アメイジング・ナデシコ (我楽娯兵)
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ナデシコと殺生の石
天狗の娘


誤字脱字報告。感想、意見、要求などはどんどん受け付けます。


 森林の青々とした匂いを鼻いっぱい吸い込んで大きな深呼吸。

 富士の樹海を巡り、様々な声を聴いた。

 鳥、蛙、豕、蛇。数えきれない生物の声で耳がどうにかしてしまいそうだったが不思議と疲れず、三日三晩も樹海を歩いている。

 茶色の白衣を身に纏った私と父様(ととさま)二人は錫杖を突き深々とすけ笠を被り歩き続けた。

 目的と言う目的はない。定住を好まない父様(ととさま)は里の山を母様(かかさま)に任せ私を連れて修行と称して各地を回る一生を辿っていた。

 疑問と言えば疑問であるが、七歳の頃から十一歳の五年間で日本を巡ればそんな疑問も吹き飛んだ。

 曰く、目指すのは涅槃への道のりであり、解脱を得る事こそ私たちの一生なのだと言う。

 しかしながら私と来たら──。

 

「カリカリカリカリカリカリ──……」

 

「いつまで金平糖を食っているんだ。バカ娘め」

 

 甘味に舌鼓を打つ始末だった。

 時を数え西暦1973年。皇紀にして2633年の初春の事である。

 

 

 

 

 

 富士の裾野を跨ぎ樹海へと入る私たちの向かう先は森深い先の中の親戚とも言える一族の家だった。

 山伏とも、修行者とも取れる私生活で麗らかな若さを消費して突き詰めるは無欲。

 しかし抑えきれぬ好奇心ばかりを抱えた私「石槌撫子(いしつちなでしこ)」は父様(ととさま)が寝入ったことを見計らい夜な夜な夜町へと繰り出し、甘味の数々を堪能して回る日々を楽しんでいた。

 人里より遠く離れた道程ばかりだったが、私はすでに神足通を身に着けた為に飛ぶことなど容易で山深くより人の町へと一時も掛らなず行き来をしていた。

 富士町の町は海に面していると言う事もあり船もよく出入りしている。

 その為に目的の甘味もよくよく手に入る。

 夜の暗がりにエレクトロニクスなる雷の力で絶え間ない輝きを得ている。お天道様の光を必要としなくなった人々は夜の町でも闊歩し、私もその一人として同じように遊楽を楽しんでいる。

 瓦屋根の長屋道を、大福をパクつきながら片手には甘酒を持って、新年の神社参拝に勤しむ人々に混じり私は頬を綻ばせた。

 

「んん~! 甘いものはホント美味しいのだ!」

 

 

 金銭と言う金銭は持ち合わせていなかったが、父様(ととさま)よりちょろまかした千円で豪遊三昧を堪能するに苦労はない。

 いざとなれば食い逃げ上等である。

 人混みに身を任せていると自然と近場の神社の境内へと体が運ばれ、私は辟易しながら人通りの少ない脇へとそれと手ごろな石へと腰を据え付けた。

 温かい甘酒のをグイっと飲んで小さなゲップを突いた。

 家族友人とこうして初詣を楽しみたいと思うが、離れ離れ。

 と言うより友人と呼べる者たちは四肢の数よりも少ない。

 唯一の友人は京都の愛宕山の太郎の倅だけで、元より家柄で神様に祈りを捧げるより先祖様の方が神様に近しいのだからいちいち神社まで出向くことがなかった。

 しかしながらこうして人々の営みを見るのも楽しくある。不思議と気分も高揚してこの喧騒が愛おしくなるのも致し方ないだろう。

 人よりも関わることの多いのは妖怪ばかりで嫌になっていた頃合だった。

 あちこち回って修行、修行、修行。妖怪、妖怪、妖怪、父様(ととさま)は私を一体何者にしたいのか。各地を回るのは了承したが、こうも雁字搦めの生活は息苦し過ぎる。

 

「もう少しで帰らないとなぁ……」

 

 またまた樹海の奥地へと歩かないといけない。仕方のない事だが、正直なところ戻りたくはない。

 神足通を習得してから幾度も里へと帰ろうと思っただろうか。しかし里に戻ったところで母様(かかさま)にこっぴどく怒られるだけだろう。

 致し方ない事だが、父様(ととさま)の元へ帰るしかない。

 片手に持った大福を食べ、指に付いた粉を舐めて取る。

 不意に足元を見ると寒さからか三匹ほど猫が私の足元にすり寄って来ていた。

 私は三匹の頭を優しく撫でて余った大福を小さくちぎって与えてやっていると、もう一匹私の隣に座っていることに気づいた。

 その一匹はがんとせず隣から動かず、私の体温で暖まりもせず、大福も食べずそこに座っていた。

 私の目は少しだけ険しくなる。その猫の雰囲気とでもいうのか、私の霊的な感覚を激しく刺激してくる。

 

「ぬし。妖怪なのか?」

 

 ジッと私をその猫。こういった妖怪は酒を与えるに限る。

 甘酒を垂らし、その猫に与えようとしたとき背後より暖かな雰囲気が背中を撫でた。

 くるりと振り返ったりそれを見た時少々目を細めてしまう。

 かなりの年を重ねているのだろう深く顔に刻まれたし皺が印象的な老人だったが、その見た目は矍鑠(かくしゃく)としており背筋もピンと天に向いていた。

 それだけならばまだいいのだが、その衣裳は何とも言い難いほど自己主張の激しいものだった。

 白金に輝く外套(ローブ)を着込み、下には大変軽やかな衣服を求めてか小袖を着ていた。

 菩提樹の匂いが強いステッキを付いて怪し気に微笑んだ。

 

 

「お嬢さんとなりいいかい?」

 

「主もこの猫と一緒で妖怪なのだ? ぬらりひょん?」

 

「まさか? ちょっと特別なだけの人間だとも。──見たところ君も私と近しいようだがね」

 

 私の返答も聞かず私の隣に座った老人は息をついて猫を膝の上に乗せた。

 

 

「こんなところで同胞に会えるとは心強いよ。この人混みはかなわん」

 

 

「どうほう……ねぇ……」

 

 私が人間と同じとは思えない。空を飛べる人間ほど奇怪な存在はいなかろう。

 そういう老人の横顔を見て私は大福を平らげた。

 

「君は祈祷師と言ったところかね? 神社の境内にいると言う事は少なくとも陰陽寮の人間ではないだろう?」

 

「祈祷? 何に祈るの? 私に祈る神様はいないのだ」

 

「いないとな。と言う事は山伏ということか?」

 

「だから、私に祈る神様はいないのだ。だって私のご先祖様が神様なのだ」

 

 老人が目を細めて私の顔をまじまじと見てくる。あまりにも顔を近づけてくるために身を引いてしまう。

 

 枯れ葉のような匂いが鼻について私は鼻を摘まんで顔を顰める。

 私の全身を見渡して、老人は合点がいったような表情を表して手を叩いた。

 

「なんと、君は迦楼羅天の系譜のモノか」

 

 訳の分からぬことをいう老人に私は少々物狂いと見てしまい体を引いた。

 老人は手を叩いて喜んだ。

 

「丁度よかった。ああよかった。明日ほど陀羅尼坊殿の所に向かおうとしておったのだ。あない願えぬかね?」

 

「……やだ」

 

 私はそっぽを向いて老人の願いを突っぱねた。

 老人は驚いたような顔をで手揉みをして何度も願ってくるが私が無視し続けるために遂には肩を揉んでくる。

 

「ここで出会えたことも何かの縁だ。頼まれてくれんかね」

 

「……私が只願っただけで受けると思ってる?」

 

「嫌かね」

 

「絶対いやなのだ。父様(ととさま)に願われたなら供え物を取れって教わってるのだ」

 

「あれま! それは失敬した」

 

 老人はこれは失念と言わんばかりに額を叩いて、懐から何やらいろいろなものを取り出す。

 

「君は一体何が欲しいかな。金かな銀かな、それとも翡翠や金剛石がよかろうか」

 

「……甘いものがいいのだ」

 

「甘いもの……カカカッ! これまた失敬した。君はまだまだ子供だったねえ」

 

 狸のような口上を述べる老人は懐よりようやく供え物を取り出した。

 様々な色鮮やかな梱包をなされた箱に私は恐る恐る視線を向けて、その見た事もない細工の細かさと一目で分かる未知の甘味の予感に興味を一気に引かれて老人の手の中からその甘味を奪い取った。

 五角形の不思議な箱を開けると茶色のカエルが生き良いよく飛び出すが、匂いから甘いものと感じ取り空中で逃がす気なく握り口の中に頬り込んで貪った。

 口に広がるまろやかな甘み、餡子の甘みとは別途の甘み。砂糖とも違う味に目を輝かせて咀嚼して舌を楽しませた。

 まだまだある、黒光(ごきぶり)の形をした豆を食べればまるで金時豆のような味がして大変よろしい。

 飴玉を口に頬り込めば梅干しの様に酸っぱい味が口いっぱいに広がるがこれはこれでなかなか味わい深い。

 

「もぐもぐもぐ……ゴクン。うむ、よかろう教えよう」

 

「それは良かった。陀羅尼坊殿の住所を教えてくれぬだろうか?」

 

「そこはな……潤井川の麓の北へ一刻程歩けば付けるのだ」

 

「ほほう、それは箒でも行けるのかな?」

 

「バカをいえ、私たちですら陀羅尼坊の神通力は破れない。アイツが用意した道のりを辿るしかないのだ」

 

「なるほど、道理でどれだけ探しても見つからぬはずだ」

 

 私はよく分からない臓物の味のする煮凝りのような菓子を口いっぱいに頬張った。

 

「あんたは結局何者なのだ? 妖怪でも檀家でもないようだが」

 

「私かい? そうさな、先生だ。君のような子を育てる先生だ」

 

「私のようなものはそういないだろ。いたら空は今頃大混雑だなのだ」

 

「君とは少々力の使い方が違う。箒で飛ぶんだ」

 

「箒とな。それはまた奇怪な、只人如きがよくもまァそんな不遜を働きよる」

 

「カカカッ! 確かに君のようなものには不遜であろうな。しかしながら今は“ぐろーばる”な世界だ。そうも言っていられないんだ」

 

「ふんッ! 父様(ととさま)の前で飛んでくれるなよ。吹き飛ばされても知らぬぞ」

 

 カカカッ特徴的な笑い方で老人は笑って吹き飛ばす。

 冗談で言ったのではない。父様(ととさま)は間違いなく目の前を“私たち”以外が飛ぼうものなら間違いなく旋風を吹かせて地面に叩き落すであろう。

 私たちは厚顔無恥、傲慢不遜であれとされているのだから私たちの目の前を挨拶なしに飛ぶことは無礼である。

 私もその系譜のモノであるからに突き落としはしないモノの怒りはするだろう。

 

「君はどこの生まれなのかな? 比叡山かな。それとも如意ケ嶽」

 

「バカを云え。私をそんな人間どもに阿るモノどもと同じにするな」

 

「ほう。なかなかの系譜と見える」

 

「ハッ! 聞いて驚け! 私は石槌山の総領たる長の娘なのだ!」

 

 石の上で胸を張って威張り散らしてみる。

 しかしながら自分でも思うが阿保に見えるため恥ずかしい。しずしずと座り直して残りの菓子を食べる。

 

「それは……と言う事は君は六代目の──」

 

 妙に真剣な顔で考え込む老人は手を叩いた。それこそ妙案であると言わんばかりの表情で。

 手に持ったステッキを私の前へずいっと向けてくる。

 

「少しこれを持ってもらえるかな?」

 

「この棒切れをか?」

 

「……ああ」

 

 私は訝し気にそれを握って見せた。

 何とも出来の良いステッキであろうか持ち手の細工もよく出来ている。

 しかしこれはただのステッキ。棒切れだった。

 だが、これを持ったことで老人の顔は驚愕へと移行した。

 矢庭に吹き荒れた突風が境内に吹きすさび、その風は吹雪を運んでくる。

 チラチラと、囂々と。徐々に降りしきり始めた。

 

「なんと……これほどとは」

 

「なんなのだ。あんたは棒切れを持てだの。もうよいかそろそろ眠いのだ」

 

「ああ、もういいよ。済まなかったね」

 

 私は尻に着いた土を払い境内の林へと向かう。飛ぶ姿を見られ騒ぎになられてもかなわない。

 たらふく甘味も堪能できたことだしもう十分であろうとそう思った時、老人が私に聞いてくる。

 

 

「君、魔法使いになれるとしたらどうする?」

 

「魔法とな? 何とも珍妙な事を訊く」

 

 私はハッキリと言ってやった。

 

「私は魔法などとうに超えている。私は既に魔法など眼中にないのだ!」

 

「ほほう。では何に夢中なのだ?」

 

「私は飽くなき探求を求める。そして至るのだ、父様(ととさま)も越えて、この空を統べるのだ!」

 

 私はそう言い、地を蹴り空へと舞い上がった。

 私は、石槌撫子に魔法などと言うものは小事。飽くなき探求を、飽くなき快楽を、寿命は尽きぬほどある。

 ならば探求の快楽を求めるのは無理からぬことだ。私は空を統べる者の家系だ。

 五代目石槌山法起坊、石槌空大の娘、石槌撫子──私はこの空を支配する『天狗』だ。



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独り歩きする行く末

「…………」

 

「…………」

 

 富士樹海の奥地、潤井川の麓近くに建てられた富士山陀羅尼坊の里。

 富士山陀羅尼坊(だらにぼう)総領の邸宅の御堂に私と父様(ととさま)と並んで座り、向いには陀羅尼坊(だらにぼう)とその息子が座っていた。

 本当に居心地の悪い空気が流れ、今にもこの家を旋風が吹き飛ばしてもおかしくない状況。

 

「……わざわざ我をここに呼び出した理由は、その常人に合わせるためか」

 

 パチン……パチン……。

 父様(ととさま)は苛立ったように扇を開けたり閉じたり。今にも噴火寸前だった。

 そんな様子に陀羅尼坊(だらにぼう)は天狗の総領のくせしてビクビク、ビクビクと体を震わせて冷や汗を額に浮かべていた。

 仕方なしと言えば仕方なし。富士山陀羅尼坊は四十八天狗の中でも序列は下から数えた方が早い席次だ。そんな彼がわざわざ八天狗の中でもトップに位置する父様(ととさま)を呼び寄せて、その呼び寄せた理由と来たら。

 

「撫子を常人の学校に通わせよと申すか。えぇ? どうだ我の耳がおかしくなったのか?」

 

「法起坊……魔法使いの学校だ。常人が教えて居るが、少なくとも世界を知るには日本ではここが一番だ……」

 

「なぜ我々天狗が常人に教えを請わねばならぬ。悪ふざけにもたちが悪いなぁ。どうなのだ──」

 

「すす……済まぬ、大変済まぬ法起坊!」

 

 父子共に目も見はる速さで頭を下げ、板床を脂汗とも冷や汗とも分からぬ汁を滴らせていた。

 必死の弁明が述べられ、父様(ととさま)はその寛大な心で聴いていた。

 

「魔法省という役所がこの願いを伝えれば鞍馬の古文書を渡してくれると言うのだ! 我々とて天狗の誇りを忘れたわけではない。六神通を得て涅槃へと至る試みは忘れておらぬ!」

 

「わざわざそのような事で我を呼び出すか!」

 

 父様(ととさま)が吠えた時、外で突風が吹き荒れ邸宅の窓を激しく揺らして無意識に旋風を吹かしてしまった。

 反省したように扇を懐に収めた父様(ととさま)。まだまだ涅槃への道は遠いようだ。

 

「それで、その学校の常人は来ぬのか?」

 

「来るようにと言っておるが、結界を潜るのに苦労しておるようだ」

 

「気が利かぬのう。こういった時は結界を切っておくべきだろう」

 

「その冗談はきついですぞ法起坊」

 

 天狗の里と言うのは基本的にその総領が神通力にて人払いの結界が張られ只人より隠されている。

 そうすることで只人の社会治安……と言うより天狗たちの機嫌が損なわれない。

 元来天狗は只人が嫌いであり、それらを遠ざける事で小事を取り除いている。

 人との関わりは涅槃への道を遠のかせる大きな要因であるからだ。

 人間とのかかわりを絶った結果としてこうした厄介事も起きることも確かだ。

 

「しかしまァ、このバカをよく好んで欲しがる。幼児趣味でもあるのではなかろうか」

 

 ゴンと鉄拳が私の脳天を撃ち抜いた。

 私は茶菓子として出された水羊羹が鼻の穴から飛び出るのではないかと思ってしまうほど驚いてしまう。

 

「何するのだ」

 

「貴様は今までの道のりを何だと思っておるのだ。神足通を習得させたのは夜街に出て甘味を貪らせるためではないぞ」

 

「何で知ってるのだ!」

 

「修行が足らん。天耳通ですべて聴いておるは。馬鹿者め」

 

 鼻高く、それこそお面の天狗の様に鼻が伸びてしまいかねない程に顔を苛立ちで赤らませ、鼻を尖らせる父様(ととさま)。掌が暇なのか所在なさげにまた扇を取り出して閉じたり開いたり。

 あれではお気に入りの風神の扇もダメになる日は近いと見えた。

 

『御免下さい』

 

 堂の入口より声が聞こえ、壁際に控えていた使い天狗がそそくさと入口へ参った者を出迎えた。

 来訪者には謝辞と哀悼を述べねばならない。今の父様(ととさま)は本当に機嫌が悪い。

 大説教会が開かれかの者は旋風にて宙を舞って運が良ければ駿河湾へと着水できるだろう。

 何とも悲惨なものである。

 

「失礼。大変遅くなりました」

 

 堂を跨ぎ現れたのは背広のよく似合う青年であった。猫の目のような金色の瞳で私たちに会釈をした。

 何とも珍妙な男か。この者の気配、まるで妖怪であった。

 “獣憑き”であろう男に恭しく陀羅尼坊は隣に座るように手招きする。

 しかし父様(ととさま)は──。

 

「誰が座れと言った」

 

 低い声で唸るようにそれを止めたのだった。

 上座は陀羅尼坊が座りこの邸宅のすべてを仕切る権利はあるが、父様(ととさま)から言わせてしまえばそんなものちり紙ほどの役にも立たない。

 そんなもんでこの場で一番偉いのは石槌山法起坊こと父様(ととさま)なのだ。

 

「ご挨拶が遅れました。私は日本魔法省教育課次長、長江富文と申します。石槌山法起坊殿のご尊顔を拝謁できる機会を賜れ誠に感謝致します」

 

「ふんッ……口の利き方はなっておるようだな。座れ、猫わっぱ」

 

「失礼します」

 

 上座の陀羅尼坊の隣は父様(ととさま)に遠慮してか、富文は御堂の脇へと移り静かに腰を落ち着かせた。

 ピンと伸びた背が天を目指してどこぞの老人を思い出させて涎が垂れそうになる。

 昨夜の甘味は本当に美味しかった。今度会う機会があるのならまたたかって見るのもやぶさかではない。

 

「この度は、石槌山法起坊殿に御足労戴いた次第、伏して我々の願いを聞き入れて頂きたく馳せ参じました」

 

「陀羅尼坊から聞いておる。撫子をお主らの学校とやらに入れろと言うのだな」

 

「その通りでございます。我々としても法起坊殿のご息女を迎え入れる事ができるのなら、大変な名誉でございます」

 

「ふぅん……」

 

 父様(ととさま)は見下したように富文を見て、考えている風な仕草を見せる。

 とんだ戯れだ。実際のところは結論はすでに出ている。

 ──否、断じて断わる、だ。

 

「長江と言ったか?」

 

「は」

 

「貴様に聞くが、主らにとってこやつをその学校とやらに入れるのは名誉であっても、我に何の得があるのだ? 聞かせてくれ」

 

「それは……」

 

 少々言い淀む富文だったが、私をちらりと見て言った。

 

「ご息女の、撫子殿の知見を大きく広げ探求とそれに伴う悦楽を満たして進ぜましょう」

 

「────―」

 

 父様(ととさま)は言葉を失ってしまう。

 何ともまあ、よくも天狗の目の前でそのような抗弁を並べたものだ。

 天狗とは涅槃へと至る道のりをしている一族だ。その一族のモノに探求だの、快楽だのは不必要な事柄であり、煩悩のと言って差し支えない事柄だ。

 それをいけしゃあしゃあと。なんとまあ。

 父様(ととさま)の眉間には青筋が浮かび、今にも旋風が吹き荒れてもおかしくない。

 私は茶菓子がダメにならぬようそそくさと懐と口の中に頬り込んだ。

 

「バカにしておるのか。天狗を何者だと思っておるのだ? 天狗道を究めんとする迦楼羅天に列するモノに高々魔道の入口に立っただけのわっぱに従えと? ──ふざけるのも大概にしろ!」

 

 湯呑が飛んで富文の額にぶつかり砕け散った。

 その怒号は旋風どころの話ではなくなり始めた。漏れ出る神通力の波動とも取れる力の波が肌を通して感じられ外ではぽつぽつと雨まで降り始める。

 天狗。それは魔道へと堕ちた魔縁であり、一度涅槃への道を踏み外した者たちを指し示す。

 仏の道から外れた私たちはその道へと戻ろうと、神通力を会得して、それこそこの世界に措いて人々の想像する『神』と呼ばれる御業を身に着ける。

 神通力とはそういったモノだ。祈祷師、陰陽師などは所詮、神通力の神の字にも達していない連中、即ち『常人』であり、常人の域にも達していない者たちこそ『只人』と呼び天狗は嘲る。

 そんな『常人』が天上人たる天狗に指図するなど──甚だしいことこの上ない。

 

「天狗の怒りに触れて只で帰れると思うか? 妖怪もどきの化け猫風情が……」

 

 風神の扇が開かれ富文に向いたとき、隣より矢庭に姿を現すものがもう一人いた。

 父様(ととさま)も陀羅尼坊もこの場にいる者すべてが驚いて、体をびくつかせた。

 その者は撫子は昨夜会っていた。あの老人であった。

 

「お初にお目にかかります。魔法処魔法学校にて校長を務めさせてさせていただきます、ご挨拶のほどを。罷り越すは、初代『団三郎芝右衛門太三郎(だんさぶろうしばえもんたたさぶろう)』、団芝三と申します」

 

 あまりの唐突な表れに厚顔不遜の父様(ととさま)も面食らっていた。

 だがそれも長くは続かない。勘の良さは神通力にて折り紙付きだ。

 団芝三の気配に不敵な笑みを浮かべた。

 

「主、もはや化け狸の類か。笑かしてくれる、しかしながら化けの力は名のわりに程々の様だな」

 

「ええ、我々化け狸一同当世の時勢に合わせ人々にあぐねる事に決めました故、一族のしがらみを捨て代表を立てることに相成りました。そして代表が私、『団芝三』となりました」

 

 

「妖の誇りを捨て追ったか。今宵は猫鍋と狸鍋にでもしようか?」

 

「御戯れを、法起坊殿は分かりませぬが。少なくとも撫子殿はこちらの方がよろしいので?」

 

 外套(ローブ)を広げると、内より溢れ出てくる甘味の数々。

 昨晩食べたモノから見たことのないものまで次々と溢れて出てくるのだ。

 飛びつかない理由の方が見つからない。私は猫も驚く速さでその菓子の山へと飛びついたが、父様(ととさま)に空中で白衣の襟腰をふん掴まれ腹に服が食い込んだ。

 

「ぐえっ!」

 

「目に見える餌に食いつく馬鹿がおるか、バカ娘め。そのようなものに我が釣れると思うのか」

 

「いいえ? 法起坊殿を試したわけではありませぬ。試したのはご息女、撫子殿ですぞ」

 

 眼が細まり父様(ととさま)胡坐(あぐら)を崩し、片膝をついて煙管を吹かし始める。

 本当に苛々しているのだろう。煙草の紫煙が無ければ聞くに堪えないと言った様子であった。

 私は腹に食い込んだ白衣に痛く痛く、腹を押さえてのたうったが、それでも菓子へと手を伸ばした。

 

「どうでしょう? 法起坊。ここは撫子殿に判断を委ねるてみては」

 

「阿保も程々に云え。こやつはこの有様だ。小さな誘惑にもすぐに負ける阿呆だ。この話を二割も理解しておらんわ」

 

 団芝三は私を見て父様(ととさま)は私の首根っこを押さえつけて頭を揺すって聞いてくる。

 答えは一つだった。

 

「その菓子くれなのだ」

 

「これよ。論議にならん」

 

「……さようなようで」

 

 父様(ととさま)はもう呆れかえって言葉も出ないと言った様子。団芝三も苦笑いだ。

 富文だけは楽しそうに笑っていた。

 

「我も暇を持て余しているわけではない。我の旋風に飛ばされたくなくばとくと去ね」

 

「そうも言っておられません。どうか私たちの願いを聞き入れて頂きたい」

 

 一歩も引く気のない団芝三がずいッと体をにじり寄り懇願してくる。

 どうしても折れる気がないようだった。

 

「このような時勢、魔道に列するモノならばお分かりになりませぬか。列強との大戦にて敗北を期した日本の魔法使いは既に滅亡へと赴くばかり、各国では魔道を敷かんと跋扈する輩も現れ、妖も人も何もかもを支配しようとしております」

 

「知らぬな。常人如き我々に言わしてしまえば、蚤にも劣る」

 

「そうでしょうか。ならば何故鞍馬山僧正坊(そうじょうぼう)の乱痴気を放置なされるのです。倫敦の魔法使いと手を組み、世のセクト闘争の片棒を担いでおられる。全天狗の長たる石槌山法起坊は傍観を決め込むのですか」

 

「涅槃へと至る道だ。手段は問わん」

 

「ならばなぜ。外法へ術がここにあるのですか」

 

 団芝三が取り出したのは刀の鍔。その禍々しさに私たちですら目を剥いた。

 なんとも邪悪な。その鍔、その気配。──一匹入っている。

 

「英国の魔法省に問い合わせホグワーツの友人より聞き及びました。『分霊箱』と呼ぶそうです」

 

「なんだその忌々しいものは! 僧正坊(そうじょうぼう)が作ったと? 邪法外道の所業ぞ!」

 

「うぇ……」

 

 私でさえ嘔吐(えず)いてしまう。その鍔には魂が封じ込まれている。

 恐らく、刃を媒介に人を殺める事で使用者の魂を切り離して鍔の中に魂を封じ込めている。

 何とも禍々しい。そして愚かしい。

 それがあるだけで、人も、恐らく天狗でさえも不死性を得る。

 涅槃とは真逆の道だ。

 

「我をそれで焚きつけて、こやつをその学校に入れなんとする気だ」

 

「初秋の天狗総会。僧正坊(そうじょうぼう)殿に責問をお頼み申します。天狗道の光差、翳らせるのは我々日本の損失でありますれば」

 

 父様(ととさま)の手の中で煙管が音を立ててへし折られた。

 目も当てらぬほど怒り散らしている。これでは近々台風が到来しよう。

 それだけ父様(ととさま)の血は頭へと上り詰めている。

 

「奴めぇ……天狗の風上にも置けぬ面汚しめぇ。この手で縊り殺してやりたいわ」

 

父様(ととさま)。いい加減頭から手を放してくれぬか。頭が割れそうなのだ」

 

「おお、忘れておったわ。済まぬ」

 

 頭より手を退けた父様(ととさま)は折れた煙管を投げ捨てて、厚顔無恥に団芝三に更なる要求をする。

 

「主らのせいでお気に入りの煙管が折れた。新しいものを用意せよ、それがこやつをその学校とやらに入れてやる条件だ」

 

「承りました。ご要望はどのようなものがよろしいかな」

 

「火皿は竜の逆さ鱗が良いな、匂いが良くなる。羅宇は朱雀の尾羽を使い、吸い口は緋緋色金とせよ。煙管入れは象牙だ」

 

「賜りました」

 

「わが元へ届けよ。石槌山ではない。()()()だ」

 

 団芝三と富文は深々と頭を下げ、平伏する。

 天狗とはこういうものだ。敬われ、畏れられ、そして拝まれるもの。

 無頼の輩と言えばそれまでだが、そう言ったモノにはできぬ(かるま)を得たのが大天狗たる父様(ととさま)の権威だ。

 帝とてぞんざいには扱わない。神にも勝る権威の象徴。

 八咫烏の翼を得た天上人だ。

 

「了承頂き、誠に感謝を申し上げます。末永き繁栄と法起坊殿の涅槃への道のり永久に願います」

 

「うむ、我が娘を預けようぞ。雑に扱ってくれるなよ」

 

「平に感謝を」

 

 こうして私は身の振り方を決めるまでもなく決定づけられた。

 まあ、父様(ととさま)の監視の目を抜けれる事だけで良しとしようと思うのであった。



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裏浅草珍道中

 私は父様(ととさま)に子猫を貸すが如き扱いで、富文に投げて渡され、樹海を抜け新幹線なる鉄の蛇へと投げ込まれ東京へと向かっていた。

 駅弁も早々に平らげ、富文に駄々を捏ねて車内販売の駄菓子をありったけ食っていた。

 私を通わせるにあたり、諸々の学費、魔法処魔法学校に掛る経費はすべて魔法省が持つと無理難題を団芝三と富文に了承させている。この駄菓子もその経費の内だ。

 

「これでは教育課の経費も圧迫されますね」

 

 ハハハッと爽快と言わんばかりに笑う富文を横目に私は“ぽっきー”なる棒状のチョコレート菓子を食って、その様子にやらんぞと体で示した。

 

「……やらんぞ富文」

 

「大丈夫ですよ私は。どうぞお好きにお食べ下さい」

 

 そう言い富文は手帳にさらさらと経費の計算を始めた。なんとも勤勉な男である。

 にしても新幹線なるこの乗り物は本当に乗り心地はよろしい。

 動かずともこの身を遠方へと運ぶ乗り物とは只人も馬鹿にならないモノを作ってくれる。

 しかしながら飛行機だけは好かない。あの煤煙ほど嗅ぐに堪えない匂いはないからだ。

 あの煙も音も天狗にとってはただの頭痛と腰痛の種でしかない。即刻廃止を願わずにはいられない。

 

「これよりどこへ向かうのだ? 富文」

 

「魔法処の入学に当たって、制服等々の準備をせねばなりません。やはり私たち魔法使いも大都市に集まりたがりますからね。東京の浅草で衣服、杖、動物等を揃えます」

 

「この服では行けぬのか?」

 

 私は茶色く染まった白衣の袖を掴んで広げて見せるが、富文は首を振った。

 

「駄目です。制服は所属を示す証でもありますからね。新調しないと」

 

 小一時間ほど新幹線に缶詰となり、早々に飽きが来ていた頃合に東京駅へと到着した。

 既に日は暮れ、どっぷりと夜帳が下りていた。

 人気も少なくこんな夜中に出歩く連中もそうそういないモノだ。東京駅から少し離れたところで富文が懐中時計を確認して道路を目の前に立ち止まった。

 

「何をしておるのだ」

 

「時刻を確認しているんですよ。……そろそろ来ますね。少し下がって」

 

 私の体を守るように道路から遠ざけて一分もしないうちに何やらが走ってくる。

 カタカタカタと手足の動きの可笑しい人間が引く人力車。よくよく見ればその人間の顔は木製でぎこちなくこちらを見た。

 

「さあ乗って下さい」

 

「こやつは一体何なのだ?」

 

「日本魔法界名物、『絡繰り人力車』ですよ。浅草の裏雷門を開門するとき魔女魔法使いを送迎する為に浅草の魔法使い組合が夜のこの時間に東京中を走らせてくれています」

 

「おお~ぉ」

 

 私は感心してその絡繰り車夫を手で触り顔を寄せ、好奇心でまさぐり回す。

 材質は木で、全身がそれだ。一応人間に見えるように羽織を着せて鬘を被せてはいるが近くで見れば珍妙なことこの上ない。

 そんなこんなで絡繰り車夫を見ていると気づけば何人かが集まってきている。

 魔道を志す者たちだ。同じく裏浅草に行くのだろう私が乗らない事で列が出来つつあった。

 

「まったく、浅草組合も資金難でも作りも雑なものを作ったものですね……。さあ撫子さん行きますよ」

 

「うむ……そうしよう……うむ」

 

 興味深い、これが魔法なのだろう。

 神通力ではなかなかに骨の折れる作業だ。手足の動き、そして前進する力の働きそれらすべてを逐一操るのは至難の業だろう。

 それを魔法はやってのけるとは、侮れない。

 しかしながらこのようなものを作り出しなんとするかよくよく思えば不思議だ。飛べば早いものを。

 人力車に乗り込むとキイキイと異音を鳴らしながら車夫が走り始めた。

 夜の摩天楼を疾走する絡繰り人力車に心を躍らせ、好奇心で目を輝かせて辺りを見回せば、一台二台と絡繰り人力車が走っているではないか。

 

「富文よ! 一体どれだけの数の人力車がおるのだ!」

 

「さあどうでしょうね。人力車には通行手形を持つものしか見えない魔法が掛けられておりますから、僕はこの懐中時計」

 

「うん? 見えぬのか他の車が? 三十台は走っておるぞ」

 

「他の方々も似たようなものを持っていますが、個別ですからねえ。天狗の貴方には見えているようですね」

 

 人力車は直走り、浅草雷門に到着して停止した。

 ぞろぞろと珍妙な格好をした者たちが雷門を潜り行き、只人が雷門を潜った時酩酊したように千鳥足となり来た道を戻っていた。

 

「さあ、これを持ってください」

 

 小さな板切れのようなものを渡してくる富文。

 私はそれを光にかざして透かし見た。

 

「妙な業が掛かっておるな。この板切れ」

 

「雷門の提灯には只人がこの時期この時間帯に通ると酒を飲んだように酩酊してしまう錯乱の術が掛けられております。これはその呪い返しです」

 

 私はそれを懐に収め、人力車を降りた。

 迷子にならぬよう富文の背中にピッタリと張り付いて雷門を抜けた時、世界は突如として変わった。

 しんと静まり返った仲見世通りが門を潜り抜けた瞬間、色とりどりの光を露わにして往来を行き交う祭と思わせる人の溢れようであった。

 

「撫子さん。ようこそ、日本の魔法世界へ。ここが東京浅草名物の『裏雷門仲見世通り』です」

 

「うぉおおおおっ!」

 

 私は飛び跳ねてその光景に見入ってしまった。見た事のないものが目白押しだ。

 妖怪とも取れる見た事もない動物が売られているし、景気よく鳴いて五月蠅いくらいだ。

 文屋の店には表紙がころころ動き、売られる新聞の文字は逐次変わって、様々な話題を提供している。

 そして何より甘味処の匂いときたらなんと魅力的な事か、綿菓子と思える砂糖菓子は雲のように宙を踊り、トロ箱の中には元気に動くひよこの形をした饅頭がピヨピヨ鳴いていた。

 

「撫子さん。お菓子もいいですが、まず制服を作らないと」

 

「うむぅ……後でこのひよこ買ってくれ!」

 

「はいはい。まずは仕立て屋に」

 

 腕を引かれて私は甘味処から引き剥がされ、仕立て屋へと連れて行かれた。

 仲見世通りの中にある仕立て屋『糸引き中村服屋』と言う店に入った。

 そこにいた店主であろう老婆が椅子に座って茶を啜って、奥では糸車を回す娘がおりその隣では無人の縫製機が動いていた。

 

「いらっしゃい。どういったモノが要りようかな?」

 

「すいません。この子に魔法処魔法学校の制服を仕立ててもらえないでしょうか」

 

「あいよ。寸法のほどは?」

 

「採寸からお願いします」

 

「はいはい」

 

 腰の曲がった店主の老婆が私の手を引いて、奥へと手を引いてくる。

 試着室へと投げ込まれ、老婆は手際よく私の衣服をはぎ取り始める。

 

「な、何をするのだ!」

 

「採寸じゃぁ。はよう脱げはよう脱げ」

 

 驚いてしまうほど手際がよく私の白衣の結び目を解いてゆく。

 私が拒否して体をよじればそれに合わせてうまく動いて、自然と修行服が脱げてゆく。これも魔法なのだろうか。

 

「こまいのう。わたしゃアンタ位やったらブリンブリンゆわしとったわ」

 

「う、うるさいわい!」

 

「ブラもつけんで。飴いるけ?」

 

「……もらうのだ」

 

 私は飴を口に入れころころと転がして味わい大人しくした。この老婆に逆らうと仕舞には褌さえも剥ぎ取られかねない。

 巻尺で頭から爪先、腕の長さから太さ、胴回りから胸囲を計り採寸を済ませてゆく。

 

「牛乳飲め、乳育たんぞ」

 

「うう……、そこは突かなくていいのだ! 牛乳は頂くのだ!」

 

 私のおっぱいを話題に上げてくれるな常人よ。他の女天狗の中でも育ちが悪いのは自分がよくよく理解している。

 悔しさに涙があふれてしまっても悪くはないだろう。

 採寸が終わり、修行服を再度着て試着室から私は外へ出た。

 

「採寸終わったよ。三十分ほどまっといてぇな」

 

 富文は笑顔で了承して、次へ行きましょうと私を先導する。

 私は奥で糸車を回す娘を見た時、老婆が私の視線を遮った。

 

「見ちゃいけねぇ……さあ行った」

 

 私は不思議に思う。富文に走って近づき、背中に飛びついた。

 驚いたような声を上げて、富文はよろめいた。

 

「撫子さん。危ないです、降りてください」

 

「……」

 

 周囲の仲見世を見渡せはちらほらいる。

 

「富文よ。ここの店は妖怪を飼っておるのか?」

 

「妖怪。ああ、使い魔ですか。あの店のあの娘さんの事ですか?」

 

「うむ、人間と妖怪は相容れぬモノなのに、ここでは自然と馴染んでおる。不思議で仕方ないのだ」

 

「地方では妖怪は隠れてますからね。こうした都市になると。無害な妖怪には我々と共存するのが一番いい方法だったのでしょう。危険な妖怪は魔法省が管理していますしね」

 

 何と奇妙な光景か。今迄私が見てきた妖怪ときたら私たちのみならず只人ですら見かければ逃げ出してしまう臆病者が多かった。

 一昔前は父様(ととさま)が子供の頃、爺様(じじさま)がまだ涅槃へと至っていなかった頃はまだまだ百鬼夜行が各地で起こっていたそうだが。

 魔法省とやらのせいでそれも起きぬようだ。

 

「あの単物屋の娘妖怪、何を供物に捧げている」

 

「糸引き娘さんですか? 紡いだ糸と引き換えにここに巣食う権利ですよ。糸引き娘の紡ぐ糸は魔法の乗りがいいですからね」

 

「ほうほう」

 

 感心だ。こうした生き方に人間が順応できるとは思っていなかったが、こうして目にして見ると人間も侮れないのもだ。

 私は富文の肩の上で町々の人の息遣いに感嘆のため息を漏らし、演技なしの関心を示す。

 陰陽師、祈祷師などは天狗の猿真似をするものだと父様(ととさま)に聞き及んできたが、魔法使いはまた違うのだと思えて心躍らせる。

 

「撫子さんは動物などは使わせてますか?」

 

「動物? そこらにいよう」

 

「いえいえ、契りを交わす使い魔になりえる動物の事ですよ」

 

「そういうのか。おるにはおるぞ。右烏よ」

 

 私が夜の空に声を掛けると何処からともなく現れる一匹の真っ白いカラスが私の肩に止まった。

 法起坊一族総領の家系に代々伝わる製法で生んだ一匹だ。

 

「立派なカラスですね」

 

「私の友人の右烏だ。父様(ととさま)母様(かかさま)の連絡役じゃ。霊峰で同時に生まれた三羽の一匹。魂が繋がっておるからな、右烏が見聞きしたことは父様(ととさま)母様(かかさま)に筒抜けだと思え富文」

 

「それは怖い。法起坊殿に怒られるのは何よりも怖いです」

 

「ふふん! そうであろうそうであろう。父様(ととさま)は誰よりも偉いのだ!」

 

 富文の肩の上で私は胸を逸らして自慢の出来る父様(ととさま)の権威に酔いしれる。

 フンス、と鼻を鳴らしてうんうんと頷き、これでもかと父様(ととさま)の偉大さを身に染みて理解する。

 四十八天狗、八天狗に列せられる五十六大天狗のみならず、常人にも只人にも畏れられる父様(ととさま)は本当に偉い。そんな父様(ととさま)が父に居てくれる事に私も鼻高く自慢だ。

 

「それでは次は杖ですね。杖屋を探さないと」

 

「店を構えているのではないのか?」

 

「杖と言う文化は欧州からの新しいモノですからね。仲見世で店を構えるには出遅れておりますから、歩き売りされてますよ。探すのが一苦労なんです」

 

 日本の魔術、魔道は神道の業であり道具を使ってどうこうというより、道具を使って神様に意思疎通を取って行う。陰陽師の系譜も大きく受けており、道具と言えばもっぱら杖と言うよりはその場で使い切りの和紙の呪符だ。

 杖と言うものの役割を今一理解していない私であったが、その事は学校と言うところで思う存分学べるだろう。

 と言うても私たち天狗の身から言わせてしまえば道具など使う輩は狒々にも劣る。

 

「ああいたいた。杖屋さん、すいません。杖を売ってもらえますか」

 

「んん? んんんっ? 妙な嬢ちゃんを連れてるねえアンタ」

 

 富文が話しかける杖屋。虚無僧服で声は壮年のモノであったが、奇妙な程に若々しい。

 それもその筈で大きな担い屋台を担いで、この人混みで人とぶつからず闊歩しているのだから体力もあろう。

 屋台を下ろして、杖屋は聞いてきた。

 

「毎度どうも。どっちさんが杖が欲しいのかな?」

 

「この子の杖を見繕ってくれませんか?」

 

「んん? んんん……無茶を云う旦那だねぇ。その子、天狗だろう?」

 

「そうなのだ」

 

 私は富文の上で溌溂と答えると、杖屋は首を捻って唸る。

 

「んん、んんん……んんんん、難しいなぁ。この子に見合う、杖なんてそうそうないよ」

 

「日本で杖を扱っているのは貴方だけなんですよ。お願いします」

 

「ふんん……。どれ」

 

 担ぎ屋台を下ろした杖屋は屋台の()()と入ってゆく。人の入れる隙間など無いはずなのに全身がその中に入りしばらくして出てくる。

 

「こいつはどうだ? 皮木に黒檀、心金に狂骨の大腿骨だ」

 

 若竹の筒に納まった杖を渡してくる杖屋。私はそれを取り出した。

 

「さあ、如何様にも」

 

「んんん?」

 

 杖屋の言葉が移ってしまった私は杖をフイっと振った時、杖は勢いよく内側より弾けて持ち手だけになってしまった。

 

「こりゃいかん。売り物が台無しだね」

 

「すいません。すべて買い取らせてもらいます」

 

「毎度あり、じゃあ次はァ……」

 

 また屋台の中へと潜って行きしばらくして出てくる。

 今度は桐箱に入った杖だ。

 

「皮木が豹麗木で心金が大蛇の背骨を使っている」

 

 手に取って、それを振った。

 ピューっと軽快な音と共に私の手を離れて空へと大きく舞って、空中のどこかでパン、と炸裂する。

 

「こいつもダメかい。そうさねぇ」

 

「もう杖は要らぬのではないか? 富文」

 

「そうはいきませんよ。杖魔法は必須課題ですし」

 

 富文も杖屋もうんうんと唸って困り顔。私は徐々に退屈になり始めた。

 そんな時、杖屋は手を叩いて思いつく。

 

「ああ、アイツがあった」

 

 何かを思い出したように杖屋は屋台へと潜った。

 今度はなかなか出てこない。ガタガタと屋台は揺れて、半時も待たされた。

 そして出てきた杖屋にはボロボロの布に包まられてた杖を持っていた。

 

「血脈桜の皮木、檮杌(とうこつ)の尻尾の毛の心金。北方より流れてきた曰くつきの逸品だ」

 

「曰くとはなんなのだ?」

 

「話じゃあ、こいつは使い手の命を吸い取るそうだ。天狗の嬢ちゃんには関係のない話だろうなァ」

 

 私はそれを握ると確かに、この杖は私の命を、魂を吸おうとしていた。

 枝切れ、棒切れの分際で貪欲な事この上ない。私はニッと笑て自分のその杖の柄をガジガジと噛んだ。

 甘い、途轍もなく甘い。甘露でいて甘美。神通力を身につけた者にはこの味は身に覚えがある。

 命の味だ。奪い、食らうその時の感情の味。

 一体幾つの命を吸って来たのだろう。この杖はまさしく冒涜と暴虐の味がする。

 

「うむ。気に入ったぞ、この杖を従わせようぞ」

 

「それですか分かりました」

 

 富文は駄目にした杖と血脈桜の杖の代金を払った。

 私は早々に富文の肩から降りて夜闇の空へと杖を掲げた。ツンと天を指し示すその真っ直ぐさと、貪欲さに惚れ込んだ。

 これが私が生涯持つ杖になるとは露知らず。



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学び舎の門

「うあああああああっ!」

 

 バサッ──バサッ──バサッ──。

 巨大なる海燕の背に跨り、私は太平の海を渡る。

 目指すは南方の孤島。南硫黄島。

 身に着けた衣服はいつもの白衣の修行服ではなく、ナウい和的なブレザーで今迄に着たことのない感覚に戸惑いを覚えなくもない。

 薄桃色の外套(ローブ)を羽織り、空の心地いい冷たさを全身に受けて私は笑みを浮かべた。

 これより私の向かうは新たなる風を日本へ呼び込む場所。

 ──魔法処魔法学校。

 そこには全世界の魔道を納める者たちの知識が集約されそして享受される場所。

 神通力にて世界のすべてを知った気でいる私には、外なる知識を得るまたとない機会だ。

 

「行くのだ、進むのだ! 私は新たなる知識を欲しているのだ!」

 

 

 海燕は水面ギリギリを飛んで小魚を取りながら、腹を膨らまし満足げに飛翔する。

 私は神足通で飛べば済むが、神州より硫黄島まで飛ぶのは骨が折れる。

 その反面飛ぶことを生涯の糧とするツバメは疲れ知らずだ。

 いざゆかん。新たなる知識の元へ、新たなる探求の旅へ。

 

 

 

 

 

 七草粥もとうに食べ飽きた頃。春の息吹もまだまだ先の季節。

 私は霊峰の麓、もとい実家の山へと舞い戻った私は生家には向かわず、天狗岳へと足を進めていた。

 着慣れぬ服に戸惑いを覚えながら、登山とはなかなか持って新鮮な気持ちだ。

 そんなこんなで実家の山を登っているが、いつもの雰囲気とは違っていた。

 私と同じ服を着た子供ら、そしてその親御なのか仕立のいい服をきた者たちも四十名ほど歩いている。

 

「毎年、我が山を歩いてくる大所帯は魔法処の者だったのだな。母様(かかさま)

 

「そうよ。分からなかった?」

 

「天狗以外の事はどうでもいいのだ」

 

「相変わらず興味のない事にはホント無関心ね。撫子は」

 

 親子供たちの中でもすいすいと登ってゆく私たちは皆から驚かれている。

 私は高下駄を履いて兎の如くぴょんぴょん岩々を跳ねて登り、母様(かかさま)に至っては歩き難いであろう着物姿ですいすい登るのだった。

 それもそのはずで、何せこの山は私の生まれ育った山なのだからどこをどう歩いて、どこに何が生えているのかも分かっている。

 山頂には遊び相手だった大海燕の集団営巣地となっている。私がまだまだ豆粒烏だった頃は燕どもが人を運んでいるとは露にも考えつかなかった。

 私としては飛んでいけばよいと思っていたが、富文は魔法処の立地的に危ないと言うので仕方なしに海燕に乗る運びとなった。

 

「まさか撫子が魔法処に入学するなんてねえ。空大さんもよく許してくれたわ」

 

 母様(かかさま)は嬉しそうにしていた。

 純血の天狗ではない母様(かかさま)

 本当ならば市政で天狗魔道など知らずに生きていく筈であったが、歳を数え十七の時に父様(ととさま)が天狗総会の帰り和泉の国の空を飛んでいて母様(かかさま)を見つけ、了承なしに連れ去り父様(ととさま)の偉大さと尊大さに母様(かかさま)は絆されそのまま天狗の家に嫁いだ。そんなこんなで母様(かかさま)である為に学校と言う場所の役割を知っており、私を魔法処に入れる事には大変に寛大で寛容であった。

 

「空大さんに習うじゃなくて、別の人からも習うのもいい勉強よ、しっかり学びなさい」

 

「わかったのだ!」

 

 私は高下駄で誰よりも先に山頂まで登った。頭上には大海燕が幾匹も空を旋回しており、我々の到着を待っている。そしてその山頂には若紫色の外套(ローブ)を着た女性が待っていた。

 少し釣り目で山々を睨みつけるように立っており、私と顔が合うと嬉しそうにほほ笑んだ。

 

「早いですね。よくここまで登りました」

 

「当然なのだ! ここは私の庭のようなものだからな!」

 

 胸を逸らして威張り散らす私にその女性は頭を撫でてくる。

 私は鬱陶しくその手を振りほどこうとするがその手は蜘蛛の糸のように頭に絡みついてくる。

 次第にその手付きは執拗に体に絡みつき体をまさぐり鼻息が荒くなってくるではないか。

 

「ふむふむふむ。これが天狗の子ですか。ふむふむ、大変興味深い」

 

「ぬぉう、放すのだ! 変態め!」

 

「もう少し、もう少しだけ……! 天狗と出会えるのは又とないのです! もう少しもう少しだけ……」

 

 まだまさぐり足りないと言わんばかりに体をまさぐろうとするが、母様(かかさま)の姿が見えた途端に手を放し、凛々しい姿に様変わりする。

 

「あら、教員の方? 早く来たのねえ」

 

母様(かかさま)! こやつ変態なのだ!」

 

「いえいえ、探求者として天狗の方を迎え入れるのは大変光栄です」

 

 母様(かかさま)の背に隠れ、そいつを睨みつける私の姿にその女は怪しげな目付きで舌なめずりするではないか。私の背筋に怖気が走る。

 

「こいつ嫌いなのだ……」

 

「もう、初日に何言ってるの。ごめんなさいね。人と関わる機会がなかったもので」

 

「滅相もないですよ」

 

 だんだんと他の生徒たちも天狗岳を登りきり、滑落しないようひと並びとなった。

 女は全員が集まったことを確認してかニコっと笑って話し出す。

 

「皆さん集まりましたね。私は魔法処、魔法動物教諭の鴇野美奈子(ときのみなこ)と申します。天狗岳に登ってもらったのは他ならぬ大海燕との面識を持たす為です、今後はご家庭から通学できますのでご安心ください。それでは海燕との顔合わせの後、魔法処へと皆さまを運び、入学式となります」

 

 みんな息せき切らせている。この程度で息が上がるようではコロリと死んでしまうだろう。体力程大切な寿命を延ばすものは無かろうに。

 私は美奈子を警戒しながら他の生徒の顔ぶれを見渡した。

 どの子供も別段の気配を感じさせない。しかしながら一匹だけは中々の魔道の雰囲気を漂わせている。

 鋭い眼光で整った顔つきの少年だ。親は連れておらず、誰もかれもを見下すような目で見ているではないか。

 悪目立ちするような赤い羽根の耳飾りをしており、何かの証と言わんばかりだ。

 

「さあ、皆さん。海燕に乗りますよ」

 

 空を旋回していた大海燕の一匹が下りてくる。大変大きな鳥だ。

 それもその筈、鳥がこれほどまでに大きくなるのは霊峰の力を大きく受けているからだ。

 私の友の右烏もそうで三羽と魂が繋がっていなかったら本来ならばこのように大きくなるものなのだ。

 石槌山は古くより天狗の住まう霊峰の土地、必然としてこのような大きな鳥も生まれよう。

 一人、また一人と海燕の背に乗り太平洋へと向かって飛んで行く。

 私はどうにも一歩を踏み出せず、学友たちが飛んでいくのを見ているばかりであった。

 

「行かないの? 撫子」

 

「何となく、怖いのだ……」

 

 私は俯いてそう言った。

 あれだけ心を躍らせていたが、いざ目の前に迎えて見ると足元から崩れ去ってしまいそうで恐怖して二の足を踏んでしまう。

 母様(かかさま)は優しく私を抱きしめてくれた。

 

「大丈夫よ撫子。死んじゃうんじゃないんだから、楽しい楽しい夢を見ているようなモノよ」

 

「夢?」

 

「あなたは本当なら立派な天狗になるために学校なんて通えない運命だった。でも、空大さんも了承してくれてあなた魔法処に通えるの、これはもう一生来ないチャンスよ。楽しまないと損だと思わない?」

 

「うむ……そう思うのだ」

 

「じゃあ行ってらっしゃい。胸を張って空大さんのように威張り散らしてね」

 

 私の背を押してくれる母様(かかさま)。私は恐れていた一歩を踏み出して新たなる世界へと向かう。

 ふわふわと柔らかな大海燕の背中に跨り、自力ではなく初めて他人の手を借りて空を飛んだ。

 不安を隠して飛ぶのは、これで二回目であろうか。初めて一人で空を飛んだ雛鳥のような、ビクビクと矮小な私を圧し潰してくる世界に立ち向かわなければならない。

 しかし不安と恐怖。その二つの感情に泣き喚いてしまいたい。だが同時に私の中で一つの感情が騒がしく騒ぎ立てるのだから面白い。

 好奇心と言う感情だ。

 知りたい知りたいと騒いで囃して、不安も恐怖も北風に吹かれる枯れ葉のように吹き飛ばしてくれる。

 私は恐る恐る飛んで、次第にその楽しみを見致したのだ。

 きっとこれもそう。私に更なる楽しみを与えたもうた世界に、私は更なる羽ばたきを得ようと飛んでいるのだ。

 この世界の輝きを余すことなくの手に抱いて、私は悠久の至福を得て涅槃へと向かおうぞ。

 私は手を広げて大きく息を吸い込んだ。潮風の生臭い匂いを鼻孔の隅々まで満たして、未来と言う展望を抱いて胸をときめかせ、歓喜の声を上げる。

 

「うあああああああっ!」

 

 清々しく、頼もしく、それでいて楽し気な声を。

 何人かがこちらを振り向いたが気にはしなかった。これは生まれ変わった私の産声だ。

 皆祝え、そして讃えろ。私は六代目石槌山法起坊、石槌撫子である。

 速く、より速く。高く、より高く。

 大海燕は私の機嫌を取るように空を舞い飛翔する。

 小一時間ほど飛んだだろうか。白雲の冠を被る絶壁の孤島が見えた。

 南硫黄島、あそこの頂上に私の新たなる世界が待っている。

 燕は上昇して、そして雲の冠の中へ突入した。白く烟る視界の中、肌寒く冷たい空気を押しのけて開けた光景は──桃源郷であった。

 城とも、寺院とも見て取れる翡翠色に輝く見事な造りの大講堂が薄い霧に隠れかくも美しい。

 他にも羊脂白玉の建物。瑪瑙で出来たの観音堂。玻璃を(ちりば)めた天文台もある。

 ここぞ日本の誇る魔道の知識を集約させた場所、日本の魔法使いを一人立ちする入口。

 魔法処(マホウトコロ)魔法学校。

 

「美しい。まさしくここは時輪タントラに伝わるシャンバラじゃ!」

 

 私はその荘厳なる光景に声を上げずにはいられなかった。

 海燕は学校の縁、海燕の休息地へと降り立った。

 幻想の世界にため息を付いてしまいそうなほど美しい光景。私はその場で舞を踊り出してしまいそうなほど惚けてしまっていた。

 

「皆さん、ようこそ。魔法処へ。校長がお待ちだミぃ」

 

 不意の声に新学生の皆が足元を見た。そこにいたのは丸々とした子猫のような子犬のような、みょうちくりんな生き物。

 ふさふさと毛並みの良さそうな毛並みが蒲公英(タンポポ)の綿毛のように柔らかそうに風に靡き、くりくりと可愛らしい目がこちらを見上げていた。

 気配からして妖怪。この見た目で人語を返す事の出来る妖怪は限られる。

 

「おいらは脛こすりだみぃ。魔法処の案内役だみぃ」

 

 女子は可愛い可愛いと声を上げて今にも飛び掛からんと言った様子であったが脛こすりはいち早くそれを察知して崖の上へと転がって逃れる。

 

「早く、魔法御殿でくるんだみぃ。みんなお待ちだみぃ」

 

 そう言って皆を引き連れ脛こすりは転がりながら進み始める。

 柔らかに生い茂る草花の香りが神聖な学び舎に安らぎを与え、しんと静まり返るこの場は如何に由来のある場であるかを示しているようであった。

 魔法御殿、翡翠造りの大講堂。重厚な大門が開きその内へと私たちを向か入れた。

 石造りと木造建築のいい所を取り合わせた近代の日本の雰囲気を顕著に表した造りをしている。

 和洋折衷の、幕末の新風の影響を特に受けた造りをしており日本の新たなるものを取り入れその中から新たなるものを作る姿勢を体現しているようであった。

 魔法御殿には既に全教員、全生徒が集まっており講堂内で座っていた。

 私たちはその人の壁は海を割るが如く開き私たちを迎え入れた。

 脛こすりはその間を転がり進み、私たちはそれに続いた。

 

「…………」

 

 言葉を失ってしまうほどの厳格さであったが、しかしながら生徒の中に妙な個性があることに気が付いた。

 生徒の年齢が上がるにつれ、外套(ローブ)の色が、薄桜、黄、赤、青、紫の順に変わっている。

 そして年齢、外套(ローブ)の色問わずバラバラに何かしらの統一色の装飾品を身に着けていた。

 赤い羽根の耳飾りを付けた輩、緑の梵字(サンスクリット語)の腕章を付けた輩、黄の古代神聖幾何学の首飾りを付けた輩。

 統一された集団(コミュニティ)としての象徴なのだろうか。

 私たち新生徒の中でもよくよく見ればちらほらとその象徴を身につけている者がいた。

 最前へと出た私たち、並び立つ教員の中から見知った顔が声を上げた。

 

「よくぞ参った。魔道の門を叩きし若人よ。私はこの魔法処魔法学校を預かる長、団三郎芝右衛門太三郎(だんさぶろうしばえもんたたさぶろう)である」

 

 校長挨拶の開幕であった。

 教員の外套(ローブ)は皆特徴的な色合いで、櫨染のモノから灰桜、猩々緋のモノまで個性豊かであった。

 その中でも団芝三の色は群を抜いて奇抜で、白金の外套(ローブ)は誰よりも目立っていた。

 

「君たちが今立っている場は日本の魔法使い魔女にとっての登竜門、魔法処の門は等しく平等な門であり学びを乞うものには知識を、技を乞うものには力を授ける平等な天秤だ。努力によっては偉大なる魔道を学ぶ、悪しきを極めれば外法の主となろう。しかとそれを理解し学業に励むのだ! 若き魔法使いたちよ」

 

 生徒たちが拍手の賛美をする。その中で赤い羽根の耳飾りの輩だけは手を叩いていなかった。

 

「さあ皆のモノ、教室へと戻り勉学へ励むのだ」

 

 新たなる世界。私の心は学びえる事を存分に吸収して貯蓄しよう。

 ここで、魔道の極めて同時に神通力も。



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放逐され入荘

「わぁああああああああああああがはいがぁああああああああああああ! この学年の担任! 田路村郭公(たじむらかっこう)! 田路村郭公(たじむらかっこう)であああああああああああああああああㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽうッ!!」

 

 入学式が早々に終わり、教室へと移った私たちの前に絶叫と共に妙にアクの強い担任が飛び込んできた。

 深碧の外套(ローブ)に冗談みたいに渦を巻いた口髭で目を血走らせてぎょろりとした目が私たちを見た。

 一年生学年主任、航海魔術兼言語学教諭。『東方の黒髭』と渾名される教師、田路村郭公(たじむらかっこう)だった。

 私たち生徒は完全にその風貌に身を引いており、教室の後ろに控えた親御たちの顔は苦笑い。

 

「こんんんんにちはぁああああああああッ!」

 

『こ、こんにちはぁ……』

 

「声が小さぁあああああああああい!」

 

 如何様に対処すればいいのか。私はこの者は物狂いのそれと考えている。

 尊大な言い方と声量の大きさ、そして声の伸び、それらをすべて良好な捉え方をしたとしても差し引いて余りある不衛生で不健康そうな見た目であった。

 

「皆の入学を祝福するのでぁあああああああㇽㇽㇽㇽㇽㇽㇽうッ! 。すべては海神のご意向であああああああるッ!」

 

「狂人かよ……」

 

 窓際に座ったスかした少年が頬杖を突いて、ぼそりと呟いた。

 そう思われても致し方ない見た目と頂点しか存在しない感情の起伏であるのだから、皆がまだ顔を合わせて数時間しか経っていないが心のすべてが合致した。

 

「皆、自己紹介の時間なのでぁあああああああㇽッ!」

 

 郭公の腕が千切れてしまいそうなほど、勢いよく腕を振ってその窓際の少年を指さした。

 

「安部くん! よろしく頼むであぁあああああああㇽッる!」

 

「……ッチ」

 

 苛立たし気な舌打ちが教室に響いて、少年は立ち上がった。

 天狗岳の時から変わらぬ斜に構えた見下したような視線が私たちを見下ろした。

 

安部竜人(あべりゅうじん)。京都出身、陰陽寮陰陽助『六波羅局』に在籍中だ」

 

 そう短く言って席に座る。

 

 ──六波羅局って、禁裏の? 。 ──陰陽寮、あんまりいい雰囲気じゃないわ。

 

 コソコソと生徒たちは思い思いに言葉を話し、まるで腫物を見るかのように竜人を見ていた。

 私はどうしてそう騒ぐことがあるかと思い疑問に思うばかりだ。所詮は陰陽師、天狗の足元にも及ばないわっぱだ。

 私の鼻息で吹き飛ばせる程度の存在だ。

 あいうえお順に名前が呼ばれ、この学年では総勢二十名しかいない為に私の順番はすぐに回ってきた。

 

「石槌くううううううううんッ! じいいいいいいいいいこ紹介だああああああああッ!」

 

「うむッ!」

 

 私はただ立つだけでは不服だ。机の上に立ち、胸を張って宣言する。

 

「私は五代目石槌山法起坊の娘。六代目石槌山法起坊! 石槌撫子なのだ! 平に平伏せよ常人どもよ!」

 

 外套(ローブ)とスカートをひらめかせ、胸を張って郭公の大声にも負けない声で宣言する。

 その私に見んなポカンとした表情でこっちを見ている。ふふん、私の偉大さに言葉も出ないようだ。

 私は腕を組んで得意顔で鼻息荒くふんすとそしていると隣のおさげ髪の学友が小さく声を掛けてきた。

 

「……石槌さん、石槌さん」

 

「ん? 何だ常人の娘よ」

 

「……パンツ見えてる」

 

 高台に陣取ってしまうと必然的に皆の視線が上に向いて見上げる形となる為に、スカートの中身を大公開してしまう。と言っても私の下着は褌。隠すべきものを臆面もなく曝け出されていた。

 男学友は顔を赤く染めて逸らし、女子学友は共感性羞恥からか同じく顔を赤く染めて驚いた表情をしていた。

 親御はここまで尊大な私に驚いた表情を浮かべ、母様(かかさま)はカラカラと笑っていた。

 

「元気があることは大変よろしことでああああああああㇽッ! 次いいいいいいいいッ!」

 

 自信たっぷりに胸を張って着席した。

 みんな妙なのが来たと言った顔で私の顔をチラチラ見るがそんな小事を気にするほど私は狭量ではない。どんな人間も受け入れて見せようぞ。

 どんどん自己紹介が進むがこれと言って天狗の勘が働くような気配を漂わせているのはそう居ない。

 いるにいる。安部竜人ともう一人、私の隣の下着を教えてくれた女子。

 

「次いいいいいいいいッ!」

 

 その子に指が刺され、彼女は立ち上がった。

 

山本綾瀬(やまもとあやせ)です。広島出身、比婆山周辺で寺と祈祷師をしている家系で特に紐を使った、紐結占いが得意です」

 

 奇妙なほどに妖怪のような気配が濃い。只人と常人の混血とも違う。

 人と妖怪の混じり物。私たち天狗とはまた違った存在だ。

 凝視する視線に綾瀬は勘づいたのか、私の顔を見て渋い笑い方で私の視線を誤魔化した。

 一学年総生徒数20名。過半数が害にすらなりえない道端の石ころだ。

 こんな中では私はきっと優秀、と言うより唯一至高の存在とたかを括っていた。

 

「エクセレント! グレエエエエエエエイト! アメイジンンンンング! 吾輩は君たちを生徒にもてる事を光栄に思うぞ!」

 

 郭公が杖を抜いて、空に振り教卓に山と積まれた紙の冊子を魔法を使いすべての人間に行き渡らせる。

 そこに記された内容は通学及び下宿先の指定案内に関する紙であった。

 東北や、海道など土地的に通学に距離のある生徒には学校側が下宿先を用意していると言う内容であった。

 

「下宿は好いぞおおおおおおッ! 学友同士切磋琢磨し同じ釜の飯を食えるのだああああああッ!」

 

 衰え知らずの声量で話す郭公が杖を一振りして地図が記載されている頁を開かせた。

 その住所は広島県市内に市営の魔法使いの息の懸かった地域があるそうでそこの『野良犬荘』と名前が記されていた。

 写真も一緒に添付されているが、見るからに如何にもな襤褸の木造住宅と言った風体だ。

 

「既に入学前から何人か入荘の申請があった! 我々は歓迎すㇽるるるるるるッぞッ!」

 

 後から聞いた話であったが、野良犬荘には独身の教員も下宿しているらしく、郭公もその一人であった。全生徒から陰で言われているのは郭公の隣の部屋になった者は夜な夜な発狂する郭公の声で生徒ももれなく睡眠不足から発狂してしまうそうだ。

 ここまで常軌を逸した教師はもういないだろうと誰もが思いたいがそこは魔法処魔術学校、我々の予想を大きく上回ってくることとなるのは言うまでもない。

 

「けいいいいいい告なのであああああるッ! この教室棟を出て西、競技用具棟『珊瑚の宮』には近づくことは極力避けるのであああああッるッ!」

 

 理由も告げず郭公は警告を発したのであった。

 

 

 

 

 

 入学案内も終わり、私たち新生徒は思い思いに帰路についていた。しかしながら私は。

 

母様(かかさま)も無体なのだ! 私を放逐して、襤褸の家に押し入れるとは!」

 

 ぷりぷりと膨れて一人愚痴る私は広島の町を風呂敷に担ぎ、その中には衣服一式と風呂道具、古新聞と燐寸、仕送りの資金を包んでいた。

 母様(かかさま)曰く、私たちの手から離れて世間を知るの為には家を出るのが一番と言うので私は四国の石槌山より追い出され入学案内で紹介された『野良犬荘』へと向かっていた。

 米帝の雷たる原爆を投下された広島は27年で見事な復興を遂げた。

 父様(ととさま)があの最悪のキノコ雲を天狗岳で見た時はまさしく世界が終わるのではないかと話していたのを覚えている。

 あの惨劇の中から、あの地獄から只人は見事に復活してこの繁栄を見せる姿は天狗の私としてもあっぱれと言えよう。

 しかしながら今の苛立ちにも似た不満の矛先は只人の繁栄ではなく、身内の、母様(かかさま)の横暴であるからに始末が悪い。

 

「酷いのだ、ひど過ぎるのだ。母様(かかさま)の横暴なのだ!」

 

 私は町々を抜けて広島城近くの市営住宅地へと入り冊子の『野良犬荘』の地図を頼りにウロウロと歩き回るばかりであった。

 しかしなかなか見当たらあないのだからず歯痒い限りで、地団駄を踏んでいる。

 飛んで周囲を確認して野良犬荘を探したいが、魔法処より出る時、母様(かかさま)、団芝三、そして私の顔をこっそり見に来ていた富文が飛ぶことをひと時禁止すると命令された。

 富文や団芝三の命令だけなら無視して当たり前だが、母様(かかさま)の念押しともなるとそうそう無視が出来ない。

 それを破ろうものなら、本当の意味で放逐されかねない。

 

「ううぅ……どこなのだ。野良犬荘は」

 

 泣き出してもいいだろうか、本当に見当たらない。最悪このまま野宿かも知れないと意を決する覚悟であった時、私と同じ制服を着た男子生徒を見かけ最後の手綱とばかりに駆け寄った。

 

「主! 待つのだ!」

 

「うん? 僕かい?」

 

「そうだ。そうなのだ! 貴様、このあたりで一体何をしておるのだ?」

 

「何をって、帰省中? あ、君って新入生な感じ?」

 

「そうなのだ! 野良犬荘が見当たらぬのだぁ……?」

 

 半分涙声であるのは自分でも重々承知である。しかしこここやつを放したのなら永遠に下宿先に到着できる見込みがない、しがみ付いて離してはならない。

 

「ああ、泣かないでよ。僕がイジメてるみたいじゃないか」

 

「ううっ、常人如きにイジメられて堪るか!」

 

「いっで、痛てぇ! 蹴るな蹴るなよ!」

 

 私は嘲るこやつの脛をへし折らんばかりに蹴った。

 男子生徒は訝し気な顔で私を睨んで、土埃を手で払い私を遠ざけて聞いてくる。

 

「担任に聞いてないのか? エンマ荘は晦ましの魔法で普通の道筋で来たんじゃ現れない」

 

「そうなのか!」

 

「担任誰だよ」

 

「郭公なのだ」

 

「ああ……黒髭ね。じゃあしゃあないか。はぁ、分かったちょっと付いて来い。道順教えてやるから」

 

 私の手を引いてその生徒は道順を教えてくれた。広島城を右回りに一周、市民球場を回り、中央公園の土を踏んで市営住宅地に入ると言う道順であった。

 

「覚えろよ。この順番じゃないとエンマ荘は開かない」

 

「私は野良犬荘に行きたいのだ」

 

「そこだよ。野良犬荘、別名エンマ荘。どんな人物でも平等に扱う平等の館。天皇様でもあそこじゃ一市民だ」

 

 男子生徒はそう言って、市営住宅地の中へと入った時に先ほどまでなかった位置に襤褸の木造住宅があるではないか。私たちの辿った道に並び他の生徒たちもどんどん入ってゆく。

 野良犬荘の外観は十坪あればいい位のトタンやら襤褸木を繋ぎ合わせた家屋だが、しかしながらその大きさとはまるでそぐわない人数が入ってゆく。

 

「訊くが、あそこは何人入るのだ?」

 

「あ? ああっと。二百人くらい? 間取りは奥に行くほど変わるから正確なところは分からない」

 

 常人の魔法で私が感心できる一つと数えられるモノだ。空間を拡張してより多くを収納できる魔法だ。

 

「君名前は? 僕は国光大樹(くにみつだいき)。二年の探求派だ」

 

「私は石槌撫子である。ところで、その探求派とは何なのだ?」

 

「え? はぁ──柄じゃないよ。君もしかして沖縄の人? あっちはアメリカの系統が多いから」

 

「何を言う。純正の神州、伊予二名洲(いよのふたなのしま)の出身である」

 

「伊予二名洲? ……ああ、四国か。おっかしいな。知らないってことある?」

 

 大樹の言う言わんとする意図がいまいち汲み取れないが、何か私は知っておくべきことを知らないようだ。

 それを聞こうとするが、懐中時計を確認して焦ったように走り出す大樹。

 

「どうしたのだ? 大樹」

 

「急げ! 学生食事の時間だ。この時間逃がすと夜飯は外で食わねえといけねぇ」

 

 そう急かしてくる大樹の背に続いて、エンマ荘もとい野良犬荘に飛び込んだ私はその光景に驚く。

 襤褸の家屋の外観に反し、戸を潜った先に広がった野良犬荘の内装は高級旅館も驚くような豪勢な造りをした豪邸だった。

 しっかりとした梁が天井を支え、手触りよく木の棘も綺麗に取られた床。

 淡く照らし出す洋灯の照明、絢爛豪華な絵屏風、掛け軸は意思を持ったように優雅に動き、壺に至っては上等な唐物であるではないか。

 私はその光景に感嘆のため息が出そうだったが、大樹は靴を脱ぎ捨てて慌ただしく食堂へと走る。

 脱ぎ捨てた靴はひとりでに下駄箱に収納された、これも魔法の賜物の一つ。

 

「おお! これは曜変天目茶碗! まだ実存しておったのか!」

 

 壁に飾られている珍品中珍品『曜変天目茶碗』。只人の世界ではたった三点しか確認されていないモノ。

 よくよく壁に飾られた物品を見ればそれらは幻の逸品の宝庫。

 所在不明の名刀『蛍丸』。平将門が愛した掛けたと言われる能面に、枕草子の写本まである。

 これほどまでよくぞ集めたものだ。しかしながらここの生徒はその価値が分かっていないようである。

 それもその筈、毎日見ればそれはただの置物にしかならないからだ。

 そんな事よりも優先すべきは夕食なのであった。

 私も食堂へと足を進めて暖簾をくぐり敷居を跨いだ時、そこには和気藹々と食事をする若人たち。

 豪勢に並べられた食事は宮廷料理と言われても疑わない豪華さ、そんじょ其処らの懐石料理など鼻で笑えるような豪奢さであり、それに加えて洋食、中華、国を問わない種類の数。

 配膳を担当しているであろう老婆たちは、この館での門番であり、給仕であり、人食い怪物、妖怪『山姥』だった。

 

「あ、石槌さぁん!」

 

 私を呼ぶ声にふとそちらに眼を向けるとここに入荘した新入生一同が既に介しており宴会が開かれているではないか。

 私の褌に何やら恥を感じていた綾瀬であった。

 入荘人間は私を含めて男子四名、女子二名の六名だけであった。

 しかし人数は少なくても笑顔だけは本物だった。

 

「全員揃ったみたい。ねぇまた乾杯しない?」

 

 綾瀬が音頭を取って乾杯を促す。男子三名は乗り気で、コップを持ったが一人乗り気ではないのがいた。

 一人片膝を立てて飯を食べる竜人であった。

 

「ほら竜人。乾杯しようぜ」

 

「こういう時は郷に入っては郷に従えだぞ」

 

「コップ持てよ」

 

 男子三名がそう言ってあれたこれやとしているが巌として応じようとしない竜人。

 私をキッと睨んで鼻笑いをかますではないか。むかっ腹が立たなくもないが、安心せよ私は今至宝の品々を見て気分がいい。

 寛大に許して席に着いた。

 

「じゃあみんな入学おめでとうございます!」

 

『おめでとう!』

 

「おめでとうなのだ!」

 

「…………」

 

 疲れた体に染みわたる茶の味は格別であった。

 有意義なひと時だった。誠に有意義なひと時であった。



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些細な異変

 時を数え魔法処に入学し早二ヶ月経とうと言う早朝。

 

「コケコ、コケコ、コケコッコー!」

 

「コケコケコケコケコケケケケケケケ!」

 

 発狂語りの妖怪鶏とそれに習い廊下を走って回る郭公の奇声でエンマ荘の朝は始まる。

 早朝の六時に毎回まったく同じ時間帯に発狂語りと郭公が大声でエンマ荘を駆け回れば嫌でも目は醒めるようになる。その声が登校時間に会う丁度良い時間なのだから皆目覚まし代わりに使っている。

 寝間着姿の生徒たちは自室を抜け出す、扉の開け閉めの音で私も目を覚ます。

 

「ぬぅ、朝か……」

 

 寝ぼけ眼を擦って私は布団から朝露に濡れる亀の如き鈍重な動きで起き上がった。

 常人との共同暮らしと言うものに大変な憤りを覚えていたのは最初の頃までで、二週間も過ぎれば京となりつつある。

 夜一二時以降は自室より出れば荘長の山姥に取って食われる可能性があるが、それを除けば不満と言う不満は郭公の夜の発狂声ぐらいだろう。それも今では心地の良い子守唄だ。

 廊下へと出て食堂へと向かう最中に香る香ばしい焼き魚は何とも食欲をそそられる。

 

「おはよう、撫子ちゃん……」

 

「綾瀬、おはようなのだ」

 

 私と同じくまだ眠いのか大欠伸をしながら友人となった綾瀬と鉢合わせて、共に食堂へと向かった。

 食堂では既に多くの者が揃っており食事をしている。

 出汁巻き卵、赤味噌白味噌合わせ味噌吸い物とすべてそろえた汁物、焼き魚は鮭、シシャモ、鯖とあり、副菜は漬物、お浸し、納豆と食べきれない程並んでいる。

 私はおひつから米を茶碗によそい、焼き鮭を皿に取り味噌汁と山ほどの甘納豆を選び朝食を取り始めた。

 

「いただきますなのだ!」

 

 食欲から眠気も徐々に吹き飛び始め。がつがつと米をかっ込み、味噌汁を啜った。

 後ろを通る山姥に礼を言う。

 

「相変わらず美味いのだ。山姥よ!」

 

「あ”り”がと”ねぇ……」

 

 嗄れ声で応答する老婆、見た目は人と相違ないが夜になれば人を食らう化け物となる危険な妖怪だ。

 しかし日が昇ってしまえばこれとて安全であり、こうして自らの宿に泊まる者に食事を用意して回る。毒と同じで妖怪も折り合いを付ければいい関係が保てるものだ。

 向いに座る綾瀬はスクランブルエッグとロールパンを毟って食べていた。

 

「それだけで足りるのか? 綾瀬よ」

 

「朝は弱いの、胃も縮んでるしあんまり食べられない」

 

 その割には私とよく間食をしている。どうすればそれが腹の肉にならないのか不思議で仕方ないが、食べたものはその胸部へ向かっているのだろう。

 豊満な母性の象徴、同い年でも大きくかけ離れたそれ。私は自分のモノに視線を下ろすと平野が居座り古墳の如き乳首があるばかり。

 

「っく!」

 

「どうしたの? 撫子ちゃん?」

 

「ううっ、何でもないのだ!」

 

 私は焼き鮭を骨ごと喰らい、飯を目一杯含んで味噌汁で流し込む。

 そして朝初めの楽しみである甘納豆の山を喰らい頬を緩ませる。小豆洗いが研いだ豆は品種限らず甘みが付くと言う。この甘納豆はその豆を使っている為に大変甘くよろしい。

 顔を綻ばせて味わう姿に、斜め左向かいに居座る竜人が鼻で笑い、嘲るような笑いを漏らした。

 

「なんなのだ竜人、甘味を食べる私がそんなに可笑しいか!」

 

「飯ぐらい静かに食え。落ち着かないったりゃありゃしない」

 

「ぬううっ、相変わらず嫌味な奴なのだ……」

 

 入学当初からやけに私というより全員に見下したような態度で接する竜人。

 こやつの表情筋は常に一定でまるで能面の様であった。

 しかしながら魔法の才覚は群を抜いており、一学年の頂点だ。こんな嫌味を言っているのもそのせいだ。

 今にその座を私が奪い取り尻に敷いてやると心に決める私なのであった。

 

「綾瀬よ。一講座目は何の授業なのだ?」

 

「日本魔法暦学、でも姫路先生が四年生とダブってるって言ってた」

 

「うむ、では銀醸だな……寝てしまわぬよう気おつけねば」

 

 お代りの甘納豆を取りに行った私はゆったりと食事を楽しんだ。

 ゆっくり楽しめると思ったがよくよく思えば、登校時間は決まっている。エンマ荘で生活する生徒の大海燕送迎は時間が決まっている朝七時、広島城の天守閣に大海燕が待機して七時五分後ピッタリに飛び立つために、正規の登校手段としてはそれしかない。

 過去に大海燕に乗り遅れ、箒で登校しようとした生徒がいたようだが結果として只人の戦闘機に追い回され大騒ぎとなり停学処分を喰らってしまったそうだ。

 遅刻をすれば成績に響いてしまう、私としては他人の評価などどうでもいいが母様(かかさま)からの大目玉が怖い。勤勉にするしかない。

 食事を済ませて自室へ戻り、制服の袖に腕を通す。

 外套(ローブ)の色は薄桜から僅かに赤みを帯びて色を変えていた。

 魔法処魔法学校の特色、成績素行によって外套(ローブ)の色が変わり大きさも身長によって変幻自在に変化する魔法の外套(ローブ)だ。

 色の法則性は冠位十二階に準えていると言われているが色の順番は滅茶苦茶で、下より、白、黒、桜、赤、黄、紫、青、黄金の順に上がってゆく。

 私はまだまだ中の下だが、悔しいかな竜人の外套(ローブ)は紅桔梗の色まで上がっている。

 何をどうすればそこまでの色になれるのか不思議でならない。全く同じ授業を受けているのになぜそんなに上へと昇るのか。

 

「あやつ何かズルをしているのではなかろうか」

 

 そう思われてても仕方がないだろう。

 私は着替えを済ませてエンマ荘を出る。広島城の天守閣へと向かう。

 本来の天守閣の開館時間は九時以降だが、ここの管理は日本魔法省の息の懸かった部署が担当している為に魔法処の生徒は無償で通れる。

 天守閣の最上階へと昇り、隠し通路へと入り屋根の上へと登った。

 燕たちが待機しており、所狭しと犇めいて天井に止まっている中で燕の脚の隙間を抜けて、私だけを乗せる燕を見つけ出す。

 

「さあ、行こうぞ!」

 

 私の掛け声に応じて燕が出発。天空を駆けて行く。

 変わらずの爽快な飛行で私の朝は上機嫌だ。

 

 

 

 

 一時間目の授業、日本魔法暦学。

 瑠璃講堂の一室で私たち一年生は歴史と言うものを勉強していた。

 

「──このため日本魔法界では陰陽に準えてイギリスで言うマグル、アメリカではノーマジと表現される非魔法族を日本では只人と、魔法族を常人と呼び、只人の社会を『表』と呼び、常人社会を『裏』と呼ぶ事が多くある。裏浅草もその一つだ」

 

 教壇に立つのは教師かと思いきや、それは生徒であった。

 六年生。最年長生徒の中でその分野で成績の優秀な者が時折教員の代わりに下級生の授業を持つことがこの学校ではある。

 何とも不思議な秩序だが、それも致し方ない事。

 魔法処魔法学校の全教諭数は校長を含め十二人しかいない。大抵の教員が二つか三つの学科を兼任しており、その授業数を考えれば圧倒的に人数が足りていないのだ。

 しかし学ぶべき場で教える人間がいないのは歯痒い限りと過去この学校に在籍した生徒たちが自ら勉強し、学生集会として共同勉強会を開き学を磨き出したのがこの代理教諭制度の始まりだった。

 授業で教諭が二重講座の予約を立ててしまった場合に年長学年が年少学年の勉学を教えると言うものに変わって行った。

 そしてこの日本魔法暦学の授業を請け負ったのは六年生の田島銀醸(たじまぎんじょう)だった。

 温和で深いところまで教えるのがうまいともっぱらの評判で、実際の日本魔法暦学の教諭、大野姫路(おおのひめじ)に訊くより、銀醸に訊いた方が有意義と言われる程だった。

 これでは教師も形無しだろうと思うが、現教員も魔法処の卒業生が多く、銀醸の様に学生時代に教壇に立っているのだからそう馬鹿には出来ない。

 しかし銀醸には悪い点、美徳でもあるが、その声には魔法どうこうではなく不思議な眠くなる声であった。

 

「さて、次は日本の魔法使いの繁栄と衰退についてだ。教科書の六五二頁を開いてくれ」

 

 私たちは銀醸の懇切丁寧な説明で大いに知識の幅を広げている。

 

「日本の魔法族は古くからは飛鳥時代より伝わっている。そして魔法族は今からでは考えられないほどの権力を持っており彼らが運営した中務省があった。これが分かる者はいるかな」

 

 問いを投げかけられる。この問いはあまりにも有名だ。

 俗世に興味のない私でも知っている。手を上げるまでもなく、生徒の一人が呟き、それを銀醸は聞き逃さない。

 

「陰陽寮だ」

 

「そう、陰陽寮、表での陰陽寮は暦の作成、占いや天文をする中務省とされているが、裏では正しい運営内容が伝わっている。それが日本の魔法族の管理運営、現代の魔法省のような機関の形態がこの時代に既に存在していた。世界広し手と言えどここまで古い歴史を持つ組織は存在しない」

 

 そう言って銀醸は手に持った資料を捲る。

 

「様々な表の政策をまさしく裏で取り仕切ってきた陰陽寮は帝、天皇家にその魔法族の血を入れることに成功した。一説ではもともと天皇家は魔法族だったという説もある。そして次第に天皇家は神聖さを強め現在の皇居は魔法皇族の血統の保全を注力して『約束された一族』と日本の魔法界では評されるまでになった。神聖不可侵の約束された血筋だ。ここはテストに出やすい。覚えておいてくれ」

 

 私は紙に記し、よく覚えておくことにする。

 

「そして天皇家、陰陽寮は深く関わってその繁栄を盤石とするべく政治のかじ取りをするが、後の武家などに政治の主権を握られ、陰陽寮と天皇家を監視する為、北条泰時と北条時房が京都市東山区六原に六波羅探題(ろくはらたんだい)を設置した。後の政策などは表社会の歴史書などを読めば分かるように、黒船来航まで日本の魔法族の動きは緩慢化してしまう。ここまでで、分からない所がある人はいますか?」

 

 ここまでわかりやすい説明をして分からない奴は馬鹿だ。

 黒板にも判り易いように説明を書いてくれている銀醸の心づかいに感謝だ。

 

「じゃあ続きを。黒船来航で、国外魔法族の日本の流入があり日本の魔法族はそれに危機感を感じ明治維新の際に明治政府に魔法族を入れて再び政治の世界へ躍り出た。話では武家への意趣返しと言う意味もあったそうだ、これにより産業革命の波を諸に受け、諸国の只人の技術に疎い魔法使いたちとは違い、日本の魔法使いたちは只人の技術にそこまで疎くはない。機械音痴といった具合だ。そして日露戦争が開始され、魔法族が動員されることとなり勝利を抑えめ勢いずく者たちがいた。──陰陽寮だ」

 

 黒板にでかでかと日露戦争の年表と名前を書き二重線。

 

「陰陽寮は魔法族至上主義を掲げ、積極的に政治に干渉しようとした。しかしこれは世界各国で結ばれていた『国際魔法使い機密保持法』に大きく違反する行為であり。国際的にも日本の立場は悪くなった。しかし強硬な態度を崩さない陰陽寮は、戦争に介入し、第一次第二次の世界大戦に積極的に関与した。だが結果はみんなも知っての通り、日本は敗戦した。昭和天皇は自らの人間宣言をして家系内の魔法族を分家化、そして陰陽寮を激しく叱責し組織規模を縮小されてしまう、分家化した天皇家は『禁裏の一族』と言われるようになった」

 

 日本の魔法族の長は魔法省大臣ではない。禁裏の一族だ。禁裏様と呼ばれている。

 表で例えるのなら魔法省は日本政府、禁裏の一族が天皇と同じ、禁裏様も象徴でしかなくなった。

 

「GHQの駐留で日本にも魔法省が設立され、日本の魔法族の人口を割り出したところ一説では一万人未満だったそうだ。日本は世界大戦で国も国民も魔法族も徹底して衰退してしまった。魔法族の出生率は今も低く、年々減りつつある。海外との国際結婚も今後推奨されると日本魔法省の発表では──」

 

 話を遮るように授業を終了する法螺貝が鳴り、銀醸はその瞬間に資料をパタンと閉じた。

 

「今日はここまでだ。続きは次回だ」

 

 そそくさと教材をまとめて教室を後にした。

 

「撫子ちゃん、撫子ちゃん!」

 

「ふがぁ!」

 

 授業中、銀醸の声のせいで声は聞いてはいたが半分意識を飛ばしていたようだ。

 綾瀬の呼び声で私は現実に覚醒する。

 やってしまった。銀醸のあの魔性の睡眠音声を聞いていると否が応でも睡魔と戦う羽目になる。

 私は口元から顎へと垂れた涎を拭い、欠伸を一つ。

 

「うぬぅ……銀醸の声はなぜあそこまで眠くなる……」

 

「あははっ。確かに田島先輩の声ってリラックスできるよね」

 

 私は教材をまとめて次の授業へと向かう準備を始める。

 すると、教室の扉を叩く者がおり、その者は校長の団芝三だった。

 神妙な顔つきで、小脇に控える富文が両手に厳重に閉められた木箱を抱えていた。

 

「安部君。安部竜人君はいるかね?」

 

 全員の視線が竜人の顔へ集まり、竜人の小馬鹿にしたような面を見せるのかと思ったが、それとは打って変わり竜人の顔は真剣な顔つきで木箱を睨んでいた。

 

「なんですか?」

 

「少しお話をしたいのだ。時間は取らせない」

 

「……分かりました」

 

 廊下へと出て端で向かい三人は何やら相談をしていた。

 私たち生徒も何事かと顔を覗き込み、竜人らの唇の動きから会話の内容を読み取ろうとする。

 こういう時天耳通を習得していればなんと便利な事だっただろうか。習得していれば一言一句聞く事ができた。

 しかし私はまだ煩悩に塗れ、神足通までしか習得できていない。

 すると富文が木箱の中身を竜人に見せ、竜人の顔は険しく怒りに満ちた顔で中身を睨みつけていた。

 何か不快になるようなものがあの中に入っていたのだろうか。皆が顔を見合わせ首を捻るばかりだった。

 竜人たちは私たちの視線に勘ずき、我々からは見えないとこへと移動して行った。

 

「校長たちは何しに来たんだろう?」

 

 綾瀬は不思議そうな顔で私を見た。

 私も首を捻って疑問であると言った動作をするしかなった。

 すると法螺貝の予鈴が鳴り響き、皆が焦ったように次の教室へと移動を開始した。

 私たちも急いで移動せねばならなかった。

 

「撫子ちゃん。急ごう!」

 

「う、うむ……」

 

 妙な胸騒ぎがあった。あの箱の中身、中身は見えずとも気配としてあまり良きものではないのは感じ取れた。

 何か、妙に、禍々しいような妖気に満ちた感覚。そして竜人の気配にも似た気配があった。

 その日、竜人はどの授業にも顔を出さなかった。



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乱闘

 私たち一学年生たちは次の授業へ向かう最中に玻璃の天文台へと続く廊下で立ち往生していた。

 なぜか。それは廊下を封鎖するように、生徒たちが罵詈雑言の戦まがいの乱闘をしているではないか。

 余りにも激しい闘争は教室内の備品を廊下に引っ張り出し、双方がバリケードを作り、一年前にあった表社会のあさま山荘事件を思い起こさせる。

 上級学生たち、その中でも赤い羽根の耳飾りをした純血派と、緑の梵字(サンスクリット語)の腕章を付けた戦中派と呼ばれる集団のいざこざであった。

 

「外人交じりの常人風情が! 我らが禁裏の血に敵うと思うな!」

 

 その声と共に杖が振られ、眩い閃光が戦中派の陣営のバリケードに炸裂した。

 

「黙れ! 時代遅れの部落共! 今諸外国の魔法戦争の展望も見えないのか! 武器よ去れ(エクスペリアームス)!」

 

 私たちの習っていない魔法のぶつけ合い、鬱憤を晴らさんと言わんばかりの激昂具合に私たちは戦中派の後ろの空き教室へと逃げ込んでその様子を見ていた。

 

「何が起こっておるのだ! 綾瀬よ!」

 

「純血派と戦中派の乱闘よ。第一次世界大戦の頃からの因縁だかね、でも今回は特にひどい!」

 

「まるで(いくさ)だな……。これでは占星術学の授業に間に合わんぞ」

 

 私たちにはどうしようもない。この争いがいち早く収まることを願うばかりである。

 

麻痺せよ(ステューピファイ)!」

 

 戦中派の放った魔法が純血派のバリケードを飛び越えて一人に炸裂した。

 白目を剥いて泡を吹き倒れ込む純血派の生徒。それに対して純血派は更に怒りの感情が高まり、誰かが杖魔法ではない日本古来の呪符を用いた魔法を行使した。

 

「八卦の印! 木により火を準える!」

 

 呪符が投げ込まれ、その呪符がバリケードに触れた途端に一角を吹き飛ばす爆発が起こってしまう。

 耳が裂けんばかりの轟音と、閃光。火の手が上がり、戦中派の何人かが負傷し悲鳴と苦しみの声を上げて阿鼻叫喚の地獄のそれであった。

 

「失せろ! 貴様らにはベットの上がお似合いだ外国交じりの馬鹿どもめ!」

 

 煽りを重ねる純血派の生徒たち。しかしそんな罵声にもへこたれることなどない戦中派は負傷者を後ろへと退避させ、闘争を続ける様子であった。

 

裂けよ(ディフィンド)!」「割れよ(ノラードイグリタス)」「粉々(レダクト)!」

 

 終わることのない戦い、しかし終焉はある。

 騒ぎを聞きつけた教員が授業を取りやめて現場に急行してくるではないか。

 防衛術兼魔法概論学教諭の立木香美乃(たちきかみの)、杖術兼魔法薬学教諭の秋形鬼灯(あきがたほおずき)、魔法動物学兼癒者教諭の村崎野治(むらさきのじ)と、校長である団芝三だった。

 

「やめなさい。これ以上は人死にが出るわ!」

 

「止めんかバカ者どもが! 致死性の呪符術を使う奴がいるか!」

 

「あぁ……血が止まんないよ。本土に連れて行かないと……」

 

「もうよかろう、皆のモノ! 神聖なる学び舎だ、血を流す場ではない!」

 

 教員たちは口々に説教と現場の収拾に大忙しの様子であった。

 徐々に事態が収まり、校長自らの手で火の手を水を表す魔法で消火していた。

 私たちは深いため息のような安堵を漏らして、顔を見合わせた。

 何とも悲惨な状態だ。団芝三も富文も入学前にこの学校がどういった事になっているかなど一言も言っていなかった。

 私は少しだけ苛立つが、この騒動を教師が収めた事でひとまずは安心していいだろう。

 しかし闘争の熱はそう簡単には収まらない。

 若者の怒りは燃え尽きるまでその業火を燃やし続けるのが世の常だった。

 

「くっそ! 砕けよ(ボンバーダ)!」

 

 腕を押さえられた純血派の生徒が無理やり振りほどき、杖を抜いて魔法を校長に向かって撃った。

 この場に戦慄が走った。閃光がまっすぐ団芝三の顔へ、顔へまっすぐ飛翔するが、紙一重で団芝三は顔を避け、魔法は壁に衝突して、炸裂した。

 破片が飛び交い私の鼻すれすれを破片が掠めかけた瞬間、私を突き飛ばした者がいた。

 それは想像もしえなかった者、竜人であった。

 私の身は守られたが、しかし我慢していたが遂に頭に血が上ってしまった。

 

「いい加減にろ‼ 大馬鹿者‼」

 

 感情が高ぶり、七変化で抑え込んでいた翼が大きく開き、制服の背を引き裂いて雄々しく開いた。

 怒り任せの天狗お得意の旋風(つむじかぜ)を廊下の隅々まで吹かせてバリケードも火も破片も悉く吹き飛ばし、切れ散らかした。

 

「阿呆が! こんなもの人に当たっては危ないではないか!」

 

「う、ああ……」

 

 声を失い腰を抜かしてしまう純血派の生徒、しかし私のとった行動はそれどころではない話になり始めていた。

 純血派が全員驚愕の表情を浮かべ、何人かが卒倒して失神する。

 戦中派ですら私の羽根を見た途端、土下座をせんばかりに跪いて床に頭を擦りつけていた。

 こやつらも馬鹿者ではあるが、愚か者ではない。天狗の翼を見て蛮勇を見せる者は日本の魔法使いにいようものか。

 この場の誰よりも怒り心頭の私は翼を大きく広げて威嚇するようにぷりぷりと怒って見せた。

 

「何やってる! 石槌。早く翼しまえ……!」

 

 竜人がいつもにもまして積極的に私に注意をしてくる。

 

「なんなのだ竜人! こやつらは私に牙を向けたのだ! 相応の報いを受けさせねば気が済まん!」

 

「マジで落ち着けよ。人が変わってるぞ。天狗娘」

 

「うるさいのだ!」

 

「たくっ、自分の立場考えろよっ!」

 

 その場から引き離そうと、急に竜人が私を担ぎあげる。

 

「放せ! 放すのだ!」

 

「先生方、すいませんでした。こいつどっかにやりますんで」

 

「わぁっ! 一体どこ触ってるのだ、この破廉恥漢め!」

 

「ああ、うるさい。少しは静かにしろよ」

 

「はあああなあああせええええ!」

 

 私は担がれてそのまま竜人に運ばれていった。

 

 

 

 

 

「自習なのであああああああああっるㇽㇽㇽㇽㇽㇽ!」

 

 郭公がそう宣言して気が狂ったような奇怪な関節が明後日の方向に向いた動きで教室を後にする。

 自習と言っても、五年生が一人に対して二人三人がついて勉強を見てくれるため座学に関しては不便はないだろう。

 しかし私は怒りが収まらず腕を組んでぷりぷりと怒り続けていた。

 

「おい竜人! なぜあそこで止めたのだ! あのような馬鹿共はきつく灸をすえねばまたあのような事を犯すぞ!」

 

「うるせえ、勉強してろ。天狗野郎」

 

「私は野郎ではない! 女だ!」

 

「いちいち噛みついてくるな。気が散る」

 

 私は机の上に立ち吼えるが竜人はぽつぽつと反応を返すだけで私の話をまるで聞く気がない。

 その反応に私は更なる苛立ちを募らせる。五年生もどうすればいいのかとオロオロした様子だった。

 

「撫子ちゃん。またパンツ見えてる……」

 

「構わんのだ! 恥ずかしいものはない。しっかと目に焼き付けよ!」

 

 いつもはこうした私の態度に学友の皆は微かに笑うのであるが、しかしながら今日は重く暗い沈黙で答えた。

 皆が俯いて、私との目を合わせないようにするように机へと向かう様子であった。

 奇妙な光景だった。この教室で私だけが浮いているような、そんな感じだった。

 皆の一様の沈黙に私はやりづらくなりこの空気の出所を綾瀬に耳打ちした。

 

「綾瀬よ。何故皆はここまで大人しいのだ?」

 

「え? ……ああ、うん。それは──」

 

 私の耳元まで口を近づけて小さく耳打ちする。

 

「……実際の天狗だったからだよ」

 

「初めからそう言っておろう」

 

「そんなの半信半疑だったのよ。私だってそうだし……でもさ、翼を見せてくれたし信じるしかないよ」

 

 そう言い綾瀬は苦笑いを浮かべた。

 私自身『天狗』と言う存在が日本においてどのような存在なのか完全な理解が出来ていなかった。

 天狗──それは魔法族の中で『亜種』と呼ばれる特異な能力を有した者たちの中でも最も稀少で、そして強大な力を持った種族である。

 日本では天狗、欧州諸国では天使(エンジェル)とまで呼ばれ『高貴なる青の血筋(ブルー・ブラッド)』と称されていた。

 大変貴重な血筋であり、魔法とは違う神通力という理解不能な力を持ち、いわば魔法界の貴族であり絶滅危惧種。

 日本においては禁裏の一族より天狗が出て日本の魔法界に刻まれる災厄を示している為に天狗とは即ち、権威の象徴なのである。

 それを理解していない私が翼を見せたのなら、皆が縮み上がってしなうのも当然でありこの反応が当たり前なのだ。

 しかしそれを理解していない私は机より降りて、沈黙で応じる学友の背をバンバン叩き反応を求めた。

 

「どうして黙っているのだ? 何とか言ったらどうなのだ?」

 

「は、ははは……」

 

 乾いたような笑い声で応じる学友。やりづらく私はふくれて反応の悪い学友の体を揺すって私の求める反応を引き出そうとした。

 

「いつもの反応はどうしたのだー! よそよそしいのは嫌いなのだ―!」

 

「少し黙ってろ。天狗娘」

 

 竜人がそう言い、私はしょぼくれて机に突っ伏して嘆く。

 

「なんでみんなこうも反応が悪いのだ……私はなにも悪いことしていないのだ……」

 

 むせび泣いてもよいだろうか。良かれと思い怒りいざこざを起こした生徒たちにお灸をすえれば、それはとんだ藪蛇であった。

 皆が委縮する血筋であると自ら示してしまったのだ。故にこの反応は須らく当然であり、致し方ない事であった。

 しかし私は理解できずにいる。

 

「撫子ちゃん。自習だし、勉強しよ。一緒にするから」

 

 綾瀬は私の机と自らの机をくっつけて慰めてくれた。

 

「うぅ、綾瀬はようい奴なのだ。何故私にそこまで優しいのだ」

 

「あはは……私も似たようなもんだし、似た者同士一緒にいよう」

 

「ありがとうなのだ……綾瀬は本当にいい奴なのだ」

 

 そんな私たちの仲睦まじい様子に、私の面倒を見ていた五年生が僅かに騒がしい気配を漂わせた。

 それは好奇心と呼ばれる私には親しみ深い感情であった。

 

「石槌。君もしかして、天狗?」

 

「そうなのだ。どうしたのだ?」

 

 私に見えぬように小さくガッツポーズをするその上級生。本当に嬉しそうな様子であった。

 何かしらの企みからか、私に提案してくる。

 

「君、俺達のクディッチチームに入ってくれないか?」

 

「くでぃっち? 何なのだそれは?」

 

 意図が読めない。何かしらの“ちーむ”とやらに入れたいようであった。

 その上級学年の腕には緑の腕章、戦中派の証があり『あれ』をいざこざの連中であり感じはよろしくなかった。

 

「箒を使った魔法競技だよ。君が居れば純血派の連中をぎゃぶんと言わせられる」

 

「主らの争いに私は興味がないのだ。先ほどの乱闘を目にしておるからな、あのようなことをするのなら私は断らしてもらう」

 

「そうじゃない。あんな乱闘しない、クディッチは平和的なスポーツだ」

 

 私は、真意の理解に苦しんでいたが、綾瀬が口を挟んで制止してきた。

 

「魔法処って、箒飛行の授業ってないですよね。先輩」

 

「ああ。ないが倶楽部活動としてならある。戦中派、純血派、探求派とチームを持っていて共同で練習してる。俺達のチーム、『壬生鴉』に石槌が入ってくれれば、奴らもデカい顔が出来ない!」

 

「興奮する出ない常人。私はまだ入るとは言っておらんのだ」

 

 私はそう言う。

 第一に私はその“クディッチ”と言うものがどういったものあのか知らない。

 知らないモノにては出しにくいし、私は箒と言うものに乗ったことはない。

 常人は箒や絨毯で空を飛ぶと言うのは知っているが、実際に見た事も乗った事もない。

 

「私は箒に乗った事がないのだ」

 

「そうなのか? じゃあ今度でいいから俺たちの練習に出てくれないか。面倒はきちんと見る」

 

 そう言って手を握ってくる上級生の手は興奮から汗ばんでいるようであった。

 そんなに興奮する理由も露知らず私はどうしたらいいかと疑問符を頭の上に浮かべていた。

 

「ようわからんが。とにかく分かった。見に行くだけ行くのだ」

 

「そうかありがとう。恩に着る」

 

 嬉しそうな上級生は頭を下げて嬉しがる。

 しかし、これだけ必死になれるクディッチと言うものはどういったモノなのだろうか。

 スポーツ、海外の言葉で規則に従って競うものと言うものは知っているが、それも競技ごと規則も変わってくる。剣道であれば竹刀を使う。柔道であれば帯を取り投げ合う。

 よくよく分からない。

 私は綾瀬の顔を見れば少し不安そうな顔でこちらを見ていた。

 

「大丈夫。クディッチって結構危険だよ?」

 

「そうなのか? うぅん、しかしここは学び舎だしなぁ。人の死ぬような競技でなかろうな」

 

「場合によっては死んじゃうよ。あれ、本当に気を付けてね」

 

「うむ。分かったのだ!」

 

 私はそう答えて見せたが、本当のところは何もわかっていなかった。

 その危険性も、その危うさも。

 激しい、激しい、あの乱闘も可愛く思える激しいものであるとも知らずに。




十月より投稿頻度が落ちます。ご了承ください。


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空中遊戯

 放課後に向かった先は瑪瑙観音堂。

 そこは観音菩薩を奉った御堂であり、学校にしては宗教色が強いが、知識を欲するが故の苦しみを解き放つべくこの場所は建てられたのだと言う。

 瑪瑙と呼ばれる割には趣はいたって普通の寺であり、差し当たり特別なものは見当たらなかった。

 私に着いて来てくれた綾瀬と共にその大きな門の前に立ち合言葉を唱えた。

 

『おん あろりきゃ そわか』

 

 観音菩薩の真言が合言葉とは誠に判り易い合言葉だが、ここに近寄る人間は基本的に戦中派だけであった。

 戦中派、明治の時代に幕府の側に付いていた魔法族の家系が多くそこに集まるのだと言う。

 純血派とはよく衝突し、大変折り合いが悪くこの学校の風紀を乱す一翼を担ってしまっている。

 しかし、強硬的な態度を取っている純血派に比べれば穏健派。一切の争いに感知を示さない探求派に比べれば物騒といった具合の輩だった。

 門が開き、開かれた観音堂の仏はまさしく神と評するに値する座した巨大な観音菩薩の姿だった。

 憂いの帯びた穏やか表情、足を崩し片膝で頬杖を突く姿、苦しむものをすべて受け入れるその姿は天狗のように荒ぶる生き神ではなく、天上に住まう姿なき慈愛であった。

 そして何より驚かされたのはその観音菩薩像がすべて瑪瑙で作られていた事だった。

 十トンは優に超えるだろう、中まですべて瑪瑙であれば一体どれだけ掘った事だろう。到底想像もつかない。

 

「ほおぉ、何という神々しさか。驚愕に値するのだ」

 

「そっちが先なんだ。ははは……」

 

 何とも気まずいといった様子の綾瀬は乾いた笑い声で私の腕に張り付いてくる。

 それもその筈で、門が開いた直後に観音堂で座禅を組んでいたり、勉学に精を出していた皆が一斉にこちらを向き、そして今にも杖に手を掛けんばかりに殺気立った視線を送ってくるではないか。

 私はムッと、目を顰めて威圧せんと翼を大きく広げた。

 漆黒の黒々とした艶のある羽根が空気を仰ぎ、風を唸らせる。

 私の翼にあの乱闘程ではないがしっかりと驚きの表情を見せた。

 

「来てくれたか。石槌」

 

「うむ、来たのだ」

 

「ど、どうも先輩」

 

 私の翼の後ろに隠れる綾瀬をかばう様に羽根で覆い隠しながら話す。

 

「練習は出ないが見に来たのだ」

 

「ああ構わないよ。これで俺達にも拍が付く」

 

 そう言って私の手を取り鬱陶しいぐらいまでに上下に握手をする。

 この上級生男子生徒の気配には悪意と言うものはなく、むしろ嬉しさの色合いが強く出ていた。

 本当に私がここに来るだけで嬉しそうであった。

 この者と私が話していることに興味を示した他の生徒たちも私を取り囲むようにして話しかけてくる。

 

