ぱっちぇさん、逆行! (鬼灯@東方愛!)
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1話

 ――……この私、七曜の魔女『パチュリー・ノーレッジ』の最大の悲劇は、彼女と出会ってしまったことかもしれない。

 

 初めて会った頃の彼女は、痩せっぽちの小さな子供で。

 薄い背中と細い肩を見て、私らしくもない庇護欲を覚えた。

 

 成長した彼女は、私よりも背が高くなり。

 見下ろしてくる綺麗な瞳に、胸が高鳴って、非常に戸惑った。

 

 時が過ぎて、彼女の銀髪に白い物が混じり始めると、終りを意識するようになったけど。

 彼女の存在の全てを、尊いと感じる私がいた。

 

 気が付いた時には。

 どうしようもない程に、愛おしく想っていたのだ。

 

 ……だけど、だから。

 決して、『愛している』とは、伝えなかった。

 

 それは、知っていたからだ。

 

 人として産まれながら、『化物』扱いされてきた彼女が。

 化物に拾われてから、初めて、人として存在することを許された彼女が。

 

 化物と共に生きながらも、誰よりも『人間』であろうとしていることを。

 人間として、終ることを、望んでいるのだということを。

 

 嫌になるくらいに、知っていたからだ。

 

 ――……この私、七曜の魔女『パチュリー・ノーレッジ』の最大の悲劇は、彼女と出会ってしまったことかもしれない。

 出会わなかった方が良かった、なんて。

 そんなふうには、絶対に、思えないのだけれど。

 

 

 

 

「理解できませんね」

 

 使い魔である『小悪魔』は、私のことを馬鹿にするように嗤いながら言った。

 

「惚れた相手が、自分を置いて逝ってしまうのを、指を咥えて見ているつもりですか。貴女は、『魔女』でしょう?」

 

 厭味ったらしさの中にも、確かな思いやりを感じたので。

 

「そうね、私は魔女よ――……人間に、恋した魔女なの」

 

 私は、苦笑しながらも、それだけは答えて、書物に目を落とした。

 小悪魔の吐き出した細い溜息が、妙に耳に残った。

 

 想いを口に出すのは、苦手だったから。

 百も二百も浮かんでくる、下手糞な愛の言葉は、胸の奥に仕舞い込んで。

 代わりに、たったひとつの誠実さを捧げようと、決めていた。

 

 

 

 

 周囲の大多数も、私と同じ結論に達したようで。

 そう遠くない未来に訪れる別離に向けて、心の整理に努めていた。

 

 

 

 

 

 ――……でも、だからといって。

 

 

「こんな、こんな最期なんて、受け入れられるわけがない!」

 

 

 血、血、血。

 血溜まりが、広がっている。

 

 別れは、唐突に訪れた。

 

 

 

 

 人妖共に『紅魔館』と呼ばれるこの館には、多種多様な妖が暮らしている。

 それを束ねているのは、私の親友であり、彼女の主人でもある吸血鬼『レミリア・スカーレット』だということは、周知の事実だ。

 

 そして、レミリア・スカーレット――『レミィ』に、『妹』がいることも。

 その妹、フランドール・スカーレット――『妹様』が、抑えきれない強大な力と、長い幽閉生活によって、精神に異常をきたしていることも。

 多くの者が、知っていた。

 

 知っていて――……意識しないようにしていた。

 

 強大過ぎて、凶悪と言う他ないその『力』は、決して妹様が望んで得た力ではなかった。

 産まれ付き、妹様に備わっていた物で、きっと、一番の被害者は妹様自身だった。

 しかし、レミィや私を含めた周囲は、臭い物に蓋をするように、彼女の自由を奪い、暗い地下に追いやって。

 

 多少、力の制御が出来るようになってからは、限られた範囲での行動を許し、それまでの仕打ちは『なかった』ことにした。

 

 それは、正しく『外道』の所業であったかもしれない。

 

 しかし、そんな中で。

 彼女は、妹様のことを、とても気にかけていた。

 

 ――……だから。

 

「一緒に行かないの?」

「はい、妹様が、体調が優れないと仰せでしたので、本日は、お傍に控えさせていただきます」

 

 彼女は、そう言って、宴会に出掛ける私達について来ようとせず、館に残ったのだ。

 

 

 

 

 ――……その結果が、コレか。

 

 

「こんな、こんな最期なんて、受け入れられるわけがない!」

 

 

 血、血、血。

 血溜まりが、広がっている。

 そのほとんどが、彼女の体から流れ出た物だと考えると、酷い眩暈を覚えた。

 

 私達が、呑気に酒を煽っている間に。

 館では、妹様が暴走して。

 彼女は、それを止めようとして。

 

 ――……殺すことは、出来た筈なのだ。

 

 彼女は、確かに年老いてしまっていたけれど。

 歳月に伴い、彼女の固有能力『時間を操る程度の能力』は、その効果を増していた。

 殺し合いであれば、吸血鬼である妹様の命でさえ、奪ってしまえるほどに。

 それなのに。

 

「……妹様の呼吸は、安定しています。致命傷に成り得る傷は、ひとつもありません」

 

 掠れがちな美鈴の声が、耳に届いた。

 ああ、それは。

 それは、きっと、彼女が。

 

 妹様を、倒そうとしたのではなくて。

 守ろうとしたから、なのだろう、と。

 

 膝をつき、手を伸ばす。

 触れた彼女の頬は、冷たかった。

 嫌でも、理解せざるをえない。

 

 

 ――……彼女は、死んでしまったのだ。

 

 

「こんな最期なんて、認められるわけがないっ!」

 

 悲しみと、口惜しさと、何より深い後悔とともに、涙が溢れ出した。

 そして――……。

 

 

「――……そうだ、こんな最期を、認めてやる必要など、ない」

 

 そんな言葉が発せられた、次の瞬間。

 絶大な力が、唐突に背後で爆発した。

 

「レミィ!?」

 

 その力の発生源で、私の親友であり、彼女の主人でもある吸血鬼『レミリア・スカーレット』は。

 紅い魔力光を辺りに迸らせながら、不敵に笑って、咆哮した。

 

「私は、レミリア・スカーレット! 『運命を操る程度の能力』を持つ、夜の王だ! 理不尽極まる『運命』なんぞ、捻じ曲げてやる!」

 

 目を見開き、言葉を失った私を嘲笑うように、小悪魔も、咆える。

 

「まだ、腑抜けているおつもりですか! 貴女は魔女でしょう!?」

 

 そして、小悪魔は、己の魂を削りながらも、荒っぽいレミィの魔力に、魔力を重ねていった。

 

 結果として――……空間に、亀裂が発生した。

 空間と、時間は、密接に関係している。

 つまり、これは『時空の裂け目』だ。

 本能的に、理解した。

 この裂け目に身を投じれば――時間を移動できる。

 

 ――……運命を、変えられる!

 

「……っでも、」

 

 そんなことを、彼女は望んでいるのだろうか。

 この理不尽な『死』さえも、受け入れて、逝ってしまったのならば。

 超常の力で、その事実を捻じ曲げることは、彼女の想いを否定することになるのではないか――……。

 

「……パチュリー」

 

 名前を呼ばれたので、反射的に視線を向けると、床に寝かされていた妹様が、意識を取り戻していた。

 瞬間、衝動的な『殺意』が込み上げたが。

 消え入りそうなほど小さな声で続けられた内容に、そんな想いさえ、霧散した。

 

「あの子が、ね。最後の、最後に。呟いたんだ。――……パチュリー様、って」

 

 ねえ。

 それは、いったい。

 ――……どうして?

 

「そう、呟いた時。すっごい、優しそうな顔、だったんだよ。でも」

 

 どうしてか、なんて。

 

「でも、すっごい……寂しそうでも、あったんだよ」

 

 どうしてか、なんて――そんなの、決まっている。

 わからないふりを、していただけだ。

 

「……ッ」

 

 傷付けたくなくて。

 なにより、傷付きたくなくて。

 ずっと、ずっと。

 

 逃げていただけだ。

 

「……っ、き、なの」

 

 下手糞でも、いいじゃないか。

 ただ、叫べばよかった。

 

 

「好きなのよ! 『咲夜』が!!」

 

 

「――……だったら、さっさとつかまえに行け! 親友っ!」

 

 親友《レミィ》の激励を後押しに。

 この私、七曜の魔女『パチュリー・ノーレッジ』は。

 時空の裂け目へと、身を躍らせた。

 

 

 

 

「――……ん、う」

 

 船酔いしたような、倦怠感。

 鼻をひくつかせると、先程までとは異なる臭いが、鼻腔をくすぐった。

 ゆっくりと、目を開く。

 

「……え?」

 

 周囲の景色は、一変していた。

 視界に広がる、雄大な山脈と。

 遠くに見える――西洋風の城。

 その城には、見覚えがあった。

 

「あれは……ブラン城?」

 

 吸血鬼ドラキュラ伝説で有名な、あの城だ。

 幻想入りする前に、レミィと物見遊山で訪れたことがあるので、記憶に残っていた。

 

「と、いうことは……ここは、ルーマニア?」

 

 時間を飛び越えるついでに、場所まで移動してしまったということなのだろうか。

 

「いや、それよりも」

 

 今は、いったい――『いつ』なんだ?

 

「……っ!」

 

 嫌な予感に、心臓が騒ぎ出す。

 しかし、じっとしていても始まらない。

 私は、胸元を拳で押さえ、現状を把握する為、駆け出した。

 

 そして――……。

 

 

 

 

「ルーマニア、ではなかったわね」

 

 盛大に、溜息を吐き出した。

 城下町に辿り着き、判明した事実は、そんなに生易しい物ではなかった。

 

「ワラキア公国――……15世紀、か」

 

 咲夜どころか、レミィも産まれてないわよ、と。

 独り呟いて、項垂れる。

 

 

「これから、どうしよう……」

 




どうも、鬼灯です。
東方が大好きです。
パチュ咲を愛しています。
よろしければ、完結までお付き合いいただけますと、幸いです。


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2話

 認められる筈もない『最期』を回避する為に、時間を『逆行』した私、パチュリー・ノーレッジ。

 ――……しかし。

 

「いくらなんでも、戻りすぎでしょう……」

 

 城下町で確認した結果、『ドラキュラ伯爵』のモデルとして有名なヴラド3世が、オスマン帝国に協力したという罪状で捕らえられ、幽閉されたのが、つい先日起こった出来事らしい。

 

 ※ちなみに、『ドラキュラ伯爵』はあくまでも、ブラム・ストーカーの小説に登場するキャラクターであり、ワラキア公ヴラド3世、通称ヴラド・ツェペシュはれっきとした人間である。

 我が親友レミリア・スカーレットは『ツェペシュの末裔』だとかなんだとか嘯いているが、ただのはったりだ。

 

 上述の事実により、『今』は1462年、15世紀半ばということである。

 

「これから、どうしよう……」

 

 今夜の寝床のあてもないし、勢いのまま時空の裂け目に身を投じたので、着の身着のままだ。

 正確には、財布はポケットに入っていたのだが、幻想郷で流通していた紙幣が、15世紀のワラキア公国で利用出来る筈もない。

 

「……まあ、幸いと言えばいいのか、私は魔女だから、寝食が確保出来なくても、早々死にはしないのだけれど」

 

 そうは言っても、このままで良いはずもないわよね、と。

 ひとつ溜息を吐いてから、歩き出す。

 ひとまずは、静かな場所で今後のことを考えよう、と思った。

 

 

 

 

 居場所を探して、分け入った森の中。

 丁度良い倒木を見つけたので、腰を下ろして考え事をしていると、無粋な声に邪魔をされた。

 

「おお、こんな所に魔女がいやがる!」

 

 顔を向けると、醜い妖怪が3匹近付いて来るところだった。

 観察したところ、やたら腕だけ太かったり、顔の下半分だけ鱗が生えていたりと、人化もまともに出来ない木端妖怪の集まりであった。

 

「こりゃあ幸先がいい! 食ったら精が付きそうだ!」

「右足は俺が貰うぞ!」

 

 ――……ゆっくりと、溜息を吐く。

 さて、どうするか。

 相手をするのも、面倒臭い。

 

「ちょっと待てよ、おまえら」

 

 転移魔法でも使用して、まこうかと考えていると。

 3匹のうち1匹が、興味深いことを口にした。

 

 

「どうせだから、とっつかまえて、スカーレット卿への手土産にすれば、いい待遇で迎え入れてくださるかも知れんぞ!」

 

 

 ――……我が親友レミリア・スカーレットは『ツェペシュの末裔』だとかなんだとか嘯いているが、ただのはったりだ。

 しかし、彼女とて、木の股から産まれたわけではない。

 つまりは……ああ、なんでこんな簡単なことに思い至らなかったのか。

 今は1462年、15世紀半ば。

 レミィは、まだ産まれていないだろうけれど――……。

 

「……ねえ」

 

 ゆっくりと立ち上がりながら、目の前の醜い妖怪共に問いかける。

 

「聞きたいことが、あるのだけれど」

 

 その問いに対し、彼等は下卑た笑みを顔に貼りつけて、吠えた。

 

「ああ? うるせぇな、舌ぁ引っこ抜くぞ!」

 

 それは、完全に予想通りの返答だった。

 その為、微笑みながら、言ってやった。

 

「……そう、良かったわね」

 

 すると、彼等は怪訝そうな顔をして「ああ?」と声を上げたので。

 わかりやすいように、説明してやった。

 

「私も、貴方達のことを、うるさい下等生物の群れだと思っているけれど、舌を引っこ抜く気はないわ。聞きたいことがあるから」

 

 怒りからか、顔を真っ赤に染め上げた3匹が、腕を振り上げながら突進してくる。

 私は、右手を上げながら、言葉を続けた。

 

 

「そのかわり――……上手に焼いてあげるわ」

 

 

 

 

 ――……ウルトラ上手に焼けました。

 

 足元には、こんがり焼けた物体が、3つ転がっている。

 人間ならば、確実に致命傷だろう。

 しかし、妖怪は、しぶといのだ。

 

「……さて、聞いてもいいかしら?」

 

 問いかけたが、こんがり焼けた物体達は、呻き声を上げるばかりだ。

 

「ねえ……」

 

 左足で、その中のひとつを、勢いよく踏みつける。

 一際大きな悲鳴が、辺りに醜く撒き散らされた。

 

「答えて、くれるわよね」

 

 疑問符は、付けなかった。

 

 

 

 

 ――……聞いた話によると。

 スカーレット卿は、シギショアラに拠点を構えている吸血鬼で、現在のヨーロッパでは名の知れた豪傑として、恐れ敬われているらしい。

 私が黒焦げにした彼等は、その威光にあやかろうと、みずからスカーレット卿の手下になることを志願しに行く最中だったそうだ。

 

「……ふむ」

 

 ひとまず。

 やることは、決まったようだ。

 

「行きましょうか、シギショアラ――……レミィの、父親のところへ」

 

 

 

 

「……これは、予想外ね」

 

 シギショアラに辿り着いた私は、さっそくスカーレット卿の住まい……後の『紅魔館』を探した。

 普通の人間には見つけることの出来ないよう結界が張られていたが、逆に人外にとっては目立つ状態だったので、すぐに発見できた。

 しかし――……。

 

「第23回スカーレット入団試験を行います! 希望者の方は、私の後をついてきてください!」

 

 犬の耳を生やした執事服の男が、そう声を張り上げた。

 周りには、屈強な体格の化物共が、ひしめいている。

 

 ――……どうやら、スカーレット卿の下につきたい連中は、掃いて捨てるほど存在するようだ。

 

「……ただ、会わせてくれって言っても、会わせて貰える相手でもないでしょうし、今後のことを考えると、その方が都合の良いことも確か、か」

 

 少し癪だが、仕方ない。

 私は、『第23回スカーレット入団試験』とやらを受けるべく、集団に混じって、執事の後を追った。

 

 

 

 

「よく来たな」

 

 男性的でありながらも、蠱惑的な声が、広大な部屋に響き渡った。

 

 蒼銀の髪と、真紅の瞳。

 白い肌と、整った唇から覗く鋭い『牙』。

 スカーレット卿は、レミィと良く似ていた。

 

 

「さっそくだが――……殺しあえ」

 

 

 スカーレット卿は、いきなりそんな台詞をぶっぱなした。

 

「はあっ!? あんた、いきなりなに言ってやがん……ッ!!」

 

 文句を言おうとした奴の頭が、目にも止まらぬほどの速度で射出された光弾によって、綺麗に吹っ飛んだ。

 

「……」

 

 ――……ああ、そういうことだったのか。

 

 私は、疑問に思っていたのだ。

 我が親友レミリア・スカーレットは、何故、『ツェペシュの末裔』だなどと、嘯いていたのか、と。

 実の父親が、十分に強大な吸血鬼だったならば、そんな嘘なんて吐く必要はないはずなのに、と。

 彼女の性格からしても、スカーレット卿のことを、自慢しそうなものなのにと、そう思っていたのだ。

 

「殺しあえ――……この私に、殺されたくないのならば、な」

 

 前言撤回。

 スカーレット卿は、レミィとは、似ても似つかない。

 

 非常に冷徹で、残酷な――『怪物』だ。

 

 

 

 

「素晴らしい」

 

 拍手の音が鳴り響いた。

 すでにこの空間に立っているのは、私と、執事と、スカーレット卿だけだ。

 

「見事な実力だ、魔女よ」

 

 賞賛の言葉と共に歩み寄ってきた彼は、「しかし」と言葉を続けながら、足元に転がっている『私の倒した誰か』を蹴っ飛ばした。

 

「私は、『殺しあえ』と命じたはずだ……彼等には、まだ、息があるようだが?」

 

 瞬間。

 強い殺気が、私の体を、貫く。

 

「その必要もないわ――……彼等は、息をしているだけ。もう、噛みつくことも出来ない」

 

 跳ねた鼓動を悟らせないように、平静を装いながら返答した。

 スカーレット卿は、試すような目で私を見詰めながら、言葉を続ける。

 

「だが、彼等は妖怪だよ。放っておけば、回復するだろう。そうなれば、後ろから首を刈られかねないのではないかね?」

「あら」

 

 出来る限り、余裕のあるふりをして。

 私は、笑った。

 

「まさか、スカーレット卿は、この程度の存在を、脅威と考えておられるのかしら?」

 

 刹那の間、目を見開いた後。

 弾かれたように、スカーレット卿も『笑った』。

 

「く、くくっ、くははははははっ! 気に入ったぞ! 君の名前を聞こう!」

 

 そして。

 私は、己という存在を、名乗った。

 

「私は、七曜を操る魔女、パチュリー・ノーレッジよ――よろしくお願いするわ、『お館様』」

 

 

 

 

 ――……あれから、20年経過した。

 色々とあったが、わかったことがひとつある。

 

 ここは、『正史』とまったく同一の世界ではない、ということだ。

 

 何故、そう判断したのかというと、歴史的事実が異なったのだ。

 正史では、1474年に、ヴラド3世は12年間におよぶ幽閉から釈放され、1476年にワラキア公に返り咲くも、同年にオスマン帝国と戦って戦死するはずの人物であったと記憶していた。

 しかし、この『世界』のヴラド3世は、なんと幽閉されて8年目に命を落としたのだ。

 

「きっと、この世界は起こり得る可能性のひとつ――……複雑に分かれた運命の枝の一本」

 

 そう考えると、どうしても不安に襲われる。

 スカーレット卿――お館様は、現時点では妻を迎え入れていない。

 

 果たして――……本当に、私の親友《レミィ》は、産まれてくるのだろうか?

 

 他の紅魔館のメンバーだってそうだ。産まれてこない可能性も、出会うまでに死んでしまう可能性だってある。

 

 もしも――……咲夜に、二度と会えないのだとしたら。

 私が過去に戻った意味は、まったくないのだ。

 

「……やめ。可能性を考えだしたら、きりがないわ」

 

 私は軽く頭を振って、思考を切り替えることにした。

 ひとまず今は、今やらなければならないことをやろう。

 

「しかし、お館様も、人使いが荒いわね」

 

 敵対勢力のアジトを前に、溜息を吐く。

 さて、突入だ。

 

 

 

 

 ――……この20年の間に出来た部下達が、倒した敵の死体が持つ所持品や、宝を漁っている間を、ふらふらと歩く。

 なかなか大きな建物なので、興味深い書物の一冊もないものかと、視線を巡らせる。

 ……ああ、でも、今夜読書を行うのは無理かもしれない。

 今は自作の魔法薬でおさえているが、今日は激しく動いたので、きっと喘息の発作が起きるだろう。

 その際に感じるだろう苦しみを考えると、非常に憂鬱である。

 

「……ん?」

 

 部屋の隅。

 木箱の重ねられた一角から。

 消え入りそうなほど微かな――呻き声が、聞こえた。

 

「……」

 

 目を細め、近付く。

 回り込み、木箱と壁の隙間を覗き込んだ。

 

「え」

 

 そこには――……傷付いた、赤毛の小さな女の子が横たわっていた。

 




 この物語は、パチュ咲の純愛物語であると同時に、おかんぱっちぇさんの奮闘記でございます。


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3話

 小さな生き物というのは、基本的に愛らしい物であると、私――パチュリー・ノーレッジは常日頃から考えている。

 上述の理由により――……放っておけなかった。

 

 

 

 

「……しっかりしなさい」

 

 あてがわれている自室にて。

 拾って帰った幼子をベッドに寝かせて、その赤い前髪を指で払い、濡らした手拭いを額に乗せてやった。

 青痣や、裂傷等の外傷は、治癒魔法で癒したが、医者ではないので、体内に異常が起きていた場合は、どう対処すれば良い物かわからない。

 齢を重ねた妖怪ならば、放って置いても自然に回復するかもしれないが――おそらく、この子は見た目通りの年齢であると確信していた。

 その為、非常に落ち着かない心持ちで見守っていたのだが……意識は未だに戻らないものの、呼吸は落ち着いてきたように思う。

 その事実に多少安堵しながら、息を吐き出したところで――……。

 

「――ッ! ゲホッ、ゲホッ!」

 

 ……咳が、止まらなくなった。

 おそらく、喘息の発作をおさえていた『魔法薬』の効果が、切れたのだ。

 

「くっ、かは……っ!」

 

 死ぬ程の、苦痛。

 しかし、私は魔女なので、この程度では決して死なないことは、今までの経験で理解している。

 ただ、呼吸がままならなければ、意識を保つことが出来ないので、気を失うだろう。

 

「……あ」

 

 私の上げた、咳の音と、呻き声に反応したのか。

 やっと意識を取り戻した、赤い髪の幼子。

 その見開かれた目と、視線が交わった。

 綺麗な緑色からは、困惑が見て取れた。

 

 ――……呼吸がままならなければ、意識を保つことが出来ないので、気を失うだろう。

 その間、に。

 

(その間に――……殺されなければ、いいのだけれど)

 

 敵のアジトから、拾ってきたのだ。

 寝首をかかれる可能性は、決して、低くはない。

 

 しかし、まだ。

 死ぬわけには、いかないのだ。

 

 

 ――……暗転。

 意識は、闇に沈んだ。

 

 

 

 

「……大丈夫、ですか?」

 

 目覚めにかけられた第一声に、自分が生き長らえたことを知った。

 

「大丈夫、みたいね――……おはよう」

 

 返答を返しながら、己の額に手をやり、気付く。

 濡れた手拭いが、額の上に置かれていた。

 この部屋には、私と、目の前の赤い髪の幼子しか、存在しない。

 

「……」

 

 無言で幼子の顔を見詰めると、幼子は、困ったような顔で、『笑った』。

 どうやら、この幼子は――……『良い子』のようだ。

 

「……私の名前は、パチュリー・ノーレッジ。魔女よ」

 

 自己の名前を名乗り、返答を待つ。

 良い子ならば、答える筈だ。

 

「……私、は」

 

 しばしの間を置いてから。

 幼子は、困った顔のまま、言った。

 

 

「私には、名前がありません。ただの、雑種です」

 

 

 名前が、ない。

 その返答を聞いた瞬間――……脳裏に、銀色がフラッシュバックした。

 

 

 

 

 拙い口調の幼子から、ゆっくりと話を聞いた。

 彼女は、遠い国の生まれで、気が付いたら『独り』だったらしい。

 それ自体は、珍しいことでもない。

 人間でも、妖怪でも――……『捨て子』なんて、いくらでも存在する。

 ただ、彼女には、いくつかの『不幸』があった。

 

「この、角は――……」

 

 幼子の長い髪を掻き分けると、とても小さな『角』が生えていた。

 その角が、牛等の物だったならば、問題ではなかったのだけれど。

 

「……『龍の角』だって、知らない妖怪が言っていました。混ざり物だけど、餌には十分だ、って」

 

 角を触らせて貰いながら、魔法で解析をしてみたところ、幼い彼女の体の中には、雑多な妖怪の血と力が詰め込まれていて――……その中には、非常に希少価値の高い力も存在した。

 下等で下劣な妖怪ほど、栄養価の高い餌を喰って、強くなることを望んでいる物だ。

 成程、確かに彼女は『雑種』だが、上等の『餌』だろう。

 

「逃げていました。いつも。何故生きているかはわからなくても――……死にたくは、なかった」

 

 それは、『本能』だ。

 生きる物として、正しい『感情』だ。

 

「……そうしているうち、一人の人間と出会いました」

 

 彼女の前に現れたその人間は、真っ白な髭をたくわえた老人だったそうだ。

 

「何か、優しい言葉をかけてくれたわけではなかったけれど。傍に居ても、怒らなかったし――……食べ物を、分けてくれました」

 

 老人は、武道の道に生きる人間だったようで、彼女の見ている前で、日々、修行に励んだ。

 滝に打たれ、木に拳を打ち付け、座禅を組んで、瞑想に耽る。

 彼女は、それを見様見真似で『真似』し始めた。

 

「師父、と呼んだら、睨まれましたけど」

 

 そして――……傍らに置いていた、幼い彼女には不釣り合いに大きな帽子を胸に抱いて、笑う。

 それは、泣き出しそうな『笑顔』だった。

 

「最期に、この帽子を、頭に被せてくれて――……『世界は、広いんだぞ』って」

 

 ああ。

 やっぱり。

 彼女は『良い子』だ。

 

「確かに、『世界』は、広かったですよ」

 

 でも――……『良い子』に対して、この『世界』は優しくないのだ。

 

「不思議ですね。広い筈の、この世界は――どうして、こんなに窮屈なんでしょう?」

 

 それは。

 不思議でも、何でもない。

 だって、この『世界』に住む人々の『心』は。

 とてもとても、『狭い』のだから。

 

「……何故」

 

 口を開く。

 疑問が零れ落ちた。

 

「何故、私にその『角』を見せたの。……何故、貴女の『弱み』を曝したの」

 

 しかし、本当は。

 聞かずとも、答えなど知っているのだ。

 

「……きっと」

 

 幼い彼女は、小さな肩をすくめながら。

 また『笑った』。

 

 

「きっと――……寂しかったんですよ」

 

 

 銀色が、フラッシュバックする。

 出会った当初のあの子は、決して、笑えなかったけれど。

 

「……っぐ!?」

 

 唐突に。

 目の前の幼子が、息を詰まらせながら、背中を丸めた。

 

「く、ぅうっ、あっ!」

 

 人間でも、妖怪でも――……『捨て子』なんて、いくらでも存在するのだ。

 ただ、彼女には、いくつかの『不幸』があって、そのひとつめは、『種族』だ。

 そしてふたつめの不幸も、大元は同じだった。

 幼い彼女の体の中には、雑多な妖怪の血と力が詰め込まれていているけれど――……それに、彼女自身が、振り回されている。

 

「……っ!」

 

 苦痛に歪んだ幼い顔を見て、胸が締め付けられた。

 小さな生き物というのは、基本的に愛らしい物であると、私――パチュリー・ノーレッジは常日頃から考えていた。

 

 

 放っておける、わけがない。

 

 

「……大丈夫」

 

 震える小さな体を、そっと抱きしめた。

 私の見立てでは。

 彼女は、生きた龍脈であり、龍穴である。

 それならば。

 東洋魔術の五大元素に加え、日と月まで極めた私が、御しきれないわけ、ないだろう。

 

「世界が、広くても。狭い心に、追い立てられても」

 

 貴女は、もう『独り』じゃない。

 

「私が――……『七曜の魔女』が、ついてる」

 

 

 

 

 そして。

 幼かった彼女は『成長』し。

『気を使う程度の能力』を手に入れたのだった。

 

 

 

 

「只今戻りました!」

 

 任務に出ていた彼女は、帰ってくるなり私の部屋へと尋ねてきた。

 扉を開けた途端飛びついて来た彼女を、非力な私が受け止めきれるわけもなく、尻餅をつく。

 怒鳴ってやろうかと思ったが、向けてくる満面の笑顔に、大型犬を幻視したので、その気力も萎えた。

 

 

「貴女に早く会いたくて、急いで帰ってきたんですよ――……『お母さん』」

 

 

 自分が『母』と呼ばれることなど、想像したことすらなかったが。

 その呼び掛けを否定することも、今となっては、出来はしない。

 しかし。

 

 

「おかえり――……『美鈴』」

 

 

 全力で叫びたい。

 どうしてこうなった。

 

 

 

 

 成長した『彼女』は。

 長身に見合う豊満な肉体と、真っ赤な長髪と、深緑の目を持つ『美女』で。

『気を使う程度の能力』を有していた。

 

 

 つまりは、私の親友の従者となる筈の妖怪、『紅美鈴』である!

 

 

 以前の世界では、彼女にその名前を与えたのは、親友だったが。

 この世界では、未だ産まれてさえいない親友の代わりに、私がその名前を与えることになった。

 彼女は――……美鈴は、言う。

 

『この名前は、お母さんに与えていただいた、大切な宝物ですよ』と。

 

「大好きです、お母さん」

 

 私は。

 笑顔で甘えてくる可愛い『娘』の頭を、溜息を吐きながら、ゆっくりと撫でた。

 

 

 本当に――……どうして、こうなった。

 




仕事が忙しかったり、熱が39度出たりで更新が遅くなりましたが、今後も亀更新が予想されます。
のんびりお付き合いくださると幸いです。


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4話

 ――……美鈴を拾ってから、間もないある日。

 スカーレット卿――『お館様』のもとに呼び出された私――『パチュリー・ノーレッジ』は、何を言われるのだろうかと、内心、気が気ではなかった……の、だが。

 開口一番、彼は言ったのだ。

 

「よく考えたものだな」

 

 ……、

 …………はあ?

 

 よく考えたものだな――……とは、いったい、何のことなのか。

 まったく思い当るところがなかった。

 その為、むしろ、貴方は何を考えた、いや、何を妄想したのか、と。

 そう、返しそうになったのだが。

 私が何事かを口にする前に、彼は不敵に笑いながら言葉を続けた。

 

「君が拾ってきたあの『雑種』、育てればそれなりの物に仕上がりそうだ。今食って僅かな糧とするよりも、手懐けて使ってやり、役立てた方が得だろう。いらなくなれば、食ってやれば良いのだし」

 

 ――うわあ。

 

「は、ははっ」

 

 自然と、私の口からは、乾いた笑いが零れ落ちた。

 それをどう勘違いしたのか、お館様も笑みを深めた。

 

 ――……やはり。

 お館様と、レミィとでは、似ても似つかない。

 お館様は、非常に冷徹で、残酷な――『怪物』だ。

 

 そう考えながら。

 しかし、同時に、私は思ってしまったのだ。

 

(人の話をろくに聞かずに、全てわかっているって雰囲気を醸し出しながら、自信満々な顔して笑う――……しかも、見た目だけなら文句なしに『夜の王』って感じ)

 

 ――……やはり。

 お館様と、レミィは。

『親子』なのだなあ、と。

 そう思ってしまい――……小さく、溜息を吐き出したのだった。

 

 

 

 

 しかしながら。

 傍目から見れば、確かに、お館様の予想していた通りに、事態は推移したかも知れない。

 

 成長した美鈴は、役に立つ、なんて物ではないほど、凄まじい働きぶりだった。

 朗らかに笑いながら、『親孝行がしたいんですよ』なんて言って、現場仕事を代行してくれるようになったのだ。

 おかげで、私の仕事は館内での事務仕事がメインになったのだった。

 

(なお、現在のスカーレット家の行っている主な仕事はふたつだ。ひとつめは、一部の人間の権力者に単純な武力等を提供してやり、金品および『不要と判断された人間』を貢がせている。ふたつめが現在の私が担当している仕事だが――貢物の金品や、その伝手で得た貴重品等を適切に捌いて、何倍もの収入に膨れ上がらせるという仕事だ。『元の世界』でも、私の仕事は似たような物だった)

 

 自分の能力には、自信がある。

 その辺の木端共に対して敗北を喫する程、情けなくはないつもりだ。

 だけれども――……肉体労働は、向いていないのだ。

 

 自作の魔法薬で己の体を誤魔化しながら、戦闘任務をこなしていたが――ぶっちゃけ、すっっっごい! しんどかった!!

 

 ホント、美鈴様様である。

 ――……と、まあ、そんな感じで。

 それなりに安定した日々を過ごしていたのだが。

 

 

 ある満月の夜のこと。

 お館様が、一人の女性を連れて帰ってきた。

 

 

「――……おお、ノーレッジ。紹介しよう」

 

 彼は。

 出会って以来、初めて見るような、『やわらかな笑み』を浮かべて。

 傍らの女性の細い肩に、そっと手を置きながら、言ったのだ。

 

 

「彼女は、私の妻になる女だ」

 

 

 ――……ああ。

 やっと、か。

 

 

 

 

『奥方様』は。

 とても、美しい女性だった。

 金糸の髪に、オレンジがかった赤い瞳。

 宝石のように光り輝く『翼』。

 

 つまりは。

『妹様』に、瓜二つであった。

 

 少なくとも、外見は、レミィが父親似で、妹様が母親似のようだと私は思った。

 しかし、奥方様が館で暮らすようになってから、しばらく経ち――私は、認識を改めた。

 

 奥方様は、物静かで、思慮深く。

 あまり、感情を表に出さない人物で。

 それは、精神状態が安定している時の妹様を思い起こさせた。

 

 どうやら。

 内面も、妹様は、母親似であったらしい。

 

 

 

 

 季節が一巡した頃。

 奥方様が『懐妊』された。

 

 日に日に膨らんでくる腹を、多少距離を置いて眺めながら。

 静かに、胸に熱が広がるのを感じた。

 

 

 

 

 お館様から、出産に立ち会ってほしいと言われた。

 治癒は専門ではないが、簡単な回復魔法ならば行使出来る私を、『万が一』の時の為に、傍に置いておきたいらしい。

 お館様は、奥方様にだけは、優しかった。

 私は、一も二もなく、頷いた。

 

 

 

 

 そして。

 産声が響いた。

 

「――……貴女の名前は、レミリア。レミリア・スカーレットよ」

 

 奥方様は、息を乱しながらも、腕の中に納まった『産まれたての赤子』に、そう囁いた。

 

 薄く生えた髪の色は、蒼銀。

 ピコピコと揺れ動く、小さな、黒い翼。

 ふと。

 赤子が、こちらに視線を向けた。

 

 その瞳の色は、とても見慣れた『紅』だった。

 

 ――……胸が、熱い。

 恋情ではない。

 私がその感情を捧げる相手は、たった一人だ。

 

 だけど、この感情は。

 それにも匹敵するものだろう。

 

 微笑んで。

 声には出さず、呟いた。

 

 

 ――……はじめまして、親友。

 

 

 

 

 後日。

 お館様に、重要な話があると言われ、呼び出された。

 何事か、と。

 身構えていたのだが。

 

 

「レミリアの、教育係を任せたい」

 

 

 配下の中では、君がいちばん教養を持っているのだよ、と。

 お館様が、微笑んだ。

 

「……えー」

 

 いや。

 だから。

 

 ――……どうして、こうなるのだ。

 




 今回は、繋ぎのお話なので、短めです。
 次回はレミリアお嬢様回!


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5話

 お館様からとんでもない命令を受けて。

 すでに、4年の歳月が経過した。

 この私、『パチュリー・ノーレッジ』にとって、その4年間は――……、

 

「ぱちぇーっ!」

「ぐえっ!?」

 

 背後から衝撃。

 耐え切れずにスッ転んで、床で額を強打。

 あまりの痛みに、俯せに倒れたまま、ぷるぷる震える私。

 そんな私の様子には、構いもせず。

 背中によじ登ってくる、『幼い悪魔』。

 涙目で見上げると、満面の笑み。

 小さな牙が、キラリと輝く。

 

「ぱちぇ! あそびなさい!」

 

 舌ったらずな声。

 でも、命令口調。

 

「……はあ」

 

 思わず、溜息を吐いて。

 次の瞬間。

 

「きゃあ!?」

 

 思いっきり、横に転がってやった。

 私の背中から、勢いよく転がり落ちる、小さな身体。

 ゴチンッ! と、痛そうな音が、鈍く響く。

 

「いたい……」

 

 後頭部をおさえて呻く、幼子に。

 

「私だって、痛かったわ……レミィ」

 

 真っ赤であろう己の額を見せつけながら、そう返した。

 

 

 

 

 ――……4年前。

 

 

「レミリアの、教育係を任せたい」

 

 

 その命令を受けた私は。

 正直なところ。

 心底、混乱した。

 

「……えー」

 

 だって、レミィは。

 レミィは、私の。

 

「……」

 

 でも。

 自分の立場を考えたら。

 断る、などという選択肢が。

 あるはずも、なくて。

 

「……承りました」

 

 そう、返すよりほかに、なかった。

 

 

 

 

 しかし。

 その後、1年間。

 私とレミィが関わることはなかった。

 まあ、当たり前である。

 乳幼児の仕事は、

 

 1. 母親の乳にしゃぶりつき、

 2. オムツを臭くして泣き、

 3. ぐっすりと、眠ることだ。

 

 ……教育係が教えることなど、ない。

 

 と、いうか。

 4歳か5歳くらいまでは、私の出番はない。

 そう、思っていた。

 の、だが。

 

 

 

 

「はぁあああ……」

 

 色んな感情を、抑え込むために。

 ゆっくりと、長く、溜息を吐いた。

 

「……お館様は」

 

 溜息くらい、吐いていないと。

 やってられない。

 

「教育係と、ベビーシッターを、混同しているのかしら……」

 

「う?」

 

 無垢な声。

 腕の中に視線を落とせば。

 紅い瞳が、キラキラ輝いている。

 

「あー!」

 

 小さな口から。

 幼子特有の、聞き取り辛い、高い声。

 

「……はあ」

 

 もう一度、溜息を吐くと。

 その吐息で、幼子の前髪が、フワッと浮いた。

 それの何が楽しかったのか、幼子は――『レミィ』は。

 あどけない顔で、キャッキャッ、と、笑いだす。

 

 

 

 

 幼い頃の吸血鬼の成長速度は、人間と変わらない。

 一般的に、5歳くらいから、その速度は緩やかなものとなる。

 

 ※500年後のレミィの外見年齢は、10歳程度だった。

 

 世話の仕方も、人間と一緒だ。

 お乳を飲みながら、すくすく育っていく。

 奥方様は、乳母を雇うことを拒否して。

 ご自分のお乳を、レミィに与えたいと望んだ。

 お館様は、奥方様に優しい。

 だから、奥方様の好きなようにさせていた。

 

 しかし。

 レミィの、初めての誕生日。

 お館様は、レミィの小さな口に、自分の指を突っ込んで。

 そこに、とても小さな牙が生えているのを確認すると。

 

 

「乳離れの時期だ」

 

 

 そう言って、奥方様とレミィを――……引き離した。

 

 

 お館様は、奥方様に優しい。

 奥方様にだけ、優しい。

 奥方様だけを、愛しているのだ。

 

 だから。

 我慢の限界、だったのだろう。

 あの男は、あろうことか。

 

 

 自分の娘に、嫉妬したのだ。

 

 

 

 

「……」

 

 キョロキョロと。

 何かを――……誰かを、探すように。

 忙しなく動き回る、紅い瞳。

 

「……レミィ」 

 

 その、やわらかな頬に手を添えて。

 

「レミィ、私は『パチェ』よ」

 

 笑って、告げる。

 

「貴女の『親友』なの」

 

 世界が変わっても。

 出会いが変わっても。

 絶対に、変わらないこと。

 

 

「末永く、よろしくね」

 

 

 きゃあ! と。

 幼い声が、応えるように弾けた。

 

 

 

 

 この4年を振り返る。

 ……うん。

 私、頑張った。

 めっちゃ! 頑張った!

