ダンジョンに火を見出すのは間違っているだろうか? (捻くれたハグルマ)
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第一話 はじまり


 バベルが出来る前、『古代』。
 その『古代』よりもはるか昔。
 世界は一度はじまり、そして終わったという。


 

 かつて古竜が栄え、滅んだ。

 古竜たちを滅ぼしたのは「はじまりの火」を見出した幾匹かの神であった

 そしてそれらを滅ぼした神々も、陰っていく火にあらがえず、姿を消した。

 最後に、幾億年も続いた「火の時代」を終わらせたのは、ただの人であった。

 

 人は、火を継ぐことも奪うこともなかった。

 火が消えて、新たなる火が熾るまで、女とともに待ったのだった。

 これはその新たなる火が照らす世界の物語。

 神々とその眷属たちが面白可笑しく紡ぐ物語。

 薪の王たる資格を持つ者の血を引く男の物語である。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「母上、また眠っておられたのですか?」

 

 長身の青年が、特徴的な仮面をつけた黒衣の女にそっと話しかける。

 

 「夢を見ておりました。アル、貴方はもう随分と大きくなりましたね。」

 

 母上と呼ばれた女は、安楽椅子に座ったまま、跪く男の頬をそっと撫でて、優しく微笑む。

 その姿はまさしく聖女のようであった。

 青年は女の手を握り、元気よく答える。

 

 「私も、もう14になりました。かの四騎士や大王のように、武功を上げてもよいころです。」

 

 14の男は人間にしてはかなり大きく、2M(メドル)はゆうに越そうかというほどである。

 その姿だけみれば、まさしく勇士に相応しいといえる。

 

 「アル、オラリオに行きたいと言うのでしょう。」

 

 迷宮都市オラリオ。バベルなる巨大な白亜の塔によって、迷宮を封印した大陸最大の都市である。

 この青年は、そこで冒険者になろうという目標があった。

 

 「無論です。私は【深淵歩き】や【竜狩り】のような立派な騎士に、英雄になりたいのです。」

 

 青年はこの女の伝える神話の英雄のようになりたいと、常々から口にしていた。

 だからこそ、冒険者となって迷宮に挑戦したいと願うのだ。

 

 女は、止めることなどできないであろうという確信があった。

 なぜなら、彼女にはこの青年の(ソウル)が見えるのだ。

 さる美の女神とは違い、彼女はその由来すら見通すことが出来た。

 

 彼のうちには、強いソウルが流れている。

 深淵に墜ちた英雄、醜い白竜、獣ながらに勇敢な墓守、王女を守る黄金の騎士と処刑者。

 それだけではない。多くの強大なソウルと、それを屠り火を求め続けた灰の血が混じっている。

 

 「貴方もまた、火を求めるのですね。アル、いえ、アルトリウスの名を継ぐ子。

 お行きなさい。武具と防具はこちらで用意いたしましょう。」

 

 「よろしいのですか、母上!」

 

 「貴方が生まれて、あの方が去った時から、こうなるだろうとは思っておりました。」

 

 黒衣の女はゆっくりと立ち上がり、跪く男の手に自身の手をかざした。

 灰の御方に力を与えていたときのように、この子に力が宿るようにと祈りを込めながら呪文を唱えた。

 

 「母上、これは一体……。」

 

 「これはもう失われた業、主なきソウルを用いて器を強める法。

 貴方の内のソウルを、少しばかり貴方に定着させました。」

 

 女は優しい声色で、送り出すための言葉をつぶやいた。

 

 「アル、貴方に寄る辺がありますように。」

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 アルは数日後、迷宮都市オラリオに立っていた。

 彼はボロボロの大盾と、黒々とした錆のようなものがついた古い大剣を背負い、傷だらけの鎧を着こんでいた。

 そのどれもが、敗走した騎士か、そうでなければよほど古い骨董品を引っ張り出してきた酔狂な人を連想させる。

 

 「う~む。まずは主神たる神と属すべき【ファミリア】を見つけねばなるまい。」

 

 そう呟いて、アルが歩き出そうとしたとたん、どんっと誰かにぶつかった。

 

 「っむ、すまない。前方不注意という奴だ。大事ないか?」

 

 そっと手を差し伸べた先には、白髪に赤眼の、まるでウサギのような少年がいた。

 

 「あっ、いえ、僕は全然平気です……。凄い鎧!もしかして探索系の【ファミリア】の方ですか?」

 

 「おお、すまないが私は未だに【ファミリア】に属さぬ身。貴公もそうなのか?」

 

 「はい!僕、ベル・クラネルと言います!」

 

 「私はアルトリウスという。アル、と気軽に呼んでくれ。年もそう離れてはいまい。」

 

 アルは全くの偶然の出会いに心から感謝していた。

 行く当てのない中でこのように同じ境遇の、それも年の近いと思われる少年と出会えたことは幸運であったからだ。

 しかし、ベルにとってはこの大男がどうしても同い年には思えなかった。

 

 「えっ、僕は14歳ですけど……。」

 

 「奇遇だな、私もだ。」

 

 「えぇぇぇッ?!」

 

 そんなこんなでアルは、ベルをかなり驚かせ、大通りで見事に衆人の白い目を引き、一躍変人二人組が結成されたわけであった。

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 「ダメだね、アル……。」

 

 「うむ、まさかこうも無下にあしらわれるとは……。」

 

 二人は、夕焼けの中をとぼとぼと歩いていた。

 鎧の大男と可愛げのある少年が同じように肩を落として歩く姿は、人の憐憫の情を引きだすよりも滑稽であると思わせるものであった。

 

 この二人は昼間に出会ってから数十の【ファミリア】を訪問したが、すべて尽く追い返されていた。

 その一部の追い払う文句はこのようなものであった。

 

 「え?入団希望?ウチは餓鬼もボロの鎧を着てるおかしな奴も入れる余裕はないよ!」

 

 「あら、可愛いボウヤに堅物そうな子……。ウチは女性限定のところだけど、玩具(ペット)として可愛がってあげましょうか?」

 

 「我々はロキ・ファミリアだぞ。お前たちのような弱そうな者は相応しくない!故郷へ帰れ!」

 

 こんな風に、とても冒険者として歓迎しようというファミリアは存在しなかった。

 特にアルの心を傷つけたのはロキ・ファミリアの団員の言葉であった。

 

 「しかし、弱そうだから入れられないとは一体どういう了見なのか!

 これから強くなるやも知れぬ。そればかりか最初はみな恩恵を受けてないのだから弱くて当たり前だというのに!」

 

 「ごめんよ、アル。僕がもう少し強そうだったら、一緒に入団試験ぐらいは受けられたかも……。」

 

 「何を言う、ベル。貴公は決して悪くないぞ。力ばかり強く、傲慢になってしまうような人間のいるファミリアなど願い下げだ!

 私の夢である英雄は、どんな矮小な存在にも敬意を払う騎士だからな!」

 

 さらに気落ちしていくベルを励ますように、アルは身振り手振りをひたすら大きくしながら語り掛ける。

 大男が必死になって元気づけようとする姿は、ベルの罪悪感をいくばくか払っていった。

 

 「アルも英雄になりたいの?僕も、英雄になって素敵な女の子と出会いたいんだ!!」

 

 「なるほど、出会いか……!良い夢だな、ベル。女の子ではないが、私もベルと出会えたことは幸運といえよう。」

 

 「僕もだよ!出来れば同じファミリアに入れたらいいなぁ!」

 

 

 

 

 運命的な出会いを喜ぶ二人に、もう一度運命の出会いが訪れた。

 

 

 噴水の前に置かれたベンチに溜息を吐きながら座り込む少女。

 否、身長こそ小さいが、豊満な胸部に豊かで長い黒髪をツインテールにくくっているその姿は女性らしさを感じずにはいられない。

 

 顔つきは憂いこそあるものの可愛らしく、その眼は美しい青い色をしていてどうにも惹き込まれる。

 体躯には謎のリボンが二の腕から巻き付けられており、その白い服装に抜群にマッチしていた。

 

 アルは、内なるソウルが「神だ。これは神性を持つものだ。」と叫ぶのを感じた。

 ベルもまた、その不思議な少女が、きっと神様に違いないと直感的に気づいた。

 

 「そこなる御方!もしや神ではありませぬか?!」

 

 「もしそうなら、僕たちを……!」

 

 「「【眷属】にしてください!!」」

 

 少女が顔を上げじっと二人を見つめた後、晴れやかな笑顔を見せて、こう答えた。

 

 「勿論さ!!」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 少女、いや神に二人が連れられてきたのは古びた教会だった。

 どうしようもないくらいに手入れがされていない。

 そんな場所で、神は自己紹介を始めた。

 

 「ボクはヘスティア。炉や竈の女神さ!」

 

 「僕はベル・クラネルです!」

 

 「私はアルトリウス。炉の女神と出会えるとはまさに幸運!

 火の炉は私の信ずる神話においても尊きものだと言われております。」

 

 「そうなのかい?いや~照れるなぁ!」

 

 ボロ屋の中で楽しそうに話し始める三人であったが、ベルはたまらずこの場所の事を聞き始めた。

 

 「あの、神様。ここは一体どこなのでしょうか……。」

 

 「ボクのホームさ!

 ボクは下界に降りてまだ日が浅くてね。友神のところに転がり込んだはいいんだけど最近追い出されちゃってさ。

 眷属もいないから、零細ファミリア筆頭なんだよ。

 だからこんなにボロボロなのさ!」

 

 「ふむ。では我々がヘスティア様の最初の眷属というわけですか。」

 

 「えぇっ?!これを見てもまだ入ってくれるっていうのかい?!」

 

 ヘスティアは心優しい女神だ。

 勧誘したいのはやまやまではあるが、苦労させてしまうことに遠慮を抱いている。

 このオラリオにおいて子供たちのことを考えて行動してあげられる神はそう多くはない。

 

 「僕は、今日いろんなファミリアに行って、門前払いされました。

 けど、ヘスティア様だけは、僕たちの願いを聞いてくれました!

 僕、ヘスティア様のためなら頑張れると思うんです!」

 

 「私もだ。ヘスティア様は我等のことを慮ってくれる慈愛に満ちた御方だ。

 そのような方に眷属として迎え入れて頂けるのなら、どれほど嬉しいことか!

 このアルトリウス、未だ未熟なれど、騎士として働きたく思います!」

 

 ベルはヘスティアの手を握りしめて跪き、アルは騎士らしく跪き、頭を垂れてヘスティアへ手を差し伸べた。

 

 「今日から君たちはボクの家族だ!よろしく頼むぜ、ベルくん!アルくん!!

 早速入団の儀式だ!!」

 

 ヘスティアは力強く二人の手を握りしめた。

 今、二人の英雄譚が時を同じくして、序章へと至った。





 教会の隠し部屋

 【ヘスティア・ファミリア】のホーム
 教会の隠し部屋は、廃れ寂れている。

 しかし、楽し気な話し声は止むことがなく、ずっと暖かい。
 炉の女神の加護なのか、眷属たちの愛ゆえか。

 少なくとも、女神はもう寂しい思いはしないであろう。


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第二話 大敗


 敗北は次の勝利への糧というが、それは誤りである。
 死以外はすべて勝利であり、死のみが敗北である。

 敗北した者は二度と戦うことは許されず、勝利者のみが成長の機会を掴めるのだ。

 オラリオ在住 ある戦神の言葉


 

 「ふふん、じゃあ早速【神の恩恵(ファルナ)】を与えようと思うんだけど……。

 どっちが先がいいかい!ベルくんかい?!アルくんかい?!」

 

 その豊満な胸をずずいと突き出して、興奮気味に話す神、ヘスティア。

 どうやら初めての眷属ということで、ワクワクが止まらないようであった。

 

 「ベルが先がいいだろう。私は騎士を目指すもの。最初にはふさわしくない。」

 

 「ええっ、僕はアルがいいと思うんだけど……。強そうだし……。」

 

 「ハハハ、存外ベルの方が強くなることもあるだろうよ。

 それに、やはり最初の眷属、即ち団長たる存在を守るのが騎士の役目。

 ベルを守るというのなら、私は納得して戦えるというものだ。」

 

 「そこまで言うなら……。分かったよ、アル!」

 

 眷属同士も相談がすぐに終わり、ヘスティアは待ってましたとばかりに、ベッドをバシバシと叩く。

 

 「さあさあ、早く服を脱いでうつ伏せになるんだよベルくん!」

 

 いそいそと、ベルが服を脱ぎ始める。

 美少女と言って全く遜色ないヘスティアの前での脱衣は恥ずかしかったようで、顔を赤らめながら時間をかけて服を脱ぎ終えた。

 

 「じゃあ、いっくよ~!アルくんも次やるからよく見てるんだよ!」

 

 「心得た。」

 

 そうしてベルの背中の上に馬乗りになって、【神血(イコル)】を用いて神聖文字(ヒエログリフ)を刻み込んだ。

 それはそれはアルにとって神秘的な出来事だった。

 ベルの背中の空間に文字らしきものが現れるだけでなく、ベルの背中に文様が浮かび上がったのだ。

 流石に神聖文字は読めなかったために、内容までは取れなかったが、それでも神の力の片鱗を味わったのだった。

 

 「おお、これが恩恵を与えられるという事か……!」

 

 「よっし、出来た!はい、ベルくん。これが君のステータスだ!」

 

 そうして、羊皮紙に写しがとられたベルのステイタスはこのようであった。

 

 

 ―――――

 

 ベル・クラネル

 

 Lv.1

 

 力:I0

 

 耐久:I0

 

 器用:I0

 

 敏捷:I0

 

 魔力:I0

 

 ≪魔法≫

 【】

 

 ≪スキル≫

 【】

 

 ―――――

 

 「見事に全部ゼロですね、カミサマ……。」

 

 自身のステイタスに絶望し、悲痛な声を上げるベルであったが、ヘスティアは笑いながら答えた。

 

 「最初はみんなそうさ!気にしなくていいよ、ベルくん!これから強くなればいいんだぜ!」

 

 「やはり、最初は皆ゼロならば、ロキ・ファミリアの門番の理屈は通らんのだな。

 神ロキではなくヘスティア様と出会えて本当によかった。」

 

 アルは一人納得してうんうんと頷いていると、ヘスティアが急に怒り始めた。

 プンプンと怒るヘスティアの姿は恐ろしいというよりも可愛らしいといった風体である。

 

 「二人とも、ロキのところなんかに行こうとしてたのかい?!

 あの絶壁女神のところでも門前払いを食らったってことなのかい?!どうなんだい?!」

 

 「あの、カミサマ、実は……。」

 

 ベルが、事のあらましをざっくりとだが、説明し始める。

 ベルにとっては「弱そう」と言われた苦い経験の一つではあったのだが、それをちゃんと説明する所に、アルはかなり感心していた。

 しかし話を全て聞いたヘスティアは、ロキに対しては意外にも擁護する側であった。

 

 「ロキは子供たちのことを溺愛してて、下界に降りてからかなり丸くなったと聞いている。

 ボクとまな板女神は仲がいいわけじゃないけど、あまり恨まないでやってほしいんだ。

 きっと子供の独断だろうからさ!

 それに、ボクの眷属ならボクの事だけを考えていればいいんだよ!」

 

 「それがヘスティア様の願いならば。」

 

 「僕も、ヘスティア様を信じます。」

 

 二人の眷属は、主神にはかなり従順であった。

 アルとベルの心には、少なくともロキ・ファミリア全体への恨みは薄らいでいた。

 

 「さてさて、アルくんもその鎧を脱いでこっちに来なよ!

 君の顔も見てみたいしね!」

 

 「分かりました。では、御前を失礼します。」

 

 アルは装備を滑らかな手順で床へと置いていく。

 頭から兜を取ると、兜の穂に似た群青の髪を野性的に後ろになでつけた、残り火のような深い緋色の目をした好青年の顔が現れた。

 ヘスティアは可愛らしいベルもだが、アルのキリリとした端正かつ男らしい姿も、他の神々に狙われてもおかしくないなと警戒心を引き上げさせられることとなった。

 

 「アルってカッコいいんだね!」

 

 「そうだろうか?あまりそのように言われたことはなくてな。」

 

 アルは照れくさそうに頬を少し掻いた。まだまだ年相応なところはあるらしい。

 

 

 「よっし、じゃあアルくんにも恩恵を授けよう!」

 

 張り切るヘスティアのために、アルはベッドにうつ伏せになろうとしたのだが。

 

 「申し訳ありません、ヘスティア様。

 いささか、私の体が大きすぎました。ベッドに入り切りませぬ。」

 

 ベッドから足が出ているアルの姿と心底困ったという表情は、二人を笑わすには十分だったとか。

 

 ―――――

 

 アルトリウス

 

 Lv.1

 

 力:I0

 

 耐久:I0

 

 器用:I0

 

 敏捷:I0

 

 魔力:I0

 

 ≪魔法≫

 【】

 

 ≪スキル≫

 【―】

 

 ―――――

 

 

 「よし、アルくんもこれで正式にボクの家族さ!」

 

 「ありがとうございます。しかし、このスキルの欄、滲んでおりますね。」

 

 「本当だ……。どうしてですか、カミサマ?」

 

 ヘスティアは少しだけ考えるような素振りを見せて、

 

 「あぁ、ちょっと張り切りすぎちゃって手元が狂っちゃったんだ!ごめんよ!」

 

 「私のために張り切っていただけたとあれば喜びはすれども謝罪の言葉を求めたりいたしません。

 このアルトリウス、必ずやこのファミリアの戦力になれるよう尽力するつもりです。」

 

 「うんうん、ありがとうアルくん!

 さぁ、今日はもう早く寝よう!明日は冒険者登録で忙しくなるぞ!」

 

 「じゃあ、おやすみなさい!カミサマ、アル!」

 

 「私も休ませていただきます、ヘスティア様。

 おやすみだ、ベル。」

 

 眷属たちはベッドを開けて、ソファや床に敷物と毛布を敷いて寝る支度を整えた。

 もちろん、床がアルの寝床になる。

 ソファも2M強の巨躯の男には狭すぎるのが目に見えていたからだ。

 

 そうして、二人が寝静まった後、ヘスティアはアルの「本当のステイタス」のことを考えていた。

 

 「やっぱりあれ、レアスキルだよね……。」

 

 アルの≪スキル≫欄から消されたものが存在していた。

 

 

 ≪スキル≫

 

 【火継暗魂(ソウル・オブ・キングス)

 

 ・内なる火を継ぐ。

 ・心折れぬ間は効果は持続する。

 ・心折れぬほど効果は向上する。

 

 

 「これは、隠しておかなきゃね……。」

 

 まず、恩恵を与えた時点でスキルを持っていたというだけで神の玩具にされる確率は上がる。

 ただ、そのスキルが【逃走】などのあまりよく思われないものならばまだよかった。

 よりにもよって意味不明なレアスキルが発現していることが事を深刻にしてしまった。

 バレたら最後、力のない今のヘスティア・ファミリアではアルを守る事は敵わないだろう。

 それに、心折れた場合にどうなるかは分からない。

 少なくとも良い結果は生まないだろう。

 であれば、要らぬトラブルを招かないためにもやはり隠し通すべきなのだと、ヘスティアは決意した。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 「朝だぞ、ベル。

 今日も良い朝ですよ、ヘスティア様。」

 

 アルは持ち前の勤勉さから誰よりも朝早くに起きた。

 廃教会は小鳥のさえずりがよく響き、朗らかな一日を予期させる。

 

 「ふぁぁ……。おはよう、アル。すっごく早起きなんだね……。」

 

 「朝は主より早く起き、常に戦い守れるようにする。騎士の基本だ。」

 

 テキパキと片付けやら朝食の準備やらにいそしむところは殊勝な従者そのものであった。

 

 「おはよう、ベルくん、アルくん……。」

 

 主神の御目覚めで、今日のヘスティア・ファミリアは始まるのだ。

 

 朝食のパンをかじり、薄味のスープをすすりながら、ヘスティアは今日の予定を確認し始めた。 

 

 「今日は二人ともギルドに行って冒険者登録に行くんだろう?」

 

 「はい、昨日カミサマもそれを見越して体を休める様にって言ってくれましたし!」

 

 「ダンジョンに挑むなら早い方がよいと存じます。

 であれば、善は急げ。朝食を終えればすぐにでもギルドに顔を出そうと思います。」

 

 「うん、二人のためにボクもバイト頑張っちゃうぜ!」

 

 親指をびしりと立てるヘスティアの発言は、神にしては大変情けないものであるが、眷属たちは神の心意気に感動するのであった。

 

 朝食も終え、準備も万全となった二人は、扉の前に立つ。

 

 「では、行ってまいります。」

 

 「行ってきます!」

 

 「行ってらっしゃい!」

 

 主神に別れを告げ、目指すは白亜の巨塔バベル。

 今、ここに二人の冒険が始まりを告げる。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 かに思われたが。

 

 「二人とも、冒険者にとって必要なのはなによりも知識。

 ちゃんとみっちり学んでもらうからね!」

 

 「心得ました、エイナ殿。

 ほらベル、あと少しだ。心折れるなよ。」

 

 「うぅ、まさか初日は座学だなんて……。」

 

 アルとベルの冒険は未だ始まらず、ヘスティア・ファミリアの担当アドバイザー、エイナ・チュールによるスパルタ式座学が始まっていた。

 

 「ほら、ベルくん集中しなさい!」

 

 こうして、あまり座学に興味のないベルに対してエイナによる喝が飛ばされるのである。

 アルは、マジメに取り組んだおかげでベルよりは早く座学を終えることが出来た。

 

 エイナがこのようにして座学に取り組ませているのはひとえに二人の知識不足からであった。

 二人ともルーキーの寄せ集めで、新興ファミリアということもあって先輩からの教育もない。

 そのような状態でダンジョンに行けば、もっとも簡単な1階層で命を落としかねないと、エイナは判断したのだった。

 

 二人のダンジョンについての知識が一定水準にまで至り、座学を終えることが出来たのは夕方になってからであった。

 

 「今日はダンジョン攻略は無理だね……。」

 

 「まぁ、支給品の装備一式とエイナ殿から得た知識は、ダンジョン攻略で得るよりも大いに価値があるだろう。

 英雄を志すからこそ、最初は肝心だ。」

 

 「そうだね、じゃあ明日から頑張ろう!」

 

 

 そうして二人はその翌日からダンジョン攻略にいそしむようになる。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「アルは凄いね!大盾に大剣を持ってブンブン振り回せるんだもの!」

 

 「いや、ベルの機動力もかなりのものだ。私にはそこまでの加速力は出せんよ。」

 

 二人は一週間と数日でなんと5階層に到達していた。

 新米二人組にしては破格のペースだ。

 それは二人の戦闘スタイルが互いをカバーしあえるものだったからだ。

 

 アルはその巨躯から繰り出される大剣の重い一撃を敵に叩き付け、その強靭さを利用して大盾で攻撃を受ける。

 そのような正面戦闘を好み、また得意としていた。

 対してベルは小柄さと俊敏さを活かして、敵の懐に飛び込んでナイフで一突きするという戦法が得意だった。

 攻撃のスピードや、一瞬飛び跳ねたりするといった、瞬間的な機動力はアルも目を見張るものがあったがベルはその比ではなかった。

 

 二人のコンビは熟練のコンビと比べれば大したことがないかもしれないが、新米にしてはこれもまた素晴らしいものだった。

 

 「ウォーシャドウがでるのは6階層からだったな?」

 

 「うん、ここは5階層だから囲まれない限りは危険なモンスターはいないはずだよ。」

 

 「いざとなれば互いに背を預けて、死なないように行動すれば難は免れよう。」

 

 そうして二人は先へ先へとモンスターを求めて進むのであったが……。 

 

 

 「気配がしないね、なんでだろう?」

 

 「うむ、戦闘音どころか鎧のこすれる音すらせんな。」

 

 嫌な静けさであった。

 新米な二人ではあるが、明らかにおかしいという事だけはハッキリとわかっていた。

 

 そして、幸か不幸か出会ってしまった。

 

 「ねぇ、ミノタウロスってこの階層には出ないはずだよね?!」

 

 「あぁ、これは中層のモンスターのはずだ……。それが二体も出るとはな!」

 

 ミノタウロス、少なくない英雄譚に登場する半人半牛のモンスター。

 アルよりも大きな巨体に底なしの体力、膂力。

 分厚い皮膚と筋肉による、レベル1程度の攻撃では傷一つつかない耐久力。

 

 明らかに立ち向かっていい敵ではない。

 二人はすぐさま踵を返し、逃走を始めるが、無尽蔵の体力を持つモンスターを振り切ることは現実的ではなかった。

 

 「ベル、このままでは二人ともあの二体につかまる!

 二対二といっても格上二体を相手取っても勝ち目はない!」

 

 「だったらどうするの?!」

 

 「次の分岐で同時に右と左に別れたら、なんとかあの二体を引き離せるかもしれん!

 一対一なら救援が来るまでに逃げ続けられるやも知れぬ、博打ではあるがな!」

 

 「その話乗った!」

 

 「了承した!守ってやれなくて済まない!

 共に生きてまた相見えよう!」

 

 「うん!ヘスティア様の名に誓って!」

 

 ベルとアルは同時に分岐を別れた。

 作戦は無事に成功し、ミノタウロスは分断されていく。

 二人の胸中には力不足を嘆く声と、友の無事を祈る声が響いていた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 さて、アルはある程度逃げて広間に出たとたんミノタウロスに向き合った。

 そもそも、全身鎧を着ているがゆえに、スタミナの尽きはベルよりも早い。

 そして巨体であるがゆえに、体力が尽きた状態では回避すらままならないことは明白であった。

 

 ゆえに、選択肢は防御。

 あるいは目つぶしによる行動の阻害などだった。

 

 「ここで死ぬわけにはいかんのでな、戦わせてもらう!」

 

 アルは盾をがっちりと構え、大剣を肩に担ぎ万全の構えをとる。

 

 『ブモオオオォォォ!!!』

 

 獲物をついに捕らえられたことを喜び、これから血祭りにあげてやろうと勇むミノタウロスは大きく鼻を鳴らす。

 騎士たる者、このような殺気に屈する訳にいかない。

 そしてアルの憧れる【深淵歩き】ならなおのこと、絶対に引き下がるはずはない。

 

 憧憬への決意が漲り、アルの心は奮い立つ。

 

 「うぉおおおおォォ!!!」

 

 アルもオオカミの遠吠えのような渾身の雄たけびを上げて、野蛮な戦士に応える。

 かかってこい、そうミノタウロスは受け取ったようだ。

 

 『ブッモォォ!!』

 

 ミノタウロスが右腕を大きく振り上げて、硬い拳を握る。

 クリーンヒットすれば即死は免れないだろうと、瞬時に察したアルは、あえてリーチの中に飛び込む。

 

 「ォォオオア!」

 

 拳はアルの首筋を掠めていき、アルは左手の大盾をミノタウロスの胸に叩き付け、右手に掴む大剣を思いきり振り切って胴に叩き付けた。

 彼と同じレベル1のモンスターであったなら、一刀のもとに切り伏せられていたであろうその一撃は、完全にその重厚な皮膚と筋肉に止められていた。

 

 「ちぃッ!」

 

 身をひるがえし、後方に大きく縦回転しながら跳んで離れる。

 この瞬時の判断がなければ、今頃はミノタウロスの左拳に身を砕かれていたところだったろう。

 

 通常の斬撃では効き目がないと判断したアルは今度は目を確実に潰してやろうと画策していた。

 大剣は突きにも使える優秀な武器だ。

 己が体重と勢いを載せて顔を思いきり突き込めば、目や鼻、脳髄すらぐちゃぐちゃにしてやれると睨んでいた。

 

 『ブオォォォォン!!』

 

 攻撃をよけられ、傷一つつかなかったとはいえ、脇腹を強かに打たれたのだ。

 ミノタウロスは怒り狂っていた。

 そして怒りは攻撃を単調にさせるが、同時に凶暴にさせた。

 ミノタウロスの二度目の右拳による殴打は初撃よりも速く、そして鋭かった。

 

 アルは、この変化に対応できなかった。

 自身も思いきり突っ込んでいる状況では、回避する事は敵わない。

 咄嗟に左腕を振り上げて大盾を差し込もうとするが、不十分であった。

 

 「がっはァッ!!」

 

 金属が重厚な音をダンジョンに響かせた。

 アルの巨体は吹き飛ばされ、ダンジョンの壁に強かに打ち付けられ、轟音と土煙を上げた。

 

 アルの左腕は完全に砕けた。

 盾を構え続けることはもはや叶わないほどに、木っ端みじんになっていた。

 全身も岩壁に激突したことによって、罅や骨折で満身創痍であった。

 手甲と咄嗟のガードによって腕が吹き飛ばなかったことと、カウンターで頭蓋骨を砕かれ脳汁をそこらにぶちまけていないことが幸運だった。

 

 「ぐ、ぐぐ……。下賤なモンスターめ……。」

 

 ボロ雑巾のようになってもなお立ち上がるのはやはり【深淵歩き】を目指すものらしいといえるだろう。

 左腕をだらりと垂らしながらなおも大剣を肩にかけ、兜の下で歯を食いしばり眼前の敵をにらみつけた。

 

 『ブオォオオ!』

 

 しかしもうすでにアルは憎きミノタウロスのリーチの中にいた。

 次なる攻撃に反応すること能わず、アルは心の中で南無三、と唱えていた。

 しかし、猛き雄たちの戦いの中で凛とした詠唱が始まっていた。

 

 「【終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に(うず)を巻け。閉ざされる光、凍てつく大地。吹雪け、三度の厳冬――我が名はアールヴ】 !」

 

 それは深い森の王族の魔術。

 アルの先の先を行く最上位の魔導士の一撃であった。

 

 「ウィン・フィンブルヴェトル!!」

 

 ミノタウロスの拳がアルに到達するより速く、冷気がダンジョンを吹き抜けた。

 ミノタウロスは一撃のもとに完全に氷漬けにされていた。

 

 アルは薄れていく意識をなんとか保ち、自らの救い主の姿を見ようと目を向けた。

 

 緑と白の厳かなローブに身を包み、片手にはいかにも高等な魔導士が使うような杖が握られている。

 

 そしてなによりもその美しい緑の髪はその女性のエルフらしさを引き立てる。

 目は切れ長で明るい緑色をし、大自然の美しさを内包したかのような神秘的な印象を与える。

 極めつけはその顔立ちで、高貴な出自であることを想像せずにはいられないほど麗しい。

 

 「天上の姫君か……。お美しい……。」

 

 まるで騎士が姫君に身分違いの恋をする話のように、歯が浮くような言葉をポロリと零して、アルの微かな意識は完全に暗転した。

 

 アルトリウス、ミノタウロスに対し大敗を喫す。

 冒険者人生、わずか十日以内の出来事であった。





 古い深淵歩きの鎧

 遠き昔 王の四騎士が一人 深淵歩きアルトリウスが遺した鎧。

 主の最期を示すように深淵の闇に汚れ
 
 群青で名高いマントはすでにボロ布と化している

 しかしその鎧に込められた思いは消えず
 
 真の英雄の物語を紡ぐ時を待っている
 


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第三話 萌芽

 エイナ・チュールの手記

 ギルド職員エイナ・チュールの持つ手記

 優しさのこめられたその手記には

 ダンジョンの事や担当冒険者のことが緻密に記されている

 彼女が集めた情報は冒険者の窮地を救うであろう

 余裕があるなら礼をするがよい


 アルが倒れてすぐに、ベテラン冒険者であるリヴェリア・リヨス・アールヴによる治療が行われた。

 精神力(マインド)に余裕がなかったために、魔法ではなく万能薬(エリクサー)に頼ったものではあったが、十分にアルの体をいやした。

 

 その万能薬の値段を聞いたものなら、傷がいえたアルはまた卒倒するだろう。

 十数万ヴァリスは下らないものを使われたとあっては、失神してもしかたがないのかもしれない。

 しかし、リヴェリアにとってはその程度大した出費でもないし、それよりも自身の所属するファミリアの不手際で新人が命を落としてしまうことを回避する方が大切なことであった。

 

 「おい、意識はあるか?傷は癒えたが、動けるか?」

 

 ダンジョンの床に寝かされているアルを優しくリヴェリアはゆすった。

 最後まで責任をもって手当てし、無事に送り届けでもしない限りは彼女はてこでも動かないだろう。

 

 「う、うぅむ……。ッは!ミノタウロスは!ベルは!」

 

 ガバリとアルは体を起こし、周囲をキョロキョロと見渡す。

 アルには自分の容体よりも、友の、団長の無事の方が幾倍も大切なことだった。

 

 「まだそんなに激しく動いてはいけない。

 傷は癒えたとはいえ、出血は酷かった。そんな状態で激しく動くとまた倒れてしまうぞ。」

 

 リヴェリアは今にも飛びださんと立ち上がろうとするアルの肩をそっと抑える。

 もっとも、魔導士とはいえレベル6の膂力。

 ボロボロのアルでは到底あらがえるものではなく、落ち着くまでのしばしの間ガッチリと抑え込まれた。

 

 「あぁ、失礼。命を助けていただいた方に名乗りもせずにいるとは騎士の名折れ。

 私はアルトリウスと申すものです。先ほどは窮地を救っていただき感謝の言いようもありません。」

 

 落ち着いたアルはリヴェリアの前に跪いて平手で拳を握り礼をした。

 礼儀正しく、最上位の敬意を払うその姿に、王族の血を引くリヴェリアは感心するも、いい心地はしなかった。

 

 「いや、あのミノタウロスが上層にまで逃げたのは我々の落ち度。

 感謝の言葉を受けるようなことではない。そのように跪いたりしないでくれ。」

 

 リヴェリアは謝罪をすべき立場であることを自覚していた。

 「トラブル」に見舞われて予想外に疲労していたとはいえ、遠征の帰還の最中にこの騒動を引き起こしてしまったのは、油断によるものに他ならないと思っていたからだ。

 ミノタウロスが逃げ出すなど前代未聞の出来事ではある。

 しかし、後衛のリヴェリア自身が瞬時に反応し、魔法で妨害をしていたら。

 あるいはアイズやベートのように機動力に自信のあるものが前に出ていたら。

 ミノタウロス程度のモンスターを上層に逃がしてしまうことなどなかったはずだろう。

 そういう反省の情が久々に胸中を支配していた。

 

 「たとえ貴方方の手落ちであろうとも、私を救ってくださったのは貴方だ。

 私は貴方に感謝する。こうして生きていられるのも、貴方のおかげであることは違いないのだから。」

 

 恭しくリヴェリアに礼をし、すっくと立ちあがったアルは今度こそベルのもとへ駆けだそうとしていた。

 足元はまだふらつくし、腕は感覚が薄くずっと痺れているかのように動きも悪いが、それでも行かねばならんという使命感を抱いていた。

 

 では、ここで少し時をさかのぼり、アルと別れたベルの話だ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「この先って確か行き止まりだったよね?!あぁ、アルがいてくれたら覚えてたんだろうけど!」

 

 持ち前の俊敏さを逃げ足に存分に発揮していたベルは、このままでは袋小路に入ってしまうという不安を抱いていた。

 アルと一緒に、構造を把握しながら進んだ分、かなりダンジョンのフロアについて理解が進んでいたが、今は窮地。

 冷静に脳内のノートを開いている時間などなく、ベルはこれ以上の逃走はむしろ危険だと判断した。

 

 奇しくも、ヘスティア・ファミリアの二人は同じ「時間稼ぎ」を選択することになった。

 

 

 『ブモ、ブモォ!』

 

 鼻を鳴らしているミノタウロスを、可能な限り冷静に分析したベルは、自分ならケガをせず時間稼ぎができるかもしれないと思った。

 それは、ミノタウロスがアル以上の巨体であったからだ。

 

 二人はダンジョンに潜るだけでなく、ともに修練をもしていた。

 小柄なベルが大柄なアルに対抗する手段は、「勇気をもって踏み込む」であった。

 相手のリーチに飛び込むことで、逆に戦いづらくするのだ。

 

 特に、巨体対小柄の戦闘において、スピードさえ確保できるのなら、インファイトは必ず小柄なものに分がある。

 ましてミノタウロスは素手である。

 自分の腰より下や股の間を殴ろうとしても、全く威力は乗らないのである。

 であるならば、なおのことちょこまかちょこまか足元を動きに動いてやろうというのがベルの策であった。

 

 「やぁぁぁぁあっ!」

 

 ベルは、ミノタウロスの拳を掻い潜り、足元にもぐりこむ。

 そしてギルドから支給されたナイフで足の腱や関節を切りつけた。

 しかし、アルの全力の一撃すら切り伏せることの敵わない体に、ベルがダメージを与えられるはずはない。

 

 「ひえぇぇぇ!全然きいてない!!」

 

 ベルが情けない声を上げている間に、ミノタウロスは生物として当たり前の防衛反応に出た。

 ベルの視界には、ミノタウロスの丸太のような足が広がっていた。

 あ、死ぬんだな、約束守れなかったな、とベルは結構さっぱり死の実感を受け入れた。

 

 しかし、金色の一陣の風が吹き荒れた。

 

 淡い金色の長髪はおとぎ話の姫君のように美しく、剣をもってなおも可憐さを思わせる。

 ミノタウロスをベルの眼前で切り刻んだその少女の目は髪の毛と同じく金色で、どんな宝石よりもなお美しい。

 

 「あの、大丈夫ですか……?」

 

 小首をかしげながらかけてくれた声は鈴の音のようで、どこまでも透き通るようで。

 今日この日、ベル・クラネルという少年は一目ぼれをすることとなった。

 

 「ほあぁぁぁぁあ!!!」

 

 分かれた友の事すら忘れさせてしまうほどの恋の衝動がベルを襲う。

 しかし、恋をした少女に対する第一声が感謝ではなく奇声で、最初にした行動が逃走という、情けない恋の始まりだったが。

 

 「あっ……。」

 

 ぽつんと残された少女、アイズ・ヴァレンシュタインは、引き留めることも出来ず、驚きを表すことしかできなかった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ベルの大暴走と時を同じくして、アルもかなり暴走していた。

 ママ、とロキに揶揄われたりするものの、その面倒見の良さは筋金入りのリヴェリアはなんとしてもアルを引き留めようとする。

 

 「待てと言っているのが分からないか?!

 お前の仲間は我々の仲間が守っているはずだ!

 今ここで焦って倒れるのはお前だぞ?!」

 

 「私が行かねばならぬのです、高貴な御方よ。リヴェリア・リヨス・アールヴ殿よ。

 友と別れて逃げたことですら我が名誉と誇りを汚すこと。

 まして無事かどうかも確かめずに私だけのうのうと休むなど出来ません。

 どうか止めないでいただきたい、主神の名に誓った以上、我が友と生きてまた会わねばならないのです!」

 

 アルはなんとしても前へ前へと行こうとする。

 力の入らない足でダンジョンの床を踏みしめている。

 

 しかし、引き留める力は強く、一歩も前へと進めない。

 ところが、突然その力は緩み、アルは自由の身となる。

 

 「おぉ、分かっていただけたのか!」

 

 「違う、先に送った仲間が来た。アイズ、ベート、もう一人追いかけられていたらしい。どうした?」

 

 「助けたけど逃げられちゃった……。」

 

 金毛の戦姫の言葉で、ベルの無事が分かった。

 それだけでアルは力が湧いてきた。

 

 「感謝します!いずれまた正式に礼を!」

 

 アルも地上へと、ベルの方へと駆け抜けていった。

 リヴェリアは手綱が外されて自由を謳歌し、駆け抜けていく大きな犬を幻視した。

 

 「リヴェリアも逃げられた……。」

 

 「ババアが怖かったんだろ!ウチの女の中で一番怖いからな!」

 

 「ベート……!」

 

 リヴェリアは逃した大犬をとらえるよりも、自分のファミリアの駄狼の躾を優先しなくてはならなくなったようだ。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「エイナさ~ん!アイズ・ヴァレンシュタインさんのことを教えて下さ~い!」

 

 「ベルー!待ちたまえー!その血はなんだー!」

 

 真っ赤な血に染まりながら笑顔で大通りを駆ける少年と、それを追う古い鎧の大男。

 奇妙で見覚えのある二人組をみたエイナは、驚きで手元の書類をすべて床にぶちまけ、酷い頭痛に襲われた。

 

 「でね、ベルくん。血まみれのまま大通りを走っちゃダメだよ?」

 

 「すみません……。」

 

 「うむ、止められなかったことは大変申し訳ない。」

 

 「そもそもなんで5階層に行っちゃうかな!二人ともダンジョンを攻略し始めて半月も経ってないんだよ!」

 

 「面目ない……。」

 

 「本当にすみません……。」

 

 二人は、エイナに捕らえられた後、個室でこってり絞られた。

 実際二人は本当に運が良かっただけで、二人そろってお陀仏、なんてことの方が現実的だった。

 

 「『冒険者は冒険してはいけない』。分かった?」

 

 「承知した。」

 

 「ハイ……。」

 

 二人そろってしょんぼりする様子は、初日のファミリア訪問の時のようにかなり悲壮感たっぷりだった。

 息がそろっていたためやっぱりコミカルさが強かったことは否めない。

 

 「それで、アイズ・ヴァレンシュタインさんのことを教えてください!」

 

 「私にはリヴェリア・リヨス・アールヴ殿のことを。正式に礼をすると言ってきたのでな。」

 

 エイナはベルの浮かれ具合からして色恋目的だろうとあたりをつけた。

 アルに対しては個人的な親交のあるリヴェリアのことを狙っているのかと警戒したものの、この騎士らしく紳士的に振舞う珍しい部類の冒険者には色恋は縁遠いものだから大丈夫かと安堵した。

 

 「ヴァレンシュタイン氏の個人的なことは詳しくないけれど、決まった相手はいない風だよ、ベルくん。」

 

 「本当ですか?!」

 

 「うん、そういう噂はオラリオではすぐに広まるからね。彼女、【剣姫】として名高いし。

 けど、違うファミリア所属だし、現実的に考えて厳しいんじゃないかなぁ。」

 

 ベルは一瞬でどん底のテンションになった。

 叶えられぬ恋というのはいつの世も人の心を傷つける。

 

 「リヴェリア様には付き合いもあるから、それとなく空いている時間とか聞けるけれど、どうする?」

 

 「ありがたい。できれば先方の都合の良い日が望ましい。

 我らは二人分の命を救われたのでな。礼儀を尽くさねばなるまい。」

 

 「分かった、今度会った時に聞いておくね。

 さぁ、今日稼いだ魔石を換金してらっしゃい。」

 

 個室を出て、カウンターへとアルは向かった。

 今日はアルが魔石管理係なのだ。

 それに、ベルは気落ちしきっていて元気がなかったから、たとえ今日はベルが係だったとしても、アルが行っただろう。

 

 「ほれ、4800ヴァリス。」

 

 「礼を言う。今後ともよろしく頼む。」

 

 不運に見舞われた割には、悪くない稼ぎだった。

 エイナはアルが戻ってくるのに塞ぎこんでいるベルを励ましてやろうと声をかけた。

 

 「ベルくん、女性は強くて頼りがいのある人に魅力を感じることが多いから……。

 めげずに頑張って強くなったら、きっとヴァレンシュタイン氏も振り向いてくれるかもしれないよ。」

 

 ベルの顔に喜色が戻り、ベルは爆弾を残してギルドを去った。

 

 「ありがとうございます!エイナさん大好き!」

 

 「えぇっ?!」

 

 「うわっはっは!置いていかないでくれよ、ベル!」

 

 大男と子兎は楽し気にギルドから飛び出していった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「ただいま戻りました、ヘスティア様。」

 

 「カミサマ~、今帰りました~。」

 

 「おっかえり~~~!!!」

 

 ベルを先頭にホームへと帰還した二人を、熱烈な抱擁で女神が出迎えた。

 やはりこのファミリアは暖かい、そうアルは思わされた。

 物静かだった自身の母も愛おしいが、このように健気で元気な人がいる生活も悪くない、アルはこの生活に満足していた。

 

 「今日は二人とも早かったんだね!」

 

 「えぇ、我々死地に追い込まれて、」

 

 「死にかけちゃいまして……。」

 

 「えぇ?!大丈夫なのかい?!」

 

 喜びもつかの間、二人を心配してぺたぺたと体を触る。

 特にベルは重点的だ。

 アルはこのヘスティアの思いを見抜いていたが、ベルが別の女性に懸想していることも知っていたため、兜の下では苦笑いだ。

 

 「我らはその御名に誓って生き抜くことを誓いました。」

 

 「だから大丈夫です!アルの怪我もリヴェリアさんが治してくれたみたいですし!」

 

 「殊勝な心掛けだねぇ。そんな素敵なボクの子供達にはごちそうがあるんだよ!」

 

 じゃじゃーん!と効果音を自力でつけながら、ヘスティアがテーブルをびしっと指をさすと、そこには山盛りのじゃが丸くんがあった。

 

 「おぉ、じゃが丸くんではありませぬか。」

 

 「一体どうしたんです、この量は?」

 

 さも自慢げにその豊満な胸を張りながら、

 

 「へっへーん!バイト頑張ったから貰えたんだよ!今日はパーティーと洒落込もう!

 今夜は二人とも寝かさないぜっ!」

 

 と言い放った。

 忠誠心の高い二人は、大喜びである。

 

 「すごいです、カミサマ!」

 

 「うむ、早速夕食といたしましょう!このアルトリウス、待ちきれません!」

 

 どったんばったん、今日も廃教会は大騒ぎ。

 炉の女神のホームは、いつだって暖かな空気が漂っている。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 食事をぺろりと平らげた三人は、ベッドのもとに集った。

 

 「よ~し!二人ともステイタス更新の時間だよ!」

 

 「はい、僕結構成長できたと思うんです!」

 

 「私もあのミノタウロス相手に一撃をいれたので、少しは経験値(エクセリア)も稼げたことでしょう。」

 

 二人は、内心「自分、結構成長できたんじゃないの?」と浮かれていた。

 ラッキーにラッキーを重ねたうえでの生存という事ではあったが、生きてさえいるならこの大敗は希少な価値があると踏んでいた。

 そしてこの予感は的中する。 

 

 「ふんふーん、じゃあベルくんからね!」

 

 「お願いします!」

 

 

 ―――――

 

 

 

 ベル・クラネル

 

 

 Lv.1

 

 

 

 力:I77 → I94

 

 

 

 耐久:I13 →

 

 

 

 器用:I93 → H101

 

 

 

 敏捷:I148 → H190

 

 

 

 魔力:I0 →

 

 

 

 ≪魔法≫

 

 【】

 

 

 

 ≪スキル≫

 

 【―】

 

 

 

 ―――――

 

 「おぉ、敏捷の伸びが素晴らしいな、ベル!」

 

 「本当だ!」

 

 「ミノタウロスに追っかけ回されたらそうもなるさ。」

 

 ベルは、自身のスキル欄のアルの時と同様のにじみに気づく。

 

 「カミサマ、これもまた手元が狂っちゃった感じですか?」

 

 「う、うん、そうだよ!」

 

 ヘスティアのベルを見る目は、申し訳なさと、そしてなによりも子供の成長を喜ぶ慈愛の心に満ちていた。

 

 ≪スキル≫

 

 【憧憬一途(リアリス・フレーゼ)

 ・早熟する

 ・懸想(おもい)が続く限り効果持続

 ・懸想(おもい)の丈により効果上昇

 

 

 ヘスティアは、内心でベルが自分ではなく別のだれかに変えられたことを悔しがるものの、すぐに色々なことを考え始めた。

 たった二名しかいない自身のファミリアで、その二人ともがレアスキルを発現させた。

 これは下手なことになると神会(デナトゥス)で目をつけられるな、とハラハラしていた。

 

 「さっ、さあ、次はアルくんだよ!」

 

 「お願いいたします。」

 

 もうアルがベッドに入りきらないことにも慣れた二人は、アルの足がベッドから飛び出していることに何の疑念も抱かない。

 すぐにステイタスの更新が始まった。

 

 ―――――

 

 

 

 アルトリウス

 

 

 

 Lv.1

 

 

 

 力:H165 → H195

 

 

 

 耐久:I51 → I71

 

 

 

 器用:I80 →

 

 

 

 敏捷:I61 → I81

 

 

 

 魔力:I0 →

 

 

 

 ≪魔法≫

 

 【】

 

 

 

 ≪スキル≫

 

 【―】

 

 

 

 ―――――

 

 「一発殴られた分、耐久も伸びたか!」

 

 「アルの力も伸びてるよ~!これなら、どんどん強くなっていけるね!」

 

 「あぁ、ベルと共にな。」

 

 子供たちが仲がいいのはよいことだ、ヘスティアは取り合えず、このレアもの二人組の微笑ましさだけに注目することにしたのであった。

 とにかく二人が無事に大成出来ますように、あわよくばベルくんはボクを選んでくれますように、と祈りながら二人の主神はその夜、眠りについた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 所変わって黄昏の館。ロキ・ファミリアのホームでは、二人の幹部が今日のことを思い返していた。

 

 「私が助けた子、ミノタウロスに立ち向かってた……。

 リヴェリア、リヴェリアがレベル1の時ならどうしてた……?」

 

 新種のモンスターの報告書やら、今回の遠征の被害報告やらの作業の手を止めて、リヴェリアは愛娘のように育てているアイズと向き直った。

 

 「逃げる、泣きわめく、絶望する、諦める……。仮にも私は王族だ。

 あからさまに慌てたりは出来ないが、立ち向かうという選択はしないだろうな。

 私が助けた大男も腕を砕かれてなお立ち上がったのを見た。

 あまり褒められることではないが、あの蛮勇は目を見張るものがあった。

 久々に、冒険者らしい冒険者を見たよ。」

 

 「うん、少し……気になるな……。」

 

 ベルの恋路は、存外うまくいくかもしれない。




 じゃが丸くん

 じゃがいもを主に使用した オラリオでは人気な 食べ物
 
 味付けの種類は豊富で 中には ゲテモノも含まれている

 【剣姫】と出会うなら 持っていれば 話が少し弾むだろう


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第四話 誓い

 古き結界の大盾

 深淵に飲まれたグウィン王の騎士
 
 アルトリウスが用いたという鋼の盾

 深く傷つき、深淵に侵され始めた彼は
 
 この盾を友たるシフを守る結界の糧としたという

 傷み古びたといえど神の思いの籠められた盾

 友を守る使命のために決して壊れることはない


 ミノタウロス戦から一日後、ヘスティア・ファミリアの二人組は心折れずにダンジョン攻略に行こうとしていた。

 

 「アル、頑張ろうね!ね!」

 

 「今日も元気だな、ベル。

 一度の敗北程度で心折れていては、【深淵歩き】にはなれない。

 私も当然頑張るつもりだよ。」

 

 オラリオで少し噂の凸凹二人組が、大通りを歩いていると、二人を引き留める女がいた。

 

 「あの~、落としましたよ、これ。」

 

 ベルの方に近寄ってきた女の手には、小さな魔石が握られていた。

 

 「む、ベルよ。昨日私に渡し忘れていたりしたのか?」

 

 「ポケットに入れっ放しにしてたのかなぁ…。すいません、ありがとうございます!」

 

 今日の魔石係のベルはそのまま自分のポケットに突っ込んだ。

 銀の髪の女は、二人を見て、少し微笑むと、二人と話し始めた。

 

 「最近話題の新人冒険者さんですよね?こんなに朝早くからダンジョンに?」

 

 「えぇ、我ら零細ファミリア故。」

 

 「早く強くなりたいですし!」

 

 お金と経験値。どちらも今のヘスティア・ファミリアにとって必要なものだ。

 ベルが勇んでガッツポーズをすると同時に、腹の虫が鳴る。

 

 成長期の少年二人が朝昼晩腹いっぱいに食べられるような余裕は今の彼らにはない。

 恥ずかしそうにベルがおなかを抑えていると、女はその両手に包みを取り出した。

 

 「どうぞ!せっかくだから食べてください!」

 

 「ううむ、しかし受け取ってはお嬢さんの食事が無くなるのでは?」

 

 アルは、正直なところ受け取りたいと思っていたが、仮にも騎士を志す者がそう簡単に施しを受けてはいけないとためらった。

 ベルもまた同様に、受け取るのを遠慮しようとする。

 

 「これ、あなたの朝ごはんですよね?初対面の人にそこまでしてもらうなんて……。」

 

 「いいんです、仕事が始まれば賄いが出ますから!

 それに今夜の夕食を当店でとっていただければ、私のお給金も出ますし!

 来ていただけますよね?ダメですか……?」

 

 アルとベルは顔を見合わせて、それならば、ということで

 

 「では、遠慮なくいただこう。」

 

 「『豊穣の女主人』……。今晩必ず立ち寄ります!行ってきまーす!」

 

 人の好意を受け取っていくことにした。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「ベルよ、今日は6階層まで潜ってみないか?」

 

 「えっ、いいけど……。エイナさんに怒られるんじゃ?」

 

 「私は早く強くなりたい。

 私がもっと強ければ、あの時貴公と別れて逃げる必要などなかった。

 この大盾を持っていたというのに、私は逃げた。私はそれを許すことが出来ない。」

 

 アルは大切なものを見るように、大盾を眺めた。

 この大盾に、自身の憧れる大英雄とその伝承を重ね合わせているのだ。

 

 「その大盾を持ってたら逃げたらいけないの?」

 

 「あぁ、私の憧れる古き英雄、【深淵歩き】アルトリウスは、大剣を振るえばまさに無双。

 不死の古竜を一刀のもとに打ち倒し、ウーラシールの姫君を攫った恐ろしい深淵の魔物すら切り伏せたそうだ。

 そして何よりも、アルトリウスはその大盾をもって味方を守り、一歩たりとも退かなかったという……。」

 

 「そうなんだ、だから僕を守れなかったことが悔しいんだね……。」

 

 「あぁ。貴公が数多の英雄や、アイズ・ヴァレンシュタインなる女に憧れる様に私も憧れたのだ。

 私はなりたいのだよ、【深淵歩き】のような不屈の英雄に。」

 

 アルの強い思いに触れ、ベルもまた自身の憧れに向き直る。

 アイズ・ヴァレンシュタイン。底抜けに美しく強い少女。

 ベルは、どこからともなく湧いてくる力に驚き、感嘆した。

 恋の力ってすごいんだなぁ、と。

 

 「あ、アル!モンスターが!」

 

 二人は休む間もなく戦闘態勢に入る。

 このダンジョンという地下迷宮は、まるでそれ自体が母胎であるかのように壁からモンスターを生み出すのだ。

 

 生み出されんとするモンスターはコボルトやゴブリンだ。

 一体一体は弱く、ベルやアルであれば簡単に処理できるであろう。

 しかし、その数はゆうに十を超え、五十数匹は出てくるのではないかというほどだ。

 

 「普通の」冒険者であるならば、本来もっと下の階層で起こるはずの【怪物の宴(モンスター・パーティー)】に遭遇した時点で撤退するだろう。

 しかし、この二人は普通ではない。

 その二人ともが、英雄を志す勇気を持ち合わせている。

 

 「ベル、半分任せるぞ。私は絶対に退かん。この程度、すべて切り伏せてくれる!」

 

 「うん!やってやりますよ、アイズさぁぁん!!!」

 

 今ここに、二人対たくさんの死闘が始まった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 夕刻、二人はフラフラでギルドに顔を出した。

 ルーキーにしてはかなり魔石を稼げたが、新階層の開拓には至らなかった。

 

 なぜなら、二人が戦い始めてから半数は倒したという時にモンスター・パーティーが再発生したり、戦闘音を聞きつけた別のモンスターが乱入したりと戦場が荒れに荒れたからである。

 一人でもう百体ほどは切ったといってもいいぐらいに倒した。

 途中からは、アルは魔石ごと叩き切ったし、ベルは魔石を串刺しにするなどして楽に殲滅する方法を取ったがそれでもルーキーには厳しい戦いであった。

 

 「まったく、昨日の今日で無茶するってどういうこと!

 私、昨日さんざん言ったよね?!」

 

 「ううむ……。」

 

 「す、すみません……。」

 

 当然アドバイザーであるエイナにはこってり絞られた。

 この二人、叱られなかった日がないくらい叱られている問題児である。

 

 「モンスター・パーティーが5階層で起きた例は無かったから、あんまりたくさん教えなかったけど!

 逃げるべきだってことは分かってたでしょう!

 本当に次馬鹿なことしたらヘスティア様に言って謹慎でもしてもらうからね!」

 

 エイナはカンカンであった。

 昨日はミノタウロスに突っ込んで片や血まみれ、片やボロ雑巾で帰ってきた。

 今日は危険を承知で乱戦をしてクタクタになって帰ってきた。

 アルくんがベルくんのストッパーになってくれるだろうな、なんて期待していた初日の自分を殴り飛ばしたいほどと思うほどに怒っていた。

 この二人には早くストッパーが出来ないと死んじゃうな、と心から心配したのであった。

 

 このエイナの真心がわからない二人ではない。

 アルもベルも真摯に謝罪した。 

 

 「強くなろうと焦ってしまった。すまない。」

 

 「僕も、ごめんなさい……。」

 

 エイナもプルプル震える子兎と尻尾を垂れて伏せる大犬のようになってしまった二人をこれ以上叱りつけることは出来なかった。

 

 「やっぱり私って甘いなぁ……。

 昨日今日とダンジョンで異変が起きてるから、ギルドには報告しておくけど、二人もちゃんと気を付けてね。

 魔石換金して帰ってよし!」

 

 「「ありがとうございました……。」」

 

 二人は疲れた体に鞭打って、帰路に就いた。

 今日の稼ぎは1万8千ヴァリスと少し。

 

 今夜はちょっと贅沢が出来そうだ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 「おぉぉお、熟練度上昇トータル300オーバー?!」

 

 「私も熟練度が350近く上がっている。なんなのだこの成長は!」

 

 「見てよアル!今日一回二回ぐらいしか攻撃受けてないのに、耐久が30も伸びてる!」

 

 「ますます面妖な……。いったいこれはどういうことですか、神ヘスティア!」

 

 きゃっきゃと大騒ぎするベルやアルとは真反対に、ヘスティアの機嫌は下り坂であった。

 まぁ、アルの方はいいだろう。

 アルもベルも、この急成長はレアスキルの関係であることは確定だろうが、アルの場合は「内なる火を継ぐ」とかいう訳の分からないものなので放って置いて問題ない。

 問題はベルである。

 ベルのこの急成長は、どこぞのヴァレン某なる女にデレデレであるという確固たる証明なのだ。

 今のベルは完全に色ボケ兎なのである。それもヘスティアではなく、「ロキ」のところの子供にお熱なのだ。

 

 怒るな、というほうが無理がある。

 もっとも、自身のレアスキルのことを知らないベルやアルからすれば、全く不可思議な現象であることには違いない。

 てっきり眷属が早く強くなって喜んでくれるだろうと思っていたのだから。

 

 「えぇと、カミサマ……。なんで僕こんなにいきなり成長したのかなって……。」

 

 「知るもんかっ!」

 不機嫌のピークになったヘスティアは、クローゼットからコートを取り出して、力強く戸を閉めた。

 コートをしっかり着ていることから、どうやら外出するようだと二人は察した。

 

 「ヘスティア様、いったいどちらへ?」

 

 「ば、バイト先の打ち上げさ!二人は羽を伸ばして寂しく豪華な食事でもするがいいさ!」

 

 捨て台詞を吐いて外に駆け出してしまったヘスティアに呆然としてしまった二人の眷属は、数分経ってようやく再起動した。

 おとなしく、主神の言う通りにするのが良いだろう。

 今日は、『豊穣の女主人』で男同士の仲を深めようということとなった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「ほう、朝来た時とは比べ物にならぬほど繁盛しているな。」

 

 「そうだね、ここからでも楽しそうな声が聞こえてくるよ。」

 

 『豊穣の女主人』は大通りに面した少々割高な飯屋である。

 その入り口に立つ二人は、その賑わいぶりに圧倒されていた。

 

 「あっ、冒険者さん!来てくれたんですね!」

 

 立ち尽くしていたところに、今朝方会った女性の店員が現れた。

 笑っているその姿は可愛らしく、看板娘と言われてもだれも疑わないであろう。

 もっとも、この店にはほかにも可愛らしい娘がたくさんいるのだが。

 

 「自己紹介が遅れましたね。シル・フローヴァです。

 さあ、どうぞ!お席に案内しますよ!」

 

 そうして、奥まったカウンター席に誘導された二人は、山盛りの料理で熱烈な歓迎を受けることになる。

 

 「アンタらがシルの知り合いかい?

 ちまっこくて可愛らしいのと、でっかくて無愛想な奴の組み合わせたぁ面白いねぇ!」

 

 豪快に笑い飛ばしながらどんどん山盛りの料理を置いていく女主人の名は、ミア・グランド。

 一見すれば気のいい姐さん女将かと思ってしまうが、実は相当腕の立つ冒険者らしいというのは、ルーキー二人組は知らぬ話だ。

 

 「はっはっは、無愛想か。直さねばならんなぁ。」

 

 「え~っと、これが450ヴァリスで、あれは……。」

 

 こういう時にみみっちいのはベルの方である。

 食事の前から味を悪くするような銭勘定をして顔を青くしているところに、無慈悲にも追い打ちがかかる。

 ミアが更に皿をどんと置いたのである。

 

 「足りないだろう、今日のおすすめだよ!」

 

 「た、頼んでませんけど……。」

 

 「若いのが遠慮しなさんな!アンタも隣の奴みたくでっかくなりな!」

 

 ベルを笑い飛ばして料理の手を再び動かし始めるミアをみて、アルは諦めの境地に至った。

 

 「諦めろ、ベル。今朝そこなお嬢さんに目をつけられた時点で、我らは最早金づるよ。」

 

 「人聞きが悪いですね~。楽しまれてますか?」

 

 「あ、圧倒されてます……。」

 

 接客の合間に、シルが二人のところにやってきた。

 後ろでに盆を持つ様は板についていて、ウェイトレスをかなりやってきたのだろうとアルはあたりをつけた。

 そして、その経験をもって我々はまんまと新しい客にされたのだと、この娘に感嘆していた。

 

 「ふふ、ごめんなさい。私の今夜のお給金も期待できそうです。」

 

 「よかったですね……。」

 

 ベルはもうタジタジである。

 シルは小悪魔的な女で、人を手玉に取るのが上手そうだとベルは評価した。

 決して悪い人ではないが食えない人だと、ベルは今朝と今の数分間のやり取りではっきりとわかった。

 

 「この店、いろんな人が来て面白いでしょう?

 たくさんの人がいると、たくさんの発見があって、私つい目を輝かせちゃうんです。」

 

 シルの言う通り、この店では種族、年齢、性別を問わずにたくさんの人が楽し気に食事をしていた。

 大抵の店は客層というものがあり、エルフならエルフの店、ドワーフならドワーフの店、と自然と住み分けがなされている。

 オラリオには手が早いものや血の気が強いものが多いために、客はトラブルが起きないように、と自分のカラーでない店を避けるのだ。

 特に酒が入る場所だと諍いが起きやすいため、この特徴ははっきりしやすくなる。

 

 しかし、『豊穣の女主人』はミアが運営をしているということもあって、トラブルを起こすものが少ない。 

 起こしたとしても数十秒後には店の外に放り出されている。

 そういう店だからこその風景なのだ。

 

 「知らない人と触れ合うのが趣味というか、心がうずくというか……。」

 

 「なるほど、分からないわけでもない。」

 

 こうして、特徴的なウェイトレスと話しながら食事を楽しんでいると、元気のよさそうな猫人(キャットピープル)が店中に響くように声を上げた。

 

 「ご予約のお客様ご来店ニャ!」

 

 赤毛の少し胸が残念な女性を先頭に、ぞろぞろと数十人の冒険者たちが『豊穣の女主人』に入ってくる。

 ざわざわと客たちが騒ぎ始める。見目麗しい女性が多かったからだ。

 まぁ、その理由は赤毛の女が無類の美女好きのエロオヤジ的な思考をしているからである。

 

 「うっひょー!別嬪ぞろいじゃねェか!」

 

 「ありゃロキ・ファミリアだ。死にたくなきゃ下手なことするんじゃねぇ。」

 

 どうやら、アルやベルのように隅で食事を楽しむような底辺冒険者には高嶺の花らしい。

 しかし、ベルにとっては関係ないことだ。

 パスタを啜るのも忘れて、麗しの【剣姫】に心を奪われていた。

 そんなベルを、アルは小突く。

 

 「ベル、行儀よく食べたまえ。紳士らしくあらねば姫には釣り合うまい?」

 

 「そ、そうだね!あぁ、綺麗な人だなぁ……。」

 

 ベルが放心している間にすばやくテーブルに料理が並べられていく。

 鳥の丸焼き、高級そうな魚の煮つけ、見てるだけで腹がいっぱいになりそうな揚げ物、そして大量の酒。

 アルは、これが一大ファミリアの晩餐なのか、と度肝を抜かれていた。

 

 「みんな、ダンジョン遠征ご苦労さん!今夜は宴や!思う存分、呑めぇ!」

 

 「「「おう!」」」

 

 赤毛の女の音頭で、ロキ・ファミリアの宴が始まった。

 アルは、その賑やかな輪の中にリヴェリアの姿を見ると、礼を言おうと立ち上がろうとした。

 しかし、やめた。

 礼を言おうにも、何の準備もしていなかったし、何より今は祝宴の真っ最中である。

 部外者がずかずかと入っていいものではないだろうと、アルは今は自身の食事を楽しむことにした。

 

 「ロキ・ファミリアさんはうちのお得意様なんです。

 彼らの主神、ロキ様がいたくここを気に入られたみたいで。」

 

 シルのその言葉を聞いて、ベルは内心で飛び上がった。

 ここに通い詰めれば、アイズ・ヴァレンシュタインにまた出会うことが出来ると淡い希望を抱いたのだ。

 恋する男の単純思考に気づかないアルではない。

 少しばかり手助けしてやろうと、笑いながら提案する。

 

 「ベル。頑張って稼いで、ファミリアの蓄えも十分であるならば週に一度程度通ってみるか?」

 

 「いいの?!ここ結構お高いよ?!」

 

 「だが飯は格別だ。ヘスティア様への供物という事であれば、贅沢も許されるであろう。」

 

 「やったぁ!僕、頑張るよ!」

 

 この様子なら、ファミリアの稼ぎも期待できそうだとアルは安堵した。

 恋は人を貪欲にする。きっと馬車馬のように働いてくれるであろう。

 

 アルとベルはそれから楽しい時間を過ごした。

 アルの故郷の話や、母親から聞かされてきた古い神話について。はたまたベルの破天荒な祖父の話やアルの知らない英雄譚について。

 たくさんの話は二人を通じ合わせた。

 そして、ベルはさらに憧れの美少女を眺め続けることが出来た。

 友情と愛情。その二つを味わうベルは、アルよりもなお幸せな時間を過ごしていた。

 

 一人の狼人(ウェアウルフ)が口を開くまでは。

 

 「よっしゃぁ!アイズぅ、そろそろ例のあの話、みんなに披露してやろうぜ!」

 

 「あの話……?」

 

 「あれだって!帰る途中で何匹か逃がしたミノタウロス!最後の一匹お前が5階層で始末したろ?」

 

 5階層のミノタウロスと聞いて、二人は身を強張らせた。

 つい昨日感じた死の恐怖というものはそうそう拭えるものではない。

 

 「そんでほれ、その時いたトマト野郎!いかにも駆け出しのひょろくせぇ餓鬼が逃げたミノタウロスに追っかけられてよぉ!

 そんでアイズが細切れにしたくせぇ牛の血を浴びて、真っ赤なトマトみてェになっちまったんだよ!」

 

 アマゾネスだと見受けられる二人の女は苦笑いである。

 ほかにも、同じテーブルを囲う冒険者はみな渋い顔をしていた。

 

 「それでだぜ?そいつ叫びながらどっかに行っちまってよ、ウチの御姫様、助けた相手に逃げられてやんの!

 ギャハハ!情けねえったらねぇぜ!」

 

 当の本人であるベルは、肩を震わせていた。

 怒りや、あるいは自身の弱さを悔やむ心からであった。

 それに逃げ出したのはあまりの美しさに耐えきれなかったからであり、笑いものにされる道理はないはずだ。

 

 「あの状況では仕方がなかったと思います。」

 

 小さな声で反抗したのはアイズであった。

 それに続くようにして、リヴェリアも彼を叱責する。

 

 「いい加減にしろベート。そもそも17階層でミノタウロスを逃がしたのは我々の不手際だ。恥を知れ。」

 

 「あァ?!ゴミをゴミと言って何が悪い!それにババアも鎧のウドの大木に逃げられてたなぁ、おい!」

 

 「貴様、まだ言うか!」

 

 リヴェリアの怒りを無視し、ベートなる狼人は話を続ける。

 

 「アイズ、お前はどう思うよ。例えばだ、俺とあのトマト野郎ならどっちを選ぶっていうんだぁ?おい!」

 

 「ベート、君酔ってるね。」

 

 金髪の小人族(パルゥム)が優しく、もっとも内心ではそろそろ黙らせようかと画策してはいるのだが、宥めるもこれも無視する。

 

 「聞いてんだよ、アイズ!お前はもしあの餓鬼に言い寄られたら受け入れるのか?そんなはずねぇよなぁ!

 自分より弱くて軟弱な雑魚野郎に、お前の隣に立つ資格なんざありゃしねぇ!他ならないお前自身がそれを認めねぇ!

 雑魚じゃ釣り合わねぇんだ、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインにはなぁ!」

 

 ベルが逃げ出そうと席を引くよりも、リヴェリアがベートを叱りつけるよりも、誰よりも早く我慢の限界が来た男がいた。

 その男が力強くその手の杯をテーブルに叩き付けると、店中に音が響き渡り、誰もが黙りこくった。

 

 男がゆっくりと椅子を引き立ち上がると、その背丈は都市最強の冒険者をも上回るような巨体であった。

 一歩一歩とベートに男は詰め寄って、下品に座るベートを見下ろした。

 

 「今すぐ全ての発言を撤回し、その下賤な口を閉じたまえ。」

 

 深く、低い声であった。そのレベルに見合わぬ覇気を伴った声はなおも周囲を黙らせた。

 

 「なんだァ、おめェは?!」

 

 しかし、ロキ・ファミリア最速のベート・ローガを黙らせるには至らない。

 

 「聞こえなかったのか?自身の仲間の品位を落とし、女性の尊厳を汚し、そしてなによりも我が友を公然と侮辱した言葉全てを撤回しろと言ったのだ。」

 

 「はぁ?」

 

 ベートは、どうしてお前の言うことをきかにゃならんのだ、と思った。

 しかし、男は、いやアルは更に捲し立てた。

 

 「貴公が発言するたび、貴公の周囲の人々が渋い顔をするのが分からなかったか?

 自身の力の強さに驕り、弱者を嘲り笑うは真の強者の行いにあらず。心の弱い者のすることだ。

 そして貴公は人を力で判断するようだが、愛情とはそのような些末なもの一つで生まれるものではない。

 頭の弱さと人生経験の薄さまで露呈させるとは、ロキ・ファミリアの名が泣くぞ。」

 

 ベートは怒った。椅子を蹴とばして立ち上がり、拳を振るおうとした。

 当然横に座るアマゾネスたちが止めようと動くが、アルは動じず言葉をまだ紡いだ。

 

 「そのように道理の通らぬことを力で解決しようというのが野蛮なのだ!

 命を救われた身で、このように貴公やロキ・ファミリアに対して罵声を浴びせるのは本意ではないが、もはや我慢ならん!

 つい一週間ほど前に、貴公らのもとへ入団したいと赴いた私と我が友は阿呆であったな!

 食らったのは門前払い、それも見てくれだけで人を弱者と決めつける、そう貴公が今やっているような態度でだったがな!」

 

 ベルは呆然としていたが、これ以上は不味いとアルのもとに駆け出し、その腰元を掴んで後ろに引っ張った。

 

 「ダメだよ、アル!いくらなんでも言い過ぎだよ!」

 

 「いいや、まだ言い足りぬ!

 貴公、必ず報いは受けてもらうぞ。必ずだ。暗月の神に誓って必ず報復する!

 我が友をそしり傷つけた罪、そのままにはさせぬ!

 そして私と我が友が貴公らより早くあの迷宮を攻略する所を指をくわえてみているがいい!」

 

 ひとしきり言い切ったアルは、今度は愕然とするロキ・ファミリアの面々を無視し、ずかずかとカウンターの方に歩み寄った。

 懐にしまった銭袋を大きいものを一つ、小さいものを二つ取り出して、女主人ミアの前に置いた。

 

 「合わせて7000ヴァリスある。迷惑料込だ、釣りはいらん。失礼した!」

 

 ロキ・ファミリアの横を抜けて、店外へ出ていくアルを追いかける前に、ベルはロキ・ファミリアの面々に一方的にしゃべった。

 

 「えぇっと、アルはいつもはあんなに激しい人じゃなくて!あの、その、助けてもらってありがとうございましたっ!」

 

 アルのことを誤解しないでやってほしいと言いたかったが言葉が出てこなかったため、ベルは取りあえず感謝の言葉を伝えて店から走り去った。

 

 店中の人々が、嵐のように去っていった二人の背中を追うように出口を眺めたが、誰かが杯をあげてこう言った。

 

 「大きな鎧の男と小さな子兎に!」

 

 「「「乾杯!」」」

 

 ロキ・ファミリア相手に啖呵を切った。それも堂々と。

 それだけで、いつもロキ・ファミリアに頭が上がらない冒険者の面々は少しばかりか気分がよくなったのだ。

 これは感謝の乾杯であった。

 

 「中々、勇敢な子たちだったね。これは惜しい人材を二人も失ったかもしれないな。」

 

 「入団希望の子は全部ウチにいったん通すはずやったよな、フィン?」

 

 「どうやら、少し聞かねばならんことがあるみたいだのぉ。」

 

 【勇者(ブレイバー)】と呼ばれるロキ・ファミリアの団長フィン・ディムナは、義憤に突き動かされたアルと、アルのために嫌な相手に対して頭を下げたベルを高く評価した。

 あのような新人はぜひ欲しかったと悔やんだがとりあえずはベートを何とかしようと思考を切り替えたのだが、ベートは先程とは打って変わって静かであった。

 

 ベートは発言そのものはテンプレートな嫌な奴ではあるが、決して心根から悪人というわけではない。

 ただ、その過去から力に対しての執着が強く、また「ただ弱いことを甘受する」ような人間が嫌いなだけであった。

 少なくとも、大男の方は「ただの弱者」ではなかったとベートは認識を改めていた。

 

 そこに、ベルを追いかけようとして諦めて戻ってきたアイズが戻ってきて、こう言った。

 

 「ベートさん。あの白い髪の子、ミノタウロスに立ち向かってたよ。」

 

 ベートは、その発言を聞いて、酔った頭ではありながら自身の状況を甘んじて受け入れることに決めた。

 周囲の幹部連中が自分を縄でつるそうという物騒な計画を実行に移そうとしている状況を。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 アルは、わき目もふらずに白亜の巨塔の方へと突き進んでいく。

 ベルが後ろから走りに走ってようやくアルに追いついたとき、アルはぽつりと漏らした。

 

 「ベル、私は悔しいよ。

 名誉も誇りも傷つけられた。結局あの狼人を口でやりこめただけで、貴公の名誉を一つも守ってやれはしなかった。」

 

 「そんなことないよ!僕の代わりに怒ってくれたんだよね、嬉しかった。」

 

 アルはベルの言葉があってなお、自身が許せなかった。

 歩みを止めて、ベルをじっと見つめて、少しずつ言葉を紡いだ。

 

 「それでも私が弱いばかりに、貴公を守れなかったのは事実だ。今日も、昨日も……。」

 

 「僕だって自分のことが許せないよ。何もしなくても守ってもらえると期待してたんだ。

 けど、それじゃダメなんだ!何もかもやらなきゃいけないんだ!

 だから僕は強くなる!君と一緒に!

 強くなるために、僕と共に戦ってよ、アル!」

 

 ベルはここに誓ったのだ。もう弱いままではいないのだと。強くなるのだと。

 アルは、その強い信念に心打たれた。

 そして、自身を恥じた。くよくよしている場合ではないのだと、前へ進まねばならない時なのだと自覚した。

 戦士の誓いには騎士の誓いで返すのが礼というもの。

 アルは背負っていた大剣を抜き、星空を貫くように高らかに掲げた。

 

 「我が盾と我が剣、そして我が誇りにかけて誓う!

 私は貴公と共に強くなるぞ!我らの旅路に太陽あれ!我らの誓いに火の導きあれ!

