忍と武が歩む道 (バーローの助手)
しおりを挟む

プロローグ

 

 

 

 

ここで少し、とある男が歩んだ生について話そう。

 

男が生まれた時は、争いの時代の中だった

男が育った場所は、争いの中にある場所だった

 

男の周りの人間は、誰も彼もが何らかの形で戦争に関わっていた。

 

自分とよく遊んでくれた人がいた

自分にお菓子を作ってくれた人がいた

 

自分に稽古をつけてくれた人がいた

自分に勉強を教えてくれた人がいた

 

自分がとても好きだった人がいた

自分ととても仲が良かった人がいた

自分にとって、とても大切な人がいた

 

その人達は、いなくなった

みんな戦争に行って、みんな戦いに行って

 

その人達は、もう帰ってこなかった

男はその人達に、二度と会う事はできなかった

 

男は戦争が嫌いだった

自分の大切な人を奪っていってしまう戦争が嫌いだった。

 

そして戦争は、一先ずの終焉を迎えた

もう誰も、戦争に行く必要がなくなった

 

でも男は不安だった

また戦争が起こる事が、それによって自分の大切な人がいなくなってしまう事が

 

だから男は強くなった。

自分の大切な人を守れる様に

 

自分以外、もう誰にもこんな思いはさせない様に

 

男は強くなった

とてもとても強くなった。

 

そして成長と共に、男は自分がいる世界の事が段々と理解してきた。

 

戦争は終わった

だけど、それ以外にも「危険なモノ」は世界に沢山ある事を

 

そんな「危険なモノ」は、自分たちの近くにも潜んでいる事を

その「危険なモノ」は、いとも簡単に自分の大切な人を奪っていってしまう事を

 

そしてそういう「危険なモノ」から皆を守る為には、自分もまたそんな「危険なモノ」にならなければならないという事を

 

だから男は、「危険なモノ」になった

自分の大切な者を守るために、悲しい思いを誰にもさせない様に

 

男は強くなった、強くなり続けた

男は戦った、戦い続けた

 

 

そして男は重要な、重大な選択を迫られた。

 

 

男の近くに、とても近くに、「危険なモノ」が存在した

そしてその「危険なモノ」を消さなければ、とても多くの人が犠牲になってしまう

 

選択とは、その「危険なモノ」を消すか否か

 

 

男は悩んだ、とても悩んだ

男は考えた、凄く考えた

男は苦しんだ、途方もない程に苦しんだ

 

 

何故ならその「危険なモノ」は、他ならぬ自分が守ってきた「大切な者」だったからだ。

 

 

男は悩んだ、頭が捩じ切れるほど悩んだ

男は考えた、脳が悲鳴を上げ続けても考えた

男は苦しんだ、心が八つ裂きにされ魂が蹂躙されるほど苦しんだ

 

そして男は選択した

「危険なモノ」を消し去る事を

 

自分が守り続けてきた、自分にとって最も大切な「危険なモノ」を消し去った。

 

 

男には、弟がいた

この世で一番大切な弟がいた

 

弟は何も知らなかった

 

自分の兄が

自分の両親が

 

自分の「大切な者」が抱えていた「危険なモノ」を、弟は何も知らなかった。

 

弟は何も知らなかった

男は何も教えなかった

 

弟は男を憎んだ

男は弟に憎まれた

 

だから弟は、いつか男を殺してやると思った

だから男は、いつか弟に殺されようと思った

 

 

時が流れた

 

 

男の前に、弟が現れた

弟はとても強くなっていた

 

男と弟は戦った

激しい戦いだった

 

そして弟が勝った

 

そして男は負けた

そして男は死んだ

 

 

―――許せ■■■…これで最後だ―――

 

 

男は死んだ

大切な者のために戦い、戦い続けて死んだ

大切な者を守り、そして守り続けて死んだ

 

男は死んだ

強くなった弟の姿に安心して

 

最後に残った自分が最も「大切な者」を守れた事に安堵して

 

男はそのまま、息を引き取った

 

 

これが、男が歩んだ道だった

 

これが、男が歩み続けた生き様だった

 

これで、男の話は終わりだった

 

 

 

そう

 

終わる筈だった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜は、雲が少ない月と星がよく見える夜だった。

 

そこはとある河原の道

川は月と星の光を反射し、鏡の様に夜空を映していた

 

夜風は頬を撫でる程度に吹き、季節がら暑くも冷たくもない

 

そして耳を澄ませば、川の潺と草木に宿る虫達の音色が静かに響くような夜だった。

 

 

そしてそんな道を、少女が一人歩いていた

艶のある長い黒髪に、同性でも見惚れるであろう貌とプロポーション

 

手足はスラリと伸び、体は女性らしさにあふれ

されでも内には確かな鍛錬と修練の結晶を宿して、美しさと強さを兼ね揃えた肉体だった

 

少女の名前は、川神百代と言った。

 

退屈を紛らわす様に、心の暗雲を誤魔化す様に、闇夜に浮かぶ月を眺めながら行き慣れた河原の道を歩いていた

 

「……もう少し、楽しめると思っていたんだがなー……」

 

溜息交じりに呟く

今日は久しぶりに他流派の武術家との、正式な手合せの日だった

 

長き伝統と確かな功績を持つ古流の一派

実力・技術は勿論、高い人望と器量を持つ指折りの達人

 

百代自身、その名を幾度となく耳にした事があり、兼ねてより手合せしてみたいと思っていた者の一人だった

 

だから、今日こそは解消できると思ったのだ

自分の渇きを、自分の疼きを……

 

確かに凄かった

確かに強かった

 

だが、それだけだった

蓋を開けてみれば、いつもと同じ様に相手が倒れ伏し、自分はただそれを静かに見下ろしていた

 

自分が渇望していた時間は、あまりにも短く終わってしまった

 

終わって胸にあるのは、物足りなさ

飢えにも似た強者を求める己の疼きだった。

 

「…なまじ実力があった分、余計に物足りなく感じてしまうな…」

 

空腹時に下手に食い物を口にしてしまうと、余計にお腹が減る…その感じが今まさに百代が感じている事だった。

 

足りない、これでは足りない、全然足りない

 

自分はもっと戦いたい

 

こんな不完全燃焼な戦いではない

 

もっと強い者と闘いたい

 

もっと血が滾る様な、もっと心が脈打つ様な、もっと魂が震える様な

 

そんな強者と、心行くまで戦いを楽しみたい

 

 

しかし、その望みは今日も叶える事が出来なかった

 

一体いつからだろう?自分が勝って当然になったのは?

一体いつからだろう?戦えば戦う程に落胆していく様になったのは?

 

一体いつから、こんな風になってしまったのだろう?

 

「……今更、か……」

 

気分を紛らわせ様といつもの「秘密基地」に行こうかと思ったが

今日はファミリー全員の都合が悪いのをすっかり忘れていて、秘密基地はもぬけの空だった

 

「…ワン子の奴が捕まらなかった時点で、思い出すべきだったな…」

 

小さな呟きと溜息が響いて、川神百代は再び歩みを進める。

 

悪い間というのは、どうしてこう連続でやってくるのだろう?

何となく気分が削がれてしまい

だったらせめて、月夜の晩を楽しもうと百代は帰宅ルートを大きく変えて、河原の道を歩いていた。

 

闇夜に浮かぶ月を見ながら

 

川の潺を聞きながら

 

夜の風を肌に感じながら

 

川神百代は、当てもない夜の散歩をしていた

 

もう、どのくらい歩いただろう?

 

月夜の晩も粗方堪能し、そろそろ戻らないと口五月蠅い祖父からまた長い説教を受けるだろうと思い道行く方向を変えようとした

 

正にその時だった。

 

 

「………おーいおい………」

 

 

自分の視界に入ったソレを見て、百代は思わず呆れた様に呟いた。

 

百代の視線の先に映るのは、一人の男

背の伸びた河原の草原の中に横たわる、一人の男だった。

 

「…酔っ払いか?それともこのご時世に行き倒れか?」

 

髪を掻きながら、再び呆れたような様子で百代は呟く

暗がりで恰好までは良く見えないが、倒れているのが成人男性という程度は分かる

 

ここは繁華街も商店街からも離れているので、こういう手合いは滅多に遭遇する事はない

 

百代はその事を少し疑問に思ったが、そのまま倒れている男に足を進めた

放っておいても目覚めが悪いし、それに急病人の類なら見捨てる訳には行かないだろう。

 

百代は歩みより、倒れた男の体に手を伸ばして

 

「おーい生きているか?生きているのなら返事を」

 

その言葉は、最後まで続かなかった。

 

 

 

「……ぇ?」

 

 

 

それは一瞬よりも短く起こった出来事

 

回転する視界

体に走る衝撃

倒れる身体

捕まれる手首

圧される喉元

封じられた動き

 

「――――っ‼?」

 

その瞬間、百代は自分に起こった事を把握する。

 

自分は倒れている

自分は体を押さえつけられている

自分は拘束されている

 

何故? どうして? どうやって?

一体ダレがどうやって?

 

瞬時に湧き起こる疑問

一瞬前の出来事が、未だに受け入れられていない

 

あの瞬間

 

反射的に体が迎撃に出たが、それは無意味だった

反射的に声が出そうとしたが、それは無駄だった

 

それは完璧な拘束

動きと声を封じられている百代自身が感動を覚える程の、圧倒的な技だった。

 

「――――」

「…………」

 

――月が見える――

――川の潺が聞こえる――

――夜の風を感じる――

 

「――――」

「…………」

 

――顔が見える――

――自分の鼓動が聞こえる――

――相手の呼吸を感じる――

 

互いの視線が交差する

目に映るのは、闇夜に浮かぶ月と赤い両の瞳

 

そんなあまりにも短く、あまりにも永い間を置いて

 

グラリと

力尽きた様に、糸が切れた人形の様に

男の体は百代の上に崩れ落ちた。

 

 

「―――――――」

 

 

男は動かない

力なく息絶えた様に百代の上に倒れこみ、一切動かない

 

百代は立ち上がらない

もう拘束は解かれているのに、もう自分を縛るモノはないというのに

 

川神百代は、立ち上がらない

 

痛い程に、胸の鼓動が激しく鳴っていた

燃えるように、体の熱を感じていた

恐ろしい程に、気分は高揚していた

 

それら全てが、川神百代に今の出来事が確かな現実だという事を教えていた

 

 

これが最初の出会い

 

これが二人の出会い

 

 

これが始まり

 

ここから始まる全ての物語の始まり――。

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 





あとがき
 自分の書いた妄想にここまで読んでくれた方々、本当にありがとうございます!

今回はNARUTOのとあるキャラ(オリジナルじゃないっす)がまじ恋の世界で色々やっていく…という発想の元に書き始めました!
今回は割とシリアスっぽい感じで始まりましたが、一応作品としてシリアス成分はそんなに多くないです。最初だけだと思います。

そしてどうして「NARUTO」のキャラが「まじ恋」の世界に?
という質問に関してですが、これはとりあえずそういうもんだって事でお願いします(笑)

そしてまじ恋から出てきたのは、先ずは百代さんです。
まだこの先彼女をどう扱っていくかは言えません、ですけどこの作品における主要キャラの内の一人です。

それでは次回にお会いしましょう。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一話

 

「~~♪~~♪♪」

 

ある日の学び舎にて、軽やかな音色が小さく響いていた

口元から漏れる小気味よいメロディーに合わせて、その感情を隠しきれない顔を小さく上下させている

その音色の発信源は、とある少女

周りから注がれる視線を気にする事もなく、少女は機嫌よくハミングをしていた。

 

その少女、川神百代はとても機嫌が良かった。

 

「川神さん、最近なんか凄く機嫌よさそうだね…」

「何かあったのかしら?」

「聞いた話だと、この前試合があったらしいよ。しかもすっごい強い人が相手だったんだって」

「…ああー、だからかー」

 

教室に居る同級生は口々にそんな話をしているが、百代自身は特に気にした様子はない

そもそもの前提が違っているのだが、百代自身は特には否定しなかった

何度か機嫌が良い理由を聞かれても

 

「まあ、そんな所だな」

 

の一言で済ましてしまい、尋ねた方も「本人が言うならそうなんだろう」と結論付けて、それ以上は聞いてこなかった

そんなこんなで時間が進み、授業が進み、全ての授業が消化する。

 

帰りのHRが終わると、百代は手早く荷物を鞄に収めて教室から出ていく

廊下を歩いていると、そこで見知った顔に出会った。

 

白い学生服に身を包んだ後輩の二人

長い茶髪をポニーテールに纏めて、活発で人懐っこい印象を持つ少女と

紫がかかったショートカットで、クールな印象を持つ少女だ。

 

「あ、お姉さま!」

「今帰り?」

「おお、ワン子に京か。これから帰る所だ」

 

百代の事を「お姉さま」と呼んだ茶髪の方が、妹の「川神一子」

紫の髪の方が、幼馴染の「椎名京」だ

 

二人とも、川神百代がいつも一緒にいる「ファミリー」の一員である。

 

「それなら、調度いい」

「これからまた秘密基地に集まるんだけど、お姉さまも一緒に行かない?」

「…あー、これからかー…」

 

二人の提案を聞いて、百代は僅かに迷った様に表情を曇らせる

いつもならこの提案に間髪入れずに頷く所だが、今回は事情が違った。

 

「…悪い、今回はパスだ」

「えー! 昨日も一昨日も来なかったのにー!?」

「また病院?」

「ま、そんな所だな」

 

少し考えて、百代はその提案を断ると一子の方は露骨に不満を口にして

京の方は確認する様に呟く、確認する様な京の言葉に百代は頷いた。

 

「まあ、最初に見つけたのは私だしな。一応目を覚ますまでは様子を見に行ってやろうと思ってな」

 

百代が二人に説明をするが、それでも二人は余り納得が言ってない様だ

 

「…う~ん、確かにお姉さまの言う事も分かるけど…でもちょっとくらいなら」

「少し、不思議」

 

一子も京も、数日前に起きた出来事を本人の口から聞かされ知っていた

だからこそ、二人は百代に違和感を覚えていた

 

一日や二日ならともかく、今日で三日目だ

親しい人間なら兎も角、初対面の人間に対して自分の時間を潰してまで付き合えるだろうか?

 

――しかも、「あの」川神百代がだ――

 

ここで京は何か思いついたのか、悪戯っぽい笑みを浮かべる

そして探るような視線を百代に向けて

 

「もしかして、一目惚れ?」

 

そんな言葉を放つ

勿論、京自身そんな事は有り得ないと理解している

ここで百代が否定してくれれば、そこから自分達の誘いへの足掛かりが出来るからだ

 

だがしかし

 

 

「良く分かったな、その通りだ」

 

 

百代は、京の言葉をあっさりと肯定した

 

「…え?」

「…へ?」

 

そんな間の抜けた声が響く

一子も、質問した京自身も、百代の言葉に目を見張った様に驚きの表情を浮かべる。

 

そんな二人の様子を見て、百代は小さく笑って

 

「冗談だ」

 

そう言って、手をヒラヒラと振りながら二人を後にした

一子と京は、未だ驚きの表情を浮かべたままで

 

「…今の、どう思う京?」

「…よく、分からない…」

 

後に残された二人の、そんな言葉が小さく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

……一目惚れ、か…確かに、あながち冗談でもないな……

 

病院への道を歩きながら、百代は先ほどのやり取りについて考える。

 

忘れもしない、数日前の出来事

行き倒れの男に歩み寄った、あの日の夜の出来事

 

あの時、確かに自分は戦闘態勢でいた訳じゃない

だがしかし、全く油断していた訳ではない

 

今まで自分が叩き潰していた輩の中には、不意打ち・闇討ち・騙し討ちを躊躇いなく行う連中がいたからだ。

だから、当然あの時もその事を頭の片隅に入れていた

 

それでも尚、相手は自分を封じこんだ

反射的に迎撃に出た自分の攻防を潜り抜けて、自分を拘束し自由を奪った

 

もしもあれが、正式な手合せだったら

あの時点で、自分の敗北になっていただろう。

 

「……ク、く…くくっ……」

 

笑いを堪えきれず、思わずその声が漏れてしまう

まだ続きが、この話には続きがある

 

自分の楽しみをより一層の楽しみを加えてくれる、事実がある。

 

あの後、自分はあの男を近くの病院に運び込んだ

そしてその診察結果を聞いた

 

――目立った外傷はありませんし、恐らく極度の疲労からくる過労ですね――

――衰弱は激しいですが、十分な栄養と睡眠を取れば直ぐに体調はよくなるでしょう――

 

つまり、だ

あの男は、疲労し衰弱した状態で尚自分を封じ込んだという事だ。

 

今まで音に聞こえた達人でも不可能だったのに

自分を倒すためにベストコンディションを作り、体を作りこんできた達人でも無理だったのに

 

あの男は、疲労し衰弱した状態でソレをやってみせたのだ。

 

「……ぷ、く…くはっ……」

 

再び笑いが零れる

あまりに油断していると、幼馴染や身内にバレてしまう恐れがあるから自重しなくては

 

自分の祖父は、自分から他流試合や手合せ遠ざけている節がある

そんな祖父にこの男の事が知られてしまえば、この「楽しみ」が潰えてしまう可能性がある

 

だからこの事は、自分と付き合いの長い「ファミリー」の人間にも黙っている。

 

(……ワン子やガクトじゃ、ぽろっと口を滑らしそうだしなー……)

 

恐らくファミリーの何人かは、自分が何か隠している事には気づいているだろう

だがしかし、それでも暫くは祖父の目を欺けるだろう

 

自分の楽しみを見破り、そして邪魔になる事はないだろう。

 

あとは待つだけだ

あの男が目を覚ますまでの辛抱だ。

 

(……ああ、楽しみだ…本当に楽しみだ……)

 

まるで恋をする乙女の様に

まるで獲物にかぶりつく獣の様に

 

そんな表情を浮かべて、川神百代は上機嫌に歩みを進めて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

================================

 

===================

 

==========

 

======

 

===

 

 

 

先ず最初に目に映ったのは、無機質な天井だった

次いで夢と現が入り混じる微睡を頭に抱えながら、視線をゆっくりと回す。

 

「……ここ、は?」

 

自分が横たわっていたであろう布団とベッド

鼻腔を微かに刺激するアルコール系の匂い

腕に繋がれた点滴、日光を遮るカーテン、手入れが行き届き清潔感漂う一室

 

そして…

 

 

「おはよう、寝坊助さん」

 

 

自分のベッドの傍に佇む、一人の少女

 

「……おはよう」

「うむ、しっかしよく寝ていたなー。自分は知らないだろうが、丸々二日以上爆睡していたんだぞ?」

 

 

少しの間を置いて、自分も挨拶を返す

恐らくここは医療関係の…設備や機材を考えると一般的な病院だろう。

 

この少女に見覚えはないが、言葉と状況から察するに段々と事態が飲み込めてきた。

 

 

「…貴方が、俺をここに?」

「そうだ。河原で散歩していたら、倒れているお前を見つけてな…ここまで運んでやった訳だ

 感謝しろよ?」

 

「…そうだな。見た所、大事に至らなかった様だ……ありがとう、お蔭で助かった」

 

 

黒髪の少女は口元に微笑を携えたままそんな風に軽く語り、自分もまたそれに対して返す

少し大げさな言葉を使ったせいか、少女は小さく「くくっ」と息を漏らして愉快気に表情を崩す。

 

これで大体の事情は把握できた。

 

となると、次に語るべき事は―

 

 

「さてそれじゃあ、世間話はこの位にして自己紹介をしようか?

 私の名前は川神百代、お前の名前は?」

「川神、百代か。俺の名前は…」

 

 

だがしかし、その言葉はそこで止まる。

 

「…名前、は…」

 

何故なら

 

「…俺の、名前は…」

 

何故なら

 

「…俺は、ダレだ?…」

 

 

自分で自分の事を、全く覚えていなかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…うーむ、参ったな…」

 

既に陽は夕闇に沈んだ帰りの道

百代は困惑気味に呟いた。

 

「まさか、記憶喪失とはなー」

 

漫画やドラマじゃあるまいし、と心の中で付け加えて呟く

あの男は、自分の事を何も覚えていなかった。

 

自分の名前、住所も、誕生日も、何一つ覚えていなかった

 

精密検査の方でも、やはり頭部や脳にはこれと言った異常はなかったらしい

健康面も何一つ問題なし

だが入院費等の関係で、身元が判明するまでは病院に身を置くとの事だが…それも期限つきだろう

 

病院だって慈善事業だってやっている訳ではないのだし、やはりそんな長い間は病院におけないだろう。

 

「さて…どうしたものか…」

 

考え込みながら一人呟く

折角見つけた「楽しみ」に、まさかこんな問題が生じるとは思ってもみなかった。

 

今後の展開

身元が判明するにしてもしないにしても、このままでは自分の「楽しみ」が遠のいてしまう可能性が高い

 

百代としては、それだけは絶対に避けたい事だった。

 

百代は考える

考えに考える

 

そして考えに考えて

 

 

「…やはり、少し強引にいくか…」

 

 

小さく、だが力強く呟く

百代の中で考えは纏まった、建前も用意した、覚悟は決まった

 

ならば、後は実行するだけだ

 

「さて、それじゃあ早速準備に取り掛かるか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――」

 

夜も更け、消灯時間を過ぎ、月明かりだけが光源となる病室にて

記憶喪失のその男は中々眠る事ができなかった

 

丸二日以上の熟睡…というのも原因の一つだろうが、原因はもう一つある。

 

「…まさか、自身の事すら分からないとはな…」

 

自分は一体何者なのか?

自分は一体どの様な人間だったのか?

 

どんな物が好きだったのか?

どんな物が嫌いだったのか?

 

どこで生まれたのか?

どこで育ったのか?

どこに住んでいたのか?

 

どんな人生を歩んできたのか?

 

善人だったのか?それとも悪人だったのか?

健常者だったのか?若しくは異常者だったのか?

 

自分に家族はいるのか?友人は?知人は?

心配を掛けさせてないか?

 

いや、そもそもそんな相手は自分にはいたのか?

 

それ以前に、どうしてこうなった?

なぜ自分は倒れていた?

なぜ自分は身分証の類を持っていなかった?

 

「…………」

 

考える事は尽きない

そしてその事に同調する様に、自分の中では不安や不信と言った物が渦巻いて蓄積されているのが良く分かる。

 

漠然とした不安、感染していく不信

そして何より、犯す様に全身に浸透していく得体の知れない恐怖

 

自分には、何もない

自分という者を示す、自分という者を支えてくれる物が何もない

 

不吉な「何か」が、胸に淀み、頭を濁し、腹を歪ませていく。

 

 

「考えても、仕方ないか…」

 

考えて答えが出る物なら、とっくに答えはでているだろう

未だに答えが出ないという事は、現状では考えても仕方ないという事だろう

そんな風に自分の中で意見を纏めて、無理にでも眠りにつこうと思った所で

 

コンコン、と――

窓からそんな音が響いた。

 

「……何をしているんだ?」

 

唸るように男は呟く

男の視線の先、病室の窓の外側、そこには帰宅した筈の川神百代の姿があった

男が自分の姿を確認したのが分かったのか、口をパクパクと動かしている

唇の動きを読む限り「開けろ、入れろ」と言っている様だ。

 

「…何を考えているんだ?」

 

百代の真意は読み取れないが、このままにしておく訳にもいかないだろう

その自分の中で意見を締めくくり、その男は窓を開けて百代を部屋に招き入れた。

 

「よっ」

「何を考えているんだ貴方は?」

 

部屋に入り、何でもない様な様子で自分に話かける百代を見て

男は困惑気味に呟くが、百代の方は気にした様子はない。

 

「まあそう邪険にするな、こんな美少女が夜中にこっそり会いにきてくれたんだぞ?

 男なら一度は夢見るシチューエションじゃないか?」

「生憎と、記憶がありませんので」

「ならよかったな、貴重な体験ができたぞ?」

「…それで、一体何の用ですか?」

 

夜も遅いし、あまり時間を掛けては家族も心配するだろうと

男は百代に本題を尋ねる

 

「実はな、私が最初に見つけた時に着ていたお前の服。洗濯が終わっていたみたいだから持ってきたんだ

 何かの役に立つんじゃないかと思ってな」

 

ククっと愉快気に笑い声を響かせて、百代は目の前の男に持っていた紙袋を見せる

その百代の行動を見て、男は僅かに驚いた様子でそれを受け取った

紙袋の中には、黒くて厚手の布で出来た服が入っており、ふんわりと洗剤の香りを纏っていた。

 

「こんな時間に…態々ですか?」

「どうせ、面倒くさい事を一人で考えているんじゃないかと思ってな」

 

軽い調子で百代はそんな言葉を言って

男は自分の胸に、じんわりとその言葉が染み渡って行くのを感じた

百代の気遣いが、純粋に嬉しかったからだ。

 

「…ありがとう、ございます」

「礼なんていい。それより、折角だから袖を通してみないか?何か思い出すかもしれないぞ?」

 

「…そう、ですね」

 

百代の申し出を男は素直に受け入れる

百代の心遣いは嬉しかったし、何より何か自分の事を思い出すかもしれない…という淡い期待もあったからだ。

 

着替えの間、百代には後ろを向いて終わってその間に男は手早く着替える。

 

袖と裾の長さ大体七分といった所だろうか?

洗い立て乾き立ての服の感触は、思いのほか心地よかった。

 

「どうだ?」

「肌に馴染むような感じがしますし、動きやすくサイズも丁度いいですね。

 どうやらこの服が自分の物であるのは、間違いない無い様ですね」

「うむ、なら良かった」

 

軽く服の感触を確かめながら、男は軽く体を動かしながら感想を述べる

どこかに詰まりや引っ掛かりを感じたりはしないし、これが自分の服であるのは間違いないだろう。

 

百代はそんな男を見て、満足げに頷いて

 

「そう言えば、体調の方はどうだ?」

「記憶の事以外は問題ありません。長い間熟睡できていた様なので、体調の方もこれと言った異常は感じません

 明日あたりにでも、軽く運動をしてみようかと思っています」

「そうか…くくっ、そうかそうか」

 

その言葉を聞いて、百代は更に愉快気に口元を緩ませてウンウンと頷く

次いで百代は、目の前の男にその提案をした。

 

 

「それなら早速、夜のデートと洒落込もうじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 




すいません、本当はもう少し早めに上げるつもりでしたが
私用で少し遅くなりました。

本編は本編で少し話がややこしい事になっており、作者自身ちゃんと調理できるか不安です(笑)
さて次回は、深夜のデート(意味深)の話です。
次回は次回で、一応話を進ませる予定ですので、皆様なにとぞお付き合い下さい

それでは次回に会いましょう。

追伸 感想の返信はもう少しお待ちください。遅くなって申し訳ないです。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話

 

 

「…夜の、デート…ですか?」

「うむ」

「流石にそれは、賛同しかねるのですが…」

 

百代の言葉をオウム返しして、男は呟く

いくら記憶喪失の自分でも、こんな時間に病院から抜け出す事は非常識だと分かったからだ。

 

だがしかし、百代はここで切り返す。

 

「…いや、この時間でなければならん」

「どうしてですか?」

「私がお前を見つけたのは、大体この位の時間だったからだ」

「……目的地は?」

「私がお前を見つけた河原だ、続きはそこで話す」

 

ここまで百代の言葉を聞いて、男は大凡の考えを纏める

自分を見つけた人物が、自分を見つけた時間、自分を見つけた場所に連れていく。

これは自分の記憶を知る上で、確かに欠かせない事だろう。

 

「…分かりました、それではお付き合いさせて頂きます」

「うむ、しっかりとエスコートしてやろう」

 

百代の提案を男は了承し、百代もまた頷く

次いで二人は静かに病室を後にし、密かに病院を抜け出し

 

夜の闇へと、その姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

================================

 

===================

 

==========

 

=====

 

==

 

 

 

 

 

 

「ここだ」

 

病院から少し離れた河原の道

病院のある市街地からも、今の時間が商売繁盛の時を迎える繁華街からも離れた場所

町の明かりは遠く、星と月の光を邪魔する物は少ない

街の喧騒もなく、河の潺と虫の声を消す物も存在しない。

 

二人がいるのは、正にそんな場所だった。

 

「…自分が、ここに?」

「ああ、そこのやたら草が生え伸びてる場所があるだろ?

 そこで倒れているのを、私が見つけた」

「…成程」

 

百代の言葉を聞いて、男は舗装されたコンクリートの道から降りて

草が生え伸びた河原の道へと出る

そしてその足で自分が倒れていた場所に行き、立ち止まる。

 

そして男は目を瞑って、夜風を肌で感じ、川の流れる音を聞き

五感でその情報を感じ取る

男がそんな事を初めて一分、不意に百代は口を開いた。

 

「どうだ、何か思い出したか?」

「取りあえず、分かった事は二つあります」

「おお、それは大収穫だな!何が分かったんだ?」

 

男の言葉を聞いて、百代は笑みを浮かべて弾んだような声を出す。

そして男が得た物について尋ねると

 

「先ず一つ、ここでは何も俺自身に関する事は思い出せなかった…というのが一つ」

「…ふむ、それでもう一つは?」

「そして、もう一つ分かった事は――」

 

そう軽く言いながら、男は百代へと視線を移そうとした時だった。

 

 

 

その瞬間、百代は男に殴り掛かった。

 

 

 

「――――っ!」

 

 

その瞬間、大気が弾けた

その瞬間、周囲が揺れた

その瞬間、衝撃が走り抜けた

 

次いで草は風圧で一気に倒れて、川の水には幾つもの波紋が生まれる

虫の声は瞬時に消え失せて、周囲の木々からは鳥達が一斉に飛び立った。

 

最後に生まれるのは、静寂

夜の闇に溶けて消えてしまいそうになるほどの、静寂

 

「もう一つ、何が分かったんだ?」

 

その発信源は、先の百代の一撃

そして

 

 

 

「貴方が俺に対して、並々ならない感情を放っている事です」

 

 

 

 

百代の一撃を完全に掌握する、男の掌だった。

 

 

 

 

「…失礼を承知で尋ねます。

 もしかして俺は記憶を失う以前に、貴方と何らかのトラブルを?」

「いいや、私とお前が出会ったのは正真正銘三日前だ

 そして私はそれ以前のお前の事は何一つ知らない…そこに嘘偽りは一切ない」

「では、なぜ――」

 

しかし、男の言葉が終わる前に

百代は掌握された拳を捩じり、回して、その拘束を解く。

 

次いでバックステップで男と少し距離を取る

 

「少し、私の事を話すとな……私はこれでも、そこそこ強い武道家なんだ」

 

距離を取ると、百代はポケットから紐の様な物を取り出す。

 

「最近は負け無しでな。大抵の相手は瞬殺できるし、世間では達人と称されている者でも仕留めるのに一分は掛からん」

 

シュルシュルと小さく音が響いて、百代は手早く自分の髪を後ろ手に纏める。

 

「……私はな、退屈なんだ……」

 

長い黒髪をポニーテール状に纏めると、その端を軽く指で摘まんで弾く。

 

「……私はな、もう飽き飽きしているんだ……」

「………」

「あれはもう戦いじゃない…あれは、ただの『暇潰し』だ」

 

今の自分では、もはや戦いにすらならない

それ程までに、自分と相手との間に力量の差があるからだ

そんな思いを混めて、百代は語る。

 

「だが…今は少し違う」

「…?」

「お前が現れてくれた」

 

ニヤリ、と口の形を三日月上に変形させて

猛禽の獣を思わせる微笑を浮かべて、百代が語る

 

「実は私は、お前に関してもう一つだけ知っている事がある…分かるか?」

「今までの会話の流れから察するに…武術絡みの事、ですか?」

「だーい正解」

 

くくっ、小さく笑い声を漏らして百代は頷く

 

「お前には、確かな武術の心得がある…それは私の武術家としての誇りを賭けて断言しよう」

「…成る程、今の自分にとってはとても有難い情報です」

「だろ?だから私と戦え」

 

命令とも懇願ともつかない程に語気を込めて、百代は男に言う

男は男で、目の前の少女から発せられる威圧感・迫力から、決して冗談の類ではない事を悟る。

 

「正直、話が急すぎてついていけてないのですが?」

「至極簡単な話だ。お前は武術をやっていた、だから私はお前と闘いたい

 なぜ?と聞かれれば、最近は戦いという闘いとはご無沙汰だったからだ」

「……先の貴方の言葉を総合すると、余程の強者…いわゆる『達人』と呼ばれる方でなければダメなのでは?」

 

百代の提案に対して、男は思った率直な疑問を口にする

そもそもこの人物が欲求不満だった理由は、あまりにもこの人物が強すぎるからだ

だったらそれなりに武術を嗜んだ者では力不足なのでは?と思ったからだ。

 

しかし

 

 

「――安心しろ。お前はそんな『余程の強者』…いわゆる『達人』に属する者だ――」

 

 

男の問いに、百代はあっさりと答える。

 

「先の一撃、あれは『達人』でなければ反応する事も…増してや受け止める事は不可能な筈だからな」

「………」

「勿論、お前が反応できていなければ寸止めしていたぞ?

