殺滅のソテイラ (すかろく)
しおりを挟む

始章 魔王の征する星
プロローグ 魔王の復活◆


 

 

 定かなものなど、何もない。

 

 善も悪も、法則も知識も、命も星も、そして神すら例外なく変わりゆく。

 

 生まれて滅び、繰り返す。

 永遠などどこにも無く、万物が移ろうこの宇宙で――ゴジラだけが、絶対で不変の唯一だ。

 

 何もかもが曖昧なこの世界。

 抗いようのないこの現実を前に、真に我らが信じるべきは、ゴジラを置いて他にない。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 時刻的にはもうすぐ夜明けを迎える筈なのだが、視界状況は極めて悪い。

 そこかしこで昇る火柱、炭化し崩れ落ちたビル群が樹木のように立ち並び、むき出しになった大地が煌々と赤熱している。

 

 しかし何より。

 そんな事より。

 

 致死量を遥かに超えた値の放射線を多分に含んだ濃い霧、その向こう側に投影された漆黒の影。天を貫き大地を震わせんと咆哮する――無視してやるには些か巨大が過ぎる存在を、黒木翔特佐はモニター越しに睨みつけた。

 

 幻影のように揺らぎ距離感も濃淡も定かではないが、その姿を見間違うことは絶対にありえない。

 猛禽を思わせる鋭い双眸は、寸分の狂いなくその“怪獣”を視界に収める。

 

 ――“ゴジラ”

 

 人知を超えた完全生物。

 ある人はそれを神の化身と仰ぎ、ある人は傲慢なる霊長の築き上げた文明への鉄槌と畏怖している。

 

 100メートルに至るその体高、ビーム兵装を含めた最新兵器をも完全に無力化する強靭な肉体、体内に有する核融合炉が生み出す無尽蔵のエネルギーは国を、星を三日三晩でたやすく滅ぼす。

 万人を殺すのが英雄で、皆殺しにするのが神だというのなら、成程これ以上にないほど適切な評だろう。

 

「ゴジラが、()()()……ッ!?」

「奴は、不死身なのか……」

 

 補足紅いハザードランプと青白い濡れた質感のモニターのみが唯一の光源。空気が悪く薄暗いスーパーXIIIの操縦室。

 

 同乗していた部下達がなにやら悲痛な呻きを漏らしたようだが、そんなもの黒木は歯牙にもかけやしない。異様な沈黙を保ったまま、高速で切り替わっていく下部モニターをじっと睨み付けている。

 別に黒木と彼らの間でそれほどの差があるわけではない。状況が常軌を逸しすぎていて、あまりの混乱と驚愕が黒木に一周回って少しばかりの冷静さを与えたに過ぎないのだ。冷や汗を流しながら歯噛みするのはまったく同じ。

 

 ただ強いて違う点を挙げるのなら、黒木だけは()()()()()()()()()()()をほぼ正確に理解していた。

 異常値に達した放射線による電波障害が凄まじいが、幸いにしてスーパーXIIIのフルスペックに問題はない。状況を把握する上で何ら支障はなかった。

 

 

(――完全生命体(デストロイア)

 

 

 人類が生み出した禁断の兵器(オキシジェンデストロイヤー)によって、先カンブリア時代の彼方から蘇った亡霊。唯、己が進化するためだけに周りを犯し、喰らい飲み干していく化け物。

 それに対処するためには、あのゴジラといえど己の生存の道をかなぐり捨てる他に無かった。その本質は破壊にしかないことを踏まえれば、本来あるべき姿に戻ったとも言えるのかもしれない。

 

 既に怪獣王は帰る処(バース島)を失い、唯一の同胞(ゴジラジュニア)さえその掌から取りこぼしていた。最早その身には、“先々”を勘定する余裕も道理も存在しない。

 

 怒りに震え、憎しみに咆哮し、その全霊を破壊に奉げた姿を一体何と表現したらいいのか。

 

 体表温度は1000度を遥か彼方に通り過ぎ、血が蒸発し肉が炭化し、王冠たる背鰭すら溶かしながら戦う姿は、もはや“人知を超えている”などというモノではなかった。

 あれは、闘争という概念が四肢を有した破壊の権化だった。如何に無限の進化を可能にしても、生命体としての枷に縛られているデストロイアなどでは、土台、荷が重すぎる代物だったと思いやる。そして同時に、自分たち人類が挑み続けていた怪獣の正体、そしてそれを生み出した人類の罪深さに身震いする。

 

 

 デストロイアを蒸発せしめて尚、ゴジラは止まることがなかった。()()()()()()()というべきか。

 

 

 既に臨界点を迎えた体内の核融合炉は、核炎の地獄――50年前の夏の再現を、東京に、いやこの地上の全てに齎そうとした。ゴジラの本質が人類への復讐と警報だというのなら、なるほど相応しい結末といえようか。

 

 臨界を突破した高熱は大気を一瞬でプラズマ化させ、加速度的に収束した放射線は放射性分裂光(ガンマレイ)となって地球上の全ての生命を等しく死滅させる――筈だった。

 

(それは、防いだ。()()()()()よかった)

 

 黒木率いる陸上自衛隊の擁する冷凍兵器により、想定しうる最悪の事態は阻止された。

 それでもゴジラの崩壊は止まらない。総身から東京を今後百年は死の街にするに十分すぎる放射線を撒き散らし、骨さえ残さずに溶解していったのだ。

 

 そう、ゴジラの死だ。

 あのゴジラが、死んだのだ。

 人類を脅かし続けた魔王の玉体は、白い死の霧となって星空に融けていった。

 

 はずだった。

 

 のに。

 

「ガイガーカウンターの放射線量が加速度的に下がっていく……」

 

 とても納得できるものではなかった。なにかを静かに噛み締めるように顔を歪める黒木。

 ありえないと理性は悲鳴を上げている。理解できないし、したくもない。それでもごまかしは止めるべきだ。事実として、()()()()()()()()()()()()()

 

 モニターの誤作動などでは断じてない。この、重く肌に張り付き肺すら犯す威圧感。理屈では説明できない、骨の髄、肉の髄、魂の髄まで染みこんだ忌々しい感覚。無論、それでも理性で納得できる代物ではないのだが。

 

 

 焼き焦げ、半ば炭化した土を剥き出しにした東京に、しかし何ら意に介した様子もなく佇む怪獣王(ゴジラ)

 

 

 濛々と立ち込める白い蒸気。しかしゴジラが鬱陶しそうに小さく、その尻尾をぶぅんと振ると共にそれらはあっさりと霧散していく。

 茫洋とした煙の向こうから、その姿ははっきりと浮かび上がった。

 

 断じてこれは幻などではない。数キロメートル離れたモニター越し、鉄壁の要塞(スーパーXIII)の中だというのに、どんどんと増していく異次元の威圧感。空気が鉛になったかのような、重々しい威圧感。

 

 これがゴジラだ。

 これがゴジラでなくて、何だというのか。

 

 導き出される結論は一つ。思考の隅に追いやられていたピースがかちりとはまった。

 

「……ジュニアか。親を喰らって蘇ったか」

 

 ほんの数分前までジュニアの亡骸を示していた光源が、ディスプレイ上から消失している。

 融解したゴジラから放たれた熱核エネルギーがジュニアの亡骸に照射され、ジュニアがゴジラとして進化して蘇ったとでもいうのか。

 

(いやあるいは、()()()()

 

 ゴジラの最期の咆哮は、死ぬならば人類諸共という黙示の喇叭(ラッパ)などではなかったのだ。そんな程度の低い代物では断じてなかった。東京をそして地球を滅亡させると思われていた極光は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そう、つまり、これは意図せず起こった奇跡ではなく。

 

(ゴジラが――自らの命と引き換えに同胞(ジュニア)を蘇らせた。これは、ゴジラの最期の意志によって起こった、必然)

 

 あるいは、始めからこれが目的だったのかもしれない。

 今となってはその真実はわからないが、いずれにせよこれが信じがたい現象なのは間違いない。

 

 どれだけ莫大なエネルギーがあろうとも死者が蘇っていい筈がない。あれらは天の法則から外れた天魔の類なのだからその程度は納得しておけとでも言いたいのか? ふざけた理屈である。

 地上の生命40億年の歴史に中指を立てるに等しい現象が、それでも間違いなく、黒木の眼前で確かに起こっていた。

 

 もはや恐怖すら感じない。

 思わず苦々しい笑みが漏れた。諦めからくるものなのか呆れからくるものかは分からない。分からないのだが、しかし()()()()()()()()()()()()()――何の理屈になっていないこの理不尽を、そりゃあそうだよなと得心してしまうのも事実であった。

 そうだ、おまえはそうあるべきなのだ。

 あらゆる理屈を置き去りにして、すべての解釈を粉砕する。人類の都合や常識など歯牙にもかけず、こちらのせせこましい小細工を圧倒的暴力で粉砕していく。それこそがゴジラなのだ――!!

 

 仰ぎ見よ、数分前までは東京と呼ばれていた燃え去り焼き焦げた大地の向こう――新生したゴジラが身じろぐごとなく佇む姿を!

 

 鉛の巨山を幻視する、有り得べからざる巨体。闇夜よりも深い、漆黒の外皮。その背に掲げられた、この地上のどんな豪奢絢爛な宝石よりも眩い輝きを放つ白銀の王冠(背鰭)。岩山のような起伏を見せる鍛え抜かれた四肢には、些かの隙も感じ取れない。

 

 しかし何よりも、その面貌。

 

 どんな地上の生命よりも克明な激しい感情に満ちたその面構えは、黒木達を始めとする戦士達にとって網膜の裏にまでこびり付いたものだ。

 

 憎悪とも悲嘆とも取れず、禍々しくも悲哀に満ち、悪鬼とも求道者とも形容できない貌だった。そして、その双眸。輝く二つの眼球に浮かぶのは、殺意でもなく、憎しみでもなく、狂気でもない。そんな次元を遥かに通りこした――激しく深い、名状し難い暗黒色だった。

 

 その双眸を見た瞬間、黒木は思わずぶるりとその身を震わす。それは恐怖だけでなく、ある種の法悦にも似た名状しがたい強い感情故に。

 そうだ、嗚呼、全ての人間が、確信した。

 

 

 ――怪獣王(ゴジラ)が、黄泉の国より帰還した。

 

 

 ゆっくりと、ゴジラが身じろぎする。

 そのわずかな震えをモニター越しに感知しただけで、脊髄を直接こねくり回されたような衝撃を黒木は感じる。戦車や戦闘ヘリのフロント越しに直接“それ”を視認してしまったものは、それこそ死にたくなるほどの緊張に襲われただろう。

 

 冗談でも比喩でもなんでもなく、ゴジラの一挙一動だけでこの場にいるすべての人間の命運が決まるのだから。

 

「……ッ! こちらスーパーXIIIッ! ゴジラの――」

 

 だというのに、いやだからこそか、無線に手を伸ばしたのが僅かに遅れた。

 

 各種計器が異常値を発する。空間電位が急上昇。気圧に明らかな変化が訪れる。いや、そんなことはどうでもよかった。

 黒木にとって、兵士にとって――いや人類にとっては、その瞬間だけは機械などよりも遥かに精密にその魂で以て感知しうると確信するものだったのに。

 

 ゴジラが、重々しくその面貌を天に向けた。夜の闇雲に染まり、星すら見えない暗澹とした空。

 

 その背に携えた王冠が、美しく眩い光を発する。

 青く、透明な色。純然たる破滅の色。

 美しく、究極的であるが故に、それ以上に例えられない不吉な色。

 

 そして。

 

 

 

「―――――――――――――――」

 

 

 

 咆哮。轟音。

 

 世界が揺らぎ、軋む音。それは大気を震わすどころではなく、世界その物を直に震わせているもの。

 異次元の熱核エネルギーが圧縮され、無形の力は極光となって()()()()()()()()放たれた。

 理屈も法則もなく、ただ只管までに途方も無い光と力の濁流が、一条の光となって天に昇る。空を覆う暗雲の全てをプラズマ化させ、周囲に押しのけていく。

 

 ――放射熱線。

 

 天地を揺るがすなどという生易しい表現では語れない力の奔流を前に、世界が昼間のように照らされた。

 深い地の底から響き渡るような振動と、大気を掻っ切る衝撃が周囲数キロメートルに渡って破滅的な蹂躙を齎していく。爆音と共に周囲を旋回する軍用ヘリが吹き飛ばされ、地鳴りは戦車隊の戦列を揺さぶっていく。それらは天地を繋ぐ極光の、ほんの余波に過ぎないのだが。

 

 過分に過ぎるその力は、この新たなゴジラが地上を支配する新たな王であると知らしめるには、十分すぎる号砲である。

 

 あまりに過ぎる衝撃に数瞬竦み上がり、そして次の瞬間。

 

 

『――ああああ……ああ、嗚呼、ゴジラ! ゴジラ! ゴジラがやってきた!!』

 

 

 ……嗚呼、そうだ。

 たとえ何が違ってもどれほどの輪廻を重ねようと、この怪獣が人間にとって善性に位置する存在である筈が決して無かった。その身に満ちる物その身が齎す物は、その総てが人類にとっての不吉に相違なかった。

 

 周囲に展開された軍勢に加速度的に動揺が広がる。元より残弾も燃料も尽き、増援も期待できない以上ここで彼らにできることなど何もない。ただゴジラの動向に黙して従うしかない。先ほどの暴威を前に、唯一機体の安定を成功させたスーパーXIIIも、これ以上の戦闘続行は不可能だ。黒木の背後の座席に座る部下達も、コンソールの操作すらままならず嗚咽する。

 

『あ、馬、鹿な。こ、んな――ッ!?』

 

 何かを喋ろうとしても、舌が切なくのたうつのみ。その動揺は痛いほどに理解できる。身体全身が熱くなり、心臓がはち切れんばかりに心拍を打っているのは黒木とて同じなのだから。しかし熱を増していく身体に対して、不思議とその思考は水を打ったかのように鎮まっていくのは何故なのだ。

 いや、それも当然だ――だってゴジラなんだから。

 ゴジラだからむしろこの程度は端から当たり前で、当たり前のことに心を乱す必要など何もない。

 

 胸に手をやり深く息を吐いた。

 

(今のは、“体内放射”――恐らく()()から与えられた過分な余剰エネルギーを放出した)

 

 体内放射。

 限界まで収縮・圧縮・加速させた熱核エネルギーを口腔からではなく、()()()()()()()()()()という規格外にして意味不明の御業。

 当然骨は軋み血肉は焼き焦げ表皮が弾け飛ぶわけだが、()()()()()()()()()()()()()()という暴論に基づき運用される奇襲攻撃だ。

 しかし逆に言えば望まれて使用されることが滅多にない技なのは確かなのだ。それでもあえて肉体への負担を度外視して体内放射を放ったということは、()()()()()()()()()()()切迫した事情があちらにあったということ。

 

 つまり。

 

 確かに、あれは、違うことなくゴジラ(怪獣王)だ。

 しかし、まだ()()

 察するに、まだ力を制御できていない。その総身を巡る溢れんばかりの神気(熱核エネルギー)を、その衝動のまま発散した。

 地から響き渡るような低い音を立てながらも、実際、その巨体の動きはどこか緩慢で――こちらの存在には気がついている筈なのに、リアクションは見られない。いや、そもそもこちらを見ようとすらしていない。視界にすら入っていなのだ。唯、どこか茫洋とした視線を天にやるのみ。

 

「……なら、することは一つだろう」

 

 ここにいる者は皆、勇敢な人間ばかりだ。

 一たび喝を入れてやれば目を覚まし、命を惜しまずゴジラに突撃するだろう。武器などいらない。誰もが四肢だろうが内臓だろうが、それこそ魂だろうが喜んで切り捨てると断言できる。

 しかし同時に、今ここで命というカードを切るべきではないとも確信できたのだ。

 泣き叫びながら大敵(ゴジラ)から逃げ出し、生き恥を晒すことは彼らにとっても何より辛い選択肢になるだろう。

 ああ、しかしそれでも。

 

 僅かな逡巡の後、黒木はインカムに口を寄せた。

 

「……こちらスーパーXIII、黒木。特佐という立場ではあるが、この場において部隊の指揮を執りたい」

 

 低く、しかしよく通る声。しかし、重く硬く、鋼のような強い意志が込められた声音。インカムの向こうのざわめきが、さざ波のように静まり返る。

 

「遺憾ながら、スーパーXIIIにはこれ以上の戦闘に耐えうる燃料もなければ、残弾も尽きた。貴官らの現状も同様と推測する。現状の兵装で“あのゴジラ”に相対するのは不可能だ。ならば、するべきことは一つであろう。可及的速やかな撤退を貴官らに命令する。以上だ、越権行為を謝罪する」

 

『なっ……しかし、それは』

 

 動揺の声が広がる。

 黒木翔――“特佐”という浮いた立場であり、単独行動と命令違反の常套者。しかし同時に、誰よりも効率よくゴジラに対処してきた男。

 そんな男が、逃げろと言っている。防人(さきもり)の本分を忘れ、ゴジラ(人類の大敵)を前に尻尾を巻いて逃げ出せという。

 

『……それは』

 

 それはできない、できるはずがない。

 しかし。

 

()()()()()。ゴジラに対処する現実的かつ確実な対処手段を持ち合わせていないなら、無謀に挑む手段を考慮すること自体が誤りと判断するべきだ。こんなところで貴官らの命を失う選択肢はあり得ない。幸いではあるが、()()()()()()()()()()と察する。己の力をまだ御せていない――ここで、これ以上の物理的被害を発生させるとは考えづらい。体内の冷却のために、このまま東京湾に移動するというのが私の推察だ」

 

 祈りや誇りを束ねてゴジラを倒せるのなら苦労はしない。

 巨大なトカゲを神足らしめているのは、人のそういう度し難い信仰心にも似た恐れ故にだ。ゴジラの復活は想像を絶する驚異的な現象ではあるが、結局のところやることは何一つ変わらない。現実的な手段で対処するだけだ。

 

「貴官らの決意を軽んずるわけではない。しかしながら、ここであの“若い”ゴジラに対して不用意に干渉すること自体が脅威と見るべきだ。こうして回避できた核爆発やメルトダウンの危機を、もう一度引き起こすことは、本意ではあるまい」

 

『それは……』

 

 そう、ゴジラの復活という現象を一先ずおけば、核爆発による人類滅亡どころか、放射能による東京の大規模汚染すら防ぐことができたのだ。その時点で十分な成果と判断できる。

 だからこそ、

 

「……今は、引くのだ。引くべきなのだ。いずれ、“アレ”とはまた相まみえるだろう。だが、今はまだ」

 

 抑え込む様な声音ではあったが、そこにどれだけ強烈な感情が込められているのかは明白だった。

 込められた感情は、言い表すにはあまりにも複雑で雑多であり、しかし()()()()()はあまりにもわかりやすいものではあった。

 

 インカムと通して――その言葉に刻まれた思いが、全ての兵者(つわもの)達の身体に心にどくどくと染み入っていく。

 

「今はまだ。しかし、いつか、必ず」

 

 ゴジラを必ず絶命させるという決意と宣誓。

 

 

 

 

「……ゴジラ」

 

 

 

 

 ――はるか遠い地平線。ゆっくりと身震いする、まるで黒々とした溶岩が硬化してできたような巨体。まるでこちらを視界に入れず、その存在すらも認めていないかのように天を睨む。

 そして。

 

 

 

「――――――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 

 

 

 咆哮。雄叫び。

 それは再び地上の王者になったゴジラの勝鬨なのか、孤高の存在故の慟哭なのか。知的生命体には与り知れず――そして永劫理解しえぬものなのだろう。

 

 




ゴジラの二次創作が書きたいと思ったのは数年前のことでした。

その時思いついたタイトルは「ゴジラ対シャークネード」。
タイトル以外何も思いつかなかったので、即座に没になりました(´・ω・`)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1話 老将の哀傷◆

 

 ――その組織は、人類に霊長たる誇りを取り戻すという崇高な使命を背負っていた、はずだった。

  

 

 掲げられたエンブレム――“G”の一文字を、両刃の(つるぎ)が真っ直ぐと深々と貫く意匠を拝めば。その組織の存在意義は子供にだって理解できるだろう。

 ゴジラという人類の繁栄を脅かす絶対悪を確実に抹殺することを目的に設立された組織の名は、Gフォースという。

 

 留まることを知らないゴジラの脅威に対抗するために、世界が足並みを揃えその総力を結集した軍事連合組織。正確に称するのならば国連G対策センター(U.N.G.C.C)配下の一軍事組織だが、どちらも意味はそう大きく変わらない。

 

 望むものはゴジラの抹殺と、人類の栄光。

 

 輝かしい御旗を掲げ、世界中の俊英が集った勇者の殿堂。名実共に違うことなく人類史上最強の軍隊である。いや、そういう存在()()()。なる筈だった。

 

 

 ――今はその栄光は見る影もなく、組織としてはほぼ瓦解しかかっていると評してよい。

 

 

 鳴り物入りで投入された兵器はゴジラを害するには至らず、国が傾く予算とマンパワーが投入された巨大兵器――メカゴジラとMOGERAという大仰な建造物は灰塵と化した。

 無論どちらの敗北にもそれなりに考慮するべき事情はあるのだが、ゴジラ討滅という大義を果たせなかったことには変わりはない。

 

 国内のみならず諸外国からも、その存在意義を疑う声が上がりだすのは自然の成り行きというものだ。

 

 期待はずれの誇大兵器。その一方で脚光を浴びたのは、自衛隊のように有事においてのフレキシビリティを発揮する軍事組織であった。

 

 東京を火の海に変えるだけでは飽き足らず、あらゆる生物を絶滅させうる放射分裂光(ガンマレイ)の雨が世界に降り注ごうとした、黙示の一日(デストロイア・ショック)

 

 その土壇場で八面六臂の大活躍をしたのが、災害有事を想定した特殊兵装が配備された黒木特佐率いる自衛隊であった事実。

 多大な負担を諸国に強いる誇大な組織を尻目に自衛隊が活躍する光景が、Gフォース不要論の勃発に繋がったのは言うまでもない。

 

 そもそも各国が最終的に欲していたのはあくまで自国で怪獣と戦えるだけの戦力であり、全てが一つに纏まり敵を討つという王道的で輝かしい大義など建前に過ぎない。

 寄るは大樹の陰ともいうが、その大樹の成り立ち自体が破綻の要因を抱えているのならば即座に手を引くのは道理である。

 

 ……無論、どの国も他国の繁栄を憎悪しているわけではないだろう。

 他国と協調して巨悪(ゴジラ)を討つという眩い理屈が絶対的に正義なのは誰でも理解している。長期的に考えれば世界中の戦力を結集することこそが合理的な戦略なのも理解はしている。

 

 しかし()()()()()()()()()()()()()()()()()()のが世の道理だ。

 

 「他者と協力してこの苦難を乗り越える」――ああ正しいとも、身を粉にして貢献したいと切に願う。

 でもその前にまずは自国の安全を。そう考えてしまうのは当たり前だろう。

 個人ならばともかく、これは国家単位の話だ。まず優先するべきなのが自国なのは仕方がない。裏切りの誹りなど念仏以下だろう。

 

 かつてはGフォースの中核を担っていた日本ですら、それは同様である。

 

 対ゴジラ対策の要は、既により()()()()実績を数多く挙げているカリスマ黒木特佐――いや、黒木特将(・・・・)率いる自衛隊に移っている。

 寧ろGフォースへの風当たりが世界のどこよりも強いのが日本であるとさえ評せるだろう。

 日本にとっては、当時最新鋭のアビオニクスとメカトロニクスという最高の外交カードを諸外国にみすみす無償提供してしまった――という、政治的敗北の象徴に他ならないのだから。

 

 

 ……要するに。

 

 複雑なことなど何も存在しない。

 人類の希望を束ねてゴジラ(邪悪)を討つ勇者の殿堂など、世界のどこにも存在しなかったというだけの話である。

 

 

 何であれGフォースの御旗を中心に保たれていた世界のパワーバランスは、事実上ここに崩壊した。

 

 残ったのは恐怖と後悔と、そして根深い猜疑である。

 

 

 

 

 そして、それから三〇年という長い月日が経とうとしていた―――。

 

 

 ◆◆◆

 

 ――海の底。

 岩手県船越湾から数百キロ離れた荒れ模様の大海原。その、深い深い海底で。

 

 海が、吠えていた。

 

 津波などという生易しいものではない。

 海面が、その巨大な一潮一潮がまるで別々の生き物であるかの如く捻じれて猛り狂うその様は、明らかに既知の物理法則に反する現象だ。

 空は不吉な漆黒に染まり、巨大な雹が降り注ぐ。高速で渦巻く黒々とした雲の切れ目からは、人の心胆を震わす爆音と共に雷が荒れ落ちた。

 周期的な雷鳴と渦潮は、まるで生き物の鼓動のようだ。……実際、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――その(怪獣)は、激怒していた。

 

 驕れる人類に裁きを下さなければならないと、震えていた。

 

 

 長きにわたって海の底で眠っていたその怪獣は、元はと言えば千年以上前――蝦夷(まつろわぬ民)と呼ばれ土蜘蛛と罵倒された人々が信仰していた荒覇吐。その最強にして最後の一柱である。

 

 怪獣が地上を跋扈していた時代――天地の全てが厳しい弱肉強食の掟に支配されていた時代。

 

 全ての生命は輪廻の営み(食物連鎖)を誰かに教わることもなく魂で理解し、草木に至るまでが調和を重んじ、分別(ふんべつ)と自制をもって繁栄していた。無論、その営みには当時蝦夷と呼ばれた人間たちも含まれている。

 

 怪獣とは――荒覇吐とは、自然の営みの中で一種族だけが出し抜くことが無いように、或いは滅びることが無いように庇護し、時には裁きを下す役割を担う古き神であった。

 人を含めた全ての生命から畏敬をもって讃えられ、神もまた彼らを慰撫していたのだ。

 

 天下平定を唱えた時の政権――大和朝廷の差し向けた軍勢を前に巣伏の地にて敗北し、海の底に封じ込められた今もその誇りは失ってはいない。

 

 過剰に森を切り開き、吐くほど命を喰らって、果て知ることなく大地を掘り進めては鉄を打つ。大和の民の唾棄すべき不義なる振る舞い。しかし敗北も封印も弱肉強食の理の一種と捉えたが故に、怪獣は不承不承ながらもその結末を受け入れた。

 

 だが、その封印はつい数刻ほど前に解かれた。

 

 怪獣が自力で戒めを脱したわけではない。

 海底に怪獣を封じた大和朝廷の忌々しい呪い。怪獣を千年に渡って縛ってきた戒めが、勝手に錆びて腐って落ちたのだ。

 

 呪術の効力が時の流れと共に経年劣化した、人類の更なる自然破壊、度重なる核実験で地上の放射能濃度が上昇した……理由は様々あるだろう。だが、そんな雑多な事項は怪獣にとってはどうでもよかった。

 この戒めが解かれた最大の要因とは――他の何よりも、大和の人々が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に他ならないのだ。

 

 敗北の苦渋も無念の封印も、弱肉の理によるものと受け入れよう。――しかし忘却の屈辱だけは断じて許せぬ。

 

 

 

 泡立つ飛沫を鼻息だけで吹き飛ばし、水の抵抗などものともせずにかき分ける。

 かつて蝦夷に信仰された荒覇吐が一柱、海神ムーバはゆっくりとその巨大な鎌首をもたげた。

 

 

 

 虎とも獅子とも形容できぬ化外の面貌を歪ませる。縦に長い蛇の瞳孔を瞬かせ、視線の先――真っ直ぐに映すのは大和の国。千年たって随分と様変わりしたが、その見るに堪えぬ醜さ。見違う筈などありはしない。

 

 ――そこまで堕ちたか大和の子らよ、お前たちは間違っている。全て母なる海から生まれた過ちならば、今こそ父なる海神の裁きを受ける時だ。

 

 海嶺がそのまま動くが如き規格外。一振りだけで高層ビルを薙ぎ払う巨大な触手を震わせて、大海を掻き分けながら崇神の蛇体は進んでいく。

 

 その暴威が日本に振るわれる――()()()()

 

 

 

 だというのに。

 

 

 

 

 ―――――――()()は一体、何なのだ?

 

 

 

 

「―――――――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!」

 

 

 

 

 咆哮、一喝。世界中の生物が一斉に悲鳴を上げたとしても、その雄叫びには届くまい。

 

 ムーバの、その山脈をも削り穿つ触手の全身全霊の刺突が、()()()()()の腕の一振りで千切れ飛ぶ。音速すら置き去りにした速度の一振りは、海水どころか海底の土砂ごとまとめて巻き上げた。

 

 巻き上がる飛沫の向こうに見える爛々とした眼光は、殺意とも敵意とも怨念ともつかぬどす黒い色を込めてムーバを真っ直ぐに射貫いている。

 

 “黒き獣”はその腕の一振りの勢いのまま――その全身を旋回させた。

 

 一瞬、()()()()()()()()()()()()()。それは、“黒き獣”の全身の筋肉が限界まで圧縮されたからに他ならない。収束され歪に膨張し、ぼこぼこと、ぎちぎちと震える肉体。

 

 張りつめられた弦を幻視するその姿――込められていく、果ての知れない力学エネルギー。そして獣の背中の、山脈のように連なる純白の背鰭が発光するとともに、過分な力は超高速超効率で電気エネルギーに変換され、その長大な尾に一気に収束されていく。

 

 獣の眼球が、限界まで開かれる。牙が軋む。頬が狂気を形作る。鼻腔が膨らむ。

 そしてぶちり、と、何かがちぎれて爆ぜる音がした。

 

「■■■……■■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 咆哮、一閃。

 

 音速を疾うの昔に通り越した速度で降り抜く、尻尾(抜刀術)。一瞬世界が純白に発光する。獣とムーバの間にあった海水面を全て等しく纏めてプラズマ化させながら、漆黒の電撃を纏った衝撃波が矢のように飛んでいく。

 

 回避などありえない。数十の触手を束ねて作り上げた即席の盾を炭に変えるに飽き足らず、ムーバの半身が砂のように両断された。大量の海水を巻き上げながら、かつて東北に最大の化外ありと大和朝廷を恐怖させた荒覇吐の巨体が、冗談のように空を舞う。

 

 意味が、解らない現象だった。

 理解が、及ばない現象だった。

 

 始まりは何だったか。海を越え、船越湾のノコギリ状の海岸が水平線の先に見えた、その瞬間。突如として海の底から怒涛の衝撃と共に、この黒き獣がムーバに超々高速の突撃を行った。触手を千切り、角をへし折り、ムーバの蛇鱗を引き剥がす。

 

 ムーバの有する探知範囲を突破したその隠密性もさることながら、驚愕はそんな次元に留まらない。

 

 ――冷えて固まった溶岩のような黒い外皮。限界まで鍛え上げられた黒鉄の四肢に、眩い輝きを放つ白銀の王冠(背鰭)()()()()()()()()()()()。大和にこんなものがあるはずがない。

 

 

 知らぬのは、当然だろう。

 これなるものは、地球始まって以来、最大最強にして、何より最新の化外。魑魅魍魎の進化の果て――怪獣王。

 

 

 

 ――その名を、ゴジラという。

 

◆◆◆

 

「……圧倒的すぎる」

 

 上空を飛行する無人哨戒機から送られてくる映像。その目を覆いたくなる暴威の具現に、麻生孝昭少将は思わず呻き声を上げた。

 

 四方数十メートル、一戸建てが十は軽く収まる高さと奥行きを有する巨大な空間は、世界最大最強の対怪獣戦闘集団と()()()()()()――Gフォースの、中央指令本部・情報統括ルームに他ならない。

 

 かつて国連から直接分配されていた年間予算は大幅に縮小され、人員及び組織規模は全盛期のそれの十分の一以下だ。この広大な箱物も、最早十全に機能しているとは言い難い。

 現在はもう、怪獣対策の司令塔としての役目は、通称“特自”――怪獣や宇宙人の脅威に対処するべく陸、海、空を統合した部隊に、事実上奪い取られていた。

 

 彼はGフォースに出向していただけの自衛隊側の人間なのだが、こんな現状にも拘らず未だにこの組織に居ついている。

 

 中空に浮きあがる空中ディスプレイが激しく点滅を繰り返し、ぬらぬらとした質感の青白い光が中央ルームに立つ麻生を不健康な色に照らす。老いた瞳にはあまりに毒だ。顔をしかめて瞼の上から眼球を押し回した。

 

 その目元を押さえる骨ばった指。だいぶ薄くなった髪に、目元に深く刻まれた皺。歴戦の軍人の証明だと言えば聞こえはいいが、同時にまともに怪獣に対処できる人材の深刻な高齢化を意味するものであった。

 

 しきりに瞬きする視線のその先。モニターに生中継されているのは、突如岩手近海に出現した怪獣を、同じく突如出現したゴジラが文字通りに粉微塵にしている様だ。

 

 謎の怪獣――名を付ける間もなく絶命しようとしている怪獣が、いったい如何にして海という海に張り巡らされた監視網を潜り抜け、日本近海に侵入したのかは実に興味深い命題だ。しかし、最早それを探る術はない。今、まさにその解答が灰すら残さず昇天しようとしているのだから。

 

 プラズマを収束させた長大な尻尾を、居合のように振り抜くことで()()()()()()絶技……プラズマカッターなどと言ったか。

 

 何万トンもの海水が瞬きする間もなく蒸発し、あの蛇か魚か蛸のような怪獣諸共に大海を上下に両断する。……嘆くべきは、海を割る神話の再現を成しているのが、指導者(モーセ)ではなく天魔の類だということか。

 

「ゴジラ……害獣風情が、地球の番長でも気取るつもりか?」

 

 何より麻生を、いや世界を悩ませている最大の原因が“これ”だった。

 

 この三〇年間。

 黙示の一日(デストロイア・ショック)から数えて三〇年――かくの如く、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 人類が生み出す如何なる戦略兵器をも上回る暴威を、同じく人類の脅威である怪獣にしか向けようとしていないのだ。

 

 人類の幸福と繁栄を嘲笑う悪魔、霊長の傲慢に神が遣わしたカウンター、地球生命の究極の回答……人々は恐怖や憎悪、或いは信仰心さえ込めてゴジラをそう呼んでいたが――いずれにせよ、それらは総じて“ゴジラは人類を攻撃する存在だ”という認識に基づく。

 生理か本能か、あるいはある種の哲学に基づくのかは知ったことではないが――ゴジラは、人類文明を徹底的に攻撃し排斥する存在の筈だった。

 

 それが当たり前の常識であり、故にこそ彼と我は断じて判り合えぬ。全てはどちらかが滅びるまで――とさえ謳われたゴジラが、黙示の一日(デストロイア・ショック)から数えて三〇年間、人類への敵対行動を全く示していない。

 

 周期的に海洋をゆったりと潜行し、揺蕩うように無人の島々を彷徨う。人類が羽虫に頓着しないように人類側の干渉を無視し、そして眠るように海底で動かない。市街地に近づこうとすらしないのだ。

 頭上に多数の哨戒機が飛び回ろうと一切気にせず、巡行船が随航していても視線すら向けない。巡航ミサイルやメーサー砲の砲火を食らおうが、地中貫通爆弾(バンカーバスター)が直撃しようが鬱陶しそうに手を払うのみ。

 

 その暴威が()()()()()()()()()()()()ことは、この三〇年間決してない。その存在自体が人類の脅威である事実は変わらないが、脅威度は落ちつつあることは間違いないのだ。

 

 

 ――そしてその反動かは知らないが、ゴジラはその溢れる獰猛と殺意を“他の怪獣”に向けた。

 

 

 この三〇年間でゴジラが屠ってきた怪獣は――確認されているものだけで、三百を優に超えている。

 国を滅ぼし星を制するに至るとされる百メートル級以上の怪獣のみに限定しても、奴がその手で滅ぼした数は両の指には収まらない。

 

 

 人類の如何なる監視網よりも先んじて怪獣の出現を、いやその鼓動を、予兆を感じ取る。そうなったら、最早誰にも止められない。

 

 大洋を彷徨う賢者の貌をかなぐり捨て、殺意の鎧を纏い――目標が地球の裏側にいるならマントルさえも突き破って突撃する。

 

 例え相手が自身より巨体だろうと群れを成していようと、それこそ宇宙から飛来しようと関係ない。彼我の戦力差など知らぬとばかりに襲撃する。……実際、この三〇年間でゴジラが相対した怪獣の中には、ゴジラより巨大なものもゴジラより狡猾なものもゴジラより長命なものも幾らでもいた。しかしそれら全てに対してゴジラは勝利している。

 

 元々ゴジラは他の怪獣に対して強い敵意と攻撃性を示す傾向にはあったが――この三〇年の偏向は、はっきり言って異常だ。

 

 まるで憎悪に狩られるように、或いはある種の使命感に支配されているように。

 

 だからこそ、人類としてはゴジラに手を出せない。

 そもそも怪獣とは、その九割九分九厘が人類に対して百害成す害獣でしかないから。そうである以上、ゴジラの行動は人類に益しかもたらさないから。それこそゴジラがいなければ、この三〇年間だけで人類は百回は滅亡の危機を迎えていただろう。

 

 あえて()()を駆逐する意義はないだろう。それが世界各国の言い分ではあるが――それが唯の逃げと言い訳でしかないのは、だれもが了解している。

 

 

 ゴジラの暴威の矛先が、いつの日かまた気まぐれに人類に向かない、などと誰に断言できるのだ?

 

 

 いつ、また恐怖に怯える日々が始まるかわからぬという緊張と苛立ち。

 三〇年という期間は人類の偽りの結束を腐らせ、再びの緊張状態に突入するには十分すぎる時間だった。

 

 あらゆる大国が、小国が、第三世界が、新興国が――自国だけでも生き残るために、そしてあわよくば後の国際社会で優位な立場に立つために邁進する。膨大な予算を狂ったように対怪獣兵器の開発に投じ、そして少しでも他国に先駆けんと画策する。明日ゴジラに滅ぼされるとも分からないのだから、一秒でも一歩でも、先に強大な力を求めようとするのは必然だ。

 そう、どこかの国がゴジラの抹殺を可能とする兵器を完成させれば、その時点でゴジラは用済みだ。ゴジラ諸共地上の怪獣を全て抹殺し、以降地球の守護神はその国になる。

 

 本来ならば、その役割は国際軍事組織Gフォースが担うはずだったが――

 

「……無念だ。何もかも」

 

 膨れ上がった軍事力が、世界のパワーバランスを加速度的に歪めていく。隣国を仮想敵として銃口を向け合う姿は、米ソ冷戦期と何らとして様変わりしていない。

 世界各国でテロと紛争が湧き上がる。皮肉なことに、その流れる涙と血の量は()()()()()()の全盛期と果たして何ら遜色ない程だった。

 

 これほど痛烈な皮肉はないだろう。

 ゴジラが人類の脅威でなくなったが故に、人類は結束できずに争っているのだ。

 

 一際モニターが明るく光った。代名詞とも呼べる熱戦攻撃でもって、あの蛇か魚か蛸のような怪獣は、細胞どころか遺伝子さえも残さず消し飛んだのだ。そして同時に、驚愕とも感嘆ともつかぬ声がまばらに上がった。若い士官の中には、今回初めて一切編集されていない本物のゴジラの武威を目の当たりにした、という者が多いのだろう。

 

「――っ、畜生が」

 

 思わず、手元のサイドボードに拳を叩きつけた。

 

 鈍い音がすると共に周囲のオペレーターや隣に立つ青年士官達が驚いたような、訝しむような視線を麻生に向けてくる。何もかもが腹立たしい。顔をしかめながらしっしっと手の平を向けて追いやった。青年士官は気まずそうに目を背け、オペレーター達は慌てたように姿勢を直し作業を再開する。

 気概の無い連中だと思わず口に出しそうになった自分に、知らず自嘲の笑みを浮かべた。

 

 それは何も、あの怪獣の死体から生のデータの解析する術が失われた故の苛立ちではなく――

 

 この三〇年間続けられた“ゴジラによる徹底的な怪獣の殺滅活動”のお陰もあり――皮肉なことに、対怪獣の実戦経験がある屈強な軍人が現場から減りつつある。机上の理論や空虚な理念が先行し、血の通った実践が現場から失われる。残るのは自分のような老害と、コンソールを叩いたことしかない若者のみだ。

 

 人材の育成に時間とコストがかかるのは何時の時代も変わらない。人員規模が年々縮小されているGフォースであれば尚の事である。

 おまけに昨今は人材の移動も激しく、今この中央情報管轄ルームにいる者達――ヤングエリートと称される精鋭達であっても、麻生の中で顔と名前が一致する者は少ない。

 

 この苛立ちも八つ当たりも自嘲も、全てが将官の振舞いでないことは百も承知だ。

 それでも、ゴジラに対するこの緊張感と焦燥感を、生の実感を持って共有できる後進があまりに少ないことは頭が痛い問題ではあった。

 そもそもの話をするのであれば――アドバイザーという名目とはいえ、自分のような70近い老人が今なお現場に立つ状況そのものがありえないのだが……。

 

 思わずため息が出そうになった、その瞬間だった。

 

 情報統括ルームの自動ドアが開かれ、籠り切った暗い部屋に外界からの空気と光が流れ込む。

 

 見慣れないスーツに身を包んだ長身が、情報統合ルームに足を踏み入れた。

 戸惑うような他の士官達を意に介さずに麻生の横に並ぶ。意志の強そうな眉に、吊り上がった硬質な眼光。堅くセットされた頭髪からは軍人というよりは文官――官僚的な性質が見て取れた。

 

 確か防衛省からの出向組のエリートだったか。

 名前は確か……。

 

「麻生少将……宗谷海峡にて船舶監視中の稚内基地分遣隊より緊急の連絡が。先ほど午後12時12分、稚内ノシャップ岬近くの海にて怪獣の死体が打ち上げられたとのことです」

「怪獣の死体だと? ……そんなもののために、こんなところまで至急の連絡が入ったというのか?」

 

 そんなもの――今や、世界の何処かしこにでも転がっているではないか。クジラの打ち上げの方がまだ物珍しかろう。

 ゴジラがその圧倒的な暴威を同類にのみ向けるようになって以来、怪獣の亡骸の漂着は極めてありふれた存在だ。

 

「悠長なことを……感付かれる前にさっさと回収するのが当然だろうが」

 

 そして怪獣の亡骸は、今や化石燃料を超える最重要資源となりつつある。

 骨や皮や肉、そこから得られる既存物理法則を超越した怪獣の異能を具現化させている希少物質。いずれも全てがこの十数年――人類文明の飛躍に大きく貢献してきた。例を挙げれば枚挙に暇がない。

 

 人類の繁栄に仇為す害獣から、人類に益する果実を採取する。怪獣が齎す損害(マイナス)補填する(プラスにする)と考えればこれほど理に適った話はなく、だからこそ昨今の国際社会の目下の争いは“怪獣資源”の奪い合いとすら表現できた。

 

 だが……実のところ怪獣資源はどこで誰が確保したものだろうと、一国が独占的に所有権を主張することは国際条約で禁じられている。

 そして当然、無論のことながら――そんなものは、唯の建前でしかない。

 律義にそれを守る国は皆無だ。だからこそ日本近海に流れ着いたというのなら、悠長なことを言わずに確実に確保しなければならない。

 

「そもそも何故私に話が行くのだ。管轄が違うだろう。見ての通りこちらは対Gが――」

「いえ、そうではなく」

 

 こちらの言葉を躊躇いなく遮る物言い。端正な顔立ちに浮かぶ鉄面皮。横柄というよりは融通の利かない頑固なタイプのようだ。なら、はっきり言えと続きを促せば――。

 

 

「報告によれば――それは、あの“バトラ”ではないかと」

 

 

「……確かに、それは、何とも面倒な話ではあるな」

 

 バトラ。

 

 先史文明とやらを滅ぼしたとされる、空舞う毒蟲。

 1992年冬――ゴジラと、そして()()()()を交えた三つ巴の激戦の末に北の海に沈み、そしてその行方は不明のままであったが、そうか。

 

「なるほど、わざわざ、Gフォース如き(私のところ)にまで情報を徹底周知させるのはそういうことか。あの忌々しい――“怪獣教徒”の動きを気にしていると」

 

 バトラ。

 傲慢な地球文明を懲する地球(ガイア)の意思だったか――あのコスモスとかいう奇形の人型種族の妄言など、日本政府も国際社会も、勿論麻生自身も全く相手にしていない。

 ……だが厄介なことに、そのキャッチーでデンジャラスな設定は、世界規模で広がる末法的なオカルト思想と結びつきやすい。

 

 つまりバトラの漂着――これを現場レベルの一存で秘密裏に処理するには荷が重いと判断されたか。

 

 とはいえ、かつてあのゴジラを封印するまで至った怪獣の生体データだ。是が非でも、多少の軋轢を生んだとしても、日本一国で独占したい代物のはずであり。

 

「私のような蚊帳の外の人間にまで話が来たのは、路線は既に決定しているからに外なるまい。違うか?」

「はい。まず、“あえて”民間の怪獣関連企業に、亡骸の回収作業をさせます。つまり、この民間企業が政府の決定・指示に従わず、先走って怪獣の回収作業に取り掛かってしまい――」

「――その()()()()()()()()()()()()に時間がかかり混乱した結果、他国への周知が間に合わなかった体にする、ということだな。なるほど、我が国お家芸の三店営業(パチンコ)スタイルか」

「諸外国に日本の不手際を平謝りする、あえて手続きに不備を残す――などと、とにかく可能な限り時間を稼ぎ、その間にできうる限り怪獣の生体データを回収する、というのが……片桐総理の方針になります」

 

 総理の名前を呼ぶまえに、若干の間があったのは気のせいか。若干気にはなったものの、それより麻生の関心は日本政府の思惑のほうに向いていた。

 

 それはつまり、好きなだけ切り刻み、すり潰し、抽出して抽入して――生データを取り終わった出涸らしを国連に引き渡すということである。かなり強引ではあるが()()()()()()()()()()()()など他国が知る術はないのだから問題ない、という理屈だろう。

 これで日本の面目は保たれる形となり、後に問題が発生したとしても国際社会における立場はギリギリ守られる。

 ……ああそれはなんと賢しく都合がよく、何より情けない話なのだろうか。

 

「そういえば、件の民間企業というのは――例によって、あの連中か? 何と言ったか……」

「“あの”がどの“あの”かは存じ上げませんが――既に赤イ竹(レッド・バンブー)に、主力部隊の出動を依頼しているとのことです。ちなみに私も、明日の便で稚内の現場に向かうことになっております。

 付け加えますと、この件に関してましては、“特自”方面に関しては神宮司司令に承認して頂いております。詳細は追って――」

「結構だ、聞きたくない。あの間抜けめ、少しは……いや、もういい。どうせ現場の意見など考慮していないのだろう。どうせこちらには関係のない話だ」

「……」

 

 殊勝な言葉に反して、老いた将官の目には暗い色が浮かんでいた。

 疲れたような深いため息。そして時折顔をしかめては瞼の上から両目を抑える麻生の姿からは、対怪獣作戦の鉄鬼と恐れられた若き日の面影はまるで感じられなかった。……そもそも現場に立つことなど、本来は決して許されない年齢ではあるのだが。

 年輪のように深く刻まれた皺に落ち込む瞳を見れば、この男がどういう思いを抱いているかは容易く見て取れる。

 

「……不満ですか? 麻生少将」

「当然だ」

 

 それ程張り上げた訳ではないのに。奇妙に広く響き渡る低い声。

 

「――ゴジラを見ろ」

 

「――強くなっている。我々に姿を晒すその度に、間違いなく強くなっているのだ。背鰭が随分大きくなった。いや、そもそも枚数自体が増えている。忌々しいことにな、世界の軍事開発のスピードがまるで追い付かん。

 なぁ、あれは一体、どういう宇宙の法則に基づいて生きているのだ? どうして世界はこの危機を前に一つに纏まることができんのだ? どうして私は、散っていった先達や部下の仇を討つこともできず、こんなところで老いて燻っているのだ?」

 

 誰にともなく絶え間なく吐き出される呪詛の羅列。

 きっと憎んでいるのは、ゴジラだけではないのだろう。不甲斐ない自分自身であり、そしてままならない組織の在り方であり、何よりこの世界の行末その物か。

 

「こんな、政治劇と呼ぶに気にもならん三文芝居に、どうして軍人が、私が付き合わねばならないのだ。倒すべきは、あそこに写っているというのに……何故、メカゴジラもMOGERAも――我らの足掻きは、いつもお前(ゴジラ)に辿り着かないのだ」

 

 殺意と怨念が強く籠った視線が、空中モニターを射抜いた。

 この地上に敵が存在したという痕跡すら焼き払った怪獣王は、凱旋の咆哮と共に悠然と海に潜っていく。その、己が地球の王であり支配者であることに何の疑いも持っていない、傲慢な振舞い。

 ふいに麻生が、その刃のような緊張感を帯びた視線を隣に向けた。

 

 

 

「お前は、どう思うのだ文官よ――矢口蘭堂と言ったか」

 

 

 

 どう思うのだ。小生意気な官僚よ。

 

 

 若者は――矢口蘭堂は数秒だけ目を瞑って。

 やがて言葉を選ぶようにゆっくりと、しかし躊躇いも迷いもなく返答した。

 

 

「特に答える立場にありませんので――失礼」

 

◆ ◆ ◆

 

 この世界は何もかもがおかしくなってしまっている――嘆く老人の丸まった背中を、矢口蘭堂は何とも言えない表情で見つめていた。

 老人の怒りも嘆きも理解はできる。納得できる。内容の妥当性も間違いないだろう。しかし共感だけは断じてできなかった。

 

 だってそうだろう。

 くしゃりと顔を歪め、口端をぶるぶると歪めるその姿。

 

「――奴がその気になれば、国も星も三日三晩で灰になる。どうして、それに危機感を持てないのか、私には皆目見当がつかない」

 

 割れよ砕けよと言わんばかりに、歯を食いしばらせて。

 

()()()()()()()、今のゴジラは人類を守ってくれるヒーローだ――などと本気で唱える輩もいるが、信じがたい痴れ者である。見当外れにも程があろう。今こそ人類は、結束するべきなのだ。そうだ、もう一度機会さえあれば、Gフォースはゴジラを倒せたのに、何故……」

 

 何が琴線に触れたのか知れないが、周囲の不審の視線を歯牙にもかけずに呪うように呟くその姿。はっきりいって異常、不吉なものしか感じない。

 彼の若き日の対怪獣作戦における多大な功績は知っているが――それはあくまで、昔の話だ。

 

 ゴジラを中心とした冷戦構造――蘭堂だって、今の日本の、そして世界の在り方を良しとしたことは一度もない。変わらなければならないし、変えてやるつもりでこの世界に飛び込んだ。

 

 だというのに。なのに、どうして。

 

 御年70を超える少将と、名門政治家一族の家から飛び出した若造が、何故ここまで同じ思いを共有できないものなのか。

 政治思想の違い、立場の違い、世代の違い、見てきたものの違い、奪われたものの差――確かに数えきれない程の隔たりがそこにはあるのだろう。具体的な言葉にすればキリがない。

 しかしそんな数多幾多の理屈では説明できない、何か根源的で絶対的な、触れてはならないヘドロのようなものがそこにあるのを、蘭堂は確かに感じた。

 

(憎悪か)

 

 言葉にすれば、“それ”はとてもシンプルだ。

 

 直視することすら憚られるどす黒いそれは、まるでオーラのように老将の周囲に放たれている。それの正体は骨の髄に、いや魂の髄にまで苔のようにへばり付いた怪獣への深く重く暗い衝動。

 果たして一体――それを憎悪という一言で表現できているのだろうか。

 

 いずれにせよそれが怪獣の暴威を直で知る世代とそうでない世代の、致命的にして絶対に相容れない断絶の“根”に他ならないことだけは理解できた。

 

 ……無論蘭堂にとっても、ゴジラとは排除するために最大限の努力をしなければならない絶対的な脅威だ。その認識に相違はない。

 しかし、麻生を筆頭にゴジラをどこか()()()()()()として捉える姿には、正直、不信感しか持てなかった。それではまるで、ある種の不出来な末法思想(カルト)と変わらないではないか。

 

 恨むのは当然だし、脅威とするのも大いに結構。

 しかし相手にするべきなのはゴジラという具体的な個体であって――「ゴジラという忌み名」では決してないのだ。

 

 唯の巨大生物を破壊神にしてしまうのは、知的生命体のそういう悪癖によるものではないのか。怪獣にそんな役割を当てはめようとすること自体が、霊長の傲慢ではないのか。

 

 ゴジラは、ゴジラの魂のルールに従い戦い続けているだけだ――というのが、蘭堂の持論だった。

 

 蘭堂はそのまましばらく中空に浮かぶ電子モニターを眺めていたが、やがて頭を振ってゆっくりと指令室を後にした。

 それは稚内に急行する予定時刻が迫っていたという理由もあるが、何よりもこの空間(Gフォース)からさっさと逃げ出したかったからに他ならない。

 

 かつかつ、とわざと音を立てるようにして、蘭堂は足早にリノリウムの床を進んでいく。その青白いぬらぬらとした反射が、いら立ちを隠さない彼の顔を悩まし気に照らしていた。

 

 その時だった。

 

 彼の左腰のポケットに、不意に振動音。小さな舌打ちと共に蘭堂はスマートフォンを取り出し、その画面の点灯を睨みつける。表示されている相手の名前を見て――無視してやろうかとしばし逡巡し、本日何度目かのため息と共に通話アイコンをタップした。

 あいさつ代わりの軽い皮肉と、そして。

 

 

「――なんだと、今、何と言った()()()

 

 

 重く、低い声が廊下に響いた。感情を押さえた声だったが、滲み出る怒りと動揺は隠しきれるものではない。

 

 蘭堂の面貌が、険しく歪む。額を人差し指と中指でぐりぐりと押し揉みながら、通話中のスマートフォンの点灯を全ての元凶であるかの如く睨み付ける。

 

 そして、スピーカーから通話相手の小さな吐息と共に。

 

『――聞こえなかったかランドウ』

 

 ――それはとても奇妙な響きの声だった。

 若い、青年の声。

 

 ……だけれども、その声を聞いて受ける印象は何故か真逆で、まるで枯れ木を思わせた。長い永い旅路を行き過ぎて、疲れ果ててしまったような老人の様な重さと深さを持つ声。

 

 その声が、非情な現実を蘭堂に――否、ランドウに告げる。

 

 

 

『怪獣だランドウ――死人が山ほど、街は半壊。――稚内にガバラが上陸した』

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 ――今になって思うのであれば、全ての起点であったのはここだったのだろう。

 

 何かが狂ってしまったのが何処からかと問われたならば、ランドウは迷いなくこの瞬間こそが分かれ目だと答えられる。

 無論、()()()()に至る種はずっとずうっと前から撒かれていたし。

 当然、()()()()を回避する分岐はこれからもあるのは確かなのだ。

 

 それでもこの瞬間が、全ての因果の収束に向かって、運命の車輪が動き出したタイミングなのは間違いなかった。

 

 ゴジラが地上の覇を唱える世界にて。北の海にて、バトラが打ち上げられたこと。

 

 この時の、誰かの判断に、誰かの行動に、多少なりとも違いあったのなら、果たして()()()()は起こらなかったのだろうか。

 

 それは何かが違っていれば、の話である。

 歴史に“もし”を語ることほどの無意味はないが、それでも語らずにはいられない。

 

 北の海から、運命は小さく、ゆっくりと、しかし確実な胎動を始めていた。

 

 

 

 

 

 運命の名は――バトラ。

 

 地球意思が生み出す端末のことである。

 

 どんな形であれ、これが人類の前に姿を現したことの意味とは――

 

 




割と切実に、感想を書いていただけるととても嬉しいです……。

ネットの片隅の1ジャンルであろうとも表現者にとっては気合を込めた自己表現の場です。(僕だけでなく多くの作者さんにとっても)無反応というのはあまりにも存在意義の否定であり、眠れないほどに恐ろしいものです。

勝手な二次創作の分際で、傍目から見れば痛々しさしかない姿勢だという自覚は多分にあるのですが……どうかよろしくお願いいたします。


勿論感想だけでなく、「ここの表現が冗長」「この台詞が痛々しい」みたいなダメ出しも大歓迎。
「ゴジラ」という日本が有する世界に誇るべきキャラクターの二次創作を扱う以上、よりよいものを作るべきだという思いはあります。

僕の場合、文章や台詞をグダグダと長くして話のテンポを遅くしてしまう悪癖がありますので、第三者からの指摘があれば逐一修正していくことが可能です。

……ただ、できればその手の指摘はなるべく具体的だととても助かります。
良くないという自覚はあっても直せないのは、僕自身の実力不足ですので……うぅ(;´Д`)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 禍乱の予兆

 ――稚内、という町がある。

 

 

 北海道の、オホーツク海に突き出た先端に位置する港町。

 厳密に表現するのであればノシャップ岬沿岸から稚内港まで、そして更に南東に広がる街並みのこと。

 日本最北端という地理的特徴で知られるこの地は、海流のもたらす海の幸とともに発展した静かな港町だ。必ずしも大都会と言えないだろうこの町だが、しかしある一点において異彩を放っていた。

 

 それが稚内分屯地。宗谷海峡の海に面した岬の突き出た先端に位置する自衛隊施設だ。

 

 元より稚内という町が北方監視の要所として興った背景を持つ以上、そこに軍事基地が築かれることは必然だろう。まるで冷たい海から稚内の町を護るかの如く位置するその分屯地は、れっきとした日本最北端の軍事拠点である。

 

 とはいえ基本的には北方監視任務を主とする非戦闘施設であり、荒事とは縁遠い非戦闘施設と言い切っていい。発足から七〇年。怪獣と呼ばれる魑魅魍魎の類が跋扈する末法の世になっても流血とは無縁、と言えばのどかさの程度は察せられる。

 

 

 

 そして、それはつい先日――宗谷海峡での船舶監視をしていた稚内基地分遣隊が、ノシャップ岬近くの海にて怪獣の死骸(バトラ)が打ち上げられているのを発見したという報告があっても変わらない。

 

 怪獣と言ってもあくまで動かぬ亡骸であり――そもそもその回収作業を行うのも彼らではなく、先に現場に到着して勝手に作業を進めた()()()()()()()()民間の怪獣案件処理専門会社の部隊だからだ。

 全ては待つだけの簡単な任務であり、そつなく遂行されるはずだった。

 

 だからこそ稚内の人々も、いつもに比べて自衛隊基地が騒がしいことに多少の違和感を覚えながらも、いつもと変わらない日常を過ごしていたのだった。

 

 

 過ごしていた。

 

 

 はずだった。

 

 

 ◆◆◆◆

 

 そうだ。

 いつも通りの毎日のはずだったんだ。

 今日の宿題をちゃちゃっと終わらせて、港で皆と遊ぶ約束をしていたのに。来月発売のゲームの話をしたり、ちょっと気になるあの子とお話ししたり。

 当たり前に毎日続くと思ってたのに、どうして今日は違うんだろう。

 

 どうして。

 どうしてこんなに、痛くて狭くて寒くて、苦しいんだろうか。

 

『伍長――小っこいガバラが、そっちに回り込んで――ぉぼぁっ!』

『待てアホ、そっちにもガバラが――ぐぅぇ、ぁ』

 

 聞きたくない知りたくない。

 なのにどうして。

 両耳を塞いでも聞こえてしまうのは、自衛隊さんの悲痛の叫び。それが誰かなんて知りたくもないのに――勝手に、ああ今のは本州の基地から派遣されたっていうおじさんだとか、今のは最近自衛官になったばかりの近所のちょっと怖いお兄ちゃんじゃないのかとか理解して(気が付いて)しまうのだ。

 

 嫌だ嫌だ、嫌だ。

 どうして、どうして、どうして。

 

 血で滲み、焦りと恐怖で狭くなる視界に映るのは土埃と硝煙と、飛び交う肉塊と血飛沫。砕けるコンクリート片と、冗談のように崩れていく駐屯地の建物。倒れる電信柱と、転がっていく車――高機動車っていうだって兄ちゃんが自慢してた。

 

 そして何よりも、腐臭を放つ粘液で覆われた、視界に入れただけで全身に悪寒が走る緑色の蠢き。

 

 ズボンが下肢に冷たく張り付くのはオシッコを漏らしたから。それを不快に感じる余裕もない僕の耳に、何かが潰れたような弾けたような、とても不吉で嫌な音が届いた。

 考えるより先に視線をそちらに向けてしまって、息を呑む。

 

 何のために軍人になったのか、これじゃ張り合いがねぇな――なんて、訓練場のフェンス越しに軽口をたたいていた兄ちゃんが、振り上げられて、振り下ろされていた。何度も何度も、アスファルト舗装に叩きつけられていた。

 

 まるで重さなんて無いみたいに宙を舞っている。一八〇センチを超える上背の兄ちゃんの片足を掴んで持ち上げているのは、地面に座り込んでいるだけの“()()()”だ。

 

『――□□(ゲコ)

 

 衣服などとっくの昔に皮膚と一緒に飛ばされている。股は裂けて、身体の芯がへし折れて、肉が引き裂け、時折思い出したかのように血が吹き出している。

 

 人の形が、命が壊れていくのが面白くて仕方がない――“そいつ”はそんな様子で、その突き出した両の目玉を輝かせた。その横で別の“そいつ”が腹を抱えて笑っている。手足をばたつかせる度にアスファルト塗装に罅が入り、地表ごと抉り散らす。

 

 直立したカエルを思わせるその化け物は、しかしカエルには見慣れぬ巨大な牙と角や有していた。

 緑の表皮を覆う水張れは、その実弾丸だって通さないじゃばらの鎧。

 しかし何よりカエルと違う点は、そのサイズだろう。人を軽く丸呑みできる大口を持つ巨体を、果たしてカエル(生物)なんて例えていいのだろうか。

 ついでにぶぶぶぅ、と工事現場の騒音みたいにでかい屁をこいて、その勢いで2メートルほど宙に飛び上がる、そんな意味不明はやはり生物である筈がない。

 

「なんで……怪獣……」

 

 緑沼の食人鬼(ガバラ)――怪獣史の教科書でしか見たことの無い御伽噺が、小さいのから大きいのまで、何十匹と……数えきれないくらいに、稚内の町(僕の町)を覆っている。

 

 余りに意味不明で現実離れしすぎてる。訳が分からな過ぎて、僕もなんだかその惨澹な光景が面白くなってきて、思わず笑ってしまった。笑い声――実際には息切れみたいな音しか出なかったけど。

 こんな状況で呑気なのか不謹慎なのかわからないけど、とても素面ではないのだけは確かだった。

 

□□(ケコ)□□(ゲコ)

 

 ぷくぅ、と“そいつ”の喉に相当する部分が風船のように膨らむ。それと同時に唸りとも嗚咽もつかない、そして不自然に甲高い声が辺りに不気味に響いた。

 

 地獄だった。

 

 街中で、怪獣が暴れるなんて――そんなの三〇年前の大昔なんじゃないのか。怖い怪獣は全部、ゴジラがやっつけてくれるんだって先生だって言ってたじゃないか。

 町が壊されて、人が死んで、痛くて怖くて汚くて。

 体が震える。汗と涙で視界が滲む。体温が急激に落ちていく一方で、心臓が口から飛び出すんじゃないかってくらいに響いている。

 

 

『――□□(ケコ)□□□□(ケコココ)

 

 

 まただ。あいつは新しいオモチャを探しているんだ。辺りをキョロキョロ見回している。その突き出た眼球の油膜の如く透明に輝く光彩が、期待と愉悦に不気味に輝いていた。

 

「ひぃ――」

 

 思わず、声が出そうになった。

 恐怖だった。こんな怖いのは生まれて初めてだった。体中の骨を、直接手でこねくり回されるような感覚。

 

 思わず叫びだしそうになった口を押えて、横転した軍用トラックの陰に隠れる。身体を動かした瞬間、全身に凄い痛みが走ったけれど、見つかるよりは遥かにマシだ。

 そう、あれに見つかるのは、死だ。弄ばれて、千切られて、そして喰われるだけなら()()()()で――

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 折れた骨と裂けた肉を叱責し、四つ足になって這うようにして僕は進んでいく。とっくの昔に横転した高機動車に入り込む。音をたてないように気付かれないようにとか考えない。横倒しになった車内で悪戦苦闘しながら、運転席までたどり着いた。震えながら膝を抱えこむ。個々なら安全だと自分に言い聞かせた。

 

 焦りと疲労と恐怖で朦朧とする。視線を投げれば、人間餅つきに飽きたらしいガバラ二匹はあらぬ方向を向いている。

 今の内に何とかしないと――僕ですらそう思っていた、矢先のことだった。

 

 下方に向けていた視界の隅に、影が落ちた。

 車内が暗くなる――その不吉の意味を理解する前に、車体は再び激しくシェイクされた。後部荷台に16人も載せられるって自慢してた中型トラックが、煙を吐きながら横転する。シートベルトなんて当然していないから、車内で激しく揺さぶられて、堅い天井に頭をぶつけた。その痛みを感じる間も与えられず、事態はどんどん進行していく。

 言うまでも無く、悪い方向に。

 

 ごつんごつん、という音が響く。音はどんどん大きくなり、車体に凹みと罅が入っていく。ばりばりと天井(ルーフ)が破られ、引き剥がされていく。

 

「――あ」

 

 僕は、息を呑んだ。名前すら知らない神に祈った。多分きっと、人生で初めて。

 籠った車内に光が通る。空いた穴から、狂気と愉悦を多分に孕んだ巨眼が覗いた。黒目がギョロギョロと上下左右に動き回り、やがて僕らと目が合った。

 

□□(ゲコ)

 

「――ひぃいいい」

 

 僕は、情けない悲鳴を上げた。

 そいつは、ガバラは、顔面から丸く飛び出した両の巨眼を三日月に釣り上げる。粘液を湛えた長い指を車内に伸ばしてくる。抵抗する間もなく宙に投げ飛ばされた。

 

 

 ああ、どうして。

 なんで、助けは来ないの?

 どうして、僕は僕達は、こんな地獄の底にいるの?