「リーダー、この子が例の?」

 

「ああそうだ。これで純血派の連中に邪魔されない」

 

「……これが天狗の羽根か。艶やかで美しいな」

 

「後ろのは見学か? にしてもよく天狗を勧誘できたな!」

 

 仲睦まじい友好関係だ。皆がこの男子生徒を慕っていた。

 

「挨拶がまだったな。俺は上木竹人(かみきたけひと)。壬生鴉でリーダーやってるから、みんなからはリーダーって呼ばれてる」

 

「うむ、よろしくなのだ。竹人よ」

 

「そっちの子は?」

 

「山本綾瀬です。撫子ちゃんと同じクラスです、よろしくお願いします上木先輩」

 

「ああ、よろしく頼むとも。見学はいくらでも歓迎だ!」

 

 綾瀬の手も私と同じようにうざい位に握手で応じる竹人。

 恭しく彼は観音堂の奥部屋へと案内する。そこは本来なら住職の部屋であるはずだったが、長年不在であり現在は戦中派学生たちの作戦会議場として利用されていた。

 戸を開けて最初に見えたのは黒板に殴り書きされた、作戦計画図。

 そしてあまりにも多く揃えた箒たちに南蛮渡来の“えれきぎたー”なる楽器が並び、皮製の鎧があちこちに散乱してむせ返る汗臭い臭気に思わず鼻を摘まみたくなった。

 

「皆、この子がさっき説明した。天狗の子だ」

 

「おお、この子が」

 

「よくやったリーダー。これで練習区域で純血派と争わずに済む」

 

 皆喚起して私の来訪を喜び勇んでいた。

 

「竹人よ。私は見学できたのだが、何かの歓迎会のか?」

 

「いやいや、見学さ。まあある意味では歓迎会みたいなもんだが」

 

 二人分の椅子を出して、皆が私たちをまるでお殿様でも相手するように仰々しく接待してくる。

 いくら天狗である私でも、こうした顔を見るなり接待をされるとむず痒くなる。

 父様(ととさま)はこういう対応に慣れているが、私はまだまだ慣れていない。

 

「さて、君たちはクィディッチについてどれだけ知っているだ?」

 

 竹人はその場を仕切るように私たちに質問してくる。

 私はきっぱりと答えた。

 

「まったく知らないのだ。箒に乗った事もないのだ!」

 

「少しだけ、箒も少しだけ乗った事があります」

 

「そうか……では、練習場に行く道すがらにクィディッチのルールを話そう」

 

 私たちに箒を渡して、彼らは各自一本ずつ箒を手にして部屋を出て表へと出る。

 その道すがら、竹人は説明を始めた。

 

「クィディッチは元々は欧州のホグワーツと言う魔法学校の生徒からもたらされたんだ。ゴミ同然の箒で太平洋を渡ってきたんだ」

 

「あの大海の海をこれで飛んできたのか?」

 

「そう、その時に魔法処の職員たちがそいつらを助けてここに長く滞在してクィディッチの基礎を伝えたんだ。まあ歴史なんてどうでもいいか。クィディッチのルールが先だな」

 

 瑪瑙の観音堂をでた私たちに竹人は楽しそうに説明を始めた。

 

「クィディッチは各チーム7名の選手によって競技が行われる。競技者は箒から落ちない、極端な妨害行為に限りは退場がある」

 

「ほほう」

 

「それで、あそこ見えるかな?」

 

 竹人が指さす方角、海のど真ん中にてっぺんに丸い円が付いた六本の鉄の棒が聳えていた。

 

「あれがゴールポスト。あそこの輪っかにクァッフルっていう赤い球を入れる。点数は全部10点。この点数で勝負する」

 

「ちょっと通るぞ!」

 

 私たちを割って通るようにして、竹人のチームメイトが二人係で大きな箱を運んで行く。

 何やら箱の中身が暴れているようで大変運び難そうにしているではないか。

 

「あれは競技用の用具入れだ。あそこにクィディッチに使うボールが全部入ってる。ボールの種類は『クァッフル』、さっき説明した赤い球と、『ブラッジャー』、暴れ球って呼ばれる人を襲う魔法が掛けられた球が二つ、そして試合終了の球、『スニッチ』が入ってる。スニッチは取った瞬間試合が終了して取ったチームに150点が入る」

 

 海岸の大海燕の休息地へ着いた私たち。他の戦中派チームが我先にと言わんばかりに箒に跨った。

 すると、摩訶不思議。足が地より離れて空へと飛び立ってゆく。

 全くの驚きだ。魔法とは神通力を得ずとも飛行の術を与えうるのか。

 

「さあ。まずは、飛行よりも先にやるべき事。浮かぶことからだ」

 

 竹人は箒に跨り、その場でふわりと浮かぶではないか。

 私たちもそれに習いなんとなしに箒に跨ってみた。

 

「まずは山本君から浮かんでみて」

 

「あの、コツとかは」

 

 綾瀬がそう聞くが困ったような苦笑いで誤魔化すような笑いを漏らす竹人。

 

「コツと言っても飛ぶのは感覚的なものが多い。歩くのにコツも何もないだろ? それと同じなんだ。強いて言うとしたら飛ぶぞって言う気合かな」

 

「ぬぅ……」

 

 私は何ともあやふやな説明に悪戦苦闘したが、隣の綾瀬が何とも当たり前の如く浮かぶではないか。

 

「わ、わっ。浮かびましたよ先輩!」

 

「いいぞ! さぁ石槌、今度は君だ」

 

「分かったのだ!」

 

 私は飛ぶぞ! っと心のなかっで思うがうんともすんとも箒が浮き上がる気配がない。

 その場でぴょんぴょん飛んでみるが一向に飛ぶ素振りも見せない。

 

「ええい。飛べ、飛ばぬか! 箒の分際め!」

 

 そう罵った途端に、私の股下を勢いよく抜けて飛んで行く箒が一人でに空を舞いそして粉々に砕け散った。 

 竹人も綾瀬も呆気にとられ、その光景にポカンとしていた。

 私だってそうだ。人を乗せて飛ぶものが一人で飛んで花火玉の如く炸裂するなど誰が思うか。

 

「天狗ってのは凄いな……予測不能の事態だね」

 

「撫子ちゃん、一緒に飛ぶ?」

 

「うぅ……そうするのだ」

 

 私は渋々と綾瀬の箒に共に乗り飛んで、クィディッチの試合場へと向かった。

 既に練習は始まっており、予備候補メンバーから主要メンバーも混成で練習をしていた。

 素早い箒捌きで襲い掛かってくる者たちを掻い潜り、クァッフを敵方のゴールポストまで運ぶ上級生。

 まるで曲技団のような見た目であったが、しかしその目は笑顔とは縁遠い真剣そのものであった。

 箒で宙返り、そのままゴールへとクァッフを投げ込もうとした瞬間に脇より暴れ球が顔すれすれを掠めて再度投げ込むタイミングを計っていた。

 

「大層危ないのだ」

 

「私あんまり撫子ちゃんにはお勧めできないよ。死人こそ出てないけど怪我する人は毎年出てる」

 

 綾瀬は心配そうにそう言う。

 たしかに心配にもなろう。暴れ球のみならず、反則退場にならない程度なら妨害は許されている競技であるのはこうして遠目で見ても分かるくらいには存在していた。

 向かってくるブラッジャーを相手に向かって蹴りぶつけて、行動不能にしようと考えている者もいて現にそれを実行している。

 

「竹人よ。あの者たちは何をしているのだ?」

 

 私は混戦を極める一角から離れたところで二人競うようにして飛ぶ者たちを指さした。

 

「あれかい? あれはシーカーって呼ばれてる。スニッチをたぶん追ってるんだ」

 

「スニッチ?」

 

「見えにくいだろうけど、よく見てくれ。あれだ」

 

 シーカーと呼ばれた二人の追う先、太陽の光で反射して輝いた小さな小さな羽根を生やした金色の球が逃げ惑っているではないか。

 何とも素早くそして機敏に動く金の球。まるで蜻蛉の飛行にも見えるその球を追って二人は競い合いながら奪い合う。

 

「スニッチを取らないとクィディッチは永遠に終わらない。公式の最長記録は半年も続いた記録もある」

 

「半年もか!」

 

「ああ、それだけ熱狂させる魅力があるんだよ。このクィディッチには」

 

 ここまで激しいく熱を佩びる戦いは早々ないだろう。これが練習ではなく本番ならば一体どれだけ白熱するか想像しただけでも興奮してくる。

 私には天空は天狗の領域でそうであるものと考えていたが、しかしこうして常人も飛ぶものとは変えず、天狗も思いつかない遊戯を想像して見せたのだ。

 こんなもの──。

 

「面白そうなのだ!」

 

「そうだろ! 君が僕たちのチームに入ってくれたら──」

 

「入ったら何だってんだよ。上木」

 

 矢庭に声が掛かり、そちらを見えれば壬生鴉とは違う集団がこちらに来ていた。

 赤い羽根の耳飾りを付けた集団、純血派だった。

 

「何しに来た。今日は壬生鴉の練習の予定だぞ」

 

「そうだったか? でも今日の乱闘騒ぎで戦中派は謹慎じゃなかったか?」

 

「いわれもない言い掛かりだ。それは当事者たちの問題で俺達壬生鴉には関係のない話だ」

 

「ああ、そんなことどうでもいいんだよ。早く会場開けろよ練習できねえだろ」

 

 竹人と純血派の棟梁が激しい言い争いを始める。

 後々聞いた話だが、あの乱闘騒ぎで純血派と戦中派の当事者たちが一か月の指導処分を受けていて、それを言い掛かりに各派閥の自治チームの練習場の争いの火種になっていたのだ。

 

「それで、そこのが壬生鴉に入ったらどうなるっていうんだ?」

 

「はっ、知らないのかこの子を」

 

「ああ、知らないね。見たところ一年だろ?」

 

 隠し玉だと言わんばかりに竹人が私を紹介した。

 

「この子は天狗だ。石槌山法起坊の実娘だ」

 

「あ”ん? 頭おかしくなったと違うか?」

 

 その嘲るような言い方に私はカチンとくる。何を言うのかこの常人は私の父様(ととさま)は石槌山法起坊の名前を襲名した確かな天狗で、私はその血を引く石槌撫子だ。

 羽根を見せれば黙ると思い、翼を出そうとしたときだった。

 純血派の集団を割って出てくる見知った者がいた。

 

「そいつは確かに天狗の娘ですよ。鹿島先輩」

 

「竜人! なぜそこにいる」

 

「何故って……分からないのか。俺は入学前から純血派だ」

 

 耳飾りを見ろと言わんばかりに指で弄る竜人。

 私は驚愕してしまう。いけ好かない奴であったが、さらに印象の悪い連中とつるんでいた。

 今迄そっけない態度で私をあしらってきた竜人だが、それなりに認めていた私だった。

 頭もよく、魔道にも長けている男だったが、こうも横暴な輩と絡んでいたなど。

 

「そんないけ好かない連中と即刻ここから消え失せよ! 竜人」

 

 私は翼を大きく広げて威嚇した。

 その態度に大きく竜人はため息を付いた。

 

「先輩、実際に天狗だったでしょ」

 

「マジか……くっそ」

 

「ひとまず退散しましょう。先輩」

 

 純血派は状況を読み取り、退散することに決めた様で校舎に向かって帰り始めた。

 そんな中、竜人が忠告してくる。

 

「石槌」

 

「なんだ。竜人。早う失せよ!」

 

「……いつまでも天狗の威光が届くと思うなよ」

 

 そう言い竜人は帰って行った。胸糞悪い気分だ。ああ本当に、胸糞悪い。

 



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吉報と凶報の狭間

「大変遺憾なのだ! 天狗と名乗るには些か迫力に欠けるのだ!」

 

 私は日本魔法界で発行されている新聞。『日刊神州新聞』のクィディッチの欄で日本のクィディッチチーム、『トヨハシテング』の試合結果の不振に一人ぷりぷりと怒っていた。

 天狗と名乗るのならそれなりの実力と威光を示さなければ実際の天狗である私たちの威光すら翳んでしまうではないか。

 新聞の頁に杖をかざして代わる代わる話題を変える神州新聞の目次たちを固定する。

 魔法をかけられ神州社の編集部からその日に起こった最新の魔法界の情報を逐一この紙に投射している為、その日一日のすべての情報が見られる。

 しかし情報を表示する魔法の効力は一日限りであり毎日買わなければならないのが少々不便なところだ。

 

「撫子ちゃん。パンツどころか下着の全部が見えちゃってるから早く降りてきてよ」

 

 綾瀬がそう言い私に下に降りてくるように言っている。

 

「授業はまだ時間があるのだ。もう少し世の情報を知りたいのだ」

 

「すごい事になっちゃってるから、早く降りてきてよー」

 

 私は綾瀬の言うすごい事と言う意味を寸毫も理解できなかったが仕方なかった。

 些かブレザーが喉元に絡みついてうざくなってきた頃合だった。

 と言うのも私は今教室の天井に張り付いて神州新聞を読んでいた。

 猥雑と机や学友たちが犇めくなかでゆっくりと知見を広げるの日課をこなすのは少々五月蠅すぎる空間である為に、天上に張り付い蓑虫の如く釣り下がってしまえばゆったりとした己の空間が手に入る。

 しかしながら皆からは少々この日課は不評であるらしく、全員が頑なに天井を見上げようとしないのだった。

 天狗ならではの習慣だ。父様(ととさま)だって実家にいる時は新聞を読む姿勢は居間の天井だった。

 しかしながら今までこの服装で天井に張り付いたことがないく、スカートもブレザーも全部ひっくり返って、下着も何もほっぽり出して布が首元に纏わりついて気持ち悪い事になっている。

 和服であるのなら帯で押さえていられるが、洋服は神足通との相性は悪いと見えた。

 私は天井からくるりと猫が高所から飛び降りるが如く空中で回って床へと降りた。

 

「もう……こんなに制服乱しちゃってぇ」

 

「むぅ……綾瀬は母様(かかさま)のように甲斐甲斐しいのだ」

 

「当然だよ。友達なんだから。友達の身の回りを正してゆくのも友達の役割だよ」

 

 綾瀬は私の制服を整えながらまるで母様(かかさま)のようになっていく。

 

「ん? 何これ。不思議な痣ね」

 

「これか? 産まれた時からなのだ」

 

 綾瀬が私の頸筋の辺りにあった渦を巻いた六芒星型の痣に目を細めて不思議がった。

 この痣は産まれた時より私の頸にあり、天狗には珍しいものらしい。

 なんでも天狗とは生まれながらにして完璧な種族。完璧とは即ち融通の利かない統一された存在を示しこうした痣は現れないのが常であったが私にはあった。

 忌々しき印のようなものだが、私は在ってしまうものを僻んだ所で変わらない事は良く知っており甘んじて受け入れている。

 

「これって魔法契約の類の痣じゃない?」

 

「魔法契約?」

 

「うん、決して破れない約束の魔法。契約者同士の因果律も捻じ曲げて契約を果たす魔法だよ」

 

「私はそんなことした覚えはないぞ」

 

「ん~? じゃあこれなんだろうね」

 

 綾瀬は笑って言う。

 考えた事もなかった。この痣がある種の呪いの類であればいくら完璧な天狗と言えど継ぎ接ぎの欠点を付加することもあり得る。

 と言っても今は確認もできない問題だ。

 そう考えていると、背後に静かに立った男がいた。

 竜人であった。不機嫌極まりないと言った顔で一言私たちに言い放った。

 

「邪魔だ。席に行けないだろ」

 

「ぬぅっ! ほかの道を通ればいいだろ」

 

「一学年の共有の教室なんだ。自分勝手に道を塞ぐんじゃねえよ」

 

 そう言い私たちを押しのけて自分の席に付く竜人。

 時計を確認すればそろそろ授業も始まっていい頃合だった。

 私たちも席に着き、私はぶつぶつと愚痴る。

 

「ぬぅううっ! 気に食わぬ、気に食わぬぞあやつめは!」

 

「安部君? 確かに撫子ちゃんへの当たりは強いよね」

 

「うん? その言い方は妙に引っかかるのだ。あやつ私以外にはツンケンしておらぬのか?」

 

「うん。結構普通だよ。質問とか普通に答えてくれるし、分からない事があったら積極的に教えてくれるよ」

 

「なにー! 私にはそのような事一切してもらってないのだ!」

 

 私は頭を掻きむしりこの何処へぶつければいいのか分からない怒りを溜め込むばかり。

 机へ突っ伏して目を剥いて、竜人を睨みつける。

 

「あの者ー。私にばかりきつく当たりおって……いつか痛い目見せてやるのだ!」

 

「ははは……、でもなんでなんだろうね。安部君と撫子ちゃんってここに来るまで会ったこともないんだよね」

 

「当たり前なのだ。陰陽師など我ら天狗の足元にも及ばぬ蟻虫なのだ」

 

「聞こえてるぞ。天狗娘」

 

 竜人が私に反論し私はシャーッ、と猫が威嚇するような声を上げて竜人を挑発する。

 しかし本当に不思議だ。竜人とは今まで一度も出会った事とはない。

 ここ魔法処魔法学校に入学するまでは陰陽師と言う輩は地を這う虫同然のモノと父様(ととさま)に教わりそうであると考え続けていた。

 そんなこともあり陰陽師とは係わりを一切持っておらず、ここに来て初めて竜人と出会った。

 それがどうだ。出会ってすぐにまるで常人が天狗をカラスを嘲るが如く私を虐げくるではないか。

 本来なら私が虐げる立場だ。それが逆転しようなど、腸が煮えくり返るとはまさにこの事だ。

 

「いつか絶対ぎゃふんといわせてやるのだ……」

 

 

 

 

 

 三時間目の授業。

 銀の間へと移動した一学年生たちが受ける授業は占い学。

 教室中に敷き詰められた占いに使われる道具の数々。水晶玉、タロットカード、ヴァジュラ、筮竹、紐、賽子、ルーン石。数えだせばきりがないほど取り揃えられている。

 そんな混沌とした教室の中で異彩を放つ教諭が教壇に立っている。

 一見すればまるで真っ黒なシーツでも被っているのではないかと思うほどに黒々としたそれ。よくよく見ればそれは髪の毛であり、足先よりも伸びてよく手入れされていた。

 占い学兼魔法発声術兼備品管理教諭の井上兎喜(いのうえうき)だ。

 

「初めましてぇ、今日が初めてねぇ。ぅ私が井上兎喜(いのうえうき)ぃ、よろしくねぇ」

 

 妙に艶めきのある色っぽい声音で兎喜が挨拶をした。

 既にここに入学して三か月近くたつが、占い学の授業は優先順位が低いのか今迄一度も受けていなかった、と言うのもその筈で授業科目は全部で三十あり、そのほかの授業を受けていれば必然的に受ける回数の少ない授業は多い。

 主に魔法概論、杖術、魔法薬学、防衛術、魔法動物学、日本魔法暦学の六つが重要視され授業回数も多い。

 

「ぅ占いはぁ、人の因果を見てぇ、強いてはぁ、世界の因果律をぉ、読み取るぅ。大変にぃ、繊細かつぅ、深くまでぇ、よくよく見なければぁ、誤読もぉ、ありえるぅ」

 

 声と同じく艶めく髪を体の線に準えるように手でなぞり浮き彫りとなる兎喜の豊満な身体つき。それに反応してか男子生徒は何人か前屈みになった気がする。

 顔も見えない相手に私も妙な色気のようなものを感じてしまわなくもない。

 しかしよくされだけの長さの髪を抱えて首が痛くならないモノだ。相当な重量になろう。

 にしても占い学と言うのは得たいが知れない。

 教科書も確かにありしっかりとした学問なのは間違いないのだろうが、どうにもその内容が統合の取れていないモノばかりで首を捻って疑問に思っていた頃合だった。

 ちょうどいい機会だ、よくよく学ぶとしよう。

 

「ぅ占いはぁ、世界各地でぇ、たくさんあるわぁ。ここの道具はぁ、ほんの一部ぅ、地域によってはぁ、どんな道具でもぉ、占えるぅ。個人のぉ、資質によってもぉ、道具がぁ、変わるぅ」

 

 そう言い、まるで水晶玉を乳房をまさぐるが如き淫猥な手つきで撫でて、そして私たちの前に置いた。

 

「今日はぁ、練習ぅ。みんなペアになってぇ、互いをぉ、占い合いましょうぅ。道具はぁ、好きなのをぉ」

 

 そう言い、授業が開始する。

 皆が思い思いにペアを組み、私は。

 

「綾瀬、組むのだ!」

 

「はいはい、分かってるよ撫子ちゃん」

 

 まるで猫でもあやす様に私の顎を撫でてくる綾瀬。

 通常なら不敬として旋風で飛ばしていてもおかしくないが、綾瀬との知った中。その上綾瀬の撫では不思議と心地いいために許している。

 

「どの道具にする? 色々あるよ」

 

「綾瀬はどれにするのだ?」

 

「私はこれ」

 

 紐を迷いなく選び取った綾瀬に私は首を傾げた。

 

「妙に迫力の欠ける物を選ぶのだな?」

 

「使い慣れてるからね。私の家、祈祷師だし」

 

 そう言い手慣れたように持つ綾瀬。その紐の長さは十五寸程度の麻製の紐だった。

 私はどれにしようかと迷い、不意に目に入った竜人が筮竹を選んでいたことに対抗心を燃やし同じものを選び取った。

 

「この棒切れにするのだ!」

 

筮竹(ぜいちく)にするの? 扱い方難しいよ」

 

「構わぬのだ」

 

 席に着いた私たちは互いに向き合って、お互いを占いだした。

 教科書にこの棒切れの使い方は乗っているそれに習い使えばいいとたかを括っていた私であった。

 しかし、現実はそう甘くはない。

 

「よし、綾瀬を占て見せるのだ!」

 

 宣言して、教科書に目を通しながら五十本ある筮竹の一本を筮筒に戻そうとした時、もはや怪奇現象のように筮竹がへし折れるではないか。

 

「…………」

 

「ははは……そんなこともあるよ」

 

 カランと伽藍洞な音を立てて床に落ちるそれに負けじと私は残りの筮竹を混ぜれば、一本、二本と、加速度的にへし折れてゆき、終いにはすべてが折れて百本に増えたではないか。

 綾瀬もさすがに言葉も出ない様子であった。

 これだ、私は悉く魔法道具との相性が悪いようだ。杖も、箒も、そして占い道具ですら。

 ここまでくれば殆ど芸術の域に達しているのではないだろうか。魔法道具を須らく壊していく天狗娘こと石槌撫子。

 笑えないにもほどがある。

 

「別の使って見よ」

 

「うぅ……そうするのだ……」

 

 水晶玉を持ってきて机に置いて手をかざした瞬間に今度は水晶玉に勢いよくヒビが入り、負けじと壊れるも何もない賽子を取って振ってみれば縦に積み重なって塔になるではないか。

 神と言うものがいるのであれば恐らく私を見放しているのだろう。

 こうも埒外な現象ばかりが起きれば落ち込むどころではなく、泣けてくる。

 

「あなたはぁ、天狗のぉ、石槌さんねぇ。道具もぉ、全部ぅ、ダメになってるわねぇ」

 

「私には才能がないのか? 兎喜よ……」

 

「たぶん、神通力のぉ、せいねぇ。完全にぃ、目覚めていないぃ、六神通のぉ、影響ぅ。天眼通とぉ、漏尽通がぁ、障害になってるのねぇ」

 

 慰めるように兎喜が私の肩に手を乗せてトントンと肩を叩いてくれた。

 天狗の神通力が完全に魔法とはかみ合っていないと言われてしまった。

 天眼通と漏尽通の影響。六神通の中でも最上位とされる神通力で、天眼通はこの世界に生を受けた生きとし生きる者の(カルマ)を正しく知り輪廻転生の理を知る力。

 そして漏尽通とは己が輪廻のより外れ、生まれ変わることのなくなった存在と知るの力。即ち涅槃(ニルヴァーナ)へと至ったことを知る力だ。

 涅槃(ニルヴァーナ)へと至った天狗の羽根は純白に変わると言い伝えられているがここ五百年は天狗も衆生に囚われたままだ。

 しかしながら人間とは生まれ変わりの輪より抜け出すことが最も尊きことと知りながら、その力の片鱗が魔道には障害になるとは思いもしなかった。

 

「綾瀬よ。泣いていいだろうか」

 

「泣かない泣かない。私が撫子ちゃんを占ってあげるから」

 

「分かったのだ……」

 

 私は黙って綾瀬の向かいに座り綾瀬の紐占いを黙って受ける。

 西方に背を向けて南方に右手の甲を向けるように紐を結んでいく綾瀬。そして紐を手の中でこね回し、端を一本こちらに向けてきた。

 

「撫子ちゃん。この紐引っ張って」

 

「よいのか?」

 

「うん、これで占いは完了。後は結果を見るだけだから」

 

 そう言うのであれば私は迷わず紐を引っ張ったするとスルスルと玉に結ばれた紐が綾瀬の手の中よりまろび出てきて、それを綾瀬は見て結果を確かめる。

 

「こぶが八つの等間隔、左周りの結び目に右ねじれ……ふーん」

 

「どうなのだ?」

 

「あまりいい結果じゃないかも……」

 

「凶報なのか!」

 

 私は身を乗り出して綾瀬の肩を掴んで揺する。

 困り顔の綾瀬は何とも言えないような言い方で答える。

 

「こぶが八つ。これはあんまりいい結果じゃない。身の回りで誰かが不幸になる。そして等間隔ってことは連続してってこと。でも左周りの結び目に右ねじれって事は紆余曲折あるけどしっかりとした対応したって事を示してる。何か撫子ちゃんにトラブルがあるのかもしれないわ」

 

「うぅ……不吉な上にあやふやなのだ」

 

「ははは、占いなんてあやふやなものが多いの」

 

 綾瀬はそう笑って答えた。

 誰かに不幸、そしてそれが続く。嫌なことだ。

 しかしながら当たっている占いもある。誰が何といおうと私は私の道を貫く気でいる。

 例えそれが父様(ととさま)母様(かかさま)であっても私は私の目指した立派な天狗となると心に決めている。

 ありとあらゆることを知り、ありとあらゆることを体験して涅槃へと至ったと語り継がれるような立派な天狗に。

 私はそうなりたかった。



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異変と呪物

 事件の始まりは早朝の魔法処魔法学校の魔法御殿から。

 朝早く、滅多にない全校生を集めた座禅の時間の事であった。

 私は眠気眼で座禅を組んで半分意識を飛ばしながら瞑想に耽っていた。本来なら心頭を滅却、知への探求を欲するが理由を再確認する時間なのだが、私には魔道は道すがら傍らに落ちていた釣銭を拾って回る作業の一つ。

 本当に欲するは涅槃へと至った天狗への道のりだった。

 石槌山法起坊を襲名するに値する器とならんと精進しようとするが、あるのは狭量な己の器にがっかりするばかりの事実。

 好奇心と言う罠に負けてばかりの私を戒めんとするが、その甘露な味は抗い難き芳醇な快感であるのだから始末に負えない。

 この度を越した好奇心を戒めるにはそれこそ父様(ととさま)と全国を回った修行の旅よりも厳しい修行を積まなければ衆生の欲を取り払う事は叶わず。

 欲するは欲のない心、目指すは輪廻転生の果ての涅槃への道のり。

 よくよく考えれば欲しない心を求めるなど矛盾している事この上ない。

 無我無想を求めてはいけない。いや求めるべきなのだが、求める事は求めているモノに反する。

 昔の人間はよく言ったモノだ。

 

 ──これぞ矛盾だ。

 

 そんな堂々巡りの思考に囚われているとき、御殿の中でバタリ、バタリと倒れ伏す音が聞こえるではないか。

 誰ぞ、怪力で有名な鬼灯が振り下ろした警策の餌食で気絶でもしたのかと薄眼で私はそちらをちらりと見ようとするが妙な事に気が付いた。

 警策の炸裂音が聞えぬではないか。低血圧で朝の弱い者が倒れたのだろうと考えた瞬間に、あちこちで倒れる音が。

 バタリ、バタリ、バタリバタリバタリバタリ──。

 流石に皆もこれだけ連続して倒れることに違和感を感じ始めたのか講堂内に騒めきが起こった。

 

「おい、起きろ! どうした、おい!」

 

 一人の生徒が声を上げて倒れた生徒を揺すっていた。

 徐々にその呼びかけの声に余裕がなくなり遂には悲痛な、まるで友が目の前で死んだような声になりつつあるではないか。

 余りの事態に騒めきはひと際大きく、そして不安に駆られ始める。

 

「どけ、退くんだ!」

 

「……通るよ。退いて」

 

 この学校で立った二人しかいない癒者。教師陣の中では普通で通っている大野姫路と、ビリーウィグに噛まれ永遠に地に足を付ける事が出来なくなり鬱病に侵されたと噂される『浮かぶ教師』事、村崎野治が倒れた生徒全員を見て回った。

 

「村崎先生。こっちは生徒の意識がありません!」

 

「……こっちもだよ。また本土行きかな……」

 

 村崎の言う本土。

 日本本土には魔法の疾患傷害に関する病院が帝都にあるそうで、『帝都魔法疾患傷害国立病院』と呼ばれ日本で魔法癒療を受けるのならそこが最も良い治療が受けられる。

 ふわふわ浮かぶ野治が諦めたように、本土行きを即決する。

 姫路が野治に駆け寄って耳打ちする。私はそれに聞き耳を立てる。

 人混みと騒めきで聞き取れないが、習得中の天耳通の一部を使い講堂内程度なら全て聴きとおせる。

 

(外傷も呪いの形跡もないのに、意識も脈も全部弱ってますよ)

 

(……そうだねぇ。まるでディメンターに魂を吸われたみたいになってるよ。命そのものが弱ってしまってる。ここじゃあ治療も何もないよ、帝都病院に送るしかない)

 

 命そのものが弱るとな。そのようなことがあり得るのか。

 人間の魂、命に相当するものはこの魔法世界において存在すると実証されている。

 しかしそれを弄るとなると方法は限られる。

 一つは禁忌の呪文、死の呪い(アバダ・ケダブラ)による瞬時なる死を与える事。二つ目は死後の魂が地縛霊化させること、そして三つ目、伝承の域も出ない話だが、死した魂を蘇りの石で肉体に呼び戻す方法がある。

 魂を弄るとなれば二極端しかないのだ。死ぬか、死した後に弄られるか。

 それが生きている段階で徐々に魂を削られるなんてことがあり得るだろうか。

 

「皆、瞑想は終わりだ。急ぎ教室へ戻り授業を受けるのだ」

 

 団芝三はそう言い、混乱に騒めく中で瞑想の時間が終わった。

 

 

 

 

 

 

「なんだったんだろうね。瞑想の時間の騒ぎ」

 

 授業も一通り終わり、私たちは帰路に付きエンマ荘の自室へと戻った。

 私は綾瀬の部屋に押し入り、今日渡された宿題を手伝わせていた。

 

「姫路と野治が何やら物騒な事を言っておった」

 

「あの距離から聞こえたの?」

 

「天狗を舐めるではないのだ! これでも私は弱冠十歳で神通力『神足通』を習得して天狗界隈では有名なのだ。六神通をすべて極めたわけではないが、若干なら使えるのだ!」

 

 部屋着の小袖の裾を振り上げまるで歌舞伎の演劇の如くどうだと言わんばかりの顔で片足を机の上にあげて自慢する。

 神通力とは一つ極めるのに五十年は懸かると天狗界隈では言われている。初歩の『神足通』と『天耳通』、中級の『他心通』、『宿命通』、究極の『天眼通』、『漏尽通』。これらすべてを修めた天狗は皆より大天狗と呼ばれ尊ばれる。天狗どうこうではなく全てを修め覚醒すれば釈迦と同一視されるためだ。

 そんな訳で私は神足通を習得して、そして現在は天耳通を絶賛習得中だ。

 

「何やら倒れた生徒は命が弱っていたようだ」

 

「命が弱るって。毒や呪いで?」

 

「いや、それ以外の方法のようだ」

 

「魂が弱る方法となると限られてくるね」

 

 綾瀬が席を立ち、部屋の中の本棚から古臭い竹冊を持ち出してきた。

 それには魔法で管理番号を振られたモノであり、魔法処のしゃこの図書室が管理する蔵書の一つだった。

 

「今ね。私達でも借りれる禁書の棚の中で面白いのがあったから借りて来たの。これにそれっぽいのが書いてあったから見て見よ」

 

 慎重に竹冊の紐を解き、それを開いた。

 指で文字をなぞり、目的とする項目を探す。

 そして見つけた。

 

「あった。ここ」

 

「ん? どれ、どういったモノなのだ?」

 

 そこにはとある伝説が書き記されていた。

 時の帝は鳥羽上皇。彼は生まれながらにして病弱な身の上で帝の座についても体調を崩しがちであったそうな。そんな彼を親身に付きそう美女がいたそうだ。

 その名も藻女。

 親身に鳥羽上皇に連れ添い、介抱する彼女に上皇に次第に心を惹かれ恋仲となるまでにそう長くはなかったそうな。

 上皇は彼女に求婚するが、彼女は女官なるまで待ってくれと言われ上皇はそれを受け入れた。

 どれだけいじらしい恋話か、ここまでは何とも甘酸っぱい惚気のように見えるが。

 

「藻女は十八歳となり誰もが羨む美女と変貌し宮中では『玉藻前』と呼ばれるようになった……」

 

 上皇に寵愛され玉藻前は寝食を共にするようになった。しかしそれを機に上皇の病態は悪化を辿った。

 各地の陰陽師、医者を呼びその原因を調べるがみな匙を投げるばかり、そんな時に陰陽師『安倍泰成』が玉藻前にただならぬ妖気を感じ調べてみると、あら何と言う事か──玉藻前は九尾の尾を持つ狐妖怪の化身だったではないか。

 彼女は知らず識らずに上皇の命を啜っていたのだ。

 安倍泰成は玉藻前に真言を唱えた事で変身は解け、この世を崩すが如き大妖怪が現れ宮中は大騒ぎとなり九尾の狐は宮中を脱走し行方を眩ました。

 その後、那須野で人々が倒れる事件を聞いた上皇は九尾の狐に大変心を痛めた。

 いくら自らを弱めた者であろうともその者は真に愛した女性であることには変わりなく、上皇はこれ以上非道を見過ごせず討伐軍を出兵させた。

 攻防は熾烈を極め、多くの死者が那須野の地で積み上げられらた。

 だが九尾の狐は多勢に無勢、遂には討伐軍の将軍の夢に現れ玉藻前の姿で許しを願った。しかし将軍は最後の好機であると考え攻撃に出た。

 金色に輝いていた九尾の狐の毛は真っ赤に染まり、血反吐を吐いて苦しんだそうだ。

 そして介錯される時、許しの懇願を反故にされ、反省の念も踏みにじられた九尾の狐は世界を呪い、巨大な毒石となり近づく者の命をすべて吸い取る存在となった。

 

「その石の名前は『殺生石』……」

 

「後世まで殺生石が猛威を振るったみたいだけど玄翁和尚が砕いて各地に散ったみたい」

 

「ふむぅ、何とも悲劇と申すか。名状し難い話なのだ」

 

 綾瀬はうんうんと頷き私に同意した。

 これは私たちから見れば悲運な恋物語と思えて仕方ない。

 他意のない呪いが愛すべき者の命を奪ってしまう美女が、恋人に討たれる悲劇だ。

 

「綾瀬は今回の昏倒騒ぎ、この石が関係していると申すのか?」

 

「分からないよ。でも、これだったら命が弱るっていう意味が何となく納得がいくっていうだけの事だよ」

 

「ふむ」

 

 殺生石。妖狐の恋慕の呪い、それは命さえも吸い取ってしまう大変な災厄をもたらす呪物あろう。

 

「この石は実在しておるのか」

 

「那須高原の賽の河原に実際にあるよ。今は只人には名所扱いだけど、実際は魔法省が千体地蔵を設置することで呪いを封じ込めてる」

 

「千体とな。石職人も大変苦労しただろうに」

 

 石ころの地蔵菩薩であっても神は神だ。それなりの呪い返しの力はあるだろう。

 それを千体も置けば否が応でも呪いは封じ込めようぞ。

 

「でもあり得ないわ。魔法省管理なんだし、賽の河原からは絶対に出てこないはず」

 

 そう言った時だった。

 悲鳴がエンマ荘の端から端まで響き渡った。

 何事かと私たちは部屋を抜け出して、悲鳴の発生元へと向かった。

 そこは浴室、女子風呂の更衣室であった。

 余りの声に私たちのみならず、他の入荘者たちも駆けつけてきた。

 そこに広がっていたのは今朝の講堂を思い起こさせる光景だった。

 まるで顔から精気が消え失せ、全身が青白くなった者たちが倒れている。

 

「おい大丈夫──」

 

 駆けつけた一人が、更衣室に踏み入った途端に言葉が失われた。

 瞬間、その者の目が裏返り白目を剥いた。ブクブクとカニの泡吹きが如く泡を吹いて倒れた。

 余りにも唐突な事に皆が混乱したが、瞬時に何かしらを感じ取った。

 呪詛、しかもこの更衣室を境に結界のように張られた昏倒の呪いだ、と。

 私はそこを見た時、あまりにも禍々しい気配に足が竦んでしまった。空気が、まるで変色しているのではないかと思うほどに妖気を佩びて倒れる生徒の体内に次々と入り込んでゆく。

 皆がたじろいで動けずにいた。

 

「どおおおおおおおおくのであああああああああっる!」

 

 お馴染みの発狂声で到着した郭公。教員の外套(ローブ)を脱いで不衛生極まりない格好であったがこんな男であっても今は大変頼りになる者だった。

 杖を抜き、自身にすぐさま術を掛ける。

 

呪いを拭え(イムプレカーティオー・テルジオ)!」

 

 淡い光が郭公を包んで、更衣室へと押し入った。

 

「むうううううら崎を呼ぶのでああああああああっる!」

 

 力強くそう言い生徒の何人かが走って野治を呼びに行く。

 倒れた生徒の異変に郭公は応急処置をする。

 

呪いを拭え(イムプレカーティオー・テルジオ)!」

 

 簡易的な呪い返しであるが、しかしながら今はこの手しか郭公もなす術がなかった。

 そんな中、一人のモノが郭公に続いた。

 

「先生、これは五行の金に由来するものです。退いてください」

 

 竜人であった。

 腰に収めた呪符箱から呪符を取り出し、生徒の一人に張り付ける。

 

「木と火、五官五味所禁を閉じる」

 

 瞬く間に竜人は印を結んだ。符が煌き何やら毒々しい気配のする何かを体内に入るのが治まった。

 私はそれを見て妙な事に気が付いた。これは呪いであるが、呪いにしてはどこか自然に馴染み過ぎている。

 それこそ空気であるかのような振舞い方に、私は理解した。

 これは私にもどうにか出来ると。

 私は小さく翼を広げて、正常な空気を顔に纏わせ更衣室へと踏み入った。

 

「天狗娘、危険だ入ってくるな」

 

「心配無用だ。これは直接我らに働き掛けるモノではない。空気を媒介に作用する呪いであろう」

 

 郭公と、竜人の周辺の空気の清らかさを見ればすぐに分かった。

 呪い拭いの術で空気を正常化している郭公。陰陽術で空気を作り出している竜人。

 ならば清らかな空気を纏えばどうと言う事はない。

 

「気を確かにするのだ。大丈夫か!」

 

 倒れた一人を抱きかかえて意識の確認をした。

 いくら揺すろうとも起きる気配はない。よくよく見れば魂が弱っている。今朝と全く同じ状況だ。

 何かによって魂が吸い取られているような。そんな状況だった。

 静かに床に頭を戻そうとしたとき、その生徒のポケットからあるものがまろび出た。

 それは変哲もない石ころ。しかしそれを目にした途端、眩暈がしてしまいそうなほどの呪いが漏れ出ているではないか。

 

「うっ、っぐ……なんだこれは──」

 

 私はそれに手を伸ばした。

 

「触るな! そいつに触るんじゃねえ!」

 

 竜人が声を荒らげてそれに近寄った。

 懐より封印用の呪符でそれを包んで収めた。

 

「なんだそれは。なんと禍々しい」

 

「とんでもない呪物だよ。……はァ」

 

 それが身の近くにあるだけであまりよろしいものではないようだ。

 納めた竜人の顔が瞬く間に青白くなっている。

 

「……どこなの、また倒れたって?」

 

 野治が到着して、皆が安堵した。これでどうになると。

 しかしこれはまだまだ序の口であることをここにいる全員は知らなかった。



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呪いの巣窟

 講堂の昏倒事件より数ヶ月にも渡り夏の暑い日にもその猛威は収まることはなかった。

 講堂とエンマ荘の事件の時よりも大人数が倒れると言った事はないが、常人が昏倒することは連日続き学校の中は徐々に人が減り今魔法処はどこか物悲しく伽藍洞な様子であった。

 そんな状況であるがために、とある学年では別学年と共同授業をやった方が効率がいいとまで言われる程に、生徒の数は日に日に減っていった。

 

「なんだが、怖いね。お昼休みだってのに、中庭に人が全然いないよ」

 

 綾瀬は少し不安な様子で辺りを見渡していた。

 私はエンマ荘で用意されていた弁当を食べながら、あることに引っかかり続けていた。

 あの物品。更衣室で生徒の一人が所持していた呪物の石。

 それだけが気に掛かり。あの怨嗟を固形化したら出来上がったような悪意の塊のような物を何故所持していたのか未だに納得できなかった。

 そして、それを竜人が知っている風である事にも納得が出来なかった。

 

「きっと何かあるに違いないのだ」

 

「何かって?」

 

「何かなのだ。人には他言できないような者が! 我ら生徒があのような物を持っていようなど得心がいかん」

 

「ねえ、撫子ちゃん。さっきから話の意図が見えないんだけどどういう意味なの?」

 

 私はかくかくしかじかと私はこの疑問の出所と例の呪物について綾瀬に説明した。

 人を害する石の姿の呪物。空気を汚染して人の命を弱める呪いの品について私は詳しく説明をする。

 

「その石が今回の騒動の一件だっていうの?」

 

「間違いないのだ。天狗の勘が騒いで致し方ない!」

 

 私は胸を張って羽根が(そばだ)って仕方ないと言わんばかりに小さく翼を広げてパタパタと綾瀬を扇いだ。綾瀬は涼しそう顔をして彼女は私のほっぺたを餅を捏ねるように揉んでくる。

 

「撫子ちゃんは優しいね」

 

「ここは既に私の領土なのだ。何人とも侵すこと許さないのだ」

 

 胸を張って、ふんすと鼻息を荒らげて自慢する。

 ここ魔法処は既に私の砦であり、ある意味では私の“山”だ。

 故に誰であろうと荒らす行為は許さない。誰でも自分の領域を荒らす人間は腹立たしいだろう、私だってそうだ。だから成敗せねばならないだろう。

 

「それで、これからどうするの?」

 

「竜人を締め上げるのだ!」

 

「誰が誰を締め上げるって?」

 

「ぴぃいっ!」

 

 いきなり現れた竜人が私の首根っこを掴んで吊り下げる。

 本当に唐突に現れるために大変心臓に悪い事この上ないし、口から悪くなった心臓がまろび出てしまいそうだった。

 私を片手で吊り下げてまるで子猫を運ぶ親猫のような竜人。その目はジトっと私を見下して、鼻笑いをかましてくるではないか。

 

「フンッ……」

 

「ぬぁあっ! 下ろせ、下ろすのだぁ!」

 

「俺の聞き間違いがったら悪いがなぁ。天狗娘、お前が俺を締め上げるのか?」

 

「聞き間違いなのだ。竜人貴様の聞き間違いなのだ!」

 

「さすがに無理があるよ撫子ちゃん……」

 

 私はバタバタと手足を振り回してその手を振りほどこうとするが所詮は私の筋力と体重では竜人の筋力に敵うはずはなく、嘲りを受けるしかない。

 次第に情けなくなってきて涙を目元にいっぱい貯めて懇願するように言ってしまった。

 

「おろすのだぁ……ぐす、この、馬鹿もにょぉ!」

 

「泣くなよ。天狗だろ」

 

 ぱっと手を離され地面に生還した私は機敏な速さで綾瀬の背に隠れて竜人を威嚇する。

 ハーっと大きなため息を付いて竜人は呆れたように頭を掻いた。

 

「何考えてんのか知らねえが、俺に突っ掛かってくるな石槌。そんでもって妙な事には首を突っ込むな」

 

「うるさいうるさいうるさい! 私がどうしようと私の勝手なのである!」

 

「そりゃそうだが、はぁ。めんどくさいな。恨むぜ親父殿」

 

 そう面倒くさそうに言い捨てた。

 この男は本当に気に食わない。私を餓鬼が如く扱うし、何より天狗に対する畏怖の念と言うのがまるで感じられない。天狗とは讃えられ崇められる存在であるのが当たり前でありそれが当然の摂理だ。

 しかしこの男と来たら、斜に構えて逆風を肩で切るように常識を無視してくる。

 本当に気に食わない。気に食わない気に食わない。

 

「主が何を隠そうが私は絶対その尻尾を掴んでやるぞ!」

 

「何も隠しちゃいねえよ」

 

「嘘を言うでない。ではあの時の石ころは何なのだ」

 

 その言葉の瞬間に竜人の目は鋭くなりぴしゃりと言い放った。

 

「お前が知る必要はない」

 

 迫力のある威圧感で圧倒しようとする気迫に私は委縮しそうになるが、綾瀬の背越しであれば百人力だ。

 

「今隠しておるではないか! 無駄無駄無駄だなのだ! その真実を絶対知ってやるのだ!」

 

「ッチ。調べてもいいがどうなっても知らねえ。そこまで言うなら好きなだけ痛い目を見ればいさ」

 

「そうするのだ。早く失せよ。シッシッ!」

 

 私は蠅でも払うがように手を振り回して竜人を追い払う。

 それにため息で応じて竜人は教室へと戻ってゆく、その後ろ姿はどこか孤独を感じさせる物悲しい気配を感じて私は目を細めた。

 これは気配と言うよりオーラと言うべきか、妙に冷たい雨雲のどんよりとした色の煙が竜人は包まれていた。

 すると、占い学の兎喜がふらりと現れ竜人を呼び止めて何かしらを相談して初めて奥へと消えていった。

 

「最近安部君、先生から相談をよく受けてるね」

 

「あの者のことなどどうでも良いのだ! 全く私を猫のように扱いよって、気に食わないにも程があるのだ!」

 

 腕を組んでぷりぷり怒る私を頭を撫でて慰めてくる綾瀬に、少なくとも友と呼べる存在がいることに私は満足した。

 だが何故だろう。兎喜と竜人の相談する姿で何か引っかかりを感じた。

 この引っ掛かりはあの石の呪物に関係するものと同じだ。まるで喉に魚の小骨が刺さったような不快感に捻って唸る私。

 そしてそれは唐突に舞い降りる。

 

「──そうか……あれだったのだ‼」

 

「わぁ、びっくりした。どうしたの急に叫んで?」

 

「石の呪物の手掛かりがなんとなしだが分かったのだ!」

 

「え? 急に? 何もヒントはないようだけど」

 

「覚えておらぬか綾瀬よ。銀醸が日本魔法暦学の授業をした終わりに団芝三と富文が竜人を訪ねてきたことを」

 

「あー……、あ! あったねえそんな事。校長先生とお役所の人が安部君を訪ねて来たよね」

 

「そうだ! あの時、富文が持っておった木箱。あれの気配と石の呪物の気配がまるで一緒なのだ」

 

 あの時に富文が持っていた木箱。その中身はあの石の呪物と同じように悪意が溢れていた。

 まるで、この世界のすべてを呪っていると言わんばかりの禍々しい呪詛の妖気の気配が私の脳裏にこびり付いている。

 

「そうと分かれば、直ちに団芝三の元へ突撃なのだ。あの石の事を訊き出してやる!」

 

「待って、待ってって撫子ちゃん。校長先生に問い合わせたって無駄だと思うよ」

 

「ヌッ? なぜだ?」

 

「だって、先生たちの対応を見てよ。対応できない様子なんだし、私たちが動いたところでどうしようもないはずだよ」

 

「何を諦めておるのだ! 確かにそうかもしれんが、まずはあの石が何者かを調べて我々で対応できねば、自衛も出来まいぞ!」

 

 私は無理を通して尻込みする綾瀬を無理やり鼓舞する。

 重要な物品であるのならしまわれる場所は大体の見当がついている。

 兎喜の管理であろうから、金の間の封印指定の管理倉庫、封印御所『天岩戸』であろうと思われる。

 生徒では全くと言っていいほど、もっと言うのなら本来は魔法省が管理する筈の物品がこの学校内に持ち込まれた際に使用される封印を施す御所だ。

 

「今日、全授業が終わったら天岩戸に潜入するのだ!」

 

「ええ? 本当に言ってるの? あまり乗り気にならないなぁ」

 

 綾瀬は気の進まない及び腰であったが私はごり押して無理にでも同行するようにと言い付けた。

 

 

 

 

 

 コソコソと人目を盗んで金の間の奥へと進んで、教員準備室の奥へと到着する。

 そこは収められているモノの危険性を誰もが知っている為に生徒はまず近寄ることのない場所。

 封印御所『天岩戸』だ。

 塗装の剥げた古臭い鉄扉にいくつもの護符が張りつけれ、そして太い荒縄が鉄扉を硬く縛り行く先を阻んでいた。

 目に見えて分かる強固な封印の術だった。あまりにも強力な封印術であるが故に下手をすればむしろこの術が我らに攻撃を与えてくるかもしれない。

 

「綾瀬、行くぞ」

 

「う、うん」

 

 私たちは覚えたての術であったが、試しに使ってみた。

 杖を抜いて鉄扉へと向かって開錠の魔法を同時に使用する。

 

開け(アロホモラ)

 

 淡い光が鍵穴を照らし上げて鍵の構造が開錠へと示されるが、しかしながら開く気配はない。

 

「ならば、箱開けの魔法だ」

 

「わかっよ撫子ちゃん」

 

 私たちは杖を振って唱えた。

 

箱よ、開け(システム・アペーリオ)

 

 しかしうんともすんとも言わない鉄扉。硬い岩を開くには天之手力男神(アメノタヂカラオ)の力が必要かもしれないと思ったその時だった。

 

「何をしてるのですか?」

 

『きゃあああああああっ!』

 

 気配無き場所よりいきなり声が飛んできて、私たち二人は悲鳴を上げて互いに張り付いてそれを見た。

 赤橙の外套(ローブ)のとは対照的な冷たい視線が私たちを見ている女子生徒。派閥の印をどこにも掲げていないどころか、どこか人形じみた雰囲気すら感じる気配で、その軽薄するぎる存在感は人間と見るに疑わしいほどだった。

 

「な、何者なのだ!」

 

劉・娜(りゅう・な)。二年生です。貴方たちはここで何を」

 

「ぬ、主こそここで何をしておるのだ」

 

「私は天岩戸の封印品の研究と対処案の研究を任されている生徒です。貴方たちはここに何をしに来たのですか」

 

 私たちは顔を見合わせた。

 何と生徒でもここへの立ち入りを許可されているとは聞き及ばなかった。

 天岩戸は本当に危険な物品ばかりを封印している為に誰もが命惜しさに近寄らない。それ故に教師陣も生徒の立ち入りを禁止しているモノばかりだと勝手に考えていたが、そうでもないようだ。

 

「私たち、ここの中身がちょっと気になって冒険しに来たんです。でも施錠されているようで」

 

 綾瀬はそう言い無理に押し入ろうとしたことを誤魔化す。

 

「でしょうね。先生の許可のない生徒は立会人と共に入るしかないでしょうから」

 

 淡白にそう答える()は簡潔な言い方で私たちを横目に鉄扉の前に立った。

 懐から取り出される鍵。その鍵の溝はグニグニと一時も変わることなく形を変え続け不定形な形をしていた。

 

「教師の許可、立会人は?」

 

「……ないです」

 

「ではお引き取りを。危険ですので」

 

「主が立会人になるのだ!」

 

 私は()に無理をいい私はごり押す。しかし表情を変えることなくきっぱりと言われる。

 

「無理です。断ります」

 

「そこを何とか頼むのだ!」

 

「断固としてお断りします」

 

 梃子でも動きそうにない()は早くこの場から立ち去るようにと促してくるが、私も引き下がるわけにはいかなかった。

 あの竜人にあそこまで馬鹿にされてのうのうと生活をするほど私の心は寛容ではない。

 あの石の正体を知り、竜人にどうしても叩きつけたかったのだ。

 目を細めて()は妥協案を出す。

 

「帰る気はなさそうですね。では、ここの物品を絶対に触らないという条件でしたら見学だけなら」

 

「それでいいのだ!」

 

 我儘な私に譲歩案を出してくれる()に私はすぐさま同意した。

 注意事項を事細かにまるで機械のように諳んじる()。それを適当に聞き流して私たちはようやく天岩戸へと入る事が出来た。

 鍵穴に鍵を差し込んだ()が鍵を回し、開いたとき荒縄が解れて床に垂れて入室が可能となった。

 鉄扉が開け放たれ。そこに広がっていたのは、悍ましいとしか表現しようのない気配の数々。

 刀、能面、本、遺骸、よく分からない道具。

 全て邪悪な闇の呪いに関する物品ばかりがそこに並び封印されていた。

 

「何も触らないでください。死にますよ」

 

 刀の棚には権力者に不幸をもたらす刀工『村正』の一振があり、能面の当たりには苦しみの表情を浮かべてすすり泣く怪士面や、狂ったように笑う恵比寿があった。

 平将門の頸を納めた骨壺の破片もあり、この日の元のありとあらゆる人を祟る呪いを一心に受けた者ばかりが並んでいた。

 

(綾瀬よ。木箱を探すのだ)

 

(……うん)

 

 私たちは小声で打ち合わせて例の箱を探す。

 薄暗い天岩戸の中でたった一つのモノを探すとなると少々骨だ。

 いくら気配を探り、あの石と似たような雰囲気を漂わせたものを探すとしても他のモノがそれ以上に呪いを放ち過ぎていた。

 今回ばかりは天狗の勘も意味をなさないような気がしていた。

 

「うわっぁ!」

 

 いきなり石灯篭から悪霊が私の目の前に飛び出して驚かしてくるが、護符の封印で一定距離から動けずにそこで蠢き苦しんでいた。

 呪いは熱と同じで移すしかない。熱のようにそこに篭りそして穢れ腐れてゆく。

 己を汚さない為にはその呪いを移すしか手はない。このような悪霊怨霊はその典型だ。生きる人間に己の呪いを移して成仏しようとしているのだ。

 邪悪過ぎる場所だ。只人であればこのような場所に長くいれば気が狂ってしまうこと請け合いだろう。

 

「撫子ちゃん!」

 

 綾瀬の呼び声で私はそこへ向かった。

 そして見つける木箱に収められた群を抜く穢れを放つ木箱。箱全体に封印の護符で固く閉じられたそれが静かに呪いを移そうと鎮座していた。

 

「あった。こやつだ」

 

「これが、昏倒の原因ね。……なんだか気持ち悪いよ……」

 

 綾瀬は穢れに充てられたのか口を押えて今にも吐きそうになっていた。

 そんな中でまるで当たり前のモノを見るかの如く軽やかな足取りで()が私たちの隣に来た。

 綾瀬を気遣う様に背中をさすりながら聞いてくる。

 

「これが気になるのですか?」

 

「うむ、これは一体何なのだ。禍々しい事この上ない」

 

「これはここに封印された中でも最も新しいものです。呪殺の最高峰の品。純血派の生徒から押収したと井上がおっしゃっておりました」

 

「中身は何なのだ」

 

 ()はそれの中身を静かに答えた。

 ──殺生石と。



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緑龍会

 私はいつものように冗談交じりの怒りではなく本当に怒り心頭で廊下を歩いていた。

 目指す先は、目指す人物の元へ向かう最中一体どれだけの旋風を吹かしそうになった事か。

 それだけ私は怒っていた。

 銀の間にある教員室を通り過ぎ、校長室の扉を荒々しく開けて叫んだ。

 

「来ておるのだろう富文よ!」

 

 その声に校長室で話し合っていた二人が驚いたように驚いてこちらを見た。

 団芝三と富文は真剣な話をしていたのだろう、しかし私の来訪を予想していなかったのだろう、大変驚いた様子であった。

 

「驚いた。撫子さんご機嫌麗しくありますね」

 

「麗しいものか。不機嫌極まりないわ!」

 

 私は富文に掴み掛らん勢いで足りない背をその場で飛んで威嚇して、私の怒りの理由を訊いた。

 

「なぜここに殺生石などという呪物が持ち込まれている!」

 

「どこでそれを聞いたのですか……」

 

「どこも何も生徒が持ち込み騒動になっておるではないか。殺生石の管理は魔法省というところの管轄ではないのか!」

 

 私の言う事はもっともであるはずだ。

 魔法省は魔法界に措ける絶対権威の象徴であり、あらゆる魔法の事象を管理する役割が与えられている。

 それが故に彼らの目から逃れるという事はまさしく『闇』と呼ばれる良からぬことを企む連中の仕業が多い為に、今回の殺生石の魔法処来訪はまさしく最悪な状況なのだ。

 多くの命を奪い去った特一級の呪いの石『殺生石』。

 近寄るだけでその命を弱め終いには呼気を奪い呪われた者は苦しみと死を与えられる。

 本来ならば、那須野の地で賽の河原に設置された千体地蔵の封印で二度とこの世界に現れる事が無いはずである。

 しかしながらその殺生石はこうして魔法処にあるではないか。魔法省の大変な失態が現在進行形で証拠として封印御所『天岩戸』に存在して、その存在を閉じられている。

 顔を見合わせる団芝三と富文、隠し切れないと言った様子で話し出す。

 

「我々の失態であった。あの石はどこぞより持ち込まれた時、教員の何人かが倒れてな。調査もろくすっぽ進んでいない。僅かなる進展で出所は純血を推す生徒たちであるとまでは分かっているが。妙でなぁ……」

 

 団芝三はそう言った。

 私は少しだけ落ち着いて彼らの言い分を聞いてみることにした。

 

「妙とはなんなのだ?」

 

「入手自体が不可能と言う事ですよ。賽の河原の千体地蔵は封印の装置であると同時に魔法使いを一定距離遠ざけ、近寄るものを退ける攻撃装置である為に、入手自体が不可能なはずでした」

 

 富文は深刻な顔で答えた。だがしかし。

 

「現にここにあるではないか」

 

「そこなのだ、問題は。本来無いはずのモノがある、しかもそれは生徒の実力ではまず手に入らないモノとなると、嫌な流れになる」

 

 団芝三は断言するように答えた。

 

「数年前から只人世界をも巻き込んだ騒動。陰から若輩者たちを扇動し混乱をもたらそうとする者を我々は知りえている。今回の一件まさにその者たちが関わっているのではないかと睨んでおる」

 

「なんと不届きな者たちなのだ! 一体何奴なのだ!」

 

「──『緑龍会(グリューンドラヘ・ゲゼルシャフト)』」

 

「ぐりゅーんどらへ?」

 

 険しい顔でその者たちを語る。

 

「第一次から第二次世界大戦の世界魔法大戦時に旧ドイツ、ナチスから生まれた魔法族共同体。その思想も目的も団員数もすべてが謎に包まれ、彼らの陰がチラつくところには確実に混乱が訪れている。ホロコースト、二・二八、タイビン村、例を上げだすと切りがない」

 

「戦後の混乱期、ヒトラー自殺の一報からその組織の陰が薄まりましたが、52年の『血のメーデー』より日本での活動が報告され出したんです」

 

 あまり存在そのものが歓迎されない組織であるのはよく理解できた。

 しかしながら、何故その組織がこの殺生石の一件と関係があるのだろうか。

 そう思った時、団芝三が即座にその疑問に返答してくれた。

 

「奴らの狙いはわからんが、どう見ても魔法界の混乱が目的としているのは確かだ。そして今回の殺生石の案件も間違いなく緑龍会の手引きだろう。対抗措置も無意味になった」

 

「対抗措置?」

 

「撫子さんの入学ですよ。彼らの行動パターンから純血の魔法族には攻撃を加える率が少ないです。ですので魔法族にとって貴族であり希少種である天狗の撫子さんに入学していただくことで、魔法処より緑龍会の手を引かせようとしたのですが」

 

「失敗であるな」

 

 苦い顔で考える団芝三の顔は芳しくないといた様子。

 そうだろうともあろうことかこの学び舎に人の命を奪う特級の呪物が持ち込まれたなど誰が想像し得ようか。

 その持ち込まれた目的も知れず、あるのは混乱のみとなれば苦しくもなろうぞ。

 

「封印御所に殺生石を封じ込めれば事態は収まると思っておったが、そうでもないようだ。あまつさえ殺生石を砕き破片を持っていようなど思いもよらなんだ」

 

 殺生石はただの物体ではない。濃密な呪いの集合体。

 トンカチでも杖でも、あらゆる方法がその呪いに負けて、砕く方法すら後世に伝わらない程に強力な呪物なのだ。それを砕くとなると、生徒だけの力ではまず無理に等しい。

 

「生徒より押収した時、その者に罰を与えたのか?」

 

「珊瑚の宮で偶然に木箱に入った殺生石の母体を発見して持ち込んだもの自体は捕らえられてないのです。しかも全生徒の外套(ローブ)の色が白になっている生徒がいない。闇の魔法使いに接触も闇の魔法の使用もしていない、不可解なんですよ。今回の一件は」

 

「それこそ本当に『魔法』を使ったのかと疑いたくなる」

 

「ぬぅ……手詰まりではないか」

 

「純血を推す生徒の内調はこちらとしても進めているが、進捗も芳しくはない」

 

「ならば私もその内調をしているモノを手伝うのだ!」

 

「駄目です。撫子さんは天狗。法起坊殿との確約もありますし、危険に晒すわけにはいかないのです」

 

「ぬぬぬぬっ! 話にならんのだ!」

 

 私の怒りは最高潮で、旋風を吹かせていない事に褒められてもいいぐらいだ。

 この者たちとはまともに取り合えないと分かった私は、踵を返し校長室を後にしようとした時に富文が警告する。

 

「この件は他言無用で願いますよ撫子さん」

 

「当然なのである‼ 失礼する!」

 

 私は荒々しく扉を閉めてその場を後にした。

 

 

 

 

 

「怒らせてしまいましたね」

 

「致し方なかろう。これも教師の役目だ」

 

 富文と団芝三は苦労していると言わんばかりに大きなため息を付いた。

 

「彼にはこの話を撫子さんに話してしまった事を伝えなくていいのですか」

 

「ふむ……伝えんでも良かろう」

 

「報告義務はあると思いますがね」

 

「私を誰だと思っておる? 団三郎芝右衛門太三郎(だんさぶろうしばえもんたたさぶろう)。四国一の化け狸の総領だ」

 

 カカカっと特徴的な笑い方で団芝三は笑い飛ばし、富文は困った人だと同じように笑って見せた。

 

 

 

 

 

「うぬぅ、ぬぅぅうううっ! 一体どうすればよいのだ……」

 

 私は戦中派の抱えるクディッチチームの練習を観戦しながら悩みで唸っていた。

 どうにか箒には乗れるようになり今私が乗っている箒は海外の会社が作った箒、どうにも私は日本の木々で作った箒とは相性が悪いようで悉く壬生鴉の備品の箒をダメにした。

 この箒はクリーンスイープ・ブルーム・カンパニーの『クリーンスイープ5』だ。

 私は箒に跨り試合会場を俯瞰する形で考え事に耽っていた。

 たかだが危険な呪物を生徒が持ち込んだものだとばかり考えていたが、実際はもっと大事だった。

 聞き及びもしなかった日本の情勢、そして魔法省に抗う闇の魔法使いたち『緑龍会(グリューンドラヘ・ゲゼルシャフト)』。

 想像したよりもこの事態は深刻で巨大であった。

 しかし私としても、この魔法処魔法学校で起こった不届き者の珍事に指を咥えて見ている程に寛容ではなく、積極的にこの事態を解決することを望んでいる。

 しかしこれより先の手立てが見当たらない。

 殺生石を持ち込んだ生徒を見つけ出し、緑龍会の係わりを白状させるとまで考えるのはいいが、その生徒を見つけ出すまでの方法が思いつかない。

 団芝三、富文が言っていた内調をしている生徒と接触すると言うのも手であるが、当のその生徒の名前どころか学年すらも聞いていなかったことを思い出し、さらに唸って苦しみが産まれる。

 

「ぬぅぅうううっ! 私はどうすればよいのだ」

 

「どうしたんだ? 石槌君。悩み事かな」

 

 休憩か、竹人が練習場から離れて私の隣に飛んできた。

 壬生鴉のトレードマークである三本の脚を持つ緑の八咫烏の練習着に滴る汗が何とも爽やかな姿だったで、いつもならば精を出しておるなとねぎらいの言葉をかけるところだったが今はどうにもそう言った言葉が出てこなかった。

 そんな様子に敏く気づく辺りやはり竹人は人の出来た上に立つ人物だ。

 

「そうなのだ……私は悩み事が多いのだ」

 

「天狗でも悩み事があるんだね。相談に乗るよ、話してみてくれないか?」

 

 私は少し悩んだ。富文に緑龍会と今回の一件の事は伏せておくようにと念押しされている。

 彼を今回の一件に巻き込むことは私としても少々気が引けてならないが、それでも私の足りない頭を補うには人の意見というのも大事だ。

 重要な箇所を伏せて、私は竹人に相談することにした。

 

「どうにも純血派の連中の動向が気になってな」

 

「ま、まさか純血派の火焔竜に行く気なのかい」

 

 火焔竜とは純血派が抱えるクディッチチームの事だ。

 そんな気は甚だしいほどに無い。何より純血派の横暴な態度は入学当初より目に余るばかりだ。

 しかしそれでも今はその動向が気になっている。

 

「そうではないがな。んンーなんと申すか、純血派の一部の生徒が少々気になるのだ。どうにかして珊瑚の宮に入れぬかと考えあぐねている」

 

 戦中派や探求派とは違い、純血派が占拠している学校施設の珊瑚の宮は魔法的な施錠のみならず、物理的にも封鎖されている為に入ることが儘ならない。

 正面入り口は真言の合言葉で開くには開くが、その先で椅子や机、用具入れで塞がれている為にまともに入ることもできず、そしてなにより純血派はほかの派閥と違い血の気が多いい。

 他派閥と見れば袋叩きにされた他派閥生徒は数えだせば数知れず、珊瑚の宮には普通の生徒は近寄るなという見解が生徒のみならず、教師陣ですら公言する始末だ。

 それ故に既に私のような戦中派と係わりのある者は珊瑚の宮に入るだけでどんな仕打ちを受けるか想像に難くない。

 竹人は少し考えて、そして案を出してくれた。

 

「『茶の脛こすり』に聞いてみたらどうだろう?」

 

「脛こすりに?」

 

 学校のマスコット事脛こすり。学校のあちこちに生息している妖怪。

 学校施設の道案内を主にその活動をしており、昼休みの時はよく団子となって固まって日向ぼっこをしている光景が目に入る。

 人畜無害の妖怪であのフワフワの毛並みは抱きしめていて飽きがこない妖怪だ。

 

「知らないかな『茶の脛こすり』? 毛並みがゴワゴワで茶色い脛こすり。他のとはちょっと違って、人を化かすことが好きなんだ」

 

「そのような者がいたのか?」

 

「ああ、ここ最近産まれたのかもしれないが妙に学校の構造に詳しくてね。もしかしたらあの脛こすりなら知っているかもしれない」

 

「ふむ、ふむふむ……脛こすりにか」

 

 妖怪風情に頼るのは少々不服ではあるが、こういった時は致し方ない。

 

「分かったのだ。その脛こすりに聞いてみるのだ」

 

 私は練習場より引き上げ、校舎へと急ぎ戻った。

 茶色い脛こすりだ。すぐに見つかるものだと思っていたが、一体魔法処には脛こすりがどれだけ生息しているのかどれだけ探そうとも見当たらなかった。

 

「どうしたんだミぃ?」

 

「気持ちのいい妖気がするミぃ……」

 

 目的とする脛こすりではない者たちが私の脛に絡まりついてくる。

 ふわふわと気持ちのいい感触が脛を撫で、この者たちを両手一杯に抱きしめて転げまわりたいがその欲望をグッとこらえて私はしゃがみこんでその者たちに訊いた。

 

「主ら、茶色い同胞を見なんだか?」

 

「茶色い? あいつかミぃ」

 

「あれは付き合い悪いミぃ、案内なら僕たちがするミぃ」

 

「では珊瑚の宮に入れる場所を知っておるか?」

 

『それは知らないミぃ』

 

 口を揃えてそういう脛こすり立ちに私はうな垂れた。

 やはり茶の脛こすりを頼るしかないのだろうか、そう思っていた時、荒い鼻息が背後に現れ、いきなり背中をまさぐられた。

 

「な! なんなのだ!」

 

「もう少し、もう少しだけ……! はぁはぁ!」

 

 魔法動物兼魔法理論兼語学教諭の変態、鴇野美奈子がいきなり私の制服の中へ手を入れて、羽根を直接まさぐってくる。

 

「な、んんっ……やめ、はぁ、ああっ! やめるのだ……羽根の付け根は、あん! 敏感なの、だ──」

 

「ここがいいんですか?! 付け根が敏感なんですね! 何と、何と興味深い!」

 

 ひとしきり私の羽根をまさぐり上げた美奈子は、つやつやとした顔つきで離してくれた。

 まるで生き生きとした美奈子に比べ、私の元気はこやつに吸い取られてしまったようにゲッソリとしてしまう。

 いい汗を掻いたと汗を拭う美奈子から私は距離を取り、睨みつけた。

 

「何をする変態め!」

 

「いやいや。麗しい天狗が脛こすりと戯れる姿。そんなものを見たらもう……」

 

 くねくねと体をくねらせ悶える美奈子に怖気を感じながら、私は引いてしまう。

 やはりこやつは変態だ。度を越したド変態だ。

 

「何かをお探しの様ですね。何を探してるのですか」

 

「うむ……貴様に訊くのは癪だが。茶の脛こすりを探しておるのだ」

 

「茶の? ああ、あの脛こすりですね。それでしたら玻璃の天文台に行ってください。あそこにいましたよ」

 

「本当か! 感謝するのだ!」

 

 私は走り、玻璃の天文台へと向かった。

 脛こすりは猫と同じく気まぐれだ、急がねばその場から消え失せてしまう。

 玻璃の天文台の扉を開けた。巨大な天球と空を望むレンズを玻璃で拵えた望遠鏡が空へ突き出している。

 そしてその天文台の教壇の上にいた。

 茶の脛こすり、ジトっとした目でまるで見る者すべてが犯罪者のような冷たい目線で私を見てきた。

 脛こすりは野太い声で聴いてきた。

 

「何ようだミぃ?」

 

 珊瑚の宮の道筋が僅かに開けた瞬間だった。



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潜入、珊瑚の宮

「うむ、それでは珊瑚の宮への抜け道を教えて進ぜようだミぃ」

 

 偉そうに天文台の教卓の上でふんぞり返る茶の脛こすり。

 奇妙なほどにそこにいる事が板に付いているその姿に、私は珍しく他者に敬意を払いその御前にて正座をして深々と頭を下げた。

 

「嬉しく思うのだ。もう鰤の切身の失費がなくなると思うと嬉しいのだ」

 

 茶の脛こすりに珊瑚の宮への抜け道を教えろと要求した私であったが、この脛こすりは強情で、教える代わりに新鮮な鰤の切身を毎日寄越せと言うではないか。

 エンマ荘で山姥に頼み用意すると、エンマ荘の切身は墨臭いと言って食わず、結果として私の仕送りのお小遣いから出すこととなり、大変な痛手となった。

 それが一ヶ月も続けばこやつを踏み潰してやりたくもなりたくなる頃合だったが、今日でそれも終いだ。

 

「娘子の心付けによって我も大変腹が膨れたミぃ。しかし毎日鰤とは遊びがない。鮪、鯖、鱚の付け届けもあればよかったミぃ」

 

「主が鰤がいいと言ったではないか」

 

「心配りの問題だミぃ」

 

 そう言って大きな欠伸で私の反論も意に介さず、太々しい寝そべり姿であった。

 本当にこの脛こすりは他とは違う。人懐っこさもまるで無く媚びるどころか小馬鹿にしている様子すらあるのだから腹立たしい。ここはグッと堪えてこの妖怪の言う事を聞いてきたが、今日で終わり。

 茶の脛こすりが初めて教卓の上で寝そべり姿から立ち上がり、太々しい顔で床にドテッと鈍重な動きで動き出した。

 

「ついてくるミぃ」

 

 のそのそと野良猫のような足取りで抜け道への案内を始めた脛こすり。

 私はそれに続いて付いて回った。

 天文台を出て大海燕の休息地の崖を降りて南硫黄島の切り立った崖を進んでゆく。

 かなりの傾斜、濃霧のように烟る白雲に視界も悪くの足を踏み外せば黄泉への片道切符はすぐそこである。青々と生い茂る草木を命綱に私は脛こすり続き必死になっていた。

 

「早く来るミぃ」

 

 茶の脛こすりの姿は既に白雲で隠れて見えず、如何にか声を頼りに進んでゆく。

 

「ぬっ、わぁっ!」

 

 足場にしていた枯れ木がいきなり折れて落ちそうになり私は必死に崖にしがみ付いて、荒い息を整える。

 足を踏み外せばあの世へ真っ逆さま、心臓が痛いぐらいに高鳴って恐怖で足が竦む。

 

「一体いつになればその抜け道に辿り着くのだ!」

 

「もうすぐだミぃ……」

 

 白い視界の先からまるで木霊のように響く脛こすりの声に私は間近な死の緊張から体を強張らせる。

 もう引き返してもよいんではないか。なんなら、翼を広げて一飛びで校舎へは戻れる。

 しかしながら、それでは私の楽しみを得る場所が、悉くつまらなくなってしまうかもしれない。

 授業も行われず、友もいつか倒れ、そして廃れてゆく建物の姿はいくつも見てきたが、ここはそうなってほしくない。

 私は気合を入れ直し僅かな足場を頼りに進んでゆく。

 そしてそこに辿り着く。

 まるで洞窟の中に作られた祠。数多の御堂が犇めいて、蝋燭が立てられていた。

 

「その洞窟を進めば珊瑚の宮の真下だミぃ」

 

 姿を見せない茶の脛こすりの声が洞窟に反響して聞こえてきた。

 私は聞く。

 

「ここは一体何なのだ?」

 

「過去に在籍した純血派の生徒が作った緊急脱出口だミぃ。決戦に備えての道だミぃ」

 

 一体どれだけの時間をかけてこの道を作った事だろう。火山岩を削るにしても支えも録に立てず掘り抜いたとなると崩落の危険もあり得るが、支えは見当たらない。

 危険な道だ。

 

「ただの道ならよかったミぃ。この道の方角が良くないミぃ、ここは鬼門ミぃ、妖気が淀んで生徒も多く死んだミぃ。取って食われたくないなら走るミぃ」

 

 その言葉を最後に、茶の脛こすりの気配が消えた。

 矢庭に、蝋燭に青白い炎が灯り道を照らし出し、そしてその気配にゾッとした。

 背後に出現するそれら、怨霊の鬼火の群れがいきなり現れた。

 私は走った。

 濃厚な呪いが私を追って迫ってくる。この追ってくる鬼火にはまるで熱を感じられず、むしろ熱を奪い冷気を発している。

 私の吐く息すら白み煙のように靄となる。

 危機だ。落下死の未来を免れれば今度は呪殺される未来が差し迫っている。

 この鬼火に当てられれば殺生石の比ではない苦を与えられ苦しみ抜いて死ぬことになる。

 息を切らせて私は走り、洞窟の最奥の天井から梯子が下りているのが目に入り私はそれに飛びついて登る。

 急がねば、急がねば、急がねば。

 死は間近、足を止める暇はまるでない。

 登る最中に一匹の鬼火が外套(ローブ)に引火した。

 私の顔から血の気が引く、そして異様な寒気が全身を覆った。

 

「あっ、がっ! がぁああああ!」

 

 全身が痛み、鼻からは何もしていないのに鼻血が垂れた。

 ほんの序の口、この鬼火が体内に入ったならばそれこそ瞬時に気が狂れて物狂いとなり発狂死してしまうだろう。

 私は杖を抜き、唱えた。

 

呪いを拭え(イムプレカーティオー・テルジオ)!」

 

 殺生石の事件もあり、杖術の授業では呪いを退ける術を集中的に教えられていた。

 その事もあり私の覚えた術の中で最も強力な魔法でこの鬼火を退けることにした。

 杖の先より放たれた光が鬼火の火を喰らい、そして杖の中へ呑み込んでゆく。

 流石曰く付きの杖と言ったところか、呪いも怨念も人の魂の織り成す一つの側面でしかない。

 この杖にはそれすらも“餌”と言わんばかりに貪り喰らっていた。

 梯子を登りきり、走ってその洞窟もとい坑道を抜けた。

 手掘りの入口には巧妙に物置の中に隠され、私は入口を入念に塞ぎ鬼火がまろび出ないようにして、ようやく息を付いた。

 息も切れ切れにその場に崩れ落ちて、大きな深呼吸で気を落ち着かせる。

 全く茶の脛こすりもろくでもない道を教えたものだ。化かすのが好きだとは聞いていたが、ここまで過激なものだとは思いもよらなんだ。

 白いワイシャツに斑に付いた鼻血の跡が生々しく、これでは目立ってしまう。

 私は外套(ローブ)でそれを隠す様にして、物置の中から純血派の証、赤い羽根が付いた耳飾りを見つけ出してそれを付けた。

 姿見があればよかったがそうも言ってられない。うまく紛れ込めた事として私は物置からでた。

 

「…………」

 

 固く口を閉じ珊瑚の宮を見て回る。

 本来なら静謐とした威厳ある内観だったのだろうが、今はどこか猥雑とした印象を受ける。

 ごちゃごちゃと物が散乱し、寝袋や食器、洗濯物などが無造作に置かれている。

 それもその筈、純血派の生徒は家にもエンマ荘にも帰らず、ここ珊瑚の宮で寝泊まりをしているからだ。

 一部生徒は授業ストライキまで起こし珊瑚の宮を要塞化して、純血のみ授業を受けさせよと声高に宣言し続け、過激な活動をしている。

 ここにいる生徒の姿と来たら学業などそっちのけの恰好で、赤いテッパチや立て看板、今にも戦争を起こしそうな殺気を漂わせて杖を握っている。

 あまりにも危なっかしい雰囲気だ。こやつらはどこか浮足立っている様子もある。

 予想は付く、殺生石をあちこちにバラ撒いて敵となる生徒たちを昏倒させて激減した敵勢力。

 あわよくば今にでも珊瑚の宮を飛び出して魔法処の占拠を行う気なのだろう。

 過激も過激。過激派だ。

 もとより予想は付いていたがここまで過激とは少々予想を超えてくる。

 熱の籠る刺々しい珊瑚の宮の中を歩き、私はあちこちを見て回った。

 談話室。まるで作戦会議場。講堂は炊事場に代わっている。

 一部部屋に至ってはあちこちに血が飛び散り殺人でも起こったのではないかと思わせる内観に様変わりしている。

 学校とは思えない殺伐とした中身に私は不安が募る。

 もしここで私という存在がバレたのなら、一体どういった仕打ちを受ける。

 羽根を毟られ宙吊りと言う事もあろう。もしくは指を詰められ張り付けか。嫌な想像ばかりが沸き上がってくるものだ。

 顔が青白くなりそうになってい時、珊瑚の宮全体がどこか騒がしく生徒たちが大広間へと向かって行った。

 私は存在を気づかれないように慎重に大広間へと向かった。

 狂乱する生徒たち。そして檀上へと立つ一人の生がいた。

 見覚えがある。火焔竜のリーダー、たしか鹿島という上級生だ。

 

「喜べ皆! 近日中に俺たちの目的が達成される!」

 

 その声に皆が歓声で応じる。

 あまりの熱狂ぶりと声の音量に私は驚く。この熱狂ぶり、まるで悪しき集団(カルト)だ。

 鹿島は他生徒の歓声に酔いしれるようにして静寂を願う様に両手を広げ、ざわめきを鎮める。

 

「ありがとう。ふぅ──さあ、我々の目的は近日中に果たされる。親しき友人の助けにより、手に入れる事の出来た殺生石、そしてその砕く方法。これにより我々は今までよりもより多くの他派閥の連中を除外させることに成功した。大変な功績である!」

 

 その宣言に再度歓声が上がる。

 何という奴らだ。まるで悪びれていない。悪い事をしているとこやつらは微塵も思っていない。

 むしろ善良な、正しき行いをしているとばかりの反応に私は困惑する。

 醜悪、そしていて悍ましい。ここまでくればこの者たちは更生のよりはないのではないと思われる。

 

「我らが親しき友は混血を憎んでいる。我々もそうだ、学校を見ろ! 我が物顔で闊歩する混血どもを、あの穢れた血筋の者たちを。奴らに至高なる教えを施すなど言語道断! 我々こそが、我々だけがそれを享受するに値する! 排斥だ! 切除だ! 退けるのだ! 忌まわしい血筋の者たちを厚顔無恥な恥さらしどもを!」

 

 全ての言葉を返してやってもいい位の事をさも当然のように言い放つ鹿島の弁は立っているが、無茶苦茶な理論だ。

 私から言わせてしまえばどれだけ只人の血が混じっていようと魔道が使えるのならばそれは常人、そして常人は私たち天狗の足元にも及ばない虫でしかない。

 いくら内輪で揉めようとも天狗は高笑いを放って傍観するのが習わしだが、今回は私の性分がそれを許さない。

 この学校は私の知識欲を満たしそれに伴う嬉しさ楽しさ、そして満たされる快感を与えてくれる場所だ。それを薄汚れた常人の血で汚そうなど。不届きにもほどがある。

 私がもう少し神通力の力に目覚めていたのならここにいる者すべてを旋風で吹き飛ばしてやったのだが、しかし今その力は今の私は持ち合わせていない。

 戻ろう、そしてこの事をありのまま団芝三に報告してその悪しき計画を潰してやろうと考えた。

 

「捧げようこの歓喜を、この祝杯を! この長年続いた闘争で散った先輩たちに、名誉のために除名された先輩たちに、大久保先輩に!」

 

 勝利の一献と言わんばかりに部下より受け取った盃を掲げて、鹿島は吼える。

 それにまた他生徒は歓声で応じるのかと思ったが、今度は粛々とその喜びを噛みしめていた。

 とにかく異様な光景だ。まるで彼らはこれより戦に行かんばかりの心境と思えば、これは目に見えて負ける戦なのは明々白々。死出の旅路の道連れに、誰ぞを求めていた。

 それともこの決意の中には彼らの身が知りえる勝機があるのだろうか。

 私はその光景にオロオロと戸惑っているとき、唐突に私の腕を引かれて大広間より引き離す人物がいた。

 その者は──。

 

「竜人──!」

 

「お前一体こんなところで何してる。死にたいのか!?」

 

 声を押さえて物陰に私を連れ込んだ竜人は血走った目で今まで見せた事のない怒りの感情を露わにしていた。

 その怒りの根源が私の身を案じている事だけは理解できたが、なに故にそこまで怒る理由が知れない。

 

「こやつらの企みを阻止するのだ! この事を団芝三に伝え強制的に奴らを確保させる!」

 

「バカか! 学生には学びの自治権が確約されてる、それこそ入学前の魔法契約で『魔法処』と結ばれている。外套(ローブ)を見ただろ、白にならないと教師じゃどうしようもできない! 連中が自治を宣言して外套(ローブ)が正常な限りここじゃどうしようもないんだよ!」

 

「ならばどうするのだっ! このまま指を咥えて黙っていろと言うのか!」

 

「お前のタイミングが悪いって言ってんだよ馬鹿!」

 

 その声に純血派生徒の何人かが訊いたのか。こちらへと顔を覗かせた。

 

「どうした?」

 

「あ、いや先輩。こいつが負け戦にならないかと不安がってたので折檻してまして」

 

「そうか? 戦う前からそんな弱気じゃいけねえな。指導もしっかりしてるな安部は」

 

「負け戦に決まっておろうが! 戦況も見えぬのか!」

 

 竜人が何とか言い訳を取り繕うとしていたが、私も竜人の説教に頭に血が上りついで、それを口に出してしまった。

 マズいと口に出して後に思ったが、すでに後の祭りとはこの事であり、その生徒たちの目は鋭く私を睨んでくる。

 ただならない気配で私たちに詰め寄ってくる生徒が一人。

 私の顔を覗き込むように、ぎょろりとした目が私を見つめた。

 

「えらく弱気だな。指導が必要なようだ」

 

「おい、おい。無茶するなよ三日後には計画が開始するんだ」

 

「だからだよ。不安要素はきちんと正していないとな。第一こいつは前から信用ならないんだよ」

 

 その生徒は竜人を指さして言った。

 

「六波羅の走狗であるって宣言してる。それこそ俺達純血派の敵だ、そうだろう安部」

 

「……確かに僕は六波羅局の一員ですが。純血派には迎合していますよ」

 

「ほう、じゃあ──」

 

 その生徒が床に転がっていたクディッチの棍棒を竜人へと差し出した。

 

「こいつで殴れよ。俺達の目の前で、このへっぴり腰の弱虫をよ」

 

 あまりにも前時代的というのか、ほぼほぼ脅迫まがいの忠誠心の見せ方を実践しろと言っている。

 クディッチの棍棒は鉄の塊であるブラッジャーを殴りつけるために頑丈に作られている、それを人を殴ろうなどと誰もが考えないが、もし殴られものなら頭が割れ中身が飛び出てもおかしくはない。

 私は顔から血の気が引いた。血が流れるだけで済めばいいが致命傷だけは避けたい。

 私は強張った体で竜人の顔を見た。

 顔を伏せて、静かに考え込んでいた竜人は言い放った。

 

「やってられねえ。──敵をよけよ(レペロ・イニミカム)!」

 

 突如として杖を抜いた竜人は生徒たちに向かい魔法を放ち、その生徒たちは吹き飛ばされた。

 私の手を取って生徒たちの集会とは反対側へと走り出した。

 

「まったく! 計画が全部おしゃかだよ。大人しくしてればいいものを!」

 

「一体どういうことなのだ竜人?! 主は純血派なのだろ!」

 

「そうだよ純血派だ! でも、こんな過激な事をするのは許せないだけだ。逃げるぞ走れ!」

 

 騒ぎを聞きつけたのか大勢の純血派生徒たちが私たちを追って津波のようになって追って来る。

 背後から放たれるいくつもの攻撃魔法が、体を掠め、壁に当たり砕け、全身を今迄の比ではない殺気が撫でてくる。

 危機だ、絶体絶命だ。これ程までに殺気立った集団を見た事など今までない。

 半狂乱のカルトに追われることに私の足は縺れながら走る。

 

「っく! これでも喰らえ!」

 

 私は大きく翼を広げて背後に向かって旋風を吹かせて動きを牽制する。

 強風旋風鎌鼬、今まで本気で旋風を吹かせた事はなかったがこれも天狗の特権と言わんばかりに生徒たちを吹き飛ばす。

 だが、羽根を大きく広げ過ぎた。

 的の広がった純血派生徒が放った魔法が私の羽根にぶつかり、血が出てしまった。

 

「いっ、っうっ!」

 

「構うな! 逃げる事だけ考えろ!」

 

 珊瑚の宮を駆けずり回るが、しかし出口と言える出口はすべて備品で塞がれまともにここから出ることもままならない。

 大広間へぐるっと珊瑚の宮を回ってくる形になってしまったがその固く閉ざされた備品の山に、竜人は呪符袋から符を取り出した。

 

「吹き飛ばす! お前はつむじ風を吹かせてろ!」

 

「分かったのだ!」

 

 竜人は印を結び、術を唱える。

 

「木生火、火生土! 木により火を、火より土準え相剋を願い給う!」

 

 五行の習わしから木から火、火から土へと相剋を準えるとなるとどれだけの威力になろう。

 呪符の光が眩いばかりに輝き、それを備品の山に投げようと竜人は腕を振り上げる。だが、僅かな希望も現実は非情であった。

 私の羽根を潜り抜けて魔法の閃光が竜人の呪符を持つ手に炸裂し、鮮血が散った。

 

「悲しい……俺は哀しいぞ竜人!」

 

 人混みの中から現れたのは純血派の棟梁、鹿島。

 もう号泣で、鼻水、涙、涎が溢れて顔が大変汚くなっていた。

 しかしその涙の意味が分からなかったが絶叫してそれを語った。

 

「俺は、俺はお前が本気で心変わりをして正義に目覚めたのだと信じていたんだ。それを、それをこんな仕打ち……酷すぎる!」

 

「ハッ……俺は元から信用もしてなかったっつの」

 

 竜人は連中に聞こえないようにそう呟いた。

 私には、この備品の山は崩せない。唯一の希望であった竜人の呪符も利き手が潰され印を結べなくなってしまった。

 手詰まりだ。

 

縛れ(インカーセラス)

 

 何処からともなく飛んでくる捕縛の魔法が私たちを縛り上げて倒れ込んでしまう。

 純血派の生徒の目は既に正気を保っていない。私は死を覚悟した。

 

「その二人を四階に閉じ込めておくんだ」



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懺悔そして過去

ちょっとフォントで遊んでみました。


「ここで大人しくしていろ!」

 

 拘束された状態で四階の用具備品室に投げ込まれた私はまるで蓑虫のように簀巻きにされ、まともに身動きもできずに転がるしな出来なかった。

 濃厚な血の香りが珊瑚の宮の四階には漂っており、少なくともまともな所業を行っている場所ではない事はすぐに理解できる。あまつさえ同室のよしみに先客がおり、それは生徒であることは理解できたが、よくよく見れば皮膚は朽ちかけ、骨ばかり浮いた顔をした骸であった。その骸の顔は私に恭しく首を垂れていた。

 

「仲良くそこで転がってろ!」

 

 ぴしゃりとそう言った生徒が部屋を後にする。

 私は体をよじって拘束を解こうとするがびくともしない。大変頑丈な荒縄だ。

 しかもそれが何重にも重ね掛けされた拘束魔法であるのなら私が自力で解くことはまず不可能であろうと思われた。これでは立つことも小水を足す事すらまともに出来ず、漏らして下着が黄色く黄ばんで気持ち悪い事になってしまう。

 

「うぬぬっ、ふぬぬぬっ!」

 

 きつく縛り付けられた縄に少しでも隙間を開けるべく腕を広げ、羽根を広げて見るが、うんともすんとも緩まることなく、むしろ締め付けが激しくなった気さえする。

 打つ手なしとはこの事だ。

 自由の身の上がどれだけ喜ばしい事だったのか噛み締めて実感できる。

 そして一体どれだけ純血派の生徒が残酷に目覚めれば事済むのか。所詮人のやる事、些細な悪事にしか殊更できないモノだと私は考えていたが、人間の想像力と行動力とは如何様にも醜く悲惨に拉げてしまうものなのだった。

 容易に人を殺したのか。そこの骸が何よりもの証拠であった。

 人の道を外れ、非道な外道の畜生へと奴らは堕ちた。救い難い連中だ。

 どれだけの覚悟で、あのようになったのか、一体どれだけ決意で冥府の旅路に地獄を選んだのだろうか。

 口惜しい、無念だ、悔しい限りだ。連中とて悪鬼へとならずとも生きる道はあっただろうに。それをこの様な道を選んだ連中に私は泣きたくなるばかりだ。

 突如として激しい殴打の音が隣の部屋より聞こえ、絶叫の悲鳴が珊瑚の宮に響き渡った。

 その声の主はすぐに分かった。

 

「ぐっがああああああああッ!」

 

「竜人! 竜人!」

 

 喉が潰れんばかりの絶叫。容易に想像が付く、この音、この声。

 純血派は原初的な方法に立ち返ったのだろう。忌まわしき磔の呪文など使わずとも人は人を苦しめる方法はいかようにも持ち得ている。

 外套(ローブ)の色を白に変える尤もな理由は闇の魔法の使用。ならばどうやって人を痛めつける。

 付いておるではないか。その両手が、その両腕が、その両足が、その両脚が。

 根源的な暴力で、連中は竜人を痛めつけているのだ。

 その殴打の音は痛々しく、私の押し込まれた部屋にも響き、私の行いを責め立てるように苛んでくる。

 

「やめろ! やめるのだ!」

 

「ああああああああッ!」

 

 止まることのない竜人の悲鳴に私は己の愚かさに忸怩たる思いであった。

 しかしどれだけ後悔しようと現在進行形で私への罰は行われている、私の耳を劈くように友の悲鳴を私の心の弱い箇所に的確にえぐり込んでくる。いっその事私を、私を痛めつければこんな思いはしなずに済んだ、竜人はただ私の身を案じて身を挺しただけのやつだ。

 悪くはない。悪いのはただ一人。この私だった。

 小一時間、余すことなく竜人の悲鳴を聞かされ私の心は既に憔悴しきっていた。

 一体どれだけの仕打ちを受けたのだろう。あの強情な竜人が悲鳴を上げるほどのことなど、それこそ拷問のようなことを行わなければ出てこぬだろう。

 私の瞳より、滴るものがある。

 私は姿の見えぬ竜人に許しを乞うていた。隣の部屋にいるであろう竜人に、彼のいる部屋の壁に向かって、泣きながら謝っていた。

 

「こんなの、あんまりなのだ……許してくれ……竜人。ごめんなのだ。ごめんなさいなのだ……」

 

 息が詰まる思いでただただ謝るしか私は出来なかった。

 壁が薄いのか息も絶え絶えの竜人の吐息が聞こえ生きている事だけにひたすら安心した。

 私の行動は間違いだったのだろうか。私は何もすべきではなかったのか。

 ひたすらにその場で泣き崩れ、床を濡らして泣き喚いた。

 

父様(ととさま)ぁ……母様(かかさま)ぁ……」

 

 いもしない者を頼る当たり私の未熟さが身に染みて理解できる。

 私は、私と来たら──まだ餓鬼でしかなかったのだ。それが尊大にもこの学校を正すなどと調子の良い口上ばかりを並べ立て終いにはこの有様だ。

 無様で、惨めで泣けてくる。

 

あのう、だいじょうぶですか?

 

 矢庭に声を掛けられ、私はそちらに振り返った。

 薄白い半透明な姿の女子生徒。その足は床には接地しておらず浮き上がっているではないか。

 妖気の気配を感じその元を辿れば、同室の同居人の骸へとその霊の臍帯は繋がっていた。

 

「ぐっす! 主は……地縛霊か?」

 

はい。木島典子と申します

 

 にこやかに笑って見せる典子であったが、土地への定着が緩いのか、話す声も揺れ動いているような気がする。

 半透明なその姿、外套(ローブ)を見れば京紫の色をしており私よりも上級生であったことが窺い知れた。

 

「主は、何者なのだ?」

 

私は、そこの骸の魂です

 

「それは見ればわかる。なぜこのようなところで死んだなのだ?」

 

それは……

 

 考え深そうに悩む典子が自分の遺体を静かに撫でて、語った。

 

仲間内での揉め事が嫌になったんです。それでここで自殺しました

 

「仲間内……主は純血派なのか?」

 

そうですよ。昔の、今ほど過激ではなかった頃の生徒です

 

 苦々しく笑う典子が私の近くに寄って来て座った。

 私に絡みついた拘束魔法を非力な力で解こうとしていたが、やはり所詮は地縛霊の力。どうしようもないようでなかなか解けずに悪戦苦闘している。

 

隣の方は、お友達ですか?

 

「そうなのだ……大切な、私を守ろうとして私以上の仕打ちを受けているのだ」

 

 また泣きそうになる私はグッと零れそ落ちそうな涙を堪えて見るが、やはりどうにも我慢できず溢れ出た。

 嗚咽がへたに響いて情けがない。これが天狗の一匹とは恥晒しもいいとこだ。

 こんな体たらく私が父様(ととさま)を超えようなど甚だしいにも程がある。

 烏天狗にも劣る私に典子は触れられないが、私の背中を優しく撫でてくれた。

 

大丈夫、お友達はもうすぐ解放される筈です

 

「何故そうわかるのだ。あの悲鳴を主も聞いたであろう……このままで竜人が殺されてしまう」

 

いいえ、本当にもうすぐ解放されます。だって計画の最終段階なんですから

 

 私はもぞもぞと身を動かして、芋虫のような動きで体を起こして竜人との部屋を隔てる壁に背を預けた。

 典子の顔には嘘偽りを述べているような虚偽の色は見て取れず、真実を語っているようだった。

 

「純血派の内情をよく知っているようだな」

 

はい。だって私はこの計画の発足当初から関わっていましたから

 

 誇らしげにそう語る典子の顔、しかしどこか罪悪感で押しつぶされそうな悲痛な表情であった。

 私は聞いてみることにした。その計画とやらを。

 

「どういった計画なのだ。それは」

 

お聞き苦しい話です。それでも聞きますか? 