 

「ぱちぇー?」

 

 ぱたぱた。

 ちっちゃな羽根をはばたかせて。

 立ち尽くした私の背中に、ふわりと飛びついたレミィ。

 

「ねえ、ぱちぇ」

 

 その声が。

 なんだか、いつもと違ったので。

 

「なあに、レミィ」

 

 ことさら優しく聞いてやる。

 

 世界が変わっても。

 出会いが変わっても。

 私と彼女は、親友だけど。

 それは、絶対に、変わらないけれど。

 

 やっぱり、この世界では、私の方が『年長者』だから。

 接し方が変わるのは、仕方のないことだ。

 

「あのね」

「うん」

「あの、あしたね」

「うん」

「わたしの、おたんじょうび、でしょう?」

「ええ、そうね」

「だから、だからね?」

「うん」

 

 つっかえながらも。

 幼いなりに、一生懸命。

 とても真剣に、話そうとしているから。

 急かすことなく、耳を傾けた。

 

 そして、レミィは。

 

 

「だから……おかあさまと、おはなしできるのよね?」

 

 

 そう言って、私の肩に置いた小さな拳を、ぎゅぅっ、と握り締めた。

 

「……」

 

 私は。

 その拳に、そっと手を重ねて。

 

「ええ、そうね……いっぱい、お話しするといいわ」

 

 そう答えてやった。

 すると、

 

「……うん!」

 

 レミィは。

 本当に嬉しそうに、笑った。

 

「……」

 

 小さな生き物というのは、基本的に愛らしい物であると。

 私――パチュリー・ノーレッジは、常日頃から考えている。

 

 そして、愛らしい物は、大切にされてしかるべきだ。

 

 

「……あの、糞男め」

 

 

 小さな。

 誰の耳にも、届かない声で。

 抑えきれない感情を、吐き出した。

 

 

 

 

 翌日。

 レミィの、4歳の誕生日。

 

「それでね、おかあさま! そのとき、ぱちぇったらねっ」

 

 母娘の語らい。

 丸テーブルを囲んで座り、紅茶を飲みながら。

 楽し気に、毎日のくだらない日常を語るレミィ(9割方、私の話だ)。

 

「……ふふっ」

 

 それに相槌を打ちながら、時折小さく笑う、奥方様。

 

 毎年、この日だけは、一日中、二人一緒だ。

 

 この時間は、お館様からレミィへの、誕生日プレゼントなのだろう。

(……まあ、普通は、母娘が共に過ごすのは、当たり前のことだけども)

 

 そして私は、毎年それをレミィの隣に座って眺めている。

 もちろん、邪魔をしてはいけないと、遠慮しようとしたこともある。

 

 しかし。

 立ち去ろうとした私の袖を。

 レミィは、ギュゥッ、と引いて、引き留めた。

 そして、

 

「ぱちぇは、わたしのとなり!」

 

 ――って、偉そうに、椅子を指差した。

 

 

 だから、私は彼女の隣。

 いつだって、隣にいるのだ。

 

 

「……ねえ、レミリア」

 

 奥方様が。

 あらたまった調子で、口を開いた。

 

「なあに、おかあさま?」

「あのね、貴女に、プレゼントがあるの」

「え? うん、さっきもらったわ。ありがとう!」

 

 レミィの膝の上。

 愛らしい、クマのぬいぐるみ。

 しかし、奥方様は首を横に振った。

 

「いいえ、それとは別に」

 

 その言葉に。

 レミィは、楽し気に身を乗り出した。

 

「えっ、なになに!?」

 

 奥方様は。

 レミィの小さな手をとって。

 自分の腹に、そっと触れさせた。

 

「……あ」

 

 私は。

 2個目のプレゼントの正体に、気が付いた。

 

「ほら、レミリア……ここにね」

 

 ドクリと。

 心臓が、嫌な音をたてた。

 

 

 

「妹が入っているの。貴女は、お姉様になるのよ」

 

 

 

 ――……ああ。

 来るべき時が、来た。

 




おひさしぶりです。
また少しずつ書いていきますので、よろしくお願いいたします。


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6話

 新たな命の誕生を控えて、キラキラと輝く笑顔から目をそらしながら。

 私、パチュリー・ノーレッジは、どうしようもない焦燥感に苛まれていた。

 

 

 

 

 レミィの誕生日から、7ヵ月が経過した。

 

 自室にて。

 ベッドに俯せに横たわり、本を広げている私。

 

「いっもうとがうまれたら♪」

 

 その背中の上に。

 

「な~にをしーてあーそぼうっ♪」

 

 無遠慮に寝転んだまま、ご機嫌に歌い続けるレミィ。

 

「……うるさいわよ」

 

 低い声で、恫喝しても。

 

「ぱちぇー、いもうとは、どんなこかしら?」

 

 楽しそうに、言葉を連ねる。

 普段なら。

 その無邪気さにほだされて。

 溜息で流すところ、だけど。

 

「いい加減に、」

 

 柄にもなく。

 声を荒らげそうになった。

 ――……しかし。

 

 

「只今戻りました! お母さん!」

 

 

 そのタイミングで。

 勢いよく開かれた扉と、放たれた声。

 

「……」

 

 顔を向ければ。

 美しい赤の髪に。

 穏やかな、緑の瞳。

 

「めいり、」

「めいりーんっ!」

 

 私よりも早く。

 その名を呼びながら。

 ばびゅぅん! っと飛び出す、小さな身体。

 

「わぁ、っとと! ……あははっ」

 

 それを受け止めて。

 勢いを殺すために、くるりと一回転。

 笑顔で、幼子と顔を見合わせる、

 私の『愛娘』。

 

「ただいまです、お嬢様」

 

 長期任務終了後。

 まっすぐにこの部屋に来たのだろう。

 まだ、薄汚れた格好の『美鈴』。

 その豊満な胸に、子猫のように顔をこすりつける、レミィ。

 

「おかえりなさい!」

 

 舌っ足らずな声で、レミィが叫ぶ。

 

「良い子にしてましたかー?」

 

 美鈴が、その頭をクシャクシャと撫でる。

 

 ……前の世界では、ありえなかった光景だ。

 

「おかえり、美鈴」

 

 遅れて。

 私が、やっとそう口に出すと。

 輝く笑顔が、こちらに向けられて。

 

「はい! お母さん!」

 

 そのまま。

 突っ込んできた。

 

「きゃああっ!?」

 

 レミィを抱いたまま。

 私の寝転がっているベッドへダイブしてきた美鈴。

 布団が、軽やかに宙へ舞い上がる。

 

「……えへへ」

 

 次の瞬間には。

 レミィとまとめて、抱きしめられて。

 

「会いたかったです」

 

 そんな。

 

「……」

 

 そんな声で、囁かれて。

 

「……」

 

 そんな目で、見られたら。

 

「……はぁ」

 

 もう、なにも言えない。

 

 やっぱり。

 前の世界では、ありえない。

 

 でも。

 この世界では、もうこれが『当たり前』で。

 

 私は、真ん中にレミィを挟んだまま、美鈴の背中に腕を伸ばした。

 

 

 

 

 運命を捻じ曲げた結果。

 私の養い子になった美鈴。

 そして、乳歯も生えたての時期に、私に押し付けられたレミィ。

 このふたりは、必然的に関わることが多くなり。

 今では、年の離れた姉妹のような関係になっている。

 ――……だからこそ。

 

「ねえ、めいりん! わたしね、おねえさまになるのよ!」

 

 レミィは、真っ平らの胸を張って自慢した。

 ついに自分も、姉になるのだ、と。

 そして。

 

「……わたし、いいおねえさまに、なれるかしら?」

 

 不安そうに。

 そう、言葉を続けた。

 

「うーん……」

 

 美鈴は。

 考えるように、視線を彷徨わせた後。

 

「良いお姉様、というのは、わかりかねますが」

 

 目尻を下げながら、穏やかな声で答えた。

 

「すでにお嬢様は、とても優しいお姉様だと思いますよ」

 

 それを聞いたレミィは。

 少し、『お姉さん』っぽい顔をして。

 照れくさそうに、笑った。

 

 

 そんな二人を眺めながら。

 私は、気持ちがどこまでも沈んでいくのを感じていた。 

 

 

 

 

 目を瞑れば。

 いつだって、思い起こせる。

 

 彼女と過ごした記憶。

 切なくも、愛しい日々。

 

 その最後を。

 

 血、血、血。

 血溜まりが、塗り潰す。

 

 彼女は、妹様のことを、とても気にかけていた。

 それなのに。

 その結果は。

 

 ああ。

 

 恨んでいない、なんて。

 嘘でも、言えない。

 

 

 

 

 長期任務により蓄積した疲労で眠りに落ちた美鈴。

 その腕の中で、穏やかな温もりがもたらす安心感に沈んだレミィ。

 そんな愛らしい二人を部屋に残して、人気のない場所を探し、彷徨い歩く。

 

 本当は、理解している。

 

 彼女が、最後の最期まで。

 妹様を、守ろうとしたこと。

 

 恨むなんて。

 憎むなんて。

 お門違いも甚だしいこと。

 

 それでも。

 感情が、言うことをきかない。

 

 

 ――……吐きそうだ。

 自分自身に対する、嫌悪感で。

 

 

 

 

 館の裏庭。

 滅多に人の訪れない、生垣の向こう側。

 たまに、独りになりたい時に、訪れる場所。

 

「……え?」

 

 そこに。

 初めて、先客を発見した。

 

「が、ぁ、……っ!」

 

 苦しそうに。

 嘔吐く、その細い背中。

 

「……奥方様?」

 

 呼びかけに。

 弾かれたように振り向いた、その人の口元は。

 

「……ッ!」

 

 吐き出された血で、真っ赤に染まっていた。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 反射的に叫んで、駆け寄る。

 背中に触れようとした、その瞬間。

 

 

 ボンッ! と。

 奥方様の体内から、小さな爆発音が響いた。

 

 

 くの字に折れた体が、ゆっくりと地面へ沈んでいく。

 

「奥方様ッ!」

 

 急いで抱き留めた体は、小刻みに震えていて。

 

「奥方様! 早く館へっ、」

「やめて!」

「!?」

 

 その声は。

 痛みに震えながらも、凛々しかった。

 

 私の腕を、ギュウッと握り締めて。

 奥方様は、懇願した。

 

「今は、館に夫が居る。

 今の私の状況を、あの人に知られるわけにはいかない……っ」

 

 滴る血が。

 愛のように。

 ゆっくりと、地面に染み込んでいく。

 

 

「この子を、守らせて……!」

 

 

 ――……ああ。

 フラッシュバックする。

 

 

 血、血、血。

 血溜まりだ。

 

 

 酷い眩暈を覚えた。

 

 

 

 

 数分か、数十分か、数時間か。

 容態の落ち着いた奥方様から聞き出した現状は。

 残酷極まりないものだった。

 

 奥方様の腹の中に収まっている胎児は。

 後に『フランドール・スカーレット』と名付けられる彼女の娘は。

 

「ありとあらゆるものを破壊する程度の能力」を有している。

 

 全ての物質には「目」という最も緊張している部分がある。

 フランドールはその「目」を自分の手の中に移動させ、握り潰すことで対象を破壊する。

 

 ――……母親の腹の中にいる今の彼女が視認出来る世界は、その胎内のみ。

 

 

 つまりは。

 破壊対象は、母親だということだ。

 

 

 内側から破壊され。

 血反吐を吐きながら。

 

「……大丈夫よ」

 

 奥方様は。

 一人の、母親は。

 

「お母様が、守ってあげる」

 

 愛おしそうに、膨らんだ腹を撫でた。

 

「……」

 

 

 フラッシュバック。

 鮮明な。

 

 銀色。

 血溜り。

 赤、赤、赤。

 

 痛かっただろう。

 苦しかっただろう。

 死にたくなんて、

 きっと、

 

 それでも、

 

 守りたかったんだろう。

 

 

「……守るわ」

 

 自然と。

 言葉が。

 決意が。 

 口から溢れた。

 

「え?」

 

 戸惑いの視線を向けてくる奥方様の。

 その腹に、手を添えて。

 告げる。

 

 

「貴女ごと、私が守るわ――……今度こそ!」

 

 

 さあ。

 そうと決まれば。

 

 夜逃げの準備だ。

 

 

 

 

「どこだ! どこに消えた!」

 

 館に、スカーレット卿の怒号が響き渡る。

 

「お館様! 奥方様もお嬢様も、敷地内にはおられません……ぐあっ!」

 

 八つ当たりに放たれた拳で。

 報告に訪れた使用人の頭が、壁にめりこむ。

 

「ノーレッジは! 奴はどこだ!」

 

 古株の犬耳執事は、己の主から5歩程離れた位置を確保し、その問いに答えた。

 

「おりません。彼女の子飼いの雑種もです。

 ……おそらく、奥方様方を拐かしたのは、彼女かと」

 

 その言葉を聞いて。

 スカーレット卿の真紅の瞳が、憎悪の炎を灯し。

 勢いよく燃え上がった。

 

「おのれ、おのれぇっ! ノーレッジ! 裏切りおったなあぁぁあああッ!!」

 

 

 

 

 パチュリー・ノーレッジ。

 義理の娘の手を借りて。

 身重の人妻と、その娘を引き連れ。

 恐ろしい上司から、絶賛逃亡中。

 

 ああ、本当に。

 どうして、こうなった……!




逃げるんだよォ!


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7話

 私の名前は、パチュリー・ノーレッジ。

 義理の娘の手を借りて。

 おっかない上司の妻子を攫い。

 現在、逃亡中。

 

「行く宛はあるんですか、お母さん?」

 

 娘(美鈴)の問いに、足を止めずに返答する。

 

「……秘密の拠点なら、複数用意してるわ」

 

 そう。

 備えあれば患いなし。

 この数十年の間、喘息の体に無理を強いて、必死に働き。

 コツコツと、貯蓄したお金。

 それを使って、こっそりと。

 目暗ましの為に、敵対者に発見されることが前提の拠点をふたつ。

 予備の拠点をふたつ。

 本命の拠点をひとつ、用意していたのだ。

 

「スカーレット卿を敵に回してしまったのだもの。

 拠点四つについては、多少時間は稼げるでしょうけど、発見されると考えて行動した方がいい。

 ……本命の拠点はトランシルヴァニアにある。

 足を止めている暇はない。強行軍と行くわよ」

 

 

 

 

 辿り着いたトランシルヴァニア。

 ブラン城のお膝元。

 山中に丸く切り取った結界の中。

 小さな赤い屋根の家。

 

「ここが、あたらしいおうちなの?」

 

 レミィの言葉に、頷いて答える。

 

「ええ、そうよ。屋根しか赤くないけどね」

 

 美鈴が、率先して中に入っていく。

 家の中は埃だらけだろう。

 早く掃除をしなければ、喘息の私は入室できない。

 ああ、気の利く良い娘だ。

 

「……レミィ」

「なぁに? ぱちぇ」

 

 小首を傾げながら見上げてくる幼子。

 静かに、問いかける。

 

「私達と一緒に来てよかったの?」

「え?」

「ここは、立派な館ではないし、お父様にも、会えないわよ」

 

 私の言葉に。

 

「……」

 

 レミィは、少し黙り込んだ後。

 ゆっくりと、口を開いた。

 

「おとうさまは、もともと、あんまりあえないし……あっても、おはなししてくれない。だから」

 

 服の裾を、キュッ、と握られる。

 吸血鬼の目は赤い。

 でも、赤とはいっても、色んな赤がある。

 レミィの赤は、深みがあって、美しい。

 まるで、ピジョンブラッドのようだ。

 その、美しい紅が、僅かに揺れた。

 

「おかあさまも、めーりんも……ぱちぇもいなくなるのだったら。

 あそこにいても、ひとりぼっちだわ」

 

 そう言って。

 私のスカートに、顔を押し付けて。

 気のせいみたいに、小さな声で。

 

 ひとりにしないで、と。 

 

 続けられた、幼い願いは。

 でも、確かに耳に届いたから。

 

「……私と貴女が離れることは、この先一生ありはしないわ」

 

 やわらかな。

 蒼い髪に、指を滑らせながら。

 

「だって、貴女は、産まれる前から――……私のかけがえのない親友なんだもの」

 

 まるで。

 愛の告白みたいに、そう告げて。

 それが、我ながら、照れ臭くて。

 ちいさく、笑った。

 

 

 

 

 幾日か、経過して。

 夜間。

 

「ひ、ぃ、っ、ぅ、ぅううあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!!!」

 

 奥方様の美しい唇が。

 口裂け女のように広がって。

 そこから、血と一緒に、獣染みた絶叫が撒き散らされる。

 暴れて怪我をしない様に、美鈴が取り押さえて。

 私が、沈静化の魔法をかける。

 

「おかあさま……っ」

 

 悲痛なレミィの声。

 

 それを受けて。

 奥方様の、スペサタイトガーネットのような瞳に。

 理性の色が、ゆっくりと戻っていく。

 

「れ、みりあ……」

「おかあさま、おかあさまッ!」

 

 細い、その体に。

 小さな体で。

 必死に、すがりつくレミィ。

 

 痛ましいその光景は、ここに隠れ住み始めてから、何度も繰り返されていて。

 

「……」

 

 やりきれない思いに、拳を握りしめた。

 

 

 

 

 考えなかったわけではない。

 奥方様と、妹様を早期に切り離す方法。

 

『帝王切開』。

 

 この時代、人間であれば帝王切開による妊婦の死亡率はおよそ75%を超えるが、奥方様は吸血鬼だ。

 医療知識が書籍で齧った程度しかない私が腹を切開したとしても、死にはしないだろう。

 奥方様にも、提案は行った。

 しかし。

 

「ちゃんと最後までお腹で育んで、普通に産んであげたいの」

 

 そう、奥方様は言った。

 それに、無理に切開手術をした場合、妹様がどのような拒絶反応を示すかも気掛かりで、決行に踏み切れなかった。

 ……腹を開いた瞬間に、能力を使用されて内臓が爆発四散、という未来は、十分に有り得る。

 

 

 結局のところ。

 守る、なんて口した癖に。

 

 ――……私に出来たのは、魔法によって苦痛を緩和する程度の事だった。

 

 

 

 

「ぱちぇ」

 

 奥方様の苦痛の声も止んで。

 隠れ家の庭で、一息ついていると。

 背中からレミィに声を掛けられた。

 

「どうしたの、レミィ」

 

 振り返る。

 視線は交わらなかった。

 

「……ぱちぇ、わたし、いもうとがうまれるの、たのしみだったの」

 

 レミィは。

 自らのスカートの裾をギュゥッ、と握りしめて。

 俯いたまま、言葉を続ける。

 

「いいおねえさまに、なりたかったの」

 

 私は。

 その、震えて掠れる声に。

 

「めいりんに『やさしいおねえさま』だっていってもらえて、すごくうれしかったの」

 

 ただ、黙って耳を傾けた。

 

「……でも」

 

 黙って、耳を傾けることしか、出来なかった。

 

「おかあさまが、くるしがってるのをみてたら」

 

 ああ、だって。

 やっぱり、どうしたって。

 

「いもうとなんか、いらない、って」

 

 産まれてさえいない、あの子のことを。

 私は、確かに。

 

 ――……恨んでいるから。 

 

 

「いなくなっちゃえばいいんだ、って」

 

 

 だから。

 その気持ちにも、覚えるのは『共感』で。

 

「わたし、やさしくなんてない」

 

 違う。

 レミィは、優しい。

 それは、仕方のない感情だ。

 そう言ってあげたかった。

 

「こんなの、おねえさまじゃないよ……」

 

 それでも。

 それは。

 醜い自分自身さえ、肯定することに繋がりそうで。

 

「……っ」

 

 結局。

 私には、何も言えなかった。

 

 

 

 その日は、良く晴れた日で。

 奥方様が産気付いたのは、まだ陽も高い日中のことだった。

 

 

 

 

「ぎぃっ、や、あああ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!」

 

 絶叫。

 無理もない。

 ただでさえ、出産は強烈な痛みを伴う。

 それに加え。断続的に上がる爆発音。

 ――……奥方様の下腹部は、血塗れだった。

 

「おかあさまッ!」

 

 レミィは。

 キッ、と目を吊り上げて、吠えた。

 

「……わたし、いもうとなんて、いらない!」

 

 そして。

 その手に輝く、紅い魔力光。

 それは。

 現在のレミィの体格相応の、紅い短槍へと姿を変えた。

 

「おかあさま、いたいとおもうけど、がまんしてね!」

 

 そう言って。

 その紅い短槍を振り上げた。

 

「駄目です!」

 

 それを、美鈴が掴んで止めた。

 

「はなして!」

「なにをするつもりですか!」

「さすの! おかあさまのおなか!」

「どうして!」

「おかあさまは、これがささったくらいじゃしなない! でも、おなかのあかんぼうはしぬわ!」

「なっ、」

「おかあさまが、ころされるまえに! いもうとを、ころすの!」

「……ッ!」

 

 美鈴が、息を詰まらせる。

 その顔に、逡巡の色が浮かぶ。

 そうだ、このままでは、奥方様の命が危うい。

 

 ……美鈴は、母親想いの、自慢の娘だ。

 レミィの気持ちは、きっと痛い程わかっているはず。

 レミィを押し留めている美鈴の手から、少しずつ力が抜けていくのが、見ていて分かった。

 

「……」

 

 私は、やっぱりただ黙って、それを見ていた。

 だけど。

 

「……れみ、りあ」

 

 歯を食いしばりながら。

 奥方様が、口を開いた。

 

「レミリア……ごめんね」

 

 その声は。

 震えて、掠れていたけれど。

 

「貴女と、もっと、一緒にいたかったわ……愛してる」

 

 凛とした強さに、満ち溢れていた。

 

「でも――……私は、お父様のことも、お腹の中の、この子のことも、愛しているの」

 

 レミィの体から、力が抜ける。

 紅い短槍も、光の粒子になって、弾けて消えた。

 

「だから、レミリア……お願い。

 お母様の我儘、許してね」

 

 そして。

 泣きながら、笑って。

 懇願した。

 

「私の分まで――……可哀想なこの娘を、貴女の、たったひとりの妹を、愛してあげて」

 

 次の瞬間。

 

 

 ――バンッ!!!!

 

 

 奥方様の胸から下が、爆発して。

 ミンチ肉になって、弾け飛んだ。

 

 

「おかあさまああぁぁあああッ!!」

 

 

 レミィの悲鳴が、空気を引き裂いて。

 

「おぎゃあ! おぎゃぁああ!!」

 

 赤子の産声が、それに追走した。

 

「くっ!」

 

 私は。

 細切れの肉の間に手を突っ込んで。

 血溜まりの中から赤子を掬いあげると。

 その小さな手が、これ以上何かを握り潰すことがないように。

 この日の為に用意しておいた魔術布で、てのひらを開いた状態で固定する形で、ぐるぐる巻きにした。

 

「いや、そんな、おかあさま、おかあさまぁっ!」

 

 レミィの呼び掛けに。

 胸から上だけになった奥方様は。

 口から血の泡を吐き出しながら。

 それでも、微笑んで。

 

「ノーレッジさん……」

 

 私のことを、呼んだ。

 弱々しい、その声に。

 

「……はい」

 

 私は、それにも負けるくらい、小さな声で、応答した。

 

「ありがとう……その子を、こちらへ」

 

 その願いに。

 腕に抱いた赤子を、奥方様の顔の前まで持って行った。

 

「ああ……」

 

 奥方様は。

 

「私に、そっくりね」

 

 そう言って、目を細めて。

 

「だから、貴女は、きっと幸せになるわ」

 

 最後の最期まで、

 

 

「はじめまして。

 そして、さよなら。

 私の可愛い『フランドール』、

 ……愛してるわ」

 

 

 愛だけ遺して、死んだ。

 

 

 

 

 吸血鬼は、強い。

 ちょっとやそっとでは、死なない。

 それでも、限界はあった。

 特殊な、霊体さえも破壊するような能力で、体の大半を消し飛ばされれば、それは致命傷に成り得る。

 奥方様は、死んだ。

 死んだのだ。

 

「……お嬢様!?」

 

 美鈴の制止の声。

 気が付いたら、レミィが妹様を覗き込んでいた。

 妹様の瞳の色は、奥方様と同じ、スペサタイトガーネット。

 レミィは、その瞳と視線を交わらせて。

 静かな声で、口を開いた。

 

「……やくそくする」

 

 妹様の、魔術布でぐるぐる巻きになった手に。

 壊れ物に触れるように、指を伸ばして。

 

「まもるよ……あいしてみせる」

 

 レミィは。

 後の、夜の王は。

 

「だって、わたし」

 

 震えて、掠れて。

 それでも、凛と澄んだ、

 敬愛する母親と、そっくりな声で。

 

 

「おねえさまだから!」

 

 

 そう、宣言した。

 

 

 ――……ああ。

 そうか。

 それなら、私は。

 

「……妹様を愛する貴女を、守るわ」

 

 なにもかも。

 許せなくて。

 ふっきれなくて。

 結局、なんにも出来なかった。

 そんな、情けなくて。

 醜い、私だけど。

 それだからこそ。

 

 

「このうえ、親友も守れないような女に、振り向いてくれるほど……あの娘は安い女じゃないもの」

 

 

 ねえ?

 ――……咲夜。

 

 

 ドガァアアアアアンッッ!!!!

 

 

 感傷に浸る間もなく。

 轟く轟音。

 

 振り返る。

 破壊された壁。

 差し込む夕日。

 骨の折れた蝙蝠傘。

 そこには、まさに悪鬼羅刹といった風貌の――……、

 

 

「み な ご ろ し に し て や る っ っ ッ ! ! ! !」

 

 

 現・夜の王――……スカーレット卿が仁王立ちしていた。



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8話

 私はパチュリー・ノーレッジ。

 動かない大図書館と呼ばれる魔女である。

 ――……しかしながら。

 

 

「み な ご ろ し に し て や る っ っ ッ ! ! ! !」

 

 

 うん、動かないと『死』ぬ。

 間違いなく、『殺』される。

 ここは、大好きなあの娘に倣い、電光石火で、

 

 

「逃げるわよ!」

 

 

 早口で叫びながら。

 奥方様の血と肉片で真っ赤な妹様を、身に纏っていた上掛けで包んだ。

 ……ああ、お気に入りだったのに。

 

「はいっ!」

 

 美鈴の行動は、迅速だった。

 窓枠に掛けられた暗幕の様なカーテンを引き千切り。

 それでレミィを包み込むようにして抱き上げると。

 次の瞬間。

 

「せいやぁっ!!」

 

 窓を蹴り砕き、飛び出した。

 部屋に差し込む日光。

 奥方様の遺体にも、それは降り注ぎ。

 

「ああっ!」

 

 立ち昇る、白い煙を目にして。

 お館様が、短い悲鳴を上げた。

 

 ――……その隙を突き。

 私も、妹様をしっかりと胸に抱いて、飛び出した。

 

「……」

 

 首だけで、後ろを振り返ると。

 シーツや自分の上着で、必死に奥方様の遺体を守ろうとするお館様が目に入った。

 

「……ああ」

 

 

 彼は、確かに。

 彼女を、愛していたのだ。

 

 

 縋りつくようなその姿に。

 かつての自分自身を幻視して。

 こめかみが、酷く疼いた。

 

 

 

 

 少し走った先。

 あらかじめ用意しておいた、逃走用の魔法陣。

 

「早くっ!」

 

 美鈴の声に応え、素早く飛び乗った。

 

 

 ――キュイイィィイイイイイン……!

 

 

 高音が空間を引き裂く。

 徐々に発光する魔法陣。

 

 

「 逃 が す か ぁ ! ! 」

 

 

 追いかけてくる怒鳴り声。

 

「水符『プリンセスウンディネ』!」

 

 水の力を纏った光弾を牽制に放つ。

 

「ふんっ!」

 

 裂帛の気合と共に突き出された拳。

 スカーレット卿は、その拳圧で周りの木々を薙ぎ倒しながら、光弾を掻き消した。

 

「さすが、レミィの父親……無茶苦茶ね」

 

 強い。

 単純に、強すぎるのだ。

 時を重ねた今の私でも、殺し合いで勝つのは難しいだろう。

 

「だけど……今回は、私の勝ち」

 

 これは、撤退戦なのだから。

 魔法陣が、一際強く発光する。

 

 

「 く そ が あ あ ぁ ぁ あ あ あ あ ! ! ! ! 」

 

 

 スカーレット卿の血の滲む様な怒りの咆哮が、耳に飛び込み、鼓膜を焼く。

 次の瞬間――……私達は、空間を飛び越えた。

 

 

 

 

 転移先に設定していた場所は、そう距離の離れていない山中だった。

 早く移動しなければ、すぐにでも追いつかれるだろう。

 なんせ吸血鬼は、鬼の腕力と天狗の速力を持つ種族なのだし……そろそろ、日も暮れる。

 夜の王の舞台に上がるのは、御免被りたい。

 

「……仕方ないわね」

 

 溜息を吐く。

 色々な意味で、選びたくない選択肢だったが、背に腹は代えられない。

 

「お母さん?」

 

 顔を覗き込んでくる美鈴を払い除け、新たな魔法陣を描く。

 

「ぱちぇ、どうするの?」

 

 不安そうに眉を垂らしているレミィの頭を、片手で撫でながら。

 

「……私の実家に逃げるわよ。あそこなら、早々追っては来れないでしょう」

 

 

 

 

 我が親友『レミィ』と、その妹である『妹様』に、両親が存在したように。

 私だって、木の股から産まれたわけではない。

 

 空間の歪に隠され、決まった手順を踏まなければ、辿り着くことが出来ない場所。

 古すぎて、風化しそうになっていた記憶の通りに。

 私の生家は、確かに存在した。

 

 

「ここが、お母さんの実家……ということは、この中に、外公(おじいさん)と外婆(おばあさん)が……?」

 

 美鈴の呟きに、眉を顰める。

 

「さあ? どうかしらね。それに、いたとしても……」

 

『両親』は、私に憶えはないだろう。

 なんせ、本来であれば、未だ産まれてさえいない存在なのだ。

 

「……」

 

 思い出す。

 記憶の中の彼等は、学者然とした人達だった。 

 外界と遮断された空間で。

 本の山を所蔵する、図書館のような家に籠って。

 ひたすら、研究に没頭する。

 家族、とは呼べなかった。

 

 私のことも、研究対象のひとつに過ぎなかったのだろう。

 

 だからこそ。

 お互いの利害関係さえ一致すれば、協力はしてくれるはずだ。

 私には、この時代には確立されていなかった技術や、知識がある。

 それを交渉材料に、匿って貰うことは可能だろう。

 

 そう考えて。

 実家のドアノブに手を掛けた。

 

 

 

 

 ――……結果。

 白骨化した母の遺体と対面した。

 その母の膝の上に置かれていた日記で。

 実験に失敗して、父も数年前に亡くなっていたことを知った。

 

「ぱちぇ……」

 

 ついさっき、母親を亡くし、父親と決別したばかりの幼子が、気遣うように声を掛けてくる。

 

「……」

 

 私は、それに返事を返せなかった。

 

 

 

 

 深く。

 深く、深く。

 墓穴を掘った。

 

「……私のせい、なのかもしれない」

 

 独り、呟いた。

 

 

 XがY無しに生じ得ず、YがX無しに生じ得ない場合、最初に生じたのはどちらだろうか?

 私、パチュリー・ノーレッジは、到底認めることの出来ない悲劇をなかったことにする為に、過去へと遡った。

 その為、居る筈のない時代に、私という存在が生じたのだ。

 もし、両親が健在であれば――……彼等は、本来の歴史通りに、私を産んだのではないか。

 そうすると、『パチュリー・ノーレッジが同時に二人存在する』という矛盾が発生する。

 その矛盾を正すために、『世界の修正力』とでも呼ぶべき力が働いたのだとしたら?

 私は、常々、今居るこの世界が、元の世界と同一ではないと感じていたが。

 それが、私がここに存在することで引き起こされた歪みなのだとしたら――……。

 

 

「父と、母を……殺したのは、私だ」

 

 

 元居た世界では。

 思い出すことさえなかった両親だが。

 

「……」

 

 言語化できない想いと共に。

 丁重に、埋葬した。

 

 

 

 

 墓前に花を一輪添えて。

 額に流れる汗を手の甲で拭い。

 ふぅ、と溜息を吐いてから。

 これから暮らすこととなる家を見上げて、気を入れ直す。

 

 

 ……さて。

 苛烈な子育ての始まりだ。



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9話

本日2回目の投稿です。


 私、パチュリー・ノーレッジは、200歳を越えた「ババァ」である。

(※見た目は多めに見積もっても十代後半)

 

 しかしながら、婚姻や出産の経験がある筈もなく。

 産まれたての赤子の世話など、初めてのことだった。

 レミィを1歳から世話していたので、甘く見ていた部分があったのだが。

 首も座っていない赤子の世話が、どれだけ大変か。

 身を以って、思い知った。

 

 

 

 

「ふぎゃあ、ふんぎゃぁああっ!」

 

 夜毎、響き渡る泣き声。

 まさしく、ギャン泣きである。

 

「……はぁ」

 

 溜息を吐きながら、小さな赤子を抱き上げる。

 魔女で良かったと、心から思う。

 夜泣きに睡眠を妨げられ、体調を崩すなんて事態を避けられたから。

 それでも……ストレスは溜まる。

 

「おしめは代えた。お乳もあげた……なにが不満なの?」

 

 もしかして味か。

 仕方ないではないか。

 母乳は、望むべくもない。

 

 貴女の母は、貴女自身が『殺』してしまったのだから。

 

 羊の乳でも、ないよりマシでしょう?

 ――……なんて。

 

 そんな、残酷なことを考えていたら。

 

「へっぷしゅっ!」

 

 客観的に見て、愛らしいくしゃみ。

 そして、飛び散る鼻水。

 

「……」

 

 顔面に付着したソレ。

 紫の前髪から、ポトポト滴り落ちる。

 

「……はぁ」

 

 

 溜息と共に、日々を重ねていった。

 

 

 

 

「フラン、フーラーン、貴女はフランよっ」

 

 8ヵ月ほど経過して。

 しっかり言葉を発音出来るようになったレミィ。

 彼女は、妹の小さな顔を覗き込みながら、言葉を教えようと躍起になった。

 

「フラン、私はお姉様! お姉様よ、言いなさい!」

 

 はたから見れば、愛らしい光景なのだけど。

 小さな赤子からしたら、恐怖を感じたのだろう。

 

「ふぇ……っ」

 

 あ、泣くな、コレは。

 そう思ったので。

 

「レミィ、貸しなさい」

 

 そう言って、赤子を抱き上げた。

 泣かれると面倒だ、と。

 そう考えただけ、だったのだけど。

 

「あーっ」

 

 赤子は、安堵したように声を上げて。

 にぱぁっ、と、笑った。

 

「……」

 

 息を呑む。

 それは、予期していなかった、心理的攻撃で。

 完全なる、不意打ちだった。

 

「あ、パチェずるいっ!」

 

 レミィの拗ねたような抗議の声。

 

「……ぱー?」

 

 小さな彼女は、それを聞いて。

 さらに苛烈な攻撃を繰り出した。

 

 

「ぱーてー!」

 

 

 満面の、笑顔で。

 私を、真っ直ぐに見据えて。

 不完全では、あったけど。

 

「あ! 今、パチェって言った!」

 

 レミィが叫ぶ。

 そう、それは。

 彼女が……フランドール・スカーレットが、産まれて初めて発した言葉だった。

 

「……ッ!」

 

 その瞬間。

 私の中に凝り固まった偏見が。

 どかーん、と。

 破壊された気がした。

 

 ……だから、私は。

 

「ぱーてー、では、なくて。パチェよ……『フラン』」 

 

 

 彼女のことを。

『妹様』ではなくて。

『フラン』と呼ぶことに決めた。

 

 

 

 

 思い返す。

 そう、きっと。

 私は、『彼女』を見ていなかったのだ。

 最初から、ずっと。

 

 

 

 

 幼子の泣き声が、痛切に響く。

 

「おてて、やだー! わたしも、おえかきしたいー!」

 

 4歳になったフラン。

 彼女は、未だに一人では何も出来ない。

 それは、決して彼女が人より劣っているからではない。

 むしろ、非常に優秀な娘だ。

 ただ、そんな彼女を妨げる物がある。

 それは。

 

「やだよぅ、これ、ほどいてよー!」

 

 彼女の両手をグルグル巻きに縛り上げる、魔術布だ。

 

「……それは出来ないわ、フラン」

 

 ドラ○もんや、アン○ンマンではないのだ。

 グルグル巻きの丸っこい手では、何も出来はしない。

 

 痒い所を掻くことも、自分で食事を取ることも、用を足した後、尻を拭くことも。

 お絵かきや、積み木で遊ぶことだって。

 なんにも、出来やしないのだ。

 

 泣き叫んだって、仕方ない。

 しかし。

 

「……どうしたの、今まで、そんなこと一度も言ったことなかったじゃない」

 

 そう。

 フランは今まで、ただの一度も、その拘束を拒まなかった。

 それは、幼くも聡い彼女が、それは必要なことなのだと、察したからだ。

 

 なのに、何故、今になって?