 ベルよ、いざ行かん!」

 

 「目的地はダンジョン!行こう、僕らの明日のために!」

 

 満天の星空の下誓い合った二人は、ものの数刻で6階層に至り、戦い続けた。

 夜が明けるまで、弱い心を打ち倒せるまで、精根尽き果てるまで。

 

 二人を数十のウォーシャドウが囲んでも、その全てを切り伏せ、押しつぶし、刺し貫き、切り刻んだ。

 ベルはフロッグシューターに丸のみにされかけながらも戦い続けた。

 アルは十数ものゴブリンやコボルトにまとわりつかれても、力づくで引きはがしその命を貪った。

 

 戦って戦って戦い続けて、二人は朝日に照らされながら、帰路に就いた。

 廃教会の戸口には、愁いを帯びた顔の主神ヘスティアが眷属の帰りを今か今かと待っていた。

 

 ボロボロの二人は彼女の優しい腕に抱かれて、決意を伝えた。

 

 「ヘスティア様」

 

 「カミサマ」

 

 「「強くなりたいです。」」

 

 二人の背を撫でて、ヘスティアは一言

 

 「うん。」

 

 と呟いた。

 

 二人の眷属と一人の神の物語は、ここから真の始まりを迎えるのだ。

 そう、神の前で誓約をかわすという行為から。




 廃教会の誓約

 古びた廃教会の前で交わされた誓約

 その誓約は誓約アイテムを求めることも報酬を与えることもない

 ただ、誓約がなされたというだけでよい

 それが寄る辺となるのだから


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第五話 計画


 銭袋
 
 銭を入れるための袋
 
 大きいものだとたくさん入り 小さいものだと少ししか入らない

 大きさと入れる金額を あらかじめ決めておくと 便利であろう


 

 戦いつかれて眠りに落ちたアルは夢を見た。

 アルはいつの間にか、花園に立っていた。

 その花園には無数の剣や槍が墓標のように突き立てられていて、儚さを感じさせられた。

 

 ふと空を見上げると、赤い空と陰に隠れた太陽があった。

 終わりの始まりを迎える場所なのだと、アルは直感した。

 

 そして、ある騎士を見つけた。

 剣を中央に突き刺した焚き火のようなものを前に、じっと座っている。

 その鎧は古く歪んでいて歴戦の古強者のようであった。

 そしてなによりも、その体から微かな火がちらちらと立ち上るのが見えた。

 

 アルは、この背中を追いかけねばならないという使命感に駆られ、手を伸ばした。

 そしてその瞬間、アルはおぞましい空気を漂わせた朽ち果てた闘技場の入り口に立っていた。

 

 呆然としていたのもつかの間、アルは二人の騎士の戦いに目を奪われた。

 

 一方の騎士は腕を折られそして正気すら失ってなお闇の眷属を殺していた騎士、アルトリウスだと分かった。

 アルトリウスの伝承にそのような話はないはずなのに、そう確信していた。

 そして、そのアルトリウスが自身と「全く同じ武具や防具」を使っていることにも気づいた。

 

 もう一方の騎士は、全く見知らぬ騎士であった。

 その膂力は神族のアルトリウスに及ばず、その俊敏さはただの人間と大して変わらない。

 

 だというのに、地を転がり、剣を振り、槍を突き刺し、杖を振るい、手から火の球を投げ、雷を投げて、【深淵歩き】と互角に戦っているのだ。

 いや、互角などではない。

 無名の騎士は、少しずつではあるが、【深淵歩き】を圧倒していた。

 そしてついに無名の騎士が勝利し、【深淵歩き】が断末魔を上げるところを、アルもその無名の騎士もじっと眺めていたのだった。

 

 「これが私の真実だよ。」

 

 隣に立つのは、先ほど眼前で討たれた【深淵歩き】アルトリウスであった。

 驚いていると、またどこぞへと飛ばされたのか、こんどは大きな墓の前に二人はいた。

 もう訳が分からない、と頭を振るアルを何処からともなくやって来た大きな狼が押し倒し、その匂いを嗅ぎ、兜とベールで隠れた顔をべろりと舐めた。

 

 「ははは、驚かせてしまったか。

 シフ、突然押し倒したりしてはいけないよ。」

 

 シフ。

 灰色の大狼と呼ばれ、主であるアルトリウスの墓を守り続けたという灰色の大狼が目の前にいることに、アルは興奮を隠せなかった。

 しかし、声を出そうとしても、声が出ない。

 

 「今の君は霊体のような状態なのだろう。無理に話そうとしなくてもいい。

 さて、君は今私の真実を見た。

 深淵に飲まれ、理性を失い、その拡大を止められなかった男。それが私だ。」

 

 シフを優しくなでながら、アルの憧れは自身の真実を語り始めた。

 伝承では伝えられなかったその真実を。

 

 「神に類するものは深淵に毒されてしまう。もとより私には不可能だったのだ。

 深淵の拡大を防ぐという、重大な任務に私は失敗したのだよ……。

 それをあの不死人が成し遂げた。ウーラシールは滅んだが、火の時代は終わらなかった。

 すべて彼のしたことなのだ、私に憧れるものよ。」

 

 不思議と、アルにとってはショックではなかった。

 たとえ、伝承が偽りだったとしても、四騎士の一人、アルトリウスが勇敢に戦ったという事実は消えないと思ったからだ。

 

 「そうか、君は強いな。そうか、そうか……。

 心折れぬ君ならば、迷宮を攻略し、真実をその手に掴めるやもしれないなぁ……。」

 

 アルトリウスは虚空を見上げながら、アルに何かを見出したようだった。

 シフもまた、アルの前に伏せて、主に類するものとして無類の敬意を払っていた。

 

 「生まれながらに闇を持つ人の身であるならば、深淵にも耐えることが出来るだろう……。

 深淵は根源を歪め犯す力だが、闇もまた人の本質だからな。

 さぁ遠き時代の英雄となるものよ、我が手を掴みたまえ。

 私の真の後継たるものよ、心折れてくれるな。

 そうすれば、きっと火の導きがあるだろう……。」

 

 アルはゆっくりと、アルトリウスの手を握った。

 彼の手は、いつの間にか剣の柄になっていた。

 らせんの渦を巻く独特な剣の柄に。

 アルは迷いなくそれを引き抜いた。

 猛火に包まれたような気がした。

 

 「さぁ歩むがいい。地底へと続く深淵を……!」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 アルが目を覚ますと、そこは花園でもなければ、闘技場でもなく、まして墓場でもなかった。

 いつもの慣れ親しんだ、敬愛するヘスティアと、ともに戦うことを誓ったベルと共に住まう廃教会であった。

 

 「アルくん、おはよう。ゆっくり休めたかい?」

 

 「ヘスティア様、失礼いたしました!主神であるあなたより遅く起きてくるなど……。」

 

 「いいんだよ!そんなことより、ベルくんも待ってるからさ、さっさとステイタス更新しようぜ!」

 

 「承知いたしました!」

 

 今は夢の事よりも、待たせているヘスティア様とベルの方が重要だと、アルは取りあえず直ぐに鎧を脱ぎ始めた。

 

 「う~ん、う~ん……。」

 

 「どうしたんです、カミサマ?」

 

 ヘスティアは二つ、いや三つの事で悩んでいた。

 まず一つ目、二人の異常な成長。

 この事で、ヘスティアはステイタスをそのまま伝えるかどうかや、この「成長を促進する類」のレアスキルが露見しないようにどうすべきかと頭を悩ませた。

 

 そして、二つ目。二人に呼応するスキルが発現したこと。

 恐らく、意識を失う前の誓約が原因だろうとヘスティアは踏んでいた。

 ベル・クラネルに発現したスキルは、この通りだ。

 

 ≪スキル≫

 

 【英雄誓約(アルゴノゥト・プレッジ)

 ・窮地の際に任意で誓約霊を呼び出せる。(対象誓約:【狼騎士誓約(アルトリウス・プレッジ)】)

 ・全アビリティに補正。

 ・補正効果は誓約レベルに依存。(現在レベル1)

 

そしてこれに対応するかのように発現したアルのスキルがこうだ。

 

 ≪スキル≫

 

 【狼騎士誓約(アルトリウス・プレッジ)

 ・窮地の際に任意で誓約霊を呼び出せる。 (対象誓約:【英雄誓約(アルゴノゥト・プレッジ)】)

 ・全アビリティに補正。

 ・補正効果は誓約レベルに依存。 (現在レベル1)

 

 ヘスティアは、二人の仲の良さに本当に心から喜ぶも、スキルの内容についてはどうしたもんかと匙を投げる寸前だった。

 そもそも誓約霊とはなんだ、これ以上アビリティに補正をかけてどうするんだ、とかヘスティアには色々と言いたいことがありすぎて頭痛がしてきた。

 

 そして三つ目。アルにもう一つスキルが発現していた。

 

 【深淵篝火(ボンファイア・オブ・ジ・アビスウォーカー)

 ・深淵に対する耐性超強化。

 ・深淵を纏い操る。

 ・聖剣の担い手の資格を得る。

 

 火という単語から、アルの【火継暗魂】と何かかわりがあるのだろうかと考えるが、ヘスティアにはよく分からなかった。

 結局ヘスティアが出来ることは、隠すべきは隠し、伝えるべきは伝え、聞くべきは聞く。ただそれだけだった。

 取りあえず、この新しいスキルと今のステイタスの事は伝えようと決めたのだった。

 

 「おめでとう!君たちにもスキルが発現しました!アルくんは二つだよ!

 今日は口頭でステータスを伝えようと思うけど、いいかい?」

 

 「もちろんですよ、カミサマ!早く教えてください!僕のスキルってなんなんだろう!」

 

 「二つも!是非とも教えていただきたい!」

 

 よし、二人とも何の疑いも持ってないぞ、とヘスティアは内心ガッツポーズした。

 

 「よっし、じゃあ教えてあげるからよーく聞いとくんだよ!」

 

 こうしてベルとアルは自身の異様な成長を知ることとなる。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「はっきり言うよ。君たちの成長は異常だ。いわば成長期ってところだね。

 これはボク個人の見解だが、君たちには才能があると思う。贔屓なしに見てもね。」

 

 「やったね、アル!」

 

 「うむ。主神に才を認められたとあれば、素晴らしい栄誉だ。」

 

 アルもベルも、自身のステイタスの伸びを喜んでいた。

 伝えた時には二人で謎の小躍りを始めていたくらいだった。

 アルはなぜか、変な伸びをしていたりジャンプしながらガッツポーズをし始めたりと変な動きも織り交ぜていた。

 

 「君たちはきっと強くなる。そして、何よりも君たちがそれを望んでいる。

 その意思は尊重する。応援も手伝いもする。ボクにできることはすべてしてあげよう。

 だから約束してほしい。もう無理はしないって。ボクを一人にしないでおくれ。」

 

 それは女神の哀願であった。

 目を潤わせて、胸に手を当てて願うその姿は、どこまでも二人を思う優しさと、ヘスティアの神としての慈愛を象徴していた。

 二人の眷属は顔を見合わせてしっかりと頷き、神の願いを叶えんと答えた。

 

 「はい、無茶しません。強くなれるように頑張りますけど、絶対カミサマを一人にはしません!心配かけません!」

 

 「私もだ。我が誇りに誓って、無茶は二度としまい。私は必ず貴方とベルのもとへ帰ります。私の寄る辺は、二人なのだから。」

 

 神は嘘を見抜く力を持つ。

 しかし、その力を使わずとも、ヘスティアはこの二人がきっと約束を守ってくれるであろうと確信した。

 ヘスティアは自分にとって大切な眷属は、ヘスティアのことを何よりも大切にしてくれる子供なのだと感じた。

 

 「よし、その言葉を聞けて安心したよ。で、いくつか聞きたいことがあるんだよ!君たちのスキルの事で!」

 

 ヘスティアは少し重くなっていた空気を吹き飛ばすように元気よく笑いながら、質問タイムに入った。

 

 「何なりと、お聞きください。私にわかることがあれば全て答えましょう。」

 

 「アルくん、深淵って……なんだい?」

 

 アルは、つい浮かれてすっかり忘れていた夢の内容を克明に思い出していた。

 聞かされたスキルの詳細から、少なからずかかわりがあるのだと、アルは思い至った。

 

 「ヘスティア様。深淵とは、人の闇です。そして、あらゆる物の根源を歪ませてしまうと教えてもらいました。

 本当はもっと適切で真実を表した表現があるのでしょうが……。教えてもらった方に敬意を表すためにこのままにしておこうと思います。」

 

 「誰に、教えてもらったのかな?」

 

 「夢の中で、【深淵歩き】本人からです。」

 

 そして、アルは自身の夢の話をした。

 見たもの、聞いた音、花の匂いや森の香、何もかも言語化できるものは全て余すことなく伝えた。

 それを聞いたベルもヘスティアも、アルの話を全て信じることとした。

 

 「アルは、その【深淵歩き】さんからスキルを貰ったってことなのかな?」

 

 「ううむ、関連がある程度故断定は出来ぬがなぁ。」

 

 「それじゃあ次の質問だよ、アルくん!聖剣ってもってたりする?」

 

 聖剣、はて何のことやら、と思ってアルは自身の「底なしの木箱」をあさり始めた。

 母が託してくれたものの一つで、何故かあらゆる品々が無尽蔵に詰められるアイテムであった。

 もっとも、母に安全な場所で開かないと「食べられる」ぞと釘を刺されているため、便利ではあるがダンジョンでは使えない。

 

 「アルのその箱って不思議だね。明らかに見た目以上にモノが入ってるよ!」

 

 「うーむ、母上は『神の贖罪の形です。深く考えずお使いなさい。』と言っていたしなぁ……。

 さて、聖剣聖剣……。無いなぁ……。これは投げナイフ、これは誘い頭蓋……。

 いや、そうか。聖剣とはこれであったか!はっはっは!

 我が武具において聖剣と呼べるものは一つしかないものを!

 私は一体何を探していたのやら!」

 

 アルが突然笑いながら、背中の古ぼけた大剣をヘスティアの前に両手で掲げた。

 

 「ヘスティア様、この剣こそ聖剣であると思います。」

 

 「ボクの知る限りでは、聖剣というものは神匠がその力を存分に振るって打ったものだよ。

 その剣、君のお母さんが託してくれたものなんだろう?」

 

 ヘスティアの友神には、天界きっての名鍛冶師がいるため、武器への知識は生半可なものではない。

 その友神がいくつか聖剣なるものを作ったと聞き、見に行ったことも遠い昔にはあったとヘスティアは記憶していた。

 目の前の剣は記憶の中の聖剣とは似ても似つかない。

 むしろ古び、穢れ、歪みそして僅かながら禍々しさすら感じさせていた。

 

 「【深淵歩き】アルトリウスは神族に連なり、そしてその武具も神に鍛えられたはずです。

 もし私の夢の中での直感が正しければ、これはそのアルトリウスが遺したものだと思われます。」

 

 「まずボクが君の言う神族らしい、アルトリウスやら、グウィンやら、イザリスやらを知らないんだよねぇ。

 同じ天界の住人で、偉業をなすような神なら名前ぐらいは知っているはずなんだけどなぁ。

 よし、まぁアルくんが聖剣というならそういうことなんだろう!」

 

 ヘスティアはこれ以上考えるのはやめた。

 アルは嘘をついているわけではないし、よくよく剣を見てみると人が打ったものではないということぐらいは分かったからだ。

 ベルは、アルの大剣を近くでまじまじと眺めながら、楽しそうに話した。 

 

 「アルの大剣ってカッコいいよね!モンスターも一撃でズバッと切れるし!

 聖剣って言われても僕は納得しちゃうなぁ。

 僕はギルドの支給品のナイフだからなぁ……。向いてるし使い勝手がいいから気に入ってはいるんだけど……。」

 

 「これは私の母から聞いた言葉だが、数打ちの武具でも丹念に鍛え上げれば神々の武器の域にすら到達できるそうだぞ。

 この『楔石の原盤』を数枚いただいた時に、そう言っていた。この石が母の故郷に伝わる最上の鍛冶素材らしい。

 もっとも、ベルは自身だけの武器を持った方がいいだろうなぁ。

 英雄とはそういう『英雄を英雄たらしめる武器』を持っているのが常だろう?」

 

 アルが片づけをしながら、箱から石板を取り出した。

 それをベルが借りてまじまじと見ている。ベルは冒険者らしく未知のものには興味津々なのだ。

 ヘスティアは今の発言を聞いて、とってもいいことを思いついた。

 アルのことも知れる、ベルの事も支えてあげられる。

 そんな最高な計画を。

 

 「アルくん!その石板をボクにくれないかい?!」

 

 「一枚程度なら構いませんよ、ヘスティア様。」

 

 「それから二人とも!ボク今晩からちょっと二三日ぐらい留守にするから、よろしくね!」

 

 眷属たちは首をかしげてキョトンとしていた。

 さぁ、炉の女神の一大計画の始まりである。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「さて、どのようなお叱りを受けるか……。」

 

 「テーブル思いっきり叩いちゃってたからね……。

 大騒ぎもしちゃったし……。」

 

 ヘスティアが何を考えているか全くわからなかった二人は、結局ダンジョンに潜る日常に戻ることにした。

 しかし、昨晩大騒ぎして迷惑をかけたかもしれない『豊穣の女主人』に詫びを入れるのが先であろうということで、今二人はその前に立っていた。

 

 「ベルよ。私が先に入る。貴公は後からだ。

 一番騒いだのは私だからな。」

 

 「わかったよ。けど、僕も一緒に謝らせて。」

 

 二人はぐっと息をのんで、開店準備中の『豊穣の女主人』に踏みこんだ。

 

 「昨晩、騒ぎを起こしたものです!謝罪に参りました!女将はおられるか!」

 

 と、アルは勇気を出して声を上げた。

 すると、厨房の奥からエプロンをつけたミアが出てきた。

 しかし、その顔には怒りよりもむしろ面白いものを見れて嬉しい、といった雰囲気が漂っていた。

 

 「昨日の二人かい!あの後酒の注文が一気に入ってねぇ!売り上げを上げてくれてありがとうよ!」

 

 思ってもみなかった言葉をかけられて、二人は目を白黒させていると、ミアの後ろからひょっこり見知った顔が出てきた。

 シルである。

 なぜかピースを作っていて、満面の笑みで

 

 「私の御給金もけっこう出ました!」

 

 と言い切った。

 

 「まぁ、机ぶっ叩いて騒ぎ起こしたことには変わりないからねぇ……。来なかったらこっちから出向いてたよ。」

 

 ミアのどすの利いた声に震えあがった二人はただただ平謝りした。

 

 「本当に申し訳ありませんでした、女将……。」

 

 「すみませんでした!ごめんなさい!」

 

 「はっはっは、まぁ、格上相手に啖呵切ったところは認めてやるけどさ。

 坊主共、よーく覚えときな。

 冒険者がかっこつけたって意味ないんだ。最初の内は生きることに必死になりゃいい。

 みじめだろうが無様だろうが、生きて帰ってきたやつが勝ち組なのさ。」

 

 この数日間で幾度となく死にかけ、そして神に誓った二人には、心に響く言葉であった。

 

 「心得ました。」

 

 「はい!死なないように頑張ります!」

 

 新たな教訓を得た二人は、じゃあそろそろ、とダンジョンに行こうとする。

 すると、シルは昨日のように両手に包みをもって来た。

 

 「あの、お二人とも今日もダンジョンに行くんでしょう?

 これ、お弁当です。」

 

 「そんな!悪いですよ、いろいろご迷惑をおかけしたのに……。」

 

 「いえ、貰ってほしいんです……。ダメ、ですか……?」

 

 シルが頬を赤らめて、ベルのことを上目遣いで見ているのにアルは気づき、そっと背中を押した。

 貴公が答えたまえ、というメッセージを込めて。

 

 「じゃあ、お言葉に甘えて。いただきます。」

 

 「はい!ふふっ!」

 

 シルが嬉し気に店の奥へと戻っていく。

 アルは、ぼそりと一言こういった。

 

 「貴公も、なかなか罪な男よな……。」

 

 「ん?」

 

 「いや、気づいていないのなら良いのだ……。」

 

 英雄は多くの女に愛されるものではあるが、こうも周囲の好意に無自覚だと後が怖いな、とアルは正直に思った。

 そのようなトラブルからもベルを守らねばならないから。

 

 「さぁ、行ってきな!あっさり死ぬんじゃないよ!」

 

 ミアに背中を押されて、二人はダンジョンへと向かう。

 

 「「行ってきます!」」

 

 この日、二人は日が落ちるまでダンジョンで戦い続けるのだが、自身の大幅な成長に振り回されたとか。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「よく集まってくれた皆の者!俺が、ガネーシャである!」

 

 オラリオの一角、象の神を模した屋敷で、宴会が行われていた。

 主催者は象の面をかぶる神、ガネーシャその人である。

 すなわち、ガネーシャは自身を模した館で生活していることになるのだが、まぁ彼は決して自己愛が過ぎる自己中心的な神ではない。

 むしろ、ヘスティアと性質は近く、市民の安全と平穏を願う慈愛の心に満ちた好漢である。

 

 「もぐもぐもぐもぐ。」

 

 多くの神は長ったらしく暑苦しいガネーシャの挨拶を無視するのだが、彼女は花より団子といった風にひたすらに食事をとり、その余りを容器に詰めまくっていた。

 その神は貧乏をつかさどる神でも、食欲をつかさどる神でもない。

 ただただ貧乏に苦しむ新興ファミリアの主神、ヘスティアその人であった。

 この姿を二人の眷属が見ようものなら、自分たちの不甲斐なさに号泣していたことであろう。

 

 さて、そんな話しかけるのも憚られるようなヘスティアに一人の女神が声をかけた。

 

 「こんばんは、ヘスティア。」

 

 「フ、フレイヤ……。」

 

 「あら、お邪魔だったかしら?」

 

 「いや、ボク君のこと苦手なんだ。」

 

 「あなたのそういう所、私は好きよ?」

 

 胸元が大きく開いた純白のドレスを着こなし、そこから覗く肌はまるで陶磁器のように白く美しい。

 顔立ちは美麗で、これ以上整った顔はないと言い切れるほどである。

 銀色がかった白い髪は腰元までに長く緩やかに伸び、極上の絹と見間違うほどの極上の毛髪である。

 また、その神秘的な美しさをもつ紫水晶色の目に見つめられた男はみな恋に落ちてしまうであろう。

 

 言い表しようのない「美」がそこに立っていた。

 ヘスティアの前に立っていたのは、オラリオ最強の冒険者を眷属に持つ、美の女神フレイヤであった。

 

 「まぁ、君はマシな方だけどね。」

 

 二柱の神が話していると、ヘスティアとフレイヤの方に「マシじゃない」方の女神が階段を駆け下りてくる。

 

 「フレイヤぁぁぁぁぁあ!とドチビ!」

 

 「あら、ロキ。」

 

 「何しに来たんだよ、君は。」

 

 「なんや、理由がなかったら来たあかんのか?」

 

 そう、この特徴的なエセ関西弁で喋る神はロキ。

 アルが『豊饒の女主人』でさんざんにこき下ろした狼人の主神、ロキである。

 

 「そうだ!君に聞きたいことがあったんだ!」

 

 「はぁ?ドチビがウチにィ?」

 

 ヘスティアを思いきり見下ろすようにロキがしゃべるのを無視し、苦い顔をしながらヘスティアは話をつづけた。 

 

 「君のファミリアの【剣姫】。ヴァレン某なる女には決まった相手や伴侶はいないのかい?」

 

 「アホ、アイズたんはウチのお気に入りや!ちょっかいかける男は……八つ裂きにしたる。」

 

 「ちぇっ!」

 

 ヘスティアが望んでいた回答ではなかったようだ。

 もし、ヴァレン某に伴侶がいたら、ベルくんはきっとボクを見てくれるはずさ、とでも考えていたのであろう。

 恋愛には神も人間もないらしい。どんな存在でも盲目にしてしまうのだから。

 

 「ふふ、仲がいいのねぇ。」

 

 「どこがや!」「どこがだい!」

 

 目を離したすきに頭を突き合わせて今にも喧嘩しようかといった二柱を仲がいいと形容するフレイヤは、ロキの服装を見て楽しそうに笑った。

 

 「そういえばロキ、今更だけど今日は随分と雰囲気が違うようね。ドレス姿なんて久しぶりだわ。」

 

 「まぁな!どっかのドチビが宴に来るっちゅうのを聞きつけて、ドレスも買えんような貧乏神を笑うたろうと思ったんや!」 

 

 そういうロキの服装は、普段のショートパンツにへそ出しルックといった快活で露出度の高い服装ではなく、きっちりとしたパーティードレスであった。

 黒を基調として、その赤い髪とちょうどマッチするように赤いリボンがウェストに来るようなドレスで、よく似合っていた。

 しかし、ヘスティアはロキの悪口にへこたれることなく反撃した。

 

 「ボクを笑おうとして自分が笑われに来たのかい?こいつは滑稽ったりゃないね!

 なんだい?その寂しい胸は!!」

 

 びしりとロキの、その、たいへん慎ましやかな胸をヘスティアが指さす。

 人も神も、言っていけないことやっていけないことというのは大して変わらないものなのだが、ヘスティアは躊躇なくロキの弱点を突きに行った。

 案の定ロキはどうにもならないその壁を前にしてうなだれ、唸り声を上げる。

 ヘスティアはロキよりも大きく丸みがあって大層豊満な胸をこれでもかと張り、ロキを見下して高笑いをしていた。

 

 「こんのドチビがー!」

 

 「ふみゅー!!」

 

 「ロリ巨乳とロキ無乳か……。」

 

 「いいぞぉ、やれやれェ!」

 

 神とはどうしようもないろくでなしの集団のようだ。

 我慢できなくなったロキがヘスティアの頬を思いっきり引っ張るのを外野の神たちは煽りに煽り、かけ事までし始める始末である。

 

 「ふん!今日はこんくらいにしといたるわ!」

 

 「へん!次会う時はボクにそんな貧相なものを見せないでくれよ!」

 

 片方は自身が持たざる者であることを嘆き、片方は真っ赤になって頬をさすって痛みにこらえている。

 どうやら、今回は引き分けということで、ロキが去っていくようだ。

 しかし、ロキは何かを忘れたかのように振り返った。

 

 「ドチビ。眷属二人出来たんやってな?でかいのとちっこいのか?」

 

 「ふん!君に言う義理はないね!」

 

 「その反応で十分や。」

 

 ロキは今度こそ満足したのであろう、アイズたんに慰めてもーらお、あ、ママでもいいかもな、なんて下世話なことを考えながら去っていった。

 

 「またやってたの?あんた達。」

 

 「ヘファイストス!やっぱり来てよかった!君に会いたかったんだよ!」

 

 「私に?いっとくけど、お金ならもう1ヴァリスたりとも貸さないからね?」

 

 ヘファイストスと呼ばれた深紅の髪で眼帯をつけた女神はヘスティアが金の無心に来たのだと疑った。

 

 「失敬な!ボクが親友の懐をあさるような神に見えるのかい?」

 

 「よく言うわよ。さんざんウチのファミリアに居候した挙句、やれ家がない金がない、仕事がないって泣きついてきて!

 そう思われるのが当然でしょうが!」

 

 そう、ヘファイストスこそ、ヘスティアの無二の親友であり、鍛冶の神であり、そしてヘスティアが散々脛を齧りに齧った女神であった。

 

 「確かに昔はそうさ!でも、もう違うんだ!ボクにもファミリアが出来たんだからねっ!」

 

 ブイっと、二本指を親友に突きつけるヘスティアと、それを聞いてあぁ思い出した、とヘファイストスは語る。

 

 「そうだったわね。ベルとアルって言ったかしら。白髪で赤い目をした人間の男の子と、いっつも古ぼけた鎧を着てる大きな男の子。

 あの鎧、もう少し近くで見てみたいわね。それと、あの大きい方の子は巨人の血でも引いてるの?」

 

 「いいや?アルくんはれっきとした人間だよ!料理も上手なんだぜ!」

 

 「ふ~ん?まぁ、眷属が出来たら変わる神も多いし、あなたも前とは違うのかしらね。」

 

 自慢の眷属のことをもっとしゃべってやろうとするヘスティアの前に、ずっとそばで話を聞いていたフレイヤが口を開いた。

 

 「ヘファイストス、ヘスティア、私もう失礼するわ。」

 

 「え?もう?」

 

 「なんだい、ボクの眷属自慢は聞きたくないってことかい?」

 

 「それは少し気になるけれど……。確かめたいことはもう確かめられたしいいわ。

 それに……、ここにいる男はみんな食べ飽きちゃったもの!

 じゃあね。」

 

 フレイヤに見惚れていた男どもはぴゅーっと走って去っていき、フレイヤは悠々と歩いて去っていった。

 美の女神は奔放なのだ。

 三大処女神とも謳われたヘスティアはただただ「スゲー……。」と呟くだけであった。

 

 「それで?私に会いたかった用事って何なのかしら?

 内容次第じゃ金輪際縁を切ってもいいけどぉ?」

 

 「分かってるよ!」

 

 すぅっと息を吸い込んだヘスティアは、床に膝と掌をつけ、頭を深く深く下げた。

 

 「ボクのベルくんに武器を作ってやってほしいんだ!あと、出来ればこの素材のことも教えてほしい!」

 

 頭を下げたまま、懐からアルから貰ってきた楔石の原盤を取り出した。

 それをまじまじと見たヘファイストスはすぐに顔色を変えて焦りだした。

 

 「すぐにそれを隠して!話は私のところで聞くわ!」

 

 ヘスティアの計画は思いもよらぬ速さで進み始めた。

 





 ヘスティアの容器
 
 ヘスティアの持つ、万能容器。
 
 料理を詰めて保存し、持ち帰ることが出来る。

 食事を捨てるなどもってのほかだ

 ボクが全部食べてやろう


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第六話 鍛冶


 土下座
 
 土下座とは、遠い東の国に伝わるという 最上級の謝罪を表す姿勢だ

 その這いつくばる姿は 見る者に 上下関係をわからせる

 しかし恐れたまえ とある禿げ頭の男は この姿勢を取ってなお

 反省することはなかったという

 後ろに 気を付けたまえ 気を許して蹴落とされたくなければ


 

 ダンジョンからの帰り道で、ベルとアルはヘファイストス・ファミリアのショーウィンドウにべったりと張り付いていた。

 

 「ねぇ、アル。僕ってどんな武器がいいんだろう?

 こっちのロングソードは60万ヴァリス、けどこのナイフは20万ヴァリス……。

 武器によって価格も違うしなぁ……。」

 

 「価格なぞ、後で考えることだぞベル。命を懸ける武器に金をかけずにどうするというのだ。

 まあ、ベルはナイフやショートソード、後は短い槍なんかも合うやも知れぬ。

 それに、貴公は力より速さと技で切るタイプだからな。当てるだけでスパリと切れるような切れ味のいい武器が望ましいだろう。」

 

 「やっぱりそうだよねぇ……。あぁ、かっこいいなぁ……。」

 

 ピカピカの武器を羨ましそうに眺めているベルと、それに付き合うアルに後ろから声をかける髪の長い男が現れた。

 

 「ベルとアルではないか。今日もダンジョン帰りか?」

 

 「おぉ、ミアハ様。そうです、今帰ったところです。」

 

 「すいませんミアハ様、買えもしないのに張り付いたら迷惑ですよね。」

 

 「謝ることは無かろう。」

 

 その手に紙袋を掲げて、優し気に話すその男は神である。

 名はミアハ、薬剤を製造して販売している商業系ファミリアの主神だ。

 ミアハ・ファミリアはヘスティア・ファミリアと同様に貧乏ファミリアで、ベルやアルがよく通うファミリアでもある。

 

 「ミアハ様は、神様の宴に参加なさらないんですか?」

 

 「うん、お誘いはあったのだがな。弱小ファミリア故、商品の調合に明け暮れていてな。

 そうだ、ほれ、これをやろう。」

 

 ミアハがポケットから取り出したのは二本の回復薬(ポーション)であった。

 綺麗な水色をした液体が小さな試験管の中で揺れている。

 

 「頂けませんよ、そんな!」

 

 「なに、良き隣人へのゴマすりだ。今後ともよろしく頼む。」

 

 ミアハのその様子を見ていたアルは、あまり気分がよくなかった。

 

 「ミアハ様、もしや無料で配り歩いているのですか、ナァーザ殿が丹精込めて作ったポーションを。」

 

 「うむ、全てではないが、いくつかな。」

 

 ナァーザというのはミアハの眷属の犬人(シアンスロープ)の女薬師の事だ。

 アルは、彼女が自身の主神の行き過ぎた慈愛を小さな声でぼやいていたのを覚えていたのだった。

 

 「ミアハ様、恐れながら申し上げます。ミアハ様がかように慈悲を振りまいていてはナァーザ殿の苦労が浮かばれませぬ。

 それに、多くの冒険者は貴方様の慈悲のことなど忘れて、二度と店には来ないでしょう。それではナァーザ殿がタダ働きになってしまう。」

 

 「ふむ、一理あるな。しかし、宣伝は必要だろう?」

 

 「ですから、話を聞いて店に来てくれたものだけが、恩恵を受けられるようにすればよいのです。

 割引券なるものを配ってみたり、新規の客を連れてきた顧客を優遇したりするのですよ。

 あと、今いる顧客を大切にするなら、特別な会員ということにして、客に対するサービスを少し格上げすればよいでしょう。」

 

 アルは騎士を目指す身ではあったが、それ以前は農業をやったり、魚を釣ったりし、必要な食糧を超えたものは売るなどして生計を立てていた。

 もとより彼の母は世間知らずで、金勘定とは無縁なのだ。

 彼がそうせざるを得なかった事情があったために、商業系の知識は少したくわえがあったのだ。

 

 「すごいや、アル!名案ですよ、ミアハ様!」

 

 「あぁ、ありがとう。これでナァーザに怒られなくて済む。では、このポーションはアイデア料ということにしておこう。」

 

 「それならば、頂けます。神に具申するなど、おこがましいことをしました。」

 

 「よいよい。ではな、二人とも。」

 

 心優しい神とのふれあいに、二人は自分たちの慈悲深い主神を思い起こされていた。

 

 「アル、今ヘスティア様の事考えてたでしょ?」

 

 「おぉ、貴公もか。ふふ、気が合うな。」

 

 二人は星空を見上げて、主神の身を案じるのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 そのヘスティアは、ヘファイストスに手を引っ張られて連れてこられた彼女の部屋で這いつくばっていた。

 

 「で、ヘスティア。私の部屋についてそうそう何してるの?」

 

 「土下座!タケから聞いた、お願いと謝罪をするときの最終奥義!」

 

 「はぁ、またあんたは変なこと吹き込まれて……。」

 

 友神の教えたことを何の疑いもなく実行するヘスティアに溜息をつきながら、ヘファイストスは自身の執務用の椅子から立ち上がった。

 

 「あんたに武器を作ってほしいって言われて、金を貯めてこいだとか、駆け出しに作る武器はない、とか言おうと思ってたわ。

 けど、私の質問に答えてくれるなら少しくらいは協力してあげないこともないわよ。」

 

 「本当かい?!」

 

 ヘスティアはガバリと顔を上げた。

 嬉しくて嬉しくてたまらない、神友の君がそういってくれて嬉しいと言っているようなヘスティアの笑顔に、ヘファイストスは絆されそうになる。

 しかし、何が何でも聞かねばならないことがあるヘファイストスは毅然とした態度を維持した。

 

 「ヘスティア、あんたが見せてくれた石板、もう一度見せてくれるかしら。」

 

 「これかい?いいよ!『楔石の原盤』っていうらしいんだけど、ヘファイストスなら原産地とか知ってるんじゃないかと思ってさ。

 ボクの眷属のお母さんの出身地の鍛冶素材らしいんだけど、見覚えあるかい?」

 

 楔石の原盤をヘスティアから受け取り、あらゆる角度から観察したヘファイストスは、震えていた。

 彼女は自身の考えが間違っていてほしいと祈った。

 こんなことがあっていいものか、それよりも、目の前にいるダメで小さいけれど大切な友神が得体のしれないものを抱え込んでいるのではないかと思っていた。

 

 「落ち着いて聞いてね。私はこんなもの見たことがない。打ったこともない。鍛冶の神としての私の腕に誓って、嘘は言ってないわ。」

 

 その言葉にヘスティアは、普段の穏やかで、どこかお気楽な思考から冷静なものへと瞬時に切り替えた。

 鍛冶の神が、それも最高峰の腕を持つヘファイストスが、その腕にかけて見たことがないと言い切った。

 それはつまり、楔石の原盤なるものは「天界にすら存在しないもの」ということかもしれないからだ。

 

 「一応聞いておくけど、その石板が鍛冶素材にもならないようなガラクタってことではないんだろう?」

 

 「むしろ、私が見た中で最高の素材『だろう』、と思うわ。使ってみないとわからないけれどね。

 アダマンタイト、ミスリル、ヒヒイロカネ、オリハルコン。どれも使ったことがある私からしても、これに比べたら全部石くずね。」

 

 ヘファイストスが例に挙げた金属はすべて最上級の金属で、神の武器にすら使われることもある。 

 それを石屑にしてしまうようなものを、アルは「数枚渡された」と言っていたことに、ヘスティアは目がくらくらしていた。

 

 「この石は、ただの金属の原石じゃない。この刻まれた文字、神聖文字ではないけれど、なんとなくわかるわ。

 強い呪文のようなことが書いてある。いえ、むしろ神話に近いのかしら。

 どんな武具でも神話の存在にしてしまうような、そんな素材だと思う。」

 

 「アルくんも言ってた。アルくんのお母さんが、丹念に鍛えた武器ならば数打ちのものでも神のものになるって教えてくれたって……。」

 

 二人の間に緊張が走っていた。

 とんでもないものを持ってきてしまった、持ってこられてしまった。

 自分の想像していた以上にとんでもない眷属がいることに気づいた、神友の住まいにバケモノか、その親類がいることに気づいた。

 

 「そのアルって子、あんたは信じれる?」

 

 「うん。ちょっとビックリしたけど、アルくんはボクの大事な子供なんだ。」

 

 真剣なヘスティアの表情に、これは梃でも動かないな、とヘファイストスはあきらめた。

 本来なら、ギルドに突き出せだとか、縁を切ったほうがいいとか言おうとしていたのだが、無理だと感じさせられた。

 だから、次の質問に移ることにした。

 

 「じゃあ、次。なんであんたは『今』、ヘファイストスの武器を欲しがるの?」

 

 「ベルくんとアルくんが『今』変わろうとしてるから。

 彼らは英雄になろうとしている。高く険しく危険な道だ、絶対に力が必要になる。

 アルくんは自分の信じる聖剣を持っているけれど、ベルくんにはないんだ。

 英雄を英雄たらしめるベルくんだけの武器が!運命を切り開く刃が!

 ボクはベルくんの力になりたいんだ!」

 

 拳を握りしめて、ヘファイストスに思いを伝えていく。

 ヘスティアが絶対に眷属には伝えられない思いを。

 

 「ボクは二人にずっと助けられてきた。ひたすら養ってもらってばっかりで、与えられるものがない駄女神さ。

 ボクだって、ボクだって、何もできないのはもう嫌なんだよ……。」

 

 泣きそうなほどに悔しげな顔は、心優しき鍛冶の女神を納得させた。

 

 「分かったわ。武器、作ってあげる。あんたの子にね!」

 

 「ありがとう、ヘファイストス!」

 

 「ただし、びた一文だってまけないわ。それと、アルって子に会わせてくれる?」

 

 「勿論だよ!」

 

 二人は抱き合って、契約した。

 ここからは、鍛冶の女神の本領が発揮される時だ。

 ヘファイストスは、壁にかけられたいくつもの槌の中で「最高の素材」を扱うに値するものを選んだ。

 

 「ヘファイストスが打ってくれるんだね!」

 

 「あんたとのプライベートに子供を巻き込めるわけないでしょう?

 それに、あんたのもってるその石板、私くらいじゃないと満足に扱いきれないわ。」

 

 「これを使ってくれるのかい?!」

 

 「むしろ使わせてくれなかったら、今度は私が土下座してたわよ。

 今の私は神の力も使えないただの鍛冶師。鍛冶師が最高の素材を目にして使わないってことはあり得ないわ。」

 

 「天界でも神匠と謳われた君がそこまでしてくれるなんてね!こんなに嬉しいことはないよ!やったー!」

 

 ぴょんぴょんと跳ねるヘスティアを尻目に、ヘファイストスは久しく忘れていた情熱の炎を燃え上らせていた。

 ただの一鍛冶師として成熟しすぎている彼女がまた「挑戦」できることに、喜びを感じないはずがない。

 神はただでさえ不老不死で、暇を持て余しているのだ。

 これほどまでに胸躍るものに飛びつかないわけはなかった。

 

 「そういえば、ベルって子の得物は?」

 

 「ナイフだよ!けど、少し長めに作ってあげてほしいんだ。」

 

 「どうして?」

 

 「英雄の武器が小さいナイフじゃ寂しいじゃないか。」

 

 「なるほどねぇ。」

 

 ヘファイストスが、本棚の仕掛けをいじると、本棚が横へ動いていき、秘密の工房が現れた。

 その炉には火がともり、煌々と燃え上っている。

 

 「正直、私だけではきつい仕事になると思うわ。だから、炉の女神としてしっかり助手として働くように!」

 

 「わかったよ!」

 

 「さて、最高の素材を使いながら駆け出しから英雄を目指す子に与える武器を作る、か。」

 

 ヘファイストスはうっすらと笑みを浮かべた。

 職人にとって仕事は難しければ難しいほど良い。

 さぁ仕事の始まりだ。

 

 槌の音が響き始めた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 あれから日も経ち、【怪物祭(モンスターフィリア)】なるギルド主催の町を挙げての祭りの日になっても、ヘスティアは帰ってきていなかった。

 

 「うーむ、昨夜もお帰りにならなかったか……。」

 

 「本当に今何してるんだろうね……。」

 

 流石に探しに行った方がいいのかな、と心配しながら祭りの日だというのにダンジョンへと向かう眷属二人は、一人の猫人に引き留められた。

 

 「お~い!待つニャ、白髪頭に鎧巨人!あ、おはようございますニャ。」

 

 「おはようございます……。」

 

 「ご丁寧に、どうも。今日もいい日ですな。して、何用で?」

 

 彼らを引き留めたのは、二人が何かと世話になっている『豊穣の女主人』の店員の一人、アーニャ・フローメルであった。

 アーニャはポケットから紫色の小さながま口財布をベルの手の上にポンと置いた。

 

 「ニャから、おミャーはおっちょこちょいのシルにこの財布を渡してくるのニャ!」

 

 「ごめんなさい、話が全然読めないんですけど……。」

 

 「ふむ、よくわからんがお使いのクエスト、ということになるのかな?」

 

 「アルトリウスさんは、鋭いですね。アーニャの今の説明では、普通ならクラネルさんのように困ってしまう。」

 

 二人を丁寧にフルネームや名字で呼ぶエルフが、洗濯物をもって店の脇から出てきた。

 この女エルフも、『豊穣の女主人』の店員であり、名をリュー・リオンという。

 

 「おぉ、リオン殿。今日も良い太陽ですな。」

 

 「えぇ、おはようございます。アーニャ、もう少しわかりやすく説明をしてあげてください」

 

 「ん?リューはアホニャ!お仕事さぼって【怪物祭】見に行ったシルに忘れた財布を届けて欲しいニャンて、いちいち言わなくてもわかる事ニャ?」

 

 「と、言うわけです。お二人とも。」

 

 このリューが上手にアーニャを御していることから、店員同士の仲の良さが見て取れる。

 アルは、リューは案外人を操るのが上手な人なのだな、と感服したのであった。

 

 「なるほど、そういうことだったんですね、リューさん!」

 

 「クラネルさん、シルはもちろん休暇を取っての祭り見物です。今頃は財布がなくて困っているでしょう。お願いします、お二人とも。」

 

 「しますニャ!」

 

 どうやら二人にはダンジョンよりも優先すべきことが出来たらしい。

 

 「分かりました!」

 

 「必ず、お届けいたしましょう。」

 

 「それで……、【怪物祭】ってなんですか?」

 

 これは、アルにとっても聞きたい事柄であった。

 その名前は聞いたことがあるものの、内容まではよくわかっていなかったからだ。

 二人は未だ、オラリオに来て半月も経っていないから当然ともいえる。

 

 「ガネーシャ・ファミリアが主催する年に一度のどでかいお祭りなのニャ!」

 

 「闘技場を一日丸々占有し、ダンジョンから連れてきたモンスターを観客の前で調教するのです。」

 

 「ま、要するに、えらくハードニャ、見世物ってわけニャ!」

 

 二人の好奇心はえらく刺激されてしまったようだ。

 お届け物の後はちょっと観光でもしようか、と二人は以心伝心で決定した。

 

 「じゃあ、シルさん探してきますね!」

 

 「行ってまいります。」

 

 二人の、オラリオ中の市民が集まる祭の中でたった一人の少女を探し出すという超難関クエストが幕を開けた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 所変わって、オラリオの小さな喫茶店。

 祭のおかげで閑古鳥が鳴いているその店で、一人の人間と二柱の神による会合が始まろうとしていた。

 

 「いやぁ~、遅れてスマンなぁ!」

 

 ロキ・ファミリアの主神、ロキが自分のお気に入りであるアイズ・ヴァレンシュタインを連れ歩いて、今から会おうとしている女神は、ローブに身を包んでいる。

 アイズが、そのローブに包まれた尊顔を拝した時、思わず驚かずにはいられなかった。

 

 「フレイヤ……?」

 

 フレイヤは、アイズを覗き返してうっすらとほほ笑んだ。

 ここに、二大ファミリアの主神同士の会合が、始まった。

 

 「さぁ、教えてもらおか?今度は何企んどる。まーたどこぞのファミリアの子供を気に入ってちょっかいかけよう言うんか?

 ホンマに諍いの種ばっかり蒔きおって、この色ボケ女神が。」

 

 どっかりと席に座り込んで、その糸目からフレイヤをじっと見つめるロキは、少々真剣であった。

 このフレイヤのちょっかいというのは、余り小規模で済まないことが常であるからだ。

 

 「あら、分別はあるつもりよ?」

 

 「抜かせ!責任は取れるんやろうな?」

 

 ロキが机にグラスを叩き付けて、フレイヤを威圧する。

 今の彼女は天界のトリックスターではなく、子供を愛する神なのだ。

 自分の子供に火の粉が降りかかるようならば払う、それが彼女の行動原理の一つとなっている。

 

 「当然よ?もしかしたら、少し付き合ってもらうことになるかもしれないけど。」

 

 「けっ、相変わらずやなぁ。で、どんな奴や、今狙っとるっちゅう子供は。」

 

 「二人よ。」

 

 「はぁ?」

 

 「一人じゃなくて、二人。一緒に欲しくなっちゃったの。」

 

 ロキは頭痛がしてきて頭を抱えた。

 一緒に欲しくなった、そのワードだけである程度予想がつく。

 一つのファミリアから二人同時に引き抜こうというのだ、この美の女神は。

 一人ならまだ何とかなるかもしれないが、二人となるとかなり大きな禍根を残すことになるだろう。

 

 「二人とも強くはないわ。見つけたのも、目印みたいに大きい子だったから運よく見つけられたってだけ……。

 それでね、私が傍にいて欲しいと思ったのは、とても頼りなくてすぐ泣いちゃうような、そんな子。

 でも、とっても綺麗だった。透き通っていた。私が今まで見たことのない色をしていた……。」

 

 恍惚とした表情と、情欲の色を帯びた声で、子供のことをしゃべるフレイヤのその姿は百年も恋をし続けた女のようであった。

 

 「もう一人はね、その子にとって必要な子だわ。それにオッタルと並べたら、いいバランスになってくれそうなの。

 そうね、あの子の色はとっても暗いわ。下手な画家がぐちゃぐちゃに色を混ぜたみたい。あの子がそばにいなかったら、きっと見るのをやめていたわ。

 けれどね、その子の魂は時折ちらちらと火が見えて、すると今度は結晶が見えて、雷が見えて、飽きないの。

 じーっと見つめていたとき、あの子の中の何かが私を覗き返したときは、ちょっとぞくぞくしちゃったわぁ……。」

 

 ロキは、この二人に少々心当たりがあった。

 最近オラリオに来た大男、豊穣の女主人で目の前で啖呵を切った男のことをよく覚えていた。

 まだそうと決まったわけではない。

 だが、ロキは同情せずにはいられなかった。

 この様子では、「飽きる」なんてことはなさそうだったからだ。

 それは即ち、トラブルに巻き込まれ続けるという苦労を被るということに他ならない。

 

 「ごめんなさい、急用ができたわ。」

 

 「はぁ?!一方的にしゃべって、おい!待てや!」

 

 いきなり立ち上がって店を出ていくフレイヤの背中を呆然と見ていたロキは、店に残された挙句、あることにも気づいてしまった。

 

 「あっ、勘定もこっち持ちかいな!」

 

 ドリンク二杯分の代金が、フレイヤの置き土産のようだ。

 ロキは内心でうだうだと言いながら、さっさと思考を切り替えて、お気に入りのアイズと祭り見物を楽しむことにした。

 

 そして、あの色ボケ女神は今日、大きなトラブルを引き起こすことになる。

 たった一つの理由、愛ゆえに。





 ヘファイストスの槌

 鍛冶の神 ヘファイストスが持つ 鉄を打つための槌

 その槌に打たれた金属は どんなものでも 名剣名刀になったという

 鍛冶は 神聖なる儀式に通じ 東の国では神にささげるものだ

 神の鍛冶は いかなる儀式よりも 尊い業なのだ

 


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第七話 深淵

 シルのがま口

 豊穣の女主人の店員 シルが使用するがま口

 そのがま口はよく主人に忘れられ テーブルに取り残されている

 シルはおっちょこちょいなのニャ 猫人はそう語る

 届けてあげると きっと喜んでくれるだろう


 大通りに出たベルとアルは、普段のオラリオとは比べ物にならないくらい賑わいに圧倒されていた。

 

 「うわぁ!凄い人だかりだ!」

 

 「うぅむ、これは厄介だぞ。この人ごみの中でシル殿を見つけるのは至難の業だ。」

 

 「ばったり会えたりしないかなぁ……。」

 

 「やぁ、ベルくん!」

 

 探し人ではないが、帰りを待ち望んでいた神、ヘスティアがそこにいた。

 その背には、たすき掛けにした少し大きめのサイズの包みを背負っている。

 60から80セルチほどになるであろうか。

 

 「カミサマ!どうしてここに?!」

 

 「えっとぉ、君に会いたかったから、かな!」

 

 楽しげに笑う健気な女神の姿に、二人の眷属は満足する。

 彼女の幸せは彼らの幸せでもあるのだ。

 

 ふと、アルはこの状況を考えた。

 街で一番大きな祭が開催された日に、運命的な出会いをした二人。

 男女の仲を取り持つなどは彼の専門外ではあるが、ここはひとつ一肌脱ぐこととした。

 彼はベルと違って気が利く男なのである。

 

 「ベルよ、ここは二手に分かれて探すとしよう。

 私は今から反時計回りで闘技場を回ろう。貴公はヘスティア様を連れて時計回りだ。

 どちらかが見つけられたときはそのままシル殿を連れていき、ここから真反対の、闘技場裏手の大広場で落ち合おう。」

 

 「えぇっ?!せっかくだから一緒に行こうよ?!」

 

 「それでは効率が悪いではないか。それに、ヘスティア様に祭りを見せるのも眷属の役目だろう?」

 

 「うーん、分かったよ、アル。じゃあ行きましょうか、カミサマ!」

 

 「ベルくん、ちょっと待ってくれるかい?アルくんと話があるんだ。」

 

 ちょいちょいと、手を招いてしゃがむように促す主神の言う通りに、アルは跪いた。

 ベルに聞こえないように、ヘスティアはアルの耳元で囁いた。 

 

 「アルくん。君から貰った原盤なんだけどさ……。」

 

 「使われたのでしょう?」

 

 「分かるのかい?!」

 

 「この距離になって気が付きました。鍛冶師のところに行ったのでしょうな。灰と煤と煙の臭いがします。」

 

 「えぇ?!困ったなぁ……。」

 

 「大丈夫、ベルは気が付きませぬよ。その包みに贈り物をしまっているのでしょう?

 早くベルに渡して差し上げてください。きっと、喜ぶことでしょう。」

 

 気が利きすぎる自身の眷属を褒めて撫でまわしたくなるが、ヘスティアは堪えて、アルの気持ちを確認しようとした。

 

 「いくら貰いものとはいえ、貴重な品を勝手に使ったんだ。怒るぐらいしてもいいんだよ?」

 

 「主神に捧げものをしてそれが使われたことに、怒る眷属がどこにおりましょうや。

 それに、我が友のためにそれを使おうとしていただけたのでしょう?

 ベルが強くなれば、私ももっとベルと共に先に行ける。そう考えると胸が躍ります。

 それに、私はベルが喜んでくれるととても嬉しい。そしてヘスティア様の役に立てることほど光栄なことはないのです。」

 

 「君は優しいね。ボクはやっぱり、まだまだ子供だよりの駄女神だなぁ。」

 

 「そんなに気になさるのであればこう致しましょう。いつか、私もベルとヘスティア様から贈り物を一つ賜りたい。」

 

 「神ヘスティアの名に誓って、アルくんにもとっておきのプレゼントを用意するよ。

 ありがとうね、アルくん。」

 

 「主神から感謝されるとは、光栄の極みにございます。

 さぁ、お早く。ベルとのひと時を楽しんでください。」

 

 「分かったよ、アルくん。アルくんも今度お出かけしようね。よーし、ベルくん!デートと洒落込もうじゃないか!」

 

 満足げな顔をして、すっくと立ちあがったヘスティアは、ベルの片腕に飛びついた。

 その様子にアルも満足し、丁寧な一礼をもって見送った。

 さぁ、アルの一人歩きの始まりである。 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「うぅむ、私は存外ベルに頼っていたのやもしれんなぁ。

 ヘスティア様とベルの逢引のために時間をつぶしながら捜し歩こうと思っていたが、その時間の潰し方が分からぬ。」

 

 ある程度シルのことを探し回った後、アルは時間をつぶすことを画策していた。

 巨躯を巧みに操って、人の波に乗りその時間の潰し方を考えるものの、いい案が思いつかない。

 思えば何かとベルについて回ってばかりで、自分で何かを決めたり、自分で何かを求めたりすることがついぞなかったのだ。

 今日は独り歩きの練習も兼ねて捜し歩くとしよう、そうすればシルが行きそうな場所にたどり着けるかもしれない、と今後の行動を決めたのであった。 

 

 「おい、そこの。その鎧はなんだ、ボロボロではないか!」

 

 「む、これは失礼した。私にいかなる用向きでございますかな?」

 

 「用も何も、鍛冶師にそんな鎧を見せるな!こっちに来い!」

 

 しかし突然、胸にさらしを巻いただけで後は袴をはいているというかなり破廉恥な女が、アルをずるずると人気の少ない広場の方へと引っ張っていく。

 アルはこのように力強く引っ張られたことを思い出していた。

 リヴェリアに引っ張られた時よりも幾分か力が強いな、とのんきに考えていると、ふと引く力が弱まった。

 

 「すまんすまん、いきなり手前に引っ張られて驚いたであろう!」

 

 「いえ、気にしておりませぬよ。して、わざわざこのような場所に連れてこられたのには理由があるのでございましょう?」

 

 「おぉ、そうだ。そのボロボロの武具についてだ!ちゃんと手入れはしているのか?冒険者たるもの、武具はきちんと手入れをするものであるぞ?」

 

 女は、背中に背負っていた木箱を広間におろし、なにやら槌やら火箸やらを取り出している。

 アルは、それが修理用具だということに気が付いた。

 

 「えぇ、生兵法ではありますが、母から与えられた修理箱で定期的に修復はしております。」

 

 「とてもそうはみえぬがなぁ。マント一つ、兜の房一つとってもボロボロではないか。手前に見せてくれ。悪いようにはしないさ。」

 

 「お見受けしたところ鍛冶師のようですな。しかし、よろしいので?貴方にも商売があるでしょう?」

 

 「今日は祭りだ。少しくらい気前よく修理しても主神様も怒らぬであろう。それに、お前の持つ鎧は造りが独特だから気になるしなぁ。そうだ、名前を聞いておこう、なんというのだ?」

 

 「アルトリウス、でございます。鍛冶師様。」

 

 「はは、ならばアル公だな。手前は椿という。苗字はまた今度教えるとしよう。」

 

 快活に笑い飛ばしながら、手際よく準備をするその姿を見て、アルは上級鍛冶師(ハイ・スミス)であろうと思った。

 職人の技というものは素人がみても美しく感じるものだ。

 

 「そうでございますか。では、椿殿。一つお願いいたしましょう。」

 

 「あい分かった。」

 

 アルは不覚にもシルのことなどすっかり忘れてしまって、この椿なる女鍛冶師の技を見たいと思ってしまっていた。

 そうして、アルは兜や鎧、手甲などを取り外していき、椿の目の前に大きく広げられた布の上に並べていった。

 

 「ほう、コレの作り手はさぞやいい腕をしていたのであろうな。ほれ、これを見てみよ。」

 

 「腰鎧の鎖帷子でございますな。軽くて動きやすくそれでいて頑丈で、大変気に入っております。」

 

 「それは、鍛冶師が一つ一つの鎖を丁寧に鍛え上げ、手作業で組み上げたからであろうな。

 とてつもない集中力を要する作業だ。手前も駆け出しのころに似たようなことをやったが、ここまで上手くはいかなんだ。」

 

 椿は、鎖帷子を丹念に観察し、鎖が椿の手の動きに合わせてジャラジャラと音を立てている。

 それをそっと布において、今度は手甲を取り上げた。

 

 「ほほう、この手甲もよくできておる。腕の動きを殺さぬように細かく作り分けて組み合わせているのか!

 そもそもオラリオであまり全身鎧を着るものがおらぬのは、その重さや動きにくさが嫌われておるからだ。

 それに、恩恵がある故、鎧がそれほど重要ではないというのも大きいだろう。高位の冒険者ほど、部分鎧を使用していることが多い。

 特にボロボロな鎧を着ているようなアル公は、何もわかっていないど素人だと思われるであろうな。

 もっとも、この鎧であれば着ていた方がよいであろうがな。」

 

 「ははは、ど素人ですか。」

 

 「アル公の鎧は観察すればするほど、良い造り手の影が見えるなぁ。アル公は幸せ者だ!」

 

 「分かる人には分かる、というやつなのですな。えぇ、全く私は幸せ者だ。」

 

 二人して、鎧を褒めあって笑いあう。

 アルはこのようにアルトリウスの鎧を褒められることが嬉しかったし、椿はこのような純粋に使い手のことを考えて作られた鎧を見れて満足していた。

 椿は最初、ボロボロの鎧をみて我慢できなくなったのだが、近くで見るとよいものだったということで、少し悔しさも感じていた。

 

 「む、しかしこの左の手甲は酷いな!ガタが来ておるな。手前が戻してやろう。

 本当はこの肩鎧の傷も塞ぎたいし、部品の一つ一つを磨き上げたいのだがな。さすがに道具も時間も足りん、すまんなアル公。」

 

 「いえいえ、直していただけるだけ有り難い。しかし、ミノタウロスに殴られたときに歪んだのでしょうか。」

 

 「この鎧はその程度の攻撃では歪まぬよ。衝撃は伝わるであろうが……。

 よし、なんとか直せたぞ。存外硬くて焦ったわ。思っていた以上によく鍛えられておった。」

 

 「ふぅむ、では私には歪みの原因の心当たりがありませぬなぁ。つけてみてもよろしいですか?」

 

 「勿論だとも。着け心地はいかほどか?」

 

 アルは椿から手甲を受け取って、腕にはめた。

 確かに、以前より動きやすく、動きが滑らかに感じる。

 それどころか、まるで腕と一体になっているように感じるほどに自然であった。

 ガタが来ているなんて全く気付いていなかったしこの一瞬で自身の体に鎧を合わせてくれたことに気づいて、アルは椿の鍛冶師としての目と腕に本当に驚かされた。

 

 「おぉ、椿殿。素晴らしい腕前だ。動きがまるで違う。とてもいい仕事をしていただけた。ここはやはり代価を支払わせていただきたい。」

 

 「よいよい、手前もよい鎧に出会えて創作意欲が湧いてきたところだ。手前は仕事に戻るから、ここらでお別れだ。今度会う時はその鎧、ぜひ手前に直させてくれ。」

 

 「お約束いたしましょう。その時は相応の代価を払います。」

 

 「手前はお高い女だぞ?頑張れよ、アル公。」

 

 そうして、道具一式を箱に片づけて、それを背負って笑いながら立ち去っていた。

 アルは、思いがけない良い出会いに感謝して、椿とは真逆の方向から広場を去った。

 シルの事を思い出したのだ。それに、ベルとヘスティアにも合流しなくてはいけない。

 アルは使命のために駆け出した。

 しかし、十分もしないうちに、アルの足は止められることとなる。

 

 「これは……なぜモンスターが街中に!」

 

 モンスターの怪物祭からの大脱走によって。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「も、モンスターだぁ!」

 

 「ガネーシャ・ファミリアは何をしてるんだ!逃げろ、死んじまうぞぉ!」

 

 「くっ、パニックになっているではないか!不味い、モンスターの注意をひきつけなくては!」

 

 アルが、モンスターの存在に気づいた時には、すでに市民はパニックに陥っていた。

 人が通りに大勢流れ込んで、さながら濁流のようであった。

 子供たちの泣く声や、女の悲鳴が通りに響き渡っていた。

 この状況を見て何もしないアルではない。

 

 アルは、すぐさま自身の懐にしまわせた道具を取り出した。

 それは「誘い頭蓋」。

 モンスターの注意を引き寄せるアイテムで、オラリオにも似たような効能を発揮するものがある。

 

 アルは誘い頭蓋をその手で砕いた。

 その瞬間、アルの方にモンスターたちの視線が集まった。

 

 「私から離れて!皆さん逃げてください!私がモンスターの注意を惹きます!」

 

 そう言い放つと、アルは人のいない方へ人のいない方へ駆けだした。

 オークや、インプ、ハードアーマードらがアルを追いかけていく。

 

 「くっ、例外なくすべて格上とはな!どこまでやれるかわからんが、少なくとも童らが安全になれるまでは時間を稼いで見せよう!」

 

 アルを追うモンスターはすべて、アルが行ったことのある階層よりも下に生息する者たちであった。

 もっとも、ミノタウロスのような中層のモンスターではないし、単体の戦力もミノタウロス程化け物じみているわけではない。

 レベル1の中でもかなり強力なシルバーバックや、インファントドラゴンよりも弱いモンスターたちだ。

 少々苦労するだろうし、手傷は免れないだろうが、時間くらいは稼げる相手ではあった。

 

 「よし、やはりここならば戦うのに最適な広さだな!さぁ、相手してやろう!」

 

 アルは、つい先ほどまでいた広場に戻っていた。

 椿に連れられた広場を覚えていたことが、アルを救ったのだった。

 広場の中央にたってすぐ、アルはその大剣と大盾を構えた。

 

 まず、ハードアーマードがその体を車輪のようにして、アルに突っ込んでいく。

 その外殻は非常に硬く、上層においては最高の防御力を誇る。

 

 「車輪相手は受け止めず回避!貴公は後回しにさせていただこう!」

 

 アルは横っ飛びで、その直線的な突撃を掻い潜った。

 回転する敵を真っ向から受け止めると、防御を崩されて連続でダメージを入れられることがある、とエイナから聞いたことがあったからこその選択であった。

 

 「そして、小賢しい貴公らには真っ先にご退場願おうか!」

 

 アルは勢いそのままにインプの一軍に容赦のない袈裟切りを叩き込む。

 幾匹かはその翼を巧みに操ってよけられるが、それでも三分の一程度は切り落とせた。

 インプは強くはないが賢いのだ。背中から冒険者を襲うため、多対一の今の状況では最も脅威となりえる。

 背中からドスリ(バックスタブ)には気をつけよ、という母の教えを忠実に守っていた。

 

 『プギィ!』

 

 近くのオークがその拳をアルへと叩き付けようとするが、それをアルは瞬時に大きく跳んで回避する。

 

 「流石に、この数を同時に相手するのは厳しいかっ!っく、貴公は後だと言っている!」

 

 着地点めがけて、さっきあしらったばかりのハードアーマードが突っ込んできた。

 しつこい攻撃をからくも横っ飛びで回避するが、その先には別のオークがいた。

 

 「オォアァ!」

 

 その腹に大剣を突き込んで距離を離すも、オークの分厚い脂肪を突きとおすには傷が浅すぎた。

 回避しながらの無理な体勢での攻撃では、同じレベル1とはいえ格上のオークには効かないのだ。

 

 「このままではジリ貧か……。ならば致し方ない。ダメージも貰うだろうが……。行かせてもらおう!」

 

 アルは、防戦では自身の体力が削られるばかりだと悟り、狼の剣技の本領を発揮することとした。

 【深淵歩き】が生み出した剣技は、自身よりも大きな怪物や、ダークレイスという闇の眷属を大量に狩り殺すために編み出されたものだ。

 その跳躍からくる重い縦切りは竜の首を刎ね、体の回転を利用した切り払いは大軍を蹴散らすのだ。

 

 アルは、その剣技を惜しみなく使うこととした。

 まずは先ほどからアルの背中を執拗に狙うインプどもを大きく回転しながら切り落とす。

 

 そして、その回転の勢いを残したまま天高く跳躍した。

 

 『ブギィ?!』

 

 動きを見失ったオークの内の一体を頭から叩き割り、塵と魔石に変える。

 

 『ブギィイィ!』

 

 同族を殺されたオークの怒りの一撃を真っ向から大盾で受け止める。

 ゴン、と重厚な音が響き、オークも当たった、殺した、と、獣の脳で感じ取るも、アルは微動だにしていなかった。

 

 「中々重い一撃ではあるが、ミノタウロスほどではないな!」

 

 オークよりさらに格上のミノタウロスの一撃を受けたことのあるアルにとっては、オークの一撃は受け止めることを恐れるほどでもない。

 そのまま、盾で思い切り殴りつけ、頭を砕く。

 

 「残るは手負いのオークとハードアーマードのみ!」

 

 調子よくモンスターを切り倒していくが、そこまでうまく行くはずはない。

 ハードアーマードがもう眼前に迫っていた。

 

 「ゼリャァァァァ!!」

 

 盾で受けられないのであれば、剣でたたき返せばいいというなんとも強引な方法で突進に対抗するアル。

 大きく振りかぶっての一撃は、ハードアーマードの外殻を砕くに至らないものの、ボールのように弾き飛ばすことに成功する。

 かといって、全くの無傷というわけでなく、アルの右腕がビリビリとしびれて動きが鈍る。

 

 『プッギィ!』

 

 「ガハッ、横合いから殴りつけるとは!チェリャァ!!」

 

 その一瞬のスキをついて、オークがアルの脇腹を殴る。

 痛みをこらえて、アルはオークの腹の傷に剣を突き立てた。

 断末魔を上げることもなく、オークが灰燼と化す。

 

 「よし……っ!宣言通り後は貴公のみだな、ハードアーマードよ!」

 

 ハードアーマードは正真正銘最後の突撃を敢行する。

 アルの全体重を乗せた突きと、今までで見せた中で最速の突進がかち合った。

 

 「オォォオォ!!」

 

 アルの突きは、すでに手傷をおっていたハードアーマードの外殻のわずかな罅を大きく広げて、血しぶきを上げさせた。

 弾き飛ばされたハードアーマードが、広場に倒れ伏す。

 もう一縷の力もわかぬようであった。

 

 「もう私も腕が痺れて動かぬ……。すまぬが、これで我慢してくれ。」

 

 アルは、フラフラとハードアーマードに歩み寄り、その頭を足で踏み砕いた。

 あまり騎士らしい勝利とは言えないが、アルは街と市民を守り抜いた。

 

 「おぉお、やるじゃないか兄ちゃん!」

 

 「かっこよかったぞー!」

 

 「すごーい!」

 

 広場の周りにいつの間にか人だかりができていた。

 オラリオの住人というのは野次馬根性が優れているところがある。

 それも、オラリオにおいては町中でのファミリア同市の乱闘騒ぎがそこまで珍しくないからであろうか。

 ともかく、アルはその歓声にこたえようと、痺れる腕を無理やり上げて、勝鬨の雄たけびを上げる。

 

 「ウオオォオォオオオ!!」

 

 広場を囲う人々が更に歓声を上げる中、一人の冒険者が空から降り立ち、三人の冒険者が群衆の輪を割って飛び出してきた。

 

 「もう、終わってる……?」

 

 「あー!あの子、酒場の!ティオネ!ほら!」

 

 「あら、あの子本当に酒場の子じゃない、ティオナ。」

 

 天から舞い降りたのは【剣姫】、アイズ・ヴァレンシュタインであった。

 また、残りの三人のうち二人はアルも見覚えがあった。

 ロキ・ファミリアのアマゾネスの女たちだ。

 

 「アイズさんが来るまでもなかったですね!街の皆さんもけがはしてないみたいですし、よかったです!」

 

 品のよさそうなエルフの少女が、この状況を喜ぶのもつかの間、地面から更なる脅威がやってきていた。

 緑色の体色に、ヘビのように長いからだをしたモンスターであった。

 

 「不味い、街の方々が!」

 

 アルが反応した時にはもう遅い。そして、ロキ・ファミリアの面々ですら反応が遅れてしまった。

 逃げ遅れた小さな女の子が、屋台の物陰にいたのだ。

 アルが戦っていたときから、恐怖におびえ震えていたのだろう。

 その女の子の小さな命の灯に向かって、猛然と体を鞭のようにしならせて、モンスターが迫っていく。

 

 アルは、その瞬間渇望した。より強い力、より速く駆ける脚、少女を守ることのできる圧倒的なまでの暴力を。

 その衝動に任せて【スキル】が発動してしまった。

 

 「えっ……、あの人、さっきまで後ろにいましたよね……?!」

 

 エルフの少女が驚愕していた。

 それもそのはずだろう。アルは一瞬でそのモンスターへと詰め寄り、一刀のもとに切り伏せていたのだから。

 そのモンスターは中層に到達できる冒険者たちが複数人でかかれば抑え込めるモンスターではあるが、アルからすれば圧倒的な格上だ。

 それも、一刀で切り伏せたとなると、その瞬間的な火力はレベル2すら凌駕しているかもしれない。

 

 しかし、そのような力が代償なしで発揮されるはずはない。

 鎧に包まれたアルの両足の骨は木っ端みじんに砕けていた。

 鎧自体の強度によって、モンスターを切り伏せていたあとも何とか立ってはいられたものの、鎧の隙間からは血が垂れ流されている。

 切りつけたであろう右腕も変な方向にひん曲がっている。

 自身の耐久力をはるかに超えた一撃を加えたという証左であった。

 

 「それよりも、あの子雰囲気ヤバいわよ!」

 

 アマゾネスの姉の方が、アルの纏う異様な雰囲気に気が付く。

 その異様な雰囲気はどんどん強まっていっていた。

 

 「しまった……。『望みすぎた』……!暴走するっ、抑え込めない!

 どうか人々を私から避難させてください!何人たりとも私に近づいてはいけない!化け物にしてしまう!」

 

 剣を地面に突き立て、何かにあらがおうと必死に喘ぐアルは、自身の暴走に気が付いた。

 渇望とは人間性のなせる業。

 深淵を生み出したマヌスも、愛を渇望した。愛するものを渇望した。そして、人間性を暴走させた。

 

 古い人として埋葬されたマヌスが何百年何千年渇望したかは定かではないが、今のアルよりもはるかに渇望したがゆえに、ウーラシールの悲劇は起きた。

 今のアルの渇望程度では、マヌスほどの人間性の暴走は引き起こせない。

 だが、アルの渇望は、レベルを数段飛び越えるという、人の範疇を超えた渇望ではあった。

 ゆえにアルは飲まれ始めていたのだ、深い深い深淵の闇に。

 

 「グウウゥ、深淵の拡大だけは防がねば……!託されたというのに不甲斐ない……!

 頼む、私を殺してでも止めてくれ!絶対に!ウゥ、ダメだ、もう理性が……!」

 

 『ウヲォォォオォォォォ!!!』

 

 獣に墜ちた騎士が吠えた。

 オラリオの一角で、小さな深淵が生まれようとしていた。

 




 椿の木箱

 女鍛冶師 椿の持つ木箱

 様々な工具や 彼女が大量に作り上げた武具防具が収められている

 彼女の創作意欲がわいたとき 彼女に付き合うのは避けたまえ

 きっと終わりない試し切りに 付き合わされることだろう


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第八話 聖火

 汝は女神ヘスティアの分身なり。

 深淵すら切り裂く炉の炎を宿し、主人の運命を切り拓け。

 心せよ、汝が目指すべきは我らが騎士なり。

 忠義と義勇、友愛の心で戦う騎士こそ 汝のあるべき姿なり。

 女神のために主人の騎士となり伴侶となれ。

 永久に主人の傍にありて、主人を守れ。
 


 アルの咆哮がオラリオに響き渡るとともに、地中からさらにモンスターが現れる。

 そのヘビのような頭が大きく開き、人の歯のようなものが中心にある花になった。

 

 「また出てきたよ?!あれ、ヘビじゃなくて花なの?!趣味悪い!」

 

 「そこの男の子の様子も気になるし……、アイズ!お願い!」

 

 「うんっ……!」

 

 アルの言葉の、その重要性を理解することが出来なかったロキ・ファミリアの面々は、取りあえずモンスターを倒すことに注力する。

 武器を持たないアマゾネスの姉妹、ティオネとティオナの殴打では、モンスター、食人花の太い体を貫けない。

 唯一武器を持っていたアイズが、風を纏わせた剣を振るうと、一体はすらりと切り落とされた。

 もっとも、彼女の全力に耐えられずにあえなく剣は破損してしまうことになるのだが。

 

 「怒られる……っ!」

 

 「アイズさん、援護します!【解き放つ一条の光、聖木の弓幹(ゆがら)。汝、弓の名手なり……。」

 

 「ダメ、レフィーヤ!こいつ魔力に反応してる!」

 

 ティオナの忠告むなしく、詠唱中の無防備な魔導士のエルフ、レフィーヤは、食人花の鞭のような一撃でその体躯をへし折られそうになる。

 恐怖で硬直するレフィーヤの前に闇が舞い降りた。

 アルがその大盾をもって攻撃を受け止め、蔓をたたき切り返したのだ。

 

 「ひっ……、ま、守ってくれたんですか……?」

 

 『ウゥ……、グヲオォォオ!!』

 

 無茶な行動を繰り返して血をぼたぼたと垂れ流し、その足元を闇によって濡らすアルがレフィーヤを見下ろす。

 先ほどまでモンスターに向けられていたその刃は、今まさにレフィーヤに振り下ろされようとしていた。

 

 「レフィーヤ、逃げて!!」

 

 アイズが叫び、割って入ろうとするが、それよりも早くレフィーヤを救出した者がいた。

 小さな金色の勇者の参陣である。

 

 「今日は親指が酷く疼いてね……。来て正解だったよ。ロキが感じたのはこれだったんだ……。」

 

 「団長~!!」

 

 フィン・ディムナの勘というのは外れたことがない。

 彼の親指がうずいたとき、必ずと言っていいほど危険が訪れるのだ。

 

 行き場を失った大剣は大地を深く切り込み、アルは邪魔をしたフィンをじっと見つめた。

 底冷えするような深い闇に見られたフィンは、至極冷静にアルの様子を観察していた。

 

 「僕の魔法のように判断力を失う代わりに力を引き出すタイプなのかな?けどあのロキが怯えていた以上、神殺し(ゴッド・スレイ)すら出来るのかもしれない!