 

「勿論だ。話してほしいのだ」

 

……わかりました。では結論から話しますと

 

 典子が言った。

 

この計画は混血の魔法族をすべて呪殺させる計画です

 

「この魔法処の混血の生徒をか」

 

まさか、そんな小さな計画ではありません。日本全土の混血魔法族です

 

 言葉が出なかったあまりにも規模が違い過ぎた。

 しかしだが、私はその話にどこか疑問に思えた。たかだか学生の集団が、国の行く末を決めるだけの行動力、そして計画力を持っているのだろうか。

 日本全土となればそれこそ──。

 

緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)の差し金なのか」

 

緑龍会? よくわかりませんが。あなたが思うのなら恐らくそうなのでしょう

 

 弱弱しく笑う典子。

 彼女は純血派にしては奇妙なほどに心優しい。今の連中ならば恐らく私を笑いものにしてつるし上げるのが関の山。それを典子は一切せずむしろ親身になって私の傍によって自分の過去とその計画の過ちを話してくれた。

 

純血派は確かに凶暴な側面があります。でも、ここまで酷くなったのはあの人と接触してから

 

「あの人?」

 

ええ。私たち純血派の意見をすべて肯定する親しき友のせいで

 

 

 

 

 

「おい、部落。次の準備をしとけよ」

 

「……はい」

 

 私は魔法処に入学して長年の間、ろくに成績を上げられず外套(ローブ)の色は常に黒色でした。白になるよりも黒色の方が皆からの当たりは強い。

 当たり前です。だって黒色は闇の魔法を使うだけの力もない本当に出来損ないの証ですので。

 戦中派、探求派の人だけでなく純血派の人も私を『なり損ない』と呼んでいました。

 悔しさも、怒りも、三年も続けば心に浮かばなくなるくらい諦めていました。

 でも、私にも心を許せる人がいた。

 今の純血派の棟梁の鹿島さんと成績優秀者であった大久保先輩でした。

 

「手伝ってやるよ。そっち貸してくれ」

 

「見てられねえ。たく酷いことしやがるぜ」

 

 酷いいじめに彼ら二人は私を陰ながら励ましてくれました。

 いつもいつも、私なんて放っておけばいいのに。優しく私を励ましてくれました。

 資料運びも、宿題の代替わりも一緒にやってくれて、私がいじめられている時はいつも駆けつけてくれました。

 私はそれが本当にうれしくて、ろくにまともな魔法も使えない私に彼らが正しくて立派な魔法使いになることを願ってました。

 

「瑠璃講堂だよな。これ運ぶの」

 

「魔法理論だからそうに決まってるだろ大久保」

 

「……ありがとうございます。鹿島さん、大久保さん」

 

 私は日陰者、それを照らしてくれるのがこの二人。私の眩しい目標で私を助けてくれるヒーローたち。

 下宿先も一緒で、一緒に勉強をしているときが本当に楽しかった。

 私たちは笑い合いながら、ここが違う、ここはこうだと。共に勉強会で学を極めてました。

 私も彼らの前では本当に笑う事が出来ました。彼らだけは私の味方でいてくれるから。

 杖を使った授業では私は失敗ばかり、使い魔をカップに変身させようとすれば、何匹も使い魔を殺してしまってよく泣きました。鍵開けの魔法ではむしろ鍵をかける魔法が使えるようになるほど、不器用な私。

 そんな私に傍に立っていつまでもいつまでも教えてくれたんです。

 でも、それも四年生の時に変わってしまいました。

 大久保先輩が、私たち三人の勉強会から少しだけ抜けた時期がありました。

 すぐに戻って来て大久保先輩が私たちを別の勉強会に誘ってくれました。

 

「学は絶対つく。この調子じゃぁ俺が五学年だけじゃなくて魔法処随一の成績を取っちまいそうだ」

 

 えらく興奮気味の大久保先輩に私たちも少し興味を示して、ついていきました。

 場所はたしか、京都の裏御所で開かれていた共同勉強会。

 魔法処の生徒たちだけでなく多くの若人がそこに集まり、己の持論、そして思想、理論を展開しながら実践的な魔法、薬学、世界各地の魔法体系を繙く事が出来ました。

 確かにそこは学力が付き、そして何よりその実技は何よりも実践的だった。

 教諭の先生は優しく、手取り足取り教えてくれて、私は初めて黒色より脱する事が出来て、成績は見違えるほどに上がりました。

 

「大丈夫、私たちはいつもあなたたちを見ていますよ」

 

 先生たちの口癖だった。

 親身に私たちの親、保護者のように常に気を利かせて教えてくれる。

 そんな先生たちに私たちはいつしか魔法処よりもここで教えを乞うた方が有意義であると結論に達しました。

 鹿島さんも大久保先輩も私でさえもそう思えて、いつしか学校が寝食を行う場所と変わり、京都裏御所が私たちの学校に変わって行きました。

 所詮魔法処は出席日数さえ足りていれば私たちは御所で手に入れた学力で成績は約束されている。

 その事もあり、私たちは三人だけでなくほかの純血派の生徒を勉強会に呼んで共にそれを享受しようと考えました。

 そしてこれが一番の間違いでした。

 次第に私たち純血派メンバーは魔法処の学業を放棄して、勉強会での思想に溺れていきました。

 私がその違和感を覚えたのは、先生の一人が闇の魔法を実践した瞬間からでした。

 

「今から、磔の魔法をお見せしましょう。誰か被験体になってもらえますか。大丈夫すぐに終わります」

 

 純血派の生徒は面白半分で名乗りを上げて、磔の魔法を掛けられました。

 耳を覆いたくなるような悲鳴と絶叫。この世の苦しみをすべて背負わされているような負の叫び声に私は怖くなってしまったのです。

 そして、その勉強会には顔を出していましたが、勉学に集中が出来なくなり私は苦しみました。

 また戻ってしまうのかと、そう言った恐怖もあり齧りついて勉強しましたがそのたびにあの純血派の生徒の悲鳴が呼び起こされて尻込みしてしまいました。

 そしてそれを悟った先生は、皆をとある勉強合宿へと招待したのです。

 その勉強合宿で私たち三人の運命が崩れていくのでした。

 あさま山荘での勉強合宿でした。



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純血派の過去 其の一

 2月17日のまだまだ寒さの堪える日の早朝でした。

 私たちは下宿先で荷物を詰めて、長野軽井沢で先生たちと合流するようにと通達があり、私たち三人は箒に跨り飛び立ちました。

 空も寒く、雪もチラつく薄暗がりに私と、鹿島さん、大久保先輩は飛んで向かうのは勉学の為と理由でしたが、私には言い知れない不安感があったのです。

 学生に磔の魔法を掛けた先生の目に罪悪感などなく、どこか楽しみすら感じさせたあの目に私は竦み上がって、ただ先輩たちに付いて行くしか私は選択肢が見いだせなくなっていた。

 暗闇の中を歩いているようでした。足元も真っ暗な、どこまで行っても暗闇が支配するようなそんな感覚で、盲目に妄信的に信じるしかなかった。

 軽井沢は避暑地で完全なオフシーズン。ひっそりとしており人もまばらにしかおらず、人の足音も気配も降り積もる雪が白色に消し去っていくようでした。

 

「ああ、ようやく来ましたか。皆さん」

 

 先生が私たちの到着を待ちわびていたと言わないような笑顔で両手を広げて迎え入れてくれた。

 この寒さが堪えるのか古臭い防寒軍服のような服で、ニコニコとしていた二人の先生。

 一人はいつも教鞭をとっている女性の先生だった。長い髪をポニーテールにして鼻の高い容姿から日本の血だけではない事が理解できる。

 もう一人はぎこちない笑顔を必死に浮かべて苦しそうだった。笑顔になれていない大男だ。

 他にも五名程度の生徒が私たちを待ちわびており、霜焼けにならぬように己の手を自らの息で温めていた。

 

「先生、ここからどうするんですか?」

 

 鹿島さんはそう言いこれからの行動の指示を乞うていた。

 確かに私たちは軽井沢で勉強合宿をするとだけ伝えられていて、詳しい勉強内容は伝えられていなかった。

 女の先生は手を叩いて忘れていたとわざとらし気な動作で、説明を開始する。

 

「皆さんに今日集まってもらったのは実地での実践経験を積んでいただくためですよ。マグルの協力者が今回皆さんの勉学を手伝っていただくように言っておりますので、まずは合流することからにしましょう」

 

 先生はそう言って、私たちを連れて歩き出した。

 向かった先は山道への道で、まだまだ寒さとひどく、雪も積もって足を取られながら、私は歩いて行きました。

 足を雪にとられこけそうになった時、大久保先輩が私の体を支えてくれた。

 

「大丈夫か? 木島」

 

「ありがとうございます。大久保先輩」

 

 爽やかな顔で笑い返してくれるが、その頬は寒さで赤く染まり吐く息は白く煙る。

 

「体を動かすのは苦手か?」

 

「あまり得意ではないです。ずっと勉強ばかりしていて体を動かすのは」

 

「はははっ。俺も似たようなものだ。無理は禁物だから少しゆっくり行こう」

 

 私を気遣いながらともに歩いていた。

 ずっと彼の事は気に掛けていた。これは今にして思えば淡い恋心のようなもの、彼ら二人に私は恋をしていた。

 その恋が成就せずとも、共に居られることが何よりも嬉しく楽しかった。

 だからここまで付いて来れたし、頑張ってこれたのです。

 険しい道のりで息も切れて、空気を吸うことも苦しいくらいだった。冷たく凍てつく空気が諸に肺を冷やして防寒着の中はじっとりと汗ばんで頬に汗がつたった。

 

「皆さん見えてまいりましたよ。あれが私たちの合流点で宿泊施設──あさま山荘です」

 

 切り立った山肌にせり出す様に建てられた三階建ての宿泊施設。

 私たちはその戸を叩いて、管理人らしき女性の人が出てきた。

 

「はい? どちら様でしょうか?」

 

「すいませんね。──やってくれ」

 

 杖を抜いた大男が聞き取れなかったが、何かしらの魔法をその女性に掛けた。

 瞬間、女性の目から精気が失われた。

 私は血の気が引いた。なんとなしだが使った魔法が何なのか理解できた。

 ──服従の魔法。

 許されざる魔術の一つ、私たちが使えば忽ち魔法処を退学処分にされ、魔法省で裁判を受ける事となる。

 それして下手を打てばアズカバンという魔法使いの刑務所に収監れてしまう。

 

「……先輩」

 

「ん? どうした?」

 

「なんだか、この合宿、怖いです」

 

「本当に、木島は臆病だな。俺達が付てるから安心して勉強しろよ」

 

 私は大久保先輩の背に隠れて先生の視界に入らないように身を隠して、ビクビクと震えるばかりだった。

 そのまま逃げ帰ればどれだけいい未来が私を迎え入れてくれるだろうと今でも考えます。

 でも後悔先に立たずとはこの事でした。

 私たちはあさま山荘に入り、大部屋で私たちは荷物を下ろした。

 大変軽やか部屋で、只人の施設と言う事もあり魔法的な道具や器具は無く、あるのはテレビとラジオ、そして布団ぐらいであった。

 その日は特にと言って何もなく過ごしたが、問題は翌日からであった。

 

「集まって下さい。皆さん」

 

 山荘の外に集められた私たちは円陣を組み、私たちの中心に置かれたそれを囲う様にして先生の話を聞いた。

 

「これは皆さんなんだと思いますか?」

 

 先生が手に取って見せたのは鉄の筒。

 まごう事のない只人が個人で持ちえる最大の武器。

 

「銃です」

 

「エクセレント。そう、これは銃。皆さんはこれに触ったことはありますか?」

 

「いいえ」

 

「ではドンドン触りましょう。触って使い心地も知っておきましょう」

 

 先生はそう言って全員分の拳銃、そして猟銃を手渡してきた。

 ずっしりとした重みが私の両手に圧し掛かってくる。こんなに重いなんて想像していなかった。

 只人はこんなに重いものを持たないと自衛の手段がないのかと思うと大変な苦労だ。

 そんな苦労を知ったところで私たちは常人。杖を使って身を守る者たちだ。

 なのになぜ先生はこれを持たせるのか不思議でならなかった。

 

「先生。こいつを持って何するんですか?」

 

 鹿島さんがそう質問した。

 先生は困った子だと言わんばかりの顔で、語りだす。

 

「これは、来るべき時の準備ですよ。私たちは狭い視野で物事を見過ぎている。大きく視野を持つのです、人の命を奪うのに強力な魔法は必要ない事を知っておいてほしいのです。これはその一つです」

 

 そう言った先生は誰もいない方向に銃を構えて引き金を引いた。

 ズドンと重苦しいようでそして瞬間的な炸裂音が響きわたり、山に反響して木霊のように音が返ってきた。

 生徒全員がその音量に驚いて、目を閉じて撃った方向を向いた。

 小さな命が瞬時にして奪われていた。

 野兎だった。どこかから出て来たのか、野兎の頭が綺麗に撃ち砕かれ無くなっているではないか。

 正確無比な射撃の力を見せる先生は、強力な力などいらないと言う。

 必要なのは必要な時に必要とされる決断力と発想力、そしてそれを実行に移す行動力なのだという。

 

「皆さんはまだまだ若い。前途多難な人生でしょうが、それらを乗り越えましょう」

 

 そう笑顔で言い、先生は手を叩て銃の訓練を始めようとしたとき、どこからともなく、パン、と銃声が山の中に鳴り響いた。

 先生が撃った拳銃の比ではない大きさと重苦しさのある銃声だった。どこか命がけの何かをしているようなそんな銃声。

 先生はその方角に向いて目を細めた笑っていた。

 

「ささ、訓練をするのです。マグルの知識も必要とされる知識の一つですよ」

 

 言われるがまま皆は銃を扱う練習を始めた。

 皆使い慣れない道具に四苦八苦しながら、弾を込めて、標準を定め、撃つ。

 杖の魔法とは非にならない重み。どこか興奮と、その先にある誰もが持つ暴力性を刺激してくる反動の衝撃が、理性を麻痺させて私たちはおかしくなり始めました。

 その日一日は銃の硝煙の匂いが手に染みつくぐらい銃を撃ち続けて私たちの『勉強』が終わりました。

 

 

 

 

 

 次の日、目を覚ました私は手に銃の衝撃からの痺れが未だに残る体でのそのそと起き出して外を見ました。すると先生が外に立っているではありませんか。

 何かを察知した草食動物のようにピリピリとした雰囲気で、大男の先生と神妙な顔つきで話し合い時折笑い顔を覗かせる。

 そんな先生の姿が、私はゾッとするぐらい恐ろしい妖怪のように見えて仕方がありませんでした。

 時間もたちみんなが起き出して朝食を終えた時、食堂で先生は手を叩いて次なる報せを持ってきました。

 

「さて、今日はバリケードを作る方法を教えましょう。いくら魔法でも、銃でも物理的な障壁があれば忽ちその脅威は減少します」

 

 いわれた通りに皆は出入口、窓、勝手口などすべてをベニヤ板を建付け、足りなければ机で塞ぎ、それでも塞げなかった窓などはカーテンなどで覆い隠した。

 的確にこうすればいいと先生たちが指導して、遂にあさま山荘はネズミ一匹、蟻んこ一匹も入り込めない程の強固な要塞に作り替えるころには既に昼も過ぎ、私たちは昼食の準備を始めた頃でした。

 玄関の扉を叩く人たちがいました。

 封鎖した窓の隙間ら覗き込むと、五人ほどの山登りをしている人にしては小綺麗な格好をしていて、その雰囲気は剣呑な感じでした。

 管理人さんが彼らを出迎えて、私たちのいる部屋に入ってきました。

 

「ああ、ようやく来ましたか坂口さん」

 

「先生。御無沙汰しております」

 

 皆立ち上がて警戒して杖の柄に手が伸びていました。何せ来訪者たちの背には拳銃など可愛い武器でなく大きな猟銃が担がれているではありませんか。

 私は震えて、大久保先輩の背中に隠れてただただ震えるしかありませんでした。

 

「ご紹介します。マグルの協力者です。坂口さん、坂東さん、吉野さん、加藤兄弟さんですよ」

 

「この方々が先生の親しき友人ですか? 少々お若いようで」

 

「これでも立派な戦士ですよ。ここのバリケードも今しがた彼らが作ったものです」

 

「おお、それは凄い。皆さんご協力感謝します」

 

 恭しく坂口さんは頭を下げて感謝する。

 しかし私はそれを素直に受け取れるほどの余裕がなかった。

 剣呑過ぎたのです。彼らは。

 どこか血の気の、いや、人を殺してきているようなどこかトロンとした眠たげな眼であったのでから私は震えて怖がったのです。

 

「お疲れでしょう。ちょうど昼食を取ろうとしている頃です。御一緒にどうですか?」

 

「それではご相伴に預かります」

 

 私たちは彼らと共にその昼食をともにしました。彼らはやけに親し気に私たちに話を振って来て、どういった思想で先生と行動を共にしているのかと色々聞いてきましたが、とにかく私はその食事は怖くて仕方がなく、何かの拍子に彼らが激昂し猟銃を構えて私たちの頭を撃ち抜くのではないかと思っていました。

 怖くて怖くて仕方がなく、料理の味もろくにしませんでした。

 

「そうか、君たちの世界でも資本主義が横行しているのか」

 

「ええ、そうなんですよ。皆さんも大変苦労をされているようで」

 

 鹿島さんは彼らのリーダーと思われる坂口さんと意気投合したかのように親しく話していました。

 資本主義も共産主義も何も魔法界には関係のない話だと私は思っていましたが、鹿島さんは海外のガリオン硬貨の制度を資本主義などに当てはめて見事な論弁を披露するのです。

 それに坂口さんはここはこう考えた方がいい、こうした方が合理的だと討論しているではないですか。

 どうすればここまで意気投合できるか判りませんでした。

 その日はそれで終わり、翌朝の事です。

 少し遅く起きてしまった私は朝食を取ろうと食堂に向かったのですが、何やら彼らが話し合っていました。

 聞き耳を立てて、それを聞いていると。

 徹底抗戦、銃撃戦、人質の必要性、食料の備蓄などまるで戦争の作戦会議をしているではありませんか。

 私は怖くなって大久保先輩を探して走り回り、その先輩が屋上にいる事を知り急ぎ向かいました。

 

「大久保先輩!」

 

「ん? どうしたんだ? 木島」

 

「息せき切らしてどうしたんだ?」

 

「あの、あの──!」

 

 空を見上げてぶんぶん飛び回るヘリコプターに不思議そうな二人に私は叫んで言った。

 

「やっぱりおかしいです、この合宿は! 銃の練習をさせたり、バリケードを作ったり、終いには変な人を呼び込んで! さっき食堂であの人たちの作戦会議を聞きました。あの人たちは戦争をしてます!」

 

 二人は頭を掻いて何とも言えない様子でため息を吐いた。

 

「知ってる」

 

「え……?」

 

「何となくだけど勘づいてたよ」

 

 鹿島さんと大久保先輩は苦笑いを浮かべて私に笑いかけてくれました。

 

「俺達もさ馬鹿な餓鬼だけど、勘だけはいいんだ。昨日の鹿島と坂口さんの討論で何となく理解できた」

 

「あの人たち学生運動している人だろうな」

 

 最近メッキリ只人の世情で活動が訊かなくなり始めた頃だった。銃まで持ち出して日本という国に抵抗しているとは思いもしていなかった。

 

「先生がさ、いきなり合宿するっていうんでみんな怪しがってたんだ。それでも先生に付いて行きたい連中だけがここに来てる」

 

「俺達は先生に付いて行くよ。木島、君はどうする?」

 

 私は理解できませんでした。鹿島さんも大久保先輩も危険を知りながら、ここに来ていたのです。

 死をもいとわない覚悟。確かに先生には不思議と人を惹きつける魅力のようなものがありましたが、それでも先輩たちは先生の危険性を知ってなお、ついていく事にしていたのです。

 その場で私は崩れ落ちて、泣き喚きたかった。凍てつく冷たさが私の身も心もボロボロと切り刻んでくるようで、私の心が崩れ去っていく感覚がしました。

 それでも時間は残酷に時を刻み、そしてセクトの一人が屋上に銃を持って上がってました。

 銃を掲げて、空を飛ぶヘリコプターに、ズドンと。

 それが開戦の祝砲でした。



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純血派の過去 其の二

『お願い。雅邦! 銃を捨てて出てきて!』

 

 日を跨いでいつの間にやら集まった警官たち。そして警官が持ってきたであろう装甲車から彼らの親が説得の為に投降するようにと呼び掛けてくる。

 私は耳を両手で塞いで物陰に隠れるようにして、ただの弱者としてこのあさま山荘の一室で蹲っていた。

 争いごとは嫌い。戦いなんて嫌い。人が死ぬはもっと嫌い。

 平和を愛しているなんて大仰な事は言いません、ただ平穏を求めていたのです。

 僅かなさざ波が立つ人生、それが私が望んだ人生でした。

 それがこんな大きな津波のようなものは望んでいませんでした。

 私たち学生も、大人たちも、先生もベッドルームの一室に固まって警察、親の呼び掛けに耳を苛まれながら静かな時を過ごしました。

 

『お願い。雅邦! バカなことは早く辞めなさい』

 

 吉野さんが苛立ったような、悲しむようなそんな様子で猟銃の木製部分に爪を立てて、メキメキと嫌な音が部屋中に聞こえました。

 彼らも私達から見れば大人でしたが、それでもまだまだ世間一般から見れば『子供』とまではいかないまでも『青年』と呼べる年です。両親の庇護に甘んじれる歳でした。

 未来もあり、将来もある筈でした。しかし、こんなことになってしまった以上はその未来は閉ざされたも同然でした。

 吉野さんのお母様が呼びかけで、こう言いました。

 

『雅邦、お母さんを撃てますか』

 

 悲痛で悲劇的な挑発でした。その声は潤んで今にも号泣せんばかりの声で私たちの心に他者の親であったとしてもその声が突き刺さりました。

 苛立ちか、吉野さんは頭を激しく掻きむしり立ち上がり、窓に猟銃を突き出し警察隊に向かって発砲しました。

 ズドンと一発、撃ち放たれた弾丸がキンと甲高い音を立ててどこかに着弾したことを報せ、吉野さんは息苦しそうに息を切らして戻ってきました。

 生みの親に銃口を向けてあまつさえその親に発砲するなどどれだけの決意と覚悟が必要な事だろうか、もはや人の道には戻れないモノとばかりの強烈な覚悟でその引き金を引いたのでしょう。

 僅かな嗚咽を漏らして吉野さんは泣いていました。坂口さんはその背中をさすり慰めていました。

 

「君のお母さんはインテリだからよく話すね」

 

「そうですよ。これだけの状況であれだけ雄弁に話せる女性は相違ない。僕は羨ましいです」

 

 坂口さんに便乗して鹿島さんも共に吉野さんを慰めていました。

 小さな声でありがとう、ありがとう、と弱弱しく答える吉野さんのその小さな姿に私は彼らも人の子であるのだと思いました。

 どれだけ非道な行いに手を染めたとしても、親を愛する心は捨てていませんでした。

 時間は普通に、通常通りに流れている筈なのにその気まぐれな感覚は今の私をひどく長い時間の牢獄へと幽閉され、一分がそれこそ一時間に感じてしまうほどでした。

 正午過ぎでか、セクトメンバーの方々の動きが慌ただしくなり始めました。

 外を覗く吉野さんは母親に向かい発砲したことで箍が外れたのかもうストッパーがなくなり、誰でも打てる状況になり始めていました。

 私たち生徒も外を覗いたとき、一人の男性が軽快な足取りであさま山荘へと向かってきているではありませんか。

 その人は緊張感に欠けると言いますか、どこか道化のように面白半分の足取りでこちらに向かってきていました。

 

『山荘の学生諸君。この人は警察官ではない。民間人だから撃たないように』

 

 警官隊が私たちへと向かってそう言います。服装からして一般人であるのは分かりましたが、その道化は俺を見ろと言わんばかりその勇士を披露しているようでした。

 吉野さんの顔が真っ赤に染まって、空へと向かって一発発砲しました。

 しかし道化の人は止まることはありませんでした。

 玄関を叩いて道化は語りかけてきます。

 

「僕たちは文化人だ。文化人同士、話し合いで解決しようじゃないか。僕の身柄と人質の交換だ!」

 

 そう言う彼は、玄関先に置かれた果物籠、警察側が用意した差し入れを持って叫びました。

 坂口さんが急ぎ玄関先に降りて、バリケードの隙間からその男を睨みつけていました。

 私たち生徒はその様子を物陰から隠れて見ている事しかできず、張り詰めた実際の現場の空気に固唾を呑むばかりです。

 すると道化は後ろに振り返り、警官隊にウインクやジェスチャーをしていました。

 それを見た坂口さんは拳銃を取り出してバリケードの隙間から発砲しました。

 乾いた音が響いてすぐバタリと倒れる彼は、額から血を流していました。

 血の気が引きました。彼らは躊躇なく撃ったのです。

 その男に私たちも不信感があったのは否めません。しかし撃つまでの不信感ではなかった。

 しかし坂口さんは拳銃で撃ったのです。

 警官隊が押し寄せて、何とか這いずるように逃げていく男、その男はすぐに警官隊の後ろに隠れてしまいました。

 散乱する果物、リンゴやメロン、ブドウやバナナが彼の血で染まり汚れている光景が何とも虚しさを掻き立てました。

 現実を体験させるために先生はどうして私たちをここに連れてきたのだろうかとその疑問が浮かびました。実践のためと言っても、杖を使った本当に平和な合宿を想像していた私が馬鹿のよう。

 実践、それは現実に私たちが行動することを示していたのです。

 怖くて怖くて仕方がない。私は既に恐怖の虜。

 二階の風呂場の物置に身を隠して只震えて過ごしました。

 ズドン、ズドン。

 外からは銃声が聞こえ、そのたびに悲鳴の声を押し殺して必死に隠れていました。

 どれだけ時間がたったでしょうか。

 日も暮れてたことも分からないくらいに私は隠れ潜んで、必死に現実から目を背けました。

 メガホンからの呼びかけが絶え間なく聞こえ、その声が私には地獄からの呼び声に聞こえて、一言一言が死への誘い声のように聞こえました。

 私が息を殺して隠れていると外が騒がしくなり次の瞬間窓ガラスが割れる音が聞こえ。私は身を震わせて恐怖に震えました。

 遂に警官隊が突入してきたのだと思いました。

 しかしそれは勘違いで、入り込んできたのは──。

 

「──ひっ!」

 

 声が次いで喉から溢れました。白い靄が物置の扉の隙間から侵入してくるではありませんか。

 次第に目が痛くなり涙が否応なしに溢れ、鼻水も溢れました。

 顔の粘膜という粘膜が痛みを佩びて我慢できないくらいの痛みが私を襲ったのです。

 私は物置から飛び出て外を見た時、風呂場が白い靄で覆い隠されているではありませんか。

 それは警官隊が撃ち込んだ催涙弾の制圧行動でした。

 私はその場から逃げて、煙の届かない場所へと向かいました。

 煙の勢いはとどまることを知らずあちこちの部屋にその効果を広げて先生が魔法で煙を抑え込む頃には生徒先生を含めて全ての人がその餌食になっていました。

 鼻水涙の濁流がついぞ溢れて止まらない。

 そんななか坂口さんがレモンを目の周り、肌の見える箇所にこすりつけているではないですか。

 

「クエン酸の洗浄作用で催涙弾を、洗い流す」

 

 そう言って彼は全員の顔や手の肌の見える部分にレモンをこすり付けました。

 警官隊が強硬突入を始めたとセクトの方々は言っておりましたが、しかしその責め方はどこか余裕のある責め方で強くは突入してこなかったそうです。

 時間感覚ももうグチャグチャです。何日目の日かも私は既に理解していませんでした。

 警官隊が人質の顔を見せるようにと云いましたが頑として応じないセクトの皆さん。

 そして坂東さんの親御さんが到着して説得が開始されました。坂東さんは静かにそれを聞き、沈黙で応答しました。

 最早誰も引けない所まで来ているのです。

 吉野さんの心境を思えば、坂東さんも親の説得に応じるなどという行動は出来るはずがない。

 それは同志を裏切る行為だから。

 そして警官隊の本腰を入れた行動が始まりました。

 その日の正午ごろに、警官隊の一団にとある車が到着しました。放水車でした。

 車の上部に付けられた銃座のような放水器具からこの寒い日の中にあさま山荘へと水がぶちまけられるではありませんか。凍えるような寒さにさらに冷たさが加わり、私たちはいてもたってもいれられませんでいた。

 

「では反撃でもしましょうか」

 

 先生がそう言いました。それは生徒たちに対する号令で攻撃命令と同義でした。

 私を除いたすべてが杖を抜いて、セクトの皆さんは猟銃に手を掛けました。

 放水車に向かい生徒たちは魔法を使い物を投げつけ、セクトの皆さんは銃撃で応戦を開始しました。

 同調圧力というのでしょうか、私もその空気に呑まれ杖を手に瓦礫を警官隊に向かって投擲していました。

 バリケードやドアが放水で破壊されて、夜も更けてきても警官隊の手は緩まりませんでした。

 警官隊が流す大音量の雑音。そして投石の攻撃。

 どれだけ耳を塞ごうとも骨に響くような音が私たちを襲い、投げつけられる石が壁に当たりその音が常に攻撃されているよ感じさせ、一時も気が休まりませんでした。

 次第に衰弱して、遂には不眠になりました。

 皆がカリカリと怒りっぽくなり些細な事で言い争う姿が目に付くようになりました。

 先生たちもあまりよい状況ではないので、セクトの人たちと相談する時間が増えました。

 

「あまり状況は芳しくありません。この際脱出も考えた方が」

 

 吉野さんがそう言いました。

 

「逃げ場なんてありませんよ。ここを退いても彼らはどこまでも追ってくるでしょう」

 

 先生の言う事はもっともです。

 セクトの人たちも、それの手助けし幇助した私たちもすでに逃げ道は残されていないのです。

 せかせかと働きアリのように周囲の脱出方法を見て回り、しかしその道筋はもとよりない事が分かっただけでした。

 警官隊の呼びかけで人質の顔を見せるようにと、再度呼び掛けてきます。

 坂口さんは窓の隙間から外を覗き、鼻笑いのようなものを漏らしていました。

 まるで自暴自棄の様子。私は信じられませんでした、何故そこまでしてこの様な事を続けられるのか。

 

「なんでそんなに命を粗末に扱えるのですか」

 

 坂口さんは笑って答えました。

 

「大丈夫。君たちを楯にしようなんて絶対にないから」

 

 優しくそう答えてくれましたが、もう何が何だか分からない。

 その場を離れた私は今にも足元から崩れてしまいそうになりながらふらふらと歩いて行きました。

 どこに向かったのかも分からずに私はただあさま山荘の中を歩いてまるで幽鬼のようでした。

 

「木島──木島!」

 

「おい、しっかりしろ!」

 

「え?」

 

 鹿島さんと大久保先輩の呼び声で私は現実に引き戻されました。

 まるで体から魂が抜けだしまるでラジコンを操作しているようなそんな感覚に支配されている私の様子をおかしく思ったのか、心配そうな顔で私に声を掛けてくれたのです。

 

「……先輩、先輩!」

 

 私はその場で泣き崩れどうすればよかったのかとすべてを悔いるようにわんわんと泣きました。

 先輩たち二人が私を慰めてくれます。現状を呑み込めず、覚悟もなく、愚鈍な私を優しく包み込むような優しさで私を慰めてくれました。

 

「どうすれば……いったい私はどうすればよかったんですか」

 

「…………」

 

「とにかく落ち着けよ。こんな所で泣いてもどうしようもない」

 

 鹿島さんの言う通り。どうしようもない。

 いや、正確に言うのならどうにもならない。

 後にも先にも行けないどん詰まり。どこまでも、どこまでも転げ落ちてゆくしか、道がない。

 もう、何もかもが嫌になっていきました。こんなことになるのならと考えますが、やはり鹿島さんと大久保先輩を見捨てる事が出来ず、ただただついていく事しか私にはできなかったのです。

 強い心が欲しい、何物にも動じない。何物にも揺るがされない強靭な心が欲しい。何度それをこれが始まり思った事か。

 非力な私を、私は呪いました。

 無力な私を、私は呪いました。

 少しでも力があれば、少しでも知恵が回れば、こんな事態を回避できたはずです。

 学なんて今の状況では何にも役にたたない。必要とされているのはただの戦力でした。

 大切な人に縋りつくだけの私はここには必要とされない存在です。

 なのに此処にいてただ泣き喚いている。足手まといもいい所、まさに魔法使いの『なり損ない』です。

 何者にも慣れない、弱者にも慣れない只の道端の石ころ同然の女でした。

 残酷な時間は私たちを囃し立てて刻々と最後の時を刻み続けていました。

 27日のいつ頃か、先生が私たち全員を呼び出しました。セクトの人も一緒です。

 魔法処生徒八名、セクトメンバー五名、先生二名の総計十五名。

 皆が一か所に集まりました。

 全員が不眠と異様な緊張感で顔つきがおかしくなっていました。

 まるで決戦を控えた戦士のように。この例えは今にして思えば間違っていなかったのです。

 

「警察隊の、接近行動が大変多くなり始めました。来るべき時は近い」

 

 先生はそう言いこれからの行動を伝えました。

 

「おそらく、明日には強行突入を始めるでしょう。生徒の皆さん。遂にあなたたちも戦闘の実戦をしてもらうことになります」

 

 誰かの唾を呑む音が聞えました。当たり前です。

 常人が只人の世界に波紋を落とすなど聞いたことがない。隠れ潜む存在が波風を立てるなど言語道断です。ですが先生はそれをしろというのです。

 私以外の生徒の皆さんは覚悟を決めたような顔で、いつでもその懐に収めた杖の柄に手を伸ばさんばかりの気迫を出していました。

 

「ラジオからの事件関係の放送がなくなりました。今夜、遅くても明日にはここは戦場になるでしょう。貴方たちは既に我らの生徒ではない。親しき友人。戦列を囲む勇ましき戦士です」

 

「ああ、俺たち連合赤軍も君たちの加盟を歓迎する。ともにこの腐った世の中を正すのだ」

 

 先生、坂口さんはそう言いました。

 狂った教義、狂った思想。それももう私たちは判断できなくなりつつありました。

 恐怖から徐々に徐々に。私に至っては判断も何もありませんでした恐怖でその場から動けずにいたのです。

 終わりの時は既にすぐそこまで来ていました。

 2月28日、私たちの人生が大きく崩れた日にちの事でした。



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純血派の過去 其の三

 28日、午前5時の事でした。警官隊からの投石が止み僅かなながらの静寂を取り戻したあさま山荘で、私たち生徒たちは先生やセクトメンバーの方々とは隠れて集まっていました。

 きっとこの事は世間で大きな波紋を広げるのは間違いありませんでした。何より私たちは既にこの事件に大きく加担しているのは明白で、きっと魔法省も今頃動いている頃合です。

 先生曰く、魔法省はここまで大きな事案にはむしろ消極的な対応で、事件発生後の事後処理の方が精力的になると言うのです。

 当然です。何せ魔法省は只人から常人の活動を隠すことが目的で、陰と陽でいう裏側でしかないのないのです。そうなれば事を大きくすればするだけ彼らは介入してこないのは目に見えていました。

 とんでもない策略家です。先生は。

 

「もう後戻りはできない。先生についていく事にはしたが、先生は俺たちをどうしたいんだろう」

 

 大久保先輩はそう皆に言いました。

 確かにそうです。疑念を持つのはもっともです。今迄は普通の勉強会だけの席が、今はそれとは打って変わりやっていることはただ世間を引っ掻き回す首謀者のようです。

 目的も何も見えたモノではありませんでした。

 

「きっと先生は俺たちが次世代を背負って立つような指導者にしたいんだ。こんな経験をしている俺達世代の魔法使いが一体どれだけいる? きっと俺達だけだ。外套(ローブ)を見ろ、未だに正常な色をしている。魔法処のお墨付きと言う事だ」

 

「そうだ。確かに鹿島の言う通りだ」

 

「魔法省に飼いならされるだけの魔法使いは牙を抜かれた狼と一緒だ」

 

「昔の日本のように強く、強かな魔法使いが今必要なんだ」

 

 鹿島さんの言う事に触発された生徒たちはそう声を上げ賛同していました。

 私はそれに同意する事が出来ませんでした。経験も大事ですが、それは経験の種類によると思ったのです。そしてこの経験は体験するには余りあるものでした。

 セクトの皆さんが一体どれだけの苦痛を感じながら親に向かって撃ったのか。吉野さんの心情を思えば、こんなことは間違っていると思いました。

 でも、私はそれを口にする事が出来なかったのです。

 鹿島さんと大久保先輩は、なにせ私のヒーロー。目標に弓ひく事が出来るほど私は利口ではなかった。

 

「それは分かっている。いい経験だ。だが、この件の推移を見ればドン詰まりは目に見えている。捕まっては話にならないだろう」

 

 そう大久保先輩は反論しました。

 私もそこは気になっていました。大勢の警官隊、魔法省が介入してこないにしても、セクトの皆さんが逮捕され私たちも縛に付いたのちきっと裁判に掛けられるのは目に見えていました。

 そうなれば未来も何もない。あるのはアズカバンの薄暗い牢獄の一室の光景だけ。想像もしえない刑罰がこの先待ち受けているだけでした。

 

「きっとここから出る手立てがあるんだ」

 

「どうやって? 俺は見いだせない。逃げる方法なんてなかったろ、吉野さんが提案した濃霧に紛れて脱出する方法もダメだった」

 

「だから先生は何か案を隠してるんだ! 今俺達がどうこう考えても仕方がない。先生の今迄の教えを聞いていてお前は分からないのか? あの人は無謀無策で行動はしない。きっとこの計画も終盤まで展望は持っている筈だ!」

 

 立ち上がって吼える鹿島さん。

 しかし大久保先輩、いえ、他人の口から言わせてしまえばそれはまさに『他力本願』というに他ないほどに楽観視した展望、願望でした。

 結局のところ私たちは何も分からなかったのです。先生の思考も、今後の物事の流れも。

 

「腰抜けになったのか。大久保」

 

「バカを云うな。腰抜けどうこうじゃない。この先俺たちはお前の言う次世代を背負って立つ人間の地位に立てれるのかも怪しいと言っているんだ」

 

「立てれるに決まっているだろう。先生の今迄をみてそれが分からないのか」

 

「分かるさ。でも確証はないだろう。先生だって人の子だ、どこか何かしらのミスを犯していてもおかしくはない」

 

 大久保先輩の言う事はもっともな事ばかり、正論で反論していましたが、鹿島さんにその声は届くことはありませんでした。むしろ火に油を注ぐことになりました。

 

「なら、契約しろ。先生が俺たちを無事に脱出させることが出来たなら二度と先生を疑わないと」

 

「分かった。立会人はここにいる全員だ」

 

 鹿島さんと大久保先輩は懐に持っていた和紙に一筆向かい合う様にして名を記しました。

 日本古来から伝わる魔法契約です。古くからは戦国以前より伝わる魔法契約。魔法連判状です。

 皆が向かい合って書かれた両名の周りに円を描くように名前を書きました。

 魔法連判状の中でも禁を破ることができないとまで言われる傘連判(からかされんぱん)です。

 私の番が回ってきました。筆を渡され、私は名前を書き記すことに躊躇しました。

 本当にこんなことで魔法契約書に名前を貸していいものかと苦悩しました。

 大好きな二人の確執に私は短い時間でしたが苦悩し、そして連判状に名前を書きました。

 身体に害を及ぼす契約内容ではない。そう自分に言い聞かせて名前を書きました。

 こんな契約を結んだところで状況は好転することは絶対にありえません。

 殆ど皆さん錯乱していたのです。少しでも何かしらの行動を起こさないと気が休まらないようなそんな気がして、鹿島さんと大久保先輩は無意味な魔法契約をここに結んだのです。

 和紙が解れて光を佩びる繊維が鹿島さんと大久保先輩の腕に輪の証を刻みつけました。

 

「これで俺たちは何事にも疑いを生まない一心同体の存在だ」

 

「ああ、俺達は護国の衛士。生きて誅殺の鏃となり、死して不動の盾たらん」

 

 腕を組んでそういう二人に周りの皆さんは拍手で答えました。

 決して違う事のない絶対契約。彼ら二人の決意の証でした。私もここまでくれば彼らの強烈な覚悟は理解できました。

 決して明るい未来ではないにしても、全力で戦い抜くとそう言いたかったのです。

 私もそんな気合、覚悟が欲しかったのですが、結局は弱いままでした。

 朝九時、十時になろうとしていた頃に警官隊から最後通告がありました。

 警官隊もしびれを切らしているのです。私たちもそうでした、いつでも戦争を開始できる心持でした。

 そして十時きっかりに警官隊たちの攻撃が始まったのです。

 

『検挙!』

 

 その声と共に、完全防備の警官たちが大盾を二重にして突撃してきました。

 セクトの皆さんは三階より銃撃を始めました

 あちこちで銃撃の轟音が響き、意識の中の善悪を判断する機能が麻痺していくようでした。

 警官隊の集団の中から空へとせり上がる鉄柱が見え、それが吊るすのは大きな鉄球。

 スイングしてその鉄球は玄関に激突して、山荘全体を大きく揺らしました。

 

「連中、モンケンまで持ち出して来やがった!」

 

 加藤さんがそう叫び、銃撃で応戦しました。

 先生は、静かに拳銃を抜いて私たち生徒に言いました。

 

「いいですか皆さん。警官隊に魔法を放つのは山荘内だけです。外に向かって撃とうだなんて馬鹿な真似はしないように」

 

「何故ですか! 我々も戦う覚悟くらいはあります」

 

 生徒の一人がそう言いました。先生はそれをたしなめました。

 

「いくら魔法省が出張ってこないにしても、魔法を世間一般に認識させるのは我々としても都合が悪い。然るべきタイミングで私たちが指示しますので」

 

 先生は世間に私たちがこの場にいる事を知らせたくないようでした。

 実際私も知られたくなかったですし、ここに来て初めて先生の発言に心から同意しました。

 鉄球で破壊された玄関に激しい放水で瓦礫が吹き飛ばされ、警官たちが雪崩のように突入してきます。セクトの吉野さん坂東さん急行し応戦の銃撃を始めました。

 生徒も二人そこへと続き、杖を抜いて応戦したようでした。

 奥で控える私はラジオのあさま山荘突入の報に耳を傾け、止まらない震えを必死で押さえつけていました。

 

「木島、俺達も助太刀に行くぞ。突入が開始した」

 

 私は鹿島さんに手を引かれて三階に引き摺られて応戦に参加させられました。

 簡易的なバリケードを楯に入り口から流れ込んでくる警官隊たち。一本道でしたから殆ど入れ食い状態の鴨撃ち状態でした。

 警官隊の大楯が私たちの攻撃を阻み、まともに攻撃は受けませんでしたがしかしながらその場に彼らを食い止めることは出来ました。

 極力、殺傷を目的としない魔法で警官隊に向かい撃ちだし、目を白黒させる警官隊に私たちはある意味では少しだけ優位に立った気で魔法を景気良く撃ちました。

 私は恐れながら、怖がりながら応戦の為に杖を振りました。何もしない事が怖かったからです。

 閃光が杖の先から輝き、一直線に楯の上部、誰もいない場所に向かって飛んでいきました。

 しかしタイミングが悪かった。

 大楯の上部から警官の一人が頭を覗かせたではありませんか。ちょうど私の放った魔法の軌跡に重なるようにして頭が飛び出てきて、そして当たりました。

 血が舞いました。

 警官の被っていたテッパチが飛んで、バタリと倒れる音がこの銃撃戦の中でも私の耳にはしっかりと聞こえたのです。

 驚きや恐怖よりも先に立った感情は、こんなモノか、といった拍子抜けするほど軽い感情でした。

 

「よくやった木島!」

 

 鹿島さんはそういい私の頭を撫でてきました。

 何と呆気ない事でしょうか。人を傷つける事が、ここまで呆気ないとは思いもよりませんでした。

 傷つけた事で地獄の底まで引きずり込まれるような罪悪感に苛まれると思っていましたがそんなことはなくただ時間だ淡々と流れていくではないですか。

 私は腰が抜けてその場に座り込みました。泣き崩れるわけでもなく悲観した意見を言う訳でもなく、ただ呆けて、唖然とした様子で座っていました。

 一時間が経ち、警官たちが引き上げて行き僅かながらの静寂が戻りました。

 呆け続ける私に、他の人たちは忙しそうに走り回り壊れたバリケードの修繕などで大忙しでした。

 

「おい! 木島、木島!」

 

「え?」

 

 私を揺すって呆ける私を現実に引き戻してくれたのは大久保先輩でした。

 顔も汚れ、警官隊の攻撃で負傷したのか、僅かに頬が腫れているようでした。

 

「もうひと踏ん張りだ、先生たちが作戦会議をしている。食事もある、それが済んだら今後が分かる筈だ」

 

 そう言って大久保先輩は腰の抜けた私を立たせてくれて、食事の場へと私を引っ張っていきました。

 質素な食事です。僅かな白米、そして味付けもされていない茹でたマカロニに昨日の残りのおかず。

 私たちはそれを黙って食べました。

 加藤お兄さんは既に戦意を喪失しており、食事には一切手を付けずにうな垂れているばかりでした。

 先生が言いました。

 

「手詰まりですね。これ以上は」

 

「今何と?」

 

 先生はどうしようもないと言った様子で笑って見せ、坂口さんはその反応に、眉間にしわを寄せて詰め寄りました。

 

「手詰まりとはどういうことですか。我々に勝利をもたらすと約束なさったはず、応援もすぐに駆け付けると言ったのは貴方でしょう」

 

「応援も何もないですよ。この子たちの成長の為にはこういった事態も経験させておきたかった。でももうお終いです、詰みですよ。私たちこれで引き揚げさせてもらいます」

 

「ふざけるな!」

 

 坂口さんは先生に掴み掛り、今にも殴らんとするばかりでしたが、大男の先生が素早く杖を抜き、魔法を放ちました。

 

服従せよ(インペリオ)

 

 その場にいるセクトメンバー全員に服従の魔法を瞬時に掛けた先生。

 服を整えて、山荘のどこかに隠していた全員分の箒を持ってきました。

 

「次の警官隊の攻撃に合わせて私たちは脱出します。安心してください姿くらましで我々は誰にも知られず脱出できますので」

 

 爽やかな笑顔で先生は、さも当然のようにセクトの皆さんを裏切ると言い放ったのです。

 私はその正気を疑いました。この先生は一体何がしたいのかと思いました。

 そして私は気づいたのです。

 この先生に目的なんてないと。ただ混乱を求めているのだと。

 大男の先生はセクトの皆さんの記憶を魔法で改竄して、どういう動きを差せるのか服従の魔法で動かしていきました。

 昼過ぎ頃、三階厨房で物音がして操られた坂口さんが懐からパイプ爆弾を手に向かい、次の瞬間に爆発音が響きました。

 混乱ばかりを産み落とす先生。その薄暗く目的の見えない行動に私は一層の恐怖が掻き立てられました。

 警官隊の放水が再開され、あさま山荘に催涙弾が何発も撃ち込まれ山荘内部のすべてに行き渡らん勢いでした。

 

「行きますよ」

 

 先生の号令と共に私たちは外へと飛び出しました。

 姿くらましで警官隊からは私たちの姿は見えない。外に出たと同時に私たちは箒に跨り、空に飛び立ちました。

 地上を見れば、警官とはまた違った人たちが集まっていました。

 私は理解しました。魔法省の役人の人たち、禍祓いの人たちだったのです。

 彼らに姿くらまし程度の魔法は子供の悪戯同然、私たちが見えていたのです。

 杖で空に向かい攻撃の魔法を放ってきました。私たちは魔法を掻い潜り逃げていきました。

 私はその最中、あさま山荘を振り返り見ました。

 催涙ガスで烟るあさま山荘の窓から、坂口さんの姿が見えました。ガスの影響で涙でグチャグチャになった顔で私たちのいる方向を見ていました。

 その姿はひどく悲し気で、憐れみすら感じさせる姿でした。

 私は酷い女でした。そんな坂口さんたちの姿に、セクトの皆さんに。

 私たちの身代わりになってくれたことに感謝していたんですから。



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純血派の過去 其の四

 あさま山荘より逃げだして私たちは京都の裏御所へと戻りました。

 現実感と言うものが私だけでなく、生徒全員から抜け出て、今迄の行いがまるで悪い夢を見ているようでした。

 しかしあの顔だけは私の頭の中でしっかりと思い出せました。

 坂口さんの涙に濡れたあの悲痛な顔だけが私たちを呪っているように思い出されるのです。

 震えました。全身が春も前にした京都の空気に当てられ、今迄溜め込んでいた恐怖で、信じられないくらいに震えて止まらない。

 どうにか山荘を抜け出しても、地獄への誘い声は未だに私たちをあちらへと引きずり込もうとして来てるのは当然でした。

 体を抱えて震えを押さえようとしても駄目でした。

 どうしようもない震えに耐えていましたが、同時に私と同じように耐えていた人がいたんです。

 みんな自分の事ばかりで気づきませんでした。

 バタリと倒れる音が聞えました。そちらを見ると。

 

「大久保先輩!」

 

 私は叫んでいました。

 腹から血を流して真っ青な顔で大久保先輩は倒れていました。

 何がどうなったのか、何がどうすればこうなるのか分かりませんでした。

 大久保先輩のお腹に親指サイズの穴が背中から腹部に向かい貫通していたのです。

 それはあさま山荘から脱出する際に魔法省の闇祓いが放った魔法が大久保先輩に当たっていたのです。

 私たちは所詮役所の役人、人を殺すことなんてできないと思っていましたが、その考えは甘かった。

 殺そうと思えば禍祓いは魔法使い、同胞を処刑する権限を持っていたのです。

 

「……──ヒュー、……──ヒュー」

 

 息も浅く戸の隙間より聞こえる風音のように弱弱しい息遣いの大久保先輩。

 

「大久保先輩、先輩! 死なないでください!」

 

「大久保! 先生! 大久保を直して下さいよ!」

 

 大男の先生は治癒の魔法を掛けだしますが、しかしながら山荘から裏御所まで飛んで戻る最中に誰も大久保先輩の負傷に気づかず飛んできたために多くの血が失われ、すでに手遅れになっていたのです。

 少々の出血ならどうにか出来た。でも今回は大きくその()()を上回り過ぎていたんです。

 先生たちが顔を見合わせ、大男の先生が顔を横に振りました。女性の先生は哀しそうに顔を伏せて静かに大久保先輩の隣に跪き、とある物を先輩の手に握りしめさせました。

 握りこぶしほどの大きさの石でした。

 

「大久保君、私たしは貴方の事を一生忘れないでしょう。貴方は優秀な生徒、いや、親しき友人でした」

 

「先生!」

 

「先生、大久保は助かるんですよね! なんでこんなに苦しそうなんですか!」

 

 先生は答えませんでした。救えるという確証のない事は一切言う気がなかったのです。

 大久保先輩に握らせた石は、今にして思えば苦しみを長引かせないための処置、殺生石を用いた殺人が行われていたのです。

 大久保先輩の蟲の息だった息遣いも途切れ途切れになり、遂には止まってしまいました。

 息をしなくなった先輩、大好きだった先輩。

 今は骸となり、ただそこにあるだけの、先輩の入れ物だった肉体。

 泣きたいのに、何故だろうか。人がこうもあっさり死んでしまうのかという衝撃の方が強くて涙が出てこなかった。

 私は卑劣な女です。

 自分の命ばかりが惜しくて仕方がない卑劣な女。大切な人が死んでも涙一つ見せない冷血な女。

 鹿島さんは大久保先輩の亡骸に縋りつき泣きじゃくっているのに、私はただ漠然と死んでしまった先輩を見下ろしていました。

 

「彼を埋めましょう。野ざらしにするのは礼儀に反する」

 

 先生はそう言いました。

 私たちはそれに同意しました。大久保先輩の遺体を運び、土へと埋めました。

 京都の船山にです。彼の墓を作りました。

 大久保先輩に親類はいませんでした。古くからの神社の息子でしたが、風土病に彼の両親は倒れ、一人っきりで魔法処に通っていました。

 疑いの声を上げる人はいませんでした。ある意味では好都合の人が死んだのです。

 彼に土を掛ける時、心の隅々まで黒い闇が私の心を蝕んでいきました。

 逃げ道は既に残されていない。最前の手立てを見出す事の出来ない私たちは先生に付いて行くしかできなかったのです。

 私たちは学校へ戻りました。あさま山荘の事件に関与していることを伏せて、素知らぬ顔で魔法処の席に腰を落ち着かせたのです。

 あさま山荘の事件は只人の世界のみならず、常人の世界にも大きな波紋を広げました。

 日刊神州新聞にも魔法族の関与が認められると報じられましたがその身元の判明には漕ぎつけず、捜査は難航していると報じられていました。

 先生の思惑通りに物事が推移していきました。大久保先輩の失踪も、学校に捜索を進言する者がいない為に自主退学という形で幕を閉じました。

 私があの合宿で経験した事と言えば言い知れない恐怖ばかりで、何をするにもあの光景が思い起こされ全ての事に手が付けられなくなりました。

 鹿島さんはあの合宿以来、精力的に純血派の結束を高めようと行動を開始していました。

 勉強会も何事もなかったかのようにいつも通り定期的に開かれ、先生たちも何もなかったように教壇に立って生徒たちに教鞭をとっていました。

 その教育は次第に純血を崇拝するような、禁裏様を尊び、現魔法省の隙を教えるようなものに変わっていることに私は気づきました。

 少しずつ、僅かに、誰にも気づかれないように。授業という名目で行われる洗脳。

 教育という名の洗脳。物事をはっきりと知らない子供に先生たちの授業は耳に優しい狂気だったのを私はそこで理解したのです。

 まるでこれは国家転覆を目論む芽を育てる行為と理解しました。

 今にして思えば不可解な点はいくらでもありました。まず勉強会の開催自体がおかしい、ここまで教えるのが上手い人なら然るべきところにいて当たり前、魔法への理解があるのなら磔の魔法を実践して見せるなど言語道断です。

 合宿自体も、裏御所での勉強会で事足りる事を何も私たちを数日間拘束する必要性がない。

 疑念はどんどん大きくなり、私は遂に誰も信用できなくなりました。

 先生も、魔法処の人も、学友も、そして──鹿島さんも。

 鹿島さんは合宿から戻って、先生の教えにのめり込んでいくのを私は身近に見て理解していました。

 あの合宿を共に経験した事で私は純血派の中でも上位の発言力を持つ生徒となっていました。

 

「私は、争いごとは無意味だと思います」

 

 純血派の会合がある度にそう言い続けました。

 会合と言っても純血派の学生たちの寄り合い、勉強会と称した討論会です。

 先生の思考に侵された鹿島さんは優しく私の言う事に反論しますが、頑として私は意見を変えず争いは無益だと言い続けました。

 次第に私の意見に賛同する人も出てきて、純血派でも鹿島勢力と私の勢力で争いが起きる事が多くなりました。

 大変無意味な行いでした。私は私に賛同してくれる人たちに何度も、何度も、繰り返し、耳に胼胝ができるほどに非暴力を訴えました。

 しかしそれでだけでは駄目だったのです。

 鹿島さんの言う事ももっともだったのです。正義は人の数だけ存在します。

 自分の正義、主張に近しい代表者の元に人は集まっていただけです。

 私の主張は非暴力。対する鹿島さんの主張は身を守る力を手に入れろと言う主張でした。

 非暴力ですべてが解決すればどれだけいい事か、人は生まれながらの暴力性を隠し持った生き物、何時でしたかもう忘れましたが、私の側から暴行を加えようとする動きが出たのです。

 転がりだした雪崩は止める事は人は出来ない。行きつく先まで行くまでです。

 自衛を楯に鹿島さんの勢力が私を慕う勢力を吊し上げ、過激な仕置き、セクトの皆さんに影響を受けたのか『総括』という名で私刑を行いました。

 私も捕まり、珊瑚の宮の四階に幽閉されました。

 

「もうやめてください! どれだけ争えば、どれだけ悲劇を繰り返せばいいのですか!」

 

 悲鳴で支配された珊瑚の宮の四階で、私は声を上げ続けましたが誰も聞く耳は持ってもらえませんでした。悲鳴ばかりが木霊して私の声は小さく、非力なものでした。

 非暴力は尊ぶべき事、しかし時にはその暴力も必要とされる時がありました。

 今がその時でした。しかし私は私を慕う人たちに鹿島さんの勢力に立ち向かえと言える勇気がなかった。

 ともに幽閉された人たちは次々と姿を消し、悲鳴も日常の環境音程になるぐらいに聞きました。

 私はもう、何もすべきではないのだとそう自分に言い聞かせて泣くことも、喚くことも、全てを放棄してそこにいました。

 何時でしょうか、この部屋から私以外がいなくなった時、鹿島さんが私を訪ねてきました。

 

「少しは状況を理解したか。木島」

 

「……ええ、もう純血派は貴方の下部です。意見する人はあの人たちのようになる、みんなそれを理解したでしょう」

 

 私はそう答えました。すべて諦めたのです。

 救い難い人たちに成り下がった人に救いを差し伸べる手もなくなり、その術もする気になれなかった。

 神がいるのなら私は神罰を願いました。私にそれが下ることを、そして彼らに救いが差し伸べられることを。

 すべて私が強い心を持っていれば、みんなに意見できるだけの勇気を持っていればこんな事にはならなかった。

 

「木島、いい加減目を覚ませ。俺はお前を殺したくはない」

 

「その言い方ですと、他の方はもういないのですね」

 

「……ああ」

 

 私は静かに諦めたように笑いました。少しでも彼らの手が血に染まっていない事を望んでいた私が馬鹿のよう。もう手立てがないのだ、みんな修羅へとなっているのだから。

 

「お前さえ、この計画に合意してくれれば今すぐ総括はやめる。どうする木島」

 

「計画?」

 

「ああ、これを使ったな」

 

 鹿島さんの手に握られた拳ほどの大きさの石。

 それには見覚えがありました大久保先輩の亡骸に握らせた石でした。

 

「賽の河原より、先生が取り寄せてくれた石『殺生石』だ。これを使った計画にお前も乗ってくれるか」

 

「どういった内容で?」

 

「こいつを富士山頂の噴火口に投げ入れ、噴火させる。細かな粉塵となった殺生石が全国に降り注ぎ陰陽寮の協力を扇ぎ、只人、純血の常人だけを守り、混血常人を全滅させる」

 

 私はそれを聞いて理解しました。

 鹿島さんは修羅ではない、先生の教えに侵され歪んだ『悪鬼』に成り下がったのです。

 もう何も言おうと聞く耳を持たない先生の教えの傀儡。人の死を死とも思わない愚鈍な悪鬼。

 私は諦めて天井に向かって笑って、鹿島さんに計画参加の有無を云いました。

 

「お断りさせてもらいます。私はまだ人の子です」

 

 私は杖を抜き、自分自身にその先を向けました。

 

「どうか、いつの日かあなたが人の道に戻れるように私は願います」

 

 自らに向けて稲妻の杖の軌跡を描き、唱えました。

 

死の呪い(アバダ ケダブラ)

 

 私が初めて勇気を出しまた瞬間でした。それが自殺の為の本当に些細な勇気。

 この計画に賛同し命惜しさに混血の人たちを皆殺すのは容易な逃げです。

 ですので私は初めて私のヒーローに背を向けることにしたのです。

 緑の閃光が私を包み、迅速でそして痛みのない『死』が私を受け入れてくれました。

 これは今にして思えば逃げだったのでしょうか。私にはそれを悔いてももう遅いのかもしれません。

 それでも私にとってこれが先生たち、延いては鹿島さんへの抵抗だったのです。

 魂が抜けて誰にも見えなくなった私は肉体を捨てて霊としてこの世界に縛り付けられました。

 霊力も生まれたばかりでまるで人界に影響を与える事の出来ない私でしたが、見て聞く事は出来ました。

 鹿島さんは自殺した私を抱いて、大声で泣いてくれました。

 私はもうその体には宿っていません。私はもう自殺を選んで死んだために、もうどこにも行くことはありませんでした。

 天国にも、地獄にも、()()()()

 

鹿島さん。わたしはもうどこにも行きません。もうどこにも

 

 私はもうこの世界が終わるまで、永遠にこの土地に縛られ続ける地縛霊。

 天国にも地獄にも行くことのない地縛霊。

 私は願うばかりでした。これ以上、鹿島さんが、純血派の皆さんが罪を重ねない事を。

 そして計画が阻止されることを、人を呪うこともできない私。それでよかった。

 私はどこまで行っても『なり損ない』。魔法使いでも、地縛霊でも何事も『なり損ない』。

 これが私の人生、『なり損ない』の人生でした。




過去話はこれで終わりです。


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決意

 典子の話を聞くころには既に日を跨ぎ、夕日が上り始めていた。

 悲劇。その一言しか言いようがなかった。

 私は典子の語った純血派の過去、そして彼らが行わんとする計画の全容を知り愕然とした。

 彼らには、純血派には何の罪もなかった。あったのはやりようのない熱量、そのひどいやる気だけだった。

 典子の言う先生という輩にたぶらかされ、弄ばれているだけで、彼らはその言葉で錯乱させられているのだ。

 末恐ろしい。一体どんな手品でその先生とやらは生徒たちを勾引かしたのか。

 いくら生徒、子供で世間を知らないにしても、我々とて馬鹿ではない。良識を持っているし、善悪の判断は出来る。

 それを容易に壊す先生とやらの手練手管、口八丁手八丁は『魔法』と呼んで相違ない。

 僅かにだが輪郭のようなものがぼんやりとだが見えてきた。

 緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)の背中が、その尻尾が。

 

私の願いは無意味だったようです。総括は行われた

 

 典子は哀しそうにそう言い、窓から差し込む朝日に諦めたように笑った。

 憧れの人の非道。心から慕った男の悪鬼羅刹の所業を見せつけられるほど魂を抉る事はないだろう。

 自らの小さな勇気もすべてが無意味となった彼女が、気の毒で仕方がない。

 この事のすべての悪はただ一人だった。

 

「その『先生』という輩の素性は分からぬのか?」

 

何も、何もわかりません。素性も何も答えませんでした

 

「…………」

 

 ある意味では手詰まり、そして素性の知れなさこそが緑龍会の繋がりを匂わせる一つの道標。

 奴らの悪事をここに暴き立てん事には私の気持ちが治まらない。

 無垢な人々を唆し、一人の娘の覚悟も踏みにじり、その面をのうのうとお天道の元を歩かせるほど私は寛大ではない。

 怒りが満ちる、今迄にない位の気が狂ってしまいそうなほどの怒りだった。

 

「ぬっううううっ! くああああああッ!」

 

 叫んでこの拘束の魔法を解こうと力むが、微々たる隙間も生まれない頑丈さ。

 憎いぞ、私。恨むぞ、私。呪うぞ私。

 その非力な力を今まさに解放せん時であろうに、何をしている私の力よ。

 

「解けろ! 解けるのだ!」

 

 体を壁に打ち付けて、荒縄に切込みでも入れんとのたうつがどうにもならない。

 非力な私め、一体どれだけ待たせば気が済む。

 正義は成る、悪は討ち取られるのが世の常。それ跳梁跋扈の世を許してなるものか。私は断固としてそんな世の中を拒絶して見せる。

 私が正して見せるのだ。

 

「がっぁああああああっ!」

 

 額を壁に自ら打ち付けて、全身に痛みを巡らせる。

 挫けてなるものか、負けてなるものか。私を誰だと思っている。

 私は五代目石槌山法起坊石槌空大の娘。そして六代目石槌山法起坊であるぞ。

 

あの、あの、頭から血が出ています! 

 

 構うものか、この言い知れぬ怒りを抑えるのにただじっとしていることなど出来ようがない。

 滅してくれる悪を、その権化を。緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)のその喉元に。

 

『少し静かにしてくれよ……』

 

 壁の向こう側から声が聞えた。その声は竜人であった。

 掠れた声で弱弱しい言い方であったが、その気障な喋り方は未だに健在だった。

 

「竜人! 生きておったのか。……よかった。誠によかったのだ」

 

『勝手に殺すなよ。たく、おちおち寝てられねえよ』

 

 私とは違い鎖で縛られているのか金属の擦れる音が聞こえてきた。

 どうしても、私は竜人がどうなっているのかが気になり、その術を探り、そして思いつく。

 

「そうだ。神足通!」

 

 神足通は空を飛び、水面を歩き、天上も壁も床同然の便利な(わざ)だが、その本質はただの移動するだけの業ではない。

 外界の法則を私たちの法則に書き換える業だ。その便利さに忘れがちだが、集中をすれば。

 

「────」

 

 壁の物質を透過させ、すり抜けるまでは出来ないまでもその姿を見る事が出来る。

 薄透明に色を濾された壁越しから見えたのはひどい惨状であった。

 両手、首に枷を嵌められて吊るされてつま先立ち。顔を真っ赤に腫らして、鼻血は止でなく流れ、目元は大きく殴打により腫れ上がっていた。

 顔より下はもっとひどい、切り傷、擦り傷、打擲の後もあり、指先の爪は剥ぎ飛ばされ血が滴っていた。

 もはやこれは拷問だ。

 私はその光景に目を瞑りそうになるが、しかしこれは私が起こした事。しっかりと己の目に焼き付けるべくそれを見据えた。

 

「竜人。気を確かに持つのだ」

 

『あ? バカ言ってんじゃねえ。意識はハッキリしてるっての』

 

 激烈な痛みで、頭がどうにかして痛みを感じていない竜人は異様な笑みを浮かべていた。

 透過された壁に竜人は気づき、こちらを見た。

 

『それが天狗かよ。迦楼羅天の名が泣くな』

 

「ぬっ! そういうお主こそ、ボロボロではないか。私に軽口を云えないのだ!」

 

『そりゃそうか。お前も俺もボロボロの虫けらだ』

 

 大声で笑った竜人の姿に拷問の受けすぎで頭がおかしくなったのだと私は思ってしまった。

 当然だ。ここまで相当な痛み与えられ頭がどうにかならないのなら、その者は既に頭がどうにかしている。気がどうにかしてしまっていると思ったが、竜人の思考の巡らせ方は異様を極めていた。

 吊るされた鎖を器用に使い、体を浮き上がらせて足を鎖に絡めて自力で天井に登ったのだ。

 鼻血を舌先に付けて顔を振って、天上に五芒星を書き呪文を唱える。

 

『齎すは、虫の報せ』

 

 勢いよく天井から降りた竜人の頸が嫌な音を立てた。

 

『ゴハッ! がっ──』

 

 カエルの潰れた声のような嫌な音を立てて、虫の息で竜人は息を切らせていた。

 

「一体何をしたのだ」

 

『虫の報せだ。勉強不足だな。石槌……』

 

 息苦しそうな竜人は今にも膝から崩れ落ちそうになりながら、目をギラつかせて笑って見せた。

 ただでさえ立っていることもやっとであるはずなのに、まだ何かをしようとしていたのだ。

 

虫の報せ……あなたは陰陽師なのですか

 

 典子は透明な壁に張り付いて聞いた。

 

お願いです! 鹿島さんの馬鹿な計画に手を貸さないでください。お願いします

 

 必死になって典子は懇願していた。

 純血派の計画の一翼を担っているのは何を隠そう、陰陽師の総本山『陰陽寮』なのだから典子が声を上げるのも当然だった。

 竜人は首を振った。

 

『悪いな、地縛霊。俺は陰陽寮所属でも『六波羅局』の人間だ』

 

そんな……

 

『まあ見てろよ。こんな馬鹿げた事すぐに収まる』

 

 不敵に笑った竜人の宣言に合わせるように、珊瑚の宮が大きく揺れた。

 何事か、そう思い這いずりながら部屋の扉に耳を当てて聞き耳を立てた。

 慌ただしく走り回る生徒の足音。次第にそれは怒声や罵声、魔法の嘶きなどがたちどころに響き渡り珊瑚の宮全体が騒がしくなる。

 殺し合いでもしているのではないかと思われる剣呑な声が次第に登って来て──。

 

「石槌君! 大丈夫か!」

 

 扉を荒々しく開けたのは、なんと戦中派のリーダーの竹人だった。

 杖を片手に血走った目で床に転がされる私を見て怒り心頭と言った様子だった。

 何人もの戦中派生徒が部屋流れ込んできて私を甲斐甲斐しく助け出そうとしてくれた。

 

「なんてひどい事をしやがる連中だ! 純血派は悪魔に魂を売り渡した!」

 

 竹人は純血派の所業に、声を上げていた。

 誰もがそう思うだろう。しかしその裏に隠されたモノを知ればそんなことも言えない。

 皆が私の拘束魔法を解くために荒縄に杖を宛がい、解除の魔法を使っていた。

 数人が典子の遺体に気づき目を逸らしている。霊の典子は見えていないようだった。

 

よかったですね。これであなたたちは解放されます

 

「それでもお主は、典子はここに縛られ続けることになる。それではあまりにも……不憫すぎるのだ」

 

いいんです。私は私の勇気に従います

 

 弱弱しく笑って見せた典子。その姿は私にと竜人にしか見えずともしっかり見えた。

 

「典子、主は『なり損ない』なのではない。人との縁が悪かったのだ」

 

そう、ですね。私もそう思います

 

 頬を掻きながら気恥ずかしそうに笑った典子は私に頭を下げた。

 

私の話を聞いてくれてありがとうございました。私はずっとここにいます。ずっと、ずっと

 

 拘束が解かれ、私と竜人は珊瑚の宮より脱出した。

 長い一日だった。とても、とても長い一日だった。

 

 

 

 

 

 

「……天狗の羽根を治す日が来ようとはね。夢にも思わなかったよ」

 

 病的な笑顔で目元にくっきりとした隈を浮かべて、浮きながら私の羽根の治療をする野治。

 その陰鬱な雰囲気は私たちまで野治の患う鬱病に当てられそうになりながら、私は翼の治療を受けた。

 私と竜人は戦中派生徒の手によって珊瑚の宮から救出され、事態を鑑み教員より私たちは数日間の停学処分を受けていた。

 別段悪いことをした訳ではないが少なくとも今私たちが魔法処に通うと言う事は我が身を危険に晒すことに相違なく、廊下を歩いていて、いきなり純血派生徒の一派に襲われてもおかしくはない為の処置だった。

 その事もあり私たちはエンマ荘の村崎野治の診察室に押し込められ、事態が収まるまで謹慎を言い渡されていた。

 典子の遺体の事もあり、戦中派突入の際に珊瑚の宮に居座っていた純血派生徒たちはどういった理由であれ問答無用の停学処分をくらったそうだ。

 しかしながら純血派生徒の中核を成す生徒たちの姿はなく、現在は姿をくらましているそうだ。

 

「ッく……」

 

「……痛むかい」

 

 治療での痛みを気遣う様に野治が声を掛けてくるが、この声は痛みの声というより悔しさからだった。

 鹿島達の行き先は知っている。

 富士山頂の噴火口。

 殺生石は既に学校側に押収されている。どうやってか再度、殺生石を手に入れる気でいるのだろう。

 もしやと思うが、金の間の封印御所『天岩戸』に押し入り奪取する気なのだろうか。

 いや、恐らくそれは不可能だ。

 一度、天岩戸の封印の厳重さを目にしたから分かる。並大抵の努力同行では解決が図れない程の強固な守り。

 純血派の言う『計画』は日取りが決まっているようで、長い時間を書けて天岩戸を攻略するのは不合理だ。

 となれば、手に入れる方法は一つだ。

 

「先生とやらに会う気なのか……」

 

「妙な気を起こすなよ。石槌」

 

「竜人! 起きたのか」

 

 隣のベットで冗談みたいに包帯でぐるぐる巻きにされ、埃及(エジプト)の古代王族の埋葬姿のようになっている竜人がジトっとした目で私を見た。

 

「おめえの事だから、また変なこと考えてんじゃねえだろうな」

 

「へ、変ではない。至極真っ当な事なのだ」

 

「まっとうねえ……じゃあ聞かせて見ろよ。今度は何しでかす気だ」

 

 責めるように竜人が聞いてくる。

 私は、その目に、竜人の姿を見て尻込みしてしまう。

 私の軽率な行いが竜人を病人のそれに姿を返させ、物事を大事にしてしまっている。

 事態を引っ掻き回すだけの道化なのかもしれないとそう思えた時、私は何もすべきではないのかもしれないと思ったのだ。

 しかし、彼らの真実を、典子の決意を不意にして私はここでただ未来の不確実性に震える弱者でいていいものなのか。

 ──否。

 何をもってして私はここに居座っている。治療の為だが、私は天狗だ。

 傲岸不遜で居丈高、無礼で尊大であれ、それ即ち天狗の居姿なのだ。

 誰の指しづ儲けず、あるのは自らの願望の為に羽を広げて天を目指す。

 まさしくその姿は天に座す迦楼羅天の化身。

 私は父様(ととさま)の雄々しく羽ばたく羽音を思い起こされた。そうだ、弱気でどうする、へっぴり腰でいかにする。

 私は天狗であるぞ。そして私は石槌山法起坊の六代目。石槌撫子である。

 勇気と蛮勇は違うと誰もが言うだろうが、私たち天狗には同義である。神に向かって唾を吐き、仏に向かって説法を説く。基督の手を振り払い、天帝に向かって罵声を浴びせよう。

 私は天狗である。何事であろうと、何者にも揺るがされない天狗だ。

 

「撫子ちゃん、大丈夫?」

 

 綾瀬が診療室に入ってきた。ちょうどいい、仲間は多い方がいい。

 私は体を起こして、野治が席を外していることを確認して竜人と綾瀬に言った。

 

「二人とも、私は、純血派の凶行を止めたい。我らが学び舎の同胞を、悪鬼畜生の道へ堕とす事は許せない」

 

「撫子ちゃんどうしたの」

 

「まったく、何言いだすんだこのバカ……」

 

 綾瀬は心配そうに、竜人は正気を疑う様にして呆れかえっていた。

 好きなだけ呆れればいい、私は至極真っ当でそれでいて冷静だ。いや、違う冷静に錯乱しているんだろう。呆れて物も言えない竜人が顔の包帯を解いて体を起こした。

 

「何をやらかす気だよ。話によっちゃぁ。今ここで村崎先生に突き出してやる」

 

「正義を成すのだ。私たちは指を咥えて悪党の跋扈を許してなるものか」

 

 私は典子より聞いた話を全て二人に話した。

 唖然、愕然と言った様子であり、私も一体典子の覚悟がどれだけ尊いものだったかを再確認させられた。純血派は悪人ではない、彼を悪道へ誘う『先生』と呼ばれる輩が悪いのだ。

 

「それが本当なら私、許せないよ」

 

「嘘ではない。本当なのだ!」

 

「隣で話してたから聞えたけどよ。勝算ないだろ。その勝負」

 

 賛同気味の綾瀬に対して後ろ向きな竜人。やはり、こやつの説得が骨になるだろうとは思っていた。

 しかし私とて完全な阿呆ではない。考えは持っていた。

 

「勝算が欲しいのか竜人よ」

 

「当たり前だ」

 

「ならば、聞かせてやる。魔法省も陰陽寮も、魔法処でも知らぬ我々の必勝の手立てを」

 

 胸を張って言う。

 

「まず、主が六波羅局へと事態を報告する。陰陽寮とて六波羅局員の主の声が掛かれば下手に動けなかろう、そして我々が行動を開始してすぐに団芝三へと文を送る。奴は魔法省ともつながりが強い。故に魔法省の禍祓いが急行して来よう」

 

「熱くなってるとこ悪いがな。まず第一に俺は六波羅局員だが、六波羅を何だと思っているんだ? 学生の使いっ走りじゃねえ。魔法省も同様だ。俺達の言う事は戯言なんだよ」

 

「話の腰を折るのが上手い奴だな主は」

 

「当然のことを言ってるまでだ」

 

 しかし、私にはもう一つの方法も思いついている。酷く冴えた発想だと思う。

 ここ日の元では一国の軍隊もそれを目の前にしてしまえば猫に挑む鼠、像の前の蟻だ。

 この事は魔法族の中でも『天狗』しか知らない事柄だったからだ。

 

「今年の天狗総会は富士山山頂で行われることになっておる。私が一筆書けば、五十六大天狗すべてが我が元に集うことになる。これ程までに心強い案は無かろうが!」

 

 天狗総会。それは年に一度に四十八天狗の山のどれかで行われる天狗の行く末を決める重要な会議だ。

 四十八天狗、そして八天狗が一挙に集う人外魔境の場。日本の魔法使いがそれを聞けばまさしく震え上がる悪夢であるが、私はその天狗で何度も出席している。

 そしてその天狗総会が開かれる山は毎年、四十八天狗の山の持ち回りで天狗の身がそれを知りえている。そして今年の天狗総会が開かれる山は富士山。そして開かれる日取りもまさしく今から二日後。

 明日鹿島達が富士山頂へ上るにしても先んじて到着している天狗たちが居てもおかしくはない。

 

「五十六大天狗のすべてが味方か……ハッ、ゾッとしないな」

 

 流石の竜人も笑っていた。諦め笑いなどではない確実な勝利の光明を見たのだ。

 

「どうだ。私の案に乗る気はあるか。竜人よ」

 

「まいったねこりゃ。……分かった。乗ってやるよその案に」

 

 包帯を振り解き、傷だらけの体で竜人は起き上がり不敵な笑みを浮かべた。

 決行は今夜の夜からだ。急ぎ鹿島達の後を追わねばならない。

 

「我らは愚連隊のそれではあるが、正義を成すために杖を取るのだ」

 

「分かってるよ撫子ちゃん」

 

「天狗娘が、張り切りすぎるなよ」

 

 私の目指す大いなる天狗になるために、この悪事は絶対に止めなければならなかった。

 そう、絶対に。

 



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追跡の夜、暗闇登山

 夜も更け自室へと戻った私たちは準備を始めていた。

 己の持ちえる最大の武力で、身を固めるために荷物をまとめて覚悟を固めた。

 緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)が如何なる集団であるかも分からぬ今、できる事と言えば身を守る自衛の道具を身に纏う事だけである。

 私は二通の文をしたためる。一つは父様(ととさま)への援軍の頼み。そしてもう一つは団芝三への禍祓いへの救援要請だ。

 父様(ととさま)へは右烏に話しかければそれで済む話であるが、それではいけない。一体どれだけの危急の事態であるかを報せるにはやはり文がいいと思い、筆に墨汁に染み込ませ、天狗の重要事には用いられる石州和紙へと筆を走らせた。

 

『危急の事態故に短文許し願う。富士の山頂へと悪童の跳梁あらんと報せを受け、ここに救援の願いを受け給う』

 

 自らの指先を噛み、血でその名の印を書き記す。

 本当に短い文章であったがこの封書の威力と来たら国家をも転覆出来るだけのものである。

 

「右烏よ。こちらを父様(ととさま)に。そしてこちらを団芝三へと持ってゆくのだ」

 

 私は純白の飼烏、右烏の両足に文を括りつけて、窓からその姿を見送った。

 別の部屋より鳩が飛び立つ姿が見えた。竜人の六波羅局への救援要請の文であろう。

 これで準備は整った。後は綾瀬と竜人の準備が整うのを待つだけだった。

 成すべきことを成す。たとえそれが誰からも賛同されなかろうと正義の為であるのなら、正しきことであるのならそれを成すのが私の天狗道だ。

 竜人より渡された小さな絡繰り『ポケベル』なる機械がいきなり音を鳴らすので私はびっくりしてそれを見た。

 

OK(3036)

 

 もう一度ポケベルがなり、同じ数字が画面に表示された。

 二人の準備が整ったようだ。さてここから少々面倒なことが待ち受けている。

 私は音をたてぬように自室の扉を開けて廊下を見渡した。真っ暗な廊下にポツポツと部屋の光が隙間より漏れている。

 シンと静まり返ったエンマ荘の廊下に僅かにだが聞こえる息遣い、そして時折聞こえる郭公の発狂する声で、警戒している者の気配が感じ取れないが尻込みしている暇はない。

 私は静かに部屋を抜け出し板張りの廊下が軋まないように慎重に移動する。

 

「……撫子ちゃん」

 

 数部屋隣の綾瀬と廊下で合流して私は静かに廊下を進んでゆく。

 私たちの部屋は二階、玄関まで行くには階段を降りなければならない。しかしその階段というのは荘長室の目の前にある。

 

「良いか綾瀬、走り抜けるぞ」

 

「うん……」

 

 私たちは息を整え、走り抜けようとしたとき。

 ヒタリ……ヒタリ……ヒタリ……。

 小さいが確かに聞こえる肌音に鳥肌が立った。廊下の手前にある十字路の左角奥より聞こえるその音に思わあず怖気が立ち上ってきた。

 静かに曲がり角より除けば()()

 包丁を片手に涎を滴らせて四つん這いで荘内を巡るこのエンマ荘の主。山姥だった。

 夜の暗闇に中てられ妖怪としての生来の本性が暴き立てられている。

 夜闇の妖怪、人の血肉を啜る本来の姿。知性はあるが理性はない。この姿こそまさしく山へと捨てられた姥の怨念が生み出した妖怪。──山姥だ。

 いきなりギロリとこちらを見た山姥がものすごい勢いでこちらに這いずり進んでくるではないか。

 

「気づかれた! 走れ」

 

 私と綾瀬は玄関へと走った。

 エンマ荘の夜が恐れられるのは郭公の発狂の声だけではない。この事もあり生徒たちは日が暮れたその時間帯は自室を出る事を自主的に禁じて閉じこもるを選んでいる。

 何せ、山姥に殺されて食われる事だけは避けたいからだ。

 何時も日の上っている時間帯は温厚で優しい山姥だが、その性は抗う事は妖怪であるのなら出来ようはずがない。

 包丁が何度も何度も木製の床に叩きつけられ、その兇刃を私たちへと向けんと迫ってくる。

 階段を駆け下り、下駄箱に手を掛けた時──。

 

「肉ぅうううううっ!」

 

 山姥は既に背中にまで付けられ、身を逸らして振り返った時、包丁が下駄箱に打ち付けられたいた。

 尋常ではない表情。人の姿であることが悔やまれるような怪物的な顔で襲い掛かってくる。

 

足縛り(ロコモーター・モルティス)!」

 

 杖を抜いて呪文を唱えた。山姥の足に足枷が瞬時に縛り、その足枷を私は蹴り上げ転ばした。

 靴を取り私たちは素足で外へと抜けたした。

 息せき切らせて広島城へと走った私たち。既に竜人はそこにいて、懐中時計を見てため息をついていた。

 

「何してたんだお前ら」

 

「何って。山姥から逃げて来たに決まっておろう」

 

「お前ら玄関から出て来たのか。馬鹿だな」

 

「なにおう! ならば貴様はどこから出たのだ!」

 

「窓から飛び降りたに決まってるだろ」

 

 そう、あの山姥はエンマ荘だけに縛られる契約を結んでいる為にエンマ荘から出てくることはない。

 ならばすぐに外に出ればいいだけの話で、わざわざ玄関を選んで出てくるのは愚かな事だった。

 鹿島達の事ばかりでそこまで頭が回らなかった。

 竜人に鼻で笑われ嘲られ、私は茹蛸のように真っ赤に膨れながら反論したいが当然のことだったためにし反論もできなかった。

 二人は箒に跨り、私は羽根を広げて空へと飛んだ。

 目指すのは富士裾野の樹海、あそこならば幾度も行った事がある為に勝手は知っている。

 陀羅尼坊(だらにぼう)に援軍を頼むのも一つの手である。

 

「石槌。巧い事エンマ荘から抜け出せたはいいが、こっからどうする気だ」

 

「まず、鹿島達を見つけ出さねばどうしようもならん。富士の樹海は広大なのだ」

 

 方法はいくつかあるが、私の考えとしては。

 

「烏天狗たちに捜索を願おう。樹海には烏天狗たちが多く潜んで居る、連中も天狗里へ入り浸れるいい口実になる」

 

 烏天狗は人の姿で生まれる事の出来なかった。天狗と同様に羽根を持ち多少の知能はあるが天狗たる由縁の神通力を失っている。

 それ故に魔法省は魔法族亜種、スクイブと魔法動物の中間という扱いとされ放逐されている。

 しかしながら彼らと知能があり、天狗里へ入ることをどいつも切望している。

 天狗は寛大だ。連中を里に入れることも歯牙にも返していない。

 木っ端妖怪と思っている者が多いからだ、私としてはいい遊び相手だった。

 

「捜索後だよ。いきなり殺し合いなんて言うなよ」

 

「何を言うか、そのような野蛮なことはせぬ。まず鹿島達の説得なのだ。そして『先生』という輩を取り押さえる」

 

 ずっと疑問に思っていた事があった。何故、『先生』は生徒たちに殺生石を使った大虐殺をやらせようとしているのか。殺生石を手に入れる事の出来る力があるのだから自らの手でやれば早い話である。

 しかしそれをしないとなると、僅かにだが考えも纏まってくる。

 もしや『先生』は魔法を使えぬのではないのだろうか。

 典子の話を聞く限りでは、今回の件を主導している女の先生は一度たりとも魔法を使ったと言う話を聞かない。使っていたのは大男の者だ。

 そうなれば殺生石を手に入れた方法も見えてくる。

 千体地蔵は『魔法族』を退ける装置だ。非魔法族、スクイブには機能しないとしたら、賽の河原より殺生石を手に入れる事は容易だろう。

 魔法が使えない為に生徒を使って大虐殺を演出しようとしているのだろう。

 そう考えればすべてが納得いく。連中は緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)は取るに足らない者たちだ。

 

「連中は恐らく魔法が使えない。故に鹿島達さえ説得できれば、今回の件はすべて丸く収まるのだ」

 

「その説得が出来れば、な」

 

 この者はどれだけ痛めつけられようと軽口だけは健在だ。

 その事に私も少しだけ安心できた。この男の不屈の精神は称賛に値する。

 夜闇を切り裂き、私たちは下界の明かりにも目もくれず向かった先は、日本霊峰の元に広がる樹海のそこ、只人も常人も退けて征く自然の大結界。閉ざされた聖域だ。

 深く広がるそこへと到着した私たちは舞い降りた。

 虫たちの騒めきと悪獣悪鳥の言い知れぬ悪意が感じ取れる薄暗い闇の中、私は烏の嘶きの如く奇声のような呼び声を上げた。

 すると何処からともなく現れる半鳥半人の同胞、烏天狗が幾匹も馳せ参じた。

 

「天狗、天狗」

 

「仲間、仲間」

 

 同じことを何度も繰り返す烏天狗たちに私は寄って伝える。

 

「主たちに頼みがある。私が着ているこの洋服の者たちが富士の山を今まさに登っている筈。居場所を教えてくれぬだろうか」

 

「この服、この服」

 

「居場所、居場所──分かった」

 

 私の言いたいことを理解したのか烏天狗たちは即座に飛んで行く。

 

「私たちも探すんだよね。こんなに深い森の中を歩くのは危なくない?」

 

 綾瀬はどこか不安げであったが、勝手知りたる富士樹海だ。

 今どこにいて、どちらに向かえばいいのかは分かっている。

 

「私に続くのだ。はぐれては妖怪に勾引かされるのだ」

 

 先頭を行く私。

 日の高い時であれば富士山を登る道は四つ。飛騨の国(山梨)吉田道と、甲斐の国(静岡)須走道と御殿場道、富士宮道の四つのみ。

 しかしながら、ただその道を連中が選ぶとも思えない。

 私たちは今は吉田道近くにいるが、駿河、甲斐の側へ降りているとなれば追う事は非常に困難だ。

 飛んで追うこともできるだろうが、飛んでいる最中に見つかった場合、鴨撃ちにされかねない。

 連中も夜闇の中で烏天狗たちの生息域で不用意に飛び彼らの餌食にされる事は避ける筈だ。

 烏天狗は人は食わぬが、夜の帳が下りたなら夜の空は烏天狗たちの庭と化す。

 それを知らぬ魔法処生徒ではなかろう。

 歩いて、富士山を登るしかない。

 目的地は分かっている、少しでも近づくべく、渦を巻くような道のりを選んで私たちは進んでいく。

 剣ヶ岳の山頂には既に何人かの天狗たちの気配が漂い、すでに到着している者たちがいる。

 心強い援軍だ。右烏が文を父様(ととさま)に届けてくれているのなら、あの者たちは私たちの味方だ。

 

「綾瀬よ、大丈夫か?」

 

「うん……運動不足かな。息が上がってる」

 

 少し苦しそうにそう言う綾瀬を気遣いながら私は微かに辻風を綾瀬の口元に吹かせて空気を送った。

 魔法使いは座に付きその学を深める者たちが多い。それ故に運動不足の者たちが目立つ。そんな者たちが初めて登山を挑むとなれば息も切れよう。

 しかも今回の道のりはただ山道を歩く訳ではない、より長く富士の傾斜を堪能する道だ。

 私だって、少し息が切れ始めていた。

 心臓が高鳴り、足が棒切れにならんと疲れを溜めてゆく。

 だが、止まるわけには行かなかった。もう連中の企みは始まっている。

 小一時間ほど歩き、吉田道から須走道を跨ぐ頃に烏天狗が私たちの元に戻ってきた。

 

「いた、いた」

 

「妙なの、一緒、一緒」

 

「何処におったのだ!」

 

「御殿場、御殿場、七合目」

 

 烏天狗たちはそう言うとカーと嘶いて飛び立った。

 御殿場の七合目、となれば連中は日ノ出館で小休止をしている可能性が高かった。

 

「連中小休止をしておるやもしれぬ。急ぐのだ」

 

 私たちは足取りを速めた。

 石道、崖道、雪道を踏破して見えたのて来たのは山小屋。

 崖に埋め込まれたように石垣の中に見えた日ノ出館。そこには既に明かりが灯っており、そこにいた者たちの顔が見えた。

 

「鹿島達だ」

 

 竜人はそう言い、身を低くして日ノ出館へ近づく。

 だが、タイミング悪く。一人が外に出てきた。私たちは地面に体を伏せてその者を見た。

 どこか薄笑いを浮かべたポニーテールの女。鼻が高く、日本人の顔ではない。

 

「あやつが──」

 

 すぐに理解できた。

 典子の言った、『先生』だった。

 胸ポケットから煙草を取り出して火を付けた彼女は大きくその紫煙を肺に溜めて息を吐いた。

 疲れていると言わんばかりの様子ではない。どこかわくわくしたような幼稚で、浮足立っているような雰囲気だった。

 

「これからどうするの。撫子ちゃん」

 

「ええ、っと……」

 

 声を殺して聞いてくる、綾瀬に私は言い淀んでいた。

 

「決めてないのかおめえ、鹿島達説得するって言ったろ」

 

「言ったがどう接触しろというのだ! あれでは鹿島達だけを説得は出来ない」

 

 連中に聞こえないように喚てしまった。どうしようもない。

 あわよくば富士樹海に鹿島達が居れば攫って説得する気でいたが、よりにもよって動植物の一つも、ぺんぺん草も生えない赤土の御殿場道を使っているとは考えていなかった。

 やはり私の考えが甘いのだろうか。

 竜人は呆れかえったようにため息を付いた。その瞬間だった。

 ズドンっと、私たちの目と鼻の先に銃声が鳴り響いたではないか。

 その銃声の元を見れば煙草を吸いながら、その紫煙を吐く『先生』の姿。

 まるで見透かしていると言わんばかりの薄ら笑いがこちらを見ていた。

 

「出てきてください。誰かさん」




次回、殺生石編を最終回にしたいな


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大天狗

「さあ、早く出てきてください。このままでは事態は好転しませんよ」

 

 夜闇の中に浮かぶ月光を背負って立つように『先生』。

 その顔は逆光で良く見えないが理解できた。気味悪く薄ら笑いを浮かべたその表情が手に取るように分かる。

 

「何事ですか!」

 

 飛び出てくる鹿島達が先生に声を掛けた。

 純血派の中核をなす全員がこれにて把握できた。全員揃っている。

 彼らをさえ説得できればこのバカげた計画を阻止できよう。

 

「追っ手です。貴方たちは殺生石の母体を富士山頂へ運んでください」

 

「先生はどうするのですか」

 

「私はここで彼らを食い止めましょう。さあ急いで」

 

『先生』はそう言い鹿島達は慌ただしく荷物を纏めて登山を開始しようとしたが──。

 

「そこを動くなよ。先輩よぅ」

 

 竜人の呪符が投擲され、日ノ出館の出入り口、窓のすべてに張り付き魔法の施錠が成された。

 綾瀬は震えて、仕方がないと言った様子だったが、その手に握られる杖は覚悟の証。

 私も覚悟を決めねばなるまい。

 立ち上がり、私は彼らを睨みつけた。

 

「おやおや。何とも可愛らしい追っ手ですね」

 

『先生』はそう言うが決して拳銃の銃口はこちらに向けて離さない。

 薄暗がりの中で月明かりが翳りその素顔が露わになる。

 下顎が焼け爛れ、まるで骸骨のそれで、不敵に笑っている。恐怖も、悲しみも、喜怒哀楽のすべての表情が狂気の笑顔で塗りつぶされたその顔、右目の当たりより蛇の尾のような刺青が体に伸びており、それが表すものは。

 

「緑龍会の手の者なのか。貴様は」

 

「おや、何とも察しの良い子なのでしょうか。私の生徒に欲しい位だ」

 

 軽薄な語り口。それが本心かどうかも理解出来ようのないペラペラな雀の羽根のように軽い言い方だった。

 私は強く睨みつけていう。

 

「主たちの企みは無駄だ」

 

「何故そう言い切れるのですか?」

 

「山頂の()()を感じ取れぬか。貴様、よもやスクイブではなかろうか」

 

『先生』はより強く笑ったようだった。

 慈悲に溢れ、情が深いそんな笑顔であったが、その身に纏う気配と来たら──悪意の一色であった。

 ズドンと了承も挨拶もなく引き金が引かれ、私の腿を撃ち抜いた。

 

「その言葉は嫌いですね。差別的だ」

 

「ぬっ……あああああああああっ!」

 

 腿を抜けた時は痛みなど蚊に食われた程度の感覚だったのに、それを感じ取った瞬間に襲い来る激烈な痛み。血が足を伝い滴り富士の赤い土を更に赤々と染め上げた。

 

「何をしているのですか。急ぐのです」

 

「ですが、呪符が強力で……」

 

 手こずっている様子で鹿島達は日ノ出館に張られた施錠の呪符を解呪しようと必死であった。

 したり顔で僅かに鼻笑いを浮かべた竜人。かの者の幼年であろうともその実力は陰陽寮のお墨付き、それ故に六波羅局などという禁裏を監視する役所へ席を置いているのだ。

 

「大丈夫か、石槌」

 

「撫子ちゃん……っ!」

 

 綾瀬は泣きそうになりながら私を見て、竜人は何やら印を必死になって地面に記している。

 痛くて痛くて気が狂いそうだ。しかし、この者たちの覚悟を受けて私はここに立っているのだ。

 これしきの痛み、これしきの流血で跪いてどうする。立つのだ私よ。

 震える足で私は立ち上がり、雄々しく羽根を広げて見せた。

 

「的が広がるだけだ。仕舞え石槌」

 

 竜人はそう言い、必死に印を結んでいる。

 

「構わん。これは私の決意の印なのだ。主たちの決意も、典子の決意も私が背負って立つ!」

 

 私の言葉に反応したのは竜人でも綾瀬でも、『先生』でもなかった。

 その暗き影に覆われ周囲の見えなくなった愚者。鹿島その人だった。

 解呪の手が止まり、私を見て聞いてくる。

 

「なんで、お前が木島を知っているんだ」

 

「主が閉じ込めたあの部屋にいた。主を心配していたぞ」

 

「心配……勝手なこと言うな! あそこにあるのは死体だけだ。死人に口なし! 分からないのか」

 

「貴様には見えぬようだがな。確かにいるのだ、あそこに! 地縛霊として貴様の身を案じてやきもきしておったわ!」

 

 鹿島の表情は信じられないと言った様子であった。

 致し方ない、何せ典子はあの場に縛られる結びつきが緩い。天狗である私や、何故か見えた竜人以外の者にはあるのはただ彼女の遺体だけだろう。

 しかし、しっかりとそこにいる。そこにいて彼らを見続けていた。

 その所業に心を痛めながら、悲しみ続ける憐れな霊となっている。

 あの悲劇の霊をそのまま捨ておいてよいものか。喜劇の霊へと変えん。

 

「バカを云うな……バカげたことを言うなぁっ!」

 

「バカげたことなど何一つ言っておらぬ! 典子より聞いた。大久保の事もあさま山荘での一件も、全て、全てこの耳で聞いた! 気づかぬか、主らはそこの女に誑かされているだけだ!」

 

 混乱したように頭を掻き毟る鹿島。苦悩と葛藤、善良な心が残っているのなら典子の言った非暴力の意味が理解できるはずだ。外道に堕ちてくれるな、畜生に成ってくれるな。

 

「主らは、魔道を極めんとするものだろう……悪鬼に誑かされるな。悪童の教えより目を覚ますのだ!」

 

 その枷は何とも硬く強固であろうか。服従の呪文で操られているわけでもなし、それを行ったのは自らの意志、今まさにそれを否定して現実に向き合おうとしている彼らは何よりも重く苦労するだろう。

 抗え、そして気づけ、それが鹿島達の最善の道だ。

 竜人はそのまま続けろとジェスチャーで指示してくる。

 ──パン、パン、パン。

 天に向かって『先生』が三度銃声を鳴らして、鹿島達がそれを見た。

 

「惑わされてはいけませんよ。あのような甘言。禁裏様の為でしょう?」

 

 かの者の言葉の呪詛は私の言葉にも惑わされない程に強く鹿島達を縛り付けているようだった。

 鹿島たちは日ノ出館に向き直り、先生の教えを忠実に守った。

 視野を大きく持て、魔法ばかりに目を向けることなかれ。

 小さな鉄の棒切れを鍵穴に押し入れ、何やらカチャカチャと弄り始めた。

 

「そうです。呪符にばかり目を向けてはいけない。ピッキングも教えたでしょう?」

 

「……はい。先生」

 

 私の言葉は届かなかった。彼らに纏わりついた緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)の吐息は払われる事無くしつこく鹿島たちを拘束している。

 もうダメだと思った時だった。

 

「来た! 来た来た来た! 成功だ!」

 

 竜人は声を抑えることなく叫んで喜んだ。両腕を天に付き上げて拳を握り締めて唱える。

 

『葛ノ葉の血涙。我が血に流れる九尾の血よ。集え、その陰なる印を!』

 

 日ノ出館の天井を突き破り中が黒々とした妖気を漂わせて流星の如く、竜人の手に向かて()ってくる。すっぽりとその手に納まったのは毬ほどの大きさの歪な形をした石だった。

 その石より漏れ出る悪意の妖気を抑え込むように竜人はその手で気を抑え込み、我が子を抱くがように優しく抱きしめた。

 

「何故……殺生石が君に応じるのですか……」

 

 驚愕といった様子で『先生』は銃口を竜人へと向けた。

 皆がそうだった。愕然とする。

 竜人の黒々とした髪が白銀を思わせる透き通った白々とした発色を放ち、その気配は人のそれとは懸け離れた何かを漂わせていた。

 “獣憑き(動物もどき)”とも違う、血脈に流れる強い妖怪の気。

 

「アンタらホントに馬鹿だよ。俺の名前でまず気付っつの。俺は安部竜人、安倍晴明の直系の血筋だ」

 

 この日本で最も名の通る陰陽師。その知名度ときたら日本では英国の大魔法使いマーリンをも凌ぐ通り名、日本最強の名であり最も高貴な蘆屋家に勝るとも劣らない家系の名、その当主──安倍晴明(あべのせいめい)

 その血を引く者こそ──。

 

「クソ馬鹿どもに俺のご先祖様を弄ばれるのはくそ癪なんだよ!」

 

 安倍晴明は純正の人の子ではない。人の種と葛の葉と呼ばれる妖狐の胎から生まれ出た半妖半人の魔法使いとされている。

 その葛の葉と玉藻の前に血縁関係であったかは定かではないが、竜人の口がそう言うのであれば恐らくそうなのであろう。

 殺生石は我らが手中に収まった。連中の計画で最も重要な要となるものが我らの手に収まったとなれば。

 

「詰みなのだ! 貴様らの計画は、これにて倒れた! 素直に縛に付くのだ!」

 

 私はそう宣言して鹿島達を指さした。

 竜人は必死に殺生石の暴れ狂う妖気を抑え込むことで必死なようであった。

 完璧に近い勝利が目前であった。しかし、『先生』とてそれを甘んじて受け入れるほどの心意気など持ち合わせていない。

 銃口が竜人の額に向き、キリキリと引き金が軋む音が耳に聞こえてきそうな緊迫した空気が流れた。

 竜人は今、殺生石をあやすのに必死でその場を動くことは出来なかった。

 私は腿を撃ち抜かれ、機敏な動きは出来ない。身を挺して守る事が出来なかった。

 時の流れがゆったりと、その時を流す。学友の死のその瞬間をこれでもかと見せつけんとゆっくりと流れていく。

 もうこれ以上友が傷つく姿は見たくはない。そう思った矢先に竜人の前に立ったのは綾瀬だった。

 我が身を楯に両手を広げて目を強く瞑り、震えた足で竜人を守ろうと前に立った。

 銃声が長々と私の耳に響き、その弾丸がしっかりと私の目に捉えられて、綾瀬の頭部へと飛来する姿があった。

 友の死に私も立ち会わねばならぬのか。

 典子のように心を許した友を見送らぬばならぬのか。

 わずかな時間、どれだけ悔いが溢れた事か。私の浅はかさこそ愚かしい事この上ない。

 しかし、それは訪れる事はなかった。

 体が飛ばされそうになりそうなほど強い、旋風が富士の傾斜を撫でて拭き下ろし、砂塵が渦を巻いて吹き上る。

 

「銃声がすれば何かと思えば。常人がこのようなところで何用だ」

 

 月天の夜光をその背に背負った者が空に鎮座していた。

 私よりも大きく、そして艶やかな漆黒の翼。すべてを見下して這いずり虫を磨り潰す天空の覇者。

 我らが五十六大天狗が二席の座を占める天狗界の若き棟梁。

 

「誰だ! 天狗など恐れる足らぬ!」

 

 鹿島に賛同する純血派の生徒が勇ましくそう言うと、高笑いがすべてを吹き飛ばしてかの者は答えた。

 

「我を誰と申すか? ならば答えよう。我が名は護法魔王尊、鞍馬山を統べこの天空の覇者たるものだ」

 

「まさか、鞍馬山僧正坊(くらまやまそうじょうぼう)……」

 

『先生』はそう言った。

 誰もがそうは思えないだろう。何せ僧正坊の居姿は背広の高圧的な青年なのだから。

 短髪の黒々とした羽根と同じ髪色。そして腰に帯びた霊刀の一本『百足丸』。

 その羽根が空を撫でればすべてが吹き飛び、先ほど放たれた弾丸など塵ごみの如くどこぞへと吹き飛ばされていた。

 バサリ、バサリと強い羽ばたきが私たち全員の耳に刻み付けられ、その押し付けてこんばかりの重圧の雰囲気は只者ではない。

 その素顔を知らない綾瀬や竜人、『先生』や鹿島たちはその場で僧正坊を見上げるしかできなかった。

 

「三度銃声が聞こえると思えば。ごみが這いずりおるわ」

 

 腰に帯びた刀の柄を撫でるようにゆっくりとした動作。しかし侮るなかれ隙のそれは一切見せず、肌に刺さるような神通力の気配は並大抵の修行で得られるものではない。

 私など足元にも及ばない本当の意味での『大天狗』だ。

 

「僧正坊殿! お久しゅうございます! 私は──」

 

「ああ、分かっておる。法起坊の娘だな、しばらく」

 

 私は跪いて首を垂れたて口上を述べようとしたが、遮るように短く答えた僧正坊は全員を虫けらを見るが如く、顎を突き出し見回した。

 

「ゴミ、ゴミ、ゴミ。──この山はいつごみ捨て場になったのだ?」

 

「私の文に応じ馳せ参じられた事、大変な感謝の謝辞を送らせてもらいます」

 

 私は僧正坊との視線を合わせることなど出来ない。私は頼みごとをしているのだ、下手に出て当然。

 この場の主導権はすべて彼が一瞬にして握ったのだ。

 

「文? 何の事やら。豆鉄砲の音に釣られてきたまでだ」

 

 手を振り、私を旋風で舞い上がらせて私を抱きかかえた僧正坊は腿より垂れる血をその指で掬って、目を細めた。

 

「撃たれたのか?」

 

「はい、あの者に。豆鉄砲を持っておりまする」

 

「ほぉう……」

 

 優しく私を下ろした僧正坊はゆっくりと『先生』の元へと歩いて行った。

 

「あなたが来てくれるとは、何と心強い」

 

『先生』はそう言ったが、僧正坊は何のことかと首を捻りそして──。

 

「貴様など知らぬ」

 

 袈裟懸けよりバッサリと切り捨てた。

 鮮血が噴水の如く溢れ出て辺り一帯を赤々と染め上げた。

 その血を旋風で巻き上げる僧正坊の周囲には血の驟雨が降り注ぎ、これでもかと僧正坊は高笑いを上げる。

 

「先生!」

 

 鹿島達が立ち上がって、僧正坊に立ち向かおうとしたが、瞬く間、どこからともなく現れた鞍馬天狗たち。

 僧正坊の抱える軍隊、『百人天狗』たちがその腰に帯びた『百足丸』をその首に押し当て動きを封じた。

 

「ゴミが囀りおるは……ははは、ハハハハハハハハハッ!」

 

 何もかもが取るに足らない塵。そう言わんばかりの高笑いが富士の山に響いて止まらない。

 

緑龍会(グリューンドラッヘ)の……合意は……」

 

 虫の息の『先生』は僧正坊の足にしがみ付いて懇願するが。それを軽く振り解き、一ヶ月は燃え続ける天狗煙草に火を付けた僧正坊が屈んでその手の甲へ火を押し当てた。

 

「貴様など知らぬ、虫けら。虫けらは虫けららしく死ぬがよい」

 

 大男の『先生』が百人天狗の何人かを振り払い、杖を抜いて魔法を放った。

 

死の呪い(アバダ・ケダブラ)!」

 

 低い唸り声で最悪の魔法を放つ。

 しかし僧正坊とってはそれすらも取るに足らない。

 血の滴る百足丸の切っ先が僅かに揺らいだと同時に、地より巻き上がる竜巻が土も岩も木材もすべてを巻き上げて、死の呪いを遮り捲き上げた。

 雷鳴のような轟音を響かせ、蛇の様にのたうつ竜巻は意思を持ったようにその頭が大男を食らい、瞬時に辺り一帯に血をまき散らし、竜巻が治まった時には遂には擦り下ろされた大男の骸がそこに倒れた。

 

「やり過ぎだ。僧正坊」

 

 暗夜の暗がりから雄々しく聞こえた声。それは。

 

父様(ととさま)!」

 

 父様(ととさま)が羽根を納めて、私の頭をゴム毬を付くが如く叩いて撫でてきた。

 

「文は受け取った。──僧正坊、何故に貴様は常人を殺めておる」

 

「何故? 法起坊、天狗を傷物する不届き者に誅罰を与えたまでの事。何か不手際でも」

 

 ちらりと私を見た父様(ととさま)。私の腿より流れ出る血を一瞥して、押し黙った。

 

「神聖なる天狗総会。常人如きの血で汚してなるものか。即刻止めぬか」

 

「はァ、これだから──」

 

 何か言いたげであったが僧正坊は百足丸より血を払い鞘へ戻して、天へと舞った。

 父様(ととさま)の到着に合わせるように幾人もの天狗、そして魔法省の禍祓いが到着して私たちを保護し、鹿島達は取り押さえられた。

 私たちが保護されて、振り向いて見た鹿島の顔は悲壮なものであった。

 慟哭の声を富士の夜に吼えて、どこまでも、どこまでも透き通った木霊を響かせた。

 

 

 

 

 

「鹿島さんを止めてくれたんですね。石槌さん」

 

 珊瑚の宮に訪れた私はその後の報告を典子にしていた。

 禍祓いたちに保護された私は足の治療を受け、厳重な事情聴取を取られ、しつこく何故富士山に向かったのかを聞かれ私は彼らを止めるために向かったの一点張りで突き通した。

 綾瀬も似た感じであったそうだが、竜人は六波羅局員である為に少々厄介であったと言う。

 しかしながら一週間も掛らずに私たちは解放され、復学していた。

 鹿島達はその場で取り押さえられ、今後魔法省で裁判を受ける運びとなっているようだ。

 外套(ローブ)は正常で白にはならなかったそうだが、殺生石の運搬、そして緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)の関与という余罪で退学は確定となっているそうだ。

 

「歯痒い限りよ。私は奴らを助けるために動いていたのに、退学になっては元も子もない」

 

「それでも私は嬉しいです。鹿島さんが生きていてくれるだけで」

 

 嬉しそうに笑う典子が私の手に触れぬ手を重ねてきた。

 そうであるのなら私としては何よりだ。彼女は私の学びの場の先代だ。それをないがしろにして何としようか。

 典子がそう言ってくれるのなら私も少しは心が軽くなる。

 

「撫子ちゃん? わっ、幽霊だ」

 

「綾瀬。すまぬ待たせたのだ」

 

 綾瀬を連れて来ていたが、典子と長話をしてしまって長く待たせてしまったようだ。

 

「ん? 綾瀬よ。典子が見えておるのか?」

 

「うん。初めて見たよ、幽霊。いつもならすぐ列車に連れてかれるから」

 

 私は典子を見た時、気恥ずかしそうに笑った典子。

 

「土地との繋がりが時間と共に強くなったようです。もう、声も揺れていないでしょう?」

 

「おお、そう言えばそうなのだ!」

 

 私も祝おうぞ。この魔法処の新たなる住人の誕生に。

 抱きしめれるものなら思いっきり抱きしめたやりたいが、残念ながら地縛霊だ。触れることもままならない。

 しかし彼女はいつも私たちを見ていてくれるだろう。珊瑚の宮の良き霊として。

 

「撫子ちゃん。急がないと、杖術の学科が始まっちゃうよ」

 

「うむ! わかったのだ! それでは典子よ。これにて失礼!」

 

 私と綾瀬は走り、本来杖術の教室であった珊瑚の宮の一室に走り入った。

 

「まったく騒がしい奴だ」

 

「うるさいのだ竜人」

 

 竜人の軽口に反論して私は席に着いた。

 見慣れぬ珊瑚の宮の外観に胸を高鳴らせる私。

 新たな世界を見せてくれ。私は探求を希望するぞ。

 魔道の最果てを、そして天狗として涅槃へと至り、父様(ととさま)を超える大天狗に私は成りたいのだ。

 

「杖術を始めるぞう!」

 

 鼓膜を破らんばかりの大声で杖術講師の秋形鬼灯が教室へと押し入ってきた。

 

「うむ! 始めるのだ!」

 

 私は机に立って宣言する。私は天狗。

 天下不遜の大天狗の娘、六代目石槌山法起坊、石槌撫子だ。




殺生石編終了。
次回より新章、『炎の夜宴編』です


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ナデシコと炎の夜宴
修学旅行


「修学旅行でああああああああああああっる!」

 

 郭公の奇声が高らかに教室に轟いた。

 年も跨いで桜が蕾より花を着ける丁度良い日の事であった。

 瞬きを忘れた郭公の狂気の声が窓ガラスを震わせて高らかに宣言される。

 

「しゅうがくりょうこう?」

 

 私は何事かと首を捻って不思議がる。修学とは学問を修め習うことであろうが、旅行とはどういった意味合いなのだろうか。

 不思議で不思議で仕方がない。それに修学旅行があるなどと魔法処に籍を置いてからここまで聞いたことがない。

 どれだけ考えようとも疑問は解消されない。

 そんな中、スッと手を上げた竜人が郭公へ質問した。

 

「先生、魔法処に修学旅行なんてものあったんですか?」

 

()()()のでああああああっる!」

 

 何とも引っかかる言い方をする郭公が、修学旅行のしおりを配布して説明をした。

 何でもここ三年間は魔法処の修学旅行は行われていなかったそうだ。その理由というのも、修学に行くための手段である船の出入り口が珊瑚の宮にあり、純血派によって占拠されていた為に出入りもままならず、お蔵入りになっていたそうだ。

 そして今回、去年に私と綾瀬、竜人の三人で純血派の凶行を止めて、勢いを失った純血派は珊瑚の宮を手放す形で、本来の生徒の形に収まった。

 そしてこの修学旅行、今迄行けていなかった二年生である私たちから三年四年と学年を合わせて修学旅行を決行するに至ったそうだ。

 学校外への移動手段を得た学校側も大手を振って、本来あった行事を行えるようになり恙無く教師としての仕事が増えたと野治や鬼灯が嘆いていた。

 しかしながら私たち学生にはそんなことは関係がない。

 私を除いたほぼすべての学友が歓喜の声を上げた。

 

「先生! 修学旅行はどこへ行くんですか?」

 

 ワクワクした様子の綾瀬が郭公に質問を投げかけた。

 

「欧州であああああああっる!」

 

「あの……欧州のどこですか?」

 

「欧州でああああああああああっる!」

 

 頑として主張を変えなかった郭公の狂気の声に、困惑の顔を浮かべる皆に、しおりを勝手に読み進めていた竜人がポツリとそれを見て呟いた。

 

「ヴァルプルギスに参加予定……? マジかよ」

 

『ええぇ!』

 

 皆が驚いて嬉しさから騒めき立った。

 私もしおりの日程表を見た。欧州に寄港後、『生徒全員でヴァルプルギスの夜に参列』と記載されている。

 何なのだろうかヴァルプルギスなるものとは。何かの催し物なのだろうか。

 

「綾瀬よ。このう”ぁるぷるぎす? とはなんなのだ?」

 

「あ、そっか。撫子ちゃんは絶対日本から出る事はないから知らないよね」

 

 綾瀬は説明した。

 

「ヴァルプルギスの夜。ヨーロッパで行われる春の到来を祝う魔女魔法使いの行事だよ。お祭りって言ったらいいのかな。世界中見てもヴァルプルギスの夜ほど大きなお祭りはないと思う。国も跨いで一ヶ月毎夜行われるんだよ」

 

「ほう。祭とな」

 

 火事と喧嘩は江戸の花などと江戸っ子じみた事は言わないまでも私も祭は大好きだ。魅惑の甘味の数々は優に及ばず、香具師の見世物は何とも楽しいものか。

 私も少し心惹かれてしまい、何とも楽しみになってきた。

 

「いやしかし待つのだ。私は外来語の成績はよろしくないのだ……」

 

「ははは……、そうだったね」

 

 一応ではあるが魔法処には只人の子供の通う学校の様に外来語の授業がある。その授業の名目としては杖術の正しいスペルを学ぶためであり、下手くそなスペルではまともな魔法が使えないからだ。

 私はそこそこ杖術の成績は良い方だが、単語単語の発声である為に、林檎をアップルと言うに困らないのと同じだ。

 しかし外来語の授業と来たら日常会話、文法や、発声、読み書きなど様々な日本の外で必要とされる会話の基礎を教えられている。

 私は海外に出る事はこういった行事ごとでしか出る事は綾瀬の言った通り絶対にない。

 日本魔法界の権威の象徴たる天狗が、私事で南蛮へと行楽に行くなど言語道断だ。それ故に天狗は日本の外へ出る事はあり得ないのだ。

 しかしだが、今回はその例には当てはまらない。学校行事という特例に当たる。

 楽しみではあるが。

 

「言葉の壁は高いのだ……」

 

 私は挫けそうになる。今更に語学の勉強をしたところで一日二日で身に付くものならここまで苦悩していないだろう。

 頭を抱えてどうすべきか試思する。

 

「異国の神は高い塔を建てたぐらいで言語を割るなど、狭量なのだぁ……」

 

「ハハハ……勉強するなら手伝うよ」

 

 優しく慰めてくれる綾瀬。語学では竜人に次ぐ成績を誇っている綾瀬の手助けがあれば百人力だが、それでも言語の壁は果てしなく高かろう。

 

「生家の正装を用意しておくのでああああああっる!」

 

 そう言い郭公は蜘蛛の様にひっくり返り怨霊が如き動きで教室を後にした。

 はて、正装とはと言うのは一体どういった意味なのだろうか。それの意味を知るのはこの後、放課後の事であった。

 

 

 

 

 

「え? 正装は必要でしょ?」

 

「そうなのか?」

 