 

 視線をあわせるために、床に膝を着く。

 涙に潤んだ赤い瞳が、こちらを見ている。

 

 レミィもフランも、綺麗な赤い目をしているが、色合いが異なる。

 レミィの瞳の色は、ピジョン・ブラッド。濃色の赤で、高貴な光を放つ。

 フランの瞳の色は、スペサタイトガーネット。

 スペサタイトガーネットは、色域の広い石ではあるが、フランのそれは赤が強く、光の加減でオレンジが灯る。

 それは、夜闇の静寂を慰める焚火のように温かくて、優しい色だ。

 

「だって……」

 

 フランが視線を横に滑らせる。

 そこには、気まずそうに佇むレミィの姿があった。

 

「おねえさまが、おねえさまがぁ……っ」

 

 声を震わせるフラン。

 

「……レミィ、どういうこと?」

 

 私の問い掛けに。

 レミィは、1枚の紙を突き出した。

 

「ん」

「え、なに?」

「んっ!」

 

 ……お前はト○ロのカ○タか。

 そんなことを思いつつ、その紙を受け取って。

 

「……」

 

 言葉を失くす。

 

「わっ、可愛い! よく描けてますねっ!」

 

 後ろから覗き込んできた美鈴が、歓声を上げた。

 

 その紙には。

 紫色の髪を生やした、目付きの悪い女が描かれていた。

 

「おねえさまが、ぱちぇのえを、かいててっ! ぱ、ぱちぇに、あげるんだー、って!」

 

 しゃくりあげながら、言葉を重ねるフラン。

 

「ず、ずるいよっ!」

 

 鼻水まで垂らして。

 ああ、鼻の頭が真っ赤だ。

 

「わたしも、ぱちぇのえ、かいてあげたいのにっ!」

 

 ……気が付いたら、私は。

 

 

「なんでわらうのおっ!?」

 

 

 だって、笑うしかないじゃない。

 ごめん、ごめんね。

 謝るわ。

 

 

 本当に、ごめんなさい、フラン――……。

 

 

 

 

 意外なほどに。

 穏やかな日々が続いて。

 さらに六年が経過した。

 

 

「レミィッ!!」

 

 

 崩れるのは、一瞬だった。




最終話までのプロットが完成しました。
後は書くだけなので、休みの日は出来るだけ投稿します。
仕事のある日は無理です。夜9時から朝9時までの長時間勤務なので。
(通勤時間等含めると睡眠時間の確保で精一杯)
気長にお付き合いください。


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10話

2話連続投稿、1話目。


 私、パチュリー・ノーレッジは、己のことを優れた存在であると自負していた。

 しかしながら――……思い知った。

 

 私は、どうしようもない無能である、と。

 

 

 

 

 その日は、良く晴れた日で。

 奥方様が亡くなった日と、酷似していた。

 

 

「レミィッ!!」

 

 

 ――……そうだ、たかだか魔術布で、その能力を抑え込めるなら。

 彼女は、地下に押し込められたりしなかった。

 

 

「ぁ、あ、ああ゛あ゛あ゛あ゛……っ」

 

 

 嗚咽まじりの呻き声が、悲痛に響く。

 

 

 穏やかな日々が崩れるのは、一瞬だった。

 その日、どこから紛れ込んだのか、一匹の蛾が、部屋を舞った。

 スカーレット姉妹は大騒ぎで、その後を追い駆けた。

 そして、レミィの頭に、蛾が止まったのだ。

 フランは、咄嗟に、魔術布で覆われた手を伸ばした。

 

 その結果――……。

 

 

 魔術布は弾け飛び、蛾は爆散し、レミィの頭から血が噴き出した。

 

 

 美鈴の行動は、非常に迅速で。

 次の瞬間には、手刀で断ち切られたフランの両腕が、血飛沫と共に宙を舞った。

 

 

 平和な昼下がりが、一気に血の惨劇だ。

 吐きそうだった。

 

 

 

「ふ、ら……」

 

 床に転がったレミィが発した、細く、掠れたその声からは。

 一切、負の感情など感じられなかった。

 ただ、ただ。

 

「だい、じょうぶ……お姉様は、大丈夫、だか、ら……」

 

 ただ、精一杯の愛情だけが、詰め込まれていた。

 

 でも。

 だからこそ。

 

 

「う゛うぅわぁあああ゛あ゛あ゛あ゛ あ゛ あ゛ あ゛ っ ッ ッ ! ! ! !」

 

 

 繊細なフランの心を、決壊させた。

 

 

 

 

 血の滲む様な声で叫び続けるフランを魔法で拘束し、レミィと引き離すために、地下室へと運んだ。

 そう、この家にも、地下室がある。

 私の両親が、研究資料を保管するのに使用していた部屋だ。

 

 その間も、フランの両腕は再生を続けていた。

 まだ幼い彼女だから、一瞬で再生する、なんて芸当は出来ないが。

 それでも、10分もあれば、ピカピカの両腕が生え揃うだろう。

 

 私は、急いで予備の魔術布を引っ張り出した。

 この魔術布は、10年間の間に少しずつ私の魔力を染み込ませて強化した物だ。

 ひとまず、これで抑えられるはず。

 ……ただの、応急処置にしか過ぎないだろうが。

 

 

 

 

「フラン、フラン……落ち着きなさい」

 

 呼びかける。

 呻くばかりで、返答はない。

 

「フラン!」

 

 怒鳴りつける様に、もう一度。

 すると、フランの肩が、ビクリッ、と跳ねて。

 

「……殺しちゃう」

 

 小さな口から、そんな言葉が零れた。

 

「殺しちゃうよ、嫌だ、もう、嫌だよ……ッ」

 

 フランの大きな両目から。

 涙が、ボタボタと溢れ出す。

 

 

「お願い、パチェ……私を、殺して!」

 

 

 その叫びに。

 考える間もなく、言葉が飛び出した。

 

 

「出来るわけないでしょう!?」

 

 

 ああ。

 そんなこと、

 そんなこと、もう。

 

「出来るわけが、ないじゃない……っ」

 

 そうだ。

 10年前なら、出来たかもしれない。

 でも、今の私は、そんなことを考えるだけで――……眩暈がして、倒れそうだった。

 

 

「でも、それじゃ、また殺しちゃうっ!」

 

 

 ……、

 …………え?

 

 私は。

 その言葉を、一瞬、理解できなかった。

 いいや、本当は――……、

 

 

「お母様を、殺したように! みんなを、殺しちゃうよ!!」

 

 

 ――……理解、したくなかったのだろう。

 

 

「フ、ラン?」

「……あ」

 

 フランは。

 しまった、というふうに、目を見開いて。

 顔から、サァッ、と、血の気を引かせた。

 

「フラン、貴女……」

 

 私は。

 同じく、青褪めているであろう顔で。

 

 

「貴女、産まれた日のこと、憶えているの……?」

 

 

 ひくつく喉から、無理矢理、声を絞り出して。

 そう、問いかけた。

 

「……ぜんぶ、じゃ、ないけど」

 

 フランは。

 繊細な心を持つ、子供は。

 

「私が、お母様を、『殺』してしまった、ってことだけは、知ってる」

 

 そう答えて。

 くしゃり、と顔を歪め。

 泣きながら嗤って、叫んだ。

 

 

「でも、そんなの、認めたくなくて……知らないふりしてただけなのッ!!」

 

 

 ……ああ。

 私、パチュリー・ノーレッジは、己のことを優れた存在であると自負していた。

 しかしながら――……思い知った。

 

 私は、どうしようもない無能である、と。

 

 こんな、優しい子供の心ひとつ、守れない。

 最低の、愚鈍だ。

 

 

 

 

 その後。

 独りにしてほしい、という彼女をその部屋に残し。

 私は、逃げるように、レミィの治療に没頭した。

 

 薄暗い地下室に、彼女独り。

 ああ、なんにも変っていない。

 

 妹様に、したように。

 私は、また、『フランドール・スカーレット』を、切り捨てるのか――……。

 

 

 

 

「フラン!」

 

 しかし。

 前の世界とは異なる点が、確かに存在した。

 

「フラン! ここを開けなさい!」

 

 レミィだ。

 

「この怪我を気にしているの?」

 

 レミィは、地下室の扉の前で、大きな声で、言い募る。

 

「お姉様は強いのよっ、この程度の傷、屁でもないわ!」

 

 嘘だ。

 フランの能力でつけられた傷は、銀の攻撃に勝る。

 事実、一昼夜経過した今も、レミィの傷は、完全に塞がっていない。

 きっと、大きな声を出すたびに、ズクズクと疼いているだろう。

 それでも、レミィは、扉越しの妹に言葉を掛け続けた。

 

「私が貴女にやられるはずがないじゃないっ! 姉より優れた妹なんて存在しないのよ!」

 

 それは。

 字面のみだと、高飛車な言葉だ。

 しかし、その声は、ひたすら優しく響いた。

 

 

「私は、大丈夫! だから、フラン、貴女も大丈夫よ!」

 

 

 小さな親友の。

 その強さと。

 その、優しさが。

 育まれた一因が、私にもあったのだとしたら。

 

 私は、自分のことを、ほんの少しだけ、見直してやれるかもしれない。

 

 

 

 

 そんなことを考えて。

 目頭が熱くなるのを感じていた、

 次の瞬間。

 

 

 ビキィッ!! 

 

 

 ヒビが走るような、大きな音がして。

 

 

 ガッシャアアアアアアアアンッ!!!!

 

 

 盛大に、世界が、割れた。

 

 

「……まさか、こんなタイミングで!?」

 

 そう、それは。

 この家を外界と分かつ見えない壁が、破壊された音だ。

 

 

 

 

「……ようやく、みつけたぞ」

 

 男性的でありながらも、蠱惑的な声。

 

「ああ、やっとだ……やっと、貴様等を」

 

 それが、徐々に罅割れていく。

 そして。

 

 

「み な ご ろ し に で き る っ っ ッ ! ! ! !」

 

 

 夜闇さえ、彼の者を恐れ、平伏すだろう。

 現・夜の王――……スカーレット卿の御出座しだ。



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11話

2話連続投稿、2話目。


 最近、忘れがちな事実。

 私、パチュリー・ノーレッジは『喘息』持ちである。

 

「お母さんッ!」

 

 美鈴の声が遠い。

 だんだん、自分の呼吸音しか聞こえなくなっていく。

 目の前に迫る下っ端妖怪。

 まさか、こんなのに殺されるのか?

 

 

 

 

 唐突に現れたスカーレット卿。

 私と美鈴は、応戦する為、庭へ飛び出した。

 しかし。

 

 彼の後ろから現れた、大量の配下達。

 そう、今回の彼は、独りではなかったのだ。

 

 配下の質はお粗末な物で、一人一人は、私や美鈴の敵ではなかったが。

 その数が、圧倒的過ぎた。

 1000人以上だろうか?

 

 まさしく、圧殺である。

 

 それでも。

 それでも、私が健康な呼吸器を持っていれば、どうにかなったかもしれない。

 しかしながら。

 

 悲しいかな、私、パチュリー・ノーレッジは『喘息』持ちの紫もやしであった。

 

 空に月が昇り、ゆっくりと沈んでいく。

 夜明け前のことだ。

 400人くらい倒しただろうか?

 喉が引き攣り――……息が出来なくなった。

 紛れもない、発作である。

 

 

 ……そういえば、色々あったせいで、昨日の朝から一度も薬を飲んでいなかった。

 

 

 そう思い至った時には、地面に体が沈んでいた。

 

 

 

 

 目の前に迫る下っ端妖怪。

 人化もまともに出来ていない、出目金の化け物みたいなソレ。

 こんなのに殺されるとか、嫌すぎる。

 

 それに、まだ、死ぬわけにはいかない。

 

「が、はっ、ひゅっ、ひゅーッ!」

 

 空気が漏れていく。

 息が吸えない。苦しい。

 でも、立たなければ。

 ああ、くそ。

 間に合わない。

 下っ端妖怪の振り上げた刃が、私の身体に振り下ろされる――……、

 

 

「させるものかッ!」

 

 

 空気を引き裂いた、その声は。

 幼くも、凛と澄んで、美しかった。

 

 

 ――……レミィっ!? 

 

 

 レミィは。

 紅い長槍で、下っ端妖怪を一刀両断すると、その穂先を父親に突き付けた。

 

「お父様……いいや、父上! 此処に何をしに来られたのか!?」

 

 改まった口調で。

 大きな声で、問い掛ける。

 

「……知れたことを!」

 

 スカーレット卿は。

 嘲笑いながら、返答した。

 

「愛する妻の敵討ちだ! お前等全員、殺してやるッ!」

 

 それを聞いて。

 レミィは、眉を顰めると。

 槍を持つ手に、力を込めて、さらに問いを重ねた。

 

「何を以って! 私達を仇とみなすのか!?」

 

 スカーレット卿は、その問いに青筋を立てながら怒鳴り声を上げた。

 

 

「彼女を、見殺しにしただろう! 腹の子を助ける為に、彼女を犠牲にしたのだ!!」

 

 

 スカーレット卿の瞳が、揺らぐ。

 それは、怒りの炎による物か。

 それとも、悲しみの水滴による物か。

 

 

「殺してやる! 殺してやるとも! 特に、アイツは――……嬲り殺しにしてやるッ!!」

 

 

 そう叫んで。

 フランの居る家へ視線を向けた。

 

「アイツが、彼女を殺したのだ! 愛しい彼女の美しい肌を、内側からミンチ肉に変えたのだ!!」

 

 怒りの咆哮が、空をつんざく。

 

 

「産まれてきたことを、後悔させてや」

「ふざけるなあッ!!」

 

 

 一閃。

 高速で射出された紅い槍が。

 スカーレット卿の腹を、勢いよく突き破った。

 

「ふざけるなよ……」

 

 レミィは。

 投擲姿勢のまま、顔を上げて。

 自らの父親を睨み付け、吠えた。

 

 

「お母様の思いを、なにひとつ汲まずに!! 愛しているなどと、寝言を垂れるなあっッッ!!!!」

 

 

 それは、走り抜けた槍よりも。

 真っ直ぐな『怒り』だった。

 

「お母様は、フランに言った! 『私に、そっくりね』って! 『だから、貴女は、きっと幸せになるわ』って!」

 

 レミィは、叫ぶ。

 敬愛する亡き母の想いを、代弁する為に。

 

「それは! お母様が、最後の最期まで! 自分は幸せだ、って、思っていたからだ!」

 

 小さな背中に生やした、大きな羽根を力強く広げて。

 心の限り、叫んだ。

 

「お母様は、フランを産んだことを、後悔なんてしていなかった! 最後まで、笑顔だった!

 笑顔で、あの娘を私に託したんだ! ――……それこそが、『愛』だッ!!」

 

 迸る、紅い魔力光。

 新たな槍を形作りながら、レミィはさらに言葉を重ねようとした。

 

「それを、その想いを否定するお前なんかに、お母様を愛しているなんて言う資格は……!?」

 

 轟音。

 音速を越えて、繰り出された拳。

 

「お嬢様ーーッ!!」

 

 美鈴の叫び声。

 次の瞬間。

 

 盛大な土煙と共に、レミィは地面に埋まっていた。

 

 

 

 

「……うるさい」

 

 腹に突き刺さった紅い槍を、力任せに引き抜いて。

 

「うるさい、うるさい、うるさいッ!」

 

 スカーレット卿が、叫んだ。

 

「では、どうすればいい!? 私の、この憤りと悲しみを!! どう処理しろというのだ!!?」

 

 それは、慟哭の様だった。

 

 

 

 

 レミィが、クレーターの中心で、震えながら身を起こそうとしている。

 しかし、スカーレット卿は、それを待つつもりはないらしい。

 レミィに――……自分の娘に止めを刺す為に、一歩を踏み出した。

 

「……しゅー、ふしゅーっッッ!」

 

 私は。

 息を乱したまま、ポケットを探って、喘息の薬をみつけると。

 それを水なしで、無理矢理飲み込んだ。

 

 ああ。

 動け、

 体よ、動け……っ!

 

 

 

 ――……キラリ、と。

 色鮮やかな燐光が、夜闇を裂いた。

 

 それは、虹色の宝石のような翼だ。

 

 

 

「きゅっ、として」

 

 突き出された小さな手。

 露わとなった、細い指。

 

 

「どかーーーーんっッッ!!!!」

 

 

 生まれて、初めて。

 彼女は、自らの意志で、拳を握りしめた。

 

 

「ぐ、うああああ!!?」

 

 

 スカーレット卿の左足が、爆発四散。

 血煙が、夜風に乗って吹き荒ぶ。

 

「ふ、ら……?」

 

 掠れた、レミィの声。

 

「お姉様、ごめんね」

 

 フランは、金糸の髪を爆風にたなびかせながらレミィに視線を向けると。

 温かなスペサタイトガーネットの瞳を細めて、不器用な笑みを浮かべた。

 

 

「それと、ありがとう――……大好きだよ」

 

 

 そして。

 父親に視線を移すと。

 その、焚火のようだった瞳に強い意志をくべて、燃え上がる焔に変えた。

 

「お父様」

 

 スカーレット卿は、突如現れた憎い娘に、鋭い眼光を向けて。

 

「……ッ!」

 

 次の瞬間、息を詰まらせた。

 

「お父様、ごめんなさい」

 

 

 それは。

 彼女が、亡くした愛しい存在の、生き写しだったからだ。

 

 

「私は、貴方から、いちばん大切な物を奪ってしまった」

 

 フランは。

 深く、深く――……頭を下げた。

 

「ごめんなさい」

 

 そして。

 顔を上げて、真っ直ぐな目で、言い放った。

 

 

「だけど、だから……死ねない」

 

 

 その、静かに燃え上がるような『強さ』は。

 

「だって、私が生きることを諦めたら」

 

 本当に、

 

 

 

「お母様の『想い』まで、殺してしまうことになるから!!」

 

 

 

 彼の、愛した女性、

 彼女の母親、其の物だった。

 

 

 

「お父様!」

 

 

 ――……だからだろう。

 彼は、その攻撃を防ごうとしなかった。

 

 

「おとうさまぁ……ッ」

 

 

 いつかの彼女と同じように。

 胸から下の肉を弾けさせた彼の。

 

 

 その死に顔は、とても穏やかな物だった。

 

 

 

 

「お、お館様を、やりやがった……ッ!」

 

 有象無象の妖怪達の騒めき。

 ああ、頭を潰されたことで、解散してくれればいいものを。

 そう、都合よくはいかないらしい。

 

「げほっ、けほ……、はぁ」

 

 よし、

 ……イケる。

 

「パチェ!」

 

 ゆっくりと、立ち上がった。

 やっと、薬の効果が出てきたらしい。

 

「……頑張ったわね、フラン」

 

 目算……ざっと、600人程度か。

 

「悪いけど、あと少し、頑張ってくれる?」

 

 そう言って、首を傾げると。

 フランが、大きく頷いた。

 

「……うん! 頑張るよ!」

 

 そして。

 突き出された右手が、真っ赤に燃え上がり。

 炎の大剣が、姿を現した。

 

「……私も、いるぞ!」

 

 土塗れのレミィが、クレーターの真ん中から飛び出してきた。

 その手には、紅の長槍。

 

「もちろん、私もです!」

 

 美鈴も、力強く足を開いて、拳を構える。

 

 さて、もう一踏ん張りだ。

 

 そう、気合いを入れたところで。

 

 

「静粛に!!!!」

 

 

 遠吠えの様に後を引く声が、轟いた。

 

 

 目を向ける。

 そこには。

 いつもスカーレット卿の傍に控えていた、犬耳の執事がいた。

 

「静粛に! こちらにおわすお方は、お館様……スカーレット卿のご息女ですぞ!!」

 

 彼は、周囲の妖怪に向けて、言葉を連ねる。

 

 

 

「彼の方が崩御された以上、次のお世継ぎに相違ない! 頭が高い! 控えよ!!」

 

 

 

 ――……そして。

 ついに、長い夜が明けたのだった。



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12話

※Caution!!

1. 実際のルーマニアの歴史を参考にしている箇所もありますが、あくまでフィクションです。
2. 過去に書いた自作のパチュ咲小説と一部の設定が共通しておりますが、ストーリー上の繋がりは一切ありません。気にせずにお読みください。


 光陰矢の如し。

 だから、あっという間にババァになる。

 

 私、パチュリー・ノーレッジも、すでに700歳近い(やはり見た目に変化はないが)。

 

 

 

 

 ――……スカーレット卿を打倒した後。

 本当に、色々なことがあった。

 

 まず、犬耳の執事……執事長の働きかけで、その場にいた600名程度の妖怪達をレミィの配下とすることに成功。

 

 その後、配下達と共に、スカーレット家の館、後の紅魔館を強襲。

 実力で、残りの配下達を説得した。

 

 先代が崩御した今がチャンスとばかりに攻め入ってきた敵対勢力。

 それを片っ端から返り討ちにし続け、気が付けば数十年が経過。

 

 その頃には、すでにレミィも当主の貫禄を身に着けており、名実共に新たな『夜の王』となっていた。

 

 

 

 

 レミィが当主となり、100年程経過したある日。

 

「ねえ、パチェ」

 

 彼女は、目をキラキラさせながら、まったいらな胸を張って言い放った。

 

 

「この館、真っ赤に塗ったらカッコ良くない!?」

 

 

 ……みんなで、塗装屋の真似事をした。

『紅魔館』誕生の瞬間であった。

 

 

 

 

 戦況が落ち着き、余裕が出てきてからは、美鈴にも屋内仕事を任すようになった。

 信用出来ない優秀な部下よりも、信頼できる努力家の愛娘と仕事したほうが、断然効率が良い。

 

「お母さんの頼みであれば、自分に出来る精一杯のことはやります……でも」

「でも?」

「やっぱり、私は体を動かすほうが性に合っていると……」

「あ、美鈴、そっちの書類もよろしく」

「おかあさぁん……」

 

 

 

 

 結局。

 フランは、己で地下を自室と定めた。

 

「フラン、本当にいいの?」

 

 私の問いに。

 彼女は、曇りのない笑顔で答えた。

 

「うん、今の私には、まだ完全に能力を制御する自信がないから」

 

 その瞳には、決意の炎が燃えていた。

 

「パチェ……私、強くなるよ。強くなって、この能力だって使いこなして、みんなを守れるようになる……それがきっと、私の幸せだから」

 

 そう宣言した後。

 彼女は、背中に隠していたソレを、私に差し出した。

 

「……え」

 

 ソレは。

 

「受け取ってよ、パチェ……私、ホントにあの時、悔しかったんだから」

 

 真っ白い画用紙に。

 似合いもしない笑みを浮かべる、紫色の長い髪の女が描かれていた。

 

「私のほうが、上手く描ける……パチェはもっと美人なんだぞー、って」

 

 お姉様の描いたパチェ、殺人鬼みたいな目付きだったよね、なんて。

 照れ臭そうに笑った彼女に、涙腺が緩んだので。

 

「っわ!? ぱ、ぱちぇー?」

 

 顔を見られることのないように、彼女の顔を私の胸に埋めて、頭を撫で回してやった。

 

 

 

 

 まさしく、光陰矢の如し。

 この国の名も、ワラキア公国から幾度か変更され、ルーマニア社会主義共和国となった。

 現在、1992年――……つまり、そろそろのはずだ。

 

「……はあ」

 

 深く、溜息を吐く。

 そろそろ『彼女』に出会えてもおかしくないはず、なのだが。

 如何せん、手掛かりが少ない。

 

 

「……咲夜」

 

 

 私は、彼女の正確な年齢を知らない。

 本人も、わからないと言っていた。

 それに、彼女は自分の過去をあまり語りたがらなかった。

 それでも、断片的に耳にしたその生い立ちから――……『チャウシェスクの落とし子』の一人で間違いないと睨んでいた。

 

 

 

 

 ニコラエ・チャウシェスク。

 此処、ルーマニアの人間社会を、1960年代から80年代にかけての24年間支配し続けた『独裁者』だ。

 彼は、「国力とはすなわち人口なり」と掲げ、堕胎と離婚を法律で禁止した。

 そして、子供を多く産んだ者には奨学金を出していたが――……1989年に、政権が崩壊。

 必然的に捨て子が急増し、孤児院が定員オーバーとなり、街頭にはストリートチルドレンが溢れた。

 こうした人口政策で発生した孤児達は『チャウシェスクの落とし子』と呼ばれている。

 

 私は、『十六夜咲夜』もこの政策によって産まれた子供の一人であると、確信している。

 

 

 

 

 ――……その為、すでにこの国のどこかで産声を上げているであろう彼女を、こっそり一人で探していたのだが。

 首都ブカレストだけで、1000人以上のストリートチルドレンがいるのだ。

 

 捜索は難航していた。

 

 

 

 

「……まあ、前の世界と同じように推移するなら、何もしなくても、いずれは会えるのでしょうけど」

 

 思い出す。

 彼女と、初めて出会った日。

 

「……」

 

 幼い彼女は。

 心身共に、傷付いていた。

 

「……やっぱり、ただ待っているだけなんて、出来ない」

 

 

 今度こそ。

 彼女を守ると、決めたのだ。

 

 

 

 

「レミィ」

 

 執務室。

 大きな椅子に腰掛けた、小さな夜の王様。

 

「パチェ、どうしたの? サボり?」

 

 だったら、一緒にお茶でもどう? なんて。

 笑いながら問いかけてくる、彼女に。

 

「レミィ……頼みがあるの」

 

 私は、そう言って。

 深く、深く――……頭を下げた。

 

「私に、力を貸してほしい」

 

 しばらく、沈黙が続いた後。

 

「頭をあげなさい」

 

 王様は。

 力強い笑顔で、応えてくれた。

 

「水臭いわね――……手伝え、って。一言、そう言えばいいのよ」

 

 

 だって、私達は。

『親友』なんでしょう?

 

 

 ――……そう言葉を続けて。

 照れ臭そうに、頬を染めた彼女に。

 私は、勢いよく抱き着いた。

 

 

 ああ。

 そうね。

 貴女は、私の――……かけがえのない、親友だわ。

 

 

 

 

 レミィの力を借りて。

 人化の出来る部下を総動員し、咲夜の捜索に当たった。

 そして――……1年後。

 

「まさか、もう、奴等の手の内とはね……」

 

 世間一般の人間達には秘匿されているが。

 キリスト教には、近代化の著しい昨今でも、化物退治を専門とした暗部が存在している。

 そこに所属しているのは、化物に対抗し得る特殊な能力を持つ人間達だ。

 彼等は、神の使徒などと称されているが――……ていのいい駒でしかない。

 

 前の世界の咲夜は、その部隊の一員で。

 魔女である私を、殺しに来たのだ。

 そして――……私と一緒にいたレミィに、返り討ちにされた。

 

 この世界では。

 そんな組織に利用される前に、保護したかったのだが。

 どうやら、一足遅かったらしい。

 

 

「パチェ」

 

 報告書を片手に、俯いている私に。

 レミィが、声を掛けてきた。 

 

「パチェ、貴女が探していたその子は、どんな子なの?」

 

 レミィの問い掛けに。

 

「綺麗な子よ」

 

 私は、世界が変わろうが、何百年経とうが、一向に変わることのなかった、己の感情を。

 

「銀のナイフみたいな娘なの」

 

 静かに、吐露した。

 

 

「私の――……世界で一番、愛しい人」

 

 

 息を呑む気配。

 幾許か経過し。

 

「そうなの……」

 

 レミィは。

 笑いながら私の肩を叩いて、言った。

 

 

「――……だったら、さっさとつかまえに行け! 親友っ!」

 

 

 ああ。

 この親友も。

 どんな世界だって、変わらない。

 

 

 

 

 親友の激励を後押しに。

 この私、七曜の魔女『パチュリー・ノーレッジ』は。

 白馬の王子様の真似事を行うことに決めた。

 

 

 

 

 すなわち。

 殴り込みである。




次回、ついに。
ついに!
さっきゅん登場!

この小説は、パチュ咲前提、純愛です!!


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13話

※Caution!!

1. 実際のルーマニアの歴史を参考にしている箇所もありますが、あくまでフィクションです。
2. 過去に書いた自作の短編パチュ咲小説(題:砂の落ちる音)から、お気に入りの部分を一部再利用しております。※過去作とストーリー上の繋がりは一切ありません。
3. 捏造設定満載です!


 その魔女は、『私』を見るなり、紫水晶(アメジスト)の瞳を潤ませた。

 息を詰まらせながら、白皙(はくせき)の頬を赤く染める彼女を。

 私は、言葉を失くして見詰め返すほかなかった。 

 

 

 

 

 ――……自分の名前は憶えていない。

 いや、そもそも、私に名前などなかったのだろう。

 誰にも呼ばれない名前など、最初からないのと同じだ。

 

 正確な年齢も分からない。

 誕生日を祝われたこともなかった。

 おそらく、八つか九つ程度だろうが――……栄養不足で、外見上は6歳程度にしか見えない。

 

 まだまだ、人生経験に乏しい私だが。

 ひとつだけ、骨身に沁みて理解していることがある。

 

 

 愛など、この世に存在しない。

 

 

 

 

 国力とはすなわち人口なり。

 独裁者は自分の考えを下々の者に植え付けることに執心した。

 5人以上子供を産んだ女性は公的に優遇され、10人も産めば『英雄の母』の称号を与えられたが。

 逆に、定期的に実地される妊娠検査をクリアしなければ、高額の税金を徴収された。

 上記の経緯により、私には血縁上の兄姉(けいし)が3人存在した。

 私は、4人目の子供だった。

 

 

 そして、私の誕生と共に、貧しいながらも何とか保たれていた家庭の平穏は『崩壊』した。

 

 

 ――……家族はみんな、髪も目も茶色で、肌の色も浅黒かったのに。

 私だけ、白銀の髪に青い目で……肌の色も白かったのだ。

 

 かといって、先天性白皮症(アルビノ)とも異なり、特有の病状に悩まされることもなく。

 逆にそれが仇となって、父は母の浮気を確信するに至った。

 

 毎日、喧嘩が絶えなかったが、悪しき法によって、離婚さえ禁止されている。

 夫婦共に解消出来ないストレスを抱え込み――……その捌け口として、私は日々虐待を受けた。

 特に、母からの扱いは苛烈を極めた。

 

 母は、浮気などしていなかったのだ。

 

 だからこそ、繰り返し、私へ向けて唱え続けた。

 ――……呪いの言葉を。

 

 

「この、化物め!」

 

 

 だから。

 私は、自分の名前を知らない。

 

 

 

 

 1989年12月25日。

 独裁者は、クリスマスに処刑された。

 

 虐げられてきた人々の多くは、自由を手に入れたが。

 どんな時にも、犠牲は付き物だ。

 

 政権崩壊後、待ちに待ったと言わんばかりに、両親は離婚。

 私は、孤児院に捨てられた。

 

 そこは、非常に劣悪な環境だった。

 栄養失調で、次々と死亡していく子供達。

 

 職員達は、子供の死を、心から悲しんだ。

 子供が死ぬたび、給与が減らされるからだ。

 

 その為、荒療治が始まった。

 栄養剤の代わりに、大人の血液を輸血されることが常態化していき。

 最終的には、注射器の針さえ使い回された。

 

 

 それが原因で、事態は悪化。

 子供達の間で、エイズと結核が蔓延した。

 

 

 こんな場所には居られない。

 此処に居れば、そう遠くない未来に、自分も同じ道を辿るだろう。

 そう確信した私は、孤児院を飛び出した。

 

 

 飛び出した先は、さらに地獄だった。

 

 

 街頭には、私と同じように孤児院を飛び出した子供や、そもそも孤児院にさえ入れて貰えなかった子供達が溢れていて。

 そんな子供達の多くは、生きる為に自分の性を売り物にしていた。

 

 セックスツアーに訪れた観光客達に、コンドームを使用するような良識はない。

 そして、子供達に、コンドームを買えるだけの金がある筈もない。

 

 白濁で膨らんだ腹を抱えて。

 飢えと寒さを紛らわせる為に、シンナーを吸う子供達。

 

 

 ――……私には、そんな子供達に混じって生きることは、どうしても出来なかった。

 

 

 ストリートチルドレンに人権などない。

 涙ながらに物乞いをしても、振る舞われるのは暴力と悪意だけだ。

 白濁にまみれて生きることも、綺麗なまま野垂れ死ぬことも受け入れられなかった私は。

 

 目立つ頭髪を帽子で隠して。

 食いつなぐために、窃盗を繰り返した。

 

 

 

 

 ――……たった独りで、無力な子供が。

 そんな日々を、長く続けられるはずもなかった。 

 

 

 北国の冬は、路上生活者の命を容赦なく奪う。

 だから、本格的な冬の到来を前に。

 鳴き続ける腹を押さえ、駆け回った。

 少しでも多くの物資を溜め込もうと。

 

 私は、焦っていたのだ。

 

 

 

 

「がは……ッ」

 

 

 側頭部を蹴りあげられた。

 目の奥がチカチカして、意識が遠退く。

 

 

 

 

 私はその日、軒先に吊るされていた一枚の毛布を盗んだ。

 逃げる私の後を、成人男性が追いかけてきた。

 

 歩幅が違う。

 逃げきれなかった。

 

 その男は、私の腕を乱暴に掴むと、生ゴミの臭いが漂う路地裏へ連れて行った。

 そして――……5つか6つ程度にしか見えない私に、覆い被さろうとした。

 私は、必死に抵抗した。

 すると、それに腹を立てた男は、私に暴力を振るった。

 

 長時間に及ぶ、殴る蹴るの暴行。

 私は、体を丸めて、ひたすら耐えた。

 

 

 そして。

 ついに男が蹴るのをやめた。

 一瞬、助かった、と思った。

 ――……知っていたはずなのに。

 

「薄汚ねぇ糞餓鬼が、大人を舐めやがってッ」

 

 ストリートチルドレンに人権などない、って。

 

 ナイフの切っ先が、月光にギラリと反射した。

 男が握るそれは、発育不良の小さな子供くらい、簡単に殺せそうな刃物だった。

 

 

 誰にも望まれていないのに。

 何で、私は生きているんだろう。

 そんなふうに考えたことは、何度もあった。

 

 それでも。

 それでも、やっぱり。

 

 ――……私は、死にたくなかった。

 

 そして、

 次の瞬間。

 

 

 世界が、停止した。

 

 

 

 

 気が付いたら。

 男の身体が、私の足元に転がっていた。

 

 その身体から流れ出し、地面を染めていく、赤。

 私の手にあるナイフ。

 その刃から滴る、赤。

 

 赤、赤、赤。

 赤い、血。

 

 泥棒の私は、その日。

 初めて、人の命を奪った。

 

 

 

 

 呆然と座り込んでいると、通りがかった人間にみつかり、警察に通報されて。

 抵抗する気力などなかったから、おとなしく連行された。

 事情聴取では、どうやって男を殺したか聞かれたので、素直に答えた。

 

 時間を止めて、ナイフを奪って、刺しました。

 

 話をした三人の刑事の内、一人目は馬鹿にしたように鼻で嗤い、二人目は眉を八の字にして瞳に哀れみの色を浮べ――……三人目は、肩を小さく震わせた後、真剣な顔で観察するような視線を向けてきた。

 

 

 

 

 そしてしばらく経った後。

 留置場で膝を抱えて座り込んでいると、三人目の刑事が法衣を纏った神父と一緒に入ってきた。

 神父は微笑みながら言う。

 

「迷える子羊よ、君は神に、罪を償うチャンスを与えられている」

 

 気持ちの悪い、作り物の笑顔だった。

 

 

 

 

 世の中には、本当に悪魔や魔女が存在する。

 そして、一般人には秘匿されているが、そういった悪しき存在を倒すための部署が教会にはある。

 彼等は銀で作られた武器を手に、神の名の下、化物達に正義の裁きを下すのだ。

 だけども、敵はしぶとく、手強い。

 どうにか効率的な対抗手段はない物かと、教会の人間達は考えた。

 その結果。

 悪魔の子として討伐の対象だった特殊な力を持つ子供達は、本当は神が使わした正義の矛だったことに気付いたのだと、神父は語った。

 

 ……なんとも、都合のいい言い回しだった。

 ようは、利用価値に気付いただけだ。

 

 化け物同士で潰しあってくれればいいと、そう思っているのでしょう?

 

 喉もとまで出掛かった言葉を吐き出さなかったのは、与えられた食事(エサ)と一緒に飲み込んでしまったからだ。

 

 

 翌日から、私の手には銀のナイフ。

 毎日、化け物退治、教会の者達いわく、裁きの訓練をする日々が続いた。

 

 その最中(さなか)にぶつけられる、隠し切れない侮蔑を含んだ視線や、

 聞こえないとでも思っているのか、垂れ流され続けている陰口から。

 神父も修道女も、ただの人間なのだと思い知らされる日々でもあった。

 

 そんな彼等が説く神の教えに、如何ほどの神聖さがあるのか。

 

 だけど、私はもともと『神聖なる神の教え』なんて物を信じたことはなかった。

 いつか訪れる救い、そんなもの、信じられやしないし、信じる気にもなれない。

 だって、いつか救ってくれるのならば、何故今救ってくれないのだ。

 

 

『たすけて』

 

 

 何度も何度も、心の中で叫び続けてきたのに。

 

 

 

 

 訓練を開始して三ヵ月。

 三日後には、初めての任務に向かう。

 その『予定』だった。

 

 

 突如。

 教会が、襲撃された。

 

 

「ぎゃあああああああ!? 助けてくれえぇええええ!!」

 

 我先にと逃げ出す教会関係者達。

 情けない。

『化物達に正義の裁きを下す神の使徒』が、聞いて呆れる。

 

 ――……などと内心で呟きつつも。

 私も、彼等に混ざって逃げ出した。

 

 ここ、ルーマニアにおいて。

 魔物の討伐を生業とする者であっても、決して手を出さない相手。

 それこそが、レミリア・スカーレット――……『紅い悪魔』と、彼女の率いる『化物軍団』だ。

 

 幸いと言っていい物か、彼女達は人を殺すこともあるが、大量虐殺はしない。

 それに、彼女達が未だ権勢を保っているおかげで、その他の有象無象の抑止力ともなっている。

 そういった背景もあり、紅い悪魔に対して、教会側から手を出す予定は、微塵もなかったのだ。

 

 それなのに――……真紅の長槍を手に、大勢の部下を率いて、彼女はやって来た。

 

 

「待て、待ってくれ! やめてくれ! どうして、いきなりこんな……!?」

 

 大聖堂にて。

 神父が、大慌てで命乞いを繰り返す。

 周囲の教会関係者も、震えながら見守っている。

 

 私達を追い詰めた紅い悪魔は、長槍を振り回しながら、笑って言い放った。

 

「んー? まあ、友情の為だな」

 

 そして、視線を走らせると。

 私をみつけて、動きを止めた。

 

「ああ……当たりだ」

 

 

 呟いた彼女は。

 その槍を、勢いよく投擲した。

 

 

「へぶ」

 

 次の瞬間。

 神父の頭部が串刺しとなり、死体が地面に転がった。

 

「きゃぁああああああああ!」

「うわあああああああああ!!」

 

 周囲から、耳の痛くなるような悲鳴が上がる。

 

「さて……諸君」

 

 紅い悪魔は、ニヤリと嗤いながら、こうのたまった。

 

 

「其処の銀髪の彼女以外、席を外してくれないか?」

 

 

 数瞬の沈黙。

 その後。

 

「……ッ!!」

 

 我先にと、逃げ出す周囲。

 

 

 銀髪。

 ぎんぱつ?

 え、

 ……わたし?

 

 

 状況が呑み込めず。

 首を傾げていると。

 

 

 ――ガッシャアアアアアアアアン!!!!

 

 

 割れ散るステンドグラス。

 

「おーおー」

 

 紅い悪魔が、眉を下げて笑った。

 

「慣れないことするもんだね……親友」

 

 

 

 

 割れて飛び散ったステンドグラスに。

 反射して煌めく月光。

 それらに照らされながら。

 ふわりと、風に乗って舞い降りてきた『魔女』。

 

「……っ、あ」

 

 その魔女は。

 私を見るなり、紫水晶(アメジスト)の瞳を潤ませた。

 息を詰まらせながら、白皙(はくせき)の頬を赤く染める彼女を。

 私は、言葉を失くして見詰め返すほかなかった。

 

「さ……」

 

 彼女は。

 一瞬、何かを躊躇って。

 その後。

 

 

「……咲夜」

 

 

 私のことを、憶えのない名前で呼んだ。

 

「さくや? ……それは、誰のことですか?」

 

 咄嗟に、問い返した。

 彼女は、眉を下げて。

 不器用な笑みを浮かべながら、答えた。

 

「貴女の名前よ……たとえ、世界が変わっても。貴女の名前は、『十六夜咲夜』」

 

 そして、私に歩み寄ってきた彼女は。

 

「咲夜、ねえ、咲夜。待っていたの――……ずっと、ずっと」

 

 彼女は。

 紫色の――……美しい魔女は。

 私の前に跪いて、手をとると。

 真っ直ぐな眼差しを、私に向けて。

 

「貴女に会いたかったの――……だから、つかまえにきたわ」

 

 唇を震わせながらも。

 凛とした声で、言い放った。

 

 

「愛してる」

 

 

 

 まだまだ、人生経験に乏しい私だが。

 ひとつだけ、骨身に沁みて理解していることがある。

 

 愛など、この世に存在しない。

 

 

 

 

 ――……そのはず、なのに。 

 心臓が、トクンッ、とひとつ。

 確かに、音をたてた。




 ……自分なりに納得できる作品にしようとした結果、こうなりました。

 ごめんよ、さっきゅん。
 でも、これから君は幸せになるんだ。
 ぱっちぇさんが頑張ってくれるからね!

