢王朝で。

 晴れやかに天を、霧の向こうで薄く虹を浮かばせた日輪を仰ぎ、少女は言った。

 

「たとえ、離れていたとしても」

 と仁星の下に生を受けた少女が謳うがごとくに呟けば、

「我々は、運命と志を一つにした、同志っ」

 と智の双星が唱和する。

「たとえ生まれた日は違えども、死すときは同じ日と誓い合った!」

 と将星が言葉を継げば、

「利と弱みにつけ込んで繋ぎ止めたニセモノの絆には、敗けはしないのだッ!」

 と虎星が吼える。

 無論、互いに聞こえるはずのない間合いの外だ。だが、それでも実際に彼女たちは通じ合って声をあげた。意図が届かずとも気の柱が四方に立った。

 

 そのつながりが、熱が、楼杏にも、彼女の麾下にも伝播していく。

 たとえ直接的な支援は受けられずとも、この思いがけぬ効果は好ましい。

 

 まったくもって風鈴も、不思議ながらも羨ましい愛弟子を持ったものである。

 彼女がただ傍にあるだけで、小春日和のようでもあり、彼女とのつながりを、彼女の居る空間をなんとしても守らなくてはという忠誠心や義信を超えた使命感が胸に宿る。

 

「董承隊が敵背後で立て直す時を作るッ! 亀甲のごとく堅陣を敷き、鋭鋒を打ち砕け! 拙速は時として巧遅に如かず、ということを敵に教えてやれ!」

 

 その声音に意気と若さと取り戻した楼杏は、高らかに命じて陣刀を勢いよく振り抜いた。

 

 ~~~

 

「ほざくなっ、小娘!」

 憚らぬ宣言を耳にした瞬間、夏侯惇は激昂して張飛へと斬りかかった。

「深遠なる曹孟徳が志、我ら主従の紐帯! 貴様ごとき餓鬼が容易に語るな!」

 愛刀七星(しちせい)餓狼(がろう)が風を斬り、刃鳴り散らす。

 

 幼さを多分に残しながらも、万人に匹敵する膂力でそれを跳ね除けた張飛は、獣の如く八重歯をちらつかせながら、

「へっへーん。でもどーせ、そのシンエンだとかいうものも自分はちゃんと分かってなさそうなのだ」

「…………おのれっ、言うに事欠いて!」

「あー、ムキになるってことは図星だったのだー?」

 となお煽る。

「……いいだろう、件の関羽との決闘こそ我が本懐であったが、その前に貴様を血祭りにあげてくれるわぁっ!!」

 

 競り合いながらあらぬ方向に向かわせられる主将を、

「……孺子(こども)に言い負かされてる……」

 と、剣里は呆れながら見送った。

 

「良いんですか参軍殿!? あのまま行かせて」

 と、夏候惇の部曲が声を張って唱えた。

「止めようもないでしょうよ。指揮は元よりこちらでする。左翼本営の支柱を夏侯将軍よりオフレッサー殿に変更。というわけで、行ってくれますか、総監殿」

 あえて元の役職で呼ばわると、あん? と猛獣は怪訝そうな顔で睥睨してきた。

 並の女ならそうされただけで卒倒しそうな迫力ではあったが、そこは持ち前の胆の練りでぐっとこらえて、

「オシュトル殿は、最前線にて敵方でも随一の猛将と争っておられます。貴殿が拱手傍観していれば、あとでどれほどの手柄顔をされることか」

 などと挑発的に言った。

 

「小娘が、煽りよる」

 さすがにそこまで露骨であれば、さすがに単純極まりない男であっても含めた因果は解するものらしい。だが、この男の置き場など、たかが知れている。大鉞を担いで、猛獣の風情そのままに不敵に嗤い、オフレッサーは前線へと出張っていった。

 

「して、あの『風林火山』には?」

「景虎殿は、あの旗を見た瞬間陣容を切り替えました。そして劣勢ながらも食い下がっています。おそらく相手が何者で、かつその戦術癖を前知識として知っていたのでしょう。及ばぬながらも、そのまま耐えていただくよりほかありますまい。我らは朱儁の本隊とこのまま対峙し、あの先鋒との連携を徹底して妨害します」

 

 ――忌々しいことながら。

 留守を任された夏候惇は、大将としての器量を養うどころか変わらずあの(ザマ)。だがあれで良い。あれが良さなのかもしれない。

 一方でその無茶苦茶に振り回されてきた自分たちは、多少なりとも視野が広がっていると感じる。

 こと、徐栄戦は良い糧となった

 

 そして剣里は、自分の中で意外な素養を見出してもいた。

 天の御遣いとはいわば、敗者たちだ。

 ゆえにその性質には負い目というか一種の自虐、屈折を感じさせる。

 よって常に敗北者の気分を味わう己には、彼らの虫の居所というか、方寸と言うべきか、点穴(ツボ)のようなものが分かり、噛み合わせが存外に良いことに気が付いた。

 

 そういう効果を期待してあえて夏候惇を留守に、新参者をその補佐につけたは、曹孟徳の思惑ではなかったか。だとすれば見事に的中。忌々しいとはそのことだ。

 

 一方で、敵方にいる妹弟子たちも、みずからの殻を破らんと試行錯誤している様子が、あえて関張を切り離したこの差配からも見て取れる。

 

「雛里、朱里……さては私の言葉か。『人の醜さに寄り添え』を、そう解釈したか」

 なるほどまさしく、あれこそは自分の立場から物申せる唯一の温情、助言には違いなかった。

 だが徐元直は、ゆるやかに首を振って小さくぼやいた。

 

 

 

「――違う。()()()()()()



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公孫賛(四):山めぐる動静

 司馬懿の軍はそこまで全軍の動向を観察し、かつ直近の夏侯惇軍の苦戦にも、動くことはなかった。

 

 長政もロブも、傍らに在って、この可憐な少女のごとき指揮官の横顔を見遣り、目線で指示を仰ぐよりほかなかった。

 

「なぁなぁ仲達ちゃんよ」

 となれば自然、彼らの秘めたる不安を直言するのは、臧覇の務めとなる。

(仲達ちゃんてアンタ……)

「いい加減、兵を動かしたらどうだい」

 青狼の内心の苦りはさておきその腰や肩に手が、それこそ蛇のように絡みつく。

「四路に五道有り。こうして動かぬこともまた、一つの牽制ですわ」

 自身の肉体の秘もあることゆえ、青狼は素早くそれとなく、その手を解く。

 

「劉備の手駒はその軍師どもが戦場という水面に投じた石であり目。おそらくは遊軍である我らこそが秘策を任ぜられたと見なし、自らの存在を誇示することでその目的を炙り出す、という性格を持っているのでしょう。これに後手で対応することは、底の浅さを露呈することに他なりません」

「では、味方の苦境をただ傍観すると?」

 

 長政の口調はほんのりと酸い。決して私情を持ち込むような男ではなく、むしろ快男児と言って良いが、『本来の司馬懿仲達』とやらを知るが故か、如何せんともそこにらしからぬ陰を潜ませるのだろう。

 

「確かに」

 と青狼は遠慮してみせた。

「あえて底の浅さを見せるのも一つの手ですわね」

 と付け足し、そして少壮の武人たちを顧みた。

 

「ロブ殿。今、突くべき敵の穴は?」

「中央の先陣と後続の隙間」

 (かわごろも)の王将が即答するのに首肯で返し、青狼は正面へと向き直った。

 

「では何進に仕掛けてみますか。朱儁軍への対応は徐庶殿が、皇甫嵩は妙才将軍が柔軟にしていただける。我らは()()()振る舞いながら、敵の目を惹きつけます。古くより関羽を知る臧覇殿、彼女への監視はお任せします」

 

 指図を飛ばし、霧の中に身を沈めながら青狼は苦笑する。

(それにしても、ずいぶん分の悪い賭けに出てくれる。自分らの得にはならねぇってのに)

 あまりに現実と向こうを見ないその策に、意表を突かれたことは確かだが。

 

 諸葛亮。

 長政が言うところの、天命の相手。その者の差配か。

 諸葛孔明。

 理想と幻想の中に智謀を泳がせつつ、未だ臥して眠る竜よ。

 なるほど確かに感じる。

 我が理とこれは、相入れざるものであると。

 

(才と理あれば、いずれは行き合うべくして当たる。それまでは互いの影でも踏み合うのがせいぜいさ……しかし、なんというか、まぁ)

 

 己としては不本意ながら。

 自身としては遺憾ながら。

 諸葛亮に限ったことではなく、この上党の戦場のみの話でもなく。

 ただ天下に蔓延る不条理におのが理を捻じ込み、あるいは上回り屈服させることが。

 

(――楽しくなってきた)

 

 〜〜〜

 

「敵遊軍、先鋒を迂回してこちらの側面に回りつつあります!」

「狼狽えるな! 数はこちらが何倍とも勝る! 敵前軍は関羽とやらに抑え込ませ、我らはこれに集中して当たれば良い!」

 と、何進は司馬懿の横撃に対して存外にも、沈着に応戦しつつ

「あの『司馬』の旗が離れたが好機! 盧植軍を前進させて朱儁らを援護させよ! その攻勢の裏で、公孫賛に高所を強襲させい!」

 鋭く指示を飛ばし、よく当初の軍事予定を履行した。

 

 ほう、とその手際に嘆を短く発したは、公孫賛軍客分、別動隊長源九郎義経である。

 冀州においては奇襲によって曹賊を散々に悩ませた彼は、今はかの河内太守の与力として加わっていた。

 

「意外に軍の動かし方を心得ている。景時(かげとき)ずれよりかは大分に大将たるを心得ているわ」

 それは聞く者によれば不遜とも言えようが、英雄からの最大の賛辞ともとれる。

 とまれ、何進の用兵はこの天狗がごとき神将の興をくすぐった。

 

「今ぞ、我らも駆け下りて司馬懿軍を搦め手より攻め立てん!」

 と気を吐き、郎党武蔵坊が轟声をもってこれに応える。が、前方にいる張楊は

「はぁ、左様で」

 と抜けるような調子で曖昧に相槌を打つのみだ。

 

「今を置いて攻め時はない! 張楊殿も武人であるのに、それが判らぬとは!」

「判りませぬな。自分の見立てるところ、霧中の乱戦。こうして高みに陣しているがゆえに状況がつかめているのみで、いざ地表に立てば敵味方入り乱れさらなる混乱を招くは必定かと」

「いいや、やってみせる! もし臆して尻込みするというならば、即座に先陣を明け渡されよ」

「はは、その儀はご無用に。恐れながらこの陣所は張稚叔の持ち分でございますれば、上官の公孫賛ご自身が掛け合われてもお譲りはいたしかねる」

 

 のらりくらりと構えてかつ譲らぬその姿勢に、義経は焦れる。

 一ノ谷、もしくは壇ノ浦の平三景時の、あの横柄な面構えが思い出されたのもある。

 だが、彼らからしてみれば義経のその物言いこそが、無自覚な横柄さの顕れであり、この場合もその言動が災いして張楊の拒絶をより頑ななものとした。

 

 いっそ斬り捨てまするか。そう言いたげな郎党の目くばせに、義経は苦い表情で首を振った。

「……いくぞ。譲らぬならば、別の道より下山する。地上に降りようとも存分な働きの出来ること、その場でとくと見物なされるが良い」

 ぎりぎりのところの忍耐で理性を留め、代わり剣呑な嫌味を吐き捨てても、張楊はひらひらと手を振って、

「……危ないのに。どう考えてもこの状況は、そんな気分(ながれ)にない」

 と小さくぼやいた。

 

「まったく何たる腑抜けかッ」

 主人の分も加味するがごとく烈しく怒る弁慶を背後の守りにつかせつつ、義経は山を下り、そして想う。

 気分。流れ。張楊に分かることが己に分からいでか。

 

 平家しかり。そして己しかり。

 一度武運の流れに見放された者は、立て直すことなどまずありえない。どうあっても亡ぶ。破滅を前提として過程が敷かれる。

 如何な智将が深謀遠慮を巡らせ堅陣を築こうとも。闘将が地を震わす盤声をあげて剛槍を突き出そうとも。

 覆しようもない流れというものはある。それ即ち精舎必衰の理なり。

 

 そして今、戦の流れはなお、何進(こちら)にある。

 曹子和の予期せぬ死。公孫賛の宿敵袁紹の横死。劉備の参戦。盧植の働きかけ。その後の継戦そして孔明子元の奇策。

 とかく河北進出の後の曹操軍は、兵を進めども喪い、不意を突かれるばかり。苦し紛れに天子を攫い偽勅を立てたようだが、やれ勅命だとか綸旨だとかは、時勢によって容易く反故にされることを、義経は身を以て知っている。

 

 そして洛陽の守備兵を割いてまでの乾坤一擲の大勝負にも関わらず、正義が無きがゆえか総軍の武威は奮わない。自身の雇い主、公孫賛が制圧した高所より逆落としで攻めかかれば、もはや総崩れは免れまい。

 

 にも関わらず、どういうわけだか軍中の曹操が膝を屈する様が想像できない。このまま押し切れるかという一抹の不安が残る。

 戦においては敵の将兵の質よりもこちらの士気と勢いが上。

 ……なればそれは、もし一手曹操が忍ばせているとするならば、それは義経の見出せぬ領分ではないのか。

 

(であればこそ、この勢いのまま埒を開けるほかないのだが……)

 

 懊悩する義経の頬を、突風が殴りつけた。

 否、その風は明確な質量を伴っている。兜を弾き、頬を掠めるは一矢。

「……殿!」

 本来の役割を果たせず動揺する弁慶を押し留め、頬より血とほどけた黒髪を垂らしながら義経は、その矢の射ち所を顧みた。

 

 霧の帳を払うべく、多く焚かれた篝火。

 そのうちの一基を押し倒し、枯れ草に燃え移る。

 その燎原の火を大股で乗り越えて背に回し、弁慶に勝るとも劣らぬ猛者を筆頭とした精兵を供回りとし、狂猛な武気を放つ男は三又の矛を手に持ち替えて嗤いかけた。

 

「これはまた、奇縁もあるものよ……義経」

 と、男は()()へと声を投げた。

 姓を同じくするといっても、会ったことは一度や二度程度。しかも敵としてである。

 が、あるいはその因縁は血よりも濃いのかもしれない。

 

「木曽、義仲! 兼平も! 汝ら、地獄から迷い出たか!」

「それは貴様とて同じことではないか。戦場の物見に立ち寄り、もしやと思えばやはりか」

 

 どうやら野生じみた嗅覚は、同郷人の匂いを的確に把握していたらしい。

 にやりと笑って得物で大きく風を切るや、低く腰を落として構えた。

 

「これもまた天の配剤よ。見たところ兵力も同等。宇治川がごとく、大勢の後押し無くして我を討てるか……? 此度こそ我らが恨み、晴らしてくれようぞ!」

「ほざくな義仲! 暴虐の怨霊、今再び冥府へと送り返してくれるわ!」

 

 義仲の足裏が地を震わせ、愛刀膝丸(ひざまる)を抜いた義経が跳ねる。

 主人らが口火を切ったのと同じくして、彼らに殉じた重装の烈士たちもまた蛮声とともに組み打った。

 

 その闘争の中で、九郎義経は思案する。

 血の臭いに誘われて迷い込んだ義仲。決して曹操に与するための参陣ではなかろう。

 

 ――これが天運でなければ、いったいあの覇王は何に護られ、天運以外の何を信じ、未だ戦い続けるのか?



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曹操(十五):天下への前進(★)

 曹操軍の旗色が悪いことは、もはや兵士たちにさえ明らかなことであった。

 否、前線に在って本能で危機を嗅ぎ取る彼らは、その辺りの感覚において馬上の凡将よりも鋭い。

 こと、今日に至るまでに黄巾から袁紹と敗亡を重ねてきた青州兵においては、特に過敏である。

 その賊兵たちの中核にいるのが、三人の男たちである。

 互いに本当の名は知らない。

 見るからに粗暴で魯鈍そうな大柄のが『デク』。

 その矮躯さえ持て余すほどの賢さも感じられない浅薄な『チビ』。

 そんな彼らよりかは年齢分いくらかマシな分別はあるが、やはり大元はごろつきの性根である『アニキ』。

 

 もっとも、彼らが別に指揮官や部隊長というわけではなかった。

 彼らがいるところに同族意識か似たようなあぶれ者たちが離散集合をくり返す。そう言った類の人種である。

 

 そんな彼らは今また、人生の岐路に、矢面に立たされた。

 すなわちこの苦境に在って、退くべきか、退かざるべきかという二択である。

 もっとも、おおよそは後者を択ぶ。

「もう曹操は駄目だ! 逃げましょうぜアニキ!」

 とチビが喚き立てるように。いつものように。

 そうやって彼らは乱世をやり過ごして来たのだから。

 

 だが。

 そのままで良いのか。いつものように。変わらないままで。

 俄に変心したとか突如に使命感が芽生えたとかいう訳ではない。

 それは常にアニキと呼ばれた男の内に沈んでいた疑問であり、尋常ならざるこの状況が自覚できる辺りにまで表出させた感情に過ぎない。

 

「あ、アニキ!?」

 知れず、彼の足は逃げ崩れる同胞とは逆の方向へと向いていた。

 もはやその下半身には感覚がない。別の生き物に乗せられたがごとく転進した兄貴分に驚愕し、

「何やってんだよ、ガラでもねぇ!」

「うるせぇ!」

 

 勢い弟分の制止を振り切って叱り飛ばしたアニキであったが、かと言って確たる方策も思い定めないままの蛮行であった。

 およそその内情は理とは程遠い。

 

(け、けどよぉ……天和ちゃんたちも見捨てて袁紹のところから逃げ出した挙句に、ここでも逃げ出したら、いよいよ俺らには逃げる場所も居場所も無くなっちまうんかねぇかってよぉ)

 

  今更自分に出来ることはない。英雄になれないことは良く弁えている。

 帰農する機会はいくらでもあった。苦み走った顔役に太々しく顎で扱き使われ、朝から晩まで鍬振るい種を播く。だがそれでも、命のやりとりをするよりかは余程マシだともう分かってもいる。

 それなのに、今なお剣だの槍だのを握っている。足を竦ませ、震えながら。顔面の孔という孔からは、絶え間なく体液が流れ出る。

 

 そんな彼を支えているのは、勇ではない。

 この戦が、今後の中華の舵取りを決める大戦だと冷汗にまみれた肌身で感じる。だがこの一戦からも背を向けてしまえば、正真正銘、何者でもない塵芥となってしまうのではないか。その恐怖であった。

 

 ならば、せめて。

 せめて一太刀、せめて一歩。

 

(何もカッコつけようってのとかそうゆうんじゃねぇんだ! けど、ここまで俺が、いいや俺らがしがみついて来たこととか考えたら、この場にいて何かしたって胸を張りたくなってな。い、いやそうじゃなくても良い、この一歩で蹴躓いて後々笑い話にでもなりゃヨォ、それで良いじゃねぇかよ)

 

 今この瞬間に、生きて、立ち会ったというその確たる証が、自分の中で欲しかった。そのために、今、アニキは踏み出した。

 

 とその決断と等しくして、対する皇甫嵩軍は攻勢に出た。

 敵が怯んだと見るや、遊兵を作らず前面に弓兵を展開させ、斉射をもって追い討ちをかける。華美さはないがその即断と練り上げられた用兵術はまさしく歴戦の手腕によるものである。

 

 飛来する矢の中、アニキは駆けだした。

 が、半歩と満たないその移動距離の間に、矢雨が本降りとなるかどうかの間際という辺りにて。

 アニキの眉間で、物悲しくなるほどの快音が響いた。

 流れ矢が額と頭蓋を射抜いたがゆえだと気づいたのは、力なく膝を地についた時であった。

 

「は、はは……空っぽで、やがんの」

 

 最期の言葉は嘆きか、自嘲か。

 口端に浮いたは、苦笑か充足か。

 

 それすら定かとはならないままに、敵味方の兵に名もなき男の骸は蹂躙されて、原型を留めることはなかったという。

 

 ~~~

 

「青州兵、潰走!」

「二陣のロイド殿が防いでおりますが、こちらも劣勢!」

「さらに左翼側も敵先鋒の勢い、止まらず!」

「中央の三将、関羽一人にかかりきりです!」

「さらに公孫賛がその隙に丘陵を占拠!」

 

 相次いで舞い込む凶報に、帷幄の桂花は苛立ちとそれに伴う舌打ちを隠さなかった。

 

「なんとしてでも食い止めなさいっ! 司馬懿は何をやっているのッ、そのための遊撃軍でしょう!」

 小さな躰のどこからそれほどまでの大音量が絞り出されるか。苦笑しながら、かつ悠然と、席を立った華琳はその前を通り過ぎた。

 

「前線に出る」

 覇王の一言は幕内を騒然とさせ、彼女の集めたあらゆる智者をも狼狽えさせた。

 

「お、お待ちください! 例の仕掛けが未だ確かとも言えず……むしろこの状況が多少なりとも好転しない限りは……っ」

「だからこそ往くのよ。私が動くことで敵方を惹きつける。そうすれば、仲達にせよ『彼女』にせよ、動きやすくなるでしょうよ」

「しかし……」

 

 なお愛主の身を案じ食い下がる桂花らを喝破し、かつ己に言い聞かせるかのように、華琳は高らかに宣った

 

「この曹孟徳においての勝利とは、天下とは、座して皿の上に運ばれてくるものに非ず。泥と敵味方の血に塗れて自らの手で掴むものである!」

 

 その王の論を持ち出されては、王佐であれども王者そのものではない家臣らにこれ以上の諫止は能わず。近侍より自らの鎌を受け取った華琳は、その切っ先を前方へと向けた。

 

「出撃!」

 

 ……だが、その動きこそ何進もまた望んでいたものである。

 曹操動くの報せを受けた大将軍は隠すことなく我が意を得たりと哄笑し、

「公孫賛へ鏑矢を放て! ……曹操を、撃滅せよ!」

 と鋭く命じた。

 

 一雑兵の遺した想念が届くべくもないものの、その死にまつわる動きを皮切りに、天下争覇のこの会戦も、終局を迎えつつあった。

 

 

 

【アニキ/恋姫……戦死】



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漢(七):転落

 鏑矢が天へと上がっていく。

 紅に輝くものが、数条の軌道を描いて。

 

 ひゅるひゅると奏でられる音は、どこか物悲しく聞こえる。

 こと、そこに敵陣を蹂躙する馬蹄の音が轟かなかったとなれば、なおのこと。

 

「え……? 公孫賛、動け……公孫白珪! 何故動かん!?」

 いくら乱戦だとて、あの高さから見えぬはずがない。聞き漏らすはずがない。

 

「ええいっ、ついに呆けたとでも申すか! やむを得ん、直接に伝令を遣わし、あの駄馬どもの尻を叩けっ」

 だが現実を無視して思考を硬直させ、当初の目的を墨守する。

 何進がこの停滞の理由を悟り、そして絶望するのは今少し後のこととなる。

 

 〜〜〜

 

 一方で、鏑矢が打ち上がる前に智者たちの中には気がつく者もいた。

 特にいち早く察知しえたのは、諸葛亮であった。

 

 劉備軍将兵に釣られたことによる司馬懿の遊撃軍の分散は彼女自身も望むところではあったが、その後易々と、望外もせず公孫賛軍に背後の丘陵を明け渡したことで疑念が生じ、そして驚嘆するに至った。

 

 帷幄を飛び出した朱里は声と小さな肉体を震わせ、

「桃香様……義真将軍。今すぐ主力を右翼側へ傾注してください……いえ、鈴々ちゃんだけでも、未だ混乱しているかの陣へ潜り込ませ、動く前に『彼女』を」

 と今までに聞いたことのない低い声で進言する。もはや「はわわ」と口にする気力さえ残されていなかった。

 

 え? と小首を傾げる桃香の裏で、雛里も皇甫嵩も、そこでようやくハッと息を飲み込み、瞳孔を開け広げた。

 

「まさか……っ剣里さんが言いたかったのは、このこと……っ? で、でもこれは……あまりに……!」

 動揺しつつもそれでも、自分の為さねばならぬことのために鳳雛は、皇甫嵩へと進言するべく不安げな顔を向けた。

 

「いずれも、登らせた以上もう遅い! 陣形を方円に切り替え! 後退して戦線を縮小し、中央を固めよ!」

 

 だが皇甫嵩は、その一言を発する前に鋭く下知を新たに下した。

 

「し、しかし勢いを取り戻したばかりの先手の董承様が、納得しますかどうか」

「この異変に気づかずまた上将の命にも背くとあれば、援護の必要なし! 最悪見限る!」

 

 温厚で沈着な表情から一転。眼鏡の奥底で剣呑な眼差しとなって部下の反論も許さぬ厳格な雰囲気を帯びた彼女に対し、佐将の桃香は未だ要領を得ないままに立ち尽くしている。

 魯鈍なようでいて、しかして恐れはない。あまりに場違いな空気を持つ少女は確かにある意味大器であるらしかった。

 

 両軍師は顔を見合わせた。その心許なさげな表情は、分からないのではなく打ち明けたくないがゆえ。主人の心痛が如何ばかりになるかという不安がゆえである。

 やがて意を決し、頷き合った彼女たちは、断定に近い敵の策の推測と、その中心人物の名を告げた。

 

 〜〜〜

 

「……ま、普通は考えが及ばねぇし、考えつくようなもんでもないわな」

 半ば晴れつつある霧、そこに未だ半ば我が身を埋める青狼は、そう呟いて唇を歪めた。

 

 策それ自体が、ではない。

 内通者を作ることなど、中華史上事例はいくらでも存在する。

 思い及ばぬというのは、人選の話。

 

 曹操と、公孫賛。

 漢王朝を巻き込んだこの騒動の、そもそもの発端となった二人。

 劉虞謀殺を名分に兵を繰り出し、応戦し、互いに身内を、友を奪われながら今日に至るまでに殺し合ってきた。

 果てにその確執と因縁は朝廷を含めた周辺諸勢力内にまで及び、戦線は過剰に肥大化した。

 その両名が、

 

 

 

「今更になって、結託するなんてことはな」

 

 

 

 ――公孫賛、離反。



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公孫賛(五):訣別

 時は遡る。

 上党にて漢軍と合流した公孫賛は、落ち着く間もなく徐庶の引き合わせにより張譲に招かれた。

 その権勢らしからぬ、黄河の淵に小ぢんまりと構えられた小屋。

 何かの密儀か密命か。とかく色々な嫌疑を掛けられている白蓮には、拒むだけの理由はない。

 

「……中央の佞臣らと同様、私もまた宦官に媚びるというわけか。堕ちるところまで堕ちたな」

 などという愚痴を何度も奏鳴にぶつける。眉一本とて動かさず彼女は、

「この乱世、生きるためにはそうした媚態も必要となってきましょう」

 などと平坦に返しつつ、その小屋の戸を開けた。

 

「もっとも、貴女が媚を売るのは宦官じゃなくて、その孫だけれども」

 この挑発的な物言いは、奏鳴の(もの)ではない。小屋の内より発せられた。

 その声の主と、白蓮は面識がない。だがその派手な容姿は一目して風聞の特徴と合致した。

 金色の髪。華奢な背。薄い体躯。髑髏を模した髪留め。

 何より、総身より溢れる覇者たる自身と先の『宦官の孫』という矛盾の表現。

 その少女が悠然と腰を据えれば、そのあばら家も城砦のごとくに見える。

 先導していた徐庶が無言で白蓮の脇を過ぎ、少女の傍に立った時、ようやく会談の相手、徐庶の雇い主が曹孟徳その人だと察した。

 

「……そういうことか?」

 白蓮は田豫を顧みた。彼女が企みに気がつかぬはずがない。おそらく両名示し合わせての、この引き合わせであろう。

 

 曹操の手に勧められるまま、白蓮はその対面に腰を下ろした。呆れたような、あるいは疲れ切ったような、重い吐息とともに。

 

「私を、曹純殿の仇を、討つつもりか?」

 首を差し出すが如くに垂らし、白蓮は尋ねた。

「私は闇討ちは好まない。夜這いは好きだけどね。そのつもりなら、真正面から戦場で斬っているわ。そういう貴女こそどうなの? 私は、無茶を言って戦を仕掛けてきた、一門や戦友の仇でしょうに」

「いや、すべては武門のならい……と言うよりも、家中をまとめ切れなかった私の責任なんだろうな……もう、恨みを通り越して疲れたよ」

 

 何故、かくも正直に弱音を打ち明けるのか。

 それは互いに互いの傷を知るがゆえ。その痛みを共有するがゆえ。

 

「……ねぇ、公孫伯珪」

 同じ空気を吸いながら、曹操が言った。

「これで、もう終わりにしましょう」

 

 顔を上げた白蓮に、付け加えて言った。

 

「これより我らは、奸臣どもの手より帝をお救いする。その上で、朝廷の宿痾を一掃する。貴女もこれに協力してくれたら、その成算はかなり増すのだけれども」

「断る」

 絆されかけていた表情より一転、幽州の総領の貌となった白蓮は即答した。

 

「それは、私を助けてくれた先生や友人、そして死していった者たちを裏切る行いだ」

「その義理堅さが、守ろうとした人々を苦しませるとしても?」

「……どういう、ことだ?」

 思いもかけぬ曹操の問いかけに、思惑を感じ取りつつ乗ってしまう。

「よしんば貴女がこの戦に勝ったとして、待っているのは劉虞様殺害への嫌疑。何進が喜んで御遣い込みの軍勢を取り上げるために、貴女を処断するでしょうね。そうなれば、盧植殿や劉備は貴女を援護せざるを得なくなって立場を悪くし、最悪朝廷を割る戦となってその隙に烏丸あたりに幽州の国境は荒らされる……それが貴女の望み?」

「……詭弁だ。大将軍何進殿も一角の武人。その程度の分別がないわけがない。全てはお前の妄言だ」

 

 そう吐き捨てた白蓮ではあったが、その脳裏には先の董承の、傲然とした態度ちらつき、自らの将来と妄言と思いたい曹操の予想図とが近しいものとなる。

 

「だから、その差し伸べた手を振り払い、お前とともに地獄に堕ちろ、と?」

「地獄とは穏やかじゃないわね。勝つ気でいるわよ、私」

「私にとっては地獄だ。お前が帝を奪ったとして、皇族殺害の咎で罰せられるのは目に見えている。これはその名分がための戦だろう、そもそもは」

 

 自身を貶める相手が何進か曹操かという違いではないか。そう目で訴える白蓮に、曹操は、

 

「あぁ、あれ?」

 と惚けたような調子で眉を持ち上げた。

「あんなもの、建前に決まってるでしょう。こうして会っても、どこまでも普通な貴女に劉虞様を暗殺できるとは思えないし。ただその土地と軍が欲しかったのよ」

「なぁ……!?」

 

 思わず絶句。固まる白蓮の後ろで奏鳴が口を開く。

「曹操殿。劉虞様の件につきましては、おそらく貴殿の麾下として流れ着いたある男が」

 その奸悪の名を言いさしたものの、その小さな手によって遮られた。

「おおむね、()()()も察している。今は泳がせているところよ。いずれその事実が明るみに出るならば、法に照らし正当な手続きをもって処断する」

 厳然と言い放った曹操に、白蓮は放心したかのように天井を仰いだ。

 大義名分など建前。そう言い放った舌の根も乾かぬうちに、あたかも法の番人の如く振る舞う。

 その奔放さ、悪辣さ。自分にはないものだ。

 嫌悪より先に、圧倒される。

 

「もっとも、貴女がきちんと潔白を表明してさえいれば、盧植殿らも前もって動きやすかったでしょうに……何故、そうしなかった?」

 

 鷹のごとき瞳で問いかける少女に、

「まぁ……たしかに、とんだ不祥の弟子もいたものだ」

 と白蓮は苦笑した。

 

「劉虞への殺意は、紛れもなく私のもの。そこを松永(ヤツ)に付け込まれたのも私の弱さ。そこから逃げるつもりはない」

 我ながら、随分と飾った言葉を遣っている。そう自覚した時、いよいよもって滑稽な姿だと思った。

 

「……なんてな。本当はさ、中華に何かを残したかった。例えそれが虚名であろうと、悪名であろうとも」

 そう言った時、介添えの徐庶の表情が僅かに変じた。どことなく据わった目つきになった。

 

「だからある意味お前が羨ましいよ、曹操。都を襲おうとも子弟を喪おうとも、先に見据えた答えに行き着くために、歩みを止めない」

「……それは、大きな勘違いよ」

 

 曹操は少しだけ困ったように微笑んだ。初めてこの絶対的な覇者の中に、少女らしい面を見た気がした。

 

「私は結果も経緯も大事にするの。子和の死も、散っていった将兵たちの犠牲も奸雄の汚名も無駄にはしない。そのために、必ず見据えた天下に漕ぎ着けるのよ」

 

 伯珪。十年の友を呼ぶような声調をもって、白蓮の字を呼び、立ち上がった。

 

「もし私に味方してくれるというのなら、その才も軍も、懊悩も野心も余さず用いる」

「……」

「もっとも、結果も大事よ。だから全ては帝を何進や十常侍からお救いしてのことだけれど。それまで貴女は動かなくて良い。この徐庶が消えればそれが成功の合図よ。繋ぎはこの田豫を介してする」

 

 それだけ言うと、ごく自然に曹操は徐庶を伴い小屋を出て行った。

「……言うだけ言って去ってったな……」

 調略するならばせめて甘い言葉の一つや二つ、呉れてもよかろうものを。あの娘、存外に器用ならざるのかもと苦笑する。

 そこへいくと、桃香や風鈴などは、どこまでも優しく甘やかだ。共にいて心安らぐのは疑うべくなくこの両名。邪心もなく、彼女たちは自身の醜さを糺すだけの懐がある。

 

 だが、劉虞弑逆に対して触れ、それを嘘だと見抜き断じたは曹操だ。

 等身大の己を認め、その罪さえも受け入れると。

 

 どちらに善悪や是非があるか。問い答えるだけの器量は白蓮にはない。要するに、自身の問題だった。

 温情の繭の中で安寧を供給され続けるか。それとも悪党の背を追い、己の足で、その先に待つのが荊道と知りつつ打って出るか。

 

 ……きっとこの邂逅を黙秘し続けた時点で、答えは決まっていた。

 

 〜〜〜

 

 幾度となく、鏑矢が上がる。

 だが、白蓮はその軍を動かさない。別の者からの合図を……己が見出した機を待つ。

 胸が締め付けられる。だが、後悔はない。

 

 白馬に跨る白蓮の左右には、奏鳴と星とが同じく騎乗して侍る。

「……鏑矢、上がっておりますなぁ」

 そう声をあげたのは、星だった。

「……そうだな」

「動きませぬのか?」

「……あぁ」

「…………裏切ったか」

「もはや帝は曹操の手にある。何進に与する理由はない」

 呟いた彼女と、それに応じた白蓮も、鷹揚ながらもその声質はどこか硬い。

 

「……公孫賛ッ、貴様ァ!!」

 刹那、今ここまでは耐え切っていたであろう星の感情が、その許容範囲を超えて爆発した。

 

「一体誰のせいで、こうなったと思っている!? 誰が引き起こした争乱だ!?」

 全ては劉虞の件で煮え切らなかった貴様のせいではないか。それを利用して攻め込んだ曹操のせいではないか。

 その怒りを腕力に込めて、白蓮の腕を絞り上げる。

 

「……分かっている。全ては私の不甲斐なさのせいだって」

 だが対する白蓮も、その腕を上から押さえつけて言った。

 彼女の絶対的な正義を容れて叶えてやることが出来なかったその負い目から、よく目線を外していたが、今はその正義を踏み躙っても、やるべき夢が出来た。

 

「だから、私にはこの戦いを、それを引き起こした乱世を終わらせる義務がある。曹操が才を束ねて乱世を切り拓くのなら、桃香がその仁徳をもって乱世を収束させるつもりなら、この凡器たる公孫伯珪はなんとしてでも乱世を終わらせる。そのためならば、奸悪に膝を屈することも、それによって自身が千年の汚名を被ることも、辞さない……それが私の、ようやく見出した覚悟だ!」

 

 そう啖呵を切って、白蓮は星の腕を振り払った。

 馬体ごとよろめいて退がった星は、俯きがちに低く嗤った。

 

「いったい、なんだったのだ。ここまでの戦いは、土方殿たちの死は……こんな顛末のために、このような女のために……私はこの刃を貸したというのか」

 

 自問と自虐の果て、星は顔を上げた次の瞬間、彼女の竜槍をもって白蓮の頭部を穿たんとした。

 が、その鼻先で銀穂が止まる。躊躇したからではなく、鉄糸が槍に腕にと絡みついたがゆえに。

 その糸の出処目で追っていた星は、やがて奏鳴の手袋へと行き着き、せせら笑った。

 

