リリカルハート~群青の紫苑~ (リテイク版有り) (不落閣下)
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~無印
1 「同期の戯れ、です?」


 遥か彼方より次元の波と呼ばれる空間を進む艦船があった。時空管理局本局次元航行部隊に所属するL型艦船に分類される第八番艦アースラである。幾多の次元航行任務で活躍した歴戦の老艦はリンディ・ハラオウン提督を艦長として受け継がれ、第二十三管理外世界航路に乗るため稼動していた。

 此度のアースラ艦の航行任務は管理外世界付近のパトロール。第一管理世界ミッドチルダ出身の魔導師による管理外世界への渡航及び転移を取り締まるのが内容である。リンディ・ハラオウンがアースラ艦の艦長に就任したのは約四年前の事であり、その息子である十四歳のクロノ執務官がアースラに乗る事は少なくない。

 経験を積むにはアースラ艦はクロノにとって最適な場所であるのは間違い無く、士官教導センター同期のアースラ通信主任兼執務官補佐であるエイミィ・リミエッタを加え、度々搭乗し気の知れたアースラスタッフとの関係が良好であるからだ。

 しかしながら、そのクロノは何故か悩む表情でありブリッジの一席に座って腕を組んでいた。

 クロノの悩みの種とは幼馴染である同年代の少年の事だと愚痴を語られるエイミィは知っていた。同じく彼も士官教導センターの同期であり、チームを組んでいた少年であるからだ。だが、彼は海ではなく陸、地上本部勤めの執務官であり、恩師であるゼスト・グランガイツが率いる防衛隊に叩き上げらえた時空管理局地上本部所属執務官として働いている。

 そんな彼、シロノ・ハーヴェイは白黒コンビと称されたクロノと同レヴェルのワーカーホリックであり、海に優秀な人材と取られる陸にとっては唯一の地上執務官でもあるため、激戦を強いられる最も危険な環境に居ると言って過言では無い。そんなシロノの有給休暇が一年程溜まっている現状に友人であるエイミィ経由でクロノに伝わったのが今回の悩みの種である。クロノも有給休暇が半年程溜まっているがエイミィやリンディにより適度な調整が行われているため、ストッパーの居ないシロノと比べればワーカーホリック度は低い。そのため、同期の友人として気の合うクロノにエイミィがクロノを頼ったのだ。クロノは自分の仕事がエイミィによりいつの間にか減っている現状に溜息を吐いた。

 

(……シロノは休みを取れと言ってもそう簡単に取れる環境では無い。さて、どうしたものか。最近エイミィの視線が痛いし……)

 

 そう、陸に居るシロノが自分で有給休暇を取らない限り、海の人間であるクロノたちからは越権行為と言われかねないので有給休暇を勧める事もできない。友人との世間話にしれっと入れる程度でしか説得は難しいのだ。それも海と陸の上官たちの諍いのせいであり、海に人材と取られる陸の希望になりつつあるシロノは過度な執務を放り出す訳にもいかない立場にあるからだ。

 仕事が悩みのせいで捗らない。気分を入れ替えるために悩みを解消しようと空中投影していた執務記録を保存して端にやり、クロノは長距離個人通信をシロノに繋げた。数コールの後、珍しくすぐに繋がって空中投影されたディスプレイに映った群青髪の少年にクロノは口を開いた。

 

「やぁ、お久し振りだねクロノ。ちっとばかし案件抱えててね、片手間で失礼するよ」

「ああ、突然にすまないなシロノ。率直に言うが休暇を取るつもりは無いか?」

「んー……、そうだねぇ。今の案件が山場だから終わったら取りに行こうかなとは思ってるよ」

 

 世話しなく投影したキーボードを打ちながら返事したシロノの言葉にクロノは耳を疑った。シロノは視線はやっていないがクロノの動揺を察した様で苦笑した口調で続けた。

 

「いやー、師匠経由で司令から命令来ちゃってね。三ヶ月程有給休暇消費しろってさ。なんかマスコミが最近ぼくの事を話題にし始めてね、悪印象の記事を書かれる前に一度休めってお達しさ。よし、これにてお仕事終了だ。そっぽ向いててごめんねクロノ」

「いや、こちらのタイミングが悪かった。気にしてはいないさ」

 

 クロノが一度執務官試験に落ちているために一年先輩な同期との会話は半年振りのものだったが、シロノの印象はあんまり変わっていない。だが、地上本部に執務部屋を持つシロノが映るディスプレイからクロノは察する。シロノの部屋には観葉植物で小さなサボテンが机の上にあるのだが、半年前に半分は見えていたそれが頂点しか映っていない。つまり、その高さ分シロノの目線が上がったという訳で。

 

「……シロノ。執務室のサボテンは変えたか?」

「んや? 変えてないよ。君から貰ったサボテンだよ? 激務でも枯らす訳にはいかないさ」

 

 シロノの友情的な笑みがクロノには見下ろすそれと重なってしまう。

 

(ぐッ。シロノめ、ついに僕の身長を越えたなッ!?)

 

 クロノとシロノは背が低い分類であったために、シロノよりも少しだけ身長の高かったクロノは低身長をあまり気にする事は無かった。だが、見ないうちに友人は二次成長の恩恵により身長を伸ばしていた。低身長同盟の裏切りを垣間見たクロノは若干成長に嫉妬したが、悪意のあの字も無い様子のシロノに毒気が抜かれた。事実シロノの頭の中はクロノとの久し振りの通信の喜びで低身長同盟からの脱退にかこつけてクロノを見下ろすつもりは無かった。そっと本心を隠したクロノは本題に思考を戻す。

 

「そうか、それは何よりだ。休暇は実家で過ごすのか?」

「んや、実家には里帰り程度で旅行でもしようかなって思ってるんだ」

「ほぅ、そうなのか。因みに何処に?」

「第九十七管理外世界――地球だよ。ちっとばかし興味があってね」

 

 そう語るシロノの瞳は何処か寂しげな色が見え、望郷と言った懐かしさを孕む口振りだった。クロノはそれに気付かず、第九十七管理外世界の事をマルチタスクで脳裏に浮かべていた。海の多い世界として魔法文化の無い分類に入る世界に興味とは珍しいとシロノの新たな一面に関心する。

 

「そうか。第九十七となるとアースラ経由になるかもしれないな」

「あはは、そうかもね。久し振りに顔合わせするのも良さそうだ。あ、そういえばエイミィもそっちに居るんだっけ」

 

 そうだな、と言おうとしたクロノの後ろから抱き付く様に現れた事により、言葉は詰まる。後頭部の柔らかい感触や時折異性として意識してしまう甘い女性特有の匂いにより、人物を特定したクロノは抵抗を止めて諦めた。シロノは前と変わらぬ友人関係に苦笑し名前を呼んだ。

 

「やぁエイミィ、お久し振りだね。元気そうで何よりだ」

「そっちも元気そうだねシロノ。お久し振りー」

 

 クロノに加えエイミィの登場にシロノは懐かしい気分になる。この三人で士官教導センターで主席チームになった事を思い出す。父の死により排他的であったクロノととある理由で我武者羅に自己鍛錬するシロノを、上手い具合に寄り合わせたムードメイカーなエイミィは姉的な異性だった。彼女のおかげで今のやや明るい関係があると言っても過言では無いので、クロノとシロノはエイミィに頭が上がらない。

 

「休暇のポーター利用でアースラに搭乗するかもしれないからその時はよろしくね」

「あれ、そうなの?」

「ちっとばかし働き過ぎってんで上司から強制休暇貰ったんだ。クラナガンが騒がしいから管理外世界にでも旅行しようと思ってね」

「あらら、お疲れ様。食事はちゃんとしてる?」

「まぁね。激務に耐えれる補佐官が居ないから自炊してるよ。今は地球料理にハマってる」

「へぇ、ならアースラに来た時にでも作ってよ」

「どうだかね。皮算用も結局は運次第だから期待しないでよ?」

「……それはどうかな」

「へ?」

「ううん、なんでもないよー。それじゃ、私は仕事に戻るよ。じゃあねシロノ」

「あ、うん。またねエイミィ」

 

 クロノはエイミィの呟きを確かに聞いているため、仕事ではなく私事を進めるのだろうと察していた。恐らくながらリンディに今の話をしてアースラにシロノを搭乗させる気なのだろう。シロノは陸戦魔導師AAA+、空戦魔導師AAA+のクロノと真逆な優秀な魔導師だ。流石に友情を出しに引き抜ける様な人物では無い事をリンディは分かっているが、一応それなりのアプローチをしなくてはならない立場なので仕方無くと言った具合にエイミィの相談に許可を出すに違いない。クロノの様子にシロノは何となくそれらを察して再び苦笑する。

 

「……ま、何かお土産買ってくよ」

「……そうだな。よろしく頼む」

 

 クロノはシロノとの通信を切り、苦笑しながら友人との再会を楽しみにしていた。もっとも、その際に身長という絶望にクロノが直視するのだがそれは余談である。



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2 「運命的な出会い、です?」

 シロノ・ハーヴェイは転生者である。つまり、前世の記憶がある。

 十八歳になる前に病死した前世の世界で見ていたアニメ『魔法少女リリカルなのは』の世界であると気付いたのはミッド語に慣れた生後二年後の事だった。ハーヴェイというとらいあんぐるハートのおまけであるリリカルおもちゃ箱のクロノの偽名である筈の家名に気付いたためだ。そして、クロノの反対とも呼べる様なシロノという名前が後押しした。んな偶然在り得てたまるか、とパソコンをこっそり使って調べた地名にクラナガンがあったのがトドメだった。

 『魔法少女リリカルなのは』の世界に転生した事実にシロノは素直に喜ぶ事ができなかった。stsまで視聴済みであるが故に尚更だった。管理局の脳味噌たちに支配された世界であると知っていたからだ。所謂アンチヘイト側の感情を持っていたのだ。しかし、父のクロウ・ハーヴェイは陸の執務官だった。父の生き様は本当にあんな自己中心的な感情で構築されているのか、と自問し見つめなおして、アニメの世界というフィルター越しで現実を見ていた事に気付けた。そんな自分が恥ずかしく思ったシロノは転生者であるのならば、世界の先を見据えて行動するよりも今、この瞬間の気持ちに正直になるべきだ、と答えを出した。

 陸の執務官になる。それがシロノの夢であり、父の生き様を追い掛ける目標になった。これと言ったレアスキルも無かったが、父親譲りの魔法の才能が開花し、執務官になる経験を積むために士官教導センターに入学した。もっとも、父の死という背景がある排他的な暗いクロノとルームメイトになるとは思っていなかったが。

 原作と呼ばれる道筋に関わる可能性があるという魅力的な選択肢に抗うために無心で自己鍛錬に励んでいたからか、クロノ経由でエイミィに出会い、無理矢理でも友人関係と呼べる関係になった時点で色々と諦めたシロノは目標である執務官の道に走る事になった。その甲斐があってか、十歳の若さで最年少執務官となり、試験に落ちたクロノを慰める嵌めになったのは良い思い出である。父であるクロウは闇の書事件での怪我で療養という引退を果たし、親友とお揃いだというS2Uをシロノは受け継いだ。陸の執務官の息子というコネでレジアス・ゲイズ司令の斡旋でゼストが所属する防衛隊で一年間叩き上げられ、立派な陸戦AAA+の魔導師になってからは沢山の案件によりクロノも吃驚なワーカーホリックな生活だった。

 そんな回想をしつつ日本の山の中に次元転移したシロノは山の中を歩いていた。と言っても富士の樹海の如く深い森ではなく裏山程度の森である。結局アースラは仕事の関係上御破算となり、レジアス司令が保有する次元航行艦により、こっそりかつ法に則り地球へ降り立ったシロノは街に向かっていた。

 

「おお……、これが海鳴市か。まぁ、時間軸的にはまだ先なんだけどもね」

 

 背の高い木に登ったシロノは海鳴市の美しい光景に目を奪われながら呟く。シロノの目的は海鳴市の翠屋に居る天使こと高町なのは――では無くシュークリームだ。地球の回線で検索した翠屋の評価は高く、絶品な甘味と若すぎる夫婦という謳い文句に惹かれたのがきっかけである。それに、なのはが美少女であれども小学三年生に欲情する十三歳では無い。シロノはどちらかと言えば魔法の常識を覆す様な砲撃バトルに惹かれた性質であった。なので、特段ヒロインズにこれといった感情を抱いていない。執務官の夢を叶えているが故に優秀な補佐官が欲しいとは思う程度で、彼女にしたいだとかは思っていない。ただまあ踏み台転生者みたいなのが居るならばしょっ引きたい気分ではあるが。

 数分程海鳴市の光景を見ていたシロノがそろそろ降りようかと思い視線を下げた時だった。何やらこちら側に走ってくる黒いワゴンを見つけてしまった。何処かにお出かけかな、と思ったが少し先の廃棄された様なボロいビルの前に止まったのを見て嫌な予感がした。視覚拡張の魔法を使って運ぶ何かを見れば、紫掛かった艶やかな黒髪の少女がぐったりとした様子で運ばれていた。

 

「あー……、誘拐現場って奴かな。確かに何かそんな設定あったね……」

 

 だが、目の前の世界は設定であれども現実に起きた誘拐事件である。そして、執務官という刑事と形容しても過言ではない立場であるシロノは、放っておくという選択肢を選べなかった。原作キャラとは言え小学生の女の子だ。シロノというイレギュラーが居る世界で、原作通りの展開が始まるから今は大丈夫だ、という楽観的な考えは愚考としか思えなかった。

 

「よし、やるか」

 

 直接的な魔法抜きでの潜入を決意したシロノは、バリアジャケットに追加設定にしてあったTシャツジーパンスニーカーという地球的に無難なファッションに身を包む。本来なら市街地見回りに使う言わば私服警官的なバリアジャケット設定である。この場面なら特段あるまいと自己完結したシロノは身体強化の魔法で跳躍し、廃ビルの屋上に降り立つ。探索魔法により内部の状況を把握したシロノは他の車が来ていない事を確認して、アンカーを壁に打ち込みその先に伸びるチェーンを使って地上に静かに降りる。使用したアンカーバインドは役目を終えて虚空へと霧散した。

 辺りを見回し武器になりそうな錆付いた鉄パイプを掴み、手に返ってくる感覚を確かめてから入り口に張り付いて中を見やる。左脇の懐を不自然に膨らませた黒いスーツの男は何処か暇そうに携帯を弄っていた。

 シロノは男が欠伸をして気を抜いた瞬間に進入し、後ろから頚動脈を極める様に首を絞めて失神させる。屋内に居る犯人グループを魔法反応が出る魔法を使わずに制圧する術をゼストより文字通り叩き込まれたシロノにとって余裕のスタートだった。寄りかかる男を床に下ろし、懐から拳銃を抜き去り弾倉を抜き取ってS2Uの収納領域へ放り込む。

 廃ビルの高さは三階。サーチの結果一階に一人、二階に三人、三階に三人が居ると把握しているシロノは上へ続く階段からの増援を気にしつつ一階を制圧。そして、一階にある脆い瓦礫を拾って階段へと放り投げた。鈍い音が階段に響き、様子を見に来た二人を天井の鉄骨にぶら下がったシロノは上から強襲する。

 

「こっちを見ろ」

 

 態と声を出して気付かせたシロノは、跳ね上がる様に上を向いた二人に手の中に残った瓦礫の砂を叩き付ける。男たちはサングラスを付けていたが真上を咄嗟に見た際に大きく揺れて、放たれた砂はサングラスを避けて目元へ直撃する。

 

「ぐっ!」

「うわっ!」

 

 痛む目を押さえた二人の腹を拳で強打し、痛みで悶絶した隙を付き両肘を顎に当てる。脳震盪で崩れ落ちた二人を一瞥し、再び探索魔法で小規模サーチ。二階の一人が階段を下りて来ているのに気付き、倒れた一人を引っ張り分かりやすい位置へ放る。シロノはすぐさま二階への階段の入り口付近の壁に張り付いた。

 

「サボってんじゃねぇよ。って、おい? どうした」

 

 床に倒れた一人に近寄ってしゃがんだ男を後ろから絞め落とす。どさりと男が倒れた際に仰向けに倒れベルトが目に入る。ベルトを引き抜いて三人の両腕を一纏めに固結びで拘束しておく。サーチして二階に誰も居ない事を確認した後に三階へと忍び寄る。肩越しに中を見やれば黒髪の少女は後ろ手を縛られた状態で壁へ寄りかかって寝かされていて、その姿を椅子に座った小太りなスーツの男がワイン片手に下卑た笑みを浮かべている。その後ろに巨漢の護衛が控えていた。

 

「くくく……ッ!! 漸くこれで夜の一族の遺産がわいのもんになる……ッ!! ふぅぅ……。さぁて、そろそろこの小娘起こしてやらんとなぁ。おい、起こせ」

 

 ワインの中身を飲み干してグラスを床へ放った男が顎で巨漢の一人を動かす。巨漢はのっそりとした様子で少女の肩を揺らす。ん、とうっすらと瞳を開いた少女は一瞬目の前の光景に唖然としてから目を見開いた。

 

「な、何!? あ、ああぁぁ……ッ!」

 

 徐々に誘拐された経緯を思い出した少女はキッと椅子に座る男を睨んだ。その様子に愉悦を覚えたのか、男はにたにたと下卑た笑みを浮かべて立ち上がる。少女を起こした巨漢の男がのっそりとその男の後ろへと戻る。成年した男から見下ろされた少女は睨みながらも目尻に涙を浮かべた。

 

「安二郎おじさん!? 何でこんな……ッ!」

「悪いなぁ。わいみたいな凡才で容姿も悪い奴は、金を頼みとしなければ幸せを掴むことが出来ないんや。だから嬢ちゃんからも言ってくれや。わいに遺産を寄越してあげてってなぁ」

「……そんなにお金が欲しいんですか?」

「そうや。なぁに、お前みたいな化物にはお金は要らんやろ? 血さえありゃ生きてられるんや。ええなぁごっつええやんけぇ。……ま、流石にあのガキも妹が壊れてくビデオでも見りゃ考えを変えるやろ。そう、その顔や。その顔が見たかったんや……ッ!! あの御神のガキはダミーの車でも追ってるやろし助けは来んよ」

「絶対お姉ちゃんは助けに来てくれるッ!! 金の亡者の貴方に屈しない!」

「……チッ、つまらんなぁ。まぁええわ。寝かせろ」

 

 巨漢が動き出した瞬間にシロノは飛び出す。巨漢の即頭部を鉄パイプで殴り飛ばし、少女の前に躍り出る。たたらを踏んだ巨漢はギロリと割れたサングラスを横合いへ投げ捨てる。いきなり現れたシロノに安二郎と少女は吃驚した様子で見つめる。しかし、鉄パイプを握る少年でしかないと安二郎は動揺した表情を戻し、ふっと鼻で笑う。何故ならシロノの手が震えて鉄パイプが揺らいでいるのを見たからだ。

 

「あん? なんや、お姫様ぁ助けに来た騎士君ってとこかいな。でもなぁ、手ぇ震えてるガキじゃ格好付かんわぁ」

「そうかい。悪いがね、誘拐された女の子を見捨てる程薄情な生き様はしてないんだ。既に連絡はついてるし、さっさと逃げた方が良いんじゃない?」

「ほぅ、何や自分御神のガキの知り合いか。そんなら……、自分いてこましておさらばや!」

 

 その合図で巨漢の豪腕が振り上げられる。キラリとその拳が差し込んだ日に輝き、シルバーのナックルダスターを嵌めているのが見えた。少女は助けに来てくれたシロノが殺されてしまうと悲鳴を上げる。だが、次の光景は全員の度肝を抜くものだった。

 鉄パイプを思いっきり安二郎へ投げ付けたのだ。

 巨漢は雇い主を護るために、振り下ろす予定だった右腕を庇うために鉄パイプへと伸ばし――、目の前に現れた拳に目を見開いた。視線を逸らした瞬間に飛び出したシロノの渾身のハンマーブロウが顔面に突き刺さり、鼻血を吹いて巨漢が倒れこむ。後頭部から崩れ落ちた巨漢は唸りながら気絶した。巨漢の右腕に少しだけ掠って弾かれた鉄パイプは安二郎の頭上を通り過ぎる。その一瞬の動揺を見抜いたシロノは巨漢の懐から引き抜いた拳銃を安二郎へと突き付ける。手が震えていたのも一連の油断を誘う罠であり、この程度の修羅場は飽きる程通り過ぎたシロノにはこの状況にするのは容易い事だった。

 

「チェックメイトだ、誘拐犯。悪いが騎士ってよりはお巡りさんだったりするんでね」

 

 カチャリとセーフティを外したシロノに安二郎は顔を引き攣らせる。腕が疲れぬ様に肘を曲げて両手で拳銃を突き付けている様子を見て銃の知識があると察したのだ。苦悶の表情で両腕を上げて膝を着いた安二郎にシロノは不用意に近付いた。それに笑みを浮かべ、タックルする様に抱き付いて銃を奪おうとした安二郎に「間抜け」と呟いてシロノはその顎を無慈悲にも膝で蹴り上げた。

 

「ま、抵抗しなくても気絶はしてもらう予定だったよ。ただ、痛くは無かっただろうけどね」

 

 どしゃりと床に倒れ伏した安二郎のベルトを抜いて両腕を後ろで縛ったシロノは拳銃のセーフティを戻して、収納領域に収納していた弾倉と共に新たに抜いたそれを窓の外へ放り投げた。流石に一般人が居る所で収納領域に収納する訳にはいかない。ぽかんとシロノを見つめる少女に近付いて床に突き刺さった杭に繋がっていたロープを解いて後ろ手を開放する。

 

「うおっと」

 

 人気の多い所に逃がしたらとんずらしようと画策していたシロノに少女が抱き付き、嗚咽と共に震えて次第に泣き始めてしまった。どうしたもんかとあやすように抱き締め返して頭を撫でてやる。暫くそのままで居たシロノは何時の間にか胸の中で寝てしまっている少女に気付き、改めてどうしたもんかと肩を落とす。こんな場所で寝かしておく訳にもいかないので、横抱き上げて一度外に出ようとした瞬間だった。風を切る音が聞こえてシロノはその場にしゃがみ込む。

 

「うぎゅっ!?」

 

 そして、タイミング悪く首に少女が抱きついた事でシロノは頬を引き攣らせる。壁に突き刺さる針を見て絶句する。釘打ち機の様な音が聞こえなかったという事は人の手で投擲されたものだ。そんな達人と魔法抜きで戦い抜ける程シロノは魔法抜きの戦いに慣れていない。最悪手元に武器があれば良かったが、あるのは柔らかくも温かい首に抱き着いた少女ぐらいだ。

 

(詰んだ。魔法抜きで解決するのは無理だこれ)

 

 手を上げると少女を手放してしまうのでゆっくりと立ち上がる。背中に触れている尖った切っ先からして刃物の類だった。バリアジャケットは防刃防弾仕様であるがここは管理外世界だ。怪我はしないだろうが、魔法抜きで真後ろの達人から今の状況で逃げれる気がしなかった。

 

「あー……、そこの安二郎ってのの援軍だったりします?」

「なに?」

「違うのなら切っ先退かしてください。自分は駆けつけた一般人Aなもんで」

「……すずかが誘拐した奴に甘えるとは思えんしな」

 

 シロノは切っ先が無くなった事に安堵の息を吐いた。だが、その吐いた息で「んっ」と身じろいで首の抱き締めを強めた少女によって首を絞められるとは思わなかっただろう。タップしようにも寝ている少女相手にやる訳にも行かず、細い腕の何処にこんな強い力があるのか分からないまま遠くなる意識の中で、シロノは少女が頭を打たない様に頭に手を添える事しか出来なかった。

 その一部始終を見ていた青年はぽかんと立ち尽くすしかなかった。



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3 「テンプレな展開、です?」

「凄いわね、地球上の物質では在り得ない硬度と柔らかさを重ね持っているわ。恭也が違和感を持ったのにも頷けるわね」

「そんなに凄いのか? 見た目は普通の服にしか見えないぞ」

 

 海鳴市の一角に存在する月村家の屋敷の部屋で当主である月村忍は、マッドな笑みを浮かべてモニターに移るデータに興奮していた。そんな恋人を見る高町恭也は苦笑しつつも、今もベッドで気絶している少年の正体を疑う。疑わざるを得なかった。

 恭也たちがすずかの携帯を乗せたダミーの車を見つけ一網打尽にしたのは良いが、肝心のすずかが街外れの廃ビルに運ばれたというのを尋問して発覚し、その時点で既に十数分経ってしまっていた。そのため、最悪の場合を頭に置いて向かった廃ビルで一階と二階に誰かに制圧された様子を見て首を傾げ、更には倒れている巨漢の男と安二郎を見つけた後に視界に入ったすずかを抱き締める少年に驚いた。

 本来ならば少年に礼を言う立場であるが、この制圧は普通の少年に出来るものではない。他の刺客という選択肢を入れて先が潰れた飛針を放ったがこれを回避、そして戦闘に移行しかけた時にすずかが前に屈んだ少年の首に腕を回して抱き付いたのだ。夜の一族でもその血の濃いすずかは小さな体とはアンバランスな身体能力を有しているため無意識に力を入れた場合大変な事になる。そして、目の前で「うぎゅっ!?」と明らかに想定外の出来事に少年も絶句していたが、その隙を逃す御神流剣士ではない。肋骨から外れた場所に小太刀の切っ先を当て、簡易的な尋問をしようとした際に安二郎の援軍かと尋ねた少年がすずかに危害を加える輩ではないと確信した。が、まさかすずかに首を絞められ気絶するとは思わなかった。背中から倒れた少年はすずかを護る様に気絶していて、恭也は溜息を吐いて合流した忍たちと一緒に少年を連れて屋敷へ戻ったのだった。

 安二郎一派は忍の叔母である綺堂さくらにより色々とコテンパンに処理されたらしく、氷村遊は既に成敗されているため表立った者からの月村家への襲撃は収まったと言っても過言では無い。

 そして、残った最後の問題がこの少年であった。群青色の髪をうなじで束ねただけの中学生程の身長の少年。目が覚めたすずか曰く颯爽と現れたお巡りさんという若干耳を疑う内容だった。自分で騎士ではなくお巡りさんだと言ったらしく、すずかは自分を助けてくれたとっても格好良い人という好印象だった。

 恭也からすれば礼を言うのが筋であるが、続々と発見される少年の異常な点が素直に礼が言えない状況だった。意図不明の黒いカード型機械や防刃に優れ防弾にも長ける地球外素材の衣服。そして、裏を征する夜の一族が一つ月村家の情報力でさえも少年の戸籍が見つからないのだ。財布には日本円が数万入っていただけで身分を証明するようなものは無かった。

 

「……まぁ、目が覚めた様だし本人に聞きましょうか」

「そうだな」

 

 月村家のメイドであるノエル・K・エーアリヒカイトという自動人形に連れられて来た少年へ視線を向ける。少年は何処かバツが悪そうにそしてがっくりと気落ちしている様に見えた。後からノエルの妹機であるファリンに連れられたすずかが少年と忍たちを見て何処かすまなそうな表情になってしまった。

 

「あ、取り合えず黒いカードを返して欲しいです。あれ、父さんから受け継いだものなんで」

「……すまない。これだな」

 

 恭也は机の上に置いてあった待機状態の黒いカードを少年に手渡す。形見かもしれないものを交渉前に手渡すのは愚行ではあるが、父から受け継いだという点で恭也は共感してしまったのだ。ああ、と解析不明物体という珍しい物を手元から離れた忍が名残惜しそうにしていたのは恭也は目を瞑った。少年はほっとした様子でカードをジーパンのポケットに仕舞い込み、改めて恭也と忍と対面した。

 

「まぁ、立ち話もなんだからそちらに座ってくれ」

「そうですね」

 

 少年と対面する形で忍とすずかをソファに座らせ、恭也はいつでも動ける様に横に立つ。メイドであるファリンは後ろへ下がり、ノエルはティーポットから人数分の紅茶を入れて差し出した。どうもとあっさりと紅茶を口にした少年に忍と恭也は若干戸惑った。自分たちならばこの雰囲気で相手側が出した紅茶を素直に飲む事はしないからだ。そして、今の遣り取りで少年のそれは敵対の意志が無い事を示唆した行動であると忍は察する。

 

「おお、この紅茶美味しいですね」

「ありがとうございます」

「ありがとノエル。それではお話しましょうか。私は月村忍。この屋敷の当主よ」

「わ、わたしは月村すずかです。お姉ちゃんの妹です」

「高町恭也だ」

 

 三人の挨拶の後に少年はチラリとノエルたちを見た。本来ならメイドである二人は自己紹介をしないのだが、お客様の疑問に答えるのもメイドの務めと口を開く。

 

「ノエル・K・エーアリヒカイトです」

「ふぁ、ファリン・K・エーアリヒカイトです」

「お気遣い感謝します。ぼくの名はシロノ・ハーヴェイです」

「シロノさん……」

 

 シロノと名乗った少年はその名を小さく反復するすずかにふふっと笑みを浮かべた。聞こえていたと気付いたすずかは赤面し俯いてしまう。妹のそんな初々しい姿が見れてしまった忍は当主の威厳が若干薄れかけたが、咳払いした恭也のおかげで何とか取り繕う。

 

「初めにすずかを助けてくれてありがとう。姉として感謝するわ」

「いえ、見て見ぬ振りが出来なかった格好付け屋ですから、礼はそれだけで十分ですよ」

「あらそう? なら、少し教えて欲しいのだけど安二郎……、あの小太りの男とすずかの会話を聞いていたかしら?」

 

 相手はお金持ちだし豪勢な謝礼でも来るのだろうと構えていたシロノからすれば、忍のあっさりとした切り替えに本題はこちらだと察する。正直に言えば目が覚める前から聞いてましたと言うべきだろう。だが、前世の記憶がそれに警鐘を鳴らしている。月村家にそんな危ない橋なんてあったか、と疑問を感じるシロノだったが、ここで嘘を吐いて関係を曲げるのも得策では無いと素直に肯定の頷きを返した。

 

「そうですね、夜の一族、化物、血で生きていられるという単語から貴方たちはこっそり暮らす吸血鬼の末裔だったりするのですか?」

「……ええ、そうよ。私とすずかは夜の一族という吸血鬼よ」

 

 すずかは何処か不安そうにシロノを見やるが、当の本人は続きを促す様子だった。つまり、反応無しである。これには忍たちは面食らう。そして、その様子に首を傾げるシロノにすずかは純粋に尋ねてしまった。

 

「こ、怖く無いですか? その、化物なんですよ?」

 

 その言葉にシロノは困った風に苦笑してしまう。目の前の可愛らしい女の子が化物であり、恐れる対象になるかと問われてしまったのだから。答えは、否であった。

 

「ん、すずかちゃん。正直言ってぼくは君を怖がる事はしないし、むしろ可愛い女の子にしか見えない君をどう恐れれば良いのか教えて欲しいくらいだ」

 

 そう面向かって微笑み混じりに返されたすずかは、可愛いという単語で気恥ずかしくなり再び赤面してしまう。そんなすずかを安心させるかのようにシロノは続ける。

 

「人が化物を恐れる前提条件として、自分の命に関係するかどうかなんだ。例えば、怪獣が北極に居るからといって怪獣が駆除されるまで露骨に毎日怯えはしないだろう? 何せ怪獣は目の前に居て自分に危害を与えようとしていないのだから。そして、今に当て嵌めるとだね……。すずかちゃんは自分は化物だからぼくの血を一滴残らず吸って殺してやるって思ってたりするの?」

「そんな事思ってません!」

「だろう? なら、ぼくが化物と卑下する君を恐れる理由は無いんだ。何せぼくに敵意を抱いていないんだから変に怯える必要は無い。……もっとも、君の姉と護衛のお兄さんはどうかは知らないけども、ね」

 

 その言葉に忍は上手いと感じた。恭也とて今の言葉に敵意は無いがしてやられた感がある。シロノはすずかに優しくフォローするのと同時に味方に付けたのだ。忍と恭也がシロノに敵意を抱いた瞬間にお前は化物であると断定する式を組み上げたようなものだ。これで忍はうかつに吸血鬼というアドバンテージにして諸刃の刃であるそれを有効に使えなくなった。自身を化物であると肯定して暴力で脅した場合、同じ吸血鬼であるすずかさえもまた化物である肯定している事になるからだ。

 先手を取られたと忍は内心シロノの評価を上げる。すずかの不安げな視線が胸に突き刺さるのを我慢しつつ、忍はならば相打ちにすると言わんばかりに口を開く。

 

「そうね。すずかは少し考え過ぎよ。恭也やシロノ君の様に私たちを肯定してくれる人も居るのだから。……そうね、私たちが貴方に敵意を抱くとするならば私たちが不利になる事をした時だわ」

「つまり?」

 

 ここからは自分のターンと言わんばかりに忍はシロノへ視線を向ける。

 

「先ず、私たち夜の一族は一般人、つまり人間との関わりを減らしているわ。秘匿性然り、安全面然り、ね。そう、例えば戸籍も経歴の無い自称一般人Aさんは信用ならないのよ。例え、大事な妹の恩人であっても、ね」

「お姉ちゃん!?」

「ごめんなさいねすずか。これは姉である月村忍ではなく、夜の一族当主である月村忍の言葉よ。貴方の恩人であるシロノ君を疑わなくちゃならないのは心苦しいけども仕方が無い事なのよ」

 

 その言葉に反論が出来なかったすずかを見てシロノはアドバンテージが潰えたと認識した。ここからはすずかを出しにしても忍を揺るがす一歩にならないと理解する。そうして、常識という法の攻撃にはシロノは滅法弱い立場であるのが災いと化した。一気に不利に傾いた。詰む一歩手前とも言う状況である。恩人である筈のシロノがうっすらと冷や汗をかいた。

 

「……率直に聞きましょう。何を提示しますか?」

「私たち夜の一族のルール、よ。貴方には二つの選択肢を選んで貰うわ。盟約の規定によりすずかの生涯の伴侶となるか記憶を失うか。どちらかを選んで頂戴」

 

 その言葉に硬直したシロノは口元を引き攣らせて面食らった事をバラしていた。正直に言えば、シロノの中で吸血鬼との契約と言えば、安全と引き換えに血を差し出す行為や監禁等の後ろめたい古代西洋チックな内容。つまりはファンタジー要素のあるものだった。それに引き換え、将来性が明るい小学生程の可愛い少女と婚約者になるか記憶を失うか、という何処かズレているものを出されてしまった。頭が痛いと言った具合に顔を手で覆ったシロノにすずかは不安げに見つめてしまう。

 

「あー……、ぶっちゃけぼくがその二つの選択肢から選ぶのは在り得ません」

「つまり交渉決裂という事かしら?」

 

 忍の凄みにシロノは呆れた様子で顔を上げた。

 

「阿呆か。それ以前の問題だ。生涯の伴侶って事はすずかちゃんにとって内容はとても大事な事だ。あまつさえ二桁にも達して無さそうな女の子を十三歳のぼくの伴侶にするだと? 夜の一族だとか当主だとか関係無く愚考極まりない内容だ。そして、その選択権をぼくに渡している時点で正気を疑うんだけども」

 

 シロノという少年の素が垣間見れる口調と内容から、忍は何と言うか真面目な優しい子だなと思ってしまう。正直に言えば忍とて大事な妹を夜の一族という秘密を知った何処ぞの馬の骨にくれてやりたい気持ちは無い。だが、目の前に居るのは少年だ。すずかと年が五歳前後離れている故に自分たちで性格の矯正や下種であれば記憶を奪うつもりで居た。だが、シロノは真っ向から自分の安否ではなくすずかを優先した。残念ながら忍はシロノを気に入ってしまった。それを察せない程機敏を知らぬ恋人ではない恭也も、シロノの嘘偽りの無い蒼い瞳に揺らぎ無しと感心していた。

 ぶっちゃければ即答する様なロリコンであったならすずかの預かり知らぬ所で記憶を奪って、適当にでっち上げて放り捨てるつもりだったのだ。本来ならば盟約は言わば口約束の延長線上、つまりは別に「言わない」と誓ってくれれば友人という関係でも良いのだ。

 しかし、忍はすずかのために一人で窮地を助けに行ったシロノに少し期待をしていた。それは、すずかが人と接しなくなった頃の経緯を知っていたからだ。化物と呼ばれても可笑しくは無いすずかを肯定してくれる内情を知らぬ第三者。特に異性の歳が近い少年であれば尚更に良かった。そして、そんな条件に見合った少年が目の前に居る。それも、戸籍も無い絡み手で組しやすそうな優しい性格をしている少年が、だ。駄目だったらこっそりと記憶を消して無かった事にしてしまおう、そんな気持ちで忍は盟約の内容を少し変えて提示したのだった。

 

「ふふっ、つまりシロノ君は選択肢をすずかに委ねる、と?」

「まぁ、そうなりますね。記憶を奪われるのは嫌ですが、かと言ってすずかちゃんに婚約を自己保身で求める程下種じゃありません。……そうですね、三ヶ月、です」

「三ヶ月?」

「ええ、ぼくは休暇のためにこの地に来ました。その最大日数が三ヶ月なんです。というよりもですね、初対面のぼくだから判断材料が足りないんです。それに、三ヶ月後はぼくが気をつければ一生出会う事は無いでしょうし、婚約という束縛をしなくても吹聴する様な性格では無いと判断したら、無かった事にして見逃して貰えませんかね」

 

 一生出会わないと聞いて焦ったのはすずかだった。そう、恩人であるシロノは化物であると卑下していた自分を肯定してくれる初めての他人だった。そして、シロノの嘘偽りの無いすずかを思いやる言葉に胸がときめいていた。だが、心地良くドキドキしていた感情がジェットコースターの如く落ち込むのに、精神的に聡いすずかは気付く。嗚呼、これがお姉ちゃんが抱いていた感情なんだな、と。すずかは冷静に自分の感情の名前に気が付けた。一目惚れという様なものだろうか。状況が状況故に吊橋効果も付属しているだろう。けれど、このままシロノと別れるのは嫌だった。話を詰めようとする二人に割り込む様にすずかはなけなしの勇気を振り絞った。

 

「わ、わたしは!」

 

 突然の横槍の声にきょとんとした様子で二人がすずかを見つめる。頬が熱いし、鼓動はバクバクしている。だけど、すずかは言わなくちゃならなかった。夜の一族として、いや、月村すずかという九歳の少女の初恋をここで終わらせたく無かったから。

 

「嫌、じゃないです。シロノさんのお、お嫁さんになるの……」

「……へ?」

 

 顔を真っ赤にして潤む瞳でシロノを見やるすずかに、忍はあらあらと自然と口角が上がってしまう。夜の一族という事を嫌っていたすずかは自然と化物である自分に人を近付かせる事をしなかった。仲の良い友人が出来た時はぴょんぴょんと跳ねて喜ぶくらいに実は寂しがり屋だった。そんなすずかが勇気を出してぶっちゃけたのだ。姉としてすずかの気落ちに気付いた忍は唖然としていた大人びた対応をしていたシロノに視線をやる。そう、追い討ちをかけるために。

 

「あら、なら問題無かったわね。シロノ君が言う様にすずかは貴方を旦那様にしたい様だし、三ヶ月も必要無かったわね」

「…………あ」

 

 チェックメイト、である。今からこの盟約を蹴るためにはすずかと結婚する意志が無いと突っぱねばならない。しかし、如何見ても恋する乙女な表情でもじもじとするすずかを真正面からお断りする程シロノは冷徹になれない。いや、しかし、と脳裏で延々と言い訳を考えるが、切り札とも言える身元もこの少女には通用しないに違いない。シロノはメリットとデメリットを考える。……可愛いお嫁さんに安全な生活に明るい未来。デメリットよりも先にメリットを考えるんじゃなかったとシロノは轟沈する。何処かぷすぷすと白い何かが出ている気がするが気のせいにしておきたい。

 

「いや、その、ほ、本当にぼくなんかで良いのか? 何処ぞの馬の骨だぞ? 身元不明の一般人Aだぞ?」

 

 相当切羽詰っているのだろう。支離滅裂に緩やかに移行して行く姿は忍たちからすれば微笑ましいそれだった。けれどすずかはコクコクと頷いてしまう。シロノの勝利はすずかの心に傷を付ける以外に存在しなかった。

 

「……よろしくお願いします」

「はい!」

 

 シロノの完敗である。忍と交渉していた時の気概は何処へ行ったのか。ソファにぐったりと座り込んだシロノに恭也は男として同情と苦笑を隠し得ない。こうして月村家に新しい家族が増えたのだった。もっとも、シロノの受難はこれからであるが。



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4 「べ、ベッドの上で、です?」

 管理局執務官であるシロノを初撃墜した相手が原作キャラの一人であり、尚且つ将来の嫁さんとなったすずかだったのは奇跡的な偶然である。九歳の少女とは言え恋した女の子は無敵らしく、士官教導センターに居た頃に恋愛面では難攻不落の城塞とまで言われた事のあるシロノが一日で落ちる事になるとは誰が思うだろうか。シロノは今の現状を改めて纏める。

 すずかを誘拐犯から救ったら惚れられて何時の間にか外堀が埋められて旦那になっていた。

 シロノも脳内でポルナレフってしまうくらいに怒涛の展開である。だが、とシロノは思う。恐らく自分は仕事人間であるため恋愛に思考を割く事は無いに違いない。そう考えるとこの出会いと婚約は意味のあるものだと思えてきた。それに、無印とA'sはともかく、stsではすずかは美人な女性として出演していた。将来性が大変明るい美人な幼い嫁さんはかなり優良物件だったのだ。勿論そんな打診と算段で了解したのでは無いが。

 一段落付いた事で朝食とし、隣にすずかという作為的な席でのご飯は大変美味しかった。もしかすると久し振りの団欒の空気に味覚が後押しされたのかもしれない。執務官となったシロノは激務の合間にブロックメイトやサプリメントで済ませる事もあったくらいに孤独な生活をしていた。実家があるとは言え仕事の関係上在中する事はあまり無い。

 

(あー……、これはある意味親孝行って奴かな。流石に九歳の女の子が婚約者ですと言えないけども)

 

 それなりに成長したら挨拶に行こうとシロノは思考を閉じた。朝食を終えて恭也は自宅へと帰り、今は忍とすずかに自身の事を語るため再び忍の作業部屋のソファに座っていた。隣にはシロノの服の端を小さな手で握るすずかがにこにこしている。シロノがロリコン属性があったら幸せの絶頂とも言える状況であったが、生憎前世の分精神年齢が高いシロノにロリコン属性は無かった。

 

「まぁ、取り合えずぼくの正体というかどんな人物かって事からですかね?」

「そうね。シロノ・ハーヴェイという人間の戸籍は存在しなかったわ。同姓同名であれと既に死亡している人物だし」

「まぁ、そりゃそうですよ。ぼくはこの世界で言うならば異世界人ですから」

「……異世界人?」

「ええ、考えた事はありませんか? 銀河の果てに何があるのか、と。異次元という海があり、その海の一つの世界がぼくの出身地です。そうですね、魔法と科学が平行して成長した世界だと考えて貰うと分かりやすいかな。例えばこの黒いカード」

「中身を覗く事も出来なかったカードね。もしかして、それが魔法の杖だと言うの?」

「正解です。S2U、起動」

《Stand up》

 

 男性の機械音声と共にシロノの指に弾かれた黒いカードが、空中で可変し二秒程で無骨な機械杖に変わる。S2Uはストレージデバイスの一般的な状態の杖ではなく、握る部分がグリップがあったり先端が音叉の様に二股に分かれていた。クロノが持つS2Uがミッド式であるならば、シロノのS2Uはベルカ式と言えよう。ストレージ回路内蔵のアームドデバイスと形容すべき近未来的フォルムは、通常のS2Uよりも重量が増加している分耐久力に優れている。

 科学者が大歓喜しそうな変形に機械技術に長ける忍は唖然とした。その圧倒的な技術力に目を奪われたのだ。隣のすずかは冗談半分と思っていた内容が事実であると聡い頭で理解してしまった。シロノは杖状態となったS2Uを興味津々なすずかに手渡してみる。勿論制限がかかっているためにシロノ以外がこのS2Uで魔法を使う事ができないので安全な杖だ。ずっしりとした重量にすずかは驚いたが、シロノが自分に大切な魔法の杖を貸してくれた事に少しご満悦だった。

「第一管理世界ミッドチルダがぼくの故郷と呼べる世界です。そして、この世界は第九十七管理外世界と呼ばれています。まぁ、この世界に来たのは日本が目的でしたし、すずかを助けたのは本当に偶然でしたが」

「管理? つまり何処かの組織に世界が管理されているのかしら」

「ええ、それがぼくの職場である時空管理局という大規模組織です。魔法文化の無い世界に違法魔導師が侵入し悪さをしないように、ロストロギアと呼ばれる古代遺産による悲劇を起こさないように。全ての世界が平和であるように、そのような指針を取る組織です。ぼくの役職の正式名称は時空管理局地上本部所属執務官。日本の常識に重ねると逮捕権を持つ刑事の様なものです」

「え? シロノ君は十三歳よね。学校は通っていないのかしら?」

「士官教導センターという教育機関を卒業してますので一応高校を卒業している状態ですね。時空管理局は例え幼い子であれども熱意と魔法技能があれば一局員として働く事ができます。まぁ、常識的に考えられないかもしれませんが、そういう組織なんです。幾多もある世界を護るには手足が足りないんですよ」

「それは……危ういんじゃない? 子供が現場に出る組織って……」

「そうですね。はっきり言って危うい組織です。しかし、時空管理局があった事で助けられた人も居ます。違法魔導師による犯罪を止めるのがぼくの仕事です。そのため、命の危機という修羅場は幾度か潜ってます」

 そのシロノの真剣な表情に忍は息を呑む。かつて見た恭也の瞳と似ていたからだ。誰かを護る難しさを身を持って知るのだと、十三歳の少年がこんな瞳をしてしまう世界があるのだと理解した。だけど、納得はできなかった。例え夜の一族という前提があれど忍でさえ中学校に通っている。十三という年齢でそんな瞳をするのは異常だと思ってしまう。そして、シロノはそれを察したのだろう。言葉を続けた。

 

「だけど、ぼくはこの生き様を後悔していません。確かに忍さんが思うように学校に通うべきだと考えるでしょう。けれどぼくがこの生き方を変える事は無いと思います。言わば、これこそがぼくの魂の輝く瞬間なんです」

 

 すずかはその横顔に見蕩れていた。姉の恋人であり親友の兄である恭也の雄雄しいそれとは違う覚悟の顔。それはまるで荒野に輝く黄金の魂。貫き通すと決めた生き様を征く男の顔だった。忍はその勇ましいシロノの顔に一応の納得を見せた。この少年の覚悟は茶化して良いものではない、そう気圧された忍は幾つかの説得の言葉を紅茶と共に飲み込んだ。

 

「……そう。すずかを残して殉職したら許しはしないわ、とだけ言っておくわ」

「ええ、勿論です」

「その時空管理局ってのはもう良いわ。三ヶ月の休暇、と言っていたわね。この屋敷で過ごしなさい。そうね、すずかと愛を深めときなさいな」

「お、お姉ちゃん!」

「あ、あはは……」

 

 シロノは話の区切りを渡りに船だとこれを承諾し、程々にすずかとの仲を深めようと思う。

 ぶっちゃければシロノは時空管理局という組織を信用していない。信頼しているのは現場の戦友と偉大なる先輩たちだ。執務の大半である汚職や隠蔽の背後に居るであろう脳みそ然り上層部は腐ってると言って過言では無い。しかし、シロノは原作知識というアニメ準拠なwiki程度の先見ができる。きな臭いと感じた時点で手を離さねば一人を救う前に自分が殺されるだろうと橋渡りする毎日であった。だからこそだろう、シロノの黄金の魂は救う事を信条としている。

 なのはに憧れたスバルの様に、誰かを救う自分に憧れて平和への一歩へと成って欲しい。陸の執務官の異名は伊達ではないと、父の背を見て育ったシロノはその生き様に誇りを抱き目標にした。万が一を覆す存在になるとは言わない。目の前の誰かを救える自分で在りたい。レアスキルという一生を左右する才能を持たなかったからこその生き様だ。

 ヒーローを望まない、お巡りさん程度で丁度良い。それがシロノの生き方だ。

 すずかからS2Uを受け取り待機状態に戻したシロノはポケットに仕舞い込む。忍は是非研究させて欲しいという顔をしていたが、流石に管理外世界への魔法技術の漏洩は犯罪に当たる、と言われてしまい名残惜しそうに渋々と引き下がった。もっとも、未来では庭に転移ポーターが置かれるのだからシロノが断った意味が無いのだが。

 それからシロノはノエルの入れた紅茶を楽しみ、案内された猫部屋では猫たちを紹介されるために座ったらまっしぐらと言わんばかりに懐かれて毛だらけになり、一人お先に豪華なお風呂を借りて満喫していた。ホテルを取るつもりだったシロノからすれば月村邸は快適だった。バスタオルで頭をがしがしと水気を取り、渡された若干だぶだぶな恭也用の寝巻きのお下がりで黒一色になってリビングに戻ってきた時だった。

 

「……もう一度言ってくれませんかね」

「ええ、今日から貴方のお部屋はすずかの部屋よ、と言ったの。因みに当主命令で拒否権は無いわ」

「……な、何故にですか?」

「愛を深めなさい♪」

「子供に何を言ってんだあんたは!?」

 

 シロノが頬を引き攣らせて忍に問い詰めていた原因は一つに尽きる。忍によるすずか&シロノの同棲宣告である。忍曰く、夜の一族は一定の時期の夜に燃え上がるのでどうせヤる事をヤる関係になるんだから今のうちに慣れておけとの事。せめて同衾は勘弁して欲しいのがシロノの弁であるが、当然の如く却下されてしまい。

 

「その、シロノさん。い、一緒に寝よ?」

 

 と、忍の入れ知恵なのか露出度の低い可愛らしい紫のパジャマ姿でもじもじと上目遣いですずかが後ろから現れる始末。逃げ場が無い、とこれから三ヶ月の暮らしに不安を覚えるシロノは、恭也がこの場に居たら苦笑と共に同情されるに違いなかった。

 観念したという様子でシロノはすずかに手を引かれながら部屋へと導かれてしまう。身長差があるというのにぐいぐい引っ張られる手にシロノは苦笑せざるを得ない。忍曰く、夜の一族は吸血鬼と言っても妖怪の類ではないそうで、いわば人類の突然変異が定着した種族。月村家を見れば分かるが美しい容姿と明晰な頭脳、高い運動能力や再生能力、あるいは心理操作能力や霊感など数々の特殊能力を持つらしい。これらの代償として体内で生成される栄養価、特に鉄分のバランスが悪いため、完全栄養食である人間の生き血を求めるとの事だった。そして、この生き血は異性のものである事が好ましいそうで、恭也が訪れる際にはそれなりに色々とお熱い関係であると惚気話も含まれていたが、やはりシロノは夜の一族を恐れる事は無かった。精々が綺麗な嫁さん貰えるんだな、程度である。

 すずかの部屋はお金持ちの令嬢の部屋と言わんばかりにキングサイズのベッドを中心に色々な童話から文庫の詰まった本棚や鏡付きのドレッサー等お嬢様ちっくな光景がシロノの視界に飛び込んだ。そして、ほんのりと香る甘い匂いに女の子の部屋だなぁと感じてしまうのも無理も無かった。

 すずかはそそくさとベッドの淵に座り、じっとシロノを見やる。自分の部屋に連れて来た事で冷静になり恥ずかしさが噴出したのだろう。頬がほんのりと赤かった。シロノはすずかの隣に腰掛ける。その間は林檎一個分。婚約者とは言え当日の事だ。まだお互いを知らない二人の関係的には十分な距離である。

 

「え、ええと……、シロノさん。今日は本当にありがとうございました」

「ん、仕事柄だしね。すずかちゃんが無事で何よりだよ」

「は、はい……」

 

 すずかはシロノを意識しっ放しで若干挙動不審気味であるが、シロノはどうしたもんかと思案顔。ぶっちゃけ違法魔導師と事務処理とバトる毎日であるため女の子扱いが良く分からないシロノは、先ずは、とすずかに体を向ける。きょとんとすずかはしていたが真似して対面する辺り察しの良い娘である。

 

「シロノ・ハーヴェイ。十三歳、誕生日は八月十七日で趣味は魔法改良と自己鍛錬かな」

「月村すずか。九歳、誕生日は三月二十六日で趣味は読書とヴァイオリンです」

「これからよろしくね」

「よろしくお願いします」

 

 二人は互いの顔を見て笑い合う。緊張が解れたすずかはシロノの優しさに触れて大人な印象を受けた。すずかから見てシロノ・ハーヴェイは命の恩人であり、初恋の婚約者という立場に居る少年だ。塾や学校帰りに見かける中学生とは違う大人びた性格と雰囲気は自然の清流の様な印象がある。背も百五十センチ後半ですずかよりも高く、歩幅が違うのにすずかに肩を並べる速度で気遣いを見せてくれて、とても優しい人物なんだ、すずかは思った。衝撃的な出会いを経て、衝撃的な感動をして、感極まって惚れてしまって、そんな眩しい人物だった。

 

「……わたしは、夜の一族という特別が嫌でした。皆と違う、そう思う度に嫌になりました。きっかけになったのは幼稚園のクラスメイトが怪我した時に抱いたあの時……。血が、あんなにも美味しそうに見えたのがトラウマになって……。お姉ちゃんとノエルとファリン、さくらさんに心配かけるくらいに衰弱しちゃって。輸血パックの血を飲まなくちゃ具合が悪くなる頃には必死の思いで血を克服して……」

 

 すずかはぽつりぽつりと心の中で溜め込んでいた嫌な感情を溢し始めた。シロノという、内情を知る身内以外の誰かに化物だと思い込んでいた自分を肯定してくれる人が現れた。ただ、それだけですずかは救われた気がした。吸血鬼という非現実的な存在を認めてくれたのが本当に嬉しかった。そう、すずかは静かに語った。

 

「如何してか、シロノさんに聞いて欲しかったんです。半日しか経ってないっていうのに可笑しいですよね、ごめんなさい」

「……良いんじゃないかな。ぼくは、すずかちゃんをそれくらいで嫌いになりやしないよ。……まぁ正直に言って、いきなり婚約者っていう状況には可笑しいとは思ってるけど」

「そ、それは……」

「けど、ね。ぼくは多分こんな機会が無きゃ恋愛に見向きもしなかったと思うんだ。ぼくが目指した生き様は、それだけ前を向かなきゃ届かないものだった。父さんの背中は大きかった。そんな背中を見せれる男になりたいって、今も思ってる。そして、これからも思い続ける。我武者羅に走り駆けて行くんだろうってね」

「……格好良いと思います」

「そうかな」

「そうですよ。きっと、届きます。それはもう……、越えてしまうくらいに」

「……ありがと」

 

 シロノは瞳を閉じてふっと息を吐いた。その横顔を見て、すずかは頬が上気するのに気付いた。鼓動が高まる。視線がシロノへ集まってしまう。いつか読んだ恋愛小説のヒロインの様に、心がときめくという現象に、胸奥が熱くなった。

 嗚呼、これが恋するって事なんだ、とすずかは自分の感情の名前を見つけてしまった。

 ベッドに置いていたシロノの手に恐る恐ると手を伸ばして、重ねた。シロノはそれに少し驚いた様に片目だけ開いたが、ふっと笑みを作ってぱたりとベッドに倒れこんだ。すずかもくすくすと笑ってベッドにぽふっと倒れた。その後、明かりがついているのに気付いたノエルが手を重ねて寝てしまっている二人を見て微笑ましい表情をしていたそうだ。



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5 「魔法の資質、です?」

 ひゅっと風が切れる音がした。

 すずかは顔を洗ってタオルで水気と眠気を拭い去り、ファリンと共にリビングへ戻ってきた時だった。広大な庭の手前、リビングと繋がる中庭の所でシロノが出会った時の服装で展開したS2Uを振っているのが見えた。

 重心が真っ直ぐに保たれ、地面を少し抉る程に踏み込んだ発条を腰の回転に巻き込み上げ、下段後方から薙ぎ払う様に放たれた一撃はひうんと風を切り飛ばし、残心を残してピタリと止まったシロノはふぅぅと息を吐いて次の型を放つ。右腕を引いた際にS2Uが可変し、二股の砲身の間から青白い魔力光が迸り一メートル程の直剣型魔力刃が伸びる。ズドンッと勢い良く踏み込み、背中の筋肉の発条を膂力に変換して突き出す。三メートルはあった距離が一瞬で詰まり、仮想敵が居ると思われる箇所へ叩き込まれた。残心を残し、そこから突き切り上げる。上方へ跳ね上がったS2Uが再び可変し、魔力刃を霧散させて二股が内側に閉じる。一メートル程の槍となったS2Uをシロノは手首を回し、腕をしならせて飛来する何かを打ち払う様に振るう。くるんと回して前へ突き出した際に初め見た二股状に可変し、青白い魔法陣を展開し消えた。シロノはS2Uを下ろしてその場に立ち尽くす。深呼吸の様に息を強く吸って弱く吐いた。

 

「……AAランク撃墜、か。はぁ、もっと強い奴を仮想敵にしたいな。魔法込みだと人が偏るからなぁ。ゼストさんはもっぱら槍だけの戦闘だし、あの人魔法使わないで強いし。クロノじゃ千日手で決着付かないし……」

 

 ぶつぶつと呟きながらシロノはS2Uをカードに戻してポケットに仕舞い込む。額の汗をシャツの裾で拭い、ふぅぅと息を吐いて体の中の熱を吐き出した。すずかは昨夜に聞いた自己鍛錬という単語を脳裏に浮かべ、薄暗い廃ビルの中では注意していなかったシロノの体付きにほぅと惚ける。

 激戦区で二年程絞り込まれた肉体は割れた腹筋や若干盛り上がる肩甲骨付近の背筋の逞しさ、Tシャツの上からでも分かる鍛え上げられた筋肉の軽鎧はとても男らしいものだった。汗で湿った髪を振り分けプチ美形に分類される戦士の顔が現れる。すずかはその真剣な顔に見蕩れてしまう。恋した乙女は惚れ直し易いらしい。そんな初々しい妹に遠目で見やる忍はあららと笑みを浮かべる。あんな時期もあったなぁ、と思いながらシロノたちに朝の挨拶をかけた。

 

「おはよう、すずか、シロノ君」

「あ、お姉ちゃんおはよう。し、シロノさんもおはようございます」

「おはようございます、すずかちゃん、忍さん。……ノエルさんとファリンさんも」

「おや、気付かれましたか。おはようございます、シロノ様」

「あう、隠れてた訳じゃ……。おはようございますー」

 

 リビングの中庭前に集まった面々にシロノは苦笑する。見られているという視線を感じてはいたが、まさか全員だとはシロノも思っていなかったようだ。朝食の準備をし始めたノエルたちを見送ってシロノは汗を流すために風呂へ、残ったすずかと忍はソファでのんびりとしていた。春休みですずかは後四日程お休みで、忍は大学の講義は午後からであるから朝を急ぐ必要は無い。すずかは習い事をしているが今日は週に二度のお休みの日。シロノとの関係を進めるには良い日だった。

 

「中々良い太刀筋だったわね。恭也とやらせたら面白いかも」

「うん、凄く格好良かった。氷の彫刻みたいに美しくて、振るう度に流れる汗がキラキラ朝日に輝いて……」

「ふふっ、詩人みたいな感想ね。ベタ惚れじゃない」

「え、あ、あぅぅ……」

 

 数分後に風呂から戻ってきたシロノは俯いて顔を真っ赤にしているすずかと良い笑顔をしている忍に何となく事態を察して苦笑する。格好は同じではあるがバリアジャケットは衛生的に抜群な性能を持っている。同じ服であると指摘した忍への返しがその言い分であり、勿論ながら却下されたので朝食を終えたら生活用品を買いに行く序でに街を案内される事となった。

 ノエルの作った朝食は洋風なダイニングとは裏腹な基本的な和食であり、鮭の切り身にほうれん草のおひたしとお味噌汁とご飯というメニューだった。納豆が出ていないのは恐らく異世界人であるシロノを配慮したのだろう。もっとも、実年齢よりも日本人としての記憶の方が長かったりするので問題ないのだが、せっかくのお出かけを納豆臭くするのもアレだし、とシロノも気遣いを好意的に受け取って言う事はしなかった。

 

「あ、シロノ様には箸では無くスプーンとフォークの方が良かったでしょうか」

「いえ、あちらにも地球出身の人たちが居ますので。それに、最近のぼくのマイブームは地球食、特に日本食ですので箸で大丈夫です」

「へぇ、そうなの。そしたらミッドチルダ料理ってのがあるのかしら?」

「そうですね、ミッドチルダの料理は西洋系で、ベルカ料理は欧風系寄りです。あ、ベルカというのはミッドチルダと昔、戦争をしていた最後の国の名前で、ミッドチルダ勢が勝った事により終戦を迎え、生き残った人たちの暮らすベルカ自治領の略称ですね」

「二つしか国が無いんですか?」

「あー、そうなるね。地球には沢山の国があるけど、それもまた戦争の名残からだよね。ぼくの世界は、古代ベルカと古代ミッドチルダによる剛と柔の二極だったんです。それはぼくが持つ魔法の杖、S2U、いや、デバイスと呼ばれる補助演算機の魔法形態の大別が図られていたりと様々な名残が残っています。遠距離魔法を主に置くミッドチルダ式、接近戦魔法を主に置くベルカ式。高速演算が売りなミッド式ストレージデバイス、強固な耐久性を持つベルカ式アームドデバイスと大別できるんです。勿論、亜種の魔法やデバイスの研究がされています。まぁ、ぼくの様にデバイスを改造して良い所取りをする人も居ますが」

 

 食事を終えたシロノは黒いカード状のS2Uを邪魔にならぬように真上に向けて展開する。五十センチ程のグリップ付きの柄が伸び、先端の円柱状の演算装置が二股のアームドフレームに覆われる。キンッと可変したS2Uは魔法の杖というよりは重武装な近未来武器と形容できる形をしていた。

 その光景にノエルとファリンは不思議そうに、一度見ているすずかはわぁと声を漏らし、忍はキランと瞳を輝かせてマッドな雰囲気になる。多種多様な反応にシロノは少し良い気分で微笑む。

 

「ここから……ここに使われているストレージデバイスは高速演算が主の仕事です。これは魔法の構築の代理演算を任せるために魔導師、魔法を使うミッド式魔導師が作り上げた形態です」

 

 シロノはつぅっと円柱状の演算装置から柄尻まで指でなぞった。すずかはS2Uに関心を示しながらもそれを伝う指に目が行っていた。目線が下がり切って離れた後も視線が指に集まっているのにシロノは気付かない振りをして、今度は二股状のフレームをなぞって言葉を続けた。

 

「この先に取り付けてあるアームドデバイス用のフレームは耐久性に優れる白兵戦用のもので、ここから展開する魔力刃を固定する役割を持ちます。勿論ここで受け止める事もできますが、ぼくの場合は高速演算装置の保護を主としてますので武器の役割は持ちませんがね」

「先程の型の慣らし、お見事なものでした。一朝一夕のものでは無いでしょう」

「ええ、若輩者ですから槍使いの偉大な先輩に叩き込まれました。おかげでミッド式なのに接近戦ができる陸の執務官と噂になってしまいまして、今回の休暇はマスコミに目を付けられた火消しと休暇取らずに居た自分への戒めみたいなもんなんです。上司から怒られちゃいました」

「成る程ねぇ。その陸の執務官ってのは何なのかしら?」

「ああ、それはですね。ミッドチルダの首都であるクラナガンを護る地上本部を陸と空、他の次元世界へ次元の波を渡る仕事に就く部署を海と略称してるんです。魔導師には陸戦と空戦技能によって魔導師のタイプが分かれるんです。まぁ、空を飛ぶ素質があるか無いかってだけで、別に陸戦でも空を駆ける工夫が魔法でできますし、技能で大別している程度です。そして、執務官というのは本来違法魔導師を取り締まる逮捕権を有する刑事の様なものでして、主に海が所属の大半を占めてます。なので、陸の事件のみを追う執務官はぼくの父とぼくだけなんです。父は怪我で引退しましたから、最年少陸の執務官、だなんて呼ばれてます」

「ゆ、優秀なんですね……。十三歳とは思えないです」

「あはは……。知識もこちらの大学並みには保有してますし、一応エリートの高給取りだったりするんです。もっとも、他を見向きする余裕も無かったので友人は少ないし家族との触れ合いもあまりありませんがね」

「あぁ、それなら大丈夫よ。頭脳優秀才色兼備な可愛い幼嫁が居るもの」

「お姉ちゃん!」

「それもそうですね」

「シロノさんも!?」

 

 あわたふためくすずかが可愛くてシロノもついノッてしまった。ダイニングに笑い声が響き、家族の談笑に包まれる朝食の風景が其処にあった。シロノはそんな雰囲気に身を任せ、心地が良いと感じていた。執務官という職務は人の黒い場面を直視し続ける職場だ。温かい案件がある訳も無く、ストッパーになりそうな人も近くに居らず、補佐官も無しに孤独の執務官生活を三年も過ごせば幾つか錆付いてしまった感情もあった。楽しい事も無いのに笑える様な性格ではなく、冷酷の最年少執務官だなんて言われた事もあった。磨り減る毎日に訪れた偶然と奇跡的な出会いはシロノという少年を年相応の感情を思い出させるには十分な環境だった。

 むぅと拗ねてしまったすずかを宥めるシロノは名案とばかりに閃いた。ぷにぷにとすずかの左頬をつついていた指を離し、胸前に真上へと向けて置いた。ちらりと見やるすずかに合わせ、先端に青白い球体をぽわっと生み出した。そのままぷかぷかとシャボン玉の様に指から離れていく威力の無い空っぽな魔力の球にすずかは不貞腐れていた顔から未知なる物を見る好奇心めいた明るいものへと変わって行く。忍たちもシロノが魔導師、言わば異世界の魔法使いである事を事実付ける出来事に目を見開いた。わぁと笑顔になって行くすずかにシロノも楽しそうに七つの魔力球をふわふわ動かし、パレードの様に星型やハート型に列を成して遊ばせた。

 

「それ!」

 

 掛け声とクラップで魔力球は弾けて星屑の様にキラキラと煌めいて広がって三十センチ程進んだら霧散して行く。その幻想的な光景にほぅと見蕩れたすずかにシロノは微笑みを向ける。シロノは魔法というものは特段戦闘だけのためにあるものだとは思っていない。今の様に迷子の子供を宥めるために遊ぶ事もあるし、生活魔法という水をお湯に変えるだなんてしょっぱい魔法式を構築してみたりもしている。魔法とは手段であって、目的地ではない。目的地に戦闘だとか遊びだとか分かれて行くのだと、シロノの柔軟な発想は様々な経験と知識になって血肉となっている。検挙率三桁の執務官として目立つ要因になってしまったが、やっぱり笑顔で居て欲しかったのが魔法のきっかけだ。馬鹿げていると言われてしまうかもしれない、けれど、これがシロノの道だ。

 

「ごめんね、すずかちゃん。ちょっと意地悪し過ぎたね」

「い、いえ! 別に気にしてませんから」

「あはは、私もちょっと意地悪が過ぎたね。ごめんねすずか」

「魔法というものは不思議なものですね。先程の直剣状の様なものがあれば、曲芸師の様な使い方もできるとは……」

「そうですね。ぼくにとって魔法は手段です。これを戦闘に生かすのも、笑顔を咲かせるのに生かすのもぼくら魔導師次第なんです。誰かを救うってのは、誰かの笑顔を護る事でもあります。なら、誰かを笑顔にするのも大事な事の一つなんです。……ま、法の目で見れば管理外世界での魔法行使は軽犯罪から重犯罪なんですけどねー」

「それって私たちでもできたりしないの?」

「うーん、実はミッドチルダ人でも三割は魔法を使えない人も居ます。ここ、胸の奥にリンカーコアと呼ばれる魔力を生成する器官があるか無いかで魔法の資質から有無まで決まります。それに、管理外世界だからと言っても、誰よりも先に魔法科学文化が成長したのがミッドチルダってだけですからリンカーコアがあれば可能です。簡易的な方法ですが確かめてみますか?」

「是非!」

「わ、わたしもお願いします」

「あはは……。ノエルさんとファリンさんも如何ですか?」

「いえ、私たちは結構です」

「はい……。無いと思いますから」

 

 ファリンの否定的な言葉に首を傾げたシロノに忍はニンマリと笑みを浮かべて、二人がエーディリヒ後期形と言う細部まで人間を模して作られた芸術品と称される自動人形である事を暴露した。その言葉に思考が一瞬止まったシロノに、すずかを始めノエルとファリンは苦笑する。アニメでは言及されていなかったために普通のメイドさんだと思っていたシロノにとっては驚愕物であった。

 

「つ、月村の科学力は」

「世界一ィィイイッ!! ってね♪」

「忍さんに魔法技術教えたら本気でデバイス作ってしまいそうで怖いなぁ……」

 

 ノエルは叔母である綺堂さくらが、ファリンは忍が試しに探してみたら見つけてしまったエーディリヒ後期形の姉妹機であり、尚且つ二人を修復したのは忍その人である。デバイスマイスター教本を渡したら地球でデバイスを開発できてしまうに違いない人物の魔法資質を調べるのは少しシロノも口元を引き攣らせたが、拝み倒されてしまえば一応でも確かめるしか無かった。

 

「分かりましたよ……。それじゃ、すずかちゃんから調べますね。背中向けてくれる?」

「は、はい! どうぞ!」

 

 シロノはすずかの胸の後ろ側に当たる肩甲骨へ右手を置き、集中して微力な魔力の反応を探る。掌から滲む様に流したシロノの魔力に反応を示し跳ね返ってくる感覚があるかどうかを調べて行く。すずかは少しくすぐったそうに身悶えていたが、数十秒の簡易検査によりシロノのリンカーコアよりも少し小さい存在を確認できた。

 

「……見つけた。大きさはぼくのより少し小さいですが、休眠状態にありますね。外部から魔力刺激を与えたら反応して活動状態になるレベルです」

「わたし魔法が使えちゃうんですか?」

「うん、然るべき訓練と操作方法を学んだらデバイスが無くてもさっきぼくがやったぐらいの事はできる様になるよ」

「や、やったー!」

「おお、なら私にもチャンスが!」

 

 勇み足で近付いた忍はシロノへ背中を向ける。その現金な反応に苦笑しつつ、同じ様に背中に手を触れて魔力を流した。だが、忍はくすぐったい気分にならず、すっと跳ね返る感覚も無く検査が終わってしまう。結果はリンカーコアが無いという残念な事に。それを伝えると忍はがっくりとした様子で椅子へと戻って突っ伏してしまった。その落ち込みように流石にシロノも同情してしまい、ぽろっと宥めの言葉を口にしてしまった。

 

「……情報を他へ漏洩しないのであれば、デバイスマイスター用の教本を読んでみますか? すずかちゃんに資質がある以上目覚めさせなければ不必要ですが……、先程の様子だとそれは無さそうですし」

「本当!?」

「ええ、今になっては忍さんも身内ですから。法が適用されるのは管理外世界へ大きく影響を齎す場合のみで、ちゃんと秘匿してくれれば大丈夫です」

「勿論! 是非ともお願いするわ!」

 

 懇願されてしまったシロノは三ヵ月後に教本を持ってくると約束し、今はS2Uのメンテナンスモードで内部を見せるだけとなった。すずかは勿論ながらお揃いである魔導師の道に一歩踏み出す事になり、そのまま魔法の訓練になりそうになったが、ノエルの鶴の一声によりシロノの生活用品の買い物を思い出し、全員苦笑して準備を始める事になった。



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6 「お買い物と猫、です?」

 シロノは何処か目をキラリとしたノエルとファリンにより恭也のお下がりによるコーディネイトがされ、数分という神業でしたて直された黒いシャツに濃い灰色のカーゴパンツと黒皮のブーツで身を包んでいた。明らかにお下がりというよりは恭也用備蓄品に構成された格好だった。モスグリーンのリボンで長く伸びる群青の髪をウルフテールに束ねて、普段はやや鋭い目を柔らかくしたその雰囲気は少し寡黙な格好良い少年と言った様子である。ふっとやり遂げたノエルとぐっと親指を突き出すファリンに苦笑しながらシロノは礼を言う。

 基本仕事以外には出不精なシロノは服のセンスは私服見回り用バリアジャケットデザインを見る限り無難と言ったものでしかない。日本人としての記憶から風呂と食事はしっかりしているが、それだけだった。自己鍛錬により体を適度に酷使し、執務により心を過度に酷使し、被害者からのお礼の言葉と笑顔が毎日の糧であったシロノがお洒落に無頓着なのは仕方が無いものもある。それに、男である自分がお洒落してどうなるんだと将来が楽しみに分類されるプチ美形の顔をアドバンテージにも思っていない辺りが致命的な点だろう。

 士官教導センターでは同年代の女子にはクロノと同じく人気だったし、隙を見てアピールする女子への反応も精神年齢の差からかあしらうそれであったし、シロノは自分の魅力というものを知っていなかった。エイミィの言葉もお世辞かからかいだろうと性格故に誤解していたりと、クロノ同様シロノも残念な恋愛ルーキーであった。

 

「わ、シロノさん格好良いです。似合ってます!」

「あはは、そうかな? すずかちゃんも清楚なお嬢様って感じで可愛く似合ってるよ」

「おお……、恭也に着させるつもりだったけど、中々の美形くんよシロノ君♪」

「素材が良かったですから、恭也様お泊り備品から見繕いました」

「はい、ばっちりです!」

 

 シロノの髪色に合わせたのか群青色のワンピースと家では外していた純白のヘアバンドで髪を留めたすずかは褒めの言葉に少し興奮気味であるが、お嬢様な気品のある美しくも可愛らしい様子だった。恐らく、服のチョイスは白いシャツに長袖の黒いレディースジャケットに青のスカートと清楚かつ動き易い格好の忍がしたのだろう。

 貴族の社交場では気になる異性の髪色や瞳の色に合わせて着飾り、気になる異性へアピールするという風習もあったくらいだ。そんな社交場の場へ出た事もある忍がそれを真似るお茶目をするくらい何となく分かる。

 ノエルとファリンはすずかの格好を見て内心しまったと負けを認め、流石は忍お嬢様、と服のチョイスの経験をメモリへ足すのであった。そんな事を知らぬ忍はシロノとすずかの手を取って高級車と一目で分かるベンツへ歩み出す。

 

「それじゃ、行くわよ!」

「いってらっしゃいませ、忍お嬢様、すずかお嬢様、シロノ様」

 

 恭也と同じ大学へ通う忍はたまにノエルの送迎ではなく自分で車を運転する気分屋だった。シロノが生活する環境を整えるためにノエルは屋敷の維持活動と備品を出す整理整頓を任されているのでお留守番である。ベンツの後部席に普通に乗り込むすずかに手を引かれる形で高級車初搭乗を果たしたシロノはその豪華な内装に視線を遊ばせていた。座席の柔らかさや動き出したというのに揺れぬ車体に内心感動しつつ、右手をきゅっと握るすずかの手に優しく握り返した。

 上機嫌になったすずかの雰囲気が文字通り手に取って分かったシロノは背もたれに身を任せて、地理を覚えるため窓を見やる。一度高い木の上から眺めている地理ではあるが、斜めと横から見る景色は違う。そして、遠いそれと近いそれでは圧倒的な差がある。マルチタスクで屋敷までの脳内マップを作りつつ、穏やかな休日の光景を懐かしく眺めていた。

 シロノは中学に上がった頃には心臓の病気で病院の個室で外を眺める日々を過ごしていた。子供たちの喧騒、同年代の少年少女の笑い声、遠くから聞こえる踏切の音、走って行く車の姿をずっと眺める毎日だった。闘病生活は外へ出る事も許されない時間でしかなくて、小学生の頃の友人たちが持ってきてくれたノートパソコンとアニメのDVDが日々の癒しだった。あの頃と比べる様に、シロノは窓から見える光景に思いを馳せる。その顔は年相応な好奇心のそれで、けれどもその横顔を眺めるすずかが儚いと思ってしまう程に遠く見えた。きゅっとシロノの右手を握る左手を強めて、遠くへ行ってしまいそうなシロノを繋ぎ止める様に握った。

 過去の感傷に浸っていたシロノもふと現実に戻り、強めに握り締める右手を見てからすずかを見やる。赤い頬が微笑ましく思ってふっと微笑みが浮かぶ。冷たい氷の上に咲いた一輪の紫苑の如く、慈愛に満ちたその笑みを直視したすずかの鼓動は高鳴る。

 

(し、シロノさん。その笑顔は反則だよ……ッ!)