 投稿しても良い物か少し悩みましたが、これが私の精一杯です。
 これからも少しでも面白い物が書けるように頑張りますので、「読んでやるよ!」って方は、ぜひぜひ、よろしくお願い致します。


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14話

「愛してる」

 

 万感の思いを告げた。

 それは、私の主観では、数百年越しの愛の告白だった。

 しかしながら。

 

「……幼女趣味の変態ですか?」

 

 確かに。

 客観的に見れば、私、パチュリー・ノーレッジは。

 

 外見年齢6歳程度の幼女に求愛する、ペドフィリアだった。

 

 振り払われた手。

 片想いの相手から向けられる、冷めきった視線に。

 後頭部から、汗が噴き出した。

 

 

 

 

 ――……数時間前。

 私は、フランに会いに地下室へ向かった。

 どうしても、彼女に伝えておきたかったからだ。

 

 

 

 

「今日はどうしたの? パチェ」

 

 フランは、嬉しそうに私を部屋に招き入れてくれた。

 その両手は、魔術布と同様の効果を持つ拘束具で覆われている。

 それは、私とフランの共同作業により、50年ほど前に完成した魔道具だ。

 魔術布より頑丈でありながらも、指先は自由に動かせる設計となっており、装着した状態で、紅茶や卓上遊戯を楽しむことが出来る。

 さらに、一人で着脱が可能な作りとなっているので、彼女は自室に来客を迎える際、それを必ず着用するよう心掛けていた。

 

「チェスの続きでもやりにきたのかな?」

「心惹かれるお誘いだけど、今日は別件……大切な話があって来たの」

「大切なお話……?」

 

 首を傾げている彼女に。

 私は、数瞬躊躇った後。

 覚悟を決めて、口を開いた。

 

「そう、とても、大切な話よ。すべては語れない。それでも、貴女に告げるべきだと思った」

 

 ゆっくりと、深呼吸をして。

 スペサタイトガーネットの瞳と視線を交わらせながら。

 静かに、言葉を続けた。

 

 

「……私はね、此処とは少しだけ違う世界から来たの」

 

 

 心臓が、早鐘を打つ。

 そのリズムに、次の台詞を乗せていく。

 

「その世界に居た頃の私は、今よりもずっと未熟で、色んな物が見えていなかった。そう、『貴女』のことも、見えていなかった――……謝るわ」

 

 ゆっくりと、深く、頭を下げた。

 数十秒経過した後。

 顔を上げてから、『告白』する。

 

 

「ごめんなさい。私は――……『貴女』のことを、憎んでいた」

 

 

 数百年越しの『懺悔』。

 だけど、頭を繰り返し下げるつもりはなかった。

 視線を逸らしたくないからだ。

 

 今の私は、しっかりと、『フラン』を見ている。

 

「フラン……今、此処にいる私は、ちゃんと貴女のことを見ている。繊細で優しい貴女を……私の大切な『家族』を、見ているわ」

 

 私が、そう言い切ると。

 それまで、黙って話を聞いてくれていたフランは。

 

「……お話してくれて、ありがとう、パチェ」

 

 眉を下げて、笑いながら。

 穏やかな声で、受け止めてくれた。

 

「正直、内容を完璧に理解出来たとは言えないけれど……でも、私が見詰めてきた貴女は、今此処にいてくれる、かけがえのない貴女だけだから」

 

 きっと、それでいいんだと思うの、って。

 細められた瞳の光は、やっぱり焚火みたいに温かで、優しくて。

 

 ああ。

 そんな、貴女だから。

 

「それでね、フラン」

「うん、なあに? パチェ」

「私ね」

「うん」

「実は、その別の世界に居た頃からね」

「うん」

「ずぅっ、と……好きな人がいてね」

「うん……んん?」

「今から、迎えに行ってくるわ」

「うんぇえええええええ!?」

 

 

 すぐには、難しいだろう。

 それでも。

 

 いつか、私の愛しい『あの娘』と。

 大切な家族である『貴女』が。

 隣り合って、笑ってくれたらいい、と。

 

 心から、そう願っている。

 

 

 

 

 ――……それが、数時間前の話だ。

 

 その後、レミィと共に部隊を編成して。

 美鈴に留守を任せて、此処までやって来た。

 

 私は東から。

 レミィは西から。

 二手に分かれて、襲撃を決行した。

 

 結果、レミィは『当たり』で。

 私は、『ハズレ』を引いたから。

 

 こうしてはいられない、と。

 文字通り、飛んで駆け付けたのだ。

 

 そして。

 彼女を――『咲夜』を、視界に入れた瞬間。

 それまで押し込めてきた、私の『恋心』は――……見事に、決壊して。

 

 

「愛してる」

 

 万感の思いを告げた。

 それは、私の主観では、数百年越しの愛の告白だった。

 しかしながら。

 

「……幼女趣味の変態ですか?」

 

 確かに。

 客観的に見れば、私、パチュリー・ノーレッジは。

 

 外見年齢6歳程度の幼女に求愛する、ペドフィリアだった。

 

 振り払われた手。

 片想いの相手から向けられる、冷めきった視線に。

 後頭部から、汗が噴き出した。

 

 そんな私の隣で。

 

「ぶはっ!」

 

 勢いよく噴き出した親友に。

 

 育て方を間違えた! と。

 

 瞬間的に、青筋を走らせながら。

 

 

 あれ? これもしかして詰んだ? いきなり失恋確定?

 

 

 恐ろしい思考が、脳裏を駆け巡る。

 ……眩暈がしてきた。

 

「い、いや……別に、そんな特殊な嗜好は持っていないけど」

「……」

「本当よ……?」

「……」

「…………」

 

 ――……無言。

 

 ああ、続く沈黙が痛い。痛すぎる。

 銀のナイフのような切れ味で、私の心をズタズタにしていく……っ!

 

 

「……まったく」

 

 やれやれ、とでも言いだしそうな声音で。

 レミィが、咲夜に話しかけた。

 

「おい、銀髪。私達と共に来い」

 

 咲夜は、瞳に警戒心をたっぷりと滲ませて、レミィに問い返す。

 

「私を、どうするおつもりですか」

 

 レミィは、片手を振りながら、軽い口調で返答する。

 

「なに、危害を加えるつもりはない。私は親友の嫁取りの応援をしたいだけだ」

 

 その言葉に。

 数瞬、目を伏せた咲夜は。

 レミィのピジョン・ブラッドの瞳を真っ直ぐに見返しながら、言い放った。

 

 

「体を売るつもりはありません」

 

 

 レミィは、一瞬目を丸くした後。

 楽しそうに口角を上げながら、言った。

 

「おや、身持ちが固いんだな……良かったわね、パチェ。この子、生娘みたいよ」

「ッ、レミィ!」

 

 

 その瞬間だろう。

 レミィは、咲夜を『認めた』のだ。

 

 

「ははっ、ぎんぱ、いや、『咲夜』――……私も、貴女を咲夜と呼ぶわね」

 

 今度は、咲夜が目を見開く。

 少し、考え込んだ後。

 彼女は、短く了承の意を返した。

 

「……はい」

 

 レミィは、満足したように頷いてから、言葉を続ける。

 

「私の親友はね、気難しいところもあるけれど――……魔女のくせに、すごく誠実な奴なのよ。それは、この私が保証する」

 

 その声音は、疑いようのない自信に満ち溢れていて。

 だからだろう、咲夜は黙って、話を聞いていた。

 

「貴女に受け入れて貰えるまで、そういった意味で手を出すことはないでしょう……そうよね? パチェ」

「レミィ……」

 

 私は、親友から向けられた信頼に、目頭が熱くなるのを感じた。

 

「……あ、それとも、もう辛抱堪らん! って感じ? 押し倒しちゃう?」

 

 

 しかし、次の瞬間には、その親友によって感傷をブチ壊された。

 ――……おい、この500歳児め。

 

「レミィ、燃やすわよ?」

 

 悪びれもせずに、彼女は笑う。

 

「ははは! ごめんって!」

 

 その笑顔が。

 本当に悪魔か? って思ってしまうくらいに。

 無邪気で、可愛らしい物だったから。

 

 私は、普段通り溜息を吐いた。

 

 

 うん、なんか、落ち着いた。

 ありがとう、『親友』。

 

 ――……よし。

 どうせ、のっけから愛の告白をしてしまったのだ。

 初志貫徹と行こうか。

 さあ、パチュリー・ノーレッジ。

 

 

 口説き落とせ!

 

 

 

 

「咲夜」

 

 精一杯の、愛情を詰め込んだ声音で。

 私は、睦言を囁くように、言葉を重ねていく。

 

「貴女には、なにがなんだかわからないでしょうけど……私は、貴女に会える日を待っていた。もう、何百年も前から、待っていたのよ」

 

 言葉の真意が伝わることはないだろう。

 別に構わない。

 

「もう一度言わせて」

 

 ただ。

 この想いだけ、届けばいい。

 

「愛してる」

 

 この想いと共に。

 私の500年はあったのだ。

 

「私に、貴女を幸せにさせて欲しいの」

 

 そうして。

 私は、小さな彼女の前に跪いたまま。

 心と手を、差し出した。

 

 

 

 

 再び、沈黙。

 いつまでたっても、取って貰えない手。

 

 ……あれれ~? おかしいぞ~?

 コ○ンくんでもお手上げだ。

 女心は迷宮入りか。

 

 ――……所詮、私は紫もやし。

 カビの生えそうな『魔女』である。

 白馬の王子を気取るには、いささか無理があったのかもしれない。

 

 

 っていうか。

 ヤバい、なんか。

 一気に、恥ずかしくなってきたわ……ッ!

 

 

 羞恥と、絶望感で。

 プルプルと、震えだした手。

 

 その手の隣に。

 小さな手が、もう一本、差し出された。

 

「私からも、提案よ」

 

 レミィは。

 紅い悪魔は。

 傍若無人な、夜の王様は。

 

「嫁入りが嫌なら、ひとまずウチのメイドになってみない? 広い館だから、掃除の遣り甲斐があるわよ」

 

 笑顔で、餌をぶらさげた。

 

 

「衣食住完備、オヤツも付けるわ」

 

 

「よろしくお願いします」

「即答!?」

 

 

 ――……そして、私の愛しい人は。

 私の手ではなくて、私の親友の手をとった。

 

 いや、手をとった、というよりは。

 

 

 見事な『お手』であった。

 

 

 世界が変わっても。

 出会いが変わっても。

 彼女はやっぱり。

『悪魔の犬』であるらしい。

 

 

 

 

 その後。

 咲夜を連れて、紅魔館に帰宅すると。

 

「あ、お母さん! おかえりなさい!」

 

 門前で、美鈴に出迎えられた。

 

「ただいま、美鈴」

 

 美鈴は。

 私の横に居る、咲夜を視界に収めると。

 ゆっくりと、目を見開いていき。

 大きな声で、叫んだ。

 

 

「私のお父さん、ちっちゃいですね!!」

 

 

 ……、

 …………、

 ………………えー。




……ぱっちぇさん、頑張れ(´・ω・`)


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15話

 隣から突き刺さる視線もなんのその。

 鍛えられていない表情筋が、引き攣って痛い。

 それすら幸福感をもたらし……なんというか、我ながらヤバい。

 

「……なんですか」

 

 食卓にて。

 私、パチュリー・ノーレッジは、対面に座る咲夜を見詰めながら、にやけていた。

 

「たくさん食べるのよ」

 

 私がそう声を掛けると。

 彼女は返答の代わりに、スプーンをオムライスに突き刺した。

 小さな口を精一杯開いて、オムライスを乗せたスプーンを咥えると。

 目をきゅぅっ、と閉じて、頬を膨らませて。

 口を、モキュモキュ動かした。

 ごっくん、と飲み込むその動作は、本当に子犬の様で。

 

「可愛すぎる……」

 

 情動が口から零れ落ちた。

 

 

「……うわぁ」

 

 

 ――……そんな私の隣で。

 嫌そうな声を上げる『小悪魔』の皿に。

 

「おすそわけよ」

 

 私は、彼女が嫌いなブロッコリーを放り込んだ。

 

 

 

 

 咲夜を館に連れ帰ってから、色々なことがあった。

 まず、帰宅早々、門前で美鈴が唐突にブチかました『爆弾発言』。

 

 

 

「私のお父さん、ちっちゃいですね!!」

 

 

 ――……うん、その発想はなかった。

 

「おとうさん?」

 

 自分の顔を指差して、小首をかしげる咲夜。

 

「はい! あ、私は、紅美鈴って言います。紅が名字で、美鈴が名前。パチュリー・ノーレッジ様の娘です」

「……母娘なのに、名字が違うの?」

「養子なんですよ。それで、貴女がお母さんの想い人であってますよね?」

 

 美鈴の問い掛けに。

 咲夜が私の顔を見上げた。

 私は、そんな彼女を真っ直ぐに見返しながら、美鈴に返答した。

 

「ええ、そうよ。この子が私の愛しい人」

 

 迷いなど、一切ない私の言葉に。

 咲夜が、ほんの少しだけ、息を詰まらせたのがわかった。

 

「やっぱり! ……じゃあ」

 

 声を弾ませた美鈴は。

 咲夜の前に屈みこみ、視線の高さを合わせると。

 

 

「これから、よろしくお願いします! お父さん!」

 

 

 輝く笑顔で、そう言い放った。

 

 しばらくの沈黙の後。

 咲夜は、静かに口を開いた。

 

「……私は、この魔女様のお婿さんに来たわけじゃないのだけど」

「ええっ!?」

 

 目を見開いた美鈴が、私の顔を振り仰ぐ。

 

「そうね」

 

 私は、大きく頷いて答えた。

 

 

「咲夜はお婿さんではないわ。お嫁さんよ」

 

 

 そんな私の台詞に。

 黙って話を聞いていたレミィが「ぶはっ!」と噴き出した。

 

「え? お母さんのお嫁さん? お嫁さんってことは、お母さん? ……どうしよう、どっちもお母さんじゃ、わかりづらいなあ……」

 

 素直に受け止めた美鈴は、眉を八の字にして頭を悩ませている。

 

「……嫁入りでもありません。就職に来ました」

 

 一連の流れをそう切り捨てて、憮然とした表情を浮かべる咲夜。

 それを見たレミィは、笑いながらその頭に手を伸ばして。

 白銀のくせっ毛を、わしゃわしゃと撫でまわした。

 

「きゃ……っ」

 

 小さく声を上げた咲夜は。

 次の瞬間には、気まずそうに目を伏せて。

 髪の間から覗く小さな耳を、赤く染めた。

 

 今からでも遅くないから、永久就職に変更しない? なんて。

 本気の怒りを買う前に、そんな戯言は喉の奥で噛み殺した。

 

 

 ――……焦るな。

 すでに、数百年抱え込んだ想いなのだ。

 落ち着いて、じっくりと。

 余すことなく、この想いを伝えていけばいい。

 

 

「うん、やっぱり、分かりやすさを重視して、お父さんで!」

 

 

 苦笑が漏れる。

 間の抜けた美鈴の台詞に、妙に癒された。

 

 

 

 

 館内に足を踏み入れ、一歩進むたびに、集まる視線。

 当主(レミィ)と参謀(私)が、冷戦状態にあった教会に戦争を仕掛けてまで奪い取ってきた戦利品(咲夜)に、みんな興味津々なのだ。

 

「……」

 

 居心地が悪そうに沈黙する咲夜。

 私は、その手をそっと握った。

 

「ッ!」

 

 息を呑みながら見上げてきた彼女には、気が付かないふりで。

 そのまま、ただ前を見据えて歩く。

 

「……」

 

 咲夜は。

 私の手を、振り払わなかった。

 

 差し出した手は、取って貰えなかったけど。

 こちらから手を握る程度なら、許容はしてくれるようだ。

 

 そんなことを考えて、小さく笑ったら。

 

「痛っ!?」

 

 そのまま力任せに、ギュウゥッ! と握り絞め……いや、握り潰された。

 あ、待って、本気で痛い。

 

「さ、さくや……?」

 

 恐る恐る名前を呼ぶ。

 返答はなかった。

 

 ……そして、やっぱり手は繋がれたままだった。

 

「くくっ」

 

 レミィが笑った。

 

 

 

 

 その後。

 咲夜をお風呂場に連れて行き、「洗ってあげる」といったら絶対零度の視線を向けられた。

 

 いや、誓って下心はなかったわよ?

 

 前の世界でも、咲夜が幼い頃には、普通に一緒に入浴していたから、その感覚で提案しただけで。

 でも、この世界では、断固拒否された。

 

 ……あれ?

 前の世界より、好感度が低下してる?

 

「ふははっ」

 

 レミィはやっぱり笑っていた。

 

 このチビ蝙蝠め。

 夕食に炒った豆を混入してやろうか。

 

 

 

 

 事前に用意しておいた子供服。

 悩みに悩んで、厳選して購入したつもりだったのに、ウォークインクローゼットを埋めてしまった。

 

 お金はあった。腐るほど。

 前の世界と違って、読書時間さえ犠牲にして働き続けたおかげだ。

 この世界での私は、みんなよりずいぶんと年上の存在なので、率先して行動する癖がついてしまった。

 

 ――……『動かない大図書館』失格かもしれない。

 もう少し落ち着いたら、以前のように穏やかな引き籠り生活に戻ろう。

 

 密かに決意しながら。

 多種多様な子供服の中から3着選んで、メモ紙と一緒に脱衣場に置いた。

 

『気に入った服を着なさい。

 着替え終わったら、お風呂場から右に真っ直ぐ進んだ先にある部屋に来ること』

 

 

 

 

 その後、厨房に向かった。

 もちろん、夕食を作る為だ。

 紅魔館お抱えのシェフは、不満そうな顔をしていた。

 

 しかし、仕方ないではないか。

 この館で普段から振る舞われている食事を、人間の子供に食べさせられるはずもない。

 

 前の世界でも、幼い咲夜の食事の用意は、私がしていた。

 思い出して、苦笑する。

 ああ、あの頃はひどかった。

 なんせ、自分自身は、食事をする習慣さえなかったから。

 もちろん、料理などやったこともなくて。

 だから、料理の本を片手に。

 子供に人気がある上、初心者の定番メニューでもあるという『これ』を、どうにかこうにか作り上げたのだ。

 

 鍋をかき回し、お玉でひと掬い。

 味見をして、頷く。

 

「さすが、私」

 

 

 

 

 サービスワゴンを押しながら、部屋の扉を開けると。

 咲夜だけではなく、レミィと美鈴が椅子に座っていた。

 

「……なんで居るの」

 

 美鈴が、嬉しそうに返答する。

 

「ひさしぶりの、お母さんの手料理ですから!」

 

 溜息を吐く。

 

「お皿とスプーン、取ってきなさい」

「はーいっ! 行きますよ、お嬢様!」

「えー、私の分も取って来てよー」

 

 苦笑する。

 本当は、予想通りの展開。

 ちゃんと5人分、おかわりも計算した量を作っていた。

 

 ――フランには、後で持って行ってあげよう。

 

 視線を感じて、顔を向ける。

 咲夜が、こちらを見ていた。

 

 お風呂上がりで、濡れた髪。

 わしゃわしゃ、乱暴な拭き方をしたのかしら。

 頭のてっぺんの髪が、明後日の方向に跳ねている。

 

 服装は、ニット生地でゆったりした作りの黒いタートルネックワンピースに、白タイツとこげ茶のブーツ。

 長い袖から、ちょこんと指先が出ている。

 

「よく似合ってるわよ」

 

 返答はなかったけど。

 椅子に座った状態だと床に着かない短い足が、小さく跳ねた。

 

 ああ、可愛い。

 

 にやけていると、美鈴とレミィが戻ってきた。

 急かされながら、サービスワゴンの上に置いた炊飯器の蓋を開ける。

 炊き立てだ。湯気がもわぁっ、と広がった。

 

「わーっ、白米! ひさしぶり!」

「最近、パンが多かったしねえ」

 

 人数分、器に盛っていく。

 

「……それは、なんですか?」

 

 咲夜が、目を丸くしていた。

 お米を見たことがなかったのだ。

 

 無理もない。

 咲夜と同じような境遇の子供達には、パンと水とミルクしか食べ物と認識出来ない者も、大勢いるのだ。

 

「お米よ。穀物の一種」

 

 答えた後、横の鍋の蓋も取る。

 食欲をそそる匂いが、辺りに広がった。

 

「カレーライスですね!」

 

 美鈴が嬉しそうに声を上げた。

 レミィが、皿を差し出しながら聞いてくる。

 

「甘口? 甘口よね?」

 

 頷いて答える。

 

「もちろん」

 

 夜の王様は、にぱぁっ! と、向日葵みたいな笑顔を浮かべた。

 

 4つの皿に盛りつけて、水の用意もして。

 それぞれの席の前に並べていく。

 テーブルの真ん中には、自由に取れるように、らっきょうと福神漬けもセットした。

 

「「「いただきます」」」

 

 私とレミィと美鈴の声が重なる。

 咲夜が、不思議そうに首を傾げた。

 

「日本という島国に伝わる、食前の挨拶よ。食材となった動植物へ、感謝を捧げる言葉。俗説だけどね。

 ……ただ、神に祈る言葉よりは、言ってやるか、って気になれるでしょう?」

 

 私の説明を聞いた咲夜は、数拍の間を開けてから。

 

「……いただきます」

 

 静かに、そう口にした。

 

 

「美味しい!」

 

 がっつきながら、美鈴が叫ぶ。

 レミィも高速でスプーンを動かしていた。

 ほっぺた膨らませて、リスみたい。

 

「熱いから、気を付けてね」

 

 そんな、私の台詞を受けて。

 恐る恐る。

 僅かに震える手で、スプーンを握り。

 控えめに掬ったそれを、ゆっくりと口に運んだ咲夜は。

 

「ふっ!?」

 

 大きく目を見開いた。

 

「ふぁふっ! ふっ!」

 

 水を差しだしてやると、ゴクゴクと飲んだ。

 

「熱いって言ったでしょう?」

 

 私がそう言うと、彼女は俯きつつ口を開く。

 

「……すみま」

「美味しかった?」

「え、」

 

 謝罪が聞きたいわけではない。

 言葉を遮って、問いを重ねた。

 

「美味しかったかしら?」

 

 咲夜は、頬を赤く染めて。

 また、スプーンを口に運ぶと。 

 ふー、ふーっと息を吹きかけて。

 パクッ、と口に入れて。

 もぐもぐ、もぐもぐ。

 よく、噛んだ後。

 ごっくん、と飲み込んでから。

 

 

「……はい」

 

 

 そう言って、頷いてくれた。

 

 

 

「あいたぁっ!? 舌がぁっ!?」

 

 レミィの悲鳴。

 

 ――……ああ、親友。

 炒った豆のお味は、どう?

 

 

 

 

 それが、3カ月前の話。

 本日、私、パチュリー・ノーレッジには、やらねばならないことがあった。

 

 

 円で囲った五芒星。

 真ん中には鶏の死骸。

 呪文を唱えつつ、小瓶から血を撒いていく。

 

 3歩後ろで、その光景を眺めている咲夜。

 今日の服装は、青いジップアップパーカーに、白のフレアスカート。

 黒タイツに、ハイカットシューズを履いている。

 

 うん、可愛い。

 世界一可愛い。

 

 ……でも、口に出しても、無視されるか無表情で見詰め返されるかなので、なるべく言わない様に務めている。うん、なるべく。

 

 さあ、気を取り直して。

 始めようか。

 懐かしい、『再会』を。

 

 

「……我が名は、パチュリー・ノーレッジ。七曜を操る魔女である。我が名を以って命ずる。来たれ、異界の者よ! その真名を、私に捧げよ!」

 

 

 発光する魔法陣。

 光が一際強まった時。

 

 ボゥンッ!!

 

 大きな音と、視界を埋め尽くす紫の煙。

 その煙が、晴れた先。 

 

「……酷い契約主もいたものですね」

 

 厭味ったらしい口調。

 靡く、血色の髪。

 

「名前さえ奪い取り、一方的な隷属を強いる術式……これでは、契約とも呼べません」

 

 白いシャツに、黒のベストとスカート。

 懐かしい顔に、自然と目頭が熱くなるのを感じながら。

 

「あら、思考と発言には、一切制限をかけていないわ。希望や意見があれば、ほどほどに聞いてあげる」

 

 そう言い放って、笑ってやった。

 

 ――……ひさしぶり、『小悪魔』。

 

 

 

 

 小悪魔。

 私の使い魔。

 低級悪魔で、名前はない。

 契約時に、私が奪い取ったからだ。

 

 悪魔との契約には、本来代償が必要になる。

 例えば、視力とか、寿命とか。

 

 視力をやったら、本が読めなくなる。

 寿命をやったら、研究に支障が出る。

 どちらも、ごめんだ。

 

 そう考えた私は、わざと己よりも数段力の弱い悪魔を召喚した。

 力尽くで、名前を奪い取り。

 代償なしで、無理矢理に契約を結ぶ為だ。

 

 そして、その企みは成功し。

 彼女は、私の使い魔となった。

 これが、前の世界での、私と彼女の出会いの顛末だ。

 

 

 ――……この世界に来た私は。

 すぐにでも、彼女を召喚しようと思った。

 でも、思い止まらざるを得なかった。

 

 召喚の際。

 狙って召喚できるのは、名の知れた悪魔だけだ。

 せめて、同じ条件を揃えてから召喚しなければ、まったく別の悪魔を召喚してしまう可能性が高かった。

 

 だから、待った。

 私が、前の世界で小悪魔を召喚した日と同じ、今日この日まで。

 ひたすらに、待ったのだ。

 

 

 

 

「――……それで?」

 

 小悪魔が、厭味ったらしく嗤いながら、口を開く。

 

「この私めに、何をお望みでございますか? ご主人様」

 

 私は。

 咲夜の腕を引いて、自分の隣に立たせて、言う。

 

「この子。私の大切な子」

 

 小悪魔が、片眉を上げる。

 それに構わず、言葉を続けた。

 

「この館で、メイドをすることになったの。将来は、当主の側仕えにするつもり。……でも、正直、まだまだ教養が足りない」

 

 周囲を見渡す。

 屹立する、本の山脈。

 ここは、紅魔館、地下。

 大図書館。

 

「私は、この子の『教育係』をやることになった。

 だから、もともと、私のしていた仕事や――……趣味で収集した本の整理が、滞っている」

 

 小悪魔の顔色が変わる。

 低級悪魔のくせに、聡い彼女だ。

 私がこれから言う言葉を、察したのだろう。

 口が、への字に曲がっていった。

 

「だから、貴女を呼んだの」

「えー……まさか」

 

 微笑んで、言い放った。

 

 

「うん――……雑用、よろしく」

「……マジかー」

 

 項垂れる小悪魔。

 柄にもなく、噴き出す私。

 大人しく、私の隣に立って居る咲夜。

 

 

 ああ、やっと。

 これで、『みんな』揃った。

 

 

 

 

 ――……館の当主は、別勢力の長と会談があり。

 魔女の娘は、その御供。

 それ故、魔女と子犬と悪魔の3人で囲んだ、夕食の席にて。

 

「可愛すぎる……」

 

 熱の籠った瞳で子犬を見据える魔女を、観察しながら。

 

「……うわぁ」

 

 悪魔は低く呻いた。

 

 ――どうやら、ご主人様は特殊な性癖をお持ちらしい。

 

 「おすそわけよ」

 

 放られたブロッコリー。

 皿に盛られたオムライスと見比べて、悪魔は深く溜息を吐いた。

 

 ――……何故、この魔女は、私の嫌いな食べ物と……好きな食べ物を、把握しているのだろう?

 

 眉間に皺を寄せつつも。

 ふんわりとやわらかく、黄色いそれを。

 ぱくりと、口に放り込んで。

 

 悪魔は、へにゃぁっと、頬を緩めた。

 

 

 ――オムライス、おいしーい。




さっきゅん以外には、ちょっとツンデレ気味のぱっちぇさん( *´艸`)


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番外編:レミリア

今回は、レミリアお嬢様視点の番外編です。


 私が誰だか言ってみろ。

 どうした? 恐れ多くて声も出せないのか?

 ふふふ、それも当たり前。

 私は、誇り高き夜の王。

 紅魔館、当主。

 

 

 レミリア・スカーレット様だ。

 

 

 ――……そんな感じで。

 結構、尖って生きている私だけれど。

 

 実はね?

 やわらかーい部分だって、あるのだ。

 

 

 

 

「私、今日は咲夜を連れて出掛けるから」

 

 頬をほんのり赤く染めながら、そう言った彼女に。

 

「ん、了解。お土産、期待してるわ」

 

 軽い口調で返答すると、小さく笑ってくれた。

 

「はいはい、お菓子でも買ってくるわね」

 

 その言葉に、「期待してるわ」なんて返しながら。

 私は、胸がポカポカするのを感じていた。

 幼い頃から、変わらないこの気持ち。

 

 彼女が笑うと、嬉しい。

 

 だって。

 彼女は、私の、大切な。

 

 

「いってらっしゃい、『親友』」

 

 

 パチェは、軽く片手を振りながら、部屋を出て行った。

 

 

 

 

 欧州の夜を生きる存在にとって。

 スカーレット家は、絶対的な君臨者だった。

 

 私は、そんな家の跡取りとして生を受けた。

 

 それゆえに、両親以外の存在は、ただ、見上げてくるだけ。

 私はそれを、見下ろすだけ。

 

 決して、対等な視線に並び立つ者はいない。

 その筈だった。

 

 でも、実際には、そうならなかった。

 彼女がいたからだ。

 

 

 

 

 パチュリー・ノーレッジ。

 愛称、『パチェ』。

 

 彼女は、優秀な魔法使いで。

 もともと、先代当主――……私の父に仕えていた。

 そして、私が産まれてからは、教育係に任命されて。

 まあ、ぶっちゃけると、育児を丸投げされた。

 

 パチェは、そりゃもう容赦がなかった。

 私が悪戯をしたら、平気で本の角をお見舞いしてきたのだ。

 雇い主の子供、それも跡取りに対してだ。

 非常識とさえ言えた。

 

 ――……でも。

 ずっと、同じ目線で傍に居てくれた。

 

 絵本の読み聞かせをねだった時なんか、ちゃんと悪い狼になりきってくれて。

「どうして、こんなに大きな口なのか、って? それはね……おまえを食べる為さー!」って。

 本気でやりすぎて、喘息の発作を起こしたくらいだ。

 

 そんなパチェを、美鈴が気功治療している横で。

 私は、お腹を抱えて笑ってしまった。

 パチェったら、おとなげなくて。

 

 それを根に持って、しばらく口を聞いてくれなかった。

 

 幼い私の日常は。

 その大部分が、パチェに依存していたから。

 

 寂しくて、悲しくて。

 鼻水垂らして泣いてしまった。

 

 そしたら。

 

「……しょうがない子ね。ばっちぃわよ」

 

 溜息を吐きながら、そう言って。

 私の頭を、わしゃわしゃ撫でると。

 綺麗なハンカチで、鼻水を拭いてくれた。

 

 その後。

 そのハンカチで、涙まで拭ってきたから、目元やほっぺたに、鼻水が付いてしまって。

「拭う順番が逆でしょっ!」って、また喧嘩した。

 

 

 

 

 パチェは、賢いくせに、常識がなくて。

 おとなげもなくて。

 たまに、デリカシーもない。

 

 ――……でも。

 どんな時でも、傍に居てくれたのだ。

 

 楽しい時も。

 悲しい時も。

 心が、壊れてしまいそうな時だって。

 

 私の傍らには、彼女がいた。

 

 

 ある日、告げられた、彼女の想い。

 

 

「……私と貴女が離れることは、この先一生ありはしないわ」

「だって、貴女は、産まれる前から――……私のかけがえのない親友なんだもの」

 

 

 きっと、彼女は知らないのだ。

 その言葉が、どれだけ私の心を、奮い立たせたか。

 

 彼女と私が、『親友』であるなら。

 対等な視線で、共に歩んでいきたい。

 だから、今のままでは駄目だ! って。

 幼い私は、そう思った。

 

 だって、私の親友様は。

 賢いくせに、常識がなくて。

 おとなげもなくて。

 たまに、デリカシーもないけれど。

 

 強くって、優しい……素敵な魔女なのだ。

 

 だから、私も。

 そんな彼女に負けないくらいに。

 

 

 素敵な王様になってやる。 

 

 

 心から、強く。

 そう願った。

 

 

 

 ――……その先に在るのが、今の私だ。

 

 我ながら、震えるぐらいカッチョイイ、夜の王様だ。

 

 

「……そっか、パチェ、例の子と出掛けちゃったんだ」

 

 私の妹――『フラン』は、小さくそう言うと、紅茶を口にした。

 頭の片側で結わえた金糸の髪が、サラリと揺れる。

 

「ええ、お土産頼んどいたわ。何を買ってくるか、当てっこしてみる?」

 

 私がそう軽口を叩くと、フランは小さく笑った。

 でも、心なしか眉が下がっているし、元気もない。

 

 その様子を見ていたら、思わず言葉が零れた。

 

 

「……フランは、本当にパチェが好きね」

 

 

 途端に、顔を真っ赤に染めるフラン。

 

「んなっ!? も、もう、お姉様ったら……っ」

 

 慌てて、何か言っているけど。

 聞く必要もないレベルの『言い訳』で。

 

「……はぁ」

 

 溜息を吐く。

 フランがパチェを好きなのは、当たり前だ。

 過酷な状況の中、産まれた時からずぅっと支え続けてくれた存在に対して。

 好意を抱かない方が、どうかしている。

 

 ――……その、『好意の種類』は別としても。

 

「……」

 

 ああ、何故だろう。

 深く考えれば、考える程……面白くない。

 心が、ささくれ立つのを感じた。

 

 

『私の――……世界で一番、愛しい人』

 

 パチェが、咲夜への感情を吐露した瞬間。

 ほんの一瞬だけ、感じた想い。

 それを、もっと煮詰めて、ドロドロにしたような。

 

 

「……フラン」

「きゃっ、ふぇ? え、なあに、お姉様?」

 

 丸テーブル越しに、その両頬に手を添えて、視線を合わせる。

 綺麗なスペサタイトガーネットの瞳が、今は私だけを見ている。

 

 パチェとは、対等な視線で、前を見ながら並んで歩んでいきたい。

 フランには、私の背中を見ていて欲しい。

 

 

「貴女、可愛いわよね」

「え、え? なに、いきなり」

「さすが、私の妹」

「……えっと、あり、がとう?」

 

 

 ぎこちない会話。

 でも、少し嬉しそう。

 ほんのり赤く染まった、やわらかな頬。

 

 世界で一番カッチョイイ夜の王様の座は、譲れないけれど。

 世界で一番可愛い夜のお姫様の座は、謹んで贈呈しよう。

 

 

「もう、なんなの」

 

 変なお姉様、って。

 クスクス笑う、私の『お姫様』。

 

 

 フランには、私の背中を見ていて欲しい。

 それで、私が振り返った時には。

 私だけ見詰めて、笑って欲しい。

 

 

 この感情が何なのか。

 実は、自分でもよくわからないのだけれど。

 

 私は、誇り高き夜の王。

 紅魔館、当主。

 レミリア・スカーレット様だ。

 

 

 欲しい物は、何だって手に入れるし――……逃さない。

 

 

 

「お姉様が好きでしょう? フラン」

「うん、お姉様も大好きだよ」

「……」

「あは、お姉様、照れてる」

「照れてない」

「うそつき。ほっぺた真っ赤だよ」

 

 

 ……うん。

 今はまだ、これでいい。

 

 

 

 

「――……とにかく、大変だったのよ」

 

 帰宅したパチェは、今日一日のことを話し終えてから、溜息を吐いた。

 相槌を打ちながら話を聞いてやった私は、「そっか」と答えてから、問い掛ける。

 

「それで、お土産は?」

 

 私の親友様は、「あ」と一言漏らした後、椅子から立ち上がり。

 

「……代わりに、プリン作ってあげる」

 

 そう言って、部屋から出て行った。

 

「プッ、ふふ、ははは!」

 

 きっと。

 この後出されるプリンは、やわらかくて、甘い。

 それは、私の心の大切な部分と、よく似ている。

 

 パチェ、美鈴、フラン。

 

 一緒に食べたいと思える存在が、こんなに居る。

 そこに、銀色の小犬や、赤毛の悪魔も、加えてやったっていい。

 

 そう考えて、笑った。




うちのお嬢様は父親似、フランちゃんは母親似。
お父様はお母様を溺愛していました。
そう、つまりレミフラです(*´ω`*)


表紙絵描いてみました。
お絵描きも好きです(これ描いてて更新が遅れたw)。


【挿絵表示】


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16話

お久しぶりです……(´・ω・`)


「明日、一緒に出掛けましょうか……二人で」

 

 私のことを、愛していると(のたま)う魔女から、そう誘われた。

 

「……」

 

 その言葉に、返答はせずに。

 ただ、ジィッと、魔女の端整な顔を見詰めてみる。

 

「……」

 

 睨めっこみたいに、魔女も見詰め返してきた。

 ――……そのまま、数十秒が経過すると。

 

「……ッ」

 

 どんどん潤んで、揺らいでいく、紫水晶(アメジスト)の瞳。

 

「え、っと……」

 

 魔女の、白くて細い喉が、小さく引くついた。

 薄めの、しかし、柔らかそうな唇が、ふるりと震えて。

 そっと、紡ぎ出される音。

 

「……咲夜(さくや)

 

 それは、魔女――……パチュリー・ノーレッジが、私に与えた『名前』だ。

 

 

 私の名前は、十六夜咲夜(いざよいさくや)というらしい。

 

 

「……」

 

 私は。

 

「……」

 

 彼女の紡ぐ、その音の響きが。

 

「…………はい」

 

 

 嫌いでは、ない。

 

 

「ありが、とう……っ」

 

 ゆるめられた白皙(はくせき)の頬に、うっすらと朱色が灯った。

 

 その様子を見て。

 大袈裟だ、

 馬鹿みたいだ、と。

 そう、思いつつも。

 

 ほんの少しだけ、胸に感じる、むず痒さから。

 私は、そっと、視線を逸らした。

 

 

 

 

 彼女達と出会ってから、数カ月が経過した。

 あまりの環境の変化に、戸惑いも感じたが。

 この数カ月が、私の今までの人生の中で、最も『幸福』な時間であったことは、疑いようもない。

 

 ――……皮肉な物だ。

 化物だらけの、真っ赤な館で。

 

 私は、産まれて初めて、『人間』扱いを受けたのだから。

 

 

 

 

 真っ赤な絨毯の敷かれた廊下を歩いていると。

 大きな声で、呼び止められる。

 

「お父さん!」

 

 輝く笑顔に、目が眩み。

 ブンブンと、揺れる尻尾を幻視した。

 

「お母さんとデートに行くんですって?」

 

 紅葉のように色付いた長い髪が、床に着くことも厭わずに。

 跪いて顔を覗き込んでくる人懐っこい女性の、秀でた額を手で押しやった。

 

「……デートじゃない。出掛けようって、誘われただけ。

それと、私は貴女の『お父さん』じゃないわ、美鈴」

 

 紅美鈴――……あの魔女、パチュリー・ノーレッジの義理の娘。

 素っ気ない否定の言葉程度では、彼女の笑顔は曇らない。

 

「でも、お出かけするんでしょう? 二人っきりで!」

 

 弾んだ声で言われたら。

 咄嗟に返せる言葉もなくて。

 ぐっ、と息を詰まらせると、余計に笑われた。

 

「廊下の真ん中で、なにやってるんですか?」

 

 声を掛けられて、振り向くと。

 赤毛の悪魔(ざつようがかり)が立っていた。

 

「ああ、小悪魔さんっ、聞いてください!」

 

 美鈴が、勢い込んで言葉を返す。

 

「明日、お母さんとお父さんの『初デート』なんですっ!」

 

 それを聞いた小悪魔は。

 左手で、軽く後頭部をかきながら。

 

「へえ……」

 

 なんだか、すごくげんなりとした顔をした。

 

「……なんですか、その顔は」

 

 己の期待と異なるリアクションに。

 美鈴が、唇を尖らせながら訊ねると。

 

「いや……やっぱり、私のご主人様は、『ペド』なのか、と」

 

 小悪魔は、視線を逸らしながらも、そうぼやいた。

 

「ペド……? な、なんてことを言うんですか!」

 

 ――……驚いた。

 美鈴が声を荒げるのを、初めて聞いた。

 

「私のお母さんは、ペドフィリア性向者(へんたい)じゃありませんよ!