「そうか。焚きつけたのは貴様か、田国譲。なるほどその字は国を譲る……つまりは売国奴の意であったか」

「本当に貴女は口数が多くなられましたね、趙将軍。かつての貴女であれば、裏切られたと知りつつも、かくも口汚い面罵はしなかったでしょうに」

「私を歪んだのではない。貴様ら自身が歪んだゆえ、そう見えるのだ」

 

 そう言いつつ、相変わらず氷の表情は微動だにしない。代わりに、細やかに動く彼女の指先に合わせて、白蓮から槍が外れた。

 冷汗を額に覚えつつも、白蓮自身は剣を抜かず手で制するのみだ。

 

「頼むよ、星。何もしないでくれ。私に、何かをさせないでくれ」

「黙れ、腐れた口で私の真名など呼ぶな」

 

 白蓮の懇願など歯牙にかけず、利き腕の自由を奪われつつなお動かそうとする。

「この程度の拘束で私を御そうとは、舐められたものだ」

 と自身が嘯く通り、生粋の武人たる星の膂力は、その細さに見合わず発揮され、むしろ奏鳴が馬上より落とされかねなかった。

 

「……えぇ、私()()貴女を刺すことなどとてもとても」

 曰くありげにそう呟いた奏鳴の背に、軽やかに影が降り立つ。

 

「鈴女殿、どうしてもというのなら彼女に引導を」

 と冷ややかに命じる。雇用者とは対照的に情緒豊かな女隠密はうーむ、と悩ましげな表情のまま、『手裏剣』なる暗器を取り出した。

「まぁたしかに? オマンマにありつけたのは奏鳴のお世話あってこそでござるなぁ」

 さしもの星も、その腕前を知りがゆえに表情を改めた。

 

「――でもコレは、ハタから見てると『いーっ』って感じでござるよ」

 

 転瞬、鈴女の手裏剣は奏鳴の鉄糸を切断した。ちゅんちゅんと、雀が鳴くが如き音を立てて。

「ふん、裏切者は裏切られる。なんでも理で割り切り利に靡いた者には、正義の一撃をくれてやろう」

 体勢を崩した奏鳴に、解放された星の槍が迫る。

 が、白馬の陣中より躍り出た人影が、鈴女の第二射を剣閃で弾きつつ、返す一閃で星の槍撃を防ぐ。

 

 地を滑りながら着地した精悍な男は、胡族にも似た茶色い髪を手の甲で整えた。

 公孫賛軍中には見覚えのないその剣士の登場に、星は舌打ちした。

「……曹操側の間者か! この乱戦のどさくさで紛れ込んだか」

 これでは容易に討てぬと判断したか。星は馬首を返す。勢い余って落馬した奏鳴は、その背に問いかけた。

 

「では劉備や漢王朝には仁や情があるとでも?」

 と。

「楼桑村に、北辺の地に生まれながら、そこに住まう民の苦衷を汲まずして匈奴を招けなどと冗談でもヘラヘラと言ってのけるような、あの女に。高祖以来頭を悩ませてきたにも関わらず、その守りを左遷先としか考えぬこの国に」

 おそらく吐き捨てたその言葉は、氷の参謀が垣間見せた感情。桃香や漢を見限った、最大の理由。

 

「……貴様らよりも、はるかにマシに思える」

 もはや顧みることなくそう言い返した星は、次いで槍穂を掲げて見せて、

「精強なる北方の衛士たちよ、未だその白馬が穢れていないというならば、私に続けぃ!」

 と不穏分子を煽り立てた彼女は、抜き出た騎兵たちと鈴女を伴い、駆け下っていった。

 追撃を仕掛けようとする奏鳴を抑え、公孫賛もまた残った兵を取りまとめた。混乱を収集した後に、あらためて高らかに宣言した。

 

「もはや何進に天意なしッ、これよりは勅命に従い逆賊どもを討つ!」

 そして眦をぎゅっと絞りつつ、初めてそこで剣を抜いて、切っ先を当座の目標へ突きつけた。

 

「まずは……目先の盧植を横合いより攻める!」



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漢(八):潮目の中の去就(前)

 ――公孫賛、叛く。

 その凶報に触れた時、風鈴に驚きや弟子に裏切られた怒りはなかった。

 元来他者を憎めぬ為人というのもあるが、去来したのは

(やっぱり……)

 という諦観と、それに付随する我が身の不甲斐なさ。

 

 開戦前夜に神妙に謝った教え子を見た時から予感はあった。

 こうすることでしか、彼女が救われないということも。

 

 伝え聞くところによれば、董承は使者として赴いた際に劉虞のことで彼女を非難し、罪に服せよと恫喝したらしい。

 そして帰陣して後も、方々にその非を鳴らして回り、あまつさえ上奏の準備さえ独自に始めていたという。

 潔癖なのが彼女の美点でもあるが、同時に大いなる欠点でもある。

 よしんば勝利したとして、そこに白蓮の居場所はない。

 生き残る術は、これしかなかった。

 

 それを跳ね除けることのできなかった自分に、朝廷に、咎める権利などありはしないのだ。

 

「……ごめんねぇ」

 君子面をして、本当に大切な者を守り切れなかった悔い。悪に奔らせてしまった慚愧。

 それらに悲しげに目を伏せながらもしかし、次に顔を上げた時には凛然たる戦乙女の顔となって鋭く叱咤した。

 

「狼狽えず反転! 全軍が体勢を立て直すまで、我らは裏切り者の公孫賛軍を迎撃し、時を稼ぐ!」

 

 せめて最後まで漢朝の臣として、そして越えるべき壁として。

 教え子の覚悟を受け止めるべく、盧植軍は転身を始めたのだった。

 

 〜〜〜

 

 変異は伝播する。

 公孫賛の概ねの兵士たちが知るのは、まず事が起こった手近なところからだった。

 

「そもそも徐庶が裏切者だった時点で、接触した公孫賛めも疑うべきだったのだろうな……」

 独りごちた朱儁こと雲雀は、やがて自陣を本格的に襲うであろう大恐慌を覚悟し、祈るが如く瞑目した。

 単純な兵力や形勢に限った話ではない。

 公孫賛の援護、河北の静謐。

 この主無しの軍がなお掲げる大義の第一義の喪失を意味している。

 ほどなくして、後ろより外様の味方が崩れ立つであろう。

 

(しかし、まぁ)

 なんたる有様。

 なんたる無様。

 ここまで自分が濁流を呑み、清流と繋ぎ留めてきた朝廷は、ただ一朝一夕にて露と消えた。

 

(私を意識してのことではないだろうが、曲がりなりにも漢の上将の骨折りを、よくもまぁここまでコケにしてくれたものだ)

 

 だがそんな自嘲をよそに、不愉快な現実は時と共に迫ってくる。

 

「夏侯惇軍、一転して攻勢に打って出てきました!」

「徐庶の分隊が北畠殿を迂回、こちらの側背に回りつつあります!」

「敵はこの機を待っていたんだから、乗じてくるのは当たり前だ! 北畠ならばまだある程度は持ち堪えられる。逆さ雁の隊列にて徐庶を待ち受け、これを防ぎつつ戦線を縮小!」

 

 矢継ぎ早にもたらされる凶報、刻々と悪化していく戦局を、努めて正気を維持しつついなしていく。

 そこに、張飛が陣中に踊り込んで、

「み、水……」

 と甕に無断で手を伸ばす。

「ちょっと疲れてきたから戻ってきたのだ!」

 と明るく言う彼女を、無言で雲雀は盗み見た。

 なるほど挑発に乗ったかに見え……いや実際本気で夏侯惇は引っかかったのだろうが……驚異的ながらも体のつくりそれ自体は未成熟な少女と、武人として完成され、かつ無意識下で体力の配分を考えた動かし方を心得ている夏侯惇とでは、長期戦ともなれば差が生じるのだろう。

 まして、そこに敵の怪力無双の士が援護に出れば、なおのこと。

 

「でもすぐに戻ってあいつらをコテンパンにしてくるのだ!」

「いや、良い時に戻ってきた」

 息を整えた途端にたちまち気を吐く張飛に、雲雀は言った。

 

「君のお友達が裏切った」

「にゃっ!?」

「公孫賛が曹操に寝返ったと言っている。今は彼女の軍でも動揺が起こっているが、いずれ統制を取り戻して坂落としで風鈴の軍を切り崩すだろう。君は前線には帰らず、そのまま劉備と合流した方が良い」

 

 頓狂な声をあげて目を丸くし、燕の少女は固まった。だが、ややあってからその目の色と形に正気と勇気が戻ってきて、前線に足を切り返した。

 

「おい、人の話聞いてたのかい」

「まだ前線ではそのことを知らない兵士たちが戦ってるのだ! ほっとく訳にはいかないのだ!」

「そっちの始末は私がやっておく。無関係の君は退け」

 

 ……と言ったところで、義姉ではない奸臣の言葉など聞く耳を持つまい。

 果たして無視して死地へと引き返さんと首巻きを翻す娘を、

 

「輔弼たらんとする者、進むべき時と退くべき時を知れ、張翼徳」

 と低く叱りつけた。

 顧みて睨みつけてくる少女の圧を年季の精神力でかろうじて跳ね除けた彼女は、あらためて正論を打った。

「『ルォォ』だとか『ルァァ』だとか大喝吐いて一将が鋒を揮えば戦局が覆る時代は、もはや終わったのだよ。それはあの呂布とて例外ではない。つまるところ将とは、命を捨てるべき時とそうでない時を見極めるものだ……この不毛な戦場は、君や君の主君の本懐ではあるまい」

 

 前面から押し出してくる熱と重圧が、増してきている。

 その中心に在る片目の将を、雲雀は指差した。

 

「ルァァァ! どこだ張飛ィ! 引っ込んでないで私と戦えええぇ!」

「それとも、夏候惇(あんなの)と同類となりたいか?」

「……いや、遠慮しとくのだ」

 

 激する人はより激しく荒ぶる者を見て己を恥じる。

 張飛とてその例外ではなく、やがてその場を立ち去った。

 その間際、振り返った彼女の眼差しに映った己は、どう見えたのか。

 国の凋落を招いた、曹操に劣らぬ逆臣か。もしかしたら漢の忠臣と見直されたか。いや、そのような資格などないことは彼女自身がよく弁えている。それに、散々しでかしておいて『実はあの人は良い(ひと)でした』などと言われるのは、性に合わない。

 

 後の史家は、創作者は、己を保身に奔った滑稽な半端者として描くだろう。それでいいと思っている。そう蔑まれる覚悟のうえで、この役を買って出た。

 

「――ただ、それでもこの時ばかりは、せめて顕家殿やあの小娘を安泰とするまでは、良い軍人でいなければな」

 

 敵の攻勢がさらに強まる。線ではなく、面での攻めに転じ始めた。

 溌剌とした軍だ。柔軟性がある。率いる各将の毛色も違う。こういう軍は知勇兼備の将を押し揃えた精鋭よりも、ともすれば敵しがたい。こと、雲雀のごとき正攻の将においては。

 

 だが、その苦境に在って、いやなればこそ朱公偉は、汚点だらけの人生において初めて濁りの無い充溢を感じていた。



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漢(八):潮目の中の去就(中)

 動揺は中軍に及ぶ。何進が察し得たのは、兵たちの動揺によってであった。

 それに先んじて、その魁を司る関羽雲長は事態を察して、そして憤った。

 

「盧植殿の私塾では智勇仁いずれをも修められると思っていたが、どうやらそうではない者が混じっていたようだな! 桃香様と盧植殿の慈悲に触れ、大恩を受けながら、外道に奔るか、公孫賛!!」

 

 その憤りは己にも向けられたものである。

 己が不明を恥じよ、雲長。ただ主人の縁故というだけでかの奸悪を無条件で信じてしまった、自身を。

 

 だが、まだ雪辱の機は眼前に残されている。

 聞けば、趙雲は寡兵をもって曹操の宗族を討ち、あと一歩まで追い込みその心胆を寒からしめたという。

 あの娘ならばよもこのような卑劣な行いには参加していまいと願うのみだが、今は彼女と、同じことをすれば良い。

 幸いにして中央にあって強者はこの対峙した三者のみ。突破さえすればあとは物の数ではない。

 

 この身を一矢と変えて敵中を穿ち、孟徳が金柑頭、血潮に染めん。

 そう念じて絡み合わせて刃をぐいと押し込む。

 この仮面男、完全に打ち倒すことは出来ずとも、一気に押し込みその脇をすり抜ける分には問題ないだろう。

 あとは敵兵を盾に目くらましにとやり過ごし、追撃を振り切れば良い。

 

「お見事」

 

 仮面男は言った。曇りのない称賛である。

 

「某も味方の策の全容は知る由もないが、それでも此方の勝ちに大きく傾いたことは互いに察せられるべきところだろう」

「……だから、どうしたというのか。尻尾を巻いて逃げろとでも」

 

 何の罠か、誘いか。

 迫合いを中断した男は、身を退いて構えを解いた。

 

「逆境に転じたと知りつつ、なおも勝利を目指して揺るがぬその剛直」

 ゆえに、と。

 草を摺るようにして足裏と地面を噛み合わせた彼は、呟くように宣った。

 

「その勇武に敬意を表し、()()()お相手致す」

 

 なに、と声を枯らした、その間際。

 男が消えた。転瞬、愛紗の面貌を風が叩いた。

 

 その風圧の帷を切り裂き、切っ先が彼女の頸を襲う。

 間を詰められた? 自分が? かくも易く?

 

「くっ!?」

 

 持って生まれた武才が、愛紗を活かした。

 反射的に肉体に全速での退避を命じ、かろうじてその刺突を避けた。

 だが、身体ごとの突き、当然そこには大きな隙な生じ――ない。攻めが途切れない。

 

 狙いを絞った雁のごとく、翻った剣筋が愛紗の身目がけて叩き込まれる。

 何たる重さ。何たる激しさ。

 

 防ぐ……否、防ぐ、しか、ない。

 本来の己では思い及ばないほどに、関雲長は押されまくる。

 

 隠者にして槍の名手、紫虚上人はかく語りけり。

 長柄と対する時、剣士には敵に三倍する技量が要求される、と。

 なればこの男の武辺、如何ばかりというのか……?

 ここまで来ると、男女の別、という以上に生物として根底として人とは異なるモノ、とさえ思えた。

 

 二歩、三歩と、二合、四合と重ねるごとに、その身は向かうべき曹操から遠ざかっていく。

 いや、もはや自身の進退さえ危うい。

 

 攻めるも不可侵。

 避けるも不可避。

 防ぐも不可抗。

 逆撃も不可逆。

 あるいは当初の目論見通りの紛れることなど、不可能。

 

 不可

 不可

 不可

 不可

 不可

 不可(あたわず)の二字が、早鐘となって剣戟の音とともに脳を揺らす。

 

 だが、しかし。

(諦めてたまるか!)

 何も持たざる少女でありながら、この乱れた天下をただ徳治をもって円満に収束させるという能わざる大望のために劉玄徳は起った。その王業を輔けよという天の思し召しが、いと貴きかの大仁と邂逅せしめたのではないか。そのおのれが、出来ぬと心折れて何とするのか。

 

 全身全霊を、その半生を使い尽くし、愛紗はかの剣鬼に応える。

 ただ考えて動くのでは遅きに失する。直感でもなお至らぬ。

 ゆえに理をもって二手三手先の剣筋を予測し、直感をもってそれに全力を傾注する。

 読みを外せばこの身は容易く両断されるだろう。

 

「はぁァ!」

 されど、その投機的な蛮勇をもって、初めて愛紗は、自らの三倍する敵と拮抗の兆しを見せた。

 

 撃ち合いの中、両者の位置が振り出しへと戻る。仕切り直しとなる。だが、息が上がっているのは愛紗のみである。

 

(この男、あるいは曹操以上に危険な男かもしれない)

 いや、単純な武のみ限定すれば、間違いなくそうだ。

 この鬼を、敬愛する主の下へと行かせてはならない。この身に代えてもその剣を止める。そしてこの男に比べれば以外の衛兵など物の数ではない。必ずや突破して、曹操の、首を……!

 

 そう決死の想いで踏み出した彼女の前途に、その背後から矢が降り注いだ。

 列を成して地に突き立ち、再び死合わんとした彼女らを止める。

 

 顧みれば片眼鏡の部下が弓隊を押し出して現れている。

 その少女をきつく睨む愛紗は、その袖を掴み上げた。

 

「子明ッ、何故止めた! あと一歩で、曹操を!」

「無理です!」

 常であれば過剰なほど怯えて口を噤む呂蒙が、この時ばかりは食い下がった。

「無理です、関羽さま……! 少なくとも、貴女を犠牲にしてまでのそれは、玄徳さまの勝利ではありません!」

 

 彼女へそっぽを向くようにして再び前線を顧みれば、矢避けに護衛の少女らが迫り出して、男を守りかつ反攻を窺っている。

 これにて突破の目はなくなった。いや、抜けると思ったことがそもそも幻想だったのだろう。そう思うことにした。

 

「す、すみません……偉そうなことを」

「……いや、良い。むしろ、よく目を覚まさせてくれた」

 

 ややぎこちなくその肩に手を置いた愛紗は、偃月刀を敵に傾けたままゆっくりと後退していく。

 仮面の鬼は追撃を仕掛ける様子はないものの、ほか二人と押されまくった兵たちはそうは行くまい。

 

「ここは、私が殿となります……不安でしょうけど、どうか食い止めている間に、玄徳さまに合流を」

「不安なものか。先の読みといい今の諫言代わりの斉射といい、見事なものだった……すまぬが任せた」

 

 もはやその将器の発露、疑う余地もない。いや、そもそも自分が頑なに認めなかっただけで、初めより持ち合わせていたのだろう。

 ともすれば彼女は、自分よりも上の大将となれるほどの器量である、と。

 

(なんだか、見ていると背筋が薄ら寒くなるのは変わらないが)

 それでも、それがゆえにこの場は頼もしく思える。

 

「死ぬな、とお前自身が言ったのだ。お前も、命を捨てるような真似だけは、してくれるなよ」

 肩を一度強く叩いた愛紗は、祈りじみた調子で言を残してその場を後にしたのだった。

 

 〜〜〜

 

 四方八方見返しても、つい一瞬先の勝勢を想えば信じられぬ光景が広がっていた。

 大将軍何進はついに自らは軍馬に跨ることなく立ち尽くし、総身の肉を震わせ、薄い唇を噛み締める。

 

「まさか……まさか、こんなことが……!」

 これは夢だ、夢を見ているのだと傾は信じたかった。

 だが前後に迫るのは不出来な夢想のような、現実の出来事である。

 

 未だ完全には状況を把握し切れず狼狽える近臣らを鬼気を帯びた形相で睨み回した。

 

「騒ぐなぁ! 騒ぐな騒ぐな騒ぐな騒ぐなっ! 何も起こってはいない! 誰も裏切ってなどいない! これは夢ぞ、かかる悪夢に惑わされてはならぬ!!」

 

 ここまで人臣位を極めてきたこの何遂高が、ただ一夜にして全てを喪う、何故敗亡する。自分は何もしていない。これほどの仕打ちを受ける謂れなど何もないはずだ。故に……

 

「これは夢だ、夢を見ているのだ」

 そう繰言を捲し立て、目の焦点が定まらぬ何進の方こそ、この場にいる誰よりも混乱している。

 そんな彼女は配下の目に映り込んで揺らぐ己の虚像に、かつて見た豚の姿を幻視した。

 屠り殺されるだけに生きている存在。明日には食肉になっていることさえ知らず、愛憎も善悪もなく無垢に見上げる黒い眼。

 

 そうはなりたくないと思った。

 だから、だから自分は妹が宮に上がるその機を、逃がすことなく……!

 

「ここまでね」

 ――妙に耳に親しんだ音調が、傍らより鼓膜に達した。

 振り返る間もなく強烈な殴打を側頭部に見舞われた傾は、

「はうっ」

 と情けない声とともに、カクーンと膝を突いて、意識を手放した。

 

 ~~~

 

 瑞姫(れいちぇん)は適当に拾い上げて姉を殴りつけた棒切れを投げ捨てた。

 不慣れなことゆえ力の加減などまるでわかりはしなかったが、所詮はそんな女の細腕である。よもや死んではいないだろう。

 だが、あのまま立ったまま退くも進むも命じないまま立ち尽くされては、やがて敵に駆逐されるのは素人目にも判り切ったことだった。

 

 大将軍昏倒す、となっても自身の身さえ守れず唖然としている近臣たちを見れば、どうすべきかは明らかだった。

 自分とて、今あるこの富も権勢も、手放したくはない。

 

(けれども幸いにして)

 敵将曹操は大層な『女色家』らしいと聞く。再びこの色香をもって中枢に取り込み、栄華を得ることも適うかもしれない。元は帝の情人という立場も箔となろう。

 

 そのためにも、今はこの場を切り抜けることこそが大事。

 ――他の何者も、知ったことではない。

 

「何をしているの?」

 女官や宦官らを見回しながら、瑞姫は手を打ち鳴らした」

 

「……撤収っ! 取るものも取りあえず……いえ、宝物もこの姉も、拾えるだけ拾って、さっさと逃げるわよ!」



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漢(八):潮目の中の去就(後)

 中軍が割れた。

 総大将何進が我先に逃げ出したとも、あるいは昏倒して運ばれていったとも伝え聞く。

 いずれにせよこの一転した戦局はもはやかの大将軍の器量で覆せるものではないのだろう。せめて今少し踏ん張っていてくれれば、やりようはあった。少なくとも、離反者の後続は防げたものを、と楼杏は臍を噛む。

 

 もはや一体誰が指揮を執り、何を目的として結成された軍なのかさえ分からない。

 そのような集団を、利なしと見て次に裏切るのは、張楊か、公孫閥の御遣いか、あるいは朱儁か。

 

 風鈴が裏切ることなどあるまいが、それがゆえに彼女の安否が危ぶまれる。

 そして、陳留王劉協の所在も。

 

「……董承、あるかッ!」

 強権を用いて自陣にまで退がらせていた董承をそう呼ばわると、慌てて件の女が駆け寄ってきた。

 

「玄徳さんも聞いて……この戦、どうやら負けが決まったようね」

「何を仰せか! 我ら栄えある漢の忠臣! 各々が粉骨砕身に命を尽くせば、覆せぬ劣勢などありましょうや!?」

「そうですっ、まだ分かりません。これも、白蓮ちゃんの策戦のうちなのかも」

 

 まぁこれは予測の範疇の反応である。

 もはや勝算など立てられぬという軍師たちの沈黙も。

 

「志の高さは認めるけど、貴女たちが潰えたらそれこそその意志の敗北よ。今は、後事の策として漢王朝の生存の種を方々に蒔く。玄徳さん、貴女は友人たちと合流しなさい。そのための道は、私が拓く」

「そんな……でも! 将軍や先生たちがまだいるのに!」

「心配しないで、むざと討たれるつもりもないわ。適当なところで切り抜ける気よ。貴女にもしものことがあれば、それこそお師さんに顔向けできないじゃない」

 口調は優しく、眼鏡の奥にそれ以上の抗弁を認めぬ強さを帯びて、楼杏は退去を命じた。

 

「わ、私は……? また、敵を防ぎますか!?」

 不安げに董承が問う。前線に再投入するつもりなら、呼び戻しはすまい。

 と言うよりも、勢いが勝っていた時ならばともかく、正直に言えば指示や行動が空回りするだけかえって皇甫嵩軍本隊の阻害となるのだ。

 

「貴女は本陣に戻り、殿下の身柄を確保して頂戴」

「は……」

「良いわね? これは今後の漢王朝の趨勢を決める重要な任務よ……曹操の手に、二つも玉があるということだけは、避けなければならない」

 

 何進の言い分ではないが。

 劉虞亡き今、かの聡明な劉氏こそが漢王朝の再興の希望である。なんとしても落ち延びさせる。それが今自分たちが履行すべき、唯一にして最大の義務である。

 

「……はいッ分かりました!」

 ややあった沈黙と、それに比してあまりに軽い応諾が、わずかに引っかかったものの、あえて確かめることはしなかった。その余裕もなかった。

 神速夏侯淵の軍は、もはやその矢が楼杏の足下に届くまでに肉薄してきている。

 

 彼女らを送り出した楼杏は、あらためて前線に首を向ける。

「……さすがに、状況が状況だもの。最後まで粘るぐらいの意地は見せてくれるんでしょうね? ……雲雀」

 かつての旧友の真名を、小さく口にしながら。

 

 〜〜〜

 

「……まったくもって、あぁはなりたくないもんさね」

 車駕に乗せられて眼下を逃亡していく何進らの一団を見送りながら、冷ややかに張楊は言った。

 だがこれによって、漢軍を称する叛徒どもの運命は決定した。

 問題はそれを受けての自分らの去就である。

 

「これはもう曹操殿に降るほかありませんな。さっそく奴らを捕らえて手土産としましょうや」

「待て待て待て、早まるな」

 配下の潘鳳(はんほう)が後ろ向きに意気込むのを、彼女は制した。

 

 曹操側につく以外に選択肢はない。問題は、その寝返り方である。

 最善は、公孫賛がそうしたであろうように、事前に内応の約定を取り付けるべきだったのだろう。だがそれも、つい今し方まで義経が張り付いていたのだから迂闊に出来なかった。

 この戦場において勝ち馬に乗じたとして、曹操の心証はよろしくないのではないか。それよりかはこのまま上党城に籠り、涼州の馬騰韓遂やあるいは遼東の公孫一族、匈奴の影をちらつかせながら有利な条件を引き出すか。

 

(いやいや、そんなもん怒りを買ってすり潰されるのがオチか? でもここまで手段を選ばず勝ちを急いだってことは、長く南方を空けるわけにはいかないってことだろうし……ウーム)

 

 鼻を利かせての逡巡に、苛立ちを見せたのは件の楊醜である。

 この少壮の男は、彼女の沈黙を優柔と見てとった。

 

「よろしいッ、では我が討ってくるゆえ、そこで見ているが宜しかろう!」

 と息巻く。

 この賊上がりが純然たる功名心ではなく、姉妹の宝物目当てであろうことは想像に難くない。

 

 だが張楊は、翻ったその背の奥に、重く冷たい気配を、死の気配を嗅ぎ取った。

 

「……ッ、戻れ! 楊醜!」

 と声を張ったがすでに遅し。

 あわれ賊将は、箒星のごとき閃光に穿たれた。

 

「やはり次に裏切るのは、貴様か……張楊」

「げぇっ、趙雲!」

 

 ありえぬはずだった。

 眼下より見る限り、軍を割った趙雲は駆け下る直後に、『司馬』旗の遊軍に捕捉された。

 騎将二勇に挟み込まれ、その兵はなす術なく圧殺された。

 

 てっきりその中で彼女も犠牲になったものと見ていたが……切り抜けたというのか。

 率いた兵を救わずして置き去りにしてむざむざ殺させ、自身も馬を無くしながら。自他の軍の血にまみれながら。

 

「これ以上身内から恥は出さぬ……裏切る者はことごとく(ころ)し尽くす」

 槍で貫いた骸を足で抜き取った彼女は、俯いたままに血槍を張楊へと傾けた。

 彼女とは、面識がないでもない。かつて武者修行の彼女の一団に宿を貸したこともある。

 その時には、おのれの美学に確かな自負を持つ、もっと軽やかな空気をまとった純一の闘士であったはずだが。

 ……おそらくは、この戦場が、ここに至るまでの戦局が、彼女の尊厳を陵辱し、破壊した。

 今ここにいるのは、もはやあの頃の清廉な義士ではない。まるで……

 

「まるで、夜叉の如くよな、蝶面冠者」

 退がろうとした半歩後ろに、ふと気配が湧いた。

 振り返るまでもなく、背後に現れた怪人は張楊の双肩を掴み、押し留めた。

 

「なんだこのオッサン!?」

「オッサンではない! 大悪党松永久秀、曹操殿の意向を伝えに罷り越した次第。えー、曰く『戦いに参加せず中立を貫いたその判断力、敬意に値する。さしたる恩賞は与えられぬが、河内太守として引き続きこの地を任せるわぁ』とのことよ」

 

 曹操には会ったことはないが、確実に似てないであろう声真似とともに、張楊の肩を抱きながら共に前に進み出た蜘蛛の装束の男は、含み笑いとともに、趙雲と対峙した。

 

「松永ぁ……!」

「おぉ怖い怖い。よほど、ひどい目に遭ったのであろうのう。可哀想になぁ」

「黙れ、すべては貴様が、貴様から、狂ったのだ!」

「如何にも! ……と、言いたいところだが、そうではあるまい」

 

 声の調子を落とした男の影に、隠密らしき女が寄り添う。

 張楊と目が合うと、真顔のまま唇の前に指を立てた。

 

「お主の周囲が、おかしくなったわけではない。他ならぬ貴様の正義(狂気)に、皆がついていけなくなっただけよ」

 と、本心から憐れむが如き声調で、久秀なる怪人は続けた。

「善であろうと悪であろうと、己の価値観を突き詰める者は、押し並べて物狂いよ。そして孤独となる。(かぶ)くとはそういうことよ。そしてその道に小娘、お主は耐えられなかった」

「……」

「仕掛けて置いてなんだが……つまらぬ顛末だわぃ。今のお主を見れば、興醒めも良いところだ」

「もう、良い。分かった」

 

 亡霊の如く虚ろな顔で上体を揺らした趙雲は、その袂から蝶の意匠の面を取り出した。それを地面に叩きつけるや、踵で踏み砕いた。

 

「もはや、戯れ合いは終いだ。私はただ今の私として、私のしてきたこと、してこなかったこと。それによって生まれた全ての汚穢を、消し潰す……!」

 

 趙雲は、並の者では居合わせただけで卒倒してしまいそうな、殺意の塊と化した。久秀は道化者じみた調子で、肩を竦めた。

 

「ふん、我輩よりももっと相応しい相手がほれ、背後に迫っておるぞ」

 この言葉は、こけ脅しではない。事実、黒々とした噴煙が巻き上がっている。それを突き破った騎兵が、丘陵を駆け上りて趙雲の背に迫っていた。

 間合いに入るや、槍の一閃がその騎馬勢の先鋒の首を刎ね飛ばす。

 が、止まらない。趙雲にさえ劣らぬ殺気を漲らせた異装の騎兵らは、尋常ならざる喚声をあげ、死をも恐れぬ狂気の形相で趙雲の身柄へと殺到する。

 

「虎豹騎……! 曹子和の残滓風情が!」

 

 無論一個の技量は子竜の槍術とは較ぶべくもないが、数と感情とでその騎馬隊は趙雲を押す。

 

 直後、松永の細作らしい少女が放った紙の球が、着地と共に粉塵を作る。

 その帷の中、冷笑を浮かべた久秀は、

「己の所業によって生まれた汚穢とやらを消し潰すのだろう? ならば、存分にそうするが良いわ」

 という捨て台詞をとともに、張楊とその兵を伴いその場を後にする。

 

 ――取り残されたのは、奇声を上げて殺し合う、獣たちであった。




別に星が嫌いでもないはずなのに、なんでこうなったのか僕でも分かりません。


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漢(九):命を賭けて(前)

「松永らには残る虎豹騎を遣わしました。討てずとも、抑え付けることは出来るでしょう」

「彼らの全滅と引き換えにね」

 

 オシュトルが関羽を押し返したことを確認して牽制から戻ってきた臧覇が、司馬懿の独語を拾って口を挟んだ。

 

「華琳からは、死兵を用いるなって言われただろうに」

「真名を呼び捨てとは、不遜ですわよ蛇苺(じゃばい)殿」

「良いんだよ。ここまで来たら同じ穴の狢だろうに。で、青狼ちゃんの言い分は?」

「死兵に、活あり。残念ながら、勝ちに転じた我が方にあえて命を冒して趙雲に挑まんとする兵は、虎豹騎以外におりません」

 

 ――死なせてやった方が、救いだろうよ。

 青狼はそう胸中で毒づいた。

 曹純を喪った彼らに残されたのは、生きる理由は、趙雲への報復以外にあり得ない。これより後は、抜け殻となって物の役にも立つまい。それよりかは、趙雲一人に憎悪を傾注させるが良い。

 

 まったくもって不条理、不合理。

 さりとてそれもまた一つの理なれば、咀嚼せぬまま呑み下そう。

 人には、人の理。

 

「猫には、猫の理」

 は? と訝しむ藏覇こと蛇苺の前で、青狼は手を挙げた。

 転瞬、四方より両者の手前の叢へと向けて火が吹いた。

 鉄砲隊の斉射を受けて、転がり出た空色の影がある。

 

「己が殺したはずの娘が生きている。それに興味を持ち、ついちょっかいをかけたくなるのもまた獣の摂理……えぇ、貴女の習性は『理解』しましたとも、御遣い殿。ゆめ、同じ奇襲が通じるとは思わぬことです」

 

 過日、己の首をへし折らんとした田豫の間者……浅井曰く『くのいち』は、地に伏した。

 まるで半身から上は別種の生き物のごとく、自身の脇腹と股に受けた銃の創をじっと見つめていた。

 それでも、十数発横列に射放った弾丸をわずかに二発受けるのみに留めたのは、驚異的な身体能力と言って良い。

 

「……芸のない始末だこと」

「なくて結構。思考指向嗜好、千変万化でもってそれらことごとく『下らぬ』と理でねじ伏せるのが仲達の戦にございますれば」

「お前さんも、たいがいにヒン曲がってると思うがね」

 

 なんとでも言え。胸中でそう毒づいた少年は、李典より借り受けた銃兵たちに娘を囲ませながら、その前に立った。

 

「趙雲は堕ちた。あれに暴れるは、もはや諧謔も信念もない怪物。とうてい貴女とは相容れぬモノと成り果てた。どうでしょう? ここでわたくしに仕えてみては?」

「やでござる。ぜったいつまらない」

 

 即答であった。そして褐色の胸中に忍ばせた道具を取り出すや、地面へと打ちつける。

 ちゅどッ、という破裂音とともに白煙が吹き出すや、辺りを包む。それが晴れた時には、やはりというかなんというか、あのいかにも軽やかな姿はない。

 

「逃げたか……どうする? 血の跡あるけど」

「放っておきましょう。残し方が白々しい……きっと辿れば罠がありますわ」

 

 どさくさに首を刈られなかったことを、今は安堵すべきなのだろう。

 今更青狼を討ったところで無意味な殺しだ。さすがにそれを弁えるだけの理性は、あの娘にもあったということか。

 

「ところでその首……噂じゃあの娘に殺られかけた時、ぐるりと半周回ったらしいが、どれ、ちょいともう一回見せてごらんよ」

「お断りします」

 

 ~~~

 

 もはや、本営は司令塔としての役割を果たしていない。

 戦を知らぬ宦官近臣は右往左往して、劉協こと白湯(ぱいたん)の行動を制限し、もはや行き当たり、あついは突き飛ばしたのが誰かさえ把握していない有様だった。

 

 ――本来であれば。

 この身は姉より禅譲を受けて玉座に上がり、月とともに聴政を執り行い、その口で天下万民に号令していたはずであった。

 

 ところが、現状はどうだ。

 近くの者にさえこの声は届かず、いや恐怖のあまりあげられず、この身は地に朽ちんとしている。

 

 地獄とは、これか。

 これこそが、罰か。

 世を正すためとは言え、密かに長幼の序を違えんと策したことへの。

 

「殿下ッ、陳留王殿下はどちらにおわす!?」

 そこに、救いの手が現れた。

 家臣らをかき分け、声を枯らし、董承の姿が見えた。

 

「董承っ! わたしは、ここに!」

 闇の通路に光明を見出したが心地で、白湯はちいさな手を振った。

 それを認め、必死に呼ばわっていた董承もぱっと顔を華やがせて駆け寄ってきた。

 

「ひとまずはご無事で何よりでございまするっ!」

 裏返るぎりぎりまで張ったような語調とともに膝下に屈した自身の近臣、友の元部下に、白湯は軽く顎を引いた。

 

「無念でございます! 逆賊公孫賛ともに与し、我らが不甲斐なきゆえに勢い抑えきれず……嗚呼! 私があの時公孫賛めの劉虞様を殺害してなお飽き足らぬ欲深さに気づいていながら! やはりあの時この正義の剣でもって奴めを成敗していさえいれば、かくもかくも苦境に立たされることなどゆめあり得るべくもなくっ!」

「そ、それは良いから……」

 

 何が起こった、誰を憎むかなどすでにどうでも良い話である。

 

「それよりも、これより後、如何に取り計らうべきや」

「はっ、それについては、皇甫嵩将軍よりしかと言付かってこちらへ罷り越した次第!」

 

 皇甫嵩義真。その字のごとく、真義に厚き良識の武人。

 その秘策めいたものを帯びて参上したという董承の前に、白湯はじっと耳を傾けた。

 

「ときに、伝国の玉璽は?」

 と、彼女が問われ、盗難を恐れ肌身離さず携えてきたその朝廷の至宝。帝が帝たりえるその証を取り出した。

 ……董承は、あろうことかそれを掴み取った。

「よろしい。では、こちらは臣がお預かりいたします。御身の傍にあっては、危ういものゆえ」

 こちらが声をあげる間もなくそう言った董承は、さらに畳みかけるように言った。

 