 

◆◆◆

 

 まず、一つ目の質問に回答するのであれば、それはガバラという怪獣が、通信を含めた全ての電子機器を沈黙させる強烈な電磁パルスを放射する異能力を有するため、稚内の異常が外界に正しく伝わっていないからである。

 そして二つ目の質問に回答するのであれば、これは単純に、神懸かり的に運が悪いとしか説明しようがない。

 

 

 稚内――ノシャップ岬沿岸から南東の稚内港までの町。

 都会とは言い難いかもしれないが、北方警備の要所として水産業を中心に発展しながら日本最北端の静かな町である。いや、であった。

 

 今はまるで、地獄の窯をひっくり返したような惨憺たる様相である。沿岸部を中心に、まるで津波が襲った後のように、道路も建造物もそして人も、全て等しく纏めて砕かれていた。

 破壊の痕跡は、南方方面にメインストリートを通って更に伸びていた。上空から見れば、ノシャップ岬の先端――つまり稚内分屯地を起点として、まるで巨人の爪が稚内の街並みを引き裂いているように見えるだろう。

 

 その蹂躙の爪先の最先端――まるで、緑色の車輪。

 

 或いは台風と形容できるだろう。旋回するだけで一軒家を微塵にし、直進するだけでアスファルトを砕き、のたうつだけで地響きを鳴らす。

 しかし想像できるだろうか? それは蠢く(群体)であり――構成している一つ一つが、巨大なカエルだという事実を。

 

 大きさはまばらだが、一番小さい個体でも体長三メートルを超えるだろう。その数は十や二○にはとても収まらない。カエルの形をした魑魅魍魎の群れ。小型ではあるが、間違いなく怪獣。

 

 名を、ガバラ。

 

 「国際指定絶対危険巨大生物」なる物騒な分類に、現状地球上の生物で“()()”指定されている怪獣である。

 

 そう、唯一。

 それは、あのゴジラを差し置いて――少なくともこの()()()()()()()()()、人間にとって最も危険な存在であることを示していた。

 

 ゴジラの恐怖支配の監視網を潜り抜け、怪獣としての生を謳歌する生存戦略を樹立した幾らかの特殊例。特級の希少種。その代表例が、稚内の街を蹂躙しているガバラだ。

 

 大きくなっても精々二〇メートル前後にしかならないこの小型怪獣は、三〇年前までは他怪獣の格好の餌でしかなかった。毒液や電磁波を発する以外に大した異能力も有さない、怪獣の食物連鎖(ヒエラルキー)における最底辺。

 下等生物の例に漏れず怪獣としては繁殖力が強い程度しか見るところのない脆弱種だったからこそ、人類からもさほど重要視されていなかったのだ。

 

 それが今、脅威となっている。

 

 ゴジラの手により、長らくガバラを脅かしていた巨大な――つまり()()()怪獣は殲滅され、怪獣を取り巻く環境(ヒエラルキー)はひっくり返った。そして、いつだって著しい環境変化に素早く適応し、進化を遂げるのは小動物からだ。当然、そのセオリーは怪獣にも当てはまった。

 

 天敵がいないが故に余裕が生まれ、過剰な繁殖力は群れを作りだす。電磁波操作能力はスキャニングソナーや電磁パルス、サイレンサーにステルス機能、通信傍受に、果てには群れを統率する脳波ネットワークにまで進化した。

 

 そして確立したのは、個体としての己を磨き力をひけらかすのとは、真逆の在り方。群体として種族として、只管までにゴジラから隠れ潜み逃げ回り――そして、人を喰らう。力を蓄える。怪獣としては異端も甚だしい在り方こそが、ガバラを繁栄へと導いていた。

 

 それが姑息で狡猾な在り方なのは間違いないが、だからと言ってガバラは逃げて隠れるだけの脆弱種ではない。

 その最も恐るべきは数でも隠形でもなく、その周到さと残忍さにあるからだ。

 

 ガバラが群れを成して襲うのは南半球の発展途上国を中心とした、主に人口過疎地だ。それはガバラが寒さを苦手とするという理由もあったが、何より対怪獣関連軍事技術を発展させているのは北半球の先進国だから。

 強力な軍事力を有する先進国を筆頭に、“目立つ処”には決して近づかない。海の底から人間を観察し、国際社会における立場の弱い国や地域を見繕い――勝てると確信してから、襲い掛かる。

 逆に言えば、それ以外に彼らの行動に法則性など皆無だ。

 滅ぼし喰らうモノには、国も地域も人種も思想も貴賤も一切関係ない。何の兆候も無く病のように現れ、嵐のように徹底的に破壊し、泡のように消えていく。

 

 冷戦状況にある国際情勢故に、怪獣の襲撃を受ける他国を助けようという機運は当然皆無だ。寧ろ援助しようとすれば武力介入と解釈されかねない。

 それはつまり、ガバラの襲撃に対する適切な対処法とは何か――世界で統一した経験則(マニュアル)が蓄積されないことを意味していた。

 

 はっきり言うなら、巨大化を追求し暴れるだけしか能のない怪獣などより、遥かに手の付けられない存在だと言える。

 ガバラによる直接的・間接的被害による年間死傷者数は全世界で約五千人。しかし政府が把握できていない事例を含めれば、更に一千人は増えるだろうというのがアナリストの推測だ。

 

 しかし先進国――特に日本の、それも高緯度地域に分類される稚内などには関係のない脅威の、筈だった。

 

 

 にもかかわらず、稚内の町は今まさにガバラによって襲撃を受けている。

 

 

 高緯度地域にあるというだけでなく、ここは北方監視の要所たる稚内分屯地が存在する町だ。確かに実力部隊の所属よりも情報部隊の方が遥かに多く、どちらかといえば監視任務を主たる非戦闘施設ではあるが、れっきとした先進諸国の軍事拠点には間違いない。

 

 どう解釈しても、これは従来のガバラの生態(セオリー)に反する異常事態でしかなかった。

 

 最早何もかもが間が悪いとしか、表現できない。

 半日ほど前に――宗谷海峡での船舶監視をしていた稚内基地分遣隊が、ノシャップ岬近くの海にて怪獣の死体(バトラ)が打ち上げられているのを発見した。

 

 政治的判断が絡んだ一悶着。その末に、先走った民間の組織が自衛隊に先んじて怪獣を回収してしまった――という、やや無理のある筋書きが仕上がった。ともかくその令に従い、稚内分屯地にて部隊は武装することも無く待機していた。

 

 時刻としては、平和な夕暮れ時といったところだった。

 誰と戦う訳でもない、退屈極まりない任務だったはずであり――そこを、ガバラの群れが何の前触れも前兆もなく強襲した。

 

 予測も回避もしようがない、意味不明の襲撃。総勢三〇体を超えるガバラの群れが、ノシャップ岬の西海岸から上陸した。

 

 稚内分屯地は宗谷海峡の海に面した自衛隊施設だ。地理的関係で言えば、海からやってきたガバラの群れが真っ先にかち合う場所となる。そうである以上、彼らがガバラを民間地に近づけることなく初動対応で対処することは決して不可能ではなく、同時に必須でもあった。

 

 だが、無理だった。暗く冷たい海の底から現れた魔手は、数秒もかからず自衛隊を瞬殺した。

 戦う準備をしていない部隊への奇襲だったから――という以前の問題だろう。

 あくまで彼らは監視任務に重きを置く部隊であり、怪獣関連の荒事とは縁遠い。数、練度、性能、経験――ガバラに対処するには何もかもが決定的に足りていない。

 

 そもそもこの稚内の地にガバラの足を踏ませてしまった時点で致命的なのだ。明らかな異常事態であるにもかかわらず住民避難が完全に出遅れていること。そしていつになっても外部からの緊急出動(スクランブル)がないことがその証左である。

 ガバラの有する規格外の電磁波操作能力。あらゆる物理的波動に干渉するそれを複合的に組み合わせたジャミングフィールドはガバラを守る結界となり、外界への稚内の異常の伝達が遅延される。

 

 だが、そんなことは、もう、笑えるほどにどうでもいい問題だ。

 防人の敗北は――その後ろで震える無辜の民の虐殺に繋がるという、当たり前な事実に比べれば。

 

 事前にポリスラインや標識を置いて人払いしてあったとはいえ、二○○メートル以内に住宅地が広がる港町だ。ガバラ達は止まることなくフェンスも塀も千切って分離帯も一飛びし、稚内の町にその身を躍らせた。

 

 後はもう……言わずもがなというところであり。

 どれだけ破壊と殺戮を繰り返し、血肉の山を築き上げたところでまだ足りぬ。稚内の町を呑み込む魔蛙の群れ。

 これより更に血が流れることとなる。命が潰えることとなる。

 

 

 

 正確には、それはガバラの群れが成すのではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()が為すのだが。

 

◆◆◆

 

 掻き毟る音に、溢れる涙。

 

 独特の鼻につく臭いが稚内に満ちていた。それは血の臭いであり、煤の臭いであり、瓦斯厘(ガソリン)の臭いであり、何より粘液の臭いである。

 分屯地の分離帯の向こう。切り開かれた稚内の町。遮蔽となる建物がなぎ倒されているため、幸か不幸かその光景がよく見えた。

 

 怪獣が、民間人を襲っている。

 先ほどと比べて、更に広い範囲である。被害範囲は稚内分屯地から南に向かって一キロメートル圏内にまで広がっていた。路線バスは横転し、家屋は崩れる。逃げ遅れた高齢者が踏みつぶされる。アスファルト舗装を踏み砕き、障害物を微塵にしながら稚内の町を南下していく。

 

 範囲こそ広がってはいるが、行われていることには何の違いもありはしない。

 

 ガバラ達が、逃げ惑う市民を動くオモチャと言わんばかりに追い回し虐殺行為に勤しんでいる。お互いにどれだけの人間を食い殺せるかという冒涜的な競争に熱をあげる。稚内という広い遊び場をどこから壊し尽くせば(しゃぶり尽くせば)いいのか、その選択肢のあまりの広さに頭を抱え、寧ろそんな己こそが世界一不幸だと涎を垂らしながら煩悶する。

 

 途中で民間人を喰らって腹ごしらえしたり()()()()するので、実際にはその進軍速度は遅々としたものだ。よって、未だ稚内港から南方面の人口密集地にまでは被害が及んでいないのが幸いだったが、しかしこれも時間の問題だろう。

 ジャミングフィールドの影響により、その混乱が先方に正しく伝わっていないのだ。結果として人々の避難は遅れ、被害と混乱が加速度的に広がっていた。

 “何かが起こっているらしい”――とまでは認識するが“その次”の行動がない。人々はガバラの姿を遠くに見据えて初めてこの異常事態を認識し、そしてその時点でもう遅い。

 

 いずれにせよ逃げ惑う人々も含めて、その大半が現状を正しく理解できていないことだけは間違いなかった。しかし、一体誰がそれを責められる? この緊急事態に対処するべき稚内分屯地所属部隊(プロフェッショナル)ですら壊滅している。

 事態を正しく認識し、冷静にこの危機に対処しよう――などと一般市民に要求するのは、あまりにも酷であろう。

 

 数分前まで当たり前だった平和が地獄の色に塗りつぶされている。その、あまりに激しすぎる落差。

 この町はあまりに深い混乱と混沌に堕ちていて、もはや収集をつけることは不可能となっている。強い負の感情に支配されて、ある人は呻き、ある人は乞い、ある人は縋っている。

 行動も感情もてんでばらばらであり――しかし求めているものは、皆が全く同じものだった。

 

 助けを。

 

 自分達をこの窮地から救い出してくれる助けを、人々は只管(ひたすら)なまでに希求していた。

 逃れようのない死と恐怖から救い出してくれる助け。余りに悲惨で絶望的過ぎる状況を解決してくれる存在。

 

 街の何処か、片隅で、少年が泣き叫びながら懇願する。四方をガバラに囲まれ全身を弄られながら、四肢がちぎれ飛んだ自衛官の亡骸に縋りつきながら。

 稚内という町に渦巻いていた無力への嘆きと強者への恐怖と理不尽への怒りが、何の打算もない真摯な祈りの言葉に繋がっていく。仮面のバッタヒーローでも、銀色の巨人でもいい。奉げられるものは何だって捧げるから――と。

 

「――助けて」

 

 強く瞑目して、天を仰ぐ。

 

 それは間違いなく魂から発せられた偽りなき真摯な祈りであり、

 だからこそ、当然のように神は応えたのだった。

 

 都合のいい奇跡という超常現象が起きるには十分すぎるほどに、稚内という器に破壊と死と苦痛と恐怖が満ち過ぎていたから。

 

 ああ何たる奇跡。何たるご都合主義であろうか。

 

 

 

 ――呼び出されたものがガバラなど比較にならぬ悪鬼羅刹、死神、狂人の類でなかったならばの話だが。

 

 

 

『死ね――――――――――見敵殺滅。皆殺しだ化外ども』

 

 

 

 ――そして、稚内の町が沸騰するような、物理的衝撃が襲った。

 

 とても重く、そして硬く重いものが、ものすごい勢いでぶつかってきたような。アスファルト片を巻き上げ、家屋を基礎ごと吹き飛ばす。

 ガバラじゃない。まるで、隕石のように、天から何かが落ちてきたようであった。激しい雷鳴のようなそれが、注ぎ込んで植え付けてただひたすらに気持ちいいと笑っていたガバラ凡そ一〇匹の肉体を、まとめて吹き飛ばした。

 

 ――少年は地響きのようなそれを、最初は地震かと思った。次に耳殻を揺らす轟音で、隕石が落ちてきたのかと思った。次に閃光と共に少年の体は捩れて真っ暗になった。その向こうで、彼は、確かに声を聴いた。

 

 

『死ね死ね死ね、死ね。肉片も残さない必ず滅ぼす、オレの姿を目に焼き付けながら死んでいけ怪獣――』

 

 

 声。

 肉声ではなく何か機械を通した様なくぐもった声だったが、込められたその感情を見誤るなどありえない。あまりにも重くどす黒いそれは、凄まじい怨念と殺意に満ち満ちていた。ただ相手を否定するしかない言葉の羅列はまるで呪詛のようで、物理的な波動すら伴っているように感じられる。巻き上がる風が、街そのものの震えと錯覚するほどに。

 

 群れを統率する脳波ネットワークの作用で数百メートル先の仲間に異常事態が瞬時に伝わる。ガバラ達は手慰みにしていた犠牲者たちを放り投げ、一気に臨戦態勢に入った。異常の震源地に突き出た両目をぎょろりと向ける。

 

 噴煙の向こう――稚内分屯地があった場所。白いアスファルト舗装を割り砕きながら軍用ヘリポートに“それ”はぬらりと直立していた。

 

 輪郭も定かではないが、まず目を引くのはその異形のシルエット。黒く鋭角的な外観は、怪獣(ガバラ)の有機的な曲線とは明らかな対照を為していた。

 刃のように鋭いプレートが集合してできたような剣呑な姿。ガバラより少し大きい程度の人型であるが、放つ異形異質の重圧(プレッシャー)は、ガバラにとって玩具でしかない人間と同じ存在である筈がなかった。

 

 

 例えるのであれば――甲冑か。

 

 

 より多くの敵を殺滅することを最優先に設計されたそれは、しかし兵器特有の合理的機能美一切をかなぐり捨てている。

 異様に細く伸びた四肢に、身じろぐ度に互いに干渉して音を鳴らす程全身に敷き詰められた刃。煙の向こうで危険信号(ハザードランプ)の様に赤く輝くのはバイザー状の視覚センサーで、歯をむき出しに食いしばっているように見るのは顔下半分の排気口だ。

 

 ぎしり、という音と共に甲冑が動き、煙の向こうからゆらりとその姿を晒す。身の(プレート)が軋れ合い、獣が唸るような音を立てる。それは決して大きい音でもはっきりした音でもないのに、その不快で不気味な音は稚内の町に不思議と響き渡った。

 稚内の町に転々とするガバラ達。謎の甲冑とは一番近い集団であっても、一○○メートル程度は離れている。お互いが点に見える十分な距離を保っているのに、街を支配していくのは異形異質の緊張感。

 

 ガバラ達は四肢を大地につけた臨戦態勢のまま、突如現れた侵入者に(おもて)を向けた。

 

 実を言えば、この時ガバラはその生態(セオリー)に反する――つまりはらしからぬ振舞いに手を染めていた。

 

 大胆な電撃戦こそがガバラの本質であり、このような予想外の事態に対しては即時撤退するのが生態(セオリー)だ。彼らは欲深く下劣な生命であるが、同時に恥知らずが故の潔さを生来的に会得している。

 

 だからこそ、ガバラという怪獣に過ちがあったとすれば、この瞬間に他ならないだろう。

 

 海沿いの町である以上いつでも撤退は可能であり、何より相手は一人だ。数的戦力差は圧倒的であり――それ以前に気配で分かる。

 相手は見てくれこそ奇妙だが、人間であると。

 少々の驚きはあったが。それでも人間とは彼らにとっては玩具なのだ。ガバラは怪獣としては下等種に分類されるが、決して脆弱種ではない。人間程度に過剰に警戒する臆病者が、怪獣として覇を唱えるなどありえない。

 

 つまりは相手を一人の”人間”と見たが故の不覚である。

 だからこそ次に起こった事態は、必然となるだろう。

 

 

 距離を保ったまま対象を囲うように配する。そしてまだ生きている人間を持ち上げ肉の盾にする。これは彼らがよくとる戦術であった。泣き叫ぶ人間を前にすると大抵の人間は硬直してしまうのだ。子供であると尚のことよろしい。“これ”でどれだけの軍隊が葬られてきたことか。

 

 これぞ、一部の隙も無い完璧な陣形である。 

 

 

『死ね』

 

 

 甲冑が百メートルの距離を躊躇いなく詰め、一切の逡巡なくガバラを抱える子供ごと切り刻んで殺さなければ、の話だが。

 

 

 

 




 ゴジラというコンテンツはその人気に反して、二次創作がとても少ないと思います。
 それは何故かと言えば、偏に難しいからでしょうね(´・ω・`)

 いや、本当にゴジラは難しいんです。
 ゴジラの二次創作書いてる人ならウンウンとうなずいていただけると思うのですが、ゴジラって……基本的に人の言葉は喋らない主観の表現は難しいので、行動の説明はすべて三人称で済ませる必要があります。だから怪獣を中心にしたドラマは作りにくい。
 おまけに人倫に則った道徳的・常識的な行動はしない存在なので、一般的な起承転結におさめるのも難しい訳ですよ。よく槍玉に上げられる「人間ドラマ」がないと、そもそも話を成り立たせるのがキツいんです。

 他にもゴジラ二次創作を執筆するにあたって難しいポイントは幾つもありますが……特に重要なポイントは「リアリティラインをどこに置くか」だと思います。

 設定の一貫性やリアリティは追求すれば限りがありません。しかし専門家でない以上必ず知識に穴はありますし、そもそもゴジラという存在が虚構な以上どこかで必ず破綻します。
 リアリティに拘り過ぎれば唯の設定集になり、面白さがなくなってしまいます(僕の作品が面白いとは言っていない)。






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 殺滅の咆哮

 

  ――既出の通り、この三〇年間ゴジラはいっそ病的なほど執拗に、”同類”である怪獣のみを攻撃対象にしている。人口密集地に近づくどころか、人間を視界に入れさえしないのだ。

 

  無論、百メートルに達するその巨体は、悶えるだけで津波を生み出し山を崩す。他の怪獣との殺し合いともなれば、その余波だけで深刻な災害が発生することは想像に難くないだろう。

 

 ……しかしそれを加味してさえも、明確にゴジラによって引き起こされた災害による死傷者は――全世界で年間五〇人を下回るというのが実情だった。

 

 これを多いとするか少ないとするかは、個々の立場や価値観によるだろう。しかしゴジラ被害の全盛期を念頭に置くならば、その脅威度が圧倒的に減少した事実は否定できないのだった。

 

 それに伴い大概の怪獣は、最早人類を攻撃するどころか産声を上げた段階で、等しくゴジラに縊り殺されるだけの存在に成り果てた。

 地球に悪意を持って接近した宇宙人も同様である。宣戦布告すら許されず、UFOは衛星軌道上に近づいた時点で容赦なく撃墜される。

 

 ならば人類は化外の恐怖から解放されたのか? ――それこそ否である。

 

 確かに往年の最悪期に比べれば、怪獣被害による死傷者数は五パーセント以下にまで減少しているのは事実だ。しかし――ゼロではない。

 ゴジラの恐怖支配の監視網を潜り抜け、怪獣としての生を謳歌する生存戦略を樹立した種が存在するのだ。例えばその代表例が、目下稚内の街を蹂躙しているガバラである。

 

  隠れ潜み、逃げ続け、小型化や集団化など各々が環境への最適化を図り続け――嘗ての世代からすれば想像もできない、異様な進化を遂げた新世代の怪獣たち。

 

 姿形や習性はバラバラだが――ガバラを筆頭に、これらの怪獣は共通して神出鬼没であり、先手を打って対処することが難しいという特徴を有している。

 

  一方で諸国としては、これ以上防衛費に予算を割けないという切迫した事情が存在した。

  何故なら、諸国が現在目指しているのはあくまで政治的な勝利――怪獣を地球から完全に駆逐し、人類を救済するという御旗を掲げ、そして後の国際社会で覇権を握ることに他ならないからだ。

 その為に一秒でも、一歩でも早く他国に先駆けんとしているのに、他国への散発的な被害程度に構っている暇など欠片もない。

 

 本来こういった事態に対処するのがGフォースの役目だったのだろうが――かの組織は最早、対怪獣組織としての体を為していない。……元よりその組織規模故に複雑な指揮系統を有するGフォースが、ゴジラ以外の怪獣の出現に対して機敏に対処できたとは考えづらいが。

 

 このような現状を良しとする者は当然皆無だが、だからといってこれらの怪獣を封じ込める具体的な策など存在しない。

 

 ならばどうする――諦めるのか? 否、ならば話は早い。

 

 前提として求められているのは、一切しがらみに捕らわれず、より身軽に怪獣被害に対処できる存在。

 それは国際組織がグローバリズムの流れと共に緩やかに力を失い、やがてグローバル企業が世界を制していくという構図と全く同じであった。

 

 そう、つまりは民間組織の台頭――その名を、”赤イ竹(レッド・バンブー)”という。

 

  Gフォースが機能不全に陥ったのは()()()()()()()()()()()()()()()だ。であるなら、()()()()()()()()()()()()問題なかろう――そういう理念の元に、あるNGO団体が”起業”したこの組織は、公的に認知された存在でこそないものの、事実上、世界最大の対怪獣処理機関となっている。

 

  彼らをグローバル企業と例えるのは、無節操という点では確かに適切だ。しかし賢明(スマート)さという基準であるならば、それはあまりに無縁なものだった。

 

 怪獣が現れたと聞いたならどこの国のどんな修羅場であろうと突撃し、実戦経験に裏打ちされた非凡な戦術眼で怪獣を確実に撃破する。

  しかしその過程で、危機に晒された民間人や破壊される街など一切無視だ。何故なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 時には諸国の汚れ仕事の一切を引き受け、民族浄化に手を貸した疑いさえ持たれている。

 最早彼らは世界秩序を守る番人とは決して呼べず、どれだけ贔屓目に見ても必要悪の域にすら至っていない。

 

 

 それでも彼らが支持されているのは偏に「実績」の有無。――つまり、彼らはあまりにも強いのだ。

 

 

  これは組織規模や軍事技術というロジックの話ではない。

  彼らは、死という物を全く恐れない。凡ての怪獣が当たり前に有している、物理を超越した神とも見間違う固有能力を前にしても一切怯えず退かず突撃し、刺し違えてでも傷をつける。

 

  勇猛とも無謀とも違う彼らの異様な在り方は、掲げられた旗幟(スローガン)――即ち、「見敵殺滅」の一言に集約される。怪獣がいるなら絶滅させよ。それ以外のことなど取るに足らない。振りかざされた怒りにこそ、正義の炎は宿ると知れ――つまりはそういうことである。

 

 

 そこに怪獣が存在するのであれば、理由も合理も損益も関係なく――当たり前に。まるでそれが化学反応か何かの公式のように、どの国のどんな組織よりも早く修羅場に突撃し、怪獣を粉砕する。

 

 

 

  ……だからこそ、この稚内という町にも彼らは当然の如く現れたのだ。

 

 

『――死ね、死ね、死ね』

 

 狂おしく、風の一陣にすら殺意と憎悪を丹念に練りこまんとする、低く遠く響く声。

 

 砂丘の様に切り開かれてしまった稚内の町――上空から見れば瓦礫の灰色と血吐瀉の赤茶のコントラストがおぞましくも美しく映っただろう。

 しかし数秒毎に、炸裂音と共に灰と赤茶が弾け飛んでいく。ミステリーサークルの様な破壊の痕跡が、数十メートルほど離れながら稚内の町にまだらに増えていく。

 

 

 より具体的に言うのであれば、それは、“黒い甲冑”の握りしめた――いわゆる長物、スコップのような鉄塊の一振りでガバラの肉体が微塵にされていく様であった。全高としては精々五メートルほど。異様に伸びた四肢と細い胴ではあるが、基本的にそれは二手と二足と一頭を有する人型の域を出ない。

 

 

 動力らしい動力も見当たらないそれが、稚内の町を縦横無尽に駈け廻っている。その咆哮、一喝と共に振り下ろされた刃と共に、()()()()ガバラの、銃弾も通さないはずの粘皮を切り裂き骨を砕く。

 

 

 ()()()()――そう、ガバラは逃げ惑っていた。

 

 

 人間の兵器に恐怖し、怯え、無様に地べたを這いまわっていた。

 これは異常な事態である。

 どれだけ小型化の一途をたどろうが、ガバラという存在が怪獣の一角を占めていることには変わりはない。彼らが真の意味で恐れるのはゴジラのみ。そうである以上ガバラ(怪獣)が人間を恐れるなどありえないしあってはならない。

 

 

 そう――前提として、人間は怪獣を倒すことはできない。

 

 

 

 人間とは一方的に奪われ逃げ惑うだけの背景(エキストラ)であり、その逆はない。人が人である限りありえない――いや、あってはならない()()()()()()()()()()暴挙だ。

 あまりにも唐突すぎる展開で、底知れぬ意味不明さに満ちている。しかしそれでも確かなのは唯一つ。“赤イ竹(レッド・バンブー)”は今なお常勝であり、故にガバラの群れはここで滅びるということ。

 

『殺す――殺す殺す、叩き殺すっ!!』

 

 

 どこが前なのか、後ろなのか、上なのか、下なのか。まるでのたうち回る蛇の如きガバラの群れを駆け巡り、稚内の混沌を突っ切っていく。赤く、毒々しく煌めくバイザーが、甲冑の動きに合わせて中空に赤い光のラインを描いていく。黒い弾丸が通り過ぎるたびに、唸り声や悲鳴が響き、血しぶきが飛び交っている。

 ……そもそもガバラは稚内の町に広く散開していたはずだった。

 しかも、すぐ傍に稚内港――海、つまりは気軽に逃げられる非常口が確保できている以上、本来このような一網打尽という事態はあり得ない。

 だというのに逃げられない。黒い甲冑は怪獣(ガバラ)を一匹たりとも逃がさない。己の全霊を速度に全振りし、雷鳴とも見違う域で大地を滑空する。

 

『……逃げるな』

 

 喚声を上げながらお互いに押し合い圧し合い、塊となって海へと殺到していくガバラの群れ――その進行方向に黒い影が回り込む。

 

 ――そして、猛る羅刹が咆哮した。

 

 人間どころか、生物の喉から発せられたとすら思えない、異常に低く響く叫び声。

 そして、同時に振り抜かれる刃。荒れ狂う鉄人の鉄槌で、ガバラ数匹の肉体が同時に両断された。機関銃の掃射でも傷一つつかないぬめりを帯びた鋼鱗が、力任せに引き裂かれていく。

 

 強い。ただ只管なまでに、強い。

 あくまでガバラを相手にしている現状に限定した話だが、それでも間違いなく人間の文明が怪獣を超越している奇跡の瞬間である。

 

 人の形をした機鋼兵――しかしロボット怪獣というにはあまりに小さく、何よりその動きが()()()()()()

 弾丸のように疾駆する直線の動きと、巧みに障害物を躱す曲線の動き。得物を頭上でくるりと回し、背後の敵を無駄なく突く動き。剛と柔が合一した、その一挙一動全てがあまりに()()()()()()

 

 そう、正確に説明するのなら”これ”は衣服型外付け骨格――いわゆるパワードスーツに分類されるもの。

 

 その名を、汎用ヒト形衣服式外骨格――通称「ジェットジャガー」。大地を駆ける黒鉄の豹である。

 つまり無線による外部制御で動かしているのではない。()()は生身の人間が駆動させているのだ。

 

 「生身の人間に至近距離で怪獣との接近戦をやらせる」というその開発コンセプトの時点で狂人どころか外なる宇宙由来の発想としか思えない狂った兵器は、しかし”赤イ竹(レッド・バンブー)”の主力兵器として無視できない戦果を挙げていた。

 

 ガバラのような小柄で神出鬼没、尚且つ行動範囲が広い怪獣に対処するには、メカゴジラやMOGERA(誇大で大げさな兵器)は不向きだ。力不足と言い切っていい。つまり必要とされるのは、高い汎用性と整備性を両立した小型兵装。

 また電波障害(ジャミングフィールド)によるに通信障害を念頭に置くなら、外部端末による遠隔操縦も難しくなる。つまり求められる条件は「小型」でなおかつ「有人」であること。

 

 ……その観点に基づけば、確かにパワードスーツはそこまで悪い選択肢ではないだろう。

 

 しかしそれでも、ガバラに合わせてわざわざ地上戦を行う利点は全くないのだ。標的を厳密に定めることは難しくはなるだろうが、超上空からの空爆の方が遥かに安全で経済的なのは自明の理である。

 更に付け加えるのであれば、重心バランスが悪く壊れやすい二足歩行(ヒト形)に拘る必要性も皆無だ。履帯(キャタピラー)や多脚という古典的ながらも実証的な方法がこの世には存在する。

 

 あらゆる角度から考察しても、ジェットジャガーという兵器が何か大事なものをはき違えているのは間違いなく――()()()()()、怪獣に対する実践的な有効打になりえたのかもしれない。

 

 何故なら、怪獣は狂っているからだ。

 

 怪獣とは、この世の法則を乱す狂気である。狂った存在に相対するには、己もまた狂わねばならない――つまりそういうこと。

 少なくとも、()()()()()()()()その理屈を当てはめるのはとても正しいことだろう。

 怒りに支配され、戦場に慟哭し、深すぎる怨念を振りかざしている。そしてそれは、人間に対して悪逆を振るう怪獣への怒り――などという()()()()()()()()義憤などでは、断じてない。

 

 

『怪獣――気色悪い、なんでテメェらは生きている。許せねえ。この地上に、オレが許せないものが満ちるな増えるな営まれるな――』

 

 

 怪獣(ガバラ)が視界の隅に映ったならば、その瞬間に直線軌道を九十度以上に捻じ曲げて急速方向転換。その勢いと負荷でジェットジャガーの足がゴキゴキと不吉な音を鳴らし、火花を散らしていく。その無理な移動の過負荷は、搭乗者であるその者にすら襲い掛かっている筈だ。内臓は圧迫され、四肢には根元から折れよ砕けよという圧がかかっている――筈なのだ。しかしそんなものは、一切無視だ。怨念じみた叫喚と共にガバラに襲い掛かる。

 ……そしてその過程で、

 

 ――助けを求めて逃げ惑う無辜の人々を、

 ――亡骸に縋りつく人々を、

 ――ガバラに人質にされる人々を、

 

 その全て一切を、何の躊躇いも無く踏み付け踏み越え踏み倒しながら――脇目も降らず前へ前へと突撃する存在を、狂っていると言わずして何とする? 少なくとも、善に分類していい存在ではない。

 

 ……確かに、稚内分屯地が壊滅し外部との通信が遮断されている(助けが来ない)現状を鑑みれば、どの道その命がガバラによって最悪の形で摘み取られていたことは間違いない。食欲や破壊欲を満たす――そんなものはオマケで、ガバラが人間を襲うのは主に()()()()()()()()()()

 つまり、一瞬で終わらせてやっていると考えれば、寧ろ慈悲深いとすら評せるかもしれない。そもそも逃げ惑う一般市民に配慮しながら切り抜けられるほど、ガバラという怪獣は甘くはないのだ。

 

 ……要は早いか遅いか、誰がその罪を為すかという違いでしかなく。

 結論は、変わらないのだ。

 

 狂戦士が、ガバラの最後の一体の頭蓋を踏み潰した。その末期の叫びは、怪獣にしては随分と細く小さいものだった。

 まるでカエルが潰れたみたいな、情けない呻き声だった。

 

 ◆◆◆

 

「……仕方がないから、だからあれを見過ごせというのか? ふざけた理屈だ……っ」

 

 滲み出る憤りを隠さない声は、眉間に深い皴を刻むランドウのもの。

 

 僅かに荒れ模様の寒々とした海。稚内港から数百メートルほど離れた場所で、一隻の軍用ボートが波に揺られながら停船していた。

 二十メートルほどの小型特殊任務艇だ。〇八年の改修時に型落ちとなったものを米軍から買い叩いたものだろう。その船体は時の流れに抗うこともせず錆びつき果て、波に打たれるたびに脆く傾いていた。

 

「いや、違うよな――なによりふざけているのは、安全地帯から眺めるだけの自分が手前勝手な怒りを覚えていることか」

 

 黒ずみの目立つ甲板の端――デッキの手すり(ハンドレール)から身を乗り出すように、ランドウは陸地に視線を向ける。食い入るように見やるは稚内の惨事だ。

 苦し気なランドウの傍に立つのは、彼より少し上背のある若い男だった。今年で二十五歳になるランドウと歳はそう変わらないだろう外見の男は、猛禽を思わせる鋭い双眸を稚内にまっすぐ向けている。

 

「だろうな」

「他人事みたいに言うんじゃねえよ。お前も赤イ竹(レッド・バンブー)の一員だろうが」

「それがどうした。まさか涙を流してこんな悲劇はあり得ないと泣き散らせばそれで納得するわけじゃないだろう?」

「……納得してやるよ。これは目の前の問題に共感できるか否かの問題だ。理不尽な虐殺に対して悲しめない人間と並んで仕事ができるかよ」

「なるほどな」

 

 静かな、ゆったりとした響きの声音だった。

 

「ただ勘違いしてくれるなよランドウ。俺も悲しんでいるし悼んでもいる。冷血漢のように言われるのは心外だ――ただ、慣れているから表に出さないだけのこと」

 

 若い男だった。

 短く切りそろえた髪に、皴一つない軍服を着こなす男。若々しい顔立ちだがしかし、その表情は疲れ果てた老人のように重く暗い。

 

 ――ハルオ・サカキ。 ”赤イ竹(レッド・バンブー)”所属の、特級戦闘員。

 

 出自不明経歴不詳。その日本人らしい名前(ハルオ・サカキ)が本名かもわからない。けれど、そんなことは誰も気にかけない。

 

 この組織で重視されるのは、偏に実力の有無のみだから。

 

 怪獣の固有能力を一瞬で看破し攻略する非凡な戦術眼。卓越した交渉術や政治眼。二十五歳には不釣り合いな、()()()()()()()()()()()()()()()老熟した判断力。それらは十分以上にハルオの優れた資質を示していて、だから”赤イ竹(レッド・バンブー)”にとってはそれで十分だ。

 

 いずれにせよ、この盗賊の類としか思えぬ荒んだ集団にあって、唯一人理性的な話が通じる貴重な存在。自然、現場を重ねるたびにランドウとの距離は近くなる。

 会話の内容もその口調も親しげだ――本来、そこには隙を見せられるような気安い関係はないのだが。

 ちなみに二人が揺られている黒いボートもまた、赤イ竹(レッド・バンブー)名義の持ち物だ。

 

 長い永い旅路を行き過ぎて、疲れ果ててしまったような深いため息を一つと共に、ハルオはゆっくりと口を開いた。

 

「お前の気持ちは分かるさ、ランドウ――何であれ、あそこで起こっているのは人殺しだ。肯定されるべきではない。

 しかし人命よりも怪獣殲滅を優先することを愚行と呼べるかというと難しいな。ガバラの規格外の繁殖力は、()()()()()()()からでも群れ(コロニー)の再建を可能にする――ここで、全ての命脈を完全に断ち切らなければ、将来的な被害は拡大する一方だ」

「理屈は分かっている。だが――」

 

 百の大義や合理を並べたところで、命を蔑ろにして得られるものなど何の値打ちもない。道端の犬の糞にすら劣る塵屑だろう。……言葉にこそしないが、そういうことだ。

 鬱血するほど握りしめた拳を、苛立ちのままにランドウは金属の手すりに叩きつけた。

 

 目下の問題であるガバラの出現――強烈なジャミングフィールド(妨害電波)が張られた稚内の、その緊急事態を真っ先に感知したのは、当然、日本政府ではなく“彼ら”だった。世界の嫌われ者にして厄介者――”赤イ竹(レッド・バンブー)”。今回日本政府が秘密裏にバトラ(怪獣の死骸)の回収を依頼した、極北地域分隊である。

 

 オホーツク海から宗谷海峡をぐるりと巡るルートで稚内に向かって巡行していた彼らが件の状況を把握。急ぎ日本政府に連絡を取り、同時並行でガバラの鎮圧に移ったのだった。

 

 業務の都合で赴いた先に偶々怪獣がいた――これは偶然でしかないが、しかし”赤イ竹(レッド・バンブー)”にとって必然、運命の類なのだ。彼らの征く先には必ず怪獣がいて、死屍累々が残ると決まっているのだから。

 

 ……いや、正確に言うなら。

 

 実のところ、”赤イ竹(レッド・バンブー)”実動隊は、実際にはまだ稚内の地を踏んでいない。

 時刻はもう夕暮れを廻ったところ。()()()()()遂行のために宗谷海峡を渡航中だった輸送艦と掃海艇は、まだその姿を見せていない。

 

 しかしならば何故。

 ハルオとランドウは本隊に先駆けて稚内――怪獣(ガバラ)が跋扈する最悪の修羅場に行き着いていたのか?

 誰よりも先んじて稚内の現状をその目で確認する必要があったランドウはともかく、ハルオまで何故?

 

 ――視線の先に、答えはある。

 

 稚内にガバラが出現した――その事実を誰よりも何よりも早く感知し、独断先行と勝手な戦闘で甚大な被害を出した()()()()()の愚か者。

 それに慌てふためき、本隊に先駆けてボートで追跡したのがつい先刻ほど前のこと。稚内の地が彼方に見えた時点で、もう全てが終わっていた。

 

「しかし……ガバラが稚内に現れただと?」

 

 あれは稚内などと言う高緯度地域に近づく怪獣ではなかっただろう。ガバラとは低温や人工密集地、そして先進国の軍事拠点を避けるからこそ、諸国から見て見ぬ扱いをされて来た筈であり。

 ……無論、それは経験則や解剖データからの推測に過ぎない。所詮は過去だ。だとしても、この前兆のない変節は容易に受け入れられるものではない。

 怪獣を取り巻く環境(パワーバランス)に何かの変化が生じているのか――しかし現段階で考察することは、寧ろ悪手だ。どう考えても原因が不明な以上、あれこれと考察することは余計な先入観に繋がりかねないから。

 

「いずれにせよ動かない事には始まらないな。……向こうも丁度終わったようだし」

 

 ここからでも聞こえる鬨の声。しかし勝利の栄光とは無縁の、怨念に満ちた叫喚が稚内の町から海を越えて――遠く離れた船にまで届いた。対怪獣戦において、“赤イ竹(レッド・バンブー)”が敗退したことは一度もない。いつでもどこでも、そして今回も、誰一人として喜ばない最悪の戦果を挙げるのだ。

 

 そんな同胞の活躍に何を思うのか――ハルオの表情からは何も読み取れない。数秒の沈黙の後ハルオが口を開いた。

 

「今頃日本政府は泡拭いて腰抜かしてるぞランドウ――日本国内での表立った怪獣被害なんて何年ぶりだ? 政権崩壊にすら繋がるかもしれない」

トップ(お上)の権力闘争なんかどうでもいい」

「なんだ、出世は男の華――とか興味ない口だったか?」

「仕事の本質とは言えないだろう。……初心が鈍る」

 

 言葉の内容に反して――その吐き捨てるような物言いから、彼が自分の現状に不満を持っていることは明らかだ。

 東京大学卒業後、官僚としてストレートに防衛省大臣官房入り――いわゆるエリートの扱いを受けるべきランドウがGフォースに左遷され、怪獣が跋扈する最悪の修羅場(稚内)の至近距離に身を置く羽目になっている。

 元より防衛省は霞が関の出世街道の主流からは外れたルートとされるが、かといって“これ”は名門矢口家の人間にさせていい仕事では断じてない。

 

「知ってるぞ、セクハラしてた防衛事務次官の奥歯と顎骨へし折って病院送りにしたんだってな。報復人事でGフォースに飛ばされたって――ユウコから聞いた。まぁ、皆、喜んでたから良かったんじゃないか?」

「……そうかよ」

 

 心底不快そうな、本日何度目かの舌打ち。彼の眉間に深く刻まれた皴は、果たしてこの先、消えることはあるのだろうか。

 いや決して無いだろう。日本は……今の世界は、笑って過ごせるほどには易しいものではない。諸国の睨み合いが生み出す仮初の平和に覆われた世界。一皮剥けばどういうものかは、あの稚内が教えてくれる。

 嘘偽りと虚構と疑心に苛まれたこの世界――正しいか正しくないかは別として、望ましくないのは間違いないだろう。

 

 吐き捨てるランドウは、ふと隣のハルオが面白がるような、不思議なものを見たかのような表情をしているのに気が付いた。

 

「……なんだ」

「いや――似たような表情をするんだなと思ってな。眉間の皴具合がそっくりだぞ」

「誰と」

()()()と」

 

 言って、指し示すその先――海を挟んだ、稚内の町。

 ガバラの死体を、その痕跡が残ることすら許せないと、怨念じみた叫喚と共に何度も何度も鉄塊で磨り潰している黒い甲冑――ジェットジャガーの姿。ぼんやりとした夕闇の向こうなのに、その闇より深い黒色はハッキリと目に焼き付く。

 

 ……ハルオが言いたいのは、あのジェットジャガーを纏っている者のことだ。

 

 知らず知らずのうちに、ランドウの眉間の皴が更に深くなる。面白いように顔を強張らせるランドウを見て、思わずハルオは噴き出した。

 

「……つまりお前は、俺があの狂人と同レベルだと言いたいのか?」

 

 明かに気色を害した声。

 

 

「パネト――パネト・ヘイトスピーチ――”怪人のパネト”」

 

 小さな呟き。

 そう、あんな狂人にも名前がある――パネト・ヘイトスピーチ。本名かどうかは知らない。

 

 “赤イ竹(レッド・バンブー)”における対怪獣戦において無双の戦果を挙げ続ける戦士。個人レベルの武勲で言うなら、世界最高にして最強の、狂人。

 世界の誰よりも多くの怪獣と戦い続け、そしてそれと同じくらいの人命を殺滅し続けている狂人。見敵殺滅の理念の体現者。

 

 

 ――端的に表現するなら、この地上において人の身にありながら最もゴジラに近い存在であると言えた。

 

◆◆◆

 

 ついでに、この気が触れた物語の主人公である。

 

 

 

 




ランドウ「えっ、俺が主役じゃないのコレ」



……プロットって書いても実際に執筆する際は全然あてにならないっすね……。
当初の予定だと1話~3話の内容で合計2万文字以内に収まっているはずだったのですが、どんどん膨らんだのが現状です。

本文中で示唆されている通り、ガバラも稚内襲撃の際には某ゴブリンスレイヤーに登場するゴブリンみたいなことをしてもらうはずだったのですが、文章力が間に合わず、また描写があまりにも冗長になり1万文字書いても間に合わない……何よりそんなの怪獣ファンはだれも望んでないことに気が付き、カットした事情があります。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 怨敵の不在◆

どんなことでも、感想お待ちしてます。
ゴジラについてどこまでも語りましょう。




 もうじき、夜の帳が下りるだろう。

 

 惨劇も騒乱も無かったかの如く、稚内の町は静まり返っていた。残されたのは瓦礫と死体と――後は耐え難い臭気。濃密な血と死の香り、粉塵と硝煙が混じったものだ。

 

 この稚内の町から、ガバラは残らず掃討された。

 逃げ果せた(にげおおせた)個体は、皆無だ。それは間違いない事実として確認されている。それは即ち、世界に点在するガバラの群れの、その内一つを地上から絶滅させることに成功したことを示している。

 

 ……だが、果たしてこの戦果は誇ってよいものか? 偉大な勝利と呼んで差し支えないものか?

 

 稚内市南東の人口密集地にまでガバラの群れが到達することだけは避けられたが、逆に言えばそれだけだ。それより北部の、海沿いの街並みは残らず等しく蹂躙されている。死傷者の数など考える事すら恐ろしい。

 

 敵は殺せた。殺し尽くした。

 しかし守るべきものは一つも守れなかった。いや――()()()()()()というべきか。

 当然と言えば、当然だ。”赤イ竹(レッド・バンブー)”の戦略と大義は、怪獣を滅することのみに集約されている。民間人など、その視界に入っているかすら疑わしい。

 

 つまり、いつもの如く。

 例によって”赤イ竹(レッド・バンブー)”は、誰一人として喜ばない最悪の戦果を挙げたのだった。

 

 そんな”赤イ竹(レッド・バンブー)”の依頼遂行を監視・監督をするのが、今回ランドウに与えられた任務だった。……もっとも、何の雇用関係にもないランドウの言葉に耳を傾けるような素直な連中ではない。首輪の外れた猛犬の方がまだ理性的というものだろう。

 明らかに一国家公務員に放り投げていい任務ではなく、“上”のランドウへの扱いがどういうものかが嫌でも分かる。裁量の大きい責任ある仕事と評せないことも無かったが――物は言いようというのか。

 

 

「……吐き気がするな」

 

 

 ――物憂げな呟きと共に、ランドウは空を仰いだ。

 乱暴に止めたボートから、稚内港の地に飛び降りる。薄っぺらな革靴は高質な衝撃を爪先にダイレクトに伝えてきたが、今はその痛みすら心地よい。

 

 稚内の、光景。

 無表情に努めても、その内心に澱む苦々しい情動は隠せるものではない。

 崩れた家屋の隙間から伸びているのは子供の腕か。それが視界に入った瞬間、祈る神など持ち合わせないのに自然とランドウは手を合わせる。

 

「浮かない顔だな」

「……ハルオか」

 

 横に立っていたのはハルオ。一八◯を軽く超える長身に、短く切り揃えられた髪。軍服の上からでもわかる、一分の隙なく引き締められた肉体。

 汗を一拭きしながら、その猛禽のような鋭い双眸がランドウの顔を覗きこんでいた。

 

「覚悟はしていたが正直気が狂いそうだ」

「気持ちは察する」

 

 小さく首肯する、ハルオ。

 いつだってそうだ。ハルオはランドウの悩みや怒りを、笑いも否定もせずに淡々と受け止める。

 

「何故ガバラが稚内に現れたのか――疑問は尽きないが、答えの出ない議論は一先ず置いておこう。

 問題はこれほどの怪獣被害が日本国内で発生したことだ。ざっと見て死者は百人前後といったところか。俺も世界中の修羅場を廻ってきたが、この規模の被害となると記憶に久しい」

 

 そこでハルオは言葉を区切り、一息の後に言葉を続けた。

 

「――つまり、稀に見る最悪の怪獣被害という表現で、概ね間違いないだろうな」

「勘弁してくれ……」

 

 三〇年前の日本なら、これほどの死傷者数と経済被害額ですら日常的な範囲だったんだろうが……小さな声で続けながら、彼は壊滅した港町を見回していく。

 稚内の町――惨状は、ほぼそのまま放置されている。黒ずみ罅割れた瓦礫も怪獣の死骸(ガバラ)も、傍らに並ぶ人間(亡骸)も、そのままだ。これに対処するべき日本政府上層部は未だ混乱の最中にあり、正規の警察及び自衛隊の到着は更に遅れるという始末。

 

 眉間の皴を深くするランドウ――怒りのままに、足元の瓦礫を蹴りつけた。

 未曾有の事態を前に日本政府の対処が遅れているというのなら、納得は出来なくても理解はできた。人命救助に記者会見に現場視察に今後の政策決定に、対処できない事項が山ほどで、だから身動きできないのなら、まだ……。

 

 しかし実際の事情は、その悪辣さは()()()()()に留まらず―― 

 眉間の皴を深くするランドウに、瞬きもない無表情のままハルオは言葉を投げた。

 

「繰り返すが、気持ちは察する。しかし落ち着け。世の危機や理不尽に義憤を抱く……理解できる衝動ではあるが、良いことなんか一つもないぞ」

「……俺の目の前で起こったのは民間人虐殺(ジェノサイド)だ。動揺するなという方が難しい」

 

 そうだ。問題なのは、その百人前後の犠牲者――その何割かが怪獣(ガバラ)ではなく、()()()()()()()()為されたということだ。それも、この先進法治国家(日本)で。

 

「どうして、こんな……」

 

 絞り出すような小さな声。この状況を前にして、空虚な哀悼を示すしかない自分への猛烈な嫌悪と恥辱。

 苦い情動と共に、ランドウは視線を脇に逸らしていく。破壊された街並みを視界に収めて、表情を歪めていく。

 

 ――その瞬間だった。

 

 

 

「文句があるなら、結果で語れ」

 

 

 

 さほど大きな声ではなかった。けれでも、不思議と通るその声は、とても低く、思わずびくりと身を震わせてしまう圧があった。

 

 

「オレより早く稚内の異常(ガバラの存在)に気が付き、オレより早く稚内に辿り着き、オレより早くガバラ共を皆殺しにできたというのなら、お前の文句を聞いてやらねぇこともない」

 

 

 割れ砕けたアスファルトに座す漆黒の巨躯――ジェットジャガーの、開口された背部操縦席(コックピット)から身を下ろしている()()。焼き焦げた地表がむき出しになった大地に立ち、瓦礫を踏み越え死者を踏み付けながらゆらりと歩いてくる。

 

 意図して、会話から外していた存在だった。

 

「……パネト」

 

 不思議な響きの名前。空を舞う翼を思わせる軽やかな響きに反して、その少女から受ける印象は真逆だった。

 一言で、粗暴。

 

 欠けた前歯をむき出しにした口元。

 油と硝煙に汚れた癖っ気の強い黒髪が、燃え猛る炎のように潮風に揺れる。

 身長はランドウの胸元にぎりぎりで届くくらい。手足も長いとは言えず、性別以前にその体格自体が決して荒事に恵まれたものではないのがわかる。

 

 動きやすさを優先したその薄い衣服に浮かび上がる肢体のライン。しかしこの女を()()()()眼で見る奴など存在するはずがない。そんな奴がいるとしたら、そいつはきっと、木の幹にだって欲情する変態だ。

 

 それは禍々しい気配もそうだが、何より彼女の痛ましさに起因する。

 

 先ほどの戦いであまりに無理な起動をパワードスーツ(ジェットジャガー)に要求した――いや、()()()()()()代償なのか。その四肢は歪に捩れた方向のまま硬直している。まっすぐ歩くことすらままならないようで、よろめく千鳥足でこちらに歩いてくるその有様。

 そして不自然に収縮を繰り返す瞳孔――歪に太い四肢に残る多量の注射痕、そして鼻腔を刺激するケミカルな臭いから察するに……これは致死量手前の筋肉増強剤(ドーピング)向精神薬(ブーストドラッグ)によるものか。

 

 ――総じて少女という属性から想起される柔らかさや瑞々しさ、曲線といった一切合切を削ぎ落とした装いは、哀れみを遥かに通り越して生理的嫌悪すら感じられた。

 

 それとも、人の身でありながら怪獣(神の化身)を下すのには、この程度の代償は当然とでも言いたいのか。隣に立つハルオを一瞥すれば、瞬き一つしない凪いだ表情のまま少女をじっと見つめている。

 

 

 パネト――パネト・ヘイトスピーチ。

 

 

 ”赤イ竹(レッド・バンブー)“とは如何なるものかと問われたならば、彼女を提示すれば事足りるだろう。

 ジェットジャガーを駆り、ガバラの群れを相手に単騎での討滅に挑んだ特級戦闘員。この先進法治国家(日本)で怪獣駆逐に巻き込み民間人虐殺(ジェノサイド)をやらかしたテロリストだ。千の報いも万の罵倒も、彼女のおぞましさを祓うにはあまりに軽い。

 

 ……そして、どうやら彼女はランドウに殺意に近い怒りを抱いているらしいということに理解が及び、彼はいつの間にかカラカラに乾いていた喉をごくりと鳴らした。ハルオから視線を戻し、ランドウはゆっくりと口を開く。

 

「……確かに、この稚内の惨禍を、効率よく収集つけることができたのは、お前たち“赤イ竹(レッド・バンブー)”しか存在しなかったことは認める」

 

 Gフォースは論外で、特生自衛隊は即応性にかける。

 そして現にガバラの群れが街中で暴れている以上――そして1匹でも残せば次の被害が確定的に明らかである以上、本来守るべき無辜の一般人を磨り潰してでも殲滅に徹するべき。そのロジックは理解できる。

 

「わかっているなら、何に悩みやがる? 気色悪い視界に入るな」

「何か、こう……お前は、人を死なせたんだ。つまり、悼む心を示すべきなんじゃないのか? 二度とこんな地獄は作らないという、被害者への誓いというのか」

「知らんなぁ。そもそもオレがやらなきゃガバラに()()()()()()()末路だろう」

「……手段を選ばない清濁併せ呑むやり方というのは、あくまで理想の実現や、可能な限りの穏当な手段を前提に置いて初めて肯定される」

 

 刺し貫くような剣呑な瞳を前に、ゆっくりと前置きして。

 

「つまり具体的に言うなら、お前に反省してほしいんだ。もっと違うスマートな方法がなかったかを吟味して、より犠牲者が少ない戦術を検討してくれ。そうでなければお前は、次の戦場でまた同じことをやらかすだろう?」

「そもそもオレは怪獣を滅ぼしたいのであって誰かを守りたい訳じゃない。見当外れにも程がある、雑魚が知ったような事を抜かすんじゃねえ」

「……ッ」

「こんなことで嘆くことなんざ何もねぇだろう? いいじゃねぇか。これで稚内は、数十年ぶりに日本本土で怪獣に襲われた街だ。日本最北端と合わせて記念が二つもありやがる。慰霊碑と記念碑セットで立てれば、観光庁が放っておかねーよ。ついでに、気色悪い萌えアニメとかアイドルとタイアップしようぜ。そうすりゃ脳髄の代わりに精液が詰まったキモオタやロリコンが股座おっ立てながら飛んでくる。復興費用なんてすぐ貯まるさ。収支的には十分プラスに傾くだろ」

「お前は――どうしてッ!」

 

 清々しいほど恥知らずな、人殺しの返答。冷静さの皮を剥ぎ棄てて思わずランドウは掴みかかったが――あっさりと躱され、逆に足払いで転ばされた。受け身もできずに正面から倒れこんだランドウを見下す少女は、そのつり上げた瞳を今度はハルオに向けた。

 

「お前もお前だ、ハルオ。こんな間抜けのカウンセラー役をする暇があるのか、つるむ相手は考えろ」

 

 水を向けられたハルオは肩をすくめ、何とも言えない味のある苦笑を返すのみ。舌打ち一つと共にパネトはランドウに視線を戻した。

 

「……それと一つ訂正だ」

 

 ぐい、と血走った両の瞳を近づけてくる。

 

「――『“赤イ竹(レッド・バンブー)”しか存在しえない』だったか? 違うな、()()()()()()()。オレの“この眼”以上に素早く怪獣の鼓動を見極める奴なんて、この地上にはそれこそゴジラしかいねぇ」

 

 “この眼”。

 それは何かの比喩表現を意味するものではなく、具体的な単語に繋がるものだ。脳裏の記憶と一致すると共に、ランドウは思わず口を開いていた。

 

「“()()()”……」

「あの三枝未希によって理論化されたシステムだな。補足するならば、確かにパネトの超能力適正は随一であり、対怪獣の感知能力の精度において及ぶ存在は皆無だろう」

 

 それこそ最新鋭の軍事用レーダーだろうが――どこか懐かしむような声音で、ハルオが情報を付け加えた。

 第六感、エスパー、魔術、呪い、ESP――呼び方や定義など何でもよい。要するに普通ではない力、目に見えない不思議な力の総称だ。本来それらは想像上の代物であり、科学文明の発達とともに忘却の彼方に駆逐されていった産物の筈だった。

 

 ……その存在が実証され、れっきとした兵器としての研究と運用が始まったのは何年前の事だろうか。

 

 「超能力」と呼ばれる存在がいつからこの地上に存在したのか――有史以前から人類にひっそりと備わっていた力なのか、それとも怪獣出現に伴うものなのかは極めて興味深い命題だ。しかし、最早誰もそんなことに頓着しない。

 

 人類初の超能力者とされる三枝未希。彼女をメインユニットに据えたTプロジェクトが一定の成果を挙げて以来、諸国は対怪獣兵器と並行して自前の超能力者の「開発」に勤しんだ。

 それは()()()()()()()でだ。怪獣という国を砕き星を制する怪物が跋扈する狂気の中で、世界は火力兵器に変わる新たな力に飢えていた。

 

 パワードスーツ(ジェットジャガー)などという狂気の兵器も、本質的には超能力者のポテンシャルをフルスペックで発揮する選択肢の一つでしかない。

 

 だがそれでも――

 

「倫理を根こそぎ無視してヒトを唯の兵器として扱うこと。そんな姿は、果たして三枝未希が望んでいた在り方なのだろうか」

「くだらねえ」

 

 ハルオのどこか憐れむような視線。それに対しての返答は、唾を吐き捨てるが如き悪態だった。

 

「三枝未希だと? ()()()()()()()()()()のことなんざ知るかよ。

 そもそもとっくの昔にくたばった人間だろうが。死人に汲んでやるべき思いなんざこの世のどこにもありやしない」

「……」

 

 言い方はともかくとして、パネトの言う通り三枝未希は故人の身だ。

 超能力開発の機運における最重要人物であり、同時に武力に依らぬ怪獣対策を提唱した平和の伝導者は既にこの世を去っている。

 

 今から十五年も前の話になるのだろうか。

 聖女とも謳われたその末路――ランドウはあくまで話として聞くばかりなのだが……

 

「誰にも文句は言わせないし邪魔させない。いたとしてもねじ伏せる。ガバラ(いじめっ子怪獣)? そんな肩書ぶら下げた雑魚に拘う暇はない――そう、オレは、必ずゴジラをぶち殺す人間なんだから」

 

 拒絶と否定。ランドウの思考を中断させたのは、怒りの念のこもった言葉だった。

 

 話はこれで終わりだといわんばかりに、そっけなくパネトは踵を返して死屍累々の瓦礫道をふらつきながら進んでいく。ランドウは、その背中を苦し気に見つめることしかできなかった。

 

「……間違っているのは、俺なのか?」

「そんなことはない、怒りを覚えるお前の方が妥当だ。あんな極論に惑わされる必要はない」

 

 本当に、そうなのか?

 

 論破されたとは、全く思わない。

 

 “己の所業に物申すなら同じだけの能力と戦果で応えろ”――パネトの主張は、雑にまとめるならそういうことだ。十分以上に筋の通った意見ではある。

 しかし、その憎しみや敵意が先行し過ぎた、結論ありきの言葉。相手の共感を限界まで排した押しつけがましい罵倒は、ランドウの心に納得よりやるせなさしかもたらさなかった。

 

 そうだ、例えどれだけの戦果を挙げたところで、人命を巻き込みながらさも当然と笑う姿が正しい訳がない。だからランドウは、言い負かされたとも論破されたとも思ってはいない。

 

 しかし、ならば少女の気勢に気圧されてしまったのは何故だ? 己の無力を突き付けられたからか?

 

(違うな)

 

 ランドウは頭を振った。

 

 認めてしまったからだろう。今の世界は、命や正義を至上に置けるほどに易しい代物ではないのだと。()()()()が、目前にある。

 

「あの馬鹿女だけでも頭が痛いってのに……」

 

 ――水底から伝わるような重く、低く響く音。

 

 稚内港の船着き場に、見慣れぬ輸送艦。そしてそれを囲うようにして停船している掃海艇――いずれも宗谷海峡を渡って稚内にたどり着いた、“赤イ竹(レッド・バンブー)”の本隊だ。

 

 小さな漁港にはあまりにも不釣り合いな、巨大すぎる戦争兵器。()()()()()()十分以上に目を引く剣呑な代物ではあるが……しかし普段は見られないが故に目を引いているだけなのも事実だ。要するに珍しいというだけの話であり、これはあくまで常識の範疇。

 

 問題はその後ろ――輸送艦に()()()()()()()()モノこそが、あまりにも異常だった。

 

 知らず、全身に力が入った。喉をごくりと鳴らす。

 

 

「――バトラ、か」

 

 

 まるで鯨の座礁(打ち上げ)の様な間抜けな構図であったが、その実態は、そんな生易しいものでは断じてない。

 

 まず目に映るのは、蓮の葉の様に海に広がる巨大な黒翼だ。翼開長はおそらく二百メートルには達しているだろう。軽空母にすら匹敵するその巨翼は、勇壮な雷の意匠で華々しく彩られており――しかし、今は力なく水面に浮かぶのみである。

 全体的な姿形こそ蝶や蛾などの鱗翔目に似ているが、この怪獣に――バトラに、花から花へと舞う優艶なイメージを持つ者など皆無に違いない。

 

 それほどまでに毒々しく、攻撃的な属性に満ちていた。

 

 太く肥大化した腹部の先端に設えられた、禍々しい鋏刃。不自然なほどに太く長い六肢を覆うのは、鋭く尖ったカギ爪。よく見れば、その細い胴体それ自体が折り重なった刃で構成された代物であることが分かる。

 最早これを”蝶の怪獣”などと呼ぶことは不適であろう。

 攻性という概念をたまたま蝶の形に積み上げたのが、バトラという怪獣なのだ。

 

 三十三年前、()()()()との連携によりゴジラを――正確に記すなら()()()()()()を、一時的とはいえ圧倒し、北の海に封印せしめるに至った怪獣。

 当然ランドウが生まれていない時分の話だが、その逸話は長き怪獣史における屈指の伝説として連々と語り継がれていた。

 

 まさに存在の位階が数次元異なる、特級の化外。

 同じ怪獣という分類だが、有象無象(ガバラ)などとは比較すること自体がおこがましい。最早出現自体が珍しくなった、国を滅ぼし星を制するに至るとされる百メートル級の神獣だ。

 

 ……しかしながら。

 

「死んでいるな」

 

 圧倒的な存在感に気押されるのは事実だが――この怪獣は、既に死んでいる。

 確認するように念を押すように、ランドウは傍らのハルオに視線を向けた。

 

「それは間違いない事実だ、ランドウ。中々の威容ではあるが、かつて魔王を封じた神獣の、その成れの果てに過ぎない」

 

 ゴジラとの激戦の果てに相討ちとなり、共に北の海に沈んだのが三十三年前。

 そう、これは魂を失った肉塊に過ぎず、本来海の底でバクテリアに分解されるのを待つだけだった腐乱死体に過ぎない。実際、鼻につく悪臭と瘴気は百メートルほど離れたランドウの元にまで漂っていた。

 

 しかしこのおぞましい亡骸こそが、今の日本政府が何よりも求めてやまないものなのだ。

 ガバラの強襲によって破壊され尽くした稚内の実況見分でも僅かに生き残った重傷者の捜索でもなく――優先されたのは、怪獣の死骸(バトラ)の回収。

 

 

 ――その肉体を解析し、その力の真髄を探り、日本政府のものとせよ。

 

 

 人類にとって「ゴジラを封印した怪獣」とは、それだけの重みを持つのだ。

 是が非でも日本が独占しなければならない。他国の介入を許し横取りされるなど以ての外。いつかゴジラが人類に牙を剥いたその日に備えて――()()()()()()()()()()()()()()()ために。日本が他国に一歩でも先駆けるがために。そして何より、それこそが積み上げられた犠牲者への哀悼であると信じる故に。

 

 ……バトラという怪獣は「地球意志の代弁者」であると語り継がれている。もしそれが真実ならば、これは最悪の涜神行為に他なるまい。神をも恐れぬ恥知らずの所業――しかし誰もそれを躊躇わないし、咎めもしない。

 

 ――今の人類ならば、もし仮に神そのものが現れたとしても、きっと同じことをするのだろう。

 

 これは、誰が間違っているという話でもない。

 分かりやすい元凶など、どこにもない。()()()()()()()()()()――()()()()()()()というだけ。世界が歪んでいるのは確かだけれども、望ましいのは現状維持。今日も、これだけの犠牲を出して、尚。

 

「パネト……ああ成程、確かにそうだな」

 

 深みを増していく眉間の皴。遠くの港でバトラを眺める少女の姿を視界に収めながら、ハルオの反応を待つことなくランドウは言葉を紡いでいく。

 

「お前の理屈を肯定するつもりなど欠片もない。けれど――実力も実績もない俺が綺麗事を掲げられる程、この世界は易しくはないよ」

 

 その、苦し気な表情と己の無力に苦悩する姿は、あまりにも()()()()()()()と重なるものがあったから――ハルオはその危うさこそがよろしくないと、眉をひそめる。

 

「ランドウ、これは俺の経験則なんだがな。人の悩みの大半は、当人の有能さを示すことで驚くほど簡単に解決可能だ。なんだっていいから、まずは強くなれよランドウ。居場所に悩むなら、まずは能力を示せ。世界に憂うなら、世界に嘆きをぶつける前に出世してみろ。俗な話だが、捨てたものじゃない」

「……俺と殆ど同い年だろうに、随分知ったようなことを言うんだな」

「わかるさ――何せ自分自身の事だからな」

 

 ランドウの未熟を諫める、ハルオの視線。

 しかしそれは、どこか不思議な響きを帯びていた。

 

 優しいような、険しいような。何かを懐かしむような、それでいて強く後悔しているような。ランドウの青さに苛々しながら羨望するような、あらゆる感情がない交ぜになった瞳。

 

 ハルオは誰にともなく、声に出すことなく、呟いた。

 

 

(――もしかしたら、お前こそが)

 

 

 しかし、嗚呼しかし、だけれども……。

 もし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そこにランドウの救いなどあるのだろうか。

 

 

(この世界の“■■”たる器なのかもしれない)

 

 

 

◆◆◆

 

 ――稚内港から数百キロメートル離れた海。

 

 時刻は夕暮れを過ぎて、空は闇に近い昏いオレンジに染まっていた。海は黄昏の色を反射して、波の動きに合わせ暗く揺らめく。

 

 誰も見ていない。視界にすら入らない程に遠い。“赤イ竹(レッド・バンブー)”は勿論、どの国の監視網からも外れている水平線の彼方――曖昧で薄暗い闇を、やがて一点に凝縮したようなどす黒い点が見えた。

 

 黒点はゆっくりと隆起していき、それに合わせて周囲の海水が冗談のような勢いで、津波の様に巻き上げられていく。鯨か海坊主か――やがて“それ”がその(おもて)をゆっくりと持ち上げた。

 

 恒星級の熱量が圧縮された黒鉄の外皮が鳴動すると共に、海水は一瞬で掻き消える。それと共に壊滅的な存在感を秘めた漆黒の巨体が、ゆっくりとその姿を曝していく。

 

 

 ――ゴジラ。

 

 

 粘つく感触の生温い潮風は、ゴジラの外皮に触れた瞬間に沸騰し猛獣の唸りの如く吹き荒れる烈風に変わる。凪いでいた海は今やひたすらまでに不気味にうねり、発狂的なまでに鳴動していた。

 

 先ほど稚内港に打ち上げられたバトラも、ああ成程、確かに百メートル級の怪獣なだけあって有する神性は中々のものだろう。しかしこの魔王と比較すれば、それは数段見劣りすると言わざるを得ないだろう。質量が違う。怒りが違う。有する熱量が違う。浴びた呪いと、それに釣り合う奪った全ての命と壊した全ての夢の数の桁が違う。

 

 存在するだけで悲劇と混乱を世界に齎していく魔王は……しかし、何をすることもなく、その面貌を稚内の方面にじっと向けるのみ。

 

 先刻、稚内に襲来したガバラの群れは残らず“赤イ竹(レッド・バンブー)”――いや、パネト・ヘイトスピーチの手によって討滅された。

 ゴジラはこの地上に存在する凡ての怪獣をその悉く徹底的に絶滅させる天敵だが、ガバラはその特性上、例外的にゴジラの討ち漏らしが多い存在である。……しかしその狼藉に最後まで気が付かない、という間抜けを曝すことは断じてありえない。

 どれだけ離れていても間に合わなくても関係なく、群れの一端だけでも執拗に追い詰め、消し炭にするのがゴジラという存在だ。

 

 しかしであれば、一つ疑問が生じる。――此度、ゴジラは何故稚内に近づこうとさえしなかったのか?

 

 人間達に先を越された、というのも理由ではある。

 

 ゴジラは常軌を逸した怪獣(同類)の殺戮者だが、奇妙な合理性を両立させている。例え鼻先に怪獣が暴れていたとしても、もし先んじた人間達が問題なく対処しているのなら、そこには一切興味を示さず次の戦場を求めて彷徨する。

 先んじた“赤イ竹(レッド・バンブー)”がガバラに対処している(見敵殺滅を為している)以上、稚内に上陸する理由はもうないのだ。

 

 ――だが、ここにもう一つの理由が存在した。

 

 限界まで鍛え上げられた鋼の右腕――だらりと下げられたそれが握りしめているもの。

 潰れたトマトの様に原形をとどめていないが、それは50メートル級の中型怪獣の頭蓋であった。中身が外に漏れだし、元の外観などまるで定かではないが、その濃い緑色の外皮だけはうっすら確認できる。

 

 そう、先ほど稚内で暴れていた個体とは大きさがまるで異なるが、これもまたガバラである。

 基本的に軍備が遅れた人口過疎地域しか襲わない慎重さを習性とするガバラがなぜ稚内を襲ったのか、その答えがここにあった。ガバラは――”進化”していたのだ。

 

 この巨体――メガニューラにとってのメガギラスに相当する存在だろうか。

 

 電磁波能力を介したネットワークにより高度に組織化された群れを統率するために生まれた“長”。“蛙の王(エルダーガバラ)”とでも名付けるべきか。今回の稚内(先進国)への襲撃は、その試金石とするものだったのだろう。

 

 ゴジラが稚内に現れなかったのは、“これ”の存在を感知したからだ。そして群れより優先して叩き潰すべき存在――根幹であると看破した。

 結果、肝心要となるエルダーガバラはこうしてゴジラに殺滅された。二重三重の電磁パルスによる隠遁術はあっさりと破られ、ガバラ(群れ)の目論見は失敗に終わったわけだ。

 

 別段驚くべきことではない。“赤イ竹(レッド・バンブー)”同様に、ゴジラもまた対怪獣戦で出し抜かれたことなど一度もない。これはゴジラにとってはいつも通りの、当然の戦果に過ぎないのだ。

 

 しかし……だとすればここで疑問がもう一つ。

 

 ガバラはそもそも、ゴジラの圧政に対して、個としてではなく群れとして耐え忍ぶことを生存戦略とした怪獣だ。その在り方は長らく一定の結果を挙げていた筈であり……だとすれば、今のガバラにとって望ましいのは変化ではなく現状維持の一択の筈。

 

 確かに高度な組織統制のためには司令塔が必要、という理屈は妥当だろう。それでもあえてこのタイミングで必要なものではあるまい。端的に言って解せない、急激な変節と呼ぶべきものだ。

 慎重を是とするガバラが、何故この局面でハイリスクな道を選んだのか? 当のガバラが滅びた以上、最早その答えは誰にも分からない。

 

 しかし間違いなく断言できることがある。

 

 

 ――何かが、変わろうとしている。

 

 現状維持を是としていた世界が、少しずつ、ほんの少しずつ――何か致命的な方向にずれ始めている。開きつつある地獄の窯。これは、その予兆なのだと。

 

 

 その右掌に都市一つを蒸発させるに足る熱量を圧縮させて、灰すら残さずガバラの残骸を消し去った。空間を融解させるほどの地獄的な熱量を総身から垂れ流して尚、ゴジラの瞳はじっと稚内に向いていた。

 

 それは、不思議な瞳だった。

 

 静かに凪いでいるようにも、凶暴な感情が渦巻いているようにも見える。衆生に救いをもたらす仏の様にも、あらゆる人倫を冒涜する悪魔のようにも見える。

 そして、きっとその全てが正解だった。

 

 

 

 やがてゆっくり唸るように、その瞳を空に向けた。

 

 

 

 

 ――――敵は、どこに。どこにいる、“■■■”。

 

 

 




さらっと流しましたが、三枝未希はこの作品のおける超重要人物の1人。
パネトのセリフの通り、既に作中では故人なのですが……



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 極彩の祈り

ゴジラSS作家あるある
「熱線」って変換したつもりが「熱戦」って誤字ってる。


あれから時は流れてさらに一か月後。






 地球。命育む奇跡の星。

 

 銀河の端っこを静かに漂うこのちっぽけでありふれた星は、しかしその矮小さに反して、46億年の歴史を通して数多幾多の奇跡を成し遂げた。

 分厚い大気と豊かな水を作り上げ、そして生命を生み出した奇跡の稀星。

 

 しかしこの稀星が、真に稀なる所以は()()()()()()に留まらない。()()()()の事柄は全て等しく尽く、“女神”の降臨の前座に過ぎなかったと魂の底から断言できる。

 

 そうだ。この星には、地球には、女神がいるのだ。

 衆生を鎮め、奇跡を成し遂げ、陽を象徴し、救済と永遠を司る極彩色の女神。古今東西凡ての美辞麗句はこの女神を讃えるためだけに存在したと確信できる、その優美さ。

 

 女神を――今は一つの“卵”をと共に眠る女神を、人々はモスラと呼び、崇めている。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ミクロネシアの海の上。

 80メートルに至る非常識な巨体が、マッハ3というこれまた常軌を逸した速度で飛行していた。

 

 連なる環礁をソニックブームで粉々に砕きながら直進し続けるその怪獣は――あまりに剣呑で、過剰な攻撃性を搭載していた。

 

 細く伸びた四肢を覆う、淡い群青色の鎧。全身に隙間なく敷き詰められた棘やフックに、赤く不気味に輝くバイザーで覆われた猛禽を思わせる鋭い面貌。腹部には回転ノコギリまで搭載されていて――しかし何より目を引くのは、その両腕だろう。

 

 その先端にあるのは掌ではなく、巨大な大鎌だった。忌まわしい存在感――果たしてどれだけの命を奪って来たのか。

 

 掌という、潤いある生命活動には必須となるパーツを、武器に挿げ替えるという愚行。怪獣だろうが何だろうが、それが常軌を逸した発想であることには間違いなく、事実として“これ”は最早常識的な生命として定義できる存在ではない。

 

 

 ガイガン――俗にサイボーグ怪獣などと呼ばれる、この化外の名前であった。

 

 

 背中のヒレ状の翼や、鎧の隙間から僅かに覗く金色の鱗など、まだ有機的な部分も残ってはいたが、その肉体組織の八割は機械化処置が為されている。

 もうその身体にはガイガン自身の魂と呼ぶべきものはなく、創造主の意思のままに破壊活動を行う機械兵という形容がふさわしい。

 

 いや――最早ゾンビという方が適切か。

 

 既にガイガンの創造主にして命令者たるM宇宙ハンター星雲人は、一“()”残らずこの世から絶滅している。彼らの宇宙大艦隊による太陽系侵入を、Gフォース衛星軌道分隊が発見したのが25年前のことだ。

 それが真っ当な平和交渉を望む勢力ではないことは、彼らが引き連れていたガイガンの軍勢を伺えば明らかだった。

 

 怪獣が跋扈する末法の世にあって尚、SF映画の絵空事だった宇宙人の侵略戦争――土星軌道上にまで進軍した艦隊がゴジラの長距離熱線狙撃で消滅するというあっけない最期でなかったなら、それこそ人類は滅んでいたかもしれない。

 

 ……その常軌を逸した顛末の詳細は後に語るとして、問題となったのはガイガンだった。

 

 M宇宙ハンター星雲人が搭乗していた艦隊は、侵略者からめでたく宇宙ゴミにジョブチェンジしたが、その尖兵たるガイガンは別である。

 ゴジラの熱線攻撃に巻き込まれ焼失したのが大半であったが、それを逃れた個体群の一部が地球の引力に引かれ――隕石となって飛来したのだ。

 当然地上に落下した個体は人類の手で討滅されたが、海底深くに沈没したものまでには手は回らない。

 

 「人類を滅ぼせ」というM宇宙ハンター星雲人の最後の命令(コマンド)に従い、ひっそりと自己修復を終え、覚醒した個体による周期的な襲撃。主の最期の怨念に粛々と従う屍兵(ゾンビ)――正しく人類を脅かす、文字通りの災害であった。

 

 時刻は朝方を回ったところであり、人々が寝ぼけ眼をこすりながら経済活動を開始する時間帯だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、その凶鎌がシドニーの無辜の人々に振るわれたのだろう。

 

 ――そしてそんなことは今の地球ではありえなかった。

 

 

「――――■■■■ッ!!?」

 

 

 爆発音と共に、海上を直進していたガイガンが、唐突に失速した。

 残像すら置き去りにする勢いで独楽のように高速旋回し、凄まじい勢いで海中に墜落する。

 発生する衝撃波――水飛沫が津波の様な勢いで吹き上がった。音速を超える巨大飛翔体が海水面に叩きつけられたとなれば、その総身を襲った物理的衝撃は想像を絶する。即死しても何ら疑問はない。 

 

 しかし――いや、やはりというべきか。数瞬遅れて。

 

 衝撃の勢い覚めない荒れた大海と、渦巻く海霧――それらを全て等しく()()()()()()、ガイガンは再び浮上した。身を覆う鎧は焼き焦げていたが、その凶暴な闘志には一切の陰りもない。

 己に奇襲をかけてきた愚か者を、その血走った眼光(バイザー)が殺意を込めてぎろりと見据えた。

 

 

 ――ゴジラか? 否、これがゴジラなら一撃で仕留めていただろう。

 

 

 その答えは、遥か彼方の上空の空にあった。

 

 

「――――――□□□□(キュウー)ッ!」

 

 

 ガイガンの動きが、忘我で一瞬停止した。

 殺意以外の情動を喪失したサイボーグ怪獣が、恍惚に我を忘れるほどの圧倒的奇跡の化身が、そこにはあった。

 

 

 ――モスラ。

 

 

 太陽を背にして、空に広がる大きな翼。極彩の綾模様に彩られた羽をゆっくりとはためかせながら、その聖性は限界を知らぬとばかり眩く輝いている。

 

 細くたおやかな純白の胴体に、柔らかな六肢。華奢な背から生えている羽――ああ、全体的な姿形こそ、確かに蝶や蛾のような鱗翅目に似ているようだ。しかし……最早これを”蝶の怪獣”などと呼ぶことは不適であり、何より不敬ですらある。

 天井の女神が現世(うつしよ)に足を運ぶにあたって、その身をたまたま蝶の形に変えたのがモスラという怪獣なのだ。

 

 慈愛と慈悲の権化は、ガイガンの非道を断じて許さない。

 インファント島からマッハ20という速度でガイガンを捕捉し、その触覚から放つ光線(クロスヒートレーザー)は違うことなくガイガンを撃ち抜いたのだ。

 

「■■■……■■■■■■ッ!!」

 

 ――しかしここに聖性など知らぬと叫び、罵り罵倒する唸り声があった。

 

 モスラ――これは確かに想定外であり、その聖性を前に本能中枢が多少のエラーを起こしたことは認めよう。しかしそれがどうした?