 その証拠に、3人も子供を立派に育て上げたんですから!」

 

 美鈴は、自分の胸をドン! と力強く拳で叩き、声高に言い放つ。

 

「私や、お嬢様が、証拠です! ……私達がお母さんから貰ったのは、確かな『慈愛』と、『親愛』でした!」

 

 真剣な、深緑の眼差しを受けとめきれず。

 怯んで逃げ出した小悪魔の視線が、慌ただしく宙を泳ぐ。

 

「……え、っと」

「……」

「その……」

「…………」

 

「……ご、ごめんなさい?」

 

 戸惑いで喉を詰まらせながら発された小悪魔の謝罪。

 それを受けた美鈴の顔に、パアッと笑顔が広がった。

 

「はいっ! わかってもらえて、嬉しいですっ!」

 

 その勢いのまま。

 美鈴は、小悪魔の手を両手でぎゅぅっ、と握って。

 嬉しそうに、ブンブンと上下に振った。

 

「うあ……っ!?」

 

 小悪魔の顔が、カアッ、と赤く染まる。

 美鈴が、さらに笑みを深める。

 

「……ッ」

 

 ついに、小悪魔の目が潤み始める。

 美鈴は、笑みを浮かべたまま、小首を傾げた。

 

 ――……うん。

 この『小悪魔より小悪魔な大型犬』を育てたのが、あの魔女であるなら。

 確かに、凄い偉業である。

 

 

 

 

 これ以上、ここにいる必要もない、自室に戻ろう、と。

 そんな二人に背を向けて、歩き出す。

 ――……だけど。

 

「なに?」

 

 振り返る。

 にっこり笑う美鈴と、そんな彼女に手を引かれている小悪魔。

 二人そろって、後をついてくる。

 

「お困りではないかと思いまして」

 

 美鈴の言葉に、首を傾げる。

 

「……なにを?」

 

 ウインクをしながら、美鈴は言った。

 

「せっかくですから、『おめかし』しないと! でしょう?」

 

 

 

 

「うあー……」

 

 ウォークインクローゼットを埋め尽くした子供服を見て、小悪魔が呻き声を上げた。

 

「可愛い! こっちも! シャツだけでも、レギュラーカラーからスカラップカラーのような物まで、細かく揃ってますね!」

 

 ひとつひとつ確認しながら、美鈴が歓声を上げる。

 

 しばらくして。

 不思議そうな顔をしながら、美鈴が問い掛けてきた。

 

「こんなに色々持っているのに、なんで普段は同じような物しか着ないんですか?」

 

 ――……今日の私の服装。

 青いビッグパーカーに、グレーのスキニ―ジーンズと、白のハイカットシューズ。

 

「おかしい?」

「いえ、可愛いです。でも、ガーリーとかフェミニンとか、挑戦してみません?」

「……どこも破れていない清潔な服を着ているのだから、十分じゃない?」

「ちゃんと全部着ないと、もったいないじゃないですか」

 

 美鈴は、両手を広げて、言い放つ。

 

「だって、これ、全部……お母さんから貴女に向けた『愛情』なんですよ」

 

 そうも、真っ直ぐ言葉にされると。

 

「……」

 

 拒むことは、難しかった。

 

 

 

 

 2時間後。

 

「これで、明日は完璧ですね!」

 

 満足そうな顔の美鈴と、疲れた顔をした小悪魔。

 そして、小悪魔よりも疲れ切った顔をしているであろう、私。

 

「お二人にとって、良き一日であることを願ってますよ、お父さん!」

 

 ベッドのふちに座り込んで。

 溜息混じりに、言い返した。

 

「だから、私は貴女の『お父さん』じゃないってば」

 

 ――……ポフッ、と。

 頭に置かれた、あたたかな手。

 そのまま、クシャッ、と撫でられる。

 

「私の敬愛する『お母さん』は、ペドフィリアではありません」

 

 見上げる。

 目が合う。

 

 優しそうな、

 でも、

 少しだけ、寂しそうな。

 

 とても綺麗な、緑の瞳が。

 

 僅かに、揺れた。

 

「でも――……貴女のことを、心から大切に想っているんですよ」

 

 その声は。

 静かで、穏やかなのに。

 火傷しそうな『熱』を孕んでいた。

 

「あの人の想いが、報われないなんて、ありえない――……あの人の願いが、叶わないなんて、認めない」

 

 美鈴は。

 にっこりと、笑った。

 

 

「――……だからね、貴女は『お父さん』なんです」

 

 

 穏やかに笑う、彼女の背に。

 吠える龍を、幻視した。

 

 

 

 

 視界の片隅で。

 

「うわあ……」

 

 小悪魔が、顔を真っ青にしていた。




ホントはデート含めて一話で納めるつもりだったのですが、切りがいいので続きは次回!
もうちょっとで幻想入りです!


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17話

この話は、すごく難産でした。


 ――……天使が舞い降りた。

 

「……」

 

 言葉を失くし、立ち尽くす、私。

 パチュリー・ノーレッジ(推定700歳)。

 

「……おはようございます」

 

 不愛想な声で掛けられた目覚めの挨拶に。

 つっかえつっかえ、返答する。

 

「お、おはよう……」

 

 銀色の頭髪に、朝日が反射する。

 細い顎を持ち上げて、こちらを見上げてくる、愛しい人(さくや)

 立ち襟のフリルシャツを飾る、ふんわりとした黒いボウタイが揺れた。

 上品さと愛らしさを同居させた、紺地にレジメストライプのミニ丈ワンピース。

 その裾を縁取るフリルの下から覗く、真っ白な太腿――……一瞬目が釘付けになり、慌てて落とした視線の先には。

 フワッとした白いファーとこげ茶のリボンで飾られた、ショート丈の黒い革ブーツ。

 

 ……足先まで可愛いとか、どういうことなの?

 

 

「……服」

 

 かけられた声に、ハッとして顔を上げる。

 咲夜が、抑揚のない声で、言葉を続けた。

 

「……貴女も、普段とは、違いますね」

「え……ああ、うん、そうね」

 

 自分の身体を見下ろす。

 

「まあ、人間の街に行くのだから、周囲に合わせないと、浮いてしまうしね」

 

 今日の、私の服装。

 お気に入りのナイトキャップや、ビクトリア朝パジャマはお留守番。

 

 我ながら長すぎる髪は、邪魔にならない様に、ハーフアップにまとめて。

 まだ少し肌寒いので、ゆったりとした黒のニットセーターを着込み。

 首元には、白いレースのあしらわれたストールを巻いた。

 実年齢的に、足を見せるのは、少しばかり抵抗があるので。

 薄紫のマキシスカートで、踝まで隠して。

 歩きやすい、黒のスエードブーツを履いている。

 

 ――……うん、完璧。

 至って普通の、現代人女性に見えるはずだ。

 

「……」

 

 無言で。

 じぃっ、と。

 こちらを見詰めてくる、咲夜。

 

「……さ、さくや?」

 

 恐る恐る、声を掛けると。

 一瞬だけ、ハッと目を丸くして。

 少し、バツが悪そうに、視線を逸らした。

 

「ど、どうしたの?」

「いえ、別に」

「え? ……もしかして」

 

 もう一度、自分の恰好を確かめる。

 不安になって、言葉を漏らす。

 

「に、似合ってない? もしかして……ダサい?」

 

 一応、私も女だ。

 それに、今日は、咲夜と二人でお出掛けだ。

 

 つまり――……デートだ。

 

 咲夜が、どう思っていたとしても。

 私にとっては、デートなのだ。

 

 もし、今の自分の恰好が、見るに堪えない物だとしたら――……。

 それは、正直、かなりショックだ。

 

「……」

 

 目頭が、じんわり熱くなってくる。

 この子に相対した時の私は、情緒不安定にも程がある。

 自覚はあるのだ。

 でも、治せる気はしない。

 

 ハァ、と。

 溜息が、鼓膜を揺らした。

 

「……そんなこと、一言も言ってません」

 

 そう言って。

 私の左手を握る、咲夜。

 

「行きましょうか」

 

 胸が、じんわり熱くなってくる。

 この子に相対した時の私は、情緒不安定にも程がある。

 自覚はあるのだ。

 でも、治せる気はしない。

 

「……うん」

 

 

 頬が緩む。

 治す必要も、ないと思った。

 

 

「咲夜――……今日も、可愛いわね」

「……そうですか」

 

 

 

 

 拠点のシギショアラから首都ブカレストまで、通常の移動手段では、片道5時間程度かかる。

 その為、魔法で移動することにした。

 転移魔法は、得意な魔法のひとつだし、事前に下準備も済ませていたので、簡単だった。

 

「わあ……」

 

 いきなり変わった景色に、咲夜が小さく声を漏らす。

 可愛い。

 

「咲夜」

「なんですか?」

 

 指をパチン、と鳴らすと。

 私達ふたりの頭上から、キラキラとした光の粒子が降り注ぐ。

 

「……っ!?」

 

 息を呑み、驚いている咲夜。

 可愛い。

 

「な、なにをしたんですか?」

 

 問い掛けに、微笑みながら答える。

 

「ちょっとした、認識疎外の魔法をかけたのよ。私と貴女の髪色は、目立つから」

 

 なんせ、紫色と銀色だ。

 ルーマニア人の一般的な髪色は、黒か茶色である。

 金髪でさえ、少ないのだ。

 

「……見た目は、変わらないんですね」

 

 咲夜は、私の娘(めいりん)と同じように編み込んだ己のもみあげを持ち上げて、ジッと見詰めた。

 普段と変わらず、美しい銀色が輝く。

 

「ええ、あくまで、他者からの認識をずらしただけよ」

 

 本当は。

 実際に、全く別の色に変えるくらい、簡単なのだけど。

 

「だって、もったいないじゃない」

「え?」

 

 やわらかな前髪を、指ですく。

 自然と、自分の目尻が下がっていくのが分かる。 

 

「貴女の銀髪、とても綺麗だもの」

 

 だから、ずっと見詰めていたい。

 色を変えてしまうなんて、以ての外である。

 

「……」

「咲夜?」

 

 俯いた、小さな頭。

 なにか、おかしなことを言ってしまっただろうか。

 よくわからなかったので。

 

「……なにするんですか」

 

 ひとまず頭を撫でたら、振り払われた。

 

 

 

 

 首都ブカレストは、『国民から愛されない都』である。

 かつては東欧の小パリと称されるほど美しい街だったが、彼の独裁者の傲慢で愚かな都市計画によって、歴史的な建造物の多くが破壊されてしまった。

 無機質な街を歩けば、物乞いに金を渡すことを禁止する看板が目に入る。

 

 実は、先程掛けた認識疎外の魔法は、髪や目の色を隠すだけではない。

 むしろ、メインは、『存在感を希薄にする効果』だ。

 

 そうでもしなければ、物乞いの大群に集られて、デートどころではなくなる可能性があるからだ。

 

 物乞いだけではない。

 バスや電車に乗ればスリ、

 タクシーに乗ればぼったくり、

 道端では、ヤミ両替商と偽警官のタッグがお出迎え。

 

『ヨーロッパ一治安の悪い都市』の異名は、伊達ではない。

 

 用心するに越したことはないのだ。

 

 

 まあ、そんなに強い魔法ではない。

 こちらから声を掛ければ、問題なく認識されるし。

 私達と同じような超常の力を持つ存在には、効かない程度の効果だ。

 

 

 

 

 最初に腹ごしらえ。

 100年以上の歴史を持つ老舗のレストランで昼食を摂った。

 ルーマニアは、紙幣価値が低い。

 コース料理を楽しんだが、日本円で換算すると、一人当たりわずか1000円程度で済んだ。

 味はかなりの物で、お得感満載だった。

 咲夜は無言で、一生懸命もきゅもきゅしていた。

 可愛い。

 

 

 

 

 昼食後は、ショッピングをすることにした。

 長年この国で暮らしてきたけれど、出不精なので、のんびり見て回ったことはなかった気がする。

 

 人だかりをみつけて、足を止めた。

 クルトゥース(バームクーヘンを揚げて砂糖をまぶしたようなお菓子)の屋台だった。

 昼食からあまり間は空いていないけど、この程度であれば問題はない。

 むしろ、デザートと考えよう。

 

「食べましょうか」

 

 2つ買って、1つを咲夜に手渡した。

 自分の分に齧り付く。

 甘い。

 安っぽいが、嫌いな味ではない。

 隣を見る。

 

「咲夜?」

 

 咲夜の視線の先に目をやる。

 

「……」

 

 そこでは、気分の良くない光景が繰り広げられていた。

 擦り切れて痛んだシャツを着た、素足の子供達。

 彼等は、膝を地面につけて、手を合わせながら、周囲の人間に食べ物を恵んで欲しいと懇願していた。

 しかし。

 

 彼等に投げつけられる、罵声と石。

 

 5歳程度の見た目の幼子の額から飛び散った血の赤は、妙に鮮やかだった。

 

「……ッ!」

 

 思わず、跳び出しそうになった。

 そんな私の腕を掴んで、止めたのは。

 

「……咲夜?」

 

 咲夜は、静かに首を横に振った。

 何も、言葉にしようとはしなかった。

 ――……唇を、噛みしめているのが、分かった。

 

「……」

 

 私なんかより。

 咲夜は、知っているのだ。

 それこそ、骨身に沁みる程。

 

 今、この瞬間。

 私が彼等を助けたとして、何の意味もない。

 

 最期まで、責任を負えないのなら。

 手を出すべきではない、ということを。

 

「……行きましょうか」

 

 咲夜の小さな手を握り、歩き出す。

 齧ったクルトゥースの味は。

 先程とは異なり、少しだけ、苦かった。

 

 

 

 

 その後。

 嫌な気分を振り切るように。

 コヴァチ通りに軒を連ねる小さな店を冷かしながら、ふたりで歩いた。

 

 実を言うと。

 私は、店の商品よりも。

 愛しい人(さくや)の横顔を盗み見ることに、夢中だった。

 

「……うん?」

 

 ずぅっ、と見詰めていたので。

 表情の変化には、すぐに気が付いた。

 咲夜の視線の先を追う。

 

「時計?」

 

 ショーウインドウ越しに輝く、銀色。

 そこに飾られていたのは、美しい『銀の懐中時計』だった。

 だけれど、その輝きよりも目を惹いたのは。

 

「夕暮れ時の空色――……タンザナイト、かしら」

 

 文字盤を飾る、青い宝石。

 それは、快晴の青ではなく。

 夕暮れ時の空を映し出したような――……。

 

「貴女の瞳と、同じ色ね」

 

 店のドアノブに手を掛ける。

 チリン、とドアベルが鳴った。

 

 

 

 

 買い与えた時計を、咲夜がジッと見詰めていた。

 そんな咲夜を、私も見詰めた。

 しばらくして、咲夜がこちらを振り向いた。

 視線が交わる。

 

 ――……タンザナイト。 

 夕暮れ時の空を映し出したような、美しい宝石。

 ダイヤモンドより1000倍希少だとも言われる希少性を持つ。

 石言葉は、『冷静』、『神秘』そして――……『誇り高き人』。

 まさに、彼女にふさわしい。

 

 だけど、それと同時に。

 

「……なんですか」

 

 その小さな頭に手を置いて、撫でる。

 ゆっくりと、精一杯の優しさを込めて。

 

 タンザナイトは、美しいけれど。

 モース硬度は、6~7しかない。

 

 とても、傷付きやすいのだ。

 

 だから。

 大切にしなければならない。

 

 

「貴女は、私が守るから」

 

 

 そう。

 何があっても。

 それこそ、時間さえ逆行して。

 

 

「愛しているわ」

 

 

 返答は、ない。

 

「……」

 

 でも、触れた手は、振り払われなかった。

 今は、それで十分。

 

 ああ。

 

「……可愛い」

 

 

 

 

 夕暮れ時。

 カラスがなくから、帰りましょう。

 色々あったけれど。

 概ね、今日は良い日だった。

 

「あ、でも、帰る前にレミィ達にお土産を買わないと――……!?」

 

 背筋に寒気が走る。

 

 

 これは、殺気だ。

 

 

「スプリングウィンド!」

 

 自分と咲夜を包むように、周囲に風を巻き起こす。

 弾かれて飛んでいったのは――……銀のナイフ。

 

 

「教会か!」

 

 

 周囲に注意を向ける。

 5、6……全部で、7人。

 

 囲まれていた。

 

 

「今日が、お前達の最期だ」

 

 教会の手下であろう男が、一人。

 前に進み出て、朗々とした声で言う。

 

 

「七曜の魔女と――……薄汚い、裏切り者め」

 

 

 ――……その、瞬間。

 

「……今、なんて言ったの?」

 

 己の血管が『ブチィッ!』と切れる音を聞いた、気がした。

 

「咲夜が、汚い……?」

 

 私の身体から噴き出す、魔力。

 石畳が『ベキィッ!』と音をたてて、割れる。

 

 

「その腐った目玉ごと、燃やし尽くしてあげるわ」

 

 

 世界で一番綺麗で可愛らしい、愛しい人(さくや)

 彼女は、私が守るのだ。

 

 

 

 

 帰宅後。

 

「――……そんなわけで。とにかく、大変だったのよ」

 

 無事、咲夜と共に無傷の生還を果たした私は。

 その日の出来事を、親友(レミィ)に話して聞かせた。

 

「ふむふむ……やっぱり、あれかね」

 

 レミィは、プリンをつつきながら言った。

 

「この前、教会を襲撃して咲夜を連れ去ったじゃん? あれが、宣戦布告ととられたんだろうねえ」

 

 その言葉に、溜息を吐く。

 

「ああ、やっぱり? でも、それにしては遅かったわね」

 

 あれから、すでに数カ月経過している。

 それこそ、私が咲夜をデートに誘えるようになるほどの時間だ。

 

「まあ、教会も一枚岩ではなかった、ってことでしょ」

 

 でも、と。

 レミィは、スプーンの上でプリンを躍らせながら、言葉を続けた。

 

 

「もう、全面戦争は、避けられないかもねえ」

 

 

 ――……私も、同意見だ。

 このままでは、近い将来、血の雨が降るだろう。

 

 天井のシャンデリアを見上げながら、しばし黙考。

 

「……うん」

 

 私は、レミィと視線を合わせながら、口を開く。

 

 

「レミィ――……引越そうか」

 

 

 そんな、私の提案を。

 

「はははっ!」

 

 レミィは、笑って。

 プリンと一緒に、呑み込んだ。




今回の話は、資料集めにすごく時間がかかりました……(´・ω・`)
でも、書くのはとても楽しかったです(*´ω`*)


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18話

ついに、幻想入りです!
ここまで長かった……(^_^;)


 総合的に、検討した結果。

 これが、最善の道であると。

 私、パチュリー・ノーレッジは答えを導き出したのだ。

 

 ――……しかし。

 

「……」

 

 隣の席で。

 机に広げた算数ドリルに、シャーペンを走らせる咲夜を覗き見しつつ。

 

「…………」

 

 どう話を切り出したものか、と。

 私は、頭を悩ませていた。

 

 

 

 

 この国の名が、ワラキア公国から幾度か変更され、ルーマニア社会主義共和国となるまで。

 過ぎ去っていった、数百年の年月が脳裏に去来する。

 

 この、『最低の国』は。

 それでも、紛れもなく、私にとって。

 

 第二の『故郷』だ。

 

 そして。

 目の前の彼女にとっては。

 それこそ、紛れもなく――……。

 

「……はあ」

 

 大きな溜息が、静寂を裂いた。

 

「どうしたんですか?」

 

 軽く、眉間に皺を寄せながら。

 目の前の愛しい人(さくや)が、問い掛けてきた。

 

「え……っと、」

 

 喉がつっかえる。

 

「……」

 

 上手く言葉を発せない私を、静かに見上げる、青い瞳。

 

「……あのね?」

 

 意を決して、口を開く。

 

 

「引越し、しようと思っているの」

 

 

 

 

 住み慣れた土地を棄てる。

 簡単な決断ではない。

 それでも、これが、最善の道であると。

 私、パチュリー・ノーレッジは答えを導き出したのだ。

 

 ――……色々と、理由はあった。

 特に大きな理由は、以下の三つ。

 

 1. このままでは、教会の連中との全面戦争が避けられない。

 

 現在の私達の実力であれば、敗北を喫することはないはずだ。

 しかし、決して楽に勝利を手にすることも出来ない。

 確実に、血の雨が降る。

 大洪水レベルで。

 

 2. 勝利したとして、このままこの世界にしがみついていても、未来はない。

 

 私達『妖怪』は、人間の『畏れ』を糧に力を保っている。

 私は『魔女』で、レミィやフランは『吸血鬼』。

 小悪魔は、その呼び名の示す通り、『悪魔』。

 美鈴も、混ざり物とはいえ、『龍』の血脈だ。

 いずれも、名の知れた『種族』である。

 

 名前も知られていないようなマイナーな妖怪とは異なり、現在でも一定の『畏れ』を得ることが可能だ。

 

 ――……しかし、永らく暗闇に閉ざされていたこの国にも、ようやく光が差し込もうとしている。 

 これから、どんどんと『科学』的に発展していくはずだ。

 そうすれば。

 人々は、未知を既知へと変えて、『畏れ』を忘れていく。

 

 緩やかに、しかし、確実に。

 私達は、弱体化していくだろう。

 

 そして。

 なによりも大きな、3つめの理由は――……。

 

 

 

 

「とても、良い場所があるの」

 

 思い出す。

 

「そこにはね、妖怪どころか、神様だって居て」

 

 あの、『幻想に満ち溢れた秘境』を。

 

 

「貴女と同じ、特殊な能力を持った人間達も、普通に暮らしているのよ」

 

 

 (そら)を舞い飛ぶ、紅白と。

 風を突っ切る、黒白を。

 

 

 春は桜、

 夏は星、

 秋は月、

 冬は雪を、肴にして。

 盃を酌み交わし、時にはぶつけあった。

 

 

 愛しい『幻想郷』。

 

 

「ねえ、咲夜――……私達に、ついてきてくれる?」

 

 小首を傾げて。

 恐る恐る、問いかける。

『前の時間軸』では、咲夜は私達と共に幻想郷へ行くことを選択した。

 

 しかし、今回も同じとは、限らない。

 

 

「……っ」

 

 私の言葉を聞いた、咲夜は。

 一瞬、目を丸くして。

 小さく、唇を震わせた後。

 

「……もし、」

 

 微かに、掠れた声で、問い返してきた。

 

 

「もし、私が、拒否したら――……貴女は、私を置いて行けるんですか?」

 

 

「ッ!」

 

 今度は、こちらが目を見開く番だった。

 

「……ああ」

 

 そうか、そうだ。

 その通りじゃないか。

 

「ごめんなさい、馬鹿なことを、聞いたわね」

 

 正しく『愚問』。

 悩むまでもなかった。

 

「もし、貴女が『一緒に行きたくない』って、言ったとしても」

 

 手を伸ばす。

 やわらかな頬に、指をすべらせる。

 目が合う。

 揺れる、夕暮れ時の空色に。

 

 どうしようもなく、胸が高鳴る。

 

 

「手放せる訳、ないんだから――……聞く意味がなかったわ」

 

 

 ごめんね、って。

 謝りながら、苦笑する。

 きっと、今の私は、とても情けない顔をしているだろう。

 

「……」

 

 そんな、格好悪い私のことが、見るに堪えなかったのか。

 咲夜は、不機嫌そうに、視線を逸らした。

 

 でも、隣に座ったまま。

 触れた手を、振り払われることも、なかった。

 

 

 

 

 配下の妖怪達に招集をかけて。

 引越し計画について発表した。

「ついてこい」と、レミィは強制しなかった。

 その後、教会の連中と小競り合いをしている間に、三ヶ月が経過し――……。

 

「付き従うことを選んだのは、非戦闘要員を含めて、100名弱か」

 

 犬耳の執事(しつじちょう)から手渡された資料を捲りながら、大広間を見渡す。

 私達と共に、幻想入り(ひっこし)することを選択した配下――……戦闘員の狼男や、妖精メイド達が、緊張した面持ちで視線を返してきた。

 

 

 この場に居ない大多数の配下達は、幻想入りを拒んだ。

 このまま此処に居ても、近いうちに必ず訪れるであろう破滅について、大多数は理解しているようだったが。

 

「人間程度に背を向けて、逃走することなど、出来はしない」と。

 

 教会相手に、最期に一花咲かせてやると、意気込んでいた。

 ――……まあ、それも一つの選択だ。

 

 

「さて、この場に残った貴様等に、言っておくべきことがある」

 

 レミィが、笑う。

 その笑みは。

 大胆不敵で。

 傲岸不遜で。

 

 それでも。

 親愛に、満ち溢れていた。

 

 

「これからもよろしく――……私の家族達」

 

 

 その言葉ひとつで、皆の顔に広がる歓喜。

 それは、私の親友が、正しく『王』として、敬愛されている証拠だ。

 

「さあ、始めようか」

 

 王様は、左手を振り上げ。

 勢いよく、前方を指差した。

 

 

「盛大に、念入りに――……一家総出で、挨拶回りだ!」

 

 

 

 

 そして。

 ルーマニアのシギショアラに、長く居を構えていた『真っ赤な館』は。

 東の最果て、小さな島国へと、一瞬のうちに『転移』した。

 

 

 

 

 幻想郷。

 巨大な結界で覆われた秘境。

 様々な妖怪や神が暮らす、幻の『楽園』。

 

 その日。

 その各地で、大混乱が勃発した。

 

 

「紫様!」

 

 切迫した声に、妖怪の賢者――……八雲紫(やくもゆかり)は振り向いた。

 

「突如現れた外部の勢力は、幻想郷各地で見境なく交戦中! ついに、妖怪の山にも侵攻を開始したようです!」

 

 部下の九尾の狐の言葉に、金色の髪をかきあげながら、溜息を吐く。

 

「元気の良い新入りさんのようねえ……目的は、この土地の完全な支配かしら」

 

 その呟きに。

 

「……いえ、あの」

 

 九尾の狐――……八雲藍(やくもらん)は、言い辛そうに口籠った。

 

「なあに?」

 

 紫は、軽く眉を顰めながら、言葉を促す。

 

「あちら様から、何か声明があったのかしら?」

 

 主の問いに、藍は視線を泳がせながらも、口を開いた。

 

「……実は、各現場には、コレが残されておりまして」

 

 おずおずと。

 言葉と共に、差し出されたソレ。

 

「……は?」

 

 常ならばあり得ない、間の抜けた声を漏らす主へ。

 藍は、戸惑いながらも、答えた。

 

「片っ端から、幻想郷各地の妖怪を殴り倒しながら……コレを、投げつけていくそうです」

 

 九本の尻尾が、力なく垂れ下がる。

 最後の台詞は、溜息と共に紡がれた。

 

「引越しの祝いだと、言いながら」

 

 

 

 それは。

 ビニールパックされた、『蕎麦』だった。

 

 

 

 

「みんな蕎麦は持ったな!! 行くぞォ!!」

 

 

 後に。

 この出来事は、こう呼ばれる。

 

 

 吸血鬼異変、

 またの名を、

 

 

『引越し蕎麦異変』と――……。




ゆかりん「どういうことなの……( ゚д゚)ポカーン」


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19話

 引越し蕎麦異変、決着(*´ω`*)


 冷たいお蕎麦より、温かいお蕎麦が好き。

 冷え性な私、パチュリー・ノーレッジ。

 ――……残念ながら、今の私には、お蕎麦を食べてる暇なんてない。

 

「第二部隊は敵の後方に回り込みつつ、第三部隊と合流……慌てずに急いで」

 

 ホームグラウンドである図書館にて。

 魔法で空中に展開した、無数のディスプレイ。

 そこに投影した戦場の映像に、忙しなく目を走らせながら。

 

「第四部隊は前に出すぎ! 深追いする必要はないわ」

 

 ルーマニアを出立する前にネット通販で購入したインカム越しに、指示を飛ばす。

 

 

「いい? 今回の戦いで、いちばん重要なのは『誰も死なない、殺さない』よ。――……分かったら、お蕎麦を投げ渡して撤退!」

 

 

 今回の私の仕事は、司令官。

 直接戦場には赴かず、映像越しに戦況を確認し、無線を使って全体の指揮を執る。

 

 その合間に。

 ちらっ、と己の隣を盗み見る。

 

「……」

 

 いつも通り可愛い、私の愛しい人(さくや)

 彼女は、コーラを飲みながら、ディスプレイの向こうの戦いを、静かに観戦している。

 

「……あっ」

 

 そんな彼女が、小さく声を上げた。

 彼女の視線の先を追う。

 そこに映っていたのは、レミィ率いる第一部隊。

 

 ――……文字通り先頭に立つレミィと相対する、その人物は。

 

 

「レミィ! 気を付けて! 親玉よ!」

 

 

 

 

 ---------------------------------------

 

 

 紅魔館当主、レミリア・スカーレット。

 彼女の率いる第一部隊は、目の前に立ち塞がるすべてを薙ぎ倒しながら、前へ前へと進んでいった。

 その後には、気絶して倒れ伏す妖怪達と、ビニールパックに包まれた蕎麦と……たまに、うどんが残されていた。

 

「ちょっとー、誰よ? うどん撒いたのー」

 

 うどん派が紛れていたのだろう。

 みんな、「自分ではない」と視線を逸らした。

 その様子に、レミリアは笑う。

 

「うどんも美味しいけど、今日は蕎麦じゃなきゃダメなのよー?」

 

 戦場に似つかわしくない、和やかな空気。

 

 

「――……随分と、楽しそうですわね」

 

 

 そんな、台詞と共に。

 空中に走る『亀裂』。

 その『スキマ』が、ゆっくりと広がり――……。

 

「はじめまして」

 

 姿を現した、金髪の美しくも怪しい『妖怪』。

 

 

「私は、この郷の管理者の一人……『八雲紫』といいます」

 

 

 扇子で口元を隠しつつ、紫はレミリアに問いかけた。

 

「単刀直入に聞かせて貰うわね――……いったい、どういうつもりなの?」

 

 レミリアは、不敵に口角を吊り上げて、目を細める。

 

「なぁに、見たままさ」

 

 そして。

 背筋は伸ばしたまま。

 片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ。

 見事なカーテシーを披露しつつ、答えた。

 

Îmi pare bine de cunoștinţă(ウミ パレ ビネ デ クノシティンツァ)――……はじめまして、の挨拶だよ」

 

 後ろを振り返り、己の配下を見回しながら。

 

「家族みんなで、引越してきたんだ」

 

 ――……家族。

 その言葉ひとつで、途端に広がる、喜悦の気配。

 

 その様子を見て、紫は悟った。

 

 

「私の名前は、レミリア・スカーレット。誇り高き吸血鬼で、紅魔館の『当主』だ」

 

 

 相対する存在は、紛れもなく『王』である、と――……。

 

 

 

 

 紅魔館の門前にて。

 敷地内に押し入ろうとする妖怪達を、片っ端から殴り飛ばす美鈴。

 

「申し訳ございませんが、本日は部外者の入館許可は出ておりません、お帰りください!」

 

 突き出される右拳。

 その手には、『ビニールパックされた蕎麦』。

 

「これは『手土産』です! 今後とも、よ ろ し く、お願いします!」

 

 それを顔面に叩きつけられた妖怪は、そのまま数十メートル吹っ飛び、湖に落ちた。

 水柱が上がり、一瞬、虹が煌めく。

 

「――……派手にやっているな」

 

 そんな言葉と共に、現れたのは。

 

「お前達こそ、誰の許可を得て、この郷で好き勝手しているんだ?」

 

 九尾の狐――……八雲藍。

 放たれる眼光は、まさに『獣』のソレだ。

 

 しかし。

 

 

「これはこれは。引越し早々瑞獣(ずいじゅう)様と遭遇するとは。縁起がいいですね!」 

 

 

 向けられた敵意に、一切、動じることなく。

 美鈴は、朗らかに笑った。

 

「……」

 

 その、あまりの毒気のなさに、気が抜けたのか。

 藍は、ひとつ大きく溜息を吐き。

 

「もう一度、聞くぞ。……どういうつもりだ?」

 

 多少、眼光を和らげて、問いを重ねた。

 

「此処は、素敵な場所ですね」

 

 美鈴は。

 微笑んだまま、言葉を紡ぐ。

 

「でも、ちょっとばかし、平和ボケしすぎちゃいませんか? こんなんじゃ、いずれ破綻しますよ。外の世界の二の舞です」

 

「ッ!」

 

 思いがけず鋭い指摘に、息を呑む藍。

 

 ――……確かに、それは幻想郷の妖怪達を悩ませる、大きな問題のひとつだった。

 

 大結界によってもたらされた『平穏』。

 その平穏を維持する為には、妖怪と人間の間に、数や勢力のバランスが必要だ。

 上記の理由により、妖怪は気儘に人間を襲うことが出来なくなってしまった。

 存在意義が消失すれば、弱体化は免れない。

 

 現に今、『外』からやって来た紅魔館の住人達に、良いようにされている。

 

 

「だからこそ、引越しの挨拶と共に、注意喚起でも、ってね? そんなふうに、私のお母さんと、ウチのお嬢様が考えたようでして」

 

 美鈴は、足元に置いてあったクーラーボックスから、蕎麦を5袋取り出し、藍に差し出した。

 

 

「おそばに引越してきました。細く長く、よろしくお願いいたします!」

 

 

 

 

 ---------------------------------------

 

 

 ――……吸血鬼異変。

 以前の時間軸では、敵味方共に、甚大な被害を出した『異変』。

 最終的に敗北したのは、私達『紅魔館』。

 

 しかし。

 それは、私達にとっても、幻想郷にとっても、絶対に必要な異変だった。

 

 私達の敗北後、管理者側といくつかの契約を結び、和解することで、異変自体は決着した。

 しかし、この出来事がきっかけで危機感を覚えた妖怪達が、大結界の管理人である博麗の巫女に相談を持ち掛けた。

 その結果として生まれたのが『スペルカードルール』。

 命の奪い合いではなく、美しさを重視する、平和的な決闘。

 

 

 そう、『弾幕ごっこ』だ。

 

 

 ――……だからこそ。

 今回も、異変は決行した。

 でも、作戦内容は大幅に変えた。

 

 

『決して、死ぬな。そして、殺すな』

 

 

 命は、大事に。

 コレが一番だ。

 

 

 

 

「レミィ……」

 

 以前の時間軸では、レミィは紫と戦って、負けた。

 だからこそ、ディスプレイの向こうのレミィが心配で、画面に釘付けになった。

 

 その、結果――……。

 

「ッ!?」

 

 気が付くのが、遅れた。

 

 

「うぉらあっ!」

 

 

 そんな掛け声と共に、いきなり頭上から降ってきた、『拳』。

 

「月符「サイレントセレナ」!」

 

 咄嗟に発動したスペル。

 足元から放つ、無数の青いレーザー。

 

「うぁいてててっ!」

 

 奇声とともに、ひっこめられた拳。

 その動きに合わせて、咲夜の腕を掴み、横に飛ぶ。

 距離をとり、襲撃者の顔を確認。

 

 ――――……ああ。

 

「なんで……」

 

 思わず、呻く。

 

「なんで、貴女が現れるのよ……」

 

 彼女と出会うのは、本来、後10年は先の筈だ。

 

 脳裏に去来するのは。

 緑の葉を茂らせた、桜の木と。

 延々と終らない、宴会。

 その狭間で、酒気を纏う――……『鬼』。

 

 

伊吹萃香(いぶきすいか)!」

 

 

 萃香は。

 腕にぶらさげた鎖を、じゃらりと鳴らしながら。

 瓢箪に入れた酒を、ぐびりとあおり。

 にやぁ、と笑って、口を開いた。

 

「ほう? あんた、私のことを知っているのかい?」

 

 ああ。

 知っているとも。

 嫌になるほど、その強さと。

 

「なんで現れたのか、って言われりゃあ、まあ……久々に活きの良いのを見つけたから、食っちまおうか、ってねぇ!」

 

 

 厄介さを、知っている!

 

 

「――……咲夜! 逃げなさい!」

 

 叫びながら、突き飛ばす。

 

「今すぐに!」

 

 咲夜は、戸惑ったように瞳を揺らした後。

 一瞬、萃香へと視線をやり。

 相手が、圧倒的な強者であることを、見て取ったのか。

 

「ッ!」

 

 息を詰まらせながら、肩をビクリと震わせた。

 そして、勢いよく瞼を下ろし――……次の瞬間。

 

 見開かれた目は、いつもの『青』ではなく、『赤』い光を放っていた。

 その赤は、磨き上げられたカーバンクルのようだった。

 

 そして。

 

「は? え、消えた?」

 

 萃香の戸惑いの声が、虚しく響く。

 

 

 咲夜は、刹那の内に姿を消した。

 

 

 ホッ、と息を吐く。

 これで、巻き込まずに済む。

 

「……さあ」

 

 目の前のいけ好かない鬼を指差し、告げる。

 

 

「鬼退治といきましょうか」

 

 

 

 

 ――……伊達に700年も、生きてきたわけではない。

 

「くっはあ、やるねぇ!」

 

 萃香の、楽しそうな声。

 この鬼と初めて戦った時。

 散々嫌味を言われた後、叩きのめされたのは、苦い思い出だ。

 その後、入念な事前準備を経て、無事リベンジを果たしたが、辛勝だった。

 

 だけれど、あれから私は数百年の時を生きたのだ。

 

「今の私なら、事前準備無しでも……!?」

 

 正面に対峙する萃香が、牙を覗かせながら、嗤う。

 ――……背後に、気配。

 

「しま……ッ!?」

 

 振り返る。

 そこには、拳を振り上げる、もう一人の『伊吹萃香』が居た。

 

 避けきれないッ!

 

 ――……その、次の瞬間。

 

 

「あいたっ!?」

 

 

 飛来した『銀のナイフ』が、萃香の後頭部にブチ当たった。

 それは、萃香の高い防御力により、刺さることはなく、硬質な音をたてながら、地面へと落ちた。

 

 萃香の後方。

 そこで、投擲体勢のまま、立ち尽くしているのは。

 

 

「さ、咲夜!?」

 

 

 私の想い人。

 十六夜咲夜、その人だった。

 

「へえ……やってくれるじゃん!」

 

 己の頭を摩りながら、笑みを深めた萃香。

 彼女は、勢いよく咲夜の方へ振り返った。

 

「ちょ、待ちなさ……ッ!?」

 

 風を切る、拳。

 

「お前の相手は、こっちの私だよ!」

 

 叩きつけられた拳と、咄嗟に張った障壁がぶつかり、ガキィンッ! と硬質な音が響いた。

 

「くッ!」

 

 マズい。

 今の咲夜は、まだ子供で。

 自分の能力を、ちっとも使いこなせていない。

 発動までタイムラグがある上に、連発すれば、すぐに霊力が尽きてしまう。

 だから、今日も私の隣で、大人しくしていたのだ。

 

 このままでは、咲夜が!

 

 

「どいてっ!」

「やーなこったぁ」

 

 

 その、返答に。

 

 ブチィッ! っと。

 

 己の血管が、盛大にブチ切れる音を聞いた。

 最近、血管が切れやすくなった気がする。

 

「……いいから」

 

 拳を握り締める。

 体中の魔力を、右拳に集めていく。

 骨と筋線維、それから血管まで。

 

 

 ベキッ、ギチギチ、ブチィッ! 

 

 

 ……出してはいけない音を、奏でていく。

 

 

「どけって、言っているのよーッ!!」

 

 

 ――……バキィッ!!!!

 

 

 己の腕の損壊を、気にも留めず。

 荒れ狂う魔力を込め、全力で振り抜いた、拳。

 それは、萃香の頬にクリーンヒットした。

 

 ボフンッ!!

 

 そんな音をたてて。

 殴り飛ばした萃香が、弾けて消えた。

 

「こっちが、分身だったか……っ」

 

 急いで咲夜の方に視線を向ける。

 本体の萃香が、驚いた顔をしてこちらを見ていた。

 

 ――……チャンス!

 

 

「吹っ飛べ! ドヨースピア!」

 

 

 床から射出される、土の槍。

 

「うわあぁぁああああ!?」

 

 見事命中。

 地面にバウンドしながら、吹き飛ぶ萃香。

 

「やった……って、えええ!?」

 

 萃香は、そのまま本棚に激突し。

 その勢いで倒れた本棚が、さらに隣の本棚にぶつかって。

 勢いよく、倒れ始めた。

 その、先には。

 

「さ、さくやぁっ!?」

 

「ッ!」

 

 咲夜の目が、赤く輝く。

 でも、ああ!

 

 間に合わない!

 

 

「きゅっとして――……ドカーン!」

 

 

 次の瞬間。

 咲夜にぶつかる寸前だった本棚が、爆発した。

 

「ええッ!?」

 

 降り注ぐ、本棚の欠片達。

 それから守るように、咲夜の頭上に差しかけられた『日傘』。

 

「ダメじゃない、パチェ」

 

 やわらかな声音。

 優し気な光を放つ、スペサタイトガーネットの瞳。

 背中で揺れる、虹色の宝石。

 

「貴女の大切なお姫様なんでしょう? ちゃんと、守ってあげないと」

 

 そう言って微笑む、彼女は。

 

 

「――……フラン!」

 

 

 今日も館の地下室で、一人で大人しく過ごしていたはずの、フランだった。

 

 

「おおっと、新手かぁ?」

 

 

「ッ!」

 

 ゆっくりと起き上がる萃香を見て、息を呑む。

 

「しぶとい……ッ!」

 

 かくなる上は、以前から研究を続けていた、『炒り大豆を百発撃ちだす魔法』を――……!