 

 頬が上気して行き熱で溶けてしまいそうになるすずかは悶えていた。乙女心に機敏で無いシロノはその様子に手を握って照れてるのかなと勘違いしていた。そんな微笑ましい四歳差の幼いカップルの様子に運転席の忍はニヤニヤが止まらなかった。ファリンが助手席でこっそりと回すビデオカメラの内容が楽しみだ、と信号待ちが終わった忍は前へと向いてアクセルを踏む。

 進みだした景色にまた視線を向けたシロノと違い、隣でにやけそうになる顔を抑える幼い乙女の葛藤があったりしたが、ベンツは月村家御用達の高級ブティック等を内包するデパートへと進み、月村家専用駐車スペースにさくっと駐車した。

 揺れない環境のため車酔いをしなかったシロノがすずかの手を取って外へ出る。広いけれども車内だった場所から解き放たれた開放感に身を包んだシロノたちは、メイド服ではなくパンツスーツの少し引き締まった格好で現れたファリンを連れた忍と合流してデパートと繋がるエレベーターへと歩いて行った。

 

「取り敢えず……、シロノ君の服から見ましょうか。生活用品は恭也の分の予備を使えば良いし、服を見終わったら食事をして解散かしらね。ファリン、任せたわよ?」

「はい! お庭で練習した成果をご披露しますよー!」

 

 最近ノエルに運転技術を学び運転免許を取得したファリンがガッツポーズする。引き締まる姿であっても何処か抜けている雰囲気なのはファリンの良さというものだろう。何処となく不安な顔でその背中と横顔を見やるシロノとすずかは苦笑せざるを得なかった。

 エレベーターが電子音で止まり目的の階層に着いた。忍とファリンを前に、後ろに手を繋いだままのシロノとすずかという二列で大規模デパート特有の広い通り道を四人は歩いて行く。最初に辿り着いた先はメンズの有名ブランドの店であり、ちらりと見た値段に高給取りでありながら市民感覚のあるシロノが戦慄する。マジで、と言わんばかりで三人を見るが特段驚く様子も無く平然としていた。

 

(さ、流石お金持ち……。上級階級の貫禄がある……)

 

 シロノはそれから三人によるコーディネイト対決で着せ替え人形になる事で、高級な服への違和感と大切な何かを失った気がした。結局、解き放たれたのは二時間も後の事で、遣り切ったと言わんばかりに楽しんでいる三人をシロノは女の子パワー恐るべしと眺めるしかなかった。買った服の総計をシロノは見る気がせず、黒いカードで支払う忍により服は郵送される事となった。店員の様子も手馴れた感じがあり、以前に恭也が同じ目に遭っているのだと悟ってしまうシロノであった。

 

「ふぅ、いやー白熱したわね」

「素材が良いですもんね。楽しかったですー」

「こちとら疲労困憊ですがね……」

「あはは……、シロノさんお疲れ様」

 

 姦しい二人にシロノはすずかの気遣いに癒される。すずかは何処か一歩後ろに居てフォローする協調性の達人といった雰囲気の少女である。さり気無い好感度稼ぎは忍譲りの何かがあるに違いない。コーディネイト対決ではしれっと参加側であったというのに男心を分かっているすずかである。読書数は伊達じゃない、と言うことなのだろう。腹黒いとかそういう類の片鱗で無い事を祈るばかりだ。

 

(クスクス笑ってゴーゴーですよゴーゴー……? 何の本の台詞だったっけ?)

 

 シロノは何やら黒い何かをすずかから片鱗を感じてびくりと背筋を震わせたが、結局正体は分からず終いだった。忍が選んだレストランは普通のファミリーでも踵を返しそうな高級なファミリーレストランだ。ファミリーレストランの字が横文字の筆記体で書かれている時点で察して欲しい。

 四人はやけに豪華なテーブル席に座り、すずかに出口側を塞がれながらファミリーレストランの賑やかさと真逆なシックで落ち着いた店の雰囲気に絶句しているシロノの手は震えていた。メニューが紙にビニールを張った様なものではなく、何かの皮を使った高級感溢れるメニューに書かれた品々に値段が無いのだ。そこで漸くシロノは察する。このデパートは確実に月村家の手が入っている、と。言わば経営サイドの上にふんぞり座る立場である、と執事の様に完璧な店員からメニューを手渡された時点で気付くべきだった。

 庶民風が吹くシロノと違い、わいわいとメニューを見て食事を選んでいる三人には上流階級の風が吹いている。ふぅ、とシロノは色々と諦めた。シロノは陸の執務官として色々と揉まれて巻き込まれて磨り減らされる環境に居た。異常が通常という場所で、異常とばかり感じていても仕方が無い。ならば、慣れるしかないのだとシロノは開き直る。

 

「えー、お昼にフォアグラは無いわよ。キャビアのクラッカーが精々じゃない?」

「そうですかねー? あ、すずかお嬢様・本マグロの大トロ御膳なんて良さげじゃないですか?」

「うーん……、如何思いますシロノさん」

 

 が、内心の決意を前言撤回したくなったシロノだった。結局すずかに生返事の返してシロノはどうせならとハンバーグを選んだ。ハンバーグステーキと書かれているし、きっとお肉もファミレスレベルのものだろうと考えての事だ。だが、シロノはこの店の雰囲気を改めて思い出すべきだったのだ。目の前に運ばれて来たのはランク5Aの特選ブランド牛肉と名高い肉の百%のハンバーグだった。添えてある野菜も聞いた事の無いブランド野菜に違いなかった。

 戦々恐々としながらハンバーグを口にして、正気に戻ったのはファミレスの店員全員にお見送りされた直後だった。忍曰く何かに取り付かれたかのように食事に集中していたらしい。庶民舌のシロノがヘヴンする程のハンバーグだったようだ。美味しかったのに何処か胃が痛くなってきたシロノは考えるのを止めて溜息を吐いた。

 

「それじゃ、私は大学に行ってくるわ。ファリン、二人を頼んだわよ」

「はい! 任されました! お気をつけていってらっしゃいませ!」

 

 屋敷から送迎に来たノエルの車の助手席に乗って颯爽と忍は大学へと向かって行った。色々と疲れた様子のシロノとそれを心配げに見やるすずかも車へと戻る。ファリンの運転は丁寧かつたまに不安になるものだったが、すずかは歩き疲れたのかうとうとしてたまにシロノの肩にぶつかるくらいには穏やかなものだった。まどろむすずかが肩へ倒れてきたのをすっとシロノは場所を調整して避け、その行き先を自身の膝へと誘導した。そっと下りてきた頭を受け止めてやると暫くしてすーすーと寝息が聞こえ始める。そんなすずかの髪をさらさらと手漉きしながら頭を撫でた。信号待ちになりミラーを見てくすっとファリンが笑みを浮かべた。

 

「寝ちゃいましたか」

「ええ、そうみたいです」

「すずかお嬢様大変楽しそうでしたから無理もありませんね」

「ですね。この寝顔を見れば分かります」

 

 先程寝返りを打って仰向け気味になったすずかの表情はえへへと笑う可愛らしいものだった。ぎゅっとシロノの膝を右手で掴んだかと思えば、すりすりと頬擦りしたりと大変可愛い寝相がそこにあった。ふふっと二人して笑みを浮かべる。屋敷までの車内は優しい沈黙で包まれていた。

 部屋に横抱きですずかを寝かせた後、シロノはふぅと息を吐いて中庭に出ていた。中庭に作られた今朝の踏み込みのクレーターもどきを足で戻してからテラスの椅子に座りぼーっと空を眺める。

 地球に降り立って二日。去れども怒涛な二日間に思いを馳せる。地上本部の執務室で書類を読む時間でも、密売に手を出す職員や不法入国のテロリストを潰す時間でも無い一人の時間。いつもなら仕事でフル稼働なマルチタスクもメインのみで特段する事も無く感慨深く呆けているだけだった。不思議な時間だとシロノは思う。一人なのに、寂しさが無い。振り向いて屋敷へ入ればファリンが出迎えてくれるだろうし、部屋に行けば寝ているすずかに癒されるだろう。誰かが傍に居る時間がこんなにも温かくて、緩やかに過ぎて行くものだと久し振りに感じた。

 

「この気分は……、士官教導センター以来かな」

 

 寡黙に凍る表情のクロノと明るく騒がしいエイミィとの喧しくも楽しかった日々を思い出す。あの時も、こんな風に一人でベランダで黄昏を見ていたっけとシロノは口元を緩ませる。今では陸と海という正反対の針路に進んでしまって疎遠になりがちな関係を続けていた。クロノからの精神通話は仕事上次元が隔てて繋がらず、次元通信による個人通信も仕事がお互いに忙しくて擦れ違う事が多々あった。

 先日久し振りに通信越しではあるが顔を見れば、相変わらずぶっきらぼうな顔をしていたし、そんなクロノに抱き付くエイミィも夏の草原に咲いた向日葵の様に明るかった。

 ――変わったのはぼくだけか。

 そんな感情を内心で抱いてしまう程に少し羨ましかった。けど、そんな感情も今じゃ懐かしい過去に過ぎない。正直に言えば、シロノは今の生活が仕事をしている時よりも幸せだった。社会の歯車として錆付く考えだが、磨り減る毎日は歯車に徹せ無い少年には辛いものがあった。せめて、災厄な過去があったのならば、そんな感情を持て余す程の復讐心があったのならば、こんなに幸せな苦痛を抱かずに居られただろうに、と皮肉ってしまう。自嘲して漏れた笑みは何処か空虚だった。なにやってるんだろう、と空虚さに手を伸ばしてしまう。

 

「……駄目だな。錆付いていただけなんだな本当に」

 

 どうせなら凍ってしまえば良かったのに。氷を溶かす存在にあってからこの幸せに溺れてしまいたかった。錆付いた歯車を回せば他の軋轢が歪みを生んで、全部が駄目になって行く。シロノ・ハーヴェイは本来空虚な人間だった。病死した最期の気持ちと言葉が今のアンニュイな気分に同調して遣る瀬無くなる。何もかもしたくなくなってしまう。何もかもに諦める様にぶらりと手を下ろして。

 

「どうせ、悲しむなら最初から何も――」

 

 その続きは紡がれる事は無かった。中庭からがさがさと茂みを分けて出てきた茶猫がにゃあと鳴いたからだ。感じていた空虚感が馬鹿馬鹿しくなり、近寄って足に心配する様に擦り寄る猫を抱き上げて瞳を合わせる。蒼い瞳と蒼い瞳が重なる。その透き通る様な猫の瞳にシロノは満足したのか微笑を浮かべる。途端、猫がびくついたように震えたがシロノは疑問に思わず膝に下ろして毛並みの良い頭を撫で始める。猫は仕方が無いなと言わんばかりにされるがままであったが目を細めて満更でも無さそうだった。

 

「……はぁ、駄目だな。こんな顔をクロノに見られたらまた心配されてしまうな……」

「にゃ」

「ん? なんだ、慰めてくれるのか」

「にゃにゃ、にゃあ」

「……うん、よく分からんが優しいな君は。……気分が晴れたよ。ありがとね」

「うにゃにゃぁ……」

 

 猫は尻尾をシロノの足に巻き付ける様にしながら喜び、ごろごろと首元や尻尾の付け根辺りを撫でられてご満悦の様だった。うとうとと膝の上で寝てしまった猫にどうしたものかとシロノは困った様に笑った。日が落ちる程ゆっくりしてしまったシロノは肌寒さを感じて猫をそっと持ち上げる。その際に何も無いお腹を見てメスだと知ってしまったが、相手は猫なので特段気にする事も無かった。その後、月村家の猫で無いとファリンに指摘されて困ったシロノの顔は少し楽しそうに見えた。



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7 「G線上の猫、です?」

 翌日、シロノが朝の日課である自己鍛錬の締めである仮想敵との魔法戦をして難無く勝利し、風呂に入ってから無難な黒い服装に着替えて朝食の席に着く。すずかはこれからヴァイオリンの教室へ、忍の提案で午後から恭也と一戦交える事になり、ダイニングを離れたシロノは猫部屋と呼んでいる昨日保護してしまった野良猫の茶猫の様子を見ようと入って行った。

 ノエルによりきちんと躾がされている猫たちの部屋は案外綺麗なもので、砂場や爪とぎ板以外には汚れた様子は無かった。もっとも、流石に獣もとい猫の匂いは隠れていなかったが。

 

「ん? ……ああ、そんなとこに居たのか」

「にゃ、にゃあ」

 

 茶猫は扉の開かれる側に居り、その体勢は今にも逃げ出す算段でしたと言わんばかりのクラウチング姿勢だった。入ってきたのがシロノ以外だったならそそくさと何食わぬ顔で出て行ったに違いない。茶猫はクラウチング姿勢を止めてとことこと足元に近寄り、ズボンのすそに首裏を擦り付ける。その可愛らしい様子に懐かれたなとシロノは笑みを浮かべる。

 シロノは動物が好きだった。けれど、前世では闘病の舞台である病院で会える訳も無く、ミッドチルダではそもそも野良が少ないしペットを飼う家庭でも無かったため触れ合う時間が無かった。シロノはひょいっと茶猫を前脇を持ち上げて、上げた膝で一度受け止めてから横抱きにしてテラスに歩いて行った。

 昨日と同じ様にシロノはぼんやりとテラスの椅子に座って空を眺め、そんなシロノを見上げる茶猫は膝で丸くなっていた。肌触りの良い毛並みにシロノは癒されながら優しく撫で続ける。

 

「ふふっ、なんだか似合うわね」

「そうですか?」

「ええ、暖炉の前で安楽椅子に座って猫を膝に置いてると尚更に合うと思うわ」

 

 ゆるそうな白いシャツにジーパンという家着極まりない格好で忍が向かい合う様に席へ座った。隣にはノエルが紅茶の準備をしていて、天気の良いティータイムと洒落込む様だった。シロノはアールグレイを頼み、忍は特製のブレンドティーを用意される。のんびりとした空気に紅茶の華やかな匂いが立ち上り、穏やかな雰囲気に更に拍車が掛かった。

 

「そういえば、その子に名前付けてあげた?」

「いえ、首輪も無いですし野良かなと思ってまだ……」

「んー、ああ、別に飼っても良いわよ。うちには沢山居るし、一匹十匹変わらないわよ」

「そ、そうですか? って、躾をするのはノエルさんらしいじゃないですか。そりゃ、忍さんは変わりませんよ」

「あら、ばれちゃった。ま、それはともかく。あら、蒼い瞳って外国種かしらね?」

「さぁ? 血統種とか雑種でも猫の可愛さは変わりませんし……、まぁ、不思議な感じもしますし、育ちが良かったりするのかな」

「うにゃぁ」

「あはは、良いみたいよ?」

「そうみたいですね。……猫の名前か。猫って言うとリーゼ姉妹ぐらいしか思い付かないなぁ」

「リーゼ姉妹って?」

「ああ、ぼくの同期にクロノ・ハラオウンっていう親友が居まして、クロノの師匠が猫の使い魔であるリーゼ姉妹なんです。確か、グレアム提督の優秀な使い魔でリーゼアリアが冷静沈着な感じで、リーゼロッテが活発な感じだったかな?」

「にゃ」

「へぇ? その使い魔ってのは何なのかしら。地球的使い魔と同じ?」

「そうですね……、まぁ言うなれば魔法生命体にシフトした生物で、ある意味クローンの様なものです。ほら、動物って人語話す程知能は無いけれど、良い人だとかぐらいは判別できますよね? その頃の記憶と感情をベースに、人語を喋れる知能を有する魔法生命体へと生まれ変わった存在が使い魔です。……もっとも、使い魔は瀕死の状態及び死亡して数分でなければ作る事はできませんがね。ですので、ペットとして可愛がった子を使い魔とするケースが多いです。だから、命を救ってくれた主人に使い魔は絶対的な忠誠を誓い、誓約を持って契約を果たします。聞いた事があるのは一生一緒に居る事とか、生涯を共にする事とか、ああ、息子が死ぬまで、とか家族的な誓約が多いですね」

「あら、そうなるとうちは沢山増えちゃうわね」

「あ、あはは……。けど使い魔にするには自身のリンカーコアとのパスによる魔力供給が必要なので、多くても二匹が限界だそうです。もっとも、魔法を使わずに過ごすならばその上限は増えそうですけどね」

「にゃにゃ」

「成る程ね……。まぁ、確かにお別れは寂しいけど、無理矢理生かすのも宜しく無いものね。一生涯のパートナーって関係か。なんか良いわね」

「にゃあ!」

「……そうですね。執務官をやってると良いなと思う事もあります。近くに誰かが居てくれるって本当に温かい事だから……」

「シロノ君……」

「にゃぁ……」

 

 シロノはふっと空虚な笑みを浮かべて空に視線を上げる。まだまだ親に甘えたい年頃である筈のシロノが寂しさを覚えない筈は無い。それを察した忍は悲しい瞳でシロノを見やる。膝に丸くなっていた茶猫も同様に心配する素振りを見せていた。ふふっと笑ってシロノは紅茶を口にする。

 

「……この世界に来て良かった。今のぼくはそう心から思えます。今は錆付いていた感情が動き出したみたいで、ちょっとネガティブな雰囲気かもしれませんが、幸せ、なんです。誰かと一緒に居る生活が、こんなにも温かいものだと思い出せた。今も、感じているから……」

 

 その言葉に忍は安堵した様にふっと笑みを浮かべた。この場でシロノを慰める事は容易いだろう。けれど、それをシロノは望んでいない。目の前で転んだ子供が心配する親の手を止める様に、前へと進む気概を見せている。本当に強い子だなと忍は思う。命の危機という修羅場を越えて、大人顔負けの職務をするシロノは危ういながら強いと感じてしまう。それは茶猫も同じ様だったようで、撫でていたシロノの手をペロリと舐めて慰めの意思を見せた。

 

「あはは、くすぐったいよ。そうだな、君の名前はアリアにしよう。うん、そうしよう」

 

 その言葉に茶猫はびくっと背中を跳ねらせ、信じられないと言った様子でシロノの顔を見やった。けれど、シロノはそんな猫の機敏が分かる筈も無く、自分の名前として呼ばれた名に反応したのかなと思う程度だった。

 

「へぇ、綺麗な名前ね。由来は先程のリーゼアリアという使い魔にあるのかしら?」

「ええ、そうですね。アリアさんはぼくを見かけると心配してくれる優しい人でしたから。名を肖ると言った感じです。アリアさんの様に優しい猫になってくれればな、と。まぁ、この子もぼくに優しいようですけどね」

「う、うにゃぁぁ……」

 

 何故か恥ずかしそうに顔を伏せた茶猫改めアリアをシロノは可愛がる様に撫でる。その様子を見て忍は思う。やっぱりシロノにすずかを任せて正解だったな、と。転んでも挫けても折れても立ち上がるだろう強い少年に将来を期待してしまう。きっと、いつかシロノは危険な目に遭うだろう。そうなれば、別次元という環境では何かをしてやる事もできやしない筈だ。それでは、意味が無い。何よりも大切なすずかが悲しんでしまう。月村家当主として、姉である月村忍として何かの火が灯った瞬間だった。

 

「ねぇ、シロノ君。S2Uを見せてくれるかしら?」

「はい? ああ、そう言えば約束してましたね」

「にゃ!?」

「まぁ、あんなに釘を刺されちゃね。大丈夫よ、月村製品に転用する事は無いわ。というか、そんな余裕も無いわね。すずかに最高のデバイスを作らなきゃだし」

「……まさか管理局に入局させようとしてますか?」

「…………あの子の意思なら、だけどね。それなら、いざと言う時にデバイスが必要でしょう」

 

 忍の言葉に表情を変え、穏やかだった雰囲気が徐々に凍り付いて行く。それは冷徹の執務官と称されたシロノの異名の理由でもある仕事の顔。それを直視した忍はすずかを大切にしている事に喜びながらも、寒気がし始めたシロノの雰囲気に戦慄の片鱗を垣間見た。シロノから発せられる威圧感が辺りに吹雪の如く吹き荒れる。

 

「酷い人だな忍さんは。ぼくの性格を知っていながら口にするだなんて」

「ええ、そうかもしれないわね。でもね、すずかの方が大切なのよ。家族として、姉として、ね」

 

 シロノの声は絶対零度の空間に響く様な冷たいもので、ぱきぱきと周囲が凍る様な幻想を抱く程に強烈なものだった。これが、十三歳のするものか。再び管理局という環境を異常と思った忍は温かい筈の紅茶を口にしたが、何故か味も分からず冷たく感じてしまった。後ろに控えていたノエルもまた、シロノの実力の一端を見てデータを更新していた。必要あれば身内にさえも絶対零度の瞳を向ける一面がある事を理解し、今回の場合はすずかがキーポイントだったと把握する。すずかお嬢様の目は御慧眼ですね、と付け足す辺り意外とお茶目だった。膝の上に居たアリアもシロノの雰囲気を直視する事はできず、ぶるぶると震える様に尻尾をお腹側に回してしまう。

 

「ぼくは反対です。特に、夜の一族という一面があるすずかちゃんなら尚更に。管理局を絶対的な正義と妄信するのは滑稽な愚考だ。もしも、管理局に入り上層部の誰かがすずかちゃんのそれに目を付けた場合、実験材料として事故死並びに冤罪を擦り付けて逮捕して裏で隠滅する事でしょう」

「なっ!?」

「当たり前でしょう。完璧な人間だなんて居やしないんです。自分の益になると他人を貶めて蜜を啜る職員が居る組織に何を期待するんですか。そして、今は一局員でしかないぼくでは、そうなったすずかちゃんを救い出す事だなんてできやしないでしょう。最悪上層部の居る区画に特攻して相打ちを狙う玉砕が精々だ。だから、ぼくは反対です。最悪、上層部の黒い噂のある人物を片っ端から裏から始末する覚悟をしなくちゃならない事になりますよ」

 

 鋭く煌めく蒼い炯眼でシロノは忍を見やる。その瞳は本気のそれで、言っている事に嘘偽りが無いと聡い忍には分かってしまう。甘かった、と忍は思う。自分が思っている以上にシロノのリスク管理はしっかりしている。初見の出会いがアレだったから勘違いしていたのだ。例え自分の所属する組織であっても、プラスの考慮にすらならないと断言してしまう程に物事の裏というものを理解している。そこで、忍はシロノの役職を思い出す。地上本部所属執務官、と。つまり、その案件には同じ職員も存在しているに違いない。そこから裏を見る目を培ったとしか思えない。純粋な正義の使者では居られないと分かってしまう程に、その光景は残酷にも黒かったのだと裏を知る忍は悟った。

 シロノは忍の様子が変わった事で事態を理解したと察し、ふぅと息を吐いて絶対零度の雰囲気を取り払った。途端、無色の威圧感から開放された二人と一匹は息をゆっくり吐いた。その様子に申し訳無さそうなシロノの顔が特に忍の心を罪悪感の槍が突き刺さる。根が優しい故に冷酷になれるのがシロノの性根であると感じたからだ。

 

「わ、分かったわ。迂闊な事をしようとしてたみたいね……。御節介が要らぬ世話になるところだったわ」

「ええ、別に管理局に入る事だけが道じゃないんです。工学系を生かしてデバイスマイスターになる道もあるんです。良かったです、分かって貰えて。今のぼくじゃミッドの本局の三分の一を潰す程度しかできないでしょうから」

 

 そう笑みを見せたシロノに忍たちは再び凍り付く。この少年、玉砕覚悟のシミュレーションまでしてから事を語っていた。シロノの本気具合に流石の忍も苦笑いせざるを得なかった。膝の上のアリアもほっと安堵の息を吐いている辺りシロノの実力が高い事を示しているに違いない。先程の話が無かったかの様にシロノはS2Uをメンテナンスモードにして、マイスターを忍に設定してからテーブルの上に置いた。テラスの白いTテーブルにS2Uが置かれると可変した時の青白い発光し、一瞬見えなくなったテーブルの上にずらりと並ぶ未知の部品たち。近未来科学此処に極まるか、と忍を驚愕させる。アリアはその様子にちらちらとマッドな笑みを浮かべ始めた忍と空を眺め始めたシロノを見やる。恐らく管理局員であるシロノと管理外世界の忍との関係が気になっているのだろう。もはや、普通の猫じゃない反応のアリアにシロノは何気なくぽふっと頭を撫でる。だが、手を退けたアリアの蒼い瞳がシロノを見つめる。何処と無く非難する様な様子で、だ。

 ちょろっと出た感じ覚えのある魔力に、漸くと言った様子で察したシロノが冷や汗を流し始める。

 

「あーっと、忍さん。ここでやるのも何なんでラボでやるとよろしいかと。S2U、一度初期状態に移行。後は忍さんの指示をサードユーザー登録」

「あら、そうね。ここじゃあんまり詳しくできないものね。分かったわ、それじゃまた後でね」

「では、失礼致しますシロノ様」

 

 杖の形に戻ったS2Uをノエルが持ち上げて忍と共にテラスから忍の部屋に繋がっている地下ラボに向かって行った。そうして沈黙と共に一人と一匹の時間が始まる。シロノは丁寧にアリアをテーブルの上に乗せる。

 

「……お、お久し振りです」

「そうね。お久し振りシロノ。お察しの通り、リーゼアリアよ♪」

 

 茶猫のアリアはそう活発な女性らしい声で再会の言葉をかけたのだった。

 

 

 



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8 「アリアとの関係、です!?」

「な、何故にここに?」

「分かってるんでしょう?」

「い、いやー。自分休暇中でありまして、皆目付きませんね。……嘘です、ごめんなさい。心配してお越しに来て頂き嬉しい限りです。アリアさん」

「くすっ、本当にシロノはこの姿の私に弱いわね。それで、何があったのよ。堅物のクロノを氷結した様なシロノがあのS2Uを管理外世界の一般人に手渡すなんて尋常じゃ無いわよ?」

 

 グレアム提督の使い魔の片割れ、リーゼアリアが心配した声色でシロノに喋り掛ける。実はシロノの様子では無く別のモノの様子を見に来ていた帰りに、懐かしい魔力を感じて見に来て勘違いされていただけであるが、昔と変わらずの上下関係に安堵していたアリアの内心をシロノは珍しく焦っていて気付く余裕も無かった。もっとも、シロノの場合、猫の姿であるリーゼアリアというよりも、年上の先輩であるアリアに弱いのだが。

 シロノは言い訳を思い浮かべるも、真実を話す以外の選択肢が無かった。そう、自分で言っていた様に一般人への魔法漏洩は犯罪に当たるのだ。そう、一般人への、だ。身内には適用されないのだから。うりうりと小さな前足で頬をつつくアリアに降参したシロノは洗い浚いの経緯と現状を話した。

 

「く、くくっ、くはっ、あははははははッ!? ゆ、誘拐された姫を助けた騎士じゃあるまいしっ、くくっ、くふっ、あははは!」

 

 そして、世にも珍しい猫の大爆笑である。改めて指摘されて恥ずかしさに負けてテーブルに突っ伏したシロノをアリアの前足がぺしぺしと叩く。猫の素体なのでまったく痛くなく、むしろ愛好家なら羨む猫パンチにシロノは色んな意味で屈服せざるを得なかった。一頻り笑い飛ばしたアリアは息を整えながら、ふっとシロノに笑みを浮かべる。もっとも、美人な女性の姿ならともかく猫の微笑であるからニィッとしたものである。

 

「……頼むから後数年はクロノたちに言わないでくださいね。でないと金輪際仕事引き受けませんから」

「あはは、分かってるわよシロノ。って、ちょ、具体的な内容が恐ろしいから止めてよね。シロノの手伝いが無くなるのは勘弁して欲しいわ」

「陸の執務官ですよぼく。なんでアリアさんの資料の手伝いを片手間しなくちゃならんのですか」

「それはシロノが私の愛弟子だからね♪ 仕方が無い事よ」

「……ま、良いですけどね。アリアさんとの付き合いに陸と海の諍いを巻き込みたくないですし」

「ま、ね。お父様も何とかしたいとは思ってるんだけどねぇ……。流石に擦れ違いと悲劇が多過ぎて……」

「止めましょう。これ以上話して何とかなる問題じゃありませんし」

「そうね。シロノが特攻仕掛けない限りは問題無いわ」

「……そういや、聞いてましたねアリアさんも。お願いですから墓まで持っていってくださいよ。……流石にあの時みたいに争いたくありませんし」

「ん、そうねぇ。あの時のシロノは怖かったから勘弁したいわ。本気で死ぬかと思ったし……」

「そう言えば、あの時が初対面でしたね」

 

 シロノとリーゼ姉妹との、いや、アリアとの出会いはクロノが魔法の師匠と称して二人を紹介した時の事だ。クロノとリーゼ姉妹がまだ、シロノが闇の書事件の重傷者の息子であると知らなかった頃。クロノが友人感覚で陸の執務官であるシロノを紹介した時の事だった。

 ――ああ、あの堕ちた陸の執務官の息子か。

 そのアリアの呟いた一言で、執務により色々と黒いフラストレーションが溜まっていたシロノが静かなる爆発を見せたのだった。明確な殺意と嫌悪の混じる刃の如く鋭い蒼い瞳の輝きに発せられた雰囲気に、親友であるクロノでさえも背筋を凍らせた。S2Uを構える事も無く、ただ、雰囲気と視線だけでリーゼ姉妹を圧倒させたシロノはふっと瞳を閉じて一言謝り、一礼してその場で踵を返したのだ。その直後で、動けたのは意外にも直視されたアリアだった。

 拒絶する様に去るシロノの手を掴み、ただ一言、ごめんなさい、と伝えたのだ。シロノは振り返り、何も無い空虚な瞳を不覚にも見せてしまって。それからだった、アリアが局内でシロノを見かける度に構うようになったのは。弟を心配する姉の様にアリアはシロノに声を掛けた。すまなそうにしていたシロノもいつしか笑顔を見せる関係になったのだった。

 懐かしいと苦笑するシロノと裏腹に引き攣った笑みのアリアの雰囲気は暖かいものだった。至らぬ過去を懐かしめるくらい成長したシロノの顔にアリアは少し心配そうにしていたが、瞳を閉じて開いて思考を切り替えた。アリアが此処に居る理由は半々と言った私情のためだ。冷徹の執務官、本来は海と対する陸の人間である、シロノの動向を知っておきたいと思うのも仕方が無い事だった。

 

「そういえば、これからはどうするのかしら?」

「ここでゆっくり過ごしますよ。管理外世界ですし。ぼくが居るからって何かが起きる訳じゃありませんしね」

「あはは、それもそうね」

 

 それは清々しい嘘だった。

 ――ジュエルシードが落ちて原作が始まるだなんて言えない。

 ――闇の書の持ち主が近くに住んでいるだなんて言えない。

 未来の情報を胸に隠すシロノと今現在の情報を隠すアリアの表情は談笑のそれだ。お互いに交渉の修羅場は潜っている猛者だ。もっとも、シロノは少しアリアよりは浅いかもしれないが、それでも実力はある。お互いにお互いを騙し、見抜けなかった嘘をさらりと流した。

 

「そのすずかって子は可愛いのかしら?」

「あはは、将来が楽しみな感じですよ。でも、まだ九歳の女の子ですから」

「そ、っか。九歳の女の子か……」

 

 ジジッとアリアの脳裏に車椅子の少女の顔が浮かぶ。確かあの子も、と考えてアリアは今が猫の状態で良かったと思った。人間形態だったなら確実に顔に出ていただろうから、本当に助かったと内心でほっとする。もっとも、シロノもそういえばはやても九歳だったな、と浮かんでいるのだが。頭の中を外から見れる訳も無くお互いの思考は通り過ぎる。

 

「……ねぇ、シロノ」

「はい?」

「もし、闇の書の主が居たら、シロノはどうする?」

「ん? それはまた、アレな話ですね。クロノにも聞いてるんですか?」

「うん、クロノは私情は入れないって言ってたけど、内心では少し迷ってる感じだったからシロノはどうなのかなって」

 

 ――お父さんが闇の書の被害者でしょう?

 言外のアリアの言葉にシロノはすっとマルチタスクを起動する。表へ噴出そうとしていた感情をサブへと流し、冷静にそうですねぇと思案顔をした。マルチタスクの使い方が上手くなったな、と自分でも思う。マルチタスクという魔導師必須の思考並列は執務官として、否、シロノという転生者には本当に助かるものだった。表へ噴出そうとする感情へ表ではない場所への逃げ場が与えられる。それはとても便利なものだ。人が何を考えているのか外見で分からなくなるとてもとても便利なものだ。

 ――別に●しても何も変わらないじゃないか。

 シロノの感情がサブへと流れる。もし、この瞬間にアリアが使い魔契約をしていたのなら、その虚無さに目を見開いたに違いなかった。シロノはうーんと考える素振りを見せて、閉じたまぶたの下の瞳は静かに物語っていた。意味が無い、くだらない感情に、意味なんて必要無い。そんなくだらない感情なんて持っている価値すらも無い、と空虚な風が思考をクリアにする。意味が無いなら考えるまでも無く。

 

「特段無いですね」

 

 何もかも――。

 アリアはその返事に生返事を返してしまう。開いた際に垣間見た空虚な瞳を重ねてしまったから。真剣に悩み抜いた彼女の父の見せる、その瞳と同じだったから――。

 

「それに、闇の書に罪はありませんし」

「は?」

 

 その言葉には流石にアリアも絶句と唖然の混じった驚愕をした。クロノの父を間接的ながら殺したお父様の葛藤と苦しみを否定された様な気がしたからだ。けれど、言ったシロノは飄々としていて空虚では無いけれど、何も無い瞳をしていた。真剣に返されたのだと、アリアは分かってしまう。吹き上がる感情は憤怒? 嫌悪? 否、裏切られたという悲嘆だった。

 

「……何で?」

「何で、と言われてもですね……。客観的に見て、闇の書というロストロギアは在り方が在り得ないんですよ。主が破滅する魔の兵器を作る必要性は戦争という見方をすれば納得できます。しかし、指定の無い無限なる転生機能がそれを否定します。敵の側に移る兵器を作って何の意味がある。ヴォルケンリッター、でしたっけ。過去の内容を見る限り、ベルカ古代騎士の文献と一致する姿とデバイスを持っている守護騎士の意味も分からない。破滅する主を護る騎士は非効率的だ。過去の例からして闇の書を完成させるための蒐集係と言った様子ですが、それならば魔力蒐集ではなく守護騎士を戦争利用するために動かす方がよっぽど効率的です。蒐集した魔力で守護騎士が強くなる事も無く、ただ蒐集に当てられているだけ。なら、闇の書というロストロギアは何のために存在していたんですかね?」

「そ、それは……」

 

 アリアはシロノの情報収集の精度さに戦慄しながらも、自分の答えで闇の書の意味を考えてみるが、矢張り危ないロストロギアとしか思い付かなかった。グレアム提督の力で集めた資料でさえも、その答えに辿り着かない。だから、悲しい最善を選んだ筈だったのに。これが正しいって信じていたのに。

 

「ぼくはこう思います。闇の書は欠陥品だ、と。本来の意図から逸脱した改造を受けた哀れな魔道書型デバイスである、と。本来、魔力か何かを蒐集するために作られた辞典の様な魔道書だったんじゃないか、とぼくは睨んでいます。そして、ヴォルケンリッターの格好からして古代ベルカ時代。危険な戦場で蒐集する主を護るための守護騎士であったなら、全てが繋がるんですよ。無限転生機能もまた、本来はデータベースとなる場所へ一度帰還するための機能であったなら納得が行くんです。仲間に手渡して新たな主へその魔道書を手渡して再び完成するまで放逐する。……ま、これがぼくの見解ですよ。もしかすると、闇の書という名もまた、本来の魔道書型デバイスから離れた名かも知れませんね」

 

 何もかもが砕け散った気がした。シロノの仮説は未来知識が混ざっているものでありながら、アリアが知る闇の書の情報を元とした仮説であると、一番近い人物の一人であるが故に分かってしまう。シロノの推察はあれほど悩んでいた日々を一瞬で上書きしてしまうくらいに、らしい、ものだったから。いつからそんな情報を探していたのか、どうしてそれをもっと早く教えてくれなかったのか、と色々な感情がアリアの心を渦巻く。

 

「だから……、闇の書(アレ)を恨んでも意味なんて無いんです」

 

 ――闇の書と最初に呼んだのは“管理局”なんだから。

 その付け足された言葉の裏に隠された意味をアリアは気付いてしまった。最初に呼んだのならば、その前には他の名で呼ばれていた何かがあるのだ。そして、蘇るのはシロノと忍との絶対零度の会話。まさか、とアリアはシロノを縋る様に見やる。しかし、無常にもシロノは瞳を閉じる。無言で語っていた。闇の書にしたのは管理局の上層部だ、と。そう行き当たるしか無かった。

 アリアは漸く察した。あれほどまでにすずかのために管理局への入局反対の意味を。局員の汚職や密売等を案件とするシロノが、信頼していない組織を信用するなんて馬鹿らしい思考停止の愚考である、と。十三歳という若い少年がここまで聡いか、クロノを見ているアリアなら分かる。異常だ、と。しかし、その異常を受け止めるしかなかった。アリアはシロノが嫌いじゃない。むしろ、好きな分類だろう。もし、親愛なるグレアムからシロノの使い魔になれと言われたなら渋るが拒む事はしないくらいには。

 

「アリアさんが何を悩んでいるのか、ぼくには分かりません。けど、貴方のために何かができるなら、遠慮無く言ってください。ぼくはアリアさんを信頼してますから」

 

 その言葉に不覚にも胸が同時に痛む。恋愛的な感情と、騙す罪悪感が胸を、アリアの心を貫く。全てを吐き出してしまいたいと、思ってしまうくらいに辛かった。

 

(シロノ、その言葉は反則よぉ……ッ!)

 

 アリアはそっとその感情を隠した。痛む胸を隠す様に座り込んで、何とも無い顔で礼を言った。シロノはそんなアリアの様子を見て、凄まじい罪悪感を感じていた。全てを言い終えてからA'sの内容を思い出すポカをしていたからだ。もっと早く気付いていれば程々に仄めかしていただろう。しかし、仕事柄か、つい執務官モード事務シフトで物事の考察を語ってしまった。

 やばい、と感じたのはアリアの預かり知らぬ感情から流した一筋の涙を見てしまったからだ。こりゃ、最悪の場合グレアム側に組する事も考えなきゃな、と身の振り方を考える。原作が始まってすら居ないのになんでこんなに困らなきゃならんのだ、とシロノは深い溜息を吐いた。それをアリアが自分がシロノの手を振り払った様に感じてしまい、更に意気消沈してしまう結果に陥った。

 どんよりとした雰囲気にシロノはキャラじゃないんだけどな、と嘯いてアリアを抱き上げて胸の中に収めた。泣き出しそうなアリアの顔が見えない様に抱き締めた。そんな不器用な優しさにアリアは不覚にも泣いてしまった。ロングヘアの美人な人間形態になり嗚咽を漏らしながら瞳から流れるアリアの涙がシロノの胸を濡らして行く。

 

(あー……、この体勢デジャヴ。経緯は違えども状況が同じだ……)

 

 もしかして自分は不幸な女性に好かれる運命なのかもしれないなぁ、とシロノは冷静に客観的に自己を解析しつつ空を見上げながら思う。自惚れ、だったら良かったのにな、と爪が肌に食い込む程にシャツを掴まれている状況と柔らかい二つの膨らみに葛藤する気持ちをサブに追いやる。暫く胸の中で泣いたアリアはすとんと猫形態に戻る。その際背中を向けている辺りで察して欲しいが、その顔は人間だったなら真っ赤になっていたに違いなかった。

 

「その、なんだ。恥ずかしい所を見せちゃったわね。ロッテには内緒よ?」

「あはは、分かってますよ」

「……墓まで持っていってね頼むわよ」

「……そちらも持っていってくださいね」

 

 対価としてはどちらもジョーカーであり、四歳下の婚約者と乙女の涙はお互いに墓に持っていこうと二人は笑い合う。始まりはどうであれ、終わりが良ければ美談だと誰かが言った。確かにそうだな、とシロノは思う。全てが美談になってしまえば、悲しむ人なんて居ないのにと願ってしまう。けれど、そんな筈じゃ無かった世界は牙を向くのだと、遠目ながら理解していた。誰よりも転生者(イレギュラー)であると分かっていたから、この世の誰も知らぬ空虚な病人だった少年は笑うしか無かった。後数日もすれば、数奇な必然に巻き込まれる運命なのだから。



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9 「剣と槍、です?」

 尻尾を揺らしてクールに去ったアリアを見送ったシロノは時間を確認して昼近い事に気付く。屋敷に戻れば美味しそうな匂いが厨房から流れて来ていて、空腹に気付いた腹が段々と唸る気がした。ダイニングに足を進めるとファリンが人数分のナプキン等をセッティングしていた。振り返った際にシロノに気付いたファリンはにこっと笑顔を浮かべて厨房へと歩いていく。何か遣る事は無いか、と尋ね損ねたシロノは少々バツが悪い表情でいつもの席に座る。そして、ふと気付く。

 

(あれ、ぼくって趣味って何かあったっけ)

 

 魔法構築をしていても良いがS2Uが無いと効率が激減するし、自己鍛錬をしようにも食事前に遣る事じゃない。言わば暇潰しの何かしらの趣味が無いとシロノは気付いてしまったのだ。手持ち無沙汰のシロノはどうしたもんかと思案し、これから遣る事をピックアップした。

 先ずは、此れから高町家の道場での高町恭也との模擬戦、次に、すずかの魔法資質の開花、最後に、他の転生者(イレギュラー)の確認をしなくちゃならないだろう。

 正直に言えば、陸の執務官であるシロノが手を出す必要性は無い。しかし、それなりに何かしておかないとお役所仕事は宜しくない。そうなると、執務官らしい仕事をするべきだ。そうなると、転生者は格好のカモだ。管理局法を知らぬ魔導師を管理外世界での戦闘行為でしょっ引き、然るべき時のために局員入りさせてしまうのがシロノにとって一番楽な行動だ。だが、楽と裏腹に九歳の少年か少女を手駒にするみたいで何か嫌だとも思う。なのはがstsで語られた様に高ランク魔導師として使い潰される日々を考えれば、入れてやらない方が正解なのかも知れないと思ってしまう。例えば、執務官補佐として自分の手が届く場所へ置いておく、なんてやっぱり手駒だとシロノは苦笑する。

 シロノは三パターンの可能性を考えていた。

 一つ目は、転生者はシロノしか居なかったから何も変わらない。

 二つ目は、高町家に近い立場での転生者による参戦による原作の助長。

 三つ目は、悪意ある転生者による何もかものぶち壊し。

 最悪なパターンが三つ目だとは言わずがなであるし、シロノは持っていないがレアスキルによるなのはとフェイトへの接触により原作が乖離する事も最悪な分類だ。何故なら、先を見通す知識こそが転生者の最大の武器だ。これがあるから先回りが出きるし、餌の付いた罠を踏まずとも良いのだ。と、言っても流石にアニメの知識だ。全て網羅する事は不可能だし、何より過信は現実を舐め過ぎているとしか思えない。シロノという転生者はどちらかと言えば傍観に徹したかったのだ。護れる範囲の人を護ろうと堅実な決意をしているから分かるだろうが、シロノにヒーロー願望は無い。あったとしてもそれは他人の理想の押し付けでしかないだろう。

 シロノ・ハーヴェイは陸の執務官だ。勿論レジアスのマスコミ避けという火消し行為がブラフであり、海派の人間によるシロノ暗殺の阻止が濃厚だとシロノ自身が分かっている。感情が錆付き始めたシロノは段々と仕事を危うい事件の捜査へ傾ける傾向があった。今思えば殉死してしまいたかったのだと気付いたシロノは自己嫌悪している。空虚な病人である頃に戻りかけていたのだと、温かい生活のおかげで自己判断し見直す事ができた。

 あの頃のシロノは自分を餌に海派の膿を一本釣りしてやろうかという気概で居たため、明らかに自分を省みない行動にレジアスを悩ませた。陸唯一の執務官であるシロノを消される訳にはいかないからだ。アースラを経由して地球へ降り立たせなかったのも海派の妨害を避けるためであった。

 海派といえども管理外世界でシロノ暗殺は難しいと判断し踵を返すだろう、というのがレジアスの策であり、孤立無援の冷徹執務官と称される時もあるシロノに追手を仕掛ける者は予想通り居なかった。もっとも、地球という環境が良かったのもある。この時期はグレアムによる闇の書を持つ八神はやての隠匿のために色々と海側を動かしていたために、シロノの行方が分からなかったのだ。

 度重なる偶然と必然によりシロノ暗殺派は苦虫を噛む事となった次第である。今のシロノならば海派の膿に喧嘩を売るような案件を進める事も無いだろうし、無茶が過ぎたなとレジアスの好意に甘んじて反省もしていた。もっとも、すずかという起爆装置を内臓したというのが現実であるが。

 S2Uを手元で遊ばせながら戻ってきた白衣姿の忍と配膳に来たノエルとファリンが現れた事で、束の間の思考を閉じてシロノは瞑っていた瞳を開く。

 

「本日は忍お嬢様のご希望のフレンチトーストです」

「桃子さんに習っているファリンのお手製だから期待してるわよ」

「はい♪」

 

 配膳されたのは外側がかりっと焼かれた艶のあるフレンチトーストだった。月村の財力は材料にも拘りを持つ、と幾度の食事で分かっていたためにシロノは味に期待していた。食事の挨拶をしてから外側のフォークとナイフを手に取ったシロノは高級レストランでも通用するテーブルマナーでフレンチトーストを一口分切り取った。当てた時の感覚とは裏腹に中身はふわっと柔らかくフォークを通す感覚にシロノは純粋に驚く。自身で作ったフレンチトーストでは全く届かないであろう料理技術だと素人ながら分かるくらいに完璧だったのだ。皿をぐるりと飾るハニーソースに少し付けて口へ入れるとじゅわっと肉汁の如く高価なバターの甘みが卵の甘さと相まって舌を喜ばせた。かりっとした外部とふわっとした内部による食感のダブルパンチにシロノはとても美味しそうに食べ進めて行く。その年相応な顔にくすりと笑った忍がフォークを止める。

 

「あら、もしかしてシロノ君は甘い物好きかしら?」

「ええ、そうですね。元々この海鳴市に来たのは翠屋という喫茶店のシュークリームが目的でしたから」

「あ! 私のこのフレンチトーストは翠屋の店主である桃子さん直伝の一品なんです」

「へぇ、そうだったんですか……。これなら期待できますね。ファリンさんの腕が良いから尚更に楽しみです」

「えへへ、ありがとうございます♪」

 

 そう、シロノもすっかり忘れていたが海鳴市に旅行に来たのは翠屋のシュークリームのためだ。軽度の甘党であるシロノはよくミッドのチョコポットを買ったりして糖分補給をしていたりする。陸のお姉さん方はそんなギャップのあるシロノを微笑ましく見られていたりするのだった。一時期それが理由で小さなチョコポット店が儲かり始め、クラナガンのアミューズ地区に二号店を出す程の盛況をシロノが生み出していたのは余談である。ファリンお手製フレンチトーストに舌鼓を打ったシロノは忍とノエルに連れられ、ベンツに乗り込んだ。相変わらずの快適さに流石高級車と思ってしまう辺りシロノは高給取りでありながら庶民である。もっとも、車を運転する年齢では無いというのもあるかもしれないが。

 隣に誰も居ないから前回の脳内マップに付け加える様に位置と風景を覚えているシロノは先程通り過ぎた通り、翠屋というテラスのついた喫茶店があった事に数秒経ってから気付いて後ろ髪を引かれる思いだった。しかし、ノエルが運転するベンツは止まる事は無く数分後には目的地に着いた。

 

「……マジか」

 

 庭に池のある道場の付いたかなり豪華な和風の家。武家屋敷と呼んでも違和感が無いくらいの立派な家に、シロノは戦闘民族高町家の大黒柱である士郎の凄さを垣間見る。要人の護衛だった経緯のあるボディガードの年収はかなりの額だったと察するには十分過ぎた。忍は然も当然とばかりに唖然としているシロノを背に玄関へと向かって行く。ノエルに一礼されながら慌ててついて行ったシロノは、武人特有の領域に足を踏み入れたのを実感した。空気が違うのだ。首筋がチリチリッとするような威圧感に若干シロノの足が竦む。

 

(ぜ、ゼストさんレベルの気当たり……ッ!? 恭也さんよりも技量が高い実力者が居る、つまりその人が……)

 

 シロノの表情が少し変わる。その雰囲気に気当たりを受けていない忍が小首を傾げたが、何かに納得した様に苦笑した。そして、忍がインターフォンを押す前に良すぎるタイミングで戸が開いて黒いシャツに動きやすそうなズボンの恭也が現れる。恭也は忍の顔を見る時はいつもの寡黙な表情をしていたが、何かに耐える様にポーカーフェイスなシロノを見てふっと微笑を浮かべる。

 

「父さんの気当たりを受けて膝を屈さないとは……、あの時には交えれなかったが中々の実力を持っているようだな」

「あ、あはは……。これくらいは師匠に叩き込まれましたからね」

「……ふっ、そうか。忍、シロノ、上がると良い」

「あらら、やっぱり試されてたのね」

「月村家とは切れぬ仲だしな。父さんも期待してるんだろうさ」

 

 ふっと消えた気当たりにシロノはすぐに安堵せずに少しずつ落ち着かせる。完全に気を抜くべきじゃない魔窟であると身を持って警戒してしまうシロノに恭也は楽しそうに苦笑した。そう、戦闘民族高町家のバトルジャンキーである恭也が、だ。これから恭也と一戦交えるシロノからすれば悪い冗談にしか見えなかった。

 恭也はシロノと忍を右手の庭から誘導し、直接道場へと招いた。木の床が一面広がり、視界の端に正座で座る男性が居た。そこに居るのに関わらず、圧倒される実力差の圧力にシロノは頬を引き攣らせる。殺傷設定の魔法を使っても初見で潰せなかったら首が飛ぶレベルとシミュレーションできる圧倒的強者であると分かってしまう。不意打ちでも勝てないかもしれない、と思ってしまう程の実力差にシロノは顔色に出ない様に気張るしか無かった。

 

「君が例の……。シロノ君だったね。僕は高町士郎。恭也の父だ」

「は、始めまして、シロノ・ハーヴェイと申します。外での気当たりは士郎さんです、よね?」

「ほぉ、特定までできるか。中々将来有望じゃないか、まぁ……、まだ青い様だけど」

「恐縮です」

「ははは、そこまで緊張しなくて良いよ。今日の相手は恭也だしね」

「ああ、楽しみで仕方が無い。父さん、美由希は?」

「美由希はシャワーを浴びているよ。汗は拭ってあるから心行くまでやるといい」

「勿論だ。……さて、シロノ。得物は何だ?」

「……そうですね、本来は長柄の直剣ですが槍でお願いします」

「槍使いか、久方振りだな……」

 

 道場の隅にあった木箱に入っていた一メートル程の木槍をシロノに手渡した恭也は一振りの木刀を握る。お互いに三メートル程離れて道場の中央へ立った二人を、士郎と忍は端に座って観戦する。

 ふぅぅと息を吐いて脱力してから恭也は脇構えと呼ばれる五行の構えの一つを取る。半身の体に木刀が隠れるので、対峙するシロノからすれば右から上下横どこから放たれるのかが分からない。シロノはふっと息を短く切る様に戦いのスイッチを入れる。同じく半身に構え、左手を先へ、右手を柄側へ握る。右腕が脱力しておらず、弓を引く様に絞られている事から恭也はシロノの得意分野を突きと判断した。

 士郎の開始の合図から、数秒の沈黙が道場を包む。お互いに隙を探り合い、膠着状態で互いの挙動を睨み合う。先に動いたのはシロノだった。左足を強く踏み込み、絞られた右腕が解き放たれた矢の如く木槍を撃つ。三メートルの距離が一瞬で半分詰まり、その速度と技能に恭也は内心で感嘆した。だが、当たってやる程甘くは無い、と右腕を伸ばして迫る木槍を払い、即座に返しの一撃を懐へ入った恭也は放つ。腕が伸び切った状態であるシロノは右腕を曲げて手首で石突を跳ね上げて巻き上げる様に木刀を下から打ち上げた。両手で放つ一撃を片手で受け止めれる筈も無いと恭也は判断したが、シロノの様子を見た士郎はふっと笑みを浮かべた。石突側の柄へ当たった瞬間にシロノは右足を踏み込ませ、逆に恭也の懐へ入る様にしてその一撃を左回転しながら流す。流された恭也はそれに驚いたが、面白いとバックステップで距離を取ったシロノに笑みを浮かべる。

 シロノがゼストから直伝された槍術の攻撃の技法ではなく、回避の技能だった。技法とは技であり、技能とは技術を指す。ゼストに弟子入りした時の年齢は十歳と幼く、成長していない体で打ち合う事は愚行だと判断した結果、ゼストとの模擬戦という実戦の中でシロノは文字通り回避技能を叩き込まれた。年齢的に腕のリーチの短いシロノが攻めに入るためには数打の一撃よりも、一撃必殺の渾身の突きであるとゼストはシロノに回避と突きしか教えなかった。聡いシロノはその意味を正確に読み取っていた。

 当たらぬ回避を極め、一撃で仕留める突きを極めれば、シロノはリーチの中で相手よりも上位に居れる。腕の強い相手の攻撃を受け止める必要は無い。身に当たらぬ様に避ける。そして、避け続けて渾身の突きを持って敵を制する。剛を柔で制す。その日本人らしい考えでシロノは技能を実戦で使える程に練磨して昇華させた。年下であるシロノの意外な実力に恭也のボルテージが上がって行く。

 

「行くぞ」

 

 ギアを一段階上げた恭也の足捌きはシロノの瞳に映らない。距離を詰めて放たれる高速の斬撃をシロノはやや苦い顔で回避し打ち払う。防戦一方となったシロノは恭也の高い技量に舌を巻く。時折回避の上から手が痺れる強い一撃が入り、握力が磨り減って行くのを感じる。浮かんだのは焦りだった。得物を必要とする武術において握力は大切な力だ。特に戦闘継続力には必要な握力が削られて行くのは大変拙い。だが、魔法で身体能力を上げていない素の握力では恭也の強靭な握力を超える事はできなかった。

 

「ぐっ!?」

「はぁああッ!!」

 

 怒涛の連撃に避けれなくなったシロノは胸前で受け止める様に横にした木槍に伝わる感覚に顔を歪める。上空の鷹が地上の針鼠に爪を刺す如く、回避の防御が破られて恭也の追撃の突きにより木槍が圧し折れた。木刀の先端が胸へ叩き込まれるよりも先に足を滑らせる様に真後ろへ倒れたシロノの眼前を鋭い突きが風を切る。ピタリ、と突きから派生した下方への薙ぎが首元で止まる。しん、と道場に沈黙が生まれた。

 

「降参です……」

「ああ、俺の勝ちだな」

 

 シロノの負けだった。ゼストの教えである回避戦法も強靭な筋肉の修羅である御神の剣士には通用するものではなかった。しかし、ギアを上げた恭也を数秒であれども生き延びたシロノの実力は高いものだった。魔法を使っていなかったから、とシロノは喚く馬鹿では無い。全力を持ってして負けたと悔しがった。遥かに強い相手であれ、せめて一撃は入れたかったとシロノは弱さを実感する。

 武術家としてのシロノは弱いのだ、と。息を吐いて握り締めていた二つの木槍を手放す事は無く、奥歯を噛み締めて敗北を受け入れた。膝を立てて体を起こしたシロノに恭也は手を差し出す。敗者であるシロノに拒む理由も無く、硬い皮膚の手を掴んで引っ張り上げられた。その手の感触で、伸ばす手の先が遠い事を察してしまうシロノは小さく息を吐く。

 

「自分の未熟さを再確認しました。ぼくの完敗です」

「いや、そこまで卑下する程ではない。良い戦いだったぞ」

「……ありがとうございます」

 

(足りなかったのは錬度と手数の少なさだ。魔法で手数を増やしていたのが仇になった。まだまだだな、ぼくも。何が陸の最年少執務官だ。自惚れもここまでだと滑稽でしかない)

 

 離れた右手をキツク握り締めたシロノの悔しそうな様子に恭也は向上心の可能性を見た。剣を交えて分かったがシロノは時折手をぴくりと動かして何かをやろうとしていた。忍から本来は魔法を使う魔導師であると聞かされていた恭也は、シロノの本来の戦い方をしていない事に気付いていた。本気の殺し合いのギアでは無かったとは言え、シロノの回避技能は素晴らしいものだった。しかし、その戦闘スタイルだと言うのに持久力が恭也よりも足りなかった。と、なるとそれを補うために魔法を戦闘に使用していたと考えれば納得がいくものだった。忍も流石に本気で悔しそうなシロノに声をかけて茶化す事も出来ず、力が届かず悩む若者の様子に士郎は良き向上心だと褒めていた。ぽりぽりと頬をかく恭也の気まずい雰囲気が道場に伝わったのか、黙り込み思考に没頭するシロノに視線が集まる。

 

「ありゃ、もう終わっちゃった!?」

「美由希、お前という奴は……」

「あ、あれぇ……。私なんかタイミング外した?」

 

 黄色いリボンで三つ編みに栗毛の髪を束ねて眼鏡をかけている美由希は恭也を筆頭に呆れられた視線で迎えられ、辛気臭い空気をぶち壊して現れたのだった。美由希の登場により思考から戻ってきたシロノは残念ながらと折れた木槍をぶら下げて見せた。あわわと謝る美由紀に苦笑して手を横へ振るシロノの様子を見て、原因である恭也は少し安堵していたのを恋人の忍は見逃さない。恭也は不器用ながら優しい性格をしているので、打ち負かした相手とは言え落ち込む年下の少年にかける言葉が無かったのだろうと推察して、見事に当てていた。

 

「シロノ君。君の槍は回避を主体にしているようだね。しかし、体力と集中力が足りていない。……君がこれからも槍を振るうならばこの道場に来ると良い。鍛錬の相手に不足は無いからね」

「……はい。未熟者ですが、よろしくお願いします」

「よし、それじゃあ早速訓練だな」

 

 士郎の良い笑顔にシロノは反論の余地も無く、数分後に道場から上がったシロノの断末魔めいた悲鳴を聞いて、友人との遊びから帰ってきた九歳の女の子が猫の様に鳴いて驚いたそうだが、それは余談である。数時間後、厳しい訓練にぐったりとしたシロノを送迎に来たノエルが回収し、忍がその様子に青春だと笑ったそうだった。それを、夕飯の時にすずかから聞いたシロノは頭を抱えたと言う。



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10 「背中を押して、です♪」

 シロノが高町家の武人たちに揉まれた翌日。五時に起床したシロノは痣になっている箇所を擦りつつ、トレーニング用の黒いジャージ姿になり、つい先程起動したノエルに水の入ったボトルを受け取って中身を少しだけ飲む。

 月村家の広い庭を前にして念入りに準備運動したシロノは日課のランニングに没頭する。反復する記憶は昨日の鍛錬であり、恭也たちとの戦闘での反省点の克服メニューの構築が主なものだった。ぐっぱぐっぱと両手を閉じたり開いたりしながらいつもの倍の十四キロ程走って肩で息をするシロノがテラスの前をクールダウンで歩くのを、春休み最後の日であるためシロノと長く居れる時間の最後と考えたすずかが眠そうな顔で見つけたのが六時半の事だ。

 テラスの前でS2Uにより魔力負荷と重力負荷をかけたシロノは腕立てを始めとしたゼスト隊鍛錬メニューの二倍の量をこなし始める。その様子を群青の花がワンポイントのワンピースに着替えたすずかがファリンを連れてテラスの椅子に座って見学。いつもと違ってかなり疲れているシロノに小首を傾げる姿は無垢な天使の様に見えた。

 思いっきり肩で呼吸をしながら、再びストレッチし終えたシロノはがくがくする体に鞭を打って立ち上がる。S2Uを構え槍術の回避運動の足捌きの反復を行い、手を入れていない土の部分を抉るその姿は何処か鬼気迫るものがあった。

 男の子の意地、という奴だろう。恭也に一撃も入れれずに負けたのが悔しかったシロノは基礎を更に重ねるという手段を持って自己鍛錬に喝を入れたのだった。年齢差があるのは仕方が無い。ならば、練習の質を少しでも上げて日数を重ねるべきだ、とシロノは考えたのだ。

 今すぐに届く距離ならば弱さに悔しい思いをする訳が無い。普段なら朝食の一時間前には終わる朝鍛錬が二十分前に終わると、ぐったりと四肢を伸ばして仰向けにシロノは地面に倒れ込んだ。その全力疾走な様子にすずかはにこにこ顔で見つめて、我武者羅に頑張る夫を縁側で眺める嫁の様な雰囲気がそこにあった。ファリンがノエルに呼ばれて屋敷へ戻っていった後、息を整えたシロノはすずかに聞こえる様に呟く。

 

「……昨日、恭也さんにボコボコに負けた」

「……はい」

「一撃も入れられずに負けたんだ」

「はい」

「凄く悔しかったんだ」

「はい」

「だから、負けたくないって思ったんだ」

「はい」

「基礎で負けてるから、基礎を二倍にしようと思った」

「はい」

「でも、まだまだ足りないとも思うんだ」

「はい」

「……遠く感じるんだ、あの背中が」

 

 すずかは弱音を吐くシロノが可愛いと思った。背中をまた押して欲しいのだと。誰でもなく、自分に押して欲しいのだと分かってしまったから。激しい鍛錬の直後だからかシロノの顔は赤かった。大好きなシロノに頼られてしまったすずか赤面しつつも、あの時の言葉を思い返してシロノへ言った。

 

「届きますよ。シロノさんなら、きっと、超えてしまうくらいに」

「そうかな」

「そうですよ」

「そっか。……ありがと、ぼくはまだ頑張れる」

「はい! 応援します!」

 

 頼られたという事が嬉しくてすずかは満面の笑みで立ち上がったシロノを迎えた。シロノの顔は四歳下の少女に頼ったというのが恥ずかしいのか頬が染まっていて若干ぎこちなかった。汗だらけのシロノの顔をすずかがテーブルに置いてあったタオルで優しく拭い、ボトルを手渡す。受け取ったシロノは半分はあったボトルの水を飲み干して、手を差し出すにこにこしたすずかに苦笑して手渡す。ぐっぐっと腕の筋を伸ばしながら何時もの様に風呂へ向かったシロノを見送ったすずかは、ハッとした様子で視界に居たニヤニヤ顔の忍を発見してしまう。

 

「ふふふっ、朝からラブラブね?」

「お姉ちゃん!? い、いつから見てたの?」

「すずかがシロノ君を見つめ始めた頃よ」

「あぅぅ……、お姉ちゃんの馬鹿ーっ!!」

「あ、ちょ、すずかーっ!?」

 

 顔を押さえてダイニングへと走っていってしまったすずかをお約束のように忍が追い掛けて行く。そんな二人の騒がしい声に微笑みを浮かべ合うノエルとファリンは風呂に入っているであろうシロノに心の中で礼を言う。夜の一族という重い鎖に縛られていたすずかは仲の良い友人が三人できる数ヶ月前まで月村家の蔵書を読んで時間を過ごす日々で、忍の話に笑う以外にその笑みを浮かべる時間は無かった。

 たった四日。シロノが来てから四日しか経っていないのにすずかはとても明るくなった。先ず、一番最初に挙げられる点は何よりも恋を知って可愛くなった事だろう。シロノに見蕩れる様子を後ろに控える立場である二人はよく知っていた。そして、忍とのコミュニケーションに活発性が見られるようになった事だ。以前のすずかならば拗ねて機嫌を取ろうとする忍に構って貰うのがお約束だった筈だ。それが今では、シロノの事でからかわれたら赤面して可愛らしい悪口を口にする光景が見られた。

 シロノの前ではお淑やかで居たいという可愛らしい感情がノエルの忠誠心を鼻から噴出す様な錯覚を覚える程に感じられるのだ。あの、読書の虫で暗かったすずかお嬢様が立派になって、と茶化してしまうくらいに変わったのだ。

 誘拐されたすずかを救い出して婚約者になったシロノはノエルとファリンの誇れる人物になっていた。真っ直ぐに目標に手を伸ばし続けるその気概は、後ろ向きに泣いていたすずかの手を掻っ攫うように引っ張り上げた。その前向きな姿に無い筈の心を打たれたのだ。このまま末永くすずかと幸せである様に、全身全霊に仕えようと二人の自動人形は頷いて食事の準備へ戻る。

 数分後に戻ってきたシロノはつーんと拗ねているすずかと宥める忍の姿に首を傾げたが、いつもの光景に微笑みを浮かべて席へ座る。配膳しにきたノエルとファリンも明るい光景に笑みを浮かべる。本日の朝食はクロワッサンとハムエッグに野菜のサラダとあっさりとしていたものだった。

 ……シロノ以外は、だ。

 

「シロノ様はこれから肉体強化のためのメニューをご所望だと忍お嬢様から伺っております。基本であるササミに卵白のみのスクランブルエッグを添え、生野菜のサラダには特製濃縮プロテインドレッシングが掛かっております。味はご期待ください。忍お嬢様考案の恭也様筋骨隆々計画を再案したシロノ様強靭無敵計画に則って好みの味に仕上げてありますので、ご安心を」

「……し、忍さん?」

「あら、余計な御節介だったかしら。体の資本はやはり計算された食事だと私は思うのだけれども」

「嬉しい限りですが、せめて一言欲しかったです……。いや、まぁ、願ったり叶ったりですが……」

「あ、あはは……」

 

 そう、やけに自信満々なノエルの説明通り、目の前にあったメニューは普通なそれにしか見えない美味しそうな食事だった。だが、内容を聞いて少し口元を引き攣ってしまうのも無理が無いと思いたい、とシロノの内心の弁である。フォークでササミから食べ始めたシロノは四日間で自分の好みの味を特定されている事に戦慄した。月村家のメイド恐るべし、とその有能さを称えるしかなかった。不覚にもお代わりしたくなるくらいの絶品な味であったのだ。

 

「……美味しいです。ですが、お願いですので食事前に内容を露呈するのは……」

「ふふっ、そうですね。意地悪が過ぎた、という感じですか。承知致しました」

 

(完璧に人間のそれじゃないか!? 静かな場所で耳を澄ませば聞こえる駆動音がブラフに感じてくるんだけど……)

 

 ノエルの人間らしい小悪魔めいた悪戯に驚くべきか、そのノエルを作り上げた月村の圧倒的な技術力に驚くべきか、とシロノは結局両方に驚いてそのとんでもなさを再確認するのだった。ちらちらと特製サラダを見やるすずかの視線に気付いたシロノは味が気になるんだろうな、とドレッシングの掛かっているレタスを突き刺した。

 

「はい、あーん」

「え、その……、あ、あーん」

 

 シロノはフォークに刺さった野菜をすずかの口に向けて差し出した。その光景に忍はにやにやとし始め、ノエルとファリンもおお、と感嘆していた。差し出されたすずかは滅多に無いチャンスを前にわたわたしたが、赤面した顔であむっとフォークを咥えた。その何気に色っぽい光景に不覚にも自分のやった事に気付いて恥ずかしくなったシロノは頬を上気させてしまった。

 初々しいカップルに忍は妹愛を鼻から流しそうになり手で抑えて悶えていた。そして、やや恥ずかしくて気まずいままシロノはすずかが咥えてたフォークでスクランブルエッグを掬って口にした。その光景をちらちらして見ていたすずかはその堂々とした間接キスに頭が茹で上がる気分だった。

 やけに熱々な朝食になってしまったが、シロノはマルチタスクで羞恥心を隠す事すらも忘れて特製メニューを食べ終えた。赤面して時折はぅと色っぽい吐息を吐くすずかをなるべく見ないようにして煎れられた黒珈琲に全身全霊をかけるシロノの珍しい姿にぐっと忍はサムズアップ。

 

(良いわぁ……ッ!! こういう恋愛を恭也ともしてみたかったなぁ。ふふふ……)

 

 トリップし始めた主人姉妹にノエルとファリンは苦笑する。本当にシロノが月村家に来てくれて良かったと心から思うのだった。結局その後、トリップした二人が戻ってきたのは一時間程した後の事で、シロノが三杯目の珈琲を飲み干した頃だった。紅茶を飲んでリラックスしている二人を見ながら恋愛って冷静になると恥ずかしいと、思い出した様に使い始めたマルチタスクのサブで顔色を変えて思うシロノだった。



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11 「初体験、です♥」

「確か、今日がすずかちゃんの休みの最後の日だっけ?」

「はい。昨日デパートに行く通りの先にある小学校が私の通ってる所です」

「へぇ、見れなくて残念かな。春休みっていうとクラス替えが終わった頃だっけ。仲の良い友人は同じクラスになれた?」

「はい! 去年の秋頃に仲良くなった三人一緒です。あ、一人は恭也さんの妹で、なのはちゃんって言うですよ」

「お、そうだったんだ。なら、昨日は擦れ違ったのかな。後の二人はどんな子なんだい?」

 

 三人という時点でシロノは予感していた。転生者が一人混ざっている、と。悪質なタイプならば人生の先輩として説教も辞さないという雰囲気をサブに流し、メインで楽しそうに聞いているシロノは続きを促す。

 

「えっと、アリサ・バニングスちゃんとアリス・ローウェルちゃんです。アリスちゃんはアリサちゃんの家の養子の子で、デイビットさん、あ、アリサちゃんのお父さんの妹さんの娘だそうで、色々あってアリサちゃん家の養子になった女の子だそうです。アリサちゃんとアリスちゃんは姉妹みたいに瓜二つで、アリサちゃんが強気な性格で、アリスちゃんは猫被ってお淑やかな振りをしてる黒い性格の子です」

「あ、うん。そ、そうなんだ」

「そうなんです。アリスちゃんったら素は苛めっ子で、いっつもアリサちゃんと勇人くんをからかって遊んでるんですよ。この前もわたしもからかわれましたし……、まぁ、根は優しい子なんです。たまーにぐさっと来ますけど」

「あはは……、それはまた難儀な子だね。勇人くんってのは?」

「赤星勇人くんですね。隣のクラスなんですけど、アリスちゃんの友達みたいでよく混じって遊んでる男の子です。……あ! 別にわたしは勇人くんを異性としてみてませんから!」

 

 小振りでありながら確かに成長している胸を張ってすずかはアピールするが、流石に四歳下の同級生に嫉妬する程恋焦がれちゃいない。すずかを意識はしているが、愛していると囁く程まで関係は進んでいない。恋に落ちるのは一瞬であっても愛は溺れるものだからそう簡単なものじゃない。ここまで必死にアピールされたのなら男冥利に尽きるというもので、シロノはすずかが可愛いなぁと微笑み、すずかが冷静になって赤面する流れは若干お約束になりつつあった。

 そんな和やかな雰囲気で、シロノはサブのマルチタスクでアリス・ローウェルと赤星勇人という人物に脳内検索と考察を始めていた。ローウェルという名は確かアニメ版では変わったアリサの元の名前だった。そして、内容がアレだったなというのを思い出して一度切る。赤星勇人という名前で連想されたのは、赤星勇吾という恭也の高校の友人である剣道少年だった。『リリカルおもちゃ箱』で一度だけ狐の久遠とイデアシードを探していた時に出会う人物だった筈だ、とスケベな友人の一人から手渡された一枚のCDに感謝する日が来るとは、ともシロノは感慨深く思う。

 

(転生者はぼくだけじゃない、か。つまり、原作知識はカンペのチラ見程度にしか意味が無くなった訳だ)

 

 発見されていない転生者によって既に原作の状況が乖離している点を自分を棚に上げて考えるシロノは真剣な表情をしていた。もっとも、タイミング的にすずかの好感度が人知れず上がってしまうのだが、婚約者なので無問題だろう。むしろ良い方向へ繋がるに違いない。

 

「そっか、なら安心かな。その勇人君は何か武道をしてたりするかい?」

「えっと、確か……剣道をやってるって言ってましたね。小学生大会でも上位に居るとか」

 

 シロノは憶測の転生者名簿にアリスと勇人の名を付け足した。すずかの反応からしてニコポナデポの様な神様転生に有り勝ちな最低能力を持っていない事を察したシロノは、転生者は自分と同様に死を節目に転生しているのかもしれないと考える。そもそも、転生した理由が分からないのだから、神様の不始末で、という有り勝ちな展開はむしろ奇妙なものでしかない。頭大丈夫か沸いてないか、と素で尋ねかねない。もう少し思考を進めれば、もしかすると現世の世界も次元世界の何処かであり、違法魔導師の実験か何かで転生という奇跡体験を果たしたのかもしれない、と現実的な考えも浮かんでくる。いや、それだと可笑しいので、別次元のまた別次元……、平行世界での出来事かもしれないな、とシロノは考察を終えた。不毛な内容を考えていても始まらない、とサブを切ったシロノはそうなんだとすずかへ無難な答えを返す。

 

「シロノさん?」

「ああ、いや。すずかちゃんの事まだ良く知らないなって思ってさ。友人関係から少し思考してたんだ」

 

 遠回しに君の事が知りたいと言った事に気付いていないシロノに、恥ずかしそうにすずかは緩む口元を頑張って上げて笑みを返した。そして、不思議そうに見るシロノにすずかは気付く。この人天然誑し系だ、と。不意に思い出すあの笑顔や今のさり気無い言動。明日から学校に通い、近くに居れない事を凄く焦るすずかに、小首を傾げたシロノはふと魔法の資質開花の事を思い出す。昨日は結局色々とあって出来なかった遣るべき事の一つだ。だが、口を先に開いたのはすずかだった。

 

「シロノさん。魔法ってテレパシーみたいなのもあるんですか?」

「う、うん。あるよ。精神通話っていうリンカーコアの波長を合わせてする電話みたいなのが」

「それ! それ使いたいですわたし!」

「そ、それじゃ、先ずすずかちゃんのリンカーコアを活動状態に促そうか」

「お願いします!」

 

 休眠状態のリンカーコアを目覚めさせるのは案外簡単だ。外部及び内部からの魔力による刺激を与えれば良い。シロノはそっと右手を差し出して、重ねる様に指示を出した。細く柔らかい小さな掌と重なった少しゴツゴツした男の子らしい掌にすずかは少しドキドキしていた。

 

「それじゃ、今から魔力を流してみるから押し返す様にイメージしてみてくれるかな?」

「はい。やってみます」

「行くよ……」

 

 胸のリンカーコアから腕をケーブルにしてすずかに流す。その様なイメージで魔力をデバイス無しで操作したシロノの技量は高いものだ。デバイスを使う事に慣れた魔導師はこの様な自身による魔力操作の練習を怠る節があり、万年手足不足な管理局の魔導師ランクが上がらない原因でもある。子供を笑わせる様な操作の練習をしているうちに上達したシロノの精密な魔力コントロールの糸は、すずかの胸奥に眠るリンカーコアへと真っ直ぐに進んで行く。触れた腕が段々とむず痒くなるのを我慢して、すずかは流れて来るシロノの魔力の存在を捉えた。そして、リンカーコアと思われる変な感覚の手前ですずかがした事は、シロノに言われた様に感じた自分の魔力で押し返す事ではなく――ぱくっとリンカーコアでシロノの魔力を食べてしまう事だった。

 

「んなっ?!」

 

 急激に魔力が吸われて行く感覚にシロノは吃驚の声を上げ、すずかは胸奥に流れ込む暖かな魔力の感覚に酔う。リンカーコア同士にパスが繋がり、触れた手を経由して渦巻く魔力がお互いを行き来したりと忙しない。どくんと脈動して活動状態になったすずかのリンカーコアから漏れ出す青紫色の魔力が右腕を覆う様にオーラの様に浮かび上がる。それに共鳴する様に重ねた右腕に青白い魔力光を纏ったシロノもまた不可思議な現象に唖然としていた。重ねた掌の甲の上に互いを追い掛ける様に渦巻く魔力の輝きにすずかは目を奪われた。まるで恋人がじゃれあう様な動きに見えたからだ。小学三年生とは思えぬ色香が頬を染めたすずかから解き放たれ、瞳がうっすらと金色を帯びる。ざわりと空気が震え、少し伸びた犬歯が開いた小さな口から垣間見れる。

 わくわくしてすずかの魔法開花の瞬間を見ていた忍はすずかの雰囲気の様変わりにあららと微笑んだ。そう、魔力という異性の生き血とは違う異性のものを取り込んだ。その結果、すずかという夜の一族の血を色濃く受け継いだ少女が真の意味で夜の一族となった瞬間だった。恍惚とした表情でシロノに抱き付いたすずかは、熱い吐息を吹かせてから舌を這わせて愛しそうに首筋にキスをした。

 

「良い意味で暴走してるわね。そうそう、因みにその状態の事を夜の一族(わたしたち)は」

 

 ――発情期と呼んでいるわ♪

 と、忍はノエルとファリンを連れて、良い笑顔で去って行った。ちょ、と手を伸ばすシロノであるが、首筋をぞくぞくする吐息を漏らす艶やかな小さな口でぺロリと舐められて逃げ場を失う。寄りかかったすずかの力で床に押し倒されたシロノは、自身の腹に乗っかる艶やかな色香に包まれた恍惚の表情の金瞳のすずかに見蕩れてしまった。人はそれを魅了(チャーム)と言うがシロノは本心からその姿に見蕩れた。つまり、すずかが一目惚れした様に、シロノもまた一目惚れの様なときめきをしてしまったのだ。論理的に拙い、と瞬時にサブへと感情の行き場を切り替えたシロノは溶ける様な快楽めいた残滓に当てられてしまう。生身で吸血鬼の腕力に勝てる訳も無く、成す術無くシロノへ倒れる様にすずかは体を落とした。目の前には切なそうに瞳を潤むすずかの顔があり、シロノは第二サブへ感情を分割する。だが、分割してもぶっちゃけ性癖的に好みである表情をしたすずかの表情だけで思考の防壁はボロボロに近い。舌で自分の犬歯を舐めたすずかが口を開いて耳元に囁く。

 

「良いですよね?」

「あー……、ご賞味あれ?」

「いただきます♪」

 

 それがすずかという吸血鬼の初めてをシロノが貰った瞬間であり、首筋から進入した快楽の業火により身を焼かれるという不思議な体験をした始まりだった。数分という短い間ながら、第三、虎の子の第四サブにも分割したというのにぎゃりぎゃりと侵す快楽に溺れぬ様に自制するシロノの理性の頑張りにより、くたっと幸せそうに胸へ倒れて寝てしまったすずかの貞操を護る事に成功。立ち上がった際のパンツのぐちゃっとした感じにシロノはですよねーと先程まで理性を焼いていた快楽を思い出しながら未だに荒い息を整える。リビングルームで大変にこやかにお茶していた忍にすずかを任せ、シロノは顔を片手で押さえながら本日二度目の風呂へ直行。その疲れている後ろ姿にふふふと笑う主従と幸せそうに眠るすずかの姿があった。そして、こそっとビデオカメラ片手にダイニングから戻ってきたファリンが合流した。ぐっと親指を突き出したファリンの様子に忍は満足げに頷いた。

 すずかの吸血初体験がしっかりと記録に残った瞬間であった。

 暫くして忍の膝枕で目が覚めたすずかは、段々記憶を思い出していって、不意に頭が沸騰したかの様にぼんっと顔を真っ赤に染めた。シロノは自己鍛錬の疲れと快楽との戦いによる疲弊により、足をがくがくさせてベッドに倒れる様に寝てしまっているのでこの場には居ない。今すぐ自室のベッドで悶えたいという思いもシロノという一番の難関がすずかの足を止めさせる原因となっていた。

 

(し、シロノさんの魔力を貰ってから体が火照って……、もっと欲しいって思っちゃって……、驚くシロノさんの顔が可愛くて、愛しくて、欲しくなって……、そ、それからわたしは……ッ!!)