 みんな、絶対に攻撃を受けるな!最大限に警戒して当たれ!」

 

 「「「了解!」」」

 

 フィンは担いでいたレフィーヤを下ろし、戦うことを要求した。

 

 「レフィーヤ、今彼を触れずに止められるのは君だけだ。かなり難しいが、彼を殺さないように、やれるかい?」

 

 「やり……ます!私だってロキ・ファミリアの魔導士です!」

 

 ロキ・ファミリアが戦闘態勢に入るとともに、アルも戦闘態勢へと復帰した。

 

 『ガヲオォオオォ!!』

 

 アルの中にあるのはただの衝動であった。

 モンスターも冒険者も一様に敵である。

 ただ、わずかに残された騎士としての誇りが、アルの抹殺対象を冒険者よりもモンスターに優先的に設定させている。

 

 大乱戦が幕を開けた。

 詠唱を開始するレフィーヤに向かって食人花が迫ると、ティオネやティオナが防御に入る。

 そこにアルが食人花ごと二人を切り殺そうと突撃し、フィンが槍を振るって大剣を弾く。

 アイズは、二人の攻防の隙に、余った食人花の注意を惹き、アルが切り飛ばした食人花のツタを切っ先に突き刺して、アイズめがけて投げ飛ばして妨害する。

 

 最もアルと近くで戦うフィンは、自身が精神異常に耐性を持つスキルをもってしてもなお、何かが自身を飲み込もうとしているのを感じていた。

 しかし、アルがいくら法外の力を得たとはいえ素の力はまだレベル1、フィンが負けることはない。

 ただ、どんどん自損しながら戦うアルを気遣って、有効打を与えられていないのも事実であった。

 

 「これはちょっと不味いかな……。もう彼が持たないかもしれない!」

 

 「【ウィーシェの名のもとに願う 。森の先人よ、誇り高き同胞よ。我が声に応じ草原へと来れ。繋ぐ絆、楽宴の契り。円環を廻し舞い踊れ。至れ、妖精の輪。どうか――力を貸し与えてほしい】 エルフ・リング!」 

 

 レフィーヤの詠唱の第一段階が完了した。

 彼女の二つ名のもととなった魔法、召喚魔法(サモン・バースト)の詠唱である。

 【千の妖精(サウザンド・エルフ)】の名で知られる彼女は、その名の通り、エルフの魔法であれば条件さえ満たせば千だろうが二千だろうが使うことが出来るのだ。

 そして、彼女の師たるエルフの魔導士は、オラリオ最高の魔導士だ。

 

 「【終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏を前に(うず)を巻け。閉ざされる光、凍てつく大地。吹雪け、三度の厳冬――我が名はアールヴ】 」

 

 『ゴガァアァァ!』

 

 アルも微かに聞いたことのあるその詠唱文は、まぎれもない【九魔姫(ナイン・ヘル)】の一撃のものだ。

 その威力を知るアルは、本能的にレフィーヤの方へ向かう。

 レフィーヤの狙いは、氷結での捕縛である。あのリヴェリアの魔法をもってすれば、アルを抑えられると考えていたのだ。

 

 「ウィン・フィンブルヴェトル!」

 

 詠唱の終わりとともに、大氷結が広場を埋め尽くす。

 しかし、ボロボロの腕を全開で振り切ったアルの大剣は冷気を切り裂き相殺し、アルはもろに氷結を食らうのを間一髪避ける。

 

 「あんな状態で動き続けれるなんておかしいわよ?!」

 

 右腕はぐちゃぐちゃのズタボロだ。

 それだけではない、痛みを無視して動き続けた結果、アルの全身から血が噴き出している。

 しかし、レフィーヤの一撃と、度重なる無茶による激痛が、わずかにアルの意識を引き戻した。

 

 『助けてく、れ……。ベル……!』

 

 ≪誓約霊 ベル・クラネルを召喚しますか?≫

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 アルと別れて、デートを楽しんでいたヘスティアとベルもまた、モンスター大脱走の被害をこうむっていた。

 なぜか、ヘスティアだけを狙って猛追してくるモンスターがいたのだ。

 

 「カミサマ!僕、どうしたらあのシルバーバックに勝てますか?!」

 

 11階層に生息する大型のモンスター、シルバーバックに追いかけられながら、ベルは両腕に抱えたヘスティアに訪ねた。

 銀毛の大猿相手に、ベルはいくらか善戦したが、武器が壊れてしまったために、不本意ながら逃走劇を繰り広げていたのだ。

 しかし、ベルはこのまま逃げ続けても意味がないことがわかってたからこそ、訊ねたのだ。

 

 「ベルくん、二つ良いニュースがあるぜ!」

 

 「なんですか?!」

 

 「一つ!アルくんからもらった原盤を使って、君だけの武器を作ってもらった!二つ!君のステイタスを更新したらあいつをやっつけられるかもしれない!」

 

 「やりましょう!僕はカミサマを失わないためならなんだってやれます!」

 

 「合点だ、ベルくん!」

 

 ベルがもし今まで一人で戦っていたのなら、この時きっと諦めていただろう。

 カミサマが生きていればいい、という自己犠牲を発揮していただろう。

 

 けれど、ベルは一人ではなかった。

 ずっと背中を預けてきた仲間がいるのだ。

 そして、その仲間とともにカミサマを一人にしないと誓った、その仲間には強くなることを誓った。

 だったら、負けるわけにはいかない、諦めるわけにはいかないのである。

 

 そして何よりも、尊敬する祖父の教えである「女の子を守れ」に反さないためにも、ベルは絶対に戦いから逃げないのだ。

 その両腕に女神のぬくもりを感じている限りは。

 

 「よし、やっぱりそうだ!仕掛け扉になってる!」

 

 ベルが、奇妙な壁の中央を蹴ると、先に続く道が現れる。

 二人が走り抜けている場所は、オラリオに存在する地上の迷宮、ダイダロス通り。

 度重なる区画整理でそれこそ迷宮と化しており、今ベルが見つけたような仕掛けなどが無数に存在している。

 

 「おぉ、流石だね、ベルくん!」

 

 「へへへ……。あっ、あそこならどうですか?」

 

 「よし、隠れられそうだ!」

 

 石段でちょうど陰になる場所があり、そこでベルは手早く上の服を脱ぐ。

 ヘスティアも、背負っていた包みを下ろし、広げた。

 そこには、黒光りする鞘に納められた両刃で短めのショートソードが入っていた。

 

 ヘスティアは、その剣を見ると、この二日間の苦労を思い出していた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「いい、ヘスティア?この剣は貴方の血でステイタスが刻まれている、生きているの。

 それに、どうやらあの原盤っていう素材、本来段階を踏んで使わなきゃいけなかったみたい。

 ミスリルと混ぜ合わせて無理やり使っただけだから、この武器はまだまだ『先』があるわ。」

 

 ヘファイストスの予想は当たっていて、楔石による強化は本来、欠片、大欠片、塊をへて最後に原盤を使用する。

 そうでなくては元になった武器が原盤の強化に耐えきれずに破損してしまうからであった。

 それを、ヘファイストスはミスリルを鍛えに鍛えて強引に強化段階をすっ飛ばしたのだ。

 

 「ってことは、これからどんどん強くなっていくってことかい?!」

 

 ヘスティアはその武器の発展性に驚く。そんな武器は後にも先にもないだろうからだ。

 

 「えぇ、使い手の稼いだ経験を糧に、使い手とともに育っていく。

 そして、十分に育った時に初めて、この武器は『完成』するのよ。

 成長しなくてはならないという神の枷から解き放たれてね。」

 

 ヘファイストスが、楔石の原盤の力を制限するために編み出したもう一つの策は、神によって枷をかけるという方式であった。

 もともとは、駆け出し冒険者が英雄になれるまでに、適切な強さで成長するような、鍛冶師からすれば邪道な武器にしようとしていた。

 しかし、あふれ出んとする原盤の力を制限することにもその「成長する武器」という案は適していた。

 

 ステイタスを刻まれ、成長するように願われた剣は、成長の幅を残すために真の力を眠らせている。

 そうして、ベルが成長するにつれて、武器としての格を上げ、神の域に至る資格を得た時、原盤の力が目を覚ます仕掛けなのだ。

 

 「ヘスティア、私は二度と原盤を使いたくないし、成長する武器も打ちたくないわ。

 私のプライドに関わるのよ、鍛冶師の手を離れて武器を強化する素材も、完成せずに生まれてくる武器もね。」

 

 「ごめんね、ヘファイストス。そして、ありがとう。これで、ベルくんにも自分だけの武器が出来たよ。」

 

 「名前は何にするの?」

 

 「名前はね……。」

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「ベルくん、この武器は『聖火の黒剣(ウェスタ・ブレイド)』。アルくんが素材をくれて、ボクがステイタスを刻み、そして君が使う。

 ボク達にとっての聖火だ。ボク達の明日を切り開く武器なんだよ。」

 

 「凄い……。軽くて、扱いやすそうです。ナイフみたいに使うこともできる!ありがとうございます!」

 

 「そりゃあ、そういう風に作ってもらったからね!お礼はアルくんと、作ってくれた鍛冶師にも言うんだよ?」

 

 「はい、もちろんです!」

 

 「よし、じゃあ、ステイタスを更新するよ!」

 

 ヘスティアは、聖火の黒剣と、ベルのステイタスを更新する。

 この二日間でベルがどこまで成長しているか、それが二人の生死にかかわる。

 しかし、ヘスティアは死ぬ心配などつゆほどもしていなかった。

 なぜなら、自分の信じる子供は、いつだって自分の予想を裏切ってきたからだ。

 

 「熟練度トータル800オーバー……。凄いや、これならやれるよ!」

 

 「カミサマ、来ます!」

 

 ついに、二人をシルバーバックが再補足する。

 高い壁を一足飛びに乗り越えて、鼻息を立てて獲物を殺すことを楽しもうとしている。

 しかし、ベルにも、ヘスティアにも全く不安はなかった。

 心に誓いを、その手に聖火を持つベルに、恐れるものは何もない。

 信じる子供がヘスティアにいる限り、死ぬことなんてありえない。

 

 ベルは、物陰から一気にシルバーバックに飛びかかった。

 

 「やぁああああ!!」

 

 ベルが、シルバーバックが振り回す拘束具の鎖に刃を立てると、ずるりと鎖が切り落とされた。

 

 「これが……!」

 

 「そう、それが君の武器だ!君とともに英雄への道を歩む相棒だ!君が成長するほどに、成長していくんだ!

 信じて戦ってくれ、ベルくん!ボクたちと、君自身を!!」 

 

 ベルは、一縷の迷いもなく、ヘスティアを守るという純粋な意思だけで戦っていた。

 

 「せりゃぁああ!!」

 

 シルバーバックの拳を避け、その腕の上を駆け抜け、ずたずたに切り裂いていく。

 シルバーバックが無理やり振り払おうと腕を振るうと、もうそこにはベルの姿はなく、頭の拘束具ごと目を断っていた。

 

 『グギャアァア!』

 

 顔を抑えて天を仰ぐシルバーバックの胴体ががら空きになる。

 ベルは、アルから褒められた自身の一撃を思い出していた。

 全身をバネのように引き絞り、敏捷に任せた必殺の一撃を。

 

 「うおりゃぁぁぁ!!!」

 

 光の矢のように放たれたベルの突進攻撃は、シルバーバックの胸を穿った。

 シルバーバックは、糸が切れたように地に伏した。

 

 ベルの完膚なきまでの勝利であった。

 

 「カミサマ!やりましたよ!」

 

 「やったね!ベルくん!」

 

 二人が駆け寄って抱き合うと、今まで隠れていた人々が拍手をしていた。

 小さな英雄の勝利への捧げものであった。

 

 しかし、ベルは突然ある感覚に襲われる。

 

 「カミサマ、アルが助けを求めています。僕、行ってきますね。」

 

 「分かるよ、ボクは君たちの主神だからね。君をアルくんの所まで導いてあげなきゃいけないみたいだ。

 ベルくん、アルくんを頼んだよ。」

 

 「はい!」

 

 ≪誓約に基づき 召喚されますか?≫

 

 ベルがその問いかけに答えると、ベルの体が優しい炎に包まれた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「さっき、一瞬意識もどってなかった?!」

 

 「けど、こんどは黒いものが渦を巻き始めて……、まるでアイズさんの魔法みたい……。

 けど、これは魔法なんかじゃない!もっと恐ろしいものです!」

 

 一瞬アルの動きが止まるのもつかの間、今度はアルがより深い闇を纏い始めていた。

 ロキ・ファミリアの面々のだれもが、冒涜的な邪悪の胎動に気が付いたとき、小さな鐘の音が鳴り響いた。

 

 突然、白い炎に包まれた少年が広場に現れた。

 

 「これは、なに……?」

 

 困惑するアイズをよそに、闇を纏うアルに向かって一歩ずつ、一歩ずつ少年が前へ進んでいく。

 そして、胸に剣を突き立てた。

 

 すると、その白い炎がアルに移っていく。

 広場を侵食し始めていた闇にも広がっていく。

 

 「凄い、まるで物語みたい!」

 

 ティオナはその神秘的な光景に心奪われていた。

 アルの深淵が聖火に焼き払われていく。

 かつてとある灰が、腐りゆく世界を焼いたように、優しい炎がアルを包んでいくのだ。

 

 そうしてアルの闇が、体の中に戻っていき、最後には力尽き、少年に寄りかかるようにして倒れた。

 朦朧とする意識の中で、アルは自分を助けてくれた友に礼を言った。

 

 「ありがとう……!」

 

 意識を失ったアルを少年は優しく地面に寝かせ、霞のように消えていった。

 フィンはすぐに駆け寄って、瀕死のアルに万能薬をぶっかけた。

 深淵の拡大は止められたが、アル自身の怪我自体はなくなった訳じゃない。

 すぐに本格的な治療に入る必要があった。

 

 「ティオネ、ティオナ、彼を黄昏の館に連れて行ってあげてくれ。聞きたいことがあるんだろう、ロキ?」

 

 フィンが広場の入口の方に目を向けると、そこにはロキが立っていた。

 決して深淵には近づこうとせず、遠くからじっと隠れての観察にとどめたのは賢明な判断だったといえる。

 少しでも好奇心を持って近づこうとしていたら、彼女は呑まれていただろう。

 

 「あぁ、とんでもないバケモノや。下手によからぬことを考えとる神に持ってかれたりするよりは、ウチで一旦調べたほうがええやろなぁ。

 神会にでも連れて行ってみ?コイツの『力』に目をくらませる奴が半分、恐れて殺そう言い出すんが半分ってとこやろうな。」

 

 言葉にはしないが、ロキは、アルのことを殺すべきだと考えていた。

 しかし、フレイヤが関わっているかもしれないから殺したりでもしたら後が怖い。

 それだけでなく、深淵のことについてもっと知っておかなければいけないと感じていた。

 だからこそ、危険を承知で独自に回収することにしたのだ。

 

 「彼が、君が想像しているような怪物ではなく、僕が思うような勇敢な若人であることを祈っているよ。」

 

 フィンは、そう呟いて、事態の収拾に動き出した。

 戦闘の跡をごまかさないと、ギルドや他の神にアルの存在がバレてしまう。

 幸い激しい戦闘痕のおかげで、これといって特異な痕跡が遺されているのが幸いだったであろう。

 

 かくして、アルとベルの初めての【怪物祭】は幕が下りた。

 翌日、ベルとヘスティアは豊穣の女主人で、アルは黄昏の館で目を覚ますことになる。

 

 アルの受難はまだ終わらない。

 

 

―――――――――――――――

 

 「ねぇ、オッタル、見た?二人とも凄いわ……!とっても恐ろしくて、とっても綺麗だった!」

 

 「フレイヤ様、あの大男は危険かと存じます。」

 

 「あら、珍しいわね。オッタルが意見するだなんて。」

 

 「ただ御身を案じての事でございます。あれは……世界を呑みこむものだ。」

 

 「えぇ、そうね。けどだからこそ欲しいわ。あの闇があるから、あの子の光も輝くのよ。」

 

 「左様でございますか。」

 

 「ごめんなさい、オッタル。貴方にはまだまだ手伝ってもらうかもしれないわ。」

 

 「貴方のお望みとあらば……。」

 

 騒動の原因の一つである女神さまは、どうやら満足したらしい。

 もっとも、この一度の干渉では終わらないのだ。 




 聖火の黒剣

 鍛冶の神ヘファイストスがオリンポスの盟友ヘスティアに贈ったとされる剣

 神の血肉をもって生み出されたその剣は ただ一人の眷属のためにある

 その刃、刀身には神聖文字が刻まれている

 それは女神の愛を謳う詩であり 眷属たちの友情を称える賛歌だ


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第九話 対談


 アルの毛布

 ヘスティア・ファミリアに所属する冒険者 アルトリウスの持つ毛布

 体の大きい彼は いつだって毛布からはみ出している

 彼にとって 暖かい毛布というものは 足を守ってはくれないものだ


 

 アルはまた夢を見ていた。

 今度は深い深い闇の底にいた。

 古い遺跡のようで、僅かに柱の残骸などが残っている。

 

 道を探そうと歩いていると、怪物に出会った。

 巨大でいびつな腕を持ち、二本の角が天を突くように伸びている。

 赤々とした光を伴って現れたそれは、アルの方にゆっくりと手を伸ばす。

 

 アルは恐怖で足がすくんだ。

 これが、深淵の主マヌスなのだ。

 逃げなくてはいけない、そう思って上を上を目指していくが、深い闇の中に活路はない。

 ゆっくりと追い詰められていき、アルはついに躓いてしまう。

 這いずってでも逃げようとするも、ついに生暖かい腕に足を掴まれてしまった。

 

 もう駄目だと思った時に、暗闇を炎が引き裂いた。

 真っ白い炎がすべてを焼き尽くしたのち、アルの目の前には無数の人がいた。

 

 白く暖かい空間に、ローブを着た女や大きな帽子をかぶる男、白い衣を羽織った聖女……。

 その他にも無数の人々が、アルを見つめていた。

 

 「力を求めた愚者よ。お前にとっての力とは何か?」

 

 口が一斉に開き、アルに尋ねた。

 

 「闇を切り裂く聖火。」

 

 アルの胸にベルの顔が浮かぶ。明るく優しい彼のような炎を求める。

 

 「まだあるだろう?」

 

 また、アルは問いかけられる。

 

 「世界を紐解く真理。」

 

 今度はリヴェリアの魔術を思い浮かべる。冷たく高貴な神秘を求める。

 

 「そして、慈愛に満ちた奇跡だ。」

 

 主神が優しく微笑む姿を思い起こす。清純で神聖な奇跡を求める。

 

 「あの無名の騎士のように、試練を乗り越えられる力が欲しい。

 絶体絶命の状況を覆す力が欲しい。

 神をも、悪魔をも、そして闇すらも打倒する力を!」

 

 アルの答えに満足したのか、笑い声が響いた。

 

 「与えよう、その全てを。炎の呪術、ソウルの魔術、神々の奇跡をやろう。

 不死の灰が用いたそのすべてをやろう。

 かつて我らが教えたように。かつて我らが導いたように。」

 

 そして、アルを取り囲む人々の中で、ローブの女だけが前に出た。

 

 「あの馬鹿弟子が……。面倒なものを残していったな……。

 伝言だ、よく聞いておけ。『内なる火を燃やせ。闇に落ちながらなお試練として立ちふさがった王のように』。

 お前を生み出すために注がれた火は、馬鹿弟子の半身だ。きっと出来るさ……。

 さぁ、行け。もう二度と、闇に飲まれたりするんじゃないぞ……。」

 

 アルの意識は、その優しい声を最後に暗転した。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 アルが目を覚ました時、布が自身の足元まで覆っていることに気が付いた。

 いつもは毛布が足りないから足が露出しているのに、今日は違う。

 困惑していると、ベッドの脇に椅子を置いて座っていた女がいた。

 

 「目が覚めたか。お前を救うのもこれで二度目だな。」

 

 「リヴェリア・リヨス・アールヴ殿……?

 ここは、いったいどこなのですか……?」

 

 「ロキ・ファミリアの本拠地(ホーム)、黄昏の館だ。

 気分はどうだ?回復魔法を何度かかけたから、幾分かよくなっているだろうが……。

 なかなか酷かったぞ?全身の骨がほとんど砕けていてな、安物とはいえ、万能薬でも応急処置にしかならなかったそうだ。

 ティオネ達に担ぎ込まれてきたお前を見た時は少し肝が冷えたぞ。」

 

 「そう……ですか……。

 まだ少し、気怠いですが……。

 起き上がれそうです、リヴェリア・リヨス・アールヴ殿。」

 

 「リヴェリアでいい。目覚めてすぐで悪いが、少ししたら身支度をしてくれ。

 ロキがお前に会いたいと言っている。」

 

 リヴェリアは椅子から立ち上がり、部屋の隅に纏めて置いてあったアルの鎧を近くに持ってきた。

 アルの血はきれいに洗い流されているようで、普段の状態とほとんど遜色ない。

 

 「光栄ですな……。すぐに、参ります。うぐぅっ!」

 

 アルは右腕が急に傷んで左手で抑える様にして抱え込んでしまった。

 右腕は、リヴェリアでさえ「レベル5に勝るとも劣らない」と評価されたレフィーヤの魔法を、手加減されていたとはいえ相殺するほど酷使していた。

 いくら万能薬がすごかろうと、いくら回復魔法が素晴らしかろうと、神経が尋常ではない程痛めつけられていたのだ。

 その様子を心配げに見たリヴェリアは、すぐにアルを寝かせようとする。

 

 「痛むのなら無理はするな。やはり少し時間を空ける様に言ってこよう。なぜかは知らんが焦りすぎなのだ、ロキの奴め……。」

 

 「いえ、それには及びません。大丈夫です。」

 

 アルは右腕の痛みは我慢しようと思えばできる、と判断して、リヴェリアを制止した。

 なにより、恩人たるリヴェリアに気を遣わせることを心苦しく感じていたのだった。

 

 「……そうか、ならば外で待っている。支度が出来たら出てきてくれ。案内しよう。」

 

 そうして、リヴェリアはゆっくりと部屋の外に出ていった。

 アルは身を起こし、鎧を手に取った。

 武器の類はなぜかない。なんとなく、アルは嫌な予感を感じ取っていた。

 しかし、助けてもらった礼の一つや二つはせねばなるまい。

 アルはそれ以上考えるのをやめて、鎧を手早く装着し、扉を開けた。

 

 「お待たせいたしました、リヴェリア殿。」

 

 「では、行こうか。」

 

 リヴェリアが先導し、黄昏の館の中を二人が歩んでいく。

 アルはその豪華さや、広さに驚いていた。

 赤くて美しい長いじゅうたんが廊下にひかれ、花瓶などが並べられている。

 所々に高級そうな骨董品や、絵画の類、そして道化のエンブレムが見受けられて、アルはロキ・ファミリアの力のほどを肌で感じ取った。

 そして、いつかこんな立派なホームをヘスティアにプレゼントできたらいいな、と思った。

 

 長い長い廊下を歩き、リヴェリアに促されて、ある一室に入る。

 そこには、リヴェリア以外の幹部がおり、扉の真正面にあるソファーにはロキがどっかりと座り込んでいた。

 

 「リヴェリアはこっちに来ぃ。大男くんはそれ以上近寄ったらあかんで?

 ちょーっと聞きたいことが色々とあってなぁ?」

 

 ロキの目に敵意があることにアルは気が付いた。

 そして、自身が彼女から警戒されていることを確信した。

 わざわざ幹部がアルを囲うように配置されていたからだ。

 

 「私のことで、聞きたいことですか……。心当たりはございます。

 しかし、まずは御礼を申し上げさせていただきたい。

 先日ミノタウロスから命をお救いいただいたこと、そして昨日、私を止めて頂けたこと、感謝してもしきれません。」

 

 そうして、アルは跪いて頭を下げた。

 しかし、なおもアルの正面に座るロキから敵意が伝わってくる。

 

 「御託はえぇ。さっさと始めたいんや、こっちは。まず、プロフィールから聞こうか?」

 

 「名はアルトリウス、所属はヘスティア・ファミリア。年は14になります。」

 

 「えっ?!もっと年上だと思ってた……。」

 

 ティオナが思わず驚いてしまい、他の幹部連中に見られてバツが悪そうに押し黙る。

 張り詰めた空気が和らいでしまったからだろう。

 しかし、ロキの緊張の糸は全く切れることはなく、尋問が再開された。

 

 「嘘はないようやなぁ。しっかし、ドチビもようお前みたいなんを抱え込んだもんやで。

 あんな禍々しいもんはウチも初めて見たわ……。あの黒龍は災厄を振りまくけどなぁ、お前はそれ以上や。

 アレはなんや。嘘ついたって意味ないで?きっちり全部話せ。ウチの目の前で。」

 

 アルの嫌な予感は当たっていた。

 アルは、ロキが【深淵】の正体をある程度推察し、そのうえで危険性に気が付いているのだと確信した。

 実際は、ロキが持っていたのは「なんとなくヤバいもの。神に対する冒涜的な何か。」という認識だったが警戒されているという点は変わりない。

 

 アルは観念した。言い逃れることも、包み隠すことも出来ないだろうと諦めた。 

 そもそもアルは腹芸が得意な人種ではない。

 ベルのようにお人好しが過ぎるというよりも、誠実であらねば、騎士らしくあらねば、という強い使命感によって、騙しやウソを敬遠するきらいがあるからだ。

 だから、アルがし始めたことは嘘偽りない告白だった。

 

 「あれは深淵の闇にございます、神ロキよ。本来は人の力。しかし、それが暴走すればあのようになる……。」

 

 「あれが人間の力やとぉ?!神に『死の恐怖』を与えるようなもんを下界の子供皆がもっとるわけないやろ!」

 

 ロキは、アルが嘘をついてないことを確認したからこそ、驚き、恐怖した。

 これが事実であれば、とんでもないことになる。

 オラリオだけではなく、世界中の神、土地、人々に危険が及ぶ。

 

 「待ってくれ、ロキ。神は人には殺されない、そうだろう?それに、君たちは天界に送還されるだけで死ぬことはあり得ない。違うかい?」

 

 フィンはロキの発言に違和感を感じていた。

 神が下界において死にたくないと思うのは、ひとえに遊べなくなるからである。

 神は死ぬと、その魂は天界に送り返されるため、下界で死んだところで本質的には死にはしない。

 ただ、下界に降りる権利を永久にはく奪されてしまうという、神にとっては重大なペナルティーが科せられることになるには変わりないが。

 

 そして、神を人が殺すのは禁忌とされ、たとえレベル7だろうが、人である限りは神殺しは不可能だ。

 神を殺せるのはモンスターか、あるいは同じ神しかいないのだ。

 

 だからこそ、フィンにとってはロキの怯え具合が昨日から不思議で仕方なかったのだ。

 

 「そうや、ウチらは死んだりはせぇへん。魂がちゃーんと天界に送り返されるからなぁ。

 けど、その深淵ってやつはウチらの魂を呑みこんでしまうような『深さ』があった!

 なんでかは分からへんけど、アレにつかまったら神は天界には帰れない、つまりは死ぬ。そう感じたんや。

 そこんとこの説明もしてくれるよなぁ?」

 

 「……深淵は根源を犯す力です。あるいは理を歪める現象と言ってもいい。

 そこに概念があるならそれを黒々と塗りつぶし、そこに生命があるなら、その骨身一つ残さず化け物に変える。

 人間がいるならその精神を壊し、肉体を醜悪に変質させます。

 神であるならばそれを引きずり落として獣にする。不死性すら歪めるでしょう。」

 

 フィンは、なんとなく察しがついた。

 彼は精神汚染を受けていたわけではない。

 もっと深いところに干渉されていたのだ。

 フィン・ディムナという存在や概念に対して攻撃をされていたのだと気が付いた。

 

 ロキやフィン以外に、外観がつかめてきたのは聡明なリヴェリアだけだった。

 まず、深淵というものが抽象的すぎるがために、あまり勉学というものに強くない冒険者連中には難しすぎた。

 その上、アマゾネス姉妹やアイズは闇に侵されないように戦っていたし、ガレスやベートは見てすらもいないから分かりようがない。

 

 魔術に精通し、毎日欠かさず勉学を続け、そして王族としての高い教養を叩き込まれているリヴェリアだけが、フィンたちのようにアルの恐ろしさに気が付き始めていた。

 

 「つまり、その深淵は世界のありとあらゆるものをかき乱すのだな?日が二度と昇らなくなるかの如く、劇的で不可逆的な変化を引き起こすのだな?」

 

 「えぇ、そうです。流石は高貴な御方だ、私のかような拙い解釈をもくみ取っていただけた。

 実を言えば、私にも……よくわからないのです。深淵は私にとっても伝承の中のものだった。

 そして、伝え聞いたその伝承も真実ではなく、虚構が混じっていたのを最近知ったばかりです。

 だから、私からはハッキリとしたことは申し上げられません。申し訳ありません。」

 

 ロキはうーんうーんと腕を組んでうなり始めた。

 危険であることは違いないが、分からないことが多すぎる。

 調べるには泳がせる必要があるが、ただでさえ危険生物を野に放つようなものなのに、泳がせている間に色ボケ女神にちょっかいをかけられるのは間違いない。

 下手に衆人の目の前にさらされてしまうと、この大男の力のためにオラリオはまた暗黒期に突入してしまうかもしれない。

 じゃあ安全のために目の届くところに置いて監視しようにも、ドチビの子供であってかつ、色ボケ女神のターゲットであるために、絶対に手元には置いておきたくない。

 トラブルメーカーが爆弾背負っている状態なのに、どうして傍においておけるだろうか。

 自分の子供たちの安全のために深淵のことを調べようというのに、調べるために子供たちを巻き込んでしてしまったら本末転倒である。

 

 ロキにとって最善の策はやっぱり殺害しかなかった。

 

 「はっきり言わせてもらうわ。お前のためにも、オラリオのためにも、死んでくれへんか?

 お前はもう、無事に生きることはほぼ不可能や。事情は言えんが、確実にトラブルに巻き込まれる運命にある。

 ほんで巻き込まれるたびに、お前は神の目につくことになる。神っちゅうのは自己中心的な存在や。その深淵のことが知れたらどうなるか分かったもんじゃない。

 お前が大事にしてるっちゅう友達にも火の粉が降りかかる。お前の尊厳もごみのように扱われる。

 そんで、オラリオ中を巻き込んだ大混乱になるかもしれん……。それぐらい、深淵は神にとって甘美な毒の花みたいなもんや……。

 そんなんやったら……ウチがお前を殺したる。お前んとこのドチビに憎まれてもかまわん。

 自分とこの子供を守るためやったら、ウチはそういうことをやる。たとえ自分のとこの子供に軽蔑されてもな。」

 

 ロキは本気だった。

 天界においてトリックスターと言われていたロキは、下界に降りて劇的に変わった神の一人である。

 他人の不幸と自身の快楽のために、騙しもやったし、計略を巧みに操って、神同士の争いを引き起こしては高笑いをしていた。

 しかし、下界に降り、人の子と関わって、他人が大事になったのだ。

 子供が楽しそうに過ごしているのを見るのが好きだし、子供と飲む酒の味は格別だし、可愛い子供と触れ合うだけで、いくらでも幸せな気分になれる。

 ロキにとって子供は全てになったのだ。セクハラを筆頭に、多少自分の趣味嗜好を優先するきらいはあるが、優先順位は子供が一位なのだ。

 

 真に子供を愛する神をアルは知っている。

 だからこそ、ロキの本気さが伝わってきた。

 しかしアルにも大事にしたい存在がいる、叶えたい夢もある。

 ロキの真剣さにほだされるようなやわな気持ちは持ち合わせていなかった。

 

 「神ロキ、貴方の理屈は分かります。貴方が言う未来も想像には難くない。貴方が子供を思う気持ちも痛いほど伝わってきました。

 だが、私にも私の帰りを待つ大事な友と、大事な神がいるのです。彼らを危険な目にあわせたくはない。だが、悲しませたくもないのです。

 そう簡単に死ぬわけにはまいりません。腕の一本足の一本失ってでも、私は帰ります。そして、必ずや深淵を自身の力で征服して見せましょう。

 深淵さえ操れるようになれば、誰も傷つけず、誰にも知られずにすみます。

 私には分かるのです。深淵を調伏する方法は、必ず私の中にある。」

 

 アルは生きて深淵の力をコントロールして見せることで降りかかる火の粉全てを振り払う気でいた。

 試練や困難に巻き込まれるというのならば、戦ってそのすべてを切り伏せよう。

 かけがえのない友も、愛すべき主神も、自身の尊厳も、力づくで守ってやろう。

 深淵の力を自身のものにすれば、不可能なことではない。

 深淵歩きが自身を信じて託してくれた力なのだ。不可能を可能にしてくれるに違いない。

 そして、あのローブの女の言いぐさからして、深淵を抑え込む方法は確かに存在するという確信もあった。

 

 「そう簡単に信じることは出来へんなぁ……。仕方ない。」

 

 「待った、ロキ。」

 

 動き出そうとするロキを制止したのはリヴェリアだった。

 リヴェリアがロキとアルの間に入って立ちふさがっている。

 

 「私は自分の手で彼の命を一度助けている。わざわざ助けた命を目の前で殺そうだなんて私は反対だ。

 確かに、彼の力は危険そのものだろう。しかし、友人や主神のことを大切にするところは好感が持てる良い青年だ。

 決してその力で悪事をなそうとするような者とは思えない。力の制御が出来る様に、我ら先達が見ればよいではないか。

 オラリオに混乱を招かないためというのならば、ロキ・ファミリアが介入しても問題はあるまい?」

 

 今度は、フィンがリヴェリアの横に立った。

 

 「僕も反対だ。別のファミリアに所属する冒険者を、僕らの独断で処分することは出来ない。それに僕だって狂化の魔法を最初は満足に扱えなかった。

 けど今じゃ扱えている。未来ある若者の成長に期待するのも悪い賭けではないんじゃないかな?ロキ、まだまだ知りたいことだってあるんだろう?

 もう少し様子を見るという選択肢を僕は提案する。」

 

 ロキは創設メンバーの三分の二から反対されてたじろいだ。

 覚悟は出来てはしていたものの、心に来るものがないわけではない。

 それにフィンの言う通り、ロキがしようとしていることは私刑に他ならない。

 

 しかし、危険は排除しなくてはいけないのだ。

 ロキはもう一人の創設メンバーの方を見た。

 

 「ガレスぅ~!ガレスならわかってくれるよなぁ?!」

 

 「そうじゃのぉ……。小僧、一つ、儂と手合わせしてみるか?」

 

 「どうして……?」

 

 今まで黙っていたアイズの疑問ももっともだ。

 完全に聞く気がなかったベートでさえ、意味が分からないという顔をしていた。

 二人の反応をよそに、厳めしいドワーフ、ガレス・ランドロックは楽しげに笑っていた。

 

 「儂は小僧のことはよく知らん。その深淵というものの事もよくわからんし、自分の目で見てみんと何とも言えん。

 だがのぉ、戦えばおおよその事は分かる。一合切り結べば腕前が、二合切り結べば信念が、三合切り結べば成長性もわかるものだ。

 儂が小僧の言うことが信用できるか見てやろう。儂が先がないと思えばこの小僧もそれまで、そういうことでどうじゃ?」

 

 「全く野蛮なことだな……。」

 

 「まぁ、彼がそれでいいなら、いいんじゃないかい?」

 

 三人の意思は固まった。

 ロキはかなり悩んだが、それで納得することにした。

 いくらなんでもレベル1のひよっこ。ガレスを満足させるに足るものは持ち合わせていないだろうと判断したのだ。

 

 「私はそれでかまいません。更なる高みを実感させていただける、嬉しいことだ。ぜひ、一つお願いしましょう。」

 

 アルの答えは一つだ。

 生きて帰るためならば、目の前の試練に怯えるはずがない。

 何より相手は【重傑(エルガルム)】と名高いガレス・ランドロック。

 強くなるための経験値としてはこれ以上ないものなのだ。

 

 「分かった。ほんならウチで預かってたお前の武器を出したる。レフィーヤ~!入ってきてえぇで!」

 

 扉がガチャリと開くと、戦闘用の杖を持ったレフィーヤが顔をひょっこりと出した。

 アルは、微かな記憶から、彼女に対して切りかかってしまったことを思い出した。

 

 「お、おぉ貴公!貴公にも会いたかった!あの時は申し訳なかった……。貴公に怖い思いをさせてしまった……。」

 

 「いえいえ!その、貴方が正気を失っていたとはいえ、助けては貰いましたから……。」

 

 縋りつくように頭を下げるアルの様子に、レフィーヤは驚いていた。

 彼女にとってのアルのイメージは恐ろしい狂戦士で、今のアルは毒気のない純朴な騎士然とした青年だったからだ。

 

 「レフィーヤ、武器庫まで案内したって。こいつの武器を返したら中庭集合や。」

 

 「は、っはい!じゃあ行きましょう!え~っと……。」

 

 「アルトリウスです、エルフの魔導士殿。アルと気軽にお呼びください。」

 

 「なら私のことはレフィーヤで構いませんよ。ご案内しますね!」

 

 アルはレフィーヤに続いて歩き始めた。

 アルの試練が、また始まろうとしていた。





 黄昏の館

 オラリオの最大級のファミリア ロキ・ファミリアのホーム

 道化師のエンブレムが刻まれたその館は 主神の愛にあふれている

 もっとも 彼女の手はとてもいやらしい
 
 触られないように 気を付けるがいい


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第十話 重傑とリスタート


 ガレスの火酒

 ガレス・ランドロックが ドワーフの火酒を独自に改良した酒

 その味は格別だが その酒気も尋常ではない

 彼は主に 幸せな時と不幸な時にこの酒を口にする

 楽しい思い出はより楽しく 悲しい思い出は少しでも和らげるのだ


 

 アルはレフィーヤに連れられてきた武器庫に、自身の大剣と大盾が置かれているのを発見した。

 刃こぼれ一つない、いつも通りのアルの剣と、古びてはいるが壊れそうもない大盾だ。

 アルはそれを素早く背負う。

 

 「おぉ、あった!やはり、この背中の重みがないとしっくりこないものだ。」

 

 「では、中庭に行きましょうか。けど、どうして中庭に?」

 

 「あの【重傑】、ガレス・ランドロック殿と手合わせを。私の命運をかけた戦いをするのです。」

 

 「えぇ?!あのガレスさんとですか?!」

 

 レフィーヤはとんだ命知らずを見るかのような目でアルを見た。

 アルはその様子を不思議に思った。

 

 「ガレスさんは戦闘狂なんです……。手加減は出来るんですけど、稽古をつけるのを楽しむ癖があって……。

 よく前衛の人たちが空を舞っているのをよく見かけるんですよ。」

 

 「なるほど、ならば好都合だ。私は強くなりたいのです。稽古をつけ慣れているのであれば、きっと私も成長できる。」

 

 意気込むアルをよそに、レフィーヤは顔を青くしながら、こっそりとある事実を教えた。

 

 「今まで沢山の人がガレスさんに稽古をつけてもらってますけど……。

 最後まで耐えられたのはほんの一握りなんです。くれぐれも、無理はしないでくださいね?」

 

 アルの試練は、アルの想像以上に大変なものになるかもしれない。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「おぉ、来たか!早速始めるか!」

 

 中庭のど真ん中にガレスが大斧を担いで立っていた。

 鎧は付けておらず、その防御力への自信のほどがうかがえる。

 

 「いざいざ!」

 

 アルは早速剣を構えようとすると、制止が入った。

 フィンだ。

 

 「ちょっと待ってくれるかい?アルトリウスくん、だったかな。

 言っとくがガレスは強い。手加減してくれるとは思うけど、それだけで簡単に勝てる相手じゃない。

 今からでも、僕らの監視下に置かれるとか、別のやり方だって選べるよ?どうするかい?」

 

 確かに、戦う以外にも堅実な方法があるかもしれない。

 しかし、こうと決めた以上はアルは考えを曲げるタイプではない。

 

 「いえ、構いません。試練から逃げ出してしまったら、私は憧れから遠ざかる。友にも顔向けができなくなる。

 私は必ずや一太刀浴びせて御覧に入れましょう。」

 

 「わかった、頑張ってね。」

 

 「おぅい、もういいかのぉ?!」

 

 ガレスは斧をブンブンと振ってウォ―ミングアップをしていた。

 楽しみで仕方がないといった風体である。

 

 「最近の若いのは、どうも儂との稽古を避けがちでなぁ。久々に若いのとやれるとあっては楽しみで仕方がない。

 それに、小僧のように元気のいいやつもそうおらん!まぐれかどうかは分からんが、ミノタウロス相手に生き延びた根性、見せてもらうぞ!」

 

 「胸をお借りするつもりで、全力でやらせていただこう!」

 

 アルは盾をがっちり構えて、いつでも剣を振れるように態勢を整えた。

 右腕の痛みも大分治まり、気力も十分に高まっている。

 

 「では……はじめ!」

 

 フィンが開始を宣言した。

 しかし、両者の立ち上がりは酷く静かだった。

 

 アルはガレスを中心に反時計回りにグルグルと回り始めた。

 盾のガードを固めたり、解いたりしてガレスの動きを誘っている。

 これは、母直伝の格上殺し(ジャイアントキリング)の戦法であった。

 後ろに回り込んで思いきり剣を突き立てれば、いくらレベル6とはいえ全くの無傷というわけにはいかない。

 アルの狙いはバックスタブの一点であった。

 

 しかし、ガレスはそんな小細工には乗らんぞ、と堂々と立っている。

 一歩も動かず、ただアルが動くのを待っている。

 

 その様子に、アルは気圧されていた。

 全くこちらへの動きがないのに、強い威圧感を感じたのだ。

 

 「流石、【重傑】ですな。まるで山を切ろうとする愚者の気分だ。」

 

 「ほう、一合も切り結ばずに諦めるか?」

 

 「否!貴方が山ならそれを切って見せようぞ!愚者も愚者なら突き抜けるまで!」

 

 「その意気やよし!」

 

 アルはすぐに狙いを変えた。

 小細工ではなく、思いきり懐に飛び込んでいって叩き切ることにした。

 小手先の技が通用する相手ではない以上は全力で当たるしかない。

 

 「ぜっりゃぁあぁぁ!」

 

 アルは思いきり踏み込んで突きを放った。

 中庭の土がアルの踏み込みによってえぐれるほどに強く突き込んだ。

 しかし、ガレスは斧を軽く振ってアルの突きをいなし、勢い余ってガレスの横をすっ飛んでいくアルのがら空きの背中を柄で叩いた。

 アルの巨体が地面に沈む。

 しかし、ガレスの攻撃は終わらない。

 

 「どうした!まだ寝る時間じゃないじゃろう!」

 

 「ごふぅッ?!」

 

 立ち上がろうと這いつくばるアルの腹に、斧の腹が強かに打ち付けられ、今度はアルの巨体が宙を舞った。

 がしゃぁんと、金属音をたてて、アルが背中から地面に叩き付けられる。

 

 「ちっ、雑魚が粋がるからこうなる。あのクソジジイに勝てるわきゃねぇだろうが。」

 

 ベートは、アルが空へと舞い上がった時点で、見切りをつけていた。

 そもそも、ロキの言う通りに殺してしまえば済む話を、創設メンバーの連中が止めようとするのが癪に障る。

 さらに、あのガレスに一太刀浴びせるとかなんとか言っているところがムカつく。

 酒場で精神的な強さを見せたからと言って、結局力がないことに変わりはなく、ガレスに勝てる道理はない。

 ベートにとっては、アルの敗北は決定事項だった。

 

 「も、もう一本……!」

 

 「やはり若いのはこうでなくてはな!」

 

 しかし、アルはベートの予想に反して立ち上がってきた。

 

 ガレスは手加減が絶妙にうまい。しかし、その上手さはいつだって立ち上がれないギリギリを攻めるために使われる。

 これが、ガレスとの稽古が敬遠される理由だ。

 多くのものがガレスに吹き飛ばされて、立ち上がろうとして、あと一歩届かず立ち上がれないまま倒れる。そして心が折れる。

 ロキ・ファミリアの前衛の多くが、このガレスのやり方に心が折れた経験がある。

 普通は倒れるはずの稽古なのだ。

 

 しかしガレスからすれば、これこそが稽古であり、師としての優しさなのだ。

 格上相手に気力を振り絞って立ち上がることで、初めて強くなれる。

 今までの限界を突破することで、弱い自分を卒業する。

 そうして、熱き闘争の中へ身を投げ出せる真の戦士を育成することが、ガレスの指導方針だ。

 

 つまりガレスの思惑通り、アルは今限界を突破しようとしているというわけだ。

 ベートにはとてもそれが信じられなかった。

 レベル1の人間がレベルが五つも違う相手に向かって、もう一回やろうと言えるその気力に驚かされたのだ。

 

 アルは、そんなベートの様子など気が付くはずもなく、次の手を考え始めていた。

 突きのように隙が大きいやり方では勝てない。

 機動力で連続で攻めてみたとしても、防御を撃ち抜けるかは分からない。

 アルは取りあえず盾を構えて、考えている間の隙を防ごうとした。

 

 しかし、ガレスがそんな余裕のある状態でいさせ続けてくれるだろうか。

 いいや、ガレスの教育方針はスパルタ式限界突破だ。

 思考を戦闘と平行して出来る様にさせることが、彼の指導方針のうちに組み込まれている。

 

 「さぁどうした!モンスターは待ってはくれんぞ!こちらから行かせてもらおうか!」

 

 「っく!容赦がないっ!」

 

 ガレスの斧での一撃を間一髪横っ飛びで回避し、アルは決断した。

 オラリオの町中で戦った時のように、【深淵歩き】のように縦横無尽に駆け回って、じわじわと狼が狩りをするかのように攻め続ける方針で固めたのだ。

 アルは回避によって生まれたロスを打ち消すために、ローリングを挟んで回転を生み出した。

 そしてその回転と長い手足から生み出される長大なリーチと威力をもって横切りを繰り出す。

 

 ガレスは難なくその動きに反応し、斧の腹を大剣の軌道上に置きに行く。

 ガツンと重厚な音が響き渡り、アルの渾身の一撃がまたも受け止められる。

 しかし、アルは受け止められることを予想しており、下から切り上げながら後方へ飛び下がって距離を取った。

 

 「ほほぅ、戦型を変えてきおったか。猪武者かと思えば存外器用なところもあるではないか。」

 

 「有り難いお言葉です。しかし、貴方は本当に山のようだ。岩の鎧を着たというハベルに劣らぬ防御力と言えるでしょうな。

 しかし、一撃で切れぬのなら連撃で削り落とすまでのことぉ!!」

 

 アルは、体を低く沈め込み、足に力をためた。

 そして、天高く飛び上がって切りかかった。

 一撃目は躱されたが、アルの狙いは二撃目、三撃目とつづく連続跳躍唐竹割りだ。

 着地の反動を利用して二撃目を打ち込むと、斧での防御に遮られた。

 そして、三回目、アルは押しつぶせると思った。

 十分なスピードと威力がのっていると確信していた。

 

 しかし、アルに待っていたのは横からの強烈な打撃であった。

 

 「ガハァッ?!」

 

 アルは地面に毬のように叩き付けられ、何度かはねながらごろごろと転がされる。

 ガレスは斧を肩に担いで、アルが立ち上がるのをじっと待った。

 当然、ガレスの期待に応えるかのように、アルは起き上がってくる。

 

 「げほっ、ごほっ!よ、読まれていたのですね……!」

 

 「うむ。飛ぶ高さが同じじゃったからのぉ。飛ぶタイミングさえ掴めれば横合いから殴りつけること程度造作もないわい。

 小僧の剣技は獣のような鋭さがあるがな、虚実がない。名のある剣士の技を猿真似しているのではないか?」

 

 「おっしゃる通りでございます、ガレス殿。」

 

 「なるほど、合点がいった。小僧の剣技には巨大なモンスターや複数の人間との戦いを意識したような動きがある。

 じゃというのに、肝心の小僧にその経験がないんじゃろうな。技を十全に使いこなせているとは到底思えん。

 惜しいのぉ。ウチに来ておったならば、久しく見なかったしごきがいのある若い冒険者に経験を積ませてやれたものを……。

 もう、その様子では剣は振るえまい。ガッツはある、これで合格ということにして……。」

 

 「いえ、構いません。私はフィン殿に貴方に一太刀浴びせると申し上げた。成し遂げて見せます!」

 

 

 アルの腕の痛みは治まっていたとはいえ、ダメージが消えていたわけではない。

 昨日の戦いのダメージが、ガレスとのこの短い時間の打ち合いによってもろに出始めたのだ。

 アルの腕は震え、膝は笑う。体はまっすぐ立っておらす、ガードの脇が緩くなっている。

 しかし、なおもアルは諦めない。妥協しない。

 

 その心意気にガレスは大満足であった。

 若い冒険者がこうも気合いを奮い立たせてガレスに立ち向かってきたのは久しくなかった。

 レベル6を相手に絶望する者。自分の自慢の技を受け止められて心が折れる者。多くのものが諦めていった。

 稽古という場であるにもかかわらず、無茶をしようという気概を見せる奴がいないことに、ガレスのような闘争を求める男が落胆しないことがあるだろうか。

 しかし、ガレスの目の前の若者は、もう二度もたたき飛ばされたというのに、まだ戦おうとしている。

 弱いが、たしかに真の戦士たる素質があることをガレスは見出していた。

 

 「よかろう!ならばあと一度だけじゃ!気張れよ!」

 

 「よろしくお願いします!」

 

 アルは最後のチャンスをものにするために、一計を案じた。

 虚実を交えた全力の一撃を繰り出す策が、アルの中で完成した。

 一部は彼の好まない騙し打ちだ。しかし、それ以上にガレスに一矢報いたいという気持ちが強かった。

 

 アルは鎧のうちに仕込んでいた何本かの投げナイフを抜いた。

 ガレスは驚きもせず、その手をじっと見つめた。

 

 「騎士たる者、剣一本で戦わねばなりませんが、お許しいただけますね?」

 

 「構うまい。さぁ、こんかい!」

 

 「チェリャァ!」

 

 ガレスが言い終わるとともに、ナイフを投げながら前へ突っ込んでいく。

 ナイフはガレスが振り回した斧にはじかれるも、アルは作戦の実行可能圏内にまで至った。

 

 「さぁ、次はどうする!」

 

 「こうします!」

 

 低く入りながら、剣を横にひいていく動きから、ガレスは回転切りと予測するが、アルがしたことは砂かけであった。

 中庭の土をガレスの顔に向かって蹴り飛ばす。

 一瞬、ガレスの目が使い物にならなくなる。

 

 「オウリャァアァァ!!」

 

 「それが最後の一撃か!しかし、風音と殺気でわかるわい!」

 

 アルの雄たけびと、剣が空を切る風切り音からガレスはアルの一撃を斧で弾き飛ばした。

 しかし、ガレスが思っていた以上に最後の一撃はあまりにも軽かった。

 

 「オォオォオォッ!!」

 

 ガレスが軽いと思ったのは、剣一本分の重さしかないからである。

 アルがしたことは、剣の投擲であった。

 ガレスに向かって全力で投げつけた。そうすることで、虚を突き、ガレスの盤石な防御を崩したのだ。

 

 アルは己が拳を思いきり引き絞ってガレスに向かって繰り出した。

 これこそがアルの最後の一撃、 渾身のファイナルブローであった。

 

 しかし、顔に当たる寸前で、ガレスの左の掌がアルの拳を包んだ。

 アルの攻撃は届かなかった。

 アルの完全敗北だった。

 

 「見事!虚実を交えた攻防、やろうと思えばできるではないか!良い拳を受けた!合格じゃ!」

 

 「しかし、受け止められました。これでは一太刀浴びせたとは……。」

 

 「細かいことは酒にでも流せばいいんじゃ。儂は受け止め切れたが、小僧と同じレベル1の冒険者なら、あの一撃で沈められておるじゃろう。

 小僧、いやアルトリウス、おぬしは成長するぞ。このガレス・ランドロックが認めてやろう!」

 

 「ありがとうございました。ガレス殿、いやガレス師匠。よい稽古でした。」

 

 ガレスとアルの間に奇妙な師弟関係が生まれ、微笑ましい光景が生まれていた。

 しかし、この光景は一人の若きエルフの魔導士の悲鳴に引き裂かれることになった。

 

 「あぁ~~!!!柱、柱が~!!!」

 

 「柱……?な、なんとっ!私の剣が?!」

 

 「儂が弾いた時に飛んで行った方向が不味かったようじゃのぉ……。」

 

 黄昏の館の中庭を囲う回廊の柱の一本に、深々とアルの大剣が突き刺さっていた。

 引き抜けば、そこには大きな傷跡が残るであろう。

 アルもガレスも顔から血の気がどんどん引いていく。

 アルはよそ様のホームに傷をつけてしまったことで、ガレスは自分が原因でホームを傷つけてしまったことで、何かしらの処分がなされることを恐れていた。

 

 アルはすぐに、フィンとリヴェリアの前に跪いた。

 

 「申し訳ありません!師は全く悪くありません!ひとえに私が小細工を弄すしかなかったからであり、いかなる処分をも受け入れる覚悟にございます!」

 

 フィンとリヴェリアが顔を見合わせて笑い始めた。

 さっきまで勇敢に戦っていた青年が委縮しきってしまっているところが滑稽で仕方がないからだ。

 経理などを執り行うリヴェリアが、アルの肩に手を置き許してやる。

 

 「形あるものはいずれ壊れる。あの柱もそうだ。

 怒ったりなんかしない。むしろ、誇るといい。このロキ・ファミリアの館に傷をつけたものはお前が初めてだよ。

 フレイヤ・ファミリアでも為し得たことのない偉業だ。」

 

 「あまり、喜べないのですが……。」

 

 「はは、私には、冗談の才能はないらしいな……。」

 

 少ししょんぼりとした顔をするリヴェリアの手をアルはそっと握った。

 

 「いえ、そんなことはありません!私を思いやってくれたのでしょう。貴方はなんと優しく素晴らしいお方なのだろうか。

 私が忠義を尽くすのは我が主神ではございますが、このアルトリウス、貴方のためならば騎士として戦おうと思える。

 数々の大恩、必ずや返しましょう。我が騎士の誇りにかけて。」

 

 そして、騎士らしく王族への礼儀として誓約として、手の甲へキスを落とした。

 余談ではあるが、エルフの階級社会に騎士というものは存在しないし、このような王族に対する礼としてのキスは存在しない。

 まず、エルフが得意とするのは魔術や弓などを用いた狩りであり、騎士として王族に侍るものの代わりに、魔術などの技を修めた従者がそばにつく。

 そして、エルフは同族以外からの身体接触を異様なまでに嫌悪するし、王族に対しての接触は同族であってもそう簡単に出来るものではない。

 

 つまり、今アルがやったことは、達観したリヴェリアならともかく、年若いエルフにとっては、エルフ族の地雷を踏みぬいたようなものである。

 ついでに言うなら、自分の子供とエッチな触れ合いをしていいのは自分だけという謎めいた自信を持った女神の地雷も思いっきり踏み抜いた行為だ。

 そんなこと、アルが知りようもないのだが……。

 

 「な、な、な、なんてことしているんですか、あなたはぁ!破廉恥な!!」

 

 「ウチのママがぁ~!!ガレスぅ!フィン!今からでも合格撤回してーな!リヴェリア~!わぁ~ん!」

 

 怒り出すエルフに泣き出す主神、まさに阿鼻叫喚、地獄の光景である。

 特にロキに至っては先ほどまで黙って冷静にアルのことを分析していたというのに、こうである。

 フィンは苦笑いをしながら、そっぽを向いた。このような状態のロキにかかわると、ろくなことがないからだ。

 ガレスもまた、空気になることに専念していた。今ここで声を発したら確実に修理費用がなんだという話になりかねない。

 アルが起こした混乱に乗じて、うやむやにしようというのがガレスの狙いだった。

 

 「おい、ガレス。修理費用はお前のから出すぞ。」

 

 しかし、しっかりもののリヴェリアが、いくら少し惚けていたとしても、ガレスを見落とすはずはない。

 ガレスは文句の一つも言えず、ただ肩を落とした。

 少しの間、呑める酒の量が減るな、と悲しみながら……。

 

 かくして、酷い結末ではあるものの、アルの試練は終わりを告げた。

 やっと、アルは帰ることとなる。みんなが待つホームへと。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ひとしきり混乱が収まり、夕刻、アルは黄昏の館の正面玄関で見送られる形となった。

 ロキと、フィンだけが見送りに来ている。

 あの後女連中はリヴェリアを囲い、ベートはどこかにふらふらと旅立ち、ガレスはやけ酒を始めたからである。 

 

 「ガレスが認めたんや、しゃあない。今回は見逃したる。けど次はないで。ちゃんと自分のものにしいや。」

 

 「勿論でございます、神ロキ。皆様方も、お世話になりました。フィン殿、いずれまた。」

 

 そうしてアルが深々と礼をして、去ろうとすると、ロキは引き留めた。

 

 「やっぱりちょっと待てぇ。お前、ドチビにもちゃんと礼を言うといたほうがええで。

 神の恩恵を刻んだ時に、普通神はその人間の魂に触れるんや。そうやって存在そのものに干渉することで強くなれるようにする。

 つまりはや、ドチビがお前の中のヤバいもんに一つも気が付かないなんておかしい。ありえへん。

 気が付いたうえでお前を家に置いてるっちゅうことや。」

 

 「……そのようなことは、ヘスティア様は一切口になさらなかった。」

 

 「なんでかは知らん。けど、ドチビは甘すぎるからなぁ。ちゃんと話しとくんやで。後ぉ!リヴェリアはウチらのママやからな!」

 

 「リヴェリア殿は母性のような慈愛にあふれる御方ではありますが、母ではなく高貴で美しい淑女ですよ?

 ご忠告、感謝いたします。では。」

 

 「むき~ッ!ど天然ボケ大男が~!き~!」

 

 アルの胸に少しのしこりが生まれた。

 道化の神の怒りをよそに、アルはどこか薄暗い気持ちで帰路に就いた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「アルく~ん!どこだ~い!今日は君の好きな芋のスープだぞ~!帰ってきてくれ~!」

 

 聞き覚えのある声が耳に入ってきたアルは、その音源に歩を進めた。

 小さい体を懸命に大きく使いながら、アルを探しているのは、愛おしい主神ヘスティアだった。

 

 「ヘスティア様、申し訳ありません。ご心配をおかけしましたね。」

 

 「全くだよ、アルくん!君がいなくてボクはとっても心配だったんだ!ベルくんも元気が全然なくて……。

 とにかく、帰ってきてくれてよかったよ!さぁ、家に帰ろう?」

 

 優しく手を差し伸べてくれる主神を、抱きしめたくなるが、グッとアルはこらえた。

 

 「ヘスティア様、少し話がしとうございます。少し、お時間をいただけませんか?」

 

 「いいけど……。一体何だい?」

 

 アルは、周りを見渡すと、結構な人がいることに気が付いた。

 多くの人がアルとヘスティアを見ている。

 

 「ここは人目につく。少し歩きましょう。」

 

 そうして、アルはヘスティアをある場所に連れて行った。

 こじんまりとした噴水に、ぽつんとベンチが置かれている。

 そこに、アルはヘスティアを座らせた。

 

 「覚えておいでですか?」

 

 「うん。ボクと君たちが出会ったいわば、はじまりの場所だ。忘れたりなんかしないよ。」

 

 「ヘスティア様……。神ロキに会いました。深淵の事も露見しました。」

 

 ヘスティアは、神妙な面持ちになる。

 隠しておきたいことがよりにもよってロキにばれたことが、不安で仕方なかったからだ。

 

 「ヘスティア様、聞きたいことがあります。」

 

 「なんだい……?」

 

 「神ロキ曰く、ヘスティア様は恩恵を与えた時から、私が危険なものを抱えていると気が付いていたのではないか、と。

 気が付いていらっしゃったのですか?」

 

 「……うん。そうだね。」

 

 「ならばなぜ私をおそばに置いたのですか!どうして危険とわかって私を貴方に仕えさせたのですか!」

 

 「だって、だって……君はボクにとっては初めて見つけた眷属の一人で、ボクを見つけてくれた大切な子供だからだよ。

 ベルくんに対してのように、大っぴらにしてこなかったけど、ボクは君の事も大好きなんだ。

 やっぱり君には話しておこう。すべてを。ボクの隠していたことも全部ね。」

 

 ヘスティアはうつむいていた顔を上げて、真剣な面持ちで話し始めた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 初めてボクが君の魂に触れた時、ボクは君を見つけることが出来なかったんだ。

 ふつうはね、魂は一人に一つだから、魂の中の世界もまた一つしかない。

 けど、君は違った。君の中には他人の魂の残滓がありったけつぎ込まれていたんだ。

 

 ボクは怖くてね、君を探し始められなかった。

 見てしまったらとても恐ろしいものがボクの目の前に現れるんじゃないかって、不安だったんだ。

 今思えば、アレが深淵の闇って奴だったのかもなぁ……。

 そうそれで、誰かがボクの顔にそっと目隠しをしてくれてね、手を引いてくれたんだ。

 誰かは分からなかったけど、どこか優しい手だった。

 

 周りの恐ろしいプレッシャーの中に、君の本来の魂がポツンとあってさ。

 それでようやく君に恩恵を与えることが出来たんだ。

 体感では長かったけど、実際には一瞬の出来事だったみたいだけどね。

 

 話を続けるよ?

 ボクは君のことが大好きだから、聞くに聞けなくてさ。

 どうして君の中には魂が何個もあるのなんて聞いたって君は答えられないだろうし、君にどうにもできない悩み事を作ってしまう。

 それは嫌だったんだ。最初の眷属をいきなり怖がらせる神にだなんてなりたくなかったしね。

 けど、どこかで君のことを恐れていたのは否めない。そうじゃなかったら、今頃は君に抱き着いてるくらいには、君のことが大好きなんだもの。

 

 あとね、君は本当は最初からスキルを持ってたんだ。隠していてごめんよ。

 最初は君の魂の事は気のせいだってことにしておいて片づけていたし、そのスキルの内容も意味が分からなかったから、伝えてなかった。

 けど、今なら確信をもって言える。

 君のそのスキルは、君の中にある別の魂から力をもらうんだ。

 君の【深淵篝火】が発現したときに、そうなんじゃないかなーって思ったからこそ、ベルくんの武器を打ってもらったんだ。

 

 君の大親友になったベルくんなら、君を助けてくれるだろうって信じてたから。

 君がもし、ボクが感じた恐ろしい何かを引き継いで、危ない目にあった時に、ベルくんなら君を救ってくれるだろうって思った。

 ベルくんの武器、聖火の黒剣っていうんだけどね、神聖文字を刻み込んであるんだ。

 ベルくんの力になりますように、君の助けになりますように、そうやって願いを込めて書き入れた。

 

 実際、君は深淵に飲まれたんだろう?

 分かるよ、眷属との「つながり」みたいなものが、どんどん恐ろしいものに飲み込まれて弱まっていったから。

 ボクの予想は悪い方向に大当たりしてしまった。

 あの日、ベルくんが君を救った後、ベルくんから色々と聞いたよ。

 霊体というものがどういうものか、とか。アルくんと深淵の様子とかさ。

 もしあれを作ってもらっていなかったら、とぞっとしたよ。

 ボクは君を失ってしまっていたかもしれない。

 

 本当にごめんよ、アルくん。

 ボクは君に隠し事をしたし、心の底から君を信じてあげることが出来てもいなかった。

 許してくれ、だなんて言うつもりはないよ。

 君がもし、ロキのところに魅力を感じたというのなら、そこに改宗できるように尽力しよう。

 それがボクが君のためにできる数少ないもののひとつだ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「ヘスティア様、ステイタスを更新していただくとき、毎回私の内にある深淵の闇を体感していたのですか?」

 

 「ほんの少しだけね。初回以降はつながりをたどっていけばすぐに君を見つけられたから。

 とりあえず体に異常はないよ。大丈夫。多分君とつながってるおかげで耐性が出来てるんだと思うよ。」

 

 「それでもなお、私を思うがゆえにおそばに置いてくださった。」

 

 「うん、そうだね。ボクは君のことがだーい好きさ!」

 

 「私を守るために、ベルに武器を与えた。」

 

 「本当はボク自身の手で君を守ってあげたいけど、ベルくんに頼ることにした。ごめんね。」

 

 アルは涙が抑えられなくなった。

 どこまでこの女神は優しいのだろうか。

 ロキには敵意をぶつけられた。それが当然の反応なのだ。

 だというのに、この女神は恐怖を愛によって押し殺して、ともに生活してくれたのだ。

 涙を拭いても拭いてもどんどん零れ落ちてくる。

 

 「ヘスティア様、このアルトリウス、貴方以外に仕えるべき神はおりません。

 貴方を守るために、貴方の笑顔のために、戦いたい。

 未だ深淵を満足に抑えられぬ未熟者、貴方にとっては劇毒ともいえる存在だ。

 それでもなお、私でいいと言ってくださるのなら。今だけでいい。私に貴方を抱きしめさせてほしい。家族として、抱擁をさせてほしい。

 貴方という暖かく優しい炎で暖を取らせてほしいのです。」

 

 アルは腕を開いて、ベンチに座るヘスティアの前に跪いた。

 ヘスティアは、アルの兜に隠れている涙を指でぬぐった後、アルに飛びついた。

 

 「勿論だとも!君はボクの眷属なんだぜ!ロキのとこにいってもいいなんて言ったけど、君がボクでいいと言ってくれるならもう絶対にやるもんか!

 アルくん、君は優しい子だ。あんな深淵の闇よりも、ボクとベルくんの傍で騎士らしく輝いてるのがお似合いさ!

 だから、もう、負けないでくれよ!」

 

 「我が神の御命令とあらば!」

 

 アルは、ヘスティアを強く抱きしめて、そのぬくもりを実感した。

 ベルにも同じようにして、抱きしめてやらねばならないだろう。

 自身を救ってくれた英雄には、何が何でも礼を受け取ってもらう必要がある。

 

 「ぐ、ぐえぇー……。あ、アルくん、体格差考えて……。」

 

 「お、おぉ、失礼しました。つい感無量で……。」

 

 アルは、腕を緩めて少し苦しげだったヘスティアを開放した。

 ヘスティアはとても幸せそうににっこりと笑って、アルに立つように促した。

 

 「さぁ、帰ろう?ベルくんもそろそろいったん帰ってくるころさ。みんなで晩御飯を食べよう!」

 

 「えぇ、帰りましょう、我らがホームへ。」

 

 二人は連れ立って歩き始めた。二人の寄る辺へ。

 

 「いつか、貴方に黄昏の館のような素晴らしいホームをプレゼントいたしますよ。」

 

 「それは楽しみだね!ロキのよりも素敵な家を作ろうね!」

 

 未来に向かって二人が歩き始めた道は、西日に明るく照らされていた。





 オラリオの小さな噴水

 オラリオに存在する小さな噴水

 そこはかつてある神と、その眷属が二度のはじまりを迎えた場所

 以来そこは はじまりの象徴として

 多くの物語の序文に 用いられている
 
 その全ては 幸福な結末を迎えているらしい


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第十一話 魔法

 ヘスティア・ファミリアのスープ

 ヘスティア・ファミリアでおもに食べられるスープ

 その味はあっさりとしているが なぜかうまい

 武骨な鎧に包まれた手で作られるそれは 優しさに満ち溢れている

 まれに神が作ることもあるらしい


 アルが立ち去ってからの黄昏の館、そこでは姦しい女達の話が始まっていた。

 

 「ねぇねぇ、リヴェリア!キスだよキス!ホントにいるんだね、おとぎ話の騎士みたいなことする子って!」

 

 リヴェリアを囲んでティオナが大騒ぎをする。

 ほかにも、口は開かないもののリヴェリアの事が気になるアイズや、アルに対して怒り心頭のレフィーヤ、他人の恋を参考にしたいティオネが完璧な包囲網を形成する。

 

 「全くあの人は!ちょっといい人なのかなって思ってましたけど!

 よりにもよってリヴェリア様にキスするだなんて、許せません!」

 

 「そんなに怒ることないじゃない。ティオナじゃないけど、なかなかロマンチックなやり方で気に入ったわ。団長にあんなことされたらドキドキしちゃう!」

 

 恋に全力、生粋の肉食系女子のアマゾネスと、超貞淑なエルフとでは話がかみ合わず、二対一の舌戦が始まった。

 アマゾネスの姉妹は、アルがこれから強くなりそうだということもあって、高い評価を下している。

 一方レフィーヤは、とんでもない破廉恥野郎だという評価を下し、アマゾネス姉妹と食い違う。

 論議がヒートアップしてきたのか、あわや種族の性質についての議論に至ろうかというところに、リヴェリアが待ったをかけた。

 

 「おい、少しは落ち着かないか!全く、客人の見送りもせずに仲間内で喧嘩をしはじめるとは、恥ずかしいと思わないのか!」

 

 「「「ごめんなさい!」」」

 

 ママのお叱りを受けた三人は、ビクッと体を震わせて、謝罪する。

 そんな時に、リヴェリアの袖をちょいちょいとアイズが引いた。

 

 「どうした?お前も彼のことをどうこう言うつもりなのか?」

 

 「……気になって。リヴェリアがキスされるところ、初めて見た。」

 

 「お前も変わったな……。昔は、こういうことに興味を示さなかったが、今じゃ表情もいくらか豊かになって……。」

 

 かつてのアイズの姿とは違って、年相応に近い振る舞いが出てきたアイズにリヴェリアが感動していると、懲りずにティオナが質問する。

 

 「実際のところはどうなのさ~。ほら、アイズも気になってるんだし、教えてよ!」

 

 「別にどうもこうもない。ほら、散れ散れ。」

 

 リヴェリアは適当にあしらって、執務に戻ろうとする。 

 納得がいかない女たちがぶーぶーいっていると、力強く戸が開かれる音が響き渡った。

 

 「っかー!なーにが『リヴェリア殿は母性のような慈愛にあふれる御方ではありますが、母ではなく高貴で美しい淑女ですよ?』じゃ!

 気取りおってぇ!男なんちゅうのはどれだけ取り繕ったって獣なんじゃい!あ、リヴェリアおるやん!

 傷ついたからおっぱいもませてーな!あれ?リヴェリア?なに固まってんの?いつもはすぐに怒ってくるのに……。

 今日はいいんか?!リヴェリアの王族おっぱい揉んでいいんか?!」

 

 「いいわけないだろう。私は執務に戻る。ガレスからの取り立てもあるしな。」

 

 そうやって、リヴェリアは足早に去っていく。

 普段は歩きの所作に至るまでびっちりと作法が仕込まれているというのに、今日のリヴェリアの足音はいつもより少し大きく少し速かった。

 

 「あ~ん、行ってしもうた……。固まっとる時に問答無用でいってたらいけてたなぁ……。

 あ、せや!アイズたん、ちょっとお願い事してもええかぁ?」

 

 「いやです。触ってくるので。」

 

 「ちゃうちゃう!触りたいけど今日は別のお願い事!今晩ちょっと遅くまで出かけるから!

 だからステイタスの更新がしたい子おったら明日の朝にするでって伝えといて!」

 

 「どうして……?」

 

 「ちょっと『お話し』せんといかんから、や。」

 

 道化の神の悩み事はまだ終わらない。

 今度の相手は神の力が効かない相手。

 腹の内が分からない相手との対談が始まろうとしていた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ロキは、二人きりのレストランで、テーブルの向かい側に座る女神フレイヤをにらみつけた。

 

 「お前……。やってくれたなぁ。いつかちょっかいかけるとは思っとったけど、あんな爆弾に手ぇ出すアホがどこにおるねん。

 こうなることが分かっとってやったんやろ?」

 

 「アルのことかしら?あれは想定外よ。今回は二人にいいところを見せてもらおうと思って、モンスターを逃がしたんだけど……。」

 

 「そのモンスターがあいつを襲って、結果あのバカげた深淵っちゅうもんが広がったんやろうが!」

 

 「あら、あの闇は深淵っていうのね……。ミステリアスでいい響きだわ。

 けど、私が逃がしたのに、あんなモンスターはいなかったわ。」

 

 ロキは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 二つもポカをやらかしたからである。

 勢いあまって情報を少し漏らしてしまったことと、自分が思い違いをしていたことだ。

 

 フレイヤは深淵の事を知らなかった。しかし、深淵というワードを与えてしまった以上、彼女も調べに動き始めるだろう。

 そして、ロキは、広場の地下から急襲してきた新種のモンスターもフレイヤが逃がしたのだと思っていた。

 しかし、このフレイヤの発言が正しければ、オラリオに危険をもたらそうとしたものが、他にいるということになる。

 

 「信じられんな。ホンマにあのでっかいのの本性を見るためにやったんちゃうんやな?」

 

 「本当よ。予想外の出来事が、まさかここまでいい結果に転んでくれるだなんて思ってもみなかったわ。

 光と闇。まるで二人で一つの英雄譚のようだった……。オッタルはまだまだダメだっていうのだけれどね。」

 

 「そんな、お前の感想なんか知るか!」

 

 「あら、関係あるわよ?私はあの子たちに頑張ってもらいたいし、あなたにも付き合ってもらうかもって言ったわ。

 それに、あなただけアルとお話ししたなんてずるいわ。私だって神としてあの子たちと話がしたいのに……。」

 

 ロキは目の前の嫉妬のまなざしを向けてくる女神の顔をぶん殴りたくなっていた。

 この女神はヘスティア・ファミリアにちょっかいをかけ続けて、トラブルを引き起こし続けると宣言したようなものだ。

 それも、自分のロキ・ファミリアすら巻き込んで。

 大迷惑もいいところだ。まだ、ヘスティア、ドチビが痛い目見るだけならばいい。

 深淵という起爆スイッチを入れてはいけない爆弾を取り合う、超スリリングな花いちもんめに強制参加など、昔の彼女であっても願い下げだろう。

 そういうことは外野で騒ぐから楽しいのである。

 

 「っち……。次はどうするつもりや。悪いけど、ウチはあのでっかいのは今でも殺すか鎖につないでおくかしといた方がいいと思っとるんやで。

 下手にどでかいことをおっぱじめてみろ。痛い目見させたるからな。」

 

 「大丈夫よ。ちょっとあの子たちが早く成長できるようにお手伝いしたり、あの子たちが輝ける舞台を用意するだけよ。

 ふふふ、ねぇ、ロキ。光と闇がともに試練を乗り越えて高みに至ったら……、とっても素敵だと思わない?」

 

 「っけ、素敵かどうかは知らん。お前の言う光の方はウチは、まだよう知らんからな。

 けど少なくとも、でっかいのが深淵をまき散らさないようになることを祈っとるわ。」

 

 一方の神は恋の悦楽と嫉妬を存分に味わい、一方の神は苦悩と不安と胃痛に悩まされることになった。

 かくして「話し合い」は終わりをつげ、神々は食事を始めることになった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 そんな神々のひっそりとした戦いを全く知ることなく、ベルとアルは再会の感動に浸っていた。

 

 「アル!帰ってきてくれたんだね!無事でよかったよ!」

 

 「ベルよ!貴公のおかげで無事に帰ってこれたのだ!わっはっは!貴公の勇気に万歳!」

 

 抱き合って背中をばしばしと叩き合って、とても暑苦しい。

 しかし、そばにいるヘスティアは、言い表せないほどに幸せな気分だった。

 二人がいて、そしてヘスティア自身がいるといういつものホームの暖かさが、なによりも居心地が良かったからだ。

 

 「ボクも混ぜろー!うわーい!」

 

 「カミサマばんざーい!アルばんざーい!」

 

 「ヘスティア様万歳!ベル万歳!」

 

 結局ヘスティアも我慢できなくなって、三人で抱き合うことになった。

 実際、アルが二人を抱き上げてグルグル回転しているのだが、ともかく三人はまた一つに戻ったのだ。

 

 ひとしきり騒ぎ切った後、晩餐が始まった。

 芋のスープに少しの肉、じゃが丸くんとパン。いつも通りの夕食なのだが、とてもおいしく感じていた。

 

 「ベルはシルバーバックを一人で倒したのか!いやはや我が英雄殿はすさまじいな!」

 

 「アルだってすごいや!何体もモンスターを倒して、それだけじゃなくて、あのガレスさんに認められるだなんて!」

 

 「二人ともボクの認めた子供だからね、当然さ!ご飯食べたら、ステイタスを更新しておこうか!

 きっと二人ともすごく成長してると思うよ!」

 

 二人の戦いを話の肴に、食事がどんどん減っていく。

 そうして、晩餐も終わり、ついにステイタスの更新の時間がやってきた。

 ベルも、アルも、楽しみで仕方がない。

 

 「ベル、どれだけ成長しているだろうな?」

 

 「カミサマがすごくって言ってるからすごくだよ!」

 

 「ははは、違いない。」

 

 「よーっし、準備オッケー!さぁ、ベルくんカモン!」

 

 先にベルが呼ばれて、ベッドの上に寝そべる。

 ステイタスを更新していたヘスティアは、何とか踏みとどまるものの、気を失うほどに驚いた。

 

 「お、男の子ってすごいんだなぁ……。いつの間にかぐーんと成長しちゃうんだから……。」

 

 「そんなに成長してるんですか?!」

 

 「うん……。ボク倒れるかと思ったよ。」

 

 ―――――

 

 ベル・クラネル

 

 Lv.1

 

 力 :F379→E452

 耐久:F310→E401

 器用:F341→E470

 敏捷:E410→D541

 魔力:I0→I0

 

 ≪魔法≫

 

 【】

 

 ≪スキル≫

 

 【英雄誓約】

 

 ・窮地の際に任意で誓約霊を呼び出せる。(対象誓約:【狼騎士誓約】)

 ・全アビリティに補正。

 ・補正効果は誓約レベルに依存。(現在レベル2)

 

 ―――――

 

 「おぉ、ベルよ、誓約レベルが上がっているじゃないか。」

 

 「それに敏捷がDだよ、D!凄いなぁ……。」

 

 ベルは嬉しそうに、ステイタスの紙を眺めている。

 アビリティがDともなると、次のステップに一つ足をかけていることになる。

 はっきり言って、異常である。

 数週間前まではいはいで歩き回っていた赤子が、素手でリンゴを握りつぶせるようになっているような、あり得ないほどに飛躍的な進化を遂げていた。

 

 「多分、誓約のレベルが上がったことで補正が強くかかり始めたんだろうね。

 もし、二人の誓約のレベルが連動するものだとしたら、アルくんも相当強くなっているはずさ!」

 

 「ほほぉ、それは楽しみだ。ではヘスティア様、私もお願いいたします。」

 

 「まっかせなさーい!」

 

 アルが、いつものように足をはみ出させながら、ステイタスの更新を受けた。

 ヘスティアは二連続の異常に思わず叫ぶことになった。

 

 「なんじゃこりゃぁぁぁぁ!!!!」

 

 「わ、私の身に何かありましたか?!」

 

 ヘスティアが取り落とした紙を、アルが長い腕を駆使して床から拾い上げると、アルのステイタスが書いてあった。

 

 ―――――

 

 アルトリウス

 

 Lv.1

 

 力 :E459→D560

 耐久:F376→E483

 器用:F341→E432

 敏捷:F355→E409

 魔力:I0→I51

 

 ≪魔法≫

 

 

 【ソウル・レガリア】

 ・継承魔法

 ・魔術・呪術・奇跡を継承し記憶する。

 ・継承できる魔法の数は記憶スロットに依存。(現在1)

 ・使用可能魔法はステイタスに依存。

 ・安全領域でのみ詠唱可。

 ・詠唱式

 【我が解き明かすは真理、我が求めるは神秘。我が手に杖を、我が魂に啓蒙を。来たれ、賢者よ。我は最後の王の長子。この血に魔術を教えたまえ。】

 【我が熾すは火花、我が生み出すは焔。我が手に火を、我が魂に薪を。来たれ、術者よ。我は最後の王の長子。この血に呪術を注ぎたまえ。】

 【我が歌うは聖歌、我が紡ぐは神話。我が手に触媒を、我が魂に加護を。来たれ、聖者よ。我は最後の王の長子。この血に奇跡を与えたまえ。】

 

 ≪スキル≫

 

 【火継暗魂】

 

 ・内なる火を継ぐ。

 ・心折れぬ間は効果は持続する。

 ・心折れぬほど効果は向上する。

 

 【狼騎士誓約】

 

 ・窮地の際に任意で誓約霊を呼び出せる。(対象誓約:【英雄誓約】)

 ・全アビリティに補正。

 ・補正効果は誓約レベルに依存。(現在レベル2)

 

 【深淵篝火】

 

 ・深淵に対する耐性超強化。

 ・深淵を纏い操る。

 ・聖剣の担い手の資格を得る。

 

 ―――――

 

 「この魔法は一体どういうことだ……。全く分からん。」

 

 「魔法?!アル、魔法が使えるようになったの?!」

 

 「いや、そうらしいが、書いている意味が一切理解できんのだ。ベルも見てみるか?」

 

 アルは背中の上にヘスティアを乗せたまま、ベルに紙切れを手渡す。

 ベルは上から下までじっくりと見ると、二つの新しい項目に目が留まった。

 

 「あれ、アル魔法だけじゃなくてスキルも一つ増えてるよ?」

 

 ベルの疑問にフリーズから再起動したヘスティアが答え始める。

 

 「あぁ、ベルくん。それはボクが伝えていなかったんだよ。効果もわからなかったし、ちょっと嫌な予感がしていたからね。

 詳しい説明は省くけど、君が見たというアルくんの深淵の闇も、そのスキルが影響しているんだと思う。

 もう影響が出始めている以上は、君たちは知っておいた方がいい。これから先、何があるかわからないけどアルくんを助けてあげるんだよ。」

 

 「はい!」

 

 もっとも、この時ヘスティアはベルのスキルのことも隠している。

 ベルのスキルも、アルのスキル同様に、安全のために隠すべきものだ。

 アルのように、知る必要性がないのなら知らなくても問題はない。

 しかし、二人のためとはいえ、隠し事ばかりして、ヘスティアの心はあまり良い気分ではなかった。

 

 「ヘスティア様、そろそろ降りて頂けませんか?」

 

 「あぁ、ごめんよ、アルくん。もう少し堪能したかったけど、今はその魔法の話をしなきゃ。」

 

 ヘスティアは落ち込むのをやめて、ひょいっとアルの背中から降りた。

 アルも身を起こして、ベッドから降りて椅子に座った。

 ベル、アル、ヘスティアが円を作る形になって向き合う。

 

 「ねぇ、アル。一回使ってみたら?」

 

 「それが案外いいかもしれないね!ボクも賛成さ!」

 

 「効果もわからないものをホームで使ってよいものなのでしょうか……?」

 

 アルは、もしものことを考えて、魔法を使うことを躊躇した。

 しかし、ヘスティアは指を振って舌を鳴らす。

 

 「ちっちっち、甘いぜアルくん!この魔法、安全領域でしか唱えられないんだろう?