「今、天子の玉体は畏れ多くも逆賊曹操が攫い、もはやこの戦場においては逃げ場などなし。しかして殿下や玉璽までもが敵の手に落ちたともあれば、もはや王朝に救いはない」

 

 よって、と言葉を付け足し、目じりには涙を浮かべ、膝を寄せてくる。

 その異様な雰囲気に気圧されて、白湯は後ろへと足を運ばんとした。

 

「なればこそ!」

 その手を、強い力で董承は握りしめた。悲鳴とともに白湯は逃げ出そうとするも、異様な状況と日ごろ運動などする機もないその身は、まがりなりにも将軍職にある女の力からは抗いようもない。

 溜まりかねた涙は静かに頬を伝い、肉の薄い唇を震わせて、湿っぽい声を懸命に張り上げて、彼女は言った。

 

「皇甫嵩将軍よりの御言葉です……どうか、社稷の安寧がため、どうか、どうか御身が賊どもに奪われるより先に、ご自害あそばしますよう! それを見届けた後、私も玉璽とともに黄河へと身を投じまする! さぁ、どうかこの剣を用いて、その死をもって曹操どもの非道を糾弾し、四百年に渡る劉氏の矜持を天下万民にお示しくださいませ!!」

 ――その腰の、白刃を鞘走らせて。




楼杏「えっ」


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漢(九):命を懸けて(中)

 唐突な死。

 その実感が唐突に、白湯の小さな背にのしかかる。

 目の前の董承は彼女が自裁するものと信じて疑わない様子であった。

 

 もはや、悲鳴をあげることさえままならない。反発どころか、一瞬でも気を抜けば即座に卒倒しかねないほどに、彼女はまたたく間に追い詰められていた。

 

 その無言を、従容としておのが運命を受け入れたとみなしたらしい。

「見事なお覚悟……ッ! 不肖この董承、介錯とともに御首級は何者の目にも触れぬところに埋葬させていただきます!」

 と、屹立とともに涙ぐむ。泣きたいのはこちらの方である。

 いやっ、というか細い否定の声が漏れる。留める者は何者もいない。本来その横暴を諫めるべき侍女たちもまた、何進らとともにどこぞへと消え失せた。

 

 白い輝きが、彼女の眼前を閃いた。

 

 

 

「――董承に、過ぎたる物が二つあり。伝国の玉璽に、殿下の身柄」

 

 

 

 だが、それは董承自身のものではなかった。

 謳うがごとくに節をつけてそう告げた朱儁が、気づけば董承の後ろで剣先を突きつけている。

 

「失せろ、下郎。お前如きに漢室の最期を飾られてたまるか」

「しゅ、朱儁……将軍、何故ここに」

「中央がいきなり崩れたからに決まってるだろう……子幹も敵の手に落ちた。以後、私と義真とで敗兵を取りまとめる。お前の出る幕じゃない」

「だ……黙らっしゃい!」

 

 先の勇声から一転、声音を震えて上ずらせ、白湯の生命を縮めるはずだった切っ先を朱儁の眼前へと翻す。

 

「そもそもッ、殿下を貴公がごとき奸臣にお預けしたらそれこそ何に悪用されるものか知れたものではない! この……宦官に媚を売る変節者が!」

「……変節、ね」

 

 曰くありげに唇を歪めた朱儁は、ぶんぶんと剣を振って脅す董承の身越しに、白湯を覗きこんで来た。

 

「殿下、あなたは董卓、趙忠と計らい何姉妹を追い落とさんとした。そうですな?」

「な、なにを」

 狼狽えたのは、むしろ董承の方である。計画が露見したのは、白湯たちにも関わらずである。

 

「――では、何故にその計画が事前に露見したか……そして、何故このような小者がその類を受けずここで貴方を自殺させるような立場に置かれたか」

「そそ、それ以上言うなぁー!」

 まさか、と小さく漏らした白湯。すでに問いに対する答えとその真偽は、董承の態度から明らかであった。

 

「その女なんですよ、董卓を裏切り、何進に事の次第を密告したのは」

 

 それでもなお、信じられない、という目つきで白湯は董承を見遣った。

「い、いやその……それもまた、ひいては朝廷がため。かような暴挙に、殿下が加わるなどということは、あってはならぬのです」

 その秘事を露呈させられた董承は眼を泳がせながら、なお苦しい言い訳をする。

 いや、それはおそらく彼女なりの本心であり、こころよりの誠心忠義なのだろう。

 だからこそ――とうてい救いがたい。

 

「暴挙というのなら、今まさに貴様がしようとしていることじゃあないか」

「だ、黙れ! こうなれば、せめて貴様のごとき悪魔は……我が命を懸けて、一気に大事にサクッと誅してくれるッ」

 

 玉璽を手の内に握りしめて、支離滅裂で薄っぺらな決め台詞らしきものを気炎とともに吐く。

 だが、当然ながら武人としての経験の多寡がまるで違う。造作もなく朱儁は直剣を一閃させ、動揺する董承の得物を弾き飛ばし、返す刀を董承の喉元に突きつけた。

 

「もう一度言う――それを置いて消え失せろ。その玉璽も、この方も、お前の自己陶酔の道具じゃあない」

 喉奥から引き吊ったような奇声をあげた董承は、取り乱したままワッと玉璽を朱儁の方へと投げつけ、その隙に身を翻して遁走していった。

 

 玉璽を掴み取った朱儁は、冷ややかにそれを見下した後、

「御身も、こちらも、どうか預ける人間は慎重にお選びくださいませ」

 と諫めた。

 

「それとも、すべてを投げ出して本当に死ぬおつもりだったのですか?」

 肩をすぼめて委縮する白湯の耳にも、すでに敵の喚声がこちらに届いている。

「でも……しかし」

 せめて貴人としての矜持で体裁を取り繕った白湯は、毅然と言い返した。

「すでに敵は我らを包囲しているのではないか。董承の申したとおり、すでに退路などないも……のだ」

「では曹操に降るがよろしかろう」

 あっさりと、突き放すように朱儁は言った。

 

「さすれば、命だけは助かりましょう。その後の生涯は陛下の予備の傀儡でしかありませんが、平穏な人生を送ることが出来ましょう。大好きな御本を存分にお読みできることですし。むしろ、迂闊な勢力にその身が渡れば、それが却って天下を乱す火種となることは必至」

 ことさらに煽るような辛辣な物言いに、白湯は固く拳を握る。

 

(――それでも)

 その胸に渦巻くは朱儁の無礼に対する私憤ではない。彼女の言うに任せるほかない我が身の不甲斐なさ。そのうえでどうしても譲れぬ信念。友との約定。それが彼女を支える全てだ。

 

「それでも、わたしは自身の手で取り戻したかった。自分なりの治政(やりかた)で、あるべき(くに)のかたちに、戻したかった」

 

 絞り出すように白湯がそう言うと、朱儁は

「そうですか」

 と短く言った。

 肯定か、否定か、無関心か。

 左右非対称に歪んだ表情には、名状しがたい複雑な感情が込められているかのようでもあった。

 

「されば、今少し臣も非才を振り絞りましょうてか」

 吐き捨てるように言った朱儁は、傍らに一将を招き寄せた。

 仮面の武将。その奥には天の御遣い、その貴公子の相貌が秘められていることを、白湯は知っている。

 その男、北畠顕家に彼女は首を向けた。

 

「……過日に語った雑話の中に、北の僻地に皇子を強行軍で往来させたなどというのがあったな……あれが嘘八百でないことを祈る。それと同じことをやって欲しい」

「嘘ではない。が、状況は違う。それでも、やるしかないのだろう」

 嫌味もなく、即答した顕家に、朱儁は一瞬苦笑めいた表情を浮かべた。しかしすぐに身を切り返し、白湯を前へと進ませる。

「殿下、あとの案内は顕家卿が務めます。そして私と義真とで露払いを」

「それでその後、将軍はどうするの」

「さぁてね。何なら今度は曹操に媚でも売りますか」

 

 冗談めかしく言ったが、そのつもりならそもそもこんな危険な賭けには出ず、自分達を手土産に出頭すれば良い話だ。

 深く瞑目した白湯は、

「ごめんなさい」

 と小さく言った。

 

「別に、殿下に謝ってもらうことなど」

 と言いさす朱儁の言葉を遮るように、首を振る。

「わたし、将軍を誤解していたもん」

 今となっては何もかもが遅いが、月たちも自分も、身内だけで事に出る前にもっと他者の言葉に耳を傾けるべきだった。周到に、広く内外に理解者や聖賢を求めるべきだった。それこそが、天下の牛耳を執らんと欲する人間の、あるべき姿ではなかったか。

 

「ご冗談を。私は、世評通りの悪臣ですよ」

 朱儁はそう言って煙に撒いた。が、若干照れの入った調子で、顕家へと首を向けた。

 

「それで、どこを切り拓くつもりかね」

 と尋ねれば、顕家は仮面の奥でもなお、澄んだ声音で説いた。

「退路は断たれ、今更南下して河を渡ろうにも、追いつかれる。ならば、敵が殿下を擁してよも行くまい、という所を突破すれば良い」

 その指の示す先、さしもの白湯も朱儁も、顔を引き攣らせた。

 だが、彼女たちの衝撃より、敵の衝撃はその何倍でもあろう。

 

 顕家の示す先には、敵正面、曹操軍の本隊が差し迫っていた。



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漢(九):命を懸けて(後)(★)

「兵を、三波に分ける」

 と、顕家は言った。

「第一波は敵を止め、第二波で穴を穿ち、第三波で殿下の輿とともに突破する。朱儁殿、後詰めをお頼み申し上げる」

「……分かった。危険な賭けになるんだがね」

「せざるを得ない、賭けでもある」

 

 朱儁の苦言にそう切り返した後、顕家はあらためて白湯の方へと向き直った。

 

「これから、殿下のため、大勢の兵が死にます。敵であれ、味方であれ、あなたの国の臣民が。私は所詮、異国の者です。この国の政に口を出す気はないが、せめて彼らの死に、慣れないで欲しいとは、思います」

 

 白湯はこくりと、だが重みを伴った首肯を返した。

 その首を、出立の間際に朱儁へと向けた。

 

「あのっ!」

 言いさして、彼女は口をつぐんだ。

 激励の言葉など白々しい。叱咤などする資格もない。まして「どうか生きてほしい」などとは虫が良すぎる。

 それでもせめて、別離の辞に代わり、貴人は祈るがごとくに告げた。

 

「御武運を……朱儁将軍」

「……、殿下も」

 

 そう返して、朱儁は彼女に対しては初めて、曇りのない微笑を称えた。

 

 ~~~

 

 先に、朱儁が出た。次いで、皇甫嵩が競うがごとくに。

 再び伸び出た両翼を防ぐべく、夏候の姉妹がそれらとぶつかった。

 

 固まっていた敵の包囲に、綻びが生じた。顕家は手勢と本隊の騎兵、選りすぐりの二千を選んで中央へと当てた。

 まさか反撃もあるまい、とたかをくくっていた中軍の先手が断ち割られた。

 そこにすかさず歩兵(かち)を一千ばかり繰り出し、敵が数に任せて広がらんとするのを牽制しつつ、巌に水を染みこませるがごとくに侵入させ、攪乱させた。

 

 そうしてこじ開けた穴に、白湯の輿と顕家とその旗本は劉旗は伏せ、風林火山の四字に従い突き入った。

 顕家の予言通りに、兵が死んでいく。命が絶える瞬間瞬間を、間近に感じる。

 名も知らぬ者たちが、未だ幼く顔さえろくに知らず、天下に声を発したことのない小娘のために。

 顕家自身もその傍らに在って、太刀を払って敵を散らしている。

 

 白湯は目頭を熱くさせた。

 しかし泣くわけにはいかなかった。顔を上げ続けなければいけなかった。そんな資格などないことを、彼女自身がよく弁えている。

 今はただ、無念を、彼らの死を噛みしめて、時代の流れに身を任せ、名将たちの奮戦を頼みとして、前へと進むよりほかない。

 

 さて、件の凌統(薄荷)は、その歩兵隊の中核にその身を置いている。

 義勇兵ながらもその武は、敗亡の時を迎えた官軍の中にあって、もっとも強く、鋭い。

 当然ながら、曹操軍中央の三将は彼女を狙う。

 修練中の武人としては大いに望むところの立ち合いである。が、三人のいずれと斬り結んでも太刀打ちできないことは自身でよく弁えている。

 

(死んでたまるか)

 大義においては皇統を守る希少な戦力であるという自覚があるゆえに。

 私怨においては未だ父の仇を討てぬがゆえ。

 

 よって挑まず回避に徹する。

 そのうえで彼等以外の将兵を突き殺し、それに気取られている合間に即時離脱。

 まったく、なんという不本意な戦か。

 これでは、まるであの女の……

 

「――ちっ」

 

 薄荷は舌打ちした。そのうえで兵の中に身を紛れさせ、奇襲と離脱に徹し、かき乱し、引きずり回す。

 

 自らに向かってくる敵の勢いは、華琳の側からも見てとれた。

 その幕下の脳裏をよぎったのは、鄴城における趙雲の強襲である。

 

「……大方、進退極まった敵がやぶれかぶれに特攻を仕掛けてきたものでしょう。しょせんは死兵。大勢が決した今、無理に相手をすることはありません。一旦本隊を後退させ、敵の疲れを待って後、全軍で包囲を」

 

 という桂花の進言は正しい。あの敵の勢いには、当たるべきではない。

 が、あの朱儁が本陣もろともに特攻? ここまで手堅い戦運びをしてきたにも関わらず、自棄を起こして。

 実際、その先陣の戦ぶりは精妙そのもの。決して狂を発し己を見失った者の動きではあるまい。

 

 されば、何が彼らをそうさせる?

 朱儁を蛮勇に奔らせ、あの素晴らしき先手にかくも危険な綱渡りをさせるものとは……

 ひそめた柳眉の下、鷹眼はその少数精鋭の内に輿をたしかに視た。

 

「……っ、全軍! あの敵先鋒を追いなさい!」

 とっさに気づいた華琳ではあったが、その本隊を横撃した部隊がある。

 

「行かせんよ!」

 朱儁の軍勢である。

 夏候惇軍の攻勢を強引に振り切った雲雀は、曹操軍本隊へ逆撃を仕掛け、自分たちへと衆目を寄せつけた。

 この時、らしからぬ戦ぶりをする自身に、彼女は漢の臣として、このうえなく充溢された気分であった。

 

 ~~~

 

 ――そして、魔法は解けた。

 護衛の対象を失って立ち返れば、自軍は四方を敵に囲まれている。

 残されたのは、無謀な突出によりあたら多くの部下を喪い、全滅の間際にまで味方を追い込んだ愚将のみである。

 

 だがそれでも、顕家は確かに包囲を抜けてくれた。

 おそらくは曹操は、劉協がその中にいたことに気づいただろう。その追撃は熾烈を極めるだろうが、それでもあの男ならば、完全な離脱を成して正しき後ろ盾のもとへと彼女を運んでくれると信じたい。

 

 それに急ごしらえのこの政変劇、未だその基盤の安定ならざると気に、皇族の命を奪うような横暴はすまいと踏んでもいる。

 

(だから、今は畳もうか)

 この漢という(たな)を、いずれ再びその戸口を開く、その時まで。

 清濁を呑んで無駄に肥大化した、己の命を重石として。

 

「……無念でございます。我らの敗けはすでに決しました」

 諸々の事情を知ってか知らずか。おいおいと泣く王子服を情けなさ半分、巻き込んでしまったことへの申し訳なさ半分に、そして曹操のいるであろう本隊の方角へ顔を上げた。

 そして、彼女に、何よりも自身に、言って聞かせるがごとくに、宣う。

 

「――いや、我らの、勝ちだ」

 

 

 

 その後、敗残掃討を含めた、何進連合軍の動向は以下の通りである。

 

 何進姉妹――指揮を放棄して遁走。その後消息不明。

 盧植および皇甫嵩――捕縛。

 公孫賛と参軍の田豫――あらためて曹操へ恭順。劉備軍追撃にかかる。

 義経および義仲主従――私闘のすえ、互いに引きずられるかたちで離脱。

 趙雲――乱戦の中、司馬懿軍により捕縛。

 鈴女――司馬懿の暗殺を目論むも失敗。趙雲と袂を別った後、逃走。

 劉備軍――その軍勢を四散させながら、戦場よりの離脱に成功。

 董承――劉協殺害に失敗。弑逆未遂の大罪により手配される。

 張楊――松永らの手引きにより帰順。引き続き河内の太守を続投。

 劉協――北畠顕家、凌統らの健闘によりその手勢を三分の一以下に減らされながら、何処かへ亡命。

 そして、

 

 

 

【朱儁/雲雀/恋姫(オリジナル)……戦死】



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曹操(十六):泰山鳴動して

 洛陽へ連れ出された降将の裁きがおおむね終わった。

 星が縄目の恥を受けながら典韋に引きずられていくところに、劉備の追討に対しそこそこの成果をあげて切り上げてきた公孫賛が、行き当たった。

 

「……あぁ、命だけは助かったんだな」

「……貴様が、自身の功と引き換えに、助命を乞うたと聞いた」

「子孝のおかげだ。彼女がたとえ妹の仇であっても、戦場以外のところで血を流すのを良しとしない武人だからこそ、我々は許された」

「許された?」

 

 星は皮肉な笑みを持ち上げた。

 

「私は何も悪しきことはしていない。戦場で敵を倒すのは当然のことだ」

「わかってる。言葉のアヤだよ」

「そして許す許さぬで言えば、私の方こそ貴様らを決して許しはしない。これで帳消しになったなどとは思うなよ」

「思わないよ」

 

 すっかり光も色も落ち切った眼で睨む星に、きっぱりとした物言いとともに白蓮は返して通り過ぎた。

 彼女は曹操に降るを良しとせず、あくまで漢の臣として社稷の立て直しに尽力をするという。

 

 だが、決して彼女たちの道が再び交わることはない。

 曹操と漢、自分と星はいずれ再び袂を別つ。その時こそ、本当に敵として、白蓮に彼女は竜槍を突きたてるのだろう。

 それをも享受して、公孫伯珪は前へと進む。

 

 その途上に、風鈴が立っている。

 後光とともに、何事も起こらなかったかのように、やわらかい笑みを称えて。

 

「……先生」

「一応、復職することになったわ~。これから一緒に頑張りましょうね、白蓮ちゃん」

「でも、しかし、よろしいのですかっ? 私、は……っ」

 

 曹操につくという決断に、後悔はない。

 それでも師にとっては許されるべきではない背信であり、自分たちは友の仇であるはずだ。

 たとえ処刑されなかったとしても、曹操の申し出を蹴り、隠遁することも、桃香と合流することも出来たはずだ。

 

 ――なのに、あえて自分を選ぶと?

 

「……そうねぇ。たしかに、色々あったけど」

 色々、という響きにふしぎと剣呑さは感じられなかった。

「でもここで、漢も貴女も放っておいたら、それこそ彼女に怒られてしまうわ。あの人……雲雀ちゃんには、ずっと皺寄せをさせて来たのだから」

 

 これよりは鬼となると決めた白蓮の頬を、暖かな頬が包む。そして、胸肉の海へと包まれる。

 

「だから、これぐらいの埋め合わせはさせて頂戴。決して貴女を、独りになんてさせないんだから」

 

 その一言が、堰を崩す切欠だった。

 一気に感情を崩壊させた白蓮は、そのまま師匠でもあり母の、その胸襟の中で吼えるがごとくに哭いた。

 

 ~~~

 

 次いで、皇甫嵩が引き立てられた。

 さすがに歴戦の将軍相手ゆえということか。戒めは解かれ、敷物の上に坐らせられる。

 

 しかし階の上には、曹孟徳が立って見下ろしている。

 

「泰山鳴動して、鼠一匹……といったところかしら」

 これは時と場を隔てた西域の諺からの引用ではなく、彼女自身の所感である。

 

「天下の趨勢を決める大規模な戦であったにも関わらず、主だった者で死んだのは張譲と朱儁の二奸臣のみ。とまれ、将軍のような有為の人材が喪われなかったことは、嬉しく思います」

 

 一応の敬意をもってそう伝えてくる曹操を、楼杏は冷ややかな目で見上げ返した。

 

「……貴女にとっては、漢の上将も鼠に過ぎないと。大した思い上がりね」

 いや、彼女のみに限ったことではない。

 そう面罵する己でさえ、朱公偉は城に巣食う野鼠と考えていた。社稷を蝕む狐とも。

 

 ところがどうだ。

 雲雀は、その身を賭して劉協殿下を救った。

 漢の負債も、誇りも、すべて荊の冠として被り、死んだ。死なせて、しまった。

 実直に、高潔たらんと振る舞っていたはずの自分はその場で、何もできなかったのだ。

 

 その怒りも手伝って、畳んだ膝の上で拳を固める。

 きっと勝利者を睨み上げる。

 

「出仕はお断りするわ。愚弄するのも大概にして頂戴。どうせ貴女にとっては、私も、近親も、従者たちも。自分の構想に当てはまらなければ路上をうろつく野鼠でしかないのでしょう?」

 

 そこまで余裕を持っていた曹操から、笑みが消えた。眉根が寄った。そして小柄な軍師がさっと色を成した。

 

「今の雑言っ、いかに将軍と言えども……!」

 などと怒髪頭巾を衝かんばかりに波打たせた少女を、その主が制した。

 

「無理強いはするつもりはありません。蟄居閉門、その気になれば参内を……それでよろしいかしら」

「結構よ」

 

 どのみち、曹操の政権に自分の居場所などまずあるまい。

 立場が逆転した年長者で元上司であれば、確実に扱いを持て余すに決まっている。

 

 ――たとえ、故人がそれを望んでいなかったとしても。

 

 なるほど雲雀は、皇統が絶えぬよう命を使い果たした。それは立派なことだったのだろう。

(でも、褒める気になんかならないわよ)

 部下僚友を巻き込んで玉砕するなど、武人としては落第も良いところだ。

 そもそも、何故自分に一言の相談もなかったのか。いや、己とその手勢だけで死ぬにしても、さんざんに宦官と結託して私欲を満たしながら、今更潔く散ろうなどとは虫が良すぎる。何故最期まで卑劣に汚く生き永らえなかった? 生きて、責任を取らなかった。

 

 馬鹿。卑怯者。臆病者。格好つけ。偽善者。

 あらんかぎりの罵声を死者に投げつけながら、声もなく楼杏は泣いた。

 

 ~~~

 

「朱儁と張譲の首は、往来に晒して旧弊打倒の見せしめとする」

 当座の方針を決める議場にて、華琳はおのが府の謀臣たちにそう告げた。

 

「……おま、お待ちください!」

 半身を浮かせて立ち上がったのは、一人二人の話ではない。

 だが一先ずに目についた徐庶へ、華琳は目を向けた。

 

「いくらなんでも、それは……あまりに」

「生きている人間に責任を求められない以上、死者を利用するほかないでしょう」

 異議は認めない、という強固な意志とともに、主席の桂花が言った。

「現状、都人は分かりやすいかたちで正義の所在を求めている。もちろん首魁たる何進らの捜索を続けてはいるけれど、このまま雲隠れされたままろくに証も立てられないんじゃ、治まりが悪いでしょう?」

「しかし、張譲ひとりで良いはず!」

「禁裏の腐敗。軍部の腐敗。その両面から糾弾しなければ意味がないのよ。そのうえで、両者に我々から新た風を送り込む。それとも元直には、何か他に代案があるの? 策は? いったいそれ以外に、誰に責任を取らせて処刑すると?」

 口吻鋭く反問されれば、その道理の正しさ、選択の余地の無さゆえに腰を下ろすしかない。

 

 青狼はその合理性を認めるがゆえ、田豫は左に同じくして、かつ新参ゆえに異論を挟むことはしなかった。

 ただ、そろって発案者たる荀彧を横目で何か言いたげに見つめている。

 

「……ただ、これで義真将軍の足は朝廷からますます遠のくでしょうね」

 それが狙いか、と。

 絶対的な主人を非難された桂花の憎しみの根は深く、それがゆえにかくも冷酷な策を建てたかと。

 

「それで? 続けるけど、対案は?」

「……ないよ。どうせ、貴女たちの間ですでに決定事項なんでしょう? 外様がとやかく言っても、容易に覆るとは思ってなかった」

 なおねちっこく追及する桂花に、剣里はそう皮肉を返した。

 

「ただ言わせてもらえるなら……朱儁将軍は、真面目な人でした。分かりやすい、悪党などではなく」

 

 そしてそれ以上は重い空気の中で進展のしようもなく、二、三の新法案を練ったあたりでお開きとなった。

 

 その間際、桂花を華琳は呼び止めた。

 きわめて私的な理由である。

 彼女が黙って床を指さすと、頬を赤らめて桂花は四つん這いとなった。

 他の参謀たちには見せられない、させられない恰好の少女の背に、腰掛けたままに沓を脱いで素足を置く。

 

「……さすがに、疲れたわ」

 それに、頭も痛い。

 諸人の手前、『泰山鳴動して』云々などと豪語したが、実際の感想としては、

 

 ――画竜点睛を欠く

 

 と言った方が正しい。

 何進が矜持も名誉も捨てて真っ先に逃げ出したことは、実のところ予想外に早かったし、朱儁の矜持を見くびっていた。

 

 彼女が、謹直な武将であったことは、剣里や皇甫嵩に非難されるまでもなく良く知っている。だからこそ、彼女は自らの身命を差し出して、漢の命脈をつないだのだ。

 あるいは清濁の事情をよく知る彼女こそ、今の自分たちに必要な人材だったのではないか。

 

 だがそれを弱音や後悔として、表出させることはあってはならない。

 

 誰よりも正しくあらねばならない。

 誰よりも強くあらねばならない。

 誰よりも明哲であらねばならず、冷徹でなければならない。

 

 旧弊とやらに正しき一面があるとしても、それを粉砕しなければならない。

 それが奸雄と異名を享けし、己の姿だ。

 

 ――それでも、想わないでもない。

 凡庸で月並みであっても、人であることを繋ぎ止めてくれる誰かが傍にいてくれたのなら、また違った展望もあったのではないか、と。

 

 無意識下に足の裏でぐにぐにと桂花の背肉を揉むと、「おふッ」と若干気持ち悪い声が漏れて、繊細な空気は台割と無しになった。

 

 

「失礼しまーす、華琳さまに、面会人が……ってあ」

 ふいに季衣が入室してきて、桂花を見て気まずそうに顔を曇らせた。

「何事?」

 それに恥じる様子もなく、むしろ不機嫌そうに首を向けた桂花に、

「あぁー……なんか、よくわかんないけど、お邪魔だった?」

 と不安げな目を向ける。

 

「まぁ、色々とね……で、誰が来たのかしら?」

 苦笑とともに桂花を解放した華琳だったが、次第に季衣の背越しに大きくなって轟く笑い声に、そう問うた愚を悟った。

 

「あっはっは、あーはははは!」

 底抜けにけたたましい高笑いを耳にすれば、そのやかましさに気を取られて頭痛が少し和らいだ。

 

 そして護衛の李衣の断りなく、扉がその少女の両腕によって開け放たれた。

 青と白を基調とした貴人然とした旅装。一族の特徴たる黄金色の髪はしかして宗族に珍しくまっすぐな短髪で。背には大弓が覗き、どことなく少女と言うよりかは王子様然とした、颯爽たる振る舞いである。

 

「遅いわよ、千里の駒」

 と、苦笑とともに、だが快く華琳はその少女――曹休(そうきゅう)を出迎えた。

 

「あっはっはは! すみません! けどいくら優駿と言っても、呉から荊州から益州の横断してから里帰りは、さすがに時間がかかりますって! ……もっと帰りが早ければ、柳琳どのも死なせずに済んだかもしれませんけど」

 

 一見豪放なその笑いが、その実不安と隣り合わせであることを、華琳はよく知っている。果てしない長旅でも、その性質は矯正されなかったらしい。

 

「別に、貴女が気に病むことでもないでしょう。もう一割も残ってはいないけど、虎豹騎は貴女に率いてもらう。それで? そっちはそっちで、役割を果たしてくれたのでしょうね?」

 

 あっはっは。また笑う。その上で、肩より掛けた荷袋の内より、書類竹簡の束を机上へと置いた。

 

「これが、遍歴のうえで得た各国の情勢です。もっとも、当時より推移している土地もあるかもしれませんが」

「そこについては後々精査していくとして……とりあえず、貴女から見て、まずどこを警戒すべきかしら?」

 

 曹休は笑みを止めた。

 そのうえで、膨大な調査報告のうち、ひときわ分厚い紙束を抜き出して、言った。

「益州」

 と。

 

 

 

「巴蜀はもはや、地獄の様相です。急ぎ対応せねば、あの悪鬼どもにより中原まで手遅れとなります。一番にそれをお伝えしたく、馳せ参じた次第」

 

 

【劉備軍……滅亡】

【漢王朝ならびに公孫賛軍……曹操軍に吸収】



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獣たちの辺獄 ~益州昏迷~
志々雄(ニ):流浪鬼


 現状の益州において、大別して四つの勢力が乱立している。

 

 一つは、もとより在州の益州劉氏。

 益州牧である彼は法正の献策に従い、本拠を替えながら転戦。

 寡兵ながらに圧倒的な兵装と質を伴う敵軍を少しずつ消耗させていく。

 

 第二に、彼らと対する韓遂軍別働隊もといロイエンタール軍。

 南下当初はその効率的な兵力運用と火力によって優勢に事を進め、一時は州都たる成都を占拠せしめたものの、上記のごときゲリラ戦に、意図的に戦線を縮小させる。

 

 第三に、志々雄一派。

 孟獲らを駆逐した後、南中より北上し、中立、緩衝地帯を越えて劉氏の領に堂々と踏み込む。

 

 第四に、()()()()

 非常時における治安の悪化によって跋扈する群盗。

 