 最優先事項は「人類を害する」という結果であり、その経過でバグを起こしたのならその過程(チャート)自体を丸ごと破棄すればよい。

 

 つまり、邪魔者は削除する。

 

 浮遊したままガイガンは両の鎌を頭上に掲げた。M宇宙ハンター星雲人が設定した必殺の構えだ。

 数テラワットに及ぶ破滅的なプラズマエネルギー――全身の棘を走る稲妻は塊となって腕へ流れていき、そして刃へと充填されていく。

 

 狂ったような殺意の波動に対して、しかし向かうモスラはあくまで静寂だった。その羽をはためかせながら優雅に空を舞うのみ。

 

 それは油断か、何かの策か。

 殺意しかない虚ろなサイボーグはそんなことにはまるで頓着せず……だからこそ気が付かない。

 

 赤、青、黄――極彩色の綾模様の羽ばたきのたび、空に舞い散る虹色の鱗粉。それがまるでガイガンを中心に円を描くように光のラインを描き、そして環礁全体に結界が張られている事実に。

 鱗粉によって形成された広範なエネルギーフィールド――守護するため、或いは封じ込めるための“それ”は、この時に限っては()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もしこの時ガイガンがモスラの聖性を前に省みることがあれば――否、それがあり得ないからこそ怪獣(ガイガン)なのであり、故にこの末路は決まっていた。主を失っていながら、尚その怨念に捕らわれる屍兵(ゾンビ)には妥当な結果か。

 

 ガイガンの双鎌から膨大なエネルギーが吹き上がる。咆哮と共に飛び上がり、眼前の邪魔ものを両断せんという全霊の一振り。

 プラズマは極光となり、斬撃の形をした熱線となってモスラに襲い掛かる――ことはなく。

 

 語るまでもない。

 

 細胞一欠けら残さず消滅させるという殺意を込めた熱量は、聖域の守りに弾き返され。

 そのまま綺麗にガイガンを焼き尽くした。

 

 

 

 

 

 ――そしてこれは、今から2()0()()()()()()()()()

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ――東京ドームにて。

 

 巨大な空間を埋めるほどの群衆が、そこにはいた。

 暗闇の中で、彼らは固唾をのんで祈るように、そして縋りつくように、揃って一つの方向に視線を向けている。

 

 その先にあるのは、ホール奥の空中ディスプレイ。

 巨大な空間にあって唯一の光源であるそれは、まるで教会の採光窓(ステンドグラス)のように虹色の色彩を人々に照らしていく。

 

 映し出されているのは、ミクロネシアの海――シドニーの町を襲わんとするガイガン、それを防がんとするモスラの、その過去の戦闘映像だった。

 ガイガンが叫喚と共に不吉な鎌を振りかざせば人々は見ていられぬと目を背け、モスラの虹色の聖性の光が映ればその瞳は子供のように輝いていく。

 

 やがてモスラがその極彩色の力でガイガンを消し飛ばした瞬間、綾模様の波動はディスプレイの処理許容を振り切り、唯只管までに純白の極光となって群衆を眩く照らしていく。

 

 一瞬の静寂――そして次の刹那。

 

 ホールを割れさせんばかりの大喝采が沸き上がった。

 人々は驚喜に涙し、まるで救世主の御業を見たかの如く身を震わせている。モスラの美しくも猛々しい雄姿を讃える声。それはもう感極まるどころの騒ぎではなく、何万人もの喜びの渦は地鳴りとなってホールを揺らしていく。

 

 それはまさに歓喜の洪水――!

 

 このホールにいる何万もの人々だけではない。この光景は日本全国に中継されていて――この瞬間、何千万という人々が同時にモスラ(怪獣)を讃え、祈りを捧げているのだ。

 

 33年前――モスラはその奇跡の御業でもって、数年後に地球と衝突するはずだった巨大隕石を破壊した。

 言葉にするだけなら、随分と気軽な話だ。

 

 ……その“隕石”なるものの実態が直径30kmで総質量が月に匹敵し、移動速度に至っては光速の数パーセントに達する化物だ――という事実を無視すればだが。

 地球と“それ”が正面衝突すれば、どんな天変地異が巻き起こるかは考えるまでもない。少なくとも、怪獣以外の地球生命が生き残る目は皆無だろう。

 

 本来バトラが担うべきだったその大役は、命を賭すという言葉ですら生温い代償を要求した。その力の大半を喪失したモスラが地球に帰還し、休眠状態に入ったのが30年前のこと。

 

 そしてガイガンの起動を感知し、疲弊癒えぬ身のまま出撃したのが20年前――モスラは戦いの果てに一つの“卵”を残し、インファント島にて永き眠りにつき、今に至る。

 

 

 本来人間の存在など歯牙にもかけない化け物が、己の生存すら擲って(なげうって)人類を守ったという事実。……これは、「人間と怪獣は決して相いれない」という常識を完全に覆す出来事であった。

 

 

 ――やがてモスラ(怪獣)が神と仰がれるようになるのも、必然だったのだろう。

 

 ゴジラの登場と共に既存の宗教への信仰は全て失われたが、その一方で地上の人類の多くは今はモスラを救済の女神として信仰の基盤としている。

 つまり、終わりの日に甦る預言者。末世に舞い降りる白い英雄。やがて君臨する善志の化身――あらゆる宗教で長らく語られていた救世主であると見なすのは当たり前で、だってモスラはあまりにも正しすぎたから。

 

 崇めるだけの偶像ではなく、現実の救いをもたらす。まさに、神としか言いようがなかろう。

 

 これは確かに少々歪な形かもしれないが……人々が縋るものを求めるのも、仕方がないことだ。

 

 怪獣との長きにわたる生存闘争と、隣国との冷戦構造。失われる人命は決して少ないものではないのは既出の通りで、それに付き合わされる国民の精神的・経済的な疲弊は想像に難くなかろう。……有り体に言えば、日々の生活が苦しいのだ。

 

 怪獣資源により得られる超自然的エネルギーは確かに人類の文明・文化レベルを飛躍的に向上させ続けているが、それはあまりに歪なものだ。直接的な恩恵を得られる階層や分野は限られている。

 

 自分たちの手の届かない場所で勝手に繰り広げられる、怪獣との生存競争と、隣国との軍拡競争。

 何が悪いわけでもないが故に改めようがない世界の歪みを、誰しもが正しく認識できているわけではない。それでも、閉塞感漂う現状に対する危機感と不満はあるのだ。

 

 そうした人々が反戦運動を始めるのは当然で、そしてその精神的な主柱にモスラが御座すのも当然だった。

 

 

『稚内の、あの悲劇から一ヶ月――今尚、怪獣により引き起こされる災いは絶えることがありません』

 

 

 そこにいた全ての人間の視線が、モニターから壇上に立つ一人の少女に移った。期待と歓喜の念が、そのままに少女に浴びせられる。

 ドームの中心に立つ少女は少し緊張げに、しかしそれ以上に誇らしげに、凛とした表情を崩すことなく言葉を続けた。

 

『私たちが望んでいるのはなんということもない、怪獣による理不尽のない平穏な日々なのに、どうしてその道のりはこれほど遠いのでしょうか。

 怪獣だけではありません。危機に対して、私達ヒトは纏まれないでいる。こうして話をしている間も、紛争は絶えません。今日の生活に苦しむ人々に充てられるべき国力(リソース)は、その全てが、私たちが望んでいない軍事増強に当たり前のように使われています。

 ”これは怪獣から守るために必要な武力だ”と大人達はいいますが……ではその兵器が実際に、怪獣の防衛に使われたことはありましたか?』

 

 美しい、少女だった。

 

 たおやか、という言葉がこれ以上に似合う事も無いだろう少女。

 

 陶器のようにすっと白く通る鼻筋に、豊かに波打つ金髪。ほのかに透ける白い肌に、白いブラウス。

 

 何処か浮世離れした印象を与える少女は、しかしその零れるような瞳に強い意志を感じさせる。

 華奢ながらもすらりと立ち、衆目の前でも気丈に胸を張る。細く長い指先を胸元で握りめる上品な所作には、何か常人とは異なっている気配(オーラ)を感じさせるものがあった。

 

 彼女の背後の空中モニターは、まさに丁度モスラがその極彩色の翼を広げ舞い上がる瞬間が映し出されていたが、まさかこの少女がモスラを従えているのでは――などと不埒不敬な想像をしてしまうほどの“格”が、確かにそこにはあった。

 

『何故こうなってしまうのか――答えは“猜疑”にあります。憎いから、怖いから、相手が信じられないから……相手もそうだと思い込み、刃を突きつけ合う。

 そんな血を吐きながら続ける、悲しいマラソンになんの意味があるのでしょうか? その果てに勝者はいるのですか? いえ、そもそもそこに果てなどあるのですか?

 怪獣が怖い、隣国が怖い、奪われたものを奪い返す……もう、良いでしょう。終わりにしませんか?」

 

 

 それは、不思議な声だった。

 

 

 拡声器やマイクなどで物騒がしい音を立てているわけではない。寧ろ、決して大きな声ではないのに、痛切な祈りが込もった言葉はドームの全体にはっきりと響き渡っている。

 

 感応能力(テレパシー)――ホールを隙間なく埋める数万もの群衆に、余すことなくその意思を伝える能力。

 これは、少女の有する超能力の適性もまた、世界最高峰の域にあることを示していた。

 

『誤解しないでいただきたい。私は今日この日も最前線で必死に戦う方々を否定するつもりは、全くないのです。民間人を守るために犠牲になった方々には、言葉もありません。

 ……しかしならば、改めて問いましょう。私たちは、一カ月前の稚内、怪獣(ガバラ)の脅威から民間人を守るために命を散らした――稚内分屯地の自衛隊の方々のことを何の疑問もなく受け入れ賛美し、よくぞやったこれぞ軍人今後も頼むぞなどと、恥知らずに激励するべきなのですか?

 守る者の責務が道を拓くことならば、守られた者の義務とは同じ悲劇を繰り返さない教訓を伝えることにあると私は思います。

 思うに、その教訓とは――相手を信じること。

 あなた方が敵だと思っている隣国は本当に敵なのですか? あなた方を脅かす怪獣は、しかし全てが命を懸けて滅ぼさなければならない絶対悪なのですか?』

 

 少女の感極まった声と共に、群衆もまた痺れる様な、うっとりするような恍惚のため息を漏らす。稚内分屯地の凄絶な最期への哀悼の声さえ聞こえた。

 ……()()を、或いは()()()()を知るものがここにあれば、何とも言えない顔をすること間違いない光景であろう。

 

『答えは否――分かり合えるのです。どんなものとでさえ。

 その証明こそが、モスラなのです。ヒトと怪獣の指先がそっと触れ合うことは可能なのだと、モスラは私たちに教えてくれました。かつてこの国は八百万の神とヒトが高度に共存していたそうです。それと同じく、きっと怪獣とヒトはまた一つになれる、それは進化の証なのだと、私は堅く信じているのです。

 ……無論、無抵抗主義を掲げるつもりは皆無です。時にはガバラのように抗わなければならない悪神もあるでしょう。しかしそうでない存在だっている筈ですし、それを信じてはいけない理由はない。

 怪獣とひたすらに戦うのではなく、分かり合える怪獣と手を取り合い、守ってもらう――それほど難しいことでしょうか?」

 

 目に涙を浮かべながら、少女は前を向く。

 

『ただ偉大な存在に庇護される立場に甘んじろという訳ではありません。無力な私たちができる唯一なるものは、それこそ“祈り”に他ならないでしょう。

 偉大なる女神様は、今は“卵”と共にお眠りになられていますが――私たち一人一人の平和への“祈り”が、女神への“献身”となり、大きな力となって蘇らせる。妄想ではなく()()()()()()()()()()()()()

 

 人々が待ち構えていたように総立ちする。そして続く、割れる様な拍手の波。

 

『その力はこの星の邪悪なる怪獣の一切を打ち払い――いずれは、この星最大の禍津である“魔王”ゴジラの心にさえ届くと確信しています』

 

 拍手はやまない。待ち望んでいた歓喜の瞬間。爆発したような歓喜の渦は止まることなく、いや止めるつもりなど誰にもないとばかりに広がっていった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

「……」

 

 赤イ竹(レッド・バンブー)分屯地、その待合室にて。

 額を人差し指と中指でぐりぐりと押し揉みながらランドウが見つめるのは、備え付けのテレビ。その画面には“怪獣共存(コスモス)”信者が主催した定期大会の様子が映し出されていた。

 

 一カ月――そう、稚内のあの悲劇から一カ月が経過しようとしていた。

 

 ランドウに言わせれば、あれから何か事態が変わったと思えることは何一つない。彼自身を取り巻く環境もそうだし、日本を含めた世界諸国の国際関係もそうだ。

 相変わらずランドウは“赤イ竹(レッド・バンブー)”の専属調整官の様な事をやらされているし、世界の歪みはまるで好転しない。時たま怪獣が現れて、それを殺滅するのがゴジラか“赤イ竹(レッド・バンブー)”かという程度の違いだ。

 

 テレビの画面に映し出されるのは、やむことのない割れるような拍手。歓喜の海に溺れている様は画面越しでも伝わってきて、それをランドウはどこかやるせない気持ちで眺めていた。

 

 この十数年で信者数を急速に伸ばしつつあるその団体の名を、怪獣共存派(コスモス)という。

 「人類に友好的な怪獣(モスラ)と心を通わせ、人類に害為す怪獣だけを駆逐する」という教義。怪獣と徹底抗戦するのではなくできる限り手を取り合おう――なるほど、争いに疲れ果てた人々が縋るのも理解できる平和的な代物である。

 

 ランドウは大きくため息をついた。ずっと同じ姿勢で座っていたからなのか、随分と疲労がたまっているのを感じる。

 視線をテレビから天井に移した。蛍光灯の細く青白い光は、締め切った部屋にあって寧ろこの空間の薄暗さを際立たせる。

 

「……怪獣との共存か」

 

 「怪獣との共存」――少々極端なそのお題目は、所詮は前線での怪獣の脅威を知らないが故の平和ボケ、唯の世間知らずと聞こえるらしく、Gフォースの老人達は彼らを“怪獣教徒”と忌み嫌っている。

 

 正直ランドウも、彼らの教義は共感はできても共鳴にまでは至らないというのが正直な感想だ。

 

 あの稚内の惨事を、民間人を嗤いながら蹂躙するガバラの姿を間近で見たその上で怪獣との共存(同じこと)が果たして言えるのか――そんな風に考えてしまうのだ。

 

 そこまで考えたところで、ランドウは自嘲とも苦笑ともつかない苦い笑みを知らず浮かべた。

 共感できないからと言って、その在り方自体を否定するべきではない。

 宗教にすがる――大いに結構ではないか。

 寄りかかれる存在があるだけ遥かに上等だろう。

 

 今なお疲弊に眠るモスラに、何故そこまで過大な期待を寄せられるのかはランドウにも理解はできないが……少なくともあの画面に映っている少女は、本人なりの信念をもって言葉を発しているのはよく理解できた。あそこで拍手している群衆も、ああしている限りは野放図に走ることもない。

 

 ……もしかしたらその教義こそが、何が間違っている訳でも無いが故に改めようがない世界の歪みを正す、唯一つの答えなのかもしれない。だから、彼らに否定的な思いを抱く理由はまた別にある。

 

 ――しかし。

 

 しかし、であれば、何故ランドウはテレビに映る彼女らにやるせない思いを抱くのか。

 簡単な話だ。

 

 彼らは()()()()()()

 他の者ならいざ知らず――少なくともこの世には、怪獣を文字通り区別しない輩があることを。

 善悪も合理も感情も関係ない。そいつらにとっては怪獣とはその全てが滅ぼすべき怨敵であり、そもそも彼らは人類の繁栄など欠片も望んでいないのだということを。

 

 そう、そいつらにとってはゴジラも――そしてモスラさえも。いずれ滅ぼすべき“敵”に他ならないのだ。

 理由なき怒りを掲げる輩がいる限り、この世界に平穏が訪れることはあり得ない。

 

 本日二度目のため息を漏らすと共に、ランドウはテレビのスイッチを切る。

 ソファからゆっくりと立ち、そこに今はいない少女――パネト・ヘイトスピーチに思いを馳せる。今この時も戦場にて怪獣の殺滅を続けている少女……確か志布志湾沖の海に出没したガニメの群れの対処だったか。

 同じ“少女”であっても、あのテレビに映る少女とは完全に異なる存在だと断言できる。

 

 この一カ月、パネト・ヘイトスピーチの戦場に付き従い、分かったことは唯一つ。

 あの女は、狂っている気が触れている常軌を逸している――その類の言葉をどれだけ重ね掛けしても物足りないということだ。

 “怪人”の二つ名は、決して大袈裟なものではない。

 

 怪獣を殺すために、民間人を犠牲にするのは当然として――同じ赤イ竹(レッド・バンブー)の戦闘員ですら躊躇うことなく盾にする。

 怪獣がその物理法則に反する異能力を発動させようとしたなら、選ぶのは回避ではなく更なる前進だ。それは相手が攻撃する前に殺せば問題ないという勇気と合理故の判断――()()()()()、偏にその怪獣がそこに存在するのが一秒だって許せない。その為に退くという選択肢があり得ない、というだけの事なのだ。

 

 怪獣殺滅にそんな常軌を逸したバイタリティを発揮していれば、当然あのゴジラとだってニアミスする――それすらパネトには関係ない。

 ゴジラが近くにいようが熱線を標的に掃射していようが()()()()()、ゴジラに先んじて標的を惨殺する。

 

 

『――先遣部隊、帰還』

 

 

 そんなことを続けていれば、唯で済むはずもないのに。

 

 館内放送が志布志湾沖で戦闘していた部隊の帰還を伝えてくる。戦果は語るまでもない。どれだけの犠牲を出したかは別として、赤イ竹(レッド・バンブー)は必ず勝利する。そこにパネト・ヘイトスピーチがいるなら猶更だ。

 

 低く響くローター音の不快な響き。耳を塞ぎたくなる音量に顔をしかめながら、ランドウはゆっくりと立ち上がり窓際に顔を近づけた。厚手のカーテンをそっと開けて外を見やる。

 

 分屯地に隣接された形で広がる軍用飛行場に次々と降り立つのは、数機のジェットジャガーと軍用ヘリだ。

 

 アスファルト舗装に漆黒の巨躯がゆっくりと膝をつくと同時に、その背部操縦席(コクピット)から次々と赤イ竹(レッド・バンブー)戦闘員がその姿を見せていく。

 

 ”赤イ竹(レッド・バンブー)”の構成員たる屈強な軍人達――ヘリに搭乗していた者も含めれば50は下るまい。

 その身に纏う漆黒の軍服こそ共通してはいるが、年齢や人種は全くのバラバラだ。彼らを構成しているのは、主に怪獣被害や紛争による、世界諸国から集まった戦災孤児や難民達故に。

 

 しかし。

 

 彼らの佇まい、その明らかな「異質さ」は共通したものだった。身から醸し出す、“普通”とは明らかに異なる威圧感。

 それは偏に憎悪故のものだと、今のランドウなら理解できる。

 怪獣への――いやこの世界への厭悪が束になり、ぞくりとするような雰囲気となって放たれているのだ。

 

 

 ――そして、その危うさの“桁”が飛び抜けている者が、一人。

 

 

「……パネト」

 

 

 目的の人物はすぐに見つかった。

 

 集団から離れた位置で、捻じれた奇形の手足を引きずりながらゆらりと歩く、一回り小柄な少女。ここから50メートルほど離れた位置ではあるが、その正視に絶えない痛ましさは、見違う筈もない。

 

 死人の方がまだ色味があるだろう土気色の顔色。顔面神経の半分が壊死した故に、常に半開きで涎を垂らし続ける口。

 服の隙間から見える素肌は、どこもかしこもが亀裂の様な火傷や創傷に覆われている。

 

 端的に言って満身創痍であり、半死人と言われても否定できないその有様。

 どれだけ少女が悲痛に怪獣殺滅を叫び暴れようが、物理的な限界は見えている。彼女の望みは、決して叶わない。

 

 それを気の毒だとも哀れだとも、全く思わない。この女は、ランドウにとって決して相容れない価値観と、決して許せない性質の持ち主だ。

 

 なのにどうして、一体何ゆえ。

 

「……パネト」

 

 誰にともなく、ランドウは小さく呟いた。知らず、両の拳をぎゅっと握りしめる。怒りとも困惑とも焦りともつかない、言葉にできない衝動に駆られているのを感じる。

 

「どうせ、お前は死ぬんだよ……この地上から怪獣を残さず殺滅? いつか自分の手でゴジラを滅ぼす? 無理だあり得ない現実を見ろ。なのにどうしてお前は、そんな眼ができるんだ」

 

 解らない――何故そこまで無茶をするのか。

 

 何故、自分の命を、その長期生存を度外視し続ける。怪獣をより多く殺し続けたいというのなら意味不明の考えなしとしか形容できず、事実として今のお前はそのザマじゃないか。

 ならば自棄になっているのかと問えば――そうでないことは、彼女の眼を見ればわかる。

 

 手段の是非や力の有無など関係なく、自分の寿命や生死も関係ない。

 そもそも()()()()()()()()()()()()()()()すら彼女には存在しない。()()()()()()()関係なく、()()この地上から怪獣を必滅させるのだという怨念じみた決意を秘めたその眼……。身体は死人に片足を踏み込んでいるのに、その双眸の獰猛さは反比例するように増していく。

 

(パネト、お前は一体何なんだ……)

 

 歯を軋らせながら、ランドウは窓ガラス越しに遠くの少女を睨みつける。

 おぞましく、忌々しく……だからこそなのだろうか。その存在に興味を惹かれつつあるのは。

 

 先ほどはテレビで、まるで民衆を導く奇跡の聖女のような少女を眺めていたというのに、今は悪鬼羅刹すら生温い危険人物に興味を惹かれてしまっている。

 あまりに見つめる先にある世界が違うからなのか、思わずランドウは苦笑した。

 

 

 ああ、そういえば。

 

 あの少女――あの、“怪獣共存(コスモス)”として高らかに演説していた少女。名前は何と言ったか。

 

 

 そうだ、思い出した。

 

 

 

 

 

「黒木――――黒木ソテイラ」

 

 

 

 

 

 

 黒木翔の、一人娘だったか。

 

 

 

 

 

 

 

 




「殺滅の”ソテイラ”」……あっ(察し)

本当はもっと早く更新するつもりだったのですが、執筆時間がまるでとれねぇ。


一応時系列を解説しておきますと

33年前(ゴジラVSモスラ)→当時地球に近づきつつあった隕石は、何なら先代のゴジラでも易く対処可能な代物ではあったが、当時のゴジラが地球生命のために動くとは思えなかったことから、地球意思はバトラを呼び出す。”先代”ゴジラ封印後、肝心のバトラが没したため、代わってモスラは隕石破壊のために地球から離れる。

31年前(ゴジラVSスペースゴジラ)→隕石破壊ミッション遂行中、フェアリーモスラを三枝未希の元へ。

30年前(ゴジラVSデストロイア)→”先代”ゴジラ死亡、”当代”のゴジラが誕生する。
    新ゴジラ、「見敵殺滅」開始。
    後にモスラが地球に帰還。しかし疲弊により活動頻度急低下へ。

25年前→M宇宙ハンター星雲人襲来……と思ったら出オチで終わる。

20年前→地球に散らばっていたガイガンが散発的な人類襲撃を開始する。そのうちの1体を、モスラが疲弊の身を振り絞り撃墜する。

    モスラ、卵を産むと共に完全な休眠状態につく。


……こんな感じです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

間話1 黒木翔という男



ちょくちょく会話に上っていた黒木が遂に登場。
とはいえ間話ですので、読み飛ばしていただいても問題ありません

でも、読んでいただけるとメッチャ嬉しいです|ω・`)チラッ

感想とか書いていただけると狂喜乱舞します|ω・`)チラッ





 ――それは三◯年より、ずっと前の話である。

 

 

 滅びるのは、人か、ゴジラかという闘いの時代があった。

 

 毎年の恒例行事の如く海からゴジラが現れて、気が触れた様に暴れ回る。街を壊して人を殺して、果てに満足して帰っていく。

 

 当然、人間だって黙ってやられ続けていた訳ではない。熟慮を重ねて戦略を練って、これでもかと武装を続けてはいたのだ。

 それでも、積み上げられていくのは黒星――あれやこれやと知恵を絞っても、ゴジラは毎度毎度その想定の斜め上を突き抜けていく。

 

 一体どうすればあの怪獣王を倒せるのだ。頭を抱えるとはこのことで……しかし不思議なことなのだが、どれだけ敗北を重ねても、無力感や絶望感が世界に蔓延するということは決してなかった。

 今度こそいや次こそはと奮い立つことはあっても、萎えることは決してない。

 

 狂おしくも、何処か懐かしい敗北の歴史。

 

 勿論、ならばあの時代の方が良かったのか、あの時代に戻りたいのかと問われたならば、迷うことなく誰もが首を振るだろう。そんなことは口が裂けても言えやしない。ゴジラとの戦いが苦難の連続だったのは事実だし、積み上げられた犠牲と損失は計り知れないのだから。

 

 しかし、あの時代には間違いなくある種の“栄光”があった。

 

 ゴジラという目に見える絶対悪、相容れぬ滅ぼすべき邪悪を前にして、人類は一つに纏まろうとしていた。

 

 だって誰もが信じていたのだ。ゴジラを倒したその先に広がる美しい地平を。

 

 経済、宗教、民族、環境――つまりこの世の総ての問題とは即ちゴジラに集約されていて、ゴジラを倒せば何もかもが解決されると信じていた。

 

 ……そう信じ込まなければ生きていけぬ時代だった、酔い痴れていただけだと言われればそうだったのかもしれない。

 しかし分かってもらいたいのは、そんな幻想が当たり前に受け入れられる位に、ゴジラという存在が絶対として人の目に映ったということ。

 

 あまりにも力強く鮮烈で、傲慢で強大で目が離せなくて、嫉妬してしまうほどの命の輝きに満ちている。

 ゴジラを深く憎悪しながらも、それと同じくらいに神聖視してしまっていたわけだ。

 

 ああ……だからだろうか。

 きっと、今の人間たちが混迷と不信に駆られているのも当然のことなのだろう。

 

 突如としてゴジラは人々を襲わなくなった。それどころか、打って変わって人間たちを守るかのような行動に出たのだ。ゴジラの心根など知ったことではないが、そうとしか解釈できないのが今の現状。

 

 結果的には良かったではないか、などとは喜べない。

 なんの犠牲も苦痛もなく突如として手に入った生温い平穏の、なんと無様で薄気味悪いことだろうか!

 

 ゴジラの慈悲とお目こぼしにあずかって無様に生き永らえているのが、今の人間(我々)だ。

 ゴジラを絶対悪とすることでまとまっていた世界は崩れ去った。ゴジラを滅ぼした果てにある夢の地平など最初から幻想だった。世界は不信のままに争いだし、破滅への一途をたどっている。

 

 人に憎まれるからこそ、怪獣は怪獣になるのだという。

 そこに人の憎しみという要素があるからこそ、ただの巨大生物が怪獣として成り立つという考えだ。安易で単純な相対構造ではあるが、その理屈が成り立つのなら逆もまた然りではなかろうか?

 

 つまり()()()()()()人は人になるのだ。あらゆる生物の中で知的生命体だけが憎しみを宿すことができる。それを捨てたものは人とは言えない。

 

 もっと言うのなら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だから、ああそうだ。

 

 なんという無様。こんな解釈違いはあってはならない。

 ゴジラが人間(我々)と戦おうとしない限り、目を背ける限り――人間(我々)は半端な生き恥を晒し続けるしかないのだ……!

 

 

 

 

 

◆?◆

 

 ――男は、ゆっくりとその眼を開いた。

 

 

 勇壮な、男であった。

 太く吊り上がった眉に、獣を思わせるぎょろりとした目玉。顔の下半分を覆う無精髭は、しかし粗野な印象など全くなく、寧ろ猛獣の鬣のような美質すら感じられる。

 

 歴戦の軍人とは、こういう男のことを言うのだろう。

 齢は五◯を半ば過ぎながらも、その硬質な眼光に衰えなど全く見られない。皴一つない軍服の上からでも伺える、引き締まったその肉体。

 

 彼の気質を反映しているような実用性最優先で殺風景な将官専用の執務室。これまた質素な作りのソファに、彼は深く腰掛けている。

 

 男の名前は、黒木翔。

 

 三◯年前もこの三◯年間も、対怪獣戦指揮において無双の戦果を挙げ続けているカリスマ。疑いなく日本史上最高にして最強の、戦略指導者にして戦術指揮官にして軍事司令官。

 

 人類史において、黒木翔という男以上に延々と魑魅魍魎(怪獣)と戦い続けた男はいない。彼とスコアを並べようと思うのであれば、それこそ神話の英雄の時代にまで遡らなければならないだろう。今でこそ”赤イ竹(レッド・バンブー)”という民間軍事組織の活躍があるが、それでも黒木の武勲は決して過去のものではないのだ。

 

 誰にも靡かず媚びず怪獣へ突撃し見事に勝利を収める無頼の軍人は、怪獣を機敏に徹底的に狩り尽くすことで国防に黙々と貢献してきた。

 

 危機に瀕した民間人を助けるために尽力し、減らされた年間予算を遣り繰りしながら最小限の兵器の運用で成果を挙げる。三◯年前の黙示の一日(デストロイア・ショック)の大活躍などその典型例だろう。

 

 祀り上げられるのも当然で、そして黒木はそれに応える確かな結果を残してきた。

 

 ならば今、この男は栄光に満ちているのかと問われたならば――それは否と言う他ない。

 

 乾燥して冷え込んだ部屋。うっすらと舞う埃を意に介すことなく座り込む彼が纏う雰囲気。あまりに不吉なそれ。

 一部の隙もない鉄のような無表情に、重く暗く呪うような黒い瞳。眉間に年輪の如く深く刻まれた皺が、彼の苦悩を物語っている。

 

 執務テーブルの上に広がるのは、稚内事変と名付けられた怪獣ガバラによる壊滅的被害の報告書と、何もできず壊滅した稚内分屯基地の自衛隊員の無力――ひいてはその上役である黒木の不手際を責める詰問書の数々だ。

 どれも惨憺たる内容であり、眺めるだけで気が滅入る代物なのは言うまでもない。……しかし黒木の黒々とした瞳が見つめているのは、それではない。

 そんなものは、視界の一端にすら映っていない。

 

 射殺す様な視線の先にあるのは、壁際に置かれた二つのモニターだった。

 

 一方に映るのは、稚内の海――力なく海面に浮かぶバトラの亡骸。突如として打ち上げられた、不吉の予感。地球意思の代弁者とされる百メートル級の神獣だ。

 そしてもう一方に映っていたのは、割れんばかりの拍手を送る群衆だった。歓喜の先にいるのは一人の少女――彼の一人娘、黒木ソテイラ。歓喜の渦にもみくちゃにされながら、はにかむ様な笑顔を浮かべる少女を視界に入れた……その一瞬だけ、ほんの僅かに彼の眼差しが柔らかく細められたのは錯覚だろうか。

 瞬き一つの後に彼が浮かべていたのは、やはり怒りを静かに噛み締める様な無表情だったが。

 

「……皆が私を置いていく。あの時代を経験した仲間たちは、私を残して先に逝ってしまう――」

 

 決して大きくないというのに、異様な威圧感に満ちた声。刃のような緊張感を孕んだ音は、確かに黒木の口から発せられていた。

 

 いなくなった者たちの名前を、一人ひとり確かめるようにゆっくりと、刻み込むように呟いていく。

 

「そして三枝未希――今の世界の惨憺たる様を眺めて、ようやくおまえの正しさが理解できたよ。おまえがこの世を去る前に理解するべきことだったのだろうが、遅きに失したか」

 

 目を瞑るまでもない。忘れたくても忘れられない。

 彼の網膜の裏にまで根を張っている記憶は二種類。

 一つは、怪獣王が新生した運命の瞬間。新たな戦いを決意した、苦々しくも色鮮やかな三◯年前の記憶。

 

 そして、もう一つ。

 それは一五年前、彼の娘が生まれた時のこと。

 本来親にとっては祝福するべき記憶が、忌むべき呪いとして黒木を蝕んでいる。何故ならば――

 

「もう一五年も過ぎたのか――三枝、おまえが逝ってから。あの時から時間が過ぎるのがとても早く感じる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()それも仕方がないな――忘れたくても忘れられない」

 

 いったい何を言っているのか。意味不明な独白の真意は、きっともう黒木自身にしか分からない。それが分かるものは、大半が死んでしまったのだから。

 それでも、彼の表情から伺えるものは確かにあった。

 それは怒り。ふつふつと煮えたぎるような、強い怒り。

 膝を屈してはならないと。この憎しみ(信仰)を貫かなければならないという狂気に近い情動の沸騰。

 

 モニターの画面が切り替わり、ゴジラの黒々とした巨体が映し出される。

 人間の存在など視界にすら入れず、呪われたように同類(怪獣)を殺滅し続ける不吉な様。

 そこに存在するだけで人間達に恐怖や混乱をもたらす姿、しかし黒木がそこに抱く思いはまったく別のもののようだった。

 

「惨めだなゴジラ。おまえがそんな不出来な姿になり果ててしまったのも我々人間達が能なしだったせいだろう」

 

 そして、そんな耳を疑うことを言ってのける。

 ゴジラという存在を迷うことなく下に見る言葉。しかしそれを身の程知らずの放言と笑うには、あまりにも強い確信に満ちていて……

 

「なんという無様――こんな解釈違いは正さねばならない」

 

 あまりに暗く重く、地の底から蠢くような老将の怒り。静かに燃える名状しがたい激情の炎。

 ままならぬ世界に対する怒りという点では麻生孝昭のそれと似通っているのかもしれないが、それとは質的にも量的にも、根本的に壊滅的に救いがないほどに桁が外れている。

 

 これはヒトのそれというよりも――もはや。

 

「それが憎しみであれ信仰であれ、誰かの祈りを映す鏡が怪獣だ。ならば、おまえ(ゴジラ)こそがあまねく衆生を束ねる絶対で不変の唯一であって欲しいという祈りを形にする道もあるのだろう」

 

 ゆっくりと黒木は顔を持ち上げた。視線をモニターから外し、部屋の何もない空間をじっと見つめる。

 

 ひたすら虚空を睨みつけるその姿に、果たしてなんの意味があるのだろう。

 比喩ではなく、文字通りにそこに隠れ潜む何かを抉り殺そうとしている凄絶な眼差し。瞬き一つでもしてしまえばそれを見失うとでも言いたげで……。

 

 

 ああまさか――()()()()()()()()()()()()こそが、彼の真の敵だとでもいうのだろうか。

 

 

「そこに至るためだというのなら、私の娘を、我が魂諸共に捧げてやっても構わない。嗚呼、そんな覚悟はとうの昔にできているとも」

 

 モニター越しに轟くゴジラの高らかな咆哮。

 唸るような呪うようなそれと、続く黒木の言葉が重なった。

 

 

 

「――これをもって私の献身としよう。そして果てに、この星に君臨せよ殺滅の救世主(ソテイラ)

 

 

 

 

 

 

 

 




雑なタイトル回収回



設定[特将]
「特将」などという滑稽な肩書を有しているのは、広い世界どこを探しても黒木くらいのものである。本来存在しないその肩書は、数年前は“特佐”と呼ばれる代物であった。元々はあまりに特殊過ぎる黒木の立場を、周囲が皮肉と揶揄を込めて呼んだものだったが――今は違う。
 日本国民に対する対怪獣のプロパガンダ。怪獣の跋扈に対して後手に回る現状を隠し、政府は事態に対して適切に対処していると思わせる施策の一環としての、広告塔(名誉階級)である。
 誰も口に出しはしないが、神出鬼没の怪獣に先手を打つ効果的・具体的な施策など存在しない。そして政府としても、これ以上防衛費に予算を割けないという事情が存在する。
 そうである以上、国民の不安を逸らし、世論を誘導するための判りやすい広告塔(英雄)を政府が求めるのは必然だった。
 彼がそれに値する実力を有しているのは既出の通りで、実績の有無という点ではGフォースなどとは比較にならない。

 例を挙げれば三〇年前の「黙示の一日」。
 対怪獣を想定していない冷凍兵装部隊を見事に指揮し、悪鬼羅刹と化したゴジラ(バーニングゴジラ)の足止めに成功。次いで各地からスクランブルした足並みの揃わない混成部隊を率いて、敗走したデストロイアに止めを刺すという武功。彼が絶対にして不動のエースという扱いに押し上げられたのも当然だろう。

 社会不安を鎮め、政府への批判を逸らす――そのための体のいい首輪。英雄の敗死を恐れるが故に現場から引き離すという些か本末転倒の階級ともいえた。
 しかし上層部にとって多少の誤算があったとすれば、この黒木という稀代のカリスマの才能が軍配に留まらず軍政・行政方面にまで及んでいたことか。

 最前線から引き放された引き換えに、権力と後ろ盾を手に入れた黒木が真っ先に手掛けたのがあまりに複雑化し機能不全に落ちいっていた自衛隊組織の改革だった。軍事改革の断行と評してもよい。陸、海、空そしてそれに準ずる特生自衛隊。これら四つの足並みの揃わない組織を、特生自衛隊を中核としたシステマチックな組織に新生させたのだ。

 国家の当面の危機が怪獣襲来に限定されている以上、それは合理的な組織改革だったといえるだろう。
 結果的に日本における対怪獣組織の最大手はGフォースから特生自衛隊に移行することになる。

 とはいえそれは、同時に日本の軍事力がシビリアンコントロールを離れつつあることにもつながっていた。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第1章 絶対なるもの
第6話 黒白の巡合


◆0◆

 

 

 ――そこは、太陽の重力圏から遥か離れた宇宙領域だった。

 

 達するには、仮に光の速さであったとしても100年は要するであろう銀河の彼方。即ち我々人類にとっては想像も及ばない程遠い空域の話であり……有り体に言えば無関係の事象である。

 

 話は唐突だが、基本的に星々の運動とはより巨大な重力に引っ張られる形での回転運動であると表現できる。恒星などの巨星を中心とした公転運動。太陽系が最も身近で分かりやすい例として挙げられるだろう。

 規模や程度に多少の差はあれ、宇宙の全てはこの秩序だったモデルを中心に構成されている。そこに例外はない。

 

 その常識が、ここに木端微塵となって砕け散る。

 その例外が、ここに特級の化外として具現する。

 

 

 ――そこは壊滅という概念が“結晶”となった星だった。

 

 

 まずその星には、大地と呼ぶべきものが存在しなかった。

 

 全てが微塵に砕けていて、惑星間塵(アステロイドダスト)の渦と化している。その粉塵の雲を不気味に照らしながら時折稲妻を走らせるものの正体は、プラズマ化した星間ガスの濁流だ。秒速にして数キロメートルに至る灼熱の暴風は、時空すら歪める域の壊滅的物理現象を引き起こしていた。

 

 ならばこれはガスを主成分とした惑星なのかと言えばそうではなく……そもそも()()()()()()()()()その宙域に残骸を曝すのみの”これ”は、軸と呼ぶべきものが失われていた。要するに、死んだ星だった。

 

 確かに、どんなものにも終わりはある。星すら、やがて宇宙すらいずれは例外なく崩壊するというのは道理であろう。驚くべきことではない。しかしそれはあくまで手順を踏んだものだ。

 これは如何なる物理で以てしても理解不能な壊滅の具現で、いや最早規模や数値という概念で測ること自体が不可能な域に達していた。

 

 しかし何より不可解なのは、その壊滅的現象がどれ程の時間を経ても()()()()()()()()()()()()()。熱力学第二法則に従うのならば、どんな現象であろうと時間経過と共に周囲の空間と平均化され、いずれは平静に戻るというのが常識だ。

 そもそもこれは星が爆発したもの。つまり力のベクトルとしては内界から斥力が発生するのが当然で、有り体に言うのなら飛散した物質は周囲宇宙空間に飛び散るはずだ。

 

 ならば、何故。

 不可逆的な破壊を星に齎しながら、その痕跡消えることすら許さぬ――と、この宙域に留めているものの正体は何なのか?

 

 

 それは重力。

 

 

 星間ガスの濁流が、宇宙の静寂を破く響きと共に渦を巻く。その怒涛の中心にある存在こそが、重力(それ)を生み出す震源だ。同時にそれは、この数10万キロメートルにわたる広大な空間に不可逆的な壊滅を齎した存在でもあった。

 

 果たしてそれが1体の怪獣であることを、誰に認められるのだろう。

 

 超磁場と熱波の嵐をものともせず、かつては星の核があったであろう中心部に平然と滞空する怪獣。

 大きさとしては10キロメートルほど。この広大な宇宙の常識で測るのであれば、それほど巨大というわけでもないその怪獣は――しかしその大きさに反する壊滅的な存在感を秘めていた。

 

 時空を湾曲させる程の超重力の奔流は、その怪獣が放つものだ。

 それは星の残骸をこの空間に留めるだけに至らず、この惑星系一帯の公転軌道に不可逆的な崩壊をもたらす域に至っていた。それはつまり、この怪獣が生み出す総重力量が恒星のそれに匹敵していることを意味していた。周囲の星々が中心に座すこの怪獣に従い、その軌道を捻じ曲げていく有様は、さながら天動説の再現だ。

 

 

 ――その肉体は、一部の漏れもなく煌びやかな純白の結晶(クリスタル)で構成されていた。

 結晶は禍々しくも美しい棘となり、その棘が折り重なって全身を構成している。如何なる原理かは不明だが、硬質な結晶で構成された肉体が鼓動するたび、その余波だけで出力数テラワットに至る紫電が迸る。

 

 

 そしてその、とぐろを巻けるほどの長大な胴体に、細い手足。輝く宝石の瞳に、猛々しい髭。その全てが結晶で構成されているという点を除けば……全体的な姿形は、所謂“龍”に似ている。

 最早それを知る者などいないが、それは此度壊滅した星における人型種族”ムウの民”が神と崇めていた存在――マンダに似ていた。

 

 

 

 その結晶の怪獣に、決まった名前はない。

 より正確に言うのなら、その時々によって名前は変わっていくという方が正しいだろう。

 

 

 

 存在するだけで天文学的な破壊を齎すその怪獣は、それと同じ位に特徴的で奇怪な習性を有していた。

 「宇宙最強にして唯一の生命」を目指すこの怪獣は、星々を渡った先で”最強”と見込んだ生物(怪獣)の姿や能力を模倣し、その上で戦いを挑むのだ。

 此度もまた同様に、ムウ星にて神と崇められる怪獣マンダを”最強”と認識し、その姿をコピーした上で襲撃した。結果は言うまでもなく、この結晶の怪獣の完勝であり、そしてムウ星は物のついでと粉砕された。……そもそも崇める神が惨殺された時点で、ムウの民に明日など無かったかもしれないが。

 

 いずれにせよ奇妙な習性と呼ぶ他なかろう。この結晶の怪獣は、その気になれば星1つを容易く粉微塵にする程の力を有する。つまりただ敵を滅ぼすだけなら、相手の能力・認識の射程外からその重力波で圧殺するだけでよいのだ。それが合理性というものだろう。

 

 にも拘らず、あえて()()()()()()()()()()()()()()()()という、明らかな非合理。 

 怪獣として、いや如何なる目線から考察しても奇妙と呼ぶほかないその習性は、しかし少なくともこの結晶の怪獣目線では明快な理由が存在した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この世界には、いわゆる「相性」と呼ばれるものが存在する。

 

 力に勝るはずの巨人が小人に投石1つでやられるというように、「総合値」で上回る筈のものが、要素1つの過多により大逆転されるというのはよくある話だ。圧倒的に少量な物質が巨大な化学反応を連鎖的に引き起こすというように、身近な例では触媒反応も広義の「相性」と呼べるだろう。

 

 

 そこで最初の疑問に立ち返ることになる。

 遠距離から圧倒的な質量で圧殺する存在を、真に最強と呼んでよいのか?

 

 

 答えは否――”相性”を考慮していない。

 例えば、の話をしよう。

 この結晶の怪獣が認識外からの重力圧殺を行ったとする。しかしもし、それで殺した相手が「己の視界に収めた存在を確殺する」という類の異能を持っていたらどうする? 自分が勝利したのはたまたま相手の異能から逃れたからに過ぎず、それは真に誇れる勝利とは言えまい。勝利の価値に毀損が生じる。

 逆もまた然りだ。絶対的質量を有する圧倒的強者が、予想もしない角度からの不意打ちで敗れるなど認められるか? 

 

 いずれも認められない。

 だからこその”対等”なのだ。

 

 相手の姿形を模倣し、互いに最低限対等な立場に引き下ろすことで言い逃れのできない勝負をする。

 ……相手の了解を得ずに姿を模倣した挙句、勝手に土俵に叩き落とす行為をそもそも”対等”と呼んでよいのかという疑問はあるが、つまりはそういうことであった。

 

 

 結晶の怪獣は、ゆっくりとその鎌首をもたげた。ぶるぶるとその身を震わし、歓喜とも絶頂ともとれぬ咆哮を上げた。宇宙の静寂を引き裂く絶叫は物理的な波動となり、周囲に漂う星間ガスのプラズマを一撃で霧散させた。

 己が勝利したが故の喜悦の叫び。また一歩、己が最強に近づいた故の悦びの身震い。

 

 この広大な宇宙でたかが星1つを潰して何故粋がれるのか、虚しくはならないのか――という常識的な疑問を挟む余地など欠片もない。

 繰り返すが、しつこいようだが、怪獣に常識は通用しない。

 怪獣が「こう」と決めたことこそが絶対の法則であり、既存物理を歪めるほどの異能となるのだ。そこに疑念を持つのは、何故己の右目で左目を観察することができないのかと苦悩するようなものである。

 

 

 灼熱(マグマ)磁場(パルサー)の地獄の中で、結晶の怪獣は興奮冷めやらぬという具合に次はどの星のどの怪獣と競うべきかと思案をはじめた。この広大な宇宙において何処にいるかわからぬ怪獣の索敵のために、この怪獣は事前に己の結晶細胞を全宇宙にばらまいているのだ。

 

 しかし。

 

『――――、――――――――――――■』

 

 

 不意に、歓喜と興奮に震わせていたその身が停止する。

 全ての怪獣が標準的に備えている超感覚が、その異常事態を伝えていた。

 

 宇宙全ての銀河に散らばっている己の細胞の一欠片の、その内1つが()()()()という事実を。

 

 細胞の一欠片といっても、この規模の怪獣ともなればそれが山脈一つを軽く吹き飛ばすエネルギー量を当たり前に有する。それが敗北した? なんという得難い強敵か。いいやそうではなく――それ以前に。まさか。己の細胞が、何ゆえ本体(この身)の意向を無視して勝手に戦いを始めたというのだ? 

 

 それほどの重大な相手だというのか。その相手に、何かしら()()()()()()()とでもいうのか。

 なんだそれは、意味が解らない。

 

 細胞一欠片の身で粋がり戦いを挑み――それで、敗けたと? それで本体(この身)の格付けが終わったとでも言いたいのか?

 なんだその決着は。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()――ッ!

 

 結晶の怪獣は、その身を凄まじい嚇怒に震わせた。

 怒りの波動は奈落的な重力エネルギーの噴流となり、周囲空間10万キロメートルに漂っていた惑星間塵(アステロイドダスト)の渦を一撃で圧壊する。空間を断続的に歪める域の壮絶な重力の濁流は、小規模なブラックホールすら瞬間的に形成した。その星系に存在したすべての星々の公転軌道が、その余波で完全に狂い周囲衛星と衝突していくが、結晶の怪獣は歯牙にもかけない。

 

 同時に、その姿形にも急速な変化が訪れた。

 長大な胴体は小さく、しかし引き締まったものに変化していく。同時にその分の結晶が小さな手足に流れていき、やがて隆々とした逞しい四肢に変貌を遂げた。面貌にも変化が訪れる。猛々しくも神々しさを放つ神龍の面から、殺意と怨念に満ちた悪竜の貌へ。そして背部の結晶は折り重なるように連なっていき、スパイク状の背鰭に変貌した。

 ”己の一欠片”の今際の記憶の残滓を辿り、()()()の姿を形作っていく。模倣していく。

 

 全長こそマンダよりも随分小さくなったが、吹き上がる絶望的な圧力はその比ではない。数倍、数十倍――いや数万倍か。

 

 

 嗚呼、それを人が見たなら何と言っただろうか――――。

 

 

 新生した怪獣の怒りの咆哮、一括と共に周囲空間を文字通りに()()()()()()()。放たれる超重力による空間湾曲――からの瞬間移動。その余波で直線状の衛星系の軌道が悉く不可逆的な方向に湾曲していくが、知ったことではない。

 

 目的地は、銀河の端っこを静かに彷徨う小さな青い星。そこにいる、黒い、黒い怪獣だ。

 結晶の怪獣と比べるとサイズこそ遥かに劣るようだが、そこに込められた熱量は並大抵のものではない。

 

 

 

 

 素晴らしい許せない面白い腹立たしいぞ、なんだそれは――人型種族にはおよそ理解も定義もできない混沌とした情動が重力の怒涛として溢れ出ていく。

 

 

 

 

 俺より強いやつに会いに行く。

 

 一言で簡潔に言ってしまえば、そのためだけに100光年の彼方から突撃してくる怪獣。

 

 

 

 

 

 安直ではあるが端的に、嘗て地球人はそれをスペースゴジラと呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

◆1◆

 

 

 唾を吐いて捨てる様な、舌打ち。

 

 

「――オレが怪獣を皆殺すと誓うのは、奴らが”敵”だからだ」

 

 否定の念しか籠らない声。

 

「同じものを愛せず、同じものを憎めない。だから”敵”だ。敵はそこに存在するだけでこちら側を蝕んでいく。寛容? ありえない。同一化? 以ての外だ。敵を殺すことに敵だから以上の理由なんてそこにはない」

 

 誰が喋っているかなど言うまでもなかった。

 パネト・ヘイトスピーチ――ひび割れに血の滲む唇を吊り上げながら、嘲笑うように言葉を綴っていた。笑っているのは口元だけなのだが。

 

 小さな会議室。ぶらりと力なく立っている彼女。その刺し貫くような眼差しの先にあるのは、上背も歳も同じくらい。けれでも見た目も印象もまるで対照的な、もう一人の少女だった。

 

 不安とも困惑ともつかぬ表情を浮かべながら視線をさまよわせる少女――癖のないまっすぐで鮮やかな金髪がまず目を引く彼女は、怪獣共存派(コスモス)の精神的主柱でもある超能力者、黒木ソテイラである。

 

「怪獣との融和? 気色悪ぃなふざけていやがる、そんな考え方をする奴がいること自体が不快極まる。オレの敵だ」

 

 その横で頭を抱えているのがランドウで、会議室の奥の扉からまっすぐ伸びる廊下で眉間に皴を寄せているのがハルオ。

 

 

 ――そして険しく目を細めているのが、一際目立つ紅色の薄衣に身を包む小さな妖精(小美人)2人。

 

 

 “赤イ竹(レッド・バンブー)”と”怪獣共存派(コスモス)”。確定的に相いれない思想を持ち、決して関わることもなかったであろう組織の人間がこうして一堂に会している。更には妖精まで。

 

 ここに至るまでの経緯を説明するのは少々――いやかなり難しい。

 

 

(……どうしてこうなった)

 

 

 帰りたい、切実にそう思う。

 ランドウは天を仰いだ。

 

 

 時刻は数分前に遡る――

 

 

◆2◆

 

 

 

「――こちらがゴジラの……赤ちゃんの頃の姿だそうで、周りからは”ベビー”と呼ばれていたと聞きます。これは、Gフォースの蔵書室から特別に持ってきて頂いた映像なんですよ」

「は、はぁ……今はもう面影が欠片も残っていませんね」

 

 楽しげな声と共に、ディスプレイ上のパネルが過去の映像を代わる代わる投影していく。映し出されているのは、分類としては違うことなく怪獣だ。

 

 つまり忌むべき存在――しかし、女性研究員スタッフに甘えるようにその身を擦り付けるその姿、周りからの苦笑の視線を意にも介さずハンバーガーに夢中になるその姿。全高は2メートル程度で、子猫のように眼をくりりと瞬かせる姿からは、”化外”と忌み嫌うべき要素はまるで感じられなかった。

 

 思わず、可愛らしいと素直にそう感じる。ランドウでさえだ。

 ”ベビー、ベビー”と呼ばれるたびにその瞳を七色に輝かせ喜色を表すその姿。これならば、少々ばかり手間のかかる愛玩動物としか認識できないだろう。これが()()()()()()()()()()()姿()()()()、という事実を知りさえしなければだが。

 

 成長か進化か、或いは成れの果てと呼ぶべきかは知らないが……殺意と怒りだけを爆発させながら怪獣を残らず殺滅せんとする今の巨体に、その名残など欠片もない。

 

 しかし不思議な話ではないだろう。怪獣に限った話ではなく、どんな動物も生まれた時の見てくれだけは無垢だ。獰猛な肉食獣でさえ、赤子の頃は愛らしい。

 異種動物さえ惹きつけてしまうその容姿は、しかしあくまでそれが生存戦略として有利故のものに過ぎない。その本質は、己の獰猛な牙を包み隠す偽装にある。

 

 実際、記録によればこの後”ベビー”は大いなる庇護者(先代ゴジラ)が現れた途端に人間の元からあっさりと脱走したという。その結末を知れば、これはやはり魔王による人間()の眼を欺く為の演技だったと判断するのが妥当なところだろう。

 

 ――しかし目を輝かせながら画面を見つめる少女にとっては違うようだ。

 

 

「30年前とは違い、何故ゴジラが人間社会を襲わなくなったのか……大人たちはそれが解らないと不信に駆られています。

 しかしその答えは簡単です――”今の”ゴジラは、人間を決して恨んでなどいないから。赤ちゃんの頃、こうして人との優しい関わりを持った記憶を、その温かさを覚えているから――だから人間社会を襲わない。

 まるで人類を守ろうとするような一連の行動の根底は、そこにあるのだと私は固く信じているのです」

 

 

 何を言えばいいのか、沈黙するランドウを尻目に言葉を続けるのは黒木ソテイラ。“怪獣共存派(コスモス)”の精神的主柱にして世界最高域の超能力者その人である。

 

 ……今の状況を説明するなら、ランドウはそんな彼女と、会議室にて何故か怪獣の記録映像の鑑賞会をやっているということになる。

 

 意味が、よく分からない。

 それを理解するには少々ばかり込み入った事情を説明する必要があった。

 

 ……”稚内事変”と名付けられたあの事件から少しばかりの時間が経ったのは既出の通りだ。

 ランドウの懸念よりも、国民の――世界の動揺は大したものではなかった。

 所詮は、他人事だからか? 

 否、そうではなく。

 

 それは――「死者125名で()()()()のは、全滅した稚内分屯地の自衛隊による寡兵ながらの命がけの防衛によるものであり、更には“赤イ竹(レッド・バンブー)”という民間組織の獅子奮迅の働きあってこそ」という政府の発表によるところが大きいだろう。

 

 なるほどこの国らしい、実に巧い表現である。

 

 この甚大な被害と、それに後手に回った日本政府の不手際は隠しようがない。ならば国民の批判の視線を、政府から稚内分屯地の自衛隊員の犠牲に向けさせて寧ろ美談に変える。“英霊の犠牲”を称えることで、何より論点を「軍備緊縮の世論こそが彼らの犠牲を招いた」と誘導することができるのだ――。

 更には衆目を“赤イ竹(レッド・バンブー)”に逸らすという意味でも良手だろう。

 

(狂したプロパガンダ。煽り煽られる姿は先の大戦と何も変わらない)

 

 何せ証拠は何一つとしてない。当時の稚内が”民間人を守る防人の戦”などとは程遠いものであったことを示す電子記録はガバラの妨害電波により破損しているし、そもそも目撃者は全員死んだのだから。

 

 稚内に浮き上がったバトラの死骸――これの国際社会への引き渡しに今尚時間がかかることを不手際と責める声も少ないのもまた、海外からの同情も集まったからだ。

 

(しかし成程、片桐総理らしいやり口だ)

 

 衆目に“赤イ竹(レッド・バンブー)”というテロリスト紛いの組織の存在と、それとの政府の繋がりを晒すことになったのは痛手だが、そこは必要経費というものだろう。

 

 しかしこれで、良くも悪くも日本政府と“赤イ竹(レッド・バンブー)”の繋がりは切り離せない領域にまで深まってしまった。最早雇う雇われるのドライな関係では済まされない。

 

 怪獣退治のために文句も言わず地球の裏側まで突撃する有難い狂人――という都合の良い扱いでは収まりはつかないのだ。

 

 

 そして“これ”はその一環と呼べた。

 

 

 日本を中心に飛躍的に勢力を拡大させる怪獣共存派(コスモス)は、最早日本政府にとっても無視できない一大勢力となりつつある。彼らを支持母体にする政党もあるのだ。

 例年行われる、信者達が東京に集まりモスラの祈りを捧げる、彼ら最大の定期大会――通称”モスラ祭”は、その1週間で参加者はのべ500万人を超える一大イベントとなりつつある。

 

 しかしそれに比例する形で警備の問題が悩ましく膨れ上がる。

 

 「怪獣との融和」という昨今の世界情勢に真っ向から否を突き付ける姿勢は、世界各国勿論日本も含めて反感を抱かれやすい。それは政府高官から一般国民、老若男女貴賤を問わずである。それでも長年「怪獣による民間人の被害」が少ない域に留まっていたが故に、反発は穏やかなものだった。

 

 しかし”稚内事変”以降、それらは一変する。

 

 彼らは人々を襲う怪獣を賛美するカルト宗教だという意見が広がったのだ。反発世論はより攻撃的となる。それに対して怪獣共存派(コスモス)はと言うと……反発に対して攻撃的になる者、信仰に疑念を持つ者や教義の解釈で争う者も現れたりで、こちらもこちらで穏やかでない。

 「融和」を唱える者達が態度を硬化させ言い争う姿――見ていて気持ちの良いものではなかった。

 

 何れにせよ、今年の”モスラ祭”は何か好ましくない事態が起こるのは間違いない――それが反対デモの類ならまだましで、テロや暴動等なら冗談ではない。

 ましてや、もしそんな混乱時に怪獣が東京に現れればどうなるか――首都防衛という観点からすれば大きな問題だ。しかしかといって、特生自衛隊を首都防衛配備に駆り出すような大事にはしたくない。そもそも自前の軍隊を、その戦力を衆目にさらすことにまず抵抗があるのだ。

 

 ……と、ここで頼りにされたのがやはり”赤イ竹(レッド・バンブー)”であった。

 

 ”モスラ祭”が数日後に迫るにあたって現在東京湾を囲う様に配備されているのは、”赤イ竹(レッド・バンブー)”保有の強襲揚陸艦だ。一般人はその物々しい様子に多少の違和感を覚えつつも、数日後に迫る祭りの熱に浮かされるばかりである。

 

 ……今日は歳もそう離れていないランドウが直々にその護衛の段取りのミーティングに来たのだったが、始まったのは何故か満面の笑みの怪獣トークだ。どれだけ堅い話が始まるのかと用意していた資料は、ここに至って一度も開いていない。

 

「すみませんランドウさん勝手な勢いで語ってしまって……やっぱり、変に思っちゃいましたか?」

 

 少し恥ずかしそうな顔で、向かい合う席から顔を覗き込んでくるソテイラ。

 顔を赤くする上目遣いからは、テレビで見た衆生を前にしても臆することなく言葉を発していた凛とした姿からは想像もできない。……いや或いは、こちらの方が素なのかもしれないが。

 

「いえそのようなことは……ああ、いや()()()()()()()んでしたか」

「はい……わざとではないんですけど、その、ランドウさんはすごく解りやすいから」

 

 薄く微笑むソテイラ。彼女は世界最高域の感応能力者(テレパス)だ。

 己の思念を離れた相手に伝えるだけでなく、逆に周囲の人間の感情や思考の波を読み取ることもできる。

 とはいえ、どれだけ他者の心を読み取れるかという程度は、個人差や対象との相性の要素によるところが大きいという。……しかしその中でもランドウは稀に見る程”読みやすい”タチなのだそうだ。ソテイラが意図せずとも心が漏れてしまうほどに。……素直、ということにしておこう。

 

「勝手に心を読んでしまったことは謝罪します。でも、私がランドウさんにこの映像をお見せしたのは、ランドウさんに私個人の考えを自分の言葉でお伝えしたかったからです」

 

 訝し気に眼を細めるランドウを尻目に、視線をディスプレイに移していく。

 

「不謹慎と言われる事は間違いないですし、自分でもどうかと思う性分なのですが……私は怪獣が好きです。

 ダイナミックな存在感、人知の及ばない生命の輝き……人間に災いをもたらすこともあれば、逆に幸を齎すこともある。Gフォースはかつて怪獣の徹底駆逐と、そして霊長の誇りを取り戻すことに息巻いていたそうですが、私はそんなことはもう無理だと思っています。これを前に、人類が再びこの星の覇権を握ろうなどと、そこに意味はあるのでしょうか」

 

 紡がれる言葉には一切の迷いもない。彼女自身が常日頃から何度も何度も繰り返し続けている本心だということはよく理解できた。

 

「怪獣と人間の融和……決して不可能だとは思いません。私たちを害するものの方が遥かに目立つのは事実ですが、しかし友好的とされる怪獣が少なからず存在するのもまた事実」

 

 ――人類に友好的な気質を持つ、とされる怪獣のことか。

 

 怪獣というのはどれもこれも、基本的に人間と共有できる価値観や思考、情動は少ない。だからこそ相容れず滅ぼしあう仲な訳だが、その一方でそうでないものも存在する。その代表例が、以下に並べられる存在だ。

 

 

 “賢王”――コング

 “聖王”――ガメラ

 “女王”――モスラ

 

 

 彼らもまた、国を滅ぼし星を割るほどの権能を持つとされる、文字通りの王。

 

 危険性の判定ならそのいずれもが”魔王”ゴジラに匹敵すると見られている、特級域の怪物達だ。

 しかし……個々に事情は異なるものの、彼らは文明圏への攻撃・破壊活動と呼べるものを一切行っていない。人語を解すると考えられている彼らは、寧ろ積極的に人類に交信を図っている節さえあるという。

 

「私はそれがいずれ来る人類の新しい進化の形なのだと信じてやみません」

 

 強い口調で言い切るソテイラ。

 聡い子だと、強く実感する。ランドウなどより遥かに確固たる理想を見据えている。それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()世界の歪みの唯一の解決法なのかもしれないが……。

 

 

(しかし彼女の理想の果てに”人間の尊厳”は存在するのか? それは人間が怪獣の軍門に下り奴隷になるということではないのか?)

 

 

 その立場上、怪獣の暴威を間近で体感することが多いのがランドウだ。そんな彼にとって「怪獣との融和」という考え方は、内容の妥当性は納得はできても……心底からの共感は難しいというのが本音だった。

 

 

(いいや、そもそも――)

 

 

 果たしてこの少女は――人を悪意のまま貪り蹂躙する化外(怪獣)を前にしても、泣き叫ぶ犠牲者を前にしても、怪獣と人間の融和(同じ事)を唱えられるのか? 