 流石に私も、手が後ろに回る事はしたくないからな」

 

軽く笑いながら割と衝撃的な事実を百代は男に告げて

男はそんな百代に、少し呆れた様な視線を向ける

 

そんな事で、態々こんな手間をかけたのか?と

そんな風に顔に出ていた。

 

「…取りあえず、貴方はとても変わった人…という事がよく分かりました」

「安心しろ、自覚している…それで、私と戦ってくれるのか?」

「そうですね…」

 

改めての百代の問い

その問いに対して、男は少し考える様な仕草をした後

 

「…正直、貴方の仰った事は半信半疑ですし…今でも戸惑いが強いです」

「まあ、そうだろうな」

 

「ですが――」

 

ここで、男は一旦言葉を区切る

次いで軽く息を吸って、視線を新たに百代に向けて

 

 

 

「俺は、自分の事を知りたい」

 

 

 

そこに確かな決意と力強さを宿して

男はその言葉を百代に告げる。

 

「俺は知りたい、思い出したい。自分の事を、自分が忘れてしまった事を…

 俺は…俺自身の事を、少しでもいいから取り戻したい」

 

それは、男の中に宿る確かな意志

それは、男の中に生まれた確かな願い

 

「そして…その為に武術が必要なら、その為に貴方と戦う事が必要なら…」

 

目つきは鋭く、拳は固く

そして固く握り込んだ拳を、百代の前に突き出して

 

 

「――俺は、喜んで貴方と闘おう――」

 

 

確かな宣言を、其処にする。

 

 

「…そうか、感謝する…」

 

 

その言葉を聞いて

その宣言を聞いて

百代は弾けそうになる感情を抑える様に

それでもそこには確かな喜びと感謝を込めて

 

その一言を、男に告げた。

 

「いえ、お蔭で俺も自分の事が少し分かりましたから…それに」

「それに?」

「……いえ、何でもありません」

 

言いかけて、男はそこで言葉を止める

あまり確証のない言葉を、言うべきではないと思ったからだ。

 

 

……私はな、退屈なんだ……

 

 

あの時、男の目にはこの少女の姿が…酷く危ないモノに見えた

このまま放っておいたら、後で取り返しの付かない事が起きてしまうような

そんな危ない可能性だ。

 

それが彼女が抱える苦しみなのかもしれない

つい先程まで自分が彷徨っていた、当てのない途方もない苦しみなのかもしれない。

 

そう考えたら、目の前の少女の願いを無視できなくなった

この人が抱えている物を、自分が少しでも楽にできたら…と思い

 

(……まあ、ここまで楽しそうな顔をされると…今更断れないだろう……)

 

見る者全てを魅了する様な、心の底からの楽しげな笑みを浮かべる百代を見て

そんな風に、男の中で意志は固まっていた。

 

 

「さて、それじゃあルールはどうする?」

「怪我をするのは流石に病院に迷惑を掛けるので、出来ればそういう方向性でお願いします」

「善処しよう」

 

そんなやり取りを交わして、二人は体を軽く解して準備運動を行う

十分に解し終わったのか、タイミングを見計らって二人は程よく距離を取りながら向き合って

 

「合図だ」

 

そう言って、百代は河原に落ちていた拳大の石を拾う

そしてソレを男に見せつけて

 

 

――夜空に向けて、思いっきり投球した――

 

 

ビュンと、一瞬風切り音が鳴って

弾丸の様に射出された石は、既に二人が視認できない存在となっている

空高く舞い上がって、力なく落ちてくる

 

二人は互いにその瞬間を待つ。

 

「…………」

「――――」

 

二人は、動かない

互いが互いに視線を置いたまま、構えもせず楽な姿勢でいる。

 

そして

後ろの川で、何かが着水する音が響いて

 

 

 

 

――その瞬間、空間が揺れた――

 

 

 

 

 

長い黒髪を靡かせて、大地を蹴り破る様な力で踏み込んで

一息に百代は男との距離を縮める。

 

「フッ!」

 

左フック

ダッシュの勢いと体重を乗せ、自身の力を凝縮させた一撃

鉞の様な鋭さと重さを持って、それは唸りを上げて男に襲い掛かる。

 

しかし!

 

「っ!」

 

拳が逸れて、空気を切る、衝撃の余波が辺りに響く

男は百代の一撃に対して、掌でソレを横に捌いたからだ。

 

だが、まだ百代の攻撃は終わっていない

勢いをそのままに、一気に男の懐に潜り込み右の拳で更に打ち込む。

 

 

だが届かない

 

 

「フハっ!」

 

 

弾けた様に口元が緩んで、百代は溜まらず声を漏らす

右の一撃も、先と同じ様に男に掌握されて止められる。

 

次いで男はそのまま拳を捻り上げて、関節を取ろうとするが

 

「二度も喰らわん!」

 

瞬間、百代は体ごと回転させて拘束から逃れる

そのままの勢いで着地、更に前に出る。

 

「いいぞいいぞ!それなら、これはどうかな!?」

 

笑い声とも威嚇とも取れない声を上げて、百代は四肢への力を変質させる

その変化を、男はまた感じ取る。

 

(……左手は囮、左足は誘導……)

 

百代が男を、間合いに捉える

 

(……あの右手は、死に手だ……)

 

となれば、本命は残る右足

そう結論付けて男は右足への対処に出るが

 

(……いや、違う!……)

 

頭の奥底で危険を知らせる警報がなる

体勢を変えて、迫るくるソレを受け止める

己の存在ごと刈り取ろうとする死に手、右手からの一撃を―!

 

「よく見極めた!」

「偶然です」

「ははは!まだまだ余裕あるじゃないかァ!」

 

爆発する様な笑い声を、その愉快気な感情を隠そうともしないで

百代は更に攻撃の手を苛烈にさせる

その一手一手が、一撃一撃が、必殺の威力を持って男に襲い掛かる

 

だが

 

(……おいおい、マジか?……)

 

打撃を捌く

蹴撃を弾く

貫手を躱す

 

(……コイツ、マジか……)

 

指突を掴む

掌撃を止める

連撃が相殺される

 

(……マジか、マジかマジかマジか……)

 

反撃を防ぐ

陽動を見切る

虚実を見抜く

 

(……ヤバいって……)

 

地面を抉る

大気を切り裂く

間合いを食い合う

 

(……コイツ、マジでヤバいって……)

 

力を流す

技を封じる

先を読まれる

 

 

(――コイツ、最高だ――)

 

 

 

百代の中で、「ソレ」が爆発する

愉悦、喜悦、歓喜、狂喜

それらを含めた、ありとあらゆる感情が、百代の中で一気に弾ける。

 

「クハっ!フハっ!いいぞいいぞ!やはり私の見立てに間違いなかった!」

「なら、もうこの辺で?」

「おいおい!白けた事を言うな!夜はまだまだこれからじゃないかァ!」

「……お手柔らかに」

 

そんなやり取りを交えながらも、二人は攻防を緩めない。

 

「ハアァッ!」

 

百代が更にギアを上げる

思いっきり速度と体重を乗せた一撃を、男に目掛けて打ち込む。

 

「…っ!」

 

次いで来るのは、衝撃

拳から手首、肘、肩を通して、百代の全身に衝撃が駆け抜ける

渾身の一発

 

その百代の渾身の一発を、男は掌撃で相殺する。

 

「――くううぅぅ!」

 

堪らず声が零れる

ゾクゾクっと、鳥肌が立つ様にそんな快感が百代に走る。

 

(……これだ!これだこれだこれだ!これだよ!これが、『闘い』だ!……)

 

煮え滾る様な快感

血が沸騰し、魂まで燃える様な感覚

 

(……一体いつ以来だ…こんな気分は!……)

 

故に、溢れる

 

(……一体いつ以来だ…こんな高揚感は!……)

 

武術を極めた者としての欲が、武道を歩む者としての願望が

今まで溜めに溜めた欲求が、不満が、鬱憤が

 

ボコボコと音を立てて、百代の中から溢れる。

 

「いいよな、良いよな?お前なら…お前が相手なら!」

「何がです?」

 

気持ちと感情を抑えきれない様に、百代は紅潮しきった顔で呟き尋ね

百代の脚と男の腕が互いに衝突し

 

 

「決まっているだろ?……全力を、出してもだ!」

 

 

百代は、全身に宿る力を一気に解放した。

 

 

 

 

 

 

 

(……存外に、対応できるものだな……)

 

今までの暴風とも呼べる攻撃に対処しながら、男は今までのやり取りを考える。

 

百代の放つ攻撃の一発一発

その速さは常人なら視認は勿論、反応する事もできないだろう

その威力は容易く肉を潰して骨を砕き、内臓をも破壊するだろう。

 

それ位の事、記憶喪失の自分でも分かる

そして自分は、そんな攻撃に晒されながらも特に動揺する事もなく、落ち着いて

その全てに対応出来ているという事だ。

 

(……やはり、自分が武術を嗜んでいる…というのは事実の様だな……)

 

それも、百代が言う所の『達人』レベルの――

そこで自分の考えを一旦区切り、男は次の一手に備える

軽く手首を払って、拳を軽く握り、関節を柔らかく、姿勢はやや低く

男は自分の体にある戦闘態勢を作る。

 

(……あちらは、もう収まりがつかないようだしな……)

 

目の前の少女から発せられる迫力、威圧感は先程とは比べ物にならない程に強く巨大になっている

微笑みとも激昂とも呼べないその表情

初対面の自分でも肌で感じ取れる程の、あらゆる「喜び」を含んだ感情の爆発

 

(……対応を誤れば、冗談では済まないかもな……)

 

ここから始まる新たな局面に対して

男は今まで以上に意識を戦闘に向けて

 

今まで以上に、集中して百代を『視』た。

 

 

 

 

 

続く

 

 







あとがき
 たくさんの感想ありがとうございます!今回も何とか話を投稿させる事ができました!
今回は話を作るに当たって、百代さんが随分とえらい事になっておりますが何卒ご了承ください(笑)

次回では一応今回の戦闘に決着がつく予定です
それではまた次回に会いましょう!

追伸 感想は後で順々にお返ししていく予定です。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話

最初は、唯の称賛だった。

 

「いやいや、この年でもうここまで見事な技をできるとは…流石は鉄心様の孫ですな!」

「これなら、川神院の将来も安泰ですね」

「いや、素晴らしい。実に素晴らしい」

 

私が技を出せば、型を見せれば、手合わせを行えば

彼らは口々にこう語った。

 

称賛を受けて悪い気はしなかったし、何より私は武術が…戦いが大好きだった。

 

強いヤツと戦うのは楽しかった

より強いヤツと戦うのはもっと楽しかった

 

強いヤツと戦うには、私も強くなる必要があった。

 

私は世間で言う処の、「天才」というヤツだった

無論、ただ自分の才能に胡坐をかいていた訳じゃない。

 

師範のジジイは、そりゃあもう私には厳しかった

修業はきつかったし、血反吐を吐く様な思いだって何度だってした

そんな修行の日々を、私は幼少の頃から続けてきた。

 

そして、そんな修行の合間に行われる…他流派の武人との手合わせ

これが私の何よりの楽しみだった。

 

自分とは違う「誰か」と戦う事で相手の強さを、そして自分の強さを実感できる

そしてそんな強い相手との戦いは、私にとって何事にも代え難い宝玉の様な時間だった。

 

色々なヤツと戦った

色々な流派と戦った

 

楽勝だった時もあったし、苦戦した時もあった

本当に強い相手と戦った事も何度もあるし、本当に負けるんじゃないかと思った時もあった。

 

とても楽しかった

戦いは楽しかった

もっと強い相手と戦いたかった

だからもっと強くなる必要があった

 

だからもっと修行した

だから私はもっともっと強くなった

そんな事を、私はずっと繰り返して

 

 

――私は、退屈になってしまった――

 

 

結論から言えば、私は強くなりすぎた

相手よりも強くなりすぎてしまい、力の差が有りすぎて

 

私は、戦う事が楽しめなくなった。

 

勿論、私だって考えて行動した

ジジイに頼み込んで、より強者との手合わせを頼み込んだ

 

でも、ダメだった

ジジイは「心の修行が足りない」と私に新たな修行を課すだけで

その先にある「戦い」からは、私を遠ざけた。

 

私の心情に理解をしてくれた師範代も、川神院から去ってしまった。

 

後に残ったのはストレス、欲求不満、鬱憤、飢え、渇き、疼き

そして…「退屈」

 

心の何処かで、自分の中の「何か」が冷めていくのを感じていた

時には自分よりも格下の者を本気で羨んだ時もあった

あれほど打ち込んでいた武術の修行も、「気休め」や「暇つぶし」になりつつもあった。

 

偶発的な果し状、決闘

私に報復、お礼参りにやってきた下種共

 

そんな日常の「ささやかなイベント」で、私は申し訳程度に自分を慰めていた。

 

だけど私は求めていた、欲していた

飢えていた、渇いていた、疼いていた、望んでいた、求めていた。

 

 

――私は、戦いたかった――

――これ以上ない強者と、これ以上ない程に戦ってみたかった――

 

 

――だから――

 

 

――お前が私を満たしてくれ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……凄まじいな……」

 

全力を出す

そう宣言した瞬間、目の前の少女が変わった

彼女の放つ迫力・威圧感、一個としての生命が纏わせる『力』

それら全てが、先の彼女とは桁違いに違っていた。

 

台風や嵐、雷や豪雨

ある種そんな天災を思わせるような存在感が、目の前に顕現していく

それは正に、「武神」というに相応しい存在だった。

 

「コオオオォォォ…」

 

次いで変化が現れる

爆発する様に猛り狂っていた百代の力は、徐々に収縮していく

圧縮するように、凝縮するように、それは百代の体に収束いき

 

 

「――行くぞ――」

 

 

武神が、動く。

 

(……速い!……)

 

それは領域の違う速度

高速を抜き去る速度で、風すら置き去りにする超速で

百代は一呼吸に男に間合いに迫り、攻撃のモーションに入る。

 

(……確かに早いが、これなら――)

 

対処できる、そう思った瞬間だった

百代の拳は、防御を抜いた。

 

「…っ!」

 

一瞬の驚愕

次いで眼前に迫る拳を強引に体ごと逸らして避けるが、勿論百代はまだ止まらない。

 

結論から言えば

男は百代の拳を受け切れなかった、防ぎきれなかった、捌き切れなかった。

先のやり取りにおいて

百代の攻撃は、男の防御の上を行ったのだ。

 

(……速度だけじゃなく、力もか……)

 

守りにいった腕が未だにビリビリと痛んでいる。

 

閃光の様な速度に鉄槌の様な重さ

桁違いに上がったのは速さに加えて力

更に言えば瞬発力や反応や反射…戦闘における『勘』の様なモノが上昇している。

 

速く鋭く、硬く重く、激しく強く

爆発的に攻撃力を増した四肢が、爆発する様に襲いかかる。

 

「ハハハ!あははははは!ここまで対応するかァ!最高だ!

 やっぱりお前は最高だあああああああああああぁぁぁ!」

 

心の底から楽しそうな笑みと声を上げて

それに比例する様に、更に百代の速度と力は上がる。

 

「…っ!…く、ぅ…ぐっ!…」

 

台風の様な攻防の合間に、そんな小さな声が響く

発信源は百代の攻撃に対処する男からだ。

 

そしてその顔には先程までの余裕はない

明らかに追い詰められている者の表情だ。

 

「…っ!…く、病み上がりの人間に、少し大人気ないのでは?」

「ハハハ!そういう割には余裕じゃないかァ!それに安心しろぉ!私は子供だあぁ!」

「…ゥ…!…そう、ですか…っ!」

 

男の言葉に答えながらも、百代の攻撃は更に苛烈に激しいものになっていく

そして徐々に、戦闘の均衡が崩れ始めてきた。

 

(……これは、マズいな……)

 

男の髪や服に、徐々に攻撃が擦れ初めてきた

男の四肢が、徐々に百代に追いつかなくなってきた。

 

力の増した攻撃の対応には、その分体力を消耗する

速さの増した攻撃の対応には、その分集中力と精神力が必要になる。

 

攻撃の速度が上がるだけで、こちらの対応は遅れる

攻撃の威力が上がるだけで、こちらの防御は圧される。

 

ならばその二つが同時に上がれば?

更にはそれに伴って相手の技も変化していれば?

答えは明白、こちらは為す術もない。

 

力も速度も、完全に相手が上を行っている

状況は悪化の一途、ジリ貧とも言える状況

 

しかし、それでも男はまだ可能性を残していた。

 

(……やはり、速度と力が跳ね上がったが…戦い方そのものが変わった訳ではない……)

 

男とて、今まで百代に好い様にされていた訳ではない

百代の攻防を受けて、考えを纏めていた。

 

(……ならば、有る程度の行動の予想と予測はできる……

 あちらの一撃を受け止めて、そのまま関節を封じて拘束する……)

 

あちらは完全にヒートアップしている

最早強引にでも戦闘を終わらせなければ、自分とてタダでは済まないだろう

あちらも十分楽しめたようだし、ここで戦闘を終わりにしても問題ない。

 

そう結論づけて、男は百代の動きを更に注視して構える

今までの攻防で分かった百代のパターンや癖、技の組み立て、流れから

次の行動を予想する。

 

そして、その時が来る。

 

(……今だ!……)

 

歯車が噛み合った様な間隔

百代の右拳に力が集中していくのを感じ、重心や間合いの取り方を見て

男は百代の次の一撃を見極める。

 

(……右の一撃を受け止め、そこから腕と関節を取る……)

 

次の瞬間、右の一撃が男に向けて放たれる

まるで砲弾の様な威力と速度を持った一撃、男の狙いは的中だった。

 

「ここだ!」

「っ!!!」

 

右の掌で百代の一撃を受けて、更に手前に引きながら勢いを殺す

次いで左手で百代の肘関節を取り拘束する

 

その直前だった。

 

 

 

「――川神流奥義・炙り肉――」

 

 

 

その瞬間、男はその異変を感じ取る

百代の拳を受けていた右手が、その異変を察知する

 

「っ!!」

 

感じるのは、熱

触れるものを全て焼き、炙り、焦がす、そんな熱

その異変を男の右手は即座に感じ取って

 

 

――反射的に、その手を離してしまった――

 

 

「しまっ――!」

「――残念だったな」

 

最早、手遅れ

拘束を逃れた拳に、再度百代は力と速度を装填する

大地を砕くほどに踏み込んで、力と速度を装填した拳に体重と勢いを乗せる。

 

 

「――川神流奥義――」

 

 

その瞬間、ゾワっと男の全身が総毛立つ

 

 

「無双…正拳突き!」

 

 

暴虐の一撃が、音を立てて放たれる。

 

(……ま、ずいっ!……)

 

今の百代に、先刻決めたルールは期待できない

寸止めや手加減を行う可能性は、ほぼ0に等しい

このタイミングでは、もはや避ける事は叶わない

 

(……狙いは、腹か!?……)

 

観察眼と動物的な勘で、百代の狙う位置を特定する

その瞬間、男は全力・全速で力を練り上げてに全身に巡らせる。

 

(……来る……)

 

男はこれ以上ない程に瞼をこじ開けて、眼球に力を込める

 

(……よく見ろ……)

 

百代の一挙手一投足を見極めるため、全神経を両の瞳に集中させて

 

 

(……そして見切ろ!……)

 

 

――その瞬間――

 

男は自分の奥底で、何かが噛み合った音を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初に感じたのは、必殺の手応えだった

次いで相手が弾かれるように後方に飛んでいった。

 

拳に感じた確かな感触は自分の攻撃が相手に直撃した事を意味し

その威力と衝撃は正に必殺というに相応しいモノだった

 

今まで幾多の相手を叩き伏せてきた、あの感覚

今まで数多の勝利をもぎ取って来た、あの感触

 

「…フぅ…」

 

軽く息を吐いて残心をとる。

 

この感覚、この感触、この手応え

この満足感、この充実感、この幸福感

最後に感じたのはもうどれ程前になるのか、もう分からないくらい

 

だが、そんな事はもうどうでもいい

それ程までに、私は満たされていたからだ

 

乱れた呼吸を整えて、体の力の流れを整える

 

流石に熱くなり過ぎてしまった

流石に暴れすぎてしまった

流石にやりすぎてしまった

頭の奥でそんな事を考えながら

 

 

 

――私は、全く警戒心を解いていなかった――

 

 

 

「…………」

 

普通に考えれば、これでもう勝負アリだ

手応えから察するに、相手には「ダメージ」と言うには生温い程のダメージを負わせてしまっただろう

増してや相手は病み上がりだ

普通に考えれば即座に駆け寄って、病院に連れ戻さないとならないだろう。

 

それに何といっても、久方ぶりに私にここまで「戦い」を楽しませてくれた武人だ

それ相応に敬意と感謝をもって接しなければ、私の武人としてのプライドに関わる。

 

そこまで考えているのに

私は未だ戦闘態勢を解いていなかったのだ。

 

 

「…今のは、かなり本気だったんだがなー」

 

 

思わず呟いてしまう。

 

立っていた

あの男は立っていた。

 

腹部を手で押さえて呼吸を荒げながらも

必殺の一撃を受けて、未だその男は両の足で立っていた。

 

(……そういえば、腹を叩いたにしては妙に感触が固い…いや、硬かったな……)

 

以前手合せした事のある中国拳法でいう所の「気功」「硬気功」の感触に近い

それが今の一撃を耐えた秘密かと考えを進めて

 

 

 

――私の背後に、その男がいた。

 

 

 

 

「――っ‼‼」

 

心臓が跳ね上がった

鳥肌が立った

思わず飛びのいた

その異常事態に、私は動揺し混乱した。

 

「え?…ぇ?…な…!」

 

何だ?今のは何だ?今の動きは何だ?

動きは見えていた、決して速い動きではなかった

さっきの動きに比べたら、止まっているに等しい速度だった。

 

なのに、動けなかった

それなのに、反応できなかった

 

まるで意識と意識の間をすり抜けられた様な、そんな感覚

 

そして更に私は、その男を見る。

 

――違う――

――さっきまでとは違う、まるで違う――

 

男から発せられる力に、さほど大きな変化はない

量も質も、対して変わっていない。

 

だが違う、決定的に違う

 

例えるのなら、粘土と陶芸品

同じ量の土でも、同じ質の土でも、その存在は全く異なるように

男から感じ取れる力は、先程とは存在レベルで違う。

 

「……っ」

 

息を呑む、汗が噴き出る

武人としての勘が、警笛の様に私に告げている。

 

観察する様に私は目の前の男に視線を走らせて

目と目が合う、その赤い瞳と視線が交わる

そして不意に、男は口を開いた。

 

 

 

「―――やめておくか?―――」

 

 

 

その短い一言を聞いて

 

「…本当に、お前は…」

 

まるでこちらの身を案じ、労り、譲るような響きを纏った一言を聞いて

 

「……本当に、貴方は…どこまでっ!」

 

私の中の、何かに火が付いた

 

 

「どこまで私を楽しませてくれるんだあぁ!!!」

 

 

その瞬間、戦いの終幕が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはどこか懐かしい感触だった

それはどこか慣れ親しんだ感触だった

一言で言えば、一体感

まるで忘れていた自分の欠片が、ピタリと収まった様な感覚だった。

 

次い訪れる知識の来訪

自分の中に訪れる、洪水の様な知識の来訪者達

 

――チャクラ――

――肉体活性――

――形態変化・性質変化――

――忍術・幻術・体術――

――火遁・水遁・土遁・風遁・雷遁――

――瞬身・影分身・口寄せ――

――秘術・禁術・血継限界――

 

膨大な知識と絶大な技術

見る者が見れば驚愕し卒倒する類のものもある。

 

だが戸惑いはない、驚くこともない

なぜならそれらは、紛れもない自分のものであるから

 

耳から雑音が消える

脳から雑念が消える

全ての感覚が研ぎ澄まされて鮮明になっていく。

 

その瞬間、自ずと理解する

未知の自分を思い出す

自分の力の使い方を、技の扱い方を、戦術の組み立てを

 

先程までの自分は無駄が多かった、多すぎた

ただ何となく力を練り、ただ何となく力を使っていただけだ

 

そうではない

それではいけない

 

行うのは、最小の手間で最大の効果を

成すべきは、最弱の力で最強の力を

 

 

(……感謝する、川神百代……)

 

 

そして

目の前の少女に、心からの感謝を

 

 

(……少しだけ、自分の事が解かった……)

 

 

自分の記憶は結局分からなかった

だが、自分を形作っている「確かな何か」は取り戻せた。

 

恐らく、生半可の事ではここまで解からなかっただろう

恐らく、極限に追い込まれ追い詰められなければ解からなかっただろう。

 

 

(……せめてもの礼だ……)

 

 

時間が許す限り付き合ってやろう

そう心の中で考えを纏めて、こちらも応戦に撃って出た。

 

 

 

 

 

 

それから

数えきれない位に拳を交えた

数えきれない位に脚を走らせた

 

沢山の攻防と駆け引きがあった

幾つもの反撃と迎撃があった

 

どれだけ打撃音が響いただろう?

どれだけ衝撃の波が流れただろう?

 

ある時は地面が抉れ、ある時は川が割れた

ある時は風が切り裂かれ、ある時は突風が吹いた

 

大地が砕けた、砂塵が舞い上がった

水面が揺れた、波紋が咲き乱れた

空気が震えた、空が啼いた

 

周囲の状況は一秒一秒で姿を変えて

その一瞬一瞬に、幾つもの攻防があった

 

 

だがそんな中で、一つだけ変わらないものがあった

最初から最後まで、変わらないものがあった

 

 

それは一人の少女を満たしていく、確かな満足感と充実感…

 

そして、幸福感だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

================================

 

===================

 

==========

 

======

 

===

 

 

 

 

 

 

 

 

「……化物か、貴方は……」

 

川原の草の上で、大の字になって仰向けに寝ている百代が尋ねる

その視線の先にいるのは、隣で腰を下ろしている先程まで自分と戦っていた男だ。

 

「…まあ、結局お互い有効打は無かった訳ですし…今回は痛み分け、引き分けですね」

「はっ、白々しい…途中から反撃と迎撃だけで、『攻撃』は一切してこなかっただろう?」

「防御で手一杯だっただけです」

「どうだか」

 

ふん、と小さく音を立てて、百代は不貞腐れた様に視線を逸らせる

どうやら途中から相手が全力を出さなかった事に、腹を立てている様だ。

 

無双正拳突きを当てた後の戦闘において

結局百代は、この男に一度も攻撃を入れる事はできなかった

 

全ての攻撃は避けられ、防がれ、捌かれ、その全てに対応された

 

そして相手の攻撃は、一度も百代に当たらなかった

いや、そもそも相手は百代に攻撃すらしなかった。

 

行ったのは百代が言った様に、反撃と迎撃の二つだけ

自分から進んで百代を攻撃する事は一度もなかった。

 

「下手に攻めてカウンターでも貰うのは、正直ゴメンでしたので

 今回は守りに徹させて頂きました」

「素直に白状しろ、攻撃する程でもない…そう判断したんだろ?」

「石橋は叩いて渡るタイプなだけです」

「…ま、所詮は敗者の弁か……」

 

そう言って、百代は視線を夜空に移す

そのまま目を瞑り、夜の風と空気を僅かに吸い込んで

 

 

「…そうか…私が、『敗者』か……」

 

 

小さく静かに、そう呟く

そこにどんな感情が込められているのかは、百代以外には分からない

だがそこには、確かな想いと感情が込められていた

 

「正直言って、最高に悔しい…」

「…そうですか…」

 

 

 

 

 

「――だが、最高に楽しかった――」

 

 

 

 

 

 

その言葉が夜の川原に響く

彼女が胸の内と心の内にどんな感情を隠して持っていようとも

それだけは紛れも無い事実だろう

 

それ程までに、彼女の表情には曇りや陰りが一切なく穏やかなものだったからだ。

 

「…よしっ!」

 

その一言で自分の中で吹っ切れたのか

百代は跳ねる様に飛び起きて

 

「それじゃあ、休憩終わり!」

「は?」

「これから、第二回戦と行こうじゃないか!」

 

呆然とする男を尻目に、百代はそう勢いよく断言する

次いで起した体で準備運動を始めるが

 

「…折角の空気に水を差すようで申し訳ないが、流石にもう病院に戻らなければ…」

「いーやーだ!」

「今日はもう十分楽しんだじゃないですか?」

「勝ち逃げなんて許さん!じゃあ後1ラウンドで良いから!ウルトラマン一回分で良いから!」

「何ですか、うるとらまんって…」

 

「とにかくやるんだー!絶対もう一度やるんだー!」

 

「…駄々っ子ですか、貴方は…」

 

思わず男は呟く

さっきとは打って変わって、子供の様に駄々をこねる百代を見て

小さな子供の様な振る舞いをする彼女を見て

 

 

 

―― 一瞬、百代の姿と「誰か」の姿が重なる

 

 

 

そして男の体は自然と動く

体に染み付いた仕草をするように、男の意思や意識する間もなく

 

ごく当たり前の様な流れで「ソレ」を行う

 

「…少し、良いですか?」

「お!ついにやる気になったか!?」

「いや、そうじゃない」

 

男の言葉を聴いて百代は表情を輝かせるが、男がそれを否定する

次いで男は、右手を百代に向けて小さく上下させる

いわゆる「こっちに来い」のサインだ。

 

「?」

 

そのサインを見て、百代は不思議に思いながら男に歩みを進める

そして十分に百代が近づいた所で

 

 

 

 

 

 

「許せ百代、また今度だ」

 

 

 

 

 

 

そう言って

ちょこんと百代の額を軽く指で小突いた。

 

「…むぅー…」

 

額を小突かれた百代は、僅かに頬を膨らせて小さく唸る

子ども扱いされたのが気に入らなかったのか

はたまた子供の様な真似をしていた自分に、今更ながら羞恥心が湧いてきたのか

 

そんなやり取りをして、百代は次第に落ち着いていき

 

「…勝ち逃げは、させんぞ?」

「生憎と、逃げる宛もありませんので」

 

「…それもそうか……」

 

目の前の男の身の上を思い出して、納得した様に百代は言う

現状、この男の知り合いと呼べるのは自分だけなのだ

この男は自分の事を恩人だと言っているし、自分の前から何も言わずに消える…なんて事はしないだろう。

 

「じゃあ、今はそれで納得しておく」

「ありがとうございます」

「ああ、それと」

 

そして男はもう病院に戻ろうと、足を進めようとして

百代の声が、男の耳に届く

 

 

 

 

 

「――次は、あんな『イタチごっこ』にはならないからな――」

 

 

 

 

 

その一言を聞いて、男の足は止まる。

 

「…イタ、チ、ごっこ…」

「ん?どうした?」

「いた、ち…いたち…イタチ、か…」

 

その一言が、男の中で引っ掛かる

男の中にある、決定的な「何か」に引っ掛かる

その「イタチ」という単語を、男は小さく繰り返し呟いて

 

「……流石に、名無しのままでは不便だろうしな…」

「?…どういう事だ?」

「俺の名前についてです」

 

それは、今の男が最も欲していた物の一つ

己を示す、自分を示す、決定的な物の一つ

 

――イタチ――

 

「とりあえず、それを俺の名前にしておこうと思います」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****情報を更新します*****

 

 

 

川神百代…好感度40. NEW!