 

 吸血衝動というよりも求愛衝動にしか思えない自分の行動にすずかはあぅぅと恥ずかしい思いと、あの時の悦楽感の思いが混ざって大変可愛らしく悶えていた。特に忍の膝の上という事を忘れてごろごろと恥ずかしがっているあたりがかなり配点が高い。可愛過ぎるすずかの言動に忍は鼻を押さえてしまう。ファリンはその可愛らしい主を良いですねー良いですねーとこっそりビデオカメラを回していた。

 ノエルはこの現状に微笑みを浮かべながらシロノが居るであろうすずかの部屋の方角に小さく一礼する。今夜が楽しみですね、と意味深な発言を残して。



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12 「落ちて、溺れて、です?」

 シロノが目を覚ましたのは高そうな壁時計の針が三時を示す頃だった。眠い頭で布団を抱き込み、ふと香る甘い匂いに恍惚のすずかの顔がフラッシュバックする。がばっと起き上がったシロノは顔を真っ赤にして、脳裏に浮かんだ映像を首を揺らして振り消す。不覚にもぐっすりと眠れてしまったシロノは気まずい気分でベッドから抜け出して、ふと自分の体に違和感を覚える。朝の鍛錬で酷使して筋肉痛のある筈の腕や脚に痛みが無いのだ。首を傾げながら熟睡できたからその分体が休んだのだろう、と思考を止めて部屋から出る。

 歩いていく先はリビングでは無く猫部屋であった。部屋の中心に寝転んで仰向けになったシロノは群がる猫の波にすぐに呑まれた。もふもふとした冬毛をノエルのブラッシングで優しく抜かれて良い感じの毛並みな猫たちはシロノの腹に乗っかったり、隣に寝転んだり猫ぱんちして遊びを強要し始める。そんな猫たちの温もりともふもふの中でシロノは良い感じに思考没頭し始めた。

 

(可愛かったな……)

 

 そうぼんやりと首筋の二つの特徴的な傷跡を撫でてしまう。あの時の快楽の一端がぴりっと傷跡が疼いて思い出として浮かび上がる。精神年齢は肉体に引っ張られるというのは案外間違った事では無いようで、中二病準備期間真っ盛りな年齢であるシロノはぼーっとすずかの色香に脳内をやられたままだった。命の源とも言える血を吸われた事で生存本能が活発化し、後世に種を残そうとする三大欲求が一つ性欲が爆発しかけたのだ。絶え間ない快感が脳髄と溶かし、がりがりと理性を削って行くあの感覚は拙い。本能に忠実なグールの如く小学三年生の女の子の体を性的に貪るというのは執務官として、というかノーマルな男としては非常に拙い。よく理性が持ったもんだとシロノは自分を褒めていた。

 ごっそり持ってかれた魔力がとくんとくんと戻って行く感覚が心臓の鼓動に重なって疼く。魔力を与える魔法はある事にはある。しかし、それを魔法無しに行ったあれは使い魔との契約を果たした時に構築されるパスの様なそれだった。体の一部が触れている間のみに開かれるパスは精神通信の直接通話により魔法技術としては解明されている。だが、今もシロノはすずかとリンカーコアでパスが繋がっているのが魔力の流れを感じれる。二本の紐を端で繋いだ様な不思議な感覚は何処か心地の良いもので、魔力の繋がりを認識している間は胸の奥が暖かくなる感じがした。

 誰かと繋がっている。本来なら目に見えない筈の繋がりが実感できてしまう。それは、あの頃の孤独を癒す二歩目には十分なものだった。客観的に見れば繋がっているすずかの魔力を余剰魔力と認識して引き出す事もできるだろう。だけど、シロノはそうは思わなかった。すずかと魔力によって繋がっているだけで、常に背中を押して貰っている様に感じられる。

 

(あー……、だめだ。ぼく、すずかちゃんに溺れてる。クロノに知られたらロリコンと言われてしまうかもしれない)

 

 十三年という緩やかな死へと向かうあの日々と異なる時間を生きて、漸く気付いた人を好きになるという感情にシロノは気付いてしまった。すずかに背中を押してもらうのを期待している自分が居て、隣に居て欲しいと願ってしまう自分を認識してしまっている。もう駄目だった。性欲では無く、愛情がすずかが欲しいと叫んでいる。底無しの愛情に足が沈んだ気がして、シロノは右手を上げて天井へと伸ばす。

 ぼんやりと手を伸ばす光景は、全てを諦めて下ろしたあの時の手と真逆だった。

 どうしよう、とシロノは恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じた。すずかの顔を見て普段通りで居れる気がしない、と冷徹とまで言われたシロノは唸ってしまう。すずかには格好良い所を見せ続けていたい。そんな男の意地とも言える心情が今の現状に困っていた。目があったら赤面して逸らしてしまうんじゃないか、とシロノは伸ばした手を顔に置いて静かに悶える。にゃあにゃあと猫たちが遊んでくれないシロノから離れて行く。けれど、温もりは感じたままで。

 シロノは暫くぼーっと余韻に浸ってから魔力の繋がりを辿ってすずかの場所を探して見る。方角と距離からしてリビングに居ると分かったシロノは探す時便利だなーと嘯く。

 

「(あー……、すずかちゃん聞こえてる?)」

 

 返事は返ってこないが、パスから伝わる感情から酷く動揺している様子が手に取る様に分かってしまった。やっぱりこれ使い魔の契約パスみたいなものだな、と当たりを付けたシロノは苦笑して精神通話を続ける。

 

「(これが精神通話だよ。地方によっては念じて通じ話せるからって念話とも呼ぶけど。ぼくに心で語りかけるようにしてみてくれる?)」

「(……え、えっとこんな感じですか?)」

「(そうそう、出来てるよ。さっきリンカーコアを活動状態にした時にぼくの魔力を取り込んでたよね。それでぼくとすずかちゃんの間には魔力のパスが出来てるんだ。感情もそれなりに伝わるから気をつけてね)」

「(え? じゃ、じゃあもしかして……)」

「(あー……、うん。すずかちゃんがぼくがどれだけ好きなのかこれでもかってぐらいに伝わってきてるね)」

 

 リビングの方からドタバタする音が聞こえる。そして、パスから繋がる感覚からあぅあぅ言っているのがシロノには伝わっている。可愛いなぁと本心で思ってしまったシロノのそれがすずかに伝わり、またしても繋がるパスは大きく揺れ動く。感情のラインが正確にお互いの心情を教えてしまう現状にシロノは苦笑せざるを得ない。

 

「(あはは……、これ調節しないと日常生活に支障が出そうだね)」

「(あ、あぅぅ……、何とかなります?)」

「(これって案外イメージで何とかなるタイプの魔法でね。あー、今はぼくに電話をかけているって思ってみれば良いかな。電話じゃ感情は伝わらないよね?)」

「(こ、こうかな……? どうでしょう?)」

「(うん、感情のパスがピンと張って動きが分からなくなった。上手い上手い)」

「(えへへ……)」

 

 シロノに褒められて嬉しいという感情が揺れるパスからすずかから伝わってくるのに苦笑しつつ、マルチタスクの訓練からするかなとシロノは今後の予定を考える。シロノとすずかはパスを利用した精神通話に慣れるために談笑を始めた。もっとも、リビングに居るすずかはマルチタスクを習得していないため、いきなり慌てたり赤面したりとトリップしている状態にしか見えず、忍たちに微笑ましい表情で見られていたが。

 結局すずかは一定値越える感情が流れるという癖を治す事はできなかった。というよりも、すずかが可愛い過ぎるのでシロノが黙っとく事にしたのだ。どうですか、と照れながら尋ねてくるすずかに、出来てる出来てると褒め称えた。シロノ的に感情の波長が流れ込むのはパスの繋がる自分だけだろうという考察があったためでもある。

 

(極上の癒しだし、このままにしとくか……)

 

 しれっと本心を隠して惚気たシロノは流石に余韻も冷めたのを実感した。中学超えたら我慢出来なくなるかもしれないな、と将来の自分にエールを送りつつすずかもクールダウンしただろうとリビングへ向かう。案の定其処にはカオスが広がっていた。忍の膝の上に乗せられて至れり尽くせりなすずかと完璧な仕事をするノエルにビデオカメラを回すファリンという光景があった。

 シロノからすずかの場所が分かるように、すずかからもシロノの場所を特定出来る様になったのだろう。リビングに現れたシロノへえへへと嬉しそうな笑みを浮かべるすずかに、シロノは胸が撃たれるかの様な衝撃を受ける。隣に座りながらシロノはポーカーフェイスを決める。その隣に膝から降りたすずかが擦り付く様にちょこんと座り直した。

 

(これが萌えって奴か……。 前世で佐々木が熱烈に演説していた理由も今のぼくなら分かる気がする……)

 

 顔は冷静であるがかなり悶絶しているシロノは感情を流す様なポカはしない。しかし、忍はそのシロノが漏らした一瞬の顔を機敏に察知し、夜の一族というアドバンテージを無駄に有効活用してその心を看破する。口元に手を当ててニヤリ顔で忍はシロノへ絡む。

 

「ふふっ、すずかの魅力に気付いてしまったようね……。盛大に歓迎するわ、シロノ君。明日の朝に、お楽しみでしたね、と言ってあげるわ」

「だからあんたは子供にナニやらせようとするんじゃねぇよ!?」

 

 ――完璧に陥落したわね。

 口に出さず唇で言葉を紡いだ忍のそれをノエルとファリンは把握と言った具合に頷いた。外堀が流石月村家と言わんばかりの速度で埋まっていくのをシロノは感じる。会話に付いていけていないすずかは小首を傾げており、性の暗喩などは徹底管理されているらしい。耳に壁あり其処にファリン、と言った具合に閲覧制限はきっちりとされているようだ。ノエルは忍の、ファリンはすずかのメイドであり、生活のサポートと屋敷の維持が仕事だ。もっとも、ノエルは半々きっちりと、ファリンは前者に偏りつつあるらしいが。

 

「そういえば、すずかがいきなり可愛くなったり、やっぱり可愛くなったりしたんだけどシロノ君が何かしたのかしら?」

「其処は突っ込む所ですかね。……まぁ、そうですね。ミッドチルダ式テレパシーの精神通話でお喋りしてたんですよ。すずかちゃんの魔法の資質は高いです。頑張れば指をこう突きつけて魔力弾撃てますよ」

「何それ凄いんだけど。因みにシロノ君は出来るのかしら?」

「できますよ。昨日の朝食の席でやったあれの本来の使い方ですね。あれは空っぽの風船で、それに魔力という火薬を込めれば爆弾や弾丸になります。所謂シューティングゲームの通常ショットですね」

「よく分かったわ。魔法の訓練は……、そうね、中庭が良いかしら」

「はい。まだ初心者ですから魔力の操作からやるつもりです。今日は初歩の初歩である生活魔法に分類される精神通話を教えました」

「うん! シロノさんと面と向かって話してるみたいにお喋りできるんだよ!」

「へぇ……、それは便利ねぇ」

 

 家に居ながら電話を使わず恭也と話せるのは良いな、と忍も羨ましがりながらご機嫌なすずかに微笑む。面と向かっているどころのレベルじゃないとは流石にシロノは言えなかった。心と心が常に繋がってます、だなんて言ったら恥ずかしくて死ねるとも思っているからだ。ただでさえ、機敏にすずかを意識し始めてしまったシロノにはハードルが高かった。そして、そんなシロノに追撃をかける様に忍がニヤッとしてシロノに囁いた。

 

「で、どうだった? 気持ちよかったんでしょ」

「――~~ッ!?」

 

 その一言であの時の映像が脳裏に鮮明に浮かび上がる。ボッとマッチに火が点いた様に顔を真っ赤にしたシロノの様子に、ありゃと忍は予想外そうに驚いてからニンマリと笑みを浮かべた。咄嗟に無意識で反応してしまった首筋を左手で押さえたシロノに若いって良いわねぇと忍はからからと笑う。すずかはシロノが手をやった所を見て、かーっと頬を染めてしまった。

 

「(あの、その、そ、そこって……)」

「(……お察しの通り、かな)」

「(ご、ごめんなさい?)」

 

 その精神通話での謝罪にふっと笑って、すまなそうに、けれど何処か恥ずかしそうなすずかにシロノはでこぴんした。あうっと軽く仰け反ったすずかは両手でひりひりするおでこを押さえる。

 

「(……ま、すずかちゃんの初めてを貰った訳だ。嬉しいに決まってるさ)」

 

 自分でもくさい台詞だと分かっているのだろう。シロノはそっぽを向いて未だに赤い頬を隠す様に顔を左手を覆う様に置いた。その台詞にストップ高へ振り切るくらいに満面の笑みに変わって行くすずかは感極まって右腕に抱き付き、溢れるくらいに迸る喜びの感情がパスを通じてシロノの心に直撃する。恥ずかしさ、更に倍、と言わんばかりにシロノは頬を真っ赤に再び染まる。

 そんな関係の急発展に驚いたのは忍たちだ。精神通話の事を知っているが故に、二人の間で密かな会話があったのだろうとは分かる。だが、すずかがこんなにも甘えるくらいの台詞をシロノが言ったのだろうが、二人だけの精神通話故に聞けなかったのでかなり気になる。けれど、無言でいちゃつく二人の仲に入る訳にもいかなかった。結局撮影をファリンに任せたノエルが作った夕食まで二人は頬を染めていちゃついていたのだった。



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13 「変わる生活、です?」

 翌日、結局夜には手を繋いで寝る程に留まったのを思い出しながらシロノは背中をぐぐっと伸ばした。隣ですやすやと眠るすずかの頭を撫でてから、日課になっている自己鍛錬を開始する。ノエルから手渡された水を飲み、ランニングを十四キロ、二倍のゼスト隊メニュー、型の素振り、仮想訓練敵の撃破を終えたシロノは前日のくたくた具合とは違い、少し疲れたな程度の疲労感にバリバリの違和感を感じた。

 可笑しいと流石に当人であるシロノは気付く。ランニングの最中もこのまま更に倍を走れそうな体力の増加、二倍のメニューの筈なのに普段のメニューよりも足りなく感じる筋肉の増加、仮想敵の攻撃を見切ってしまう程に発達した視覚。昨日感じた違和感は確かにシロノへ警鐘を鳴らしていた様で、自分の体に起きた違和感の正体が分からずのまま、朝食の一時間前という時間に自己鍛錬は終わってしまう。つまり、倍の速度で自己鍛錬のメニューが消化されてしまったという事だ。

 最初に違和感を感じたのは昼寝の後。筋肉痛が無かった事に首を傾げた時だ。あの時は色々と動転していて深く考えなかったが、足ががくがくになるまで鍛錬をやったのに若いとは言え寝ただけで治る訳が無かった。つまり、あの時から異変は起きていた訳で。そして、前の事を考えても思い付くのは一つしか無かった。

 そう、すずかに血を吸われてからだった。古今東西、吸血鬼に噛まれた者は吸血鬼になると言う伝承があったりする。それに当て嵌めると、シロノは吸血鬼(仮)になってしまっているとしか思えなかった。

 胸の前でぐっぱぐっぱと利き手である右手を開いて閉じてから小指から握り込んで――地面を抉る様な左足の踏み込みから、腰の回転を放つ勢いへ足した正拳突きを近場の木へ叩き込む。返って来る感覚は硬い物を殴った時のそれではなく、ブロックの上に三つ折りのタオルを置いた物を殴ったかの様なそれで。二センチ程木の幹に埋まった右拳を見てシロノは色々と混乱した。冷静になりつつぐっと引き抜いて見れば、素手で殴った筈の拳はほんのり赤いだけであった。眺めて数十秒で赤みが引くという在り得ない光景がそこにあった。

 

「……え、マジで?」

 

 素で驚くシロノの口元は引き攣っていた。首筋で吸血された際に熱く焼ける様な感覚が体中を迸ったのは夜の一族の血の数滴が注入された結果の反応だったらしい。同時に吸血されていた事により快楽が副作用よりも上回ったと考えた方が良いかもしれない。

 

(そ、そういえばすずかちゃんって今まで輸血パックで過ごしてたから直に飲んだのってあの時が始めてだよな。つまり、飲み方が分からない状況で雰囲気に呑まれて吸血したって事で……。あー、これぼくの責任だわ。すずかちゃん悪くないな。了承したのぼくだもんな……)

 

 夜の一族の血を、それも誰よりも濃く受け継いだすずかの血をシロノの血へ数滴注入した事による細胞活性化による肉体の改造。間違えるとその場で拒絶反応で死んでいた可能性もあるので、ゾッとしつつシロノは成功した運の良さに感謝した。肉体面が恭也に何の努力無しで近付いてしまった事に少し落ち込みつつ、すずかに対してどう伝えたもんかと思案する。取り敢えず、当主である忍へ伝えるのは必須事項だろう。結局はすずかに伝える日が来るだろうし、いつ話すべきかを相談する誰かが必要だ。

 

「……言わないのはなんか退けてるみたいで嫌だな」

 

 すずかに罪を意識して欲しい訳じゃないので、一番上手く行く方法をシミュレーションする。突っ立って唸るシロノの姿に少しお寝坊して白い制服を着たヘアバンドを付けたすずかが首を傾げる。その視線に気付いたシロノは取り敢えず今話す事では無いな、と判断して帰ってきたら話そうと自己完結した。

 

「や、おはよう、すずかちゃん」

「おはようございます、シロノさん。少し寝過ぎちゃいました」

「あはは、十分早いと思うよ。それが制服かな? ……うん、純白な感じで似合ってるね」

「ありがとうございます。結構気に入ってるんです、これ」

 

 最近すずか関連で崩壊しつつあるポーカーフェイスでシロノは接する。膝下まである白いワンピースの様なロングスカートに丈の短い長袖の上着を赤い紐で留める私立聖祥大附属小学校の女子制服を身に纏ったすずかがくるりとその場で回転した。ふわっと膨らむスカートが一回転を終えた瞬間にふわりと戻る。それはメイドターンと呼ばれるメイド必須技術の一つであった。完璧なメイドターンにシロノは素直に感嘆した。

 

「ファリンと一緒に練習した事があるんですよ。くるっとターンする時にふんわりとするのがポイントです♪」

「うん、完璧だった。正直見蕩れてたよ」

「えへへ」

 

 思考していた内容が吹っ飛ぶ照れた笑みにシロノは微笑みを返す。吸血した時が一番恥ずかしかったからか、それとも昨夜のシロノの嬉しかった宣言で恥ずかしさが吹っ切れたのか、すずかがシロノに対し緊張した様子で慌てる様子から少し成長した様だった。むしろ、自身の可愛さをアピールする様な度胸が付いた様で、萌え悶えさせる気か、と言わんばかりの可愛さをシロノに振りまいていた。

 本日は忍も午前から講義があるらしく、お出掛け用の私服でダイニングに居た。シャワーを浴びに行ったシロノと分かれたすずかが座り、数分後にその隣に黒っぽい私服に身を包んだシロノが座る。その日常的になった光景に忍はふふっと微笑み、微笑ましくも嬉しく思った。ノエルお手製の絶品な朝食を終えた外出二人組みは鞄を持ったノエルとファリンを連れて玄関へ。シロノは何となくそれについて行き、ノエルと忍がベンツに乗り込んで先に行ったのをすずかと一緒に見送った。

 

「徒歩で登校?」

「えっと……、うちの学校って進学校でバスの送り迎えがあるんです。なので、外の入り口で時間まで待ちます」

「へぇ……、バスの送り迎えか。中々良い学校なんだね」

「お家によっては車で来る子も居るくらいですからね」

「所謂お嬢様学校って事かな?」

「あはは……、小学生までは共学で中学からは男女別ですね。大学は学部で違うみたいです」

「小学校から大学まであるんだ……。凄いとこだなぁ」

「そうですね、海鳴市では一番大きいと思います」

 

 そのまま数分程談笑していると通りから私立聖祥送迎バスという白い塗装のバスが見えてきて、すずかの目の前に真ん中側の入り口があるように止まる。その運転技術にそこまで力を入れているのかとシロノは少し感心した。

 

「いってらっしゃいませ、すずかお嬢様」

「行ってらっしゃい。気をつけてね(何かあったらこっちで言ってね。迎えに行くから)」

「はい、行って来ます(分かりました)」

 

 ファリンの一礼してから精神通話をしつつシロノがすずかを見送り、すずかは二人に小さく手を振ってバスの中へ足を踏み入れる。シロノの外見は小学三年生から見てすれば美形の気さくなお兄さんと言った具合であり、黄色い声を上げる女の子も居たり、格好良い人だなーと大人な雰囲気に憧れる男の子も居たりと結構人気だった。しかし、シロノはすずかしか見ていないので、ふふんと少し優越気味の気分になるすずかが其処にあった。バスの後ろ側に向かったすずかは最後部席の窓際に座る二人の金髪少女に声をかけた。

 

「おはよう、アリサちゃん、アリスちゃん」

「おはよ、すずか」

「おはようございます、すずかさん」

 

 金髪の左側の一房を赤い球体の飾りの付いたヘアゴムで束ねた強気そうなアリサ・バニングスと、右側の一房を青い球体の飾りの付いたヘアゴムで束ねた淑女然としたアリス・ローウェルが挨拶を返す。瓜二つな従姉妹である二人の隣にすずかが座った事を確認したベテランの運転手は入り口を閉じて、アクセルを踏んで進行した。右の窓際からアリス、アリサ、すずかという席順ですずかの隣は一人座れる程の空きがある。そこには後から来るなのはを足すのがバスでの普段の光景だった。月村邸が見えなくなった頃に、アリサがキランと瞳を輝かせすずかに顔を近寄らせた。

 

「で、あの人は誰よ? 随分と仲が良さそうだったけど」

「ええ、わたくしも気になりますわね」

「えっと……、未来の旦那様、かな」

 

 そうポッと頬を染めて惚気たすずかに二人はフリーズする。ミライノダンナサマ、と意味不明な単語を聞いたかの様に吟味し、未来の旦那様と変換し直して、二度目の絶句をした。親戚のお兄さんとか、従兄だとかそんなチャチなレベルではなく、恋人という過程を吹っ飛ばして旦那様であった。そう言えば、と二人はいやんいやんと可愛い事しているすずかから感じられる大人の色気、つまりは色っぽい雰囲気を感じ取れる事が分かる。

 ――すずかが大人の階段を!?

 小学三年生の女子とは思えぬ聡明なアリサとアリスでさえ、彼氏と呼べる人物は居ない。春休みの一週間程の期間で一体何があったのか凄まじく気になってしまう。特に、シロノの事を疑いの視線で見ていたアリスは思ってしまう。

 

(あのイケメンロリコン転生者なの?! いや、なのって私じゃなくてなのちゃんの語尾だしって、案外テンパッてるわね私!?)

 

 淑女という猫を被った転生者であるアリス・ローウェルは内心でかなり動揺していた。アリスは前世の記憶があり、中身は絵を描く趣味で週間雑誌の漫画を書いていた女子大学生である。勿論漫画、アニメに通じる「お宅の子って……」と称されるオタク喪女であった。もっとも、漫画家という肩書きがあったから家族からすれば誇れる子だったのだが。

 自身の漫画の最終話を締め切りギリギリまで命を燃やして書き上げた記憶があるだけで、その後はアリス・ローウェルという死亡フラグ立っている女の子にいきなり転生して絶叫した。人はそれを産声と言うがアリス的には絶叫でしかなかった。

 死亡フラグビン立ちな自身の名前に戦慄しつつ、転生者である利点をアリスは活かした。IQと性格のせいで疎遠されるフラグを難無く圧し折り、死亡フラグ回避だぜと思っていた。

 そう、あの時までは。

 買い物へ出かけたデイビットの妹である母が誘拐されて色々されて気が触れて亡くなり、父はショックで首を吊ったという残酷なバタフライ効果を現実に見て、トラウマを持ってしまったアリスは傍目から見ても可愛そうな少女であった。

 妹が死んだのは自分の責任だ、とデイビットが養子に迎えるまで自傷気味の精神病にかかりつつあったアリスを救ったのは強気で寂しがりやなアリサだった。目が死んでいるアリスを人一倍気にかけて、更には自身の寂しさの傷を舐め合う事で心の傷を埋めたアリサのおかげでアリスはこうして元気に過ごせている経緯があった。

 そのためか、『魔法少女リリカルなのは』の世界に転生している事をあんまり意識する暇が無く、小学二年生の時に知り合った赤星勇人により、自分以外の転生者が居る事を知ってからアリスは転生した事を意識し始めた。何があってもアリサだけは救ってみせる、と誓って。

 意識して魔法の有無を確認し、見事AAランク程の才能を開花。デバイスが無いなら武術を習えば良いじゃない、と高町家にお邪魔した際に御神流を学び始めている。身体能力を魔法もどきで補助しながらの修行により、半年で徹を覚えたアリスの才能に士郎と恭也は勿論、同性の美由希も関心していた程だ。

 

「そ、それであの殿方はどのようなお名前ですの?」

「えへへ……、え? シロノ・ハーヴェイさんって言うんだ。凄く格好良くて、でもたまに可愛い人でね……」

 

 幸せそうに惚気始めたすずかをアリサに託したアリスはシロノ・ハーヴェイという名前を脳内検索して、『リリカルおもちゃ箱』でのクロノの偽名の家名であったな、と目星を付けた。原作では自分を弱いと感じて、大切な人のために自分を犠牲にしてしまう優し過ぎる子だった、とアリスは九年以上前の情報を思い出す。と、なるとシロノという人物も自分と同じでバタフライ効果で辛い事があったんじゃないか、と知らぬ相手でありながら少し共感してしまう。

 すずかの惚気トークに砂糖を吐いているアリサからの救いの瞳にも気付かずに、アリスは思考に没頭する。マルチタスクがあればそんな事は無かっただろうが、あれは技能の一つであって標準装備できるスキルでは無いのだ。例え知っていても練習の仕方が分からなければ習得はできないのが普通である。

 

(……学校に着いたら勇人にも伝えておくべきね。でも、あいつ剣道馬鹿だし役に立つかしら……?)

 

 案外酷い事を言われている赤星勇人は前世でも剣道をやっていた転生者だ。転生に首を傾げながら、もう一度剣道ができると二度目の生を喜んだ良い意味で真っ直ぐな少年である。中学の大会で右腕の筋を断裂し、剣道人生に終止符を打たれてからは酷いものだった。剣道の掛け声を聞くだけで家に篭ってしまう引き篭もりめいた生活、明るい性格だった息子が暗くなってしまい両親は痛々しい姿を見つめるしかできなかった。そんな心優しい両親が気分が晴れれば、と計画した旅行にて交通事故で衝突しそうになった両親を庇って死んだのだった。剣道という体の芯が折れてしまって、惨めに生きる生活よりは両親のために死ねた方がマシだ、と瞳を瞑り一瞬の衝撃の後、最期を悲鳴で締めまいと耐えて、救急車の中で絶えたのが最期の記憶だった。

 そして、何故か産声を上げていた勇人は転生という未知なる体験を果たしたのだった。動く右腕の感覚に隠れて号泣した事もあった勇人は、すくすくと怪我に人一倍気にする剣道少年となったのだった。

 そして、転生して知識の高い事を活かし、奨学金制度で入学を果たした勇人は成績優秀剣道少年となり、同じクラスになったアリス・ローウェルに問い詰められて転生の事実をゲロったのだった。

 見た目は可愛いアリスに呼び出された時はらしくなくドキドキしていた勇人を待ち受けていたのは、魔王の雰囲気を醸し出す女帝であり、淑女の仮面を脱ぎ捨てたアリス・ローウェルの問い詰めであった。それ以来、協力者として友人関係を結んだ勇人は『魔法少女リリカルなのは』を知らない転生者としてアリスに認識されたのだった。

 

「それでね、シロノさんの横顔がもう、格好良くてね。胸の奥がこう、温かくなっちゃってね」

「あー……、うん。そうね、そうなのね……」

「それでね、シロノさんは――」

 

 悪気が無いすずかの惚気に根を上げたアリサは生返事を返すマシーンと化していた。その様子に先に話題を振らなくて正解だったわ、とアリスは停車したバスへ入ってきた栗毛のツインテ少女に目を向けた。高町家の天使、翠屋の良心とも呼ばれている高町なのはその人だった。その天使の如く姿にアリサはこれで勝つると言わんばかりに挨拶の声をかける。

 

「あ、なのはおはよう!」

「とっても素敵で……、あ、おはよう、なのはちゃん」

「おはようございますわ、なのはさん」

「アリサちゃん、すずかちゃん、アリスちゃん、おはよう!」

「ふぅ……、助かったわなのは。一瞬後光が射して見えたわ……ッ!」

「ふぇ?」

 

 すずかの隣に座ったなのはに拝む様に手を合わせるアリサの姿にアリスは苦笑し、すずかは小首を傾げた。一先ずアリスとアリサはシロノの事をすずかに尋ねる時は色々と質問する事を纏めてからだな、と色々と身と精神に沁みたのだった。



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無印~
無印14 「アリスと勇人の関係、です?」


「えー、以上で始業式を終えます。生徒は一年一組、四年一組から教室へ戻ってください」

 

 校長の在り難くもかなり長い話を終えて始業式が終わり、すずかたちは三組のプレートの教室へと談笑しながら戻って行く。先生たちの小会議が終わるまでは三十分程暇になる時間で、まだ遊び盛りなクラスメイトたちはわいわいと騒ぎ始める。すずかは何処かぽけーっとしているなのはの所へ近付き、アリサたちも気付いたのかなのはを囲む様に集まっていた。

 

「どうしたのなのはちゃん。寝不足?」

「う、うーん。何か変な夢を見たの……」

「夢? どんなのだったのよ」

「えっと……、確か、青い宝石が流星群みたいに落ちてくる夢だったかな。最初は綺麗だなーって見てたんだけど、いきなり場面が変わって黒いもやもやと白いもやもやが激突してから一緒に襲って来て……」

「其処で起きた、と言う事でしょうか」

「うん……」

 

 不思議な夢だと同意するすずかとアリサと違い、嘘んとアリスは口元を引き攣らせていた。青い宝石も黒いもやもやも一応白いもやもやも何となく分かっていたからだ。

 

(ジュエルシードとその暴走体……。けど、白いもやもやって、……まさか、ね?)

 

 ジュエルシード。それは『魔法少女リリカルなのは』の無印と称される最初の事件の始まりの名前にして、なのはが白き管理局の魔王とステップアップする物語の要とも呼べるアイテムだ。二十一個のジュエルシードを発掘した若きスクライア一族の少年であるユーノとの出会いにより、レイジングハートと呼ばれる悪魔デバイスもとい高性能インテリジェンスデバイスを手に入れて覚醒を果たすのだ。

 そして、原作の経緯を知っているが故にアリスはこの展開が、在り得ない方向へ進んでいる事を自覚した。そう、転生者(イレギュラー)を孕んだ物語が正常に進む訳が無い、と嫌な警鐘が鳴り始めたのだった。

 

(本来ならその夢はもう少し先だった。そして、ユーノが戦っている内容じゃない別物の内容……。成る程、既に誰かの手によって賽が振られている状況なのか。拙いわね。そうなると、今日の帰りにでもユーノを回収するのかしら?)

 

 しかし、なのはの語る夢にはユーノが出ていない。まさか、既に他の転生者によって消されたのか、と嫌な勘繰りをしてしまうのも仕方が無かった事だ。転生者が全員が善人である保障は無い。シロノ・ハーヴェイの様にミッドチルダ出身、又は違う世界で転生者が産まれている可能性もある。原作知識が白紙になりつつある状況に内心アリスは歯噛みする。出遅れているってもんじゃない、と危機感を覚えたのだ。

 

「アリスちゃん?」

「あ、いえ。夢とは古くから物事の啓示であると言われていましたから、どのようなものかなと考えていたのですよ」

「ふーん? それにしちゃ結構悩み込んでたみたいだけど」

「まぁ、良いではありませんか。もしかしたら、良い出会いがあるという啓示かも知れませんよ?」

「青い宝石だもんね。夜空にキラキラして落ちてきたら綺麗だろうなぁ」

「にゃはは、うん、凄く綺麗だったよ」

 

 そう、確実に必然的な出会いがあるに違いない。そうアリスは断言できた。だから、今やれるのは日常を護る事と、なのはの覚醒への道筋を作る事だった。フェイトが来たのは中盤、つまり、その間にジュエルシードが暴走した場合大変な事になる。大切なアリサが巻き込まれてしまうかもしれない。それがアリスにとって一番の懸念だった。言わばアリスは原作沿い派となるしかなかった。悔しい事に魔法も武術も九歳の体には中途半端なものでしか備わっていない。剣道しかしていない馬鹿である勇人なら尚更肉壁にしか使えないだろう。

 

(……そうなると、シロノ・ハーヴェイという人物にコンタクトを取るしか無い。魔導師である事が好ましい。……そして、すずかが魔法に目覚めているという時点でそれはチェックが付けれる)

 

 そう、デバイスの無いアリスは独学ながら魔法に目覚めている。そのため、胸奥の茜色のリンカーコアがすずかの大きな力を感じ取っているのだ。そのため、シロノはすずかの魔法資質を見抜ける魔道師である事が高い。更に『魔法少女リリカルなのは』では存在しない筈の『リリカルおもちゃ箱』内の名前からして転生者である事が遥かに高い。……もっとも、すずかから聞き出すためには惚気という幸せオーラを直視せねばならない苦行があったりする。アリサかなのはがやらかしてくれないかな、とアリスは少し期待しつつ、教室に現れた久方振りに見る女性担任の高橋先生を見やるのだった。

 

「はいはーい、皆席に座ってー。一週間振りのホームルーム始めるわよー!」

 

 高橋先生の声に従った皆々が自分の席に座り、連絡事項やこれからの予定を静かに聞く姿は優等生のそれだ。私立聖祥大附属小学校は大学までエスカレーター式の格式の高いお嬢様&お坊様学校だったりする。そのため、全国平均テストでも上位を飾っている生徒が居たりとかなり有名な学校でもある。むしろ、私立聖祥というブランドを持つ進学校でもある。小学校受験のある学校と言えば察せるだろうが、生徒の質は良い意味でも悪い意味でも良いのだ。模範的な優等生と頭脳の良さを絶対の自身にする輩まで居るため、ホームルームや授業を受ける態度は頗る良い。

 四組に居る勇人の様にスポーツ推薦枠もあり、奨学金生徒も勿論存在する。そのため、勇人は原作の赤星の如く優等生の分類に入る。成績も良く、剣道も強い、模範的な文武両道少年である。同学年の女子からモテている様だが、アリスという女帝もとい友人が居るので手が出し辛い状況らしい。そして、それを内心でおませな子たちねぇと笑うのがアリスだ。

 ――剣道に影響が無きゃ構わねぇよ。

 と、協力者になった時に言うぐらいの剣道馬鹿な勇人だから、精神年齢と環境もあって恋愛には興味が無い姿が手を出し辛い原因の後押しをしていた。露骨なアピールをして剣道の邪魔だ、とばっさり切り捨てられた女の子も居た事から、勇人を狙う女の子は剣道部のマネージャーというよりは勇人のマネージャーというアプローチで今も頑張っているらしい。もっとも、勇人からすれば至れり尽くせりで楽だな、としか思っていないのでご愁傷様なのであるが。

 

「さて、重要な点はこれで以上かな。と、言う事で恒例のー!」

 

 ドンッと教卓の上に置かれたのは大量の原稿用紙。それを見た全員がうわぁと嫌な顔をした。例え、優等生めいた生徒たちであろうとも子供は子供だ。面倒なものを嫌うのは当たり前な事だった。しかし、その顔を見てふっふっふと笑みを浮かべる高橋先生。大変良い笑顔でドSの片鱗が見える。

 

「春休みには何をやったかな? 題名は、ぼくのわたしの春休み! 原稿用紙二枚まで使って先生に教えてね。あ、これは他のクラスもやってるから文句は私じゃなくて文部科学省の人にね♪」

 

 態々逃げ道を潰す辺り良い性格をしている高橋先生である。しかしまぁ、そんなオープンで嫌味が嫌味に聞こえない性格が慕われる一端となっているようで、高橋先生に中休みや昼休みから放課後まで、相談や談笑をする生徒は多い。ブーイングをしつつ、なら仕方が無いなぁという雰囲気で生徒たちは配られた二枚の原稿用紙に鉛筆を向けるのだった。

 

「それじゃ、三時間目と四時間目が作文に当てられてるからゆっくり思い出して書いてみてね。あ、終わったら先生に渡しに来てね。楽しい思い出を聞かせて欲しいな」

 

 ふわりとした大人びた笑みが高橋先生の魅力であり、何処か親しみが持てる雰囲気なのだ。そのため、高橋先生は学年の先生の中でも人気のある先生一位(非公式)に君臨していたりする人気先生である。はーい、と返事をしてカリカリと手元を動かして行く生徒を見回して、よしよしと高橋先生は教卓の裏にある椅子を引っ張り出して文庫本を読み始めるのだった。

 そんないつも通りな高橋先生を苦笑したアリスは予め用意していた原稿用紙を取り出す。そこには既に二枚以内に春休みの事が書かれた完璧な作文があった。小学三年生らしくも淑女の誇りを忘れぬといった綺麗な字で書かれているものが、だ。

 

(さて、三時間目はゆっくりと……)

 

 アリスは目を瞑って四組の後ろ側の席に居るであろう勇人の黄土色のリンカーコアの存在を意識する様に認識する。何かが繋がった感覚と共にアリスは瞳を開いて然も書いてますと言った振りをし始めた。

 

「(テス)」

「(……あー、テス)」

「(念話感度良好。勇人、私が言った通りだったでしょう?)」

「(ああ、予め用意してて良かった。大分楽だったぜ)」

「(……今朝、すずかの所で転生者を見つけたわ)」

「(何、本当か? そいつは、えっと……、テンプレオリ主って奴なのか?)」

「(其処までは聞いてないけど、その……、すずかが惚れ込んでるみたいで、しかも相手も満更じゃないみたい。因みに十三歳で、シロノ・ハーヴェイって名前のようね)」

「(……通報するべきか?)」

「(いや、どうも惚れたのはすずかが先みたいなのよ。だから、詳しくは分からないけど、ロリコンというよりは、好きになった女の子がロリでしたってタイプだと思うのよ)」

「(それはまた……、難儀、いや、羨ましいと形容するべきかね?)」

「(さてね)」

 

 念話をしつつアリスはペン回しを華麗にしているアリサを見て、うんうん唸っているなのはを見て、ぽけーっとトリップしているすずかを見た。完全に一人だけ色気というか惚気のオーラが出ている。それぐらい春休みの生活が幸せなものだったのだろう。シロノの評価を少し改めるべきかしら、とアリスはシロノの素性が分からない事に歯噛みした。

 

「(それで、本題は朗報というか悲報と言うべきか……)」

「(そんなに拙いのか?)」

「(なのはがね、例の夢を見たそうよ。しかも、内容が原作とは違うみたい)」

「(え? そうなのか。アリスが言ってたのは確かもう少し先の事だろ?)」

「(馬鹿ね。転生者(イレギュラー)が居るのよ? この世界じゃない場所で更なる転生者(イレギュラー)が何かをしている可能性が高いわ。因みに、夢の内容はジュエルシードが夜、つまりは昨夜に落ちたというのと、黒いもやと白いもやが争ってからなのはを襲ってきたという内容だったわ)」

「(あれ? ラッキースケベマスコット型淫獣ユーノ君は何処に行ったんだ)」

「(あ、その渾名は二次創作でのおふざけな名前だから無視していいわ。現実に会ったら真面目で視野が狭いへタレユーノ君と覚え直しておきなさい)」

「(……それもまた中々辛辣じゃねぇ? まぁ、いいけどさ。俺たちはこれからどうすんのよ)」

「(え? 何もしないけど?)」

「(…………は?)」

 

 四組に居る勇人は一瞬口から声が出かけたが、一単語だけだったので何とか誤魔化せた。対する三組のアリスは然も当然と言った様子でしれっとしていた。友人をスケープゴートにする気満々であったのだ。その時、なのはがぶるりと背筋を震わせて辺りを見てから小首を傾げていた。若干、その様子を可愛いなと思ってしまうアリスだったが、心を鬼にして精神通話を続けた。

 

「(忘れたのかしら? 私が動くのはアリサのためよ。なのはが良い感じに解決してくれるなら任せるに限るでしょう。レイジングハートも一つしか無いんだから、中途半端な私たちが行っても何も変わらないわ)」

「(そういや、そういう奴だったなアリスは……。なんだっけ、レズって言うんだっけか?)」

「(可愛らしく百合って言いなさいな。まぁ、冗談だけど。命の恩人ってだけよ。異性が好きに決まってるでしょう)」

「(ああ、うん)」

 

 声がマジトーンだったので本当に冗談だよな、と勘繰ってしまう勇人だった。それから二人は三時間目を使って話し合い、エンカウント次第で原作参入という方針が決まった。勇人からすれば、安全なストーリーがあるとは言え危険の可能性があるのを見過ごすのは、と若干顔を顰めていた。しかし、アリスに小学三年生程度の力で化物と戦えるのかと問われて言葉に詰まる。そう、赤星勇人という少年は剣道の才能はあるが、魔法の才能は一応精神通話が出来る程度のものだった。更には、二人してデバイスが無い事が不参戦への後押しとなってしまう。

 

「(……ならさ、月村の家に居るっていう転生者にコンタクト取ってみたら良いんじゃねぇか?)」

「(勿論、考えたわよ。でもね、すずかを落としているロリコンよ? イケメンでも、ロリコンなのよ?)」

「(えぇ……? 考え過ぎじゃねぇの? 月村聡いじゃん。流石に悪人に惚れやしねぇだろ)」

「(……それもそうね。確かに決め付け過ぎたかしら。取り敢えず、今日にでも遊べるかどうか、いや、問い詰めるべく行動をしてみるわ。まぁ、帰り道にフェレットもどきを拾っちゃう可能性もあるけどね)」

「(あいよ、了解)」

「(承知しました、でしょう?)」

「(イエス、マムッ!!)」

 

 ドスの効いた声に勇人は即座に返した。宜しい、と一言残してアリスからの精神通話が切れた。はぁと溜息を吐いた勇人は何処か疲れているように見えた。地味にアリスに対して下僕精神が癖になりつつある勇人は机に突っ伏して、三時間目が終わる頃に書いておいた作文を担任へと提出して、改めて突っ伏してぐったりとしていたのだった。そして、携帯で何を失敗したのか調べて、了解と承知の違いを知った勇人は、やぱりあいつは金色の悪魔だ、と呟く様に愚痴ったらしい。



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無印15 「お家で遊ぼう、です?」

「と、言う事で今日はすずかの家に突撃よ!」

「えぇ……?」

「うん、なのはもお兄ちゃんが言ってたシロノさんの事が気になるの」

「……なのはちゃん、ちょっとお話しよ?」

「まぁまぁ、落ち着いてくださいましすずかさん。そういう意図はありませんわよ。ねぇ?」

 

 ガクガクと言った具合で縦に頷くなのはを見てすずかはそっかと黒いオーラを霧散させた。なのはがすずかちゃんが物理的に黒いの、という意味不明な証言をしたが、現実的に在り得ないと言う事で審議は無し。ただ、全員一致でその手の話題には気をつけようというのが暗黙の諒解に足される事となる。

 アリスは物語が思わぬ伏兵により終わりかけてしまうと戦慄しつつ、苦笑いしている黒髪美形な勇人を連れて約束(強攻)した通り、すずかの家へと赴く事となった。勿論ながら、なのはとアリサも一緒に、だ。そのため、丁度良いのでノエルに連絡し長いベンツでお迎えに来て貰ったのだった。

 

「うぉぉ、高級車ってこんな中してんだな……」

 

 普通な家系に産まれた勇人は初めてのベンツに驚きつつ乗り込んですぐに、一対四という居心地の悪さに呻くのだった。勿論ながら、勇人には男友達はスポーツ経由で多い。しかし、かといってこの四人と仲良くできる猛者は居なかった。それはそうで、この四人は学年でもトップ4、むしろ同率一位の美少女たちだ。加えてリアル上級階級の三人が居るので尚更に入り辛い。そんな中にアリスに見えない鎖の様な有無を言わさぬ威圧感で引き摺られる勇人は勇者とも言われている。哀れ、というのが男子たちの総意であり、羨ましいという感情は無い。なので、女の子の良い匂いがする車の中で勇人の精神はマッハで削れて行く。早く着いてくれ、と言う勇人の視線を察したノエルは少しアクセルを――弱めた。

 神は死んだ、と言わんばかりの絶望した様子にノエルは口元を少し上げてしまう。シロノが来た事でノエルという自動人形は新たな感情が芽生えたようだった。良い方向にかは分からないが。

 四人にはいつも通りな、一人にとっては地獄と天国な空間から解き放たれたのは二十分後の事だった。げっそりとした内心を隠しつつ、豪邸である月村邸に驚く元気も無い勇人はアリスの後ろに付いて行く様に四人の歩みを追った。

 

「すずかお帰りなさい。あら、なのはちゃんたちを呼んだのね」

「ただいまお姉ちゃん。シロノさんに紹介するつもりなんだ」

「あら、そう。シロノ君は」

「テラスでしょ?」

「そ、そうね。其処に居るわ。ノエルとファリンにお茶を持っていかせるから、ゆっくりしていってね」

 

 自分の部屋へ上がる所だった忍と出くわしたすずかはリンカーコアのパスの行き先からシロノの場所を特定して声を遮った。忍はその様子に苦笑しつつも、四人へ笑顔を見せて階段を上って行った。初めて見た年上のお姉さんである忍に若干見蕩れていた勇人はアリスに恋人が居るわよと現実を突き付けられて若干遠い目でですよねーと言わんばかりに肩を落とした。先へ進む三人の後ろでアリスがふむと若干目を細めたのは一瞬の事だった。

 それからすずかを先頭にして、テラス付きのいつもの遊び部屋であるリビングへ四人は着いた。そして、テラスの椅子に座っている群青色の髪をうなじで緑色のリボンで纏めたシロノの後ろ姿を見た。すずかはトリップする様に頬を染めて、アリサとアリスは今朝の人物だと認識して、勇人は黄昏ている姿が似合ってるなと大人びた印象を見受けた。

 

「……ん? すずかちゃんお帰り」

「ただいまです、シロノさん」

「そこの子たちが仲の良いっていうお友達かな?」

「はい。なのはちゃん、アリサちゃん、アリスちゃん、勇人くんです」

「……そっか。ん、ぼくがここに居るのはお邪魔かな?」

「いえ、上がらせて頂いているのはこちらですから」

「そうかい? んー、まぁぼくは空を見上げてるから問題無いかな」

 

 すずか以外の四人はシロノに色々な印象を受けた。なのはは恭也の言っていた様に気さくで優しそうな人、アリサは大人びたを通り過ぎた達観している人、アリスはロリコンのレッテルを張った自分が恥ずかしくなるくらいに常識的な人、勇人は何もかも諦めていたのに希望を得て輝く瞳をしている人という印象だった。

 空を見上げて昔の自分に近かったシロノはすっと瞳を閉じて甲を向けた片手でひらひらとすずかたちに構わなくて良いとアピールした。四人は年が離れているからと納得したが、すずかだけが違った。ぷくーっと頬を膨らませていた。

 シロノは即座にその空気を察した、否、感情が流れてきたので慌てて振り向いた。

 

「あー……、いや、その、だね? すずかちゃんと一緒に遊びたくないって訳じゃないんだ。先ずはそこの誤解からを解こうか」

 

 この人将来尻に敷かれるタイプだな、と四人は心を一つにする。飄々とした雲の様な様子がいきなり崩れて、子供をあやす様な慌てていながらも冷静さを欠かない雰囲気に一瞬でなったからだ。それも、後ろを向いていたすずかの機敏を察して、だ。空気を読む達人か、とアリスは内心呟いた。

 

「……分かってますよ」

「そ、そうかい」

「はい。わたしに気を使ってくれたのは分かります。けど、傍に居たいわたしの気持ちを察してください」

「……はい」

 

 拗ねた雰囲気のすずかに屈服したシロノに四人は何と言うかラブコメを見ているんじゃないかってぐらいに苦い顔をしていた。そう、甘ったるいのだ。この二人の雰囲気がかなり甘い。今すぐにも真っ黒に炒った珈琲を飲みたいぐらいに甘ったるい。新婚夫婦かってぐらいに甘いのだこの二人の作り出す空間が。

 ぶっちゃけ、ノエルやファリンは忍と恭也の逢瀬により慣れているし、忍としても微笑ましい先輩風を吹かせられるから問題無いのだ。それに、良いなと思えば恭也に愛に行けば良い。誤字では無く、愛に征くのだ。

 そのため、その耐性の無かった四人は少なからず精神的なダメージを負う。もっとも比較的軽症であるのは良い雰囲気だなぁと頬を染めているピュアななのはで、次点がすずかを取られた気分になっているアリサ。残った二人は言わずもがな前世での経験を含めて吐血するレベルでの大ダメージを受けていた。

 

(ぐっ、べ、別に良い男が近くに居なかっただけなんだから。二次元(あっち)側には沢山恋人が居たし。……言ってて久し振りに死にたくなったわ)

(そういや俺。前の時童貞で死んでんだよな……。せめて彼女作ってから……、あれ、この感情があの時あったなら俺立ち直れてたんじゃねぇ?)

 

 それぞれブーメランの如く自爆してその場に膝を着いた。その様子に隣のなのはとアリサが驚き、シロノとすずかは平常運転で見詰め合っていた。結局、その甘ったるいカオスが元に戻ったのは十分程時間が経った後だった。

 三時半の目盛りを過ぎた時計が視界に入る。リビングにある大きな薄型テレビの前に陣取る小学生sをシロノは後ろで胡坐を掻いて、その隙間にすずかが当然の様にインしていた。

 元々すずかは遊ぶなのはとアリサとアリスを後ろから見ながら、ゲームの助言をするタイプの遊び方をする子だったので、特に問題無い。むしろ、後ろのカップルを直視しない様に熱中する二人に巻き込まれるアリサとなのはが大変だった。ボムを置かれて他のプレイヤーを焼くゲームだったり、カカッとハイスラから追撃グラヴァする格闘ゲームだったり、貧乏な神を押し付け合うゲームだったり。廃人の如く極めているアリスと何とか着いて行こうとする勇人に、人外魔境だよぉと若干涙目ななのはと在り得ないわと呟くアリサの背中が煤けた姿があった。

 

「……ん、すずかちゃん、ちょっと下ろすよ」

「あ、はい」

「(話、あるんだろう? 着いてくると良い)」

 

 すとんと自分の膝からすずかを下ろしたシロノは立ち上がり、振り向き様に勇人へ精神通話を繋げた。ぎょっとした様子で勇人は驚きつつも、お手洗いの場所を聞くという言い訳でシロノへ着いて行った。勿論だが、その際にアリスへ一言残して行っているのでアリスは着いて行かなかった。だが、少し心配そうな表情が一瞬見えたのが勇人の後ろ髪を引いていた。リビングから離れ、内装も高級な男性用トイレへ入った二人はお互いに雰囲気を変えた。

 



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無印16 「男の意地、です?」

「……率直に聞いておくけど、君とアリス・ローウェルは転生者だね?」

「そう言うって事はあんたも同じか?」

「ま、そうなるね」

 

 成る程、とシロノはこの世界の事、というよりは転生者について憶測を立てられた。シロノ、勇人、アリスは『リリカルおもちゃ箱』に設定の出ている人物で、尚且つリメイクアニメである『魔法少女リリカルなのは』には出ていない人物の名を持っている。そうなると、転生者はリメイクされた人物の名を持っている人物が怪しい。……しかし、これは案外キツイ縛りだ。何せ、主要人物以外の名もまた存在している可能性があり、うろ覚えの状態では見つけれないのだ。そして、そのディスクは勿論ながらこの世界には存在しない。言うなれば、詰みの状態だった。そして、シロノの覚えているキャラの名は、高町家に居候していない人物であるレン、晶、フィアッセ、那美、そして、美沙斗と久遠ぐらいしか覚えていないのだ。だが、転生者が三人に加えて六人以上は居ると目星は付けれたのは行幸だろう。綺堂さくらに対しては忍経由で安二郎一派の処理の事を尋ねた際に、同性同名であった事から転生者である事をシロノはこの場で持って排除した。

 

「……お、おい?」

「ん? ああ、ごめんね。で、本題だけど、君たちはこれからどう動くんだい?」

「……あんたはどうすんだ?」

「あれ、もしかして警戒してる? ぼくとしては敵対する意思は無いよ。すずかちゃんのお友達だし」

「待て、それじゃ月村と友人じゃなかったら敵対するって事にならないか?」

「……で、本題だけど、君たちはこれからどう動くんだい?」

「スルーかよ!? ……まぁ一応、アリスはアリサを護るって事で動く気は無いみてぇだ」

「ふむ、君は違う、と?」

「そりゃあ……、流石に友人でも九歳の女の子が危険な目に遭うってんだぜ? 手助けぐらいはしたいんだよ」

「でも、デバイスが無いだろう?」

 

 シロノの言葉に勇人は顔を顰めた。正しく、その通りだったからだ。交渉向きじゃない勇人の性格にシロノは内心青いなと思いつつも、他人のために頑張れる性格のある勇人に感心していた。この手のタイプは、悪と称される行いを嫌う典型的な偽善者に分類される。しかし、裏を返せば愚直に万人を助けるヒーローにも近いという性質を持っているのだ。これから偽善になるのか、英雄になるのかは生き方次第環境次第だ、とシロノは考える。偽善者になるのは言うなれば信念が欠けているせいであり、今はただ友人を救う事に酔っているだけのお子様に過ぎない。なのはに惚れている訳でも無さそうだし、と先程の様子から観察して憶測を立てたシロノはカマをかけてみる事にした。

 

「君、アリスちゃんに惚れてるね?」

「なッ!?」

「肯定、と」

「か、カマかけやがったな!?」

 

 案の定、勇人は頬を染めて驚愕のリアクションを取った。シロノは自分の事を棚に上げつつも、青春だねぇと内心で呟く。と、なるとだ。勇人の心情を考えるに、アリスを護るだけの力が欲しい理由がある事になる。アニメ世界と誤認した転生者ならば、このままジュエルシード事件を傍観したとして、闇の書事件で襲われても魔力を奪われるだけで死にはしない。だからそれ以降は危険は無いだろう、と考えてしまうだろう。実際にアリスはその考えがあるため傍観を指針にしたのだ。

 

(……んー、アリスちゃんがどう考えてるかは分からないけど、勇人君は分かりやすいな。ぼくと同じく、原作準拠に物事が進む訳が無いって考えてるね。その読みは、当たりだね)

 

 そうシロノはポケットにあるS2Uを撫でた。既にその中には封印処理されたジュエルシードXIVがあったりする。つまり、なのはとフェイトの初対面シーンは無くなった事になる訳で。

 原作の前提は横槍が無い事であり、既にブレイクした状態であると言う事だ。

 すずかが学校に行っている時間に中庭で魔法技術の鍛錬していた際、ジュエルシードが結界内の魔力余波により起動したのを封印したのだった。外からの干渉を防ぐ隠蔽系の結界だったために、ジュエルシードの反応が幸いにも外に漏れる事は無かった。シロノ的には夜の一族化した事で魔法に差異があるかどうかの調整を兼ねた鍛錬だったために薮蛇にして棚から牡丹餅だったと言えよう。

 

「赤星勇人君、君は今ただの小学三年生でしかないのは分かってるよね?」

「ぐっ、まぁな。小学生大会で優勝しても結局その程度だしな」

「さて、君には朗報だ。ぼくは陸の執務官。つまりはミッドチルダ出身でね、色々とコネがあったりするんだこれが」

「デバイスをくれるのか!?」

「君次第でね。赤星勇人君、時空管理局に入局してぼくの補佐官にならない?」

「……勧誘が条件って事か」

「ま、正確には陸の魔導師になって欲しいんだ。海に人員が取られてる以上、陸には魔導師が少ないんだよ」

「でもよ、俺は魔法の資質ってもんがしょぼいらしいぞ?」

「ああ、そんな事か。問題無いよ。見た感じリンカーコアがあって、バリアジャケット張れるくらいには資質があるみたいだし十分だよ。勇人君は少し勘違いしてるかもしれないね。別に、魔導師じゃなくても魔導師を殺せはするんだよ」

「おおい!? それは執務官としてどうなんだ!?」

「例えだからね、問題無いよ」

 

 ――才能なんざ無くてもやる気が無くならなきゃ人間やれる事までやれるんだからさ。

 真剣な瞳で言ったシロノの説得力の篭る言葉に勇人は目を見開いた。強くなりたいという向上心さえ持って努力を重ねれば強くなれる事を勇人は身を持って知っていた。正直に言えば、勇人はアリスから魔法の資質が無いとずばっと言われた時に悔しく思っていた。だが、何よりも悔しかったのは才能の有無ではなく、然るべき時にアリスを護れる自分に成れない事が大きかった。

 その根底を覆された勇人はシロノを改めて見やる。目の前の人物は初対面であるが、敵対の意思が無いと口にしている。そして、すずかの友人という点がシロノが敵対の意思を持たない一線の要因だと、勇人は察する事ができた。

 目の前にあるのは、シロノと勇人の個人的な契約だ。シロノは力を与えるために勧誘を、勇人は力を貰うために補佐官になる。勇人は断れる立場にあるのだ。そして、シロノは無理強いをしていない。

 

(……俺の意思で、決めろって事だよな)

 

 アリスの協力者となったあの日から勇人は受動がデフォルトだった。好きだった剣道をやって、アリスに扱使われていながらその時間を楽しんでいて、そして、何よりもアリスを護りたい意思があった。勇人は小さい右掌を握り締め、シロノへ真剣な表情で向かい合う。

 

「……質問だ。その補佐官ってのは何をすりゃいいんだ」

「うん、良い質問だ。ぼくが執務官と言ったのは覚えてるね。書類処理や現地へ着いて来て貰ったりの雑用だよ」

「給金と休みは? 勤務時間はどうなってるんだ?」

「歩合制だね。休みはぼく次第だけど、大体週二日かな。アリスちゃんと恋仲になれたら三日にしてあげよう。流石に、緊急の案件が入ったら来て貰うけどね。勤務時間は君の年齢と学業を優先して徐々に仕事を増やす方向で行こう。渡された仕事を完了したら休憩して良いよ」

「……まるで自由業だな」

「ま、執務官って逮捕権持ってるから案外楽なんだよ。一人で処理すると時間が掛かるってだけでね。一件一件はそんなにかからないんだ。海と違って現地への隠蔽性とか皆無だし」

「本当にデバイスをくれるんだろうな?」

「約束しよう。シロノ・ハーヴェイは赤星勇人にデバイスを渡す、と」

「……分かった。あんたと契約するぜ」

「うん、じゃ、これが書類ね。ギアスペーパー的なもんじゃなくて、補佐官になる予定で勧誘されましたっていう任意書類。アースラから来るであろうクロノに有望な君を持ってかれるのは困るからね」

 

 S2Uを取り出して空中投影のディスプレイを映し出したシロノはミッド語で書かれていたそれを日本語へ変換し、勇人の眼前へと映し出す。念入りに勇人はその投影された電子書類の内容を確認するが、先程シロノが言っていた様に資質ある民間人への勧誘のための内容であり、見届け保証人がレジアス・ゲイズとなっているだけだった。勿論、シロノの名前は電子書類の上側にあり、その隣は空欄だった。シロノは其処に名を書くだけだと説明する。勇人はもう一度上から下まで読んでから指で自分の名を其処へ書いた。書き終えたのを確認したシロノは空中投影を止めてS2Uへ収納する。そして、代わりに赤と青の二本のペンライトの様な物を取り出した。

 

「はい、これが君の最初の相棒のオフェンサーとディフェンサーだ」

「……これ、本当にデバイスなのか?」

「うん、そうだよ。試作品の簡易デバイスだけどね」

「……は?」

「正直言ってね、今の君の魔法資質だとデバイスなんて持っても宝の持ち腐れなんだよ。だから、慣れて貰うってのもある。そして、何よりその試作品は君のためになるものだ」

「そ、そうか?」

「その試作品はね、魔法資質の低い魔導師にテコ入れするための第一歩なんだ。その名もバッテリーシステム搭載型試作デバイスGK-01。ベルカのカートリッジシステムを真似て作ったシステムでね、言うなれば電池を内臓したデバイスって奴だ」

「ん? 魔法ってリンカーコアから作った魔力でやるんだろ? 電池なんかじゃ心許無いんじゃねぇの」

「流石に普通の電池じゃないさ。電気の代わりに魔力が充填されてるんだ。その代わり、燃費や長時間運用のために一つの魔法しか使えないけどね」

「欠陥品じゃねぇか!?」

「じゃ、バッサリ行くけど今の状態の君は多数の魔法を駆使して戦闘できるのかい?」

「うぐっ」

「言うなれば、それはビームサーベルとビームシールドだ。こう言えば分かるかい」

「ああ、成る程。魔法を使うデバイスってよりは、武器と防具なんだなこれ」

「そういう事だよ。それの使い方は簡単でね。握って名前を言うか思うだけで使える。赤がオフェンサーで青がディフェンサー。オフェンサーとディフェンサーを解除する時はリセットって思うだけで良い。勿論、止める方の事を考えてね」

 

 シロノの言われた通りに勇人はオフェンサーを右手に、ディフェンサーを左手に握った。少しシロノが離れた時に勇人はオフェンサーの名を心で呼ぶ。ブオンッと青白い直線が虚空を焼き進み、一メートル程で伸び切った。正しくガンダムに出てくるビームサーベルその物であり、その格好良さに勇人はおおと感嘆の声を漏らした。そして、続いて左手のディフェンサーを起動してみる。フォンッと現実に存在するラウンドシールドの様な半透明の青白い魔力盾が出現する。リセットと念じた瞬間、魔力刃と魔力盾は霧散して行った。その後も幾度か試して感覚を確かめた勇人はシロノにグッと親指を立てた。

 

「気に入ったみたいだね。大体両方とも最長が二十分くらいで、戦闘に使用したら十分持ったら良い方かな。って言っても、オンオフきっちりとすればその時間は延びるし、受ける時に真正面からじゃなくて斜めにして流すとか工夫をすればもっと延びる筈だよ」

「リアルガンダムだなそれ。空は飛べないのか?」

「素人が立体駆動とか首から落ちて死にたいの?」

「ナマ言ってすいませんでした」

「分かれば宜しい。それじゃ、これは餞別だよ。右手に嵌めてごらん」

「おお、リストバンド? なら早速――ぅッ!?」

 

 青いリストバンドを嵌めた途端、重力が増したかの様にずしっとした倦怠感が勇人を襲った。ギギギと錆びたブリキ人形の如くシロノを見やれば良い笑顔で言われた。

 

「それはミッドの道場でよく使われる魔力負荷バンドって奴でね。自身の魔力の半分の負荷がかかる特製品。昔ぼくが使ってたお古だけど、その効果は覿面なんだ。日常生活に支障が出るのは始めて一日二日ぐらいだし、慣れたらただのリストバンドだ。取り外せるけど、戦闘になるまで着けておくと良い」

 

 ――アリスちゃんを護れる男に成りたいなら、ね。

 そうシロノのニヤッとした笑みで言われた言葉に悔しいながらも、否定できない勇人は頷くしか無かった。そして、男性陣の帰りが少し遅い事からアリスが心配そうにしていた。だが、対戦相手のなのはは先程からばよえーんばよえーん……と大連鎖するアリスの画面に戦慄して猫みたいな悲鳴を上げており、三人からは普段通りのアリスにしか見えなかったのだった。

 



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無印17 「必然の出会い、です?」

「ああ、その二つは肌身離さずに持ってれば充填できるよ。それじゃ、また縁が合ったら会おう」

 

 と、シロノは勇人にそう言い残して遣る事があるからとリビングでは無く自室へ戻って行った。勇人はリビングに戻るまで気付かなかったが、戻った瞬間にアリスやアリサになのは――すずかのハイライトが若干消えた瞳に迎えられて本能で察した。

 ――シ ロ ノ サ ン ハ ?

 黒い雰囲気を拡散する波動の如く解き放ったすずかに対し、即座に勇人はシロノが用事が出来たために自室に戻る事を軍人も真っ青な速度で語尾にマムを付けて言った。その変わり様に怖くて隣が見られない三人が同情とご愁傷様ですと内心で手を合わせている。残念ながら勇人の窮地を助けてくれる人物は居ない。

 

「へぇ……、そっか。そっかぁ……、シロノさんったら……、ふふふっ……」

「(いや、そのだね。上司に連絡しなくちゃいけない案件が出来てね?)」

「(今日の夜かぷっしますからね)」

「(……へ?)」

「(かぷっしますからね)」

「(え、えっと)」

「(かぷっします)」

「(……はい)」

 

 すずかの機嫌が段々と良くなって行くのに比例して、シロノの心の耐久度がガリガリと削られて行く。その様子を見て勇人は偉大なる先輩に内心で敬礼した。テラス側の窓から見える夕焼け空にサムズアップしているシロノが見えた気がした。

 それから四人は帰り支度をして月村邸を後にする。ノエルが送迎を申し出たが、アリサとなのはが塾に行く日だったのもあって、すぐ近くの公園を経由した方が近道になるからと断った。なのはとアリサが二列に並んで談笑している後ろで、アリスと勇人は先程の話を精神通話にて話していた。

 

「(……ふぅん? ハーヴェイさんは敵対はしないって言ったのね?)」

「(ああ、そうだな。月村の友人ってのが大きいんだろ。後ろを心配しなくて良いのは良かった)」

「(はぁ……。お馬鹿さんね。勇人、しっかりと思い出しなさい。彼は敵対はしないって言ったのよ)」

「(…………は? いや、まさか、え。……そうなのか?)」

「(そうよ、誰も私たちを護るって言ってないわ。察するに表舞台に一生出てくるなっていう忠告か、それとも自分たちで何とかしろってスタンスなんでしょう。陸の執務官って事は恐らく管理外世界であるこの世界は管轄外よ。……事態の収拾には現れるかもしれないけど、ね)」

 

 そのアリスの呆れ混じりの言葉に勇人は信じられないという表情で、裏腹にシロノの魂胆が分かってしまって口元を引き攣らせた。そう、アリスを護りたいという願いを叶えるためには、アリスに対して災いが襲いかからねばならない。別れ際に言ったシロノの言葉の意味が漸く飲み込めたのか、勇人は名前とは裏腹に腹黒だなとシロノを若干恨む。

 もしも、あの時に保護を求めていたらどうなっていただろうか。いや、シロノはそもそもそんなつもりが無かった筈だ。何故なら、シロノは偶然ではあるが試作品のデバイスを持っていた。条件無しにくれてやるぐらいの気概があったのなら、護身用として渡されていたに違いない。

 

(……なら、勧誘という条件を取り付けた意味は? 俺への発破って訳じゃ無いだろうし。……もしかして、シロノは……)

 

 実際にシロノと会話をした勇人だから何とか気付く事が出来た。既にシロノによる弟子入りは始まっているのだ、と。仮定が仮定でなく、真実であったのならば。一番危険なのは――アリスだ。

 

「(……ごめん、アリス。もう後手に回るしか無いぜ)」

「(はい? 如何いう事かしら)」

「(シロノは既にアリスの言う原作から乖離している事に気付いてたんだ。……アリス、ジュエルシードは既にこの土地に落ちてるんだよな?)」

「(ええ、そう――まさか?!)」

 

 ――シロノ・ハーヴェイは既にジュエルシードを持っている可能性がある。

 そう考えれば、先手を取って原作知識というものに振り回されている側であるアリスの魂胆は前提すらも狂う。転生者は皆、原作通りに事を進めるとだけ考えていた。だが、ユーノの居ない夢やシロノの分かり辛い示唆が仮定を現実に変えて行く。もう既に原作と呼べる筋書きが継ぎ接ぎ状態になっている可能性がある、と。それならば、既に動き出しているシロノと比べ、アリスと勇人は後手に回っている。

 

(あの野郎、性格絶対ぇドSだ……ッ!!)