 ――あるいは、二十年前の知られざる大戦の残滓が招くのか。

 この地に堕ちて後、いずれにも属さず、ただ激情のままに暴威を振るう、禍つ星。

 

 ~~~

 

「しゃあッ!」

 唸らせる声、刀身を渦巻く焔は毒蛇にも似て、対する男の皮膚や金髪を焦がす。

 だが臆することなくそれを突っ切った男は、表情も変えずに異形の槍を傾けて志々雄へと吶喊した。

 その懐に潜り込ませた志々雄は、手甲に秘めたる火薬を、無限刃と自身の発熱によって破裂させた。

 

 ――弐の秘剣、紅蓮(ぐれん)(かいな)

 

 だが徐盛を破ったその文字通りの隠し玉さえも、痛痒さえ感じないように男は腕一本で防いだ。

 返礼とばかりにみずからの喉首をへし折らんとする剛腕は、さしもの修羅でさえ危機を抱かせ、回避させるに十分な威力を伴っている。

 

「ハァッ、良いな……!」

 方治はなお傲然と哂う主人を、胃を痛めながら見守っていた。

 対しているのは、劉焉軍の将ではない。もし伏せていたのであれば、それは南下する韓遂軍の撃滅に用いるべきだ。

 突如として襲ってきたその男には、さしたる目的は感じなかった。が、この行軍までに会って来た何者よりも脅威である。

 

 おそらくは、流れ着いたままに山野で暮らしていたか。情勢を掴めぬままに食いつないできたであろう、天の御遣いのひとり。

 元はどこかの貴公子であったのが何の理由で零落したものか。鼻筋は通っているが、伸び放題の髪。

 右眼は潰れ眼帯をして、その逆の目は昏く落ちくぼんでいる。

 何より目を惹くのが、その異形の槍。

 無骨な柄の先には、怪物の骨とも干からびた胎児ともつかぬ、なんとも不気味な刃が、中央の宝玉を基点に紅く明滅をくり返している。

 

 興の乗るままに、いの一に気配を察知した志々雄がいまなお応戦しているが、一向に決着のつく気配がない。

 ――たとえ何者が相手であろうとこの至強の主が剣によって敗北することなど、あるべくもない。

 が、それでも戦いを長引かせてはならぬ理由が、志々雄自身の肉体の内に在る。

 

 それは、異常な体温の上昇。

 謀略によって我が身を焼かれかけた志々雄の皮膚は、その温度調整の機能を喪い、発火能力を得た代わりにどこまでも高熱を発し、最終的には我が身さえも灰塵と焼く。

 元の明治(せかい)での敗因――否、失策は、それである。

 

 ――そして、その弱点を、率いて来た面従腹背の将たちに知られるわけにはいかないのだ。

(ここはあえて不興を被ろうとも諌止すべし!)

 はらはらと案じる由美にそれとなく目くばせをした後、それに次いで程立へと指図を陰に飛ばす。

 

 が、それと交錯するかのごとく、志々雄の指示が飛ぶ。

「マロロ」

 と名を呼ばれ、事の始終を見守っていた獣耳の公家がにょっと奇声をあげてさらに身を細らせた。

()()

 命は以上である。姿形に反しなまじ明敏であるがゆえに、マロロは己に求められていることを察した。

 

「し、しかし……っ!」

「なァに、ほんの試しさ」

 声こそ明るげであったものの、

 ――やらねば殺す……

 という恫喝を多分に含んでいる。

 

 ええいままよとばかりに、意を決したマロロは気抜けするような呪詛を唱え始めた。

 いかなる術理によるものか。鬼火が虚空に生じ、くるくると規則正しく志々雄の周囲を巡ったかと思えば、無限刃に吸い上げられてその魔性を強めていく。

 

 火柱、いやそう呼ぶことさえ生ぬるい。志々雄真実が肩に担ぐは、紅蓮の山である。

 伊邪那岐(イザナギ)伊邪那美(イザナミ)も照覧あれ。

 五山の送り火もかくやという絢爛たる激情の神火。

 

 (つい)の秘剣、火産霊神(カグツチ)――その改。

 

「――また、妙な魔法を用いる」

 その圧倒的な火力ゆえか。ようやくにして敵手も呆れたような声音をあげた。

 だがその構えに揺らぎはない。むしろ静かなる殺意はますますに研ぎ澄まされ、その意気に応じて槍、あるいは総身からは奇妙な刻印が浮かび上がり、妖光の輝度が高まっていく。

 

「い、いかんッ」

 方治はついに焦燥の声をあげた。両者ともにこのようなところで放っていい大技ではあるまいことは、素人目にも明らかだ。

 これより本格的な天下取り。このようなところで志々雄の御身も、その兵も損耗させて良いわけがない。

 

 もはや一刻の猶予もなし。即断とともに方治は自身の選定したライフルを天上へと撃ち放った。

 その雷音により、両猛者の馬鹿げた火力は収束の兆しを見せる。

 が、敵将の取り巻く状況は一変していた。

 ひそかに背後に回した張郃、徐盛、陸遜、程立の兵が、彼を取り巻いている。

 本来であれば志々雄に意識が集中している隙に、十面埋伏の計よろしく一気呵成に数頼みに押し包むはずであったが、時を惜しむがゆえに牽制として妥協するほかなかった。

 

「方治」

 すかさず由美が両者の間に割って入り、情人を介抱する。が、志々雄自身は底冷えするような声を発した。

「お怒りはごもっとも、なれどこのようなところで二の轍を踏むわけにはいかぬのです!」

 と、怖じつつも勇を揮って彼は直言で返した。

 

 対する貴公子はどうか。

 つまらなさげに、未練もなく構えを解いた。

 

「何故我らを襲った?」

 方治が問う。

「べつに貴様らがどうこうというのではない。食料を奪うついでに、訊きたいことがあっただけだ」

 その答えは予測の範疇である。

「訊きたいこと?」

「ある女の所在だ。奴も此処に来ているはずだ。来ていなければおかしいはずだ。来ていないのであれば……俺はこの煉獄より這い上がり、奴の首をねじ切ってくれる」

 

 静かに狂気と殺意を一帯にまき散らしながら、男は答えた。

 当然その由来は方治には汲むべくもないが、それでも理解者のごとく振る舞い、首肯する。

 

「そちらの事情は了解した。しかし、このままあてもなく彷徨い、あるいは益州の保守自衛に固執する劉焉に与したとして、その女とやらの手掛かりは掴めまい。しかし我らは違う! これより我らは国盗りに出る! 彼女がひとかどの猛者たりうるならば、いずれかち合うこととなろう! それまでは呉越同舟、互いの目的のため、盟約を結びたいが、どうか!」

「……」

 熱弁をもって説く方治に、青年の反応は薄い。

 あまつさえ背を向けようとさえする彼に、

 

「べつにアンタの目的なんざ知ったことじゃねぇが、強くならねぇことには何を吼えたとて無駄だ」

 由美の世話を享けつつ、志々雄が言葉をかぶせてきた。

「お互いに食い合いながら、強くなればその女の首とやらも盗れるだろうさ」

 およそ道も理もなし。だが修羅同士通じるところがあるのか。

「……良いだろう」

 と、彼は止めた踵を返して言った。

「せいぜいお前たちを利用し尽くしてやる」

「応、がんばれよ」

 他人事のように、志々雄はその提案を受け入れた。

 やれやれ、と富士額に浮かぶ汗をぬぐいながら、安堵と徒労の息をこぼした。

 

「あれー、もう終わりですか。つまんないの。あんなもん、戯れ合いのうちでしょうに」

「いっそそのまま死ねば良かったのにな」

 

 張郃と徐盛が、好き放題にささめき合うのを、方治は無視を決め込んで口元をへの字に歪めた。

 こと、紅蓮腕を受けて左眼が焼き潰れたままの降将徐盛の怨嗟は、膝を屈しつつも根の深いものだろう。

 

 将の位格は十分。個人の武勇ではなく将器を主眼に置いた、この広大な中華を喰らうための新生十本刀は形成されつつある。さりとて、彼ら彼女らに全幅の信頼を置くことには、不安が残る。

 先に新たなる盟友に語ったように、唯強ければ信念も目的も、自分への忠誠心もどうでも良い、というのが志々雄の金科玉条である。徐盛の放言を黙認しているのも、それがためである。

 このポリシーに異論を挟むようなら、そもそも今も近侍などしていない。だがそれでも、やはり意のままに動かせる手足は、欲しいところだ。

 

(他の十本刀はどうした? 来ていないのか? せめて鎌足(かまたり)は!? ヌゥゥゥ、まさか志々雄様の死に殉ずる者はいなかったのか、誰ひとり!?)

 

 薄情な連中だと軽く呪いたい気分だが。それも先述の主義がためである。

 

「ほらほら~、のんびりしてもいられませんよ~。ここで道草を食べちゃってると、集合場所に間に合わなくなっちゃいますぅ」

 背後からのっそりと忍び寄ってきた陸遜が、甘やかな吐息とともに方治を促す。

「い、言われずともわかっているッ、というか、食ってなどいない!」

 と

 

 志々雄一派筆頭参謀、佐渡島方治。

 百識であるがゆえに、微に入り細を穿ち遺漏なく庶務を司る義務があるゆえに、その懊悩は雑多であった。



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劉焉(二):特権

 ――外史。

 およそこの世が正道ならざる在り方をしていると告げられたのは、二十年前。

 男が女に。死すべき者が生き、不仲であった者が近しく。未だ生まれ出でぬはずの者が台頭し、清純であった者が淫蕩に。暴君であった者が清廉に。

 だがその劉焉に目に見えて異質と分かるのは、西方にそびえる峨眉(がび)山。

 

 知られざる力の衝突が、その山を基点として起こった。

 一般的には賈龍の叛逆、五斗米道の蜂起としてのみ伝えられるが、その裏で起こっていた天の御遣いや神仙たちによる激戦の傷跡はすさまじく、頂より先が折れて崩落している。

 

「――そろそろ、来る頃だとは思っていた」

 

 瞑想と称して独り岩場に佇んでいた劉焉は、ふと背後に浮き出た気配へ横顔を向けた。

 そこには年齢定かならぬ佳人が、ちょうど良い塩梅の高さの岩へと腰掛けている。

「久しいな、管路」

「それは過去の名、友より借りた仮称。今の個体名は許劭という」

 目はこちらにも呉れず、『月旦評』なる手帖に注いだまま、耳目は劉焉に傾けて澱みなく答える。

 

 益州の文化人に許靖がいる。さてはその係累か、と問わんとしたが、無為を悟って止めた。今横目で眺めるそれは、()()()()()()だった。この中華における出自など詮索すること自体が意味のない存在。ただ名と役割のみを割り振られた、機構。

 

「この益州の変化は、興味深い」

 と、娘のかたちをしたそれは呟いた。

「現状、入蜀を果たしている特異点は厳顔のみ。その修正力を、天の御遣いの影響力が上回って余りある。それがために、今この巴蜀は歴史の軌道を完全に見失い、予想がつかない状況にある」

 

 なにを他人事のように。かつても、今も、彼らをこの世界に招き入れたは貴様ら『管理者』ではないか。

 ――想いこそすれ、劉焉は何も言わない。

 渦巻く嵐に田畑を荒らすなと訴えられようか。山火事に、草木を焼くなと非難できるか。

 

 目の前にいるそれは、ただあるべくしてあるのみだ。

 

「……負い目は、ある」

 だが劉焉の冷ややかな目つきに含まれた険を汲んでか、許劭は心外そうに、あるいは気まずそうに、声を細らせた。

「二十年前の左慈の複製品(デッドコピー)の発生と暴走は、我々としても望むところではなかった。巴蜀を戦場にしてしまった。そこから異変を流出させるわけにはいかず、この一州と貴方に労苦を負わせてしまった。ゆえにこそ、礼と詫びを兼ねて……貴方には、一度限りの特例を許している」

「その件でちょうど俺からも許可を求めたかった」

 劉焉は他人に目を向けないという度し難い人相見もどきに、淡々と意向を示した。

 

「例の特権、今こそ使わせてもらうぞ」

 

 そう宣い完全に振り返った次の瞬間、何か言いたげに口を開けた許劭の姿が見えた。と同時に、寒波が彼の視界を刹那的に奪う。つぎに明けた後には、そこにいたはずの影は複数の、張任、法正、アシェラッドのものへと置き換わっていた。

 

「お屋形様? なにか、変事でも?」

「この国の神様にでも祈ったんですかね」

 生真面目に案じた張任に対し、アシェラッドが茶々を入れて冷ややかに睨み返される。

 

「まぁ、似たようなものだ」

 劉焉はにべもなくそう返し、

「して、お前たちこそ何か急報か?」

 と問い返す。

 

「――それについちゃオレが」

 法正こと宵が進み出て言った。

「志々雄一派を称する例の南の軍勢、国境を越え我らの領内に侵入。南部を守る高定(こうてい)雍闓(ようがい)朱褒(しゅほう)らがこれに同調。彼らを素通りさせました」

「おのれ、変節漢どもが!」

 と忠心人一倍たくましい隼などはそう憤るのを、劉焉は静かに諭した。

「地方官僚の常だ。中央から離れれば、その支配力はどうしても弱くなる。玉砕せよとも言えぬしな」

 そも、他ならぬ劉焉自身が漢より離れて半独立を果たした身。どうして彼らの去就を非難できようか。

 

「……だが、予想していたとはいえずいぶんと寝返りが早い」

「敵は陸家の御曹司をはじめ、有能な智者を抱えていると聞き及んでおります。多分、そいつらをもって調略に当たらせたのでしょう。もっとも、そこから先に進むには巴蜀は遠い。猶予は十分にあります」

 わずかにそこが引っかかった劉焉だったが、それに法正が即応した。

 

「にしても、どうします? まさか南北で共闘路線、ってふうでも無さそうですが、このままじゃすり潰されますぜ」

 顎髭を撫でさすりながら惚けたように、他人事そのものといった調子でアシェラッドは言う。

 

「まぁ取りあえずは南からの侵攻軍はまだ距離があります。差し当たっては、姫様の別動隊を向かわせ防がせつつ、我らは北部の御遣いを片づけると」

「大丈夫かよ、あのボンクラで」

「アシェラッド、貴様! よりにもよってお屋形様の前でご息女の罵詈などッ!」

「いや、悲しいかな否定が出来ん」

「お屋形様!?」

「だが、ロラン殿と孟達(もうたつ)冷苞(れいほう)も東州兵を率いさせて副将につけている。容易に敗けはすまい。必要に迫られれば劉璝(りゅうかい)を呼ぶ」

 と言ったが、若干の不安を晴らすための、自身への励ましでもあった。

 ですが、と沓を切り返して宵はさらなる進言を加える。

「これまでは持久戦でしたが、方針を真逆に転換して急戦が必要となります。それも、寡兵でなお我らを劣勢に立たせる名将と精兵たち相手にです」

「分かっている」

「両軍とも確たる補給手段も後ろ盾もない侵攻軍。成都籠城してやり過ごすのも一つの手ですが」

「もってのほかだ。これ以上益州を無用の混乱に招くような真似はな」

 どこか挑発的に尋ねる軍師を、劉焉こと灰峰はにべもなく突っぱねて、そのうえで諸将ひとりひとりの顔を見据えて言った。

 

「哨戒にあたるセルベリア殿と桔梗を呼び戻せ、一気に決着をつける」



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ロイエンタール(ニ・終):ブリュンヒルトの雷鎚

 ロイエンタールの目に、劉焉軍が映った。

 いつもの小出しにされるゲリラ部隊ではなく、まとまった数である。

 もっとも、それ自体は問題とは見なかった。

 その所以は、互いの距離と、その間を隔てるものである。

 

 そこは所謂蜀桟道。断崖と、その奈落の下の激流が彼らを絶対的に隔てる。平時にさえ、架橋や交通運搬などは困難を極めることだろう。

 遠距離戦を行うにしても、レーザー銃でさえ射程外で牽制にさえなりはしない。互いの現状の装備は出尽くし、知り尽くしている。

 

「どう思う、ベルゲングリューン?」

 ロイエンタールはこの有能で常識的な士官に問うた。

「は。見たところ、敵の本隊のようですが……まさかこの距離からの攻撃手段などは持ち合わせてはおりますまい。あれば、自国でゲリラ戦を行うより先に用いているはずではないかと。敵の狙いはそうして我らの疑心を煽り、身動きを取れなくしているうちに、別動隊で進路の口を塞ぐ、というものが考えられますが……」

 妖眼の名将は己が求められた趣旨を正確に汲んで応える副官に、鷹揚に頷いた。

 

 まったくベルゲングリューンの申し状は正しく大きく過つということがない。

 だが敵の、その考察の余地のあまりない軍事行動が、妙に気にかかることも確かだった。

 ここまで過剰とも言えるほどに消極的だった敵軍が、何故本隊を眼前に晒すという挙に出たのか。このまま明確な戦果を欠けば、こちらが立ち枯れることを見越しての戦略ではなかったか。それが今になって急戦を求めるがごとき転換を見せたのは、ある意味では不自然だ。

 あるいは、南方より迫り来るという謎の軍勢に圧迫され、急戦を余儀なくされたことへの焦りか。

 だが劉焉軍の、いつにない大胆さは理詰めでは片づけられない何かを、歴戦の武人は嗅ぎ取っていた。

 ベルゲングリューンの語尾の歯切れの悪さも、その辺りから由来するものだろう。

 

「いずれにせよ、この場は死地、危地というべき隘路だ。行軍を速め、さっさと抜けるとしよう」

 と、副官を促したロイエンタールの、青き横目が横向かいの変異を捉えた。

 

 銀髪の女軍人が、劉焉軍より進み出て屹立した。

 黒い軍服とは似つかわしくない、銀光りする盾と、身の丈を上回って余りある、彫刻じみて時代がかった大槍を両の手に、

 まさか騎士的名乗りをするわけでもあるまい、と眉をひそめた矢先、にわかに天に突きつけられたその穂先が、回転を始めた。

 

 光の粒子がその槍と、そして彼女自身を取り巻いていく。ふわりと舞い上がる長い髪が淡く青く色づき、陽炎のような揺らめきが全身から立ち上る。

 これではまるで、かの雷神の(トール)ハンマーの発射シークエンスのような――

 

 はっとしてロイエンタールが退避を命じた時には、すでに遅かった。

 さながら、神々の指先が地表を掬い上げるがごとく。

 少し低めの位置へと撃ち出された光の暴流が、ロイエンタールたちのいる桟道の岩盤を抉りながら弾道を持ち上げていく。崩落し、滑落せしめる。まず着弾点と近い位置にいたロイエンタールが、拠って立つべき足場を喪い、乗馬したままに転がり落ちた。

 上官の名を呼びつつ反射的に手を差し伸ばしたベルゲングリューンも。

 

 その転落のなか、ロイエンタールは起こった事象の道理はともかくとして、我が身に降りかかった災難に本能的にこう悟った。

 

 ――あぁ、これは女神(ブリュンヒルト)よりの断罪。

 ――カイザーに代わり、我が身を罰したもうたか。

 

 と。

 脳裏にその名を冠する、純白の戦船を思い描きながら、虚空の中で苦笑を漏らした。

 

 

 ~~~

 

 穿たれた断崖の、凄惨きわまる破壊の痕跡に、劉焉軍の将兵はあらためて慄然とした。

 味方でありながら、その砲撃を行った一人の女に、怪異に対する眼差しを送る。

 

「はっ……こりゃあまた、なんとも」

 傲岸不遜のアシェラッドでさえ、その表情を引き吊らせて言葉を失っている。

 だが、彼女……セルベリアはその直後に膝を突き、武器を手ずから取り落とした。

 

「な、なんだこの倦怠感と消耗は……っ、このようなもの、元の世界でさえ、一度も……」

 と、自身の不調に対して戸惑いを見せていた。

 

「すまんな、御遣い殿」

 劉焉こと灰峰は、衆目から自らの身で彼女を守るようにしながら、詫びた。

 

「この世界には、見えざる枠で覆われているという。その枠を人ならざる超能が行使された時、抑制が入るのだそうだ」

「管路殿の教え、ですな」

 宵同様に参戦さえしていなかったものの、宿老たる桔梗も当事者としてこの益州を襲った惨劇の目撃者である。軽く頷いた。

「多少特権(ズル)を用いて緩和させてもらったが……それを承知で、人相手に使わせてしまったのは事実だ。悪かった」

「……利用されていることには慣れている。私が撃ったのは人ではなく、山の神に挑みかかった。そう思い込むことにさせていただく」

 

 髪色が元の色に収束していく彼女に、灰峰は再び一国の主らしからぬ低頭をした。

 これも、先の謝辞も、彼女のみに向けられたものに非ず。

 二人分だ。セルベリアと、そして今崖の底へと叩き落とした敵将も。

 

 灰峰も乱世に立つ漢である。ゆえにこそ、敵は智勇の応酬によって決着をつけたかったのだろう。

 補給が不十分にもかからわず、各戸への徴発や略奪が行われなかったことからも、敵の矜持の高さが読み取れる。

 それらを無視し、武人としての礼に失した、神がかりの一撃によって彼らを葬ったことについて、彼は深く詫びたのだった。

 

「軍を収め、成都に戻るぞ。再編しつつ、季玉(きぎょく)と合流する」

 

 益州は何者にも渡さない。そした適うならば、天の御遣いを道具や夷荻、家臣として見ない。敵するにせよ共闘するにせよ、人として接する。

 それが二十年前、道を違えて賈龍や数多御遣いを使い捨て、あるいは殺した己へのせめてもの自戒だった。

 

 

【ロイエンタール軍……消息不明】



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劉焉(三・終):仇花

 長らくの宿敵をようやく制して成都へと帰城した劉焉軍ではあったが、待ち受けていたのは物々しい気配であった。

 いや、城が荒廃しているという物理的な変化によるものではない。一時はロイエンタールに支配された本拠ではあったが、それでも彼は城邑を焼いたり破ったりする低俗な賊ではなかった。

 

 あえて言うならば、城壁の内に潜む……瘴気がごときもの。

 桔梗あたりもそれを嗅ぎ取って眉をひそめている。

 

 あるいは、拒まれると思っていた分厚い城門が開く。

「おとうちゃーん!」

 ……と、その内より駆け出したるは、それとは対照的に小柄で、能天気が衣をまとっているが如き小娘である。

 

 劉璋、字を季玉。この益州劉氏に残された、唯一無二の嫡子である。

 

玲峰(れいほう)……なぜ、ここに」

 問うその声は、重く硬い。娘の身が安泰なのは喜ばしいことなのだろうが、戦地に赴かずなお城に居留していたのか。その理由は、あまり多くは考えられない。

「ぷっぷっぷー、チンタラ無駄に戦を長引かせてたお父ちゃんと一緒にしないでよねー、もーとーっくに終わらせちゃったもんねぇー」

 対して、その軽薄さが否応なしに不安を加速させる。

 その劉璋の背に、のっそりと異形の影が姿を見せる。

 血のにじむ布を総身に捲いた、顔さえ見えぬ魔の剣士。そしてその従者らしき猛者たち。先に見せた瘴気の源は、彼らである。

 

「じゃじゃーん! 志々雄さんたちでぇーす! 南から来てたのは、あたし達に協力してくれるかららしくてさー! まっ、それを受け入れるのも、次期益州牧の器量っていう、ネ!」

 

 灰峰は頭痛とともに瞑目した。

 本気で信じたのか。そんな戯言を。それでわざわざ天険の要害を通過させ、わざわざ成都の堅城に入れさせたというのか。その軍勢を。ロランたちはそれを止めなかったのか。

 

「……あンの、馬鹿モンが」

 桔梗が口汚く低く罵るのを灰峰も止めない。隼も、さすがに擁護出来かねるらしく唖然と口を開きっぱなしとしていた。

 

 その異形の男が、隠された貌をせせら嗤い歪めた。

 

「不肖のガキを持つと苦労するな、えぇ? 劉君郎」

「へ、不肖、へ?」

 

 事態が呑み込めていないのは、自分が何をしたのか。読めていないのは当の劉璋のみである。

 

「動くんじゃねぇ」

 そう言いながら、刃を娘の首筋を背後から回して羽交い締めとしたのは、見るからに荒くれた、異相の男である。

 機先を制されたアシェラッドは、密かに死角より奔らせんとしていた刃を、中途で止めた。

 そして、娘を質と取った男の貌を視るなり、この不遜なる老海賊が、にわかに表情を揺らがせた。

 

「ビョルン……!」

「よぉ、アシェラッド……妙なところで会うな。まぁ、ここがヴァルハラってんならそれもアリか」

 

 どうやら、両者は知らぬ仲ではないらしい。それも、好悪を容易に分けかねるほど因果の絡み合った。ビョルンなる賊の眉間に刻まれた、どこか気まずそうな陰影が、それを物語っていた。

 

 そして、城郭の内よりは、にわかに大音声が轟いた。

 怒号、喚声、断末魔。生命を振り絞るがごとく発せられるそれは、おそらくは守備軍のもの。民のもの。わざわざ招き寄せたこの悪鬼……志々雄の軍勢に虐殺される音。

 壁上の劉旗は倒され、代わり、張徐程陸の四姓が立ち上る。

 

「え、え? どういうことお父ちゃん!? ねぇ、どういうこと!?」

 と猿がごとく涙声で喚き立てる劉璋に、さしもの劉焉も、冷酷な陰謀家の表情を破って、突き上げる怒りのまま声を張った。

「何故……何故最初の命を遵守しない!? 何故外来者の言い分など容易く信じた!?」

 重なる混乱に父からの叱責。ぐるぐると目を回しながら、この愚娘は、金切り声で怒鳴り返した。

 

 

 

「だって……だって法正が言ったもん! 『彼らと合流して、成都まで案内しろ』って!」

 

 

 

 ――劉焉の周囲だけ、しんと霜に覆われたかのようになった。

 おそらくは、劉璋本人は十に一も状況を把握できてはいないのだろうが、恥も外聞もない弁明は、いくつかの疑問を晴らすに十分だった。

 

 何故、彼らの行軍がかくも早かったのか。

 何故、この娘はともかくとしてロランがあっさりとその提案を信じてしまったのか。

 

 それは、この謀略が身内の……自身の軍師から生じたものであるからに他ならなかった。

 彼の驚愕と思考の隙を突くがごとく、当の女は主人であるはずの劉焉の傍を離れ、すり抜けた。

 そのあまりの自然な変わり身に、誰ひとりとて遮る者は、いなかった。

 彼女は……法孝直は、涙で頬を濡らす劉璋の前に、立った。

 

「ね、ねぇそうでしょ宵!? 貴女からも、何か言って……ぐえっ!?」

 劉璋の腹に、思いっきり体重の乗った宵の膝が入れられた。

 いかに華奢な彼女といえど、惰弱な小娘を喪心させるに十分な威力だった。

 

「せめてこっちにオレが来てから言えや。どこまで足りてねぇんだ、このバカは」

「法正、貴様……!」

「えぇそうですよ。つまりはそういうことです。ちなみに、孟達はじめいくつかの重臣(オエラガタ)も、こっちについてる。王累(おうるい)だとか黄権(こうけん)だとかは小うるさかったから殺してもらいましたがね」

 

 歯噛みする張任に、さらりと同胞殺しの示唆を告白する法正。

 烈しい嫌悪の眼差しとともに、桔梗が吼えた。

「何故じゃ孝直!? 何故に、厚く遇されておきながら、お館様を裏切る!?」

 かつての友誼もどこへやら。半ば無視するかたちで、法正はその身柄越しに旧主を覗き見た。

 

「劉焉殿、貴方は過日尋ねられましたな。『賈龍の死に対し、恨むところがあるか』などと」

 その白皙に、じわじわと血の色がにじむ。陰気の袋を破り、険しさが次第に勝りつつある。

 

「恨んでねぇわけが……無ぇだろうがァッ!!」

 

 ――そして、憎悪の想念が露わとなった。

 

「二十年間、ずっとこの時を願い続けてきた! アンタの破滅を、アンタの王国の崩壊を! アンタが後生大事にしてきたことごとくがブッ壊れる様を、見せてやりたかった! ようやくその念願が叶う時だ! アンタが蒔いた因果の種が、二十年かけてようやく芽吹いた結果なんだよこれは!!」

 

 そして溜めに溜め続けたその本心が、彼女の背を仰け反らせ、壊れたような高笑いをさせた。

 直視に堪えぬその有様に、灰峰は賈龍を想った。張魯の母を回顧し、葦名一心はじめかつての御遣いたちが浮かび上がった。

 これが、こんなものが……かつての死闘の結末だとでも。

 

 だが消沈する劉焉が視たもの。それは城内より軽装の志々雄兵を蹴散らして突き出る、黒い嵐であった。

 否、暴風ごとき勢いの、黒い甲冑武者。狂戦士じみた様相で大剣を振るい、敵兵を圧倒する。

 本人曰く、その剣銘は『デュランダル』。

 異名を黒騎士。名をロラン。

 

 不意を突かれ手傷を負い、軍馬軍勢を奪われた彼だったが、なお士魂を萎えさせず、その宝剣に足る堂々たる体躯をもって、志々雄を背後から急襲せんとする。

 

「あ、すんませーん。守将の呉懿(ごい)は殺ったんですけど、えらく強いの一人取り逃しちゃいましたー」

 見慣れない……おそらくは敵方の、飄々とした姫将軍が城壁の上、張旗の下軽い調子で声をかけた。そこには、主君に対する志々雄への敬意も不安も何もない。

 

 対して自身の危機にある志々雄自身、動じた様子もなく、

 

「ディミトリ」

 

 ……と、後列に控えていた男をけしかけてきた。

 否、それは人か、獣か。

 高速で動き、白黒の毛皮を靡かせて割り込んだ金髪隻眼の青年は、異形の槍を手にしている。だが、それを用いず、逆の手を鋭く伸ばして

 

 むんず

 

 ……と、ロランの顔面を掴んだ。

 しかし力一辺倒ではなく、狡猾にも足払いも用いて黒騎士の体勢を崩すと、そのまま一気に地へとロランの後頭部を叩きつけた。地が割れ、乾いた土片が無数に浮かび上がる。

 鎧袖一触である。それのみで、荒れ狂うロランを青年は昏倒させた。

 

「殺すな。御遣いは生かして捕らえておきたい」

 志々雄の謀臣と思しき男が、むっつりとした表情のまま言った。

 

 灰峰は、彼が本来無双の士であることを知っている。それこそ、本来であればこの怪力の男と互角以上に渡り合えるほどの。

 セルベリアのヴァルキュリアの力は使えない。彼らにそれを使わせないために、殊更に法正はロイエンタールの動きのみを拡大して伝えてきたのだろう。使用を決めたのは自分だが、そうして促したのは法正だ。思えば、その違和感に気づくべきだった。

 

 だが、ただでは済まさない。ロランの決死の突撃も失敗に終わったが、その客人の無償の挺身を、決して無駄にはしない。

 

「桔梗、やれ」

「お館様!? さりとて、それでは御身が……御息女が」

「構わぬ。全ては我らが蒔いた種だ……お前や彼らは関わるな」

 

 その短いやり取りで、互いを知ったる桔梗は灰峰の意図と覚悟を知った。

 ぐっと唇を噛んだ桔梗は

「……御免ッ!」

 という断りの下に、弾込め自体は密かに済ませていた轟天砲を弾いた。

 

 一路志々雄を狙うかに思われたその弾道はしかし、直撃することなくその手前に着地する。外したわけではなく、桔梗老練の技術力によるものだ。

 

 巻き上がる噴煙。それにまみれ、喉を痛ませながら、灰峰は

「各自、散開!」

 と鋭く命じた。

 それを受けて、文字通り将兵たちは煙に巻いて手勢を率いて逃散していく。

 

「ぬぅ、逃すな! 追え!」

 志々雄の軍師が喚き立てるも、遅い。

 対して劉焉軍はここまでロイエンタール相手に出ては退くの戦いをしていたことが奏功し、こういう時の動きは速い。

 

 そして、土煙が開ければ、そこにはごく限られた者しか残ってはいなかった。

 逃げるに失敗した歩卒。

 気絶しているロラン。

 両手を降ってあっさりと恭順を示すアシェラッド。

 そして……

 

「……肝心のアンタが捕まってりゃあ世話ねぇわな」

 歩み寄る法正が、組み伏せられた灰峰を見下ろして呆れたように言った。

「自慢ではないが、俺は虚弱なのだよ。到底逃げ切れる足などないし、こんな雑兵どころか貴様と格闘したとて太刀打ち出来ん」

「本当に自慢にもなりゃしねぇし、言い回しがクッソ腹立つな……」

 それに悪びれも恥もせず返す。

「そして、俺が逃げれば追撃は本格化してしまうだろう。そうなれば、全員逃げきれぬ」

 さらに言うならば……と、ビョルンの担ぐ馬鹿娘を見た。

 季玉。玲峰。愚かな娘。よも家督を継ぐことなどまるまいと、山々の険しさに身を慣らすより安泰の宮殿の中で、暖衣飽食を覚えさせた己に非がある。だが、もはや生まれてさえいなければとさえ思う。

 

「……せめて、瑁だけでも生きていたならば」

 互いにこのような不幸な顛末にはならなかったろうに。

 そしてそのような、ある種不幸な娘が質となったのを、どうして見捨てられようか。

 

「それでどうする? 今こそ賈龍の仇に報じるべく、俺を討つか?」

 冷視する法正は、鼻を鳴らして答えた。

「ここで死なれちゃ、積もり積もった怨みは収まらねぇよ。アンタの目の前で、この国をブチ壊しちまうまでは、せいぜい生きててもらうさ」

「それが、賈龍の遺した想いを否定することとなってもか」

 

 勝者の優越が、その問いの前に消えた。

 睨む法正に、灰峰は淡々と続ける。

「たしかに、俺と旧友は道を違えた。だが方向が違ったというだけで、この国の安泰を願う気持ちの強さも純粋さも、変わりはしなかった。今お前は、愛した者の遺志さえも……ぐっ!」

 

 灰峰の弁は、胸を踏みつけた法正の靴底によって遮られた。

 

「……なに、惚けたこと抜かしてんだ?」

 滾る殺意が、彼女の瞳孔を開かせる。声が震えている。

 先に語った本懐さえ無ければ、彼女は今にも足下の仇敵を縊り殺していたことだろう。

 

「んなこた百も承知で()ってんだよ。憎いのはアンタだけじゃねぇ。天下にろくに才も富も還すことなく抱え込むこの蜀も、あれほどこの国に尽くした叔父貴を忘れ、あの人を殺した他所モンをやれ名君だとか持ち上げて甘い汁を吸い続ける(ブタ)どもも、反吐が出る。だからオレは、この国の全てに報復するんだよ。あの獣どもを利用してな」

 

 そう黒き怨嗟を撒き散らした法正は、やや溜飲を下げたかのごとく身を退き、襟元を正す。

 

「牢にでも繋いでおけ」

 

 そう言い捨てて、法正は踵を返した。

 士卒らに引き立てられていく中、灰峰は瞑目し、旧友に詫びる。

 せめて彼女だけは、と託された童女。それに謀略の何たるかを薫陶してきたのは、己自身だ。

 その代償行為に、後悔はない。

 悔いがあるとすれば、幼い彼女のその憎悪の根深さと、時とともにそれが癒されていくものと思い誤ったこと、なのだろう。

 

(だが、果たして――)

 その憎悪の仇花は、己らや蜀への嫌悪のみで留まるのだろうか?

 その枝葉は、いったいどこまで伸びていくのか……?

 

 

【劉焉……滅亡】



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志々雄(三):復讐者たち(前)

「……なぁ、そろそろ機嫌直せよ、アシェラッド」

 百名の海賊団を率いていくつもの海を踏破してきた彼らをして、見たことのない石に囲まれた城市。

 過日の凄惨な戦の痕跡を濃く残すその往来を大股で歩くかつての団長に半歩遅れて、ビョルンは早歩きで追いかける。

 

 無言で歩いていたアシェラッドは、掛けられた声が聴こえないかのように、むっつりと押し黙って歩いている。

 

「あのおっさんは下手を打った。娘が馬鹿だったせいで全部盗られた。そんだけのことじゃねぇか。何をそんな不貞腐れることがあんだよ」

 

 なお懲りずにそんな慰めとも弁解ともつかぬ物言いに、アシェラッドは暫し無言で立ち止まった。

 だが振り返った時には、

 

「ぜぇ〜んぜんっ、気にしてないよ〜ん」

 

 と、いつも通りの剽軽かつどこか挑発的でふてぶてしい、老獪なヴァイキングの貌になっていた。

 

「むしろお前がそっちついててくれて助かったぜ、ビョルン。お陰でオレも勝ち組につけたってなもんよ」

 と、特化させたがごとき太さのビョルンの二の腕を、遠慮もなしに何度もはたく。

 

「まァーお前とは向こうじゃ色々とあったけどよ、何だかんだでいっちばん頼みにできんのはお前だよ」

「……お、おう」

「なんたってお前は、『たったひとりの友達』なんだからよ」

 そう笑いかけて、アシェラッドはまた歩き出した。

 

「どこ行くんだよ?」

「小便。あと、お前に会えたこと幸福をカミサマに感謝してくらァな」

「何言ってんだ。どこぞの王子じゃあるまいし」

 小慣れた応酬とともに、一旦彼らは別れた。

 

 ……だが、アシェラッドの胸中は気楽さとは真逆にある。

(――いま、ビョルン(あれ)は良い)

 ビョルンは単純な男だ。ぶっきらぼうだが、腹芸など到底出来る男ではない。おそらく監視役でもあるのだろうが、有事の際にはどうとでも抱き込める。

 

 その、はずだ。

 

 かすかな頭痛とともに脳裏に描くはその死に様。友になりたかったという、血を吐きながらの独白。

 まったく自分たちをここへ招いて巡り合わせた輩というのは、腸の隅まで腐り切ったような、下衆なのだろう。

 

 まぁビョルンについては留意という程度で良い。

 警戒すべきは法正だろう。

 ある程度こちらの手の内を把握しているし、事を起こすに当たっては周到で執拗だ。若かりし頃の己自身を思い起こさせる。

 そのアシェラッドにさえ、あの女は自身の叛意と計画を気取らせなかった。腹に一物を抱えた奴だとはその目を見て分かったが、まさかここまで破滅的な造反を行うとは、その因縁を深く知らないアシェラッドには予想外だった。

 

(あれを出し抜くには相当骨が折れるが、さてどうしたもんかね)

 無論、彼は身命を賭して劉焉の側に表返る義理などはない。あくまで状況如何によってその去就を決める気でいる。

 だが、せっかくしがらみを放り出して再び得た命だ。あんな美しくない、獣どもにつくことは出来うるならば勘弁したい。

 せめて往年の年頃にまで若返れていたならば、とほとほと思う。

 

「……マジにカミサマに祈りたくなってきたぜ」

 ため息混じりにそう独語したアシェラッド出会った。

 

 〜〜〜

 

(気づかねぇ、とでも思ってんのかよ)

 

 しかしてビョルンは、アシェラッドが思うほど単純な思考の持ち主ではない。こと、アシェラッド自身に対する感情は、友愛と忠義が入れ子となって複雑化する。

 

 だが彼には思慮や見識というものを持ち合わせていないがゆえに、本能的に尊敬すべき上官の虫の居所は知れても、その怪奇な頭の内まで理解するには至らない。

 忠勇たらんとすればするほどに、ヴァイキングらしくあらんと振る舞うほどに、その内心から遠ざかっていく。その所以を知るべくもない。

 

 あの劉焉なる領主は戦に敗けた。その北上の中、ビョルンが道中で北上軍に合流した、志々雄の勝ちだ。あの火傷男には、その所有する地も財産も領民も、収奪する権利がある。そうやって自分たちも生きて来たはずだ。それが正しい理屈のはずだ。

 その道理が分からないアシェラッドではあるまい。一度の敗けを根に持つような性質(タマ)でもないだろうに。

 

 なのに、どうしてなおあんな華奢な男に心を寄せるのか。

 なのに――

 

(嗚呼、こいつはまるで分かってない)

 などと、韜晦するその奥底で、軽侮の眼差しを向けてくるのか。

 そう、自分がトルフィンを(とりこ)としたことで、かの戦鬼(トロル)を射殺した、あの時のように。

 

 どうすれば満足する?

 どうすれば近づける?

 どうすれば――本当に、友たりえるのか?