 私たちは夕日に暮れた広島の駅にて市内を巡る路面電車を待っていながら他愛無い話をしていた。

 その日は珍しく、竜人と幾人かの学友が広島市内の『裏』に用があるらしく和気藹々と話をしていた。

 

「ただ祭に行くだけだろう? ならば浴衣でも山姥に見繕わせればよかろう」

 

「もう、違うよ撫子ちゃん」

 

 私を揺する綾瀬の顔は何やら勿体ないと言った様子であった。

 意味が分からない。わざわざ生家の正装、私の場合は山伏の僧衣を用意する意味が分からなかった。

 ただ祭に行くだけの旅だ。それなのにわざわざ堅苦しい衣装を用意する意味が分からなかった。

 そんな中隣に立って電車を待つ竜人が綾瀬の代わりに答えた。

 

「ヴァルプルギスの夜は祝いの場であると同時に見合いの場でもあるんだ」

 

「見合い?」

 

 私は阿保丸出しの声で疑問符が頭の上で立ち上っていた。

 見合いとは何か? 立ち合いの仕合でもあるのだろうか。果し合いに立ち会うのであればそれは確かに正装は必要だろう。そう思っていたが、全く別の答えだった。

 

「お前、見合いは見合いでも殺し合いの見合いじゃないぞ。()見合いの方だ」

 

「みあい、見あい、み合い、見合い?」

 

「お子様にもほどがるな」

 

 呆れたように竜人はため息を付いた。

 

「男女の逢引き誘いの場だってことだよ」

 

「なんと、いかがわしいにも程があるのだ! ヴァルプルギスの夜とは!」

 

「そうも言ってられないんだよ撫子ちゃん」

 

 喚く私を宥めるように綾瀬が言う。

 

「昔から、魔法族はよく差別される側にあったから、確実な魔法族であることを証明された魔法族の祝祭の場は、婚姻の場であることが多いんだよ」

 

 それは知らなかった。

 歴史的背景を見れば確かに魔法族はよく差別の対象にされることが儘ある。

 中世の魔女狩り、アメリカのセイラム魔女裁判、そしてホロコース。

 何万人と魔法という特異な力を行使できると言うだけで、謂れもない罪を着せられ殺されてきた魔法族は数知れず。

 そして何より、魔法族の出生率は悉く低い。日本はそれが特に顕著だ。

 その為に出会いの場は世界的に大切にされ、ヴァルプルギスの夜もその例にもれず、大切な婚姻の場となっている。

 逢引き、連れ引き、一夜の夢。まるで吉原炎上のそれではなかろうか。

 男が向かう極楽道、女が売られる地獄道、全ては胡蝶の夢の中。

 祭と春の息吹に中てられ、産めよ、殖やせよ子の産屋。

 世界最大の祭ならば千・二千は優に及ばないだろう。産婆どれだけ必要になるだろうか。

 

「かどわかしには私は引っかからないのだ!」

 

 腕を突き出し竜人を突き放す。

 

「何すんだ。あぶねえだろ! 路線に突き落とす気か!」

 

「貴様の甘言に私が股を開くほど易い女ではない!」

 

「てめえなんぞこっちから願い下げだ!」

 

「まあまあ、二人とも落ち着こうよ」

 

 綾瀬が割って入り、私たちを落ち着かせた。

 私は猫の威嚇のように毛を逆立て身を大きく見せて威嚇する。対する竜人は息をついて面倒だと言わんばかりの表情であった。

 

「ね、撫子ちゃん。この際だから一緒に服を仕立ててもらおうよ」

 

「ぬぅ……ふしだらな目的なのは嫌なのだが。私とて僧衣が欲しいのは否めぬ」

 

 持ってはいるが最近少々丈が合わなくなってきていた。

 年越しの際に一度石槌山に帰省して作務衣を着れば少々小さくなってきていた。

 去年は天狗総会に参加していないが、毎年参加するのが天狗としてのお勤め、それには僧衣は必需品であるために確かに必要であった。

 

「私も、巫女服が胸のあたりが少しちっさくなってきてたから欲しかったんだよ。新しいの」

 

 ゆっさゆっさ、バインバインと擬音を付けたくなるような綾瀬の豊満なそれに私は悔し涙が漏れそうだ。

 

「神がいるならきっと不公平な神なのだ……」

 

 泣きたくもなるだろう。寝食を共にしているのにどうしてこうも差が開く。

 綾瀬のそれは一年たっただけで一回り大きくなっているようで、ブラジャーを買い替えるのが面倒だと嘆くそれに私と来たら入学の際に制服を作る時に店主がおまけで作ってくれたそれで事足りている。

 即ち成長していないのだ。

 母様(かかさま)は程よい大きさのものを持っていて私もその恩恵に授かるのは何時ぞや。

 

「綾瀬は“せくしゃる”なのだ……」

 

 悔し涙でハンカチを濡らしたいがこれのせいで涙は枯れた。

 干ばつの日照りも比ではなかろう。

 丁度その時、チンチンと鈴を鳴らして到着した路面電車。真っ赤な塗装のその電車は常人にしか見えない魔法が掛けられた特殊な電車だった。

『裏宮島行き』と掲げられたそれに私たちは乗り込んで、電車は走り出した。

 電車の中でワイワイと雑談に花を咲かせる私たちを尻目に路面電車は市内を走り抜け、そして遂には瀬戸内海の海面を走って、厳島神社の海面に立つ大鳥居を正面より電車は突入した。

 広島の裏側。厳島神社の大鳥居はその入り口だった。

 厳島は島全体が魔道に通ずる神域。それ故に魔法を修める者たちにとっては良き商売の場所になっていた。

 

『到着しました~。裏宮島、裏宮島で~す』

 

 妙に間延びした車掌のアナウンスで扉が開き、私たちは裏宮島へ降りた。

 私たちが向かったのは単物屋でありこの辺りでは最も品揃えのいい衣服を取り扱っている店だった。

『裏宮島仕立て請け負い』と看板が立てられ盛況な様子、それもその筈で客のほぼすべてが魔法処生徒であった。

 理由は窺い知れる。今回の修学旅行に合わせて正装を見繕いに来ていたのだ。

 店主は目を白黒させながら願ってもいない客足に大忙しのようであった。

 

「すいません。服を仕立てて欲しいんですけど」

 

「ハイハイちょっと待ってね。あぁ、今日はなんでこんなに忙しいんだか」

 

 店主は慌ただしく走り回っていた。

 私たちは服屋の中を見て回った。色鮮やかな単物の数々に、布の中で泳ぐ金魚、風にたなびく山茶花の柄が着物の中で動いていた。

 絵画などの人物を動かす魔法の並行利用した着物たちが何とも目を楽しませてくれる。

 竜人は店主に細かな指定をしている。

 

「竜人は狩衣でよかろう。何をそんなにしているする必要があるのだ?」

 

「六波羅局は陰陽寮だが、ちょっとばかし扱いが違うから制服も違うんだ。赤の半着に裁着袴、その上で軽装鎧が制服だ」

 

「なんとも堅苦しいのだ」

 

「お役所は堅苦しいもんだ」

 

 竜人は赤の色まで詳しく注文していた。

 私も適当な鈴懸や略袈裟を選んで買うが、天狗にはこのようなものは些細なものだ。

 店を少し出て天を仰いで考える。

 最も重要な物が欠けていた。

 そう、団扇だ。

 扇でも構わないが、何より天狗は団扇、扇を何よりもの証として重宝されている。

 父様(ととさま)も扇を持ち、風神の息吹を封じ込めた『風神の扇』が父様(ととさま)の天狗の証である。

 しかしながらそれを私は持っていなかった。

 半人前の天狗には団扇、扇は与えらない事が多い。子息子女は当主襲名の際にその山と扇を譲り受けることになるのが習わしだ。

 さてどうしたものか、私は考えあぐねているとき、右烏が私の肩に舞い降りて話す。

 

『修学旅行とな、団芝三より訊いたぞ』

 

父様(ととさま)!」

 

 しゃがれた声で右烏が騒ぎ立て、喋った。

 恐らく父様(ととさま)が団芝三から話を聞き、父様(ととさま)の使い魔『上烏』を通して喋りかけ私に声を届けているのだろう。

 上烏、左烏、右烏。三匹の白烏は魂が繋がっている為に見聞きしたことはすべて共有され、只人の言葉で言わせてしまえば彼らは電話の役割を果たしている。

 

「そうなのだ。しかし、正装を用意するようにと云われどうすべきか悩みかねているのだ」

 

『団扇の事だな。安心しろ、もうそちらに送る段取りは付けておる』

 

 何とも段取りが良い事か、聞けばなんと私が襲名する際の準備を私が産まれた時よりすでに進めてたと言うではないか。気の早い話である。

 団扇は私が成人したのちに渡す予定であったが、今回の運び、こちらに上烏に運ばせるそうだ。

 団扇の作りを聞けば、青龍の顎髭を骨に使い、紙はなんと顕仁殿が自らの手で漉いた和紙を使っているそうだ。

 

『強力な団扇だ。下手に扇げば台風が産まれる。軽々しく仰ぐ出ないぞ』

 

「わかったのだ!」

 

 右烏は黙り、空へと戻っていった。

 私は、暫く空を見上げ続けたが、次第にワクワクと心が躍り、その場でも踊り始めてもおかしくないぐらいに興奮した。

 私の団扇、私の扇──ようやく私は一人前の天狗になれるのだ。



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一つ目巨人号

「あ、あいむ、ひゃんぐりー」

 

「違う違う、アイム・ハングリー。お腹空いたって事」

 

「うぬぅ……」

 

 私は出航ギリギリまで外来語の勉強に頭を悩ませ続ける。

 教本を見ながら、読みから、発音の練習に四苦八苦しながら綾瀬に手伝ってもらいながら必要とされる会話を教えてもらっていた。

 しかしながら上達しないのが現状で、拙い言い方が抜けず、日本のカタカナ英語にもなっていない。

 珊瑚の宮の大広間で二・三・四年生が一堂にかえしてようやく百人程度の学生らがいと狭しと言わんように船の準備を待っていた。

 教員は三名同行することになっている。生徒の引率を団芝三と鴇野美奈子、そして船の船長として郭公が同行する事となっている。

 郭公は航海魔術兼言語学教諭、私の欲する道先案内人と不足している外来語の勉強に大いに役立つ。

 しかしながらあの発狂をものともしない流暢な英語を輪が耳で聞けば少々気味が悪い。

 何せいつもが異常な大声と声量から繰り出される奇声からは想像もできないような流暢さである為に、何と言うか“いめーじ”が崩壊してしまう。郭公には失礼だがいつまでも発狂した郭公でいて欲しいものだ。

 

「皆さん、そろそろ出航しますよ」

 

 美奈子がそう言い学生たちがやっとかといった感じのため息で動き始めた。

 それもその筈で、一ヶ月間という長期間の修学旅行である為に荷物がかさばる。船内には風呂、洗濯場、便所などが完備しているとは聞いているがそれはそれとしても嵩張る物は嵩張る。

 下着、歯ブラシ、正装、その他諸々。土産などの事も考えればさらに荷物となる。となれば皆が選ぶ荷物入れは歩荷の背負子のように大きなものとなり一見すれば夜逃げの様相である。

 美奈子の先導で珊瑚の宮の奥にある海へと続く螺旋階段を下りて行き、南硫黄島の島をくり抜いて作られた入り江に付いた。

 真っ暗で見えなかったが、突如として火が灯り入り江を照らし上げた。

 入り江に鎮座している巨大な船。それは──。

 

「ようこそなのであああああああっる! 一つ目巨人号(サイクロプス)へええええええっ!」

 

「嘘だろ。おい」

 

 竜人が船を見てそう言った。

 眼前に見えた船は一言で表すのなら『混沌』であった。

 貧困街の一角を切り抜いたようにバラックが船の上に建てられ、到底船と呼ぶには相応しくない外観のその構造体。

 軍艦にしてはその船体はやけにずんぐりしており、客船にしてはいい加減な造りの船体。全長はおおよそ百メートル程度だろうか。横幅は普通の船なら広い方だろう。喫水は浅いように見えるが、しかしながらその外見は船と称するに船に烏滸がましいような見た目を披露していた。

 甲板の上に広がるバラックそして倉庫群、綺麗に整理されているならまだしも、そんな訳はなくただ手当たり次第に一緒くたに甲板に詰め込めるだけ詰め込んだと言えるオンボロたち。

 風が吹いていないと言うのに香る匂いは潮風よりも強い錆の香りの出所はその船であり、船体は鋼鉄製であろうがあちこちに赤錆が浮き上がり、破損個所も目立ちそれを補強する物はどこぞより持ち寄った資材を力技で打ち付けたその風体。

 襤褸資材、襤褸鉄、襤褸木のすべてが老朽化して一種異様な雰囲気を漂わせる一大混沌。

 この世の理、浮力物理学、造船力学への挑戦とも思えるその船が鎮座し今にも沈没しそうなその見た目はこれを船と口にすれば正気を疑われそうだ。

 そう、それ即ち郭公が操舵を任された魔法処魔法学校の所有する学校外授業用移動船──一つ目巨人号(サイクロプス)である。

 

「風向きは追い風でああああああっる! 航行には最適な日和でああああああああああっる!」

 

 舵輪を握り締めた郭公はいつにも増して狂気じみた声で、今にも脳の血管が切れて昇天しそうな顔色で浮足立っている様子だった。

 私が入学して今迄、郭公は只の言語学教諭として教壇に立っていたがもう一つの授業、本来は航海魔術の専攻の生粋の船乗りである。三年間のおあずけを食らっていればこのようになっても致し方なかろうと思うが、今の郭公はその域を超えている。

 根を張ったようにピンと背足を延ばし万力の様に舵輪を握り締める手には青筋が浮かんで握り割らんとしている。そのような状況で瞬きを一切せずに目の渇きも何のそのその場を一切動こうとしない。

 

「セントエルモたち! 久しい仕事であああああああっる!」

 

 絶叫と共に甲板に二つ並んでそそり立つ煙突から火が立ち上り、火は隕石弾の如く降り注ぎ、燃え燻りながら徐々に不規則な揺れ動く形状が形を表した。

 顔も、腕も、そして足もしっかりと確認出来て色味は緋色より青、緑、金と様々な個性豊かな幾人かの成員たちを生み出されていく。

 

「こりゃあ驚いた。アッシュワインダーの亜種か」

 

 竜人が物珍しそうに生み出された船員を診た。

 

「どうかしたのか竜人?」

 

「いや、魔法処の学生なら普通気にならねえか()()

 

 セントエルモと呼ばれた船員たちがきびきびと仕事を始めた。

 スッと気配を消して私たちの後ろに立った団芝三。不意に声を掛けられ驚いてしまう。

 

「それが気になるかな?」

 

『うわっぁあああっ!』

 

 カカカっと笑った団芝三が船員の肩を叩いて労いながら説明した。

 

「彼らは『セントエルモの灯』と命名しておる。安部君の言う通りアッシュワインダーの亜種であるが、産まれ方が少々違う。船に宿った魂、そして悪天候時などに船のマストの先端が発光する現象から生まれ大変短命であった。しかしながら田路村くんの独自の魔法でサイクロプスの船員として使っておる」

 

「マジっすか、黒髭って新しい魔法とか作ることできたんですか!?」

 

「うむ、気は触れおるがな、あれとて禁書の棚の管理の影響で本来であれば田路村くんは博学なのであるぞ」

 

 なんとも驚愕な話である。気の触れていない郭公の姿など想像するだけで怖気がする。

 博学多才の郭公、ある意味では気味が悪い。

 

「さてさて、田路村くんの調子も良好なようだ。サイクロプスへ乗船しようではないか」

 

 団芝三が、襤褸船のサイクロプスへ足を進め、舷梯に足を掛けた。

 それに続く生徒たち。私は今にこの船が軋み異音を立てて沈まないか不安で仕方なく恐る恐る乗り込んだ。

 

「早く行こう。撫子ちゃん」

 

「う、うむ……」

 

 船に乗るのは初めてだ。大抵は神足通で空を駆ければいいだけで、わざわざ海路を選んで船に乗るなどはしなかった。

 初めての体験に私はおっかなびっくりサイクロプスに乗り込んだ。

 ギシギシと軋みを上げる舷梯に赤錆が雪の様に振ってきた。頭に降り積もる赤錆の雪を払い私はげんなりする。

 

「いやいや待て。これは魔法処の魔法の船だ。ただの襤褸船な訳ないのだ」

 

 私はそう言い聞かせて、船内に入ろうと葛飾北斎の水墨画のように珍妙な模様を浮かべる錆の浮いた扉を開こうと取っ手に手を掛けた。

 魔法の集合地たる魔法処でこのようなオンボロはあり得ないだろう。きっとこれを開けた先はきっとエンマ荘こと野良犬荘の見掛け倒しの絢爛豪華な内装の空間拡張を広げているに決まっている。

 そう切望していた私は本当に馬鹿だ。

 軋んだ音を立てて開かれたそこに広がっていたのは、見た目通りのオンボロの通路だった。

 人一人が荷物を両手に抱えれようやく通れる程度の道幅で、天上には無茶苦茶な配管が通っており、通路全体に香る匂いは椿象(カメムシ)の悪臭に似た際立って青臭い匂いが一帯を支配していた。

 鼻が曲がるようなその匂いを我慢して進んで割り当てられた船員室を開けば、狭苦しい二段ベットが詰め込まれた四畳程度の部屋あるばかり。

 日差しも差し込まなければ、この強烈な匂いに中てられ気が狂いそうになるのは目に見えている。

 

「天狗たる私が何故にこのような拷問を受けねばならぬ!」

 

 喚いてもいいだろう。日程表ではこれを三日間も仕向けられその上三日間の内に船内清掃、授業、炊事と生徒は身の回りの事は自らすることとなっている。

 私は早々に荷物を下ろして、一刻も早くこの激臭から逃げたくなり甲板に向かった。

 何人か私と同じ心情の生徒たちと出会い共に甲板へと走った。

 この匂いを嗅ぎ続けるぐらいなら入り江のあの錆臭い匂いの方が幾分かマシであり急ぎタラップを駆けのぼり、甲板の扉を開けたとき郭公の奇声が轟いた。

 

「出航おおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 バコンと異様な振動がサイクロプスを襲い、ぐらぐらと揺れ動く船体が次第に前進して入り江を出て、そして徐々にだが上昇する感覚がある。

 甲板に出た生徒たちは縁の手すりに張り付いて海面を見れば、船首が水を切り裂き波が立っているが次第にその波は消え失せ、遂には変哲もない水面が姿を現した。

 ゴゴゴゴ、っと異音が船全体を揺らしてなり響き、私たちはその異変に気付いた。

 この船、一つ目巨人号(サイクロプス)は、浮かんでいる? 。

 

「風向きは我らにあり、追い風であああっる!」

 

 いつにも増して狂気じみた声で宣言する郭公を見れば、あの狂気の顔はどこへやら、清々しい顔つきで地平を望むその目は正気の目で私たちが見た事もない郭公の姿があった。

 

「えんやこら。密航者は、簀巻きだぞ!」

 

「巻いて縛って逆さ吊り、終いにフカの餌と成れ!」

 

「俺たちゃそれで晩酌だ!」

 

 セントエルモたちは歌いだし、郭公を船長に皆が上機嫌と言った様子でこの航海を始める。

 初めて見る正気の郭公の姿に驚きを隠せないが、それよりも驚きなのはこの船が浮き上がり空を航行している事だろう。

 空海を渡る赤錆の船。一つ目巨人号(サイクロプス)

 船員は聖人の名を冠する炎の使い。船長は気の触れた狂気の教諭、そして乗客は年端もいかない我々だ。

 船はどこまで行こうぞ。向かうは欧州の果てである。夜祭の日取りはいつなりて、ヴァルプルギスに夜に我々は結ばれん。

 

 

 

 

 

「────」

 

 私は正気を失ってしまったのだろう。

 一つ目巨人号(サイクロプス)が出航して二日目の軽やかな日和。

 台湾を横断して中国の瀘沽湖を渡っている頃合だっただろうか。大陸の爽やかな風、美しい風景が私を徐々に壊していく。

 船内は例えられない椿象(カメムシ)臭に耐えられず大抵の生徒が甲板に出て優雅な日和である。

 乗船している者は身の回りの事は大体自分でしないといけないのだが、しかしながらセントエルモたちが気を利かせて炊事洗濯を生徒全員の代わりにやって、私たちのやる事と言えば授業だけであった。

 語学の授業であるが郭公は操舵で忙しい為に、代理で他生徒や美奈子などが代りにやってはいるが本職に比べれば質の劣る授業、五十歩百歩だ。

 その授業が終わってしまえば。

 

「暇なのだ──」

 

 私は甲板でひっくり返って流れる美しい風景に精神を蝕まれ、言語を発することもやっとになるくらい暇をもらっていた。

 そしてその時は唐突に訪れた。

 誰ぞ生徒が持ち込んだラジオカセットプレーヤーでビートルズの『Help!』が甲板に流れ、壊れた。

 甲板の襤褸板を力いっぱい何度も叩いて周囲の目を引くことも気にせず、バタバタと暴れ倒した。

 

「撫子ちゃんどうしたの!」

 

「いぇーい、乗ってきたのだ!」

 

「どうしたの? ホントどうしちゃったの?」

 

「制御が、体の制御ができぬのだぁ……」

 

 あまりにも暇すぎると人は壊れてしまうのだ。

 五時間も何もしないでひっくり返っていれば人の自律神経はおかしくなり自分でも驚くくらいの奇行に走り出すものだ。

 

「へるぷみーいふ・ゆーきゃんあいむ!」

 

 歌詞も滅茶苦茶に大声でラジオカセットの流れる『Help!』を歌って暴れる。

 この歌詞の言っている通り、助けてほしいくらいだ。いっその事郭公の朝のように奇声を発して走り回りたいくらいだ。それくらいに暇を持て余していた。

 

「山本、そいつどうした?」

 

「撫子ちゃん暇すぎて壊れっちゃったみたい」

 

「雲が豆腐なのだー!」

 

 訳の分からない事を絶叫して私はモップが如く甲板の汚れをその外套(ローブ)に付着させ転げまわる私に呆れ顔の竜人が隣に座って呟いた。

 

「確かに暇だな……」

 

「暇なのだぁ……」

 

 晴天の空を見上げて私たちはそう呟いて仕方がない。

 何もすることがない、何もやることがない。それだけで人はここまで壊れて脆い事に私は驚きよりも奇行に走りたい衝動に突き動かされ、相変わらずバンバンと甲板を叩き続けていた。

 

「しりとりするか!」

 

「は?」

 

「なに?」

 

 私の唐突な提案に面倒くさそうに返答する二人を無視して、単語を云った。

 

「鹿」

 

「か、かに」

 

「人間。はい、終わり」

 

 竜人が面倒で、『ん』を付けて強制的に終わらせるが私は無理にでも続けた。

 

「かば」

 

「あ?!」

 

「止める気ないみたい……」

 

「かば」

 

 綾瀬と竜人は呆れながら竜人は言った。

 

「バッキンガム宮殿。終わりだ」

 

「竜人とやっても楽しくないのだ」

 

 私は初めて郭公の奇行の理由、気の触れた気持ちを理解したようだった。

 

 

 

 

 



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ヴァルプルギスの夜

「ようやく到着したのだ!」

 

 私は叫んで嬉しく飛び跳ねる。

 夕焼けの色鮮やかに緋色と染まった夕暮れ。欧州のイタリア付近の港へと到着した我々、魔法処一行はその(いとま)に飽きを覚えて仕方がなかった頃にちょうど良く海へと着水した。

 生徒全員が到着したと胸を撫で下ろし、一息ついていた。

 何せこのサイクロプスはオンボロだ。いつ軋みを上げて空中分解してもおかしくない外見をしていたが、それはなかったようだ。

 三日ぶりの陸地に私もここ地面に足を付けていることが嬉しい事かと思えた。

 

「さて、皆の者、ヴァルプルギスに参列するよりも先にやることと言えば──」

 

「やることと言えば?」

 

 団芝三がそう言い、手を叩く姿に私は聞き返した。

 参列よりもする事と言えば、なんだろうか? 。正装へ模様替えだろうか。

 

「換金だ。グリンゴッツ魔法銀行へ行かねばな。支店は近くだ」

 

 そう言い、大仰な白金の外套(ローブ)を脱ぎ只人の装いで船を降りた。

 私たちもそれに習い、只人の装い。私たちの場合は外套(ローブ)を脱ぐだけで良いのだが、学生服で下船した。

 団芝三が最前列、我々学生がそれに続き美奈子が最後列を歩き、教員が学生を挟む形で進んでいく。

 郭公はどうしているのかと艦橋の舵輪のある場所を見れば、三日三晩不眠不休で操舵をしていたのだろう、白目を剥いてあまりの疲れからか立ったまま気絶している。

 いくら発狂の申し子と言え人の子だ。三日の完徹は流石に堪えた様であのようになるのも納得だ。

 今はゆっくり気絶させとけばいいだろう。

 下船した先の港町は何とも寂れた町であった。人も疎らに、家も両手の指で数えきれるだけしか建っていない。

 そんな港町に場違いなほど立派な石作りの建物があり、イタリア語で『グリンゴッツ魔法銀行イタリア支店』と掲げられていた。

 中に入ればこれまた町の如く伽藍洞な雰囲気、銀行員もヨロヨロと腑抜けた小鬼ばかりが幽鬼の如く行き交っている。まあこの片田舎だ、人も来なければ、魔法使いも寄り付かない。

 ここに銀行が立っていること自体が珍しいのだ。

 

「すまんが、日本円から魔法族通貨へ換金を願いたいのだが」

 

「わ、わ、わかり、ました」

 

 震えた声で老眼に苦しんでいるのだろう老眼鏡を掛けた支店長らしき小鬼に話しかけた団芝三。それを合図に上客が来たと言わんばかりに老いた小鬼たちがヨロヨロと出てきて生徒たちの手持ちの金の換金を始めた。

 

「Qual è l'importo dello scambio?」

 

「ぬ、す、少し待つのだ……!」

 

 私は教本を開いて何と言っているかを調べるが諳んじれた言葉は頭の中でどこぞへ霧散していき結果として何と言っているのか分からない。

 あたふたしている私に竜人が助け舟を出した。

 

「たく……見てられねえ。これ付けてろ」

 

 背中をバンと叩かれ、私はキッと竜人を睨んで威嚇しそうになったが──。

 

「換金額は?」

 

 小鬼の声がはっきりと理解できた。換金額を聞いてくる小鬼のイタリア語。

 それを理解できるほどの脳味噌をまだ持っていない私は目を白黒させて竜人の顔を見た。

 

「翻訳の呪符だ。見聞き、その人間の話す言語に自ら合わせる事が無意識に出来る。呪符剥がすなよアホに戻るぞ」

 

 憎まれ口は大概だが、しかしながらこれはありがたい。

 背を叩いたこととその口の非礼は許すことにしようと心で思い、小鬼の要求に私は返答した。

 

「この財布の金を換金してほしいのだ」

 

 私はガマ口の財布を小鬼に私て換金を願った。

 母様(かかさま)が多めにお小遣いをくれている為に私の懐は今温かい。

 総額にして約10万円くらいでこれだけあれば一体どれだけ豪遊できようか。私はその中身を広げて換金する小鬼をワクワクした目で眺めていく。

 

「ガリオン以外にも要りようですか?」

 

「よくわからぬが、頼むのだ」

 

 そう言い小鬼は換金していく。

 何と魔法族通貨は純金を使用しているのか、黄金に輝くガリオン硬貨に純銀のシックル何枚か、銅貨のクヌートと換金していった。

 ガマ口財布もこれでは大変重い。

 金貨のガリオンは870円、銀貨のシックルは64円、銅貨のクヌートは2円だ。

 何ともちぐはぐな換金率であろうが、これは仕方がない。

 錬金術の基本体系から計算された只人世界の通貨事情を照らし合わせればこれがちょうどいい具合なのだ。

 しかしながら私が疑問に思うのはわざわざ、常人社会と只人社会の通貨を別個にする必要性だ。

 日本のように円は円で統一すればいい話だ。それをわざわざ分けようなど面倒な話である。

 しかしながら体勢に痰を吐いたところですぐさまそれが変わらないと言う事は身に染みて知っている私であった。

 

「紙幣にしろっての、遅れてるな」

 

 愚痴る竜人を綾瀬と二人で弄って宥める私たち。

 団芝三がグリンゴッツを出て、港町の小高い丘へと向かってその上に登った。

 私たちもそれに続き、丘を登りきって見えたのは──。

 

「大人数だが、何もしておらんな」

 

 幾つも立ち並ぶテントが一面に広がり、その中心だけぽっかりと土地が開き、その中心を起点に円形に旭日旗のように通りが出来ていた。

 

「さて、着替えようか。正装に」

 

 美奈子が杖を振って背負っていた二つのテントを魔法で一瞬で立てた。

 男女別れて着替えるようにと念押しするが当然である。誰がこの肌を不浄の輩に晒さねばならないのか。

 小さな女子のテントに入ればそこに広がるのは洋風の御殿が如く、立派な内装ではないか。

 いやいや、こればかりで驚いていた私はもういない。それの場所を見てきたのだこれ以上驚く事もなかろうと思っていたが、しかしながら魔法世界の裾野は広く、そして深い。

 私は山伏の僧衣に着替える。

 女子の魔法衣と言えば巫女服が多いだろう。狩衣や私のような山伏の僧衣、十二単のような身重な物を着ている者もいるが、やはり日本の女性は神より神託を受ける気質にあるのか、神に仕える巫女が多いように思えた。

 

「ほら行こう!」

 

「うむ!」

 

 巫女服の綾瀬と共に手を繋いで私たちはテントを出た。

 大勢の魔女魔法使いたちがその特徴的な衣服で、大きな先の尖がった帽子や黒い外套(ローブ)を身に纏う者たちは欧州由来の者たちであることは分かるが、それ以外にも古代中国の宮中女官のような衣服を着る者たちや、アフリカ的な特徴的な民族衣装の者たちもいる。

 世界各地の由緒ある魔法族がここまで集まれば壮観である。皆がテント群の中央の開けた円に向かっている。

 私たちもそこへ向かい。人混みの中でそれを見た。

 純白の祭服を着た十二人の魔法使い魔女が円を組んでいる。その者たちの人種も様々、欧州、亜細亜、印度、阿弗利加、中国と彩り豊かだ。

 そんな十二人の魔法使いたちが術を唱える。

 

『ヴァルプルギスの夜に集う者たちを祝え、聖なる名のもとに』

 

 術を唱えた途端に彼らが囲む円の中央より生え伸びる木々が目も見張る速さで成長して、そして一体化して巨大な大木と姿を変え盛者必衰の理で葉はすぐさま枯れ落ちてその大木は今にも朽ち果てん枯れ木となった。

 その場にいる全魔法族たちがその気に向かって魔法を唱えた。

 体系形態の異なる魔法の行使の仕方であったが共通して言えたのはその術らは火を灯す魔法であった。

 枯れた大木に私もそれに習い火を向けた。

 

炎上を(ラカーナム・インフラマーレイ)!」

 

 杖より火種が枯れ木に灯り囂々とその熱気を発する業火に皆が声を上げて喜んだ。

 開催だ。これがヴァルプルギスの夜の参列の儀式だ。

 

 

 

 

 

「行くのだ綾瀬よ。次はあそこを巡るぞ!」

 

 私たちは走り回って様々なところを見て回った。

 テント群はそのまま仲見世と変わり、あちこちで商いが行われ出していた。

 子供たちは走り回り、大人たちは酒のグラスを傾け今宵に一献。そして麗しき若者たちは逢引き相手を探していた。

 日本のように神輿が周囲を練り歩くようなド派手な事はしていないがこの夜の象徴(シンボル)はあの燃え上がる大木なのだ。炎の夜宴、ヴァルプルギスの夜とはこういったものなのだ。

 私も存分に堪能している。両手一杯に甘味や、欧州由来の食べ物でいっぱいだ。

 立ち売りの売り子たちの手練手管のよろしい事か、私はそれに唆され買い上げて舌を楽しませていた。

 綾瀬も、棒飴を舐めながら背中に着いて来ていた。

 

「もう、ぽろぽろ落としてるよ。ほら、ヘビグミが今落ちた」

 

「ヌッ、すまぬのだ」

 

 私の抱える菓子の山から蛇の如くのたうつグミなる菓子を受け取り私はここに来れたことに感謝する。日本に居ればこれに参加することも本当はなかった筈だ。

 楽しくて仕方ないが、しかしながら難点があるとするば──。

 

「嬢ちゃん。うちの店見ていくかい?」

 

 逢引き目的の祭である為に惚れ薬や媚薬など数えきれない種類の精力剤、強壮薬を売る連中が多いい。

 

「要らぬのだ。私はそれが目的ではない」

 

 手を振ってそう言った輩を追っ払い私は少しため息を付いた。

 これで五回目だ。確かに婚姻を結ぶには良い歳ごろだろうが、由緒ある天狗の家系で常人の血を入れるのは言語道断。それをやったのなら、母様(かかさま)に泣かれ、父様(ととさま)の雷鳴が轟き、放逐され一児の母として市勢に出される。親不孝もいい所だろう。

 そんな勇気はないし、必要もされていない。

 軌を確かに持ってかどわかしに引っ掛からない様にしなければいけない。

 フンスと鼻息荒く私は寄りつく悪虫を追っ払っているが、よくよく周囲を見れば、巫女服や山伏服の者に寄りつこうとするものは少ないように見えた。

 

「綾瀬よ。私たちは避けられておらぬか?」

 

「確かにね。思ったほど逢引きの誘いの声は懸からないから存外安心かもね」

 

「だといいですねぇ」

 

『うわぁああっ!』

 

 息を殺して私たちの背に現れたのは美奈子であり、その両手に抱えられた鳥籠には私の見知らぬ妖怪、この場合は欧州由来の魔法動物というべきだろう、それを抱えて鼻息荒くは顔を紅潮させながら現れた。

 

「日本の魔法族は恐れられてますからねえ」

 

「どういう事ですか?」

 

 綾瀬が美奈子に質問した。その意味はよく分からなかったが懇切丁寧な説明をしてくれた。

 

「第一第二次世界大戦で日本の魔法族は只人に手を貸して世界に戦争を吹っ掛けましたからね。全世界ですよ? それを何年も持ち堪えた根性と底力、脅威なんですよ。諸外国の魔法省は日本の魔法省に厳重なセキュリティ機関を設置してますし、恐れているんでしょうね。また戦争に参加するなんて事を言いださないかを」

 

 確かにそうだ。何年も世界に傷跡を残した大戦火の片棒を陰陽寮は担いでいる。

 全世界を敵に回して何年も持ちこたえ剰え大国の魔法省に甚大なる被害をもたらした国の魔法族だ。きっと私も同じ立場であったなら避けるだろうし、先祖の行いを悔やみ続けるばかりだろう。

 

「まあ。それでも今は魔法条約に日本も参加してますし。石を投げられるなんて事はないですよ」

 

 美奈子は気持ちの悪い顔で鳥籠に頬ずりをする。本当にこの者は魔法動物のことになると気持ち悪くなる。変態だ。真の変態だ。

 肉欲や食欲、睡眠欲もすべて魔法動物の為に使われている為にこの者は本当に『変態』と呼べるだろう。

 私は両手に持った菓子を胃の中へ片付け、カボチャジュースなるもので流し込む。

 正装は崩してはならないと今更に団扇を片手に持った瞬間に、美奈子の両手の鳥籠が大騒ぎを始めるではないか。

 周囲の魔法動物たちがいきなり騒ぎ出し、一種の混乱がここ一帯で起こっていた。

 

「うっ。うわっ!」

 

 いきなり暴れ出した魔法動物たち、周囲を飛び回っていた妖精たちも私を避けるように逃げ惑う。

 美奈子の鳥籠が飛び跳ねて隣で茶色いトランクを抱えた男性にぶつかり、美奈子が頭を下げた。

 

「すいません。この子たちが暴れたもの……で……」

 

「こちらこそ、すいません。トランクが暴れるモノで」

 

 美奈子はその者を見て言葉を失っているようであった。

 ハッと私はこの騒動の原因に気づいてしまった。

 私のせいだ。正確に言えば私の持つ団扇のせいだ。

 天狗の団扇は妖怪、悪鳥悪獣を退ける力を持ち主の力に応じて自然と放つことが儘ある。

 天狗にとって団扇は象徴であり、その神通力を行使する道具であると同時に我が身を守る結界としての役割も果たしている為に、私がこれを持ったなら魔法動物たちが騒ぐのも頷ける話だった。

 急いでそれを納めれば、魔法動物たちが静かになった。

 

妖精(フェアリー)の鳥籠ですか? しっかり持っておかないと逃げ出しますよ」

 

「……………………」

 

 言葉を失っている様子の美奈子、鳥籠を渡してくる男性の顔を見て固まっていた。

 そして何とか絞り出したように言葉を云った。

 

「にゅ、にゅにゅ、ニュート・スキャマンダーさん!」

 

「は、はい?」

 

「私大ファンなんですよ。読みましたよ『幻の動物とその生息地』! あれは私にとっての聖書だ! サインください」

 

 妙に息荒く騒ぐ美奈子。誰なのかと私は綾瀬に耳打ちした。

 

「ニュート・スキャマンダーって、たぶん魔法動物学の最高権威者だよ。ほらカエルチョコのカードにも乗ってるはず」

 

「そうなのか?」

 

 私は勤勉ではない方で、本の作者など正直な話どうでもいいと言ったところで所詮は常人だ。

 何を成そうと天狗の足元にも及ばない。

 美奈子は嬉しそうに握手をニュートに求めて大興奮だ。これも祭の一幕だ。

 私たちは美奈子の邪魔をしないようにその場を後にした。



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滑稽な恋人

「あ、あそこに行くのだぁ……」

 

「お、おう。そうするか」

 

 私と竜人は腕を組んでたどたどしい恋人の真似事に精を出していた。

 周囲の逢引きずれに馴染むように私が竜人の腕に手を絡めて、体を寄せて出来うるだけの楽しそうにしているのならまだいい。

 これを行う理由を知っている者ならば何とも滑稽な光景だろうか。

 私と竜人の二人が恋人ごっこに尽力しなければならなくなったのは私たちの背後より向けられる、嫉み嫉み(ねたみそねみ)の視線の送り主たち。

 

「竜人様、なんで私よりもあんなちんちくりん天狗娘を選んだのです……」

 

「マイ・フェア・レディ! そのような気障な男に靡くなら僕の熱い抱擁を!」

 

 私と竜人が双方に一方的な思い人が出来てしまっていた。

 私は南米の異国青年、竜人は同郷の同学年の生徒に。

 双方両想いであるのなら良いものの、それが一方的な押し付けがましい片思いならば逃げ出したくもなる。

 そして今、私たちは逃げている最中だった。

 

 

 

 

 

「そこの美女たち、少しよろしいかな!」

 

「ぬ?」

 

 綾瀬と私の二人でヴァルプルギスを巡り初めて三日目の話であった。

 にわかに声を掛けられ私たちは振り向いた先にいたのは何とも珍妙な男だった。

 ギラギラした衣装、わざと悪目立ちを狙っているのではないかと思わせる衣裳で、上半身は裸、股間の当たりを煌びやかなラメ入りの布で覆っていた青年だった。

 背中と頭には絢爛豪華な、孔雀を思わせる飾りがあり、そこそこの伊達男も衣装で台無しにしている。

 浅黒い肌に筋肉質な胸板、彫りの深い顔つきでなかなかの美男子、英雄の彫刻が動き出したかのような顔つきは亜細亜圏の者ではないのは確かであったが、なんで私たちに話しかけてきたのかが分からなかった。

 周囲の魔法使い、魔女を見れば明らかに場違いな衣装の青年が妙な姿勢で私に手を差し伸べた。

 

「なんなのだ?」

 

「僕とサンバを踊らないかい!」

 

「は?」

 

「産婆?」

 

 何とも衣服に相応しい珍妙な態度でそう宣下する青年は私に向かって手を差し伸べてきた。

 真剣な目付きで何とも紳士的な態度で跪いて私の同行を願っているのだろう。

 しかしながら──。

 

「こいつ……綾瀬よ。こいつは変質者なのだ」

 

「え? え? ちょっと、私の後ろに隠れないでよ~」

 

 猫が如く私は機敏に綾瀬の背に隠れて威嚇して、私はこやつを睨みつけた。

 この反応は須らく当然のことである。何せこのような変質者気味た恰好で、『サンバ』なる踊りを共に踊らないかと誘われれば誰しもが警戒しよう。

 何よりこの者の名すら知らない。かどわかしの場である事は既に重々承知な上に、それ以上に可笑しな存在に共に夜道を共にしようなど正気の沙汰ではない。

 故に結論としては一択だ。

 

「断るのだ。第一に貴様は何者なのだ」

 

 ジトっとした目で私はそいつを睨みつけて身を小さく縮こまらせて威嚇する。猫の威嚇方法と全く似ているが私はそんな小動物よりも偉い存在なのは忘れてはならない。

 団扇に手が伸びそうになったが、青年はまたまた珍妙な姿勢で、その名を名乗った。

 

「そうだね! 僕の名前を言っていなかった! 僕はセウ・ガブリエウ・アイルトン・ロビショメン・セナさ! 親しみを込めてセウと呼んでくれ! ブラジルの魔法使いで学生さ!」

 

 何とも爽やかな笑顔で返答するがそれでもその身より溢れ出る言い知れぬ怪しさを払拭するには少々説得力と言うものに欠ける。

 ブラジルの魔法使いで学生と来たら、恐らくだが『カステロブルーショ』の生徒だろうか。

 世界にはいくつかの魔法学校が存在している。

 私たちの通う日本の魔法学校『魔法処』。ウガンダにある『ワガドゥー』。ブラジルの熱帯雨林の奥地に存在する『カステロブルーショ』。フランスのお嬢様魔法学校『ボーバトン魔法アカデミー』。北欧のいずこかにある『ダームストラング専門学校』。アメリカ、マサチューセッツ州のグレイロック山にある『イルヴァーモーニー魔法魔術学校』。そしてイギリスのスコットランドにある『ホグワーツ魔法魔術学校』。代表的なところと言えばこの七校だろう。

 他にも小規模なところで言えば日本の陰陽寮『禁裏預処』や、ローマの『聖アルベルトゥス騎士団』。アメリカの『ミスカトニック大学』などもあるがあそこは正直なところ魔法学校と呼ぶには小規模すぎ実質的に魔法族の寄り合いという側面がある。代表的なのは前者の七校だ。

 そんな七校の内の『カステロブルーショ』だろうか。そうだったとしても、こやつは怪し過ぎる。

 シャンシャンと珍妙な腰の動きで衣服の飾り物を鳴らすセウの奇妙過ぎる動きで、私たちを踊りに誘おうとしているが、怪しさ満点である。

 

「もうすぐ僕の学校が演奏を始めるんだ! 一緒にサンバを踊らないかい! マイ・フェア・レディ!」

 

「え、え、ど、どっちに言ってるんですか」

 

「勿論そちらの背に隠れた少女であるとも! 君も十分に美しくあるが、血の澄み切った芳醇な香りを漂わしているのはその後ろの少女であるとも! お名前をよろしいかな!」

 

 答える気すら起こらないその青年の要望に私はげんなりしてしまう。

 

「どんな提案であろうとも答えは一つなのだ。ノーなのだ」

 

「そんな! 少しでいいんだ。サンバが無理ならせめてチークダンスでも!」

 

「もっと嫌なのだ!」

 

 私は綾瀬の手を取って走り出した。

 しかしながらセウが追いかけてくるではないか。

 

「なんていじらしい子なんだ! 恥ずかしがらなくてもいいんだ! 僕たちの情熱の夜はまだまだ始まったばかりなんだから!」

 

「しつこいのだああああああああ! 貴様あああああああ!」

 

「待ってくれ! マイ・フェア・レディ!」

 

 夜も更け再開されたヴァルプルギスの夜に私は逃げ回っていた。

 後ろに続くのは浅黒い肌で鼻高い奇人セウなのだから逃げ回って当然だろう。

 春の雲一つない夜に私は見初められたようだった。

 テントの角を縫いながら私は綾瀬を引っ張り回す様に走り回った。

 何とかセウを撒けたと判断して息せき切らせて地面に二人で座り込んでしまった。

 恐らくセウに捕まればサンバなるものを踊らされることになるのは目に見えている、その踊りが一体どんなものなのかも知らない。サンバ、サンバ、一体何なのだサンバとは。

 

「はァはァ……何してんだおめえ」

 

 テントの陰に隠れた私はビクつきながら声を掛けてきた者を見た。

 息せき切らせた竜人だった。軽装の鎧に半着が袖より見えていて、何とも凛々しいく近寄りがたいその姿に行き交う魔女たちは遠目よりため息を付いていた。

 ヴァルプルギスが始まって以降、魔女界隈では少々有名人になりつつある竜人。

 見た目も良し、家系も良し、職もよし、ここまで優良な人物とくれば婚姻希望の魔女の集い『美魔女クラブ』なるところでは『東方の貴公子』と呼び名が決まったそうだ。

 竜人も息せき切らせてしきりに周囲を気にして落ち着かない様子であった。

 

「竜人も逃げて来たのか?」

 

「はァはァ……ああ、そうだ。お前は」

 

「妙なのが逢引き目的で言いよって来て仕方がなかったのだ」

 

「妙なの?」

 

「あれなのだ……」

 

 セウに気づかれないように顔を覗かせて指さした。

 

「どこへ行ったんだい! マイ・フェア・レディ!」

 

 ギラギラ姿のセウが必死になって私を探して大声であちこち走り回っているではないか。

 

「ありゃぁ。郭公の類だな」

 

 要は狂人の類だ。確かにあの姿では郭公と同じと思われても仕方が無かろう。

 どさっと腰を下ろした、竜人が息をついて疲れ切った様子でため息を付いた。

 

「スゴイ疲れてるね。安部君」

 

「そりゃあ疲れるよ。すまねえ」

 

 汗をかいてバテバテの竜人を綾瀬は労いながら、汗を拭う為にハンカチを渡す。

 竜人はそれを受け取って汗を拭いて、ようやく一息つけると言った様子だった。おそらく美魔女クラブに追い回され、ケツに火が付いているのだろう。

 見合いの場である。日本人の義を重んじる性格が災いし、一人一人丁寧に断りを入れていれば寧ろ好感は上がっていくばかりでたった三日で、ヴァルプルギスに参加した魔女たちの人気はうなぎ上りだ。

 

「くそが、やってられっか。祭もくそもねえじゃねえか」

 

「そう愚痴るでない。女子(おなご)に好かれるとは男冥利に尽きるではないか」

 

「別に魔女どもに好かれようとどうでもいい。男としちゃあ願ったり叶ったりだが、藤原がなぁ……」

 

 竜人が指さした方向にその者がいた。

 

「竜人様! いずこにおられるのですか!」

 

 それは同学年の学友、私綾瀬を除いて唯一の女子学生。藤原薫が十二単姿で竜人を必死になって探しているではないか。

 彼女は陰陽寮の出自で家名は由緒正しい事で有名だ。何せ彼女のご先祖様は、藤原香子、即ち『紫式部』の直系に当たる家系なのだ。

 

「分けわかんねえこと言いやがって。何が数百年の時を超えたロマンスだ。晴明が紫式部に術を仕込んだなんて眉唾もいいとこだ」

 

 巷の噂ではあるが、安倍晴明は宮中に仕えていた頃に紫式部に陰陽術を手ずから教えたと言う噂話がまことしやかに囁かれている。

 そう言った記述の資料があったわけでも、伝承もあったわけではない。

 あるのは只一つ、彼らが宮中に仕えていた時期がほんの少しだけ重なっていたと言うだけの話だ。

 少女の紫式部、八十にもなる老人の安倍晴明。そんなこんなで噂話に尾ひれがついていると言うだけの話なのだが、藤原薫は少々違う様であった。

 入学当初から竜人と私は、数百年を越えた恋物語の中にいると言い何度も言いよって仲睦まじく成ろうと、あわよくば睦言を交わせる間柄になろうとあらゆる手段を取ってきている。

 去年の一幕で彼女が送った手作り菓子の中に手製の惚れ薬を仕込み、それが変に作用して強烈なひきつけを起こす薬となり竜人が石の如くなった事件は今も思い出して面白い。

 私は面白いが、それ以来竜人は薫を煙たく思っているのだろう、表立って避けてはいないが避けている風ではあった。

 

「あの野郎、今度は飲み物に惚れ薬ぶち込んできやがった。危うく呑むとこだった……」

 

 状況はなんとなく見える。

 一席一席断わりを入れて疲れ果てた竜人の元に薫が労いと称して飲料水を持ち込んだのだろう。その飲料水は惚れ薬入り、匂いか何かに勘づいたのか逃げてきたのだろう。

 

「主も大変だな……」

 

「おめえもな……」

 

 私たちは疲れ切っていた。何故にあのようなモノたちに追い回されなければならぬのか。

 只の祭とはまた違う。生き急ぐとはまさにこの事だ。

 我々の人生とて長いのだ。ともに連れ添う伴侶は慎重に決めなければ。

 

「ねぇ、ちょっといい?」

 

「ん? どうしたんだ綾瀬」

 

「私ね。この後少し予定があるんだ」

 

「予定?」

 

 私は首を捻て何の事かと思う。修学旅行の主目的はヴァルプルギスの夜の参列だ。

 そしてヴァルプルギスの夜は自由行動が認められているために予定という予定はないはずだが。

 

「白虎煉丹のリハか?」

 

 竜人はそう言った。

『白虎煉丹』、魔法処の学生倶楽部の一つでいわば軽音クラブと言えばいいのか。歌舞伎に能、舞、琴に琵琶に、フルート、バイオリン、ギターにドラムにと何でもありの音楽倶楽部だ。

 魔法界でも音楽を尊ぶ文化はある。世界的に有名な『セイレーン』の名を思いのままにしているセレスティナ・ワーベックや妖女シスターズなどがいる。

 戦中派の壬生鴉だって応援団としてバンドを組んでいる連中は要るし、魔法処で音楽を楽しんでいる者たちと言えば白虎煉丹が最もだろう。

 綾瀬はその白虎煉丹に所属しており、舞の担当だ。

 何でもヴァルプルギスで作詞作曲、演出のすべてを学生が作ったモノを披露すると噂されている。

 よくよく思えばセウの学校がそろそろ演奏を開始する頃だろうか。

 

「うん。最終日に演奏する予定だから練習を詰めたいって昨日言われたの」

 

 遠くで太鼓や管楽器の音階が高らかに鳴らされ喧騒が聞えてきた。

 セウの学校が演奏を始めたのだろうか。綾瀬は急いだようにその場を離れた。

 私は竜人と二人っきりにされため息を付いたときに、最悪のタイミングで例の二人が同時に私たちを見つけたではないか。

 

「見つけたよ! マイ・フェア・レディ!」

 

「見つけましたわ! 竜人様!」

 

 セウと薫が私たちを挟むようにしてにじり寄ってくる。

 それはまるで怪物の様相であり、私たちを取って食べる気であるのは見え見えであった。

 逃げる手立ては見当たらない。どうすればいい、どうすればいい。

 そんな中でひどく冴えた、いや、酷く馬鹿げた方法が私の頭の中で思いついた。

 隣に立って薫から後ずさる竜人の手を取って、引きつった笑い顔で私は出来る限りの楽しげな声を出して見せた。

 

「さ、探したのだ竜人! まったく、私と言うものがいながら何故に他の者にうつつを抜かしておるのだ」

 

「は? ──え?」

 

 腕を絡めて私が苦々しい笑顔に一瞬何の事かとそんな顔を浮かべたがすぐに意味を察知した竜人は私に合わせるように言った。

 

「お、おう。俺も探してたんだ。全くお前はちっさいなぁ」

 

 この者は全く、その言葉の棒読みたるや殴りつけてやりたいぐらいの白々しさで、私はセウや薫からは見えないように竜人の腿を抓り上げてる。

 痛みの声を噛み殺し、引きつり笑顔の竜人。

 最低最悪の思い付きだ。こんな事ならヴァルプルギスに参列などしなければよかったと悔いるが後の祭りとはまさにこの事。

 こうして私たちはヴァルプルギスの夜の間、張りぼて、虚像の張子虎の行いを行う事をその視線で締結した。

 嗚呼、楽しい楽しい『恋人ごっこ』の始まりだった。



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マローダーズ

 一週間も経てばいくら祭と言えどダレてくるのが人の性だろうか。

 ヴァルプルギスに参加しだして既に見て回り飽きてきていた。背後の強烈な気配二つを常に警戒し過ぎているのもあるが、疲れてきた。

 

「疲れたのだ」

 

 恋人を装うなどという慣れない事をすれば疲れ果てても仕方なしだろう。

 私は露店の椅子でとろけてしまいそうになりながら片手にバタービールなる飲み物片手に浅く座り、ため息を付いた。

 隣に竜人も似た様子であり、薫の視線も最早恐怖しているのだろう。柄でもなくビクビクしている様子であった。

 

「ああ、俺もだ。協定合意したのはいいが、なんつう事思いついてくれたんだ」

 

 いちいち腕を絡めるのも疲れてきて、今では手を繋ぐ程度だ。

 本来はそれもしたくはないのだが、それをしていなければセウや薫が背後より急接近してくるではないか。致し方なく私たちは手を繋いで様々なところを逃げ惑い彷徨い歩いている。

 しかし余計なものがケツに着いて来ていると楽しい事も心から楽しむことが出来ずにただチラリとしか見て回ってしまうのが現状で本当ならもっとしっかり見て回りたいのだ。

 どうしたものかと頭を抱える私たちを尻目に楽しみ歩く魔女魔法使いたちが羨ましい。

 

「これではヴァルプルギスを真に楽しめないのだ! どうにかせねばならぬ!」

 

 私は立ち上がって宣言するが竜人はもうその気力もないのか、うな垂れた様子であった。

 

「お前はいいよな、外人で。俺と来たら、ふふッ……同じクラスのやつだぞ。学校に行くたびに逃げ回らねえといけねえ」

 

 遂に頭を抱えだした竜人を私は熱心に慰める。

 

「気を確かに持つのだ。まだまだ時間はある! 連中の気を逸らす方法を共に考えるのだ」

 

 バタービールを地面に置いて、竜人に向き合って膝を揺すって見るが、どうしたものか案の一つも浮かんでこない。

 修学旅行もこれではあったものではない。愛の逃避行──いや、愛からの逃避行だ。

 どれだけ慰めようと変わらない竜人。これは時間が必要だと、地面に置いたバタービールを取ろうと手を伸ばせば、そこには何もありはしなかった。

 はてどういう事だろうか、私は確かに地面にバタービールを置いて竜人を慰めていたが、蹴り倒したなど不作法な事をすることはなかった筈だ。

 地面はビールの濡れた跡はなく、カップも忽然と消えているではないか。

 どこだ。どこへ行ったと、周囲を見渡すと珍妙な光景があった。

 

「…………?」

 

 人混みの中でふわふわと浮かぶカップがあり、その中にはちゃぷちゃぷと飲みかけのバタービールが波打っているではないか。独りでに浮かぶバタービールは私より遠く離れ、人混みを避けるように遠くに向かって行く。

 ポカンと私はそれを見て、私の反応に気づいたのか似たように竜人もそれを見てポカンとしていた。

 

「バタービールが飛んでいるのだ……」

 

「ああ……飛んでるな……」

 

 馬鹿みたいな会話をする私たちにハッと現実に引き戻されたのか竜人が立ち上がった。

 

「いや、あれ置き引きだろ! 追うぞ!」

 

 竜人もテーブルに置いたビールが消えていることに気づいたのか。立ち上がってそう言った。

 私たちが立ち上がってカップを追って走り出す。

 するとそれに気が付いたのか。カップも同じような速度で動き出すではないか。

 激しく揺れるバタービール。私は目を凝らせば、何やら妙な気配がそれより立ち上っているではないか。

 間違いなく人の気配、しかし何やらに隠匿されているような気配だった。

 

「何やら妙なのがあれを奪って言ったようなのだ!」

 

「妙なの? もっと具体的に云え!」

 

 私たちはそれを追いながら話し合った。

 

「何かで姿を消している者が我らがモノを盗んだのだ! ひらひらとした布のようなものが感じられる!」

 

「てことは……透明マントか!」

 

 竜人がそう言い呪符を手に取って言った。

 

「お前思いっきり風吹かせろ! 俺も手助けする!」

 

「了解なのだ!」

 

 私は羽根を広げて、団扇を抜いた。

 人の肩を足場に飛びあがった私はそれを見下ろす様にして宣言する。

 

「不届きな輩よ! 我よりモノを盗もうなど千年、いやそれ以上早いのだ!」

 

 団扇を振った瞬間、猛烈な突風が辺り一帯を吹き撫でた。

 バタバタと強烈な風に煽られるテントたちに帽子が飛ばぬように、魔女魔法使いたちが頭を押さえてその場に固まった。塵も枯れ木も大樹の灰もすべてが舞い上がって辻風となり一体に混乱が起こった。

 天狗に仇なす輩にはキツイお灸が必要なようだ。

 バタービールもその場で動きが止まり、その場に縫い付けられたようであった。

 

「よくやった! 石槌!」

 

 竜人が呪符を掲げて、術を発動させた。

 私の起こした突風を上へ舞い上がらせるように制御して、遂にその者の姿を露わにした。

 丸い眼鏡を掛けた青年だった。綺麗なドレスローブに身を包んで、驚いたようにこちらを見上げていた。

 私はその者に向かって急降下して、馬乗りになって取り押さえた。

 

「御縄に付かぬか! この不届き者め!」

 

「く、放せ! 放せよ! 何だよ飲み物くらいで!」

 

「くらいも何もないのだ! 人のモノを取ってはいけないと教わらなかったのか馬鹿者が!」

 

 ジタバタと私の下で暴れる青年にどこからともなく三人の取り巻き達の青年が駆け寄り、私を引き剥がそうと、腕を取って引っ張ってくるではないか。

 

「放せこのガキ! おい! ムーニー! そっちの手持て!」

 

「わかってる! ワームテール、お前も手伝え!」

 

「わ、わかったよ!」

 

 必死になって青年から私を引き剥がそうとするが、私の足は蟹の爪が如く強力に青年を挟んで離さなかった。男四人掛りで私を引きはそうとする輩に、竜人が殴り掛かった。

 

「俺のクラスメイトに何しやがんだ!」

 

 ムーニーと呼ばれた青年の顎にもろに拳が入り、崩れ落ちる。

 そこからは最早乱闘であった。私を引き剥がそうとしていた黒髪の青年と小柄なぼさぼさ髪の青年が竜人と取っ組み合いの喧嘩を始めて、私は馬乗りになった青年を力いっぱいぺちぺちと顔を叩いた。

 罵声に怒声。言えるだけの悪態をついて私たちは醜い争いに必死であった。

 もうバタービールなんてどうでもいい。ただ私たちはこやつらを懲らしめることに必死になっていた。

 

「手助けするよ! マイ・フェア・レディ!」

 

 そう言いセウが小柄の青年の顔面に蹴りを入れて助太刀に入った。

 何とも言い難き心境だ。あれだけ煙たがっていた男だが、こんな時には心強い戦友だ。

 竜人は正装の鎧が功を奏したのか、腹への攻撃という攻撃が防がれ、六波羅局仕込みの護身術で黒髪の青年をボコボコにしている。セウは何とも言い難く、小柄な青年と奇怪な面持ちで睨み合い固まっていた。

 そんな中でようやくそれに気づいたのか。大人たちが止めに入ってきた。

 

「やめろ、やめないか!」

 

「石槌さん! やめなさい!」

 

 見知らぬ初老の男が青年らを宥めて、美奈子が私を背負い上げて取り押さえた。

 

「放せ! 放さぬか美奈子。この不敬ものに灸を据えねば腹の虫が治まらん!」

 

「やりすぎですよ! もう! ここは日本じゃないんですよ!」

 

 尻を叩かれ私は恥ずかしさからしょぼくれてしまう。

 青年らは初老の男にこっぴどく怒られている様子であった。

 そんな中でカカカっと笑い声を上げてきた者がいた。団芝三だった。

 

「お互い大変なようだな。ダンブルドア教授」

 

「ん? おお、団芝三か!」

 

 二人は仲睦まじく抱擁を交わして出会いを喜び合っているではないか。

 未だに竜人と黒髪の青年は額を突き合わせて睨み合いを続けて、それを止める少しふくよかな男性。

 後に判ったのだが、彼らはホグワーツの生徒であった。

 

 

 

 

 

 小一時間私たちは正座をして団芝三から説教を受けて、互いに謝罪の場を設けることになった。

 学生同士のいざこざだ。原因の食い違いなどが目に見えているが、しかし──。

 

「いや、すまなんだ。団芝三。この者たちは少々悪戯が過ぎる所があってな話を聞けば、この者たちが君の所の者たちから置き引きをした様でな」

 

 素直に彼らが話したのか。首から『私たちは今罰を受けています』という看板を掲げていた。

 

「こちらこそ済まない。私の方からもキツク言っておく故、これにて事を荒立てないようにしようではないか」

 

 大らかにそう言い場を和まそうとするが私はその者たちを威嚇して美奈子に無理やり頭を押さえられ、頭を下げさせられる。

 事を言うとセウはいつの間にやらどこぞに逐電して姿をくらまして正体不明者と言う事で片が付いていた。

 

「双方大変よのう。学生の相手は」

 

「そうだな。大変よ」

 

 二人はさも愉快と言わんばかりに笑い声をあげて笑っていた。

 面識があるのだろうか、団芝三とダンブルドアと呼ばれた初老の男は仲睦まじそうに握手を交わしているではないか。

 向かい合って座っている私たち、青年らは不貞腐れてか、反省の色は一切見えないどこ吹く風の顔であった。

 

「反省しなさい!」

 

 まだまだ若い彼らのホグワーツの女性教師が黒髪の二人の頭を押さえて頭を下げさせた。

 

「待ってくださいよマダム。俺らの方がボコボコなんですけど」

 

 丸眼鏡の青年がその女性教師に反論した。ところがそれは藪蛇もいいとこで烈火の如く怒り上げられる。

 

「原因を作ったのは貴方たちでしょう。大体ここはホグワーツではないのです。貴方たちの勝手は、グリフィンドールの名前だけでなく洩れなくホグワーツの名前を汚すことになるのですよ!」

 

「まあまあ、こっちも暴力で解決しようとした罰もありますし、喧嘩両成敗ってことで」

 

 見かねた美奈子が割って入り私と竜人の頭を下げさせた。

 私とは心裡で悪いのはあいつ等だと言い正当化する。しかし確かに暴力で解決はいけなかった。

 団芝三とダンブルドア教授が知り合いであった為に痛み分けと言う事で物事が運んでいた。

 どういった知り合いなのか少々気になるが彼ら青年団はもう謝ったと言った様子で唇を尖らせてそそくさと退散していく。

 

「ポッター今度は何したんだよ!」

 

「カボチャジュース盗んだらボコボコにされた……」

 

「柄でもねえな。ブラックは顔が腫れ上げてる」

 

「……うるせぇ」

 

「頭がフラフラする……」

 

「ルーピンは顎にもろに食らってたからな」

 

 何とも和気藹々と例の四人組は人混みの中に消えていった。

 

「今回は大変申し訳ありませんでした。私はミネルバ・マクゴナガル。同じ教員同士、何かこの夜の困りごとがあれば協力させてください」

 

 そう言ったホグワーツの教員が美奈子に握手を求めて手を出していた。

 美奈子もそれを断る筈もなく、快く手を取って握手を交わしていた。何とも私と竜人は居心地が悪い。

 あの乱闘である意味で目立った私たちは、様々な者たちからの注目も的だった。

 特に同年代の学生からの悪目立ちしている。

 謝罪の場で設けられた『ホロ衣カフェ』という大テントに設けられたカフェテラスにはそこに着席している私たちを囲むようにホグワーツ生徒や魔法処の生徒が群がっている。

 端々を見ればそれ以外も数多くいて、乱闘の原因を訊こうとワクワクしている様子であった。

 私と竜人はとにかく機嫌が悪く、眉間に皺を寄せながらその場から離れた。

 

「竜人様! 大丈夫ですか!?」

 

「げっ……」

 

 いち早く駆け寄ってくる薫に露骨に嫌な顔をする竜人が私の体を楯にするように前に出して、薫を避ける。薫も薫で私がいると察したのか煙たそうな顔をしてどこかへ消えていった。

 

「私は蚊取り線香ではないのだ……!」

 

「俺達の協定合意だ」

 

 セウはどこぞに消えて、姿を現さないが私はそれで安心だ。

 そんな中に私たちに話しかけてくる者がいた。

 

「あの、今いい?」

 

「あ”!」

 

 大人げなく声を荒げて威圧顔で応答する竜人を私は宥めた。

 話しかけてきたのは僅かに髪の毛が赤い、明るい瞳をした少女だった。

 見た事もない少女は竜人の声に少し怯えた様子であったが、私が替わりに前に出て話を変わる。

 

「どうしたのだ?」

 

「ジェームズが天使(エンジェル)様に悪さしたって訊いたから、神罰が下る前に替わりに謝っておきたくて」

 

「じぇーむず?」

 

 人物名だろうか、一体誰の事を言っているのだろうか。

 話の文脈からジェームズなるものは例の四人組だと思われるが誰を指し示しているのか分からなかった。

 

「あの四人組の事を言っているのか? どいつの事だ?」

 

「丸眼鏡を掛けた男の子。ジェームズ・ポッターっていうの」

 

「なんとも不届きな者たちだ。ホグワーツは教育がなっておらん」

 

 私は腕を組んで怒っている風に装って、その者の反応を見た。

 心底彼を心配しているような感じで、私の前に今にも跪かんばかりに手を組んで祈ってくるようであった。

 天使(エンジェル)様など。そんなチャチなものでは私はない、天下不遜の大天狗の娘だ。

 神の使いなど、恐るるに足らず我こそ天なる者だ。

 しかし少女の心底神罰に怯える様子に私は少々図に乗ってしまい、鼻笑いでその願いをワザとらしく笑い飛ばした。

 

「ふん! あの者たちに神罰を与えてはならぬのか?」

 

「お願いします。マローダーズは確かに悪戯が過ぎますが、悪人たちではないんです」

 

 必死の少女に私が得意気に胸を逸らして鼻高天狗になっていると、竜人が頭に拳骨を落とした。

 

「いたぁあ!」

 

「調子に乗るな。──気にすんな。神罰もくそもねえ。こいつは天使ですらねえんだから」

 

「え? でも羽根が」

 

「ただの絶滅危惧種のクソ天狗だ。貴重な馬鹿野郎だ」

 

「バカだのクソだの一体誰に言っておるのだ! 不敬にもほどがあるぞクソ狐!」

 

「それは俺のご先祖様を馬鹿にしてんのか? 天狗娘!」

 

 私たちはいがみ合い額を突き合わせて睨み合う。この者はいったい何様のつもりで私に口を利いている。第一にここまで大きく騒ぎを起こしたのは竜人が丸眼鏡で無い方の黒髪をボコボコにしたのが原因だ。

 大層彼も顔を赤く腫らしていた。やりすぎだ。

 

「あ、あのそんなに言い争っちゃだめですよ」

 

「あ? と言うかお前だいたい誰だよ。あのバカ共の代わりだ? 神様はてめえの頭を下げてこそ意味のある存在だ」

 

「この者に当たるでない。馬鹿者! ──大丈夫か。この者は少々気が立っておる。関わらぬが吉なのだ」

 

「ありがとう」

 

 捻て竜人は勝手にどっかに行ってしまった。恋人ごっこ協定もこれで決裂だろう。

 ほとほと嫌気が差していた頃合だった。

 

「ふぅ……迷惑を掛けたのだ。うぬ、名をなんと申すのだ?」

 

「私はリリー。リリー・エバンズです。ホグワーツの三年生です」

 

「そうか! 私は魔法処の出身だ! 家名を石槌、名を撫子と申す。石槌山法起坊の石槌空大の娘にして六代目天狗なのだ!」

 

「そうなんですね。天使(エンジェル)様」

 

 リリーには私がどうしても天狗ではなく天使(エンジェル)なのだろう。不動の意味に頭を白黒させるが、それはそれだ。

 私は彼女と握手を交わして、初めて異国の友を得たのだった。



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不穏な報せ

「お互い大変な立場になったものだな」

 

「左様。若人に己の背を見せ行く末を指し示すとは難儀である」

 

 団芝三とダンブルドアは苦々しく笑って、互いに向き合って酒を酌み交わしていた。

『ホロ衣カフェ』にて提供される悪魔の血を由来とするエル・ディアブロなるカクテルに舌鼓を打っていた。ピリリと引き締まるような辛口な舌触りに眼も冴えてくるようであった。

 

「あの者たちは大変元気だな。若人の活力にはもう付いて行けぬわ」

 

 カカカっと笑った団芝三はくいッと一息に飲み干してもう一杯頼んだ。

 ダンブルドアも恥を知られたと言わんばかりに頭を掻いた。

 

「いやいや、あの者たち『マローダーズ』と呼ばれる悪戯集団でな。悩みあぐねているのだ」

 

「悪戯が出来るだけの元気があればそれだけでよろしい。大人は黙ってその悪戯を受けるが幸せだ」

 

「笑わせてもらっておるよ」

 

 互いににこやかに雑談や苦労話、互いに『校長』という重圧に押しつぶされんと愚痴、困りごとを話し合っていたが、不意に団芝三が真剣な目になった。

 

「この間はすまぬの」

 

「この間?」

 

 声を静かに言った。

 

「分霊箱の件だ」

 

「なんとも忌々しい話じゃ。あのようなモノこの世に生まれてはならない」

 

「同意する。それが同胞の恥となれば悔い入るばかりだ」

 

「調べるのに骨を折ったぞ。禁書の棚を一から(さら)わねばならなんだ」

 

「発狂者でも出たか?」

 

「バカを云うでない。気の触れるような魔術書を置く訳なかろう」

 

 そう言うダンブルドアに団芝三は心裡で魔法処では置いてしまっている自身に嘲り笑いを浴びせかけた。見るだけで発狂するとはまさしく禁書。その内容も禁術に値するモノばかり。

 となれば管理者も聖人君主が求められるが、そんな本を読んでまともにいられる人間など早々いるモノではない。

 現に魔法処のしゃこの図書館『禁書の棚の管理者』である田路村郭公はまともであったがあそこを管理し始めてひと月も掛らずに発狂した。

 手の付けれる発狂の仕方であったためによかったが、人は禁忌に触れると逃げるか、壊れるかの二択しか残されない。

 

「わが校も、禁書の棚を焚書とするかのう……」

 

「なに? 魔法処では置いておるのか?」

 

「妙な収集癖のある教諭がいてな。ミスカトニックからの紛失書をどこぞより集めてきている」

 

「危ない輩だな」

 

「確かにな。しかし禁術とて知識の一つ、善に利用すればそれとなり、悪に利用すれば悪になろう。物は使いようだ」

 

 スッと団芝三は紙を差し出した。羊皮紙に記された内容は昨年の騒動の物品、『殺生石』を砕く術が書きするされたモノだった。日本魔法省で極秘中の極秘とされるモノだが、どこぞよりちょろまかした団芝三はダンブルドアに差し出した。

 

「主も何を考えておる。古今東西ありとあらゆる物質を砕く術などありはしなかろう」

 

「どうしても必要になるかもしれない。あの者に悟られぬように、団芝三、お主を頼ったのだ」

 

 団芝三とダンブルドアの付き合いはそれほど長いとは言えない。

 出会いは、一九〇〇年の初頭の国際錬金術会議でダンブルドアがまだ校長ではなく教諭だった頃に出会った。団芝三は既に校長であったが、ダンブルドアの言い知れぬ気配に狸の血が騒ぎ引き寄せられて交友が始まった。

 それ以来何事と様々な相談事に乗り、互いの悩みを話し合う中になっていた。

 そして1971年3月にダンブルドアもホグワーツ校長という立場に晴れて相なる事となり、互いに同じ立場に立ったのだ。

 懇意しているが、しかし今はどこか二人とも共に互いの腹の内を探り合っている様子だった。

 

「いやはや、やはりこのようなジュースでは腹を割って話せぬ」

 

 そう言い団芝三は懐から一升瓶を取り出して、ダンブルドアのタンブラーに諒解も遠慮もなく酒を注いだ。この酒は団芝三が天狗の里より秘密裏に手に入れた秘蔵の酒『天狗ころし』だ。

 典型的な日本酒でガツンと来る酒の香りで互いの腹を割るにはこれと、天狗煙草がなければならない。

 

「ぬぅう……こいつはキツイ、しかし旨いな」

 

「そうだろう。私の秘蔵の酒の一つだ」

 

 自慢げにグイっとそれを一飲みで飲み干して赤ら顔で酒気を帯びた呼気を吐き、リラックスしたようにその頭に耳が生え、尻尾も尾てい骨から生え伸び、目の周りに隈の如く黒々とした色が強くなる団芝三。

 

「化け術が解けておるぞ」

 

「構わぬさ。こうでもせぬと、主も話す気にならなかろう?」

 

 完全に腹を見せて何でも話せと言った様子の団芝三に観念したようにダンブルドアが心裡で秘めて隠した秘密を吐露し始めた。

 

「これを欲したのは、『賢者の石』を砕く方法を探しているからだ」

 

「……砕く前提で話しておるのか? それはフラメルの命を奪うことになるのだぞ」

 

 険しい顔で言ったダンブルドアに団芝三も真剣な様子で請け合った。

『賢者の石』、伝説の錬金物質。完全の物質でありあらゆる方法を持っても砕く方法は在りはしない。

 鉛を黄金に変え、泥水を命の水と呼ばれる寿命を延ばす水へと変える力を持っている。完全であり絶対の物質はこの世の後あらゆる法則に囚われず、あるのは『賢者の石』という絶対の法則。

 二人の共通の友人である二コラ・フラメルがどうやってかこの物質を錬金せしめたのか知りたいくらいだが、この世の法則にないを砕く方法は未だにない。

 ならば、それを砕く術を探すのは至難のは技だ。ダンブルドアもそれを砕くことは友人を殺す事になるのは百も承知のはずだが、何をとち狂ってか砕こうとしている。

 

「正気か。ダンブルドア」

 

「当然だ。至極真っ当で冴えている」

 

「…………ふむ」

 

 僅かな沈黙で答えた団芝三は腕を組んで考えた。

 この男は急に狂うことなどあり得るのか、友の命とその場の発想を天秤に掛けるほど危うい考えを持っているなどあり得るのだろうか。

 否──断じて否。

 それこの問答にて全てを察した団芝三が二人の声を周囲から遮断する魔法を掛けた。

 本当ならば団芝三は魔法どころか杖すら所有することを魔法省から認められていないが、しかしそんな事は化け狸には知った事ではない。

 杖に見えぬようにステッキと加工した大きな杖を地面に突き、魔法は正常に作用した。

 

「これにて話す事が出来よう」

 

「済まぬな──。さてどこから話すべきか……」

 

 考えあぐねているようなダンブルドアが話し出す。

 

「今、ヨーロッパ全土の魔法界を揺るがす惨事が起きているのは知っているか」

 

「主が捕まえたグリンデルバルドの残党どもの過激な行動の事か?」

 

「それもあるが本題はそちらではない。腕を失礼」

 

 ダンブルドアが両手を出してくれと言うので団芝三は両手を出した。袖を捲りそのまっさらな腕を見せれば安心したように息を付いたダンブルドア。

 

「良かった。お主なら連中に加担することはないと信じておった」

 

「誰の事だ?」

 

「『死喰い人(デス・イーター)』と呼ばれる者たちを知っているか?」

 

「知らぬが何者だ?」

 

「良からぬ輩だ。闇の魔術に傾倒した過激な純血主義の者たちで構成された集団で、近年に入ってその活動が報告され出した。私も魔法省の要請で調査をしているが、足取りが見えぬでな」

 

「ふむ……。過激な純血主義……か」

 

 思い合ったる節はあった。何を隠そう、去年の『殺生石』の案件だ。

 純血主義を掲げる生徒を唆した輩。緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)がまさにそれではないか。

 しかしこの事は日本魔法省、強く言うのなら陰陽寮より強く口止めされている。

 この事を話してしまわぬように、唐笠連判状を団芝三のみならず、あの場にいた全員に結ばせる徹底ぶりであり、石槌撫子、安部竜人、山本綾瀬もその例に洩れず連判状という名の呪詛に縛られている。

 団芝三は話す事が出来ない。厳密には出来るがやろうとした瞬間にこの場で死ぬことで何かしらの不審な点をダンブルドアに与えることになる。

 どう説明すべきかと悩んで、傘の絵を空にステッキで書いた。

 

「済まぬな、話せぬ事もある。しかしながら我らとて手をただ拱いている訳には行くまい。──その死喰い人(デス・イーター)の目的は純血至上主義と言う事で良いのか?」

 

「ああ。マグルの前でも見境なしだ。これまでの事件はすべて忘却術で事が済んで居るが、このままでは魔法省だけでは手に負えなくなる」

 

「魔法省とて馬鹿の集まりではなかろう。聞く限りでは欧州圏だけの話だろう。何も亜細亜の辺鄙の我らに協力を仰ぐものでもないモノと思うがなぁ」

 

「──分霊箱じゃ」

 

 目を細めてこれまた面倒なことになったとため息を付いた団芝三。

 

「規模は?」

 

「首領の者だけと思われるが、相当数と思ってくれて構わない」

 

「相当数なると。三つか……?」

 

「それ以上と考えた方がいい」

 

 眼を剥いた団芝三は驚愕した、声を周囲から遮断する魔法を掛けていて良かった。

 声を上げていた。

 

「バカなことを言うでない! その者は無間地獄へと堕ちるのだぞ。魔法族がそれを知らぬわけなかろうが!」

 

「確かにな……しかしこちらの冥界とそちらの冥界が共通している保証はない。恐れを知らぬゆえにそのような凶行を行える。死の先は死してこそ見れるものなのだからな」

 

 冥界、地獄、黄泉のあの世は無論存在している。

 英国の魔法省の神秘部という部署はあの世へ通ずる門を管理しているそうだが、その先に足を踏み入れた者は悉く再度それを潜り戻ってくることはなかったそうだ。

 人間の持つ霊的信仰心(アニミズム)が死を嫌悪する限り、死後の世界は安寧を求めるのは当然であるが進んでその安寧を捨てるものなどいようものか。

 もっと言うのなら、この世こそ地獄のそれに留まることがそれだけの決断か。想像するだけでも恐ろしい。

 分霊箱を三つ以上。

 人間性は確実に失われるのは確かだろう。魂と人間性は人間を形作る上で何よりも大切な人間の面であり、それを削るとは即ち人間ですらなくなってしまう事だ。

 人間でなくして何が出来よう。それは化け物だ。

 化け物は須らく悪道へと堕ちて、地獄の業火がその身に宿り苦痛と絶望、確実な破滅と狂気がその身を蝕んでいく事だろう。

 それを平然とやってのけるなど──ゾッとしない話だ。

 

「故に、か? 完全物質を砕ければ、分霊箱も砕ける。そう踏んだのだな」

 

「そう言う事だ」

 

「そうなれば、事態は一層深刻になったな。魔法省はその者たちの棟梁の目測は付いておるのか」

 

「一切、尻尾も掴んでおらん」

 

「魔法界だけの話ではなくなるな……まさしくこの世界の話となるだろう」

 

 人間性の崩壊は即ち規則の縛りより外れることになる。罪悪感の喪失と言ってもいい。

 ストッパーがなくなった人間ほど手の付けられないモノはいないだろう。罪悪感がないのだから欲することに歯止めがない、どこまでもあらゆる物を欲して力ずくで手に入れるだろう。

 人間の欲程際限の無いモノはない。物体しかり、人心しかり、──世界しかり。

 小さな世界、国や星と言った枠組みの話ではない。この宇宙全土も世界に含まれるだろう。

 魔法神智学協会の見解ではこの地球の魔法法則と宇宙の魔法法則は違うと言うではないか。となればその者の欲の際限は天井知らずだろう。

 恐ろしい限りだ。

 

「我らも共にその者の尾を掴めれば良いのだが……」

 

 団芝三は無念と言った様子で唸り、天狗ころしをタンブラーに注ぎ直し、飲み直した。

 

「日本の情勢それで無理なのは百も承知だ。故にこれだけでも受け取れ打だけでも貢献しているさ」

 

 ダンブルドアは聡明でいて察しもいい。それ故に私に相談してきたのだろう。

 いま日本の魔法界は崩壊寸前の薄氷の上だ。

 ただでさえ魔法省と陰陽寮の対立で微妙な情勢だったのが、緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)が常人も只人も関係なく魔法省へ政治的、物理的に攻撃を仕掛けている。

 魔法族が只人社会へ明るみに出ていない事が今の日本魔法省の何よりもの魔法界の貢献だろう。

 魔法省と陰陽寮の緩衝材の役割を果たしている六波羅局とていつ潰れてもおかしくない立場だ。日本魔法省と陰陽寮がぶつかれば、それこそ我ら『日本の魔法族』は死に絶え、確実に知性の持つ妖怪たちもその煽りを受けるのは確実だ。

 それだけは避けなければならない。それが、私が団芝三の、『団三郎芝右衛門太三郎(だんさぶろうしばえもんたたさぶろう)』が化け狸界隈の棟梁としての責務だ。

 

「いと悔しきかな。眼前の蟻にばかり目を向けて、視界の先の猛虎に気づいておらぬ連中が多い。悔しきかな。愚かしきかな」

 

「人は目の前にしなければ気づかぬ生き物だ。嘆くでない」

 

 団芝三とダンブルドアは酒を酌み交わし共に嘆かわしきかなと声を声を出して言う。

 声なき席での一幕であった。



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悪戯

「嬉しいですわ。ようやく竜人様と二人っきりになれました!」

 

「……死にてぇ」

 

 竜人が連れ添う女性は、嫌厭している女性であった。

 藤原薫──同級生で同じクラスメイトだが、なんの為しか迷妄に憑りつかれて竜人を『運命の人』と勘違いした哀れな女だ。

 竜人とて女に興味がない、バイセクシャルなどと言った事はなく、正常な健康男児だが、毛色がこの女とは合わない。

 妖狐の勘というのか。この女は狩人の類だ。

 手段を問わずじわじわと退路を断ってくる類の女で、それが狩りではなく恋の駆け引きならその手段は苛烈なものになる。

 恋は患い、即ち精神疾患だ。そう考える竜人はその恐ろしさを身をもって知っている。

 恋愛は人を盲信させる病であり、自分自身を思いもよらない行動に突き動かす。

 鬱なんて比ではない。唐突にくる熱病である。

 それに中てられた薫に連れ添うなど、ある意味では自殺行為だった。

 

「どこか見たいところはありませんか。竜人様?」

 

「そうだな……誰もいない光景が見たい……」

 

 自暴自棄にもう誰とも会いたくない程気分が落ち込んでいた。

 薫が途轍もない醜女という訳ではない。むしろ誰もが日本男児ならば一度は夢見る美女のそれと合致している。

 黒髪の美しく淑やか、体格もよろしいと来た美少女。となれば恋仲となれるのは誰もが嬉しがるだろうが、竜人は招かれざる恋人である。

 恋など不要、そう自分に言い聞かせて竜人は今の状況を必死になって耐えるしかない。

 

「つれない態度も唆られますわ竜人様」

 

 竜人の籠手に指先で突く薫の仕草。まあ、気のあるモノならいちころだろうが、竜人はその気がない。

 一方的な押し問答だ。はぁ、とため息を付いて石槌と離れた事を悔いるばかりだ。

 

「竜人様! あそこを見て行きませんこと?」

 

「……好きにしてくれ」

 

 俺は仕方なしに彼女に手を引かれてテントの一つに入った。

 ツンと鼻を刺激するスパイシーな香りが鼻腔を刺激した。魔法薬の素材を取り扱った店であった。

 ホワイトセージやら、狒々の涎、偽火の幼草など惚れ薬に使えば効能の凄まじい物が大量に使われている。

 やはりここもヴァルプルギスの例に洩れず、『惚れ薬屋』だ。

 薫は何やら素材を探しているようで店主に何やらないかと相談して竜人をチラリとて蛇の如き視線を向けてくるではないか、ゾクッと背筋に悪寒が走った。

 

「最悪だ……」

 

 薫の得意科目は魔法薬学。竜人に続く成績で綾瀬すら抜いて二席の座についている。

 彼女の手に掛れば惚れ薬などお茶の子さいさいだろう。きっとここに訪れたのも竜人を自らに惚れさせる薬の素材を調達しに来たのだ。

 自らの首を真綿で絞めるような気分だ。ここにいるという事は自ら薫の手製の惚れ薬を呑むのと同じである。

 せめてどうにかして惚れ薬の解毒薬を作らなければ、そう思い必死になって解毒に使われる材料を探して回った。それこそ必死になってだ。

 

「ベゾアール石は要るな……。ユニコーンの蹄も……」

 

 血眼になって解毒に使われる材料をかき集めているとき、ベゾアール石を入れた箱を見つけてそれを買おうとしたらそれを箱ごと持っていく者がいた。

 

「ぬっあ!」

 

「ん?」

 

 不思議そうにベゾアール石を入れた箱を者が竜人に振り返った。

 大層顔色の悪い青年だった。黒髪の青年は不思議そうに竜人を睨みつけて、そして意地悪そうに少しだけ笑った。

 

「それを少し分けてくれ……」

 

 同年代に頭を下げてるなんて柄でもないが竜人は頭を下げていた。

 本当に柄でもない。竜人はこれまでに味わった事のないほどの苦汁をここ数日で舐めることなく鯨飲しているだろう。

 これ以上苦い思いをするほど心は広くない竜人は会釈とも取れる頭のさげ方でその者に頼み込んだ。

 

「頼む、どうしても必要なんだ」

 

「僕も先生に買い出しにこれを頼まれてるんだ。済まない」

 

 そう言って断られそうになった時、竜人は悲痛な顔を浮かべて顔を上げた瞬間、かの者が少し首を捻ってよくよく竜人の顔を覗いてくるではないか。

 どこかで見た事あると言わんばかりの表情で竜人の顔を覗くその者が少しだけ嬉しそうな顔になった。

 

「君か。ポッターとやり合っていたのは」

 

「ん? 何の事だ」

 

「スカッとしたよ。いや悪いね。こっちの話だ」

 

 そういう彼は握手を求めて手を出してきた。

 

「僕はあいつが憎いんだ。それを代わりに果たしてくれたこと嬉しく思うよ」

 

「なんだか知らねえが……あぁ」

 

 握手を素直に受け入れた竜人、その者の握手の手の中に違和感を感じて手を見れば大粒のベゾアール石があった。

 

「欲しいんだろ。これ位しか渡せないが、お礼だ」

 

「済まねえ恩に着る! っと、名前はなんていうんだ? あとで困るだろ」

 

「僕はセブルス・スネイプ。ホグワーツのスリザリン生だ」

 

 ホグワーツはイギリス魔法学校で、魔法処と違い寮制で組み分けられると聞き及んだことがあった。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリンと創設者の名を取り四組で生徒は分けられるそうでスネイプはそのスリザリンの寮生だった。

 嬉しきかな、これも何かの縁だ。この縁を大切にせねばと彼を菩薩か何かのように拝んだ竜人は、しっかりとベゾアール石を握り込んで今度は会釈とは取られない頭の下げ方をした。

 

「ベゾアール石を何に使うんだい?」

 

 そう聞いてくるスネイプに竜人は薫に聞こえないように耳打ちした。

 

「あそこの女居るだろ? 十二単の。アイツに言い寄られて敵わないんだ。惚れ薬ぶち込んでくるからな、その解毒に」

 

「ならこれを使うと言い。解毒にはよく効くよ」

 

 スネイプは竜人の様子に見かねて別の材料を勧めてきた。

 竜人も見た事のない材料で少し困惑する。

 

「どう使うんだこれ?」

 

「これを炒って粉末にするんだ。それでカボチャジュースに混ぜると正気は保てる気付け薬になる」

 

「へー……それは知らなかった」

 

 竜人は彼の話に真摯に聞いた。彼の語り方、その態度は魔法薬学への造詣は相当なものと見て取れる。

 手広くやっている竜人とは違い一点突破となれば竜人の知識量を遥かに超えたモノになるのは当然で、セブルス・スネイプの魔法薬学の知識は竜人のそれとは遥かに超えたモノを誇っていると見えた。

 百聞は一見に如かず、見聞きして損となる知識は早々ない、真剣に聞くのが吉だ。

 様々な事を話し込んでいると、どこぞより寄ってくる少しふくよかな男性がいた。その者は見た覚えがあった。あの乱闘でマローダーズを止めに入ったホグワーツの教員だった。

 

「ああ、セブルス。買い出しは済んだかね?」

 

「すいません。スラグホーン教授。もうすぐ終わります」

 

 買い付けを頼まれていたのかスネイプは少し急いだ様子で会計を済ませて戻ってきた。

 

「君はいったい誰だね?」

 

「アンタんとこの馬鹿と殴り合った大馬鹿だよ」

 

 皮肉めいた言い方で返す竜人に見かねてスネイプが割って入った。

 

「彼は魔法処の生徒です。マローダーズと殴り合った子ですよ。名前は──」

 

「安部竜人。二年生だ」

 

「そうか。あまり乱暴事は私は好まないのだが、君の手際は大変素晴らしい。あの喧嘩も殴られてすらいない様子で」

 

 スラグホーンは竜人の体をべたべたと触り、殴られた跡がないかと探すが。あの程度の素人にパンチを貰うほど軟な訓練は六波羅局はしていない。それこそ血反吐を実際に吐くくらいの訓練で肉体凶器を実践している役所など六波羅局だけだろう。

 

「体格もよろしい。決闘の実力もよろしい、見た限り血統もよさそうだ。後は知識があれば良いのだが」

 

「当然あるに決まってますわ。何せ竜人様は私たち二年生の中でも抜きんでた麒麟児であるのです」

 

 見て回り終えたのか薫がスラグホーンに反論する。胸を張って己の事のように竜人を自慢するように言った。

 

「ほう? 二年生の中で一番かい?」

 

「そうですわ。竜人様は魔法処随一の知識人、そして当世一の陰陽師になり私の旦那様になる方なのですから」

 

 怖気もしないような恐ろしい発言をさらっとする薫に血の気が引いた竜人。この場でゲロを吐いて気絶でもできればいっその事楽になれるのだろうが、そんな間もなくスラグホーンが竜人に問題を出した。

 

「ならば、煙突飛行粉の原材料を聞こうかな」

 

「竜の火袋の乾燥粉とアッシュワインダーの卵の粉末、火焔石で燃やしたヨモギの灰。製造には魔法省の認可が必要だ」

 

 咄嗟に次いで答えてしまった。

 気絶しようにもそう器用に気絶失神できるほど鍛えられていない竜人の思考は余計な事でもしっかりと答える事が出来る脳味噌を持っている。

 そしてその答えが、貴重な魔法薬の原材料で本来各国魔法省の製造員のみが知る内容であっても無意識に即答できるだけの正気を未だに持っているのが悲しきかな。

 

「おお! なんとこれを知っているとは……恐れ入った」

 

「ん……? あ、……いけねぇ。今のは忘れてくれ……守秘義務があるんだ」

 

 薫に念押しするように竜人は言った。

 煙突飛行粉の製造管理は厳格だ。暖炉に体を入れて行く先を言うだけでどこへでも行ける物などと言う便利な物は大変危険だ。

 魔法省は立ち入り禁止区域に侵入されることやマグルの暖炉に飛ばないようにそのネットワークの管理、強いてはその製造その物を厳格化することでそう言った事故を未然に防いでいる。

 本来なら学生などが煙突飛行粉の原材料を知っているなどあり得ないが、そこは竜人のお役所の勤めの結果で、六波羅局はよく煙突飛行粉を利用して各地に飛んでいる。

 それ故に製造方法や原材料を知っていてもおかしくない。しかし、この場合は知っているのがおかしいかった。

 

「何故君がそれを知っているんだい?」

 

 スラグホーンが目を細めて聞いてきた。隠し立ては出来ない、そう判断する竜人は諦めたように言った。

 

「俺は日本魔法省の一部署の六波羅局員だ。お役所勤めだから知ってたんだ」

 

「なんと魔法省の職員でもあったのか!」

 

 スラグホーンは嬉しそうに竜人の肩を叩いた。

 我が慧眼に狂いなしといった様子で竜人の肩に手を回してくる。

 

「この歳で魔法省に勤めているとはなかなかの才覚。どうだね? このヴァルプルギスのどこかで私のサロンに来ないか」

 

「あんたが求めているような知的会話は俺にはできないぞ」

 

「ふふっ……日本人は謙虚と聞いていたが確かに。大丈夫だ。サロンと言ってもちょっとした食事会だ。どうだね? そちらのお嬢さんと一緒に来ては?」

 

 竜人はスラグホーンの勢いに気圧される。否が応でも竜人をそのサロンに誘いたいようでスラグホーンの手が振り解けずにいた。

 もうこの際だ、どうとでも成れと捨て鉢に竜人は返答した。

 

「分かりましたよ。少しだけ顔を覗かせるだけですよ」

 

「嬉しい限りだ」

 

 にこやかに笑ったスラグホーンに対し、竜人は苦笑いだった。

 

 

 

 

 

「なんと、ホグワーツは渡り階段は動くのか!」

 

「そうですよ」

 

 私はリリーと共にヴァルプルギスを回ることに決めた。お飯事の恋人ごっこはもう飽き飽きしていた頃合だった。

 天敵セウはどこぞへ逐電して姿を現していない、故に安全になったと言っても過言ではない。

 竜人の方が全くその枠組みに入りきれていないのだが、自らどこぞへ行ったのだ。知った事ではない。

 自由意志と竜人を見捨てて私はこの祭りを楽しもうぞ。

 私はリリーと互いの学校の話で盛り上がり、その特色を言い合いながらヴァルプルギスの夜を巡っていた。

 特色と言っても学校だ、さして違いはないと思っていたが、国を跨げは人も違い、そして建物も変わってくる。ホグワーツは古城を学校として使っておるらしく、そこでは只人の作りし物は正常な動作をしなくなるそうな。

 そして何より魔法処と違うところと言えば、生徒の立ち入り禁止の場所があると言う事だろうか。

 魔法処は原則的に立ち入り禁止などと言うところは存在しない、皆が意識的に避けているか。そこに保管されているモノに原因がある場合が多いい。前者は去年の珊瑚の宮、後者は封印御所『天岩戸』がそれに当たる。

 私から言わしてしまえば生徒が使うのだから生徒が立ち入り出来ない施設など何のためにあるのかと言いたい。

 

「国も変われば、学校も変わるのう」

 

「魔法処はホグワーツみたいに寮制じゃないんですか?」

 

「実家から通う事が出来るが、私は下宿先に放逐された。野良犬荘という」

 

「下宿ですか。みんなとワイワイしてそうですね」

 

「そうでもないぞ。夜は息を殺して眠らねば、荘長の山姥に取って食われるのだ!」

 

 と言っても個室の扉には結界で山姥は入れない為に安全である。

 しかし私はリリーをワザと驚かす様に言って見せた。

 リリーはクスクスと鈴を転がすような可愛らしい笑い方で私の話を笑ってくれた。

 

「別の学校の事なんて聞く機会がないから楽しいです」

 

「そういう私もそうなのだ。特に寮によって競い合う制度はなかなか面白そうなのだ!」

 

 リリーはグリフィンドールという勇気や度胸、騎士道を重んじる者たちが多くいるそうだ。私も恐らくホグワーツに入学したのならそこになりそうな気がするが、人間とは隠し持った本性は自分自身でも分らぬもので人の目見られてようやく分かるものだ。

 その組み分けの儀式なるモノ受けて見たくあるとそう考えていると、ふととある集団が目に入った。

 その者たちは見知った、というよりも悪印象の強い者たちだった。

 

「……よし、ぶち込むぞ」

 

 意気揚々と手に持った何やら癇癪玉のような物を『ホロ衣カフェ』に投げ込もうと身を潜めていた。

 その者たち、即ち悪ガキ悪戯集団の『マローダーズ』だった。

 

「何個ぶち込む? 玉ねぎ爆弾はいくらでもあるぞ」

 

「いっそ全部投げ込んでしまえ。プロングス」

 

 そういう彼らに私とリリーは顔を見合わせた。

 私は呆れ顔、リリーはいつもの事と言わんように苦笑いを浮かべていた。

 キッと眉間に皺を寄せて私は胸を張ってズカズカとその者たち、マローダーズの背後に寄った。

 

「何をしておるのだ。主らは!」

 

「うわっ! びっくりさせるなよ──ってお前か」

 

 丸眼鏡の青年が手に持った癇癪玉をローブの背後に隠し全員がこちらを見た。

 

「今度は一人か? 仕返しに来たか」

 

「そうな訳なかろうが。何をしておるのかと聞いたのだ」

 

 私がそう言い、彼らはその反応に顔を見合わせた。

 敵わない事はもう重々承知したのだろう。争うよりもその手を取ることに決めたようだった。

 私の肩に手を回して彼らと同じ視線に座らされる。

 

「な、なんだ!」

 

「しっ、静かに。あれ見えるか……」

 

 ホロ衣カフェの布を少し捲った青年が指を差した。

 そこにいたのは団芝三とダンブルドアと呼ばれた男性が何やら真剣に話し込んでいるようだった。

 その様子に青年らは本当に悪い顔を浮かべて、しめしめと言った様子で笑った。

 

「あの二人の会話をこれでぶち壊してやろうぜ。これは手製の玉ねぎ爆弾っていうすげえ臭い匂いを炸裂させる癇癪玉だ」

 

 そういう丸眼鏡の青年は大量の玉ねぎ爆弾なる癇癪玉を私の手に握らせてくるではないか。

 炸裂していないがそれに匂いは強烈で、腐った玉ねぎの香りが持っているだけで香ってくるようであった。こんなものテントの中で炸裂させたらどんな騒ぎになることやら想像に難くない。

 

「悪戯は好きか?」

 

 丸眼鏡の青年が聞いてくる。

 私は答えた。

 

「程々には。人が傷つかぬような物なら大好きなのだ」

 

「なら十分だ。お前も俺達のマローダーズに入れてやるよ」

 

 今にも玉ねぎ爆弾を投げ込みかねない様子の青年らに私は名前を聞いた。

 

「主らの名前を私は知らん。素性の知れぬ輩の片棒を担ぎたくないのだ」

 

「そうだったな」

 

 丸眼鏡の青年が名乗った。

 

「俺はジェームズ。ジェームズ・ポッター。皆からはプロングスって呼ばれてる」

 

 隣の黒髪の青年と茶髪の青年が答えた。

 

「シリウス・ブラック。皆からはパッドフットだ」

 

「リーマス・ルーピンって言うんだ。皆からのあだ名はムーニーだ」

 

 私は二人と握手を交わした。そして最後に彼らの陰に隠れた小柄な青年が名乗った。

 

「ピーター・ペティグリュー。ワームテールって呼ばれている」

 

「そうか。私は石槌撫子。皆よろしく頼むのだ」

 

 昨日の敵は今日の友。事情変わればこの者たちは味方である。

 団芝三に悪戯とは何とも楽しそうだ。去年に散々なほど化かされて鬱憤が溜まっている。

 どうせ悪戯するならあの者たちを阿鼻叫喚の地獄に叩き込んでやることにしようではないか。

 私は玉ねぎ爆弾を付き返し、杖を抜いて地面に向かって魔法を放つ。

 

集まれ、ゴキブリ(コーリージェンティーズ・コックローチ)

 

 私が唱えた魔法に反応してかどこからともなく集まってきたゴキブリたちが豆腐大の四角形に固まっていくではないか。

 これは私が開発した悪戯道具の一つ。『ゴキブリ箱』だ。

 何とも麻薬的な輝きを放ち、その凶悪性と来たらあの仏頂面で勇名を馳せる竜人の口から悲鳴を引き出すことに成功した物質だ。一度こいつを放てば辺り一帯を黒いカーペットの如く染め上げ、体を這い登ってくるくらいの量のゴキブリの集合体だ。

 人間誰もが嫌いな昆虫だろう。私とて正直触りたくない禁忌の物質を製造してしまったと後悔しているは言ってはならないが、これで竜人から悲鳴を引き出せたのだ。十分有益さを持った物質であるがしかしながらその外見的嫌悪感は他の追随を許さない群を抜いたグロテスクさだ。

 

「こ、こっちの方が良いのではないか」

 

「なんて悪魔的なものを開発しやがる……天才か」

 

 ジェームズはそう言ってゴキブリ箱に手を伸ばそうとするが私は制止した。

 

「触れるでない。これが崩れたなら、ここらは地獄になる」

 

「正気じゃ考え付かないな」

 

「狂気の産物じゃないか」

 

 リーマスもシリウスも私の才能に恐ろしいといった様子で、頬を伝う汗を拭った。

 確かに私もこれを開発した時は正気を失っていたかもしれない。団芝三の再三なる化け術の冷やかし、竜人の憎まれ口に天狗としての矜持がボロボロになりその仕返しの為に血眼になって作り上げた物質だ。

 まさしく狂気の産物。私の矜持を保つために羅刹となった故に私の頭の中から生まれ出た最悪の物体だ。

 

「そんなチャチナものより。こいつをぶち込んでやった方がよっぽどだろう」

 

「良し。そっちにしよう……で。誰が投げ込む……」

 

 瞬間私は身を引いた。どうしても皆このようなものを触れることなかれと生きてきているのにそれを集めて固めるなど狂気の沙汰だ。その狂気に触れようなどどれほどの勇気か。

 

「グリフィンドールの者は勇者と聞き及んだのだ。頼んだぞ」

 

「逃げるな石槌!」

 

「製造責任の責務から逃げるな!」

 

「レディーファーストでしょここは」

 

 ジェームズ、シリウス、リーマスはこれに触れたくないようだ。当然だ。私だって触れたくない。

 しかし作ってしまったならいつ爆発してもおかしくない時限爆弾だ。さっさとほり込まなければこの場で爆発して私たちが地獄を見ることになる。

 そんな中静かにしていたピーターに皆の目線がいくではないか。

 顔で嫌だといった様子で首を振る青年にその任を投げて渡そうとした時だった。

 

「何やら面白そうなことをしておるなぁ」

 

 私たちがまごまごしているのを感じ取ったのか、ホロ衣カフェより団芝三とダンブルドアが私たちの前に出て来たではないか。

 私たちは彼らを見上げて、苦笑いである。

 

「元気があることは大変よろしい。そうだな、ダンブルドア教授」

 

「そうだな。団芝三教授」

 

 カカカっと笑った団芝三が提案する。

 

「そこまで元気があるなら。私の化け術を馳走してやろう。主らだけでは可哀想だ。魔法処のみならずホグワーツも巻き込もうぞ」



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悪夢の遊戯

 夜闇の中で大樹の灯に照らされたそれが尚一層美しく輝いていた。

 振り下ろされるたびに紅化粧を施され、美女の唇を艶やかに染め上げる口紅のように赤々として美しい。

 ずぶりとそれに潜り込む感触と来たら、それこそ情交の交わりの肉棒が女子の中へと入り込むが如く甘美に満ちた感触ではないか。

 かの者にとってそれは忌まわしき行為であろうが、その者にとってはまさしく睦言のそれである。

 報復と色事の狭間で生まれたその者だけが感じえる得も言われぬ快感にその者はべったりと顔にその紅を塗り付けて不気味に笑った。

 

「ははっ──はぁ、これこそ芸術也」

 

 そう言ったその者はそれに口づけを交わして、深く、深く唇に歯を立てて紅を啜る。

 もう、言わずもがな分かるだろう。それとは即ち、骸であった。

 純白の祭服を着た魔女、その者の服は溢れ出る血で斑に染め上げられ、既に事切れている。

 しかしながらその邪悪な本性はいびつに歪んだ『芸術』で正常なものが見れば異常な、異常なものが見れば賛美に値する芸術へとその亡骸を飾り立てていた。

 亡骸に深い接吻を、その血を啜ることをやめたかの者は血腥い吐息をついて、その者の顔に焼印を杖で刻み込んだ。

 これは私が作り上げたものだと言わんばかりに自らの通り名を、世間が呼ぶ我が名をその亡骸に刻み込む。

 我が名を叫べ、我が名を呼べ、我は魔法族に仇なす者也。

 飾ろうぞ、讃えようぞ、敬おうぞ。これを見て慄くがいい、これを見て叫ぶがいい。

 この真実は誰もがその身に宿す醜悪をここに暴き立てんが為の芸術也。

 

「神の子と同じように、美しく、そして神々しく──」

 

 うっとりとした様子でそれを望んで満足するかの者は、艶やかに紅に飾られたその姿を夜闇の底へ溶け込ませた。

 闇に潜むは我らが者、彼はそれを受け入れてくれた。

 ならばかの者の賛美する作品を送ろうぞ。

 我が主の名前を叫べ、我が主の名で震えよ──ヴォルデモート卿のその名前をしっかりと。

 

 

 

 

 

「さて、皆集まったな」

 

 ダンブルドアが言い、魔法処の生徒とホグワーツ生徒のほぼすべての生徒が集まった。

 場所はヴァルプルギスの会場より少し離れた鬱蒼とした森の中だった。

 さて、まず一つ目の疑問だ。ここは海より近くにあるにもかかわらず、青々と木々が茂っている。塩害など何のそのと言った具合に最早樹海の規模で木々が茂っているではないか。

 環境的に場違いな光景に、みんな不思議そうにあたりを見渡していた。

 魔法処とホグワーツの生徒を合わせて総人数二百人弱の大人数で森の中に分け入った私たちであったが、これより何をするのかと皆がワクワクした様子であったが私ばかりは震えて仕方がない。

 何せこれは団芝三が企画した遊戯であり、ただでさえ化け狸の本性を隠し持った男がこのような事をやり出したとすとなれば、目的は一つだろう。

 ──徹底して化かしてくるのだ。

 魔法処生徒ならば身をもって知っている。魔法処に措いて団芝三の通り名は『秋津一の化け狸』だ。

 なんせ佐渡の『団三郎狸』、淡路島の『芝右衛門狸』、高松屋島の『太三郎狸』の三大化け狸総領たちがこの狸を己らの総領にすると決めたなのだ。只者ではないのは須らく当然のこと。

 八面六臂、縦横無尽の化け力と来たら最早幻術の類だ。

 魔法処で度々どこからともなく悲鳴が聞こえる原因は大概が団芝三の気晴らしの化かしに引っ掛かった生徒の誰かの声だ。

 そしてここ最近のお気に入りの化かし相手は何を隠そう私。石槌撫子なのだから質が悪い。

 事ある毎に私の衣料品に化けて脅かし、酷い時には巨大な達磨に化けて追いかけ回してきたことだろう。

 あれ以来、私は達磨恐怖症だ。

 何の意味があるのかと問質したことがあったが、団芝三の答えと来たら。

 