 

 誰にでも優しいイメージのあったシロノであるが、果たして本当にそうだったろうか。そう、現にアリスと勇人は何もして貰っていない。勇人は力を貸してくれたのではなく、青田刈りされただけだった。勧誘だなんて力の無い子供に遣る事では無い。客観的に見れば恋愛感情を出しにした一本釣りその物だったのだ。そう、アニメという筋書きが決まっている世界ではなく、この世界はアリスや勇人、そしてシロノにとっては現実に値する世界なのだ。何もかもが決まっている世界ではない。

 

(って事はアリスの両親が死んだのは……、本当に偶然って事なのか? いや、そうだよな。大富豪の兄から金を取るなら妹や親類を狙う。小学三年生の俺でも分かる事だ。……つまり、バタフライエフェクトだなんて非現実は存在しない……。これ、絶対にアリスには言えねぇや)

 

 そう、現実的に考えたなら有り得る可能性だったのだ。月村家の様に他の一族からの襲撃を懸念している訳でもなかったアリスの母親だったから誘拐された。そうなれば、その過失は明るく生活していたアリスではなく、危機管理を怠ったデイビット、そして可能性を考えなかった母親の危機管理が低かったという悲劇でしかない。

 

(……こんなのって無ぇよ。畜生め)

 

 勇人は何処かに神様が居て欲しいと思った。アリスの悲しみを作った理不尽な悲劇をくれやがった神を殴ってやりたかった。いや、この行き場の無い理不尽への怒りをぶつけたかった。そのしかめっ面をアリスは横目で見ていた。先程から勇人が真面目な顔で思考に没頭しているせいだった。

 

「(その、あんまり思い詰めるんじゃないわよ。後手に回ってるって言うならこれから掻き回してやれば良いのよ)」

「(……そうだな。これからは俺たちの時代だぜってぐらいにはしゃいでやろうぜ)」

「(ふふっ、良いわね。なら、ジュエルシード全部集めてやろうかしら。全部集めたら龍が出てくるわよ、きっと)」

 

 笑顔を魅せたアリスに勇人は隣故に直視してしまった。夕焼け越しの風景がまるでスタンドグラスの絵の様で、その中央に居る風に金色の髪を靡かすアリスが女神の様に見えた。可愛いな畜生と夕焼けに頬を染めながら、勇人も微笑を浮かべる。そして、不覚にもアリスはその笑みを見てドキっとしてしまった。バツが悪そうにそっぽを向いたアリスに勇人は首を傾げた。どうしたんだ、なんでもないわよ、とありがちな無限ループに嵌る二人を、肩越しにチラリと見た二人は苦笑する。

 

「……何か後ろの二人からラブコメってる気がするんだけど」

「にゃ、にゃはは……。シロノさんたちに中てられた、とか?」

「有り得るわね……。アリスって私に過保護な癖に自分を省みないんだもの。護ってくれる騎士が居てくれれば良いんだけどね」

「にゃはは。お似合いだもんね、何かこう……、主従?」

「あれ、それって勇人がペット扱いされてないかしら」

「え!? そんな意図は無いよぉ!」

「ふふっ、冗談よ。……多分」

 

 アリサたちの会話も聞こえないぐらいに青春しているらしい二人に苦笑しつつ、公園の入り口に辿り着いたアリサとなのはは一歩先に足を踏み出して――、

 

「(誰か助けてぇぇえええッ!! ちょ、あ、食われ)」

「ふぇ!?」

「は?」

「へ?」

「……あんたら何に反応してるのよ?」

 

 絶叫する少年の声が自然公園の方から聞こえたのだった。しかも、内容からするとかなりピンチらしい。硬直した二人を置いて、なのはが猫まっしぐらと言わんばかりに走って行く。慌ててアリサが追いかけて、立ち止まってしまった二人は顔を見合わせた数秒後に正気に戻ってその背中を追い掛ける。

 なのはが見つけた先に居た野良犬の口には、今日のご飯ですと言った具合に胴体を噛まれているフェレットみたいな小動物の姿があった。野良犬は走ってきたなのはを見ていた。そして、アリサがそろそろ追いつくと言う瞬間だった。

 

「めっ!!」

 

 両腕を振り下ろす際に腹を丸めて、一気に空気を吐き出したなのはの一喝が炸裂した。到着したアリサが耳を押さえてくらくらするくらいの大音量。耳の良い犬なら尚更の大ダメージだった。ぽろっとフェレットを口から落として尻尾巻いて逃げ出した野良犬になのははふぅと息を吐いた。ぐったりとしたフェレットに近寄ったなのははそのまま掴もうとして、ごめんねと若干嫌そうな顔でハンカチ越しに抱き上げた。流石に野良犬の唾液塗れのフェレットは臭いがアレだったのだ。そして、アリサに追いついたアリスと勇人は原作の始まりとも言える出会いを地味に見逃したのだった。



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無印18 「名前を呼んで、です♪」

「へぇ、そんな事があったんだ。そのフェレットさんは大丈夫かな? ……え? シロノさんは大丈夫かって? ああ、シロノさんならわたしの隣で寝てるよ。え、やだなぁ、そんなんじゃないよぉ。アリサちゃんのえっち! えへへ、もっとイイ事だもん♪ え、早過ぎる? でも、シロノさんは長くて大丈夫だったよ? あれ、アリサちゃーん? ……切れちゃった。どうしたんだろ?」

 

 電話中のすずかの会話を聞いているシロノは、快楽に溺れ掛けた真っ白な世界から戻りつつある思考でフェレットの話にユーノ発見のフラグが立った事を察した。内容からして勇人たちも巻き込まれたらしく、シロノは良い匂いのする枕に顔を突っ伏しながら口角を上げた。

 そう、シロノ的には勇人とアリスは体裁の良い一般人にして転生者という点で罪悪感が薄れる存在である。そのため、なのは側の人間として面倒な件を済まして貰おうと画策していた。詰まる所、すずかと一緒に居る時間を増やすためである。序でに言えば、フェイト側に転生者が居た場合のために、様子見の立場で居たかったからだ。

 そう、シロノは陸の人間だった。なので、例え休暇中とは言え管理外世界で執務をやるのは拙いのだ。レジアスやゼストなら苦笑して子供が遠慮するなと言うだろうが、ジュエルシードの件で海側に行動がバレた場合が面倒な事になるのだ。そう、陸でしか執務官をしなかったシロノくんが海の管轄でねぇ、と嫌味を言われるに違いないのだ。上層部に居る奴らは大概がそんな野郎や女郎であると執務で集めた資料から察している。特にレジアスとゼストにあまり迷惑を掛けたくないとも思っているので、尚更シロノはこの件はあまり出しゃばる事はせず、尚且つ美味しい所を掻っ攫う必要があった。

 そう、それが絶対にアリスのために頑張ってくれるであろう勇人を勧誘した理由である。ジュエルシードによる問題に勇人を噛ます事で、正当な理由をでっちあげるのだ。弟子候補を見守る師匠として都合の良い立場に居るのが現状である。流石に荷が重過ぎたら手を出して、弟子を助けた結果解決の手助けとなった、ぐらいがシロノの考える丁度良い塩梅なのだ。もっとも、嫌味を言われた場合、そいつの悪行を執務官として暴露してやるのがシロノだが。

 マルチタスクにより、確実に自分がすずかに性的に手を出したような誤解をアリサに対し受けるだろうと項垂れつつ、漸く収まってきた余韻の傾向に一息吐いた。二回目の吸血だったからか、それとも結局言いそびれた夜の一族もどき化した影響か分からないが、誤射する事が無くなったのはシロノにとっては行幸だった。流石に脳内を犯す快楽の津波によりドライオルガズムを経験し、若干腰が抜け掛けているが。ある意味生殺しよりはマシかなと思ってしまうシロノは若干もう駄目っぽい。

 

「あ、シロノさん。復活しました?」

「あー……、うん。何とかね」

「とっても美味しかったです。シロノさんのを吸ってから輸血パックの味が不味く感じちゃいます」

「お粗末様、と言うべきなんだろうか……」

「そう言えば、吸ってる時にすずかって呼び捨てにしてくれましたよね?」

「……そうだっけ。意識若干飛んでたから覚えてないや」

「そうですか……。わたし的にそろそろ呼び捨てにして貰ってもいいかなって」

 

 精神リンクから伝わるやんやんもじもじとするすずかの可愛らしさに色々と相まって口元を緩めてしまったシロノは、すずかの方へ顔を向けてさらっと言った。

 

「まぁ、そうだね。すずかって呼ばせて貰おうかな」

「ッ!! あ、なんか凄い……。シロノさん、もう一回良いですか?」

「うん? まぁ、良いけどさって、ありゃ、もう一噛みって意味かい?」

「えへへ、シロノさん大好きです」

「……すずかに対して意思弱いなー、ぼく」

 

 中央へ転がされる様に仰向けにされたシロノは飛び付いてきた柔らかい体を抱き止めて、とろんとした表情でかぷっと首筋に噛み付いたすずかの頭を撫でる様に押さえた。そして、再び快楽の波の蹂躙が始まる。金色のイけない瞳で夢中になって二つの傷口に舌を這わしたり、吸血歯を抜き差ししたりと三回目で慣れてきたのかすずかはシロノを撃墜せんとばかりに攻め立てる。だが、裏を返せばシロノも吸血に慣れてきているという事で、快楽よりも違う何かが見え始めていた。もっとも、シロノの腕力ではすずかに勝てないので大好きホールドされている状態は抜け出せず、貧血も相まって失神間近の所で開放されるので再び呼吸を荒くしてベッドにぐったりする運命だったのには変わり無いのだが。

 二度の吸血は少し辛かったのか貧血の症状で若干顔を青褪めたシロノを見て、すずかが段々と金色から蒼い瞳に戻って正気に戻り、慌てて大声でノエルを呼んだ。

 

「すずかお嬢様、どうなされましたか。……把握しました、直ぐに増血剤とお水を持って参りますね」

 

 忍と恭也の逢瀬からの経験か、二度三度と吸血した時があったらしくノエルの手際というか察する速度はかなり速かった。AIだと言うのをすっかり忘れてしまいそうな人間らしさが芽生え始めているノエルを見送って、すずかはここぞとばかりにシロノの頭から枕を抜いて自身の膝に入れ替える。女の子座りでの膝枕なので若干後頭部の位置が怪しいが、愛しむ様に若干苦しんでいるシロノの頭を撫でるすずかはそんな羞恥心を感じている様には見えなかった。

 そんな甘くも苦い空間に颯爽と入室したノエルは増血剤のカプセルをシロノの口に放り込み、小さな水差しで中身を少しずつ飲ませた後一礼し、今夜はお楽しみでしたね、と良い笑顔で言ってから退室した。その鮮やかかつ洗練された一連の行動にすずかはパチクリしていた。

 

「あー……、血が戻ってく感じがする……」

 

 そんなシロノの呻きが聞こえなければ後数十秒は呆けていただろうすずかが思考から戻ってくる。そして、ノエルの言葉の意味が今なら分かる故にすずかはボッと頬を赤らめて、吸血の余韻でハイになっていた思考が冷や水を打たれた如く冷めて、ぁぅぁぅと口をパクパクさせて悶えた。

 

(な、なんかシロノさんが来てから環境がガラッと変わった気がするよぉ……。こ、こんなえっちな気分になるのだって、ノエルが何処かの宿屋の店主みたいな反応をする様になったのも、あれ、これは何か違う気がする? ……でも、何もかもが変わった気がする。うん、シロノさんに染められちゃったんだ……。えへへ、嬉し♪)

 

 にへっと頬に手を添えてやんやんと膝を揺らさずに悶え始めたすずかを真下から見上げているシロノはぼんやりとする頭で貧血的な意味で青褪めていた。そして、ノエルの持って来てくれた増血剤がある理由に辿り着いてあまり変わらないが更に青褪めた。そう、月村家に増血剤が常備されている。その理由はたった一つだ。

 

(……恭也さん用……だよなー……、そして、今日からぼくもその一員かー……)

 

 そう、先輩カップルこと忍&恭也のために存在していたのだ。つまり、本日のすずかの如く、忍も張り切っちゃった時に恭也が増血剤を飲んでいるのだ。もしかすると毎回毎回飲んでいるのかもしれない。そして、今回のすずかの様子からしてシロノはおねだりされたらホイホイと首筋を差し出すだろう。その点で言えば夜の一族もどきになっていて良かったのかもしれない。まさか、一番最初に感謝する瞬間が貧血からの戻りが常人より早い事だとは思いもしなかったが。増血剤を飲んでから数分程で大分楽になってきたシロノは今も変わらずやんやんと可愛く悶えているすずかを見つめていた。

 というか、先程から押し寄せる津波の如く精神リンクからすずかの惚気と言う妄想が流れてくるので、後頭部の柔らかい感触がやけに理性を刺激する。そう、小学生のすずかの妄想は背伸びする子供の憧れみたいなもので済むが、十三歳という中学一年に値する年齢のシロノからすれば性欲を刺激するので性質が悪い。個人の妄想ならば良かったが、精神リンクによって流れてくる。しかも、シロノの方で止める事ができないのが尚更に辛い。そんな気分で復活したシロノはすずかに声をかけた。

 

「何とか復活ってとこかな……」

「それで行く行くは……、えへへ。あ、シロノさん大丈夫ですか?」

「ああ、うん。すずかのその笑顔で何とか」

「そうですか? なら良かったです」

「うん。でもね、流石に二回連続は辛いかなって」

「あ、あぅぅ……。その、舞い上がっちゃって……。明日から気を付けます」

 

 すずかの中では毎夜吸血をする事になっているらしい。体持つかなとシロノは若干遠い目でノエルに確実に増血剤について備蓄を増やす様にお願いしなくちゃならなくなってしまった。今はまだすずかの見た目が小学生のロリボディだから問題無いが、一年二年と経てば体にメリハリの予兆が出てくる時期になり、中学生に上がってしまえばそれはもう美人になって行く。

 

(……我慢できるかな、いや、我慢しなきゃならないのか……)

 

 幸せな筈なのに案外キツイ現実にシロノは苦笑せざるを得ない。吸血の際にドライオルガズムで多少性欲が抑えられているのが良い点だろう。この境地に達してなかったら文字通り襲っていたに違いない。もっとも、すずかは「きゃー♪」と悦ぶに違いないが。そうなったらもうシロノは溺れるだろう。すずかという少女に身も心も落ちるに違いない。

 シロノの受難は一生終わらないだろう。



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無印19 「リリカルマジカル、です?」

 暴れる黒い塊を前にしてわーわーぎゃーぎゃーと騒いでいる三人と一匹を、電柱の上で肩に棘突起の無い白い執務官服を纏ったシロノが視覚拡張の魔法を使わずに暗視していた。シロノ自身初めはこの異常に上がったスペックに戦々恐々としていたが、魔法反応を残さないから便利だなと考えを改めて開き直って、観察という記録をしている背中は何処か腹黒く見える。しかし、シロノはかぷっとされた影響で疲労困憊の状態なので何処か疲れているようにも見えた。

 

「うおわっ!? このっ!!」

「が、頑張りなさい勇人!」

「え、えっと……、我、指名を受けし者なり。契約のもと……」

 

 暴走体から触手を鞭の様に叩きつけられながらも、勇人は展開したディフェンサーで受け止め、横へ頑張って流した後にオフェンサーを起動し勇敢に立ち向かっていた。そんな勇人をアリスはなのはの姿を隠す電柱に隠れながら応援し、なのはは地面に立っているフェレットもといユーノによってレイジングハートを起動するための呪文を詠唱していた。

 現実で見ると結構カオスだなーとのんびりと録画しているシロノは、隣の電柱から左肩に飛び乗った一匹の猫に驚く事無く、若干足を踏み外しかけたのを隠しつつも平然と挨拶した。

 

「こんばんわ、アリアさん」

「こんな夜に何がって思ったら、面白い事になってるわね……」

 

 アリアの登場にシロノは察していた。というよりも、夕飯を終えた頃に猫部屋から個人的に放たれたSOSシグナルを受けて行ったらアリアが居たのである。何でも、シロノに会いに来たらノエルに背後を一瞬で取られて放り込まれたらしい。そして、苦笑しつつシロノと談笑した後にお別れしたので、まだ海鳴市の近くに居たのならこの騒ぎを見に来るだろうとは思っていたからだった。

 なのはの初めての変身シーンとも呼べる晴々しくも初々しいその瞬間を取っておいたらすずかが喜ぶかなーと思った結果、盗撮もとい記録しているシロノとすればアリアに見られようが問題無かった。むしろ、数年後になのはに見せて笑ってやろうという魂胆すらも少しあったぐらいなので、共有する人数が多ければ、更にはその人物が身内ならば尚更面白い事になるに違いないとも思っていた。

 

「ええ、中々案外愉快ですね。ほら、あそこで試作品のデバイス振ってるのがぼくの未来の補佐官ですよ」

「ふぅん? ……は?」

「実はあの三人は顔見知りでして、というか居候先のお姫様のお友達でしてね。ガッツのありそうな男の子に魔力資質あったんでスカウトしたら見事にあんな感じに巻き込まれまして。いやー、これは大変だなー、弟子にするしこれぐらいなら手を出せないなー」

「……いや、確実にシロノ分かっててスカウトしたわよね。あんな風に巻き込まれるからって」

「ありゃ、バレました?」

「当たり前でしょう!? というか殆ど自白してたもんじゃないの! しかも棒読みだったじゃない!!」

 

 ふしゃーっと左肩に座ったアリアが威嚇するようにツッコミを入れた。シロノはですよねーと苦笑しつつ、腹の内を少しだけバラした。

 

「一応ぼく陸の人間ですし、というか今回面倒なんでいざと言う時に横槍を入れられる立場に居たいなーって。そしたらほら、ねぇ?」

「分かるけど、分かるけども……」

「ああ、アリアさんグレアムさん家の使い魔ですもんね。一応海の人間ですし、流石に横槍入れます?」

「……因みに入れたら?」

「家猫にします」

「飼われるの私!?」

「アリアさんならいつでも歓迎しますよ」

「え、えっと……」

 

 少し考えさせて、と一考する辺りアリアのシロノへの好意が高いのを示しているが、当人たちは助手を雇う雇われる程度の感覚で話しているので色気のいの字も無い。そんなラブコメ臭のする遣り取りをする二人の傍らの道路は佳境に入りつつあるようで、桃色の光柱が海鳴市の夜空の一角を穿った。推定魔力値Sにもう一歩で届かんとばかりの魔力量に、シロノとアリアはうわぁと顔を引き攣らせた。管理局の一%にも満たない才能の原石が管理外世界で見つかるとは先を知らねば分かるまい。というよりも、分かっていても絶句する光景であった。衝撃的な展開に顔を見合わせた二人は話す事を止めて顛末を見届ける。

 

「高町ぃい!! 俺が隙を作るからぶっ放せ!」

「分かったの!」

 

 剣道小学生大会優勝者の実力は確かなもので、振り下ろされた触手を面に見立てて避けた勇人は、その隙を掻い潜りカウンターの逆胴を放ち一刀両断する。深く切られたために再生しようと動きを止めた暴走体へ、なのはが杖状のデバイスであるレイジングハートの切っ先を向けて詠唱した。

 

「リリカル・マジカル! ジュエルシードXXI――封印!」

 

 桃色のミッド式魔法陣が展開され、解き放たれた膨大な魔力の一端が噴射する。一瞬にして桃色に吞み込まれた暴走体は、外装であった黒い獣の様な部分を剥ぎ取られて本来の姿を露にされてから封印された。キンッと良い音を立てて地面に落ちたそれは宙に浮いて留まり、ユーノの指示によって差し出されたレイジングハートの収納空間へ格納された。一件落着と安堵の息を吐いた三人は、遠くから聞こえてくるパトカーの音に慌てて近くの公園の方へと走り出した。

 その姿を見送ったシロノは彼らが範囲外へ出て行く瞬間に張っておいた結界を解除した。すると、先程まで荒れまくっていた道路やペット診療所が何も無かったかの様に元通りになる。因みに最後のパトカーの音は偶然の賜物であり、シロノは関与していなかった。

 

「……流石ね。入り込んだ事も展開された事も分からない隠密な結界を張れるなんて」

「努力の賜物って奴ですね。ほら、クロノが結界魔法が苦手でしょう? なら、相方だったぼくは必然的に覚えとかなきゃいけなかった訳で」

「ふぅん? あ、そう言えば結局同じ術式なのに名称が違うってのはどうなったのかしら?」

「あー……、そこはほら個人の趣味嗜好って事で一つ」

「単純に、お揃いが恥ずかしかっただけでしょ貴方たちの場合」

「あ、あはは……。流石アリアさん、お見事な御慧眼をお持ちでいらっしゃる……」

 

 図星であった。シロノとクロノの魔法術式は共同制作のため全てが同じであるが、唯一魔法名だけが違うのはペアルックみたいなのが嫌だったためであり特に意味は無い。そして、シロノはその共同制作した時の経験を活かして更に新たな魔法術式を個人研究していたりする。その結果が結界魔法と魔法応用の特化に繋がったのだった。先程のそれは隠密結界という相手を知らず内に確保するための結界である。言うなれば内側に変化を気付かせない魔法だった。この結果により、まんまと逃げ果せたとドヤ顔の犯罪者に向けて砲撃魔法で一発KOな逮捕をしてきたためその効果は抜群である。結界やバインドなどのサポート系魔法が得意なユーノが完全な状態であったら少しだけ違和感を感じる程度の完璧さである。もっとも、外側からの干渉には弱いので援軍には要注意であるが。アリアが入って来れているのがその証拠である。

 逃げ出した三人を追う事はせず、執務服から普段の私服へ戻ったシロノはアリアを左肩に乗せたまま身体強化した脚で跳躍し、夜空の下で冷たい風を切りながら月村邸へと帰った。その途中で下車したアリアに手を振って、シロノは私服姿のバリアジャケットを破棄して寝巻きへと戻り、すやすやと眠るすずかの横に潜り込んで枕に頭を乗せて落ち着いた。

 

「ふぅ……、すずかが寝てる深夜で良かった」

 

 そして、月村邸に張っていた結界を解除してシロノはS2Uを待機状態に戻して枕元に置いた。漸く寝れると言った様子で瞳を閉じた。後数十秒もすれば意識が落ちるという微睡みの中、きゅっと抱き付いてきたすずかの温かさに安堵して、数秒後にシロノは寝息を立てた。

 

「……ふふっ、シロノさん。気付かれないと思ったのかな、わたしはこんなにも疼いて仕方が無いのに……、ふふふ……、でもかぷっとはしませんよーっと♪」

 

 瞳を開いたすずかはニンマリと猫の様な笑みを浮かべてシロノの胸元に頬を擦り寄せる。流石に三度目の吸血は拙いし、それにシロノの意思を無視する気がしてできないが、こうやって甘える事はできた。この人は自分のものだと言わんばかりにすりすりとマーキングするすずかはご満悦の表情であり、同時に恍惚とした悦びの顔でもあった。擦り寄るすずかがむず痒いのかシロノはぐいっとすずかの肩を右手で抱き込み、左手で後頭部をホールドした。腕の中に居る状態になったすずかの乙女ゲージがマッハで上限に達し、尻尾があればぶんぶん振る様な感情が精神リンクによって流れて行く。

 

「ん……、すずかは甘えんぼだなぁ……」

 

 という寝ぼけの台詞で妄想ゲージがカンストしノックアウトされたすずかは大変嬉しそうな表情で眠りについた。そして、翌日の朝に腕の中に居るすずかに驚いたシロノが慌てるのは余談である。

 



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無印20 「師匠と言う鉄壁、です?」

 シロノ・ハーヴェイが陸の執務官となったのは今から三年前、十歳の時だった。そして、クロノにリーゼ姉妹を師匠にする経緯と似た様に、ゼスト隊と呼ばれる管理局最強の騎士と名高い男が隊長を務める部隊に一年だけ執務官と兼任して隊員となったのは。

 ――畜生、クロノは美人姉妹なのに、ぼくは筋骨隆々の最強漢か。

 そう思っていたシロノは初日から吹っ飛ばされる事で考えを改めた。吹っ飛ばした相手は管理局最強の騎士ゼスト・グランガイツ。マジキチ揃いのベルカ式と詠われる原因の一因にもなっている人物であり、シロノはその圧倒的な強さに憧れた。

 父には生き様の背中を、ゼストからは雄々しき武の姿を、目標にしたくなった。

 次の日からシロノは変わった。別に不真面目だったから真面目になる、という訳では無く、ゼストの技術を貪欲に吸収し始めたのだ。しかし、ゼストからすれば子供の背伸びでしかない。けれど、光る物はあった。ゼストがシロノを教えるに当たって観察眼に感心した。初日で物理的にボコボコにしてやった、さて、どう立ち上がる。そうゼストは考えていた。

 だが、シロノは前日のゼストの足捌きを拙いながらに真似て訓練の際に挑んだのだった。

 たった一度、しかも体格が違うのと技術も腕力も無い素人が強者にフルボッコにされていた筈だった。ゼストはその成長を見て考えを改めた。

 ――こいつはあいつの息子だ、間違いない。

 父であるクロウの面影が見えるシロノの勇ましい向上心にゼストは口元に弧を描いて――やる気になった。よし、どうせなら管理局最強の名を受け継ぐ弟子に仕上げよう、と。そして、その日からシロノは向上心と共に耐久値が上がる日々で血反吐を吐いた。

 クロノの執務官服を白く染めて肩の棘を丸くした物がシロノのバリアジャケット。その状態でシロノは早朝の中庭に立ち尽くす。外への隠蔽性を高めた結界、封絶結界と名づけたそれを中規模に展開する。

 

「……シミュレーション、ゼスト・グランガイツ師匠」

 

 マルチタスクの使い方は千差万別であり、インテリジェンスデバイスなら更に増えるだろう。シロノは今、マルチタスクによるシミュレーション訓練を行っている。メインタスクで現実世界を見て、第一サブで見る視界には現実世界に投影したダークブラウンのバリアジャケットに鋼色の籠手と脚装を装備したゼストの姿が浮かび上がる。自分を客観的に見る、という言葉がある。それをシロノはする事をできた。最大四つまで同時稼動できるマルチタスクの才能により、第一と第二サブで自分と相手を見る観察眼を磨き、第三サブで反省と改善策を考える。第四サブは他のマルチタスクに接続してメモリを増設する役割を持った。

 それに加え仮想敵を網膜に映し出すデータをS2Uに任せる事により、今の環境を生み出している。原作で行ったレイジングハートの仮想訓練をマルチタスクで再現する事ができるが、それは魔道師だから意味があるのだ。シロノはベルカ式とミッド式を同時展開する異端の魔導騎士、現実に体を動かなくては意味が無いのだ。技能の反復は頭ではなく肉体によって成立するとシロノはゼストから叩き込まれているので、これ以外の仮想戦闘訓練を行う事は無い。

 

《Let's Show time》

 

 S2Uの電子音声により戦闘が開始、そして、ゼストとシロノは一瞬で鍔競り合った。ギィィンッと金属音が封絶結界の中で響く。グレイブ状のアームドデバイスと槍頭が鋭いスタンダードな槍状のS2Uがぶつかり合い、一瞬の瞬きでお互いに払い除ける。バックステップで距離を取り、お互いの制空権を奪うかの如く鋭い刺突の雨が放たれる。

 体格さがあるのに一進一退の戦いをするシロノに仮想上のゼストが獰猛な笑みを浮かべる。

 加速する刺突の壁がシロノへ迫る。だが、シロノとて穿たれまいと足を円状に捌いて後退しながらその悉くを払い除ける。ぐっと重心を落とした後ろ側に置いた右足を踏み込み、手首の回転と同時にS2Uの先端の二股を開放、突如槍から長刀へリーチを変えた薙ぎ払いにゼストは笑みを消した。搗ち上げる様にデバイスを振るい、薙ぎ払いの勢いを増させる形で直撃を避けて、懐へ入ろうと前へ出る。

 

「……レイデン・イリカル」

 

 詠唱を紡いだシロノにゼストは突こうとしていた動きを払う様に戻す。キンッと空中に浮かび上がる円環状のロックバインドが標的を外した。しかし、シロノはそんなのは当たり前だと言わんばかりに、長刀のS2Uにより斬り込む。普段なら受け止めずに流す一撃だが、此度のゼストは受け止めるしか無かった。夜の一族化の恩恵により筋力が上がった事により、振るうその速度も上がったためだ。

 緩急のある薙ぎ払いの螺旋はシロノが回避技能の円の足捌きから生み出した技法だ。回避運動を攻撃モーションに加える事で一撃離脱も追撃も可能な要塞と化す。だが、その要塞の壁を毎度穿つのがゼストの刺突だった。パキィンと青白い魔力刃が半ばから砕ける。そして、リーチが短くなった事により、ゼストの間合いへ入り込まれる要因となった。

 

「ぐっ、流石師匠。最新のこれを折るとか化物だな本当にッ!!」

 

 クラッシュシミュレートによる魔力刃の破壊にシロノは仮想敵である師匠の化物具合に口元を引き攣らせる。今のゼストは浮かび上がる投影でしか無いので実体は無い。だが、クラッシュシミュレートを組み込んだ事により、更にリアルな戦闘訓練が可能になったのだ。つまり、現実の本人も折る事ができるという判定結果。一年もデータを取っているので、その審議は正しく公正なのである。

 距離を詰めてきたゼストに対し、シロノはS2Uを先程の槍状へ戻して迎撃する。放たれる刺突と薙ぎ払いを円を描く様に流すが、流石に劣勢ではその真価は発揮できず、ツォンッと弾ける音がシロノのバリアジャケットから聞こえてくる。

 

「蒼穹の矢よッ!!」

《Strike arrow》

 

 詠唱により発動を短縮した魔法陣が拳銃の形にしたシロノの左手の人差し指に浮かび、デバイスを放つために一度引いた瞬間を狙ってぶっ放つ。矢の形をした魔力弾が拡散する様に八つ放たれ、目の前で散弾を撃たれたゼストは堪らず防御の構えを取る。一瞬の攻防で自身に当たる二発を防いでカウンターに石突の突きを放つゼストの化物具合にシロノは師匠の壁はまだ高いと歯噛みする。

 再び交差するデバイスが鳴り響く。シロノはそのタイミングで詠唱を紡いだ。ゼストのデバイスを搗ち上げた瞬間に、遅延発動させたストライク・キャノンによる抜き撃ちをぶっ放した。シロノの視界が青白く染まり、ヒュパッという何かを切り裂く音が何故か聞こえた。シロノはすぐさま回避運動を行ったがその選択は遅過ぎた。

「ぐはぁっ!?」

 

 ゼストがやったのは単純な事だ。刃先を上げられた勢いを増させてくるんと回し、そのまま振り上げる形でストライク・キャノンをぶった切ったのである。そして、裂けた合間からゼストは砲撃の線上から外れ、撃った格好で立ち尽くすシロノの胴へ突きを放ったのだった。

 この間、僅かに一秒五コンマである。

 完成したベルカの騎士は魔導師百人と渡り合い悉くを捻り潰すとまで言われている。その生きた証拠こそがシロノの師匠であるゼスト・グランガイツという男である。幾多の実戦模擬戦で一度たりともシロノはこの人物に勝てた事が無い。そして、今回の模擬戦ですらもゼストは一度も魔法を使用していないのが良い証拠である。

 

「何回やっても師匠が倒せない……ッ」

 

 砲撃をぶった切るとか人間技じゃないとシロノは打ちひしがれる。射撃系魔法を切り裂くなら分かる。だが、シロノの主力砲撃魔法をぶった切るとは如何いう事だ。

 それすなわち肉体が魔法を凌駕した瞬間である。勝てる気がしなかった。原作のヴィータに互角だったのは一度死んだ身で、更に身体がもう保たないギリギリの状況だったからだ。つまり、全盛期とも呼べる現在のゼストを仮想敵にした場合、シロノが惨敗するのは当然の結果であった。

 シロノとて、現実のゼストに零距離砲撃をS2Uを叩かれて回避されたり、撃つ一瞬でしゃがんだり横へ回避されたり、S2Uを真正面から刺突されて砲身がイカレたり、というまだ妥協できる方法で負けた事はあった。だが、夜の一族もどき化により加速する思考による詠唱によって抜き撃ちしたのだ。絶対に回避できない零距離で、ぶった切られた記憶は一度たりとも無かった。

 つまり、ゼストにシロノが勝つためには魔法抜きでの純粋な戦闘力での凌駕しか在り得ないという結果が待っていたのである。シロノに降りかかる絶望めいたガックリ感は一入である。

 

「在り得えねぇ……。師匠、データ上で砲撃魔法ぶった切れるのかよ……」

 

 暫く師匠の人外具合に頭を抱えたシロノであったが、打倒師匠という目標に更に気合が入った。迂闊に魔法なんて使ったから負けたんだ、と魔導師が二度見して絶句する結論に陥ったシロノはぶつぶつと呟きながらS2Uの内部メモリから接近戦用のベルカ式魔法をメインに、遠距離用のミッド式魔法をサブに切り替えた。

 

(もういっそ、ベルカ専用のデバイスを作るか……。幸い資金は腐る程あるし……。名前は……、そうだな。Song to you を真似てSong for you……、S4Uにしよう)

 

 シロノは未だに引き落とした事の無い通帳を全プッシュしてやろうと虚ろな瞳で誓った瞬間であった。その後、朝の挨拶に来たすずかに慌てて駆け寄られて、目に光が灯るまで熱烈に励まされた事を追記しておく。その様子を微笑ましい表情でノエルが見ていたのはもはや言うまでも無いだろう。



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無印21 「屋上でのお話、です?」

 管理局の白い魔王もとい翠屋の純白な魔法少女が爆誕した翌日、午前中の授業が終了した五人は屋上のテーブル席でお弁当を食べていた。授業中にユーノによってロストロギアであるジュエルシードの説明と魔法の説明がされていたが、マルチタスクの訓練を行って第一サブを習得した三人は何とかノートを取る事ができた。もっとも、同じクラスにシロノによって第三サブまで取得したすずかが居たりするのだがそれは言わないお約束である。

 先日の封印の後で、話題になってしまったのは意外にも勇人であり、それはシロノから渡された試作品デバイスのせいだった。それにより、ユーノとなのはにシロノが魔導師である事が暴露され、更に倍率ドンとばかりに管理局の執務官である事もアリスがバラしたので特にユーノが唖然としていた。なのはは魔導師の先輩が近くに居る事に驚いていた。何処かズレているなのはは置いといて、勇人はアリスにシロノとの契約の事を自白し、爪先見てアッパー余裕とばかりにアリスにボコボコにされて、只管謝り続ける夫婦漫才が繰り広げられた。

 結局、理由であるアリスを護りたいという事を隠し切った勇人は内心安堵しつつ、良いボディブロウを貰った腹の痛みに悶絶しながら、話題は魔法の話へ……、と言う所でなのはを迎えに来た兄鬼が襲来。妹をこんな時間に連れ出すとは良い度胸だ、とアリスと勇人に言外に殺気の抜けた気当たりで疲れも相まって気絶し、お開きとなった。アリスと勇人は結局朝になるまで起きなかったので高町家に泊まったのは余談である。

 

「それでね、シロノさんがわたしの名前を呼び捨てにしてくれるようになってね。なんかこう……ゾクゾクってお腹の下辺りから痺れが上ってきてね」

「へぇ、そうなんだ……」

「(アリサが良い感じに犠牲になってるから今の内に話しとくわよ)」

「(意外とお前薄情だよな。こういう生死に関わらない辺りだと特に)」

「(にゃ、にゃはは……。すずかちゃんが幸せそうだから良い話なのかな?)」

「(う、うーん。女の子じゃないから僕には分からないなぁ。取り合えず、授業中にジュエルシードの危険性と魔法の有効さを分かってくれたと思うんだ。だから……)」

「(シロノに協力を仰ぐ、ってか?)」

「(うん……。僕の怪我から分かる様に、魔法に非殺傷設定があってもジュエルシードの暴走体にはそれは無いんだ。昨日怪我が無かったのは……、勇人のアレはノーカウントで、運が良かっただけだと思う。あれは純粋な暴走体、つまりは知能を持たない本能の化物だったから助かったんだ。でも、この世界には知能のある生物が野良で存在してる。犬とか鳥とかがジュエルシードによって暴走したら……、怪我どころじゃ済まない可能性があるんだ)」

「(でも、わたしはユーノ君のお手伝いしたいな。シロノさんにも手伝って貰おうよ)」

「(多分無理よ。突っぱねられるとまではいかないけど、それとなく否定されるでしょうね)」

「(え? ハーヴェイさんは管理局の執務官と言っていたんだろう? 助けてくれるに決まってるさ)」

「(それがさ……、昨日言ってた契約がそれに当たるんだよ。あいつは俺にデバイスを貸し出す事で言外にこう言ってるんだ。それを使って解決してみせろって、な。管理官補佐になるんだったらこれぐらいやってみせろって事だろうよ)」

 

 勇人はミニハンバーグを頬張りながら肩を落とした。精神通話の内容になのははパチクリと驚いており、それはシロノへの不信感めいた疑問と昨日自分を護ってくれた勇人に力を貸してくれた事への期待が半々と言ったものだった。

 

「(……まぁ、すずかに事情を説明してお願いして貰ったら一発でしょうけどね)」

 

 アリスのその言葉に全員が納得した。もっとも、その場に居らずシロノに会った事の無いユーノは文字通りに小首を傾げていたが。しかし、現実に行動した後が怖い勇人はそれは止めようと断固として阻止の構えに出た。補佐官の仕事は主に執務官の補佐事務だ。ありったけ出されたら帰る事すらできなくなるに違いない。あのドSなら絶対やりかねない、と勇人の頑張りによりアリスの提案は渋々と流す事になった。

 

「(なぁ、アリス。もしかしてさ、シロノって月村の家に落ちたジュエルシード持ってるんじゃないのか?)」

 

 勇人の個人精神通話にアリスは一瞬きょとんとしたが、シロノがすずかの家を拠点にしているなら有り得る話だと納得して、数秒後に絶句した。そう、アニメではターニングポイントであるフェイト襲来のジュエルシードだった筈だからだ。アニメを主軸に置いて考えを纏めているアリスからすれば、なのはとフェイトの友情が育まれないのは何か嫌だった。現実に置き換えれば些細な事なのだが、決定された未来というアニメ知識を持っているのが仇になっているのだろう。

 

(……いや、でも温泉の時でも会うのよね。そしたら、その時に同い年の子供って事で仲良くすれば良いかしら)

 

 案外上手く行きそうな思案に頷くアリスを見て、勇人は多分こう思っているんだろうなと先読みする。忘れているかもしれないが、これは家族絡みの旅行だ。月村家にシロノが混ざる可能性が九割以上だと勇人は考えている。そもそも、勇人からすればシロノが今後どう動きたいのかを知っていないのが致命的な点だ、と思考を深める。一度対面して喋ったがあの時は初対面である事に加えて、デバイスというアドバンテージを持ってして主導権を取られた話し合いだった。言うなればワンサイドゲーム、シロノの圧勝であった。辛うじて勇人はシロノがアリスと勇人に危害を加える輩ではないとだけ持ち帰れただけなのだ。

 デバイスという目の前の餌に飛びついたに過ぎない前回の失敗を振り返り、勇人はもう一度シロノに接触しようと思案する。題目は訓練辺りが妥当か。魔法一年生とも言える貧弱な勇人が昨日の様な化物からアリスを護るためには必要なものだった。

 上の空で雲を眺めてしまった勇人をアリスはぼんやりと見つめる。アリスにとって、勇人は都合の良く近くに居た転生者である少年でしかなかった。いつからか辛辣な事を吐ける様な信頼関係を築いて、いつのまにか隣に居るのが当たり前になりつつあった。

 ふと思い出すのは、昨日の出来事。

 レイジングハートを構えたなのはと共闘する勇人を見て――苛ッとしたのを思い出した。逆胴を決めて暴走体を倒したんじゃないかって思った時は格好良く見えていた。そういえば、その瞬間は苛々していなかった気がする。そう形にならない心から漏れ出る感情の発露にもやもやした気分になるアリスは、勇人から視線を外して小さな溜息を吐いてミニハンバーグを口にした。勇人の弁当箱から、だ。

 

「……ん? って、アレ!? 俺のハンバーグが消えているだと!?」

「あら、先程から上の空でパクパク食べておりましてよ」

「そ、そうだったっけ……? でもまぁ、アリスが言うならそうなのか……」

「……ばか」

「何か言ったか?」

「いいえ、何でも無いわ」

「そっか」

「そうよ」

 

 小首を傾げる勇人とそっぽを向くアリスの姿は鈍感彼氏と恋する彼女のカップルにしか見えなかった。けれど、その二人を見ているのはなのはだけで、良い雰囲気だなぁとトマトをぷちっと食べていた。春が近付いてきた季節の涼しい風が温かい日溜りを撫でて去って行く。

 こんな平和が続けば良いのにな、と勇人は思う。冷えたのか耳の赤いそっぽを向いたアリスを見やって、勇人は表情を切り替える様に真剣なものへと変わる。

 

(俺はアリスを護る。この志は変わらない。なら、やれる事をやるだけだ)

 

 グッと右掌で拳を作った勇人は決意を誓った。誰よりもアリスの傍に居たいからこそ、手を伸ばし続けて何もかも掴み取ってやる、と燻る火種に炎を灯した。手始めに勇人はユーノへ精神通話を繋ぎ、魔法の訓練メニューを考えて欲しいと願い出る。

 そして、ユーノがトチって三人にも繋いだので秘密特訓は合同特訓へと変更されたというオチがあったが、勇人は強くなれるなら変わらないと羞恥心を胸の内にそっと仕舞い込んだ。



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無印22 「翡翠の瞳、です?」

「……さてと、片付けるか」

 

 すずかが学校へ行っている間に散歩でもしようと出かけたシロノは鋭敏な勘で、膨れ上がりそうな魔力反応に気付いた。隠蔽結界魔法を身に纏う様に展開したシロノは家屋の屋上を跳んで一直線に河川敷へ降り立ち、封絶結界に切り替えて半径五百メートルを切り取る様に展開した。すると、その魔力の反応によって刺激されたのか、河川敷に掛かる橋の下から弾け飛ぶ様に青色の禍々しい光りが輝いた。橋の下から現れたのは四メートル程に膨れ上がったイグアナを巨大化させた様な厳つい風貌へ変わったイモリだった。なのはが見たらドラゴンと見間違えそうなその恐ろしさに、シロノは怯える事はせずポケットからS2Uを取り出す。

 

「S2U、起動しろ」

《Stand up》

 

 一瞬の閃光がシロノの身を包み、白く染まる執務服を模したバリアジャケットが姿を現す。そして、瞳を開いたシロノは見た者を氷結させてしまいそうな冷たい表情へ凍らせて行く。空中可変した槍型のS2Uを構えたシロノは執務官モードに意識を切り替えた冷徹の執務官その人であった。

 凍て付く様な気当たりがシロノを中心にして吹き荒れて行き、まるでブリザードの様な気温の変化をイモリは本能で悟って無意識に身体を震わせた。

 

《Strike boost》

 

 踏み込んだシロノの足先に円環状のベルカ式魔法陣が展開される。次の瞬間、その輪に爪先を入れたシロノが背中のジェットを噴射したかの如く加速する。直線型移動展開式魔法ストライク・ブーストは本来は突きの威力を速度で底上げしようとして構築された魔法であり、今では加速ゾーンとしての利用されている。その速度はフェイトのフラッシュ・ムーブの二倍であり、けれどそのせいで柔軟な方向転換ができない縛りのあるピーキーな魔法に仕上がった。

 ダンッと地面を蹴ったシロノはストライク・ブーストの恩恵により空を滑空する。その爆発的な速度により一瞬で距離を詰められたイモリは口を開いてボゥッと火種を燃やした。ファイアブレスと言えるそれは目の前に詰め寄るシロノへと解き放たれた。だが、空中で斜め方向へ展開したストライク・ブーストにより難無く避けられ、雷の様な直角な曲線を描いて隣に現れたシロノに顎を蹴りで搗ち上げられる。砕けた下顎が鋭利な歯によって上顎に突き刺さり、口を閉じれなくなったイモリが噴射する筈だった炎の逆流により口内で暴れて膨らんで行く。バックステップして距離を稼いだシロノは息を取り込んで、身体全体へ行き渡り切った不要な空気を吐き出しながら視線をイモリの心臓へと向けた。S2Uが可変し、長刀へと切っ先を変える。

 

「シァッ!!」

 

 左足でコンクリが砕ける程に踏み込みを入れ、足場を作った瞬間に右腕が限界まで絞られる。ギチィッと筋肉の唸りが聞こえた刹那、腰を回して螺旋の通り道を作り出す。発条という撃鉄をぶち込んだ膂力という弾丸を装填したシロノは、突きという単純にして至高の一撃である銃弾を放った。切っ先が硬い鱗に傷を入れ、その傷が裂けるのと同時に刃が食い込み、勢い良く肌を抜き、骨を通過し、心臓に取り付いていたジュエルシードへと穿つ。非殺傷の魔力刃故に死にはしないが壮絶な痛みを感じているイモリにすまんと思いつつ、先程の渾身の突きにより体内より飛び出したジュエルシードをシロノは封印するために切っ先を突き付ける。

 

「レイデン・イリカル・クロルフル……、ジュエルシード封印。番号はⅤⅢか。これで二つ目……」

 

 ⅤⅢと浮かぶジュエルシードを収納したシロノはバリアジャケットを解除し、結界を解除したシロノは同時にS2Uを待機状態へと戻す。これによって、現在海で眠る六つを除く海鳴市に未回収のジュエルシードの総数は、なのはたちが持つ二つとシロノが持つ二つを引いて十一個となった。今回シロノはアニメで怪鳥と化していたシリアルナンバーを回収した事になる。それも、かなり早い段階で、だ。

 

(……アニメの軌跡が正史であるだなんて誰が証明するんだ。何せ、既に怪鳥を生み出すシリアルナンバーによるイモリの暴走体という差異が生じている。そもそも、この世界は可笑しい事が多過ぎる。在り得ない人物に在り得ない展開に在り得ない出来事。……やはり、この世界は似ている世界でしか無い。アニメ知識はミスリードにしかならない可能性があるな)

 

 ――この世界は紛れも無く現実って事だ。

 シロノは元々この世界を疑っていた。自分でさえもアニメの世界では脇役に過ぎないフェードアウトされた存在では無いかと考えていた。しかし、クロノと同期になった事でこの考えは改まる。何せ、この時点でクロノに何かをした場合、シロノというモブでしか無かった存在は物語に影響を与える人物であると肯定してしまうからだ。言うなれば、ご都合主義という機械仕掛けの神にシロノの存在が消されるのでは無いか、という不安があった。

 だが、実際にシロノは此処に居る。クロノの親友であり、すずかと関係を持ち、吸血鬼もどきという異端まで抱えている物語の破綻者として立っている。

 そして、シリアルナンバーの不一致による乖離現象。いや、そもそもこの世界における必然がこのシリアルナンバーだったのかもしれない。そうならば、その偶然は既に物語から乖離している証拠となる。

 そもそもの考えが間違っていた。並行世界(パラレルワールド)を二次創作のそれと混ぜていたからこその勘違い。そう、シロノたち転生者は神によって選ばれた存在でもなく、記憶だけを持って産まれ直しただけの存在だ。

 もしかしたら、フェイトが男かもしれないし、まだ見ぬはやてに兄弟姉妹が居たりするかもしれない。何もかもの可能性が存在する世界こそ、シロノが立つこの世界だったというだけ。シロノは始めたつもりのだけで、現実にはただ足踏みをしているだけだった。勇人にデバイスを与えて楽をしようと考えたのも、アニメの世界のそれがこの世界でも起きるだろうという希望的観測による結果からである。アニメの世界でなのははジュエルシードの暴走体との戦闘で目立った怪我をしていない。ならば、転生者である勇人たちにもそれは適用されるだろう、という思考から指導訓練を実戦式にしたのだ。

 

「……楽な休暇になると思ってたんだけどなぁ。日和ったなぼくも。ちょっとばかし事態を軽く見過ぎたかもしれない」

 

 頭を掻きつつシロノは緩んでいた気持ちを締め上げる。現実を見ていたつもりがアニメという湖に映った波紋を見ているだけだったと、転生者が故に陥り易い思考の停止。思考を止めるのは愚行であると常に実行していたシロノでさえこれだ。自身が言う様にシロノは日和ったと形容するに値する。

 シロノの信念は目の前の誰かを護る力と成る事だ。一振りの杖であれば良かった、と考えていた。だけど、今の幸せ過ぎる環境がシロノから冷徹さを奪い、執務官という夢に辿り着いた事で目標を見失っていた。

 

(ああ、そうだ。ぼくは未熟だ。未だに正面堂々と勝つ力すらも無い弱者だ。何を忘れていたんだぼくは。自惚れていた。……ぼくは弱いままだ。――あの頃から変わっちゃいない)

 

 シロノの瞳は蒼色から灰色が混ざって濁った色へ変わる。夜の一族は感情の昂りにより瞳の色を変える時がある。それは、すずかが吸血の際に興奮して金色の瞳になる様なもので、体質による変化の一部だ。だが、シロノのそれは漫画で言うハイライトを失った瞳のそれと酷似していた。

 何も映らない様に瞳を閉じてしまえば、すぅっと空気へ溶けて行く様な感覚がする。何もかもを諦めたくなる虚無感が全身を侵食して行く。

 

『良いかシロノ。こいつはな、父さんの親友が持ってた奴と同じなんだ。そいつは海で散っちまったが父さんと真逆な性格でな。熱い一面もある良い奴だった。……お前はやっぱり俺に似てやがるな。よし、執務官の試験受かったお祝いだ。こいつをくれてやる。言っとくがな、こいつはお前にとって一生もんの相棒って訳じゃねぇ。言わば、シロノ・ハーヴェイっていう男を後押ししてやる先輩みたいなもんだ。いつか、お前だけの相棒を持つだろう。そして、これからお前は選択に溢れた世界に足を踏み入れて迷っちまうかもしれない。だから、忘れるな』

 

 ――諦めは万物の終わりだ。常に最善を十全に尽くして考え続けろ。

 だが、脳裏に浮かんだ父の言葉がシロノの瞳に炎を灯す。紅く染まる感覚がシロノの心を燃え上がらせる。それはまるで不死鳥の再誕の様だった。いつしか凍り付いていた思考が動き出す。錆付いた歯車が回り始める。●●●●では出来なかった。だけど、シロノ・ハーヴェイなら出来る。そう、誰かに背中を小さな手で押された気がした。

 

「――始めよう。これがぼくの生き様だと誇れる様に」

 

 開かれた瞳の色は翡翠色。シロノはS2Uをくるんと回して結界を破棄してから待機状態へ戻す。懐にしまってシロノはその重さに笑みを浮かべる。先程は手にあった事すらも忘れるくらいに軽く感じていたS2Uの重みをシロノは噛み締める。

 心地良い重さを感じながら街の探索へと戻れば、時間的にそろそろすずかが塾へ向かう頃に近付いていた。夕暮れに差し掛かった海鳴市の一角から膨れ上がる魔力の高まりを感じたのだった。



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無印23 「襲い掛かる現実、です?」

 最初は再び剣道が出来る事が嬉しくて仕方が無かった。勇人の人生は剣道一色に染まっていたと言って過言ではなかった。近くの道場に剣道を習う事で前世では知らなかった知識や経験も積む事ができた。勉強は中学二年までのものならほぼ完璧だったし、奨学金制度のある小学校を勧められた時に今生の両親への恩返しとして受けた。

 目の前の他人にしか見えない両親を家族として見るのはとても辛かった。何せ、前世では両親を庇って死んでいた。前世の両親に対する愛情を今の両親にも向けられるかと言えば否だった。自分という血の繋がった他人を育ててくれる両親への罪悪感とも呼べる感情を剣道という閉ざされた筈の道を一心不乱に向かう事で誤魔化し続けてきた。

 

『貴方、二度目の生を謳歌してるかしら?』

 

 道場で朝錬をして、小学校に通って勉強という復習をして、友人と遊びつつも道場で竹刀を振る毎日は充実していた。それは何よりも剣道という失ったものを掴み直せたからだった。だが、赤星勇人という少年から剣道を抜いた場合、何が残るのだろうか。

 勇人自身、前世の記憶の存在に嫌気を感じていた。何せ、経験する殆どの事を前世で経験してしまっている。新しい友人関係や環境だけでは人の心は満たせない。皆が初めて行うそれらに歓喜する隣で勇人はつまらない感情に蓋をするしかできなかった。

 

『ふぅん。でも、それって楽しいの?』

 

 剣道一筋に生きて行くつもりだった。だけど、前世の経験がある勇人は三歳年上の道場の先輩に余裕で勝ってしまう程に力の差を感じてしまった。道場の同年代の少年は勇人の面に練習以外で竹刀を掠らせる事はできないし、大会でも似た様な一方的な展開にしかならなかった。

 小学生剣道大会で優勝してしまった瞬間に勇人は思う。このつまらない感情をいつまで抱えていれば良いんだろう、と。小学二年生に負けた小学六年生。身長差十五センチのジャイアントキリング。本当だったなら泣いて喜ぶ様な感動が胸を熱くさせる出来事だった筈なのに。

 

『優勝おめでとう。凄いじゃない。小人が巨人を倒したようなものじゃない!』

 

 アリス・ローウェルという少女と出会ってから勇人の生活は一変した。剣道一筋だった筈の勇人はアリスから頼まれた色々な事をふたつ返事で請け負う。例え、その結果剣道の時間が減っているのに関わらずに、だ。剣道以外の何かが増えて行く。そんな感覚が勇人は心地良く感じた。

 同じ前世の記憶を持つ少女は不幸な事があっても立ち直した。その時の表情はとても悲しそうで、もう誰にも頼らないと一人で頑張るという決意をしている様なその瞳が印象に残った。

 竹刀を振って、声を張り上げて、足を動かした。

 大好きだった筈の剣道をしているというのに、勇人の脳裏にはアリスの悲しい表情がちらつく。道場の師範にも困った様子で叱られてしまうぐらいに、集中力が下がって行ってしまった。自問自答しても答えは出ない。大好きな剣道なのに、と心が曇る。

 

(……そうだった。確か、あの時もこんな感じだったな)

 

 目の前には勇人の身長の四倍はありそうな獰猛な風貌の怪犬が涎を溢して唸っていた。そして、背中側には足を震わせて立ち尽くすアリスの姿があった。場は夕暮れの神社。あの時と思い出すのは自然公園での事だった。野良犬に絡まれて怯えていたのを助けたあの瞬間、ありがとうと涙交じりの笑顔を見た瞬間から勇人はアリスに恋をしたと自覚した。

 アリスの笑顔が見たい。アリスが今も母親の事でトラウマを抱えているのを、いつも眺めている勇人は気付いていた。自分が無力なせいで誰かが死んだという、幼いアリスには仕方が無さ過ぎる出来事を今も二十一歳の精神はトラウマとして抱えている。前世の記憶が無ければ、自分が再び死ぬ事で母親は救えたかもしれない。そう、それが今もこの世界をアニメの世界だと信じている原因だった。

 

『わたしは母親を殺して生き残ったのよ。最悪なバタフライエフェクト、浅はかにも程があるわ』

 

 巫山戯るなと叫びたかった。そんな訳が無いと勇人は言ってやりたかった。

 けれど、今もアリスはアリサしか信じようとしていない。世界は敵であるから、同類である勇人を手駒にしようと考えていた。それすらも気付いていて勇人は無力さに嘆いた。力が欲しい、と。アリスが信じて背中を貸せるぐらいの力を求めた。

 そして、出会ったのはシロノ・ハーヴェイという人物だった。受け取ったのは即物的な力、代償は未来の進路。けれど、勇人はそれでも良かった。どうせ、執務官補佐になってもならなくても、アリスを救えなければ意味が無いのだから。アリスの説明とシロノの示唆で、この世界がアニメ世界に酷似している世界であるとシロノよりも自覚していた勇人だからこそ、友人の力になろうとするであろうアリスを護る事を決意した。

 

(んで持って、今回は木の棒の代わりにデバイスで、犬は犬でも化物で。ははっ、違いがあれば立場が逆って事だな畜生め……)

 

 オフェンサーを八双という上段に構えた姿勢で居る勇人は恐怖と危機感で昂る鼓動を押さえ付けた。事の発端は塾に行ったなのはたちの代わりにジュエルシードを回収しようとして神社で探索を始めた事。アニメでこの場所でお姉さんの飼い犬がジュエルシードによって凶暴化する事を知っていたアリスはご都合主義な二次創作の如く、見つかったよわーい、という展開を希望していた。だが、現実は非情だった。ジュエルシードを咥えたのは野良犬で、しかもその犬は何処かで見た事のある黒い毛色をしていた。海鳴自然公園でアリスが襲われたあの野良犬だったのだ。

 片や子供すらも食い千切れそうな牙を見せ付ける化物で、片や制限時間のあるビーム兵器を持った子供が対峙する。しかも、勇人には腰を抜かしたアリスという枷が存在していた。

 

「指一本触れさせてやらねぇぞ。あの時みたいになッ!!」

 

 腰を落とした勇人に呼応する様に黒犬は前足に力を入れて駆け出す。開いた巨大な口が迫り来る恐怖の光景を目の当たりにする勇人は逃げるという選択肢と避けるという選択肢は無かった。いや、あるにはあるのだがアリスを犠牲にする事を意味するために選択する事ができない。構えを解いた勇人は左手に隠し持っていたディフェンサーを心の中で紡ぐ様に展開しながら突き出した。突如現れた蒼い壁に鼻頭をぶつける事になった黒犬は短い悲鳴を上げて蹈鞴を踏んだ。

 そして、ギラリと怒りによって紅く染まる鋭い双眸に睨まれて勇人は背筋を凍らせながら笑みを浮かべた。間違いなく自分が目の前の肉食の化物に狙われたと言うのにだ。勇人が出来るのはアリスを護るただそれだけの事だ。だが、小学三年生の小さな身なりでは厳しいに尽きる状況である。

 

「アリスッ!! 逃げれるか!?」

「ご、ごめん、腰が抜けて……」

「……分かった。高町を呼んでくれ。今ならまだ間に合う筈――ッ!!」

 

 なのはたちと別れて数分後であるため、もしかしたら気付いて戻って来てくれるかもしれない。だからこそ、勇人はアリスを死守する事が課題となる。ハッとした様子でアリスは精神通話を繋げてなのはとユーノへ助けを求める。その様子を黙ってみている黒犬では無い。動けないと理解したのか黒犬はアリスへ向けて駆け出す。

 

「させるかってんだッ!! てめぇの相手は俺だッ!」

 

 アリスの前に立ち塞がった勇人が両手で持ったオフェンサーで黒犬の前蹴りを受け止める。自身の体重よりも遥かに重い一撃を真っ直ぐ受け止めれば勇人の腕が悲鳴を上げるのは当たり前だった。鍛えていたといっても所詮は子供の腕、ビキッと嫌な感覚が右腕から感じて力が弱まった。押し倒される様に吹っ飛ばされた勇人は二転三転と神社の硬い石畳を跳ねる。

 

「勇人……ッ!?」

 

 そして、弱った獲物へ黒犬はニタァと笑うかの様に鋭い牙が並ぶ断頭台を開く。アリスはそれを震えて見ている事しかできなかった。怖い怖い怖いと恐怖によって心が押し潰されて身が縮む。だけど、このままでは目の前で勇人が死ぬ。それだけは嫌だとアリスはなけなしの勇気を振り絞り、立ち上がろうとするが意思とは裏腹に体に力が入らない。

 

「……や、嫌ぁ、嫌ぁ!! 止めて、止めてよぉおお!!!」

 

 その絶叫を嘲笑うかの様に黒犬は勇人へと距離を詰め、突如伸ばされた小さな腕に舌を思いっきり引っ張られて悲鳴を上げた。痛みに悶絶して離れた黒犬に血塗れの勇人はざまぁみろと笑みを浮かべる。痛みで体が満足に動かないが鼬の最後っ屁と言わんばかりにまだ動く右腕を動かしたのだった。黒犬は異物を飲み込んだ様子で咽ている。その様子に勇人はニィッと笑みを浮かべた。

 

「死んでぇ、たまるかってんだッ!! ぉおおッ!!」

 

 死に体に鞭を打って立ち上がった勇人は未だに折れない芯の強さがあった。その小さくも雄々しく見える背中にアリスは涙を溢す。絶体絶命のピンチでも笑って立ち上がるヒーロー。それが今の勇人には相応しい形容だろう。血が流れて朦朧とする視界の中で勇人は仕込んだそれを起動する言葉を紡ぐ。

 

「腹一杯食えよ――ディフェンサーッ!!」

 

 ボコォッと胃の内側から展開されたディフェンサーのシールドにより膨張した黒犬は痛みに悶絶して転げ回る。一メートルはあるシールドを押さえるために倒れたまま起き上がれなくなった黒犬に、勇人はゆっくりと近付いて展開したオフェンサーを叩き付けた。魔力ショックによって気絶した犬の口からジュエルシード、続いて黒犬の抵抗によって充填が切れたディフェンサーが吐き出され、荒い呼吸のまま野良犬の姿が戻って行く。地面に落ちたジュエルシードを拾おうとしてぐらりと勇人は前のめりに倒れる。しかし、それを横合いから受け止めた腕があった。

 

「遅れてすまない。だが、よく頑張った」

 

 隣を見やれば軽く息を荒くする白い執務服姿のシロノが居た。後は頼んだぜ師匠とシロノが目を丸くする内容を口にして勇人は気絶した。シロノはふっと苦笑して小規模な結界を張ってから治療魔法を行使する。適正の低い魔法でさえも備えあればと練習した成果により、暫くの行使により勇人の傷は癒えて塞がった。しかし、失った血液は戻らないため危険な状況と変わりない。応急処置を終えたシロノは俯くアリスへ声をかけた。

 

「取り合えず勇人君は無事だ。だが、少し危うい状況だから月村家に連れて行く。構わないね」

「……んでしょ。あんた、執務官なんでしょう!? 何で勇人がこんなになるまで来なかったのよ!!」

「……すまない」

「間違えたら、勇人が死んでたかもしれないのよッ!? …………わたしが言えた事じゃないわね。ごめんなさい。勇人を治療してくれてありがとうございます」

「いや、これは間に合わなかったぼくの落ち度だ。……中身がいくつであろうと今の君は九歳の女の子だ。もしもがあれば、ぼくを恨んでくれて構わない。すまなかった」

 

 シロノは血塗れの現場の後処理を行い、その間に立ち上がれる様になったアリスと一緒に月村邸へと急ぐ。月村邸に着いたシロノはノエルに手短に説明し、勇人を来賓室のベッドへと移す。増血剤の投与により大分顔色が良くなってベッドに眠る勇人の手を、アリスは祈る様に両掌で挟む様に握り締めた。二人きりの部屋で泣きそうな顔になるのを必死で堪えるアリスは無力さを呪う様に嘆く。何のために力を求めたのだと悔しさを覚えながら勇人の無事を祈るしか出来なかった。




没ネタあとがき

もし、今回の戦いが前後編だったら……。

すずか「お願い、死なないで勇人君! 今ここで倒れたら、アリスさんやシロノさんとの約束はどうなっちゃうの? デバイスの魔力はまだ残ってる。ここを耐えれば、暴走体に勝てるよ!」

                次回「勇人君死す」 

              リリカルマジカル、スタンバイ!


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無印24 「理想と現実、です?」

 眠りについた勇人を看病するアリスを部屋に残したシロノは私服姿で忍が待つリビングへと足を進める。ソファには笑ってない笑顔で腕を組んだ忍が微笑を浮かべるノエルとおろおろするファリンを後ろに待ち構えていた。宛ら勇者を待ち受ける魔王の様であり、放たれる威圧感は説教の時のそれと重なる。だが、忍の考えとは裏腹にシロノの顔は真剣なそれであり、普段の日溜りの様な印象が消え失せていた。

 

「忍さん。申し訳ありませんが今回の件は既に守秘義務が発生しているので、例え身内にも語る事はできません。ですが、魔法絡みの案件である故に執務官としての責務を果たす所存です」

「……そう、情報開示はどれ程までかしら?」

 

 冷徹の執務官の所以たる冷たい雰囲気を少しながら纏うシロノに合わせ、姉が弟を叱る様な説教を準備していた忍もまた月村家当主としての顔に切り替わる。忍の問いかけにシロノは数分の間で吟味した内容を語り始めた。

 一つ、魔力を濃縮した封印の解け掛けた青い宝石が危険物である事。

 二つ、今回の件は魔法絡みの案件の中でも危険に分類できるそれである事。

 三つ、既に負傷者が出てしまったために案件が終わるまで帰宅時間の約束は守れそうに無い事。

 四つ、この件に対しこれ以上伝える事は守秘義務及びプライバシーの保護に当たるため一存では不可能である事。

 以上の四件を忍に伝えたシロノは申し訳無さそうな表情で一礼し、事情聴取するため先程サーチャーにより覚醒を確認した勇人及びアリスの居る部屋へと戻った。その凛とした佇まいと風格から忍はどれだけシロノが厳しい世界に居たか知る事が出来た。守秘義務により愚痴として溢す事も出来ない案件を抱え、十三歳という年齢で黒き欲望が逆巻く世界を見続けている事を誰よりも感じる事が出来てしまった。それは、すずかにも隠している月村家当主としての役割がその様な世界に片足を突っ込むものだったからだろう。シロノがすずかに見せていた表情は本当に素だったのだと理解してしまうくらいに、今のシロノの表情は氷造の仮面にしか見えなかった。

 部屋へ辿り着いたシロノは中の様子をサーチャーで確認してからノックを三回、良い雰囲気だったらしい二人が慌てる様子に安堵しつつドアノブを回した。右腕を吊らせた安堵顔の勇人と傍らに座り赤面顔を背けるアリスを視界に入れたシロノはS2Uを起動し封絶結界を発動する。いきなりデバイスを出したため二人はギョッとしたが、他に聞かれて拙い内容だろうと短く紡いだシロノの言葉で納得の表情を見せた。

 

「……さて、今回の件は正直に言ってぼくも予想外だった。君たちはなのはちゃんと一緒に行動しているのでは無かったのか?」

「それは……、私が――」

「俺がジュエルシードの探索を勧めたんだ」

 

 アリスの言葉を遮った勇人の庇う様な分かり易い反応にシロノは内心で苦笑した。シロノは勇人がアリスに好意を抱いているのを知っているため、今の言葉は逆である証拠に成り得る内容だった。つまり、アリスがなのは不在の状態でジュエルシード探索に乗り出した、と言う事になる。驚いた様子でアリスが勇人を見ているのが良い証拠だった。

 嘆息したシロノはひらひらと手を振って冷徹の執務官としての仮面を取って雰囲気を霧散させた。勇人が恐らくその雰囲気のせいで警戒を促していたのだろうと察したからだ。そして、軟化した雰囲気にきょとんとする勇人にシロノは笑う。

 

「あー、勘違いしないで欲しいが、前に言った様にぼくは君らと敵対するつもりは無い。むしろ、影でこっそりとサポートするつもりだったんだ」

「は? あんたそんな事一言も言って無かっただろ」

「師匠が取った弟子を放逐するとでも思ったのかい? ぼくとしては逐一思考を止めずに考える環境を作っていただけだ。君らがぼくに対してどんな悪評や考えを持とうともそれが必要になると思っての事だよ。正直に言えば、今回の件はぼくとしちゃ自業自得のそれだ。そもそも、なのはちゃん無しで封印ができるのかい?」

「うぐっ、そ、それは……。ごめんなさい、無理でした」

「やはりね。だが、ぼくも若干読み違いをしていたから、すまない事をしたと思っている。君に貸したそれはなのはちゃんが居る状況を想定した力だ。ただの小学三年生が勝てる訳無いだろう。今回は勝ったがそれなりの代償を払っているんだ。死ぬ可能性もあったんだぞ?」

「……ご、ごもっともです」

「だからまぁ、ぼくとしては今回の件で水に流して欲しいのが本音だ。情報を止めていたのも要因の一つだしね。これからは転生者同士情報を共有する事にしよう」

 

 その言葉に過剰に反応したのは勇人だった。元を言えばこの世界についてシロノは勇人よりも先にチェックをかけていたのであって、ヒントを貰って思考を止めなかった勇人がショートカットして自覚したようなものだ。アリスは勇人の反応に首を傾げているので、きちんと理解しているのは男二人だけなのだろう。そして、この場には誰よりも空気が読めるシロノが居た。勇人の反応とアリスへの不安交じりの視線で殆ど察したシロノは先程よりも深い嘆息をして、これで貸し借り無しだ、と勇人に精神通話を送った。

 

「まぁ、これからについて、というよりもこの世界について少し分かった事がある。それは、この世界は『リリカルなのは』の世界と真の原作である『リリカルおもちゃ箱』の世界が混じった平行世界(パラレルワールド)だ、と言う事だね。ぼくの名前と言い、君らの名前からして察していたかもしれないが、この世界では“二つの原作に近い出来事が起きる確立が高い”ようだ。アリスちゃんが今生きていると言う事は親類か両親が亡くなった可能性がある。……だが、これについては回避しようの無いものだろう。この世界の歯車として転生者という存在があるのなら、転生者は物語の最後まで存在するのが基本ルールの筈だからね。幾ら自分を責めた所で何も変わりやしないだろうさ」

「……それじゃ、私はお母さんを殺してないの……?」

「“そうなるね”。言うなれば、筋書き通りだったんだ。恨むとするならば、この世界を造った神様や、戯れ目的で転生させた死神や、不手際で君を転生させた天使に恨むしか無いよ。もっとも、ぼくは出会ってない様だから居るかどうかはぼくは知らないけどね」

 

 シロノは勇人が懸念していただろうアリスの接触起爆式精神崩壊の要因であるトラウマを、両親又は親類が死ぬ事は第三者的存在により既に決定事項だったと言う嘘増し増しの内容で、接触する矛先を別方向へと向けさせたのだ。話が進むにつれて顔が強張る勇人と両親の辺りで雰囲気を暗くしたアリスの様子から爆弾のコードを切る事に成功させたシロノは内心で安堵の息を吐く。この手の精神誘導は執務官試験の一環にあり、誘導尋問や犯人への自供や自白を促すテクニックの一つだ。もっとも、シロノ的には一番苦手だった試験だったので、矛先を明後日の方向へ向けてくれた事に本当に安堵した。

 ぽろぽろと涙を溢して勇人に抱き付いて泣き始めたのをシロノは瞳を瞑る事で見なかった事にし、シロノの嘘で爆発までのリミットが延びた事に勇人は抱き付いてくるアリスを抱き締めながら良かったと笑みを浮かべる。精神は肉体に引っ張られる。そのため、中学生程に成長したアリスならこの問題に直視する事も出来るだろうというのが勇人の考えであり、それまでの時間を自分が稼いでみせると儚く感じるアリスを強く抱き締める。

 

「……ふぅ、ごめんなさいね。貴方は怪我してるって言うのに抱き付いて」

「いんや、構わねぇよ。俺がアリスの役に立てるなら本望ってもんだ」

「ふふっ、それなら無傷で私を護ってくれるくらいに強くなって貰わないと困るわね」

「ぐっ。い、いつか成ってみせらぁ」

 

 青春してんなーとシロノは普段自分のやっている事を棚に上げて思う。良い雰囲気で笑い合う二人は暫くしてから壁に寄り掛かっているシロノに気付いて、最初の時の様にお互いを意識してそっぽを向いてしまった。

 

(……こいつら体に精神が引っ張られ過ぎやしないか?)