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

 

 




あとがき
…やべえ、めっちゃ長くなった…
どうも作者です。今回の話は自分で書きたい部分が多くそれに比例して時間の方も少し掛かってしまいました…申し訳ないです

ですがそのお陰で、やっと本作のプロローグ的な話は終わりです
とりあえず主人公の名前は「イタチ」です!…イッタイダレナンダー(笑)
次回からしばらくの間は日常パートがメインの話になるかと思います!

それでは次回に続きます!


追伸

好感度の基準は
0~10…無関心
11~20…知り合い
21~50…友人
51~70…少し気になる
71~80…明確な好意あり
81~90…告白したら断らない
91~99…告白秒読み段階

100~…言わせんなよ恥ずかしい!






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話

重い瞼をゆっくり開けると、先ずは木造の屋根が映った

心地よい温もりと柔らかさを持つ布団から、名残惜しくも身を起して周囲を見る。

 

時計を見れば、早朝の五時半

ほぼ予定通りの起床に、男は意識を覚醒させながら床を立つ

そして身に纏っていた寝巻を脱いで、「川神」と刺繍された上下のジャージに着替える。

 

次いで部屋から出て、最寄りの洗面所で洗顔して身嗜みを整える

その足で早朝の務めを果たすべく、長い廊下を歩く。

 

徐々に大きく響いてくる、数多の掛け声

渡り廊下の外を見れば、そこには多くの人間が掛け声と共に突きや蹴りの動作を行っていた

自分が今居る「川神院」の門下生達の早朝稽古だ。

 

朝から勤勉な事だ

そう心の中で皆にエールを送り、自身もまた務めを果たすべく足を進める

彼らには彼らの、自分には自分のすべき事がある。

そして彼は、「調理場」と書かれた一室に着く。

 

「おはようございます」

 

一例しながら入室する

そこには既に、調理用の前掛けをした長髪の男性や割烹着姿の女性がいた。

 

「応、おはよう!」

「今日も早いねー、それじゃ早速仕込みを手伝って!」

「了解です」

 

短く答えて、自分も調理用の前掛けをして準備に出る

空いた調理台の一角に場所を取り、包丁とまな板を設置する。

 

「今日は浅漬けがイイ感じに出来たから、そっちをお願いね!どんどん切っちゃって良いから!」

「分かりました」

 

そう言って、漬けられていたキュウリを取り出し、切り分け、小皿に盛りつけていく

そんな作業を繰り返して、終わりを迎える

 

「できました」

「わっ!もう出来たの! 相変わらず仕事早いねー」

「恐縮です」

「新入り!じゃあ次はこっち頼む!」

「分かりました」

 

呼びかけに短く答えて、男は再び作業に取り掛かる

調理場にだんだんと朝の空腹を刺激する匂いが充満し、作業台の上にどんどん朝食が盛り付けられていく。

その作業も粗方の終わりが見え始めた頃、調理場に新たな影が見えた。

 

「おっはようございまーす!」

「あら、一子ちゃん!」

「今日も元気がいいねー」

 

茶色いポニーテールの髪を揺らしながら、一子と呼ばれた少女が調理場に姿を現す

 

「今日も手伝いに来ました!」

「あら本当、いつもいつも本当にありがとうー」

「いえいえ、気にしないで下さい。好きでやってる事ですので」

 

そう言って一子は笑いながら受け答えて、盛り付けが終わった朝食を次々と運んでいく

そんな一子を見て、一人の長髪の男が言う。

 

「新入りー、もうそっちは良いから一子ちゃんの手伝いをしてやってくれ!

 終わる頃にはこっちもメシにできるからよ!」

「了解です」

 

簡潔に答えて、再び朝食の膳を運びに来た一子の隣に立つ。

 

「…あ、えーと、確か新しく入った…」

「イタチです、自分も手伝います」

 

そう言うと、一子は笑顔で「ありがとう」と答えて再び朝食を運ぶ

イタチも続いて膳を持って、一子と共に朝食を運ぶ。

そしてその作業も終えて、調理場に帰る

そこには、すでに自分の朝食が用意されていた。

 

「こっちもご飯にしましょう」

 

そう妙齢の女性が言うと、先程まで朝食の準備をしていた面々は各々の朝食の前に座り

それぞれが朝食を取る。

 

「いやーしかし、一人増えるだけで大分違うもんだな」

「そうだな、少し前はもっとバタバタしてたからな」

「本当、イタチさんは仕事が早くて丁寧で…本当に助かるわー」

「恐縮です」

 

イタチが短く答えると、皆はそれぞれ談笑を進める

そして話題は自然と、最近新しく入ったイタチの話になっていった。

 

「しっかし、お前も難儀だよなー記憶喪失なんてよ」

「どうだい? 最近なにか思い出したかい?」

「いえ、特には…まだもう少し、こちらのお世話になるかと思います」

 

ポリポリと胡瓜を噛んでイタチが答える。

そしてイタチの隣に座っていた初老の男性が、ポンと背中を叩いて

 

「ま、お前みたいなヤツだったらこっちも歓迎よ」

「本当本当、イタチさんには助けられてるんだから。昨日も裏庭の草むしりやって貰っちゃったし」

「あれ? 俺は道場の掃除を一通り終わらせたって…」

「え?ちょっと待て? 俺は本堂の廊下掃除を全部終わらせたって聞いたぞ?」

 

皆が皆、口々に不思議そうに語る

この川神院の敷地は、兎に角広いのだ

道場、裏庭、本堂…これら一つ一つ見ても、その敷地面積はちょっとした運動場並にある。

 

「そうですね。その三つは昨日やり終えた処ですね」

 

そして当のイタチは、その事実をあっさりと肯定する

 

「…お前、朝だけじゃなくて…昼と夜の仕込みもこっちにいたよな?」

「はい、お手伝いさせていただきましたよ?」

「…さっきの掃除の合間に?」

「夕食の前には粗方終わっていましたけどね」

 

掃除もそうだが、川神院には所属する門下生も多い

そんな門下生たちの食事を担うのが、この調理場である

勿論、その一食を準備するだけでもかなりの体力を要する。

 

「…お前、どんな体力してんだ…?」

「単純な体力だけなら、ここの門下生より上なんじゃねえか?」

 

彼らは呆れた様に呟く

今イタチが行った事、やるだけなら他の人間でも可能だろう

だがそれを「一日」で他の仕事と「並行」で行い、更には「丁寧な作業」をするには体力と時間がとても足りないだろう

それを何でもない様な様子で告げるイタチに、周囲の面々は驚きが混じった表情で見つめ

 

「世話になっている身ですから、何か作業していないと居心地が悪いだけです」

 

そう言って唖然とする面々を尻目に、イタチはずずっと味噌汁を啜った。

 

 

 

百代との手合わせから五日経った

イタチは病院を退院した後、川神院に身を寄せていた

どうやら百代が祖父の鉄心と話をつけてくれたらしく、期間限定でも身元引受人は必要だったためにイタチはその厚意に甘える事にしたのだ。

 

そしてイタチは、ここに居る間は自分に出来る事を手伝う事にした

流石にタダ飯食らっていて平然としていられる程、自分の神経は太くなかった様だ。

 

幸い作業自体は簡単なモノが多く(量は桁違いだが)、記憶のない自分でも十分できたし

勝手が分からないモノも多少あったが、自分は物覚えが良いらしく、少し説明を受ければ対応できた

 

最初こそは、その特殊な経緯で川神院に住む事になったイタチには多少なりとも疑惑の目は向けられていた

川神院は日本の武術の総本山

川神院の師範である川神鉄心は「日本の武術の父」と称される程の人物であり

更には「最強」「不敗」「無敵」のありとあらゆる称号を持つ川神百代までいる。

 

そんな者たちを武術以外の方法、法の外からの方法で排除しようと企む輩も、少なからず存在する

そうでないにしても身元不明の不審者を住まわせる事自体、反対するのが普通の考えだろう。

 

しかしイタチの驚異の仕事効率や真面目で実直な性格

これらの要因によって、ここ数日でイタチに対する不審な目は大分なくなっていた。

 

しかし、そんなイタチにも悩み事はある

一つは未だ戻らない己自身の記憶の事

 

そしてもう一つは…

 

 

 

「それで、どうなんだよ? 百代嬢ちゃんとの方は?」

 

 

ニヤニヤとしながら、長髪の男が尋ねる。

 

「…彼女には、頭が上がりませんよ」

「だーかーら、そういうんじゃないってー!」

 

その言葉を切っ掛けに、周囲の人間がその流れに便乗する

どうやら皆が皆、この話題に興味深々な様であった。

 

「俺は百代嬢ちゃんがランドセル背負ってた時から知ってるけどよー、こんな事は初めてなんだよ!」

「毎日病院に通って、それであの鉄心さんにお前の事頼み込んだだろ?」

「一子ちゃんの時とは、大分状況も違うし…気にするなって方が無理な話よー」

 

彼らは思い思いに自分たちの考えを語り、イタチに視線を向けてくる

彼らの言いたい事は、単純な話だ。

 

――お前ら、できてるの?――

 

という話だ

先日の手合わせのせいか、百代は何かとイタチを誘う(手合わせ)事が多く

またその姿も多くの門下生や手伝いの人に目撃されていて、少し川神院の中で噂になっていたからだ。

 

「…ご期待に背く様で悪いですけど、彼女とはよき友人です。彼女の方も似た様な感じだったのでは?」

「いんや、あっちは『今一番のお気に入りだ』って言ってたぞ?」

 

「…は?」

 

「もしも記憶が戻って、貴方が此処から出て行ったら?って聞いたら『追っかける、会いに行く』…だそうよ?」

「…………」

 

――何を言っているんだあの人は――

と、思わずイタチは頭を抱えたくなった

確かに彼女の言っている事は紛れもない事実だろう、嘘偽りが一切ない感情だろう

だがしかし、その根源となる前提があまりにも違い過ぎるのだ。

 

「…もし仮に、そういう話だとしても…正直言って、俺の方は余裕ないですよ。

 なにせ身分や住所はおろか、自分の名前まで忘れている始末ですので」

 

だからイタチは、強引に話を切る事にした

あまりあらぬ噂を掻き立てる必要はないし、自分にそういったモノに気持ちを向ける余裕がないのもまた事実だったからだ

 

流石に記憶喪失の事を持ちだされると追及しにくいのだろう

先程までイタチに質問していた面々も「それもそうか」と各々で話の区切りが着いていく

元々彼等の方も深い意図があって聞いた訳ではないし、度が過ぎる個人の詮索はしない

ここら辺の切り替えや仕分けが素早く出来る辺り、畑は違えどやはり「川神院」に属する者だというのが良くわかる。

 

「んじゃま、朝はこの辺にしとくかー。昼の仕込みは10時半からだからなー、忘れんなよー?」

 

長髪の男が自分の食器を下げながらそういうと、イタチを含め周囲は返事をして食器を片づける

そして各自が次の仕事まで間、体を休めようと調理場から退出していった。

 

 

 

 

 

「――と言う様な事があったんですよ」

「あっはっは!何だそれ!随分面白い事になってるなー!」

 

夕方

川神院から少し離れた山地の森林部にて、疲れた様な男の声と女の笑い声が響く

声の発信源は、現在休憩時間中のイタチと帰宅した百代だ。

 

イタチは川神院から支給されたジャージを身に纏い、百代の方は白の道着姿だ

そしてその二人は現在、動き易い服装で人目がつきにくい場所で談笑している。

 

お互いに拳打や足刀を交えながら――。

 

今日もイタチが百代のリクエストに応える形で、二人は手合わせを行っている

人気がない場所を選んだのも、それが理由だ

そして今日の手合わせは、いつもと趣向が異なっている。

 

「しっかし、武器の方もいけるとはなー。本当に万能だな貴方は?」

「…なんとなく、のレベルでしたけどね」

 

イタチは現在、右手に木製小太刀、左手に木製短刀を持って百代の相手をしている

武器の扱い一つ見ても修練と鍛錬を感じさせる技量は、相手をしている百代が舌を巻くほどだった。

 

「…それで、先程の話の続きですが」

「ん?ああ、私と貴方が男女の仲になっている…という噂だろ? まあ別に良いんじゃないか?そんなに否定しなくても」

「それで良いんですか?」

「むしろ否定しまくる方が怪しく見えないか?」

 

その百代の返しを聞いて、イタチも「確かに」とつい納得してしまう。

言ってしまえばこの手の噂は日常に潜む娯楽

話し手と聞き手が楽しめていればそれで良いのであって、ぶっちゃけた話だと事の真偽はあまり関係ないのだ。

 

だがしかし、イタチが考えている事はソコではない

問題は、そんな噂を裏付ける行動を自分たちがしている事だ。

 

「やはり、今後はこの様な密会は控えた方がいいかと」

「それこそ考えられんな、あの退屈の日々に戻るのは御免だ」

 

百代の右の一撃を短刀で捌いて、小太刀で突く。

突きを体勢を斜に変えて突きを避けるが、平突きからの「斬り」が更に百代に追撃を掛ける

次いで百代が迫る太刀を、回避の動きをそのままに地面に伏せる

そこからイタチの足元に水面蹴りを放つ。

 

 

「いえ、そうではなく…別にこんな密会じみた形で手合わせする必要はないのでは?」

 

 

水面蹴りをよけながら、イタチは前から疑問に思っていた事を百代にぶつける

そもそも自分たちは別に後ろ暗い事をしている訳ではないのだし、別に堂々と手合わせでも試合でも模擬戦でもやればいいのでは?

と思っていたからだ。

 

「あー、その事か」

 

迫る小太刀の横腹を叩いて捌きながら百代は言う

 

「ほら、前にも川神院について話しただろ?一応あそこはこの国の武術の総本山…みたいな扱いなんだ」

「ええ、仰ってましたね」

「で、ほら…一応私ってそこの最強な訳よ」

「はい、仰ってましたね」

「で、貴方はそんな最強の私より強い訳よ」

「そうですね」

 

「…その事が周りに分かると…すこーし面倒くさい事になりそうなんだなー」

「…噂や与太話、ですか?」

「ま、簡単に言うとそうだな」

 

正体不明の記憶喪失の男が、あの川神百代に勝った

確かにこの事実が広まれば、その分イタチに関する情報は集まりやすいだろう。

 

だがしかし、それと同時に根も葉もない噂話が飛び交うのは間違いないだろう

情報が集まっても嘘偽りに塗れたモノは意味はない

それにこの手の事は、どうしたって「興味本位の悪意」というのが付き纏う。

 

イタチに関して良からない噂や風評が蔓延することも十分あり得る

一度ついた人間のイメージや先入観というのは中々に抜け難い、そしてそれが原因で余計なトラブルが起きる可能性もあるだろう

そしてそれ以上に困るのが、そんな嘘偽りの中に「確かな事実」が埋もれてしまう事だ。

 

「川神には良い意味でも悪い意味でも、お祭り騒ぎが好きなヤツが多いからなー

 貴方が良ければ別に良いんだがな…正直な話、メリットよりもデメリットの方が多いぞ?」

「…そうですね、情報は少しでも多く欲しい所ですが…それで事実が分からなくなってしまったら、元も子もありませんし」

 

 

木刀と拳打を交えながらも、二人はお互いの考えを進めていく

そのやり取りの中で、百代はイタチが自分の考えに納得した様子を見て

 

(……ま、暫くの間はこの「楽しみ」を私が独占していても良いだろう……)

 

と、百代は小さく心の中で呟く。

この人の実力が周囲に知れれば、その誰もがこの男の事を放っておかないだろう

これは何も自分に限った話ではない…それは武道家・武術家問わずの業や性と言っても良いだろう。

 

「ま、ジジイが警察の方に問い合わせているらしいから、そう遠くない内に分かるだろ?それを抜きにしても、何かの拍子で記憶が戻ればそれで良い訳だしな」

「焦って危ない橋を渡る必要はない…という事ですか」

「そういう事、だアァ!」

 

会話の区切りを縫って、百代が動く

会話と会話、動きと動きの小さな隙間を通す様にその一撃を放つ。

 

今までの駆け引きで放たれたモノとは違う、力と気合を込めた一撃

その勝敗を決する一撃を前にして

 

イタチも同時に前に出る。

 

百代の拳に完全に力と速度が乗る前にあえて前に出て

首筋に小太刀、胸の真ん中に短刀を静かに添えた。

 

「…ぬぅ」

「勝負有り、ですね」

 

悔しそうに百代が唸って、イタチが宣言する

寸止めとはいえ、首筋と心臓という急所を二点同時に押さえられたら負けを認めざるを得ない様だった

そして互いに一礼をして、百代は先程の勝負を振り返る。

 

「…貴方から見て、今の勝負はどうだった?」

 

次いでイタチに先の手合せについて尋ねる

相手が思う素直な感想を聞いてみたいと思ったからだ。

 

「そうですね。狙い自体は悪くなかったと思いますよ?ですが先読みの範囲内でしたので、こちらも対処できました」

「…そんなに解り易いか?私の動き…」

 

どこか納得できない様に百代が呟く

言っては何だが、目の前の男以外に大敗した記憶はないし、今まで幾多の達人や強者に勝ってきたからだ

だがしかし、ここでイタチから思いもよらない言葉が出る。

 

「…と言うよりも、貴方自身が俺に狙いを教えていましたから」

「何?」

 

イタチの言葉を聞いて、百代は驚いた様に言葉を漏らす

流石に百代自身、イタチの言葉は意外な物だったからだ。

 

「…例えば先の一撃、会話の言葉に合わせて語気を強めていましたね?」

「…む」

「それとここ数日のやり取りで分かったのは…牽制や威嚇の為の攻撃と、本命の攻撃とでは予備動作が違い過ぎます

特に本命の方は無駄に予備動作や力みがあって、コレに関しては自分でなくても見極めが可能だと思います」

「む、むぅ…」

「貴方程の技量なら威力や速度を変えずに、もっとスマートにもっとコンパクトに出せる筈です

ですがソレが出来ないのは、貴方が『勝つ事』よりも『楽しむ』事を優先しているからだと思います」

 

その言葉を聞いて、百代自身も心当たりがあった

武人としての退屈な時間が長く続き、何でもない相手との手合せでも最大限に楽しもうとした。

 

相手が少しでも長く戦える様に、こちらが調節すればいい

 

そんな事を考えて、長い間戦ってきた

今イタチが指摘した点は、正にその事だろう。

 

自分としてはイタチ相手に一切手は抜いていなかったのだが、長い間に染み付いた癖が僅かに残り弊害となったのだろう。

 

「それに前もそうでしたが…手合せの最中に、感情を少しも隠そうとしないのも大きいですね

感情の起伏や変化、更に言えば表情や視線の変化等もそうですね

よほど鈍感でもない限りそこから先読みを働かせて来るでしょうし…

勿論、貴方がその事を含めた上で駆け引きに使っている…と言うのなら、話は別なのですが…」

「…うーむ」

 

「まあ、今の貴方には肉体の修行よりも精神面…『心の修行』を優先した方が良いかもしれませんね」

 

――ギクリ、と

その何気ないイタチの言葉が、百代の胸を撃ち貫く

心の修行をしろ

心の修行が足りない

この言葉は、常日頃祖父が自分に対して…それこそ耳にタコが出来る程言ってきた言葉だからだ。

 

「…ここにきて、ソレか…」

「どうかしましたか?」

「いや、少し自分の考えを改めていた所だ」

 

少し反省をしたかの様に、肩を竦めて百代は呟く

下らない年寄りの説教

口五月蠅い爺の愚痴

そんな風に聞き流していた言葉が、第三者から飛び出すとは思わなかったからだ。

 

(……まさか爺の奴、いや爺はそういう事を他人任せにはしないだろうしな……)

 

一瞬、祖父の差し金か?と考えるが、その考えを百代は即座に捨てる

普段から厳しさや説教を含めて考えても、百代は祖父の武人としての在り方には確かな敬意を持っている

そして祖父は武人としても身内としても、最も百代に近しい人間の一人でもある

そんな祖父が、こんな回りくどい方法を取ってくる事とは百代には思えなかったからだ。

 

「…流石に、無碍には出来ないか…」

 

小さく呟く

感情を殺し、雑念を払い、勝負に徹する

これは凡そ全ての武術やスポーツにおける基礎だ。

 

確かにここ最近、楽しむ戦い方をしていた百代が疎かにしていた事だ

先程の予備動作や力みの問題同様、長年の間に染み付いた弊害の一つかもしれない。

 

「戦いを楽しもうとする貴方の姿勢を否定する訳ではありません

寧ろ貴方の強さはそれに裏打ちされたものでしょう…ですが、やはり直せる部分は直して行った方が良いかと思います」

 

武人にとって…闘いを楽しむ事は決して悪い事ではない、むしろ好ましい事だろう

だが、それによって基礎や基本が疎かになってしまっては意味がない。

 

「…楽しむ事と…勝つ事、か…」

 

少なくとも、自分が確かな敬意を向ける武人二人が揃って同じ事を指摘したのだ

嘗ての自分なら兎も角、全力の勝負で敗北しより一層の高みを目指すのなら…もはや、この問題は無視できないだろう。

 

確かに今までの自分の戦い方では、同格以上の者には通じないかもしれない

少なくとも、目の前の男には通じない

それに、百代には一つ、この男に関して直感している事があった。

 

(……この人は、まだまだ隠し玉を持っている……)

 

今日見せた武器の扱い一つ見てもそうだ

得物が変わるという事は、即ち戦い方が変化するという事だ

 

今までの動きを見る限り、この人は恐らく純粋な格闘家ではない

恐らく状況に応じて使う得物を変え、その時の状況に応じて最適な戦術で臨む万能タイプだ

 

仮に殴り合いでこの人を上回っても、今日の様に得物を使われたら逆転されるかもしれない

今までの様な力のゴリ押しは通じないと考えた方が良いだろう

それに何より

 

(……この人は多分、もっととんでもない『何か』を秘めている……)

 

百代の武人としての勘がソレを告げている

自分がこの人に全ての手の内を晒していない様に、この人も自分にまだ晒していない手札があると考えた方が良いだろう。

 

「…まだ時間はありますか?」

「夕飯の仕込みを考えると、あと五分程ですね」

「充分だ」

 

そう言って、百代は眼を瞑って深呼吸をする

息を深くゆっくりと吸って吐く、それに同調する様に体内で力をゆっくりと練り上げる。

 

「貴方の言葉、ありがたく頂戴した」

 

そして、静かに滑らかに構えを取る

その表情は雑念を感じさせない、今までの様な分かりやすい感情の起伏を感じさせないものになっている。

 

「やはり私は、戦いを楽しむ事は止められない。

 私が今まで武の道を歩み、支え、培ってきた物の根底は…やはり、どうあっても止める事はできない」

「…そうですか」

 

「だから、私は集中する」

 

強い意志と決意を秘めて、百代はイタチに宣言する。

 

 

「私は集中する、戦いを楽しむ事を…そしてそれ以上に、貴方に勝つ事に集中する」

 

 

百代の言葉を聞いて、イタチもまた頷いて木製の小太刀と短刀を構える

そして二人は弾ける様に互いに駆け出し、拳と木刀が交差した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…やれやれ、モモの奴…好き勝手やってくれるわい」

 

同時刻、二人が手合わせしている森林部から少し離れた場所

木々に隠れるようにして、その老人は二人の手合わせに視線を置いていた。

 

白く長い髭を生え伸ばし、髪を剃り上げた頭、白い道着に少々小柄な体躯

この老人こそ、川神院の師範にして百代の祖父である「川神鉄心」である。

 

「…しっかしあの御仁…本当に凄いのー、モモ相手にあそこまで手玉に取るとは」

 

感心したかの様に鉄心は呟く

恐らく、単純な力や速度で言えば両者の間に殆ど差はない

寧ろ百代の方が優勢な位だ。

 

だが、技術や経験と言ったモノで言えば…二人の間に歴前の差がある。

 

(……見た処、二十歳くらいかのー?……)

 

果たして自分があの領域に辿りついたのは、一体何歳ぐらいだっただろう?

少なくとも二十歳そこそこでは辿りつけていなかった筈だ

あの御仁は強い、それこそ孫娘があれ程惚れこむ程に

 

 

(……一体いつ以来じゃろうな…あんなに楽しそうなモモを見るのは……)

 

 

先程までの、感情むき出しだった孫娘の表情を思い出す

心の底から楽しそうに笑い、手合わせしていた孫娘の顔を思い出す。

 

それに今回の発端、行き倒れになっていたあの青年を百代が病院にまで運んだ事は紛れもない善行

あの青年の方も進んで百代に付き合っている節もあるし、このくらいの「ご褒美」はあってもいい…鉄心自身、そう判断したからだ。

 

(……何だかんだで、ワシも人の子じゃのー……)

 

その事実を、改めて実感する

 

最初は、孫娘を心配しての祖父としての行動だった

孫娘は武人として確かな腕前を持っているが、それ以外は年相応の娘だったから

 

世の中、何も腕っ節が全てを決める訳ではない

寧ろ昨今の様々な技術が発達した世界において、武術では対応できない様々な技術が台頭している

そんな技術を「悪意」ある者が使えば、それは例え相手が「最強」と言われる孫娘でも危険に晒されるだろう。

 

だからこの数日…否『最初から』鉄心は二人の事を見ていた

 

(…ま、そこの所は取り越し苦労だったみたいじゃが…)

 

孫娘と再び手合わせを行っている青年を見据えて、鉄心は心の中で呟く

今までの川神院での勤勉で真面目な態度、職場を同じにする者からも評価は高く概ね好評

 

まだ数日程度の付き合いだが、鉄心自身も殆どイタチに対しての疑惑や疑念は無くなっていた。

そして鉄心自身、イタチに対してこう直感していた。

 

……この者は、悪い輩ではない……と

 

だがしかし、それでも全ての疑惑が無くなった訳ではない。

 

 

(…あれ程の腕を持ちながら…未だに身元の特定ができないとはのー…)

 

 

鉄心は考える

あの若さであの腕を持っていれば、もっと武術の界隈で注目されていてもおかしくない

その事を抜きにしても、未だにイタチの身元が特定できない事は鉄心も疑問に感じていた。

 

警察の知人に頼んで、捜索願・行方不明者のリストに該当者なし

殆ど着のみ着のままの恰好で発見された事から、付近の住民もしくは観光旅行者の線も調べられたが…それでも該当する人物はいなかった。

 

果たしてあの青年はどこから来たのか?

ある日唐突に川神に現れた…としか思えない程だ。

 

(……ま、前科者や指名手配犯でないのは不幸中の幸いだったの……)

 

念のため、警察の知人にイタチの指紋やDNAのデータを渡して調べて貰ったが

警察の犯罪者リストにそれらと一致するモノはなかった。

 

元々川神院には住み込みで働く者も多い

まあ当面は何とかなるだろう…と、鉄心が考えた処で二人の手合わせ終わる

どうやら、今日はここまでの様だ。

 

(……そろそろワシも戻るか、ルーの奴に見つかったら説教されそうだし……)

 

ここ数日、少し自分自身の仕事を疎かしていた事を思い出す

そう考えを纏めて、鉄心自身も帰宅しようとし。

 

「――っ!」

 

その脚は止まる

何故なら、先程の百代と手合わせしていた青年が…イタチが、自分に向って一礼していたからだ。

 

 

(…バレとったか…こりゃ驚いたわい…)

 

 

距離を取り、障害物も挟み、更には気配も消していたのに

それでも自分を認識してたイタチに対して、鉄心も驚きを隠せなかった。

 

(…モモと良いあの青年と良い…最近の若者は侮れんわい…)

 

孫娘といいあの青年といい、最近の若者は将来が有望な者が多い

その事を、鉄心は改めて実感して

 

――若者の時代が来とるのかもしれんの――

 

小さく、そう呟いて

 

 

「ま、簡単には譲らんがの」

 

 

次いでニカっと笑いながらそう宣言し、鉄心自身もまた帰宅する為に脚を走らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがき

すいません、少し体調を崩して今回は少々投稿が遅れました
次回はもう少し早めに仕上げたいと思います。

…というか、前回の感想&閲覧すげえ!
これからも皆さんの期待に応えられる様に頑張りますので、これからも応援よろしくお願いします!

さて今回は日常パート、とりあえずイタチの当面は川神院の居候です。
今回は次回に比べると少し話の動きが少ない回でした、次回はもう少し話を動かしたいと思います。

それでは、また次回でお会いしましょう!