 

 

 

「両者、そこまでよ」

 

 

 

 そんな、台詞と共に。

 空中に走る『亀裂』。

 その『スキマ』から、姿を現したのは。

 

 

「うっわ、ボロボロね、パチェ」

「レミィ!?」

 

 私の『親友』だった。

 その後ろから。

 

「あら、萃香。こんなとこに居たの」

「よぉ、紫! ひさしぶりだねぇ」

 

 妖怪の賢者、八雲紫も顔を出す。

 Phボス様の御出座しだ。

 

「萃香、悪いけど、遊びは終わりにしてくれる?」

「えー?」

「ここのご当主様と私で、穏便に話し合いをすることになったの」

「……うーん」

「お願い。美味しいつまみを用意してあげるから」

 

 そんな紫の提案に、萃香は。

 

 

「まあ、結構楽しめたし、もういっかぁ」

 

 

 頭をポリポリかきながら、そう答えた。

 

 

 

 その会話を聞いた、私は。

 張り詰めていた緊張の糸が、一気に切れて。

 

 

 限界がやってきた。

 

 

「……げほっ!」

「パチェ!?」

「げほ、ごほっ! ッ!」

 

 苦しい。

 息が出来ない。

 発作だ。

 

 

 オマケに腕が、めっっっちゃ痛い!!

 

 

 立って居ることも、困難で。

 体が、ふらりと傾いた。

 

 

「――……チュリー様!」

 

 

 その時。

 誰よりも愛しい声に、名前を呼ばれた、気がした。

 

 暗転。

 意識は、闇に沈んだ。

 

 

 

 

「ぅ……んう?」

 

 瞼を上げる。

 目に入ったのは、見慣れた自室の天井だった。

 

「……やっと、起きましたか」

 

 掛けられた声に、視線を向ける。

 私の横たわっている、ベッドの隣。

 そこに置かれた、一人掛けの椅子に座っている、愛しい人(さくや)

 

「もう、目を覚まさないかと思いまし――……きゃあっ!?」

 

 勢いよく、起き上がった私は。

 その勢いのまま、彼女に跳びついた。

 

「な、なにを……ッ!?」

「怪我!」

「え?」

 

「怪我、してない!? 無事!?」

 

 そして。

 彼女の小さな左手に巻かれた包帯に、気が付いた。

 

「これ……」

「ああ、本棚の破片で、少し。掠り傷です」

 

 咲夜は、何でもないことのように、そう答えた。

 

「……」

 

 でも。

 そんな問題じゃ、なかった。

 

「……ごめん」

 

 情けなさで、視線を合わせることも出来ないまま。

 ただ、謝罪を重ねた。

 

「貴女は、私が守る、って。私、そう言ったのに……貴女を、危険な目にあわせたわ」

 

 あの時。

 もしも、フランが来てくれなかったら。

 

「……っ」

 

 考えただけで、怖かった。

 視界が、滲む。

 

 ――……次の瞬間。

 

 

 ごちんッ!

 

 

「あいたぁっ!?」

 

 

 目の前に、火花が舞い散る。

 咲夜に、『頭突き』を喰らったのだ。

 

 

「さ、さくや……?」

 

 至近距離。

 額を、あわせたまま。

 

「ほんと、貴女は……」

 

 掠れた声で、咲夜が囁く。

 

「なんで、私なんですか」

 

 その言葉に。

 私が、答える前に。

 

「……パチュリー様の、ばか」

 

 

 そう、言って。

 咲夜は、『笑った』。

 

 

 

「……」

 

 それは。

 

「…………」

 

 私にとっては。

 

「~~ッ!?」

 

 

 萃香の拳よりも、強烈な一撃だった。

 

 

「パチュリー様っ!?」

 

 

 ――……KO(ノックアウト)

 私は再び、ベッドへと沈んだ。

 

 

 

 

 ---------------------------------------

 

 

「――……じゃあ、今後ともよろしく」

 

 紅魔館、応接室にて。

 レミリアと紫は、円満に話し合いを終えた。

 

「そういえば」

 

 立ち去り際。

 紫が、思い出した、といったふうに、口を開いた。

 

「この館にも、人間が居るのね」

 

 紫は、探るように目を細めながら、レミリアに問いかける。

 

「どうやら、普通の人間ではないようだったけど――……貴女の従者? それとも、非常食かしら?」

 

 その問い掛けに。

 レミリアは、己の顎を摩りながら。

 

「ああ、アレは、私の従者だよ」

 

 そう、答えた後。

 

「でも、それ以上に」

 

 にぱぁっ、と笑って、言い放った。

 

 

「親友の『嫁』だな!」

 

 

 

 ――……紫は、思った。

 この館の住人は、変人ぞろいのようだ、と。




 戦闘シーンは、読むのも書くのも苦手なので、なるべく書かなくてもいいようにプロットを組んでいるのですが、まったく書かない、というのも難しく……(´・ω・`)

 精進せねば……っ(`・ω・´)


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20話

遅くなりましたっ(>_<)


 映画を観る時。

 ポップコーンは食べるけど、コーラは飲まない。

 

 実は珈琲派な私、パチュリー・ノーレッジ。

 

 アイスコーヒーをストローで啜りながら、隣を覗き見ると。

 

「……」

 

 真剣な顔で画面を観つつ、定番のコーラを飲んでいる、私の愛しい人(さくや)

 たまに、二人の間に置いたポップコーン(塩バター味)に、小さな手を伸ばしては。

 これまた小さな口に運んで、モキュモキュと咀嚼している。

 

「か……」

 

 可愛い、と呟きかけて。

 慌てて口を押さえた。

 いけない、いけない。

 

 映画を観る時は、私語は厳禁だ。

 

 

 

 

 最近、咲夜と二人で映画を観ることが多い。

 引越し蕎麦異変……じゃなかった、吸血鬼異変でも使用した、映像を空中に投影する魔法。

 アレを改良して、映画のDVDやブルーレイを大画面で楽しんでいる。

 いつもの図書館が、一瞬でシアタールームに早変わり。

 やはり、魔法は素晴らしい。

 

 なぜ、映画か、というと。

 咲夜の日本語の勉強の為だ。

 

 現在、私達はルーマニア語で日常会話を行っている。

 当主(レミィ)をはじめとして、館の住人のほとんどがルーマニア出身なのだから、当たり前だ。

 

 しかし、此処は日本。

 今後の生活には、日本語が必須なのである。

 

 

 引越しを決定した後。

 紅魔館の住人は、私主導で日本についての勉強を開始した。

 

 一番最初に日本語を覚えたのは、フランだった。

 というか、実はフランはもともとある程度の日本語は話せたし、日本についての知識も、それなりに持っていた。

 何故か、というと。

 地下の自室に居る間、暇潰しに日本のアニメや漫画を嗜んでいたからだ。

 

 ……余談だが、フランは料理漫画にハマった時期があった。

 その際、漫画に出てくる料理を実際に食べてみたいとねだられて、片っ端から作ったことがある。

 正直、再現した料理の味は、美味しいとは言えない物の方が多かった。

 ミス〇ー味っ子なんか、特に……。

 

 二番目に日本語を覚えたのは、美鈴だ。

 別に意外な話ではない。

 美鈴は中国出身だが、私と初めて会った時から、流暢なルーマニア語を話していた。

 私の愛娘は、ああ見えても、とても賢い子なのだ。

 

 三番目は、レミィ。

 あの子は、地頭(じあたま)はとてもいいのだけど、コツコツと地道な努力をするのは苦手だ。

 だから、日常会話はすぐに覚えたものの、漢字やことわざ、四字熟語なんかは、未だに怪しい。

 最近は、勉強と称して、フランから借りた漫画を読み漁っている。

 

 小悪魔は例外中の例外で、種族特性として翻訳魔法が使える。

 召喚主とまともに会話が行えないのでは話にならないから、これも当たり前の話だ。

 

 その他の使用人達は、だいたい団栗の背比べといったところか。

 

 ――……しかし、その中で、咲夜は少しだけ皆よりも学習速度が遅れていた。

 

 後に、『完全で瀟洒な従者』などと称される私の愛しい人(さくや)

 しかしながら、現在の彼女は、まだ十歳にも満たない幼子だ。

 しかも、今までは生きるのに精一杯で、ろくに何かを習ったことがないのだから、無理もなかった。

 

 レミィと話し合った結果。

 咲夜の教育は、じっくりと時間をかけて行う了承を得た。

 六年後には、どこに出しても恥ずかしくない、立派な淑女に仕立てあげて見せよう。

 

 そんなわけで。

 焦る必要は、まったくないのだけれど。

 

 最近の咲夜は、気が付いたら辞書を片手に、日本語の勉強をしている。

 

 急がなくても大丈夫なのだ、と。

 そう言い聞かせたって、きっとあまり意味はない。

 

 周りが出来ることを自分が出来ない、なんて。

 そんな状況に甘んじられる様な性格ではないことは、知っている。

 

 だからこそ、彼女は『完全で瀟洒な従者』なんて呼ばれるようになるのだ。

 

 でも。

 それなら、せめて。

 

 楽しみながら学んでくれたらいい、と。

 

 そう思って、考えた。

 その結果が、日本語の映画鑑賞。

 観終わった後は、日本語で感想文を書かせている。

 

 

「――……ふぅ」

 

 映画を観終わった咲夜が、ゆっくりと息を吐いた。

 今日は、日本のアニメ映画の隠れた名作『平〇狸合戦ぽんぽこ』を観た。

 

「面白かったわね」

 

 話しかけると、咲夜はひとつ頷いて、口を開いた。

 

「はい……でも、結局、狸は人間に追いやられてしまいましたね」

 

 その声が。

 少し、悲しそうな響きだったので。

 

「そうね……でも、消えてなんかいない」

 

 その銀髪に指を滑らせながら、ゆっくりと言葉を重ねた。

 

「大切な友達や家族と寄り添いながら、確かに生きているじゃない」

 

 見上げてくる、綺麗な青い瞳。

 見詰め返して、微笑む。

 すると、彼女も目を細めて、頬を綻ばせた。

 

 ……うわあ、可愛い。

 

 それだけのことで。

 どうしても、照れてしまって。

 視線を逸らすと、咲夜の小さな手が視界に入った。

 

「あ、咲夜、バターとかついてるわよ」

 

 ポップコーンを食べていたから、汚れてしまったのだ。

 机に置いていた布巾を手に取り、その手をそっと包み込んだ。

 指の間も、丁寧に拭いてやる。

 咲夜は、大人しくそれを受け入れた。

 

「……よし、綺麗になった」

 

 呟いて、顔を上げる。

 当然のように、至近距離にある顔。

 

 睫毛が、長い。

 

 ――……うん、さんざん、可愛い可愛いと言ってきたけど。

 咲夜の顔立ちは、可愛いというよりは、美しい。

 本当に、美人だ。

 

「ありがとうございます」

 

 静かに。

 素直な言葉が、降ってくる。 

 

「……」

 

 

 受け止めきれず、

 言葉を失くす。

 

 最近、咲夜は素直だ。

 前みたいに、毛を逆立てて威嚇してこなくなった。

 

 ……私が、馬鹿みたいに戸惑って、固まってしまっても。

 呆れて逃げたりなんて、しない。

 

 

 

「お邪魔するわよ」

 

 

「ッ!?」

 

 急にかけられた声に、息を詰まらせながらも。

 瞬時に立ち上がり、臨戦態勢に入った。

 

 ……喘息の発作が起きたら、どうする気だ。

 私は病弱なんだぞ、と。

 

 眉を吊り上げた後――……驚愕に目を見開く。

 

 

「はぁい……いや、ホントにお邪魔だったかしら?」

 

「紫っ!?」

 

 其処には、妖怪の賢者『八雲紫』が立って居た。

 

 

「お母さん! お客様をお連れしました!」

 

 その後ろから、ニコニコ笑顔の美鈴が顔を出す。

 美鈴の隣には、紫の式神である『八雲藍』の姿もあった。

 

 溜息と共に、言葉を吐き捨てる藍。

 

「パチュリー・ノーレッジ……貴女の娘を、何とかしてくれないか?」

 

 非常に疲れ切った様子の藍を見て、首を傾げる。

 よく見ると、藍の尻尾の一本が、美鈴の腕に抱え込まれていた。

 

「モッフモフですよ! モッフモフ!」

 

 楽しそうにそう言いながら、藍の尻尾へ顔を埋める美鈴。

 

 

 そこに、騒ぎを聞きつけた小悪魔が現れた。

 

「なんですか、さっきから騒がし、ぅわ!? や、八雲ゆか……っ!?」

 

 小悪魔は、『八雲紫』という圧倒的格上の存在が居ることに気が付くなり、ビクッと肩を震わせた。

 日頃の態度は大きいが、戦闘能力的には、その呼び名の通り『小悪魔』でしかないのだから、無理もない。

 前回の異変でも、ずっと隠れていたのだ。

 

 そのまま、逃げ出すかと思ったが――……。

 

 

「……え、」

 

 私の愛娘――……『美鈴』の姿を視界に収めると。

 ピタっ、と動きを止めた。

 そして。

 

 

「……美鈴さん、何やってるんですか?」

 

 

 藍の尻尾に頬擦りを繰り返している、美鈴。

 その姿を、穴が開きそうな程ジッと見詰めながら、そう問いかけた。

 

 

「あ、小悪魔さん!」

 

 美鈴は、悪びれもせず、笑顔で返す。

 

「モッフモフですよ! モッフモフ!  小悪魔さんも一緒にモフりますかー?」

 

 まだ、あと八本あります! ……なんて。

 藍の迷惑など考えもせず、小悪魔に誘いを掛ける美鈴。

 

「何を勝手なことを!? は、な、せーっ!」

 

 我慢が限界を迎えたのか、怒鳴り散らす藍。

 

「……いえ、遠慮しておきます」

 

 小悪魔は、静かな口調で美鈴の誘いを断ると。

 にっこりと笑いながら、言葉を続ける。

 

 

「美鈴さんも、早く離れた方がいいですよ――……ノミがうつりますから」

 

 

 その言葉に。

 一気に、空気が凍りつく。

 

「……ッな!? だ、誰がノミなんぞいるか!」

 

 しかし、数瞬後。

 その凍った空気を、藍の叫び声が砕き割った。

 

 

「ちゃんと、薬用シャンプーとリンスでお手入れしているんだからなーッ!」

 

 

 その叫びに。

 しれっと補足を入れる紫。

 

「フジ〇製薬のク〇ルヘキシジンシャンプーとク〇ームリンス。仕上げのブラッシングは私が」

 

 それを聞いて、ハッと鼻で笑う小悪魔。

 先程のビビり様は何だったのか。

 心底馬鹿にした口調で、新たな毒を吐き捨てる。

 

 

「畜生風情が」

 

 

 血管がブチ切れる音が、あたりに響いた。

 

 

 

 

 飛び交う罵声を、聞き流しながら。

 

「……あー」

 

 どうしてこうなった?

 

 一瞬、そう考えて。

 いや、おかしい話ではないのか、と思い直す。

 

 紅魔館の門番である紅美鈴(ほんめいりん)と、私の使い魔である小悪魔。

 彼女達は、前の時間軸でも、この館の住人同士として付き合いはあったが。

 それなりによく話す『同僚』という域は出ていなかった、はずだ。

 

 でも、今の『美鈴』は、私が育てた。

 私の可愛い『愛娘』なのだ。

 

 育ち方が違う以上、前の時間軸の彼女とは異なる点が、多々ある。

 

 ――……そんな美鈴と接した小悪魔が、前の時間軸とは異なる感情を抱いたとしても、不思議ではなかった。

 

 

「親として、主としては、なかなかに複雑な気持ちになるけれど……」

 

 口出しをするつもりはない。

 そういった感情は、止められて止まる物ではないことは、私が一番よく知っている。

 そんなふうに考えて。

 小さく溜息を吐きながら、隣に視線を移した。

 そして――……。

 

「……」

 

 

 愛しい人(さくや)が、目を輝かせていることに気が付いた。

 

 

「……咲夜?」

 

 名前を呼んでも、反応してくれない。

 ジィッと、一点を見詰めている。

 焦燥感に駆られながら、その視線の先を追う。

 

「ッ!」

 

 咲夜が、何に夢中なのか。

 気が付いて、息を呑む。

 

 先程まで、私と咲夜が観ていた映画は、日本のアニメ映画の隠れた名作『平〇狸合戦ぽんぽこ』。

 登場するのは、人間と、狸と、『狐』。

 

 非常に、タイムリーでもあった。

 その為、それに心惹かれても、無理はない……ないのだが。

 

 

「……もふもふ」

 

 

 ――……やはり、面白くはない。

 

 

「……おい! パチュリー・ノーレッジ! 貴女の娘と使い魔を、何とかしてくれないか!」

 

 切実さを感じる、藍の叫び声に。

 

 

 

「黙れ、女狐が」

 

 

 

 とても低い声で、そう返した。

 

 

「ぷはっ!」

 

 紫が噴き出す音が、部屋に反響した。

 

 

 

 

 ――……数十分後。

 溜息と共に問いかける。

 

「それで? 本日は、どんなご用向きで?」

 

 紫は、微笑みながら口を開く。

 

「今日はね、貴女に会いに来たんじゃないのよ」

 

 そう言うと、空中に開いた隙間から、上品な扇子を取り出した。

 その扇子をスッと前に出して、ある一点を指し示しながら、言葉を続ける。

 

 

 

「貴女のお嫁さんに、お願いがあって来たの」

 

 

 

 指し示された先……そこに居るのは、私の愛しい人(さくや)

 

「え、私……?」

 

 自分を指差しながら、問い返す咲夜。

 

「ええ、貴女」

 

 笑顔で頷く紫。

 

 私は、眉を顰めながら口を挟む。

 

「……この子に危害を加える気なら、容赦しないわよ」

 

 そして、いつでも咲夜を庇えるように、一歩前に踏み出した。

 しかし。

 

「あら、そんな気は微塵もないわ。メリットもないし……私は、意外と子供好きなのよ?」

 

 そんなふうに嘯いて、笑う紫。

 そのまま、言葉を続ける。

 

「そう、私は、子供好きなの……それでね? 特に目をかけている子供が一人、居るのだけれど」

 

 そこでいったん、言葉を止めて。

 わざとらしく溜息を吐いた後、続きを口にした。

 

「その子ったら、友達が少なくて。情操教育の為には、同年代の子供達との関りも必要でしょう? ……まあ、つまりは」

 

 一際華やかな笑顔を浮かべて、言い放つ。

 

 

 

「幻想郷の愛し子――……博麗霊夢と『友達』になって欲しいの」

 

 

 

「……あー」

 

 どうしてこうなった?

 

 一瞬、そう考えて。

 いや、おかしい話ではないのか、と思い直す。

 

 

 この数百年。

 私は、以前の時間軸とは、異なる行動を続けてきた。

 その結果として、『今』がある。

 

 それならば。

 あらゆる事象に変化が生じるのは、必然だ。

 

 

 

「とも、だち……?」

 

 

 きょとん、と目を丸くして。

 私の愛しい人(さくや)が、小首を傾げた。





 今日、美容院行ったんですよ。
 銀髪にしてもらいました!
 さっきゅんリスペクト(*´ω`*)


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21話

あけましておめでとうございますっ(*´ω`*)


「とも、だち……?」

 

 きょとん、と目を丸くして。

 私の愛しい人(さくや)が、小首を傾げた。

 

 そのあどけなさに、絆されたのか。

 案外、本当に子供好きなのか。

 微笑ましそうに目を細めて、紫は言葉を続ける。

 

「ええ、友達。一緒に遊んで、時々、喧嘩もする。そういう、かけがえのない相手」

 

 それを聞いた、咲夜は。

 

「……」

 

 口を閉ざして、俯いてしまった。

 そうしていると、小さな彼女が、余計に小さく見えた。 

 

「……咲夜」

 

 囁くように、呼びかけて。

 やわらかな銀髪に、そっと指先を滑らせる。

 

 きっと。

 生きるのに精一杯だった彼女には。

 

『友達』なんて、夢物語の存在だったのだろう。

 

 戸惑うのも、無理はない。

 

 だけど。

 

 

「……あのね、友情、ってね」

 

 少し、照れ臭いけれど。

 確かな『真実』。

 

 

「生きていくうえで、もっとも大切な物のひとつなのよ」

 

 

 私、パチュリー・ノーレッジは、心の底からそう思っている。

 

 

 そんな私の言葉を聞いて。

 咲夜は、ゆっくりと顔を上げた。

 私の顔を見上げた彼女は。

 その目を、緩やかに細め、口角を上げる。

 

 ああ。

 可愛いなあ。

 

 

「……明後日」

 

 愛しい人(さくや)の、まだまだ小さな手を、優しく握って。

 彼女の代わりに、答えを返した。

 

 

「明日、というのも急だから、明後日。私とこの子の二人で、神社に伺うわ」

 

 

 

 

 ――……そこまでが、昨日の出来事。

 約束の日は明日だから、今日も二人で映画を鑑賞中。

 

「……」

 

 本日の映画は『猫〇恩返し』。

 猫好きの私としては、はずせない名作である。

 だけど。

 

「……」

 

 隣の咲夜は、ずっとそわそわと落ち着きがなくて。

 映画の内容なんて、まったく頭に入っていないっぽい。

 

「……うーん」

 

 どうしようか。

 ずっとこの調子では、明日の朝には疲れ切っていそうだし。

 

 そんな感じで、こっそり悩んでいる間に、映画も終盤。

 猫の王子様が、美しい雌猫に、プロポーズをするシーン。

 

 プロポーズ、かあ。

 咲夜は、きっとウエディングドレスが似合う。

 いやいや、白無垢も捨てがたい。

 そうすると、私はタキシードか、紋付袴を着ればよいのだろうか?

 ……でも、私だって、花嫁衣装にそこはかとなく憧れはあったりするし。

 

 なんて。

 脇に逸れた思考を、引き戻す。

 

 画面には、誓いの指輪代わりの『魚の形をしたクッキー』が映っている。

 

 ……うん。

 これだ。

 

「咲夜」

 

 呼びかけると。

 数拍の間を置いてから、咲夜がこちらへ視線を向けた。

 微笑みながら、提案する。

 

 

「手土産に、クッキーでも作りましょうか」

 

 

 

 

 

 バターに砂糖、卵に小麦粉、バニラエッセンスも添えて。

 二人で協力して、生地を作った。

 最初は戸惑っていた咲夜だけど、段々と表情を和らげていくのが分かった。

 

「型抜き、どれ使う? 色々あるのよ」

 

 ガシャガシャ音を鳴らしながら抜き型を調理台に広げた。

 定番の形から、そんなのもあるんだ、ってビックリするような形まで、数多く揃っている。

 

「すごいですね、こんなにたくさん」

 

 三日月の抜き型を手に取った咲夜が、感心した様子でそう言った。

 

「はじめにクッキーを作った時はね、私の趣味で、コレとコレを使ったんだけど」

 

 猫と肉球の抜き型を手に取って、咲夜に見せる。

 

 

「……猫、好きなんですね」

「うん、好き」

 

 似合わないかしら? って。

 はにかみ笑いを浮かべながら、そう答えると。

 何故か咲夜は、その2つの抜き型を、端に除けてしまった。

 

「え?」

「……」

「咲夜?」

「……」

 

「……猫、嫌いなの?」

「別に――……でも」

 

 犬の方が、役に立ちますよ、なんて。

 

 少しばかり不満気に、そう言いながら。

 私の愛しい人(さくや)は、三日月の抜き型をてのひらの上で転がした。

 

「……?」

 

 彼女は犬派、ということだろうか?

 小首を傾げた後、ひとまず話題をもとに戻すことにした。

 

 

「えっと、それでね? さっきの抜き型で作ったクッキーを、レミィ達に初めて振る舞った時にね?」

「はい」

「蝙蝠の型はないのかー、とか。2種類だけじゃつまらないー、とか。色々言われたのよ」

「……ああ」

 

 その情景が、目に浮かんできたのか。

 咲夜が、薄く苦笑を浮かべた。

 私も、思い返しながら、眉を下げて笑う。

 

「だから、クッキーを作るたびに、新しい抜き型を用意するようになっちゃって」

 

 コレとか、自作なのよ? って。

 蝙蝠の形の抜き型を指先で弾きながら語ると。

 咲夜が『心底驚いた』といった様子で、目を丸くした。

 

「わあ……器用ですね」

 

 感嘆の声を漏らす咲夜。

 素直過ぎて、照れ臭い。

 熱くなった頬を誤魔化すように、軽く首を横に振りながら、言葉を返す。

 

「慣れれば簡単よ。デザインを決めたら、アルミ板を曲げていくだけだし……ッ!?」

 

 

 どんっ!

 

 唐突な『衝撃』。

 よろめいて、調理台に手をついた。

 

 危ない。

 自分の顔で型抜きをするところだったわ。

 

「きゃっ……あっぶな、え、なに?」

「おかあさーんっ、お父さんとお菓子作ってるんですかー?」

 

「……美鈴!」

 

 背中からとびついてきたのは、私の愛娘だった。

 

「いきなり抱き着いたら、危ないでしょう?」

「えへへ、ごめんなさーい」

 

 嗜めてみても、一切曇りを見せない、輝く笑顔。

 溜息を吐く。

 

 ああ――……可愛い。

 

 そんなふうに、感じてしまって。

 結局、叱りつけるどころか、頭を撫でてやる私は。

 

 多分、駄目親である。

 

 

「あら、なにやってるの?」

 

 ――……千客万来。

 

「レミィ」

 

 今度は、親友様の御出座しだ。

 

「あ、クッキー! 私の分もあるわよね?」

 

 そう問いながら、蝙蝠の形の抜き型を指先でつまみあげて。

 にぱぁっ! と笑う、夜の王様。

 そして、それを見ても。

 

 ……可愛いなあ、もう。

 

 やっぱり、そう感じてしまう私だから。

 

「はいはい……はじめから、多めに用意してあるわよ」

「わぁい!」

 

 ……我ながら、クッキーよりも甘い対応だ。

 過剰な甘さは、毒にもなる。

 何事も、加減が大事なのだ。

 

 でも、まあ。

 私は、魔女だし。

 魔女なんて、古来より、他者を堕落させる存在だと、相場が決まっている。

 だから、これでいいのだ。

 うん。

 ……うん。

 

 

「ってことは、皆でお茶会ですね! 小悪魔さんも誘っちゃおうっ」

 

 そんな、美鈴の台詞を聞いて。

 

「ッ!」

 

 

 脳裏に過った、『スペサタイトガーネット』の煌めき。

 

 

「……」

 

 数瞬、黙考。

 まったく不安がないと言ったら、嘘になる。

 ――……でも。

 

『今の彼女』を、まっすぐに見据えると。

 

 私は、そう決めた。

 

 

「……レミィ」

 

 それに。

 もし、万が一。

 

「パチェ?」

 

 いや、億が一。

 悲劇の引き金が引かれてしまっても。

 

 

「フランも――……お茶会に参加して貰いましょう」

 

 

 私のすべてを懸けて。

 誰一人、傷付けさせはしない。

 そう、それこそ。

 

 フラン自身も含めて、守ってみせる。

 

 

 

 

「あらためて、ごきげんよう」

 

 背筋は伸ばしたまま。

 片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ。

 見事なカーテシーを披露しつつ、自己紹介。

 

「私の名前は、フランドール・スカーレット。紅魔館当主、レミリア・スカーレットの実妹よ」

 

 フランの放つ、確かな気品。

 その優雅さに圧倒されて、小悪魔が数歩後退った。

 ……情けない奴だ。

 

 一方、咲夜は、ぎこちない動作ではあるが、しっかりと返礼した。

 

「ごきげんよう……先日は、ありがとうございました。十六夜咲夜と申します」

 

 まだ幼いけど、流石、咲夜。

 

 ――……立派よ、可愛い!

 

 内心で、拍手喝采。

 

「ふぅん……」

 

 しかし。

 何故かフランは、探るような眼差しで、ジィッと咲夜を見詰めた。

 

「……フラン?」

 

 私が呼びかけると。

 ハッとした顔になり、ブンブンと首を横に振って。

 

「うん、よろしくねっ」

 

 そう言って、綺麗に笑った。

 

「……?」

 

 首を傾げる。

 なにか、様子がおかしい。

 まともに会話するのは初めての相手だし、緊張しているのだろうか?

 

 そこで。

 

「さあ、みなさん速く席に着いてクッキーをいただきましょうっ」

 

 美鈴が、明るい声で言い放った。

 

 

「お母さんとお父さんの『初めての共同作業』の結晶ですよ!」

 

 

 ――……唐突に爆弾を放るのは、いい加減に勘弁してほしい。

 まったく、誰がこんな娘に育てたんだ。

 

 私だ。

 

 

「……め、美鈴の言う通り、席に着いて食べましょう。紅茶が冷めるわよ」

 

 顔が熱い。

 多分、今の私の顔は、熟れた林檎より赤い。

 

 チラリ、と横目で咲夜を盗み見る。

 特に様子に変化はない。

 どうやら、まだ『初めての共同作業』の意味を知らないらしい。

 

 ホッとしたような、少し寂しいような。

 複雑な想いが、胸を過った。

 

 

「ぱーちぇっ!」

「きゃあっ!?」

 

 席に着くなり。

 私の右隣に座ったフランが、腕に飛びついてきた。

 

「ふ、フラン?」

「ぱちぇー、ハート型、可愛いねっ」

 

 フランは、指先でつまんだハート型のクッキーを。

 私の唇に、そっと押し付けてきた。

 

「あーんして?」

 

 上目遣いで、甘ったるい声で。

 少しだけ、頬を染めて。

 

 ああ、甘える時のこの仕草は、幼い頃から変わらない。

 可愛い。

 

 ――……拒めるわけがない。

 

「あー、ん」

 

 口に入ってきたクッキー。

 細い指先が、一瞬だけ、舌先に触れた。

 

「……っ!」

 

 フランの顔が、耳まで赤くなり。

 スペサタイトガーネットの瞳も、潤んで揺らいだ。

 

 

 ――……次の瞬間。

 

 

「ふご……ッ!?」

 

 思いっきり、髪を引っ張られ。

 追加で『犬型のクッキー』を口に押し込まれた。

 

「……っ、……ッ? ……ッ!?」

 

 強制的に振り向かされた、左隣。

 銀のナイフのような剣呑な光を宿す、青い瞳と視線が交わる。

 

 何故か。

 非常にご立腹らしい、私の愛しい人(さくや)

 

 かわ……怖い。

 うん、こわい!

 

 

「ちょっと! パチェにひどいことしないでよ!」

 

 怒鳴りながら、さらに私に密着するフラン。

 

「ひどいことなんてしてません……食事中なんだから、離れたらどうですか」

 

 淡々と言い返しながら、さらに私の髪をひっぱる咲夜。

 

 え、ちょ、もう。

 ホントにわけがわからない。

 

 

 助けを求めて、対面の席の左側から順番に視線を走らせる。

 

 

「うわあ……」

 

 小悪魔は、何故かうんざりした顔で私を見ていた。

 

 なんでよ、私悪くないでしょ?

 

 

「仲良しですねっ!」

 

 美鈴は、いつも通りの笑顔だ。

 

 ちょ、貴女のお母さん大変なことになってるのよ美鈴?

 貴女のお母さんハゲちゃうわよ美鈴!?

 

 

「……」

 

 ――……レミィは。

 何故か、先程のフランと同じように。

 ジィッと、私達を見詰めていた。

 

「れ、れみ……っ」

 

 そして。

 

 

「あーーっ! もうっ! 私も混ぜろっ!!」

 

 

 髪を掻き乱し、そう叫ぶなり。

 

「きゃああああっ!?」

 

 

 テーブルを越えて、とびかかってきた!?

 

 

「ふらーんっ! お姉様にもあーんしてー!」

「い、いつもしてあげてるじゃんかあ!」

「……離れてください」

「ちょ、も、本気でやめ……ッ」

 

 

 ずるっ!

 

「んなあっ!?」

 

 バランスを崩し。

 椅子から、勢いよく滑り落ちる。

 

「うぐっ!」

 

 床で背中を強打した上に。

 私の上に倒れ込んでくる、3人。

 

「ぐえっ!」

 

 怪我しない様に、と。

 咄嗟に抱え込んだ咲夜の頭が。

 ちょうど、鳩尾にクリーンヒット。

 

「ぱ、ぱちゅりーさまっ!」

 

 焦りに満ちた、咲夜の呼び掛け。

 それに応える気力さえ、すでになく。

 

「むきゅー……」

 

 ああ。

 色々、覚悟はしていたのだけど。

 

 この展開は、予想外という他ない。

 

 と、いうか。

 サッパリ意味が分からない。

 

 

 ――……薄れゆく、意識の中で。

 

 

「小悪魔さん、小悪魔さん、あーんっ」

「えっ、め、美鈴さん?」

「あーん、ですよ!」

「……あ、あーん」

「えへへっ」

 

 

 そんな会話が、耳に届いた。

 

 ……小悪魔め。

 目が覚めたら覚悟しておきなさい。

 

 普段の十倍、扱き使ってやる。

 

 

 

 

 ――……翌日。

 綺麗にラッピングしたクッキーを胸に抱いた、咲夜。

 そんな咲夜をお姫様抱っこして空を飛ぶ、私。

 

 ※咲夜はまだ自力では長距離の飛行が出来ない。

 また、魔法を使用しているので、重さはほとんど感じない。

 

「……」

 

 非常に緊張した様子の咲夜を抱く腕に、ギュッと力を込める。

 こちらを見上げてくるタンザナイトを、静かに見つめ返した。

 

 そのまま、数十秒が経過。

 

 咲夜の身体から、少しずつ力が抜けて。

 眦も、穏やかに下がっていく。

 

「っ!」

 

 息を呑む。

 咲夜が、私の肩口に、ほんの少しだけ、頬をこすりつけた。

 

 とても控えめな。

 でも、確かな。

 

 甘えた仕草。

 

 

「……う、」

 

 声が漏れそうになって。

 慌てて、下唇を噛む。

 

 うわあ、うわあ、うわあうわあうわあ……っ!

 

 腕の中には、私の愛しい人(さくや)

 それは、とても幸せなことだけど。

 

 両手が塞がっているせいで。

 

 

 真っ赤に染まっているであろう顔を、隠すことも出来ない……っ!

 

 

「……ふふっ」

「ッ!?」

 

 小さく、吐息のように。

 咲夜が笑い声を溢した。 

 

 

 堪らず、視線を空へと逃がす。

 太陽が眩しい。

 本日は、快晴。

 

 

 ――……あの巫女に会うのに、相応しい日だ。

 

 

 

 

 正面鳥居の手前に着地し、軽く一礼。

 左足から踏み出して、境内に入る。

 咲夜も私に倣い、同様の作法で後に続いた。

 

「ごめんください」

 

 声を上げるが、返答はない。

 そのまままっすぐ進み、周囲を見渡すが、人影はなく、出迎えもない。

 

「……留守でしょうか?」

 

 咲夜が小首を傾げる。

 どうだろうか。

 人が訪れることを分かっていて、外出することもないと思うが。

 いや、もしかして、紫が今日の予定を伝えていないのだろうか?

 

「……」

 

 顎に指を添え、しばし黙考。

 

「……もしかして」

 

 今から会う巫女が。

 私の知っている、あの巫女のままであれば。

 一番、可能性が高いのは。

 

「パチュリー様?」

「咲夜、こっちきて」

 

 咲夜の手を引いて、歩き出す。

 

 

 

 

「……やっぱり」

 

 母屋の裏庭。

 その縁側に寝転がっている、小さな人影。

 

「すぴー……」

 

 気持ち良さそうに寝息を上げている、その人物こそ。

 

「博麗の巫女、博麗霊夢(はくれいれいむ)

 

 

 ぐーっ、と。

 

 未だ眠り続けている霊夢の腹が、賑やかに鳴いた。




第14回東方人気投票は、1月14日より投票開始予定だそうですよ!
皆さん、誰に投票するか決めましたか?
毎年恒例ですが、今年も最大7キャラクタまで投票可能(そのうち一押しを1人選び、そのキャラクタには2ポイント)だそうです。
魅力的なキャラが多すぎて、誰に投票するべきか、私はまだ悩んでいます。
しかしながら、以下のキャラは投票確定です!

一押し:ぱっちぇさん
二人目:さっきゅん
三人目:おぜう様

あとは、どの子に投票しよう……。
悩むなあっ(*´Д`)


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22話

これからしばらくさっきゅん視点です(*´ω`*)


 生まれも育ちもルーマニア。

 少し前に日本に引越して来たとは言え、ずっと洋館で勉強の日々。

 

 だから、赤い鳥居を潜った時には、緊張で体が強張ったし。

 拝殿を視界に入れた時には、異国の宗教文化を感じて、多少なりとも胸を高鳴らせもしたのだけど。

 

 ――……おかしい。

 

 湧き上がる疑問に、首を傾げる。

 巫女とは、神に仕える無垢なる乙女であると、本には書いてあったはずだ。

 しかしながら、目の前に転がる自分と同じくらいの大きさの幼子には、神聖さの欠片も見えはしない。

 そこまで考えて――……あることに思い至り、一人頷く。

 

 例え、異国、異文化の宗教とはいえ。

 それがシスターか巫女かなんて、些細な違いなのだろう。

 

 自国のシスターだって、決して神聖な存在などではなかったではないか。

 

 

 とどのつまり――……私『十六夜咲夜』の『博麗の巫女』に対する第一印象は『最悪』だった。

 

 

 

 

「……どうしましょうか」

 

 そう呟きながら、パチュリー様は小さく溜息を吐いた。

 

「起こすと、機嫌を損ねそうだし……」

 

 顎に指を添え、眉を顰めて考え込んでいる横顔を眺めながら。

 少しだけ、面白くない気分に陥る。

 

 最近、私の中に芽生えたこの感情の名前はなんと言うのか。

 それは、自分でもよくわからないのだけど。

 とても面倒臭くて、厄介な代物だということだけは、理解している。

 

 

「……咲夜?」

 

 服の裾を引っ張ると。

 パチュリー様は、すぐに振り向いてくれた。

 

「どうしたの?」

 

 目尻を、少しだけ緩ませて。

 穏やかな声音で、問いかけてくれる。

 

 

 この美しい魔女は、私のことを『愛している』らしい。

 

 

 愛など、この世に存在しない――……ずっとずっと、そう思ってきたけれど。

 

 白皙(はくせき)の頬を彩る赤にも。

 潤む紫水晶(アメジスト)の瞳にも。

 震える唇から紡ぎ出された『愛の言葉』にだって。

 

 決して『嘘』は含まれていないのだ、と。

 

 

 ようやく、それだけは信じられるようになった。

 

 

 そうしたら。

 急に、色々なことが許せなくなった。

 

 ねえ。

 本当に、私のことを『愛している』なら。

 

 

 ――……私以外、見なければいいのに。

 

 

 そんなことを考えていたら。

 言葉は、スルリと零れ落ちてしまった。

 

 

「もう帰りましょう」

 

 

 パチュリー様が、目を見開いて声を上げる。

 

「ええっ!?」

 

 ちょっと、裏返った声に。

 なんだか、胸がソワソワしたので。

 キュッと、その手を握った。

 

「きっと、疲れているんですよ、修行とかで」

「いや、疲れる程修行するような奴じゃ……」

「なんでわかるんですか? 初対面でしょう?」

「あー……うん、まあ」

「……」

 

 ……気に食わない。

 自然と、眉間に皺が寄る。

 

「起こすのも、悪いじゃないですか」

「いや、でも、このまま帰るのだって」

「小さければいいんですか」

「え」

「やっぱり『ロリコン』なのか、と聞いてるんです」

「ええー……」

 

 情けない声。

 下がった眉。

 

「違うって、何度も言ってるじゃない……」

 

 無意識なのか、縋るみたいに、握り締めてくる手。

 

「私は、ロリコンでも、ペドフィリアでもないわ。ただ、貴女のことが」

 

 普段は、落ち着き払ったこの魔女が。

 こんなふうに、慌てたり困ったりするのは。

 

 私のことを『愛している』から、なのだと思うと。

 

 それは、なんだか、とても――……。

 

 

 

「ちょーっと待った。帰るのは困るわ」

 

 

「ッ!」

 

 軽やかな声の後。

 寝転がる巫女の頭上。

 空中に走った亀裂。

 その『スキマ』から身を乗り出したのは『妖怪の賢者』。

 

 

「八雲紫!」

 

 

「はぁい。今日も二人はとっても仲良しね。素晴らしいですわ」

 

 紫は、扇子で口元を隠して、楽しそうに笑った。

 その、次の瞬間。

 

「――……うぅん」

「っ!」

 

 流石に、うるさかったのか。

 小さな唸り声が上がった。

 その声の主に向けて、全員の視線が一気に集中する。

 

「むにゃ……すぴー……」 

 

 しかしながら。

 声の主……小さな巫女は、寝返りをうっただけで、目を覚まさず。

 また、気持ち良さそうに寝息を上げ始めた。

 

「まったく、この子ってば」

 

 本当に、しょうがない子なんだから、なんて。

 そんな風に言いながらも。

 紫は、扇子では隠しきれないくらいに。

 

 その整った顔を、蕩けさせて笑った。

 

 その顔が、あまりに優し気だったから。

 

 ああ、あれも『愛』なのかなあ、と。

 

 そう思っていたら。

 

「ほーら、起きなさい、この寝坊助め」

 

 紫は、扇子をスキマの向こうに放り投げて。

 開いた両手を、巫女の露出している脇に突っ込んだ。

 

「ちょっ」

 

 パチュリー様が、制止の声を上げようとしたけど。

 もう、遅い。

 

 

「こーちょこちょこちょこちょこちょこちょ」

 

 

 さっきまでの――……多分『母性的』と言ってもいい笑顔から、一変。

 悪戯っ子みたいな顔をした紫は。

 心底楽しそうに笑いながら。

 ピアノでも弾くみたいな見事な指使いで、その無防備な脇をくすぐりまくった。

 ……うわあ。

 

 これには、流石の寝坊助巫女も、ひとたまりもなかったようで。

 

 

「ひゃっ、は、はははははははっ!? え、な、なにっ!?」

 

 

 盛大な笑い声をあげながら、跳び起きた。

 そして。

 

「くっ、ゆーかーりーっ!?」

 

 凄い勢いで表情を怒りに染め上げると。

 目にも止まらない速さで『御札』を取り出して。

 

 それを、紫の頭に思い切り叩きつけた。

 

 

 

 ドガーンッ!!!!