 誰にも読み取れないほどの心の奥底で、ランドウ自身も意識しないまま、そんな邪な思いを抱くのだった。

 

 しかし何故そんな話を、初対面のランドウに――この悪名高い”赤イ竹(レッド・バンブー)”の専属調整官に。

 訝し気に眉間に皴を寄せるランドウに、新たな声がかけられる。

 

『それは貴方が、同じように世界の在り方に心を痛め、同じように唯一つ定かなる答えを求めて彷徨い続ける人だからでしょう』

 

 小さな、しかし不思議と際立つ声だった。

 天から降ってきたかと思う柔らかな響きを伴うその声は、事実として人間が発する言葉ではない。視線をその方向に投げれば、そこに想像通りの存在があった。小さく驚嘆の声を上げるランドウと、喜色を帯びた声を上げるソテイラ。

 

「――モル様ロラ様! いらしておいででしたか!」

『はい、久しぶりですねソテイラ。そして、初めましてランドウ様』

「……っ」

 

 ランドウと向かい合う形で隣接された机の上空に、まるで重力など感じない様にふわりと降り立つ2人の妖精。

 

 緋色の薄衣に身を包んだその姿態は精々20センチメートル位のもので、そんなあまりに非常識な存在なのに、そこには一切の不自然さを見いだせない。

 何故ならば。

 視界に入れた瞬間に直感的に悟るのだ――彼女たちは何よりも正しく、そして世界の調和を司る者なのだと。

 

 

 データでは知っていたが、まさか本当に、生で見ることになるとは――小美人(コスモス)

 

 

 瑕疵など欠片も見出だせない、美しき造形。こんな殺風景な会議室に似合わない、華やかな存在感。

 しかしそれは、目にうるさい華美さなどとは程遠いものだ。そういう圧迫感を齎す類いのものではなく、寧ろ雄大な景色を見た時に感じる清々しさ――つまり自然美に近いものであった。

 

 妖精――モル、ロラは、ランドウから見た左右それぞれが、カーテシーに似た独特の礼をする。

 

 ”怪獣共存派(コスモス)”の名前の由来でもある彼女らは、曰くかつて太古の時代に地球を支配していた先住民族の生き残りなのだという。守り神であるモスラと共に、絶海の孤島であるインファイト島で揺蕩い続けてきた妖精。先史時代の遥か彼方から人類を見つめてきた、文字通り歴史の生き証人だ。

 

 人間側の環境汚染やゴジラの活発な活動によりその眠りは妨げられた形になるが――この30年間、彼女らは手の平を返すように積極的に市井と交わり続けている。

 

 未来予知能力で人類に仇なす怪獣の存在や災害を予見するのは当たり前。避けられぬ悲劇が起こったならば世界のどこであろうと飛んでいき、その慈愛の歌で悲嘆にくれる人々を慰撫し続ける。精神的な支えだけでなく、その数千年を超える膨大な知見が人類側の文化・文明に与えた恩恵は数知れない。

 

 ”怪獣共存派(コスモス)”がここまで巨大な組織に膨れ上がった所以も、元を辿れば彼女らの存在にあるのだから……。

 

 何ら示し合わせることなく、モルとロラが同時に口を開く。

 

『ランドウ様、立場は違えど貴方もまた、ソテイラ同様、この世界に歪みを見出す存在です。この()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()世界――しかし貴方は真摯に向き合い、そこに答えを見出そうとしておられる。どうか、その魂に喝采あれ。その魂に安息あれ。

 実は貴方とこの場で話をするようにソテイラに申し付けておいたのは、私たちなのですよ』

 

 雲の上のような存在が、所詮何者でもない自分如きに話しかけている事実に戸惑う。自分達が目をかけているソテイラの、そのたまたま近くにいた人物への形だけの労い、という訳では決してない。観応能力(テレパス)などなくても、それは理解できる。彼女らは本心から、本音の評価をランドウに向けていた。だからこそ意味が解らない。

 ランドウの困惑をよそに、ソテイラが興奮と共にランドウに駆け寄ってくる。

 

 

「ランドウさん、私は憎しみや不信に瞳を曇らせ、誰も彼もが互いを”敵”と見なすこの世界を変えたいんです」

『私達は貴方様こそが、真にこの世界の”■■”たる器であると――』

 

 

 

 

「――――くだらん馴れ合いだな。お前らまとめて死んだほうがいいよ」

 

 

 

 

 突如として会議室のドアが蹴破られた。同時に仰け反りそうになるほどの、沈むような怒りの念。

 向けられた感情に、脊髄に電撃が走るのを感じた。こんな情動を発することができる人間は、少なくともランドウは1人しか知らない。他にいるなら、連れてきてみろと言ってやる。

 

 それを高感度な感応能力(テレパス)でまともに受けてしまったソテイラには同情するしかない。立ち眩むように座り込む彼女に駆け寄りながら、ランドウはそちらに視線を投げた。

 

 ぎりぎりと歯を軋らせる音は、もう随分と慣れ親しんだものだった。

 

「……パネト」

 

 ”やってしまった”と言わんばかりに頭を抱えるハルオの姿が、後方に続く廊下の曲がり角に見える。

 碌なことにならなそうだから、ここには必ず近づけないという話ではなかったか。

 

()()()()()()がするから何かと思えば。黒木ソテイラ――名前だけは知ってるぞ。なるほど、薄汚ねぇ奇形の小人共も一緒なのか」

 

 パネト・ヘイトスピーチと黒木ソテイラ、決して会わせてはならないと事前にハルオと示し合わせた2名の、あってはならない会合であった。

 

 

 

 ――そして、冒頭へと戻る。

 

 会議室のパイプテーブルを挟んで向かいあう両者。先程までは和気あいあいと理想を語り合っていた会議室は、その面影なく吹き荒ぶ異様な空間となっていた。

 

「高尚なお題目は必要ない。憎むから”敵”が生まれるんじゃない。”敵”がいるから憎しみが生まれる。敵を憎むのに理由はいらない。そして怪獣は全部敵だ滅ぼさずにはいられん」

 

 死人ですらもう少し色があろう土色気の顔に、掠れた声。捻じれた手足でまっすぐ立つことすらおぼつかない。そのくせ血走った双眸だけは真っ直ぐに正面に立つソテイラを凝視している。それに対してソテイラは不安と困惑を隠せないという様子でたじろくばかりだった。怯え切ったその瞳は当然の反応だろう。ランドウとしては見守るしかない。

 ややあって言葉を選ぶように、ソテイラはゆっくりと口を開いた。

 

「突然何かと思いましたが。……ええ”見敵殺滅”――貴女の事は知っています。”赤イ竹(レッド・バンブー)”に1人、とても目立つ女の子がいると……私と同じ超能力者で」

 

 そして、小さく咳払いをして。

 

「貴女の仰りたいことは理解できます。相手への憎しみや不信が先にあって敵を生み出すのではなく、状況が敵を作る。取り返しのつかない感情のすれ違いとはそこから生まれる。しかしだからこそ、”敵”なるものとは、そもそも本来分かり合えるに違いなかった存在だったのではないかと思いませんか? それは利害や立場が生み出す状況の違いが生み出した幻想にすぎないのに、そんなものに捕らわれるのは愚かで何より非生産的でさえあります。価値観の違いなど些細な問題です。わかりあえるし、認め合える。そうするべきなのです。怪獣とさえ――」

「は、ははは。意味が分からん理解できん、気持ちが悪いぞ吐き気を催す」

 

 机にもたれるようにして身体を支える少女は、乾いた笑いと共に続ける。

 

「やはり、狂人の発想だな。自分と意見や価値観が違うヤツを認めようとする意味が分からない。ソイツは、お前にとって不利で不愉快なものを周囲にばらまき伝染させる悪性腫瘍だ。価値観ってのは伝染病なんだよ。駆除しないと、この世にお前が嫌いなものが満ちていく危険性があるとは思わないのか? 怪獣なんか特にそれだ。奴らがいるだけで人間にとって重要な資源がどれだけ砕かれていくという? 奴らは歩く災害だ。生きている不良債権だ。そうさ、怪獣に限った話じゃない。人間含めてこの世には滅ぼさずにはいられない”敵”が多すぎる。無論、その中にはお前たち”怪獣との融和”を唱える物狂い共もしっかり含まれているよ」

 

 あまりの放言に、思わず動揺。言葉を失う――すぐに童顔を朱に染めて、ソテイラは椅子を倒す勢いで立ち上がった。

 

「……っ、わかりませんっ! どうしてそこまで極端なものの考え方をしてしまうのですか?」

 

 心底から貴女が解らないから知りたいのだ。貴女と分かり合うために――そう懇願するようなソテイラの表情。憂いとも哀憐ともとれる揺れる瞳。

 差し伸べられたその思いは、しかし舌打ち一つと共に拒絶される。その表情も仕草も向けられる感情も、その全てが癇に障ると言わんばかりの白けた表情。ささくれだった指先で頭をぼりぼりと掻き毟りながら。

 

「嗚呼、しかしこれでも妥協してやっているんだぞ? 本当はお前たちを皆殺しにしてやりたくて仕方がないのに、お前たちの様に酔狂なことを標榜する狂人達があまりにも多すぎる。多数派だ。これには勝てない。仕方がないから今だけは視界に入れないでやっているオレの寛容と忍耐は、もう少し評価されてしかるべきだと思うのだが。ああ、そもそも黒木ソテイラ、お前には――」

 

 もうそこまでにしろ、我に返ったランドウがそう制さんとした時はもう遅かった。

 ソテイラのかさかさに罅割れた唇が、歪んだ弧を描く。

 

 

「お前にはオレと同じ、”怪獣殺し”の血がたっぷり流れているじゃあないか。なあ――黒木翔、お前の親父殿がどれだけの怪獣を殺し続けたと思っている? 怪獣との融和を唱えるなら、まずはその身に流れるくっせぇ血を根こそぎ入れ替えて禊を済ませるところから始めるべきだと思うんだが。ああそれとも……」

「――父さんの事は関係ないっ!!」

 

 

 悪意に満ちた声を無理やりかき消す様な、きつく強く震えるような金切声。

 あまりに大きな声で、思わずランドウは中腰のままぎくりと視線をソテイラに向けた。パネトですら不審にその眉をひそめている。

 

「父さんの事は……あんな人の事は、関係ないよ……」

 

 それは、初めて見る表情だった。

 天使のように柔らかな少女に、こんなにも激しい情動があるとは信じられなかった。目元を歪めながら唇をかみしめるその表情は、泣きじゃくっているようにも苛立ちにかきむしっているようにも見えた。

 負の情動が激しく深く爆発して流れ出しているのは間違いなく、それは彼女自身でも止められない様子で……。

 

「……ひどいよ」

 

 肩を震わせる少女は、込み上げるような低い声で一言そう漏らして会議室から飛び出していった。ランドウの横を走り去る際に「ごめんなさい」小さな呟きを残しながら、ソテイラは廊下を真っ直ぐに走っていく。

 しばしランドウは茫然としていたが、数秒経って我に返る。

 

「ったく――この、ああ、もうこの馬鹿、立場ってものを、糞が、もう少し考えないのかッ!?」

 

 もつれる舌を必死に回す。パネトに唾を吐く勢いで叫び散らしながら、ランドウはソテイラを追いかけていった。

 

◆3◆

 

「パネト、ランドウの言う通り立場を考えろ。彼女の心証を悪くすることに”赤イ竹(レッド・バンブー)”としてのメリットは欠片もない」

「それは組織としての体裁の話か? 関係ないな」

 

 ハルオの諫めの言葉もどこ吹く風という具合で、パネトは視線すら向けなかった。そもそも彼女は怪獣を殺滅すること以外にこれといった執着を示さない。

 身体を支えさせていたパイプテーブルから上体を離し、ふらつきながら歩きだす。

 

「あの女が、おんな腑抜けた理屈を並べられるのは、所詮は現実を知らないからだ。”敵”がいることを知らないからだ。そこに戦場があって敵がいる事実を知らなければ、知りさえしなければ、オレだってもっと優しい人間になれただろうよ。それとも――」

 

 踵を返して、パネトはじろりとハルオを睨みつける。

 

「……お前まで、オレを否定するのかハルオ」

 

 怒りの籠ったその声と視線は……しかしどこか、憂いと怯えの色を帯びているように見えるのは錯覚だろうか。お前(ハルオ)だけはオレの側であってくれという、どこか懇願するような、執着するような響き。

 歯をむき出しにする怒りの表情の陰に、幼子のように身を震わせる姿を垣間見てしまったからか。ハルオはもう何も言わずに頭を振って、しっしと手を振ってパネトを会議室から追いやった。

 

 深いため息と共に、ハルオは用を為さなくなった会議室内の崩れた配置を元に整えていく。ディスプレイに投影されていたベビーゴジラの映像に何とも言えない苦い視線をしばし向けた後、プロジェクターの電源をオフにする。

 

 ……ハルオは先程の両者の言い合いの際、引き止めもしなければどちらの味方をするということもなかった。彼はランドウとは違い、パネトを制するだけの実力はあったしそれをするべき立場でもあった。それでも尚黙って眺めていたのは、無気力故ではなく――あえて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ……そう、ハルオ・サカキは常に物事に対して距離を置いたところに立っている。相手が何に悩んでいても怒っていても悲しんでいても決して深入りせず、一歩引いたところから言葉を投げる。決して感情を表に出したりはしない。

 しかしそれは何事にも無関心、知らんぷりというのとは全く違うのだ。彼とて人が犠牲になれば悲しみ、理不尽には怒りを覚える真っ当な感性はある。しかしその本心は決して見せず、積極的に構うことはしない。

 

 その在り方が無責任と言われれば否定しようがなく……しかし、それで不始末が起こったならば躊躇なく己の首を差し出す所存でいた。

 

 それは彼が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と確信しているからだった。あるべきでない人間が、他人に何か干渉するべきではないというどこか自罰的な想い――彼は己がここで生きて呼吸をしていること自体が何かの過ちだとすら考えていたから。

 

 

 ふと、ハルオは顔を上げて向かい側のサイドデスクに視線を投げる。そこには、先ほどから一切の存在感を出すこともなく一連の騒ぎを黙って眺めていた小美人(コスモス)の姿があった。重力を感じさせない風情で中空に浮かぶ彼女たちに、内心気をそそられるのは事実ではある。しかし一切それをおくびに出さず、ハルオは一礼と共に会議室を出ようとした。

 しかしその時。

 

 

『ハルオ・サカキ殿』

 

 

 その背に、声が投げられる。

 天井の女神とも違わぬであろう響きを帯びたその声は、常人であれば畏敬に打たれることは間違いないだろう。しかしハルオはそれに構うことなく足を進める。

 

 

 

 

『言い換えましょう、()()()()()()()e()()()()()()()()()()()()()()()()殿()

 

 

 

 

 

 ぴたりと、その足が止まった。その全身が、びくりと硬直したのが分かる。

 

『私達がこの30年間、人類と関わるべきではないと理解しながらも交わり続けたのは、何より貴方の存在を確かめたかったからです。貴方とお会いしたかった。そう、全てはこの瞬間のためだけにありました。この会合も、元とは言えばその為だけのものです』

 

 隠しきれない動揺は、しかし煮えたぎる情動に変わってハルオを突き動かした。凄まじい速度で振り返り、両の眼球を背後に浮かぶ妖精に向ける。

 

『どうか、異世界からの転生者――こことは異なる世界における”■■”だった人よ。どうか、私たちに教え――』

「何が聞きたい」

 

 遮ったのは、低く響く太い声。

 息苦しく澱むような、ハルオのその無表情。しかし鬱血するほど握りしめた拳と、むき出しの歯を見ればどういう情動を抱いているかは火を見るよりも明らかだ。

 

「もう一度聞くぞ、何が聞きたい」

 

 答えによっては――。

 一歩ずつ妖精たちに近づいていく。両者の視線が交差する。

 

 

 ハルオは目を細めた。

 握りしめたその拳を振り下ろし、肉塊にしてやることに一切の躊躇いはないという眼光だった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 ”■■”の回想

何とかvsスペースゴジラの部分までこぎ着けたかったのですが、あまりの遅筆にどうにもならず ( ´Д⊂
一先ずキリのいいところまで投稿しようと思います。


舞台はアニゴジ3章のラストシーンから


 ――俺は、誤りに満ちた存在だ。

 

 

 未熟と失敗、妄言と思い込みの繰り返しの果てに、今ここにいる。

 無念はあるし、後悔は山ほど。俺のせいで何人も死んだ。俺のせいでどれだけの運命が狂った。思い返すだけでこの胸を引き裂き、頭蓋を潰してやりたくなる。

 

 しかし……ああすればよかったとか、もっと違うやり方が無かったのかとか考えてしまうと、不思議とこれしか道はなかったのだと受け入れてしまう自分がいる。確かに最善の道では無かったのだろうが、それでも唯一の道ではあったのだと言い切れてしまう。

 ここに至ってなお、そんなことを嘯く恥知らずに辟易してしまうが、それが事実なのだから仕方がない。

 

 最初から生まれてくるべきではなかった業人――と誰かが俺を誹ったのならば、確かにそこは頷こう。否定しようがない事実だ。

 しかしそんな自分の存在を、自分自身の言葉で拒絶してしまうのは、俺だけでなく俺という存在に連なる全ての人々の魂と尊厳の否定だ。俺という命に希望を託して祈り()の名を授けた両親への冒涜だ。

 それはできない。それだけはできない。

 

 俺は自分が”■■”などとは程遠い、どうしようもない罪人だということはとっくに自覚している。それでも……いやだからこそか。俺には責任があって、やらかした全てから逃げることなどできない。安息など以ての外で、つまり俺が俺を拒絶する(逃げ出す)ことはありえないんだよ。

 

 分かるか■■■■■■、お前はそこを読み違えた。

 

 だからこそ俺はあの最期にも納得していた。糞を煮詰めた糞な理に支配されたこの世界に、どうにか一矢報いてやったのだと――ある種の心地よささえ覚えていた。

 

 

 

 だけど、なぁ――これはいくらなんでも、ありえないだろう。

 

 

 

 

 

◆0◆

 

 

「――分かるかゴジラ! 貴様を憎み、貴様に挑む最後の一人がこの俺だッ!」

 

 

 耳にやかましい警告音。視界を覆うように赤一色のエラーメッセージがヴァルチャーのモニターに次々表示されていく。しかしそんなものは意識の片隅にもに入れやしない。

 心臓が早鐘を打つのが解る。全身の体温が上がったり下がったりの乱気流だ。生身で堪えるなど想定されていないGの圧力に意識が遠のくのを感じるが、全て等しく無視だ無視。

 

 モニター越しに見えるのは、この24年間の生涯の全てを賭けて憎み切ろうとした存在――ゴジラ。

 

「貴様が奪った命に、壊した夢。その全てを背負い――果てに今、俺はここにいる!」

 

 カラカラに乾いた喉に血が滲むほど叫んだ。

 

 解放された気分だった。

 ここ最近抑えつけていた不満や葛藤が、ゴジラへの憎しみへと転化されて吐き出されていく。

 震えているのは興奮ゆえか恐怖ゆえか。口端が吊り上がっているのに、視界は涙に滲んでいく。感情と理性がバラバラになっていて使い物にならないのが分かった。――なるほど、くたばってやるには最高のコンディションなのは間違いないようだ。

 

「もしも貴様が本当に破壊の化身だというのなら、今度こそ残さず焼き尽くしてみせ――」

 

 数秒後に確実に訪れるだろう死の結末を迷いなく受け止めていたトランス状態の精神に水を差したのは、痛みだった。

 身を支えていたものが急になくなり、身を乗り出す形でその勢いのまま正面モニターに顔面が激突する。

 

 見れば、体重をかけて握りしめていたレバーが液体状に融解していた。うぞうぞと動く菌糸状のナノメタルが、俺の指先を包み込んでいる。

 ゴジラに捨て身で突っ込むという正気ではない操縦に、ナノメタルは搭乗者の錯乱状態を認定したらしい。独断でコンソール操作に干渉していた。シートのハーネスを解除していたのが祟ったようだ。

 

 既にこの勢いにあっては、ナノメタルの力をもってしても姿勢制御は不可能だろう。仮にそれが叶っても、この距離ではゴジラの熱線は避けられないだろうが。……その哀れで無意味な抵抗に、今から自分が潰そうとしている文明の萌芽の悲鳴――そして飽くなき繁栄を求める霊長の宿痾を垣間見た。

 

 指先が銀色に覆われていく姿は、まるで何時ぞやかの再現だ。網膜の裏にまで焼き付いた、あの地獄的な光景。

 

 片腕に掻き抱いた少女の存在を、その重みを今更に感じた。

 

 確かな胸の鼓動と息遣いを感じる。こんな風になり果ててしまっても生きているのだ。こんな惨たらしい姿にしてしまったのは俺で、守ると誓った筈の存在なのに。生まれてから今まで、優しいものなど見たことが無かっただろう少女……。

 

「知るかよ」

 

 胸に抱いた一瞬の無念を、割れよ砕けよと歯を食いしばって振り払う。

 死の間際に至ってなお、この無様な男は悟りの境地から遠いらしい。

 俺は全ての過ちにケジメをつけるためにここに来た。こんな痛みも矛盾も、とうの昔に覚悟していた筈。

 

 

『――しかしこれは、果たして心底から望まれた結末なのか?』

 

 

 今度は奴の声が聴こえてきた。

 馬鹿馬鹿しい。あいつは死んだ。俺が殺した。死人はもういない。これは全て、俺の愚かしさが生み出した妄想だ。

 なるほど、もしかしたらとっくに俺は気が狂っているのかもしれない。間違いない、こんな無様を晒す男が正気であっていい筈がない。

 

 

『エクシフだの地球人だの、勝手な意味づけに起因するポジショントークは今はやめておこう。この際、私も献身の使命を忘れた。だから一個の霊長として……心の底から君を愛している個人として、伝えたい』

 

 

 こんな時まで俺の足を引っ張るのか。やめてくれよもうすぐなんだ。

 身を乗り出した先の視界には、臨戦態勢のゴジラが映ってる。見ろよ、正面からでも背鰭が稲妻の光を瞬かせてるのが解る。後コンマ数秒で俺は死ぬ。

 

 

『これは妥当で穏当で納得のいく結末ではあるのだろうが、不愉快だ。そうだ、君には、もっと――』

 

 

 ならばいいか――今際になってお前の声を聴くのも悪くない。

 

 思い返すほどに、糞を煮詰めたような生涯だったと実感する。

 

 心底から幸福だったと断言できるのは、フツアの集落で過ごした数カ月くらいのものだろう。

 あの日々のために、生きてきたと思えば。あそこで俺の命を繋ぐことができたというのなら、俺の命にも真っ当な価値があったといえるのだろうか。

 ああ■■■、俺の運命。

 この広い銀河の中で唯1人、俺の命に繋ぐ重みを見出してくれた、俺の光。

 誰よりも君の事を近くに感じている。

 君のおかげで、俺は俺の命を肯定できたのだから。

 

 けれでも君には、何もしてやれなかった。

 君に、繋ぐこと(勝利)の、その尊さを教えてもらって、俺もその勝利に殉じるつもりで君と番った。

 その癖結局、果てに選んだのはこの有り様だ。

 

 嗤ってくれ――信じがたい背信、許しがたい不義、なんという不誠実。

 

 

 ああどうして、

 俺はなんで、

 この世界はどうしてこんなに、

 

 

 

「――ああどうして世界はこんな風にできてしまっているんだ!」

 

 

 

 閃光。

 熱い風が通り抜け、心地よく身を包んだ。

 もう何も見えない。何も感じない。わからない。

 

 

 俺は、――――

 

◆1◆

 

 

「――……あの死の間際で無念を覚えてしまった。その末路がこれだ、定かならぬ命を抱えて、今ここにいる」

 

「千載一遇の機会を逸した。死ぬべき時に疑問を覚えた。その無様の証が、”これ”なのだと俺は認識している」

 

「皆が望んだハルオ・サカキからすれば絶対にあり得ない無様――()()()()()()()()()()()結末だからな」

 

「今の俺は――前世、といっていいのかわからんが、その俺のやらかしから生まれた搾りかすの様なモノなのだろうな」

 

「つまらない話だったろう?」

 

 

 そこまで喋って、ハルオはゆっくりと顔を上げた。あれから幾何の時間が流れたのか、時刻はもう夕暮れに近づいていた。その間ハルオは迷いも淀みもなく話し続けて、対する小美人(コスモス)もまた口を挟むことなく傾聴していた。

 

『ありがとうございます、ハルオ・サカキ殿。しかし自虐はお止めになってください。滅びの先にある安息に逃避せんとする忌まわしきに抗い続けた魂。その命の輝きの、なんと猛々しく、誇らしいことか――』

「不相応な評価痛み入る。しかしこれは自虐ではない。確かに俺は、滅びの先の安寧の道を拒絶した。俺自身を拒絶することは、即ち俺に連なる者達の……全うに生きた命の尊厳の否定に他ならないと感じたからだ。

 しかし()()()が生まれた所以が()()()()の過ちにあるならば……その理屈に基づけば、どれだけ責め立てても足りないということはないだろう」

 

 それにしても――異世界転生。こことは違う世界での戦い。前世の記憶。 

 

 曰く、特攻の果てに待っていたのは天国でも地獄でも完全な虚無の世界でもなく、何故か存命の両親の手の中であり――しかも自分は赤子の姿になっていて。

 混乱は大きく、声に出そうにも泣き声にしかならない。最初は時間逆行か、或いは並行世界に飛ばされたのかと思ったが――そうではないことは直ぐにわかったという。

 

 いずれにせよ、その全てがにわかには信じがたい荒唐無稽な話である。いや寧ろ彼自身が疑いなく信じているのが不思議な位だ。悪い夢、妄想の類だと思い込むのが普通だろう。

 だが、その自嘲するような笑みに、哀しいほどに昏い瞳。それらは理屈ではなく直感でハルオの語りが真実なのだと訴えかけてくる。

 

 そんな姿を前に思うことがあるのだろう。小美人(コスモス)は痛まし気に眉を顰めた。

 

『しかし貴方はもう、十分以上に苦しんだのではありませんか? こうして再度の生を奇跡的に得たのなら、今度こそ人としての当たり前の幸福を掴――』

「それは違う」

 

 切って捨てる様な否定の言葉。

 

「転生を果たして新しい命を……二度目の機会(チャンス)を得ることができたなどと……。そんな脳に砂糖をまぶした様な愚考を思考の片隅に入れること自体が、俺が死なせた人々への侮辱だろう」

 

 そう吐き捨てる様に言い立てると、ハルオは乱暴に会議室のパイプ椅子に座った。筋肉質な彼の体重を受けて安い作りの椅子がぎしりと音を鳴らすが、歯牙にもかけず小美人に顔を向ける。

 彼が椅子に座ったことで同じ高さになった両者の視線は、正面からまっすぐ向き合う形になった。

 

「俺のことは大概話した。まだ話していないことも多くあるのは認めるが、それはお前たちの話を聞いてからだ小美人(コスモス)。俺がどこから来たのか――何故お前たちが知っているのかは、この際聞かない。代わりにお前たちの目的を話せよ。俺に何を求めている。この怪獣との終わりなき戦いを続ける世界の果てに、何を見据えているというのだ」

 

 正直に話せよ誤魔化しは許さん――求められない限りは沈黙を貫くのがハルオだ。それは彼のポリシーであり、それを基準にすればいつになく饒舌なその姿。挑むように女神(モスラ)に仕える妖精を睨みつけている。

 

「この世界も大概どうかしているが、前の……あの世界に比べれば兆倍マシだ。何よりこの世界にはランドウがいる。嘗ての俺が置かれた状況に近く、しかし俺とは違う視座を持ち、俺とは違う答えを掴もうとしている若い萌芽だ。誰にも摘ません――”■■”だと? あんな趣味の悪い生贄にあいつを捧げるなどありえない」

 

 その言葉に二輪一対の妖精は穏やかに微笑んだ。揃えられたその所作には一切のずれも違和感もない。比翼――という言葉が自然に浮かぶ。

 

『それは私たちも同じです。ランドウ様に――確かにまだ未熟ではありますが、その眼差しに確かな光を見いだせる存在です。……しかし今の世界は、それで胸をなでおろすには、見過ごすことのできない絶対的な危険因子が存在する』

「ゴジラか」

 

 ハルオにとっての驚きは、この世界にもゴジラが存在すること。地球の王(アース)と比べれば幾分小柄だが、同じ様に二足二手一尾一頭の怪獣。背中に誂えられた背鰭も間違いない。口から破滅の火を放つのも同じだ。だから姿形はとても似通っていて……しかし決定的に違っているのは、こいつは人間を決して襲わないという点だろう。同胞である怪獣のみに力を振るい続ける一方で、人間社会には指一本触れようとしない。

 

 ならばよいではないかと? 冗談を言うな。勿論ハルオも()()()()()()恨むべき敵だ――などという妄言を今更吐くつもりはない。

 しかし、あの姿。

 

 例え地球の裏側だろうと、憎悪の叫びと共に直進し怪獣を欠片も残さず焼き殺す姿。

 地球の王(アース)よりは確かに小柄なのだが、だからこそ恐ろしい。その小さな身体には、ドロドロとした黒い怒りが消えぬ焔となって、恒星すら焼き尽くすほどの圧縮された熱塊として蠢いている。瞬きすらせず見開いたままの血走った眼球には、殺意以外のものなど感じられない。

 

 そう、言語化できる感覚ではないのだが、あのゴジラは()()()()()()()。それは有する怒りの桁なのか、背負う呪いの量なのか……いや、きっとそこではない。

 

 

「解せん。何故……いや、奴は()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 かつてハルオが相対した地球の王(アース)とは、あまりにも対照的だ。

 哲学者を思わせる静かな瞳の奥に何を宿していたのか、何を思い何を考え戦い続けていたのか。余人に伺い知れぬ、考えていくほどにぼやけていく超然とした無貌が地球の王(アース)だとするならば、今代の魔王はいっそ清々しいほどに単純だ。

 

 このゴジラは、あからさまに、とてつもなく解りやすく怒り狂っている。

 

 殺意と憎悪の感情をむき出しにして、それ以外のものを焼き捨てながら突撃するその姿。怒りの化身としか形容しようがなく、誰しもがそう同じ感想を抱くだろう。

 

 そう、そして怒っているということは――当たり前の話だが――そこには怒りの対象が存在するということだ。

 ならばしかし、奴は一体何に、何故そこまで怒っている?

 

 人類の存在に怒りを覚えている……などということはあるまい。

 「傲慢な知的生命への罰」だの「自らを生み出した人類文明への復讐」だのと、そんな使い古された表現は全く当たらない。何しろ奴は全くと言っていいほどにヒトを襲わないのだから。怒りの矛先が人類文明に向いていないのは明白だ。

 

 偏執的に怪獣(同類)を攻撃するその姿から判断するなら、その怒りの対象は怪獣(同類)にあるということになりそうだ。しかしそうすると、その”動機”がますます理解できなくなってしまう。奴が怪獣(同類)を憎悪する理由などどこにある?

 

 

 ……いずれにせよあまりに不吉が過ぎる存在で、そんなものに支えられているこの世界には危うさしか感じられないのだ。

 

 

『この世界は、未だその全容を明らかにしようとしていません。不安定で、揺れ動いている。”敵”はいずこに――誰もが滅ぼすべきそれが何なのかを追い求めて彷徨っています』

 

 この時、両の妖精の振舞いに変化が起こった。

 一糸乱れず揃えられていた所作が、入れ替わり立ち替わりのものに変わったのだ。1人が話している間、もう1人は深く重く、祈るように眼を閉じている。それに果たして何の意味があるのか――。

 

『どうか、異なる世界の”■■”だったお方よ。稀人たる貴方の力を貸してほしい。彼を誰よりも近くで支え、正しく導いてあげられる先人が必要なのです』

「……俺に■■■■■■の真似事をしろと言いたいのか」

『そうではないことは、貴方もよく分かっているでしょう。()()()()()()貴方にしかできない、貴方なりのやり方で、彼を――この世界を真に善なる道へと導いてほしい』

 

 苦い表情を浮かべるハルオに、小美人(コスモス)もまた微苦笑で返した。

 

『それは少なくとも、今の貴方の在り方と比べれば遥かに穏当で、意味のある道でしょう。……貴方は死に場所を求めていらっしゃる。違いますか?』

「否定はしない」

 

 端的な回答には、想像を絶する痛烈な想いが込められていた。まるめた背中に、掠れた声。まるで季節を重ねて、何度も風雪に削られた老木のようだ。

 

「招かれざる客である俺は、存在するだけでこの世の理を乱すだろう。為すべきことは、既に前世で終えているんだ。ならば後は自分の存在にケリをつけるだけ――最悪の修羅場で誰にも気がつかれずに朽ち果てることが望ましい。……そう考えていた。今もなお、それが正しい在り方だと思っている」

 

 小美人(コスモス)の姿を正面から見据えながらも、しかしハルオの眩しく細められた眼はどこか遠くを見つめていた。寄り添う妖精の姿に、ここではない何処か、とても懐かしい人を重ねている様だった。

 

「だが……まぁ、いいだろう話は分かった。なら最後にこの質問に答えてみろ」

 

 挑むような口調。しかし疲れたように肩を落とすその姿からは挑発や警戒の要素は感じ取れない。

 

 ……次の言葉までにしばしの逡巡があった。時間にすれば10秒に満たない程度。しかしハルオにとって、その単語は発するにはあまりにも重く、決心を要するものだったから。

 

 そして――

 

 

 

「――問うが、”■■■”についてお前達はどこまで理解している」

『それは』

 

 

 

 黒く塗り潰されたその単語は、この世界の人間には発音は疎か、聞き取ることもできない外世界の深淵に由来するものか。いやこれは――きっと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()認識することすらできない、真言。

 

 表情を堅くする小美人(コスモス)に、それを突き通す程に鋭く見つめるハルオ。

 ややあって、どちらともなく口を開こうとしたその次瞬だった。

 

 

「がぁ――」

『そんな――っ!?』

 

 

 椅子から転げ落ちるハルオに、糸が切れたかのように中空からテーブルに叩き落とされる小美人(コスモス)

 

 前触れのない、あまりにも唐突な衝撃。地響き。

 

 地震――などでは断じてない。

 

 揺れているのは確かだが、それは地面だけではなかった。大気が、空間が、いやこの星の内界そのものが――物理的に沸騰するように揺らいでいた。この地球という星自体が恐怖に慄いていた。つまりハルオ達自身もまた震えていた。その総身が、その精神が引き裂かれるような衝撃に襲われていた。何かが泣き叫んでいるのを感じた。

 

「何が起こっている……!?」

 

 衝撃の余波が覚めぬ中、()()()()()()()()()身を起こすハルオ。軋みを上げる会議室にあってすぐさま冷静を取り戻した彼は、その猛禽を思わせる鋭い双眸を小美人(コスモス)に向けた。

 しかし肝心の小美人(コスモス)はと言えば――

 

『そんな……早すぎる』

 

 似合わない冷や汗に、苦渋に歪んだ表情。慄きながら天井を見上げていて――いや、違う。見ているのはもっと上。雲の彼方、月よりも遠く、宇宙の向こう。

 

 

 

『スペースゴジラ……どうしてっ』

 

 

 

 なんの予兆も伏線も前触れもない。あまりにも唐突で、誰も望んでいない超展開。

 

 

 小美人(コスモス)は、地球に飛来した、そんな絶対的な危機の正体の名前を告げるのだった。

 

 

 




ちなみにアニゴジ本編だと栄養不足による成長不良でしたが、こちらのハルオは180越えのソフトマッチョという設定。
また食うに困った記憶の反動か、かなりの大食漢でもあります。

ナノメタルもゲマトリア演算もないのに素面で対怪獣兵器ボカスカ量産してるVS世界にはドン引き気味。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 結晶の襲来◆

 ――ある日唐突に、滅びが訪れる。

 

 せめてそこに何かの伏線があってほしかったと望むのは、滅びゆく者の泣き言にすぎない。 

 それとも何かしらの前触れさえあったなら、対処はできたとでも言いたいのか。

 

 嗚呼、なんと愚かしすぎる負け惜しみか。予兆が起こった時点で全てが遅いと気付くべきだ。

 前提としてそれだけの能力があったのならば、そもそも滅びの因子など生まれなかったのに。

 

 

 

◆1◆

 

 すごい疲労感だ。

 

 俺の全身を巡っているのは、さては血ではなく疲労と憂鬱ではなかろうか。

 本日何度目かのため息でこのストレスを吐き出せないかと試みるが、排出されるのは二酸化炭素と水蒸気だけだった。

 

 ……最近はずっと、やりたくもないことばかりやらされている気がする。

 

 俺は、矢口蘭堂はずっと一角(ひとかど)の人間になりたかった。それは単純に出世したいというのとは、だいぶ意味は違う。

 しかしそれが今や”赤イ竹(レッド・バンブー)”などという煽り抜きで気が狂った暴力的集団の準構成員にされかけているのは、一体何の冗談なのだろう。

 

「くそ」

 

 思わず毒ついた。嗚呼、ハルオ――俺の苦悩に正面から耳を傾けてくれるのはお前だけか。

 あちらこちらに跳ね回る思考。頭を振って今やるべきことに切り替えた。

 

 会議室を飛び出してしまったソテイラを追い掛けて1時間。

 中々見つからない彼女を探す過程で、抱え込みすぎた仕事を同時平行で済ませていたらすっかり夕暮れ時になってしまった。

 

 そんな意気消沈といった具合で2階の廊下を進んでいるとき、視界の隅に映った人影。

 見れば、中庭の煤けたベンチに縮こまる様に座り込む少女の姿があった。ぼんやりとした視線をひび割れた壁に向けている。

 

 やっと見つかったという安堵よりも、申し訳無さの方が勝った。

 そりゃあショックを受けているに違いない。あんな非常識という言葉も生温い、どうかしているパネトの暴言。あんな悪意を目の当たりにすれば……。

 

 きっとヒトの、世界の善性というものを当たり前に信じて優しい理想を掲げていたに違いない少女にとっては、あんな狂人の存在自体が裏切りだ。

 

 あくまでも彼女は、まだ15歳の少女なのだから。支えてやるのは大人の役割だろう。

 

 しかし父親と折り合いが悪いだろうことは察してはいたが、まさか名前を聞いただけで泣き出すほどだったとは。

 

 黒木翔――面識こそないが、その英名はあの芹沢博士にも並ぶカリスマとして聞き及んでいる。

 活動規模や怪獣への即応性こそ”赤イ竹(レッド・バンブー)”にだいぶ水を開けられてはいるのは確かだが、彼と彼が率いる「特生自衛隊」の戦果は今なお唯一無二だ。絢爛とその名が怪獣史に刻まれた、まさしく生ける伝説だろう。

 

 そんな父娘の思想が相容れないのも当然で、不仲になるのは言うに及ばずか。

 (ソテイラ)の活動を父がどう受け止めているのかは知らないが、少なくとも娘の方が父親を嫌うのも不思議はない。……その辺りは邪推したくなる事情が色々ありそうだが、今はそんな趣味の悪いゴシップめいた事に気を回すべきではないだろう。

 一息と共に、俺は声をあげた。

 

「――ソテイラさん!」

 

 今俺たちがいる都民ホールは、全部で4棟の建物で構成されている。それらは四方を覆うように配されていて、中心にその中庭はあった。どの角度の日差しも建物に遮られていて日当たりは悪く、どことなく湿った雰囲気が漂うその空間。

 大丈夫なのかと不安になりながら、階段を駆け下りて錆び付いた出入り口から中庭に足を踏み入れた。

 

 ……しかしこう、呼び掛けたは良いものの。

 そこからなんと話を展開すればいいのか解らない。同僚の不始末に謝罪するべきなのか――それとも、まずは慰めるべきなのか。自分より一回りは歳下の少女にどんな気遣いが必要なのか見当もつかず、暫し黙り込んでしまい……。

 

「やり切れない気持ちって、こういうこと、なんでしょうか」

 

 途切れ気味の言葉。それが自分に話しかけているものだと暫し気づかず、俺は目をぱちくりさせる。

 

「それは……」

「好きなものを好きだと、世界もそうあってほしいと言いたかっただけなんです。最初は1人で始めたことでした。お父さ……いえ、父への反発もあったのかもしれません。私はあの人の事が大嫌いですから」

 

 そこで初めて、俺は彼女が何を見つめているのかを理解した。

 

「でも、次第に同じ思いを共有してくれる人が増えて、“怪獣共存派(コスモス)”と呼ばれるようになって……モル様とロラ様とお会いしたのもその時です。自分の正しさを認められた気がしました。ホントに嬉しかったんです。でも……」

 

 虚空に向いていると思っていた瞳――その先には渡り廊下の窓があり、そして更にその向こうに広がる景色こそが、彼女がじっと見つめるものだった。

 

 ガラス越しにうっすらと映る、人がごった返す目抜き通りと広場。装いも年齢もバラバラだが、そこに概ね2つの集団が向かい合っているようだった。

 

 窓は締め切っているし距離もだいぶあるので、細かい会話の内容などまでは解らない。しかし彼らのその表情や仕草からは、どうにも一発触発――ただならぬ雰囲気がひしひしと伝わってくる。

 

 片方は”怪獣共存派(コスモス)”の信徒らしい。”モスラ祭”が近いので彼らが集まるのは不思議ではないが、問題はもう片方――信徒達と向き合う形になっている集団である。どうやらプラカードを掲げるデモ隊が”怪獣共存派(コスモス)”の信徒と言い争っているようだ。

 

 暴動への発展を警戒していたのか、事前に配備されていた警察隊が必死になって押しとどめている故に、何とか()()は超えていない。しかしそれが無ければどうなっていたのか――殴る蹴るは当たり前の流血沙汰になっていたのは間違いないだろう。

 

 あれが昨今急増しつつあるという、反“怪獣共存派(コスモス)”派だろうか?

 

 派閥というほどの確固たる集まりではないが、そういった世論が形成されつつあるのは確かである。

 

 曰く、怪獣は断固滅ぼせそれを受け入れるなどあってはならない――怪獣という絶対的な脅威が存在する現状、そういう考えは確かに一定数存在していた。その最右翼が“赤イ竹(レッド・バンブー)”だろう。

 

 しかし”稚内事変”の遺族がその流れに加わって以降、世論として確固たる勢いを持ちつつある。怪獣の驚異とは決して対岸の火事ではない、ということを良くも悪くも誰もが認識したのだ。

 

 怪獣の脅威を間近で体感することが多い立場上、俺の価値観もどちらかと言えばそちら側に寄っているといえる。

 しかし、だからといってあんな様相には共感なんて欠片もできやしない。

 

 なんてことだ――思わず眉を顰めてしまう。

 

「その内、“怪獣共存派(コスモス)”は私の手が届かないくらいに大きく広がりました。政治家や大企業の社長さんなんかとも繋がるようになって……私は決してそんなものを望んでいたわけじゃあないのに」

「……心中、お察しします」

 

 怪獣を仮想敵とした軍拡競争――終わりの見えない戦いを厭う者が現れるのは当然だ。でも一方で、その被害を目の当たりにした者が警戒を強めていくのも当然だろう。そして両者は、言うに及ばず相容れない。

 

 その対局構造に世故に長けた者たちが分け入ってきたなら、話は更にこじれてややこしくなる。収集をつけるなんて不可能だ。

 そして勿論、これはどこの誰が間違っているというわけでもない。思い描く”祈り”が人によって異なるだけの話。

 

 それだけの話、なのだが……。

 

 

 端的に。

 なんて、醜い。

 

 

 世界はどうあるべきなのか。誰もが唯一の答えを求めていて、愛と寛容を謳う者たちがおぞましく罵り合う。見ていて気分が良いものではない。

 

 その構図の象徴ともいえる広場からは、殺気だった雰囲気、怨念めいた息づかいさえ聴こえてくるようだった。

 

 思わず顔を歪めてしまう俺に気づいてか、ソテイラはぽつりぽつりと漏らすように言葉を続けた。

 

「それなのに、周りには知らない人がどんどん増えて、いつの間にか反発されることも増えて……殺人予告なんかも凄いんですよ?」

「……なっ」

 

 正気か――こんな、二十歳にも満たない少女相手に。病んでいるとしか言いようがない。

 目抜き通りの群衆に目をやれば、確かに彼らが頭の上で上下させているプラカードには、ソテイラを口汚く罵る内容のものが散見される。

 

 思わず天を仰いだ――なるほど、俺は大馬鹿だ。

 

 オタク的ともいえる唐突な怪獣語りに困惑するあまり、所詮はまだ子供だからな――などと一瞬でも思ってしまったあの時の自分を殴りたい。

 聡い子だ。正しく世界のあり方を認識できる聡さを持っている。そしてそうであるが故に苦しんでいる。

 

 元々細身なたちだったと記憶はしていたが、その頬のこけ具合に、目元に色濃く刻まれた隈。

 その華奢な背中にあまりに多くを背負わせている世界(大人達)にも、そしてそれを強いているらしい”小美人(コスモス)”とやらにも不信感しか抱けない。

 いや、そもそも第三者でしかない俺が、そんな勝手な同情を寄せること自体が彼女への侮辱であろうか。

 

 そんな自虐めいたことに思い悩んでいたら、いつの間にか表情に出てしまっていたらしい。おろおろとソテイラが慌てた声を上げた。

 

「あ、いえ、でも……だからうれしかったんですよ、今日は遠慮なく好きなことについて好きなだけ語れました! だってランドウさんも、私と()()()()()()()()()()()()って知ったから」

 

 

 そうやって、彼女にあまりに踏み込んだ憐憫の情を持っていたからだろうか。

 言葉にできない……けれど確かな違和感を彼女の言葉に抱いたのに、そんなものは錯覚にすぎないと捨て置いてしまったのは。

 

 

「真っ先にこれをいうべきだったのに、遅れてしまいました――先ほどは、私の同僚が大変な失礼を」

 

 きょとんとした少女の顔は、ややあって合点がいったような苦笑に変わる。

 

「えへへ……私だってすっごい情けないところ見せちゃったから、おあいこですよ。急にお父さんのこと言われちゃって……流石にあれは堪えました。ランドウさんの前で言っていいのか分かりませんが……凄い人がいるんですね」

「世の中には多種多様な人間がいるもは確かですが、アレは特級です。信じがたい愚か者。あんな極論にソテイラさんが惑わされるようなことは断じてあってはならないでしょう」

 

 いつかハルオに言われた言葉をそのまま受け売りしながら、内心俺は胸を撫で下ろしていた。沈んでいた彼女の表情も、見ればだいぶ柔らかいものに変わっている。

 思ったよりもパネトのことで傷ついてはいないようだ。勿論、だからといってこちらの不始末には変わらない。俺は下げた頭の角度をさらに深くした。

 

「俺からもきつく言っておきますので、どうかご容赦ください。いやまぁ、アレは言って聞くような女ではありませんが」

「良いんです。あの人と話して、私なりに考えて……ようやく見えてきたものもありますから」

 

 なんだろうか。

 彼女の声音が、そこで少し変わったような気がした。

 どこか遠くを見ているような声、そこにほんの少しばかり不審を俺は抱いてしまって、思わず顔を上げた。

 

 

「あそこで言い争っている人たちも、そしてパネトという女の子も……本当はみんな、何を信じるべきなのか解らないんだけなんでしょうね。

 果たして正しい”祈り”がなんなのか、どこにあるのか……気が付いてない」

 

 

 彼女はやはり穏やかに微笑んでいた。

 

 柔らかで慈しむ様なそれは、この広い世界で彼女が唯1人あのモスラという神に選ばれたのも当然だと納得させられてしまうものだ。

 

 しかし何故だろう――その優しく抱擁するような雰囲気から、まるで慈愛の言葉を囁きながらふんわりと首を絞めつけてくるような不気味さを感じてしまうのは。

 

 

 

「――だったら、私が救わないと」

 

 

 

 俺から目を逸らすことなく、少女は真っ直ぐに潤んだ瞳を向けてきた。

 その濃い深い色の眼に垣間見えるのは、底知れぬ謎めいた光。

 なんだ、どうした。

 思わず、俺は一歩後ずさる。

 

「世界が私の思い通りにならないのは、理想をきちんと伝えていなかったからなんですね。今日、あのパネトという女の子とお話しして気が付きました」

「……?」

 

 俺の反応を待つことなく言葉を並べる彼女。

 恍惚とした表情は、まるで疑いなく祈りに殉じる巫女の様だった。膝をつかんばかりの聖性をそこに感じるのは確かだが、俺はその姿に何か致命的な()()()()を見出しつつあった。

 

「大いなる存在――神たる怪獣と1つになり、それをもって救いとする私の祈り。()()()()()()()()()()()()()()()で迷えるみんなを助けたい。正してあげたい」

「――何、を」

 

 しかしその違和感を形にできず、俺は狼狽えるばかりで。

 そんな俺を待つことなく、いや視線すら向けることなくソテイラはすくっと立ち上がった。その瞳は天啓に打たれたように輝いていて、迷うことなく真っ直ぐ歩いていく。しかし何処に――?

 

「決めました、あの人たちとお話ししましょう」

「は?」

 

 呆けた声と共に、その視線の先を真っ直ぐ辿っていき――窓の先の、言い争う群衆。

 ……その意味を理解するのに数秒の時間を要した。

 

「まさか――あの連中と!? いやそれは危険すぎます!」

「どうしてですか?」

 

 いや、貴女の名を口汚く罵倒する、あのプラカードが目に入らないのか!?

 あんな暴徒一歩手前の連中の前に”怪獣共存派(コスモス)”トップである貴女が立てば、興奮した連中が何をしでかすかわからないだろう!?

 

 そんな常識的なことがなぜわからねぇという罵倒を、喉元でなんとか抑え込んだ。

 

「話し合えば分かり合えますよ、あの人たちは不信に駆られているだけだから。怪獣を、隣人を恐れすぎているだけなのです。でもそれは間違った祈りです。可哀想です……」

 

 気を揉む俺を知って知らずか、少女はふふふと微笑むばかりで――しかし違うそうじゃないだろう。軽く深呼吸して息を整える。

 

「あの中には――先日の稚内の被害で、家族や友人を無くした人が沢山いる。彼らが怒りと不信を爆発させているのは、偏に怪獣に大切な人を奪われた悲しみ故です。そんな人たちの前に貴女が立って、”怪獣との融和”を唱えたところで、彼らをいたずらに煽りたて傷つけるだけなのではないですか? 短慮はおやめください」

「……そうですか、それはすごく可哀想です」

 

 短い言葉には、しかし心底からの哀悼の意が込もっていた。それはよくわかった。

 しかし。

 

 

「ならば尚のこと、ですよね。

 私の掲げる祈りで癒してあげたい。喪失の悲しみと怒りで心を満たしても、何も生まれないのだから。それは”赤イ竹(レッド・バンブー)”の皆さんにも、きっと解っていただけるはずです」

 

 

 胸の前で両手を握り、祈るように目を閉じる。口元の優しい微笑からは、彼女が何らとして疑問を持っていないことは明らかだった。

 

「私はね、ランドウさん――三枝未希に、なりたいのです」

 

 俺の解釈は何もかも的外れで、今まで彼女に抱いていた心象が悉く崩れていく。

 いや違うのか――余人には計り知れない使命感を抱き周囲を巻き込もうとするその姿。

 

 最初に彼女を見たその瞬間から疑問があったのは確かなのに、俺はそれに気づかなかっただけなのだ。

 

 だってそうだろう。

 この世界で真に正しいものが何かなんて誰にもわからないし、そんなものが果たして存在するかも怪しい。千差万別の視点の集合体に他ならないこの曖昧な世界の中で、どうしてそんな風に、疑うことなく自分の”祈り”の正しさを確信できるのだ。

 

 そうやって相手の間違いを正すと掲げて、結果何度も争いが繰り返されてきたわけだけど、そこに正しさなんて無くて、それは価値観の押し付けでしかないことを俺たちは知っているんじゃないのか――。

 

 ベクトルは違えど、この少女もまたパネト・ヘイトスピーチ同様の異常者に他ならなかった。その圧倒的な事実に、俺は身動き一つとれずに立ちすくんでしまう。

 

 迷うことなく中庭を進んでいく少女。その後を追うことすらできずに――

 

 

 しかし不意に、その足がピタリと止まった。

 

 考えを改めてくれたのかと一瞬期待したが、そうではない。

 ゆっくりと顔を上げていくソテイラ。その視線の先、見ているのは建物の上階? 違う、空か。いやもっと上の……?

 

 困惑のままその意味を問いただそうと、俺は視線をソテイラに戻した。

 

 そこにはやはり穏やかな薄い微笑、ではなく――汗ばみ張りつめた表情に、強く結んだ唇。 

 

 

 見上げた先の空に、唐突に亀裂が走った。

 

 

 ひび割れに沿って大空は軋むようにずれていき、整合性を失った空は破片となって砕け散る。その割れた窓の向こうに広がる漆黒の空間――あれはまさか宇宙空間なのか!? 

 

 眩暈すら感じる冗談のような光景、言葉を失うという騒ぎじゃない。

 立ち眩みの様な感覚と共に、膝から崩れ落ちた。

 

 なんだ、何が起こっている!?

 

 

「――――来た」

 

 

 その焦りと恐れが隠し切れない乱れた声で、ようやく俺は尋常ならざる致命的な事態が、己の与り知れぬところで進んでいることを理解したのだった。

 

 

◆2◆

 

 

 そして時は同じくして、東京湾。

 

 

 夕暮れの空がひび割れて、その向こうから垣間見える漆黒の宇宙空間。一筋の光すら許さぬ暗闇が広がると共に、壊滅的な存在感が鼓動となって伝わってくる。

 それと同時に、茜色に染まっていた海面が徐々に徐々にと暗闇に沈んでいく。

 

 

 ――しかしそんな闇色よりもなおも深くどす黒く、鈍く瞬く不吉な眼光。

 

 

 湾に停泊する強襲揚陸艦。”赤イ竹(レッド・バンブー)”所属の1隻。その甲板に微動だにせず、怨念じみた形相で空を睨むのはパネト・ヘイトスピーチだ。

 

 比喩ではなく文字通りに天地が崩壊する光景を前にして、しかし少女はただ喉から呪う様な唸り声を上げるのみ。

 

 それは恐怖が故、焦燥が故か?

 

「ぶち殺してやる」

 

 どちらも否である。端的に言えば煮えたぎる殺意が故に、少女は歯を軋らせその身を震わせるのだ。

 

 この規模、この破壊――仮にこの場に3()0()()()()()()メカゴジラが百でも千でも束になっても軽く捻り潰されるのが関の山だろう。これはそういう神の御業であり、ヒト如きは無力にその膝を折るしかないのは明白だ。まして少女1人に何ができるという?

 

 それが理解できないのか理解った上で無視しているのかは知らないが、はっきりしているのは唯1つ。手段の是非も力の有無も関係ない。このパネトなる少女はその生身で、()()に本気の殺意と怒りを向けていた。

 何があっても止まらない。その衝動の赴くままに、少女がゆらりと一歩を踏み出した。まさにその時。

 

 突然に、石火の勢いで彼女は振り返った。

 

 あれだけ執拗に殺意を燃やしていた天空を眼中から外し、視線を暗闇に沈む東京湾の海に釘付けにする。

 傍目から擦れば意味不明。

 まるで、天変地異の具現と化した空を()()()()()()()()()()()()が海の中にいるかのような、そんな態度である。

 

 限界まで見開かれた両の瞳。その先に果たして何があるのか――

 

 

 答えは、水平線の彼方に現れた。

 

 

 空の様相をそのまま映し、暗闇に沈みこむ東京湾。その遥か遠くの水平線の黒面が、うっすらと青白い光に照らされたのだ。

 波に揺らめき揺蕩う様な光。オーロラを思わせる幻想的な輝きは、やがて力強く脈動する白熱に変わっていく。

 

「……ははっ」

 

 それと共に、ゆっくりと少女の口端が吊り上がっていく。凄絶な表情が、苦笑するようなものに変わっていったのだ。

 打って変わって機嫌よく笑う姿。……しかしそれが先程よりも遥かに深く不吉な気配を宿しているのは、何故なのだろうか。

 

 笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点であるというのなら……きっと、それが答えだった。

 

 くくく、とくぐもったような笑い声。

 

「”敵”を前にしておまえが居眠り決め込むなんざありえない。そんなの解釈違いにもほどがある」

 

 眩い光は心臓の鼓動のように強弱し、凪いでいた海面も今やそれに合わせて津波のように揺れ動いている。

 

 

「――――来た」

 

 

 瞬間、大地を踏み砕くような爆発音と地響きが響き渡る。

 次瞬、果てのしれない怒涛と共に、東京湾の漆黒の海が文字通りに左右に割れた。

 

 空が砕け、海が割れる。まさに驚天動地の超展開としか言いようがなく、救いがたいことに事態はそれに留まらない。

 津波のように迫る水の壁が、次いで発生した圧倒的な衝撃波によってまとめて霧散したのだ。

 

 そして剥き出しになった海底――地平線の彼方までもが空の暗闇に沈んでいる中、そこには唯只管までに圧倒的な”力”があった。

 

 一体何が起こっているのか。これ以上に恐ろしいことが、何があるというのか。

 愚問なり、問うまでもなし。ヒト(我々)は、これが如何なるものなのかを知っている。その名を、その力を、その絶対性を、魂の奥底に刻みつけているのだっ!

 

 直立するは黒鉄の巨体。総身に纏わせる青い紫電(チェレンコフ光)に、それを遥かに超えて果てなく輝く白銀の王冠(背鰭)

 

 おお、偉大なるかな聖三文字!

 ご唱和ください、神の名を!

 

 

 ――ゴジラ、ゴジラ、ゴジラがやってきた!!

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――ッ!!」

 

 

 海を大地を大気を東京の街そのものを揺るがす大轟咆と共に、一瞬その姿が掻き消えた。

 見れば、天までも貫く青い光の柱。

 青い紫電(チェレンコフ光)を纏う漆黒の巨躯が、一条の流星となって天に昇っていた。

 

 

 

 

 

 




海から登場するシーンを執筆する時はマジで脳内でゴジラのテーマが大音量で流れてました



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 劫火の魔王◆

◆1◆

 

 光すら通らぬ宇宙空間の闇を凝縮したが如き暗黒星(ブラックホール)が、怒涛となって駆け抜ける。

 

 光も空間も時間も、捉えた全てを問答無用で捻じ曲げる。

 その重力の波動に補足されたが最期、星すら影も残さず圧壊される。

 

 圧縮された超重力の塊――結晶の魔獣(スペースゴジラ)

 

 空間を捩じ切り、星から星まで、星系から星系までを秒で詰めていく。見かけ上の速さは最早光速を遥か彼方に置き去りにしていて、なおかつもっともっとと加速し続けているのは一体どういう理屈なのだろう。

 

「□□□……ッ!!」

 

 縦に長細いクリスタルの瞳孔が愉悦の色に染まった。三十年間に及んだ誰の得にもならない旅路に、ようやく終わりが訪れたのだ。

 都合数千回目の空間湾曲(ワープホール)による時空跳躍の果てに、遂にスペースゴジラは此度の殺戮行脚の終着点――銀河系の端を漂う青い星を捉えたのだった。

 

 両手をランスのような形状に変形させ、竜巻のように纏わせた総重力をその矛先に収束させる。地球を百度は粉砕するに足る――ただ一個の怪獣を抹殺するには、あまりにも過分な威力が怒涛となって渦を巻く。

 

「□□□□□□□□□□□□□――ッ!!」

 

 狂気とも愉悦とも評せない、叫喚。

 

 音の通らぬ宇宙空間を直に震わせる唸りと共に、開き切っていないワープホールを無理やりにこじ開けた。在るべき整合性を失って砕ける空間。当然そんなものは一顧だにせず、穴の向こうの景色へとその身を乗り出した。

 

 そして――視界一面に広がるのは三十年かけて目指した青い星。まさに万感の思いで見つめるべき光景だろう。

 しかしこの瞬間、スペースゴジラの意識は全く別のものに()()()()()()()()()

 

「――――」

 

 凍てつく極寒に、降り注ぐ放射線。大気の消失は呼吸の不能だけでなく、水分の加速度的な蒸発と臓腑への深刻なダメージに直結する。何れの要素一つ取っても生命活動への深刻な妨げとなるのは明白だ。

 大抵の極限環境なら涼しい顔で踏破するのが怪獣という生き物だが、これほどの悪条件なると話は別である。単独での宇宙空間での活動が可能な怪獣は、広い銀河にあっても数少ない。

 

 そして当然のことながら。

 まるで地球を背後に守るように凝然と宇宙空間に立ちふさがる、圧倒的な闘気の塊――ゴジラはそれができる存在だった。

 数十キロメートルの距離を挟み、宇宙空間で睨み合う両者。

 どちらも臨戦態勢なのは同様で、しかし互いに向け合う情動のベクトルが決定的に真逆だった。

 

 一方は、ただひたすらな憤怒。

 煮えたぎる怒りが熱の噴流となって、周囲空間を煙のように歪めている。

 己の縄張りに安易に踏み込まれたが故か、自分の姿形が気安く模倣されたが故か。それとも、これが幼少の己に屈辱を与えたモノと同一存在であることを察したが故なのか。

 おそらく、どれも的外れなのだろう。

 これは、そんな言語化できる程度の低い怒りではない。もっともっと根本的で壊滅的な怒りを、”敵”に向けていた。

 

 しかしもう一方はというと、こちらはただ純粋な愉悦と興奮の念を滾らせていた。

 無限の闘争を希求し、強敵を滅ぼす果てを延々希うのがこの怪獣だ。向けられる殺意と怒りの桁に奮い立つことはあっても、臆することはあり得ない。

 これほどの獲物は数百年ぶりである――刹那、忘我してしまうほどにスペースゴジラは狂悦してしまって。

 そして当然のことながら、その隙を見逃すゴジラではない。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――ッ!!」

 

 

 名乗り(ゴング)代わりの凄絶な咆哮と共に、煌々と灼熱する漆黒の拳が暗黒天体を向かえ撃った。

 

 両者を隔てる空間が、まるで陽炎のように融解することで引き起こる疑似的な瞬間移動。狂喜乱舞する重力の檻を潜り抜け、壊滅的熱量が込められた全力の拳がスペースゴジラの顔面に真っ直ぐ突き刺さる。

 

「――――□、」

 

 血しぶき代わりの結晶の破片をまき散らしながら、暗黒天体の総体が大きく仰け反った。抵抗など断じて許さぬと、続く隕石の如き轟拳をゴジラは絶え間なく叩きつけていく。

 

 

 同じ土俵、対等の条件で勝利してこそ真の最強? ――知らん失せろよさっさと死ね。

 

 

 放射熱拳(アトミック・パンチ)――フルパワーが圧縮された全霊の拳打。術理としてはただそれだけで単純なものだが、込められている熱量(エネルギー)がひたすらに意味不明だった。

 

 狂ったように上昇を続ける熱核エネルギーは、とっくの昔に水爆のそれを超えている。腕が煌々と燃えているのは錯覚ではなく、狂ったような核融合反応が引き起こされているからだ。これはもう太陽で殴っているといっても過言でない。

 

 笑えてくるのは、これがまだ上限ではないということだろう。

 燃え上がる殺意と比例して、なおも天井知らずに膨れ上がっていく熱核エネルギーは太陽フレアの領域にすら達しようとしていた。並の怪獣ならば、余波が掠めただけで影も残さず蒸発するのは間違いなくて……

 

 そして当然のことながら、スペースゴジラなる怪獣は並ではない。

 煌びやかな結晶は煤け果て、総体の半分は消し炭にされている。しかし後退しない。全身を滅多打ちにされてなおその狂悦は揺らがない。

 

「□□□□□□□□□□□□――!!」

 

 ドロドロと融解する空間に轟く歓喜の咆哮。拳の大輪を切り裂くようにして放たれた白銀の一閃が、僅かな隙をついてゴジラの右腕を切り落とした。反撃はそれに留まることなく、お返しだと言わんばかりの続く連撃が左腕、右足、左足を吹き飛ばしてしまう。無敵のゴジラの肉体が、あっくなく四散していく。

 

 舞い上がった四肢がエネルギー制御能を失い、中空で連鎖的に核爆発を引き起こすが歯牙にもかけない。返す刺突で黒鉄の胴体を貫き、見るも無残な達磨になり果てた怪獣王を高々と持ち上げた。

 文字通りに槍玉といった具合で、まるでトロフィーを掲げるが如き動作だった。そしてその例えは概ね当たっている。

 

 よくやった、其方は強い。しかし勝ったのは当方であると謳い上げながら、無機質な結晶の頬を表情鮮やかに歪めるスペースゴジラ。

 

 後はこのランスに全霊の重力を叩きこめば、それで終わりだ。形も残さず粉砕される。得難い獲物と見込んだ割にはあっさりとした結末であったが、それはそれというものだろう。

 どうも足元に広がる青い星にはまだまだ喰らい甲斐のある獲物――極彩色の怪獣(モスラ)――がいるようなので、既に興味の対象はそちらに移っていた。

 

 抵抗すらできず項垂れる哀れな獲物に再び視線を向けて――

 

 

 そこで初めて、結晶の化外は硬直した。

 

 

 歯を剥き、唸りをあげる獲物。

 それは屈辱に震えるが故ではない。だって爛々と瞬く狂眼は、己の劣勢など欠片も認めてなどいないのだから。

 手足が無いと? だからどうした――身共は負けぬ、身共は退かぬ。仮に心臓を潰されようが脳髄を粉砕されようが、もう怪獣王は止まらない。

 

 悪寒、圧倒的な戦慄に掻き立てられるようにスペースゴジラがとどめを急いだその瞬間だった。

 なんの兆候も前触れもなく、黒鉄の胴体に突き刺さっていたランスが溶解した。

 

 先程の比ではなく、瞬間的にコンマ数秒で上昇していく周囲温度。数千度、数万度、更に超えてもっともっと桁外れに――熱源は言うまでもなくゴジラであり、その総身は既に赤熱化していた。

 

 それと共鳴して、王冠(背鰭)が嘶くように光熱に歪む。

 赤く煌々と、燃え上がる肉体。

 しかしこれを、太陽のようだとは形容したくない。

 もっと絶望的で、とても救いようがないほどの――

 

 力が溢れる。火柱が上がる。

 狂気に達した神通力が、焔となってゴジラの口腔に圧縮された。

 

 我こそがこの銀河における絶対で不変の唯一であると謳い上げながら轟々と燃え上がる怒りが、殺滅の放射熱線となってスペースゴジラを呑み込んでいく。

 

 

 凄まじい、光、衝撃――――

 

 

 そして暴発する核エネルギーの濁流に弾き飛ばされるようにして、スペースゴジラは地球に落下していったのだった。

 

 

◆2◆

 

 割れ砕けた天蓋からまるで隕石のようなそれが、音速を遥かに超えた速度で落ちてきた。煙を上げながら墜落してくるそれが怪獣――スペースゴジラであることを認識できた者は、果たして地上に存在しただろうか。

 

 扇風機の羽のようにきりもみ回転し、途中で掠めた富士山の山頂を粉砕し、東京湾の海に落水する。

 一瞬の静寂の後、東京の街を揺るがす地響きと共に凄まじい津波が発生した。先刻の聖者の海割りの如き光景と似て、しかしその規模は先程の比ではない。

 

 文字通り、東京湾は形を変えていた。

 

 荒れ狂うような津波は湾を囲む地形を例外なく粉砕していて、東京港をはじめとする埋め立て地は影も残さず海の藻屑となり果てている。地図を過去のものとする、まさに壊滅的被害であった。

 海上ですら”これ”なのだ。これがもし、地上に落下していたら……そう思うとぞっとしてしまう。

 

 しかし逆に言えば。

 これはまるで、ゴジラがそう意図したかのように――つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()標的を撃ち抜いたのではと、勘ぐれなくはなかった。

 

 真実は誰にもわからないが、それを気にする者はここにはいない。何故なら……

 

 未だ渦を巻き荒波の様相を呈していた海面を切り裂き、海上からその身を出したのは百二十メートルに至る白金の巨体――スペースゴジラ。

 

 圧倒的な偉容。百メートル級を超える怪獣がその姿を衆目に曝したのは、この三十年間で初めてだ。これが上級――否、特級というべき異次元の領域。

 

 目撃した全ての人間達が神威に打たれたように跪き、発狂したように滂沱の涙を流すのも無理はない。

 

 何せ、その身は無傷であった。無事だった。

 

 撃ち抜かれ、焼き尽くされた総身の再生は既に完了していた。

 幾千年もの戦いの果てに、暗黒天体にすら匹敵する質量を手に入れてしまったのがこの化外なのだ。百二十メートルの体躯は”敵”に合わせるために()()()スケールダウンさせたものでしかない。

 総体を粉砕するかに見えた一撃も、実のところスペースゴジラからすれば蚊に刺された程度の痛みだ。

 

 とはいえ、先程の小競り合いにおいて後れを取ったのは間違いない。

 度し難いぞ油断した。

 だが当方は生きている。其方もまた生きているなら再戦が適おう。

 

 先程の黒星を都合よく忘却の彼方に追いやると、獰猛な唸り声と共にスペースゴジラは双眸を天に向けた。雨のように降り続く水飛沫を鬱陶しそうに尻尾を払うだけでまとめて霧散させながら、まさしく数百年ぶりの好敵手に思いを馳せる。

 

 何をしている早く来い、手足を落とされた程度でどうにかなる存在ではあるまいに。

 来ないならばこちらから――背部のスパイク状結晶が、眩いばかりの白銀に瞬いた。

 

 それに伴って大気が海水が空間が――形のあるなしに関わらず、周囲に存在するもの総てが異質に変貌していく。位相がずれる。密度が変わる。明らかに周りと比べて()()()()()()()

 

 そうだ、先刻と同等規模の圧倒的な力を、よりにもよって地上で振るおうとしているのだ。

 そんなことをすれば、周囲環境にどれだけの壊滅的被害がまき散らされるかは火を見るよりも明らかであり、当然のことながらそんなことに頓着する存在ではない。

 

 直接その光景を目の当たりにしていなくても、濃厚な破滅の気配は海を山を越えて全ての人間に行き届いてしまう。この瞬間、関東圏内に存在する総ての人間が、前代未聞の同時多発的な恐慌状態に陥った。

 幸か不幸かと問われれば、間違いなくこれは最悪だ。最早逃げ場などどこにもないし、抵抗するなどありえない。気が付かないまま即死した方が遥かに幸福だっただろう。

 

 嗚呼しかし、それも当然のことだ。

 

 ()()()()()()()()、主役としてスポットライトを浴びるのはあくまでも怪獣たちであり、人間など視界にすら映らぬ端役にすぎない。怪獣に踏みつぶされるのか焼き尽くされるのか、彼らに与えられた結末はそうであるべきだ。

 人間(キャラクター)に、個性など必要ない。

 人間(キャラクター)に、ドラマなど必要ない。

 

 

 大地諸共粉砕する重力波の怒涛が天に向かって大解放されようとした、次の瞬間だった。

 

 

 

 

『見敵殺滅、死ねよ怪獣滅べよ怪獣――』

 

 

 

 

 だからこそなのか――条理を踏みつける見敵殺滅の具現として、その少女が突撃したのは。

 

 今まさに極大の暴威、生けるブラックホールの具現と化していたスペースゴジラに、迷うことなく突撃する機影が一つ。

 異形の黒い甲冑、人の形をした機構兵。パワードスーツ・ジェットジャガー。羅刹のような咆哮をあげるそれが、ジェット噴射の勢いで真っ直ぐに百二十メートルの巨体に突貫したのだ!

 

『死ね。死ね、死ねェ、死ねェえええ!! 失せて消えろよ視界に入るな、気持ち悪いんだよ塵屑がァ――!!』

 

 爆発するかのような衝撃音。

 手にした長物を何度も何度も巨体に叩きつけようとして、その度に近づくことすらできずに吹き飛ばされる。

 超重力の檻の洗礼によって、全身の装甲を壮絶にひしゃげさせて。

 中身がどうなっているかなど想像したくもない有様で、それでも逃げることなく突貫している。

 

 その光景を眺めていた全ての者が、恐怖すら忘れて絶句する。

 目を疑うとはこのことだ。

 一体お前は、何を考えているのだと。

 彼我の実力差は言うまでもない。身の程知らずと呼ぶことすら生温い。事実、傷一つつけられていない。

 

 当のスペースゴジラですら、戸惑うように動きを止めてしまったほどの意味不明。一周回ってそれが狙いだったのではと逆張りしたくなるのだが、救いがたいことにそうではない。

 

 この身一つの人間は、本気の本気でこの怪獣をぶち殺してやると単騎で息巻いているのだ――!

 

 状況が輪をかけて常軌を逸しすぎている。意味不明過ぎて死にたくなる。ある意味これも、天地が崩壊するような光景ということになるのだろうか。

 だってそうだろう。

 力や大きさだけでない。吐く息が、鼓動が、その全てが、生きてきた重みが決定的に違うのだ。指先一つ動かすまでもなく、視線を向けただけで即死する。まさしく神としか言いようない存在に、何故戦おうと思えるのだ。

 

 

 

 一体お前は何を考えているのだ、答えてみろ。パネト・ヘイトスピーチよッ!!

 

 

『それが、どうしたァ――ッ!!』

 

 

 振り上げた長物を、割れよ砕けよと全霊の力を込めて叩きつける。

 

『――知ったことかよ怪獣は死ねぇ! 怪獣は滅べぇ! 同じものを愛せず、同じものを憎めないッ! 共に生きていけない、オレとは違う、即ち”敵”ッ! それを滅ぼすのに理由がいるかァ!』

 

 

 舞台に上がるべきですらない人間が、憎悪と殺意にまかせて主役を駆逐するという、解釈違いのこの状況。正気でないのは間違いない。

 

 ……とはいえ、どれだけ吠えようと精神力だけで神には敵うわけもなく。

 最早パネトは重力の濁流にもみくちゃにされていて、今やその影すら無い。水面に浮かぶ枯葉の方がまだ救いがあるというものだろう。

 

 もう残っているのは、怪獣は死ねという呪わしい叫びの木霊ばかりだ。

 

 

 

 虚しい無力な怒りは水平線の向こうまで届き――遥か彼方、北の海。

 

 力なく浮かび上がるバトラの亡骸が、その”祈り”に応えるようにゆっくりと浮上していた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 祈りの崩れ◆

◆1◆

 

 茨城県つくば市、筑波山の麓。

 

 悪く言えば片田舎。しかし都会の喧騒とは程遠く、当然周囲に住宅地など存在しない。開けた平原地帯は三方面を山地で囲まれており、機密漏洩防止や拠点防衛、先端技術開発等諸々の事情には都合が良い。

 よって軍事拠点とするには打ってつけで、実際ここにはGフォース中央指令本部が存在している。

 

 鬱蒼と続く森の中、突如前触れなく近代的な高層施設が並ぶという珍妙な光景。

 わざわざ民間のゴルフ場やハイキングコースを潰してまで建設した大層な箱物は、しかし対怪獣戦の最前線の地位からGフォースが脱落して以降まともに機能しているとは言い難い。

 活気と呼べるものはなく、いっそ長閑とすら言えるだろう。

 

 しかし今日、この時に限ってはその様相が一変していた。

 殺気立っている。狂乱している。喧騒に満ちている。

 

 

「――なんなのだこれはッ、一体何が起こっているというのだ!?」

 

 誰かの狼狽した声が、Gフォース情報統括ルームに響き渡った。

 

 

 ――何の前触れもないあまりにも唐突すぎる宇宙怪獣の襲来により、日本は世界は混乱と恐怖のどん底に突き落とされた。

 

 突如飛来した大怪獣が叩きつける、圧倒的な殺意。桁外れという言葉をどれだけ重ね掛けしても足りない絶望的な存在感により、関東圏内全ての生命が恐慌の渦にかき回されていく。

 

 逃げ場など何処にもないと理解っていながら我先にと逃げ出す民衆。

 自死衝動すら引き起こす破滅の気配に抗うことせず、親子が友人が恋人が絶叫しながら互いの首を絞め合っている。

 流れる涙に、登る焔。あってはならない地獄的光景の具現だった。

 

 そして、それはGフォースとて例外ではない。

 破滅の気配は筑波山の麓にまで届き、恐慌の余波が隊員にも等しく襲いかかっていく。

 しかし……なまじ防人としての本分などを持ち合わせてしまったが故に狂うこともできず、皆が喉を枯らしながら口々に声をあげるのだ。

 

「上空の様相は依然として不明! ゴジラの存在は確認できません!」

「居場所の見当くらいはつかないのか!?」

「成層圏上空、空間電位、電波いずれも変動著しく、ラジエーション計測も困難……衛星との通信も不能となっています!」

「この爆発では目視での確認もできないか……ッ」

 

 押し殺そうとしても滲み出る動揺。事態の不明と混乱を叫ぶだけで、なんの解決にもなりはしない罵声が響き渡る。

 

 しかしそれを情けない姿と嗤う者はいない。

 

 戦況が凄まじすぎる。各種環境数値(パラメータ)が限界値を振り切れている。これについていける人間など存在するのか?