 ──天狗を化かす事、狸冥利に尽きようぞ。まっこと面白き哉──

 

 その一言で終わったのだ。大変酷い話である。

 面白いからと言って化かされる身にもなってほしいものだ。

 しかし今回は団芝三の、その『面白いから』を満たすために開催された一世一代の大化かし大会だ。

 ダンブルドアもそこそこの立場と見て取れるがよくもまあこのような催し物を許したものだ。

 

「さて、皆そろそろヴァルプルギスに飽きが来ていた頃合だろう? そこで我が友人の提案で、魔法処の生徒と共同で宝探しをしてもらおうと思う」

 

 ダンブルドアはどこからともなく、手乗りサイズの狸の焼き物を取り出した。

 

「この森の中央の虚にこれを隠す。これを取ったら即終わり。いち早く見つけたモノに褒美をやろう」

 

 にこやかに言うがどこか焦っている様子でそそくさと逃げていくではないか。

 空を見上げれば木々の切れ間より教員たちが箒に乗って私たちを監視しているように飛び回っている。

 本当に大丈夫だろうか。団芝三も先生だ、人の命を害するような化かし方はしないだろうが、それでも言い知れぬ不安があるのは確かだ。

 皆が顔を見合わせていた。

 ホグワーツ生徒は何とも楽し気な遊戯だと和気藹々とした表情であるのに対し、魔法処の生徒と来たら──この世の終わりのような表情で絶望していた。

 

「絶対、最悪な化かし方してくるよね」

 

「当たり前なのだ。あの団芝三だ、生温い化かしはしてこないのだ」

 

 私と綾瀬、そして魔法処の生徒は頭を抱えて苦悩した。

 さてどう攻略したものか。団芝三(やつ)の事だ、この森一帯が奴の手中と考えて良いだろう。

 雄々しく突き進んでいくホグワーツ一団に対し魔法処生徒は尻込みしてその場を動こうとしなかった。

 

「どうした? 臆病風邪でも吹かれたか!」

 

「早く来いよ! お家が恋しいのか!」

 

「降参した方がいいじゃないですか?」

 

 挑発してくるマローダーズのジェームズ、シリウス、ルーピンの三人だったが後で泣きを見るのは目に見えている。

 ほったらかすが吉と見た。

 私たち魔法処生徒は身をもって団芝三の化け術の恐ろしさを知っている。

 作戦会議は必要だろうと固まった。

 

「どうする? こんな森の中じゃ餌食もいいとこだ」

 

 竜人はそう言い皆がそれに同意した。

 

「化け術の規模によるな。校長だって一匹だ、巨人に化けて俺らを追い回す気だぞ」

 

 高学年生が言う。

 確かにあり得る話だ。今迄は魔法処という限定された施設内での化け術であったために小規模であったが、ここまで大きい区域で、全力を出してくるとなればそれは分かったものではない。

 虚仮威しか、いやそんな手心を加えてくれるほど団芝三は優しくない。それこそ体調を崩しても人を化かしたいといった大馬鹿だ。

 決死隊が如く皆が尋常ではない目付きで覚悟を決めた。

 

「とにかくお宝の場所は分かっているんだ。森の中央、木の虚の中だ」

 

「向かうが吉なのだ。道中団芝三が化かしてくるが、気を確かに持つのだ」

 

 団芝三八変化被害者総代表である私と知恵担当の竜人がそう言い私たちは問答無用に杖を抜いて、固まって行動することに決めた。

 瞬間、森の奥より悲鳴が轟いてくるではないか。さっそくホグワーツ生徒が団芝三の餌食になったと見えた。

 

「気引き締めていくぞ」

 

『応!』

 

 ほぼほぼ特攻隊が如き心境で覚悟を固めた魔法処生徒は森の中央に向かおうとした時だった。

 地響きが辺りを鳴り響き、それは背後から聞こえてくるではないか。

 皆が振り返り、見た時──摩訶不思議哉。木々が根っ子を足が如く振り上げてこちらに駆け寄ってくるではないか。しかもその幹は印甸人(インディアン)の彫刻のトーテームポールよろしく、様々な表情を浮かべて、その口からより得体のしれない緑の樹液を噴出させながら走ってくるのだから、悲鳴は上がるだろう。

 

『ギャアアアアアアアアッ!』

 

 幾匹もそれが現れ私たちはちりじりになって逃げた。それは本当に愚かなことだと知らずに。

 

 

 

 

 

「あの者、今回は本気なのだ……」

 

「うん……本気過ぎて怖いよ」

 

 私は綾瀬と共に逃げ、皆とははぐれてしまった。

 心臓の高鳴りが治まらない。バクバクと恐怖から来る悪夢の光景にあちこちで悲鳴が轟いていた。

 この悪夢が終わっていないと言う事は誰も森の中央に行けず、そして狸の焼き物を取れていないと言う事だろう。

 団芝三の気が済むか、もしくは焼き物が取られるかしかこの悪夢を脱するすべはない。

 私たち二人がこの岩陰に身を隠せているのも殆んど奇跡のようなもので、いつ団芝三が襲い掛かって来ても可笑しくはない。

 ビクビクと私たちは周囲を見渡して安全であるかと逐次確認していた。

 すると、森の奥より枯れ葉土塗れの者たちが見えたではないか。

 マローダーズの二人とリリーではないか。ピーターとリーマスは運悪く逸れたのか姿が見えない。

 

「おい! おいリリー! こっちなのだ!」

 

 私は出来るだけ声を押さえてリリーたちを呼び寄せた。

 

「一体何なんだこの森」

 

「地獄だ……」

 

 相当な物を見て逃げ惑って来たのだろう。

 勢いよく飛び出した彼らであったが、団芝三の化け術をたんと馳走されたのか、ジェームズとシリウスは満身創痍と言った様子であった。当然その原因は団芝三だろう。

 

「まるで幽鬼のようだ。生きておるか?」

 

「何とか……」

 

 ジェームズは蚊の鳴くような声で答えた。

 対するリリーはあまり衣服は汚れが目立たない。人となりの良い子には手心を加え、悪童へは徹底した化け術を馳走する団芝三の性根たるや、誠にいい根性をしている。

 

「悪戯は人を選ばねばな……」

 

「……そうだな」

 

 原因は私たちだ。団芝三とダンブルドアに悪戯を仕掛けようとそれが失敗したのが運の尽きで、皆を巻き込んでの大悪戯大会が今地獄の様の如く広がっているのだから目を当てることもできない。

 地獄、悪夢、死屍累々の修羅場だ。

 河童に尻子玉を抜かれた子のように私たち三人は幽鬼の様だった。

 とめどなく聞こえる悲鳴は森の中をどこまでも木霊してゆく。どうか私たちに団芝三の目が来ない事を祈りその者たちを生贄とすることを許し給う。

 綾瀬、リリーは楽しんでいる様子であったが、しかしながら彼女らも我らが行動を共にするとなれば地獄を見ることだろう。

 私たちは身を隠し一息つく暇もなく、それが目の前に現れた。

 森の薄暗がりの奥から現れた奇怪な赤子。

 筋骨隆々の両腕に愛らしい赤子の顔があり、下半身はヒョロヒョロとした燐寸棒のように細い足に茶色のおしめを付けているではないか。

 ちぐはぐな見た目の赤子がわんわんと泣きながらこちらに向かってきた。

 

「気味が悪い……」

 

 シリウスが言った。

 そう気味が悪い。そうとしか言いようのない。

 ただでさえこのような森でこの赤子は浮いているし、何より目に見えた罠である。

 私たちは息を殺し、その赤子がどこぞへ行くのを見届け、息を着いた瞬間だった。

 

「おぎゃぁ」

 

 耳元でその赤子の声が聞こえるではないか。

 皆が振り返った時その赤子が群れを成してこちらに向かってくるではないか。

 背筋を登ってくる恐怖に皆が駆け出した。どこへ向かえばいいのか、森の中央なのだが、そんなことどうでもいい。逃げるが一択である。

 

「キモイキモイキモイ!」

 

 ジェームズはそうしきりに言って杖を抜いて魔法を放つが、赤子に当たれば一回り小さくなって増えるではないか。

 こうなればもう手出しができない。悲鳴悲鳴の大合唱。

 赤子が粘土のそれを混ぜ合わせるように形が崩れ、溶けあって出来上がるのは青色の象でパオンと一鳴きして私たちを追い回してくる。

 

「きゃっ!」

 

 リリーがこけてしまう。

 足元を見れば何やらツタがリリーの足を絡め捕ってその場に縛り付けているではないか。

 質が悪い。団芝三の化け術の一端だった。

 私たちは自らが持ちえる最大の武力を手にリリーを護ろうと象に立ち向かった。

 

爆破(エクスパルソ)!」

 

 ジェームズ、シリウスが爆破の魔法を象に放つとボトボトとその象の体が崩れて、今度はそれがコケシの大名行列となるではないか。

 私と綾瀬はリリーの足に絡むツタをむしり取ろうとするが、頑丈だ。

 どうもできない。ならば──。

 

「退くのだ!」

 

 私は団扇を握りブンとコケシ共に一仰ぎしてやった。

 仰いだ後に猛烈な突風が森全体を騒めかせるほどの強烈な風が木々のすべてを凪ぐ。

 コケシ共は奇妙な笑い声をあげて風に吹かれた枯れ葉の如く飛ばされるていった。

 何とかツタを千切った私たちは走って森の中央へと走った。

 もうこんな余興は懲り懲りだ。化かされてなるものかと皆の心が一致した瞬間、森全体が珍妙な光景に様変わりするではないか。

 曲技団のテントのような紅白模様の布に囲まれ森が瞬時に消え失せるではないか。

 生徒全員の姿が見えた見晴らしのいいそこの中央に大中小の狸の焼き物が並んで鎮座しているではないか。

 ファンファーレが鳴り響き、達磨に日本人形、ウラン硝子の人形らが奇妙な踊りを繰り広げて我々を翻弄してくる。

 飛んで跳ねて、転がされ、いいように人形たちに弄ばれる生徒たちが胴上げのように人形たちに担ぎあげられ打ち上げられる。

 驚きかな──私も胴上げをされる瞬間に理解した。

 森の中に団芝三が潜んで化かしてくるのではない。森に団芝三が化けて皆を同時に化かしていたのだ。

『秋津一の化け狸』の名前は伊達ではない。このような大規模な化け術、ただの狸に出来ようものか。

 奇妙なサーカスに連れ去れた私たちはいいように弄ばれた。

 火の輪の間に投げ込まれ、獅子追い回され、道化の下らない芸を見せられ、遂には空中ブランコで吊るされる。

 たんとその化け術の馳走となった時、いきなりその奇怪なサーカスは幕を閉じた。

 身もボロボロの竜人が息絶え絶えに狸の焼き物を握り締めていた。

 パッとその人形らの姿が消えて、辺りを見渡せば何もない平地に私たちは転がされていた。

 中央の団芝三は玉袋の鈍痛に呻いてぶっ倒れている。ここまで阿呆な事をすれば体も悪くなるのは当たり前で要は私たちは団芝三の玉袋の上で弄ばれていたのだ。

 

「大概にしろよ……バカ校長……」

 

 竜人も散々化かされたのか、地獄を気力だけで乗り切ったのか遂に気絶してしまった。

 皆、そんな状況だった。出来の悪い悪夢の中でようやく生還できたことに胸を撫で下ろし、ゲロを吐くもの、泣きじゃくるもの、満身創痍で呆けているものと様々な様子だった。

 

「ぬぅう……玉が冷えてしまった……」

 

 凍える玉を揉んで温める団芝三が気絶している竜人の頭を撫でていた。

 狸を恐れるなかれ、それ即ち怪奇の申し子也。

 狐の七変化、狸の八変化、貂の九化け、やれ恐ろしや。団芝三の奇怪珍妙な遊戯はこれにて幕を閉じたのだった。



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悪魔の作品

「探したよ! マイ・フェア・レディ!」

 

 セウが意気揚々と再登場してくるが私たち、綾瀬、リリー、ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーターと皆がそのハイテンションについていけれる程に元気を有していなかった。

 それもその筈で、団芝三とダンブルドアの開催した化かし大会で皆が疲弊しきっていた。

 私たちはまだ歩けるほどの症状だが、他の魔法処生徒、ホグワーツ生徒は急性心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状が現れたので癒者テントに担ぎ込まれヴァルプルギス運営員会は大騒ぎとなっていた。

 その原因の団芝三とダンブルドアの大化かし大会の弊害で、歳を数えて齢一五〇歳にもなろう老狸が年甲斐もなくはしゃぎ上げた挙句に生徒たちはその心象に多大なるトラウマを植え付け、幸福感の欠如、パニック、建設的な未来像の喪失など被害を起こしたために、校長二人は大人げなく彼らより歳を重ねた者たちに大目玉を食らっていた。

 散々怒られればいい。あの者たちは第一はしゃぎ過ぎなのだ。

 私たちも生徒たちの例に洩れず、強大な虚無感と無気力感に支配されホロ衣カフェのテーブルで頭を抱えていた。

 

「どうしたんだい! マイ・フェア・レディ! 君に悲しみの顔は似合わない!」

 

 セウの感情は衰え知らずで私に対する熱病も未だに衰えていない様子だった。

 嗚呼、いずこかに消え失せたあの楽しき夜よまた舞い戻らんこと願い給う、私は楽しみに飢えている故に。

 

「元気な主が羨ましいのだ」

 

 私は机に突っ伏して言った。

 セウの居姿は『元気』と例えるに正しい姿であった。珍妙な衣服と言い、ラテン・アメリカの血筋は疲れ知らずと見える。

 懐広く、男は女の尻を愛で、顔よりも尻で女子の魅力を計るが伯剌西爾付近の男性の趣向と言うが、私と来たら乳はなく、尻も張りの如く薄いではないか。このような女子に何を求めてか言い寄るセウに不思議と興味が湧いた。

 

「主は私に何故付きまとうのだ……」

 

「何故って、君の血の香りに引かれてだもの!」

 

 胸を張るセウの伊達男ぶりと来たら何とも鬱陶しく白々しい。その居姿もそのうさん臭さに拍車をかける原因だ。

 しかしながら珍妙な事を地で征く男だ。私の血の香りとな。

 私の隣に座ったセウはバーテンダーに注文をした。

 

「新鮮な血液は願います! 採りたて三日の者があったら嬉しいな!」

 

 そういいセウに私たちは驚いた表情で見た。

 お品書きにも珍妙な物が多々あることは知っていたが、それの一つ人血を頼む者がいるとはといった心境で私たちは奇怪な存在が現れたと思い、セウを見た。

 セウはその顔に少しだけ不思議そうな表情を浮かべ次には笑顔に変わった。

 

「珍しいだろう! 僕は吸血鬼なんだよ! ブラジルの吸血鬼一家、ロビショメンの次男坊とは僕の事さ!」

 

 奇妙な姿勢でそう宣言しするセウ。ああなるほどと皆が納得したが私ばかりはよく分からなかった。

 

「きゅうけつき?」

 

 吸血鬼──人血を啜るまか珍しい魔法族の変種だ。

 魔法族と呼ばれる種、常人にも種類があり、通常種、亜種、変種の三分類だ。

 その者たちは『ヒトたる存在』と呼ばれ、魔法を繰る者たちを通常の者とするなら、予言を行い、動物と会話をし、生後に人の姿を変化させる事の出来る者が亜種とされる。

 私、石槌撫子の天狗は亜種の中でも希少種とされる『高貴なる青の血筋(ブルー・ブラッド)』と区別されている。

 そしてその他の『変種』とされる区分で鬼婆(バーバヤーガ)巨人(ジャイアント)小鬼(ゴブリン)狼人間(ウェアウルフ)の区分の中で『吸血鬼(ドラキュラー)』が存在する。

 吸血鬼は人として生を成しているが、特徴として鏡に映らず、日光を嫌う性質があり最たる特徴は人血を呑むと言うものだ。

 ニュートン・アルテミス・フィド・"ニュート"・スキャマンダー著『幻の動物とその生息地』の中で、この世は三つの生物で分けられているそうだ。

『動物』、『霊魂』、『存在』の三つだ。人は『存在』に相当し、ヒトたる存在の区分で、人とされる存在は、理性を有して法を理解でき、地に足を付け、産まれた時の形状が人型であると言う事が明確に区分されている。

 そして吸血鬼は生まれ出た時より人の姿で、地に足を付けているとされ、自らの血族を増やす方法として吸血鬼同士の交尾と他のヒトたる存在へ直接的な吸血行為でその数を増やすと言われている。

 しかしながら世界魔法省連盟によって吸血鬼の吸血行為は原則禁止とされる御触れが発令されて以降、罰則対象になっている筈だ。

 となれば、セウは純正の吸血鬼と言う事になろう。

 よくよくその歯を見れば八重歯がやけに鋭利に突起しているが分かった。

 爽やかな笑顔の中にある凶暴な本性、今迄言い寄ってきた意味が分かった。

 

 ──君の血の香りに引かれてだもの! ──

 

 要は私の血を吸わせてくれという大変誤解を招く口説き文句であったのだ。

 吸血鬼の無差別な吸血行為は禁止されているが、役所に吸血届と言う書類を提出、要するに婚姻届なのだが、それを提出すれば吸血鬼は初めてその吸血行為を魔法界で許される。

 バーテンダーが運んできた血液入りのタンブラーに口を付けた、セウは喉を鳴らして血を呑むではないか。

 あまりにも美味しそうにそれを呑む姿に私たちも喉が渇いてきた。

 ゴクッと喉を鳴らして私たちはその姿を見ていた。

 とろけたような艶やかな顔でうっとりとタンブラーに付着する血液をテーブルの上のカンテラに翳して望むセウの姿は不思議と色っぽく見えた。

 瞳の瞳孔が炯々と赤く輝き、色っぽく唇に着いた血を舐め取るセウ。

 私に今にも接吻しそうなほど身を寄せてきて訊いてくる。

 

「マイ・フェア・レディ……君の血は本当に青色なのかい。ぜひとも僕に飲ましてくれないだろうか!」

 

「いぃ嫌なのだ」

 

 高等過ぎる口説き文句に私は身を引いて断わった。

 何故にこのような者に私の血を分け与えなければならないのだ。それに私がこの者に血を与えると言う事は結婚を受け入れると言う事であり、天狗でもあり吸血鬼でもある妙な存在となることになる。

 珍妙奇怪、人の血を啜る天狗など妖怪にも劣る存在だ。

 顔を近づけてくる血腥い呼気に私はセウを押しのけて、綾瀬を挟んで座り直した。

 

「連れないねマイ・フェア・レディ……。でも諦めないさ! 僕は君と共に久遠の時を生きると決めた。いやこれは最早運命だ!」

 

「そんな運命願い下げなのだ……」

 

 身重になるのはもう少し後でいい。吸血鬼は日を嫌う、お天道様を避けて生きるなど私は嫌なのだ。

 皆にカボチャジュースを振舞うセウの太っ腹の豪胆さに私たちは拍手で応じて甘ったるいそれをグイっと飲んだ。

 

「竜人様、竜人様!」

 

 この声は薫と見えた。竜人が幾人かを伴ってホロ衣カフェの幕を捲って入って、綾瀬がここに呼び寄せた。

 ゲッソリとこけた頬に溜息が漏れ続ける竜人にべったりな薫、そして大層怒られたのだろう、少し疲れた様子の団芝三とダンブルドアが到着した。

 

「まったく、なっておらんのう。江戸の頃ならばあの程度草書に書き記される偉業であろうに」

 

 団芝三は困った困ったとカカカッと笑って見せるが私たちはその様子にあからさまな陰険な視線を向けて応じる。

 何が江戸ならば伝説だ。人を化かすにもやりようがあろうに、あの化かし方は度を越している。

 ただでさえ並み化け術ではないのを重々この者は理解すべきだ。

 ダンブルドアもダンブルドアで、そのやんやん言ってこられた運営委員会に唇を尖らせて世間は厳しくなったと嘆いていた。

 

「数十年前ならば、あの程度でああも怒られなんだなあ」

 

「左様、化け術を披露する事、狸のそれ故に制御も出来ようものか」

 

 そのようなことを言っているから化け狸がいつまで経っても魔法省の存在認定から除外される原因となるのだ。

 化け狸は正確なところを言えば存在としての扱いを受けていない。

 理性知性はあるが堪え性がない。そのせいで法を介さない存在と認定され杖を持つことを許されないのだ。それを容認している三大化け狸たちであるのだから性根からそんな者たちなのだろう。

 

「学生たち仲睦まじい事大変よろしい。拳を交えた中でも我々が緩衝材と成れたこと誠に嬉しい限りよのう。ダンブルドア教授」

 

「うむ、まさしくその通りよ団芝三よ」

 

 二人は肩を組んでこれ嬉しき哉と言わんばかりにワイングラスを傾けて酒乱のそれの如く大爆笑だ。

 私たちはこの者二人に聞かれぬように肩を組んでひそひそ話だ。

 

「この者たちは凝り性のないのだ」

 

「当然だろ。ダンブルドア教授だぞ。怖いものなしだ」

 

「団芝三も頭の螺子が緩んでるからな。真面に取り合ってもけむに巻くのが目に見えてる」

 

「修正のしようがないと思う」

 

「右に同意」

 

「せめて人の子であってくれたなら……」

 

「諦めるしかないよ」

 

 散々のいいようであるがそれが的を射ているのだから仕方がない。

 この酒精に憑りつかれた老人共に付き合っていたらまた化かされるのも時間の問題と思え、その場を後にしようとみんなが身支度を整えてホロ衣カフェを出ようとした時だった。

 

「おお、そうだ。ご褒美を忘れておったわ!」

 

 ダンブルドアがそう言い。懐からとある小箱を取り出した。

 竜人を手招きして呼び寄せ、その小箱を手渡した。

 

「賢く使いなさい」

 

 そう言われ私たちは興味がてらその小箱の中身をまじまじと覗き込んだ。

 その箱から出てきたのは──。

 

「ペーパーナイフ?」

 

 小洒落た形の黒曜石のペーパーナイフだった。

 何だとジェームズ達はなんだペーパーナイフと言った様子であったが、よくよく私はそれを見ると妙な物を感じる。

 縁切りに長けているのだろう。何やら魔法が掛けられているような感覚が私の天狗の勘がそう囁く。

 月夜の月光にそれを翳して不思議そうにしている竜人。私もそれの不思議な魅力に魅入られているときだった。

 慌ただしく、黒衣の魔法使いたちがそこ退けそこ退けと言わんばかり焦ったように会場の外へと向かって行く。それに合わせて会場が不穏な騒めきに支配された。

 

「あれ、オーラ―じゃないか?」

 

「オーラ―?」

 

 ジェームズが聞き慣れない事を言うので私は不思議そうにすると綾瀬が説明してくれた。

 

「闇祓いの事だよ。日本じゃ『禍祓い』て言った方が通じるかな」

 

「ああ、役所の者どもなのか」

 

 しかし、その尋常ならざる剣呑な雰囲気たるや、何やら事件だろうか。

 ジェームズたちマローダーズ達が顔を見合わせ、いやらしい悪戯を思いついたのだろうか、意地汚い笑顔を浮かべた。

 

「ちょっと見に行かねえか?」

 

 そう提案する彼らに私たちは気乗りしなかった。

 触らぬ神に祟りなし、妙な事に首を突っ込んで厄介事を持ち込まれるのは大変嫌なのだが、しかしながら少しでも団芝三の化かしの後遺症から抜け出したいのも確かで、少しだけ興味が湧いた。

 私たち学生十人で祭の余興だと言わんばかりに楽し気に彼ら闇祓いに続いたが、それ続く事はまさしく『祟り』であった。

 

「どけ! どくんだ!」

 

 闇祓いたちの剣呑な声で人だかりを分け入ってその騒ぎ中央へと向かって行く。

 

「すごい人だかり、これじゃ何が起こってるか見えないね」

 

 リリーがそう言うが、私は何のそのだ。

 羽根を広げて、団扇を軽く仰いで風の力を借りて、空へと舞った。

 セウや竜人は自らの術で飛べるために私が綾瀬、リリーを担ぎ。竜人とセウがマローダーズと薫のグループで飛んでそれを望んだ。

 そして私たちは後悔した。

 私たち以外にも箒で飛んでそれを見ようとした野次馬たちが嘔吐いている。

 それもその筈で、その人だかりの中央には──死体があったのだから。

 

「なんだありゃぁ……」

 

 竜人が呟いた。

 その骸の状況を見ればまさしく疑問を持ちたくなる。

 まるで死体を飾り立てているかのように死体の周囲を花々が囲い、血の海に沈む骸は十字の形を取ってそれを囲うようにその骸の血で花々に赤い円が取り囲んでいるではないか。

 まるでケルト十字に酷似している中に骸が十字をなぞるように死んでいる。

 その骸は、あまりにもボロボロであまりにも赤く染まっている為にすぐには判別できなかったが、その衣服の形状からヴァルプルギスの運営に係る12人の選ばれた司祭の一人だった。

 血の海に沈んだ骸の口にはパセリの花が詰め込まれている。

 

「酷い……誰がこんなことを」

 

 リリーがそう言い今にも吐きそうだと言わん様子で口を押えた。

 確かに酷い。まるでこの者の死を、骸を弄んでこれを見せたいと言わんばかりの犯行現場に、私はそれが目に入った。

 それは骸の顔に綴られた焼印。犯人であろうものがの作品に名を刻むが如く書かれたその一文に私は怖気が上ってくる。

 

私はゾディアックだ(This is the Zodiac speaking)

 

 犯人の名前、その意味に混乱の中にその夜は終わりを告げた。



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ゾディアック

 日を跨ぎまた夜が訪れ、私たちが向かったのは古本を扱う店であった。

 無造作に積み上げられた本や草書、竹冊など本の形態を問わず取り扱っているその店で私たちはあるものを探していた。

 

「あった。これだよ」

 

 リリーがそう言い手に取ったモノは新聞であった。

 日刊預言者新聞という世界中の魔法界の情報を取り扱う大手新聞社の古新聞であった。

 それは六年前のそこそこ古いものであり、今にも朽ち果てそうな見た目であったが、しっかりとその文字は見て取れた。

 英文で書かれたそれに首を捻って唸る私にリリーと綾瀬はその見出しに首っ引きな様子で見入っていた。

 

「これだよ。その『ゾディアック』の見出し」

 

「ホントだ……こんなに前に起こってたんだ……」

 

 綾瀬がリリーに綴りの補足を貰いながら、見出しの内容を呼んでくれた。

 

『ゾディアック事件』

 

 米国サンフランシスコ近郊ベニシアにあるハーマン湖にて男女二人の未成年カップルが射殺される。

 ノーマジ同士の諍いかと思われ、事件は魔法界とは無縁のものだと思われたが、事が一転したのは翌年の1969年7月4日カリフォルニア州ヴァレーホの駐車場で銃撃があり、19歳男性が重傷、22歳女性が搬送先の病院で死亡した。同年7月5日、ヴァレーホ市警に男性の声で「前述の2件とそれ以前に行われた殺人、そのいずれも自分が実行した」と、犯人しか知り得ない情報を含む電話がかかって来た。その後すぐに指定した場所に駆けつけると、被害者である2人が発見された。

 同年同月から翌月にかけて、ゾディアックを称する人物からサンフランシスコ湾域警察、『タイムズ・ヘラルド』とサンフランシスコ、アメリカ大手魔法界新聞社の3紙、著名人らへ一部魔法による暗号化されたものを含み多量の手紙が送付された。

 同年9月、20歳男性と22歳女性のカップルがベリエッサ湖畔で覆面の男にナイフで襲われる。ナパ警察はゾディアックからの電話を受けて新たな犠牲者カップルを発見し、男性は生存するも女性は同月29日に死亡した。

 足取りを掴むべく、アメリカ合衆国魔法議会(MACUSA)とサンフランシスコ州警察との連携捜査が開始されたが、しかしながら魔法による射撃の痕跡や創傷の後はあれどその使用者の特定にまでは漕ぎつけなかった。

 同年10月、29歳のタクシー運転手が、サンフランシスコ近郊のプレシディオハイツで射殺され、金品を奪われ事件が発生し、10日後、ゾディアックは運転手の血が付いたシャツ断片を地元新聞社へ送り、警察署へ電話、「弁護に就いてくれるなら自首する」と名指しで伝え「テレビ番組で電話出演する」旨の発言をした。

 その後、テレビ番組で指名された弁護士出演のもと、ゾディアックからの連絡を待ち、本人と思われる人物から連絡が実際に来たものの、結局ゾディアックが自首することはなかった。

 この一連の出来事から只の魔法族ではなく、ノーマジの生活形態を非常に知っていることが伺え、アメリカ合衆国魔法議会は『スカウラー』の犯行と想定し被害者たちの血統を調べると、三等親以内に魔法族の存在が確認され、『スカウラー』の犯行と断定された。

 そして今年、ゾディアックから「今まで37人を殺害し、事件を新聞で一層大きく取り扱わないと『何かすさまじいこと』をやる」と記された2通の手紙がサンフランシスコ市警察へ届く。

 

「凄まじいのだ……」

 

 私は言い、そのゾディアックなる悪党にむかっ腹を立てた。

 何も私が来訪しているヴァルプルギスの夜に犯行を行わなくても良いではないかと鼻息荒く、怒り散らした。

 

「アメリカ大陸の魔法族の歴史ははユーラシアの魔法歴と比べても成り立ちが新しいし、その上複雑なんだよ」

 

「この“すかうらー”とは何なのだ?」

 

 私はまず一つ、『スカウラー』と言うものが何なのかが分からなかった。

 話を聞く限りでは、魔法族を狙っているような犯行をしているように思えて仕方がなかった。

 リリーもそこは少し首を捻っていたが、綾瀬が代りに説明してくれた。

 

「アメリカ大陸が発見されて、まだまだ開拓もされていなかった頃に入植した魔法族たちだよ」

 

 米国というのはまだまだ歴史的に見れば建国して歴史が浅いところがあるが、その複雑な人種の入り乱れようと混沌とした歴史は間違いなく、英国や、日本の歴史に匹敵する密度がある。

 スカウラ──―それはアメリカに入植が始まって間もない時期にアメリカに渡った魔法族、その中でも無法を極めた者たちの事を示す言葉だ。

 17世紀、アメリカ魔法界に措いて魔法政府や法律の執行機関が存在しなかった、それ故にユーラシアの闇の魔法使いの流刑の地として重宝されたのだ。

 彼ら闇の魔法使いたちは次第にコミュニティなどを形成していき、平和に暮らすものも居れば、生来の暴力性に従う者たちもいた。

 そしてその暴力に従う者たちは、賞金稼ぎ(バウンティハンター)たちに便乗して傭兵として各地で暗躍するようになった。

 各地で起こる賞金首を捕らえて生計を立てる者たちは次第に、ノーマジ、只人にも牙をむく事となり、先住民のネイティブアメリカンの魔法族と手を組み、西部への西進を進めた。

 蒸気機関車が大陸を横断できるようになった頃合い、1693年に『セイラム』と村で起こった事件にて、スカウラーの関与が認められ、ようやくアメリカの大地に、中央政府と呼べるものが建立された。

 それがアメリカ合衆国魔法議会、その頭文字を取ってマクーザ(MACUSA)とされる。

 マクーザ(MACUSA)の働きにより、渡世の世にスカウラーたちの悪行が暴き立てられる事となり、その真実と来たら、目も瞑りたくなるような悲惨な惨状であったそうな。

 スカウラーは国際的に指名手配される事となった、しかしながら悪名の高い者たちは数名が裁きを免れ只人社会に紛れ込んで、子を儲けるなどをしてその悪名を隠しながら時は流れた。

 歴史家たちによれば、魔法族に発見されるのを防ぐため、こうした家庭では魔力を持った子どもは“間引かれ”、只人の子だけが育てられたと考えられている。スカウラーは魔法界を追放されたことへの復讐心を燃やし、子どもに魔法の存在を教え、魔法使いや魔女は滅ぼすべき者たちだと信じ込ませているそうだ。

 

「自らの首を絞めておいて、終いには人のせいか」

 

 私はスカウラーの非道に大変に自分勝手であると断じる。

 

「アメリカの魔法史は結構特殊な部類だから、調べるのも苦労したよ」

 

 綾瀬はニコッと笑った。

 成り立ちも、建国された年数も浅いとなればその文献を扱っているものは少ないだろう。

 よくぞそこまで調べたモノだと言おう。

 ラパポート法などアメリカの特徴的な魔法界の説明を聞くと、なかなかに変わっている。

 国を跨げば神も変わる、神が変われば生活も変わり、海を跨げばまさに別世界だ。

 

「にしても、ァメリカ魔法省も闇の魔法使いがスカウラーの犯行とは、安直ではなかろうか」

 

「それだけ禍根は根深いんだと思う。奴隷文化も建国当初はあった見たいだし、多人種国家、人種の数だけ神様もいるから。そう言った括りで扱った方がたぶん簡単なんだと思う」

 

「ふむ……」

 

 何とも歯痒い限りだ。

 同じ人間であろうと区別されるし、個性は確かに存在してその個性は差異となり、その差異が差別、区別、侮蔑と負の感情が発生する。

 只人と常人が違うように、男と女が違うように、私と綾瀬が違うように。すべてには違いが存在している。

 

「しかしながら闇祓いたちは師走のようだな」

 

 私たちはテントの外を覗くと、黒衣の魔法使い、闇祓い(オーラ―)たちが世話しなく走り回っている。

 この様な祝いの場で殺しなど起こる筈もないとたかを括っていたのが運の尽き、ヴァルプルギス運営委員会はヴァルプルギスの夜と言う長年続いた威信もあり、その失墜を免れるべく各地の闇祓いたちに召集を掛けていると聞く。

 日本もそれに当たり、国外に出向くことはないにしてもこの場にいる者たちは部署問わず召集が掛っているそうで、竜人も捜査に駆り出されて祭どころではなくなっている。

 憎悪と禍根に生み出された狂気の殺人鬼『ゾディアック』。

 いったい何を求めてそれを行っているのか──今の私には分からない。

 

 

 

 

 

「ッチ──グチャグチャだな」

 

 竜人はそれを見ていった。

 仏に向かって無体な事を言うほど無礼な竜人ではないのだが、その姿と来たらグチャグチャと称するしかなかったのだ。

 体中を刃物でめった刺し、顔の半分は皮が荒く裂かれてグチャグチャだった。

 人の形はとどめているが、その表面的な人間的な部分がすべて意図的に崩されているかのような犯行の行われ方だった。

 

「蛆がまだ湧いてない。昨日の夜か、その前か……」

 

 仏に手を合わせて竜人は黙祷する。崇拝する神は違うだろうが、神様は神様だ。さほど変わらないモノだろう、手を合わせて祈ることが大事なのだ。

 殺されて然程時間は経っていない。おそらく犯行の時間帯は竜人たちが化かされている最中と言ったところか。

 少なくともとなれば少なくとも、ホグワーツ、魔法処の生徒教員の犯行ではない事は立証できる。

 しかしながら、この『私はゾディアックだ』というこれ見よがしの犯行声明を書き残す者とは。

 まるでこれが己の唯一の表現方法であると言わんばかりのやり方だ。

 愉快犯、猟奇的、そして非常に狡猾。

 ヴァルプルギスの会場から少し離れているとはいえ、人目はある。その中で堂々と行われたこれは、人払い魔法かな何かで人を寄せ付けなかった? だが、それでは犯行のやり方がずさん過ぎる。

 イタリアの闇祓い(オーラ―)の見解では少なくとも大規模な魔法の行使は認められないそうだ。

 単独犯と考えるべきか、集団での犯行と考えるべきか、双方の可能性が秘められている現場だった。

 竜人は遺体を眼前に据えて考え込んでいた時だった。

 

「どけ、ここはガキが来る所じゃない」

 

 竜人を押しのけてくる闇祓い(オーラ―)がいた。

 

「あ? 俺は魔法省務めの人間だ」

 

「魔法省だぁ? どこの国のだ。ちんまいガキが出張る場所じゃない」

 

 そう言う闇祓い(オーラ―)に眼を顰めて竜人はそいつを観察した。

 高圧的、そして人間を下に見る傾向ありと見える。

 ナチュラルな金髪で、とび色の瞳、鼻の高さから見て少なくとも亜細亜圏の闇祓い(オーラ―)ではない事は分かった。

 

「悪かったな。日本はどこでも魔法使い不足なんだ。文句があるならヴァルプルギスの運営員会にどうぞ」

 

「日本? はっ! 極東の島国のイエローモンキーが、悪い事は言わないからさっさと消え失せな」

 

 己以上の憎まれ口、いや、もはや侮辱の域だ。

 この場で締め上げてやりたい気持ちになるが、そこはグッと堪え、こちらが大人になろうと思う。

 だが言われっぱなしは気に食わない、大層な皮肉を込めて言ってこの場から消えてやろうかと思ったが、そこへ割って入る人物がいた。

 

「いくら彼が若かろうと、この場に入れるってことは実力はあると言う事ではなくて? ミスター?」

 

「あん? ……あっ! はっ! 失礼しました」

 

 さっきまでの威勢がどこかに消し飛んだのか。その人物の顔を見るなり手のひらを返して律義に敬礼して答えて消えていくそいつに鼻笑いで応じた。

 

「若いのも大変ね」

 

 その人物が竜人に話しかけた。さっきの馬鹿でも立場と言うものを知っているのならこの者は相当な人物なのだろうと竜人は察して同じように敬礼で応じた。日本海軍式だが礼に応じるのは義を蔑ろにするは六波羅局員の名折れだ。

 

「大変失礼しました。日本魔法省預かり、陰陽寮『六波羅局』局員。安部竜人と申します」

 

「構わないわ。楽にして頂戴」

 

 彼女はそう言った。僅かにだが皺の浮いた顔で瞳も髪も茶の女性がにこやかに笑った。

 

「私はポーペンティナ・エスター・"ティナ"・スキャマンダーです。よろしくね。日本の方」

 

 少し驚いてしまう。スキャマンダー夫人と来たかと思う。

『幻の動物とその生息地』の著者、ニュート・スキャマンダーの妻にして、アメリカ合衆国魔法議会マクーザ(MACUSA)の名誉闇祓いの一人だった。

 世界魔法大戦の引き金を引いた重罪人『ゲラート・グリンデルバルド』の投獄に尽力した人物でもあり、世界魔法史にすらその名前が記される人物だった。

 

「これはご拝謁に賜り、大変光栄でございます。スキャマンダー夫人」

 

 本心から出会えた縁に感謝だ。彼女の功績はダンブルドアに次ぐ功績だ。

 気恥ずかしそうに笑った彼女はチラリと遺体を見て、悲しげな顔をする。

 

「遂に国外に出てきたのですね」

 

「何か手掛かりでも?」

 

「いえ、以前この『ゾディアック事件』の捜査に係ったことがあったのよ」

 

 彼女の出身国はアメリカだ。闇祓いを引退しイギリスに移住したと聞いていたが、彼女がゾディアック事件を調べていたとは驚きだ。

 

「これを見てあなたはどう思う?」

 

 スキャマンダ―夫人がそう聞いてくることに竜人は率直に答えた。

 

「頭の狂かれた。狂人の犯行だと思いますが」

 

「素直なのね。若さ故かしら」

 

 夫人は考え込むようにして僅かな間、黙考して言った。

 

「まだまだ。この犯行は続くわ」



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事件予測。そしてその背後に

 済し崩しに竜人もゾディアック事件の捜査に協力することとなり、ヴァルプルギスの会場の警邏に割り当てられ、会場を警備して回っていた。

 本職の、闇祓いではない竜人にとって殺人現場などの実況見分など出来るわけもなく、出来うることと言えばそうした警備が主だ。

 隣を歩く女性、かの『名誉闇祓い』スキャマンダ―夫人と共に会場を鋭く睨みつけるようにして、怪しきものを探して回る。

 

「あなたは闇祓いじゃないのよね」

 

 スキャマンダ―夫人が聞いてくる。

 竜人は静かに、はい、とだけ答えて気を張り詰め続けた。

 そんな様子にくすりと笑った彼女は竜人の後ろに回って、背中をパンと叩いた。

 何の呪い(まじない)かと思ったが、そんなことはなく、にこやかに言った。

 

「張り詰めているのも肩身が狭くなるだけよ。気を抜くことも大切なんだから」

 

 そう言う彼女に竜人は呆気にとられた。

 先任者がそう言うのであるのだからそうなのだろうと少しだけ肩の力を抜いて脱力して見せた。

 にしても今回のこの事件、何故に『12人の司祭』を狙っての犯行か、気掛かりだった。

 黙って考え込む竜人にスキャマンダ―夫人は、その様子を気取る。

 

「被害者の事?」

 

「ええ……わざわざ何故司祭を狙ってか。不思議でして」

 

 ヴァルプルギスの夜に選ばれる『12人の司祭』。それ即ち栄光ある立場の者たちばかりだ。

 その年で最も業績輝かしい者が選ばれ、少なくともマーリン勲章を贈られた者たちが選ばれることとなっている。

 並みの魔法使いではない。高々そこらにいる闇の魔法使いに後れを取る人物ではないはずだが、なぜ殺人を犯すにあたり、司祭が選ばれたのか。

 そこが気掛かりだった。

 

「プロパガンダ……って考えるのが普通よね。この場合」

 

「でしょうね。わざわざ司祭を狙うなんて非合理だ。そこらの逢引き連中を狙った方がよっぽど簡単に殺せる」

 

「殺人に関してよく知ってるのね」

 

「ただ単に想像ですよ。俺が犯人ならどうするか考えただけです」

 

 相手の立場となって考えるのは危うき事也、六波羅局の殺人担当の先輩がそう言っていたが、竜人はこうした捜査の方法しか思いつかなかった。

 その先輩曰く、捜査は証拠となりえる物を点と例え、それらを線で結んでい行く絵なのだそうだ。と言ってもその先輩は『イタコ』の家系なのだから線もクソもない。

 

「それもまた一つの方法ね。犯行動機も、その手段も現状分からないわけだし。今、探すとなるとそれを起こして何を目的としているか、ね」

 

「愉快犯と考えているんですか?」

 

「あの犯行現場を見るに誰しもがそう思うと思うわ。これ見よがしのケルト十字の血の文様、周囲に飾られた花、口に詰められたパセリの花。パセリの花言葉って知ってる?」

 

「いいえ」

 

「『お祭り気分』『愉快な気持ち』──そして『死の前兆』。ゾディアックがそれを知っていて口に詰め込んだなら、まだ犯行を行う気でいるんでしょうね」

 

「お祭り騒ぎがしたいのなら、次に行う行動は予想が付きますね」

 

「どういった予想? 聞かせて貰いたいわ」

 

「大量に殺すか、司祭がまた狙われるか、この二択でしょうね」

 

 竜人は断言した。司祭を狙った犯行だとするならば犯人の益となることはその犯行が人の目に留まる事、即ちプロパガンダ以外にその意味が見えない。

 それに勝る方法で注目を集めるとなれば、方法は一つ──大量殺戮しかないと思われる。

 そんなことはないとは思いたいが、しかし相手は既に頭の螺子が飛んだ相手だ手段を選ぶほどの理性を求めるのは自分勝手な物だろう。

 

「まずそこに行きつくかですけどね。ゾディアックが次の行動を起こすかが問題でしょう」

 

「起こすわ。絶対に」

 

「確証があるんですか?」

 

「ええ……」

 

 夫人が取り出したのは過去、ゾディアックに関する事件の記録を記した手帳であった。

 その内容に驚愕する。想像を絶する内容が書きこまれたていた。

 日刊預言者新聞にも知らされていない世間一般には知られていない30名の魔法族殺害のがあったと書き記され、そしてゾディアックと言う名前が出る以前の事件まで関連付けされていた。

 日本人でも知っている最悪の暗殺事件だった。表アメリカ大統領の暗殺事件が関連していると考察されている。

 

「ジョン・F・ケネディ大統領暗殺にゾディアックが関与の可能性あり? ゾディアック事件よりも以前でしょう。これ」

 

「いいえ、関与している。服従の魔法で犯人を従わせたのよ」

 

 事件の斬新な切り口からの考察、ゾディアックの人物像からすべてが記されていた。

 マクーザの闇祓いたちのゾディアックはスカウラーの家系だと言う見解は一緒であったが、その犯行動機は、スカウラー特有の歴史的な禍根から来るものではないと考えられていた。

 そこに記されていたのはとある人物の名前とその印。

 

「ヴォルデモート?」

 

「ええ。ゾディアックが崇拝していると思われる人物よ」

 

「誰ですか? ゾディアックなんて狂った殺人犯に崇拝されるなんていうそいつは?」

 

「そこが分からないの。世界魔法大戦が終結してからの十年間、それこそ本当に全世界が平和だったわ。でも55年に少し不穏な事件があったの。これを見た事ある?」

 

 夫人はその印を見せてきた。

 頭蓋骨、その口から蛇が這い出ている魔法の印。新たに作り出された魔法だそうで、その術の名前は──『闇の印を(モースモードル)』。

 

「この印に集う闇の魔法使いたちがいる」

 

「確証はあるんですか」

 

「考察でしかない。でも、完全なる否定が出来ないのも確かなの」

 

 ヴォルデモート成る人物、その人となりが少しながら気に掛かる。

 スキャマンダ―夫人がマクーザで名誉闇祓いになったのはそれなりの実績があるからだ、妄信、妄言、空想、無想でそれを積み上げるほど、魔法省は優しい場所ではない。

 となれば彼女の捜査方法も正鵠を射たものかもしれない。

 ゾディアックがそのヴォルデモートなる者の信奉者だとして、一体この殺人に何の意味があるのだろうか。

 

「この人物はいったいどんな者なのですか?」

 

「詳しくは分からない。でも、その思想が確実に純血主義、とも違うわね。魔法族至上主義とでもいうべきか。そう言った考えで動いているのは確かよ」

 

「魔法族至上主義……何ともアバウトな考えだな……」

 

「実際そうであるかも分からない。ただ今分かっている事と言えばその行い、行動原理は間違っていると言う事だけ、それを慕うゾディアックは間違いなく、『闇』に属しているわ」

 

「素性のよろしい人間でない事は確か、ですか……なんとも厄介な」

 

 大変厄介だ。人間は信じると言う本当に恋と言うものの次に厄介なものを持ち得ている。

 盲信という言葉があるように、本当に自らをも盲目にさせてしまう。

 ゾディアックがそのヴォルデモートなる者に触発されて動いているのならもはや手の付けようがないだろう。ほぼほぼそれは人の生活、信仰にまで結びついているのだとしたら。

 いや、待て、それ以前に──。

 

「待ってください夫人。この捜査の考察だと、スカウラーの禍根と、ヴォルデモートの主張が食い違うことになる」

 

「そこなの。そこが疑問で仕方がないの」

 

「過去のゾディアック犯行で、この、闇の印があったってことは、スカウラーの血筋っていう立証が不可能になる」

 

「そう、そこなの。その事もあってマクーザの闇祓い局長は私の主張を退けたわ、『全くの関係のない事象だ』ってね」

 

「引っ掛かる言い方ですね……」

 

 マクーザの闇祓い局長の言い方『全くの関係のない事象だ』。それ自体はあると認識していると言う事だ。

 

「マクーザでスカウラーの極刑を執行する事は、ある意味ではステータスになる。セイラム魔女裁判の再来を未然に阻止したっという大きなステータスになる。だから私の主張は拒否された、スカウラーの関連が認められないといった主張は」

 

「業績の為に、真実をねじ伏せたってことですか?」

 

「ええ、お国が違うっていうのもあるのかしらね」

 

 竜人は手帳の頁を捲ると──。

 

「……なんだこれ──戦争じゃないか」

 

 衝撃的すぎるなようであった。もはやそれはゾディアックどころの話ではなくなり始めていた。

 ヨーロッパ各地で起こっている連続魔法族失踪事件、その関連性と、その背後に動いているであろう者たちの名称、組織名が記されていた。

 アーネンエルベ、狼人間コミュニティの名前、中国の魔法コミニティ『紅幇』もある。

 そして日本の陰陽寮の名前も。その上驚かされるものがそこに記されていた──

 

「……緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)

 

 それらをすべて束ねていると思われる『死喰い人(デス・イーター)』の文字があった。

 この規模となれば、たった一国の魔法省では手に負えない規模になってくる。

 ただ一国の闇祓いの人数などたかが知れている。確実に手に余る。

 待て、少し落ち着こう。冷静に対局を見る必要がある。

 

「──ふぅー……」

 

 息をついて、それに向き直る。

 奥に見えるのは、これが確かなら凶悪な事象であろうが、しかしながら今それを見据えるのは些か早急過ぎるのではないだろうか。

 まずは目先の事件を、『ゾディアック事件』を解決することの方が先決ではなかろうか。

 

「……面白い考えですね」

 

「あなたの目から見ても面白いかしら。私を狂人だと思う?」

 

「そこまでは言いませんが、少しながら事を急ぎ過ぎていると言わせてもらいます」

 

「ふふっ、賢明なのね」

 

 事を急ぐのは利巧ではない。一つ一つ、コツコツと石を積み上げていく事こそ努力の賜物であり、利口な人間のやることだ。

 夫人はその対極こそ見れているのだろうが、事を急ぎ過ぎているように思え、竜人は全面的に賛同すると言う事が出来なかった。

 魔法省が違う、国の違いというのもあるが、事が大きすぎる。

 竜人、夫人の二人でどうこう出来る話の規模ではまずないからだ。負け戦に果敢に挑んでいく蛮勇は竜人は持ち合わせていない。あるのは確実なる勝利を掴む為の布石を集めて、そしてそれらを人に投げて渡して解決させる。

 決定的な動きは自ら行うな──これが六波羅局の方針だ。

 陰陽寮、魔法省、双方の動きを監視して天秤となりえる公正な機関たれ。

 それ故に六波羅局の人間は陰陽寮の所属であるが、魔法省に出向する形で『魔法省職員』という肩書で活動している。本来ならば国外の事件など眼中にないのだが、今回はその『魔法省職員』という肩書であった為にこうして捜査に協力させられているわけだ。

 

「確かにその通りだわ。事が急ぎ過ぎているのは確かね」

 

「まずは目先の事件が先決です、ゾディアック事件の解決が。魔法省も超法規的な機関じゃない、魔法族に益する公正な機関であるのですから、手順は踏まないと」

 

「まあ、若いのにお利巧さんなのね」

 

 何だが馬鹿にされているような気がするが、ここは気にしないでおこう。

 警邏を続けていると、夫人に話しかけてくる者がいた。

 容姿、年齢、それらを夫人と比較していると、夫人からその者の正体を話してくれた。

 

「……ティナ。また、闇祓いをやっているの?」

 

「あら、ニュート! お買い物はもう終わった?」

 

 かの著名魔法動物学者で、夫人の夫。マーリン勲章勲二等の持ち主、ニュート・スキャマンダーだった。

 

「彼は?」

 

「ああ、ついさっき知り合ったの。日本の魔法省務めの──」

 

「六波羅局局員、安部竜人です」

 

 握手を求めて手を出すと、スキャマンダーは自らの掌をズボンの裾に擦って拭いて、握手をした。

 僅かに獣の臭さが混じった匂い、御年77歳を迎える筈だが年不相応と言った容姿で、大変若々しい見た目をしていた。

 片手にはトランクを持って、その功績に見合う人物かと思っていたが少しだけ違った。

 どこか竜人の目線を合わせないようにおどおどした様子で、どこか伏し目がちに竜人と握手をした。

 

「僕は、ニュート。ニュート・スキャマンダーだ」

 

「知ってます。『幻の動物とその生息地』日本語訳版ですが読みました。大変貴重な文献だ。尊敬します」

 

「……う、うん」

 

 どこかよそよそしい感じで竜人に受け応えるスキャマンダ―に苦笑いのような笑顔で返してしまう竜人、いつも使わない顔の筋肉に引き攣り笑顔だったが、その後ろで夫人が『彼は人が苦手なの』とジェスチャーしてくる。

 研究者気質なのだろう。人類と対話することに長けていない人種というのは一定数人類に紛れ込んでいるもので、彼もそれなのだろう。

 人間同士の会話よりも他の動植物に囲まれている方が快適という手合いなのだとこの数秒の間で分かった。

 無理を押し付けても、無理なものは無理だろう、それが竜人のように若かりし者ならいかようにも矯正できようが、彼はもう大人というには少々年を取り過ぎている。もう手の施しようがないだろう。

 軽く挨拶を済ませて、彼はビクビクとした様子で夫人の後ろに隠れるように話をする。

 

「ティナ……。ヴァルプルギスには魔法動物の餌の買い付けに来たんだ。もう帰ろう」

 

「待ってニュート。今この場を離れる事は出来ない。ゾディアックが出たのよ」

 

「もう、何年も前の事件じゃないか。他の闇祓いに任せればいいじゃないか」

 

「彼みたいな若い子も捜査してるのよ。放っておけないわ」

 

 闇祓いを身内として持つ身として考えれば確かに彼女はもう前線から退いた身だ。もう落ち着いていい頃合いでもあるし、何より闇祓いは他の魔法省部署よりもその職員の殉職率はケタ違いだ。

 スキャマンダーは夫人を心配しているのだろう。

 だが、言い方と言うものもある。まるで手を付けておいてそれをキリの悪い所で他に投げて渡すかのような言い方は頂けない。

 

「スキャマンダ―さん。すいませんが、夫人には僅かな間ですが捜査に協力してもらってもよろしいでしょうか」

 

「あ、え、う──」

 

「無茶はさせません。過去に起こったゾディアックの検証だけです。決闘などになったなら絶対参加させませんので」

 

「それなら……」

 

 渋々了承するスキャマンダ―に引き攣り笑顔で応じた竜人に、夫人は大変なものと実を結んだと苦笑いだった。



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恋すべき人へ

 学生が殺人の起きた会場をフラフラしているのは頂けないモノだと世間一般は思う事だろう。

 私だって、殺人犯がうろついているかもしれない場を遊び歩く事罷りならないと思うが、しかしながら私たちは無罪放免を確約されている上に、何より、その会場がそれを許してくれない。

 夜更けの中、私はフラフラ、フワフワとバタービールのグラスを座禅を組んだ膝にのせて、私は空に浮かんで何気なしに空を見上げながら無想する。

 何ものも求めることなく、思考と言うものを捨て去ったこの状態こそ常に維持し続ける天狗が必要としている状態、即ち無我へと至った状態であり涅槃への歩みの一つだった。

 こうした思考をしていること自体、無想とはと思うが、唐突に訪れる何ものにも囚われない虚無なる状態とは何ようなものなのか。

 人間だれしもがあるだろうと願いたい。その虚無が内なる人間性に潜んだ現象であることを。

 意識がより鮮明に、何ものにも囚われていないがために研ぎ澄まされ、より多くを見通せる。

 それ即ち神通力の足掛かりであり最も修行するに適した状態であった。

 やる気とは唐突なことで訪れるものだ。暗くならねばやる気の起きぬものも居れば、眠くなければやる気の起きぬもの、その引き金は人それぞれ、その切り替えを心得ている者は偉いものだ。

 

「…………」

 

 薄く目を閉じて、夜の空に浮遊する私。

 夜闇の暗黒を見据えて欠けた月に私は現象をそのまま受け入れて、受け止めた。

 時の流れをその身に感じ、音を聞き、空気を肌で感じ、匂いを嗅ぐ。

 すべての現象がなる様にしかならない。

 色即是空、空即是色。人の肉体と精神を切り離し、より高度に思考する事を求め、そして未だに揺らぎあやふやで形のない存在を、物体として存在し得ない概念をより深く考え込む。

 一人勝手に空に浮いて修行に励む私の下には喧騒と焦燥、愛と憎悪と、楽と哀の二極端な感情の鬩ぎ合いを魂で感じる。

 世界を知り、人心を知り、時間を知り、魂を理解しよう。

 常世、精神、時の流れ、霊魂。この四つを制する天狗は涅槃へと至れり。

 

「………………」

 

 天狗とはいったい何者なるや。

 例えは幾らでもある。

 天下不遜の迦楼羅天に列せられる者たち。凶事を知らせ、帝に害成す存在、魔縁魔王の一族。

 例える事ならば幾らでもできよう、しかし私たちとて他者と対話して思考している。

 故に衆生に囚われる魂である事、釈迦の教えに通ずる憐れな輪廻に囚われる者たちである。

 天狗とは何者たるや。

 自らに神の御業を体現する現人神たる存在。断じるのならそうであるが、手段を問うなら魔道を列する下界の者たちとてそれに通ずる。

 神とは一体、人とは一体、私とは一体──。

 

「そこで何していらっしゃるの!」

 

 不意に声を掛けられ私は下を見下ろした。

 そこにいたのは。

 

「薫?」

 

 今迄あまり係わりのない藤原薫がこちらを見上げているではないか。

 相変わらず、重そうな十二単を着込んでこちらを見ているではないか、私はその座禅を組んだ状態のまま薫の前までゆっくりと降りて行った。

 

「何用なのだ?」

 

 むっすっとした顔であった薫。その表情からまるで煙たいと言わんばかりの表情に私の穏やかな水面のような心に小石を投げ入れてくるようではないか。

 波風のない心の内にその波紋が立つが、ここは小さな揺らぎと心得よう。

 煙たそうに私につんけんした態度で接してくる薫に仏のように穏やか応じよう。

 

「竜人様はどこにいるか知りませんこと?」

 

「竜人ならばゾディアックの事件の捜査であろうな。この会場にはいようが、どこにいるかは知らぬ」

 

「はァ、当てになりませんわね」

 

 何とも失礼な奴だ。いやいや、ここは穏やかに、仏の如く。

 

「何故に竜人の事で私に訊くのだ?」

 

「……ふんッ! 癪ですけれども貴方が竜人様と親し気になされているから居場所を知っているのではないかと思ったのよ。目先で浮かんでいるものだからそれで声を掛けたまでの事。大意はありませんわ」

 

 何とも勘違い甚だしい事この上ない。竜人と私は親しいのではない。恨めしいのだ。

 あの者は私に(こうべ)を垂れるどころか、私に首を押さえて(こうべ)を垂れさせてくる不届き者だ。

 私を誰と心得る。私は六代目石槌山法起坊天狗の石槌撫子であるのに、あの者と来たら──。

 仏の揺らぎのない心の水が、竜人の事を考えいるとぐつぐつと煮立ってくるように大きな波が産まれてくる。今にして思うと奴はかなりの無礼を我に働き掛けてきているではなかろうか。

 私を餓鬼と扱い。仕返し合戦でゴキブリ箱を彼奴のエンマ荘自室に送り悲鳴を引き出せば、そのまんま返しのゴキブリ箱が私の部屋に送られ、私の口から悲鳴が飛び出た。

 杖術の授業で鬼灯より点数を竜人よりも多く賜れば、竜人は他学科でより多くの点数を取って私を鼻で笑ってくる。

 まるで私ががりがりに痩せた野良猫の如く餌を集る憐れな生類の如く扱う事、天狗に対して失礼であろうに、それを平然とやってのけるその根性たるや、それ無礼と知れ。

 

「……今にして思うも腹立たしいのだ……あのような者何処へでも行けばよい」

 

「貴方には不釣り合いな方であるのだから、あまり側に寄ってほしくはありませんわ」

 

「不釣り合い? はて、奴が私に不釣り合いであろう。その言い方まるで私が竜人に不釣り合いと言っているように聞こえるのだ。逆であろう、逆」

 

()()()不釣り合いなのですわ。あの方は尊い存在、天狗などそれこそ目糞鼻糞にも劣りますわ」

 

 こやつも大概の口ぶりである。辻風にてナポリ湾まで飛ばしてくれようか。

 十二単だ。さぞ風をその身に受けてよく飛ぶことは見て分かる。

 私の手が怒りから団扇に手が伸びそうになるが、そのどこか蕩けた表情に私は鼻を尖らせて聞いてみることにした。

 

何故(なにゆえ)に薫は竜人に執着する。あの者に代わる者などどこにもいようが」

 

「何をおっしゃいますの?! 竜人様は唯一無二の方でしてよ」

 

「そうか?」

 

 あのような者、憎まれ口を叩く匹夫の者だ。

 それこそ代りを見つけるのは苦労しない。夜の町に繰り出せばそこかしこで居ように。

 私からしたら俠客者の方が竜人よりもよっぽど人間味に溢れる人であろうと感じるが、力強く薫は否定する。

 

「あの方は、竜人様はお優しい方なのです。弱きを助けて、悪鬼を懲らしめる。それこそ良識のある聖天子のようなお考えは私たち日本の魔法族を導くに相応しい方ですわ」

 

 大層持ち上げる薫の言い分を聞いてみることにして見よう。百聞は一見に如かず、され百見は一触にしかずとも言う。私という色眼鏡で見た竜人と、薫という色眼鏡で見た竜人はその印象はがらりと変わるものだ。

 

「あの方は六波羅局での働きと来たら、それこそ破竹の勢いで様々な難事件も解決に導いた聡明な頭脳を持ち、それを鼻にかける事もなく、優しく慈しみ深くそれでいて優雅に私たち正七位の者たちにも助けを差し伸べてくださる方なのです」

 

 はて、そんなことなど私はしてもらった覚えは一度もないが、彼女はあるのだろう。

 よくよく思えば、薫は陰陽寮の出身だ。六波羅局勤めの竜人と係わることは多くある。その折に関係をお持ち、その血統の紫式部と安部晴明関係を示唆する流言飛語で自ら絆されているのだろう。

 しかしながら私としても竜人の人となりはあの大層憎たらしい態度しか知らない。根性はひん曲がり、良識と善性は持ち合わせているが腐った魚の臓物にも劣る性根以外に彼奴を知らない。

 

「六波羅での竜人とはまた興味深いのだ。私はよくよく思えばその方らの過去を知らぬ。妙な言い掛かりもその内容では認めてやらんこともない」

 

 何とも上から、竜人の人心を私が預かっているかのように薫と竜人の過去を聞いてみることにした。

 私の偉ぶった態度にフンと鼻を鳴らして、彼女ら二人の過去を語った。

 

「あの方は、私が陰陽寮に入り立ての頃に私に手ずから技を授けてくださったのよ」

 

「陰陽術をか?」

 

「当然でしょう、日本なのだから。……陰陽寮に入り立てで右も左も分からず、技も拙い私、教官たちの厳しい訓練に心身共に私は崩れていたのよ。その時に竜人様は私に優しく教えてくださって。私の心は救われましたわ。それが私にとってどれだけ救いになった事か、貴方にはお分かりになって?」

 

「分かるはずないのだ。主は主、私は私だ」

 

 まあ事情は察する事が出来る。

 陰陽寮の年少者は五歳からその家系の系譜によって入寮することが決まっており、その身柄を陰陽寮預かりとなる。

 乳離れもまだまだの幼子を親元から離し、苛烈な訓練を受けるとなればその心境は察するに余りある。

 そんな中で竜人のような才覚ある者から優しくされたのなら、絆されるのも致し方なかろう。

 

「そして何より、私は藤原香子の直系の家系、安部晴明の直系であらせられる竜人様と私が惹かれ合ったのはまさしく運命の悪戯と言っても過言ではありませんわ!」

 

 いやそこは過言であろう、と私は心の中でツッコみを入れていた。

 竜人は薫を煙たく思っているし、薫のそのかなりの熱量がただ単に一方的な押し付けがましい恋愛の駆け引きとなっているのは明々白々の事実であるが、恋は盲目、熱より覚めて凍える風邪とも逆の患いであるとは先人の者たちもよく言ったものだ。

 

「貴方には似合う筈もありませんわ、竜人様は尊き方で有らせられるのよ」

 

「ふん、あのような者が尊いのならゲンゴロウでも御仏のそれであろうに」

 

「まあ! なんて言い方なのかしら! 貴方のような人は竜人様に見合うことなど絶対にありませんわ!」

 

 見合いたくもない、と心の底からそう思い。

 恋仲となるのならさっさとなれば良かろうと思うのだが、なんならあの男は逸物を去勢しているのではないかと思うほど色恋の話を聞かない。脇より産まれ出でた仏陀の無欲さを体現しているようであるが、しかしながらその憎たらしさと来たらまさしく天邪鬼のそれだ。

 何時何時でも竜人を私の辻風の餌食としても良いのだが、団芝三にも母様(かかさま)にも無闇矢鱈に生徒を吹き飛ばす事ならずと言われているので仕方がなく堪えている私だ。

 そんな御触れを言われていなければ、即刻、地天を一周するような辻風であの世に昇天させてやってもいいのだが、仕方がなかった。

 

「まったく、見合う見合わないなど、私にはどうでも良いのだ。あのような者を欲するのなら如何様にでもくれてやる」

 

「本当ですの!」

 

 詰め寄ってくる薫に浮かんだ状態の私は紙風船が如く、突けば突くほど避けていくのは自然の摂理であり、私を追ってくる薫はまさしく犬のようである。

 

「竜人様が貴方を気に掛ける意味が分かりませんわ。貴方のような憎たらしい子を」

 

「気に掛ける? 竜人が?」

 

「そうですわ。いつもいつも貴方を目で追っているようで、常に貴方を気にしていらっしゃる……その目を独占する貴方が羨ましいのですわ」

 

 今迄そのような事気づきもしなかったし、気にもならなかった。

 竜人が私を目で追っている? 。きっとそれは私をより良き好敵手と認識していると言う事ではなかろうか。私も竜人はより良き好敵手であり、競うには最も適した人物。それを蹴落とそうなどと勘が手入るが、目で追うほどの余裕は持っていない。

 競うのだ、狙うはその喉笛であり、目ではない。

 何とも不思議でならない。

 

「竜人様は貴方に焦がれている。恨めしい、恨めしい。何とも恨めしい。貴方が天狗などでは無ければ、この場で亡き者としてやりたいぐらいですわ……」

 

 天狗であって本当に良かったと今にして思う。

 この女の事だ有言実行は、なおのこと。盲信盲目の恋慕に焦がれる手に負えない者となっている。

 故にこの者は本当に実行に移すだろう。私が天狗で無かったのなら、その手で蟲毒の毒を私の喉に流し込んで苦しみ抜いて死んでいた事だろう。

 笑い話にもならないが、本当に天狗で良かった。

 

「うぬ? 噂をすれば何とやらだ」

 

 私は会場を歩く竜人が目に入り、それを薫に告げた。

 忙しそうに目を走らせる竜人の顔は只ならぬ剣呑な雰囲気であった。

 まあ、それも致し方ない事であり、今竜人は職務に従事している。あの男の気質だ、仕事と言えど気を抜くほどの阿呆ではない。

 隣を歩く女性は知らないが何やら親し気に話している。

 

「りゅ、竜人様ぁ……あのような年上を求めていらっしゃるの……!」

 

 とんだ二次被害であろう。他人の趣向性癖を勝手に決めるのは何とも身勝手な事であろうに。

 しかしながら本当に親しげに話している。年齢を考えれば、祖母孫位の年齢でもおかしくはないだろうが、私としては本当に──。

 

「勝手にすればよろしいのだ」

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 ふわふわと空へと舞ってゆき、再度瞑想へと戻った。



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透明マントの行方

 仕込みを終えて、次なる獲物を探しに歩き出したかの者。

 その足取りは何とも軽やかなることか、人を殺めておいてその足取りは罪悪感とは程遠い祭に浮かれた傾奇者のそれであった。

 人々の隙間を縫って歩き、まるで小踊りでも踊っているかのように軽薄で、それでいて楽し気な足取り。

 血に塗れたその姿にも拘らず、人々は彼には目もくれず、正確には目に捉えていなかった。

 頭よりすっぽりと被った薄布は天より遣わされた聖なる道具。姿を隠すのに苦労していたかの者には最も適した物であり、それの名は『透明マント』と呼ばれる品であった。

 どこかからか飛んできた物で、枯れ木に引っかかっており風に棚引いていた所を偶然拾ってそのまま使い続けている。

 この透明マントと言うものは対応年数が存在している。魔法動物デミガイズの毛で織り、そして強力な目くらまし術や眩惑の呪いをかけたりして使用者の姿を隠す迷彩効果を発揮する。

 しかしながら魔法も永遠ではない。始まりあるモノ終わりも必ずあり、その効果は早くて一ヶ月、長くて数年で姿を消すことが出来なくなり、そして透明マントは只の半透明な布となる。

 しかしながらかの者はそれでも重宝する。この祭りで崇拝するかの方、『ヴォルデモート』卿へより多くの供物を捧ぐ事さえできるのならそれで充分、そしてその恰好の場所である、ヴァルプルギスに混乱を与える事が出来るのならそれでいいのだ。

 たった一ヶ月、その間に12人の司祭をより多く殺す事が要はかの者の目標でもあり、目的でもあった。

 

「……はァ……ははっ」

 

 姿を隠した状態でも、かの者を認識している者たちは多くいる。

 匂いに敏感な人狼や、目の構造自体が魔法族のそれとは違う吸血鬼たち、そして──。

 

「姿を隠して何をしているのですか?」

 

 その者が人気のない所で声を掛けてきた。

 人などいない所で声を掛けるなど狂人のそれであるが、しかしながらかの者が潜んでいるのを分かっているかのように話しかけてくるではないか。

 

「ようやくだ……あの方の使いの方ですね」

 

 透明マントを脱いで、その者を見据えた。

 鼻が高くアジアの人間ではない。口元が焼け爛れ、右目の当たりより蛇の尾のような刺青が体に伸びた薄笑いを浮かべたポニーテールの女だった。

 隣には大男が立っており、黙りこくった仏頂面のその顔が印象的だった。

 ふーと煙草を摘まんで紫煙を吐くその女の無言の同意にかの者は跪いて、手を組んでまるで神に祈りでも捧げるかのように恍惚な表情を浮かべていた。

 

「紅幇の方ですか? それともアーネンエルベの方ですか? 是非とも私くしめをどうか貴方方の軍勢に参列させてもらえないでしょうか……?」

 

「ええ。構いませんとも。我々は膝を折り、あの方へ首を垂れる者を拒みません」

 

 スッと左腕の袖を捲って見せてきた。

 頭蓋骨の口より伸び出る蛇の頭が今にもその体を突き破らんと蜷局(とぐろ)を巻くその紋章は間違いなかった。

 死喰い人(デス・イーター)の証であった。

 

「私たちは死喰い人(デス・イーター)です。そして緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)の一員。私はイヴ。こちらがアダムです」

 

 何と、何と威厳あるお名前だろうか。最初の男女の名前を冠する彼女らはまさしく闇の皇帝に遣わされるために産まれ出でたのだろうと思ってしまう。

 大男の方も左腕の袖を捲り上げ、闇の印をかの者に見せた。

 両腕を彼女たちへ差し出して、かの者は彼女らにそれを願う。

 聖痕の痕(スティグマ)を、闇の下部としての印を。

 大男が杖を取り出しかの者の左腕に杖の先を押し当てて、唱えた。

 

闇の印を(モースモードル)

 

 大動脈より赤く熱せられれ溶け煮立つ鉄を流し込まれているかのような激痛が腕より頭の底へ抜けていく。しかしかの者は絶叫苦悶の声で応じる事はなく、むしろ吐息とも取れる悦楽に満ちた息を吐いて、血で乾き肌に張り付くズボンの中で射精していた。

 その様子に、イヴは何とも死喰い人(デス・イーター)に則したものかと薄笑いを浮かべて、その火の付いた吸い殻を空きテントに投げ捨て火の手が上がった。

 静かに長くその紫煙を吐いたイヴは祝福の拍手で応じた。

 

「ようこそ。死喰い人(デス・イーター)へ。あの方はさぞお喜びになられますよ」

 

 

 

 

 

 どこぞより火の手が上がって、闇祓いが慌ただしく消火活動に尽力している。

 私は外野だ、その野次馬根性猛々しく、そこへと向かってなんなら団扇でその火災の火力を上げてくれようかと思うが余計な手出しはしないに限ると、空で眺める事を決め込んだ。

 見るに何やら火の不始末からテントに引火しているものと思われるが、しかしながら火災の大きな主原因は火の不始末というより、会場中央の大樹に灯った炎の火の子が原因と考えるが自然な事だろう。

 一か月の間無休で燃え続ける12人の司祭が魔法で生やした大樹。

 その対燃性と来たらなんとも凄まじい事か。

 しかしそのような司祭が。

 

「ふむ……」

 

 私は空に浮かびながらそれを思想する。

 いったい何ゆえに12人の司祭を狙う必要があったのか? 私の足りないお頭でそれを考えてみた。

 相手は権威ある勲章を賜った者たちであり、私の魔道など優に及ばず、その実力が本当ならばそこらの闇の魔法使いなど赤子の手をひねる様なものだろう。

 そのようなものを狙うとなると何が目的か。力試しだろうか、はてそれもどうなのだろうか。

 わざわざ戦いを望むのであれば野蛮を提供する事に抜かりはないヴァルプルギス運営員会は、決闘と称して毎日どこかしらで決闘クラブと言われる魔法の技を争い試す場が設けられている。

 そこを使わずに、ただ単に司祭を狙うとなれば狙いは何か──。

 

「殺生、か?」

 

 ひっくり返って考える。人とは内なる暴力性に支配された怪物であることは去年の珊瑚の宮にて重々承知した私は、それを考えた。

 殺人を犯す事自体が目的、もしくは嬲る事で悲鳴を聞こうとしているのか? 。

 答えは出ない。犯人の考えに辿り着くとなればその思考を犯人同様に畜生へとならねばならない。しかしながらそのような腐った根性では私はない。清廉潔白だ。

 悪鬼の発想を思い浮かべるだけ怖気がして堪らない。嗚呼、嫌だ嫌だと私はゆっくりと空中で宙転して思考を捨てた瞬間だった。

 

「──ッ!?」

 

 頭の底に飛び込んでくる衝撃。頭痛に似たそれに頭を押さえた瞬間に眼を閉じているにも拘らず、とある風景が見えた。

 いや、見えると言うよりは()()()のだ。

 理解の領域で、それが見えた。

 邪悪な笑顔を浮かべたそれが、手に持った凶刃を私へと振り下ろしてくる。力強く、何度も何度も私の体に入り込んで激痛が全身を駆け巡り、途方もない寒気が全身を徐々に覆ってくる。

 体の芯から冷えてくるような寒さに声も出せず、遂にその思考が途切れた時、私は現実に引き戻された。

 

「うぅ……いったい何なのだ今のは」

 

 ズキズキと瞬間的に流れた情景の感覚が体に生々しく残っている。

 あの刃物が体の中に入り込んだあの感触、寒気、恐怖──恐ろしくて仕方がなくなる。

 何なのだあの感触は、光景は。

 理解が出来なかった。いや、出来ている。何が起こったのか──何が私の体で起こったのか。

 少しだけだがそれが理解できた。

 

「六神通の片鱗か……?」

 

 そうだとしたら一足飛びで学んでいる事だ。

 私はまだ初級と言われる天耳通を習得していない。だが、今見えたあの光景は理解できた。

 ──殺される瞬間の司祭の『過去』だ。

 それは即ち、自他の過去の出来事や生活前世をすべて知る力、『宿命通』の片鱗が私は覚醒しつつあると言う事ではなかろうか。

 宿命通は六神通の中では中級に当たる神通力、天耳通、他心通を完全習得せずに、段階を経ずに宿命通の片鱗を見せるなど聞き及んだことがない。

 例外中の例外、ある意味では本当に私の悪い妄想が頭痛として現れたのやもしれぬ。

 欧州の地にてその鱗片が確かな物であるかも確かめようもない。父様(ととさま)ならばわかるだろうが、私はまだまだ豆烏だ。

 そんな中で不意にとある見知った物を見つけた。

 丸眼鏡の青年、悪戯仲間のジェームズが誰ぞに詰め寄っているではないか。

 私はその近くにふわりと降り立った。

 

「どうしたのだ?」

 

 私は声を掛けると、ジェームズがすごい剣幕で掴み掛っていた青年に怒鳴った。

 

「なんだ、俺の透明マントを知らないんだよ!」

 

 あまりの剣幕に私もびっくりしてしまう。

 何やら掴み掛られている青年は冷たい目で、ジェームズを睨んでまるで嘲笑でもしているかのような表情で言った。

 

「知るわけないじゃないか。僕が君の悪戯道具をどうにかする訳ないじゃないか」

 

「じゃあなんで、お前が出品したオークションの商品の中に透明マントがあるんだ!」

 

「少し落ち着かぬか。ジェームズよ。私をほったらかして話を進めるでない」

 

 私がジェームズとその青年を引き剥がして、少し落ち着けと言った。

 今にも殴りかからん勢いのジェームズに青年は辟易した様子で襟元を整える。

 

「とんだ言い掛かりだポッター。僕が君に報復でもすると思ったのかい?」

 

「ああ、するだろうな、腐ったスリザリンの根性だ! そうだろう、スネイプ!」

 

「言い掛かりも甚だしいよ。僕はスラグホーン教授に頼まれて出品しただけで、君の透明マントなんて知らないよ」

 

「嘘言ってんじゃねえ! 今までの仕返しに俺の物を売り飛ばしたんだろうが!」

 

「本当にいい加減にしてくれ、僕も忙しいんだ。予定に間に合わなくなる」

 

 そう言い青年は嘲るように鼻笑いをして、どこぞへと向かって行った。

 彼に再度掴み掛ろうとするジェームズを私は止て、しっかりとその話を聞く事にした。

 

「一体どうしたのだ。主がそのように喚いても事は進展せぬぞ」

 

「……くっそ! そうだな……」

 

 少しだけ落ち着いた様子で、話し出した。

 

「あいつが俺の透明マントを売り飛ばしやがったんだ」

 

「透明マント……ああ、私の飲み物を盗んだ時に被っていたモノか」

 

「うん、その時に風に飛ばされてどっかに行っちまってずっと探してたんだ。──でもヴァルプルギスのオークションに透明マントが出品されてたんだ。そのオークションにあのスネイプも出品している、俺の透明マントを拾って勝手に売り飛ばしたんだ」

 

 それが本当なら何ともいただけない話だが、しかしながら掴み掛られていた『スネイプ』なる青年は違うと言うではないか。話が食い違っている。

 となればどちらかが何かしらの間違いで衝突していると言う事だ。

 

「オークションの主催者に、出品元を確かめさせたのか?」

 

「ガキの事だってまともに取り合ってはくれなかった」

 

 何ともひどい話である。

 オークションで出される物品の出所くらいは調べるのは一般的であろうに、それが盗品であろうと問答無用に競りに掛けるあたりこれが魔法界と言ったところか。

 

「ふむ、それは困ったなあ」

 

「あの野郎とっちめてやる。俺の物を勝手に売っぱらいやがって!」

 

「待てい、その出品された透明マントなる物が主の物であるとは限らぬであろうが、まずはオークションの物の出所であろう」

 

 ふと悪い事を思いついてしまう。

 私の財政財布というものは有限であるが、実質的な無限でもある。

 スッと懐から取り出した印籠。そこには日本魔法省の紋所が掘られて見事な金細工が施されている。

 これぞ無尽蔵の金を引き出す事の出来る魔法の印籠。

 私が魔法処に入学するにあたり、父様(ととさま)と富文との間で交わされた確約。

 其の一、私の身の安全が、私自身が反さない限り保証される事。

 其の二、天狗魔道の道を踏み外させない事。

 其の三、学業に必要な諸経費は日本魔法省が全額負担する事。

 この三つが約束されている。要は学業に当たり本業の天狗修行を忘れさせず、大手を振って学を学ぶことを約束されているという事である。

 そしてこの問題を解決するにあたり重要なのは三つ目の約束だ。

『学業に必要な諸経費は日本魔法省が全額負担する事』。

 

「これを持ってすれば財源は無限大なのだ!」

 

 この印籠は日本魔法省の承認を得た小切手。海外で言うところのブラックカードである。

 私が学業に必要と思ったものを無尽蔵に買い込むことのできるお墨付きだ。これを持ってすれば経費諸々すべての請求が日本魔法省へと送られることとなる。

 

「なんだそれ?」

 

「ぶらっくかーどなのだ! これで要はその出品された透明マントを買い戻せばいいだけの話なのだ!」

 

 意気揚々と私は大船に乗ったつもりで付いて来いとジェームズにそのオークション会場へと案内させた。そこは中央の燃ゆる大樹付近に建てられた大テントであり、すでに大勢の人間が所狭しと犇めいていた。

 司会が現れ音頭を取った。

 

「さあさあ、お立合い! 摩訶不思議、珍品に幻の品、曰く付きの品何でもござれ! 魔法品オークションの開催だよ!」



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魔法品オークション

 犇めく大テント内の熱量は何とも異様な雰囲気で、剣呑とはまた違った鬼気迫る観客の気迫に私たちは気圧される。

 成金とも思える連中が多く見て取れ、重そうなガリオンを詰め込んだ袋を使いしもべ妖精たちに持たせて侍らせるその姿は何とも滑稽と言えよう。

 そこまでして手に入れたいものなど何があり得ようかと思うが、ここはある種の主張の場であり、権力と財力をこれでもかと見せつける最適な場所であり、有り余る財を散財する(いとま)を浪費するに則した場所。

 魔法品オークションである。

 

「何とも凄まじい熱気なのだ……」

 

「ここは、俺達がいるには場違いな気がするんだが」

 

 縮こまりながら、テントの端に私たちは逃げるように退散して、壇上で音頭を取る司会のその珍妙な姿にまるで見世物を見せられているような気がする。

 道化のように極彩色の衣服を纏った司会の目はまるで郭公のそれに似た雰囲気があり、少しだが恐ろしげであった。

 それもその筈、司会は人間ではない。

 泣き妖怪『バンシー』であり、人の世の規則を多少は理解できる魔法生物で、この魔法品オークションの主催者のしもべ妖精として飼われているのだ。

 人件費をケチってか大声が特徴のバンシーには司会をやらせるとは何とも巧妙な発想だろうか。

 

「皆々様、お揃いですかな! 待ったなしの無慈悲なオークションだ! ここでの正義は、要は()()がすべて皆さま財布は温かいですかな? これより極寒の冷風が皆さまの財布を凍えさせましょう!」

 

 バンシーはいやらしく指で輪っかを作って、金を払えと言いたげに、というより言っている。

 この場での正義は有無を言わさず金である。金を持っているものこそ正義。

 富豪は英雄であり、貧民は悪者。金=絶対権利を示している。

 金無き者に発言する権利は与えられず、その主張も人権もルールですら、金の前ではゴミにも劣る者に成り下がる。

 金金金、卑しき哉。この空間での絶対法則は『金』である。

 観客たちは待ってましたと言わんばかりにたんまりとガリオンが詰め込まれた袋をジャラジャラと鳴らして応じる。

 

「オーケイ、オーケイ! 皆様貯蓄は十分な様子で有られますね。ならばその服も置いて行け! さあ、古今東西、珍品、幻、幻想の品々をその金で毟り取るのですよ!」

 

 大声で叫ぶバンシーの音頭に、屋敷しもべ妖精たちが商品を持ってきた。

 

「初めの品は、皆が大好きグリム兄弟の『グリム童話』の43番目のお話。さあ、皆さま永遠の眠りが欲しくありませんか、死とも違う『永遠の眠り』。眠る意識はいずこやら。──白雪姫がその柔い唇を触れて食したと言われるその毒林檎。あまり物は我々に──さあさあ競りの開始だよ! 初めの品は『白雪姫』が食べた毒林檎からだ! 100ガリオンから開始だ!」

 

 バンシーの掛け声とともに競りが開始した。

 白雪姫の毒林檎。それはさも有名な毒林檎だ。

 白雪姫を嫉んだ継母が姫に食べさせたと言われる毒林檎だ。

 運ばれてきたその毒林檎は一口だけ歯型がしっかりと残りシワシワに萎れて枯れ、今にも朽ち果てんばかりの見た目であったが、しかしながらそのような物実在するモノなのだろうか。

 魔法界というのは只人界では伝承、民話、童話に伝説と様々な方法で口伝されてきた。

 我々天狗とてその例に洩れず、鼻が高く、赤らんだ顔で、山伏の装いで高下駄を履いた妖怪と後世に伝わっているが、実際はそれとはかなり違っている。

 白雪姫の童話もそれである。

 継母──それは魔法薬学に長けた魔法族だった。

 大方の流れはそのままに、その毒林檎の製法は外法邪法を極めて作られた究極の毒である。

 それの残り香と来たらまさしく珍品に値する。

 

「中々に珍しいものなのだ」

 

「確かにな。白雪姫の毒林檎か、かなりの値段になるだろうな……」

 

 私とジェームズはその競りがどのようなものなのかと見ていた。

 

「オークションとは要はあのような珍品をどれだけ高く買い取るかを決める戦いの事だろう?」

 

「ああ。でも、このオークションはあの珍品を売り買いするだけじゃないんだ」

 

 ジェームズは目を顰めて、観客たちを睨んだ。

 

「大概が、勝ち取った商品を()()()()()

 

「食べる。口から、という事か?」

 

「ああ、ここの主催者の商品の品質は高い事で有名だからな……神秘をその体に取り込むことで己の魔法の力やら霊的な力やらを高めようっていう怪物たちが集まっているんだ……」

 

 ジェームズのその言葉に私はゾクッとしてしまう。

 そうだ、よくよく観客たちを観察してみるとその気配はまるで通常のヒトのそれと見るのはあまりにもかけ離れた、異常な雰囲気を漂わせていた。

 観客たちは商品を前にするその目はまるで御馳走でも見ているかのような目であった。

 白雪姫の毒林檎はまだ食物であるがまだましであるが、それが別の物になると目の色も変わる。

 早々に毒林檎の買い手が決まり、それを手にした観客は鑑賞する暇もなくそれを顎が外れたように大口を開けて一飲みにするその姿はまさしく──怪物のそれであった。

 

「人を辞める事も、先を求める魔法族には必要な道何だろうな。これを見てるとそう思うよ」

 

 魑魅魍魎、悪鬼魔道のそれが今目の前で繰り広げられていた。

 人には害をなさないが、その場で腐れて、己から腐敗を永遠に続ける憐れな亡者。

 何を求めてか、何かを求めてか。彼らは人であることを喜んで手放したようだ。

 

「さあさあ。次は空より賜りしこの星には無い物質だ。神智学協会はこいつを血眼になって探してる! それでも欲しているモノ好きは誰だ。欲しけりゃ金を払いな! 隕石に大量に含まれる物質『スペシウム』だ! 200ガリオンからだ!」

 

「250!」

 

 次なる競りが始まり、皆が血眼になってそれを欲しがった。

 

「ジェームスよ。主が言っておったモノはどれだったのだ」

 

「透明マントだ。まだ出てきてない……」

 

 私たちは怪物たちの競りを吐き気と共に見て話した。

 

「やけにスネイプと言うものに嫉まれているようだな」

 

「……知らないよ。アイツが勝手に突っ掛かってきたから、やり返しただけだよ……」

 

 そう言う割にはスネイプよりジェームズは恨まれている様子であった。

 その考えかたに紆余曲折のそれがあるように思える。彼が気に掛けてない事が、何かしらの原因があると考えるのが普通だろう。

 

「ずっと暗くて、何考えているのか分らない。そのくせリリーと親しくしやがって、気に入らない」

 

「ふむ……なんともなぁ」

 

「あいつは俺に仕返しをしたいんだ。今迄俺がアイツにやったことの小賢しい仕返しだ」

 

「…………」

 

 その時、私の脳裏に情景が見えた。

 この感覚は、死んだ司祭の過去を呼んだかもしれない『宿命通』の感覚だった。

 スネイプという少年がジェームズとその取り巻き、他の生徒たちの前で目も覆いたくなるような辱めを受けていた。

 ジェームズにスネイプを害すると言う悪意は感じ取れない。むしろ見世物を起こしているというお遊びの感覚が感じ取れた。

 悪念怨念は、ジェームズは抱いていなかった。ただ楽しんでいた。

 それがスネイプの意志を害する行為であると知らず識らずに踏みにじっているにも拘らず。

 現実に引き戻され、今ジェームズが抱いている感情は他心通を使わずとも見て取れた。

 ──後悔だ。

 今迄の行いを振り返り、そしてようやく気付いているようであった。

 人は成長するには苦痛を伴う。痛み無き成長はなにも学ばず、真なる成長にはならない。

 ジェームズ、彼は今成長しようとしているのだ。自らを悔い改めて正しき道に行こうとしているのだ。

 自らの物に手を掛けられたことでようやく気が付き、そして目を覚まそうとしているのだ、真に正しきかを理解するに足りえる状態になり始めている。

 

「理解したか? あの者の苦痛を……」

 

「…………」

 

「自らの過去を自ら否定するのは苦しいだろう、しかしながらそれをしてこそ成長となりえるのだ」

 

 私もまだまだ豆烏だが、それでもその道筋は確かに見えている。

 成長とは苦しいものだ。苦しみの無き学びとは即ち完成されているか、成しえていないのだ。

 私たち天狗の一生でもある。苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて、涅槃へと至る。

 ジェームズは天狗道とは別の道であるが、しかし天狗道はすべてに通ずる。

 人の道も、畜生の道も、五趣六道すべてがを天狗の道也。

 

「悔い改めてこその人の道だ」

 

「よく人の事を知っているんだな。お前は」

 

「当たり前であろう! 私は天狗魔道を極めんと日々精進する天才天狗、石槌撫子なるぞ!」

 

 私の大声に観客、司会のすべてがこちらを向いて、気恥ずかしく頭を掻いた。

 

「さて、では次の品! 伝わる事初めは13世紀。『三人兄弟の物語』に伝わる幻の品の一つ。ニワトコの杖、蘇りの石、そしてここにて扱うは、『透明マント』! 透明マントは数あれど、こいつは一味違う! 現れ呪文をも弾き返し、そしてその効力は永久のもの、さあ『死』より姿を隠し続けるのはこの中の誰になるか! 500ガリオンより開始だ!」

 

「あれか? 主の透明マントとは」

 

「いや……透明マントだけど、……俺のじゃ、ない?」

 

 歯切れの悪い言い方で首を捻った。

 聞くに、ジェームズの透明マントはボージン・アンド・バークスという夜の闇(ノクターン)横丁で安物を買ったと言うのだ。

 司会が喧伝する様な大層な代物ではないと言うのだ。

 確かに『透明マント』は競りに出されている、しかしながらそれはジェームズの透明マントではなかったのだ。

 己の物ではなかった。スネイプが言ったように、ジェームズの勘違いだったのだ。

 

「どうする? 競り落とすか?」

 

「いや、でも、俺のじゃない」

 

「ええい! モノの効果が同じなら大した変わりはなかろうが! 1000ガリオンなのだ!」

 

「そこのお嬢さんの1000ガリオン! 今日最高額だ! さあ、他の方! いないかね?!」

 

 バンシーはそう言い、他の客より更なる値段を引き出そうと囃し立てるが、しかしながら私の強気の値段に誰しもが金を出さない様子であった。

 大体が『三人兄弟の物語』は魔法界に措いてそれこそ『童話』であり、伝承の域も出ない話であるが故に、人を辞めた誰しもが神秘を秘めたモノであると認めようとはしなかったのだ。

 彼らの琴線に触れぬモノであるのなら私が買い取ってくれよう。

 捨てる神あれば拾う神あり、私はその拾う神であろうとも。

 屋敷しもべが領収を済ませようと近寄ってくるので私は印籠を見せて、日本魔法省宛てと小切手に名を記して透明マントを受け取った。

 何とも触り心地のよろしい事か、これを掛布団に寝たいくらいの触り心地。

 しかしながらこれは姿をくらます道具であり、そう言った用途の物ではない。

 私はジェームズにそれを投げて渡した。

 

「ほれ、くれてやる」

 

「え? いいのか? こんなに高いモノ、貰っても代金払えないぞ」

 

「良いのだ。お近づきの印として受け取るがよい。私も業を積んでおかねば尚の事涅槃より遠のく故な」

 

 私はニッと笑って見せ、その顔にジェームズは呆気にとられそして釣られたように笑った。

 これで良い。すべてが丸く収まるのならそれで構わぬではないか。

 富文より後々叱りを受けることになるだろうが、そんな事よりも親しき共に義を尽くす事、天狗冥利に尽きようて。

 

「さあ、まだまだ品は追い尽きないね! 次行くよう!」

 

 バンシーがそう叫んで、次なる品が壇上へと登った。

 それは人一人がすっぽりと収まる大きな絢爛豪華な石棺だった。その金細工ときたら本当に煌びやか、腕を交差させ、手に持つ錫杖と剣を持ち、その冠りものはそこに収まる者がさぞ栄光ある者であることが見て取れる。

 

「次の品はエジプト王族、伝説の英雄の王のミイラ! ラムセス2世! オジマンディアスのミイラだ! この王のなす御業、まさしく覇道王道の道然り! キリストの生まれる遥か以前の大王! これを手にする者には永久の栄光が約束されたモノだ! さあさあ! 500ガリオンから開始だよ!」

 

 私たちは帰り支度をしようと透明マントを小さく包んでもらう様にと屋敷しもべに頼んだ。

 あれよあれよとミイラの値段が跳ね上がっていく。1000ガリオンなどとうに過ぎ去り1500ガリオンまで引き上がった。

 何とも物好きな者たちだ。ミイラとなる者たちは要は自らの高位を上げるためにそれになるのだ。

 埋葬の形式でもあるが、即身仏然り、それになる意味とは即ち周囲からの見られる目線を気にしての事。本来ならばただ土に埋められるだけのものを死して尚も崇められたいが常人の傲慢さたるや、何たるものか。

 死とは孤独な一人旅だ。誰にも代えられない旅の行く末に、過ぎた者たちからの賞賛を背に背負って歩み道すがらは何とも心地よかろう事か。鼻で笑ってくれようぞ。

 

「2000ガリオン! これで決まりだ! 2000ガリオン、そこの旦那がオジマンディアスのミイラを2000ガリオンの買い取りで決定だ!」

 

 バンシーが五月蠅く囃し立ててその者が壇上へと登った。

 何とも成金趣味だろうか。全身金色の棺桶にも勝るとも劣らない豪勢さ、金人になるべく積極的に金箔を喰らった豊臣秀吉のようだ。

 幾ら金を纏い喰らおうと、仏になるには死ぬことでしか成れようがないのに何とも憐れな人もどき達よ。

 真理とは程遠い者たちの歩みは鈍重な亀の如くとは思うが、その心意気は良し。

 石棺を待ってましたと言わんばかりに開けたその成金が腰を抜かして絶叫した。

 私たちはその声でそれをようやく認識した。

 

「あ、れ……」

 

 震えた声でジェームズは指さした。

 石棺の中身は──。

 

「──司祭なのだ……」

 

 ぼろ布に包まれたカリカリに乾いたミイラが現れる事はなく、そこに収まるのは黄緑色に変色した司祭の一人だった。

 全身に惨たらしく噛傷が残り、血という血が抜かれ異様な肌色に染まったその遺骸。

 そしてその顔に焼き付けられた文字は──。

 

「──私はゾディアックだ(This is the Zodiac speaking)

 

 名を売るが如く刻まれた『ゾディアック』の名前であった。



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スラグホーンサロン

 人の欲望は尽きることのない底なし沼のように深く業深いモノだとつくづくそう思えて仕方がなかった。

 竜人の目の前で広がる立食パーティー、もといスラグホーンのサロンはこのような状況下であろうとも憚り知らずといった様子であった。

 大勢のホグワーツ生徒に紛れて、竜人とスキャマンダ―夫人が、テントの端で突っ立って警備に当たっていた。本来ならば竜人も警備の人間としてではなく、この場の浮かれた若者たちと同じように食事を楽しんでいた事だろうが、それでも今のヴァルプルギスの状況で、この様な集団で行うサロンなど言語道断であろうと心裡に思う。

 ここの警備も本来ならば竜人が当たる筈ではなかったのだが、スラグホーンが運営員会にしつこく問い合わせて配置をここにするようにと言ったようで、竜人がそれに当たる事なりこうして警備に当たっていた。

 捜査もろくすっぽ出来ない者の厄介払いと言わんばかりの配置換えに少しだがへそを曲げている事は言わないでおこう。

 

「竜人様! マテ茶ですわ。お飲みにならない事?」

 

「いや、仕事中だ。やめておくよ」

 

 連れ添いを連れてきていいというスラグホーンの強い願いに、石槌撫子を連れてこようと考えたが、行方が分からず、仕方なしに連れてきた薫に苦笑いで応じる竜人。

 こいつの事だ。どのような状況であろうともその行動力は遠慮知らずに飲み物食べ物に惚れ薬をぶち込んできてもおかしくはないと思っていた為に、警備とはまた違った、自らの自己防衛という緊張感の中で警備をすることとなっていた。

 残念そうにそこから離れていく薫の姿に、隣に立っていたスキャマンダ―夫人が肘で竜人を突き、その顔には『色男め』とどこか嬉し気に現れていた。

 

「止めてくださいよ。ただのクラスメイトだ」

 

「その割には彼女、あなたの事が好きそうね」

 

「一方的な恋愛感情で人を傷つけたくない。俺は恋愛とは程遠い位置にいる筈ですので」

 

「そうなの? 若いのに、恋愛の楽しさを手放すなんて早すぎじゃない?」

 

 勿体ないとと言った様子に唇を尖らせる夫人に、竜人はため息を付いた。

 恋など、正しき目線を失わせる病だ。そのせいで去年はえらい目にあった。

 思い出してズキリと痛んだ指の爪先に生々しく痛みの感覚が蘇る。

 冷静たれ、冷血たれ、冷酷たれ、我々は六波羅局。同胞を売り渡すことでその一生を捧げる日本民族のはぐれ者。

 本来ならば竜人も薫と共に陰陽寮で下積みを積んでいる頃合だろうが、安部家の過去に依然残る、陰陽寮総領『蘆屋家』との遺恨の歴史は数百年と引き継がれ竜人の足を引っ張り続けている。

 ──(みかど)の御前に蘆屋道満は晴明により多大なる恥を与えられた。

 血筋とは如何様にも薄くなろうとも、その怨念思念はまるで決して癒えぬ傷の如くその年月も忘れ去り残り続ける。

 陰陽寮総領の座を十代目、安部愁全が手放したときより陰陽寮は安部家の物ではなくなった。

 竜人は忌まわしき呪いの妖狐の血筋として日本の魔法界より腫物として扱われ続け、その無駄に尖った魔法の才だけが己に圧し掛かる。

 兼ねてより両親より陰陽寮の座に戻ることを願われたが、その願いも『過去の遺恨』で竜人は弱冠十歳で六波羅局への出向、もとい左遷を言い渡されその才能を惜しげもなく同胞を売り渡す技能に割かれてしまっていた。

 まともな伴侶は得られないだろう。薫のような由緒正しい『藤原家』との婚姻などあり得ず、そしてこの頸筋の御方と結ばれるなど──。

 

「ハッ! 恋愛なんて余裕のある連中がする事でしょう? 俺には今後永遠にそんな余裕は訪れませんよ」

 

「達観してるの? それとも自分に自信がない?」

 

「見てくれは俺自身は良い方だと思うんですけどね。家系的問題ですよ」

 

「ふぅん……確かに見た目はいいんだけどねぇ。でも子供っぽく無さ過ぎて可愛げがないわ」

 

 大人になるしかないのだ。アメリカの浅き歴史の中で生まれた魔法一家に日本の深くそしてしつこい迄の思念を解するだけの理解力があるとは思っていない。

 大体日本人の感性と外人の感性が同じものだとはほとほと思っていない。素朴でいて清廉、そして根深く業深い日本民族は他の民族とも一線を画す特性を秘めた者たちだ。馬鹿にしている訳でも、選民思想とも違う、ただ単純に考え方が違い過ぎるのだ。

 家系の根深さも、その歴史の深さもだ。

 

「子供でなくて結構。俺は今の自分で満足してますよ」

 

「いつかそれがはち切れないといいけどね」

 

 何とも引っかかる言い方に深い息遣いで応じる竜人はスラグホーンのサロンに向き直った。

 

「俺のガキっぽさより死人が出ないようにするのが先決でしょう? 夫人?」

 

「そうそう、そういう風に捻てくれた方が私もやりやすいわ」

 

 かなりの年を召しているにも拘らずその破顔の顔は大変子供っぽい表情で、表情筋を投げ捨てた竜人にとって素直に笑える人は素敵に思える。

 しかしながら緩急は必要だろう。仕事の切り替えはしっかりとしなければならない。

 竜人は遅く来場した観客がテントに入ろうとしたところで呼び止めた。

 

「すいません。身分証を……と、スネイプか。遅い来場だな」

 

「安部君か。済まない、少し厄介者に絡まれてね」

 

 襟を正す様にピンと乱れたローブを整え憂いある笑顔で応じたスネイプのネクタイが少し乱れているところを見つけた竜人が代わりに整えた。

 

「俺は役所の仕事でまともに楽しめない。藤原の面倒を代わりに見てやってくれないか? 俺の名前を出してもいいから」

 

「藤原……ああ、着物の。分かったよ、すまないね、お勤めご苦労様」

 

 そう言って軽く竜人たちは握手とハグを交わして、スネイプはテントの中へ向かって行った。

 ぎこちない笑顔で見送った竜人の背後にスススッと夫人は近寄ってきた。

 

「人間関係を築くのには不自由ないのね。余計に勿体ない」

 

「あなたの趣味は人間測定ですか? 俺の感情を測定するより先に仕事に戻りますよ」

 

 夫人のこのテントに入場しようとする者たちの身分証になりえるものを確認して回る。

 何故にこのような厳重な警備が必要なのか。たかだか一教師が主催する学生サロン如きに魔法省役員が出張ってまで警備に当たらなければならないのか。

 その理由は至極単純な理由で──。

 

「すまないすまない。委員会がうるさくてね。いやー、時間を取られてしまったよ!」

 

 身分証を確認するまでもなく、竜人とスキャマンダ―夫人はその人物を通した。

 その人物は12人の司祭の一人。アルフレート・タイニーだった。

 純白の司祭服。その胸に輝くMの字が付き太陽を象ったような緑のマーリン勲章。

 その勲章の意味するところは『傑出した勇気や優れた功績』を積んだ者に送られる物、即ちマーリン勲一等の証だ。

 

「お招きに預かり大変光栄だよ。スラグホーン教授!」

 

「いいえ、こちらこそお越しいただいて生徒共々光栄ですよ。タイニー司祭」

 

 スラグホーンとタイニーが親し気にハグを交わしていた。

 アルフレート・タイニー。男性、御年45歳。アフリカ大陸ウガンダ出身のワガドゥー卒業。

 20歳で魔法省魔法運輸部の魔法植物密輸規制局の一職員であったが、ある時、南アメリカから持ち込まれた食人木ヤ=テ=ベオの違法栽培の取り締まりに向かったところ想定し得ない程の栽培規模で、栽培者も既にヤ=テ=ベオに食べられ手に負えない事態のなか、悪霊の火を扱いすべてを焼き払った事で彼はその栄誉に賜り、マーリン勲章一等を授与され、魔法界界隈でついた渾名は『火炙りの魔法使い』だった。

 どんなことでも悪霊の炎によって切り開き、進んでいく栄光ある魔法使い。それ故に彼の渾名はまさにぴったりと言え、このヴァルプルギス、炎の夜宴には最適な人物だろう。

 気取ったような笑い方で生徒たちに囲まれるタイニー司祭は、これ見よがしの魔法を披露して見せた。

 両手を広げて、手の平で踊る動物の形になった炎が空中で踊り狂う。何とも危なっかしい事この上ない、その上、タイニー司祭は杖を使っていない。

 かなり高等な魔法技術だ。

 魔法使いはある程度は杖や箒などに魔法の行使を依存しているが、その行使者の力量によってはそれらは必要ではなくなるのだ。

 とある学院では箒を使用せずに空を飛ぶ術の開発が出来たという話があり、そしてタイニー司祭が今目の前で行っている杖なし魔法は、出身校の特色だろう。

 ワガドゥー。ウガンダのどこかにあると言われている「月の山脈」に位置している魔法学校で、低学年層が非常に優秀な事で有名な学校だ。入学してすぐに学ぶのは動物もどき、日本で言う『獣憑き』の技だそうで、最もおもきを置くのは杖無くして魔法を行使するその技である。

 ワガドゥー、いや、アフリカ大陸の魔法族に言えるの事だが、彼らは杖を使わない。

 杖という文化が広く普及したのは中世からというのもあるが、人類誕生の母なる土地では魔法の行使は杖ではなく、その両手、即ち身振り手振り(ジェスチャー)によって行使される。

 非常に難易度の高い術だ。杖は魔法族の魔法力を最大限に引き出す道具であると同時に、現実的にその形を作る道具である。

 故に杖無くして魔法を使おうとすると、魔法の行使は愚か、使えたとしてもろくでもない結果が待っている。竜人も小さき頃幼心に両手で魔法を使おうとして、生家の納屋を吹き飛ばしかけた事がある。

 それをいとも容易くやってのけるタイニー司祭は本当に凄いのだろう。

 

「気取っていると思わない?」

 

「気取っている? タイニー司祭が、ですか?」

 

 目を細め、タイニーに冷ややかな目で見ていた夫人の顔は冷徹に笑顔の仮面を張り付けて、蔑んだような雰囲気だった。

 

「相当恨まれているのよ。あの方」

 

「タイニー司祭が?」

 

「ええ、人種差別的と言った方がいいわね。魔法族の中でも、特に選民意識が強い人なのよ」

 

 その話はよく聞くものだった。

 タイニー司祭はその輝かしい栄誉にも拘らず、その醜聞は海を越えた日本の地にまで聞こえてくる程の物だった。

 曰く、スクイブ、亜種族の者たちは魔法の恩恵を享受するに能わず、と。

 通常の魔法族だけが魔法の知識を得るべきだと主張しているのだ。特に人狼、吸血鬼への当たりは頗る凄まじく、その活動ときたら度を越したヘイトスピーチをしていることで有名だ。

 

「俺よりも人間味があるじゃないですか。タイニー司祭は、差別だなんて人間以外どの動物もしませんよ」

 

「人間味というより、彼の場合は人間の悪い部分が強調され過ぎてる。恨みは買わないことに越したことはないわ」

 

「確かに」

 

 今回、ゾディアックの狙いが司祭の殺害であるのなら、彼こそ殺されて然るべきとは思っている者は数多いいだろう。

 人狼、亜種族たち──特に吸血鬼。

 不意に石槌に付きまとう思い人の顔が思い浮かんで、彼が被害者の口にその牙を突き立てる姿が不思議と当てはまり、自然とその考えがまとまってくる。

 吸血鬼は絶えず人の血を欲している。

 そしてあいつの出身地、出身校のカステロブルーショはブラジルにあり、そして地理的距離の近さからアメリカの内情も知っていてもやもしれない。

 これだけの大勢な新鮮な血液袋が闊歩している会場ならば、その衝動を抑えきれずに噛みついても可笑しくはない。

 最初に殺された司祭、その者の口には歯型も残る噛傷が残されている。

 血を吸った──血を吸う理由を持った魔法族など、吸血鬼しかありえないではないか。

 いや待て、発想が飛躍し過ぎだ。

 確かに現場の証拠とその犯行の理由に関しては揃っているが、それを行ったと言う立証がどこか欠けている気がする。

 殺すまでの理由があるのか。新鮮な血を求めるのならばもっと金銭的で合理的な方法もある。

 ホロ衣カフェであいつは血を呑んでいたではないか。直接その牙を首筋に立てずとも衝動を抑えていたではないか。

 殺すまでの理由ではない? いや、種が違うのだ。衝動面に関しては確証が得られない。

 ならば、アイツが殺したとしてどういった理由で殺害までに至った理由があったのか、血を吸うまでなら人はしなない。単なる傷害事件だ。

 ならばなぜ殺すまでに至った? 。

 