追伸 ちなみに構想段階では、百代のポジションに居るのは釈迦堂さんの予定でした(笑)…………………………マジです。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話

 

 

「…何でしょうかコレは?」

「お主の給料じゃ」

 

イタチは自分の手の中にある茶封筒を見つめて、不思議そうに呟いた

今日も一日、川神院で炊事、洗濯、掃除を終わらせその合間に百代との手合せ

これらを粗方終えて、そろそろ風呂に入ろうと思った時だった。

 

不意に百代の祖父である鉄心に呼び止められ、この茶封筒を与えられたのだ。

 

「…お気持ちだけ、ありがたく頂いておきます。これ以上こちらのお世話にはなれませんよ」

 

そう言って、イタチは感謝と謝罪の言葉と共に封筒を鉄心に返す

受け取った物を返すのはマナー違反だが、これ以上川神院の世話になるのはイタチ自身申し訳なかったからだ。

 

だが、そんなイタチの返答を予想していたのであろう

鉄心はニカっと微笑んで

 

「まあまあ、話は最後まで聞け。お主の働きぶりは聞いておるし、ワシの目から見ても以前より整備と手入れが行き届いておる

これは純粋なお主の労働とその結果による。ならばこちらも正当な評価と報酬をしよう…というだけの話じゃ」

「それはこちらのセリフですよ。三度の食事と寝床、更には身元引受人まで請け負ってくれた

 こちらは一文無し故にせめて労働で返そうと思っただけです」

「フム、成程。では立場で言えばワシは雇い主になるの?では主の労働による報酬単価を決めるのもワシという事になるのー

 これはお主の給料からお主の生活費を引いた差額…と言えば受け取ってくれるかの?」

 

イタチの言い分を聞いて尚、流れるように返した鉄心の言い分を聞いて、イタチの方も言葉に詰まってしまう

自分の言い分に理があるのなら、鉄心の言い分にも理があったからだ。

 

「ま、口では偉そうな事を言ったが、結局はワシもお主と一緒よ

あれだけ働いて貰っているのにタダ働きでは、ワシもちょっと申し訳ないと思っておるだけじゃ

要は老いぼれが見栄張って格好つけたがってるだけじゃ」

 

だから、なーんも遠慮は要らんよ。

そう最後に付け加えて、再び鉄心はイタチに封筒を渡そうとする

流石にここまで言われては、イタチ自身も受け取らない訳にはいかないだろう。

 

そう思った時だった

ここで一つ、イタチの中にとある代案が浮かんだ。

 

「…それなら、別の物で代用しても構いませんか?」

「ん? どういう事じゃ?」

「実はお恥ずかしい話なのですか――」

 

 

そう言って、イタチは事の次第を鉄心に説明する

イタチが兼ねてから思っていたその考えを口にし、鉄心はその内容を一通り聞いて

 

「……お主、本当に欲がないのー」

「残念な事に、当事者にとっては大問題なんですよ」

 

呆れた様に鉄心は呟いて、イタチも肩を竦める様にして答える。

そして鉄心は一考する

確かに深刻といえば深刻かもしれない、だが軽いといえばもの凄く軽い問題でもある

まあどちらにしても、本人たっての希望なのだから此方も無下にはできないだろう。

 

「よし分かった、早速今から手配の準備をしよう」

 

そう言って、鉄心は笑顔で応えて

 

了解しました、とイタチは一礼して再び風呂場に向かう

そしてそのまま風呂場で一日の疲れと汗を共に流して、寝巻に着替えようと脱衣所に行き

 

「……こう来たか」

 

思わず感心するように呟いてしまう、自分の着替えの中に紛れる様に

 

――忘れ物じゃ――

 

と、一筆が添えられたイタチの給料袋があったからだ。

 

 

 

 

 

ほぼ同時刻、川神院のとある私室にて

 

「うーむ…、精神の修行、心の修行か…」

 

唸る様に百代は呟く

自室という事もあってか、今の百代は普段の道着や制服ではなくTシャツにジーンズというラフな格好をしていた。

 

イタチに心の面での未熟さを指摘されて早数日、未だ百代は考えが纏まっていなかった

無論、百代とてその間何もしなかった訳ではない

嘗て祖父の教えを受けて精神修行をしていた時の内容を思い出してみたり

座禅や水行と言ったものにも一通り手を出してみたのだが…

 

「なーんか、違うんだよなー」

 

愚痴る様に呟く

退屈だから、つまらないから、戦えないから…ではない

勿論そう言った要因も少なからずあるのだろうが、その程度の事で祖父やイタチの指摘に難癖つける程、百代も愚かではない。

 

だが、違うのだ

精神を鍛える、心を鍛える…そういう上っ面の考えや思いつきではない

もっと根本的な部分が、自分には不足している様に思えた。

 

少なくとも、今のまま形式通りの精神修行や心の鍛錬を続けても効果はない

その事だけは、百代自身が確信している。

 

イタチや祖父に相談する事も考えたが、それは即座に却下した

祖父は恐らく「それを見つけるのもまた修行」と言って終わるだろうし

イタチの方はもしかしたら助言の一つでもしてくれるかもしれないが…それは百代自身が却下した。

 

イタチは、今の百代にとって目標であり目的である

あの人は自分が超えるべき壁であり、自分が超えたい相手なのだ

だから、そんな人物にそこまで甘えてしまうのは…百代の中ではどうしても躊躇われたのだ。

 

 

「…何者なんだろうな、あの人は…」

 

 

ぼふり、と軽い音を立てて百代は布団の上に寝転がる

自然とその思考は、イタチの事に向かっていく。

 

あの身体能力もそうだが、それ以上に技術や経験が群を抜いている

常にこちらの戦術を読み取り、一手一手確実に対処していく様は正に圧巻だ。

 

恐らく年は二十歳前後

低くて多分自分と同年代、高くても二十代後半にはいかないだろう。

 

故に興味がある

自分とそんなに年が違わないのに…一体どんな経験を積めば、あの領域にたどり着けるのか

どんな鍛錬をし、どんな戦いをし、どんな相手と闘えば、あの領域にまで行けるのか。

 

「…ま、そもそも当人が覚えてないからなー」

 

天井を見つめながら呟く

唯一の回答を知っている本人の記憶が飛んでいる現状、いくら考えても意味はないだろう。

 

 

「……私も行けるか? あの領域に……」

 

 

自分自身に問いかける

あの人は強い、そして凄い……だが、手が届かない訳じゃない

技術や経験でも確かに差がある…だが、埋められない訳じゃない

心や精神面、これも技術や経験以上の差はあるだろう……だがこれも、克服していけばいいだけの話だ

 

道は分かっている、だがそれだけだ

あの人だって止まっている訳ではない

記憶がない、という事は技の記憶も欠損している可能性が高い

 

現に最初の手合せの際、あの人の動きは途中から格段に洗練されたものになっていた

そして武人としての知識、技、経験を思い出せば…あの人の実力はまだまだこんなものではないだろう

 

つまり、現時点では自分も相手もまだまだ伸びしろがある

つまり、自分のいく道がどの様な道になるのかはまだまだ分からない

 

どれだけの道のりを行けば良いのかは分からない

どれだけの時間を費やせば良いのかも分からない

 

そもそもたどり着けないかもしれない

もしかしたら途中で挫折するかもしれない

 

 

「――上等……!」

 

 

口の端を釣り上げて、百代は笑う

心の底から湧き上がるその衝動と感情を抑えきれず、その顔は微笑みを作る。

 

――そうだ――

――それでいい――

――だからこそ、やり甲斐がある――

 

「……彼方にこそ栄え在り、届かぬからこそ挑むのだ…だっけな?」

 

前に秘密基地で気まぐれで読んだ本の中に、そんな一文があったのを思い出す

あの時は特に気にならなかったが、改めて考えてみると…中々的を射ている言葉かもしれない。

 

自分の体と心が久しく忘れていた感覚を思い出す

目標を見つけ、それに向かって努力する。

 

祖父に厳しく説教され叱られながらも、胃の中の物を嘔吐しそうになるほど鍛錬し、血反吐が出そうになりながらも修行し

身体はあちこちが痣だらけ腫れだらけ、手と足の皮は擦れ剥けマメだらけ、失神や気絶は当たり前

 

だがそれでも、楽しくて楽しくて…毎日が充実していた。

 

遠い日に置いてきてしまったあの感覚が、今また百代の胸の中に宿っていた

己の目標を再認識したせいか、体中の血が滾るようにウズウズしてきたからだ。

 

 

「よっし、それじゃあ早速道場に」

 

 

――と、そこまで言った所で百代の足は止まる

何故なら自分の部屋の戸からノック音が響いてきたからだ。

 

「誰だ?」

「ワシじゃよ」

「…何だ、ジジイか。ちょっと待ってろ」

 

ノックの主が祖父である事を確認して、百代は立ち上がる。

次いでドアを開くと

 

「どうも」

「…不思議だ。ジジイが知らぬ間に超若返ってる」

「何をあほな事を言っておる」

 

目の前にいる、さっきまで脳裏に描いていた人物を見て呟く

次いでその隣にいた祖父が、溜息を吐く様に呟き百代は「冗談だ」と微笑み返した。

 

「…それにしても、イタチさんがここに来るのは珍しいですね?しかもジジイと一緒とは」

 

その珍しいイベントに百代は考える

イタチと鉄心、共に百代が認める武人であり、百代に心の未熟さを指摘した人物だ

もしかしたら、今回はそれに関しての事なのかもしれない…と、百代は心の奥で気を引き締めるが

 

「実はの、この御仁がお前に頼みたい事があるそうじゃ」

 

その鉄心の言葉を聞いて、百代は自分の勘が外れた事を確認する

だがしかし

 

「イタチさんが、私に?それもジジイを通して?」

「はい。最初は鉄心様にご相談したのですが、貴方の方が適任だと言われたので」

「?」

 

イタチの言葉を聞いて、百代も少し疑問を覚える。

もしも武術絡みの事なら、普段の手合せで幾らでも自分に相談できただろうから…つまりは武術絡みじゃない

だがしかし、イタチの相談を聞いて尚鉄心が百代の方が適任と判断する事は……やはり武術以外、思い当たるものない。

 

「――実は、折り入って頼みがあります」

 

そう考えている内に、イタチが一歩前にでる

その顔から多少なりとも真剣な気持ちを察知し、自然と百代も身構える。

 

(……ま、本人から直接聞いた方が早いか……)

 

百代は百代で、そう結論づけてイタチの言葉を待つ

今までの事を考えれば、この人には大いに世話になっている…多少の無茶でも力になろう。

 

そんな風に、百代は決意を固めて

イタチは、続きの言葉を言い放った。

 

「俺に、勉強を教えてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほぼ同時刻、島津寮のとある一室にて

 

「フンフンふふーん♪」

 

軽く鼻歌を口ずさみながら、その少年は携帯電話を弄っていた

少年の名前は直江大和、この島津寮の住人の一人であり百代の事を「姉さん」と呼ぶ弟分である。

 

「こんなもんか。やっぱ春休み前は皆浮かれるよなー」

 

そういう俺もだけど、と心の中で付け加えて大和は携帯でメールのやり取りを続ける

大和のライフワークでもある情報収集および情報交換だ。

 

もう学年末テストも終わり、授業の方は試験休みと新年度の準備も兼ねて殆どなく

部活や委員会にでも所属していなければ、半日で終わる日が多い

無論それは大和も例外ではなく、大和は大和で自分の時間を楽しんでいた。

 

「ご機嫌だね、大和」

「ん、まあな」

 

大和の背後から、女の声が響く

その発信源は椎名京、彼女もまたこの島津寮の住人だ。

 

「テストも終わったし、先輩達のお別れ会も終わったし、年度末のイベントもひと段落ついたなーってな」

「そだね。もう直ぐ春休みだし、これで二人きりの時間ももっと増える」

「遊ぶだけなら大歓迎」

「大人の階段を上っちゃおう」

「シンデレラじゃないからパス」

 

「つれないなー大和は、でもそんな所も好き」

 

きゃ、恥ずかしい…と、そんな一文を最後に付け加えて

彼女は紫の髪を揺らして、頬に手を当てて体をクネクネと揺らすが、当の大和は至ってノーリアクションである。

 

もう何年も何回もしてきたこのやり取り

今更いちいちリアクションするのも、大和は面倒になってきたからだ

そんな風に、日常の一部になりつつある京とのやり取りを続けながら携帯を操作して、やり取りを続ける。

 

そして、とある一文が目に入った。

 

「ん?」

「どうしたの?」

 

そのメールの発信元は、川神院で働いているお手伝いさんの一人からだ

その内容は、どうやら自分の姉貴分が最近川神院に新しくやってきた男とやたら仲がいい…という内容だった。

 

別に、これだけなら大和も特には気にしなかっただろう

なにせ相手はあの川神百代だ

色々な意味で話題が尽きない人物であり、様々な種類の噂や風評が着いて回っている。

 

そんな噂をいちいち検証するのは面倒だし、あれこれ他人のプライバシーやプライベートに踏み込むのはマナー違反だ

広く浅い付き合いを熟している大和が学んだ、ベストの付き合い方である。

 

…まあ、自分の「ファミリー」の様な一部例外もあるが

 

だが、今の問題は少々異なる

問題は、大和自身がその情報に思い当たる事があったから

 

自分の姉貴分が、とある男の見舞いに連日病院に通っていた事

その男は記憶喪失で、一時的に身元を預かって貰う様に姉貴分が祖父に頼み込んだ事

 

そして何より、ここ最近の姉貴分の機嫌がとても良かった…というのもある。

 

今までは、何よりも楽しみにしていた武術との手合せが楽しめない…というのもあって

自分の姉貴分は何をしても、どこか空虚というか物足りなさ…みたいなモノを感じさせていた。

 

だが、それがここ最近は一切感じられなかった

今まで満たされていなかったものが満たされている…そんな印象を受けた。

 

その事とこの噂を合わせて考えるに…やはり、全くの無関係…とは言い切れないだろう。

 

「…なあ、京。最近姉さんが川神院に来た人と仲が良いって話、聞いたことある?」

「それってもしかして…例の記憶喪失?」

「多分」

 

傍にいる京に尋ねる

同じファミリーのメンバー、しかも同性の京なら百代から何か話を聞いているんじゃないか?

と思ったからだ。

 

「…少し前に、その人に一目惚れしたの?って聞いた事があるんだけど」

「だけど?」

「モモ先輩、否定しなかった」

 

「…まじ?」

「マジ、その後冗談だって言ったけど…違うとは一言も言ってなかった」

 

京自身、当時引っかかっていた事を思い出して報告する

大和は大和で信憑性を帯びてきたその情報に、少し興味が湧いてきた

 

野次馬根性、野暮な勘繰り、そんな物は一切ない!…と、言えなくもないが

真偽を確認したいと思ってきたのは確かだ

 

――と、大和がそこまで考えた所で

 

 

「電話?…って姉さんから?」

 

 

大和の携帯が電話の着信音を響かせる

相手は今まさに話題に上がっていた、川神百代からだ

 

タイムリーなその電話に驚いたが、まあ丁度いいから少し探りを入れてみよう

そう思って大和は通話のボタンを押し、そして

 

『助けてナオえもおおおおおぉぉぉん‼‼』

 

そんな悲痛な叫び声が、受話器から響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





あとがき
……やばい、一週間以内に投稿しようと思ってたのに…
と内心で焦りつつも、今回も何とか投稿できました!

次回はついにイタチとあのファミリーの初顔合わせ…になる予定です
今日は少し時間がないので、感想返しは順々にして予定です
それでは次回にまた会いましょう!

追伸 釈迦堂さんとは、あくまで健全な修行仲間みたいな感じになる予定でしたよ(笑)
    どれくらい健全かと言われれば、某健全ロボよりも健全ですよ!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話

とある廃ビルの一室にて、七人の少年少女が集まっていた

その部屋は廃ビルの一室とは思えない程に装飾され、本棚やソファー、椅子、カーペットと

様々な家具が持ち込まれていた

ここを「秘密基地」と決めた皆が、それぞれが過し易い様に色々な物を持ち込んだ結果である。

 

「さて、今日皆に集まって貰ったのは他でもない。姉さんの事でだ」

 

集まった皆に視線を置いて、今日ここに皆を呼び出した大和が言う

 

「メールで大体の事は分かったけど、冗談とかじゃないよな?」

「メールの内容が内容だったしね」

 

背の高い筋肉質で髪をオールバックで纏めた少年「島津岳人」と、細身で色白の伸びた前髪で片目に掛かっている線の細い少年「師岡卓也」が言う

そんな二人の問いを聞いて、今回の集まりの切っ掛けとなった百代が言う。

 

「…マジで、冗談だったらどれだけ良かった事やら…」

「…こりゃマジっぽいな」

「キャップ達の言いたい事ももっともだけどね。私も逆の立場だったら同じ事を思うだろうし」

 

心の底から疲れ切った様に呟く百代を見て、赤いバンダナを額に巻いたキャップと呼ばれた少年「風間翔一」が納得した様に言って

その事に百代の妹である川神一子が同意する。

 

川神百代、川神一子、椎名京

直江大和、風間翔一、師岡卓也、島津岳人

 

以上の七人が、この「風間ファミリー」のメンバーである

改めて全員が集まったのを確認して、大和が話を進める。

 

「それじゃあ、簡単に話を整理するとこんな感じだ」

 

・モモ姉さん(先輩)が助けた人(イタチ)が川神院に住み込む

・その人は記憶が戻る、若しくは身元が分かるまで住み込みとして川神院で働く

・その人は記憶と同じく、一般教養の知識が掛けているらしく鉄心に相談

・鉄心、その人の教師役に孫娘である百代を任命

・百代オワタ…orz

 

「とまあ、こんな感じだな」

「最後のはちょっと悪意がないか?」

 

大和が予め用意しておいたホワイトボードで状況を簡単に纏め、最後の一文に関して百代が突っ込むが大和はコレをスルー

そして大和が説明を続ける。

 

「皆も勘付いていると思うが、鉄心さんが依頼主の時点で姉さんに拒否権はない

 その事を念頭に置いて貰いたい」

 

大和の言葉に皆は一同は頷く。

ここに居る皆が皆、百代の祖父の鉄心とは長い付き合い故にその性格を良く知っていたからだ。

 

「だが実際の話、姉さんに他人に勉強を教えるのはちょいと厳しい。だから皆にも少しばっかり手を貸して貰いたい

それにやる範囲も精々が中学生レベルの範囲までだ。

これなら俺達が姉さんのサポートさえしてやれば、姉さん主導で進めていけると思う。俺達が力を貸しても、姉さん主導なら鉄心さんも文句を言わない筈だ」

 

百代の祖父の鉄心なら、自分たちが百代のサポートをする位は容易に想像がついただろう

それに対して何も言及が無かったという事は、それくらいの事は黙認する…という事だ。

 

「事情は分かったけどよ、でもモモ先輩がそいつに対してそこまでしてやる必要はなくね?」

「うん、僕もそう思う。話を聞く限り、その人も最初はモモ先輩にそこまでして貰うつもりはなかったから、鉄心さんに相談したんだろうし」

 

大和の意見を聞いて、ガクトとモロがそれぞれの意見を言う

二人とも話の流れを聞いて、少し疑問に思ったのであろう。

 

だが

 

 

「イタチさんには世話になっている。だから、あの人には不義理な真似はしたくない」

 

 

一瞬、そこにいるほぼ全員が息を呑んだ。

 

あっさりと簡潔に、百代は皆にそう断言して部屋の空気が変わる

百代から発せられる空気・雰囲気には真剣な気持ちが滲み出ていたからだ

その事に多少の程度の違いはあっても、ここにいる百代以外の全ての面々が今の言葉に驚きを隠せなかった。

 

「――と、格好つけたのは良い物の、皆に助けを求める姉さんなのでした」

「言うなよ弟ー。折角格好良く決めたのにー」

 

肩を竦めながら大和が呟いて、百代が大和を軽く小突きながら返す

その二人のやり取りを見て、少し堅苦しかった部屋の空気がいつものファミリーの空気に戻る

そこで百代が皆に言う。

 

「――とまあ、大まかな事情は説明した訳だが

ぶっちゃけた話、お前達はお前達で予定もあるだろうし、コレはファミリーのではなく私の個人的な用事だ

だから、気が乗らなかったら断ってくれて構わないぞ、今更互いに遠慮する間がらでもないしな」

 

百代の言葉を聞いて、ここに来て初めて詳しい事情を聴いたモロやガクト、キャップは考える。

基本この面子は「ファミリー」としての集団行動する事が多いが、別にそれには堅苦しいルールや決まりがある訳ではない

基本的には個人の自由意思、「やりたいからやる」のである。

 

大和と京、一子は予め百代から事情を聴いて、粗方の意見は決めているが、皆の意見が出揃うまでは待つつもりだ

そこで一つ質問の声が上がる。

 

「そんじゃあ、俺もワン子とモモ先輩に質問」

「どうしたキャップ?」

「てか、私も?」

 

キャップが挙手しながら二人に尋ねて、二人の視線がキャップに向く

次いでキャップが二人に尋ねる。

 

「そのイタチって人だけど、どんな感じの人なんだ?」

 

キャップの質問――それはある意味、ここにいる凡そ全員が気になっていた事だ。

ここにモロやガクトは勿論、京や大和もイタチに関しては殆ど知らなかったからだ。

 

「そうね、まだ付き合いは短いけど…凄い真面目で仕事熱心な人よ。あとすっごく体力があって、仕事が早くて丁寧ね

ウチの道場とか本堂の掃除、纏めて一日で終わらせちゃう人だもん」

「うお、そりゃ凄えな!」

「…確かに、あの広さを一日でってのは凄いね」

 

一子が思った事を口にし、その内容を聞いてキャップとモロが驚きの声を上げる。

川神に住む者ならその道場や本堂の広さを良く知っている

だからその広さの空間の掃除を一日で終わらすという事が、以下に体力と時間を使う作業なのか…というのが想像もできなかったからだ。

 

「ワン子の意見は分かった、それじゃあモモ先輩から見てどういう人なんだ?」

「フム、私から見て…か」

 

キャップの問いを聞いて、百代も顎に手を当てて一考する

少しの間そんな風に考えて、考えが纏まったのか百代は再び皆に視線を置いて

 

 

「一言で言えば、尊敬できる人だ」

 

 

再びの静寂

その余りにも百代らしからぬ発言を、立て続けにファミリーは聞いて

 

(…ぅおーい!どういう事なんだよ大和!今日のモモ先輩おかしいってレベルじゃねーぞ!…)

(…こんなモモ先輩初めて見るよ!一体どういう事なのさ!…)

(…うーむ、モモ先輩にあそこまで言わせるとはな。こりゃ是非とも会ってみたいもんだな!…)

(…とりあえず、ガクトとモロは少し落ち着け。キャップはいつものキャップで何か安心した…)

 

と、男子陣は思いの思いの会話を繰り広げ

 

(…一目惚れの話、あながち冗談でもないかも…)

(…でも川神院で話してる所とか見ても、お姉さまもイタチさんも全然そういう空気じゃなかったよ…)

(…ワン子はお子様だからね…)

(…むー、どういう意味よ京!…)

 

 

と、女子陣は女子陣で様々な憶測が行き交っていた

そんな時間がどれ位流れただろう? そこで不意に声が上がった。

 

「よーし、俺は付き合うぜ!」

 

挙手する様に宣言したのはキャップだ、その宣言と共に皆の視線がキャップに集中し

次いでキャップは言葉を続ける。

 

「モモ先輩にそこまで言わせるとは、これは風間ファミリーのキャップとして会わずにいられないだろ!?

 どんな人なのか、直に会って話してみてえ!つう訳で、俺は乗るぜ!」

 

屈託のない笑顔と、愉快気な響きを纏わせたその言葉

そんな言葉を聞いて、そこにいる面々も考えが纏まったのだろう

その流れに同調する様に、次々に声が上がった。

 

「んじゃ、俺様も付き合おうかな。やっぱソイツの事が気になるしよ」

「僕もガクトと同じ意見かな? やっぱり何だかんだで興味が湧いちゃった」

 

ガクトとモロもこれに賛同

 

「俺と京とワン子はここに来る前から、姉さんに付き合うのを決めてた訳だから」

「風間ファミリー、全員参加だね」

 

大和と京が自分たちの意見の纏めて、ファミリーの全員が参加する事を確認する

実際の話、皆がそれぞれ休みの間にしたい事はあったのだが

やはりここに来て、今までに無い事態に対しての興味が大きい様だ。

 

「よし、それで何時から始める予定?」

「早い方が何かと都合が良いからな。出来れば明日からやろうかと思ってる」

「明日か、よしそれじゃあ明日川神院に集合な」

 

おー、という掛け声が廃ビルに響いて

明日行われるであろう勉強会に、風間ファミリー全員の参加が決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…どうしたものか…」

 

川神院の一室にて、イタチは困った様子で呟いた

いつもなら川神院の掃除や洗濯、食事の仕込み、更には百代との手合わせ…と

常に何かしらの仕事に追われているイタチであるのだが…

 

「まさか、休みを言い渡されるとはな」

 

今日の予定を振り返って呟く

それは遡る事今朝の事、いつもの様に仕事に入ろうとしたら鉄心に言われたのだ。

 

 

「働き過ぎ、休め」

 

 

…とまあ、こんな感じでイタチは今日一日は休みになった

どうやら今日は手伝いの人間が割と多めに来るらしく、人手は十分の様だ

更に言えばイタチは此処に来てからずっと休みなしで働いていた為に、鉄心や同僚の間で少し休ませたらいいんじゃないか?という話も出ていたらしい。

 

だがイタチとしてはそれ程疲労は溜まってないし、精神的にも疲れていない

目に見えない疲労というのもあるが、丸一日休息するほどでもない

 

急に手持ち無沙汰になったので、百代と手合わせでも行おうとしたのだが

今日は百代の方は朝から外出していたので、こちらも捕まらなかったのだ

 

今度行われる勉学についても、自分なりに少し予習をしようとも思ったが

下手な予習をして間違った先入観等を植え付けると、後々の修正で苦労をする

それならば真っ白な状態で、きちんと授業を受けた方が良い…イタチはそう判断した。

 

さて他には何かないか?―と、イタチは少し考えて

 

「…そういえば、まだこの辺りの散策はまだしていなかったな」

 

イタチは窓から見える風景を眺める

ここに来てそれなりの日数が経ったが、まだ川神院以外の場所には行った事がなかった。

何度か買い物の付き合いで商店街に足を運んだ位だ。

 

まだ記憶が戻る兆候も、自分に関する情報が入ったというのも聞かない

まだまだ川神院に滞在する事になるかもしれない

それらの事を考えると、やはり周囲の土地勘を養うのも悪くない考えだろう

 

「服装は…まあジャージのままで良いか」

 

もはや着慣れた服でもある「川神」の刺繍が入ったジャージを見る

手持ちの服はこれ以外は手持ちの一着しかないし、あれも大分くたびれている

以前商店街に行った時も、ジャージ姿の若者をそれなりに見かけたから、まあ変に浮くこともないだろう。

 

「…有難く、使わせて頂きます」

 

鉄心から貰った茶封筒、自分の給料を手に取る

中を確認すればお札が数枚顔を覗かせる

外出する以上、やはりある程度の軍資金は必要になってくるだろう。

 

「…よし」

 

粗方の考えを纏めて、イタチは手早く準備を終える

途中で会った何人かの同僚に外出の旨を伝えて、イタチは川神の街へと繰り出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川神市・金柳街にて、その女は居た。

腰まで届く燃える様な赤い髪、地元では先ず目にする事のない紺の軍服

軍服で体のラインこそ隠れているが、その肉体は女性らしさを充分に強調しながらも、鍛えられて引き締められているのが良く分かる。

 

更に特徴的なのが、その女の顔だ。

 

丸みを帯びながらも理想的なラインを描く輪郭

整った鼻梁に、引き締まりながらも程よい湿りと柔らかさを見せる唇

そして何より、その眼光

片目こそは眼帯で隠れているが…抜身の刀身を思わせるその鋭い眼差しは、その女の持つ美しさと覇気を象徴している様だった。

 

普通の感性を持ってその女を見れば、十人中の九人は美人と思うだろう

だがしかし、そんな目立った外見であるにも関わらず彼女に注がれる視線は少ない。

 

昼の繁華街、時間と時期の関係で金柳街はいつも以上に賑わっているにも関わらずだ。

 

理由は至って単純

彼女が意図的に自分の気配を消しているからだ。

 

赤髪の女…マルギッテ・エーベルバッハは、自分の気配を消しながら金柳街に居た。

 

「こんな所、か」

 

雑踏の中に、静かに彼女の呟きが響く

彼女がこの川神の街に来た理由、それは現地調査のためだ

新年度の春から自分ともう一人、彼女の上司の娘であり妹同然の「お嬢様」が、この川神にある高校に編入するからである。

 

尊敬する上司と親愛なるその人の為に、彼女は自らの目で川神の街を見に来たのだ。

無論、彼女も川神という街を紙面上の情報では知っていたのだが

やはり自分達の新たな生活拠点となる川神の街を、彼女は事前に自らの目で見ておきたかったからだ

故に彼女は上司に訳を話して暇を貰い、数日前に現地調査にやってきたのだ。

 

 

多少騒ぎ好きの気質はあるが、概ね良い街

 

 

それが、マルギッテが数日間見続けてきた川神での評価だ。

確かに幾つか治安の悪い所、無作法な輩もいるがその要所もある程度特定できた

自分が護衛に居れば先ずそんな危険な場所には近づかせないし

ここには武術の総本山である川神院があるために、表だって不埒な輩が闊歩する事も先ずなかったからだ。

 

軍属であり、ある程度に諸外国の実情を知るマルギッテとしては、この川神の治安や環境に特に不満はなかった。

目ぼしい所の調査は概ね終了したし、後はお嬢様好みのヌイグルミでも見つけよう

そう考えを纏めて、マルギッテが足を進めた時だった。

 

 

 

――ゾクリと、彼女はその気配を感じ取った。

 

 

 

「――っ‼‼!?」

心臓が跳ね上がるかの様に脈を打った

冷汗と油汗が混じった様な気味の悪い汗が流れた

全身が凍りつく様な悪寒が走った

肺が一瞬止まって、呼吸をするのも忘れた

 

その気配を感じたのは、一秒にも満たない一瞬

だがそれだけで十分だった

たった一瞬感じたその気配に、彼女は完全に飲まれた。

 

 

(……なん、だ…っ!…今、の…気配…はっ…!……)

 

 

マルギッテが感じたモノ

言うなれば、絶対的な力の差、絶対的な脅威、絶対的な恐怖

 

例えるなら、大蛇に傍を横切られた蛙の気分

混濁しかけた意識を必至に整えて、マルギッテはその気配の発信源を探る。

そして…

 

 

(……あの男……)

 

 

 

雑踏の中を歩く、一人の男を見定める

ここからでは後姿しか確認できないが、白いジャージに身を包み肩に掛かる程の黒髪を後ろで括り纏めている。

後姿だけの印象では、それはどこにでいる普通の男だ。

 

だが、感じる

僅かにその男から漏れ出る気配、迫力、威圧感

そのどれもが、マルギッテに対して並々ならぬ衝撃を与えていた。

 

自分が態々遠いこの異国の地に現地調査に来たのは、この地にどれだけの不安要素、不安要因があるか見極める為だ

そして自分は見つけてしまった、出会ってしまった…見極めなければならない「何か」を

 

幸いここは繁華街の雑踏の中、尾行し調査するには打って付けの環境だ。

故に、マルギッテの考えは固まる。

 

「――――、――――」

 

脳内のスイッチを切り替える

乱れる呼吸と脈拍を整える

意識をクリアにして、雑念を払い、雑音を取り払い、任務に集中する。

 

自らの存在感と気配を極限にまで消し去って、マルギッテは尾行を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……尾行されているな……)

 

金柳街の街を歩きながら、イタチはそう思った

背後から少し距離を取った場所から感じるその気配

雑踏の中に行き交う様々な気配に紛れる様に隠れ、自分の後についてくる雑音の様なその気配。

 

最初は気のせいかとも思ったが、どうやらそうではないらしい

この気配の主は、確実に自分を狙いに定めて尾行している

それも相手は素人ではない、確実に訓練と鍛錬と修練を積んだ者だ。

 

(……理由は何だ?……)

 

イタチは自分が尾行されている理由を考える

簡単に考えれば、いくつかの可能性が思い浮かぶ

 

可能性その1、川神院による自分の調査

 

(……百代や鉄心様の性格では考え難いが…川神院は「組織」だ……)

 

組織である以上、複数の意見や考え方、行動ややり方がある

故に川神院に属する「誰か」が自分を不審に思い、この様な行動に出てもおかしくない。

 

別にこれならいい

自分には何も疚しい事も後ろ暗い事もないので、普通に街を散策した後にいつも通りに日常に帰ればいい。

 

 

可能性その2、川神院以外の者による調査

 

(……川神院は相応に地位と権力を持つ組織だ、当然それを良しとしない輩も居るだろう……)

 

組織である以上、ある程度の他組織との敵対関係は避けられない

川神院を狙う、疎ましく思う、敵対する、他の組織が最近になって現れた自分という異分子の調査

 

これも、現段階ではそれ程問題ではない

結局自分は予定通りに行動すればそれで良いし、自分はあくまで川神院の「客分」だ

少し調べれば自分が成り行きで、一時的に川神院の世話になっている事は直ぐに分かるだろうし、その利用価値も低い事も解るだろう

それにこの人通りの多い金柳街で何か行動を起こすには、少し人の目があり過ぎるだろう。

 

(…それにこの気配の主は、金柳街に入ってから現れた…)

 

川神院を出だす時にはこの気配を感じなかったから、この気配の主は金柳街に入ってから自分を尾行している

もしも自分を個別に狙っているのなら、普通は川神院から尾行しているだろう

 

(……かと言って、金柳街に入って突然気配を出すメリットもない……)

 

意図して情報を攪乱する事も考えられるが、それによるメリットは低い

もしも最初から自分を尾行していたのであれば、自分は金柳街に入るまでその気配に気づかなかった事になる

それ程までに完璧に尾行していた者が、態と気配を出して相手の警戒を誘う様な真似をするのは少々考えにくい

メリットとデメリットの釣り合いが、あまりにも取れていない。

 

故に、この可能性もあまり無いと考えて良いだろう。

 

 

可能性その3、川神院とは関係なく自分個人を狙ったもの

 

「…………」

 

正直な所、イタチの直感としてはこれが「当たり」だと考えている。

自分が川神院の世話になって早二週間、つまり自分は家族・知人友人に何一つ連絡が取れていない

つまりは行方不明だ。

 

そんな自分をたまたまこの金柳街で見つけ、その真偽を確かめる為に尾行している…という事が考えられる

だがこの考えにも疑問が残る。

 

(……なぜ、この人物は自分に声を掛けてこない……)

 

もしも先の可能性なら、普通なら最初にやる行動は声を上げて駆け寄って話し掛ける事だ

だがこの気配の主はそんな素振りを見せず、一定の距離を保ったまま自分を尾行している

自分と面識のある者の行動しては、怪しすぎる。

 

勿論、世間には面識のある相手にそんな怪しい真似や行動をする輩も居る

嫉妬、憎悪、痴情、等々、そんな感情に突き動かされて、やましい行動や後ろ暗い行動に走る者も存在する

記憶を失う前の自分に、そんな者と面識があった可能性も否めない。

 

 

(……さて、どうする……)

 

 

そこまで意見を纏めて、イタチは考える

現段階では先の三つの可能性のどれが当たりかは、まだ判断できない

それに先の三つ以外の第四、第五の可能性だって十分にあり得る。

 

いずれにしても、このままではこれ以上の進展は望めない

可能性としては、相手が自分と面識がある者である可能性は低い。

 

だがしかし、若しかしたら自分の事を知っているかもしれない。

 

 

「……少し、藪を突いてみるか……」

 

 

静かに呟いて、イタチは金柳街を歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……っ!…動いた!……)

 

マルギッテは僅かに目を見開く

尾行を初めて数十分、尾行の対象に動きがあったからだ。

 

急に雑踏の中を駆け出して、自分との距離をどんどん開けていく

このままでも直ぐにでもその姿を見失うだろう。

 

(……深追いは禁物…だが、人通りの多いこの繁華街なら!……)

 

自分の尾行が気づかれた可能性もある

だが今居る場所は人目に付きやすい、多少の深追いなら幾らでも巻き返しが聞く

この辺の地理は頭の中に既に入れてある

人目に付きにくい場所や治安の悪い場所、揉め事・争い事に向く場所は大方解っている。

 

相手がもしもそんな場所に誘い込もうとしているのなら直ぐ解るし、本当にそうだったならその時こそ撤退すればいい。

 

マルギッテは追跡を続行する

距離の感覚を一定に保ちながら、相手を見失わない様に自分を足を速める。

 

(……次の角を、左か…!……)

 

相手が道なりにほぼ直角に曲がって、その姿を消す

あの先もまだ繁華街が続いている、ならば尾行は続行だ。

 

相手に遅れて十数秒、マルギッテも相手と同じ様に道なりをほぼ直角に曲がる

そして

 

 

「……は?」

 

 

呆れた様に、マルギッテは呟く

マルギッテの視線の先、十数m先に尾行の対象が立ち止まっている

先程までは後姿しか確認できなかったが、今ならばその横顔が確認できた。

 

年は大体自分と同年代くらいだろうか?