 

「ただ友達でいる……それだけのことが、なんでアンタにはそこまで難しいんだ……」

 今こそ、あのキノコが欲しい。余計なことは考えず、ただ狂気の内に溺れ、暴れたいと、ビョルンは切に求めた。



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志々雄(三):復讐者たち(後)

 成都城内、政庁。

 往時とはだいぶその列席者の顔ぶれは変わっている。

 何より、首座が空席というのがその異例の最たるものだろう。

 本来そこへ座る権利を持つ志々雄は戦後処理など知ったことかと、都市の中央の亭を居所と定め、それ以外を全て方治に投げてしまった。その方治も、次なる一手がために奔走の最中だ。

 益州統治の実権は、おそらく方治や陸遜ら志々雄一派の参謀不在の一時的な措置であるにせよ、法正らに委ねられた。

 

「アシェラッドの監視は抜かるな。事を起こす可能性があるのは、間違いなくヤツだ」

「アシェラッド? 真っ先に恭順したようなあのおじいちゃんが?」

「真っ先に恭順したからこそ、だ」

 異論を挟んだ僚友孟達を、宵は鋭く睨み返した。

「無論、ロランや劉焉の警戒を緩めろと言ってるんじゃない」

 はいはい、と両手を挙げてとぼけて見せる孟達にこそ(ざお)こそ、信の置けない相手だと知っている。

 

 その髪色同様に、灰色の女である。

 基本的には利で傾く人間なのだが、時折思い出したかのように慈悲や矜持がために働くことがある。しかも、そういう時に限って、妙な悪運が奴に味方する。

 

「……さて、混迷極まる益州の現状を整理しようか。文偉(ぶんい)、報告を」

 呼ばれた末席の文官は、片膝をついて椅子に座りながら、宵を見ずして言った。

 

「まず内。重臣連中の内、儒者まがいの人道家どもは新政権の参画を拒絶ないし非難して投獄あるいは殺害。帰順組の内でも、ろくに働きもせず真っ先に志々雄殿に媚を売りに行った連中も同様の憂き目に遭った。ロラン殿は厳重に獄に繋ぎ、劉焉殿は特に抵抗の様子を見せてはいない。仔細はこれにまとめておいた。恭順した者の連署も押さえておいた」

「ふん、この混乱の中で手際の良いことだ。だが費禕(ひい)よ」

 絡むように、その不良文官の姓名をあえて呼ばわると、宵は言った。

 

大人(どの)とか真っ当な扱いをすんな。劉君郎は長く蜀を私物化していた逆賊。敬意など、欠片も示す必要はねぇ」

 その低く絞り出された恫喝は、周囲をたじろがせるに充分であった。

「はっ、仮にも旧主に手酷い扱いだな、孝直さんよ」

 と、揶揄を返すほどの肝の太さを見せたのは、その費禕のみである。

 

「で? その逆賊無くしてどう今後の益州を運営していくつもりだ? まさかあの無法者どもを新州牧に推す訳じゃあるまい。名義だけは劉焉殿を立てるのか。あるいは劉璋殿を傀儡とするか」

「あの狂犬は肩書になんて興味なかろうよ。劉焉の名を使えば、大義名分が揺らぐ。かと言って、その馬鹿娘は、傀儡たる立場がなんなのかも弁えず喚きまくってウゼェことになるのは分かり切ってる……永年(えいねん)

 宵は、列席する短髪の男を呼ばわり言った。

「寇氏の親子が荊州から流れて来てたよな? あれの母方が劉氏のはずだ。その娘、(ほう)を劉姓に戻し新州牧に立てる。棗、お前が傅役だ」

「……子供のお守りとはねぇ」

「楽して甘い汁吸わせてやるってんだ。それに劉の血筋であれば、朝廷も強くは出られねぇだろ」

 

 この時には、未だ曹操の北伐における奇跡的な勝利を益州の一派は未だ知らない。

 まさか停滞していた彼女が、一夜にして朝廷を含めた中原一帯を手中に収めることになるなどとは、如何な智者であっても信じられぬことであった。

 

「内についてはそれで良い。で、外に逃げた連中の動きは?」

 問われて答えたのは、棗である。

 

「冷苞は脱出しようとしたのを捕斬。厳顔とセルベリアは、持ち場の()城に戻って抗戦の構え。張任は雒城(らくじょう)の劉璝と合流して、これも同様ね……で、どうするのかしらん。益州の誇る用兵巧者たちは、皆死ぬか、敵に回ったのだけれども。まさか私に討伐に行けとでも?」

「まさか」

 宵は眉を吊り上げて笑った。彼女とて、孟達に彼女らを討てるなどとは到底考えていない。

 

「劉璝ごときは搦手からどうとでもなる。成都が落ち着いたらオレが潰しに行く。桔梗姐さん……巴については……そうだな。手駒はもうすぐ手に入る。それでダメなら志々雄殿らに押し付けるさ」

 その二城についての秘策については詮索されることはなかった。問うてもこの陰険な軍師は不敵に笑み返すだけで他者に明かすことはない、と一様に知っていた。

 だが、それでも問わねばならないことはある。

「……この乱世、劉焉殿のやり方ではいずれ益州は行き詰まる。だからここまでは、アタシらはアンタの賭けに乗ってきた」

 費禕は、自らの橙色の長い髪と冠の隙間を弄り、そこに収められていた賽子を抜き取った。掌の内でそれを弄ぶ費禕は、水面に波紋を一つ立てるがごとき、静かな声調とともに薄く笑んだ。

 

「だがその先は? 奴らがあそこまで兇暴だとは思い及ばなかった。そして軍備の傾向を鑑みるに、歩兵の革鎧を多くかき集めているうえは目指すは水戦ではなく陸戦。荊州ではなく中原……都まで延焼させる気か?」

 

 宵は軽く肩をすくめて席を立った。

 訝しむ行政官、謀臣らからわずかに距離を取って、

 

「知った事かよ」

 

 と呟いた。

 聞こえるか聞こえぬか、という間合いの独語である。多くの者は聞き返したり、あるいはそもそも耳に入っていない。

 

「……なんてな」

 宵は、彼女にしては軽やかな声で笑い声を立てた。

「まぁ志々雄殿には戦術家が多くとも、事務方は方治を除いていない。益州の内情に詳しい文官(オレら)を、切り捨てることはまぁなかろうよ……余計なことを、しなければな」

 と、冗談と恫喝を折半して言う彼女の凶相目がけ、費禕は無造作に賽子を投げた。

 それを空中で握り掴んだ宵に、費禕は

 

「賽の目は預けておく……が、良き目であることを願う」

 と、もったいつけたような言い回しとともに、その切れ長の目を伏せたのだった。

 

 ~~~

 

 その謀議もそれ以上の進展は見せずに解散となった後、宵は廊下の突き当たり、壁にもたれかかった堂々たる体躯を認めた。

 

「……これはこれは、ディミトリ殿。志々雄殿に言われ、我らの監視にでも来たんですか?」

 人の形をしていながら、およそ人ならざる気配を持つその男に、臆することなく宵は尋ねた。

 

「俺も貴様らと同じように、奴を利用しているだけだ。どちらに肩入れする気もない。ただ、何かしらの手がかりを掴んだものかと立ち聞きしていたが、愚にもつかん泣き言ばかりだったな」

「それはまた大変なお耳汚しを。仇については我ら益州幕僚の側でも追って調査を推し進めて参りますので、それまでどうかお待ちいただけますよう」

 

 暇なら手伝ってくれても良かろうものを。胸中でそう毒づきながらも上っ面にはおくびにも出さず、宵はその場を通り過ぎようとした。

 

「一つ聞きたい」

 と、ディミトリなる御遣いは遠ざからんとするその背に尋ねた。

 今まで復讐以外の何物にも興味を見せなかった男からの、質問である。

 それこそ、人語を解さぬ虎が突然喋り出したかのような衝撃があった。

 

「貴様もまた復讐心から志々雄に加担し、そして事を成したと聞いた。今、貴様の胸に去来するものとは、なんだ?」

 宵は思わず吹き出しそうになった。だがそれは、可笑しかったがゆえではない。むしろそれは、黒い怒りに由来する、歪なものだった。

 

「御冗談を。まだ遂げてはいませんよ……まだ終わらない。こんな程度では終わらせない」

「ではいつ終わる?」

「さぁてね」

 

 おどけて見せたが、宵には判っている。

 たとえ無惨に劉焉を嬲り殺したとて、あるいは益州を修羅の巷に変貌させたとて、きっと充足など得られまい、と。己の空洞を埋めるのは、昏い復讐の焔だ。それは腐り果てた漢に及び……そしてこの紛い物の、外史(せかい)そのものに至る。

 賈龍の魂魄がそれを望まなかったとしても、もはや止めることは己でも能わず。

 

「……本当に許せないのは、そうして他者を振り切ってまで怨讐に固執する己自身で、そんな大馬鹿を磨り潰すまで、ですかね」

 

 互いに仇持ちという共感がつい精神のタガを緩ませたか。

 自嘲気味に呟いた宵に対し、ディミトリもまた、

 

「そうか……そうなのだろうな……」

 と、伏せた隻眼と口元に感傷めいたものを浮かべた。初めて、人らしき感情を表に出した。

 

 だがそれは互いに刹那的なものであった。

 互いに挨拶もなく分かれた。

 宵には向かうべき場所がある。城内に設けられた医局。そこには負傷兵と、漢中の五斗米教団から流れて来た医師団が屯していたが、その男はとりわけ別格の待遇であった。

 負傷の具合と、そして惜しむべきその将才がために。

 拝礼して張魯の弟子が症状を端的に伝えるのを流し聞き、別のことに想いを馳せる。

 

(どうせ、これもまた予期せぬ娯楽だなどとタカくくってんだろう? えぇ、『管理者』どの?)

 管路。いや許劭か。

 長らくこの世界に居座り、創造主を気取って散々に面白半分に人をコケにしてくれた、悪魔。

 

(今は高みの見物を決め込むが良いさ。アンタが抱え込んでるこの中華。オレがかき乱してブッ毀してやる)

 

 怨嗟をまとい無言で佇む宵を不審がる医師を、彼女は手で下がらせて、自身は白い顔をして天蓋付きの寝台に横たわる、患者の隣に膝をつく。

 

「――そのためにもアンタにも、せいぜい働いてもらおうか? アンタだって、きっとこんなクソみてぇな世界、ブチのめしてやりたいだろう?」

 

 甘く耳元で囁きながら、その指で瞼を開ける。

 そこには黒と青、左右色違いの瞳が隠されていた。

 

 ~~~

 

 益州の政変より十数日後。

 中原における曹操の台頭に比すれば、事態の深刻さは未だ皆無にせよ、情報としては近隣に伝わりつつあった。

 

 董卓、そして件の益州。両方の監視を任ぜられたのは、黄忠こと紫苑であった。

 名目上は引き続き劉表の家臣に列しているものの、大別すれば袁術軍、もといそれに鞍替えした黄祖の指揮下である。

 

 とはいえ敵味方ともに動きなし。璃々を伴って川遊びに出た。

 むろん、前線のことである。危険を孕んでいることは承知していた。

 

 だが育ち盛りのわんぱく放題の娘。どうして抑えきることが出来ようか。

 江夏に預ける、というのも手ではあろうが、家臣が主君を裏切り、その身柄を他国に差し出すこの大乱世、結局は自身の手で大切なものを守るよりほか、方法がないと紫苑は思い直した次第である。

 

 それに、と短い手足を懸命に動かして川べりではしゃぐ愛娘を見た時の、多幸感は何にも換えがたい。救いのない情勢下ではあるが、それでも懸命に生きんとする活力が得られる。

 

「おかーさん?」

「え? あぁ、ごめんなさい。ちょっと、ぼーっとしてたみたい」

 物思いにふけるあまり、つい娘を無視したと思ったが、どうやら璃々の呼び声はそれに起因したものではないらしい。

 彼女は不思議そうにしながら、自身の背後を指で示した。

 

「だれか、たおれてる」

 ――と。

 

 慌てて、というよりも本能的に、母は娘を自身の背の後ろに回した。

 そして先んじて、かつ用心深く、璃々の差した男を観察する。

 うつ伏せに川に沈む鬚の濃い、男の横顔の血の気はない。

 下地自体は、まるで人の手によるものとは思えない見事の縫合の、黒い装束だが、それもここまで流れ着くまでの行程でか、ずたぼろとなっている。

 

「璃々、見では駄目」

 観察する限り、どこぞの敗将が落ち延び杳として力尽き、行き倒れたものと思われる。

(この世の無情に負けてしまったのね、お気の毒……)

 彼女が仏陀の信徒であれば、そう悲嘆して合掌していたところだろう。

 

 だが、あ、と背後から漏れた璃々の声により、男の唇がかすかに息をしていることに気が付いた。

 とりあえずは悪党の装いとは思えないので、紫苑は助け起こしてみずからの膝の上に置いた。

 

「う、ううぅ……閣下」

 となおも、誰ぞを案じ、か細い声で呻くこの男は、此処に至るまでにどれほどのものを喪失し、望みを奪われてきたのか。それを想うと、他人ながらに胸が詰まりそうになる。

 

「だいじょうぶ……今はどうか……お心安らかに」

 大分にこけたその頬を指の背で撫でつけながら、紫苑は慈母の眼差しと声を落としたのだった。



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詠は絶え、月沈む ~次の乱世へ~
董卓(五):上庸評定


 董卓軍居城、上庸。

 赴任の太守を追い出して手に入れた仮住まいたるこの古城において、ここ数日の流れはほぼ似たようなものである。

 

 主だって弁論を展開するのは、賈駆である。

 その見識考察は四海の動勢に及び、弁舌は鋭く、吐く意気は猛る焔が如し。

 まさしく新進気鋭の謀士、賈文和の面目躍如といったところであろう。

 

 ――ただ自分たちにまつわる展望が今のこの現実の身の丈にあっていないという点を除けば、だが。

 

「……というわけで、曹操がまぐれ勝ちにて中原を制したようだけど、その急進がゆえに領内の統制もままならないはず。そして幸いなことに、劉協様も無事に離脱することができたとの風聞。そしてあの方はボクらの同志だ。きっと遠からず、憂国の忠臣たちを率いてこちらに合流してくれるはず。そして殿下に今こそ万乗の君として君臨していただく。まず袁曹に離間を仕掛け互いに争わせて地盤を揺るがし、その間隙に、洛陽を解放し、新帝による正当な漢王朝の軍として堂々たる凱旋を果たす!」

 

 といった具合に強弁を振るう詠ではあったが、それに反し、僚友らの反応は薄い。活気の塊のごとき霞でさえ、腕組みしたままムッツリと押し黙って天井を仰いでいる。

 

「……おい、どうした!? 何故、この構想に旨に気炎をあげない!?」

「構想? 妄想の間違いだろう?」

 皆の不興不安を流石に感じ取るものらしく、不平を鳴らす詠。その議席の二次的なあたりから、すかさず揶揄が返ってきた。

 

「いい加減、聞こえの良いことばかりを言って皆を振り回すのはおよしよ」

 そこに座っていたのは、李傕であった。

 娘、と呼ぶには多少の抵抗のある年頃の女で、西涼人らしからぬ焼けた肌はどこか不健康的で、目元には陰の気配が口には揶揄が常に滞留している。

 どう見ても潔癖なる賈駆や董卓が、好ましく思うべくもない悪相だが、年長者かつ今の董卓軍においては貴重な有能で勇敢な将帥である。

 名将徐栄亡き今、その地位は自然繰り上がり、それに比例して態度も増上していた。

 

「……聞き捨てならないぞ、どういうことだ李傕」

「おや、この程度の言葉の意味も理解できないほどに頭も劣化したのかい。これ以上は無駄だ、って言ってんのさ」

 

 そう言いつつ座を蹴って立ち上がった彼女は、首脳陣の間を、その眼前をこれ見よがしに練り歩く。

 

「噂じゃ張譲が死んだ。何進や欲深なその妹も職と都を逐われた。これ以上何の成果を求めるってんだい」

「……その曹操が愚帝を擁したままに天下の一切合財を裁断する。そんなことが許されるものか」

 詠が声を殺意の中から絞り出すと、けたたましい笑い声が返ってきた。

 

「それは戴く頭が違えこそアンタらがまさにやろうとしたことじゃないか。自分らが居るべき場所に、他の誰かがいる。要するにその嫉妬だろう?」

「黙れ! お前の浅薄な口からボクらの気高い信念を語るな!」

「じゃあ、それ、座ってばかりのお人形ちゃんにも訊いても良いかね?」

 

 と、遮る詠の帽子を、李傕の視線が飛び越えて月へと向けられた。

 

「いちいち確かめるまでもない! 増長するなよ、李傕! お前ごときがそんな舐めた口を叩いて良い相手じゃない!」

「増長はアンタだろう? いつからそんな命令が出来る立場になったんだい、武威の小娘風情が」

「貴様!」

 

 激昂した賈駆は、李傕に掴み掛からんとした。しかしすでに彼女は腰の剣を抜いている。このまま行けば互いに接近する勢いのままに、彼女の肉体は李傕も切っ先に貫かれていただろう。

 だが両者の間に、双璧が立ちはだかる。

 呂布と張遼。今や陣営にとって欠かすべからざる二人が、それぞれを目で制す。

 恋は戟を李傕に突きつけてふるふると首を振り、詠の肩を掴んで霞が無言で諫める。

 そして音々音はそんな両者の陰から猫のごとく丸めた手をしきりに空を突く。

 

 ――が、そんな彼女たちもまた、列席していた他の中級指揮官たちに取り囲まれていた。

 

「アンタら……」

 低く霞が呻くのと同時に、李傕は眼前の呂布に怖じることなく冷ややかに放言した。

 

「これがアタシらの総意ってもんでさぁね。もう革命ごっこはおしまい。むしろ奴らを後ろ盾に、涼州なり并州なり帰る時が来たんじゃないかね、と。あるいは、益州のゴタゴタで宙吊りとなった漢中を経由しても良い」

「ごっこだと!?」

「ねェ、いつまでお友達に代弁させてんのさ、お人形ちゃん」

 怒りに打ち震える詠の冠越しに、あらためて李傕は声を届かせた。

 

「アンタ自身はどう考えてるかってハナシさね。退くのか、進むのか? アンタらのご大層な大義名分に付き合わされたアタシらに、想うところはないのか。どう責任を取ってくれるのか? そこんとこ、ハッキリしてもらわないと困るんだけどねェ」

 

 顔を上げた月に、絡むような嫌味に晒される。重圧が彼女にのしかかる。

 揶揄の視線が、言い逃れることを許さない。返答が彼女自身の口から出るまで待つ、という強硬の姿勢である。

 

「わ、たし……は」

 

 か細い声を懸命に振り絞り答えんとした月ではあったが、にわかに、波打つその髪がふわりと宙へと軽く浮き上がった。額が机上に落ちて、そのまま突っ伏したまま起き上がらなくなった。

 

 ――断末魔にも似た詠の金切り声が、議場に轟いた。

 

 ~~~

 

 主君中座という尋常ならざる締めくくりの後で、詠と、彼女の代わりに月を寝台へと寝かせた霞は、沈痛な面持ちで、その汗ばんだ友人の赤ら顔を覗きこんだ。

 

「……軽い発熱のようだけれど」

 

 と、詠は自らを安心させるかのような調子で言ったが、あくまで経験にもとづく素人目である。

 貴人の脈をとる医師など、流亡の敗軍にいるべくもない。試行錯誤の応急処置以上のことはなんともしてやれない。その苛立ちもあって、

「李傕のせいだ」

 と吐き捨てた。

 

「あいつが、月に余計な圧迫をかけなければ……ッ」

「あいつ一人に責任おっかぶせるのは、ちょい無理と違うか」

 

 およそ味方に向けるものではない剣呑な言葉と表情の詠をたしなめるように、霞は言った。

 病状は定かならずとも、その大元が過労にあることは明らかだ。

 おそらく体調不良を承知で、月は軍議に臨んだのだろう。李傕の横柄な態度はあくまで切欠にすぎない。

 

 それに李傕の雑言についても、少なからず幕僚たちが抱く懸念ではあった。

 かつてはそうした不平は、空気も読まず華雄や徐栄が発していたものだった。そして彼女たちだからこそ、それは刺々しいものとはならず、自然諫言として詠らも受け入れていたものだったが。

 軍才武勇以上に、喪って初めて分かるその影響力たるや。

 

「いいや、そもそも月が無茶をしてるのだって、数少ない物資を皆に公平に行き渡るよう、心を砕き身を削ってきたからだ。それを、あの恩知らずども!」

 なお納得がゆかぬらしく、そう口吻を鋭くさせる。

 その横顔を盗み見ながら、霞はため息ひとつこぼし、

 

「……まぁ、ちょうどえぇ機会と違うか」

 と言った。

「なんだと?」

 訝しむ詠に、霞は即答はしなかった。月の傍を離れ、戸口に耳目を寄せて気配を確かめて後、

 

「――詠、アンタは月を連れて城を出ぇ」

 ……その瞬間の、軍師の顔の歪みようは、霞が想定していたものを上回るものだった。

 

「もう限界やろ。前後不覚(こないな)状態やないと、月は自分からよー退かんわ。おぶってでも、今夜にでも上庸を出ぇや」

 

 そう言ってのけた霞の袖ごしに、詠は腕を掴み絞った。痛みは感じずとも、その細腕渾身の握力であることは皮膚を通して伝わる。

 

「……いくら霞でも、冗談には限度ってものがあるんだけど」

 眼鏡の奥に怒りをたたえ、少女は睨み据えて来た。

 

「冗談でこないなこと言うかい。自分でももうわかっとるやろ。名前も破れた望みも捨てて、身一つで落ち延びや」

「ふざけるな! そんなマネをしたら、天下の恥さらしも良い所じゃないか!」

 詠がそうがなり立てるのを、霞は自虐も含めて一笑した。

「目処もつかんままに節操無しに荒らし回った方が恥や。そもそも、もうだーれもウチらのことなんか気にしとらん」

「まだだ、月が立ち直ればまだ回天の手立てはある! まだボクらは負けと決まったわけではない! まだ殿下という一手がある! まだ、諦めてはいない。まだ、まだ……っ」

 

 詠の声は次第に湿りを帯びてくる。目と肩の力が抜け落ちていく。そのまま膝を崩すようなかたちで、霞の晒に目元を埋める。

 

「ボクらはまだ、何もしていない……ッ」

 

 悲痛な声をみずからの胸襟の内に落とす娘を、霞は痛ましげに見下した。

 震えたその上半身をそっと押し戻しつつ、また一つ、吐息が漏れる。

 

「ウチが『限界』言うたのはな、アンタや、詠」

「え……?」

 

 意外なのは、声をかけられたこと自体か、それとも己を名指しされたことか。

 顔を上げ、見開かれた目に自らの顔を映し込みながら、霞は続ける。

 

「鏡見てみ。ヒドイ顔しとる。月も大概やけど、アンタも相当気張っとったの、丸わかりや」

 あえて観察するまでもなく、緑の髪は艶を喪いバサバサとまとまりを欠き、眼鏡の奥底では双眸が落ちくぼんでいる。

 

「言うとくで、詠。アンタが思ってる以上に、月は強い。今かて、逃げるに逃げられんようになっとんのは、周りの眼とか世間体が怖いからやない。強情張っとるアンタを見限れんからっちゅうのがあるやろ」

 

 だからこそ、詠が折れなければ、月もこの破滅の一途から下りることがない。

 二人は、常に一個。どちらが欠けることも許されない、尊き二輪の華だ。

 

「正直者がバカ見て殺されてく世の中を、どーにかせんとってアンタらは起ったんやろ? なら、その最たる月やアンタが、バカ見て殺されてどうすんねん」

「霞……」

 

 一度だけ詠の双肩を強く抱いた後、己よりかは小さな躰から霞は距離を取った。

 そして背を向けながら、悲壮さは感じさせない自然さで、しかして絶対的な覚悟を込めて告げた。

 

「後の露払いは、ウチらがやっとく」



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董卓(六):左袒

 背に回した部屋の中から幽かに聞こえるすすり泣きの音。それをあえて聴こえないように振る舞いながら、霞は廊下の闇を睨み回した。

 

「――おるんやろ? どうせ」

 

 何となしにかけた声に反応し、のっそりと影が現れた。それ以前に、夜の獣のごとき気配は、千里を隔ていかに隠形の術を得ていようと紛らわせるものではない。

 

 呂布奉先。恋。そしてその影にへばりつくお付きの軍師、陳宮公台。音々音。

 他にも、見知った面々が顔を覗かせた。先に彼女らと諍いを起こしていた武官の顔もちらほらと見える。

 

「アンタもや、副軍師」

 

 そしてなお往生際悪く身を隠している娘に、霞はぞんざいに声を投げた。

 バツが悪そうにだらしなく相好を崩す荀攸が、ひょっこり角のあたりから現れた。

 

「聞いての通りや。月っちらはここを出る。天下に無様さらしたウチやけども、それでも主君やダチのため命張れんほど落ちぶれとらん……あいつらを案じてここに集まった者も、同じと信じる」

 

 あらたまった調子でそう告げた霞に、一同の表情が締まったものとなる。

 まったく張文遠らしからぬことをしている、と彼女は胸中に苦笑を落とす。武に生きる者が、弁舌をもって己を誇示するなど。

 

「……おどれらッ! 無茶を承知であいつらの正義に従ったんやろ! 月を慕ったんやろ! 自分の(チカラ)に自負があるからここまで残ったんやろうが! だったら最後まで意地と仁義、貫き通さんかい!!」

 

 だが切った啖呵は、紛れもなく彼女自身の魂魄より放たれたものである。

 それに応じる諸将の、気炎の雄叫び、突き上げた拳もまた。

 

 曰く、前漢の周勃(しゅうぼつ)は、朝廷を私物化する奸臣の討滅にあたり、同調する将兵らに左に肩脱がせて誓わせたという。

 

 

 その故事を武人一筋の張遼が知っていたかは微妙なところではあるが、自然、彼女の中の侠気(オンナ)がその格好をさせた。

 そして声を上げる皆の中にも、衝動のままそれに倣う者がいた。

 ……おそらくはこれが、董卓軍としての最後の輝きであろうと覚悟しながら。

 

 〜〜〜

 

「ちゅーワケでな。詠の知恵借りられん以上、戦運びをよろしゅう頼むで、軍師殿」

 めいめいが軍備に向かう中、その輪から抜けて独り退散しようとした荀攸。霞はその肩を捕まえて居残らせた。

 

「アンタが誰のためにここに来たのかは、察しがつく」

 と耳元で囁くと、荀攸のたおやかな佇まいに僅かな固さが生じた。

「さすがに曹操の軍師の親戚が、縁もゆかりもない董卓軍で冷や飯食ろうて……考えてみればこないなるまで義理を立てる理由もそうはあらへん。詠は僻目で正鵠を射とったてコトで……曹孟徳の間者で良ぇよな?」

 

 細められた智者の目から、陽の気がするりと抜けていく。

 荀公達は、その表情のまま、

「その答えは、半分ほど不正解ですね」

 と耳打ちし返した。

 

「たしかにおばちゃんには曹操さんとこに招かれましたけどー、手土産がないまま行くのもどうかと思いまして、こうして至強の軍に混じりてあれやこれやと糧とし、情報収集していたわけでして。あ、もちろん事の次第によってはこのまま董卓殿にお仕えするのもヤブサカじゃなかったですよん」

 

 至強の軍。事ここに至っては、なんとも虚な賞賛ではある。

 

「まぁそっちの都合とかはぶっちゃけどうでも良ぇ。肝心なんは、アンタがその集めた情報とやらを曹操や袁術に漏らさんかったこと。最後までここに居残ったこと……その気骨は、信頼できる。頼む、(チカラ)貸してくれ」

 

 などと格好はつけたが、実際は犬だろうと猫だろうと引っ掴んで戦力として手元に置きたいというのが正直なところだ。

 その真意を汲んでか。どこか同情めいた苦笑をわずかに浮かべた彼女は、

「合点承知。では荀攸が戦術、最後に披露といきましょうかね」

 と応えた。

 

 

 

 そして、その事の始終を、さらに奥底で見つめる影がある。

 李傕である。

 荒々しい作りの革鎧を纏う彼女は、大小の戦傷にまみれた肌の広くを、すでに外気に曝している。左に肩脱ぐ衣などあるべくもない。

「……フン」

 冷ややかに鼻で笑った彼女はそのまま背を向けて、闇の奥底へと消えていったのだった。



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袁術(六):重き剣

「失礼します」

 宛城執務室。

 本来の主たる袁術の留守居を預かるエルトシャンは、すでに紅き軍装を纏っている。それを目の当たりにした満寵こと海防は、

「おや、すでに聞いてましたか?」

 と首を傾げた。だが、彼女を見返した獅子王の顔もまた不思議げだ。

 その海防の眼差しが自身の装束に向けられていることを察した彼は、袖口をつまみ上げた。

 

「……あぁ、この格好か。どうにも気が逸ってしまってな」

 そう苦笑する彼の美貌の陰影には、如何ともしがたいやるせなさが潜んでいる。その由来を知る彼女は、高い背を折って「心中お察しします」と言った。

 

「それで君の方は? なにか急報か」

「はい。黄忠殿より伝令です。董卓軍、上庸を出て東進を開始、再度この宛城に向かって来ています」

 自分がこうして報告に来るより先に、すでにその報せがエルトシャンの下に届いていたがゆえにそのいでたちか。その誤解から生じた行き違いだった。

 

「董卓軍か……すでに反攻の余力は残されていないと思っていたが」

「はい。彼我の情勢を鑑みれば、降伏あるいは逃散、籠城しかないと」

 

 にも関わらず、選んだのは玉砕か。士として、華々しい散らんと。

 ふと脳裏に浮かんだのは、海賊たちの毒矢の雨に晒された旧友、という想像図。

 苦いものを呑み下してから貴公子は嘆息した。

 

「大勢は決したといえ、守備軍単独で当たるべきではないな。援軍の要請は?」

「はい。徐州の幸村殿にはすでに。それと曹操軍……いえ、朝廷からは丁奉殿と朱桓殿が。それと」

 一瞬言い淀んだ海防は、どことなく重たげな空気を纏うエルトシャンを推し量るように見ながら続けた。

「……孫家からは、孫堅殿自ら御出馬とか」

「……ここでは、兵を出して来るのか」

「彼女と董卓はかつて西方の反乱鎮圧で轡を並べた仲です。その縁でせめて己の手で、と考えているのかもしれません。あるいは、それを名目に董卓を捕らえ、後日涼州を攻め取る名分を確保しておきたいとか」

「いずれにしても、あざとさを感じないでもないな」

 

 清廉実直な彼らしからぬ険のある反応。その悪感情の所以を海防は汲み取りつつも、それとない感じで

「その孫堅軍の黄蓋殿より、合流に先立って是非にも渡したいものがあると、これが」

 と言い、厚手の麻布で出来た包みを背後の侍官より受け取り、エルトシャンの前で解いた。

 その中にあったのは、鞘に収まった一口の両刃の剣。

 拵えは簡素ながらも瀟洒で、軽さと質量を併せ持つ、地に足のついた造りが刃を抜かずとも伝わってくる。

 本来の愛剣ミストルティンほどではないにせよ、名ある工匠の作ではあろう。

 

「例の故人が遺された、『(ぎん)の剣』だそうですが……『済まなかった』と、その一言が添えられていました」

「……そうか」

「この城に着到の予定ですが、直接物言いをする機会を設けるべきでしょうか」

「いや、良い。会えば虚心でいられる自信がない。すまないが、代わりに応対してもらえないだろうか」

「分かりました」

 

 詫びを伝えることさえおこがましい。それほどの負い目があればこその、言葉少なな謝罪であろう。

 会えば戦前にわだかまりを生じる。連携を欠くわけにはいかないという計算は、流石に元国王であるがゆえに存在していた。

 が、銀剣に伸びかけたその手は、中途から動かなかった。

 

 友を弊死させた者ら。皇城を急襲しそれをもって天下を簒奪した者。

 それと組み、信念のもとに果敢に挑みかかる騎士たちを摘み取らねばならないのか。そんな逡巡が海防の観察眼からは見て取れた。

 

「……鉄心殿は、どうなされている」

「すでに大刀を引っ提げて、着の身着のまま物見に出ました。常在戦場、とはあの方のようなことを言うのでしょうね」

 

 それで貴方はどうするのか。長身を屈めて剣の高さを整えつつ、満伯寧は上目遣いに暗に尋ねる。

 ふぅ、と一度天に吐息を零したエルトシャンは、

「武人だな……彼は」

 と呟いた。

 

 如何な時代や環境の変遷にも、揺らぐことなくおのが心と刃の置き所を定めている。

 その姿勢には、好悪や善悪を超えて敬意が持てる。

 風説に聞けば嬉しい先に援軍も駆けつけたオシュトルもまた遥か北方にて頓死した友を偲び、その従姉の涙を胸に戦場に赴いたとか。

 同じ御遣いとして、その辺りにこの騎士王が想いを馳せないわけがない。

 

「――出撃の支度を! ただ籠城するだけでは足らない! この地の安寧のため、これを機に三勢力で一気に覆滅するッ」

 気萎えた様子から一転、眦を絞り、獅子は吼える。

 友の遺剣を、その手に掴み上げて。



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董卓(七):友軍見えず

 かくして上庸城の搦手より密かに主人とその腹心を離脱させた張遼ら董卓軍は、一路南糸(なんし)なる土地を目指す。宛の北西である。今や帝を手中に収め官軍となった曹操軍との連携を断つ……と、そういう目論見があると想わせるために。

 

 それを仕切るのは霞である。

 本来ならば彼女にせよ恋にせよ、月たちへの友誼や義侠心がために参画した客分に過ぎない。

 革命が成功した暁には新帝よりそれなりの地位や官職が与えられ、指揮系統も再整理されたのだろうが、今や誰よりも常識的(マトモ)という理由だけで総大将を務めることとなっている。

 

「……で、月っちたちがおらんことを悟られんように気張らんといかんわけか」

「はい。そんなわけでガンガンに前線に出まくってもらいますよ~、総大将殿」

 荀攸の口調はふざけているのか真剣なのか。

 いずれにせよ、それ自体は性に合っているし、大いに望むところだ。

 

「本来なら、李傕……殿が董卓軍正規軍の内で最高位なのですから、御仁に頼むべきなのですが」

 と、物言わぬ主に代わり音々音が愚痴をこぼしてちらと後続を顧みる。

 だがその隊列に、当人の姿はない。今朝がたより、手勢や一部の将官を率いて城を抜けたらしい。

 

「呼び戻さなくて、よろしいので?」

 荀攸が問う。

「しゃーないやろ。こっからは個々人の自由意思っちゅーやつや。無理には引き留められん」

 菫色の髪をまさぐりながら、半ば己を納得させるように霞は答えた。

 あるいは、并州出身者が中核となったこの軍容が気に入らないのかもしれないが、内に不穏分子を抱え込んだまま戦闘に突入するよりかはいくらかマシ、と考えておくことにする。

 

「アイツは悪辣で強欲やが、肝っ玉は据わっとる。ヘタに味方を売るようなマネせぇへんわ」

 と続けて言って肩をすくめた。

「しかし、それが抜けて総勢五千ではいささか心もとないですぞ」

「別に勝つことが目的とちゃうわ」

 

 友のために身命を張ること。華々しく散ること。

 それがこの戦の第一義にして、皆その悲壮を旨に戦場に臨む。

 

 ――それで良いのか、という一抹の懊悩が、言い出しっぺながら霞の胸には燻っている。

 白い少女の亡霊が、己の内で、非難がごとくに問い続けている。

 

 ~~~

 

「丁承淵、主命により援軍に来ました……ってあら?」

 半ば厄介払いの体で援軍に遣わされた丁奉だったが、参集した兵力の意外な寡なさ、おそらくはそれに関連しての城将と参軍の剣呑な雰囲気に目を瞬かせた。

 

「よくぞおいで頂いた……と言いたいところだが」

「孫家の軍が未だ到着しない」

 と、二人の男女は苦り切った面持ちで言った。

 

「うえっ!? まさかこないだと同じく出し渋ったんですか!? いくら弱ったと言っても呂布や張遼相手に我々だけで戦えと!?」

 

 朱桓が思ったことをそのまま口にした。

 丁奉こと旋律は、この小娘のごとく取り乱してはいない。

 呂布のごとき武辺者が絶対者であった時代、武の時代は終わった。今は策と兵の時代だと、上党の戦がそれを証明した。つまりは、この丁奉がごとき才が生かされるじだいが到来した。

 だが、積極的に参戦する気もない。曹操の意図はどうであれ。

 

(西に董卓という雑音を残しておけば、東の、義元様への締め付けが緩くなる)

 という思惑を、秘めたるが故に。

 

 そして曹操の思惑もおそらくは一致している。

 出来る限りを望むのなら、政情不安定な中原をまとめる間までは袁術と誼を通じつつ、かつ彼女の野心の目を北へは向けさせず江南江東の敵と存分に切り結ばせて周辺の怨みを買わせていく。

 そして曹操がその隙に片付けるべきは、西涼ならびに巴蜀の凶徒たち。

 

 そのすべての因果を鑑み、かつ旋律の秘めたる思惑を見抜いての抜擢であったなら、あらためて曹操恐るべしと言わざるを得ないだろう。

 

「で、孫堅殿が荊州から出てくる様子はない?」

「いや、出陣をしたこと自体は確認している」

「言下に断った先の戦とは異なり、すでに了承はもらっているよ。そのうえであの孫氏が言を翻すとは考えにくい。とすれば、合流はせずどこかへ向かっている……と考えるべきだけど」

 

 自身の問いに答えたエルトシャンと満寵の手前で、フムと旋律は相槌を打った。

 そして両方の耳に手を添えて、意識を集中した。

 

「あの……丁奉さん?」

 胡乱げな朱桓にしっと呼気を飛ばして押し黙らせる。

 

 丁承淵に超人的な聴覚が備わっているのは、界隈においてはつとに有名である。

 ――もしや、陰に潜む孫堅の動向さえ、その耳は聴き取ることが出来るというのか?