 

 口から出掛かった言葉を飲み込みつつ、シロノはこの世界が平行世界(パラレルワールド)である事を仮定するとして、と違う言葉を語る。その内容に二人は頷いて、今回の件を思い出していた。そう、本来原作ではこの日はなのはが塾の無い日だった筈で、更には野良犬ではなくお散歩中の飼い主の居る飼い犬が一回りくらい大きくなって暴走する筈だった。シロノはS2Uから先程回収した二つのジュエルシードをアウトプットする。キラリと部屋の照明に輝く青い宝石にはⅤⅢとⅩⅥのシリアルナンバーが浮かんでいた。

 

「ぼくは昨日月村邸中庭に落ちていたのを回収した。だが、今日手に入れたものは本来怪鳥となる筈のシリアルナンバーのものだった。そして、発動場所は河川敷で対象はイモリ。そして、今回は飼い犬では無かった様だし、乖離している世界であると実証を持てた」

「……つまり、アニメの設定以外にも他の設定を含んでいるから物語が破綻している、って事かしら」

「そうなるね。もしかすると、居るか分からない神様からの手からも離れている可能性もある。そして、フェイト側にも転生者が居る事を仮定していたからこそ、ぼくは表舞台に出るつもりは無かったんだ。転生者全てが善人である事は人類が全て善人である事と同じくらいに在り得ないだろう。殺してでも奪い取る、だなんて頭がイカレているフェイトになる様に洗脳しているかもしれないし、はたまたフェイトを誘拐して監禁しているぶっ飛んだ考えをしているかもしれない。まぁその逆も然り、だけどね。……この世界がアニメとゲームの混じる世界であると楽観視していたぼくが言えた事じゃないが二人に協力して欲しいと思っている。もしかすると、一般人に被害が出るかもしれない事態に陥るかもしれない。アースラはぼくがクロノ経由で呼べるし、最悪民間協力者として参加する勇人君に手柄を任せれば問題無いからね」

「……なぁ、一つだけ聞いて良いか」

「なんだい?」

「あんたの言葉から常に最悪の事態を想定して、それが最善ってのが分かるんだ。でも、あんたが何処か保身に走っている節があるのは気のせいか?」

 

 勇人の真剣な眼差しが突き刺さり、瞳を閉じたシロノは転生者の一人という立場から、冷徹の執務官であるシロノ・ハーヴェイへと瞳を開いて切り替わる。その生身の刀の様な冷たい雰囲気に二人はゾクリと背筋を凍らせる。だが、シロノはそれを知った上で口を開く。語る言葉が全てだ、と言う様に。

 

「……そうだね。ぼくの信条は目の前の誰かを救いたいの一言に尽きる。そのために執務官という立ち位置は必要不可欠なものだった。更に加えれば、陸の、という肩書きが一番大事なんだ。海と陸の不仲によって起きるくだらない諍いを潰すのが目的だ。そのためにはタイミングを待たないといけない。ぼくとクロノがそれなりの地位に立ち、尚且つぼくが上層部の腐った根を断ち切る場所に居続けなくちゃならない。多忙過ぎて見失いそうになっていたけどね、背中を押してくれる人が居た。だから、ぼくはこれ以上選択を間違えちゃならないんだ。……それに、ぼくが執務官を止めたら密売や違法研究によって犠牲になる子供や被害者を救えなくなる。必要だと思われる三ヶ月休暇でさえ、今のぼくには色々と耐え難い時間なんだ。……もっともそれが免罪符になるとは思ってないけどね。実際ここ最近は日和っていたからね」

 

 両腕を上げて脱力する様に嘆息したシロノを見て二人は呆けていた。それは、同じ転生者という立場でこの世界に地に足を付けて目標に向かって生きているシロノの燻っていた魂が輝き始めた瞬間だったからだ。第三者に打ち明ける事でより強く意識する事になった、誰もが馬鹿げていると笑う平和を求める姿を実現させようとする気概に、文字通り度肝を抜かれたからだ。

 

「……さて、取り合えずぼくはクロノに連絡してくるよ。ゆっくりと考えると良い。日常へ戻るか、非日常へと飛び込むか。勇人君に書いて貰ったアレは今回の謝罪として破棄しておくよ。そのデバイスも持っていってくれて構わない。悔いの無い選択をすると良い。それじゃ、お大事に」

 

 S2Uを振って結界を解除したシロノは待機状態に戻してから、振り向く事もせずに部屋から出て行った。その背中を二人は見送る事しか出来なかった。そのあまりにも遠い背中へ、追い付く事すらも頭から抜けてしまう程に圧倒されてしまったから。



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無印25 「将来の夢、です?」

 シロノは廊下を歩きながら私服から執務官服へと変わり、群青の髪を緑色のリボンで束ねて垂らす。普段の気さくなお兄さんと言った雰囲気は霧散し、代わりに氷の仮面を被った騎士の如く威圧感を内側へ押さえ込む。シロノは目的を忘れていた自分に怒りを覚えていた。幾つもの案件で救われた者の笑顔を、救われなかった者の絶望を見てきた筈だった。磨耗していた刃を研げば薄くなって折れやすくのは当然の真理であり、すずかという鞘に納まった事で傷付いた刃は癒えた。ならば、今までして来た様にシロノは現実と直視せねばならない。

 甘い汁を吸いたいが故に子供や罪の無い者を見下した者へ鉄槌を下し、その手足となっていた違法魔導師をその身を持って粉砕し、幾多の現場を踏み越えて作り出した墓標と手錠の檻はもう覚えるのも辛いくらいに増えた。冷徹の執務官として陸を護る魔道騎士である筈のシロノは、目先の幸せに他の幸せから目を逸らした事に耐え難い苦痛を覚えた。脳裏に浮かぶのは泣いた顔と冷め切った死体の絶望の顔。希望と絶望の間を踏み越えて行かねばならない道は茨の荒野であると理解してS2Uを受け継いだ筈だったのだ。

 精神は肉体に引っ張られる。この言葉をシロノは改めて噛み締める。教訓にすべき事として咀嚼し尽して呑み込む。過去に囚われて空虚に戻るのは簡単だ。全てを諦めてしまえば良い。全てから目を逸らして瞳を瞑ってしまえば良い。その絶望の果てをシロノは知っていた。緩やかに訪れる死から逃げるのを諦めた瞬間を今も覚えているのだから。

 だからこそ、シロノは今生を無駄にしないと決めた。誰よりもあの苦痛と悲嘆と絶望を知るからこそ、それから遠ざけてやりたいと思った。今も尚、全てを救うヒーローになりたいという願望は無い。目の前の誰かを救ってやりたいと願うばかりだ。百を取るために十を捨てるのが時空管理局ならば、その十を救ってやりたいとシロノは求め続けてきた。故に、幸せに溺れてしまった自分に如何しようも無く嫌悪していた。

 

「S2U、クロノ執務官へ長距離次元通信を繋げろ。呼び出し(コール)は仕事の回線で」

《Call loading……》

 

 廊下の端で結界を張って姿を完全に消したシロノは空中投影されたモニターを見やる。ワンコール、ツーコール……、六コール目で漸く目当ての人物が現れ、その表情は意外な物を見たという驚愕に染まっていた。そう、クロノは今まで執務官としての立場で立つシロノの姿を見た事が無かった。堅物と称される自分よりも凍った表情をしているシロノに何があったんだと内心で呟く。だが、心配するクロノの心情を知らぬシロノは冷たい雰囲気のまま通信を続けた。

 

「クロノ・ハラオウン執務官、緊急の案件にて無礼失礼する」

「あ、ああ。何があったんだ?」

「第九十七管理外世界にて青い宝石状のロストロギアと思われる飛来物を確認。現在目下探索中ではあるが、既に現地人の負傷者が出ている事を確認した。其方にこの案件について任務は出ていないか」

「何だと!? ……すまない。アースラは現在スクライア一族が発掘したロストロギアが輸送事故によって次元世界に落ちた件で任務に就いている。本局からの情報によればスクライア一族の一人がその星に降り立っているとの事だ」

「残念ながらまだ未接触だ。しかし、此度の件で被害にあった少年がそれらしき人物と知り合っている。ユーノ・スクライアで間違い無いか」

「ちょっと待て……、ああ、渡航者の名前はユーノ・スクライア。スクライア一族特有の民族衣装を着ている少年だそうだ」

「怪我の治療のため変身魔法でフェレットの姿を取っているようだぞ。そして、現地で民間協力者を得たらしい。その民間協力者の友人が負傷者の少年だ。既に隠蔽は不可能の状態にある。其方が来るまで此方の判断で動くが問題無いな」

「休暇中というのにすまない。よろしく頼む」

「了解した。被害によっては民間協力者に協力を求むかもしれないのを念頭に置いといてくれ」

「……は?」

「では、通信を切らせて貰う。やらねばならぬ事が多いのでね」

「え、あ、ちょ、ちょっと待て!」

 

 プツンと空中投影されたモニターの中で慌てた様子のクロノの表情が通信の終わりと共に消える。シロノはふぅと息を吐いて執務官モードから切り替えた。普段の様に友人として通信するなら緩やかでも良いが、仕事の回線での通信は記録が取られるため優位に立っていると言う事を示すためにそれなりの雰囲気で無くてはならなかった。

 S2Uを待機状態にするのと同時に執務服と結界を解除したシロノは壁に寄り掛かってずるずると座り込んだ。廊下ではあるが日々ノエルとファリンの掃除により清潔に保たれているため問題無い。それにこの場所は土足である月村邸でも掃除以外の立ち寄りが無いくらいに人気が無い場所だった。

 

「あー……、これもあれも海と陸の諍いのせいだよ……」

 

 友人に対し威圧的な態度を取るのはシロノとしてもやりたくない事であり、体裁を良くするための行動とは言えあまり好ましいものでは無いと自覚していた。というよりも、前世も今生も友人の少ないシロノなので尚更に疲れを感じてしまう。嫌われる事は無いだろうが確実に印象が変わっただろう。窓から差し込む夕暮れもそろそろ闇の帳が落ちる頃の様で、そろそろすずかが帰って来るだろうなぁとシロノは癒しを無意識に求めてしまう。

 何せシロノは表立って動く気が無かったのに関わらず、今回の件で命の危険を覚えた二人は日常に戻るだろうと考えて、アースラが来るまでの繋ぎをする事を決めてしまった。名も知らぬ誰かさんごめんなさいと思いつつ、流石に一般人の負傷者が出てしまいかねない今の状況を放置しておくにはいかなかった。もしかすると、海に落ちていると思っていた六個もまた何処かに落ちているかもしれないのだ。そうなると、残り十六個の猛威が海鳴市を襲う事になる。遠い二つの場所で同時発動したらもう目も当てられない惨劇になるに違いないだろう。

 

「できるできないじゃない、やらなきゃならないし、やるしかない。……分かってる、分かってるんだけどなぁ」

 

 喝を入れて項垂れる様な気分で立ち上がったシロノは唐突に近付いて来た人物によってタックルホールドを腰に喰らって押し倒された。繋がるパスによって押し倒した人物が分かっていたシロノは、壁に自分の後頭部が当たる直前に右腕を回して掌でピタリと止めた。左腕の中で紫掛かった黒髪を散らして胸板の上で顔を上げたのは案の定すずかだった。嘆息してシロノはていっと壁から離した右手で軽くチョップを入れた。

 

「あうっ。シロノさんが何か落ち込んでる気がしたから飛んで来たのに……」

「……最近のすずかアグレッシブになったね。というか三十メートルはある廊下を一瞬で走り抜く速度でタックルは流石に危ないかなーってぼくは思うんだけども」

「うぅ、それくらいシロノさんに会いたかったんです。繋がってる心から寂しいって伝わって――」

「あー……、皆まで言わなくて良い。そうだよ、寂しかったんだ。すずかに心から会いたいって思ってたんだ」

 

 やけにしおらしいシロノに抱き締められたすずかはほにゃっと頬を緩ませて甘える様に胸板に頬を擦り寄らせる。抱き締め合う事で足りないパーツを補い合う様にシロノは安堵を感じた。生きていると実感できた。誰よりも空虚に成り易いシロノはすずかの温もりが最大級の癒しだった。すずかの鼓動を自分の鼓動と重ねながら、とくんとくんと波打つ精神リンクの穏やかな波長が心地良い。溶けて混ざり合う様なそんな居心地の良さをシロノは味わっていた。魔力が行ったり来たりと二人の間を巡って行く。

 

「ふふっ、何だか今日のシロノさん甘えんぼさんみたいですね」

「そんな時もあって良いんじゃないかな……。この日々も後数週間で終わっちゃうだろうしさ」

「……でも、シロノさんは行くんですよね」

「うん、そうだね。そうじゃないとぼくがぼくじゃ無くなる気がする。あの時、すずかに背中を押されてからぼくは漸くシロノ・ハーヴェイとして胸を張れるような気がするんだ。……どうも、さ。誰もが幸せに生きる世界って奴をぼくは見たいんだ。誰もが笑って、誰もが恋をして、誰もが幸せになる世界を。……そのために、ぼくは執務官になったんだと思う」

「それがシロノさんの夢、なんですね。因みにわたしの将来の夢はもう決まってます」

「……すずかは確か理数系に強かったから工学系……開発者とか?」

「残念でした。正解は……」

 

 ――シロノさんのお嫁さんになる事です。

 そう言ってすずかはシロノの唇に自分の唇を不意に重ねた。唇に残る柔らかい感覚と鼻腔に残る甘い香りにシロノはきょとんとした表情のままフリーズした。そんなシロノをすずかはふふっと笑ってぎゅっと抱き締めた。頬と頬が触れてすべすべで柔らかい感触によって再起動したシロノは頬が上気するのを感じた。流石にシロノも性に接触するキスは恥ずかしさが生まれる様で、未だに唇に余韻が残って忘れる事ができなくなってしまった。

 吸血によって感じた快楽とは別の何か。それは先程の様な心地良い気分で、ふわふわとした感覚で。シロノは漸く合点がいった気がした。好きな人物と触れ合う事で生まれる感情――愛だった。恋愛感情よりも甘美で蕩けてしまいそうな、美酒の如く求めてしまいたくなる好意の最果て。相手が九歳の女の子という点を除けば素晴らしい境地にシロノは立っていると言える。

 

「給料三ヶ月分だっけ。用意しとくかな……」

「ふふっ、シロノさん大好きです」

「ああ、ぼくも大好きだよっと」

「ひゃっ」

 

 足を振り上げて戻す勢いと腹筋の力ですずかを抱えながら立ち上がったシロノはくくくと素の笑みを浮かべる。その屈託の無い笑みと清々しい顔になったシロノにすずかは微笑む。そして、腕の中でしっかりと抱き締められていたすずかはいつぞやの様に腕をシロノの首へ回した。この心地の良い暖かさを離さぬ様に、と。







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無印26 「剣と槍再び、です?」

 なんで自分は此処にいるんだろうか、とシロノは高町家の道場で向かい合う恭也を視界に入れながら思う。事の発端は昨日の件についてだった。翌日、ジュエルシード探索に向かおうとした際にばったりと、否、待ち伏せていてタイミングが良すぎる恭也と出会い、模擬戦をしようと有無を言わさず気迫で迫られたのだ。探索を優先するとシロノが言えば、本当に任せて良いものかと恭也は挑発。正直、その手の経験は腐る程あったシロノはしれっと流そうとしたが、恭也は忍から万が一にと託されていた伝家の宝刀を抜いたのだった。

 

「何も出来ずに負けたお前が何ができると言うんだ」

「……何処でやればいいんですか?」

「こっちだ」

 

 そう、シロノは根っからの武術精神を持つ人物であり、自分を負かした恭也に実力不足を指摘されれば受けざるを得ない。恭也は好ましくない台詞に内心躊躇いがあったが、実際シロノには効果覿面だった様でリターンマッチに乗る気概を見せた。内心ちょろいと思いつつも武を誇りにする姿勢に感心していた恭也の案内でほいほいとシロノは道場まで連れて来られたのだった。

 得物は先日と同じで木刀と木槍。距離は三メートル。違うとすればシロノが爆発的な成長を遂げている事に尽きるだろう。だが、武術的視線から見れば技法と技能に関しても恭也がリードしており、シロノは肉体面でのテコ入れとも言える夜の一族もどき化ぐらいしかしていない。しかし、シロノの戦術的にはそれだけでも十分な支援とも言えた。

 回避からカウンターの流れを主流にしているシロノにとって、握力と体力の強化は炭とダイアモンドくらいの変貌を見せている。恭也とて佇まいと歩き方や筋肉の動き方からシロノの成長を見抜いていた。けれど、見抜けたのは以前よりかは強いだろう、という程度のものであるため少し慢心を持つ事となるきっかけとなった。だが、その程度で勝てる程小太刀二刀流護神術の剣術家は甘くは無いと知っている。シロノは手元の木槍の具合を確かめてから相対する恭也に意識を向けた。

 

「さて、最近なのはが何かを探しに出かけている様なのだが知っているか」

「…………そ、そうきますか。案外卑怯ですね恭也さん。いや、入れ知恵ですかね。となると、忍さんですね……」

「すまないな。説教の代わりという奴らしい。まぁ、俺としても槍使いとの模擬戦は良い経験になるからな。一石二鳥という奴だ。諦めろ」

「はぁ、ぼくとしても武術の先輩である恭也さんとの模擬戦は嬉しいですよ。……純粋な戦いであれば、ですが」

「ふっ、ならば俺を倒してやるぐらいの気概を見せてみろ」

「言われなくともそのつもりですよ。此度は一撃は入れてみせます」

「……良い目だ。では、始めようか」

 

 先日の様に脇構えの姿勢で木刀を半身にして構えた恭也に対し、シロノは先日は見せなかった一面を露見させる。前回は意識を戦闘に切り替えただけだったが、此度は執務官の仮面を被った上で更に意識を切り替えた。それに反応した恭也から練り上げられる螺旋の様な覇気が滲み出る。シロノは無を瞳に写す様に一種のトランスへ入り、全てを凍て付かせる様な覇気が解き放たれた。

 その一瞬の代わり様に恭也は思う。前回は父である士郎の気当たりを受けていて無意識ながら冷静を欠いた状態で模擬戦を行っていたのだろうと推測する。つまり、今目の前に突きの姿勢で構えるシロノこそが本来の姿、闘争に興じる剥き出しの獣の姿なのだと理解した。

 背筋が震えるのは一種の武者震い。冷たい空気に振るわせたのではなく、近年では当たり得ない強者との戦いに恭也は心を奮わせた。

 

「行きます」

 

 その短い始まりの声によって戦いの火蓋が貫かれた。ゆるりとした足の構えから刹那で放たれた突きは一瞬だけ消える様に見えた。つまり、常人よりも視力の良い恭也でさえも捉え切れない速度で放たれたのだろう。否と恭也は加速する思考の中で見抜く。緩急という人間の性質を突いた技法で見失わされた突きの一撃だと言う事を。辛うじて胸を突く切っ先を避けた恭也はギアを二段階即座に上げた。

 円状の足捌きの技能によりゆらりと蜃気楼の如くブレるシロノの姿に恭也は度肝を抜かれた。その境地まで辿り着くために必要だった筋力を得たシロノの実力は一段階と言わず二段階は上がっていたのだ。言うなれば、恭也が立つ地に足を一歩だけ踏み入れたと言って過言では無かった。

 陽炎の様に揺れながら緩急という技法を取り入れたシロノの突きは視認するのが難しい。なまじ下地があったせいで恭也という強者と戦う事で成長を遂げたと言っても良い。恭也の鋭い一閃をバトンの様に回して流したシロノのカウンターを紙一重で避けるという前回とは真逆な展開が繰り広げられていた。それは、恭也が様子見という勢いを無くす腹積もりだったからこそ陥った不利な状況であった。

 ニィッと美由希と戦う時とは違う臨場感に燃え始めた恭也はギアと共に速度を上げた。御神流の徹という技術を混ぜて握力を潰す様な重い一撃を放ち、突きの体勢に入れぬ様に怒涛の速度で切り込む。その恭也の姿を美由希が見ていたのなら大人気無いと素直に思ってしまう程に痛烈だった。だが、的の中心を射る矢の如く刺突を放ち、当たる一撃を流して行くシロノの姿は別人と思わせる程の成長の姿があった。

 男子三日会わざれば刮目して見よと言わんばかりの四日という短期間での急成長に恭也は笑みが止まらない。バトルジャンキーである恭也からすれば、シロノはライバルとまではいかないが戦り合いたい一人にカウントできる実力を持つと認める相手だった。ならば、と使っていなかった技法の一つを解き放つ。

 恭也の斜め下からの斬撃に切っ先を当てて軌道を潰そうとしたシロノは、集中力が解けそうになる程の一撃を顎に貰ってしまった。意識が飛びそうになる中でシロノは第一サブを使って今の現象について思考する。夜の一族もどき化したシロノの鋭敏な空間把握力と微細な動きが出来る様になった筋力によって今の一撃は先程と同じく弾ける筈だった。しかし、切っ先が当たる寸前に木刀の切っ先が数ミリ単位でズレた事で強烈な一撃を貰ったという結果が残った。

 

(……まさか、今までの打ち合いで太刀筋を見切ったのか!? 恭也さんはマルチタスクができない筈なのに、同時進行で見切るだなんて非常識も大概にしろっ!!)

 

 お互いに一般人からすれば非常識極まりないのだがシロノはそんな事を棚に上げて憤慨するかの如く内心で毒吐く。蹈鞴を踏んでから距離が離れている事を再確認して律儀に獰猛な笑みのまま構えている恭也を視界に入れた。僅かに視界が揺れているのを微動だにしないポーカーフェイスで隠しつつ、シロノはならばと薙刀を持つ様に木槍を持ち替えた。

 それを見た恭也はシロノの状況判断力の良さに感心し、文字通り叩けば伸びる逸材だなと評価を上げる。そもそも、四日でここまで渡り合える様になった時点で合格点は既に越えていたが、自前の闘争本能により模擬戦を続行する恭也は正に戦闘狂極まりない。

 太刀筋を見切られたのならばその太刀筋を変えてやるとシロノは左足を踏み込み、まるで小さな竜巻の如く螺旋状に木槍を振るう。防戦にして難攻不落の防御の型から、竜巻に巻き込んだ全てを切り裂く様な攻撃の型へと切り替わったシロノに恭也は木刀を振るうが、強靭な腰の回転から生まれる発条を遠心力も加えて徐々に加速する乱撃に手が出せない。シロノが回転中に背中を見せた時や振り終えた瞬間を狙うが、シロノのそれは回避の技法の延長線上のそれであるため、オアシスに近付いた途端に遠くへ行っているかの様な錯覚を覚える。

 先程御神流の奥義の一つである貫を使って見せた恭也であるが、その貫を使う前提条件は相手の太刀筋を見切っている事であり、刹那的にズラすという神業めいた奥義なのだ。そして、目の前のシロノは太刀筋を見切られていると一合で見切り返し、剰え戦闘方法を切り替えるという時間を与えた恭也でさえ驚く事をしでかしてくれた。しかも、一撃一撃に腰と体重が乗っていて凄まじく重いのも加点の一つだろう。左右何方かの回転を軸とするため来る方向を上横下の三方向に絞れるが、此方が攻撃を放っても木槍のリーチギリギリから放っているために若干の距離があり、少し足を捌くだけで避けられてしまうのだ。そして、押して返す波の如く足を踏み込めばぐんっとリーチが伸びて恭也の服に掠らせる始末だ。

 もし、もしもシロノが恭也と同じ背丈になって基本のリーチが伸びた状態だったらどうなるだろうか。防御の型は陽炎の如く、攻撃の型は竜巻の如く。攻防一体の悉くを避け続け烈風の如く怒涛の乱撃を放つ武術家へと成長を遂げるに違いない。そんなシロノと戦ってみたいと恭也は歓喜の笑みを浮かべ続ける。だからこそ、手向けとばかりに御神流の技の奥義を開放する。

 ふっと視界から恭也が消えたと思ったらボディブロウの如く鋭く木刀の側面がシロノの腹を捉えていた。ほんの刹那の一撃にシロノは時が動き出したかの如く道場の壁に叩きつけられる。その様子を残心を残して額に汗を一筋流した恭也が見送った。

 御神流奥義――神速。脳のリミッターを数秒まで外し、常人から人外の域へと達する刹那の奥義である。過剰なまでの集中力を必要とするこの奥義は体への負担が大きいため滅多に使わないものだ。しかし、今のシロノならば良いだろう、と恭也が本気を一瞬出したのだった。正直に言えば、恭也からすればシロノの発展した技法により生み出された戦術を真正面から叩き潰す事はできた。しかし、今回の模擬戦の意味は実力把握だ。そのため、より多くシロノの技を出させる事が目的となる。もっとも、最後になるまで恭也は戦いを楽しんでいたのだが、見抜ける観客が居ないので問題は無いだろう。

 ぐったりと壁の染みの如く倒れたシロノに気付いた恭也は近付いて脈を取り、問題が無い事を確認して気絶している現状にやれやれと言った具合に肩を竦めた。数時間程で目が覚めたシロノはやけに痛む後頭部を擦りながら道場の端で寝かされていた事を把握した。

 

「あー……、何だあれ。瞬間移動か何かか……? 頭が痛いのは倒れた時だろうし、となると一撃は腹部に喰らったのか。アレを凌げる気がしないな……」

 

 誰も居ない道場でぼやきつつシロノはぐっと腕を伸ばして硬い床で寝ていて不調になった体の調子を戻して行く。シロノは今妙手と呼ばれる達人と弟子の間に存在する時期へと足を踏み入れたが、より先を行く恭也に此度もまた一撃を入れる事ができなかった。だが、掠らせる事はできた。ほんの少し前へ進んだ事にシロノは不敵に笑みを浮かべる。この場になのはが居たら「お兄ちゃんと同じ顔なの……」と遠い目で見られるに違いない表情で。



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無印27 「家族という温もり、です?」

 痛む頭と腹部にシロノが呻いて寝ていた頃、高町家の良心にして癒しを振りまく純白な天使こと高町なのははユーノを肩に乗せて、ジュエルシードの探索をしていた。事の切欠は先日、勇人が暴走体と戦っているという事を精神通話でアリスから塾の中で聞いた時はさーっと青褪めた時の気持ちからだ。早退しようと慌てて準備をしようとしたら、再びアリスからシロノによって間一髪の所を救われたという報告が来て脱力した。数分と経たずに解決したシロノに魔導師としての尊敬とやっぱり良い人だったんだという安堵感で、何やらそわそわしているすずかを一瞥して溜息を吐いた。

 自分にできる事をできる人になりなさい、という父の教えを真っ直ぐに受け取ったなのはは、唯一人の家で寂しさを良い子という仮面で隠し切った経緯がある歪な少女だった。けれど、正義感の強い兄の背を見て、そんな兄を追う姉を見て、なのはは曲がる事はしなかった。いや、出来なかった。既に誰も見られずに曲がってしまっていて、歪に真っ直ぐに愚直に進んでいたのだから。

 アリサとすずかという友人が出来た時もそうだった。カチューシャを取られて泣いているすずかと表情をやや戸惑わせつつもやけくそ気味のアリサの姿を見て、なのはは後ろからすっとカチューシャを抜き取ってからアリサを羽交い絞めにしたのだった。「ひゃあっ!?」と可愛らしい声で驚いたアリサを見てすずかが笑い、臨界点を越えたアリサが暴れ出して紅茶を買っていたアリスに止められた。

 何事も真っ直ぐにぶつかるなのはは妥協や諦めが嫌いだった。それは、自己暗示に似た脅迫概念の様なものだ。良い子で在り続ける事が自分のできる最善だと勘違いして生きてきた。それは誰にも気付かれずに、何時の間にか自身でさえ分からなくなるぐらいに影へ落ちていった。

 敏感な感覚でジュエルシードが魔力を膨れ上がる波動を感じたなのはが駆け付けた先は、自然公園から少し離れた場所にある雑木林の中。黒い紋様と白い紋様が混ざるキメラの様な暴走体となった猫だったと思われる翼が生えた虎と対峙した。ユーノが広域結界を展開し、レイジングハートを一振りして制服を模した純白のバリアジャケットに身を包んだ。両手でレイジングハートを握り締め、いざバトル、と言った具合の時だった。

 

「サンダー・スマッシャーッ!!」

 

 ――金色の閃光が虚空を迸った。

 可愛いと綺麗の間の凛とした鈴音の様な声と共に放たれた魔力の雷がなのはの視界を焼く。弾ける様に拡散した雷は不意を撃たれてキメラを呑み込む。キンッと封印付与がされた先程の砲撃によってジュエルシードを吐き出した。そして、目をぱちくりさせていたなのはの前に黒いレオタードに白いフリルの付いた黒い外套型のバリアジャケットで体を包む金髪のツインテールの少女が降り立った。その光景はまるで女神が降臨したかの様な幻想的な瞬間に見えた。絵画に残して置けそうな綺麗な横顔になのはは見蕩れる様に動きを止めてしまう。少女はジュエルシードを黒い戦斧槍型のデバイスに仕舞い込み、辺りの被害を確かめるために周辺を見渡した。

 

「……あ」

 

 目が合ってしまった二人はどうしたものかと見つめ合いながら内心でわたわたと慌てていた。地面に降りた少女の行動を封切りになのははレイジングハートを抱き締める様にしながら恐る恐ると言った様子で近付く。金髪の少女もまた律儀というか根が真面目と言うか同じく近寄る。そして、五十センチ程まで近付いた二人はハッとお互いに近付き過ぎた事に気付いて止まる。

 生まれた沈黙に二人は口を閉じてしまう。数秒、数分と流れて行く様な感覚に二人はフリーズしたパソコンの様に固まっていた。

 

「えっと」

「あの」

「そ、そっちから……」

「いえ、そちらから……」

 

 再び、沈黙。残念ながら何方も譲り合い精神があった様でどうぞどうぞと譲り合う。暫くそんな茶番めいた遣り取りをして、意を決した様に金髪の少女がふっと息を吸って吐いてからなのはに口を開いた。

 

「もしかして、管理局の方ですか?」

「ふぇ? えっと……、違います?」

「……あれ?」

「その、私はユーノ君のお手伝いでジュエルシードを集めてる民間協力者? っていう感じです」

「あ、そうなんですか。私はお母さんの療養の地の近くに危ない物が落ちたから回収してました」

「そうだったんだ……。目的は同じみたいですね」

「ふふっ、そうみたいですね」

 

 少女の柔らかい微笑みにつられたなのはもにゃははと微笑みを返す。二人は殆ど無かった警戒を解いてバリアジャケットを解除した。すとんと少女は黒いワンピース姿に、なのははオレンジ色の上着と赤いスカートという私服姿へと戻る。ジュエルシードによって暴れようとしていた虎模様の猫はにゃあと言って森の奥へ逃げてしまった。フェイト・テスタロッサと名乗った少女と共に、自然公園のベンチに座ったなのははユーノの存在を素で忘れてお喋りをしていた。

 

「へぇ、フェイトちゃんも双子のお姉ちゃんが居るんだ」

「うん。母さんが言うにはこの前まで植物状態だったみたいなんだけど、そんな風に見えないくらい元気な姉さんなんだ」

「そっか……。私のお姉ちゃんは私と違って運動が得意なの。この前もお兄ちゃんと猛禽類みたいな瞳で模擬戦して楽しんでたくらいに」

「えっと、す、凄く元気なんだね」

「うん、そうなの」

 

 ほのぼのとした雰囲気でなのはとフェイトは微笑む。ぽかぽかとした陽気な自然公園の風も相まって和み度数が上がって行く。近くに居た猫の話やコンビニで美味しかった肉まんの話、商店街で御使いを褒められて驚いた等の世間話に花を咲かせる。あははにゃははと微笑み合う二人の姿は微笑ましい光景だった。もっとも、その光景を遠目で疎外感を感じながら見つめるユーノの円らな瞳があったのだが、二人はそもそも眼中に入ってすら居ない様でお腹が空いてくる時間まで楽しくお喋りを続けていた。

 

「……イトー。フェイトー! 何処に居るんだいー!」

 

 迷子になった子供を捜すような口調で声を張り上げる橙色の長い髪を揺らす臍だしルックの活発そうな女性の姿がなのはの視界に入った。その声にハッと気付く様にフェイトは振り向いて、さーっと青褪めて少し離れた時計台を見て「連絡忘れてた」と呟いた。フェイトの名前を呼んで探していた女性はベンチに座る金髪という特徴的な背中を見つけて近寄った。

 

「フェイトッ! 大丈夫だったかい!?」

「あ、アルフ……。ご、ごめんなさい!!」

 

 心配して近付いて突然謝られたアルフはきょとんと目を丸くした。フェイトが頭を下げた事で後ろに居たなのはと目が合い、お喋りしていて時間を忘れて序でに連絡も忘れていたのだと察した。おろおろした様子で語り始めたフェイトの説明で推測が正解だった事を呆れたアルフは嘆息してからわしゃわしゃとフェイトの頭を撫でた。

 

「まったく……、でもまぁ、新しいお友達が出来たようだしあたしの説教は無しにしとくよ」

「ごめんね、アルフ」

「あはは、大丈夫。リニスが代わりに説教してくれるだろうからさ」

「あぅぅぅ……」

「にゃ、にゃははは……。どんまいフェイトちゃん」

「うん……、でも心配させたのは悪いと思ってるから大丈夫……」

 

 家に帰ってから叱られる事を幻視したフェイトはへんにゃりと項垂れた。その様子になのはも苦笑する事しかできず、アルフに至っては笑っていた。なのははその二人の在り方に良いなと小さな波紋を心に浮かべた。なのはには確かにその様に心配や笑顔を向けてくれる人たちが居る。けれど、その大半は友人のアリサとすずかだった。家族に心配されたのは魔法の力を受け取ったあの日の晩くらいで、それ以外は心に残っている様な出来事は無かった。

 良い子として生きてきた弊害がなのはの心を揺さぶる。目の前の家族という在り方に嫉妬してしまう。愛されているとは思う。けれど、その愛は何処か遠くて、まるで目の前の誰かに与える筈だったそれのおこぼれを貰ったかの様な感覚だった。高町なのはは良い子である事を貫いて、歪に曲がりながら真っ直ぐに進んでしまっていた。だからこそ、目を離していた時に曲がったそれを誰も見つける事が出来なかった。自身の感情を良い子という蓋をして隠していた頃に漸く目を向けられたのだから。

 その直視すればゾッとする様な感情に無意識に蓋をしてなのはは笑みを作る。誰にもバレなければ誰もが自分を良い子として褒めてくれるから。褒めて、自分を見てくれるから。

 

『君が必要なんだッ!!』

 

 そうユーノと出会った時の言葉を不意に思い出す。あの時、本当に必要だったのはなのはの魔力の才能であったが、それでもユーノはそれを行使する勇気を持ったなのはを確かに求めてくれた。初めてだった。これが今もユーノを手伝う理由であり、アイデンティティとなった魔法を手放さない理由だった。シロノという人物を知った時になのはは内心焦った。自分の居場所が取られてしまうのではないか、と怖くなった。まるで雨に打たれて緩くなった地盤の様に足元が崩れ落ちるかと思った。

 けれど、そのシロノは前に現れなかった。まるで、自分の居場所を認めてくれたかの様に。決してそんな甘い考えではないと、肯定し切れない思いを抱えながらもなのはは確かに喜んだ。

 ――これでわたしを見てくれる。

 だから、なのはは頑張った。けれど、崩れ落ちるのも早かった。アリスたちと別れて塾の授業を受けている間の出来事。勇人が負傷し、シロノが介入した事実をユーノから聞いてなのはは折れ掛けた。自分だけを護っていたなのはに、他人を護るだけの余裕は無かったという事実が圧し掛かる。もしも、シロノがその場に来なければ勇人は、友人は死んでいただろう。そんな自己嫌悪と罪悪感を感じてしまった。今日もジュエルシードを探索していたのは罪滅ぼしの様なものだった。早く、直ぐにジュエルシードを集め切って平和を、と。そしたら、ほら。平和を与えてくれたなのはに誰もが褒めてくれて、寂しい思いをしなくなる。

 

「仲良しさんなんだね」

「うん、家族だから」

 

 そのフェイトの言葉が何よりもなのはの心を穿った。良い子になるために心配を掛けさせる事を拒否するなのはだからこそ、その言葉はとてもとても痛かった。ズキンと疼く胸を自然な動作で手を当てる仕草で隠したなのはは「そっか」と返した。自分が求めていたものを持つフェイトが、とても羨ましく思えた。それからなのはとフェイトはアルフの付き合いの下で翠屋で夕方までお喋りを沢山した。けれど、フェイトとアルフを見送った後もなのはの胸の痛みは取れる事は無かった。



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無印28 「その宝石の名は、です?」

 誰もが抱える悲しい記憶や出来事、それは本当に生きて行く上で必要なのだろうか。負の意思というものは一歩進める足を止める要因となりかねない。例えば、親しい誰かが死んだ時、大切にしていた物を失くした時、目の前で起きた惨劇、自分のせいで誰かが傷付いた話……、挙げれば挙げる程、それはもう人の数、星の数以上に存在するに違いない不幸。そんな不幸を持っていて本当に幸福になれるのだろうか。

 夜のカーテンが星々という煌めきを持って幕を落とした。そして、ふわりと小さな白い煙が段々と増えて行き、水蒸気の塊の様に膨らんだかと思えば飛散して濃密な霧を生み出した。それは因果な事かシロノが下りた裏山の麓。近くにはすずかが誘拐された廃ビルがあった。古今東西、悲しみの連鎖はいずれにしても人の手で作り出されるものだ。曰く付きの物件や場所という地点では特に重なり合う事だろう。

 濃密な霧に飲み込まれた裏山からするすると蛇が進む様に手の形をした霧が廃ビルへと伸びて行く。霧の手は廃ビルを包む様に覆い隠し、ぽつぽつと浮かび上がる光の球を屋上へと浮かび上がらせた。怨嗟を吐く球、嘆き悲しむ球、怯えている球、無念を抱えた球。様々な球体が屋上へと集まり、霧の手から浮かび上がった影が迫る。その影は長く太い紐の様で、唸りながらその全貌を球体へと晒した。それは赤い宝石を対の瞳とした龍。龍は牙を見せ付ける様に球体へと口を開き、一つ二つと呑み込む様に喰らって行く。その際に球体から生きたまま焼けたかの様な絶叫が上がる。

 龍は球体を一つ残さず喰らい尽くすと来た時と同じ様にするすると裏山へと戻って行く。一対だった瞳がパキリと割れて繋がる様に重なって一つの赤い宝石となった。その形は菱形で、ジュエルシードに似ていたがシリアルナンバーが存在していなかった。

 

《……希望を取り込むジュエルシード、絶望を喰らうイデアシード。まさかこの様な再会を果たすとは長生きというものは素晴らしいものだな》

 

 そう皮肉った黒い外套で頭から足元までを隠し切った人物の手にイデアシードと呼ばれた赤い宝石が戻る。裏山の一番霧の濃い場所には球体の様に切り取られたスペースがあり、そこにその人物は立っていた。聞こえてくる声は肉声では無くデバイスに使われる様な機械語と分類される機械的な声で、男とも女とも取れる様な中性的な声を発していた。外套と同じ素材に包まれたデバイスらしきものを振り上げて下ろす。すると、辺り一面を埋め尽くしていた霧が圧縮される様にイデアシードの中へと戻って行く。外套の人物は何かを感じる様に仄暗い笑みを浮かべた。それは懐かしさや期待と言った様子の色を含んでいる。

 

《さぁ、始めよう。我らが悲嘆を覆すために。このヒドゥン、一切の容赦せん》

 

 己をヒドゥンと呟いた人物は外套を翻して裏山の奥へと歩いて消えて行った。それから数分後に、白い執務服に身を包んだシロノが文字通り空を駆けて裏山へと降り立った。膨大な魔力反応を感知したのは良いが、日課になっている吸血のおかげで貧血気味故、出遅れてしまうミスを犯したのだ。現場に残っていた魔力反応を記録し、管理局のデータベースを参照するがエラーカテゴリと分類されてしまった。

 

「検出無しではなくエラー、か。パンドラの箱を開け掛けた愚か者って事か今のぼくは。……はぁ」

 

 言うなればある一定の階級解除パスを持たぬ者には開けられぬ禁断の書庫にシロノは手を出してしまった訳であり、必ずと言って良い位にその情報は上層部及びあの脳みそに伝わった事だろう。これが凶と出るか吉と出るかは分からない。ババ抜きでババを少し上げているかの様な分かり易い釣り上げの任務を受け取らない様により一層気を付けねばなるまい、と数週間後の事に溜息を吐いた。

 現場検証を行ったが、これと言った収穫は無く。ジュエルシードとは違った異変の予兆をシロノは感じていた。だが、シロノはもう歩みを止めない。すずかに心の内を吐露し、それを肯定し背中を押されたからこそ、恥じる様な真似はできない。執務官という肩書きを肩に引っ掛けて、シロノ・ハーヴェイは征く事を決めた。ならば、壁を粉砕し、敵を蹂躙し、理不尽を消し飛ばさねばならない。自分一人護れない男が好いた女を護れる訳が無いと、違う意味でもシロノは気合を見せていた。

 

「取り敢えず家に帰るか。これ以上の探索は無理そうだしな……」

 

 増血剤が効いてきたのか顔色が良くなったシロノは再び隠蔽魔法を身に纏って月村邸へと一直線に帰った。夜の逢瀬のために貧血気味であるので睡眠時間は出来るだけ欲しいというのが本音だ。ある意味血液を失った状態での極限戦闘訓練と言っても過言では無い。実際、血が足りない際の動き方に一歩ずつではあるが前進を見せている。死に掛けでも尚成長するシロノのポテンシャルは高くなりつつある。だが、恭也に一太刀入れるのはまだまだ先には違いなかった。

 中庭に降り立ったシロノは開けた窓から入る直前にバリアジャケットを解く。そして、ホットミルク両手にソファに座っているすずかと後ろにしれっと居るノエルの姿を見て何とも言えない気分になった。キスの一件からすずかのスキンシップ数は上昇し、朝夜にキスを強請られる程の甘えっぷりである。深夜に差し掛かった時間であるため、隣に居たすずかはすやすやと寝ているだろうと高を括っていたシロノの予想を簡単にぶち抜いた。

 

「……もしかして、出かけるの気付いてた?」

「はい♪」

「あー……、うん。ただいま」

「おかえりなさい」

 

 シロノは貧血の余韻と出掛けた疲労で色々考えるのを止めた。どうせヒエラルキー的にもシロノはすずかに敵わないのだから抵抗するだけ無駄であると、ある意味達観の姿勢を取っていた。そして、すずかもまたシロノの中で上位に居る事を知っているので素知らぬ顔で甘えられるのだ。よくあるラブコメならば理不尽な暴力であるが、出来たお嬢様であるすずかは一味違う。言うなれば段階を飛ばした甘えを敢行できる権利を得るのだ。端から見れば小学三年生の精神に惚れてしまっている危ない中学一年生でしか無いシロノは意外と初心であり、達観した様な飄々顔がファーストキスを奪った時の様に一瞬で木っ端微塵と化すくらいだ。目の前でチェーンソー宜しく唸りを上げる犯人のデバイスを見ても動じないシロノが、だ。クロノが知れば「……冗談は止せ」と真顔で言うに違いない。

 そう、シロノはすずかを抱き締める事はできるが、自分からキスをする程の度胸が無かった。度胸と言うか恥ずかしさが行動を止めてしまうのだ。キスしようとした際にふと正気に戻るらしく、顔を隠すために抱き締めて頭を撫でるプラスコンボで封殺して逃げる始末だった。

 

「それじゃ、ただいまのキスをしてください♪」

 

 その言葉を聞いたシロノの頬に朱が薄っすらと差す。そのらしくない様子にすずかは内心で悶える。そして、その悶えが精神リンクで伝わるからこそ、シロノは恥ずかしさで死にたくなる。穴があったら防空壕にして逃げ込みたいレベルだった。だが吸血姫(すずか)からは逃げられない。

 目の前の絶対可憐な超絶美少女はキスを躊躇い無く強請った。そして、突き付けられた展開からしてシロノに逃げる以外の道は無く、しかし、すずかの「嫌なの?」というしゅんとした表情を脳裏に浮かべてしまい逃げ場を封じられる。何と言う自爆。シロノは犯人と書類の前では冷血人間の如く振舞える人物ではあるが、唯一の天敵となったすずかの前では悉く素を曝け出す事となってしまっている。再びクロノがこの光景を見れば唖然として言葉すらも無いに違いなかった。もっとも、その同僚のエイミィは爆笑を隠しつつ記録系デバイスを私用で用いて録画するに違いないだろう。

 脳裏に浮かぶ二人の正反対の顔にストライク・キャノンをぶっ放して消し去ったシロノはちらりとノエルを見た。ノエルが居たであろう場所には既に居らず、気配を辿って後ろを見やれば三脚と高級そうなビデオカメラを構えたプロフェッショナルな面持ちなファリンの後ろで薄い微笑を浮かべていた。ささ、遠慮なくどうぞと言わんばかりの接待っぷりにシロノは呻くしか無かった。

 前を見やれば目を瞑って梃子でも動きませんと言った具合のすずかのキス待ち顔。それを冷静にS2Uを取り出して音も無く撮影して仕舞ってから、シロノは諦めた様子で近付いた。一歩二歩とお互いに場所が分かる故にすずかはぴくんと可愛らしい反応して待っていた。

 毒(蜜)を喰らわば皿(君)までも、と言わんばかりにシロノは右手ですずかの顎をつぅっと撫でてから上げる。その予想外の反応に逆にすずかへ羞恥心というダメージが入り、乙女の期待によるパッシブ効果で防御力が下がる。完全に成すがままとなったすずかのぷるんとした小さな唇を親指で優しく撫で、目を瞑っている事で一部分への感応のレベルを引き上げる。その見事な手際にノエルは「ほぅ」と自身のデータバンクにある漫画たちから画像を脳裏に浮かべてその期待値を算出し、成る程とシロノがやっている行動の意味に深みを作る。

 

「んっ、――~~ッ!?」

 

 そっと壊れ物を扱うかの様に柔らかいキスをしたシロノはここぞとばかりに精神リンクを全開放、すずかがどれだけ愛しいかを第四サブまで使って一気にぶち込んだ。唇に望んでいた感触によって一心不乱の大歓喜をしていたすずかは、一瞬の不意打ちによる愛の大爆撃に完全にやられた。そう、シロノはある程度感覚を絞れる様に操作ができるが、結局最初よりもあんまり変わっていないすずかは携帯で言えば電波バリ立ちの状態と言えるので、余す事無くその爆撃を喰らった。

 結果、どれだけ思われているのかを約四倍引き上げられた挙句重ねて精神リンクでダイレクトアタックされたすずかはノックアウト。大変幸せそうな顔でシロノの胸に倒れ、普段通りに抱き締められるのだった。その鮮やかな手際にノエルは「おお」と感嘆し、イけないものを見てしまったかの様な気分になってしまった撮影班のファリンは「きゅぅ」と逆上せて(オーバーヒート)して膝から崩れ落ちる。しかし、撮影機材を巻き込まない辺りにファリンの撮影根性の一端が垣間見れる。

 

「あー……、恥ずかし。それじゃ、ノエルさん。ファリンさんを宜しくお願いします」

「ええ、大変巧みな御手際でした。おやすみなさいませシロノ様」

「はは……、おやすみなさい」

 

 くったりとしたすずかを横抱きにして寝室へと戻ったシロノの背へノエルは深い一礼をする。何処となく機嫌良さげなその背中を完璧なメイドの嗜みを持ってして見送ったのだった。だが、ニヤリと言う擬音がノエルの口元から聞こえた気がするのは何故だろうか。その心は心を持たぬ筈の自動人形だけが知るのだった。



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無印29 「泥棒猫、です!」

 裏山の魔力反応を感知してから一週間が経つ。けれど、未だにジュエルシードの数はなのはが回収した三つ、フェイトの二つ、シロノの四つ、という結果だった。封印の解け掛けと環境に差異があるため発見が容易で無いのだ。四日前に右腕を完治した勇人は朝と夜にシロノの訓練を受けていて、その間にアリスとすずかが自主練習という形で鍛錬を行っており、たまにユーノとフェイトに鍛えられているなのはが参加したりと、案外暢気な生活を送っていた。

 土曜日という休日のお昼頃、シロノはぼんやりと中庭の椅子の上で空を見上げていた。心と頭の中を空っぽにして脱力するリラックス法らしく、これが地味に気に入ってしまったシロノはよくこうして黄昏と項垂れの間を行き来していた。ゆっくりと動いて行く雲を見送り、青い空の深さに没頭し、日の温かさにぽかぽかと眠気を誘われるという最高の環境であった。微睡みという一番心地の良い瞬間を長々と享受するシロノの姿は気の抜けた炭酸飲料の如くである。

 そんなシロノを部屋から見ていたアリアはその様になっている背中にふふっと笑みを作る。中庭だけでなく屋敷全体に解き放たれた猫たちに紛れ込んだアリアは後ろから近付いて驚かしてやろうと画策していたのだ。驚く顔を脳裏に浮かべたアリアはそろりそろりと近付いて――隣をしれっと通り越した影を見やった。

 群青色のワンピースに身を包んだすずかがちらっと横からシロノの様子を見てから、ぽふっと膝の上に座ってだらりと伸びていた腕を前に回してむふぅと満足げに笑みを作った。その顔に何処か胸の奥が苛ッと来たアリアはすずかを睨み付ける。

 

(そこは私の場所なのに……ッ!!)

 

 何時の間にかグレアムの膝よりも甘美な場所となっていたシロノの膝を取られて少し不貞腐れたアリアはくるりと踵を変えそうとした。だが、後ろ髪を引かれる思いが働いたのか尻尾が椅子に巻きついていて離れるのに少し遅れてしまった。真上から聞こえる会話を聞いてしまうのも仕方が無いと開き直ってアリアは座り込んでシロノとすずかの会話をピンと立った耳で聞くのだった。

 

「ねぇシロノさん」

「んー?」

「そういえばわたしシロノさんの事あんまり知らないなって思いまして」

(ふん、シロノの事は私の方が知ってるわよ……)

「だから、お話しましょう」

「ふむ、それも良いかもね……」

「初恋の相手は誰でしたか?」

「ぶはっ!?」

(えぇ!?)

 

 最近どうよ、と言わんばかりにしれっと話題を振ってきたすずかの言葉にシロノだけならずアリアも戸惑った。アリアからすればどうしてこの場を離れなかったのかというきゅぅと胸を締め付ける何かと、聞いてみたい知りたいという期待感が競合いを始める。だが、期待感の倍率ドンッと言わんばかりの圧勝でその場に踏み止まるアリアの頬は若干朱に染まっていた。もっとも、猫の素体なので全く持って分からないが。

 シロノはすずかの言葉に「え、えーっと」と言葉を濁したり違う話題へ移そうと頭を働かせるが、振り向いたすずかの有無を言わさない純粋無垢な瞳に見つめられて陥落した。背中を凭れてがっくりと腹を決めざるを得なかったシロノはぼそりと呟いた。

 

「……リーゼアリア・グレアム」

 

 その言葉に誰よりも反応したのは椅子の下に居た本人である。完全に硬直しシロノの言葉をリピートしてしまう。シロノが言うリーゼアリアさんとは誰だっただろうか、と考えてしまう程に良い意味でショックを受けた。そして、段々と考えを咀嚼して「もしかして本当に……」とアリアは顔を真っ赤にして俯いた。恥ずかしくて尻尾が丸くなり、胸の奥から溢れてくるような感覚に悶えた。シロノは恥ずかしそうに頬を染めて頭を掻いた。

 

「第一印象は色々とアレだったけど、暫くして右も左も分からない環境でぼくの愚痴を聞いてくれる良い人だなって思って……。いつしか孤立無援の四面楚歌な環境に居た頃の清涼剤だったんだ。もっとも、ぼくの初恋はその本人に砕かれたんだけどさ。微笑浮かべて坊やには興味が無いわって言われたし……」

 

 過去の年上の出来るお姉さん風を吹かす自分に言ってやりたい。それは逆効果だ、と。当時、その言葉と笑みで自分の年齢を振り返って落胆したシロノが、アリアとの接し方を近所のお姉さんから頼れる先輩にチェンジした瞬間の事である。何とも言えない擦れ違いにアリアはがっくりと肩を落とした。けれど、初恋の人物という確かな事実が震える四肢に力を入れてくれていた。

 

「まぁ、今じゃ背中を任せられる人って感じかな。局員の中で師匠の次に信用と信頼してる。四歳下の彼女が出来たって言ったら笑われるだろうなぁ……。それでもアリアさんは――」

 

 下で唖然としてます、とは流石にアリアは口に出せなかった。つまり、先程からシロノの膝を、アリアの定位置を奪った少女こそがその話題の人物であると崩れ落ちそうなアリアでも分かる。執務官として働くシロノと定期的に時間を見つけてアリアは出会っていた。そして段々と凍って行く表情を溶かそうとしようと考えていた色々な事が、グレアムのお願いで地球に行かねばならなかったのもあってご破算になったショックにアリアは打ちひしがれる。恨むぞお父様、という感情が精神リンクに乗って執務中だったグレアムを「ふぁっ!?」と驚かせるがアリアは動じない。因みに片割れであるロッテも感情を拾ってビクンと背筋を凍らせたらしいが余談である。

 

「――たまに見せる可愛い一面が、こう、良くてね。だから、いつかグレアム提督に頼み込んでアリアさんを癒し担当として補佐に出来たら良いなって思ってるんだけど……って。すずか?」

 

 大変嬉しそうに長々とアリアの良さを語るシロノに嫉妬心を揺さぶられたすずかから黒い波動が波打つ。若干黒っぽい紫色なので恐らくすずかから溢れた魔力の余波なのだろう。何かやばいと流石に空気を読めるシロノは原因を考えるが嫉妬という単語が出てこなかった。そう、シロノは他人の感情に機敏ではあるがその内容までは読み取れない。特に、笑いながら目が笑ってない人物への対処なんて知りようも無かった。

 

「ふふふ……、そっかー。リーゼアリアさんって言うんだ……、ふふふ……ッ!!」

 

 数分程褒めちぎりっ放しのその人物に対しすずかはかなり嫉妬していた。そして、いつか出会ったら言ってやりたいと思っている。「この人が私の自慢の夫です」という絶対にして究極の一撃を。椅子の下に居たトリップ中のアリアはゾクリと悪寒に背筋を跳ねさせて正気に戻る。「わ、私が可愛いだなんてシロノったら……♪」とかなり上機嫌だったアリアは今度食事に誘ってそれとなく誘導してみようと決意した。正妻の位置はくれてやるが、相棒という名の愛人の居場所をぐうの音も出ないくらいに勝ち取ってみせると。

 地味に乙女に板挟みになっているシロノは嫌な予感と共に、何処か良い事がありそうな予感を感じていた。複雑として混沌とした形容し難い内容ではあるが、ハイライトを消してトリップしてしまっているすずかからそれと無く視線を外して空を仰いだ。ジュエルシードも集まっていないのに何故か変なフラグが立ってしまった様な気がしてままならない。外出して家に何かを忘れてしまったかの様な不安が過ぎってしまう。

 そんなカオス極まりない状況をソファに座って紅茶を飲んでいた忍がくすくすと笑う。本当に仲の良い二人と一匹だな、と。シロノに関して甘えたがる一匹の猫の模様は特徴的なので覚えてしまっているし、すずかに関しては超監督撮影係ファリンによって編集されたビデオがあるので言わずもがな。若くして色々な壁にぶち当たりそうなシロノに幸あれとほくそ笑む。

 同時刻、道場で小太刀を振っていた恭也が悪寒で背筋を凍らせて辺りを見回したのは余談である。



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無印30 「テスタロッサ家へ、です?」

「んー、あんまり芳しくないね。封印の具合が区々で、おまけに反応も薄くて後手に回るし」

「そうか……。アースラも後数日で転移範囲内に到着する。いざとなれば人海戦術も考えねばならないな……」

「そうだね。一応ローラー作戦しとくけど期待はしないで欲しいかな。……ああ、そう言えば民間協力者のリストはそちらに送った通りだよ。第一協力者高町なのは、第二協力者赤星勇人、第三協力者フェイト・テスタロッサ及びに使い魔のアルフの計四人が手伝って貰ってる人物だ。あんまりこの手の仕事はしたくないんだけどね……」

「ふっ、そうだな。シロノは自分を棚に上げておいて子供の局入りを良く思っていないものな」

「当たり前だよ。上に使い潰されるだけだ。だけど、流石に第九十七管理外世界住人全てが範囲内なら、百より十を取りたいぼくでも流石に無理だ。お手上げだね。手放しても次元震で死ぬかもしれないし、何よりまだ子供だから何をしでかすか分からない。無茶をする前に手綱を引いた方が安心できるしさ」

「……お前の信念はいつ見てもブレないな」

「……………………いや、そんな事無いかなーってぼくは思うんだけど」

 

 私用の通信でクロノと会話するシロノは感心する様に言われた言葉に素直に頷く事が出来ず、そっぽを向いて棒読みするという何とも茶番めいた言葉を選んだ。それにクロノは少し首を傾げたが、謙遜もまた美徳の一つかと納得してしまう辺りクロノの中のシロノの評価は著しく高いらしい。そんな心情を察したシロノは良い方向への勘違いだったなら捨て置こうと発しかけた言葉を飲み込んだ。

 最近アリアとの触れ合いが多いなと思う今日この頃であるが、温水プールにて烏賊の形をした水の暴走体をフェイトとアルフが回収しⅩⅦのシリアルを確保したっきりで進展が無い。その代わりに海鳴市を中心に魔力の濃い霧が発生しては寄せては返す波の如く追っ手を振り切って隠れてしまう謎の現象も確認されている。現在、実働部隊はなのは&ユーノとフェイト&アルフ、遊撃兼探索の勇人&アリス、指揮官兼最終実行部隊シロノという万全な状態でのローラー作戦を決行しているが成果は芳しくない。ユーノの傷と疲労が治り切るまで海にある六つのジュエルシードは手を付けずに要警戒対象としているが、未だに十個しか回収できていない状況が緊張状態を取り消せない要因となっていた。日々の吸血により貧血耐性が出来てきたシロノは検査の結果血液量が増加していたらしい。シロノの吸血鬼ならぬ増血鬼状態に忍はとある漫画を思い出したそうな。

 明日には子供たちの疲労回復と労いを狙って、兼ねてから計画していた三連休の温泉旅行へと赴く予定であるので、原作通りであれば一つや二つくらいは回収できるだろうというのがシロノの考えだ。海鳴市を中心に探索をしているが残り五つのジュエルシードの居場所が未だ不明なのが痛い所であるが、成果が出ない空回りは何の役に立たないので無理をしても意味が無い。

 

「ま、これからテスタロッサ家への民間協力手続きに行って来るからそろそろ切るね」

「ん、ああ。もうそんなに経っていたか。すまないな、手伝ってやりたいのは山々だが……」

「ああ、構わないよ。何なら何事も無く回収し切ってやるさ」

「……明るくなったな。良い出会いでも合ったか?」

「あー、うん。まぁね。そんなとこさ。あー、そうそう、今回の陸と海での隠蔽の件を忘れないでね。協力者じゃない現地人に勧誘しちゃ駄目だからね。……くれぐれも無い様に、ね?」

「ああ! 分かってる! 分かってるからその友人でも躊躇い無く切り捨てられるよぼくはっていう表情を止めろ! ……艦長にも釘を刺して置くつもりだが、もしもの時は全力ですまないと謝ろう」

「……そんな事が無ければ良いんだけどね。それじゃ、そろそろ行くよ。息災で」

「ああ、宜しく頼む」

 

 冷や汗を流すクロノの安堵顔の映ったモニターが通信が切れると同時に消え失せる。シロノはモニターのあった場所を一瞥してから、熱い日差しを反射して熱くなるコンクリートを見やる。五月に入って夏へ近付く季節を感じる気温にシロノはうんざりという顔をした。シロノの手には翠屋のシュークリームとケーキの詰め合わせが入った紙箱があった。

 先日のフェイトの事情聴取はなのはの同伴もあってとてもあっさりとしたものだった。それはシロノからすれば、フェイトと戦うフラグを折ったのもあって胸に乗っかっていた何かが降りた気がしたものだ。

 そう、最初は、だ。

 話を聞けば、十数年前の次元エネルギー駆動装置ヒュードラによる暴走事故でアリシアは魔力中毒及び酸素欠乏症による仮死状態になってしまっていたらしい。差異はあるが概ね原作に準じている内容にシロノは言葉を促した。そして、その後の内容でシロノは固まった。

 アリシアを蘇生しようと足掻くプレシアはクローンによる汚染された体を移し変える方法を考え付いた。けれど、クローン被検体一号ことフェイトを作り上げた時にふと気付いてしまった。もしも、失敗してしまった場合、目の前のアリシアに似た少女を処理できるのか、と。リニス曰く一時期であるが悩みに悩んでいたようだ。だが、それも転機が訪れる。それはヒドゥンと名乗る人物との邂逅だった。その人物はイデアシードと呼ばれる宝石により、願いを叶えるロストロギアであるジュエルシードを浄化し、本来の力を取り戻す事ができる事を仄めかしたそうだ。

 そして、プレシアが取った行動は――。

 

『……魔力を浄化する事で中毒以下の数値に抑えられるかもしれないわね』

 

 ――アイデアが閃くと言うヒドゥンからすれば想定外も甚だしいものだった。

 それから、プレシアはヒドゥンにお礼を言って即座にラボへ篭ったそうで、リニスがすまなそうな顔でヒドゥンを見送ったとの事。プレシアはクローンによる研究の弊害で患った病気を押さえ込みながら、中毒率を徐々に洗い流す生体調整ポットを開発。それにはクローンを収納する調整ポットの設計図が役に立ったらしい。それから一年前に完全に魔力を抜いたアリシアの蘇生に成功。クローンは必要無くなったが、破棄捨てる事が出来なかったがアリシアの「この娘がわたしの妹なの?」という台詞で「そ、そうよ!」と運命的なご都合主義に感謝して、運命という名を取ってフェイトと名付けたそうだった。

 その経緯を凄く嬉しそうに且つ幸せそうに語る純粋無垢なフェイトの笑顔を見ていたシロノは内心で呟いた。ちょっと待て、と。ツッコミ所が満載だった。イデアシードと言う重要ワードが孕むテスタロッサ家族物語に関わろうとしていたヒドゥンという人物が哀れ過ぎやしないか、とツッコミたくなった。恐らくヒドゥンとやらは転生者に連なる人物なのだろう。だが、その話を聞くだけならば間抜けにしか見えなかった。それでもプレシアに対しある意味最善の助言を与えた人物であるとフェイトの中では良い人扱いだった。

 楽しそうに手を繋いで翠屋へ遊びに行った二人を見送ったシロノは冷静になって考えた。ヒドゥンと名乗った人物の目的はジュエルシードだろう、と。イデアシードにその様な機能があるかは分からないが、ジュエルシードを集めるであろうプレシアへ持ちかけた時点で複数のジュエルシードを求めていた筈だ、と執務官としての思考で考えた。もしかすると、未だ見つからないジュエルシードを持っている可能性もある。そうなるとこちらへの接触も考えられる。近頃発生する魔力の霧もこの人物ではないか、と警戒を強める方向へ至った。

 テスタロッサ家は原作でフェイトとアルフの拠点としていたマンションの一室である様で、ヒドゥンなる人物の話も聞くためシロノはアポを求めた。けれど、返って来た返事は「貴方から来なさい」という簡潔な物だった。フェイト曰く、プレシアママはアリシアお姉ちゃんと一緒に療養しているので室内での安静状態なのだそうだ。それなら仕方が無い、とシロノはすずかに出かける事を説明して翠屋で手土産を持ってマンションへ向かっていたのだ。

 薄っすらと見覚えのあるマンションの前に辿り着いたシロノは一階のロビーからテスタロッサ家の部屋番号を打ち込む。すると、暫くしてから扉のロックが開いた。エレベーターで十一階へと昇り、部屋番号の表札を見送りながら114号室へと歩く。ドアの横に付いているドアフォンを押そうと指を出したタイミングで、ドアが内側へと開かれて金髪の少女が現れた。

 

「あ! フェイトが言ってたお客さん?」

 

 訂正、金髪の幼女が現れたようだった。やけにきらきらと好奇心旺盛な瞳を輝かせながらシロノを見上げるフェイトを小さくした様な幼女。いや、本来は逆で幼女にフェイトが似ているのだが、精神年齢は五歳の姉と九歳の妹という首を傾げる家族構成のせいで何とも言えなかった。

 

「そうだよ、君がアリシアちゃんかな? ぼくはシロノ・ハーヴェイ、よろしくね」

「うん! シロくんこっちだよ!」

「あ、あはは……」

 

 しゃがんでアリシアと目線を合わせて挨拶をしたシロノを気に入ったのか、服の裾を掴んでアリシアはぐいぐいと部屋へと連れ込む。愛称を付けられて苦笑気味のシロノはお邪魔しますと一言掛けてから靴を脱いで入室を果たした。同時刻、学校に居たすずかが何処ぞのニュータイプ宜しく不穏な影を察知したのは余談である。



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無印31 「民間協力、です?」

 シロノがアリシアに服の裾を引っ張られながら上がった先には気配が三つ存在した。すずかの愛の吸血タイムによって貧血ギリギリまで吸われる毎日を過ごすシロノは生存本能なのだろう、気配感知や生命活動維持等の吸血鬼スキルを会得していた。もっとも、そこに誰かが居るな程度の気配察知なので、魔法でエリアサーチした方が早かったりするのは言わぬ約束である。順調に人の道を踏み外しつつあるシロノはぴょんぴょんとドアノブに手を伸ばすアリシアの一生懸命な姿に苦笑しつつ、代わりにドアノブへと手をかけた。振り返ったアリシアは少し恥ずかしそうにはにかんでから舌足らずなお礼を言う。その様子に出来たお子さんだなとシロノは感心しつつ、意気揚々とリビングへ踏み入れたアリシアに連れてかれる。

 

「ママ! シロくん来たよ!」

「あら、アリシア。プレシアなら寝室に……、ああ、管理局の方ですね。初めまして、主プレシアの使い魔であるリニスです」

「これはご丁寧に。自分はシロノ・ハーヴェイ執務官です。本日は遅れながら御礼と民間協力者のご説明にあがりました」

「存じております。アリシア、プレシアに伝えて来てくれるかしら」

「うん!」

 

 とてとてと寝室がある方向へと小走りしたアリシアの背中を二人は微笑ましい表情で見送る。ふと視線が重なり、お互いに苦笑する。シロノ的にこの手の話が分かる人は好ましい。特に今回の件の様な非常事態に加えイレギュラー要素のある案件は本当に助かる思いだった。民間協力者の資料を手配するために少々時間掛かったのもあり、尚且つフェイトという娘を貸し出している側であるため一つや二つ程に皮肉を言われるのも甘んじようというスタンスだった。けれど、リニスの好意的且つ理路然とした振る舞いは警戒を解くに値するお出迎えである。むしろ、怯えたり卑屈になる方が失礼に当たるだろうと考える。

 ビジネスライク的な関係になるであろうプレシアとの会談にシロノは緊張を解きつつ、リニスの勧めでリビングのソファへと座り翠屋印の手土産を手渡した。テスタロッサ家にはアリシアとフェイトという子供が居るため、この様な手土産は印象を良くする手品になる。その様な経験はミッドチルダでよくあったシロノだ。鉄板の看板メニューを外す様なチョイスはしないし、数も複数食べれる丁度良い数を揃えている。

 そして、ソファに座ってからシロノは少し気を抜いた様な素振りで辺りを顔を動かさずに観察する。リビングの棚に絵本や可愛らしいおもちゃがあるあたりアリシアは相当に可愛がられているのだろう。キッチンのカウンターには何やら入学案内と書かれた何処か見た事のある校章の入った紙封筒があり、シロノはもう既にフェイトの転入手続きについて考えているプレシアに好感を持った。原作のプレシアはフェイトをアリシアとは別人と見ていたが故に虐げた経緯があったが、今のプレシアはアリシアが蘇生され健康的な精神状態でフェイトと向き合っているのだろう。そうで無ければ棚の上に置かれたフェイトとアリシアを笑顔で抱き締めるプレシアとその隣に立つ苦笑気味のアルフと微笑を浮かべるリニスが写る集合写真がある理由にならない。

 

(……フェイトちゃんの性格は元々真面目だし、良い家族と環境があれば礼儀正しい娘になるのは当然の結果だろう。プレシアさんに振り向いて貰いたいっていう暗い感情も、あそこまで溺愛されていれば微塵も考えないだろうし……。テスタロッサ家随分と平和になったな。本当に良かった)

 

 シロノはふっと微笑を浮かべて集合写真から視線を外した。生活観が溢れる普通の家庭の雰囲気に遣る瀬無い気分と微笑ましい気分が混ざって複雑な気分だった。原作という名の他世界の在り方を知っているが故に比較しがちになる自分が醜く感じてしまう。いつから、自分は雲の上の存在であると考えていたんだかと自嘲してしまいたくなる。

 

「お待たせしたわね、シロノ・ハーヴェイ執務官」

「いえ、本日はお忙しい時間を割いて頂き感謝します。テスタロッサ博士」

「ふふっ、その肩書きは数年前に放り投げたものよ。プレシアで良いわ」

「では、プレシアさん、と。此度は此方の実力不足によりご迷惑をお掛け致しました。誠に申し訳ありません」

「……そうね。管理局の人手不足は右肩上がりですものね。辺境の地へ派遣するのも遅れるのは理解しているわ。それに、今回は貴方も休養だったのでしょう? 其処まで畏まらなくて構わないわ。フェイトも新しいお友達ができて楽しそうだし、民間協力の件は継続して良いわ」

「感謝致します。此方が民間協力者への説明資料とその誓約書です。此度の件は既に次元航行艦アースラによる任務が決定されていますので、自分の指揮に入る事とその身の保護をお約束する内容となっています。匿名による協力も可能ですので、将来管理局に入る予定が無い場合は其方をお勧め致します」

「あら? 珍しいわね。管理局の勧誘は狡猾だと聞いていたのだけれども。うちのフェイトの資質はAAAは行くわよ?」

「……そこまで腐っていないという事ですよ。自分が言うのは何ですが、子供に荷の重い案件を高ランク魔導師というだけで送り出す輩は気に入りません。裏も見せずに捨て駒にする輩は特に」

「成る程ね……。管理局も一枚岩じゃない、と。……そうね、貴方にならフェイトを任せられるわ。シロノ執務官、フェイトをよろしく頼むわ」

「はい。任されました。無傷で、とまでは自惚れません。ですが、最悪を回避する事に最善を尽くすと誓いましょう」

「あら、威勢が良いわね。期待してるわ」

 

 品定めする様な視線でプレシアはシロノを見ていたが、真摯な姿勢とフェイトを気遣う素振りで警戒を抑えた。民間協力者の誘いというのは管理局側からすれば何も知らぬ相手をカモにするのと同義だ。幾らプレシアがミッド出身の博士号持ちとは言えミッド法を全て覚えている訳ではないし、加えて局員として働いていなかったのもあって現場の事は良く知らない。色々な噂を知っていたプレシアからすればシロノの口から匿名協力を勧められるのは意外な事だった。十三歳という若い歳でありながら相手側をきちんと気遣える精神を持ち、尚且つ上部の黒い一面も知っているある意味大人びたという印象を過ぎた雰囲気があった。絶対に、必ずと言った口だけの台詞を吐かなかったのも好印象の一つだ。

 もっとも、一番の好印象部分はアリシアが懐いているという事に尽きるのであるが。

 アリシアはプレシアの隣に座りつつもシロノを見てそわそわしていて、普段の様子を知るプレシアは遊んで欲しいのだと察していた。そんな可愛らしいアリシアに微笑みそうな頬を誤魔化しつつ、シロノとの会談に挑んでいたプレシアは列記とした親馬鹿であった。

 そんな主人を見てリニスは内心苦笑を隠せない。だが、一番気になるのはシロノが大人びている理由だった。そこらの大人よりも大人かもしれないと思わせる風格を何処で手に入れたというのか。普通の少年では経験も無い年齢だというのに。数日前にフェイトからシロノとの接触を聞いたプレシアとリニスは即座に彼の情報を集めた。マスコミが発行した雑誌の内容には目を疑う様な煌びやかな経歴があった。

 シロノ・ハーヴェイ地上本部所属執務官。階級は三等陸尉、十三歳の少年。苛烈な案件を一人で数十件も解決した手腕は素晴らしく、幾度か表彰もされている最年少執務官であり将来が期待される新星。彼の管理局最強の騎士ことゼスト・グランガイツに手解きを受けている弟子で、陸戦AAA+という輝かしい才能の持ち主。任務中の凍った仮面を被る雰囲気と専用デバイスによる凍結魔法の行使から冷徹の執務官として名を馳せている。だが、現在は休暇を取っていて行方は不明である。地上本部局員からの証言では有給休暇にて休養をしているとの事で……。

 その優秀過ぎる経歴を持つ人物の名を語る少年だ。それなりの猛者であると二人は考えていた。そして、民間協力者の高町なのは経由でフェイトからアポイントを取ってきたのも好印象に値する。拠点へ招く事をせずに会いに来る気概は素晴らしい。態々民間協力者を呼ぶ様な真似は相手側を舐めているとしか思えないからだ。そもそもミッドの管理外世界への偏見は少なくない。管理外だからと言って住宅を持たないとか言語がしっかりしていない等のイメージを持つ者も少なくなく、そのため管理外世界の住人を軽視する局員も多い。

 原作でリンディがなのはとユーノをアースラへ招いたのも、海側の立場を気にして疎かにしていた節や取り込もうとする相手への威厳を保つためのブラフ等の要因があった。要するに探索が遅れて被害が出ている事を隠したい思いがあり、有無を言わさぬ関係を持つ事で上官へ送る資料に口出しをさせない立ち位置を狙っていたのだ。もし、シロノがあの場に居たらクロノへ冷ややかな視線を向けていただろう。そして、事態に気付いたクロノによって必死のお話が始まるに違いなかった。その点で言えばクロノたちは一歩遅れているディスアドバンテージで済んでいるだけまだマシだろう。

 

「さて、それでは誓約書は事件終了後二週間以内に提出をお願いします。また、アースラとの揉め事が発生した場合には自分に連絡をお願いします。陸の執務官の手腕をお見せ致しましょう」

「ふふふ、それは楽しみにしとかないといけないわね」

「では、自分はこれで失礼します。ご協力の件、どうぞよろしくお願い致します」

「えー! シロくん帰っちゃうの……?」

「あら、アリシアはシロノ執務官を気に入ったようね」

「あ、あはは……」

「難しいお話は終わったんでしょ? シロくん遊ぼ! こっちこっち!!」

 

 純粋無垢な笑顔でシロノを引っ張るアリシアに苦笑しながら、シロノはプレシアへ目線を向ける。「どうしますか」という視線に「よろしくね」と微笑まれて返され、シロノは頷いて分かりましたとしか返すしか無かった。テスタロッサ家への案件がさくっと終わってしまったので、午後にも何も用事が無いシロノはアリシアと戯れる事を選んだ。下手に出ているというのもあるが、今回の件で管理局への偏見を持たないで貰うための一種のサービスの様なものだ。打算的ではあるがアリシアの笑顔に屈服せざるを得ないシロノは諦めて引っ張られる方向へと歩くのだった。



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無印32 「先の事、です?」

「どんな娘と戯れてきたんですか?」

 

 アリシアと遊びを終えて夕方に返って来たシロノを待っていたのは嫉妬オーラで武装した魔王(すずか)だった。それも、シロノの右腕を両腕で抱く様に掴んで逃げ出せない様にしてからの零距離上目遣いホールドだった。しかも、目から光が消えていると付け足せばシロノが感じている危険度を察する事ができるだろう。ゼストの扱きよりも危険な何かを感じ取ったシロノは、冷静に第三サブまで使って思考の獣と化し、どう切り抜けるというかどうすればすずかが機嫌を直すかを考えた。

 そして、ティンと浮かび上がったのはシロノにとって諸刃の剣にして、恋する乙女へのリーサルウェポンの一つだった。これを使うためにシロノは身の何かが削れる様な気がするが、ここで使わなくていつ使うのか。シロノは切り札を放つ。

 

「ただいま、すずか」

「んっ……、はい。おかえりなさい……♪」

 

 それはおでこへのただいまのキスであった。しかも、シロノからという倍増効果付きの、だ。暴落した株がストップ高へと飛翔するかの如く機嫌が良くなったすずかがやんやんと頬擦りし始めた。端から見れば幼女を溺愛する少年であるため、外では絶対にできやしない諸刃の剣であった。効果は弱点見極めて八倍と言った具合で、うがい手洗いをする洗面所からリビングまでべったりと甘えているすずかが良い証拠だろう。そして、そんな二人の背中側から壁を蹴ってシロノの頭に乗っかるアリアの身のこなしは十点物である。