 ということは、直接的なダメージを与えるものじゃないはずさ。ボクの予想だけど、これは君の内側に眠る魂から、力をもらう魔法だと思う。

 そのもらった力をぶっ放したりしたら、危ないかもしれないけどね!」

 

 「なるほど……。では、やってみます。」

 

 「僕、魔法を使っているところを見るの初めてだ……!頑張って、アル!」

 

 アルの周りでベルとヘスティアが応援し始める。

 二人の期待に少しプレッシャーを感じながら、アルは詠唱式を紡ぎ始めた。

 

 「まずは、一番上の詠唱から参ります。

 【我が解き明かすは真理、我が求めるは神秘。我が手に杖を、我が魂に啓蒙を。来たれ、賢者よ。我は最後の王の長子。この血に魔術を教えたまえ。】

 おぉ、頭の中に何かが思い浮かんできます!」 

 

 「アルくん、それはなんだい?!」

 

 「『ソウルの矢』『ソウルの太矢』『魔法の武器』……。

 まだ少しありますが、魔術の使い方や使用回数なども浮かんできました!

 どうやらこの魔術なるものを覚えられるようです!」

 

 「凄いや!僕も魔法が出ないかなぁ!」

 

 アルの規格外の魔法に、ベルは強い憧れを抱く。

 魔法というものは、英雄の切り札だというイメージが強いからである。

 そんなベルの様子に気が付いたヘスティアはフォローを入れる。

 

 「魔法は勉強すれば発現しやすくなるらしいし、何より自分らしいものが出ると聞いている。

 ベルくんも、ずっと頑張っていれば魔法が出るさ!」

 

 「あぁ、ベルならばやれるさ。私はそう信じている。」

 

 「分かった!僕、もっと頑張ります!」

 

 「それでよし!じゃあアルくん、次の詠唱行ってみよう!」

 

 そうして、アルの使える魔術、呪術、奇跡の確認が行われた。

 アルは二人の協力によって、紙に魔法の効果と使用回数などを記録することが出来た。

 詠唱すれば確認はできるのだが、パーティーを組むベルと、主神であるヘスティアにも見てもらうための計らいだった。

 

 「この『浄火』ってカッコいい名前だね!けど、モンスターを直接つかむなんて危ないかなぁ。」

 

 「ボクはこの『生命湧き』とかいいと思うな。ポーションも節約できて、二人とも無事に帰ってこれる確率が上がるかもしれないしね。」

 

 「これは、何を使うか悩まされますなぁ。色々と使ってみて、ベルとのコンビネーションを考えてた方がよさそうです。

 ベル、明日もダンジョンに潜るだろう?少し、付き合ってもらえるか?」

 

 「勿論だよ!けど、アルは魔法を使うための杖とか持ってるの?」

 

 「確か、母上が箱に入れていたような気がする。明日の朝用意しておくさ。」

 

 「よぉし、じゃあ今日は寝よう!おやすみ、二人とも!あ、その前にアルくん、ちょっとちょっと。」

 

 寝る前にアルとヘスティアが少し話をして、ヘスティア・ファミリアは一日を終えた。

 アルは、自分の毛布にくるまると、やっぱり足が飛び出している感覚があることに気づいた。

 足元は寒いけれど、なんだかとても温かい気持ちになって眠りについた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「うーん……。アルの出来ることが多くなりすぎて、難しいね。」

 

 「あぁ、そうだなぁ。私も考えるタイプではあるんだが、こうも増えるとなぁ……。

 『ソウルの矢』を使うより突いた方が速いと思ってしまう時があるし、私が何を持ってきたか分からなくなりそうだ。」

 

 アルとベルは翌日、ダンジョンの1階層を何度も行ったり来たりし、魔法の確認をおこなった後、6階層に来ていた。

 アルは、「魔術師の杖」と「粗布のタリスマン」を持ってきて、1階層でひたすら魔術や奇跡や呪術を試してきたのだ。

 周りの冒険者は、浅い階層をマラソンする二人を怪訝な目で見ていたが、アルが魔法の入れ替えを行うには必要なことであったので、二人は恥ずかしさを押し殺しながら検証をしたのだった。

 

 結果として、アルは遠距離攻撃を手に入れられたものの彼の持ち味そのものが失われる可能性に気が付いた。

 ソウルの矢を打つ暇があるなら、突き込んだ方が速い。火の玉を投げる間があるなら盾で殴ったほうが速い。

 そもそも、盾をもって前に出る役割が強いアルにとって、魔法戦士というものはあまり向いていない。

 より強い魔法を使えるようになったならばある程度使い分けが効くのであろうが、まだその段階にいないアルにとっては魔法は剣と盾ほど頼れるものではなかったのだ。

 

 「そうだ、アルに魔法の先生がいたらいいんじゃないかな!」

 

 「おぉ、先生がいたら使い方や使いどころが分かるのだろうが……。いかんせんヘスティア・ファミリアは我々だけだからなぁ。

 師事すべき先達がいないのが残念だ。まぁ、今はやれることをやるだけさ。さぁ、ウォーシャドウたちだ。来るぞ!」

 

 二人は話をやめて、ウォーシャドウ相手に大立ち回りを開始した。

 しかし、数日前より格段に強くなっている二人は、物足りない気持ちのまま、今日のダンジョン探索を終えた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「聖火の黒剣、素晴らしいものだな。今まで以上に背中の安心感がある。」

 

 「いいよね、これ。アルが持ってた素材を使ってもらったんだって。ありがとう、アル。」

 

 「ははは、それで私を一度救ってくれているのだ。それだけで十分さ。さぁて、エイナ殿にお伺いを立てるとするか。」

 

 二人はギルドへと戻り、エイナを探し始める。

 目的はただ一つ、更なる下層への進出の許可を取ることである。

 本来、冒険者がアドバイザーに対してここまで下手に出ることはない。

 しかし、ベルもアルもエイナのおかげで何とかなっているのだという自覚とそれに対する深い恩義を感じている。

 だからこそ、彼女の言うことを聞くし、彼女がダメだというならば基本はダメなのだ。

 

 「あれ、ベルくんとアルくんじゃない?どうかしたの?」

 

 「7階層に行く許可をください!」

 

 「我ら、かなり成長しました故、ウォーシャドウでは物足りないのです。」

 

 エイナは、二人のその言葉に愕然とし、絶叫した。

 

 「何を言ってるのあなたたちはぁ!7階層なんてダメ!ウォーシャドウで物足りないなんて気のせい!」

 

 「でも、僕たちアビリティがDになったのがあるんですよ!」

 

 「まぁエイナ殿がそれでもと仰るなら引き下がるが……。」

 

 エイナは、ベルが嘘をつく性格ではないことを知っているし、アルが嘘を許すような人間ではないことを知っている。

 だからこそ、エイナは、最終確認のために二人を個室の相談室に連れ込むことにした。

 そこで、二人の鎧と服をはぎ取り、背中に刻まれたステイタスを見た。

 

 エイナは、リヴェリアの付き人、アイナ・チュールの娘である。

 王族の付き人たるもの、教養は必須。

 その娘であるエイナも神聖文字を読める程度の教養は叩き込まれているというわけだ。

 

 「本当に、二人ともDになってるアビリティがある……。

 私に読めない部分も何個かあるけれど、決して虚偽申告ってわけじゃない……。

 けど、7階層に行くにはなぁ……。」

 

 エイナはベルとアルを交互に見比べる。

 アルはボロボロではあるが全身鎧で盾も持っている。合格だ。

 問題はベルである。スタイルの問題もあるかもしれないが、ただの胸当てしか装着していないというのは心もとない。

 せめてある程度の鎧やプロテクターはつけておかないと危険だ。

 何より、この二人は短期間で「万が一」の状況を引き当て続けている。

 万が一の時に必要なものが確実に必要になってくるレベルの悪運だ。

 

 「よっし、しょうがない。二人とも、明日は時間あるかな?」

 

 「僕は暇ですけど……。アルもだよね?」

 

 「すまないが、私は先約があってな。」

 

 ベルは珍しくアルが先に予定を入れていることに驚いた。

 アルは仮に予定を入れていたとしても、些細なことでも共有するようなマメな性格をしているから、ベルはその予定が気になってしかたがない。

 

 「えぇっ?!どうして?!何するの?!」

 

 「あぁ、ヘスティア様が内密に行ってこい、とな。まぁ我が主神のことだ、悪い内容ではないだろう。

 エイナ殿、私が伴う必要がありますか?」

 

 「ベルくん一人でも大丈夫だよ。むしろ、ベルくんがダメだったなら、先送りになってたかも。

 それじゃあ、ベルくん、明日はデートしよっか!」

 

 「えぇえええ?!」「うわっはっはっは!」

 

 驚愕のあまり叫びだした冒険者の声と、その反応が予想通り過ぎて思わず笑いだしてしまった冒険者の声が、夕暮れのギルドの中で響いたという。

 




 受付嬢の制服

 ギルドの受付嬢に支給される制服

 フォーマルなその服装は 冒険者と対極の位置にある

 ある神曰く そのお固さがいいとのことだ

 神の趣味はしばしば 下界の人間よりも低俗だ


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第十二話 デート

 オラリオの細い路地の本屋

 オラリオに存在する数少ない本屋の一つ

 本好きには知られている名店で どこからか名本を仕入れてきている

 ただ 店主は語る
 
 安く買いたたかれるのだけは御免だ と


 

 「お目通りが叶って大変うれしく思います、神ヘファイストス。

 我が主神ヘスティア様から、そのご活躍はお伺いしております。」

 

 「ねぇ、ヘスティア。ホントに固いわねこの子。」

 

 「へへん、ボクの自慢の子だよ!アルくん、ごめんね、こんな朝早くから……。」

 

 「いえいえ、内密に神に拝謁するともなればこうもなりましょう。」

 

 アルは、ヘスティアとともに、早朝ホームを発ち、ヘファイストスのもとを訪れていた。

 先日アルとヘスティアが話していた内容はこれだった。

 ヘスティアとしてはもう少し時期を遅らせておきたかったところだが、ロキとの邂逅や深淵の発露のことを考えて、今日を指定したのだった。

 

 「さてさて、じゃああんたは仕事に行って頂戴。

 さぼりでもしたら許さないからね?」

 

 「分かってるって!それじゃあアルくん、後はよろしく頼むよ!」

 

 手をひらひらと振って、ヘスティアが退出すると、部屋はアルとヘファイストスの二人きりになる。

 先ほどとは打って変わってヘファイストスの纏う雰囲気は剣呑なものになる。

 

 「アルトリウス、ヘスティアがあなたを眷属として受け入れている以上は色々言うつもりはないけれど……。正直私はあなたを簡単には受け入れられないわ。あなたも、あなたの語る神話とやらも、そしてあなたに楔石の原盤を与えたというあなたのお母さんもね。」

 

 「左様でございますか……。それはもとより覚悟の上の事。

 私が忠義を尽くすはヘスティア様のみ。あのお方を守るが我が使命。

 たとえヘファイストス様に受け入れられなくとも、そこを違えるつもりはありません。」

 

 「本心からそう思っているようね。ならいいわ。あなたがヘスティアを守っている限り、信用してあげる。」

 

 「ありがたき幸せです。」

 

 ヘファイストスは肩に入れている力を抜いた。

 もとより、言うほど警戒したりするつもりはなかった。

 ただ、アルからの言葉を聞きたかっただけなのだ。

 ヘスティアは優しすぎて、本当に危険なものでも抱えてしまうかもしれないと、ヘファイストスは無二の神友として断言できる。

 だからこそ、彼女自身で確かめたいと思ったのだった。

 

 「さぁて、それじゃああなたの獲物を見せてもらいましょうか?聖剣なんでしょう?」

 

 「えぇ、たとえなんと言われようとも、これが私の聖剣にございますよ。」

 

 アルは背負っていた大剣を膝をついてヘファイストスに捧げる。

 ヘファイストスはそれを手に取って丹念に見分し、口を開いた。

 

 「ねぇ、聖剣ってなんだかわかる?」

 

 「聖なる剣、すなわち邪悪なものを断ち切る剣でしょうか?」

 

 「まぁ結局そうなるんだけど、その本質は別のところにある。

 聖剣は、精霊や神が加護を与えた英雄に捧げる剣なのよ。

 その力は理を覆すほどに強力なものばかりだけれど、当然代償は存在するわ。」

 

 「代償、ですか?」

 

 「そう、誓約と言ってもいいわ。例えば、聖剣を人を害するために使えばその力は失われる、とか。ある人物以外には使えない、とか。聖火の黒剣もそういう意味では聖剣にあたるのかもしれないわね。加護は与えてないから部分的でしかないけれど。

 さて、本題。この剣はたしかに聖剣よ。何者かが契約を結び加護を与えたような残り香を感じる。けど、この剣は聖剣としてはもう折れている。その本来の力を出すことはもうないでしょうね。」

 

 アルは愕然としてしまった。

 アルが夢の中で見たあの深淵の魔物、マヌスを切り払うには聖剣は必須だと思っていたからだ。

 スキルにもわざわざ書いてある以上は関係がないわけではない。

 アルは深い絶望感というものを感じてしまった。

 

 しかし、折れるなという使命を深淵歩き本人から与えられた以上、あがき続けねばならない。

 アルは、鍛冶の神にすがった。

 

 「ヘファイストス様、この剣を聖剣として蘇らせるにはどうすればよいのですか?

 私はどうすればこの剣を本来の姿に戻してやれますか?!」

 

 「そうねぇ……。剣を納得させる、あるいはもう一度奮起させることができれば、あなたに力を貸してくれるようになるかもしれないわ。

 もっとも、聖剣は折れてしまった以上は二度ともとには戻らないと言われている。

 あきらめてもいいと思うけど?」

 

 「いえ、この剣でなくてはいけない理由があるのです。この剣は母の託してくれたものであり、先代の使い手から受け継いだものでもあります。

 その御方の遺志を全うしたいのです。」

 

 ヘファイストスはアルの真剣な声色に、その強い意志を見出した。

 それ以上は語らずに、アルに聖剣を返した。

 

 「頑張りなさい。」

 

 「無論です。」

 

 鍛冶の神のエールを受けて、アルは奮起した。

 ただの一言でここまで力を感じるのは、ヘファイストスが鍛冶の神の中でも無類の腕を誇っているからであろう。

 アルは意気揚々と挨拶をしてから帰ろうとすると、ばたりと戸が開いた。

 

 「主神様~。手前の新しい鎧の出来を見てくれんか?

 おぉ、アル公ではないか。息災か?」

 

 「椿殿……?私は元気ですが……。まさかヘファイストス・ファミリアの鍛冶師であられましたか。」

 

 「あら、知り合いなの、二人とも?」

 

 「ほれ、この間良い鎧と出会ったと言ったであろう?その持ち主がこのアル公よ。」

 

 「なるほどねぇ。」

 

 アルは偶然の出会いに驚くとともに、ヘファイストスと親し気に話す椿の様子に言葉が出てこない。

 椿はあまり上下関係を丁寧に気にするタイプとは思えないが、商業ファミリアとしてトップクラスに位置するヘファイストス・ファミリアの主神に対してこのような態度が取れることが信じられなかった。

 

 「そうだ、今度苗字を教えると言っておったな。手前は椿・コルブランド。このファミリアの団長よ。」

 

 「なるほど、合点がいきました。あの見事な業、最上級鍛冶師(マスター・スミス)ともなれば納得だ。」

 

 「手前がお高い女だというのは本当の事であったろう?」

 

 「そうですな。私の鎧の修繕にいくらかかるか分かったものではない。これは一生かけねば貴方に仕事をしてもらえ無さそうだ。」

 

 「それで?椿の新作がアルトリウスの鎧をもとに作られているなら、見比べてあげましょうか?」

 

 ヘファイストスが、少し面白そうに、鎧の性能を見比べてみようと言い始めた。

 椿としては、かなり自信をもって作った試作品なので、良い評価が得られるだろうという確信を持っている。

 アルは空気をよんで手甲を脱ぎ始めた。

 

 「どれどれ……。椿のは値段をつけるとしたら1億ヴァリスはいってもおかしくないけど……。ダメね、あなたの負けよ。価格ではあなたが勝つでしょうけど、武具としてはあなたの方が負けるわ。」

 

 「なんと、辛口であるなぁ、主神様は。」

 

 「私にも、どこに差があるのか一見した限りではわかりません。とても良い鎧であるということぐらいしか……。」

 

 「差が出たのは耐久性の部分よ。椿の作った鎧は精巧に作られてはいるけれど、ここの小さい部分とかは他と比べて脆くなり過ぎてる。硬度はそのボロボロの鎧よりもあるでしょうけど、この部分が破砕すれば全体の動きが一気に悪くなるわ。

 その点、この鎧は小片一つ残らず適切な硬さのバランスが取られてる。全体をイメージして設計されているわ。

 椿、あなたアイデアが先行しすぎて、全体のバランスのこと忘れてたわね?」

 

 「その鎧の精巧な技術を超えたくてなぁ。気が逸ってしまったわ。はっはっは!」

 

 「しかし、椿殿の鎧も見事ですよ。この裏地の部分は使い手のことを考えて丁寧になめしているのが伺える。

 それに、ここの空間は仕込み武具を入れるためのものでしょう?あらゆる使い手の事を考えているというのもわかる。」

 

 「こう素直に褒められると照れるな!」

 

 アルは新品の鎧をありとあらゆる角度から嘗め回すように鑑賞していた。

 アルとてピカピカの鎧に興奮しないわけではなく、その機能性の高さに驚かないわけでもない。

 アルは、自分の鎧をいつかこの鎧のように、本来の四騎士が賜ったままの美しい姿に戻してやりたいと願った。

 そんなアルの願いを知ってか知らずか、椿がある提案をする。

 

 「アル公、出来れば金を払うという矜持を引っ込めて、その鎧を修繕させてほしい。

 その鎧に負けた以上は研究したいのだ。」

 

 「なるほど、そういうことならば、といいたいところですが、修繕している間の防具がないことには稼ぎに行けません。零細ファミリアである我々にとっては死活問題になりえます。

 それに、やはり何も為さずに貴方の提案を受け入れるのは気が引ける。ですから、こういたしましょう。私がレベル2になり、光り輝く鎧に相応しい騎士になれば、修繕をお願いしましょう。」

 

 アルが手甲を着ながら答えると、ヘファイストスが突っ込んだ。

 

 「主神の前でただ働きの話なんてしないでくれるかしら?」

 

 「それもそうだ!はっはっは!」

 

 「全くその通りですな。ははは!」

 

 椿とアルの商談に、ファミリアの主神からのツッコミが入り、おかしくなって二人は笑い出した。

 最上級鍛冶師が、駆け出しの冒険者の鎧の修繕をするなどという話がそもそもおかしい。

 その上、ただ働きで修繕するとなると大ほら吹きの話もいい所である。

 

 しかし、椿は笑ってはいるものの本気ではあった。

 【単眼の巨師(キュクロプス)】とうたわれた彼女は、ひげ面で上半身裸の鍛冶の神アンドレイや神の国アノールロンドが誇る巨人の鍛冶師といった者たちに挑もうというのだ。

 そこに本気にならずして、鍛冶師が名乗れるであろうか。

 

 「では、アル公。早くレベルアップしてくれよ?手前は待つのは苦手なんだ。」

 

 「貴方が待ちくたびれるより早く、レベルアップすることをお約束します。

 では、私はこれで失礼いたします。本日はありがとうございました。」

 

 「気を付けて帰りなさい。あなたになにかあったらヘスティアがうるさいわ。」

 

 「またな、アル公。」

 

 「えぇ、お二人ともお元気で。」

 

 こうしてアルはヘファイストスの執務室から立ち去った。

 アルの予定はこれで終わり、アルはヘファイストス・ファミリアから出てエレベーターに乗り込みながらこれからどうするかを考えていた。

 ベルとの合流は難しいだろうし、一人でダンジョンに潜るのも悪くはないが、いまいちそういう気分にはなれない。

 そうしていると、アルは前から駆け込んでくる若い男とまっこうからぶつかってしまった。

 

 「おっと、すまねぇ!悪かったな。」

 

 「いや、こちらの手落ちだ。避けられなくて申し訳ない。」

 

 「悪いのは急いでた俺の方だ。さっさとしねぇと辺鄙なところに俺の品が並べられちまうんでな。駆け出しの鍛冶師にゃ死活問題なんだ。」

 

 「ならば急いでくれ。私が貴公の商売の邪魔をしてしまったら気分が悪い。もう気にしないでくれ。」

 

 「そんじゃあ恩に着るぜ!じゃあな!」

 

 そう言ってエレベーターに駆け込む赤い髪の男の後姿を見送りながら、アルは彼の商売繁盛を祈った。

 いい使い手に彼の作品が見つかってくれますように、と。

 

――――――――――

 

 アルはオラリオをぶらつきながら、調べ物をすることにした。

 自身のことや、聖剣のこと、深淵の事、そして魔法についての知識を得るためだ。

 特に魔法については本などを手に入れられれば使い方のヒント程度は得られるだろう。

 

 「おぉ、ここが本屋か。ようやく見つけたぞ……!」

 

 オラリオは良くも悪くも冒険者の街である。

 飯屋や宿屋、武器屋に風俗街、そういう冒険者好みの施設はたんまりある。

 しかし、本を好む冒険者は少ない。

 魔導士であっても、勉強熱心なものでない限り、本をたくさん買うなんてことは少ない。

 だからオラリオには本屋は少ないのだ。

 そういうわけでアルは苦労して苦労してようやく本屋を発見したのであった。

 

 「失礼いたします。こちらで本を取り扱っているというのは本当ですか?」

 

 「ん……?兄ちゃん、魔導書(グリモア)ならうちでは置いてないよ。普通の本なら山のようにあるけどねぇ。」

 

 「その、グリモアなるものはよく知りませんが……。求めているのは魔法の指南書や、伝記神話の類です。」

 

 「そうかい。若いのに本で学ぼうとするなんて感心感心。どれ、この老いぼれも魔法の指南書ならあてがある。少し待ってな。持ってきてやる。」

 

 「ありがとうございます、店主。」

 

 そうして、年老いた本屋の店主が奥に引っ込んでいき、分厚い本をもって戻ってきた。

 その本は年季が入っており、価値が高そうに見える。

 

 「こいつはな、とってもいい本だ。自力で魔法を勉強するならこれがいい。安くしといてやる。」

 

 「そこまでしてもらってよろしいのですか?」

 

 「どうせ、客がほとんどいないんじゃ商売にならん。よく来るのはやかましいアマゾネスとおっかねぇエルフくらいさ。あとはたまにしか来ん。兄ちゃんが来るようになりゃ少しは飯代が稼げる。」

 

 「そういう事であれば……。あぁ、店主、よければ私が他にも求めているような本を見繕っていただきたい。聖剣について分かる本、人の魂について分かる本、そして、グウィン大王について書かれた本です。」

 

 「前の二つには心当たりがあるがねぇ。一番最後のは聞いたこともない。どれ、探してきてやろう。そこに椅子があるだろう?その間にこの本を読んでおいても構わんよ。座って読んでな。」

 

 そういってまた店主は奥の本棚に引っ込んでいく。

 アルはその厚意に甘えて、本を読みだした。

 タイトルは『大魔導士の帽子の中身』。一見ふざけたタイトルに見えるが、その内容は最初から濃密であった。

 魔法とは何か、その鍛錬の仕方、使いどころ、様々な考察も交えて綿密に書き込まれている。

 黙々と読み進めていると、本屋の扉が開いた。

 

 「店主、いくつか本を……。奇遇だな。」

 

 「リヴェリア殿……?幻、ではないですね。本当に偶然だ。」

 

 その扉を開けたのはリヴェリアであった。

 特徴的な杖は持っておらず、ただの休日の外出であることがうかがえる。

 

 「あぁ、そうだ。店主なら今本を探してもらっているところです。

 リヴェリア殿もよろしければこちらでお待ちになってはいかがですか?」

 

 「そうさせてもらおうか。しかし、お前は堅苦しすぎる、もう少し肩の力を抜け。

 そういうのは私も疲れるんだ。できれば気軽に話してほしい。」

 

 「善処はいたしますよ。その、リヴェリアど……さん。」

 

 「ふふ、なんだその呼び方は。」

 

 「むしろ貴方に敬意を払わない方が難しいのですよ……。」

 

 リヴェリアが、アルの横に椅子を置いて座る。

 アルは恩義を感じている相手の願いにこたえようと努力するものの、上手くいかない。

 もとより不器用で愚直な人間なのだ、器用に人を呼ぶのは得意ではない。

 それにアルは、ヘスティアのように敬意を払うべき人には敬意が伝わるように話し、ベルのように対等で心の通じ合った仲間に対してだけ気楽に話すのだ。

 敬意を払うべき人間であるリヴェリアに対してさんづけするだけでも快挙といえるだろう。

 

 「ほう、その本を読んでいるのか。あの店主の勧めだな?」

 

 「えぇ、そうです!これは素晴らしい本だ。とても分かりやすいです。」

 

 「しかし、魔法について書かれた本を読んでいるところからして、魔法が発現したのか。」

 

 「はい。師事すべき先達がおりませんから、こうして本で勉強しようと思い至ったのです。」

 

 「ふむ、そうか……。」

 

 リヴェリアが少し考え込むように腕を組み始めたところに、店主が戻ってきた。

 

 「兄ちゃん、『聖剣大全』と『魂魄大解剖』はあったよ。けど神話と伝記のところをある程度探してみたが、グウィンなんて王様について書かれた本はなかったよ。悪いねぇ。

 って、あんた来てたのか。全く、あんたはいい本を安く買っていくからあんまり来てほしくないんだ。」

 

 「ならば商売のやり方を工夫することだな。」

 

 「はいはい、全く王族様は商売人泣かせなことだ。さて、兄ちゃん、勘定だが三冊1万ヴァリスで売ってやる。」

 

 「随分と破格で売るじゃないか。私にもそれぐらいで売ってくれないか?」

 

 「あんたが買う本は一冊で10万ヴァリスもするような希少本ばかりじゃないか。商売あがったりだよ。全く、仕入れにどれだけ苦労してると思ってるんだ。」

 

 アルは店主とリヴェリアのやり取りから、長い付き合いなのだと察しがついた。

 そして、軽口を叩き合う二人を楽しげに見つめながら、腰元から財布を取り出した。

 

 「店主、1万2千ヴァリスで買わせていただきます。こうして本を見繕ってくれたのです、チップを払うぐらいよろしいでしょう?」

 

 「ほれ、ごうつくエルフ。こういうのがいい客ってんだ。その2千ヴァリスは今度来た時に使ってくれ。また顔を出してくれりゃ気分も晴れる。」

 

 「では、必ずまた来ます。1万ヴァリスです。」

 

 「毎度。で、エルフさんは何をお求めで?」

 

 「『黒龍譚』『精霊伝』『賢者の指』を頼む。仕入れたそうじゃないか。」

 

 「どこで聞きつけたんだか……。あいよ、持ってきてやる。」

 

 リヴェリアが店主に注文して、店主はそれに不服そうな顔をしながら奥に戻っていった。

 どうやら相当にいい本らしい。店主の言葉が正しければ、それを安く買う気なのだろう。

 アルは邪魔しないように挨拶だけして立ち去ろうとするが、リヴェリアが引き留めた。

 

 「すまないが、この後時間はあるか?」

 

―――――

 

 リヴェリアの買い物も終えて、二人は連れ立って店を出た。

 アルは内心どうしたものか、とバクバクしていたのだった。

 どんな用事があるのか、はたまた先日のように試練を課されるのか、いろいろと心配していると、挙動が不審になっていたのかリヴェリアが先に口を開いた。

 

 「なに、大したことじゃない。少し食事と話に付き合ってもらいたいだけだ。」

 

 「話……ですか?」

 

 「あぁ、お前には伝えておかなくてはいけないことがあるからな。あぁ、ここだ。」

 

 リヴェリアが立ち止まったところは隠れ家的なお店であった。

 小さな看板がかけられていてそこにはメニューがいくつか書かれていた。

 リヴェリアがつかつかと入っていき、アルはおっかなびっくり後ろについた。

 

 「あら、いらっしゃい。あなたが誰かを連れてくるなんて初めてね。」

 

 「そうだったか?まぁいいだろう。いつものを頼めるか?それと、この子にはメニューを。」

 

 「はい、かしこまりました。」

 

 どうやら小さなカフェのようで、老女が一人で営業しているようだった。

 アルはその落ち着いた雰囲気に和みながら、リヴェリアの誘導に従って席に座った。

 

 「いいところだろう?私も気に入っているんだ。」

 

 「えぇ、落ち着いていて気分が安らぎます。しかし、よろしかったので?」

 

 「いいんだ。お前のように振る舞いがしっかりしているものでないとここには似合わない。ガレスがこんなところで茶を飲んでいるのを想像できるか?」

 

 「師にはもっと騒がしくて荒々しい場所が似合っているでしょうな。ここは少し柔らかくて甘いにおいが強い。勇壮な戦士には向いていないでしょう。しかし、私もまだまだ未熟者。振る舞いなど貴方の足元にも及ばない。」

 

 「謙遜するな、お前は私が見た中で三本の指に入るくらいには礼儀正しい奴だとも。」

 

 リヴェリアのような王族に礼儀を褒められて、アルはとてもうれしくなった。

 アルは騎士を目指してはいるが、母との貧乏二人暮らしで騎士とは程遠い生活を送ってきたため、騎士らしい振る舞いが出来ているかは自信がなかったのだ。

 高貴な人に認められたというだけでも、アルは憧れに近づいたような気がしたのだ。

 

 「はい、メニューよ。あなた、とっても大きいのね。少し多めに作ってあげるから、なんでも頼みなさいね。」

 

 「かたじけない。では、拝見します。」

 

 アルはメニューを開いて、いろいろとみて、すぐに何を食べるかを決めた。

 店の看板に書かれていた料理と、飲み物だ。

 それを店主に伝えると、店主は笑って厨房に戻っていった。

 アルが食事のために兜を外し、椅子の上にそっと置くとリヴェリアがまた口を開いた。

 

 「さて、お前に伝えねばならないことがあるといったな。それは謝罪だ。」

 

 「私に対して謝らねばならないことがありますか?何度も助けていただいただけでなく、迷惑も散々かけている。リヴェリアどっ、さん、には感謝しかありません。」

 

 「いや、お前とお前の友人が門前払いを食らった件についてだ。やはり門番の独断だったようだ。最近改宗してきたやつなんだが、自分の立場を確立しようと躍起になっていたらしい。曰く、新人が来たら自分の存在感が薄れてしまうと思った、だそうだ。

 気持ちは分からないわけではないが、どのファミリアに所属するかは人の人生を左右することだ。既に厳罰を下している。

 その上で、我々からの謝罪を受け取ってほしい。申し訳なかった。」

 

 「いえ、結果として我々はヘスティア様に出会えました。そういう御縁だったのでしょう。その厳罰というのはどういったものですか?あまりに酷いものであれば少しは軽くしてあげて欲しいのです。」

 

 「つくづくお前は優しいところがあるようだな。自身を害した人間を庇うなど……。

 厳罰とは言ったが、ガレスに根性を叩き直させているだけで、一日百本かかり稽古をさせている。」

 

 「羨ましいですな。師との稽古のおかげで、私は成長することが出来ましたので!」

 

 「……大抵は一本やるだけで根を上げるんだがな。ふふ、おかしなやつめ。」

 

 口元を抑えて笑うリヴェリアにアルは少しドキッとした。

 兜越しでないゆえにはっきりと見えた、目の前に座ってごく自然な風に笑う姿がとても美しく感じられたからだ。

 自身の動揺に気が付いてアルの顔が赤くなり始めたところに、店主が料理を持ってきた。

 

 リヴェリアの前には山の幸を使ったあっさりとしたスープとサラダとサンドウィッチ、そして水が置かれた。

 アルには海の幸と山の幸をまんべんなく使ったランチプレートとスパゲッティ、おすすめドリンクの紅茶が届いた。

 

 「さぁお上がり。ご注文の品さ。」

 

 「ありがとう。」「ありがとうございます。」

 

 「では食べるとしようか。」

 

 「えぇ、そういたしましょう。」

 

 二人きりの食事が始まった。

 アルの動揺も、食事が始まればその美味しさに打ち消された。

 アルは静かにその美味しさをかみしめた。

 アルが、冒険者好みとは真逆の淡泊であっさりとしていてそして上品な味わいに舌鼓をうっていると、リヴェリアはまたくすくすと笑う。

 

 「心底おいしいといった風に食べるのだな。やはり連れてきてよかった。こうして味わって食べてもらえるような人間でないとな。」

 

 「本当に美味しいです。味の濃い料理も嫌いではありませんが、やはり少し疲れてしまう。

 この料理のように味わい深い風味豊かなものはいくら食べても食べ飽きません。それにこの紅茶も相性がいい。店主の料理への知識とこだわりがうかがえます。貴方に連れてきたいただけなければ一生出会うことはなかったかもしれない。

 本当にありがとうございます、リヴェリア……さん。」

 

 「気に入ってもらえてよかった。だが、まだ少し固いな。ふふ、まぁいいか。

 そうだ、魔法の先達がいないと言っていたな。ロキから幹部へのお達しだ。お前にはヘスティア・ファミリアに対しては協力してもかまわないということだそうだ。まぁ言ってしまえば、体のいい監視だろうが……。

 せっかくだから、私が少し教えてやろうか。何せもう長く生きている、お前からすれば老婆のようなものだからな。」

 

 ロキの思惑は、半分はリヴェリアの言っていた通り監視で、もう半分はやけくそであった。

 どうせ巻き込まれるくらいなら、さっさと強くしてフレイヤが大っぴらに欲しがるようにしてやろうという魂胆である。

 そうすれば、フレイヤが巻き込むのはロキ・ファミリアだけではなくオラリオ全体になる。

 ロキ・ファミリアに対する負担は軽減されるであろうというわけだ。

 

 アルはリヴェリアの提案を嬉しく思うも、すこし気に食わない点があった。

 

 「ご提案は大変うれしく思いますが、決して貴方は老婆などではありませんよ。貴方は私からすれば若く美しく高貴な御方だ。

 それに、一般的にも長命のエルフがたかだか百年二百年生きたところで、人の一生のうちの二十代にさしかかったくらいでしょう。

 どこが老婆ですか。まだまだこれからだ。それに貴方は王族でありながら森を飛び出していったのでしょう?お転婆な御姫様が年寄りぶったところで、誰も信じたりはしませんよ。」

 

 リヴェリアは嬉しいような怒ったほうがいいような、よくわからない気持ちになっていた。

 その混乱しているリヴェリアに対して、アルはさらにまくしたてる。

 アルはとにかくリヴェリアを思いやる気持ちが滾々とあふれ出していた。

 今まで積み重ねていた尊敬の念と、恩義に対する義の心と、そして最初に会った時と今感じたどきどきするような感覚からの事であった。

 

 「とにかく貴方はまだまだお若く、お美しいのでございますよ。あぁけれど心配でもある。貴方が長命であることだ。いかに強い女性でも心の痛みには敵わない。

 遠い未来、貴方が寂しい気持ちになってしまうのではないかと思うと心が痛む。貴方は私の救い主で、尊敬する御方だ。貴方が悲しいと私も悲しくなる。

 あぁ私が不死人であったならば、ずっと貴方を楽しませられるかもしれんのになぁ……。」

 

 アルの言葉はすべて真心からであり、リヴェリアが悲しむ未来を予測してしまったからこのように一方的に話してしまったわけである。

 しかし、受け取り手のリヴェリアがどう思ったであろうか。

 他人がここまで人の未来のことを思いやって挙句の果てには「ずっと貴方を楽しませられるかもしれんのになぁ」である。

 一方的ではあるが、将来の幸せに貢献したいというセリフだ。

 プロポーズの域に片足を突っ込みかけている。

 女性経験の一切ないアルにそんなことわかるはずもないのだが、リヴェリアはさらにパニックに陥った。

 アルの今までの行いが「色恋沙汰関連」に思えてしまい始めていた。

 しかしそこは年長者として、魔導士として、無理やり落ち着きと冷静さを取り戻す。

 頭を切り替えて、一人の世界に入り込みかけているアルを連れ戻しにかかる。

 

 「分かった、もう分かったからそれくらいにしろ!」

 

 「お、おぉ申し訳ありません。大変失礼しました。」

 

 「全く……。それで、私から魔法について教わるか、教わらないか。どっちだ?」

 

 「ぜひとも、よろしくお願いいたします。」

 

 一波乱はあったものの、オラリオの小さなカフェにて、魔法講座が開かれようとしていた。

 




 王族御用達の喫茶店

 エルフの王族 リヴェリア・リヨス・アールヴが通う喫茶店

 エルフたちの羨望の目や 副団長としての重責を逃れる時

 彼女はそっとそこに立ち寄る

 偶然出会ったのならば どうかそっとしてあげることだ


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第十三話 パニックとサポーター


 ベルのバックパック

 ベル・クラネルがいつも背負っているバックパック

 その中には 主に弁当箱が入れられている

 小さいと思って油断することなかれ

 バックパックには 案外大きなものが入れられる

 夢と希望も その一つだ


 

 「つまり、魔法は必ずしも勝利を約束するものというわけではない。

 火力を頼りにするものが多いが、大切なのは使いどころだ。」

 

 「なるほど……。確かに、私は魔法に破壊力ばかり求めていたように感じます。

 反省せねばなりませんね。」

 

 「勉強熱心なのは良いことだ。さぁ、次は魔法戦士としての在り方について教えてやろう。」

 

 アルはリヴェリアの魔法講座を熱心に聞いていた。

 エイナのダンジョン講座も難なくクリアしていたアルにとっては、勉強は苦痛ではなかった。

 むしろ、尊敬するリヴェリアに教えてもらっていることもあって、気合が入っている。

 

 「魔法戦士に必要な技術は並行詠唱だが……。聞いている限りでは、できていそうだな。」

 

 「えぇ、使おうとすると出せます。あまり深く考えなくても使えます。」

 

 「多くの魔導士が羨ましがるだろうな。大抵の魔導士は魔力暴発(イグニス・ファトゥス)を恐れて動きながら詠唱することが出来ない。その時点でお前には戦術の幅がある。

 上手く使えば火力が低くても相手を出し抜ける。人相手では勝手が違うが、モンスター相手なら少し距離が離れたらすぐに撃つ程度でも構わないぞ。」

 

 「どうしてですか?」

 

 「モンスター相手に駆け引きをしても無駄なだけだ。出来るだけ消耗させ続ける方がいい。人相手の場合だと、魔法で出鼻をくじき、相手に意識させてやると戦いのペースが握れるだろう。

 もっとも手練れ相手だと使い物にならなくなることもある。過信しすぎることのないように。」

 

 「分かりました。油断せず、慢心せず、常に冷静に戦います。」

 

 「そうだ、それでいい。ふふ、なかなか飲み込みが早いじゃないか。偉いぞ。」

 

 リヴェリアは完全に母親や先生気分になっていて、アルの頭を腕を目いっぱい伸ばして撫でた。

 アルは、リヴェリアに母親としての側面と優しい女性としての側面とを見出し、その袖口から漂う清潔で香しい香りを感じ取ってしまい顔を赤くした。

 リヴェリアも他所のファミリアの冒険者ということを忘れて、男の頭を撫でてしまったことに少し動転する。

 

 「ま、まぁともかく魔法は精神の修練によってより強力になる。

 本をよく読み暇があれば座禅を組むといい。」

 

 「は、はい!ありがとうございます!」

 

 「そ、そうだ。もう夕方だ。そろそろ出るとしようか。食事の代金はこちらで出そう。」

 

 「いけません。自分の食事代程度、自分で出します。

 もう何度も貴方のご厚意に甘えている。私だって冒険者の端くれ、出させてください。」

 

 「そういうのはもっとレベルがアップしてから言え。ふふ、悔しかったら頑張るんだな。」

 

 アルはいつかこの人に一食をごちそう出来る様になろうと心の中で情熱を燃え上らせた。

 もっともリヴェリアは仮にも王族、並大抵の料理ではごちそうとは言えない。

 早くレベルアップして大金を稼いでやろうと、外していた兜を被って改めて決意するのであった。

 

 「あら、二人とももう帰っちゃうのねぇ。残念。また来て頂戴ね。」

 

 カフェの店主はにやにやと笑いながら、店を出ていく二人を見送った。

 

 店を出て、二人で連れ立って歩いていると、アルは多くの視線を感じ取った。

 そのどれもがエルフからのものであるということに、アルはすぐに気が付いた。

 

 「分かるか?これが王族であるということだ。」

 

 「これでは気が休まりませんね。リヴェリア…さんは今は冒険者ですから、自由な時間を楽しむべきです。」

 

 「さっきは高貴だなんだと言っていたのに意外だな。」

 

 「それは貴方のお人柄の話です。私は貴方が王族であるから敬意を払っているのではありません。貴方が貴方であるから敬意を払っているのですよ。」

 

 「そ、そうか……。そうか……。」

 

 リヴェリアはそれっきり黙って少しうつむきながら歩き始めた。

 アルは、何か失礼なことを言っただろうかと今までの言動を顧みながらリヴェリアのそばを歩いた。

 周囲のエルフたちはリヴェリアが男を連れて歩いている様子に驚いたり、アルに対してぼそぼそと罵倒を浴びせかけたりと、遠慮のない噂話をしている。

 しかし、そんな中である市民たちが話している内容がアルの耳に入り込んだ。

 

 「いやぁ、しっかし見たか?冒険者が街中で剣を抜いてパルゥムの小娘を追いかけまわしていたの。」

 

 「あぁ見た見た。どうせしょうもない諍いさ。おっかねぇ。関わらない方がいい。」

 

 アルはすぐさまその話をする二人のもとに詰め寄った。

 

 「失礼、ご両人。そのパルゥムの少女を追っていたという冒険者はどこに?」

 

 「あ、あぁそこの裏路地を曲がってまっすぐ行ったよ……。」

 

 「感謝する。」

 

 そういって、アルはその裏路地に面する屋根に飛び乗った。

 リヴェリアも惚けるのをやめて、アルを追いかける。

 

 「おい、待て。どうして関わろうとする?!」

 

 「もし私がその少女であれば、きっと助けを求めている。私は騎士を目指しています。

 助けを呼ぶ声なき声を聞き逃してはいけないのです!リヴェリアさんはここでお待ちください。

 貴方を巻き込む訳にはまいりません。今日はありがとうございました!」

 

 そうしてリヴェリアの制止を聞くことなく、アルはひょいひょいと屋根を飛んでいく。

 助けを求める人のために、正しきことのために、騎士らしくあるために、アルはどこまでも無鉄砲になれるのだ。

 リヴェリアは声での制止を諦めて、アルを追いかけ始めた。

 普段なら絶対にしないであろう屋根を伝うという行為を遠慮なく行っているあたり、かなり本気で止めようとしている。

 

 しかし、リヴェリアが追いつくよりも早く、アルの目的は叶った。

 眼下には地面に倒れ伏すパルゥムにそれをかばっているどこか見覚えのある冒険者、その二人に対して剣を向けている冒険者がいる。

 アルは問答無用でその間に飛び降りた。

 

 「今度はなんだぁ?!てめぇは?!」

 

 「貴公に名乗る名は持ち合わせていない!それよりも街中で剣を抜くとは何事か!」

 

 アルが盾だけを構えて二人をかばうように立つと、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 

 「アル?!どうしてこんなところに?!」

 

 「その声はベルか!よくわからんが、トラブルのようだな!」

 

 「何くっちゃべってんだコラ!」

 

 冒険者が剣を向けて切りつけようとしているところに、二人のエルフが現れた。

 一人は冒険者御用達の酒場の従業員の服に身を包み、もう一人は都市最強の魔導士として知られている。

 

 「そこまでにしておきなさい。私は……いつもやりすぎてしまう。」

 

 「はぁ……。悪いことは言わん。今なら見逃してやる。おとなしく家に帰れ。」

 

 「なっ、九魔姫(ナインヘル)……!ちっ!」

 

 冒険者が去って、ベルとアルが声の主たちを見ると、一方のエルフがかんかんに怒っていた。

 

 「リューさんと……リヴェリアさん?どうしてこんなところに?」

 

 「アルトリウス……!そこに直れ!」

 

 ベルの疑問はあっけなくスルーされたあげく、リヴェリアの発する怒気に飲まれてアルはそこに跪いた。

 

 「なぜ、自分からトラブルに首を突っ込む!この馬鹿者!あれがお前より強いものであったらどうするつもりだったんだ!全く、後先考えずに突っ込むやつだ!少しは頭を使え、周りに頼れ!

 騎士らしくありたい、大いに結構。しかしな、オラリオでは少しの隙が大きなトラブルの呼び水になる。それで痛い目を見たものを私は大勢見てきた。」

 

 「……申し訳ありませんでした。」

 

 「よろしい。しっかりと反省するように。」

 

 「はい……。」

 

 アルはすっかりしゅんとしてしまう。

 せっかく褒められたりしていたのに、怒られてしまったからだ。

 もっともリヴェリアの言うことも正しいのだ。

 オラリオにおいて、トラブルに首を突っ込んでもいいことは一つもない。

 助けてもらった恩義は踏み倒し、弱った相手からふんだくる。

 それがオラリオの残酷な一面なのだ。

 

 「……だが、正しいことをなそうとしたのは偉かったぞ。」

 

 「ありがとうございます!」

 

 しかし、だからといって人として正しくあろうとすることが間違っているわけでもない。

 リヴェリアは叱りつけるところは叱りつけ、褒めるべきところはちゃんと褒める。

 アルはリヴェリアに褒められたことでまた気分が高揚した。

 ベルはこの時、アルが尻尾を力強く振っている幻覚を見た。

 

 「知り合いと会えたようだし、私はここでお別れだ。」

 

 「アル、リヴェリアさんと会ってたんだ……!」

 

 「幸運なことにな。本当に今日はありがとうございました。

 またお会い出来たらうれしいです。」

 

 「あぁ、それではな。」

 

 リヴェリアが立ち去った後に、リューが二人に声をかけた。

 

 「まさか、アルトリウスさんがあの九魔姫と一緒にいたとは思いませんでした。しかし、彼女の言う通りだ。お二人がケガをすればシルが悲しみます。トラブルには気を付けてください。」

 

 「あっ、はい!ありがとうございました!」

 

 「深く御礼を申し上げます、リオン殿。」

 

 「では私もこれで。」

 

 そうして、リューも立ち去って、二人はあたりを見渡した。

 そこにはもうあるはずの人影がなく、アルとベルの二人だけであった。

 

 「あの女の子、怖くて逃げだしちゃったのかなぁ……。」

 

 「さてな。まぁすぐに逃げられる体力が残っているのであれば手傷も負ってはいないだろう。

 それでいいではないか。」

 

 「そうだね!アルは今日どんな風に過ごしたか教えてよ!」

 

 「あぁ、帰りながら聞かせてやろう。その代り、ベルのデートの内容も聞かせてくれよ?」

 

 「で、デートだなんて、へへ……。じゃあアルからね!」

 

 「そうだなぁ。まずはな……。」

 

 こうして、二人は今日の楽しい思い出を語り合いながら帰路に就いた。

 そしてその晩二人の土産話を聞いた彼らの主神は、嫉妬と悔しさで大騒ぎすることになったのだ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 アルとベルがヘスティアを必死になだめているころ、リヴェリアは内心に今までにない衝動を感じて、心ここにあらずという風であった。

 理由はもちろんアルのことである。

 人を思いやり、自分を律し、騎士らしくあろうとする実直な青年のことが気になって仕方がないのである。

 リヴェリアに敬意を払っているただの青年では、こうもリヴェリアの心をかき乱したりはしない。

 なぜなら彼女は王族だからだ。敬意を身に引き受けるのは慣れている。

 しかし、アルはリヴェリアを王族としてではなくリヴェリア・リヨス・アールヴとしてみているというではないか。

 そうとあっては言動の一つ一つが気になってしまう。

 生徒としては素直でいて真面目で、教え甲斐がある。

 冒険者としては見どころがあってその成長を期待してしまう。

 年下の子供としては、普段は自身に向けて尻尾を振ってなついてくる犬のようであるのに、こうと決めたことは力強く押し通そうとするところが手がかかって、むしろ可愛らしいまである。

 そして、男性としては、自分を下世話な目でも色眼鏡でも見ず、ただただ優しさと敬意を向けてくるところが妙に気に入ってしまう。

 とにもかくにもリヴェリアは周りが一切見えていなかったのだ。

 

 「リヴェリア~、新しい本買ったんでしょ~?読ませてよ~!」

 

 「あぁ、そうだな。」

 

 「リヴェリア……。今日はどこに行ったの……?」

 

 「あぁ、そうだな。」

 

 「のぉ、リヴェリア。酒代を増やしてもよいじゃろう?」

 

 「あぁ、そうだな。」

 

 完全にぶっ壊れていた。

 ティオナが話しかけても、アイズが話しかけても、ガレスが普段なら間髪入れずダメ出しを食らう提案をしても全く耳に入らない。

 彼女はハッキリ言って男女関係についてはずぶの素人だ。

 王族としての責務、エルフとしての貞淑さ、副団長としての立場、今までの環境の全てが彼女を色恋沙汰から遠ざけてきたのだ。

 思考のキャパシティを圧迫しないはずがない。

 

 「リヴェリアが……、変……!」

 

 「ねぇ、これ絶対ヤバいよ!ガレスなんかしたの?!」

 

 「しとらんわい!」

 

 三人の幹部がリヴェリアから少し離れたところでこそこそと相談していると、ロキがやってきた。

 片手には酒瓶を持っていて酒のにおいを身にまとっている。

 

 「なに話しとんの?おもろい話?」

 

 「ねぇねぇロキ大変!リヴェリアが心ここにあらずでぜんっぜん話聞こえてないの!」

 

 「ほ~ん。そういうんはな……大方男絡みって相場が決まっとんねん!」

 

 「あの堅物エルフにそういうのはないじゃろう……。」

 

 ロキも冗談で言っているのだ。

 リヴェリアに男の悩みなどあるはずがない。

 リヴェリアはあの九魔姫、エルフの王族なのだ。

 きっとすぐにツッコミを入れてくるはずだ、そう信じきってロキはリヴェリアに爆弾を投下してしまったのだ。

 

 「なーなーリヴェリア~。どしたん?気になる男でもできたんか~?」

 

 「ちっ、違う!気になってなどいない!気になっているはずがない!」

 

 クロだ。

 リヴェリアは完全に墓穴を掘ってしまった。

 いつもなら「酒の飲みすぎだ。面白くもない冗談は言うな。」とか冷たい一言を投げかけているはずなのだ。

 慌てふためいて否定する様子は、誰かが気にかかっているという決定的な裏付けとなる。

 そして何よりも、ロキはリヴェリアが嘘をついていることが理解できる。

 ロキはこの時ほど神としての力を恨んだことはなかった。知りたくない事実は知らないままの方がよかった。

 

 「うぎゃぁ~!リヴェリアがどこぞの馬の骨を気に入りおった~!嘘やぁー!!」

 

 ロキが泣きながらジタバタと床を転げまわり、受け入れがたい事実を叫ぶ。

 その声は黄昏の館に響き渡り、ロキ・ファミリア内のエルフたちに動揺が走る。

 それだけではない。男共も動転していた。あのおっかないババアに色恋だなんて信じられないと、ベートですら階段を踏み外した。

 そこにタイミングがいいのか悪いのか、レフィーヤが駆け込んでくる。

 

 「リヴェリア様!いったいどういうことですか?!あの破廉恥な大男と連れ立って街を歩いているところを見たという噂が立っているんです!」

 

 「あっ、あの、それはだな……。」

 

 「あいつかぁ!あいつがウチのリヴェリアママをたぶらかしたんやなぁ!」

 

 「その、違うんだ、話を……。」

 

 「リヴェリア様、本当にどういう事なんですか!説明してください!」

 

 「リヴェリア、恋なの?!愛なの?!」

 

 「リヴェリア……、あの大きい子が気になるの……?」

 

 リヴェリアはもう耐えられなくなっていた。

 背中から聞こえる声を振り切って、自分の部屋に駆け込んだ。

 しっかりと鍵をかけ、窓も閉めてカーテンも隙間が出来ないようにぴっちりと閉じた。

 そうして、彼女は人生で初めてふて寝した。

 彼女は幸か不幸か、やけくそになって寝て過ごすという未知を体験することが出来たのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 リヴェリアがどんな気持ちで夜を過ごしたかなど知りもせず、アルは心地よい朝を迎えていた。

 そばにはピカピカで特徴的な赤いラインの入った軽装鎧を着たベルが立っている。

 

 「へへ……。どうかな?」

 

 「よく似合っているとも。これで、ベルもより冒険者らしくなったな!」

 

 「うん、これでもっと先に行けるよ!そうだ、エイナさんからアルへの贈り物があるんだよ。」

 

 「何、贈り物とな。一体何なのだ?」

 

 ベルが鎧の入っていた袋をがさごそと漁り、包みを取り出した。

 その口を開くと、刃渡りが20セルチから30セルチの特徴的な形の刀身をしたナイフが出てきた。

 

 「じゃーん、ククリナイフ!アルって大きい武器しか持ってないから、モンスターに近づかれた時が大変だろうからって。」

 

 「おぉ、流石はエイナ殿。よくわかっていらっしゃることだ。」

 

 「それでね、エイナさんが言ってた。僕らが死んじゃったら悲しいって。

 だからさ、アル。頑張ろうね!」

 

 「あぁ、勿論だとも。さぁ行くとするか。」

 

 アルとベルは手早く自身の武具と防具、ポーチやバックパックを確認して、出発の準備を整えた。

 残された使命は、主神への挨拶だけだ。

 

 「行ってきます!カミサマ!」「行って参ります。ヘスティア様。」

 

 「う~ん、いってらっしゃい……。」

 

 主神が寝ぼけながらなんとか答えてくれて、二人は顔を見合わせて微笑んだ。

 今日も扉を開けて外に出れば冒険が始まる。

 

 二人は、一度豊穣の女主人に立ち寄って弁当を受け取り、ダンジョンを目指していた。

 大勢の冒険者が二人と同様にダンジョンを目指している。

 そして、その中には大きなバックパックを背負っている者たちもいた。

 それを見て、ベルは昨日のエイナの提案を思い出していた。

 

 「あっ、そうだ。アル、昨日エイナさんがね、サポーターを雇ったらどうだって言ってた。」

 

 「ふむ、サポーターか……。魔石の回収などの作業をより大人数で行えるようになれば、稼ぎも増えそうではあるなぁ。」

 

 「アル、たまに魔石潰しちゃってるしね。大剣しか持ってないから……。」

 

 「その損失の事は考えないようにしているのだ、ベルよ……。」

 

 二人ともが、サポーターを雇うことに前向きになっている時に、ベルの頭よりさらに下の方から声をかけるものが現れた。

 

 「そこのお兄さん達、白い髪と大きな背丈のお兄さん達!突然ですが、サポーターをお探しではありませんか?」

 

 「えっと……僕たちの事……?」

 

 「うぅむ、我らで間違いないようだが……。」

 

 アルもベルも声をかけられたことに混乱していると、フードを目深にかぶった少女は続ける。

 

 「混乱してるんですか?けど、今の状況は簡単ですよ!冒険者さんたちのおこぼれに預かりたい貧乏なサポーターが、自分を売り込みに来ているんです!」

 

 ベルは、そのサポーターの少女が、昨日庇ったパルゥムの女の子ではないかと思った。

 アルはその姿をしっかりと見たわけではないから気付きようがなかったが、ベルは背格好や面影がどこか似ていると感じたのだ。

 

 「というか、君は昨日のパルゥムの女の子だよね……?」

 

 「パルゥム……?リリは獣人、犬人(シアンスロープ)ですが?」

 

 リリという少女がローブのフードをぱさりと取ると、そこには立派な耳が生えている。

 ベルはその耳が気になって、もふもふと手で触り始めた。

 

 「本当だ……。パルゥムじゃない……?」

 

 「ふぇぇ、お、お兄さん……!」

 

 「こら、やめないかベル。失礼した、お嬢さん。」

 

 くすぐったそうにする少女の様子を見て、アルがすぐにベルの手を耳から離した。

 ベルもすぐに自分が勝手に女の子の耳を触ってしまったことに気づき、謝る。

 

 「あ、えっと、ごめん!つい!人違いだったみたい!」

 

 とにかく、二人と少女は人混みから離れて、噴水に腰掛けることにした。

 そうして、サポーターとの契約についての話が始まったのだ。

 

 「それで、リリルカさんはどうして僕たちに声をかけてくれたの?」

 

 「先ほどサポーターのことをお話になっていたのを小耳にはさみまして、それに、冒険者さん自らバックパックやポーチを持っていらっしゃるので……。」

 

 「なるほど、それなら商売時だと判断するに足るだろうな。」

 

 アルはリリルカ・アーデなる少女に相槌を打った。

 アルは商業の知識が多少ある。ゆえに、売り込み時というのも理解している。

 リリの行動はごく自然なものだと、アルは納得した。

 

 「それでどうですか?サポーターはいりませんか?」

 

 「えっと、それが……出来るなら欲しいかなとちょうど思っていたところでね。」

 

 「あぁ、その通りだ。特に私が魔石回収に難を抱えているのでな……。」

 

 「なら是非リリを連れて行ってください!リリは貧乏で、手持ちのお金も心もとなくて……。

 それに男性の方にリリの大事なものをあんなにされるなんて……。

 責任を取ってもらいませんとね。」

 

 リリは顔を赤らめながら、そっと自身の耳を撫でた。

 アルは、これは雇ってやらねば筋が通らないと意を決した。

 勝手に触ったりしたベルの手落ちだ。

 

 「私は彼女を雇う形でよいと思うぞ、ベル。」

 

 「えっと……それじゃあよろしくお願いします。」

 

 「ありがとうございます!」

 

 こうして、二人のパーティーに新しい仲間が加わった。

 彼女が何を心のうちに抱えているのかも知らずに、二人はただただリリを信用し、ダンジョンに赴くのであった。





 アルのポーチ

 アルが腰元にいつも着けているポーチ

 いつもは弁当箱と大きい銭袋が入っている

 懐に入れられないものは すべて詰めてしまえば事足りる

 あまりに大きなものは 持ち前の力でねじ込むのだ


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第十四話 おいた


 リリのバックパック

 リリルカ・アーデの持つバックパック

 ベル・クラネルのものとは比べ物にならないほど大きい

 その中身はリリしか知らない

 彼女にとって 秘密とは武器の一つだ


 

 アル、ベル、そしてリリは初めて到達する7階層でキラーアントと交戦していた。

 

 「はぁぁっ!」

 

 「オリャァッ!」

 

 アルが最前線に立ち力任せにキラーアントたちを薙ぎ払い、ベルが漏れてきたものをウサギのような俊敏さで狩り尽くす。

 二人のコンビネーションは新しい階層であっても通用していた。 

 しかし、ダンジョンは生易しいものではない。

 二人の予測を上回るスピードで、新たなキラーアントが壁から生まれ落ちてくる。

 

 「アル様、左後方!ベル様は右です!」

 

 「了解したッ!」

 

 「任せてっ!」

 

 リリの指揮に合わせて、二人は視界の外にいたモンスターを瞬時に捕捉する。

 アルはその大盾をもって壁にキラーアントを叩き付け、ミンチに変えた。

 ベルはすさまじい脚力から繰り出される蹴りで、首をへし折った。

 

 「いやぁ、お二人ともお強い!流石ですね!」

 

 ぱちぱちとリリが手をたたく。

 二人は実に見事にモンスターを打倒していた。

 足元には無数の魔石が転がっており、今までの戦闘の苛烈さが窺い知れる。

 三人は、誰かが殺し損ねたキラーアントがその断末魔をもって呼び寄せた、大量のキラーアントとの戦闘を無傷で乗り越えていたのだ。

 一般的な駆け出しの冒険者をはるかにしのぐ戦闘能力に、リリは驚かずにはいられなかった。

 

 「リリがいてくれるから、戦闘に集中できて助かるよ!」

 

 「あぁ、リリルカ殿のおかげだな。二人でカバーできないことも、三人ならカバーできる。実に能率的だ。」

 

 「いえいえ、これだけのモンスターを倒したお二人はずーっと凄いですよ!

 まぁお二人の強さは武器に依存するところがあるのでしょうが……。」

 

 リリの言うことも一理ある。

 ベルの持つ聖火の黒剣は、駆け出しが持つ武器にしては破格の性能を誇っている。

 アルの持つ大剣だって、見た目こそぼろく古臭いがあの【深淵歩き】が用いていたものなのだ。

 真の力が失われている今でも刀剣としては上質といえる。

 

 「確かになぁ。私もこの剣と盾に命を救われているといっても過言ではない。」

 

 「僕もだね。ちょっとこの剣に頼りすぎている気がするかも。」

 

 リリはベルの武器とアルの武器を見比べて、ベルの武器の方をじっと見つめた。

 少し短めのマチェーテ程度の大きさで武器の中では結構小さく、重さも軽く見える。

 実際、聖火の黒剣はナイフのように軽く、リリでも簡単に持てるであろう。

 そしてその黒光りする刀身には一つの刃こぼれも血糊でできた錆も見当たらない。

 リリは業物に違いないと、「狙い」をつけたのだ。

 

 「ベル様はどうやってそのショートソードを手に入れられたのですか?」

 

 「僕のファミリアのカミサマに頂いたんだ。アルがくれた素材を使ってね!」

 

 「それも名匠に打たれた武具なのだ。ふふ、我らがファミリアのシンボルのようなものなのだよ。」

 

 アルの声色が嬉しそうなことを気にも留めず、リリは「獲物」の勘定に入っていた。

 名匠というのがどれぐらいのレベルなのかはおおよそ察しがついている。

 ヘファイストス・ファミリアの上級鍛冶師(ハイ・スミス)以上の鍛冶師だろう。

 リリは目ざとくベルの鞘の刻印に気づいていた。

 ヘファイストスの刻印が刻めるのは上級鍛冶師(ハイ・スミス)からだというのは有名な話である。

 それだけでも値が張るが、ファミリアの象徴ともあればまず間違いなく高額に違いない。

 

 「そういえば、リリってどのファミリアに所属してるの?」

 

 「はい、ソーマ・ファミリアに。」

 

 「ソーマ……。神酒(ソーマ)を作るとかで高名なソーマ・ファミリアか。」

 

 「それより、ベル様もアル様も魔石を回収しませんか?

 胴の浅いところにあるはずです。アル様はミンチにされていますので探すのが大変かもしれませんが……。

 落ちているのはリリが回収しますから、今日はそれで上がりましょう?」

 

 そう言って、リリは自前のなまくらナイフをベルとアルに手渡す。

 二人は素直に受け取って、魔石の回収作業に入った。

 リリは誰にも気が付かれることなく、うっすらと笑みを浮かべた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 三人はその後、モンスターと遭遇することなくダンジョンから帰還した。

 お試し期間ということで、リリは魔石を一部受け取ってすぐに帰っていった。

 アルもベルも、リリを雇い続けるのに非常に前向きであった。

 戦闘に集中でき、危険があれば知らせてくれる。その上二人より魔石の回収の精度が高く、荷物もたくさん携行できる。

 文句なしの優秀なサポーターという評価が二人からリリに下されていた。

 そういうわけで、二人はエイナにサポーターを雇うことにした旨を報告しにいくと、エイナは少し悩ましげな顔になった。

 

 「うーん、ソーマ・ファミリアのサポーターかぁ……。」

 

 「なにかあるんですか?」

 

 「私は酒が有名なことぐらいしか知りませんが……。」

 

 エイナはアルがソーマ・ファミリアのことを知っていることに感心した。

 そして、その言葉にうなずいて話を続ける。

 

 「うん、そうだよ。ソーマ・ファミリアはダンジョン探索を主にやってて、少しお酒も売ってる。

 そこまでは普通なんだけど……。みんなどこか必死なんだよねぇ……。死にもの狂いって言った方がいいのかな。

 まぁそれはいいとして、二人から見てそのリリルカさんって子はどうだったの?」

 

 「はい、とってもいい子でした!」

 

 「えぇ、よく気が利いて周りが見えています。あぁいうサポーターとなら安心してダンジョン攻略が出来るというものですよ。」

 

 ベルはさらにエイナに見せつける様に銭の入った袋を高らかに掲げて、その重さを自慢する。

 

 「ほら、こんなに稼げました!やっぱりサポーターがいるだけで違いますよ!」

 

 「そっか。だったら私は反対しないよ。決めるのは二人だからね。」

 

 エイナの許可を得られたことに二人は満足した。

 今日のように稼ぎ続けることが出来れば、きっとヘスティアにもっと楽をさせてやれるだろうと喜んだ。

 別れを告げる声も、いつもよりも喜色が混じっている。

 

 「ありがとうございます!それじゃあ!」

 

 「エイナ殿、また明日。それと、このククリナイフ、ありがたく使わせていただきます。今日もありがとうございました。」

 

 二人が背を向けて帰ろうとすると、エイナはベルの腰元の鞘に、剣がないことに気が付く。

 そして、ベルもアルもそれに気が付いている素振りがない。

 エイナは大慌てで二人を引き留めた。

 

 「待って二人とも!ベルくん、ショートソードはどうしたの……?」

 

 「えっ……?」

 

 ベルはぽんぽんと、そこにあるはずの剣を触ろうとして腰を触る。

 アルも背が高く、そしてダンジョン内では先頭を歩いていたから気が付いていなかったが、じっとベルの背中を見て剣がないことを確認した。

 二人の顔色が真っ青に染まっていく。

 

 「落としたぁぁぁ?!?!」「ベルゥゥゥッ?!?!」

 

 二人の悲痛な叫びが、ギルドの中に響き渡った。

 ギルドの職員達は、このコンビがいきなり叫びだすことにもう驚きはしなかった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「うん、60ヴァリスがいいところだな。押しても引いても切れやしない。

 ガラクタじゃなぁ。刀身が死んでおるよ。」

 

 リリは、すり取った聖火の黒剣を売り払おうと、路地裏の闇商店に来ていた。

 しかし、そこでつけられた値段は、リリの予想を大幅に下回るものであった。

 リリは知らないことであったが、聖火の黒剣はヘスティアが直々に神聖文字(ヒエログリフ)を刻み込んだ武器だ。

 その内容はアル、ベル、そしてヘスティアの絆を称えるものである上に、ベル以外の人間にはその力を発揮できないように、入念に剣を縛りつける言葉が刻まれていた。

 楔石の原盤が使われている装備が、簡単に奪われて使われるようなことがあってはならないというヘファイストスの忠告のおかげである。

 

 リリはその売価の低さに納得できずに、店を飛び出していた。

 

 「おかしい……。あれだけのモンスターを切りつけて、刃こぼれ一つしていない業物がたった60ヴァリスなんてありえない。

 それに、ファミリアのシンボルならお金もたくさんかかってるはず……。どうして……。」

 

 ぶつくさと文句を言いながら通りを歩いていくと、前方から二人組の女たちが歩いてくる。

 リリはその中に、昨日のリューと呼ばれていたエルフがいることに気が付き、とっさに聖火の黒剣をローブの袖の中に隠した。

 すれ違ったとしてもばれるはずはないだろうと思って、何食わぬ顔で通ろうとすると引き留められてしまった。

 

 「待ちなさい、そこのパルゥム。今隠した剣を見せてほしい。

 知人の持ち物に似ていたので確認したい。」

 

 「あ、あいにくですが……。これは私のものです……。あなたの勘違いでしょう……。」

 

 リリの声は震えていた。

 リリを今までサポーターとして生かせ続けてきた危機察知能力が、警鐘を鳴らしているのを感じていた。

 アルもベルもリヴェリアに気がとられて気がついてはいなかったが、リリだけはリューが昨日突きさすような殺気を放っていたことに気が付いていた。

 そして、その殺気が今はリリに向けられている。

 

 「抜かせ。特徴的な短さ、漆黒の刀身、そして何よりも神聖文字(ヒエログリフ)が刻まれている武器の持ち主など、私は一人しか知らない!」

 

 リューはコインを親指で打ち出した。

 美しい回転と弾道で飛ぶコインは、リリの手首を強かに撃ち抜き、剣を取り落とさせる。

 リリは、手首の痛みを堪えながら必死に逃げ始めた。

 

 逃げて逃げて逃げ続けて、ようやく大通りに出たというところで、リリは人にぶつかった。

 特徴的な白い髪に、赤いラインの入った鎧に身を包んだ少年、ベルであった。

 その後ろにはアルがいて、もつれて倒れた二人をそっと手をさしのべる。

 

 「大丈夫かね?おや、リリルカ殿ではないか。奇遇だな。」

 

 「いってて……、あれ、本当にリリ?」

 

 「ベル様とアル様……?」

 

 三人が恋物語(ラブコメ)めいた再会に驚いていると、リューが路地裏から飛び出してくる。

 リューは下手人のパルゥムを追いかけていたはずなのに、目の前にいるのは犬耳をはやした少女であることに驚いていた。

 

 「犬人(シアンスロープ)……?」

 

 「リューさん……それにシルさんも!」

 

 「今日はなにやら偶然の出会いが多いな。この調子で聖火の黒剣とも再会できればよいのだが……。」

 

 路地裏の奥から、今度はシルが追いついてきたのを見て、アルは何かの吉兆だと思った。

 こう何度も偶然が続くのならば、ベルが落としたという剣も見つかるはずだと信じたかったのだろう。 

 ベルも飛び起きて、パニックになりながら、剣を探していることを伝えようとする。

 

 「あ、あのっ!二人とも僕の剣知りませんか?!上から下まで真っ黒の!」

 

 「これですか?」

 

 ひょいっと、リューが取り出したのは二人が探し求めていた聖火の黒剣であった。

 アルはほっと胸をなでおろし、ベルはリューの手を握りながら感謝を述べ始めた。

 

 「そうです、これです!ありがとう!本当にありがとうございます!あーよかったぁ!」

 

 「く、クラネルさん、その……困る。このようなことは私ではなくシルに向けてもらわないと……。」

 

 「何を言ってるの?!」

 

 アルは自身の今までの行い(無自覚プロポーズ)を棚に上げて、あぁベルの女性関係は大変だなぁと考えながら、リューに礼を述べた。

 

 「実はその剣をベルが落とし、二人で大慌てで探していたのです。昨日に続き、このように助けて頂けて感謝の極みです。」

 

 「あぁ、いえ……。では、クラネルさん、どうぞ。」

 

 リューがベルの方に柄を向け、ベルがそれを握ると刀身が輝きを取り戻す。

 本来の使い手の元に戻り、その力を存分に振るえるようになったのだ。

 その様子をみたリリは、間違いなくそれが業物の輝きであることを再確認した。

 

 「カミサマごめんなさい。もう二度と落としたりしません。」

 

 「あぁ、ベル。次はないように気を付けてくれたまえよ……。」

 

 「それよりも……本当に落としたのですか?」

 

 「はい、どこにあったんですか?ギルドとバベルの間で落としたんだと思うんですけど……。」

 

 「あったというより、一人のパルゥムが所持していました。」

 

 「うぅむ、親切に拾ってくれたのやもしれんなぁ。」

 

 ベルもアルも誰かに盗まれたなどとは思ってもいなかった。

 生まれついての弩級のお人よしと生粋の騎士道精神の持ち主が、決定的な証拠もなしに誰かを疑ったりなどはしない。

 これはリリにとって好都合であった。

 

 「そうではないと思いますが……。まぁいいでしょう。では、私たちはこれで。」

 

 「ありがとうございました!」

 

 「お二人とも、お気をつけて。」

 

 リリは追手が立ち去っていくのに安堵した。

 もう誰も自分を疑うものがいない、そうリリは確信していた。

 しかし、いつの間にか近づいていたシルがそっとリリの耳元で囁いた。

 

 「あんまり、おいたしちゃダメよ?」

 

 リリはゾッとして、そこから動けなくなった。

 何故ばれたのか、いや本当にばれているのか、そんなことはどうでもいい。

 とても恐ろしいものに釘を刺されたような気がしたのだ。

 そんなリリの様子に気が付かずに、ベルはリリに声をかける。

 

 「あっ、そうだ。リリのことも探そうと思っててね。」

 

 「えっ……?」

 

 「明日も僕たちとダンジョンに潜ってくれないかな?」

 

 「ぜひお願いしたいのだよ。」

 

 リリは、優しく微笑むベルの顔も膝をついて手を差し伸べてくるアルの事も、やけに心に残ったのだった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 翌日、三人はまたダンジョンに潜っていた。

 隊列を組んで、チームとして立派に成立している。

 

 「ベル様、アル様。正式にリリを雇ってくださり、ありがとうございます。

 あれ、ベル様あのショートソードはどちらに?」

 

 リリは、ベルの腰に鞘も剣もないことに気が付いた。

 ベルは腰鎧を撫でながら、リリに説明する。

 

 「アルに言われてね、ここにしまうことにしたんだ。支給品のナイフをガントレットの中に入れれば、こっちに入れられるんだよ。」

 

 「いつもとは勝手が違うぞ、ベルよ。武器を抜こうとして虚空を掴む、だなんてことがないようにな。

 そういえば、リリルカ殿は契約内容をちゃんと決めておかなくてよかったのか?

 商売では大切だぞ、契約というのは……。」

 

 「いえ、大丈夫です。その方がお二人に都合がよろしいでしょう?」

 

 「えっと、どういうこと?」

 

 ベルは、リリのどこか暗い声色に何かを感じ取ったが、リリはぱっと顔を上げてにっこりと笑う。

 

 「さぁ行きましょう!お二人に頑張ってもらえればそれで大丈夫ですから!