 この状況にあってもせめて事態の把握に努めようとする姿こそ流石と呼ぶべきなのだろう。

 

 割れ砕けた空目掛けてゴジラが文字通り()()()()、その数分後に成層圏上で観測された核爆発とも見紛う衝撃。そして東京湾に墜落してきたのは無傷の宇宙怪獣のみというこの現状。

 

 昨今宇宙怪獣の出現など珍しくもないし、それが地球を襲うのも最早お馴染みの展開ではある。しかしここで問題なのは、”それ”に地球の大地を踏ませてしまったこと。

 一◯◯メートルを超す大怪獣による人口密集地(東京)への強襲を許すなど、およそ考えうる限り最悪の展開だ。この三◯年間では一度もあり得なかった緊急事態である。

 それが人類の力だけで勝ち得た結果ではないことは既出の通り。この三◯年間の平和の真相とは、怪獣の悉くが人口密集地に近づくまでもなくゴジラによって撃滅されてきただけのこと。

 

 それは、つまり。

 

 

 つまりこの現状は、不滅の絶対守護神ゴジラが“敵”を殺しきれず、あまつさえ押し負けた事実すら示唆しうるのだ――!

 

 

 Gフォースという組織の大義を考えるならば歓迎するべき事態なのに、まるで足元が崩れていくような奈落的感覚に襲われるのは何故なのだろう。

 

「……せめてゴジラの生き死にくらいは判別つかないのか」

 

 冷や汗を滝のように流す一人の士官が吐き捨てるように……しかしどこか縋るように呟いた。

 押し黙るばかりで誰も反応を示さないが、その言葉はこの場における多くの者の思いを代弁するものだ。

 そう――誰もがこの状況におけるゴジラの生存を望んでいた。

 

 それはあのゴジラですら敵わなかった存在に自分たち(人間風情)が及ぶはずもないという戦力的判断ゆえなのか。それとも……

 

「くだらん妄言をぬかすなよ。あの程度でゴジラが滅ぶはずがない」

 

 押し潰されるような雰囲気を断ち切る厳しい声は、麻生孝昭少将のものだった。

 情報統括ルームの奥、その司令官の席に深く腰掛ける老将は、この喧噪と重圧の中で不気味なほど沈着な態度を保っている。

 落ち着き払った……とまでは決して言えないが、少なくとも周囲の青年士官たちのように取り乱す様子はない。

 

 眉間の深い皴、机の上で鬱血するほどに握りしめられた五指――むしろ、その苛立つような視線は、不毛な議論に騒ぎ立てる者たちにこそ向けられているようであり。

 

「ゴジラという存在が如何なるものなのか、その力がどれほどの絶域に至っているのか、仮にもGフォース隊員の一員でありながら理解があまりにも浅すぎる。

 なるほど見通しの立たない壊滅的状況なのは確かだろうが……そこでよりにもよってゴジラの生死から議論を始めるなど、解釈違いにもほどがあるな」

 

 字面こそ狼狽える士官たちを叱咤するようであったが、内容はただ若者を罵るだけのものでしかない。この状況において事態解明の助言でも命令でもないのだ。

 どこか他人事のように語る様を前にして、彼らが我に帰るのに数瞬要した。

 

「し、しかしあれほどの爆発! 地上で確認できるのがあの謎の結晶の怪獣のみという現状を鑑みれば――」

「スペースゴジラだ」

「は?」

 

 ため息一つと憂いた視線を士官に向けてから、中空電子モニターをじっと見やる。関東圏内を恐怖に叩き落とす破滅的存在感を秘めた白銀の怪獣。

 

「わからんのか。クリスタルで構成されたその姿形は、記録とまったく異なるものに成り果てているのは確かだろうよ。しかしゴジラを模したその姿。そしてこの殺意、この戦意――防人の端くれならば見誤るなどあり得ない。

 察するところ、三一年前に福岡で撃破された個体の亜種……いや、本体と評するべきか」

「なっ」

 

 全ての者たちが驚愕に息を呑む。

 

 三◯年以上前のことだ。巨大怪獣が立て続けに人類の前に姿を現すという想像を絶する激闘の時代があった。怪獣災害の全盛期であり、同時にGフォースにとっての栄光の時代でもある。

 当時確認された強大な怪獣たち、そして彼らとゴジラの死闘の記録は「バーサス世代」と語り継がれているのだ。

 

 他を隔絶したその力は三〇年経った今も全く色褪せることなく――スペースゴジラは、その世代の中においても更に際立つ超絶個体である。

 

 ゴジラを模した怪獣が宇宙からやってきたからという安直で端的なネーミングだが、だからといってこの怪獣の危険性は生半可からは遥かに遠い。

 あのゴジラを一度は完封し、更に当時最新鋭の対怪獣ロボット兵器であったMOGERAとの二対一を演じながらも完全に圧倒した戦闘力は、あの完全生命体(デストロイア)とすら双璧をなす。

 ()()()()()()の幼少とも因縁深く、そんな存在が今こうして地球に再襲したのは何の因果なのか。

 

 想像するだけで寒気がする。果たしてどれだけおぞましい惨禍がこの地上にまき散らされることになるのだろう。

 だから士官たちが冷静さを完全に失い、詰め寄るように叫んだのも無理はないのだ。

 

「やかましいぞ、なにをそこまで慌てることがある」

「あ、麻生司令は何故そのように落ち着いているのですかッ!? これは緊急事態という言葉すら生温い!」

 

 それは当然の疑問であった。

 三〇年前の時点で既に傑出した実力を有していた特級の化け物が、さらに力を増してこの星に現れたのだぞ? 三一年前の辛勝とは、あくまでも二対一の条件下によるもの。それを踏まえて現在の戦力差を考察するのなら、もうゴジラに勝機はないというのが妥当な結論になる。

 ましてや人間如きに何ができると……そう考えてしまうのは当たり前のことであり。

 

「だから、お前たちは何を懸念しているのだ」

 

 ……彼らは決して愚か者ではない。

 確かにこの三〇年間、平和の中で最前線の命のやり取りから遠ざけられて育った未熟者(ルーキー)の世代だろうが、だからといって軍属が馬鹿に務まる程度の仕事に堕ちたわけではないのだ。

 彼らはこの切迫した事態を正しく認識していて――だからこそ混乱するしかない。

 

 眼前に立つ老将が、何故こうも落ち着いていられるのか。果たしてこの男が、何を考えているのか。

 

「ゴジラは既に死んだものとみるべきでしょう。ならば――」

「ゴジラは敗けん」

 

 麻生はそんな彼らに、何を言っているのだお前たちはと言わんばかりの、まるで若者の無知と不覚に呆れる様な視線を向けるのだ。

 

「繰り返すが、なにを言っているのだお前たちは。何故ゴジラが敗れると思うのだ。何故ゴジラが滅びると思うのだ。何故そんな思考に至ってしまうのだ」

 

 見ていろよ、と言わんばかりに中空電子モニターをじっと睨みつける老将。

 

「人類がどれだけ憎み、どれだけ戦い続けたと思っている。それでもなお届かない絶対存在がゴジラなのだ。こんな程度で滅びてたまるかよ」

 

 ゴジラを深く嫌悪しながら、まるでどこか誇らしく感じているようなその言葉。

 

 常日頃からゴジラを諸悪の権化と罵るその口で、ゴジラの絶対性を讃えている。その異常性。矛盾している(ダブルスタンダード)としか言いようがなく、しかし当人の中では正しく全うに理屈が通っているのだ。少なくとも、当人の中でのみは。

 

 狂人を見るかのような周囲の視線を意に介さず、麻生もまた彼なりに状況の整理を進めていた。最悪の現状だというのは彼も同じ意見ではあるのだから。

 

 ……何せ今、東京には怪獣共存派(コスモス)による年に一度の定期大会が開催されようとしていたところだ。

 世界中から東京に集結した信者たち――常日頃と比べて人が多いということが何に繋がるのか、それは語るまでもないことだろう。怪獣との融和を唱える狂人共など、どうなろうが自業自得というのが麻生の正直な意見だが。

 

 そんなことより輪をかけて不味いのが、この瞬間東京を守護する最前線に日本所属の最精鋭部隊――つまりは黒木特将率いる特生自衛隊がいないこと。

 現在そこに配されているのが、あの悪名高い”赤イ竹(レッド・バンブー)”の野良犬どもだ。大会を迎えるにあたっての首都防衛を外部組織に任せてしまうという、三〇年前なら絶対にありえなかっただろう判断ミス。

 無論のこと、あんな傭兵崩れどもがこの混乱時に一致団結して民間人を守るなど有り得ない。混乱に乗じた略奪紛いすら有り得ると麻生は考えていた。

 

 ……麻生に言わせるのならば”赤イ竹(レッド・バンブー)”など、そもそもが小物(ガバラ)の群れを狩ることで武名を挙げた無法集団でしかない。真の絶対的存在である大怪獣を前にすれば、散り散りになって逃げ出すのが関の山。

 

 三◯年前ゴジラの暴威に臆することなく立ち向かい、散っていった勇者たちとは何もかもが違うのだ。

 

(そうだとも……あんな輩が幅を利かすなどあってはならない。見敵殺滅だと? よくぞ言った)

 逃げず怯えず明日の地平(ゴジラのいない世界)を目指して戦った自分たちと比べるまでもないのだ。

 

 悔しい。今のGフォースに一〇〇メートル級の大怪獣とまともに打ちあえる戦力など無い。相応の兵器の有無以前に、そもそもそれを適切に運用できる人員が存在しない。時間稼ぎすらできないだろうというのが正直な所感である。

 

「何をしているのだ黒木よ……」

 

 だからこそ、麻生は特生自衛隊の出動を望んでいた。黒木翔率いる、疑うことなく日本最強の対怪獣精鋭部隊。()()()()の灼熱を共有できる数少ない戦友の到来を、切に切に望んでいた。

 

 何をしているのだ早く来い。詳しく知らんがあそこにはお前の娘とやらもいるのだろう。

 見せつけてやれよ、あの時代の猛者の力を。私の隣で無能に間抜け面を晒している若造共に。そして、あの忌々しい”赤イ竹(レッド・バンブー)”の野良犬共に。

 

 そして、その果てに君臨しろゴジラ。

 お前の不変の暴威で以て、スペースゴジラを粉砕してくれ。お前の絶対性が天下に改めて知らしめられたその暁に、散っていった戦友たちの名誉が――あの時代を生きた私達の栄光が取り戻されるに違いないのだから。

 

 

 ……最悪の現状という認識は、確かに他の隊員たちと麻生とで同じではあった。

 しかしそこから至る結論が、あまりにも斜め上を行き過ぎている。

 

 

 果たして、彼は気づいているのだろうか。

 過去の栄光に縋り、そうやって己の慰めとする。

 彼の魂は常に過去と共にあり、決して今を生きていない。そうである以上、彼がこの刻々と変化する火急の事態に対処することなどできやしない。少なくとも彼の言うところの若造の方が遥かに弁えているし、彼の言うところの無法者の方がまだ役に立つだろう。

 

 そんな彼の都合に合わせて物事が進むはずもなく、そして次の瞬間それを証明するかのように事態が引き起こされた。

 

「なっ――」

 

 突如すべての者が絶句した。

 中空モニターに映し出されたのは信じがたい光景――画質も悪く電波障害(ノイズ)も著しいが、断じて見間違いなどではない。

 東京湾にて破滅の気を吐くスペースゴジラに、一機のパワードスーツが突貫を始めたのだ。吹き飛ばされては突撃を繰り返し、供回りも援護もないままたった独り猛り狂っている。

 

「な、何をしているのだあれは……!?」

 

 国を滅ぼし星を砕き、一つの星系を征するに至るとさえ謳われる神獣に、人が生身で突撃している。

 当のスペースゴジラすら、戸惑うように動きを止めているほど。一周回ってその時間稼ぎが狙いだったのではないかと邪推したくなるが、そうではないのは明白だ。勝てると自惚れるが故の無謀ですらないのだろう。

 

 だって、遠く離れたモニター越しからでも届くのは、猛り狂うような怒りの波動。木霊する怨念じみた咆哮は幻聴ではない。

 装甲を拉げさせ、四肢がへし折れ、血を流しながらなんども突撃する様は、あまりにも壊滅的で呪わしい。勝機も手段も関係なくただひたすらに”敵”が許せないと刃を振るうそれが、”勝利”を掴むためのものであるはずがない。どう考えてもただの愚行。

 なのに、どうして目が離せない。

 

「あれは確か、”赤イ竹(レッド・バンブー)”所属の……」

 

 ――気づけば、さっきまで皆を襲っていた破滅の実感が和らいでいた。

 

 スペースゴジラが放っていた、皆滅びろという絶死の波動。物質化するほどの濃厚な気配が、確かに薄らいでいるのだ。

 関東県内を覆っていた恐慌の余波が僅かながらでも希釈されたことで、人々が理性を取り戻していく。

 

 それが一体どういう理屈なのか、何を示唆するものなのか。今後の事態を具体的にどう左右させるのかも解らない。

 とはいえ、概ね喜ばしいものなのは間違いなさそうだが……

 しかしそれに対して苛立つように眉間に皺を寄せていくのが麻生。

 

 生身で怪獣に突撃する――()()()()()()周りの若造共がいきり立ち驚愕の声を上げているということ自体が、彼にとっては許しがたい解釈違いだから。

 

 権藤、結城――ああ、他にも沢山。仲間を守るために生身で果敢に怪獣に挑んだ勇士など、三〇年前には数多くいたとも。その命がけの雄姿を不出来に真似(パロディ)されたようで不愉快極まりない。

 

「断じて、あんなものではない……ッ」

 

 偉大な怪獣との戦いとは、須らく栄光に満ちているべき。それがあんな呪わしい見世物に堕ちているのは、一体どういうことなのだ。

 若い士官たちは興奮ぎみに身を乗り出し、食い入るようにモニターを見つめるのを腹立たし気に横目で睨みつける。

 

「あれはいったい……あれが噂に聞く”見敵殺滅”なのか?」

「”怪人”パネト・ヘイトスピーチのことか!?」

 

 余人には伺い知れぬ怒りに身を震わす麻生だったが、”パネト”――そう、聞いた瞬間。

 麻生の眼が、不意に大きく見開かれた。思いもよらぬものを聞いたかのように息を呑む。

 

「……パネト?」

「はっ……”赤イ竹(レッド・バンブー)”所属の名うての構成員。まだ二十歳に満たぬ少女ながら、かの組織最大の武功を挙げる特急戦闘員と聞き及んでおります」

 

 羽音の様な不思議な響きの名前は、麻生にとってどこか聞き覚えのある響きを伴っていた。

 怒り一色に染まっていた思考が一瞬の間だけ忘我の境に入る。

 しつこいくらいのゴジラへの執着を思わず捨て置いてしまうほどの、理屈を超えた何かの違和感。 

 

 

 

”麻生司令、この子の名前は――というのですよ”

 

 

 

「三枝……?」

 

 

 唐突な沈黙に隣に立っていた隊員が不審げに見てくるが歯牙にもかけず、食い入るようにモニターを凝視する。

 

 待て、どういうことだ。

 いやしかし。

 あの時の子供の、今の歳は――

 

「まさか、三枝の――」

 

 一体どういうことなのか。彼しか知り得ぬ所以なのか、理屈を超えた直感が何かの辻褄を導き出そうとしていたまさにその瞬間であった。

 情報統括ルームに響き渡る通知音。関東全域を覆っていた電波障害の余波が薄らいだことにより、外部との通信網が回復したのだ。

 

 そうして届けられた通達により、今度こそ麻生の顔は驚愕に歪められることとなる。

 

「稚内臨時分屯地より緊急の一報が――稚内港より、バトラ復活ッ! 現在東京湾に向けて飛翔中とのこと!」

 

「なん――だとっ!?」

 

 一体何が起こっているのか。戦況は未だ混沌としているが、それでも解っていることは唯一つ。

 

 

 

 少なくとも、彼らはこの物語の主役ではないということだ。

 

 

◆2◆

 

 そして同刻、東京湾。

 

 周囲の絶望も混乱も知ったことではない。

 奈落的に渦を巻き天を登る、漆黒の超重力――それを神懸かり的に掻い潜りながら、少女はパワードスーツ一つで脇目も振らずに突貫を繰り返す。

 

 言うまでもないことだが、こんな行動に意味はない。

 

 実際、少女は思い知らされることになる。

 己が挑もうとしているものがどれほどの存在なのかということを。

 

 超重力の檻に捕らわれて、全ての骨が例外なく砕けていく。全身の血肉が沸騰していく。手足が捻じれて戻らない。

 星を砕き、星系を統べる力は、紛れもなく神と評するべきものだ。

 東京湾に凝然と仁王立ちする一二〇メートルの巨体に、近づくことさえできずに吹き飛ばされていく。

 

 何という身の程知らず。

 話にならないほど当たり前の展開。

 きっとそれは、少女だって理解ってはいるのだろう。しかし――いやだからこそなのか。

 

「知ったことかよ怪獣は死ねェ!」

 

 無力を噛み締め涙を流すなど有り得ない。いやそもそも、この少女は勝算と呼ぶべきものを端から勘定に入れていない。

 ()()()()()()()()

 自分が認められない、自分と違う属性を有する”敵”なるモノが脅威としてそこに存在する――その現実が許せない。掻き毟って掃除してやらなければ耐えられない。

 ただその一念だけで、人間風情が今もこうして救いがたいほど壊滅的で奈落的な焔を燃やす。

 

 なるほどその精神性は確かに驚嘆に値するのだろうが……だからといって、土台無理なものは無理なのだ。

 

 気合と根性だけで怪獣を倒せるのなら誰も苦労しない。呪わしく吠えれば怪獣に届くというのなら、全人類から何十年と呪われ続けたゴジラは果たして何億回死ぬことになるのだろう。

 

 結局こうして無様に転がりながら時間稼ぎに徹するしかないのも当然で……しかしだからこそ、そこに疑問が生まれる。

 

 何度も言うが、その気になれば星一つを容易く粉砕するのがスペースゴジラという怪獣だ。

 そんな存在を前にして、人間風情が曲がりなりにも時間稼ぎができる(戦り合えている)こと自体が理屈に合わない。凄絶な様相に成り果てながらも、それでも少女の肉体が現状()()()()()()()()()()こと自体が不可思議である。

 

 その理由は、大きく分けて二つあった。

 

「――ブチ殺す」

 

 捩れ狂う空間から生み出される不可視の刃を、まるで始めから解っていたかのようにジェット噴射で回避する。

 それは技の”起り”を見切ったなどという次元ではない。まるで未来予知したかのような確信に満ちた挙動は、勘や経験に依る部分もあるのだろうが、それらは本質には非ず。

 

 パワードスーツのバイザー越しに爛々と瞬く狂眼と、怪獣の鈍く輝く白銀の双眸が正面から交差した。

 

「来いよ石ころ、得意なのは黒トカゲの物真似だけか?」

 

 少女が読み取っているのは、怪獣の殺意。それはなにかの比喩表現――ではない。

 

 パネト・ヘイトスピーチという少女が最大の武功を挙げるに至る由縁の一つである超能力。感知能力に分類されるその異能は、怪獣の戦意のベクトルを読み取ることで神憑り的な第六感へと昇華される。

 人知の及ばぬ行動原理を有する故に、人類が培ってきた戦術・戦略がまるで意味をなさないというのが怪獣の厄介さの一つである。ならば、その精神性を直接読み取ることができるのなら、果たしてどれだけ過大なアドバンテージが得られるのか。

 

 それこそが第一の理由。

 まさに対怪獣戦における超能力の有用性が示されている光景であったが、この世にリスクや代償のない力などない。

 

 端的に負担の問題が存在するのだ。

 人ならざるモノの精神に触れ続けることで、人間が受ける精神的ショックは計り知れない。生死の間際を潜り抜ける度にその理性は揺さぶられていく。

 ましてや今相手にしているのはあのスペースゴジラ。太陽を直視し続けるようなものであり、今もこうして正気を保っていること自体が――そもそも正気の人間は生身で怪獣に挑むのかはさておき――少女の怪物的精神性を指し示している。

 

 だからこそスペースゴジラは手を出さない。興味深いとでも言いたげな視線を投げるばかりで、ただ凝然と立ち竦むばかり。

 対等の立場で勝利してこそ真の最強と掲げられた信条こそが、第二の理由だった。

 

 下等な知的生命体の分際でこれほどの妄念と殺意をぶつけてくるなど、この結晶の怪獣の数千年にも及んだ殺戮行脚においても例がない。流石にこれを図体に任せて踏み潰してお仕舞い、などとは塩試合にもほどがあろう。

 とはいえ流石に「対等の土俵」にまで落ちてやるつもりもないが故に、こうしてじっと自滅を待つような真似をしているわけだ。

 

 ……何とも怪獣には似つかわしくない、有り体に言ってしまえば俗っぽい姿勢。

 ある種幼稚的でさえあり、大多数の怪獣が有する超然とした精神性とは程遠い。掲げた信条こそ雄々しいが、その真実は相手をどこまでも下に見るが故の遊びに他ならないのだ。

 

 それを理解してしまったから、屈辱と怒りのままに少女は吠え上げる。

 

「ぎゃおおおおおおおおおお!!」

 

 人か獣か、それ以下か。少女の喉から発せられているとはとても信じられぬ畜生じみた咆哮。

 掠れた声と血走った瞳。折れた手足を知るかと駆動させる姿はなるほど大したものだが――

 

 やがて当然の結末として、限界は訪れた。

 

「ぁ……」

 

 まず力が抜ける。パワードスーツの制御が不能となる。無限に湧き出るような殺意も尽き果て、意識は途切れていく。

 

 重力の渦に捕らわれたまま逃れることもできず、砕けていくパワードスーツ。そうして糸が切れたように放り出される生身の少女からは、見るもの全てを殺滅せんとする獰猛な戦意は感じられない。

 小鳥のさえずりの様に小さな呻きを上げながら力なく手を伸ばし……何も掴むこともできないまま墜ちていく。

 

 一人の少女としての弱さと儚さを、怒りの炎に転化させるだけの精も根も尽き果てた。

 四散するパワードスーツの残骸と自身の血しぶきが視界いっぱいに広がっていく。そうして呑み込まれて、海面に叩きつけられて――

 

 

 

「オレは……オレはどうして、私はこんな……」

 

 

 

 死と絶望の底で、うわ言のようにパネトはぼんやりと呟く。それに何の意味があるのか。果たして、誰に向けた言葉なのか。

 

 その表情は伺うことはできないが、まさか、泣いている――のだろうか。

 

 

 

 

 

「寒い、痛い、怖い。もう、わからない。どこにいるの――未希姉さん」

 

 

 

 

 

◆3◆

 

 そして、同刻。

 上空五〇キロメートルという常軌を逸した高度に於いて。

 

 成層圏界面。温度は氷点下に達し、大気が真っ白に凍りつく。

 触れるものを全てを切り裂く冷たい突風が、怒涛の如く吹き荒れる世界。命の温かみとは無縁の場所で、その巨大な生命は怒りに歯を軋らせていた。

 

 重力というものを当たり前のように無視しながら、浮かび上がる灼熱の巨躯。黒鉄の魔王――ゴジラ。

 一体如何なる理屈に基づき空を飛んでいるのかは不明だが、間違いなく解っていることはただ一つ。もはや如何なる物理的制約も、ゴジラという生命に枷を嵌めるには至らないということだ。

 

 であるが故に、疑問が一つ。

 数分前に切り落とされた四肢の再生はとっくに終えている。ならば一刻も早くあの結晶の怪獣への逆襲に向かうべきなのに――獰猛に凶眼を瞬かせながらも、じっと蹲るばかりなのは何故なのか。

 

 臆したのか、怯えたのかというと無論そうではなくて……ただ、魔王は考えていたのだ。

 一体如何にして、あの結晶の怪獣を滅するべきなのかと。

 

 先の熱線攻撃で”あれ”が仕留めきれなかったことは魔王にとってそれほど驚くことではない。死ぬこと以外は擦り傷などというが、彼らほどの領域に踏み込むともう死ぬことすら些事となる。

 一度死んだと? なるほど承知した――()()()()()()という理屈である。

 意味不明な暴論だが、そもそも己の意思一つで物理を捻じ曲げるのが怪獣だ。それが一〇〇メートル級ともなると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()死ぬことなどありえない。

 

 ましてやあれは、千年に渡って星を食らい暗黒巨星に匹敵する質量を手に入れてしまった化外である。それに等しい桁の命を有することは自然であり、一度殺した程度では物の数にもならない。そして質量のみならず、戦闘経験という観点でも間違いなく魔王の遥か上を行っている。

 

 そうして客観的に計算を積み上げていくと、なるほど未だ地球という星一つすら持て余している若き怪獣王の勝算は極めて低いと言わざるを得ないだろう。

 

 しかし実のところ、魔王にとって”そこ”はまるで問題ではなかった。

 実力が己の千倍だというのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 命を千個持つというのなら、()()()()()()()()()()()()

 

 だから実力差などというのは端から眼中にはない。……問題なのは、己の戦いを通してこの星の”小さきもの”を数多く巻き込むことが魔王にとっては本意でないということだった。

 対等の土俵で勝負するという信条と同じように、この魔王も己の振る舞いに一つの縛りを設けている。地上の命を全て燃やし尽くすほど熾烈な長期戦にもつれ込むことは、決して望ましい選択肢ではない。

 

 ならば、どうするのか。

 

 突如として、魔王の赤熱していた肉体が漆黒の色に戻っていく。熱量を下げたのかというと、真実はまるで真逆だった。

 

 魔王の体内で壊滅的な勢いで連鎖する核融合反応。生成される総エネルギー量は既に超新星爆発の域にすら達していたが、奇妙なことにそれは周囲環境に一切影響を及ぼしていない。陽炎のように噴出する熱炎がまるで針を巻き戻すかの如く、生成されていく度に魔王の身体に集まっていくのだ。

 

 光の一切すら漏れ出ることがないからこその漆黒の肉体。

 これは”先代”のゴジラが作り出した赤熱化(バーニング)形態の、更に一歩先を行くもの――

 

 それは地球表面を何百回と燃やし尽くすに足る光熱が、完全な形で凝縮されていることを意味していた。

 事実上の体内温度は億度にすら達している。桁外れという言葉も生温い――いやそもそも、このゴジラという存在を”桁”という概念で量ろうとすること自体が既に不遜だろう。

 

 この日この瞬間、太陽系に新たな恒星が出現した。竜の形をした星は、高らかに吠え上げる。

 

 

 

 一撃で万回殺す。

 

 

 

 明晰に回転する魔王の頭脳は、遂に結晶の化外を滅ぼすための完璧な回答を導き出した。

 

 

 




いや、その理屈はおかしい




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 大罪の鼓動◆

お久しぶりです、あまりの遅筆に死にそうになりました。
17000文字もあるので時間があるときに読んでいただければ。

3、4000文字くらいのをこまめに仕上げられる速筆力と構成力が欲しい


◆0◆

 

 スペースゴジラ――その襲撃は、必ずしも前触れのないものだったわけではない。

 

 

 前提として、暗黒巨星(ブラックホール)に匹敵する超質量が地球に迫れば、その予兆は自然と大きいものとなる。そもそも星系から星系へと跳躍を重ねる瞬間移動の余波が矮小なものに留まるはずもないのだ。

 人間の技術レベルでそれを感知できなかったことは仕方がないとしても、怪獣の第六感でそれを感知できないなどあり得ない。 

 

 ましてやそれが女王の権能――宇宙の彼方は勿論のこと、過去や未来まで見通すモスラの千里眼がその前兆を見逃すはずがない。

 連戦を重ねて疲弊していたとはいえ、モスラの神域の力は健在だ。実際スペースゴジラの脅威が地球に迫っていること自体は小美人(コスモス)とて正しく予知できていた。

 

 見誤ったのは、猶予の有無。

 

 彼女たちの想定では宇宙大怪獣との戦端の火蓋が切って落とされるまでは、一〇年以上の猶予が存在するはずだった。

 そもそもが小美人(コスモス)が長年避けていた市井の人間たちと積極的に交わるようになった一因がそこにあった。やがてこの星に現れる大いなる存在との戦の備え。迷妄を続ける人類種を、その時正しく導ける“■■”の覚醒を待ち続けた。

 もしそれが可能であったならば魔王(ゴジラ)との連携もあり得たのかもしれないが……孤高と断絶という彼の者の在り方を鑑みた上で、その選択肢は端から排除していた。

 

 すべては魔晶の襲来までに充分な時間があると判断したからこそ。

 

 ならば想定よりエックスデイが早まった理由とはなんなのか。スペースゴジラの実力が想定を超えていたからか。上質な獲物を前にした戦意の高ぶりの桁が違っていたからか。それともあるいは……()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 真実はもう誰にも解らないが、誤断のツケは高くついたということだけは確かだった。

 

 

「――キュイーッ!!」

 

 

 太平洋の海の上、苦しげに唄いながら飛翔するモスラ。絞り出すように翼を上下させる必死な姿からは、空を揺蕩う優雅な印象を見出すことなどできやしない。

 

 存在するだけで星の運行に不可逆的な崩壊を齎す重力の塊。そんなものが地球の大地を踏みしめれば果たしてどうなってしまうのか。ちっぽけな星が石ころサイズにまで圧縮されるのに一秒とてかからないはずだ。

 しかし幸か不幸か、「対等の土俵で勝負する」という魔晶の信条故にそこまでの惨状には至っていない。相手が十全に力をふるう環境(バトルフィールド)すら破壊してしまえば、対等もなにもあったものではないからだ。

 

 しかしその「配慮」が及ぶ範囲とはあくまでも敵手のみ。その他の地上生命にどれだけの被害が及ぼうと知ったことではなく――だからこそ現状()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()モスラの働きによるものだ。

 

 海を、星を抱きこむように広げられたモスラの巨翼――それが大きく羽ばたくたびに、周囲に金色の鱗粉が舞い散った。それはすぐさま虹色の波紋に変わっていき、闇一色に染まろうとする世界に抗うかのように水平線の向こうまで広がる。

 

 残り僅かな命を削り、崩れゆく地球環境を持ちうる全霊で押しとどめているのだ。文字通りに星の苦痛を肩代わりしている女王は、体の中で飛び跳ねる苦痛を外へ逃がそうとするかのように華奢な身を悶えさせていた。

 

 それを見守る小美人(コスモス)も、平静の体を保ててはいたが既に限界が近づいているのは間違いなくて――

 

「モル」

「ロラ」

 

 しかし二人の表情に悲嘆の色はさほど見られなかった。

 

 予期していた苦難に対してなんら役に立たなかった事実には、確かに忸怩たる思いを抱かざるを得ない。

 しかし、そもそもとっくの昔に滅んだ種族が小美人(コスモス)なのだ。多くの同胞がこの世を去った一方で彼女たちだけが死に損ない、この数万年間隠者の如く隠れ潜んで生きてきた。

 そんな己が訳知り顔で世界を導くというのが土台不自然でしかなく、ゆえに今を生きる者たちを信じて託すことこそが正道であるとも理解している。

 負け戦とわかっていながら敢えて進むこともまた知的生命の道――その真理を彼女たちも理解していたのだから。

 

「ハルオ・サカキ様――もう少しだけ貴方とお話ししたかったのですが、どうやら時間のようです」

「無念は残りますが……いいえ、言葉は届かなくても祈りは必ず通じると信じています」

 

 おめおめと生き残った果てに死に場所を探していたのは自分たちも同じだったのかもしれないと、妖精たちは苦笑する。

 

「どうか、つまらない自虐に惑わされないで。貴方が忘れてしまった真実を、今一度思い出してほしい」

「どれだけ時間がかかったとしても、貴方ならばきっとランドウ様と共に答えにたどり着く」

 

 比翼連理の妖精の体が薄らいでいく。その身体が金の粒子になって世界に溶けていく。

 

「「――そんな貴方だから好きになったのだと、■■■もそう申しておりましたことですし」」

 

 過去にも未来にも通ずる神眼は、既にこの混沌色の決戦の一端を見通している。

 

 例えばそれは、分を弁えない戦いに挑む狂気の少女の真実であり。

 例えばそれは、あまりに純すぎる祈りを抱える少女の真実である。

 

「不安は残りますが、”新たな巫女の器”は既にある」

「今を生きる貴女たちこそが、救世主(ソテイラ)として時代を切り開いてほしい」

 

 だからこそ、この先に待ち受ける運命とは、決してそう悪いものじゃないと悟っていたのだ。

 数万年を彷徨い続けた先史時代最後の生き証人は、そうして安らかな笑顔で逝ったのだった。

 

 

 

 

 一方上空では、そんな感傷こそが脆弱の証明とばかりに燃える焔が一つ。

 怪獣王ゴジラ――この三◯年間を通して実に様々な”敵”と相対してきた魔王。

 

 そこにはゴジラより巨大な怪獣や長命な怪獣など幾らでもいたし、残虐さや狡猾さに長けたものだって沢山いた。中には物量や特殊能力で勝負してきた変わり種だっていたし、単純に膂力や速度(基本スペック)で上回っていたものを含めればもう数えきれない。

 

 戴冠して間もなき若き怪獣王にとっては、むしろそういった存在のほうが遥かに多くて――そこには楽な戦いなど一度としてなかった。

 手足が千切れて内臓が零れて頭蓋が砕けて、この宇宙には己より格上の存在のほうが遥かに多いのだと突きつけられる。しかしその度に、だからどうしたという殺滅の咆哮が天地に轟いた。そうして勝ち残ったのがどちらかなど言うまでもないことだ。

 

 だが、そんな三〇年に及ぶ戦いの歴史を紐解いても「その全て」を併せ持つ存在など例がない。

 つまり、より巨大で長命で残虐で狡猾で特化型の異能を有していて、おまけに全ての基本スペックで己の上を行くという……

 千年を超えて戦い続け、千を超える星を粉砕してきた暴性の化身。この三〇年間で最大の脅威――それがスペースゴジラだ。

 

 しかし、それがどうしたというのだ。

 戦いを続ければいつかはそんな存在とかち合うのは自然なことで、それはもう早いか遅いかという問題でしかない。

 

 

 むしろ()()()()として申し分ない。

 その在り方と性質は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 

 

 この世ならざる者への殺滅の誓い。呪わしいほど壊滅的な焔に囲まれながら、魔王は高らかに吠え上げる。

 その視界に人間たち(小さきもの)の動向など欠片も映っていない。

 

 それはなにも人間たちを無力と軽んじているが故ではない。己の戦を通して彼らを巻き込まないという誓いは、都合が悪くなれば破り捨てるような程度の低い縛りではないのだ。

 ……だがその一方で、彼らを庇護されるだけの無力な脆弱種と扱っているわけでもなかった。この後に及んで右往左往するばかりで何の存在感も示さない人間たち。そんな彼らの真価を知るからこそ、敢えて放置という道を選んでいる。

 

 

 

 ――ヒトなる者とはなんなのか。ゴジラの名で呼ばれた者なら皆、ヒト以上にそれを理解しているのだから。

 

 

 

◆1◆

 

 後に東京SOSなどと呼ばれることとなる事変は、人間たちの存在を完全に置き去りにしながら新たな局面へと突入していく。

 一体何がどうなっているのか。大半はその全容を把握できないでいたが、実のところ構造そのものは非常にシンプルだ。

 

 要は力比べなのである。

 己と比する実力者を求めた宇宙怪獣が地球にやってきて、それをゴジラが向かい撃つ。果たして最後に立っているのはゴジラなのか、それともスペースゴジラなのかという壮絶なデスマッチ。

 規模や程度は並外れているが、構造自体はこの三〇年間で地球上で何度も繰り返されてきたものと大差ない。

 

 人口密集地に近すぎるだの防衛戦力に欠けているだのと……そういう些末な政治的問題の類で事態を複雑にしているのは人間の勝手な都合だ。そもそも現状において舞台に上がることすらできていないのだから。勝ったほうが人類最大の敵になる、などと嘯くことすらできやしない。

 

 だからここで問題なのは。

 

one will fall(勝つのはどちらか)、だランドウ。それは即ち黒鉄の赫怒が打ち砕くのか、あるいは白銀の狂気が捻じ伏せるのか」

「……要はカギを握っているのはあくまでも怪獣たちだってことか」

 

 気に食わないなと毒つく俺に対して、朱に染まった口元を困ったように歪めながらハルオは肩をすくめた。その顔は真っ赤に染まっている。彼自身の血ではなく、周囲で倒れている暴漢たちを殴り倒した際の返り血だ。

 

 ……数刻前のこと、不意を突くような宇宙怪獣の襲来。

 ()()に近かった建物から次々に倒壊していき、あちこちから赤い塵の雲が立ち昇る。倒壊する建物から必死で飛び出した瞬間のことだ。

 

 立ち昂る焔に照らされたビル街の合間。遠くに垣間見える小さな影が、俺の視界に入り込んだ。

 

 東京湾の向こうの海。彼我の距離はあまりに大きく、幻影のように揺らぐ暗闇の中で姿形こそ判然としないが、見誤るなどあり得ない。

 視界に入った瞬間、眼球に亀裂が走ったと錯覚するほどの絶望的な存在感。

 

「あ、れが」

 

 目眩、吐き気。魂が砕けそうになる。舌が切なくもつれていく。

 天が裂けるだの海が割れるだの、()()()()()の異常じゃない。

 

「――怪獣」

 

 その怪獣は、白かった。

 一切の混じりない純粋な白銀の色をしているようだった。

 全体像こそはっきり見えないが、鋭い鉱石が折り重なってできた造形は、この世のものとは思えないほど美しく完成されていて。

 だからこそ、恐ろしい。

 

 これが、一◯◯メートル級の怪獣。

 ガバラだのエビラだの、数値のスケールを大きくしただけの巨大生物とは次元が違う。

 その存在自体が根本的に宇宙の法則に反し過ぎている、そういうものだと直感する。

 

 白銀の悪魔はぶるりと身を一つ震わせて、ゆっくりと上体を持ち上げながら咆哮した、ようであった。

 ようであった、というのは単純に衝撃が凄まじすぎて音として認識できなかったのだ。

 魔的な衝撃波が津波のように押し寄せて、それに捕らわれた瞬間に誰も彼もが恐怖に呑み込まれていく。東京の街は比喩ではなく文字通りに絶叫した。

 

 それから逃れようと一瞬目を強く瞑ってしまい、そして次の瞬間視界に入りこんできた光景。それは狂乱のまま暴徒と化した人々が、雪崩のように襲い掛かってくるという代物だった。

 

 言葉など明らかに通じない有様に、ただ呆然と立ちすみ――次の瞬間。

 

「すまん、遅れた」

 

 背後から聞こえた言葉と共に、颯爽と飛び出してきたハルオ。鎧袖一触とはこのことか、鮮やかに暴徒たちをなぎ倒す。

 呻き声を上げながら道路に伸びている連中を遠慮なく踏みつけながら、奴は呆然と尻もちをついたままの俺に手を差し伸べてきた。

 

「仮にも軍属が民間人に手を出すなよ……」

 

 助けられた身分の癖に、混乱のままそんなことを言ってしまうのは何故なのか。気まずさに思わず視線を脇に逸らしてしまって、けれどハルオはそんな俺の内心の葛藤を見透かすように小さく苦笑する。

 

「気絶させただけだ。おまえは度胸はあるんだから、次は身体は鍛えるところからだな。()()()()()()()話になるが」

「政治家に殴る蹴るが必要になるのか?」

「常に話し合いが有効とは限らないからな……。諭し諭される関係を前提として初めてそれが成り立つ。話を聞かない奴は実際世の中多いし、そもそもそれ以上に()()()()()()()()()()()()()()()だって沢山いる。良くも悪くもそういう保守的な一面は誰しも持っているし、それならもう先にぶん殴って黙らせてから自分の主張を通したほうがずっとマシだったんじゃないかと……そういう後悔は多いからな」

 

 地面に横たわる連中に一瞥をくれながら()()()を語るハルオ。その瞳はなにかを懐かしんでいるのか悲しんでいるのか、不思議な色を帯びていた。

 こいつはどういう訳なのか、時折そんな顔をする。

 決まってそれは自分の経験則なるものを語っている時で、俺はその真意を聞き出したいと思いながらいつも踏み込めないでいる。そんなことをすれば、この立ち枯れた老木のような男が消えてしまうのではという根拠のない畏れがあって……

 

「妙な話を聞かせてしまったな。

 要は切羽詰まった状況だとカリスマも肩書きもなんの意味もないから、いざという手段は多いに越したことはないってことだよ。だから頑張れランドウ。

 なにせ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「またおまえはそんなことを……こんな時まで」

 

 そうして最後は、いつもこんな風に俺のことをすごい奴だと持ち上げる言葉で締めるのだ。慰めでもご機嫌取りでもない、まったく素面の超大真面目に。

 この非常時でもぶれることない通常運転(マイペース)な背中。しかしそこにいつもとは違う雰囲気を感じるのは錯覚だろうか。

 

 それに踵を返したその一瞬、右目が金色に光っていたし……金色?

 

「おい、ハルオ――」

「だからこそ、まずはこの状況を生きて切り抜けるところからだな。それにどうだ、少しは落ち着いただろう?」

「……なに?」

 

 疲れた顔に皮肉っぽい笑み。振り返って浮かべている表情はいつものそれとなんら変わらなかったから……俺は確かな違和感を捨ておいてしまった。

 

 なにせこいつの通り、先ほどまで俺たちを押し殺さんばかりに降り注いでいた重圧が確かに薄れている。苦しみがないと言えば嘘になるが、それでも呼吸ができないというほどではない。そこらで転がっている連中の顔も、少しは安らかななものになっている。

 

「これは一体、どういう……?」

 

 東京湾の向こうの状況はビル街の陰に隠れているので確認できないが、事態が好転した……なんてご都合のよろしい展開はありえないだろう。

 

 しかしスペースゴジラを囲る状況に、なにやら大きな変化が発生したのは間違いないのだ。

 なぜなら確かに感じられる戦意、殺意というものが、明らかに()()()()()()()()()()のだから。

 

「おそらく、パネトだ。あいつが単騎でスペースゴジラに挑み、その気を引きつけている」

「ありえない」

 

 考えるより先に言葉が出た。

 なんだそれは、馬鹿なのか?

 

 スコップ一つで山を崩しますというほうがまだ現実的に感じられた。

 「気を引きつけている」などと小綺麗にまとめるならまるで自己犠牲のようだが、真実はまるで真逆だろう。それで勝手に自滅するのは大いに結構。しかし怪獣を無意味に刺激して目も当てられない大惨事になる――とは少しも懸念はできないものなのか。

 

 これで間違いなく、あいつは死ぬ。

 あの業深い女にはお似合いな結末だという一方で、こんな呆気ない最期など似つかわしくないという屈折した思いもあって。

 そんな複雑な内心を誤魔化すように早口で毒ついた。

 

「……正気じゃないし馬鹿げてる。どうしてそこまでして怪獣を憎みきれるんだ」

 

 あまりにも苛烈で極端な在り方は、つい数刻前まで隣に立っていた少女とも通じるものがある。

 

 黒木ソテイラ――”怪獣共存派(コスモス)”の主柱(カリスマ)である少女。理想に殉ずる乙女の、いっそ狂的とすら思える信念の程が忘れられない。

 

 折れそうな細い肩に、すぐに涙を浮かべてしまう弱々しい心。あんな少女が世界的な組織の主柱(カリスマ)として活躍していることがずっと不思議だったが、なるほど今なら疑問を挟む余地はなかった。

 

 つい数刻前まで”赤イ竹(レッド・バンブー)”と”怪獣共存派(コスモス)”の協議の場であった市民ホールは、比較的「震源」に近かったこともあって既に跡形もなく崩れ去っている。倒壊する建物から逃れようと必死にソテイラの手を引き駆けていたが、気が付けば彼女とは別れてしまい、この有様に至るというわけだ。

 もう生きているのか、死んでいるのか……所詮は生身の人間だ。仮に建物の倒壊から逃れたとしても、その先に待っているのは暴徒の群れ。少なくとも危機的状態にあることは想像に難くない。

 

 いやしかし、それでも――もし彼女がパネトの”同類”だとするならば。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それはなにも、護衛対象を見失った責任を回避するための都合のいい空想、などではない。

 

 パネトも含めて、彼女たちは()()()()()()()()()()()()()()()()()()という奇妙な予感があるのだ。

 確信というほどの根拠はなくて、そもそもこれをどう表現するべきかもわからないが……

 

「それで、これからどうするんだ」

「……えっ?」

 

 ハルオの静かな、しかし鋭い声にはっとする。

 疲れ果てた表情に薄い微笑み。浮かべる表情はいつものそれだが、その射抜くような瞳だけがまったく違った。まるで、俺の底を見極めようとしているような……

 

「なんであれ現状、パネトが時間を稼いでいるのは確かだ。なら動けるのは今しかないぞ。所属を考えれば俺はおまえに従うのが妥当だろうからな、指示を頼む」

「あ、あぁ……そうだな」

 

 極めて妥当な提言であった。

 

 外部との連絡がつかない以上、今は現場判断で動く他にない。

 ならば急拵えであろうとも、現場の指揮系統の確立が最優先となる。そして何事も()()というものが肝心だ。官邸から出向してきた調整管轄官という役回りを鑑みれば、この場でまず指針を出すのは俺になる。

 

「よし、まずは――」

 

 そうしてなにをするべきなのか纏めようとして、言葉に詰まってしまったのはなぜなのか。

 

 

 だって、なあ、おい。

 ここで――()()()()()()()()()()()()()

 

 

 人知の及ばぬ怪獣たち。外部との連絡もとれず、救助要請も出せないこの現状。俺たち二人でなにができる? なにをする?

 

 スペースゴジラに特攻をかけているパネトの救援? 無理だできるわけがないだろう。

 

 ならば、はぐれたソテイラの救助に向かうのか? だが、今もなお彼女が生きているだろうという直観は、根拠のない俺の勝手な予想に過ぎない。この非常時に優先して選ぶべき道とは思えない。それよりも――

 

 辺りを見回す。圧し潰された瓦礫の下から広がる血だまり。遠くで木霊する罵声と悲鳴。今もなお危険にさらされている人がいるのなら、まずは目の前の人々を一人でも救うことこそが正義じゃないのか。

 

 だが俺がどれだけ足掻いたところで、ここで救える人なんてたかが知れている。その上で何千何万という人々の中から、助けるべき人をいったいどうやって選別する? 仮に選んたとして、助けた後はどうする? 隠れる? 逃げる? 果たしてどこに? どうやって?

 優先するべきものがなにかが分からない。

 そもそも、こうして頭に浮かんだ選択肢のすべてがハルオの腕っぷしなしには実現しない。先行きの見えないこの危機的状況では、己の安全を確保することすら危ういのだから。

 

 そうして状況を整理するなら、今はとにかく遠くに逃げて身の安全を確保するという消極的な一手しか選べない。

 

 違う――そんなことよりも、そもそも。

 

「……ぁ」

「ゆっくりでいいぞ。なんでも構わないから、思うことを言ってみろよ」

 

 なにか言わなければならないのに舌がもつれて言葉にならず、いつもの癖でハルオに縋るように視線をやってしまう自分を嫌悪する。

 

「俺、は……」

「悪いな。追い詰めてしまったか」

 

 そんなつもりじゃなかったと、微苦笑を浮かべるハルオ。

 違う、そうじゃないんだ。

 自分の無力と不覚語は受け入れられても、この男に失望されることだけは耐え難い。

 

「俺は……おまえに命令できるような人間じゃない。そんな能力はないし、そもそも官邸からの出向官なんて立場も、俺の意思で掴んだものじゃない」

 

 常日頃から世界のあり方に不満を抱きながらも、結局は周りの意思に従い続けた果てが今の俺だ。

 これは違う、こうじゃないと迷妄を続けても解決には至らず、理想を希いながらも自身の主体性が根本的に欠落している。

 

 だから上っ面を一たび引き剥がされてしまえば、後に晒されるのはこの期に及んで危機を打破する指針(モチベーション)すら持たない小人物だ。

 

 そう気が付いてしまった瞬間から、己の能無しを責め立てる言葉が堰を切って漏れ出ていく。

 

「……パネトもそうだし、ソテイラもきっとそうだろう。

 彼女たちには信念と覚悟がある。実績だって間違いない。比べて俺の情けなさはなんなんだ。いつも……稚内でもそうだ。巻き込まれた異常事態にリアクション芸人の如く狼狽してばかり。

 その癖にこれが許せない俺には合わないと批評家気取りで、信念と覚悟がある女の足を引っ張ることしかしていない」

 

 こんな言葉を並べたところで、果たしてなんの意味があるというのだ。

 少なくとも状況の好転に繋がらないことは間違いなく、どころか限られた時間を刻々と潰す最悪手。それがわかっていながら、生産性のない自虐の言葉は止まらない。

 

「今ならよくわかる。苛烈で極端だけれども、きっと、ああいうのを“主役”と呼ぶんだ。俺はなんの役にも立たない脇役がいいところで――」

「昔の話をしよう」

 

 俺の自虐を突然に遮ったのは、ハルオの静かな声だった。

 あまりにも唐突すぎる流れに戸惑ったものの、黙って先を促してやるとハルオはぽつりぽつりと漏らすように続けていく。

 

「かつて俺はゴジラを……怪獣どもを両親の仇だの、諸悪の根源だの、世界の歪みだのと、まぁとにかくひたすら憎み続けたことがある」

「おまえが?」

「思い出したくもない黒歴史だ。周りを最悪の形で巻き込みながら単騎でゴジラに突っ込んだこともあったかな……」

 

 この立ち枯れたような男に、そんなふうに心を黒く燃やした時期があったとは驚きだった。いやむしろ、そうやって燃え尽きた成れの果てがこの男の正体なのかもしれなかったが。

 

「俺の怪獣への憎しみもゴジラを滅ぼすという誓いも、全ては俺だけのエゴでしかないのに、その頃の俺はそれを人類全体の総意だとすり替えて騒ぎ立てていた。俺の“祈り”で人類を救うのだと猛進していた。周囲もそんな俺を真に受けて、ただの凡人を持ち上げてしまった。

 まったく、ありえないくらいに間抜けな話だろ?」

 

 自嘲のような独白は、しかし怪獣殺滅を掲げて世界を駆けずり回る”赤イ竹(レッド・バンブー)”所属の人間が言っても矛盾しかない。一体いつの話をしているのか。なんの話をしているのか――問い詰めたい気持ちは多分にあったがぐっとそれを堪える。

 

 ハルオが言いたいことは、きっとそういう次元の話ではないから。

 

 主役の器でないことを嘆く凡人が俺だとするなら、()()()()()()()()()()()()()()()と信じ込んでしまった凡人がハルオなのだ、と。

 

「……そのようだな」

 

 望まれているのは安易な否定や慰めでもないとも理解していたからこそ、端的な言葉で返してやる。

 向こうもそれは了承済みだと言わんばかりの苦笑を返してきて。

 

「昔の俺と、今のおまえ。どちらがより間抜けか……というのはひとまず置いておくとして、おまえは勘違いを二つほどしている」

「勘違い……?」

 

 話の流れが全く読めない。込み上げてくる困惑のまま身を乗り出した俺に、まぁ聞けよと開いた手のひらで制してからハルオは続けた。

 

「おまえは自分に信念や覚悟がないことを嘆いているが、逆に言えばそれさえあれば舞台に立てるとでも言いたげだな。甘えるなよ、そんなものがないと前に進めませんなどというのはただの言い訳だ。そんな抽象的な指針の有無に関係なく、やるべきことは黙ってやるのが大人というものだろう」

 

 切って捨てるような厳しい言葉は、不思議と反発を抱くことなく素直に聞き入ってしまう重みがあった。内容こそ厳しく責め立てるものだったがその声音は優しく、なによりその大半がハルオ自身に向けられた戒めなのだと察せられたからだろうか。

 

「覚悟や信念がある――なるほどそれはとても立派なことだが、だからといって別にそれがそいつらの正当性に繋がるわけではないし、そいつらがおまえより優先されなければならない理由にもならん。

 しつこいようだが、甘えるな。前にも言ったが、強くなれランドウ――おまえが蹲ることしかできないのは、端的に今のおまえが弱いからだ。

 そして二つ目だが――」

 

 そこまで言って、ハルオは急に言葉を噤んだのだ。

 やおら姿勢を正したかと思うと、石火の勢いで振り返る。

 

「これは――」

 

 刺し殺すような鋭い瞳を空に向けるハルオにつられて視線を持ち上げ、絶句する。

 

 スペースゴジラ襲来により、空間の在るべき整合性が失われたことで宇宙空間が鏡のように映し出されていた上空。星もなければ月もない。一条の光すら許さない暗闇一色に沈んでいた天蓋が。

 

 赤い。

 ただ、赤い。

 

 空の彼方までを覆い尽くしているのは赤い噴流。雲とも煙ともつかない怒涛が鼓動するように渦を巻いている。

 

 奇妙なのは、これほどの異常でありながら脅威というものがまるで感じられないことだ。

 半ば灼熱地獄の様相を呈しているのに、そこには音もなければ熱もなく、そもそも実存感というものが欠けている。壊滅的な現象なのは間違いないはずのに、ハルオに促されるまでまったく気がつかなかった。

 

 そして竜巻の中心に浮かびあがる黒点――まるでもう一つの太陽のようなそれが、なににも増して不気味だった。

 

 黒点などと言っても、ただ暗いのとはまるで違う。

 周囲の熱も光も渦巻くそれらが、まるで貪り喰われるがごとくその黒点に吸い込まれているのだ。熱も光もあらゆる力も、あるいは空そのものも――込められたエネルギー量は果たしてどれほどなのか、しかしそこから圧というべきものがまるで感じられない。

 

 だからこそ不吉で、なによりも恐ろしい。

 

「これは、いったい……」

「ゴジラだ」

「ゴジラ……ああなるほど」

 

 この端的な会話で、この現象のすべてに説明がついてしまうことに呆れるほかない。

 自虐すら忘れてただ呆然と立ちすくむ俺の耳に、ぽつりと漏らすような声が入り込んだ。

 

「ゴジラ、ゴジラ……まったく、俺もおまえもあれから随分様変わりしたわけだが……ふん、やはりこの響きは好きになれんな」

 

 隣のハルオに視線をやれば、浮かべているのは苦々しい渋面。好ましくない展開に苦慮しているのか、それともこの常軌を逸した展開を前に恐れ慄いているのか。真意を読むことはできなかったが、ああ、しかしなんだろう。

 その貌はどこか憎からず思う旧友に再会した際の、あの素直になれないしかめっ面にも見えるようで……

 

「さっきの話の続きだが」

「あぁ?」

「おまえの二つ目の勘違いだ。おまえはパネトやソテイラがこの世界の主役に位置すると思っているようだが、それが完全に的外れだと言っている。どこまで行こうが結局のところ、この星の主役は怪獣たちだ。俺たち人間はそこに間借りさせて貰っているにすぎない現状を、まずは認める必要がある」

「……は?」

 

 それではまるで、人間種の敗北宣言に等しいものではないか。ハルオの口から飛び出した思いもよらない内容に、一瞬思考が止まったのも無理もなく。

 しかしそんな俺の理解を待つことなく、人智を超えた完全生物同士の戦いは次の段階へと移っていく。

 

「――□□□□□□□□□□□□□□□ッ!!」

 

 度外れた咆哮が東京湾から轟いた。比喩ではなく文字通りに天地を砕くそれを前にして、俺の意識は赤熱の天蓋からそちらに釘付けにされる。

 時間を稼いでいたらしいパネトは、果たしてどうなってしまったのだろう。思考の隅に少しだけよぎった疑問はしかし、目の前の具体的な脅威を前に後回しにせざるを得なかった。

 

 陰になっていた建造物が、微塵となって一直線に砕け散っていくのだ。

 そうして白日に晒されたのが至上の戦意。地獄的に濃度を増していくそれは、その余波だけで東京の街を大きく陥没させていく。

 

 だがこれは、なにも直接俺たちに害を為すことを目的とした暴威ではないとも理解していた。

 スペースゴジラの、その血の通わぬ眼球が恍惚と見つめる先――おどろに燃える灼熱の中心で渦を巻く黒点。それが鈍く瞬くたびに、軋るような呪うような、凍てつくような殺意が津波のように天から降り注ぐ。

 

 そこでようやく、気がついた。

 

 あれが、ゴジラだ。

 あれこそがゴジラなのだ。

 あの黒い太陽そのものが、ゴジラのなり果てた姿なのだと理解した。

 

 見上げる白銀の魔晶と、見下ろす黒鉄の魔王。数刻前とは真逆の構図を展開しながらも、催される演目はなんらとして変化はない。

 

 

「――□□□□□□□□□□□□□□□ッ!!」

「――■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」

 

 

 One will fall――死ぬのはおまえだ。

 

 再戦のゴングがここに鳴らされた。

 

 

◆2◆

 

 繰り返される自滅必須の大爆発。四肢と頭蓋が弾け飛び、その度に体内から吹き出した漆黒の核エネルギーが魔王の肉体を新たな次元へと昇華させていく。

 結果として魔王が発している圧は、先刻とはまるで別次元の領域に到達していた。

 留まることを知らない連鎖的な進化と覚醒は、魔晶との力量差を着実に埋めている。もはやその肉体は原型を留めてすらいなかったが、それに頓着するような魔王ではない。この傾向を維持することができたなら天秤が逆転する可能性も大いにありうる。

 

 それを察せない魔晶ではなく、それに慄くような魔晶でもなかった。

 獰猛に、嬉し気に、晴れ晴れと――敵を称える豪放磊落な哄笑が轟いた。

 

 爆発する衝撃波。成層圏を超えてオゾン層を超えて、白銀の魔晶は一心不乱に宇宙空間へと突撃する。

 先程の脆弱種(人間の少女)のことなど既に記憶から抜け落ちている。今求めるものはただ一つ。

 

 嗚呼、これほどの敵手は何百年ぶりだろうか――否、後にも先にもこれほどの難関は現れまい。我が行脚はさてはこの瞬間のためにあったのやも知れぬとすら思案してしまうほど。それほどまでに眼前の好敵手の様相は信じがたいものがあった。

 

 空間を砕き、因果を殺す。

 音速の数千億倍という理屈を置き去りにした速度で猛進する灼熱の弾丸が、星すら蒸発させる熱量を拳に込めて天から落下してくるのだ。これに心躍らずしてなんとする。

 

 しかし億度にすら達する火球が生成されれば、仮にそれが一瞬であっても周囲に――特に地球環境に甚大な被害が及ぶのは想像に難くない。それでいてさほどの影響が及んでいないのは、偏に魔王の信念ゆえだ。

 

 地球に住まう小さきもの(人間)たちを、断じて己の戦いに巻き込まない――物理を曲げる決死の信念が、本来拡散していく熱エネルギーを圧縮という形で押し留めている。

 ……もはや強者(ゴジラ)による弱者(人間)への奉仕とすら解釈できてしまうこの構図。この三〇年間決して破られることのなかった誓いは、怪獣の存在意義に真っ向から違反していた。

 

 遠くの海での女王(モスラ)の尽力については魔王も感知はしていたが、当てになどしていないし興味もない。己の誓いを貫く過程で他者の助力を期待するなど惰弱な者がすることで、故にこそ決戦は宇宙空間で、尚且つ短期決戦で済ませるべきだと認識していた。

 

 そうした魔王の切迫した事情を魔晶も()()()()()()()()()()()()

 

 わざわざ魔王の誘いに乗ったのがなによりの証左である。

 戦略的には地上で小さきもの(人間)どもを人質にとり、じわじわと長期戦で弄ることが良策なのだが、そんなものはまさしく三下の所業。魔晶が望む毀損なき勝利と程遠い。

 

 好敵手が全霊を出せる対等の土俵がそこにあるというのなら迷うことなく飛び込むし、無いというなら用意するのが魔晶の王道。

 

 とはいえ勝負の行方は別の話だ。

 土俵には乗ってやりはしたが、以降の主導権まで譲ったつもりはない。一撃で決めたいというならそうさせてみろよと、渦巻く超重力が再度の咆哮。

 戦いとは熾烈であるほどよく、長いほどよいのだ。果し合いが刹那で決着など空気が読めないにもほどがある。魔晶が望むのはあくまでも長期戦だ。

 

 なにより好敵手が己をさしおき脆弱種(知的生命)風情にかまけているのは頂けない。

 多少強引にでもこちらを振り向かせて見せようとも。つれない想い人の気を引くために、魔晶もまたその全霊の一端を解放した。

 

 突如として世界に亀裂が走る。宇宙空間を割り砕くように出現した巨大な結晶が、まるで樹木のように広がっていく。

 末端の枝葉であってもその径は高層ビルにすら匹敵する規格外の大樹は、時空を突き破る勢いでなおも歪な成長を続けている。

 

 無造作に振るうだけで星すら容易く粉砕するのは想像に難くなく――しかしこれはただの質量兵器としての運用を想定した構えにあらず。

 

 枝分かれを繰り返し、四方八方に剣呑な鋭さを伸ばしていく結晶。

 ()()()()()()()()()()()、いったい誰に想像できるのだろう。

 

 

 一撃で万回殺すと?

 なるほど承知した――ではこちらは一億発だ。

 

 

 瞬間、宇宙広域に広がった億の枝葉が一気に火を噴いた。

 

 ホーミングゴースト――高加速させた結晶体を純粋な質量弾として相手に叩き込む絶技。先代のゴジラも大いに苦しめた技ではあるが、まさかこれが同じ系統の技だとは誰にも言えやしない。質的にも量的にも、比較可能な次元というものを致命的なほどに逸している。

 なにせ一発だけでも大陸をも轟沈させる攻撃が、億の津波となって魔王に押し寄せているのだ。並みの怪獣ならその余波だけで塵も残さず蒸発するだろう集中砲火。

 しかも魔晶はなにを血迷ったのか、興が乗ったと言わんばかりに続いて第二陣の掃射すら叩き込む始末で。

 強烈に意味の分からない非常識な火力には、恐怖や絶望を超えてある種の清々しさすら感じられてくる。

 

 初撃でこれほどの威力を放つことは、長期戦を望む魔晶の思惑に反するものだ。しかし我が全霊で必滅しろという嚇怒と、この程度で終わってくれるなよという期待は魔晶の中では()()()()()()()()()()()()()()。矛盾を孕みながらも、どこまでいっても無垢で清らかで……だからこそ恐ろしい。

 こんな破壊的衝動に耐えられる生命はこの太陽系に存在しえないだろう――()()()()()()

 

 際限なく降り注ぐ結晶群を前にしても、魔王の闘気は欠片も揺らがなかった。

 魔王があくまでも短期決戦を望むのならば、元よりやるべきことなど一つしかない。己の全力をあるがまま、真っ向勝負で叩きつけるのみ。一撃で万回殺すという決意に、下方修正などはあり得ない。

 勝算などは端からどうでもいいことで、己の意思一つで宇宙すらも粉砕できると魔王は信じているのだから。

 

 果てを知らぬとばかりに上昇していく熱量。超新星爆発にすら匹敵する異形のプラズマエネルギーが王冠(背鰭)で生成され、そのたびに魔王の両拳に収束されていった。

 

 狂ったように肥大化を続ける拳。だが彼我の実力差の天秤が傾くには至らず、億に至る剣群を撃墜するには今のところ力不足。

 それでも突撃することに躊躇など微塵もなく――

 

「――――■■■■ッッ!!」

 

 何万乗にも束ねられた超高密度の放射線で形成された巨大な拳が、そうして流星群と激突した。

 

 破壊、轟音、そして絶叫。

 音の響かぬ宇宙空間で、しかし確かにそれは届いたのだ。あるいはもしや、もう耐えきれないという太陽系そのもの断末魔だったのかもしれない。

 

 最初の激突で数万の結晶が塵も残さず蒸発して、押し負けることなく続く二撃目が今度は数十万の刺突を粉砕する。三撃目は数百万を、そして最後の四撃目は数千万――

 

 未だ天秤は傾かないが、はっきりしていることはただ一つ。

 

 

 

 彼らこそがこの物語の主役。世界の主賓に他ならない。彼らの演舞の邪魔立てするものなどいない――()()()()

 

 

 

◆3◆

 

 

 なにもかもが荒唐無稽で、人の理解を超えている。

 もしこの状況を俯瞰的に眺めることができる者がいたならば、もはやその者には喜劇とすら映ったかもしれない。

 少なくとも、俺にはもう意味不明だった。

 

 この世界の主役は怪獣たち――ハルオの言葉が俺の頭の中でぐるぐると木霊している。俺やハルオは勿論のこと、そしてあのパネトもソテイラもこの世界の脇役に過ぎないのだとするのなら、じゃあ俺たちは何のためにここにいるんだ?

 誰か(怪獣)の顔色を伺い続けて世界の片隅で埃を食って生きることが、俺たちに許された唯一の自由だとでもいうのか。

 きっとハルオが言いたかったことはそういうことじゃないと理解っていながらも、救いがたいことばかり考えてしまうのがやめられない。自覚しながらもやめられず、そんな自分をさらに嫌悪するという負のスパイラル。

 

 ……どうやら怪獣たちの戦闘は宇宙空間に移ったらしく、その影響もあって先ほどまで東京の街を沈めていた押し殺すような地獄的圧力がなくなっていた。

 街はなんとか落ち着きを取り戻したようで、それはあの暴徒たちも同様だ。

 

 しかし俺はといえば自虐をこねくり回す余裕もなく、呆けたままただ空を見上げるのみだった。隣でハルオが何事か喋っているようだが耳にも入らない。

 

 そんな俺を目覚めさせたのが唐突な電子音だった。前触れのない響きに狼狽すれば、隣のハルオが黙って俺の懐を指さす。それでようやく俺の鈍い頭は、通信網が回復したことで外部との通信が可能になった事実に思い至った。

 覚束ない指先でスマートフォンを操作すれば、画面に表示されているのは思いもよらない名前。

 

「……ヒデキ、どうして」

「お前のことが心配だったからに決まっている。仮にも幼馴染なんだから」

 

 赤坂秀樹――俺の二つ年上の幼馴染。

 東大法学部を主席卒業後に外務省入り。数年後には東京八区から出馬予定で将来の大臣候補とまでされている、要するにいけ好かないエリート様だ。

 正直こんな時に話したい相手ではないのだが、無視してやるわけにもいかないのだろう。少し迷ってからハルオに促されるまま通話ボタンをタップしてやると、瞬間、ざわめき混じりの掠れた罵声がやかましく響いた。

 

『――ランドウ、ランドウかッ!?』

「俺の番号にかけたのなら俺に決まってるだろ……」

 

 官邸からでもかけているのか、ただならぬ具合の声。

 なるほどこの状況で慌てるのも当然だが……察するに向こうも今まさに収集不可能な混乱に忙殺されているのは間違いないだろうに。俺如きの安否確認を優先する事情があるのか。

 

『暢気に構えている場合じゃない! なんでもいいから今すぐにそこから離れろ! 可能な限り遠くまで!』

「……はっ? いやなんだよ唐突に……」

 

 鉄面皮の皮肉屋には似合わない切羽詰まった様子の声に、俺は戸惑うばかりだ。

 なるほど戦場となったこの街が危険だというのは確かだろうが、しかし今更過ぎる話だろう。既に怪獣たちが主戦場を宇宙に移そうとしているというのなら、むしろ最悪の状況は脱したと判断するべきなのに。

 

「ヒデキ、なにが起こった」

 

 困惑で言葉が出ない俺を見かねてハルオが代われば、息をのむ気配と続く舌打ちが一つ。

 

『畜生、ハルオも一緒か……ッ! ランドウおまえはいつもそうだ! 付き合う人間を間違える! だから今回もこうなったッ!』

 

 泣いているのか、唸っているのか――受話器を強く握りしめる気配すら伝わってくるようで。そのただ事ではない様子に思わずハルオに目をやってしまう。

 

「まずはおまえが落ち着けヒデキ、危機はなんだ。何が起ころうとしている」

 

 こみ上げるものを必死に抑えるような、深い息を吐く音。

 ややあって嫌悪を隠そうともしない声が通話口から響いた。

 

『ハルオ……俺はおまえのことが憎たらしくてたまらない。”赤イ竹(レッド・バンブー)”という組織自体がクソなのはさておき、その中でも知ったような顔をしながら妙な価値観をランドウに吹き込み続けるおまえがなにより胡散臭い』

「耳が痛いな、まるで否定できん――それで、俺はなにをすればいい。なにからランドウを守ればいいんだ?」

『……話が早いのだけは助かる。ランドウも聞け、伝えるべきは二つある。まず一つ――稚内でバトラが復活した。東京の街に直進しているらしい。目的は不明だ、迎撃できるだけの余裕はない』

「はぁ?」

 

 それは、まるで予想だにしていない情報だった。

 バトラ、バトラ――海から引きずり出されて以降、稚内事変の混乱ゆえにあれから一ヶ月も放置されていた腐乱死体が、今更蘇って何を為そうというのだ。それがどういう意味合いを持つことになるのかすら、まるで判断できない。

 しかしハルオはといえば、それで大体察したと言わんばかりの訳知り顔で……

 

「なるほどな――それで、もう一つはなんだ? 察するに、そちらが本題だろう」

『嗚呼……畜生がッ』

 

 言わなければならないことは決まっているのに、言葉が見つからないがゆえの獣めいた呻き。

 

『ランドウ……おまえの親父が……』

「……親父?」

「片桐総理のことか」

 

 気遣わしげにこちらを見やるハルオ。

 

 それは、今この世で一番忘れていたかった男の名前なのは間違いなかった。

 俺があの家を飛び出した直接の原因で、()()()()()()()()()と思いながら未だに超えられずにいる呪縛。

 

 落ち着いて聞けよ、という前置きと共に。

 

 

『特生自衛隊の黒木翔が、オキシジェンデストロイヤーの使用を申請した』

「――は?」

『それだけじゃない、あろうことか……おまえの親父は、そいつを東京の街でぶっ放つことを許可しやがった。怪獣どもを諸共に殺滅するつもりだ――ッ!!』

 

 

 

 

 

 

 水面下で復活させていた禁断の兵器。

 ”敵”を滅ぼすためなら何を失っても構わない。迷妄を続ける人類は、ついにその狂気の片鱗をむき出しにした。

 

 

 躊躇なく繰り広げられる罪業(カルマ)が積み上げられては塔を成し、それが怪獣()の喉笛にまで届くまであと少し、もう少し――

 

 

 










目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 殺滅の飛翔

自分の作品の続きは自分で書かないと読めないのって結構キツイっすね(´・ω・`)


 


◆1◆

 

 それは、一九五四年のことであった。

 

 

 国を、命を、怒りの炎で燃やし尽くそうとした魔王がこの星に現れたのだ。

 

 なぜ己などが生まれたのだ。我のごとき畜生を目覚めさせたお前たち(人類)とは、なんと度し難き存在なのか。

 必ず滅する生かしておけぬ。

 望むものは、すべての殺滅。

 そんな魔王の怒りと炎が天地に満ちた夏の日のこと。

 魔王は一人の男によって討たれることとなる。

 

 英雄の名は芹沢大助。

 天才的な物理学者であり、戦火と不正義を誰よりも憎んだ聖人であり、それ以上にただ誰かを愛した只人だ。

 英雄であると同時に神殺しの罪人にもなってしまった男は、その対価を払うと言い残して魔王と共に海に没した。いささか早急すぎる結論にも感じられるが、彼がなにより罪深いと判じたのはその手段だったのだ。

 

 オキシジェンデストロイヤー――水中酸素破壊剤など呼ばれたこともあるようだが、その実態はそんな生易しい次元には留まらない。

 

 魔王を融解させるにとどまらず、ついでとばかりに東京湾一帯の生態系を崩壊させてしまったその威力。しかしそれすら表層ですらないのだ。

 

 水中の酸素を破壊して生物を窒息死させる悪魔の兵器だと? 間抜けが、牙を抜いたにも程がある。その気になればこの星の大気組成に不可逆的な完全破壊すらもたらすのがその真価なのだ。殺戮能力という一点で語るのならば、もはや魔王のそれと大差はない。

 

 用途の如何に関係なく、もはやその存在自体が世界に恐怖と混乱をもたらすだろう。人の手に余るのは火を見るよりも明らかで、だからこそ芹沢博士は開発手段の永遠の封印――つまり自死という道を選んだのだ。

 

 悲劇の英雄として教科書の一ページに刻まれた男の切なる祈り……しかしそれも、忘れ去られて久しいものだ。

 

 オキシジェンデストロイヤーの再現に繋がる研究は、現在そのレベルを問わずに世界中で禁止されている。もたらしうる悲劇を考えれば当然の措置だろうが、律儀にそれを守る国などあるわけがなかった。

 しかし先行きの見えない軍拡競争の真っ只中にあって、確たる戦力を求める流れをいったい誰に責められようか。ましてやそれが、あのゴジラを一度は滅ぼした兵器ともなれば論に及ばずというやつで。

 

 なにより所詮は半世紀以上前の発明である以上、金と人に糸目をつけなければ再現など容易い――誰もが内心そう高を括っていたのも、その流れに拍車をかけたといえよう。

 

 そうした諸国の皮算用は、しかしあっさり御破産となる。

 

 ミクロオキシジェンなる理屈には辿り着けても、そこから兵器(カタチ)にするまでの関門が高すぎるのだ。技術の問題なのか知見の問題なのかすら判然としないがゆえに、その糸口さえも掴めない。

 ついにはオキシジェンデストロイヤーの存在すら疑われだす始末で……

 

 間違いなく言えることは、オキシジェンデストロイヤー”再”開発史とは芹沢博士が如何に不世出の天才であったかを再確認するだけの徒労だったということ。

 

 その、はずだったのだが。

 

 

「――どうか黒木特将、今一度ご再考をッ!!」

 

 

 総理執務室の扉から黒木翔が顔を覗かせた瞬間、皆が流れ込むように彼に詰め寄っていく。一人や二人という話ではない。

 霞ヶ関の若手議員に官僚たち、士官たち――皆がいわゆる次代のホープと呼ばれる存在だ。せっかくの仕立てのよいスーツを乱しながら、顔を悲痛に歪めて食いしばるような声を上げている。立場や所属は違えども、抱く思いはきっと同じなのだろう。

 

 よりにもよって、この火急の事態下で肝心要の総理大臣は執務室に閉じこもるという事態も彼らの不安を煽っていた。

 黒木翔がふらりと官邸に現れたのは、そんな時である。

 外界を拒絶するように閉切られた宰相の間に黒木だけが招かれ、その後数分と経たずに下されたのが件の兵器使用の下知。

 たかが一軍属に過ぎない黒木が総理との間でいったい如何なる密約を交わしたというのか。思惑は不明だったが、ろくなものでないことだけははっきりしている。

 

 怪獣殺滅のためとはいえ、このタイミングでオキシジェンデストロイヤーを起動させるなど正気の判断ではない。

 

 そもそも日本政府が――いや特生自衛隊が秘密裏に禁断の兵器の復活に成功させていたこと自体が、多くの者にとって寝耳に水だ。

 

 どう好意的に解釈したところで、これが文民統制(シビリアンコントロール)原則の崩壊なのは動かない。軍人の暴走という絵面は先の大戦のそれとなんら大差ないだろう。

 非常事態下での混乱に付け込み、秘密裏に開発中だった兵器を使用――後々の発言権と存在感を強めようというのが内に秘めたる魂胆か。

 

 ――東京湾沿いの民間人の避難は全く進んでいないこの現状、被害の見通しが立たない中でオキシジェンデストロイヤーの空中起動などありえない。

 ――人道に反するというだけでなく、国際社会からの孤立も招くだろう。

 ――そもそも怪獣同士が潰しあってくれている状況にあえて首を突っ込む利点はあるのか。

 ――前提としてあの常軌を逸した怪獣たちに、半世紀前の遺物が通用するのか?