 最近アリアを頭にすずかを腕にという姿が普通に成り始めたシロノの幸福指数は鰻上りである。もっとも、無言の異種嫁vs愛人対決が水面下で起こっている事を知らないシロノは幸せ者だろう。

 交渉の緊張とアリシアとのお飯事等の遊びで疲れたシロノはくったりとソファに座り、すずかは右手を絡める様にして恋人繋ぎにしつつしなだれ、アリアは然も当然と言わんばかりに膝の上で丸くなっている。いつしかそんな光景が当たり前になったのを紅茶片手の忍は苦笑せざるを得ない。キスの一件があってから二人の仲が進展し、更には今では見慣れた猫の介入もあって微笑ましい限りだ。

 そして、その光景を見て「私ももう少し出会うのが早ければなぁ」とトリップして高町家の長男が背筋を凍らすまでがお約束になりつつあった。恭也曰く、忍がシロノとすずかに中てられたのか発情期じゃないのに甘えてきて色々と迸って困るとの事。もしかするとゴールインの時期が早まるかもしれない雰囲気らしい。

 そんな恭也の惚気を聞いてダメージを受けるのは勿論ながら淡い恋心を持っていた美由希であり、高校の友人に慰められる毎日だそうだが、幸せそうな恭也を見てアンニュイ気分のようだったとなのは談。だが、なのははなのはで新しいお友達にして魔法のライバルであるフェイトと仲睦まじい雰囲気であるとユーノが苦笑交じりに言っていた。固定砲台に特化する道を選んだらしいなのはは強固な障壁と大規模な砲撃魔法を習得し、アリスの仕業か「落ちろ蚊蜻蛉なの!」という勇ましい台詞がちらほら聞こえてユーノが戦々恐々であるらしい。アクセルシューターを魔弾の射手の如くひうんひうんと飛ばして足止めと障壁削りを同時進行しながら、固定砲台でズドンという恐ろしい戦法でフェイトを落としたという進捗を聞いてシロノは冷や汗を流したとか。

 

「ふふっ、シロノ君もこの家に慣れてきたわね。……というか昔の恭也とそっくりだわ。無表情じゃない意外殆ど差が無くなって来てるわね……」

 

 現在のシロノの印象は、日溜りの様な表の顔と冷徹な微笑を浮かべる裏の顔を持つ、戦闘狂候補な槍術家の逞しい少年だ。なのは曰く優しくて甘えたくなる人、ユーノ曰く厳しいけれど意味のある誠実な人、アリス曰く羊の仮面を被った狼野郎、勇人曰く完全無欠の師匠との事で、概ね好印象が目立つ。それは何よりもすずかと一緒に居る事が多いため、鍛錬中での烈火の如く厳しい一面もあっさりと砕ける笑顔を見て「お似合いだなこの二人」と小学三年生に言わせる程のラブっぷりを見せていたからである。

 因みにテスタロッサ家での印象は、プレシア曰く期待してるわ将来の……ふふふ、リニス曰く将来性が楽しみな少年、フェイト曰く強くて格好良い優しいお兄さん、アリシア曰く大好きなお兄ちゃん、アルフ曰く気遣いができる良い少年との事。普段のシロノしか見ていないために好印象がちの印象に本人が頬を引き攣らせていたが満更でも無いらしいとは後日談。

 

「そうですね。あれからそろそろ一ヶ月ですか……、感慨深いもんですね」

「ふふっ、シロノ君はすずかの騎士様だったものね。第一印象と今も変わらないままよ?」

「あはは……、騎士だなんて誇り高い人間じゃないですよぼくは」

「そう言えばシロノさんってミッド式とベルカ式のどっちが強いんですか? 練習風景を見ていると満遍なく使っている感じだけど」

「うーん、遠近で使い分けてるだけだからなぁ。だって、ぼくの切り札って結界張って凍結魔法で空間冷却して絶対零度っていう外道戦法ですし」

「え?」

「え?」

「……あれ? ああ、模擬戦じゃ見せた事無かったですね。ぼくの持っているデバイスはS2Uの他に、奇襲及び空間制圧用の専用ブーストデバイスのSBMがあります。これはアリアさんに貰った凍結付加ができる専用デバイスで、使い勝手は良いんですが周囲への配慮をしなくちゃならないので模擬戦で使えないんですよね」

「またアリアさん……。ふふふっ、デバイスマイスター教本を手に入れたわたしに不可能は無い……ッ! んぁ……」

「……すずかの扱いに手馴れて来たわねシロノ君」

「ええ。流石に頻度が多いと慣れてきちゃいまして。それに可愛いですし」

(そこであっさりと真顔で惚気る辺り恭也に似てるわぁ……)

 

 シロノはバリアジャケットの上着だけ展開し、懐から出した懐中時計型のSBMをじゃらりと見せた。アンティークチックでありながらデバイスという最新魔法科学の先を行く懐中時計に忍は興味津々な様子で見つめる。

 

「SBM、セット」

《Stand by Me》

 

 何処かで聞いた事のある女性音声で機械語を発したSBMが瞬いて消え失せ、シロノの両腕を覆う様な籠手へと変わる。近接戦闘も可能である珍しいアームドとブーストのハイブリット式のデバイスに見る人が見れば目を輝かす試作品の一つを完成させたデバイスである。言わずもがなデュランダルの試作機であり、アリアがシロノに手渡した辺りでお察しである。加えて言えば名前も含めてバレバレであるが、恋心から頼れる先輩への尊敬となっていたシロノはSBMの意味を「後ろから見守ってあげるからね」という励ましのそれだと勘違いしているので、音声まで頑張って入れたアリアは泣いても良いと思われる。だが、自分の作ったデバイスがシロノの二つ名に関係しているのもあって今となってはアリアは気にしていない。気にしていないのだ。

 

「へぇ……、格好良いわね。デザインは甲冑の籠手かしら」

「ええ、アリアさん曰く刃を受け流せるデザインを突き詰めたらこうなったとの事で、日本好きなぼくからすれば大満足の一品ですね」

「そうなの? もしかして刀とか好きだったりするのかしら」

「……お恥ずかしながら大好物です」

「あら、それなら業物あるわよ? 無銘と言う小太刀なんだけれども恭也は要り様じゃないって言ってて倉庫に入ってるわ」

「是非とも見てみたいですねそれ」

 

 名前からして刀子であろうそれはS4Uへ組み込む機能の模範と成り得る。現代でそれなりの業物を手に入れるのは至難の事だろうと諦めていたシロノにとって僥倖であった。シグナムのレヴァンティン然り、基にする剣が鈍らであっては魔力刃や耐久性等に支障が出る。業物と呼ばれるそれらは在るだけで価値のある物が多いが、有名になるエピソードと言えば人切りの性能が元になる事が多い。多くの人を切るだけの性能を非殺傷設定に組み込む事ができれば、一太刀で魔力ショックによる瞬間決着を望める。言わば、業物のアームドデバイスを作り上げる最善手とも言えよう。

 SBMを仕舞ったシロノはノエルが持って来た一尺程の木製の鞘と柄に収まったドスの様な無銘を見て生唾を飲んだ。受け取ったずっしりとした感覚こそ人を切る重さと言えよう。その重さに触れたシロノは息を止めて少しだけ引き抜いた。飾りの気の無い本来の意図により打たれたのであろう刀身に見蕩れる。その時のシロノの顔は玩具を貰った子供の如く高揚の表情をしていた。数十秒眺めてからシロノはS2Uにスキャンを頼み、その構造と長さや重さをデータとして保存した。現物を持つのは質量兵器法に引っかかるため名残惜しそうな表情で泣く泣くと言った様子のシロノはノエルへ鞘へ収めた無銘を返した。

 

「……感無量ってこんな気分なんですね」

「そ、そう。喜んで貰えて何よりだわ」

 

 何時ぞやの小太刀を眺める恭也に似ていると思ってしまった忍は、戦闘狂(どうるい)なんだなぁとシロノを見ながら重なる恭也の残像を見ていた。刀を受け取って刀身を見やる真剣な姿に見蕩れた一人と一匹を置いといて、ノエルとファリンは夕飯の準備へ忍は自室で読書をするため階段を登って行った。残されたシロノは二人分の温もりを感じつつ、若干ニヤける表情で空中投影されたキーボードによってデバイスの設計図を引き始めていた。勇人が持つオフェンサーとディフェンサーをシロノが設計し作り上げたのは士官教導センターの頃だった。趣味という趣味が無かったシロノが手を出したのはデバイスマイスター検定。前世での賢さと成長期の脳もあって難無く合格しており、市販のキットとデバイスマイスターとのコネを参考に作り上げた試作品がGK-01シリーズである。カートリッジシステムは組み込む者によっては悪影響を及ぼす代物でありながら、足りない足りないと騒がれている戦力の底上げには持って来いの物だった。だが、近代ベルカ式の一部にしか使われていないカートリッジシステムは使い手の体を壊す要因となったために後回しされていたのである。曰く使えない物を使うのは愚の骨頂である、と。熱心なデバイスマイスターが研究する程度で若干廃れてしまっていたのである。それは、デバイス一機にかかるコストという点からも仕方が無いものだった。

 そこで地球の知識を持つシロノは発想を変えた。質量兵器であるから駄目なのだと。ならば、魔法によって質量兵器と同等の物を作り上げてしまえば万事解決である、と。

 その原点こそが地球では一般的な電池という発想であった。カートリッジシステムは弾丸型の充填機に貯蔵した魔力を使い手に還元する事で爆発的な効率を打ち出す代物だ。対してシロノが考えたバッテリーシステムは本人ではなくデバイスへ還元して魔力を抑えて効率を良くする代物であった。言うなれば、副作用のあるドーピングと微々たるサプリメント。幸い組み込む魔法の術式はそこらに存在していた。魔力刃を収束する術式を組み込んだのがオフェンサー、魔力障壁を生み出す術式を組み込んだのがディフェンサーだ。未だ実用段階まで出来上がっていないのは偏にシロノがこのアイデアを止めているからだ。

 バッテリーシステムのメリットにしてデメリットであるのは、上等な魔法資質を持たぬ人物でも運用できる可能性がある事だ。それは戦力増強となるメリットを抱えながら、質量兵器を使うテロリストもまた使えるデメリットを持っている。力も何も無いシロノが公表すれば天才デバイスマイスターの名を飾るだろう。そして、そのアイデアを軍事的に流されテロリストや違法魔導師が研究した物が悪用され、それを管理局が捕縛という名の刈り取りをして有効活用されるという悪循環を孕んでいた。

 銃を使用したのは農民でも武士を殺せるからだ。効率化された道具とは時に悲劇の芽にも成り得る。それを歴史という教本で知っているシロノはレジアスへ手渡すのを躊躇せざるを得ない。そう、それはアインシュタインの嘆きの様なものだ。そんな事のために作り出した訳じゃないと、嘆く側に、第一人者に成る事がシロノは怖かった。それは非殺傷を切れば質量兵器よりも効率的な兵器と化すと分かっていたからだ。

 この発明で救われる人は増えるだろう。

 けれど、この発明によって散った人もまた増えるだろう。

 そんな葛藤があってシロノは執務官になる時期になって忘れる様に開発を止めた。勇人に手渡した試作品こそがバッテリーシステムの最初で最後の試作品。どんな媒体にもシロノはバッテリーシステムの全貌を残さなかった。バッテリーシステムを組み上げるために労したデバイスマイスターとのコネの数々は眠りへと誘われた筈だった。

 久方振りに引く設計図の書き方を未だに覚えているシロノは笑う。すずかに背中を押されたシロノだからこそ、バッテリーシステムの先の事を考える事が出来た。翌日には旅館へと向かうと言うのにそれはもう楽しそうにシロノは設計図を引いていた。



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無印33 「彼との立ち位置、です?」

「シロノさんはわたしの旦那様ですから!」

「シロノは私の愛弟子よ!」

 

 どうしてこうなったと板挟みの喧騒を聞きながらシロノは思う。夕飯を終えて帰る事なくアリアがシロノの膝の上で座っていた時にそれは起こった。夜空を見上げながら食休みをしていたシロノはふとアリアに話しかけてしまい、その遣り取りを珈琲と紅茶を抱えたすずかに見られたのだった。修羅場が勃発し渾身の一撃「泥棒猫!」が炸裂したのだった。それに蹈鞴を踏んだアリアは人間形態となりアドバンテージとも言える胸を強調して反撃の「お子様ねぇ」をぶっ放した。それからは描写するのもアレな女同士の戦争が始まってしまい、シロノはどうとする事もできずに板挟みにされるのであった。

 そして、肩で息をし始めた二人は何故か自慢合戦という第二次戦争を勃発。耳が痛いってもんじゃないくらいに羞恥心と本人すら知られざる秘密という弾丸が行き来し、シロノが小破から大破した。齎したのはシロノであるがこれは酷いと見物に回っていた忍が鶴の一声「夜分に近所迷惑だから寝室でヤりなさい」により一時休戦。忍のニヤニヤした表情に見送られ、ずるずると二人に連れてかれたシロノは寝室のベッドの上で両腕に抱き締められながら牽制しつつ甘えるという乙女技の板挟みを受けているのだった。

 何と言うか威厳とか尊敬とかが吹っ飛んで可愛過ぎるアリアと正妻の座は死守すると言った可愛い嫉妬顔のすずかに両側を抱き締められていたシロノは色々と役得過ぎて無言だった。そう、よくある修羅場は主人公の少年を置いてけぼりにする言わば片思いの対岸戦であるが、シロノはぶっちゃけ二人ともが一定の好意を持つ人物であるが故に川の字戦なのだ。だが、シロノは嬉しい気分や幸せな気分では無く羞恥心で死にたかった。

 

「シロノさんは抱き締める癖があっていつもわたしを抱いて寝てくれるんです」

「ふん、シロノは頭を撫でられるのが好きで終わる時に名残惜しそうに後ろ髪を引いてくれるわ」

「髪を梳くのが上手で天に昇る気分になります」

「はっ、甘いわね。それは私のこの長髪で培われた技術よ」

「くっ、それならシロノさんは焼いた甲殻類が苦手です!」

「ふっ、私の焼いたアップルパイがシロノの好物よ」

「ぐぬぬ……ッ!」

「ふふふ……ッ!」

 

 というすずかの彼女というアドバンテージを崩す様なアリアのリードによってシロノの大事な何かが色々と暴露されているのだ。言わば、二人の流れ弾を全身にシロノは受けている状態である。死体に鞭を打つというレベルじゃない。そんなチャチなもんじゃ断じて無い恐ろしい片鱗をシロノは受けていた。オーバーキルも真っ青な大蹂躙絨毯爆撃である。

 

「……暁よ春の眠りを憶えよ」

 

 シロノがこっそりと紡いだのは睡眠誘導魔法。よくアジトへの潜入で後ろから眠らせるために使っていた魔法であり、手馴れて口頭呪文により発動できるようになった魔法の一つだった。言葉のキャットファイトを講じている二人の声が遠くなり、シャッターが落ちる様にシロノの意識は瞼と共に落ちた。

 

「――シロノもそう思うでしょう!? ……あら?」

「寝ちゃってますね……」

 

 心なしかぐったりしている様子があるが乙女の自慢合戦で興奮気味の二人は些細な変化を見逃した様だった。破裂寸前の風船の空気が抜けた様な脱力感に二人は襲われる。本人の目の前で何を言ってたんだと冷静になった頭が先ほどまでの自分を嘲笑う。溜息が重なりバツの悪い顔で二人は見合う。

 

「……止めましょ。不毛よこれ」

「……そうですね。年上なのに失礼な事を言ってごめんなさい」

「いいわよ。私も少しアレだったし、ごめんなさいね」

 

 結局、二人の関係は彼女と元彼女の様な立ち位置であったのもあって争いの矛を収めた。不毛も不毛。女二人でいがみ合うよりも腕の中にあるシロノの腕を抱き締める方がよっぽど意味がある。すりすりと頬擦りしつつ匂いに安心する乙女二人の姿がベッドの上にあった。先ほどの喧騒は嘘の様に静かになった寝室にぽつりとアリアの声が響く。

 

「……実は使い魔が恋をするって事は無いのよ。素体は結局獣だし、私の場合は猫ね。主人に絶対の忠誠を誓うのは基本だけど、親子みたいな関係だとそれもまた薄れてきてね……。……私、シロノに飼われたいのよ。自分の物だと縛って欲しいって思ってるの。だからかしらね、貴方に嫉妬みたいな事したの。居場所を取られた様に感じたのよ……。シロノの膝は私の場所だーってね」

「そうなんですか……」

「うん。言うなればシロノの傍に居られればそれだけで満足できるのよ。欲張り言えば膝は死守したいけど……。まぁ、貴方という彼女も居るみたいだし……、それに、シロノの凍った心を溶かしたのは私じゃなくて貴方だもの。近付くなって言うならそれなりに気を使うわよ」

「べ、別にそこまでアリアさんの事を嫌ってる訳じゃなくてですね……。その、私よりも私の知らないシロノさんの事を知ってたアリアさんに嫉妬してたって言うか……」

「ふふふ。随分とまぁ、おませなお嬢さんね。それに……、シロノは実は意外とモテるのよ。でも、士官教導センターでは鉄壁の城塞だなんて渾名が付くくらいに恋愛に興味が無かったの。……聞いた話ではクロノ、ああ、ロッテの弟子の子でシロノの同僚の男の子と同時トップでモテてたみたいね。白黒コンビって言われるくらいに二人の仲が良くて遠巻きしか見れなかったそうだけど」

「へぇ?」

「それで、執務官に一発合格して地上本部で揉まれてる頃にクロノの師匠として出合ったわ。クロノの前では隠してたみたいだけど冷徹の執務官としての片鱗を垣間見た邂逅だったわね。それからはご機嫌取りとクロノの友人だからって面倒見てたけど……、いつしか私が喋ってシロノが聞くっていう時間が好ましく思って、ふと思ったのよ。シロノが弟子だったらな、って。今思えばあの頃から惹かれてたのかもしれないわね。此処じゃ見せた事無いみたいだけどシロノは実は感情が薄いのよ。いや、表情に出ないっていう意味でね。けど、此処では若干無理してるみたいね」

「……え?」

「多分、それくらい貴方の事が気に入ってるのよ。クロノと喋る時も殆ど作り笑いだし、本当の笑みを見た事は私でも少ないわ。此処にたまーに見に来た時、シロノが表情筋を解してる時もあったわよ」

「そっか……。もう、シロノさんったら……♪」

「はいはい、惚気ご馳走様。だから、別に貴方の立ち位置を奪うつもりは無いの。むしろ、シロノの相棒(パートナー)として居たいだけだから。使い魔は子供作れないし」

「こ、子供!?」

「あら? ……少しお子様には刺激が強かったかしら。あらあら、顔真っ赤にしちゃって可愛いわね」

「む、むぅ……。わ、わたしだって成長したらアリアさんくらいには……」

「ふふっ、保護者として影から見守るのも良いかもしれないわね。たまに寝取るけど」

「寝取る?」

「……言葉の綾よ。取り合えず共同戦線を張りましょうか?」

 

 「ん?」と言葉の意味が気になったすずかだったが、アリアの次の言葉に興味が向いたのか尋ねる事は無かった。アリアは失言を隠せた事に内心ニヤリと笑みを浮かべたが、そんな事を表に出す程アリアは無く微笑を浮かべてポーカーフェイスに努めた。

 

「先ず、シロノは後二ヶ月の休暇を残しているわ。けど、今回の事であちら、ミッドに戻る可能性があるわ。そうすると残りの休暇がミッドで過ごす可能性も出てくるの」

「そ、それは……」

「……ふふっ、だからこそ私が居るのよ。私がシロノの補佐になってミッドで近寄る雌を弾いてあげるわ。それに、四歳下の女の子が彼女って事をシロノは後数年は隠しておきたいようだし、その間私が繋ぎに入るわ」

「……と、言うと?」

「ミッドの誰よりもシロノを構ってた私が恋人の繋ぎをするって事よ。彼女、の様に見える相棒ってね」

「成る程……。でも、それで良いんですか?」

「……言ったでしょ。飼い主とペットの間に恋愛感情は無いのよ。私たち使い魔は、添い遂げ護りて支える者と呼ばれてるくらいなんだから」

 

 その少し陰る笑顔にすずかは少し複雑な気持ちだった。誰かを愛する事を知っているすずかとしては、使い魔であろうとするアリアの気持ちが良く分からなかった。好きな人の前で態々一歩下がるだなんて事をすずかは考えられやしないのだ。そんな寂しさと悲しさを混ぜた様な表情の心配顔のすずかにアリアは心情察して苦笑する。

 

(……ま、そもそも飼い主はお父様だから飼い主と使い魔の関係でシロノを見ていないんだけどね。使い魔を妻にするのは風評的に当たり風が強いし。陸の次世代の切り札(エース)に成長するであろうシロノは特に注目される。私のせいでシロノの目指す道を小石だらけにしたくないもの)

 

 ――それにシロノは実は優柔不断だから何方らかを選ぶだなんて事できやしないだろうし。

 二年半もシロノを見てきたアリアだからこそ、シロノという少年を良く分かっていた。それに、初恋の人と言うぐらいに好感度があるアリアがすずかの対抗馬だ。二人でシロノを揉みくちゃにしていた時の様子を思い出せば満更でも無い表情だったのが良い証拠だろう。

 シロノ・ハーヴェイという少年はすずかを取るためにアリアを振れる程冷酷じゃないのだ。というよりも身内に対して余す過ぎる節があるからだろう。すずかと婚約者の関係になってからシロノはジュエルシード事件よりもすずかを優先していた辺りからして分かり易い兆候だった。すずかがシロノを求めているからシロノもすずかを求め返した結果が、今まで優先していた陸の執務官としての夢よりもすずかへと傾く事態の要因である。

 今のシロノは夢とすずかを両立する考えをしており、約一ヶ月という期間がオンオフの切り替えに要する時間だったと言えよう。士官教導センター時代の時に止めた設計図引きを再開したのもその兆候だった。精神は体に引かれる。その言葉の様に引かれていたシロノの精神が元の位置へと戻ったと言って過言ではない。

 

「さ、夜のお喋りはもうお終いよ。明日は旅行でしょ、寝ときなさいな」

「……あ」

「おやすみなさい、すずかちゃん」

「おやすみなさい、アリアさん」

 

 すずかの声は躊躇いの色が少し篭っていたが、アリアの内心を覗けないすずかは少しもやっとした気分で瞳を閉じる事にした。これ以上言っても関係は変わらないのだから、意味が無い。むしろ、正妻の立ち位置を譲る気の無いすずかが言う事では無いと年齢にしては聡いすずかは口を閉じたのだった。そんなすずかを見てアリアは思う。聡く優しい子だなと。

 

(案外シロノに必要だったのは頼れる存在じゃなくて――護る存在だったのかもね)

 

 そんな事を思いながらアリアは肩を落とす様に小さく溜息を吐いて瞳を閉じた。膨よかな胸に抱き締めたシロノの左腕を鬱血しない程度に抱き込んで、肩に寄り添う様に頭を枕に置いて香るシロノの匂いに安心しながら眠りに付くのだった。

 



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無印34 「温泉旅館蜜草湯、です?」 

 ゴールデンウィーク。それは学校に通う子供にとっては○休みと付く休業時期の一つとして楽しみにする連続した休日だ。走行の面ではなく装甲としての面で著しく高そうなワゴン車三台が連なって目的地の都市から少し外れた旅館へと向かっていた。

 この旅行は元々高町家による家族旅行であったが、なのはに友人が出来た事でバニングス家と月村家、そして赤星家の家族付き合いにより大人数の旅行計画となった経緯がある。そして、此度はテスタロッサ家が加わり、人数的に三台となったのだ。一台目のワゴン車のドライバーは高町士郎、二台目にはノエル、そして、三台目はバニングス家の執事長である鮫島が担当している。

 士郎の所は助手席に桃子が、二列目に美由希、忍に挟まれた恭也。三列目には乗り切らなかった手荷物等が占領していた。

 ノエルの所は助手席にファリンが、二列目になのは、アリサ、アリスが座り、三列目にはアリシアとすずかに挟まれて膝をアリアに占領されたシロノが座っていた。

 鮫島の所は助手席にリニスが、二列目にはアルフと談笑するフェイトとそれを見るプレシアが座り、三列目では「ウソダドコドーン」と呟く勇人とそれを見て苦笑するペットもといユーノが居た。

 集合場所はワゴンを二台所有する月村邸となり一台は高町家の物だ。バニングス家にはベンツはあるがワゴンは無く、テスタロッサ家は言うまでも無いだろう。席順の際にシロノの隣を譲らないアリシアの「や!」によりプレシアが轟沈。フェイトに宥められた姿を見たアリスが頬を引き攣らせたのは良い思い出の始まりと言えよう。もっとも、周りからすれば微笑ましい光景でありながら、若干瞳の怖いすずかの雰囲気によって適度に冷められた空気であったが。

 高速道路に乗った三台の様子は概ね変わらずと言って良かった。恭也は何故か美由希のスキンシップに対抗する忍という図で士郎と桃子を苦笑させ、後ろから漂うラブコメ臭を何となく感じながらも無邪気に笑うなのはとアリサをアリスが「良いわね」と眺め、すずかの真似をするきゃっきゃっとしたアリシアの無邪気な悪戯に、すずかが反応をしてドンドン加速して行く混沌空間に両腕を取られたシロノが力無く苦笑し、元気なアルフとくすりと笑うフェイトを見て和むプレシアと何時の間にか不憫同盟を組んだ勇人とユーノの姿があったりと中々に充実した車内光景であった。

 

「やっと着いたか……」

「そうですね……」

「ふふふっ、綺麗な場所でしょ?」

「うん! これって空気が美味しいって言うんだよね!」

「フェイトちゃん!」

「なのは!」

「何か疎外感を感じるわね……」

「ふふっ、わたくしが居るじゃない」

「よっしゃー! 温泉だ!」

「きゅきゅー!(楽しみだなー!)」

「あらあら、元気一杯ね」

「あはは……、恭也は兎も角シロノ君も大変そうだね……」

 

 姦しさに押し倒されかけた恭也とシロノが温泉に入り甲斐のありそうな表情で嘆息し、仲良くなったアリシアと手を繋いだすずかが微笑み、なのはとフェイトは「れっつごー!」と楽しげにして、そんな二人を見てアリサが遠い目をしてアリスが宥め、ユーノを頭に乗せた勇人は空元気に叫び、保護者たちはそんな子供たちを見て心配したり微笑ましい表情で引率していた。

 海鳴から少し外れた県境の温泉旅館蜜草湯は和風の落ち着いた趣のある和式旅館であり、二泊三日の団体さんも受け入られる老舗旅館の風格があった。数年来のお得意様であるらしく、士郎を筆頭にした全員を前にした妙齢の女将さんがにっこりと微笑む。その際にシロノは「あっ」と何か察して桃子を見やり、笑顔が笑顔じゃない表情を見て士郎に内心合掌した。

 部屋は二つ取ったらしく、大人部屋と子供部屋らしい。それを聞いて二人と一匹が「え゛」と声を漏らしたが、何処か悟った顔をする恭也の顔を見て「無理かぁ」と諦めた。三コンマの出来事である。リニスとアルフが子供部屋の方で過ごす事になり、片やアリシアのお守り、片や精神年齢的に子供であった。大人部屋へ美由希と忍にドナドナされた恭也を見送った子供たちは多数決で疲れを流す意味合いでお風呂へ向かう事になった。

 

「人数分存在している……だと?」

 

 そして、どうせだし浴衣を着用しようと思い立ったシロノがクローゼットを開いて絶句しつつ、人数分を手渡して、リニスを保護者にお風呂へとお風呂セットを片手に七人と二匹が歩いて行く。お風呂に入れなければペット同伴も可、との事なのでアリアをすずかに手渡したシロノは確りとユーノを掻っ攫って一番槍と言わんばかりに後ろのブーイングを無視して男風呂へと入っていった。

 

「た、助かりました……」

「構わんさ。……覗きなんざさせねぇよ」

「し、師匠? キャラなんかブレて無いっすか?」

「……いんや、別に問題無いさ。ま、今日は日頃の疲れを流すとしよう」

「そうですね。なのはたちもここ最近張り切りっ放しでしたし、ゆっくりして欲しいな……」

 

 お風呂場らしく空ーんと貸しきり状態な風呂場を一瞥し、シロノたちは服を脱ぎ始めた。そして、シロノの歴戦の風貌と言った背中の火傷痕や裂傷痕に勇人とユーノはぽかんと見つめてしまう。その殆どが凶悪なテロリストや違法魔導師たちとの戦いの痕であり、時に被害者を時に一般人を身を挺して護った際の傷痕が背中に未だ残っていた。それはミッドの医療でなら人工皮膚による手術で治るようなものであり、ゼストの様な格好良い背中を目指しているシロノは敢えて勲章として断った。どうせ、背中を見れる様な関係を作らないだろうし、それなら漢気を高めた方が後々のためになるという打算でもあった。だが、すずかという恋人兼婚約者が出来てしまい、お風呂場でばったり出会った際に涙目で背中を擦られた時の表情を思い出してしまい、消してと言われたら消そうという程度の物になりつつあったが。

 

「ん? ……ああ、これか。歴戦の勲章という奴だ」

 

 そうふっと大人びた笑みを浮かべ逞しい肢体を晒して風呂場へと歩いて行ったシロノの格好良さに、弟子とフェレットもどきは「おお……」と大人の貫禄に憧れたそうな。

 同時刻、お隣では衣擦れの音を鳴らす美少女たちの楽園もとい脱衣所が騒がしかった。特に、つるんぺたんななのは、アリサ、アリスと、小振りでありながら成長しているすずか、フェイトが見蕩れてしまう様なスタイルを晒したリニスと、我侭パワフルボディなアルフの裸を見送ってからの事だ。

 

「……いったい何を食べたらああなるのよ」

「恐らく、リニスさんは健康的かつ計算された食事でアルフさんはガッツリ食べて動いて寝るスタンス、かしらね」

「あはは……」

(お姉ちゃんくらいあったな……)

(……言えない。二人は自分の体を魔力で変化させてるだなんて……)

(……ま、簡単よねぇ。あれぐらい私もあるし)

「んー? お風呂行かないのー?」

「あ、ごめんねお姉ちゃん。それじゃ、行こうか」

「そうだね。楽しみだなー」

 

 ぺたぺたと胸を落ち込んだ様子で触れる三人を置いていったすずかとフェイトはアリシアの手を握りながらお風呂場へと向かった。その下には「にゃー」と鳴くアリアの姿もあった。置いてかれた三人が正気に戻ったのは肌寒さを感じての事だった。「なにやってるんだろ」と追撃の落ち込みをしつつも三人と一匹を追った三人は体を洗ってからゆったりとする三人の近くへと足を入れて湯へ浸かった。

 「ふぅ」と息を吐いた三人は何やら先に行っていた三人がそろりそろりと男湯とを隔てる木製の仕切りの方へと向かって行くのを見て興味本位で近付いてみる。すると、微かながら男湯から響く声が聞こえてきた。

 

「――で、だ。爆弾を仕掛けた犯人が逃げ込んだシェルターを氷付けにして、冷凍保存されたマグロみたいになった犯人を逮捕した訳だ。いやー、あの時の犯人の顔は傑作だった。自分から閉めといて寸前まで出ようと頑張ってたみたいだし」

「何それ怖い」

「あ、あはは……。そ、そういえばシロノさんはどうして管理局へ?」

「それ俺も気になりますね」

「ん、んー……、んん? ……まぁ、いいか。単純な話だよ。父さんの背中に憧れたんだ。いつも前向きで逆境すらもぶっ潰す壁にしか思ってなかった父さんが断念した夢を引き継いだってだけでね。今の場所に立つまではその程度の認識だった。ゼスト師匠に弟子入りして現実を見つめなおして、現場に出て理想を思い返して。……此処に来て自分の本音を知った。本来ぼくは表情が薄くてね。あちらでは冷徹少年だなんて呼ばれてたし。……まぁ、もっぱら犯人からの畏怖からだったけどね、それ。そういえば――」

 

 そこで途切れたシロノの声に気になった美少女ズは湯から乗り出す様に仕切りへと近付いて――突如として鳴ったパァンッという破裂音に「うひゃうっ」と驚いた。アルフとリニスは何だかニヤニヤしていて、まるで誰かが盗み聞きに気付いていると分かっていた様だった。

 

「(きちんと肩まで、ね?)」

 

 そして、すずかとアリアは愛しのシロノから精神通話が来てびくーんと跳ねた。それはもう「ばれてた!?」という内心の声が重なってしまう程に驚いていた。そのシンクロを見ていたリニスとアルフはくつくつと笑みを隠さざるを得ない。反対側のシロノの行動に驚いた様子も無い勇人とユーノは苦笑していた。何せ、シロノは語り始めた頃から場所を動いていて、片手で沈黙のジェスチャーを唇に当てていたのだから。そして、聞こえなさそうな位置まで動いた二人と一匹は悪戯が成功した様に屈託の無い笑みを浮かべる。

 

(というかすずか、リンカーコアがリンクしてるの忘れてるよね)

 

 シロノはそんなお茶目な恋人の失敗に可愛らしいと笑みを浮かべる。その笑みは本心から出る作り笑いじゃない笑みで、いつもと何処か違うその笑みを見て勇人とユーノはぽかんとした。それは「あ、こんな顔できるんだこの人」という感じの呆け方であり、それを機敏に察したシロノによるお湯鉄砲により正気に戻るまで五秒前。「わぷっ!?」という声が二つ聞こえたが、お喋りに花を咲かせた少女たちには聞こえなかったようだった。



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無印35 「妖艶なる月村姉妹、です?」 

 一足先に湯船から出たシロノは後続である士郎たちに部屋へ戻る旨を伝えて、部屋へと戻るが部屋鍵をリニスが持っていた事を失念していて入る事が出来なかった。一つ溜息を吐いたシロノは精神通話で売店に居るとすずかに伝えて、旅館の売店スペースを冷やかしていた。

 売店は一階のエントランスの端に存在し、風呂場から少し離れた程度の場所に位置していた。ギリギリ海鳴市に位置する蜜草湯は観光旅館として結構有名な様で、テレビで紹介されましたというポップがある海鳴饅頭やウミネコクッキーなるものが陳列されていた。部屋から財布を持ってきていないシロノが数分程売店を冷やかしていると慣れ親しんだ魔力と気配が後ろから接近するのを察知する。

 振り返ってみればホクホクと上気した肌が色っぽさを魅せる浴衣姿のすずか居た。精神通話で出た事を伝えたが故に一足早く出てきたらしい。少しバツの悪そうにシロノは近寄るすずかへと歩む。

 

「ゆっくり入ってて良かったのに」

「何だか騒がしくなっちゃったから出てきちゃいました♪」

「ん……、すずかも早く出ちゃったみたいだし、少し旅館を歩いてみようか」

「はい!」

 

 すずかはシロノの左腕に抱き付く様に小さな膨らみを当てる様に抱える。浴衣一枚の薄さであるが故にその感触はダイレクトに近い。少女でありながら確りと成長の余地を見せているその柔らかさにシロノは「うぐ」と呻く。なまじ婚約者であるが故に意識してしまう。それはすずかが歳相応らしからぬ精神を持つ大人びた雰囲気が後押ししているのもあるが、すずかもまた少し恥ずかしいのかそれとも湯船に逆上せたのか顔が赤いせいでもあった。ぶっちゃければ、可愛いのである。

 同棲しているが故に距離が近過ぎて少し慣れつつあったが、すずかは容姿端麗頭脳明晰将来有望なパーフェクトお嬢様である。更に淫靡属性を隠し持っているからか子供の可愛らしさに妖艶さが垣間見れてしまう。同学年の男子生徒曰く月村が大人びたお姉さんの様に美しくなったとの事で、シロノと関係を持った頃から可愛さと美しさが五割り増しくらいになっている。

 そんなすずかのはにかんだ赤面顔を直視したシロノは年齢差を忘れて少し見蕩れてしまう。「えへへ」ともじもじするすずかをエスコートする姿は仲の良過ぎる兄妹と言った具合に見える。もしかして禁断の関係かとこの場に他の利用者が居れば勘繰ってしまうぐらいに熱々だった。

 浴衣美少女と化したすずかを片腕にシロノは歩幅を合わせて庭園へと歩いて行く。そのゆったりとした雰囲気は殺伐とした戦いの世界から解き放たれた楽園の様に感じてしまう。少し、一ヶ月前の激務の頃を色惚けて忘れてしまいそうになる程に、それはもう平和な時間だった。

 もしかすると貸し切ったんじゃないかと思ってしまうくらいに人に会わず、シロノとすずかは庭園が見える窓がある廊下へと足を踏み入れる。其処から見える光景は和の境地と言った所だろうか。素人目でも落ち着く空間として目の保養になる侘び寂びのある見事な庭園がそこにあった。

 

「あ、シロノさん。あそこから庭園に行けるみたいです」

「ん、行って見ようか。見事な庭園だし、近くで見るのも乙ってもんかな」

 

 縁側のある場所まで歩いた二人は窓越しじゃない庭園の雅な風景に息を呑む。それは華道を嗜んだ事で学のあるすずかを持ってしても素晴らしい光景が其処にあった。近くで見るのと写真で見るのとは違う、そんなはっきりとした開放感と静寂の雰囲気を庭園は作り出していた。

 暫く立ち尽くしていた二人だったが、どうせだからと縁側へと座り込む。寡黙な夫に寄り添う妻の様にしなだれかかったすずかのシャンプーの匂いが香って、シロノがすずかを意識してしまう。どうやら、月村邸という聖域から出た事で、外という新鮮な感覚に戸惑っているらしい。そんなシロノの心情を機敏に察したすずかはむふぅと満足げに肩に頬を擦り寄せる。

 既に庭園観覧から惚気空間を作り上げた二人は静かにイチャつくのだった。庭園を見て劣情という名のイけない感情を押し殺すシロノと、その葛藤にニヤァと笑みを浮かべる策士すずかという図は端から見れば初々しいカップルに見える。もっとも、年齢を知れば「ふぁっ!?」と驚く事間違いない無いが。

 

「んふふー、シロノさん」

「ん?」

「シロノさんは大きいのと小さいのどっちが良いですか?」

「ん、んん? 比較対象を提示して貰ってもいいかな」

「んー。それは勿論……」

 

 ふにゅふにゅっと猫の様な表情で小さな膨らみを態と当てる。それにより、巨乳派か貧乳派かを問われていると至ったシロノは内心焦った。一応ながらシロノは未来知識とも呼べるstsの内容からすずかが大変発育良く育つ未来の選択肢がある事を知っている。シロノとて思春期真っ只中な男の子。アリアの胸に目線が行ってしまう事も多々あったし、揺れるそれをつい見てしまう男の性がある。

 けれど、正直に言えばシロノは童貞であったのに加え、前世の環境が病院だったのもあってその手の意識には疎い方だった。今生も真面目に勤勉に真っ直ぐ仕事中毒者だったのでその手の考えを持った事がそもそも少なかった。なので、シロノは正直に言った。

 

「……ん、正直どっちでも良いかな。性欲とかで女性を見た事無いし……。見た目よりも中身に引かれる性質(たち)っぽいし」

「え、えっとそれって……」

「うん。ぼくは月村すずかという女の子が好きになったんだ。別に打算的な考えはした事無いよ」

「あぅ……、シロノさんって本当にストレートに伝えてくれますよね……」

「そうかな?」

「ふふふっ、でもそんなシロノさんも大好きですよ」

「そっか、なら十全だ」

 

 甘々で熱々な惚気空間を作り出している二人を遠目で見やるカップルが居た。浴衣美人となった忍と浴衣武人の恭也である。夕飯の時間を伝えに来た際に部屋に二人が戻っていないのを知って、散歩のついでにと探索を申し出たのだ。実を言えば毎年恒例である庭園デートに繰り出したのだが、先に小さなカップルが居座っていたので野次馬の如く眺めているのだった。

 

「……すずかちゃんは本当に変わったな」

「ええ、あの通りシロノ君に夢中みたいでね。家でも見かけたら一緒に居るってぐらいにラブラブよ」

「それはまた……」

(成る程、それに中てられたのか最近のお前は)

 

 納得という表情を無表情の下に出した恭也は小さく溜息を吐いて、愉悦顔でニンマリと微笑む恋人を連れてきた道を戻って行く。「あーれー」と小声で言っている辺り仲が良い。それよりも、久し振りの恋人との戯れに喜んでいる節があった。それは毎日シロノという恭也の子供の頃を連想させる人物が居たからだろう。一人の時に素の顔を見せ、二人を越えれば仮面を被る少年を監視もとい観察していたから。何処ぞの馬の骨よりかはランクが上がり、妹を任せてもいいかなと思えるくらいには信頼しているが、愛しい妹の相手であるが故についつい評価をしたくなってしまう。

 勿論ながら、恭也もなのはに悪い虫が付かぬ様に徹底的にやるだろう。それはもう、御神流の真髄とも言える奥義を無駄に発揮してしまう程に。だが、今は一応苦労人らしいシロノの心労を増やさぬように恋人の手綱を握る事にしていた。それに、目の前ですずかとシロノばかりに目を向けられるのも何だか癪に障ったというのもある。

 

(あら? もしかして恭也嫉妬してくれてる? ふふふ……、可愛いんだから本当にもう♪)

 

 そんな男心を的確に掴み取る忍もまた妖艶の乙女である。月村姉妹は惚れた相手に一途であるが故に、その彼氏は理性的に困る運命にあるようだった。特に、思春期真っ只中である男二人である。例えどちらも鋼の様な精神を発揮する猛者であろうとも、乙女の計略は火急に陥る効果を発揮するようだった。

 

(視線が消えた。というかあの雰囲気だと恭也さんと忍さんか。……ああ、把握できた。もしかして毎年庭園に来るのが恒例だったりするのかな。悪い事したなぁ……)

 

 地味に吸血鬼能力を発揮しているシロノは、ポーカーフェイスの仮面を被って十メートル以内の気配を探る臨戦態勢を解除した。彼の懸念は純粋にこの場(デート)が見られるのが恥ずかしいというだけだ。特に、主人公勢たちには見られたくない。何故なら彼女たちは近い将来管理局入りする可能性が高いからだ。

 と、言うのも、見た感じなのはの様子が原作と変わらないからだ。つまり、アリスという転生者が居ようがなのはが寂しい生活をしていた幼年期に関わっていないが故に、魔法という誰よりも稀有な才能を開花させたなのはが魔法を捨てる可能性が低いのだ。

 魔法凄い。

 それを使っている才能ある私も凄い。

 だから皆見てくれるし一人にならない。

 そんな考え方を無意識に構築して、防衛機能として心の防波堤を作り上げているのだろう。そうならば、アースラクルーの、というかリンディの勧誘にホイホイと乗るに決まっている。何故ならば、なのはの根底に良い子であるという前提があるからだ。大人に歯向かう子供は良い子ではないと、寂しさに押し潰されてきた頃に築き上げた歪な防波堤にはでかでかと描かれているだろう。

 それをシロノは何とかしようと思えない。いや、如何する事も出来ないと考えていた。何故ならば、彼はなのはの恋人でも師匠でも無いからだ。言うなれば年上の知り合いでしかない。友人と言える関係でも無いし、学友の先輩とも言えぬ立場だ。手を出す理由も無いし、出して良い立場でもない。

 だが、それを含めてシロノは先の事を考えていた。それは、なのはとフェイトの出会いの場である月村邸の中庭に落ちたジュエルシードを回収した経緯からして感じ取れる。原作とは違う可能性。環境が違えばアリシアのクローンが、フェイトという別人となる様に。出会う場が、紡がれる筋書きが、違えばまた違う未来が待っている筈だと考えていたからだ。もっとも、アリシア生存ルートという見当違いのコース変更で何とも言えない仲良しさんになったが。

 

「シロノさん」

「ん?」

「今、他の女の子こと考えてました?」

「んんっ、いや、すずかの将来の事を考えてたら、ね」

「ふーん?」

「す、すずか?」

 

 警戒網を解いた瞬間の緩みを抜かれ、シロノがすずかの押しにたじたじになる。シロノはやはり尻に敷かれるタイプの様で、シリアスがシリアルの如く砕かれる運命らしい。押せ押せのすずかの嫉妬めいた悪戯心が見える瞳に見つめられて、後ろへ下がらずを得ないシロノは旅館を支える木柱に追い込まれる。がっしりと両肩を掴まれて抵抗できなくなったシロノをすずかが妖艶に微笑んだ。その後、口元を押さえる格好で部屋に戻って来たシロノと肌艶が良いすずかの雰囲気は正反対だったと供述しておく。



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無印36 「我が名はヒドゥン、です?」

「何ていうか……嫉ましい気分になるわね」

「そ、そうかしら? なら、わたくしが……」

「ぐっ、リア充末永く爆発しちまえぇ……」

「きゅきゅぅ(仲良しだななのはたち……)」

 

 縁側デートを終えて返って来たシロノとすずかを迎えて一同が向かったのは夕飯の場である竹の間だった。予想通り月村家とバニングス家による貸切状態であったらしく、宴会ができそうな空間がシロノたちの小宴会場と化していた。

 各自適当に自由に座った結果、士郎、桃子、プレシア、リニス、アルフ、美由紀、恭也、忍の順で右側に座り、その反対側に、すずか、シロノ(+アリア)、アリシア、フェイト、なのは、アリサ、アリス、勇人(+ユーノ)が座った。和気藹々と絶品な料理に舌鼓を打ち始めたシロノたちであったが、段々と時間が経過するに当たって酒というリーサルウェポンが投入され、場がカオスに成り始める。

 桃子と士郎の新婚めいた遣り取りに中てられたすずかがシロノに「あーん♪」を決行し、それを真似てアリシアが「あーんして♪」というプレシアが卒倒しかねない言葉を発する。それを見たフェイトが何気なく「あ、あーん?」をして大歓喜のなのはが無意識に百合百合し始め、そんな友人たちを見て遠い表情をするアリサにアリスが苦笑し、独り身である勇人が血の涙を流しかねない程に絶望し、ユーノは何処か置き去りにされた様な寂しさを感じていた。因みに鮫島は近場のガソリンスタンドへと車を走らせ、給油するというさり気無い経済的気遣いをしていた。

 酒が入った事により悪乗りし始めた大人組が身内以外居ないこの場で羽目を外さない訳が無く、士郎が何気なくシロノに日本酒の入ったグラスを手渡してしまう。

 

「シロノ君、お水足りてるかい?」

「あ、じゃあ頂きます」

 

 そう言って受け取った日本酒を水で割った物を飲んだシロノは、数秒後にくらっと眩暈の様な感覚を覚えて「ん?」とグラスを見やる。何処か少し熱っぽい気分になり、流石に可笑しいと感じたシロノはその水の匂いを嗅ぐ。何処かで嗅いだ事のあるアルコール臭にシロノは固まった。ギギギと正面を見やればグッとサムズアップする若過ぎる夫婦の片割れ。くいっと飲む動作を付け加えるあたり本格的に酔いが回っているらしい。こうなりゃ自棄だ、とグラスを煽ると士郎はうんうんと頷く。その様子を横目で見ていた恭也が溜息を吐き、すまなそうな表情でシロノを見やる。ぼーっとした表情で虚空を見やるシロノの姿に士郎は少し酔いが冷めて苦笑し始める。

 ぼんやりとしたシロノの異変に何となく嫌な予感がしたアリアが膝から離れる。すると、その数秒後に隣に居た筈のすずかが膝に座っていた。ひょいっぽふっと滑らかな無駄無き動きでシロノが乗せたのだ。いきなり視点がズれた事にきょとんとしたすずかは後ろからあすなろ抱きされて「ぁっ」と嬌声を漏らす。

 

「安心する……」

 

 その囁く様な声で漸く抱き締められている事を把握したすずかは、お酒が入ってやけに積極的なシロノの行動に頬を染める。シロノはスキンシップに対しては何処か一線を引いていた。すずかから甘えれば応じるがシロノから甘える事は少ない。それは年齢が上である事と未だにすずかが九歳の少女である事に理性が働いていたからだった。そして、その線がお酒という霞によって足を踏み進めて越え、すずか甘やかすマシーンと化したシロノは行動を始めたのである。

 抱き癖のある子供の様にシロノはすずかを腕の中で大切に抱き締め、顔を真っ赤にして俯くすずかにぼそぼそと睦言を囁く。その官能的な雰囲気にイけない気分になったアリシアがプレシアを見てからこてんとシロノの膝に頭を乗せた。すると、さらりさらりとシロノにその柔らかな金髪を撫でられてアリシアはお腹一杯だったのとはしゃぎ疲れて寝てしまう。眠る際に近くに居たアリアが抱き枕として犠牲になったのは愛嬌である。

 そんな一瞬で築き上げられたシロノの桃色空間に、士郎と桃子は負けてられないと言わんばかりに悪酔いに背中を押されて仲睦まじくイチャつきし始める。プレシアはその様子に少し懐かしそうにしていたが、リニスとひそひそとアリシアとフェイトの成長に関して喋り始める。その隣では「飲んで♪」「呑んで♪」と美由希と忍に酌をされて酔い潰されそうになっている恭也の姿があった。

 

(ぐっ……、なまじ成長しているからか悪乗りが凶悪だ……ッ!!)

「ほらほら、恭也。まだまだ沢山あるわよ」

「そうそう、恭ちゃん。たっぷりあるからね」

 

 そして、そんな兄と友人をぼーっとした様子で見てしまうなのはと雰囲気に中てられたフェイトが熱い視線を向けていた。「わぁ、わぁ……」と茹で蛸の様に頬を真っ赤にして、何処となく恥ずかしさを覚えている二人の姿は愛でたく成る程に可愛らしい。そして、そんな初心な友人をアリサとアリスが何処か遠い瞳で見やる。

 

「すずかはともかく、なのはとフェイトがイけない関係になりそうで怖いわね……」

「あら、アリサはいつの間にそんな知識を?」

「べ、別にそんな漫画読んでないわよ」

「薄かったかしら?」

「そう言えば薄っぺらい本だったわね。内容はアレだったけど……はっ!?」

「ふふふ……、語るに落ちたわねアリサ。わたくしの秘蔵品を見ちゃうだなんて……。おませさん♪」

「な、なぁっ!? あ、アンタこそ何てもんを仕入れてるのよ!?」

「薄い本は書いたわ!」

「著者アンタか!?」

 

 無駄に前世スキルを活用していたアリスにアリサが「がおー!」と吼える。頬が赤いので照れ隠し四割、羞恥心の発露が六割と言った具合だろう。そんなアリサを見てアリスが頬を染めるものだから悪循環の始まりである。

 

(……騒がしいなぁ)

 

 酒に呑まれたシロノはぼんやりと思考を始める。腕の中に閉じ込める様に抱き締めるすずかの温もりの柔らかさとさらりとしたシャンプーの香りに混じるすずかの匂いが思考を奪って行く。どろりとした不透明な沼に落ちて行く様な感覚で心地良さに堕ちて行く。幸せと呼べる世界に立っていると実感できる大切な人の温もりが愛しくて仕方が無い。

 ――どうせ、悲しむなら最初から何も――。

 不意に思い出した言葉でシロノは正気に戻る。あの時の事を思い出したのは何時振りだろうか。そういえば、こんな風に思考に没していた時だったなと思い出す。シロノの始まりにして、○○○○の終わりの瞬間が重なる。重なってしまった。

 

(何故だ?)

 

 今、シロノは確りと胸を張って幸せと言える。嗚呼、それは世界中に叫ぶ事ができるくらいに確かな思いがある。けれど、何故、それがあの終わりと重なってしまうのか。それが、シロノには分からない。いや、分かりたくないのかもしれない。

 なぜなら、それは○○○○という十七歳の少年が病死した瞬間の辞世の言葉なのだから。

 まさか、という思いが浮かび上がる。もしかして、という絶望に似た希望が浮かんでしまう。

 

(もしかしてぼくは死にたかったのか?)

 

 友人も居た。家族も居た。居場所はあったし、娯楽もあった。何が足りないと言うのか。

 胸を締め付ける様な感覚が酷くなって行く。まるで、二日酔いの頭痛の鈍い感覚の様に。どろりどろりと何かが垂れ流れて行く気がしてしまう。何か、大切な何かを溢してしまっているかの様に思えて仕方が無い。冷静に成り始めたシロノの思考に筋書きが回復し、理性が挙兵を果たした。

 

「――ッ!?」

 

 そして、漸く気付いた。自分の周りが白い靄に覆われているのを。そして、それを誰も気付かずに和気藹々と過ごしているその事実に。思い出すのがもう少し遅れていればレジストは不完全に終わり、何か大切なものを奪われていたに違いなかった。

 

(えっと、確か……あれ?)

 

 この旅館で、夜に、とまで浮かび上がった記憶の記録が思い出せない。何かがあった、という結果だけを残して過程を奪われた様な酷い違和感があった。頭を抑えたシロノにすずかがきょとんと見やるが、矢張り白い靄はすずかには見えていない様で気にした様子が無かった。

 その反応を踏まえてシロノは思考を続ける。つまり、相手のターゲットはあくまで自分であると。この場に自分が居た場合に起こる被害は全員に及ぶ。シロノの思考を逆手に取ったかのような燻り出しに歯噛みするのを堪える。膝に乗せていたすずかにトイレに向かうと言い訳をして下ろしてシロノは廊下へ出た。

 

「レイデン・イリカル・クロルフル……来たれ、契約の杖よ」

 

 手元にS2Uを召喚し振るうと同時に展開する。そして、白い執務官服に一瞬にして切り替わったシロノは、続けて隠蔽魔法を起動しその存在を希薄にした。庭園の縁側からストライク・ブーストによってカタパルトから射出される如く暗闇の帳が落ちた空へと跳び立つ。

 そして、眼下の光景を見て悔しさを覚えた。旅館全体に白い靄が浮かんでおり、それは飛び出したシロノに向かって迫ってくる。二度、三度と直線飛行してから、足場となる魔法陣を浮かべ森林地帯上空で停止したシロノは更なる魔法陣を展開して周囲三キロメートルを切り取る様に結界を張った。白い靄はその結界によって完全に旅館から切り離され、それを遠目で見ていた実行犯はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「……其処に居るな」

 

 返答を待たずしてストライクキャノンを問答無用で森林地帯の一角へとぶち込む。蒼い軌跡を描いて放たれた魔力砲撃が空中で凝固した白い靄の盾によって塞がれる。そして、まるで魔力を喰らうかの様に威力を落とす光景を見てシロノは即座に懐へ手を伸ばした。

 

《ふむ、余興ぐらいには成長していたか》

 

 白い靄の盾が霧散する様に晴れた。その場には黒いローブによって頭から隠した魔導師が、黒い布でその存在を隠したデバイスを隠し持って立ち尽くしていた。シロノは敵を視認した瞬間、執務官モードへと思考が切り替わる。絶対零度の視線に貫かれた魔導師は少し驚いた様に肩を揺らしたが、くくくと漏れる忍び笑いが沈黙した空気に震えてシロノまで届く。

 

「休暇中ではあるが、自分は管理局地上本部所属執務官シロノ・ハーヴェイ。渡航証の提示を勧告する。勧告に従わない場合は問答無用で落とす」

《……甘ちゃん揃いの管理局員とは思えぬ言葉だな。良かろう、我が名はヒドゥン。全てを凍て付かせる時の災害……。そして、時の超越者だ。今宵の得物は貴様だ。悲しき記憶を奪わせて貰う》

「……公務執行妨害とみなし、勧告に従わなかった貴方を拘束します」

《ふっ、やれるものならやってみるがいい》

「SBM……ッ!」

 

 懐に入れてあったSBMを起動し、両腕に展開したシロノは一対の魔法陣を浮かべる。すると、執務官服に蒼い紋様の様に線が迸り、とある強化に特化したバリアジャケットへと変貌させる。一対の内一つの魔法陣が消え、残りの一つはシロノの背中へと張り付く様に固定された。

 その様子を見てヒドゥンはシロノの出方を探るよりも前に遠距離魔法の術式を組み上げる。睨み合う様に空中に留まった二人は互いにデバイスを向けて射出するための呪文を唱えた。

 

「ストライク・スティンガーッ!!」

《ブレイク・ショットッ!!》

 

 交差する蒼と蒼が沈黙した夜に響く。威力は貫通性に長けたストライク・スティンガーよりも破壊性に長けたブレイク・ショットが競り勝った。砕け散る魔力弾を見るよりも早くシロノは行動し、ブーストして高速直線飛行へと移った。円環状のストライク・ブーストを腰に固定する事で、擬似的な常時スラスターとして運用するシロノは言うなれば戦闘機の様だった。速さに重きを置いた魔導師スタイルにヒドゥンは何の動きも無く、放たれたスティンガーをショットで破壊し続けるのだった。

 十分間にも及ぶ二人の激闘は結界によって封じられた森林が伐採地と化す程の荒れを齎した。

 一進一退の攻防によりシロノは最後の魔法を放つ一歩手前まで魔力を削られている。だが、対するヒドゥンは隠れたローブで顔色は見えないが疲れを見せているようには見えなかった。その圧倒的な実力さ、いや、魔力量という理不尽かつ非情な現実がシロノを襲っている。十分程の死闘であるが、稼げる時間は稼ぎ切ったとシロノは切れる息を整えてS2Uを一部待機状態にリリースした。得物を手放したシロノにヒドゥンは諦めや敗走に特化したのかと興が冷めて動きを止めてしまう。

 

《ふむ、漸く圧倒的な差がある事を把握した様だな。では、疾く落ちるといい》

「……貴方は魔法を甘く見過ぎている。絶対の覇者なんてこの世には居ない。虚無と絶対が存在しない様に、その驕りは貴方の首を噛むぞ……ッ!!」

《何を言うかと思えば辞世の句か。……くだらぬ、疾うに飽きたわ。落ちるが――》

「――全てを凍て付かせると言ったな。自分だけの十八番と思うなッ!!」

《なっ!?》

 

 シロノが戦闘開始時に背中へと貼り付けた魔法陣は一体何をしていたのだろうか。一度たりとも魔力弾を撃つ砲台とならず、息を潜める様に隠され続けていたその意味はなんだろうか。それは、シロノが自身のバリアジャケットに施した紋様が答えを出していた。最硬となり防御を固めた訳でも、最薄となり速さを切り詰めた訳でも無い。

 そもそも、この結界を張ったのはシロノだ。そして、ヒドゥンを逃がさぬための結界とも言っていない。ヒドゥンがこの結界を壊さなかった事、そして、戦いに興じを見せてすっかりその存在を忘れていた魔法陣を見逃していた事を後悔させる。その様な気迫を持ってシロノは全身全霊の一撃を放つ。

 

「絶対零度の監獄に抱かれろ――コキュートス」

 

 一瞬にして結界内に変化が現れる。それはまるで冷蔵庫に入れてあったペットボトルの中身を一瞬で凍らせる過冷却現象と似ていた。十分もの間“二重”に張られた結界の隙間で下がり続けていた-273.15 ℃以下まで冷え込んだ空気が解き放たれ、一瞬でその全てを凍り付かせたのだ。一面を白銀色に染めた身の奥までも凍らせる様な絶対零度の風により、凍結空間と化した結界内でヒドゥンは口元を押さえて驚愕の様子を見せた。咄嗟に口を閉じていなければ体内に一瞬にして絶対零度の風が入り込み、中からヒドゥンを凍らせたに違いなかった。

 そう、シロノのとっておきにして冷徹の異名を轟かせた二重結界による隠蔽された凍結魔法コキュートスは結界内に存在する悉くを凍結させる極悪な魔法であり、本来なら転移魔法で小規模に展開された二重結界内へ放り込み犯罪者を凍結処理する拘束魔法である。瞬間凍結された犯罪者は如何なる怪我をしていてもコールドスリープの要領で逮捕され投獄されるまでの間に死亡する事が無い。安全にして逃げ場が一切存在しない拘束魔法であるが故に、シロノは幾つ物の事件を即座に解決する事ができた。何故なら、相手ごと潜伏施設を凍らせてしまえば一瞬で終わるからだ。

 もし、この場に結界魔法に長けたユーノが居たならば徐々に縮小する結界の違和感に気付いたかもしれない。十分の間数ミリという移動速度を持ってして追い詰めたシロノの会心の一撃にヒドゥンは慢心していた自分を叱責する。

 

《チィッ!! アポカリプス・ブレイカーッ!!》

 

 ヒドゥンはこの場に居る事を即座に後悔し、虎の子である赤色の宝石を手元に召喚して辺り一面に潜んでいた白い靄を集め、急激に増加した魔力を持ってして結界破壊レベルの砲撃魔法を上空へと解き放った。その蒼い閃光は太陽光を集めたソーラーレイの如く威力を持ってして一瞬で結界を粉砕し、余波で傍に居たシロノを吹き飛ばした。その桁違いの威力の砲撃にシロノは驚愕よりも恐怖が勝ち、即座にプロテクションシールドを多重展開したのに関わらず、その強固な防壁を余波で粉砕され吹き飛ばされたのだ。

 流れ星の気持ちが一瞬だけ分かった気がするシロノは今も尚空中を切り裂く自身の状態に絶句しつつ、余波の衝撃によって折れた肋骨と咄嗟に前に出した右腕の痛みに耐えながら、ボロボロなSBMと入れ替える様にS2Uを展開し直し、緩衝材の様に幾つも張った魔法陣を砕きながら勢いを殺し切った。酷く痛む内部の傷に若干悶絶しつつヒドゥンを探そうと辺りを見回して再び絶句した。

 

「……お、沖合いまで吹っ飛ばされたのかッ!? っぅ……」

 

 辺り一面夜の海一色であり、内陸部に存在する蜜草湯から海鳴市側の沖まで吹き飛ばされた事に驚愕を禁じえない。余波でこの結果だ。直撃したら例え非殺傷設定であっても廃人になるのではないかという威力に背筋が凍る思いだった。シロノは結界が解かれた事で送られてくるすずかとアリアからの精神通話のログを見て少し顔を青褪めるが、生きている実感がこれでもかと感じる痛みとヒドゥンに気付かれぬ様に推し進めた精密な思考の疲れによって泣きたくなった。

 次元震を起こす一歩手前の魔力が解き放たれた事により時空航行艦アースラの到着が速まり、ジュエルシード事件はシロノの証言により名を変えて、ヒドゥン事件と呼ばれる事となったのであった。



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A’s~
A’s37 「八神家の居候、です?」


 闇の書事件の結末を知っている者が居るとするならば、箱庭の外の視聴者か、それに遭遇した人物だけだろう。後者であった場合、誰よりもその結末を知る人物が居る筈だ。そう、始まりがあるのならば終わりがあるように。当事者、いや、闇の書事件の“最期”の主こそが結末を語るに値する人物であろう。

 

(……寒い)

 

 管理局の法の中で、シロノがネーミングの参考にした法がある。それはコキュートス・プリズンと呼ばれる第百十四管理世界コキュートから派生した永久凍結刑である。永久凍結刑という刑罰を聞いて知っている者が居るとすればかなりの管理局法マニアだろう。いや、もしくはその事件に関わった人物であるならば知っていても可笑しくは無い筈だ。

 

(……寒いなぁ)

 

 そして、誰よりもその名を、その辛さを知る人物が居るとすればその刑罰を受けた一人の少女と黒い本だけだろう。栗色の髪色の少女は黒い本を抱く様にコキュートの中央で巨大なクリスタルの中に封じられていた。そのクリスタルは世にも奇妙な事に魔法で出来ている氷であった。そう、コールドスリープの様に対象を封じ込める類の魔法であり、本来ならば凍結されている少女は意識を持たない。

 筈だった。

 

(……ほんま、寒いなぁ)

 

 その原因は今も尚少女の命に絡みつく一冊の魔導書。名を闇の書。いや、正式名称は夜天の書と呼ばれる記憶型ストレージ魔導書デバイスであった悲しき魔導書だった。幾つもの主を越えて腐敗し、人の欲によってその在り方を狂わせられた悪魔の書。古代ベルカが滅んだ一因となったのではないかと古代学者が説を発する程にその魔導書は異質過ぎた。

 

(……何で此処に居るんやろ)

 

 手にした主は悉く闇の書の完成により手に入れられるという万能の力を求めた。まるで、それは全ての願いを叶える聖杯の様で、そして、その性質の様に人の欲を煽らせる代物であった。手にした主はヴォルケンリッターと呼ばれる四体の守護騎士によって守られ、完成するその刹那まで夢を見るのだ。

 

(……ヴィータ、シグナム、シャマル、ザフィーラ)

 

 少女は四人の家族を亡くした。それも、最悪な事に信頼していた人物の策略によって、だ。魔法使いという非現実的な展開に少女は初めは動揺していた。けれど、家族が居なくて寂しかった少女は、目の前に現れた傍に居てくれる家族を受け入れた。戸惑う四人に笑顔を見せて、日の当たる温もりを教えて、人という感情を持つ生き物へと昇華させた。

 

(……誰も居らんのは何でやろ)

 

 その一年間は少女にとって至福の瞬間だった。幸せの絶頂に居たと言って過言では無い程に、少女は四人との生活を楽しんでいた。四人も新しく仕えた優しき主に出会えて心から歓喜した。寂び付いていた心が解き放たれた時間だった。

 そう、だったのだ。

 

(……それも、これも)

 

 二度目の誕生日を過ぎた冬の日だった。忙しくなり始めて一緒に居る機会が減った家族に心配されて病院に入院して数日後の時だった。新しくできた友人が学校のお友達を連れて来た日の事だった。周りに居てくれた家族の雰囲気が硬かった。今となれば分かる。あの友人たちが敵であったからだ。

 

(ギル・グレアム……。あの男のせいや……ッ!!)

 

 目の前で家族を殺され、信じてたグレアムおじさんによって現実を突き付けられて絶望した少女は慟哭した。目の前の理不尽と在り得ない光景を嘘と断じて、何も見たくも聞きたくなくなった。何を信じろと言うのだ。信じていたおじさんに裏切られた少女の絶望は深かった。

 

(そうや、殺してやらな。そうじゃないと皆が浮かばれへんやんか……ッ!)

 

 夢に溺れた少女を友人は――救えなかった。圧倒的な力によって蹂躙され地に落ちたのだ。まるで、蚊の様な弱さだったと少女は覚えている。有りもしない感覚を知っていた。今も尚魂までも喰らおうとする闇の書の抗いによって。

 

(殺してやる。絶対に殺してやるんや。…………嗚呼、そうだ。殺さなきゃならん。ならぬのだ)

 

 そして、少女だった女の子は一瞬の隙を付いて立ち上がった友人の一撃によって疲弊した瞬間を狙われ、凍結による封印によってこの地に落とされたのだった。幾百、幾千、幾万の時を越え、幾億、幾兆の時間を経て少女は化物となった。名はナハトヴァール。奇しくもその名は少女の運命を狂わせたプログラムの名だった。

 

(そうだ。“我ら”は復讐を果たさねばならん。罪無き民を殺し、力無き者を殺した“奴ら”を殺さねば気が済まぬのだ……ッ!!)

 

 化物と化した少女の手に渡るまでに闇の書が記録したその全てがナハトヴァールという新たな存在を作り上げて行く。それは、古くに失った初代夜天の王の面影のある姿へと変貌する。内側が、少女と闇の書が混ざった器が、精神が、何もかもが一体化して行く。

 

(ふふふ、ふははは……、フハハハハハハハハッ!! “我”は王だ。恐れる者なぞ居らぬ、民の頂なのだ。臣下を殺した罪は万死に値するぞ、ギル・グレアム!)

 

 そして、○○○○○だった少女はナハトヴァールと言う夜天の王として君臨した。ビックバンによって粉砕されたクリスタルから解き放たれたナハトヴァールは笑う。唯一人の男を殺すためだけに笑い続ける。先程“一周”した世界でこれから産まれるであろう星を探すのだ。

 

「そのためには臣下が必要だ……。そうだ、それならばぴったりの者が居るではないか」

 

 ナハトヴァールが生み出した黒い三角形の魔法陣が二つ生み出される。そして、ナハトヴァールは黒き騎士甲冑に身を包み、構成され続ける臣下の誕生を待ち望む。二対の黒き翼を持つ騎士甲冑は○○○○○が想像していた自身の騎士甲冑と同じ物。本来ならば四人の家族に見せるためだった騎士甲冑をナハトヴァールは感慨深い表情で見つめる。

 

「王よ、叡智を欲する王よ――」

「王よ、破滅を求める王よ――」

 

 二対の魔法陣から王による恩寵を受けた臣下が生み出された。

 叡智を司る者は赤みの掛かった短い栗毛の少女。

 破滅を司る者は青みの掛かったツインテールの金髪の少女。

 それは、友人であった○○○○○を助けようとしてくれた唯一の少女たちを模した臣下だった。亡くした四人は蘇らす事は無い。何故ならそれは死を冒涜する事であるから。そして、蘇らした四人はあの頃の四人では無いと分かってしまうからだった。ナハトヴァールはしゃらんと蛇のアクセが先端に付いた十字の杖を掲げる。すると、二人の臣下はその場に膝を付いて王を敬った。それは証明だった。この身の全てが王のためにあるものであるという従属の証だった。

 

「叡智を司る者よ、貴様には星光の名を与える。名を、シュテルと名乗れ」

「はっ、有難く頂戴致します我が王よ」

「破滅を司る者よ、貴様には雷光の名を与える。名を、レヴィと名乗れ」

「はっ、有難く頂戴致します我が王よ」

 

 シュテルはとある小学校の制服を模した紅き騎士甲冑に、レヴィはレオタードを模した蒼き騎士甲冑に身を包む。そして、その手にはそれぞれのオリジナルを模したデバイスが握られていた。ルシフェリオンと名づけられた賢者の杖を、バルニフィカスと名づけられた破壊の斧槍を胸前に掲げ、真上へと持ち上げる。そして、重なった二つのデバイスに十字の杖が乗せられる。

 

「では征こうではないか。クククッ! 待っていろギル・グレアム。その首我が切り落として晒してくれようぞ……ッ!!」

 

 そして、ナハトヴァールはふわりと浮かび、復讐すべき対象が必ず現れるであろう瞬間を手にする度に覇道を歩む。二人の臣下を共にして数々の歴史を紡ぎ上げるのだった――。

 

「――って感じの夢を見たんやけど」

「む? そうなのか。それはまた盛大な夢だな。漫画の読み過ぎではないか」

「うーん。昨日は直ぐ寝たんやけどなぁ」

「大体、“記憶喪失”の我らだぞ。本当であってもそれが嘘か誠か分かるはずがなかろう」

「あー、それもそうやね」

 

 八神家の朝は早い。いや、訂正するならば八神家の姉妹の朝は早い、だ。

 それは髪色が違うだけで瓜二つの姉妹が起きる時間が四人分の朝食を作るために台所へ向かうからだ。妹の名は八神はやて。栗毛の朗らかな性格と関西弁が特徴的な足の不自由な少女だ。姉の名はナハト。何故か八神家の庭に二人の友人と一緒に倒れていた黒髪に金メッシュな前髪が特徴的な少女だ。

 二人の関係を言い表すのであれば家主と居候である。正確には姉妹ではなく、義姉妹であった。

 はやては数年前に両親を失って天涯孤独となり、ギル・グレアムという両親の友人のナイスミドルな英国紳士に引き取られてその養子となっている。本来ならば英国へはやてが向かうのだが、はやての意思により両親と暮らしていた家に住んでいる。時折グレアムの娘である二人の姉妹が遊びに来て世話をしてくれる、という生活を送っていたのだが、つい先月の今頃にナハトと友人二人を拾って擬似家族を形成していた。一ヶ月という時間は案外早くも長いもので、今では数年来の家族の様に接していた。

 そして、困った事にナハトとその友人らしいシュテルとレヴィは皆揃って記憶喪失だった。「記憶が戻るまでうちで暮らしてみるかー?」というきっかけでナハトたちははやての家でお世話になっているのである。

 

「それっぽい本もあるしなー」

「ああ、あの闇っぽい本か。今頃物置で埃を被っているのではないか?」

「せやね。後で引っ張り出して天気干ししよかー」

「ふむ、ついでに物置の整理でもするか」

「せやなー。あ、もうお味噌汁できたで」

 

 味噌が入りふわりと日本人家庭の匂いと呼べる香りが台所から漏れて行く。その匂いに連れられてか、トトトトと階段を下りる音が聞こえ、バーンッ! とリビングの扉を開いて現れたのは髪を下ろしたレヴィという青髪の少女だった。元気な雰囲気がリビングに突き抜け、居るだけでムードが明るくなるアホの子でもある。

 

「おはよう! ディア! はやて!」

「うむ、おはようレヴィ。顔を洗ってくるがよい」

「うん!」

「あはは、珍しいなー。シュテルがレヴィより遅いなんて」

「……はい? 私は新聞を読んでいましたが」

 

 レヴィが元気よく出て行ったリビングのソファで新聞を広げてひょこっと顔を見せたのは赤髪のシュテル。黒縁の眼鏡が知性ある気品を醸し出していて、手に持った新聞を持っているのが当然に思えるくらい大人びていた。だが、レヴィと同じく早起きせず朝食の手伝いをしていない。その本性は押して図るべしである。

 

「む……、朝の挨拶ぐらいせんか」

「申し訳ありませんディア。朝刊の猫特集に目を奪われていまして」

「あー、ならしゃーないな。おはようシュテル」

「おはようございます。はやて、ディア。もう朝食ですか?」

「せや。今日のお味噌汁は赤出汁やー」

「ほぅ、それは楽しみですね」

「いやっほー! ボク颯爽と参上ッ!」

「では、レヴィ早速お手伝いしましょうか」

「うん!」

 

 新聞を綺麗に畳んで配膳の皿を出し始めたシュテルと皿を並べるレヴィにナハトとはやては笑みを浮かべる。それが八神家の朝の光景だった。あわわとシュテルから受け取り損ねた皿をレヴィが神業の様なアクロバティックを披露してキャッチする等のイベントもあったが、テーブルに四人分のお皿が並べられる。

 

「ふっ、本当にレヴィはアホ可愛い奴よ」

「あはは! そうやなぁ。ほんま、明るくなったなぁこの家も」

「……ふん。我らは家族だ。悲しい時も、嬉しい時も、傍で支え合うのが家族というものよ」

「そうやな……。うん、ありがとなナハト」

「宜しい、では配膳だ」

「おー!」

 

 いつまでもこの温もりが続きますように、そう心で願いながら今日もはやては笑みを浮かべる。寂しさで固まった愛想笑いではなく、雰囲気を明るくする屈託の無い笑顔で。笑みを返してくれる家族が居る。八神はやては幸せだと心から言えた。「いただきます」と声を揃えて、今日も八神家は楽しい雰囲気で過ごすのであった。



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A’s38 「零れ落ちた記憶、です?」

 ヒドゥンとの戦いで負った怪我は肋骨二本に皹、右腕を骨折した挙句三十キロは離れた場所からの帰還にシロノは流石に疲労困憊であった。そのため、虎の子であるバッテリーシステムに組み込まなかった試作品以前の試作魔力バッテリーによりポーションの様な一時的な回復を行い、空を突っ切ってショートカットして松の間に戻ったのだ。が、その光景を見て溜息を吐いた。

 あの後、結局恭也を酔い潰した忍と美由希がリニスとプレシアを陥落、その後アルフが大量な食事と少量のお酒の入った水でダウン、匂いで酔ったなのはがフェイトを抱き締めて幸せな眠りにつき、勇人は逃げ出そうとした所をアリスによって撃墜、そしてそのアリスを間違えてお酒を飲んだアリサが轟沈させ、ユーノは勇人の下敷きとなり尊い犠牲となった。因みにすずかはシロノが口にしていたコップに水を足して少量のお酒で舟を漕いだ。アリアは既に前にアリシアに抱き締められてそのまま就寝している。因みに士郎と桃子はそんな様子を仕方が無いなというほろ酔い顔でぼーっと見やっていた。

 結果、頑張って帰って来たシロノの目の前には酔いつぶれた面々が居てシロノの大激闘は無かった事にする事ができた。何処か腑に落ちない気分ではあるが、シロノは諦めて解毒魔法を行使して正気に戻った士郎と桃子に助力を乞い、大人組と子供組の部屋へ担ぎ上げて放り込んだ。

 

「……はぁ、酷い目に遭った。結局あいつは何がしたかったん……だ?」

 

 引かれていた布団へすずかたちを寝かせ終えたシロノは、満身創痍を内側に隠した体を労う様に窓側の椅子へ座った。どっと来た疲れを気だるげに流しながらヒドゥンとの一件の愚痴を吐いていた時にふと目に入ってしまった。すずかたちが起きぬ様にと配慮して暗かった部屋を照らす月光によってキラリと輝く青い宝石たちを。

 その数五つ。疲労による幻覚じゃないかと疑ったシロノはふぅと深呼吸して心を穏やかにさせてから、もう一度瞳を開いてその光景を見直す。対面する椅子の上で輝く五つのジュエルシードがあった。それも置いていった人物を愉快犯と思えるくらいに横一列に並んで数え易い置き方がされていた。

 手に取って見れば本当に宝石の様に透き通る青色をしていて、つい月光に翳してしまったくらいに美しいジュエルシードがそこにあった。シロノは痛み出した頭を片手で抑えながら、手に取ったジュエルシードたちを机に置いてからS2Uを取り出した。起動したS2Uから一つプットアウトして比較してみれば、まるで中身を洗浄されたかの様に置かれてあったジュエルシードは綺麗な色をしていた。

 

(まるで放置された池の濁りを取り除いたみたいに綺麗な色だな。……んん?)