不細工等の印象は受けず、どちらかと言えば整っている部類

それなりに異性や同性に好感を持たれる顔だろう。

 

だがマルギッテが思わず声を漏らした原因は、そこではない

原因は、その男が立ち止まっている場所だ。

 

――おいしいクレープ――

 

「………」

 

再び雑踏に紛れて、マルギッテは男を観察する。

男がいるのは窓口タイプのクレープ屋だ、その店自体にも特に不審な点もなく一般向けの甘味処だ

やはり特に不審な動きはなく、急に駆け出した理由はただ単に甘い物が食べたかっただけなのか?

そんな風に考えていると、対象の男はお店の店主に注文を伝えて、店員があっという間にクレープを焼き上げる。

 

「ミックスベリー二つで、840円になります」

「1000円お預かりします、160円のお釣りです」

「ありがとうございましたー」

 

そんな定番のやり取りをして、男はクレープを二つ手に取るが

やはりマルギッテの目から見て、不審な点は特にない

強いて気になった点と言えば

 

 

(……あの男…一人で二つも食べるつもりか?……)

 

 

自分が見た限り、男には連れはなく待ち合わせしている様子もなかった

あの男に意図して近づこうとしているのは、マルギッテが見る限り自分以外存在しない

 

だが

 

(……待て、クレープが…二つ?……)

 

その考えがマルギッテの脳裏に過る

 

(……私以外、あの男に近づこうとして…いない……)

 

その可能性に気づく

 

(……まさか!……)

 

そして

 

 

 

 

 

 

「―――食べるか?―――」

 

 

 

 

 

 

 

気が付けば目の前にその男が、尾行していた対象が自分にクレープを差し出していた

 

そしてこれが、自分とこの男「イタチ」との最初の出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 




後書き

あかん、気づけば二週間も経ってた…

という訳で、またもや投稿に時間に掛かってしまいました…申し訳ないです!
少しGW遊び過ぎてしまいました

さて、今回は勉強会を書く予定だったのですが
今回を逃すと、新キャラを出せるのがまだまだ掛かりそうだったので先にこの回を書きました
扱いとしては今回は本編よりも幕間に近い感じです
勉強会を期待していた方々…どうもすいません

さて、今回の新キャラはマルさんです
初めて扱うキャラなので上手く掛けるか不安ですが、頑張りたいと思います。

それでは、また次回に会いましょう!


追伸
好感度の設定は、自分が機会を見て更新していく予定です
その時に出る好感度、つまり三話でていた好感度はあくまで三話終了時点でのものです。





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話

驚愕は一瞬

動揺は数瞬

 

「――っ!!?」

 

即時撤退、それが瞬時に出したマルギッテの答えだった

 

尾行対象に自分を認識された

その相手に、自分の間合いを犯された

故にマルギッテが即座に撤退を判断したのは、至極当然の事だった

 

次の瞬間、後ろに飛び退く

雑踏の中でも縫う様な後退、マルギッテの技術と能力が合って成せる技

ついで雑踏の中に体を滑り込ませて、歩行者を障害物にする。

 

(……よし、これで流れに沿れば……)

 

何とかやり過ごせる、そう思った時だった。

 

 

「――ふむ、少々急き過ぎたか」

 

 

足が止まる

目を見開く

表情が固まる

 

居た、その男は居た、再び目の前に居た

距離を取り、歩行者を挟み、方向を真逆に変えた自分の目の前に

 

その男は、再び自分の前に立っていた。

 

「……馬鹿、な…」

 

掠れる様な小さな声で、呆然とする様にマルギッテは呟く

しかし次の瞬間、我に返る

強引に頭を振って、頭を冷やして落ちかせて考える。

 

(……落ち着け!…戦場では冷静さを欠いた者は死ぬぞ!……)

 

脳内のスイッチを切り替えようにして、再びマルギッテは冷静さを取り戻す

そして今の状況を冷静に解析する。

 

(……どうやら、尾行の事はバレていた様だな。そしてそれを行っていたのが自分だと言う事も……)

 

そうでなければ、このタイミングで自分に声を掛ける理由がない

自分の尾行がバレていたのは確定だろう、だが此方もおいそれと認める訳には行かない。

 

「…いわゆるナンパ…というヤツですか?」

「話がしたい、という意味では…そういう事かもな」

「なら結構、見知らぬ殿方と食事を共にする理由はないので」

「見知らぬ殿方を付け回す理由はあるのにか?」

 

「………」

「―――」

 

そんな短いやり取りをして、二人は互いに黙る

互いが互いに視線を置いたまま、周囲の雑踏とは反比例するように二人の空気は静かなモノになっている。

 

「…立ち話では、歩行者に迷惑だな」

 

目の前の男が呟く

次いで男の視線は店の前に備え付けてある、客用テーブルと椅子に向かい

マルギッテの視線もそこに置かれる。

 

(……尾行は失敗、撤退も止む無し…だが……)

 

――逃げられる気がしない――

それがマルギッテの正直な気持ちだ

こうして目の前で対峙していると、ソレはより一層分かる。

 

――次元が、違う――

 

現状は援軍も増援も期待できない孤立無援状態

下手な逃走をして失敗すれば、それは更に状況を悪化させるだろう

ならば相手の意に従い、再び機会とタイミングを計るのも悪くない

 

「…………」

 

無言のままに脚を進めて、男が視線を置くテーブルの一つ隣のテーブルを腰を落ち着ける

男が視線を置いたテーブルに行かなかったのは、自分なりの抵抗だった

自分がテーブルについたのを見て、男もまた自分の対面の席に座った。

 

「イタチだ」

「…?」

「俺の名前だ」

 

不意に目の前の男が名乗り上げる

そして

 

「これで『見知らぬ』殿方ではなくなったな」

 

どこか得意げな響きを含ませて、その男イタチは自分に向かってそう言う

そして更に尋ねる。

 

「それで、貴女の名前は?」

「名乗る理由がありますか?」

「俺が知りたいから…では理由にならないか?」

「残念ながらなりませんね」

「こっちは名乗ったぞ?」

「貴方が勝手に名乗っただけでしょう?」

「なら引き換えで…食べるか?」

 

「知らない人から物を貰ってはいけない、と教わりませんでしたか?」

「知らない人について行ってはいけない、と教わらなかったか?」

 

「…………」

「――――」

 

しばしの沈黙

言語の応酬はどうやら不毛のようだ

この男の気配もそうだが、この男の言動はそれ以上に分からない

さてどうしよう…と考え始めた処で、相手が再び口を開く。

 

「疲れた時には甘い物がいい」

「別に疲れてなどいませんが?」

「尾行は体力と集中力を使うだろ?」

「なぜ、私が尾行していた事を前提に話を進める?」

「違うのか?」

「違う、と言えば信じますか?」

「多分ムリだ」

「…からかっているのですか?」

「かもな」

 

そこまでのやり取りを終えて、イタチという男は手に持ったクレープを一口食べて

 

「…うむ、美味い」

 

そう言って、男は再び自分の前にクレープを突きつける

また突き返そうかとも思ったが、次いで鼻腔にその匂いが漂ってくる。

 

「―――ぅ――っ」

 

小麦を軽く焼いた生地の香り、生クリームの甘い香り

ラズベリー、ブルーベリー、そして僅かに含んだストロベリーが合わさった甘酸っぱい匂い

 

流石に近距離で匂いを嗅ぐと、連動して胃袋も刺激される

口では否定していたが、実は精神的な疲労はかなり大きかった。

 

時差のある、見慣れぬ異国の地

連日の現地調査に加えて、異常な気配の持ち主の尾行

 

正直な所、肉体的な疲労は兎もかく精神的な疲労は相当でかかった。

 

(……このクレープが焼き上がる様は、私も見ていた。この男はその足で私の前に来た……

 ……両手はクレープで塞がっていたし、私も常にこの男に視線を置いていた……)

 

その事実を含めて考えて見れば、店員と共謀しない限りこのクレープに細工するのは不可能だろう

それにこの一件の発端は自分だ、つまり予期せぬこの事態に対して常日頃そこまで入念に準備している可能性も低いだろう

この人目に付きやすい状況を考えれば、今ここで何か仕掛けるのは不可能に近いだろう

 

それに自分とて軍人、この手の事の対策や対応は熟知している。

 

(……あえてここは、相手に乗ってみるか……)

 

断じて甘い物につられた訳じゃない

あくまでコレは駆け引きだ

 

そう自分に言い聞かせて、男の手からクレープを受け取り一口食べる

異物や違和感がないか、入念に警戒しながら咀嚼する

そして粗方の危険がないと分かった所で飲み込む

 

「――ふむ」

 

一言で言えば、まあ普通だ

別に特筆すべき所も突出した所もないただのクレープ

特に甘い物が好きという訳でもないし、また嫌いという訳でもない

故に特別な感想とか、そういうモノはない。

 

だが

 

「…悪くない」

 

素直な感想を口にする

身体に沁みる…とでも表現するのだろうか?

舌先から広がる甘味が脳にまで響いて、そんな甘みを更に引き立てる果実系の酸味

余分余計な甘味を酸味が抑え、そしてその酸味が口の中に残る事によって甘味がまた欲しくなる。

 

――取りあえず、薬物や異物の様な違和感はない

 

そう自分の考えを纏め上げて、次いでクレープをまた一口食べた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さて、そろそろ本題に入ろうか」

 

二人とも粗方クレープを食べ終えて、イタチはマルギッテに視線を置いて言う

場の空気が少しだけ変わったのをマルギッテは感じ取り、自然とマルギッテもイタチに意識を傾ける。

 

「俺の事を、どこまで知っている?」

 

イタチが尋ねる

その語気に真剣な響きを纏わせて、視線には虚実を見抜く様な眼光を乗せる

それと同時に、体の筋肉や手足の位置を僅かに調節する

万が一の事態が起きたら、直ぐに対応できる様に姿勢を整える。

 

「…………」

 

そんな空気や雰囲気を、マルギッテは肌で感じ取る

背筋に首筋あたりに僅かに冷たいものを感じ、自分なりに次の対応や言葉を考える

もしも下手な行動に出れば、自分もどうなるかは分からない。

 

故にマルギッテは

 

 

「正直に言えば、何も知らない」

 

 

嘘偽りなく、相手に応えた

もはやここまで来れば、下手な虚偽や誤魔化しは現時点では悪手以外の何物でもない、そう判断してでの事だった。

勿論、相手だってそう簡単には信じないだろう

普通に考えれば、何も知らない相手に対して尾行までしないだろうし

もしもいればそれは不審者、もしくは犯罪者予備軍だ

 

どちらにしろ、碌な輩ではない。

 

「…何も知らない相手を、理由なく尾け回していた…という事か?」

 

マルギッテの言葉に対して、イタチは少し間を置いて問い返す

 

「…私は四月からこの川神に住む事になっている、今日は事前の下調べをしていた

そして、その途中で貴方を見つけた」

 

そこまで答えて、今度はマルギッテの視線に力が込められる

聞かれる立場ではなく、聞く立場として視線と語気に力を込める。

 

「逆に聞こう…貴方は、何だ?」

「更に聞こう、俺は何者だと思う?」

 

マルギッテの問いに対して、イタチは即座に返す

こうなる事も予想していたのか、マルギッテは少し間を置いて答える。

 

「貴方のその服、そしてその『川神』という字から察するに…川神院に属する人間

それも只の門下生などではなく、川神院の中でもかなりの上位クラスの人間だと思っている」

 

マルギッテは自分の考察を答える

マルギッテ自身、同じ軍の中でもトップクラスの実力を有し名門エーベルバッハ家の名に恥じない物だ

天賦の才は勿論、今までの人生でも努力と鍛錬を怠らず、懸命に肉体を鍛え、必死に技を磨き、常に力をつけてきた

 

その実力…周りとの力の差は大きくなり過ぎて、マルギッテ自身が片目を隠してセーブする程である。

 

だが、そんな自分でも目の前の男は異常だ

直に手合せした訳ではないが、今までの経験と勘がこの瞬間にも警報の様に力の差を告げている

例え自分の枷を外し全力で挑んだとしても、自分が勝つ姿が全くイメージできない。

 

そんな過剰にも思える自分の警戒、裏付けるのが今のこの状況が証拠だ

自分の尾行に気づくだけでなくこうして正確に当ててきた、それだけでも十二分に警戒に値する相手だ。

 

(……ならば自ずと、相手の正体も限られてくる……)

 

それ程の実力を持つ相手

噂に名高い川神院に属する者、それもただの門下生等ではない

如何に川神院と言えど、このレベルがただの門下生クラスの筈がない

 

その中でもトップクラスに入る精鋭、もしくは門下生に教えを授ける立場の者

マルギッテはそう当たりをつけた。

 

しかし

 

 

「惜しいな」

 

 

目の前の男は、マルギッテの答えを否定する。

 

「確かに俺は川神院に属する人間だが、そんな大層な人間でも門下生でもない

 ただの住み込み従業員だ」

「っ!…な!」

「立場的に言えば、門下生達の世話をする立場なのだから…世間で言う所の『下っ端』だな」

 

「―――っ!」

 

言葉を失うとは正にこういう事だろう

それ程までに、イタチの言葉はマルギッテにとっては衝撃的な内容だったから

 

「まだ信じきれてない、という顔だな? ご期待に応えられなくて申し訳ないが、正真正銘俺はただの一従業員に過ぎない

何だったら直接川神院の方に確認してみるか?移動時間を含めても一時間は掛からないが?」

 

軽い調子で言葉を続けるイタチを見て、マルギッテはその言葉もまた事実である事を悟る。

 

「まあ、もう一つの可能性としては…貴方が俺を過大評価し過ぎている、というのもあるが?」

「……今更になって、それが事実であって欲しいと思っている」

 

「其方が良ければ、手合わせしてみるか?今ならもう一人、活きの良い武人との手合わせも付いてくるぞ?」

「…いや、やめておこう。下手を打って予定に支障がでるのは不味いでしょう」

 

どこか疲れたような響きを含ませて、マルギッテは答える

こう言っては何だが、自分は相当な実力者だと思っていた。

 

軍人として戦場に出た事もあるし、命のやり取りの経験もある

それなりに死線を潜り抜けてきたし、修羅場も乗り越えてきた

幾多の戦闘と数多の任務を熟してきた経験と実績。

 

そしてそんな日々を乗り越えてきた実力と自身

最強無敵…とまでは言わないが、それでも自分はかなりの実力者だと思っていた。

 

それは例え、世界的に有名な武術の総本山「川神院」が相手でも変わらない

自分の実力なら、それ相応に渡り合えると思っていた。

 

だがしかし、いざ蓋を開けて見れば

 

 

(……一従業員にすらまともに相手も尾行もできず、完全に呑まれている……)

 

 

あまりに滑稽なこの事実、ここまで来ると最早笑えてくる

 

どうやら知らずの内に、自分は驕っていた様だ

初心に帰る…という訳ではないが、一つ有り触れた言葉を思い出す。

――上には上がいる――

その絶対的な事実を改めて胸に刻みつける

 

(……川神院……成程、聞きしに勝る強者の巣窟…という訳か……)

 

後にこの勘違いが、再び新たな騒動の火種になるのだが――まあ、それは別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……どうやら、本当に俺の事は知らない様だな……)

 

マルギッテと会話を交わしながら、イタチは考える

 

(……多少強引なやり方だったが、何とかなるものだな……)

 

主導権を握るべく追手のペースを掻き乱して、クレープ等でこちらでペースを握って何とか会話の場に持ち込めた

相手の言葉をそのまま鵜呑みにした訳ではないが、幾つかの情報とそれの裏付けになる根拠は集まった。

 

(……あの反応、あれが演技なら女優になれる……)

 

自分の力量を見抜く眼力は見事

だが自分の素性を知った時の表情、あれは素の表情だ

この女は今初めて自分の事を知った…その事を確信する。

 

自分を尾行するまでの経緯を聞いても、自分が立てた推測とも概ね合致…これも取りあえずは信じて良いだろう。

 

(…しかし僅かな気配だけで俺に当たりをつけるとはな…)

 

その眼力といい、先の尾行の仕方といい、どうやらただの一般人というに訳ではなさそうだ。

それに何より、この女の佇まい

本人は隠しているつもりだろうが、姿勢や仕草、視線の置き方や体の重心の置き方

この女が何気なく行う仕草一つ一つが、明らかに一般人のソレとは一線を画している

 

百代もそうであるが、「絵になる人」とはこういう人物の事を指すのだろう

そこまでイタチが考えていると、マルギッテはマルギッテでイタチの視線に気づいた様だ。

 

「私の顔に何かついていますか?」

「――失礼、少々貴女に見惚れていた」

 

さらりと、流れるようにイタチは答える

相手もただ者ではない、あまり相手に警戒されると此方も少々やりにくい

そんな想いもあって、空気を入れ替える様に発した一言

 

 

だがしかし

次の瞬間、マルギッテは明らかな動揺をした。

 

 

「…っ…!」

「?」

 

それはほんの僅かな間、ほんの短い一瞬

瞬きでもすれば見逃してしまう短い瞬間ではあったが、その表情とその気配

イタチは確かに感じ取っていた。

 

「…成程、口の滑りも良いようですね」

「事実だからな」

 

『当たり』を感じてからの、イタチの追撃

今までとは違い、明らかにペースが乱れた相手に対する追の一手

 

「――――!」

 

声にこそ出さないが、更なる動揺の気配がマルギッテから漏れる

先程とは違い、僅かに頬が紅潮し視線も僅かに泳ぎ気味である。

 

そんなマルギッテを、イタチは改めて見て

 

 

(……何というか、悪い人ではなさそうだな……)

 

 

そんな風に、イタチは意見を纏める

川神院絡みではないのはもう確定しているし、この人も自分に対して何かしようとしていた訳ではない

 

仮にそれすらも自分を欺くための者だったとしても、そこまで自分にやるメリットがない

何より

 

(……この人は、一切記憶喪失の事に触れてこなかった……)

 

これ以上ない程に解り易く強力な武器

ソレを目の前の女は、ただの一度も使わなかった

少なくとも、こんな風に尾行して警戒を買うよりも余程安全で強力な切り札を、だ

 

今までの考えを含めて、この人に害はない…そう判断していいだろう

 

(……もしもその全てが外れていても、その時はその時で対処すればいい……)

 

自分は良くも悪くも、川神院に属する人間という認知が広まっている

その名を知っていれば、下手に手を出して川神院を敵に回す様な真似は避けるだろう。

 

ならばもう、この辺で話を切り上げても問題はない

イタチはそう判断して、この会話を区切るべく口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――私です。ええ、そうです…はい、今空港です」

 

イタチとマルギッテとの会話から数時間後、マルギッテは空港にいた

宿泊していたホテルのチェックアウトは済んでいるし、自分の荷物は既にケースに纏めてあるし、席の方も既に確保してある。

 

予定ではあと数日、川神に滞在する予定だったがその予定を繰り上げた

既に現地の調査は概ね終わっていたし、マルギッテ自身も余裕をもってスケジュールを組んでいたからだ

故に多少早い帰国でも問題ない、マルギッテはそう判断して早めの帰国を選んだ。

 

「はい、今から三十分後の便に乗りますので…ええ、そうお嬢様にお伝え下さい」

 

早い帰国を上司に伝える

元々今回の現地調査も自分個人の事であったので、多少の早い帰国は問題ではなかった

寧ろ上司の娘である「お嬢様」は自分の早い帰国に喜ぶだろう

予め見繕っていたお土産も既に確保しておいたし、こちらも支障はない。

 

「それと一つ、頼みたい事があるのですが」

 

しかし、彼女にはまだしなければならない事がある

今回の現地調査によって得た、最大の収穫と言っても良いもの

それを教訓として活用しなければならない。

 

 

「――少し、自分を鍛え直そうと思います」

 

 

その旨を彼女は電話先の上司に伝える。

 

「…はい、はい…ええ、出来得る範囲で構いませんので…」

 

故にその手配を上司に頼む、自分だけの力では少々無理があったからだ

故に彼女は心苦しいながらも、上司に頼み込む

上司の方は上司の方で、普段滅多に頼みごと等してこない部下のお願いに驚きながらも、快く了承した

 

そして大体の事を報告し終わり、電話を切って胸ポケットにしまう。

 

(……このままでは、終わらない……)

 

今回の現地調査、それはマルギッテにとっては非常に有意義なものだった

決して無駄ではなかった、川神に来て本当に良かったと思えた。

 

――ただの住み込み従業員だ――

――世間で言う所の、『下っ端』だ――

 

とある男を思い浮かべる

この現地調査において、最大の収穫と言ってもいい…その事を脳裏に思い描く。

 

(……私はもっと強くなる……)

 

もう血が騒いでいた

既に脳内のスイッチは入っていた

魂に火種は放り込まれていた

 

(……私は、もっともっと強くなる……)

 

自分の中にある「何か」に、火が灯っていた

 

(――故に、また会いましょう…イタチ――)

 

その事を胸に刻み付けてマルギッテは日本を、川神を後にする

 

 

 

――失礼、少々貴女に見惚れていた――

 

 

 

最後に、激しく頭を振って……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****情報を更新します*****

 

 

 

川神百代…好感度55. 

マルギッテ…好感度18. NEW!

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

 

 

 

 





後書き
…ヤバイ、どんどん更新が遅くなってる…
と、内心でびびりながらも何とか今回も投稿できました!
そして二人目のヒロイン候補はマルさんです!
実はマルさんの口調とか思考とかを書くのが、私的に一番の難産でした…百代とかは凄い簡単なんだけどなー(笑)
さて、前回と今回を使ってマルさんとイタチを出会わせた訳ですけど
現在のマルさんの認識としては『川神院の人間=最低でもイタチ以上』という感じです
この事も今後の話を使って上手く調理していきたいと思っております!
さて、次回はやっと「勉強回」の話を書いていく予定です!
それでは皆さん、次回でお会いしましょう!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話

 

百代がファミリーの皆と約束を取り付けて一日

イタチが異国の淑女と交流をした次の日

 

川神院の一室にて、彼らは集合し出会った。

 

「初めまして、イタチと言います。本日は自分の勉強の為に態々お越し頂いて、皆さんありがとうございます」

 

そう言って、イタチは挨拶の後に姿勢正しく頭を下げて一礼する。

そこに居る面々、特に今までイタチと会った事の無かったキャップや大和達はそんなイタチを興味深い視線で見て

 

「おー!アンタが噂のイタチさんか! モモ先輩やワン子から話は聞いてるぜ、何でも色々とスゲーんだってな!

俺は風間翔一、この風間ファミリーのリーダーだ、気軽にキャップと呼んでくれ!」

「いや、流石に初対面の人にはハードル高いだろキャップ。俺は直江大和、姉さん(百代)の弟分みたいな者です、よろしく」

「椎名京、大和の妻です」

「――と簡単な冗談を言えるくらい仲の良いお友達です」

「…いけずー」

 

と、いつもの調子でキャップと大和と京がイタチに自己紹介をする

三人のやり取りを見て、イタチが百代と一子に視線を移すと二人は小さく笑って頷く

どうやらこれが、ファミリーの平常な様だ。

 

「んじゃ、次は俺様だな。俺は島津岳人、まぁよろしく」

「何か素っ気ないねガクト」

「…男で、しかも『あれ?よく見るとこいつちょっとイケメンなんじゃね?』な野郎に語る事などこれ以上ない!」

「あはは…僕は師岡卓也、皆からはモロとかモロロとかで呼ばれてます。あんまり出来る事はないですけど、よろしく」

 

「はい、皆さんよろしくお願いします」

 

最後に残った二人、モロとガクトが自己紹介を終えた所でイタチは改めて一礼する

その個性溢れる「風間ファミリー」の面々とその自己紹介で、イタチも大凡のキャラクターというのが分かってきた様だ。

 

「それじゃ、早速本題の方にいくとしますか」

「はい、よろしくお願いします」

 

大和がそう言って、持っている鞄から本を取り出して机の上に置いていく

大和が取り出したのは各教科の参考書、今まで大和が使ってきた参考書やファミリーの仲間内で、使い易い解り易いと評判が良かった物だ

 

「事前の話だと確か社会…もっと言えば、歴史・地理・公民か。そこら辺の参考書と、残りの教科も参考書を幾つかピックアップして持ってきた」

 

目の前に展開されていく参考書の数々

イタチはその中の一つを手にとって、パラパラとページをめくっていく

そんなイタチの横で、百代達は会話を進めていく。

 

「やっぱアレか、歴史とかなら最初の方…アウストラロなんちゃらの方からやった方がいいか?」

「んー、受験とか試験とかならそうだけど、別に今回は時間的制限とかはないからな」

「年代順の要点とかをざっと教えて、その後細かい所を補足で教えていけば?」

「そうだね、歴史とかの勉強もある程度テンポよく進めた方が、覚えが良いと思うしね」

 

と、百代や比較的この面子で勉学ができる大和・京・モロがそれぞれ意見を言っていく

そしてその矛先は当事者のイタチへと向けられる。

 

「イタチさんはどう思う?」

「フム…そうですね」

 

幾つかの参考書に目を通しながら、イタチは応える。

 

「正直な話、知らない単語ばかりですね」

 

視線を参考書から大和達に向けながらそう言う

しかしそんなイタチの返答も予想の範囲内だったのか、大和は次いで尋ねる。

 

「それじゃあ逆に、ここは分るって所はありますかね? それならそれでこっちも組み立てがし易くなるので」

「いえ、正直さっぱりです」

「でも全くゼロって訳でもないんでしょ?」

「そだね。ワン子やガクトじゃあるまいし」

 

「むー!ちょっと京、それどういう意味よ!」

 

京の言葉を聞いて、腹を立てた様に一子とガクトが唸るが

そんな二人を尻目に、イタチが静かに呟く。

 

 

「いえ、正直な話…全くのゼロです」

 

 

その言葉が響いて、周囲から声と音が消える。

そんな状況が数秒、我を取り戻したかの様に大和が再び尋ねる。

 

「…縄文時代とか江戸時代、明治時代とかは分かりますか?」

「時代を表わす名称…という位には」

「卑弥呼や聖徳太子、源義経、織田信長、豊臣秀吉や徳川家康…ここら辺はどうですか?」

「昔の偉人・武将…という程度には」

「それは記憶を失う前からの知識ですか?」

「いえ、先日鉄心様と一緒に『時代劇』というモノを一緒に見たときに」

 

「……ちょっと失礼します」

 

幾つかの問答を終えて、大和は視線をイタチからファミリーの面々に移す

一同が浮かべる表情はやはり似たようなモノ、驚きと呆けが入り混じったかの様な表情だ。

 

「…姉さんはこの事知ってた?」

「学がないみたいだから一から勉強したい…としか聞いてなかったからな」

 

百代も、今日の事を頼まれた時の事を思い出す

やはり百代も流石にコレは想定外だったのか、少々驚きが大きい様だ

 

(……これは、ちょっと難しいかな?……)

 

百代の言葉を聞きながら大和は考える

今の単語は別にコレと言った勉強をしていなくとも、日常的に耳にする機会が多い単語だ。

 

(……流石にソレすらも知らないってのは、不自然だな……)

 

もしかしたら只の記憶喪失…という訳でないかもしれない

この問題は歴史や地理だけじゃなく、国語や数学…他の教科にも影響が出ているかもしれないからだ

だったら、最初はその辺から見極めた方が良いかもしれない。

 

「プラン変更だ、一回五教科を全部テストしてみよう」

 

大和は皆にそう告げて、次いでイタチに告げる

一応話し合いでは百代主導で勉強を進めていく予定ではあったのだが

 

(……ま、ケース・バイ・ケースって事で納得してもらうか……)

 

これは少々姉の手では対処しきれないかもしれない

そう意見を纏めて、大和は各参考書から問題を抜粋した。

 

 

 

 

 

 

 

 

(……コレは、もしかしたらチャンスか?……)

 

頭を悩ませている大和とは対照的に

目の前で小テストを受けているイタチを見て、百代は考える

イタチが目を覚ました時から今日まで至るその日まで、百代はこの男に連戦連敗だった。

 

自分の全力をぶつけられる相手

自分が超えたい相手

自分が心から尊敬できる相手

 

それがこの、『イタチ』という男だった。

 

だが百代とて、負けっぱなしで何も感じない訳がない

当然そこには悔しさはあった、だからこそこの男よりも強くなりたいと思った。

 

この人を心から認めている

だからこそ、この人にも自分を認めて貰いたいと思っている。

 

この男を心から尊敬している

だからこそ、自分もまたこの男と肩をならべられる様になりたいと思っている。

 

そんな百代の元に、偶然にも訪れたこの好機

現状、武術の腕や実力ではまだまだこの人には敵わない。

 

――なら、それ以外の部分だったら?