 

 

 

 臓腑を震わす爆発音が、境内に轟いた。

 

 

 

 

「もー、酷いわ、霊夢。私じゃなかったら死んでたわよ」

 

 先程の爆発で乱れた髪を、つげ櫛でとぎながら、拗ねたように抗議する紫。

 あれだけの爆発でも、髪が乱れる程度の被害で済んでいるのが、彼女が妖怪の賢者であることの証明か。

 ……いや、まったく賢者っぽくはない顛末だったけど。

 

「威力が足りないわね。もっと改良しないと……ふわぁああ」

 

 不機嫌そうに呟いた後、大口を開けてあくびをする幼子。

 彼女こそが、この幻想郷の超重要人物『博麗の巫女』。

 

 今日、私達が会いに来た相手だ。

 

 

「……」

 

 ジィッ、と。

 その姿を観察する。

 生憎、聖職者に良いイメージは持ち合わせていない。

 この子にしたって、初っ端から怠惰な様子を見せつけられて、第一印象は最悪と言っても良かった。

 

 ……でも。

 先程の、紫の様子を思い出す。

 

 少なくとも。

 この子は、あんな顔を向けて貰える存在なのだ。

 

「咲夜」

 

 ぽんっ、と。

 頭の上に、置かれた手。

 くしゃ、と。

 やわらかく、撫でられる。

 

「ほら」

 

 穏やかな声で、促される。

 見下ろしてくる紫水晶(アメジスト)の光は、優しかった。

 

「……あの」

 

 だから。

 躊躇いながらも、呼び掛けて。

 そっと、一歩を踏み出した。

 

 

「はじめ、まして」

 

 

 一生懸命勉強した、日本語。

 まだ、発音には自信がない。

 

「……?」

 

 振り向いた巫女は、小さく眉を寄せた後。

 真っ直ぐこちらに向き直り、口を開いた。

 

「はじめまして――……あんた、誰?」

 

 飾り気のない、その問い掛けに。

 

「私の、名前は」

 

 返答しようとした、その時。

 

 

 

 ぐうぅぅうううううう……。

 

 

 

 地響きのような音が、空気を揺らした。

 

 

「……」

 

 少しだけ、頬を赤くした巫女は。

 自らの腹を、そっと撫でながら。

 気まずそうに、視線を逸らした。  

 

「……え、っと」

 

 私は。

 戸惑いながらも、持参した包みを差し出した。

 

 

「これ、食べる?」

「くれるのっ!?」

 

 巫女の顔が、ぱあっと輝いた。

 その、急激な感情の推移に。

 

「……!?」

 

 私は、あまりの驚きで、硬直してしまった。

 

 

「「ぷふっ」」

 

 視界の隅で。

 大人達が噴き出したのには、気付かないふりをしよう。




人気投票、投票しました?
私は、今回は以下のメンバーに投票しました。

1. ぱっちぇさん(一押し)
2. さっきゅん
3. おぜうさま
4. パルスィ
5. 霊夢
6. アリス
7. ゆかりん(新作のゆかりん、カッコいいし可愛いし最強でしたね!)

でも、結果発表を見てとんでもない危機感に襲われました。
ぱ、ぱっちぇさんが!

あと一歩で門から閉め出されちゃうーっ(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

ど、どこに行くのぱっちぇさん!
小悪魔でも探しに行くの!?

こ、今年投票しなかった皆様も、来年はぱっちぇさんに清き一票をお願いします!


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23話

今回もさっきゅんのターン(*´ω`*)


 袋から取り出したクッキーを手に、博麗の巫女――……霊夢が発した、第一声。

 

「なにこれ……煎餅?」

 

 ――……煎餅?

 首を傾げるしかないルーマニア人の私、十六夜咲夜。

 つられて霊夢も同じ方向に首を傾げたものだから、首を傾げたまま見詰め合う、というおかしな光景が出来上がった。

 

 そんな光景にヒビを入れるように、掛けられた声。

 

 

「違うぜ、霊夢。それは外の世界の食べ物なんだ」

 

 

 多少驚きつつ、振り返る。

 しかし、背後には、誰もいない。

 

「上だ、上」

 

 声に従い、顔を上げる。

 

「よう、はじめまして、だな?」

 

 そこには、箒に跨って空を飛ぶ、魔法使い(幼女)の姿があった。

 

「ッ!?」

 

 咄嗟に警戒し、臨戦態勢に入る私。

 そんな私に構いもせず、霊夢がのんびりと応待する。

 

 

「あら、魔理沙。素敵な賽銭箱はあっちよ?」

 

 

 どうやら、霊夢の知り合いらしい。

 

 パチュリー様の方に視線を向ける。

 彼女は、紫と並んで縁側に腰を下ろし、静かにこちらの様子を見守っているようだ。

 目が合うと、小さく微笑んでくれた。

 

「……」

 

 少し、気恥ずかしく思いながら、視線を戻す。

 

 ちょうど、霊夢がクッキーを口に放り込んだところだった。

 

 もきゅもきゅ、咀嚼音が響く。

 霊夢の眦が、ゆっくりと垂れ下がる。

 ごくん、と喉を鳴らした後。

 口角を上げながら、霊夢が感想を溢した。

 

 

「うん、この外の世界の煎餅、美味しいわね」

 

 

 苦笑しながら地面に降り立った魔法使い――……魔理沙が、訂正の声を上げる。

 

「だから、煎餅とは違うって。クッキー、って言うんだ」

 

 そして、霊夢の抱えている袋に手を突っ込むと、クッキーを摘み上げ、齧り付いた。

 

 

「うん、美味いな!」

 

 

 美味しい。

 その言葉は、素直に嬉しいと感じる。

 なにせ、料理を作ったのは、初めてだ。

 

 ……まあ、作った、とは言っても。

 実際には、パチュリー様の指示通りに生地を捏ねたり、型抜きをした程度だけど。

 

 

「あんた、名前は?」

 

 問い掛けられて。

 答えられる名前を得たのは、つい最近の出来事だけど。

 随分、自然に答えられるようになってきたと思う。

 

「私は、咲夜。十六夜咲夜よ」

 

 

 ――……それよりも。

 気になることが、ひとつ。

 結局のところ。

 

 

「……ねえ、煎餅って、なに?」

 

 

 単純に、疑問だった。

 

「あー、食べたことないの?」

 

 後頭部を掻きながら問い掛けてきた霊夢に、頷いて返す。

 

「そっか……紫―!」

 

 霊夢は、少し思案顔を見せた後、紫に声を掛けた。

 

「はいはい」

 

 微笑みながら、紫が空中に指を滑らせる。

 空間に走った亀裂、そのスキマから。

 落ちてきたのは、菓子器に盛られた――?

 

「これのことだぜ」

「そう、これが『煎餅』よ」

 

 ニンマリと、悪戯っ子その物の顔で笑って。

 両側から私の手を引く、霊夢と魔理沙。

 

「ほらっ」

 

 二人に促されて、恐る恐る口へと運ぶ、未知のお菓子。

 

「……っ!」

 

 それは。

 初めて食べる味だけど。

 

 

「……美味しい」

 

 

 自然と零れた、そんな言葉に。

 さらに、笑みを浮かべる二人。

 

「でしょ? お茶にあうのよ」

 

 紫ー、お茶―! って。

 さらなる要求を叫ぶ霊夢。

 

 やれやれ、と。

 溜息を吐いた後。

 結局は微笑んで台所へと向かって行く、妖怪の賢者様。

 

 驚きと呆れで目を丸くしながらも、煎餅を齧り続ける私。

 

 そのすべてを楽しそうに眺めつつ、私の作ったクッキーを齧っていた魔理沙が、口を開いた。

 

「でも、このクッキーだって美味いぜ! それにコレ、手作りだろ?」

 

 一人で作ったのか? と。

 そう問われて、自然と視線を向けた先。

 こちらの様子を微笑ましそうに見守っていたパチュリー様と、視線が交わる。

 

「いいえ、パチュリー様と一緒に……」

 

 私の視線の先を追う、霊夢と魔理沙。

 先に疑問を口にしたのは、霊夢だった。

 

 

「咲夜の保護者?」

 

 

 保護者。

 まあ、世間的に見るならば、間違いではない。

 衣食住と教育、そのすべてを面倒みて貰っているのだ。

 でも。

 それでもやっぱり、私と彼女の関係性は――……。

 

 

「旦那さんよ」

 

 唐突に告げられた、『解』。

 急須と湯呑をお盆に載せて台所から戻って来た紫は、笑顔で言葉を続けた。

 

 

「彼女は、咲夜の旦那さん」

 

 

 数拍の沈黙を挟んだ後。

 

 

「「はあっ!?」」 

 

 

 大声を上げる、霊夢と魔理沙。

 

「……えー、っと」

 

 痛みさえ感じそうな視線の集中砲火を浴びながら。

 咳払いしつつ、口を開いたパチュリー様。

 

「……はじめまして。私の名は、パチュリー・ノーレッジ。種族は魔」

「「このロリコンめ!」」

「ッ!?」

 

 自己紹介を罵倒と共に遮られ、困惑を隠せないパチュリー様。

 汗を垂らしながらも、弁解を口にする。

 

「ろ、ロリコンじゃないわ、私はただ……」

 

 次の台詞は。

 真っ直ぐな眼差しで、言い切った。

 

 

「咲夜を愛しているだけよ」

 

 

 その、あまりにも堂々とした物言いに。

 呆気にとられる霊夢と魔理沙。

 

 しかし、幾許か経過後。

 霊夢が、ゆっくりと問いかけた。

 

「あんた、何歳?」

 

 パチュリー様は、視線を泳がしながら、小声で答える。

 

「……700歳くらい?」

 

 その返答に。

 勢いよく指を突きつけ、魔理沙が叫んだ。

 

 

「やっぱロリコンじゃん!」

 

 

 私は。

 そんな、騒がしい光景を眺めながら。

 なんだか、胸がポカポカと温かくなるのを感じた。 

 

 

 霊夢が、私の腕を引きながら問い掛けてくる。

 

「咲夜、あいつと祝言挙げたの?」

 

 祝言……聞き慣れない言葉に首を傾げた後、思い当り、口を開く。

 

「結婚式のこと? いいえ」

 

 私の答えに、魔理沙が意地悪そうに笑いながら、パチュリー様を煽る。

 

「じゃあ、夫婦(めおと)ではないな」

「~ッ!」

 

 少しだけ眉間に皺を寄せ、息を詰まらせるパチュリー様。

 その様子を見ながら、私は頷いた。

 

「そうね」

 

 そんな、私の肯定を聞いて。

 軽く下唇を噛みながら、パチュリー様は俯いた。 

 

「……」

 

 その様子をジッと見詰めながら。

 私は、言葉を続けた。

 

 

「でも私、パチュリー様の娘には『お父さん』って呼ばれてるわ」

 

 

 再び、魔理沙が叫んだ。

 

 

「子連れかよ!?」

 

 

「っていうか、それじゃあ咲夜が旦那じゃない?」

 

 首を傾げつつ、指摘する霊夢。

 

 よせばいいのに、パチュリー様がしたり顔で返答する。

 

「いいえ、咲夜は私のお嫁さんよ」

 

 もちろん、霊夢と魔理沙は声を揃えて叫んだ。

 

 

「「ロリコン!」」

 

 

 幼子からぶつけられる罵倒に、仰け反るパチュリー様。

 いつも綺麗な紫水晶(アメジスト)の瞳が、潤んで揺れる。

 

 わあ、涙目だ。

 

 

「……ぷっ」

 

 思わず、噴き出した。

 面白い、とか。

 そういうのじゃなくて。

 

 

 可愛いなあ、って。

 

 

 そう思ったら、なんだか。

 自然と、笑ってしまったのだ。

 

 

「ねえ」

 

 声を掛けられて、振り向く。

 紫が身を寄せてきた。

 楽しそうに細められた、金色の瞳と視線が交わる。

 小さな声で、質問された。

 

 

「貴女は、ウエディングドレスとタキシード、どちらが着たいかしら?」

 

 

 私は。

 数瞬の沈黙の後、口を開く。

 

「よく、わかりません……でも」

 

 これも、境界の妖怪の能力なのか。

 その台詞は、本当に自然に、唇のスキマから零れ落ちた。

 

 

「パチュリー様には、ドレスが似合うと思います」

 

 

 私の言葉を聞いて、一口お茶を飲んだ後。

 楽しそうに、でも穏やかに、紫は笑った。

 そんな彼女から視線を外し、立ち上がる。

 

 まだまだ、わからないことばっかりだけど。

 ひとまずは。

 

「さ、さくやー……」

 

 

 霊夢と魔理沙にいじめられ、涙目のパチュリー様を、助けてあげよう。




さっきゅんには、あともう一人お友達ができる予定です(*´ω`*)


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24話

 |電柱|・ω・`)ノ ヤァ

 おひさしぶりです!
 お待たせして――……すみませんでしたあっ!
 ┏( ;〃>ω<〃 )┓
 

 ※Caution!!

1. 旧作である東方怪綺談の要素を含みますが、物語上都合良く改変しております。
  例として、旧作とWin版で異なる口調や容姿等の設定に関しては、Win版で統一しております。
  また、フレーバー程度ですが、一般的な二次設定も盛り込んでます(アリスと神綺様の親子ネタ等)。

2. 時系列についても原作準拠ではありません!


 以上、よろしくお願いしまーす(*´ω`*)




「――と、いうわけで」

「ちょっくら魔界まで行ってくるぜっ!」

 

 博麗神社の母屋、縁側にて。

 友人達の発言に目を丸くしている愛しい人(さくや)

 その様子を眺めながら、私――パチュリー・ノーレッジはここしばらくの出来事に思いを馳せた。

 

 初の顔合わせから、早半年。

 順調に友好を深めていった幼子達。

 咲夜の付き添いとして毎回同行している私も、それなりに親しい間柄にはなれた、と思う。

 

 ――……いまだにペドフィリア扱いされるのは解せないが。

 

 それはともかく、平和で穏やかな日々が続いていた。

 しかし、遡ること三日前より。

 神社の裏山に存在する洞窟の奥から、少量ずつではあるが魔物が湧き出すという異変が発生した。

 

 霊夢が言うには、その洞窟の奥には『魔界へ通じる扉』があると文献に記載されていたらしい。

 

「雑魚をいくら倒してもしょうがないわ。ここはひとつ魔界に乗り込んで、親玉をこらしめるしかないでしょ」

 

 事も無げにそう言い放つ霊夢。

 その霊夢の隣で、楽し気に笑いながら相槌を打った魔理沙は、

 

「一度、魔界ってやつにも行ってみたかったしな! めぼしい物があったら、根こそぎかっぱらっ……借りてきてやるぜ!」

 

 ――と、軽口を叩いた。

 

 未知の場所へ旅立つというのに、あまりにも軽い空気。

 それについていけないと感じたのか――二人から視線を逸らし、微かに震える声で私の名を呼ぶ咲夜。

 

「……パチュリー様」

 

 私は数瞬の黙考の後、問い掛ける。

 

「保護者は必要かしら?」

 

 それを聞いた霊夢と魔理沙は、お互いの顔を見合わせた後――二人揃って、鼻で嗤った。

 

「はっ……あんた、そんな暇あんの?」

「そうそう! おまえにそんな余裕、ないだろ?」

 

 姉妹みたいにそっくりな、厭味ったらしい笑みを浮かべた二人は……私と咲夜を交互に見比べ、言葉を続ける。

 

「私達にかまってる暇があったら」

「気の利いた口説き文句でも考えてろよ!」

 

 ――……なんて可愛げのない早熟餓鬼(マセガキ)、いや、糞餓鬼(クソガキ)共だろうか。

 

 私は、憮然とした態度をとりながら「大きなお世話よ」と返し、投げ遣りに手を振った。

 

 

 さっさと行け。

 ……そんで、さっさと帰って来い。

 

 

 

 

 糞餓鬼共が意気揚々と旅立った後。

 咲夜は、ずっと心ここに在らずといった有り様だった。

 

 無理もない。

 初めての友人が、見知らぬ敵地へと向かったのだ。

 

 しかし、私としてはあまり心配はしていない。

 それというのも――私は『前の世界』で、実際に関わりはなかったものの。

 同業者(・・・)から酒の席で聞いた『思い出話』のひとつとして、今回の異変についての知識があるのだ。

 魔界から魔物が溢れ出す、という一見恐ろしい異変だが――……実際には、何の事は無い。

 

 

 彼等は、『ただの旅行客』なのだ。

 魔界の民間旅行会社が勝手にツアーを組んで、幻想郷に旅行客が押し寄せた、という。

 真相を知れば、異変とも言い難い、何とも気の抜ける出来事なのである。

 

 

 しかし、そういった本来であれば現段階で知り得ない知識を安易に口にするのも憚られるので、語ることはせず。

 

「大丈夫よ、咲夜」

 

 その代わりに、至って当然の事実のみを告げた。

 

「霊夢が本当に危機に曝されるようなことがあれば、八雲紫(ホントのほごしゃ)が黙っていないから」

 

 そんな私の言葉に。

 咲夜は、少し目を丸くした後。

 

「……それもそう、ですね」

 

 そう言って、小さく笑った。

 

 

 

 

 ――……次々と現れる魔界の住人(しょうがいぶつ)を蹴散らしながら。

 新しい友人の心配そうに細められた瞳を思い返して、幼い博麗の巫女――霊夢は、小さく鼻を鳴らした。

 

「魔理沙」

 

 傍らの悪友に声を掛ける。

 

「ああ?」

 

 前を見詰めたまま、言葉を続けた。

 

「怪しい奴は片っ端から薙ぎ倒して――……さっさと帰るわよ」

 

 途端に上がる、笑い声。

 

「ははは! ああ、そうだな! 咲夜が待ってるしな!」

 

 そのまま、続けられる軽口。

 

「私達が戻る頃には、少しは進展してるのかな? あの二人!」

 

 新しく出来た友人である咲夜に、ほぼセットでくっついてくる、紫色の魔女。

 いつも隣の悪友と口を揃えて、ロリコンだ、ペドフィリアだと罵倒を飛ばす相手だ。

 しかし――……そんな彼女とも、この半年程、共に過ごしてきたわけで。

 

 一心に咲夜に向けられた重たすぎるくらいの『愛情』が、紛れもなく本物だということくらい――子供でも理解出来た。

 

 ただ、からかった際のリアクションが面白いので、ついつい悪乗りが過ぎてしまう。

 それを特段いけないことだとも感じていない。

 

 ――アイツは大人なのだし、いたいけな子供の悪ふざけくらい、大目に見てしかるべきなのだ。

 

 霊夢はそこまで考えて、また厭味ったらしい笑みを浮かべながら、言い放つ。

 

 

「無理でしょ――……五、六年はかかるわね」

 

 

 それに、その頃には。

 見た目の釣り合いも取れて、あの魔女も晴れてロリコン卒業である。

 

 まあ、その暁には――……素直に『おめでとう』と、言ってやらなくもない。

 

 そんなふうに考えて、小さな笑みを浮かべた――その時。

 

 

「そこまでよ! 貴女達は少しやりすぎたわ!」

 

 

 幼さの多分に残る怒声が、鼓膜を揺らした。

 視線を向けた先には、整った顔立ちの同年代の少女の姿があった。

 透き通るような金髪と、怒りに煌めく青い瞳。

 

 

 ――……霊夢は、小さく鼻を鳴らした。

 

「魔理沙」

 

 傍らの悪友に声を掛ける。

 

「ああ?」

 

 前を見詰めたまま、言葉を続けた。

 

「怪しい奴は片っ端から薙ぎ倒して――……さっさと帰るわよ」

 

 

 弾けるような笑い声が、辺りに響き渡った。




 活動報告にも記載したのですが、勤め先で部署の異動をすることになりました。
 残念ながら給料は下がりますが、自由な時間は増えます(*´ω`*)
 その為、小説の投稿を再開することにしました。
 ぜひぜひ、よろしくお願いします!


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25話

 やっとこさ、さっきゅんのお友達が集結です(*´ω`*)


「も、もうおうちにかえる~っ!」

 

 うわぁあああんっ! ――と。

 舌足らずな泣き声が、博麗神社の境内に響き渡った。

 

「うるさい」

 

 眉をしかめて、容赦なく言い捨てた霊夢は。

 

 ボカッ!

 

 握った拳を、躊躇いもなく振り下ろした。 

 

 小さな頭に生え揃った金髪から盛り上がる、大きなたんこぶ。

 まあるい瞳がさらに見開かれ――……涙がボロボロと溢れ出した。

 

「うわぁあああんっ!」

 

 ――泣き叫ぶその様子を見て。

 流石に、哀れに感じたのか。

 

「……霊夢、もう許してあげなさい」

 

 パチュリー様が、溜息を吐きながら止めに入った。

 私――十六夜咲夜は、その一部始終を黙って見ていたのであった。

 

 

 

 

 霊夢と魔理沙が無事に帰って来てから一週間後。

 いつも通り神社に訪れた私とパチュリー様は。

 二人を追い駆けて魔界から姿を現した幼い魔女と、初の邂逅を果たした。

 

 その名は、『アリス』。

 金髪碧眼の、人形のように美しい少女だった。

 

 今回の事件の経緯を霊夢と魔理沙――友人達から聞いたところ。

 魔界は、そんなに野蛮な場所ではないどころか、むしろ発達した社会が成り立っているらしく。

 幻想郷に訪れた魔界の住人達も、ただの観光目当てだったそうだ。

 しかし、「親玉をこらしめてやる」と魔界に突撃した霊夢と魔理沙の悪童コンビは、見境なく手当たり次第に魔界で大暴れして。

 住人や建造物に多大な被害を齎してしまった、らしい。

 

 それを見かねて幼い正義感から飛び出して来たのが――魔界神の愛娘の一人、『アリス』だ。

 

 しかしながら――彼女は敗北を喫してしまい。

 魔界を治める彼女の母親も、手痛い被害を受けてしまった。

 

 温室育ちが原因で、良い意味では気高く、悪い意味では鼻っ柱の伸びきった彼女には、それは耐え難い屈辱だったらしく。

 なんと、親が保管していた秘蔵の魔導書を持ち出して、リベンジマッチを挑みに遥々幻想郷までやって来たのだった。

 

 

 しかし、その結果は――……またも惨敗。

 

 

 パチュリー様いわく、魔導書の本来の性能を百分の一程度しか発揮出来ていなかったそうだ。

 伸びきった鼻っ柱は見事に圧し折られ、複雑骨折の様相である。

 

 

 

 

「ひ、ひっく、う、うわぁああんっ」

 

 なかなか泣き止まないアリス。

 苦笑しながらそれを眺めている魔理沙と、いまだに拳を握りしめたままの霊夢。

 ……友人ながら、恐ろしい奴である。

 その様子を見てさらに怯えたアリスは、また泣き声を大きくした。

 

「う、うぴゃあーーっ!」

 

 ……もう、泣き声というか、鳴き声である。

 まるで怪獣の赤子のようだ。

 

「ああ、もう……」

 

 パチュリー様は、溜息を吐いた後。

 微笑みながら屈み込んで、アリスと視線の高さをあわせた。

 

「いい加減に泣き止みなさい――……都会派が聞いて呆れるわ」

 

 詰るような台詞だけど、口調はとても穏やかで。

 

「ほら、目を擦っては駄目よ、鼻水も垂れてる」

 

 ついにはハンカチを取り出して、鼻をかませ始めた。

 

「はい、チーンして」

「ぢーっ!」

 

「うん、上手」

 

 一際、優しい声で。

 そんなふうに褒めるから。

 

 ただ、言われるがままに鼻をかんだだけのアリスは。

 泣くのも忘れて、きょとんと目を丸くした。

 

 パチュリー様は、その様子には頓着せずに。

 大きなたんこぶを、そっとさすりながら。

 

「いたいのいたいの、とんでけー」

 

 赤子をあやすように――……囁くような声で、魔法の呪文を唱えた。

 

 

「わあっ」

 

 アリスの頭上に、キラキラと光が降り注ぐ。

 飛び出すほど大きかったたんこぶが、みるみる縮んで行くのが、傍目にもよくわかった。

 

 

「すごい! いたいの、とんでった!」

 

 

 確か――……今泣いた烏がもう笑う、って言うのだったか。

 アリスは、涙でくちゃくちゃの顔に、ぱぁっと輝くような笑みを浮かべた。

 

 

 

 

「……」

 

 私――十六夜咲夜は、その一部始終を黙って見ていたのであった。

 

「……咲夜?」

 

 魔理沙が、様子を伺うように声をかけてくる。

 

「……」

 

 私は、そんな友人の呼び掛けに返答もせず。

 ただただ無言のまま、パチュリー様の横顔を見詰め続ける。

 

 チッ! と。

 大きな舌打ちが、空気を切り裂いた。

 音の発生源は、依然として拳を緩める気配のない霊夢だ。

 

「おい、そこのロリコン」

 

 いきなりぶつけられた罵倒に、少しだけ眉を吊り上げながら。

 不機嫌そうな様子で、こちらへ顔を向けるパチュリー様。

 

「誰がロリコンよ」

「アンタよ」

 

 おそらく条件反射で発された抗弁を、霊夢は叩きつける様に弾き返した。

 そのあまりの勢いに、パチュリー様は微かに目を見開く。

 心底馬鹿にした様子で鼻を鳴らした霊夢が、追撃の言葉を放り投げる。

 

「今この場じゃ、ソイツが一番チビだものね……アンタにはさぞ魅力的に見えるんでしょうよ」

 

 ――……数瞬の沈黙の後。

 

 

「はあっ!?」

 

 

 飛び跳ねる勢いで、らしくもなく――パチュリー様が叫んだ。

 

「ちょっ……ええ? 馬鹿言わないでよ!」

 

 困惑しているのか、眉を八の字に垂れ下げながらも。

 深呼吸をひとつ挟んでから――彼女は、普段通りに告げた。

 

「私は、咲夜を愛しているわ」

 

 でも、聞き慣れたその台詞では、霊夢は納得しなかった。

 

「そうは見えないけどね。今のアンタは、子供なら誰でもいいロリコン以外の何者でもないわ」

 

 いつも以上に当たりが強い霊夢に対して。

 パチュリー様は、細い溜息を吐いた後。

 

「子供が好きなわけではなくて……いや、普通に好きだけど、そうじゃなくて」

 

 透き通るような紫水晶(アメジスト)の瞳を、揺らすことなく。

 私を真っ直ぐに見詰めながら、言い放った。

 

 

「咲夜なら、年齢なんて関係ないのよ――咲夜が老いて、枯れて、しわしわの老婆になったとしても……その皺の数まで愛し抜くから」

 

 

 当然のことを語っただけといった様子のパチュリー様に対して。

 霊夢は、一瞬だけ目を丸くした後。

 

 意地の悪そうな笑みを作って、問い掛けを口にした。

 

「へえ、しわしわの老婆、ねえ……じゃあ、咲夜がおしめつけた乳飲み子に変わったとしても?」

 

 パチュリー様は、霊夢に視線を移すと、いっそ誇らしげに答えを返す。

 

「もちろん、私が大切に育てるわ――おはようからおやすみまで、つきっきりで」 

「このロリコンが!」

「ッ!?」

 

 私――十六夜咲夜は、その一部始終を黙って見ていたのであった。

 

「咲夜――……ぷはっ」

 

 私の顔を覗き込んだ魔理沙が、勢い良く噴き出した。

 

「……」

 

 私は、未だ霊夢と言い争うパチュリー様にだけは、見られたくなくて。

 自分の顔を、両手で覆って隠した。

 

 ――……物凄く、熱かった。

 

 

 

 

「さて、送ってあげるから帰りましょうか」

 

 気を取り直したパチュリー様が、アリスにそう声を掛けた。

 その、次の瞬間。

 

「え……っ!?」

 

 キュイィィィイインと高音が空気を切り裂く。

 現れたのは、光を放つ魔法陣。

 

「……これは、転送の魔法?」

 

 ――ボフンッ!

 

 音を立て、ピンク色の煙が噴き上がる。

 その煙が、晴れた先。

 

「手紙と、木箱……?」

 

 警戒しながらも近寄ったパチュリー様は。

 探知系と思われる魔法を数種類使用して危険がないかを確認した後で、それらに手を伸ばした。

 ――……そして。

 

「アリス、この手紙は貴女宛てよ」

 

 そう言って、アリスに手紙を差し出した。

 

「え、私……?」

 

 アリスは、恐る恐るその手紙を開いた。

 それを、私達は横から覗き込む。

 

 アリス宛の手紙には、

 

『アリスちゃんへ

 お母さんのご本を勝手に持ち出したらダメでしょう?

 めっ、ですよ!

 悪い子のアリスちゃんは、罰として、しばらくお家には入れてあげません!

 お母さんより』

 

 ――と、記載されていた。

 

 

「そ、そんなあーーッ!?」

 

 悲鳴を上げるアリス。

 パチュリー様に視線を向けると、木箱の中に入っていたもう一通の手紙をひらひらさせながら、

 

「こっちは私宛だったわ――……娘をよろしく、ですって」

 

 そう言って、溜息を吐いた。

 

 

 

 

 アリスが落ち着くまで、数十分を要した。

 最終的には、霊夢が拳を掲げて無理矢理黙らせたので、落ち着いた、には語弊があるかもしれないが。

 

 今の議題は、『アリスがどこに寝泊まりするか』だ。

 

「紅魔館が、一番無難だと思うのだけど」

 

 パチュリー様がそう提案した。

 確かに、紅魔館は広くて部屋も余っているし、お嬢様も駄目だとは言わないだろう。

 ――しかし。

 

「却下よ」

 

 それに否やと返したのは霊夢だった。

 

「余所者だもの、おかしいことをしないか見張る必要があるわ――そうなれば、博麗の巫女の仕事よ」

 

 霊夢は、握り拳を見せ付ける様にしながら、アリスを睨み付けて言い放った。

 

「アンタは、当分の間ウチの居候よ――……家主の命令は絶対よ、いいわね?」

 

 いいわけあるか! と。

 アリスの背後に大きな描き文字が見えた気がした。

 

 だが、実際には、それは言葉にならず。

 涙目のアリスは、小動物のようにぷるぷる震えながら、パチュリー様を見上げた。

 

「貴女のお母さんに頼まれたからね――……毎日、ご飯を作るついでに様子を見に来るわ」

 

 そんなパチュリー様の言葉に、アリスはまたもや涙腺を決壊させて。

 

「ぜ、ぜったいだからねーーっ!?」

 

 唯一頼りになりそうなその存在へ、縋るように飛びついた。

 

「わっ、とと」

 

 パチュリー様は、なんとかそれを抱き留めた。

 そのまま、優しい手付きで頭を撫でる。

 伊達に、子供を3人も育て上げていない、といったところだろう。

 非常に手馴れていた。

 

「……」

 

 私――十六夜咲夜は、その一部始終を黙って見て……いられずに。

 

 

「ぐへぇっ!?」

 

 その背中に、頭突きをかました。

 

「は、え、なにっ? さ、さくや?」

 

「……」

 

 そのまま。

 無言で、顔を押し付ける。

 

「ロリコン」

 

 霊夢の短い罵倒。

 

「わははははっ!」

 

 もう耐えられないと言った様子の、魔理沙が発する笑い声。

 

「……」

 

 

 

 私は。

 誰にも聞こえないくらい、小さな声で。

 

「パチュリー様の、ばーか」

 

 細い背中に、悪態をぶつけたのだった。





 怪綺談の時点では、アリスはマーガトロイドの姓を名乗っていません。
 その為本作内では、独り立ちを決めて魔界を飛び出す際にマーガトロイドの姓を名乗ることにした、という設定です(*´ω`*)

 ……ちなみに、私はぱっちぇさんを愛しておりますし、さっきゅんが大好きですが、アリスのこともとーっても好きです。
 この『ぱっちぇさん、逆行!』の連載を始める前、長編を書こうと決めた際にある程度までプロットを組んだ作品のひとつは主人公が霊夢で、ヒロインはアリスの予定でした。※今年の人気投票でも、上述の4人には清き一票を投票しました。
 最終的にパチュ咲への愛が勝り、『ぱっちぇさん、逆行!』のプロットを採用したわけですが――……要は、レイアリも好きです(*/∇\*) キャ


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26話

 お気に入り、評価、感想。
 どれもとっても嬉しいです!
 ありがとうございますっ(*´ω`*)


 前からは飛びつかれ、後ろからは頭突きをかまされ。

 横からは罵倒と爆笑で鼓膜を揺らされて。

 実は結構満身創痍な私――パチュリー・ノーレッジ。

 

 こめかみが鈍く疼くのを堪えながら、思い返す。

 魔法陣で転送されて来た目算三十センチ四方の木箱には、魔界でしか採取できない貴重な薬草と鉱石が詰められていて。

 その上に、一通の手紙が添えられていた。

 

 宛名として『七曜の魔女、パチュリー・ノーレッジ様へ』、

 差出人は『魔界神兼アリスちゃんのお母さんである神綺より』と記載されていた。

 

 手紙の内容を要約すると、

 

 1. 遠視の魔法で一部始終見守っていた

 2. 娘は世間知らずなので同年代の子との関わりも必要だと感じた

 3. 急ぎでこちらの身辺調査をしたが、信頼出来ると判断した

 

 

 結論は「娘をよろしく!」だ。

 

 

 ……正直、予想外の展開。

 それというのも、私はこの異変のことを知っていた。

 前の世界で、同業者(・・・)から酒の席で聞いた『思い出話』のひとつとして。

 

 異変発生当時、幼かった彼女は、初めて味わった無残な敗北を切っ掛けに、より魔法にのめり込み。

 万が一敗北を喫した場合に、一時撤退して再起を図る余力を残す為、滅多なことでは本気を出さなくなったのだ。

 

 そう――……私にこの異変について語った同業者は、成長して一角の魔法使いとなった『アリス』だ。

 前の世界では、魔法の共同研究を行ったこともあり、それなりに親しい間柄だった。

 

 その前の世界のアリスから聞いた話では、霊夢にリベンジマッチで敗北を喫した後、数日間に渡り召使いのように扱き使われた、ということではあったが――今回のように、彼女の母親直々に滞在を命じる、という流れではなかったはずだ。

 これも、私がここに存在することによって生じた差異だろうか。

 

「……」

 

 この差異が、悪い結果を招かなければいいのだけれど、と。

 独り、静かに思考に沈みかけて。

 

「パチュリー様?」

 

 愛しい人(さくや)の呼び掛けで、現実に引き戻された。

 

「ああ……いいえ、別に」

 

 うん、そうだ。

 今更である。

 

「たいしたことじゃないわ」

 

 もし、悪い方に転びそうなら――力尽くで良い方に蹴り飛ばしてしまえばいい。

 この五百年、そうしてきたように。

 ――そこまで、考えたところで。

 

 

 ぐうぅぅうううううう……。

 

 

「……」

 

 皆の視線が、一カ所に集まる。

 

「……なによ」

 

 気まずそうな霊夢。

 音の発生源は、彼女のへこんだお腹だった。

 

「そうね、もういい時間よね」

 

 山の稜線が、残照に滲んでいる。

 カラスも鳴き終わる頃だ。

 

「ひとまず、晩御飯にしましょうか」

 

 

 

 

 買い出しには遅い時間の為、残り物でどうにかしようと博麗神社の食料貯蔵庫を確認。

 

「……」

 

 無言で備蓄の食材を睨んでいると、霊夢が早口で喋り出す。

 

「な、なによ、ろくなもん残ってねーなって思ってるんでしょ?」

 

 その頭にポンッと手を置いて、言葉を返す。

 

「ただ、献立を考えていただけよ」

 

 次の瞬間には、振り払われる手。

 

「あっそう――……それじゃ、お手並み拝見させてもらうわ」

 

 苦笑を漏らす。可愛くない。

 

「そうね、見てなさい」

 

 材料を手に、台所へ向かおうとしたところ。

 服の袖を、ギュッと掴まれた。

 視線をあわせることなく、小さな声で霊夢は言う。

 

「……まあ、少しは手伝ってあげてもいいわ」

 

 ――いや、可愛くないのが、微妙に可愛い、かもしれない?