 それと、アル様。サポーターはあまり目立っては商売がやりにくくなります。

 リリとお呼びくださいね。」

 

 「承知した、リリよ。どのみちこれからは共に命をかけて冒険する仲間だ。

 名前で呼ばせてもらうことにしよう。」

 

 「ふふっ、アルが人を名前だけで呼ぶなんて珍しいんだよ。良かったね、リリ!」

 

 「は、はぁ……。それで、今日はどれくらい行きましょうか?」

 

 「気力十分、私はどこまででもついていくぞ!」

 

 「そうだなぁ……。いけるところまで全力で行ってみようか!」

 

 大中小のトリオチームが、ダンジョンの中を進んでいく。

 このトリオチーム、抜群のコンビネーションを見せて、駆け出しにしては破格の額を稼ぐことになる。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「5万5千ヴァリスゥ?!」

 

 「これは、夢か幻か?!いや、黄金に惑わされてはいけない。

 その財をふんだんに用いた王は欲望故に溶岩に沈んだと聞く。

 あぁいやしかし、なんという輝きか!」

 

 「現実だよアル!ほら、この重み!こんなにお金が手に入るなんて思ってなかったよ!」

 

 「お二人ともすごぉい!五人パーティーが一日で稼ぐ額の倍以上をお二人だけで稼いでしまいましたよ!」

 

 三人はテーブルの上に置かれた金貨袋を囲んで目を輝かせていた。

 そのわずかに開いた口の輝きが、なんとも眩しく、欲望を刺激する。

 

 「いやぁ、ウサギもおだてりゃ木に登るっていうじゃない!それだよ、それ!」

 

 「わはは、まるでカタリナ人の気持ちだ!こんなに陽気な気分になったのは初めてだとも!」

 

 「お二人が何を言ってるかさっぱりわかりませんが、今日のところは便乗させてもらいます!」

 

 ベルもアルも、そしてリリですらおかしなテンションになっている。

 それほどまでに高い稼ぎであった。

 

 「まだまだ先を目指せますよ、お二人とも!では、そろそろ分け前を……。」

 

 「あっ、そうだね。三人で分けて……分けられない!どうしようアル!」

 

 「そうだなぁ。

 常に三等分すればソーマ・ファミリアがいつも損をすることになってしまうしなぁ。

 よし、こうしよう。三で割れる時は三等分して一人ずつ受け取る。

 三で割れなくて二で割れる時は二等分してそれぞれのファミリアで受け取る。

 どっちもだめなら三人で夕飯を食べて、その後分けられるか検討しようではないか。」

 

 「それがいいね!リリもそれでいいよね?」

 

 「えっ、あ、はい。」

 

 「じゃあ今日は二等分ね!いやーこれだけあったらカミサマにご馳走できるな~!

 あっ、そうだ!よかったら打ち上げいこうよ!」

 

 「おぉ、それは名案だな。やはり同じ釜の飯を食ろうてこそ深まる絆もあるものだ。」

 

 どさっとベルがリリの手の上に金貨袋の半分を置いた後、二人は今後の予定やらをぺちゃくちゃと話す。

 しかし、リリには彼らの行いが信じられなかった。

 今まで組んだ冒険者たちとは比べ物にならないほど真っ当な対応であったからだ。

 

 「ど、どうしてお二人は山分けしようとするんですか?!二人で独占しようとか思わないんですか?!」

 

 「えっ、どうして?僕たちだけじゃこんなに稼げたりしなかったよ。リリのおかげで稼げたんだから当然だよ。ありがとう、リリ。」

 

 「あぁ全く持ってその通り!サポーターとして立派に働いて、こうして稼ぎに貢献してくれたのだ。正当な報酬を払わなければ騎士の名が廃るというものだよ。」

 

 「これからもよろしくね!」「今後ともよろしく頼む。」

 

 ベルがリリに握手を求め、アルが頭を下げている光景が、リリにはおかしく見えた。

 けど、どうしてか、その手を握ろうと思ってしまったのだ。

 

 「変な人たち……。」

 

 リリはぼそりと呟いた。

 どこか嬉しそうで、どこか悲しそうで、どこか疑っているような、複雑な気持ちが入り混じった声だった。

 

 ベルはリリの手を握手から切り替えて、手をつなぎながら歩き出し、リリもそれに抗わなかった。

 アルはそんな二人を眺めながら、ゆっくりとそばを歩き始めた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 巨塔の最上で、ある女神が眼下を見下ろした。

 高潔な精神を持ちながら醜悪な魂を持つ闇の落とし子と、優しい心と美しい透明な魂を持つ光の申し子がいる。

 その様子を見て、女神の心の内が疼く。

 その美しい顔を朱に染めて、恋をする乙女のように見つめれば見つめるほど欲望が抑えられなくなる。

 舞台の始まりを待ちきれない観客のように、劇のシナリオに手をつけようとしてしまう。

 

 「あぁ、ダメね。しばらく見守るつもりだったのに……。つい手を出したくなってしまう。

 アルにはアルだけの色を見せてほしいのだけれど、あんなに混ぜられてしまっているから、これは意味がないかもしれないわね……。

 だからベル……。貴方にお願いするわね?沢山輝いて頂戴ね、あの時みたいに……!」

 

 その手には、真っ白な表紙の本が握られていた。





 アルのククリナイフ

 冒険者アルトリウスが エイナ・チュールから与えられた武具

 独特な形状の刀身は 青みがかっている

 無事を願って買い与えられたそれは 傍にあるだけで力を持つのだ


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第十五話 お出掛け


 アモールの広場

 オラリオの南西に位置する 噴水広場

 デートスポットとして 幅広い層に知られている

 そこでは種族どころか 神と人の身分をも超えて

 熱い恋愛模様を 見ることが出来るだろう


 

 「うげぇ~……。頭痛い……。」

 

 「あれだけ酔って帰られればそうもなりましょう……。」

 

 「カミサマ、いったいどうしてそんなに飲んじゃったんですか?」

 

 アルとベルは、二日酔いのヘスティアを介抱していた。

 昨晩おびただしい酒のにおいを纏ってヘスティアが帰ってきたときには何事かと二人は心配したものだ。

 もっとも、その原因が二人にあるとは、二人は知りようがなかった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「聞いてくれよミアハぁ!ベルくんが浮気してたんだぁ!

 アルくんも全然止めようとしてなかったぁ!

 くそぉ!そもそもなんなんだあの子はぁ!ベルくんもアルくんもボクのなんだぞぉ!」

 

 バンバンと机をたたきながら、何杯も酒を飲み続けるヘスティアを、ミアハが優しくたしなめる。

 

 「これこれ、二人とも誰のものでもないぞ。」

 

 「ふんっ、言ってみただけさ!けどアルくんもアルくんさ!

 こないだはロキのところのリヴェリアなんとかって子と遊んだっていうじゃないか!

 それにヘファイストスのところの椿って子とも仲がいいみたいだし!

 二人ともボクの知らないところで女の子と遊びすぎなんだよ全く!」

 

 そう、ヘスティアは二人の無自覚の女たらしっぷりを嘆いてやけ酒をしていたのだ。

 最初の原因は、ベルがリリと手をつなぎながら歩いていたところを見たからであった。

 しかし、酒が進んでいくとどんどんと気に食わないところを思い出していく。

 ベルはヘスティアではなくアイズ・ヴァレンシュタインに気があるばかりか、エイナ・チュールやリリルカ・アーデと一緒にいるところも目撃されている。

 ヘスティアが知らないところでは、シル・フローヴァやフレイヤなんかもベルを狙っているような節がある。

 ベルだけでもヘスティアの悩みの種であるのに、アルが最近ベルを追い上げてきた。

 

 アルは顔が見えない兜をしているから、きっと大丈夫だという慢心があった。

 しかし、普段の誠実な態度と怪物祭(モンスターフィリア)での一件から、街の女性からの人気が急上昇しているのだ。その兜に隠れた顔がミステリアスで逆にいいとすら言われている始末である。

 

 まず、アルは食材を調達したり、日用品を用立てたりと街の女性たちと関わることが多い。

 大抵の冒険者は荒くれものでろくに品位もありはしない。

 しかし、アルはどんな人間にも丁寧に接する。

 まるでお姫様になった気分を味わえるということで地味に人気があるのだ。

 強さなどでは比べ物にならないが、モテ方はフィンに通ずるものがある。

 

 そして、怪物祭(モンスターフィリア)ではベルと異なり、一人で戦ったことが女性人気を高める要因となっている。

 ベルの場合は女神を守って戦ったということもあって、二人セットで一つのお話になっているが、アルは単独で話題になる。

 市民のために戦った英雄に女性の影なしともなれば女性からの人気が上がるのも頷けるというものだ。

 

 バイトでよく人と話すヘスティアは、アルの人気が高まっていることに当然気が付いていた。

 そこに、リヴェリアとのデート話や、椿との鎧談義などがアル本人から伝えられれば、それはもうヘスティアは心がざわめいて仕方がない。

 こうして酒を飲んで発散しているだけ健全なのかもしれないのだ。

 

 「あぁ~!ベルくーん、アルくーん、どこにもいかないでおくれ~!愛しているよ~!」

 

 ヘスティアの愛の告白が、夜の通りに響き渡る。

 付き合わされているミアハは、やれやれといった顔でヘスティアをなだめるのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 とまぁこんな訳で、ヘスティアは心の悩みを吹き飛ばす代わりに頭痛に苦しむことになったわけだ。

 

 「あの、カミサマ。こんな時になんですが次のバイトのお休みっていつですか?」

 

 「休み?なんでだい?」

 

 「実はここ最近の稼ぎが向上いたしまして、このようであればヘスティア様に御恩を返せるのではないか、と。」

 

 「そうなんです。だから、みんなでちょっといいご飯でも食べに行きたいなって。」

 

 ヘスティアは頭痛がぶっ飛ぶほど嬉しくなった。

 ベルとアルがわざわざ自身のために時間を作って出かけようと提案してくれているのだ。

 神としても女としても嬉しくないはずがない。

 ヘスティアの脳内ではこれは実質デートだな、と結論が出た。

 

 「デートだね!今日行こう!」

 

 「いや、しかし……。」

 

 「今日行きたい!」

 

 「え、でも……。」

 

 「今日行くんだ!」

 

 ヘスティアは二人を強引な三段活用でねじ伏せた。

 自分の欲に忠実ということもあるが、この二人はすぐに女をひっかける。

 早いに越したことはないという、計略も含んでいるのだ。

 

 「しかしお体の方はよいのですか?」

 

 「もーう治ったぁ!」

 

 ぴょんぴょんとベッドから飛び降りて、ヘスティアは外出用の服を出そうとクローゼットを開ける。

 しかし、気づいてしまった。

 自分のにおいは可憐な女神のにおいではない、酒飲みのにおいであるということに。

 これではデートが台無しである。

 百年の恋も一瞬で冷めてしまうというものだ。

 

 「ベルくん、アルくん!6時に南西のメインストリート、アモールの広場で集合だ!」

 

 びしぃっと親指を立てたヘスティアは、意気揚々と神御用達の神殿浴場へと赴くのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「デートっ、デートっ、ふったりっとデート!」

 

 足をパタパタと動かし水音を立てながら、ヘスティアは入浴を楽しんでいた。

 デートの準備とあっては入浴にも気合が入る。

 しっかりと湯につかっていると、ヘスティアに声をかける女神が現れた。

 

 「あら、ヘスティア?」

 

 「やぁ、デメテル。久しぶり。」

 

 デメテルはヘスティアと同郷の豊穣を司る女神だ。

 ウェーブのかかった美しい山吹色の髪もさることながら、豊穣の女神ということもあって、その胸はとても豊満であった。

 

 「相変わらず大きいわねぇ。」

 

 「君にだって立派なものがあるだろう。」

 

 デメテルが、彼女より小さいとはいえそれでも十二分に豊満なヘスティアの胸を触ろうとするのを、その手を払うことで、ヘスティアは回避する。

 こうした冗談が通用するのも、彼女たちがとても近い間柄であるからだ。

 デメテルはそのままヘスティアの隣で湯につかる。

 

 「でも驚いたわ。あなたがこの神殿浴場を訪れるなんて初めてじゃない?」

 

 「へへん、実はこの後約束があってね。気合いを入れようかと。」

 

 「まさか、お相手は殿方なの?」

 

 「だったらなんだっていうのさ。」

 

 「あらあらまぁまぁ、ヘスティアが!ねぇみんなぁ!」

 

 デメテルが大きな声を上げると、ぞろぞろと女神たちが集まってくる。

 

 「あのヘスティアが?!」

 

 「天界じゃこれっぽっちも男っ気がなかったヘスティアが?!」

 

 女性が、いや人や神が恋や愛の話に夢中になるのはよくあることだ。

 しかし、それがヘスティアのこととなるとその興味は一般のそれを凌駕する。

 天界の中でも鉄壁のガードを誇っていた処女神の一角が、男と会う約束をするだなんて、ビッグニュース以外の何物でもない。

 

 「「相手は誰?さぁ吐け!」」

 

 当然、ヘスティアの相手にも興味が向く。

 ヘスティアは恥ずかしそうに答える。

 

 「相手はボクのファミリアの子たちだよ。二人ともヒューマンだ。」

 

 「なんだ、デートじゃないの?」

 

 「デートはデートさ!さて、ボクもう行かないと!」

 

 湯から上がっていくヘスティアに、デメテルが最後に聞いた。

 

 「ねぇ、ヘスティア。その子たちのどこが好きなの?」

 

 「全部だよ!」

 

 ヘスティアのその発言にアルの境遇などを含めてすべてを受け入れられるという慈愛と覚悟があったということは、女神たちには伝わるはずもなかった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ヘスティアがあれこれと身支度を整えているころ、アルとベルは街をぶらついていた。

 アルは珍しく武器を持っていないばかりか鎧すら着ていない。

 シンプルなシャツにズボンというフォーマルにもカジュアルにも見えるいでたちであった。

 ちなみに手作りである。

 アルほどのサイズとなると、オーダーメイドか手作りするしかない。

 手を血まみれにしながら泣く泣く裁縫を習得したのはアルの良い思い出といえる。

 

 「やっぱりアルはかっこいいよ。似合ってる。」

 

 「いや、やはり鎧を着ていないと落ち着かんよ。それに貴公の方が男前だと思うぞ?」

 

 「そうかなぁ……?

 ところでさ、こうして二人で街を落ち着いて歩くのなんて初めてじゃない?」

 

 「そうだな。普段はもっぱらダンジョンに赴いているし、怪物祭(モンスターフィリア)の際はそれどころではなかったからな。我等も存外忙しない日常を送っていたのだなぁ。」

 

 感慨にふけりながら色々みながら歩いていると、ふとある露店の前でアルの足が止まる。

 そこにはそれなりにいい値段のする女もののアクセサリーが置かれていた。

 

 「おや、その背丈。

 もしかして怪物祭(モンスターフィリア)の時に広場でモンスター相手に立ち向かった人かい?」

 

 「えぇ、そうですが……。」

 

 「そりゃ良かった!あんたのおかげでうちのカミさんが無事に帰ってきたんだよ。

 ありがとうなぁ。」

 

 「アルもすっかり有名人だ!」

 

 「むむっ、そこのあんたはシルバーバックを倒したっていう坊主だな?

 そんな白い髪をした奴なんてそうそういない。そうなんだろう?」

 

 「ふふ、ベルも有名なようだな。」

 

 二人はクスクスと笑いあった。

 お互い、オラリオの市民から有名になっているとは知らなかったのだ。

 自分たちの行いが街に広まっていることは、正直鼻が高かった。

 

 「そうだ、二人にならカミさんも許してくれるだろう。

 一人一個アクセサリーをプレゼントするよ。街の大きい騎士と小さい英雄への礼さ。」

 

 「それはいけませんよ。一つ一つ丁寧な造りで手間もかかっていることが一目でわかる。

 値段もかなり抑えているのでしょう?お気持ちだけで十分です。」

 

 「そうですよ、アルはまだしも僕なんて全然ダメダメで……。」

 

 「そう言いなさんなって。二人が有名になってくれりゃうちも名前が売れる。

 どうか受け取ってくれやしないか?」

 

 二人は一旦相談することにした。

 

 「どうする?おじさんの厚意に甘えたとして、送り先なんてないよね?」

 

 「……いや、あるぞ。」

 

 「えっ?」

 

 「まずは我らが主神ヘスティア様への贈り物。次に我らの命を救ってくれたリヴェリア……さんとアイズ殿だ。」

 

 「アイズさんに……。」

 

 二人は悩んだ。

 店の主人に損をして貰えば、ベルは恋慕する対象のアイズか、主神であるヘスティアにプレゼントが出来る。

 アルは迷惑をかけてばかりいる尊敬すべきリヴェリアにお礼を述べることか、バケモノである自分を受け入れてくれるヘスティアに恩返しすることが出来る。

 かなりうまい話だ。

 しかし、二人で一つずつもらうだけでは三人の対象にプレゼントは入手できないし、店主が損をしっぱなしということになる。

 というわけで、ヘスティアへの贈り物は自分たちで稼いだ金で折半して買うことにし、ロキ・ファミリアの二人の贈り物は店主に甘えることにしようかということになった。

 

 その旨を店主に伝えると、店主はにっこりと笑った。

 

 「うちのカミさんの作品が神様につけてもらえるってんなら光栄なことだ。

 わざわざ金を使ってくれてありがとうな。」

 

 そういうわけで、ベルとアルはまずヘスティアのアクセサリーを吟味することにした。

 露店に並ぶアクセサリーはすべて精巧な銀細工であった。

 アンクレットやブレスレット、ネックレスにヘアアクセサリー、多種多様な銀細工のなかで、ベルはこれだというものを見つけた。

 それはブレスレットであった。

 シンプルなリングに、炎のような美しい文様が刻まれていて、小さく赤い宝石が埋め込まれている。

 ヘスティアが付けていたとしても全く違和感のないものだろうという確信がベルにはあった。

 

 「これ、どうかな?」

 

 「いいんじゃないか?ヘスティア様の白い手袋に合うだろう。店主、おいくらですか?」

 

 「5千ヴァリスでいいよ。カミさんの口癖でね。男が女にアクセサリーを選んでるときは安くしてやれってさ。そうすりゃ気軽にプレゼントが出来て男も女もハッピーだろうっていうんだ。

 自分の作ったもので誰かが笑顔になってくれるんならそれが一番うれしいんだとさ。いい考え方をするだろう?」

 

 「素敵な奥さんですね!」

 

 「あぁ、とてもよい奥様なのでしょうね。」

 

 「照れるねぇ。」

 

 嬉しそうに頭を掻く店主を見ながら、アルもベルも微笑ましい気持ちになった。

 互いに理解しあう幸せな夫婦の姿というものが、とても暖かく羨ましいものだと思えた。

 そうして5千ヴァリスを店主に渡して、ヘスティアへの贈り物を受け取ると、今度は個人的な贈り物の吟味に入った。

 

 アルは、感謝を伝える品として喜ばれるように、リヴェリアが使いそうなものを考えた。

 まずはその姿をイメージする。

 すらりとした立ち姿、凛とした表情や笑った時の表情、あらゆる角度からリヴェリアをイメージすると、最後に髪が思い浮かんだ。

 長くて美しい萌黄色の髪を、リヴェリアは髪飾りで結わえているのを思いだした。

 そうだ髪飾りだ、髪飾りなら使ってもらえるであろうと思って、アルはそれを探し始めた。

 

 いろいろと探して、アルはようやく納得のいくものを見つけた。

 群青の宝石がささやかに主張するヘアカフスだ。

 彫刻もかなり丁寧で品がよく、リヴェリアが付けていても全く違和感のないものだとアルは頭の中のリヴェリアに着けてもらうことで確認した。

 

 「店主、こちらをいただきたいのですが、よろしいですか?」

 

 「あの、これ頂きたいんですけど……。」

 

 どうやらベルもアルと同時に決断したらしい。

 ベルがそっと手に持っているのはネックレスだ。

 白い宝石の入ったチャームが揺れていて可愛らしいデザインのものだった。

 

 「二人ともお目が高い!両方ともカミさんが上手くできたっていってたものの一つさ。

 それに、今更だが最初に選んでたブレスレットだってカミさんの傑作だったんだぜ?

 全くいい買い物するよ、二人とも。」

 

 「恐縮です。」

 

 「ありがとうございます!」

 

 「そうだ、さっきのブレスレットも貸してくれ。

 一つずついい具合に包装してやるよ。俺は包装は大得意なんだ。」

 

 店主に言われるがままにブレスレット、ヘアカフス、ネックレスを渡すと手際よく黒い箱に入れてリボンを巻いていく。

 赤いリボンで巻かれた箱、青いリボンで巻かれた箱、白いリボンで巻かれた箱が二人の前に現れる。

 

 「ほら、できた。どうだい?中々いい手際だったろ?」

 

 「凄いです。こんなにきれいに一本のリボンで装飾を作れるなんて!」

 

 「リボンの位置も箱を見比べてみてもほとんどずれていない。お見事です。」

 

 「へへ、毎度。またいい取引をしよう。」

 

 紙の袋に三つの箱を入れて、店主が二人に手渡した。

 快い店主に丁寧に礼をして、アルとベルはアモールの広場へと向かうのであった。

 

 その道すがら、ベルはぽつりと語った。

 

 「僕、アイズさんとちゃんと話せるようになって、立派になったらこれを渡すよ。」

 

 「そうか、ベルがそうするというなら私もそうしよう。

 しかし立派になったという基準はどうする?」

 

 「でっかいホームが手に入ったらでどうかな?」

 

 「決まりだな。ロキ・ファミリアに劣らぬ大きなホームを手に入れた暁には、このアクセサリーを送ることにしよう。」

 

 二人は、また約束を交わした。

 早く強くなりたいという思いを胸に抱きながら、待ち合わせ場所へと急ぐのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 しかし、二人の力強い意思は広場の雰囲気に打ち砕かれることになる。

 あからさまにいちゃついている男女のカップルが多すぎるのだ。

 なんだか落ち着かないし、むず痒さを感じずにはいられないスポットだった。

 

 「これは……落ち着かんな。」

 

 「そうだね……。」

 

 「ベルくん、アルくん。お待たせ。待たせちゃったかい?」

 

 そこにはいつもとは違った様相のヘスティアがいた。

 髪を下ろし、服もいつも来ているものとは別物で、何より象徴的なひもがない。

 

 「いえ、全然!僕らも今来たところですから!」

 

 「たとえ待たされることとなったとしても、貴方を待つのであれば一瞬でございますよ。」

 

 「ふふっ、本当に二人はいい子だねぇ。よし、じゃあ……。」

 

 そっとヘスティアが二人に手を伸ばそうとすると、がさがさっと音を立てて幾人かの女神たちが現れた。

 

 「おぉあれが噂の!」

 

 「ヘスティアの男ね!」

 

 そう言って、ドーンとヘスティアを突き飛ばし、ベルとアルを囲って、争奪戦をおっぱじめた。

 

 「こっちの可愛い子ゲットぉ!」

 

 「やだ、あなた男前ね!ヘスティアよりも私とデートしましょ?」

 

 「あぁ、離してくださいっ!うわぁっ!」

 

 「くっ、お戯れをっ!あぁ、おやめくださいっ!」

 

 二人がもみくちゃにされているのを輪の外から呆然と眺めることしかできないヘスティアのそばにまたもやデメテルが現れた。

 

 「ごめんなさいね、ヘスティア。気になってついてきちゃったの。」

 

 こうなっては最早どうしようもない。ベルは上からぐいぐいと押しつぶされてしまって身動きが取れない。

 アルは下手に動いてケガをさせてしまってはいけないと遠慮してしまっている。

 しかし、ヘスティアとの外出の約束は果たさなければならない。

 アルは、自分が囮になることにした。

 女神たちを撒くにはアルの巨体は邪魔以外の何物でもない。

 アルは、押しつぶされているベルの襟首をつかみとって、ヘスティアの方に投げた。

 

 「ベルッ、行けっ!眷属としての使命を託す!私の代わりにヘスティア様を頼んだぞ!」

 

 「アルくん……!アルくんの犠牲は無駄にはしないっ!許してくれアルくん!ごちそうをテイクアウトして持って帰るからぁ!」

 

 「ごめんよ、アルぅぅぅっ!!」

 

 アルの意図を汲み取って、ヘスティアとベルは涙を流しながらアモールの広場から逃げ出す。

 女神たちは、とっさの判断に遅れるが、すぐに持ち直して二人を追いかけようとする。

 

 「ヘスティアが逃げたぞー!」

 

 アルはその体を壁のようにして女神たちの行く手を阻むが、幾人かの女神たちの目の色が変わる。

 その様子にアルは背筋がぞっとした。

 それが捕食者の目だということに気が付いたのは、アルが冒険者として熟練してきたからなのだろうか。

 

 「私はあなたみたいなクール系が好みだし……!」

 

 「わらわも話題の騎士ともなれば、抱いてみたいのぉ!」

 

 「くっ、退散っ!」

 

 アルは女神の掴みをすんでのところで回避し、ヘスティアたちが向かった方角とは別の方角へと全力で駆けだした。

 時には建物の陰に隠れ、時には屋根の上を借り、なんとか逃げ続けるも、女神たちは執拗に追いかけてくる。

 アルは女神たちの獰猛さに恐怖を抱きながら、次の逃走経路を考えていると、路地裏の影からちょいちょいと自分を招いている手を見つけた。

 近づいてくる女神たちの声に気が付いたアルは、その一縷の希望にすがった。

 

 「よっ、なんや困っとるらしいやん自分。助けてやってもええで?」

 

 そこには酒瓶片手に、にやにやと笑うロキが立っていた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「おねえちゃん!ウチのワインは?」

 

 「こちらでございます。どうぞごゆっくり。」

 

 ロキはあの後、口八丁手八丁で女神たちを欺き、見事にとんちんかんな方向へ誘導していた。

 天界のトリックスターとうたわれた彼女の片鱗に、アルは感嘆せずにはいられなかった。

 しかし、アルはなぜ今酒場のテラス席でロキと共に座っているかわからなかった。

 

 「あの、神ロキ。私はどうしてこのようなところに……?」

 

 「そりゃあ決まっとるやろ。リヴェリアたんをたぶらかした間男をとっちめるためや!」

 

 「誑かすなど、私は卑小な人間にございます。あの御方にとって私は大した存在ではありませんよ。四騎士のように立派な騎士であれば話は別でしょうが……。」

 

 「くっ、この馬鹿真面目っぷりが刺さったっちゅうんか……!まぁさっきのは冗談や。自分、魔法出たらしいやん?教えてもらおか、どんな魔法なんか。それと、あのドチビが何を考え何を感じてお前を家に置いてんのか。どうせその日に聞いたんやろ?聞かせて欲しいなぁ。」

 

 ロキは、あの大事件(リヴェリアのパニック)の次の日、あの場にいた幹部たちと一緒になってガミガミと叱られながら、アルに魔法が発現し気がかりだったという説明(言い訳)を聞かされた。

 アルに魔法が発現したのも、リヴェリアがアルを気にかけていたことも事実だと確認したロキは色々と悩んだ。

 アルについては危険度の更新と監視の強化を急ぐ必要がある。

 リヴェリアについては、本当にクロなのか見極めがいる段階だと判断し、いったん保留にすることした。

 とにもかくにも取りあえずはアルに会ってみようということになったのだ。

 

 アルはこのロキの思惑を見抜き、気を引き締めた。

 下手に受け答えをすればまたトラブルになる。

 アルはゆっくりと口を開いた。

 

 「まず、ヘスティア様のことからお話ししましょう。

 そうすれば魔法の説明も幾分か楽になります。

 貴方の推測通り、ヘスティア様は私に恐怖を感じていたそうです。そして、恐怖を感じたうえでそれでも私を受け入れてくださると仰ってくださいました。」

 

 「ほ~ん、ドチビもつくづく甘い奴やなぁ。それで、恐怖を感じたんは深淵が原因なんか?」

 

 「いえ、私の存在自体が異質だそうです。

 私の中には数え切れないほどの(ソウル)があるのだと仰っていました。」

 

 「なるほどなぁ……。あの色ボケの表現も納得や……。」

 

 ロキは意外にも、すんなり受け入れられた。

 それは、フレイヤがロキに伝えたアルの魂の色の表現を覚えていたからだ。

 色をぐちゃぐちゃに混ぜたような魂、様々なものを見せてくる魂、そういった表現がどうして出てきたのか、あの時のロキにはわからなかった。

 しかし今なら分かる。要は単純な話だ。

 沢山な魂を同時に見れば、色は混じるし、様々な様相を見せることになる。

 

 「そして、私の魔法はいわばその魂から力を借りるもの。その魂が誰かに教えてきたものを、私にも教えてくれるものなのだと思います。」

 

 「つまり自分の中にヤバい魂があったらその力も使えるようになるっちゅうことか?

 やっぱお前危ないな。」

 

 「いえ、そう簡単にはいかないようです。この魔法を使っていると、少しだけ魂とつながっているような気がしますが、すべてを教えてくれるわけではないのです。なにやら私が未熟だからということらしいです。」

 

 「魂に意思があるっちゅうんか?!」

 

 「恐らくは、そうなのでしょう。」

 

 アルは、深淵を発露させて以来、自身の中のソウルが蠢いているのをわずかだが感じ取っていた。

 それが魔法を使えばより顕著になる。

 まるで誰かと話しているかのような気分になるのだ。

 

 「本で読んでも、意思のある魂を取り込める存在のことなど書いていませんでした。

 ただ私はたった一つ、魂を取り込み力にする存在を知っている。」

 

 「神であるウチですら魂をたくさん持つ奴なんて聞いたことない。なんなんや、そいつは。」

 

 「不死人、あるいは灰。ただ一人を除いて、使命という因果から死んでも逃れられなかった者たちです。」

 

 「字面からして死なない、死ねない存在ってことみたいやけど……。その一人ってのはどうして因果から逃れられたんや?」

 

 「因果の世界を終わらせたから、と聞いております。」

 

 全部嘘ではない、全部本気で語っているとロキには分かった。

 とすれば、また神のコネクションをふんだんに利用して調べ尽くさねばならない。

 ただでさえ深淵というものがなんであるか理解が進んでいないのに、不死性を持ちながら世界を終わらせた存在なんてものを調べるとなると更なる苦行になるだろう。

 アル以外の気がかりな事件も調べなくてはいけない時にこんな新情報は死刑宣告と同義だ。

 というか、神たちが生まれた時に世界というものが始まって、今のオラリオに繋がっているのだ。

 もし世界が終わっているというのなら、自分たちが生まれる前ということになる。

 自分たちが生まれる前のことなど、いくら全知である神とはいえ知りようがない。

 

 ロキは思いきり酒をあおった。

 やけ酒に走って今は考えないようにする、というのがロキの出した結論であった。

 どのみちただ一人知っていそうな神を締めあげるだけだと考えたのだ。

 

 「もうお前の事調べるのやめたいわ……。」

 

 「ははは、けれど貴方は知ろうとするのでしょう?」

 

 「ウチの子供のためやからな……。あっ、リヴェリアたんにはウチのことよく言うといて!

 子供思いの神様におっぱいの一つや二つもませてあげるべきですって言うんや!」

 

 「丁重に断らせていただきます。貴方の優しさは皆様に伝わっているでしょうが、下世話な発言が評価をおとしていますよ。」

 

 「けっ、ウチは絶対お前より先にリヴェリアのおっぱいもんだるからな!おねぇちゃんビール持ってきてや、ビール!」

 

 「ははは、あの方に触れるなんて恐れ多いことを……。そうだ、お酌は致しますよ。」

 

 アルは、ベルとヘスティアとの合流を諦め、助けてもらった感謝の気持ちを込めて、ロキの酒盛りと諸々の愚痴に延々と付き合った。

 アルが解放されたのは、空が白み始めた頃であった。

 ちなみに、酒代はすべてアル持ちだった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ロキは酒をしこたま飲んだ直後、すぐにギルドに赴いていた。

 

 「すまんなぁ、ウラノス。また来てもうたわ。」

 

 「今度は何の用だ。」

 

 ギルドの最奥の玉座で静かに座る神ウラノスは表情を一つも変えることなく、突然来訪してきたロキを見つめた。

 天空の神ウラノス、彼は世界のために祈祷を行いダンジョンとモンスターを鎮める役を担っている。

 そしてその役目故に、他の神よりもはるかに立場が高く、下界においての神の力の解放の許可を出すこともできる。

 ロキは、彼ならば世界の始まる前を知っているのではないかと狙いをつけたのだ。

 

 「深淵、不死人、灰……。聞き覚えは?」

 

 「ある。」

 

 ロキは驚きを隠せなかった。

 ウラノスには秘密主義的な一面があると思っていたからだ。

 たとえ何かを知っていたとしても、それを隠すと思っていたのにこうも素直に答えられてしまったら、困惑しない方が無理がある。

 

 「ほぉ……。何を知ってるんか教えてもらうことはできるか?」

 

 「それは駄目だ。我らはすでに彼らの、それらの、いや彼の逆鱗に触れた。」

 

 「どういうことや。何で彼らでそれらで彼なんや。何を隠してる!」

 

 「我らがダンジョンを封じたことで、彼の思惑を阻害した。ただそれだけのこと。

 ロキよ。王の長子に手を出すな。あれは、彼が我らに残した最大限の譲歩の形なのだ。」

 

 ロキはウラノスをにらみつけた。

 ウラノスはそれでもなお悠然と座っていた。

 ロキは、その態度を見てこれ以上の情報は引き出せないと思い、無言で立ち去った。

 

 「王よ、神をも殺す者よ。お前の長子はお前の意志を、使命を果たせるか……?」

 

 ウラノスが呟いた言葉が、暗い部屋に小さく響いた。

 





 ヘスティアのブレスレット

 ヘスティアに 二人の眷属たちから贈られたブレスレット
 
 一人の眷属が代表し 星空のもとでそれを贈ったという

 女神は二人の眷属の 真心に涙した

 それ以来彼女の手首から 銀に輝く装身具が外れたことはほとんどない
 


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第十六話 魔導書


 銀細工の露店

 オラリオに位置する 銀細工を取り扱う珍しい露店

 仲睦まじい夫婦が 互いに助け合って運営している

 彼らの銀細工には 言い伝えがある

 それは良縁を結ぶ 不思議な力があるという


 

 「アル、寝てないんだよね。大丈夫?」

 

 「やれんことはないだろう……。まさか神ロキがあれほど酒をたしなむ方だとは思ってもみなかったがな……。」

 

 「アル様、体調がすぐれないなら戻りましょうか?」

 

 「いや、進んでもらって構わない。稼ぎは大事だ。神ロキの酒代が馬鹿にならんのだよ。」

 

 アルは寝不足の体を無理やり動かして、ベル、リリと共にダンジョンに潜っていた。

 いつもなら、万全を期すためにきっちりと休息をとるのであろうが、今日ばかりはそうはいかない。

 本、ヘスティアのアクセサリー、ロキの酒代で、ここ数日の予算を大幅にオーバーした出費をしていたからだ。

 ベルが鎧を購入していることもあって、さらに蓄えが減っている現状では休むという選択肢は取りづらかった。

 

 しかしわずかな不調が大きな綻びとなってしまうのが、ダンジョンという場所だ。

 一行は大量のモンスターに前後から襲われることとなった。

 戦闘のはじめは、難なく対処していた二人も、キラーアントとニードルラビット、大小のモンスターに同時に対応するとなると骨が折れた。

 盾でモンスターの行動を阻害しながら戦っていたアルは、一瞬の隙を突かれてニードルラビットを取り逃がした。

 

 「不味い、抜かれたっ!」

 

 アルが叫ぶよりも早く、ニードルラビットはベルの体勢を崩した。

 背中からダンジョンの床に転がったベルはすぐにニードルラビットを蹴とばす。

 しかし、アルがカバーしている方向とは逆から来たキラーアントが既にベルに覆いかぶさろうとしていた。

 

 「ダメぇっ!!」

 

 リリが叫びながら赤い刀身の短剣を突きだすと、そこから火が噴き出す。

 猛火はキラーアントを焼き、ベルはその隙に体勢を立て直した。

 そこからは二人とも調子を取り戻し、なんとか窮地を乗り越えたのだった。

 

 戦闘が終わると、リリはすぐに短剣をローブの中にしまい込み、ベルに駆け寄った。

 アルも粗布のタリスマンを取り出しながら駆け付ける。

 

 「ベル様、ご無事ですか?!」

 

 「ベル、すまない。一瞬気が抜けていた。怪我はないか?今日は『回復』の奇跡をもってきてある。すぐに治せるぞ。」

 

 「大丈夫だよ。ほら、無傷でしょ?リリのおかげだよ。助けてくれてありがとう。」

 

 「あっ、いえ……。」

 

 「そういえばリリ、今魔法使ったよね!」

 

 「いえ、それは魔剣の力で……。」

 

 リリはそっと懐に忍ばせた魔剣に手を添えた。

 魔剣とは、どんな人間でも簡単に魔法を使えるようにする代物だ。

 しかし、一定回数以上使えば必ず壊れるという致命的な欠陥と製作が難しいという難点を抱えており、大変高価だ。

 サポーターという弱者が持つにはお宝過ぎるのだ。

 

 「えぇっ、そんな貴重な物を僕のために?!本当にありがとう!」

 

 「リリ、私からも礼を言わせてくれ。ありがとう。貴公のおかげでベルが傷つかずにすんだよ。」

 

 「そっ、それは、ベル様のためですから!」

 

 リリは二人に警戒心を向けていたことが少しだけ嫌になった。

 魔剣を奪われてしまうのではないかという警戒なんてこの二人の善人(バカ)には無意味なことなのだが、それでもリリには疑い続けなくてはならない理由があるのだ。

 リリは警戒を解いて、そっと魔剣に添えていた手を放した。

 

 ある程度進んで、三人は休息をとっていた。

 二人よりも早く弁当を平らげたアルは二人に許可を取って仮眠をとり始めていた。

 

 「アルって寝るのも起きるのも早いんだよ。騎士の嗜みなんだってさ。」

 

 「そうですか……。」

 

 「けど魔法ってすごいなぁ!アルも色々使えるんだよ。僕も魔法が欲しいなぁ……。」

 

 ベルが自分が凄い魔法を使っているところを夢見ていると、リリはおずおずと口を開いた。

 

 「あのっ、ベル様。お休みをいただいてもよろしいでしょうか?」

 

 「いいけど、何か用事でもあるの?」

 

 「ファミリアの集会があってどうしても出席しないといけなくて。

 契約違反なのは分かっています。ペナルティはお受けますから。」

 

 そうして、リリはベルに向かって三つ指を立てて頭を下げた。

 ベルは仲間のその態度に動揺する。

 

 「えっ、いいよそんなこと!それより、ごめんね?休みたいときは遠慮なく言ってね?

 アルだって起きてたら『休息をとるのもまた仕事だぞ。私は今日失敗してしまったが……。』っていうと思うし。

 リリばっかり気を使わなくてもいいんだよ。僕たち仲間なんだからさ!」

 

 ベルはリリに向かってほほ笑んだ。

 リリはベルの優しい言葉に思わず微笑んでしまうのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 アルとベルはその翌日、弁当箱を返しに豊穣の女主人を訪れていた。

 開店準備中だからか従業員たちは皆少し暇そうで、シルとベルの様子をにやにやと眺めていた。

 アルも、ベルの隣というよりは少し後ろで控えている。

 

 「ごちそうさまでした。」

 

 「その様子、今日はお休みなんですか?」

 

 ベルが鎧を着ていないことはいいとして、鎧を脱いでいるアルを見た時のシルの顔は、珍しいものが見れてうれしいといった感じであった。

 二人の様子からして、シルは二人が今日は絶対にダンジョン探索にはいかないだろうと思ったのだろう。

 

 「はい、今日に暇になっちゃって。シルさんは休日は何をしてるんですか?」

 

 「読書、とか?」

 

 「読書かぁ……。アルが読んでる本は難しそうだしなぁ……。どうなの、あの本?」

 

 「面白いが、難しいぞ?

 『魔道とはすなわち自然との対話である。したがってまずは衣服を脱ぎ、肌で風や土のぬくもりを感じるのだ。』と書いていたときはその意図を理解するのに二時間かかった。」

 

 「結局どういう意図だったんですか?」

 

 シルの質問に、アルは肩をすくめて答えた。

 

 「どうやら、そのままの意味だったようだ。」

 

 「その本、とんでも本じゃないんですか……?」

 

 そんな二人の会話を聞きながら、ベルは戸棚に立てかけてある白い表紙の本に目が留まった。

 どこか目を引かれる装丁とタイトルであった。

 

 「『ゴブリンにも分かる現代魔法』……?」

 

 「興味あります?お客さんの忘れものなんですけど、取りに来る様子もないですし……。この本でいいなら貸しちゃいますよ?」

 

 「えっ、いいんですか?」

 

 「減るものではないですし、読み終わったら返してくれたらいいですから、ね?」

 

 ベルは悩んだのちに受け取った。

 すぐに読んですぐに返せば、シルの言う通り何の問題もないだろう。

 アルは、ベルがそうするならいいだろうということで、特には何も言わなかった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ホームに帰ってすぐ、ベルはその本を読もうとした。

 

 「へへ、勉強すれば魔法って出るようになるんだよね?」

 

 「あぁ、ヘスティア様とリヴェリア……さんが仰っていたのだ。間違いないだろう。」

 

 「よーし、じゃあ頑張るよ!どれどれ……。

 魔法は種族により素質として備わる先天系と……。」

 

 読み始めて数分も経たないうちに、ベルは本ごとテーブルに突っ伏した。

 アルはその様子を少し微笑んで眺めた。

 

 「おや、疲れていたのやもしれんな。よし、私の毛布を掛けておいてやるか。」

 

 アルは、ベルにとっては大きめの毛布を肩にかけてやり、自身の修練を始めた。

 リヴェリアの言いつけ通り座禅を始めるのだ。

 

 アルが「古竜への道」の座禅を組みながら精神の統一を図っていたとき、ベルは自身との対話を経験していた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「じゃあ始めようか。僕にとって魔法って何?」

 

 どうしてだろう。僕が僕を見下ろしている。

 なんとなくだけど、答えないといけない気がする。

 

 「強い力。一人じゃ何もできなかった僕をやっつけて、奮い立たせてくれる武器。」

 

 あの夜のことを思い出す。アルが怒ってくれていなかったら、僕は怒ることすらできなかった。

 

 「僕にとって魔法はどんなもの?」

 

 「焔。猛々しく燃え上がって太陽みたいに煌々と輝く、弱い僕にはちっとも似合わない白い焔。」

 

 ただの炎じゃダメなんだ。

 もっと明るくないと、もっと激しくないと、ダメなんだ。

 

 「魔法に何を求めるの?」

 

 「空を切り裂く稲妻のように、誰よりも早くあの人に追いつきたい。

 深淵を焼き尽くした、あの日纏った聖火のように、強く優しくありたい。

 誰よりも体を張ってみんなを守る彼のように、硬く揺るがないようになりたい。」

 

 アイズさん、カミサマ、アル……。みんな僕の大切な人、憧れる人。

 けど憧れているだけじゃダメなんだ。

 僕だって戦わなくちゃいけないんだ。 

 

 「欲深いなぁ。けど、それで全部じゃないんだろう?」

 

 「もし叶うなら、英雄になりたい。昔読んだおとぎ話にでてくるような、あの人が認めてくれるような、英雄に。」 

 

 おじいちゃん。僕は英雄になりたいよ。

 おじいちゃんが僕に教えてくれたような、英雄になりたいんだ。

 

 「とんでもなく子供だなぁ。」

 

 「ごめん、けどそれが僕だ!」 

 

 そうだ、それが僕なんだ。

 僕の……(ソウル)なんだ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「たっだいまー!ベルくん、アルくん、いい子にして待ってたかい?」

 

 「ふふ、それがベルは今はぐっすりですよ。」

 

 「おや、本当だね。まだそっとしておいたほうがいいかな?」

 

 「もうかなり時間もたっていますし、起こしてあげた方がよさそうです。

 ベル、起きろ。ヘスティア様も帰ってこられたぞ。」

 

 ゆさゆさとベルの肩をアルがゆすると、ベルは目をこすりながら体を起こした。

 ベルはどうして眠ってしまっていたのか、さっぱりわからないといった風体であった。

 

 「さぁ、二人とも。ご飯にしようぜ!」

 

 ベルは寝ぼけて上手く働かない頭をなんとか動かしながら、アルと共に夕飯の支度に入るのであった。

 

 夕食を終えて、日課のステイタスの更新を行っていると、ヘスティアは声を震わせながら、その変化を口にした。

 

 「べ、ベルくんにも魔法が発現した……!」

 

 「本当ですか、カミサマ?!」

 

 「へばにゃっ!」

 

 がばりと体を起こしたベルのせいで、ヘスティアは背中から転げ落ちる。

 アルは頭からベッドから落ちないように、とっさに手を差し伸べていたが、何とか踏みとどまった。

 

 「ベル、落ち着き給えよ。」

 

 「あっ、ごめんなさい。カミサマ……。」

 

 「大丈夫だよ。さてアルくん、ぱっぱと済ませて一緒にベルくんの魔法の確認をしようか。」

 

 「えぇ、ベルの魔法がなんなのか、私も気になります。私のはささっと済ませてしまいましょう。」

 

 ベルは、自分の魔法の詳細が知りたくて、そわそわしていた。

 アルのステイタス更新を手早く済ませて、三人はアルの時のように輪になって座った。

 

 「さて、ベルくんの魔法はこれさっ!」

 

 ヘスティアがみんなで見れるように、ステイタスとは別に大きめに複写した紙が、三人の前に置かれた。

 そこにはこう記されてあった。

 

―――――

 

≪魔法≫

 

【ヒーローノヴァ】

二重魔法(デュアルマジック)

能動的切替(アクティブスイッチ)

・速攻魔法 【プロミネンスバースト】

・即時付与(エンチャント) 【フレアアームド】

 

―――――

 

 「ベルくん。まちがってもここに書いてあることを口に出しちゃだめだよ。」

 

 「えぇっ?!どうしてですか?!」

 

 ベルは、せっかくの魔法を試したい気持ちであったのに、出鼻をくじかれてしまった。

 ヘスティアは、紙のある文言を指さした。

  

 「速攻魔法とか、即時付与とか書いてあるだろう?それに大抵の魔法はアルくんのように、詠唱文も記載されているのにそれがない。

 これはボクの推測だけど、この文言をベルくんが口に出した瞬間、魔法として機能するという可能性が高い。

 つまり詠唱なしで効果を発揮するかもしれないということだね。」

 

 「なるほど……。」

 

 アルはパラパラと『大魔導士の帽子の中身』をめくり、詠唱についての章を眺める。

 詠唱とは魔力を込める過程にあたり、この詠唱に失敗すれば魔力暴発(イグニス・ファトゥス)を引き起こすリスクがある。

 アルの魔術や呪術は、ソウルから力を得ることで詠唱をスキップしていたが、ヘスティアの仮定が正しければベルの魔法はベルの魔力を媒体にするにも関わらず詠唱を必要としないものになる。

 とんでもない利便性を秘めているかもしれないと気づいたアルは、静かに驚き、そして喜んだ。

 しかし、アルはそれ以上に気になることがあった。

 

 「しかし、効果も多いですね。一つの魔法で二つの効果を持つなど……。」

 

 「それなんだよ!アルくんの【ソウル・レガリア】もロキのところのリヴェリアなんちゃらくんの魔法も、効果としては一つなんだ。

 アルくんなら力を引き継ぐという点はぶれてない。リヴェリアなんちゃらくんであれば、攻撃・防御・回復でそれぞれ一つの魔法だと聞いているよ。

 ベルくんの魔法はそういう意味でもとても特別だね。」

 

 「へへへ……。」

 

 ベルは恥ずかしそうに頭をかいた。

 待ちに待った魔法が二人にもてはやされてとても嬉しかったのだ。

 どんどんと試したい気持ちが増していくベルに、ヘスティアが待ったをかけた。

 

 「ベルくん。気持ちはわかるけど今日はもう遅い。魔法は明日になっても逃げないから、今日はよく寝て、明日思う存分使うといいよ!」

 

 そうして、三人は寝ることになるのだが、ベルは納得できなかった。

 こそこそと、夜中に起き出して、簡単な準備をする。

 罪悪感を抑え込みながら、扉に手をかけると、その手をつかむ男がいた。

 わざわざ寝たふりをして待ち構えていたアルだ。

 

 「貴公も中々分かりやすい男だなぁ、ベル。」

 

 「アル?!どうしてっ?!」

 

 大きな声を出そうとするベルの口を押さえて、静かにさせてからアルは答えた。

 

 「私とて男だ。待ち望んだ力を試そうと言う気持ちもわかる。しかし、今夜でないといけない理由はなんだ?」

 

 「えっと……早く強くなりたいから。」

 

 「なれば、私もついていこう。貴公が強くなるためならば協力するのが友というものだ。むしろ、私に言わずに勝手に行こうとするなど薄情だぞ?」

 

 「ごめん……。止められると思って……。」

 

 「構わんさ。少し待っていてくれ、すぐ準備をする。」

 

 アルが鎧を手早く着込んで、二人は主神を起こさないように静かにダンジョンへと向かうのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「プロミネンスバーストぉ!」

 

 ベルがゴブリンに向かって手を向けながら叫ぶと、爆炎が吹き抜けた。

 ベルに気がついていなかったゴブリンは、避けることもなく跡形もなく消し飛んでいた。

 その威力に、アルは驚かずにはいられなかった。

 

 「おぉ、凄まじいな……。しかし、少々奥に来すぎているような……。」

 

 アルの感覚は正しかった。

 アルたちの後方には無数の魔石が転がっていて、ベルが大量のモンスターを狩りながら前進してきたことを証明している。

 二人は予定していたよりも更に奥へと進んでしまっていたのだ。

 

 「ねぇアル!凄いよこれ!よっし、じゃあ次は……ってあれ、おかしいな……。」

 

 「ん……?ベルッ!」

 

 さっきまではしゃいでいたベルの足元が突然おぼつかなくなり、アルは慌てて倒れ込むベルを抱えた。

 呼吸はしているが、完全に意識がなくなっている。

 アルは原因が分からない以上下手に動かせず、そっとベルを寝かせて、じっと周囲を警戒した。

 

 「魔法の副作用か何かか……?」

 

 アルは、自身の魔法の特異性から魔導士が気を付けなればならないある症状のことをよく勉強していなかった。

 それゆえ、その症状が初心者が一番陥りやすいということも知らなかったのだ。

 

 「むっ、下から何か来る……。モンスターか……?」

 

 アルは、ベルをかばってしゃがみ込みながら盾を構える。

 下手をすれば死ぬ。

 存分に警戒していたが、そこから現れたのは予想外の存在達であった。

 

 「奇遇ですね、リヴェリア……さん。それとアイズ・ヴァレンシュタイン殿。」

 

 「ん?どうした、そんなに警戒して。」

 

 「あぁ実は、彼がですね……。」

 

 アルは構えを解いて、ベルが二人から見えるように立った。

 リヴェリアはゆっくりと近づいて、その口元に手を当てた。

 熟練の魔導士であるリヴェリアは、ベルが陥った症状にすぐに気が付いた。

 

 「精神疲弊(マインドダウン)だな。後先考えずに魔法を打たせでもしたのか?」

 

 「これが、精神疲弊(マインドダウン)だったとは……。気が付きませんでした。ベルには申し訳ないことをしてしまった。」

 

 精神疲弊(マインドダウン)、それは魔法を扱う際に消耗する精神力を枯渇させてしまうことによって、気絶してしまうことを指す。

 これこそが、魔法が出たての魔導士が死にかける原因の一つなのだ。

 自分のキャパシティが分かっていない状態で魔法を使い続けたベルは、もし一人であったならばモンスターに食い殺されていたかもしれなかった。

 

 「その子、ベルって言うの……?」

 

 「えぇ、名をベル・クラネルと言います。小さな体に大きな優しさを秘めた男ですよ。」

 

 アイズは、おずおずとベルに近づいた。

 そして、その顔をある程度眺めた後、アルに声をかけた。

 

 「あの……、この子に償いをさせてほしい。ダメ……かな。」

 

 「ベルは貴方に償いなど求めてはいないでしょうが……構いませんよ。」

 

 その様子を見たリヴェリアは、少し面白いことを考え付いた。

 アイズが珍しく興味を示した少年ならば、触れ合うことで多少は情操が豊かになるのではと踏んだのだ。

 

 「ならいい案があるぞ。膝枕でもしてやれば、償いにはなる。そうだろう?」

 

 「えっ、それはっ……。」

 

 リヴェリアの言葉を聞いて動揺したアルは思わずリヴェリアの顔を見つめた。

 リヴェリアの白魚のような指が、彼女のうっすらと笑みを浮かべた口元にそっと添えられた。

 黙っていろ、そう伝えたかったのだろう。

 アルはそんな彼女の妖艶な仕草と茶目っ気のある可愛らしさに一瞬あてられた。

 その一瞬で、ペースを握られた。

 

 「アイズ、償いなのだ。しっかり世話をして無事に送り届けてやれ。私と彼は先に上に戻る。行くぞ?」

 

 「えっ、は、はい。アイズ殿、ベルのことをよろしくお願いいたします。」

 

 「うん……。任せて……。」

 

 アイズに深々と頭を下げて、アルは慌ててリヴェリアの背中を追いかけた。

 アルは慌ててはいたが、頭は働いていた。

 レベル5の屈指の実力者、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインとともにいるのならば、ベルは安全だろうと確信したうえでリヴェリアについてきていた。

 折角のアイズの厚意、そしてリヴェリアの願いを無下にしないためにだ。

 

 「すまないな。気が付いてくれて助かった。」

 

 「いえ……。しかし、なぜあのような嘘を?」

 

 「アイズが珍しく、あのベルという少年を気にかけていてな。

 ミノタウロスに立ち向かったことへの興味と、そしられる原因を作ってしまったことへの罪悪感が原因だろう。」

 

 「なるほど、彼女がベルと接触する機会を作りたかった、というわけですか?」

 

 リヴェリアは、少し驚いたような顔をした。

 そして、また笑った。

 

 「あぁ、そうだ。あの子は昔から感情の起伏が極端に無くてな……。

 もっと感情が豊かになるいいきっかけになってくれれば、という親心という奴だろうな。」

 

 「本当に貴方は慈愛に満ちた御方だ……。」

 

 アルはリヴェリアの優しさに触れながら、兜の下で微笑んだ。

 もはや神にすら見放されるべき存在であるアルには、その優しさがどこまでも眩しかった。

 

 二人が魔法の話やら無難な近況報告をしていると、ダンジョンの入口の戻ってきていた。

 リヴェリアは、別れを告げようとしていた。

 

 「よし、もうここまで来ればいいだろう。ここらでお別れだ。」

 

 「いえ、もう夜も深い。送りますよ。黄昏の館の位置は覚えています。」

 

 「私が夜闇に乗じて襲われるとでも思っているのか?町娘じゃあるまいし、構うことはない。」

 

 アルは憤慨した。

 この人は自分が言ったことから何も学んではいない。

 すぐに自分をとんでもなく強いおっかない魔導士にしようとする。

 自分をもっと多面的に評価して欲しい。

 アルはすぐに抗議した。

 

 「私は以前にも申し上げましたが、貴方はお美しい淑女なのだ。

 夜闇に乗じてでも貴方を手籠めにしたいという下賤な輩はいるでしょう。

 たとえレベル6といえども、絶対安全とは限りません。それに貴方が強いから、あるいは私が弱いからといって貴方を送り届けない理由にはならない。

 大恩ある貴方に何かあったら、私は耐えられませんよ。

 どうか送らせていただきたい。私の今晩の心の平穏のために。」

 

 アルの悪癖がまた始まってしまった。

 この男はどうにも善意が暴走して、口説き文句のような言葉を発してしまうようだ。

 もっとも、このような発言は、親愛なるリヴェリア・リヨス・アールヴを心配しているからこそ出ている。

 だからこそタチが悪いというべきか、リヴェリアはロキにするように冷たくあしらうことも、あるいは下世話な男どもにするように魔法で黙らせることも出来ない。

 

 リヴェリアはまたもやアルに心悩まされることになった。

 実は、ロキ達を叱りつけた後、リヴェリアは瞑想を重ねて精神を凪いだ湖面のように鎮めることで、アルのことを変に意識しないようにしていた。

 逆に言えば、そうでもしない限りはおかしな意識の仕方をしてしまうということだ。

 リヴェリアがパニックを起こしたとき、ロキやティオナに言われた言葉がその変な意識に拍車をかけていたのだ。

 

 しかし、アルの善意からくる無遠慮な好意と言葉が眠らせていた精神の動揺を引き出してしまったのだ。

 リヴェリアは顔には絶対に動揺を出さないものの、その長い耳を赤く染めながら伏し目がちに言った。

 

 「そ、そこまでいうのだ。乗せられてやろう。しっかり送り届けるのだぞ?」

 

 「勿論です、リヴェリア……さん。」

 

 あんなにハッキリと物を言うくせに、名前を呼ぶことにはまだまだ不器用なアルを、リヴェリアは可愛いなと思った。

 狼のように気高いくせに、犬のように従順で純朴。

 騎士のように誇り高く実直なのに、子供のような心配性。

 そんなアルの存在が、リヴェリアの中で大きくなっていた。

 

 「ふふ、おかしなものだな。」

 

 「何かございましたか?」

 

 「いや、何でもない。気にするな。」

 

 アルの歩幅はいつもより小さく、リヴェリアの歩調はいつもより軽やかだった。

 

 

 

 





 大魔導士の帽子の中身

 とある大魔導士が書き著した 魔法の指南書として隠れた人気を誇る本

 時折異様な文章が挿入されるため その本当の価値を知るものは少ない

 かつての火の時代 ビッグハットで知られたローガンのように

 著者もまた 孤独な探求者であったのだろう


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第十七話 不穏な影


 ゴブリンにも分かる現代魔法

 白い表紙に 目を引く装丁が施された本

 題名こそふざけているが その中身は紛れもない魔導書である

 ある女神が言った 英雄には力が必要だと

 主役に手をつける彼女のやり方は 時に多くの役を巻き込むだろう


 

 リヴェリアが黄昏の館の敷地内に入っていくのを見届けたアルは、ベルの恋路の行方を思いながら帰路についていた。

 アルにとって恋とは縁のないものだ。

 騎士はただ人を守り使命を果たすために存在するのだから、自分には必要ではないと思っている。

 しかし、だからといって恋物語に興味がないわけではない。

 聖女を守ったカリムの騎士の話などを聞いた時は、素敵な話に胸が高鳴らずにはいられなかった。

 つまり、アルはベルの恋の成就に多大なる興味があったのだ。

 

 ホームに帰ってきたアルは、今か今かとベルの帰りを待った。

 数時間は経ったころ、もしかしすると話が長引いて帰りは遅くなるかもしれないな、などと思っているとバタンと戸が開けられた。

 ベルは扉を開けてそのまま毛布に飛び込んで、頭からそれをかぶった。

 

 「僕の馬鹿、僕の馬鹿、僕の馬鹿っ!」

 

 「一体どうしたのだベル。なぜそんなに慌てて……。」

 

 「どうしたもこうしたも、なんで僕アイズ・ヴァレンシュタインさんに膝枕されてたの?!」

 

 「リヴェリア……さんの頼みでな。その、色々意図があるそうだ。」

 

 「わかんないよ、それじゃぁ……。

 どうして逃げ出しちゃったんだろう……。うぅ。」

 

 「そういうことか……。」

 

 アルはベルに心の底で謝った。

 まだベルにとってアイズとのコンタクトは刺激的過ぎたということを失念していたのだ。

 もっとも、たとえ気が付いていたしてもアイズとリヴェリアの頼みを無下には出来なかっただろう。

 アルは、とにかくベルに心の中で謝り続けた。

 

 しかし兎にも角にもベルがずっと悶えるばかりでどうにもならないので、アルは傍で毛布をひっかぶった。

 正直限界だったのだ。

 先日はロキの酒盛りに付き合ったせいで全く眠れていなかったし、実際ダンジョン探索に不調をきたすほどであったのだ。

 そのうえベルの帰りを待ったので、とてもじゃないが死ぬほど眠かったのだ。

 アルはすぐに眠りに落ちた。

 

 一、二時間も経たぬころ、朝日が昇ってきていたときに、アルはまた目覚めた。

 起きてみると、未だにベルが泣きわめいている。

 アルはベルが本当に後悔しているのだなぁ、と自分も悲しくなってしまった。

 そうしているとヘスティアもベルの泣いている声に気が付いたのか、もそもそと起きてきた。

 

 「おはよう、アルくん……。

 しっかしベルくんはどうしてこんなに泣いているんだい?

 昨日読んだ本の内容がよくなかったのかな?」

 

 「いえそういうわけではないのですが……。」

 

 ヘスティアが本を疑って机から取り上げて眺め始めたところで、アルが答えた。

 しかしヘスティアはなおも本を眺め続けている。

 パラパラとめくった後、ヘスティアはアルにそれを向けた。

 

 「ボクの見間違いでなければ、白紙だと思うんだけど……。」

 

 「えぇ、見事に真っ白ですね。製本の不手際でしょうか?」

 

 「いや、これの正体が分かったよ……。

 ベルくーん、起きてボクの話を聞いてくれ!」

 

 ぽんぽんと身もだえているベルの頭をヘスティアが叩くと、ようやくベルは落ち着きを取り戻した。

 ベルが毛布から顔を出し、ヘスティアの顔を覗き込む。

 

 「話……ですか?」

 

 「うん、アルくんもよく聞いておくように!」

 

 「かしこまりました。」

 

 ソファに三人で並んで座ると、ヘスティアが本を片手に話し始めた。

 

 「いいかい?これは魔導書(グリモア)だ。」

 

 「魔導書(グリモア)……。

 確か本屋の店主も同じ言葉を仰っていたような……。」

 

 「読むだけで資質に応じた魔法を発現させる本。まさに魔法の本、だね。」

 

 ほほぉ、とベルとアルは感嘆した。

 世の中にはそんな不思議なものもあるのだと知れば、凄いと思っても無理はない。

 ちょっと能天気な二人をよそに、ヘスティアが続けた。

 

 「それで、こんなものどこで手に入れてきたんだい?」

 

 「酒場で借りたんです。誰かの忘れものだから読んでみればって……。」

 

 「誰かの忘れ物ぉ?!アルくんはさっき見たと思うけど、この通り!

 魔導書(グリモア)は誰かが一回読んじゃったらその効力を失うんだよ。」

 

 ヘスティアが本を横に広げると重力に任せてページが開いていく。

 どのページも白紙ばかりで、せいぜい日記帳か家計簿にしか使えないだろう。

 ベルもアルもそんな魔法の力を持つ本がガラクタになってしまったことに顔を青くした。

 ベルは大慌てで外に出ようとする。

 

 「どこに行くつもりだい、ベルくん!

 アルくんも謝罪の品を見繕うとするんじゃない!」

 

 アルは底なしの木箱をがっさがっさと漁っていた。

 もちろん本当の持ち主に何かしらの形で弁償するためである。

 

 「とにかく謝って弁償しま」

 

 「無理だ。

 並大抵のものじゃ弁償なんてできやしまいから、アルくんもそこまでにしなよ。

 いいかい?魔導書(グリモア)はヘファイストス・ファミリアの一級品の武具と同等かそれ以上の値段で取引されてるんだ。」

 

 ベルは頭が真っ白になり、アルは手が止まった。

 ヘスティアが食い気味に否定した理由が簡単に理解できてしまったのだ。

 特にアルは、目の前で椿の新作の鎧が1億ヴァリスと値をつけられていたのを知っている。

 そう、魔導書(グリモア)とは最低でも1億ヴァリスはする代物なのだ。

 今も廃墟同然の教会をホームとしているヘスティア・ファミリアでは到底支払う事は敵わないだろう。

 

 「いいかい、ベルくん、アルくん。この本は誰も読んでいない。

 そういうことにするんだ。あとはボクが何とかする。任せておきたまえ。」

 

 ぽんとベルの肩に手を置きながら、ヘスティアはサムズアップをした。

 そして何食わぬ顔でベルの横を通り過ぎて外へと向かおうとするヘスティアをベルもアルも引き留めた。

 

 「ダメですってばカミサマ!」

 

 「いくら払えないとはいえ謝罪をしないのは不味いのではないのですか?!」

 

 「止めるな二人とも!下界には綺麗事ですまないことが沢山あるんだ!

 世界は神より気まぐれなんだぞ!」

 

 「こんな時に名言生まないでください!」

 

 朝からヘスティア・ファミリアは大騒ぎであった。

 しかし、なにもヘスティア・ファミリアだけが騒ぎになっていたわけではない。

 ロキ・ファミリアだってひと悶着あったのだ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ベルが魔導書のことで驚いている頃、黄昏の館に帰還したアイズは、困惑していた。

 ベルが二度目の逃亡をしてしまったからだ。

 リヴェリアの言う通りに膝枕はしたし、アルに許可も取った。

 だというのに、逃げられた。それだけで心がもやもやする。

 

 「帰ったか。どうだ、ちゃんと話せたのか?」

 

 「……ちゃった。」

 

 「なに?」

 

 「また、逃げられちゃった……。」

 

 アイズを出迎えたリヴェリアは、思わず笑ってしまった。

 ぷくっと拗ねて、困っている表情が子供らしく、可愛らしいものだったからだ。

 彼女の思惑は予想以上によい方向に働いたようだ。

 

 「ぷふっ……。」

 

 「あっ……!ふむー!」

 

 しかしリヴェリアに笑われたアイズは納得がいかない。

 言われた通りに立派に膝枕をした、頭だって撫でてやったのだ。

 いや、頭を撫でたのはベルの髪がもふもふしていて撫でてみたかったからという私欲が入り混じってはいたのだが、それでもちゃんと世話をしたのだ。

 だというのに、逃げられたのは自分ではなくリヴェリアのせいなのではないか?

 

 そんな納得がいかないという感情を、頬を膨らませぽこぽことリヴェリアを叩くことでしか表現できなかったアイズは、ある仕返しを思いついた。

 そう、つい先日リヴェリアが初めて見せた動揺を引き出してやろうというものであった。

 アイズは、親代わりの意外な一面を引き出せたときに無意識的に快楽を見出し、その方法を覚えていたのだ。

 自分も揶揄われたのだ、やり返したっていいはずだろう、アイズはそう思った。

 

 「……みんなに、言うから。」

 

 「何をだ?」

 

 「……背の大きい子と、一緒に歩いてたって。

 リヴェリア、あの子と楽しそうにしてたって、言うから。」

 

 「そっ、それはだな。彼が私の意図を汲み取ってくれただけなのだ。

 別に、大したことはないぞ?」

 

 「……気持ちを分かってもらえるぐらい、仲がいいんだね。」

 

 リヴェリアの長い耳が赤く染まっていく。

 アイズは初めてリヴェリアを単独でやり込めることが出来た。

 なんだか達成感すら感じていた。

 しかし、子供が親をからかう時、大抵の家庭では手痛いしっぺ返しと説教が返ってくるのが当たり前だろう。

 ロキ・ファミリアという家庭においても、それは変わらない。

 

 「アイズ……!説教が必要なようだな……!」

 

 「……おあいこ。」

 

 「そんなわけがあるかっ!そこになおれっ!」

 

 このとき、ロキ・ファミリアのもとに一人の客人が訪れていた。

 いくら見知った中とはいえ、客人がいるにもかかわらず怒鳴り散らしたリヴェリアは、やはり非常に動揺していたのだ。

 リヴェリアの怒号を聞いたその客人、エイナ・チュールは思わず震えあがったという。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 エイナは、ロキ、リヴェリアそしてアイズと同じ部屋で、静かに話を聞いていた。

 

 「まっ、よーするにソーマんとこの眷属(こども)たちはソーマのために働いとるんやない。酒がすべてなんや。」

 

 「なるほど……。」

 

 エイナがロキのもとを訪れた理由。

 それは、ソーマ・ファミリアの実態の調査である。

 ベルとアルのためというのもそうだが、ギルドとしてもソーマ・ファミリアの金への妄執は懸念事案であった。

 霧が立ち込めるほどの早朝、エイナは偶然にもアイテムを補充しに来たリヴェリアとロキにある商店で出会った。

 エイナはその機会に飛びつき、ロキから話を聞こうとしたというわけだ。 

 

 ロキ曰く、ソーマ・ファミリアは情も愛もない、酒と金のつながりだけのファミリアだ。

 ソーマ・ファミリアが市場に流す酒は、すべて失敗作。

 真の完成品は、ファミリア内で秘蔵される。

 神にすら危険と言わしめるほどの中毒性を持つその完成品は、ファミリアの冒険者を魅了して離さない。

 神ソーマは酒造りに必要な金銭を、稼ぎのいい冒険者を中毒患者にすることで上手く稼ぐ。

 冒険者は仲間を蹴落としてでも死にもの狂いで稼いで、一滴の美酒に酔う。

 

 上手なやり方、といえば聞こえはいいがやっていることは阿漕な商売、違法薬物を販売するような闇派閥(イヴィルス)と同レベルだ。

 エイナは、これはいつか必ずベルとアルに伝えなくてはいけないな、と気を引き締めた。

 

 「いや~エイナたんの役に立てて嬉しいわ~!」

 

 「はい、本当にありがとうございました。」

 

 「ほなウチはアイズたんのステイタス更新してくるから!

 いこ、アイズたん?そんなむくれた顔せぇへんと、な?」

 

 ロキ達と同じ部屋の扉の前で立っていたアイズは、頭にたんこぶを作っていた。

 ママの説教を食らったのと、まだベルに逃げられたことが尾を引いていて、ずっとむくれていたのだ。

 

 「柔肌蹂躙したるで~!」

 

 「変なことをしたら、切ります。」

 

 下世話なロキを冷たくあしらいながらアイズが部屋から出ていくと、エイナとリヴェリアだけが残った。

 リヴェリアは紅茶を少し口にして、エイナに話しかけた。

 

 「しかし、何故ソーマ・ファミリアのことを?」

 

 「えぇ、ギルドとしては彼らが何故お金に異様に拘るのか知る必要がありましたし……。私が担当している冒険者のコンビが、ソーマ・ファミリアのサポーターを雇い始めたので、気になったんです。」

 

 「お前がそこまで入れ込むとは、いったいどんな冒険者なんだ?」

 

 リヴェリアは、エイナとは古い付き合いだ。

 なにせ、エイナの母はリヴェリアの付き人であり、共に森を飛び出した仲間でもある。

 そんな縁の深いエイナが、いくら親切とはいえこうまでして調べものをしてあげる冒険者がいったい誰なのか気になったのだ。

 

 「あの、ベル・クラネルとアルトリウスという二人の新人なんです。以前リヴェリア様とアイズ・ヴァレンシュタイン氏に助けていただいたとかで、一時お礼を言う機会を作ってほしいと頼まれたのですが、もう必要がないと言われまして……。どうしたのかな、二人とも……。」

 

 「そ、そうか……。あの子達なのか……。」

 

 「やっぱりもうお知り合いだったんですね!」

 

 「まぁ色々とな……。」

 

 リヴェリアは、まさかエイナからアルやベルに繋がるとは思ってもみなかった。

 しかし、これはある意味チャンスだ。

 エイナからみて、ベルの人柄がどうか聞ければアイズにとって接触に値する人間かどうか値踏みできる。

 アルのことを聞いて知れば、少しは心の中のざわめきも落ち着かせられるかもしれない。

 

 「その、どうなんだ。そのコンビは。」

 

 「ちょっと言うこと聞かない時もありますが、聞き分けが良くていい子たちです。

 短い付き合いですけど、二人とも底抜けの善人ですよ。

 ギルドの職員に対しても丁寧に接してくれますし。」

 

 「そうか。お前の見立てならばそういうことなのだろうな……。」

 

 リヴェリアはエイナの評価に納得した。

 アルのことは最近知ったばかりだが、生粋の騎士道精神を持つ紳士であると確信している。

 そのアルがベルのことを高く評価していることや、ベルが酒場でベートにそしられたにもかかわらず感謝を述べてきたことから、ベルもいい人間であるだろうとは思っていたのだ。

 エイナの言葉で、それが決定的になった。それだけのことだ。

 

 むしろこれからがリヴェリアの本題といえよう。

 どうにも気になるアルの私生活やあの悪癖のことを聞こうというのだ。

 しかし、いざ聞こうと思うと、リヴェリアは落ち着かなくなってしまう。

 膝の上で両手を組んで、指同士を弄びながらおずおずと聞き始めた。

 

 「実はだな、そのアルトリウスという冒険者とは少しだけ付き合いがあるのだ。」

 

 「そうなんですか?!アルくんそんなこと言ってなかったな……。」

 

 「そ、それでだぞ?あいつは女を矢鱈に口説いたり、歯が浮くような言葉をべらべらと喋ったりするのか?」

 

 「えっ?アルくんはむしろ寡黙というか、恋人とか恋愛といったものには無縁に見えます。少なくとも、女性を口説いているところは想像できません。」

 

 「ほ、本当か?」

 

 「えぇ。けど、どうしてリヴェリア様がアルくんのことを気にしているのですか?」

 

 「い、いや、それはだな。山よりも高い事情があるのだ。」 

 

 エイナがリヴェリアのことを訝しむのも当然と言える。

 どう考えても不自然だ。

 どうして【九魔姫(ナインヘル)】と名高いリヴェリアが、新人のアルトリウスの女性関係を気にすることがあるだろうか。

 あるはずがない、あるわけがない。

 しかし、エイナの目の前に座るリヴェリアはどこか嬉しそうな顔をしているではないか。

 

 そう、リヴェリアは理由は分からないが、アルが女性関係とは無縁と聞いて嬉しくなっていたのだ。

 甘く優しい言葉を投げかけてくれるのも、ただの一人の淑女らしく扱ってくれるのも、名前を呼ぶことに四苦八苦してくれるのも、すべて自分に対してだけだ。

 アルにとって自身が特別である、そう思うと心の臓が僅かに早く動く。

 大抵の人間は、ここで恋や愛だと決定するだろう。

 しかし、そこは筋金入りの恋愛素人。

 百と数十年の間貞操を護り続けてきた鉄の処女は、そう簡単に愛だの恋だのとはいかない。

 ちょっと誠実で可愛い存在が、自分にとってより大切になっただけのことと決めつけている。

 

 もしそんなリヴェリアの考えをロキが知っていたら、甘酸っぱさに吐き気を催し、ママがアルの手でどんどん乙女になっていくことに血涙を流していたことだろう。

 しかし、ロキはその時とんでもないビッグニュースに興奮していた。

 

 「アイズたん、レベル6きた~!!!」

 

 興奮して叫んだロキの言葉によって、エイナは手を付けていた紅茶を豪快に噴き出した。

 この日オラリオに、新たなレベル6が誕生した。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 そんなビッグニュースが黄昏の館で響き渡る少し前、アルとベルは豊穣の女主人で頭を下げていた。

 

 「すみませんすみませんすみません!」

 

 「いかなる沙汰もお受けいたします。大変申し訳ないことをいたしました。」

 

 「それは大変なことをしてしまいましたね、ベルさん……。」

 

 シルが演技がかった動きでよよ、と涙を流す。

 その様子を見たベルは大慌てで指摘した。

 

 「え、っちょ、なにさも無関係みたいに言ってるんですか?!」

 

 「やっぱりダメ、ですか?」

 

 「すっごく可愛いけど、ダメです。」

 

 「てへ!」

 

 アルは頭を下げながら、やはりシルは末恐ろしいなぁと感嘆した。

 こうもベルが上手く手玉に取られていると、感心せざるを得ないだろう。

 そんなやり取りのなかで、パラパラと魔導書(グリモア)をめくっていたミアは、どさっとゴミ箱にそれを放り込んだ。

 突然の行動に、アルは驚いた。

 

 「み、ミア殿……?」

 

 「忘れな。」

 

 「いや、しかし……。」

 

 「こんなもの、忘れて行ったやつが悪いんだよ。」

 

 「いや、けど僕が読んじゃったのは事実ですし……。」

 

 うだうだとどうにもならない事に納得がいっていない二人を、ミアはすごく怖い顔でにらみつけた。

 その様子を見たベルとアルは震えあがった。

 

 「だ、ダンジョン行ってきます!」

 

 「失礼いたしました!!」

 

 二人は一目散にミアから逃げて、リリとの待ち合わせの場所に走った。

 いつもならリリはすでに来ている頃だと気が付き、最初は逃走目的であったが、しだいにリリとの合流目的で走っていた。

 しかし到着しても、予想に反してリリの姿はなかった。

 

 「はぁっ、はぁっ……。リリ、いない、みたいだね……!」

 

 「ぜぇ、ぜぇ……。そのようだな……。珍しい……。」

 

 「ん?あれ、リリじゃない……?リリっ!」

 

 息を切らしながらリリを探していたベルは、植え込みの陰で誰かに絡まれているリリを見つけた。

 ベルが思わずそこに駆け出そうとすると、そこに割って入る人物がいた。

 アルもベルもその人物の顔は鮮明に覚えている。

 

 「あなたは、あの時の……!」

 

 「お前ら、あの餓鬼とつるんでんのか。

 つぅことは何も知らないってわけじゃなさそうだ。」

 

 「貴公とかわす言葉などない、行くぞベル。」

 

 アルはベルをつれてその人物、すなわちパルゥムの少女を町中で剣を振りかざしながら追いかけていた冒険者から離れようとする。

 しかし、その男はアルの腰鎧をぐいと掴んで引き留める。

 

 「待てよ、そんなに独り占めしたいのか?