 などという想像とともに、他の者は固唾を飲んで見守った。

 

 そんな彼らの熟視が意外であり不本意であったのは、他ならぬ旋律自身である。

 憮然としてゆっくりと両手を下ろした彼女は、冷めた口調で、

 

「……いや、いくらんでも聴こえるわけないじゃない。冗談よ冗談」

 と言った。

 

「えーと、ごめん盟友殿……()って良いかな??」

 満寵は笑顔を貼り付かせて問うてきた。

 

 ……耳に聴こえはせずとも董卓軍の侵攻は確実なものである。

 孫堅軍の助力はもはやないものと見限って進発した袁曹の連合は、程なくして董卓軍と対峙する。

 



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董卓(八):模倣犯

「――気張れ! ブチかましたれやぁッ!!」

 

 さながらやくざ者の出入りが如く。

 南糸での戦端は、霞の怒号で開かれた。

 彼女自らが中央先陣を切って敵中に突っ込み、偃月刀でもって雑兵たちを刻む。

 

 そんな彼女の叫びと刃は、詠の正義や信念よりも雄弁で、他の将兵たちを意気を煽り立てる。

 

 そして霞の一世一代の猛攻に対応できるのは、エルトシャンを置いて他にない。

 馬体を斜めに傾けながらその死角より躍り出た彼は、銀の剣を閃かせて張遼の眉間を狙う。それを柄でもって防ぐ。

 

 鋭い。そして速い。

 神速でもって鳴る己から、先手を取るなどと。

 

「エルトシャン陛下!」

「私に構うな! 後続は左右より回り込んで、敵の歩騎を分断しろっ」

 

 そして、強い。否、強くなってきている。

 競り合いながらもなお指示を飛ばすこの剣士。かつその命を実行する兵たち。

 一次、二次の宛城への攻勢の時よりも、格段と。

 

「クソがっ!」

 

 戦局としても、一武人としても、楽しむだけの余裕はない。

 霞は、孤立に先んじて馬首を返した。余人ならばまず看破に至らず両断されるであろう僅かな太刀筋の翳り、逡巡。それに合わせて刃を引く。戦線を縮小していく。

 

 後退を始めた霞は自ら後曲に身を置きつつ敵の刃や鏃を弾き、凌ぐ。

 袁術軍らしからぬ精妙で、間断なき戦ぶり。さりとて、ここまでの運びは予想の範疇に収まっている。

 陰のごとくいつの間にか控えて並走している、軍師荀攸の。

 

「将軍、軍師殿!」

「我ら、打ち合わせ通りに左右に展開し、両翼の胡軫(こしん)樊稠(はんちゅう)将軍の援護に向かいまする!」

「張将軍も、本懐を遂げられますよう!」

 

 そう意気込むのは、魏続(ぎぞく)宋憲(そうけん)侯成(こうせい)らの三副将。自分と同じか、ともすれば下回る齢の彼女らが前方へ再転身するを、

 

「……応、行けッ!!」

 と霞は送り出す。

 

「……然らば!」

「御免!」

「また、いずれ!」

 万感の想いや興奮より吹き出る汗みずくとなって敵の猛攻の内に突っ込んでいく。

 

 望むがままに暴威を奮え。

 想う様に散れ。

 再会を約したは泉下でのことである。

 

(――詫びは、入れへんぞ)

 そういう想いを刃の一振りとともに断ち切り、ねじ込まれた敵の横槍をくぐり抜けて後に荀攸を顧みる。

 

 鞍に仰向けに寝そべり、否、危なっかしくも引っかかりながら、それでいてひらひらと敵刃をかいくぐりながら、茫洋とした表情でこっちを見定めるようにしている少女を。

 

「…………余裕やな、割と!」

「でもありませんよ。この体勢、やってみたら割と保つのしんどいんですから」

 

 微妙にずれた答えが返ってくる。だったらそもそも、わざわざ、そんな姿勢でいる必要もなかろうに。

 

「そんなに力まずとも、ここまでは想定通り。敵将のエルトシャンは直線的。満寵は油断ならぬ智者なれども奇策は弄さず。黒生鉄心は呂将軍に匹敵しかねない武勇の持ち主ながらに歩兵。剣術の間合いに入らなければ負けはありません」

「……アンタ」

「さぁさ。ようやく見えて参りましたよ……我らが、『砦』が」

 

 そう荀攸の促す通り、丘陵を背に聳えるその『城砦』は規模としては小規模ながらも、如何なる巨城とて持ち得ない、攻勢の武気を放っている。

 

 霞は手勢を率いながらその手前で折れつつ、

「恋!」

 と、少女(ヒト)の形を成した最後の砦の真名を呼ぶ。

 

「任せて」

 

 いつもと変わらぬ表情。言動。だがその平常ぶりこそが好ましく、頼もしい。

 牙戟を奮えば追手の歩騎が誇張なしに、吹き飛ぶ。

 

 まさしく人中にあって別格、鬼神呂布これにあり。

 

「しかし、あの恋を壁代わりとか贅沢な使い方をするやっちゃ」

 あれが味方で良かった、と背を通してしみじみと感じる霞は苦笑混じりに軍師に意見する。すでに、さんざん議論をしてきたことではあったが、

「残り食糧乏しい中、呂布殿を駆動させるわけにもいかないでしょうに」

 そしてそれは、如何ともし難く霞も納得せざるを得ない結論へと至る。

 呂布奉先、最大の弱点はその無尽蔵の食欲と、あとは動物を大量に飼育する愛護精神だろう。

 千軍に匹敵する武勇を持つ彼女だが、その消費量も費用もばかにはならない。もっとも、平時においてはその働きを鑑みれば可愛いものだが。

 

「しかし、ねねをよう説得したなぁ」

「いや、将軍のことをよく分かっているのが陳宮どのですのでー。お任せしただけですよ」

「そうおだててウマイこと乗せたのは、アンタやろ」

 荀攸にしても、そうだ。 

 苦言こそ呈した霞ではあったが、とぼけた風体とは裏腹に、限られた人材兵数の内でよく切り回してくれている。

 嗚呼、と天を仰ぐ。つくづく悔いる。

 天にはそっぽを向かれたものの、確固たる地盤と、そして人がいた。

 なんと自分たちは、それを、それぞれに、十全に生かす機を今まで無為にしてきたことか。

 

 詠に全ての責任があったわけではない。

 月の指導者としての器量に不足があったわけではない。

 全ては、董卓軍中の生けとし者、死せる者に等しく怠惰を貪ったがゆえの罪科だ。

 

 だからこそ、彼女たちの分を背負って、自分が死地へと赴く。

 

 〜〜〜

 

「張遼、両翼と中央に出現!」

「同じ人間が三人に増えるわけがないでしょ! 三人の内二人は……いや、全員が替え玉に過ぎない! 友軍の丁奉軍に横槍を突かせて駆逐させてッ」

 

 本物の張遼は依然自分たちの進軍路の先にいる。それは過たない。呂布を隠し玉として投入してくる時機も想定内だ。驚嘆には値しない。

 

(けど、何故董卓軍本隊の姿がない……?)

 そのことと、敵の捨て石さえ辞さぬほどの戦意とそれを組み込んだ指揮ぶりが、勝勢に傾きつつあるにも関わらず海防を不安にさせた。

(いかにもな感じなのは)

 と東に首を巡らせる。張遼の逃げたであろう、群生林。

(……いったい、なんだ、この……?)

 漠然とした不安や予感とはまた別の戸惑いも、満伯寧の内にある。

 それは――既視感だった。

 

「張遼は罠! なので回り込んで呂布をやり過ごしますよー」

 などと意気込んで曹操軍朱桓が殴り込んでいったが、

(たぶんその読みまでは当たっている。だけど)

 ぎゃーす! ……と、汚い悲鳴が聞こえてきた。

 手早く確かめに行かせた物見が言うには、

「敵将曹性(そうせい)張済(ちょうさい)なる者らの伏兵あり。その射撃に手間取るうちに、迂回してきた張遼の本隊が痛打したのだという。

 

「かと言って、森を進めばすでに引き返してきた張遼が神出鬼没に襲いかかってくるでしょう。ここは自分の重装歩兵隊が先手を替わりますので、エルトシャン殿はその間に伏兵を叩いてください」

「わかった」

 

 そう指示を飛ばしつつ、自身の響きにはやはり拭いきれない違和感がある。

 方針は正しいはずだ。既視感など、本来あるべくも無い。

 戦場に、同じ物など一つとして無いのだから。

 

 ――だが、似たような戦場ならどうか?

 両翼への遅滞による、中央の突出。

 『砦』と森林による隘路への誘導と伏兵と射撃。

 まるで、これは……

 

「誰だか知らないけど、底意地の悪い者がいる」

 自身が抱いた所感からようやくその原因を突き止めた海防は、そう低く呻いて軽く奥歯を噛んだのだった。

 

 〜〜〜

 

 ――彼女は、ずっと観てきた。

 詠の不信によって冷遇されながら、空気(いないもの)として扱われながら。そして自身、その無為の日々に甘んじ、疑心暗鬼の凶刃に掛からないよう、無用者に徹しながら。

 

 董卓軍の凋落を。袁術軍や曹操軍の隆盛を。

 その戦闘の推移をごく自然と観察し、しかして第三者的に勝因敗因を考察し、ともすれば失敗した当人らよりも、その経験を糧と蓄えてきた。

 

 あらゆる芸事は、模倣より始まる。

 それは、戦術というある種の娯楽芸能とて例外ではない。

 

「上手く嵌った」

 

 第一次宛の戦い。董卓軍が没落の切欠となった、忌まわしきまさかの敗戦。

 持ちうる兵科、兵力、武装、将などの多少の差異こそあれ、攻守を入れ替えた形でそれは再現されたのだった。



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袁術(七):運命の断崖(前)

 きしり、と満伯寧の奥歯が軋る。

 尊敬する真田幸村。その差配を真似られることへの屈辱。それを許した己の不甲斐なさへの憤り。

 だがそれらは、海防の判断力を鈍らせるには至らない。

 

(この状況は、この策は……似ては、似せているが、同一のものじゃない。なり得るはずがない)

 

 そもそもの戦の意義が、彼らと我らでは根本から違っている。

 先に幸村が仕掛けたは専守防衛であり、今の彼らは侵略戦争である。

 乾坤一擲の奇襲戦は失敗に終わり、それでもなお諦めきれず小手先の術策で抵抗しているに過ぎない。

 すでに戦う意義を見失っている。

 

 ――本当にそうか?

 今彼らは本当に、捨鉢(ヤケ)となって無謀な特攻を仕掛けてきたのか。

 それにしては、あまりに統制が取れ過ぎている。

 宛を取らなければ、否取ったとしても先がないと知りながら、あまりに手早く守勢に切り替えた。

 

 ……あの時、自分たちは、真田幸村は何のために兵を指揮していた?

 その第一義としていたことは。領地居城を守護することか。董卓軍の撃破。名を中華の天に轟かせることか。

 否。違う。

 最優先されたことは。

 

「まさか……()()()()も同じかッ!?」

 鉄壁の守将の上体が、その不覚に大きく揺らいだ。

 

「海防?」

 眉をしかめて訝しむエルトシャンを、海防はらしくもない表情で顧みた。

 

「してやられました……董卓はすでにしてこの戦場にはいません! あの軍は侵攻軍じゃないんですっ、主君を逃がすための、殿軍です!」

 そこまで言い切ると、聡明な貴公子も敵の策の概要を察した。

 

 つまりは、袁術がかつて勝てぬと踏んで己と張勲らとともに寿春へ脱走を図ったように、董卓もまた部下を犠牲に西へと撤退しようとしている。

 違う点と言えば、彼女らが心底より主の人柄を慕い、護らんと身命を賭していることか。

 

「……どうする。この場を引き払って、追うか?」

「逆賊の逃亡先なんて限られてきますが……正面に敵を抱えたままに、確証もなく転身は危険過ぎます」

 

 今この進退ままならぬ状況に持っていくことこそ、敵の目論見だった。

 そしてこの状況に誘い込まれた時点で己らの負けは決まっている。

 

「曹操が子房殿は、大した姪御をお持ちね」

 口を挟んで来たのは、体勢を立て丁奉である。

 

「承淵殿、この采配に心当たりでも?」

「賈駆は陰鬱にして悲壮な音調とは色が違っている。柔らかでありながら豪放なこの指揮ぶりは、恐らくその副官で長らく冷遇されてきた荀攸かと」

 やや詩的な言い回しと共に、短く切り整えた指揮杖で空を切る紫紺の髪の少女に「なるほど」と曖昧に彼女は相槌を打つ。

「であれば説得は出来ないだろうか?」

 

 ――敵の総領が不在ならば、もう、このような無益な殺し合いなど良いのではないか。

 エルトシャンの目がそう言外に訴えてくる。

 

「無理でしょうね、荀公達殿は柔和ながらも硬骨の士と聞いている。たとえ文若自身が説得に赴いたとしても、それに乗るかどうか。彼女自身が翻意したとして、他が説得に応じるわけがない。むしろ、彼女の身を危うくさせるだけよ。そうして同士討ちによる決着をお望みとあれば、策として用いても良いでしょうけどね」

 と言う丁奉の返答に補足をするかたちで、海防も意見する。

「……エルトシャン殿が肩入れしたくなる気持ち、分からなくもない。でも」

 と、自らの円盾の内より、あるものを抜き取りながら。

 

 それは兵器などではなく、一枚の仮面。

 顔全体を覆う形の、氷の如き質感を持つ海龍の面。

 李典が朋輩オシュトルの面を打った時の試作品というものを、友誼の証として譲り受けたものだった。

 

 高い身長と、それに見合わぬ優しげな童顔が、彼女の身体的な負い目であった。だがその気質は優しさとは正反対の、敵にも味方にも峻厳にして不退転の覚悟と気迫で対する鬼将であると自認している。

 

 だからこそ、この竜の仮面を被る。

 この善悪定かならぬ陣営において、自らが拠るべき旗幟を明らかとするために。

 内においては綱紀粛正。外においては妥協も誘降も許さず。

 

「このたびの戦運び、この満寵にお任せいただいたはず。手を緩めるつもりは、ない」

 

 一つとして、同じ戦場はない。

 やはり、先の戦と此度の戦とでは、如何に猿真似を試みるとも大いに異なる。

 

 我らには時間がある。兵力がある。余裕がある。大局的な優位がある。

 

「早馬はすでに飛ばしました。朱桓殿を餌に、丁奉殿と我らとで張遼を誘い出しつつ時として牽制。鉄心殿を呂布に当てて時を稼ぎ、敵に回復の暇を与えず、援軍が到着次第、押し包んでこれを殲滅する。あれに残るは、董卓にとっては貴重な忠臣信奉者。それを失えば、どこへ逃れようともはや彼女に再起の目はない」

「海防……」

「そもそもですね、エルトシャン殿」

 

 面をつけたままに獅子王を顧みた彼女は、くぐもった声で言った。

 

「おそらく、彼女たちの勝ちでさえない」

 

 事ここに至り。信じがたいことながら。

 彼女には孫堅不在の理由の見当が、薄々つき始めていた。

 

 ~~~

 

 上庸より西へと続く断崖。

 董卓は、というよりもその月を馬車に乗せて、詠と近侍女官は進む。

 目指すは渭水本流。それより水路で西涼へ、故地へと帰る。

 

 すでにその大半は韓遂の手に帰している。それに頼ることは剣呑だが、それでも背に腹は代えられぬ、と。

 

 だが、向後のことにばかり心砕くこの知恵者は、今この時に頭上より向けられている獣たちの目を感知できずにいた。

 

 孫旗を畳みつつも、必中の矢をつがえた、南方の牙獣たち。そしてその筆頭たる孫文台。

 詠らの通過する断崖の上より回り込んだ彼女たちではあったが、その遭遇に戸惑っていたのは炎蓮を除く彼女たちも同様であった。

 

 唐突に進路を変えてこの場での待ち伏せを指示した棟梁に、祭ら重臣でさえも半信半疑であった。

 しかし彼女の野生の勘は老いてますます冴えて董卓が遁走とその退路を読み当てた。

 

「ほら見ろ」

 と傲然と嘯く炎蓮を、一二も無く追従してきた新参古参の将兵らはあらためて畏敬の念を新たにした。

 

「仲穎に、久方ぶりに逢いに行くかァ」

 ……あるいは、純然たる恐怖だったのかもしれないが。

 

 そして、それに遠方より対峙する少数の陣営がまた、孫家軍とはまた別の塊となって存在していた。

 

「……この目で見るまでは信じられなかったが」

 と重たげに口を開いたのは、郭汜であった。

 幻滅の眼差しを決死の脱出部隊に向けた彼女は、あらためて

「お前の言った通りだったな、李傕」

 と、相方を顧みた。

 

「……あぁ」

 しかして当の密告者は、鷹揚に頷くばかりである。

 

 その様子に若干の不審を抱いた郭汜ではあったが、それにしても許せないのは董卓である。

 

「今なお敵と死闘を繰り広げておられる諸将を捨て置き己らの安泰のみ図るとは……配下を見殺しにする主君などもはや主君に非ず! 孫家より先んじてその身柄を確保し、手土産に、袁術方に降らん!」

 そう憤ってみせるも、そもそも非を鳴らす権利があるのは今まさに見捨てられた――と郭汜が考えている――霞たちであり、参戦していない彼女ではないだろう。

 あえて声高にまくし立てるのは、自身の行いを正当化したい一心がためにすぎない。

 

 かくして、一つの時代を、それぞれのやり方で締めくくるべく、三種大小の勢力が、その限られた場に集結していた。



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袁術(七):運命の断崖(中)(★)

 李傕は薄く笑んだままに、すらりと腰の物を抜いた。

 それは武人、というよりも無頼漢や樵が用いるような、まがまがしく反り返った山刀。握りしめる手の内に強く爪が食い込むほどに、力が入る。

 

「阿多」

 と、彼女は相棒の幼名をあえて呼んでから、

「悪いね」

 と呟くがごとくに詫びた。

 

 なんのことか、と訝しむがゆえか。それとも背後に回った同輩の気配が、尋常のものでないと咄嗟に気づいたがゆえか。

 

 いずれにせよ、振り返った時にはすでに手遅れだった。その身は、李傕の凶刃によって貫かれた。

 

「な、何故……っ!?」

 信じられぬ、という目つきを彼女に向けたまま、蹴り飛ばした反動で刃を抜かれた郭汜は、崖を転がり落ちていく。

 

 悪かったのは、刺しどころか落下の最中の頭首の打ちどころか。

 いずれにせよ、地上、詠の前に滑り出た時には、彼女は絶命していた。

 

「――っ、敵襲、敵襲ーッ!」

 『友』の骸に驚き、嘆くよりも先んじて、董卓軍軍師は異変を部隊に告げた。

 

 予期せぬ事態に狼狽したのは、詠らのみならず、孫堅軍も同様だったことは言うまでもない。

 

「誰じゃ!? 先走りおったのは!?」

 まさかそれが董卓軍の同士討ちの結果だとは予想すべくもなく、祭は声を荒げ陣中に怒喝を放った。

「四の五の言うな! もう仕掛けるしかないだろう!」

 

 と勢い良く進み出たのは、劉表軍降将の魏延である。

 むしろこの状況を望んでいたが如く真っ先に殴り込んで行った彼女に引きずられて、老将たちは額に手をやり、

 

「たく、これだから青二才どもは!」

 と、常套句をもって嘆く。

「でも、もう他に手はないわよ」

 粋怜は呆れたように、だが焔耶を援護すべく自らの伏したる場所より討って出た。

 

 かくして、董卓を地上頭上より押し包んだ孫家軍は、そのまま一気呵成に攻め立てた。だが、その様相は当初の、

『一撃の下に董卓の身柄を確保し、そのうえで離脱する』

 という構想とはまるで違って、敵味方入り乱れての交戦となってしまった。

 敵襲を事前に気取った董卓軍も、決死の抵抗を示す。

 

 だが、兵力差と地の利は覆ることなく孫家に分がある。

 南方の蛮兵らが奇声とともに突貫すれば、董卓の近衛は帷のごとく引き裂かれ、その内より熱病に浮かされし姫君が顕わとなる。

 

「そこかッ、逆賊!」

 真っ先に切り込んでいった焔耶が、一番にそれを発見した。

 力を込める得物は、鈍砕骨(どんさいこつ)。外気を取り込み、その噴出による推進力にて加速。穿つ。技術体系を頭五つ分は飛び越したような怪作だが、その理屈を解さぬまま使いこなす焔耶の器量は、未熟なれども未知数だろう。

 

 そしてその特攻を阻むことは、いかな精強な兵たちであっても能わず。この地形では騎兵も満足に機能はしない。月の名を鋭く詠が呼ぶ。

 だが、その声が届くことはない。風を唸らせる鉄槌が、董卓の頭蓋めがけて天罰が如くに振り抜かれる。

 

 だが、一騎の駿馬がその僅かとなった間合いに割り込む。

 金音。交錯。流血。

 焔耶が荒々しい舌打ちとともに飛び退く。晒された二の腕に、紅き線が引かれている。

 

 その一騎、李傕は車駕に腕を伸ばし月を掴み上げる。

 そのまま小脇に抱えて馬首を切り返した。その騎影を唖然と見送っていたのも束の間、

 

「あいつ……っ!」

 と切歯した詠は、猛追を開始した。

 

 不退転の兵士たちに後に残された道は、鏖殺のみである。

 

 〜〜〜

 

 眼下に激流がしぶきをあげる。落ちれば、ます泳ぎの達者な者でも五分は助からない、と思えるほどの。

 李傕が行き着いたのは、その天然の険を壁とした、袋小路であった。

 

「おのれ李傕ッ、この機を狙っていたか、火事場泥棒め!」

 追いついた詠は、憤りのままにそう罵声を浴びせた。

 だが、その李傕の背が大きく揺らいだ。落馬し、あわや崖下へ転落するところだったし、月も頭を打ち付けるところだった。

 

「月!」

 

 だが、李傕自身の身柄が緩衝となって、月がその身を損なうようなことはなかった。

 しかして李傕は……口端より血反吐を噴きこぼしていた。

 肋の辺りは外傷こそないものの、どす黒く染まっている。

 

「……ドサクサに良いの貰っちまった。あの若造、良い腕と負けん気してやがる」

 その衝撃で揺らいだ眠り姫の意識は、その自嘲じみた独語によって覚醒した。

 

「え……あれ……李傕、さん……なんで」

 まだ状況に頭が追いついてはいないようだったが、自身の下敷きとなった女の、その咳音が、呼吸が、尋常のものではないと、まず気づいたはずだった。

 

 詠もまた、落ち着きを取り戻した智者としての視点から、気づくところがあった。

 

「……お前、ボク達を助けたのか」

 忠告したとて信じないから、郭汜を殺害して骸を落として警鐘とした。

 それによって孫家の伏勢を予期せぬ乱戦へと巻き込み、月の離脱の機を作った。

 

 やり口としては下劣そのもの。多くを犠牲にしてきた。だが、そのおかげで月は窮地を脱した。

 逆に月のために手を汚すも厭わぬと放言しながらも己は、結局汚れ仕事など何一つしてこなかったのではないか、と彼女は重く認めた。

 

「はっ……霞もアンタも公達も詰めが甘い。獣に人の道理が通じるものかよ」

 などと嗤う李傕は肯定も否定もしない。だがその挺身が、偶然や過失ではなく、敵将の打撃から月を庇ったがためであることは明らかだった。

 

「なぜだ」

 絞り出したのは、覚醒したばかりの月と同程度の、朴訥とした問いかけ。

 主人を主人とも思わぬ、傲岸な女。笑いながら主命に逆らい、不穏分子を煽り立て、月を人形と面罵した。

 そんな奴輩が、なぜ今更自分たちを救うのか。

 

「はん……ッ、ヒトの機微が分からんオンナだね。裏切る気なら、そもそもこんなとこまでついてくるもんかい。よくもそれで軍師が務まったもんだ」

「……なんだと」

 

 反発しかけた詠ではあったが、返す言葉もない。

 もはや認めるしかない。不遜であれ残虐であれ、李傕の忠節は本物だった。

 荀攸の件もそうだ。

 

 ここまで、少しでも己らの正義に違反したものを、排斥してきた。

 自身の理外にあるものを、分からぬままに遠ざけてきた。

 その意思統一こそが最強の軍勢、最良の国家の基であると信じて。

 

 それが、間違っていたとでも言うのか……?

 

「ごめん、なさい……ごめんなさい!」

 董卓が泣いた。涼州の覇王が落涙した。

 

 力が及ばずしてごめんなさい。

 こんな惨めな最後を迎えさせてしまってごめんなさい。

 武才を活かしてあげられなくてごめんなさい。

 夢を見せてあげられなくてごめんなさい。

 

「なにも出来なくて、ごめんなさい……っ」

 その陳謝は、統治者としては決して言ってはならないことだった。だがその面が割れた時、今までその奥で必死に押し殺してきた慚愧(もの)が露わとなった。

 

「函谷関からすべてが間違った方向に進んでいって……! そのせいで、華雄さんや令明さん、透ちゃんを死なせてしまってっ、でも今更後には退けなくて! 詠ちゃんに無理をさせて、そして今、恋さんや貴女まで! でも私は、私だけは、のうのうと生きてて!」

 

 溢れ出した告白に、詠もまた己の不甲斐なさを恥じ、眦を絞る。

 目を細めてそれを正視していた李傕は、

「……やっと、ハラ割りやがって」

 と、苦み走った咳を落とした。

 

「らしくもない役を負って立つから万事が歪むのさ。分相応に生き直すことだね……アタシは、そう生きてこれから死ぬ。悪党らしくね。アンタ亡くして生き延びたとして、どうせロクなことしないやな」

「そんな……でも、私は」

 なお頬を伝う月の涙に、節の立つ李傕の指が触れようとする。

 だが、苦笑

「そう、何もしてない。だから……まだ真っ当だ。このイカれた大乱世でね。結構なことじゃないか」

 

 そう嗤いながら、李傕はよろめきながら月を押しのけ立ち上がる。

 そして林の向こうの闇に目を凝らすと、

「じゃあね、小さな月。アタシたちの可愛い、お人形ちゃん」

 

 別辞を述べるとともに、悪党は疾走する。

 逃走ではない。武器を携えたまま、横顔は悲壮そのもの。そのまま棒立ちの詠の脇をすり抜け、闇へと向けて斬りかかる。

 

 ……その闇の向こう側で、銀光が閃く。

 李傕の腹背を貫くは、南海覇王。幾度も豪傑を露と消してきた剛刀。

 現れたのは虎の女王。その褐色の肌を、返り血が彩る。

 

「よう、董仲頴」

 

 破滅の現実が人の形、軍勢となって華奢な少女たちの前に立ち塞がった。

 

 

【李傕/恋姫(オリジナル)……戦死】



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袁術(七):運命の断崖(後)

「孫、文台……」

 

 詠は凍り付いた声で、その名を呼ぶ。彼女だけではない。むろん、後続でその兵たちが続く。

 まさか、もう突破されたのか。指揮官は離脱したとはいえ、皆死ぬつもりでここまでついてきた精強なる西涼兵たちが。

 

「久しぶりだな。辺章(へんしょう)討伐以来か?」

 およそ追い詰めた敵に対するものとは思えない気安さで、人虎は語り掛ける。

 まるで詠などその場に居ないかのように、歯牙にもかけない。たとえ彼女がその先回りして月を庇う位置につこうとも、視線さえも合わせない。

 

 逃げるにしても、すでに包囲は済んでいる。退くにもあるのは断崖と激流。

 元より天朝に背きし身。たとえ降伏しても、待っているのは首を刎ねられる命運。

 

 ――ならば。

 詠は、臥した李傕だったモノを、そっと見つめた。

 そして、彼女もまた、嫌っていたかの悪女に詫びた。

 疑ってごめん。見損なっていてごめん。そして……命を使って稼いだ時間さえも、無駄にしたことへの、謝罪。

 

 詠は月の手を握る。力強さがある。だが、泣きたくなるなるほどにか細く、柔らかい。

 

「ごめんね、月。ボクが、不甲斐ないばかりに」

「ううん。私の方こそ……辛い役目をさせてきたよね」

 

 ……果たして、次の()()は、なにに起因するものだったのか。

 求めていたのは万一の生か。あるいは自らの手での幕引きか。

 

「これからもずっと、友達だからね」

「うん」

 

 いずれにせよ、感傷的であり衝動的であり、それが互いに、双子がごとくに同調し、強調し合ったことは言うまでもない。

 

「待っ……! 早まるなァ!!」

 軍師らしき孫家の女の制止などもはや耳にも入らない。

 

 儚く微笑み合った少女たちは互いの手を握りしめて、そして崖下へと身を投じた。

 

 〜〜〜

 

 落下の音も、着水音も、紛れて聴こえない。

 それだけ、渭水の流れに連なるこの瀑布は荒れている。今日に限って、一層に。

 

 炎蓮は、差し伸ばした手を静かに引っ込めた。

 まるでそれが己のものではないかのような無機質な目つきで、見下ろしていた。

 感情の読み取れないその様子を、従者たちは怖気と共に見守っていた。

 

「祭」

「は、ははッ」

 さしもの宿老も、そんな大殿に呼ばれれば声も肩も、否が応に萎縮するというものだった。

 

「帰るぞ」

「さ、さりとて」

「あるいはッ、幸運にも生きているかもしれません! どうか、下流を捜索することお許しください!」

 そう進み出た冥琳に、つまらなさそうに睥睨しつつ、

 

「家族になることを拒み、立ち向かってくることもせず命を諦めるヤツなんざ、もうどうだって良いだろう」

「し、しかし……追い詰めすぎたのも予期せぬ乱戦となったことも我らの手落ち! なればこそどうか挽回の機をお授けください!」

「あぁあぁ、言いたいことはまぁ分かる。董卓の身柄を抑え、益州涼州奪取の旗頭とする。それが公瑾(きさま)や興覇の天下二分構想……だったな?」

「……如何にも」

「じゃあそっちは後回しだ。まずは東からカタァつけるぞ」

「揚州、ですか」

「ちょうど良い手駒を得たんだろう。いい試金石じゃねぇか」

 血塗れの女王は、臣下たちの前で袖を翻した。

 

「……虎の牙には、窮鳥さえも止まらぬてか」

 などと、低く嗤い声を立てながら。



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董卓(九・終):宿業

 やがて霞もまた丘陵に上がった。上がらざるをえなかった。

 それほどまでに、伏兵に叩かれて以降の袁術軍の追撃は慎重で、周到で、そして執拗だった。

 荀攸の縦横無尽の術策は、それなりに奏功したものの、確実に兵を減らされるたびに、採れる選択は徐々に狭まっていく。と同時に、戦線も縮小せざるを得なかった。

 

 ――本当に、この指揮に切り換えた者は、性格が悪い。

 

 そして時とともに、旗は乱立し、その軍兵は増えていく。

 まるで陸地を静かに満たす洪水のようであり、まさしく自分たちが陣する南糸の丘陵は、孤島であった。

 そこに乗り切れなかった魏続、侯成、宋憲の、影武者の任を負った三将はじめ多くの忠臣らはその波に呑まれて姿が見えなくなった。

 

「おうおうおう、狗どもがぞろぞろと」

 と嘯く霞ではあったが、疲労と苦境から背には汗が伝う。

 

「おなかが、空いた」

 と、ここに来て恋の消耗も限度が近い。地面に頬をつけて、ぐったりとしている。

 むしろよくこの大飯喰らいがここまで我慢をしてくれたものだと誉めてやりたいぐらいだ。

 

 音々音もその側で尻もちをついてへたり込んでいる。

 唯一顔色を変えてはいないのは、霞に並行して働いているはずの、荀攸である。

 

「で、今着いたのは誰と誰や? 両方とも『黄』でよー分からん」

「多分長江筋から来たのは黄祖、反対に西側から来たのは黄忠ですねー。旧荊州組も、あらかた着到したようです」

「打つ手は?」

「ここまで来たら、もう軍師の役目はナイナイです」

「そうか……」

 

 一つ頷いて見せた霞は、そのまま軍師を後ろ蹴にして吹き飛ばした。

 あー、と間の抜けた断末魔とともに、裏手の坂道を転がり落ちていく彼女に、

 

「アンタに最後まで伴させられん。完全に包囲されるまえに落ち延びぃや!」

 と、強制的かつ一方的に突き放す。

 そして自身は愛刀を無数の敵へと、あらためて、ゆっくりと傾ける。

 

「ねね、アンタらも、動けるんならその図体引っ張ってでも逃げや。無理なら大人しう降れ」

「なっ!? ……霞は、どうするのです?」

「決まっとるやろ」

 

 もっとも戦場を駆けずり回ったはずなのに、ふしぎと己こそが一番元気である。

 おそらく、手足の感覚も、生に対する執着も、死への恐れも、麻痺している。

 

 ならば、武人ならば、窮してもなお動く限りはひたぶるに前進あるのみ。

 その一身に主君らの業を宿し、己が身の整理をつけるのみ。

 

「張文遠ここにあり! 手柄欲しさに群れる雑魚ども、どっからでもかかって来いやァッ!!」

 

 制止の声を振り切って。

 総身をぶち当てるがごとく。

 霞は、雲霞さながらに押し寄せる敵勢へと斬り込んでいった。

 

 〜〜〜

 

(なーんて、カッコつけたはいいものの、か)

 

 嗚呼、如何ともしがたく。どうしようもなく、救いようもなく。

 生きている。

 どこをどう切り抜けたかも定かではないが、月夜の下、さびれた森をあてもなく歩いている。

 

 しかして満身創痍。一時でも油断すれば、そのままあの世へと旅立ってしまいそうだ。

 あるいはすでに、亡者となって魂魄のみで彷徨き回っているのかも、と思ったが、どうにもそうではないらしい。

 恋ほどではないにせよ、腹が減る。

 この身は、生きたがっている。

 

 何故、生き残ってしまったか。斬り死にしなかったのか。

 呪いがごとく、天命に抗うがごとく。

 魂に、刻まれているのだ。

 

『だから姉さんは生きて』

『生き残って、そしていつか見せてください』

『兵の差、器量の差、ありとあらゆる不条理を覆すような奇跡の戦を、張文遠の、大舞台を』

 

 圧倒的不利な中、手練手管を尽くして月と詠を逃がした。

 己も、味方も、命を使い果たして存分に戦い抜いた。

 それで良いではないか。良い戦ではなかったか。まだ、十分ではないというのか。

 

「……死んでもなお、欲の張ったやっちゃな……透」

 苦笑とともに、晒の上より胸を掴む。

 

 だが、死の刻限は近づいて来る。どうしようもなく、目に見えるかたちで。

 黒生鉄心という、老剣鬼の姿を成して。

 

「……よう」

 気だるげに、手を挙げる。

「アンタが、最期の相手っちゅうわけか」

 

 対する鉄心は、どこか不興げに夜天を仰いだ。

「偶然よ。ただ月を愛でに来たところに死にぞこないが現れたまで」

 月。なるほど確かに、木々を抜ければ松明など必要ないほどに、明るき満月である。

 

 納得しながらも、未だ握る偃月刀に力を籠める。

「やめておけ」

 と、鉄心はらしからぬ慈悲を見せた。

「憐れむなや」

 霞は気を吐いた。

「何度も刃交わした敵と味方が出合い頭。そらもう死合うしかないやろうが」

「ほざくな負け犬が。勝ち負けを論じるまでもないわ」

 それは霞とて分かっている。今の状態で挑めば、まず負ける。

 

「……わしが、先の世で最後に剣を交わしたのは、実の息子であった」

「……」

 

 月天の下、絞る眦に忌々しげな光が宿る。

 

「行き違い極まりて、ついには互いに勢力をぶつけ殺し合う間柄となった。多くの者を死なせた。が、わしはついには奴めを斬り損ねた……その後のことを想えば、斬るべきであったのか。和するべきだったのか。未だ答えが出ぬ」

「そんなお涙頂戴の昔語りなんぞ意味あるかボケ! やるんか、やらんのか!?」

「意味なく半可通を斬るのには辟易しておる、と申したまで。さりとて、向かうてくるなら、斬らざるを得ぬ」

 

 それを聞いて霞は安堵した。これで存分に斬り死にできる。透の遺言はともかく今更、生きて何とする。恋も音々音ももはや生きてはいまい。あるいは月たちでさえ、生死は半々だ。あそこには孫家はいなかった。あるいは回り込ん捕縛しているのかもしれない。

 何としても、その責任に報いねばならぬのだ。それも、己で首を刎ねるより、誇りある敵手との立ち合いによって。

 

「――だが、貴様には別の迎えが来たようだ」

 

 鉄心は、鬚の下の口を不敵に歪めて哄笑するや、樹木の闇へと溶けていく。

 あ? と訝しむ霞はしかし、横合いから飛んできた小柄な影に、一瞬対応が遅れた。

 その一瞬で、間合いは詰められ、霞の脇腹には短槍の石突がめり込んでいた。

 それでも、往時の彼女であれば容易に迎撃できたのだろうが。

 

 襲ってきた相手。それは、知らぬ間ではなかった。攻撃の際に漂う、何かが焼け焦げるような異臭も。

「破城……アンタ、なんで……」

 高順。

 元、董卓軍の少女は、揺らぐ霞の身柄を肩に担ぐと、

「せめてあなただけでも、助けに……人を降らせておいて、お一人だけ良い恰好ができると、お思いで?」

 というが早いか。

 意識を手放した霞を伴い、腰元の火薬を破裂させた推進力をもってその場を離脱したのだった。

 

 

【董卓……滅亡】



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???(?):賊の話をしよう

 ある男たちの話である。

 男たちは、賊だった。

 いわゆるあの黄色の巾を巻いた三馬鹿よりも低俗で、下劣で、悪辣な。

 

 稼ぎ場は家の内外や国境を問わず、時としてそれは戦場跡でさえ例外ではない。

 生きている者から追い剥ぐか、あるいは死者から遺品を奪うのか。どちらがより道徳に悖る行いであるかはともかく、彼らは実入のためならばいずれもやった。それも、躊躇いなく、率先して。

 

 そして今日も今日とて、堕落した魂たちは後者を行う。

 目ざとく嗅ぎつけたは、董卓軍の追討が行われた場より下流域。そこで転落した将兵の死骸を漁り、金目の物と見れば寸鉄であっても取り上げた。

 

 中央とは毛色の違う軍装を値踏みし、

「これは珍品」

 だの

「こいつは高く売れそうだ」

 だのと生前の思い入れなどまるでお構いなしに収奪し、自身を飾り立てていく。

 

 ここのところでも滅多にない稼ぎ場にすっかり気を良くした彼らは、さらなるお宝がないものかと貪欲に物色し始めた。

 

 そしてその場より少し離れたあたりに、一人の少女が流れ着いているのに気付いた。

 すでに事切れているのか。『悪漢董卓』の側女か女官か。擦り切れてこそすれ、纏う衣の生地は上等のものである。

 

 賊の一人が先んじて駆け出した。

 衣に手をかけると、白い腿が露わとなった。襟元から、未成熟であるが故の色香が立ち上る。久しく女の肌を感じていなかったその兇漢は、舌なめずりするや、その標的を衣服ではなく、その身そのものへと切り替え、膝に手をかけ開かんとした。

 

「おい、もう死んでんぞ」

「それにまだガキずら」

「構うもんかよ……へへっ、まだ温いや」

 

 目を血走らせてもどかしげに剥ぎ取ろうとする仲間を軽く咎め、呆れるような口調の残る連中も、非難はしない。むしろ、ケチをつけながらも股間に熱い血の滾り覚え、その相伴に預かろうと下卑た表情で集まっていく。

 

 

「おい」

 

 

 糞虫のごとき集りの外から声がかかったのは、その時である。

 訝しげに振り返ると、そこには見慣れる旅装をまとった青年が立っていた。

 明るい茶髪、顔の作りは、中華の人間のものではない。西域からの旅人か。

 否、青年の目元に浮かぶ荒涼とした気配に、彼らは同類の匂いを嗅ぎ取った。

 

「……あん? なんだテメェ」

「おこぼれに預かりたいなら、他所へ行きな」

 

 興を削がれた賊徒たちは、胡乱げにその彼を睨みつけた。

 だがそんな不歓待の様子になど構うことなく、男は一方的に続けた。

 

「『【牙】の名の下に裁きを下す』……この言葉に、聞き覚えは?」

 と、奇妙な問いかけをもって。

 

「はぁ? なんだそりゃ?」

「ワケわかんねぇことゴチャゴチャ言ってねぇで、とっとと失せやがれ!」

 対する賊徒の反応は、当然の如く冷ややかだった。ともすれば、先に彼の方を血祭りに上げんとする殺気さえ帯びているほどに、苛立っていた。

 

「そうか。邪魔したな……詫びと言っちゃなんだが、おれが代わりにその意味を教えてやるよ」

 軽い落胆の後、賊どもを見据えた青年は、

 

「……てめーらは、もうお終いってことだよ」

 剣を抜き放ち、その顔には激しい怒りと凶猛な笑みとが同居していた。

 

 〜〜〜

 

 ある男の話である。

 男は、賊だった。

 ただし、弱き者を収奪者から救う、義賊だった。

 その、はずだった。

 

 だが今は、その矜持は地に堕ちた。

 

 自らが斬り殺した賊徒の懐から、当面の生活費分の銭だけを失敬する。

 こんなクズどもなど何人手にかけようとも心は痛まないが、結局は彼らと同じことをしている己を、彼は恥じ、舌打ちした。

 

 いったい自分は何をしているのか。

 信じるべき正義はいつの間にか紛い物にすり替わり、それを歪めた相手に命を取られた。

 訳もわからないまま別世界に放り出され、居るかどうかさえ分からない兄や同胞の影を追ってあてもなく彷徨い、団の題目を今また汚し……

 これでは、正真正銘の『狂犬』ではないか。

 

「――くっだらねぇ」

 己を含めたすべてにそう毒づいた青年は、足速にその場を後にせんとした。

 だが翻したズボンの裾を、掴む者がいた。

 

 反射的に剣の柄にあらためて手をかけんとしたが、誰あろう服の一端を握りしめていた者は、死していたと思われたあの少女だった。

 

「詠……ちゃ」

 

 誰その名を切なげに呼ぶ彼女だったが、それ以外に漂流したのは、皆死者ばかりである。

 ――顔形などまるで違うのに、一瞬、別の少女のことが、笑顔が、涙が思い浮かぶ。

 

「……くっだらねぇ」

 あらためてそう毒づいた彼だったが、ついには見捨てることが出来ず、頭をガシガシと掻いた後、その華奢な身柄を抱え上げたのだった。



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エピローグ:新世界 〜四海鼎立〜
馬騰(四・終):悍馬の重荷


 その日、習性のごとく、馬一族は山野に狩りに出た。そこには、自身の回復度合いを確かめるべく、反対を押し切って出てきた翠の姿もあった。

 が、親子間のわだかまりはまだ埋まったわけではなく、なんとも言えない空気がその最中には流れていたことは確かだった。

 

 質はともかく、数をもっとも挙げたのは、蒲公英だった。

 (パオ)の内、直線的に得物を狙う従姉と較べこちらは狡猾に不意打ち罠など手練手管を尽くして小動物を手際よく狩猟していく。

 並べられた兎や山鳥などを見て、いかにも得意げな彼女に対し、翠は口を尖らせながら、

 

「まだ本調子じゃないんだよ」

 と言い訳をする。

 

(……いや、言い訳になっているのだろうか)

 と、碧としては思わざるを得ない。

「本来であればまだ安静にしてしかるべきだろう、むしろ今こうして狩りができるのが奇跡というものだ」

 と案じれば、長子は平然と、

「は? もう骨も繋がってるぞ」

 と言ってのける。

 

「ひぇっ、ほ、本当に人間か……?」

「それが実の娘に言うことかァッ!?」

 

 そうは言っても末恐ろしい回復力である。慄然とせざるを得ない。

 

「で?」

 そんな娘を適当にやり過ごしつつ、碧は少し離れたあたりにいる高順こと破城に

()()()()()

 と話を振る。

 彼女の傍らには、半死半生の客人……張文遠がいる。

 狩りの収穫という点では、この高順こそが最大の功労者だろう。

 なにしろ、董卓軍の旧友を遠出のうえで確保してきてくれたのだから。

 

 やや過剰なまでに介抱された彼女を、表情乏しく、自身の得物の部品を磨きながら、破城は、

「危機は、脱しました……張師君が出立する直前でよかった」

 と言った。

 言葉少なながらに、その横顔には素朴な安堵が垣間見える。

 

 

「死んだ方がマシってこともあるんじゃない?」

 と、輪虎が笑顔を張り付かせたままロクでもないことを言ったので、程度の差こそあれ、一同揃って冷ややかに睨み返した。

 

 毒気と語気が強いだけで、悪意あってのことではないことを、そしてある意味正論である碧は承知している。それでも、かつてはヘクトルが間に入ってくれたおかげでここまで摩擦が生じることもなかったのだが。

 

「……いや、文遠にせよ翠にせよ、命があるだけ良いだろうよ」

 しみじみと、馬寿成は言った。外を眺めながら、

 

「私は、もう数年と保たないそうだ」

 

 と告白した。

 幕舎の空気が澱んだ。時が停まった。

 その再動を固まった各々に促すがごとく、強めの風が舞い込んできた。

 

「張魯に保証してもらったよ。戦に出続ければ、さらに寿命は縮む」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」

 

 今の今まで押し殺してきた秘密を、ごく自然に、抵抗もなく碧は切り出した。

 言ってしまえばあっさりとしたものだと、狼狽する娘たちをよそに母は思ったが、それもそうかと納得もする。

 人は死ぬが必定不可避の理。自分はただ、他者よりその時を迎えるのが早いだけなのだと。

 

「……で、では……かつては、麒麟とも獅子とも畏懼されたお母様が、近年は戦を嫌ったのは、そのため……」

 

 ここまでの不審から、薄々察するところはあったのか。

 動揺が少なめな鶸が、そう切り出し、母の苦笑を誘った。

 

「麒麟も老いれば駑馬にも劣る、とは良く言ったものだ。もっと早くに打ち明けるべきだったよ」

 そう悔いを吐きつつも彼女は、未だ目の泳ぐ

 

「そこでまぁ、良い機会だ。後は若く強い駿馬に道を譲ることとした……翠、我が家を頼めるか」

「は!? いやその……何もかもがいきなり過ぎるだろ!? なんでこんな……っ、急に!」

 

 なるほど翠の単純さでは、処理しきれない事態の連続だっただろう。肩をすくめつつ、それでも碧はお構いなしに言った。

 

「諦めろ、誰にとっても万端準備整った家督相続など、ある方が稀だ。一族死に絶え、お前や蒲公英だけが取り残される、などということもあるぞ」

「滅多なこと言うなッ、だいたい……あたしは……」

 

 その歯切れの悪さは、唐突かつ強引に相続をさせられた、ということのみではないのだろう。

 そしてその虫の居所、感情の所在が、碧には分かる気がした。

 

「そうだ」

 と、碧は首肯した。

「お前は未だ、人の上に立つ器などではない。紅葉やヘクトルを死なせたのは、私の臆病さであり、お前の軽率さでもある。その罪からは、終生逃れ得んだろう」

「……だったら、なんで……」

「だからこそだ、お前のような跳ねっ返りのジャジャ馬、勝ち過ぎるぐらいの荷を括り付けておくのがちょうど良かろうと思ったまで」

 

 油断していると揺らぎそうになる肉体を正し、眼力を能う限りに宿し、

「孟起」

 と、娘の字を呼ぶ。

 

「これより先、お前の身は、名は、お前のみのものではない。西涼軍閥が筆頭、馬家がお前そのものとなるのだ……己の命も、他人の命も、決して粗略に扱うな」

 

 母として、先代として遺せる言葉を伝えた時、碧の肩から力が抜けた。

 代わり、揺れていた娘たちの瞳が、しっかりと重さを帯びて定まった気がする。

 ……どちらともに、決して悪くはない感触だ。

 

「……さぁさ! 重苦しい話はともかく、新たなる当主のため、ここはパーッと祝おうではないか! ほれ、さっさと食ってやらんと、射止めた獣たちの命が無駄になってしまうぞ」

 

 手を打ち鳴らし、空気を明るき方へと転じた碧はふと、蒼の隣の空白に目を遣って、そして細めた。

 

()()()も、どうかね」

 

 きょとんと目を丸くした蒼が、碧の視線の先を追う。

 そしていつの間にか己の隣に、見知らぬ少女が片膝立ちになっているのに気がつき、きゃあっと頓狂な悲鳴をあげて姉に齧りついた。

 

「コイツ……いつから!?」

 なんとか妹を剥がし、迎え撃たんと翠は苦闘しているが、襲撃や暗殺が目的ならすでに仕掛ける気はいくらでもあっただろうし、すでに少女自身、輪虎の双剣の間合いの内だ。

 

「よくお気づきに。さすがは西涼軍閥が頭領……いえ、すでにご隠居様でしたか」

「死に近づくほどに、感覚も鋭敏になってくるようでね」

 

 その面構え、存在が気取られてもなお肚の据わった物言い。

 若さに見合わず、少なくとも一、二の死線は越えているだろう。

 

 切るような所作で碧と翠の間に移動した少女は、拳を逆の掌に打ちつけながら、

「凌公績と申します。此度は、陳留王殿下ならびに天の御遣い北畠顕家卿の使者として参りました。辺境においてなお漢室の忠臣たる馬家に、庇護と助力を求めたく」

 

 多分に辛苦を含んだ笑みとともに、碧は虚空を仰いだ。

 天の配剤の、なんと意地の悪いことか。

 

 この荷は、新当主には、重過ぎる。

 

 新世界の始まり。西涼軍閥馬家。

 その勢力を減退させながらも、若き優駿たちは動乱の渦中へと放り出されようとしていた。



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董卓(再・終):迷い子たち

 ばちり、と割れるがごとく(たきぎ)が爆ぜる音で、月は目を醒ました。

 天を仰げば夜。いったいどれほど眠っていたかさえ明瞭とせず、ただ落下による骨折の熱と痛みで気絶と覚醒をくり返していた気もした。

 

 竹林の中、焚火の手前。

 呆然としていた月ではあったが、その前にぞんざいに、衣装の類が投げ渡された。

 見るからに凶暴そうな男が、火を挟んでどっかりと座り込んだ。

「起きたらさっさと着替えろ。その衣じゃ襲ってくださいって言ってるようなものだ……いろんな意味でな」

 あらためてみずからを顧みれば、手足への応急処置はそれなりに手慣れたものとはなっているが、自らがかつて政府高官であったことを示す朝服はすでに擦り切れて、使い物にならなくなっていた。

 しかも肌着一枚の上から、それを褥がわりに宛がわれていただけで、実際は裸も同然であった。

 

 あわてて我に返り、飛び火しないうちに新たな衣を悲鳴とともにかき抱く。そして身を屈して貞操を守らんとした彼女に、

「襲わねーよ、そんなシュミはねぇっ! 犯る気だったら最初からしてるっつの」

 ともっともな怒喝を返した。

 

 愛想は悪い。その無頼の風に卑しさはなく、着替えの最中に逸らした視線からは、むしろ不器用ながらも気遣いのようなものを感じる。そんな異国の青年だった。

 

「で? なんでおまえ、あんなところに倒れてた?」

 そして当然そこに行き当たるだろう。

 すでに天下の大逆人。生きていることが知れれば、たちまちに刑場の露と消え、その骸は京師に晒されて灯火を突き立てられてもおかしくない身上だ。

 

 だが、月は、その問いに着替えながら訥々と素性と、そこに至った経緯を説明していった。

 もとより一度は死んだ身。詠は、きっと蘇らなかった。今更己ひとりが生きてなんの甲斐があるというのか。

 

 それに、ふしぎと彼にそこをごまかすことは、悪手に思えた。

 この青年が、我が身惜しさや欲で、少女を差し出すような下劣な人間には見えなかった。

 そしてせめて誰かに、偏見なく自分たちを見てくれる誰かひとりには、知っていてほしかったのだろう。

 

 決して、私利私欲のために起ったわけではなかった。

 己のことはともかく、詠、恋主従、霞、華雄、透、李傕……

 星が流れ落ちるように、霜が春の陽気に融けるように消えていった、数多の同胞たち、そして敵将。

 彼女らは、悪ではなかった。純粋にその武と機略を天下に捧げたのだと。

 

「――なるほどな」

 男の感想は、それだけだった。武関での、あの天の御遣いの斧遣いと恋との一騎打ちには、何故だか少し……煩わしげな反応を示しこそしたが、自分からその感情の由来を口にすることはしなかった。

 

 彼がそれ以上の興味と感慨を持たなかったことには、少し落胆しつつも、安堵もしていた。

 

「私を朝廷に突き出せば、恩賞は望むままでしょう……覚悟はできています。如何様にも」

「馬鹿か。おまえが凶状持ちってこと自体は、拾う前から察しがついてた」

 

 試すようにそう言った月に、つまらなさそうに鼻を鳴らして膝を立てた。

 それを承知で、己は面倒ごとでしかない月を背負い込んだのだと。

 

「――負け犬が、今更何にありつくってんだ」

 と自嘲をしながら。

 

 相手には語らせつつ、青年は己自身のことは多くを伝えなかった。

 名をライナス・リーダスということ。他よりずっと遅れながら、最近になって自身が天の御遣いとしてこの異世界に落ちて来たことを人口より伝えられたこと。

 そして、おそらくこちらに呼ばれている兄を、捜しているのだと。

 

「それで、これからどうする気だ?」

 もたつきながらやっとのことで侍女の装束に袖を通した月に、ライナスは直截に尋ねた。

 確かなアテがあるわけではない。だが、

「馬騰殿のところへ」

 と月は答えた。

 

 上党から落ち延びた劉協……白湯が逃れるとすれば、消去法で勤皇の想い強い彼女とその軍閥を頼るはずだった。

 

「そりゃ、あのヤロ……そいつらの仲間ふたり、やっちまったんだろ? いくら同郷ったって、すんなり受け入れてもらえるのか」

 意外な物覚えの良さでライナスが疑念を示すのに、月は淡く微笑んで

「殺される、かもしれませんね」

 と素直に返す。

 

 だが、今なお曹袁に道理があったなどとはどうしても思えない。彼女らが手前勝手に布いた法の下に殺されることに、強い拒絶の念がある。

 殿下の御前で非力を謝し、鳳徳の仇として葬られるのであれば、まだ納得がいく。

 

「――後悔してるのか?」

 火を挟み、正面から睨みつけながらライナスが尋ねる。

「自分のしでかしたことに」

 

 それについて、振り返りつつ月はしばし無言でいた。

 意を決し、挙兵に及んだ当初であれば、義が我らにありと断言できたはずだった。

 だが今の自身の唇からこぼれ落ちたのは、

 

「分かり、ません」

 と消え入るような逡巡の呟きだった。

 

「あの時正しいと信じて疑わなかったことが……すべてを喪った今、そうは思えなくなっている」

 思い詰める前に、ほかに方法はなかったのかと、崖下に転落するずっと前から、気が付けば自問していた。己の悪癖だと知りながらも。

 

「……ちっ」

 野犬のものらしき遠吠えが聞こえて来て、ライナスは燃え木の一つを取ると立ち上がり、残るすべてを砂の中へ埋めて消した。

 

「あ、あの?」

「獣どもがおまえの血の臭いに気づき始めたらしい……もう体は温まったろ。さっさとここを抜けるぞ」

「……いっしょに、行ってくれるのですか?」

 

 あ? と、青年は怪訝そうに眉をしかめた。

 そして、己が申し出されてもいない同行を進んでしようとしていたことに気が付いたらしい。

 重たい吐息とともに、

 

「こっちだって、土地勘なんぞあるわけもなし、どこへ行ったら良いのかわかんねーんだよ。人と情報が集まる場所があるなら、そこへ案内しろ」

 などと、もっともらしいことを言って、背を向けた。

 

 月がよろめき、青竹を頼りにしつつ立ち上がるのを待っていた彼は、

「……『正しいと信じて疑わなかったことが』、か」

 と呟き、

「嫌なこと思い出させやがって」

 そう、毒づいた。

 一瞬、嗤っているかのように思えたが、それは炬火の揺らめきが見せた幻か。

 横顔は、相当に苦り切ったものだった。

 

「す、すみません」

「なんでおれに謝る。相手が違ぇだろうが」

 反射的に謝罪を口にした月だったが、相手の威圧感に怯え、また詫びんとした己の口をあわてて閉ざす。

 

 当然、月の歩行はおぼつかない。だが、それを補助するライナスではなかった。

 しかしそれでも、歩幅を狭め、足並みを揃えてくれてはいた。

 そこに、不器用ながらも配慮を感じ取った月は不満など口にするべくもなく、凝り固まった頬をほんのわずかに緩ませながら、雛のごとくついていく。

 

 消えたと思われた月は、どうやら雲の中に隠れていただけだったらしい。

 闇の竹林を抜けたあたりで、ちらりとその燐光を覗かせていた。



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袁術(八・終):友誼今昔

 江陵の州都、油江(ゆこう)あらため公安(こうあん)

 張昭、三成の言を容れて改名とともに勢力全体の本拠と定めたその場所のほとりに、英雄の墓がある。友の墓がある。

 

 この国の文化によるものか。丸く石造りで盛られたちいさな山ふたつを前に、同盟国へ来訪したエルトシャンは佇んでいた。

 

 シグルドと、そしてその従者アーダンの墓。

 

 意味までは読み取れずとも丁寧に掘り抜かれた碑文、華美ならずともしっかりとした作りの墓標は、新参者であっても勇者を賞する孫家の姿勢が見てとれた。

 

「……今度は、俺がお前を見送る側になるとはな」

 と苦笑をこぼす。

「いよいよもって我ら、同じ旗を仰ぐことの叶わぬ宿命にあるらしい」

 

 そう嘆いた彼の背後に、ふたつの影が近寄ってきた。

「エルトシャン……!?」

 息を呑む音。自分の名を乗せた懐かしい声。

 驚き顧みる彼の目に、自身と同様に驚きに瞳孔を開く旧友夫妻の顔が映る。

 

「キュアン!? それにエスリンも……!」

 

 〜〜〜

 

「……そうか、お前たちも」

「ああ、奇しくも袁紹殿の下にな……彼女が死に暇乞いして後、風の噂に、シグルドらしき人物の所在を知って、立ち寄ったわけだが」

 

 あらためてこの世界に飛ばされて以降の来歴を互いに語る。近しいようで隔絶のある両勢力に在って、彼らが如何様にしてここまでの乱世を乗り切ってきたかを。

 

 

 エルトシャンは墓前にて項垂れるエスリンの背に痛ましげな視線を投げた。

 涙しているかもしれない、とは思ったが、回り込んで覗き見る勇気はない。

 

 

「それで、これからどうするつもりだ?」

「さてな……しばらくは路銀もある。遍歴を続けてみるつもりだ」

「その後は?」

「騎士として仕えるか、あるいは一旗揚げて、戦乱にあぶれた人々の受け皿となるか」

 つまりは、これといってアテがあるわけでもないということか。

 

 ――もしよければ、共に……

 

 言いかけたエルトシャンではあったが、ついにその言葉が完全に外に出ることはなかった。

 今、自分がその主人が、置かれた立場。その姿勢や器量。それを想えば、おいそれと巻き込んでしまえるものではなかった。

 

「……ここへは、公務で来ている。見送りはできないが、道中の無事を祈る」

「貴方もね、エルト」

 兄の墓参りを終えたエスリンが、顧みてエルトシャンに近づいた。

 

「貴方は、(シグルド)と同じで真面目で、何もかも苦労を背負いたがるんだから」

 腫れぼったい目元を見返しつつ、

「お前たちに言えることではなかろう、それは」

 と皮肉っぽく返した。

 損な性分はお互い様だと、自嘲し合う。

 

 奇妙な感覚だった。

 かつては、シグルドを介して、キュアンたちとの交流があった。

 正面から対して、今ほど語ることなど『生前』はなかったのかもしれない。

 

 そして差し出されたキュアンと手を、この世界に来て初めて、透き通った笑みでにこやかに握り返したのだった。

 