「……仲間を、増やさない為……まさかな」

 

 血を吸われた被害者は否応なしに吸血鬼になる筈だ。

 あの刃物でめった刺しにされた被害者の体、もしや殺すまでに時間が掛かった? 吸血鬼は心臓を一突きにすれば即死だ。

 吸血鬼で無くとも即死であろうが、この真実だけは確かな学術的見地から導き出されている。

 となれば殺すのに躊躇、もしくは心臓の位置が分からなかった? そう考えられないだろうか。

 

 眉間を押さえて、考えを整理する。加熱し過ぎは良くない、煮詰まり過ぎだ。

 まず、犯人を吸血鬼だと言う断定でこの推理は始まっている。犯人が吸血鬼でなければその立証そのものが崩れ去るではないか。

 初めの一歩が何よりも大事だ。脆い砂上の土台では立つものも建たない。

 そう思い、己の脳内会議を退けようとした時だった。

 

「──っ!?」

 

 竜人とスキャマンダ―夫人の警備の隙間を抜けて何やら黒々とした影がすり抜けたではないか。

 その影はまっすぐ人混みに揉まれながら壇上に立つタイニー司祭へと向かい。

 

「ギャアアアアアアアッ!」

 

 タイニー司祭の口から悲鳴が轟いた。

 彼に飛び掛かった者は擦り切れてボロボロのローブを纏った者がタイニー司祭の頸筋を齧りついているではないか。

 恍惚とした表情でその血を啜っているがその目に宿った恨みの色は隠しきれていない。

 竜人は杖よりも先に呪符袋に手を伸ばしたが、隣の夫人の方が先に動いていた。

 持ち手に飾り気の少ない杖がまっすぐ噛みつくものに向いて──。

 

麻痺せよ(ステューピファイ)!」

 

 その者に向かい麻痺の魔法が炸裂して、タイニー司祭の体から引き剥がされテントの布に向かって勢いよく突っ込んだ。

 タイニー司祭も確かに凄かったが、スキャマンダー夫人の魔法の力も凄まじい。

 たかだか麻痺の魔法。竜人が使ったところで失神しするならいい所だが、彼女の場合は衝撃にすらなりえる力を秘めていた。

 テントの布に絡まったそいつを取り押さえようと竜人たちは生徒たちを押しのけて取り押さえようとするが、しかしながらその者も頑丈であった。

 テントの布に包まった状態で起き上がったそいつは何も持っていないその体で、浮き上がり空へと舞った。

 ローブと同じような黒々とした霞を纏い、その夜闇へと消えて。



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馬鹿げた決断

「この際言わせてもらうと、君たちを学生サロン如きに警備に割り当てたのは、厄介払いの名目であったのに、なぜ不測の事態を持ち込むことになったのだ。ええ?」

 

「申し訳ありません。想定していませんでした」

 

「相手が手強かったもので」

 

 竜人と夫人はスラグホーンサロンのテントより離れた癒者テントにタイニー司祭を担ぎ込んで、治療を受けさせていた所で、この現場を取り仕切っているイタリア魔法省闇祓いのトップに見事に捕まり説教を喰らっていた。

 

「スキャマンダ―君はアメリカ魔法省で名誉闇祓いとしての地位にあるそうだね。そんな君が何故たかだか闇の魔法使いなどに後れを取るんだね?」

 

「それは相手が手強かったと先ほども申したように──」

 

「言い訳など聞きたくない! ガキ連れて孫と楽しく夜に散歩する気分で呆けていたのか? ここは犯罪現場だ、いくら若造を連れていようとその実力を発揮してくれなければ意味がないんだよ!」

 

 喚くイタリアの闇祓いは真っ青な面を下げて、今にも持病の胃潰瘍が潰れそうだと言わんばかりの顔で青ざめてベットで横になっているタイニー司祭に必死になって縋り付いていた。

 どうかご慈悲を、どうか寛大なるご容赦をと言った様子のそいつは役職も形無しと言えるのではないだろうか。

 嘘泣き臭く泣き崩れまるで親の死を看取る子の心境なのだろうか、情けない事この上ない。こんなのが一時的とはいえこの事件で竜人、スキャマンダ―夫人の直接的な上司になるのだからまるで信頼が措けない。

 

「これは……吸血鬼ではないね……うん」

 

 太々しくベットの上で静かに治療を受けていたタイニー司祭の頸筋には生々しい噛み傷があり、その歯型はくっきりと残っていた。

 その傷跡からかなりの調査の方針が捜査全体を混乱させる事になる。

 治療に当たる癒者に混じり夫人の夫ことニュート・スキャマンダ―も交じりタイニー司祭の頸の噛み傷を見分している。

 

「こ、ここ見てくれ。吸血鬼特有の八重歯の痕がない、狼人間だったら分からないけど、この傷跡は吸血鬼じゃないね」

 

「そうなのか! 吸血鬼じゃないのか?! 絶対に!」

 

「ぜ、絶対、とは言えない。マウスピースをして増やさない予防している可能性もあるし、何より人間だれしも八重歯はあるから。ただ単に甘噛みだった可能性もある。それに、これだけじゃ断定はできない」

 

 眉毛も口もへの字に曲げてしょげる上司を、面倒そうに押しのけるタイニー司祭が手鏡をよこせと夫人に手を出して催促した。

 夫人も夫人でそれに文句の一つも言わず差し出した。

 鏡を確認するとタイニー司祭の姿はしっかりとその鏡の中に映し出されていて、少なくとも吸血鬼になっている訳ではなさそうだった。

 

「こうなること自体想定していたさ。おのれ、吸血鬼人狼どもめ……」

 

 忌々し気に歯ぎしりで応じるタイニー司祭。もはや吸血鬼人狼のせいであると断定している様子であった。

 それもその筈、今回のタイニー司祭噛みつき事件と並行して、魔法品オークションの会場で別の司祭が全身の血を抜かれて死んでいる所を会場の観客が発見し、同時に2つの事件が発生したことになる。

 オークション会場での司祭の遺体の見分を竜人たちも行きたいが、このバカ上司の折檻が先だと言うので、嫌々来ていればこの阿保上司の泣き上戸の寸劇を見せられる身にもなって見ろ。地獄だ。

 半分以上その寸劇を聞き流し、意識を集中するのは飛ばした式神で別の事件の実況見分の様子を聞いている竜人。

 

(全身の血が抜かれている……噛み傷多数……作為的だな、わざと『噛む』という行為を強調しているようだ……)

 

 妙に引っかかる。これ見よがしに遺体、被害者に対して噛みついている。

 噛むと言う行為を強調して何かを隠そうとするような雰囲気がしてならない。

 噛む事を行いそれが益となりうる人種は二種、狼人間か、吸血鬼か。双方が噛む事で人口を増やす手段としている者たちであり、わざとそれに気を逸らしているような気がしてならない。

 

「──ふぅん……」

 

 静かに唸り、思考を巡らせる。

 しかしながらそれを遮るバカの上司が竜人の額を人差し指で執拗に突いてくるではないか。

 

「なんすか?」

 

「なんですかではないだろう! さっきの話を聞いていたのか!」

 

「あぁ、はい。聞いてないっす」

 

「なんだその思い切りのいい言い方は! この会場にいるすべての吸血鬼、狼人間を被疑者として拘束しろと言っておるのだ」

 

「暴論過ぎませんか? 噛みつく事は誰しもできますよ」

 

「お前の意見など聞いておらん! いいからさっさと吸血鬼を捕まえて来い! このイエローモンキーが!」

 

 テントから叩き出されるようにして捜査にもされた竜人と夫人の二人はため息で双方の現状を報告した。

 

「飛躍した暴論ね。噛みつく魔法族はみんな吸血鬼か狼人間」

 

「そんな簡単なもんじゃないですよ。この事件」

 

 噛みつく行為が認められる魔法族は皆罰せよ。単純でいて本当に至極明快な暴論だ。

 疑わしきを罰していればこの世の人間すべてが監獄に行くことになろうに、それを理解していないあのバカ上司はさぞや聡明なお頭をお持ちであろう。

 竜人たちは足を収容所。もとい被疑者の取り調べテントへと足を延ばして入った。

 そこは吸血鬼や人狼、オークション会場の観客たちが一時的に収容されているテントであり、そこへ入れば。

 

「なんでお前がいるんだよ……」

 

 頭を抱えたくなった。

 厄介事には事ある毎に首を突っ込まなければ気が済まないのだろう。

 恋人ごっこ条約を破棄して行方知れずだった、石槌撫子がやんやん喧しくそこに座っているではないだろうか。

 

「おお! ようやく話の通じる奴が来たではないか! 竜人よ、この分からず屋の禍祓いに私たちは犯人ではない事を言ってくれないか!」

 

「大人しく座ってろ馬鹿天狗が……」

 

 頭痛がしてくる石槌の頭を押さえてその場に座らせ、ため息を付いた。

 

「知り合い?」

 

「クソ腐れ縁のクラスメイトですよ夫人。何が楽しくて厄介事に首を突っ込んでくる阿呆だ」

 

 夫人は面白そうにそう言う表情に、もう泣きだしたくなる竜人の心境は如何に。

 さて、まずは気晴らしにでもとテントに詰めている闇祓いに状況確認でもと話しかけ、現状を聞いた。

 ウザいくらいに喚く石槌を押さえつけながらその話を聞いた。

 被害者、狼・繍司祭。中国出身の洪凰魔学院の卒業。死後間もない新鮮な死体であろうがしかしその体に水気という水気がなくなり、肌色は大層悪く黄緑色に染まり、その見た目はいうなれば『ミイラ』と例えた方が適切だろう。

 

「主な死因は、磔の呪文で長時間に渡り拷問を受け、自ら死の呪いを使った自殺と思われます」

 

「惨いわね。アズカバン級ね」

 

「そうですね……磔だけでも十分に──ッチ、邪魔だ石槌」

 

「私たちは無罪なのだ!」

 

 五月蠅い石槌を押しのけながら、安置された遺体に手を合わせた。

 酷い噛み傷の数々、服の上からでもお構いなしと言った様子。繍司祭の体に残っていたこの噛み傷にはしっかりと八重歯の痕が見て取れ、竜人は今日何度付いたか分からないため息を吐いて考える。

 タイニー司祭と違い、これは確かに見る限り吸血鬼の犯行の可能性が高かった。

 北アメリカ大陸に吸血鬼一族が移住していると言う話は聞いたことがないが、『ゾディアック』と関連づけるなら過去に密入国した吸血鬼一族が『ゾディアック』。そして少なくとも複数犯の可能性もある。

 タイニー司祭の実行犯が吸血鬼ではなく、別犯人がそれを行い繍司祭は吸血鬼が行った。

 

「ああ、めんどくさい……」

 

 考えがまとまらない。これだけの犯行をみすみす見逃す欧州闇祓いの目は節穴と見えた。

 剰えこのような犯行を堂々と行うなど、さぞや立派な警備を行った事だろう。

 

「繍司祭の護衛は?」

 

「拘束魔法を背後から受け、気絶して犯行の現場は見ていないと」

 

「安部君、繍司祭は闇祓い嫌いで有名な司祭だった。闇祓いを遠くに置いておく可能性もあるわ」

 

「狙われるには最適な人物その二ってことですか……」

 

 大義を成す者それ即ち変人奇人の類であり、馬鹿と天才は紙一重とはよく言ったものだ。

 この繍司祭もそれと思われる。

 

「まったく……残り9人の司祭たちは?」

 

「急ぎ護衛を増やす予定であります」

 

「予定ですじゃないんだよ。今すぐ増やすんだよ」

 

 さてここからどう『ゾディアック』へと漕ぎつけるか、大変な道程だ。

 少なくとも繍司祭の犯行で、魔法の力は闇祓い級と言う事だけはハッキリした。

 夫人に助言でも賜ろうと見ると、夫人は何とも珍妙に、繍司祭の遺体近くに顔を近づけその匂いを嗅いでいるではないか。それこそ犬のように鼻を鳴らしてその匂いを嗅ぐ姿は何とも言い難い。

 

「何してるんですか?」

 

「うん? 夫の真似。昔に夫が私を追ってパリまで来たことがあってその道中こうして私を探して回ってたんだって」

 

「警察犬みたいに匂いを嗅ぎまわる行為をですか?」

 

「ニュートは地面も舐めたそうよ」

 

 ニュート・スキャマンダ―ならばそれもやりかねない風貌をしている。

 天才奇人の類の人間だ。普通の人間では考えもつかない方法でそれを探っているんだろう。

 そうだ、竜人は常識にとらわれ過ぎている。

 自分のこめかみを拳で軽く何度か殴り、頭を柔らかくする。

 手掛かりが少ないのであれば少ない情報を多くの情報に増やせばいいだけの話ではないか。

 少なくともこの繍司祭の犯行は吸血鬼の可能性が高い。あのイタリアの一時的なバカ上司の言いなりになるのは癪だが、この際いい手柄にさせてもらおう。

 

「開心術士はこの会場に居ますか?」

 

「いえ、本省に出動要請を掛けていませんので居りませんが」

 

「じゃあ民間から開心術士を呼び集めて……」

 

 呼び集めるように言いかけたが、開心術士の心当たりは竜人の中では既にあるではないか。

 あれに頼るのは少々頭に乗らせる事になるが、事が事だ。否が応でも従ってもらおう。

 オークション会場にいた観客たちの収容テントに戻ってその者に話しかけた。

 

 

 

 

 

 何とも、私自身やましいことなど行っていないのに過去に行った悪さの記憶ばかり蘇ってくるようで居心地が悪い。窮屈な事この上ないこのテントで魑魅魍魎におしくらまんじゅうの様に揉まれながら私は産まれたての牛が如く貧乏ゆすりをしていた。

 

「窮屈なのだ……息苦しいのは嫌なのだ……」

 

「仕方ないだろ、取り調べだよ。やましい事は一切ないけど」

 

 ジェームズと私は並んで座り愚痴っぽく嘆いた。

 形式的な行いなのは分かっているが、只人世界の警察という輩は無理やり自供をさせる手法を持っていると言う、只人が行う行為を常人が行わない理由が見当たらない。手っ取り早く酷い事も行うだろうと、陳腐な考えに浸っていると。

 

「石槌」

 

 いずこから戻ってきた竜人が私を探して声を掛けてくるではないか。

 それ来たこれ来た、さあさあ釈放の時間である。

 

「ようやくか竜人! 私は文字通り羽根を伸ばしたくて致し方ないのだ!」

 

「ああ、それはもうちょい待ってくれ」

 

 竜人は私の手を取り、杖を取り出し枷の魔法を解いて別テントに連れて行こうとする。

 

「待て待て、そちらは外ではなかろうが」

 

「いいから。ああそうだ。そこのホグワーツの、お前もう出てっていいぞ」

 

「本当か!」

 

「お前は犯人にならねえからな除外だ」

 

 そう言い私をどこぞへ引っ張っていく竜人が一つテントを跨いでいく。

 そのテントには妙に顔色の悪い者たちが犇めいて拘束されており、怒り心頭と言った様子で私たちを睨みつけてきた。

 気圧される事無く進む竜人が私を取り調べテントへ無理やり押し込んでくるではないか。

 なんだ。私を犯人だと思っているのかと思うのか。

 

「おい竜人。私は犯人ではないぞ!」

 

「そんなことは知ってるよ。少し手伝え」

 

 そう言い椅子に座らせる竜人にむくれて見せる私に竜人の相方であろう老婦人が楽しそうに手を振ってきたので私はふくれ顔でプイっと顔を逸らす。

 どうせこの者も竜人と同じお役所の人間だ。このヴァルプルギス会場に来て魔法省という役所がどれだけ横柄かを身をもって知った私だ。闇祓いなど鼻先の腫瘍のように癇に障る。

 

「あなたが開心術士の子?」

 

「開心術士? 何の事だ。私はそのようなものなどではない。天狗だ、天狗」

 

「天狗……ああ、なるほどね……」

 

 その者の中で勝手に解釈が進んだのだろう。なるほどと言った様子で静かに頷き、薄く笑った。

 

「捜査協力してもらうぞ。石槌」

 

 竜人が私の前に足を広げて座り、疲れて仕方がないといった様子でそう言う。

 

「願われるのであればそれも(やぶさか)かではないが、只でとは思うておらんだろうな」

 

「天狗に願い事をするのなら対価が必要なんだろ。今後、一つだけ何でも言う事聞いてやるよ」

 

 何と何でも言う事を聞くと竜人は臆面もなく言うではないか、ならばどれだけの仕打ちをしても良いと言う事だ。

 ならばどういった事をやらせようかと気持ちを高鳴らせてしまうが、いけないいけない。

 ここは冷静に、不遜に、尊大に。天狗たる威厳を見せなければ。

 

「その言葉、異論はなかろうな」

 

「当たり前だ」

 

「ふん! 何を私に求めるのだ、申してみよ!」

 

 竜人は真剣な目で言った。

 

「今から連れてくる奴の、心を読め」



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ロビショメン

「ま、待て竜人! 心を読めとな。私はまだ道半ばの豆烏成るぞ! 六神通もろくろく使えこなせていない」

 

「お前の有無は聞いてない。それとも何か今更手を引いて俺に徹底的に馬鹿にされてたいか?」

 

 竜人は馬鹿にしたように私を鼻で笑う。

 私はその反応にムカッと来るが、しかしながら人の心を読む、即ち他心通を使えて言ってもまともに極めた六神通を私は修めていない。

 神足通ですら、空を飛べる程度であり本来ならば壁すらも通り抜ける事の出来る業である。

 要するに天狗と私が名乗るには早すぎるのだ。

 餅は餅屋にと言うように要するに私の専門外だ。

 人の心を読むことは大変に面倒な事である。

 その思念の数はいかに多きかな。我これを数えんとすれどもその数は沙よりも多し。

 異国の教典に書かれた言葉を借りるならば心を読む事は己以外を知る事であり、それを知りえるにはより多くの心を学ぶ必要がある。

 魔法の知識としてそれを知っていようとも経験も才能(センス)も蕾どころか種の段階である。

 そんな私にいきなり実践をせよと言うのは酷な話ではなかろうか。

 

「他心通は会得しておらん! 逆さまになってもこればっかりは変えようのない事実なのだ!」

 

「ならダメもとでやってみろ。いい練習だと思ってよ」

 

 大変無茶苦茶な事を言っておる気がする。出来ぬものを出来ぬうちにやれとは何たる所業か、それを強いる竜人の神経も大概可笑しい事この上ない。

 

「無理なら少しここで練習していろ、何が何でも俺たちはお前の開心術が必要なんだ」

 

 何とも必死に食い下がってくる竜人に私は少し押される。ここまで私の力を求められれば悪い気はしない。むしろ良いくらいだ。

 六神通の中で中級と言われる他心通をいきなり使うのは至難の業であるが、しかしながら少しだけ楽観視してそれを考えてみる。

 なに私の事だ、何かの拍子にポッと使える事が出来るようになろうて。宿命通とてその片鱗を数日前に垣間見たのだ、私の実力は既に中級にあると考えていいだろうと軽く考えてみる。

 

「ぬうううっ! 致し方なし! 如何様にでもせよ!」

 

「そう来なくっちゃな。ちょっと待ってろ、そいつ連れてくるからよ」

 

 竜人はそう言い、取調テントを出て行った。

 

 

 

 

 

「あの子、クラスメイトなんでしょ? 巻き込んじゃって大丈夫なの?」

 

「構いませんよ。アイツとはある意味では一心同体だ。それにアイツ程度鼻で使ってやった方がいい具合に働いてくれる」

 

 竜人と夫人は取調テントから出て話し合う。

 

「あの子、開心術に自信がないように見えたけど、本当に大丈夫?」

 

「そこは俺としても少し気掛かりでして、天狗と言ってもあれはまだ半人前ですから、いきなり心を読めって言っても無理な気がします」

 

「それでも任せるんだ」

 

「当然です。微々たる可能性であっても、『可能性』には変わりはない、小さなことでも手繰り寄せて見せますよ。それにこれはあのバカ上司へのパフォーマンスですから、吸血鬼の中にゾディアックがいるなんて思ってませんよ」

 

 思ってはいないが、可能性は捨てきれないと考える竜人である。

 最初の司祭の犯行、そして繍司祭の犯行で遺体に残された噛み傷の痕跡から完全に吸血鬼ではないとも言い切れない。

 人血を欲する魔法族は前にも言ったように二種しかいない。

 吸血鬼か、狼人間か。

 杖を振り、とある資料を呼び寄せる。

 それはイタリア魔法省の狼人間登録室の登録者名簿であり、表紙を開き杖を振って軽くその書類の中身を叩くと登録者の顔写真が明滅し、このヴァルプルギスに訪れている人狼を検索する。

 まったく西洋の魔法は大変便利だ。日本ではこう言った管理者名簿は制作を禁止され、唯一その存在を許されているのは冥界管理局一係顧問室が観覧権利を持つ『閻魔帳』だけであり、それ以外は魔法によって作られた管理者名簿は存在しない。

 全て足で稼がねばならない作業を日本魔法省は行っている。

 ガリオン硬貨制度は時代遅れであるが、こうした管理面では西洋は東洋に比べて大変進んでいる。

 明滅して狼人間の該当者を魔法は探すが勢いよく頁が閉じて背表紙に現れた文字は。

 

「零人。人狼はこのヴァルプルギスに参加していない、か」

 

「幸いと言ってはなんだけど。吸血鬼登録室の名簿の中でヴァルプルギス参加者はこのテントに全員集合させてるわ。この中からあなたは誰の心を読み取る気?」

 

「薄暗い者がいいですね。経歴はもちろんの事、家系的陰りもこのゾディアック事件には関連している。魔法族の血を積極的に摂取している者が該当者でしょう」

 

 魔法族の血を好んで飲む吸血鬼は珍しい者だ。

 人間は巨万(ごまん)といる。わざわざ魔法族という稀少な人種を選んで血液を欲する高尚な趣向を持つ吸血鬼は相場が決まっているモノだ。

 トランシルバニアに伝わるドラキュラ伯爵は魔法族の血を好んで飲んでいたと言う。

 吸血鬼とは高貴な血筋程、より魔法族の血を求める傾向にあるようで、名だたる高名な吸血鬼はわざわざ血を呑む為だけに他の魔法族を血液欲しさに食客として抱えていた歴史がある。

 この時勢にそんな奇特な習慣ともいえる者たちがいるのかは分からないが、歴史的背景から偏見なしに見た吸血鬼たちの実態はそうである。

 さて、そうなればやるべき事は一つだ。

 

「ちょいちょい」

 

「何だ」

 

 竜人はテントの端で突っ立っていた魔法省職員へと話しかけた。

 この者の素性は魔法省というお役所の性質からどこの部署の人間かは大かた想像つく。

 十中八九、魔法族基本台帳課の人間である。魔法族であると言う事は只人の世も常人の世も同じで、共に国という枠組みで管理され登録されるものだ。

 その者が一個人としての情報を証明するには必要な部署だ。

 人の世で生きると言う事は常に誰かしらに己が誰かであると言う事を証明する作業が必要となり、それを円滑に進める為に魔法族基本台帳課、要するに一般魔法族が何かしらの書類の提出する窓口として存在している。

 只人諸君に言うのなら彼らは区役所の窓口と思っていて構わない。

 魔法族基本台帳課は浅く広く、その根は魔法省の各部署に問い合わせをする権利がある。ここに集められた吸血鬼たちもその権力が為せる業であり、大かた吸血鬼登録室に問い合わせて無理やり召集を掛けたのだろう。

 

「この吸血鬼たちの台帳情報が欲しいんですけど」

 

「どこの部署だ? 見たところ闇祓いじゃないよな」

 

「はっ。これは失礼。日本魔法省預かり、陰陽寮『六波羅局』局員、安部竜人です。今回の事件に対する捜査権利を有しております故、魔法族基本台帳課のお力を借りたくお声がけした運びです」

 

「そうでしたか。こちらが、名簿になります」

 

 吸血鬼登録名簿を受け取り、今度は魔法を使わずその詳細を細かく見ていく。

 数代続く吸血鬼一族。その歴史の深さこそ血の尊さを示す指標の一つであり、功績も加味すれば融通の利かない検索魔法を使う訳にはいかない。

 竜人が幼い頃から蔵の書物を読み漁って培った独自の速読術が発揮され、十分と立たずに候補者を数人上げる。

 次にやることはその家名の由来、一体どんな功績を積んだかを調べる必要がある。

 それこそプライバシーの侵害に他ならないが、こういった事態だ。致し方ない。

 杖先を自らの鼻先に押し当て深く、深くテント内に満ちる吸血鬼たちの匂いを吸い込む。

 血に刻まれる記憶は匂いとなりその感情を読み取る事が出来る。

 ネズミは匂いで人間の感情を読み取る事が出来ると言う、それに近い技を魔法で再現するだけだ。

 ドロッとした血腥い匂いがガツンと鼻の奥に突き刺さるようで、気分が悪くなるがそれによって得られる微かな経歴の匂いを嗅ぎ逃してはいけない。

 血の香りの中に香る微かな香水の香りは麝香の香り、上質な香水の香りだ。

 家名の深さは金銭的な関りも多くある。この香りを漂わせている者たちの匂いを更に注意深く嗅ぎ、その人となりを調べる。

 思い浮かんでいる感情は三者三葉であり不安を感じている者もいれば、このような待遇に憤りを感じている者もいる。

 しかしその中で最も特異に感じた者がいた。

 恐怖とも取れる覚悟の香りである。こうなる事を初めから知っているかのように感情を鎮めている感情の匂いに竜人はそいつに的を絞った。

 杖を鼻先から外し、まっすぐそいつの元へ向かった。

 

「お前……だったのか」

 

 そこにいたのは──。

 

 

 

 

 

「ふうっぅううううっ。かぁあああああああっ!」

 

 妙な掛け声と共に私は気が狂ったようにひっくり返って神通力の覚醒に切磋琢磨しているが、私の中で眠る神通力は眠れる獅子、伏竜のように呑気にその芽を咲かせる気概すら見えないその感覚に私は最早捨て鉢になっていた。

 巨人やら力自慢やらに私の足頸を掴ませ棒切れの如く振り回せても、覚醒の予兆はこの調子では出てこないと思われた。

 どうやれば、どうすれば天狗と胸を張って言えるだけの力が手に入るのか、先祖、他の涅槃へと至った天狗方々に頭が下がる思いだ。

 彼らは教えを乞う親類もいないのに、涅槃という尊ぶべき境地へと自力で至ったのだ。

 何とも途轍もなく偉大であろうか。私もその血を引いているのだから決してその道を辿れないと言う理由はないが、しかしながら時間があまりにも足りていない。

 

「ふんにぃいいいいいいいっ!」

 

 変に力んでみるが頭に血が上るだけで力みで赤らんだ顔で息せき切らせた私。そんな中で戻ってきた者たち、竜人とその相方、そしてこのヴァルプルギスの事件、ゾディアック事件の犯人かも知れないモノを連れ込んできた。

 

「主は──」

 

 言葉を失ってしまった。その者は。

 

「セウ」

 

「……マイ・フェア・レディ……」

 

 無言で応じるセウに私はキッと竜人を睨んで掴み掛った。

 

「何故にセウが犯人なのだ! この者は無実ではなかろうか!」

 

「ああ、無実かもな。それを証明するために連れて来たんだ」

 

 冷静に言う竜人に私は言い知れぬ感覚に己を苛まれる。

 毛嫌い程ではないが煙たく思っていたセウだが、この者とて美徳はある筈。

 愚者一得という言葉があるようにこの者にも美徳がある筈だ。

 少なくともセウは初めの犯行には関わって──。

 

「────」

 

 よくよく考えれば、セウは私の目の前をちょろちょろとしていたが司祭殺しの犯行の時刻には必ずと言っていいほど私たちの目の前にはいなかった。

 現場不在証明(アリバイ)がないのだ。いや、いやいや、私たちの目の前に居なかったと言う理由だけで犯人と決めつけるのは横暴というモノではなかろうか。

 混乱する私をテント端へと追いやった竜人が、セウを椅子に座らせ向き合う様にして座り、取り調べが開始した。

 

「名前は?」

 

「セウ・ガブリエウ・アイルトン・ロビショメン・セナ。カステロブルーショの学生で、吸血鬼だよ」

 

「ふぅん。ようやく本名の全部を聞いたぜ。ロビショメンの家の奴だったか」

 

 得心が言ったと様子で鼻笑いで応じる竜人。私のそんな様子に解説してくれるように竜人が、今迄聞かなかったセウの家系の事に関して言った。

 

「ロビショメン。ブラジルから古くから住まう人狼狩りの吸血鬼一家とでも呼んだ方がいいのか? 由緒正しい家柄だ。十代以上その系譜が続いているんだってな? 人狼狩りで魔法省と取引したのはなんだ? 魔法族の生き血か?」

 

「そんなことは知らないよ。僕は次男坊だ。家督は兄さんが継いでるんで、そこのところは兄さんに聞いてくれ給え」

 

「ほう、その当のお兄様はこのヴァルプルギスには来ていないようだが。学生旅行とはさぞ金を持っているんだな」

 

「そりゃあ『ロビショメン』だからね。君のような日本の魔法族の耳にも入っているなら、知っているんだろう? 僕の家では魔法族の人血を好んでいる事を」

 

 竜人は意地悪く笑い、背もたれに背を預けてさっさと話せと言った様子に鼻で指してセウを急かせた。

 

「僕が魔法族の血欲しさに司祭を殺したっていうのかい?」

 

「お前が殺したっていうより、指示した、って言った方がいいじゃないか。この事件は複数犯かもしれないんだ。お前が指示して司祭の血を収集して回ってる。って考えたんだよ」

 

「酷い捜査だね」

 

「闇祓いもどきだからな荒は見逃してくれよ。まあ、ここは穏便にお前が犯人かそうじゃないかを調べるには取って置きの相手がいるからなそいつに見てもらえ」

 

 顎で私にセウの心を読めと指示する。

 私は静々とセウの目の前に立った。

 あれだけ騒がしかったセウは神妙にそこに座り、私に対してしつこいまでの求婚をしてこないではないか。

 御縄に付く気なのか、静かに、居直る様子すら見せず私の目を見て小さく微笑んだ。

 

「マイ・フェア・レディ……君に心を読まれるなら僕は幾らでも心を開こう。さあ……」

 

 まさに御用になる事を望んでいるかのようなそんなセウに、私は奥歯を噛み締めて両拳をセウのこめかみに当て羽を広げた。

 黒々とした羽根はすべての闇を吸い取ったかのように漆黒の色ですべてを台無しにする色合い。

 いずこに私の目指す涅槃はある。求めようぞ──見極めて見せるのだ。そしてそれを糧に私は神通力を覚醒させるのだ。

 

「行くぞ……!」

 

 私はそう言い、全身を巡るその力を拳を還してセウの心に集中して。

 そして、深く、薄暗い人の心へと私は踏み入った。



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辛い過去

『────ッ!』

 

 濁流。そう表現するしかない。

 人の心がこんなに混沌とした渦の上で成り立っているなんて想像もしえない程に、猥雑で、滅茶苦茶で、渾沌たる様を私はセウの心の中で初めて知った。

 人の心は書物のように読み進めるのではない。嵐の海の夜に小舟で漕ぎ出して、そこから浜辺より流された小さな砂粒を探し当てるようなものだった。

 私自身の心が痛い。引き裂かれるようで、引き千切られるようで、目まぐるしく押し寄せる感情の波に私は溺死しかけていた。

 苦しい、不快で気持ち悪い。何もかもが一緒くたに私の中に流れ込んでくる。

 私自身それから逃げれる権利はあるが、しかしながらそれより逃げる事を私は望んでいなかった。

 少なくともこの者は、セウは私の中では友の中にいる人物だ。それをみすみす見逃してゾディアックに仕立て上げるなど私にはできなかった。

 友を見捨てる事ほど不心得を極めていない。

 清く、正しく、天を覆う天上天下唯我独尊の天狗の名前を戴く者として無辜の者を見殺す事罷りならない。

 正義は成る。それ即ち天狗魔道の光明成るぞ。

 踏み入ったセウの心の濁流の中を深く、さらに深く私は潜っていく。

 

『──お前は出来損ないだ』

 

 微かに私の意識の横を過ぎ去っていく声を聴き、それを掴もうと必死それに辿り着こうとした。

 酷く弱弱しい無意識の裡に潜む心の弱点。心の深層へと私は近づいていた。

 

『僕は、こんな事したくないんだ!』

 

 真っ赤な閃光が濁流に混じり、血の海の中を潜っているかのようにドロリと、ねっとりとした人の血の如く熱を佩びて私の意識を更なる地獄へと誘った。

 弱っていた。これは誰も望まないひどく脆い心の箇所が垣間見えた。

 誰しもが持っている薄暗く見せたくもない個人足りえる弱点。負なる過去。

 

『──殺したくなんてない』

 

 叫んでいた。

 血の海に沈むそれを抱きかかえて哭いていた。

 セウの家の、『ロビショメン家』のセウが否定したがっていた因習。

 その骸の姿を見れば分かる。小さな子だった、しかしながらその見た目は人とは懸け離れていた。

 人狼、狼人間の子供だった。

 まだ歯もろくろく生え揃っていない子犬同然のその子をセウは抱えて泣いていた。

 

『いつまで泣いている。人狼程度に流す涙があるなら、それでこいつらを殺すんだ!』

 

『なんで殺さないといけないんだよ! 兄さん! 父さん!』

 

 その姿が(ぼく)は見て叫んでいた。

 彼らに罪なんてなかった。罪になりえるようなことは何一つしていなかった。

 ただ殺されるだけの事をしていないのに、ただ狼人間であると言う事だけで殺された。

 確かに非道に走る狼人間は数多くいる、しかしながら皆が皆、悪魔に魂を売り渡しているわけではない。

 彼らは、彼らのコミュニティはいたって平和だった。

 狼になる時は、皆で助け合って他の者たちに害をなさぬようにしていた。

 なのになぜ! なぜ殺さねばならなかった! 。

 それがロビショメンの習慣だから? 吸血鬼として一魔法族として認められる方法だから? ただの言い訳じゃないか。いくら僕たちが訳を言い繕っても彼らに罪はなかった。ただ狼人間だったという事実だけで殺されるなら、僕たち吸血鬼だってこの心臓に杭を突き立てられる理由にだって幾らでも取り繕える。

 (わたし)は怖かった。ただそれだったと言うだけで殺される人々の立場になるとただただいして身震いして、恐怖が(ぼく)を支配した。

 忌まわしき因習だ。狼人間を殺す事に何の意味がある。

 兄さんを手助けしない(わたし)の姿勢に、父さんはとうに愛想を尽かしてカステロブルーショへと投げて捨てられた。

 でも僕の『ロビショメン』という名前は永遠に切り離す事の出来ない呪いとして付きまとい続けた。

 どこへ行っても、何をしても、成功しても失敗しても、笑っても泣いても──すべて『ロビショメン』と言う名前が付きまとい続ける。

 大いなる呪詛。どこまで行っても僕は『ロビショメン』の血に引き摺られ続ける。

 血に刻まれた吸血鬼一家という変えようのない呪い。カステロブルーショの皆が、誰しもが、地を歩く血液袋に見えて仕方がない。

 堪え難い渇き、吸血鬼としての宿命。

 喉が渇く、いくら水を飲んでも、酒を浴びるように深酒に溺れようと。

 どれだけモノを喰らおうと、吐いてもどすほど食べようと。この渇き、飢えは消えなかった。

 方法は見えている。

 (ぼく)は吸血鬼だ。血を呑めばこの渇きも収まるのは分かっていた。

 だが、(わたし)が吸血をしてしまえば『ロビショメン』の血の習わしに従うことになる。

 必死になって堪え続けていた。でも限界はある。

 カステロブルーショの先生に天使(エンジェル)がいた。皆が慕う人だった。

 その人に縋りついて懇願した。この飢えと渇きから解放してくれと。──殺してくれ、と。

 天使(エンジェル)はその願いを聞き入れてはくれなかった。ただ指先を羽ペンの先で自ら切ってその流れ出る血を(ぼく)へと飲ましてくれた。

 今迄飲んだことのない甘美な味。これ程までに心休まる味の血はここに来るまで飲んだことがない。

 これぞ、高貴なる青の血筋(ブルー・ブラッド)の味だった。

 僕はそれから天使(エンジェル)に心を惹かれ続けた。何度となくこの思いの丈を告白した事かもう分からないくらいに言った。

 しかし彼女は笑って、カステロブルーショの教鞭をとり続け。そして──消えていた。

 天使(エンジェル)は日本へと帰ったと他の先生から聞き、僕は彼女に会いたくて仕方がなかった。

 あれだけ嫌っていた兄さんや父さんにも頼み込んでその人を探してもらったが分かった事と言えば。

 

天使(エンジェル)が──死んだ?』

 

 日本の大層名のある家名の者だった天使(エンジェル)は他の天使(エンジェル)の男性と結ばれ、子を産んで死んだと。

 (わたし)は泣いて、哭いて、泣き腫らした。

 唯一の救いであった天使(エンジェル)を失った悲しみを埋める訳を必死になって探して、それも見つからずただただ惨めに泣き続けた。

 天使(エンジェル)天使(エンジェル)、愛しの天使(エンジェル)

 (ぼく)を救ってくれた天使(エンジェル)はもういない。そんな当たり前の真実に僕は泣く事しかできなかった。

 (わたし)の心の中ではあの天使(エンジェル)の事しかなかった。

 不思議ともうあの渇きに苛まれることもなくなり、(ぼく)自身己の行いを恥じて、出来うる限り人血を呑むように心がけた。

 しかしあの味には劣る。あの甘美な天使の血に比べればそこらの魔法族の血なんて泥水にも等しい。

 日本へと帰った天使(エンジェル)。東洋の神秘を秘めたその魅惑の青ざめた血の味こそ吸血鬼(ぼく)たちを解放するに叶う血なのだと勝手ながらそう思えて仕方がなかった。

 天使の血こそ吸血鬼から只の魔法族へ孵す救いの血なのだと。

 盲信妄言なのは分かっている。しかし彼女は天使なのだ。

 神の使い。神がその天より遣わされた使者。天の御使い。

 その血に真なる救済があったとしても何も疑わなかった。何度も何度もカステロブルーショの同じ学年を行き来しようと稀少な高貴なる青の血筋(ブルー・ブラッド)は現れはしなかった。

 半分諦めかけていた時、遂に(わたし)は出逢う事が叶った。炎の夜宴のヴァルプルギスの夜にあの天使と同じ匂いを漂わせる天狗の彼女に、マイ・フェア・レディに。

『ロビショメン』の悪徳や頽廃の人狼狩りを罰するのならそれでいい僕も吸血鬼だ。それを焼け硫黄の雨を浴びるのなら喜んで浴び焼き尽くされよう。

 ただ、死の間際に一滴の血を僕に恵んでくれ。僕は無実という名の罪を被ったただの卑劣者だ。

 

『──なんだ?』

 

 僕は天狗の彼女を探し回る最中に、見える会場の一角で行われたそれを見ていた。

 男女二人の前で跪いて首を垂れるその者たちの密会を。

 その者たちは匂いからして普通の魔法族であることは分かった。女性の方は魔法族ではなくスクイブだ。

 彼らは何やら話をしてそして跪く男の腕に何やら魔法を使って焼印を刻んでいた。

 その魔法の呪文は。

 

闇の印を(モースモードル)

 

 そのあとすぐに女性が捨てた煙草の火がテントに燃え移りその顔が露わになった。

 なんとも楽し気な顔だ。ポニーテールのその女、下顎が焼け爛れまるで骸骨の様で恐ろしい顔。その右目の当たりより蛇の尾のような刺青がのたくって動いていた。

 

『さあ、始めましょう。ゾディアック。闇の皇帝、ヴォルデモート卿への供物はまだ10人もいるんですから休んでいる暇はありませんよ』

 

『はい。分かっております。イヴ』

 

 ふと大男がこちらを向いて、僕に魔法を撃ってきた。体が石のように固まって動けない。

 僕は何やら見てはいけないモノを見てしまったようだった。

 

『おやおや、いけない鼠がいますね』

 

『────』

 

 ぼそぼそと大男が女に耳打ちして僕は見逃された。

 跪いていた男ももう姿を消し、彼らはまるで祭の続きがあると言わんとするように暗闇に消えて行った。

 

 

 

 

 

「──カッ! っか、はぁ、はぁはぁ──」

 

 現実に引き戻され、私は口から異様に垂れる涎に咽て咳き込み、息を切らせてセウの体から離れた。

 確かに感じた、読み取れた。

 ──セウの過去を。

 一体どれだけの確執をセウは抱えている事か。それはこれだけ見てもほんの氷山の一角程度なのだろう。

 私は他心通で無意識の心をほんの少し撫でただけで、ここまで濃密な心の一部を読み取ったのだ。

 それをすべて読み解こうとするならば、今の私は壊れてしまいそうだ。

 激しく私を揺する竜人を私は落ち着かせる。

 

「おい! 何が見えた、何を見た!」

 

「すこし、少し落ち着かせるのだ……」

 

 私はテントの端で蹲って座った。

 何故だろう。心を読んだせいか。セウの悲しみに私も感化され知らず識らずに涙が溢れてくる。

 セウは天使、天狗の教師を愛していたんだ。それの死を知った彼の心を思えば、私に言い寄ってきた気持ちも分からんでもない。

 代替品であったのは少しいただけないがそれでも、彼が救われたかったのだ。

 私の血が少なくとも『吸血鬼を癒す妙薬』と考え、人として死にたがっていた。

 無論、天狗の血にそんな驚きの効果はない。彼の勘繰りだ。

 だが、しかしだ。私はセウの心に触れて感じてしまったのだ。

 ロビショメンの忌まわしい過去より、その呪詛から解放されたがっていたのだ。

 慰めにもならないがしかしながら私は動かずにはいられなかった。

 自らの手首に歯を突き立て噛み切って血が噴水の如く溢れ出た。

 

「おい何やって──!」

 

「気は触れておらん! 少し待て」

 

 血の垂れる腕をズイっとセウへと向けた。

 

「私の頸筋へその牙を立てる事は許されぬ。しかしせめてもこの血を望むのならば与えよう。悲しき吸血鬼よ」

 

 その行いにセウは嬉しそうに、いや、哀し気にもその血に舌を伸ばして飲んでいた。

 それこそ涙を流して、その血を呑んでいた。

 救いを求めてられ救わぬ愚か者になってなるものか、私は天狗、天上天下唯我独尊自らの正しきを行う不遜な天狗足らんと日々動かねばならない。

 涅槃とは仏のそれになる事だ。ならば救うわぬ神がいるのなら私は救う神になって見せようぞ。

 

「血ぃ流して少しは頭の血も引いたか?」

 

 竜人は呆れたように椅子に座って、訊いてくる。

 

「うむ……少しな」

 

「何が見えた? ゾディアックに関連する何か見たか?」

 

「見たのだ……連中だ」

 

 私は目を顰めてあの情景をありありと思いだした。

 ヴァルプルギスのあの火災。連中が行った放火だったのだ。

 だが私は混乱する。あの者たちは間違いなく富士山で死んだはず、女の方は袈裟懸けから百足丸の餌食に、大男は神通力の竜巻で紅葉おろしにされたはずだが、なぜ生きている。

 不可解。黄泉帰ったのかと思ってしまうほどその健全な姿をセウの前に露わにしたそれに私は奥歯を噛み締めた。

 

緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)だ。あの女と大男がいた」

 

「……そいつは本当か……」

 

「ああ、セウの心の記憶にしっかりと刻み付けられていた」

 

「厄介なことになったな……じゃあ犯人は緑龍会か」

 

「いや、奴らに傅く者がいる。その者がゾディアック。ヴォルデモートに仕えている」

 

 竜人と相方が顔を見合わせ、何やら深刻になったといった様子であった。

 ゾディアック、ヴォルデモート、緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)。私には何が何だか分かりはしなかったが、彼ら二人には何やらかけたパズルが嵌ったといった様子であった。

 

「何か特徴はあった?」

 

 相方の方が私に訊いてくる。

 

「ゾディアックの腕に髑髏と蛇の焼印があるのだ。魔法で印された焼印だ。──闇の印だ」



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微かな道筋

「捜査方針もこれで少しは固まりそうですね」

 

 竜人は、今迄のゾディアックの捜査資料と、スキャマンダ―夫人が独自捜査を行っていた手帳を見比べながら薄気味の悪い微笑みを浮かべていた。

 

「彼女が本当に心を読めてたら、でしょ?」

 

「あれは間違いなく読めてますよ。なんせ……マジモンの天才天狗ですから」

 

 謙遜や誇張なしに石槌の神通力の才能は群を抜いている。

 話を聞けば十歳そこらで空を飛び、多くを聞き取り、他の心を読む。前例がない位の才能だ。もはや天稟の部類だ。

 それだけ石槌撫子の神通力の覚醒速度は目覚ましい。それ故に魔法のみならず『神秘』と言える力に興味を示す竜人にとって石槌はいい観察対象であり、他と比べてもそれは明らかな事実だった。

 ならば今回、ロビショメンの次男坊セウの心を読んだ内容は間違いはなく、読んだことで詳らかになったセウが見聞きした心の記憶は疑いようのない真実を示している。

 その結果として今回の事件は『ゾディアック』と名乗る犯人は一人であり、その背後に緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)の陰があるのは確か。

 ゾディアックを先に追うか、緑龍会を先に追うか、まさしく『鶏が先か、卵が先か』の問答の様に因果性のジレンマを孕んでいる。

 ゾディアックを捕らえたとしても、緑龍会はゾディアック尻尾切りの様に扱い彼らを捕らえる事は儘ならないだろう。

 緑龍会を捕らえようとすれば、ゾディアックは更なる凶行を露わにすること請け合いだ。

 まさしくジレンマだ。

 

「そうであっても手掛かりは何にも無いに等しいわね」

 

「少なくともゾディアックやその背後にいる連中は吸血鬼ではない、それが分かっただけでも御の字でしょう」

 

 吸血鬼ではなく、その実力は闇祓い級とくれば大方絞り込めてくる。

 魔法省職員も容疑者の中に含めればかなりの数に膨れ上がるだろうが、今回はそれは除外するとして、このヴァルプルギスにそれだけの魔法力を持った者が一体どれだけいよう事か。

 それこそ片手の指の本数もいないだろう。

 今後も12人の司祭を狙い続けるのならその周りをウロチョロする該当者を取り押さえればいいだけの話。そのあとの事など竜人のあずかり知るところではない。

 第一な話でここは陰陽寮、日本魔法省、六波羅局の管轄する地域ではない。海外だ。

 それを非常事態として竜人たちが駆り出されこうして奔走して、容疑者を確保までするのだからそれは十分といった手柄だ。

 容疑者の行く末など知った事か。拷問なり磔の呪文なり好きなだけ竜人()()の人間が掛けて口を割らせればいい。

 六波羅局お得意の『結果丸投げ』に徹するに限る。こうすることで己の手を汚さずに済む。

 無責任、徒疎かで神風主義的ないい加減さを是とする局ではあるが、しかしながら今回は又それとは別である。国外活動など早々にない。

 今迄燻っていた男ならではの出世欲的な手柄欲しさに眼が眩み掛けている竜人。それを己自身嫌というほど自覚しているが、今迄の、長年六波羅局勤めに嫌気がさしていないと言えば嘘になり、手柄への欲があった。

 欲を掻けばそれだけ視界を曇らせる原因になるのは重々承知しているが、初めての国外捜査、そして禍祓いと同等の権利を与えられた竜人に尊大になるなと言う方が無理からぬこと。

 しかしながら捜査も疎かにすることべからずである。

 欲を掻いて失態を晒すなど竜人の色ではない。気を引き締める。

 

「……さて、次の捜査方針でしたね。やることは変わりません。残りの標的になりそうな司祭を護衛します」

 

「と言っても、もう相当な警備が敷かれている」

 

「と言っても闇祓い(オーラ―)であっても人の子です。必ずどこかしらに隙が生まれる筈、ゾディアックはそこを見逃がさずに突いてくるでしょう」

 

「隙の生まれやすい司祭を選別するの?」

 

「ええ、闇祓い嫌いの司祭は何も繍司祭だけの特権ではないですからね」

 

 司祭たちの経歴はその有名さも相まって手に入れるのは容易であり、すぐに調べに掛った。

 該当者は12人中10人、タイニー司祭は除外しても構わないだろう。

 10人の功績を調べれば舌を巻くような偉業を成し遂げているモノばかり、数字の魔術的特性を調べ上げた者、数多くの予言を残してほぼ全てを的中させた者、魔法力の物体化を成功させた者など。

 その偉業の功績たるや語り出せば切りがない。しかし今竜人が欲している情報は功績に関してではない、経歴だ。

 少なくとも周囲闇祓いの警備に穴の開きやすい人物、その過去を夫人と共に調べ上げる。

 

「ロドニー司祭はどうかしら? 過去に何度も闇祓い試験を受けている」

 

「警備を遠ざけるには持って来いの人物ですね。過去は着える事無く付きまとう呪いですからね」

 

 スキャマンダ―夫人の渡してきたロドニー・マルトゥス司祭の経歴に目を通す竜人は、確かにこの人物は狙われるには最適と言えるがどこか、迫力に欠けるような気がした。

 人物的雰囲気の迫力ではない。殺した時の宣伝効果とでもいうのかその影響に大きく響く人物とは思えなかった。

 もう一つの資料に目を通す。

 ヨハネス・アーレント司祭はそう言った面では殺されるには大きな宣伝効果が見込まれる。

『音楽魔術の申し子』とまで呼ばれ、このヴァルプルギスの四日後に大檀上で大きなライブを行う予定である。

 アーレント司祭をもし、観客の目の前にその亡骸を晒すとなれば一体どれだけの恐怖が伝染するか。

 いやしかし、彼女の場合は闇祓いへは穏健派として知られむしろ警備されて嬉しそうであると言う、穴という穴は存在しないように思え、候補から外そうと考える。

 他の6人を見て見るが功績ばかり輝かしく経歴は平々凡々というに当てはまる者たちばかりで死の直面であると言う場面では身も守られたくあるらしく警備が万全である。

 暫定的にだが、ゾディアックがやはり狙いやすさという安牌を引く犯罪傾向であれば、マルトゥス司祭が狙われるだろう。

 

「狙いやすいはマルトゥス司祭だけでしょうね。確定して狙われる訳でなですけど、警備しましょうか」

 

「なんだか後ろ向きな言い方ね」

 

「僕のお役所柄でしてね。お許しを」

 

 意地悪く笑って見せる竜人に苦笑いの夫人と共にマルトゥス司祭の元へと足を進めるのであった。

 

 

 

 

 

「そうくっ付くでない。セウよ」

 

「……済まない。マイ・フェア・レディ……もう少しこうしてていいかな……」

 

 私を抱きかかえるように抱き着いて離れないセウに私は苦々しく不貞腐れたような顔でいた。

 私の頭皮の香りを鼻孔の隅々まで満たす様に鼻を押し当て深く深くその匂いを嗅ぐセウに、本当ならばその腕を振り解いて、その顔面にグーパンチを喰らわして逃げて行くところであったが、今日の所はそれも許してしまうほど、彼に寛大になっていた。

 

天使(エンジェル)と同じ匂いだ……マイ・フェア・レディ……」

 

 赤ん坊の甘く軽やかな匂いに顔を綻ばせているかのような表情でセウはその泣き腫らした目元を私の髪にこすりつけてくるようであった。

 この者の過去とその感情、それを触れてしまった私はそれを袖にするようなことは出来なかった。

 破天荒を装いながらもその傷つき腐り続けた朽ちかけんばかりの心を抱え続けたセウには平伏の思いだ。

 あれほどまでに、こんなにも今も私の心に残る悲しみの感情はセウの心に触れた残滓であり、彼の心の記憶に触発された感情だった。

 セウの家系、『ロビショメン家』は魔法界でも屈指の通り名であり、その人狼狩りの実績の高さたるや、最早狼人間を根絶せんばかりの破竹の勢いである。

 それだけに優しい心を持ったセウには酷な家系に生を得たと悔やむべきかな。

 血は水よりも濃いと言われるように、血の繋がりは決して切れることのない(まじな)いだ。

 私を幼子がお気に入りのぬいぐるみ人形を抱きかかえるが如く強く抱きしめてくるセウに、そろそろ良いのではないかと優しくその手を払った。

 

「セウよ。もう落ち着いたであろう? もうよいのではないか?」

 

「うん。ありがとう。マイ・フェア・レディ」

 

 私から距離を少し取ったセウにどこかよそよそしさのようなものを感じながら私たちはあてどなく、どことなくヴァルプルギスの会場を流れていた。

 あまりにも私がセウに優しく接し過ぎたのか、それともただ単に気恥ずかしくなったのか。

 セウは赤らんだ顔を私の顔と合わせないように逸らすが赤みは耳まで及んでいる。

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 沈黙の合間に私まで気恥ずかしくなってきた。いつものように場違いなまでの騒ぎたてをしてくれたのならこのような気恥ずかしさはなかった。

 私たちはただ人混みに流されるままに歩きそして、ヴァルプルギス会場の中心の燃ゆる魔法の大樹近くに設営された大檀上へと流れついていた。

 あれ、ここは音楽を嗜む者たちの場であろうとそこを見渡した。

 国際色豊かな見た事もない楽器を持った者たちでごった返して、あちこちで様々な音色が聞こえてくるではないか。

 激しく荒々しい音から物悲しく静けさに沈む音まで千差万別、しかしながらその音色には弾き語れることへの感謝とも取れる気配を感じ取れた。

 そんななか。

 

「撫子ちゃん!」

 

 ドンっと、背中に抱き着いてくる者がいた。

 背に感じるたわわに実ったのの柔らかな感触と、まるで大型犬に覆いかぶさられているかのような感覚は勝手知ったる友の仲だ。

 

「おお! 綾瀬よ。いつぶりだ?」

 

「たったの数日だよ。もう、どうしちゃったの?」

 

 にこにこ笑顔の綾瀬に少しほっとした。

 この笑顔を見るとようやく平穏な日常へと戻ったような気になった。

 今迄がおかしかったのだ。大体において、いくら天才天狗である私であろうとも学生を人死にの事件に関わらせる竜人の精神がおかしいのだ。

 そう思うと沸々と湯が沸くが如く怒りが込み上げてくるようであった。

 これが終わったら一体どんな目に合わせて見せようか。約束の事もある、奴の手綱は私が握ったようなものであるとフンスと鼻を鳴らして私は胸を張った。

 そんな中で綾瀬が静かに私の耳元で耳打ちしてくる。

 

「吸血鬼の彼、まさか仲良くなっちゃった系?」

 

「ぬ? セウか? 違うのだ」

 

 私はかくかくしかじかと今迄の流れを説明し、セウの心の内だけは聞かせぬように配慮して話した。

 

「えぇ! そんなことに巻き込まれてたの?」

 

「うむ。何とも迷惑千万な話である。しかしながらこれにて竜人に一度だけ何でも言う事を聞かせることが出来るのだ」

 

 得意気に私は意地悪な顔をして見せた。

 今迄の私と竜人の仲を知っている綾瀬は仕方ないといった感じに笑って見せた。

 私たち二人はリハ中の白虎煉丹のテントに向かった所で、背後で立ち止まって動こうとしないセウに私は振り返った。

 

「何をしておる」

 

「いや、マイ・フェア・レディ。友達と一緒なんだ。僕は邪魔じゃないかい?」

 

「何を言っておるんのだ。さっさと来るのだ。一人よりも二人、二人より三人だ」

 

 何より殺人鬼がうろついているのだ。大人数でいるに越したことはない。

 そんなことを考えている私であったがそれはそれとしてセウの顔は明るくなった。

 白虎煉丹がリハーサル中のテントは思い思いに演奏に興じる生徒たちで溢れかえっていた。

 ギターにドラム、ピアノに三味線、琴に神楽鈴など和洋折衷のそれに私は少し驚いた。

 白虎煉丹の部長曰く、ヴァルプルギスの最終日に演奏を行い、そして演奏で日本の悪い歴史を少しでも明るくしたいと言うのだ。

 良い心掛けだ。銀醸も授業で日本は世界大戦で大いに過ちを犯した。

 それの償いというには小さなことであるが、小さきことでも積もりに積もれば山となろう。

 

「綾瀬はどれを演奏するのだ?」

 

「私? 私は神楽鈴と舞の担当だよ」

 

 日本の舞踊、歌舞伎に能に全てを取り込んで日本がいかなる国であるかを知らしめんと皆が切磋琢磨していた。

 音楽とはまさしく魔術である。言語は無くとも、音に乗せられる感情は直接他人に届ける事が出来る。

 音を楽しむ即ち音楽であり、それの術はまさしく魔法だ。

 現に音楽魔術というモノが存在し、音にて人心や行動を操る術がある。

 大衆を操る術で、魔法界の大人数の只人への露見が起こりうる可能性があった時に使われる術だ。

 あまり脚光を浴びない魔法であることは確かであるが、その歌声は人々を魅了するに余りある美しさがある。

 それ故にこの度のヴァルプルギスの12人の司祭に『音楽魔術の申し子』とまで呼ばれマーリン勲章勲三等を得た者がいる。

 

「ちょっと失礼! 君たちが日本の?」

 

 そう大声でテント内に入ってきたのは、噂をしていればだ。

 当の『音楽魔術の申し子』、ヨハネス・アーレント司祭が大人数の闇祓いを引き連れて現れたのだった。



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音楽魔術の申し子

 闇祓いに囲まれていることにご満悦と言った様子のアーレント司祭の蕩け顔に私たち魔法処生徒は、なぜこのような大物が自分たちのテントに現れたのかと疑問と興奮の狭間を漂っていた。

 ヨハネス・アーレント。マーリン勲章三等を今年初めに授与され天狗となっているのだろう。その顔は赤らみ、呼気は酒気を帯びて片手にワインボトルを我が子の様に抱きかかえている。

 相当飲んでいるのだろう。火を近づければ自ずと吐く息が発火しそうなほど酒を飲んでいる。

 

「ひっく……日本の子たちが音楽を披露するって言うから来てみたんだけど。どうしたんだい、音楽は奏でないのかい? 子守唄にちょうどいいと思ったのに……」

 

 失礼な事を言う彼女であるが、その千鳥足を見れば酔っ払いの放言と捉えていいのだろうか。

 悪意のない表情の眠たげな眼でよちよちとピアノを演奏していた生徒に近寄って弦を指でピンと弾いて楽し気だった。

 あまりにも危うい足取りは今にもひっくり返って寝息を立てそうなほどフラフラとしている為に、闇祓いだけでなく生徒たちですらその動きに合わせてあっちにゆらゆら、こっちにゆらゆらと皆がその動きに合わせて動く。

 まるでアーレント司祭の動きはひと時も目を離せない赤ん坊の様で皆が彼女に合わせるしかなかった。

 

「あの……司祭。演奏がご要望で」

 

 部長が恐る恐るアーレント司祭に寄って聞く。彼女の目はトロンと蕩けて兎に角笑顔で言った。

 

「ノー! 練習が聞きたかったんだよーん。でも今は──」

 

 いきなり部長にハグして強烈な接吻を交わしてくるではないか。

 突拍子もない行動に皆が驚いて、目を逸らしたり口を手で覆い驚いていたりと様々な反応に反して、部長は見事な接吻攻撃に呆け、アーレント司祭は近くにいる生徒たちに手当たり次第に接吻して回るではないか。

 私は闇祓いの顔を見ると、その顔にはべったりと唇の形の口紅の跡が残っており、この光景を見てやはりかといった様子であった。

 かなり前から飲んだくれているのだろう。彼女の取り巻きの疲れ具合を見ればそれは明白だった。

 

「君にもブチュ──―!」

 

「断るのだ!」

 

 私はテントの屋根柱に飛んで捕まり、猿が木に登っているが如く柱にしがみ付いて威嚇する。

 他人に、しかも同性に唇を許すなどあってなるものか。私は清廉潔白であることを求められている。

 石槌山を継げなくなったならどうしてくれようかと考えるが、その方法も思い浮かばないのが私である。

 アーレント司祭は別に他意があって接吻百人抜きをやっているとは思わないが、こうもふしだらなのは私は受け付けなかった。

 

「つんつんした子だねぇ。さあ降りておいでよ!」

 

 しつこく私に接吻を交わそうとその場でぴょんぴょん跳ねて回るアーレント司祭は、あまりにも激しく動き過ぎたのか赤らんだ顔が真っ青な顔になって口を手で押さえた。

 もう誰もの予想がついて急いで部長がバケツを投げて渡すと、滝の如くそこへゲーゲー吐き上げるのだからもうこの者が何がしたいのか分からなかった。

 酸っぱい匂いがテントの臭気を塗り替えて私たちも釣られゲロを吐きそうである。

 

「あ、あの。アーレント司祭? 一体どういったご用件でこちらまで?」

 

 綾瀬が魔法で水を出して司祭の口元にそれを宛がって聞いた。

 たしかにそこは気になるところである。何も冷やかしにこのようなところに来るほど暇な御仁ではなかろうに、こうして現れたのは興味がある。

 真っ青な顔でアーレント司祭は顔を上げて答えた。

 

「ここ数年、日本の魔法使いはヴァルプルギスに参加してなかったからね。気になったんだよ」

 

 そう言い、またバケツに顔を突っ込んでジャージャーと壊れた蛇口の様に吐瀉物を噴出する姿はどこか笑いと吐き気を誘う居姿だった。

 

「しかも今回のライブに日本の学生が立つって言うじゃないか。気にならない方が無理な話だよ。私はヨハネス・アーレントだ。音楽について取り逃がすことは出来ないさ」

 

「そうだったんですか。でも学生の遊戯程度の見世物です」

 

 綾瀬が謙遜して見せたが、しかしながらアーレントは綾瀬に縋りつくようにして必死に熱弁した。

 

「遊戯でも何でも歌は唄だ。それを語る者、奏でる者、鳴らす者は須らく私の同胞であるのだからそれを蔑ろにするものは肥溜めにでも叩き落してやるといい」

 

 自身を持ってそう言うアーレント司祭は大きな手を広げて真っ青な顔で立ち上がって熱弁する。

 

「音を奏でる者は皆私の腹からであり、家族同然! それを馬鹿にするやつらは本質から目を背ける愚か者だ! 音は美しい、音は真実を語り、音楽は人をも支配する魔法なんだ!」

 

 相当な自信で語る司祭の姿は確かな確信を持って話しているのだろうと思われた。

 たしかに音楽は人の心を大きく揺るがす。かの状の様に魔法にも等しい力を持っている。

 しかし音楽を奏でる者が家族同然なのなら彼女は言いたいどれだけの家族を持っているのかと思い少し馬鹿馬鹿しくなって私は鼻笑いをしてしまう。

 

「あ、今君変に思ったな! 降りてこーい。私がぎゅーってしてやるぞー!」

 

「いやなのだ! 今の貴様はゲロ臭くてかなわないのだ!」

 

 人間的距離間の近い司祭の人懐っこい青ざめた笑顔に私はギュッとテントの支え柱に必死にないなってしがみ付いて離れない。

 今の司祭はゲロ臭過ぎてかなわない。あんな状態で抱き着かれたのなら酸っぱい匂いを全身に浴びるようなものだ。

 私は頑なにそれを拒否し続けていると、テントの外が騒がしくなり始めたではないか。

 それはヴァルプルギスに訪れた魔法使い魔女たちが物珍しさに魔法処のテントを覗き込んでいた。

 その視線が集まる先には、猫のようにゴロゴロ言っているアーレント司祭。

 彼女だって只の司祭ではない。名のあるモノなのだ。

 マーリン勲章三等。魔法界の知識や娯楽に貢献した人物に贈られる勲章を手にしている彼女は少なからず有名人なのだ。

 一等二等に比べパッとしない功績だが、しかしながら娯楽など“えんたーていめんと”の提供は人目に付きやすく尚且つ彼女はこのように酒乱の御仁であるが故に、皆から親しみを込められ好かれているのだ。

 少し人が集まり過ぎだ。闇祓いがアーレント司祭に耳打ちして、彼女はハッと我に返ったような顔になった。

 

「みんな済まないね。私は私自身のリハの事を忘れていた。さてさて急いで戻らないと」

 

 そそくさと急ぎ足で出て行った魔法処テントに、彼女がいた痕跡が大いに残り、まだまだ残っている未開封のワインボトルと一杯に溜められたゲロバケツ、そしてそれが発する酸っぱい匂いで私たちの鼻は曲がりそうだった。

 部長はワインボトルを拾い上げてラベルを見ると青ざめた顔をして言った。

 

「済まないが、誰かこのワインを司祭に届けてくれないか」

 

「どうしたんですか?」

 

「このワインは貴重なものだ。急いで返さないと」

 

 そう言うので綾瀬と私が名乗り出てテントを出た。

 私たち二人は物珍しくその酒のラベルをしげしげと眺める。

 

「モンラッシェ1800年。なんだろこれ」

 

「さぞや味のよろしい物なのだろうな。一口相伴に預かりたいものだ」

 

 洋酒というモノは私は飲んだことがない。

 御神酒と称し天狗総会では浴びるように日本酒をかっ喰らう天狗共々であるが、日本の酒ばかりを口にしている為に、酒の舌は米の酒に限ると皆が口々に言っている。

 私としてはあのような苦いモノ何がいいのかと聞きたいが、それを言うのは御法度である。

 その為に果実を主原料とした酒は珍しくて仕方がなかった。

 私たちは人混みを掻き分けながら進む中でドンと何もない所でぶつかった。

 何かと思い振り返るがそこには何もおらず、狐に摘ままれたような感覚で綾瀬と二人で首を捻っていた所に。

 

「石槌さん!」

 

 声を掛けられそちらを見た。

 ホグワーツ組の五人組と一人。リリー、ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーター。それに混じり何故か薫がいるではないか。

 何やら楽し気に雑談していたようだが、私たちが目に入り声を掛けてきたようだ。

 

「おお、皆揃ってどうしたのだ?」

 

「今からセレスティナ・ワーベックの演奏があるので見に来たんですよ。一緒にどうでしょうか」

 

「ぬぅ、済まぬな。少々届け物をせねばならないのだ」

 

 綾瀬がこれだと言う様にワインボトルを見せる。

 皆それは仕方ないといった様子であったが私の一言に意識がこちらに全て向いた。

 

「アーレント司祭も困りものよ。あれだけ酔ってこれを忘れるのなら呑まねば良いのだ」

 

「待ってよ。それの届け先って、ヨハネス・アーレント?」

 

「うむ。そうなのだ」

 

 シリウスの質問に皆が浮足立たように騒いだ。

 

「俺達も行かせてくれ!」

 

「それは構わないですけど。どうしてですか?」

 

 綾瀬が不思議そうに聞くと、ジェームズが答えた。

 

「だってヨハネス・アーレント司祭だぞ! 音楽魔術の申し子、その歌声は神の声(ディーヴァ)とまで呼ばれてるんだ。一度は生で聞きたい!」

 

「ええ、その歌を聞いた死に掛けの老人が翌日には庭で走り回ったなんて逸話があるくらいです」

 

「いいなあ、僕も聞きたいよ」

 

 ジェームズ、リーマス、ピーターが口々にそう言うので、アーレント司祭がどれだけ凄いのかが少しだけ理解できた。

 知名度だけのものかと思うが、皆の反応を見るに嘘でもないようであった。

 頑として一緒に行くと言う皆を引き連れ私たちはアーレント司祭のリハーサルテントに向かった。

 入口付近には闇祓いが数多く警備していて蟻の子一匹、子鼠ですら入り込めない厳重な警戒態勢だった。

 私たちは闇祓いにアーレント司祭がワインを忘れたと事情を説明して中へと通してもらった。

 そこにいたのは先ほどのへべれけの阿保女とは懸け離れた姿のアーレント司祭が椅子に座っていた。

 

「────♪」

 

 静かに楽譜に向かい。羽根ペンに譜を書き留めて真剣そのものといった様子で、鼻歌を歌っていた。

 テントの中では奏者のいない楽器たちが一人でに音を鳴らして音楽を奏でている。

 幾つものバイオリンは宙に浮いて弓で弦を弾き、ピアノは誰も座っていないのに音を鳴らし、オルガンが美しい音色を響かせていた。

 一人オーケストラ。そう評するに値する孤独で静謐な歌姫、ヨハネス・アーレント司祭がいた。

 ふと顔を上げ、人懐っこい優し気な笑顔を投げかけてきた。

 

「どうしたんだい? 私の曲に釣られてて来ちゃったのかな?」

 

「あ、あの、これ忘れものです」

 

 前に出た綾瀬がワインボトルを渡そうと前に出た。

 私たち魔法処組は何とも直向きに音楽に向き合っていると感心した次第であったが、ホグワーツ組はそれとは裏腹に彼女の御前に緊張のしてガチガチの様子であった。

 

「済まないね。そこらに置いておいてくれ、作曲中は飲まないことにしているんだ……ん?」

 

 先ほどのテントに居なかったホグワーツ組に気が向いたのかそちらを向いて微笑みかけた。

 

「おやおや、もう観客が押し寄せちゃった」

 

「あ、あの俺達、あなたの歌を一度聞きたくて」

 

 シリウスが震えた声で言うのでアーレントは笑った。

 

「ははっ、気の早い子たちだ。三日待てば嫌でも私の歌は聞けるのに」

 

 そう言う彼女は羽根ペンを置いて私たちの前へ立った。

 少し酒臭いが、先ほどとは打って変わって理性的で知的なその様子に驚かされてしまう。

 あのおチャラけへべれけの姿はどこへやら、まっすぐと歩いて私たちに頼み事をしてくる。

 

「少し声を出してくれないかな」

 

 みんな何の事やらと言った様子で言われた通りに思い思いに声を出した。

 私はあー、と一言だけい抑揚のない声で言い。皆も似たような様子であった

 そんな声の旋律を深く聞き入る様に頷く司祭は一人一人の声を評価して回った。

 

「そこのホグワーツの女の子。君の声はまるで小鳥の囀りの様で聞いていて飽きない。魔法処のテントにいた君はまるで烏の嘶きの様で野心的な声だね」

 

 皆の声を動物に例えて評価する。

 ジェームズの声は雄鹿の様に可愛らしい声、シリウスは黒い犬の様に雄々しい声、リーマスの声は狼の様に頼もしい声、ピーターは鼠のように利巧な声だと。

 綾瀬は家犬の様に楽し気な声で、薫は狙いを澄ました鷹のように鋭い声だと言った。

 声に関して評価されたのは初めてだ。

 私の声は烏の様で野心的、何とも的を獲てるようで獲ていないようで、玉虫色の回答だが。

 まるで私たちの声で人心を呼んでいるかのようなそんな様子だった。

 

「ああっと。私はモンラッシェ1800を忘れていたんだね。これはすごっく高かったんだ、ああよかった」

 

 そう言ってボトルを一瞥した司祭はみんなに笑顔で応じた。

 

「これを届けてくれた君たちにはお礼が必要だね」

 

 そう言うと歌を唄った。

 心を震わす様な美しい歌声だった。

 杖を喉に当てすべての音程、全ての音を同時に歌い上げ、それに合わせてテントの楽器たちが音を奏でた。

 それは讃美歌だった。ラテン語で歌い上げるその歌は聖母を讃えた素晴らしい歌であり、緊張に固まっていたホグワーツ組の硬直を解し、私たち魔法処組の人心を一心に掴んだ。

 白百合のその歌詞。慈悲深い神の子を讃えるその歌声はまさしくまだ見ぬ神を賛美するに能うだけの美しさがあり、それに私たちは聞き入った。

 男性の低い声も、女性の高い声も緻密に制御された魔法で歌い上げ、まさしくそれは福音のそれであった。

 歌い終わった時私たちは拍手で応じる事でしか彼女を讃えられなかった。

 驚きである、衝撃である、素晴らしい事この上ない(アメイジング)

 歌声にはここまで人の心を虜にする魔力が内包されているとは思いもよらなんだ、その歌声に想起させる感情は千差万別であったが、しかしながら彼女の声は一つの感情に集約されていた。

 素晴らしい。この一言に尽きた。

 悪戯っぽい笑顔で、この歌を聞いたことは内緒であると言われ私たちはテントから出た。



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ポリジュース薬

 皆夢見心地でホロ衣カフェで惚けていた。

 呆けているのはない、惚けていたのだ。

 あの歌声に惚けて、心ここにあらずと言う様な様子で虚空を眺めていた。

 言葉もなかった。いや、言葉に例えるにはあまりにも美し過ぎた。

 美しいの一言に尽きるアーレント司祭の歌声に心を囚われてしまっていた。今迄聞いてきた歌、全て雑音のように感じてしまうほどにあの歌声は美しく、可憐で、言葉で例える事があまりにも蛇足に感じてしまうほどに鮮烈であった。

 抑揚の付け方、声量、歌詞の選択、無数の音楽を奏でる要素を巧みに使い一種の神秘性を見出せてしまうほどに綺麗に紡ぎ出された歌だった。

 

「なんだか自信が無くなってきた……」

 

 綾瀬がそう言い頭を抱えだした。

 当然だった。あのようなモノを聞いてしまえば自分たちが行おうとしていることがいかに稚拙かを思い知らされているようなものだった。

 質が違い過ぎた。精好な歌に比例して自らの粗悪を突き付けられているような変えられようのない真実が容赦なく突きつけられている。

 アーレント司祭に悪意も他意もなくただ単にワインを届けてくれた私たちにお礼の歌を送っただけのこと、しかしそれは傷口に塩を塗るのと同義であり、無意識的にそれを見せつけてしまっていたのだ。

 常識に捕らわれない歌声。超常の域へと達した唄。正しく天才(天災)の紡ぎ出した魔法であったのだから私たちは抗えない。

 経験も質もまるで達していない。言う事はないだろうが、もしアーレント司祭が綾瀬達『白虎煉丹』の演奏を飯事と言われてもそれを認めてしまうほどの格が違ったのだ。

 悔しき哉、恨めしき哉。才能はあまねく人々に平等に分け与えられるモノではない。

 突出して現れるもの、それ即ち天からの賜りし才能、『天才』と呼ばれる者たちだ。

 

「あんなの聞いちゃあ今迄のリハがお遊戯みたいじゃない」

 

 突っ伏して嘆く綾瀬の背を撫でる私であったが適切な慰めの言葉が思い浮かばない。

 いや、慰める事などできない程歴然とした差があるのだ。思い浮かばないのが普通であった。

 

「でも、あのこえきれいだったなぁ……」

 

 虚空に向かってジェームズがそう言い、みんなそれに同意するように頷いた。

 人間は人知を超えたモノに憧れを抱く存在だ。アーレント司祭の歌声はただ人が歌い上げただけのモノではない、まさしくそれは神秘に属する歌声だ。

 誰しもを魅了して止まない病的なまでの中毒性。その声に魅了され誰しもが身を滅ぼしているとも知らずに私たちもアーレント司祭に聞き惚れていた。

 

「もうあの歌声は聞けなくなるのかな」

 

 卑屈にピーターがそう言った。

 どういう意味かと皆が彼の顔を見て、その視線に気づいたピーターが言う。

 

「ゾディアックに狙われているんだろう。司祭って立場だから殺される……」

 

 皆がハッと現実に引き戻された。

 そうだ。今ヴァルプルギスには『殺人鬼』がうろついている。

 栄光ある司祭ばかり狙う狂える鬼が今まさに誰彼構わず狙いわずに、ただ一点に、司祭を狙い続けている。

 

「酷い事をするものだ」

 

 私はそう言うしかなかった。

 ゾディアックの毒牙にアーレント司祭が巻き込まれないように願うのが関の山。それ以外の手立てが見当たらなかった。

 私とてただゾディアックの跳梁を指を咥えて見ているだけなのは歯痒い限りであるが、多くの禍祓いが警備を固め、その中での犯行など行えようか? 。

 いや、現にそれを行えている。繍司祭は全身の血を抜かれ、タイニー司祭は首筋にその噛み傷がありありと残っている。

 厳重強固な警備体制の中でだ。

 どういった手立てがあろうか。針の先の小さな穴に糸を通すよりも困難を極める中でどのようにゾディアックはその毒牙を突き立てんとその凶行を露わにするのか。

 

「ゾディアックを誘き出せないと意味がない。それこそ、俺たちが司祭に姿を変えて替え玉になるとか?」

 

 シリウスがそう言い。どうだ無理だと言わんばかりに得意げにそして諦めの捨て鉢気味にそう言う。

 確かにそうだ。私たち自体がまず司祭に近づけない為に出うることと言えば指を咥えて待つことだ。司祭に近づけないのならば出来るのは無責任な学生の仮面をかぶる事だけだ。

 どうすればいいのか、どうすべきなのか。責任という重荷を背負うべき立場ではないのはここにいる全員が重々承知している。

 私たちは子供だ、ただの子供。ちょっとばかし魔法を繰る事の出来る子供でしかない。

 しかし憧れるモノを奪われるだけのそんな非力で憐れな子供でいる事は我慢がならない。与えられた玩具を無慈悲に奪われて堪るものかと皆がそう思っていると、ふと薫が言った。

 

「その案、いいですわね」

 

「は?」

 

 唐突に言うのであるから皆が疑問の声を上げるのも無理はなかった。

 

「何も知らないで仰ったの? 姿を変えて身代わりになる事なら出来ましてよ」

 

「ど、どうやって?」

 

 ルーピンがそう聞くので、ぶりっ子ぶった仕草で指先を宙に絵を書いて見せる薫は説明した。

 

「ポリジュース薬ですわ。かなり強力な魔法薬の一つでなりたい人間の姿に変わる事の出来る薬ですわ」

 

「そんなものがあるのだな」

 

「ええ、材料の入手に相当な労力が必要ですけど、ここは天下のヴァルプルギス、ありとあらゆる惚れ薬の材料に混じって様々な魔法薬に必要な材料が取り揃えられていますわ。それを分かっていらっしゃったのでは?」

 

 シリウスの提案はそれこそ天に祈るように実現する確証などない他力本願な戯言であったが、この世に蔓延る魔法界のすそ野が広さときたら私たちの想像をはるかに超えてきている。

 私たちは顔を見合わせた。

 アーレント司祭を護れるのは私たちだけだ。禍祓いの無能さはこれまでの三件の事件で実証された疑いようのない事実だ。

 ならばやれる事はなんだ、やるべき事はなんだ。

 

「一世一代の大悪戯を仕掛けてみる気にならないか」

 

 ジェームズがそう言い、マローダーズがいやらしく笑う。

 綾瀬と薫、リリーは何の事かと疑問であるようだが、私は彼らの流儀を知っている。

 人に害成す悪戯をせず、大義を背負った笑わせる悪戯を行い候。

 何と馬鹿げた事か。とち狂っていると言われればまさしくその通り、若さ故に成しえる狂気の賜物であるがために『殺人鬼に悪戯を仕掛ける』などという恐ろしく馬鹿げた事を思いついたのだ。

 

「ミス藤原……だっけ? そのポリジュース薬を作ってくれるってことできないかな?」

 

「えぇ。構いませんとも。行きずりの仲、無下には扱いませんわ。ただ──」

 

『ただ?』

 

 マローダーズと私は薫の顔を見て、それを聞いた。

 

「買い出しに行ってくださいな」

 

 

 

 

 

 十二単の身重な薫にヴァルプルギスの人でごった返す場を走り回れと言う方が大変な労働であろう。

 それも察したうえで私たちはバラバラになり、会場を刻一刻と差し迫る確証のない焦燥感に突き動かせられ、興奮と緊張のただ中に子供のお使いに奔走する。

 

「クサカゲロウ、満月草、ニワヤナギ、ミャンマー産の十二センチ大のヒル……」

 

 渡されたリストを私は確認して一つ一つ確実に揃えていく。

 誰がどれを買うかと言った話し合いをする暇もなくホロ衣カフェを飛び出した私たちは各自バラバラに素材を集めていた。

 途轍もない量の魔法薬が出来るのではないかとふと思う。

 でもそれはそれでよし、悪戯の道具然り、必要な時に足りないより余るほうがよっぽどましだ。

 酒樽一杯の量が出来たのなら私たち五人で回し飲もうとも。

 あらかたのモノはもう揃えたが、しかしながらとある二つの素材が不足していた。

 毒ツルヘビの皮のベーコンと、二角獣(バイコーン)の角の粉末だった。

 毒ツルヘビは何処にでもいるが皮の加工が非常に困難な事で有名な素材だ。二角獣、要はバイコーンと呼ばれる魔法生物なのだがこれは非常に生息数が少ない事で有名だ。

 一角獣(ユニコーン)の近縁種と言われ、純潔を好む性質のユニコーンとは対照的に不浄を好む性質を持つ似て非なる魔法生物が二角獣だ。

 ただでさえ生息数が少ない為にそれを手に入れる事は双方の素材の入手には困難を極める。

 ただでさえバイコーンの角と、ユニコーンもそうだが、その角はよく偽装されて売られていることが多いい。原材料にイッカクの牙をユニコーンまたはバイコーンの角と偽って売られている。

 毒ツルヘビのベーコンも、加工のしやすいニシキヘビのベーコンとすり替えられていることが儘ある。

 偽物を偽物と見破れるだけの審美眼を持つ必要がある。

 ──しかしだ。

 

「どれがどれなのだ……」

 

 私ときたらその手の眼鏡は曇るどころか割れているようであった。

 粉は粉だ。ベーコンはベーコンだ。色合い、形の違いはあるだろうがそれ以上でもそれ以下でもないモノたちが立ち並ぶヴァルプルギスの惚れ薬屋の品揃えたるや、まさしく砂浜から一粒の砂粒を拾うような物であった。

 杖魔法や魔法動物学にばかり胡坐をかき、語学や魔法薬学を疎かにしているツケが今にして回ってきたのだ。

 もう少し勉学に真摯になって向き合っていればよかったと悔いるが時すでに遅しとはこの事である。

 微かな違いを正確に見極め、そして売手に騙されないだけの胆力が必要だ。

 しかし一介の天狗。百年も生きていない豆天狗にそうそう人を信用するなという方が無理な話なのだ。

 

「嬢ちゃん。これが二角獣の角の粉末だよ」

 

 薄気味の悪い笑顔で惚れ薬屋の売手が持ってきたのはただの炭の粉であった。

 しかしながらそれを偽物と見破れるだけの審美眼のない私はそれをしげしげと見つめて、唸るばかりであった。

 

「五ガリオンでどうだい? そうそう出回らない品だ、十ガリオンでもいいくらいだよ」

 

「ぬぅ……半額となれば確かに破格であろうな……」

 

 うんうん唸って半信半疑の私の様子にもう一押しと言わんばかりに言いくるめ様とする売手の姑息さたるや悪徳商人のそれである。

 私も私で郭公や美奈子を探して共に買えばいいだけの話なのだがそれを思い浮かべない脳味噌はまさに幼子の思考である。短絡的とでもいうのか一人でも何とか成ると妙な自信と、尊大な矜持が邪魔をして一匹狼的とでもいうべき行動力になっていた。

 私もいつまでも店頭で唸り続けるわけにもいかず、これを買おうと声を上げようとした時だった。

 

「偽物を五ガリオンだって? ボッタくりも程々にしなよ」

 

 鉤鼻で肌色は土気色の不健康そうな青年が私の後ろで嘲笑じみた声で売手に言い放った。

 私たちはハッとした顔でその青年を見た。その青年は明らかに見下している。

 売手のやり口のそうだが、それを見破れぬ私自身も見下しているようなそんな様子であった。

 

「君みたいに素材を見る目のない人間が騙されている姿を見ていると、大変気分が悪いし目覚めも悪い。それはただの炭の粉だ」

 

「ケッ! なんだよなんだよ。商売の邪魔だよ!」

 

 塩でもまき出しそうな勢いで煙たそうに私たち二人を追い払う売手に私はぽかんとしてしまう。

 あの様子であるならこの青年が言った事は確かであり私は詐欺に合いかけていたことになる。

 

「うぬぅ……済まぬな。ぼられる所であった」

 

「もう少し魔法薬学の勉強をした方がいいじゃないかい。見るからに騙されているのが素人でも分る素材だったよ」

 

 蔑んだような声で青年が言うので私は恥ずかしくなり頭を掻いた。

 いやはや全くその通り。私の不勉強の致すところ底知れずだ。

 喚き散らして私は天狗であるとこの者に宣言するのもやぶさかではないが、しかしながらそれはまた今度にしようと思う。何せ薫にポリジュース薬を調合するようにと頼みつけて待たせているのだ。

 

「済まぬな! 主よ。このあたりで毒ツルヘビのベーコンと、二角獣の角の粉末を取り扱っている店は知らぬか!」

 

 この者は相当な魔法薬学の造詣があると見初めた私。この者の雰囲気、気配と言うべきか何処か薫と似たような雰囲気を感じるのだ。

 薫は何を隠そう魔法処では竜人に次ぐ魔法薬学の麒麟児である。それと同じ気配となれば分かる事と言えばそっちの方面が強い事であろうと。

 青年はどこか訝し気に私を睨んで頭から爪先まで見て静かに言った。

 

「一ブロック先のテントの方が良心的な値段設定だ。ここは詐欺まがいの者が多いからさっさと行った方がいい。グレップ・ビー・フレッズという薬屋ならその二つを取り扱ってる」

 

 青年はその店のある方向を指差すので私は笑顔で返した。

 

「そうか! 済まぬな!」

 

 くるっと青年の指差す方へ向き走って向かおうとした時に、青年が聞いてきた。

 

「その二つの素材を何に使うんだ?」

 

「ちょっとした悪戯の為に使うのだ!」

 

 人も捨てたモノではない。そう思う私であった。



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有機化学魔法薬

 私はグレップ・ビー・フレッズという薬屋に訪れ、目的とする素材を入手しほくそ笑んだ。

 青年の言う通り、紛い物を取り扱っていた所に比べ本物が二ガリオンも安く手に入った。私の小遣いで事足りる価格帯で懐にも優しかった。

 何でもグレップ・ビー・フレッズの店主は大変珍品とされる魔法薬の材料を手に入れる事に眼がないらしく、二角獣の角の粉末や毒ツルヘビの皮の千切りなど眼中になく投げ売り価格で売っていた。

 大目玉だと言わんばかりにテント店内でデカデカと書き殴られた謳い文句に『無限の知性を得るルーンスプールの卵』、『無限のバイタリティーを与えるリーエムの血』などとのたまいまず市場に出回ることのない素材をボッタくり価格で売っていた。

 ルーンスプールの卵が1000ガリオン、リーエムの血は2000ガリオンと破格の平民の金銭感覚では想定もしないような値段に我先にと気の違った魔女魔法使いが群がり、まるで魔法品オークションのような様相を呈しているが、オークションと違って一つの品を競い合って奪い合うのではなく潤沢に商品を仕入れているのか殺到する客をさばいていた。

 客たちの噂ではこの店主が買い占めているからこれらの品が市場に出回らないのではないかとひそひそと噂話に花を咲かせていた。

 当たらずしも遠からずの噂話であるが、それでも末端の品まで品質が保証されているのは評価に値する。

 

「さて、これで素材はすべて揃ったのだ!」

 

 胸を張って私は一人でやりきった! と自分を褒める様に威張り散らす様に肩で夜の風を切るようにズンズンと歩みを進め薫の待つテントへと足を進めた。

 薫がポリジュース薬なる物を調合している所はここより南、一つ目巨人号(サイクロプス)の近くに設営された魔法処生徒の宿舎テントである。

 薫も薫で何やら買い物をすると言ってヴァルプルギスに出撃している為に不在であろうと思うが、しかしながら一夜を外で明かすほど脇の緩い女とは思わず、まっすぐ帰ってくると思われた。

 私は様々な見世物に視線を奪われながらヴァルプルギス会場を南進していく。

 本来ならばゾディアックさえ出現しなければこの会場も大変楽しいだけの婚姻の場であったであろうに、不逞の輩もいる者だ。

 いったい何を目的としているのか。連続して襲われる司祭たちも馬鹿ではなかろうと思われ魔法の腕前もそん所其処らの魔法使いなど赤子の手をひねるものであろう。

 それでも司祭は殺されその体に残された犯人からの意思表明とでもいうべき自己紹介。

 まったくもって救い難き悪鬼の所業だ。

 父様(ととさま)に聞いたことがある、人を殺める行為は己を殺す行為であると。

 人類に措いて三つの禁忌の一つとされる殺人。それを自ら進んでやる者の気が知れない。

 元より知る気もないが、その精神は如何に強靭な、いや、壊れている事か。何を目的としてそれを行っている。何をやり甲斐としている。

 今回はそれらすべてが不明であった。

 何はともあれ、私及リリーとセウ、マローダーズがやるべき事と言えば今世紀最大になるであろう悪戯の下準備だ。

 

「おい! そんな所で酔い潰れるでないぞ。……まったく学生の身分であろうに」

 

 一つ目巨人号(サイクロプス)の付近に設営された魔法処生徒用の宿営地のテント群ではゾディアックを恐れてか、多くの生徒がひと塊となり縁も(たけなわ)と言ったところでへべれけに酔い潰れた生徒が道のど真ん中で酔い潰れていた。

 日本魔法界の飲酒の法令は只人と同じでニ十歳(はたち)からと決められているが、ここは国外。全く持って法の抜け穴とでもいうのか。国外で飲酒して帰国してもいくら飲もうとそれを証明する手段がないと言う理由からここぞとばかりに皆々が浴びるように酒を飲んでいた。

 飲酒の法令自体はあるが実質的な形骸的な規則であるがために日本国内でもあまり守られていないのが実態だが、規則に帰順することに前習えの日本人的気質から親は子供の飲酒にあまり良い顔をしない事が多いい。

 親の目も離れ、日本の法令に縛られないモノたちはまさしく自由を手に入れている。

 故に無限に羽を伸ばせる為にこのように潰れるモノも多くいる。

 掃き溜めかと思うほどあちこちゲロを吐き上げる生徒たちでこのテント群周辺はどこか酸っぱい匂いが充満して、一つ目巨人号(サイクロプス)船内程ではないにしてもかなり不愉快な臭いだ。

 さて、目的とする『806』の番号の振られたテントの布を捲って入るとそこはまさしく異世界だ。

 外観は安っぽいぼろ布を継ぎ合わせた小さなテントであったのにも拘らず内装はその小ささには不釣り合いな広さと豪華さを誇っている。

 エンマ荘と同じ、検知不能拡張呪文によって空間を拡張され想像以上の絢爛さを発揮しているのは藤原薫持参の自前のテントでそれに合わせ彼女の趣味に合わせて内装は飾られている。

 そこかしこにある明らかに盗撮したアングルで取られた竜人の写真、和的な雰囲気にも拘らず西洋的な見慣れた魔法薬学の大鍋や吊り計りがあり、そしてその和洋折衷の混在した中にどこかケミカルチックとでもいうのか魔法界には不釣り合いなフラスコや試験管やら、なにやら化学用品に溢れている。

 

天使様(エンジェル)! ようやくお越しになられた!」

 

 弾んだ声で私を呼ぶ声はリリー・エバンス、国外で初めてできた友、ホグワーツ生徒であった。

 私より一足先に材料を手に入れたのだろう、手に持った紙袋には私と同じ香りを漂わせる魔法薬素材が詰め込まれていた。

 

「なんだよ。俺達が三番手か」

 

 シリウスとピーターがテントに入って来て、その後にセウとリーマスがやってきた。

 みな不思議そうに薫の集めた化学用品に目を輝かせてテントの中を見て回った。

 どういう風に使うのか妙にねじくれて渦を巻く瓶や電子計り、注射器やアルコールランプなどが正確にキッチリと隊列を成し、まるで今まさに戦場に向かわんとする軍隊のように燦然とした並びを披露していた。

 触ることも憚られる様にあまりにもキッチリと並べられているので私たちは手に持って触ると言った事はなかったが、持ち主である薫がいれば間違いなく質問攻めが待っているだろうと思われた。

 皆が薫の帰りが待ち遠しいといった様子であった時、最後の材料調達係の一人のジェームズが戻ってきた。

 

「も、戻った……」

 

 ジェームズの青ざめたような顔に全員が不思議そうな顔をした時、私とセウ以外が同じように青ざめた顔をして、その背後にいる者の顔を見ていた。

 その者は土気色の顔色は僅かにだが興奮の色が見て取れ、してやったりといった様子でその特徴的な鉤鼻を得意気に突き出してジェームズを睨んでいた。

 シリウスがまるで親の仇のようにその者の名前を呼んだ。

 

「スニベルス! 何しに来た!」

 

「俺はスニベルスではない!」

 

 その青年は吼えて反論した。

 ジェームスの背に隠れてはっきりとは見えなかったが、何かを背中に突きつけられているようでそれは間違いなく杖であろうと思われた。

 

「俺はセブルス・スネイプ。半純血の貴公子(プリンス)だ」

 

「何がプリンスだ……」

 

 小さな声でリーマスがそう言い嘲る。

 高慢なその態度は私に店を教えてくれたそれとはまったく違い、まるでまるで人が変わったような剣呑な雰囲気を漂わせているではないか。

 

「そこの日本のが妙な魔法材料を探し回っているのが疑問に思って後を付けて見ればこれだ。全く持って嘆かわしい。事もあろうにポリジュース薬を作ろうだなんて何を考えているんだか」

 

 高説を垂れるような説教口調のセブルスは皆を見下したように睨みつけ叱りつけるように言った。

 リリーが一歩前に出て説得を試みようとした。

 

「セブ! やめて。これは大切な事なの」

 

「大切? 何が? 魔法薬要項第657条、ポリジュース薬を用いた擬態で擬態元の者の同意なく擬態することを禁じる。知らないかったのかいリリー。こんなやつらと絡んでいると馬鹿が移るよ」

 

 聞く耳を一切持たない様子であった。

 セブルスは私たちが煎じようとしている物まで見事に見抜いている様子であり、ほとほと馬鹿げた真似をしようとしていると呆れ交じりの顔でリリーの悲し気な顔を慈しんだ。

 何故ポリジュース薬を作ると想像が付いたのか。

 それは簡単な事で私と出会った時、私が二角獣の角の粉末と毒ツルヘビの皮のベーコンを同時に探していたからだった。

 単品でそれらの材料を見ればどれにでも使われるものだが、それらを同時に使うとなれば調合される魔法薬は限られてくる。

 そしてマローダーズとの諍いを彼は知っているようでそれも原因となり、マローダーズとの何かしら関りがあると踏んでいたのだ。

 その予想は外れる事無く的を獲て、ジェームズの後を付けた結果、ここに辿り着いたのだ。

 ジェームズを杖で脅し、私たちの馬鹿げた悪戯を阻止するためにこうして現れたのだ。

 

「この事はマクゴナガル先生に報告させてもらう」

 

「それは待ってくれ! スニベルス。悪い事をしようとしてるわけじゃない!」

 

 振り返ったジェームズがスネイプに詰め寄って食い止めようとするが、呆れた顔と声でスネイプは応じた。

 

「さっきも言っただろう……俺はスニベルスではない!」

 

 まるで成長しないペットの躾のようにジェームズの顔にパンチを喰らわせるスネイプ。

 リリーが小さな悲鳴を上げて、男たちは今にもスネイプに飛び掛かって取り押さえようと身構えているではないか。

 ボトボトと鼻から血を流しそれを手で押さえて立ち上がるジェームズは断固として意見を曲げようとしなかった。

 

「これは大切な事なんだ。頼む、スネイプ」

 

「頭が悪いな。それだからお前は高慢で強情で、救い難い」

 

「なんと言われようといい。俺は確かに高慢で強情だろうさ、でも、これだけはやり遂げないともっとひどい状況に俺たちは追い込まれることになる」

 

「もっとひどい? これ以上どう酷くなるっていうんだ?! お前たちは俺を蔑んで楽しんでいる。それだけで俺にとってはひどい状況だ。どう悪化するって言うんだ!」

 

「確かに悪かった。反省している」

 

「口先ではどうだって言える。……やっぱり育ちの悪い芽は刈り取らないと──」

 

 そう言い杖を振り上げたセブルスだったが、私たちの悪巧みへの悪巧みはそう巧くはいかなかった。

 まるで散歩から帰ってきたような足取りで息を殺してスネイプの背後を取っていたモノがいた。

 薫だった。

 スネイプが杖を振り下ろそうとした瞬間にバチバチと嫌な音が聞こえ、スネイプは全身を痙攣させ白目を剥いて泡を吹いて倒れるではないか。

 皆何事かと薫を見ると、その手に握られているのは只人の護身用道具のスタンガンではないか。

 強烈な電撃を喰らわせるそれを更に改造を重ねて最早命の危機に身を守るには過剰な威力を持ったそれを平然とスネイプに喰らわせたのだ。

 日本の魔法使いならではだろう。電気用品にめっぽう弱い魔法族の中でも機械音痴程度の日本魔法族特有の科学と魔法の融合が成しえた技だ。

 

「これはいったいなんですの? 大きな粗大ごみは私のテントには必要ありませんわ」

 

 そう言って薫は魔法処生徒が吐き上げたゲロ壺の中へスネイプを放り捨て、我が物顔でテントに入ってくるではないか。

 あの一部始終は目撃しているようであったがそんな事この女にとっては小事の事この上ないのだろう。

 スタンガンを定置に置いて、もう一方の手に持ったゲロの溜まったバケツを机に置いて、フラスコやら試験管やらを何やら配置し始めた。

 

「さて、楽しい楽しいケミカルクッキングですのよ」

 

 今迄魔法処で習ってきたような魔法薬の定石からはまるで外れた調合は開始されるではないか。

 遠心分離機が軽快にモーター音を鳴らし、アルコールランプが何やら溶液を熱している。

 見た事もないような薬の調合法。これは薫が辿り着いた魔法族と非魔法族の英知が結集された結果の有機化学魔法とでもいうべき新たな分野とでもいうべき領域だった。

 魔法薬の摩訶不思議な現象を、有機化学の分子と呼ばれる人間身体に作用する物質を創造し、何時間と煎じる事や、様々な材料を投入しすると言う事を撤廃し徹底的に効率化する。

 本来であるのならばポリジュース薬を調合するにはそれ相応の時間がいる。

 最低でも一ヶ月は懸かると言われているポリジュース薬であるが、彼女の手に掛ればこれ不思議──ものの三十分で作り上げるではないか。

 

「疾患や障害を治す薬ではありませんことよ。ポリジュース薬は所謂ドーピングに近い、細胞の染色体から一時的に書き換える物質さえ創造できればお茶の子さいさいでございましてよ」

 

 そう言って七本の丸底フラスコに乾留液(タール)のような水あめ上のそれにティースプーン一杯分のゲロを七本に入れた。

 そのゲロの吐いたものは何を隠そうアーレント司祭の物であり、白虎煉丹で吐き上げたあのゲロバケツであった。

 

「ポリジュース薬は擬態元の細胞が必要ですわ。原理で言うのならゲロもアーレント司祭の胃液が混じってますから効果は同じですわ」

 

 皆が渋い顔をしながら丸底フラスコを持った。

 真っ黒い色のそれが、色鮮やかな緑色に変わり外見も匂いもまるで飲料物とは思えない見た目であったが、もはや引き返す気は起きない。

 願うのは薫流の調合で生まれたこの薬が本来のポリジュース薬同様にアーレント司祭に変身できるかだ。

 私、リリー、ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーター、セウは顔を見合わせてフラスコを打ち鳴らし、乾杯の音頭を取った。

 

『楽しい悪戯を!』




仕事の都合で投稿が一週間に一回となります。ご了承願う事平にご容赦ください。


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恐怖の伝達者

 姿を晦まして、人混みの中を歩く者は更なる獲物に的を絞っていた。

 九人も獲物がのさばっているのだ。選び放題、より取り見取りだ。

 数多いる獲物の中でもより質のいい、恐怖を伝播させるのに適した人物を選び出し殺す事が今何よりも姿を晦ます者にとって重要な事である。

 恐怖の伝道者と言っても過言ではない。死という確定した恐れを語り実行して見せる指導者、それがかの者の『ゾディアック』の表現方法であった。

 我々を陰に追いやったノーマジ達へ、そして蒙昧無知な魔法族たちへ真実を突き付ける時は来た。

 ならばやる事と言えば一つだ。世界の真実を同胞の前へ報せる事こそゾディアックが死喰い人(デスイーター)へと身を落とし真実であった。

 過度な純血主義など自由な魔法行使を求める魔法族には不要。必要な事は広く魔法の存在をノーマジに報せ己らの愚かさを身を以て教え、陰に隠れる我々が自由に表の世を闊歩する自由な世界を求める思想こそゾディアックの行動原理だった。

 古き世の滓の如く後世まで生き残ってしまったゾディアックは今まで数多く暗闇の中からノーマジに魔法族の存在を報せてきた。

 アメリカ社会で赤狩り(マッカーシズム)を表面化させ、ノーマジの軍人に服従の呪文を掛けケネディ大統領を暗殺させたのも、全てはこの世の(ことわり)を知らないノーマジに我々を知らしめることに他ならない。

 なぜ我々が隠れ潜まなければならない。何故我々が考慮しなければならない。

 我々の数が少ないからか? 我々が迫害の対象だからか? 