 人数は多い方がいい、俺に協力しろ。一緒にあいつをハメるぞ。」

 

 「な、なにを言ってるんですか……!」

 

 「そんなリアクションするなよ。

 お前らだってあいつの溜め込んでる金、狙ってんだろ。

 協力して荷物持ちの役立たずからふんだくろうぜ……な?」

 

 にやついた冒険者に向かって、ベルは怒りをあらわにして言い放った。

 

 「絶対に嫌だ!断る!」

 

 それに、アルも同調する。

 

 「あぁ、お断りだとも、外道。一人で誰かを蹴落とすことも出来ぬ貴公には、ハイエナという言葉すらふさわしくない。早く去れ、もしもう一度顔を見せてみろ。その耳を切り落として暗月の神に捧げてやろう。」

 

 二人は猛烈に怒っていた。

 アルもベルも、自分の大切な人のためなら、他人のためならどこまでも優しく、どこまでも暖かく、そしてどこまでも怒ることが出来る。

 二人にとってリリは決して役立たずでも金づるでもない。

 大切なパーティーのメンバーであり、経験豊富なサポーターという立派な役割を担っているのだ。

 侮辱されて黙っていられるはずはなかった。

 

 二人の苛烈な態度を見て、話が通じないと思った男は、舌打ちをして去っていった。

 その背中を二人はじっと睨みつけた。

 絶対にリリを傷つけさせないように、その姿を忘れないために。

 

 「お二人とも、あの冒険者様と何を話してらしたんですか?」

 

 「あぁ、いやなんでもないよ!世間話みたいなものだよ!ね、アル!」

 

 「そ、そうだとも!今日も良い日柄だからな!

 太陽の導きがあるようにと互いの幸運を祈っただけの事!わっはっは!」

 

 いつの間にか後ろにいたリリに声をかけられて、二人は慌てた。

 リリを不安にさせるわけにはいかない。

 二人はオーバーアクションのせいであからさますぎる嘘を懸命についた。

 そして、リリが絡まれていた場面を見ていたベルはリリの無事を気にした。

 

 「そういえばリリ、絡まれていたみたいだけど、大丈夫?」

 

 「おぉ、おぉ、そうだ。怪我などはしていないか?」

 

 「大丈夫ですよ。さっさと行きましょう。」

 

 心配する二人の横をリリはつかつかと通り過ぎていく。

 そんな様子を、ベルは不思議に思った。 

 いつものように笑って、気にしないでください、と返してくれると思っていたからだ。

 

 二人よりも前を歩くリリは、誰にも聞こえないほど小さい声で呟いた。

 

 「……もう潮時かぁ。」

 

 その声はどこまでも細く、悲しげであった。

 何事にも始まりと終わりがある。

 変化があって、その中にはいいものも悪いものもある。

 三人は今までのままではいられなくなりつつあった。





 ソーマ・ファミリアの失敗作

 ソーマ・ファミリアが 市場に流す美酒

 その味は どんな酒よりも美味いと謳われる

 しかし本物に囚われた 囚人たちは語る

 偽物では 本物には勝つことは出来ないと


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第十八話 希望の光


 ベルのガントレット

 ギルド職員でありアドバイザーである エイナ・チュールから
 
 ベル・クラネルへと 与えられた緑色のガントレット

 収納スペースが存在し 防御力も高い優れもの

 しかし武具の価値は強さだけではない

 思いこそが重要なのだ

 


 

 リリの周りに不穏な影が忍び寄っていることを知った日の夜、ヘスティア・ファミリアで会議が開かれていた。

 

 「なるほどねぇ、例のサポーターくんを……。」

 

 「えぇ、リリはどうやら悪い冒険者に狙われているみたいなんです。だから、少しの間だけでもここで匿えないかなって。」

 

 「おそらく、計画性をもってリリを狙うつもりでしょう。それも近日中に……。

 金で繋がっているような盗賊まがい共ならば、数日焦らしてやれば瓦解するはずです。」

 

 アルとベルの言い分を聞いたヘスティアは、前々から思っていたことを切り出した。

 

 「二人の言いたいことは分かるよ。けどね、そのサポーターくんは本当に信用に足る人物かい?

 ごめんよ、あえて嫌なことを言っている。

 今までの君たちの話を聞く限り、彼女はどうもきな臭いんだ。

 考えてみてくれ、ベルくんは本当に聖火の黒剣(ウェスタ・ブレイド)を落としたのかい?

 冒険者に絡まれていた件もそうだ。彼女は君たちに、何かを隠している。」

 

 二人の顔が曇る。

 ヘスティアの言うことに心当たりがないわけではない。

 むしろ今まで考えないようにしていただけのことだ。

 けれど、ベルは確信があった。

 リリは、決して悪人ではないことを。

 

 「カミサマ、僕はリリを信じます。」

 

 「……アルくんはどうだい?」

 

 「少なくとも、私はリリから話が聞きたい。どうすべきかは、そのあと考えます。

 ベルが彼女を信じるというのです。ならば私は事態がどう転んでもベルを支えるだけですとも。」

 

 ベルはリリをすべて信じると決めた。

 アルは、リリを信じるベルを支えると決めた。

 こうと決めたら梃子でも動かないだろうとヘスティアは思った。

 そう思わざるを得ないのだ、ベルの瞳の輝きが、アルの笑みが、何よりもその固い意志を示しているから。

 

 「全く君たちは……。分かったよ。好きにするがいいさ!存分にね!」

 

 「「はい!」」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「えっ、10階層に……?」

 

 「えぇ、お二人の実力なら大丈夫です!」

 

 「しかしなぁ……。」

 

 翌日ダンジョン攻略の計画を立てていた時、リリは10階層に進む提案をしていた。

 しかし、アルとベルには不安がある。

 10階層からは様相が一変し、ダンジョン内には霧が立ち込め、大型のモンスターが出現するからである。

 

 「お二人ならやれます!ベル様の新しい魔法もありますし!11階層まで下りたことのあるリリが保証しますよ!」

 

 「う~ん……。分かった。どのみちいつかは通らないといけないからね。」

 

 「リリの方が経験豊富なのだ。従っても問題はないだろう。ベルの言う通り、たとえセンの古城のように困難な道でも、必ず通らねばならぬのだからな。」

 

 迷っていた二人は、リリを信じることにした。

 目指すは10階層、二人の新たな挑戦である。

 

 階層を下りながら、リリが二人の決断に感謝を述べた。

 

 「お二人とも、リリの提案を聞いていただいてありがとうございます。リリはお二人のサポーターになれて本当に幸運でした。」

 

 「僕らだって、リリのおかげで助かってばかりだよ。」

 

 「あぁ、まさしく縁の下の力持ち。我ら三人、一人でも欠けたらおしまいだとも。」

 

 二人がからからと笑うと、リリは立ち止まって大きなバックパックを開いた。

 

 「さて、差し出がましいようですがベル様にこれを、と。」

 

 リリが取り出したのは柄が少しだけ長めのハンドアクスであった。

 刃は肉厚で重く、硬そうだ。

 

 「これを僕に?」

 

 「はい。アル様は大きな武器をお持ちですが、ベル様のは大型モンスター相手には少々小さいかと。それに、サイドウェポンがナイフでは不安がありますから。」

 

 「なるほど、聖火の黒剣が何らかの理由で取り扱えない時でも、ハンドアクスに切り替えれば戦えるというわけか。」

 

 ほほぉとアルはリリに感心した。

 よく気が利いて、安全策を考えてから攻略している。

 アルにもベルにもない強みを持っていることに、尊敬を抱く。

 

 「ん~、これどこにしまえばいいのかな……。」

 

 「聖火の黒剣を後ろに、ハンドアクスを腰の鎧のところに着けてはいかがですか?」

 

 「それならば、ハンドアクスを後ろにつけてもいいのではないか?」

 

 「重量バランスは出来るだけ慣れているものの方がよろしいかと。

 聖火の黒剣は前は後ろにつけていらっしゃっていたので!」

 

 「リリは賢いなぁ。それじゃあちょっと待っててね!」

 

 ベルはリリの言う通りに、聖火の黒剣を腰の後ろ、ハンドアクスを腰鎧の中に収納した。

 そして、軽く動いて重量バランスを確認する。

 

 「うん、これならほとんどいつも通り戦えるよ。」

 

 「えぇ、いけそうです!」

 

 「うむ。今日は貴公に一段と頑張ってもらわねばな!」

 

 三人は足並みをそろえてまた下へ下へと下りていく。

 すべて順調であった。

 ベルにとっても、アルにとっても、そしてリリにとっても。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 地下に霧が立ち込めているという信じられない光景を見て、ベルとアルはあっけにとられた。

 このダンジョン、かつての火の時代のように異常な環境を呈している。

 カーサスの地下墓を超えた先に極寒のイルシールがあったように、暗い洞窟を抜けた先に霧と枯木立の空間が広がっていて、次元が歪んだかと疑える。

 いったいどのような理屈でこのダンジョンが生まれているのだろうかと、アルは少しだけ考えた。

 

 ベルが、一本の枯れ木に触れる。

 その感触は地上の木と大して変わらない。

 

 「これが、ランドフォーム……。」

 

 「見たところ白樺か……?」

 

 「お二人とも、集中してください。気を取られてる時間はありません。」

 

 霧の向こうから大きな足音を立てて、醜悪な豚面の巨人が現れる。

 アルが一度倒した敵、オークだ。

 

 「なるほど、オークか……っ!」

 

 「逃げてはいけませんよ、お二人とも!」

 

 「うん。オークを倒せないようじゃ、この先のモンスターなんて一生攻略できない!」

 

 「我が騎士道に後退なし!いざ行かん!」

 

 ベルはハンドアクスを抜き、アルは盾を構えて臨戦態勢を取る。

 一度倒した敵相手にも気が抜けない。

 それはここがダンジョンであるからだ。

 オークがおもむろに一本の枯れ木を引き抜くと、野太いこん棒に変化する。

 

 「あれがっ!」

 

 「ランドフォーム……天然の武器庫!」

 

 『ブォォォ!!』

 

 オークの雄たけびを開戦の合図に、二人は前方に突っ込んでいく。

 ベルを背に隠し、盾を構えてアルが突っ込むと、オークはそれに馬鹿正直に反応してこん棒を振るう。

 

 「やはり以前より遅いな!」

 

 アルが盾できっちりと攻撃を受け流し、膝頭に大剣を思いきり突きたてると、オークが悲鳴を上げる。

 

 『ブギィィィ!』

 

 「ベルッ!仕留めろッ!」

 

 「りゃぁぁぁ!!」

 

 持ち前の脚力で高く跳んだベルは、アルの肩に足をかけてさらに跳び、アルの頭を超すほどの高さを得る。

 そこから生まれる圧倒的な滞空時間とエネルギーに、体のひねりを加えて回転を生み出す。

 オークがベルを見上げた時にはもうすでに遅く、オークの首はベルに刎ね飛ばされていた。

 

 「よしっ!」

 

 「見事だ!」

 

 「まだ来ます!二匹です!」

 

 圧倒的な勝利に喜ぶのもつかの間、リリが伝えたように霧の奥からさらに二匹のオークが現れる。

 二人は挟まれていた。

 しかし、アルにはリヴェリアの教えがある。

 そしてその教えは、魔法に目覚めたベルにも伝えられている。

 「モンスターとの距離があるときはぶっ放せ。」

 アルは、新階層のために攻撃魔法をもってきてあるのだった。

 

 「【強いソウルの太矢】!」

 

 「プロミネンスバーストぉ!」

 

 青白い光を放ちながら矢が放たれ、劫火の稲妻が霧を切り裂いていく。

 一方はオークの胸を貫き、一方はオークの胸を焼き尽くした。

 ぽっかりと穴が開いたオークたちは、断末魔を上げることなく灰塵と化した。

 

 数分にも満たない一瞬の攻防でオークを三匹も撃破した二人は、喜んだ。

 

 「うむ、快勝だ!」

 

 「やったね、アル、リリ!」

 

 ベルがその喜びをリリと共有しようとしたとき、初めてリリが近くにいないことに気づく。

 霧ではぐれないように、必要以上は離れないようにしていたにもかかわらず、リリがいないことに、ベルは動揺した。

 アルもすぐに異常に気づき動き出そうとする。

 

 しかし二人の周りに、ボトボトと独特の臭気を発する玉が落ちてきた。

 ベルはすぐにその正体に気が付いた。

 

 「これ、モンスターをおびき寄せる……!」

 

 「不味いな、今日は誘い頭蓋をもってきていない!囲まれるぞ!」

 

 アルが叫んだ時には、すでに下種な笑みを浮かべたオークたちが十数、いや二十近く現れていた。

 このままでは、リリは確実に命を落とすだろう。

 そう思ったベルは、逃走経路を探りながら、大声を上げる。

 

 「リリぃ!どこなの!返事をして!」

 

 「ベル、後ろだ!避けろ!」

 

 オークたちからベルを守ろうと立っていたアルは、ベルの後ろに迫る影に気が付いた。

 そして、ベルが回避してアルから離れたことを皮切りに、乱戦が始まってしまう。

 こうなっては援護もへったくれもない。

 

 アルは全方位からこん棒でどつかれながらも、跳躍とローリングを駆使して各個撃破に移る。

 ベルは、エイナから与えられた緑色のガントレットを弾き飛ばされながらも防御し、なんとか体勢を整えつつ戦う。

 

 「リリっ!返事して!このままじゃ守れない!」

 

 「ちぃっ、リリがいないのでは撤退も出来ん!なんとかやるしかあるまい!」

 

 リリの捜索と救助のために、乱戦の継続を選択した二人の耳に奇妙な音が聞こえる。

 空を切り裂いて何かが飛んでくる音だ。

 その音とともにやってきた矢は、ベルのレッグポーチ、アルのポーチ、そして聖火の黒剣を取り付けてある帯を切り落としていく。

 状況がつかめず、一瞬動きが止まった二人にさらに矢が飛んできて、切り落とされたものすべてに刺さる。

 そして、釣り糸のように矢に取り付けられた紐が引かれて、下手人の手に荷物が渡る。

 

 「リリ!何してるの!」

 

 「……そういう事かっ。」

 

 下手人、リリルカ・アーデが二人を見下ろすように崖の上で立っている。

 ベルはリリの行動に驚き、アルはすぐに察しがついた。

 

 「ごめんなさい。もう、ここまでです。アイツに全部聞いたんでしょう?

 折を見て、逃げ出してくださいね。さよなら。」

 

 リリは二人に背を向け、階段を昇っていく。

 切り離すように、打ち捨てるように、振り向かないように、一言も漏らさずに上へ上へと上がっていく。

 

 「リリっ!リリっ!」

 

 「ベル、今は目の前の戦いに集中したまえ!リリの事は後だ!生きてまた会わねば話すことも出来んぞ!」

 

 アルは、リリの背に声をかけ続けるベルを叱咤する。

 アルだって、リリを引き留めたい。どうしてこんなことをしたのか、話がしたい。

 しかし、こうなってしまった以上は今一番重要なのは自分たちの命以外に他ならない。

 まずは生き延びることを最優先し、その後リリにコンタクトを取る方法を探す、それがアルの案だった。今リスクを冒すのではなく、「後で確実に」という策である。

 実際、リリが盗品を売りに出そうとすれば、尻尾を掴むことぐらいは出来るかもしれない。

 その時にじっくり話し合えばいいと思っていた。

 

 

 しかし、ベルの答えは違った。

 

 「今じゃなきゃダメだ!アルの言ってることは正しいよ!

 けど、リリは今助けを求めてる!僕は今助けに行きたい!」

 

 ベルはリリを助けたいと言った。

 盗人(パッチの同類)を断罪したいではなく、一人の少女を助けたいと。

 ベルの決意に満ちた目をみて、アルは気が変わった。

 アルはベルを信じている。

 そのベルが後でではなく今じゃなきゃいけないのだと、リリは助けを求めているのだと言うのであればそれが真実だと感じた。

 助けを求めているというのなら、助けに行ってやるべきだろう。

 それがアルが信じた騎士道なのだから。

 

 「ならば行けっ!道は切り開いてはやれぬが、一匹たりとも漏らしはしない!

 貴公の足なら追いつける、行け!また三人で相見えよう!」

 

 「……ありがとうっ!」

 

 「そうだ、それでいい!」

 

 普段のベルなら、おどおどして戸惑っていただろう。

 アルとリリ、大切な仲間を天秤にかける行為に躊躇わない人間ではない。

 しかし、ベルもまたアルを信じている。

 そのアルが危険を承知で行けと言ってくれたのだ。

 ベルはその勇気と約束を破らないアルの義理堅さを信じて、振り向くことなく階段の方へ駆け抜けていく。

 

 「さて、行ったか……。」

 

 眼前には無数のオークがいるというのに、アルは胸が高鳴っていた。

 友の奮起に心が躍り、友の背を守る闘争に血が騒ぐのだ。

 

 「闘技場ではないが、門番役とはつくづく【深淵歩き】と縁があるようだ!さぁ私を打倒して見せろ!我が友を追いたいならば!少女を救おうとする英雄の背中を追いたいならば!」

 

 霧の中で死闘が始まろうとしていた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「人が良すぎですよ……、お二人とも。【響く十二時のお告げ】。」

 

 フードを外したリリが詠唱すると、犬耳が忽然と消え失せる。

 これが彼女が生き抜くために身に着けた魔法、変身する魔法であった。

 

 「お二人が悪いんです。あいつにさえ会わなければ……。」

 

 リリは、二人があの町中で剣を抜いた冒険者に出会ってしまったことを思い出した。

 あの出会いさえなければ、これからも楽しい冒険が出来たかもしれない。

 一瞬そう思うものの、すぐに頭からその考えを振り払う。

 

 「ううん。これでいいんです。冒険者なんですから。お二人とも、リリの嫌いな冒険者なんですから。」

 

 リリは奪った聖火の黒剣の鞘を確認した。

 はっきりとヘファイストスの刻印が入っている。

 リリは、安堵した。

 

 「これなら、どこに行っても売れます。目標の金額にだって届くかも……。」

 

 リリは、お金が欲しかった。

 自分のために、くそったれなファミリアから逃げ出すために、幸せな生活のために。

 ローブよりもさらに内側、生の胴に聖火の黒剣を括り付けて服の内に隠したリリは上へ上へと駆けた。

 道を一歩進むたび、リリの中で希望と悲しみが膨れていった。

 

 しかし、曲り角で、何者かがリリに足をかけた。

 重いバックパックのせいで、重心を立て直せず、前へすっころぶ。

 

 「嬉しいじゃねぇか。大当たりだ。」

 

 その人物が、倒れ伏し這いつくばるリリの腹を蹴り飛ばす。

 苦悶の顔を絞り出しながら、リリは仰向けにバックパックから着地する。

 その男の顔は、ベルとアルに絡んだ男の顔であった。

 

 「散々舐めやがって……このクソパルゥムがッ!」

 

 「ぎゃぁ!」

 

 男は遠慮なくリリの顔を踏みつけた。

 ぐりぐりと靴底をこすりつけながら、男は笑う。

 

 「あのカス共を見捨てた雑魚(お前)が通れるところは限られてる。四人で手分けして網を張ってりゃいつかかかるとは思ってたが……。俺のところに来てくれてよかったぜぇ!」

 

 「うぅあぁ!」

 

 男がリリの髪の毛を掴んで、空中に持ち上げる。

 いくら軽いと言っても、髪の毛がリリの体重に耐えられるはずもない。

 リリは男の所業に、痛みに、もだえ苦しんだ。

 

 「おらぁ!どれどれ……。おっ、いいモンもってんなぁ!魔剣まであるじゃねぇか!」

 

 男はリリのローブをビリビリに破り捨てて、その中に隠されたものを物色する。

 下賤な笑みを浮かべ、悪魔のような笑い声を上げながら、リリの持ち物を手に取る。 

 パッチでもこんなことはしない。

 「騙して悪いが」(後ろから蹴落とす)をすることは彼もあっただろう。

 しかし、彼はいつも強欲なものを騙すだけであった。

 そのうえ「お宝がある」といって騙したときでも、お宝ではないにしても有用なものがあったりするものだ。

 この男は違う。

 憎いけど憎めない、愛嬌のあるハゲではない。ただの極悪人に過ぎない。

 

 そんな極悪人に対して、ダンジョンの影から声をかけるものが現れた。

 肩に麻袋を担いでいる獣人だ。

 リリには見覚えがある。

 同じソーマ・ファミリアだからだ。

 

 「派手にやってますなぁ!ゲドの旦那ぁ!」

 

 「おぉ、来たか。早かったなぁ。見ろよこのガキ……。魔剣まで持ってやがった。お前らの言う通り、たんまり持ってるみたいだぜ?」

 

 「そうですかい……。ねぇ旦那ぁ。一つお願いしたいことがあるんですがね、そいつの持ち物ぜぇんぶ置いていってほしいんでさぁ。」

 

 そう言い放って、獣人の冒険者は麻袋を男に向かって放り投げた。

 袋の口が開き、中から必死に声を上げる頭部だけのキラーアントが現れた。

 リリも、ゲドという男も、その凶行に動揺する。

 

 「キラーアントッ?!おめぇ何やってるのかわかってんのか!」

 

 「えぇもちろん。瀕死のキラーアントは仲間をおびき寄せる信号を出す。冒険者の常識でさ。」

 

 陰から、二人のソーマ・ファミリア構成員が現れる。

 同じように、キラーアントの死にかけの頭部だけを持っていた。

 

 「旦那ぁ。俺たちとやりあったとして……。無事で済みますかね?」

 

 「クソがぁ!」

 

 男は捨て台詞を吐いて、すぐにその場から逃げ出した。

 しかし、もう遅かったのだろう。

 男が消えて行った方向から悲鳴が聞こえてきたときには、リリはゲドの死を認識した。

 

 そして、そこから口元を赤い血で濡らしたキラーアントが現れた。

 リリは、次は私の番だと思った。

 当然だ、だってリリは弱いのだから。

 キラーアントを瀕死の状態まで追い込んだこの三人の冒険者とは違う。

 アルともベルとも、違う。

 弱いサポーターなのだから。

 

 そこに、リーダー格の獣人、カヌゥという男は甘い言葉をかけた。

 

 「大変なことになっちまったなぁ。同じファミリアの仲間だろう、アーデ。助けてやるから全部寄越せ。しらばっくれたって死ぬだけだぜぇ?」

 

 「分かりました!分かりましたから!」

 

 リリは首に下げていたひも付きのカギをカヌゥに渡した。

 それはリリが泥を啜るような思いで、罪を重ねてでもつかみ取りたかった明日への希望だった。

 

 「の、ノームの貸金庫の鍵です……。お金は宝石に変えて、しまってあります。」

 

 「はっはぁ!これかぁ!よっと……見てみろよ、アーデ。こんなにヤバい状況だぜ?」

 

 リリは首根っこを掴まれて高々と掲げられる。

 リリの視界には、天井、床、壁を覆う大量のキラーアントがいる。 

 この三人の冒険者でさえ危険な状況だ。

 

 「アーデ、囮になってくれや。」

 

 「やっ、約束が違います?!」

 

 「サポーターなんぞとまともに約束する馬鹿がどこにいるってんだ。お前はもう用済みだ。最後に俺たちの役に立ってくれや!サポーターぁ!」

 

 カヌゥはリリを放り投げた。

 キラーアントの群れの中に落とされたリリは、乾いた笑いを上げた。

 諦めて、絶望して、どうしようもなくなった人間が最後にできる笑いであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 これだから冒険者は……。

 生まれた時から、いつもリリを騙し、奪い、蔑んできました……。

 だから嫌いだった。

 嫌いなはずだった。

 ずっと嫌いでいれるはずだったのに……。

 

 これはあの底抜けにお優しいお二人を騙した罰なんですね。

 そう思えば、少しは納得できるかも……。

 

 あぁけど悔しいなぁ……。

 神様、どうして、どうしてリリをこんなにしたんですか?

 弱くて、ちっぽけで、自分が大っ嫌いで、なのに変われないリリに……。

 

 ずっと寂しかった。

 誰かと居たかった。

 居場所が欲しかった。

 けど、もう終わる。

 やっと死ねる。

 弱い自分を、ちっぽけな自分を、穢れた自分を、寂しい自分を……。

 

 でも死ぬ前に、最期に……。

 名前を呼んでほしかったなぁ……っ!

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「プロミネンスバーストぉっ!!」

 

 絶望を切り裂くための雷が、深淵を照らす新星の如く輝く聖火が、リリの視界を埋め尽くした。

 リリを縛る闇を断ち切るために、小さな英雄がそこに立っていた。

 リリが待ち望んでいた声が、そこに響いた。

 

 「……すぐに済むから。」

 

 ベルはそう呟いて、キラーアントの群れに単身とびかかった。

 斧を振るい、火を放ち、蹴り飛ばし、殴りぬいた。

 どれだけ絶望的な状況であっても、ベルはリリを守り抜いた。

 戦って戦って、傷だらけになりながら、戦った。

 そして、最後の一体を消し炭に変えた。

 

 「はぁ、はぁ……。リリ、無事だよね……?

 よかったらアルのところに一緒に戻ろう……?」

 

 「その必要はないぞ、ベル。遅れてすまなかった。よくやったな。」

 

 ふらふらのベルの肩を、奥から走ってきたアルがそっと支えた。

 鎧は返り血まみれで、とてもじゃないが騎士らしいとは言えない。

 リリは、驚愕した。

 

 「あ、え……。お二人とも、どうして……?!」

 

 「僕がアルに無理言ってね、お願いしたんだ。リリを助けたかったから。」

 

 「あぁ、全く無茶を言う男だ。

 おかげで一人で十数のオークと向き直ることになった。」

 

 「それならどうして、アル様はここにっ?!」

 

 「誰とは知らぬが助太刀があってな。半分も切れば自由になれた。

 しかしすまなかった。

 リリがまさに今、救いを求めていると気付いてやれなかったな……。」

 

 「アルを信じて託してなくちゃ、間に合ってなかったかも。だからアルのおかげでもあるんだよ?けど、とにかく……、間に合ってよかったよ。」

 

 アルがリリに頭を下げた。

 別のファミリアとはいえ仲間であるリリを、ベルのように最優先にしてやれなかったから。

 ベルは笑った。

 リリが無事だったから、アルが約束を守ってくれたから。

 

 リリは、だんだんむかっ腹が立ってきた。

 この馬鹿野郎どもに、イカれたお人よし共に、言葉がどんどんあふれ出てくる。

 

 「どうしてリリを助けたんですか?!

 なんでリリを見捨てないんですか?!

 まさか騙されたことに気づいてないんですか?!

 驚かそうと思ってリリが盗みをやったとでも思ってたんですか!

 お二人はなんなんですか!

 馬鹿ですか、マヌケですか、救いようのない阿呆なんですか?!」

 

 涙を流しながら、リリは叫んだ。

 その様子に、アルもベルもおろおろしてしまう。

 

 「リリ、落ち着いて……。」

 

 「そうだぞ、こういう時は深呼吸がだな……。」

 

 「落ち着いていられるわけないでしょう?!

 お二人は何もわかっていません!

 稼いだお金だってちょろまかしました!

 魔石を抜いて自分の取り分にしたこともあります!半分もです!

 アイテムのおつかいも定価の倍以上の値段を吹っ掛けました!

 必要のないアイテムを買うと言って駄賃をすりました!

 陰で悪口を言ったこともあります!

 分かりましたか?!リリは悪い奴です!盗人です!

 最低のパルゥムです!

 それでもお二人はリリを助けるっていうんですか?!」

 

 リリの渾身の懺悔を聞いてもなお、ベルの決意は揺るがなかった。

 さも当然であるかのように答える。

 

 「うん!アルもだよね!」

 

 「あぁ、今度はベルよりも早く駆け付けてやるぞ!わっはっは!」

 

 「どうして!」

 

 顔を見合わせてからからと笑う二人にリリは突っ込む。

 ベルは顔を赤らめて答えた。

 

 「女の子だから……。」

 

 「ははは!ベルらしいな!」

 

 「おバカぁ!ベル様は女性なら誰だって助けるっていうんですか!

 信じられません、この女ったらし!スケコマシ!スケベ!女の敵ぃ!」

 

 「わっははは!」

 

 アルは、こんな状況だというのに笑いが止まらない。

 リリは泣きながら無茶苦茶なことを言っているのに、結構ベルのことを正確に表現していたからだ。

 ベルは、そんなアルにちょっと目で抗議した後、リリを見つめた。

 

 「じゃあリリだから。僕、リリだから助けたかった。

 いなくなってほしくなかったんだ。それだけじゃダメかな……?」

 

 アルも笑うのをやめて、兜を取ってリリの目をちゃんと見る。

 

 「あぁ、人を救うのに理由などいらんだろう。それが騎士道というものだ。だがなぁリリ、我らは完璧ではない。そして私はベルよりも、救いを求める声なき声を聴く力がない。鈍い、という奴なのだろう。だから教えてくれ。助けてと叫んでくれ。サインを出してくれ。」

 

 「うん、そうしてくれたらアルよりも馬鹿な僕でも気づけると思う。

 ちゃんと、助けるからね。」

 

 「うわぁぁ!ごめんなさいごめんなさい!」

 

 リリは、ぼろぼろと涙を流しながら目の前のベルに抱き着いた。

 自分を助けてくれた、灰被り姫(リリルカ・アーデ)にとっての王子様に。

 そしてアルが、王子様のナイトが優しく頭を撫でてくれるのに身を委ねた。

 優しく温かい感触が、リリを包んだ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 朝方、リリはいつものように噴水のところに座っていた。

 

 「サポーターさんサポーターさん。」

 

 「冒険者をお探しではないかね?サポーター殿?」

 

 「混乱しているんですか?けど、今の状況は簡単ですよ?

 経験豊富なサポーターさんの手を借りたい半人前の小さい冒険者と……。」

 

 「半人前の大きな冒険者が、売り込みに来ているのですよ。」

 

 ベルとアルが、リリの前に跪いていた。

 にっこりと笑ったベルが、手を差し伸べる。

 

 「また僕たちと、冒険してくれませんか?」

 

 「……はいっ!ベル様!アル様!」

 

 リリはその手を強く強く握りしめた。

 感動したアルは二人を抱え上げた。

 

 「うわわっ!」

 

 「あわわっ!」

 

 「わはは!!」

 

 ひとしきり振り回した後に、アルは二人を下ろして話した。

 

 「さぁ、これからの話をしに行こう。幸せな明日のためにな。」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 三人が新たな門出を迎える準備を始めるころ、オラリオの外で二柱の神と、とある二人が同じ小屋の中にいた。

 

 「定時報告に来たぜ、ゼウス。おっと、君たちもいたのか。」

 

 「ヘルメス様。お待ちしておりました。」

 

 「火守女ちゃんじゃないか!元気だったかい?」

 

 飄々とした男神が、火守女に近づく。

 それに対して、暖炉の前でゆっくりしていた農夫のような恰好をした男神が忠告する。

 

 「やめとけ。儂ですらこいつが怖くて手を出すのを諦めたんじゃぞ?」

 

 「あぁそうだった。君がいなかったら、オレも彼女に手を出せるんだけどねぇ……。」

 

 男たちの視線の先には、暖炉の火をじっと見つめる歪んだ鎧を身にまとう騎士がいた。

 

 「さて、連絡だ。あなたの義孫が、使命をもって生みだされた約定の子と同じファミリアにいる。」

 

 「なんじゃとぉ?!全く、お前との縁はロクなことにならんわい。

 お前ともっと早く出会っていれば、あの黒龍にワシの大事な子供たちを食われずに済んだんじゃがそれもかなわず。ベルがお前の子と関わらないように、ただ平穏にハーレムを作ってほしいという夢もかなわず……。

 おぉ、なんということじゃぁ……。」

 

 その男神、ゼウスはあからさまに落ち込んだそぶりを見せる。

 

 「やっぱり、そのベル・クラネルは最後の英雄(ラストヒーロー)の運命のもとに生まれてきたんじゃないのかい?」

 

 「あの子は器じゃないんじゃ……。たとえ器であったとしても、英雄になんぞなってほしくないわい。死に急ぎのあの子たちが馬鹿騒ぎを起こしてまで、あの子を英雄から遠ざけたというに……。所詮英雄のなれの果てとは、こいつのようなもんなんじゃよ。」

 

 ゼウスは火守女を傍に侍らす騎士の方を見た。

 静かに世界を終わらせた英雄は、幾たびも燃やされ、切られ、刺され、死に続けたのだ。

 それを知っている数少ない一人であるゼウスは、ベルがそういう苦難の道を行くことを望んでいない。

 

 「続いて約定の子についてだ。彼は君が描いたとおりに力に目覚め始めている。

 聞いていた以上にぞっとしたよ、深淵ってのは恐ろしいねぇ。」

 

 へらへらと、ヘルメスは笑う。

 そしてまた、きりりとした表情に戻る。

 

 「どんな気分なんだい?描き上げた子供が使命に向かって無意識にひた走っていると知って。」

 

 フルフェイスの兜が、ヘルメスの方を向いた。

 視界を得るために開けられた穴から、双眸がヘルメスを見つめる。

 

 「……ロートレクの気分だ。」

 

 「ロートレク?」 

 

 「……『哀れだよ。炎に向かう蛾のようだ。』か。

 あの男はこんな気持ちだったかもしれん。」

 

 ぼんやりと語るその男の言葉が、ヘルメスにはあまり理解できない。

 

 「一度滅びを受け入れた俺が、また滅びに抗おうと無理やり命を生み出してまで使命を押し付けた。狂っている。やはり世界からずれ始める前に、あの忌々しい塔を壊しておけばよかったか。」

 

 「全く、まだそんなことを言っておるのか……。」

 

 手を開いたり閉じたりする騎士に、ゼウスはドン引きした。

 やろうと思えば簡単にやれていたのだから恐ろしい。

 

 「灰の御方。私たちは為せる事を為しました。今はあの子たちの時代です。きっと、あの子にも寄る辺がありますよ。」

 

 火守女はそっと優しく微笑んだ。

 遠きオラリオの地で、必死に頑張っているアルのことを思いながら。





 大神の隠れ家

 大神が義孫を騙し ヤンデレなる女神から 逃げるための隠れ家

 木で作られており 存外頑丈である

 暖炉の前に騎士がいる時 心せよ

 それは 英雄であり あらゆる禁忌を犯したものだ

 


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第十九話 許しと企み

 大神の暖炉

 大神が 灰に脅されて作り上げた 上等な暖炉

 灰は時が立ちてなお 火を求め続ける

 しかし時は 思い知らしめた

 もう 王として あり続けることは出来ないのだと


 

 燦燦と太陽が照らす街の通りを、三人はヘスティア・ファミリアのホームへと歩いていた。

 ベルは、リリのぴこぴこと動く犬耳が気になって、ちょいちょいと指で弄ぶ。

 

 「ふにゃぁ……。」

 

 「ベル、勝手に触るなんてダメじゃないか。」

 

 「あぁっ!そうだね、ごめんリリ。」

 

 「いえ、むしろ嬉しいというか……。」

 

 リリは恋慕の対象として大好きなベルに触られて、照れてしまう。

 アルはその光景に微笑みながら、リリの変身魔法に感嘆した。

 

 「いやぁ、しかしリリのその魔法。【シンダー・エラ】といったか?

 素晴らしいな。私の【擬態】はせいぜい遊びに使える程度だ、比べ物にならん。」

 

 「えぇ、これなら誰も今のリリをリリだと思いません。

 しばらく姿を見せなければ、みんな死んだと思うでしょう。」

 

 アルはその発言に少し引っかかるものがあった。

 あることを口に出そうとするが、今言わなくてもいいことだと思ったのでやめた。

 

 「けど、リリはそれでいいの?」

 

 「はい!お二人がリリのことを知っていてくれるならそれで十分です。

 けど、リリはお二人を騙しました。本当にこのままでいいんですか?」

 

 「大丈夫だよ!」

 

 「あぁ、その通りだとも。

 さぁヘスティア様も首を長くして待っている頃だ。急ごうか。」

 

 三人は歩調を速めて、ヘスティアにリリを紹介しに行くのであった。

 

 廃教会の中で、ヘスティアはリリを待ち構えていた。

 わざわざ教壇の上に立って高さを稼いでいるあたり、神として威厳たっぷりにふるまうつもりなのだろう。

 

 「あの、リリルカ・アーデです……。初めまして。」

 

 「君が噂のサポーターくんかぁ。二人から話は聞いてるよ。」

 

 「僕、お茶用意してきますね。」

 

 「では、私は例の物を取りに。しばしお待ちを。」

 

 アルとベルが地下室の方へ引っ込んでいくと、ヘスティアとリリは二人きりになる。

 ヘスティアもリリも、いつになく真剣な表情であった。

 

 「さて、まず君の覚悟を聞こうじゃないか。

 サポーターくん、もう二度と同じ過ちを繰り返さないと誓えるかい?

 ボクの前で誓う、これはとっても大きな意味を持つんだ。」

 

 「はい。誓います。

 ベル様に、アル様に、ヘスティア様に……、何より自分自身に。

 リリはお二人に救われました。もう決して裏切りません。

 裏切りたくありません。」

 

 ヘスティアの前で誓うという事、それはアルもベルも経験した重大な儀式だ。

 それを、リリも経験した。

 二人は強さへの渇望を、リリは忠義を誓った。

 

 「分かった。その言葉を信じよう。

 けど正直に言うとね、ボクは君のことが嫌いだ。」

 

 ヘスティアからの拒絶に、リリは寂しげな表情をした。

 ヘスティアは教壇に立つのをやめて、縁に座る。

 足をぶらつかせながら、言葉を紡いだ。

 

 「だってそうだろう?散々ベルくんを騙して、アルくんに心配かけて、それで今は取り入ろうとしている。本当に嫌な奴だ、君は。

 そもそもなんだいそのしょぼくれた顔は!二人が優しくて全然君のことを責めないから、罪悪感に押しつぶされそうなんだろう?ボクから言わせれば、それはただの甘えだね。だから、ボクが裁いてやる。」

 

 ヘスティアは、足をぶらつかせるのもやめて、正座をした。

 

 「二人を支えてやってくれ。

 ただでさえ二人はこれから試練を乗り越えなくちゃいけない。

 神が救いの手を差し伸べないような絶望を、乗り越えるという困難が待ち構えている。だというのに、二人はそんなこと忘れて誰かに騙されるだろうし、いらないトラブルに飛び込んでいくだろう。

 だから君のためじゃなく、二人のために面倒を見てやってほしいんだ。

 それに、罪悪感なんて結局自分が許せるか許せないかなんだ。

 君が心を入れ替えたというのなら、行動で示してくれ!」

 

 ヘスティアの優しさに触れたリリは、ほろりと涙をこぼした。

 そして、ヘスティア・ファミリアの奇妙で暖かい共通点に触れたことに気が付いた。

 慈愛の女神、底抜けのお人よし、騎士道一直線。

 みんな誰かを許し、慰めることのできる存在だったということを、リリは何度もかみしめた。

 

 「パーティの加入は許可する!けど……!」

 

 「お待たせしましたぁ!」

 

 ベルがアルよりも早く地下室から出てくると、ヘスティアはリリに耳打ちした。

 

 「出過ぎた真似はしないように!」

 

 そしてヘスティアは傍に来たベルの腕をぐいっとひっぱって、体にその豊満な胸を押し付ける。

 

 「改めまして、初めましてサポーターくん!ボ・ク・のベルくんとアルくんが世話になったねぇ!」

 

 ヘスティアの悪いところが如実に出た。

 ベルは気づくはずもないだろうが、もうここは廃教会などではない。

 女たちの恋の闘技場(コロッセウム)だ。

 

 (途中からしゃしゃり出てきおって……!

 狙いはどっちだ?ベルくんか、アルくんか、それとも両方か?!

 けどねぇ、どっちもボクのなんだよ!手を出すんじゃない、この泥棒猫ぉ!)

 

 口に出したら確実に二人に幻滅されるであろうワードを、表情でリリに伝える。

 リリはこれを宣戦布告と受け取った。

 リリにとってベルは王子様だ。恋慕の対象だ。

 そしてアルは騎士様だ。安心感と安定感のある父親のような存在だろうか。

 兎にも角にもここで押し負けたらどっちも持っていかれるのだ。

 リリも攻勢に出た。

 ベルの腕に飛びついて、アピールする。

 

 「いえいえこちらこそ!

 お二人はリリに、いっつもお優しくしてもらってますから!」

 

 (リリの恋もリリの安心も、絶対につかみ取って見せます!

 そのためなら、たとえ神様だって怖くありません!えぇ絶対負けません!)

 

 「あぁっ、エイナさんに話があったんだ!」

 

 女たちの異様な熱量に押し負けて、ベルは飛び出していった。

 そんな時に、アルが地下室から出てくる。

 

 「おや、ベルは?」

 

 「このサポーターくんのせいで逃げちゃったのさ!」

 

 「いえ、ヘスティア様のせいです!」

 

 ばちばちと火花を散らす二人を、仲が良くなったと好意的に解釈したアルは、リリに少し大きい箱を手渡した。

 

 「リリ、今後はそれを使ってくれ。」

 

 「ほえ……?」

 

 リリは、手渡されたものがなんだかよく分かっていなかった。

 アルは、リリに事情を説明する。

 

 「リリ、それは万が一のための保険だ。

 我らがリリをサポーターとして雇い続ければ、いずれはソーマ・ファミリアも勘づくかもしれん。だからそれを使ってほしい。貴公と感づかれないようにするための、新しい装備だ。」

 

 リリが箱を開けると、一番上に顔の上半分を覆う白いハーフマスクが目に入る。

 そして、その下には黒を基調とした大量のポケットがある暗殺者風なローブなどが入っていた。

 

 「あの、これはどうやって?」

 

 「ハーフマスクは私が彫った。精神修行も兼ねて、昨晩な。

 装備はリリが危険にさらされているのなら、より良いものがあったほうがいいと思っていたんだ。結局遅きに失してしまったが、昨日買っておいた。

 ベルが大量にキラーアントを倒してくれたおかげで、お金は足りたよ。」

 

 「こんなのいただけません!」

 

 リリは木箱をアルに押し付ける。

 許してくれただけでもありがたいのに、貰い物でもしたら耐えられなくなってしまうからだ。

 しかし、アルはそっとそれを押し返した。

 

 「ベルも同意してくれたのだ。リリは仲間だ。

 仲間の無事に投資するのは正しい行いだと、私は思う。

 これは貴公がパーティーの大切な役目を果たすためには、必要なものだ。」

 

 「リリの役目なんて、ただの魔石拾いに荷物持ちです……。」

 

 顔を伏せるリリの頭をアルは優しく撫でて、とある女騎士の話をした。

 

 「リリよ、【王の刃】キアランという、誉れ高い四騎士の中の、紅一点の話をしてやろう。かの【王の刃】は、大王から白磁の仮面を賜るほどに、忠義に厚く信頼されていた。しかしな、彼女は本当は騎士ではなかったのだ。なんだと思う?」

 

 「分かりません……。」

 

 「はは、暗殺者だったそうだ。

 その白磁の仮面も顔を隠して役割を全うするためのもの。

 だが、それでも彼女は四騎士として選ばれた。

 私は、それは彼女が役割を忠実に果たし、任務をこなし続けたからではないかと思う。大切なのは役目の重さではない。そこに熱意と信念があるかないかだ。

 貴公はいつも立派にサポーターをこなしてきた。生き延びてきた。私はそれを尊敬する。ベルはそれを信頼している。この白木の仮面は、我らの信頼の証なのだ。」

 

 リリは木箱を抱えて大泣きした。

 罪を犯してなお、二人の信頼は揺るがなかったからだ。

 アルは大泣きするリリをなんとかなだめようとした。

 

 「リリ、泣かなくてもいいだろう。ほら、落ち着くのだ。」

 

 「全く、アルくんもアルくんだなぁ……。」

 

 「うえぁぁ……。私これからも頑張りますぅ……!」

 

 ヘスティアとアルは大泣きするリリを泣き止むまで優しくなだめ続けた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 泣き止んだリリが新たな装備に身を包んで拠点へと帰った後、ベルがガントレット片手に帰ってきた。

 その顔はとても嬉しそうで、にやついている。

 

 「どうしたのだ、貴公。何かいいことでもあったか?」

 

 「えっと……。ちょっとこっちに……。」

 

 ちょいちょいと手を招いて、ベルがアルに耳打ちする。

 明らかに、ヘスティアを意識しての事であった。

 

 「なんとね、昨日アルを助けてくれたの、アイズ・ヴァレンシュタインさんだったんだよ!今までの事謝ってくれて、僕も逃げちゃったこと謝って……。

 それで、褒めてくれたんだよ!ミノタウロスに立ち向かえて凄いって!」

 

 「やったじゃないか。恋も一歩前進か?」

 

 「うん!それでね、それでね。

 アルに相談せずに、アイズさんと早朝に特訓する約束しちゃったんだ。

 僕焦ってたみたいで……。どうしたらいいのかな……。」

 

 申し訳なさそうにするベルがいじらしく思ったアルは、がしがしと頭を撫でた。

 頭をぐらぐらと揺らされたベルは困惑する。

 

 「あ、アル?!強いよ?!」

 

 「何を私に構うことがある。貴公はもう少し、ヘビのように貪欲になりたまえ!

 全く本当に貴公は好ましい男だが、我儘を言ったり聞いたりするのも仲間なのだ。

 楽しみ、そして強くなってこい。」

 

 アルのその言葉に、ベルは笑って答えた。

 ヘスティアと同等に、一番信頼する相手からゴーサインがでたのだ、ベルの心は非常に前向きだった。

 

 「うん、僕強くなってくるよ!」

 

 「よしよし、ヘスティア様には秘密にしておこう。男同士のな。」

 

 「へへ、ありがとう!」

 

 「しかしベルが強くなろうとしている時に私も何もしないというわけにはいくまい……。聖剣の力を引き出す、そして深淵を操る……。うーむ、難題だ。」

 

 アルはうーんうーんと腕を組んで悩んだ。

 ジーク一族と違うところと言えば、鎧がシャープなことと、自力で問題を解決する力を持っていることであろうか。

 ベルも一緒に考えていると、ヘスティアが声をかけた。

 

 「何を二人そろって悩んでいるんだい?」

 

 「アルが強くなる方法を少し……。聖剣の事とか、僕にはさっぱりですけど……。」

 

 「聖剣ねぇ……。担い手としての資格はある、けど何かが足りないってことだろう?」

 

 「その何かさえわかれば……。しかしどうやって?」

 

 「聞いてみればいいよ!君の中のソウルにさ!」

 

 「なるほど……。なんとかやってみましょう。」

 

 アルはヘスティアのアドバイスに納得した。

 深淵も、魔法も、すべてアルの中から生まれ出たもの。

 であれば、答えもアルの中にあってもおかしくはない。

 【ソウル・レガリア】を上手く使えば、内なるソウルと対話することもできるだろう。

 

 「アル、頑張ってね!」

 

 「あぁ、貴公もな。」

 

 二人はそれぞれの方法で、強くなる道を模索し始めた。

 そんな二人に呼応するように、とある女神も暗躍していた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「オッタル、あの子たちが一際強く輝くにはどうすればいいかしら?」

 

 「……冒険をさせることでしょう。

 敗北を、恐怖を乗り越えられないものに殻を破ることは出来ますまい。」

 

 「そうね、全部任せるわオッタル。

 だけど、二人にはとびきり苦しい試練を与えて頂戴?

 並大抵の試練では、あの子たちの器を満たすには足りないから。」

 

 「かしこまりました。」

 

 美の神フレイヤは懲りずにちょっかいの準備を始めた。

 付き合わされるオッタルは、実のところあまり不快ではなかった。

 自分の愛する女神の役に立てる。

 その喜びだけで、彼女の「伴侶」探しという苦痛は消し飛ぶ。

 しかし、彼自身が二人にわずかに期待していた。

 ベルが見せた奇跡、アルが見せた深い闇、どちらも都市最強の冒険者の闘争心を掻き立てたからであった。

 

 そういうわけで、オッタルはダンジョン中層で「試練」探しに勤しんでいた。

 

 「弱い。これでは足りんな。あの方の命を果たすには、この程度では……。」

 

 オッタルは、もう数十匹にも及ぶミノタウロスをいたぶり殺していた。

 二人に初めて、そしてたった一度の大敗北を与えた存在、ミノタウロスこそ試練に相応しいと考えたからである。

 レベル2の中でも最強と目されるミノタウロスを更に選定することで、二人に過酷な試練を用意しようとしていた。

 

 『ブォォォ……。』

 

 そんなオッタルの前に、ランドフォームから生み出された石斧を冒険者の血で濡らしたミノタウロスが現れた。

 オッタルはそのミノタウロスを見上げて、初撃を待った。

 

 「少しは骨がありそうだが……さて。」

 

 『ブォオオン!!』

 

 ミノタウロスは、圧倒的強者に対して果敢に石斧を振り下ろした。

 それを素手で受け止めたオッタルは、力を少し込めて石斧を砕いた。

 ようやく見つけた「逸材」を前に、オッタルは口角が上がる。

 

 「よし、上々だ。お前に決めたぞ。」

 

 そして、背中に背負っていた大刀をミノタウロスの眼前に放り投げた。

 ダンジョンの床に、ぐさりと突き刺さる。

 

 「使いこなして見せろ。」

 

 『ブォォォォ!!!!』

 

 恐怖に打ち勝ったミノタウロスは、大刀を引き抜き、オッタルに襲い掛かった。

 レベル7、都市最強の冒険者の調教(トレーニング)が始まった。

 

 しかしそれは、ある存在の出現によって中断されることになる。

 

 『ゴォォォ!!』

 

 それは、オッタルを背後から襲った。

 当然避けられるのだが、オッタルはその異質さに驚いた。

 目の前のミノタウロスには戦い方を教えた。

 しかし、背後のそれは教えられることもなく剣技を用いて攻撃してきたからだ。

 

 「ほう、山羊頭……。希少(レア)モンスターか……。いいだろう、規格外(アルトリウス)にはイレギュラーをぶつけるのも悪くない。」

 

 オッタルは、そのモンスターを高く評価した。

 体躯はミノタウロスと同じ程度であるが、特筆すべきはその頭部。

 山羊の頭蓋骨のような頭をしており、両手には大きな石の鉈が握られている。

 かつての火の時代を戦った者たちならその姿を見てこう呼ぶだろう。

 山羊頭のデーモンと。

 

 「かかってこい。あの方を待たせるわけにはいかない。」

 

 『ブォォッ!!!』

 

 『ゴアァァ!!』

 

 闘争本能をむき出しにした二匹の獣が、今度こそオッタルを殺そうと動き出した。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「じゃあ、僕先行くね?」

 

 「あぁ、行くがいい。また落ち合おう。」

 

 そんな物騒な思惑などつゆ知らず、早朝ベルは至極楽しそうにアルと別れた。

 アルは、幸せなムードを漂わせているベルの背中を見送って、別のところに歩き始めた。

 目指すは怪物祭(モンスターフィリア)で深淵を発露させてしまった、あの広場である。

 

 「さて……。ここは、深淵だ。いや、完全に深淵にはならなかったが……。

 間違いなくここは深淵に近い場所だろう。

 ここならば、あるいは……。」

 

 アルの目的は、深淵に近い場所でソウルとの対話をすることであった。

 そうすれば、より闇に近いソウルと対話できるであろうという考えである。

 

 「さて、始めようか……。【我が解き明かすは真理、我が求めるは神秘。我が手に杖を、我が魂に啓蒙を。来たれ、賢者よ。我は最後の王の長子。この血に魔術を教えたまえ。】」

 

 火の時代より伝えられし竜へと至る座禅を組んで、深い深い意識の方へ語り掛けていく。

 アルの意識は、どこかへ飛ばされていった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「深淵の事を知りたいとは言った。言ったが……これは求めてないぞッ!」

 

 アルは、目の前にいる魔物、マヌスに向かって吠えた。

 魔術師に対して語り掛けたはずのアルは、圧倒的な強者の前で震えることしかできない。

 アルは知りようもないが、マヌスとて魔術を扱う、立派な魔術師だ。

 環境も相まって、アルのソウルはマヌスのソウルと呼応したのだ。

 

 「くっ……。夢の中だというのに、まるで生きた心地がしない……。」

 

 マヌスは一歩一歩アルに近づいていく。

 金縛りにあったかのように、アルは一歩も動くことが出来ない。

 しかし、いくつかの影が現れ、マヌスに襲い掛かった。

 大きな狼、とんがった特徴的なとんがり兜をつけた騎士隊であった。

 

 「あれは……シフ。そして、あれが不死隊なのか……っ!」

 

 こう戦え、剣はこう振るえ、避けるならばこうしろ。

 一つ一つアルに教えるかのように、シフたちは果敢に戦う。

 アルトリウスから技と信念を受け継いだ者たちが、アルにも継がせようとしている。

 そして、彼らがある程度戦った後、その姿が忽然と消え失せた。

 

 「……私の番だというのか。」

 

 アルは、震えながら剣を構えた。

 そして切り掛かろうとした、確かに切り掛かろうとした。

 しかし、動けなかった。

 恐ろしい目がアルを見つめてきたからだ。

 もうだめだ、そうアルの心が折れかけた時、現実で誰かがアルを呼び覚ました。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「アル公~!アル公~!」

 

 「うおぉぁあぁ!はぁっはぁっ……。死を覚悟したぞ……。」

 

 「何があった、うなされておったぞ?」

 

 アルの肩をゆすっていたのは、椿だった。

 すんでのところで助けてくれた椿に、アルは感謝せずにはいられなかった。

 その手を掴んで深く頭を下げる。

 

 「おぉ椿殿。ありがとう、本当にありがとう。

 あと少し遅かったら私はもう駄目だった。あぁ、本当にありがとう……。」

 

 「アル公、どうしたのだ?手前に話してみろ、少しは力になってやるぞ?

 そろそろ大仕事が舞い込んでくるのでな。今は暇なのだ。

 たっぷり時間を使ってくれても構わん。」

 

 震えるアルの手を、傍に座った椿は優しく握り返してやった。

 椿とて、薄情な人間ではない。

 時に人を諌め、時に人を褒め、時に人を率いる。

 そういった仕事も求められる、一大組織の団長として働ける彼女には、当然高い人間性が備わっているのだ。

 

 「いえ、そういうわけには参りません。大丈夫ですよ。」

 

 「こんな町中で死を覚悟するようなことがあったのであろう?

 話してみれば楽になることもある。」

 

 「……では、ありがたく。

 詳しいことは言えませんが、とても大切な夢を見たのです。

 恐ろしく、強大な敵と戦う夢です。その戦いの中で、私は心が折れかけました。

 本当は立ち向かわなくてはならないはずだった。だというのに私は……。」

 

 折角英傑たちが何かを自身に伝えようとしてくれたのに、応えられなかった。

 そんな後悔と自責の念がアルを襲っていた。

 俯くアルに、椿は意外な言葉をかけた。

 

 「折れる時は折れてみればよいのだ。剣もそうだ。

 折れる剣ならそれは悪い剣だ。折ってしまえばいい。」

 

 「しかし、折れてはいけないのですよ。決して折れない私でなくては……。」

 

 「折れたなら溶かして鍛え直せばよい。不壊属性(デュランダル)なんてものもあるが……本質はそこにはない。真に折れぬ剣とは、一度折れたものを何度も何度も鍛え直したものではないかと、手前は思うぞ?」

 

 アルは、自身と自分の持つ聖剣を重ねた。

 心折れかけた自分と、聖剣として既に折れてしまった剣。

 大切なのは折れたうえでどうするか、どう鍛え直すかであるとアルは椿に気づかされることになった。

 

 「ありがとうございます。

 少しだけ、向かうべき先が見えてきました。貴方に会えてよかった。」

 

 「はっはっは!そうであれば鎧の方をだな!」

 

 「それはいけませんよ、椿殿。」

 

 「つれないのぉ、アル公は……。」

 

 二人はけらけらと笑った。

 約束は約束、違えることは出来ない。

 その代わりに、アルは深く深く頭を下げた。

 

 「椿殿、今は私の礼で許していただきたい。」

 

 「しょうがない、約束は約束であるからな。

 よし手前は散歩も終わりにして仕事に戻ろう。

 アル公、何を悩んでいるかは手前にはまだよく分からん。

 分からんが、頑張るのだぞ。」

 

 「はい、今日はありがとうございました。」

 

 ぱっぱっ、と袴をはたいて、椿が立ち上がった。

 アルはそれに伴って立ち上がり、最後にもう一度礼をした。

 椿はアルの肩をポンポンと叩いて、立ち去って行った。

 

 「さて、一つは前進した、か。

 とどのつまり、あの怪物相手に折れながらでも立ち向かえさえすればいいのだ。

 聖剣よ、お前とて、あの怪物に立ち向かいたかったのだろう?」

 

 どっかりとまた座り込んだアルは、脇に置いていた聖剣の腹をそっと撫でた。

 加護を失い、深淵に飲まれてしまった聖剣はアルの問いかけには答えなかった。

 ただ、少しだけ刃が音を鳴らした。

 

 「ふふ、不甲斐ない担い手だがいずれ必ずお前に再起してもらうぞ……。

 残る問題は、あのローブの女が私に教えた言葉……。

 『内なる火』、か……。

 火のことは、火を扱う者たちに聞いてみるとするか……。」

 

 太陽はまだ低く、時間はたっぷりある。

 アルはもう一度、瞑想を始めるのであった。

 

 




 咎人の白木の仮面

 咎人が 許しと信頼の証として 与えられた仮面

 その仮面には 覗穴と 涙のような刻印しか刻まれていない

 娘よ もう泣かなくていい

 仮面が泣くのだ ただ笑うがいい


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第二十話 修行と襲撃


 密偵のローブ

 リリルカ・アーデの新しい 黒いローブ

 防御力と軽さを絶妙なバランスで両立している

 暗器や道具類を仕込めるそれは 非力な彼女にとっては防具ではない

 身に着ける 武具である


 

「馬鹿者が……。待ちくたびれたぞ……。」

 

 アルはいつの間にか、腐り、淀み、穢れた沼にいた。

 きょろきょろと周りを見渡していると、大きな柱のそばにローブの女が座り込んでいた。

 ローブの女に叱られて肩をびくりと震わせたアルは、恐る恐る彼女に近づく。

 

 「早くしろ。時間がない。」

 

 「は、はい!申し訳ございません!」

 

 アルは沼の泥をざぱざぱとかき分けながら進み、その女の前に跪いた。

 それをじっと見た女は、かすかに笑った。

 

 「ふん……。あの馬鹿弟子、いやもう馬鹿弟子とは呼べんのかもしれんが……。

 少なくとも、あいつよりは良い心がけをしているようだ……。

 私はイザリスのクラーナ。お前が求めていた火を操る呪術師だ。」

 

 「おぉ、クラーナ殿。呪術王ザラマンの師!」

 

 アルは目の前の存在が、とてつもなく偉大であることを知っていた。

 呪術の祖であり、才能あるものにそれを伝えたと言われている。

 そして何よりも、敬意を払えという意識がソウルの中にこびりついていた。

 

 「もう昔の話だ……。それで、お前は私に何を求める?」

 

 「火を熾し、操る業。深淵を焼き払う炎の業を、お与えください。」

 

 かつての弟子と同じように答えたアルを見て、クラーナは微笑まずにはいられなかった。

 

 「いいだろう……。あいつからの恩をお前に返すことにしようか……。

 深淵から起こす火というものは存在する。それは人間性の火、黒い闇の炎だ。

 だが、深淵そのものを焼く炎を熾し得る呪術はない……。」

 

 アルは、困惑した。

 夢の中で、クラーナは『内なる火を燃やせ』とアドバイスしてきた。

 だというのに呪術には求めていた炎はないという。

 大きな矛盾がアルを襲う。

 そんなアルにクラーナは優しく続けた。

 

 「特別な火が必要だ……。しかし、お前はその火を既にその身に宿している。」

 

 「まさか、ベルの炎ですか……。」

 

 アルが深淵に飲まれたとき、ベルはアルに剣を突き立てた。

 そして、篝火に火をともすように、聖火を流し込んだ。

 アルに「素質」があったから、あの時火を受け入れることが出来たのだ。

 そこまでアルは知っていたわけではなかったが、なんとなくベルの火が思い浮かんだのだ。

 

 「あれは、はじまりの火に近しいものだ。神の力がそうさせたのか……、そんなものは重要ではないな。

 それだけではない。お前には資格がある。薪となる資格が……。

 王たちのソウルがお前に分け与えられているからだ。

 即ち、その半身たる火すらも同時に与えられているということに他ならない。

 かつての火の時代の火、そして当代の火。

 その残り火を熾せば、淀みも蛆も腐れも深淵も焼き尽くすだろう……。

 火があるからこそ闇があり、火を飲み込むのも闇であり、闇を照らすのもまた火なのだよ……。」

 

 「残り火……。燻っている炎をもう一度強く、熱く燃え上がらせればよいのですね?」

 

 「あぁ、だが心しておけ。火を畏れないものは、いずれ滅びる。

 お前なら、聞いたことはあるだろう?」

 

 「イザリスの……魔女。」

 

 「あぁ、そうだ。残り火とはいえ、その量は強く大きい。

 そしてお前という器は、かつての王たちとは比べ物にならないほど凄まじく大きく、そして歪だ。

 下手をすれば残り火からでも混沌を生み出せるやもしれん……。

 くれぐれも、火を畏れるのだぞ。」

 

 クラーナは、ソウルとなってアルの中に紛れてなお、火を畏れた。

 それは彼女自身の苦悩や後悔からであろう。

 灰に自身の使命を押し付けたことも、怪物となり果てた家族の苦しみに涙を流すのも、もう沢山なのだ。

 アルは、そんなクラーナの姿勢を真摯に受け止めた。

 

 「分かりました。火を畏れます。畏れたうえで扱います。」

 

 「そうだ、それでいい……。ただ、お前のその火は今のお前の器以上の力を持っている。

 その火だけを使おうとすればお前が燃え尽きるだろう。苦しく、辛い痛みに苛まれるはずだ。」

 

 アルは、ソウルだけは王たちに劣らない。

 そう生まれるように作り出されたからだ。

 しかし、ルドレスが残り火に苛まれたように、王たちよりもはるかに脆弱なアルではその炎に耐えることは出来ない。

 クラーナは、可哀想な王たちのようにアルが苦しむのを心配した。

 彼女にとってアルは宿主である以上に、かつての弟子の長子なのだ。

 

 「気を付けます。もともと、深淵を操るために火を求めました。それだけで十分です。」

 

 「よし、ならばいけ。闇に飲まれたりするんじゃないぞ……。」

 

 クラーナの別れの言葉を皮切りに、アルの意識が遠く遠くに引っ張られていく。

 アルは、最後までクラーナへ頭を下げ続けた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 アルは、目が覚めた。

 答えに至ることが出来たアルは、大満足であった。

 同刻、ベルがアイズによって気絶させられまくっているともしらずに……。

 その日のダンジョン探索のために合流したとき、アルはベルのボロボロな姿を見て、ゴーサインを出したことを少しだけ悔やんだ。

 

 翌日から、アルの修行が本格的に開始した。

 はじめにマヌスへの挑戦を行い、恐怖に打ち勝つ訓練を。

 続いて、シフの獣の剣技、ファランの不死隊の捨て身の剣技を反復練習し、アルトリウスの狼の剣技に更に磨きをかける。

 最後に、残り火を熾すための精神修行と、呪術の実践をひたすらやる。

 マヌス相手には全く歯が立たず、いつも動けなくなって目が覚めてばかりだが、それ以外の方はある程度順調に進んでいた。

 記憶スロットも2つに増え、剣技にも「虚実」が生まれつつあった。

 

 「お二人とも、今日はどこまで行きましょうか?」

 

 「うーむ、明日を休日にするならば、なるべく稼いでおくのが得策だと思うが、貴公はどう思う?」

 

 「うん、僕も賛成かな。リリの新装備のおかげで、大分進みやすくなってるしね!」

 

 二人の早朝訓練が始まって数日後のダンジョン探索で、三人はかなり安定して10階層までくることが出来る様になっていた。

 ベルもアルも、ダンジョンで戦うことで、自身の確かな成長を感じ取れていた。

 

 「けどすみません、リリの都合でせっかくいいペースで進めているお二人を足止めしてしまって……。」

 

 「いいよ、下宿先の都合なんでしょ?」

 

 「あぁ、休む必要があるなら休むべきだ。リリが遠慮なく休んでくれれば、我らも休みやすくなる。」

 

 「そんなものですか……。しかし、ここ最近のベル様はダンジョンに潜る前からやけにボロボロですね?」

 

 静かな霧の中を歩きながら、リリは最近気になっていることを口にした。

 リリの言う通り、ベルは最近パッと見ただけでもわかるほどにやつれていた。

 頬や首筋には生傷が絶えず、髪はいつもぼさぼさでほこりまみれになっている。

 サポーターとして、パーティーの体調や異変に敏感なリリでなくても「何かある」ことぐらいは分かってしまうほどであった。

 

 「あはは、最近ちょっとやることがあってね……。あいた!」

 

 「大丈夫かね……。無理な時はすぐに言うのだぞ?」

 

 「そうですよ、ベル様!」

 

 「うん、そうするよ。」

 

 ベルはポリポリと頭をかいて苦笑いした。

 足や腰、腕や肩、とにかく全身が痛んでいるがアイズとの訓練のチャンスは逃したくない。

 けど心配をかけてしまうのはなんだか申し訳ない。

 そういうジレンマにあるために、ただ笑うことしかできなかったのだ。

 

 『グギャギャ!』

 

 霧の中からモンスターの声がして、すぐに三人は臨戦態勢をとった。

 アルが奥をじっと見ていると、無数の赤い目が確認できた。

 一瞬恐ろしいマヌスを思い出すが、すぐにインプであることに気づく。

 

 「インプ共だ。数は数えてる暇がもったいないくらいといったところだな。」

 

 「わかった!リリは下がってて!」

 

 「援護は任せてください!この装備なら、お二人の役に立てます!」

 

 リリが黒いローブを翻しながら、霧の中に身を潜めた。

 そして、二人がインプの群れに突っ込む寸前に矢の雨がインプ達に降り注いだ。

 

 「おぉ、ありがたい!よし、突っ込むぞ!」

 

 「アル、僕は僕で戦うよ!」

 

 「あぁ、私もそう思っていたところだ!」

 

 リリの装備には、数多くの暗器が装備できるような設計がなされていた。 

 その袖口に備え付けた二門の連装式ボウガンによって、圧倒的な物量で二人を援護していたのだ。

 リリの援護によって突破口が二つ生まれ、ベルとアルは別々の方向に飛び込んでいった。

 今までの二人であれば、堅実にコンビネーションを使った各個撃破を狙っていただろう。

 しかし、二人は今、「一人で戦うことのできる力」を育んでいる真っ最中なのだ。

 それを試そうとするのも当然と言えた。

 

 ベルはアイズとの戦いの中で、死角を作らないということを学んでいた。

 それは、ことインプ戦においては如実に成果が出た。

 常に隙を突こうとする狡猾なモンスターを相手に、無傷で立ち向かえていることが何よりの証拠だろう。

 剣術以外にも体術を駆使して、限りなく隙を少なくして立ち回れていた。

 

 対してアルは、シフや不死隊から学んだノーガード戦法を駆使していた。

 今までは、自身の原点たるアルトリウスにあやかり、盾で受けてからの動作が多かった。

 飛び跳ねたり膂力に任せた突き込みをしたりと、機動力を用いることもあったが、やはり無意識に盾を使っていた。

 しかし、それが大型のモンスターや、集団戦、闇の魔法のような大きな質量を持つ攻撃に対しては弱点になってしまう。

 アルトリウスが左腕を砕かれてしまったのも、盾で受けて力ずくで切り伏せるという必勝の戦法を、闇を操るマヌスに対して取ってしまったからである。

 新たな戦法は、その弱点をカバーするにはうってつけであった。

 ただ戦法を学んだとはいえアルの剣技は、アルトリウスよりも圧倒的に拙いものだ。

 しかしその戦術の幅だけは、アルトリウスよりもほんの少しだけ上回っていた。

 不死隊仕込みの低い姿勢からの回転切りや、シフの獣のような軽やかな動きが、アルの中に染みつきつつあった。

 

 『ブギィ……!』

 

 「ちょっと多いね……。」

 

 「一旦下がりますか?リリはまだやれますが……!」

 

 「この程度で立ち止まっているわけにはいかん。私は前に出るぞ!」

 

 「僕だって、あの人に追いつきたい!絶対に!」

 

 新たに出現したオークたちを前にしてなお、三人はひるまなかった。

 ベルは、憧憬へと至りたい焦りに駆られて。

 リリは、二人の役に立ち、アルが教えた【王の刃】のようになりたいという忠義のために。

 アルは、理想の騎士から継承した想いに応える使命ゆえに。

 三人は一気に大群にとびかかった。

 

 

 徐々に、来るべき試練を乗り越える力が身につきつつあった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「いやぁ、アルくんが手伝いに来てくれてよかったよ!」

 

 「いえ、むしろ朝からお付き合いすることが出来ずに申し訳ありませんでした。」

 

 「そんなこといいんだよ!色々と試していることがあるんだろう?

 こうして夕方になってから来てくれるだけでも嬉しいよ。

 それでも気になるんだっていうなら、その料理の腕を存分に振るってくれ!」

 

 「ご期待に沿えるよう、頑張りますよ。」

 

 アルは、ダンジョン探索を休んだその日、ヘスティアのバイトの手伝いに来ていた。

 早朝から訓練をしていたのだが、流石に主神を働かせておいて自分の事だけに集中することは出来なかった。

 だから、たとえ遅くなっても顔だけは絶対に出すと決めていたのであった。

 

 「じゃが丸くんの小豆クリーム味、二つください。」

 

 どこかで聞いた覚えのある声に、アルは少し嫌な予感がしてきた。

 そんな予感など知らないヘスティアは、店番として立派に職務を果たそうとする。

 

 「いらっしゃいませ……ぇっ?!」

 

 「ぅえっ……?!」

 

 「クリーム多め、小豆マシマシで……。」

 

 アルは、しまったなぁという顔をして、天を仰いだ。

 なんと、店の前にはベルとアイズがいた。

 アルが数日間なんとか隠し通してきたベルの秘密が、とうとうヘスティアに露見してしまったのだ。

 

 「なぁーにをやってるんだ君はぁ!!!!

 全く、次から次へと君はぁ!とうとうついにこの女までぇ!!!」

 

 「うわぁぁぁ!!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

 

 「あれ、君は確か、リヴェリアのお気に入りの子……。」

 

 「いつもお世話になっております、アイズ殿。

 その……、あれは見ていないことにしていただけると大変助かります。」

 

 ヘスティアが屋台を飛び越えてベルに詰問し、衆目を集めていた。

 そんな状況をつゆほども気にせず、マイペースなアイズにアルは困惑させられた。

 そして、そのマイペースさを保ったままベルとヘスティアの名誉のために、その醜態を忘れてくれと願ったのであった。

 

 「全く、アルくんもボクに隠し事をするなんてさ!酷いとは思わないのかい?」

 

 「め、面目ないです……。」

 

 少し落ち着いてから、四人は屋台から少し離れた人気のない路地裏に移動した。

 ヘスティアは、取りあえずベルたちから事情を聴いて、どうして一緒にいたのか問いただすことにしたのだ。

 一部始終を聞いたヘスティアは、主神の恋路に味方してくれなかったアルをからかう。

 アルは兜の下で冷や汗をだらだらと垂らしながら謝った。

 ヘスティアはそんなアルの様子を見て満足したのか、すぐにアルを許した。

 

 「まぁアルくんのことは許してやろう。それで、本当に後二日だけなんだね?」

 

 「はい、もともとロキ・ファミリアの遠征が始まるまでって約束で……。

 お願いします、カミサマ!」

 

 ベルは力強く頭を下げた。

 アルも伴って深く頭を下げる。

 

 「私からも、お願いします。ベルが強くなるにはまたとない機会なのです。」

 

 「はぁ……。しょうがないなぁ。ただし、ヴァレン何某くん!

 君がベルくんに妙な事したらその時点でこの話はナシだ!

 誘惑なんてもってのほかだからな!」

 

 「はい……?」

 

 アイズは、ヘスティアがベルに対して強い恋心をいだいていることも、ベルが自身に対して恋心を抱いていることも理解していなかった。

 親代わりの恋愛事情が周囲の協力あってようやく理解できるようになったばかりのアイズには、恋愛はまだ難しいものだ。

 当然、この神様は何を言っているんだろうか、という顔をするしかない。

 しかし、ヘスティアは猶も食いつく。

 

 「ボクのベルくんに唾をつけようったってそうはいかないぞ!

 なんてったってボクの方が先なんだ!」

 

 そう主張するヘスティアに、よくわからないまま頷いたアイズは新たな勝利のピース(からかうネタ)を求めて、アルに話しかけた。

 リヴェリアに散々叱られても、アイズはあまり懲りていなかった。

 しかし、ただからかうのが楽しいからやっている、という訳ではなかった。

 母親として、副団長として、いつも厳しい顔をしているリヴェリアが、ただ一人の女性として笑うようになったのが嬉しかったのだ。

 子の心親知らず、アイズはリヴェリアを困らせようなどと思っていたわけではない。

 自分の知らないような、飾らないリヴェリアでいてほしいという願いも半分くらいはあったのだ。

 

 「君は……アルトリウス、だっけ。」

 

 「はい、そうですが……。」

 

 「どうやったらリヴェリアを笑わせられるか、知ってる?」

 

 アルは、アイズの問いかけに少し悩んだ。

 腕を組んで、リヴェリアの事を想像してみる。

 魔法の事を教えてもらった小さなカフェで、彼女が笑っている。

 大人びていて、そしてどこか少女じみている。

 想像しただけで、なんだかうれしい気分になる。

 そしてふと、アルはその店の甘い匂いと飾られた花を思い出した。

 

 「花はどうでしょうか?」

 

 「花……。どうして?」

 

 「もともと森に生きていた方ですから、自然の風情を感じられるものが良いのではないかと。もっとも、あの方からすれば貴方から何かを贈られるだけでも嬉しいと思いますよ。」

 

 アルの的確なアドバイスを聞いて、アイズは納得した。

 花はリヴェリアによく似合うと思ったからだ。

 それだけでなく、アルがまるで長年リヴェリアと連れ添ったかのようにリヴェリアの気持ちを予測していたことに驚いた。

 

 「君は、リヴェリアの事をよく知っているんだね。」

 

 「私は私の知るあの御方しか知りません。私が知らなくて、貴方が知っているリヴェリア……さんも沢山いらっしゃると思いますよ。」

 

 「むきー!アルくんも、よその女なんかに靡くんじゃなーい!!」

 

 アイズの探求は、ヘスティアに遮られることとなってしまった。

 しかし、アイズは少し満足していた。

 色々と、リヴェリアと話したいことが見つかったからだ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「いやー、実に清々しいまでにぼこぼこにされてたねぇ。

 血も涙もないとはまさにこのことだ。

 これはヴァレン何某くんはベル君のことを何とも思ってないみたいだね!

 決まりだね決まり!」

 

 「そういうわけではないでしょう。

 ですが私もガレス殿との稽古を思い出しましたよ。」

 

 その後アルとヘスティアは、一度ベルたちの訓練の様子を見学した。

 その様子はまさに苛烈であった。

 一分から一分半でベルが一回気絶するのだから、二人の精神は心配でガリガリと削られた。

 

 訓練も終わり、夜も更けてきて、色々と疲れ切った三人とけろりとしているアイズは帰路に就いた。

 暗い路地にさしかかったところで、四人の頭上からいくつかの影が舞い降りる。

 それもアイズに対しては強い殺気を伴って。

 

 「うぅぅあっ!!」

 

 長槍を持った黒ずくめの騎士が、アイズに切り掛かる。

 アイズは、そのスピードが並大抵のものではないと気付き、全力で切り払う。

 それでもなお、その男の槍を止めることしかできなかった。

 

 「嘘っ、アイズさんの剣を止めた?!」

 

 「ヘスティア様、私の後ろへ!ベル、周囲の警戒を怠るな!」

 

 「うん!……危ないっ!」

 

 アイズに遅れて、構えを取ったベルは、四人組の戦士に襲われた。

 身をよじって回避したところに、アルが指示を出す。

 

 「ベル、魔法だ!当てなくてもいい、思いきり明るく照らせっ!」

 

 「プロミネンスバーストぉ!!」 

 

 アルの言う通りに、ベルは水平よりも少し上を狙って魔法を放った。

 それは流れ星のように夜闇を切り裂きながら飛んでいき、四人の戦士を遠ざけることに成功する。

 その間に、ベルとアルはヘスティアを守り切れるように陣形を組んだ。

 今の魔法で異変に気付いた誰かが来るまでの時間稼ぎだ。

 しかし、意外にもアイズと切りあっていた騎士を含めたすべての敵が一斉に屋根に飛び移って退却していく。

 そして、その中でもアイズと戦っていた騎士が口を開いた。

 

 「これは警告だ、【剣姫】。これ以上余計な真似はするな。」

 

 「どういう、意味……!」

 

 「大人しくダンジョンにこもってろってんだよ、人形女。

 もしあの方の邪魔をするなら……殺す。」

 

 不穏な捨て台詞を残して、騎士たちは立ち去って行った。

 アルとベルは思いきり息を吐き出した。

 主神を守りながら戦うとなると、緊張してしまったのだ。

 

 「はぁ……、取りあえず、アイズさんにもカミサマにも怪我がなかったから良かったかなぁ。」

 

 「あぁ、だが危なかった。

 あちらが退いてくれたから助かったようなものだろう。」

 

 「全く、夜道を歩くだけで絡まれるなんて物騒なファミリアだねぇヴァレン何某くん?」

 

 アイズは、あの騎士たちの正体に心当たりがあった。

 ロキ・ファミリアと敵対するフレイヤ・ファミリアの主戦力、【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】と【炎金の四戦士(ブリンガル)】だ。

 間違いなく自分の責任だろうと思ったアイズはしょぼくれた。

 そんな様子を見たヘスティアは、恋敵であっても優しい言葉をかけてしまった。

 

 「そんな顔するんじゃないよ!