 

 指摘や懸念は至って妥当としか言いようがない。文官ですら理解できる暴挙。いったい後で国民と諸国にどう釈明するつもりなのか。それともまさか、先々のことなど端から勘定に入れていないのか。

 

 しかしそうした声に対して、氷をそのまま彫り込んだような無表情はぴくりとも動かない。蟻のように群がる若者たちに一瞥すらくれず進んでいく黒木だったが、不意にその足が止まった。

 

「赤坂秀樹……か」

「はい」

 

 神経質とか堅物とか、そういう類の言葉を直立させたような男である。四角い銀縁眼鏡に堅くセットされた七三分けが印象的で、細身ではあるが頼りない印象はまったくない。

 

「……現在両怪獣は中間圏を超え、その戦闘領域は月周回移動圏にまで達しているとのことです。特生自衛隊謹製の禁断の兵器とやらの出来栄えが如何程かは存じ上げませんが、はてさてそれをどう運用して戦果を挙げるつもりなのか?」

 

 騒ぎ立てるばかりだった者たちが途端に溶け入るように静まり返っていく。それだけでこの場の彼の立場が察せられるというものだ。

 

「宇宙怪獣などゴジラと潰し合わせておけば良いのです。どうしても戦いに介入したいのならば、むしろ()()()()()()()()べきでしょう」

 

 瞬間、冷たく細められる老将の双眸。

 それに気づくことなく、淀みなく語られる道理の言葉。

 

「むしろ特生自衛隊――それを率いる黒木特将がすべきは、Gフォースを始めとする他軍隊との協調、そして民間人の避難に努めること。つまり迅速速やかに東京の街の収拾をつけることにほかならない」

 

 同意を示すように周囲も頷いていく。

 しかし――

 

「今一度再考を願いたい。まだ笑えない冗談で済みます。さあ、どうか――」

「笑えない建前はやめろ」

 

 乾ききった声が遮った。

 

「……なにやらもっともらしい言葉を並べているが、要するに小癪な方便だ。理で私を説得しようと思ったのなら、もう少し言葉は選ぶべきだな若輩」

 

 まるで初めて意味のあるものを映したと言いたげな冷たい眼光。その確かな圧を前に、赤坂秀樹は――ヒデキは気圧される。

 

 ああ()()()、と。

 

 立場を問わず、この世代の人間はしばしばそういう眼をする。

 それは多くの場合において、彼らがゴジラについて語っている時だ。こちらを憐れむような視線は、まるで自分だけが知っている真実(ゴジラ)をおまえに啓蒙してやろうと言わんばかりで……

 言葉にできない異様な凄み。それを前にして言い返してしまう空気の読めない命知らずなど、ヒデキが知る限り一人しかいない。

 

「理に訴え私を説得するつもりだったようだが、そんな小癪な方便で堅められた論で、私が動くとでも思ったのか。餓鬼の腹芸など透けて見えるぞ。

 おまえたちが真に懸念していることは端から()()()()()でなく……矢口蘭堂のことなのは承知している」

 

 狼狽した瞬きは秘めていたものを言い当てられたゆえなのか。ヒデキを始めとして其の場にいた者たちは、皆揃って口を噤んでいく。

 

「それは……いや、今奴が戦場に巻き込まれていることはこちらも承知しておりますが……」

 

 取ってつけたような煮え切らない返答。

 殺気立っていた渡り廊下に束の間おさまりの悪い空気が流れていくが、当然それに黒木が構うことなどありはしない。冷厳な無表情を動かすことなく、隙間なく押し寄せてきた若者達をじろりと見回していく。

 

 立場や所属が違う――どころかその多くは本来は利害すら相反する者たちだった。

 

 平時であれば顔を合わせるたびにいがみ合っているはずの者たちが、心を同じくして一堂に会している。それがただ一人の男のためなのだという事実を、どう解釈するべきなのか。

 

「立場が危うくなることなど端から承知で、これだけの人間が直訴してきたわけか。……聞き及んでいた以上の人望だな矢口蘭堂。なるほど、つまりはこれが――」

 

 掠れた声で、誰にともなく。

 気鋭の若者を羨むような言葉は、才気溢れていた在りし日の若き己に想いを馳せるものなのか。

 いや違う。字面こそ羨望のそれに近いのだが、込められている実感はそんなものではない。むしろこれは()()()の類か。

 

 深くしかめた顔を左右に振り、やり切れないとばかりに表情を苦くした黒木は……

 

 

「――“小美人(コスモス)”の言う“■■”の器というやつなのか」

 

 

 独り言のように、そんな意味不明なことを呟いたのだ。

 

「なにを……?」

 

 ヒデキだけではなく、その場の者達が皆そろって眉を顰める。黒く塗り潰されたその言葉が判然としなかったのは、単純に声が掠れていたから――では、ない。

 戸惑うのは自分だけではないと互いの表情から察せられたからこそ、その困惑は深まっていく。

 不思議なことにこれだけの数がいながら、誰も()()()()()()()聞き取ることができなかったのだ。まるで、始めからそれを指し示すべき音が欠落しているかのように……

 

「……最初の質問にだけは答えてやろう。オキシジェンデストロイヤーの射出にはディメンションタイドを使う。怪獣どもの戦闘域がどこまで及んでいようが、最終的な決着の際に必ず地球に接近するタイミングがあるだろう。そこを狙う。

 おまえ達の懸念が如何程なのかは知ったことではないが、いずれにせよ戦いはここで決着する。忌々しい怪獣どもにここで引導を渡してやろう」

 

 突き放すような冷たい声にはっとした時には、もう黒木は背を返して歩き始めようとしていた。

 起動させるのは遥か上空だから安心しろ、とでも言いたいのだろうが……こちらが言いたいことはそんなことではないのにと歯噛みする。そもそも使うこと自体を考え直して欲しいのだ。

 

 これだけ説得しても耳に届かぬというなら、もはや情に訴える他にない。

 

「東京湾沿い一帯には、貴方のご息女も……黒木ソテイラさんもいるのでしょう! よくもそんな――」

「……ソテイラ?」

 

 不仲とは聞いていたが親子の情は人並みにはあるはずだろう。そう噛みつく泣訴を前にして、なぜか黒木はまるで聞き馴染みのない名を耳にしたかのような顔をして。

 

「ソテイラ、ソテイラ――ああ、なるほど私の娘か」

 

 噛み締めるようにゆっくりと、途切れ気味に、そう紡いた。

 枯れ果てた無表情が、そこでどういうわけなのかなんとも言えない微苦笑に変わる。態度の軟化と言うにはあまりにもな変転は、いやいっそ不気味ですらあって……

 

「そうだな……ああ、なるほど娘を引き合いに出せば、確かに普通は揺らぐものかもしれんな。

 ……しかし私は軍人だ。”敵”を滅ぼすことこそが私の本分だ。家族がいたからなんだという、それが銃口を避ける理由にはならん」

「そんな……」

 

 冷厳に切って捨てた一瞬、言いようのない含みを感じたのは気のせいか。……それを確かめる間もなくずんずんと黒木は進んでいってしまう。話はこれで終わりだと語るその背中はどんな言葉よりも克明に、戦慄するほど圧倒的な拒絶の念を放っている。

 

「……そうまでしてゴジラを”敵”と憎むのか」

 

 それ以外は考えられない。

 戦略とか大義、あるいは市井の安寧とか国家の防衛。軍人として真っ当な責務を差し置いて、きっと彼の眼中にはゴジラ抹殺以外にないのだ。そしてその動機(モチベーション)はなんなのかといえば、常軌を逸したゴジラへの執着心としか若者たちには解釈できない。

 

老人(貴方たち)の世代がゴジラに執着し続けるのは仕方がないことだと思う。しかしその感情論を国家戦略の秤に乗せられては困るのだ……ッ!」

 

 三〇年以上前の遺恨を、いったいいつまで引きずるつもりなのだ。

 なにがたちが悪いって、”これ”が黒木に限った話でないということ。今なお引きこもる片桐総理も、Gフォースの麻生司令も……()()()()の人間ならば、誰しもが()()なのだ。

 栄光の時代(バーサス世代)だかなんだか知らないが、その影を永遠と追い続ける呪われた者たち。彼らの知るゴジラと()()()()()はまったくの別物だというのに、未だに同一視がやめられない。ゴジラという忌み名に囚われ続けている。

 

 無力感のまま、誰かがぽつりと呟いた。

 

「……ゴジラは我々人間を守るために死力を尽くして()()()()()のに……その返礼がこれなのですか特将。こんな道の、いったいどこに人類の誇りがあるというのか」

 

 その非難の言葉は、必ずしも黒木に向けたものというわけではなかった。低く抑えた声は無力な己を自嘲するような響きを伴っていて、むしろ黒木に届いたかどうかすら怪しい。

 もはや先を行く黒木に追いすがる気力すら湧いてこない。疲れたようなため息ととも遠ざかっていく黒木の背中をただ見つめている。

 

 ……もし、もしこの時黒木に追いすがる者があったなら、その顔を覗き込む者があったなら、いったいどれほどの衝撃を受けたことだろう。

 

 色味をなくした無表情。しかし憤怒なのか慟哭なのか、そこから呪わしくあふれる凄絶な一念はなんなのか。

 もしそこに暴性が宿ったならば、怪獣だってぶち殺してやるという眼光。怒りに心を燃やしているのはどうやら間違いないが、ではしかし、いったいなにに?

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 考えられるとすれば、それこそ先ほど若者たちが放った言葉しかないのだろう。だが、どうしてそれで。どんな罵倒も泣訴も冷たく振り払ってみせた男が、若者たちとの価値観の断絶(ジェネレーションギャップ)程度の話でそこまで憤るのものなのか?

 

「……偏見がないのは好ましいが、先入観がなさすぎるというのもまた問題だな」

 

 食いしばられた口元から掠れた声が隙間風のように漏れ出る。

 

 宇宙怪獣の対処はゴジラに任せろ? ゴジラの援護? いやいや、なにを言っているのだおまえ達は馬鹿なのか?

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 先ほど黒木を囲んでいた若者たちは、一番の年配であっても三〇半ばにすら届かないくらいだった。

 要するに彼らは人類がこの星を統べる霊長であった時代を知らない世代で、そうであるがゆえに絶対存在(ゴジラ)に生殺与奪の権を握られる現状に不満や疑問を抱けない。……いやむしろ、どちらかといえばそんなゴジラに対して好意的な念すら持っているのだろう。

 

 なにしろ、人類を脅かす恐ろしい外敵は、無敵のヒーローゴジラが倒してくれるというファンタジーを無邪気に信じているのだから。

 

 その脳に砂糖を塗したような暢気な認識を正してやろう、などとは特には考えない。ゴジラが人類を守ってくれる――なるほど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 しかし、ならばはたしてゴジラの本質とはなんなのか。

 自分たちバーサス世代にとっては不俱戴天の宿敵で、彼ら令和の若者にとっては弱者(人類)を守護するヒーローだろう。一方で五四年の悪夢を知る世代だったなら、口にするのも呪わしい悪魔に他なるまい。

 

 つまり人の認識や価値観の変容に応じて、ゴジラの姿は今までもそしてこれからも移り変わるということだが……

 なんだそれは? なんなのだ?

 こちらの心の持ちようで姿形を変えてしまう、そんな曖昧な存在がゴジラの正体だとでも言いたいのか? そんな頼りのない風見鶏が、黒木が生涯をかけて戦ってきた仇敵の正体なのか?

 

 人によって解釈(ゴジラ)が違うこと。あるいは時代ととも解釈(ゴジラ)が移り変わっていくこと。

 なにやらそれを多様性と尊ぶ風潮が、確かに世にはあるらしいが――所詮はそんなもの、ただの迷走を好意的に持ち上げた方便にすぎない。

 

「この星が怪獣たちの所有物であること、人間がそこに間借りしている端役に過ぎないことは認めよう。しかし不確かな存在を王と崇めることはできん。我々にも貫き通したい意地の一つや二つはあるのだ」

 

 いったい、誰になにを言っているのか。それが禁断の兵器を使うこととなんの関係があるのか。濁りきった瞳からはその真意を伺い知ることはできない。

 

 魔王が新生してから三〇年。

 役者は入れ替わり、舞台もずいぶん様変わりした。変り果てたのは環境だけではなく、なにより黒木自身がそうなのだろう。肉体的に老け込んだというだけの話をしているのではない。

 

 暗い双眸をそのまま廊下の窓に移していく。方角的にはまっすぐ東京湾に向けられていて、地獄の窯をひっくり返した惨状は当然黒木とて把握はしている。把握はしているが、若者たちと違ってその現状に欠片の危機感も抱いていないというだけのこと。

 

 

 

「さあどう動くのだ、ハルオ・サカキよ」

 

 

 

◆2◆

 

 火山の爆発のような噴流を繰り返した熱雲がだいぶ沈静化に向かったことで、夜空はあるべき荘厳な沈黙を取り戻した。しかし事態が収束に向かっているかといえば実態は真逆。というよりも斜め上に突き抜けているのが現状の正しい表現だろう。

 

「どうなっているんだ」

 

 事態の異常を再確認するだけの無意味な空言は、本日いったい何度目なのか。

 

 相変わらず電波状態は不安定で、ヒデキとの通話は強制的に終了してしまった。暗転した画面をぼんやり見つめながら、俺は先ほどの会話を想起する。

 

 禁断の兵器とやらが起動すると聞いて真っ先に抱いた感情は、事態の収拾に努めぬ輩に対する苛立ち――ではなく、どちらかといえば()()だった。

 

 直近にした魔晶(スペースゴジラ)の存在感には、確かに多大な絶望感や無力感を掻き立てられた。けれども、それは抗いようのない天災に対してヒトが抱くものに近いのだ。

 拳一つで星を砕く化け物に対して抱くのは恐怖よりも……曲がりなりにも“赤イ竹(レッド・バンブー)”の人間が言うのもなんだが――むしろ畏怖や畏敬の類だ。言ってしまえばファンタジー。

 

 むしろ同じ人間のほうがよほど不快な情動を煽ってくるし、戦場の実感を生々しく伝えてくる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()こそが恐怖を呼ぶ。

 

 もしこれが怪獣の切った張った(プロレス)だったなら、一つの現象としてむしろ線引きができる――対処できるかは別として――というのは発見だった。無論、だからどうしたという話だが。

 

 ちなみにハルオはというと、相も変わらず奇妙な沈黙を保ったまま。赤熱した夜空――正確にはそこから透けて見える戦場を凝然と睨みつけている。

 ひり付くような無表情は如何にも沈着を保っていますという風情だが、付き合いの長い俺だからこそ、内心決して穏やかではないことを察していた。

 

「……怪獣をここで殺すこと自体は興味がないのかもしれないな」

「は?」

 

 唐突な呟きに反応が遅れる。

 視線を夜空に釘付けにしたままのハルオが言葉を続けた。

 

「オキシジェンデストロイヤーの使用についての話だ。現物を見ていない以上なんとも推測しづらいが、政治的にも戦略的にも唐突すぎるし良手とも思えん。うまく言えないが、()()()使()()()()()()()()()()()()()印象を受けてな」

 

 ただの感想といえばそうなのだが、現状への拭えない違和感をハルオの言葉は明解に言い表していた。……いやしかし、だからなんだっていうんだ?

 

「だからなんだっていうんだ?」

「……断言できる根拠はなにもないが、すべきことがはっきりしているのだけはありがたい」

「え?」

 

 不安になることはなにもないのだとと手をひらひらさせながら。

 

「黒木特将とやらの思惑がなんであれ、俺の最優先はおまえの生存一択だ。俺のことは捨て石とする前提で、今は生き残ることだけ考えろ。ヒデキたちたちだってそれを望んでるだろうし――」

「なに言ってんだ、おまえ」

 

 考えるより先にハルオの言葉を遮った。

 

 当然のことのように自分の生存を度外視する発言は、冗談や例え話のそれじゃない。

 しかも遮られたことに素で困惑していやがるから堪らない。ハルオの中ではきっと当たり前に理屈が通っているのだろう。それで俺が納得すると信じているのか。

 

「思わせぶりなことばかり言わないでくれよ。頼むから説明してくれ。勝手な期待を託して勝手に満足して……それで死なれたらそれこそ堪らない」

「ランドウ……?」

 

 衝動のまま飛び出したのが縋るような物言いだったのは意図したわけではないのだが、そうすることで己の蟠り(わだかまり)が明確になっていく。

 

 俺を気遣っている、助けたい。それらが裏のない本心だと伝わってきて――それはなるほどまったくありがたいことなのだが、しかし同時にこいつは俺の感情を一切斟酌してはいない。

 言って聞かせる言葉には常に上から目線の響きが伴っていて、だから不満と反発心が膨れ上がる。

 

「おまえが言ってるのは俺に友達を見捨ててまで生き残ろうとするそんな見下げ果てた男になれってことなんだよ。死んでもいいだなんて頼むから二度と――……」

 

 考えなしにまくし立てたがしかし、頭の昂りは一気に醒めることになった。

 ……なんというのかきょとんとした、あるいは困ったような、とにかく困惑気な顔をハルオがしていたから。どういうことだと思い返して、そこでまさか、おいおい待てよと。

 

「ちょっと待て、俺たちは友達……だよな?」

「えっ」

「えっ」

 

 頼むからそこは素直に頷けハルオ。

 そこが俺の勘違いだったら、俺はとんでもなく恥ずかしい奴じゃないか。

 神妙な顔で凝視してくるハルオに、羞恥の冷や汗が止まらない。

 なんとも言えない沈黙を続けるハルオだったが――やがて、小さく肩を揺らしながら。

 

「――ははっ」

 

 抑えるような笑声だったのが、やがてこらえきれぬと息さえ漏らす有様に変わっていく。なんだそれは失笑か? ぶん殴るぞ?

 

 火急の事態に似合わぬ間の抜けた空気が流れていき、知らぬ間に肩の力が抜けていた。

 

「なんだよ急に……」

「いやいや敵わないなと思ってな――そういうことを素面で言ってのける奴だから、おまえには多くの人が付いていくんだな。()()()()()()()()()()()()

「どういう意味だ」

「いやだから……まったく、おまえがそんな鈍感だから、さっきのヒデキみたいに俺が見当はずれの嫉妬を向けられることになる。少しは勘弁してくれ」

 

 長身を屈めて俺の顔を覗き込むハルオが、そんな意味の分からないことを言うのだ。

 疲れたようなため息は見慣れたものだが、呆れたように口元をへの字に曲げた顔はいつものハルオじゃない。馬鹿にしているのかと食ってかかろうとした俺を、広げた片手で制しながら。

 

「おまえをどこかで見縊っていたことに謝罪しよう。

 ……だからもう、おまえも殊更自分を貶めるのはやめないか。さっきの電話、ヒデキだけじゃない、きっとみんなが立場が悪くなることなど端から承知で黒木に直談判しにいったんだよ。おまえのためにだ。わかるか? おまえは二度とつまらない自虐に走らないと誓え。それはヒデキたちを踏みにじる行為だし、おまえ自身のためにならんし……あとついでに、おまえを()と見込んだ俺への侮辱だ」

 ……腑に落ちないことは多いし、これで納得したかと言われれば嘘だ。

 

 しかしこれが間違いなくこいつの本心の言葉である以上、不承不承ながらも頷くしかなかった。向こうも弁えたように小さく微苦笑した後、一転、険しく目を吊り上げ海を睨み付ける。刺し殺すような視線は、そこに全ての元凶があるといわんばかりだ。

 

 そしてわずかな逡巡の後、なんの前置きもなく。

 

「ランドウ、つい先刻だが”小美人(コスモス)”が死んだ」

「……は?」

 

 あまりにも唐突に、そんな爆弾発言をかましやがったのだ。

 声を上げるのは寸でで堪えた。事態の混乱に狼狽えるのはもうやめるんだ。

 

「……つまりそれは、あのモスラも死んだってことなのか?」

「依り代を失えば力を失い、形すらも維持できない。誰かの解釈(祈り)を糧とする、()()()()()()()()()()モスラは」

 

 なぜそれをおまえが把握できているのか、気になることは山ほどあるが、今は”それ”ではないと自省する。後で根掘り葉掘りと聞き出してやるから覚悟しとけよ。

 

 ……しかし黒木翔の暴挙に続いて、悪いことというのはこんなに立て続けに起こるものなのか。それとも現状から逆算して考察すればこれも妥当な結果か。

 

 そもそもスペースゴジラとは、暗黒巨星(ブラックホール)が長い年月の果てに怪獣に成り果てた存在だ。

 星系すら容易く呑み干してしまう化け物の接近を許した時点で、この地球がまともな球形を成していたことが奇跡だろう。命がけで地球環境を保護する何者かがいたとするのが自然である。そしてそんな貧乏くじを進んで引き受ける存在なんて、思い当たるのはモスラしかない。

 

 ああ、なんだよそれは――虚しすぎる。

 こんなものが一〇〇メートル級の神獣の末路として相応しいのか?

 

 ”小美人(コスモス)”にしたってそうだろう。想像もつかない先史時代からなんの見返りも求めず人類を見守り続けた結末が、こんなものでよかったのか……?

 

「……くそっ、今はそんなことはどうでもいいだろ」

 

 感傷的な気分に浸れるだけだいぶ余裕があるといえるか。

 それが理解っていないハルオではないだろうし、敢えてここで伝えてきたのは「今の俺なら大丈夫だ」という信頼の証だからだろう。それを裏切るわけにはいかない。

 

「なにか策があるんだな、ハルオ」

「これが策といえるものなら良かったがな」

 

 低く漏れた声に隣を見やれば、まさに苦虫を嚙み潰したような顔があった。そこでようやく俺は、ハルオの心を波立たせているのが、なにかしらへの苛立ちであると理解する。

 

「後は残された者に任せましょうなどと勝手に満足されて逝かれても困るだけなんだがな……いや、()()()()()()()()()()ことはもちろん承知しているが」

 

 それは皮肉なのか自嘲なのか。小さな呻きの底に図りれないものを滲ませながら、ハルオは水平線の彼方を睨み付けていた。つられて俺も、そちらの方角に目を凝らす。

 やがて静まり返った闇の中から浮かび上がってきたものに困惑して、次の刹那にそれは驚愕に変わった。

 

 虹だ――虹が広がっている。

 七色に輝く光の波がゆっくりと広がっている。

 

 闇色の水平線を覆うようなそれは面積を広げ、今や東京湾一帯を覆いつくすほどの勢いと化している。

 異様な超常現象ではあるが、不思議とそこから害意や攻性という意図はまるで感じられなかった。むしろこれは守護や浄化という属性に分類されるものなのは明らかだ。

 

 これはまさか――

 

「モスラの……鱗粉か!?」

 

 モスラは死んだんじゃなかったのか!?

 

「形を維持できないだけでその魂は残っている。入れ物がなければ消えていくだけだが、幸か不幸かここには()()()()()()()()()()()()

 

 相変わらず謎めいた言動ではあったが、それに反応する余裕などない。

 

 これを斃れたモスラが人類のために再起したと解釈するのならば、間違いなくこれ以上にない展開の筈なのだ。憐れで卑小な人間のためにご都合がいい奇跡が起こったのだと。

 

 ああなのに、なのになんで――絵の具が水に広がっていくような光景に、言いようのない不吉を感じるのはなぜなんだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 なにかが違う、そうじゃないだろ解釈違いだ。今ならまだ取り返しがつく。核ミサイルでも撃ち込んで燃やし尽くすべきだそうしよう!

 

 だってこんなの――ッ!!!

 

 不意に、ただ広がるばかりだった鱗粉が蠢いた。

 薄く均等だった光がところどころに集まることで濃淡が生まれ、やがてゆっくりとそれらが隆起する。そこかしこで触手のようにぬらりと立ち上がり、やがて何条にも織り重なって芋虫の形を中空に描き出した。

 

「……なんだあれは?」

「あれは芋虫だな」

 

 見りゃわかんだよそんなこと。

 

 産まれるべき時を逸した未熟児のように弱々しく、まるで命の瑞々しさなど感じない。例えるなら潰れたチョココロネか。

 息をすることすら苦痛を生むのか、光の芋虫は絞り出すようにのたうって――やがて求めるものを見つけたかのように、上空の一点に向かって飛び上がっていく。

 

 その先に何があるのか。視線を空に投げ――重く積み重なった灰褐色の雲の中、その奥に“何か”がいる。

「……蝶?」

 最初に俺は、それがモスラに見えた。

 影になって判然としないが、細い肢体に長細い六本の足、そして広げられた()()()は――いや、違う!

 暗雲を引き裂くようにして現れたその姿。

 墓標のように折り重なった刃で形成されたような剣呑な身は、見間違えるはずもない。

 

 あれは――

 

「バトラなのかッ!?」

 

 そうだ、なぜ忘れていたんだ。

 オキシジェンデストロイヤーのあまりのインパクトで忘れていたが、稚内から復活したこの怪獣が真っすぐこちらに向かっていると聞いていたじゃないか。

 

「――”■■■■(キュイー)”――ッ!!」

 

 獰猛な唸り声を嘶かせて、バトラは芋虫に向かって一直線に飛んでいく。それに伴って発生する猛烈な烈風に、目を覆わずにはいられないほどの粉塵。しかし両者が脇目も振らず一直線に、迷うことなく空中で激突したのははっきり見えた。

 

 先史時代から続く両者の因縁については、俺だって概要程度は知っている。だからてっきり、これは好敵手との決着だけでも実地でつけてやるという意気込みなのろうかかと思ったのだ。

 足を絡めながら互いの胴と額をぶつけ合って空中を旋回する姿は、まるで力比べに興じているようだったから……しかし俺はすぐさまその解釈がまったくの見当はずれだったことを理解した。

 

 むしろ逆――両者は今、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 手を取り合う両者の境目が徐々に曖昧になっていく。あるべき形が溶けて無くなっていく。疲弊した(モスラ)(バトラ)が自らの肉を食わせているのか、あるいは仮初の復活を遂げた(バトラ)(モスラ)が己の命を与えているのか。その真実はわからないが――黒と白、破壊と守護。相反する二つの属性を背負った者が混じり合う様は神々しくも悍ましい。

 

 だが、なぜ。

 なぜ今このタイミングでこんなことが引き起こされる。誰かの解釈(祈り)を糧にする怪獣だというのならば、この現象を主導している者たちがいるはずだ。それははたして――

 

「――パネト、ソテイラ……ッ!?」

 

 寄りしえとするべき小美人(コスモス)の死によって肉体が塵と化し、後は魂が消え去るだけだったモスラ。しかし偶然なのかあるいは必然なのか、この街には特急の例外が用意されていた。

 ベクトルこそ正反対ではあるが、高位なレベルで怪獣との交信を可能とする人類最高峰の超能力適性を持った少女たちのことである。

 

『ぶち殺してやる叩き殺してやる、気色が悪いぞ怪獣どもめが』

 

 荒れ行く海から、声がした。氷点下を突き抜ける冷たさと、煮え滾る熱さを両立させた殺意に満ちた声だった。

 

『私の祈りが、どうかみんなに届きますように――』

 

 崩れ行く街からも、声がした。暖かく地を満たすような優しさを感じるが、それは同時に照らすものをじわりと腐敗させる苦熱でもあった。

 

 殺意と融和、怪獣への憎しみと怪獣への慈愛。目指す地平こそまるで違うのだろうが、その祈りに怪獣が関わること自体はまったく同じ。相反する祈りは、思えば不吉という一点では極めて相似していた。

 

 ならばこれは――”解釈の一致”とでも表現するべきなのか。

 怪獣(モスラ)すら染め上げてしまうほどの凶念が折り重なって、物理的に新たな怪獣として新生させる。

 同時に”怪獣とはこういうものだ”、”怪獣とはこうあるべきだ”――そういう俺たち人間の解釈が切り刻むように否定されていく。その血を吐くような不快感は、素面で耐えられるようなものじゃない。

 そうかハルオ、おまえを苛立たせていたものは、これだったんだな。

 

「よく見ておくんだ、ランドウ」

 

 ハルオが短く呟いた。

 

「――これもまた解釈(ゴジラ)の一つなんだ」

 

 鳴動する圧力に、次いで眼が眩むほどの閃光。

 瞬間、その向こう側からあらゆる解釈を引き裂く”灰色”の翼が見上げた大空に広がった。関東平野を一抱きできるほどの巨翼の圧力は、魔王のそれに勝るとも劣らない。

 

 バトラなのかモスラなのか、あるいはどちらでもないのか。魂を砕く獰猛さと跪きたくなる聖性が歪に両立した名もなき怪獣。烈風と共に空の高み――魔王と魔晶が争う戦場へと飛翔していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世界は怪獣のもので、そして人は王者に支配されるペットに過ぎない。

 

 ならば、どうする。

 狂信に走るのか迷妄に走るのか、あるいは己自身もまた怪獣となりはてるのか。

 

 混迷する物語は、ついに解釈違いという刃を我々に振り上げる――

 

 




とりあえず次回更新でスペゴジ戦に決着。
そして次の話で第1章完結という予定です。



あまりの遅筆具合に情けない限りですが、マイペースにのんびり更新していきたいなと考えています。執筆モチベがメッチャ向上しますので感想とかいただけると幸いです。お気軽に投げていただければ。

……基本アイタタタでニチャついた返信しかできませんが大目に見ていただければ幸いです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 迷妄の決着-前編◆

……お久しぶりです。

なんと3万文字に達しそうな勢いなので分割投稿。
後編は来週あたりにアップいたします。


◆1◆

 

「□□□□□□□□□□□□――ッ!!」

 

 咆哮と同時に、魔晶の狂喜が火を噴いた。

 にじみ出る無尽蔵の超重力は、その余波だけで秒とかからず星を砂粒にまで圧壊させるだろう。もはや絶句するほかにない破壊と壊滅。

 しかしならば、星の巡行等にさほどの変化も見られない現状はどういうわけか。時折迸る超大な紫電が掠めた小惑星を消し飛ばすなどしているが、言ってしまえばその程度。太陽系の整合性には些かの影響も及んでいない。

 

 それもそのはず理由は簡単――力の悉くが、生み出されていくその度に一体の怪獣のみに叩き込まれているからだ。面白いから楽しいから興が乗ったから……無邪気な衝動の赴くままに、魔晶は重力破壊光線(コロナビーム)を連射している。

 

 漆黒の熱線は束ねられ、とぐろを巻きながら魔王を包み込んでいく。まさに熱線の牢獄だ!

 全方位、前方角から乱気流のように啄む攻撃は、回避も防御もあり得ない。まさに非常識、絶望の極み。尋常という概念と遠すぎる。

 

 ――そして。

 

「■■■■■■■■■■■■■――ッ!!」

 

 迎え撃つ魔王もまた尋常な存在ではなかった。

 

 数百条を超えて放射状に迫りくる破壊光線を前にしても突貫以外あり得ない。

 当たり前だ。超能力による攻撃透過? 電磁シールドによる絶対防御? 間抜けが、そんな矮小な小細工などは弱者が頼りとするべきもので、怪獣王の覇道には端から不要。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 振り上げられた拳に込められていくのは、超新星爆発すら超える熱量。融解した腕は半ば火球と化していたが、制御する様子は微塵もない。どころかまだだもっとだこれでは足りぬと次から次へと核エネルギーを焚べる始末。

 

 凝縮と圧縮の果てについに熱は物質化し、やがて剣の姿を形取った。

 

 ――放射熱剣(アトミック・ビームサーベル)

 

 一振りだけで星を両断するほど超大な剣を竜巻のように振り回し、重力光線の檻は木っ端微塵に粉砕された。

 

 そうして掻き消しきれなかった一部の光線弾が、鍔迫り合いの果てに明後日の方向へ弾け飛んだ。小気味よく跳ねた先で月面に衝突して、向こうが見えるほどに巨大なクレーターを形成。その勢いのまま、星体が外周から微塵となって砕けていく。

 しかし次の瞬間、続く熱波が通り過ぎた後――沈黙する宇宙には白銅色の真円が元通りに浮かんでいた。まるですべてが幻だったかのように、破壊の痕跡など欠片も残されていない。

 

 ……当然ながら、月が一人でに再生するなどありえない。

 妖星ゴラス然り、命を持つ星が決して珍しくないのは周知のことだが、少なくとも月がそれに該当する天体でないのは確かである。

 ならばこの冗談としか思えない光景はなんなのかと問うのなら、事情は極めて単純だった。

 

 端的に、時空すら融解させる重力と熱量の前では、もはや因果も整合性もあったものではないというだけのこと。

 怪獣同士の死闘の余波だけで、巻き込まれた星々は破壊と再構築を反復横跳びしているのだ。地上から見上げれば、まるで切れかけの照明のごとく月光が点滅する姿が見えたことだろう。

 

 こんな出鱈目な攻防が幾度となく繰り返されていた――

 

 両者の戦闘開始から経過した時間は、地上からの観測ではおよそ一〇分程度。

 それが長いか短いかは個々の立場や価値観次第だろうが、もはやそんな尺度で語れるものに意味などない。

 常識的な物理法則が溶解した戦場では、今や時間の流れや空間の整合性すらあやふやだからだ。地上からの観測では一〇分程度でも、怪獣たちの主観では大きく異なる。

 少なくとも魔王の認識では未だ数秒と経っておらず、一方魔晶の認識ではとっくに数年単位で戦い続けている。そして両者の認識はなにも食い違うことなく具現化していた。

 

 もはや理屈というものがなに一つ成り立たない戦場だが、それでも辛うじて一つだけはっきりしているものがあったのだ。

 

 

 ――決着は近い。

 

 

 現状において主導権を握っているのは、常に仕掛ける側である魔晶だろう。

 しかし熱エネルギーを未知の素粒子に変質させる異形の圧縮力。”質”という点ではとっくの昔に拮抗――いや、完全に魔王が凌駕している。

 

 その証拠に。

 

 血肉たる結晶をめきめきと膨張させて、雄叫びと共に魔晶は数百体を超えて分身した。

 密度も質量も一つとして変わらない、分身しただけ力が落ちるなどという常識(救い)が存在しない、文字通り本物の群れが宇宙空間を埋め尽くしていく。その勢いのまま津波のように魔王へ殺到したが――しかし、迸る蒼光と弾ける灼赫。

 鬱陶しげな熱線の薙ぎ払い撃ちだけで、最後列にいた一体を残してそのすべてが爆散した。

 

 そして体勢を整える隙など魔王は当然与えない。渾身の一撃を土手っ腹にぶちかますべく、噴流をかき分けながら魔王は距離を詰めていく。

 一撃で万回殺すという初志には、なんの誇張も偽りもない。

 渾身の一撃を叩き込むだけで、魔晶の総体など塵も残さず消し飛ぶだろう――彼我の実力差は完全に逆転していた。

 

 もちろんそれに臆するような魔晶ではない。決着という尊く輝く絶頂の瞬間に向けて、こちらもこちらでその闘志(ボルテージ)は昂るばかりだ。

 熱線も、超重力も、念力も、質量弾も、その他諸々なにもかも――千年の戦いを通して手に入れたすべての技が、一つとして魔王に通用しない事実が身悶えするほど嬉しいのだ。

 数瞬先に訪れる己の敗北の予感に恐怖(歓喜)する。このために生きてきたのだと確信してやまない。

 

 至高の瞬間に向けてまだだ足りぬもっともっとと妄念を燃やす魔晶の魂。

 しかし同時に、その絶頂に水を差すような困惑がほんの少し。

 ただの気の迷いとそれを捨ておくことがどうしてもできない。どころか魔王の存在が近づくにつれて、()()は増していくばかりだ。

 

 そう、不思議だった。

 ただ、不思議だった。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 各々が掲げる強さがあり、背負うものもまたそれぞれ。あえて詮索するのは魔晶の流儀ではないし、ましてやそれを見下すなどもっての外だ。この世に存在する”強さ”の多様性を魔晶ほどに心得ている者などいない。

 己と異なる強さの在り方を認めたうえで、知ったことかよと真正面から叩き潰すのが魔晶の王道で……だからこそ分からない。

 

 そういう魔晶の理屈に当てはめたうえで、魔王の強さは明らかになにかがどうかしているのだ。怪獣は確かに生来の強者ではあるが、これほどの力を得るには相応の”根拠”を必要とする。

 

 実際、千年にわたる魔晶の闘いの歴史を紐解いても、星を一撃で砕くほどに至った怪獣など稀だ。

 なぜなら、()()()()()()()()()()()()()だから。

 

 天候や地殻変動を始めとする星の現象を完全に制御下に置き、必要ならば星そのものと同化さえする――その絶大な権能は、もはや切った張ったの領域に留まらない。

 しかしだからこそ、その力が星そのものを脅かすほどに至るのは稀だ。己の住処を破壊しかねぬ過剰な力も、外宇宙の制覇に乗り出す積極性も、治世の安定には端から不要。身の破滅しかもたらすまい。

 よって守勢への病的な執着と、潔癖すぎる保守性――それこそが怪獣の本質なのだと言い切れる。

 

 何かを切り捨てるか、あるいは逆に受け入れるか……その宿痾から()()()ために必要な代償が並大抵でないことを、魔晶は()()()()()承知している。

 だからこそ、魔王がこれほどの領域に至るために容認した不本意とはなんなのかを知らねばならない。知ったうえで打ち勝つことこそ、この場における毀損なき勝利と見定めたのだが――

 

 向かってくる魔王の背にある青い星(地球)を睨みつける。まさか、まさかそれなのか。

 そこに住まう小さき者たちこそが、おまえの強さの原動力だとでもいうのか?

 

 気に入らない、それはとても気に入らないことだ。

 あらゆる強さの在り方を肯定できる魔晶だが、“それ”だけはどうしても認めることができない。

 己に敗北の未来を突きつけるほどの好敵手が、ことここに至ってなお知的生命という脆弱種にかまけているなどと……悍ましすぎる解釈違いだ。

 

 

 なぜならそれは、魔晶がかつて不要と捨て去ったはずのものだから。

 

 

◆2◆

 

 

 魔晶は生まれついての怪獣ではない。

 

 なにを以て怪獣とするかという捻くれた議論は割愛するとして、ただ少なくとも()()()の魔晶は己を化外の一種とは認識していなかった。より正確にいうのなら、そもそも自我と呼ぶべきものすら持っていなかった。

 

 

 魔晶の始まりとは恒星の骸である。

 

 

 それはいわゆるブラックホール――超新星爆発した恒星があまりの自重に重力崩壊を引き起こし、果てに残される墓標のことだ。

 鬱憤を晴らすように災害を撒き散らす傍迷惑な黒洞だが、やがては力尽きて蒸発していくのが原則である。そこに例外はないし、実際“これ”も同じような末路を辿ることになった、はずだった。

 

 それを別けたのは、知的生命の有無。

 

 通常ブラックホール吹き荒れる過酷な環境下では、知的生命の居住はもちろん生命発生の余地が生じることはまずありえない。

 だが稀に、本当にごくごく稀に、そうした過酷な環境下だからこそ”整う”こともあるのだ。

 重力に飲み込まれることなく、放出される放射線が都合のいい可視光線(光エネルギー)にまで減弱する適切な距離感(ハビタブルゾーン)。それを維持できた惑星では大気組成が崩れることはなく、むしろ生命体が誕生するのに必要な有機物や化合物の反応が促進される。

 

 ……はたしてそれが本当に偶然だったのか、あるいは()()()()()()()()()()()()()だったのかはわからない。

 しかし確かなのは、”それ”の重力圏においてその奇跡的な条件を達成した稀星があって、生命が誕生して、知的生命にまで進化して、結果としてそこに強い負の解釈が生まれたことだ。

 

 一応のハビタブルゾーンにあるとはいえ、星の環境が過酷なことには変わらない。当然、元凶である”それ”に知的生命が好意的な解釈を向けるはずもないのだ。

 自分たちを生み出した畏敬の対象で、生かさず殺さずの苦しみを与える憎悪の対象。愛憎入り混じった強固な祈り――おまえはこうなのだという統一された解釈(信仰)が、ただの自然現象を神の座にまで押し上げていく。他者から向けられる強い祈りは自我を縁取り、果てについに”それ”は魔晶として覚醒した。

 

 そうして仮初の自我を得てからの時間は、魔晶にとってはとても永い地獄となった。

 ただひたすらまでに窮屈で、感じられるすべてが重く暗い。周囲を巻き込みながら内界に埋没するしかないこの閉じた牢獄から解放される瞬間をずっとずっと夢に見る。

 だから待った。待ち続けた。何万年も、何億年も。

 

 おまえたちの怒りがこの身に手足を与え、おまえたちの恐怖がこの身に鼓動を与えるのだろう。だからどうかそのまままっすぐに、当方を見つめ続けてはくれないか。もう少し、あと少しなのだ。ほんの少しの後押しで、当方は確かな命を持った神として新生する。

 

 彼ら知的生命に向ける切実なる期待は、しかし土壇場で裏切られることとなる。

 過酷な環境下で彼らは□□□□□――優れた科学文明にこそ真なる祈りを見出したのだ。

 

 そもそも彼らの認識において、魔晶とは自分たちを容赦なく滅ぼそうとする敵でしかない。

 本気でこの生き地獄から抜け出したいと願うのならば、たかがブラックホール如きを祈りの対象に据える時点でどうかしている。苦境とは己の意思と力で切り開くもので、そこで敵の顔色をうかがってどうするのだ。

 

 ……実のところ、その傲慢こそが森羅に対する彼らなりの敬意の表明だったのかもしれないが、どうあろうと魔晶にとってはあってはならない不実である。

 

 待て、待ってくれ、なんだそれは――もう少しでわが身は真なる姿で覚醒するのに。

 焦りと怒りのままにブラックホールは煩悶し巨大化していき、反発するように彼らは□□□□□への祈りを強めていく。思惑は崩れていく。つまり端的に言えば、魔晶は知的生命の解釈の潮流(トレンド)を読み誤った。

 

 その果てにどうなったかなど、語るまでもないことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 魔晶が産み、魔晶を産んだ忌むべき星。

 

 名をビルサルディア。

 

 かつてビルサルドと名乗る知的生命が支配していた、怪獣としての自我を確立した魔晶が最初に滅ぼした故郷である。

 

 

 

 

 

 

 

◆3◆

 

 

 猛進してくる魔王の不甲斐なさに歯噛みする。

 

 なぜ未だそんな次元に甘んじているのだ好敵手よ。魔晶の直感が正しければ、魔王はそんな矮小な星一つに留まる器ではない。

 

 真の強者とは、自身の存在理由を外界に委ねることなく己の中にのみ見出せる者を指す。それをまさかよりによって脆弱種(知的生命)ごときに委ねるなど、あってはならない恥ずべき振る舞いだ。

 

 それが理解できないのならば、是非もなし。おまえに真実を啓蒙してやろうと、応じるように魔晶もまた深く踏み込んだ。

 

 為すべきことなど端から決まっているのだ。相手の土俵に立ったそのうえで、すべての解釈を正面からたたき伏せよう。なにもかもを飲み干し喰らったその果てに、なによりも強く、なによりも高く、なによりも――

 

 

 なんのために?

 

 

 魔晶の動きが、ぴたりと止まった。

 

 動作だけでなく、思考も情動も、あるいは脈動すらも。ほんの、ほんの一瞬だけ、凍りついたかのように大怪獣は立ちすくむ。

 忘我は刹那に満たぬほどだったが、この攻防にあって致命的な隙なのは間違いなく、そしてそれを見逃す魔王ではない。

 

 間を詰める勢いのまま、溶解した拳が流星のごとく叩き込まれた。

 

 まさに全霊を超える全霊――太陽系の成立から四六億年史上のあらゆる物理現象を凌駕したエネルギー。もう狂っているとしか言いようがない破壊力が、立ちすくむばかりの魔晶を正面から撃ち抜いた。総体の大半、およそ八〇〇年分に相当する質量が爆散する。

 

「――□、□□」

 

 仰け反った上体が腰と別れて宙を飛び、続く尾の横薙ぎ(プラズマカッター)で抗うこともできず微塵となる白銀の総身。

 間違いなく致死的な損傷だったが、ダメージの過多そのものは重要ではなかった。実際受けた手傷の総量なら、魔王のほうが万倍上だ。

 

 そんな小手先の話よりも、もっともっと根本的に――ぐるぐると虚空を巡る魔晶の瞳、茫漠としたその鈍い輝きからは、戦意と呼べるものが欠片も感じられないこと。

 

 

 なによりも強く、なによりも大きく、なによりも闘い続ける。

 己はそういう存在だと見定めたのだが、はてさてその根拠とは?

 いったいどうして、行き着く果てになにを見定めてこの身はそんな指針(キャラ)を練り上げた?

 

 

 ……怪獣とは絶対無敵であり、常に理解の斜め上を疾走する災害的超越存在でなければならない。己の存在に疑義を抱くなどもっての外だ。彼らに興醒めは許されず、そうなれば後は転がり落ちるように自壊するのみ。

 

 有り体にいえばつまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この拍子抜けするような決着も当然だろう。複雑な駆け引きや、手に汗握る逆転劇もありはしない。一線を超えた力量同士の戦いにおいて一度崩れた均衡の逆転はありえないという原則に従っただけの、あまりに呆気ない結末。

 

 もはや重力に抗うだけの余力もなく地球に落下していく魔晶。力を失い自壊するだけの敵手だが、ゴジラの名を冠する怪獣が一度見定めた敵手に情けをかけるなどありえない。

 止めの放射熱線のチャージを完了させた、その次の瞬間。

 

 

 絶望的な空気の読めなさと共に。

 誰も予期せず望まないタイミングで、オキシジェンデストロイヤーは割って入るように戦場空域に射出された。

 

 爆発。

 破壊、そして溶解――

 

 

 魔王と魔晶は共々、なんら抗うこともできずに溶け飛んだ。

 

 

 

 





基本的には執筆中のノリは「人知の及ばぬ最強無敵の絶対強者がゴジラ!! オラ地球の大番長のお通りだぜ! 頭下げろや人類どもソイヤソイヤ!(ズンドコズンドコ)」って感じなのですが、
同時に、ゴジラの活躍に対して「フン……その程度かゴジラ(眼鏡クイ)」みたいな謎の対等目線でいたいという分際を知らない謎願望もあるんですよね。

作中のネームドキャラを描くときとか、特に自分のそういう後方腕組みしながらドヤ顔してたいという不純な欲求がモロに反映されてしまうのを感じます。黒木とか麻生とか







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 迷妄の決着-後編

なんかもう半年ぶりにソテイラが登場します。
そしてついに、ようやく長かったスペースゴジラ戦が決着。

ここからいろんな人たちがヒャッハーしはじめます。




◆4◆

 

 

 みんな違ってみんな良い――誰もがそう謳うようだけど、そんなの欺瞞じゃないのかとずっと私は疑っていたのだ。

 

 

 

 ソテイラ(救世の乙女)と名づけられた少女には、決して譲れない真摯な祈りがあった。

 多様な解釈で満ちるがゆえに誰一人としてのびのび生きていけないこの苦界を、一つの祈りでまとめ上げて救いたい。その祈りの透明さは、まるでかつての三枝未希のよう。

 

 人にはそれぞれの経験があって立場があって価値観がある。守りたいものも人それぞれ。多様な解釈に満ちた世界はとても素晴らしいものだけれど、同じくらいに矛盾に満ちて息苦しい。

 君の解釈は私の解釈と違うけれども、それも良いねだなんて理想論だ。少なくとも今の世界じゃ叶わない。

 

 しかし、だったら話は簡単だ。

 より正しく、強く、輝かしく、決して変わることのない不変の解釈を見つけ出して、みんなに教えてあげればいい。その共有幻想の先に苦しみも悲しみもない筈だ。

 

 そしてソテイラという少女は、怪獣という概念に”それ”を見出した。

 

 力強い存在感、なににも縛られない自由意思。

 狂ったように暴れて街を破壊するが、気まぐれに人を助けて恵みをもたらしもする。

 環境を破壊する人類種こそ星の病原菌という名目で大量虐殺を繰り返して、その舌の根も乾かないうちにいやいや人間もまた星の重要な構成要素だろうと擁護する。

 争うものもいれば眠るものもいて、下劣な畜生なのに高潔で慈悲深くて、人知を超えた神かと思えばあっさり人の手に討たれる脆弱なモンスターだったりする。

 主義主張は支離滅裂で、一貫性なんて欠片もない。なのに常に一定の筋が通っていて、矛盾と整合性が違和感なく両立している。単純な善悪で語れるものじゃない。とても物理的に成り立たなそうな外見は奇妙で滑稽なのに、合理を超えた美質に満ちている。

 

 イデオロギーこそ様々だろうけれども、あの混沌とした存在に魅了されない人間などいるはずもない。意味不明だからこそ尊いのだ。方向性の多少の違いはあれど、五四年の悪夢を知る人もVS世代もそれは変わらないはず。

 あの父でさえ、ゴジラという名前に呪われ(祝福され)続けて、それを受け入れて生きているのだから。

 

 その気づきを世界に広げることで、みんなが仲良くなれるはずだ。

 届くだろうか、叶うだろうか。それでもいつかきっと実現すると信じて、一五の少女は立ち上がる。その過程は苦しいことばかりだったけど、海千山千のしたたか者の巣窟に向けて訴えかけてきたのだ。

 

「なのにどうして、私はこんな……」

 

 四肢を瓦礫に押しつぶされて、呆けたように無力を呟く。

 突然のスペースゴジラの襲来により、彼女たち”怪獣共存派(コスモス)”は文字通り壊滅の様相を示していた。首都圏に集った数万人規模の信者すべての動向までは判然としないが、その大半が無事ではないのだけは確かだろう。自分たちへの反発のために集ったデモ隊も同様だ。祈りのために集った者たちは、ソテイラを中心にして苦痛の谷底に落ちていく。

 

 聞きたくない、知りたくない、分かりたくない――心は悲痛に叫ぶのに、皮肉にも彼女の優れた感知能力は現状の最悪具合をこと細やかに伝えてくるのだ。

 ”怪獣共存派(コスモス)”信者たちの末期の呪いが伝わってくる。怪獣との融和など嘘だった。なぜこんなことに。すべてあの小娘が悪い、痛い、苦しいどうして――自分を苛み、責める声の数々がソテイラの心を切り刻む。

 

 そしてなにより、そんなことより。

 

 既に小美人(コスモス)が没したことにも気が付いていていた。彼女の思想の後ろ盾で、迷妄に沈む七〇億の中からただ一人、真実の代弁者として自分を見出してくれた救い主がもうこの世にない絶望感。

 最期になにか託して逝ったことは察していたが、その切なる祈りの具体的内容がなんだったのかまでは読み取れず、そんな自分の無能にまた絶望してしまう。

 

 要するに、それが少女の限界だったとでもいうのか。いや、違う。

 

「負けて、たまるか……っ!」

 

 血を吐きながら、途切れ気味の意識の中で叫ぶ。

 

 私はかつての三枝未希のようになるんだと。

 

 誰もが彼女の掲げる祈りは狂気だと誹るけど、それでもその純なる思いだけは本物なのだ。そこに悪意など欠片もない。

 

 祈りは届かなくて、天に伸ばす手も失われていても――

 

 

『解釈違いを抱えたままにするからそうなる』

 

 

 瞬間、唸りにも似た凶猛な声がソテイラの頭の中で刺し貫くように響いた。

 

 瞠目と困惑の中、少女の理解を待つことなく視界が暗転する。血の赤と瓦礫の灰色から、煙のように漂う謎めいた空間が広がった。

 

 一瞬死の間際の走馬灯かと思うほど実存感が欠けた領域だが、奇妙なほど鋭敏になった感覚がそれが現実だと訴えかける。

 時間の整合性から切り離されたその場所は、確かにこの世に物理的に存在する座標ではなかった。察するに、怪獣との交信すら可能とする少女の超能力が生み出した仮想的なテレパシー空間だろう。

 

 よって声の主も自然と察せられた。

 

 この一帯の領域においてソテイラと匹敵する超能力を扱う人物となると自ずと限られる。感応能力(テレパシー)感知能力(第六感)という微妙な違いはあるが、これほど強固なイメージを具現化させられるのはそうはいない。

 

 明暗も広狭も定かでない空間の先に、向かい合う形でこちらを睨む少女の輪郭が浮かび上がってくる。

 パネト・ヘイトスピーチ――会話したのはわずかな数分に満たず、すれ違った程度の面識でしかないのにあまりにも強烈な印象をソテイラに残した人物である。

 

「貴女は……」

「海の底でくたばっていたわけだが、あまりに不快な妄言が聞こえてきたものでな。気付けとしちゃ具合が良かったから、感謝の意味を込めて声をかけてやったよ」

 

 低く抑えた声で不敵に言い放つ少女を、ただ呆然と見つめるばかりだった。

 

 足を乱雑に放り出して挑むようにこちらを睨むその姿。そこだけ切り取るならば豪胆な佇まいだが、その惨憺たる満身創痍から勇姿など欠片も見出せない。ソテイラも大概重症ではあるが、パネトのそれはその比ではないのだ。

 

 両の手足は根元から千切れかかり、全身の皮膚が青黒く変色している。そもそも座り込んでいるのも、もはや立っていることすら満足にできないからだ。砕けた頭蓋から脳漿と目玉の片方が吐瀉物のように零れ落ちて、下顎に至っては関節が千切れてだらりと垂れ下がっている有様。

 

 全身をずたずたに引き裂かれたその姿は、百人いればその全員が死に体と判断するだろう。不敵な台詞を吐いていい状態では断じてない。

 精神感応が辛うじて仮想上の会話が成り立たせているだけで、現実の彼女はおそらく意識すらあるまい。

 

「生身で怪獣に挑むなんて無茶をするからそうなるのに……」

 

 現状に耳をふさぐばかりだったソテイラも、パネトの愚挙については細やかに把握していた。

 

 ”赤イ竹(レッド・バンブー)”――地上の怪獣を一切残さず皆殺しにすることを誓った輩が、スペースゴジラ襲来という危機を看過できるはずもない。彼らにとってそれは勝てる勝てないの問題ではないことも理解はできる。

 

 だとしても単騎で、それも丸腰で挑んだ愚行はどうとも説明できやしない。宇宙開闢以来前人未到の暴挙なのは間違いないが、そんな無謀(イキリ)になんの値打ちがあるという? なにもできず無様に敗北したではないか。

 現在両怪獣は宇宙空間で取っ組み合い(プロレス)の真っ最中だ。まさにそれは王道の流れと呼ぶべきやつで、仮にパネトの横槍がなくとも似たような成り行きを辿ったのは間違いあるまい。その愚行に時間稼ぎの意味すらなかったのは明らかだ。

 

 わかっていないはずもない。なのに――

 

「まさか貴女、そんな身体でまだ……?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「殺すべき敵はそこにいるんだ。むしろ退く理由がどこにあるのかが知りてぇな」

  

 辛うじて無事なもう片方の眼球はいまだ煌々と瞬き、今からゴジラとスペースゴジラの両方を相手取ってやっても構わないと言わんばかりの闘志を燃やしている。

 

 こんなご時世だ。死を賭してなお怪獣を憎む姿勢そのものは珍しくはない。

 

 ……しかしそんな破滅的な生き方も、どうしても貫きたい信念や叶えたい理想があるからこそ成り立つものだ。これだけ叩きのめされてなおブレることなく敵に挑み続けるなど、手段と目的を履き違えているとしか言いようがない。

 

 意識は途切れ、もはや戦うために必要な力や手段など持ち合わせていないのは明白なのに。

 狂っているとかそういう類の言葉を投げることすら救いがたく、馬鹿馬鹿しい。

 

 なんと見下げ果てた人間だろうか。自分のことを棚に上げて少女は心底不思議だった。

 

 なのに、嗚呼どうしてか。

 

「こうしている間にもたかが石ころとクソトカゲが好き放題暴れている事実そのものが不快極まる。嗚呼、むしろ憂うとすれば……やつらごときに手間取っている現状の情けなさこそかな」

 

 

 ――()()()()()()()()()()という頭の悪い予感さえ生まれてくるのは。

 

 

 立場や価値観があまりに断絶した存在を前にして、恐怖でも嫌悪でもなく不思議な興奮が鎌首をもたげている。

 あるいはこの時の流れの止まった世界で彼女の狂気を解すことが自分の役割なのかもしれない。そんな奇妙な使命感さえ湧いてきて……

 

 唇を湿らせて言葉を選ぶようにゆっくりと。

 

「……どうしてそこまで偏執的に怪獣を憎むのですか。そうして戦い続ける中では誰も彼もが苦しみ不信に喘ぐばかりでしょう。むしろ怪獣という絶対的な存在に祈りを込めて、そこに救いを見出すのが私の解釈です」

「雑に語るな」

 

 祈りを込めて投げかける言葉は、しかし短い言葉で冷たく切って捨てられる。

 

「現状おまえ一人すら救えていない祈りとやらに、いったいなんの救いを見出せと?」

「……話は最後まで聞いてください。ゴジラを含めて、確かに大半の怪獣は人類の生存とは相いれない存在なのは事実でしょう。だからといって彼らは滅ぼさなければならない存在だと思考停止するのも好ましくない」

 

 聞く耳持たぬ拒絶の言葉に対して、思いのほかソテイラは冷静だった。

 今までソテイラに叩きつけられてきた罵倒の中でも、こんなものは常套句(テンプレワード)でしかない。よってソテイラの返すべき言葉もパターンとして決まっている。

 今のところ既知を超えた展開でないことへの微妙な落胆と、ならばこちらから価値観を覆してその呆気にとられた間抜け面を見てやるという昂りのまま……

 

「そもそも人類にとっての勝利条件はなんですか? 多大な犠牲を払ってこの地上から怪獣を一掃して、霊長の地位を確立すれば勝利ですか?

 大事なのは、まず生きて次代に思いを繋ぐこと。幸福に生きることです。人類の尊厳や繁栄というのはその先にある話です。私の父もそうですが、盲目に勘違いしているのはむしろあなた方のような人種。

 世界はどう在るべきか、怪獣と人間はどういう関係なのかを今一度私は――」

「”再解釈”か」

 

 熱を上げる語りを冷たく遮ったのは、まさにソテイラが口にしようとした単語だった。

 

 なるほど通好みの自称玄人(オタク)が好みそうなテンプレワードだ――呆けるソテイラを酌むことなく、口端を歪めて淡々と言葉を返してくる。

 

「自称違いの分かる玄人どもは、いつも得意げに”再解釈”なんて言葉を並べやがる。たかが見る角度を変えただけで世を変えられると本気で酔えているなら、おめでたすぎてなにも言えねぇ」

 

 ……ソテイラの”再解釈”とは、決して空論の類ではない。多くの人々に今まで常識の打破(パラダイムシフト)を齎してきた実績がある。

 怪獣と相容れず、ゆえにどちらかが滅ぶまで――疑う余地のない常識として人々に刻み込まれてきた”それ”を覆す少女の理屈。ソテイラと反発していた者たちでさえ、その革命的な価値観に触れたことで立場の転換を余儀なくされた。

 

 なのにまるで”浅い”と、それでは足りないのだという風にかぶりを振るのだ。

 

 込み上げてくる不快と苛立ち――しかしそれ以上に、なにかの確信を持って様に冷笑う様に、ある種の恐怖と興奮がこみ上げてくる。

 

「格好良いのは字面だけで、煎じつめればんなもんただの逆張りだ。真に迫る根拠がない。そこを弁えないから、たかが怪獣ごときにそんな無様を晒す」

「たかが怪獣って……貴女は徹底的に怪獣をこき下ろしていますが、そのほうがずっと根拠に欠けているでしょう。あれだけの絶対存在を、どう解釈すれば下に見ることができるのですか?」

 

 わかってねぇな、と冷ややかに。

 

「そう大したものじゃねえよ怪獣なんざ。有形無形問わずやることなすことすべてに不文律が課せられていて、奴らに本当の意味での自意識や自由なんてものはない。あの無駄な図体に詰まってるのは、血肉じゃなくて綿か羽毛だ。救いや祈りを賭けるほどの重みがあるとする解釈自体が間違っている」

 

 自分の曖昧だった解釈が崩れるという凍えるような直観。信仰の対象と同一でもあった怪獣を悪し様に罵られたことも、まるで問題にならない。

 あるいはここで死んでしまうのかもしれないけれど、断固としてそれだけは聞かねばならぬと理解していた。

 なんだ、それはなんなのだ。言ってくれと――

 

「では、貴女が怪獣と戦うのはなぜなのですか!? そんなに怪獣を憎むのはどうして!? 貴女の解釈とは――」

「いきり立つな」

 

 知らず荒げた少女の声音を、途切れ気味のしゃがれ声が断ち切った。

 息も絶え絶えという響きから、衰弱のあまりテレパシーすら維持できなくなりつつあることが伝わってくる。――なのにそれと反比例するように燃え上がる殺意の圧。

 

 

「おまえ、なんで”今のゴジラ”があんなに強いかわかるか?」

「え?」

 

 

 あまりに唐突すぎる話題の変更に戸惑うが、それが都合の悪い話を逸らす類のものでないことだけは察せられて……

 

「あのクソトカゲは、確かに先代からして化け物じみた強さを誇っていた。

 地上に矢継ぎ早に現れた一〇〇メートル級の怪獣どもを次々瞬殺。ヒトの英知も一切う寄せ付けない無敵の怪獣王。一撃で山を砕き、一撃で海を干上がらせる――なるほど、大した実力だ」

 

 だが、しかし。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――代を重ねて強くなるのは確かに生物の基本だろうが、この強化の速度はちぃと説明がつかねぇぞ。

 そもそもゴジラの活動は、概ね一年の休息を挟んだ周期的なものだったはずだ。なにに憑かれてこの三〇年間休むことなく戦い続けている?」

「……それは」

 

 それは、おそらくこの三〇年で人類を最も悩ませる問題だろう。

 

 なぜ、あそこまで過剰な強さを怪獣王は手に入れたのだ。なにを求めて休むことなく戦い続けているのだ。

 迷妄に走る世界の中で誰しもがその疑問を抱きながら、()()()()()()()()()の一言で捨て置くしかなかった命題。

 この少女は、まさかその回答を持っているというのか。

 

「簡単な話だよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「は?」

 

 今この星では、立場や貴賎を問わず誰も彼もがゴジラに強い関心を抱いている。ゴジラの存在はあまりに圧倒的で、無視できるものなど一人もいない。

 恐怖か闘争か信仰か、そのベクトルや程度には多少の差があるだろうが、寝ても覚めても考えることといえばゴジラのことばかりなのは間違いない。有り体に、みんなゴジラに夢中なのだとも言い換えられる。

 

 ゴジラとはなにか、なにを我々にもたらす存在なのか……きっと誰しもがその胸に答えを抱いているのだ。

 

 だがしかし、ここでしかしである。

 ならばしかし、はたしてそれらの答えはみんなで統一されているのか?

 

 もちろん、答えは否である。

 憎むべき怨敵、最強の武威の化身、人類の好敵手……あるいは神の現し身、秩序の守護者などなど――七〇億もの人々の価値観が各々異なる以上、それらのゴジラ像が異なるのは当たり前だ。

 

 なにしろ時代や環境の移り変わりによって、その貌を積極的に変えていくのがゴジラなのだ。それに合わせて人の解釈が多様化していくのも自然の成り行き。

 はたしてゴジラとはなんなのか、その真実を掴みたいと願うがゆえ、互いの解釈の正誤を競って人が争うのもやむを得ない話だろう。

 

 そうした全体像を正しく理解することで、怪獣との関係性をコントロールできるはずだというのがソテイラの「再解釈」なわけだが……

 

「問題なのは、むしろそれだろうが」

「え?」

 

 みんな違う答えを抱くこと、それ自体は当たり前。

 まさか分かり合えない答えを抱くせいで人は争うとか、そんな程度の次元の話を進めようとしているのかと身構えたが――

 

「逆なんだよ、ゴジラは変わったんじゃない。変えられたんだ」

 

 昔と比べてずいぶんゴジラは変わったなどと人は言う。しかしそれは本当に正しい認識だろうか?

 

 期間や配分には微妙な差はあるだろう。しかし”海からやってきて街で暴れてたまに敵と戦って勝利して海へ帰っていく”――周期的な行動パターンは常に一貫していたはずだ。

 

 すなわち、鶏が先か卵が先かという話。

 

 先に変わったと言えるのは、むしろ人間の解釈のほうではないのか。ゴジラの一挙一動にあれやこれやと適当な理由付けをして、都合のいい辻褄合わせをする方便だけが変化していく。

 移り変わるモノの見方によって人とゴジラとの関わり方が決定し、改めて世界が再構築されていく。――ゴジラはいつだって無色透明なのに、節操のない雑語り(ポジショントーク)になんら抵抗もせず染め上げられていくのだ。

 

 ある時は、人類の身勝手の哀れな被害者であり復讐者

 ある時は、闘争の求道者にして人類の好敵手

 ある時は、亡き同胞との(よすが)を求める放浪者

 ある時は、人の生み出したものに怒りをぶつける裁きの化身

 ある時は、生態系の頂点に立った地球の守護者

 ある時は、人知を超えた完全生物

 ある時は、文明の極点に訪れる転換点(シンギュラポイント)

 終わりなき不変の化身、あるいは進化と革新の象徴

 

 時代や環境の移り変わりによって多様な解釈が泡沫のごとく生滅を繰り返し、そのたびに怪獣王の純度は失われていく。

 先の例でいうなら、秩序の破壊者としてのゴジラを見出すものと、逆に世界の守護者としてのゴジラを望むものは言うに及ばず両立できない。方向性の異なる解釈は打ち消し合い、結果それだけ全体像はぼやけてしまう。

 

 時代が下るにつれて多様化していく解釈が蟲毒のように貪り合って――なにもかもが絶えた荒野には、はたして何が残るのか。

 

 

「――決まっている。強さだけが残る。いつの時代のどんな解釈だろうが、ゴジラに強さを求めることについてだけは一致するだろうからな」

 

 

 今まで、この世にどれだけ多様な解釈(ゴジラ)があったことだろう。

 けれども、その中でゴジラに「強さ」以外のものを見出したものなどいただろうか。いるはずがない――()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これは議論の余地のない当たり前の大前提で、もし容易に駆逐可能な脆弱種だったなら、これだけ躍起になって語る価値などないのだから。

 

 つまり弱いゴジラなど解釈違いで、戦わないゴジラなどもっとありえない。

 きっと誰もがそう口を揃えるに決まっている。

 

 だからこそ、今のゴジラはあれほどまでに強いのだ。

 

 ただ強くなれ、せめて強くあれ、もはや強さ以外のなにも望まぬ――ただ一つ墓標のように残された「強さ」という解釈(ベクトル)が狂的な域で収束されて、星すら砕く怒りとなって振り降ろされる。

 

 しかしその先にはなにもない。どん詰まりなのだ。

 

「そんな、じゃあ、怪獣の、いいえゴジラの正体とは――」

 

 そんなことはあってはならないと声を震わせるソテイラだったが、それを斟酌してくれるパネトではない。

 冷淡にそっけなく、なにより残酷で悍ましい真実を口にする。

 

 

「ゴジラってのは、この世で最も不自由な生き物のことを指している忌名だ。この星は、そんなモノに支配されている牢獄なんだよ」

 

 

 絶対で不変の唯一だなどと持て囃されていながら、その実他の何よりも曖昧な概念に溶かされてしまった不確かな虚像が怪獣王の正体なのだ。

 

 誰よりもなによりも強く、重く、熱く、猛き存在でありながら、矛盾と不確かさを抱えざるをえず、ただ一つ残された強さという概念を爆発させる怒りの化身――

 

「この世界は怪獣のもの。そして最強の怪獣であるゴジラがこの地上を支配していて、人類はそのペットの過ぎない――好きに語れよ、どうでもいい。

 人類の尊厳なんざ興味もねぇし、誰が死のうが知ったことか。世界平和なんてクソ喰らえだし、オレにとってこの世でなにより煩わしいのはそもそもオレの存在そのものだからな。

 だがそれでも、どうしても認められないことがただ一つ――」

 

 どうでもいいのだと投げやりに語りながらも、その顔には確かな執着と拭えない怨念が滲んでいる。

 

「雑に要約するなら、つまりはこういうことになるだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 つまりわかるか黒木ソテイラ――ゴジラの迷妄とは、即ちオレたちの迷妄だ」

 

 そう、今の世界が、人々が苦しみあえぐのは当然なのだ。

 ヒトとゴジラは一心同体。片方が迷妄に堕ちれば、もう片方もその淵にはまる。

 

「だからこそ、オレはなにをなすべきか理解している。さっき言った通りだよ。オレが怪獣を殺すと誓うのは奴らが敵だから、それ以上でもそれ以外でもない。気色が悪い人間外。同じものを愛せず憎めない大敵――そこに奴らを余計なキャラ付けをする解釈なんて必要ねぇ。

 誰もが彼もが怪獣どもを手前勝手な色眼鏡で眺めるのを後目に、このオレだけは奴らをただの畜生じみた害獣として叩き殺してやると誓ったんだよ」

「ありえない」

 

 反射的に飛び出した言葉は、しかしこれ以上にないほど端的にその狂気の沙汰を表現している。

 死を賭してなお怪獣の殺滅に挑む無謀を、なんと呆れ果てた狂気かとソテイラは見下した。それが手段と目的を履き違えたよくある病理と軽んじたからだが、真実はそれよりはるか救いがたい。

 

 ()()()()()()()()()()()()()、この狂人にとっての目的の完遂に他ならない。つまり実現するかなど、そもそも端から問題ではなかったのだ。

 

 こんな矛盾以上の矛盾がはたして起こりえるのか? 在って良いのか?