 まったくもって嘆かわしい、我々は優位にあることを知るべきだ。ノーマジなど取るに足らない言語を解する猿であると言う事を知るべきだ。

 全ては我々が隠れるべき謂れはない。あるのはただ我々がここに存在していると言う事実だけ。

 事実を隠すことなかれ、真実は真実として世界は正しく認識すべきなのだ。

 魔女裁判が起こるのならそれでも良し、世界が快く受け入れたのならなおの事良し。

 どちらに転ぼうがゾディアックにとって追い求めた結果なのだ。

 純血思想でもなく、選民思想でもなく、只ある真実をこの世に露わにする事だけに邁進する。

 かの御前の如く、雄々しく勇敢に正義を振りかざした偽善者たちに立ち向かったあのお方のように──。

 すれ違う闇祓いの一人にゾディアックは目を惹かれ立ち止まってそれを見ていた。

 若い青年、いや少年というべき年頃の子供を引き連れた女、ポーペンティナ・ゴールドスタイン。

 あの忌まわしきニュート・スキャマンダ―とアルバス・ダンブルドアを引き合わせた忌まわしい女。

 

「────」

 

 声にもならない悲鳴を上げそうになりながら、憤慨を抑えるべく顔に爪を立てて掻き毟り、皮膚を引き裂いてゾディアックは苛立った。

 あの女が余計な好奇心を持ったがためにあのお方は御城であるヌルメンガードへ幽閉され、生涯をそこに繋ぎ留められてしまったのだ。

 この場で縊り殺してやりたい位だ。

 徹底的に嬲り、磔の呪文を掛けられた方がまだマシな程に痛めつけてやりたい。

 そんな薄汚れた復讐心に舌先をチロリと覗かせ下唇を舐めた。

 復讐心より賜りし興奮より溢れ出る涎の洪水を抑え込んだ。舌は御前より賜りし舌でありこの舌こそ真に仕えるモノを示す指標。

 蛇の舌のように先が二又に分かれたその舌は魔法によって生えたものでありこれによって、ゾディアックは魔法使い足りえている。

 この恩に報いるには御前が成し遂げようとした偉業をゾディアック自身が継いで成す事しか報いる方法はない。

 報復も、切望も、全て同時に果たそう。それがゾディアックが望む結果であった。

 ゴールドスタインが自身の手では手に負えない事もあると自覚させること事が今迄に起こしてきた犯行の数々であった。

 ノーマジの無辜の恋人やタクシードライバーを殺し、大統領を暗殺し、その手が血で塗れて乾ききらぬうちに更なる鮮血でさらに手の平を赤く染めて遂にはどす黒く赤みを帯びたその手で死をまき散らす。

 

「──悪魔と捧げる、我が人生。魔王たるグリンデルバルドに祝福を」

 

 姿なきその姿で囁き笑うゾディアックの笑顔は奇妙に拉げて人間が浮かべるにはあまりにも醜く不気味であった。

 頬が裂けていると思われてもおかしくない程に頬を釣り上げて、その目に浮かぶ感情は無機質。

 悪魔の名前を拝命するに値する奇奇怪怪の顔色はまさしく狂気のみが成しえる笑顔であった。悪意の激情、病的な信仰心が彼の存在全てを突き動かしていた。

 狙い済ませた獲物を目の前にした肉食動物の如く、静謐でいて昂るその相反する矛盾した感情の渦を肯定して更なる獲物にその牙を立てようぞ。

 会場中をまるで藪を進む蛇の様な目線で進むゾディアック。

 獲物はより多くに恐怖を与えるに相応しい人物でなければ。

 仕留め損ねたタイニー司祭にするか? いや待て、あれは名声だけの男。殺したところで出汁すらとれぬ出汁殻である。

 ならばロドニー・マルトゥス司祭を惨殺して見せようか。

 彼ならば多くの予言を残しその的中率は七割を越え、占い学を習うモノならば信奉する者も数多くいる事だろう。

 しかしながら特定の学問に秀でたモノを殺すことほど広く恐怖を伝播のに不利な事は無かろう。それこそ一集団でのひと時の話題にしかならない内容だ。

 ならばより多くの人間が知る人間を殺す事の方が大切だ。

 慎重に選ばねば。殺す事数多い事喜ばしき子となれど数を重ねるごとにその困難はより多くなるもの。

 今まさに闇祓いが総出でゾディアックを探し回っているのだ。

 この身に纏う拾い物の宝具である『透明マント』もいつ効力を失っても可笑しくはない代物。より迅速により正確に、恐怖を広げる事が望まれる。

 ならばどうすべきか──。

 

「──はァぁ……」

 

 ふと目に入ったのは司祭の一人だった。

 ──ヨハネス・アーレント司祭。

 嘘みたいに薄汚れた服を身に纏い、司祭服を脱ぎ捨てて走り回っているではないか。

 その眼に映っている感情はクリスマスでツリーの前に山と積まれたプレゼントを目にした子供のように無邪気に諸手を挙げているようではないか。

 かの司祭。その者は音楽魔術の申し子とまで呼ばれ、魔法省では日の当たらない術であるが音楽という人間の深層に巣食う本能を揺さぶる技である為により多くに知られている。

 ちょっとしたアイドルとでもいうべき彼女は吞兵衛としても勇名を馳せ、この世の酒をすべて飲み干さん画策している事は有名で、このヴァルプルギスでも節操なく飲み歩いていると言う。

 東方の(ことわざ)に『鴨が葱を背負って来る』というモノがある。喰らうモノに喰らわれるモノが都合の良い素材と共に現れる事を示している。即ち好都合、御誂え向きの存在が今ゾディアックの目の前に躍り出てきたのだ。

 さてさて、どのような作品に仕上げて見せようか。

 この場で切り裂き呪文で血飛沫を上げる水風船とするか。それとも恐怖の声を語る悲鳴を上げるラジオとするか。

 されど待たれよ。彼女の色をよくよく見よう。

 特色を生かさずその色を混ぜ合わせて黒色に染め上げるは愚の骨頂。赤はより赤くすることが美しく、青はより深い青に染め上げてこそ美しいのだ。

 ノーマジの音楽家で聾啞となり果てても音を綴った者がいると言う。

 ならば彼女も音を綴る事が出来るだろう。ノーマジが出来て魔法族が出来ぬ謂れはない、むしろできて当然だろう。

 あれより音を奪い、音を奏でさせよう。

 二日後にはアーレント司祭はライブで人目の前に晒される殺すならばその時だ。その時がちょうどいいしそこしか彼女の死の色をより美しく飾ることは出来ない。

 彼女の耳より音を奪う事は容易い。容易く、そしてそれを破られにくい古来より受け疲れてきた闇の魔法がある。

 その呪いに彼女を襲い、今この場では殺さず、ライブ会場のど真ん中音なき世界で混乱する彼女を観客の目の前で惨めったらしく惨たらしく殺して見せよう。それこそより多くの恐怖を伝える術だ。

 杖を抜いて足音と気配を鎮めて近寄る。

 簡単な方法だ。耳に杖の先を当てて呪文を唱えるだけの簡単な作業だった。

 しかし──。

 

「はァっくっしょん──!」

 

 大声を上げてくしゃみをするアーレント司祭はその瞬間眼がしらより涙が零れてしまいそうなほど兎に角臭く目に染みるような放屁を同時にするではないか。

 爆発音にも似た放屁の音に皆が驚き、アーレントを見るとその匂いに当てられ咳き込んで目尻に涙を浮かべて目と鼻を抑えで苦しんだ。

 その強烈な悪臭を真後ろで喰らってしまったゾディアックも他と漏れずその臭気に当てられ頭痛を誘う放屁の匂いに声を殺してのたうち回った。

 なんて匂いだ。人を不快にさせる、タマネギの腐ったようなそんな臭いを濃縮したようなとにかく途轍もなく臭い匂いだ。

 現在進行形で隠密働きをしているゾディアックにその正体を報せる悲鳴を上げる方法はあらず、声を殺して臭みを耐え忍ぶことしかできなかった。

 いったい何を食べればこのような悪臭を体内に溜め込めるのか些か疑問であるが、その匂いに意識を明滅させていると、かのアーレントは既にどこかへと行ってしまった。

 失敗した何たる失敗か。

 格好の獲物がスカンクの放屁のように屁をこいてその匂いにやられたなど今迄殺してきた人間たちを愚弄する過ちだろう。

 いやしかしならば最もこの獲物こそ次なる者に相応しい。

 殺し損ねた理由こそ馬鹿馬鹿しいモノであろうと、殺す相手は定まった。

 そう遠くにはまだ言ってはいないだろう。探し出して確かにその音を奪いライブの時殺す事がよりよく多くの恐怖を伝播させる事が出来よう。

 

「どこだ……どこだ……」

 

 誰にも聞こえぬようそう呟いたゾディアックはアーレントを探し回り更なる鮮血の絵の具を探して回る。

 再度見つけたアーレントは今度は地面に蹲ったように縮こまり、何やら杖で文字を書いているではないだろうか。

 子供の絵描きのようにペンギンの絵を書いているそれに大股で近寄るゾディアック。

 すると何の事か何やら呪文をアーレントは使ったではなかろうか。

 

すごく滑る(スライド・マキシマ)

 

 何たることか。栄光ある司祭が衆人環視のただ中で子供の使う様な低趣向の魔法を使い、地面を氷の上の如く滑るリンクと変貌させようではないか。

 行き交う魔女魔法使いが足を滑らせて生まれて間もないヤギの立脚のように震えた手足で何とかその場で姿勢を保とうとしている。

 ゾディアックも大股で近寄ったせいで足を滑らせ、カーリングのストーンのように滑らされ転げまわってしまう。

 ただでさえ一度取り逃がした獲物に更なる苦汁のそれを呑まされるなどあってはならない。

 しかしながらこのような低レベルな子供だましな魔法を使う司祭だったとは思いもよらなんだ。

 もっと大人かと思っていたがこれまでとは。

 狐に摘ままれたとでも表現すべきか、呆気に取られるその滑稽至極の遊びにケタケタと笑ってアーレントは地面を滑りながら道行く人々の間を滑り通り抜け逃げていくではないか。

 全くもって屈辱的だ。あり得ていいモノだろうか。

 この様な馬鹿らしい行為に現を抜かす人間が栄誉あるマーリン勲章を賜るなど魔法省の気が知れない。

 いや、最もその気が違えているからこそ、国際魔法使い機密保持法などとのたまいそれを施行しているのだ。あり得ない事ではない。

 滑稽で、狡猾で、卑劣。それ故にかの御前を投獄した。

 憎い、憎い、憎い! 愚かな同胞たちが無知を晒してその仮初の平和を享受していることが何よりも憎い。

 ノーマジは我々に管理されねばならぬのに、この様な知恵遅れ白痴の女が最高栄誉を賜るなど。

 あってなるものか。

 悪戯を成功させた子供のように無邪気に声を上げて走って逃げるアーレント。

 その笑い声は忌まわしき親の仇同然の嘲笑の笑い声に聞こえゾディアックはより深く憎悪の感情を深めるだけであった。

 

「────」

 

 声に出さない怒りの声。それに呼応するように何やら闇祓いが騒ぎ立てているようであった。

 

「どうしてアーレント司祭があちこちで見られるんだ!」

 

「知りませんよ。南でいたと思ったら今度は東、その次は北だ! まるで何人もいるみたいでしっちゃかめっちゃかだ!」

 

「今度は目抜き通りにいたのを見たぞ!」

 

 支離滅裂だ。闇祓いの言い分によればアーレントが会場のあちこちで悪戯働きを働いて混乱を巻き起こしているそうで。

 螺子の外れた司祭であることはここまで来るまでに重々承知していたが、ここはで破天荒であるとは誰が想像し得ようか。

 恥知らず、白白しいく、野面皮は今まで考えていた計画など疾に吹き飛ばすに余りあるばかり。

 誇り高い魔法族にあるまじき面汚し者だ。

 疾と殺そう、もう我慢ならない。

 闇祓いたちに続き、ゾディアックは杖を握り締めて目抜き通りへと走って行く。

 殺意も最高潮、その姿が遂に見えるではないか。

 殺してくれよう。その杖を振り上げて呪文を唱えようと口を開いていた。

 

死の呪い(アバダ ケダブラ)



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正体

 歩幅も、姿勢も、視界も、息のしかたですら何もかもが違って感じる自らの肉体に困惑しながら私はチンドン騒ぎの悪戯祭。

 あちこちでゴキブリ箱を爆発させ、悲鳴の合唱にアーレント姿の私こと石槌撫子は爆笑でヴァルプルギスの会場中を走り回り大いなる目的の為に、些細なる小事を作って回っていた。

 要するに撒き餌であった。

 子供の考える、子供だからこそ考えうる馬鹿げた作戦。

 注目を浴びる人間になりすましてゾディアックを釣り上げて白日の下にその姿を露わにしようとする大層馬鹿げた作戦である。

 まともならば思い浮かばない考えであるが、まだまだ若輩の考えうる最善の作戦であった。

 陳腐な正義感で思い浮かべる最高の大団円。悪者を懲らしめて簀巻きにして逆さ吊りにしてヴァルプルギスの燃ゆる大樹に吊り下げて火炙りだ。

 あとの事など知った事ではない。ただただひたすらに、直向きに求めた楽しみの為に私たち日英悪戯集団の一世一代の大芝居。

 神さえ化かして見せようぞ、我ら畏れ知らずの不届き者。神を恐れずのに殺人鬼など目糞鼻糞にも劣る蟻んこミジンコそれである。

 襲えるものなら襲って見ろと、私は肩で風を切り笑顔で走り回って手にいっぱい抱えたゴキブリ箱をあちこちにバラ撒いて悲鳴の合唱に夢見心地だ。

 私、リリー、ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーター、セウの大盤振舞の撒き餌たちのおかげで、闇祓いたちはてんやわんやの大騒ぎをしている。

 私の背を追う黒衣魔法使いたちは息せき切らせて汗を額から滴らせている。

 もっともっとと催促するように私は寄り大声で笑って見せた。

 

「かっははははは! どうした! 歳召す事まっこと愚かしき哉!」

 

 老いによる疲れを知らない故に、如何様にもその若さを存分に発揮できる。

 しかしながらあのポリジュース薬に使われたアーレントのゲロには少々どころではなく多量に酒を浴びた結果にアルコールが含まれていたのだろう。頭の中がぐちゃぐちゃに回って巡っている。

 愉快爽快痛快だ。何もしていないのに笑いが込み上げてきてもう記憶のどこにも痕跡の残らない酒瓶を呷ってグイっと飲んでさらに酩酊を深めて、笑いこけた。

 

「はてこれはいったいどこから? ンぐ……んぐ……ぶはっあ! 何たる甘美か! これぞまさしく人生の幸福の一匙なり! これは噛んで呑まねば──はてこの味はどこかで? ああ、そうそう、師走の晩に父様(ととさま)がちょろまかしてきたポンカンと同じである!」

 

 葡萄酒を柑橘類と味間違うなど舌バカもいい所だが、アルコールの程よき苦みとポンカンの苦味の類似点ときたらまさしく神の悪戯である。

 果実の芳醇な香りの区別すら曖昧で口に入れるものすべてが同じでる。

 

「そのポンカンをどうした? ああそうだ、磨り潰して飲んだんだ! よく噛んで呑まねばと父様(ととさま)に教わり噛んで呑んだのだ。これも同じだ、よくよく噛んで呑まねばな! んぐ、ンぐ……はてこれはいったいどこから持ってきた?」

 

 繰り言を繰り返し、走り回ってさらに酔いを深めていく私はどんどんと顔を赤らめて初対面のアーレントと大差のない状況になり始めていたがしかしながらそれでも悪戯の手だけは休めずに厚顔無恥に暴れまわって悪戯を仕掛けまくる。

 

「なあ、嬢ちゃん。一緒に飲もうぜ」

 

 道端でひどい赤ら顔で妖精種(エルフ)と人間のハーフであろう少女にナンパを掛けている男ども。普段ならば触らぬ神に祟りなしと無視を決め込むところであるが、ここぞとばかりに酒精の性に触発されてエルフの少女に殺虫灯に引き寄せられるコバエの如く近寄っていた。

 

「私と飲む? 私はエルフですよ? 呪いを喰らわせますよ」

 

「そうそう。いっしょに飲んだだけで伝染(うっ)てしまうぞいろいろと。エルフの神秘の呪いとか性病とか不幸とか」

 

 矢庭に現れた私に酔っ払いのナンパ魔法使いは怪訝そうに私より体を避けるようにして、雲の子散らす様に散っていった。

 ふざけているくらいに酔っぱらっている私にエルフの少女は小さく礼を言いどこぞへ行く。

 

「アーレント司祭! お待ちください!」

 

 背後より走り寄ってくる闇祓いたちに気づいた私もうかうかしていられない。逃げるが勝ちである。

 郭公のように奇声迄は発さずとも、それに近しい声を密林の先住民族のように歌い上げるように叫びまわり次はくさだま豪雨の悪戯魔法であちこちヘドロのようなキツイ異臭を漂わせるクリーム色の極めて臭いを闇祓いに浴びせかけて逃げた。

 酒は呑んでも飲まれるなとはいったい何の事か。酒はとは即ち神の飲み物、即ち迦楼羅天に列する我らが飲み物。

 百薬の長であり、これさえあれば人生を投げ捨ててもよいと思えてしまうほどの甘美な旨味にと苦味に満ちるそれに頭がパーになってもよい気さえする。

 一人酒たろうと酒は酒、酒の肴は私の手で起こす悲鳴で十分だ。

 

「さあさあ叫ぶのだ! 悪戯も酒も、まさしく人生の悦びたるぞ!」

 

 目的も忘れかけている最中に不意に追ってくる闇祓いの中に奇妙な靄の様なものを見て取れた。

 ほぼほぼ黒と言って差し支えない青々とした靄は私に迫って先端を尖らせて、まるで槍のようであったが。

 横ぶりに私の頸筋を狙っているようであったがしかしながらその霞も酒に酔わされて見える幻覚のそれに思えてわらけてくるではないか。

 ケタケタと笑いその先端をひらりと交わして、代りに放屁で応じる私は自らの屁の匂いに更にわらけてくる。

 

「くっさ! くっさ! まるで大根を腐らせたような匂い……いやこれは腐った蜜柑? じゃが芋? まぁどっちでもいいのだ!」

 

 ぶぶぶっ、と恥も外聞もなく屁をこいてその靄と戯れた。

 ひらひらとした何かのようにも感じる。まるでどこかで見たように感じるそれを、ああそうだ。

 ジェームズが被っていたあのマント、何といったか。姿を晦ます何とかマントである。

 巧い事記憶の中から名称を引き出す事の出来ない私はうんうんと悩みながら身を交わし続ける。

 その姿に闇祓いたちのみならず、周囲の者たちもどこか困惑したような様子であった。

 それもそのはずであった。

 何せそのどす黒い青の霞は()()()()見えない幻影であり、それと戯れることはまさしく気の狂った者のやる事であった。

 発狂の様である、物狂いの様である、狂気の沙汰だ。

 いもしない者と戯れ踊り狂うさまはまさしくイかれている。

 しかし私の目にはしっかりとそれが見て取れ感じ取れていた。姿なき者との舞踊のそれはまっこと楽しくある。

 踊り狂う私の姿に見かねた闇祓いが駆け寄って制止しようとすると──。

 

「ギャアっ!」

 

 不意に駆け寄ってきた闇祓いの肉体より矢庭に出血するではないか。

 青い靄の気配が濃くなった瞬間である。まるで鋭利な刃に姿を変えた靄が闇祓いを斬りつけられたかのような。赤々とした血が辺りに舞い散りその血に僅かな間の時間、音という音が吸い取られていいったかのような静寂が一帯を包みそしてそれをようやく理解し始めた人々が口々に混乱と困惑の声を上げだし、それは遂には悲鳴に変わった。

 

「何かいる! 何かいるぞ!」

 

 斬りつけられた闇祓いが死にまに瀕してもなお職務を全うしようと青白い顔で叫んで出血箇所を必死になって押さえ、何もいない場所を指さした。

 惜しい、大変に惜しい。

 もう青色の靄はそこにはいない。右に少しずれた場所に逃れている。

 私を追うように、そして逃れるかのように慌ただしく気配を変えたその靄に、既視感の原因がようやく理解できた。理解は元々していたが、ようやく名称が出てきたのだ。

 そうそう、『透明マント』だ。

 

「うぅンんん!」

 

 クソでもひり出すかのように力んだ私はアーレントの体で翼を生やした。

 幾ら肉体が変化しようと、血に刻まれた歴史ばかりは書き換えられなかったようで天狗たる黒翼のはしっかりと背中より生えて雄々しく夜闇の空へとその体を落下させた。

 舞い上がる私に皆々が驚愕と言った顔で見上げ、その間の抜けた顔に寄り私は気分を良くして大声で笑ってしまう。

 

「まさしく虫、地を這う虫なりや。空も飛べぬ、気配も読めぬ。いったい常人は何が出来ようか。我ら天狗に足元のにも及ばぬその邪気を孕んだ気配、今まさに清き風にて注いでくれようぞ!」

 

 私は隠し持っていた団扇を抜いた。

 天狗の代名詞、その力はまさしく脅威と言って差し支えない魔法力そのものの塊であり、幻想より賜りし神秘の一品。

 埃及王の遺骸や宇宙より飛来する石ころなどまさしく塵芥。

 これぞ秘宝、これぞ至宝、これぞ掌中の珠なるものぞ。神秘を灌ぎ落し凡庸としてしまうほどの格の違い。桁で表すのなら二桁も上回るほど違う。

 追い風が私の背を押し今かまだかと急かしてくるようであった。

 そう急かさずともすぐに出番はくる。さあ、吹きすさべ。風は何処にでも流れ人を押し倒す。

 風になぎ倒せぬものはなし即ちこれぞ神の意志と言ってもいいほどの純然たる無慈悲な事実。この風を受けりれ給う事喜び咽べ。

 

「ふん!」

 

 私は団扇を暗闇を軽く扇ぎ、酒気と熱気を帯び私自身の纏わりつく邪気を扇ぐが如く我が身を優しく扇いだ。

 それに合わせて、微かな風が徐々に、徐々に強くなる。

 そよ風が、突風に、突風が強風に、強風が猛風に姿を変えた。

 地には這う常人にはその風はまさしくか神の奇跡にも等しい御業であるが、私たち天狗はそれを通常としている。

 はためくローブは激しく棚引き、粉塵に目も開けられないといった様子である皆々に私の高笑いが嘲って憚らない。これらが私に害をなす? 一体何のことか。

 ゾディアック? 殺人鬼? 束になって懸かってこい。羽虫ありんこ等纏めて踏み潰してくれる。

 人も亜人も精霊も悉く吹かれ舞い上がる風には勝てず、その例に洩れず私と共に舞踊を舞ったあの青々とした靄もその場に固まっていた。

 そして──。

 

「──?」

 

 青い靄が晴れ、その場に現れたのは老紳士とも取れる斑に白髪の混じる老人であった。

 その時であった。

 

麻痺せよ(ステューピファイ)!」

 

「木剋土!」

 

 老紳士に麻痺魔法がやにわに直撃し、私の体に呪符が張り付き木の蔦がそれより伸びて私の体を縛り上げた。

 いったい何が起こったのかと思考するだけの思考力も低下して笑い転げて只落下する私に、険しい顔つきで現れる二人の闇祓いもとい、闇祓いもどきがいた。

 竜人とその相方の老婦人であった。

 その脇には私と同じ用意木の蔦で体を縛り付けられた数人のアーレントがいるではないか。

 カンカンに切れている竜人の表情はすぐにでも分るがむしろその表情にわらけてくるではないか。

 

「竜人なのだー!」

 

「クソボケ天狗が……と、言いたいとこだがなぁ。何といったらいいもんか」

 

 忌々し気げに頭を掻く竜人。その視線の先に体を痙攣させる老紳士に誉めたモノか叱りつけるべきかと考えあぐねている様子であった。

 それもその筈であった。私自身、一体この老人が何者かもよくよく理解していないために自らの行動がいかに重要事だったかを理解していなかった。

 そう、この老人こそがあの悪名高い殺人鬼北アメリカを震撼させた狂気の殺人犯『ゾディアック』だったのだ。

 そしてその正体を知っている様子の竜人の相棒は、目を細めて言った。

 

「やはりあなただったのね。──アバナシ―局長」

 

「ゴールドスタイン」

 

 舌なめずりするその舌先は蛇の舌のように二又に分かれ、人のそれではなかった。

 若々しい潔癖そうなその表情。野望に憑りつかれそれを原動力に老いる事を忘れた表情は年不相応の顔色であった。

 

「陰に隠れ続け怯え続ける事にはもう慣れたのか? ゴールドスタイン」

 

「グリンデルバルドが投獄されて以降ね。局長」

 

 地面に落ちた透明マントを拾い上げしげしげと睨む彼女の目は険しかった。

 視線はすぐにアバナシ―と呼ばれたゾディアックの右手首を睨みつけそれを確認した。

 しゃれこうべの口より這い伸びる蛇がとぐろを巻いている。魔法によって刻み付けられた刻印、何かしらの忠誠を示すものであるようであった。

 動けず這いつくばるゾディアックに膝を折って問いかける彼女の顔つきは私と打って変って真剣そのもの、剣呑な雰囲気で聞いていた。

 

「貴方は誰と出会ったの? アーネンエルベの工作員? それとも紅幇? ──その刻印は死喰い人(デス・イーター)の証。答えなさい。いったいどこでそれと接触したの」

 

「カハハハッ! 分からないのか? 今の体勢に不満を持つ者は多いい、俺だけじゃない。グリンデルバルドの思想は正しいんだ。あの方に賛同する者は少なくないと言う事だ」

 

「キチガイ共の戯言だ」

 

 切って捨てる竜人はゾディアックに手錠を嵌めて更なる拘束を強めた。

 

「お前は今回の司祭への傷害未遂容疑、及び闇祓いへの傷害の罪がある。良かったな、楽しい楽しいアズカバン監獄が待ちわびているぞ」

 

「カハハハッ。本当に何も知らない子供だ、お前もきっと気が付く、魔法族は隠れ潜む者ではない事を、この世界を支配する人種であることを!」

 

 戯言であった、しかしゾディアックの言葉には不思議な魅力のようなものが内包されていた。

 それが真実を語っているかのような確証にも似た自信に満ちた。そんな恐ろしい真実を語っている言葉であった。




少し長めの正月休みを戴きました。今後は頑張って月曜には投稿したいと思います。


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神州の唄

 会場より数ブロック離れた運営委員会宿営テント地の物々しいさは今世紀最大級のと言っていいほどの剣呑な気配が漂っていた。

 一つのテントに異常と言っていいほどの結界魔法が張られ、そこより出ようとするものを粉へと変える攻撃的な防御魔法が幾重にも折り重なり、そのテントを取り囲むように百人は優に超えるであろう闇祓いたちが見張っていた。

 たった一人に、たったの一人に、皆が怯え、そして警戒していた。

 そこで行われている尋問はまさしく地獄絵図ともいえる光景であった。

 白髪交じりの老人に対峙するように浮かぶ文字として表現するにはあまりにも不気味なそれが、精神ともいえる何かを吸い取っているようであった。

 真っ黒なそれ──黒いぼろ布を頭からすっぽりと被っているようで顔は窺い知れない。

 しかしその布の裾から覗く肌色は生者とは懸け離れ灰白色の死蝋ようで見るに堪えない悍ましさがある。

 不気味、奇怪、心底気味が悪い。

 この三語に尽きるその生き物『吸魂鬼(ディメンター)』がかの者の、ゾディアックの中から今まさに魂を抜かんとしているのだ。

 

「──────────」

 

 言葉とは思えない悲鳴にも似た咆哮がテントを切り裂かんばかりに発せられ竜人は耳を覆いたくなる。

 これが人の発する声か? この世にある苦しみをすべて濃縮して蒸留してその苦しみを濃密な一滴へと変えたような聞く者も苦しくなってくるような悲鳴に体が竦んだ。

 それどころではなかった。この生き物、吸魂鬼(ディメンター)が近くにいるだけで肝を凍えた手で握られたように冷え込んできて、背筋に冷や汗が自然と滴る。

 見るものすべてを恐怖させる吸魂鬼(ディメンター)。本来ならばアズカバンという絶海の監獄の看守として出てくることはまずないはずだが──今回は特例であった。

 

「…………」

 

 隣に立っているスキャマンダ―夫人ですら、この方法は反対し旦那であるニュート・スキャマンダーですらこの尋問方法『吸魂鬼(ディメンター)接吻(キス)』に猛反発したくらいだった。

 それだけこの世に存在することを歓迎されえない方法であった。

 魂を抜き取り、廃人とする。文字通り生きた屍へと変わるのだ。

 忌まわしい生き物だ。それはどのようにして生まれたのかも定かではない。自然に生まれた生き物ではないのだ。

 曰く、アズカバンが最悪の闇の魔法を研究していた”エクリジス”という魔法使いの住居であったころ最初に住み着いた住人であるそうな。

 

「やめよ」

 

 テントの中でその光景に停止の命令を出したのはイタリア魔法省闇祓い局局長の号令に合わせ、吸魂鬼(ディメンター)は魂を吸うのをやめた。

 潔くこの生き物が人の言う事を聞くと言うのは驚きであるが、しかしながらこの生き物、近くにいるだけで精気を吸い取られて行くようであった。

 汗か涙か鼻水か、いったいなんの汁かも分からないモノを垂れ流し苦しみ歪んだ吸魂鬼(ディメンター)接吻(キス)を受けていた老人は今にも気が狂れそうになりながら息を切らせていた。

 

「何故司祭を狙った。アバナシ―」

 

 もう何度も繰り返された問答だ。

 堅牢な精神だ。アバナシ―はもう五度は接吻(キス)を受けているがその目に宿った野望は未だ消え失せていないようであった。

 そして戻ってくる内容も──。

 

「魔法族がノーマジに支配されてない世界の為に、グリンデルバルドの革命の為に!」

 

 驚きである。正しく驚愕である。

 普通であれば疾うに廃人となり抜け殻となっていても可笑しくはないアバナシ―はその精神を未だに保ち続けていた。

 聞き出す事の出来ないその目的と、結果。

 何のために司祭を狙ったのか、その先にいったい何を目指したと言うのか。

 こいつの紡ぐ言葉通りに受け取れば、魔法族が非魔法族の陰に隠れるべきではなく表社会を牛耳るべきだと、かつてゲラート・グリンデルバルドという大魔法犯罪者と同じ思想だ。

 四半世紀ほども前の犯罪者の思想になびくなど全く酔狂な老人だと思うが、しかし隣にいる夫人が前に出て事は一変した。

 

「私に変わってもらえますか?」

 

「……ああ。いいだろう。元上司と部下の関係だ、答えも出るだろう」

 

 闇祓い局局長がそう言うではないか。またしても驚きだ。

 それ本当の事であればこのアバナシ―という老人、元アメリカ合衆国魔法議会の職員と言う事になる。

 いったい何の部署であろうか。少々気になるところであったが、余計な首はツッコまないことに越したことはない。

 一歩前に出た夫人がアバナシ―に問いかけた。

 

「お久しぶりね。アバナシ―局長」

 

「ああ、ティナか。クイニーは元気にしているかね?」

 

「ええ、十分な程に」

 

 世間話か、擦り切れ潰れかけの精神で精いっぱい作り笑顔をするアバナシ―はまるで蝋人形の様で不気味だ。それこそ吸魂鬼(ディメンター)のようで。

 

「君が余計な事に首を突っ込まなければ、魔法の杖認可局で私の元で飼殺されていれば、グリンデルバルドはこの世界を変えていた」

 

「残念だけど、それは無理な相談だったわね。もうグリンデルバルドは投獄されたわ」

 

「知っている、知っているとも。だから私が継いだのだ。あの方の大いなる革命を継いだのだ」

 

「無謀無策と言ってあげるわ。いくら司祭を狙ったプロパガンダをしようとここではノーマジの目には入らない。明後日に牙を向けて吠えてるだけなのよ」

 

 そう言う夫人に嘲るような笑い声で応じるアバナシ―。心底腹が痛いといった様子で拘束された椅子がギシギシと歪みその目は憐れなものを見るようであった。

 

「確かに私だけでは成しえない。グリンデルバルドの革命は叶わない。──だが、彼らなら。成しえるだろう。革命を、変革を」

 

「──『死喰い人(デス・イーター)』」

 

「ヴァルプルギスの騎士だ。正しく魔法族を守護する騎士、あの者たちならば内側より変革をもたらし大いなることを成しえる」

 

 その言葉だけで十分だった。スキャマンダー夫人の予想は的を獲ていた。

 死喰い人(デス・イーター)は存在する。その純血主義を掲げる過激な悪鬼魔道の集団が確かにいる事を。

 詰め寄る夫人は熱心に聞く。

 

「どこと接触したの! アーネンエルベ? それとも紅幇なの!?」

 

「さぁ、どこだろうな。人類最初の男女である事だけはたしかだ」

 

 けたたましい笑い声を上げるアバナシ―に最早問いかける方法は少なかった。

 後はもう任せるしかない。背後にいる、吸魂鬼(ディメンター)に。

 悪魔のような恐怖にその真実を吐露させるしか。

 

 

 

 

 

「……暇なのだぁ」

 

 一つ目巨人号(サイクロプス)へ軟禁、もとい謹慎を言い渡された私は唇を尖らせて有り余る元気を持て余していた。

 世紀の悪戯は見事に成功に終わった。そこまでは覚えている。

 しかしながらその先が私の記憶は曖昧で、如何様にこの異臭ただよう襤褸船に謹慎をさせられているのか定かではなかった。

 途切れ途切れに美奈子とマクゴナガルというホグワーツの先生方に手ひどく大説教を喰らったようであったが、しかしながらこれといった怒られた感覚もなく、あったかどうかも確証が持てなかった。

 しかしながら私と共に謹慎を喰らったのはもう一人いた。

 

「まったく、この船はくさくて、くさくて、もうやっていられませんわ!」

 

 甲高い声で喚く薫に私はひっくり返って聞いていた。

 ポリジュース薬を調合し剰え配り上げた薫も同罪であり、ジェームズ、シリウス、リーマス、ピーター、リリー、セウと共に怒られ、このヴァルプルギスが恙無く終わるまで、この船から出る事を禁じられていた。

 監視係に郭公が割り当てられ、この二日間、言語学の訳の分からない論法を聞かされ二人とも嫌気がさしているのは明白な事実だった。

 サピア=ウォーフや、卵が先か鶏が先かなど現実的に問答として成立し得ない内容ばかりの話で聞くに値しない。

 言語によって魔法は成り立っていると言う話は正直興味を唆られたが、そこから言語の起源の話に傾倒していき、答えが見えなくなってくるのだから子供ながらこの大人はもうダメだと思えた。

 ただでさえあの郭公だ。発狂しているし、その思考から導き出される論法は常人のそれとはまったく以て異なる物であるのだから、正常な私たちでは到底理解できない。

 早々に二人とも甲板に逃げ出し船内のカメムシ臭のような異臭より少しでも解放されようと、潮風の生臭い香りにと波打つ音に心を落ち着かせた。

 丘の向こうより歓声や騒めきが聞こえる。月末でそろそろヴァルプルギスも終盤に差し掛かっている。

 二日前の丘の喧騒はそれはそれは大きなものだった。何せアーレントが舞台に立ちその歌声を披露したのだ。皆が聞きほれただろう。

 私も聞きたかった。しかしながら悪戯の代償は一つ目巨人号(サイクロプス)へ軟禁だ。

 正しきを行い折檻されるなど、この世はまったく以て間違っているし、間違いを正そうとすれば出る杭は打たれる。

 正しく振舞えばそれを罰せられる時勢は間違っているが、その姿勢を示せば馬鹿を見る。

 何もするべきではなかったのか。悶々と考えようとしたが、だが結論は出ない。

 ならば為すべきことは思い着く限り一つだ。考えを捨てて思考を放棄するしかない。

 私は隣で喚く薫を尻目に甲板で大の字になって寝っ転がり、暗い暗い夜の空に黄昏た。

 もうすぐで一ヶ月、日本を離れてもうそんなに時間がたったのかと思うと、これまたまさに浦島太郎だ。

 楽しく愉快な事は時は早く、退屈で暇を持て余している程遅い。まさしく人体の不思議だ。

 眼を閉じて深く深く熟考した。この世に生きとし生けるものの在り方に疑問を持って接して考え、そして結論を導き、己とは何かを深く考え込んだ。

 涅槃への道のり、日本にいたのならここまで熱心に修行を行わなかっただろう。

 しかし、親元を離れ、一人異国の地で彷徨える身になれば里心というモノもつく物で、親の教えに素直に従えてしまう。

 あれだけ衆生に囚われていた私もここまでくれば即身仏になり得よう。それだけ無心になれるのが孤独と言うものであった。

 

「────―」

 

 孤独こそ真に求められているものなのか? 殺仏殺祖という教えがあるように孤独になれば考えも纏まってくるものだ。

 しかし肝心な事には辿りつけず堂々巡りだ。

 何もすることはない、ただ時間を待つばかりのその時だった。

 

「邪魔するぞ」

 

 突如として現れたのはジェームズであった。

 透明マントを脱ぎ捨て、片手に持った二本のと股の下の箒に跨り得意げな顔で私たちの前に現れた。

 

「ジェームズ。主、謹慎中であろう?」

 

「こんな時に素直に謹慎して堪るかってんだ。ほらお前たちの箒」

 

「ぬ? どこへ行くのだ?」

 

「どこって、ヴァルプルギスに決まってるだろう。今日最終日だぞ」

 

 私としたことが失念していた。時間感覚がだいぶんずれているようだ。

 謹慎を真面目に受けすぎて、楽しむはずのバカンスが只の学校と変わらないようになってしまっていた。もとより楽しみにしていたアーレントのライブを逃したことに打ちひしがれて無心になっていたのだが、最終日には。

 

「お前んとこのライブだろ? 行こうぜ、最後の日くらい先生たちも多めに見てくれるさ」

 

 そう言いジェームスが箒に乗り先導しようとした。

 私と薫は顔を見合わせ、少しだけ考えたが。結論は一つだった。

 箒に跨り、私たちは空を飛んだ。

 翼を使わず空を飛ぶことは数少なくとも、この箒『銀の矢(シルバー・アロー)』は何とも乗り心地よくいい箒であろうか。

 ジェームスに聞くに、私が箒を持っていない事をホロ衣カフェで知って透明マントを受け取って以降どうしても恩を返したかったようだ。

 この箒、価格は透明マントの1000ガリオンの価値には及ばないものの箒とて決して安い物ではない。

 話を聞けば何でもジェームズの父親は『骨生え薬』というモノを作りそれにて莫大な財を成し、ジェームズの懐もかなり温かいようであり、箒の二三本程度なら月一のお小遣いで買えると言うのだ。

 透明マントの代金などとんだお節介だったかもしれないと思うが、しかしながらもうたやってしまった物に金を払えなど卑しい事は言うまい。

 夜空を舞い、暗闇を駆け眼下に広がる人々の営みの灯は何とも美しい事か。

 炎の夜宴の最後の時に一つ目巨人号(サイクロプス)のような襤褸船にいるのは寧ろ無粋と言えよう。

 その一人として参加できないのは少々物悲しいが、しかしながら私には友がいた。

 

「遅いぞジェームズ、石槌!」

 

 私たちと同じようにシリウス、リーマス、ピーター、リリー、セウが箒に乗って現れた。

 これぞ世紀の悪戯集団の集結であり、最後の集会だった。

 そんなことも気に掛けず、私たちは共に空を駆け友と呼べる存在に感謝し、笑い、叫んで楽しんだ。

 空で行えることはすべて試し尽くした。クディッチの練習をしたり、追いかけっこをしたり、私の団扇の突風を利用してどれだけ早く飛べるのかなど。

 そして終幕を告げるモノが今まさに始まろうとしていた。

 

「行こう、君のとこのライブだろ?」

 

 リーマスがそう言い私たちをライブ会場へ連れてってくれた。

 物珍しそうに集まる魔女魔法使いたちに緊張でガチガチとなっている白虎煉丹の面々に、私は声を上げて応援したくなる。

 アーレントに比べれば見劣りするのは目に見えていた。しかし出来栄えではなく、彼らに求めているのは全力を見る姿が重要なのであった。

 ライブが始まり、その音を奏で己らは何者かを示しているように歌い上げる。

 アーレントがどんな歌を披露したのか察するに余りある。観客たちは拍子抜けと言った様子で疎らに散っていく様子が見て取れた。

 しかしながら私たちは拍手で応じよう。これぞ日本の唄だ。

 和洋折衷を折り合わせた魔法の唄だ。

 巫女服姿の綾瀬の艶やかな神楽鈴音色と舞に合わせギターやらドラムやら、三味線や琴が美しい音色を響かせている。

 これぞ和の心。日本人の持ちえるわびさびの心意気だ。

 アーレントにどれだけ劣ろうとも、アーレントにどれだけ聞劣ろうと。これが我々日本魔法民族の心を現した音色だ。

 演奏も終わり、私たちは拍手で応じた。

 ボッという音と共に、炎の灯った大樹が鎮火し、大量の灰が空を舞い朽ち果てた。

 これで終わりだった。炎の夜宴、ヴァルプルギスの最後を飾る神州日本の歌であった。




これで炎の夜宴編ラストです。次回アメイジング・ナデシコ『魂の魔導書編』です。


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魂の魔導書
天狗総会


 日本に戻り、魔法処のヴァルプルギスの喧騒も収まり平穏が戻り始めた初夏の連休。

 学生たちは思い思いの帰路に付き、そして私、石槌撫子も家路へとついていた。

 しかしながら私たち天狗にとってこの休みの期間は何よりも重要な時だった。

 それもその筈、年に一度五十六大天狗の住処となっている霊山のいずこかで行われる天狗総会の時期だった。

 私はいつにも増して真新しく堅苦しい僧衣に身を固めて、石槌山の生家にて出陣の出支度に追われていた。

 父様(ととさま)のピリピリとした緊張感は殊更に酷く、私の羽根の付け根をヒリヒリと焼いてくるようであった。

 母様(かかさま)父様(ととさま)の背に緋色に染め上げられた陣羽織を恭しく掛け、埃の一つも付けけぬよう払っていた。

 ここ数百年で毎年行われている天狗たちにとっての戦場。自らの地位すらもその発言一つで上がりもすれば落ちもする悪夢のような会議。そうしてこの日の元の天狗たちの行く末を決める重大な会議の場だった。

 私と父様(ととさま)が身支度を整えた終わった時に、気取ったような純白の白烏、父様(ととさま)の『上烏』が嘴に上質な和紙に天狗総会の行われる山を記した参加状が咥えられていた。

 父様は有無を言わさずそれを取り、睨みつけるようにその文面を見た。

 

「今年は象頭山か……金比羅坊と金剛坊に世話になるとするか。行くぞ撫子」

 

「はいなのだ!」

 

 私たちは翼を広げ、明け方近くの薄暗がりの空を飛んで香川、象頭山へと足を延ばす。

 象頭山。五十六大天狗の中では珍しく二羽の大天狗が山を共にしている所だ。

 黒眷属金比羅坊(くろけんぞくこんぴらぼう)象頭山金剛坊(ぞうずさんこんごうぼう)の二棟梁は五十六大天狗の中でもかなり親しい事で有名であり、その真言を共にする真か珍しい二羽だ。

 距離もそこまで遠くはない。全国各地から集う大天狗たちの足並みを考えれば恐らく天狗総会の開始は午後になろうかと思われる。

 なんの、そんなことはどうともいいが。第一の問題は、毎年の事だが──殺し合いに発展させない事だ。

 父様(ととさま)より一世代前の爺様(じじさま)の代の時の天狗総会の話だが、天狗総会で何やら話の食い違いから大天狗を二分する殺し合いに発展し江戸の町を巻き込んだ大火災を起こしたのだ。

 後世にはその事は『明暦の大火』と呼ばれるようになり天狗たちは天狗大戦と呼んでいる。

 天狗側の死者こそいなかったが市政では天狗の神通力の影響で、江戸の大半は燃え、江戸城天守閣も焼失、常人只人合わせ総勢十万人近くを天狗のいざこざに巻き込み冥府の切符を配り上げたのだ。

 それにより地獄は大混乱、極卒たちは数年の仕事をやらねばならず、閻魔大王は亡者を裁き切れずヒステリーを起こしかけたそうな。それ以降地獄は天狗お断りの看板を掲げているそうな。

 それ以来全天狗が第二の天狗大戦を恐れ、疎んじ、恥じていた。

 地獄へも行けない我々天狗は極楽浄土を目指して日々涅槃への修行を積むしかなくなった。涅槃へと至れねば賽の河原を永遠に彷徨うことになるからだ。

 それも仕方なしと思えるほど、先代たちは馬鹿げたことをしたものだ。

 小一時間ほど飛んだだろうか。のっぺりとした山が見えてきた。象頭山だ。

 どんよりとした灰色の雲が空を覆い、日も上がったにも拘らず、暗さは拭えぬ。

 そして何より、目に見えて感じる異様な神通力の渦に羽根の一枚一枚が聳ってくるようであった。

 もうすでに何羽かの天狗たちが集まっている。金毘羅坊と金剛坊だけではここまで強烈ではないだろう、早く文を受け取った近場の大天狗が私たちよりも先に到着したことでこの曇った天候も彼らに影響されているのだろう。

 山の中腹で私たちは降り立ちその羽根を納めて山頂へと歩き始める。

 獣道であったが、しかしながら獣鳥の気配がない。

 みな逃げ出しているのだ。私たちが集まるせいでその一生が悉く一息に消えるかもしれないと考えて逃げ出している。

 人間たちですら無意識に今日はこの山に踏み入ることを躊躇っているようで、人々の喧騒は遠く、山々の木々がその重圧に悲鳴を上げているように騒めいている。

 ふと足を止めた父様(ととさま)は何もない空間を撫でる。私は不思議に思いよくよくそこを睨めば驚きの術が掛けられているではないか。

 結界だ。しかもそん所其処らの魔法による結界ではない。

 目に見えて分かる結界は二流。真なる一流の結界術はそれすらも悟らせず遠のかせる。

 私自身父様(ととさま)が足を止めてその素振りを見せてくれなかったら気づかなかった。何とも巧妙な結界術か。

 扇を抜いた父様(ととさま)は薄膜を破るように振り、その中へと踏み入った。

 私もそれに続き中へと入れば──まさしく壮観と言う他なかった。

 

「────」

 

 言葉を毎年の如く失われる。空を覆うように数限りない天狗たちが空を舞い誰もかれもを威嚇するように翼を鳴らして尋常ならざる危うい雰囲気を漂わせている。

 ただでさえ一族のモノ以外を嫌う性格の天狗が一堂に会する機会はまたとない殺し合いの場であり、ちょっとでもその自尊心を気づ付けようものなら天災が起こること請け合いだった。

 元来自尊心を過大なまでに肥大化させ神通力を与えたモノを天狗と呼ぶ、そんな者たちを馬鹿にしようなど愚か者のすることであり、この場にその礼を欠く者は多くいるし、ある意味ではいないと言える。

 私たちの登場にその場がきりりと引き締まるように緊張感が現れ五月蠅いまでに飛び回っていた天狗たちがその羽根音を止めて私たちを見ていた。

 

「楽にせよ。遠慮無用」

 

 父様(ととさま)はそう一言だけ言った。

 皆が胸を撫で下ろすかのように安堵したため息を漏らし再度五月蠅いまでに飛び回り出した。

 鬱蒼とした森に僅かながら開けた場に集まった百を優に超える天狗たち。ここまで多くの天狗が日本各地に隠れ潜んでいたなど幼い私ながら毎年驚いてしまう。

 

「御出で下さいまし誠に感謝いたします。法起坊殿」

 

 恭しく私たちの前にまろび出た一人が膝をつき首を垂れる。

 黒眷属金比羅坊だ。その後ろには象頭山金剛坊が控え、さらに後ろにはすでに集まった天狗棟梁たちが円を組み、思い思いに私事を行っている。

 天狗酒を呑む者も居れば、天狗煙草を山火事の煙火のように口から紫煙を吹かす者もいる。

 その者たちは皆々が円の中心に向けて己の団扇扇を中央に向けて置いていた。

 父様(ととさま)は何も言わず円の中に加わり、煙管を取り出して煙草を吹かし始めた。

 

「法起坊、今年も息災であるな」

 

 隣に座っていた男の天狗が話しかけてくる。妙に人を食った様な態度のそいつは私の少々苦手にしている者であった。

 那智滝本前鬼坊(なちたきもとぜんきぼう)だ。

 古くから御家を構え、石槌山天狗に仕えてきた天狗の家系で、常人只人の聞こえよろしくするならば、『前鬼・後鬼』と呼んだ方がいいだろう。

 前鬼坊の後ろに控える女の天狗がクスクスと馬鹿にするような含み笑いで応じる。前鬼坊の嫁の後鬼だ。

 

「主も息災で何より」

 

「今年は例年にも増して集まりが悪い。厳島三鬼坊と比叡山法性坊は欠席だそうだ」

 

「いい加減な連中よ。ここまでくれば阿呆の狸に政をやらせた方がまだマシだ」

 

「ヒャヒャヒャ! なんと馬鹿げたことをあのような毛玉の肩を持つのかえ?」

 

「バカを云うな。狂言回しも理解できなくなったか、前鬼坊」

 

 少なくとも私としてもそのような狂言の言い方は今まで想像もしていなかった。

 団芝三と会って私が魔法処に通い始めて以降だろう、ほんの少しだが化け狸と常人の態度が軟化しているように見える。

 昔ならば『この手で誅罰果たさん』と言っている筈だ。

 

「ヒャヒャヒャ! ……にしても法起坊。娘を常人の寺子屋に入れたそうだな?」

 

 私たちの痒い所を的確に探ってくるように前鬼坊が聞いてくるので、父様(ととさま)は少し苛立っているようであった。

 私をていのいい見世物に仕立て上げようと底意地の悪い顔で笑う前鬼坊に父様(ととさま)はこれ見よがしに紫煙を鼻から出した。

 

「それがどうした、涅槃への道のりだ。小事も積み重なれば大事となる」

 

「常人如きの知識が我わノ何の役にたつ。耳掃除の役にも立たんわ。ヒャヒャヒャ!」

 

 大概の言いよう。耳掃除の役くらいには立つ。なんならこの場で全員分羽根を毟る魔法位は私も学んできている。ほんの少しだけ私の頭に血が上りそうになった時、とある一団が遅めの来訪をした。

 愛宕山太郎坊の一団だ。前鬼坊は面倒なのが来たといった様子で唇を尖らせた。

 太郎坊殿は常人や只人にも等しく接することで有名な天狗で、特に常人の魔法には非常に高い興味を示している御仁。その上太郎坊は八天狗の中でも第三席の座を占める大天狗、四十八天狗の前鬼坊など鼻息で消し飛ばせる発言力がある。

 父様(ととさま)は五月蠅いのがようやく黙ると安心したように煙管に詰まった煙草の灰をほじくり出してより大きなため息をついた。

 前鬼坊は確かに良き働きをしてくれる。しかし人の粗捜しをする癖だけはどうしようもないほど愚かしい。

 にこにこと笑って何やら横川覚海坊と世間話を始める太郎坊をまるで面倒な鼻糞のように見る前鬼坊。愚かしい家臣を持つとこういう事になると父様(ととさま)の苦労もいたたまれない。

 この天狗総会、例年にも増して異様な雰囲気を漂わせているのには私も確かに感じ取っていた。

 妙にピリピリとした緊張感、例年そうなのだが、しかしながらこの剣呑さは異様だ。それもその筈、二年前の富士山での天狗総会は緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)の一件で散々であり、去年はその煽りからかほぼ全ての五十六大天狗が欠席したと言う。

 稀に見る事態だ。ここまで天狗総会が滞った事などまたとない。

 皆不安に思っているのだ。常人でも我々に歯向かってくる連中がいるかもしれないと皆が考えているのだ。

 緑龍会(グリューンドラッヘ・ゲゼルシャフト)の一件はある意味例外中の例外だ。狙いは何だったのであれ、あれらは頭の螺子が外れたモノたちが純血派を唆したのが原因であって、他は我々を不可侵の者として害することなどないのだ。

 これぞ正しく小事。気に掛ける事などない事態だった。

 

「来たか……」

 

 不意に父様(ととさま)がそう言うと、私たちを取り囲んでいた結界が撓み波打ち、そして外より訪れるモノたちがいた。

 途轍もない人数だ。それこそこの場にいる天狗たちを合わせてようやく釣り合うかどうかの人数を引き連れて現れたのは漆黒の青年。

 鞍馬山僧正坊(くらまやまそうじょうぼう)、取り巻き衆の百人天狗を伴っての御光来だ。

 ただでさえ百人天狗たちは霊刀『百足丸』を穿いている為に気味が悪いのに、それをすべて伴ってくる僧正坊は図太いと言うべきか、用心深いとでもいうのか。

 兎にも角にも仰々しいと言うべきだろう。

 僧正坊が円に加わり扇を中心に向けた時だった、皆が父様(ととさま)ですら首を垂れて円の中心へと敬意を払った。

 それに合わせ私も、無論空を飛んでいた他の天狗たちですら地に降りて首を垂れている。

 何事かと思うだろう。真なる天狗棟梁とは父様(ととさま)でも、僧正坊でも、ましてや太郎坊でもない。あのお方だ。

 頭を上げた時、気づけばその縁の中心に座っていた仕立ての良い衣冠に面紗で顔を隠した高貴なるお方が座っているではないか。

 この方こそ真なる天狗の棟梁にして大魔縁、そして大天狗──。

 

『我ら天狗衆、伏して帝に誓い、真偽偽らずここに忠言いたしまする』

 

 天狗たちがそういい、かの方へ宣言した。かの方は手に持った笏を扇いだ。

 

「──如何様にも」

 

 その一言で全員が再度頭を下げた。

 何故にここまで天狗が首を垂れるのか、敬意を払うのか。

 それはこの方こそ神聖なる帝の血を引く大天狗であり、本当の意味でこの日本を転覆できる神通力を持った実力者である為だ。

 この方こそ──崇徳院讃岐顕仁上皇、即ち崇徳天皇陛下で在らせられる。

 その血を辿れば正しく国起こしの血筋にして私たち天狗をこの国の天狗たらしめる存在に定義させた人物。帝の身であったがその境遇から帝に弓ひき大魔縁に身を堕とし災悪を顕現させた怪物。

 最も神に近づきそして対極の位置に身を堕とした我々の長だ。

 皆々が頭を上げ、惚けた面はいずこかへ。引き締まった顔であった。

 

「これより天狗総会を始める」

 

 父様(ととさま)の号令に全ては始まった。

 

 

 

 

 

 喧々諤々の騒乱と言える天狗総会を終えて、連休も終盤に差し掛かり私は生家よりエンマ荘へ戻って来ていた。

 今思い出してみてもまったく以て身震いしてしまう。

 父様(ととさま)の進言を頭から徹底して否定してくる僧正坊の目に余る態度に、大雨に煽られ他の天狗たちは戦々恐々と言った様子は須らく当然の事。

 あの調子で続けていれば第二次天狗大戦の火ぶたが切って落とされる寸前だったが、理性的な顕仁殿のおかげでそれだけは避けられた。

 しかしそれよりも先に私に向けられた火急の問題と言えば。

 

「まったく進まないのだ!」

 

 自室でひっくり返って独り言ちる私は、机の上に広がる山と積まれた宿題に埋もれ遂にはお手上げだと手を上げていた。

 日本魔法暦学、占い学、魔法薬学に魔法理論と連休に復習せよ節介を焼いて教師陣はこれでもかと宿題を授けてきている為に天狗総会並みに胃がキリキリと痛んでくるようであった。

 特に理攻めで責めてくる魔法動物兼魔法理論教諭の美奈子、拳骨で応じてくる杖術教諭の鬼灯などは言い訳が聞かない。

 郭公は説教と言っても我々には聞き取れない奇声を発するばかりで何とでもなるが、いやしかし私の矜持が一つでも取り逃すことをよしとはしなかった。やるならば完璧を目指さねばと邁進してみるが、人間限度というモノがあり、これは超過している。

 間に合わないと区切りをつけた私は最悪だけを避けるべくあまり怒らない教諭の宿題だけを避け、面倒な連中の宿題を集中的に終わらせた。

 一息つこうとエンマ荘食堂に向かい山姥に香りのよい玉露でも貰おうと自室から一階へと降りる。

 ここ最近エンマ荘には気持ちばかし生徒が少ないきがする。三年に上がって以降エンマ荘で竜人や綾瀬とすれ違う機会がめっきり減り魔法処だけの顔合わせであった。避けられているといった様子はなくただ単に会う機会が少なくなっている。彼ら二人はエンマ荘に帰っていないようだし一体どこで寝泊まりしているのか。全く持って疑問であった。

 すれ違うのは大概が新入生かあぶれた二年生ばかりで三年より上の世代はめっきり見えない。

 時折帰って来ては姿を消す。神隠しにでもあったのではないだろうか。

 そんなまったく以て馬鹿げた考えを思い浮かべながら食堂の暖簾をくぐると新入生たちの藹々とした雰囲気の中ポツンと孤立したような私は心寂しく、実った木より落ち遠く川に流された柿のような心境で玉露の急須を山姥に頼んではぶてたように一人で良き香りに包まれながらそれらを眺めた。

 

「夢多き事良き事哉」

 

 夢希望の一切を差し迫る宿題提出に打ち砕かれ絶望のどん底の縁でけんけんをしている私には彼らは本当に羨ましい。

 嫉んでも仕方がなかったが、そんな中に人だかりが出来ているではないか。

 何やらチンドン屋でも来たのかと思わせる雰囲気に、その一角だけまるでエンマ荘の空気ではないようだ。

 その中央から漂う雰囲気然り、物理的な臭いも独特。しかし相当遠くない時期にどこかで嗅いだことのある血腥さ。はてこの鮎の腸を抜く時のあの生臭さのような匂いは一体どこだったか。

 湯呑に視線を落とした時だった、その人だかりの中心が何やらに気づいたらしく私の目の前に文字通り()()()()()

 黒々としたその飛翔する姿、青年であった。

 

「ようやく見つけたよ! マイ・フェア・レディ!」



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倶楽部

 遠目に眺めるセウの姿はどこか吹っ切れた様子であった。

 衝撃的な再会を果たし日を跨ぎ魔法処へとやってきた私に知らされたのはまさしく衝撃的と言える。

 セウが、転入してきた。

 曰くカステロブルーショは交換留学制度が盛んで、魔法処の四年生とセウで交換留学を行ったそうな。

 そんなことは露知らず、事の運びは前々から話で出ていたそうだが私の頭の中には昨日の天狗総会の事で胃を痛めていた為にまったく以て知る由もなく聴く気もなかったった。

 物事が目の前に来ればそれはそれで受け入れるしかないのが現実だった。

 セウの年は私たち魔法処三年生にしては高学年生のクラスに振り分けられていいはずだが、セウの強い進言で他学校の教育制度を一から学びたいと言ったそうで、一学年から始めさせてくれと言ったそうだが、年長者を年少者と混ぜて授業をすると言うのは少々不都合が発生しやすいと団芝三がせめて三年生からといい私のクラスに割り当てられた。

 

「なあ、カステロブルーショてどんなところなんだ?」

 

「妖精が学校中にいるって本当か?」

 

 セウは質問攻めの人気者だ。

 瑠璃講堂の三学年生の教室の外にも他学年生が興味深いといった様子でセウを見に来ている。特にヴァルプルギスの夜に参加していない一・二・六年生がごった返す様に廊下に私たちの教室の前で混雑している。

 

「人気者だね」

 

 綾瀬は少しワクワクした様子で私にそういう。

 

「確かにな。少し驚きではあるがな」

 

 私は頬杖をついて行儀悪く片足を組んでケツが痒いと掻き毟りながらそう言った。

 セウはブラジルの吸血鬼の名家ロビショメン家の次男坊だ。血の尊さは自由と柵の束縛を与え、セウの心を詠んだ私は国を離れると言う発想はまず思い浮かばなかった。

 何せ私は天狗。血の尊さで言うなら何代続く家系のなど放屁のそよ風で吹き飛ばせれる。それだけ神聖視される家系の一員であるために、国外に出るなど想像もできない。

 まあ、それが出来てしまうのが家督を継いでない次男坊の特権、そして『天狗』ではないモノたちの特権だ。

 

「魔法省はてんやわんやの大騒ぎだ。ビップ様だぜありゃぁ」

 

 行儀悪く机に足を乗せて椅子をシーソーのように後ろ脚で絶妙なバランスで石板ほどある巨大な魔導書を呼んでいる竜人がそう言う。

 

「そんなにスゴイの?」

 

「あいつ。ブラジルの名家の御坊ちゃまだ、国を跨ぐ魔法省同士のやり取りは国際魔法協力部経由なのに、それすっ飛ばして大臣に直接問い合わせしてきたそうだ。大騒ぎ達らありゃしない」

 

 綾瀬の不思議そうな質問に答える竜人は日本国内の魔法事情には強いだろう。何せ日本魔法省預かり陰陽寮『六波羅局』局員なのだから、外も内も知っていて当たり前。

 日本のごたごたの全ての皺寄せも処理も六波羅局の仕事だ。聞けば警護兼監視役に六波羅局員の竜人と同じ同学年生にすると内々に魔法処、魔法省、陰陽寮の会談があったらしく絶賛竜人は学生と局員の二足の草鞋を履くことになっている。

 と言っても竜人とて魔法処に入学して学ぶものなどないと思える知識に何やら裏でコソコソやっている風であるために元より草鞋は二足履いているようなものだ。

 

「仕事を怠るとは良い根性をしておるわ」

 

「このど昼間の教室のど真ん中で暗殺者がいるとでも思ってんのか? 思ったならガキと言わず精子卵子の段階からやり直せ、いい泌尿器科紹介してやるから」

 

「相変わらずの憎まれ口……やはり琵琶湖の底に沈めてやんでもない……」

 

 この者は本当に敬意というモノに欠いている。正しく天に向かって唾を吐き、追い風に向かって肩で風切るその姿勢は最早感嘆の念すら覚えなくもない。

 悪童も極まればまさに美学の域だ。この者がいきなり私に首を垂れて敬服すると言うのもある意味で気持ち悪くはあるが、少しは礼儀というモノを知るべきだ。

 そんなことを愚痴っぽく綾瀬に嘆こうとしたが、しかしながらそれよりも先に到来するものがある。

 そう、授業である。

 

「杖術の時間だオラッ!」

 

 威勢よく教室に乗り込んできた教諭は、杖術兼魔法薬学教諭の秋形鬼灯(あきがたほおずき)だった。お供を連れて竜人とはまた違った悪童のそれに近いその姿は、ツッパリとでも言えばいいのか、筋骨隆々、黒い逸物の如くそそり立つリーゼント姿の魔法処の暴力教師とはこの男だ。

 皆統率の取れたように鬼灯の顔を見るなり飛んで自分の席に戻った。廊下にたむろしていた生徒たちですら蜘蛛の子散らす様に逃げていた。

 皆彼の拳骨が怖いのだ。

 

「今日は回転呪文の授業だオラッ!」

 

 オラオラと毎度毎度語尾に付ける必要性が見出せないが、鬼灯なりの気合の入れ方でよく生徒の折檻を行う時、中庭で一列になって粋がった一年生徒たちが大声でオラオラと叫んでいる光景は見るに懐かしい。

 補助教諭がクッキリと目の下に隈を作って疲れたように皆の机に小さなベーゴマを配っていた。

 ようやく魔法処の教諭候補を選び始めた団芝三は数年間の研修の為に12人の教諭たちにお供として付けたが、癖の強い事で勇名を馳せる魔法処教師陣、もとい魔法処を所望する魔法使いは少ない。

 その稀有な数人が今年もやってきた。今年は豊作だそうで卒業生含め12人全員にお供が付くそうだ。

 探求派の卒業生の田島吟醸や、去年卒業したばかりの戦中派の上木竹人も戻ってきて、一体どこが卒業したのかと思ってしまうのは可笑しなことだろうか。

 荒々しく杖を握り閉めて黒板に授業の内容を刻み込んで、叩き割らんばかりに黒板を殴る鬼灯の益荒男さは何時みても痛快と言えるが、お供はそれにビクビクとして後頭部を押さえ、頭頂部が上に伸びあがっているのは鬼灯の拳骨が降ったせいだろうか。

 言葉よりも先に手の出る人間を引いたお供が可哀想だと思わなくもないが、杖術講師を志望したのが運のツキだ。

 

「この呪文は妖精の呪文に分類される魔法だオラッ! 『回転せよ(ロタティアバー)』! 少しでも発音を間違えたら拳骨だオラッ!」

 

 

 繊細な調整が必要とされる妖精の呪文にあるまじき大胆さと豪快さを見せる鬼灯が、振り回す杖を自らのベーゴマに向け回転呪文を掛けた。

 するとどうだろうか、ベーゴマは独りでにクルクルと回り出し杖の先がコマから外れるまで回り続けるではないか。

 

「回転呪文は重要だ。只人の施錠に使う鍵もこれ一つでイチコロにぶっ壊せる! お前たちは今日この呪文で割り箸を折れるくらいになれオラッ!」

 

 教卓を殴り割らんばかりに片腕を振り下ろす鬼灯。

 言わんとすることは分からないが、要はこの呪文があれば何かと便利であると言う事だろう。

 皆が恐る恐る杖を出して呪文を掛けるタイミングを見計らっているが、竜人はそんなこと何の事かと空気など読まず呪文を唱えた。

 

回転せよ(ロタティアバー)

 

 完璧な発音、そして杖の振り方。

 ベーゴマが生き良いよく回り出し、机を穿たんドリルの如く高速で回転して木屑が舞うではないか。

 それを見て鬼灯は竜人を疑いの目で睨んでそして豪快に笑う。

 

「良くやってくれたぞオラッ! お前ら見たか! これを目指して精進しろオラッ!」

 

 加減なしに竜人の背中を叩く鬼灯の張り手の勢いにつんのめって倒れる竜人は忌々しいといった様子で鬼灯を睨みつけていた。

 悩んだ所でどうしようもなかった。私たちは杖を振って唱えた。

 

回転せよ(ロタティアバー)

 

 全員バラバラに唱え、ベーゴマたちが机の上で回り始めた。

 私のコマはしっかりとした回り方をしたが、綾瀬のコマは横に直立して回り、薫に至っては完全にひっくり返って回っているではないか。

 ほんの僅かにだが呼吸一つ分、ほんの一トーンだけ『ティア』の部分の発音が不明瞭だった。そのせいで正しく呪文が作用しなかったのだ。

 オラ! オラ! と掛け声と共に綾瀬や薫と他の生徒の脳天を撃ち抜く鉄拳の音が痛々しく、目を瞑りたくなった。

 チラリとセウは無事かとそちらを見ると──。

 

回転せよ(ロタティアバー)

 

 静かに唱えたセウの呪文は正しく作用しベーゴマがクルクルと優雅に回っていた。

 

 

 

 

 

「痛すぎるよぉ! 秋形先生の拳骨ぅ!」

 

 昼休み、中庭で私と綾瀬は一本大捻じれ松の元で昼餉を取っていた。

 頭を押さえてウンウン唸る綾瀬をあやし優しくそのたん瘤を撫でようかと思うが、あからさまに膨れ上がっている為に触れることも憚れる。人体がここまで膨張するとある意味怖い。

 私は今回鬼灯の拳骨は免れたが、いつあの拳を戴くことになるか。大変怖い事この上ない。

 エンマ荘の絢爛豪華な弁当をかっ喰らいながら私は、ふと綾瀬の弁当がエンマ荘の物ではない事に気が付いた。

 

「竜人様! 私のお弁当をご一緒にしません事?」

 

「遠慮させてもらう」

 

 捻じれ松の上で太々しい猫の如く陣取った竜人が持参のサンドイッチを喰らいながら、下で待ち受ける蛇の如き絡まりを見せる女子の薫に恐れおののいている。

 ヴァルプルギスの夜以降一層の猛アタックを繰り返す薫に逃げる一択の竜人は少々不憫に思えてくる程であるがいつもの憎まれ口だけは健在であるからに、心の健康は健やかと見える。

 それにしても、何故だろうか。

 エンマ荘の下宿人たちは、昼飯は山姥の用意する弁当で済ませる事が通例であろうに私以外の弁当は殆ど違うようだった。

 重箱に入った山のような弁当ではなく小ぢんまりとした弁当箱だ。

 

「自炊とは、台所は山姥の領域だろう? 綾瀬よ」

 

「うん。そうだね?」

 

 私の言う事をいまいち汲めてない様子であった綾瀬。何の事かと首を捻っていた。

 そんな時だった。夏の香りを運ぶ初夏の風に混じった血腥い香りにふと顔を重箱から外すとセウがこちらに向かって来ていた。

 

「やあ! マイ・フェア・レディ! 一緒に昼食でもどうだい?」

 

「ん? ここは皆の場だ。勝手にすればよいのだ」

 

 私は何の事かとどこ吹く風だがセウはどこか嬉しそうだった。

 手に持ったエンマ荘の重箱はどこか真新しく新しく山姥が見繕ったものだと察しがついた。

 国元を離れ、異国で一人でいると言うのは心細かろう。そんな中で見知った顔に遭遇すれば近く寄りたくなるのは人として当然と言える。人は集まらなければ死んでしまう生き物なのだから。

 

「日本の料理は素朴で僕の口とは違って美味しさがあるね」

 

「主の国はどういったものなのだ?」

 

「いろいろあるさ、マイ・フェア・レディ! 今度僕の国に来てくれ給えよ。料理を振舞ってあげるよ!」

 

「それは出来ぬ話だなぁ」

 

 鮭の塩焼きを骨ごと噛み砕き私は異国の料理に想いを馳せる。

 ああ、ヴァルプルギスの夜の夕餉の飯は中々に旨かった。日本料理が最も口に合うが、異国の美味さはそれ特有の味わいに舌鼓を打てる。

 食うと寝る事しか頭にない私にはヴァルプルギス思い出は飯と異国の友人たちの事だけであった。

 新学期も始まり今後も詰まっているが、しかし楽しかったことは楽しかった。唯一ヴァルプルギスを呪うとしたら感想文を書けと言う事だけだろう。

 楽しかったの一言で終わらせたいが一言では文になっていない、一言で終わらせられれないのが感想文というモノだ。

 日本に戻ってかなり立つがあの夢のような体験はもうできないのだろうと思うと少し残念だ。

 天狗でなければあちこちの国を旅して回ることも悪くはないと思うが、そんなことを考えても詮無き事。私は天狗、この国の、日本魔法世界の象徴だ。

 不動なる事、揺るがざる事は正しく権威を手早く示す方法だ。

 

「ええっと……ロビショメン君? ガブリエウ君って呼べばいい?」

 

「セウで構わないさ。美しき子」

 

 綾瀬がおっかなびっくりセウに話しかけ、とあることを聞いた。

 

「倶楽部は何処に入るか決まってる?」

 

「倶楽部? サークル活動の事かな?」

 

「そうそう、ずっとエンマ荘に下宿じゃ息が詰まるでしょ? だから倶楽部に所属するの」

 

「おい待て綾瀬よ。いったい何の話をしている」

 

 エンマ荘では息が詰まる? 一体どういう事だろうか。

 白虎煉丹や他倶楽部に所属するとエンマ荘に何か関係するのだろうか。私は何の事かと首を捻っている事にハッとしたように綾瀬が気づいた。

 

「撫子ちゃんって。もしかして……帰宅部?」

 

「帰宅部も何もどこにも所属していないのだ」

 

「……よくあんなおっそろしい所で寝泊まり出来るもんだ」

 

 大捻じれ松の上で嘲るようにそう言う竜人をキッと睨んで威嚇する私に、鼻笑いで応じる竜人はサンドイッチを大雀に分け与えていた。

 

「エンマ荘は良き所であろう。綾瀬よ」

 

「そうだけど。門限とか、夜間外出できないでしょう? みんな息が詰まって倶楽部に所属してエンマ荘から出てるの」

 

「そうだったのか! どおりで最近私以外の学年を見ないはずだ」

 

 魔法処も寮というきちんとした施設は有してはいないが、寮の役割を果たしている場所は存在しているそうだ。

 典型を上げるのなら、純血派の砦であった珊瑚の宮、戦中派の宿営地の瑪瑙観音堂、探求派の巣窟のしゃこの図書室だ

 。三派閥の大概の生徒がこの三つの施設で寝食などを過ごすことが多くあり、一応の寮とされているエンマ荘は、先ほど綾瀬の言ったような門限や夜間外出の有無で利便性は皆無の所とは違い学校内住居はそう言った制限がない。

 そう言った事もあり皆が二・三年生になるとエンマ荘を出て学校施設を拠点として活動をしている。

 

「しかし綾瀬よ。異国人のセウに三派閥の中に所属しろというのは少々酷ではないか? 戦中派や探求派はまだいいが、純血派がセウを受け入れるとは思えんぞ」

 

「三派閥だけが魔法処じゃないんだなこれが」

 

 綾瀬は悪戯っぽく笑って魔法の懸かった地図を取り出した。

 それは魔法処の大雑把な見取り図と倶楽部陣地図と言える大まかな陣営図であった。

 

「大概の生徒が三派閥に所属するけど、無所属の子とか、派閥に属していても個人研究の為に個別の倶楽部を立てる事は多いいんだよ? 私の所属している白虎煉丹だって本来は音楽魔術の研究が目的だったんだから」

 

 初耳である。

 そこまで魔法処が魔法に対しての研究に寛容な姿勢だったとは思ってもいなかった。

 赤の純血派、緑の戦中派、黄の探求派の陣営図の中に様々な色を内包した建物があった。

 それは──金の間、封印御所『天岩戸』の在る施設であった。

 

「倶楽部だったら、部長次第で活動自由だからいいんじゃないかな。そうだ! この際だから撫子ちゃんも部活探したら?」

 

「うむ……」

 

 倶楽部に所属すると言うのは考えた事がなかった。授業で勉学は事足りているし、これ以上頭の中に何を詰め込むのか甚だ疑問であるが。

 しかし綾瀬の強い要望もあるし、セウの今後も気になる。

 

「よし! ならばセウの肌に合う倶楽部を探そうぞ! ついでに私のもだ!」

 

「おー!」



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鯉の上り回廊

 全ての授業を終え、ワイワイがやがやと騒がしく生徒たちが跋扈している。

 私は、綾瀬とセウを伴い倶楽部の密集している施設、金の間へと向かった。

 魔法処には大まかに八つの施設がある。

 学年別の教室がある『瑠璃講堂』、天文学のみに使われる『玻璃の天文台』、純血派の砦『珊瑚の宮』、探求派の巣窟『しゃこの図書館』、戦中派の住処『瑪瑙観音堂』、教員室、校長室の『銀の間』。全生徒を集めて瞑想をする『翡翠魔法御殿』。

 そして天岩戸と部活動の集まりの『金の間』だ。

 翡翠(ジェード)を魔法処の中心に据え要石としてその周囲を七宝七珍に準え実際に建物に使われているモノを配置することで魔法的防御力を上げるある種の結界としている。

 多方面の分野に特化した施設は『七』という霊的魔法的に強力な数で護る事で只人の目を遠のかせている。

 さてそんな事はさて置き、私たちの目指す金の間は言うなれば──仏塔である。

 縦に伸びてそそり立つその姿はまさに仏塔。その地下には呪物の数々を納めた封印御所が居座っている。

 外面ばかり堂々と威張り散らしている金の間へと威風堂々と言った様子に押し入る私たちに等しく学びを授けその知識を広げるために切磋琢磨する若人たちの集い場は何とも荘厳な見た目であった。

 五重塔のように中身スカスカな事は一切なく螺旋状に上へ下へと広がっていた。

 中心の吹き抜けには重力に逆らったように上へと登る滝に、その中を鯉が上っていく。

 ここが金の間。生徒たちが倶楽部活動をするために据えられた学びの間、『鯉の上り回廊』だ。

 生徒たちの和気藹々と研究に耽り数多く行き交っているではないか。吹き抜けには遊び半分研究半分の箒性能の研究倶楽部が酷い剣幕を上げながら資料を散らし、別の部屋では奇妙な黄色の煙が上がりその部屋の中から文字通り()()()の生徒がタコのように這い出てくるではないか。

 無数の垂れ幕が垂れ下がって新入生たちの勧誘に余念のない倶楽部たちが目を楽しませてくれる。

 

「ようこそ。鯉の上り回廊へ」

 

 両手を広げて迎えてくれた綾瀬がまるで添乗員のように案内してくれる。

 各部研究に合わせた部屋を割り当てられているそうで、担任の先生に具体的な研究の申請を行えば部屋を『創って』くれるそうだ。

 綾瀬はまず自分の倶楽部、『白虎煉丹』を紹介してくれた。

 白虎煉丹の倶楽部部屋には西洋東洋南米印度と国問わず楽器が並んでいた。

 皆が思い思いに演奏に集中している中に、冗談みたいに長いラッパ(セウはブブゼラだという)を吹く部長が耳に着く音を鳴らしながらこちらを向くではないか。

 

「部長!」

 

「ブォオオオオオオオオオオ‼」

 

 演奏で応じる白虎煉丹の梶山喜次が口をそれから離す事無く応じるではないか。

 

「見学の人です。三年生の同級生の撫子ちゃんと、留学生のセウ君です」

 

「ブォオオ‼ ブォ‼ ブォオオオオオ‼」

 

 一時もそのラッパから口を話す事無くまるで御襁褓をしておしゃぶりから卒業できない赤子のようにそれを吹いて興奮気味の部長は鬱陶しいぐらいにラッパを吹いてみんなの注目を集めた。

 

「ブォオオ‼ ブォ‼ ブォブォ‼ ブォブォブォブォ‼ ブォオオオオオ‼」

 

「何言ってるのか分かんないっスよ部長」

 

 冷静なツッコみに興奮冷めやらない部長に、皆が不思議がったようにこちらを向いた。

 何とも興味深そうに手に持った楽器の演奏をやめてこちらを見ている。

 

「音楽魔術に興味があるのかい?」

 

 一人の上級生が聞いてくる。

 私はきっぱりと答えた。

 

「微分もないのだ!」

 

 セウは静かに。

 

「嗜むほどには」

 

 と、答え静かにほほ笑んだ。

 私の反応に皆がそうであろうと考えていたのか、やっぱりと言った様子で綾瀬も苦笑いだった。

 それもその筈で私は三年生の中でも三つの指に入る杖術の成績を誇っている。悔しい事だが一位は竜人で全学年の頂点だ。私はその座を虎視眈々と狙っている事で有名で、音楽魔術は二の次三の次だ。

 それを察しているのだろう皆が私には素っ気なく、セウにその上級学年生がバイオリンを渡した。

 

「下手糞でもいいよ。杖を使う要領で弾いてみてくれ」

 

「分かったよ!」

 

 セウはそう言い静かにバイオリンに頬を当て、落ち着いた様子で弾き始めた。

 才能か、何とも美しい音色か。タイニー司祭と比べても遜色ない位の大変美しい音であった。

 元来の激しさはなく、静謐な音色にみんな驚いた様子でその旋律に聞き入った。あれだけ五月蠅かった部長ですら静かにしていた。

 

「お聞き苦しい音色を聞いてくれてありがとう。ジュール・マスネでタイスの瞑想曲さ!」

 

「ブォオオオオオオオオオオ‼」

 

 耳を劈くようなブブゼラの音で飛び跳ねて喜んでいる。

 白虎煉丹の全員が驚いたように手を叩いて歓迎しているようだった。

 

「完璧じゃないか。これじゃ僕たちのお株がないね」

 

「ああ、すぐにでも入ってくれて構わないな」

 

 皆嬉しそうにそう言っていたが、セウは少し残念そうにバイオリンを返して言った。

 

「済まないが、僕は音楽魔術にはあまり興味がないんだ。本当に済まないね」

 

「いや、構わないさ。僕たちも新しい発見があった。日本人とは違う感性の違いって発見がね」

 

「ブォオオオ‼ ブブォブォオオオオオオオオオオ‼」

 

「部長うっさい‼」

 

 皆残念がった様子にセウを見送って次なる倶楽部を探し始めた。

 鯉の上り回廊を登りながら私はセウに聞いてみた。

 

「セウよ。主はどういった事をしたいのだ」

 

「そうだねぇ。何と言えばいいのか……血の研究と言えばいいのか」

 

「やはり吸血鬼は嫌か?」

 

「うん……エンジェルに出会えた奇蹟もあるが。やはり嫌な事は嫌だね」

 

「ふむ……」

 

 となればどういった倶楽部が良いだろうか。私はその辺が弱い所があり助言ができない。

 そんな中で綾瀬は陣営図を開いて見ながらその要望に合わせた倶楽部を一つ見つけ出した。

 

「ここなんてどうかな? オートマタ研究倶楽部」

 

「おーとまた?」

 

 私は素っ頓狂な応じる。

 オートマタ。人造人間、機械人形、西洋絡繰り人形を示す。

 無機物に命を吹き込むような魔法は存在している。しかしそれは紛い物の命であり実際の確証ある命とは言えず、その寿命も短命である。

 命とは何者か、命とは如何なるものか。

 そう言ったものを実際に人の雛形、即ちオートマタへと吹き込むために研究をしている倶楽部だそうだ。

 そのオートマタ研究倶楽部の部室の戸を叩き中へ入ると──。

 

「ロリ巨乳!? ロリが台無しだろうが!」

 

「何を言うか! ロリが巨乳だぞ! よく考えろ、幼気な幼女にあり得ない巨乳、この組み合わせは双方の利点を生かすベストマッチングだ!」

 

「眼鏡っ子の何がいいんだ!」

 

「憂いのある少女のどこがいい! 活発な子の方が可愛いに決まってる!」

 

「なんだと貴様ら‼ ならば戦争だ! 表に出ろ!」

 

 喧々諤々とよく分からない論争が繰り広げられているではないか。

 棚やテーブルに広げられた様々な人形のパーツやそれらを練り上げ造形している最中の粘土細工が捨て置かれ、部員たちは純血派と戦中派のいざこざよりも殺気立った様子で言い合いになっているではないか。

 よくよく飾られている人形たちを見れば、どれらも可憐な少女や妖艶な美女ばかりでそれらが作り手の望む通りの動きで私たちを誘っているように手招きしている。

 

「あの、見学いいですか!」

 

 綾瀬が恐る恐る聞くと。

 

「いいや駄目だ! 今は大切な話中だ! この話は決着を付けねば末代まで禍根となるだろう!」

 

 部長らしき人物は力ずよくそう言う。

 論争に加わらず脇で静かにドールの服を編んでいた部員に話を聞けば、何でも今部長が作っている人形のモチーフが幼女の胸を豊満にすると言うもので、それに反発した部員と言い争っているそうな。

 

「あの人たちの歪んだ性癖ですから。ほっといていいですよ」

 

「う、うむ。何とも歪んでおるな……」

 

「確かにね……日本語でこういった光景はどういうべきか」

 

「度し難いと言うのだ」

 

 言い合いを他所に私たちは部室の中をその生徒に案内してもらった。

 専門の器具というモノは特にといったモノはないが、様々な雛形を作る道具が取り揃えられている木を彫る槌や鑿、彫刻刀やデザインナイフ、鑢類に箆、裁縫道具など人形に関するモノなら全てと言っていいほど取り揃えていた。

 部室の中に小さな人形の飾り棚が所狭しといった具合だったが、奥の方に椅子に座った淑女がいるではないか、昼寝をしているようで今にも動き出しそうだがその寝息は聞こえない。

 人形だ。細部まで作り上げられた人形。

 瞼、肌の質感、髪の美しさから何から何まで丹精込められて作られた人形に私たち三人は少し見惚れてしまった。

 

「卒業生の未完成品ですよ。ほぼ完璧に近い人間の雛形です。材質も僕たちと同じですよ」

 

「ここは、命の研究をしているのだろう? なぜあのような度し難い性癖で言い争っておる」

 

「それはかなり前の話ですよ。僕たちは人形は人形だから崇高であり美しい愛でる対象であると結論付けました。今は人形制作倶楽部って言った方がいいですね」

 

「ロリ巨乳は最強だ!」

 

 奥で救いようのない変態性癖を声高に叫ぶ部長の姿が大変痛々しいと言える。

 ああも螺子くれた性癖を臆面もなく叫べるモノは勇者と呼ぶべきかそれとも愚か者と呼ぶべきか。

 それでもここにある人形作品たちはどれも卒業生や今ここにいる部員たちの作品である。どれも丹精込めて作っていることが見て取れる見事な作品だ。(性癖の有無を除けばだ)

 

「主はどのような物を作っているのだ?」

 

「僕はこの子です!」

 

 部員に自らの作品はどの子かと聞いてみると、素早く自らの娘を連れてきて披露してくるではないか。

 球体関節のシリコン製の人形で、魔法を掛けているのか儚げでまるで壊れ物のようにあぶなっかしい足取りで部員の元に近寄ってきた。

 

「見よこの美しき球体関節の美しさ、人間には醸し出せない被造物たる無機質さを! これぞ人形の美しさだ!」

 

 捲し立てるように饒舌に語り始める部員に私たち三人はどこか引き気味でそれを聞かされる。

 

「服も僕の手製、この子はまさしく僕の子だ! この美しい顎のラインそそられる、この純粋無垢な瞳の輝き、如何様にも僕色に染め上げられる純白のキャンバス。正しく人形の美点!」

 

「あー……そう、だね」

 

「他にも見てくれよ。この指の美しさときたら作った僕でも満足の更に上を──」

 

 自己賛美の果てに白熱する熱弁に私たちは呆気にとられ、もう私たちは眼中にないようであった。

 この者はこれ、他部員は性癖論争でやり合っているしもう見学どころではない。

 私たちはソッと部室を後にした。

 他の倶楽部を見て回るが中々にセウの琴線に合う倶楽部は中々に見当たらない。

 戦中派のクィディッチチームの壬生鴉を紹介してみるが、お国の違いからかクィディッチにはあまり興味がないようだ。

 黒魔術倶楽部や錬金術倶楽部、変わり種には蛹魔術研究倶楽部など様々なところを見て回ったが、しかしながらセウの求める『血』の研究とは縁通りモノばかりであった。

 大概回り上げた所で私たちは『地下倶楽部』というモノを耳にして興味をそそられた。

『地下倶楽部』。名の通り『金の間』鯉の上り回廊一階より下の地下に陣地を置いた人目に付かない少数派連中が倶楽部にも成れないに部員を抱えで燻っている。

 日の目を見ないマイナー倶楽部だが、そう言ったモノたちこそ特定の研究に傾倒していることが儘あるらしくセウの望む『血』の研究をしている所もあるかもしれない。

 そんなこんなで私たちは回廊を下り、地下倶楽部へと足を延ばしていた。

 

「何とも……まあ」

 

 一言でいうのなら──『様子がおかしい』。

 変人の部類の中でも少々様子のおかしい連中が屯しているではないか。

 郭公までとはいかないまでも、そこそこの変人奇人が地下には巣くっているようだ。

 

「代償魔法には興味ないかい? きみィ……」

 

「死霊魔術、ネクロノミコン、カタコンベぇ──」

 

「キヒヒ、ケヘへへっ!」

 

 様子のおかしい。おっかなびっくりとまではいかないまでもここまで気を確かに持たねば、憑りつて喰らう妖怪のような連中ばかりであることは分かる。

 私は胸を張って威嚇するように鼻息荒く、歩いて回る。

 しかし見学するまでもない。地下倶楽部、良からぬことを考えている連中はやはり暗闇を好む様で、地下の暗がりが住みよい様であり、外套(ローブ)の色は誰も彼もが白に近い連中ばかりであった。

 私たちはそんな中で特に浮いているようであった。

 私は蒲公英色、綾瀬は紅樺色でセウは編入仕立てでまだ桜色だがもう少しだけ色味を変えているように思える。

 薄気味悪い連中の部室を横目に見ながら進んで金の間の最奥、封印御所『天岩戸』まで来てしまった。

 ここまでくるともう人気もない。

 御所の扉から漏れ出る禍々しい気配ばかりで居心地悪く荒んだ空間にうんざりしそうだった。

 そんな時だった。

 

「うわっ! ビックリした……」

 

 天岩戸の隣にあった控室から生徒が飛び出してくるではないか。

 その生徒はどこか見覚えがあり、どこであったか思い出せなかった。

 それよりも少し驚いたのは、地下に居ながら外套(ローブ)の色は健全な濃紅であったのだから驚きだった。奇人変人の巣窟たる回廊地下でここまで正しい外套(ローブ)の色をしていると寧ろ警戒してしまう。

 

「なんだ……天狗の石槌か……驚かせるなよ」

 

「んん? どこぞ出逢ったか? 主はいったい誰だったか」

 

 その反応にガクッと肩を落とす彼はブツブツと陰鬱気に独り言ちる。

 

「あぁ……そうだよな。そうですよね……俺なんて影の薄い日陰部長だ」

 

「知り合い?」

 

「どこかであった気がするのだが思い出せぬ」

 

 綾瀬は私に聞いてくるが私もうんうんと唸って考えるが中々に思い出せない。

 セウは控室の横に立て掛けられた煤けた看板を手で払って眺めた。

 

「これはなんて読むんだい?」

 

「これは──」

 

 私はそれを読み上げた。日本魔法族亢進倶楽部と。



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日本魔法族亢進倶楽部

「まあ入れよ。お茶くらい出すぞ」

 

 日本魔法族亢進倶楽部の扉を開けたそいつは私たちを手招いた。

 私たちも天岩戸の漏れ出る邪気に嫌気がさしており、そそくさとその中に入った。

 そこに広がっていたのは──。

 

「──なんと」

 

 ゴミ屋敷とでも表現すればいいのか。この部屋は検知不可能拡大呪文を掛けられているのか異様に広大であった。そこはジメジメとしていて何より黴臭かった。

 ゴチャゴチャと紙資料が散乱し、とある一角では珍妙な生物の飼育ケージが立ち並んでいるし、天上から生え伸びた手製のパイプオルガンが逆さまに生えていた。

 あちこち棚が壁に天井に床に空中に、迷路のように乱立し、すぐ目に付いたテーブルには傍には何脚か椅子が奇跡的なバランス感覚で置かれていた。

 

「ああっ‼ バカ野郎! ストリーラーが逃げ出してるぞ!」

 

 悲鳴にも似た声を上げるそいつは地面に燻った焼け焦げた跡を踏んで消し小火を鎮火させた。

 というのもその小火の原因は焼けた跡を辿ればすぐに見つかった、握り拳大の美しい殻を背負ったカタツムリがヌメヌメと地面を這いずっているではないか。

 その這いずった跡はメラメラと焼け焦げ、普通のカタツムリではないのは確か。

 何よりその大きさは我々の知るところのカタツムリではない、殻もそう、黄緑色の殻が万華鏡のようにキラキラと色味を変え目に刺さるような紫色に変化していた。

 

「ごめーん! ちょっとそいつ捕まえてて部長!」

 

 どこかから声が聞こえてくる。

 ひょいっと飼育ゲージの森の中から顔を出した生徒がいた。

 楽しそうに笑顔で片手には茸のような、蛸のような触手を持った気味の悪い生き物を握っていた。

 

「俺に死ねってのか! ちゃんと管理しろよ!」

 

 そいつは杖を取り出してそのカタツムリを触れないように瓶に詰めてそいつに投げて渡す。

 カタツムリを入れた瓶がそちらへと落ちていく。投げて飛んでいくのではない、『落ちていく』。

 

「気を付けてくれ。ここは重力が均等じゃないから、下手したら頭から落ちることになる」

 

「そのようだな」

 

 棚に並ぶ本の向きで重力の方向を知る事が出来たが、珍妙な部屋であった。

 

「綾瀬、セウよ。気を付けよ。頭をぶつけるぞ」

 

「うん……」

 

「飛んだ方が楽だねこれは」

 

 私は綾瀬を転んでどこかに落ちて行かないように手を取りながら進み、セウはあちこちバラバラに向いた重力に楽しんだ様子で進んだ。

 テーブルに着いた私たちに、珈琲を振舞おうとその者が杖を一振りしてコーヒーカップが私たちの目の前に揃えた。

 

「このテーブルの周辺はきちんと下に重力があるから、安心していいよ」

 

「うむ、済まぬな。主は……ええっと……」

 

「マジで俺のこと忘れた感じ?」

 

「微分も思い出せないのだ」

 

 部長と思わしきその者が残念そうに大きなため息を付いて答えた。

 

「お前にエンマ荘の行き方を教えたろ? 探求派の四年生、国光大樹(くにみつだいき)だよ」

 

「んん……おお‼ 主であったか」

 

 ようやく思い出した。

 この者、私が入学しエンマ荘へと放逐されたその日にエンマ荘へと入る手順を聞き出した生徒ではないか。これといった特徴という特徴を思い起こさせないその雰囲気についぞ記憶の底から抜け落ちていたようだ。

 

「はァ、そうだよな。そうですよね。所詮俺は日陰部長の探求派の鼻つまみ者だ……」

 

 肩を落とすそいつに済まぬと謝って見るが、それよりも気になっていることがあった。

 この部室である。

 他の部室より広いし、何より妙に魔法が多く部屋に掛けられているようであった。

 重力の方向は滅茶苦茶。様々な道具や家具は整合性が一切取れてない。そして何よりゴミ屋敷と呼んで相応しい物の量であった。

 

「変な部室だろ。最下層部室だからな……天岩戸の隣だし『不浄』が集まりやすいんだ」

 

 大樹がそう言う。

 要するにだ、この部屋は『不浄』が多く集まるようで上の階から捨てられた色々なものを保管する為の部屋であったそうな。

 しかし天岩戸の隣にある部屋など誰も近寄ろうとせず、物だけがずっと溜まり続けこの有様なのだそうだ。

 

「大先輩たちの遺品だよ。これ見てみ? 大戦時の九九式短小銃だぜ」

 

 個人的な趣味の棚から小銃を取り出した大樹は自慢するように披露する。

 

「あそこにはゼロ戦の残骸もあるし、あそこの奥、今資料に埋もれてるけど回天も捨てられてる」

 

「ちょっとした……資料館だね」

 

 綾瀬は言葉を選んでそう言って見るが、バッサリと自ら己を切り捨てる大樹。

 

「ゴミ捨て場の間違いだろ? 資料にはなるけど何の役にも立たない」

 

 随分と辛辣な言い方で自らの部室を嘲笑する。私たちの心の中で思っている事をズッバっと言い放った。

 そんな中でダダダーンとパイプオルガンが音階を響かせた。

 ビックリしてそちらを見ると先ほど見た時にはいなかった部員と思わしき生徒がオルガンの前で座っているではないか。

 

「ちょっと静かにしてくれ高千帆!」

 

 またダダダーンとオルガンを弾いた彼はベートーヴェン「運命」を静かに弾き始めた。

 

「ああもう! 俺は部長だぞ! 何でみんな言う事を聞かないんだ!」

 

「あなたがの研究が無謀過ぎるからです」

 

 そう静かな声で言い放つ生徒がいた。

 存在感というモノが欠落した、オートマタ俱楽部で鎮座していた未完成品の人形のように詰めたな女子生徒が入口から入ってきた。

 その者は知っていた。殺生石の調査の時に世話になった。

 

「劉‼ 俺の研究のどこが無謀だ! 堅実的かつ現実的だ!」

 

「その研究の中に人心の有無が入っていたならばきっともっと違っている筈です」

 

 劉・娜(りゅう・な)。生徒の中では珍しく呪物に大変な興味を持って研究に当たっている生徒だった。この俱楽部に所属していたとは少々驚きだ。

 彼女は資料を横に落として棚の上をゴム毬の様に跳ねてテーブルに着いた。

 

「劉先輩ってここの倶楽部の人だったんですか?」

 

 綾瀬が聞くと、淡々と答える劉は極めて冷静に無感情的に答えた。

 

「間借りしているだけです。天岩戸の隣に私の研究室があった方が利便性がいいので」

 

「こ・こ・は! 日本魔法族亢進倶楽部だ! ヌメヌメジメジメした魔法生物の飼育小屋でもないし、勝手気ままに音楽弾いたり、呪いの品を研究する倶楽部でもない」

 

 バンバンと机を叩く大樹は嘆いて今にも頭の血管が切れそうであった。

 ()は至極冷静な様子で杖を振り、紅茶をカップに注いで静かに飲んだ。

 机の隣に置かれた、と言えばいいのか立て掛けられたとも見える黒板に日本魔法族亢進倶楽部と書かれたそれに私たちは首を捻った。

 日本魔法族亢進とはいったい何を目指して研究しているのか。

 白虎煉丹は音楽魔術を研究していた。オートマタ研究倶楽部は人形を作って研究していた。

 しかしこの倶楽部は何を研究しているのか部室を見たとしても察する事の出来ない。

 名前ですらそれを察するに無理解な私たちは疑問で疑問で仕方ない。

 

「お前らマジで研究する気あるのか。日本国魔法族の人口回復研究!」

 

 大声で喚く大樹に、部員と思われるモノたちから様々に答えた。

 

「ありません」

 

「あるわけなーい」

 

 ()と飼育エリアの女子生徒がそう答え、上のパイプオルガンの生徒はダダダーンっと鳴らして応えた。この様子では見んな大樹の研究を支持する気がないように見える。

 皆が皆、自由気ままに研究に花を咲かせているようであった。

 ボトリと大樹の目の前にまた、あの色鮮やかな殻を持つカタツムリが落ちてきた。

 

「ギャァ! 吉川(よしかわ)! いい加減にしろ! ストリーラーの管理きちんとしないと追い出すぞ!」

 

吉川(よしかわ)じゃない! 吉川(きっかわ)だ!」

 

 飼育エリアから顔を覗かした女子生徒がそう反論した。

 なにやら、ジメジメたこの湿度の原因はあのエリアにあるようで、私たちはじっとりと汗を滲ませ、私、綾瀬、セウは外套(ローブ)を自然と脱いでいた。脱がねばやってれない程の湿度だ。

 吉川(よしかわ)? 吉川(きっかわ)? 何方でもよいが何やら熱心にケージの中身にご執心の様で、時折気持ち悪い声が響き、上でパイプオルガンを弾いている高千帆と呼ばれた男子生徒はダダダーンっと鳴らすばかりで一言も話さなかった。

 あのケージはいったい何なのかと思い、私と綾瀬はそちらに足を向けた。

 無茶苦茶な重力の向きに七難八苦しながらそちらに赴くと、ジメジメと熱帯雨林かくやの湿気。

 ガラスケージの中には何やらジメジメヌメヌメとした生き物たちで犇めいており、生き物と称するにはあまりにも嫌悪感を掻き立てられる生き物ばかりを飼育しているではないか。

 

「なんとも気味の悪いモノを飼っておるのだな」

 

 私は思った事を素直に口に出してたら何とも尋常ではない睨みを利かせて説教口調で吉川は叫んだ。

 

「これのどこが気持ち悪いんだ! 可愛さしかないだろう!」

 

「そ、そうかなぁ……」

 

「健常者とは価値観が違うようだな」

 

 ケージの中にはトイレットペーパーの芯程の太さのある巨大ミミズがレタスを齧っているし、異様に大量に飼われたあの殻の色を虹色に変える巨大カタツムリがいる。

 ケージ周辺のあちこちに生えた菌類かも生き物かも定かではない動く物が繁殖していた。

 

「骨のある魔法生物のどこがいいんだか。ホークランプの生命力を見ろ! いやこれはちょっといき過ぎだな、これはなし修正で。──これを見ろ! このフロバ―ワームの骨がない故の可動域の多さ! 嫌悪感を通り越して哲学的な動き!」

 

 力説する骨のない魔法生物を見るじっとりとした吉川の目はうっとりとした表情に見えた。

 私たちはヘドロの底に迷い込んだのか。ここに住まう生き物たちはあまりにも湿気が多いいようで変な汗が背中を伝う。

 

「ああ! 俺の棚にまでこの気味の悪い茸が生えてきてるぞ!」

 

 下から大樹の悲鳴が聞こえ、大声で吉川が答えた。

 

「だから今駆除してんの! アンタらちょっと手伝って」

 

 ガスマスクに毒々しい液体が充填された霧吹きを渡してくる吉川はガスマスクを被って、気味の悪い茸にそれを吹きかけた。

 

「これこのストリーラーの毒液だから。あ、吸ったら即死だから気を付けてね」

 

 恐ろしいものをさも当然といった様子で手渡してくるあたり、この部室には法というモノが欠落しているようで、渋々と私たちは茸駆除を手伝う羽目になった。

 霧吹きを茸に掛けると断末魔とも取れる奇怪な音を鳴らして萎れていく。さあさあ茸の大虐殺だ。いったい何が楽しくてこんなことをしているのか。

 この毒液の有機物には有害なようで木製の棚は吹きかけた途端に火で炙ったように焼け焦げるわ、髪に飛べば燃え上がるわで、火事寸前の大変危険なやり方である。

 屋内で火を使うのは台所だけとこいつは知らないのかと正気を疑うが、これの駆除にはこの毒液が効率的だという吉川はガスマスクを外し歯の矯正器具を覗かせて笑った。

 いやそれどころではないだろうと心の中でツッコんでみるが、これの駆除法など知る由もない私たちは黙って猛毒を吹きかけて茸の大虐殺に興じる。

 そんな中で気色の悪い茸の森の中からヒュッと顔を覗かせる生き物がいた。

 蛇のようであるがしかしながら胴体が妙にずんぐりとした見た目。瞼がしっかりとありチーチーと鳴き歯並びの悪いすきっぱで大口を開けていた。

 こいつは知っている。ツチノコだ。

 只人の目にも多少触れ魔法省は奔走して大惨事とした奇妙奇天烈な魔法生物だった。

 

「ああ! そいつには掛けないで! 飼育対象だ」

 

 吉川は初々しくツチノコを手に持って首に巻き付けてポケットにれたスルメを与えていた。

 骨のない生き物にご執心の様子である吉川だが、読めてきた。こいつ気味の悪い生き物が大層好きなのだろう。脛こすりやパフスケインのような愛嬌のある生き物はどうでもいいようで普通ならば避けられる生き物を嬉々として好む手合いだ。

 魔法生物なら何でも好きな鴇野美奈子と似た手合いだが少々傾いているようである。

 手足がなく爬虫類とも軟体動物とも思えるそれを涎を垂らして喜ぶ吉川に辟易しながら私たちは、テーブルの方へ戻ると、セウはパイプオルガンに座り高千帆と共に連弾を楽しんでいるようであった。

 少々ここはごちゃごちゃとし過ぎている私は溜息を出された珈琲で呑み込んで息を付いた。

 

「留学生は妙に品種改良に興味があるみたいだな」

 

 彼ら二人の奏でるおどろおどろしい音色に拗ねたように唇を尖らせる大樹は杖を振りながら広大な部室を整理していた。

 

「己を変えたいのだそうだ。あの男は血の研究をしておるのか?」

 

「高千帆の家系は呪いを持ってるからな。神隠し会いやすいし何より短命で有名な家だから、自分でも嫌がってそう言った研究してんだ」

 

 人の悩みは千差万別、人がいればいるだけその種類は無数に多様化していく。

 しかしながら似たような悩みは抱く者もいる者だ。

 吸血鬼と呪われた家系の一員の連弾は正しくこの世を呪った様な怒りに満ちた音色であったがしかしながら同胞に巡り廻って出会えたことに歓喜しているような音でもあった。

 

「チクショウ! 一体お前たちは何のためにここにいるんだ! 俺の研究を手伝う為だろうが!」

 

 口々に全く違うと言う吉川と()に、高千帆とセウはダダダーンと旋律を鳴らした。

 

「これじゃあ顧問も付きやしねえ。正式な倶楽部にも昇格できないじゃないか……」

 

 涙声で喚く大樹に私たちは少々不憫に思って慰め、研究の内容を訊いてみると、()や高千帆吉川の無気力さが身に染みて分かるような内容であった。

 日本の魔法族の人口回復計画と称した誇大妄想じみた政策とでも言えばいいのか。

 どうすれば日本の魔法族が増えるのか、この逼迫した人口問題打開の具体的な内容であったが、無茶の過ぎる内容だった。

 エッチをすれば国より報奨金や、移民の動員など聞けば聞くほど頭の痛くなる内容だった。

 ()の言う通り大樹の考えには人間の感情という重要なピースが欠落していた。素人目でも分かる──無理の一言に尽きるばかりであった。

 必死になって部員になってくれと縋りついてくる上級生の儚さ、優しく言い過ぎた、哀れさは悲哀を誘うような見窄らしさであった。

 綾瀬は丁寧にもう別の倶楽部の部員であると断りを入れているが、私はいったいどうしようか。

 セウは共同研究の相手を見つけたが、私はいったい何がしたいのかよく分からなかった。

 何をしたいのか? 何をすべきなのか? 首を捻るばかり。

 戦中派の壬生鴉は良くしてくれるがどこか神輿のような扱いで担いでくるばかりでよそよそしいし居心地が悪い。

 ならば純血派? まさか、以ての外だ。ならば探求派? いまいちだ。

 直感としてあれがしたいこれがしたいといった欲求が出てこない。ただ知りたかったのは涅槃へと至る方法であった。

 

「んん……」

 

 唸って唸って腹の虫もいびきを立て始めていた。



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生ける経帷子

 不思議と、この部屋は居心地が良かった。

 金の間の最下層に位置する日本魔法族亢進倶楽部の部室にはごちゃごちゃとゴミとも取れる過去の遺物で埋没している風景に重力の方向が狂ったこの情景に、私は不思議と心地よさすら感じていた。

 それはなぜか、深く深くここに来てからずっと考えていた。

 ジメジメヌメヌメとした魔法生物がいるからか? それとも小うるさくダダダーンと音を鳴らすセウと高千帆の連弾の賜物か? 違う。

 皆が、私を特別扱いしないからだ。

 天狗という家系は否が応でも崇拝の対象になりえる。五十六大天狗の序列最下位になる者であっても常人にとっては天上人のそれである。

 そして私は五十六大天狗の序列一席の『石槌山法起坊』の娘だ。

 クラスメイトも最初は半信半疑だったが、私の羽根を見て見る目が変わった。そう、私を畏れたのだ。

 私の気分を害すれば殺されるかもしれないと勝手に悟って、おべっか使いの媚び諂い。

 そんな態度に私は心底嫌気がさしている。気兼ねなく接してくれればよかった、それが出来たのはほんの僅かな人間だけ、綾瀬、竜人、薫だけだった。

 全生徒が私に恐れをなした、張りぼての神輿を担いでいた。

 阿呆で、愚かで、見苦しい。そう口に出すだけでも皆卒倒するだろう。だから胸の奥に仕舞いこんで無理に納得していた。

 しかしここではどうだ。

 皆が、関係なかった。自分自身しか興味が無いようであった。

 大樹は自らの計画が成功すると言って憚らず高説を垂れ、高千帆は演奏をやめない。

 吉川は気色の悪い生き物に気持ちの悪い声で笑い、()は呪物研究にご執心だった。

 みんな自分の興味に心身を研ぎ澄ませ、それに向かって研鑽を積もうとしていた。私はそれに感銘を受けていた。

 他人を解さず、己を突き詰めていく様は天狗に通ずる。

 天狗の涅槃の道のりとは即ち自らを見つめて解脱を求めることと外ならず、この姿が真に涅槃への道のりと言えるのかと言えば結論としては違う。相反する両方の姿が混在してて目的もあやふやに自らが満たされていく様こそ混沌と言える。

 その混沌こそ私が真に欲した知的好奇心の源であり、研究という大義名分を背負ったごろ寝の様に他ならない。

 これぞ人間、これぞ力を欲する愚かしき全盛期の天狗の様の事この上ない。

 心地が良い、何とも居心地の良い部屋だろうか。

 エンマ荘の自室も過ごし易いが如何せん暇を持て余す、しかしここは学校、私の理解の外にいる生き物たちが混在する場所であるからに暇がない。

 

「吉川! いい加減にその気持ち悪い茸始末しろよ。こっちの食欲がなくなる」

 

「茸じゃねえし、菌類じゃねえし。無脊椎多触毛軟体タコ目だし」

 

「よく噛まずに言えますね」

 

 部室でワイワイと騒ぎながら、皆が用意していたのはなんと夕餉の準備であった。

 火気厳禁の鯉の上り回廊で炊き出しをやるのは一苦労であるが、しかしながら私たちは魔法使いだ。火を使わずに熱することなど容易で、水の満ちた鍋に杖をこつんと叩けばお湯が沸き、空を撫でれば一人でに包丁が振るわれ野菜を切る。

 エンマ荘の外での初めての夕餉はなんと──何の変哲もない牛丼であった。

 ここには何でもしてくれる山姥はいない、風呂もない。水は出るが炊事場のような利便性はない。

 ならばどうなるか。まさしく巷で言われ始めた路上生活者(ホームレス)のそれに似ている。

 ありあわせの道具に貧相な毛布に包まって皆、寝食を共にしていると言う。

 金のある部活は寝袋や豪勢な食事をしていると聞き及ぶが、しかしながらこの部活は底辺を走って恥じない極貧倶楽部、食材と毛布があるだけましなのだと言う。

 天井があり吉川の飼うヌメヌメジメジメとした生き物のおかげで寒さに震えないのでこれ幸いと皆が開放的であるのは気のせいか。

 外套(ローブ)など座布団のそれに代わって皆が硬い椅子のクッションにしている。

 何ともまあ、外套(ローブ)とて魔法処の魔法知識を集約して色彩大きさを自在に変える魔法が掛けられそれの色こそこの学校では発言力を持つのに、この者たちときたら座布団のそれと勘違いしているようであった。

 まさしく不届き、敬意とは何ぞやと寝転がって放屁する阿呆のそれだ。

 そんな不届き共の吹き溜まりで同じ飯を喰らう私も当然のように、不届き者である。

 釈迦に向かって唾を吐き正道を踏み外した天狗の一族だ。この程度がちょうど居心地の良いのだろう。

 黄色に黄ばんだプラスティックの丼に山のように注がれた米に牛丼の具を掛けその上からさらに汁をかけて丼の底が牛丼出汁で沈んでいる。

 この位がちょうどいい私はニッとセウに笑って見せる。セウも笑って使い慣れない箸を拙い手つきで使って牛丼を食べていた。

 極貧万歳。それでも私たちは生きている。

 ゴキブリ根性のことこの上ない意地汚さで、みんな食うことに必死になっている。

 何せこの夜の食事が、エンマ荘に帰らない生徒の一日での唯一の食事であり、昼の弁当も用意するに能のない家事能力皆無の連中ばかりで、試行錯誤の末に牛丼を作っているのだから正しくこれを食えていることが奇跡なのだ。

 

「まともに食えるモノを作れるって、魔法を使えるくらいに奇蹟だよな」

 

 大樹はそう言って憚らなかった。

 私はそこまでく詳しく本格的な料理は出来ないまでも父様(ととさま)に山中を連れ回され最低限の料理技術を持っている。

 しかしだ、ここにいる日本魔法族亢進倶楽部の連中ときたら料理の『り』の字も理解していなかった。

 大樹は火加減というモノを知らずとにかく食材を炭に変え、()は細かくやり過ぎて結局何を作りたかったのか分からなくなり、吉川は様々な食用に適しているのなのかも分からない魔法植物を投入しかけ、セウと高千帆は男子台所に入るべからずと亭主関白を決め込み頑なにパイプオルガンの前から動かなかった。

 結果としてこの牛丼の殆どを作ったのは私であったが、常識(まとも)を置き去ってきた者たちこそ魔法使いという特徴のそれに合致していると無理に理解しようと努めた。

 そうでなければこの者たち日頃いったい何を口にしているのか怪しくなる。

 そこらに生えている気味の悪いあの茸や、虫すら口にしている可能性もある。ゾッとする。

 

「石槌さんがこの倶楽部に入ってくれれば、食事には苦労しませんね」

 