逆に言えば、この人には出来ないが自分には出来る事は一つくらいあるんじゃないか?

 

「………」

 

百代は、先程イタチが全く出来ないと言っていた歴史の参考書を手に取る

 

正直な所、百代も勉強は不得手である

予習復習なんて言葉には縁なんてないし、授業中の居眠りは当たり前

テスト前は友人にノートを借りたり一夜漬け等でなんとか赤点を回避

それが百代の現状である。

 

だが

 

(……それでも、ゼロじゃない……)

 

勉学に身が入っていた訳ではないが、これでも10年以上学校に通っていたのだ

同年代には及ばないが、『多少』の知識は百代にもある。

 

それに、まるっきりダメでもない

 

昔の武人や武将に関する逸話等も、百代は嫌いではなかった

 

例えば、北辰一刀流の坂本龍馬

例えば、天狗から教えを受けたと言われる源義経

例えば、無刀取りの石舟斎

例えば、某人気漫画に出てくる斎藤一

 

流石に大河ドラマや小説シリーズを見る程でもないが、それなりに興味を持って話を読んだ事がある

それに昨今では「漫画で分かる」シリーズや、史実を元にした人気漫画もあり、そこら辺からの知識も多少ある。

 

故に、現時点では幾分か自分の方がリードしている

それに歴史は大部分が暗記による知識が物をいう教科だ

ならば条件で言えば互角、最初のリードがある自分が優勢

 

(……という事は、上手くやれば……)

 

百代は考える、そして想像する

もしも上手くこの人に勉強を教える事が出来た時の事を

 

 

『ありがとうございます、お蔭様で本当に助かりました』

 

『もし宜しければ、これからもご指導ご鞭撻の程をよろしくお願いします”先生”』

 

 

(……イイな……)

 

その時の事を妄想…ならぬ想像をして、百代は思わず頬が緩む

普段、師の様に尊敬している人が自分の事を師の様に見てくれる。

 

(……いいな良いな、凄くイイぞこれ……)

 

それは百代にとってあまりに魅力的な、あまりにも甘美な誘いだった

武術でないのが少々残念だが、それはまあ後々のお楽しみというヤツだ

 

正直自分は、勉強というものはどうあっても好きにはなれない

だがしかし、こういう事になってくれれば話は別だ。

 

(……よーし、お姉さん頑張っちゃうぞー!……)

 

その気持ちと表情を隠しきれず、百代は改めて目の前の参考書と向き合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……どういう事だ、コレ?……)

 

大和は少し前に、イタチが終えたテストの採点をしながら考えた

現在、イタチが終えた科目は三科目

歴史や地理を含めた「社会」、物理や化学・生物を含めた「理科」、そして小説文や文法を含めた「国語」だ。

 

社会の方は概ね予想通り、ほぼ全滅と言ってもいい

やはり歴史だけでなく、地理の方も知識ゼロと言っても過言ではない。

 

だが、他の二教科は少々話が違った

 

(……マジかよ、これSクラス並の難関高校でも使われる問題だぞ?……)

 

採点が終わった国語と理科の答案を見ながら、大和は驚き混じりに考える。

先の話から、読み書き計算はある程度はできるというイタチの情報を入手していたため

幾つか高校レベルでも使われている問題も取り揃えておいたのだ。

 

『この位できるのなら問題なし』

 

そう判断するために用意しておいた物だ

別にこれだけなら問題ない、それなら指導する科目が一つが減るだけの話だ。

 

だがそうじゃない

 

(……その一方で、小学生でも解る問題すら解らない……)

 

国語でいえば諺や熟語等にその特徴が見られる

先の社会の一見でもそうだが、「知識」の分野においてこの人は極端に弱くなってくる。

 

そしてそれは、国語に限った話ではない

理科…物理・化学・生物にも似たような傾向が見られた「理解」や「計算」を使う物はよく出来ている

 

だがしかし「知識」を必要とする物、生物の部位や名称等は問題ないのだが……例えば実験器具やその他名称の語句問題になるとやはり弱くなってくる。

そしてその差はあまりにも激しく、アンバランスだ

 

(……問題としては広く浅くでやったにしても、科目関係なくここまで共通点が出てくると…流石に無視できないな……)

 

「大和ー、数学の採点おわったよ」

「…どうだった?」

「まあ、普通なんじゃないかな」

 

採点が終わり答案を差し出す京とそんなやり取りをして、大和は数学の答案を受け取る

 

「………」

 

数学の結果は、一言で言えば普通だった

普通に…よく出来ていた。

 

「……フム」

 

やはり、ここまで来ると確定的だろう

 

(……多分、記憶と一緒に知識もどっかに落っことしちゃったのか…それとも余程暗記系が苦手だったのか……)

 

或いは

 

(……もしくは、常識がまるで違う環境で今まで教育を受けてきたのか……)

 

恐らく、可能性としては前者二つのどちらかだろう

大和はそんな風に結論づける。

 

そして一つ、このテストで良く分かった事がある

このイタチという人は馬鹿という訳ではない、寧ろ逆だ。

 

先天的か後天的かは解らないが勉強自体は良くできるし理解もしている、ただ知識が不足しているだけだ

そしてそれを補うだけなら、勉強不足の姉貴分でも対処できるだろう。

 

(……となると、やっぱり一番は社会全般だな……)

 

大まかなプランを纏めて、大和は授業の組み立てを考え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…と、もうこんな時間か」

 

時計を見て、少し驚いた様に大和は呟く

時刻はもう夕飯時、テストやら採点やらで結構な時間を使ってしまったようだ。

 

「流石にもう、今日はこの辺でいいんじゃないか。あんまり初日からとばしても良くないしな」

「って事は、もう今日はお開きかな?」

「イタチさんもそれで良いかな?」

「ええ、問題ありません。皆さん、今日は態々ありがとうございました」

 

と、大和と百代がイタチと話をつけて、今日の勉強会は終わりを告げる

そしてその言葉を待ってたかの様に、勢いよく声があがった。

 

「じゃあさ、折角みんなで集まったんだから一緒にゴハン食べようよ!」

「おー!いいなソレ!メシメシ!」

 

弾けるような勢いで挙手し、ワン子とキャップがその意見を言って

京がポツリと呟く。

 

「…ほぼ戦力外だった二人が、真っ先に食事に飛びついた件について」

「もー!別にいいじゃない」

「腹が減ってはなんとやらって言うだろ?」

「ま、あの二人だからな」

「いや、そういうガクトもあんまし役に立ってなかった様な…」

 

初対面の人間との勉強会、というのもあって

今までどこか張り詰めていた空気が、次第に緩んでいつもの風間ファミリーの空気になっていく

そしてその空気を読み取って、イタチが言葉を掛ける。

 

「実は食事についてなんですが、皆さんはこの後どうされますか?」

 

勉強道具を片付けながら、イタチが言葉を掛ける

 

「んー、特には決めてないかな?」

「麗子さんの方には、今日はいらないって予め言っておいたからなー」

「外に食べに行くなら、やっぱいつものファミレスかな?」

 

と、ファミリーの間でそれぞれが夕飯についての意見を出し合い

そして

 

「まだ決まっていないのでしたら、食べていきませんか?」

 

イタチがその意見を提言する

その提案が予想外だったのか、僅かに場が沈黙し少しの間を置いて百代が言う。

 

「…う~む、でもこの時間でこの人数分だと…少し厳しくないか?」

「そうだよねー、確かにもう夕飯の時間だけど…流石にいきなりこの人数分を追加で用意して貰うのは」

「そこは大丈夫です、仕込みなら昨日の内に澄ましておいたので」

 

そんなに時間はかからないですよ、と

イタチは最後に付け加えて、皆の返答を待つ

そして

 

「んじゃ、ゴチになりまーす!」

 

キャップが勢いよくそう言って、皆に視線を置き

 

「なんやらかんやらで、今日アンタとはあまり話せなかったからな。

今の口振りだと、まだ用意は終わってないんだろ? だったら手伝いも兼ねて、もう少しアンタと話してみたいと思ってな!」

 

カラカラと愉快気に笑ってキャップが応える

そんなキャップを見てイタチも「では、お願いします」と一礼し、キャップもまた「応!」と勢い良く返す

 

そしてそんな二人のやり取りを見て、大和達が小さく手を振って一子と百代を呼んで

 

「…イタチさんて、料理の方はどうなの?」

「多分、皆が心配している事はないと思うわよ? ここにきて毎日厨房の手伝いしているし」

「ウチの料理長の話だと、結構ヤるらしいぞ?今ではおかず一品任されている位だ」

 

「…成程」

 

二人の話を聞いて、大和は考える…と言っても考える程でもない事なのだが

 

(……確かに折角できた繋がりを、勉強会だけで終わらすのは少し勿体ないかな……

 ……元々食事くらいには付き合うつもりだったし、二人の話なら変な物を出される事もなさそうだな……)

 

もしもの時は、ゲンさんに夜食を作って貰おう――

最後に心の中でそう付け加えて、大和達もまた相伴する事にした。

 

 

 

 

「美ン味めええええええぇぇぇ!!」

「美味い!美味え!まじ美味え!本当に美味えぇ!」

「本当に美味しい! 料理できるのは知ってたけど、ここまでイタチさんが料理できるなんて知らなかった!」

 

もごもごと口の中の物を咀嚼しながら、キャップとガクトとワン子の三人は感想を述べる

我先にと、素早く箸を動かして目の前の料理を自分の茶碗に運んでいき、再び口の中に放り込んでいく。

 

「ちょっと三人とも、少し行儀が悪いよ…まあ、美味しいけど」

「うん、確かに美味しい…更にコレに一味唐辛子を掛けると、よりグッド」

「うわ…唐揚げが真っ赤。でも本当に美味しいですよ」

「流石にこうも芸が多彩だと、お姉さんも少し嫉妬しちゃうなー」

 

「ありがとうございます、気に行って貰えた様で何よりです。

まだまだ沢山ありますので、どうぞ遠慮なく食べてください」

 

そんな皆の感想を聞いて、イタチもまた自身の食事を始める

豆腐と油揚げの味噌汁を一口啜って、メインディッシュの唐揚げを一口

 

パリっと薄い歯応えを感じるとともに、熱と旨みに溢れた肉汁が口腔内を一瞬で満たしていく

滑らかな脂と肉汁が舌を潤し、旨みに溢れた肉と衣を咀嚼して飲み込む。

 

――うん、我ながらよく出来た――

 

そう心の中で呟いて、自身の料理の出来に満足する。

 

「しっかし、本当に美味えなー。前に調理実習で唐揚げ作ったけど、ここまで美味くならなかったぞ?」

 

キャップがもごもごと唐揚げを咀嚼しながら感想を呟く

そのキャップの言葉を聞いて、イタチが応える。

 

「実は唐揚げというのは、揚げ粉をあまり付けない方がパリっと上がるんですよ

鶏肉につけた揚げ粉は、揚げる前に軽くはたいて余分な粉を落とす…これがパリっと揚げるコツらしいです

味付けの方も大した事はしていません、ニンニク醤油ベースの漬けダレに鶏肉を一晩つけておいただけですよ」

「へー、そうなんだ。アレってたくさん漬けた方が良いのかと思ってたぜ」

 

そう言ってキャップはもう一つの唐揚げを箸で摘み

 

「こっちの、やたら歯応えが良いのは?」

「それは、茶菓子の『柿の種』を使ったおかき揚げです」

「柿の種!? ってあのお菓子の!?」

「ええ、そうです」

 

イタチの答えに一子が驚いた様に声を上げる

周りの面々もイタチの答えが意外だったのが、その真偽を確かめるべくおかき揚げに箸を伸ばして

『バリっ』と、一口噛み

 

「…本当だ、確かに柿の種だ」

「料理漫画とかで、こういうのを見た事はあったけど…実物を食うのは初めてだな」

 

百代と大和が咀嚼しながら、唐揚げの断面を見て答える

皆がその意外な事実を確認したのを見て、イタチは更に続ける。

 

「柿の種をやや小さめに砕いて衣代わりにして揚げると、下味等を付けずとも十分に美味しく、更にはこの様に通常の唐揚げにはない歯応えをつける事ができるんです

さらにおかき揚げの良い所は、鶏肉だけではなく…例えば魚に使っても美味しく揚げる事ができるんですよ」

「成程、揚げ方一つ見ても色々なやり方がある訳か」

「そうですね。揚げ方以外で言えば…例えばこんな方法があります」

 

『?』

 

大和の言葉にイタチが返す

そしてそのイタチの言葉を聴いて、一同の視線は再びイタチに集中する。

 

「揚げ物である以上、やはり多く食べると徐々に胃がもたれますし、油を多く摂取しすぎるのも良くありません」

 

イタチはその皿を手に取る

それはイタチが付け合せで用意しておいた、千切りキャベツだ

今まで唐揚げに皆の箸が集中していたために、こちらは減り具合が今一つだった

 

そしてその千切りキャベツの上に、イタチは追加用に用意しておいた唐揚げを乗せて

 

「という訳で、今回はこの様な物も用意しました」

 

次いでイタチはソレを取り出して、一同の視線はそこに集中する。

 

「大根下ろし?」

「それと…ポン酢ですか?」

 

一子と百代が呟く

二人の言った通り、イタチが取り出したのは大根おろしとポン酢だった。

 

「…ん?…って事は」

 

この組み合わせを見て、大和は何かに気づいた様に声を上げる

その大和の言葉を裏付けるかの様に、イタチは小さく頷いて

 

 

「今回は、さっぱりとした和風でいきたいと思います」

 

 

そう言って、イタチは唐揚げの上に大根下ろしをかける

適量を掛け終わった後に、ポン酢を円を描くように皿全体に掛けて

 

「これでよし、それではどうぞ」

 

和風下ろしポン酢で味付けした唐揚げの皿

それの完成を見てイタチは満足げに頷く。

 

次いで、少しの間を置いて皆も新たな唐揚げに箸を伸ばして一口食べる

そして

 

「うお!すげえサッパリしてる!」

「ジューシーなのは変わらないのに、こっちは凄く食べやすくて何個でもいけそう!」

「ポン酢と大根下ろしのお蔭だな。焼き魚とかもそうだけど、肉の旨みはそのままで油のしつこさがなくなるからグっと食べ易くなってる」

「千切りキャベツとの相性もいいし、野菜不足も解消できる…よく出来てる」

 

「そういや、豚カツとかにも千切りキャベツがついているけど、アレってどうしてなんだろうな?」

「キャベツには油の分解を促進する働きがあるんですよ。ですので揚げ物を食卓に出す時は、千切りキャベツもセットにするらしいですよ」

「へー、そうだったんか。つーか、アンタ色々な事知ってるんだな!」

「いえいえ、さっきの事もこの唐揚げのレシピも、全部ここの料理長である幸平さんの受け売りですよ

料理できる品数も両手の指で数えられる程度ですしね」

 

皆は思い思いに感想を述べて、箸を伸ばして舌鼓を打つ

イタチも皆の感想に満足しつつ、キャップの質問に答えて会話を交えながらも食事を進めていき

 

一時間も経つ頃には、食卓の上にある皿には殆ど食べ物は残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

=======================================

 

====================

 

==========

 

=====

 

===

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、まじ美味かったな!」

「そうだな、少し食べすぎたな」

 

 

夜の闇にキャップと大和の声が軽く響く、街灯が照らすその道を五人は歩いていた。

キャップと大和と京、それにガクトとモロ

川神院には住んでいない五人は、それぞれの帰路についていた

 

やはり帰りの話題に上がるのは、今日知り合った人物についての事だろう。

 

「しかしイタチさんかー。実際会ってみて思ったけど、中々面白い人だな」

「確かに、ワン子の言ってた様に真面目な感じだけど、堅いってのとは少し違うな

話してみれば物腰も柔らかいし、程よく砕けてるし…どっちかと言えば、落ち着いているとか余裕とかに近いな」

「あ、それ何か分かるかも。不愛想って訳でもないし、かと言って馴れ馴れしい感じもない…程よく距離感を保ってくれてる感じだよね」

 

今日会ったイタチの印象を皆が口々に語る

多少の違いはあれど、皆にとっても悪い印象はあまりなかったようだ。

 

そんな空気の中、その声が小さく響く。

 

「…認めん」

「ん? どうしたのガクト?」

「顔が良くて、真面目で、性格よくて、料理も美味い、しかも極め付けはモモ先輩と一つ屋根の下だあぁ!

そんな野郎を認められるかあぁ!」

 

「…清々しい程に嫉妬だね」

「というか、性格良いのは認めてるんだな…」

 

ガクトの魂の咆哮を耳にして、モロと大和が苦笑しながら答える

どうやらガクトはガクトで、そこまではイタチの事は嫌っていないらしい

と、そこまでイタチに関しての意見が出揃った所で

 

一人だけ、イタチに関する意見を口にしていない人物がいた。

 

「そういえば、さっきから黙ってるけど」

「京はどう思った?イタチさんの事」

 

その事に、モロと大和が気づく

二人の発言を切っ掛けに、キャップとガクトの視線も自然と京に向けられる。

そして

 

 

「……正直に言うと、あまり関わらない方が良いと思う」

 

 

その意見を、京は皆に言う

決して大きくない声だが、確実に皆の耳に響く様にその言葉を放つ。

 

故に、皆も疑問に抱く

この椎名京という人物は、ファミリーや一部の人間以外には基本無関心であり

余程の事がない限り、こんな強い物言いをする事は滅多にないからだ。

 

「…何か思う所があるのか?」

 

皆の意見を代表してか、大和が京に尋ねる

この椎名京は大和に関しては嘘をつく事がない、それを見越しての質問だろう。

 

「…確かに良い人だと思う、ワン子の言ってた通り真面目な人みたいだし

モロの言ってた様に、私達に対して丁度良い距離感で接してくれた…中々貴重なタイプだと思う」

「…へー意外だな。京にしては随分評価が高いんだな」

「なのに、関わらない方がいいの?」

「うん」

 

京の意外な高評価と先の言葉に対して、キャップとモロがそれぞれ問う

京の先の言葉と後の言葉が噛み合わないからだ。

 

「別にあの人が川神院にいる事や、皆があの人と付き合う事にどうこう言うつもりはないよ

…それでも、あの人にはあまり関わらない方が良いと思う」

「でも、根拠とかはないんだよな?」

「うん、ただの勘。だから話半分程度に考えて貰っていいよ…実際、私自身も良く分からないしね」

 

思わぬ京の意見を聴いて、一同は僅かに黙る

しかしそんな空気が少しだけ続いた後に、再び意見が飛び出た。

 

「ま、良いんじゃねえの? それでさ」

 

「要は皆が皆、それぞれ違う印象を受けるってだけの話だからな

それに怪しい奴、得体の知れない奴…川神にしてみたら、今更だと思うしな」

 

まるで何でも無い様な調子でキャップが呟いて、大和がその意見を補足する

二人のそんな言葉を聴いて、他の面々も何処か納得した様に呟いて

 

「…あー、凄い納得。確かに今更だよね」

「確かに、すっげえ今更だな」

「うん、今更だった。流石は大和、的確な意見…そんな所も好き」

 

「ごめんなさい、お友達で」

「…つれないなー」

 

そんなやり取りをして、皆は再びいつもの「風間ファミリー」の空気に戻る

確かに、考えてみれば今更の事だった

様々な変わり種な人間が集い、入り乱れている、それが自分達の住む川神という街だった

 

だから、ある意味コレが普通なのかもしれない

怪しいヤツもいれば、得体の知れない人間もいる

記憶喪失の者もいれば、関わりたくないと思う相手もいる。

 

恐らく、これは川神に限った話ではないだろう

どこにでもある、それこそありふれた事だろう

 

ならばこちらは受け入れよう

あるべき日常として、ソレを受け入れよう

 

そんな風に各々は意見を纏めて、帰路を歩いた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 







後書き
……やばい、最遅記録を更新してしまった…(汗)
どうも作者です。ちょっとこの一ヶ月間、シャレにならない位に忙しい状況が続いて更新できませんでした
できれば報告だけでも…とも思ったのですが、本文が出来ていた訳でもないから
本文ができたらその時に報告しようと思って、ズルズルと引き摺った所…


――気が付けば、一ヶ月以上経ってしまっていました――


いや、もう、本当に言い訳も出来ない状況です
今の所は少し作者の状況も落ち着いてきましたので、こうして何とか話を投稿できました
ですけどやはり、まだ少しの間はかなり投稿ペースが不安定になりそうです。

それでも宜しければ、何卒作者の書く物語にお付き合い願います
次回の投稿の目標としては、とりあえず七月中に投稿できる様に頑張ります!

それでは、また次回に会いましょう!





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話

==今回の話を読む前の注意事項==

・今回の話は一部の方々にとって、刺激の強い内容になっております
・今回の話を読んだ後に、読者の方々にどのような影響を与えたとしても当方一切責任を負いません
・上記の注意を守れる方のみ、完全自己責任で今回の話をお読み下さい



 

 

 

 

 

「…ふむ、成程…」

 

感心したかの様なイタチの呟きがこの一室に響く

イタチが居るのは川神院の書庫の役割を持つ部屋だ。

 

百代と一子の紹介で知り合った「風間ファミリー」

そして彼らと百代を交えた「勉強会」

彼らとの繋がりを通して行われる授業もある程度に重ねて、イタチも順調に知識を蓄えていた。

 

しかし、勉学というのは授業だけではその効果を発揮できない

授業で学んだ事を復習し反芻し身に付け、それを自身の糧にしなければならない。

 

また復習と同じように大事な事が予習だ

予め授業で習う内容に目を通しておき、授業の効率化を図る

この二つが、勉学の上で最も重要な要素と言えるだろう。

 

最初の頃とは違って、今はイタチ自身もある程度に勉強のコツが掴めてきた

故に授業と課題以外にも、こうして自分から動く事が出来た。

 

そして百代の祖父の鉄心にこの書庫の使用許可を貰って、イタチは仕事の合間を利用して百代との授業以外にもこうして動いていた。

 

 

「…争いの歴史が長いのは、どこも一緒か…」

 

 

静かに呟く   

手持ちの参考書やここにある書物でも、その事実は容易に読み取れる

 

戦争の歴史、手元の資料の記載だけでも千年に迫る

国内だけでコレだ、ならば世界規模で見ればこの比ではないだろう

 

そして戦争は、一つの国や軍や組織ではできない

必ずそれには相手がいる、つまりこの歴史は日本のみならず世界的に見ても似たような国がある…という事だ。

 

皆が皆、仲良しこよしになれる訳ではない

争いとはどれだけ親しい間柄でもどれだけ些細な理由でも起きる

 

幾ら記憶喪失の自分でも、それくらいの事は解る

それ位の事は重々承知している…だがやはり、考えさせられるモノがある

 

そして、それはもう一つの事実を指している。

 

「…だからこそ、今の平和がある…」

 

無論、手放しで喜べる平和ではないだろう

戦争の様に大規模な被害がないだけで、小競り合いの様なモノは周辺諸国でも到る所で起きている

 

そうでなくてとも、日常では幾つもの悲報がニュースや新聞で報じられている

殺人や強盗を初めとする犯罪や、日々の諍いや揉め事

 

これ等は、凡そ『完全な平和』とは言えないだろう

 

「…だが、それでも平和はある…」

 

だがしかし、それでも確かに平和は存在する

自分の目の前に、自分が住んでいるここに、確かに現実に存在する。

 

それは一時的かもしれない、上辺だけかもしれない、いつか崩れるかもしれない

今この場でも、誰かが傷ついているかもしれない、血を流しているかもしれない、命を奪われているかもしれない

 

だが、あるのだ…今ここに、確かにソレはある。

 

日々学び舎や仕事場に通い、知人友人と顔を合わせる

三度の食事、清潔な衣服、暖かい寝具、己の居場所である家

 

それらが当たり前の日常、そう誰もが思える平穏

 

長い時を経て、幾多の戦い、数多の犠牲、万人の血と屍

それら全てと引き換えに、やっと得る事ができた『平和』なのだ。

 

――と、そこまで考えた所で

 

「……少々、横道に逸れたな」

 

自分を戒める様に呟く

元々ここには教材を探しにきたのだ、時間も限られているし手早く終わらせよう

 

そうイタチが考えを纏めた時だった。

 

 

「おっと」

 

 

少々驚いた様に呟く

棚の上に詰まれた本がバランスを崩して、バサバサっと床に散乱してしまったからだ

早く片付けて参考書を自室に持っていこう、そう思って散乱した本を整理する

 

その時だった、本棚の裏にある『ソレ』に気づいた。

 

「……ノート?」

 

恐らく、かなり長い年月の間ここに放置されていたのであろう

埃にまみれたノートが数冊、本棚の裏から出てきた

 

「…フム」

 

分厚く纏わりついていた埃を払うと、そのノートの外見がよく見えてくる

そのノートは本屋やコンビニで売られている安物ではなく、黒塗りハードカバータイプと簡易ロックが付いた結構値が張る一品だ

 

もしかしたら、誰かの紛失物なのかもしれない

そう思ってイタチは未だ多く埃が残る、その黒塗り表紙に視線を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういや皆は、春休み中はどうしてんの?」

 

風間ファミリーの秘密基地にて、大和は皆に視線を置きながら尋ねる

現在の秘密基地には、トレーニング中のワン子と百代以外の面子が揃っていた。

 

既に川神学園は春休みに入り、ファミリーの面々も思い思いに休みを過ごしていた

だがやはり、既に溜まり場である秘密基地にくる習慣は春休みであっても変わらず、連日数人の面子が揃っていた。

 

「俺は明後日から三日間、引越しのバイト。給料日払いだから、バイト終わったらまたどっか遠出してみる予定だ」

「俺様はずばりナンパだな。この春休みこそは俺様好みのお姉さんをゲットして、バラ色の青春を過ごす」

「僕はいつも通りかな? クマちゃんやスグル達と遊びにいったりイベント行ったりかな?」

「私もいつも通り、大和としっぽり」

「すいません、お友達で」

 

全員が順々に答えていく

やはり皆は皆で春休みの予定は立てており、春休み中はここまで面子が揃う機会はあまりないだろう

――と、そこまで皆が話した所で、不意に部屋の戸が開いた。

 

「あ、やっぱり皆もここだったんだ」

 

その声が響いて、声の発信源に皆の視線が集中する

その視線の先にいるのは、皆が見慣れた茶髪のポニーテールに人懐っこそうな笑顔

ファミリーのメンバーである川神一子だ。

 

「いらっしゃいワン子」

「今日のトレーニングは…って、どうしたのその包帯?」

 

歓迎の空気に困惑の空気が入り混じる

皆の視線は一子の左手首、そこに巻かれている包帯に向けられていた。

 

「ああ、コレ? トレーニング中に少し捻っちゃって。大した事ないんだけど、今日は大事をとってもう終わりってルー師範代に言われちゃって…」

 

全然大した事ないのに、と少し不満げに漏らしながらワン子は自身の左手首を見て

 

「そっか、まあ妥当な所じゃね?」

「折角の春休みなんだし、無理して悪化させても逆効果でしょ」

 

「…まあ、確かにそうだけどさ」

 

ガクトとモロの言葉に、他の三人が頷く

一子も心の内ではその事を分かっているのだが、やはりどこか納得できない様だった

 

しかし、ここで思わぬ発言が飛び出る。

 

 

 

「しっかし、腕に包帯かー。何時ぞやの大和も良く包帯巻いていたよなー」

 

 

 

――ビシリ、と空間が鳴った様な気がした

まるで液体窒素を掛けられたかの様に、その部屋の空気が一気に冷却された様に感じた。

 

その一言を聞いて、大和の顔は一瞬で固まり表情が凍り付く

次いで、ギギギっと壊れかけのからくり人形の様に首を動かして

 

「ハッハッハ、嫌だなーキャップ。一体いつの――」

「ああ、そういえばしてたしてた。『制御ができない』とか『クソ、暴れるな!』とか言ってたな」

「それで確か包帯を取ると、変な紋章とか文字が描いてあったわねー」

 

「偶に眼帯とかしてたよなー。そんで派手にコケて、『やはりまだ逆らうか、この忌まわしき呪眼は』と何故か誇らしげにしてたなー」

「修学旅行で木刀を買う人は居るけど、模造小太刀を買うのは多分大和だけだよねー」

「だけどお金が足りなくて、ATMでお金を下ろしたって聞いた…そんな所も好き」

 

「指貫グローブとかも買ってたよね、しかもバイクショップとかで売ってるやたら本格的なゴツいヤツ」

「お年玉全部使って、黒コートとサングラスを買ってた時もあったわね」

「自作小説とかも書いていた。主人公とヒロインの名前をひっそりと『ヤマト』と『ミヤコ』に書き換えたのは、今では良い思い出」

「あと忘れちゃいけないが、何と言っても――」

 

「やめろおぉ! 人の古傷を抉るんじゃねえ!」

 

皆が皆、当時の大和を思い出し口々に語る

ビリビリと空気と鼓膜を震わせる様に、大和の魂の叫びが秘密基地に轟き響く

次いでのたうち回る様に頭を抱えて

 

「って言うかマジでやめて、本当にやめて、お願いだからヤメテください」

 

のたうち回って床に這いつくばる様な姿勢で、唸るような声が低く響く

幼き日の忘れたい思い出、黒歴史とも言うべき心の古傷

記憶の奥底に埋もれていた傷、ソレを引っ張り出されてしまったら中々に堪えるだろう。

 

「ありゃ、ちょっとイジり過ぎたか?」

「大和は昔、大分『こじらせてた』からねー」

「意外と豆腐メンタルな大和…でもそんな所も好き」

 

キャップとモロが苦笑しながら呟き、京は微笑みながらいつも通りの台詞を言う

次いでガクトがニヤニヤしながら大和に歩み寄って

 

「ちなみに当時の中二グッズ、まだ手元に残してんのか?」

「とっくに処分したよ、もう俺はそういうのは卒業したよ」

「でもひょっとしたら、まだ幾つか残ってたりしてねー」

「あー、確かに。全部処分したつもりでも、偶にポロっと出てきたりするからねー」

 

「それはない、念入りに全部処分した…筈」

 

皆の問いに対して、大和はやや目を泳がせながら声を震わせながら堪える

どうやら確実に処分したと言っても、やはり一抹の不安はあるらしい。

 

「…あ、あーそういえばワン子。姉さんはどうしたの?」

「ん?お姉さま?」

 

ここで大和は強引に話題を切り替える

このまま中二トークをされていたら、再び心の古傷が開きそうであったからだ。

 

「お姉さまなら川神院よ。今日もイタチさんの勉強あるから」

「あー、イタチさんの方か。成る程」

 

「そういえば、あれから僕は勉強の方に参加してないけど…モモ先輩、大丈夫なの?」

「俺様も初め以来参加してなかったな。実際どうなんだ?」

 

話題は変わって、先日知り合ったイタチに変わる

川神院に住んでいない他の面子も少なからず興味があり、自然と話題がそっちに切り替わって

大和は人知れず安堵の息を吐く

次いでイタチの授業について、同じ川神院に住む一子が少し考えて

 

「イタチさんの授業? 私もたまにお姉さまの手伝いしてるけど、今の所はちゃんと出来ていると思うわよ?」

「寧ろワン子も授業を受ける側だと思われる」

「うぐぐ、否定できないのが悔しい」

 

悔しそうに口元と表情を歪めて、唸る様に一子が呟く

勉強が不得手のワン子にとって、やはりこの辺を突かれると反論ができない様だ。

 

「俺は姉さんに参考書とか資料のアドバイスをする関係で、イタチさんと割と顔を合わせるな」

「俺も結構会ったりするぜ。この前も偶然に買い物途中であってさ、お勧めの甘味処を教えて一緒に食いに行った」

 

「そういや、キャップは初めからあのイタチって奴の事は気に入ってたよな」

「ああ、結構話が弾むんだよなー。俺の趣味が遠出や冒険って言ったら、サバイバルって奴かね?