 ~~~

 

 エルトシャンを副使として伴い、対董卓への援軍への謝礼のため訪れていたのは、真田幸村だった。

 そしてかの袁術軍の実質的総司令官も、あてがわれた宿にて旧友とのまさかの再会を果たしていた。

 いや、予感は、幸村の方にはあったのかもしれない。

 彼ほどの熱意と器量であれば、自分などよりもこの世界に招かれても不思議ではない、と。

 相手の方でも、幸村の驍名はすでに耳にしていたことだろう。

 

「老けたな」

 

 久闊を叙するにあたって、その男、石田三成から開口一番漏れたのが、この感想だった。だが御仁らしくはあった。

 

「……俺が敗れてのち、苦労をさせたようだ」

 と、その悔いへと続く。

 

「いえ、こうしてまた、三成殿とお会いできる日ができたこと、嬉しく思います」

 率直なまでの感慨を口にすると、若かりし頃と同じ姿の三成は照れたようにそっぽを向いた。

 

「武田勝頼もこちらに来ているが、奴にはあったか?」

「いえ、ですがおいおいは」

「左近もまた、来ていた……俺が成長をせず不甲斐ないばかりに、また、あいつは……」

「左近殿……またともに戦語りなどしたいと願っていましたが」

 成長をしていないと、らしくもない悔いを示す三成だったが、

「俺はあの馬鹿のためにも、生きて何事かを為さねばならん」

 それを素直に口にできるあたり、この意固地な男が少しずつだが自らの視野や世界を広げているように、幸村は感じ取っていた。それを想えば、左近の二度にわたる挺身も、決して無駄とはなり得ないだろう。

 

「良ければ、お前もともに来るか?」

「――ありがたい申し出ではありますが」

 

 申し出ておいて、半ばは断られると予期していたのだろう。

 お前の性格ならば、さもあろうと三成は重く頷いた。

 

「行状や世評を聞くだに、お前ほどの男が仕える価値などなさそうだがな」

 

 などと、しっかりと毒を言い残して。

 幸村はやんわりと苦笑を浮かべながら、首を振った。

 

「いえ、上っ面の行状や世評などでは読み解けぬものがある。あの方に奉公してみて、そう痛感しました。少しずつ、王者たる器量を備えつつあります。いま少し長い目で見ていただきますよう、孫堅公にはお伝えを」

 

 と頭を下げたあたりで、ふっと気配が幸村の背に降り立った。

 かつて我が家に仕えた忍たちにも勝りかねない、見事な隠形。

 に比して過激な装束に振る舞いで、幸村にのしかかり、逆向きに顔を覗きこませ、三成を動揺させた。

 

「ごちゅーしん。蜂蜜ちゃんが、お使いが終わったならすぐに戻って来いって、カンカンでござる」

「……なんだ、その娘は」

 

 幸村は、常に戦場と生死を意識する武士である。背を取られてもさしたる驚きもせず、やわらかな肢体を押し付けられても揺らぐことなく、

 

「あぁ、元は公孫賛殿の客分で、鈴女なるくのいちです。今は私の預かりとなっています」

「うい、なんか戦の超強いヒゲの真田がいるって聞いたやって来たら、別人だったでござる」

 かみ合っているようでどこかズレた二人の受け答えに、三成は神経質気味に柳眉を寄せて、

 

「相変わらず、偏屈な連中に懐かれる男だな」

 と言って、幸村の苦笑を誘った。

 

「名残惜しいが、互いにやることの多い身だ。お喋りもここまでにするとしよう」

 三成がそう言って立ち上がった。

「互いに、というと三成殿も」

「あぁ、荊州の異民族の解放を主張し、南部を荒らし回る連中がいる。それに対する孫権ら討伐軍の後詰をせよと、主命だ」

 

 そしてやや皮肉げな笑みを浮かべ、さらに告げた。

 

「賊の頭目の名はライコウなる獣人……その先手となる遊撃部隊の指揮官は、ユキムラ……雪村(ゆきむら)翔太郎(しょうたろう)だそうだ」

 

 ~~~

 

「良かったのか? 友のもとへ残らなくて」

 

 帰途の道中においてはさしたる会話も交わさなかったが、宛の宮廷に行き着いてから、エルトシャンは尋ねた。

 

「エルトシャン殿こそ」

 幸村は返し、

「孫家のご友人は亡くなられていたが、また別の友と再会されたと聞いています。加え、董卓軍との戦は熾烈にして凄惨を極めたとか……もし彼らとの同道を願い出たとして、私としては止める手立ても理由も、ありませんでした」

 と率直な物言いで自らの憂えを明かした。

 

 エルトシャンはすぐには答えなかった。

 迷ったことは事実。どちらかと言えば、招く側より、ともに出奔して旧友との親交を取り戻すことの方に魅力を感じたことも。

 

 やがて城内の御殿、その会議の席に、彼らは列席した。

 董卓亡き後の方針を定める重要な席である。

 その内でも軍務の柱石たる両将は最前列に身を置き、自然、階上の袁術の目に触れる位置付けとなる。

 かの少女は幸村の姿を認めるや、少女らしく表情を華やがせたが、それも束の間、オホンとわざとらしく咳払いし、強引に背を伸ばして支配者たらんと振る舞う。

 

 そんな両者の間の距離を、冷ややかな張勲の目線が一瞬よぎり、エルトシャンの感知するところとなった。

 一度誉れを得た者にとっては、知った感情、勢力が大きくなれば必然の摩擦。それを予期しながら、あらためて彼は朋友の横顔を見つめ、そして長らく放置していたその問いに答えた。

 

「先の戦いで誓った通りだ。私は、この世界で得た新たな友のために戦う」

 ――今度こそ、間違えない。

 何か……エルトシャンが危惧するようなことがこの勢力内で起これば、その時はこの、亡きシグルドとも己とも似ている士に、剣を預けるのだと。

 

「……ありがとう」

 

 殊勝なる感謝の言葉を柔らかな笑みとともに受け取り、そして互いに正面を向き直る。次なる戦に、備えるために。

 

「さぁ、では軍議を開くぞよ」

 そんな煩悶も誓いも確執も、知ってか知らずかどうでも良いか。

 袁術公路は晴れ晴れしく宣言したのだった。



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孫堅(八・終):騎虎からの独立

 護衛、という点においてはある意味魚沼宇水は適役だっただろう。残忍性を伴う本人の気質さえ無視すれば。

 

 挑発的な物言いで相手の意識を引き、好戦的な姿勢で護衛対象への注意を外す。何より守勢に長けた武術家としてのセンスと、自身が暗殺者であるがためのノウハウとが活きる。

 

 ……その宇水が、停まった。

 潰れ覆ったはずの目をその客人たちに向け、開いた上顎の裏に舌を張り付かせて。

 

「ね? だから言ったでしょォ? 宇水もこっちに来てるって」

「あぁ、女の勘ってのも存外に馬鹿にはできないな」

 

 立場と務めがおのずとわかる、鼻にかかったような女の声。せせら笑いそれに同調する男の声。

 それを聴くたび、宇水の身体は硬くなる。そして、心なしか小さく縮こまってさえいるように思えた。

 

 この三者に如何なる因縁があるかはさておくとしても、宇水のその委縮ぶりを、雪蓮とて容易に咎めたり、嘲ることは出来ようはずもない。

 白帯をまとったこの怪人を、前にしては。

 

 同じ部屋にいるだけで、身を焦がすかのごとき覇気。武というよりは暴ともいうべき気配の塊。

 強者とあれば悦び猛る雪蓮ではあるが、この妖鬼、志々雄真実と対するとなれば、無心でそうはありえない。

 

 ろくな供回りをつけず、左右に侍るは一部首脳陣。彼らも背に立たされ、みずからの情婦の細腰に片手を回す。

 それは油断かと問うことがあれば、彼は余裕と返すだろう。

 そして、有事の際にはこの由美なる女を襲いかかる雪蓮ごとに貫くことさえ躊躇しない。そんな気配がある。

いや、実際雪蓮がそう思案を過らせたことを、気取っているかさえ思える。

 

 ――だが、益州新興勢力に志々雄あれば、対面するは孫家の裔たる母、孫文台である。

 

「で、何をしに荊州まで来た? まさか婢と睦み合う様を見せびらかせに来たわけでもねぇだろ」

 似た者同士、ということか。母の佇まいは、志々雄の傲然たるそれと近似している。

 

「なに、ウチもようやく国一つ盗ったところでな。隣の先輩にご挨拶をと思ったまでさ」

 む、と雪蓮を始めとする武人たちが、その言葉に眉根を寄せる。

 益州の顛末は漏れ聞いている。韓遂の分隊と争う劉氏の隙を突いて漁夫の利を得たと。

 一方で、たしかに己らは荊州を奪いこそしたが、それは防衛戦の延長線上での、正々堂々たる智と武の応酬によってである。それと先方との非道とを同類視されることは我慢ならない……が、曲がりなりにも外交の席である。

 そしておそらく……正面からやり合っても、彼らは劉焉に勝っただろう。

 

「お互い、やることの多い身だ。互いに関わってる暇なんざ無いはずだ」

 その志々雄の言におや、と意外の念を覚えた雪蓮は、

「物々しい殺気で乗り込んできたから、てっきり宣戦布告にでも来たのかと思ったけど、不可侵協定か、盟でも結びたいってことかしら?」

 と、思わず口を挟んだ。

 

 彼女に向けられた、燃えるような双眸は揶揄とともに凶猛に(ひず)む。

 

「盟? そんなもん、俺たちの間で何の意味がある? 誓詞血判なんざ、クソの役にも立たねぇよ」

「なぁ!? 志々雄様!?」

 

 近侍する志々雄の懐刀らしき男が、驚愕とともに瞳孔を開く。

 その反応から察するに、おそらく本来の用向きはまさしく雪蓮の推察した通り、結盟。それをこの主が土壇場で翻したのだ。

 だが、対する孫堅は容易に姿勢を崩さず、むしろさもあろうと言った具合に首肯した。

 

「たしかに、必要ねぇ。互いに噛み合う時ではない。今は、まだな」

「さすが江東の虎。話が早くて助かる」

 

 諸葛瑾ら、同席する文官の多くが青ざめながら

(訳が分からぬ)

 と、謎かけが如きその応酬に顔を顰めた。

 

 一方で雪蓮は曲がりなりにも虎の子である。理ではなく、肌身の感覚で以て母らの意を汲んだ。

 

 用心なく背を向ければ斬りかかる。

 迂闊に喉笛を晒せば喰らいつく。

 無様に疲れを見せれば、殺す。

 

 さりとて肉食の獣は、種を異としても、言葉を交わすまでもなく、自然互いの縄張りを心得ているもの。

 手近な獲物を喰らうべし。

 孫家は荊南の蛮族ならびに揚州を。

 志々雄一派は巴蜀に割拠する旧権力の残党の駆逐と中原への進出を。

 

 やがて渇望が肥大化し、互いの領域を侵して殺し合う、その時まで。

 

「うちの馬鹿娘が温いことを抜かし、失礼したな」

「なに、構わんさ。馬鹿なぐらいが、後々楽しみが増えるってもんだ」

 暗黙の(うち)に互いの了解を納めたと見え、二人は立ち上がった。

 

「ふん、狂犬ぶりはこの世界においても健在のようだな……だがひとたび陣営が分かれた以上、後腐れもなく貴様を殺れるというものだ。覚悟しておくがいい」

 いささか調子を取り戻した宇水が、去り行くその背に強い言葉を浴びせる。

 鷹揚にその盲武人を顧みた志々雄は、その殺害予告を不敵な笑みを称えたままに受け止め、

「あぁ、その時は……愉しく殺ろうぜ」

 と返した。

 

 その後に、宇水の返事が続くことはなかった。

 

 ~~~

 

「今の、どういうこと?」

 全てが終わった後、雪蓮は炎蓮に尋ねた。

「見ての通り……だろう。我らは益州と手を組む」

 

 代わりに答えたのは、孫静である。

 日頃不気味に思っている宇水が苦る姿に気を良くしているのか。いつもより態度が肥大して見える。

「幼台、言葉は慎重に選べ。盟じゃねぇと言ったはずだ。伯符、貴様もすでにテメェの肚のうちで理解してるもんを、いちいち口にするな」

 だが、姉に睥睨されて、慌てて引き下がった。

 

「笑っちゃうぐらいの詭弁ね」

 だが雪蓮の方は、下がらない。

 母の前では萎えがちな勇を決死の覚悟で奮い立たせて、その炎渦巻く双眸に自身の虎眼を向き合わせた。

 

「孫家の武とは、民草を困窮より救い、天下にその矜持を示すものではなかったか。何故それが、袁術がごとき小娘に媚びへつらい、曹操の暴挙を傍観し、そして今また無道の掠奪者と迎合するようになったのか」

 

 一武人として、一義人として志々雄との関係に留まらずここまでの鬱屈を暴君へと傾きつつある家長へぶつける。

 

「策殿! 口が過ぎまするぞ!」

 祭が鋭く彼女を諫止した。しかしその身体は若殿へと並び立ち、その目は主へ向けられる。

 

「さりとて、我らもまた気持ちは同じ……」

「左様。盟を形にせなんだことはまだ良いとしても、あの手の暴虐は長くは続かぬが世の常……その滅びとともに、奴輩の関係を持ちし我らは後世まで嘲りの種となりましょうぞ」

 と、雷火も和同する。

 

「……いや、私は良き手と存じます」

 が、それらの背を言葉で打った者がいる。

 孫策の盟友たる、周瑜であった。

 

「冥琳……!?」

 いや、彼女だけではない。その隣で俯く程普、諸葛瑾もおそらくはその賛同者だ。

 

「よしんばあの者らと敵して益州を攻めたとて、敵の強さ、彼の地の要害に比して実入はあまりに少ない。天下二分計において、揚州荊州の基盤、涼州という足がかりを得て、巴蜀は初めて壁として機能する。現状荊北を袁術もとい黄祖に接収され、涼州の顔役たる董卓の確保に失敗した今、西を攻めたとて利はない。むしろ、北と西に曹操の南下を防ぐ緩衝、あるいは壁が出来たと考え、まずは雍州の劉耀攻めと荊南の地固めに注力すべきと考える」

 

 滔々と流れていく自身の軍師の主張。まったくもって盤石の正論だ。孫家の安泰のみを考えれば。

 

「……つまり、義と名を捨て、目先の餌と保身に奔るというわけ。はっ、それこそ獣の理屈じゃない」

「いちいちうるせぇ仔犬だな」

 首を揺らして骨を鳴らしながら、炎蓮は言った。

「貴様のようなひよっこが、一丁前に孫家の武について語るな」

「あら、分かってるつもりよ。少なくとも、今の母様よりね」

「なら、そのご大層な言い分を、何故会談の場で発さなかった?」

「……」

「貴様だって所詮は獣よ。戦う時と場と、そして相手を選んでいる」

「……どうあっても、この決定もその振る舞いも、改める気はないと?」

「くどい」

 

 低く一喝する母を前に、そう、と一つ相槌を落とし、雪蓮は自らの長髪を梳いた。

 だが、次の瞬間彼女の脚が、両者の間にある机を蹴り飛ばした。

 会談に用いられた什器の類が散乱するのを、雪蓮の不意打ちを予期していたらしい炎蓮はたやすく首のみ動かして躱す。

 

「じゃあしょうがないわねっ! 今日をもって、孫家は代替わりよ!」

 構わず拳を握り固め、雪蓮は母に挑みかかったのだった。

 

 〜〜〜

 

「……で、しっかり負けていれば世話ないな」

 担ぎ込まれた医局、その寝台の上で、うぐぐ、と雪蓮は切歯した。

 腫れた頬の治療の後、介抱に当たっているのは、女房役たる冥琳である。

 

「まぁ親子喧嘩に加減をしてくれる程度には、まだ人の心があるようでよかったじゃないか」

「よく言うわ、この裏切り者」

「その裏切りで戴くべき我が王を諫止出来たのだから、褒め言葉として受け取っておこうか猪武者殿」

 