 

 シロノは自分の表現に少し引っかかりを覚えた。何処かで似た様な事を聞いた覚えは無かったか、と。そして数分の沈黙を持ってシロノは思い出す事ができた。それは、テスタロッサ家に行った時に聞いた内容にあった。イデアシードによってジュエルシードを本来の形へ戻す事ができる、というヒドゥンの甘言を、だ。そしてその関連性を考えようとしてシロノはふと疑問に思う。

 

(イデアシードって…………何だ?)

 

 そう、自分で然も当然の様に使っていた一つの用語が分からなかった。思い出そうにも全く引っかかりを覚えず引っ張り出す事ができなかったのだ。顎元に指を置いて暫く考えるシロノだったが、これまでの任務や書類にそんな名前を見た覚えも無く、また、情報を収集していた際にふと覚えていた覚えも無い単語に首を傾げた。まるで、するっと抜け落ちてしまったかの様に覚えていなかった。

 取り合えず、シロノはイデアシードはジュエルシードを洗浄できるロストロギアであるとだけ脳内ファイリングして、五つのジュエルシードをS2Uに収納した。これにより、見つける事の出来なかったジュエルシードは六つとなった。

 

「んー、棚から牡丹餅感が強いけれど、もしやヒドゥンはこのためだけにぼくを誘き寄せたのか? 確かに航行証が無さそうな様子だったし、違法魔導師が捜査協力するってのも少々アレか。いや、けど……。まぁ、公務執行妨害だけにしといてやるか。骨も明日明後日には治ってるだろうし……」

 

 夜の一族としての血はシロノの体を生存に特化する様に更新を続けていた。具体的には、とても死に難くなったと言えた。何せ、全治何週間の骨折が治癒魔法で皹へと戻しただけでもう殆ど痛みが無いのだから、その回復力は異常であると言って過言では無い。戦いによって失った血液も既に殆ど戻って来ているし、強いて言えば空腹感がある程度でシロノはほぼ健康体であった。

 そのため、ヒドゥンとの戦いによって負った傷を記載する事はシロノの異常性を記す事と何ら変わりない。それならば、ジュエルシードを此方へ寄越した事で少し大目に見てもいいかなとシロノは思えた。何せ、シロノの異常性がバレたなら芋蔓式にすずかたち夜の一族の事が引っこ抜かれかねない。ならば、多少の事実を捻じ曲げる事もまた必要になる。それに、幸いにして自分の傷だけだ。問題になる様な点は見当たらない。任務の際のみ記録を取る様にしているため此度の戦闘は記録に残っていない。

 加えて、ヒドゥンの何かと思われる魔力反応はNeed to knowな結果が出たのだから尚更に危うい情報なのだ。むしろ、この戦闘を無かった事にしても問題無いかもしれないとシロノは今後の保身を考える。流石に陸の執務官と言えども、秘密書類を見たなだから死ね、と殺されては堪らない。決して探る様な素振りを見せずに演技し尽して監視を撒くしか無い。九歳で未亡人とか何の冗談だ、とシロノはすずかを想う。

 

「やれやれ……、でもまぁ休暇を取り潰す様な事態には成っていないだけマシかな。残りの六つは海鳴市以外の場所を探すしか無いか。あー、そう言えば海の中とかありそうだな。さっきまで沖合いまで居たけど海鳴市に近かったし」

 

 海鳴市を中心にコンパスで地図に円を書いて行けば面する海も範囲に入っているだろう。何故思いつかなかったのだろう、とシロノは自分の発想の無さに首を振る。けれど、本当は既にその案は存在していたのだ。そう、シロノの記憶から抜け落ちていただけで、確かに存在していたのだ。なのに、シロノはそれを忘れていた。思い出すためのきっかけも記憶も無いのならば、失った一つ二つ三つはあろう戸棚の引っかかりがそもそも存在し無い事に気付けない。

 シロノ・ハーヴェイは原作と呼ばれる未来の知識を一切合財抜き取られていた。

 それは前世の記憶という曖昧模糊な場所から抜き取られたというのもあって思い出すためのきっかけが存在しなかった。何故なら、その知識はシロノの頭の中だけにしか無かった情報なのだから。『魔法少女リリカルなのは』のDVDがある訳でも『リリカルおもちゃ箱』のディスクを持っていた訳でも無い。それはまるで昨日の夕飯を忘れてしまった時の様にどうでも良い記憶として処理がされていた。何せ、間違えれば妄想でしかない情報なのだから。

 

「まぁ、取り合えずクロノがそろそろ来るだろうし発案ぐらいは考えておこうかな。というか、今日はもう疲れたな……。何で休暇なのに休めてないんだか……」

 

 ジュエルシード事件、いや、本来ならPT事件と称された事件の全貌すらも消え失せていたシロノにとっては休暇先での厄介な事件としか認識が無かった。仕事し過ぎだろと愚痴ったシロノはS2Uを仕舞い込んでそのまま背もたれに倒れこんだ。折れている幻痛がする右腕をぶらりと下ろして、左手で顔を覆う様に目元を月光から隠した。段々とコールタールの様にどろりとした疲れがシロノの瞼を落として行く。ずるりと落ちた左腕がぶらりと椅子の横で揺れた。

 沈黙に満ちた部屋で寝息の音だけが虚しく響く。死んだ様に眠ったそのシルエットを窓越しに木の上で見ていた黒い魔導師は踵を返して枝を蹴った。しなる様に歪んだ枝の発条を利用して静かな空へと飛んだ拍子に、ローブのフードが捲くれて背中へと落ちた。現れたのは白い長髪。ばさりと広がった髪の間からはすらっとした整った顔が覗いた。瞳の色は血の様に紅く染め上げられた宝石の如く美しい。

 

《その記憶だけは残してはいけない……。漸く、漸く悲願成就の土台が出来上がった……ッ!!》

 

 月夜に響く機械音声は先ほどまでシロノと戦っていた時に響いていたそれと同じ。その名はヒドゥン。時の超越者と名乗り、全ての時を凍て付かせる者と自称した黒いローブで姿を隠した魔導師だった。シロノが就寝した様子を見届けたヒドゥンは失せたフードを引っ張り上げて再び顔を隠す。

 

《やっとだ。もう何十年も悔やんで嘆いた。――――絶対に失って堪るものか……ッ!!》

 

 ヒドゥンはデバイスを包んだ黒い布を振るって魔法陣を構築する。それは三角と円形を混ぜ込んだ様なペンタゴンの形をしていた。悲願成就のためにヒドゥンは魔法陣に現れた鏡の様なゲートに身を任せてその場から消え失せた。莫大な魔力による次元震一歩手前レベルの揺れによりその形跡は見つける事ができず、一晩の夢の如くその存在を隠して消え失せる。

 まるで、ヒドゥンという人物がこの世に居なかったかの様に空虚に溶けた。



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A’s39 「半年振りの再会、です?」

「……で?」

「ん、いや、先日ジュエルシード揃っちゃったんだけど。はい」

「本当に二十一個揃ってる……ッ! ぐっ、お前の手際の良さは段違いだな」

 

 数日後に海鳴自然公園の一角を結界で隠蔽と人払いをした空間で黒い執務服を着た少年と正反対の色の執務服を着た少年が対面していた。勿論ながら前者が頭を押さえるクロノで、後者が苦笑交じりのシロノである。アースラが転移魔法陣圏内に待機できた事をシロノにその旨を伝えようと連絡を取った結果、今忙しいので翌日自然公園にて、というおざなりな返しをされたクロノは「ん?」と少し嫌な予感を覚えながら不承不承に了解した。

 そして、出会った結果がこれである。詳細を言えば、一昨日沖合いの海底にあったジュエルシード六つを回収してそのお疲れ様会をしていたのが昨日の出来事だ。つまり、忙しいというのはそのお疲れ様会の事であって、別にジュエルシードを探していてという類のものではなかったのだ。

 二十一個きっちり揃ったアタッシュケースを渡されてしまったクロノは途方にくれた子供の如く唖然とした。何せ、援軍に向かった筈が既に状況が終了していてその打ち上げすらも終わっていたのだからその取り越し苦労感が半端無い。なまじ、ヒドゥンとの戦いで膨大な魔力反応をキャッチしていたから尚更である。「頑張って来た結果がこれかッ!?」と邂逅一番に愚痴ってしまったクロノは悪くない。何せ不眠不休の整備班の苦労を超えてのこの仕打ちである。

 本来であれば五月後半に来たアースラは原作的に見れば格段に早い到着である。だが、それよりも早く終わってしまったので、ジュエルシードを受け取りに来ただけになってしまったのだ。本当ならば「世界はこんな筈じゃなかった~」と名台詞を叫ぶクロノの雄姿が見れた筈なのだが、黒幕一家は既に幸せに高町家を中心に交流を深めているし、本当の黒幕かと思われたヒドゥンもシロノとの一戦から姿を見せていない。ついでに言えば不可思議な白い霧も一切存在していなかった。

 原作の修羅場を知っているシロノたちであったなら「原作(笑)」と苦笑せざるを得なかっただろうが、今のシロノたちは一切合財原作知識を旅館で失っているために解決したぜやったね、という雰囲気である。

 

「アースラスタッフのやる気は何処へぶつければ良いんだろうか……」

「さぁ? そもそも回収任務だし、早く来るのは当然の事だから問題無いんじゃない。どうせ、この件は広まる様な事件じゃないし、きちんと隠蔽すればアースラの回収完了で終わりじゃないかな」

「ぐっ、そう……なんだがなぁ。何だこの遣る瀬無い気分は……」

「あはは、まぁ、ジュエルシードもこうして渡したしオフに戻るね。というか記録取ってないし」

「……それもそうだな。こうして顔を合わせるのは久し振りだな、シロノ」

 

 半年という期間で成長したシロノとの目線のズレに気付いたクロノは内心絶望した。何せ、シロノは夜の吸血鬼もどき化してから更に身長が伸びており、百五十台から百六十台の階段を上っている。一人置いてかれたクロノが嘆くのも仕方が無いだろう。ハテナマークを浮かべる親友を見てクロノは嘆息して、取り合えずアタッシュケースを自分のS2Uへ仕舞い込む。外に出して置く様な中身ではないし、身長の差は筋肉量の差にも繋がるため辛くなったというのもあった。

 

「そうだね、クロノ。息災で何よりだ」

「ふん、誰かと違ってワーカーホリック拗らせて無いからな」

「あはは……、それを言われると痛いなぁ」

「まぁでも顔色が良くなっている。良い休暇を過ごしているようで羨ましい限りだ」

「んー、そうだね。ちょいと思い詰め過ぎてたっていうか、切り詰め過ぎてたっていうか……。うん、クロノに自慢できるくらいに良い休暇を過ごしてるよ」

「ぐっ……、先ほどまでジュエルシードの反応を探していた僕たちに対する当て付けか。当て付けなんだな?」

「嫌だなー、クロノ。友人が頑張る姿を応援しない親友は居ないよ。例えそれが取り越し苦労であると知っていても、ね」

「……プッツンと来たぞ、シロノ。ちょっと模擬戦でもしようじゃないか。ん?」

「構わないけどその前にリンディさんに報告しなくて良いの?」

「ぐぅ……、チィッ! シロノ! アースラに来い! 母さんに報告し終えたら模擬戦闘訓練室に来て貰うからな!」

「はいはい、お手柔らかにね」

 

 若干頬が引き攣っているクロノに睨まれてシロノは苦笑を返す。身長の差が精神面にも作用したかの様に兄と弟な遣り取りであった。そんな遣り取りをアースラのコントロールルームで見ていたエイミィは変わらない印象を覚えた。シロノと久し振りに会うからと張り切って行ったクロノを見送ったのも、転送したのもエイミィである。悪戯気質な性質であるエイミィがそんな同僚二人の再会を見逃す訳が無い。

 

(シロノと出合ったのは二年前、だっけ。いや、そろそろ三年か。あの頃は氷山みたいな子だなーって思ってたなぁ。けど、それはクロノもか。暫く見ない内にかなり大人びた雰囲気があるなぁ。まるで大人の階段を登ったみたいな……なんてね)

 

 頬杖をつきながらエイミィは会話に興じる二人を見つめる。脳裏に浮かぶのは士官教導センターの頃の懐かしい思い出。三人で前衛中衛後衛の役割に徹して輝いていたチーム時代の頃が思い出される。シロノがまだゼスト流の真似事をしている頃ではなく、魔導師として特攻役をこなしていた今ではレアな光景が浮かぶのだ。

 初対面の時、いや、チームを組んで模擬訓練を行った時の事。父親から授けられたS2Uを改造して近距離戦闘を行える強固なフレームにしたのは良いが、重くなって斧の様に叩き付けていたシロノの表情は常に揺れた事は無かった。シロノは何処か葛藤するかのような影があり、心を閉ざしてコミュ障なクロノと相まって、二人は優等生な問題児だった。よくもまぁここまで引っ張り上げられたな、とエイミィは楽しそうに談笑する二人を尻目に思う。

 

(笑みが少し柔らかい? クロノと久し振りにあったから、って訳じゃなそうだねぇ。……これは探りを、いや調査する必要があるかなぁ? ふふふ、面白い事になりそうだね)

 

 からかい甲斐のある少年に育ったシロノを久し振りに弄るための話題を探そうとエイミィはニヤリとチェシャ猫の様に笑みを作る。シロノとクロノが兄弟ならば、シロノとクロノに対してエイミィは姉なのだ。成長した弟で遊んでやるのも姉の務めである、ととんでも理論を展開したエイミィは単純にシロノを弄る事を楽しみにしていた。

 何せ、つい先日まで大規模な魔力反応によって通信が死んでいたため、生死不明のシロノを心配していたのだ。姉貴分をここまで心配させたのだから、弟分であるシロノは遊ばれて当然であるという魂胆らしい。まぁ、シロノも度が過ぎなければ戯れ程度に興じるのだから、言うなれば姉弟のスキンシップの様なものだ。

 

(……ほんと、昔から人に頼らないよねシロノは。こんなに心配させておいて……)

 

 苦笑する様にニッと笑みを作ったエイミィはポーターを遠隔起動して、回収の合図を出したクロノを中心にシロノを拾うための魔法陣を組み上げる。そして、今頃ポーターで喋っているであろう二人が向かう艦長室の方角へ椅子を回転させて立ち上がる。半年振りに、そして、とても心配させた友人に一言申すためにエイミィは歩き出す。ギャーギャーと騒がしい懐かしさを覚える二人の弟分に合流するために。

 

(――ッ!? 今、エイミィに標的にされた気がする。確かに打ち上げ先にやっちゃったのは拙かったかな……?)

 

 そんな検討違いな空気を読んだシロノはクロノに愚痴られながら艦長室へ向かう廊下で背筋を震わせた。言うなれば蟲の知らせと言うべきか、吸血鬼もどきとなってまた一段と機敏になった感覚が警鐘を鳴らすのだ。このまま行けば玩具にされるぞ、と。

 

「はぁ、お前が変な考えに思考を走らせるのはいつもの事だが、流石に艦長の前では止めろよ」

「んー? つまり、執務官モードでバリバリやれよゴルァって事かい?」

「そこまでは言わないが……」

 

 態とらしく仮面を半ば被る様な仕草をして少しだけありやしない冷気を漂わせたシロノに、クロノは呆れ半分、マジで止めろ半分、と言った表情で言う。「分かってるよ」とぽいっと仮面を放り投げる仕草をしたシロノにクロノは少し違和感を覚えた。

 

(シロノはここまで感情を出す奴だったか? 確か、模擬戦かアリア師匠の前以外では何処か固い雰囲気があったと思うんだが……。第九十七管理外世界での休養はシロノにとって素晴らしいも何かがあったんだろう。……少し、悔しいな。僕はシロノの友人だと言うのに……)

 

 そう、シロノはすずかに対して素の表情を見せようと一ヶ月程努力していたために、表情筋が少し柔らかくなっており、作り笑いよりも少し優しげな笑みが浮かんでしまう程に改善されていた。それも、意識しながらの場で無い時もすずかに見せる笑みとまではいかないが、普段浮かべていた笑みより格段柔らかいものである。それ故に表情が明るくなったとクロノは感じたのだ。

 言うなれば、無表情のマネキンが次の日にマスクを被せて笑みを浮かばせたかの様な段違いの差があるのだ。半年振りに直接会ったクロノからすれば中身が入れ替わったんじゃないかと勘繰ってしまうくらいに違和感があるのだ。これじゃない感が半端無いシロノの変貌にクロノは戸惑う事を通り過ぎて空しさを感じていた。

 そう、自分に懐かなかった猫が他人に貸した途端に懐いたかの様な空しさにクロノは襲われているのだ。名も顔も知らぬ誰かに嫉妬しているとも言う。数年来の濃厚な友情の日々を過ごしたからクロノだからこそ無意識にそう考えてしまう。仲の良い友人が取られてしまったかの様な気分なのだ。そして、その気持ちを無力感という見当違いかつ惜しい誤解をしているので何とも言えない雰囲気を醸し出す要因となってしまったのだろう。

 

「クロノ? 艦長室って此処だろう」

「っと、すまない。少し考え事をしていた。……艦長、シロノ・ハーヴェイ執務官をお連れ致しました」

 

 内側から了承の声が聞こえた。「失礼します」と一言告げてから二人は艦長室へ入る。そして、片や慣れた様子で、片や絶句した様子でその光景を見やる。かぽーんと片隅に設置された鹿威しの音が一定のリズムで響き、一面に畳が敷かれ屏風や掛け軸と言った古き良き日本文化に惚れた外国人が完全再現しましたと言わんばかりのクオリティで和室空間と化していた艦長室を見てシロノは頬を引き攣ったままだった。原作知識を失ったシロノからすればこの惨状に面食らうのも無理も無く、所々に存在する盆栽や卓袱台等が視界に入れば「日本コレクターの外人かッ!?」と叫びたくなるのも本当に仕方が無かった。赤い唐傘が片隅にあったりと茶室と和室が和洋折衷した様な混沌具合の艦長室であった。

 

「ふふ、日本の和という概念は良いわね……。心が洗われるようだわ……」

 

 隣で遠い瞳をしているクロノの苦労が少し分かった気がしたシロノは内心で「早すぎたんだ」とリンディのミーハー振りを形容する。元日本人であるシロノであるから、サブカルがつい出てしまう程に動揺していた。見た目西洋も真っ青な未来艦船の艦長室が和室、ありえねぇ光景にも程があると呆れてしまうのも無理も無かった。何せ、ここは艦長室。最悪、他の提督がリンディに物申す際に訪れる可能性のある場所だ。それが私物化されていたら。それも、提督机に綺麗な音色がする壺が置いてある程度の様なものではなく一面魔改造されていたらそれはもう威厳がだだ下がりである。

 長い次元航海により慣れてしまっていた身内の恥を見せてしまったクロノは、先ほどまでの考えを忘れてしまうくらいに穴があったら土葬されたい気分だったそうだ。



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A’s40 「半年振りの友好を、です?」

 リンディへ冷たい視線を向けながら淡々とジュエルシード事件の全貌を語り終えたシロノは電子書類を渡した後、何処か疲れた様子のクロノに連れられて艦長室から出た。空気が抜ける様な音が聞こえ艦長室の自動扉が閉まる。そして、その瞬間にシロノは冷たい雰囲気から失笑し、肩を震わせてくぐもった笑い声を手で抑え、最終的に執務服の袖を噛み締める様に笑った。日本人としての感性がミッド人としての感性とぶつかって化学反応を起こしたらしく、段々と和室という航行艦の艦長室としてミスマッチな風景に笑いのスイッチが入りかけていたのだ。執務官としての仮面を被ってまで笑いの絶頂を抑えていたのである。

 

「くっ! くくく……ッ! ――~~ッ!!」

「シロノが最初で良かったのかもしれないと思っている僕が居るのがもう……はぁ。これを機に母さんの説得の材料にするか……」

「――ふぅ。すまないクロノ、久し振りに愉快な出来事だったから止まらなくてな」

「いや、皆まで言ってくれるな……」

「そうか。模擬戦はどうするんだい?」

「……そうだな。少し動きたい気分だ。一戦付き合ってくれないか?」

「君との仲だ、快く付き合うさ」

「……すまないな」

「構わないさ」

 

 クロノは目から光る物を拭いながら明後日の方向を見やり、シロノに肩を叩かれ慰められながら艦長室から離れて行く。シロノ的には成長したクロノと模擬戦を楽しみにしていた。元々武人気質が垣間見れるシロノであるからして、戦う事に誉れや誇りを持ち出すのは常だ。それも、半年会わなかった親友との模擬戦だ。一人の魔導騎士として武者震いが内心止まらないのは無理も無いだろう。

 場所が変わり、アースラ内での戦闘訓練を行うための部屋の中で対峙した白と黒の執務服の二人はお互いに得物であるS2Uを構える。高速処理に特化したクロノのS2Uと平行演算に特化したシロノのS2Uの先端が互いに向けられる。

 

「では、ワンダウンまでの時間無制限モードで、全力で戦ろうかクロノ」

「あ、ああ。何処かやる気満々だなシロノ」

「なに、あちらで師匠レベルの武人に手解きを受けてね。別に一昨日の沖合い回収作戦の時に前衛だから下げられて、その間にあっさりと解決したから憂さ晴らしがしたいだとか、そんな事は全く思っていないから!!」

「一から十までソレだろう!? ちぃっ! 唯でさえ気が抜けない相手だと言うのにこうもやる気だと遣り辛いな」

 

 シロノのボイスコマンドにより、二人の間に「5」のカウントが出現する。四、三、二、一とカウントが進み、カウントが失せた瞬間に二人の雰囲気が一変した。槍型S2Uを突きの形で構えたシロノが床を踏み締めて砕かん勢いで解き放つ。S2Uを回転させて辺りに魔法をばら撒いたクロノが後退の姿勢に移行しながらスティンガーレイを構築する。

 たった四コンマの動作でお互いに初期動作を終えた二人は模擬戦を開始した。

 先に踏み出したのはシロノ。目の前で圧縮した空気が解き放たれたかの様な速度でクロノとの八メートルの距離を三歩で詰める。その一段と上がった速度にクロノはスティンガーレイの構築を諦めてただの魔力弾を散弾の如く放ち、その動作と共にバックステップを踏む様に宙へ舞い上がる。手首の返しでくるりと回す仕草で直撃コースの魔力弾を消し飛ばしたシロノは宙に上がったクロノへインパルスカノンを速射する。その光景に眉を顰めたクロノは前方にシールドタイプのプロテクションを張って、滑らせる様に威力を捨てたインパルスカノンを流す。

 

「レイデン・イリカル……ッ!!」

「蒼窮を駆ける白銀の翼、疾れ風の剣……ッ!!」

 

 インパルス・ブーストを背中へスラスター展開したシロノを誘い込む様にクロノは最初にばら撒いた魔法術式に最後の呪文を加える。直線にしか進めないブースト状態のシロノはジグザグに加速する事で空間固定系バインドであるディレイドバインドを跳ね除け、クロノの眼前へと肉薄する。右手首を内側に捻る様にする事で右腕を引く際の省略を行ったシロノは最速の突きを構えた。

 

「囲え風の檻ッ!!」

「なっ!? 追加詠唱!? くっ!」

 

 シロノとクロノとの模擬戦は度々行われていた事もあり、どちらも幾つかの手札を見知っている状態から始まる。そして、その均衡が崩れるのが新魔法の存在だ。クロノからすれば足先にしか置いてなかったインパルス・ブーストをスラスターの様に背中へ展開した事に虚を突かれたが、今回はシロノが二詠唱だったディレイドバインドへ三詠唱目を加えるアレンジを入れた事により隙が生まれてしまった。弾けるポップコーンの如く散弾めいた角度で解き放たれる青い魔力鎖がシロノの視界を埋めた。

 クロノが当たり一面にディレイドバインドを設置した際に一番気を付けた事はシロノによりその悉くを砕かれる事だ。だが、シロノはそれを捕まえられない速度で避ける事でバインドを避けてくれた。それにより、辺り一面、否、クロノの前方百八十度に展開された二十二個のディレイドバインドの花を開かせる事ができた。

 埋め付くす様に絡み付いてくる大量の魔力鎖をシロノはS2Uを長刀状態へ移行させ、振り回す様に振るう事で竜巻の如く粉砕した。ディレイドバインドの檻はクロノの前面が一番厚いため、先程誘い込まれた真後ろからシロノは脱出を果たす。すると行き場を失った魔力鎖が絡み合って球体になってしまった。逃げ遅れればS2Uどころか四肢と体も捕まってブレイズキャノンによる追い討ちを受けていただろう。

 シロノが武人として成長していた様に、クロノもまた魔道師として成長していたらしい。その昔との差異にシロノとクロノは笑みを浮かべる。士官教導センターでも事あるごとに戦い続けた二人だ。背中を合わせているよりも正面で戦った数の方が多いくらいである。そんな二人が模擬戦を興じるなと言われて興じない訳が無い。

 

「流石クロノえげつないバインド技術だ」

「ふん、それをぶち抜くシロノも大概だろうが」

「それもそうだねッ!!」

「全くだッ!!」

 

 シロノは地に足を着ける事でメリットを作る陸戦魔導師である。そのため、空戦魔導師であるクロノとの戦いに空中を選ぶ事はデメリットでしかない。一合だけはクロノの土俵に合わせたシロノは即座に下に吹かせて床へ足を着けた。そして、長刀状態のS2Uを構えたシロノは宙に吊った五円玉の如く体を揺らして魔力を発する事で多重に揺れる姿を作り出す。

 常時発動型幻影魔法陽炎。

 恭也との一戦を踏まえたシロノが作り上げた完成形とも言えるバトルスタイルの魔法再現である。

 目視ではゆらりゆらりと残像を残して場所を特定できなくなったシロノの姿があり、そのどれもが魔力的質量を持つが故にサーチにも全部が本人という巫山戯た答えが返って来る有様だった。その近接戦闘にとって一番大切とも言える間合いをずらす陽炎となったシロノをクロノは「げっ」と嫌な物を見たと言った顔で短く呻く。

 空中戦が苦手であるシロノが空に浮かぶクロノへ取る戦術は一つ。腰下へ構えたS2Uの刀身が蒼く煌めく。切り上げる様に放たれたインパルスブレイドが多数の陽炎残像からの幻影が加えられて放たれる。一が十に、十が百と魔力反応が爆発する様に増えた剣撃にクロノは半身になって撃墜を試みる。直撃するブレイドだけをスティンガーレイで打ち落とす。何せ、逃げ場が一瞬で後ろしか無くなるのだ。壁に詰められたら最後だ。圧倒的弾幕によってクロノはプロテクションで守る以外の手立てが無くなり、接近したシロノのバリアブレイクによってプロテクションごと突き抜かれるのが関の山だ。

 前方に立っていたシロノが笑みを浮かべるのを見てクロノはゾッと背筋を粟立たせた。その場に居るな、という本能による警鐘に従い真上へと上がる。そして、部屋を見下ろして絶句する。初撃で当たらなかったインパルスブレイドは弧を描くブーメランの様に先程クロノが居た場所へと殺到していた。あのまま場に残っていたら一発二発の隙から思考能力を削られ滅多打ちにされていたに違いない。

 

「しまった!!」

 

 クロノは唯でさえ目を離してしまってはならないシロノの姿を一時であるが外してしまった事を悟る。そこから始まるのは竜巻を束ねた大嵐。移動するシロノの残像によって段々と床が埋まるという絶望的な状況を背景に、一人しか居ないクロノへ殺到するインパルスブレイドの軍隊が迫り来る光景を見てしまった。たった数秒見逃していただけで数の暴力と化したインパルスブレイドを避けようとクロノは“地に居る”シロノから離れようと下がり――トンっと背中を天井に押された。

 

「……え゛」

 

 背水の陣と化したクロノは目の前にプロテクションを何重にも張る事で迫り来るブレイドを受け止める。ガリガリと削られて行く魔力にクロノは呻く。しかし、真の一撃を避ける事ができればこの状況は一変するのだ。その一時が来るとシロノを信じてクロノは耐え続ける。

 そして、受け止めて消え失せたブレイドの残光の後ろに槍状のS2Uを構えたシロノの姿を捉える。それはクロノからすれば青天の霹靂の如く状況下で見出したチャンスだった。再びブレイドの本流に飲まれて消えたシロノの姿をクロノは逆算するための一欠片として加える。そして、バリアブレイクを行った会心の突きを受けて砕け散るプロテクションの欠片がシロノを内部へと誘った。

 そして、シロノは見る。

 一瞥した程度で判別できてしまうくらいに昔話し合った魔法術式の円状魔法陣を。

 

「ブレイズキャノン――ッ!!」

 

 驚愕に染まるシロノの表情を見て勝利を感じ取ったクロノは、瞬時にニヤリと笑みを浮かべた豹変した表情に呆気取られた。直後シロノは迫り来る青い砲撃を貫いた。行った事はとても単純な事だ。以前、シロノが師匠であるゼストを模したシミュレーション訓練でブレイズキャノンをぶった切られた事があり、その仕組みを考えに考え抜いて一つの解が出たのだ。防壁系魔法をぶち抜くバリアブレイクという技術がある。それはある意味シールドを砕く事に特化した魔法技術だ。ならば、別に砲撃を切り裂く事に特化した魔法技術があっても可笑しくはない。それに目を付けたシロノの行動は早かった。

 

「ブレイクダウンッ!!」

 

 砕く事に特化したバリアブレイクをアレンジした付与型防壁破壊魔法ブレイクダウンこそ、クロノの知らぬシロノの新たな魔法だった。ブレイクダウンを付与したS2Uが蒼い軌跡の一閃を結ぶ。するりと構えるS2Uを避けて、がら空きの腹部に会心の一撃を貰ったクロノは衝撃によって天井へ叩き付けられ、勢いの余波によりそのまま直進したシロノの推進力により天井に皹を入れる結果を齎した。

 天井とS2Uの先端により挟み撃ちにあったクロノはバリアジャケットである執務服を貫通して届いた衝撃により内臓が圧迫され意識をブラックアウト。鏡が割れるかの様に全ての残像が砕け散り、堕ちて行くクロノの腕を取ったシロノを照らした。

 

「……遣り過ぎたかな」

 

 ぐったりとしているクロノを床に下ろしたシロノは頬を搔く。吸血鬼もどきと化しているが別に魔力量には関係無いし接近戦を用いないクロノとの戦いにはメリットにもならない。けれど、この様な物理的なダウンを取ってしまったが故にクロノへ医療系サーチを掛けて心配するのも仕方が無いだろう。何せ吸血鬼パワー全開で本気で踏み込めば音速を超える速度で距離を詰めてぶん殴るだけで終わる程に、身体能力が強化されると知っているが故に、普段よりも力を込める戦闘での力加減の具合が不安なのだ。

 サーチの結果、幸いな事にバリアジャケット許容量を越える衝撃を受けただけで、クロノの内臓は破裂したりはしていない事が分かった。安堵したシロノはバリアジャケットを解いて汗で濡れた髪を払った。

 

「さて、クロノを任せたよエイミィ?」

「……あはは、バレてたかー。お疲れ様。半年前の雪辱を果たしたみたいだね」

「今回はぼくの切り札が一枚多かった、それだけだよ」

 

 入り口から現れた笑顔のエイミィに持ち上げたクロノを受け渡したシロノはS2Uを仕舞い込んでから壁に背中を任せた。魔力を大量に消費した事で戦闘によって鈍くなっていた疲れと共にどっと流れてきたためだ。陸戦魔導師たるシロノがクロノを撃墜できたのは一重に戦闘訓練室が狭かったからだ。狭い空間である此処でない広い場所であったら陽炎による残像弾幕はただの牽制にしかならなかった。逃げ場を詰めれる此処であったから追い詰められたのだ。機動力を失っているクロノはシロノの様に一撃で落とせる様な切り札を持っていなかった。もっとも、あったとしても砲撃を切るだなんて行動に出るシロノには通用しなかったかもしれないが。

 魔力を二割残して全力で魔法戦闘を行ったシロノは息を整えながら、クロノを介抱するエイミィを見やる。救護室に連れて行ってやれば良いものを膝枕して寝かせている。本人の意識が無い時にやっているから尚更にシロノは思う。

 

「で、告白はできたの?」

「え、えっと……、まだ、かな」

「……そっか。まぁ、エイミィとクロノがへタレって事は前から知ってたから予想してたけどさ」

「ひどーい! そういうシロノだって浮いた話聞いてないよ? そろそろ何かあっても良いんじゃない!?」

 

 頬を膨らませて抗議するエイミィの手がクロノの頭から離れていない事に内心笑いつつ、息を整え終えたシロノは壁から離れて入り口へと歩く。ジト目な視線を感じつつシロノは開いた扉から出る直前に振り返りエイミィに言ってやった。

 

「素敵な婚約者が居るから必要無いかな」

 

 そんな爆弾発言をしれっとして、ニヤリと悪戯が成功したという笑みを見せた。数秒後にシロノは閉じた扉の向こうへと消えた。その衝撃的な内容に自分の耳を疑って、端末で戦闘訓練室の会話ログを拾い直して、それを三度繰り返して漸く事実を認めたエイミィはクロノが飛び起きる様な声量で驚愕の声を上げた。そして、エイミィたちが問い詰めようとしたシロノは既にアースラから地球へと戻ってしまっていて、狐に化かされたかの様な困惑と親友のおめでたい出来事に二人は暫く混乱していた。



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A’s41 「アバンチュールは突然に、です?」

 太陽光の熱さが跳ね返る浜辺でシロノは海パンと白いパーカー姿で立ち尽くしていた。

 どうしてこうなったんだろうなぁと若干遠い目をしているのは無理も無い。夏休み期間に入ったすずかとの会話で海を見た事が無いとシロノが溢した結果がこれである。まさか、休暇最終日手前の日まで月村家が所有する別荘が立つ管理されている無人島へバカンスに行くとは思うまい。

 回想は二時間程巻き戻る。

 目を覚ましたらログハウスの中のベッドという大混乱間違い無い状況下で、左腕を絡めて幸せそうに寝ているすずかを発見してSUN値を戻す羽目になったシロノは静かに嘆息した。誘拐や拉致と言った可能性を考えるが、結界を張った月村邸でそんな輩が現れたら即座にシロノは目を覚ますだろう。ならば、この状況は確実に身内の犯行だなと考えて、某菓子店マスコットの如く舌をぺろっと出す忍の姿が脳裏に浮かんだ。

 S2Uを召喚し手元に戻したシロノはエリアサーチにより、元凶であろう忍が恭也と一緒にリビングらしき空間でファリンとノエルと共に居る事を把握した。そして、もう少しサーチを続けると桃子がなのはを抱いて寝ている部屋、士郎の監督の下美由希が訓練している浜辺、山を掛ける楽しそうなアリアの姿を確認してからサーチを切った。

 

「……高町家と月村家の旅行に連れ出されたって事で良いのかな。サプライズにしては少し規模がでかいなぁ……」

 

 覆う様に右掌を顔に置いてシロノは取り越し苦労の心配を頭から振り払う。犯人たちのアジト付近で仮眠を取った時の様な反応をしてしまったシロノは、平静になるためにすずかのさらりとした髪を撫でる。指の先へと抜けて行く高級な絹の様な肌触りに癒されたシロノは頬を緩ませた。

 ジュエルシード事件を終えてからシロノは高町家へと足を運ぶ機会を増やし、恭也に一撃を入れる程に成長を果たした。だが、それは戦闘民族高町家の認識を改める一件へと繋がった事で地獄を見る機会を増やした事にも繋がった。そのせいで触れ合いが若干減っていたのもあって、こうして静かな環境ですずかに触れるのは久方振りの事だった。

 

「……駄目だな。一週間もすればまたミッドだって言うのに……」

 

 「んぅ」と髪を撫でる右手に頬を摺り寄せたすずかの可愛らしさに骨抜きになっていたシロノはドアノックが室内に響くまでその天使の様な寝顔を眺めていた。数分後の入室への問いに肯定を返せば、微笑を浮かべたノエルが顔を見せる。ノエルから見ればすずかを愛しそうに撫でるシロノの姿が見えるので微笑ましい光景が映っていたのだろう。

 

「おはようございます、シロノ様。ご機嫌は如何ですか?」

「大変宜しいですよ、ノエルさん。まぁ、こうしてS2Uを手元に召喚しちゃうくらいに驚きましたけどね」

「ふふっ、それはそれは……。忍お嬢様のご期待通りの反応の様ですね。シロノ様とすずかお嬢様のお部屋はログハウス二階に当たります。朝食の準備も進めておりますので、三十分後程に一階のリビングへお越しくださいますようお願い致します」

「分かりました。朝食期待しておきます」

「おや……、承知致しました。では、失礼致します。ごゆっくりとどうぞ」

 

 シロノと出会って、いや、具体的にはシロノが忍へデバイスを含めた技術を教えてからだが、段々とノエルとファリンの仕草や動きが人間らしく成りつつあり、先ほどの微笑もクールなお姉さんが弟へと向ける親愛感が垣間見れた。退室していったノエルを見送ったシロノはS2Uを忍が持っていたのだろうと目星を付けて若干眉を顰めた。ノエルが高性能な自動人形であっても流石に目を覚ましたか如何かを察知できる機能は無い。と、なれば召喚されるだろうS2Uを忍が持っていれば、必然的に見知らぬ場所で目を覚ましたシロノが取るであろう行動、愛機召喚によってノエルを送るタイミングを計れるだろう。

 完全に忍の掌で遊ばれている感じがするシロノだが、恭也から教わった忍対処術により気にしない事にした。実際、高給取りであってもミッド貨幣はこの世界では使えないし、持ってきた地球貨幣は日本円に換金しているが数日程度の予定だったのもあって一万と少しであり、居候の身であるシロノは忍へあまり強く言える立場には居ない。もっとも、既に居候の肩書きは一日目で脱ぎ捨てており、妹の婚約者という立場ではあるが、金銭的に役に立ててない所から居候と何ら変わりない。

 

「ごゆっくり……、ね」

「んふふ……、シロノさん……、すきぃ……」

 

 結局シロノは寝ていて甘えに磨きが掛かっているすずかが目を覚ますまで骨抜きにされ続けたのは言うまでも無いだろう。寝ぼけ眼をぼんやりとさせるすずかの手を引きながら、シロノはノリノリで今回の件に参加したであろうすずかに苦笑する。一階のリビングへと下りてファリンにすずかを任せたシロノは、少々ながら冷ややか視線で恭也と談笑していた忍を見やった。そんなシロノを見て恭也はすまなそうに、忍は何処か楽しげに笑みを浮かべる。

 

「おはようシロノ君。無人島ツアーへようこそ、と言っておくわね」

「おはようございます、恭也さん。……ああ、忍さんも居たんですね」

「し、シロノ君? 何だか私への態度が冷たくない?」

「……冗談ですよ、ええ」

「だから止めとけと言ったんだ……。すまないなシロノ。忍の暴走を止められなくて」

「いえ、恋人に弱いのはよく分かりますから……」

「……そうか」

「と、兎に角シロノ君も座りなさいな。因みに其処ね」

 

 やれやれと冷たい雰囲気を取り払ってシロノは忍に指された椅子へと座りテーブルに着く。少々遣り過ぎたかなぁと忍はシロノの様子を見て苦笑する。席に座ったシロノの視界に壁時計が映り、時刻は六時半と少しばかり朝錬の時間よりも遅い。そう言えば、とシロノは恭也へと疑問を問い掛ける。

 

「士郎さんと美由希さんが浜辺で鍛錬をしている様でしたが恭也さんはもう終えたんですか?」

「……ああ、少し膝の古傷が疼いてな。針での治療を終えたら参加する予定だ」

「治癒魔法で治療しましょうか?」

「そうだな。俺も出来るなら早く鍛錬に戻りたい。後で頼めるか」

「はい。道場でお世話になっていますし、任せてください」

「良かったじゃない恭也。でも神速は体を壊しやすいんだから自重しなさい。あ、それともシロノ君みたいに夜の一族の仲間入りしてみる?」

「それは……」

 

 恭也は痛む膝に視線を落として答えに詰まる。別に夜の一族に属するのには忌避を感じない。だが、シロノが初め感じた様に、脅威的な身体能力を努力も無しに手に入れるのは武人としては避けたいのだろう。恭也はまだ若い。武人とは生涯に渡り流派の技や肉体を極め続ける者だ。瀕死になり命を落とす瞬間でも無い今、夜の一族化するのは軽く頷く事は出来ない。それは、忍と永遠に近くも有限な一生を過ごす事を拒否している訳ではないのだ。その葛藤を知っているからこそ、忍は神速と言う体へ負担を掛ける奥義の多用を自重させるための出しにしたのだろう。

 

「すまない。善処する」

「もう、善処するってしない人が言う台詞じゃない」

「……まだ、早いからな」

「まだ、ね。……ふふふ♪」

 

 ご馳走様ですと言わんばかりにシロノは肩を竦めて、リビングへと戻って来たすずかと入れ替わる様に洗面所へと歩いて行く。何処か嬉しそうな姉と頬を分かり辛いが若干だけ染めた恭也を視界に入れたすずかは小首を傾げ、ファリンはそんな二人を見て微笑みを向ける。熱々なカップルが二組も入り浸る月村邸のメイドの片割れである。主人に対する機敏な察知はノエルよりかは些か鈍いが察する事はできる。もっとも、自動人形であるから耐えられるのであって、普通の人間のメイドだったなら胸焼けで体調を崩しかねない光景である。

 

「では、朝食の用意が出来ましたので食堂へとお越しください」

 

 だが、月村家のメイドは伊達じゃない。美麗な表情で惚気のオーラを物ともしない凛とした動作でノエルは朝食の完成を告げた。その堂々とした姿は正に威風堂々の鳳凰の如く、パーフェクトメイドと名高いノエルの仕事振りには脱帽である。そんな先輩メイドをファリンが憧れで感動したという場面もあったが特段無く食堂へ此度の旅行メンバーが集まり、食事を開始した。

 一部、いや大部分が惚気空間を作った事でなのはが膝元に置いたユーノと喋る姿があったが、食事を終えた一同は本日の本題である話題を持ち出した。それは、高町ブートキャンプもとい高町式無人島鍛錬合宿の始まりを告げる宣言であった。

 これを聞いて戦慄したのは拉致られてこの場に居るシロノだけだ。士郎と恭也と美由希の手招きに初参加のシロノは諦めた表情ですずかへ今生の別れの様な茶番めいた別れを告げ、別室で紫迷彩色のトランクスタイプの水着と白いパーカーを羽織って指定された場所、すなわち冒頭に戻り浜辺に立っていた。

 

「……確か柔らかい砂場は足を鍛えるのに適してるんだっけ」

 

 昔、具体的には二年前程前にゼストブートキャンプもといゼスト式極訓練任務によって得た知識を魂が抜けた様な表情で海を眺めながらシロノは呟いた。忍は言っていた。この島に一週間滞在する、と。つまり、一週間士郎監修の御神流鍛錬合宿に強制参加される事になる。武人として鍛える環境が出来上がっているのは嬉しい。嬉しいのだがせめて心の準備くらいは欲しかったなぁと脳裏にすずかの笑顔が浮かび始めたシロノは一人思う。

 そして、三人の屈強な武人の気配を感じたシロノは嘆息を一つ漏らしてから表情を引き締めて後ろを振り返った。服の上からでも分かる筋肉質な肉体であるとは思っていたが、筋骨隆々という言葉を細身へ引き締めた士郎の見事なボディバランスに戦慄した。人はここまで極められるのか、と一種の真理を見たかの様に海パン姿で仁王立ちする士郎を見てシロノは一瞬だけ呆けた。その隣で準備は完了していると言わんばかりに目をギラギラとさせている恭也と何処か苦笑気味のオレンジ色のビキニタイプの水着に白いパーカーを羽織っている美由希が立っていた。

 

「いいかい、シロノ君。武人にとって必要なのは、屈強な意思により強靭なる肉体を用いて極めた技を会得する事だ。その領域に至るためには先ず、強靭な肉体を得て、屈強な意思を自覚し、技を極めるという三ステップが必要だ。シロノ君は基礎は出来ている。だが、肉体の伸びが著しい現状で止めておくには勿体無いポテンシャルがある。よって、今回の君の鍛錬メニューは基礎に重点を置いた内容にしてある。……ついて来れるな」

 

 初っ端から拒否権は存在しないようである。高町道場でのスパルタな鍛錬内容からして想像できていたので、もう驚く事を止めたシロノは真摯な眼差しで頷く。地獄への片道切符は既に手にしているのだ。それも、手に縫い合わせたかの様にがっちりと。ならば、もう飛び込む以外に道は無い。毒を喰らわば皿までもと言わんばかりに、シロノはこれから過ごすであろう過酷な環境へ自ら足を踏み入れるのだった。



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A’s42 「紅い瞳、です?」

 恭也は目の前の光景に戦慄していた。

 高町式鍛錬合宿の真骨頂は自分という存在を追い込み活路を見出す事にある。それは壁を感じた武人にとっては最悪にして最高の環境だ。ゼストによるサバイバル技術を叩き込まれたシロノは三日間の士郎と恭也と美由希による極限戦闘訓練の中、生きるという最重要課題を達成するために幾つものの策を使い果たした状態だった。士郎と恭也の古傷を魔法で治癒した結果、完治とまでは行かなかったが全盛期の半分程の力を取り戻した士郎と若い故に九割程まで戻った恭也に攻め立てられる恐怖と戦いながら三日間を過ごした。

 そして、極限戦闘訓練終了期日である四日目の曇り空の下でそれは起きた。

 士郎はシロノの肉体が以前よりも跳ね上がっている事を身を持って感じていたし、それは恭也もまた同じ事だ。だが、ここで問題視するべきは二人の間で絶対的な差があるシロノという少年に対する情報の差異だろう。吸血鬼もどきと化している事を恭也は相談を受けていたが故に知っていた筈だった。だが、恭也とて夜の一族と戦った経緯はあれど、皆その血筋としては薄い者ばかりであったのが災いに転じた。予測する事は出来たが、現実に起こるであろうという確証も無かったが故に記憶に埋没していたのだ。

 シロノは夜の一族の中でも特異的に先祖返りしているすずかの血を得た唯一の人物である事を。

 

「――いい、良い……。凄くイイ気分だ……」

 

 極限状況下で武人が死地に活路を見出す事は、その武人に一定以上のポテンシャルと才能が無くてはならない。才能により後押しされた努力によって培った技術や技能が死地によって研ぎ澄まされ、極限に近付いて行く程にその後押しは加速する。そして、師匠に対し弟子が会心の出来を開花するのはもはやお約束の出来事だ。実際、恭也は士郎の実戦の中で得るものを得て、死戦という墓場で命の遣り取りをして今の化物染みた実力を開花させている。そして、今回はシロノがその相伴に預かる予定だったのだ。

 そう、だったのだ。

 思い出してみて欲しい。夜の一族が何を必要とするか。それは、血だ。異性の血ならば尚更に良いだろう。だが、その本質は血に含まれる鉄分であって、必ずしも血で無くて良いのだ。鉄分を多く含む薬であれ、レバー等の自ら血を作り出す食べ物でも代理は効く。夜にすずかに血を飲まれる回数が毎夜となったシロノは数週間までは増血剤を飲み込んで生活をしていた。だが、生存本能による体質の変化で血を大量に作れる細胞と進化している。そんなシロノが血を作るための栄養を欠かした場合、いや、補っていた鉄分を消費した場合、夜の一族としての本能はどうなるだろうか。

 

「――くはっ、クハハッ!! イイね……、何もかもを喰らいたい気分だ……ッ!!」

 

 絶句する恭也と唖然としている士郎と美由希の前にソレは居た。血を欲しがる血管の様に脈動する真紅な髪が群青色と混ざって赤黒い紫色と変貌し、鋭い八重歯が伸びて狂気に染まる笑みを浮かべ、空を彷彿させる蒼い瞳は赤い月を填め込んだかの様に紅く染まり、黒く染まった群青色の魔力が墨汁の如く雰囲気を黒く塗り潰した――今も尚笑い続けるシロノ・ハーヴェイがそこに立っていた。

 禍々しい雰囲気に背筋が粟立ち、絶対零度の如く狂気が辺り一面を汚染するかの如く塗り潰して行く。触れた木々がストレスであっと言う間に枯れて行く。正しく死地を作り出す目の前の暴走したシロノの狂気に呑まれまいと三人は意識を強く保った。

 如何言う事だ、と真っ先に士郎の目線が向いた先は恭也が居た。尖る八重歯や紅い瞳という外見的特徴から吸血鬼を彷彿させ、月村家の事情を知る士郎はすぐさまシロノが夜の一族に連なる者であると看破したからである。目線を向けられた恭也は仏頂面を更に硬くして目線を逸らした。

 

「……シロノはすずかちゃんの血を少量だけ身に宿していると聞いた事がある」

「つまり、今回の件はその血の暴走だと?」

「……恐らく、いや、そうだと思う。シロノは魔道師としての一面があるから鎮圧するにはかなり厄介な相手だ。父さん、美由希は下がらせた方が良い」

「恭ちゃん!?」

「成る程、美由希は唯一の異性だからな。狙うとすれば美由希か……」

「うっ、わ、分かったよ……。一応忍さんに伝えてくるね」

「ああ、任せた」

 

 未だに高笑いを続けているシロノから美由希は気配を殺してログハウスを目指して森を走る。その行動により漸くシロノは、士郎と恭也の存在が居た事を思い出した様にピタリと嗤いを止める。漫画であれば擬音で埋め尽くされそうな気配を持ってしてシロノは眼前の二人を見やる。そして、ニィッと笑みを浮かべて腰を落として地を蹴った。

 その爆発的な速度に反応できたのは士郎だけだった。恭也は視線に収めるだけで限界だった。腰元の小太刀を二つ抜刀した士郎は交差して、猛禽類の如く尖った爪を手刀にしたシロノの突きを逸らす。突きという動作は何も槍だけに通じるものではない。徒手空拳であれば手刀が、武器を持てばその全てが、突きを為せる要因となる。そして、シロノの突きはゼストが認める程の才能の余地を持っていた。それが技能と技術によって足場を固めて、暴走して半吸血鬼化したシロノの肉体を持ってすればその一突きで臓物を撒き散らす凶刃と昇華するだろう。その手刀突きを刹那の神業を為して逸らした士郎の技量はシロノには無い。だが、代わりに吸血鬼が恐れられた最大の理由たる暴力の力が存在する。歴戦練磨の士郎の額に薄っすらと冷や汗を流させる程にその手刀突きは恐ろしい威力を秘めていた。

 

「――クハハハハッ!!」

「ぐっ!?」

 

 暴走したシロノが纏う魔力は陽炎の様な衣となり、次の手を肉眼で見る事を封じた。勘によって交差した小太刀を外した士郎の前に濃厚な拳圧が静止した。小太刀を下げていなければ拳に粉砕された刃によって士郎の顔は大怪我を負っていただろう。シロノが自分を殺しに来ていると警戒度を引き上げ、士郎は気絶させる方針を鎮圧に切り替える。一重に痛みを感じるか否かの差異であるが、四肢を切り落とす事も視野に入れられるため戦略が増える。

 対峙した士郎とシロノの戦いを恭也は見ているだけしか出来なかった。完全に人としてのリミッターが外れている今のシロノは神速を無意識に発動している様な暴力の塊である。御神流継承者ではあるが士郎から師範代以上認められていない恭也では実力不足極まりない。むしろ、士郎のお荷物になる可能性の方が高いくらいだ。

 

「――殺ぁあアッ!!」

 

 撒き散らされる殺気に紛れ、シロノは手刀から五指を開いて鉤爪の如く振るう。しなやかにしなった蛇の様な一振りに士郎は小太刀を一閃しそれを弾く。無手でありながら両掌という二刀を持つシロノと小太刀を二つ構える士郎との激戦の幕が開かれた。暴風の如く暴虐を振るうシロノは冷静の雰囲気でないため技のキレが大雑把極まりない。触れるだけで感じる一撃必殺の暴力の恐ろしさが士郎を襲うが、確りと受け流す技量を持つが故にその顔に恐怖の色は見えない。

 むしろ、手強い相手との戦いに胸が躍っている様な笑みを浮かべる程だ。戦闘民族高町家の家長であるが故にその本質は極まっているらしい。むしろ、そんな父を持つ恭也がバトルジャンキーなのは然も当然の帰結だろう。何せ、完成形が師匠で目の前に居るのだから最高の環境と言っても過言では無いのだ。一振り一閃が死を脳裏に浮かべる一撃であり嵐の中の如く激戦が繰り広げられるのを見て足ではなく口元を笑わせる恭也だ。彼にとって何も問題は無かった。

 大降りであるが故に体力を消費し、陽炎を纏う事で魔力もまた消費し、膨大な消費を続けるシロノが段々と士郎に押される形となり、首への峰撃ちによりがくんと意識を手放した。もしも、シロノがゼストに完璧に指導されていたら士郎とてどうなっていたか分からない程に苦しい勝利であった。

 極限状態での疲れが気絶により出たのか心なしかシロノはかなりぐったりしていた。造血する事ができるシロノであってもその血を作り出す栄養源が無ければ意味が無い。先程の暴走によって更に消費してしまったが故に完全に轟沈したのである。それを何となく察した士郎は小太刀を納めて嘆息した。今回の件は監督役である自分の責任だろう、と士郎はこれからの事を考えながら、美由希によって連れて来られた忍と合流を果たしたのだった。

 数十分後、士郎に担がれログハウスの二階の一室で髪色が変わらぬまま気絶しているシロノにすずかは涙をぽろぽろ流しながら甲斐甲斐しくお世話をしていた。原因は初めて吸血した際に取り込んでしまった夜の一族の中でも濃い血にあるとすずかは項垂れながらも一生懸命口元に食事を運んだ。寝ていても栄養を欲しているのか数人前の食料を食べたシロノの雰囲気が柔らかくなり始め、数時間後には穏やかな表情で群青色の髪を取り戻していた。

 

「……シロノさん」

 

 その事に心から安堵したすずかはベッドに入り込んでシロノを強く抱き締める。自分のせいで化物の仲間入りを果たしてしまったシロノに対し罪悪感を感じながらも、失いたくない思いが勝ってしまい寂しさを埋めたくなったのだ。そして、そんなすずかの気持ちが精神リンクから伝わったのか壊れ物を扱うかの様にシロノはすずかを抱き締める。そんな無意識の優しさにすずかは泣きたくなった。

 惚れ直すという経験を九歳にして感じた聡明なすずかはもうシロノが愛しくて堪らない。すずかは心からシロノが好きだと抱き締める力を強め、その温もりに全身を溺れさせた。もし、すずかの年齢がシロノと同年代くらいであったら若気の至りという間違いが起こっていたに違いない。胸板に頬を摺り寄せて無意識に求愛行動に出たすずかはいつしか眠りについていた。

 それから数分後に、すずかの寝顔が視界一杯に広がったシロノはいつのまにログハウスに戻って来ていて驚いた。記憶を遡るが三日目を迎えてからどうも曖昧だったシロノは考えるのを止める。大方鍛錬中に気絶でもしたのだろう、そう深く考えるのを放棄してシロノはすずかの抱き締めなおして寝直したのだった。



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A’s43 「前世との決別、です?」

「えーと……つまり、ぼくは夜の一族の血が暴走して意識が飛んでた、と」

「ええ、そうみたいね。軽くノエルにチェックさせたけど筋肉の密度が段違いよ。ま、普段からすずかに対して壊れ物を扱う様な丁寧な扱いをしていたからか問題無いみたいだけどねぇ?」

「あはは……」

 

 寝室にて呆れ顔で惚気ご馳走様と言わんばかりの忍に皮肉られたシロノは、見事な腹筋に擦り付く形で正面から抱き締めているすずかの頭をさらりさらりと撫でていた。血の暴走によって夜の一族もどきから半夜の一族となったシロノの身体で著しく変わった点が一つあった。それは筋肉量である。いや、それでは語弊があるだろう。詳細的にはその密度が変わったのだ。細い糸を集めた筋肉からゴムチューブを圧縮して集めた筋肉と段違いな底上げがあったのだ。

 暴走したシロノは技量や技能に劣るが故に、士郎に対して一撃必殺を心掛けた様だった。そのため、完全に後の事を度外視してリミッターを外せばダンプカー以上の衝突力が瞬発的に発せられる筋肉が必要と考えたのだろう。士郎とて人間の身である。車の衝突に人が耐えられぬ様にいつかは文字通り粉砕できるだろう。だが、魔力という著しく体力と精神力を削る代物を垂れ流しにした結果、自爆めいたステータス低下が勝負の分かれ目であった。

 その様子を身振り手振りで伝える忍の笑ってない笑みにシロノはお手上げである。忍曰く、シロノが夜の一族特有の血分欲求が無いのは、自力で足りない分をオーバーさせて補っているとの事。なので、血液としては何ら人と変わり無いらしいが、造血の影響で多少血液量が多いだけで健康診断的にも問題無いそうだ。

 その事を聞いてほっと安堵したシロノにすずかが上目遣いで頭を撫でる事を催促する。惚れた弱みか、若干不機嫌そうな顔もまた可愛らしいからか、再びシロノの右手が働き始める。その様子に忍は苦笑交じりで事の顛末を語り終えたから、と部屋から出て行った。二人だけになった寝室でシロノはすずかの頭を撫で続ける。

 指の合間からさらりと抜けた時に、シャンプーの椿の匂いと混ざる様に香るすずかの甘い香りを嗅ぎ分けられる様になっている事に内心戦慄しつつ、ぼんやりとこれからの事を考えていた。原作知識という未来知識を失っているシロノは半年後に起きるであろう事件の存在を覚えていない。そのためか、ミッドに戻ったらレジアス司令に挨拶に行く事やゼスト師匠に稽古を付けて貰おう等という身の回り関係の事を考えていた。

 正直に言えばシロノは自身の事を強い分類に入っていると考えてはいない。未来のクロノが氷結ならば、今のシロノは凍結の魔導師。ゼストから習ったのは歩法等の基礎技能ばかりで、真髄に触れる技法を教わってはいない。言うなればシロノは一種の壁にぶち当たっていた。自身の方向性を見出せないのだ。シロノが恭也との鍛錬で見出した個人技法を陽炎気と名付けたのは良いが、それをどう運用するかが問題だった。浅く広くが出来るシロノであるが故に、道に通じる師匠が居ないためどれかに偏らせる事ができない。器用貧乏此処に極まると言った具合だった。

 シロノは徒手空拳は勿論の事、槍と太刀を扱えるベルカ騎士でありながら、凍結魔法を搦め手としたえぐいミッド魔導師でもある。純粋に極めるならば応用性が利くミッド型、目の前の敵を確実に倒せる事に特化したベルカ型も捨てがたい。それ故に今までシロノは魔導騎士と言う中途半端な立ち位置で立ち往生していたのだ。

 個人技能である陽炎気の特性は微かに揺れて軸を見え辛くし、一挙の動作を相手に瞬間まで誤認させられる隠蔽性にある。例えるならば、目の良い人間がじゃんけんで相手の出す仕草を挙動で見分けられるとしよう。シロノの陽炎気を使えば常にその仕草が幾多にもブレて実像を捉える事ができなくなり、次に出す種類の特定ができなくなる。

 これは武術の世界では間合いの分類に入る要素だ。何せ、相手が陽炎の如く揺れているのだ。踏み込む動作すらも陽炎の残像でその挙動を見逃してしまう。鍔競り合おうにも虚像を掴んでバッサリ斬られる可能性も有り得る。心眼と呼ばれる一種の先見の極みに達する者で無ければシロノに殴られた事すらも倒れた後に気付く事だろう。

 もっとも、士郎は標準装備で恭也はその域に手を伸ばしている化物スペックであるので模擬戦でシロノが勝利を得る確立は一割に満たないのであるが。それも、寧ろ陽炎気のせいで恭也の心眼が鍛え上げられているというシロノからすれば悪循環である。勝てる気がしない高町家の男性陣にシロノはお手上げ状態である。と、なれば、同じ土俵では武器の性質上速く届いた者が勝利を得るのは必然である。だが、シロノは速度を極める型の武人ではない。寧ろ、搦め手で余裕を奪い隙をえげつなく穿つ型の人間である。即ち技法も技能も遥かに長ける高町家の剣鬼二人に勝てる要素が全く無かったのだ。

 そうなればもう根本を切り替えて同じ土俵に立たせない事が必要となる。

 

(徒手空拳を極めるか……?)

 

 シロノのアドバンテージは半分程夜の一族化した化物スペックの肉体であり、鍛える余地の在り過ぎる代物であるため下手に武器を用いず肉体に特化した方が宜しい可能性がある。懐に入れば一瞬で顎を打ち抜き内臓を抉る程の一撃を間髪無くぶち込めるスペックを持っているのだ。折れるメンテナンスが必要で手元に無くてはならない得物を持つよりかは可能性の幅が広がる。そして、何よりも防御に特化する事ができる。陽炎気の真骨頂とも呼べる逸らす事に特化した個人技能。そして、戦闘維持力が半端無く高い肉体を活かす事が出来る。

 そうなるとテレフォンパンチ程度の技法では意味が無い。何か武術を学ぶ必要があった。何か良いものは無いかと思考に没して見れば、全く見向きもしなかったが故のツケがきた。そう、全く持って何も思い浮かばなかったのだ。ミッドでストライクアーツが大人気程度でしか思いつかず、実戦というよりもスポーツの意味合いが強い其れを学ぶ気にも成れなかった。

 

「……ねぇ、すずか」

「はい、なんですか?」

「攻防に長けた地球の武術ってあるかな?」

「武術ですか……。それなら恭也さんに聞いた方が良いんじゃないですか?」

「いや、そうなんだけどさ。それだと恭也さんたちに情報を与えちゃうから勝機を失うんだよね。それに、恋人に勧められたらやる気出るかなって」

「分かりました。シロノさんに合うような武術を探してみます!」

「うん、ありがとね。ぼくも探してみようとは思うんだけど地球じゃ時間がね……」

「……シロノさん」

「……分かってる。ぼくだってすずかと離れるのは嫌だ。でも、ぼくが救えたかも知れない人が居たらって思っちゃうんだ。正義の味方になるとまではいかないけどさ。それでも、ぼくは悲しむ人を減らしたいって思うんだ。ほら、すずかとの出会いが分かり易い例かな。もしもあの場に居なかったら、って考えただけでぼくは自分を殺したくなる」

「それは……」

「うん。今じゃ在り得ないけれど、あの時確かに可能性があった。言うなれば運命の分岐って奴かな。ぼくは出来るだけ幸せに過ごす道へ分岐させたいんだ。そうなれば、軽い争いはあっても人は死なないから。……あの空虚感を味わう事が無いだろうから」

「……え?」

 

 すずかは思わず声を上げてしまう。何故ならシロノのその口振りは実際に味わった事があるという吐露にしか聞こえなかったからだ。シロノは遠い瞳をして天井を見やる。あの時の事を、すずかに秘密にしていた事を話そうと思った。それならば再びあの時の頃を思い出さなくては話せない。嫌な沈黙だとすずかは思った。まるでシロノが遠い場所へ、手の届かない場所へと行ってしまう様な焦りを感じてしまった。

 だからだろう、シロノの言葉に息が詰まった。

 

「ぼくは――死んだ記憶があるんだ。前世の記憶という奴が存在するんだ」

 

 初め、すずかはその告白の意味を呑み込む事が出来なかった。どろりと泥が落ちて行く様な感覚が解き放たれた精神リンクからシロノから広がる。それは、シロノが意図的に隠していた精神リンクの扉を開け放ったからであった。指先が冷たくなる様な感覚がすずかの五感を襲い、幻覚であると脳は告げるが辿り着いた心はそれを否定する事が出来なかった。けれど、その感情の泥はすずかを侵す事は無かった。寧ろ、逃げないでと震える手で腕を掴んでいる様な不思議な感覚を感じていた。

 

「生前のぼくは齢八歳にして不治の病を持っていた。医学的にも科学的にも解決できない名前すらない死の病気を患っていたんだ。小学校の友人たちはそんなぼくでも仲良くしてくれた。中学でも保健室登校のぼくを支えてくれたし、病院に移されてからも交友は続いた」

 

 けどね、とシロノは自嘲する様に空虚な瞳で笑った。それは、どうしようもない理不尽を見てしまったかの様な諦めの目だった。

 

「緩やかに進んで行く死の病はぼくの体を蝕んでいった。指先が冷たくなって、足が動かなくなって、やがて内臓にも訪れて点滴生活になって、腕を動かす事ができなくなった瞬間にぼくは悟った。嗚呼、死ぬんだな、って。そりゃそうだ、心臓が止まれば人間は死ぬ。そう、呆気無く死ぬんだ。最期は孤独にぼくは治る見込みの無い病で死んだ。あの時は本当に絶望した。何で死ななきゃならかったんだって。どうせならさっさと殺してくれれば良かったのにさ。名医を見つけたって両親の喜ぶ顔を見て、期待を持った途端に呆気無く死んだんだ」

 

 ――どうせ、悲しむなら最初から期待するんじゃなかった。

 

「……その時の事をぼくは今も引き摺ってるんだ。何も、病死だけじゃない。人が死ぬ理由に困らないくらいに人は簡単に死んでしまう。だけど、死に方だって沢山ある。一生懸命に生きて、必死に足掻いて楽しんで、最期は枯れ木の様に死ぬ事が出来る。ぼくにはできなかった死に方が出来るんだ。……だからかな、幸せに包まれて死ねる環境が欲しいなって思ったんだ。だから、ぼくは他人の死に干渉する奴らが嫌いだ。誰かを苦しめて悲しませる奴らが大嫌いだ。そんな奴らに踏み躙られて良い人生じゃないんだ」

 

 すずかは幼くも聡い熟しの早い心でシロノの心を理解する。シロノが本当は英雄願望がある事を。何かを為して、自分に意味を見出したいという叫ぶ様な葛藤を隠して抑え込んでいるのを繋がった心を通じて知れた。ふと笑みが浮かんだ。嗚呼、この人はこんなにも美しくも儚い人なんだなと知れた事の嬉しさが、愛しさが溢れてくる。

 

「だから、ぼくは――管理局に革命を起こす。腐りきった膿を吐き出し、腐った地面を取り払って、あるべき姿へ戻す。誰かの幸せのために働ける場所を、誰かのためにと一生懸命になれる世界を作りたい。だから、ぼくはミッドに戻るよ。勿論、すずかに会いに来る時間を作る。いつしかきっと、本当の意味で君を迎えに来るから」

 

 ――こんなぼくだけどそれまで待っていてくれるかな。

 その一言ですずかの瞳から涙が溢れた。吸血鬼の家系として生まれて化物扱いをしていた自分を誰よりも深く愛して求めてくれた人が言ってくれた。九歳の精神でない早熟した自分の気持ちを汲んで答えを出してくれた事が心の其処から嬉しかった。シロノの両腕に抱かれた胸の中ですずかは震える声で言った。誰よりも繊細で傷付き易いのに自分から傷付きに行く愛しい人へ肯定の意思を。一生傍で添い遂げる意思を告げた。

 

「指輪はもう少し待ってね。確か、給料三ヶ月分が良いんだっけ」

「ふふ……、楽しみにしますね」

 

 誓いのキスと言わんばかりにシロノはすずかの唇に自身のそれを重ねた。蕩ける表情に火照って艶かしい色気が浮かんだのを察して、シロノは黙ってその首を差し出した。小さな口から伸びた犬歯がシロノの首筋に残る二つの傷跡に突き刺さる。ちゅくちゅくとその傷跡を小さな舌で舐めるのをシロノは可愛らしいと思う。蕩けきった瞳ですずかは四日振りにシロノの血を飲んだ。こくこくと小さな喉が震えるのを快楽を首筋から流されたシロノは感じ取って喜びを覚える。

 吸血鬼にとって異性との、恋人との吸血は永遠を誓う意味を込めたものだ。自身の一部が愛した相手の一部になる喜び、もう少し二人の歳が上であれば文字通り体を重ねて二重の悦びを噛み締めていただろう。ブラックアウトしそうになる微睡みに似た意識でシロノは思う。確かに生きている実感を感じている瞬間だと。誰よりもすずかと自身を繋いでいる瞬間である、と。四歳差という倫理的な壁が崩れ落ちて行くのを感じたシロノは小さな体を強く、けれど優しく抱き締める。腕の中に納まった確かな温もりと鼓動の心地良さに体が溶けて行く様な思いだった。首筋から唇を離したすずかは紅い瞳でシロノを情熱的な色気を持って見やる。肩に置いた手を滑らしてシロノの両掌に自身の小さな掌を重ねて絡め合う。混ざり合う様な感覚に陥った二人は二度、三度と唇を重ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 尚、聞き耳立てれば健全な遣り取りが聞こえる扉の前で立っていたノエルが、ファリンと共に優しく丁寧に見舞いに来たなのはたちを追い返したのは余談である。アリア曰くフェレット一匹通さない鉄壁具合だったらしい。



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A’s44 「執務官のお仕事、です?」

 クラナガンの産業地区に存在する廃棄された工場に降り立つ白い衣服を纏った人物が居た。

 シロノ・ハーヴェイ執務官。管理局最強騎士と詠われたゼストの弟子でありながら、最年少執務官の名で馳せたエリート魔導師にして、先日付けで総合魔道師ランクS-を取得した十五の少年。彼を知る者曰く、冷酷の執務官。一切の慈悲無く犯罪者を凍り付かせるのは凍結魔法だけでなく、執務を執行する際に発せられる雰囲気からその二つ名は付いた。

 

「……時間になりました、作戦を実行します。クイントさん、其方の動きに問題無いですか」

『はいはーい! 問題無いわよ。それじゃ、お仕事を開始するわ!』

 

 モニターに移る地上本部員の制服を豊かな胸で押し上げるクイントと呼ばれた女性は、両手に装着したリボルバーナックルと名付けられたアームドデバイスを胸前でガツンと噛み合わせ、獰猛な獣の如く笑みを浮かべて作戦実行の合図を送った。ハンドサインと共に前に出るは精鋭の地上本部防衛部隊の面々、それに続く様にシロノもまたS2Uを構えて工場の上へと跳躍する。予め斥候部隊によって観測された情報により、シロノは屋根を突き破る形で取引現場に居る麻薬密売人たちに強襲を掛ける。

 突然現れたシロノに目を見開かせた密売人の男が絶句する。クラナガンには数週間前からとある噂が流れていた。それは、冷酷なる執務官が帰還を果たし、荒れた秩序を守るために現場へと現れるというものだ。彼らはそんな噂を鵜呑みにせず鼻で笑ったが故に、現実となった目の前の光景を現実と思いたくなかった。

 本来、管理局地上本部の制服は茶色を素色とした事務員と実務部隊の紺色に大別される。そして、数ある海へのポーターがある故に海の色たる青色を素色とした制服を着る管理局員も存在する。その中で、異質とされるのは黒色だった。その色は刑罰の執行者をイメージさせる黒色であり、逮捕権を有する執務官の色だ。

 そして、目の前の少年が着ている執務服。そのバリアジャケットの色は――白。

 教導部隊もまた白を素色としているが、その風貌とは全く違う其れ。彼らが正義を示す色ならば、その白は黒を塗り潰す色だった。白い執務服を着ている人物は唯一人しか存在しない。

 

「地上本部の白き鴉だとッ!?」

「執務を執行する。大人しく墜ちろ」

 

 S2Uを一閃し着地と同時に傍に居た一人を打ち払う。一瞬にして顎を打たれた男は何をされたか分からずにブラックアウトしてその場に崩れ落ちる。底冷えする声が耳から進入し密売人たちの心を凍て付かせる。そして、そんな四人を嗤う様に幽鬼の如くゆらりと揺れた瞬間、シロノの姿はその場から消えていた。いや、正確には四人の瞳から消え失せたのだ。

 

「――二人」

 

 密売人たちの一人が腹に突き刺さる鋭利な角度から放たれたボディブロウによって内臓を打たれ意識を飛ばす。人は過剰な域まで痛みが達すると自然と自身を守るために意識を落とす。一歩間違えれば内臓が破裂していただろうその一撃を躊躇い無く行った白き執務官の雰囲気に残された三人は膝元を震わせ始める。年下の子供がこんな雰囲気を出せるのかと驚嘆と畏怖が凍り付いた心に楔を打つ。そして、三人目が倒れる音が聞こえて二人は膝を絶叫の如く笑わせた。何せ、目の前に居たシロノが突然ブレたのだ。調子が悪くなったテレビに映ったノイズの様な一瞬の出来事でありながら、人の視覚の隙を突いた事で完全に見失ったのだ。目の前の少年が幽霊であると言われた方が真実味を持てるくらいにゆらりと消えた。

 

「――結べ凍て付く檻よ、フリーズプリズン」

《Open Set. Freeze Prison》

 

 二人の背中側の空間がブレる様に揺れ、その場に何時の間にか立っていたシロノの両腕には和に通じる古風な籠手が装着されており、手甲に存在する蒼い宝玉の淡い色が魔法を発動を物語っていた。氷の棺に閉じ込められた瞬間、冷た過ぎる冷気がその隙間から漏れる。中に居たであろう人物を絶対零度の瞬間凍結魔法によって意識ごと氷漬けにしたのだ。

 自身の役目を終えたシロノは僅か八秒で状況を終了させた事を喜ぶ事もせず、冷徹な表情でディスプレイを浮かべて短い文章をタイプして送信する。すると、遠く離れた場所で硬い何かが砕かれる様な音が聞こえた。

 此度の作戦の概要は麻薬密売人を一網打尽にする事ともう一つ思惑があった。それは、ブローカーが溜め込んでいた違法物の場所を特定し押収する事だ。シロノが行ったのは囮の先陣。密売人たちに媚を売っていたブローカーたちが幹部級である四人の反応が無くなった事を察して逃げ出す所を地上本部防衛部隊の精鋭が其処を特定し強襲、捕縛と押収するというプランだった。廃工場地帯の一角に扉があるとまでは探る事ができたが、その複雑にして難解な地形であるが故に場所特定までは行かなかった。そのため、蟻の巣をつつく行動を取ったのが今回の作戦の概要である。

 先程の音は発見されたブローカーが逃げ込んだであろうアジトの扉をクイントがその豪腕によって吹き飛ばした音に違いない。進捗状況をインカムから尋ねれば予想通りの答えが返って来た。クイントの突破により、蟲を使い魔とするメガーヌの召喚術によって内部の掌握及び防衛隊隊員による制圧が可能となり、今回の山場は呆気無く終わる事となった。

 

「お疲れ様です、此方も帰投します」

『それじゃシロノ君はゼスト隊長と合流して頂戴ね』

「分かりました。……して、その手に抱える二人は?」

『あー……、上にはちょいと黙ってて。師匠命令ね♪』

「……承知しました。ぼくは何も見なかったし聞かなかった事にします」

 

 クイントは五歳程度の少女二人を抱えていた。双子にも見えるが片方の少女は一歳か二歳程歳が離れている様に見える。シロノはゼストによって紹介された徒手空拳の師匠であるクイントの独断に目を瞑った。此度の密売人は臓器ブローカーとの接触も裏取りによって判明しているので、大方がその被害者だろうとシロノは推測した。だが、幼児二人を抱えるクイントの姿は思いの外似合っていて、まるで血が繋がった親子の様に見えてしまった。何故なら幼児の髪色はクイントの青みの掛かる紫髪と同じ色であるし、見比べると何処か面影がある様に見えるからだ。原作知識があれば二人の特徴から判断できただろうが、今のシロノはその記憶を持ち合わせていない。なので、二人目の師匠の言葉を渋々と言った様子で流した。

 副隊長がロストしましたという隊員の報告を誤魔化しつつ、地上本部へと戻ったシロノはブリーフィングルームで腕を組んで待っていた人物へ報告の電子資料を手渡す。短時間でありながら確りと纏められた電子書類を受け取ったゼストは、シロノの隣に居る筈のクイントの姿が無い事に嘆息した。大方また食堂で大食いでもしているのだろうと普段の行動を省みて判断を下したゼストは直立不動のシロノを見やる。

 

(……身体のブレが無いな。拳を使う様になり軸が確りし始めたか。俺の鍛錬に加えてクイントに弟子入りを希望した時は驚いたが良い判断だったようだな……。それに、休日を取らない事で有名だったシロノが週に二度の休暇を取る様になったのも良い傾向だ。休暇中に何があったのやら……)

 

 感慨深そうにふっと笑みを作ったのを内心小首を傾げるシロノをゼストは一瞥し電子資料をオープンしてスクロールする。密売人四人による中規模組織を捕縛出来た事はかなりの功績だ。そして、別件で追っていた臓器販売の手がかりを掴めたのはでかい。もっとも、その一端である実験サンプルである幼児二人を副隊長であるクイントがお持ち帰りしたのでシロノとしては複雑な思いであるが、一応ながら人工子宮によるクローン作成技術の露見と次なる目標の足を掴めた事を添付したので要求を果たしたと言えるだろう。

 ゼストは人間の黒い欲望を垣間見て眉を顰めつつ内容を吟味する。密売人たちは大きなパトロンの意向により商いをしていると見て良い。だが、そのパトロンが誰かが問題だ。それなりの地位を持っていて今回の件を揉み潰す事が出来る人物を脳内でピックアップすると数人の名前が浮かぶ。管理外世界に実験施設を持っていた事から海の人間が関わっている事は明確であり、場所から数人へと標的が絞り込まれる。

 

「……シロノ」

「ドルバイン陸佐、アリウス海尉、メルガース提督、メルトラーダ提督ならば既に資料があります。アリウス海尉が黒、他は別件での黒ですが今回の件には掠りませんね」

「そうか。ならばアリウス海尉の裏を探れ。他の者については後日資料を提出しろ」

「分かりました。既に出来ていますので此方を」

「……お前の仕事は速くて助かる」

「……師匠の気苦労を解消するのも弟子の仕事ですので」

「すまないな。うちの隊員は腕自慢な奴が多過ぎるからな……」

(師匠がその筆頭だと言う事は黙っておいた方が良いよな……?)