 あと、今度は遠回りでも明るい道を通るんだ、いいね?

 けど勘違いするなよ!ベルくんのためだからな、ヴァレン何某!

 もう帰るぜ、二人とも!」

 

 「あぁっ、えっと、また明日、アイズさん!お気をつけて!」

 

 「明日からもベルの事をよろしくお願いします!

 それから、リヴェリア……さんにもよろしくお伝えください!」

 

  強引にヘスティアに引っ張られていく二人を見送って、アイズは黄昏の館に帰るのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「何、【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】と【炎金の四戦士(ブリンガル)】だと?」

 

 「うん。警告、って言ってた……。」

 

 アイズはホームに帰るとすぐにリヴェリア達に相談した。

 ロキ・ファミリアは現在遠征を数日後に予定している。

 敵対ファミリアの横やりには、敏感にならなくてはいけない。

 遠征で疲れ切ったところに、あるいは遠征のために部隊を分けて進軍しているところに襲撃を受けてしまってはいくらロキ・ファミリアとて無事では済まないからだ。

 

 「ふむ。実は、気になる情報もある。オッタルが中層に現れて、モンスターを狩る姿が目撃された。」

 

 「【猛者(おうじゃ)】が……?」

 

 「謀を好まない奴の事だ。遠征の障害にはならないだろうと判断したが、少し認識を改めなければならないかもしれないな。」

 

 リヴェリアは眉をひそめた。

 オラリオにおいて、レベルが一つ違うだけで、一対一の勝負は絶望的なものになるというのが常識だ。

 そして、オッタルはロキ・ファミリアの最大戦力、レベル6を一つ上回るレベル7。

 たった一人の冒険者相手に、遠征部隊が半壊させられるなどということも考えられる。

 副団長の彼女にとっては、一度見過ごした案件が非常に重大な問題となってしまった。 

 そんなリヴェリアの脇で、酒を飲みながら考え事をしていたロキは、アイズに訊ねた。

 

 「襲われたとき、アイズたんはどこにおったんや?」

 

 「路地裏……。ヘスティア様と、アルトリウスと、ベルと歩いてて……。」

 

 「なにぃ?!ドチビ達とやとぉ?!」

 

 「うん。ロキ、前に協力してもいいって言ってたから……。」

 

 ロキは、自分がヘスティア・ファミリアに協力する許可を出したことを思い出した。

 フレイヤが勝手に巻き込んでいくのなら、こちらから首を突っ込んでやるというヤケクソで決めたことだった。

 そう、「フレイヤが勝手に巻き込んでいく」のだ。

 ロキはあちゃーと呟いて頭を抱えた。

 彼女だけは、藪をつついてヘビを出してしまったことに気づいたのだ。

 要は、フレイヤがアイズに嫉妬し、癇癪を起してつっかかってきた。それだけのことだった。

 

 「あー……。リヴェリア、もうそないに考え込まんでもえぇで。

 アイズたんも、考える意味ないからもう忘れとき。

 今回の件、うちらに非はない。あの色ボケドアホ女神がヒスおこしただけや。」

 

 「どういうことだ?」

 

 「まぁ、ドチビんとこの奴らを狙っとるっちゅうわけや。」

 

 「それこそ心配ではないか!まだあの子はレベル1だぞ?!」

 

 リヴェリアはガタリと音を立てて立ち上がった。

 ロキは、その慌てふためく様子をニヤニヤと見つめた。

 リヴェリアは、何か言いたげなロキをにらみつけた。

 

 「何だ。何が言いたい。言ってみろ。」

 

 「いや、ウチは奴らとしか言ってないのに、ママは一人の男にご執心ですなぁ、と。」

 

 「んなっ?!」

 

 ロキは、顔を真っ赤にするリヴェリアを堪能した。

 少し前までのロキなら、血反吐を吐いてアルに呪詛を浴びせていただろう。

 しかし、ロキは上級者(変態)だった。

 「ママがショタに惑わされる、アリやな。」

 酔っぱらっていたときに、ロキは吹っ切れた。

 どうせ違うファミリア間で恋愛なんてできやしない。

 長命のリヴェリアとではアルは連れ添う事なんてできやしない。

 なら、今はこれはこれで楽しんでもいいんじゃないかという境地に至ったのであった。

 

 「しっかし、あの色ボケ何をおっぱじめようとしとるんやろうか……。」

 

 ロキは隣で今にも爆発しようとしているリヴェリアから現実逃避しながら、フレイヤの思惑に思いを馳せた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「フレイヤ様、失礼いたします。」

 

 「オッタル、待っていたわ。首尾はどう?」

 

 「ミノタウロスの強化種と、イレギュラーを調教いたしました。今は檻に入れて保管してあります。」

 

 「そう、偉いわオッタル。ベルもアルも、あなたくらい素直なら良かったわ。

 ベルは私以外の女と遊んでばかり。アルも忠義を尽くす相手を間違ってる。

 ねぇ、そう思うでしょう?」

 

 「フレイヤ様より美しい方も、忠義を尽くすべき相手も、この世には存在いたしません。」

 

 「それは天界でもかしら?」

 

 「当然のことです。」

 

 「ふふ、オッタル。あなたはとっても素敵よ……。」

 

 美の女神の戯れが、じわりじわりと二人に襲い掛かろうとしていた。

 身勝手な愛、自分本位な恋ほど恐ろしいものはない。

 たとえ愛があるとしても、その行いはいつだって独りよがりなのだから。





 連装式クロスボウ

 リリルカ・アーデが作り出した 連装式のクロスボウ

 小型で威力はないが アヴェリンと異なり

 矢を絡繰り仕掛けで 自動装填できる

 彼女の工作技能は 伊達ではない

 生き延びるのに必要なのは腕っぷしでも 名誉でもない

 知恵と 工夫なのだから


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第二十一話 英雄と騎士

 デスぺレート

 アイズ・ヴァレンシュタインのサーベル

 折れないという 強力な性質を持ち合わせている

 しかし 生まれついて折れぬ剣に 彼女は何を誓ったのだろう

 折れぬ剣なしに 彼女の心は 守れない


 

 襲撃があってから、アルとベルは一層訓練に力を入れた。

 ヘスティアを守るにしても力量が圧倒的に足りない。

 憧憬を追うためには、全くもって強さも速さもたくましさも足りない。

 そういった実力不足を、二人は実感したからであった。

 

 また、ベルはアルよりも焦りが出ていた。

 アイズがレベル6になったからだ。

 恋い焦がれる乙女の背中はより遠く、より高いところに離れてしまった。

 それなのに、アイズは自身に対して「すごい」だとか「どうしてそんなに早く強くなれるのか」と言ってくる。

 ベルはこれが情けなくて仕方がなかったのだ。

 寝込みにキスしたいなどという煩悩に襲われることもあったが、訓練中はずっと鬱屈とした気持ちに悩まされていた。

 

 アルはなんとなしにベルのそんな気持ちに気が付いた。

 最初はアイズとの訓練で嬉しかったことや楽しかったことを逐一報告してきたのに、黙って武器を見つめていることが増えれば誰だって異変には気づくだろう。

 それでも、アルはベルに対して何も言わなかった。

 自分で乗り越えなくては劣等感は拭えないし、なによりアルにも悩みがあったからだ。

 どうやってもマヌスに対しての恐怖が取り払えないのだ。

 圧倒的な死のイメージを前にして、アルはいつも動けなくなってしまう。

 前に進みたいのに進めないもどかしさが、アルをいつも以上に寡黙にさせるのであった。

 

 二人が気分転換に通りをただただ歩いていると、ベルに声をかけて腕に飛びついてくる女が現れた。

 

 「ベルさんっ!アルトリウスさん!」

 

 「うぇっ?!シルさん?!」

 

 「貴公も、随分と気に入られたものだなぁ……。」

 

 「会いたかったんです!お二人とも、お時間はありますか?」

 

 シルがベルの腕にすりつきながら、小悪魔のようなほほ笑みを作った。

 アルはそれを見て、絶対に面倒なことか自分たちに都合の悪いことだろうなと思った。

 短い付き合いだが、シルがこういう笑い方をするときは何かを企んでいる時だということぐらいは分かっていたのだ。

 だが、アルはその時点で諦めていた。

 なぜなら、どうあがこうともシルは上手いことベルを手玉に取ってしまうと思ったからだ。

 

 「なんで皿洗いなんですかー!」

 

 「まぁ、こんなことだろうとは思っていたよ……。」

 

 アルとベルは、豊穣の女主人の調理場に立っていた。

 目の前の流し台の上には何十枚もの皿やボウルが積み上げられていて、ベルの頭の高さくらいになっている。

 ベルが、その惨状に嘆いていると、シルが調理場の入口の影からひょっこりと顔を出した。

 

 「へへ、溜まっていたお仕事をサボ……いえ、休んでしまったらミアお母さんに叱られて、罰として……。」

 

 「僕たち完全にとばっちりじゃないですかぁ!!」

 

 「ベル、泣き言はよそう。普段弁当を作ってもらっている礼と考えれば、やれるだろう。」

 

 アルは、気持ちを切り替えて目の前の皿に手を付けた。

 いくらシルが都合よく二人を弄んでも。いくら弁当の味が悪い方向にとんでもなくエキセントリックであっても。

 シルは二人にとってかけがえのない「いい人」であることには変わりはないのだ。

 それだけでも、働く理由としては十分だった。

 

 「まぁ、何も考えなくていいからやろうかな……。」

 

 「ふふ、ならば今度は彫刻をやってみるといい。あれも存外無心になれるぞ。」

 

 ベルもまた、悩まなくてすむならそれでいいと仕事に着手した。

 それから二人が黙々と作業を続け、ようやく折り返し地点についたあたりで、リューがいつの間にか二人のそばに立っていた。

 

 「これほど進んでいるのにまだこんなに残っている。この量は凶悪だ。手伝いましょう。」

 

 「リューさん。」

 

 「有り難い。二人よりも三人の方が早く仕事も終わりましょう。」

 

 三人で皿洗いを進めながら、ベルがふとリューに話しかけた。

 

 「そういえば、リューさんは元冒険者なんですよね?」

 

 「はい、昔の話ですが……。」

 

 「どうやったらランクアップって出来るんですか?ただモンスターを狩り続けていたらいいんでしょうか?」

 

 リューは、皿洗いの手を止めてベルの目をしっかりと見つめた。

 ランクアップを夢ではなく、現実的な目標として捉えている真剣な眼差しだった。

 次にアルの顔を見上げると、黙ってはいるものの明確な答えを欲しがっていた。

 リューは、二人に真実を教えることにした。

 オラリオの冒険者の過半数をレベル1に押し留めている過酷なランクアップのルールを。

 

 「それだけでは足りません。神をも驚かせるような功績を上げる、具体的には強大な相手を打破することが必要です。」

 

 「なるほど。しかし、それでどうやって勝つのですか?恐怖に飲み込まれながらなおも戦って生き残ることが出来ますか?」

 

 アルはリューからヒントを得ようとしていた。

 圧倒的な強者たる、マヌスに対して立ち向かえる方法を探ろうとしていた。 

 

 「普通なら難しいでしょう。ですが、それを埋め合わせるのが技であり、駆け引きであり、何よりも勇気です。」

 

 「技と駆け引き……。」

 

 「勇気……。」

 

 二人は、今の自分の課題に直面したような気がした。

 ベルは、アイズに技と駆け引きが足りないと言われていたことを思い出していた。

 アルは、足を震わせてマヌスの前に呆然と立ち尽くす自分自身を思い起こした。

 弱点を、課題を乗り越えた先にランクアップがあるという現実が二人の目の前に突き付けられた。

 

 「とはいえ、それだけで勝てるものでもない。一般的にはパーティーを組みます。

 お二人はまだコンビ、パーティーというにはいささか少なすぎる。

 本当に強さを求めるのであれば、新たな仲間を見つけなくてはなりません。

 一人で敵わない相手でも、互いに弱点を補いあえば強大な敵を打倒せるようになるのです。

 お二人とも、ランクアップの条件は言い換えれば冒険するということです。

 人の数だけ、冒険があります。もし、お二人が冒険に直面したとき、その意味から逃げないでほしい。

 冒険者の求めるものは、冒険の先にしかないのだから。」

 

 アルもベルも、リューの言葉にひどく納得した。

 冒険から逃げない事。

 心折れずに立ち向かう事。

 二人の胸の内に新たな指標が生まれた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「今日でベルの早朝訓練も終わりだなぁ。」

 

 「うん。もうロキ・ファミリアの遠征が始まっちゃうから……。

 けど、まだアイズさんにようやく反撃出来る様になり始めたぐらいだよ。」

 

 翌日二人は、最後の早朝訓練を終えてホームでダンジョンに向かう準備を整えていた。

 鎧にプロテクター、ナイフに盾に大剣、各々が武具の手入れをしながら、訓練の成果を語る。

 あまり成長できていないと思って浮かない顔をしているベルを、アルはそっと撫でてやった。

 

 「貴公、そんな顔をするな。レベル6相手に反撃が出来る様になり始めた、紛れもなく快挙だ。

 特に、彼女は手加減が苦手なようだしな。」

 

 「そうかなぁ。アルはどう?何かつかめた?」

 

 ベルの質問に、アルは口ごもった。

 アルも成長はしていた。

 盾だけに頼りすぎない臨機応変な剣技も身に付き始めていた。

 なんとなくだが内なる火を感じることも出来始めていた。

 だが、肝心のマヌスへの挑戦だけは上手くいっていなかった。

 

 「うぅむ、ぼちぼちだな。以前より剣は上達した。したがな、それでもまだ肝心な部分がダメだ。」

 

 「そっかぁ……。けど諦めなかったら、いつかは必ず出来るよね。」

 

 「あぁ、そうだろうな。取りあえずは11階層進出、攻略を目標にやってみるとしよう。」

 

 準備を完全に終えた二人は、リリとの待ち合わせ場所に向かおうと地下室から出て行こうとした。

 その様子に気が付いたヘスティアは、不可解な二人のステータスを見るのをやめて引き留めようとする。

 

 「あっ、二人とも待つんだ!ステイタス!」

 

 「すみません、帰ってから見ますね!」

 

 「時間が押していまして、申し訳ない。行ってまいります。」

 

 ヘスティアは、出ていく二人の背中を見送りながら、なんだか嫌な予感を感じるのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 リリと合流して、三人は9階層まで下りてきていた。

 いつになく物静かなルームを歩いていると、ベルがどこからかのぞき見をしている輩がいるような違和感を訴えた。

 

 「なにか、視線感じない?ずっと誰かから見られてるような……。」

 

 「私は何も感じないぞ?」

 

 「リリもです。けど、この階層にはなんだか違和感を感じます。」

 

 三人は、立ち止まって辺りの音に耳を澄ませた。

 モンスターの鳴き声、断末魔。あるいは人の声や鎧のこすれる音。

 それらが一つもしない。

 ロキ・ファミリアの遠征のためなのかは分からないが、騒がしいはずのダンジョン内が静寂に包まれていた。

 

 「まるで、あの日の時のような……。い、いや大丈夫だ!」

 

 「いっ、行こうよ二人とも!」

 

 「あっ、はい!」

 

 アルの不穏な発言によって、ベルは身震いをした。

 アルもまた、5階層での大敗を思い出していた。

 死のイメージを振り払おうと、二人が空元気で前に歩き出し、リリがそれについていこうとした時。

 ここにいてはいけない存在達の声が遠く響いた。

 

 『ブォォォン……。』

 

 『ゴァアァァ………。』

 

 聞き覚えのある鳴き声とどこかおぞましい鳴き声の方へ咄嗟に振り向くと、三人は動きが固まった。

 赤い皮膚に、力強く天を貫くように伸びた、片方は半端にへし折られている二本角。

 片手には巨大な片刃の剣を持ち、それを地面にこすらせながら重い足音を響かせて向かってくる。

 ミノタウロスの強化種が目の前にいた。

 

 そして、もう一体はアルだけが知っていた。

 山羊の頭蓋骨のような頭部をしたデーモン。

 両手に石の大鉈をもって、一歩一歩着実に進んでくる。

 最下層へと続く道に立ちふさがった今はもう滅びた種族、山羊頭のデーモンがそこにいた。

 

 「なんで9階層にミノタウロスと希少(レア)モンスターが?!逃げましょう、今すぐ!」

 

 リリは、敵うはずがない相手を前にして、逃走を提案した。

 恐怖と驚きによって動けない二人を強引にひっぱろうとして、なんとか意識を引き戻す。

 

 「お二人とも!死にたいんですかっ!!」

 

 リリが、叫びながら後ろにぐいと二人を引っ張った時、山羊頭のデーモンは行動を起こした。

 両手に握った大鉈をぐぐっと体をひねりながら後ろに引いていく。

 その姿を見たアルは、咄嗟に盾を構えた。

 その瞬間、山羊頭は思いきり鉈を石柱に叩き付けた。

 粉々に砕かれてつぶてとなった柱が矢のように飛んでいき、アル達を叩き飛ばした。

 

 「うぐゥッ!なんという馬鹿力ッ!」

 

 「リリはっ?!」

 

 「無事、です……っ。仮面は割れちゃいましたけど……!」

 

 何とか起き上がったリリは、顔を血で染めていた。

 アルが庇いきれなかった石のつぶてが仮面に当たり、砕けたからだろう。

 もしも仮面を着けていなかったら、リリの頭が砕かれていたに違いなかった。

 

 「リリ、逃げるんだ。ベル、すまんが赤いミノタウロスを頼む。」

 

 「分かった。リリ、生きてね。」

 

 リリを置いて、二人は決死の覚悟を決めた。

 リリの足ではどちらか一方を逃した時点で追いつかれてしまう。

 一人が囮になったとしても、抑えきることは出来ない。

 だから二人がかりで命がけで抑える、これしか思いつかなかったのだ。

 

 「い、嫌です……!」

 

 「ちいッ、来るぞ!」

 

 「逃げろよ、リリぃ!」

 

 躊躇っている暇を与えてくれるほど、モンスターは優しくない。

 山羊頭も、ミノタウロスも、容赦なく距離を詰めてくる。

 焦ったベルが強い口調でリリに怒鳴った。

 リリは、二人の覚悟に触れて、涙を流しながら走り去っていった。

 

 『ゴォォォア!!』

 

 山羊頭の右腕が、筋肉がきしむ音を立てながら、力強く鉈を振るった。

 アルは、素早く盾を構えてそれを受けた。

 受けてしまったがゆえに、思いきり右に吹き飛ばされて、毬のように地面を転がっていった。

 それをがむしゃらに山羊頭を追ったことで、ベルとミノタウロス、アルと山羊頭の一対一の構図が完成された。

 

 ベルは、素早さだけならばミノタウロスと互角だった。

 意地汚く、みっともなくひたすら避けて避けて避け続けた。

 アルも、山羊頭の攻撃をかろうじて一撃だけなら盾受けできた。

 左腕はビリビリとしびれ、何度も何度も地面に転がされながらも耐え続けた。

 

 しかし、ベル側で状況が一変する。

 ミノタウロスが地面に大刀を叩き付けたことで、砂埃が舞った。

 そしてその砂埃に気を取られた一瞬で、ベルは手痛い一撃を受けてしまった。

 ミノタウロスの持つ武器に気を取られて、角という原始的な武器を忘れていたのだ。

 ベルは、左腕を緑のプロテクターごと貫かれたのだ。

 

 「ぐうぁぁぁぁっ!!」

 

 「ベルッ?!しまっ、ゴブァッ!!」

 

 ベルの悲痛な叫びにアルはそちらに意識を割いた。

 しかし、アルが盾受け出来ていたのは、しっかりと構えて体勢が整っていたからだ。

 甘い構えに気づいた山羊頭は、二本の鉈を思いきり振って、アルをルームの真反対、ミノタウロスがいる方の壁まで叩き飛ばした。

 轟音が鳴り響き、アルは前へ突っ伏した。

 ベルも、角で高らかにかかげられた状態から地面に叩き付けられて、地面に倒れる。

 

 「ベル様ぁっ!アル様ぁっ!」

 

 リリが血を垂れ流しながら必死に連れてきた希望が、金色の風が、二人の前に降り立った。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインがそこに立っていた。

 

 「待ってて、今助けてあげるから。」

 

 その一言、その優しいたった一言が、ベルの砕け散った心に灯をともした。

 また助けられるのか、立ち上がらなくていいのか。

 このままで、アイズの隣に立てるのか。

 男としての矜持が、英雄を目指す魂が、救いを拒んだ。

 ベルは、震えながら立ち上がってアイズの腕を引いた。

 

 「いかないんだ……。

 もう、アイズ・ヴァレンシュタインに助けられるわけにはいかないんだ!」

 

 爛々と赤く燃え滾るような目に、アイズは引き込まれた。

 あふれ出す闘志に、一瞬目が離せなくなった。

 ベルは、そんなことは知らずに、未だ倒れ伏したままのアルに声をかけた。

 

 「いつまで、寝てんだよっ、アルっ!強くなるって約束!

 今ここで高みに手を伸ばさなくちゃダメなんだよ!

 起きろっ、アルトリウス!深淵歩きを継ぐアルトリウスっ!」

 

 ベルは、背中が熱くなっていく気がした。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「あぁ、どうやら私は負けたようだな。」

 

 気絶したアルは深い闇の中の遺跡にごろりと大の字で寝ていた。

 もう何度感じて震えたか分からない、マヌスの気配が強くなってくる。

 いつもなら震えながら剣を構えているのに、起き上がる気力すらなかった。

 

 「はは、現実の死が目の前に迫れば、お前と戦おうという気すら起きないな。」

 

 アルは半ば諦めの境地に達していた。

 自分が死に、ソウルがマヌスに取り込まれてしまったらどうなるか、想像できないわけではない。

 アルの体はマヌスのものになり、化物となって闇をばらまくだろう。

 それでも、アルは心が折れかけていた。

 

 しかし、どんどんと背中が熱くなっていく。

 背中に刻まれた炎の、ヘスティアのエンブレムが、神聖文字(ヒエログリフ)が熱を持っていく。

 ベルとの誓約が、ベルの叫びが、強くなれ、強くなれと訴えかける。

 立って戦えと怒鳴ってくる。

 

 「ベル、いくら望んでも、深淵の力を扱う事すら出来ん私には奴は倒せまい。

 あぁ、私に真の死の恐怖を与えた山羊頭のデーモンよ。私はお前の方が恐ろしい。

 だがベルよ、貴公との誓い果たせぬことが我が最大の恥辱、悔恨となるだろうなぁ……。」

 

 しかしアルは、諦めの境地に踏み入ったことで、一つの事に気が付いた。

 今、自分はマヌスよりも山羊頭のデーモンが恐ろしいと。

 死が恐ろしいと。

 そして死を恐れて諦めて、誓いを果たせぬ自分が何よりも悔しいと。

 その気づきが、心折れた先で見出した思いが、限界を突破する力を生み出した。

 

 「……なれば、マヌスなど恐るるに足らんな。

 いや、そもそも死がなんだというのだ。

 誇りを失うことの方がよっぽど恐ろしいことではないか。

 誓いを果たせぬことの方が、情けないに違いない。

 あぁ、そうだ私はヘスティア様にも誓ったのだ。」

 

 アルは、寝転がるのをやめて起き上がった。

 眼前にはマヌスが迫っている。

 だというのに、なぜかアルは笑っていた。

 

 「ははっ、死ねない誓いと強くなる誓い。

 どちらも果たそうではないか。

 死んでも死なぬ不屈の闘志をもって、高みに至ろうではないか!

 死にながらでも、私は勝つぞ!

 あぁそうとも!不死の英雄のようにな!!」

 

 アルは力強く聖剣を握った。

 そして、マヌスの顔面に思い切り突き立てた。

 お前など怖くはないと、からからと笑いながら。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「ははは……。何、大したことではなかったな、待たせた。」

 

 「アル……っ!」

 

 意識を取り戻したアルは、剣を地面に突き立てて立ち上がった。

 ベルは、アルの再起に歓喜した。

 もっとも信頼する仲間が、共に戦ってくれるのだから当然だろう。

 アルは周囲を見渡して、状況を確認した。

 アイズを警戒して距離を取っている強敵二匹に、ロキ・ファミリアの面々とリリがいる。

 そして、心配そうに自分を見つめるリヴェリアを見つけた。

 

 「眼前には敵そして傍には姫君、か。まるで英雄譚だな。

 ベルよ、こういう時貴公の大好きなアルゴノゥトならなんという?」

 

 ゆっくりと立ち上がって変なことを言い出したアルに対して、ベルは少し笑ってしまった。

 だが、自分の大好きな英雄も笑っただろう。

 ベルは自分の行動に満足して、アルに答えた。

 

 「かくして『役者』は揃った!好敵手達よ!

 いざ、我らの『英雄譚』を始めよう!」

 

 「ふふ、ならば私は私の役を演じよう。『騎士』を演じよう。

 心折れてなお、立ち上がる騎士を演じよう。折れた聖剣を携えて、戦おう。」

 

 アルとベルは、アイズたちの前に立った。

 煌々と猛々しく燃え盛る闘志を胸に抱いて、姫達の前に立った。

 ミノタウロスも、山羊頭のデーモンも、今か今かと待ちわびていたように武器を構えた。

 

 「僕は、今日冒険をする。

 だからカミサマ、力を貸してくださいっ!【フレアアームド】!」

 

 ベルは聖火の黒剣(ウェスタ・ブレイド)を構えて、魔法を唱えた。

 ベルの体から、白い焔が沸き上がる。

 鎧を焦がし、服を突き破って、焔が太陽のように真っ白く輝き始める。

 

 「我が神よ、我が内に眠る英傑達よ。

 未熟な私にその火を熾すことを許したまえ。」

 

 アルはそう呟いて、自身の眼前に聖剣の刀身をかざした。

 顔の半分を剣に隠し、聖剣に語り掛ける。

 

 「お前も、負けたままではいられないだろう。もう折れたくないだろう。

 さぁ、行こう。あの敵を滅ぼそう。我が聖剣よ、もう一度力を貸してくれ。

 幾億年の眠りから覚めて、勝利を掴もう。」

 

 アルの体から闇が、炎が溢れ出す。

 ぱちぱちと薪が燃え上るような音を立てて、アルの体から残り火が立つ。

 渦を巻くようにして、アルの体を闇が纏っていく。

 段々と炎が黒く染まっていき、ベルと鏡合わせのような黒炎がごうごうと燃え滾っていた。

 そして、アルが眼前に構えた聖剣から闇が取り払われていき、徐々に青白い光を発し始める。

 アルがもっと強く、もっと激しくと念じるとその刀身がより青く輝き始めた。

 深淵に飲まれた聖剣は、ついに本来の姿を取り戻した。

 アルトリウスのソウルと意志を継いだ者がついに為しえたのだった。

 

 「綺麗……。」

 

 アイズがそうぽつりと呟いた。

 その場にいた誰もが、幻想的で神秘的な冒険譚の一場面と見間違えた。

 どこまでも白く優しい焔と、どこまでも黒く勇ましい炎がダンジョンで燃え盛ったのだ。

 

 そのまま、二人が真っ直ぐに己が宿敵に向かっていく。

 宿敵たちもまた、強くなって戻ってきた敵に猛然と迫っていく。

 助けに来たロキ・ファミリアのだれもが、そしてリリですらそれを止めなかった。

 彼らの役は「観客」と「姫」に過ぎない。

 「英雄」と「騎士」を与えられた二人だけが、戦う権利があるのだと無意識に悟ってしまっていた。

 

 ベルが縦横無尽に駆け回って、ミノタウロスを削っていく。

 持ち前のスピードで、ミノタウロスの剣をかわしながら表皮を焼きながら断ち切っていく。

 しかし、それでは致命傷に至らない。

 分厚いミノタウロスの皮は、聖火の黒剣(ウェスタ・ブレイド)であっても切りにくいのだ。

 すれ違いながら切っているだけでは殺せない。

 

 「オォォォッ!!」

 

 アルは山羊頭と一進一退の攻防をしていた。

 アルが切りつけた隙を山羊頭が狙い、それをかわしながらカウンターを入れていく。

 しかし、ベルの武器ではミノタウロスを倒すには至らないことに気づいたアルは、勝負を仕掛けた。

 雄たけびを上げて、低く低く地面に滑り込む。

 盾を地面に叩き付けながら山羊頭の左足を軸に回転し、その膝の裏を剣で切りつける。

 不死隊の剣技を、今ここで用いたのだ。

 

 『ゴァッ?!』

 

 「ゼァァァッ!!」

 

 『グガァァァッ?!?!』

 

 膝の裏を切られたことで、山羊頭は一瞬バランスを崩した。

 その瞬間、アルは思いきり飛び上がった。

 そして、高さと回転を用いて山羊頭の肘から先を切り飛ばした。

 激痛に悲鳴を上げる山羊頭をよそに、アルは空中に刎ね飛ばされた腕を掴んで、目的のものを手に入れた。

 

 「ベルッ、使えッ!」

 

 アルはデーモンの大鉈をベルの方向に投げた。

 回転しながら飛んでくるそれを、ベルは遠心力を殺さずに掴み、その回転をもってミノタウロスの大刀に叩き付けた。

 ミノタウロスの大刀だけが砕け散り、破片がそこらに散らばる。

 ベルは重くて腕では振れないそれを、脚力によって生み出されたスピードで巧みに操る。

 大きな動きになるが、武器を失ったミノタウロスを相手取るには十分すぎた。

 胸を、腹を、ずぱずぱと切り裂いて大きな傷を作り出すことに成功したのだ。

 

 『ブォォォ……!』

 

 『ガァァ……!』

 

 これが最後の一撃になると悟った二匹の獣は、最高の姿勢を取った。

 ミノタウロスは、両手両足をついて角による突撃の体勢に備えた。

 山羊頭は最後に残った大鉈を肩に担いで、必殺の一撃を放つ準備を整えた。

 

 アルも、ベルも、眼前の敵が備えたのを見て決死の覚悟を決めた。

 アルは、先ほどの回転切りで盾の留め具が外れ盾を失っていた。

 しかし、山羊頭相手に盾受けするのは愚策だと思い知らされていたアルは、ククリナイフを腰から引き抜いた。

 聖剣を真っ直ぐに山羊頭に突き付け、逆手に持ったナイフを柄頭に沿わせるようにした構えた。

 狙うはパリィ、ナイフによるパリィのみ。

 

 ベルも、大鉈を捨てた。

 最速で突っ込んでくるミノタウロス相手には、渡り合えないからだ。

 聖火の黒剣(ウェスタ・ブレイド)を構えて、それに白い焔をありったけ纏わせた。

 相手が最速で来るならば、こちらも最速で戦う。

 角で突いてくるならば、剣で貫き返す。

 ベルの構えは意地と矜持の構えであった。

 

 『ブォォォッ!!』

 

 ミノタウロスがベルに突っ込んでいく。

 ベルも白い光を後ろに残しながら、前へ駆けていく。

 ベルはミノタウロスの角に、剣を叩き付けた。

 そして、その力を受けてベルの体は角を軸に回転する。

 ベルは計画通り、その力を跳躍に用いた。

 今までのどんなときよりも高くベルは飛び上がった。

 視界からベルが消えたことで、ミノタウロスは一瞬ためらいを見せた。

 それが、生死を分けることになった。

 

 「おりゃあぁぁぁぁっ!!」

 

 落下致命攻撃、それがミノタウロスを襲った。

 ミノタウロスは、ベルに首を思いきり貫かれて血を吐き出した。

 しかし、まだ死ななかった。

 目の前の白い敵を打ち滅ぼそうと腕を動かそうとした。

 

 「プロミネンスバーストぉっ!」

 

 しかし、それよりも早くベルの焔がミノタウロスの中で爆ぜた。

 行き場を失った爆炎は、ミノタウロスの傷口を吹き飛ばす。

 ベルはそのまま何度も叫んだ。

 自身に勇気を与えてくれる魔法を。

 英雄になることを望んで得た力を。

 最後にミノタウロスは上半身を消し飛ばされて、灰と化した。

 ベルは、ミノタウロスに勝利した。

 「英雄」を全うしたのだ。

 辛く苦しい戦いを、ベルは勝ち残った。

 

 『ガァァ!!』

 

 「ここだァッ!!!」

 

 アルもまた、山羊頭と雌雄を決さんと飛び出した。

 山羊頭が、アルを叩き潰さんと大鉈を振り下ろす。

 アルはそれを待っていた。

 渾身の力で、左手に握りしめたナイフを横に振るった。

 ナイフが砕ける音を立てながら、山羊頭の渾身の一撃をはじき返すに至る。

 すぐさま、アルは折れた刀身を山羊頭の目に向かって全力で投げつけた。

 

 『ゴガァァッ?!』

 

 山羊頭は目をつぶされたことで、やたらに暴れるしかなかった。

 その隙にアルは闇を、火を強く強く引き出した。

 そして腰を落として、足に思い切り力を籠める。

 アルトリウスの剣技の最たるもの、尋常ならざる膂力を用いた一撃を、再現しようと。

 

 「ゼェァァァァッ!!」

 

 アルは山羊頭に向かって高く跳んだ。

 思い切り体をひねって青白く輝く聖剣を山羊頭の頭に上から叩き付けた。

 山羊頭が、真っ二つに割れた。

 そして断末魔を上げることなく、灰になった。

 

 それは静かな勝利だった。

 敗者が断末魔を上げることもなく、勝者が勝鬨を上げることもなかった。

 「観客」はただその勝利に圧倒されて声も出ず、「姫」達は「英雄」と「騎士」の後姿をただ見つめた。

 

 「立ったまま、気絶してる……?」

 

 ティオナは、天を仰いで立つベルが気絶していたことにようやく気がついた。

 少しずつ、その場にいた者たちが二人の方に近寄っていく。

 ベートは、ベルの背中が露出していたことに気が付いた。

 躊躇いもなく、ベートはリヴェリアにあることを要求した。

 

 「おい、アイツのステータスは?!」

 

 「私にのぞき見をしろと?」

 

 「いいから見ろってんだ!」

 

 呆れたリヴェリアは、ベルの背中に刻まれた神聖文字(ヒエログリフ)を読み解いた。

 そして、その驚くべき内容を読み上げた。

 

 「アビリティ……オールSS。」

 

 「嘘でしょ?!」

 

 ベルのステータスに、ロキ・ファミリアの一同が驚いた。

 アビリティは、基本的にSが最高の評価であり、それを超えることはない。

 そして、Sに至れるものは、才能があってかつそのアビリティに秀でたものだけだ。

 全てのアビリティを限界突破させられるような人間は、存在しないと言っても過言ではない。

 リヴェリアはその秘密を探ろうと、もう少しだけ読み解こうとした。

 しかし、それを止めようとするものがそっとリヴェリアの肩に手を置いた。

 

 「それ以上は……。それ以上は、ご遠慮願おう……。

 いくら、貴方であっても……。」

 

 「お、お前っ。その傷で動けたのか?!」

 

 アルは、身に余る力を引き出した反動で全身から血を垂らしていた。

 山羊頭のせいで左腕は骨が折れている。

 それでも、友のためにボロボロの体を引きずってベルをかばったのだ。

 

 「がふッ……。ベート・ローガ殿。

 我が友は、ベル・クラネルは雑魚などではない。

 撤回を……。今こそ、あの時の言葉を……!」

 

 アルは血を口から垂らしながら、ベートに問うた。

 侮辱の撤回を、栄誉の承認を求めた。

 ベートはじっとアルをにらんだ。

 そして、呟いた。

 

 「……撤回だ。こいつはトマト野郎じゃねぇ。兎野郎に格上げしといてやる。」

 

 「くく……。はは、はははっ!

 あぁ、今日は良き日だ。ベル、貴公はついにやったのだ……。

 はは、本当に、頑張ったなぁ……。」

 

 アルは、ベートの言葉に満足して、前に倒れ込んだ。

 アルの前に立っていたリヴェリアは、アルの重い体を優しく受け止めた。

 ローブが血で汚れるのも気にせず、優しく抱き留めた。

 

 「おい、リヴェリア。そいつ貸せ。馬鹿ゾネス!

 手前ェらが落ちてるもん拾ってやれ!盾と角と鉈だ!早くしろ!」

 

 フィンは、珍しく救助活動を急ぐベートに驚きを隠せなかった。

 団員の動機を知るのも、団長の役目だ。

 フィンは微笑みながら、ベートに訊ねた。

 

 「珍しいね。君が人を助けるなんて。」

 

 「……これで三回目だからだ。」

 

 「何がだい?」

 

 「こいつは、酒場で俺に吠えた。それで一回。

 ガレスの爺相手に立ち上がりやがった。それで二回。

 今日、こいつは漢を見せた。三回だ。

 三回、こいつは俺の予想を裏切った。それだけだ。」

 

 ベートは気に食わないといった顔で、フィンを見た。

 フィンは、それを好意的に解釈した。

 この男は非常に面倒な性格(ツンデレ)だ。

 まだ弱いが、凄い男だからちょっとぐらい手を貸してやっている。

 そんなことも素直に言えない男なのだ。

 

 ロキ・ファミリア幹部は、フィンとティオネ以外は一時撤退を選択した。

 ベートがボロ雑巾と化したアルを担ぎ、リヴェリアは傷を負いながらも必死に助けを求めて走り回ってついに倒れたリリを優しく抱きかかえた。

 そして、疲弊しきったベルをアイズが背に抱え、やたらに重い二本の鉈とミノタウロスの角、そして大盾をティオナが運んだ。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「アイズ、お前は神ヘスティアを呼んで来い。他は遠征隊に合流だ。」

 

 「ったく、手間かけさせやがって……。」

 

 「ベートが一番先に運び始めたじゃん。」

 

 「うっせぇ馬鹿ゾネス!」

 

 ギルドの救護室に、怪我人を運び込んだロキ・ファミリアはリヴェリアを残して救護室から出ていく。

 リヴェリアは、アルが眠るベッドのそばに椅子を置いた。

 そして、安らかに眠っているアルの頭をそっと撫でた。

 

 「全く無茶な戦いをして、お前は本当に手がかかる……。

 お前は前もそうだったな。ミノタウロスに立ち向かったり、トラブルに突っ込んだりと……。別のファミリアだというのに、お前の無事が気になって仕方がない。

 聞こえてはいないだろうが、もう二度と私を困らせるなよ?

 恩を返すと言ったではないか、それまでは決して死ぬな。」

 

 リヴェリアは、眠るアルに説教を垂れていた。

 とても心配したからだ。

 リリに導かれてたどり着いたとき、アルは突っ伏していた。

 それを見ただけで肝が冷えた。

 立ち上がってくれたから良かったが、アルの最後の攻撃はあまりにも無茶が過ぎた。決死のパリィをしたときは、心臓が止まってしまうかもしれないと思ったほどだった。

 何故だかわからなかったが、リヴェリアはそんな戦い方を二度として欲しくなかったのだ。ありったけ説教を垂れた後に、リヴェリアは優しく微笑みながら、本当に言いたい言葉を呟いた。

 

 「ふふ、だが今はこう言うべきなのだろうな。

 よく、頑張った。それに、勇ましくて、なかなか格好良かったぞ……。」

 

 そうして、気恥ずかしい言葉を述べていると、こんこんとドアが鳴った。

 リヴェリアは立ち上がって、ドアを開けた。

 そこには、アイズとヘスティアがいた。

 

 「連れて、きた。」

 

 「事情は大体聞いたよ。君たちにはお礼を言わなくちゃいけないね。」

 

 部屋に入るや否や、ヘスティアはそう言った。

 しかし、リヴェリアは、ヘスティアの言葉に首を横に振った。

 彼らは紛れもなく、英傑だったからだ。

 

 「我々はここに運んできただけだ。彼らは、彼ら自身の力で切り抜けた。」

 

 「……そうか。それでも、ありがとう君たち。」

 

 ヘスティアは、アイズとリヴェリアに頭を下げた。

 大好きな眷属たちが無事に帰ってこれたのは、紛れもない彼らのおかげだからだ。

 そっと涙を流しながら、ヘスティアは笑った。

 そして、リヴェリアに声をかけた。

 

 「すまない、少しだけ時間をくれないかリヴェリアくん。

 少しだけ君と話がしたい。」

 

 「承知した。アイズ、先に行ってくれ。」

 

 「……分かった。」

 

 アイズは、そっと救護室から出て行った。

 暗い部屋の中で、ヘスティアとリヴェリアだけが対面していた。

 

 「単刀直入に聞きたい。君は、アルくんのことが気になってたりするかい?」

 

 「っ、それはどういう意味だ……!」

 

 「ふふ、その反応で大体わかったよ。

 君は、アルくんのことがちょっと気になってるみたいだね。」

 

 ヘスティアは、すやすやと眠るベルとアルに駆け寄って、二人の寝顔を眺めた。

 可愛らしい寝顔に心癒されて、またリヴェリアの方に向き直る。

 

 「リヴェリアくん、どうか後悔しないでほしい。」

 

 「先ほどから何を言っているかさっぱりだな……。」

 

 「いや、結構本気さ。アルくんは、これから酷い運命に囚われるだろう。

 悲しいけど、それが現実なんだと思う。ベルくんとは根本的に違いすぎる。

 何がどう転んだとしても、アルくんの先に待っているのは恐ろしい何かだ。」

 

 ヘスティアは、とても悲しそうな顔をした。

 出来ることならば、二人にずっと笑っていてほしい。

 だが、そうはいかないのだ。

 だってアルは得体のしれない化物に等しいからだ。

 深淵をコントロールし始めたところで、それは何一つ変わらない。

 

 「ボクはこの子たちの神だ。たとえ何があろうとも、愛し続ける覚悟がある。

 けど、正直ボク一人だけでこの子たちが迎える悲しみを慰めてやれるとは思えない。だから、もし君がアルくんのことが好きなんだったら……。

 出来る限り、信じてあげてくれ。

 そして、悔いが残らないように生きてほしいんだ。」

 

 ヘスティアは真摯にリヴェリアに伝えた。

 いつもなら、眷属に女の影アリと知れば怒り狂っているのに、冷静だった。

 アルとリヴェリアの幸せのためだった。

 いつか、アルが人も、神も、世界を敵に回したとしても傍で支え続けてやれる人がいて欲しい。

 そして、アルを愛したい人がいるのであれば、生半可な道ではないことも伝えたい。

 そういう真心であった。

 

 「……参考にはさせていただこう。」

 

 「君は素直じゃないねぇ。

 そうだ、今日くらいはアルくんの頭を撫でてやってもいいんだぜ?特別だ!」

 

 ヘスティアは、アルのベッドのそばに置かれた椅子をぽんぽんと叩いた。

 最初に部屋に入った時に気が付いていたのだ。

 不自然におかれた椅子の存在に。

 ヘスティアはニヤニヤと笑ってリヴェリアを見つめた。

 リヴェリアは顔が熱くなってくる気がした。

 

 「……もう私は行く!」

 

 「いいんだね?今日という日は二度とこないよ?」

 

 「その代わり、伝えておいてくれ。『無茶はするな』と。」

 

 リヴェリアが背を向けても、長い耳が真っ赤に染まっているのが丸わかりだった。

 ヘスティアはそれをみて、くすりと笑った。

 恋やら愛には無自覚な男を気に掛ける面倒で初心な女。

 負けるつもりは毛頭ないが、愛のライバルとしては悪くないと思った。

 

 「分かった、伝えておくよ。」

 

 リヴェリアは、その答えを聞いて戸を開けてダンジョンへと向かった。

 遠征前だというのに、顔の火照りは中々収まらなかった。

 心の中で、今なおぐっすりと眠る大男に毒づきながらダンジョンの下へ下へと向かうのであった……。




 古き深淵の聖剣

 最後まで主と共にあり続けたがゆえに 深淵に飲まれた聖剣

 悠久の時を経て ついに主のソウルとまた巡り合った

 一度折れたがゆえに もう二度と折れることはない

 勝利のために 主の敵を切り倒すのだ


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第二十二話 神々と王と二つ名

 王と主神の密約

 白磁の巨塔によって怪物たちが大穴に封じられたとき

 火と雷と結晶をもって巨塔を落とさんとした王がいた

 神は王に願った 人の拠り所を奪わないでくれと

 王はそれに応え ある密約を交わした

 時来たらば御子を送ると その御子が役目を果たすと


 

 「全く!なんて無茶をしたんだい君たち!」

 

 「本当です!リリがどんな気持ちでロキ・ファミリアの人たちを連れてきたと思ってるんですか!途中で見惚れちゃいましたけど、わざわざ強敵に立ち向かうことはなかったんですよ!」

 

 一日眠り続けて、アルとベルはようやく目が覚めた。

 むしろ、重傷を負ったアルが一日で目覚めたのは奇跡ともいえよう。

 二人がホームに帰ると、リリとヘスティアにしこたま説教を食らうことになった。

 

 「面目ゴザイマセン……。」

 

 「す、スミマセンデシタ……。」

 

 久々に、二人は一緒に縮こまることになった。

 もう説教を受け始めて数時間は経過し、正座している足も限界が来ていた。

 とっくの昔にそれに気が付いていたヘスティアは最後に溜息をついて、アルに伝言を伝えた。

 

 「アルくん、君が『尊敬している』リヴェリアくんからの伝言がある。」

 

 「おぉ、リヴェリア……さんからですか。」

 

 「『無茶はするな』ってさ。ベルくんも、くれぐれも無理はしないように!」

 

 アルは、リヴェリアからのメッセージをしっかりと受け止めた。

 ベルもまた、今度こそは無茶はしないと誓った。

 そうして二人が姿勢を崩したところで、ヘスティアとリリは笑った。

 

 「ヘスティア様、これでベル様とアル様はランクアップということになるんですか?」

 

 「あぁ、間違いないと思うよ。

 格上殺し(ジャイアントキリング)は最も神を驚かせる偉業だからね。

 サポーターくん、今後とも二人のお目付け役を頼んだよ。」

 

 「はい!では、リリは失礼しますね。」

 

 リリが二人の成長を喜びながら、ホームから出て行った。

 その背中を見送って、もう遠くへ行ったことを確認してから、ベルとアルは飛び上がった。

 

 「やったよアルぅ!これで僕たちレベル2だよ!」

 

 「はっはっは!そうとも!我らは成し遂げたのだ!

 太陽万歳!ヘスティア様万歳ッ!!」

 

 感極まったアルがいつものようにベルとヘスティアを抱き上げてぐるぐると振り回す。三人は高らかに笑った。

 今日というめでたい日をぐっと噛みしめながら、絆を深めあった。

 

 「さて、アルくんが落ち着いたところでランクアップ!と行きたいんだけれどそうもいかない。」

 

 「えぇっ?!さっきの感動は?!」

 

 「まさか、主神から『騙して悪いが』を実行されるとは……。」

 

 最後のステイタスの更新を終えたヘスティアの一言に、二人はあからさまにがっかりした。

 ど派手に祝ったのに肩透かしをくらっては捨てられた子兎と大犬のようになろう。

 ヘスティアはそんな二人の頭を優しく撫でて、話をつづけた。

 

 「発展アビリティを決めなくっちゃ!」

 

 「発展アビリティ……ですか。」

 

 「うん。君たちがランクアップまでに培った経験値(エクセリア)がアビリティとして発現できる。まずはベルくんのから教えよう!」

 

 ベルはわくわくとしながらヘスティアの発表を待った。

 ヘスティアはちょっとタメてから、大きな声で発表した。

 

 「【狩人】と【幸運】だよ!ボクとしては【幸運】をオススメするね!」

 

 「へぇ……。【幸運】って、どんな効果なんですか?」

 

 「一番近いのは【加護】だろうねぇ。

 まぁざっくり言えば誰かに祝福されているような運を得られるってとこかな?」

 

 「迷ったならエイナ殿に相談というのも悪くないぞ?」

 

 「そうだね!で、アルはどんな発展アビリティなんですか?」

 

 ヘスティアは、少し苦い顔をした。

 アルの発展アビリティは不可解ではあるが、妙に嫌な予感がしたからだ。

 つくづく、ベルには祝福が、アルには呪詛が振りまかれているのではないか、とヘスティアは疑った。

 

 「アルくんは、【狩人】と【薪】だ。

 アルくんの話を聞く限り、【薪】よりも【狩人】の方がいいと思うなぁ……。」

 

 「いえ、【薪】にいたしましょう。」

 

 「選んでほしくない方をっ?!」

 

 「【薪】はある意味では誉れです。

 辛く苦しい道になることは確かでしょうが……。」

 

 「じゃあなんで選ぶんだい?」

 

 「それが、私の持つソウルに与えられた使命だからです。」

 

 アルの覚悟を決まった顔を見て、ヘスティアはそれ以上どうこう言うのはやめた。

 主神として、眷属の決定は尊重するのが正しいというのがヘスティアの基本的な考え方だ。

 過酷な道と知ってなお歩むというなら、それを止めることは出来なかった。

 ヘスティアは苦笑いをしながら、黙ってアルの頭を撫でた。

 

 「しょうがないなぁ。よし、今日のところはこれで終わり!

 明日はアドバイザーくんに報告してくるんだ。」

 

 「はい、わかりました!」

 

 「ならば食事の支度をいたしましょう。実はとても腹が減っていたのですよ。」

 

 三人は、日常へと戻っていった。

 ヘスティアは二人が真逆の運命に生まれつきながらも、よく支えあって生き抜いていくことを願いながら、その日を過ごした。

 ベルは憧憬に近づいたことに歓喜しながら、自身の更なる成長を夢見て眠りについた。

 アルは【深淵歩き】の遺志をわずかながら達成できたことをかみしめながら、リリの仮面の修復に残った時間を費やした。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「たった一か月半で二人同時にレベル2ぅ?!?!」

 

 翌朝すぐ、エイナの大声がギルドに響き渡った。

 ギルド職員は「またあのコンビのことか」と、エイナの叫びをスルーしようとした。

 しかし、一瞬でエイナの方を振り向いた。

 それもそのはず、アルとベルのランクアップは超レアケースだからだ。

 まず、二人同時にランクアップだが、かなり少ないがないわけではない。

 パーティーを組んで強敵を倒した際に、運よく同時にランクアップというのはたまにあるのだ。

 

 しかし、一か月半でとなると話が違う。

 「世界最速記録」なのだ。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインでさえランクアップに一年を要し、それでも世界最速記録だった。

 それを大幅に塗り替える記録ともなれば、注目を浴びてもおかしくはなかった。

 

 「チュール、またお前か!最近の勤務態度は目に余るぞ!

 むむ、もしやその背の高い男、【街の騎士(ナイト・オブ・ネイバー)】か?」

 

 「え、えぇはい。ランクアップしたとかで……。」

 

 アルとベルは同時に首を傾げた。

 なにやら、妙な称号が耳に入ったからだ。

 アルの事を表しているらしいが、アルはランクアップした冒険者が神から与えられる【二つ名】をまだ貰っていない。

 それがどうにも不思議だったのだ。

 

 「あぁ、えっとね?

 アルくんは【街の騎士(ナイト・オブ・ネイバー)】って非公式に呼ばれてるの。ほら、祭でね。」

 

 「あぁ、なるほどそういう事でしたか。」

 

 アルはつい先日露店の店主に大変感謝されたことを思い出していた。

 街の人から愛されているからこそ、アルには愛称が付けられていたのだ。

 そしてそれはベルも例外ではない。

 

 「それに、ベルくんだって【女神の英雄】とか【兎戦士】とかいろいろ呼ばれてるんだよ。」

 

 「へへへ……。」

 

 アルとベルは顔を見合わせてニヤニヤと笑った。

 この調子ならかっこいい【二つ名】が付きそうだと思ったからだ。

 そうやって二人の世界に入り込んでると、エイナを怒鳴りつけた男が二人に声をかけた。

 

 「おっほん。私はギルド長、ロイマン・マルディールだ。」

 

 「おぉ、お会いできて光栄です。いつも大変お世話になっております。」

 

 「えぇっと、ギルドのおかげでダンジョン探索が出来ています。

 あの、ありがとうございます!」

 

 アルとベルがそろってロイマンに向かって頭を下げた。

 これがロイマンの自尊心をいたく刺激した。

 

 ロイマンという豚のように太ったエルフは自身とギルド、そしてオラリオの名声を高めることに執心している。

 だからこそ、野蛮な冒険者は軽蔑するし、エルフ特有の選民思想も相まってかなり傲慢なのだ。

 そんな男が礼儀正しい冒険者に出会えば調子に乗るのも当然と言えた。

 

 「がっはっはっは!!そうだろうそうだろう!ギルドこそがオラリオの要なのだ!

 して、【街の騎士(ナイト・オブ・ネイバー)】、ランクアップは本当かね?」

 

 「は、はい。ランクアップいたしました。」

 

 「ふん、ならこれをホームに帰ったらすぐに読むのだ。」

 

 ロイマンは胸元から便箋を取り出した。

 豪奢な装丁に正式な封蝋がされてある。

 エイナは、それを見てすぐにロイマン以上の存在、つまりギルドの主神からのものだと気が付いた。

 エイナの不安をよそに、アルはありがたそうにそれを受け取った。

 その手紙が、新たなる出会いの入口となるとも知らずに。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「はい、アルくんも終わり!これで二人ともレベル2さ!」

 

 ギルドから戻ってすぐ、二人はヘスティアの手によってランクアップされた。

 しかし、ベルはなんだか浮かない顔をしながら手を閉じたり開いたりしていた。

 あまり急激な成長らしいものを感じれていなかったからだった。

 それに気が付いたヘスティアは、くすりと笑った。

 

 「ベルくぅん、もしかして『ち、力が溢れてくるッ!!』みたいなの想像してたのかい?」

 

 「はい、それなりには……。アルはどうなの?」

 

 「私も正直拍子抜けといったところだな。」

 

 「まぁまぁ、今度ダンジョンに潜ったら違いが分かると思うよ?

 それと一つ朗報だ。ベルくんにまた新しいスキルが発現したよ。

 もういくつ出てきたとしても驚かないけどね!」

 

 ヘスティアはベッドから降りて、乾いた笑い声を上げた。

 規格外の二人の成長ぶりに慣れと呆れがきているようだった。

 アルは、そんな主神をどうしても憐れまずにはいられなかったのであった。

 

 「して、そのスキルとはどんなものでしょうか?」

 

 「ふふふ……これさ!」

 

―――

 

英雄疾駆(アルゴノゥト)

 

能動的行動(アクティブアクション)に対するチャージ実行権

・チャージ中の移動速度向上

 

―――

 

 「アルゴノゥト……。」

 

 「くく、貴公らしい。」

 

 尊敬する英雄と同じ名のスキルを得たベルが嬉しそうに顔をほころばせた。

 アルはそんなベルを見て、口元を抑えながら笑った。

 つくづくわかりやすく、人に好ましく思わせる男だとアルは改めて思った。

 

 しかし、ヘスティアは違う意味でニヤニヤと笑っていた。

 ベルがとてつもなく「男の子」なことが可愛くて仕方がなかったからだ。

 

 「ベルくぅん、スキルはその人の在り方を表すんだぜ?

 それがアルゴノゥト……。かぁわいいねぇ、ベルくん!

 いつまでたっても少年なんだね!」

 

 「なぁぁぁぁっ!カミサマのばかぁ!!」

 

 ベルの叫びが通りにこだました。

 夢見る少年であることを見透かされてしまうのは、恥ずかしいことこの上ない。

 アルは、静かに両の手を胸の前で合わせた。

 可哀想なベル、とひっそりとベルを憐れんだのであった。

 

 「さて、ボクはそろそろ行かなくっちゃ。」

 

 ヘスティアはベルをからかうのもそこそこにして、身だしなみを整え始めた。

 着ている服も、ヘスティアの持つ中で一番上等な物だ。

 パーティーやデートというよりも、その服装はむしろ礼服に近いと言えた。

 主神のいつもと違った様子に、アルは少し困惑させられた。

 

 「何かの行事……ですか?」

 

 「いいや、違うぜアルくん。ボクが今から行くところは神会(デナトゥス)

 君たちの【二つ名】を勝ち取るための戦場……かな!」

 

 妙に覚悟を決めたヘスティアの表情に、思わず二人は笑ってしまう。

 ヘスティアからすればそれこそ死地に赴くようなものだが、二人にはそれを理解することは出来なかったのだ。

 

 「よーし、行ってくるぞー!」

 

 「いってらっしゃいカミサマ!」

 

 「道中お気をつけて!」

 

 とにもかくにも主神の出発を見送った後、アルもまた外出の準備を始めた。

 その手にはロイマンから渡された手紙が握られていた。

 

 「あれ、アルどこにいくの?」

 

 「なに……少しギルドの主神のご尊顔を拝みにな。」

 

 アルは面白そうに少しだけ口角を上げるのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「……というわけです。」

 

 「報告ご苦労。」

 

 アルは、今ウラノスの眼前に跪いていた。

 そもそもウラノスが座す祈祷の間に冒険者が入るということが異常なのだが、それ以上にレベル2になりたての冒険者が直々に呼び出されたという状況が殊更異常であった。

 アルは、9階層で出会った新種のモンスター、山羊頭のデーモンについての説明をさせられていたのであった。

 

 「あの、神ウラノス。質問をさせていただくことは出来ますか?」

 

 「かまわん。申せ。」

 

 「新種のモンスターについての報告は、いつもこのように直々にお受けなさっているのですか?」

 

 ウラノスは一瞬口を開くのをためらった。

 本当はとある存在の願いを叶えるためであったが、その存在はまだアルには秘匿されなければいけなかったのだ。

 少し考えて、真っ当そうに聞こえる言い訳をウラノスは口にした。

 

 「……ダンジョンの秘密に関わりそうなモンスターに限ってはそうしている。」

 

 「なるほど、そういうわけだったのですか!」

 

 アルはその説明に簡単に納得した。

 ギルドの主神がダンジョンを鎮めるために祈祷を施しているというのは有名な話だ。

 その主神がダンジョンの秘密に関わりそうなモンスターの調査をしているのも自然といえた。

 

 そんな時、ウラノスは神会(デナトゥス)が荒れ始めているのを察知した。

 とある二人の規格外が、一人の女神のもとから同時に出たことが原因であった。

 ウラノスはこうなることを当然予想していた。

 だからすぐさまアルに指示を伝えた。

 

 「冒険者アルトリウス、バベルの30階に向かえ。」

 

 「……それは一体なぜでしょうか?」

 

 ウラノスの突然の指示に、アルはまた驚かされた。

 ウラノスは酷く落ち着いた様子でまた続けた。

 

 「ヘスティアにお前たちのランクアップについて不正の嫌疑がかけられている。

 ありえぬことだが……致し方ない。お前の口から説明すれば誤解も解けよう。」

 

 「分かりました。すぐに向かいます。本日はありがとうございました。」

 

 アルはすっくと立ちあがって、ウラノスに一礼し、背を向けて走っていった。

 完全に気配が無くなってから、ウラノスは暗い影に隠れた存在に声をかけた。

 

 「王よ、話を聞いてどうだった。」

 

 「間違いない。山羊頭のデーモンだ。」

 

 歪み果てた鎧を身にまとう騎士が、暗がりから姿を現した。

 圧倒的なプレッシャーを前にウラノスの額に汗が流れる。

 

 「ふふ、最下層の前に立ちふさがったあの忌々しい山羊頭を殺したか……。

 悪くない。使命を果たすには足りぬが、この地下迷宮を進む門出にはこの上ない勝利だ。」

 

 ウラノスの心配をよそに騎士は、いや灰は笑った。

 兜に隠れた口角を、僅かだが確かに上げていた。

 ウラノスは、灰がかつてバベルを破壊しようと、オラリオに降り立ったばかりの自身に会いに来た戦神とは到底思えなかった。

 そして、その灰の様子がウラノスを心配させた。

 

 「王よ。本当によいのか?」

 

 「遠回しな言い方をするな。

 それのせいで俺は幾度となく彷徨う羽目になった。あまり好かん。」

 

 「今のお前は神でも悪魔でもない。ただの父親だ。

 子供を使命のために消費できるのか?」

 

 灰は動揺を隠しきれなかった。

 灰の行いは、自身が神々にされてきたそれと同じであった。

 そして、それによって多くの友を失ってきたのだ。

 使命という言葉に踊らされて、ソラールもジーク一族も、気のいい奴ほど狂い死んでいった。

 しかし、それを知っていてなお灰は言った。

 

 「それでも、あの子は使命に駆り立てられるのだ。

 俺の血があの子を生み出したのだから。」

 

 「どういうことだ。」

 

 「我ら不死の灰は病人なのだ。

 運命に囚われ、使命に何もかも捧げ、人として死ぬことすらできん。

 そして、あの子は俺が俺の血によって生み出した。

 火守女ではなく、俺が作ったのだ。

 俺の血、病人の血はあの子に確実に流れているというわけさ。

 師の警句を忘れたわけではない。畏れた。我が業を畏れ、覚悟した。

 だが、この苦しみは紛れもない罰なのだ。我が子を死地に送り込むための道具に仕立て上げた怪物にはまだ足りぬかもしれんがな。」

 

 とても悲壮に満ち溢れた声であった。

 不器用で細やかな、父が子を憂う声色であった。

 それこそ、ウラノスに慰めの言葉を口にさせるほどに憐憫の情を抱かせた。

 

 「お前の責任ではない。私がこの世界のために無理をしてくれと頼んだからだ。

 古き理に生き、新しい理によってこの世界から排斥されようとしているお前にそうさせたのは私だ。」

 

 「たとえそうだとしても、あの子を生み出したのは俺だ。

 『器』の行方を調べなかったのも俺で、黒龍の鱗を滅ぼし損ねたのも俺なのだ。」

 

 「ではせめて、お前は父親としてどうしたいのだ。」

 

 「決まっているだろう。

 俺のようになる前に、人並みの幸せをこの地で見つけてほしいんだ。」

 

 灰は笑った。

 どうか今だけでも幸せになってくれと願いながら、微笑んだ。

 ウラノスも、目を閉じて少し頬を緩ませるのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「で、これがラスト二人なんやけど……。」

 

 ロキは神会(デナトゥス)の司会をしていた。

 各派閥のパワーバランスや、食人花の事件の黒幕の調査、様々な情報を収集するためであった。

 しかし、最後の最後に特大の胃痛の種がロキに降り注いでしまったのだ。

 

 (あのデカ男……。ランクアップしたはええけど流石に目立ちすぎやろ!

 どうやっても誤魔化しきかへん。ドチビに化かしあいは無理やし……。)

 

 ロキはかなり焦っていた。

 世界最速ランクアップというだけで、神々から狙われる可能性は高くなる。

 そしてもし、アルを狙う神が、何らかの方法で深淵の事を知ってしまったら、大抗争が始まってしまうかもしれない。

 恋愛のために全てを賭けられるフレイヤ、破壊と混乱を望む闇派閥(イヴィルス)たち、イシュタルを筆頭に敵対組織を潰したくてしょうがない神々。

 アルのために戦力を投入しそうな神はごまんといる。

 血で血を洗う暗黒時代が再び訪れるかもしれないと、ロキは本当に心配するのであった。

 

 「ヘスティア、もしかして抜け穴でも見つけたのかい?

 こんなに早く眷属(こども)をランクアップさせるなんてさ、そうとしか思えないねぇ。」

 

 早速、美の女神イシュタルがヘスティアに仕掛けてきた。

 イシュタル・ファミリアは長年フレイヤ・ファミリアと抗争状態にあり、フレイヤを叩き潰すための材料をいつも求めている。

 そのせいで少なくない冒険者が血を流してきたわけだが、抗争の理由が「フレイヤが自分より美しいと謳われるのが気に食わない」というのだから彼らが浮かばれない。

 このヘスティアに対する「かまし」も、神の力(アルカナム)の制限を出し抜く方法を知れるか、そうでなくともヘスティアを脅すことで二人を手に入れようというものであった。

 

 「そうだそうだ!流石におかしいぞ!」

 

 「チートなんじゃないのかぁ?!」

 

 「やだ、ずるはナシよ!」

 

 ぎゃあぎゃあとただでさえやかましい神会(デナトゥス)がおさまりが付かなくなる。

 司会のロキとて、簡単にヘスティアに助け船を出すわけにはいかない。

 犬猿の仲であると思われているヘスティアに、ほいほいと介入していけば勘のいい神には何か感じ取られてしまうからだ。

 

 「えぇっと、ボクは不正なんかしてなくて、二人が頑張ったからっていうか……。」

 

 「頑張ったからってランクアップできないんだよ!どれだけの冒険者がレベル1で燻ってると思ってるんだい。」

 

 「うぐぅ、それはそうなんだけどさ……。」

 

 当然、謀略にたけているわけでもないヘスティアは窮地に立たされた。

 しかし、思わぬところからヘスティアに救いの手を差し伸べるものがいた。

 

 『鎮まれ。』

 

 「んなっ?!ウラノス?!」

 

 そう、ギルドの主神ウラノスである。

 会議室にウラノスの声が反響し、そして神々はどんどん興奮していく。

 基本不干渉を決め込んでいるウラノスが口を出してくる。

 それだけで娯楽に飢えた神々は面白くなってしまうのだ。

 

 『ヘスティアは不正を犯していない。』

 

 「納得できないねぇ。」

 

 「そうだぁ!チート検出できなかっただけかもしれないだろぉ?!」

 

 「全くだ。」

 

 『では、そちらに送った参考人に話を聞くがいい。』

 

 ウラノスが言い切った途端に、扉をノックする音が響いた。

 そして、ヘスティアにとって聞き覚えのある低く快活とした声が聞こえてきた。

 

 「ヘスティア・ファミリア所属、アルトリウスにございます。

 神ウラノスの命を受け参上しました。

 入室の許可をいただきたく。」

 

 『ロキ、後は任せる。』

 

 「……しゃあない。入ってえぇで!」

 

 ロキは、もうどうとでもなれといった気持ちでアルを招き入れた。

 恐る恐る扉を開けてアルが入ってくると、すぐに跪いた。

 アルにとっては神聖不可侵な場なのだ。

 いつも以上に礼儀に気を使っている。

 

 「んじゃあウチが当てていくから話したいやつは挙手な!

 ほなスタート!」

 

 ロキが投げやりになっていると、誰よりも早く手を挙げる神がいた。

 象の神、ガネーシャであった。

 

 「はい、ガネーシャ。」

 

 「俺がッ、ガネーシャだ!」

 

 ロキも、話が無駄に長くて暑苦しいガネーシャは、時間稼ぎにちょうどいいと踏んだようでノータイムで当てた。

 ヘスティアも、ガネーシャなら大丈夫だろうと胸をなでおろす。

 

 「まずは顔を上げて欲しい!」

 

 「ありがとうございます。」

 

 「そしてッ、祭でのことを謝罪したい!

 ガネーシャ超謝罪!そして超感謝!

 君のおかげで市民の安全は守られた!」

 

 ガネーシャもまた、善神であった。

 象の仮面をかぶり、自身を模したホームを作るなど、奇行こそ目立つが、何よりも漢気があったのだ。

 

 「いえ、市民として、冒険者として、当然のことをしたまでです。

 戦う力があるならば、それは弱者のために使われるべきです。」

 

 神々は思わず息をのんだ。

 一切の偽りなく、一切の虚栄なく、ただの義務だったと述べたのだ。

 清廉潔白な人間というのは存在するが、ここまで行く人間はそうはいない。

 驚かずにはいられなかったのだ、それこそガネーシャすらも。

 

 「そうか……。君もガネーシャだな!」

 

 「いえ、私はアルトリウスですが……。」

 

 「いやっ、君もガネーシャだ!!」

 

 アルは困惑した。

 本当に意味が分からなかったのだ。

 ガネーシャは何かとつけてガネーシャと連呼すると知っていれば困惑することもなかっただろう。

 

 とにもかくにもガネーシャがいつもの発作を起こした以上は、他の神々からの「早く交代しろ」という圧力がきつくなる。

 ロキはそんな空気を敏感に感じ取って、次に誰を当てるかを探し始めた。

 ヘスティアと仲のいいヘファイストスか、あるいはタケミカズチが妥当だと思っていると、イシュタルが男神たちを巻き込んで空気を飲み込んだ。

 

 「ロキ、次は私にしてくれよ。いいだろう?」

 

 「い、イシュタル様がお望みならそうすべきだ!」

 

 「おっぱい最高!イシュタル様最高!」

 

 とても神とは思えないほど低俗な発言だが、これこそが美の女神の力、【魅了】の力なのだ。

 男も女も人も神も関係なく惹きつけるのが美の女神というものなのだ。

 

 「……んじゃイシュタル。」

 

 ヘスティアはロキに目線を送ってなんとかしてくれと頼もうとした。

 しかし、ロキはそっと首を横に振った。

 場の流れに逆らうというのは無理だと悟っていたのだ。

 もうここは、イシュタルが多くの神が気になってるランクアップの秘訣について根掘り葉掘り聞いて、アルが上手いこと言い逃れる。

 すなわち、成り行きが上手いこと行くのを祈るばかりであった。

 

 「じゃあアルトリウス、顔をみせちゃくれないかい?

 せっかく来てくれたんだ、みんなも顔ぐらいみたいだろう?」

 

 「妾は見たことあるぞ!」

 

 「えっ、ホント?!私も気になるわね!」

 

 女神たちがざわざわと騒ぎ立てるが、ヘスティアとしては落ち着かない。

 この場には美の女神が少なからずいる。

 それはすなわち、アルが魅了される可能性があるという事に他ならない。

 

 「みんな魅了とかそういうのはナシだぞ!分かってるだろ?!」

 

 「うるさいねぇ。わかってるよそんなことくらいは。」

 

 イシュタルは、余裕に満ち溢れていた。

 魅了などなくても、男である以上は自分の思い通りになるのだ。

 褐色の美しい肌、薄い布に包まれた妖艶な肢体、豊満な胸と尻、それをちょっと上手く使ってやればどうということはないと思っていた。

 

 「では、御前にて兜を外させていただきます。」

 

 アルがゆっくりと兜を外して胸の前で抱えた。

 男神たちはその顔立ちを見て怒り狂い、女神たちは感嘆した。

 絶世の貴公子というほどではないが、端正な顔立ちであることには違いなかったからだ。

 

 「じゃあ、質問だ。本当にミノタウロスと新種のモンスターを倒したんだね?」

 

 「はい、間違いありません。流石に戦い終わって一日眠り続けましたが。」

 

 イシュタルが出来るだけ体を強調しながら語り掛けたが、アルはけろりとした表情で答えた。

 もとよりアルは女性に対して性的に見るという感覚をあまり持ち合わせていない。

 ヘスティアの心配も、イシュタルの企みも全く無意味だった。

 

 「へぇ……。それじゃあどうやったらこんなに早く強くなれるんだい?」

 

 「寝食を共にし、稽古に励み、互いを信頼し、そしてなによりも誓いを果たすために死力を尽くしたからかと思います。」

 

 「誓い?そんなもので強くなれるものか。」

 

 「我らはヘスティア様の前で強くなることを誓いました。

 神の前の誓約であれば、我らに力を与えてくださるのも当然です。」

 

 ヘスティアは周りの神々にどんと胸を突き出してしたり顔をした。

 どうだ、ボクの眷属はとってもいい子だろうと自慢したいのだ。

 その眷属が神々からとてつもなく狙われているという状況を完全に忘れ呆けてしまっている。

 

 「じゃあそれもステイタスに現れてるのかい?!そうなんだろう?!」

 

 「あぁ、それは……。」

 

 「はい、しゅ~りょ~。イシュタルだけで時間使いすぎや。次でラストや。」

 

 イシュタルがステイタスについて言及しようとした段階で、ロキが話を割った。

 もとより、ステイタスは秘匿されるべきものだ。

 他派閥に所属する冒険者のステイタスを知ろうとするのはご法度だし、解錠薬(ステイタス・シーフ)という強制的にステイタスにかけられたロックを外す薬はガネーシャ・ファミリアの取り締まり対象に入っている。

 ロキの介入は実に自然なものであった。

 

 「んじゃ……。最後はフレイヤで。」

 

 ロキは、最後にフレイヤを指名した。

 指名しなかったら後が怖かったのである。

 ただでさえ巻き込むと宣言されているのだから、胡麻をすっておくのが得策だろうと判断したのだ。

 

 「アルトリウス、そしてあなたのお仲間のベル・クラネルは何になりたいの?