その手の知識とか技術とか、あの人面白い話たくさん知っててさー。話してて飽きないぜ」

 

偶によく意味が解らない事いうけどな、と

最後に加えてキャップは楽しげにイタチの事を話し

 

「面白い話を、たくさん…ねえ」

 

大和はその話を聞いて、興味深そうに聞き入る

そしてイタチと初めて会ったときの事を思い出して

 

(……知識もある程度覚えている?でも社会とかの知識は…実際自分の事も分からなかった位だしなー……)

 

どうやら、あのイタチという人物の記憶喪失は少し込み入った事情がありそうだ

今までの話を纏めるに、やはり川神に住まう他の人物同様に中々『クセ』のある人物の様だ

あのイタチという男は大和の周囲にはあまりいないタイプの人間

大和自身、イタチという人間に興味を持っているし、姉貴分が尊敬している人物

 

折角できたこの繋がり、ここら辺で強固にしておくのも悪くないだろう。

 

「んじゃ、ちょいと姉さんの授業振りでも確認しに行こうかな?」

「何だよー、いじけるなよー」

「違うって、姉さんがちゃんとイタチさんの授業を出来てるか見てくるだけだよ」

「じゃあ、私もついていく」

 

ガクトがくくっと笑いながら大和を茶化すが、大和は軽く手を振って否定する

次いで京が大和について行き、キャップが大和の発言に興味を示し

 

「ん、なら俺も行こうかな? まだ少しイタチさんと話したい事もあるしな」

「それじゃー、私も一緒に戻ろうかな」

「んだよんだよ、大和だけじゃなくてキャップと京もかよ」

「じゃあ、僕たちも付き合おうかな」

 

大和の発言を切っ掛けに、ファミリーの面々もそれに同意し同調していく

こうして何やらかんやらで、何時もの面々が川神院に集う事になる

 

 

 

――この後に起きる――

 

――恐るべき『悲劇』を知らずに――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――とまあ、源義経は兄の頼朝と敵対、その後に自決

この時義経の首を取らせまいと、弁慶の奮闘振りは『弁慶の立ち往生』として後世にも伝えられている…という訳だ」

「…兄と弟で…か」

 

ホワイトボードに黒マーカーを走らせて、参考書片手に授業を行うその姿

予期せず始まった川神百代の講師役、それは皆の予想を裏切って中々様になっていた。

 

「おー、初めはどうなる事かと思ったけど」

「意外や意外。思いの他形になっている」

 

「うおーい。お前ら、全部聞こえてるぞー

…スマンな、イタチさん…色々と騒がしい奴らがきてしまった」

「いえ、お気になさらず。自分も少々疲れてきた所ですから」

 

折角ですから休憩にしましょう、そう言って百代とイタチも休憩に入る

次いでイタチは立ち上がって軽く間接を解す、溜め込んだ息を吐き出して体と表情をリラックスさせる

その足でお茶と茶請けの菓子の用意して、しばしの歓談の時間となった。

 

「そういや前から気になってたけど、イタチさんって普段はどうしてるんだ?」

「自分ですか?特別変わった事はしていないですよ、炊事や掃除…あとは買出しとかですかね?

後は時間の合間を見て軽く運動をしたり、料理の練習をしたり、偶に鉄心様とご一緒に将棋や碁を嗜んだりですね」

「お? イタチさんって将棋指せるんですか?」

「そこそこ…のレベルですけどね」

 

(……私との手合わせは…『軽い運動』、かー……)

 

キャップから趣味の話を振られてイタチも答える

少し百代がどこか納得いかない様な表情をしていたが、それもまた短い間で終わる

次いでイタチの将棋発言についても大和が興味を持ち、徐々に話に華を咲かせていく

そしてそこにガクトも参加する。

 

「しっかし、さっきから出てくる単語が真面目っぽいヤツばっかだなー。漫画とかテレビとかは見ねえのか?」

「結構見ますよ、共有スペースにある『ダイの大冒険』や『ヒカルの碁』『アイシールド21』とか好きですね」

「おー、中々のチョイス…でもちょっと古い」

「基本あそこの本って、門下生やお手伝いさんが持ち込んだ奴だからねー」

 

ガクトの質問、娯楽系の趣味に関してもイタチは淀みなく答えていく

そして共通の話題があると強いのか、基本人見知りのモロも加わる

 

「最近のヤツとか読んでないんですか?」

「そうですね。今の週刊誌で載ってるヤツですと、『銀の匙』とか好きです」

「月刊誌とか青年誌は読まないんですか?」

「休憩スペースにある奴以外は……ああ、そういえば最近一つ読み物が増えましたね

ただ漫画ではなく活字、小説ですね」

 

モロの問いに対して、イタチは思い出したかの様に応える

そのイタチの答えを聞いて、更にモロの興味を刺激したのか次いで尋ねる。

 

「小説? もしかしてラノベ、ライトノベル?」

「ラノベ? よくは分かりませんが、商業作品ではない感じですね。この前書庫でたまたま見つけたモノでして

…ああそうだ、実物を見て貰った方が分かり易いですね」

「あるの? 今ここに?」

「はい、休憩時間に読もうと思いまして…コレの事です」

 

そう言ってイタチは持参した参考書とノートの中から『ソレ』を取り出す

皆に取り出した『ソレ』を見せて、そこに居る皆の視線が『ソレ』に注がれて

 

 

 

『―――え?―――』

 

 

 

その瞬間、時間が止まった

その瞬間、空気が凍った

その瞬間、空間が罅割れた

 

皆の視線の先にあるのは、一冊のノート

黒塗り表紙の、少し値が張りそうな一冊のノート

そしてその表紙には、こう記されていた

 

 

 

 

『――黒煉獄の禁書目録・堕天断罪の章――』

『――著・衞真名十夜――』

 

 

 

 

次の瞬間、そこにいる誰かの表情が固まった

次の瞬間、そこにいる誰かの顔から血の気が引いた

次の瞬間、そこにいる誰かの全身から汗が噴き出た

 

『――――』

「? 皆さん、どうかしました?」

 

一瞬にして空間を埋め尽くす静寂

刹那で空気を侵食する沈黙

 

ファミリーの皆は喋らない、その誰もが言葉を発しない

 

何故なら彼らは覚えていた、何故なら彼らは知っていた

その本を書いたのは誰なのか、そのノートは誰の物なのか

 

故に、皆の視線は自然とその矛先を帰る

その脳裏に過ぎったであろう人物を、その本を書いたであろう人物を

 

『著・衞真名十夜』

 

この名前の読み方は『エマナトオヤ』

この名前は、とある人物の名前の文字を並び替えたモノである

 

そして、そこにいる全ての面々は知っていた

その本の著者を、その名前の由来を、つけた人物の名を

 

風間ファミリーの頭脳、軍師にして策士、無類のヤドカリ好きで、川神百代の弟分

そして、嘗て思春期にありがちな特殊な病を発症していた過去を持つ男

 

 

 

『大和の黒歴史だああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!!!』

 

 

 

声にならない心の叫びと共に、皆の視線は直江大和に注がれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 






あとがき
……あかん、前回の最遅記録を大幅に更新してしまった。
どうも作者です、前回は七月中に更新するとか言っておきながら結局三ヶ月も経ってしまいました。

詳しい事情は話せないのですが、少々身の回りのことで忙しくて更新できませんでした
何か凄い事情がある訳じゃないんです…ただ『忙しいだけ』なんです…

まあ、そんなこんなでやっと今回更新できました
作者的にはまだまだ描きたいエピソードが控えているので、今回の「黒歴史編」もできるだけ
スムーズに完了させたいです。

あえて今回は更新時期は明言しません(色々とフラグになりそうなので)
ですけどできるだけ早く次回も更新する予定です!それでは!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話

 

視界が揺れていた

全身の毛が逆立った様だった

酸欠になったかの様に意識が揺れていた

気づけば体は小刻みに震えていた

 

口の中は空々に渇き切って嫌な腹痛と吐き気を催し、気を抜けばその場で胃の中の物を全部ブチ撒けて卒倒してしまいそうだった。

 

――俺ハ何ヲ目ニシテイル?――

―― 一体ナニガドウナッテイル?――

 

真っ白になった大和の頭の中で、そんな声が響く

目の前にあるのは、嘗て置いてきた筈の過去の廃棄物

視線の先には、嘗て己の心に巣食っていた衝動の具現化

 

(―え、どうして!?何で!マジで!?俺ぜんぶ処分したよ!捨てたよ!燃やしたよおぉ!―)

(―何でココにソレがあるんだよおぉ!っていうかどうしてこの人が持ってるんだよおぉ!!―)

(―見たの!?読んだの!?っつか何処で手に入れたんだよおぉ!一体ナニがどうなってんだあああぁぁ!!!―)

 

――と、大声で喚き散らそうになるのを、大和はグっと堪える

ここで下手に騒ぎ立てて騒ぎを大きくすれば、騒ぎの誘爆を引き起こす可能性もある

幸いここにいるのはイタチ以外はファミリー面々、ここは川神院の一室

つまり被害を出来る限り最小限に留めるのは、十分に可能という事だった。

 

ならば、大和の取るべき行動は一つ

 

(…迅速に穏便にあのノートを回収し、そしてその後跡形もなくこの世から消し去る!…)

 

 

 

 

 

 

 

「あ、は、ははは、中々変わったタイトルですね」

 

朗らかな笑顔を浮かべて大和はイタチに歩み寄る。

そんな大和を、ファミリーの面々は注視する様に見て

 

(……お、何とか耐えた……)

(……あ、でも弟のヤツ大分キツそうだなー…下手すりゃ吐くぞ?……)

(……吐き気を催しながらも、己の黒歴史を消し去りたい大和…そんな所も好き……)

 

こと己の黒歴史に対しては過剰とも言える大和に対して、皆はそれぞれ思いを巡らせながら様子を見守る

これは大和自身の戦い、それなら部外者である自分達が干渉するのは筋違いと判断したからだ。

……まあ、実際は事の成り行きを存分に楽しみたい、という思いがあるかもしれないが

 

 

(……さて、どう取り返す?……)

 

ファミリーの暖かい?視線を背に受けて、大和は考える

一番確実で尚且つ素早く取り返す方法としては、やはりアレが自分の物だと告げるのが良いのだが

 

(……ない、コレはない…というか、無理……)

 

真っ先に思い浮かんだ方法を、大和は首を振って否定する

さっきの発言から察するに、この人は既にこのノートをある程度読んでいる

という事はここでソレが自分のモノだと告げれば、自ずとソレを書いたのが自分だとバレてしまう。

 

(……出来る事なら、それは避けたい……)

 

ならばどうする?答えは簡単だ。

 

(……書いたのは俺じゃないけど、持ち主を知っている事にすればいい……)

 

それならば特に大きな問題もなくスムーズに話を進められる

暫くはファミリーの面々から冷やかし等を受けるだろうが、それで済むのなら安いものだ

ならばさっさと事を終わらせよう。

 

そう考えを纏めて、改めて大和はイタチに向き直り

 

「あー、その、イタチさん、少しいいですか?」

「はい、なんでしょうか?」

 

大和の言葉に反応してイタチが視線を大和に置く

そして大和はそれを切っ掛けに、話を進める。

 

「そのノートなんですけど、もしかして誰かの忘れ物とかじゃないですか?」

「ああ、やはりそうなんですか? 書庫の本棚の裏で埃をかぶっていたのを、偶然自分が見つけたんですよ」

「成程、川神院の書庫で…ですか」

 

乾いた笑いと共に、大和は古い記憶を掘り起こす

確かに自分が一番『のっていた』時期に、ひっそりと川神院の書庫にその手の物を隠した気がする。

 

(……たしかに、自宅と秘密基地以外の物は見落としてかも……)

 

冷静に考えてみれば、可能性の一つとして十分に考えられた筈

大和は自分の詰めの甘さを恨み、後悔し、そして改めて考えを切り替える。

 

「じ、実はなんですけど、そのノートの持ち主に心当たりがありまして…」

「そうなんですか?」

「はい。差し支えなければ、一回そのノートをこっちで預かっても良いでしょうか?

当人に確認を取りたいので」

 

「ええ、もちろん。問題ないですよ」

 

その言葉を聞いた瞬間、大和は心の中で渾身のガッツポーズを取る。

考えられる限りの、ほぼ理想通りの形で事が進んだ

ファミリーの軍師の肩書きは伊達ではない!そう心の中で力強く宣言する。

 

だが

 

「ですけど、今日一日は借りたままでも良いですか?

こっちのノートも、もう少しで読み終わりますので」

 

思わぬイタチの申し出

大和としては、一刻も早くノートを回収して葬り去りたい所なのだが

 

(……読まれた時点でほぼ一緒か、ならここら辺が妥当だな……)

 

頭皮を掻き毟りたい衝動をグっとこらえて、大和はイタチの言葉を考える

もはやこの人に読まれたという事実は覆せない

それにイタチの口ぶりでは、かなり多くの部分を読まれてしまったのだろう

ならばここまで来れば全部読まれてしまっても、こっちのダメージに今更変わりはない。

 

(……気になるのが姉さんやワン子の動きだが…後で釘をさしておこう……)

 

あとでファミレスで何か奢ればそれで済むだろう

寧ろそれで二人の動きが抑えられれば安いものだ。

 

「ええ、勿論。それでは明日の昼にでも取りに――」

 

 

と、そこまで会話を進めたところで

突如大和の全身に、痛烈な違和感が駆け巡った。

 

(……なん、だ…この、感じ……)

 

頭から爪先まで、電撃の体中を駆け巡ったその感覚

悪寒の様な気色の悪さを伴ったその感覚

言い換えれば不吉、言い換えれば悪い予感、言い換えれば不幸の前触れ

 

そんな薄気味悪い感覚が、大和の全身を駆け巡る

次いで大和は先のイタチの言葉を思い返し

 

そして

 

 

 

――こっちのノート『も』、もう少しで読み終わりますので――

 

 

 

その瞬間、全ての疑問が氷解する。

 

「…ぁ、あ…あの、イタチ、さん…つかぬ事をお聞きしますが、このノートも、って、事は?」

「ああ、その事ですか?」

 

表情こそは必死に冷静さを取り繕いながら、どもった口調で大和はイタチに問いかける

そんな大和の言葉を聴いて、イタチはどこか納得しながら呟いて

 

 

 

「一緒にあった『聖杯現界の章』と『七騎英雄の章』の方も既に読み終わったので」

 

 

 

――ぎゃああああああああああああああああああああああああぁぁぁ!!!――と

瞬間的に叫びそうになったのを、大和は必死に押し込める

無茶な力の入れ方で顎が馬鹿になりそうになるが、それでも必死に口を綴じ込む。

 

(……うっわー、きっつ……)

(……流石の弟も、想定外だったみたいだなー……)

(……倍プッシュを超えた三倍プッシュかよ……)

(……そういえば、僕もアレ見た覚えあるよ…シリーズものだったんだ……)

(……私も見たことあるわ。でも難しい漢字ばっかで全然読めなかったのよねー……)

(……苦痛に悶えながらも必死でそれを隠す大和…そんな所も好き……)

 

次いでファミリーの面々も、思い思いに心の中で呟き漏らす。

 

まさかの三部作、単純計算で威力は三倍

黒歴史による三位一体のジェットストリームアタック

 

その破壊力たるや、大和の意識を根っこから刈り取る程のモノであった。

だが、大和は耐える。

 

(……この程度、まだ想定の範囲内だ……)

 

まだやれる、まだ戦える

そんな風に大和はフラフラになった体と意識を無理矢理に奮起させて

 

「ぁ…あ、はは…、そ、そですか…すいませんが、一回中身の確認をしてもいいですか?」

「はい、勿論」

 

強ばった笑顔を無理やり顔に貼り付けて、大和は己の黒歴史を受け取る

今のコンディションで中身の確認を行うのは、正直言って危険極まりない行為である。

 

しかし、だからと言って避けては通れない

人間の性、というべきだろうか?怖い物見たさというべきだろうか?

大和はそれを自分の目で確かめたくて仕方がなかった

それを抜きにしても一度自分の目で確実な確認を行わなければ、大和の不安は払拭されないだろう。

 

「…すーはー…ふぅー…はぁー…」

 

ゆっくり深呼吸して、呼吸と態勢を整える

そんな動作を数回、大和は繰り返して

 

「…よし…」

 

覚悟を決める、腹を括る

次の瞬間、大和はそのノートを一気に開く

そして

 

 

 

――この書を開く者よ、一切の希望を捨てよ――

 

 

 

うおらああああああああああああああああああぁぁぁぁ!――と

その一文が目に入った瞬間、ノートを力の限り破り捨てたくなるが、大和はソレをグっと堪え

 

うわ、キッつうううううううううううううううううううううぅぅぅぅ!――と

ファミリーの面々もついツッコミたくなったが、その言葉を必死で飲み込む

ツッコミ気質でないキャップやワン子でさえ、つい叫びそうになってしまう程に『こじらせている』一文だった。

 

 

(……た、えろ…耐えるんだ、直江大和……)

 

 

心の古傷が開くとは、まさにこんな感覚だろう

力の限り叫び喚き、その場でのたうち回りたくなる衝動を、大和は全力で押さえ込む。

 

今ここで自分がそんな行動を行えば、イタチは確実に不審がる

そうなれば自分に他のノートを渡すのを躊躇うかもしれない

如何に自分が持ち主に返すと言っても「自分で返す」と言われてノートの処分が難しくなるだろう

 

(……だ、だけど…これで確認できた……)

 

しかし代償に見合った対価は得た。

これは正真正銘の自分のノート…しかもかなり『ヤバめ』のヤツだ

その危険度を再認識できただけでも、このダメージは無駄ではない。

 

「あ、はは…やっぱり、それっぽい感じですね…では残りの方も、後日改めて」

 

そう言って、大和は無理矢理に笑顔を取り繕って話を進める

一刻も早く、一秒でも早くこのノートを処分したい

もはや大和の頭にはそれしかなかったからだ。

 

だがしかし

 

 

「それと一つ、頼み事をしてもいいでしょうか?」

 

 

ここで場の流れが再び変わる。

 

「…え、ぇ…ええ、なんでしょうか」

「そのノートの持ち主が見つかった時の話なのですが、新しい話や読み物があるのか聞いてきて貰えませんか?」

 

「…ぇ、ぁ…ああ、そうですか…分かりました」

 

無いよ!あっても絶対見せねえよ!と、心の中で大和は呟く

次いで小さく頭を振って、今までのやり取りを思い返す。

 

(……落ち着け、不慮の事態こそはあったが…全体的にほぼ理想通りに事は進んでいる……)

 

何もネガティブになる必要はない、どうせだったらポジティブに考えよう

そう思考を切り替えようとした所で

 

「いや、しかし…中々に興味深い、考えさせられる内容でした」

 

そんな言葉をイタチは呟き、そして――

 

 

 

 

「特に『人生は死ぬまでの暇潰し』と言っていた主人公が、徐々に変わっていくのが良かったですね」

 

 

 

 

その瞬間、誰かの時が止まった。

 

「それに中々難しい言葉や漢字、熟語に諺が多用されていたので国語の勉強にもなりましたし」

 

その瞬間、誰かの息が止まった。

 

「後分かったのが、この話って様々な国の神話や逸話も数多く取り入れられていて」

 

その瞬間、誰かの思考が止まった。

 

「さらに実際にあった史実も使われ物語に絡められていて、中々読み応えがあり」

 

その瞬間、誰かの何かが止まった。

 

「あと、別冊に解説読本の様なノートもあって、造語や専用単語の意味も直ぐに分かったのでスムーズに読み進める事ができました」

 

その瞬間、誰かの意識が止まった。

 

「いや、何にしても持ち主が見つかって良かったです」

 

そして

 

「やはり、他人の所有物を勝手に読むのは失礼と思っていたので」

 

次の瞬間

 

 

 

「――お手伝いさんや門下生の方々に、一人一人中身を確認して貰ってたんですよ――」

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 

 

叫んだ、今度こそ叫んだ

理性も思考もなく、ただ感じた衝動と感情に任せて

直江大和は力の限り絶叫した。

 

「ほああああああああああああああああああぁぁぁ!うおあああああああああああああぁ!

あばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばば!!!」

 

空間を切り裂く様に、鮮烈な叫び声が響き渡る

部屋ごとビリビリと揺らす様な音の塊が、大和の大きく開いた口から放出されて

 

「タオルだあぁ!タオルを投入しろ!」

「色々と酷いよ!オーバーキルにも程があるよ!」

「皆どいて!私が人工呼吸をする!」

「こっちも止めろ! 収集つかねえぞ!」

 

壊れた拡声器の様な荒声と叫び声を上げて、大和は頭を抑えながらゴロゴロと転がり

ファミリーの皆がそれを止めに入る。

 

「あはははは!うひゃひゃひゃひゃ!殺せよ!もういっそ殺せよ!フザケンナヨ!まじでふざけんなよ!アンタ一体なんなんだよおぉ!!!」

「…何かまずい事をしたでしょうか?」

「いやーまー、そのー…なんというか…思春期にありがちな症状っつーか…」

「イタチさんは悪くない…悪くないんだ、あーあれだ、運と間が悪かったんだ…」

「?」

 

困惑気味のイタチにガクトとキャップがそれとなくフォローを入れる。

眼前で繰り広げられるその混沌絵図

未だ奇声を発し続ける大和に視線をおいて、イタチはやや躊躇いつつも

 

「あの様子から察するに、もしやあのノートは…」

「そこから先は言っちゃだめえ!」

「イタチさん、武士の情けだ!そこから先は言わないでやってくれ!!」

 

先の言葉を繋げようとするイタチを、一子と百代が必死で止める

下手にこれ以上大和に刺激を与えようものなら、それがトドメの一言になるかもしれないからだ。

 

(……成程、コレ等を書いたのは大和さんだったか……)

 

手に持った黒塗りのノートに視線を落としながら、イタチは考える。

確かに人によっては自分の書いた創作物、作文や絵を見られて恥ずかしいと思うだろう

彼もその類の人間だったのなら、たしかに自分の行動は少々配慮に欠けていたかもしれない。

 

しかし、そんな今までのやり取りの中に少しだけ

イタチの中で引っかかっているものがあった

 

(……思春期に、ありがち…か……)

 

その言葉を心の中で呟いて、イタチは改めてノートをめくる

目に映るのはギッシリと言っても言い程に並べられた文字列

そこに書かれている内容、ストーリー、世界観、キャラクター、神話に逸話、武具に道具

そこに書かれている全てに、改めて目を通して

 

 

「成程、恐らくですが…自分にも似たような時期があったのですね」

 

 

喧騒の中、その言葉が響きわたる。

予期せぬイタチのその言葉に、少なからずイタチに皆の視線が注がれて

 

「禁じられた力を眼に宿す一族、全てを焼き尽くす黒い炎、自身の破滅と引き換えに得る強大な力…」

『…っ!』

「一国の軍事力に匹敵する魔獣、その魔獣を制御し支配下に置くために贄となった人柱、

そしてソレを狙い奪おうと暗躍する組織…」

『…っ!っ!!』

 

「正直に言うと、どこか身に覚えがあるというか…読んでて凄く親近感が湧きました」

 

イタチに言葉に合わせて、二度三度と一瞬大和の体がビクンと大きく痙攣する様に跳ねたが

次いで静かに語りかける様に、イタチの言葉は続く。

 

「恐らく、自分もこの様に空想の世界を想像し、架空の冒険譚を脳裏に描いていた時期…

もしくは似た様な事をしていた時期が、自分にもあったのだと思います」

 

自分がこの物語をここまで読み進めた理由

自分がこの物語に出てくる人物に入れ込んだ理由

それは他ならぬ自分自身に、思う所があったからだ。

 

「…うーむ、イタチさんが、か?」

「何て言うか、イメージができないわね」

「でも、大和が聞いたらちょっとは安心するかもな」

「まあ、普通の人よりも『同類』の人の方がダメージ少ないかもね」

 

そんなイタチの言葉を聞いて、百代と一子がやや疑惑混じりの言葉を呟く。

次いでキャップとモロが思い思いの言葉を述べ

 

「んで、肝心の弟はどうした? さっきから随分静かだけど?」

「あれ」

 

百代の問いに、ガクトが指をさしながら簡潔に答える

ガクトが指差す方向、そちらに視線を向ければ仰向けで寝転ぶ大和とその大和に膝枕をして恍惚の表情を浮かべている京が目に入った

どうやら一通り叫び終わった後に、パタリと意識を失った様だ

 

「こりゃもうお開きだな」

「…すいません。折角来ていただいたのに、この様な事になってしまって」

 

キャップが肩を竦める様に言って、イタチは申し訳なさげに頭を下げる

しかしキャップはイタチに対して「いいっていいって」と軽く笑いながら言って

 

「っていうか、状況的に謝るのはこっちの方だろうしな」

「流石に、ちょっと予想外だったからね」

「おまけに京のヤツも悪ノリしてかんな」

「ついカっとなってやった、反省している。だが後悔はしていない」

「アホか」

 

と、そんなやり取りをして今日の集まりは一旦解散となった

気を失った大和の方も流石にそのままにしてはおけなかったので、ガクトが担いで島津寮まで連れ帰る事になった。

 

そして件の引き金となったノート

これに関しては、こうなった以上下手に刺激しない方がいいと判断され

ノートは一旦風間ファミリーに、更に言えば今回の事で下手にからかったり刺激しない様な人間

ノートを失くしたりせずにしっかりと大和に返せる様な人間

 

消去法でノートはモロが一旦預かり、改めて大和に返す事になった。

だがしかし

 

 

「今日、川神院に行ってからの事を全く覚えていないんだけど、なんかあった?」

 

 

と、大和が事の顛末を綺麗さっぱり忘れてしまったため、ノートを返そうにも返せなくなったのはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――こんな所か」

 

今日の授業の復習と予習を終えて、イタチは軽く背筋を伸ばしながら呟く

既に今日の分の家事手伝いは終わらせてあるし、これと言った私用もない

時計を見れば既に時刻は深夜、明日のも早朝から仕事があるのでこの辺でもう床についても良いだろう。

 

そう判断して、イタチは手早く片付けをして畳んであった布団を敷いて部屋の明かりを就寝用に切り替える

目覚ましの確認をして布団に入り込み、今日の出来事を思い返す。

 

 

(……思い出したくない、事…か……)

 

 

思い出すのは、些細な切っ掛けで始まったあの騒動

直江大和のノートによって起きた、あの騒動

 

(……自分にも、あるのだろうか?……)

 

思うのは、未だに戻らない自分の記憶の事

未だに自分の名前も素性も思い出せない、自分自身の記憶の事

 

(……出来る事なら思い出したくない、目を背けたい…そんな過去が……)

 

(……一度目を向ければ、あの様に嘆き、叫び、衝動に侭に暴走したくなる様な過去が……)

 

(……そんな過去が、俺にもあるのだろうか?……)

 

 

そこまで考えて欠伸が一つ、それを切っ掛けに重くなる瞼と微睡む意識

そして沈む様にイタチの意識が微睡みの中に落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

=======================================

 

====================

 

==========

 

=====

 

===

 

 

 

 

 

――何だ、ここは?――

 

先ず目に入ったのは夜の帳だった

そこにあるのは何処かの居住地、人々が寄り添って暮らす生活の地

 

目に映るのは夜空の月、星空、建物や木々のシルエット

一面に広がる血の海、屍の山

 

眼前に広がる光景、凄惨極まるこの世の地獄の様な光景

自分の足元にあるのは、嘗て自分が心から大切に思っていた人たち

 

――知っている、自分は知っている――

――この風景を、この有様を、惨劇を――

 

――知っている、自分は知っている――

――ここに生きている者はいない、ここに在るのは全て人間だったモノ――

 

――知っている、自分は知っている――

――知っている、自分は誰よりも何よりも知っている――

 

――でも忘れている――

――知っているくせに忘れている――

 

――忘れちゃいけないのに忘れている――

 

 

 

――だから、笑ってる――

――忘れているから、笑えている――

 

――あんなに苦しかったのに、忘れている――

――あんなに悲しかったのに、忘れている――

 

――あんな事があったのに笑えている――

――あんなに酷い事をしたのに笑えている――

――あんなにたくさん酷い事をしたのに、笑っている――

 

 

 

――だから思い出せ――

――ソレを思い出せ――

――ソレをやったのは誰なのか思い出せ――

 

 

――思い出せ――

――自分が誰なのか思い出せ――

――思い出せ――

――自分が何なのか思い出せ――

 

 

――だから思い出せ――

――後悔したくないのなら思い出せ――

 

――だから思い出せ――

――これ以上、笑う前に思い出せ――

 

――だから思い出せ――

――これ以上、楽しい思いをする前に思い出せ――

 

――だから思い出せ――

――これ以上、幸せを感じる前に思い出せ――

 

 

――思い出せ、全てを思い出せ――

 

 

 

 

 

 

「――おい、大丈夫か?」

 

気が付けばそこは自分の部屋だった

目に映るのは見知った顔、視線を動かせば見慣れた光景が映った。

 

「…おはようございます、幸平さん」

「おうおはよう…って、大丈夫かよ? 珍しく寝坊かと思って様子を見に来たら、すっげえ魘されてたぞ?」

 

「寝坊?…魘されてた?」

 

身を起こしながら時間を確認する

既に時刻は六時半、完全に寝坊していた。

 

「…すいません。直ぐに支度して」

「あー、いいっていいって。今日は休んどけ、知らない所でお前も疲れが溜まってた事だろ?」

 

立ち上がろうとするイタチを制しながら、幸平と呼ばれた男は言葉を続ける

 

「今日は割と人手があるし、どっちにしろ朝の仕込みは大方終わってるし無理せずゆっくりしとけ。

それでも気になるんなら、昼の仕込みに改めてきてくれ」

 

じゃーなー、と

手に持った手ぬぐいをヒラヒラとさせながら、幸平は退室しイタチ一人が部屋に残された。

 

「失態、だな」

 

少し悔やむ様に呟く

反省すべき事だが、やはり指摘された様に自分も少し疲れが溜まっているのかもしれない

ならば今は厚意に甘えて、何の憂いも内容に体調を万全にしてから仕事に入るべきだろう

 

「…もう少し、寝るか」

 

そう決めて、イタチは再び布団の中に入る

何やら嫌な夢を見た様な気がするが、眠りに入り始めたイタチはそれ以上気にする事もなく

昼の仕込までの数時間、ただひたすら熟睡していた。

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 




あとがき
前回の更新から一ヶ月…前よりは大分早めに更新できました
次回はもう少し早めに投稿を目標に頑張りたいと思います。

さて本編ですが、この話の主役は我等が直江大和
ちなみに今回の「黒歴史編」原作では大和の黒歴史は一部しか語られていなかったので
今回の話は作者の実体験を元に作られています。もちろん100%じゃないです、大体全体の6割くらいです。

そしてもう一つ、今回の事でイタチはイタチで一歩前進、まさかの「元中二病患者」の疑いあり!
…というのが風間ファミリー(大和以外)の共通認識です。

最後のイタチの夢に関してですが、まあたかだか夢の事ですからそんな大した話はないです
だって夢ですもんHAHAHAHAHAHA!