 

「そうやって、怪獣を憎むことそれ自体が、彼らを対象化してしまい神の座に押し上げる余地を生むのではないのですか……!?」

 

 なにしろ誰かを憎む程度のことにすら強い理由(解釈)を求めるのがヒトなのだ。

 理由なくなにかを恨み続けることは不可能で、どんな差別や戦争や迫害にも自分たちを正当化するための根拠がいる。

 なのに――

 

「清々しいエアプ発言だな。たぶんおまえ、怪獣のこと実はそんなに好きじゃないんだろ」

「なっ――」

 

 せせら笑う声は、今に消えてしまいそうなほど掠れて弱弱しい。

 なのにそれを聞いた途端、弾かれたようにソテイラは後退るのだ――怯えた顔は、まるで秘すべき真実をこじ開けられてしまったようで。

 

「憎むものがいなければ怪獣なんてただの巨大生物だとでも? 知ったことかよ、やかましい。そんな曖昧な理屈で、オレの怒りを雑に語るな。

 仮に奴らが人類から逃げまどうだけの、人目につかない海底で隠れ潜んで生きる弱者だったとしても関係ない。この地球を根こそぎにしてでも必ず怪獣を見つけ出して滅ぼしつくすと誓ったんだよ。おまえの言葉を借りるなら、これがオレの掲げる再解釈だ」

 

 怪獣とは、自分自身の解釈を映し出す鏡に過ぎないのだ。

 その絶対性も不変性も、煎じ詰めれば人間たちの側から滲み出た無意識の願望の形だ。つまり怪獣に救いを見出すとは、鏡に祈りを捧げるのと同じくらい無体なことでしかない。

 

 ――だからこそソテイラは”劣る”のだと、怪人は続けたのだ。

 

 怪獣との一方的な構造を再構築しようという気概はあっても、その関係性自体をさらに深堀するまでには及ばない。

 怪獣の絶対性を盲信的に賛美してしまうあたり、世に一石を投じるどころか本来打ち破るべき構造をベールに包み補強してっているまであるだろう。

 一つのパラダイムシフトを人にもたらしたのは確かだが、真理から遠ざかっているという意味では誰よりも保守的ともいえる。

 

 なぜならソテイラ(みんな)にとって怪獣とは――

 

「おまえたちにとって怪獣ってのは雑語り(ポジショントーク)のための体のいいお題目に過ぎない。

 怪獣に手前の勝手な解釈を乗せるばかりで、それは言っちまえば気色の悪い二次創作の域を出ちゃいねぇ。我が解釈こそが唯一(公式)なりという気概に欠ける。不純なんだよ。そんなんだから折れるし争う、解釈違いを引き起こす」

「わ、私は違う! 絶対に違う! 私の怪獣への愛は、敬意は、そんな痛々しい二次創作なんかじゃない。かつての三枝未希のように――」

「違わねえ、なにが愛だなにがなにが敬意だ殺すぞボケが。

 その手の強い言葉を曖昧な定義で使うんじゃねえ。真実を言葉遊びで愚弄するな、自覚があるぶん、おまえの親父の厄介具合のほうが億倍好感が持てるな」

 

 血だまりから、ゆらりと怪人が立ち上がる。

 脳漿は零れ手足は軋み、人としての命が潰えようとしている。

 なのに決して崩れない。

 どこからか生れ出る破壊的な生命エネルギーが、いままさにパネト・ヘイトスピーチの肉体をなにか別のものに置換しようとしていた。それは脆弱な人間種の形などしていない。繭を突き破り、天を喰らわんと覚醒するのは漆黒の巨翼。

 

「オレは違う――オレだけは違う。この世で唯一、世界(公式)に対しててめぇこそが解釈違いだ道をどけろと三行半を叩きつける怒りと資格を持っている」

 

 清々しく言ってのけるパネトを前に、もはやソテイラは笑うしかなかった。

 

「ははは……」

 

 怪獣に祈りを捧げるなどもっての外。やつらを憎むことは大前提。ただし、そこにはなんの理由(解釈)もありはしない。おまえはただの”敵”なのだと見下して、その上で殺滅する。

 危うい暴論なのは間違いないが、ある意味で配慮と慈悲に満ちていた。いっそ寄り添っているといってもいい。

 なぜならそこには、怪獣を染め上げてしまう一方的な雑語り(ポジショントーク)などが入り込む余地がない。きっと誰よりも()()()()()()()()()()()()()()

 

 そんなこと、ソテイラは考えたこともなかった――

 

「あはは――」

 

 知らず泣笑いが溢れていく。止めようとすら思えない。

 

 なぜならこの笑みとは、口惜しさを無理に納得させるための偽装でも、自虐で己の無様を慰める類のものでもないから。

 

 納得させるつもりが逆に納得させられた。解き明かすつもりが逆に解き明かされた。踊り出したいほどそれが心地よい。

 だってたった今、自分を気づかず苦しめていた思想の瑕疵が埋まったのだ。

 祈りを捧げるなどと曰いながら、結局はただ考えを押し付けるだけだった自分はなんと間抜けだったのだろう。これでは”怪獣共存派(コスモス)”も一枚岩になるわけがないし、反発が生まれるのは当然すぎる。

 

 ああまったく――信じがたい不純、ありえない不徳。頭を掻きむしりたくなる恥ずべき過ちだが、幸いにもそんな愚か者はもう死んだ。虚ろなアイドルだなんて、誰にも言わせやしない。

 

 絶望と迷妄が晴れていく。真なる答えが見えてくる。

 これは、勝利だ。

 

 黒木ソテイラは、この世界を真に救う究極の超解釈にたどり着いた。

 

 笑いたい。魂の底からこの勝利を叫びたい。

 

 

 

 

「あははははははははははははは――――!!」

 

 

 

 

 破壊的な絶頂とともに、究極的な解放感が少女の脳と脊髄を蹂躙する。

 

 核ミサイルが爆発したような灼熱を全身に感じた。身を包むこの衝撃的感覚は、テレパシーが生み出した妄想の類では断じてない。

 潰れた手足が圧倒的な速度で復元していく。同時に、四方を覆っていた瓦礫も吹き飛んだ。少女の哄笑とともに、今、比喩ではなく関東平野が震えている。

 

「――パネトちゃんパネトちゃんパネトちゃん!!」

「なんだよいきなり馴れ馴れしい」

 

 視界が滲む。現実と空想の境界が物理的に融解していく。けれども身に宿るこの全能感と浮遊感は嘘じゃないのだ。

 

「パネトちゃんパネトちゃんパネトちゃんパネトちゃんパネトちゃんパネトちゃん――――!!」

「気持ち悪いな連呼すんな」

 

 言葉こそ突き放すようなノリで、しかしその表情はそうなるだろうと弁えたような色で。

 

 

「――すごい……すごいよぉ!!  すごすぎるよぉぉおお! そんなこと、私は考えもしなかった!!」

 

 

 パネト・ヘイトスピーチがその身に黒翼を宿したのと同じく、相対するソテイラもまた極彩色の覚醒を成し遂げようとしていた。

 それが果たしてこの戦況になにをもたらす開眼なのかはわからない。けれど、明らかにこれが道理に反した禁忌であり、断崖絶壁に身を投げる暴挙なのは疑いようのないことだ。

 

 だって()()()()()()()()()()()()()――きっと、もう後戻りなどできやしない。少なくとも人の性を捨て去ることに繋がるのは間違いなく、だからこそそこに躊躇いはなかった。

 

 だって、そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。殊更に強調するほどの決断ではなく、むしろ何を逡巡しようというのか……!

 

 

「なんていう超解釈――あ、貴女こそが、私のただ一人、唯一無二の最推し(ゴジラ)! もうパネトちゃん(推し)しか勝たん!!」

「えぇ……」

 

 

 翼を広げて海を覆う。その勢いに任せて、ソテイラは”推し”に飛びついた。抱きつくというより押し倒す勢いで、傍から見れば突進となにも変わらない。

 反射的に身を離そうとするパネトを許さず、さらに頭を掻き抱きながら額を激突させた。

 

「痛った……」

「パネトちゃん――いえ、パネト(ゴジラ)ちゃん!! この解釈も、成し遂げた覚醒も幻想(ユメ)じゃない。なんにも怖くないよ! もう無敵!」

「泣いたり笑ったりと忙しい女だ、さては躁鬱だなてめえ」

 

 厄介げに顔を歪めて、額をさすりながら苦笑う。けれど、悪くないと思っているのはパネトもきっと同じこと。

 歓喜に叫びだしそうなのを必死に抑えているのは、その震えた手先から明らかだ。ぴったりと寄せた胸元から鼓動の早鐘が感じられる。ソテイラがパネトとの出会いを通して新たな解釈を見出したように、パネトにとってもソテイラとの出会いは一つの大きな転換点になったはずだ――すなわちこれは、解釈の一致というやつだろう。

 

 方向性(ベクトル)は違えど、突き抜けた情動については何も変わらない。そんな二人が腹を割って話し合えば、はたしてどうなるのか。二つの波は重ね合わせを起こし、収束していく殺意と狂気がありえならざる怪獣の姿として出力される。

 

「だからこそ、教えてちょうだいパネト(ゴジラ)ちゃん――この力で、こんな力でいったい何を為すべきなのか……」

「殺すに決まってんだろ」

 

 間髪いれずにそう言い切って、凶猛な表情のままパネトは宙を仰ぎ見た。

 つられて見上げれば、視界一面に広がるのは夜空の沈黙。平静な風情は表層に過ぎないことを今の彼女たちは理解している。あの向こうにいる存在を、理屈を超えた感覚が伝えてくる。

 

「すべての”敵”を殺滅してやる。それがオレの解釈(救い)である以上迷うことなど一つもない」

「あはっ――」

 

 まったく貴女はと言わんばかりにかぶりを振る。 にやけた顔をなんとか解そうするのかしばし俯いて……やがて顔をあげるとなんということなく呟いた。

 

「うん――やっぱり、”主体”は貴女がなるべきだと思う」

 

 その言葉とともに極彩を縁取る境界線が唐突に崩れていく。突然の現象を前に眉をひそめるが、その間を突くようにソテイラはパネトにそっと口づけした。

 

「きっとここで出会えたことは運命だと思う。パネト(ゴジラ)ちゃんにはもっと早く会いたかった気もするけど……」

「知るかよ」

 

 儚げな微笑とともに、極彩色の鱗粉となってパネトに吸収されていく。薄らいでいく綾模様、捧げられる白の力。それを貪ることで黒翼の密度は応じるように増していく。

 地の底から響くような唸り声とともに二つの色が混じり合い、灰色の翼が新生する。

 

「それと妙な名前でオレを呼ぶんじゃねえ」

パネト(ゴジラ)ちゃん?」

「おまえ、ふざけんなよ。いや、だから……」

 

 苦々しい渋面のまま頭をぼりぼり。

 少しだけ迷うそぶりを示した後、まぁいいかと小さく吐き捨てながら。

 

「オレの名前は、三枝羽音(さえぐさぱねと)

「三、枝?」

 

 薄れゆく意識の中でも、その声はしっかりとソテイラに届いた。

 そして何より、その姓は確か――まさかまさか、そうなのか。

 もしそうだとするなら……きっと今、崩れた輪郭でもはっきり判るほど、にやけてしまっている。だったらいいなという推しイメージ(解釈)が、公式によって肯定されようとしているのだから。

 

「お察しの通りに」

 

 その気づきを然りと認めるが如く、怪人は不敵に続けたのだ。

 

「三枝未希は、オレの姉だ」

「まぁ……」

 

 まったくもう――どれだけ私を喜ばせれば気が済むのだ。

 ……かつての推し(未希)でも、推しは推し。こんな浮気めいた推し変に、後ろめたい部分があったのは否定できない。

 けれど、かつての推し(未希)今の推し(パネト)には、これ以上にない繋がりがあったのならば、これが一時の流れや勢いにまかせた不純な変節であるはずがない。

 もっと根本的で決定的な――

 

「解釈一致がすぎる……」

 

 慈しみをにじませた呟きを最後に、黒木ソテイラの自我は溶けていった――

 

 

 

 

 何やら満足しながら消えていったソテイラ(捧げもの)

 底知れぬ意味不明さについては、パネトをしても怖気が走る。自分の胃袋の中に大人しく収まってくれたことには正直疑問しかなかった。

 

 苦々しく舌打ちしたその瞬間、上空の唐突な変転を感じ取る。

 平静を装っていた空の偽装が剥がれ落ちるのを直感した。

 

「――……」

 

 押し潰してくるような圧倒的な熱と、凍えるような悪寒。

 空の向こうでとぐろを巻く奈落的エネルギーの沸騰――魂慄くこの感覚には覚えがあった。ゆえにその正体にも察しがつく。

 

 宙を見上げたまま、絞り出すように声を漏らす。蠢く内容物をあやす様に、皮の上から胃袋の辺りを掻きむしった。

 

「黒木、黒木翔……ああなるほど、やりやがったかあの厄介ジジイ」

 

 ――禁断の兵器(オキシジェンデストロイヤー)の存在を、パネトもまた感じ取ったのだ。

 

 既にジェットジャガーの鎧は砕けて失われていたが、そんなものはもう必要ない。

 衝動のままに広げた翼を上下させる。ただそれだけで東京湾の海が津波のように波打った。体内を循環する破壊的なエネルギーは嘘じゃない。限界を超えて研ぎ澄まされた感覚は、今なら星の裏側すら見通せる。

 

 だから何をするべきかなど、端からハッキリしていた。

 

 奴らだけの世界で手前勝手な決着を許すなど論外だ。もちろん、どこかの誰かの空気の読めない横槍などもっと認められない。

 この世で己だけが、地上に存在するすべての怪獣をただの“敵”として殺滅(救済)できると確信している。今からそれを証明してやろう。

 

「なあ見てるかハルオ――おまえが”■■”なんぞ紛い物に現を抜かす間に、ついにオレはこの領域に至ったぞ」

 

 ゆっくりと、少女は前傾した。

 背格好は、確かに少女。

 けれど、しゃがみこむほど深く前屈した、奇異すぎる姿勢。

 歪に筋張った骨に、ぼこぼこと膨れ上がって盛り上がった肉。

 どこをとっても柔らかそうな部分など一つもなくて、そこには一筋とて少女と呼ぶべき属性などなかった。

 歯を軋らせる。

 鼻腔が膨らむ。

 頬が狂気を縁取る。

 醜い。

 鬼のよう。あるいは、悪魔のよう。

 とにかく、そういう恐ろしい形相。

 けれど、黒々と煮えたぎる衝動が、地獄的に燃え上がる。

 それが息を呑むほど艶やかで、不思議なくらいに美しい。

 彼女の怒りとは純なる献身によるものとわかるからだろうか。

 だからきっと、彼女は今のこの瞬間だけは誰よりも清い乙女であった。

 

「まずはてめぇからだ」

 

 溜め込んだ力を内側から爆発させて弾け飛ぶ。これに再戦(リベンジ)の意味もある以上、向かう先など決まりきっていた。

 

 茫洋と、力なく、光を失っていく魔晶の双眸――不可視の涙に瞬くそれと、怪人の狂眼が交差する。

 

 

 

 狂える獣を慰撫するのは、乙女の純心と相場が決まっていた。

 

 

 

◆5◆

 

 

 酸素の完全破壊など、オキシジェンデストロイヤーの真価を覆い隠す偽装に過ぎない。

 

 それはそれで悍ましい兵器なのは、もちろん間違いないだろう。

 領土や大気を一切汚染することなく対象のみを窒息死させ、超広範囲にわたって無力化する。その戦略的価値は計り知れない。

 

 しかし単純な破壊力と殺戮能力という比較では、やはり核兵器を始めとする従来の大量破壊兵器に軍配があがるのではなかろうか。おそらくコストパフォーマンスという観点でも銃火器の汎用性には敵わない。

 

 酸素破壊の字面は確かにセンセーショナルだが……現代戦争行為が念頭に置くのが対怪獣戦である以上、その実用性には一定の課題が残る。なぜならすべての怪獣が生存に酸素を必須としているとは限らないからだ。極端な話、宇宙怪獣が相手だとなんの意味もないことになる。

 

 もちろん、世の戦争行為に新たな戦術性と戦略性が付与されることへの懸念は当然あるだろう。戦争の定義を書き換えかねないポテンシャルがそこにあるのは間違いない。……しかし即座に現行兵器を駆逐するほどの圧倒的優位性がオキシジェデストロイヤーにあるかというと、話は別。

 

 ……ならば芹沢博士はオキシジェンデストロイヤーの危険性を過剰評価していたのか?

 

 間抜けが、そんなわけがなかろう。

 彼の慧眼は、己の発明の本質をきっと誰よりも正確に捉えていた。より度外れておぞましく、どうしようもないほど怪物的なその実態を――

 

 ミクロオキシジェンという理論自体が、そもそも本質から遠ざけるための偽装にすぎない。

 

 その本質は、反物質の生成にあった。

 

 指定した座標の任意対象に素粒子的な干渉をすることで、その物理的性質や状態を()()()()()。正と負が書き換えられて生成される反物質は、()()()()()()()()()()すべてのエネルギーを無力化して対象を滅却していく。

 

 破壊や熱による物理的な破壊ではないし、何かしらの化学反応を引き起こすのでもない。そんな程度なら、有り体にこちらの質量を増大させれば完封は無理でも最低限のダメージ削減は可能だろう。

 

 ――しかしそんな生易しい常識(救い)などあり得ない。

 

 なぜならそこには、質量も性質も関係ないからだ。それこそ数億度の灼熱地獄だろうが、銀河を砂粒以下に圧壊させる超重力だろうが問答無用。

 よってどんな大怪獣であろうと、オキシジェンデストロイヤーに敵うわけもない。いやむしろ、度外れた力を持つ怪獣ほどこれに()()()()()()。強大であるほど巨大であるほど、反物質の生成効率と干渉性は指数関数的に増していく。対抗するためにどれだけ出力を増しても逆効果。なぜなら生み出す力が次から次へと尽く、己を溶かす猛毒へと変化していくから。

 

 よって、半世紀ぶりにオキシジェンデストロイヤーが地球軌道圏内にて解放された時点で、これは判り切った結末だった。

 

 突如放出された波動とも粒子とも判別つかない殺滅の瀑布。無音の爆発と共に吹き抜ける衝撃波に、二大怪獣は抗うこともできずに飲み込まれた。

 抵抗などできるわけもない。ただ()()()()()というだけで森羅万象を捕食していく過負荷(マイナス)という概念の極点は、情け容赦なく怪獣たちを蹂躙した。

 

 魔王の熱量が枯れていく。

 魔晶の重力が解かれていく。

 積み上げた力も時間も、何もかもが否定してやって後には何も残してやらない。

 

 見るがいい、これが人類の力なのだ。

 人類の(カルマ)の牙に、喰い貪られて惨めに死ぬのが貴様ら化外の末路なり。所詮は風に巻かれて消える砂粒に過ぎないと腹を抱えて罵倒する霊長の傲慢。

 

 模倣品ですら”これ”なのだ――ならば五四年に初代魔王を討滅した芹沢博士謹製のオリジナルとは、はたしてどれだけの代物だったのか。それはわからないが、それでもはっきりしたのはただ一つ。

 どれだけの相互不信と狂気に苛まれようとも、それでも「オキシジェンデストロイヤーを使わない」という道こそが人類の理性と尊厳を保証する最後の箍だったはずだ。

 

 それが今崩れたということは、つまり、もうこの世界は――

 

 

◆6◆

 

 

 空間の整合性と呼ぶべるものが不可逆的に崩壊した座標において、胴体だけになった魔晶が身動き一つとれずに中空を漂っていた。

 

 ”これ”が脆弱な知的生命の仕業であることは察している。

 己の聖戦に小癪な横槍を入れられたことには、それこそ百億回滅ぼしても生ぬるいという怒りがある。

 強者(怪獣)同士が殴り合い(プロレス)をしてどちらかの死を持ってそれが決着するという、この世で最も尊ぶべき瞬間を汚されたのだ。今すぐ跳躍して復讐に向かうべきと理屈は告げるのだが、それにすら及ばない。

 

 なぜなら、魔晶はもう負けたからだ。

 

 生命活動と呼ぶべきものはとっくに停止していて、今魔晶の意識を確立しているのも、有り体に何かの気の迷いに過ぎないのだ。中空を漂い続けて、やがてこのまま朽ちるのを待つだけの身になったことを承知している。

 勿論、その事実を認められるかと問われるならば否だ。

 

 この不条理への煮え滾る怒りさえあれば、虚無の奈落からでも魔晶は全快して逆襲に向か雨

うだろう――平時であれば。

 

 魔晶は、すでに魔晶を魔晶たらしめる魂の芯が砕けていた。

 

 もう戦えない。

 どの星にも住み着くことなく千年にわたって闘いを続けた闘争の化身から、もはや闘争心と呼ぶべきものが失われていた。

 

 せめて最期の瞬間だけでも好敵手と共に果てたいと意識を巡らすが、周囲に魔王の存在はまったく感じられない。あるいはもう先に逝ってしまったか? いや、おそらく違うと理屈を超えて直感する。

 

 きっと、魔王はあの小さな青い星に向かったのだ。

 

 四肢は溶解して背鰭は砕けて、熱は枯れ果てて……そんなろくに戦えない状態になり果ててなお星一つに執着する姿勢は、もはや魔晶の理解を超えている。

 背信行為への復讐か、あるいは最期だけはせめて守ろうとした者たちの近くに在りたいという感傷か? 

 

 いずれにせよ、魔晶にはどうでもいいことだ。

 もはや、なにもかもすべてが萎えている。

 

 永遠と戦い続けて、勝ち続けるのが己だと解釈していた。仮に敗北などが訪れたとしても、それは己と比する真の強者によって果たされる絶頂の瞬間であるべきだ。

 こんな末路は解釈違いにもほどがあって――にもかかわらず、崩れ風化していく玉体をただ眺めることしかできない。この現実を覆すだけの意思も力も残されていない。

 

 魔晶の意識が無明の闇の彼方へと溺れていく。色と呼ぶべきものが失われる。

 

 これが絶望だというのか。これが末路なのか。

 

 はたして、これでよかったのか――

 

 

「いいわけねえだろ」

 

 

 瞬間、狂猛な怒涛が迸り、魔晶の総体が両断された。

 

 

 先ほどの絶望感など、彼方の果てに追いやってしまうほどの急展開。今際の残滓の鼓動が沸騰し、魔晶の意識が再浮上する。

 なんだ、何が起こったと困惑して、事態の解明のために意識を巡らすけれど――その間もなく、続く半月状の斬撃が恒星の爆発さながら炸裂するのだ。

 

 旋回しながら姿勢を立て直す。ようやく機能を回復させた視界が捉えたものを前にして、さらに深まっていく困惑と苛立ち。

 

 靄のかかった宇宙空間に、凝然と立ちはだかっているのは――

 

 

「悟りでも開いて独りで入定するつもりか? 許すわけねえだろ殺すぞ石ころ」

 

 

 人間。

 

 そこにいたのは、ただの人間。

 

 姿形は間違いなくただの人間なのに、その身に纏う、天が崩落するような奈落的な圧力は何なのか。物理的な暴性を宿すとしか思えない殺意の桁は、有り体に魔王のそれと大差はない。

 

 うっすらとだが、確かにその個体には見覚えがあった。

 

 下等な知的生命が魔晶に生身で向かってきたのは千年の殺戮行脚でも珍しく、ゆえにその姿もまた強く印象に残ってはいた。確かにこの手で仕留めたのだが――いや、そんなことはどうでもいい。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 蟻が象になったとか、砂が巨山になったとかそういう次元の話ですらない。まさかこちらの総体が減じたことによる錯覚か――断じてありえない。

 自身に小細工を施すことで、一介の知的生命が怪獣に成り果てるのは確かにそう珍しい話ではない。だが”これ”は、そんな紛い物や成り損ないとは明らかに違う。

 

 振るっている力も、魂も、紛れもなく”本物”の――!

 

「怪獣の末路ってのは、もっとあっさりしているべきだと、オレは思う。無駄に時間をかける必要はないし、派手さなんて必要ない。荒唐無稽なプロレスなんざ以ての外だ――ただ、敗けて狩られて死ねばいい」

 

 真空の宇宙空間を飛び越えて、狂猛な唸り声が魔晶に届く。己の意思で物理法則を無視する現象は、明らかに怪獣によるもので相違はなかった。

 

「そしてそれを為すのは、このオレだ」

 

 瞬時に間合いを詰める踏み込みは、怪獣の範疇で語るならどうという速度ではなかった。平均か、それをやや下回るか――いずれにせよ、魔晶が滅ぼしてきた敵手の中では下位に位置するのは間違いない。

 

 よって胴体だけの死に体だろうが、対処が難しい相手ではなかった。

 煩悶させて巻き上がる力場を即席の槍にまで収束させる。実際、その特に狙いを定めたわけでもない刺突すらまともに捌き切れずに穴だらけになっていく有り様で。ああ、なのに――

 

おまえ(怪獣)おまえ(怪獣)で、ただオレにぶち殺されるだけの存在であればいい。それ以外に何も求めない」

 

 止まらぬ斬撃が瀑布のように魔晶を切り刻んでいく。

 応じるように百を超える刺突をぶつけているのに、まるで止まらない。千切れ、吹き出し、へし折れているのに猛攻が止まらない。大きさだけでいえば蟻と象が組み合うようなものなのに、その実押しているのは蟻の方なのだ。

 

 わからない。なんだこれは、まさかこれが恐怖。いや違う。全身を駆け巡る、決して悪くはないぞくりとした感覚――底知れぬ訳の分からなさがオーバーランしていく、まさにその時。

 振るわれた一閃によって、完全に粉砕される魔晶の外装。

 

 同時に、魔晶の魂に流れ込んでくる何か――狂念。

 言語を絶する衝撃的な情動が、外装が引き剥がされたことで濁流のように直接押し寄せた。

 

 怪獣の巨大な精神性に割って入るほどの質量を有していながら、不思議とそこには“染める”という意思とは無縁であり。

 殺意と敵意に満ちているのは確かなのに、僅かに感じられる一抹の暖かさ。慈愛とか慰撫だとか、そんな儚く脆いものとはまるで違う。 矛盾しているのに芯がある。不可視の涙に哭き濡れる魔晶の魂に染み込んでいく。

 

「じゃねえと――また、おまえらが雑語り(ポジショントーク)に染められちまう。それはダメだ」

 

 動きが止まった魔晶を突きあげながら、聞き捨てならない言葉を吐かす怪人。

 雑語りだと? 染められただと? 一千年間戦い続けた闘争の化身が、いったいいつ誰のどんな解釈に染められたというのだ。

 許し難い妄言。

 身を削られながら唸りを上げる魔晶の突進を、怪人は真っ正面から受け止めた。どれだけ弱体化してもそれが生半可な威力にとどまるはずがない。刺し貫かれたまま引きずられて、しかし――

 

「ただの迷走を好意的に解釈するな」

 

 下から突き上げる斬撃が、残された胴体を半ばから両断した。

 首だけになって宙を飛ぶ魔晶を、歯を噛み鳴らしながら怪人はせせら笑う。

 

 単にたどり着くべき形を見失ったがゆえに前に進むしかなくなった成れの果ての間違いだろうがよ――どんな言葉よりも雄弁な殺意が、魔晶の最後の拠り所を切って捨てた。

 ならば残されたこの身はなんなのだ。この魂の疼きはなんなのだ。あと少しで、この迷妄が晴れるのか。

 

 己が始まりに抱えたどうしようもない歪みとは、なんだ――?

 

 

「――――――――――――」

 

 

 唐突に、己の過去を想起する。

 

 ただの恒星の躯(ブラックホール)であった己は、そもそもなぜあれほど勇んで神の座に昇りつめねばならぬと焦ったのだ?

 仮初の自我を会得してからの数万年数億年の孤独と苦痛は、己にとって耐え難い責め苦でしかなかった。しかし、そもそもそれを不快とするならば、魂など捨ててただの岩石に戻ってしまえばよかったのに。

 

 それでも自由が欲しかった――いや違う。

 

 それでも確かな命が欲しかった――それも違う。

 

 理由はわからないけれども、定かな存在として新生して、なし得たい祈りがあったはずなのだ。どうにかして届かせたい何か。触れてみたいな触れたいなと、どうしてそんなことを思ったのか。

 

「それが答えだろ」

 

 そうか――ビルサルド。

 

 己が生みだした愛し子であり、己を生み出した憎むべき父。

 彼らをいたずらに苦しめるだけの存在ではなく、明確な意思を持った存在として向き合いたい。憎み憎まれるだけの関係でも一向に構わない。ただ、せめて曖昧な一方通行ではない、確かな形で彼らと決着を――もっと率直に、()()()()()()()()()()()とも言い切れる。

 

 ただ、やり方を過った。

 

 どんな祈りに依るものだろうが、所詮怪獣は怪獣だ。有り体に桁が違う。強大すぎる。

 彼方に祈りを捧げるために身を震わせる。ただだけで巻きあがる殺人的な電磁波がビルサルドたちを威圧して、絶望させ、恐怖させてしまう。

 

 

 要はそれが”違う”ということ――”同じものを愛せず同じものを憎めない”というヒトと怪獣を、いやすべての命を隔てている根源的な業に他ならないのだ。

 

 

 暖を取るために煮えたぎる溶岩に浸かれるはずもない。もちろんそこに慈愛を見出す者など皆無だろう。

 そんなことは最初から判っていて、けれど生まれた時点で巨大すぎる自我を持っていた己はそういうやり方でしか小さき者たちと触れ合う手段を持たなかった。

 ビルサルドたちを怯えさせて、これは違うのだと狼狽すればそれがまたビルサルドたちを煽っていく。

 端からこちらの勝手な目論見なのに、意に反した行動をとる彼らに癇癪を起して……結果として己の解釈に致命的な歪みが生まれてしまった。

 

 おまえたちは当方によって救われなければならない。そこから外れることなど許さない。我が理に吞まれよ。

 それで結果どうなったかなど、語るまでもないことだ。

 これほどまでに切に切にと祈っているのに、目を逸らすとはどういうことだ。

 なんという許しがたい不純。滅ぼされて然るべき不徳。

 こんな脆弱種と己は違うのだと、そう確かめずにはいられない。ならば全ての生命と尋常に向き合ったその果てに、己の正当は証明される。

 

 始まりは、ただ救いたかっただけなのに。

 それなのにどうして――

 

「オレたちは”違う”からだ」

 

 唸り声と共に、魔晶の完全な殺滅に迫る刃。

 

オレ(ヒト)おまえ(怪獣)は同じじゃない。同じじゃなないってことはつまりは”敵”で、救うなんて以ての外だろ。そもそも殺し合う以外に何があったんだよ」

 

 齎される滅びを前にして、魔晶は奇妙なまでに愉快だった。

 ぶれることなき確固たる殺滅の意思。己とおまえは違うのだと怒りをぶつけてくる狂眼はこれ以上にないほどにまっすぐで、曖昧な一方通行などそこには存在しない。

 

 かつてあれだけ希った、どこまでも己を見続けてくれる存在がここにあった。それは決して納得しきれる形ではなかったが――

 

 

 それでもよいか目を瞑る。いっそこれが今際の夢でもかまわない。

 無念と後悔を狂おしく抱えて、しかし何やら満足しながら魔晶は今度こそ無明の暗闇へと溶けていった。

 

 

 

 そして同時に、パネト・ヘイトスピーチ(三枝羽音)は芹沢博士に続いて二人目となる単騎で大怪獣を討伐した人類となった。

 生身で、その純然たる暴力で一〇〇メートル級の怪獣を粉砕したという意味では、知的生命体史上の宇宙開闢以来の大業となるだろう。

 

 そんな称号にはたして何の値打ちがあるかは不明だったが、つまりはそういうことであった。

 

 

◆7◆

 

 

 

 混沌の様相を示す上空であったが、その一方で地上はというと存外静かなものだ。

 

 暴徒は鎮圧され、残された人々も粛々と避難を開始している。しかしこれは収拾がついたというよりは、諦めたというほうが実情に近い。

 もう無理だ、怪獣たちの前では人間なんて端役にすぎない――もはや恐怖や混乱が一周回って、そういう諦めの境地に至っている。身も蓋もなく言ってしまえば、嵐が通り過ぎるまでうずくまって耳をふさいで待とうという心持ちなのだ。

 

 そんなどうしようもなく諦観に満ちた地上にあって、しかし戦慄するほどの迫力を醸し出す男がいた。総身から放たれる狂念の桁は、怪獣と同一となったパネトのそれとすら大差がない。

 

「やってくれたな小娘」

 

 厳めしく呪う、暗い声。誰にともなくそう呟くのは黒木翔。

 

 国会議事堂に特別に拵えられたテラスにて、男は陰鬱な無表情のままじっと上空を睨みつけている。その視界に、逃げ惑う無辜の民など欠片も映っていない。軍属の責務とはあくまで内憂外患への武力対処のみに注がれるのだとしても、いささか無情すぎる態度だろう。

 

 ――しかしそれでも、いやむしろ、それが無関心なだけまだましなのかもしれない。なぜならきっと、彼にとって()()()()()()()()()()()人々の群れなど、もはや皆等しく塵芥でしかないのだから。

 

 上空での攻防の顛末については概ね把握している。

 当面の危機であったスペースゴジラが排除されたことももちろん心得ているとも。まさに誇るべき大戦果だろう。

 ならばなぜ。

 なぜ彼はそんなに怒りを燃やしているのか。

 まさか多少の予定外(イレギュラー)の発生がオキシジェンデストロイヤーの武功に毀損を生んだと癇癪を起しているのか?

 しかしこの現状、それ(イレギュラー)を含めた何もかもが、黒木の望ましい方向に回っているとと言い切れるくらいなのに。

 

 なら黒木は何にそんな怒りを燃やしているというのか。

 

「これこそがゴジラに他ならない、これ以外はゴジラではないと、そんな己の奉ずる解釈を巡って争う私たちこそが、この世界を歪める元凶だと……?」

 

 遠く離れた場所での語らいを、どういう理屈なのか座標を超えて黒木は正確に把握していた。

 わずかに目を閉じてから、やがて喉に引っかかった小骨を吐き捨てるように呟く。

 

「くだらん」

 

 いっそなんの解釈も持たなければ、この解釈違いの苦しみから逃れられると、そう言いたいのか小娘よ。

 確かに世のゴジラへの執着など、どれもこれも雑語り(ポジショントーク)の域を出ていない――なるほど確かにその通りだ、否定はしない。

 だが、しかし。

 

「賢しげにぬかすなよ小娘。そんな理屈はとうの昔に判っている。だが、それでもゴジラを語らずにいられない我らの苦しみを雑に語っているのははたしてどちらなのだ……ッ!」

 

 そんな理屈に振り回される自分たちのほうがよほど被害者だとすら嘯く。

 うっ血するほど握りしめた拳を怒りのままに振り下ろす姿は、控えめに言って狂人のそれと大差ない。戦況報告のためにやってきた下士官たちが、怯えるあまり背後を窺うことしかできないのも仕方がなかった。

 そしてもちろん、そんな若輩の都合を黒木の側から斟酌してやるはずもない。身を捩じって一睨みしてから、入って来いよと無言で促す。

 

「く、黒木特将……オキシジェンデストロイヤーの正常な起動を確認。し、しかし……これは、そのなんと報告すればよいのか――」

「体裁を取り繕う必要はない。ゴジラの動向だけを正確に伝えろ」

 

 苛立ちを隠そうともしない冷然とした声。その剣幕に気圧された青年将校は、堰を切ったかのように早口で語りだした。

 

「ゴ、ゴジラは現在地球軌道圏内から地球に向けて直進中! この速度が維持されたなら、あと三〇分程度で東京方面に着陸するとのことです!」

「そうか」

 

 首を傾げて、少し考えるそぶりを示してから。

 

「特生自衛隊の対ゴジラ強襲部隊(Gグラスパー)を出動させる――スーパーX 4のスタンバイも急げ」

「そ、それは……!?」

「ぐずぐずするな若輩。ここが急場であることが理解できないなら、今すぐここから飛び降りて死ぬがいい」

 

 冷たく気炎を上げる黒木の姿に、体裁をかなぐり捨てて逃げだす若者たち。

 その姿が見えなくなったことを確認してから、疲れ果てたため息一つと共に黒木はよろけるように柵にしがみついた。

 

 ……娘があの怪人に喰われたことについても承知している。だが、それがどうした。分を弁えず戦場に飛び出した愚か者が命を落とすのは古今においてありふれており、あえて今更構うことでもない。むしろこれは、”次”の備えのための必要経費の一環に過ぎないとも理解していた。

 

 そんな風に言い聞かせるその面貌が、その実耐え難い苦痛に歪んでいる事実に彼が気が付くことなどないのだろう。

 だって、()()()()()()()()()()()()()()()()()からずっとずっと、黒木の心は凍りついているのだから。己を顧みる機能など、とっくの昔に失われて久しかった。

 

 怪しく唸るように、あるいは掻きむしるように天に向かって手を伸ばす。

 

「ゴジラ……おまえが()()()()()()()()()()()()()()、私は断じて認めない。なぜならおまえこそが、人類が奉ずるべき絶対で不変の唯一。この宇宙をあまねく照らす漆黒の太陽に他ならないからだ」

 

 ひたすら怨念をぶつけるばかりのようで、しかし同時にゴジラを崇拝するかのような矛盾に満ちた独白。いったい何を言っているのか、その真意はまるで意味不明であったが、それでもわかることが一つだけ。

 

 彼はきっと、どうしようもないほどに、怒り狂っているのだ。

 

 人類が絶対の象徴と信じて戦ってきた魔王の正体が、()()()()()でしかなかったという真実に。

 どろどろと燃え上がる狂気めいた殺意は、まともに直視すれば怪獣だろうが死ねるだろう。

 かつては人類を怪獣の脅威から救ってみせると吠えた俊英の輝きを、その歪に歪んだ魂から見出すことなどできやしない。今はただ、その解釈違いに殺意を燃やす狂人(厄介オタク)の咆哮だけが残されている。

 

 天に釘付けにしていた視線をぎろりと東京湾の方面に移す。どれだけ距離があろうと、その確かな気配を違うことなどありえない。

 まだ戦場にいるのだろう。”■■”と――もう一人。

 共にゴジラに呪われた(祝われた)兄弟よ。

 

「ハルオ・サカキ。貴様は自死という形でこの悍ましき世界法則に意趣返ししたつもりらしいが……しょせん、そんなものは逃げでしかない」

 

 たった今、ヒトがヒトたるものの同一性を捨て去ってまで手にした力で怪獣が滅ぼされた。局所的ではあるが、間違いなくこの世の節理を打ち壊す現象に他ならない。

 よって、この先引き起こされる現象についても黒木は察しがついている。――いや、むしろ彼はそれを狙っていたのだから。

 

 再び黒木が天を仰ぐ。

 同時に、どこからか言語を絶する不吉な響きが木霊した。無機質な電子音が軋りあって悲鳴を上げるような旋律は、森羅万象を嘲笑する唸りに他ならない。

 

「私は違う。この世界を根こそぎにしてでも、必ずやこの狂った解釈を覆してやると誓ったのだ。来るがいい、虚空の王――殺滅してやる」

 

 

 そしてその地獄的な宣誓に応じるように。

 

 

 

 

 

 黄金の終焉(キングギドラ)が高らかに、滅びの翼を天に広げた。

 

 

 

 

 




【後書きという名の言い訳】
 こうありたいなぁと思ってなかなか実現できていない個人的ルールみたいなのがあるんですが、

「自分の創作物内の表現で、それがどんなものであれ現実に存在する団体や特定の思想を攻撃しない。するにしても作中内でできるだけカウンターを用意してバランスをとる」というものがあります。
 現実のやり取りにおいては発言者との関係性や表情や声音といった属性が選り好みずされず受け手に届きますが、むしろその情報量がある種のフィルターとしての働きをはたしてくれるわけです。だからどんな酷い侮辱的・差別的発言だろうと(〇〇信じてるやつはバカ、とか)、受け手に与えるショックは多少なりとも和らぐんですよ。……まぁ面に向かって言われるからこそ傷つくこともあるけどな!

 ところがそれがテレビやラジオ、Twitter等と提供される情報量がどんどん限定されていくと話は変わってきて、そのフィルターがどんどん取っ払われてしまう。感情の原液のみが抽出されていき、受け手の心になんのクッションもなしに届いてしまう。咀嚼の余裕を与えてくれないから、それだけショックも受けやすい。だからこそネット炎上とかが引き起こされるわけですが……

 そしてその最たる例が、創作物だと思うのです。
 こちらが意図した通りの衝撃を与えたいがために、読者に与える情報を恣意的に選別して提示する。フィルターがないどころかブースターをつけて読者のショックを積極的に煽りまくる。
 だからどっかのタレントがテレビで「〇〇信じてるやつはバカ」って言うのと、選び抜かれたパーソナリティ「のみ」を有するキャラに同じこと言われるのじゃ受ける衝撃が全然違う。
 逆に言えば、そのラインのコントロールに優れた作家ほど評価が高いわけですね。

 もちろんその配慮をどの程度優先するのかは人それぞれですけど、僕はメチャクチャ気にするタチなんです。



 ……前置きが長くなりましたが、要は今回の話ってそのバランス感覚に欠けてねえかなという点が多すぎやしないかと。

 ゴジラ作品に何を見出すかはファンそれぞれ。

 確かにそれが原因の解釈違いで界隈が荒れたりすることはしょっちゅうです。けれどそれはむしろ争ってしまうほどに、各々のゴジラ像をみんなが宝物のように大事にしているということではないのかと。
 「あんたのゴジラ像はムカつくしゴジラに対するスタンスも腹立たしいからDisりあう」
 僕はゴジラファン(界隈)のそうした姿勢を、冷笑的に否定はしたくないのです。そりゃ好ましくはないけれど、せめて僕だけは暖かく肯定したい。そもそも否定できる立場にはないと思うので。

 一方的に上から目線でその風潮を悪し様に断罪するだけじゃダメだろと思うからこそ、もっと今回の話ではパネトの極論の気色悪さみたいなものをもっと深堀りして描きたかったんですがそれもうまくいかず……
 一応カウンターとして黒木の描写を加えたのですが、なんか厄介オタクの妄言みたいになってしまってむしろパネトの極論を補強するような具合になってしまい。

 不快に思う方がいたら申し訳ありません……長々と失礼しました。


 感想もどしどしお待ちしております。
 わりといただいた熱い感想のテキスト内からアイデアが生まれて文章に生かすってことが多いので、今後も感想お気軽に投げていただければと思います。
 特に、今回のパネトの長文ペラ回しはいただいた感想から凄まじい影響を受けてます


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 黄金の終焉-前編◆

 ネット小説で心がけるべきものは何よりも「速筆」だと思います。
 
 文章がどれだけ乱れたとしても、週一更新くらいがベストでしょう。
 時間を空けるほど以前の話を執筆したテンションを忘れてしまい、一回クールダウンを挟んでしまいます。
 作品の出来に恥ずかしくなってしまうのは勿論、更新のたびに意欲がリセットされることで毎回違う姿勢で執筆に挑むはめになる → 話ごとに空気感が変わる → 全体の構成が荒くなるわけですね。
 一話に一万文字以上かけるタイプなんかもう致命的。長編小説連載なんて望むべくもない……ん?

 (´・ω・`)
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
  \/     /
     ̄ ̄ ̄ ̄
「殺滅のソテイラ」
前回更新:2021年08月22日
平均文字数:12,572文字

 (´・ω・`)
_( つ ミ  バタンッ
  \ ̄ ̄ ̄\ミ
     ̄ ̄ ̄ ̄



 

 ヒトが怪獣を喰らうとは、はたしてどんな意味合いを持つのだろう。

 

 言葉にするだけなら簡単だが、実現するかなど万に一つの戯言以下だ。

 ヒトにそんな機能はないというのが大前提で、まず質量というものが違いすぎる。仮にその障壁を乗り越えられたとしても、次に待ち構えているのは主導権の奪い合いだ。もちろん怪獣の巨大すぎる自我にヒトが敵うはずもなく、あっさり競り負けて塗りつぶされるのがオチだろう。

 

 しかしであれば、”これ”にどう説明つけるべきなのか。

 

 スコップ状の大剣を肩に担ぎ、宇宙空間に凝然と立ちはだかる灰色の少女。底知れず沸騰していくどす黒い存在感と、星すら八つ裂きにする地獄的な禍々しさ。あのスペースゴジラを真正面から斬殺するという超常の武功を成し遂げた女怪、パネト・ヘイトスピーチの姿がそこにあった。

 

 こんな狂った振れ幅がありえるのか。

 かつてはガバラ如きに手こずっていたことを鑑みるならまさに別次元、核爆発のような異形の超進化だ。しかしそれを差し置いてもっと度し難いのは、彼女が自我を保っている点である。

 

 肉体の崩壊や依代の喪失により、モスラもバトラもその霊格を大幅に低下させていたのは確かだろう。しかしそれを加味したところで、ニ柱が魔王に匹敵する大怪獣だったことは変わらない。そんな巨大な魂にヒトが触れてしまえばどうなるかなど語るに及ばず。矮小な自我など刹那で砕けて、狂死するのは避けられまい。

 あくまで“これ”が力任せな下剋上よりも、互いの欠損を埋め合わせるための折り合いという体裁を取っていたのが功を奏した一面もあるかもしれないが……素直にどうかしていた。

 

 祈りや献身によって力を借り受けるというレベルならともかく、怪獣との完全な融合や力の簒奪など先例にない。

 

 もちろんその試み自体は、数えきれないほどあったのだろう。

 例えば、()()()()()()()()()()ビルサルドを名乗る知的生命がそれに挑んでいて――そして失敗している。それは機能や質量の問題ではない。もっと根本的な、信念自体の瑕疵ゆえにだ。

 怪獣に打ち勝つことを望むのなら、種としての限界を超えて怪獣そのものにならねばならない――なるほど彼らの主張の筋は通っている。しかしそれはまっとうの裏返しでしかなく、もっと言うなら()()()()()()

 

 因果や理屈を超えた彼方で爆発をくりかえす混沌こそが怪獣なのだ。勝った負けたなどと語る時点であまりにその理解が浅く、生の肉体を軽んずる狂気などでは入口にすら立てていない。

 

 ならばこそ、問わねばならない。

 彼らに無理で、彼女にできた。そこを別けた根拠とははたしてなんなのか。

 

「決まってるだろう」

 

 滅び去っていった名前も知らない雑魚どもと、このオレを雑に一緒にするんじゃねえ。

 胃袋の中から喚きらす何者かの声に応えるように、鼻を鳴らしながら大剣をぶぅんと振るった。

 人の姿形にまで留めるために極小点にまで圧縮されていた破滅的なエネルギーが一瞬だけ解かれ、わずかに漏れ出した灰色のオーラが鱗翅目の翼のように四方に広がる。これはつまり、少女が怪獣の力の一部を借り受けているわけではなく、あくまで力の主体はパネトが握っていることを物語っている。

 

「オレはオレだ。そんなオレにできないはずがない」

 

 つまりは、そういうことであった。

 どれだけ小手先の理屈を並べても、周到な前準備を重ねたとしても、怪獣に挑むことが最後は無謀な賭けなのは変わらない。しかも最終的に己が主導権を握った形でともなれば、その見込みは天文学的数字の向こう側だ。人が壁に向かって走っていき、そのままするりとくぐり抜けるという量子的確率よりもはるかに低い。

 しかしその天文学的無謀を()()()()()()壁に向かって突撃する狂気だけが、怪獣の魂を惹き寄せることができる。

 

 機能の有無? うるせえ死ね。

 質量の障壁? 知るかよ邪魔だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()。怪獣という圧倒的な個我の混沌を押しのけるための狂気(キャラ)の桁が、名もなき敗北者たちとは端から違う。

 

「一緒にするなよ雑魚どもが。あれやこれやと小賢しく理由付けしているが、要はてめえら、怪獣に掛ける自分の解釈に自信がないだけなんだろ?」

 

 そもそも大事なものを貫くために、大事なもの以外を諦めるなど大前提。生の肉体を切り落とす狂気など安すぎる。みんなの命を差し出す覚悟など準備体操ですらない。

 捧げるというなら、もっともっと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()という神がかり的な本末転倒が必要だ。

 

 オレとおまえが違うからこそ滅ぼすなどと謳いながら、振るっているのは怪獣を喰らって手に入れた力。その矛盾は承知の上でしかし彼女に躊躇はない。破綻を承知で突き進むヒトの愚行こそ、怪獣に奉納される神楽に他ならないのだから。

 だから今は、そんな己の惨めさ愚かさどうしようもなさを、殿上から見下ろしていればいいと含み笑う。

 

 なぜなら彼女もまた黒木翔と同じように、この先に引き起こされる事態を察していた。

 

 そうだ、来る、来るのだ。

 崇め奉るべき怪獣という荒神が、ヒト型種族の凶念ごときで支配されてしまったのがその証明。上下の階層というものが狂い始めたことで、彼我の境界線が死に始めている。

 だから、間違いない。じりじりと脳髄が焼かれていくようなこの不快感。言葉で説明できるものではなく、しかしどんな算数的なものよりも明確だ。

 

 ”アレ”が来る。

 また”アレ”が現れる――既知の常識というものが、信じていた解釈すらも無情に変転していく地獄的な黄金が。

 

 だからこそ、黒木翔が動いたのだとも承知していた。言葉も届かない、遠く離れていてもその意図するところは明白。

 

「今だけは、おまえの絵面の上で這いあがいてやるよ。テメェの娘を喰らった借りもある」

 

 狂猛に唸りを上げたその瞬間、彼女の超感覚が一つの巨大な存在を察知した。

 地球に向かって突き進む、宇宙の暗闇を喰い破るような漆黒の流星。

 音速の億倍で猛進するそれを、しかし今のパネトの眼球が見落とすことなどない――禁断の兵器(オキシジェンデストロイヤー)の確殺の一撃を受けてなお駆動を続ける暴の化身。地球生命のすべてを魅了する威容を目の当たりにして、しかし少女は見ていられないといわんばかりに首を振るのだ。

 

「一撃で星を砕く膂力だの恒星を上回る灼熱だの……浅いんだよ。んなもんただの設定じゃねえか。誰かの匙加減や流行に気軽に左右される、そんなおまえでいいはずねえだろ。ゴジラ、ゴジラ……おまえはもっと……」

 

 怒っているのか、あるいは嘆いているのか。俯き顔を覆い隠した灰神楽が、やがて宇宙引き裂く二枚翼にまで収束していく。

 宇宙の暗闇を轟々と渦巻かせながら、怪人はゴジラを追うように地球に向けて飛翔した――

 

 

 

 

 

◆1◆

 

 

 電気もガスも未だに復旧しないし、外部との連絡は遮断されたまま。指揮系統すら判然としない以上、状況の好転など望むべくもない。

 しかしそれをさておいて俺はというと、深く息を吸ってから。

 

「――このまま環状線に沿って進めば、もうすぐ避難場所の芝公園に到着します! 必ず救助は来ますから、冷静な行動を心がけてください!」

 

 避難民を誘導しながら大通りを練り歩いている最中だった。

 

 格好つけの自覚はあるが、それでみんなの鎮痛な表情が明るくなるなら、俺の気分も上向くというもの。

 最後尾の遅れを気にしながら額の汗を拭っていると、横からハルオがなんとも苦笑気味に近づいてくる。物言いたげなその表情。言わんとすることはわかっているとも。

 

「暢気すぎるって言いたいんだろ? わかってるよ」

 

 俺たちを置き去りに斜め上に突き抜けていく状況――気がかりは、それはもう山ほどだ。

 

 モスラとバトラによる謎の共鳴現象に、頭に響いた少女たちの声。あのおぞましい灰翼も戦いに介入したなら、戦いの行末は如何に……いやそんなことよりも、オキシジェンデストロイヤーだ。

 

 芹沢博士が自ら命を絶ったことで、人の手から永久(とわ)に失われた禁断の兵器。吹かしとしても笑えない、どうしてそんな代物を特生自衛隊が有している。

 いやそもそも、この三〇年に及ぶ世界の停滞とは、ゴジラを確殺する手段を人類が持ち合わせないがゆえではなかったのか?

 その前提すら偽りだったとするならば……まるで世に信じるに足るものなどどこにもないと突きつけられているかのようで。

 

 ああけれど、だからこそ、”それ”に縋りたくなるものもわかるのだ。

 

「――おまえも察してるだろうが、戦闘は概ね終了したはずだ」

 

 ハルオが夜空を鋭く睨め上げる。

 押し殺すような怪物的存在感の消失については、俺もまた肌で感じていた。魔王と魔晶、はたして生き残ったのは……断言できることなんてないはずなのに、どうしてか一つの確信が込み上げてくる。

 

「……ゴジラは生きてる。きっとまたすぐに俺たちヒトの前に姿を現す」

「その通りだ」

 

 どれだけ受け入れがたくとも、俺たち人間にとってやっぱりゴジラはゴジラなのだ。

 

 あのゴジラが敗けるところなど、いやましてや死ぬところなど想像したくもない。愛憎入り混じった執着をゴジラに抱くVS世代の老人たちの気持ちが、今ならよくわかる。

 

 結局、俺も同類なのか――込み上げる悪寒を振り払うように首を振った。

 

 今後の見通しなんて立たずとも、真実は黒木翔が握っているという確信がある。

 同時にこの無力感や焦燥感も、裏で蠢く輩に目に物見せてやるという憤りへと変わっていった。

 やりたいようにやってやるよ。そんな開き直りの衝動に身を任せて、気が付けばハルオを伴って脇目も降らず走り出していた。瓦礫を押しのけ、倒れ伏す人々を助け起こし、助けを呼ぶ声を捜して駆けずり回る。それがどれだけ悠長で短絡的かは承知の上で、しかしそこに迷いはない。

 

 だって――怪獣の恐怖に心を折られて、誰もが鎮痛な趣で俯くばかりだったから。

 パニックや暴動の類はいつの間にか治まっていたが、こんなものを事態の収拾などと呼んでいいはずもないのだ。

 

 そうして気づけば俺の後ろに人々が列をなしていて……後方にしみじみとした視線を投げるハルオ。

 

「沈痛な趣で街を彷徨うしかなかった人々が、今はおまえの背中に救いと希望を見出している。流石だな、ものの数分走り回っただけでこれだけの大名行列になるとは思いもしなかったぞ」

 

 そんな風に持ち上げられても、正直居心地悪さしか感じない。なにしろ全部やけっぱちのモチベーションだ。

 力仕事を全部ハルオに任せるに飽き足らず、あれやこれやと指図しつつ後ろでオロオロしていた始末だ。自虐はやめると約束した手前、いじけた自嘲は憚られたが……

 

「そりゃあ俺もなにかしらの一助にはなれただろうけど……上から偉そうに踏ん反り返ってた奴よりは、現場で汗を流した奴こそが報われるべきだろ」

 

 結局はそんな拗ねた言い回しにしかならない。

 俺が理想とする政治像がそういうものである以上、まったくの取り繕いというわけでもないが。

 

「自虐の類をそのまま口に出さなくなっただけでも成長したというべきか」

「……それはよかったよ」

 

 もちろん、そんな誤魔化しがこいつに通じるわけもなく。

 

「自虐にしろ弱音にしろ、要するにおまえ自身の願望や自己弁護の裏張りだ。ひっくり返せば、内心で欲しがってる言葉にすぐ辿り着く」

 

 要は慰めてほしいんだろ。

 あまりに図星に刺さったものだからとっさに言い返してやろうとしたけど、制するように(かぶり)を振るハルオ。

 

「正直、口を挟むべきじゃないと思っていたし、今だってその資格はないと考えている。それでも、俺を友と呼んでくれた男が、かつての俺と同じ過ちを犯すのを良しとするほどできちゃいないからな」

「ああ?」

 

 相も変わらず意味の分からない独白。こんな時におまえは何を言いたいんだとうんざりしながら向き直るが。

 

「気をつけろよランドウ。“■■”ってのは隙を晒しちゃいけない。なにしろ――」

 

 黒く塗り潰されたその単語だけが、まるで靄がかかったかのように不思議と聞き取れず。はてなと首をかしげたその時だった。

 

「あの、自衛隊の方……ランドウさんと言いましたか」

 

 背中越しに届いた声に、慌てて俺は居住まいを正した。振り返れば子供を傍に抱き寄せている心細げな女性が一人。

 集団から一歩前、俺のすぐ後ろに立っていた。

 

「今は芝公園に向かっている最中とのことですが……」

「はい、この近辺の広域避難場所にも指定されていますから」

 

 こういう災害時における一時避難場所に求められる要素とは、人が集まる十分なスペースおよび可視性を確保できること。しかし、

 

「素人意見で申し訳ありませんが、その、やはり隠れ潜むことのできる場所のほうが望ましいのではないのでしょうか。例えば地下鉄とか……付近には地下シェルターもあると伺っておりますし……」

 

 なるほど懸念はそれか――後続に並ぶ人々も、気がかりそうにこちらを伺っていて。

 さてどう答えるべきなのか。包み隠さず実情を伝えるのは憚られるが、かといって巧い言い回しなど思い浮かばず。

 

「――可能な限り怪獣から身を隠したい。視界に入ることすら恐ろしいという気持ちは理解できますが、それは怪獣に対する認識があまりに浅い」

「お、おい……!?」

 

 突としてハルオが口を開いた。

 

「地下が安全などというのは、あくまで常識的な災害や戦闘行為を想定したものです。

 隠れ潜むとは、逆に言えば逃げ場がないということ。怪獣どもが火を吹けばそこに煙や火砕流が流れ込む。それに備えて入口を塞いだところで、次に待っているのは壊滅的な熱量による蒸し焼きだ」

 

 前置きもなく、淡々と。まるでそういう事例を知っているかのように。

 

「そもそも怪獣が大地を踏み抜く動作だけで、核ミサイルの着弾に匹敵する破壊力が生み出されるのです。地下シェルターなど周回遅れの備えに他ならない」

「そんな……」

 

 つまり隠れ潜んでやり過ごすという発想自体がナンセンス。どうせなるようにしかならないのなら、せめて救助される一分の可能性に賭けたほうがマシなのだが、いくらなんでも言い方に配慮が無さすぎる。長らく怪獣の脅威から切り離されたがゆえの不覚語をあげつらうなど、今すべきことではないだろう。

 

 列なす人々を不乱に見つめるハルオの眼差しに、俺は困惑するばかりだ。フォローも言葉が咄嗟には浮かばないし、その余計な沈黙がまた人々の不安を煽ってしまう――そんな時。

 

「大丈夫だよ! きっとまた、誰かが助けてくれるもん!」

 

 底抜けに明るい、朗らかな声。

 見れば、先ほどの女性に抱えられていた少年が満面の笑みを浮かべていて。慌ててあやそうとする母親に構わず、熱のこもった口調で続ける。

 

「怖くて震えてた時、僕ずっと信じてたんだ。きっと、仮面のヒーローや銀色の巨人が助けてくれるって。そしたらお兄さんが来てくれた! 僕分かったんだ。きっと、お兄さんがそのヒーローなんだよ!」

「お、俺が……?」

 

 戸惑いを覚えるほどの無垢さ。まるで沈痛な雰囲気で黙り込む大人たちこそが間違っているかの如く快活に。

 

「それに、正義のヒーローはお兄さんだけじゃないしね。

 学校でも習ったよ! ゴジラがいる、きっとあの悪者怪獣をやっつけて、僕らのまえに現れるんだって――!」

 

 ”ゴジラ”

 

 あえて話題にすら挙げていなかったその忌むべき三文字。

 刹那、湧き上がるような歓声が爆発した。

 

「――そうだ、ゴジラ! ゴジラだ!」

 

 少年の言葉を皮切りにして、いつの間にか輪をなすように俺たちを囲んでいた人々が騒ぎ立て始めた。唐突すぎる変転に、どういうことだと息を呑む。

 

 ……ゴジラが人類にとってのヒーローだなんて言葉を真に受けたわけではあるまい。そんなもの、ゴジラに打つ手なしの現状へのごまかしにすぎないことは大人なら誰しも察していることだ。

 

 ならばなぜ、どうして。

 

「そうだ、()()()()()()()()()!」

 

 熱に浮かされて騒めく様。

 やがて徐々にだが、理解が追いついていく――俺にとってはとても受け入れがたい、その歪な構造に。

 

 彼らが真に恐怖するのは、命の危機よりも理解が及ばない現状そのもの。けれど、ゴジラの存在を確と思い出したから。

 アレは確かに破滅もたらす危険生物だが、もたらす結果は常に明快で、正体不明とは程遠い。よって逆説的に怯える必要がないという捻じれた理屈。つまり彼らはゴジラという、より大いなる災厄を自ずから見出すことで、目の前の危機から目を逸らしているのだ。

 

 人知の及ばぬ怪物を通して精神を安定させる、()()()()()()()()()光景に湧き上がる冷たい感覚。ゴジラゴジラと狂って沸き立つ無辜の民に、俺は理解の及ばぬ異形を見出していた。

 

 鬱しているよりはるかマシとしても、どうしてこんなものを健全と呼べる?

 

 後から思えばその時の俺は、ヒトとゴジラの忌まわしい信頼関係にたどり着いていた。

 どんな正道もいくらでも逆張りできる頼りない世界だからこそ、()()()()()という(よすが)を希うのだ。問題なのは俺たちは、よりにもよってゴジラに”それ”を見出していることで。

 

 ふざけた解釈である――常日頃から憎い憎いと言いながら、まさか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼らが述べる感謝の言葉と向けてくる視線に、わけもわからず身震いする。まるで俺が()()()()()()()()()()()()()不吉はなんなのか。

 

 そうして立ち尽くすばかりの俺を、どこか哀しげにハルオが見つめていた。

 

 なあ薄々感づいてはいたんだろ。おまえが本当に戦わないといけない”敵”とは、そもそも怪獣などではなく――

 

 熱に浮かされたように誰かが唱和する。

 

「怯え震えるしかなかった中で、あなただけがなにかに守られ導かれるように私たちの前に現れた! そうだランドウさん、あなたこそが私たちにとっての”■■”だっ!」

 

「――――――――ぁ」

 

 か細く、潰れたような情けない声が漏れ出た刹那。

 

 

 

『――ゴジラだ!』

 

 

 

 刹那、俺たちの意識は、否、関東圏内に存在するすべての知的生命の意識が、ある一点に向かされた。

 

 

◆2◆

 

 

 スペースゴジラは滅んだ。

 地球の平和は守られた。

 

 ならばすべてに収まりがつくかというとそうではなく、むしろここからが本番だった。具体的にいうなら主役(ヒーロー)の不在。

 とどめを刺し損ねたとはいえ、ゴジラこそが魔晶打倒の最大の立役者。命懸けで地球を守りきった王者が、なのに凱旋もまだなど収まりが悪いにもほどがある。

 

 よって動乱の中にあって、世界は(ひとえ)に待ち望んでいた。

 

 この星がおまえ(魔王)に支配される牢獄であろうと一向に構わない。だからせめて頼むから、常勝不敗の怪獣王――絶対で不変の唯一よ。この星を統べる偉大な象徴として在り続けてはくれないだろうか。その言祝ぎをもって、この混乱は終息を見る……

 

 その救世主とやらを背中から狙い撃った事実を忘れて、人間たちは恥知らずに咽ぶのだ。

 

 必ずしもその無恥なる祈りに応えたわけではないだろうが、やがて怪獣王は宇宙空間から帰還する。

 始めの内は大気との摩擦で全身を真っ赤にさせながら、隕石のような勢いで背中から真っ逆さまに。やがて滲み出す意思の噴流が重力を融解させて、逆噴射の要領で減速していき――どうということもなくあっさりと、禍乱の喧騒などなかったかのように。

 風一つ波一つ立てることなく、巨体を感じさせない風情でふんわりと魔王は東京湾に着水した。

 

 接近の一報をキャッチしていた自衛隊の面子はもちろんのこと、それを間近で目撃していた避難民も含めて、不思議とそこにどよめきは皆無だった。

 

 なぜならこれは、主の帰還。

 あるべきものがあるべきところに収まっただけだから殊更に騒ぎ立てるものではないのだと、理屈を超えて納得したからこそ静かに受け止められる。誰もが固唾を呑んで見守るのは確かだが、そこに畏れはあっても恐れはない。

 

 どこまでも凪いだ海面に突き出た、島のような巨体。

 ぼんやりとした月明かりくらいしかないから、その姿を具に窺うことなどできやしなかった。けれど、だからこそなのか、王冠(背鰭)の淡青はまるで抜き身の刃のように美々しく映えていて。消耗の影は見られるものの、その眩き蒼きに曇りはない。

 

 ……そうしてどれだけの間じっとしていたのか、やがて巨躯が唐突に前傾した。横たえるようにしてその上体を水面に潜らせる。

 

 巨波を分けると共に寄せて返す波飛沫が、表皮に打ち付けられた途端に雲となって立ち込めていく。朧に青く照らされたそれが後方に流れていく様は、いっそ地獄的に美しい。

 

 コンテナ埠頭を横切って、レインボーブリッジとりんかい線を潜り抜けて。そぞろ歩くように移動する影が、どんどん陸地へと近づいていくのだ。

 具体的には、それはまっすぐ直線上に国会議事堂が臨める位置で。

 

 

 やがてそうして、その一歩がついに港区海岸の埠頭に踏み出された。

 

 

 

 

 有り体に語るのなら、それはおよそ三◯年ぶりとなるゴジラの日本上陸であった。

 

 

 

◆3◆

 

 

 

 

 

 子供の頃、その巨躯に神を見たとなぜか誇らしげに語る先人たちを、訝しく思ったものだった。

 

 確かに、その一◯◯メートルというサイズは脅威だろう。しかし競り合うように超高層建築物が並び立つ今日この頃にあっては、その巨躯とやらもいささか見劣りするのは否めないのではなかろうか。

 

 怪獣の脅威とはあくまでそのエネルギー量こそだ。山を崩して森を拓く文明人が、それを差し置いてサイズに圧倒されていてどうするのだ。

 有り体に言えばそういう疑念で、それはつい先刻あのスペースゴジラを目の当たりにしてさえも拭えていない。

 

 もちろん距離が隔てていたのもあるが、やはり印象に残ったのはなによりその”力”だったから。

 腕の一振りだけで山を消し飛ばすこの破壊力を間近にしながら、図体ばかり物語る先人たちこそ、その本質から目を背けているとさえ思ったが。

 

 

 ――それがどれだけ愚かしい勘違いだったのかわからされた。

 

 

 存在するだけでこの世の理を乱す不自然さの塊が、しかしなんら憚ることなく東京の街を闊歩している。ただ大地を踏み抜く所作だけで周囲の建造物が倒壊する様はなんとも馬鹿馬鹿しく、いやいっそコミカルですらあった。彼我を隔てていた遮蔽物が崩れさり、遠く朧げな光がその輪郭をなしていく。

 

 あれがゴジラか。

 あれがゴジラでなくて、なんだというのだ。

 

 一◯◯メートルというサイズが街中では埋没するだと? 誰だそんなことを考えていた愚か者は。

 先人たちが讃えていたのは”これ”だったかと、遅ればせながら納得する。

 

 これこそ地上生命すべての生殺与奪の権を握る地球の盟主に他ならず……隔絶した異界法則の権化という点ではスペースゴジラと同じだが、破壊をまき散らすだけの程度の低さなどまるでそこには感じられない。魔王と魔晶の格付けは、魔王に軍配が上がったと疑いようもなく確信した。

 

 

 

 ――これこそが怪獣王、ヒトが神を見出し祈りを捧げる瑕疵なき器。

 

 

 

 東京の命運は奴の気まぐれ次第とわかっていながら、俺はその痛ましい姿から目を離せないでいた。

 

 いずれの四肢も半ばから骨と化し、王冠(背鰭)の大半は溶け落ちていて。黒鉄の表皮はまだらに爛れ、身じろぐたびにその傷口から血肉や臓腑が汚液のように漏れ出す有様だ。

 数キロ離れていても具に見て取れる満身創痍。怪獣王をこれほどまでに追い詰めるものなど、それこそ禁断の兵器(オキシジェンデストロイヤー)以外にありえない。

 混乱に乗じた霊長の不意打ちは地球の盟主に確かな損傷を与えたようだが、殺しきるに至らなかったようで……嗚呼最悪だ。これでは眠れる獅子を叩き起こしたようなものではないか。

 

 なんてことを仕出かしてくれたのだ黒木翔。ゴジラがこれから東京の街でなにを為すかなど、火を見るよりも明らかなのに。

 

 しかし怯えるがゆえ立ちすくむのかというと、そうではなく――

 

「ゴジラ……?」

 

 恒星に匹敵する熱量が、煮え滾りながら東京の街に直立している。けれども、なぜかその姿から一筋の怒りすら感じられないのだ。嵐の前の静けさというけど、月光に照らされた朧な蒼光は清廉で、どこまでも透き通るように凪いでいた。

 東京をまとめて地ならしできる豪壮な足を、腰掛けるようにゆるりと降ろす。ビル街の隙間を縫うように歩を進める姿は、まさか人類の営みに配慮しているのか。

 いずれも俺の知る怪獣の振る舞いからはるかに遠く、ゆえにどう対処するべきかまるでわからない。自分の気配を殺そうと必死に息を殺し、そのくせ環状線のど真ん中で呆然と立ち尽くしていた。

 

 はたしてどれだけ時間が経ったのか。

 やがて、ゆっくりと。ほとばしる圧倒的な存在感とともに、巨躯が闇を分けながら目の前に現れた。瞬間、総身が粟立つとともに網膜が沸騰する。

 

 凝縮された宇宙ともいうべきものが手足を生やして立ちはだかっていた。

 生涯で経験してきたすべてを差し置いて、それは究極的だった。

 

 ありったけの暴を煮詰めたような漆黒の体躯。燃え立つ覇気で縁どられた面貌の、嗚呼なんと凄絶なことだろう。まさに猛り狂う仁王、いや悲嘆する菩薩だろうか? 言語を絶する底知れなさは、人智というものを超えている。

 

 なにもかもがありえないくらいに素晴らしすぎて、こんな美しいものに滅ぼされるならそれも仕方がないなんて馬鹿なことまで考えていた。

 

 不思議な沈黙を保っていたゴジラだが、やがて唐突にその視線を伏せる。

 左右に揺らめく巨大な眼球は、まるで()()()()()()はじめて目にしたであろうヒトの営みを確と見分するかのようだ。

 思わずよろけてしまった俺を後ろに下げて、ハルオが庇うように立ちふさがる。

 

「……久しぶりだ、破壊の王」

 

 呟くような声にはすぐに気が付いたけど、反応する余裕なんてなかった。喉から呼吸の機能などとうの昔に失われていた。己の心臓の脈打ちすら圧倒的な恐怖だった。ややもすると失禁さえしていたかもしれない。

 

「昔は憎い憎いと目を曇らせてばかりだったが、ここまで様変わりすればさすがに俺も頭も冷える。今なら、おまえを慮れる余裕もなくはない」

 

 人々に注がれる視線は放射線の地獄めいていて、そのとてつもなさに誰もが半ば発狂する。

 けれども、嗚呼――()()()()()()()()()()()()()()()に、やはり破壊の意思など見られない。なにもかもが神がかりに意味不明な中で、この上陸はヒトの卑劣に王の裁きを下すものでないとだけおぼろげに直感した。

 

「嗚呼、しかしだ。少しだけ手心を加えてくれないか。こいつはまだ取り返しがつくんだ」

 

 刃のように張り詰めた空気の中、灼けついた脳髄がついに前後不覚な金切り声を上げる。

 なにかを探し求めるかのような双眸が、ついに俺を捉えて静止した瞬間だった。 

 

 

 風切る音と共に、巨躯にミサイルが突き刺さったのは。

 

 

◆4◆

 

 

 驚異の隠密性がもたらす前触れのない奇襲を十八番とするゴジラが、不意を突かれ続ける事態をどう解釈するべきか。それも、たかがヒト如きに。

 

 さながら怪物の心臓に打ち付ける銀の杭のように、地平線の彼方から唸りをあげてゴジラに叩きこまれていくミサイル群。

 爆発よりも貫通に比重を置いた円錐状の鋭いフォルム。フルメタルミサイルの名を冠する特殊徹甲弾は着弾のたびに飛瀑のような衝撃波を発生させるが、その特性上、周囲にもたらす破壊は最小限に抑えられる。

 これが一向に進まない東京の避難状況に配慮したものかというと、そうでないことは続く第二陣から明白だった。

 

 貫通した杭によって地面に縫い止められたゴジラだったが、次瞬、大爆発を引き起こすその血肉。

 スパイラルグレネードミサイル――かつて魔晶の両肩を粉砕した決殺の弾丸が、雨霰となって魔王の身を呑み込んでいた。数にして一千発以上、並みの怪獣なら秒と持たぬ集中砲火である。

 咆哮と共にすぐさま身を起こしたゴジラは流石だったが、今度はその口腔内に飲み薬と言わんばかりのカドミウム弾道弾が直撃。さしものゴジラもこれにはたまらず、血反吐混じりの硝煙を吹きながら倒れこんだ。

 

 同時に、逸れた砲弾が流れ弾となってあらぬ所に跳弾する。周辺の建築物を枝葉のように消し飛ばし、爆風と破片の渦は居合わせた避難民を無慈悲に呑み込んだ。あっさりと、それがあまりにあっさりすぎたものだから、誰もが声も出せずに立ちすくんでしまう。割れるような悲鳴が数秒遅れで地鳴りのように轟いた。

 すべての民間人が危険区域から脱しない限りは避難活動が優先されるはず――俺のそんな甘い見込みは木端微塵に砕け散った。

 これほどの破壊を平然と行う戦闘集団など、それこそ”赤イ竹(レッド・バンブー)”くらいしかありえない。けれど救いがたいのは、”これ”を実行しているのが()()()という事実である。

 

「あれは……」

 

 昇る朝日を背景にして、海の彼方からぐんぐんと近づいてくる機影。

 白む空に浮かぶのは、怪鳥を思わせる特徴的なシルエット。神話のイカロスを思わせる有翼のロボット兵団が、一糸乱れぬ戦列歩兵を展開していた。

 

「スーパーXIV――!?」

 

 スーパーX――陸上自衛隊がかつて開発したという重装甲戦闘機群。

 経緯こそ異なるものの、いずれもゴジラ相手に成果を上げた数少ない対G兵器である。まさに人類にとってのなけなしの栄光だ。その純後継機たるスーパーXIVは未だ開発段階と聞いていたが……。

 

 いや、待て。

 

「じゃあこの軍事行動は特生自衛隊(正規軍)の――黒木翔の手によるものなのか!?」

「驚くほどのことではあるまい。黒木翔はこの局面で後先考えずオキシジェンデストロイヤーをぶっ放す狂人だぞ? その虎の子の一発でゴジラが仕留めきれなかったとなれば、面目もなにもあるまい。功を焦った大攻勢に出るのも尤もだ」

 

 膝から崩れるゴジラを俯瞰するように上空を旋回するスーパーXIV――その数、九。サイズ比で言えば大人と赤子のようなものである。

 どす黒い噴射をバーニアから走らせながらゴジラにまっすぐ砲門を向ける様に、正気なのかと息を呑む。

 

 逃げ惑う民間人に構わず火蓋を切り、平然と彼らを巻き込むその非義非道。ゴジラ討滅の大義の下でも許されるはずがなく、国家秩序への反逆ですらある。

 いやそもそも、相対した時点で「詰み」を意味する絶対的存在こそがゴジラだろう。やつの顔色を窺いながらこの三〇年間息を殺して生き永らえてきた俺たちが、どの面下げてそれに()()()というのか。

 

 しかしそんな俺の危惧をあざ笑うかのように、戦況はまるで予期していなかった様相を呈していたのだ――

 

 ぬらりと立ち上がるゴジラ。

 魔晶戦の消耗、そしてオキシジェンデストロイヤー直撃による負傷――ダメージ量の蓄積は尋常でないことは明らかだ。よって事実上、その最も重きを置く熱線攻撃の使用は制限されていた。しかしそれはゴジラの打つ手なしを意味するわけではない。なぜなら、ゴジラには三〇年に及ぶ闘争の中で身に着けた多彩なアビリティがあるのだから。

 プラズマカッター、アトミックパンチ、リングスラッシュ――謂わばいずれも曲芸の類だが、ヒト如きを蹂躙する程度なら十分すぎる火力である。

 よって現状におけるゴジラの最適解とは、それらの手練手管を駆使してこの場を乗り切ることだったが……

 

 

 あまりに有り得ぬことが起こっていた。

 

 

 有り体に語るのなら、ゴジラはその時()()()()()()()

 

 素人目から見ても拙い構えに、まるで冴えというものが感じられない動き。大地を転げまわって砲撃を掻い潜る無様さはいったいどうしたというのだ?