 レベル6の冒険者?それとも、大派閥の団長、副団長?」

 

 フレイヤは、アルの口から聞きたかったのだ。

 二人の魂が求める行く先を、あるいは二人が求める舞台を。

 

 「英雄に。ベルが望むはかの始原の英雄アルゴノゥト、そして私が望むは狼騎士と謳われた騎士アルトリウス。神々をも驚かせ、人々に語り継がれるような英傑になる、それが我らの望みにございます。」

 

 「……素敵ね。とっても素晴らしいわ、えぇ、とても。

 『応援』しているわ。」

 

 「感謝の極みにございます。」

 

 フレイヤは艶っぽい声でアルに語り掛けた。

 アルは、フレイヤのそんな様子に気が付かずに、ただ神から激励を頂けたと捉えて深く頭を下げた。

 

 「よっし、終わり!これ以上は時間が押してまうからな!」

 

 「え~!好きなタイプとか聞きたい!」

 

 「男に興味ってないのかしら……。アタシ気になるわ!」

 

 ロキが強制的に終わりを告げて、神々がまた騒ぎ始める。

 アルはどうすればいいのかと、おろおろとしだすがロキは続けていった。

 

 「あぁ、こんなん無視して帰ってぇぇから!ほらさっさと行き!」

 

 「でっ、では失礼いたします……。ヘスティア様、ではまた。」

 

 アルがおずおずと退出していくと、神々は本格的に【二つ名】を考え始めた。

 もっとも、それは神々にとっては痛々しく、極端に言ってしまえば黒歴史になりうるものなのだが。 

 

 「俺さぁ、知ってんだよね。

 あのアルトリウスって子が【九魔姫(ナイン・ヘル)】と一緒に夜の街を歩いてたらしいって。」

 

 「何ぃ?!そいつは本当か?!」

 

 「……【王族殺し(ハイエルフキラー)】というのはどうだろう!」

 

 「そんなんウチが許すわけないやろがぁぁぁぁッ!!!」

 

 さんざんに胃を痛めたロキが吠えた。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「ただいま。」

 

 「おかえり!どうだった?!」

 

 「今日はすさまじい一日だったぞ?大勢の神々に出会ったものだ。」

 

 「えぇっ?!すごいなぁ。」

 

 アルは、帰ってすぐに、疲れ切った表情をしてどっかりとソファに座り込んだ。

 神々の前に出て質問攻めにあうことが、どれほどアルを緊張させたかは言うまでもない。

 

 「そうだ、【二つ名】に合わせて防具を新調しようと思ってるんだよ。」

 

 「おぉ、それはいい。前のは壊れてしまったんだろう?」

 

 「そうなんだよ。けど、この鎧は良かったよなぁ……。」

 

 ベルは木箱の中に収められていた自身の鎧をそっと取り出した。

 軽量で、それでいて丈夫で自身によくなじんだ鎧だ。

 ベルは感慨にふけりながら、指で優しく撫でた。

 

 「どうせなら、同じ鍛冶師に作ってもらうといい。」

 

 「うん、ヴェルフ・クロッゾさん、かぁ。」

 

 二人が今後の事を漠然と考えていると、どたどたと階段を下りる音が聞こえてくる。ヘスティアが帰ってきたのだ。

 

 「二人ともっ、【二つ名】が決まったぞっ!」

 

 「おぉっ!」

 

 「どんなのになりましたか、カミサマ?!」

 

 「へへ……。いい感じだよ二人とも!」

 

 ヘスティアがびしっと親指を立てた。

 そのリアクションに、アルもベルもワクワクが止まらなくなっていた。

 

 「ベル・クラネル!」

 

 「っはい!」

 

 「【二つ名】は……【発展途上の英雄(ア・リトル・ヒーロー)】!」

 

 「アルトリウス!」

 

 「はっ!」

 

 「今日から君は、【灰狼騎士(ウルフェン・リッター)】だ!」

 

 アルはそっと握りこぶしを隣のベルの方へ差し出した。

 その意図をくんだベルは、自身の拳をアルの拳にこんと打ち付けた。

 今日この日、二人は冒険者として新たなるステージへと至ったのであった。




 王と大神の邂逅

 大神が黒龍に敗れて 王はその前に立った

 あの龍は 古き時代に死ぬべきであった

 そう王は語った 大神は答えた

 今はただ 我が腕の中に眠る子を守りたいと

 王は言った いずれ我らの御子の運命は交わるのだろうと


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第二十三話 新たなる仲間

 ミノタウロスの赫い片角

 ベル・クラネルが倒した 片角のミノタウロスが遺した赫い角

 それは暗がりの中で ぼんやりと輝く

 かつて灰は勝利の証として ソウルを得た

 英雄に至ろうとする少年が得たそれも ソウルに等しい価値を持つ

 始まりの熱き闘争を その角は思い起こさせるだろう


 

 「【発展途上の英雄(ア・リトル・ヒーロー)】に【灰狼騎士(ウルフェン・リッター)】ですか。」

 

 「どう思う、リリ?」

 

 「私としてはいい名を頂けたと思うんだが……。」

 

 「そうですねぇ。お二人らしくていいと思いますよ!」

 

 アル、ベル、リリの三人は豊穣の女主人にて談笑していた。

 ささやかではあるが、二人のランクアップの祝賀会といったところだ。

 早速【二つ名】について話すと、リリからも高い評価が得られて二人は喜色満面であった。ベルは頬が完全に緩み切っているし、アルは体が左右にブンブン振れている。

 

 「そうだろう、そうだろう!」

 

 「だよね、だよね!カミサマのおかげだよ!」

 

 「今日ばっかりはヘスティア様を評価しなくてはいけませんねぇ……。」

 

 リリは、強大な恋敵の活躍をぼやいた。

 もともとヘスティアが嫌いなわけではなく、むしろ深い恩義を感じているわけだが恋愛が絡むと人は得てして狭量になる。

 しかし、リリはヘスティアの頑張りを素直に評価してあげられるくらいには恋愛に対して冷静かつ真剣に向き合えた。

 どこぞの恋愛狂いの女神にも見習ってほしいぐらいには、よくできた娘であった。

 

 「本当にいい名前じゃないですか!私は好きですよ!」

 

 「ランクアップおめでとうございます、クラネルさん、アルトリウスさん。」

 

 そこに、シルとリューが料理や飲み物を盆にのせてやってきた。

 三人の稼ぎにしてはそれなりに豪勢なものだ。

 

 「今日はたくさんお飲みになってくださいね!お二人の祝賀会なんですから!」

 

 「……儲ける細工は流々ですかな、シル殿?」

 

 「ふふっ!」

 

 「シルさん?!ちゃんと答えてくれませんか?!」

 

 シルが何も言わずにただ笑うのを見て、リリはうわぁとぽつりと言い、ベルは動転した。特にリリはシルの恐ろしい側面を見たことがあるためなんとも言えない表情をしていた。アルがそっと自分の財布の中身を気にしていると、周囲から視線が向けられていることに気が付いた。

 

 「なぁ、あれが……。」

 

 「あぁ、間違いねぇ。世界最速コンビだ。」

 

 「俺ぁあの二人好きだぜ?ロキ・ファミリアに啖呵切ったとこ見たからなぁ。」

 

 「馬鹿、恥ずかしくねぇんか。こちとら大先輩なんだぞ!」

 

 そこかしこから二人をねたむ声、あるいは応援する声がかすかに聞こえてきた。

 それが良いものにしろ悪いものにしろ、二人が注目されているということは確かであった。

 

 「もしかして、僕たちの話……?」

 

 「えぇ、名を上げた冒険者の宿命みたいなものです。」

 

 リリは淡々とそう告げた。

 リリにとっては、二人が並みの冒険者とは比べ物にならない器を持っていることは当然の事実だ。むしろ他の冒険者が注目する理由がないとすら思っていた。

 

 しかし、あまり自己評価が高くないベルは、注目される恥ずかしさと緊張からか顔を赤らめる。そんなベルのそばにシルがそっと座った。

 

 「人気者になったと思えばいいんですよ。

 ほら、アルさんだってこんなに落ち着いているんですから。」

 

 「意識してしまうから緊張するんだ。

 祝賀会のことだけに集中すると楽になるぞ?」

 

 アルは、盆の上のものをいつの間にか座っていたリューも含めて五人分に分けて配っていた。リリはアルからドリンクを受け取ってから、じぃっとリューを見つめた。

 

 「あれ、お二人はここにいていいんですかぁ?」

 

 「私たちを貸してやるから存分にやれ、そして金を使え、とミア母さんが。」

 

 アルがひょいとミアに視線を移すと、ミアは得意顔であった。

 実に商売根性がたくましい女将だとアルは感嘆した。

 アルとしては二人がいなかったとしても普段世話になっている分多めにお金を落としていこうと考えていた。しかし、こうもお膳立てされてしまっては派手にやるしかないだろうと腹をくくることにしたのであった。

 

 「ベル、貴公が音頭を取ってくれ。遠慮なくいこう。」

 

 「それじゃぁ……、乾杯!」

 

 「「「「「乾杯!」」」」」

 

 五つのグラスが甲高い音を立ててぶつかった。

 祝宴の始まりである。

 

 「では、皆さんはこれからダンジョンの中層に向かうおつもりなのですね?」

 

 「はい、まぁ。勿論調子を見ながらですけど……。」

 

 「無茶はしない。そういう約束なのですよ、リオン殿。」

 

 リューは静かに三人の今後の目標を聞いた。

 功を焦って無理をしないという判断を評価したうえで、冷静なアドバイスを三人に対して贈った。

 

 「差し出がましいようですが、13階層から先に潜るのはまだやめておいた方がいい。」

 

 「なっ?!ベル様達では中層に太刀打ちできないとお考えなのですか?!

 最近はリリだって暗器の使い方とか、物を投げる練習とか、いっぱい頑張ってるんですよ?!」

 

 「おぉ、素晴らしいじゃないか、リリ。」

 

 「うぇへへ……。ってちがーう!!」

 

 リリが頑張っていると聞いて、アルは思わず頭を撫でた。

 いつも頑張り屋さんのリリが更に頑張っていると聞いて嬉しくなってしまったのだ。

 リリもアルの大きな手の感触を堪能し、思わず安心感に包まれるもののすぐに元の怒りを取り戻した。

 二人が騒いでる間も、リューは冷静だった。

 

 「何も皆さんの力が足りていないとは言いません。

 しかし、上層と中層では文字通り桁違いです。

 モンスターの強さも、数も、出現頻度も。

 あなた達は能力の問題ではなく数の問題に直面することになります。

 もっと仲間を増やすべきだ。」

 

 「でも、肝心の仲間になってくれそうな人が……。」

 

 「都合よくいるはずもないというのが実情……。」

 

 ベルが顎をさすり、アルは腕を組んでうーむうーむと考え込むそぶりを見せると、待ってましたとばかりに冒険者が席を立った。

 虎視眈々と、勝ち馬に狙いを澄ましていたのだ。

 両手を上げてさも友好的であることをアピールするかのようにして、一歩ずつ近づいてくる。

 

 「パーティーのことでお困りかぁ、【発展途上の英雄(ア・リトル・ヒーロー)】?」

 

 「ほぇ?」

 

 「仲間が欲しいなら、俺達のパーティーに入れてやってもいいぜぇ?

 俺達ぁレベル2だ。中層にだっていける。

 その代わりと言っちゃあなんだが……この別嬪の姉ちゃん達さ、貸してくれや。」

 

 声をかけてきた顔に傷のある冒険者は、絵にかいたような冒険者であった。

 先輩風を吹かし、女に目がなく、稼ぎ時に敏感な、そんな冒険者であった。

 だからこそアルを不快にさせるには十分だった。

 

 「断る。彼女たちは我らの所有物などではない。

 女性をそういう目でしか見れないような輩はお断りだ。

 ベル、それで構わんな?」

 

 「うん。僕もアルに賛成する。」

 

 傷面の冒険者は一瞬たじろいだ。

 アルの深い緋色の目の奥に、街を焼き尽くすような劫火を見たような気がしたからだ。

 それだけでなく、先ほどまで甘ちゃん丸出しだったベルの面構えが、きりりと男らしいものに一瞬で変貌したからでもあった。

 

 「へ、へへ。けどよ、そっちの嬢ちゃんたちはどうなんでい?

 なぁ妖精さんよ。こんなカスみたいな奴等より俺達のほうがいい思い出来ると思わねぇか?」

 

 へらへらと笑みを浮かべながら、冒険者がリューに向かって手を伸ばした瞬間、リューはグラスの取っ手を用いてその腕をひねり上げていた。

 あまりの技巧にその瞬間を見ていた冒険者は、度肝を抜かれてしまった。

 伸ばした指にグラスの取っ手を正確に通し、そこから関節を決める方向に一切の躊躇なくねじりこむ技量は、尋常ではなかった。

 それもレベル2の冒険者を痛みにうずくまらせる威力なのだからなおさらである。

 

 「触れるな、下郎!

 私の友人を蔑むことは許さない!」

 

 「このアマ……!痛い目見せてやるっ!」

 

 「不味いっ!」

 

 リューが小太刀をどこからともなく抜き放った時点で、アルは間に割って入った。

 流石に刃傷沙汰になっては大ごとだと思ったのだ。

 それに、アルはリューが恐るべき実力者であることをなんとなくソウルで感じ取っていた。

 それこそ、目の前の冒険者が見るも無残な姿で豊穣の女主人から放り出されてもおかしくないと判断するくらい、リューは強いと感じていたのだ。

 

 しかし、その心配は杞憂であった。

 カウンターの方から、ドグシャァと轟音が鳴ったからであった。

 客たちが恐る恐るそちらに目線を送ると、拳で木製のカウンターを粉砕しているミアがいた。

 百人いたら百人がこう答えるだろう。

 あれは確実にヤバいと。

 

 「アンタら……!ここは飯を食って酒を飲む場所さ!!

 摘まみだされたいのかい!!」

 

 「お、おい!行くぞ!」

 

 「アホタレ!ツケ払いなんか許さないよ!!」

 

 「はっ、はいぃぃ!!」

 

 ミアの圧倒的な気迫を前に、冒険者は仲間を引き連れて足早に立ち去っていった。

 リューはいつの間にかしれっと座っていたが、アルとベルは震えていた。

 理由は言うまでもない。アルもベルも一度騒ぎを起こしたことがある。

 「下手したら自分たちがあぁなってたんだろうなぁ」と実感せずにはいられなかったのだ。

 アルは宴会の後で、ミアにいつもの礼と、いつぞやの謝意、そして今後も優しくしてくださいという思いを込めて多めにチップを払うのであった。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「無いなぁ、ヴェルフ・クロッゾさんの作品……。」

 

 「もしかすると、もうここには置かれないほどに腕を上げてしまったのかもしれんぞ?貴公が絶賛していたし、私も少し触らせてもらったが素晴らしい作品だと思ったしなぁ。」

 

 「それは困るよ!僕、出来ればあの人の作品が欲しいんだよ……。」

 

 アルとベルは、次の日バベルを訪れていた。

 目的地はヘファイストス・ファミリアの下級鍛冶師たちが格安で作品を売ってくれる駆け出し御用達の店である。

 そこで、ベルの新しい鎧を入手しようという話だったのだが、一向にヴェルフ・クロッゾの作品が見つからなかった。

 

 「仕方がない。店の方になんとか探してもらおうか。

 手間をかけさせてしまうが、その分チップを払うとしよう……。」

 

 「分かった!それじゃあ行こう!」

 

 「待て待て、そう焦るな。」

 

 ベルがたったと走っていくのを、アルが歩いて追いかけた。

 店員がいるカウンターに近づくと、だんだん言い争いらしき声が大きくなっていることに二人は気づいた。

 

 「だからぁ、いつもいつもなんで端っこに置くんだよ!

 こっちだって命がけでやってんだぞ!どうなってんだ!」

 

 「そう言われてもなぁ……。」

 

 「そう言われてもって、ちょっとマシな扱いしてくれりゃいいんだって!」

 

 赤い髪の鍛冶師らしき男が、店員に詰め寄っていた。

 なぜ同じヘファイストス・ファミリアでトラブルが起きているのか二人には知る由もないが、商品の扱いに不満があるようであった。

 しかし、店員がものすごく疲れた顔をしているあたり、鍛冶師は相当な時間ごねていたようだ。

 二人が近づいてきたのをこれ幸いと、声をかけてきた。

 

 「あっ、お客様、何かお探しで?」

 

 「あの、ヴェルフ・クロッゾさんの防具が欲しいんですがありますか?」

 

 「もしお忙しいのなら商品の目録さえ調べてもらえれば、我らで探しますのでどうかよろしくお願いしたい。」

 

 二人がこういうと、店員も鍛冶師の男もキョトンとした顔をした。

 それから、鍛冶師の男はからからと笑い始めた。

 

 「はは、はははは!あぁ、あるぞ冒険者!

 ヴェルフ・クロッゾの防具ならな!」

 

 彼は、自分の足元に置いていた木箱をカウンターの上に置いてにやりと二人に笑いかけるのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 二人は鍛冶師と共だって店を出て、バベルのテラスのベンチで座っていた。

 様々な鍛冶師や冒険者たちが交流したり、商談をしたりする場なのだ。

 

 「いやぁ、まさか噂の【発展途上の英雄(ア・リトル・ヒーロー)】が俺の防具を買いに来てくれるとはな。それに、どっかで見たことがあると思ったら、ぶつかっちまった男が【灰狼騎士(ウルフェン・リッター)】だったのか。」

 

 「おぉ、そうかあの時の……。あの時も貴公は焦っていたなぁ。」

 

 アルは、腕を組んでつい先日のことを懐かしそうに思い出した。

 ヘファイストスと出会い、椿との再会を果たした日だった。

 アルが思い出に浸っている間に、ベルも鍛冶師に話しかけた。

 

 「僕も、クロッゾさん本人に会えて嬉しいです。」

 

 「あ~……。

 クロッゾさんってのはやめてくれないか?嫌いなんだ。」

 

 「じゃあ、ヴェルフさん。」

 

 「さん付けか……。まぁ、今はまだいいか。」

 

 鍛冶師の男、ヴェルフ・クロッゾは周りをちらちらと見た後、足を組んで芝居めいた口調で話し始めた。

 

 「なぁ、ベル・クラネル。お前は俺の作品を二度も買いに来てくれた。

 ならもう顧客だ。違うか?」

 

 「えぇと……そうですね。」

 

 ベルがそう発言したとたん、遠巻きに三人を眺めていた鍛冶師たちが悔しそうな顔をした。

 アルはそれを見て、ヴェルフに感心した。

 

 「なるほど、縄張り争いか。

 流石に鍛冶師だ、商売にも長けているのだな。」

 

 「いや、すまねぇ。ホントは客の前でこういうのはよくねぇとは思うんだがよ。

 それでだ、ベル。俺と直接契約を結ばないか?」

 

 ベルは、直接契約というのがよく分からなかった。

 だから一瞬戸惑ってしまうのだが、アルがそっと助け舟を出した。

 

 「ベルの専属となって色々と用立ててくれるということだ。

 このヴェルフ・クロッゾが大成したとき、その武具を求める者で溢れかえるかもしれん。早い段階で唾をつけておけば、貴公を優遇してくれるというわけだよ。」

 

 「なるほど……。いいですよ、直接契約。」

 

 ベルはアルの説明を聞いてあっさりと直接契約を結ぶことに決めた。

 ヴェルフはあっけにとられたような顔をして、アルはベルの真っ直ぐさに思わず笑みをこぼした。

 

 「いいのか?!

 この立場で言うのもなんだが、お前なら引く手あまただぞ?

 俺以外の鍛冶師を選ぶ選択肢だってある。」

 

 「いいんです。僕はヴェルフさんの防具が気に入ってますし……。

 なによりヴェルフさんの作品はこれからきっともっと凄いものになる気がするんです。何となくなんですけど……。」

 

 ヴェルフはベルの言葉に、胸の高鳴りを感じた。

 彼はとある事情から同じファミリアからもよくない扱いを受けてきた。

 自分の実力を正当に評価される、職人としての喜びを感じてしまったのだ。

 

 「分かった。ありがとな、契約してくれてよ。

 それで、早速だが我儘を聞いちゃくれないか?」

 

 「なんですか……?」

 

 「俺をお前らのパーティーに入れてくれ。」

 

 ベルとアルは顔を見合わせた。

 防具と鍛冶師だけでなく、仲間まで見つけてしまった。

 これはベルの【幸運】が働き始めたか、とアルは思ってしまうほどだった。

 

 「いいですよ!」

 

 「丁度新たな仲間を探そうという話をしていたのだ。

 むしろこちらからお願いしたいほどだよ。」

 

 「そうか、良かったぜ。俺にもツキが回ってきたって感じだな。

 それでよ、アル。お前も俺と契約しないか?

 見たところ、いい装備だが大分ガタが来てるようだしな。」

 

 アルは、そう言われたとき非常に心苦しかった。

 アルはヴェルフを気に入り始めていた。

 わざわざベルに別な選択肢を示したあたりが特に好感を持てたのだ。

 しかし、椿との先約がある以上は断らざるを得なかった。

 

 「すまない、この鎧の修繕は先約があってな。

 【単眼の巨師(キュクロプス)】にもう約束してしまったのだよ。」

 

 「はぁ?!椿の客なのか?!」

 

 アルの言葉で、まだ周りにいた鍛冶師たちが戦慄した。

 彼らはまだアルとの契約をもくろんでいたのだ。

 しかし、椿・コルブランドと契約している相手が、自分に靡くはずがないと誰もが思った。それでも、嘘だと信じてまだ話しかける時期を鍛冶師たちが狙いすましている間に、アルが続いて口を開いた。

 

 「客、というか無償で直してくれるらしい。ありがたいことにな。」

 

 「無償?!」

 

 「いや、この鎧が大層素晴らしいものでな。研究したいとの事だ。

 それに、私自身あまり武器や防具を欲しいと思わないのだ。

 最近予備の武器も手に入れたし、この鎧と大盾、大剣さえあれば基本事足りる。」

 

 「そうかぁ……。」

 

 ヴェルフは至極残念そうな顔をした。

 他の鍛冶師たちも、色々と諦めてその場を立ち去っていた。

 しかしアルはぽんと手をついて何かを思い出したように言った。

 

 「いや、ヴェルフ殿。私も契約すれば私の要望にあった装備を作ってもらえるのかね?それこそ、貴公が基本的に作らないような独特なものでも。」

 

 「あぁ、いいぜ。鍛冶師ってのは冒険者に武器を押し付ける仕事じゃねぇ。

 二人三脚で武器を作り上げるもんだ。

 相談してくれるなら基本的に何でも作るさ。」

 

 「それはいい。ならば私も貴公と契約しよう。」

 

 「あれ、アル武器要らないんじゃ……。」

 

 「あぁ、一つ忘れていたのだよ。

 あの剣技には必須の装備をな!ははは!

 しまったしまった!あっはっは!」

 

 アルがからからと笑い始めた。

 何が何だかよくわからないベルとヴェルフは、ただアルを見つめるのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「っしゃ、来たぜ11階層ぉ!」

 

 「ははは、元気だなぁヴェルフ殿は。」

 

 アルたちは、次の日ヴェルフを伴ってダンジョンに潜りに来ていた。

 ヴェルフは昨日と同じ着流しに、大刀を背負ってそれなりの装備であった。

 

 「いや、悪ぃな。昨日の今日で無茶聞いてもらっちまってよ。」

 

 「ヴェルフさんが【鍛冶】のアビリティを得るためなら、僕にも無関係じゃないですし。」

 

 「もう契約しているのだからな。遠慮することはない。」

 

 レベル1のヴェルフは、発展アビリティである【鍛冶】を手に入れるためにレベル2になることを目論んでいた。

 現代の鍛冶師にとってこのアビリティは大成するには不可欠だ。

 魔剣を代表とする強力な武器は、このアビリティによって生み出されるからだ。

 

 「だったらご自分のファミリアの方と一緒に探索すればよいのではないですか?」

 

 リリの痛烈な一言に、ヴェルフは少しだけ苦い顔をした。

 リリの言う通り、ヘファイストス・ファミリアの鍛冶師にとってはその方が都合がいいはずだった。

 大ファミリアともあれば、上級鍛冶師、すなわちレベル2以上の鍛冶師は一定数在籍している。

 ヴェルフには、レベル2になりたてのトリオチームにわざわざ参加せざるを得ない事情があるということになる。

 

 「えっと、それはヴェルフさんが……。」

 

 「仲間外れにされているんでしょう。それは聞きました。

 ですがお二人ともほいほい絆され過ぎです。

 ベル様に至ってはもう鎧で買収されていますし……。」

 

 リリが仮面の下で、私不満ですと言いたくて仕方がない表情をした。

 仲間外れにされる訳アリ冒険者をパーティーに入れるのには危険が伴うと知っているからだ。

 そんなにリリに向かってヴェルフが近寄った。

 

 「そんなに俺が邪魔か、ちび助。」

 

 「私にはリリルカ・アーデという立派な名前があります!」

 

 「おぉ、じゃあリリ助だな。つかなんだその仮面。」

 

 「気にしないでください!」

 

 ぷりぷりとリリが怒っているのを、アルとベルはなだめようとした。

 ヴェルフは既に新しい仲間としてすでに認めつつある相手だからだった。

 

 「まぁまぁ、僕このヴェルフ・クロッゾさんの防具気に入ってるし……。」

 

 「ヴェルフ殿もなかなか面白そうな人だしな。」

 

 ベルの発言に、リリは食いついた。

 

 「あの呪われた魔剣鍛冶師の?!

 没落した鍛冶貴族のクロッゾですか?!」

 

 「それは一体どういうことなのだ?

 ベルは知ってるか?」

 

 アルにとっては未知の単語であった。

 ベルに視線を送っても首を横に振るだけで、めぼしい情報は出てこない。

 そんなとんでもなく無知蒙昧な二人にリリは驚かざるを得なかった。

 

 「かつて魔剣製造で名をはせた一族です。

 その作品は第一級冒険者の一撃に勝るとも劣らなかったとか。

 ですがある日突然魔剣を打つ力を失ってしまってからは凋落したと……。」

 

 「あぁ、ただの落ちぶれ貴族の名だ。

 今はそんなこと関係ないだろ?

 それに、おしゃべりしてる余裕はなさそうだしな!」

 

 ヴェルフが向いた方向から、ぼこぼことモンスターたちが生まれ始めていた。

 オークやハードアーマードといった、面々である。

 

 「オークは俺に任せろ。あの図体なら俺の腕で当てられる。」

 

 「じゃあ僕はインプを。」

 

 「私は遊撃を担当しよう。

 取りこぼしても気にせずやってくれ。私が必ず仕留める。」

 

 次々と役割を決めていく三人を見て、リリは取りあえず腹をくくった。

 色々と懸念事案はあるものの、優先すべきは目の前の脅威に他ならない。

 

 「分かりました。リリは援護に回ります。

 色々と試したいこともありますから。」

 

 「おっ。俺が気に食わないんじゃないのかぁ?」

 

 「あなたが怪我するとベル様とアル様が気にしますので。」

 

 リリの言葉にヴェルフが肩をすくめ、アル達が笑う。

 そして、四人は一斉に戦闘態勢に入った。

 

 「ベルッ、前を!」

 

 「了解!」

 

 真っ先にベルが飛び出し、インプを三体流れるように倒す。

 その空いた空間にアルが飛び込んで縦横無尽に暴れ出す。

 オークを掴んでは転がってくるハードアーマードに叩き付けたりと、その剛力を如何なく発揮していた。

 それは二人にとって奇妙な体験であった。

 以前よりも景色は速く流れ、敵の動きは遅く見える。

 硬い敵が格段に柔らかく感じ、重かった一撃はさほど脅威ではなくなり始めていた。

 二人はこの11階層で、初めてランクアップの恩恵を受け始めていた。

 

 「っせい!」

 

 アルがハードアーマードを真っ二つに断ち切って、四人の戦闘はひと段落ついた。

 圧倒的な力量を前に、ヴェルフもリリも感嘆するしかなかった。

 それもそのはず、二人はただのレベル2ではない。

 レベル1の段階で二つのアビリティを限界突破させた上でランクアップしている。

 アルは力と耐久、ベルは敏捷と器用を限界を軽々と飛び越えるほどに伸ばしていた。

 それだけの力をもってすれば、11階層のモンスター程度は楽に処理が出来たのだ。

 

 とにもかくにも一仕事終えた四人は、休息に入った。

 リリだけは先に魔石を回収すると張り切って休んではいなかったのだが。 

 

 「いやぁ、やっぱいいモンだよなぁ。パーティーってのは!」

 

 「はい!前より随分動きやすくなった気がします!」

 

 「一人増えるだけでここまで違うとは思ってもみなかったよ。」

 

 「パーティーの利点ってやつだな!」

 

 三人がパーティーのありがたみを実感していると、他の冒険者たちがちらほら見えてきた。

 

 「人が増えてきましたね。」

 

 「おう、魔石をリリ助が拾い終わったら飯にしよう。

 モンスターはアイツらに任せてな。」

 

 「うむ、しかし迅速に食事をとらねばな。」

 

 そうして今後の事を話していると、ヴェルフはベルの手に微かな光が集まっていくのを見た。

 

 「おいベル、なんだそりゃ。」

 

 「あれっなんだろうコレ……。」

 

 アルもまたその光に気を取られていると、先ほどまで静かだった階層に悲鳴がおこった。

 

 「やべぇ、インファントドラゴンだッ!」

 

 「なんで二匹同時に出てきてんだよぉ!」

 

 「逃げろぉ!!」

 

 インファントドラゴン、それはダンジョン上層における事実上の階層主。

 ダンジョン上層における最強のモンスターである。

 ミノタウロスほどでないにしろ、その力は強力だ。

 レベル1の冒険者パーティーがこぞって逃げ出すのも当たり前だった。

 しかし、逃げ込んだ先が不味かった。

 

 「不味い、リリッ!魔石を置いて逃げろ!!」

 

 アルが叫ぶと同時に、リリはすぐに異変に気がついて駆け出す。

 しかし、サポーターとして荷物を大量に持つリリは、すぐにインファントドラゴンに追いつかれてしまう。

 守らなくてはいけない、そう思ったヘスティア・ファミリアの英雄候補たちの動きは速かった。

 

 「プロミネンスバーストォ!!」

 

 「ぜりゃぁぁぁッ!!」

 

 ベルはすぐさま魔法をインファントドラゴンの頭部に容赦なく打ち込んだ。

 アルもまた、瞬時に闇を纏って一気に駆け抜け、貫手を首の骨目掛けてつきこんだ。

 どちらの威力も、レベル2の領域に収まりきらないほどであった。

 ベルの魔法を受けたインファントドラゴンの頭部は跡形もなく消し飛んでいた。

 アルの貫手は首の骨を折るにとどまらず太い首を貫通していた。

 ベルは自身の新しい力の目覚めを感じ、アルは自身に眠る力達とのつながりの強まりを感じるのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「うーん、ベルくんのは間違いなく新しいスキルだろうね。

 英雄に焦がれる少年が、圧倒的な逆境を一撃でひっくり返すための可能性……。

 英雄になるための片道切符。すなわち英雄の一撃!ってやつだね。」

 

 無事にホームに帰ってヘスティアにダンジョンでのことを報告すると、ヘスティアによって分析が行われた。

 その分析はベルとアルの心を躍らせるに十分すぎた。

 二人は神の恩恵によって、英雄の道へと進み始めていることを実感せざるを得なかったからだ。

 

 「それと、アルくん。そのつながりってのは今は何ともないんだね?」

 

 「えぇ、取りあえず体を壊してしまうほど制御の利かない状態からは抜け出したようです。意のままに、とは言いにくいですが使い物にはなるでしょう。」

 

 「そういうことじゃなくて、体に異常をきたしてないかってことだよ。

 君の力は、君自身を冒しかねないってことを忘れないでくれよ。

 君が一番それをよく知っていて、君しかそれをどうにかする術を持ってないんだからさ。」

 

 「……気を付けます。」

 

 「たいへんよろしい。」

 

 アルが頭を下げたことに対して、ヘスティアは主神(おや)としてそれらしいセリフを演技がましく述べた。

 結局すぐにいつも通りの少し気が抜けていて優しい顔つきに戻って、アルの作った夕食を食べ始めた。

 そんな中で、ベルは最後に気になったことをヘスティアに聞いてみた。

 

 「カミサマ、クロッゾって知ってますか?」

 

 「あぁ、例の鍛冶師くんの家名だったっけ?

 かつて魔剣をたくさん作った一族ってことぐらいしか知らないなぁ。」

 

 「やはり、そうなのですか……。」

 

 二人は、ヘスティアからも新しい情報を得られなかったことに落胆した。

 ヴェルフが抱える訳、仲間外れにされ、家名をひどく嫌う理由が知りたかったのだ。

 しかし期待が外れたと思った二人は、その直後に食事を喉に詰まらせることになった。

 

 「あぁ、けど彼魔剣が打てるらしいね。」

 

 これは本来ありえない事であった。

 レベル1の【鍛冶】のアビリティを持たない鍛冶師は魔剣は作れない。

 魚が木登りをした後で木の上で踊り出すくらいに、あってはいけない事であった。

 それこそ、アルやベルのように特殊な血統と特異なスキルを持っていなければ。

 

 「それも強力な奴が作れるらしい。

 けど、彼は魔剣が嫌いで全く打たないんだってさ。

 宝の持ち腐れって嘆かれてたよ。」

 

 「金にがめつい人間ではなさそうだったが、鍛冶師として認められることには拘っていた。それがどうして魔剣を打たないことになったんだろうか……。」

 

 アルの疑問ももっともであった。

 金銭は取りあえず脇に置いたとして、魔剣を打てば名が売れて顧客が付く。

 顧客が付けばさらに良い素材良い道具が使えるようになり、鍛冶師としての名声はウナギのぼり上がるはずだ。

 

 「まぁ、君たちが契約を結んだ鍛冶師は腕は確かだけど訳アリってところだねぇ。」

 

 ヘスティアはそう締めくくった。

 二人は、明日にまた会う男の顔を思い浮かべるのであった。

 




 蘇りしデーモンの大鉈

 地下迷宮に息吹を上げた 山羊頭が遺した一対の大鉈

 かつて灰が彼らから奪い取ったものと ほとんど変わらない

 分厚い鉄はさび付いて 一見石のようにすら見える

 地下迷宮は記憶をもたらされた かつてのソウルたちから

 深い地の底に眠っていた 失われし器から


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第二十四話 神の火の鍛冶

 鍛冶師の大刀

 ヴェルフ・クロッゾが持つ大刀

 切れ味は鋭く 使い勝手もいいが 特徴が一切ない

 彼の鍛冶理論が 如実に表れている

 そして彼は自身の武具に銘を刻むことはない

 それは無言の信頼を示しているのだ


 

 「申し訳ありません!」

 

 それがリリの最初の言葉だった。

 いつものように噴水の前に集合しにアルとベルが待っていると、リリが急いで走ってきたのだ。

 何かと思って、アルはリリに質問した。

 

 「どうしたんだ。いきなり謝られても事情がさっぱり分からんぞ?」

 

 「あぅ、えっと、先に結論だけ言わせていただきますと、お休みをいただきたくて……。急なことで本当に申し訳ないんですが……。」

 

 アルとベルは顔を見合わせた。

 全く問題のないことにいつまでも気を遣うところは改めてほしいと思いながら笑った。

 

 「はは、そんなことぐらい構わんよ。

 それよりも、どういう訳なんだ?」

 

 「もしかして、体調が悪かったり?」

 

 「えっと私では無くて下宿先のノームのおじいさんが風邪をひいてしまいまして……。」

 

 「おぉ、それで看病のために休むという訳か。

 それならばすぐに帰りたまえよ。ご近所づきあいはとても大切なのだからな。」

 

 アルはご近所づきあいの恩恵を強く受けていた。

 ご婦人たちと仲良くしておけば、安く食材を売っている店を知ることが出来る。

 市場の商人たちと仲良くしておけば、おまけをもらえたり、良い商品を優先的に売ってもらえたり出来る。

 アルの細やかな気配りによってヘスティア・ファミリアは徐々にではあるが貯蓄を増やしているのだ。

 

 「リリ、早く行ってきなよ!ヴェルフさんには僕たちから言っておくからさ!」

 

 「ありがとうございます!

 どうかくれぐれもトラブルには首を突っ込まないでくださいね!」

 

 そう言い残して、リリは今来た方向に向かって全力で走っていった。

 去り際でもお目付け役としてきっちりくぎを刺していくのは流石といったところだろうか。

 そんなリリの様子にまた二人は笑顔にさせられた。

 少し和やかな気分になって、ヴェルフの合流を待つのであった。

 

 

 「よぉ、リリ助はどうした?」

 

 「はは、彼女は今日は来られないんだ。」

 

 「お世話になってるノームの親父さんの看病がしたいって……。」

 

 「そうか……。」

 

 時間通りに来たヴェルフは、リリの不在を聞いて頭を掻いた。

 ダンジョンに潜れないことが残念だと顔でも語っていた。

 しかし、ヴェルフとて昨日のリリの働きがパーティーに不可欠であるというのははっきりと感じていた。

 彼女ナシでは能天気なベルやアル、鍛冶ばかりでダンジョンそのものに造詣が深くないヴェルフ自身では確実にトラブルへの対処が遅れてしまう。

 だからこそ、強硬的にダンジョンに潜ろうとは言えなかった。

 しかし、ある意味ではそれはヴェルフにとって都合がよかった。

 

 「そうだ、じゃあ今日一日俺にくれないか?」

 

 「えっ?」

 

 「ほら、約束しただろ?礼はするってよ。

 お前たちの装備、俺が新調してやるよ!」

 

 そう言って親指をびしりと立てるヴェルフを見て、二人はワクワクが止まらなかった。

 初めての鍛冶師の作業、それも自分たちの専属の鍛冶師の仕事が間近で見られる。

 そう想像するだけで、未知への興味が沸き上がってくるのであった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「うわぁ……。なんか鍛冶師って感じだ!」

 

 「うむ、雰囲気があるな。」

 

 二人はヴェルフに連れられて、中心部から離れたところにあるヴェルフの工房に来ていた。こじんまりした小屋で、少しガタが来ている扉を開けると、そこは紛れもなく作業場だった。

 大小の金槌、木槌が並べられ、奥の方に目をやると大きな火の炉が目に留まる。

 

 「悪いな、汚ぇところでよ。」

 

 「いや、そんな!」

 

 「むしろこうして鍛冶場を見せてもらえてありがとう。」

 

 ヴェルフはにやつきながら背に担いだ大刀を下ろして、二人に向き直った。

 

 「さて、要望はあるか?使ってみたい装備とか。」

 

 「軽装鎧(ライトアーマー)貰ったのでホントに十分なんですけど……。」

 

 遠慮しようとするベルを見て、ヴェルフは肩をすくめた。

 冒険者として色々と足りていないと思ったからだ。

 

 「あのなぁ、もっと欲張ったほうがいいぞ?

 今できる最高の装備を整えるのも、冒険者の義務だ。」

 

 「それはヴェルフ殿の言う通りだな。」

 

 うんうんとアルが頷いていると、ベルはふと壁に掛けられた剣が目に入った。

 そっと近づいてヴェルフに顔を向けた。

 どうやら、装備を吟味する方に本腰を入れ始めたようだ。

 

 「あの、ちょっと触ってみてもいいですか?」

 

 「まぁ、それ売れ残りだぞ?」

 

 ベルがその剣を手に取ってみると、すぐによい剣だということが分かった。

 重心のバランス、刃の作りこみ、鍔の形、すべてが実戦的だった。

 それは、傍で見ているアルでも分かるほどであった。

 

 「なるほど、あまりに武器らしくありすぎて売れ残ったようだな。」

 

 「うんとってもいい剣だよこれ……。」

 

 ヴェルフの商品は、単に嫌われて冷遇されているから売れないという訳ではない。

 確かにそれは一つの大きな要因ではある。

 しかし、ヴェルフの武器はあまり冒険者が好むものではなかった。

 彼の絶望的なネーミングセンスを抜きにしても、彼の武具は質素過ぎて好かれなかったのだ。

 華美な装飾や派手な造形など、明らかな無駄を削ぎに削ぎ落としている。

 そして、それはすなわち冒険者が好む二大要素を削ぎ落としているということになる。

 いくら素晴らしい剣でも、手に取ってもらわれなければ売れないという良い例だろう。

 

 もっとも、それはただの冒険者の話。

 ベルやアルはもっと大切なことを知っている。

 命を懸けられる武器であるか。その一点は決してブレていない。

 だからヴェルフの剣の良さが分かるのだ。

 

 クロッゾの魔剣を打てると知っていてなお二人はヴェルフの作品を正当に評価していた。

 その様子を見て、ヴェルフは胸の奥がじんと熱くなるとともに、二人の真っ直ぐさにほとほと呆れが来てしまっていた。

 

 「お前らは、魔剣を欲しがらないんだな。」

 

 「ほえ?」

 

 「いや、聞いたんだろヘスティア様から。俺が魔剣を作れること。」

 

 まさか知られていたとは思ってもいなかったからか、二人はあからさまに動揺した。

 ベルは一瞬剣を取り落としかけたし、アルはヴェルフを二度見していた。

 

 「俺の事を聞きまわってるって噂、小耳にはさんでな。」

 

 「……すまなかった。」

 

 「いや、いいんだ。契約相手の事をちゃんと調べるのは当たり前の事だろ?

 でも、お前らが俺の事を知って態度を変えるか、少し気になった。

 ……悪かったな、試すような真似して。」

 

 ヴェルフは両手を合わせて二人に頭を下げた。

 ヴェルフとて、不安だったのだ。

 折角見つけた本物の冒険者かもしれない逸材が、その他大勢の凡夫と同じようであれば、彼は一生顧客を得られなかったかもしれない。

 どうか期待通りであってほしい、そんな淡い願いを胸に抱えていたのだ。

 

 「で、話を戻すんだが……。

 ベル、いっつも腰に下げてるのってドロップアイテムか?」

 

 「はい、ミノタウロスの角です!なんだか手放せなくなって。」

 

 ヴェルフが指をさす先には、赫く光る角があった。

 実はベルはもう何日もそれを手放していない。

 寝る前も、起きてすぐも、その光をぼうっと見つめていたのだ。

 あの熱い戦いを何度も思い出してはその余韻に浸っている。

 

 「じゃあそいつを使って武器を作ってみねぇか?」

 

 「出来るんですか?!」

 

 「おぉ、出来るぞ。」

 

 ベルの気持ちがピークに達し、じゃあお願いしますとなる直前に、アルが手を挙げた。

 そして、ヴェルフにある提案をした。

 それは古の鍛冶の技法。

 古き神々によって、あるいは不死人によって扱われた秘術。

 鉄でなく、形でなく、もっと根本に拘った鍛冶の御業であった。

 

 「ヴェルフ殿、もし出来るならば、炉の火にはベルの火を使ってみないか?」

 

 「ベルの?そりゃ一体……。」

 

 「私の母が教えてくれた鍛冶の御業にこんなものがある。

 古き鍛冶師は武具を打つとき、様々な種火を扱ったらしい。

 そうして、様々な力を持った武具を生み出したと。」

 

 「ほぉ……。」

 

 「そして、ベルの火はヘスティア様の恩恵を受けている。

 すなわち、炉の女神の火と、ベルの火は少なからず通ずるものがある。」

 

 ヴェルフは、アルが兜の下でにやりと笑っているのを見て、興奮した。

 目の前にいる大男は、自分に対してこう言っているのだ。

 神の火を使って鍛冶をしようと。

 神々の力を、人の身にて扱おうと。

 神をあっと驚かせるものを三人で作ってしまおうと。

 そう、提案しているのだ。

 

 「……乗ったぜ、その話。

 見たところ素材もいい。俺の腕さえおっつけりゃ……。

 どえらいもんが作れるかもしれねぇ。」

 

 「そう来てくれると思ったよ。

 ベル、頼めるか?」

 

 「もちろん!凄いの出来るといいね!!」

 

 ベルは目を輝かせてそう言った。

 三人は、悪餓鬼のように思いっきり笑った。

 一大プロジェクトの始まりである。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「うっし、準備できた。

 ベル、その炭に火をつけてそっと奥に入れてくれ。」

 

 「……フレアアームド。」

 

 ヴェルフはすぐに準備に取り掛かって、炉の中に木炭を入れた。

 一本一本を選び取り、最高の状態の炉にしておいた。

 そして、ベルは手渡された木炭にそっと火をつけて、炉の中に入れた。

 ヴェルフはその火が瞬く間に大きくなるのを見て確信した。

 今日から自分は並外れた冒険者たちの鍛冶師になるのだと。

 

 「……よし。こっからは俺の仕事だ。任せとけ。」

 

 ヴェルフはそう言って作業を始めた。

 ミノタウロスの角を熱して溶かし、延ばしていく。

 延ばしては折り曲げ、延ばしては折り曲げて何度も鍛え上げていく。

 そうして、形を作る前の純粋な塊になったところでヴェルフは一度手を止めた。

 

 「っはぁ~!きついな、これ!」

 

 「お疲れ様です。」

 

 「素晴らしい技だったと思うぞ。見ていてほれぼれした。」

 

 「そうか、へへ、そりゃよかった。」

 

 ヴェルフはにやりと笑って、そして少し顔を下げて床を見つめた。

 

 「実はよ、俺は魔剣が嫌いなんだ。」

 

 「ほぉ、それはどうして?」

 

 「まぁ、魔剣を欲しいって客は大勢いたんだ。

 けどよ、アイツらからしたら魔剣はただの道具でしかねぇ。

 名を上げて、金を稼ぐためだけのな……。

 違うだろ、そうじゃねぇだろ。武器ってのは……武器ってのは……。

 使い手の半身、魂でなくっちゃいけねぇんだ。

 どんな状況でも、そいつ一本いてくれりゃ戦える。逆境を突き進める。

 そういう存在じゃなきゃいけねぇ……。」

 

 ヴェルフの考えは、二人にじんと響いた。

 アルの聖剣は、アルトリウスの魂そのもの。

 いや、もっと大きい存在かもしれない。

 シフ、不死隊、彼らのようにアルトリウスの背を追った者たちの思いも背負っている。

 

 ベルの聖火の黒剣(ウェスタ・ブレイド)もそうだ。

 ヘスティアの親としての思いがこめられている。

 友を守る使命を帯びて生み出されたその剣は幾度となくベル自身とアルの窮地を救ってきた。

 二人にとって武器は、共に生きる相棒と同じくらいに不可欠な存在だった。

 

 「魔剣はそうじゃねぇ。使い手の事を考えずに、いつか必ず折れちまう。

 直すこともできやしねぇ……。

 人を腐らせるだけ腐らせて、鍛冶師の誇りも何もかも砕いちまうような剣は大っ嫌いだ。

 けど、今日こうして打ってるとな、申し訳なくなってきた。」

 

 「ヴェルフさん、何かダメだったんですか……?」

 

 「いや、俺の力不足を実感したってことだ。

 神の火を使えるって興奮してた俺が情けねぇ。

 駄々こねて、燻ってばっかじゃなかったら、もっとすげぇもんが作れたかもしれねぇと思うと悔しくてな。」

 

 ヴェルフの顔には後悔の色がにじみ出ていた。

 せっかく認めてくれた人物に対して、満足のいくものが作れないかもしれない。

 自分は模造品の神の火を扱うにすら値しない、すなわちヘファイストスに近寄ることすらできない鍛冶師かもしれない。

 そんな不安に押しつぶされそうだった。

 しかし、アルはそれでも笑っていた。

 

 「ヴェルフ殿。貴公は間違っていない。

 武器とは魂であるべきだ。魂から武器を作り出すことすらできるくらい、使い手と結びついていなければいけない。

 それでいいのだ。その誇りは、矜持は、持ち続けてもいい。

 それに、まだそんな辛気臭い顔をするには早すぎる。

 まだ作品は出来ていないのだ。今から魂を込めて打てばいい。

 私たちに見せてくれ。クロッゾではなく、ヴェルフとしての渾身を見せてくれ。

 そうすれば、貴公はきっと成長できる。」

 

 アルは、ヴェルフに対して全幅の信頼を見せた。

 誇りを見せたヴェルフを愛さずにはいられなかった。

 ただの鍛冶師よりも、愚かなほど真っ直ぐな鍛冶師の方がよほどいいと思ったのだ。

 そしてそれはベルにも当てはまった。

 

 「僕もヴェルフさんなら凄い作品が出来ると信じてます。

 それに、ヴェルフさんみたいにこだわりがあるのってカッコいいなって思うので……。

 一緒に、頑張りませんか?」

 

 ベルはにこにこと笑った。

 誰をも引き付ける優しい笑顔だった。

 ヴェルフは、二人の優しさに心を奮い立たされた。

 このままではいられない、生半可な技では足りない。

 この二人に良い武器を、決して負けぬような素晴らしい武具を。

 その思いがどんどん募っていく。

 火を入れた溶鉱炉のようにとどまることを知らない熱がヴェルフを支配する。

 

 「……二人とも、窓閉めてくれ。本気でやる。」

 

 そう言って窓を閉めさせてからのヴェルフの作業には鬼気迫るものがあった。

 刀身を打ち出し、寸分の狂いなく理想的な形に仕上げていく。

 そして形が定まると、一気に炉に入れて刀身を赤くなるまで熱して更に鍛え上げる。

 鉄の色と炉の色をじっと見つめて、最適な温度になったところで一気に引き上げて水の中に入れる。

 ヴェルフはこの日、今までの中で最高のタイミングで焼き入れをすることが出来た。

 

 「はぁ、はぁ……。疲れた……。

 俺の人生で一番いい出来だ。間違いない。

 火と素材がよかった。受け取ってくれベル。」

 

 ヴェルフが拵えたのは片刃の短刀であった。

 刀身は角と同じ色の赫。どこまでも赫い赫である。

 ベルがそれを握ってみると、手になじんだ。 

 

 「ありがとうございます!」

 

 「よっし、名前付けるか!

 赫いから、アカツキ……。いや、ミノタウロスの短刀だからミノタンか?」

 

 「いやいやいや!アカツキがいいです!アカツキが!」

 

 「うむ。絶対にそっちの方がいいだろう……。」

 

 アルとベルはヴェルフの壊滅的なネーミングセンスに驚かされた。

 ヴェルフとしてはミノタンのほうが良い気がしたが使い手の意見が一番ということで、すぐに認めた。

 

 「じゃぁアカツキだな。」

 

 ヴェルフは、少しだけ不服そうに頭を掻いた。

 そして何か言いたそうで、それでいて躊躇っていた。

 しかし意を決して口を開いた。

 

 「二人とも、俺のことはヴェルフって呼んでくれ。

 こうして武器を一緒に作った仲で、これから一緒に命を懸ける仲間になるんだ。

 俺だけさんとか殿とか……寂しいだろ?」

 

 少し照れ臭そうに笑う顔が、二人にはとても眩しく見えた。

 

 「もちろん、ヴェルフ!」

 

 「あぁ。これからよろしく頼むぞ、ヴェルフ。

 我らの仲間として、鍛冶師としてな。」

 

 にこやかに、三人は笑った。

 男同士の友情の芽生えである。 

 三者三様の信念を持ち、そして愚かしいほどに真っ直ぐな三人が引き合うように仲良くなったのも当然と言えた。

 

 「あっ、しまった……。

 こんな時間じゃアルの分を作ってたら真夜中になっちまうな……。

 なんか作ってほしいもんがあったんだろ?」

 

 ヴェルフは窓の外を見て、夕日がもう沈もうとしているのに気が付いた。

 窓を閉め切って作業をしていたために、時間間隔が狂っていたのだ。

 今からヘスティア・ファミリアのホームに帰ったとしても日は完全に落ちているだろう。

 

 「はは、なに気にすることはない。

 私のは形こそ変だがただのナイフだからな。

 なんなら図面だけ書いておこうか?」

 

 「アルって図面書けるの?!」

 

 「書けるといってもざっくりだよ。

 形さえわかればヴェルフなら作れるだろう?」

 

 アルは口の端を少しだけあげてヴェルフに問う。

 いやむしろこれは信頼したうえでの挑戦といえる。

 紅蓮を生み出した腕を見込んでいるのだ。

 

 「当たり前だ。俺はお前たちの鍛冶師なんだぜ?」

 

 「よし。なら少し紙と書くものを貸してくれ。」

 

 「おう、ちょっと待ってろ。」

 

 ヴェルフは手早く工房の棚を漁り、紙とペンを取り出した。

 アルはそれを受け取ると、素早く紙に望むナイフの形状を書き込んでいく。

 盾なしで戦うために生み出されたいびつなナイフ。

 【深淵歩き】の敗北から学び、編み出された剣技のためのナイフ。

 同じ英雄に憧れて、役目を果たした先達のナイフ。

 すなわち、不死隊の鉤ナイフである。

 

 「よし、こんな感じだ。」

 

 「ん。これよ……どうやって使うんだ?」

 

 「それは見てのお楽しみ、にしておこう。

 それと、できるだけ強度は確保してくれ。

 かなりの衝撃が加わるだろうからな。」

 

 「つーことは切るためのもんじゃねぇってことだな。

 分かった。出来るだけ硬く作るぞ。

 その代わり、重さは覚悟してくれよな。」

 

 「あぁ、もちろんだとも。」

 

 「それじゃあヴェルフ、また明日!」

 

 「おぉ、気を付けて帰れよ。」

 

 ヴェルフとの話も終わり、二人は帰路に就く。

 外はすっかり暗くなって、おなかもペコペコ。

 二人はヴェルフと握手をし、きっちりと挨拶をしたらすぐに走っていた。

 

 「ねぇアル!凄くかっこいいよねこれ!」

 

 「ははは、そうだな!」

 

 ベルはすっかり新たな武器に心奪われてしまったようで、笑いながら走っていた。

 アルもその様子を見て、心が躍った。

 初めて、自分たちの手で武器を生み出した。

 その事実が自分たちの進歩を感じさせるのだ。

 

 「なぁ、ベル。夜中にそれを眺め続ける気か?」

 

 「……やっちゃうかも!」

 

 「うわはは、寝不足にならないようにな!」

 

 このアルの忠告むなしく、ベルは翌日寝不足になる。

 一晩中新しい武器を撫で続けたために……。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「おはよう、リリ。」

 

 「おはようございます。ヴェルフ様は?」

 

 「まだ来てないよ!」

 

 ベルの武器が一本増えてから、二日が経過していた。

 まず翌日から、通常通りの探索が再開された。

 早く中層に行きたいという思いが募るばかりだが、エイナの許可が下りていないのだ。

 彼女曰く、「サラマンダーウール全員分買わない限り絶対にダメ!」とのことだ。

 サラマンダーウールとは、炎攻撃に強い耐性を持つ、精霊の加護を受けた防具である。

 アルには【激しい発汗】があるため、必要ないのではと思っていたが現実はそうではない。

 記憶スロットが3枠しかなく、効果時間に限りがある【激しい発汗】では中層の波状攻撃には耐えられないそうだ。

 

 「おっす、待たせたな!」

 

 「もう、遅れないでくれませんか!」

 

 「んだよ、リリ助!ちょっと遅くなっただけじゃねぇか!」

 

 「資金が必要なことをお忘れですか!

 ヴェルフ様も戦力ですし、あなたの命にもかかわるんですよ!」

 

 到着したヴェルフに食って掛かるリリではあったが、もう十分にヴェルフを信頼していた。

 きっちりと契約を守ってベルに新装備を与えたこと。

 そしてその装備が売り物にすれば下級鍛冶師にしては破格の価格になりそうにもかかわらず、二人にぽんと渡したこと。

 この二つの事柄が、リリの信用を勝ち取るに至ったのだ。

 冒険者嫌いで金勘定に敏感なリリが命の心配をしてあげるくらいに信用するというのも、珍しいことである。

 

 「分かってるって!それに今日遅れたのはアルの装備の事だ!」

 

 「おぉ、出来たか!」

 

 「素材をかなり吟味してな!稼ぎも増えたから奮発した!

 ほれ、どうだ!」

 

 「わぁ……。かっこいいじゃんアル!」

 

 ヴェルフが懐から取り出したナイフは、要望通りの鉤ナイフだった。

 多少の変更点と言えば、柄も金属製にしているところだろうか。

 しかし、獣の皮をきつく巻き付けていてとても握りやすそうだった。

 アルが受け取って左手で振ってみると想像以上に軽く、ヴェルフの技量の高さをつくづく思い知らされる。

 

 「素晴らしい。予想以上だ!

 これなら、中層でもやっていけるかもしれん。」

 

 「で、これどうやって使うんだ?教えてくれよ。」

 

 「分かった。ダンジョンで見せてやろう。

 不死隊の剣技という奴をな。」

 

 ダンジョンに早速入り、誰も来ないルームで立ち止まる。

 アルは盾を壁に立てかけ、もう一度ナイフを素振りしてからヴェルフに声をかけた。

 

 「よし!ヴェルフ、峰うちで切り掛かってくれ。」

 

 「おい、マジかよ?!」

 

 「大丈夫、私はレベル2のモンスターにこの技を仕掛けて成功させたことがある。

 ベルは見るのは無理だったかもしれんが、リリは見たことがあるだろう?」

 

 リリはそう聞いて、アルのパリィを思い出していた。

 リリにとってはものすごく肝が冷えたことだ。

 鮮明に思い出せて当たり前だった。

 

 「ちょっと?!また危ないことする気ですか?!」

 

 「はは、ヴェルフが作ってくれたこれなら必ず成功するよ。

 さぁ、来てくれ!」

 

 アルが大剣を肩に担ぎ、左手で逆手に持ったナイフを前に突き出した。

 ヴェルフは一瞬ベルの方向を向くと、ベルはただ無言でうなずいた。

 ベルが全幅の信頼を寄せている。

 それが分かったヴェルフは思い切って大刀を振り上げた。

 

 「おっしゃぁぁぁ!!!」

 

 「……ここッ!」

 

 ヴェルフは、一瞬何が起きたかわからなかった。

 自分の手から武器が吹き飛ばされていると気付いた時には、足をかけて投げられて首元にナイフを突きつけられていた。

 

 「……なんじゃこりゃぁ!」

 

 「はは、パリィだよ、パリィ。

 ヴェルフの刀にこの鉤ナイフをひっかけて弾き飛ばしたのさ。

 しかしいい出来だ。思いきりはじいても全く歪みがなかった。」

 

 「お、おう……。そりゃよかったぜ……。」

 

 アルがヴェルフに手を差し伸べて立たせると、ベルたちが近づいてくる。

 

 「ねぇ、アル。わざわざ盾じゃなくてそのナイフを使うのはどうしてなの?」

 

 「中層はモンスターの数が多いと聞く。

 集団戦となると、盾で視界を潰していると反応に遅れる可能性がある。

 それに、触媒を取り出すのにも時間がかかってしまうから魔法で状況を打開するにも隙が大きい。

 仮に盾がはじき落とされたとしても盾と同等に信頼できる武装も欲しかった。

 と、いうわけでこいつを作ってもらったのだよ。」

 

 アルはくるりとナイフを回した後、右の肩の付け根につけた留め具に滑りこませた。

 なせる準備は為した、後はサラマンダーウールのみ。

 中層進出まで、あと一歩である。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「うん!中々かっこいいじゃないか!」

 

 「へへへ、そうですよねぇ!」

 

 それからまた数日後。

 ベルは早朝、サラマンダーウールを着こんでヘスティアの前に立っていた。

 赤いマントのようで、すっかりベルは英雄気分であった。

 ヘスティアもベルの恰好を褒めて、まじまじと眺めている様子からかなり気に入っているようである。

 実は、何とか新品のものを入手できたのだ。

 リリが必死に駆け回ってセール品を人数分ゲットしてきたのだ。

 ヴェルフの鍛冶師としてのなけなしの伝手もあってのことだった。

 

 ヘスティアがベルからアルに視線を移した。

 そして、とても言いにくそうにある事実を告げた。

 

 「アルくん……。サイズ、足らないねぇ……。」

 

 「言わないでください……。」

 

 そう、アルのサラマンダーウールはアルの体躯には小さすぎた。

 このセール品、どうしてセールになっていたのかというとサイズが均一なのだ。

 リリには少々大きく、ベルやヴェルフにはちょうど良い、そんなサイズ感だった。

 これをオラリオ一番の長身と名乗ってもいいかもしれないアルが着るとどうなるか。

 そしてパーティーの中で一番ごつい鎧をつけているアルが着るとどうなるか。

 そう、絶妙に似合ってないのだ。

 ポンチョと言うことも出来ず、マントと言うことも出来ず、ましてやローブでもない。

 中層進出の直前というのにアルの気持ちはいまいち煮え切らない感じだった。

 

 「くっ……。買ってきてくれたリリのためにも私はこれを一生使うぞ……!」

 

 「う、うん……。今度生地だけ買ってなんとか付け足せないかやってみようよ……。」

 

 ベルは変な気合の入ったアルにフォローを入れた。

 ぽんぽんとベルがアルの背中を撫でているとヘスティアが咳払いをした。

 

 「おっほん!

 二人とも、レベル2になったとはいえ油断は禁物!

 必ず生きて帰ること!」

 

 「……っはい!」

 

 「承知しました!」

 

 ベルとアルは深く深くヘスティアに頭を下げた。

 そして、意気揚々とダンジョンに向かって駆け出していく。

 ヘスティアはその背中を見送りながら、嫌な予感を頭から振り払うのであった……。

 

 




 アカツキ

 ミノタウロスの赫い片角を用いて作られた短刀

 かつての姿と同じように ほのかに熱を帯び 輝いている

 闘争の記憶を呼び起こすように 振るうと赫く輝く

 神の火を用いて鍛えられたそれは 不死人の武具に近しい性質を抱いた

 戦技は「暁光」

 ベル・クラネルの技量をもって 連続で切り掛かる技

 その刃は非常に素早く 光の跡が斬撃の後に残る

 英雄の到来を表すかのような 暁光に

 敵は自身の敗北を確信し 味方は希望を見出すだろう


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第二十五話 怪物進呈

お久しぶりです。
大変長らくお待たせしました。
ちょっとした事情がありまして、執筆の時間が取れませんでした。

ブランクもありますが、これからまた皆さんが楽しんでもらえるような作品を作っていけたらいいなと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。


 

 アル、ベル、リリ、ヴェルフの四人は上層最終地点、十二階層に難なく到達した。

 そして目の前の十三階層、最初の死線(ファーストライン)と呼ばれる中層の入口への突入作戦について話し合っていた。

 

 「では、最終確認です。」

 

 リリがぴしっと人差し指を立てて話し始める。

 リリのおかげで、パーティーにメリハリがついている。

 気が抜けやすいヴェルフと、気合が入りすぎるアル、少し流されやすいベルにとって、締めるところは締めるリリの存在はただのサポーターでは収まらないところまで来ていた。

 

 「定石どおりに隊列を組みます。

 前衛はアル様でお願いします。

 最前線を力ずくで押し上げて、敵の突撃を体を張って押し留めてもらう戦車(タンク)という役です。

 かなり無茶をしてもらうことになりますが、サポートはします。」

 

 「よし任された。役目はきっちり果たすぞ。」

 

 アルはどんと胸を叩いた。

 決して自身の力を過信しているわけではない。

 仲間の絆を信用しているのだ。

 三人のサポートがあって敗北などあり得ないと思っている。

 この信頼なくして、危険な役目を二つ返事で引き受けるはずがない。

 

 「では、中衛にはベル様が。

 機動力で前後左右全体に気を配ってもらいます。

 判断力と決断力が要求されます。

 リーダーとして、よろしくお願いします。」

 

 「うん、頑張るよ!」

 

 ベルも両手の拳を握って気合いを入れた。

 目の前の冒険に血が騒いでいる。

 信頼できる仲間のために戦えることが幸せで仕方がない。

 

 「消去法でヴェルフ様とリリが後衛です。

 ヴェルフ様にはお二人のサポートとリリの護衛をお願いします。

 下手にリリが足を引っ張るくらいなら、最初から隊列が崩れないようにしましょう。」

 

 「おっしゃ、リリ助!」

 

 ヴェルフは胡坐をかいている自分の膝をポンと叩いた。

 前に格上の二人がいて恐ろしいことは何もない。

 一緒に戦う小人族(パルゥム)の少女は判断力と機転に優れ、経験値もある。

 パーティーとしての不安材料などないことぐらい、付き合いがまだ短いヴェルフにも分かることだ。

 

 「リリが後衛の時点で遠距離からの援護にはあまり頼らないでくださいね。

 命を大事に、慎重に行きましょう!」

 

 そう言ってひょこっとリリが立ち上がるのに続いて男三人衆が腰を上げる。

 そして、ベルがクスリと笑った。

 

 「ふふっ!」

 

 「あ、ベル様!緊張感が足りませんよ!」

 

 「ごめんごめん。けどわくわくしちゃってさ!」

 

 「くくく、そうだよな!ここでわくわくしなきゃ男じゃないもんな!」

 

 「冒険はいつだって心を躍らせる。仲間と一緒なら何倍もだ。」

 

 「リリは少し賛同しかねます!

 が、お気持ちは分かります。」

 

 ちょっとだけ素直じゃないリリの言葉に笑いながら、アルは少し腰をかがめて拳を仲間たちの輪に突き出した。

 意図に気づいたベルがその拳に自身の拳を当て、ヴェルフ、リリとそれに続く。

 仲間たちは今一つの輪になった。

 特大、大、中、小という少し歪な輪ではあったが、それがこの冒険者たちを象徴していた。

 

 「さぁ行くとしよう。我らの力を見せる時だ!」

 

 「いくぞぉ!」

 

 「っしゃぁ、見てろよ中層!」

 

 「行きましょう!!」

 

 新たなる冒険の地へ、彼らは足を踏み入れた。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 時は少しさかのぼって、アル達がダンジョンに入り始めたころに、ヘスティアもバベルを訪れていた。

 神友のヘファイストスからの借金返済のため、今日も汗水たらして働こうとしていた。

 そんな折、ヘスティアは知り合いがいることに気が付いた。

 ヘスティアに土下座を教えた男神、タケミカヅチである。

 どうやら眷属たちを見送りに来たようで、彼に対して極東風の装備に身を包んだ下界の子供たちが頭を下げて出発していった。

 

 「お~い、タケ!」

 

 「おぉ、ヘスティア。」

 

 「もしかして、彼らも中層に向かうのかい?」

 

 「あぁ。ということはそっちの【発展途上の英雄(ア・リトル・ヒーロー)】と【灰狼騎士(ウルフェン・リッター)】も?」

 

 「今朝早く意気揚々と出発していったよ。今日で初挑戦なんだ。」

 

 ヘスティアはそう言うと少しだけ目線を落とした。

 足元に眠る大迷宮に、愛する子供たちが潜っている。

 そう思うと不安な気分になってしまう。

 

 「そんな顔をするなよ。心配しても俺達にはどうすることも出来ないんだ。

 信じて待ってやるのが主神(おや)の役目さ。」

 

 タケミカヅチの言葉を聞いて、ヘスティアは顔を上げた。

 大丈夫大丈夫、きっと帰ってくる、そう自分に言い聞かせながら。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「正面、ヘルハウンド二体!来るぞ!」

 

 前衛で盾を構えながら前進するアルが、モンスターの襲来に気が付く。

 ヘルハウンド、中層を代表するモンスターの一角である。

 放火魔(バスカヴィル)の異名を持ち、その名の通り火を吐くのだ。

 それゆえに、中層を行く冒険者にはサラマンダーウールを筆頭に炎に耐性を持つ装備が要求されるのだ。

 

 「アル様、火に気を付けてください!

 息を吸い込むのが兆候です!」

 

 「了解!」

 

 アルはリリの忠告を聞きつつ、足止めのために敵の正面に躍り出る。

 一匹のヘルハウンドが息を吸い込んだ隙をついて、その顔面を蹴り飛ばす。

 仲間をやられて怒り狂うヘルハウンドがアルにその牙を突き立てようとする。

 

 「頼むッ!」

 

 「任せて!」

 

 しかし、それを許さないものがいる。

 ベルだ。

 新たな武器を携えて、疾風の如く駆けるベルは黒と赤の残光を残す。

 そして残光の後には、ヘルハウンドの首がごとりと落ちるだけだった。

 

 『グルルァ!!』

 

 ヘルハウンドは、二人の冒険者の異様な強さに恐れを抱いた。

 だが、後ろの二人はどうだろう。

 前を行く二人に比べて強そうではない。

 いや、明らかに弱い。

 殺せる、そう確信した。

 しかし、現実は違った。

 

 「リリ助!」

 

 「分かってます!」

 

 リリがローブを翻して、両手でナイフを投げる。

 凄まじい精度で空を切ったそれは、ヘルハウンドの喉と目に突き刺さる。

 ヘルハウンドは突然なダメージに足が止まる。

 そこをヴェルフが大刀を振るう。

 足の止まったヘルハウンドなら、ヴェルフの腕でも十分に絶命に持っていける。

 

 「っしゃぁ!!」

 

 ヴェルフが雄たけびを上げた。

 血しぶきを吹き上がらせながら、ヘルハウンドの真っ二つにされた肉が左右にボトリと落ち、一瞬で灰となった。

 ころりと転がった魔石をひょいと蹴り上げてつかみ取ったヴェルフは笑みをこらえずにはいられなかった。

 

 「中層で最初の戦闘にしては、上々の出来だな!」

 

 「うん、全然歯が立たないってわけじゃないし!」

 

 「各自の連携も問題ないしな。リリもベルもいい援護だった。」

 

 「アル様が起点でうまくやれてますね。これならいい調子で進めるかもしれません。」

 

 

 各々が、確かな手ごたえを感じていた。

 新たなステージでも十分にやっていけるのだという、確信めいたものすら感じていた。

 恐ろしいくらいに、うまくいっている。

 そしてこういった「追い風」は時として、「嵐」にもなりうるのだということを、まだ誰も知らなかった。

 

 「ともかく、開けた場所に移動しましょう。こんなところでモンスターに囲まれたら……ほぇ?」

 

 リリが皆を促すように足を進めようとした瞬間、奇妙な鳴き声とともに白いシルエットが三つほど現れた。

 赤い瞳、大きくぴんと立った耳、出っ張った前歯に白くふわふわしてそうな体毛。

 明らかに兎の特徴を持ったそれに対して、一人を除いて全員が同じ感想を抱いた。

 

 「ベル様?」

 

 「うん、ベルだな。」

 

 「あぁ、まったくもってベルだ。」

 

 「アルミラージだってば!!」

 

 気が抜けた三人に対して大声を上げたベルに反応して、ベルもどき、否、アルミラージが石斧を取り出す。

 見た目に反してかなりの凶暴性で知られるそれが、一斉にとびかかってくる。

 

 「おぉ、ベル来た!」

 

 「ベル様、せっかちですね。」

 

 「ベルは我慢知らずだからな……。」

 

 「だからアルミラージだって!!」

 

 各々が戦闘準備を整えだす。

 彼らの中層攻略は依然として、始まったばかりであった……。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ところ変わって、オラリオ。

 とある伝令の神が最近はやりの氷菓子を口にしながら、眼鏡をかけた美女をつれて歩いている。

 といっても逢引きなどではなく、眼鏡の奥の眼は非常に冷静で、仕事人らしさを感じさせる。

 

 「やはり、例の二人に対しては否定的な意見が多数見受けられます。」

 

 「ん~……。」

 

 「ミノタウロス討伐の件についても、たまたま魔法が当たっただとか、二人で一体を倒しただとか、ロキ・ファミリアの取りこぼしをかすめ取ったとか……。」

 

 「それだけでランクアップをさせるほど、神々の恩恵は甘くはないんだけどねぇ~……。なんのためにウラノスがリスクを冒したんだか。これじゃあ俺がシメられちゃうかもなぁ。」

 

 伝令の神、ヘルメスは盟約という名の脅迫と、そして彼自身の好奇心によって自身の懐刀である【万能者(ペルセウス)】、アスフィ・アル・アンドロメダに、アルとベルについて調査をさせていたのだ。

 当然、ヘルメスと大神と、そして灰の間に交わされた盟約については伝えていない。

 そんな中で、自身の神に誰かが危害を加えようとしているということに、アスフィは反応せずにはいられなかった。

 

 「誰に、そんなことをされるんですか?神ウラノスですか?」

 

 「いやぁ、そんなカワイイものじゃないよ。もっと厄介で、もっとねじ曲がったものさ。」

 

 

 「神ウラノス以上に……?あ、あなたはまた厄介なことに首を突っ込んで!面倒ごとに巻き込まれるこっちの身にも!」

 

 ヘルメスのやけに軽薄な態度が、何か大きな騒動の前触れではないかと感じたアスフィはヘルメスに向かって猛抗議を開始する。

 しかし、言い切る前に、ヘルメスはぽんとアスフィの頭の上に手を置いてそれを遮ってしまった。

 

 「うちのメンバー、みんな感謝してるぞ?リーダーのおかげで楽にやれるってさ。俺としても、アスフィには感謝してるし、頼りにしてる。さすがだな。」

 

 「……もぉやだぁ。」

 

 こうしてはぐらかされながら褒められて、感情が行方不明になってしまったアスフィはただ諦めるほかなかった。

 しかし、ヘルメスとしてはほとんど本心に近かった。

 少なくとも、アスフィという心強い味方がいなければ、彼は灰との盟約を結ぶようなことはしなかっただろう。

 もっとも、そんな「神の御心(おやごころ)」が伝わるはずもないのだが。

 

 アスフィを適度にあしらいながら、ヘルメスはようやく目的地にたどり着いた。

 その目的地、いや、店の扉を開けると、からんころんと気持ちのいいい音色とともに、可愛らしいエプロンドレスに身を包んだ給仕がひょっこりと顔を出す。

 

 「いらっしゃいませニャ!ニャ?ヘルメス様?」

 

 「やぁ、クロエちゃん。シルちゃんも。」

 

 出てきた給仕二人に向かって、はにかむ伝令の神の暗躍は、いまだ始まったばかり。

 地底を往くアルたちは、知る由もない。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 「なんっだこの数は!!ふざけろ!!」

 

 「無駄口たたかないでください!ただでさえあの二人に食いつくのが限界なんですよ!!」

 

 「ごめん、二人とも!さっきから援護にいけてない!」

 

 「こうも囲まれてタコ殴りにされては隊列もなにもあったものじゃないぞ……!」

 

 つい先刻までのパーティーの様相からは一転して、彼らは切羽詰まっていた。

 順調かと思われていた行軍は、広間に出たとたん、待ち伏せにあったかのように大量のモンスターに囲まれてしまったのだ。

 およそ熟練の不死人の死因も、もっぱらこれであった。

 圧倒的な物量の差は、そのまま戦闘の結果に直結する。

 パーティーとしての地力が前衛の二人に依存しきっている彼らなら、なおのことである。

 

 「これが中層……!上層とは比べ物にならん……!」

 

 「もっと近づいて円形に陣を組みましょう!」

 

 「わかった!」 「承知した!」 「任せとけ!」

 

 だが、その程度で止まるような彼らではない。

 今できる範囲で、今知っていることで、最適だと思われる回答を探していく。

 囲まれたときは死角を作らないように、互いをカバーしあう。

 リリが提案したそれは、確かに定石通りで、決して間違いではなかった。

 

 ただ一つ、大きな誤算が生じるまでは。

 

 広間に通じる通路の奥から、パーティーが現れたのだ。

 彼らの装備は極東のある国のものであるということが、ヴェルフにはすぐにわかった。

 そして、最も視角の広いアルは、彼らのパーティーに怪我人を見つけていた。

 明らかに「撤退中」のパーティーだ。

 

 「人のいい」アルは、一時的な共闘によってこの場を乗り切ることを頭に思い浮かべた。

 怪我人を円陣の中央で守れば、比較的安全に撤退できるだろう。

 だが、それは生ぬるい考え方だった。

 

 ここは【迷宮(ダンジョン)】。冒険者の欲望渦巻く無法地帯。

 

そのパーティーは、わき目も振らずにアルたちの横を走り抜けていったのだ。

なぜ、とか、どうして、という言葉がダンジョンに疎い三人には思い浮かんだ。

 

だが、つい先ほど正解を出したはずのリリだけが気が付いた。

 

 「いけません、押し付けられました!【怪物進呈(パス・パレード)】です!」

 

 リリの悲鳴に近い絶叫に、三人ははっと気が付くのだ。

 通り過ぎて行ったパーティーが通った通路から、怪物どもの唸り声が響き渡っていたことに。

 そして、たった今その怪物どもが広間に流れ込み始めた。

 

「冗談だろ……!」

 

「退却します!通路に早く!」

 

「殿は私がする!走るぞっ!」

 

 もはや踏みとどまって戦い続けることはできない。

 その先がどうなっているかも分からないまま、最も近い通路に駆け込んでいく。

 幸い行き止まりではなかったが、四人の逃げ足よりも、血に飢えたモンスターたちの追い上げの方が速かった。

 

 「アル、避けてッ!」

 

 「外すなよ!!」

 

 それに気が付いていたベルは足を止める。

 ベルの相棒であるアルはその意図にすぐに気が付き、射線上から飛びのいた。

 

「プロミネンスバースト!!!!」

 

 細い通路を丸ごと焼き払うような熱線がベルの手のひらから放たれる。

ごうごうと燃え上がる炎は、先頭を行くモンスターを黒焦げにしたが、四人を食おう食おうとヘルハウンドたちが炎の壁を突き破る。

 

 「オウゥァ!」

 

 だが、とびかかるヘルハウンドを、アルは見逃さなかった。

 その剛剣で、首を一度に三つ跳ね飛ばす。

 ぼとぼとぼと、と空中で灰になったヘルハウンドたちから魔石が転がり落ちる。

 一件落着か、と思われたその時、ヴェルフとリリはそれぞれ気が付いてしまった。

 

 「……まだ、きます。」

 

 「それだけじゃねぇ……挟まれちまった……!」

 

 細い通路、両側から迫るモンスター、絶望的な状況は改善どころか悪化の一途をたどっていた。

 そんな折、ベルとアルはリュー・リオンの忠告を思い出していた。

 

 『数の問題に直面することになる。』

 

 その端的で明快な忠告を思い出すにはあまりにも遅すぎた。

 逃げよう逃げようと突破を試みるほど、逃げるべき先を見失っていく。

 無駄足となった突破をリカバリーしようと焦れば焦るほど、連携は乱れていく。

 

 ほつれ始めた運命という名の糸を、四人はつかんでより合わせることができなかった。

 そして、その糸はプツリと音を立てて切れようとしていた。

 

 息を切らしながら、何とか戦っていたその時、天井が崩落したのだ。

 一気に崩れた天井は、重しとして彼らにのしかかる。

 

 「うぅ、ぐううぁ……!」

 

 「う、ぅ……」

 

 「くっ……みんな、無事か……?!」

 

 アルが瓦礫を強引に押しのけてみた光景は悲惨なものだった。

 ヴェルフは足を瓦礫によって貫かれ、骨もまたひしゃげている。

 リリはバックパックが隙間を作っていたために、直撃は免れたもののかなりのダメージだ。

 

 「ヴェルフ!リリ!」

 

 無事だったのは鋼の鎧に身を包み、耐久力に優れたアルと、【幸運】を持つベルだけだった。

 ベルは思わず二人の方に駆け寄ってしまった。

 そのやさしさゆえに、ここが戦場であることを忘れてしまったのだ。

 

 「待て、ベル!上だ!!」

 

 瓦礫の上には、崩落の原因である、【迷宮(ダンジョン)】に産み落とされたヘルハウンドたちがいた。

 アルが指摘した時にはもう遅い。

 その口の中には炎がごうと燃えている。

 四人は誰も動けなかった。

 

 

 

 そして、この日、ヘスティア・ファミリア所属冒険者二名が率いたパーティーは、地上に帰ってこなかった。

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 街中を一柱の神が息を切らしながら駆け抜けていく。

 小柄な体躯、それに釣り合わぬ大きく豊かな胸、美しくたなびく黒い髪。

 われらが女神、ヘスティアであった。

 

 街中にごった返す人々をかき分け、にぎわう建造物に飛び込む。

 そして、目当ての人物が書類をまとめているカウンターに食いつくようにちかづいて、こう聞いた。

 

 「ベル君たちは、帰ってきてないかい?!」

 

 突然の女神の来訪とその切羽詰まる表情に、カウンターにいる女、エイナは事の重大さに気が付く。

 

 「私は……。」

 

 見ていない、その一言をはっきりと告げられないまま、同僚の方に目線を送る。

 だが彼らも首を横に振るばかり。

 

 「そうかい……。」

 

 ヘスティアは拳をぎゅっと握りしめながらうつむく。

 不安で泣き崩れるのかもしれない、そうエイナは思った。

 ヘスティアの入れ込みようはほかの神々に比べるとかなりのものだ。

 自身の生活を保障する道具や団員ではなく、たった二人の家族として接しているのをエイナもよく知っている。

 

 しかし、ヘスティアは気丈だった。

 顔をぐいと上げ、はきはきと言葉を紡ぐ。

 

 「緊急の冒険者依頼(クエスト)を発注したい!内容はベル君たちの捜索!」

 

 その力強い一言に、エイナの気が引き締まる。

 目の前のこの女神は、希望を捨ててはいないのだ。

 

 「はい!」

 

 たった一言そう返して、急いで手を動かす。

 失踪している四人の特徴を記載し、依頼として正式に発注できるように手続きを進めるのだ。

 

 そんな時、ヘスティアの背中に向かって声をかけるものが現れた。

 

 「ヘスティア!」 

 

 「ん……タケ……?」

 

 友神のタケミカヅチの顔は、ひどく暗く、後ろめたいものだった。

 そして、彼の連れている二人の団員もまた、真剣な表情をしていた……。

 

 

 

 





依頼の木板

迷宮都市オラリオに位置するギルドに存在する、依頼を管理するための木版。
数多の依頼が生まれ、そして解決されてきたため、その木版には大量の刺し跡が残っている。
だが、その陰で涙を流した者がどれだけいるのだろうか?
強引に引きちぎられた紙の残りかすだけがそれを知っている。


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