 

 

「このロリコン」

「なんでよ」

 

 

 気のせいだった。

 やっぱり可愛くない。

 

 

 

 

 食料貯蔵庫で見つけた使えそうな食材は、以下の5点。

 

1. 白米

2. 薩摩芋

3. 味噌

4. 干し椎茸

5. 漬物

 

 確かに肉も魚もないが……なんとかなりそうだ。

 

 

「霊夢、お米洗ってくれる?」

 

「冷たいからイヤ」

 

「……」

 

「パチュリー様、私が洗います」

 

「いえ、咲夜はいいのよ。もう冷え込む時期だし、風邪ひいたらいけないから」

 

「おいコラ」

 

 

 そんな軽口を叩きながら、調理を続けた。

 そして。

 

 

 

 

「完成ね」

 

 ~本日の献立~

 -------------------------

 薩摩芋の炊き込みご飯

 椎茸の味噌汁

 漬物

 -------------------------

 

 皆で揃って手を合わせて――……。

 

 

「「「「「いただきます」」」」」

 

 

「美味い!」

 

 一番に声を上げたのは、魔理沙だった。

 

「おまえ、料理得意だったんだな!」

 

「お菓子はたまに作って来てたでしょ?」

 

 味噌汁を飲んでいた霊夢も口を開く。

 

「まあ、悪くないんじゃない?」

 

「可愛くない」

 

「あ゛?」

 

 

 ふと、視線を向けた先では。

 咲夜とアリスが、二人で話をしていた。

 

「こうやって持つの」

 

「こう?」

 

「いいえ、こう」

 

「……むずかしい」

 

 どうやら、二人の話題は『箸の持ち方』らしい。

 生粋のルーマニア人である咲夜も、箸の持ち方には相当苦労したから。

 見るに見かねて、アリスに教えてやっているようだ。

 

 そして、苦戦しながらも、アリスは炊き込みご飯を頬張った。

 

「……ッ!」

 

 アリスのまあるい目が、さらにまあるく見開かれ。

 青い瞳が、キラキラと輝いた。

 

「美味しい!」

 

 

 その言葉に、ホッと胸を撫で下ろす。

 洋食しか食べたことのない子のようだから、気に入って貰えるか内心不安だったのだ。

 

「パチュリー様」

 

 愛しい人(さくや)に名前を呼ばれて、視線を向ける。

 差し出された、空の茶碗。

 

 

「おかわりください」

 

 

 うん。

 作って良かった。

 

 

 

 

 夕食と後片付を終え、ついに帰宅時間となった。

 博麗神社には寝具が二組しかないので、普段は泊まることの多い魔理沙も、今晩は帰るらしい。

 

「……」

 

 出荷される前の子牛のように潤んだ瞳でこちらを見詰めるアリスを残して帰るのは、少々心苦しいが。

 

「さっさと帰りなさいよ」

 

 シッシッ、と。

 野良犬を追っ払うように霊夢が手を振って見せるので、仕方なく。

 

「じゃあ、また明日」

 

 アリスの幸運を祈りながら、咲夜を抱えて帰路に着いたのだった。

 

 

 

 

 ――アリスは、不安でいっぱいだった。

 親元を離れるのは初めてのことだ。

 母親が仕事で忙しく傍に居られない場合も、誰かしら近しい大人が子守りをしてくれた。

 それなのに、今晩は見知らぬ神社に同年代の少女と二人きり。

 しかも――……。

 

「なによ」

 

 その少女は、すぐに拳を固めて自分を脅しつける。

 こんな目にあったことはないし、想像したこともなかった。

 

「……なんでもない」

 

 恐怖で俯く。

 

 ――おうちに、帰りたい。

 

 ひたすらそう考えながら、しばらくの間、ジィッとしていた。

 

「……きゃっ」

 

 驚きに声を上げる。

 手を握られて、引っ張られた。

 

「ついてきなさい」

 

 いったい、なにをされるのだろう。

 目頭が、どんどん熱くなる。

 

 

 

 

「脱げ」

 

 連れて行かれた先で。

 唐突にそう言われ、わけがわからなかった。

 

「え」

 

 思わず間抜けな声を上げると、霊夢が溜息を吐く。

 怒らせてしまったかとビクビクしていると、面倒臭そうに言われた。

 

「風呂よ、風呂。ばっちいでしょうが」

 

 ――……確かに。

 今日は、たくさん動いたし、汗もかいたと思う。

 でも。

 

「……ったこと、ない」

 

「は? なに、聞こえない」

 

 アリスは、自分の服の裾をギュゥッと握り締めながら。

 小さく掠れた声で、白状した。

 

「私――……一人でお風呂入ったこと、ない」

 

「はあっ?」

 

 それを聞いた霊夢は、信じられない、といった様子で目を見開いた後。

 

「……はあ」

 

 大きく溜息を吐いてから、己の服に手を掛け、脱ぎ始めた。

 

「仕方ないわね」

 

 状況が呑み込めず、きょとんとしているアリスに、投げ遣りに言葉を放る。

 

「ほら、自分で服脱ぐくらいなら、出来るでしょ?」

 

 さっさとしなさい、って。

 続けられた台詞に、数回目を瞬かせて。

 

「……う、うんっ」

 

 アリスは、急いで服を脱ぎ始めたのだった。

 

 

 

 

 風呂上がり。

 

「もっとちゃんと拭きなさいよ、風邪ひくわよ」

 

 丁寧に、頭を拭いてくれた。

 

「それじゃ左前じゃない、まだ殺してないわよ」

 

 放たれる言葉は、相変わらず恐ろしかったけれど。

 寝巻を用意してくれて、着付けもして貰えた。

 

「は? (かわや)くらい一人で行けないの? ……ああもう、漏らすんじゃないわよ」

 

 真夜中、三時過ぎ。

 眠っているのを起こしてしまったのに。

 手を引いて、便所まで連れて行ってくれた。

 

 

 ――アリスは、安心して眠ることが出来たのだった。

 

 

 

 

「おはよう、アリスは無事……みたいね」

 

 大量のたんこぶが生成されていないかと心配で、朝一番に訪れた博麗神社。

 何故か、アリスはニコニコ笑顔を浮かべていて。

 霊夢は、目の下に隈をこさえている。

 

「アリス、霊夢にいじめられなかった?」

 

 一緒に来た咲夜が、単刀直入にアリスに問いかけた。

 それに対して、アリスは。

 

「ううん! 霊夢、すっごく優しかったのよ!」

 

 とても嬉しそうに、笑いながらそう言った。

 

「……え?」

 

 信じられない台詞に、疑問符を浮かべている私達に向って、アリスは言葉を連ねていく。

 

「あのね、お風呂で綺麗に洗ってくれたし、服も着せてくれたの! それにね、おトイレにも一緒に」

 

 

 ――ボカッ!

 

「あいたぁっ!?」

 

 

 振り下ろされた、握り拳。

 

「え? ……れ、れいむ?」

 

 強烈な痛みと困惑に涙を浮かべながら、頭を押さえるアリス。

 

 

「アンタ、朝っぱらからうるさいのよ」

 

 

 霊夢は、人殺しの様な鋭い目つきでそう言い放った。

 ――……その頬は、赤かった。

 

 

「……もうっ! 霊夢の見栄っ張り! ばかーっ!」

 

「ほう? そんなに頭をこぶで飾りたいの?」

 

 泣きながらも反抗するアリスと、意地悪気な笑みで拳を振り上げる霊夢。

 

 

「……」

 

 そんな二人の様子に、私と咲夜は顔を見合わせて頷いた。

 ――……うん、意外と上手くやってるみたいだ。

 




 レイアリ可愛いよレイアリ(*´ω`*)
 ウチのレイアリはこんな感じです。
 次回もよろしくお願いしますっ!


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27話

「少々話を伺いたい――ご同行願おうか」

 

 鋭い視線で射抜かれて、後頭部から冷や汗を流す私――パチュリー・ノーレッジ。

 

「……」

 

 場所は人里。

 日も高い時刻。

 連れの子供達も、そろそろお腹を鳴かせる頃合いだ。

 

 それなのに――眼前にて仁王立ちの『寺子屋教師』。

 

 ……どうしてこうなった?

 

 

 

 

 アリスの長期滞在が決まった為、身の回りの物を揃えることになった。

 幸い、衣服については咲夜の御下がりが大量にある。

 

 咲夜を館に連れ帰った当初、栄養不足により体の成長が遅れていた彼女は、実年齢よりもかなり小さかった。

 そんな彼女に、再会出来た喜びで舞い上がっていた私は、大量の衣服を用意した。

 

 しかしながら、私の手料理と十分な睡眠により栄養状態が改善された咲夜は、すくすくと成長した。

 その為、碌に袖を通さないうちにサイズの合わなくなった衣服も多かったのだ。

 

(館から持って来た衣服の量と種類に、咲夜以外の子供達からはドン引きされた)

 

 洗面用具等についても、紅魔館の来客用の予備がある為、問題ない。

 ――なのでまあ、改めて買い揃えなければならない物は少ない、のだが。

 

「荷物持ちが必要だよな! 駄賃は美味い昼飯でいいぜ!」

 

 調子良く宣いながら、ぞろぞろとついてくる子供達。

 たかる気満々である。

 

「……はあ」

 

 溜息をひとつ吐きはしたが、特に拒みはしなかった。

 

 幻想郷へ引っ越した後も、外へのパイプは残している。

 代理人を通して資産運用も行っているので、金銭的な問題は一切ない。

 

 牛鍋屋にでも連れて行ってやるか、と。

 そんなことを考えながら、苦笑した。

 

 

 

 

 人里に向かうに辺り、相応しい服を身に纏うことにした。

 

「はぁー……化けたもんね」

 

 霊夢の失礼な物言い。

 ただ、その声音には感嘆が含まれていた。

 

 人里に出掛ける日を想定して、以前から用意していた仕立ての良い着物。

 私は藤色、咲夜は空色、アリスには咲夜の予備として用意していた薄桃色の着物を宛がった。

 

 咲夜とアリスは髪が短いのでそのままで問題ないが、私の髪は腰より長いので、まとめておくことにした。

 編み込みにした髪を高めの位置でひとまとめにして、派手過ぎない程度に花飾りで彩ってみたのだが、なかなかの自信作である。

 

「……」

 

 視線を感じて振り返る。

 咲夜と目があった。

 

「えっと……」

 

 ジィッ、と見詰めてくる。

 いっそ、威圧感すら感じた。

 たまらず、視線を逸らす。

 恐る恐る、問い掛けた。

 

「に、似合わない……?」

 

 キュッ、と。

 やわらかく、手を握られた。

 

「……いいえ」

 

 ゆっくりと、顔を向けると。

 穏やかな笑顔に迎えられた。

 

「良く、お似合いです」

 

 ――カァッ、と。

 頬が、熱を持つ。

 

 

「いつまでやってんのよ」

 

 頭から冷水をぶっかけられた気分になりながら振り返る。

 呆れた顔をした霊夢が、言葉を続けた。

 

「さっさと行くわよ、ロリコン」

 

 その後ろには、悪戯っぽく笑う魔理沙と、目を真ん丸くして頬を染めたアリスの姿。

 

「……ッ」

 

 ――やっば、恥ずかしっ!

 

 羞恥心で喉を詰まらせていると。

 握られたままの手を、ゆるく引かれた。

 

「行きましょうか」

 

 手は繋がれたまま。

 歩き出した咲夜の後を追う。

 

 ――……背中越しに見える耳は、赤かった。

 

 

 

 

 洒落た模様が描かれた湯呑みや、丁度良い大きさのお茶碗とお箸等。

 ああでもないこうでもないと言い合いながら購入した。

 

 湯呑みについては、アリスの分だけではなく、記念として全員分購入し、プレゼントした。

 霊夢は柳と雲、魔理沙は星と天球儀、アリスは兎と花の模様が描かれている湯呑みだ。

 

 私は自分用として、猫と月の湯呑みを選んだのだが、咲夜がそれを欲しがって。

 逆に、咲夜の選んだ犬と月の湯呑みを渡された。

 

 まあいいか、とそのまま購入したが――……何故か、咲夜が魔理沙に小突かれながら笑われていた。

 よくわからなくて首を傾げながらその様子を見ていたら、これ見よがしに霊夢に溜息を吐かれた――……解せない。

 

 

 

 

 買い物も一段落し、そろそろ子供達のお腹も鳴り始める頃合いなので、牛鍋屋を探していた。

 ――その時である。

 

「もし、其処な御仁」

 

 厳めしい口調で、声を掛けられた。

 

 ――……なんだか、とても面倒な予感がする。

 

 直観的にそう感じ取るも、無視するわけにもゆかず。

 

「……何用かしら」

 

 努めて落ち着いた声音で返しながら、振り向いた。

 

「なに、初めてお見掛けする顔だと思いましてな……失礼、私の名前は上白沢慧音(かみしらさわけいね)と申します」

 

 真っ直ぐに背筋を伸ばし、言葉を続けるその人物とは、この世界では初対面である。

 しかしながら、前の世界では、極稀に顔を合わせることもあった。

 

 知識と歴史の半獣――上白沢慧音(かみしらさわけいね)

 白沢(ハクタク)と人間のハーフでありながらも、陰になり日向になり人里を守り続け、子供達のより良い未来の為にと寺子屋を開いている人格者だ。

 少々、頭が固すぎる(色々な意味で)とも、言われていたけれども。

 

「そう……名乗るほどの者でもないわ。私はただ、買い物と食事に訪れただけよ」

 

「ほう……食事、ですか」

 

 ――ああ、めっちゃ疑われてるわ。

 

 

「ひさしぶりだな、先生」

 

 

 私と慧音の間に割って入ったのは、魔理沙だった。

 

「おお、魔理沙か」

 

 慧音が少し目を見開き、言葉を続ける。

 

「おまえ、人里を飛び出して何してるんだ」

 

 一瞬、気まずそうに眉を寄せた魔理沙は、咳払いをひとつ挟んでから、会話を繋げた。 

 

「それなりに、毎日楽しくやってるさ――……それより、コイツは別に、悪い奴じゃあないぜ」

 

 そう言いながら、顎をしゃくって私を指し示した。

 

「そ、そうですっ、ただ、私のコップとか、お箸? を買いに連れて来てくれただけで」

 

 慌てながらも、アリスも一緒になって弁明してくれた。

 

「……」

 

 咲夜は、無言で私の手を握っている。

 

「貴女達……」

 

 うわあ、なんか感動した。

 良い子達だ。

 

「……」

 

 こちらを見定めるように見詰める慧音の眼差しが、ほんの少し和らぐ。

 

「そうね」

 

 最後に口を開いたのは、霊夢だった。

 

 

「コイツは別に、悪人じゃないわ――ただのロリコンよ」

 

 

 ……。

 …………。

 

「ちょっ!?」

 

 目を引ん剝く私。

 

 

「あー、そうだな」

 

 ニタァッ、と歪み切った顔で笑いながら、私にとっては(はなは)だ不本意な内容に同意する魔理沙。

 

「特定人物に対してだけだから、無害なロリコンだぜっ」

 

「う、うんうんっ」

 

 頬を染めたアリスが、理解しているのかいないのかは不明だが、追随するようにこくこくと頷いた。

 

「え、ええ……?」

 

 困惑の声を上げる私。

 

「……」

 

 咲夜は、無言で私の手を握っている。

 

 

「貴女達……」

 

 うわあ、

 なんていうか――うわあ。

 

 

「少々話を伺いたい――ご同行願おうか」

 

 鋭い視線で射抜かれて、後頭部から冷や汗を流す私。

 

「……」

 

 場所は人里。

 日も高い時刻。

 

 それなのに――眼前にて仁王立ちの『寺子屋教師』。

 

 

 ……どうしてこうなった?



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28話

 楽しいショッピングから事態は一転して。

 まるで性犯罪者に向けるような視線に射抜かれ、脂汗を流す私――パチュリー・ノーレッジ。

 

「ちょっ、待って、誤解よ?」

 

 手を振りながら弁明するものの、慧音からの威圧感は増すばかりだ。

 

「……申し訳ないが、誤解かどうかは、一度じっくりと話を伺ってから判断させていただきたい」

 

 今にも飛び掛かってきそうな覇気を醸し出しながら、慧音はジリジリと距離を詰めてくる。

 

「え、いやいや……貴女、ホントに話をする気があるの? そのまま牢屋にブチ込まれそうなのだけど?」

 

「ほう……そうされるだけの心当たりでもあるのか?」

 

「あるわけないでしょうっ!?」

 

 甚だ遺憾である、としか言いようがない。

 

 

 ――……性犯罪どころか、600年かけて、やっと、

 

 

「もうっ! 霊夢、魔理沙っ!」

 

 あまりの理不尽に、こんな事態を引き起こした悪餓鬼共を、堪らず怒鳴りつけた。

 

「どうするのよ、これ? なんとかしなさいっ!」

 

 しかしながら――その程度で動じるような可愛らしさなど、悪餓鬼共が持ち合わせている筈もなく。

 霊夢は視線を逸らし、魔理沙はわざとらしく口笛を吹いた。

 

「こ、こいつら……っ!」

 

 堪忍袋の緒が切れそうになった、その時。

 

「やめてください」

 

 私と慧音の間に、割って入ったのは。

 

 

「――咲夜っ!」

 

 

 被害者と思わしき子供が、私を庇ったのが予想外だったのか、驚きに目を見開く慧音。

 そんな彼女に向って、言葉を続ける咲夜。

 

「霊夢と魔理沙の悪ふざけを真に受けないでください……パチュリー様に手を出されたことなんて、ありません」

 

「さ、咲夜……っ」

 

「……本当か? なんにも、されてはいないんだな?」

 

 当事者の証言にやっと聞く耳を持った様子の慧音が、咲夜に念押しをする。

 咲夜は、こくりとひとつ頷いた後――……言い放った。

 

 

「ええ――……まだ(・・)、なにもされてません」

 

 

 ……。

 …………うん。

 

 

「まだ、なにもされていない?」

 

「ええ、まだ」

 

 慧音の眉間に、どんどん深いしわが刻まれていく。

 

「……まだ、とは」

 

 僅かに声を震わせながら、重ねられる問い。

 

「まだ、とは……いつか、があるということか……?」

 

「……」

 

 その問いに対して。

 咲夜は、数瞬の沈黙の後。

 

「…………」

 

 

 ――黙ったまま、視線を明後日の方向に向けた。

 

 

「まあ、そりゃあなー」

 

 場違いな程、明るい声音で。

 からかうように言葉を(ほう)ったのは、魔理沙だ。

 

 

「嫁に(めと)れば、(しとね)くらい共にするだろーぜっ」

 

 

 ――いったい、どこでそんな知識を仕入れてきたんだ、この早熟餓鬼(マセガキ)めっ!

 

「よ、嫁……?」

 

 唖然とした慧音の様子には、頓着もせず。

 魔理沙に追従(ついじゅう)するように、霊夢が台詞を繋げた。

 

「まだ祝言はあげていないにしても、一つ屋根の下に暮らしてる上に、自分の子供に『お父さん』なんて呼ばせてるくらいだものね」

 

 ま、前は「祝言上げてないなら夫婦(めおと)じゃない」とか言ってきたくせに、何でこんな時に限って……ッ!?

 

「ひ、一つ屋根の下……子供? お、お父さん……?」

 

 プルプル震えながら、悪餓鬼共の語った内容を譫言のように繰り返した慧音は。

 

「こ、こんな幼い子供に……」

 

 両目を吊り上げ、勢いよく怒鳴る。

 

 

「どんな特殊プレイだッ!」

 

 

 

 ――ついに、限界を迎えた私。

 

 

「もう、いい加減にしてよ!」

 

 

 血を吐くような声で、叫ぶ。

 甚だ遺憾である、としか言いようがない。

 

「なんなのよ、好き勝手言わないでッ」

 

 だって――……性犯罪どころか、600年かけて、やっと、

 

 

「やっと、自然に手が握れるようになったばかりなのにっ!」

 

 

「……」

「…………」

 

 シーン、と。

 場が、一気に静まり返った。

 

 ――……やってしまった。

 いい年して、人里の真ん中で何やってるんだろう、私……。

 

 うわ、通りすがりの人と目があったのに、露骨に逸らされた。

 やばい、泣きたくなってきた。

 

 

 ――ふいに。

 ギュゥッと手を握り締められる。

 

「……咲夜」

 

 私を見上げる彼女。

 その目が、照れくさそうに細められて。

 やわらかそうな頬も、ぽわっと赤らむ。

 

 

 やばい、泣きたくなってきた。

 手を握るだけで、ほら。

 

 こんなに幸せなんだもの。

 

 

 

 ――ぐうぅぅううううう!

 

 

 

 気まずさも、気恥ずかしい幸せも。

 全部を引き裂くように鳴り響いたのは――……腹の音。

 

 

「あ、あうぅ~……っ」

 

 両手で顔を隠して俯いたのは――アリス。

 髪の間から覗く耳は、真っ赤に染まっている。

 

「……おなか、空いたわよね」

 

 別に、恥ずかしがる必要はない。

 そもそも、昼食を食べに向かう途中だったのだ。

 

「ぷっ、ふふ……っ」

 

 なんだか。

 気が抜けて、笑えてきた。

 

 私は、小さなアリスの頭に手を置いて、くしゃりと一つ撫でた後。

 霊夢と魔理沙の頭を、軽く小突いてやった。

 

「いて……へへっ」

 

 魔理沙は、小突かれた所を摩りながら、楽し気に笑って。

 

「なにすんのよ」

 

 霊夢は、間髪入れずに、脛蹴りで反撃してきた。

 ……やっぱり、可愛くない。

 

 

「――さ、行きましょうか」

 

 そう私が言うと、ハッとした様子で慧音が待ったをかけてくる。

 

「ちょっと待て、まだ話は終わっていな」

「貴女も来ればいいじゃない」

 

「え」

 

 呆気に取られている慧音に背を向け、歩き出す。

 

「子供がお腹を空かせているなら、それをどうにかするのが最優先でしょう?」

 

 そのまま、振り返らずに言葉を続けた。

 

「だって私、大人だもの」

 

 

 

 

 そうして。

 やっと辿り着いた――牛鍋屋。

 なんだか、千里の道を越えてきたような気分だ。

 

「よ、よりにもよって、『牛』鍋屋か……」

 

 結局後をついてきた慧音が何かぼやいているが、気にせず暖簾をくぐった。

 

「いらっしゃいませー」

 

 感じの良い店員が、笑顔で迎えてくれる。

 

「大人二名、子供四名ね」

 

 人数を伝えると、眉を下げながら告げられた。

 

「申し訳ございませんが、昼時で混みあっておりまして、相席でもよろしいでしょうか?」

 

 伝えられた内容に、店内を見渡す。

 確かにほとんどの場所が埋まっているが、座敷の隅、小さな卓袱台が置かれた場所は空いていた。

 

「あそこは、予約席なの?」

 

 指差しながら聞いてみる。

 

「いいえ、でもあの席は四人掛けなので……詰めても五人が限度かと」

 

 店員の言葉に、ひとつ頷く。

 

「咲夜」

 

 声を掛けながら視線を合わせる。

 

「パチュリー様がそれでいいなら」

 

 意図を汲み取った彼女は、よどみなく返答してくれた。

 

 

 

 

 ほかほかと湯気を上げる鍋。

 敷き詰められた牛肉に、よく煮えた野菜と豆腐。

 それを、愛しい人(さくや)の頭越しに見詰める。

 

「美味しそうね」

「そうですね」

 

 膝の上から、重さと温もりだけではなくて、うきうきとした気持ちが伝わってきた。

 

 四人掛けの小さな卓袱台。

 対して、私達は六人。

 皆で座るには、工夫が必要だ。

 

 まず、慧音で一人分。彼女は姿勢が良いし横幅もないほうだが、成人女性の為どうしてもスペースを消費する。

 しかしながら、現時点では一番小さいアリスと、いずれ一番小さくなる魔理沙がくっつけば、大人一人分程度で済む。

 霊夢は、いっそ感心するくらい堂々と腰掛けており、場所を譲り合う気はないようだ。

 よって、残ったスペースは一人分だけ。

 

 もっとも簡単な解決方法は。

 

「……あんた、そういうのは平気なのよね」

「なにが?」

 

 霊夢が何を言いたいのか分からなくて首を傾げる。

 何故か、大きな溜息を吐かれた。

 ……解せない。

 

 膝の上に乗せた咲夜が落っこちない様に、腰に回した手を引き寄せた。

 私の腕に手を添えた咲夜が、座り心地の良い体勢を探すように、僅かに身を捩る。

 髪の毛が鼻先をくすぐって、少しくすぐったい。

 

 笑いそうになっていると、先に魔理沙が笑った。

 その隣に居るアリスは、何故か頬を赤く染めている。

 

 そんな中。

 複雑そうな顔をした慧音が、落ち着きを取り戻した声で問い掛けてきた。

 

「……貴女とその子は、どういった関係なんだ?」

 

 私は数瞬黙考した後、両手をあわせながら答える。

 

「冷めたらもったいないし、ひとまず食べましょう」

 

 私に倣って両手をあわせる子供達。

 遅れて、慧音もそれに続いた。

 

 

「いただきます」

 

 

 

 

「――……あるところに、一人の魔女が居ました」

 

 空きっ腹が多少落ち着いた頃合いで。

 お茶碗とお箸を置いて、咲夜の腰に両手を回した私は、静かに口を開いた。

 

「魔女には大好きな女の子がいましたが、告白する気は一切ありませんでした」

 

 唐突に始まった物語調の語りで、皆が呆気に取られているのを尻目に、言葉を続ける。

 

「何故なら、その女の子は人間だったからです」

 

 眼前の銀髪が、揺れる。

 

「人間として生きて、人間として死ぬことを望んでいる、真っ当な人間である彼女に対して――……化物である自分の浅ましい想いを伝えることは、お互いにとって良くないと、そう考えたのでした」

 

 ゆっくりと、語る毎に。

 

「百も二百も浮かんでくる、下手糞な愛の言葉は、胸の奥に仕舞い込んで……代わりに、彼女が人間として生を全うするその日まで、たったひとつの誠実さを捧げようと、そう決めたのです」

 

 少しずつ、周囲の空気が変わっていく。

 

「でも、それは大きな間違いでした」

 

 思い出す。

 ――真っ赤な、血溜まり。

 

「愛しの彼女は、最悪な形で命を落としました――……魔女は、その最期を看取ることさえ、出来なかった」

 

 どうしようもなく。

 語尾が震えて、掠れた。

 

「そして、彼女が最期に呟いたのが、自分の名前だったと聞いた時――魔女は、自分の考えがただの言い訳だったと、思い知ったのです」

 

 笑う、嗤う。

 

「傷付けたくなくて……なにより、傷付きたくなくて。ただ、逃げていただけでした」

 

 笑えない嗤い話を、泣きそうになるのを堪えながら、語る。

 

「下手糞でもいいから、叫べばよかった。『愛している』と、伝えれば良かった。いつか、胸を引き裂くような別れが訪れるとしても――……その最期の瞬間まで、貴女(・・)を幸せに出来る()でありたかった」

 

 眼前の銀髪に、頬を摺り寄せて。

 細い腰を、ギュゥッと抱き寄せた。

 

「だから、今度は間違えないと決めました。魔女は、超常の力に頼り、もう一度彼女との出会いをやり直すことにしたのです……その再会には、五百年以上の歳月を必要としました」

 

 吐息のように言葉を重ねる。

 吐き出すそれは、熱かった。

 

「驚きました。何百年経とうとも想いが色褪せることはなく、むしろ積み重なることで厚さと熱さを増していき……再会出来た彼女のことが、愛しくて恋しくて、堪らなかった」

 

 まさしく――熱情だ。

 

「なので、叫ぶことにしました。『愛している』、『幸せにしてみせる』と――……しかしながら」 

 

 ひとつ、苦笑を零した後。

 眦を下げたまま、続ける。

 

「魔女にとっては待ちに待った再会でも、彼女にとっては初対面です。当然、簡単に想いは伝わらず――……まだ幼い彼女に愛を叫び続けた魔女は、同じく事情を知る由もない周囲からも、ロリコン扱いされることになりましたとさ」

 

 数拍、間を置いてから。

 最後まで清聴を続けてくれた皆を見渡して。

 わざとらしくおどけた口調で、語り掛けた。

 

「……私としては、『めでたし、めでたし』って話を結びたいんだけど、どうかしら?」

 

 ――次の瞬間。

 慧音が、勢いよく頭を下げた。

 その勢いに驚いていると、顔を上げないまま告げられる。

 

 

「すまなかった」

 

 

 それは、とても誠実な声音だった。

 

「何も知らず、知ろうともせず、貴女を弾劾しようとした。これは完全に私の落度だ。心から謝罪させてほしい」

 

 思考する間もなく、得心する。

 色んな意味で頭が固いことで知られるこの人は、融通が利かない程真っ直ぐな人なのだ、と。

 

「冷めるわよ――……さっさと頭を上げて食事を続けなさい、慧音」

 

 微笑みながら、そう言葉を掛ける。

 

「しかし……」

 

 躊躇いを見せる慧音に、続けて促す。

 

「貴女、さっきから野菜と豆腐しか食べていないじゃない――『肉』も食べなさいよ」

 

 慧音は、ギクッ! と体を強張らせた。

 

「ね? 遠慮しないで」

 

 優し気な笑みを浮べたまま、さらに『牛肉』を食す事を勧める。

 まだ罪悪感を感じている慧音は、善意で塗装されたその言葉に抗えない。

 

「そ、そうだな……」

 

 真っ青な顔でそう返事をする様子を。

 こっそりと、嘲笑う。

 

 彼女の種族は、ワーハクタク。

 白沢とは、中国に伝わる『牛』のような聖獣だ。

 

 ――……これくらいの仕返しは許されるだろう、うん。

 

 

「……ん?」

 

 ギュゥッ、と。

 咲夜の腰に回していた腕が、抱き締め返された。

 

「咲夜?」

 

 私の膝に座り、背を預けている咲夜。

 必然、見えているのは後頭部で、表情を窺い知ることは出来ない。

 

「どうしたの?」

 

 問い掛ける。

 しばらく、間を空けた後。

 

「パチュリー様――……私のことが、好きですか?」

 

 そう、問い返されたので。

 

「ええ」

 

 私は、ハッキリと返答する。

 もう、告げずに後悔したりは、絶対にしない。

 

 

「愛しているわ」

 

 

 咲夜は、そのまま黙り込んでしまった。

 私からは、彼女の表情もわからない。

 

 ――……しかしながら。

 咲夜の顔を見た子供達の反応はと言うと、

 

 魔理沙は楽しそうに笑い、

 霊夢はウンザリしたように溜息を吐き、

 アリスは、瞳に何故か羨望の色を宿しながら、微笑ましそうに頬を緩めている。

 

 私の腕も、依然として抱えられたまま、離される気配はなくて。

 

「……」

 

 なんだか、すごく幸せだなあ、と。

 自然に、そう思えたので。

 

「……ッ!」

 

 眼前の銀髪に、また頬を摺り寄せると。

 小さな肩が、ビクッとひとつ、大きく跳ねる。

 

 ――……ああ、愛しい。

 

 

 

 

 その間も、慧音は半泣きで牛肉を食べていた。

 めでたし、めでたし。

 




 今回はPCトラブルで大変でした。
 起動するなり自動修復が始まり、再起動を延々とループ。
 セーフモードでさえ起動出来ず、コマンドプロンプトでnotepadって入力して直接メモ帳を開き、そこからなんとか書きかけの小説や書き溜めていたプロットをUSBに移し、今は予備の古いPC(ヒューレットパッカー
ド製でOSがXPの化石だが、購入後14年近く経過した今でも使用に問題はなく、バッテリーの持ちも良い)で作業してます。
 メインPC(富士通製、OSはwin10、購入してしばらくたってからトラブル続きで、バッテリーも一年でへたった)の修理費、いくらかかるんだろう。
 自分で何とか直せないか頑張ってみたけど、もう疲れた。
 ホント泣きそう……。゚(´pω・`)゚。


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29話

 秋の終り、冬の初め。

 季節に負けることなく豊かな葉の茂る林の中で。

 

「……う゛っ、げっほげっふぉおッ!?」

 

 外見にまったくそぐわない様子で盛大に咳き込みながら蹲ったパチュリー様を眺めつつ。

 ――あ、そういえばこの方は喘息なんだっけ、と。

 そう思い至った、次の瞬間。

 

「ぱ、パチュリー様っ」

 

 自分でもらしくないと感じるほど慌てながら駆け寄った私――十六夜咲夜。

 

「お気を確かに……確か薬はポケットに常備されていますよね?」

 

「う、げ、グフォッ、ん゛」

 

「いや、返事はしなくていいですっ」

 

 焦りながらも努めて冷静にパチュリー様のポケットに手を伸ばす。

 

「失礼します」

 

 必然、近くなる彼我の距離。

 花のような甘い香りが、ふわりと漂う。

 この方は、意外と花が好きなのだ。

 積読している本の間に、こっそりと庭から摘んできた花を挟み込んで、押し花を作っているのを知っている。

 

「ほら、落ち着いて飲んでください」

 

 彼女のポケットから探り出した薬を、水筒を口に添えるのを手伝いながら、喉に流し込ませた。

 ――少しずつ落ち着いていく呼吸。

 

 藤色の髪が汗で頬に張り付いているのを、無意識に指先で掬い取る。

 細められた紫水晶の瞳と、視線が交わった。

 

「……」

 

 意識がはっきりしていない様子の彼女。

 何故か逸らせない視線。

 そのまま、見詰め合いながら。

 思い出すのは――先日聞いた、御伽噺のような現実の物語(フィクションのようなノンフィクション)

 

 愛などこの世に存在しない、と。

 飢えと寒さに身を震わせながら、幾度も考えたけれど。

 

 私は、この魔女に愛されている。

 きっとそれは、疑いようもない『真実』だ。

 

「……いつまで見詰め合ってんのよ」

 

 背中に軽い衝撃。

 振り返ると、そこには。

 

「咲夜とパチュリー、つかまえた」

 

 偉そうに腕を組み、片足を上げた鬼巫女子――霊夢(蹴ったわね、この子)。

 なお、悪口ではない。

 今はパチュリー様から教えて貰った『増やし鬼』という遊びの真っ最中で、霊夢は鬼の役。

 言い出しっぺだからという理由で、健康な子供のお遊びに付き合わされた不健康な大人のパチュリー様は、早々に限界を迎えてしまった、というわけである。

 

「後は魔理沙とアリスね。さあ、行くわよ」

 

 霊夢が顎でしゃくる。

 増やし鬼は、普通の鬼ごっことは少し異なる。

 追い駆ける役の『鬼』が、逃げる役の『子』にタッチした後、鬼ごっこの場合は役を交代するが、増やし鬼は鬼の役は鬼のままで、子の役も鬼となる。

 つまり、鬼が増えるのだ。

 最後の一人になるまで、どんどん増えていく鬼から逃げなくてはならない――その為、別名『ゾンビ鬼』とも呼ばれている。

 

「ええ……でも」

 

 パチュリー様へ視線を戻す。

 ゾンビというより、ただの死体である。

 とても動けそうにない。

 

「……しょうがないわね」

 

 はあ、と。

 大きな溜息を吐いた霊夢は、ひらひらとぞんざいな態度で手を振りながら言葉を続けた。

 

「あんたはここでしばらく休んでなさい――無理そうだったら先に神社に帰っていいわよ」

 

 パチュリー様は一も二もなく頷くと、そのまま木に背中を預けて項垂れた。

 なんだか、この前一緒に観たアニメのキャラみたいだ。

 『燃え尽きたぜ……真っ白にな……』ってやつ。

 

「ほら、咲夜。行くわよ」

 

 霊夢に腕を引かれる。

 今の状態のパチュリー様を置いて行くのは、かなり気が引けた。

 

「霊夢、私も――……」

 

 断りを入れようとした、その時。

 

「咲夜」

 

 呼び掛けられて、顔を向ける。

 まだ青い顔のパチュリー様が、笑いながら言った。

 

「いってらっしゃい」

 

 ――ああ。

 そんな言葉。

 誰かに言って貰える日が来るなんて、ほんの少し前まで考えたこともなかった。

 

 でも、その言葉にどう返せばいいのかだって。

 温かな日々の中で、貴女が教えてくれたから。

 

「……いってきます」

 

 結局、そう返答して。

 私は霊夢の後に続いた。

 

 上手く、言えたかな?

 ちゃんと、笑えてたかな?

 

 ――……霊夢が、また大きな溜息を吐いた。

 

 

 

 

 その後。

 カブトムシみたいに木の上の方にしがみついて隠れていた魔理沙を発見した私達は。

 木の幹をゲシゲシ蹴りまくり、落ちてきたところを捕獲。

 

「お、おまえらマジで容赦ないなっ! この外道コンビ!」

 

 鬼(ゾンビ?)は三匹に増殖した。

 

 残るは――……ただ一人。

 

 

「こ、こないでーーっ!?」

 

 叫びながら逃げ惑うアリスを、霊夢を先頭に三人で追い駆ける。

 

「きゃあーーっ!」

 

 何故かさっきから半泣きのアリス。

 どうやら、本当に恐怖を感じているようだ。

 

 対する私達三人はというと。

 魔理沙は面白がってわざと怖い顔を作っており、霊夢は真顔だが眼光のみ肉食獣のように鋭い。

 私は完全な無表情だと思う。

 やっぱりパチュリー様のことが気がかりなので、早く終らせて戻りたいのだ。

 

 怖い顔+野獣の眼光+無表情が、自分独りを無言でひたすら追い駆けてくる状況。

 

 ……うん、私がアリスの立場でも、ちょっと怖いかもしれない。

 

「う、うぴゃあーーっ!」

 

 ついに我慢の限界を迎えたアリスが、大声で泣き叫ぶ。

 それでも足を止めない所か、魔力強化までして逃走速度を上げるところは、流石魔界育ちとでも言おうか。

 もう面倒だから時間を止めてしまおうかと思った――次の瞬間。

 

「ぴゃああぁぁ……ッきゃあ!?」

 

 アリスが飛び出していた木の根に躓いて、体勢を崩す。

 倒れこむ先には――尖った岩。

 このままでは、頭が石榴だ。

 ゾンビでも助からない。

 

「――危ない!」

 

 時間停止能力を持つ、私よりも早く。

 アリスの首根っこを引っ掴んで助けた、その人物は。

 

「足元くらい見なさいよ、馬鹿ッ!」

 

 鬼巫女――……霊夢だ。

 

「れ、れいむぅ……」

「う、うわっ! ばっちぃ!」

 

 恐怖と驚きで鼻水を垂らしながら霊夢に泣きつくアリス。

 心底嫌そうな顔をしながらも、無理矢理引き剥がしたりはしない霊夢。

 

 ……なんだかんだ、面倒見の良い友人である。 

 本人は、決して認めはしないだろうけれど。

 

「やれやれだぜ……お、霊夢」

 

 魔理沙が霊夢の袖を指差しながら言った。

 

「穴開いてるぜ」

 

 飛び出した時に木の枝にでも引っ掛けたのか。

 霊夢の巫女服の袖は、結構大きく破けてしまっていた。

 

「ええっ!? うわ、ホントだわ……」

 

 ショックを受けた様子の霊夢。

 その眉間に、少しずつ深い皺が刻まれていく。

 

「……アンタのせいよ、この阿呆!」

 

 アリスの頭に、左拳が振り落とされた。

 まあ、頭が石榴になるよりは、大きなたんこぶをこさえる方がマシだろう、きっと。

 

 

 

 

「ああ、これくらいならなんとかなるわよ」

 

 そう言って繕い物を引き受けたパチュリー様。

(顔色も声音もいつも通りで、内心とてもホッとした)

 着脱式の袖部分だけを受け取り、裁縫針を進めようとした、その時。

 

「あ、あの……っ」

 

 躊躇いながらも声を上げたのは、アリスだ。

 瞳に光るのは、責任感と感謝の気持ちだろう。

 

「……私に、やらせて」

 

 

 

 

「上手ね、誰かに習っていたの?」

 

 アリスの手元を覗き込みながら問い掛けるパチュリー様。

 

「うん……いつもは、お人形用の服だけど」

 

 淀みない手付きで作業を進めていくアリス。

 確かに、運針がスムーズで、縫い目もとても綺麗だ。

 私も最近はメイドの必須技能として裁縫の勉強をしているが……正直、勝てる気がしない。

 

「アリスは器用ね」

 

 そう称賛しながら、アリスの頭を撫でるパチュリー様。

 ……湧き上がる微妙な感情は、努めて気にしないようにしつつ考える。

 確かに、アリスは器用だ。

 そしてそれは、裁縫に限った話ではない。

 彼女は初めてやることでも、大抵はすぐに上手にこなしてみせた。

 

 思えば、アリスが最初にこの神社に訪れたあの日。

 彼女は『魔導書の性能を百分の一程度しか発揮出来ていなかった』と聞いたが。

 

 逆に言えば、百分の一程度は発揮出来ていたのである。

 幼い身で、あれほどの魔導書を暴走させることもなく、制御下に置いてみせたのだ。

 

 それは、紛れもない――輝くような才能だった。

 

 

「調子はどう? ちゃんと直せるんでしょうね?」

「れ、霊夢っ!」

「ちょっと見せて」

 

 アリスから袖を受け取り、縫い目を確認した霊夢は。

 満足そうに笑いながら、言葉を続けた。

 それは、霊夢にしてはやわらかで……優しげな声音だった。

 

「へえ、上手いもんね――……あんた、良い嫁さんになるわよ」

 

 次の瞬間。

 

「~~ッ!」

 

 アリスの顔が、噴火したみたいに真っ赤に染まる。

 ボフンッ、と頭から煙の噴出す音が聞こえた気がした。

 

 

 ――……恋に落ちる音にしては、随分と間抜けだった。




 私は子供の頃、クラスで一番足が遅くて、鬼ごっこの鬼になっても誰一人摑まえることが出来ませんでした……(ノω;`)

 あ、何故かホッピングと登り棒は得意でした。
 ホッピングは百回以上は跳べたし、登り棒は二本の棒を使って両手両足で高速で登ったり出来ましたっ(*´∀`*)ポッ

 インラインスケートとかスケボーもそれなりに上手にこなせたので、バランス系は得意だったのかもしれませんね。

 まあ、その頃から基本インドアだったので、ポケモンのゲームと遊戯王カードを使って屋内で遊ぶほうが好きだったのですが。


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