 ()が静かにそう言って、吉川は大賛成と言って囃し立てた。

 目を輝かせて男子共もそう願っているように頷いている。

 そう煽てられると入ってやることもやぶさかではないが、しかしながら豚もおだてりゃ木に登る同じようにひと時の気持ちでここに居座るのはどうだろうか。

 よく考えろ、風呂もない、布団は粗末な毛布とハンモック、便所はあるが野クソ同然の汚い和式便所。

 

「ん?」

 

 よく考えれば考えるほど、父様(ととさま)に引きずり回された巡業に比べれば全然こっちの方がいいではないか。

 風呂がないのは当たり前だ、布団もない、野クソは当然。吹きさらしの山中で寝たて悪獣に怯えて火を絶やさないようにしたり、寒さに震える事もない。

 天と地の差があった。

 地を這う様な地獄を知っているとどれだけ極貧の生活を目にしてもマシに見えてしまうのが弊害か。

 エンマ荘の最上の極楽に比べれば確かに差があるが、しかしながらここは巡業のそれと比べれば過分に良い。

 どうしたものか、これはまったく以て由々しき事態だ。

 私としても部活という未知の行動に興味を抱くが己のやりたいことを今一に理解していない。

 魔法の研究も大事だが、天狗本来の涅槃への試みも試さなくてはならない。

 

「んんっ! 自由最高!」

 

 吉川はそう言って牛丼を胃に流し込んで大欠伸をする。

 食って寝るばかりの彼女は健康優良な子供であることは言うまでもないが、確かにこの時間帯、体内時間でもう夜中に差し掛かっていることも考えれば確かに眠たくなる時間帯だった。

 皆が早々に餓鬼の如く牛丼を貪って食う姿は哀れで惨めであったが、そんな事はさて置き洗い物も部室の端に追いやって皆が寝支度を始めていた。

 それぞれがそれぞれに、自分の定置のハンモックを吊るした中に潜り込んで行った。

 照明も落とされ私とセウに雑に渡された布切れで好きな場所に寝床を作れと言う大樹に、え? と聞き直そうとするが瞬く間にいびきを掻き始めて話にならない。

 私とセウは顔を見合わせて手頃な場所を見繕おうと四苦八苦する、それもその筈で重力の位置がバラバラである為にどっちに向いて寝るのかも定かではない。

 寝返りを打って床や壁、天井に激突する危険性もあるし慎重に寝場所を探し回った。

 セウは板張りの戸棚の隙間が気に入ったらしくそこに寝入り、私はくしゃくしゃの古紙のゴミ山を陣取った。

 布切れを敷いて、寝転がれば不思議とそこは極楽。いつでも瞬時に眠れそうであった。

 うつらうつらと現と夢を行ったり来たり。

 今日は実りのある一日であったと心の中からそう思い意識を手放そうとした時だった。

 かさかさと足元の方で音が聞こえるではないか。

 何の音かと思いながら寝返りを打つとまたかさかさと音が聞こえる。

 古紙の擦れる音だろうとそう思い薄目を開けて何事かと周囲を見渡すと、薄暗い部室の中でたった一つ机の上に置かれたカンテラの光で淡く周囲を照らしている部室の中でちらりと妙なものが見えた。

 気のせいだと思い私は目を閉じて寝返りを再度打つ。

 

「んー」

 

 蒸し暑いせいか、寝苦しい。

 真夏の夜の中で寝ているようで蚊が飛んでこないか少し心配になってくるが、それ以上のものが実際は足先まで来ていた。

 足先が冷たい。ひんやりとして気持ちいと思った時だった。

 体全体に重みを感じて私は跳ね起きた。その瞬間、目の前が一瞬にして黒く染まった。

 何かが私の体の全部に絡まって来ているようで身動きが取れない。

 その何かが私の顔の穴という穴を塞いで息が出来ない。まるで濡れタオルでも押し付けられているかのように冷たくそして生々しいほどの瑞々しい布のような感触に、悲鳴が漏れそうになった。

 しかし口を開けば、それが押し入って来て悲鳴も出ない。

 体を振るわせて振り解こうとしても無駄だった。

 なんだ、何が起こっている。それすらも理解できない。

 その瞬間だった。

 

守護霊よ来たれ(エクスペクト・パトローナム)!」

 

 白銀の閃光が私の視界を支配して、それが引き剥がされた。

 何事かと皆が飛び起きて、カンテラの光が一斉に私を照らし出した。

 スルスルと空を舞うそれは黒い布のようなモノと、白銀の九尾の狐が空中で戦っているではないか。

 黒く禍々しい布は私はすぐに理解できたあまり宜しくないモノで私を襲った物であると、物というより生き物の様で自在にその布状の体をくねらせている。

 対する白銀の九尾の狐は明らかに魔法であった。しかも相当に高度な魔法だ。

 今迄あのような美しい魔法は見た事がない。命を持ったように黒い布を打ち負かし、どこかへ誘導しているようで、誘導先には。

 

「たく……どこから湧いて出たんだか……」

 

 竜人がいた。

 白銀の九尾の狐が黒い布を鉄製の箱に押し込んで、バンっと力強く閉めた竜人は素早くその箱を施錠した。

 何が何やら混乱で頭の中がグチャグチャだった。

 黒い布の事もそうだし、あの九尾の狐も、竜人がこの場にいる事も。

 

「無事か」

 

 ぶっきらぼうにそう聞いてくる竜人にポカンとした私は首だけ縦に振って答えた。

 

「レシフォールド。“生ける経帷子”とかって呼ばれる危険な肉食魔法生物だ」

 

「おいなんだ! 俺の部室で何暴れてやがる!」

 

 大樹は寝ぼけ眼で寝袋から這い出てきて足取りがおぼついていない。

 皆唐突に起こった事態に何事かと顔を覗かせている。

 私もそのことに関しては、当事者でる竜人に詳しく聞きたかった。

 いや、問い詰めたかった。

 竜人はガタガタと暴れる箱を抱えて、素知らぬ顔であった。

 

「いないはずの、危険な魔法生物が入り込んでたのを見つけたんだ」

 

「それでなんでこの部室なのだ?」

 

「レシフォールドは僅かな隙間でがあればどこにでも入り込める。第一にレシフォールドは闇に属する魔法生物だ。『不浄』が、穢れや澱みの集まりやすい天岩戸の隣の部屋出るここに吸い寄せられたんだろうよ」

 

「それでなぜ私が襲われるのだ」

 

「それこそレシフォールドの気分次第だ。手頃な位置で寝てたお前が悪い」

 

 箱を背負ってぶっきら棒に言う竜人はどこか焦った様子であった。

 白銀の九尾の狐が竜人の隣に座って、コーンと一鳴きした様子で霧の霞の如く霧散していった。

 何と美しい魔法か。襲われた恐怖よりもその美麗さに心を奪われた私はそちらに惚けていた。

 部室を出て行った竜人の残した奇妙な空気感に皆が恐れるように、困惑したようにまた眠りについた。

 レシフォールド、白銀の九尾の狐。今宵は様々な事が起き過ぎだ。

 私もまた床についたときには手早くその意識を手放していた。



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守護霊

バクシンバクシンバクシンシンシン!
ウマ娘たのちい……手が付かななくて一苦労です。


「由々しきことである。闇の生物が学校内に持ち込まれた」

 

 初めて学校で宿泊した翌日に、翡翠魔法御殿で急遽の全校集会が行われた。

 その内容は言わずもがな。昨夜私がレシフォールドなる布のような魔法生物に襲われたことに起因していた。

 

「再三言っておるが決して闇の魔法が一概にがいであるとは言わん。しかし道徳や理性を失ってまで得るべき知識程に害になる物はない。そこまでして手に入れるべき知識は最早知識とは呼べず、『怨嗟』となり得よう」

 

 壇上に立った団芝三の深刻めいた語り口に皆が不安に駆られていた。

 日頃から闇の魔術でも使いようによっては益あるものと言って憚らない団芝三が、ここまで深刻に忠告するのだからその説得力は一塩に重く圧し掛かってくる。

 私はこの件に関して言えば被害者の立場であって、その言葉の重みは当事者たちに深く圧し掛かってくることだろうと、ざまあ見ろと言ってやりたいがしかしながらその当の犯人は名乗り出ていないのが現状であった。

 第一にだ、あの闇の生物をどのようにして手に入れたのかそれが気掛かりであった。

 闇に属する生物は多かれ少なかれ危険な地域や生態を持っている為に、捕獲もままならず欲を掻けばむしろ取って食われる可能性がある。

 魔法省分類に依れば(ドラゴン)等の大型魔法生物は危険度『XXXXX(ファイブ・エックス)』、どんな魔法使いでも飼いならす事が出来ず曰く『魔法使い殺し』の名を欲しいままにしていると言う。

 あの闇の魔法生物のレシフォールドももしやXXXXX(ファイブ・エックス)級の怪物であったのではなかろうか。

 危険度XXX(スリー・エックス)XXXX(フォー・エックス)級などの魔法生物は魔法動物兼魔法理論の鴇野美奈子が多く飼育しているし、何なら選択科目教諭の一人は授業中も常に天馬(ウィングド・ホース)に騎乗して教鞭をとっている事で一部生徒には大変有名で、XXX(スリー・エックス)XXXX(フォー・エックス)などは正直なところ、魔法処生徒は見慣れていると言っていいだろう。

 しかしXXXXX(ファイブ・エックス)となれば話は別だ。

 魔法生物にご執心の美奈子ですら「飼いならすことは無理である」と匙を投げ、魔法生物学で有名なニュート・スキャマンダーですら近寄る事ならずと書き記しているくらいだ。

 ともあれ、この事態はあの阿呆校長である団芝三も重く受け止めたらしくこうして全校集会を行っているのだ。

 

「知識の質を問え、正道より外れし知識程我々の繁栄と更なる探求の妨げになる者程なかろうて。……このところ、禁書の棚の書物が貸し出し期限を守らぬものも居るようだし、その事をしっかりと心に刻んでおくことだ」

 

 これ可笑しと言うように鼻を文字通り伸ばして笑う団芝三。

 その鼻が示した先にいたのは生徒の最後方で待機している教師陣の中で顔を真っ赤にして今にも破裂せんばかりに赤らんだ顔をしていた郭公であった。

 我らが三学年生の学級担任であり、何を隠そうしゃこの図書館で『禁書の棚』と呼ばれる闇の魔法などを記した怪しげな書物の管理をしている。

 一・二学年生は禁書の棚の貸し出しは禁止されているが、三学年生より郭公の許可があれが貸し出しが可能になるのだ。

 その事もあり竜人は頻繁に禁書の棚の書物を読み漁っており、このところ姿を見れば何やら古臭い襤褸の洋書を読んでいる。しかも、その書物ときたら良からぬ気配を感じるのだから、それは間違いなく禁書の棚より貸し出されたモノであることは疑いようもない。

 しかしながらあの規則に小五月蠅い竜人が貸し出しの期間を守らないことなどあり得るのだろうか。

 

「禁書の棚の管理は田路村先生の管轄だ。努々知識に捕り殺されぬよう肝に銘じておくように」

 

 そう言い団芝三は話を締めくくって、この全校集会が終わった。

 

 

 

 

 

「竜人よ!」

 

「なんだ天狗娘……」

 

 昼時の休みに、中庭の大捻じれ松の元で私は竜人を問い詰める気でいた。

 松の上に陣取った竜人に下から見上げるなど言語道断と私は節操なく羽根を広げて飛んで見下す様に睨みつけるが、大捻じれ松のトゲトゲとした葉にチクチクと体を刺されるために仕方なしに同じ目線で声を掛けていた。

 

「昨晩の事、話してもらうぞ!」

 

 レシフォールドの唐突な襲撃、そしてその撃退を果たした魔法の正体。聞きたいことはほかにも多くあった。

 竜人は白々しくデカい洋書の本から目線をチラリとこちらに向けてすぐに元に戻した

 

「腹出して寝てた馬鹿な天狗にちょうどいい死に装束が寄って来ただけだ」

 

「腹など出しておらん! 話をはぐらかすでない。主は何故にあの場にいた、何故にあれの撃退方法を知っていたのだ! と言うより主は──」

 

「一度に幾つも質問しないでくれるか。内容が取っ散らかって仕方がない。……はァ、で何が聞きたいんだ。()()()()言え」

 

 バタンと本を閉じた竜人が面倒だといった様子でこちらを素直に応じてくるので私は少し面食らった。

 大抵の場合竜人はこういった場面で話題を躱して流してしまうのだが、こうも素直に応じると気味が悪いほど喉の詰まりが無いようですぐに応答するからに私としてもどれから聞けばいいか迷ってしまう。

 うむ、まずは……どうしてあの場にいたのかを聞くべきだろう。

 私は何処から日本魔法族亢進倶楽部の部室に現れたのかを聞いた。

 そんな事かと拍子抜けした様子でさっと竜人は答えた。

 

「お前は知らないようだがなこの学校は過去に在籍していた学生の手で地図にも載ってないような作られた道が無数にある。あの部室にはしゃこの図書館に直通している隠し通路があって俺はよくそこを利用して図書館に入り込んでいる」

 

「何故表から堂々と出入りせんのだ。二年前の珊瑚の宮じゃぁあるまいし、探求派は寛容であろうが」

 

「お前の目は節穴か? 俺が今持っている本の出所が分からないのか?」

 

 表紙を叩いてよく見ろと言わんばかりに本の存在を主張する竜人。

 主張せずとも、言われずとも見れば分かる。『禁書の棚』の一冊だ。その禍々しい気配から間違いないだろう。

 得意気に鼻笑いで応じる竜人だが私は意味が分からなかった。何故に禁書の棚の書籍が部室の隠し通路の利用になるのかまったく以て分からない。

 そんな様子に竜人は溜息を付いて答えを言った。

 

「貸し出し利用の誓約書に俺は名前を書いていない」

 

「と、と言う事はそれは無断貸し出しというのか!」

 

「声がデカい! ……まぁそう言う事だ。貸し出しと言っても誓約書の魔法契約のせいで図書館から持ち出せないからな。名前を貸さずに持ち出すにはあの通路がちょうどいいんだ」

 

 禁書を無断持ち出しをするとは肝が据わっていると言うか、無謀と言うか。

 竜人は他人に厳しく自分に大変甘いようで他人に規則規則と五月蠅いのに自分は規則を破り放題だ。

 優等生で通っているからにちょっとした悪さも怖くないようで、本来ならば停学ものの規則破りだ。

 表紙を優しい手つきで撫でる竜人。タイトルは『Liber Ivoris』。直訳で象牙の書と読むのだろうか、少なくとも日本語で書かれている書物ではないのは確かだ。

 

「理由は分かったろう。……質問はそれで終わりか?」

 

「ん? いや、いやまだだ。何故主はあのレシフォールドの撃退法を知っていたのだ」

 

 私の質問に小馬鹿にしたように見下し笑いを浮かべ顎を突き出して竜人は答えた。

 

「それこそお前の不勉強の賜物だろうが。『幻の動物とその生息地』にレシフォールドの生態と撃退法がしっかりと記載されている」

 

「そ、そうなのか?」

 

『幻の動物とその生息地』は魔法動物学の指定教科書であり、私は背負った手提げからそれを引っ張り出して探し上げた。

 しかしすぐに見つからず、竜人は頭を抱えながら頁を言った。

 

「七六から七八頁だ。レシフォールドの生態と撃退法が記載されている」

 

「おぉ、確かに」

 

 レシフォールドの姿形から何から何まで昨晩のそれと合致している。

 撃退法……守護霊の呪文(パトローナム・チャーム)? 。

 はてそんな呪文は我々三学年生の授業で習っただろうか。少なくとも私の覚えの中ではない。

 拳骨暴力教師こと秋形鬼灯の杖術や防衛術の立木香美乃の授業では教えられていない呪文だ。

 教科書ミランダ・ゴズホーク著の『基本呪文集』をどれだけ捲って探してみても守護霊の呪文という項目は見つける事が出来なかった。

 

「それには載ってない。当然だ、必要のない呪文だからな」

 

 杖を取り出した竜人は静かに呪文を唱えて披露して見せる。

 

守護霊よ来たれ(エクスペクト・パトローナム)

 

 杖の先より白銀の煙が靄の様に噴出し姿を徐々に現してくる。

 それはそれは美しい九の尾を持つ銀狐。気取ったようにフイっとそっぽを向いて空を踊るように駆け、大捻じれ松の天辺で腰を落ち着かせた。

 見事なもので、その魔法に感じられる気配はまるで幸福の塊のような印象で見ていて心が満たされるようであった。

 

「どうやるのだ! 教えるのだ!」

 

「自分で勝手に調べてやれよ。学生だろ」

 

 くるりと体をずらして松の木より飛び降りた竜人はええかっこしい歩き方でその場から消えさった。

 私はふわりと消える九尾の銀狐を睨み見続け松の木に降りて自らの杖を取り出して空を見つめて考える。竜人の奴にも出来たのだ、私に出来ない謂れはない。

 私は杖を力強く握って唱えた。

 

守護霊よ来たれ(エクスペクト・パトローナム)!」

 

 次の瞬間私は爆炎に巻き込まれ気絶していた。

 

 

 

 

 

「……いつ見ても煽情的な翼だねぇ。……捥げたならホルマリンに漬けてずっと飾っておきたいくらいだ」

 

 医務室に担ぎ込まれた私は『浮かぶ教師』こと村崎野治の治療を受けていた。

 顔中にべったりと塗られた青魚の腐ったような軟膏で鼻が曲がりそうになり、しかめっ面で辺りを見渡していた。

 場所は銀の間の野治の医務室兼私室の部屋で薬品臭いやらで嗅覚がどうにかしてしまいそうだった。

 

「この臭いのはなんなのだ……」

 

 私は渋い顔で現状を野治に問いかけると、浮かんだまま野治はゆっくりとこちを向いた。

 薄暗い笑みで、見ているこっちが鬱になりそうなほど精気がない笑顔をこの私に向けるとは何事かと言いたいが、現状の訳が分からなかった。

 何せ顔のくっさい軟膏もそうだが、着ていた制服も剥ぎ取られ着せられているのはブカブカの病衣であった。

 

「……吹き飛んだんだよ、君。……覚えていないかい? 中庭の松の木で大爆発さ」

 

 野治が燃えカスになった制服をゴミ箱に放り込みながら答えた。

 

「……変な魔法使ったんだろう? 爆発する様なスペルの呪文なんて限られてるし……あれだけの火力……ヒヒッ。……なんで死ななかったの?」

 

「……私が知りたいのだ」

 

 記憶が少しずつだが思い出してきた。

 そうだ。私は竜人が使った守護霊の呪文(パトローナム・チャーム)を使ったのだ。

 しかし結果的に私が使った瞬間に私の杖から冗談にならない火力の大爆発が発生して至近距離で私はその炎を浴びてしまったのだ。

 

「……そろそろ軟膏を塗り替えないとね……あぁ自分で拭わないで、皮膚がずるずるになるよ」

 

 優しい手つきで私の顔からくっさい軟膏を取って新鮮なくっさい匂いの軟膏を漆喰を塗るが如く私の顔に塗りたくる野治はどこか楽しそうであった。

 職務放棄をしている事で有名な野治だがこれでも優秀な癒者でありこの魔法薬も後々聞けば野治の作った強力な火傷薬でありものの三時間でつるつるの赤ん坊のようなお肌に様変わりだ。

 そんな風変わりなと言うより、変わり者の野治聞くのも少々お門違いと重々承知しているが、質問してみたくて仕方がなく訊いてみた。

 

「野治よ。質問良いか?」

 

「……うん、いいとも」

 

 私はここに運ばれることとなった経緯とその主原因となった呪文について話した。

 

「守護霊の呪文というモノを知っているか?」

 

「……守護霊の……あぁ知っているとも。僕たち教員の中でも使える人間は半分いれば良い位の高度な呪文だね」

 

 気色の悪い笑顔でそう言う野治は杖を取り出して徐に唱えた。

 

守護霊よ来たれ(エクスペクト・パトローナム)

 

 フワッと銀色の靄が現れ、小さな小さなビリーウィグの群れが形を成して辺りを舞った。

 竜人が使った守護霊の呪文と同じ、そして私が大爆発させた呪文と全く同じ発音(スペル)であった。

 

「ど、どうやってそれを使ったのだ?」

 

「……今の君には必要じゃないよ。だってこれ、普通の魔法使いだと本来だと使用する場面がない」

 

「しかし、竜人は使っておったぞ! あの布切れの生き物、レシフォールドとか言ったか。あれを退けるにはその呪文が必要のだろう?」

 

 目をぱちくりさせて驚いている野治がゆらゆらとこちらへ近づいてくる。

 その顔はまるで豆鉄砲を喰らった鳩の様に面食らっているではないか。レシフォールドという単語に、そして今朝の全校集会の裏側で起こった出来事の全てを知っていると野治は悟ったのだろう、少しだけ考え込んだ様子で、そして聞いてくる。

 

「……君はぁ、パトローナムを使ったのかい?」

 

「無論だ。使ってこうなっておる」

 

 この生臭い軟膏塗れに誰が好き好んでなりたいか。私はご免被りたいが、パトローナムを使って大爆発など信じられないといった様子で野治は首を捻って提案してくる。

 

「……選択授業で錬金術を受講してはどうかな。あの先生なら杖についても詳しいはずだ」



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錬金術

 翌日の選択授業の時間で私は錬金術の授業を受講していた。

 玻璃の天文台の最も奥に錬金術の教室はあり、そしてその内観を端的に言うと。

 研究室にもなりえない落書き絵画だらけの部屋であった。

 錬金術教諭の私室も兼ねている筈だが、寝泊まりするにはあまりにも人の住んでいる気配がしない。

 ただ手入れだけは細かく行き届いていて埃の一つも見当たらない。

 研究に必要なフラスコやら奇妙な形をした蒸留器。何に使うのか分からない奇天烈な形をした瓶などすべて新品の様に綺麗に磨き上げられていた。

 そんな部屋の中では一際に目を引いたのは天井に吊り下げられた西瓜玉ほどもある巨大な磨き上げられた金剛石群であった。

 幾つものバカでかい金剛石が一つ一つ作品の様に飾られ、僅かに入ってくる日光を様々な輝きを放って教室を照らし上げていた。

 錬金術──それ即ち現代魔法世界の中で最も只人の世に近づき、そして遠くに位置する、完全な魔法とも言えない奇妙な学問。

 杖を振って何かを成すのでなく、フラスコの中で煮立ち、そしてその残った淀みの中より至宝を生み出す学問。

 曰く起源を辿れば錬金術の発祥は魔法史と同じ同時期に生じた学問であり、あらゆる物質を『完全』な物質を錬成するのだと言う。

『完全』とはこれ如何に。不壊ということか、もっと別の『完全』を目指しているのだろうか。

 さぞ高尚な学問であろうと思われるが正直なところ私は杖を振る魔法で手いっぱいだ。これ以上何かと睨めっこするほど酔狂な熱心さは持ちえていない。

 魔法を学ぶのも本来の目的からは大きく外れた小事であり、涅槃とはまったく以て関わっているのかも不明である。

 近づきもせず、遠ざかりもせず、あるのは日々の時を淡々と少していると言う事実だけ。

 そんな中で私の小さな問題である、守護霊を呼び出せない事態に微かな違和感と引っ掛かりを覚え、野治に相談し出てきた答えは、錬金術の受講であった。

 何の事はないただの授業だ。私の求める答えを応える教師であれば今後も錬金術の授業を受講するのもやぶさかではないが、答えられなければそこまでだ。

 閑古鳥の鳴いた不人気授業なのだろうか、受講している生徒は私含めて十人いれば良い方で、空いた席が物悲しく伽藍とした印象を与える。

 そんな中で遂に現れた。この錬金術の授業を受け持った教諭が。

 

「皆様、楽に」

 

 甲高い声で紳士っぽく喋る声を聞き私たちは振り返ると──時が止まってしまうようであった。

 悪目立ちしようかと思っているのか。真っ青な中世ヨーロッパの貴族かと思わせる真っ青な宮廷服。

 洋袴(ズボン)はピッチりと下半身の輪郭が浮き出たクリーム色、そして冗談みたいに分厚い底をした木製の靴を履いている。

 頭髪は衣服以上に更にふざけている。

 頭を二倍三倍に大きく見せる鳴門海峡もびっくりの渦を巻いたその髪が頭を飾っていた。

 こんな見た目で市中を歩けば奇人変人と言われて仕方がないと言う見た目で、郭公の病的な溢れ出る狂気の雰囲気とはまた別種の奇人であった。

 唯一の私たちの共通点と言えば小さく飾りの様に外套(ローブ)を腰に括っているだけであり、それ以外はまさしく時代錯誤というより、時代に完全に逆行した流行衣裳であった。

 後生大事に片手に抱えた硝子製の鳥籠には拳ほどもある七色に光る宝石が収められ面妖な光を放っていた。

 そのふざけた見た目の教諭は明らかに日本人とは違い、鼻が高く彫りの深い東洋の顔つきであったがその口から紡ぎ出される言葉は雄弁に語った。

 

「時代が流れて幾久しく、錬金術と呼ばれる魔術は正に風前の灯火。このように現代技術が日進月歩の驀進を果たし広義的にあらゆる物質を創造する錬金術は狭義的にたった一つの目標の元に日夜研究が続けられている。──さて挨拶がまだだった。ようこそ私の錬金術教室へ、私はサンジェルミ。ここ魔法処に措いては錬金術兼音楽魔術教諭を請け負っている」

 

 紳士的に一礼したが、その奇天烈な見た目と懸け離れた理性的な語り口。見た目と精神的雰囲気の乖離の激しさに生徒の皆が面食らっている様子であった。

 一人の生徒が手を上げた。

 それに反応したサンジェルミは健やかな笑顔で質問を受けた。

 

「あの……サンジェルミって……あのサンジェルミですか?」

 

「君の言うサンジェルミが一体何を示しているのか私には分からないが、私のサンジェルミと言う名前に覚えがあるのならそうであると言っておこう。そう、私がサンジェルミ。サンジェルマン伯爵と昔は名乗っていたよ。そうだね、230年前の頃だね」

 

 口あんぐりといった様子でその生徒はポカンとしていた。

 私はその意味が分からなかった。

 錬金術に措いてのまさしくパイオニアにして開拓者として名を馳せるニコラス・フラメル、生命の錬成に成功した錬金術の革命家のパラケルススのように燦然とその錬金術史の中に名を刻む著名な人物とは誰だ。錬金術師の始祖トリスメギストスか? それとも近代歴史に名を打ち立てたアイザック・ニュートンか? 。

 いいや、今この目の前にいる教諭こそ存命している生ける伝説と呼ぶに相応しい。

 サンジェルミ伯、またの名を『サンジェルマン伯爵』。

 曰く、西暦以前にその生を受け神秘の業である錬金術を用い秘薬を錬成し永遠を手に入れた男であり西洋歴史の中で幾度か姿を現し幾多の逸話を残して姿を消し、最後に確認された所在は1937年から1945年の日中戦争の最中であったと言う。

 正しく錬金術史魔法史の中で一際異彩を放つ異端児。

 そんな異端児がここ魔法処に居を構えているなど誰が想像し得ようか。

 私は錬金術に全くと言っていいほど興味がなかったが、僅かにでも錬金術の知識のある他の生徒たちはまさしく肝を握り潰されたように青ざめた顔をして幽霊でも見るようにサンジェルミを見ていた。

 

「質問は以上かね? 何でも聞いてくれ給え。この限られた最初の授業の僅かな自己紹介タイムだ、君たち有限の時間を生きるモノたちにとって有意義な時間と自負している」

 

 自己の評価が非常に高いのだろう。

 サンジェルミは生徒たちから更なる質問を引き出そうとして見せる。

 すると静々と手を上げる先ほどとは別の生徒にサンジェルミは当てて質問を聞いた。

 

「あ……あの、錬金術って私そこまで詳しくないんですが、研究に終着点が『賢者の石』の錬成でその先はあるのでしょうか」

 

 その質問にサンジェルミは健やかに微笑んで答えた。

 

「錬金術という学問は人それぞれの目標によるところが大きい。君が錬金術の終着地点が『賢者の石』の錬成であると思うのならばそこまでだ。しかしながら世界は完全物質を以てしても触れる事の儘ならない事象も存在する。今この場に流れる時の流れも、命の形も、そして生命の創製も。フラメル君には悪いが私の錬金術の観念からすれば『賢者の石』は完全に近いが完璧とはとは言い難い。むしろ空気や我々の思念こそ錬金術の探求には必要不可欠なものであり、たゆまぬ努力と僅かながらの発想こそ我々錬金術師に必要なものなのだよ」

 

 まるで哲学者のような言い方だった。

 完全ではあるが完璧ではない、たゆまぬ努力と僅かな発想。高説垂れる坊主の様で虫唾が走りそうだ。

 元来天狗の性根は根っこから天邪鬼、我の強い我らにこういった人柄の人間とは肌色が合わない。

 そんな事もあってどうにもサンジェルミの語り口には何やら背筋を伝う鳥肌のような感覚が這い上ってこそばゆい。

 

「さて、そろそろ時間だ。授業を始めよう。リドル君、蒸留器を皆様に」

 

 そう言い手を叩いたサンジェルミに応じた補助教諭が颯爽と現れ、蒸留器を私たちの前に置いた。

 

「さあ、皆様。栄光の道筋を作り出そう、これが君たちの第一歩だ」

 

 

 

 

 

 何とも楽しい授業だったか。

 私たちは初めて錬金術の業で錬成したのは水晶だった。

 高圧力炉蒸留器によって劈開も縦一列の自然界では絶対に生まれえない魔法の鉱物。

 大概の時間は材料となる物を蒸留機に投げ入れ火を焚いて待つだけなのだが、待つ間に補助教諭やサンジェルミの小話は大変愉快なものであった。

 イエスキリストは大変冗談の巧い人間であったとサンジェルミは語りはまるで見て来たかのようにいい、補助教諭のトム・リドルと言う青年は実用的な呪文などの話で皆を沸かせていた。

 私たちが錬成した水晶はサンジェルミの戸棚に飾られ数多の生徒たちの中に混じる凡庸な一作品とサンジェルミは言い嬉しそうであった。

 そうして錬金術の授業は終わり、生徒たちが教室を後にする中で私は一人教室に残って飾られている絵画を眺めながらサンジェルミの暇を探して待っていた。

 美しい絵画だった。女性が一人草原の中で椅子に座ってこちらに微笑んで手を振っている。

 私はそれに手を振り返すと彼女は嬉しそうに笑っていた。

 

「何か質問でもあるのかな?」

 

 ふと声を掛けてくる補助教諭のトム・リドルに私はそちらを向いた。

 この男は奇妙だ。

 なかなかの美男子である男であるが、肌色は悪くどこか死体を思わせるほど青白い。吐く息もどこか冷たく人間性がどこか欠けているように感じるのは気のせいか、そしてこの感覚いずこかで相当遠くない最近の頃に感じた感覚であったが思い出せなかった。

 私はそんな奇妙な違和感を感じながら答えた。

 

「少し、サンジェルミに質問があるのだ」

 

「ふん……教授にね。どんな質問なんだい? 僕じゃ相談相手にならないかな?」

 

 それもそうだ。教諭であるのならこの疑問に答える事が出来るかもしれないと思い聞いてみた。

 

「私は守護霊の呪文で少々苦難している」

 

「……守護霊、ですか」

 

「うむ。あれを使うと爆発してしまうのだ」

 

 少しだけ考え込んだトムは幾つかの守護霊の呪文に必要な要素を上げた。

 

「守護霊の呪文は非常に高度な魔法ですし、術者の精神状態に非常に左右されやすい。幸福な感情、正のプラスエネルギーを消費して形作って身を護る魔法ですから、幸福な感情が足りずに形作れないってことはありますが、爆発するとなると……」

 

 考え込んでいる様子で唸っているトムに私も何故かと一緒になってウンウン唸って見るが、答えは一向に出てこない。

 守護霊の呪文は爆発する作用の綴りではない、どうやれば爆発するのか知りたいがその爆発の要素が見えてこない。

 トムはあれやこれやと要素、幸福の質の有無について語ってくるがどうにもしっくりこなかった。

 そんな中に私室より出てきた者、サンジェルミが出てきた。

 

「何の議論だね? リドル君」

 

 私は少しだけ驚いてしまう。

 あの頭デッカちの渦を巻いた頭髪がなくなってすっきりとした髪型に変わっていると言うより色すら変わっていた。そして理解したあれは鬘だったのだと。

 

「教授。彼女が守護霊の呪文について質問があるそうです」

 

「ふむふむ、私にね。されそれは不思議だ。私の担当は錬金術と音楽魔術についてのはずで、呪文学については鬼灯君の受け持ちのはずだが」

 

「野治に守護霊については主に聞けと言われたのだ」

 

 その回答にどこか納得の言った様子でサンジェルミはにこやかに笑って見せ手を差し伸べた。

 

「了解した。済まないね、ええと君は──」

 

「石槌撫子なのだ」

 

「石槌君かい。分かった。済まないが少し杖を見せてもらえるかい?」

 

 私はすぐに杖を出してサンジェルミに渡した。

 サンジェルミは慎重にシルクの手袋までして杖を触って確認を始めた。

 匂いを嗅ぎ、杖の撓り具合を確認し、僅かに叩いて杖に耳を当てて内部の音の反響を調べているようであった。

 

「奇妙な杖だね。済まないリドル君、私の部屋から紫色の縁の虫眼鏡を持ってきてくれないか?」

 

「はい教授」

 

 トムにそう言い、サンジェルミは慎重に杖を持ち再度その匂いを確認する。

 どこか鼠が餌を食べているかのような仕草で杖を調べる彼の目が私をチラリと見た。

 

「この杖の木は桜を使っているのかな?」

 

「うむ。血脈桜であると杖屋は言っておった」

 

「やっぱり。道理で血の匂いが濃いはずだ。──それで、芯に使われている素材は、ふむ……奇妙な響きだねぇ。ドラゴンの琴線とも違う、何やらこれも少々荒事に向いた杖だねぇ」

 

 楽し気に杖を検分するサンジェルミは怪しげに微笑んだ。

 

「私はこの長い人生で様々な学問を納めてきた。そしてその中で最も興味を惹かれたのは錬金術であったが、次に興味を惹いたのは杖造りだよ」

 

「ほう……」

 

 私は空いた椅子に座って行儀悪く椅子の上で胡坐を組んで聞いた。

 

「杖とは奇妙だ。人と似たように意志や個性といったモノを持ち得ているとさえ言える振る舞いをする。持ち主を自らで選び、そしてその効力もそれぞれに違う。大変に奇妙だ」

 

「まるで赤子のようなのだ」

 

 私の言葉にこれ可笑しといった様子にクスリと笑ったサンジェルミは私に指を差して頷いた。

 

「そうその通り。杖を作るのはまさしく赤子を作るのと同じ、人ならざる未知の生命体を創製するに近い。我々の手足の如く扱おうとすると寧ろ反発する事さえある。彼らは一個の道具として見るにはあまりにも……理性的で、いや、生物的だ。生き物なのだよ」

 

「良く杖の性質を知っておるのだな」

 

「ひと時杖を作ることにハマっていた時があったのだ……皆私の手で使い潰したが。どれも傑作であった。特にニワトコの木で作った杖は何とも不思議であった」

 

 何とも長い話を長々と話す男だと私は少しだけ飽き飽きしてきた。

 結論を急ぐわけではないが、サンジェルミの杖の話を聞くのは退屈で仕方がなかった。

 私は小指を耳の穴をほじりながら片手間にその話を聞きながら、適当に返答を繰り返した。

 

「キメラとも違う……この響き方……そうか檮杌か」

 

 私は首だけ縦に振って耳クソを弾いて応じた。

 そんな最中にトムも戻って来て言われた通りの豪勢な装飾を施された紫色の縁の虫眼鏡を持ってきた。

 それを受け取ったサンジェルミは虫眼鏡を覗き込んで私を見る。ぎょろりと拡大した目の玉が私を注視して心の底を浚いまるで砂金を掘り当てているかのような目付きであった。

 

「君自体には問題はないようだね。むしろ正常だ、一度も闇に染まった事のない無垢で純白の魂を持っているようだ」

 

「うん? そうなのか?」

 

 サンジェルミの中で勝手に話が進んでいるようで私は意味が分からなかった。

 トムも同じ様子で首を捻っていると、その答えをサンジェルミが答えた。

 

「君、守護霊の呪文がまともに作用しなかっただろう?」

 

「そうなのだ。よく分かったな」

 

「当然。こう見えて杖を作って歴は長い方だ。──端的に言おう。この杖で守護霊の呪文を使うのはほぼ無理と考えた方がいい」

 

 衝撃的とまではいかないまでも少々驚いてしまう回答であった。

 

「この杖の作りからして、正の呪文である守護霊の呪文(パトローナム・チャーム)は完全に不向きだ。君自身には問題はない、杖の作り問題だね」

 

「この杖のどこがいけないのだ? 正常に機能している。今迄問題はなかったのだ」

 

 そう言うと、少しだけ笑って見せるサンジェルミが言った。

 

「この杖はねぇ、はっきりな話をすると闇の魔法使いたちが好む杖の作りをしている。桜は杖にした時、どのような芯材、呪文を使っても致死力を持つ性質がある。尚且つこの木材は血脈桜、死体の上に生えた桜の木であるが故に血に飢えている」

 

 桜の木の下には屍体が埋まっているから美しい。

 そう言った言葉が後世に残るほど、桜は神秘性を佩びているそうで日本に措いて古来から日本国国土にて固有の振る舞いをするそうで、私の杖の桜は『殺傷』に特化した性質を持っているそうだ。

 そして芯材に措いては──。

 

「この杖の芯材は檮杌の毛を使っているね」

 

「うむ、杖屋はそう言っておったのだ」

 

「檮杌は古代中国にいたとされる魔法生物で、今はもう絶滅している。そしてその当の檮杌は人面虎足とも呼ばれるようにキメラの近縁種であった。キメラの素材を芯材に使うと、より殺傷能力が高まる。──この杖を作ったモノは相当な殺意の元で作られたんだろうねぇ」

 

「というと?」

 

「この杖の前の持ち主、もしくは作り手は普通ではない。私から言わせてしまえば闇の魔法使いに属する者が制作したのだろう。プラスマイナスゼロという奴だ。総和の無だ。君がいくら幸福のプラスを注ぎ込もうと、この杖のマイナスが打ち消してしまう。──もしこの杖で守護霊の呪文(パトローナム・チャーム)使うのであれば杖のマイナスを越えるプラスの感情が必要だろう」

 

「では爆発した理由は」

 

「恐らくマイナスがプラスを上回ったのだろう。反動でしょう。持ち主を襲う杖とは早々ないよ誇るといい」

 

 あまり誇れたことではない。

 要は、この杖は闇の魔法使いが使うべき杖であって、私がいくら守護霊の呪文を使っても無駄と言う事が判明した。

 まったく以て残念だ。いやはやまったく以て残念だ。

 守護霊の呪文、あの美しい白銀の守護霊の姿は大変美しかった。私の心を打った守護霊の姿に溜息と口惜しい唸り声が漏れた。

 綺麗な綺麗なあの守護霊。私の守護霊はいったい何処かに。

 何に一つでもその可能性があれば良かったがこうもバッサリと言われると少し気持ちが落ち込んでしまった。

 そんな中で恥じる事無くサンジェルミは闇の魔法使いの道を提示してくるし、トムは慰めにもならない誘いばかりで辟易する。

 

「失礼するのだ」

 

 私は杖をサンジェルミからひったくり教室を出た。中庭に出て杖を夕日に翳して少しだけ訝しんだ。

 残念だ、残念だ。こんなにも美しい杖が。

 杖屋がこの杖は曰くがあると言っていたがこんな形で現れるとは思いもよらなんだ。

 本当に残念だ。



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杖の不思議

 どうしても諦めが付かなかった。

 杖の問題と切って捨てられても天狗に合う杖など早々なく、杖屋も悩んだ末に『曰く付き』のこの杖をよこしてきたのだ。

 すぐすぐ取り換えの利く物ではないのは百も承知。第一に私と魔法道具の相性は極端に悪いようで、杖も、箒も、占い道具ですらそっぽを向いて自壊していく。

 そんな中で私という仕手を拒まずに寧ろその命を喰らおうとするこの杖の心意気とでもいう使い心地は私としても気に入っている。

 どうにかしてこの杖で守護霊の呪文を使えないかと思い足を運んだのは知識の宝物庫の場所であった。

 魔法処南東に位置する何とも奇妙な形をした建物『しゃこの図書館』へ向かった。

 魔法的防御陣の為に建物に七宝のシャコガイを使うのはいいが、ここまで盛大に建物全体を貝殻の形状にする必要性があるのかと少々疑問であったが、建物の外殻に使われている超巨大なシャコガイの殻ときたら、度肝を抜かれる大きさであった。

 ちょっとした平屋ならすっぽりと収まってしまうのではなかろうか。

 大層汚い外面だが中に入るとその光沢のある乳白色の内面の美しさは素晴らしいの一言に尽きた。

 波打つ独特の構造を巧みに使って本棚を作り上げている。光の反射を巧妙に使って外光を建物全体に行き渡らせる設計士の心意気は何とも雅とでも表現すればいいのか、洗練された優雅さを備えている。

 しかしながらこのシャコガイいったいどこから調達したのか。到底自然界でこの巨大な貝殻を形成するだけの生命力を持った軟体生物がいるとも思えない。

 魔法で肥やらしたのか、それとも成長呪文で巨大化させたのか、大変不思議だ。

 行き交う生徒たちは皆手に持った本に首っ引きなようで何とも静かな空間か。紙の擦れる音と、人の息遣い、服の擦れる僅かな音しか聞こえてこない。

 私の目的とする手に関する書籍は何処かと生徒に話を聞くにも皆が手に持った本に集中している為に、声も掛けづらい。

 私は渋々一人で杖に関する本を探して回った。

 そこまで大きくない建物のはずだが、どうにも構造が波打つ扇状の形をしているせいか上ったり下ったりの落差で本の虫である生徒たちにはいい運動になる事だろう。

 

「杖……杖……杖の本……」

 

 一人ブツブツと呟きながら私は杖に関する本を探して回る。

 どうにも本棚に並ぶ書籍は類別されず、手当たり次第に入れているようで聖書の隣にソドム百二十日が並んでいる。

 冒涜的とは何たることかをこうして示しているようで、知識の分類は分け隔てないようで美徳も悪徳も等しく知識であると団芝三が再三言っていることを体現しているようであった。

 どれもこれもが一緒くたに並べられているせいで探すのは一苦労であったが、恐らく目的とする本を見つけた。標題は『杖に使われる木材とその芯材の特性』というモノであった。

 無造作に頁を捲りパラパラと中身を確認していく。

 アカシア、ヒノキ、ハナミズキと様々な木材の特性が書き記されている。

 スギを皮木に使用している杖の特徴として、気骨と忠誠心を持った使い手をこの好み洞察力と認知力を備えた者が多くいるという。鬼灯が好みそうな木材だ、ひょっとすると彼の杖はスギで出来ているのではなかろうか。

 ローリエは卑劣な魔法は好まず栄誉を追求する目的使い手には従順であり、それを反故にする使い手は容赦なく切り捨てるという。正々堂々としている様はまさしく私向きではなかろうか。

 しかしそれは成しえなかった。

 目的の頁に目が留まった。

 サクラ──非常に珍しく、不思議な力を生み出しどんな芯材を用いても、死をもたらすほど強力な力を宿す杖ができることが多い。ドラゴンの琴線との組み合わせは使い手に強い自制心と精神力を求めると書かれている。

 私はその内容に何とも言えない気分で己の杖を取り出してクルクルと回して弄ぶ。

 不思議な力とはサンジェルミが言っていた日本国土内で固有の振る舞いを見せるという性質の事だろうか。致死性を持ち合わせているというのも確かに言っていた。

 何とも奇妙な杖に好まれたモノだと自分自身で嘲笑を浴びせかけたくなる。

 さらに後の頁を捲ると芯材の項目があった。

 木材に比べ芯材の種類は少ないようで、不死鳥の尾羽、一角獣の鬣、ドラゴンの琴線などが有名な芯材が数点と他に見覚えのない芯材が僅かに書き込まれていた。

 透明獣猿(デミガイズ)の毛、非常に気まぐれな性質を持ち木材に馴染むのにかなりの時間を要する。秀でた魔法の行使には向かず小技の多くを好む。

 鷹獅子(グリフォン)の尾羽、財を持つものを好む傾向にあり、持たざる者にはその忠誠心は非常に薄く反抗すらするという。しかしながら杖の信頼を使い手が勝ちえたなら十分以上にその力を発揮するという。

 杖造りとは摩訶不思議な世界だ。

 芯材の項目で檮杌を探して見るが載ってはいない。さてどうしたものか。

 サンジェルミは檮杌を合成獣(キメラ)類の近縁種と言っていた。ならば次は魔法生物学(マジズーオロジー)の書だ。

 私は魔法生物の書物を探して回り目に付いた所はかなり高い位置に置かれており、脚立も見当たらない為に私は羽を伸ばして飛んで取った。

 羽根音に何人かがこちらを見た気がするが、気にはしない。

 かなりの大きさを誇る本で、両手に抱えても余る大きさで四苦八苦しながら私は飛びながら、それを開いてキメラの項目を探した。

 

「キメラ……キメラ……あった」

 

 ギリシャに住むという稀少な魔法生物で獅子の頭、山羊の胴体、龍の尾を持った合成獣。非常に凶暴で血に飢えているという。

 退治された例は一件しかなく、退治した魔法使いも疲労困憊で帰りに天馬からの落下で死亡し詳しくキメラを御する方法は定かでない。

 魔法省分類は──『XXXXX(ファイブ・エックス)』。

 当然だろう。こうしてキメラを見れば帝に仇名した鵺のような存在なのだろう。

 日本にもキメラのような存在はいる。

 (ぬえ)、夜鳥とも奴延鳥ともいう。

 知能は無いに等しく、非常に獰猛でありここに記載されているキメラのように血に飢えて夜な夜な黒雲を引き連れて都を暴れ回った事が後世にも伝わっている。

 今も鵺は生き残っており、数は少ない迄も黒々とした黒雲の漂うところ鵺ありと父様(ととさま)も言い容易に近づこうとしなかった。

 一度だけ興味本位で私はその麓に降りた事があり、そこは鳥獣虫魚関係なく見事なまでの貪食と暴れまわった跡があり残っているのは食い残しの死屍累々の死体の道ばかりで背筋が凍った思いをした。

 天狗とて近づいてはならない存在がいるのをそこで私は初めて知った。

 理と知を解さない生き物には天狗はめっぽう弱い、何故ならば相手は恐れを知らない。

 恐れを知らないと言う事は敬う心を知らないということに他ならず、天狗も否が応でもその扇を抜いて全力で戦わねばならないことに他ならないからだ。

 それの近縁種、即ち檮杌の毛が私の杖には使われている。

 絶滅魔法動物の欄を開くと『亜細亜の絶滅種』という項目に檮杌の名前があった。

 檮杌もかなりの暴れん坊であったようで古代中国で暴虐を尽くし西方の果てにある羽山に流罪になったと記されているがそれ以降の所在は不明、恐らく絶滅とされると記されている。

 しかしながら檮杌とは調べれば調べれば奇妙な生き物だ。中国では邪神ともされ、その生まれは三皇五帝の子息という高貴な血統なのだそうだ。

 この場合、魔法生物の血統というより三皇五帝という魔法使いたちに生み出された魔法生物と捉えた方がいいだろう。

 魔法使いの手によって生み出された人工的な魔法生物は数多くいる、まあどれもXXXXX(ファイブ・エックス)級の危険生物ばかりなのだが。

 自然発生的に生まれるにしては檮杌は少々『兇悪』過ぎるような気がする。魔法使いの手で生み出された人工魔法生物と考えていいだろう。

 さて問題はここからいくら檮杌の出生を知ったところでこの杖に使われその振舞い方を知らねば意味がない。

『杖に使われる木材とその芯材の特性』と檮杌の頁を見比べて比較してみてもどうにも分からない。

 キメラの近縁種の芯材の特性とその振舞い方はどれだけ調べても分からなかった。

 さていったいどうすべきか、今度こそ杖術兼魔法薬学教諭の秋形鬼灯に聞くべきだろうか。

 マイナスを上回るプラスを得る事の方が建設的なのは重々承知しているが、しかしながら楽を出来るのならばそれに則したことはない。

 杖に関して博学なのは野治が紹介したサンジェルミがああ言うのだ、と言う事は杖に関してはこれ以上他教諭の助言を当てにしては見当違いなのだろう。

 バタンと本を閉じて、辺りを見渡した。誰も彼もが本に嚙り付いて血眼になっている。

 これぞ探求派、机上の空論を捏ねて捏ねて手垢に塗れた理論を永遠に捏ね続ける若き研究者たち。

 しかしながら捏ね上げた理論のそれを実行するだけの度量のない解消なしどもだ。こういう時に頼れる学友集団に心当たりがある。

 探求派は話にならず、純血派は以ての外だ。

 理論と実践の試行錯誤(トライ&エラー)を地で行く集団──戦中派だ。

 彼らの抱えるクィディッチチームの壬生鴉とはまだ繋がりがありこれ幸いと頼る事が出来る。

 私も探求派のように理論ばかり練って頭でっかちになってはならない。理論は実践してこそその優位性を発揮するのだ。

 試行錯誤(トライ&エラー)良い言葉だ。

 

 

 

 

 

「おん あろりきゃ そわか」

 

 日を跨いだ翌日の放課後に私は瑪瑙観音堂に足を延ばしていた。

 相も変わらず見事な造りの巨大な瑪瑙から掘り出された観音菩薩像が堂の中で鎮座して私たちを見下ろしている。

 座禅を組んだ疎らに座った戦中派生徒たち。

 迷い戸惑い、知識を欲するが故の苦悩。その自らが構築する理論の正邪の方向に苦悩するモノたちの自問の場でありそして魔法処に措いて三本の頸を持つ龍とも表現できる学生集団『戦中派』の砦である。

 私は出来うる限り五月蠅くせず摺り足で瑪瑙観音堂の奥へと向かい、壬生鴉の作戦会議部屋の扉を叩いた。

 中では喧々諤々とクィディッチ作戦が討論されており、双方がぶつかり合う鯉の上り回廊の部活連の闘論とは違い互いの意見を尊重する大変和やかな討論であった。

 

「おや! 石槌ではないか! 今日はいったいどうしたんだい?」

 

 久しく聞かなかったはきはきとした声で話しかけてくる者がいた。

 上木竹人である。既に魔法処からは卒業しているが、魔法省に入省し教育課に赴任することとなり、竹人自身の要望もあり魔法処の教員研修を受け現在は補助教諭として魔法処で教鞭を取っている。

 当然の流れと言うか、補助教諭の過半数は大体が魔法処の卒業生であり、鬼灯の補助教諭やトム・リドルなど外部から入ってくる者たちの方が珍しい位だ。

 と言っても補助教諭の大方が魔法処の教諭になるという事は少なく大概が地方に隠れ住む魔法族の指導教員として赴任することが多く、現在魔法処卒業で実際教鞭を取っている教諭は井上兎喜のただ一人である。

 大概の教諭は海外で実地研修を受けて戻ってきた精鋭(エリート)であり、魔法処しか知らない井の中の蛙と言う訳ではない。

 鴇野美奈子はオーストラリアのドラゴン研究に従事していたこともあるし、秋形鬼灯は人格的に問題ありだがイギリスで禍祓いをしていた事もある。

 我が三学年の学年主任たる田路村郭公もアメリカのミスカトニック大学で闇の魔法の研究をしてその対策を打ち立てたという功績を以てして日本に戻ってきたのだ。

 大海を知らずして教えを与える事困難なことなし、日本古来の魔法を学ぶならばここ魔法処である必要はない、陰陽寮なり地方の祈祷師に弟子入りすればいいだけの話で、欧州独自の魔法形式を学びそして実践していくにはやはり海外の経験は大きい。

 竹人もその例に洩れる事はないだろうと寂しく思うが、しかしながら親しい者が戻ってくることは嬉しい限りだ。

 

「少し相談したいことがあるのだ」

 

「どんな相談だい? 僕ができる事なら最大限力になるよ」

 

 後輩の頼り事に何とも嬉し気な竹人に私は答えた。

 

「杖造りの実験をしたいのだが、杖造りに精通した者たちおるか? 材料や芯材などは次長の富文に掛け合って取り寄せるのだ」

 

「杖造りか……いるにはいるがなぁ。え? てか長江次長知っているのか?」

 

「ここに放り込んだのはあいつだ。金の工面は魔法省持ちであるのだ」

 

 何とも言えない顔で渋い顔をする竹人であったが、しかしながら吉報来たりだ。

 やはり杖を作っている酔狂な者も戦中派に属しているようであった。

 その者の事を聞けば、人間的に難のある者である様で戦中派のはぐれ者の名を欲しいままにしているそうな。

 こちとら尊大不遜の天下の天狗たちと額を突き合わせる天狗総会に何度も出席しているのだ。

 郭公のように狂っていない限り話は通じるだろう。

 私はそうたかを括っていた。



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塹壕の研究室

 瑪瑙観音堂の奥の奥、最奥と言っていいだろう。

 本来無いはずの洞穴の通路が開通して南硫黄島内部向かって掘り抜かれた地下防空壕とでもいう見た目の坑道で、竹人に連れられて杖を作っているという生徒の元に向かっていた。

 その生徒の名前は鬼木造太。

 私よりも一つ上の学年であるそうで、何でも成績優秀で授業を免除、個人研究室の貸し出しなど数多くの特例を取得した大変お頭のよろしい者であるそうな。

 しかしながら奇行もしばしば行い、特にそのキチガイじみた杖造りの執着心は常軌を逸しており、比較的温和で協調性を尊ぶ戦中派での中でも突出して『様子がおかしい』なのだという。

 日本人特有の和を尊び守る姿を反し『出る杭は打たれる』という言葉を素面で反発して飛び出ているのではなく、もとより刺さってすらいないのだという。

 何とも奇特な奴か。一匹狼という気質なのだろう。どことなく親近感が湧かなくもない。

 私は天狗、どこへ所属しても厄介な珍妙者である。

 それに同意はしていないがもう所属していることになっている亢進倶楽部も魔法処で炙れた者たちの巣窟だ。

 呪物のオタクの中国系の無機質人形の劉・娜。無意味な理論を繰り広げる探求派の鼻つまみ者国光大樹。

 珍妙な魔法生物ばかりに現を抜かしてその飼育する動物の毒で問題ばかりを起こして居場所を失った吉川來未。

 言葉も喋らず語りかけても帰って切るのはパイプオルガンのダダダダーンのはぐれ者高千帆翔。そしてブラジルから流れてきた流され者のセウ。

 ここまで混沌とした迷惑者たちのクラブも珍しいの集合体たる魔法処でもひと際異彩を放っている。

 問題やっかみ何でもござれ、こちとら天下の日本魔法族亢進倶楽部。魔法処の爪弾き者たちの集いだ。

 そう思っていた。

 目的とした鬼木造太の研究室の木扉をノックしようとした瞬間だった。

 ズドン! っと何かが爆発した轟音と振動が坑道を大きく揺らし土煙が僅かに待った。

 何事かと私は目をしばたかせている当の研究室の木扉が音を立てて内側に向かって倒れた。

 そこに広がる光景は研究室というより塹壕と表現する方が適切な程の退廃的な内装。

 剥き出しの石壁に無造作に積まれた土嚢、いくつかが破けて炸裂していた。

 散らばった芯材の数々に木屑が降り積もっており、その研究室の中心を占領する様に第二次世界大戦で使用されていたのだろう榴弾砲塔が煙を上げており、ついさっき発砲したようであった。

 

「あーあ……、また失敗だ」

 

 そんな声と共に土嚢の壁よりひょいっと顔を覗かせたのは初顔の生徒であった。

 恐らく、というよりも彼こそが鬼木造太と思われる。

 奇怪な出で立ちはもうここ魔法処では見飽きるぐらい見飽きているが、彼もなかなかの研究者気質とでもいうのかその見た目は想像を絶する。

 群青色の外套(ローブ)の内側にこれでもかと張り付けられた呪符に世界各国のタリスマンの首飾りがジャラジャラと首元を飾っている。

 数珠にロザリオ、コンボスキニオン、ミスバハにホーシェンと神様頼りの欲張りセットようであった。そして造太はひどい猫背で体臭は得も言われぬほどの悪臭を放って仕方がない。

 硝煙臭く、そしてしれを誤魔化す様に抹香や線香の匂いを体に纏わせ鼻が曲がりそうであった。

 顔には落書きのように珍妙な刺青を施しているし、街頭で話しかけられれば間違いなく警察を呼んでいる風体のインチキ宗教家の教祖のようだ。

 

「鬼木、今度は何をしている?」

 

 竹人は土埃に咳き込みながら造太に話しかけた。

 もう慣れっこと言った様子の竹人の対応に、これがこいつの平常運転であることが察することが容易にできる。何のために榴弾砲をぶっ放す必要性があるのかと思われるが、造太は床に転がった小枝を拾い上げて怒りもせず、荒ぶりもせず、まるでぶすくれたようにそれを睨みつけた。

 

「耐久テスト、空撃ちくらいで折れる程度の杖じゃ実践じゃ使えない」

 

「いっそ鉄製にしたらどうだ」

 

「その案いいね。まぁ杖の役割は果たさないけど」

 

 杖研究に学生生活を費やしているという酔狂な者とはいったい何者かと出向いてみればとんだ胡散臭い宗教家のような奴が現れたではないか。

 さてこいつを本当に信用していい者なのか。

 と言ってもこいつを頼るしか道はないのだが、この男の匂いばかりは、強烈過ぎる。

 

「主……一体どれだけ風呂に入っておらぬのだ」

 

 私は思わず非難の声を上げた。見知らぬ相手に失礼と思うが、しかしながら第一印象は最悪でしかない造太に声を上げずにはいられなかった。

 造太は自身の脇の香りを嗅いで、何の事かと首を傾げて言う。

 

「そろそろ二か月だ。清めの呪文で体を清めているから綺麗なはずだけどね」

 

「体臭ばかりは消えぬ。風呂に入れ風呂に、臭くて堪らぬ」

 

「ていうか君誰? 竹人さん誰っすか?」

 

 初対面で難癖を付けられあまりいい気がしていないのだろう。造太は私に指を差して竹人に誰かと聞いていた。

 怪訝な表情に私はムッとして羽を広げようとしたが、竹人がそれを制止して私を紹介した。

 

「彼女は石槌撫子、三年生だ。俺が在籍中の頃に壬生鴉の面倒を見てくれていたんだ。戦中派の相談役だよ」

 

「へー、でその相談役の三年女子が何でここに来たわけ?」

 

「彼女は杖造りに興味があるそうなんだ。鬼木、俺の顔を立てて相談に乗ってくれないか?」

 

 訝し気な表情で私を見る彼は少しだけ沈黙で応じて、そして皮肉めいて答える。

 

「相談役の相談ねぇ。役職もクソもないじゃないか。……まあいいさ、先輩の顔に泥塗るわけにはいかないですから」

 

 そう言って部屋の端から土嚢を引っ張って来て積んでそこに座れと合図する造太に、私たちはその土嚢に腰を落ち着けた。

 当の造太は榴弾砲の砲身を掃除しながら片手間に話を聞き始めた。

 

「それで、杖の何が知りたいんだ? 石槌三年」

 

「私の杖の事で相談があるのだ」

 

「君の? 折れたりとかヒビが入ったとかしてないなら問題ないだろう」

 

「うむ、そう言った不具合ではないのだ。杖の性質と言えばいいのか、一部呪文との相性が悪く爆発してしまうのだ」

 

 その言葉に僅かに手が止まったが、やはり興味がないと言いたげに砲身の煤を大きな掃除棒を突っ込んで聞いていた。

 

「私の杖は曰くがあるらしく、幸福などのプラスのエネルギーを貪りマイナスのエネルギーを貯蓄してしまう性質があるらしい。そのせいで守護霊の呪文がまともに使えぬ仕舞い、よもや反転して爆発する始末だ。これを解消したいのだ」

 

「造りは?」

 

「造り?」

 

「木材と芯材はなんだ?」

 

 私は嘘偽りなく正直に答えた。

 

「血脈桜と、檮杌の尾の毛なのだ」

 

 その言葉に造太の手が止まり、こちらを向いた。

 気味の悪い目つきで、猫背の姿勢で私の方にすり寄って来て煤塗れの手を伸ばしてくる。

 

「杖見せて見ろ」

 

 私は杖を取り出して渡した。

 今迄そこまでよくよく見ていなかったが、こうして見るとこの杖もなかなかに綺麗ではないか。

 持ち手は襤褸の布切れで覆われているがその黒檀のように黒々としたような光沢のある色、まっすぐ芯のある一直線の飾り気を削ぎ落した杖としての機能美しか持ち合わせないその頑なな見た目も良い。

 そんな杖がほんの僅かにだが奇妙な雰囲気を漂わせる。

 まるで私の手から離れるのを嫌がるような靄の様な気配をふと覗かせてるが、しかしながら猫の気性のようにプイッとどこかに向いた気がする。

 鼻を鳴らして私の杖の匂いを嗅ぎ、何かしらの調べをしている。

 

「血脈桜か?」

 

「うむ、杖屋はそう言っておった」

 

「えらく不浄を溜め込んでる。何をどう作ればこおんな不幸の塊みたいな杖を作ろうとしたんだ」

 

 どこか浮かれているかのような口調で私の杖を調べる造太は終いにはおしゃぶりのようにチュパチュパと杖を咥えてしゃぶりついて味まで調べ始める始末だ。

 杖造りを知る者たちは独特な人間が多いいのだろうか。サンジェルミ然り造太もなかなかの曲者だ。

 しかし曲者ながら一芸に特化した者もいるのは確か。造太はその顕著な例であろうと思われた。

 

「芯材になんて気持ちの悪い物を使ってやがる、檮杌の尾の毛だったか?」

 

「そうだ、キメラの近縁種と思われる魔法生物の者なのだ。絶滅しているそうだ」

 

「道理で聴いたこともない響きをしているんだな。ただでさえ桜の木材で捻くれた性格なのに、もっと捻くれた性格にしてるようなものだ」

 

 水晶の数珠のようなものを取り出した造太は地面にそれを置いて数珠の中心に杖を突き立てておいた。

 瞬間、透き通った透明な数珠の水晶の玉が、真っ黒の漆黒に染まって気味の悪いさを如実に表すかのように変転するのだから私は口あんぐりだ。

 

「前の使い手の話は聞いたか?」

 

「いや、知らぬのだ」

 

「相当人殺したんだろうな。……怨念に呪い、悪念に邪気の見本市だ。もう呪詛みたいになってる」

 

「そこをどうにかならぬか? どうしても私は守護霊の術を使いたいのだ」

 

 ちょっとした竜人への対抗心からどうしても私は守護霊の術を使いたかった。

 あの悪童にできる事が私に出来ない事などあってはならない。あったのなら悔しくて悔しくて憤慨の末に憤死してしまいそうだ。

 そんな嫉妬心の末にこの杖をどうにか出来るのならば魂を地獄の極卒に売り渡したところで安い物だろう。

 

「脳味噌空っぽなの君? 呪詛だよ。分かる? 呪詛、呪いの最上級。普通の呪いが麻の紐なら呪詛は鎖なの。普通には解呪は出来ないの。──しかもこれ普通の呪詛とも言えない」

 

「なんなのだ?」

 

 親指の爪を噛みながら少しだけ考え込んだ造太。

 私にでもわかるようなたとえ話を考えているようで、何とかそれを捻り出した。

 

「普通の悪意や憎悪なら簡単だが、こいつが溜め込んでるのは感情のそれだ。杖の中に何にもの人間がいるって思ってもらって構わない。悪意だけなら簡単に引っこ抜けるが、祓うのとも違うからなこれは──さあどうしたものか……」

 

 祓うにしても憑いているモノの種類が違うのか、何とも渋い顔で唸る造太。

 本職と言うのは語弊があるが、得意分野に難題を振り掛けられそれをどうにかして解決しようとワクワクする子供のように瞳を輝かせる彼の目は面倒くさいといった様子から徐々に真剣な表情に変わって行った。

 石材、木材、ありとあらゆる材料を持ってきては目の前に広げて思想する造太。

 一つ私に提案してきた。

 

「この杖自体をどうこうって言うのは論外だが、外装で何とか取り繕うことは出来るかもしれない」

 

「外装? どういうことだ?」

 

「欧州じゃあ仕込み杖って形で杖を携帯している事がある。魔法的意味は向こうじゃないが、俺は一歩進んだ考えで発展させたんだ。これ見てみな」

 

 一枚の写真を取り出した。

 それは造太と校長の団芝三が並んで写った写真であり、魔法が掛けられ造太は気怠そうに、団芝三は嬉し気にステッキを持っていた。

 

「このステッキは俺が作った杖だ。杖に見えないだろ」

 

 確かに私たちの魔法の行使に使う杖には見えない。老紳士が小洒落た造りのそれで歩行の助けを成す道具にしか見えない。

 しかしながら団芝三の持つステッキは杖を埋め込まれた杖だ。

 魔法省に見つからないようにと外装に偽装を成された精巧な騙し杖だ。

 

「この杖なら……そうだな……傘だ、傘がいい。持ち手は竹製だ。竹は強さや不動、忠義を意味する言葉を持ってる。和紙ならばそうだな……檀紙を使おう。原材料の楮の言葉は『過去からの思い出』こいつに宿った負の感情も吸い取ってくれる」

 

 饒舌に語り始めた造太に火が付いたようであれよこれよと用意を始めた。

 和紙の一枚から竹の材質まで徹底したこだわりよう、これはもうほっといてもよいとまで思えてしまうほどの気を逸した熱量に私は少しだが満足してしまう。

 この様な無用なまでの自信と熱の籠りよう、確証にも似た成功への執着。

 放っておいてもこれに任せれば万事成功に向かうと思われた。

 私も竹人も造太その熱心な姿勢に納得の言ったといった様子に顔を見合わせ頷いた。

 ここまで事がうまく運ぶと気分がいい。私たちは勝手に作業を始める造太を横目に造太の研究室を見て回った。

 木材、芯材、キッチリと整理されてその様子は薫のそれに似て安心が出来る。

 色々と見て回って金属の箱に手を伸ばした瞬間だった。

 

「それに触るな!」

 

 いきなりの怒鳴り声を上げた造太に私はビクッとしてしまう。

 何やら大切なものを仕舞っているのだろうか。その鉄箱は造太の怒鳴り声に反応して内側からバタバタと暴れのたくった。

 

「一体何を仕舞いこんでいるんだ?」

 

 こんこんと鉄箱を叩いた竹人に誤魔化し笑いのように笑う造太。

 

「ボガードを芯材にしようかと思って閉じ込めてんだ。逃げ出さないようにね、さ、消えた消えた」

 

 真似妖怪を杖の芯材に選ぶとは奇特な者もいる者だ。

 もっとよくよく見たかったが造太は作業を見られると捗らない性分なようで私たちは研究室から追い出されてしまった。

 摘まみだされた私たちはポカンとしてしまう。

 

「な。変わり者だろ」

 

「うむ、だがあの熱量。成功するだろうな。感無量なのである」



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見ざる聞かざる言わざる見えざる

 造太に杖の外装を頼んで翌日。

 早々できるモノではないようで朝早く造太の元に赴くと五月蠅いの一言で一掃され瑪瑙観音堂から追い出された。

 何もああもひどい剣幕で喚いて追い出さなくてもよいではないか。剣呑剣呑、生活に余裕がないのだろうか。食うにひもじくなれば人の心は小さな器とすげ変わってしまう。正しく剣呑狭量だ。

 さてそんな訳で私は渋々という風に瑠璃講堂の教室に着き、一時間目の授業を受講していた。

 楽しい楽しい魔法生物飼育学の選択授業を選んで受けてみた。

 野外で魔法生物飼育学の授業をやるというので私は指示された瑠璃講堂の裏の飼育小屋へと向かったが──。

 

「授業じゃあ!」

 

 天馬(ウィングド・ホース)に跨り大層豪勢な裃を穿き、頭には立派な髷が一本茄子の如くそそり立っているではないか。

 私たち生徒は平伏いて首を垂れ、片時もその教師と顔を合わせようとはしなかった。

 チラチラと私は視線を上げてその頓智気なその尊顔を覗いてやろうとしたが綾瀬に肘で小突かれ渋々頭を下げ続けた。

 

「良くぞ吾輩の授業を受講した事、誇るがいい」

 

「ヴルルルッヒィッ!」

 

「……はァ」

 

 人馬一体とはこの事だろう。馬上から投げかけられる偉そうな口調の教師にそれに便乗するかのように嘶く天馬(ウィングド・ホース)の声。ワっハハハと高らかに笑う教師の笑い声のその中からどこからか小さな溜息が漏れるのを私は聞き洩らさなかった。

 生徒全員土下座姿勢の平伏体勢でそのような不届きをやる者など知れている。竜人であろうとも。

 あの不敬者は誰がどうであろうとも立場関係なく人を食った態度を崩さない。

 世の中舐め切っているとしか言いようがないが、あれにいったい美徳というモノは存在するのだろうか。愚者一徳ともいうが、一徳あればあれには十分な御釣りが付きそうなものだ。

 と言ってもまずこの状況について一つ二つほどツッコみを入れねば気が治まらない。

 大名行列を前にした小市民でもあるまいし、誰が好き好んでこんな飼育小屋の小便だが大便だがの匂いが染みついた地面に膝を付けて平伏せねばならぬのか。

 偏にこの学校の教師陣がひとしきり悉く頭の螺子が少なくとも二本は外れた人物が多すぎるためだ。

 この魔法生物飼育学兼薬草学教諭の富野佐馬(とみのさま)もその一人であり、12人いる教諭の中でも上位に入る狂人の類の人間だ。

 曰く幼き頃にどこぞの大名の亡霊に憑依されそれ以来自分を藩主か何かと勘違いしてここまで生きて来たそうな。当然、そんな大層な地位の人間が亡霊になって人様に憑りつくなど聞いたことはないし、第一にそこまでの地位の人間が亡霊になると言う事はまずありえな。

 日本人の特性としてきちんと葬儀された人間は化けて出ないし、化けて出たとしても人に憑りつくのは生霊なり念の強い者たちばかりだ。

 佐馬の言葉をそのまま受け取り、生徒たちの噂話を真実のならば恐らく佐馬に憑りついているのは浅野長矩との話だ。それならばいつ腹を召しても致し方なかろうか、自死が美しいと思われていたころの人間だ、目の前で死なれても困るが。

 

「皆の者、今日の授業はこの生き物についてだ」

 

 バサリとカーテンを開ける音が聞こえるが頑なに皆頭を上げずに平伏し続ける。

 

「この生き物を知っている者はいるのか? おらんのか?」

 

「はい」

 

 誰かが声を上げて手を上げ頭を上げると──。

 

「頭が高い!」

 

 佐馬の怒声に一蹴された。

 いったいこれのどこが授業なのか、我々全員が馬鹿馬鹿しくなり皆頭を上げてその生物を目にした。

 檻にも柵にも囲まれず、自然の姿のまま止まり木にいたのは優雅で優美、そして憂いの含んだくりくりとした丸い瞳を持った真っ白い猿が何匹かこちらを見ていた。

 中国の神話「西遊記」に登場する黄金の毛を持っていた孫悟空とはまるで対を成すかのように穏やかでそして優し気なその猿は私たちの近くまで寄って来た。

 フワフワとした柔らかな白い毛にしわがれた老人のようなカサカサの掌。

 優しくクルクルと喉を鳴らして鳩の鳴き声のような声のその猿の名前は『デミガイズ』。

 その毛は透明マントなどの材料にされ珍重されている魔法生物だ。

 

「温和で非常にやさしい魔法生物だ。手荒に扱う出ないぞ、驚かせると、見つけ出すにこの授業どころか今日一日を費やすことになる故に」

 

 佐馬はそう言う。

 皆がその事は重々承知している。何せこのデミガイズ、驚かせたり怒らせたりすると透明になり噛みついてくる生き物なのだ。

 そして佐馬の言う通りその姿を隠せさせればその日一日を、デミガイズを追い回す事になるだろう。姿の見えない獣を一日中追い回すのは誠に骨であり一日で捕まえる事が出来たのならそれこそ御の字だ。

 皆慎重にそのデミガイズを扱った。

 と言ってももとよりデミガイズは温和で優しく、しかもここで飼われているデミガイズは人になれている。大変人懐っこく早々に何匹かは生徒の腕に収まって抱かれていた。

 綾瀬の近くにヨチヨチと小さな子デミガイズが近寄って手を伸ばしてくるのに優し気に綾瀬はその子を抱き上げた。

 

「なんだか赤ん坊みたい」

 

 嬉し気にその子デミガイズを抱いて撫でる綾瀬。私も少しうずうずしてその背を撫でてみた。

 何とも滑らかで良い毛並みをしている。このような触り心地の良い生き物なかなかいなかろうと思う。野良猫脛こすりとてこうも手触りのよくはないだろう。

 

「わ、私にも抱かせてくれ」

 

「はいはい。撫子ちゃんゆっくりね」

 

 ホンモノの赤ん坊を扱うように渡してくる綾瀬。

 私は恐る恐るその子デミガイズを受け取って腕に抱いた。少し震えているように思うデミガイズは私を見上げて不思議そうな顔でこちらを見た。

 その純粋無垢な顔に毒気を抜かれてしまうようで、心の奥にしまい込まれた母性と思われる感覚を激しく刺激して、それこそ食べてしまいたいほど可愛らしいではないか。

 嬉しさやら愛らしさやら、何やら心が満たされていくようでしっかりとその体を抱いた。

 そんな中で一人はぐれたモノが物欲しげにこちらに来たではないか。

 ヌッと手を伸ばした時、ビックっと体を振るわせた子デミガイズの姿が薄れて消えた。

 

「あっ! 何用だ竜人!」

 

「俺にこの猿ども寄り付かねえんだよ。これじゃ授業受けた意味がなくなる、少し触らせろ」

 

「断るのだ。あっちへ行け、シッシッ!」

 

「クソガラスが……食い殺してやろうか」

 

 生来、鳥、狐、猿は対極に位置している。

 鳥は猿を突いて困らせ、狐は鳥を食べ、猿は狐を手玉に取って遊ぶ。故にデミガイズは竜人を軽んじて近寄らず、私の手の中で恐れて震えて収まり、竜人の漏れ出る妖狐の気配を察していない。

 私とて狐如き何の事かと思うが、ふとした時に遺伝子に刻まれているとでもいうのかふと恐ろしく感じてしまう時もなくもない。

 しかしながら神代ならいざ知らず今は人の世、竜人も私を食おうなど思はずなかろう。

 

「猿は狐を弄ぶ、主に猿は似合わぬのだ」

 

 機嫌悪そうに目を細めてどこぞへ消えた竜人に私と綾瀬はいたずら小僧のバツの悪い拗ねた様子を見たように苦笑いで応じた。

 

「デミガイズは古来より信仰されていたことがある。表には『三猿』と呼ばれているが我々の世にはもう一匹いるのを知っておるか」

 

 佐馬が得意気にそう言うので生徒たちは各々おしゃべりを始めた。

 三猿。言わざる、聞かざる、見ざるの三つの『猿』と『ざる』の語呂を掛けた言葉遊びだがこれにはしっかりと魔法的な力が秘められている。

 三種の神器というモノが存在するように『三』という数字は非常に縁起がいい。

 それは三人寄れば文殊の知恵というように、三つ子の魂百までと言うように、三とは魔法の黄金比を秘めている。

 三位一体、トリニティ、その中に更なる一匹を足すなど蛇足という他ないが、これまた卑怯と言えるが、三角錐にしてしまえば多角的に見れば三角形になる。

 言わざる、聞かざる、見ざるに更なる一匹は──それは見えざる。

 意図して見ないのではない無意識に見ないのだ。あっても気づかない、気づいても見ない、言わない、聞かない。その工程を経て完璧な完結を迎える。

 破滅も成功も全ての工程には最初の気づきすらも与えない兆候が存在すると魔法哲学には考えられている。

 それこそ即ち三角錐、四つの頂点を持つ図形の形を表している。

 

「『見えざる』なのだ」

 

「その通り! 気づかれないこと即ち我々魔法族にとって途轍もなく大切なことを示している。デミガイズはそれに措いて名だたる魔法一族の象徴とされている。因みに吾輩の家紋にも三つ括り猿で猿が象られている」

 

 古来より動物等々は神格化されやすく生命として根源的な位置にいるために魔法の影響を大いに受けやすい。蛇、狼、猫、そして猿も。

 魔法生物学者の中には魔法生物は最古の生き物たちの生き残りであり、既存の生命体は前者の生き残りより進化して魔法と呼べる力を捨てた者たちであると言う話もあるくらいだ。

 デミガイズがニホンザルの近縁種とと考えるのはい些か無理のある見た目であるが熱帯に住む猿、オランウータンと似ていなくもない見た目だ。

 日本の魔法生物猿と言えばやはり狒々や猩々の類だろう。

 双方とも赤い毛並みで怪力、人語を理解しているが礼儀のわからない連中だ。ここ最近めっきりと姿を見ないが、やはり只人の生活圏が山に近づいてきているせいなのかもしれない。

 魔法生物たちの生活圏は日に日に狭くなってきている。

 電気の力を手にした人間たちの無策無謀の果て無き生活圏を獲得せんと他の蝕む黴の如く何の遠慮も配慮も考慮もなく開拓の手を広げ続けている。

 我々常人は言うなれば古きにしがみ付きその古き仕来りなり儀式なり実態を現代に伝える事無く、細々と息絶える種と我々常人その声が上がる始末。

 もう魔法族は息の続かない種族なのかもしれない。

 只人の言う遺伝子、血の濃さも影響しているが近しき者たちと縁組をすればいずれ生まれるは奇形に他ならない。

 魔法生物だけを尊ぶべからず、真に我々の危機が差し迫ればこの生き物だっていじましく根性で捨て去り見捨てる事だろう。

 そうならない為にもより良きを学び古きを繋がねばならない。

 と言ってもそうすぐに動く事も出来にない。我々は所詮一介の学生、私は少し尊い天狗の血を持っているだけだ。

 石槌山の座を受け取ったとしても一体いつになるか、魔法族の寿命は馬鹿にならず、天狗は更に長命だ。父様(ととさま)が涅槃へ至るのは果たして百年後かそれとも二百年後か分からずじまいだ。

 

「クルクル……」

 

 私の腕の中で唸る姿の見えないデミガイズを優しく撫でて私はこの愛らしい猿を愛でよう。

 そして考えよう、少しでも長く我々を陰に隠す方法を。



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魔の峠

 初春もとうに過ぎ僅かに熱さを感じる時期になり始めた頃であった。

 魔法処ばかりに閉じ籠って煮詰まっているのも研究の為にならないと、私はそう思い亢進倶楽部連中を広島市外へと連れ出し夜街を歩きまわっていた。

 少しでも研究の為の清涼剤となればと思い広島出身者の綾瀬に添乗員を任せて夜街を楽しみつくした。

 ネオン街の不夜城で名高い飲み屋街の八丁堀流川周辺は幾ら私たちが魔法使いであっても危険であると綾瀬は判断して、知り合いが経営しているという西広島駅近くの飲み屋兼歌声喫茶へと私たちを案内した。

 

「ララバイ♪ 一人で泣いてちゃ惨めよ♪」

 

 意気揚々と來未がマイクを握って『アザミ嬢のララバイ』を熱唱している所に私たちは夜の風に当てられて気分も上がってタンバリンやらマラカスやらで音頭を取っていた。

 酒が入っている訳ではないが、暗く夜の帳の降りた空気は覆い隠された奥底の感情を表しやすくするのだろう。

 

「綾瀬ちゃんが友達連れてくるって珍しいねえ」

 

 店主のおっちゃんはそう言ってグラスを磨いていた。

 この者もれっきとした魔法使いであるが只人市勢に迎合を決めてこうして店を構え誰彼構わず営業を行ってはいるが、店主の経歴もそうだが雰囲気から常人ばかりが寄り付いてくる珍妙な店構えだった。

 綾瀬は店主のおっちゃんの言葉に少し頬を赤らめて照れ笑いをしていた。

 

「綾瀬は優しいのだ。今世紀以来の私の数少ない親友の一人なのだ」

 

「もう撫子ちゃんったら」照れくさそうに私の肩を軽くたたく綾瀬。「それは言い過ぎじゃないの?」

 

「そんなことはないのだ。説明も懇切丁寧、人当たりもよく何処かの妖狐小僧のそれとは大違いなのだ」

 

「ふふふっ」

 

 こうも面と向かって言うのも少々私も照れくさいが、本心だ。

 そんな中で飲酒法の適応外にいるセウだけが店で提供されているブラッディ・マリーで赤らんだ顔でこちらに来た。

 

「レディたちは歌わないのかい?」

 

「うむ……」

 

「ええ、いいよ。私たちは」

 

「そんなこと言わずに歌えー!」

 

 マイクを握り締めてわんわん喚く來未に、酒の匂いにやられて突っ伏している大樹に娜や翔が甲斐甲斐しく介抱をしていたが妙な事になる前に來未からマイクを奪い取らねば大音量の熱唱にそろそろ苦情が来そうだ。

 セウや娜は国外の人間であるために日本国内の歌は知る由もなく、翔はまず喋らない為に話にならない。

 となれば歌馬鹿の來未の標的は必然的に私と綾瀬の二人になるのは須らく当然の事であった。

 

「二人でその機械は歌えなかろうが」

 

「一応デュエットで歌える機械だよこのマシーン」

 

 おっちゃんが気を利かせてもう一本マイクを持ってきて私に渡してくるのに少し困ってしてしまう。流行歌など知る由もなく、歌える曲も国歌がせいぜいの私に仕方ないといった様子で手を引いて綾瀬がお立ち台に引き釣り上げてくるではないか。

 

「おじちゃんFの1535番ね」

 

「お! 銀座の恋の物語か。どっちが男を唄うんだい?」

 

「撫子ちゃんかな、女性のパート後だから続いてお願いね」

 

「よく分からないのだぁ……」

 

 何の事かと頭を白黒させている間に歌がセットされていく。

 

「綾瀬、私は歌詞など分からぬのだ……」

 

「一応あの画面に歌詞が表示されるから、一緒に歌お、ね?」

 

「歌えー!」

 

 喉を潰さんばかりに叫び上げる來未に戦々恐々と私はマイクを握り締めて新たな『はじめて』に挑戦し始めた。

 少々ハイカラなこの店に決して安くはないカラオケマシーンを入れた店主の晴眼たるや凄まじい事か、子の後にカラオケは日本で広く普及することを予見してとにかく高価な機器を仕入れていて曲数も膨大にあると自慢していた。

 ジャズテイストの音楽が流れ始め、ゆったりとしたペースで音楽が店内に満ちていく。

 

「心の底まで 痺れるような♪」

 

 ポンと軽く綾瀬に肩を叩かれ、私はおっかなびっくり歌い始めた。

 

「吐息が切ない 囁きだから」

 

 綾瀬はニコッと笑って歌い続ける。「泪が思わず 湧いてきて♪」

 

「泣きたくなるのさ この俺も」

 

 そしてともに一緒に歌う歌詞の所まできて私は必死に綾瀬に追いすがるように歌った。

 

『東京で一つ 銀座で一つ 若い二人が 初めて逢った 真実の 恋の 物語り♪』

 

 皆がひとしきり騒いで、お開きにするにはいい時間帯だった。

 夜のちょうど十時当たりの頃だっただろうか。エンマ荘に戻ろうにもすでに門限は過ぎており戸は閉まり入っても荘長たる山姥が化けている時間帯だった。当然の如く魔法処に戻る大海燕の送迎もない。

 出来上がり始めているセウや酒の匂いでやられた大樹の事もあり店主が気を利かせて家を貸してくれるというので私たちはそれを天の助けとばかりに受け入れて、鍵を受け取った。

 電車もタクシーも市内ならまだしも僅かにしないより離れた西広島にはそう見なく、歩いてそこへ行くしかなかった。

 足取り儘ならない千鳥足のセウを翔が介抱し、酒の匂いでやられた大樹は私と來未で引き摺って歩いてそこへと向かった。

 少々距離があり、店主の家は己斐峠を越えたところにあるらしく私たちはぞろぞろと伴ってそこへと向かった。

 薄暗がりの帳の中生温い夜風に頬を撫でられ少し背筋に汗が伝って落ちた頃だっただろうか。不意に綾瀬が話し始めた。

 

「ねえ知ってる?」

 

「何がだ?」

 

 私は重くへたばる大樹の腕を担ぎ直し不思議に綾瀬に眼をやって聞いた。

 

「この峠の噂」

 

「知らぬのだ」

 

 何処か意地悪気に小悪魔的に笑った綾瀬が語り出す。

 

「この己斐峠って広島でも有名な出る場所なんだよ」

 

「出るとは何が出るのだ?」

 

「幽霊」

 

 恐ろし気にそう言って見せた綾瀬が続けた。

 

「昔ここの当たりの民家で惨殺事件があったんだって、一家全員包丁でめった刺し……それ以来この峠を通った人の中に幽霊を見たって聞くそうなの。一応県が霊を鎮めるために七体のお地蔵様を置いたそうなんだけど、七って数字と霊界が結びついちゃって全部のお地蔵様を見るとあっちに引き釣り込まれるだって」

 

「なんとも……まあ」

 

 只人ならばそれこそ冷や汗もの怪談話だろうが、しかしながら我々は魔法使い。

 幽霊など日常茶飯事だし、それ以上に実際この峠には浮遊霊が山のようにいる。綾瀬や他の者には見えていない程に霊力の弱い弱小霊ばかりであるが、確かにこの峠はそう言ったものを寄せ付ける土地なのかもしれない。

 

「忌地という訳でもあるまい。悪霊の類も今見えぬし気配もない」

 

「もう、こういう時って天狗さんは怖がらせ甲斐がないなぁ」

 

 霊長の長たる人類の中でも一際その完成度の違いが分かるほど天狗とは全てを知り尽くしているし、考えるまでもなく理解できる。

 ここは憑き物の類はそうでなかろう。私の見解だがそう思えた。

 峠の中腹の左曲がりの道を曲がっている最中だっただろうか。不意に背筋を這い上るような悪寒が伝った。

 

「っ……」

 

 ふと後ろを振り返ってみるが、特にと言って何がある訳でも居る訳でもない。

 あるのは虚空。街頭に照らされ橙色に光るアスファルト舗装の道ばかりであった。

 ゾクゾクと背筋を這い上る寒さ、心なしか気温も下がったような気がしてならない。いや、これは──実際に寒くなっている? 。

 

「綾瀬よ。少々肌寒くなかろうか」

 

「うん……季節外れの冷夏かな? 確かに寒く──」

 

 次の瞬間だった。漆黒の中からそれが現れた。

 二メートルを超すであろうその巨体。それを目にしたとき私たちの精気が吸い取られていくように肝の奥底が冷え込んでくる。

 冷たく凍てつくその漆黒を纏ったそれが腕を突き出して私たちを指さしてくる。

 その指先は筋張って骨ばかり浮きあがった血の通っていない灰白色の肌色をしている。もっと言うのであれば、あれは足が地面に設置していない、浮いている。

 

「──────」

 

 水の中に落とし込まれ押さえつけられているかのように息が出来ない。

 足先から凍えて氷の中に封じ込められたように体が上手く動けない。それを見ただけで、それがあるだけで死を実感できるほどの膨大な虚無が目の前にいた。

 

「な……撫子ちゃん……」

 

 何とか声を絞り出した綾瀬の震えた声に、即座に反応したのは私でもセウでも娜なかった。

 ネチョネチョ大好き魔法生物狂いの吉川來未だった。

 否応なしに杖をいきなり抜いて、呪文を唱えた。

 

護れ(プロテゴ)!」

 

 來未の杖先から薄白い幕が現れ私たち全員を包んだ。

 盾の呪文。ある程度の魔法技術を必要と高度な呪文だ。私たち三年生ではまだ教えられていない防衛術の類であるのは見て理解できた。

 しかしその漆黒の虚無が膨れ上がる気配がしてそして背後より押し寄せる悪意無き殺気の群れが突如として現れて襲い掛かってきた。

 見覚えのあるその黒色の布切れ。生ける死に装束──レシフォールドだ。

 一枚どころの話ではない。何枚も何枚も、数えだせばきりのない程の大量のレシフォールドが虚空を舞って私たちに襲い掛かってきたのだ。

 あの虚無の死神が呼び寄せたのか、悪霊どうこうではない。呪い殺されるなど憑き物が憑くなどと言った度合いの話ではない。

 確実な死が迫って来ていた。

 三年生の私と綾瀬はその場を動けずにいたが、高学年生の娜も翔も杖を抜いていた。

 朦朧としているだろう大樹であったが倶楽部部長としての矜持からか真っ青な顔色で即座に私たちに向かって叫んだ。

 

「逃げろ!」

 

 全身を縛る金縛りが不意に溶けたようにハッとする。

 何を呆けていたのか。あれは危険な魔法生物だ、撤退するに越したことはなかったが、しかしこのまま大樹達を見捨てて私と綾瀬は逃げていいのだろうか。

 躊躇いの呵責に苛まれそうになった時、私の手を引いたのはセウだった。

 もう片方の手で綾瀬の手を引いて、背中から私とは違った翼を広げてその場から逃げようとしていた。

 

「見捨てる気か! セウ!」

 

「あれには近づいちゃいけない! レディ。あれは悪魔の使いだ!」

 

「撫子ちゃんあれ!」

 

 綾瀬の劈くような叫び声に指さすそれを見た。

 盾の呪文を難なく障子紙よりも容易く破って大樹達を襲い掛かるレシフォールド。全身に巻き付いて身動きの取れなくなった翔に追い払い呪文を掛けて引き剥がそうとするもそれも空しく囲まれて杖を巻き上げられ、全身を黒い死に装束が皆の体を覆っていく。

 共に過ごした時間は少なくとも、少なくともあれらは私の裡では間違いなく友であった。

 その友を見捨てて逃げると、そんな事を許していいのだろうか。

 いやだ! 嫌に決まっている。まだあの混沌とした部室で私は楽しみたいだ。

 セウの手を振り解いて私は杖を抜いて構えて奴らを撃退せんと頭の中でレシフォールドを撃退する呪文を探すが、しかしながら高が三年生が覚えている実践に使用できる呪文など知れている。

 だが私は知っているレシフォールドを撃退する呪文を。

 

守護霊よ来たれ(エクスペクト・パトローナム)!」

 

 力強くそれを叫ぶと、杖がまるでその呪文を行使されることを嫌がるように大量の青い蛆が波の如く私の体を這い上ってくるではないか。

 全身を覆う嫌悪感と不快感。こんな時にまでこの杖は私に反抗してくるのか。

 聞いたことがある闇の魔法使いは幸福を糧にする呪文を行使すると今迄の『忌』に食い殺されると。

 杖もそれに属しているのだとすると、私は守護霊の呪文(パトローナム・チャーム)に見限られたのか。

 絶望の淵に立たされた。

 杖を握る右手がチクチクと痛み始めた。青色の蛆が──私の腕を食べている。

 

「がっ──ああああああああっ!」

 

 小さな痛みが次第に大きな痛みに姿を変える。

 蛆が、蛆が私の体に潜ってくる。皮膚を食み、肉を食み、血を啜り、骨を齧ってくる。

 手の平から拳、前腕から上腕に内側から柔らかな私の体を蝕んで蠢いてのたくってくる。

 全身を覆うのも時間の問題、それほどにこの青色の蛆の浸食は途轍もなく素早い。

 死ぬ、死んでしまう。私も大樹も娜も翔も來未も。

 

「いやだ! 嫌だ嫌だ嫌だああああああっ!」

 

 幾らその蛆を払おうと杖から次々と溢れ出てくる。

 杖を放そうにももう杖を握っている右手は感覚がもうないのだ。おそらく握っているそう思われるが止まらない『忌』の蛆の奔流は止まらない。

 大樹たちの体をレシフォールドが次々と覆っていく。私の目の前で大切なものが失われていく。

 そして私自身も──失われる。

 視界が端から暗転していく。絶望もとうに過ぎこの瞬く間に最早諦めにも近い感情が芽生えた。

 輪廻があるのなら私はそれを呪いたかった。しかしその輪廻も捨てた者ではない。

 私たちが歩いてきた峠の先より白銀のそれがちらりと見えた。

 すると──光が満ちた。

 

「──禍祓い」

 

 綾瀬の囁くような声に応じるようにその光が私たちの目の前を覆った。

 よく見ればその光は形を持っていた。

 狼、鶴、猪に白虎──そして九尾の狐。

 

「レシフォールドを確認した。──撃退せよ」

 

 その声に呼応するように無数の呪符やら靄やら、木の葉の嵐が私たちを包んで現れた。

 深紅の半着に裁着袴、軽装の鎧を纏った術師たち。

 

「出動せよ。六波羅の名に懸けて」



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古都の裏側

 突如として湧いて出たその群集団。

 群集団と言ってもたったの四人であったが、その四人は恐らくこの日本魔法界の中でも屈指の実力を誇るであろう人間たちであった。

 その立場からあちこちから鼻摘まみ者のように扱われてはいるものの実力は現役の闇祓い(オーラ―)、日本でいう禍祓いにも引けを取らない。

 日本魔法省預かり陰陽寮所属機関『六波羅局』だ。

 先頭に立つ刃物のように切れる雰囲気の男はその手に持った数珠の音と共に杖を振って宣言した。

 

「我ら六波羅局。魔法動物法及び不認可魔法関連行為事項を確認した──制圧せよ」

 

『諒解』

 

 三人の局員はそれぞれ異質な雰囲気を放っていた。

 皆さぞ死線を越えてきたのだろう。そうとしか思えない程その目は鋭く、鋭利に尖った目をしていた。

 

「二十を超えるレシフォールド。恐ろしいですわねぇ」

 

 色鮮やかな赤毛の女局員が優雅に言うが、口調とは裏腹にその雰囲気は狩人のそれでった。

 片方の手に持った金剛鈴をチリンと鳴らし、もう片方の手に持った杖を振ると白銀の鶴がレシフォールドのその薄い体表を啄んでいく。

 

「中央のありゃぁ、レシフォールドじゃねえなぁ! クヘヘっ! 吸魂鬼(ディメンター)に伴なわれてきたのかぁ? このレシフォールドたちはぁ!」

 

 甲高い声で喚くその局員は手に持った分厚い過去帳を開いて何かを探しているようであったが、しかしながらこの戦闘に行われている守護霊の制御だけは怠っていなかった。

 その手に持っている過去帳はいわば大罪人の名とそれを監視する監視者たちの名前が記された云わば闇の半死人過去帳名簿。

 アズカバンの収容者の名前から個々の吸血鬼の認識数字、そして世界各国の指名手配中の犯罪者の名前が記されている。

 

「あはっ! 認識数字がない! 自然発生の吸魂鬼!?」

 

 明らかに興奮している様子であったその局員の振る杖に合わせ猛進する白銀の猪がレシフォールドを蹴散らして踏み荒らしていく。

 三者三葉の守護霊たち。鶴を操る女狩人、猪を唆す極卒、そして隊長であろう男の白銀の大狼。

 そしてそのんかに混じっていたのは──。

 

「バカが! その杖で守護霊の呪文使いやがったな!」

 

 急いで駆けつけてきた男──竜人であった。杖を私の青色の蛆の湧いた腕に向けて呪文を唱えた。

 

清めよ(スコージファイ)!」

 

 青色の蛆は溶けるように私の腕から零れ落ち、蛆で埋もれて見えなかった私の腕が現れた。

 見るも無残に食い荒らされてどうにかこうにか骨までは蛆が達していないようであったが、皮膚を食い破った蛆は中まで進んでいるようで、まさに骨と皮ばかりが残っていた。

 泡食ったように竜人は腰の薬盒から小瓶を取り出した。

 匂いから察するにハナハッカ・エキスに類するものである様で爽やかなツンと鼻を突く香りに、私の荒んだ心を僅かながら落ち着かせた。

 用法も無視して私の腕にそれを掛けて傷口を一応の処置を竜人はしてくれた。

 

「二度とその杖で守護霊の呪文を使うんじゃねえぞ!」

 

 強く私に言い聞かせる竜人。いつもの人を食った様な、小馬鹿にしたようなそんな嘲る雰囲気は一切なく真剣そのものに私も黙って首を縦に振るしかなかった。

 

「安部君、一般人の保護を」

 

「諒解、神代局長」

 

 反骨精神の塊のような竜人が歯むかうことなく六波羅局局長であろう男の言う事を素直に聞いていた。

 私たち亢進倶楽部部員を一か所に集め、杖を振って九尾の狐の守護霊を操って守りに入った。

 薄膜の銀の障壁が私たちを包み、レシフォールドの侵入を確実に防いでいた。

 局員たちの士気の高さ、そして戦気の異様な高まり。

 仏具の音がまるで転経器の鳴らす輪廻の環の残酷な運命を指し示しているかのように、レシフォールド、そして局員の一人が言った吸魂鬼(ディメンター)と呼ばれる闇の魔法生物の撃退を奏でていた。

 

「オン・ムニムニ・マカムニ・シャカムニ・ソワカ」

 

 すらすらと唱え上げる真言の美しき語りか──真言に言霊のように魔法は宿らないと証明はされているが、その美しき音色に合わせ荒れ喰らう白銀の大狼の蛮勇さたるや。正しく言葉であの守護霊を、式神を操っているようであった。

 手に持った杖を手繰っているのだから決してそんなことはないのだが、西洋の呪具たる杖が、彼らの纏う東洋の雰囲気で押し消され覆い隠されているようであった。

 彼らは寧ろ禍祓いというより──陰陽師。

 

「そろそろか──」

 

 竜人が静かに呟くと、夜の街に轟くような爆音を鳴らしてそれらが飛来した。

 幾台ものバイク。色鮮やかなボディにロケットカウルや三段シート、これが路上を走っていればそれこそ威勢のいい暴走族のそれであるが、しかしながらその単車群は何を隠そう、空を舞って来たのだ。

 間違いない──日本魔法界の誇る治安維持機関『禍祓い』たちの御到着だ。

 

「遅い御光来。感謝いたします」

 

「柿も青いうちは鴉も突き申さず候と誰かが言った。いつも美味しいタイミングにはいやがるウンコバエの六波羅が……」

 

 一際大きな単車が一台降り立ち皮肉めいてそう言い放つ真っ白な外套(ローブ)に非理法権天と刺繍され怒り心頭と言った様子の禍祓いの長。

 それにニコニコと応じる六波羅局局長の態度たるや、鋼の心臓を持っているのかそれともただ単にこの空気も汲み取れない阿呆なのか分からずじまいであった。

 禍祓いの怒る理由も分からなくもない。何せ禍祓いは魔法世界の治安維持の組織、それの仕事は罪人の捕縛のみならず危険生物の管理から違法物品の取り締まり、魔法界での警察と思ってもらって構わない。

 その仕事を横から搔っ攫った六波羅局は禍祓いからみればまさに『蠅』ごとき煩わしい存在だろう。

 到着した禍祓いの仕事のほぼ全てを処理して、この悪びれない様子を見れば皮肉の一つも言いたくなるのだろう。守護霊に食い散らかされたレシフォールドの残骸を足で払いのける。

 

「相変わらず、トゲトゲしている。亀戸、鶴寺、安部くん、撤収するぞ」

 

『諒解』

 

 撤収準備を始めた局員たち。

 私たちの前に立った局長であろう男が、優し気に私に笑いかけたがその雰囲気は決して笑顔では拭えぬ程に鋭利な物であった。ヤマアラシ友の温もりを感じえず、この男にはあまり深入りするには危ない様子が容易にうかがえた。

 

「君たちは重要参考人だ。挨拶が遅れたね。──我々は日本魔法省預かり陰陽寮『六波羅局』。そして私がこの六波羅の頭の神代竜牙(しんだいりゅうが)だ」

 

 

 

 

 

 禍祓いの大送迎付きで私たちは訳も分からず連行されていく。

 夜闇の空を駆るバイク群が向かっている場所は古都──古今東西日本魔法界に措いて重要な場所、京都へと私たちは連行されていた。

 京都東山区清水の大寺の駐車場にバイク群が降り立って訳も分からず私たちは護送されていく。

 清水寺の内観を楽しんでいる暇など与えない剣呑な雰囲気に私たち亢進倶楽部員たちは皆委縮してしまっていた。

 そんな委縮した中で、遂には──。

 

「さっさと飛べ」

 

 顔を真っ赤にして怒り散らす禍祓いの長が清水寺の縁を指さして言ってくるではないか。

 清水の舞台から飛び降りるといった狂言じみた諺を鵜呑みにして本当に飛び降りるのは馬鹿のすることだが、この状況でそんな馬鹿を言うほど禍祓いの長が頭のおかしい者とも思えなかった。

 他の禍祓い達は次々と清水の舞台からその身を投げていくので、私たちは肝を潰してもうどうしようもない事を悟った。

 

「清水ダイブってマジで……」

 

 大樹は今にも死んでしまいそうな顔色で、必死になってそれを拒否しようとしていたが我々に拒否権など存在しない。

 

「早く行け」

 

 襟首を捕まれ投げ捨てられる大樹の「ヒエー」と情けない悲鳴が木霊して落ちて行った。

 次が使えていると千切っては投げ千切っては投げと投げ捨てようとする禍祓いの長に我々もせめて身を投げるならば自らと言い、縁の手すりを登って下を見た。

 夜闇の暗さもあって下は見えない。この地面のいずこかに大樹の亡骸が転がっていて運よくそこに落ちたなら私たちは足の骨を折るだけで済むはずと、この理不尽な身投げに匙を投げるしかなかった。

 意を決して舞台より飛び降りた。

 

「っ──」

 

 頭の天辺を引っ張られるように奇妙な感覚が私たちを引きづっていく。目の前が目まぐるしく回転し、平衡感覚が見事に崩壊していくような感覚に嘔吐感を抑えきれず嘔吐く私。

 ボットン便所に落下していく糞の如く入口から投げて捨てられた私たちは呻いて転げまわった。

 そして気づくと──目の前に広がっていたのは。

 

「──」

 

 言葉を失ってしまう。

 駅構内を思わせるアトリウム。しかしそれらは金属など低俗なものを一切使わず木で繋ぎ合わせているだけの近代和風建築。

 多数の人々が行き交い、それらすべての装束はやはり和的な色合いが強い。

 見ての通りの立烏帽子に狩衣の陰陽師も居れば、軽やかに袴と羽織だけのものもいる。

 無数の雪洞が浮かんで辺りを照らし、古き良きガス灯がまだ生き残っている様子。

 石畳の道路で私たちは初めて見る古都の風景に口あんぐり目をパリクリと丸めて私は鳩ではないが鳩が豆鉄砲を食ったようになる。

 ヒューと言う音と共に、六波羅局の局員たちも私たちが落ちてきた頭上の穴から現れて見事な着地を決める。

 私たちが突き落とされた清水の舞台以外の出入り口もあるのだろう、小銭と共に六角の石から雷を落としたような落雷と共に姿を現す魔法使いも居れば、どこにもつながっていない鳥居の中から現れる者もいる。

 提灯お化けがケタケタと笑い声をあげて雪洞の中を縫って飛び、鎌鼬が輪になって道行く人々に塗り薬を売って回っている。

 表とは全くの別世界。

 それもその筈、ここは地図にもというよりも地上にその場所が存在していない。

 日本人の発想力か、それとも悪知恵か、検知不可能拡大呪文を京都という空間そのものに掛けたのならどうなるのかという発想の元。この街、魔法街が生み出された。

 陰陽太極図のように風船の内と外のように、ようは魔法街は京都という街の『裏側』なのだ。

 

「こいつらは俺達が持って行かせてもらうぞ」

 

 何やら禍祓いの長と神代とが言い争っている様子であった。

 禍祓いの長も沽券にかかわると言わんばかりに、腰が抜けてこんにゃくの如くフニャフニャになってしまっている大樹の外套(ローブ)をひっ捕まえて今にも連行していきそうな勢いだった。

 

「困りましたねぇ。彼らは私たちが押さえた筈では?」

 

「現場にいたこと自体で嫌疑はある筈だ。何より『未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令』に引っかかってんだ! 杖の破壊はなしにしろそれなりの厳罰は禍祓い(オーラ―)の俺達に権限がある筈だ」

 

「それでもですねぇ。彼らも衰弱してますし、一人に関しては腕を一本なくなりかけている状態だ。せめて証言台に立たせるのなら五体満足の状態できちんと言葉の話せる顔色の良い少年少女の方が見栄えがいいのでは?」

 

「治療ならこっちでもできる! 帝都病院にぶち込めばいいだけの話だ!」

 

「関東圏の設備の話を関西圏で言わないで下さいよ。一体東京まで彼らを運ぶのにどれだけ時間を掛ける気ですか? 姿現しもできない彼らにあなたたちのバイクでの行軍はハッキリと言わせてもらうと自殺行為です」

 

 苛々と頭を掻き毟って考え込んだ禍祓いの長、そしてその妥協案を神代が出した。

 

「二日だけ待っていただけますか? 必ずそちらへ彼らを送り届けますので、治療はこちらで行いますので」

 

「…………っ! ──その言葉違えるなよ」

 

 激しい歯ぎしりで禍祓いたちが退散していく。

 やれやれといった様子の神代に女局員の鶴寺がポンポンと肩を叩いて私たちを魔法街の奥へと案内した。

 

「竜人。一体どこへ行くのだ……」

 

「皆の治療とお前の腕の蘇生だ。少し黙ってろ、もうすぐ着く」

 

 京都一分の一スケールの魔法街を歩かされる私たちの身にもなってほしいものだが、文句を言っても始まらない。

 京都の街に照らし合わせるとちょうど六波羅蜜寺の場所に当たろう場所に到着した。

 周囲の建物は和風木造建築なのに対してそこだけ場違いな洋館であった。

 真新しい看板に『六波羅局』と金縁で書かれた看板を掲げているが、その壁には『売国奴』『くさ者』『裏切者』『誅罰来たり』などと非常に見るに堪えない落書きが書き記されているではないか。

 如何に六波羅局の立場がどうなのかが一目で分かる外観のそこにに私たちは押し込められた。

 内観は非常に綺麗でちょっとした金持ちの別荘と言っても不思議ではない。

 

「こっちだ」

 

 竜人は私の手を取って奥の部屋へと引っ張っていく。

 

「ど、どこに連れて行くのだ」

 

「治療部屋だ。大人しくしろよ」

 

 消毒液臭い部屋へと押し込められた私は入口に仁王立ちした竜人が睨みを利かせて見下ろして宣言した。

 

「くそ痛く治療してやる。覚悟しろ」



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