 と、互いに悪態を軽く吐き合う。

 言わずもがなこの場合、王とは孫文台に非ず。伯符である。

 

「まぁ流石に言い過ぎやり過ぎとお考えか。揚州攻めの総大将はお前と決まったよ。軍権を剥奪されてもおかしくなかったろうに、良かったな」

「どうかしらね……体の良い厄介払いな気もするけど」

 

 不貞腐れたように寝相を変えて背を向ける。

 しばし考え込んでいた彼女だったが、やがてその考えや想いをまとめないまま口を開き、

 

「志々雄の幕僚の中に、見知った顔がいた」

「張郃か?」

「そっちは……まぁもう何度生き返ってもふしぎじゃないわ。陸遜よ。私が滅ぼした、陸家の娘。それが敵に回った。張郃にしても、崖から斬り落とした後死んだものと思い込んでた」

「……それが?」

「だからどーだってハナシじゃないけどね……そーやって考えなしに因縁を増やして、いったいどこへ向こうってのかしらね、私達は」

 

 最初は、自身の土地と、家族と誇りを守ればそれで良かった。

 他に攻め入るも、天下に気概を示すため。

 だが今、狂った虎に跨った孫家の行き着く先は……柄でないのを承知で、悩み、抱え込みそうになる。

 

「耳の痛い話をしているな……」

 と、端正な顔立ちを複雑そうにしかめつつ、勝頼が見舞いにやってきた。

 

「あら四郎。何か用かしら? ……耳が痛いって?」

「いや、こちらの話だ」

 自らを不祥の息子と過小評価しているがゆえか、勝頼はあまり己のことを話したがらない。打ち明けたのは、初戦での孫堅の勇み足を諌めた時ぐらいであった。

 

「それよりも、孫権殿が例の御仁をお連れしたぞ」

「例の御仁?」

「私が呼んだ。揚州攻略に、何より今のお前に必要な人材だ」

 

 上背の高い勝頼の背後から蓮華が、そして見覚えの薄い、青髪を短く切り揃えた娘が現れた。

 だが、その特徴と気骨は、直に彼女と対面した冥琳から伝え聞いている。

 

「文仲業です。ようやく旧主に見切りをつけたとして、従軍を願い出ています」

「あぁ、例の劉表配下の……」

 興が湧いてきた雪蓮は、身を起こして彼女を眺める。

 存外に小兵であった。

「でも大丈夫なのかしら? 貴女のお仲間、東興ではさんざん足を引っ張ってくれたけど」

「その汚名を払拭したく、陣借りを願い出た次第……家族ごっこにうつつを抜かし、腑抜けて不貞寝をしている方より余程頼れますよ」

「……言ってくれるじゃない」

 

 文聘は降将とは思えぬ骨の太い、辛辣な返しをする。

 正論ゆえに腹は立つが、その正直さは小気味良い。

 少なくとも、雪蓮を起き上がらせるに、何よりの薬となった。

 

 それにしても意外なのは、蓮華の沈黙である。

 以前であれば、文聘の発言に一番に目くじらを立てて話を遮ってきそうなものだが。

 

「仲謀、貴女の意見は?」

 そこで雪蓮は彼女と対峙した者として、妹に問う。

 この新参者に、異心有りや無きや、と。

 

「はい。言い方は多分に不遜ながら、なればこそ戦場で背を撃つような真似はしないかと。その将器も保障します」

 

 おや、とあらためて雪蓮は蓮華を視た。

 加入してきた者たちを頭ごなしに疑って保守に奔りがちだった彼女が、旧敵を公平な目で見、その言動を受け入れる柔軟さを得たようだった。

 シグルドの死、凌統の裏切りが、自省と成長のきっかけとなったようで何よりだ。

 

「だが、孫静殿は襄陽の統治。祭殿たちは炎蓮様、小蓮様と江陵の守備に就いたままだ。本来なら、志々雄と事を構える必要がない以上は、比重をライコウへと向けるべきなのだが……」

「文句があるなら他人(おや)の手を借りずに独り立ちしてみせろ、ってことね」

 

 冥琳より無言のうちに手渡された編成表を眺めながら、雪蓮は毒づく。

 侵攻軍は孫策を総大将に、周瑜、佐将に勝頼と文聘。

 そしてライコウに対するは、孫権を大将に据え、諸葛瑾、三成が参謀。甘寧とサーシャが武事を司る。

 兵力の多くは後者に割かれ、本来ならより多くの兵力を要する揚州側はいささか不足しがちである。

 その名簿を突き返し、意を固める。

 

「……決めた。母様がそういうつもりなら、そうしてやろうじゃない」

「というと?」

「私は、劉耀を降して揚州を手に入れる。その領地も、太史慈や赤毛の大将含めてそっくり頂く。そのうえで、自分自身の勢力(くに)を作る」

 

 もう虎の威を借りず、畏れる必要のないように。

 もうその反応を、おそらくは事前に察知していたのだろう。冥琳に驚きの色はない。

 

「お、お待ち下さい! それは……母様を裏切るということですか!?」

「向こうが暴走しないうちは、手向かいしないわよ。ただ、選択肢は多い方がいい。母様の暴力に従うか。それとも、私とともに別の道を探るのか……貴女は、どうする? 蓮華」

 

 と問うたところで、すぐに答えの出るものでもあるまい。

 そう構えていた雪蓮ではあったが、また彼女の予想を裏切って、すぐに次妹は口を開く。

 

「私の中では……未だ答えが出ません。今の母様へ盲従はできない。でも、ただ、真正面から逆らうだけで答えが出るほど、姉様のようには強くもなれない。だから……私は南へ向かいます。かの御遣いたちと戦い、あるいは語らうことで、自分なりの答えを探したい」

 

 自らの迷い、弱みを曝け出しながらもしかし、真っ直ぐに碧眼を向けて、偽りも飾りもない率直な想いを言の葉に乗せる。

 あの何処か劣等感から鬱屈していて、孫家がために気負い過ぎて頑なだった妹が、よくぞここまで……

 その躍進が喜ばしい一方で、寂しくもある。

 

「そう、だったら貴女のしたいようになさい」

 その空虚を埋めるかのように、雪蓮は自然、吐息とともに胸の下で腕を組んでいた。

 

「……ごめんなさい」

「良いのよ。ほら、顔を上げて」

 そう促して自らは腕を抜き、掌を開いて掲げてみせる。

 その仕草の意図を、一拍子遅れて悟った妹は、遠慮がちに、それに倣った。

 

「今度会う時は天下よ。蓮華」

「はい、姉様」

 

 そう固く誓い合った若き虎たちは、互いに手を打ち、重ね合ったのだった。



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劉備(五・終):虚ろの王

 漢中。

 かつて五斗米道の張魯の、手厚い福利厚生と彼女自身は望まなかった信仰心によって運営されてきたのももはや過去の栄光。

 彼女が降伏、退去した後はロイエンタールによって管理されて来たが、彼もまた蜀攻めの最中に脱落し、行方知れず。

 宙に浮いた支配権を、本来であれば下弁(かべん)の近郊で抵抗していた張魯の妹にして軍司令官たる張衛が奪還すべきなのだろうが、彼女は信仰徳治とは無縁の、徹頭徹尾武断の人である。

 

 彼女は自身の兵力を漢中の一、二に城塞に分散して割り当てても到底守ることも反撃も出来ないと判断を下すや、ロイエンタールによって押収され、城の倉に納められていた信徒からの貢物を略奪し、それを陽平関に持ち込み要塞化。戦力を集中させることに終始する。

 

 かくして人も富も去って空洞化した漢中が、かつての教祖に取って代わるまだ見ぬ仁徳に想いを馳せるのは必然であり、そこに敗走と流浪の果てに、かの大器が収まるのは、運命であったと言えるだろう。

 

 〜〜〜

 

 とは言え、かの劉備玄徳が大々的に彼の地に降り立ち、神の如く君臨したかと言えばそうではない。

 彼女は、むしろ持たざる者である。

 兵も無く、一部の忠臣たちは離散し、張魯の恩恵の残滓にすがって寄り集まった流民たちに混じ入るしかない、寄るべのない敗残の将。それが今の彼女だった。

 

 だが、上党での勇戦。その圧倒的敗北になお心折れず奸雄に抵抗するその姿は声望として西国に伝わり、慕う者も多かった。

 

 遠くの者はそうであったが、近くの者はどうであったか。

 いやむしろ、その熱望は後者のほうが烈しかったかもしれない。

 

 残った手勢を挙げて張衛が破壊した漢中の復興支援に当たった。

 力は無くとも自ら率先して工夫たちとその作業に従事した。

 智慧はなくとも、五斗米道の良識的遺臣たちと共に話し合い、時として諸葛孔明の智慧を彼らに惜しみなく分け与えた。

 たとえ医技は持たずとも、病み疲れた者がいれば、親身に手を取り夜通し励ますことがあった。

 

 ともすれば、欺瞞、偽善。為政者というよりも宗教家の手口であったかもしれない。彼女自身が、心底から人々を愛し、その救済を願っていたとしても。

 だがその献身は、荒んだ益州の人心に蜜の如く染み込み、あるいは張魯以上の信頼を、短期間に獲得することに成功していた。

 

 彼らが漢中に劉の仁旗を、と希うのに、おそらくはそれほど時を要さないであろう。

 他の英傑から一足遅れて得たその時流に乗るかの如く。

 漢中に流れ着き、あてもなく起居していた外れ星も、正式にそこに加らんとしていた。

 

 〜〜〜

 

「ちたたぷ?」

「そう、そう掛け声とともに、肉を刻むらしい。私も受け売りだが」

 夜天の下、男は鈴々の手を取り膝を乗せ、刃物を握らせ、鹿肉を切り株の上で叩いている。

 堅物の愛紗をして、睦み合う男女のいやらしさがないように見えるのは、この両者の間にあまりに歳の隔たりがあるからだろう。

 男は、もはや老境と言って余りある風情である。

 

 おそらく敵に城を利用させないという思惑もあるのだろうが、漢中城は張衛の手によってもはや廃墟と言って良いほどに破壊され、野晒しに等しき状態となっていた。よってそのある種、野営の趣があり、そのふたりの料理の光景は微笑ましい。

 ……その握っている器具を見なければ。

 

「おぉー、よく切れるのだ! この庖丁」

 と義妹は感嘆とともに目を輝かせるが、獲物の肉量を超えた長尺である。

 というより、どう見ても庖丁は庖丁でも人斬り庖丁……刀の、それもきわめて業物のたぐいである。

 

「ええと、土方(ひじかた)翁。その『庖丁』ですが」

「あぁ、またこれを握ることが出来て何よりだ。死に際し託したものだが、これが無くてはどうにも始まらん」

(……いいのだろうか、そんな大事なもので料理など)

 それ以前に、あまり物騒なものでこれから胃に入れるものに触れてほしくはないのだが。

 だが愛紗が問題にしているのは、実のところそこではない。

 

「妙なことを申しますが……我らはその刀に、そしてそのお名前に、憶えがあるのです」

 ――公孫賛配下の客将、土方歳三。

 曹操軍の不意を討たんとして、返り討ちとなった指揮官。

 ほぼ面識などないに等しいが、公孫賛に引き合わされた時に佩いていた刀と、今のそれは反りといい厚みといい、瓜二つなのである。

 

 かと言って、騙りにしては背格好はともかく両者の年齢は離れすぎている。

 ――いずれが偽者とも、思えない。

 

「なに、不思議なことでもあるまい」

 老いてなお色気ただよう流し目で、もうひとりの『土方歳三』は事もなげに答えた。

 

「語られる歴史のごとく、若くして函館で死した土方もいる。老いさらばえるまで虜囚の恥辱に耐え続けた土方もいる。おそらく分岐点はそこだ。そういう世界なのだろう? ここは」

 はぁ、と愛紗は生返事。第三者にとっては要領の得ないことだが、本人はそれで納得しているだろうから、それ以上は追及をしなかった。

 

「ともあれ、ご助勢には感謝しております。おっつけ、途上ではぐれた子明や士元もここへ参りましょう。戦力を整え次第、行動に移りたいところではありますが……」

 

 塁壁の上にいる桃香を見上げながら、愛紗は溜息をつく。

 毎度のことながら、おのが主君の腰は重い。

 

 たとえその意に染まらずとも、その意に染まないとしても。

 劉備玄徳をさらに飛躍させる劇薬になってくれれば良いと願う。

 今、その少女と対峙する『英雄』たちとの対談が。

 

 ~~~

 

「答えは、すでに決まっているでしょう」

 あえて確認するまでもないことを、紅の甲冑に身を包んだ貴人は進言する。

「先の略奪で、張衛ならびに五斗米道とかいう宗教勢力の人望は地に堕ちた。大義はこちらにある。今、貴女が凶賊討つべしと声をあげて兵を挙げれば、周辺の郡や部族はこぞって貴女につくでしょう」

 だが、桃香は眉を下げたままに俯きながら、

 

「でも……張魯さんがここの元々の主なわけで、その妹さんを倒して土地を奪うっていうのは……それに、張衛さんだって、漢中を守りたいって気持ちはきっと一緒です。城を壊していった以上はもう襲うつもりはないってことなのかもしれないし、和解とかはできなくたって、戦わない道もあるんじゃないかな……」

 道義に悖る、と彼女は拒む。だが、未だ王業に片足さえ掛けていないような状況で、手段や小義にこだわっている場合ではないだろうに。

 

「くだらん」

 吐き捨てたのは、相対する彼女……エーデルガルト=フォン=フレスベルグのものではない。彼女たちの背後に立つ、若い男である。

 

 黒と赤を基調としたその装束は、軍服というよりかは、学友ドロテアよろしく舞台に上がる役者のようだ。

 だがそれに反し、何者に屈することを許さないような、気骨と危うさを併せ持つ険しい顔つき。それに相応しく、他者との関わりを遠ざけ、常に人の輪から外れた辺りにいる。その男が、珍しく動いて詰め寄り、口を開いた。

 

「じゃあ貴様は、生活を奪われたヤツらに泣き寝入りしろとでも言う気か? 自分の仲間を見捨てて自分の身を安泰を図るような弱者に頭を垂れろと」

 

(弱者、って)

 大義を失ったとは言え、張衛が擁するのは宗教勢力の精鋭部隊で、接収しただけあって人員も物資も充実している。

 彼の視点や思想は独特で、合理主義者のエーデルガルトにはついていけないところがあった。

 

「物資を返してもらえるよう、朱里ちゃんを立ててお願いする」

「返すわけないだろう。あぁいう奴らは、格下の人間から奪うことが当然の権利だと考える」

「でも、あきらめたくはない。少なくとも、取り返しのつかないことになることを、簡単には」

 

 顔を近づけて凄む青年に、控えめながらも、劉備もまた見返し、視線を外さない。

 相手が可憐な乙女でなければ、きっと彼は喉首を絞りあげていたことだろう。

 しかし眇められた彼の眼差しはまるで、目の前の少女ではなく、その背の向こう側にいる、誰か旧知を見るかのようでもあった。

 

「付き合い切れん」

 しばらくの睨みあいの後、鼻を鳴らして吐き捨て、彼は去っていった。

 だが出奔する気であれば、見限る場面はいくらでも合った。不器用ながらも、存外に面倒見の良い男なのかもしれない。

 その攻撃的な物言いも、翻意というよりは発奮を促しているように思える。

 

 とはいえ、死を想像させる迫力であったことに違いはない。

 脱力して腰をつける劉備に、咳払いしてエーデルガルトは言葉を投げた。

 

戒斗(カイト)の物言いは極端だとしても、何も持たない貴女に、選べる手は多くはない。むしろ、貴女を逐ったその曹操の打つ手に、私は共感を覚えるし、分と理が備わっているように思える。ここで張衛にさえ譲歩をするというのなら、都に引き返して彼女と和解し、新政権の中で地盤を固めるべきね」

「いえ、それは出来ません」

「……なんで、そこは即答なのよ……」

 

 異国の女皇は、思わず額に手をやった。

 去っていった青年も扱いづらい人種に違いないが、それに対した少女もまた、難物である。調和対話をしきりに望むくせに、妙なところで意固地になり、他人の助言に耳を貸さない。

 みずからが曹操と相容れない理由について、きりりと眦を吊り上げながら、こう答えた。

 

「曹操さんのやり方は、たしかに天下から戦の無くすための近道なのかもしれない。でも、そのために多くの恨みを買っています。きっとここから先は彼女も、中華の多くの人々が傷つく戦いが始まってしまう……それを、止めたいんです」

 

 敵を多く作ったエーデルガルトからすれば、耳の痛い言葉ではある。

 もっとも、そうした荊道を選んだことを、彼女は後悔していない。それ以外の道を、模索する余裕など常になかった。

 

「――ねぇ、玄徳。私も敗れたうえでここにいるから、あまり偉そうなことは言えないのだけれど、先達として忠告はさせてもらえるかしら」

 と、いつになく下手に出た前置きとともに、エーデルガルトは言った。

 

「貴女の志の高さは認める。たとえ今は至弱の身だとしても、分不相応の夢だと哂うことはしない。けど、曹操の覇道を否定したとして、貴女自身はこの国をどうしたいの?」

「私……私、は……この地に住まうみんなを、笑顔に」

「どのようにして?」

 

 劉備は答えない。予想はしていたが、それが今の彼女の限界でもあった。

 

「敵に対する反発の理由も曖昧。自分の理想も漠然としている。いったいそれで誰の心を説くというの? 民を本当の意味で安んずることができるの?」

 

 良くも悪くも、自分と劉備は対極に位置している、とエーデルガルトは思った。

 自分には、目指すべき形、その為になすべきことが多すぎた。

 生まれついての特権の否定。超常の存在からの人類の脱却。そしていずれは、自国を蝕む闇との決別を……果たすはずだったのだ、と。

 

「おいおい、いくらなんでも詰め込み教育が過ぎるんじゃないのかい? お姫様」

 

 と、揶揄が横合いから飛んできた。

 脇を見れば、軍師孔明を連れ歩き、大股で近づいて来る男の姿が認められた。

 歳の頃は、土方に次ぐ年長者だろう。飄々としつつも、長い手足の動きには無駄がない、歴戦のたたずまい。いかにも好漢然とはしているが、その目鼻立ちには貴種の気配がにじむ。

 

「ゼネテス、その呼び名は好きではないのだけど?」

 吊り上がるエーデルガルトの眉と語調。むしろそれを楽しむかのように、肩をそびやかしてニヤリと笑い返す。

「じゃあ皇帝陛下とでも呼ぶか? 亡国の君主が一人そう名乗ったところで、虚しさが勝るだろうに」

「…………」

「そう怖い顔をするなよ。いやなに、お前さんのことは冗談言えるぐらいに気に入ってるんだ。知り合いに似てるもんでな」

「知り合い?」

「あぁ、俺の叔母だ」

「おば……ッ、喧嘩でも売りに来たのかしら?」

「おいおい、良い(ひと)だったんだぜ。忌憚なく認めてんのさ」

 

 劉備陣営において、エーデルガルトが話の通じる相手といえば、清濁併せ呑んだという点において、土方とこのゼネテスだろう。

 ――が、その物言いはどうにも好きになれない。

 

「が、こいつは冗談じゃなくて、急報だ」

 懊悩の最中にある劉備をそれとなくかばい、助け起こすようにしながら、ゼネテスは言った。

「はわわ! 桃香さま! 敵が来ちゃいました!」

「落ち着けって、それじゃ伝わらんだろうが」

 と、息せき切ってまくし立てる諸葛亮のことにもフォローに回り、少女たちが落ち着くのを待ってから、彼自身の口からその報をもたらした。

 

「張衛のヤツ、今更になって漢中が惜しくなったらしい。手勢を挙げてこちらに進軍中だ」

「そんな……どうしてッ!?」

「た、多分……劉焉さまを捕まえた志々雄さんの益州の完全支配が予想以上に早くなりそうだから、かと」

 狼狽しながらも、劉備軍唯一となった軍師は、外見と挙動に見合わぬ確かな見識を主君に披露した。

 

「それで泡食って、とるものもとりあえず手近なところを抱え込もうって算段だろうよ。要害固めて志々雄の北上を待ち受ける気か。それとも一帯丸々賊どもに献上して歓心を得ようって肚か」

「いずれにせよ、あまり利口とは言い難い立ち回りね」

 

 敵の拙攻に呆れ、エーデルガルトは吐息を零す。

 ともあれ、むしろこの侵攻は歓迎すべきアクシデントには違いない。

「玄徳」

 桃髪の少女の字を呼ばわり、若き女帝は作為無しに伝えた。

 

「誰だって、自分が悪だと考えて戦争はしない。張衛にせよ、曹操にせよ、そしてかつての私や貴女にせよ。そんな彼女たちの戦争を頭ごなしに否定したところで、理解や和解が生まれることは決してない。まずは貴女自身が多くの選択を身に付けなさい。視野を広げなさい。そのためには、泥にまみれ、力をつけることよ。それ自体は悪ではない。どう使うのか、貴女が考えれば良いのだから」

 

 かつて己にはできなかったことを説くおかしみが、苦笑となってエーデルガルトの口端にのぼる。

 だが、この少女には……彼女の前途には、自分と違い、まだ多くの余地が残されている。虚ろであるがゆえに、可能性は閉ざされてはいないはずだ。

 それを祝福するがごとく、優しい口調で伝え終える。

 

 娘は答えない。きっとまだ容易に首肯しがたいことであることは、想像に難くない。

 だがそれを拒みたい、否定できるだけの何かを、己の内に築き上げたいという気持ちが生まれれば、まずは一足前進、と思うこととしよう。

 

「……とにかく、今は張衛さんを迎え撃とう。皆、支度を!」

 顔を持ち上げた次の瞬間、劉備玄徳は初めて人君らしき号令を、よく通る声音でもって下したのだった。




本来書く気のなかった、完全捏造エンディング。
登場する御遣いは現時点での没キャラ、未登場キャラからランダムで選びました。

良かったね、嶋野の親父だとかヌワンギだとか千翼だとか瀬戸内寂沖だとかオルガ・イツカだとか出なくて。

あ、一応次回最終回です。


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曹操(十七・終):次なるソラへ

「――中原の騒乱も、ようやく収拾の兆しが見えて参りました。これも陛下の高徳ゆえでありましょう」

 

 かの昇官の議において。

 そもそもの騒動の発端たる曹孟徳はぬけぬけとそう告げた。

 

「まぁそれは当然のこととして……曹操殿の智勇も、少なからず貢献しておりましてよ。この趙忠、感じ入りましたわ」

 それに対して玉座の脇に控える最後の十常侍もまた、素知らぬていにて頷き返す。

 

「その功に報いるには、今の西園八校尉では不足がありましょう。事前の内示の通り、貴殿を然るべき官職を授けたいと陛下は仰せですが……」

 

 無言の帝にちらと視線を寄せつつ、彼女は続ける。

 

「よろしいのでしょうか? 貴殿が望むなれば、大将軍の職もお任せしたい、ともお考えですが」

 ――女狐め。華琳はそう毒づいた。

 誰がこの情勢下で、野心を露骨に喧伝するかのごとき躍進を望むものか。火中の栗など、誰が拾うか。

 

「大将軍の斧鉞は今なお逃亡中の何進の手にございます。それを取り返さぬうちには、畏れ多きことにございます」

 自身の能力の過不足については意図的に言及せず、華琳は頭を垂れた。

「ふふふ、たかが証など」

 袂を唇へ寄せつつ、宦官は言った。

 

「また作れば良いではありませんか。形式にとらわれるとは、風雲児たる曹操殿らしからぬこと」

「いいえ、天に一つしかないはずのものが、二つ別のところにある……それは、後々騒乱の種たる矛盾となりましょう」

 

 ――だが心は、常に上を向いている。

 俯いたままの、愚帝を睨み上げ、言葉を発している。

 

「それに小康にあるとは言え、この都一つとっても騒ぎは完全に収束してはおりませぬ。よって今は兵を方々に発するより、都を固め、政を正すべきかと。ゆえに今の曹操には、土木や政を司る『司空』の位こそ、もっとも頂戴したき職」

「……まぁ、なんと無欲にして健気な申し状でしょうか」

 

 三公の位をねだっておいて、無欲もへったくれもなかろうが、嫌味を承知で趙忠は褒めた。

 

「よろしい。では曹操、貴殿を司空の位に就ける――けれども、一つお確かめしても?」

「は。なんでしょう?」

「かつての何進張譲がごとく、分不相応に天下への野心などはお持ちではないと、その『無欲さ』はそう受け取ってよろしいのですか?」

 

 細められた眼差しに、氷の鋭さと闇深さを込めて、趙忠は曹操へ下問する。

 

「露の一滴ほども、抱いてはおりません」

 そして曹操は黄金の頭を持ち上げて堂々と宿阿を睨み上げる。

 真正面から、天下に向かって虚妄を吐いたのだった。

 

「……くー」

 そしていつの間にか蚊帳の外に追いやられていた当の帝は、寝息とともにその冠を頭上からこぼれ落としたのだった。

 

 ~~~

 

「しかし聞くだに腹の立つ趙忠の横柄ぶり……勝ち組を気取るあのような寄生虫をいつまで放置しておくのですか」

 

 早速に割り当てられた司空府の一室。口吻鋭く吐き捨てる桂花に、華琳は苦笑を思わず漏らした。

 謀才の多寡はさておき、妄信ぶりは似たり寄ったりだろうに。同族嫌悪ではなかろうか。

 

「放っておきなさい。董卓と組んでいたという噂を信じるならば、あれは玉座にさえ興味がない。あの帝の生活と生命が安泰であれば、人畜無害ないきものよ」

「……はぁ」

「それよりも、客人がようやく到着したようね。通しなさい」

 

 と、外に控える李衣に声高に命じて、執務室の戸を開けさせる。

 丁奉に伴われ現れたのは、小柄な影。だが顔から下の肉体は、その場の誰よりも女性的な魅力に富んでいる。

 

「あっ、おばちゃーん」

「誰がおばちゃんか! いや間違ってないけど、あんたの方が年上でしょうが!」

 

 と、桂花が客人に怒り出しかけるのを咳払いで制し、

「荀公達か」

 と、華琳は誰何した。

 

「あい~、いかにも荀攸にございます。ご挨拶が色々と遅れまして」

「上庸あたりでずいぶんと寄り道したらしいわね」

「はて、なんのことでしょうか」

 

 いかにも無垢らしく小首を傾げる。その面の皮を、厚手の衣服ごしに剥いでしまいたい凶暴な悪戯心に駆られたが、今日はもう化かし合いには辟易している。

 

「まぁ良いわ。出来れば手土産の一つぐらいは欲しかったけど、その代わりに、さっそく仕事をしてほしい」

「韓遂の件です?」

 

 さすがは董卓の殿軍を指揮した戦術家、と曹操は満悦とともに舌を巻く。

 見かけの愚鈍さに寄らず、道中の情報収集ひとつ取っても抜け目がない。

 

「そう、あのおば様、お株を取られて相当頭に血が上ったようね。潼関に向けて自ら本隊を率いて進発中よ」

 旧知であるがゆえに、その為人、もとい気性習性は、華琳もよく知るところである。

 よって、あの叛骨の怪物が、何に腹を立てているか。理解できずとも把握はできる。

「本隊、というと。別働隊もしっかり用意されてます、っと。迎撃軍の背後を伺う精鋭が」

 華琳は黄金の二房を揺らして頷いた。

「すでに我が同族の曹仁・曹洪に二軍を与えオシュトル、徐庶を副将にして関に入れている。貴女は『この者』とともに、先行する曹休と合流。その別動隊の抑えに入って頂戴」

 

 そう言って、開けっ放しの戸口に、華琳は再度首を巡らせた。

 入って来たのは、また骨細の少女である。

 ――否、『他』と較べれば華奢には違いないが、もはや骨細とも言えまい。まして、少女とも言えまい。

 この数月で、背も伸びたし、肩や脚つきなどもしっかりしてきた。それに合わせて、髪の後尾を切り落とし、服飾も男のそれに代わっている。

 

「なっ……!?」

 それを女だと信じ込んでいたらしい桂花が、声を漏らした。

 その反応にさしたるものも返さず、少年は手を拱く。

 

「司馬仲達、まかり越しました。兄司馬朗の喪も明けたことゆえ、本日をもって復職し、装いもあらたに曹操殿の、いえ華琳様が覇業がため、一層の忠勤に励む所存です……もはや、兄の悪趣味に付き合うこともありますまい」

「悪趣味、ねぇ」

 

 いかに恥ずべき悪癖であったとしても、血を分けた故人に対して散々な言いぐさであろう。

 果たして届け出どおりに『病死』であったのか。疑うべきところではあろうが、無用の詮索でこの天才を失うのは己の主義に反する。

 

「さっそくではありますが……僭越ながら、先の言葉を盗み聴きしてしまいました。その韓遂の報、華琳様には早い段階で察知していたように推察いたします」

「根拠は?」

「夏候惇、夏侯淵両将軍に豫洲近郊に回し、ヤン殿を青州都督の任を解いたうえで旧袁紹軍を益州の警戒に当て、意図的に司隷を手薄に見せかけることで、韓遂の侵攻を誘ったのでは? そこまで派手な交代ともなれば、信頼するに足る情報筋から事前に密告があった、ということではないかと表出した事績のもとに理論を組み当てたまでのこと」

 

 そして、以前ならばここまで踏み込んでは来なかった。

 身辺が片付いて、良くも悪くも心境の変化があったということか。

 

「長安の馬家よ」

 事もなげに、華琳は答えた。

「馬騰が隠居願をしてきたついでに、義姉妹の暴走を教えてくれた。もっとも馬家自身は長安に籠ったまま、韓遂を素通りさせる様子だけどね……何がしたいのやら」

「我々と韓遂とを争わせ、漁夫の利を狙っているのでは?」

 司馬懿――青狼の考察と競り合うかのように、桂花が進み出て言った。

「いえ、馬騰はともかく、馬超の性質から敵の背を撃つのは良しとしないかとォ」

 とその姪が反論する。

 

「時間稼ぎ、ということも考えられます」

「何に対してのよ?」

 みずからが嫌う男と知れたからか、あるいは競争相手であるがゆえか。青狼に対する桂花の語気(アタリ)は、かつてよりもきついものになっている。

 

「――たとえば、何に取りても守らねばならぬ物を抱え込んでしまったがゆえの、慎重さ、とか?」

 ぽろりと、何となしに荀攸の告げた考察が、その場の知恵者たちの視線を招き寄せた。

 

「青狼」

「……至急、ロイド殿に探らせます。過度に刺激しない程度に」

 

 知れ切ったような呼吸で、青狼は主君の命をよく汲み、それがまた桂花の妬心を誘う。

 華琳としては、何かにつけて他人には(から)く当たる彼女より、天の御遣いに近しい司馬懿や徐庶の方が彼らの扱いを心得ているという判断からで、個人的感情などではないのだが。

 

「しかし、その思惑に乗ってでもなお、韓遂は排除すべきと?」

「今は両方を相手にしている場合ではないということよ……関中方面は、早急に整理しておきたい」

 

 敵は韓遂のみに非ず。否、そちらが本命である。

 益州の野獣、志々雄真実。

 奴輩が中原を侵掠するよりも先んじて、少なくとも韓遂だけは。

 

「そのために此度は堅実に行く。私と桂花は都の固めに入る。仲達、公達、『二達』で文烈を支えてあげて頂戴」

「あい~」

「承知しました。さりとて、その別動隊の敵とは?」

「あなた達賢者に相応しき相手」

 

 と、華琳はあえて曰くありげに笑った。

 

「敵は、天の御遣い竹中半兵衛と、その弟子姜維――戦場は、おそらく五丈原(ごじょうげん)

 

 ~~~

 

 風の如く、時代を駆け抜ける英雄がいる。

 林の如く、時代を窺う賢者がいる。

 火の如く、時代を侵す悪鬼がいる。

 山の如く、時代に君臨する王者がいる。

 

 少女はそれを記す。

 時代を、人を。その興亡を、その光芒を。

 

 傲慢ともいえ、矛盾ともいえ、願う。

 今を生きる恋姫たちに、幸あらんことを。

 かつて死んで蘇った星霜たちが、悲願を掴まんことを。

 

 この世界は、そのためにこそあるのだから。

 

 ――さて、どこへ行こうか。

 ――誰を、記そうか。

 

 みずからの月旦評(デバイス)を閉じて、観測者は軽やかに飛び上がった。

 次なる時代(そら)へと。

 

 

【恋姫星霜譚】――閉幕



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あとがきという名の反省会

疲れた(第一声)

 

本当に長かったです。

まさかゲーム時間たかだか10ターン程度の出来事に、こんな分量と時間が必要だとは思いませんでした。

本当はこれがお試し連載で、オリジナル主人公か主役晴れる御遣いでリプレイ記書く予定だったんですが、ここでリタイアです。

 

私としても、課題の多く残る作品でした。

あとがきにかこつけて、それを連ねていきたいと思います。

 

・その1【引き出し、少なすぎ】

選出作品がことごとく一、二世代前! しかも日本史系で偏った!

読んでる作品はそれなりにあったとは思いましたがその中から

・無念の死を遂げたキャラ

・パワーバランスが極端じゃない

・従軍経験がある

・人殺しも辞さない

の条件で絞ると、めっちゃ限定されてしまいました。

あと、本当にメジャー作品をあまり読み込んでいない自分自身に俺は……ガッカリした。

連載中に多くの作品を提示してくださった皆様、本当にありがたくも活かし切れず申し訳ありません。

作品には反映されませんでしたが、そのうちの一部は次バージョンで追加したり、知ることのできる良い機会となりました。

 

・その2【話が暗い……あまりにも】

後悔を抱いて死んだ人間がメインなんですから、どうしても作品全体が陰を含んだ感じになってしまいました。あと、死亡ありきなのも上手く扱い切れませんでした。

これはキャラがどうこうというより、私の根暗さやマジメ系クズの面が悪い方向に出てしまったがためであります。

そうしたキャラより、何の過去もないオリジナル姫(?)武将の方が伸び伸びと描け、そのためむしろ彼女らの出番の方が多くなってしまったというのも一概ならず否定が出来ません。

 

・その3【話、とっちらかり過ぎ】

これが本当にキツかった!

誰だよ観戦モードのリプレイだからって全勢力の動き書こうとしたヤツ!?(自分)

これのせいでやたらめったら間延びしてしまった印象があります。

 

目に見えて贔屓してる曹操軍一本の視点で描くべきだったと途中の時点で後悔。

でもそれだと他のハーメルン二次創作と似たり寄ったりになってしまうジレンマ……ぐぎぎ。

基になったゲーム、野心が強めの袁術、曹操が能動的に動くから書きやすいんですよね。孫堅、董卓も野心多めではあるのですが、立地がひどすぎて劉表や袁術と漢を速攻で処理ルートじゃないとまず伸びないんです。

なお、現バージョンでは劉備も野心高めに設定しましたが、途端に狂犬と化して、袁紹と公孫賛のケツに平等に噛みつくヤベー奴になりました。

 

まぁざっくりとまとめれば、何かにつけて愚痴っていた以上の三本柱が、私なりの反省点でした。

大なり小なり無念が残る出来ではありましたが、楽しくなかったかといえば嘘になります。

 

あと、ひっそり開催していたオリキャラ人気投票へのご参加、ありがとうございました。

現時点での投票結果は

1位:司馬懿

2位:徐庶

3位同列:張郃・高順・凌統

となっております。

 

個人的に推しの場面に合わせて票数が増えてくれたのは何よりのうれしさ。

ただ司馬懿は完全に手癖と性癖によって造形されたキャラだったのに……この差に戸惑ってるのは俺なんだよね。

 

優勝賞品と言ってはなんですが、エピローグ時点での司馬懿くん像

 

【挿絵表示】

 

色合いとかが違うのはご愛敬でお願いいたします。

 

本シリーズの今後については、ちらっとリプレイ報告やアイデアなどを割烹に(規約に外れない程度で)あげていければなと思います。

二年前とだいぶプレイ環境が変わっているので、当初の約束通り本リプレイ記はここまでとさせていただきます。

 

次回作候補は以下の通り

 

本命その1:オリライダー中短編

本命その2:そもそも書かない

次点その1:本シリーズ登場予定だったオリキャラの悲しき過去

次点その2:NEXTジェネレーションズスピンオフ

次点その3:魔法少女もの別サイトから転載

次点その4:紀伝体風架空戦記

 

~~~大穴以下の底の底~~~

 

・これの続きかけやくめでしょ

・オリキャラでリメイク

 

といったところでしょうか。

あんまりラインナップが以前と代わり映えしていませんが。

 

それでは、ここまでの長い間のお付き合い、本当にありがとうございました。

皆様の声援やアドバイスあればこそ、ここまでモチベを保つことが出来ました。

縁がございましたら、またどこかでお会いしましょう。

 

ではでは!



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