「鍛錬の時間を増やすか」

「の、望む所です!」

「ふっ」

 

 シロノが地上本部専属の執務官である理由の大部分がその仕事の速さと正確さである。優秀な情報屋を個人的に抱えるが故に出来る速度であり、更にはデバイスを作成できる数字への強さなどが報告書製作に明確に効果が出ている。地上本部の人間で上から数える方が早い優秀な人物であるが故にお抱えになっているのだ。もっとも、そんな優秀な人員をゼストが抱えられているのは一重に親友のコネ、と言うか最上人事決定権を持つレジアスのお陰である。

 三ヶ月の休暇から帰って来たシロノは以前の焦る様な雰囲気は無く、寧ろ達観した成長が見られた。そのため、無理な執務をさせないために半ばゼストの秘書兼部下と化しているシロノの変わり様に地上本部の局員たちは初め驚きを隠せなかった。クイントはシロノの瞳と顔付きから何やら察した様子でニヤニヤと笑い、メガーヌもまたその鋭い感覚で何事かを察していた。二人はここぞとばかりにシロノを弄ったのは言うまでも無い。

 勿論、シロノは冷静に対処した。具体的な内容は善意で裏でこっそりと処理していた二人の仕事を支障が出ない程度ギリギリまで全て放置したのである。初め二人は首を傾げ、段々と鍛錬の時間が減る事で事態を察し、冷や汗を流して追い込まれ、溜まりに溜まって徹夜寸前となった所でシロノに縋り付き、笑ってない笑みの表情を見てシロノの静かなる怒りに気付いて謝り倒した出来事があった。それ以降二人はシロノを弄る内容に気を付ける様になったらしいのは余談である。




え?
すずかとシロノが涙浮かべて別れるシーン?
一週間に一度月村邸に帰ってるシロノに必要ですかねぇ。
単身赴任です、ええ。本当にありがとうございまし(ry


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A’s45 「お、幼馴染、です!?」

「……つまり、原因不明な一時的記憶喪失者が増えている、と?」

『ええ。それも“辺り一面に戦闘痕があるのに関わらず、その場に居た戦闘していたであろうと思われる人物たち”の記憶だけがすっぽりと、ね』

 

 地球から離れ早二ヶ月程たったある日の事。クラナガンの全方位を見やる事のできる位置に建てられた管理局地上本部の一角、シロノの城とも呼べる地上本部専属の執務官室ではやや重い雰囲気が漂っていた。執務室に普段着の執務服を着て座るシロノは、モニター越しに居る深い蒼色の長髪を研究職を彷彿させる白衣に二分にして流す同年代の少女に疑問を投げかけた。

 

「成る程……。ジェス、その情報はどれ程売れている?」

『くくっ、心配せずとも君専属の情報屋だよ私は。売る訳無いじゃないか。それに、この情報は私が放ったのに引っかかったものだから独占状態という奴だ。お買い得だぞ』

「……分かった、請求書に足しといてくれ。詳細を頼む」

『毎度ありがとう。では詳細だが……』

 

 ジェスと呼ばれた薄ら笑いを浮かべる目の熊が印象的な残念美少女は、ひらりと手を振ってシロノのモニターの横に小さなモニターを浮かび上げた。それはこの通信が二人専用の通信デバイスによる秘匿回線を使用しているが故の出来事だ。市販又は局員に手渡されている通信デバイスでは不可能な遣り取りである。

 それが何故出来ているのか。それは彼女はシロノにとってデバイス製作の先生であり、デバイスマイスター持ちの幼馴染であるからだ。幼い頃に公園で只管に鍛錬するシロノを見かけた少女は名を全て語る事なく、ジェスというニックネームだけを教えたのが出会いだった。

 それからシロノは公園で鍛錬する度にジェスと語り合い、お互いに精神年齢が高い事から有意義な関係を築いている。元々機械系研究に興味を持っていたジェスはその類稀な才能を活かしてシロノ提案のミリ単位のスパイボット、それも一切魔法を使わないタイプの代物を作り上げた。そして、趣味の人間観察の一環として様々な噂を拾う様になり、捜査に行き詰ったシロノが何気無く聞いたら耳寄り過ぎる情報が帰って来た事から二人のギヴ&テイクな関係は続いている。

 情報世界の裏の情報を欲しがるシロノと、裏表の世界遍く人間観察したい趣味を持つジェスのコンビはそれはもう絶大な化学反応を起こした。何せ、片や知りたい情報が入ってくるし、片や製作のために足りなかった費用が手に入るのだ。お互いに利用し合う関係。ビジネスライクと少しだけの共犯関係という字面からすれば爛れた関係に見えてしまう、そんな関係になっていた。そして、今も二人の関係は続いていた。

 今回もS4Uの製作を依頼するためにジェスへと回線を繋げたシロノが、ついでに振った話題が無いかという問いへの結果だった。三ヶ月もクラナガンから、いや、ジェスと情報の遣り取りをしていなかったが故に最新の情報が欲しかったシロノからすれば耳寄りの話題だ。それに、ジェスはお勧めする情報に関してはロハな事が多い。それはまるでシロノだけに聞いて欲しいという可愛らしい理由がついてきそうな理由であるからで、精々が何処何処のケーキセットのお土産という安値のものだ。もっとも、それだけを聞くと矢張り少女のお誘いにしか聞こえない。だが、ジェスは大雑把且つ一色に染まらない性格をしているので別に独占欲故の行動ではない。ただ単純に面と向かって語りたいから来させただけなのだ。そこに恋愛感情は無く、異性間ではありえないとされる友情を持ってして成立させているのだ。

 なので、シロノもジェスの意味深な台詞が上辺だけのブラフ、言うなればネタとして使っているのを察しているので恋愛感情が産まれる事に繋がらず、女友達という括りに分類されている。

 

『――と言う具合だな。事件と言うよりはオカルトとして処理されているらしいよ。さて、これの御代だが……、君の恋人の一人称が知りたい』

「……すずかの一人称? これまた斜め上な御代が出たもんだ。まぁ、いいけどさ。わたし、だよ」

『ふむ……、そうか。ならば私は此れからボクと一人称を改めよう。因みに君の真似ではないよ。地球語にある日本語のカタカナでボク、だ。所謂ボクっ娘というジャンルを開拓してみようじゃないか』

「ん、まぁ、構わないが……。本当にそれで良いのか?」

『おや? シロノはもしやボクの顔が見る機会を失って寂しい気持ちでも抱いているのかい? くくっ、それは未来の奥さんに悪い事をしてしまっているなぁ』

「抜かせ。ジェスの事だからジャパニーズサブカルチャーに感化されてお土産にあれこれ買って来させられるのかと思ってただけだ」

『……そうか、その手もあったな。なら、アレを頼みたい。タイトルは忘れたがボクの様な口調と性格をしている友人ヒロインが後半から参戦する高校が舞台のライトノベルだ。他にもあるが、それは別の機会にしておくよ』

「あー……、あの主人公が未だにニックネームで本名が出ないラノベか。分かったよ、次の休みにでも買って来るよ」

『くくっ、宜しく頼むよ。そういえば、あの計画は順調かい?』

「ああ、少し色々とあったが概ね問題無く、な。……なぁ、ジェス。一つアイデアを出すから作って欲しいものがあるんだが」

『構わないよ。何せ少し大目に見繕ってついさっき余りが出る事が分かったからね。アイデア次第では足して貰うがね』

「そうか、なら問題無い。小学生の小遣い四ヶ月分で試作品が出来るレベルだからな」

『ほほう? 低コスト高性能って奴だね。浪漫溢れるじゃないか。して、如何な物かな』

「古代ベルカにカートリッジシステムという魔力補充技術があるのは知っているだろう?」

 

 シロノのその問いにジェスは得意分野であるが故に口元に弧を歪ませた。完全に乗り気になった幼馴染を見てシロノはらしいと思いつつ、昔に封印していた代物を引っ張り出す。それも、この前書き終えた唯一無二の起爆剤とも呼べる代物を。設計図案をジェスへと送ったシロノは「それを踏まえてだ」と前置きを置いた。

 

「カートリッジシステムは瞬間的な魔力補充という事に適した戦闘続行に有効な代物だ。だが、その副作用としてリンカーコアへのダメージが蓄積する。その副作用を解決するための案は二つ。一つは使用する者のリンカーコアを何らかの理由で強化する事、もう一つは戦闘続行の部分だけに絞って瞬間的ではなく、最大魔力量まで、いや、最大魔力蓄積量までを回復させる言わばポーションの様な使い方をするシステムを考えたんだ」

『バッテリーシステムか。成る程、確かに盲点だね。今の魔導師はリンカーコアという適した魔力生成器官がある故に有限ではあるが魔力をいつでも作り出せる。だから、ストックしておくという考えは産まれなかった訳だ。古代ベルカのカートリッジは戦闘補助がメインであって、失った魔力を回復する手段としては用いられていない。戦闘続行という面では不適格と言って可笑しくは無いね。……本当に面白い事を考えたものだね。今の魔法社会に喧嘩を売る気なのかい?』

「革命だなんて言わ主張の喧嘩だよ。ぼくの計画に必要だと思ってね。昔に背中を見せた案を引っ張り出したんだ。ジェス、君ならばこの案を形に出来るだろう?」

 

 ――質量兵器を模した魔法兵器の開発が。

 その言外の言葉にジェスはゾクゾクと背中を震わせて歓喜する。法に触れる世界に片足を突っ込んでいるジェスであるが故に、法律に反せず通過する事ができるだろうこの図案の恐ろしさと有能さを見抜く事が出来た。十年後の未来で、レジアス司令が訴えた質量兵器運用案による地上局員の底上げと治安維持強化の訴えを鼻で笑える図案である。質量兵器を禁じた法律にどっぷり漬かった今の世を蹴り上げる様な代物だと分からない筈が無い。

 二人は異性でありながらその本質は似ていた。

 片や革命の探求者、片や狂気の科学者。その二人の有り様は何処か壊れていて、然し何処か強靭過ぎていた。一つ間違えれば死ぬであろう地雷原の道を駆ける覚悟を持ったシロノをジェスはとても素晴らしく、そして面白い存在であると感じていた。物議を醸す事は誰だってできる。猿でも知識があれば棒と椅子でバナナが取れるのだ。だが、その物議を現実とさせる行動に出れる人間がどれだけ存在するだろうか。

 無限の欲望というコードネームを与えられた人物が居た。その人物は欲望のままに生きて、欲望の為すがままに死んでいこうと嗤っていた。だが、いつしか欲望の価値が意味が本質が見えなくなり始めて、誰かを遣い潰して己の欲望の解放を、いや、欲望の理解を求め始めていた。そんな時だ。一人で無理なら二人で、二人が無理なら四人で、と。己を増やす事を考えた。それは偶然にも正史と異なる分岐点となり、その一つがジェス――ジェイラ・スカリエッティという在り得ない筈の造妹を造り出した。そして、何の因果かジェイラが求めていた欲望はあっさりと答えが出た。それも、同年代と思われる少年の一言で。

 ――無限の欲望とは何か? そりゃ、人間に決まっているだろう。思考する獣であるが故に到達地点から見える先を求めて、無意識に生きたいと欲望を叶え続ける生物だ。これ以上の欲望の求探者は存在しないんじゃないか?

 探求者ではなく、求探者。

 深めたいから求める者ではなく、求めていたいから深める者。

 シロノ・ハーヴェイという彼もまた正史から外れた存在が、正史から外れた彼女の欲求を満たした。だからこそ、ジェスというニックネームで彼女はシロノに付き纏った。恋愛感情でも友愛感情でもなく、ただ、其処に在りたいからこそ彼女は欲望を忠実に求め続けた。

 そして、今、彼が言っていた夢の一端に触れた。それも、根幹を成すであろう計画の共犯者という、面白すぎて抱腹絶頂してしまいそうな、嬉し過ぎて狂喜乱舞してしまいそうな悦びを感じてしまった。

 

『嗚呼……ッ! 勿論さ、シロノ。いや、ボクの共犯者(トモダチ)! 完全完璧(パーフェクト)に仕上げて絶頂の頂に君臨させる程の出来栄え(エクセレント)を約束しようじゃないか! 共に革命を為して魅せよう! 君が願う――全世界の老害愚者聖人をあっと驚かせる様な素晴らしき世界の成就のために!』

 

 ――無限の求探者。

 それがジェスの出した無限の欲望への答えだった。一つに満足せず、二を、三をと貪欲に求め続ける求探者こそが無限の欲望を内包する人間の真の在り方であると提唱する。ジェイラ・スカリエッティとして造み出された存在の存在意義となり、その根幹であるシロノをサポート&フォローする唯一絶対の存在として在り続ける事を願ったのだから。

 そのジェスの満面の笑みに面食らったシロノは初めてジェスに異性らしさを感じてしまい、意気揚々と彼女がモニターを切った後、天を仰ぐ様にして少し赤面したのは余談である。



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A’s46 「未来を想うという事、です?」

 

「ぼくの補佐官ねぇ……」

 

 赤星勇人は人生で二番目に入るくらいの緊張感でシロノと対峙していた。超不機嫌雰囲気なシロノを前にしているため足が震えている勇人の背を遠くから見つめるのはアリス・ローウェル。アリサの露骨な気遣いから勇人との仲が深まっている経緯があり、最近では学年公認のカップルとして名高い片割れである。因みに勇人が最も緊張したのは、夏休みにバニングス邸でお泊り会をした際にエンカウントしてしまったアリサの父、デビット・バニングスのと一対一の対話であったのは特筆する事でも無いので割愛する。

 どうしてシロノが目に見えてしまうくらいに黒い雰囲気を醸しているのか。それは休日にすずかとの時間を潰す輩が現れたからであり、ただでさえ週に一度しか会えないのもあって不機嫌指数は右肩上がりである。勇人がすずかに土下座して勝ち取った時間は三十分という短い時間であるが仲睦まじい二人からすれば十分長い時間であった。それ以上は無理かなとアリスであっても屈服しそうな笑ってない笑みを浮かべていたすずかのキラースマイルによって禁じられているため、速やかにこの交渉を成功させなくてはいけないというプレッシャーが勇人を襲っている真っ最中。蛇に睨まれた蛙の如く気持ちで勇人はシロノの返事を待つ。

 

「……はぁ。そう言えばそんな事を言った気がするね。確か、君の同意を経て破棄したと覚えているけど?」

「そ、それは……」

「君の感情を時系列的に遡るになのはちゃんとフェイトちゃんが嘱託魔導師の試験に合格したからだろう? 又は吊り合わない天秤を感じての焦りかな。確かにバニングス家は日本経済を支える大黒柱の一つと言って過言ではないしね。一般家庭の君では重荷が多いし、そもそも吊り合いが取れない、だなんて考えてるんだろう。だが、何故ぼくに泣き付いて来たのか全く分からないのだけれども」

 

 

 勇人とて分かっている。シロノが勇人たちの面倒を見てくれていたのはすずかのおまけとしての気紛れであった事を。なまじ精神年齢が高い小学三年生であるので、剣道一本で打ち込んでアリスを嫁に貰える可能性が低い事は理解している。実の娘のアリサはともかく、妹の忘れ形見であるアリスをデヴィットが生半可な器量な野郎にくれてやる訳が無い、と。ならば文武両道を貫き有名大学を卒業してオリンピックにでも出ればデヴィットとてプロの領域に居る勇人を評価をしてくれるに違いない。だが、それが好意的かどうかは分からないのが現実だ。剣道に優れている人間を鼻で笑う事はしないだろうが、社会に出て何の役に立つかを尋ねられたら呻く事間違い無いだろう。

 

「……その、ですね。年収千万程の人間にお前は成れる男かってデビットさんに尋ねられて思ったんです。バニングスグループに入社したとして出世できる様な才能が自分にあるのかって。正直言って剣道の強さ以外に誇れる事が無いです。幾ら精神年齢が、勉強が出来てもそれ以上を出すためには知識と経験が必要だと思いました。だから、シロノさんの下で働かせて貰えればその経験が積めるかな、と」

「紙に書いて覚えてきただろう言い訳は良いから本音は?」

「アリスより弱い自分が情けなくて……ッ」

「あー……、そういえばアリスちゃん高町道場に通ってるんだったね」

「はい、そうなんです。試しに剣道で挑んだら二秒で瞬殺されました。まさか胴を受けて気絶するとは……」

 

 要するにアリスを守る勇人でありたいので、シロノの副官として働く事で経験を稼ぎたいと言う事だろう。アリスの武術への興味は自衛以外の熱意が無いため、実戦経験を積む機会は高町家戦士の模擬戦ぐらいしか無い。最も、相手が高位な武術家である事は稀である。なので、執務官の仕事はもっぱら違法魔導師による外道戦闘率が高いからその様な経験を積みたいのだろう。

 確かにそれなら利に合ってるなぁとシロノは不機嫌な雰囲気を少し薄める。執務官の仕事は犯人の裏を取って捕縛するまでが一セット。なので、どんな手を使おうとも捕まえる気概は勿論ながら、そのための知識や経験が必要となってくる。悪漢から守るためならばこれ以上に適した経験値貯めは無いだろう。何せ、相手も外道、此方も外道。やりもしないような手を使ってでも逃げたいし、捕まえたい関係なのだ。しかも、シロノの担当するクラナガンは一番その様な手合いが多い激戦区だからかなりの経験値を狙えるだろう。

 ……もっとも、アリスが倒せないレベルの悪漢である事が前提なのだが。因みに夏の合宿の際に、門下生のアリスが一度野生の熊をその身一つで倒す程に成長した、と恭也が嬉しそうに言っていたのをシロノは思い出したが勇人に言わない事にした。

 

「んー……、その程度で良いなら君も高町道場に通った方が早いと思うんだけど?」

「……アリスの進路がミッド方面なんです」

「あー……」

 

 それはシロノとて盲点だった。そもそもアリスが地球ではなくミッドに住む気ならば二人の関係に壁は異世界渡航の許可以外に存在しない。勇人曰く、アリスも嘱託魔導師に成りたがっている様なのでそれに合わせて自分の進路を決めたいとの事。言うなれば内定が欲しかったのだろう。勿論経験も積みたいのも本音だが、手に職就けて置けば安泰だろうというのが真の本音なのだろう。

 執務官補佐は過酷な前線を行ったりする執務官よりも給料は安いが、他の職と比べれば銀行員くらいの地位がある職種であるのでそれなりに高い。なので、若い内からシロノに媚を売っておきたいのが勇人の思惑なのだろう。シロノはその心情を察してからか同感した。確かに若い内から働いていた身であるので、早ければ早い程出世への道は開ける。特に執務官は高難易度職であるが故にその上というものが無いので、積めば積む程キャリアとして自慢できる職なのだ。

 

「成る程ね、そう言う事なら人生の先輩として後輩に手を貸してあげない事も無い」

「本当ですか!?」

「ただし、条件がある」

 

 シロノは不機嫌から上機嫌になり、冷酷な笑みを浮かべた。それは決して冷たくはないが、直視する勇人が凄く嫌な予感がする程に威圧的であった。勇人の耳にその条件を囁いたシロノは三つの条件を突きつけた。一つ、二つ、三つと進むと勇人の顔が引き攣る。

 一つ目、此方が用意した鍛錬メニューを例外と判定できない時以外毎日必ず行う事。

 二つ目、勉学のテストに置いて二桁の位置に居る事。

 三つ目、執務官補佐試験を一発合格する事。

 四つ目、アリスに告白しOKを貰い、高校卒業までにミッドチルダ移住の件を親から許可を取る事。

 これらの条件を守るなら、というシロノの言葉に勇人は神を見たかのような思いを抱いた。執務官補佐試験を一発合格したら補佐官として引き取るという高条件の答えを貰えた勇人は思わずガッツポーズ。尚、その際に下を向いてしまったためにシロノの口元が一瞬吊り上がったのを見逃した。その事に後悔するのは一体何年後の勇人だろうか。それはともかく、良い返事を貰えて上機嫌で帰って行った勇人とアリスを見送ったシロノはニィッと笑った。

 シロノの計画に必要である人材――魔力ランクが低い魔導師が手に入った、と。

 元々前回シロノが勇人に声を掛けたのはそのためであり、むしろそれ以外に戦力として考えていなかった。シロノの計画に必要なのは三つのファクター。その一つは現在開発中、そして一つの内後詰めを残してシロノの手で鍛える事が出来る人材を手に入れる事ができた。これによりシロノの計画は三割の進捗が見られた。

 

(それにしても……、どんな気変わりかな? 確か、すずかの話を聞く分にはアリスちゃんはアリサちゃんにぞっこんだったらしいのに……。ああ、もしかして勇人くんが頑張ったのか。何やら“仮面”から陰気も見え隠れしてたし。病は気からとも言うからねぇ。健全に育って欲しいもんだね。……まぁ、高町道場のアレは健全の分類に、いや、一般常識の範囲内に入れていいのか本当に苦しいくらいに考え物だけど……)

 

 アリスはアリサに依存している。

 幾度の邂逅とすずかのお土産話によってそう結論付けていたシロノであったが、暫く見ない間に様変わりしているアリスの様子に首を傾げざるを得ない。シロノの見解としては、大切な何かを失った事による依存欲求の発露の節がアリスに見えていた。それは、一時期盲目的にアリサを過保護に護っていた時期や勇人に庇われるあの瞬間までのアリサ優先の行動と――“アリサ・ローウェル”と正反対に全く違う人物へと偽る(なりき)事で母親の死の事を遠ざけていた事から憶測できるものだった。アリスが人前で一人称をわたくしと偽り、淑女のような振る舞いをしているのはその背景があったからだった。アリスは“アリサ・ローウェル”に自分が似ていたからこそ母親の悲劇が起きたのだと思い込んでいる。いや、思わずには居られなかったのだ。

 それは転生者である事で精神年齢が幼い体と適合せず、目の前の悲劇を重過ぎるくらいに受け止めてしまった事が要因となっている。もしも、アリスが人並みの幼い精神年齢だったなら、臭い物に蓋をするかのように母親の悲劇を何処か遠い事だと未成熟な心を護っただろう。初めて目にした身近な人の死、そして、原作知識を持っていた事による更なる罪悪感と葛藤により、アリスは半ば壊れていたと言って過言ではなかったのだ。気丈に振舞う事で弱さから目を逸らしていたのである。

 シロノでさえ呻く高町式鍛錬に参加する事に忌避感を覚えないくらいに、アリサのために自分を蔑ろにしていたアリスの心的外傷(トラウマ)を勇人が何かしらの方法で取り去った又は分かち合ったのだろう、そうシロノは結論付けて祝福と言わんばかりにプレゼントを用意する事にした。

 複数浮かび上がった設計図の内の一つだけを残し、シロノはその設計図に少し手を加える。原作知識を持っていなかったのに関わらず、虫の知らせのような無意識的な感情によって一つの機構を付け加えたのだった。その機構は表に出れば大騒ぎになるであろう画期的過ぎて、そして人道的な面で批判されかねない代物。

 ――コアリンクシステムを。



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A’s47 「近付くタイムリミット、です?」

 シロノといちゃついた翌日の日はすずかにとっては少し憂鬱な月曜日だ。ミッドに渡ったシロノは毎週土曜日に来て日曜日のお昼頃に帰って行く。そのため、シロノにベタ惚れしているすずかは一週間に一度の逢瀬に羽目を外す。そして、たまにその余韻が忘れなくて月曜日に一人だけ惚気オーラを出してしまった時があった。ずっと上の空でもじもじするすずかを見て多くの男子が胸を撃たれたり、独り身の教師が毒を吐き出さぬように深い溜息を吐いたりと色々と大変だったのだ。それをアリサたちに指摘されたすずかは「あら、ごめんね♪」とにこやかに返したのは良い思い出である。

 そして、昨日のシロノとの健全な触れ合いを思い出してトリップする程度に抑えられているラブパワーに、勇人が何故か勇気という憧れを持ったりして意気込んだ月曜日の放課後。すずかは久し振りにアリサたちと都合が付かず一人だった事もあって、調べ物をするために近くの大きな図書館へと足を伸ばした。

 

「えっと……、格闘技関係の本は……?」

 

 シロノに頼まれた地球の格闘技に関する知識を得ようと本棚を歩いているとぴょんぴょんと背筋だけを伸ばして手を伸ばしている車椅子の少女が見えた。気になって近付いてみればその女の子はもう数センチで届きそうな所で掠るだけで本を掴む事ができなかった。すずかはすっとその隣に立って、隣から「あ」という声を聞きながら彼女が取ろうとしていた本を引き抜いた。

 

「これであってるかな?」

「そ、そうや。ほんまおおきにな」

「ううん、大丈夫だよ。他に取りたい本はある?」

「あ、ならそことそこのを頼むわ」

「はい♪」

 

 数秒後には少し茶の掛かったショートの髪の少女の膝に三冊の文庫本が納まった。その重みに嬉しそうにしている少女は八神はやてという名を名乗った。すずかは本友達になれるかも、と自分の名を返した。

 

「そか、すずかちゃん言うんやな。これ、私のアドレスや。交換してくれる?」

「うん。大歓迎だよはやてちゃん」

「お、来た来た。行くでー」

「あ、こっちもできたよ。よろしくね」

「よろしくな! そや、あっちでお喋りせえへん?」

「いいよ。車椅子押そうか?」

「大丈夫大丈夫。もう慣れたわ」

 

 はやてはいきなり車椅子を押さないで一言尋ねてくれたすずかの事に良い印象を受けた。車椅子が大変だからといきなり押すのは乗っている側からすれば恐怖でしかない。それも、初対面なら尚更に、だ。と、なると目の前のすずかはそれなりの教養と相手を気遣える思いやりがある少女だと分かるのも当然だった。はやては初めてのお友達にご満悦な笑みを浮かべて、近くに空いていた席へと向かった。

 

「へぇ、はやてちゃんもお姉さんが居るんだ」

「そうやー。せやけど血は繋がってないんよ。でもなー、……ほら!」

「わ、凄いそっくりだね。姉妹にしか見えないよ」

「あははは! せやろ? 初め見た時、未来の自分が来たのかと思ったんよ」

「ふふっ、確かにこんなに似てたらわたしも思っちゃうかも」

「でなー」

 

 談笑している二人の様子は十年来の友人のように朗らかで、とても楽しそうに見えた。だから、近くの本棚に隠れてその二人の様子を見やる件の人物、八神ナハトは苦笑していた。二人に分かれて読書用の本を探していたら、はやてが困っていたのが見えた。手伝おうと足を向けた矢先にすずかが現れ、颯爽と本を手渡して仲良くなる経緯が見る事ができたのだ。

 はやては小学三年生であり、更には足の治療のために海鳴市に引っ越してきた経緯があるため、まだ小学校へ通っていないのだ。と、言うよりもバリアフリーの学校が無かったためと私立を受けるためのお金が無かったのもある。そのため、両親による送り迎えが出来ないために足の治療のため転校してきた小学校に保健室登校が出来なくなったはやては、担当医である石田先生のご好意により彼女から勉強を教えてもらっているのである。言わば保健室登校の代わりだった。

 そういう経緯があるため、はやてには友達が居なかった。居たとしても引っ越す前の土地にしか居ないのだ。携帯を買ったのも足が不自由になって不便が増えたからで、友達とアドレスを交わしたのはすずかとが初めての事だった。だからだろう、時間が経つに連れてはやては持ち前の明るさを発揮してお喋りに熱が入ったのは。

 同年代の女の子と友人になれたはやては、一緒に来たナハトの事を忘れる程にすずかとのお喋りに花を咲かせていた。相手はツンデレ娘と天然娘の間を取り持つすずかである。勿論ながら聞き上手であり、本好きという接点もあって話すネタに事欠く事無かった。

 

「あ、そうやった。ナハトも来てるんやけどまだ本探してるんかな?」

「え? もしかして、……あそこにずっと前から隠れてる人かな?」

「「へ?」」

 

 すずかがしれっとした様子で指差す先は後ろ。それも真後ろで、すずかからすれば視界に入らない位置に立っていたナハトは、はやての声と同時に驚きの声を漏らした。振り返ったすずかはナハトを見てそっくりさんだと微笑んでいたが、ナハトからすれば驚愕の事実である。ナハトはできるだけ気配を殺して二人を見ていたのだ。その隠行は警戒心の強い猫を後ろから歩いて持ち上げる程に見事なものだった。

 だが、無意味だと言わんばかりにすずかはぽかんと呆けているナハトに笑みを浮かべる。それは純粋な好意からくる笑みで、何かしらの思惑を持っている事を隠す笑みではない。ただ、ナハトも見つかっている手前隠れ直すのも愚行なので、バツの悪そうな表情で二人へ近寄った。

 

「……名は何と言うのだ?」

「月村すずかです。はやてちゃんのお姉さんですよね、よろしくお願いします」

「あ、ああ。八神ナハトだ。はやての友人になってくれて嬉しい限りだ。仲良くしてやってくれ」

「はい!」

 

 ナハトはすずかに存在する魔力の気配について追求したい気持ちであったが、別にミッドチルダでなくてもリンカーコアを持つ生物は存在するため、別世界の人間にそれがあっても何ら可笑しくない。それに、はやての友人にリンカーコアがある事が先に分かって良かったと思える。此処に闇の書は無いが今頃シュテルが管理外世界でリンカーコアを持つ現住生物をウェルダンにしている頃だろう。

 そんな事を思いつつナハトは極めて自然にすずかと接した。新しく増えた家族へ風貌や性格の情報を伝えるために幾つかの質問を織り交ぜて雑談しておく。それは、有り得るかもしれない事故の可能性を減らすために必要な事だ。リンカーコアから魔力を奪う作業は多大な痛みを引き起こす事を間近に確認しているが故に、すずかを対象から外しておけばはやてが自由になった後も仲良く暮らせるだろうという考えがあったからだ。

 

「(……レヴィ、近くにシグナムは居るか)」

「(んー? ディア? シグナムなら近所の道場でお手伝いしてるよ)」

「(む、そうか。ならば、帰ってから連絡する事があると全員に伝えておいてくれ。はやてに同年代の友人が出来たのだ。目出度い日であるからして今宵のディナーを期待しておけ、とな)」

「(やった! ディアのフルコースだー!! 分かったよディア! お菓子我慢して……我慢……して楽しみにしとく……)」

「(いや、夕飯が食べれないぐらいに食わねば構わん。そして、今日のおやつは棚の苺大福だ。きちんと全員の数を把握してから食すように)」

「(うん! ひ、ふ、み……。一人二つまでだね! いただきます!)」

 

 独り言まで精神通話で話す程に目の前の苺大福に夢中なのだろう。そんな風景が目に浮かぶナハトはやれやれと言わんばかりに微笑を浮かべる。その様子は目の前で談笑する二人の微笑ましさに笑みを浮かべるお姉さんのようにしか見えない。まぁ、無理も無い。何せ、家では家長として腕白全開なレヴィや出不精極まるシュテル、脳筋上等なシグナムと元気一杯なヴィータにマジカル★ポイズンクッキングなシャマルと筋トレ番犬ザフィーラを御する人物である。手間の掛からない筈のはやてもナハトに甘えているのでそのお姉さんっぷりは日に日に増加してゆく一方である。

 尚、一部分が全く成長しないため、はやてと一緒にシグナムとシャマルにジェットストリームバスルームを決行するお茶目な姿もあって、しっかりものだが時に羽目を外す人物として家族から慕われているナハトでもある。

 そんなナハトが顔を曇らせるのはいつだって闇の書と呼ばれるストレージ型魔法記憶媒体式魔導書を見た時だった。そのため、ナハトの代わりにシュテルとレヴィが率先してシグナムたちの活動を支援している経緯がある。それにすまなそうにするナハトを二人は薄い胸を張って元気付けるのがお約束だった。

 ナハトは二人から視線を外して図書館に備わっている時計を見やった。そこに日にちは無いが、時間の流れを彷彿させるのには十分であった。

 

(そう言えば、そろそろ定時連絡の日にちだったな……)

 

 脳裏に浮かぶのは自分たちの活動を支援してくれている人物の姿。白い髪をなびかせて黒い外套と黒い仮面で顔を隠すヒドゥンと名乗った男か女か判別できない怪し過ぎる人物。しかし、記憶を操るロストロギアにより、現住生物よりも潤沢な魔力を奪える環境を整えてくれた恩がある。このまま行けばクリスマスまでには闇の書は完成するだろう。

 

(……はやてに前へ歩くための足をプレゼントせねばならんのだ)

 

 ナハトは目を瞑ってから決心を再び露にした。目を開いていたならばその剣呑な雰囲気が二人に気付かれていたに違いない。短い髪を振り払うようにして首を振ったナハトは二人にそろそろ閉館時間だと時計を指差して伝える。慌てて借りる本を選びに行った二人の仲良さげな背中を見送って、ナハトは席について天井を見上げた。その雰囲気は憂いの色が見えた。

 ズキリと痛んだ頭を押さえてナハトはノイズの様に映った一瞬の光景に目を疑った。正確には脳裏に浮かんだ情報であるが、まるでそれを後ろから見たかのような気分を味わったのだ。その光景にははやてとすずかが談笑しているそれ。そこに自分は居なかった。

 

(なんだ今のは……。まるで我が経験したような感覚だった。そんな訳が無い。はやてとすずかは一人しか居らんのだ。今日出会わずして出会う訳が無い……。ならば、これは如何いう事だ?)

 

 その不可思議な感覚に疑問を覚えて放心していたナハトは、本を借りてご満悦な様子で近付いて来ていた二人の声に気付いて精神的倦怠感を隠して立ち上がった。その身に起きたそれは気のせいだと決め付け、在り得ないと感情で蓋をした。まるで自身が記憶喪失である事を思い出さぬように。

 ――思い出してはならない記憶を封じておくように。




伝統のすずはや邂逅回。
ナハトさんに不明なユニットが接続され(ry


あ、インフィニット・ストラトスの二次創作を何となく書き始めました。
こちらのネタがスランプ気味の時に解消のために更新するようなものですが、お暇であれば其方もどうぞ宜しくお願いします。
作者名から飛べば一発ですんで。


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A’s48 「予期せぬ邂逅、です?」

「……はぁ。どうしたもんかなこれは……」

 

 九月に入り、あんなに暑かった日差しが嘘のように気温と共に弱まる中、シロノは月村邸の中庭に設置されたテーブルの椅子に座って資料を眺めていた。集めても集めても不明瞭という事しか分からない案件の行き先に眉を顰めながら。

 ジェスによって齎された資料によれば、連続記憶喪失魔力強奪事件の被害件数は右肩上がり。犯行現場はどれも郊外や夜道で、通り魔的且つ計画的犯行であると言う事、そして、犯人はジャミングに長けた魔導師又は複数犯である事が判明した。常に監視カメラの誤作動により現場が撮れていないのもあり、被害者に犯人の特徴を尋ねなくてはならないのだが、その被害者が記憶を奪われているために何も掴めない。シロノ共々捜査班は後手に回るしかない状況にストレスが溜まる一方だった。

 犯人は管理局員ではなく一般人に絞って強奪目標にしているようなので、交戦による証拠の発見が出来ず捜査は難航していた。シロノは至急情報のバンクと呼べる無限書庫へ記憶に関するロストロギア捜索の依頼を出し、何やら新入り救世主となっているユーノと再会したりしたが未だに結果は出ていない。

 他の案件は着実に片付けているが、この事件だけはシロノでも進みが遅く、時折様子を見に来る頻度が増えたアリアの目から見ても大層不機嫌だった。それにより、追われる犯人の背に走る怖気の確立が上がり、逮捕に貢献したりしているが些細な事だろう。

 囮捜査をやってみてもよいのだが、目敏いと言うべきか勘が良いと言うべきか、既に実行されていて尚且つ非接触という失敗に終わっている。これはシロノの管轄ではない部署の実地したものなので経歴に傷は付かないが、それなりに事件解決に繋がると思っていたシロノの苛々に拍車を掛ける事となった。

 気分転換として癒して貰おうと有給を一日取って土日の二日を地球で過ごす事にしたシロノは、昨夜色々と溌剌して吸血が長引いてしまったすずかが起きるのを待っていた。魔法術式を弄るのは既に飽きたし、鍛錬をするような気分でもないので、穏やかで朝の爽やかな風が吹く中庭で資料をもう一度読み直していたのだ。だが、環境を変えたぐらいで分かるなら苦労している訳もなく、手掛かりと言えぬ一歩足らない電子化した資料を閉じた。

 

「んぅ……、あれ、シロノさん……?」

 

 寝起きなのだろう。ぽけぇとした様子のすずかが頭をふらふらさせながらシロノの背中へとぺったりと抱き付いた。精神リンクにより繋がったパスを辿って来たようで、夢遊病ちっくな様子で意識はぼんやり気味だった。そんなすずかの抱擁に苦笑しつつ、シロノはそっと腕を解いて膝へと抱き上げて招いた。ふわりと甘ったるい匂いが鼻腔を擽り、すりすりと頬擦りしているすずかの愛らしさに進行しない案件への怒りは何処かへと行った。

 ぎゅっと抱き締めてみればむぎゅっと胸板に潰されるすずか。けれどにへへと笑みを浮かべて抱き締め返し、甘い声でシロノの名を呼んだ。そんな子供らしい可愛らしさを発揮するすずかの姿に微笑ましさを感じる。自身の緩んだ頬の感覚に幸せを感じながらすずかの髪を軽く梳けば、さらさらと抜ける柔らかな髪質に心地良さを覚える。

 もうこのまま抱き締めていたい心地に溺れそうになるが、すずかのお腹からくぅと鳴いた可愛らしい欲求にくすりと笑うしかなかった。すやすやと寝てしまったすずかを起こさぬように姫抱きにしたシロノは中庭からリビングへと戻り、ソファで仲睦まじい二人を見て微笑んでいる忍へ一言掛けてから寝室へと歩いて行く。そして、寝室の前に立ったシロノはちらりと角を見やる。

 

「じゃ、アリアさん。すずかを頼んで良いですか?」

「……やっぱりバレてたか。はいはい、可愛く仕上げますよーっと」

 

 悪戯が未然にバレて不貞腐れた声を出した猫形態のアリアがひょこっと角から顔を出し、二人の姿を見て状況を理解したのか人間形態へと戻ってすずかを受け取った。アリアが此処に居るのは単純にシロノの休暇に付き添ったからであり、早朝鍛錬へと行ったシロノは寝室のベッドに寝ている二人を一瞥してから出て行ったので居る事は分かっていた。ミッドに戻ってからアリアを秘書にするためにグレアムの所へ直談判しに行ったシロノは、手放せない案件がありそれを終えるまでは無理だ、という期待できる返事を返された。その時の表情が複雑そうだったのもあって、シロノは初めてアリアを休日に誘った。……勿論、月村邸にだが。

 アリアはやれやれと肩を竦め、すずか一筋なシロノに流し目を送ってから寝室へと入って行った。雌豹の如くお誘いのポーズであるがすずかを抱き込んでいるため全く機能していない。恐らく不満である意を表すために態と行なったのだろう。明確な好意にシロノは苦笑せざるを得ない。朝っぱらからヤる事ヤるような関係ではないし、何よりシロノ自身そこまで盛っている訳でもない。なので、シロノは見無かった事にして食堂へと向かうしかなかった。

 

「……はは。アリアさんには勝てないなぁ」

 

 そう独白してしまうくらいに少し疲れが溜まっていたらしい。年齢がもう少し高かったら美味しく頂かれてしまっていたのではないかと勘繰ってしまう程に、アリアのシロノへのアピールは日に日に高まっていた。

 それはアリアによるすずかと協定を結んだ結果であり、アリアへと視線を向けさせる事で他人のアピールを潰す作戦らしい。だが、シロノにとっては好意に値するアリアからのお誘いなので冷や冷やものである。何せ、すずかのように身体的理由で留まる理由が無い。それにアリアは端から見ても美人の分類であり、先週に思春期真っ盛りな年齢に到達しているシロノからすれば悶々とせねばならない相手である。加えて言えばシロノの初恋の人物であるが故に、後ろ髪が引かれてしまう度に戸惑いとすずかへの申し訳無さで理性を律してきたのである。

 廊下からリビングへと顔を出せば、先程まで紅茶を嗜んでいた忍も食堂へ行ったようでソファには居なかった。このまま食堂へ向かっても良いが、何となくシロノはソファに座って二人を待つ事にした。高級な跳ね返りを背中で味わいながらぼんやりと天上を見上げていると、感じ慣れた魔力の気配が近付くのを感じた。

 

「シーローノーさん♪ えへへ……」

 

 ベッドにダイブするかの如くシロノの胸に飛び込んだ小柄な体を慣れた様子で抱き受け止めた。そして、すりすりとマーキングするかの如く頬擦りして幸せそうにするすずかの姿に可愛さを甘受しつつ、シロノはやれやれと再び姫抱きにした。するりと柔らかくすべすべとした腕で首に手を回されたシロノは、近距離で香る甘い匂いに劣情を若干刺激され、自分の理性がアリアによって予想以上に昂らせられているのを察した。鋼の様な理性によって再び律し、シロノはにまにまとするアリアを隣に連れて食堂へと歩いて行った。

 長いテーブルには既に配膳されたバニラが添えられたホットケーキと牛乳の入ったグラスが人数分用意されており、三人は定位置へと座って忍の号令と共に「いただきます」と手を合わせた。休暇中にもアリアは度々、いや、殆どの日数を過ごしているので既に家族の一員のように溶け込んでいた。翠屋店長直伝の洋菓子技術によりふんわりと焼き上がったホットケーキに全員が頬を緩ませる。食事を必要としないノエルたちも四人の綻ぶ顔を見て微笑を浮かべていた。

 穏やかな朝食を終え、すずかはシロノを連れて図書館へと歩いて向かった。何でも同年代の友人ができたので紹介したいとの事だった。頻繁に出会う図書館で待ち合わせし、シロノと会わせたらお迎えするんだとすずかは楽しそうに告げた。

 シロノはすずかとの時間が削れる事に文句を言わずに肯定した。時にはこういう時間も良いだろう、と友人と戯れるすずかを見ているのも悪くは無い。二人は手を仲良く繋いで図書館へと歩いて行く。時折擦れ違った人々に微笑ましそうな視線を向けられるが、二人は特段気にした様子も無く指を絡めて微笑み合う。シロノの肩に乗っているアリアは犬も、猫も食わない二人の仲に肩を竦めて不貞腐れるしか出来なかった。そして、そんなアリアのご機嫌を伺う様にシロノは時折その小さな毛並みの良い頭を撫でるのだった。

 図書館が見えてくるとその入り口に居る車椅子の少女にシロノは気付いた。すずかは笑みを浮かべてその少女へと近付いて行く。……もっとも、手を繋いでいるので結果的にシロノを急かす事となったが。足音で気付いたのか顔を上げた少女、八神はやてはすずかを見てぱぁと笑みを浮かべた。

 

「こっちやすずかちゃん!」

「うん! 久し振りだねはやてちゃん」

「一昨日振りやけどなー。で、そっちがすずかちゃんが言ってたシロノさんか?」

「ああ、ぼくはシロノ・ハーヴェイ。君は?」

「あ、八神はやて言います。すずかちゃんとはどんな関係で?」

「あー、うん。今は居候とその主人の妹だね」

「へー、そうなんかー……。えらい格好良い恋人さんやーって聞いてたんやけどぉ?」

 

 にんまりと悪戯気のある笑みを浮かべたはやてにシロノは戸惑った。

 ぶっちゃけこの年齢で十歳の子と恋人です、だなんて公にできない。完璧にそういう性癖な人であると誤解されるのが落ちだろう。助けを求めるようにすずかを見やれば、てへっと舌を出して愛らしい様子だった。

 ――あ、詰んだこれ。

 シロノはロリコンと称されるのを覚悟して力無く頷いた。それにはやてはきゃーきゃーと騒ぎ、すずかと戯れるその姿は歳相応の可愛らしい女の子の姿だった。姦しい二人に完全に遊ばれてると感じたシロノはやれやれと溜息を吐いた。ぺろりと頬を舐めてくれたアリアの気遣いが切実に嬉しかった。ありがとうとアリアの頭を撫でて、シロノは少し立ち直る。恐ろしい凶悪犯よりも純粋無垢な子供の方がよっぽど恐ろしいとシロノは談笑する二人を眺めていた。

 話題やら置いてけぼりにされたシロノは二人が見える位置で壁に寄り掛かっていた。アリアもふんにゃりとリラックスしており、十数分程待ちぼうけをくらった頃に漸くシロノが居た事を思い出した二人は苦笑して謝った。

 

「うちの姉が来るんよ。それまでお喋りしとこかーって言ってたんやけど、シロノさんには言って無かったわ」

「ごめんねシロノさん……」

「まぁ、構わないよ。楽しくお喋りしておいで」

「それには及ばん。皆に敢えて言おう、待たせたな!」

 

 しんなりしていた二人に視線を向けていたシロノは隣から現れた人物を見て、はやてを一瞥して見てから瓜二つな待ち人に視線を向けた。八神ナハトと名乗った少女ははやてが成長したらこうなると形容してしまうくらいに似ていたのだ。シロノが驚いている様子を見て彼女たちは揃って笑う。どうやらこうなる事を予見していたらしい。どっと疲れた気分になったシロノは、頭に置かれたアリアの肉球に慰められながら談笑する三人を道路側の位置で見守っていた。

 美少女三人と一匹に対して男一人という比率は結構クるものがあり、羨ましげな視線と嫉ましげな視線とあらあらという微笑ましいものを見る視線に晒されてシロノが内心呻いたのは言うまでも無かった。



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A’s49  「葛藤の迷路、です?」

「おおぉ……、初めて来たけどほんまにすずかちゃんお金持ちさんなんやなー」

「……うむ、見事な豪邸だな。敷地面積に我が家が幾つ入るのだろうか……」

「そうですか?」

「あー、うん。すずか、一般家庭の見解からすればこんな感じだよ。一生巡り合わない機会と言っても過言ではないぐらいだ」

「そんな事ありませんよ! だって、シロノさんは私のだんにゃっ」

「はいはい、お客さん待たせて何を口走るつもりなんだか……。すみません、それじゃついて来てください」

「ぷはっ、もうシロノさんったら大胆……♪」

 

 ナチュラルにすずかを後ろから抱き抱えて黙らせたシロノの手馴れた様子と、すずかの大変ご満悦と言ったデレデレな甘い声に二人は砂糖を吐きたくなる気分だった。はやては「あかん、新婚さんのノリやこれ」と額に手を置いて唸って、ナハトはナハトで少し興味深そうに二人を観察し始める。後ろから付いて来ているファリンはもう慣れましたと言わんばかりに微笑んでいる。決して、逢瀬の時間が減った事で密度が増した甘い空間に窒息し掛けている訳ではないのだ。慣れても辛いものは辛いのである。ノエルは二人の甘い空間でも特段無く仕事をこなすので、ファリンは尊敬の念を送らざるを得ない。……もっとも、ノエルはたまに忍の戯れでイタしていた頃があるので、耐性がファリンの数倍以上にあるだけなのだが。

 兎も角、敷地内に入り玄関口までの道を歩いている四人と一匹の内、それに気付いたのは必然的にシロノだった。草陰や巧妙にペインティングされて隠された仕掛けの数がまた増えている、と。忍の趣味でもあるこの迎撃機能の拡張は、主に泥棒の捕縛や刺客の足止めに使用されている実践的な物ばかりだ。ゴム弾であっても喰らったら痛いものは痛い。一度、機能を更新した際にその場に居なかったシロノの分が入っておらず、素通りしたら盛大に歓迎された事があった。素手で悪漢鎮圧用ゴム弾を受け止めたり、陽炎により避けたりして無事に玄関口に辿り着いたシロノを待っていたのが恭也(ラスボス)だったのは良い思い出である。

 それから、忍は偶に誤作動させてシロノに対し鎮圧の具合を尋ねる事があるようになった。そのせいで人一倍辺りの観察眼が育ったシロノが執務の際に役立ったりと、怒るに怒れない悪戯のようになっていた。それもあり、こうしてシロノは観察眼により仕掛けを確認するようになった。

 

(……可笑しいな、あれ。アパッチサイズのガトリングな気がするんだけど……。忍さんは何と戦うつもりなんだ……?)

 

 そして、予想斜め上でアクロバティックに決めるのが忍である。此処にジェスを連れ込んだら無敵城塞が出来上がる気がしてしまうくらいに、忍は確かに調子に乗っているようだった。来週辺りにでも誤作動があるかなとシロノは嘆息するのだった。そんなシロノの様子の変化を機敏に察するのは勿論ながらすずかで、次点がアリアである。

 

「シロノさん?」

「にゃ?」

「あー、いや、何でもないよ。恭也さんに言って何とかなるんだったら苦労しないし……」

 

 その返答で何となく忍が関係している事を察した二人は「あー……」と理解の意を漏らした。最近はデバイス製作に夢中らしい忍の技術力は地球の常識を超えつつあった。何せ、魔法である。非日常の代名詞とも呼べるそれを解析できてしまう忍だからこそ、できない事ができそうで恐ろしくも頼りになるのだ。もっとも、殆どそれを趣味にぶっ込む性格であるせいで周りの心労はマッハなのだ。ノエルが自動人形で無ければ辞表を叩き付けて実家に帰ったに違いない。恭也とノエルという二大ストッパーが居るため、その被害が微々たるものであるのが救いと言えよう。

 新しい玩具と言える技術を与えてしまったのがシロノであるからこそ、デバイス関係は度が越えないように忍の舵取りをしなくてはならない。それによって被る被害を全力で被って行くのがシロノの性格の美徳でもあるので、彼を癒す担当であるすずかとアリアはその心労具合を理解しているのである。勝手分からぬはやてとナハトが首を傾げていたが、玄関が近付くに連れてその疑問も飛んで行った。

 徐々に近付くに連れて段々と顎の角度が上がるのだ。それは勿論四階建ての月村邸の全体像を見ようとするならば必然的な事だった。庶民である八神姉妹からすれば豪邸と形容できる月村邸は凄まじい光景である。一度通った道でもあるので、シロノは唖然としている二人に苦笑せざるを得ない。腕の中とその後ろには二人がぽけーっとしている理由を察していない者も居たりするが。

 

「くくっ、すずかのお友達なんだろう? 此れから度々来るんだ。一々呆けていたらずっと家に入れないよ?」

「……っ! せ、せやな! 慣れんとあかんもんな!」

「ふっ、はやては家族は多いが友人は少ないからな。お友達の家に遊びに行くのが初めてだからって昨夜から張り切っていてな……」

「ちょっ! な、何バラしとるんや!」

「語るに落ちたぞ、はやて?」

「ぐぬぬ……」

「家族漫才するなら中でね」

「せやな……」

「うむ、そうだな」

 

 くつくつとシロノは仲の良い二人の遣り取りに笑みを浮かべ、我が家のように玄関扉の取っ手に手を掛けようとしたが……、両腕がすずかを抱えて使えないのに気付く。そんな何処か抜けている姿を見せたシロノを二人が笑い、すずかとファリンも笑みを浮かべる。結局、長々と玄関外に居た事から様子見に現れたノエルによって扉が内側から開かれた。その際、更にどっと笑いが起きたのもあって、笑われたシロノはがっくりとしつつすずかを抱きしめる力を強めた。

 扉をくぐったシロノはすずかを下ろし、後はごゆっくりと告げて寝室へと逃げていった。そんな珍しい姿を見せたシロノにすずかはくすりと微笑んだが、ミッドでシロノと共にしていたアリアは何となく理由を察した。本日の主役は八神姉妹であり、一週間振りのシロノではない。そうなると会話や挙動の先はシロノではなく八神姉妹となり、すずかを独占できないのだ。シロノからすれば嫉妬そのものである行動で、寝室のベッドで不貞寝する予定なのだろう。

 なら、一人の方が良いだろうとアリアは下りて空気を読む。それに、お客さんがお客さんであるためにアリアは、とても複雑な心境でシロノの背を見送った。

 視線を向ける先は――八神姉妹だった。

 

(八神ナハト……、そしてロッテの報告からシュテルとレヴィという奴まで増えた……。ヴォルケンリッターの姿も確認しているけど……)

 

 アリアはロッテと共に数年前に情報の魔窟と呼べる無限書庫で、闇の書の情報を求めた事があった。それは彼女の父にして契約者(マスター)たるグレアムの指示により、友人を間接的に殺めてしまった贖罪の手段を集めるために必要な事だった。その歴史の記録では闇の書の主はヴォルケンリッターと呼ばれる四人の騎士により護られ、数々の悪逆非道を成したとされている。それは、前回の闇の書事件の当事者だったグレアムもよく知っていた。

 だからこそ、今の闇の書の主の在り方、その環境はイレギュラーと呼べるものだった故に不可解だった。天涯孤独であった筈の八神はやてに“何時の間にか”八神ナハトという姉が存在し、そのナハトの他にシュテルとレヴィという連れが現れた。それにより、はやては家族を得て幸せを得てしまった。更に、グレアムの思惑はその幸せを滅ぼすものでしかなくなってしまった。

 はやてを闇の書と共に凍結封印し、永久術式によりその封印を永遠に繰り返す。それがグレアムの目論見であり、闇の書の悲劇を繰り返さない唯一の手段であった。

 

(……どうしたら良いんだろう。本当にお父様の指示通りにすべきなのかしら……?)

 

 アリアはグレアムに伝えていない情報がある。それは、シロノが齎した考察である。一度は伝えるために戻ったアリアだったが、寸での所で伝えるのを止めてしまった。グレアムの計画は年単位で緻密に組み立てられたものだ。それを考察で潰す訳に行かず、更にはこの計画の正当さにアリアは迷ってしまったのだった。

 それからアリアはシロノの様子を見つつ、無限書庫に篭って情報を更に集め続けた。調べたのは数年前であり、蔵書が増えた可能性や整理により見つけられなかった闇の書に関する物が存在するかもしれないからだ。それにより、幾つかの資料が集まった。

 

(夜天の賢者と呼ばれる伝説……。それに出てくる同行者はヴォルケンリッターのそれと酷似していた……)

 

 古代ベルカの書物を復元した物の中に、夜天の賢者という魔法技術の収集を行う伝説の一節が存在したのだ。アリアは即座にその内容をコピーし、自身の胸の内に潜めた。

 ――彼の者は夜天の賢者。

 ――同行するは四人の友。

 ――烈火の騎士は幾多の戦士を薙ぎ払い。

 ――鉄槌の騎士は幾多の壁を打ち壊し。

 ――湖の騎士は幾多の傷害を癒し。

 ――盾の守護獣は幾多の猛威を噛み砕いた。

 ――幾多の場所を歩みし賢者が持つ書は――。

 何故なら、それは途中で途切れてしまっている物語であった。

 核心に迫るような内容が待ち受けているとして、闇の書が夜天の賢者の書であった場合に幾多の考えが及んでしまう。もしも、憶測が真実であったならば。

 

(シロノの言う通り、闇の書は仮の名……? 闇の書事件を終わらせる別の方法があるかもしれない……)

 

 第一管理世界の古代時代は原因不明の終焉を迎えている。そのため近代ベルカであっても古代ベルカの全てを収集できている訳ではない。故に、アリアには途切れてしまった続きが気になって仕方が無い。打ち明けるならばグレアムではなく、シロノにするべきだと勘が騒ぐ。其れほどまでに続きに連なるべき文字を求めてしまう。

 そして何よりもナハトというイレギュラー要素がアリアの良心を痛める。

 それはグレアムとて同じであるが、こうして身近にその存在を、家族団欒という幸福の実現によって九歳の少女の夢が叶った光景を見てしまっているアリアは特に顕著だった。月村邸での暮らしがそれに拍車を掛ける程に、アリアの常識は移り変わっていた。

 

(……どうしたら良いのかしら)

 

 アリアは一人隅でぼんやりと彼女たちの談笑を眺め続ける。

 決定的な答えの出ない自問自答に胸を押さえつけられるような痛みを感じながら、誰にとっても最善である可能性を見出すために、惚れた少年の信念に引かれるように、考え続けるのだった。



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A’s50 「狂気の科学者たち、です?」お知らせ2追加

お知らせ

皆様お久しぶりでございます。不落です。

突然な作品の更新停止及び音信不通申し訳ありません。
きっかけは「あれ、これ設定ごちゃ混ぜ過ぎてね?」と作品を見返して思い当たり、創作意欲をリアル多忙により削られてしまったからです。
なので、要らん要素を削ったリスタート版を投稿し直す予定です。勿論ながらヒロインは我らが天使たるすずか一択ですのでご安心ください。

題名は

リリカルハートR〜群青色の紫苑〜

となります。
再投稿の際には此方にお知らせ2と題して告知致します。
尚、リスタート版シロノの性格がガラリと変わりますので、コレジャナイ感を感じるかもしれませんが転生要素を削るため何卒ご理解ください。


お知らせ2

此度リリカルハートRを投稿致しました。読んでくれる方が居れば幸いです。


 第一管理世界ミッドチルダに存在する首都クラナガンは、あらゆる技術の聖地とも称される程に日々邁進を続ける大都市である。多種多様の頂点に君臨するは時空管理局。その管理局でさえ暗く、深過ぎて目が届かぬような廃棄都市郡の奥底から通じる魔の森にその施設は存在した。オリジナルであるジェイル・スカリエッティを模倣し、クラナガン付近に居を構えたジェスは久し振りにその施設へと赴いていた。

 彼女と彼の背格好及び外見は一部を除いてほぼ酷似している。しかしながら、男女の差異というものと、育つ環境によって精神の違いが生じ、もはやオリジナルとクローンと呼べる間柄であると忘れてしまうような明確な違いとなっていた。

 

「やぁ、オリジナル。少しばかりお邪魔しているよ」

「……君がどうしてこの施設を発見できたかは何となく察するがね、クアットロを椅子にするのは勘弁して欲しいのだが。というかどうしてそうなっているんだい」

「いやほら、ボクを侵入者だなんて襲ってきたからその報復だよ、オリジナル。素体には傷一つ存在しないだろう」

「……嗚咽を噛み締めているように見えるのだけれども?」

「別に? 彼女のファイヤーウォールを片手間で突破して、埒が明かないとシルバーカーテンで索敵しにきた所を鹵獲、そして少し精神的に嬲っただけさ。ほら、この泣き顔そそるだろう?」

「……君が本当に私が造ったクローンなのか疑問を浮かべてしまうな」

「くくくっ、解体は勘弁願いたいね。そんな事をしたらこの子の妹たちがクラッシュしてしまうよ」

「……はぁ」

 

 そう、このジェスはジェイルからすれば問題児であった。それも、特大の、だ。

 ジェイルが自身の研究を進める一環として行なったクローン計画によって、各分野のスペシャリストと化したクローンは有意義なものとなった。だが、一番優秀であるジェスがこれである。他のクローンたちもまたジェイルからすれば手に負えない問題児と化す一歩手前の前兆ではないかと危惧している。クローン培養している際に唯一女性個体と化したジェスだからと諦めてしまうのも手かなと思ってしまうぐらいにジェイルは彼女には手を焼いていた。

 そして、ジェイルの生体工学を駆使して造り上げられた後日ナンバーズと称される彼の娘たちもまた、ジェスは突然吹き荒れる嵐であると認識している。何せ、初対面の際にジェイルと歓談するジェスを蔑ろにしたクアットロが目の前で泣き出すまでの過程を見てしまっている。ジェスが真性のドSであり、ヒューマンバイオゲノムに特化した研究を行なっているのもあって半身半機な彼女たちにとって天敵とも呼べる存在であると認識するには十分な代物であった。そのため、何故かウーノ、ドゥーエ、トーレだけには味方シグナルを出し、クアットロだけには侵入者シグナルを偽装してこの施設へと赴くジェスは厄介極まる人物でしかなかった。

 今回もまた、末妹であるクアットロを犠牲にして自身に掛かる火の粉を払った三人は、せめてもの慰めとしてこの場には居ない。いや、別室でジェスとジェイルへお茶を用意しているウーノが居るが、彼女はジェイルの秘書役であるからと尊い犠牲であると割り切ったようであったが、その顔には少々の罪悪感が見えていた。

 何食わぬ顔をして施設を正面突破して彼のラボの椅子ではなく、クアットロに座っていたジェスと対面したジェイルは、日々の研究の疲れとは違う別の疲れによってぐったりし掛けていた。対面の椅子へと座った彼の前にそっと置かれたウーノ特性ハーブティーによって少々の安寧を得たジェイルは再びジェスへと問い掛けた。

 

「で、今日は何しに来たんだい、ジェイラ」

「少しばかり資料が欲しくてね。先天固有技能の付与。それに応じた特殊デバイスを構築するデバイス技術が学びたくてね。ちょいと、出不精な足に鞭を打った訳さ」

「何処でそれを、だなんて言うのは不毛か。一体いくつのスパイボットを仕込んでいるんだか……。まぁ、構わない、と言うには代金が過ぎるね」

「何が欲しい? 例えば、優秀な遺伝子かな?」

「……はぁ。そうだね、私の遺伝子を使うのは十分なデータが取れたからもう不要だ。新たな遺伝子によって研究を進めたいのだよ」

「優秀な遺伝子から事に応じたクローンを作り出す、ね。……まぁ、いいや。幾つか見繕っておくよ」

「この点においては助かるよ。何せ、私もまた出不精でね。優秀である人物を探す手間も惜しい程に研究内容が残っているのだよ。外界の人間観察が趣味な君が推すんだ。期待させて貰うよ」

「くくくっ、構わないさ。何せ、ほら、ある意味ボクたちは兄妹だ。家族同士馴れ合うのもまた一興だろう?」

「……は? すまない、君らしからぬ幻聴が聞こえた気がするんだが」

「なぁに、彼にオリジナルを、いや、兄さんとでも呼び名を変えようか。兄さんを紹介する日が来るかも知れないからね」

「……彼と言うのはシロノ・ハーヴェイ、管理局唯一の陸の固定執務官だろう? もしや、彼の出世の出汁に私を売る気かい?」

「いやいや、彼は出世に飢えてはいるが、そこらのハイエナとは違うから安心しなよ。と、いうよりも案外兄さんと仲良くなれるかもしれないよ。何せ、彼はボクに答えを得させた人物なのだからね」

 

 その不敵な笑みを見せたジェスの言葉にジェイルは暫し固まった。彼女の答えと言うのは今も尚自分の命題である無限の探求への理解である。ある意味それは解釈と呼べる概念的意味合いでもあり、また自身の存在を肯定するための求道でもある。それをまさか、クローンに先に達せられるとは思ってもいなかったのだろう。嗚咽から啜り泣きに変わったクアットロもまたごちゃごちゃな思考の中でも驚きを感じていた程だ。

 一転してジェイルは口角を上げ、不敵な笑みを浮かべた。似ている顔で似ている性格である彼と彼女だ、こう言った際に馬が合わない訳が無かった。そもそも、彼らは実は仲が良い。他のクローンとは違い、クローンである事を肯定し、尚且つそれを含めて自身であると自己完結している。更には、オリジナルである彼を兄と言ってのける程の達観と自己完結を為しているのだ。ジェイルにとっては彼女は問題児でありながら、面白い素体としても興味を抱くに値する人物であった。

 

「へぇ、それは……愉快な事になりそうだね。そうか、彼が君に答えを……。ふむ、成る程。君は新たなステップへと足を向けているようだね。そのお祝いとしてもう少し色を付けよう。古代ベルカに存在していたと言われる人格型デバイスの資料を足してあげようじゃないか。まぁ、私もまだ実物に会った事は無いが資料としては存在していたからね」

「ありがたい、大いに助かるよ。実はだね、彼から面白い思案を貰っているんだ。ほら、これだ」

 

 指を鳴らしてジェスの背後に参列したシロノが考案した新しいデバイス案、リンカーコアシステムを元にジェスによって構築された次世代型デバイスの草案が浮かび上がる。チラリと視線を動かして概要を見たジェイルはその新しさと斬新さ、そして、危険過ぎる内容に目に喜悦を浮かべていた。それはいつぞやのジェスの興奮した際の表情と瓜二つであった。

 

「ほぅ、持ち主から作り出した人工リンカーコアをデバイスに内蔵し、その親和性及び相互性から性能を高めるのか。更にはバッテリーシステムなるもので、バックアップ及び性能の充実と長期稼動率を補完する、か。これは現代の人格型デバイスと呼んで申し分無いものだね。融合型ではなく、秘書型か。上手く考えたものだね」

「だが、その一方で自我を発露させた人工リンカーAIは人とあまり変わらぬ概観を持つ。それを一方的に使役するのはまるで奴隷ではないかというモラル的且つ社会的な問題も存在する。けれど、これを為した場合の効率アップは従来の比ではないね。技術屋でないからこその発想とこの選民主義的な世界から離れた場所での価値観の差異から生まれた新たな技術さ。まぁ、兄さんはこのデバイスはあまり好まないと思うがね」

「……それは私の因子を埋め込んだあの子たちを造った私への皮肉かい? まぁ、君の言う事も一利あるさ。デバイスかクローンかという違いでしか無いからね。好みはしないが、評価はしよう」

「くくくっ、やはりね」

 

 まるで兄妹の団欒のように見えるがお互いの腹の内は真っ黒に染まっている。科学者として、オリジナルとクローンとして、研究のためにお互いを使い潰そうとするその姿は獣の喰らい合いのようだった。お互いの首に喰らい付き、相手の首を噛み砕かんとするその笑みは肉食獣の舌なめずりに感じられた。

 尚、その二人の肌寒い遣り取りをジェスの椅子として聞かざるを得ないクアットロは、身の覚えは無い筈の寒気に襲われていた。それは向かい合う二人が生み出す冷気。そう、こいつらは拙いという生存本能からくる忌避感にして警鐘の表れである。

 

「ふふふっ、ふははははは!」

「くくくっ、あははははは!」

 

 非人道まっしぐらで尚且つ外道の二文字が似合う二人の高笑いが、耐熱及び様々な防壁によって密封されたラボ内を木霊するかのように響き渡る。魔女の窯と形容してもなんら問題為さそうな暗黒空間の雰囲気は、一つ隣の部屋にてお茶菓子を探していたウーノの背を凍らせ、ジェスのせいで狂気な一面すらもお腹一杯状態のクアットロは色々と抜け落ちた表情で諦めの悟りを開き始め、遠くで談笑をしていたドゥーエとトーレは狂気の合唱に聞かざるの体勢を取る始末だった。

 二人は満足するまで笑ったのか、笑い疲れた子供のように息を整え始めて混ざり合った混沌の空気が霧散して、静寂を取り戻してゆく。それに連れてクアットロの瞳に生気が宿り始め、待機していたウーノが颯爽とお茶菓子のクッキーと珈琲を机へと並べる。

 

「さて、ジェイラ。私もそろそろ研究を煮詰めようと思っていてね。君の思い人が追っている事件が終わるのを待ち遠しく思っているのだよ。あの騒ぎは老人たちも痛く騒がしくしていてね、困ったものだよ」

「ほぅ? それは、どういった意味で関わりが? もしやと思うが……」

「いやいや、確かに私とて古代ベルカの夜天の書の構造やデータを取りたいと思うがね、あのような面倒な手間はしないさ。私は関わってはいないよ」

「……夜天の書。確か、古代ベルカ初期に製造された王の戯れを満たす魔道書型デバイス……。あらゆる地を得た王に、あらゆる知恵を此処に、あらゆる知識を纏めた書を此処に、だったかな。兄さんの記憶の断片でしかないけども、興味深い代物だった。……まさか、夜天の書は記憶までも収集する魔道書だとは思わなかったけどね」

「ふふふ、それは間違いだよジェイラ。こんな単語を聞いた事はないかな」

 

 ――転生者、と言うのだけれどもね。

 ジェスの耳に入ったそれは常人であれば鼻で笑うようなものではあるが、ジェイルから御伽噺のように語られる旋律の言葉たちは非現実を現実に置き換えてしまいそうな響きを齎していた。信憑性は低く、前世の記憶を持つ者という不可思議極まり無い内容であったが、ジェスは何処か引っ掛かるものを感じた。そのため、話に熱を入れ始めたジェスの姿に笑みを深く浮かべたジェイルは淡々とけれども取捨選択によって内容を煮詰められた持論を熱く語り始めるのだった。




えー、大変遅れながらの更新申し訳ありません。
また、近々更新すると返信した方やこの作品を楽しみにしていただいていた方への言い訳ですが……。

予約投稿をミスってましたorz

投稿予定日が十月一日になっているのを発見し、「ふぁっ!?」と今先程手作業で更新致しました。
予約投稿は自分には合わないようですね……。
これからは手作業でやりたいと思う所存です、ええ。



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