 いくらその負担を加味しても()()()()()。もちろんゴジラの戦いぶりを間近で眺めるなんて初めてだが、こんなレベルに収まるものでないことはわかるのだ。

 

 だって、おまえは地上生命すべてを相手取ったとしても圧勝する最強種なのだろう。その気になれば拳一つでこの星すら砕く化け物なのだろう。たかが手足の一本二本が落ちた程度で、臓腑がまろび出た程度で、どうしてそれがここまで精彩を欠くというのだ。

 嗚呼つまり、強さの勘定がまるであっていないのだ。

 

 かといって手を抜いているわけでも、ましてや怯んでいるでもないのだろう。だって今も、四つ足で地を這うようにビル街を移動しながら、その両の狂眼は眈々と隙を窺っている。

 

「――■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」

 

 弾丸が装填される僅かな間を縫うようにして、怪獣王が雄叫びを上げた。

 

 パワーブレス――なんの変哲もないただの咆哮。

 本来それは威嚇以上の意味を持つものではないが、ゴジラに限っては話は変わる。()()()()()()()()()という馬鹿げた理屈で、その音圧に物理的な破壊力さえ宿るのだ。超振動波に変貌を遂げた轟然たる轟きが、街も海も大気も空間も素粒子さえも粉砕する怒涛となって怪鳥どもに殺到していく――!

 

 さながら放射状に拡散していく音速の弾幕だ。こんなもの、回避どころか認識すらできずまとめて叩き落されるはず、なのだが……

 

「な……んだと!?」

 

 それが影を捉えることすらできず、あっさり空を切ったのはなんの冗談なのか。

 九機の怪鳥は音速を遥か置き去りにした速度で、しかも直角を超えた急旋回を()()()()()()()()繰り返すことで不可視の衝撃波を掻い潜っているのだ――!

 

 パネトの駆るジェットジャガーのように、明らかに無理がある螺旋軌道。しかしあいつと違って、その佇まいから負担や抵抗というものがまるで感じられない。慣性の法則から解放されたその挙動は、航空力学というものを完全に無視している。

 四肢各部に搭載されたバーニアを順ぐりに吹かしたとしても”ああ”はなるまい。見れば、鋭角的な刃が折り重なって形成された奇怪な翼が絶えず微細な変形を繰り返しているようで――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あの出力、そして操作性――なるほど■■■■■を使ったか」

 

 忌々しいものを見せつけてくれるじゃないかと、吐き捨てるようにハルオが呟いた。

 

 コンマ一秒、一ミリとて乱れのない異形の戦いっぷり。対怪獣兵器という概念が生来的に有するはずのなにか――いわばロマンやケレン味というものは、そこから完全に拭い去られていた。

 ロマンの代わりに具体的な殺傷能力を。

 ケレン味の代わりに合理性に基づく剣呑さを。

 なんだそれは、なんなのだ? ゴジラの攻撃に対して逃げも隠れもせず正面から()()()()()のが、対G兵器のあるべき雄姿ではなかったか。それがせめてものヒトの誇りで、貫ぬくべき意地ではなかったか?

 怪獣殺滅のために開発され、殺意というパーツを丹念に積み重ねて、呪わしい憤激をガソリン代わりにして飛翔する血錆びた怪鳥――こんなものが、人々が夢見たスーパーXの成れの果てなのか? それでいいのか、許せるのか?

 

 ()()()()()()()――そう言わんばかりに、九つの砲門から眩い光がほとばしった。

 それは、槍だ。何万倍にも増幅(プラズマグレネイド)されたエネルギーが爆縮されて生み出された、王殺の破魔矢。膨大な光熱が一点に凝集されたことにより、実質的に内包する熱量はおそらく数百万度を軽く超える。

 光速で殺到する殺滅の光帯(メーサービーム)を潜り抜けるには、もはや攻撃の前兆を事前に察知する先読みの能力か、粒子エネルギーの直撃に耐える堅牢さか、あるいは()()()()()()()という出鱈目さが必要だった。

 しかしそもそも、ゴジラとは本来そのすべてを有する完全無欠の規格外だ。それが百万度だろうが百億度だろうが、水爆の爆心地から産声を上げた灼熱の申し子にこんなものが脅威になるはずもないのだが……

 

「――■■■……!」

 

 筒先から燐光が漏れ出るよりコンマ数秒早く、噴流する闘気の念がゴジラの巨体をマントのようにすっぽりと包み込んでいた。

 非対称性透過シールド――表皮と周辺空間の間隙を縫うように展開された電磁パルスが生み出す強固なエネルギーフィールドだ。半ば概念的な防御壁であり、物理攻撃に対しては理論上無限大の防御力を発揮する。なるほど大した代物だが、それは今のゴジラが(そんなもの)に頼らざるを得ないほどに弱体化していることを意味していた。

 

 よって最強の矛と盾のぶつかり合いは、けだし順当な結果へと帰結する。

 

 圧倒的なエネルギーの塊がシールドに直撃。その瞬間、押し込められていた熱と光が一気に解放されたことによる大爆発。それがもっともっと、さらにさらに……コンマ一ミリとてずれのない同一箇所への集中砲火だった。一発だけなら耐えられるだろう。しかしそれが二発、三発と続くのなら話は別だ。地球の盟主の座を奪還せんとする妄念がなす業なのか、やがて光熱の連なりが電磁パルスの整合性を穿ち、ついにゴジラの肉体を正面から貫いた。壊滅的な熱量が血流となってゴジラの肉体を巡っていく――咆哮をあげる怪獣王。

 

 そして動かなくなった敵手を相手にやったか、などと様子見に入る趣味など怪鳥にはない。目標が原形をとどめているなら、それが消し炭になるまで追撃を続けるだけなのだから。

 

 歪な高速変形を繰り返し、ルービックキューブのように激しく回転する外部装甲。そこからずらりと並んだ砲台が一斉に火を噴いた。弾薬庫をひっくり返したような釣瓶打ちが、ゴジラとその周囲の大地をクレーター状に陥没させていく。砲身が灼け落ちてもなお止まらぬオーバーキル。面制圧と呼ぶことすら生ぬるい重質量の連なりは、()()()()()()()()()()()()()()()()という矛盾によって成り立つものだった。

 

 やがてまるで老木が枯れ落ちるように、ゴジラの巨躯が力なく倒れていった。

 強い。いくらなんでも、強すぎる。

 

 明らかに特生自衛隊の有している技術体系のレベルが違いすぎる。いったいどうやってこんな武力を秘匿していた。

 いやそんなことよりも、この三〇年間、ゴジラに怯えながらなんの特にもならない諍いを続けていたのはやはり欺瞞でしかなかったのか?

 

 だって人類史上――いや()()()()()()()()()()()()()、ヒトがこれほどまでにゴジラを打ち負かすなんて前代未聞だ。

 弱いゴジラなどありえない。敗けるゴジラなど誰も見たくない。()()()()()()()()()()がそこに具現していた。

 嗚呼、世界の法則が崩れていく。俺という”■■”を通して、まるで押し寄せる津波のように終焉の鼓動が人々を呑み込んでいくのだ。

 上も下も、なにもかもが裏返っていくことで、逃げ惑う人々は次第にその痴れた本性をむき出しにしていく――

 

 

◆5◆

 

 

 そして遠く、国会議事堂の開けたテラスにて。

 

「そんなものかよ、ゴジラ」

 

 遮蔽物となる建物がちょうど一掃されたことで、”彼”が立つ位置は戦場を遠望するのに絶好のポジションとなっていた。いやむしろ、その男はそうなることを見計らってここまで事を運んだのかもしれない。

 

「違うだろう。まだ上があるはずだ。消耗を抱えているなどなんの言い訳にもならん。力が枯渇しているならその都度覚醒すればよいだけのこと。死んだというなら蘇れ。怪獣王(おまえ)ならその程度、造作もなくできなければならんだろう。そうした定義できぬ混沌こそが、私のゴジラの定義である」

 

 冒涜的に意味の分からないことを独りごちるのは、黒木翔。

 

 誰に向けるものでもない独り言を呪言のように続ける様は、とにかく暗く陰鬱でおぞましい。

 猛禽を思わせる鋭い双眸は、尊厳ごとずたずたに踏みにじられている怪獣王の無様をじっと見つめていた。

 ……東京の一般市民を数多く巻き込んだ事実に目を瞑れば、疑いようもない大戦果だ。おまけにゴジラを倒す兵器の開発にも成功したとなれば、先の見えない軍拡競争にも終止符を打ったともいえる。そういった諸々の政治的な意味合いも含めれば、その功績はもはや芹沢博士のそれすら圧倒的に凌駕していた。

 

 ならばその立役者は歓喜に湧き上がっているのかと問うなら、そうでないことはあまりに明白で。

 

「たかがスペースゴジラなんぞに難儀して、オキシジェンデストロイヤーに不覚を取り、挙句こうして我らヒトごときにいいようにやられるとはどういう了見だ。忌避なく言うが、()()()()()()()()()()()()()()()()――あまりがっかりさせるな」

 

 景気よく横面を殴りつけておきながら、こんなことは望んじゃいないとばかりに悲し気に首を振るその様。その矛盾は彼だって自覚していて、そんな自分自身を誰よりも疎んじている。

 

「わかっているとも」

 

 苦笑の響きが呟かれる。そんな自分の度し難さを、せめて諧謔的に笑い飛ばそうとするような。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()勝利したところで、その先に人類の栄光など待っているわけもないだろうさな。

 要はこうしておまえを貶めれば、この惨めな老醜もおまえへの執着を捨てられるのではと期待したのだが……」

 

 怒りを静かに噛み締める険しい表情は、どこか切ないほどに透明な穏やかさも混じっていた。

 

「やはりどうあろうとも、おまえは尊く輝いているよ。嗚呼、なんどでも繰り返すぞゴジラ――」

 

 無茶苦茶な独言は、もはや何一つとして理屈を成していなかった。

 ふらふらと引き寄せられるように、黒木はテラスの手すりから身を乗り出す。狂おしく彼方にその手をゆらりと伸ばして――遠く、全身が焼焦げて炭の塊のようになってしまったゴジラの姿が掌に収まった。大切な宝物でも扱うかのように、それを中空で柔らかに撫で上げる。

 

「おまえは絶対でなければならないのだ」

 

 老人が、譫言のように呟いた。

 視線の先で、小型ディメンジョンタイドから放たれたマイクロブラックホールによってゴジラが空高く巻き上げられていく。

 

「おまえは不変でなければならないのだ」

 

 EMPハープーンの槍衾が待ち構えていたかのように突き刺さり、ハイパーGクラッシャーの高圧電流が残された王冠(背鰭)のことごとくを粉砕していく。

 

「おまえは唯一でなければならないのだ」

 

 満身創痍という言葉すら生ぬるい。放っておけばあと数秒で命尽きる死にかけを執拗に追いまわすことに、今さらなんの意味があるのだろうか。断言するが、ここからゴジラの逆転は起こらない。

 積年の恨みも多くの借りも、一つとして清算されることはない。なんのカタルシスもなく、あまりにあっさりとヒトとゴジラとの長き因縁に決着がつこうとしていた。

 

「……などと言ったところで、そんなことが空事なのはわかっているとも。今のおまえの有様を見ればな」

 

 とはいえ大きな疑問は残されたままだ。

 連戦に次ぐ連戦で疲労していたからといって、どうしてここまでゴジラは精彩を欠いてしまったのか。火力が落ちるところまでは納得できるが、技量の類まで鈍化するのは合点がいかない。何度も言うが、今のゴジラとは拳一つで星すら砕く化け物なのだから。

 

 老将は、その答えを知っていた。

 

 視線をゴジラから外し、広がる東京の景色を見下ろした。より正確に言うなら、混沌に湧き上がる人々の群れを。そこで渦巻く叫びに、静かにそっと耳を傾ける。

 

 どこかの誰かが泣き叫んでいた。

 

 ゴジラゴジラ、おおゴジラ――人の営みを乱す悪魔よ。おまえが憎い。おまえたち怪獣のせいでどれだけの命が失われたことか。ヒトの痛みを思い知るがいい。

 

 また別の誰かが吠え上げていた。

 

 ゴジラゴジラ、おおゴジラ――御身こそが、霊長の傲慢に裁きを下す地球意志の化身。その怒りの炎を目に焼き付け、我ら人類は強く戒めとしよう。

 

 また別の者はなにやら声援を送っていた。

 

 ゴジラゴジラ、おおゴジラ――なんと勇ましい戦いっぷりよ。その姿に心が震える。そらもっと戦えもっと血を流せ。高尚さなど不要ぞ所詮は興行(プロレス)だろうが。

 

 それらすべてがもっともらしく、どれもどこかで見たような一過性のブームの延長線だった。よってそれを指して”多様性”などと呼ぶことなど断じてできやしないだろう。なぜならそこにはオリジナルがない――()()()()な設定を繋ぎ合わせただけの二次創作に過ぎないのだから。

 

 ゴジラは神だ。いいや悪魔だ。あれは地球意思の化身で、先の大戦で失われた英霊たちの結晶で、ペルム紀から生き残っていた太古生命の生き残りで、原水爆実験によって生み出された完全生物で――

 

「醜いな」

 

 そうしたゴジラというものを定義したがるすべての声が、あらん限りの熱となり渦となり、ゴジラの巨躯に流れ込んでいる。当然だろう。それを定義する言葉(入れ物)がなければ、ゴジラなど巨大生物の延長線にすぎぬのだから。そういうものを餌として無限に強くなったのが、今代の怪獣王の真実なのだ。

 

 そして今、それらが鬱陶しくゴジラの足を引いていた。

 

 私のゴジラが正しいのだ、いいや違う、これがゴジラだ。俺のゴジラ以外はゴジラではないのだ――ゴジラの定義の移り変わり(トレンド)が、有り体にあまりにも激しすぎるのだ。それに合わせてゴジラの力も激しく上下に揺さぶられてしまう。動きを洗練させようにも、その都度微調整を強いられるものだから一挙一動はまるで”ちぐはぐ”になってしまう。

 

 有り体に、今回ばかりは人との距離があまりに近すぎた。ゆえにゴジラは弱くなる。

 

 

 いや違うか――そうとわかっていながら、それでも今代のゴジラは()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「おまえの言うとおりだったよ三枝。あのゴジラは……かつてのベビーは人に触れようとしている。それが互いに毒にしかならぬと判っていながらな」

 

 苦しげに呟かれる嘆き。ああ、手足や内臓を切り落とされても、人はこんな苦痛に満ちた表情はしないだろうに。

 

「おまえは宇宙最強の生物でありながら、同時に蒙昧どもの痴れた妄言によって容易く左右されてしまう不確かな命でもある。我々がおまえの存在を心のどこかで望んでいるからこそ、今もその心臓を動かしていられるのだ。

 おまえもそうだし、先代も、先々代もそうだったのだろうが――ふざけるなァ!!」

 

 努めて淡々と、できる限り感情を出さないようにしていたのだろう。

 それでも圧倒的な凄みを感じる低音から、彼が怒っていることは明らかだった。

 そう、彼はとてつもなく、怒り狂っていたのだ。

 

「それではおまえは、まるでただの操り人形ではないか……ッ! 

 おまえの本質はまさか、人が入り込んで動く”着ぐるみ”だとでもいうのかッ!? おまえの一挙一動が俺たちヒトの都合に合わせて動くものだったとするならば、そこにおまえの意思など介在しなかったとするならば――」

 

 血涙さえ流しながら、男は狂おしく咆哮した。

 

 

「――()()()()()のために散っていった人々の尊厳はどうなるのだァ!!

 多くの人々が命と夢を懸けたものの正体とは、こんな惨めな独り芝居、ばかばかしい着ぐるみショーだったとでもいうのか!? ならば私は……散っていった仲間たちはなんのために……ッ!」

 

 

 もたらす破壊への憎しみも、その力強さへの憧れも――人生を懸けたなにもかもが、まるで娯楽のために消費されるコンテンツだったと言われているかのようで。

 

 悲鳴にも似た絶叫は、次第に嗚咽交じりのうめき声に変わった。静かにかみしめるように、呟く名前を刃のようにその身に刻んでいく。

 そう、名前だ。それは散っていった者たちの名前。かつてのGフォースの俊英たちはもちろん、自衛隊の同輩も、市井の民さえもその中には含まれていた。彼にとって最も縁深い無二の記憶となっているだろう権藤や三枝の名も、当然その中には含まれている。

 

 ……いずれもゴジラを倒した先にある未来を信じていた、あの狂おしくも懐かしい時代を駆け抜けた者たちの名である。けれど今はもういない。麻生や自分のような老害ばかりを残して、みんなみんな死んでしまったのだ――()()()

 

「先代にも先々代にも、おまえたちに奪われた命も夢も、もはやすべてが過ちだ。なにもかも元通りにして償え……と言いたいところだが、流石にそこまで無理は言わん。しかしかといって、この惨めな老害はそれを済んだ話などと割り切れるような男ではないのだよ――」

 

 自嘲めいた苦笑を皮切りにして、殺気とか怒気とかでもない、あまりにもどす黒いプレッシャーが黒木の総身から放たれた。

 比喩ではなく、まるで致死の猛毒かのような圧迫感。鼓動する圧倒的な得体の知れなさは、すでに人知というものを超えている。

 

 そう、パネト・ヘイトスピーチ同様に、この黒木翔という男もまた、すでにその肉体を怪獣のものへと置換していた。その巨大な力と魂の一切を貪り喰らい尽くしていた。

 

 ならばなにを?

 男はいったい、如何なる怪獣を手中に収めたというのだ?

 

「聞こえているか、ゴジラ――やはりどこまでいっても、私はおまえのことが好きなのだろうな。愛しているよ。この地上でなによりも、私はおまえの鼓動を近くに感じている。

 だからこそ、おまえには本当の血肉と魂を与えてやりたい。そうすることで、散っていった者たちの御霊が報われると信じているから。

 そしてそのためには、まず滅ぼさなければならない圧倒的解釈違いがこの宇宙には存在するのだ」

 

 大きく息を吐いた男は静かに目を見開き、挑むように空を睨んだ。

 

 

「――――来たか」

 

 

 黄金の七芒星が、夜空を覆うように広がっていた。

 




ゴジラ「無茶言うなや」



ちなみに拙作のゴジラは地上生命すべての命と鼓動を感じ取ることができるという設定なので、この状況でも黒木の妄言はちゃんとゴジラの耳に届いてます。
それに対してどういう反応を示すかは次回以降。

しかしまさか二万文字いっても終わらないとは思わなかった……次回はついにギドラが本格降臨。
ゴジラの圧倒的な尊厳破壊とランドウの曇らせシーン。そして加速していく黒木の頭のおかしさ。どんどんVSシリーズから離れていく世界線。
まだ執筆中なのでもうちょい待っていただければ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 黄金の終焉-中編◆


まさかここまで伸びるとは思わんかった(´·ω·`)


 

 

◆6◆

 

 

 火だるまになって身悶えながら、瓦礫に押しつぶされながら、誰もが狂して痴れて己の解釈(ゴジラ)を叫びだす。喧々囂々。あれだけ一丸となってゴジラの絶対性を謳っていた避難民すら、互いの解釈の違いをぶつけ合う始末だった。

 

 ()()()()()()()()()()を、ハルオ・サカキは凝然と睨みつける。一見すると沈着なようだが、その内心はと言うとまるで正反対。射殺すような眼光は、煮え滾る憤りを必死に堪えるためだ。

 

 すべての尊厳を砕かれて声なく涙を注ぐランドウの心情は察するに余りある。

 はたしてなにを守ろうとしたのか。いや、そもそもなにを知った気でいたのか。解釈一つで移ろいゆく世界の無常さを否応なしに叩きつけられたのだ。これで心が折れるなというほうが無理がある。

 だから自分を責めるなとは言わない。頭蓋を握り潰さんばかりの悲憤は、嗚呼それはもう我が事のようによくわかるから。

 己にその資格なしと事態を傍観し続けた結果、頼みの綱の小美人を失い、挙句の果てがこれである。このまま事態が最悪の方向に回転し続ければ、”あれ”がまた引き起こされてしまうだろうがと己の不覚を罵倒して……そのあまり、事態の移り変わりに出遅れた。

 

 たぶん、誰よりも最初に”それ”に気が付いたのはランドウだった。

 

 突如として夜空を覆い尽くしていく、三つの巨大な幾何学模様。金色に輝く異形異質の存在感が、それぞれ七芒星をなぞってゆっくりと集会(しゅうえ)していく。

 この世のものとは思えぬ光明は、まさか十万億土から溢れる後光なのか。

 

「……な、んだ?」

 

 この一日だけで、どれだけの災害的現象が引き起こされたことか。わからないが、間違いないことが一つだけ。

 大怪獣が強襲してきて、宇宙(ソラ)が裂けて、星が割れて――信じ難いことだが、それらがただの前座だったということ。理屈を超えてその認識を誰もが共有したからこそ、この脅威を皆が静まり返って仰ぎ見る。

 

 やがて世界の輪郭が崩れるように、”それ”がのたうちながら起き上がった。

 

 時も空間も超越した何処かから、細ひもにも似た何かがひょろりと伸びて来たのだ。全部で三つ。絡み合うように、滑るように、まるで粘菌の変性体のように伸長する”それ”に、次第に彫り込みが入って何かが形作られていく。

 

 おどろに逆立つ角と鬣は、牙が列なす巨大な顎は、まるで――

 

「龍……」

「馬鹿な、あれは」

 

 その姿形は、いわゆる神話の霊獣ととても似通っていた。

 けれどどういうわけなのか、そういう超常的な存在が普遍的に宿す絶対性――覇者の格(オーラ)ともいうべきものがまるで感じられない。

 

 正でもなければ負でもなく、かといって無でもない。人々を戦慄させる底知れぬ宇宙的恐怖の正体とは。

 

「怪獣、なのか」

「違う」

「ハルオ……?」

 

 それは、命。

 紅玉を嵌め込んだような瞳には光彩も瞳孔もなく、命の鼓動など認められない。あって然るべきものの欠落ゆえの本能的嫌悪だった。

 

 あらゆる実数線上に定義されないこの世ならざるものを、三次元上の生命に無理やり変換(コンバート)させた結果が“それ”なのだ。つまり”それ”を生命の究極(怪獣)などと呼ぶのは適当でなく、ならどう呼ぶべきかをハルオは知っていた。

 

「――ギドラ」

 

 その三文字が自分の口から出たものだとはしばしハルオは気が付かなかった。宇宙の理解が及ばぬ限り発音すらままならぬ忌むべき三文字が、正しく口にできてしまった事実にまず愕然とする。

 金星人だの未来人だのが生み出した、名前だけ借りた鍍金品とはわけが違う。

 

 次元の壁を越えて首をもたげるのは、正真正銘の真打(キング)――名を、黄金の終焉。

 

「”ギドラ”……? いったい何が起こっているんだハルオ!?」

 

 縋るような問いかけは、せめて”それ”が敵か味方かだけでも教えてくれと問いかけるもの。

 嗚呼まったくその気持ちはよくわかるのだが、強弱や大小どころか在不在すら曖昧なのが“それ”なのだ。どんな属性(カテゴライズ)も適用できず、判ろうとすること自体が無意味である。

 もはや人の理解を拒む正体不明の何かとしか言いようがないが、きっとそんな評すら大きく的を外しているのだろう。

 

 それでも、”それ”についてはっきりしていることが一つだけあった。

 

「あれは、()()()()()()……ッ」

「は、え?」

 

 その底知れぬ訳のわからなさこそ、ゴジラに対する無限大の特効能力。

 

 おそらくたった一度を除いて、不滅を誇る怪獣王がことごとくその神威に屈してきた。救いがたいことに、その稀な一例すらゴジラは純粋な武威でもって”それ”を退けたわけではない。

 それこそが王たるギドラ。ヒトの可能性の限界の具現であるゴジラを必ず凌駕する存在――星を喰うものの力だった。

 ジャンルからして違うのなら、破格という言葉すら不適切だろう。いずれにせよ対話不能な存在なのは火を見るよりも明らかで。

 

 ……しかし見方を変えれば、ヒトにとって”それ”はとても都合の良い存在と呼べないだろうか?

 

 あのゴジラを特異的に排除してくれるのなら、なんともありがたい話ではないか。あえて拒絶する理由も見当たらないし、いっそのこと崇め奉ってもいいくらいだ。

 つまり、ゴジラという不浄を払うために、異次元から来訪した神の化身が遍く衆生を救ってくれるのだと。長く永くその尊厳を踏み躙られてきたヒトが、見返りとしての帳尻合わせを望んだって罰はあたるまい。苦しみに満ちた巡礼は、これをもってついに大団円を迎えたのだ。さあ、今こそゴジラを滅ぼす時。

 

 故にヒトよ、終焉を讃えよ――

 

「いいわけ、ないだろうが……ッ!」

 

 湧き上がる何者かによる恐ろしい甘言を、振り絞るように拒絶するランドウ。

 

 ゴジラとは人類の繁栄を脅かす脅威であり、だから排除するべきという誰もが共有する大前提。今となっては陳腐とすら思えない論調だが、その一方で、こいつになら滅ぼされても仕方ないという“威”がゴジラにあるのもまた事実。

 

 翻って、じゃあ”それ”はなんなのだ。

 窪んだ眼窩に斑点のように浮かぶ紅い眼球が目に飛び込んでくる。瞬間、ざわざわとした怖気がランドウを切り刻んだ。いったいどうして、こんなものを待ち望んでいた救世主などと讃えられるのか。

 ”それ”を構成する何もかもが、まるで命というものを戯画化したようでさえあって。

 ”生きているとはこんな感じなんだろ”と――まるで、にわか仕立てが得意げに雑語る様を見せつけられる不快感。

 

 細かい理屈などはどうでもいい。

 全身の細胞がこれはだめだと叫んでいた。

 まるでその確信に至ったことを楔とするかのように、乱神の巨大な三つの顎がゆっくりと上下に開かれる。

 

 そして――

 

 

「――――――――――――――」

 

 

 幾重もの電子音が軋りあったような奇怪な響きが、巨大な口腔から黄金の閃光と共に放たれた。

 

 有機的な伸びやかさなど存在しない不気味な旋律が瀑布のように轟き渡った瞬間、すべての人々が例外なく狂おしく絶叫した。嫌だやめてくれと叫びながら血反吐を吐いてばたばたと倒れこんで行く。

 

 いったい何が起こっているのか――理解を拒む現象を、あえてこちら側に変換(コンバート)するなら、これは攻撃ということになるのか。

 もちろん破壊という形で害意を押し付けるだけの平凡な怪獣のそれとはまるで違う。そんなものが遥かましと思えるほどに、その所業は悍ましい。

 

 絶望という言葉すら生温い、まさに極限を超えた惨烈。

 

 

 ――()()()()()()()()()()()

 

 

 その威光は、人が心に秘める解釈(ゴジラ)を暴き、痛々しさを明るみに出し、羞恥を煽ることによって個我を砕く。

 言わば強制的な告解なのだ。人々は突き付けられた己の醜さに耐えられず、あるいは神はすべてを赦されると信じて魂を投げ捨てていく。まさに宇宙的恐怖の所業。それを理解したランドウはぐらぐらと眩暈しながら倒れ込んだ。

 

「俺はもう死んだじゃないか……一度滅びた俺を、まさかまだ追ってきたとでもいうのか?」

 

 そして内心の焦りを取り繕う余裕がないのはハルオもまた同じ。

 仰ぎ見る御姿は、()()()ハルオに破滅をもたらしたものと疑う余地なく同一だった。

 

 よりにもよってこのタイミングで、何故”それ”が顕現したのか皆目わからない。

 

 かつて、友はハルオに告げた。

 ゴジラへの強い憎しみと、閉塞の打開を都合のいい上位存在に求める衆生の愚かしさが“それ”を惹き寄せる呼び水となり――それを束ねる“■■”の存在と、あり得べからざる光を現世に見出す”眼”が揃うことで”それ”はギドラとして降り立つのだと。

 

 ならば現状、ギドラが現世(うつしよ)に足を運ぶ条件は整っていない。

 その受肉を企る(エクシフ)はここに居らず、何より、隣に立つランドウの口からゴジラが憎いという類の文言など聞いたこともない。むしろ大多数(マジョリティ)のように怪獣たちに強い感情を抱けないことに孤独と疎外感すら覚えてきたのが彼だから。

 

 友が嘘をついたなどとは信じられず、ならば友の知る以上の条件がそこにあったとするのが妥当だろう――自分の願望で世界観を歪める知的生命の宿痾に囚われていたのは友も同じだったから。

 

 これを回避することこそ小美人最期の祈りだったと理解する。

 嗚呼まったく、如何なる世界であれそれが定めであったとしても、せめて今回だけでもと取り計らうのが当然だろう。なのに己にその資格なしと逃げ出した挙句がこれである。

 このままではこの星が――否、宇宙が滅ぶと確信した瞬間だった。

 

 

「――■■■■……」

 

 

 津波のように広がる圧迫感を前に、否応なく意識の方向が切り替えられる。

 地軸を踏み鳴らしながら立ち上がるのは怪獣王――ゴジラ!

 

「ゴ、ゴジラ……!?」

 

 まるで亀裂と欠損だけを積み上げたような満身創痍。

 怪鳥(スーパーXIV)に滅多打ちに啄まれた果ての血みどろは、指の一押しだけで崩壊しかねない。生命活動が停止していないのがまず何かの間違いだろう。

 なのに、まだ動いている。

 今際の執念――この往生際の悪さは”先代”の真骨頂だったとも伝え聞くが、これはそれと同一視できるものなのか?

 まるで人類にとっての絶対的象徴が、異形の概念に変質しているかのような圧倒的な違和感。おそらく消耗という概念が、怪獣王にとって意味をなくしつつあるのだ。

 言語化できない気持ち悪さをそこに抱きつつも、そんなことに気を回す余裕のあるものなど多くなく。

 

「ゴジラ! ゴジラ! ゴジラ!!」

 

 勝手放題に己の解釈を騒ぎ立てていた人々が、今度は一致団結してゴジラの力強さを唱和していた。ゴジラの足を引っ張っていた鬱陶しい足枷(解釈)が、一時的とはいえまとまった方向に力強く流れ出したからこそ、今も死に体のゴジラがこうして駆動できる原動力なのかもしれない。あれだけの傷と消耗が、あれよあれよという間に復元されていくのだ。

 嗚呼、しかし。

 

「こいつら……ッ!」

 

 ランドウが顔をしかめて後ずさった。当然の反応だった。なんという手のひら返し。

 ゴジラの力強さに酔いしれる時だけ、あるいは恐怖する時だけ、人々は己の罪悪感から解放されていた。己の罪に蓋ができた。

 偉大なる怪獣王よ、己の醜さを大上段から突きつける神を打ち果たしてくれと、誰もがそう唱和する。

 その歓声に応えるように――

 

「戦う、つもりなのか……?」

 

 仁王立ちする巨体の黒と、天に佇む超常の黄金。あらゆる次元でその様相を異にする両者が相対する。

 しかしできるのか? これに勝てるのか?

 そんな一抹の不安を振り払うかのように獰猛な咆哮が轟き渡った。

 血走った眼球が睨みつける先には、黒くぽっかりと穿たれた伽藍堂(ワームホール)――“それ”の発生源。

 そう、魔王は知っているのだ、見栄えのする龍などは端末でしかないのだと。ならば打ち滅ぼすべきは明らかで、続く行動にも迷いはない!

 

 迸る紫電、充填される覇気と殺気。それはまさしく爆発だった。ただ激情の赴くままに叩きつける超絶馬鹿なエネルギーが渦を巻き、星すら跡形もなく消し飛ばす破壊光となって放たれた!

 

 ――放射熱線(アトミック・ブレス)大解放(フルバースト)

 

 魔晶との死闘が、魔王をさらなる覚醒へと(いざな)ったのか。この一発だけで、先の激突にて生み出された熱の総量すらはるかに凌駕していた。

 まさしく天地を別つ熱の連なりが、底知れぬ意味不明さの収束点に向かって一直線に突き進む。昇る朝日のような力強さが、広がる闇を呑み込んだ――夜明けである。

 

 決まった。そうだ、このゴジラは強いのだ。あの外なる神にだって勝てるのだ。これで勝てないなんておかしいのだ。

 だからたとえ神であろうとも、これを前に生き永らえる物理的可能性は皆無であると、誰もがそう確信した。

 正確には、ただ一人を除いて。

 

「……そんな」

 

 瞬きさえ忘れて見入っていたのだ。意識が途切れた瞬間なんて誓ってなくて、なのに、まず何が起こったのかすら誰にもわからなかった。

 

 闇の根源も、そこから細くたなびく龍も未だ健在。

 

 まるで、ぶつん、と千切れるように。

 光と熱が直撃した瞬間、一つの宇宙すら沈黙させる破壊現象が痕跡すら残さず消失したのだ。

 

 荘厳すぎる肩透かし。それは、主役が大ゴマで決めて、次のページをめくったら唐突に別の場面に切り替わっていたような感覚に似ていた。

 防御したとか透過したとかではない。光帯が通り抜けた先の空間の整合性さえ巻き戻しになっているのだ。

 まさかこれがギドラの権能かと推し量るが、しかしそんな理解がどれだけ生ぬるいものかを人々はわからせられることになる。

 

「……■■■」

 

 人々の耳に届く、ずりずりという音。

 想像すらしていなかった、怪獣王の後退する姿がそこにあった。

 

「嘘だろ」

 

 蓄積されたダメージ量を無視して馬鹿みたいな威力の熱線攻撃を放ったのだ。それが無駄撃ちで終わったとなれば、確かにその疲弊は尋常でないだろう。けれど、何かが違う。

 あの怪鳥ども(スーパーXIV)に全身を啄まれた際もまた著しく弱体化していたわけだが、それはあくまで出力の問題であり、これは”器”そのものの欠損なのだ。

 

 これこそがギドラの力――形のあるなしに関係なく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。誰もが無謬と信じるゴジラの肉体であろうと例外はない。有り体に、弾丸ではなく火薬と引き金という概念から世から根絶する能力と言い換えられた。

 要するに、ゴジラはもう熱線を放てない。

 どんな強大な敵を前にしても前進を続けてきたゴジラが、絞り出すように唸りを上げる。

 

 まさか、あの怪獣王が恐怖しているのか――――

 

 刹那の動揺を穿つように、もたげた首を滑らすようにギドラが前進した。

 水が浸み込むような動きは決して目で追えない速度ではないのに、龍の顎はいつの間にかゴジラの目前にまで迫っていた。まるで瞬間移動――しかし思い返せばギドラはシームレスな移動をしていたような気がしてくる。

 彼我の空間を破壊することによる擬似的な瞬間移動など、大怪獣にとってもはや標準装備(スタンダード)でしかないわけだが、これはそんな力任せなものとはまるで違う。本調子ではないとはいえ、あのゴジラがその予兆を感じ取れないはずがない。

 

 ”それ”は、やはり漫画のコマ割りに似ていた。

 

 次のコマに目を移せば人物はいつの間にか一つの動作を終えていて、しかし状況は継ぎ目なく移動したことになっている。そのインターラプトに観測者たる我々はなんの疑問を抱かないし、むしろそれが当然だとさえ心得ている。

 

 おそらく、これは()()()()ものなのだとランドウは理解した。

 

 常にこちら側にとっての不都合な法則(メタ表現)を体現するのがギドラなのだ。

 魔晶やスーパーXとの死闘の果てに、半ば熱の概念じみた存在へと変貌を遂げたゴジラだが、嗚呼だからどうしたと――森羅を嘲笑する唸りの前には、なにもかもがただのフィクションにまで零落する。

 

 そこから展開されたのは、まさに一方的な蹂躙だった。

 

 都心部を一周するほど長大な龍体がとぐろを巻いた。

 ゴジラの身体に絡みつく構図は、さながら獲物を絞め殺そうとする大蛇のよう。振り解こうと手足を伸ばすが、しかしあらゆるものがまるで噛み合わない。何もかもが透けていき、同時に勇壮な手足は痺れたように動かなくなる。

 体内放射、プラズマカッター、リングスラッシュ――あらゆる手練手管を駆使しても、すべては苦し紛れに終わり、次から次へと葬られていくのだ。いずれの火力も星すら砕く域に達しているのに、まるでそんなものはただの設定だろうと言わんばかりである。

 

 別の並行世界では、これは別宇宙の物理法則に由来するゆえの現象だと捉えた。あるいは知的生命の文明を前座として生まれる究極の生命(ゴジラ)を捕食する、いわば宇宙規模の食物連鎖の頂点という文脈で解釈したらしいが……なるほどそれは表面的には正しいかもしれない。

 しかし彼らが見逃している点が一つだけある。

 

 そもそもこれは戦いとか捕食とか、そう解釈するべきものではない。

 

「こんな訳のわからないことで、ゴジラがやられてたまるかよ……!」

 

 VS世代の頑固者たちが聞いたなら激高間違いなしの明け透けな叫び。けれどそれこそ包み隠しのない人類の本心だ。

 その真相が、己から生まれ望まれ練り上げられた解釈の成れの果てだったとしても、彼らにとってゴジラとは魂焦がす宿命(ライバル)だから。

 

 そんななりふり構わぬ叫びも届かず、抵抗すらできないまま宙吊りになっていく怪獣王。

 その光景を目撃した人々から再び失望の念が流れ出し、ゴジラを最悪の状況に追いやっていく。遂にはその存在すらかき消されつつあるのか、黒々とした巨体が薄く透け始めて……

 

 あまりにも極端すぎるゴジラに対する特効能力。その”設定”にはどこかで見覚えがあった。

 無敵のゴジラを滅ぼしてしまうことが、何の違和感もなく受け止められる。むしろそれが当然だという存在が、ただ一つだけあったのだ。

 

 

 

「オキシジェンデストロイヤー……?」

 

 

 

 呆然と呟くランドウ。

 確かに、辻褄は合う。

 如何なる熱も力もその禁忌の前には無意味であり、ただ怪獣であるだけで跪く。

 

 おそらく順序としては、オキシジェンデストロイヤーという概念そのものがギドラの二次創作(デッドコピー)なのだろう。あのミクロオキシジェン(反物質生成)も、これほどの特効能力に比べれば圧倒的な下位互換と呼ばざるを得ない。

 

 いやしかし、ならばそれを作り上げた芹沢博士とははたして何者だったのだ?

 彼は何を想い、何を見出し、何を願って初代ゴジラを討滅を成し遂げたのだ?

 

 今となっては知るすべもないが、はっきりしているのはただ一つ。人とゴジラの戦いは、もはや半世紀前の段階で茶番でしかなかったということ。

 今日この一日だけで人々を恐怖に陥れた数多の災禍も、その真実に比べれば遥かに救いがあった。

 

 嗚呼、しかし。ここでまたしかしである。

 もはやゴジラの実存すら曖昧になっていく中で、誰もがふと思うことがあったのだ。

 

 

 そもそも――()()()()()()()()()()()

 

 

 わからない。

 時代とともに移り変わり、人々の多様な解釈が入り混じった果ての百貌――考えてみればギドラなどよりその真実ははるかに謎めいていないだろうか。

 多様性の象徴。時代とともにイメージが移り変わるからこそのゴジラ。色んなものがあっていいんだと人は言うが、それはつまり、確かなものがそこにないということと同義だ。すべてが等しく不確かで、どこにも居場所がない――虚ろを前提とするから成り立つ多種多様(バラエティ)

 だから、それ(ゴジラ)に対する憎悪も崇拝も、煎じつめればさほどに意味も違いもないのだろう。すべて個々人の解釈から生じた何かの間違いでしかなく、どちらにしても己の尾を噛むようなものであり、心の底から無為である。

 

 きっと、今、ギドラに一方的に蹂躙されているのは、ゴジラであってゴジラでない。

 

 これは、問いかけなのだ。

 

 人の本質は群体であり、一人ひとりの繋がりが世界の縁取っていく。そしてゴジラは、いわく人々の解釈の鏡なのだという。ならばゴジラの迷妄とはヒトの迷妄であり、それ即ちこの世界の不確かさに直結する。

 

 ゴジラ(世界)に確かなものなど一つとなく、すべてが移ろうということ。

 どんな正論も、立場が変わればいくらでも逆張りできてしまうということ。

 自分にとって受け入れ難いものが世の道理として持て囃されるということ。

 好きなものが衰えて、嫌いなものが跋扈するということ。

 

 そうして、人々がその虚しさに気が付いてしまった時に“それ”の需要が生じるのだ。

 己の好悪を共有できない敵ばかりの世界で、せめてもの絶対と信じたゴジラさえもあらぬ幻想、砂上の楼閣でしかないのなら、拠り所とするべきはなんなのだ、と。

 

 わからない、わからないけれど、だからこそ何かがあってほしいと願うのだ。

 

 虚ろから何かを見出そうとする人の自滅の意思が結実した、この宇宙における究極的な解釈の象徴――それこそがギドラ。

 

 何もかもが移ろいゆく不確かな世界で、不変のものなど滅びしかない。露悪(ニヒリズム)の権化は、誰もが目を背けていた真実を否応なしに突きつけていく。

 今や見渡す限りの混沌が、東京の街を、関東一帯を、果てに世界中に広がっていた。

 

 そしてその命脈を根幹から絶たんと、ギドラは遂にゴジラ(世界)の核を捉えた。終焉の彼岸へと誘う牙を前にして、もはやなんの抵抗もできず宙吊り状態で項垂れるゴジラ。

 

 死ぬがいい。

 滅びるがいい。

 おまえたちは、とにかく不快な気分であればいい。

 

 

 それこそが救いであると、三つの巨大な顎が大きく上下に開かれた瞬間だった。

 

 

 

 

「てめえが死ね」

 

 

 

 

 人の本質は群体であり、一人ひとりの繋がりこそが世界の形を縁取っていく。

 その前提を大いに揺るがす、あまりに凶暴すぎる突き抜けた”個性”が黄金の闇を突き破った。

 

 

◆7◆

 

 

「来ると思っていたぞ、黄金の終焉。本来おまえの顕現条件には”■■”も”眼”も必要ないのだろう。そもそもゴジラを一呑みできる化け物の出力が、たかが人ひとりがいるかいないかに左右されるという設定からしておかしいのだ。

 大事なのはこの世の解釈がどれだけ乱れているのか――人々がゴジラに何を望むのか、そこが崩れた時にこそ貴様の需要が生まれるのだろう」

 

 時刻は少々遡る。

 例によって、国会議事堂の開けたテラスから”それ”を臨むのは黒木翔、都心部一帯を黄金のとぐろが覆い尽くすという衝撃的な光景を、死んだような瞳がじっと見つめている。

 

「久しぶりだ……()()()()()()()()()()、私は貴様に何もかもを奪われたVS世代の搾りかすだよ。仲間も部下も先達も、()()()お前にすべてを喰われた無様な敗残兵だ」

 

 覚えてはいないだろうが、と自嘲する男。

 泥のように輝く黄金。その威光を前にして、心に秘めた解釈(ゴジラ)の痛々しさを暴かれているのは彼も同じ。発狂しそうな苦痛と羞恥を煽られているはずなのに、眉一つ動かさないのはどういうことなのか。

 

「決まっているさ。私の痛々しさなど私自身がよぉぉく知っている。今までの歳月をただひたすら自虐に精を出してきた男が私なのだ。それを(つまび)らかにされたとて、今更何も感じん」

 

 つまりはそういうことである。

 彼自身が誰よりも、己のことを見下げ果てた愚物と蔑んでいる。今まで何千何万何億と、飽きることなく己の度し難さを血を吐くように叫んできたのだ。汚泥の降り積もったそれに、今さら砂を一掛けしたところでなんだという。

 

 驚天動地の激戦の果てに、降臨した黄金の終焉。あのゴジラが手も足も出ずに一方的に蹂躙されているという紛れもない絶望を前にしても、男はただ疲れ果てたため息ひとつつくのみだ。

 そもそもこの状況が、彼が望んで作り上げたものに他ならないからだ。

 

 魔晶襲来の混乱にかこつけてオキシジェンデストロイヤーを起動――そして疲弊したゴジラをスーパーXIVで嬲りものにすることで、ゴジラという存在がどれだけ不確かなものなのかを世界に示す。モスラとバトラが喰われるという事態は流石に予想外だったが、それ含めて事態は彼にとってすべてが好都合に進んでいた。

 すべては世の理を乱すことで、ギドラなるものを現世に引きずり出すためである。

 

 その言葉遣いから明らかなように、何処かの平行世界においてエクシフと名乗った知的生命とは違って、ギドラを神と仰ぐ心算など彼には皆無。どうあろうと、彼にとってはゴジラこそが至上の位置にあるのは揺るがない。

 

「私にとって、この宇宙で何よりも素晴らしい存在がゴジラなんだ」

 

 ゴジラがギドラへの捧げものでしかないなんて――そんな理屈が受け入れられるはずもない。

 ましてやそれが、こんな風に知的生命にオムツの如く扱われるなぞ……これではまるでゴジラが被害者のようではないか。自分でこの事態を引き起こしたことを棚に上げて、老将は微苦笑とともに続けた。

 

「おまえを愛している、嘘じゃないさ。しかしそれ以上に、おまえのことを憎悪しているのもまた否定できん。

 困ったものだよ。私はおまえに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とすら思っているのだから」

 

 こうして宇宙の訳の分からぬ法則に弄ばれるゴジラの姿を見ていると、ざまあみろと胸がすくようでたまらなくなるのだ。

 

 そりゃあそうだろう、いったい、人類がどれだけゴジラという概念に苦しめられてきたと思っているのだ。

 あのゴジラ(ジュニア)ゴジラ(先代)は別個体だろうという指摘も、今となっては的外れだ。ゴジラの正体が群体(ヒト)の解釈の収束点である以上、すべてのゴジラは本質的には同一個体だ。つまり、その出自や見た目などは識別記号(ロットナンバー)でしかないわけで……嗚呼ともかく言えるのは、どのゴジラも背負っている罪と業は変わらないということ。

 

 だから、ゴジラを愛しているという本心と、憎い殺したいという本音。相反するはずの両者が、少なくとも彼の中では矛盾のないものとして両立してしまう。

 

「――自覚はある。私たちはどうしようもない生き物だ。早急に滅んだほうが世のためだろう。

 山を崩し、海を汚し、欲求を満たすために必要以上に殺し、奪い、争い、憎む。そして、食い過ぎで肥満になり不健康にまでなって最後に崩れる。

 この愚かしさに対して()()()()()()()()()()()という戒めこそが、貴様ら怪獣に込められたありがたいメッセージなのだろうが……生憎と、我らヒト型種族がそれを素直に受け取れるほど賢い存在なら、そもそもこんなことになっていない」

 

 怪獣とは元来、「祈り」を司る存在だ。それ即ち、ヒトにとって耳の痛い説教のことである。有り体に、”おまえたちはこのままだとダメなんだ”という警報を鳴らすために彼らは具体的な形を伴ってヒトの前に姿を現すのだ。

 始めの内はヒトも神妙な顔をしてそれに耳を傾けているが、それすらただの興行(エンタメ)にしてしまうのがヒトの不徳の為せる業。牙を抜き去勢して首輪をはめて、次第に”らしさ”というものすら脱臭していく。

 

 それを度し難いというならそうだろうが、でも、頼むからそれを悪し様には言わないでほしい。

 

 だって仕方がないではないか。

 全部、おまえたち怪獣が素晴らしすぎるのが悪いのだ。

 元とは言えば、人里に降りてきた害獣の規模が少々大きくなっただけなのに、どうしておまえたちはそんなに素晴らしいのだ。

 

 神々しくて胸躍る。完璧すぎてあり得ない。もっと見ていたくてたまらなくなる――そうやって手を変え品を変え、時には着せ替えながら愛玩しているうちに、おまえたちはいつしか無名ののっぺらぼうにまで零落していたのだ。

 むしろ嘆くべきはこちらだろう。

 

 人の業によって地球環境が滅びることなどより、こっちのほうが一兆倍は不幸だろうがと黒木は本気で信じている。

 

 だって、行きつく先が、それ(ギドラ)なのだから。

 

 男の、腐った泉のように濁り切った瞳が、じぃっと空を見つめる。天を覆う黄金を、筋張った五指がかきむしるかのようにわなないた。

 

「怪獣を讃えろだと? 怪獣との大いなる合一だと? 何かと思えば、そんな程度なら、もうこれ以上にないってくらいにはやっているよ。

 人は怪獣に滅ぼされるために存在するだと? 怪獣こそが地上の支配者で、人間は地球を蝕む居候にすぎませんだと? 何をいまさら、そんな程度を目から鱗のごとく、大仰に語るってどうする。

 なあ異世界の住人たちよ、それらはまず貫きべき大前提で、その先にある未知にこそ、価値があるんじゃないのか」

 

 黄金という泥のような闇によって、輝く黒が沈没していく様を、男は血涙を流しながら、しかし視線を逸らすことなく睨みつける。

 雄々しく、頼もしく、力強く、無敵のゴジラが崩れていく様を見るのは忍び難い。なのに湧き上がってくる仄暗い悦びを抑えられないという失望こそが、何よりも彼の心を切り刻んでいた。

 

 自らが愛するものが貶されることに倒錯的な快楽を覚えてしまうという、神がかり的な度し難さ――嗚呼、彼こそまさにオタクの鑑である。

 

「要するに、自分が認められないものが世に蔓延っている事実が許せないという、実につまらない器の小さい男が私である。みっともなく泣き叫ぶだけの屑がこの私だ。こんな無様で気色の悪い老人の戯言になど、何の値打ちもないことは先刻承知――嗚呼、しかしそれがどうした、これが私で、これがヒトだろう。

 そうした我らの醜さを冷笑的に嘲笑い、そのくせ己の本音を隠す卑怯者ども。あるいは己は違うと自称違いの分かる嫌味なお利口どもめ。忌避なく言うが、心底邪魔だ。ゴジラの価値を汚す害虫どもめは、早急にこの宇宙から絶滅させねばならん」

 

 認めてたまるか。許してたまるか。

 激しくつっかえそうに息をしながら、男は絞り出すように叫んだ。

 

「は、ははは。キドラ、ギドラよ。なんだ貴様、怪獣のくせに、たかが怪獣のくせに、俺の、いや俺たちのゴジラを倒そうってのか。随分えらそうじゃないか。わからせてやりたくなったぞ――嗚呼、ここにちょうどいい狂犬がいてな。おまえを殺してやりたいと吠えているのだ。せっかくだ、相手をしてやってくれないかギドラよ」

 

 

 

 失笑を漏らす男の視線のその先、超極規模の斬閃がギドラに激突した。

 

 

 

◆8◆

 

 

 ギドラの顎がゴジラの首に喰いつこうとした、まさにその瞬間のこと。

 何の前触れも伏線もなく、まるで隕石のような勢いで、成層圏の彼方から殺意の塊が真っ逆さまに突っ込んできた。

 

 

「死ぃぃぃぃぃぃいねぇぇえええええええ!!」

 

 

 握り拳を叩きつけるみたいに、衝天の殺意が力任せに振り下ろされる。

 人間サイズが生み出しているとはとても思えない極大規模の一太刀がギドラの首を両断――しない。

 

「死ねよてめぇなんで死なねえんだ――」

 

 例によって攻撃はすり抜けて、その勢いのまま”彼女”は地面に叩きつけられた。その無様を前に、ああやはりという失望の念が人々に広がっていくのだが、そんな周章狼狽など意にもかけず少女は――パネト・ヘイトスピーチは湧き上がる砂塵を鬱陶しそうに切払って――

 

「オレが死ねっつってんのに死なねえなんてのは――」

 

 背骨が折れそうなほどに背を反らせたまま、地軸ごと切り裂く全力の刃を再びギドラの脳天に叩き落とした。

 

「おかしいよなァ――!」

 

 鎧のように纏っていた灰色の噴射はギドラを通り抜けていくたびに亀裂が走り、掠めるたびに剥ぎ取られていく。ああけれど、知ったことかよとわき目も降らず突進するその凄絶。

 ゴジラと違って燃料(リソース)は有限のはずなのに、無限大の殺意は消しきれない。なおも高速回転を続ける烈しすぎる刃は、振臂のたびに膨れ上がっていく。

 

 無論、吠えたところでそれがギドラに届くはずもないのだが。

 全平行宇宙の解釈(ゴジラ)を呑みほして余りあるギドラの総体は、渦巻く銀河まさにそのもの。端末でしかないこの龍体すら、星系すら消し逝かしてしまう虚無の連なりときているのだから、結果はお察しというものだろう。あの魔晶を屠った致命の刃すら、()()()()()と言わんばかりにすり抜けてしまう。

 

 ましてや、ギドラは今のところパネトに気が付いてすらいないわけで――いや、気づくも何も、この怪獣はそもそも何も考えていないのだ。

 ギドラにとって彼我の境界とはあまりに曖昧なもので、だからこそそこにいるかいないかわからないという反則が成り立っているのだ。

 

 畢竟、気が狂ったような剣戟のすべてが虚しく空を切るだけ。嗚呼しかし――

 

「知るかよ死ねェ!」

 

 けれど彼女は止まらない。

 技も何もあったものじゃない、勝算や戦略など端っから度外視した刃は、虚無の彼方の異次元だろうが両断してやるという凄絶な凄みを帯びていた。傍目からするとやけっぱちとしか思えない剣筋は、あるいはその輝きを斬線で塗りつぶしてやろうとしていたのかもしれない。

 

 無論、天に揺蕩う黄金は、依然不変。

 光の帯が戯れのように流れていくだけで、この星から形ある確かなものが一つ、また一つと失われていく。

 強弱という次元で語れる分、あの魔晶に挑むほうがまだ話が成り立った。ヒトが単独でこれに挑むというのはそういう話ですらない。もはや発想自体が何かの異界の法則としか思えず、あらゆる意味で終わっている。

 

 しかし、やはりしかし。

 

「そこにいるかいないかわからないから、攻撃が効きませんだぁ? 阿呆が、血も肉もない幽霊風情が、何でもありの白けた設定並べんじゃねえぞ」

 

 理屈の通じない怪物なのは、彼女もまた同じである。

 

 あのエクシフがこれを目撃したなら信仰の崩壊すら招きかねない、まさに天の崩落が如き光景だった。あるいは■■■■■■なら腹を抱えて笑っただろうか。

 

 いずれにせよ馬鹿である。

 悪い意味で馬鹿である。

 

 扇風機の羽のように頭を中心にして高速旋回しながら突貫して、そのまま空を切ってビル街に激突していくその有様。威勢よく啖呵を切っておきながら、まったく目も当てられない体たらく。これは、もしかして笑っていいのだろうか?

 

 ヒトは怪獣に挑んではならないという不文律を、いったいこの少女は何回破るつもりなのか。そんな筋書きのどの辺りに需要があるというのか。

 何しろ、はたしてゴジラとは何なのかという深遠な問いかけを前に誰もが苦悩するその最中、部外者(モブキャラ)が土足で踏み込んできたのだから。

 もはや目も当てられない痛々しさである。頼むから死んでくれ、引っ込んでいろよと誰もがそう唱和するが――

 

「納得いかねえ。こんなもんがゴジラであってたまるかよ」

 

 低い呟きが、押し寄せるすべての解釈の波を鋭く跳ねのけたのだ。

 ぐるりと宙を切った一閃が、もらい事故的にゴジラの肉体を削り取る。結果的に拘束が緩んだ形になったことで地面に真っ逆さまに墜落していくゴジラを、灰色の双眸が憎々し気に見下ろした。

 

 獲物を見失ったことでそこで初めて、ギドラはパネトを認識できたのかもしれない。あるいは彼女の類まれなる感知能力(センサー)がギドラに通ずるものがあったのか。

 いずれにせよ、これでパネトは御終いだ。

 どうせ死ぬのだから過程の苦痛に意味はないという、あのゴジラすら問答無用で抹殺する冷笑(ニヒリズム)の権能は、かの平行世界においてはただ視界に入ったというだけで数千人もの命を永劫の彼岸へと追いやった。

 

 触れた瞬間に魂を砕かれ狂死する、まさに沸騰し沸き立つ原始の混沌。怪獣と同化して存在強度がたかが数百桁上がった程度で太刀打ちできるはずもない嘲弄の瀑布がパネトに叩きつけられるが、嗚呼しかし――

 

鬱陶(うぜ)ぇ」

 

 いったい、これで何度目なのだ。

 ヒトが内に秘めたる解釈(ゴジラ)を暴き、その羞恥を煽ることで個我を砕く。その威光はパネトにも等しく通じているはずなのに、なのに彼女の殺意は止まらない。それはつまり、彼女にとっての解釈(ゴジラ)が揺るぎないということを意味していた。

 

 ならば問おう――おまえにとって、ゴジラとは何なのだ?

 

 ゴジラとは、まさしくなんでもありだ。

 あらゆる解釈を肯定する高い自由度とその振れ幅は、しかし無節操と何が違うのだろう。無論、ゴジラに対してそんな見方をすること自体が意地の悪い逆張りでしかない。

 

 けれど、みんな本当は気がついているのだ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。凡ての解釈を貴賤なく平等に扱うとは、本来そういうことだ。

 誰しもヒトが全力で愛して憎んで命をかけたゴジラという存在は、そういう存在になった。いや、なってしまったというべきか。

 

 有り体に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が誰にもわからない。それが悪いかと開き直ることもできず、はたしてこれはゴジラなのかと誰もが苦悩する羽目になる。それは悲劇であり、それは喜劇である。

 ならば、すべては泡沫の夢でしかなく、銀幕の向こうの興行(エンタメ)でしかないと斜に構えて皮肉ることが正解なのか?

 なぁ、ゴジラとは何なのだ?

 

 教えてくれよと微睡む瞳を真正面から睨みつけて、少女は迷いなく言い切った。

 

「オレの怒りだ」

 

 雄々しい断言は、しかしヒトとして何か大事なものを致命的に違えている。

 怪獣が怪獣としてあるための不文律に唾を吐き中指を立てる、こんな程度の何がありがてぇんだ死ねと唾を吐き、だったら俺が怪獣になってやるよと飛翔する狂気の灰翼。

 

「憎むものがいなきゃ怪獣なんてただの巨大生物だと? 地震や台風は怖くはあっても憎くはない? 誰が決めた、なんのルールだ。そんなお上品な言葉遊びで、このオレの怒りが解消されてたまるかよ。オレじゃないってならすべてが敵だ」

 

 好きだから、大切だからと、すべての解釈を平等に大事にしたことで世界(ゴジラ)が無価値で虚ろなものになってしまうのならば。

 ならば逆に、その凡てを全力で憎むことで世界(ゴジラ)は確かなものになるに違いない。

 

「オレは徹頭徹尾この世のすべてが大嫌いで、つまりオレ以外のものがすべてがゴジラなんだ」

 

 無論、矛盾である。

 言葉遊びで己が怒りを弄するなと言うが、彼女のそれもまた煎じ詰めれば一つの言葉遊びでしかない。けれど気が狂った少女の舌は止まらない。口喧しく並べられていく理屈は、いずれもまさしく支離滅裂。

 

「オレはここにいる。オレはおまえを憎んでいる。嗚呼なるほど、だったらおまえもゴジラだな」

 

 しかし頭のおかしな理屈のみが、虚ろな幻に確かな像を見出すことができる。

 物理法則を冷笑と嘲笑によって破壊するのがギドラなら、極まった超馬鹿理論こそが移ろう世界に楔を打ち込むことができるのだ。誰もが尻込みする虚無の領域に踏み込むことに躊躇いなどない。

 

「おまえがゴジラだってならオレたちヒトと正面からぶち殺しあわなきゃダメだろうがァ!

 そこにいないから攻撃はすり抜けますだァ? 知るか死ねよ舐めた設定並べるんじゃねぇ! ここにいるオレが死ねって言ってるんだからとにかく死ねよ! とにかく戦え殺しあえェ!!」

 

 そんなことができるのか――できる、できるのだ。なぜなら彼女こそが、ゴジラ史上空前絶後の超絶個性(キャラクター)――ただの個人が怪獣以上に目立つというあってはならない行為でもってあらゆる文脈に中指を立てる。

 

 もちろんそんなあまりにも力任せな方法が、ギドラの攻略法になるとはとても思えなかったが――構わない。彼女の目的はギドラを滅ぼすことではない。そもそもギドラなどは二の次三の次以下だ。どうでもいいだろうあんなもの。

 回りくどいようだが、彼女の罵倒はそのすべてがゴジラに対して向けられているものなのだから。

 

「いまさらながら、おまえのことはよく覚えているぞギドラ――何しろおまえは、未希姉さんをぶち殺した怪獣だからな」

 

 ただ今はおまえじゃないんだよと、そう低く呟いてから、力なく蹲るゴジラに近寄っていく。

 

「言葉は通じるか、黒トカゲ」

 

 優しく、そっと、ったく情けねぇ姿を晒すんじゃねえよと言わんばかりに軽く蹴り上げる。それもまたある意味、誰も成し遂げたことのない空前絶後だった。

 

「このふざけた蛇野郎をぶち殺すぞ、いけるよな?」

 

 瞬間、応えるように、果ての知れない灼熱とともに一条の熱線が天に迸った。

 

 そして同時に、巨体に空いた風穴を埋めるように吹き出す烈火の炎。夥しい裂傷から血潮のように火を噴きながら、ゴジラは再び新生する。刻まれた亀裂は変わらない。分厚い胸板からは、今も命が溢れていくけどそれがどうした。問題あるまい、まだそこにいるならぶち殺せる。

 

 それを間近で眺めながら、半壊した肉体で少女は朗らかに笑うのだ。これがゴジラだかくあるべしと――

 

 誰が何と言おうと、ゴジラの本質とは”怒り”である。それが悲しい在り方だと嘯くものもいるかもしれないが、現状への凄まじい反発心こそが、ゴジラのすべての始まりだったことは誰にも否定できない事実だろう。

 だからこそ、みんなの無限大の怒りに照らされることで、黒い太陽は揺るぎないものとして天に輝くのだ。それを指して虚ろなどとは誰にも言わせない。

 

 今や、その炎の揺らめき一筋さえもが超新星爆発を上回る熱量を秘めている。燃え上がれ怪獣王。爆縮されていく超超々高密度のエネルギーにより、その輪郭が煙のように溶けていく。半ば概念的な熱エネルギー生命体へと昇華していくゴジラだが、それはギドラのように実存ごと曖昧になっていくことを意味していない。実態はむしろその逆――どこぞの一兆度の炎すら比較対象にならない余りある”正”のエネルギー。

 有り体に、()()()()()ことによってゴジラはギドラを超えようとしていた。

 

 そしてこれは、多様な解釈が折り重なった果てに妥協として抽出された偽りの強さではない。

 ゴジラとは、その始まりからして何よりも強く何よりも怒り狂う荒神だった。そこに解釈の揺らぐ余地などない。ならば、今こそそこに立ち帰る時――原点回帰に他ならない。

 

 

 ――俺たちのゴジラは終わらない。いいや、ここから始めるのだ。むしろ()()()()()()()()()()でなぜ最期を迎えなければならないのか。

 

 

 そんなよくわからない”正”のエネルギーが、あらゆる冷笑(ニリヒズム)を焼き尽くす。

 俺たちの解釈(ゴジラ)を見せてやる。迷妄に苦しんでいたはずの人々は、今や誰もが力強く咆哮していた。燃え上がるゴジラの姿に、誰もが不屈を見出していた。

 

 よくわからないがそれでいい。理屈など知ったことか。

 

 別に、ゴジラに対して己の身勝手な解釈を押し付けてきた醜さに人々が正しく向き合ったわけではない。それの何が悪いと開き直ったわけでもなくて――ただ、彼らはこれではない何か違う未来(ゴジラ)を求めていた。

 

 これは違う、これではない。

 今の世界は間違っている。

 仔細は違えど、地球に住まうすべての人々が、とにかく怒っていたのだ。

 

 それは捻くれているけどまっすぐで、よくわからない先を望む解釈で、それらがとにかく片っ端から意味不明で超絶馬鹿な熱量へと変換されていく。人類七十億人の怒りの流れは、もはや誰にも止められない。

 

 だって、みんなはずっとこれが見たかったのだから。

 

「馬鹿馬鹿しい、こんな簡単なことに、なんでどいつもこいつも悩んでいやがったんだ?」

 

 これがゴジラなのだ。

 これ以外はゴジラではないのだ。

 

 この斬新な再解釈(リブート)を、気を衒った迷走(アンチヘイト)などと貶めることは断じて誰にも許しはしない。

 夢見た景色はここにある。

 

 対峙する両者。

 第二ラウンドの火蓋は、これをもって切って落とされたのだった。

 




ランドウ ( ゚ρ゚ ) ←今こんな感じ


しかし、「ゴジラ」そのものじゃなくて「ゴジラ界隈」とか「ゴジラ創作論」に踏み込んだ時点で底なし沼にはまった気がするすかろくです。
界隈について語る時点でもう視点がオタクじゃないというか……
以前に語った通り、作品中で特定の思想や嗜好を攻撃するってのがどうも苦手なので。
作中で何かが否定されなければならないとするならば、それは作者本人でなければならないと思うのです。

流石に次回こそは第一部完結



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。