という訳で、今回の「黒歴史編」もこれで終了。
次回もできるだけ早めに更新する様に頑張ります、それでは!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話

 

不幸とはどういう事だろうか?

例えば、事故に遭って大怪我をする事だろうか?

例えば、全財産が入った金庫を盗まれる事だろうか?

例えば、何の前触れもなく記憶喪失で行き倒れになる事だろうか?

 

恐らく、人によってその答えは様々だろう

不幸の種類も、内容も、度合いも、恐らく人の数だけ存在するだろう。

 

簡単な例で言えば、「今月の生活費は20万円」

これを聞いて、20万円『も』使えると喜ぶのか、20万円『しか』使えないと嘆くのか

その人の生活環境や家庭環境で、意見は大きく変わるだろう。

 

要はそれと同じことだ

同じ事実でも同じ事柄でも、結局は人によって受け取り方は大きく違うのだ。

 

結局は、ソレをどう思うのかはその人自身の問題だろう

何が幸せで不幸なのか、何が幸運で何が不運なのかは、結局その人自身しか決められない。

 

他人からどう諭されようが、周囲の環境がどう変わろうが、結局はその人自身思った事が全てであり、絶対の事実になる

 

そして川神に一人、そんな不幸な女が訪れていた。

 

 

 

 

 

 

 

「………はあ………」

 

時刻は昼過ぎ、商店街の道を歩きながらその女は軽く溜息を吐いた

年は大体20前後、明るい色のノースリーブのシャツにタイトなレギンスにスラリとしたその身を包み

ややクセの付いた銀髪を後ろでに纏めて髪型、表情こそは暗く影のある物だが、それでもその貌は非常に整っていて、世間で言う所の「美人」に属するだろう。

 

女の名は橘天衣

嘗て武術の総本山・川神院が認める若手最強の称号「四天王」に属していた女である。

 

「…四天王、剥奪か…」

 

小さく儚げに呟きながら、その事を思い返す

嘗て教え子同然に可愛がっていたあの娘に負けた事

武人としてあの娘と再び肩を並べ、堂々と向き合う為に武者修行に出て…そして、その先で出会った強者に敗れた事

 

既に最低限の報告こそは済ませていたのだが、天衣は川神の街に戻ってきていた

別に意識していた訳ではない、次は何処に向かおうと考えていたら…自然とここに来ていた。

 

「…………」

 

自分の明暗を分けた二つの勝負、そこに不満は一切ない

自分は全力で挑み、戦い、そして敗れた…自分が望んだ強者との戦い、その結果が敗北だっただけの話だ。

 

しかし、だからと言ってそう簡単に気持ちの整理も、納得もできないのもまた事実だった

恐らくあと数日もしない内に、自分の四天王の称号は正式に次の者に継がれるだろう

別に肩書きや称号に固執していた訳ではないが、いざ無くなるとやはり一抹の寂しさがあるのも事実だった。

 

(……これから、どうしよう……)

 

彼女は考える

四天王の称号こそは失ったが、自分は武人だ

手持ちの資金も心もとないし、色々な意味で行動しなければならないだろう

これから何か行動を起こすのなら、今まで鍛え培ったその力を活かせるような仕事に就きたい。

 

天依は自分の手の中にある、その紙を取り出す

ここに来るまでに偶々見つけた、自衛官募集の紙だった。

 

 

「……自衛隊、か……」

 

 

彼女は呟く

たまたま手にした情報だが、これは一つの切っ掛けかもしれない

これからの生活のためにはやはり安定した収入が必要不可欠だし、自衛隊の様な仕事なら様々な場面で自分の力は活かせるかもしれない。

 

それに自分の力を国のためや人助けのために役立てれば、いつの日か再びあの娘と堂々と肩を並べられるかもしれない

――と、そこまで考えた所で

 

 

「アンタ、中々珍しい運気をしてるね」

 

 

不意に声を掛けられ、振り向けば後ろは占い師風の格好をした中年女性がいた。

 

「何? 占いの押し売り?」

「いやいや、そんなんじゃないよ。滅多に見れない様な運気を漂わせてるお嬢さんが眼に入ってね、つい声をかけちゃったのよ」

 

「……ふ~ん」

 

素っ気無く天依は応えるが、その内心では少々驚いていた

自分の『運』に対する言葉をきく限り、どうやらそれなりに見る眼はあるようだ。

 

「これも何かの縁だし、占ってみてもいいかい?勿論お代は要らないよ」

「…じゃ、お願いしようかな」

 

天衣がそう言うと、占い師の女性はニコっと笑って「お手を拝借」と言って天依の手をとって手の平を見つめる

真剣な表情と視線で手相や掌紋に指紋、指の付け根辺りを見回して

 

「…アンタ、かなり運がないでしょ?しかも今…運命の分かれ道に差し掛かってるね」

「分かれ道?」

 

占い師の女性はあっさりと簡潔に、その事を断言する

天依は天依で自分の事をあっさり言い当てた事に驚きながらも、更に続くその言葉に興味が沸いた

 

「…今アンタが行こうとしている道、かなり悲惨な未来が待ってるね…出来ることなら思い止まった方がいいね」

「…そういう曖昧な事を言われてもね…もっと具体的な事は分からないの?」

「下手すりゃ両手両足が吹っ飛ぶかもね」

「――――」

 

言葉を失うとは、正にこの事だろう

流石にそのレベルの不幸は今までに体験した事なかったからだ。

 

「それと近い内…それもかなり近い未来だね。運命の出会いがある」

「………」

 

先程とは違った意味で天衣は黙る

運命の出会い、これはまた自分にはまた縁の無い言葉が飛び出てきたからだ。

 

「運命の、出会いねー」

 

「とは言っても、どんな運命なのかは分からないね。仕事、健康、恋愛…どんな意味での運命の出会いかは分からない

アンタの運命を変える出会いなのか、それとも運命を決める出会いなのかも分からない…でも運命の出会いが訪れる」

 

「……ま、参考程度に留めておくよ」

 

粗方占いが終わったのか、占い師の女性は天依の手を離す

珍しい運勢を見れたからなのか、その表情は満足げであった

天依もまたその女性に「ありがとねー」と軽くお礼を言って、その場を後にする。

 

 

(……運命の、出会いねー……)

 

 

 

歩きながらも、天依は先の言葉を頭の中で反芻する

それと同時に、今までの人生を軽く振り返る

 

『不幸体質』それが一番、自分を的確に表す言葉だろう

基本的な占い、例えばおみくじなんかで言えば自分は凶より下しか引いた事がない

財布を落とす、鳥の糞が落ちてくる、雨や風で荷物や所持品がダメになる…その手の事は日常茶飯事だ。

 

基本自分には小さな不幸が着いて回っている

そしてそれは特に大きな物、それこそ神がかり的…としか思えない様な時もある。

 

自分が普段見舞われている不幸

恐らく内容を聞けば、「そんなの誰だってそうだ」「世の中もっと不幸な人はたくさんいる」と簡単に言い返されるだろう

それもまた、彼女の悩みの一つだ。

 

確かに、その不幸の一つ一つは誰もが経験している事だろう、日常的に訪れる可能性ある事だろう

だがそれだけだ

確かに、この世には自分よりも不幸な…それこそ比べ物にならない人はたくさんいるだろう

だが、それだけだ

 

塵も積もれば山となる

どんな小さな不幸でも、それが積み重なれば意味合いが違ってくる

普通の人なら一週間に一回体験するかしないかの不幸が、自分には数時間に一回は確実にくる

普通の人なら一ヶ月に一度あるかないかの不幸が、自分には三日あれば御釣りが来る

 

小さな不幸に目を向ければ、それこそ一時間単位で来る事も珍しくない

不幸不幸とあまりに口に出せば、周囲はもちろん自分自身も気分が落ち込んでくるので普段は口にしないが

 

心の中では、いつも溜息と共に声無き声で「不幸だー」と呟いてた。

 

決定的だったのは、幼き日の思い出

自分を遊びに招いてくれた友人宅に、隕石の欠片が落ちてきた事だ

運命の悪戯、神の気まぐれ、正しくそんな言葉を体現した様な出来事

あの日あの時あの瞬間、天衣は自分の不幸体質を実感させられた。

 

自分が不幸なだけなら、まだ耐えられた

だけど自分の近くにいる人、自分の傍にいる人、自分と親しい人、自分に優しくしてくれた人

そんな人が自分の不幸体質に巻き込まれる事だけは、天衣は耐えられなかった。

 

 

今にして思えば、ただの偶然

それこそ天衣とは全く関係のない事が要因で起こっていた不幸も、数多くあったのかもしれない。

 

だけど、自分はそう思う事ができなかった

そんな簡単に、割り切る事ができなかった

 

今までの人生における不幸の積み重ね、どうしても「自分が原因」という沈んだ答えがいつも頭の奥底にこびりついていた。

 

だからこそ、先の占い師の言葉は天衣の頭に根付いていた。

 

 

――運命の出会い――

 

 

世間一般的には使い古された言葉だが、天衣が占いでこの手の結果が出たのは初めての事だった

先のやり取りから考えるに、あの占い師の腕は確かだろう。

 

故に自分自身にどの様な出会いがあるのか、天衣は興味があった

と、そこまで考えた所で天衣は自分の空腹に気づいた。

 

 

「そういえば、朝ごはんから食べてなかったっけ」

 

 

考え事が長引いたせいか、気づけば昼過ぎて大分立つ

まだ所持金には大分余裕がある、たまには外食しても良いかもしれない

そんな風に思いながら、天衣は上着にしまってあった財布に手を伸ばして

 

 

「―――え?」

 

 

その顔が一気に青ざめる

ポケットに中にある筈の感触が、全く感じられない

中の布ごとひねり出すが、そこにはあるべき財布がやはりない

 

「ない、ない!無い!!」

 

全身をベタベタ触るが、やはり財布はどこにもない。

思い出せる限りで自分が来た道を引き返して探すが、やはり自分の財布はどこにもない

当面の路銀や生活費が入った財布を紛失した事実に、彼女の顔色はますます青味を帯びていき

 

「…あ、はは…は」

 

つい、そんな乾いた笑が漏れ出る。

何が運命の分かれ道だ、何が運命の出会いだ

そんな物に浮かれている間にこの様だ。

 

自嘲気味に嗤い、彼女は再び足を運ぶ

もう過去の経験で嫌という程に経験しているが、やらないよりはマシだ

そう考えを纏めて、彼女は最寄の交番に立ち寄る。

 

たまに、財布だけでも回収できる事があるからだ。だが――

 

 

「う~ん、やっぱり届けられてないね」

「…そうですか」

 

 

最早、彼女にとってお決まりのやり取りを探す

渡された届出に記入をして、警官に手渡す

 

今はテント住まいだが、プリペイド式の携帯電話は所持していたので(よく無くすので)

何かあったら連絡すると警官は言ってくれたが、恐らくそれはないだろう。

 

「……はあー」

 

届出を出した後、交番から一歩でてつい溜息がこぼれる

何しろ全財産の殆どが消えてしまったのだ

 

テントにはまだカンパンや保存食が残っているが、これもいつまで持つか分からないし、こちらも予期せぬ不幸で台無しになる可能性がある。

 

「……はあー」

 

再びの溜息、もう過ぎてしまった事はどうしようもない

ならば早く気持ちを切り替えて今後の事を考えよう

 

そして彼女が再び足を運ぶ、その時だった。

 

 

 

「――すいません。財布の落し物なんですけど――」

 

 

 

不意に、自分の後ろからそんな声が聞こえてきた。

 

「……え?」

 

その声に反応して、後ろを振り返る

そこにいるのは上下に白いジャージを着た、少し長い黒髪を束ねた若い男

そしてその男が警官に差し出した、その財布こそ――

 

「ああああぁぁぁー!」

 

思わず叫ぶ、叫ぶような声がでる

少し驚いた様に警官とその男の人が振り向く、次いで警官の方も自分の言わんとする事が分かった様で

 

「…あー、もしかして?」

「――!―!」

 

確かめるような警官の言葉に、天衣は声にならない声と共に首を大きく上下させて肯定を示す

その後に確認作業を行うと、財布は勿論中身も無事だった。

 

「よかったー…!よかったよぅー!!」

 

戻ってきた財布を抱きしめながら、感激に表情を輝かせて噛締めるように呟いて

天衣はサイフを届けてくれた男に、改めて向き直って

 

「ありがとう!本当にありがとう!ありがとうございます!」

「いえいえ、こちらこそ持ち主が見つかって何よりです」

 

大げさとも言える所作で、天衣は何度も何度もその男に頭を下げる

男の方も天衣のオーバーとも言える感謝を受けて、小さく笑みを浮かべて返し

 

「あ、そうだ。お礼、一割」

「いえ、お礼なんていいですよ」

「ううん。本当に感謝してるんだ、滅多にこんな事ないからさ」

だからちゃんと受け取って欲しい

そう言って、天衣は財布を開いて紙幣の枚数を改めてチェックする

 

今にして思えば、彼女はきっと浮かれていたのだろう

自分の体質の事が頭から抜け落ちるくらいに、浮かれていたのだろう。

 

普段の彼女なら、こんな些細なミスはしなかっただろう

風の強い春先、交番の目の前とはいえ外で、紙幣を覗かせる様に財布をやや広めに無防備に開いて、紙幣を取り出す

この様な『愚行』を、普段の彼女は決してしなかっただろう。

 

 

次の瞬間、突風が吹いた。

 

 

「「……ぁ……」」

 

二人の声が重なる

何の予兆もなく吹いた強い突風に、一瞬とは言え無防備になった紙幣

それは正に偶然の一致、神がかり的なタイミングと言っても良かった。

 

 

バサバサバサっと、そんな軽い音を立てながら天衣の財布から紙幣が飛び立った。

 

 

「ああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

再び天衣が声を上げる、先の声とは真逆の意味で声を上げる

全ては初動の差だった。

 

普段の彼女ならこんな風に紙幣が風に拐われる事もなかっただろう

仮にそうなっても紙幣が空に舞い上がる前に、その身体能力をもって全て回収する事も可能だっただろう。

 

全ては1秒以下の初動の差、そしてそれが決定的な致命傷となった。

 

 

 

===========================================

 

 

=======================

 

 

===========

 

 

=====

 

 

===

 

 

 

 

 

 

「……はぁ……」

 

夕日は西の空に沈んでいく光景を見ながら、天衣は小さく溜息を吐いた

今居るのは彼女が仮の拠点にしている河辺、そして自らが張ったテントの中にいた。

 

項垂れる様に溜息を吐いて、そして目の前にある紙幣に視線を置く

あの後、天衣は空に羽ばたいた自分の全財産を全力で追いかけた

自分とて「スピードクィーン」と称された武人、自らの能力を持ってすれば紙幣の回収は可能だと思ったからだ。

 

しかし、状況が悪かった

途中折追っていた紙幣は方々に散らばり、障害物や地形の関係でその数の半分を見失ってしまった

そんな状況の中、彼女は確実に回収できる分だけ回収しようと躍起になったのだが

 

「回収できたのは、これだけか…」

 

目の前にある紙幣、諭吉さんが一枚、野口さんが三枚、計一万三千円

ここに来て、再び本領を発揮する自分の体質

貴重な諭吉さんを一枚回収できただけでも、彼女としては運が良い方なのだが…如何せん、所持金の大半を失った事実の方が重かった。

 

「はあぁー…本当にどうしよう」

 

いざとなれば日雇いの仕事をするなりの手段があるのだが、ここは川神の街だ。

顔を合わせにくい人、できれば会いたくない人というのが多少なりとも存在する

だから天衣としては、なるべくこの街に長居はしたくなかったのだ。

 

「…隣の七浜あたりに足を伸ばそうかな?でもそこまで行ってお金の都合がつく保証なんてないし…」

 

滞在か転居か、どちらを選んでも確実な保障はない

意地で金は得られない、金で意地は買えない、要はそういう問題だ

だがどう考えても今の所持金では心もとない、最悪なけなしの貯金を崩す事もできるが…それは出来れば最後の手段にしておきたい。

 

やはり、確実に事を運ぶのなら見知らぬ街よりも、勝手知ったる川神の方が良いだろう

自分の不幸体質を考えれば恐らく大差はない、だったら確実に体力と路銀の節約ができる方を選ぼうと判断をした。

 

彼女の中で金と意地の天秤において、金が傾いた瞬間だった

結局は世の中金、金が無ければご飯は食べる事は出来ない、ご飯が食べられなければ死んでしまうのだ。

 

と、天衣の中で粗方の考えが纏まって

 

 

「……あの人にも、失礼な事しちゃったな」

 

 

昼間に出会った、自分の財布を拾って交番に届けてくれた人を思い出す

そもそもあの人が財布を届けてくれなかったら、自分はこの一万三千円すら回収できなかったかもしれないだ。

 

それなのに、自分はその人の前で紙幣を再び紛失した

あの時は慌てて即座に紙幣を追ったため、あの人にはきちんとお礼も出来なかったし、後味の悪い思いをさせてしまっただろう。

 

その事実が天衣の中で未だに尾を引いていた。

 

 

「…お腹、空いた…」

 

 

そこまで考えて、再び感じる自分の空腹

先のトラブルで昼ご飯も食べ逃したから、実質半日食事をしていなかった。

 

食事にしようと保存食に視線をやるが、先に川に仕込んでおいた魚採りの仕掛けを思い出した

もしかしたら夜のおかずに一品つけ足しが出来ると思ったからだ。

 

テントを出て、沈む夕日を反射する川の傍に歩み寄る

仕掛けの場所を見つけて引き上げて見るが、こちらに戦果はなかった。

 

…まあ、こんなものか…

 

心の中で自嘲気味に呟いて、仕掛けを改めて川に戻す

とりあえず手持ちの保存食で夕食を済ませてしまおう、そう思った次の瞬間だった。

 

 

「……あ……」

 

 

ソレを見つけて、天衣は驚いた様に小さく呟く。

 

 

視線の先に居るのは、川原の道を歩く男性

白いジャージに、長めの髪を後ろ手に括った若い男

つい数時間前に、自分の財布を拾ってくれた男だった。

 

自分がその姿を認識したのか、男もまた手を軽く振って小走りする様に自分に駆け寄る

そして自分の元まで駆け寄ってきて

 

「先程はどうも」

「…ど、どうも」

 

小さく一礼する男に対して、天衣は驚きまじりについ同じ様に返す

予期せぬ男の出現に、天衣は少し驚きながらも直ぐに今日の出来事を思い返して

 

「さっきはありがとう…それと、ごめん。折角財布を届けて貰ったのに、あんな事になって」

「アレは仕方ありませんよ。流石に予想外の出来事でしたから」

「でも、私の不注意だった事には変わらない…それに十分予想できた筈の事だったし…」

 

そう言って、天衣は自嘲気味に小さく笑う。

そう、十分予想できた事だし、十分対処できた筈の事なのだ

それができなかったのは、一重に自分に油断があったからだ。

 

「そうだ、さっきのお礼も兼ねて一緒に食事でもどう?

 散らばったお金、ある程度は回収できたんだ」

 

次いで天衣は改めて男に向き合って、その事を提案する

この男に対してちゃんとお礼をしておきたかったし、この機を逃したらいつ礼をできるか分からなかったからだ。

 

しかし

 

「ああ、その事なんですが」

 

そう言って男は自分の懐に手を入れて、『ソレ』を取り出して天衣に差し出した。

 

 

「どうぞ」

「―――え?」

 

 

唖然とする様に間の抜けた声が響く

男が天衣に差し出した『ソレ』見て、天衣は呆気に取られた様な表情でそれを凝視して

 

 

「……わたし、の…ぉ、金…?」

 

 

途切れ途切れに呟き、男は小さく頷く

確証があった訳ではないが、何故か直感した

この男が差し出した紙幣の束は、さっき自分が回収し損ねた分だと――

 

「…どう、し、て…?」

「貴方と同じですよ、自分もあの後自分なりに追いかけたんですよ」

 

次いで男は「ご確認を」と言って、天衣に紙幣の束を渡す。

そして言葉を続ける。

 

「普通に追いかけても見失う可能性が高かったので、周りの建物の屋根を少々借りて高台に移動しました

見失う可能性も高かったですが、貴方が追いかけていたお陰で紙幣を見失わずに済みました

後は見失わない様に自分も追跡し、風の強さと向きで着地ポイントに当たりをつけて順々に回収して回りました

後は貴方に返すだけ…だったんですけど、肝心の貴方を見失ってしまったので、聞き込みしながらここに来ました」

 

流石に全部は無理でしたけどね、と最後に添えるが天衣にとって最早ソレは些事だった

この男が言った内容、それがどれ程難しいことなのか天衣には分かっていたからだ。

 

「…………」

 

改めて天衣は渡された紙幣を見る

確かに全額はなかった、しかし自分が回収した分を合わせると九割以上のお金が手元に戻ってきたのだ

その事を改めて実感し、その現状を考える。

 

――何なんだ、今日は一体なんなのだ?――

 

――九割のお金が戻ってきたから幸運なのか?――

 

――それとも、所持金の一割を無くしたから不幸なのか?――

 

そんな思考が、グルグルと頭の中で巡る

相反する想いが同居するという矛盾

普段起きない事が今日はあまりにも多く起きて、天衣の頭の中は軽くパニックになり

 

 

「…なん、で…?」

「はい?」

「…私達、今日会ったばかりの…赤の他人じゃない。ここまでする必要ないよ…普通」

 

つい、そんな事を口走ってしまう

無礼な事を言っているのは解っていた、本当はお礼を言うべきなのは解っていた

本当はこんな下らない事を口走るよりも、感謝の気持ちを表すべきなのは解っていた。

 

でも言わずにはいられなかった

感謝よりも、現状に対する疑問や困惑と言った気持ちが強かったからだ。

 

そしてそんな天衣の言葉を聞いて、男もまた少しの間押し黙る

「フム」と顎に手を置いて、少しの間考える様な仕草をして

 

 

 

「そうですね、確かに普通じゃないですね」

 

 

 

あっさりと、男は天衣に返す。

 

「今日初めて会った赤の他人の為に、散らばった紙幣を街中駆け回って掻き集めて全額返す」

「…………」

「行き倒れになっていた得体の知れない身元不明の怪しい男を引き取り、世話をしてくれる」

「………?」

「確かにそこまでする必要はない、確かに普通はそこまでしない、俺もそう思いますよ」

 

その男の予期せぬ返しと予期せぬ言葉を聞いて、天衣は一瞬首を傾げるが

次いで男は小さく笑って

 

「だから多分、そういう事ですよ」

「…どういう事?」

 

 

「この街にはそんな『普通じゃない人』が意外と多い、多分そういう事ですよ」

 

 

 

どこか納得した様に、どこか嬉しそうに男はその言葉を天衣に言う

天衣にというよりも、寧ろ自分自身に投げ掛けたかの様に、男は小さく頷く

しかしそんな風に語られても、当の天衣には理解できる筈も無く。

 

「…少し、意味が分からない」

「ご安心を、俺自身よく分かっていませんから」

「何それ?」

「一体なんでしょうね?」

 

そんなやり取りを繰り返して、誘い笑いを受けた様に天衣もまた小さく笑う

それが切っ掛けなのか、困惑気味だった天衣も少々落ち着いてきて

 

「まあ確かに、考えても仕方ない…そういう事もあるか」

 

気づけば、天衣自身の考えも纏まっていた

思考停止、考えの放棄、だがなんとなく…それが現状の正解の様に思えたからだ

そんな風に考えて、天衣は小さく微笑んだ後に、小さく息を吐いて

 

「さっきは変な事を言ってごめん。それと、改めてありがとう

そう言えば、まだ自己紹介してなかったね。私は橘天衣、武者修行中の武術家…って所かな」

 

名乗りを終えて、天衣は視線で「貴方は?」と訴える

次いで男もまた天衣を見据えて名乗った。

 

 

「イタチです、訳在って川神院で世話になっている者です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





後書き
 前回の更新から再びの約一月ぶりの更新です、最近やっと更新ペースの方が安定してきました。
今回のメインは原作の不幸担当こと天衣さんです。この作品の天衣さんはまだ自衛隊入りしていないので普通の人間です
本当はマジ恋A5をプレイしてから書きたかったのですが、ちょっとフライング気味に本編に登場です
……だっていつ出せるか分からなくなっちゃうんだもん(笑)

アニメはやさぐれてたしSでの出番は短かったので、ちょいとキャラが不安定かもしれないですが何とか上手に使っていきたいと思います
次回も天衣さんの話がメインかと思います。それでは、また次回に会いましょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話

 

「よし、こんな所か」

 

磨き終わった廊下を眺めながら、イタチは満足げに頷く。

自分で定めたノルマを粗方こなした事を確認し、時計に視線を向けると間もなく昼飯の仕込みの時間だった

その事を確認して、イタチは手早く掃除道具を片付けて手を粗い、自分用の前掛けを着て調理場に入る。

 

「お疲れ様です」

「おう、お疲れ。んじゃ早速やるか」

「メニューは何ですか?」

「最近野菜が足りてねえから、野菜多めの中華丼と野菜・卵のスープ…って所だな

という訳で、白菜とかニラ辺りをどんどん切ってくれ」

「了解しました」

 

そう言って、途中合流した同僚と共に調理場に活気が帯びて作業が進んでいく

野菜や肉を切る音、あんかけや白米の匂い、スープの熱気が調理場に徐々に充満していき昼飯の用意が終わる。

 

そして修行を終えた門下生達の下に運んで行き、その作業が終わるとイタチ達も昼食に入る。

 

「…ん、この中華丼の肉は…」

「お、気づいたかイタチ? これ実は鹿の肉なんだよ。高校ん時の下宿仲間がジビエっつうの?

そういうのをやっててよ、偶に送ってくるんだよ。そんでそれが昨日の夜届いてよ、仕込んでおいたんだよ」

「…なるほど、これはこれで旨いですね」

「だろ? 何なら後で仕込み方とか見てみるか?」

「是非」

 

そんなやり取りをしながら食事を終えて、それぞれが後片付けに入る

イタチも例に漏れず、使い終わった食器を片付けた後に門下生達が下げた食器を洗う

洗い終わった後の皿は軽く乾拭きして、それを食器棚に戻す。

 

全ての食器を片づけが終わった事をイタチは確認し、次の仕事に取り掛かろうとした所で

 

「どうしました、幸平さん?」

「ん?おお、ちょっとな」

 

調理場の椅子に座ったままで、難しい顔で携帯電話を見ている幸平を見つけて、イタチが声をかける。

イタチの声に反応して、幸平もまた歯切れ悪く返事をして

 

「これ、ちょっと見てみ」

「失礼します」

 

幸平が見ていた紙を渡されて、イタチも小さく頷いて受け取り

 

「明日からの出勤表ですね」

「おうよ、面子を見てみ」

「俺と幸平さんと…それと…」

 

そこまで読んで、イタチの言葉は止まる

何故ならもう既に、読み上げるべき名前を読み終えてしまったからだ。

 

「…そうなんだよ、明日から一週間の食事当番、俺とお前だけなんだわ」

 

はー、と深い溜息を吐きながら幸平は言う

イタチが加入する前からでも、最低四~五人で作業していたという話だから、どうやらこれが彼を悩ませている種の様だ。

 

「…訳を聞いても?」

「理由はそれぞれだ、里帰りや旅行、突発的な怪我やトラブルやその他諸々

重ならない様に調整したつもりだったんだけど、皆ちょっとずつ予定がズレちまってよー

まあ単純に、運と間が悪いのが重なっちまったって所だな」

 

「成程、しかし…一週間、ですか」

「そうなんだよなー、二日三日くらいなら二人でも何とかいけるかもしれないが…流石に一週間となるとなー」

 

短い期間ならそれほど問題ではないが、一週間という時間だと話が変わってくる。

人数が少なくなると、その分一人の労働量と負担が増える

それが長い間続けば更なる二次被害三次被害が生まれる恐れもある。

 

「一応、鉄心の爺さんに話は通してあるんだけど…助っ人が来れたとしても、最低でも三日はかかっちまうみたいだ」

「…三日ですか、それなら二人でもやれない事はないですが…」

「ああ、だがそれでも…結構ギリギリだ。出来ることならもうちょっと安定した形

…もっと言えば、助っ人が来るまでの間に…最低でももう一人作業に入れる人間が欲しいトコだな」

 

「…確かに、もしも何かの事情で俺達のどちらかまで来れなくなったら…それこそ無理ですからね」

「そういうこった、俺も直ぐに入れそうな奴に声を掛けとくけど…一応そのつもりで準備しておいてくれ」

「分かりました」

 

そう言って二人は互いに意見を纏めて、了解し合う

次いで二人はそれぞれの作業に戻った。

 

 

 

 

 

=======================================

 

====================

 

=========

 

====

 

==

 

 

 

 

 

「はあー、どうしよう…」

 

川神院から少し離れた建物の上、天衣は溜息を吐きながら呟いた。

思い出すのは昨日知り合った、不思議な男についてだ。

 

自分にお金を届けてくれた、イタチと名乗った妙に掴み所がない男についてだ

あの後、仕事があるから何か用がある時は川神院に来て欲しいと言って、あの場はそれで終わった。

 

そう、終わってしまったのだ。

だから行く必要が出来てしまった、あの娘から逃げる様に去った『川神院』に…

 

「…しかも、今は春休み中だからなー」

 

唸るように天衣は呟く

あの娘はまだ学生だ、つまり今は春休み中だ。勿論だからと言って常時川神院にいる訳ではないが…自分の運の悪さを考えると確実に顔を合わせるだろう。

 

やはり、どう考えても今はまだ顔を合わせたくない

あの娘の性格を考えれば気にしてはいないだろうが、要はこちらの心の準備が済んでいないのだ。

 

「…どうしようかなー、電話とかして…あーダメだ、絶対に碌な事にならなそう…」

 

本人は別に良いと言っていたが、自分はあそこまでの恩を受けて「はい、そうですか」で終わらせられる人間ではない。

かと言って、このまま川神院に訪問できる程思い切りの良い女でもない

故に現状の様に、川神院を遠目から見つめて様子を探るに至っている。

 

「覚悟を決めた方がいいかな…」

 

小さく重く呟く。

仮にこの場は何とかあの娘に会わずにやり過ごせたとしても、いつかは必ず顔を合わせる時が来るだろう

今日の様に会う事を予め頭に入れている時とは違い、全くの不意打ちで予期せぬ出会いをしてしまったら…それこそ目も当てられない事になるだろう

 

だったら、いっその事覚悟を決めてしまった方がいいんじゃないか?

 

 

「……よし」

 

 

自分の中で粗方の考えが纏まり、小さく掛け声を上げる

どうしたら良いのか分からない、何て言えば良いのかも分からない、だが覚悟は決まった

ならば早速行動に移そう…と、そこまで天衣が考えた所で

 

「――ん?」

 

視界の端で、天衣はその姿を捉える

それは自分が先程から待ち伏せていた標的、もとい待っていた顔だった

 

「…間が良いのか悪いのか…」

 

そんな事を呟きながら、天衣は建物から降りてその人物に駆け寄った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――どうして、こうなっちゃったかなー」

 

深く重く溜息を吐きながら、天衣は項垂れるようにして呟く

自分が現在居るのは、嘗て良く通った川神院その応接室

次いで天衣は視線を自分の横に向ける、その視線の先には自分がここに来る切っ掛けになった人物

 

その視線に気付いたのか、イタチもまた天衣に顔を向けて

 

「急な事で申し訳ありません、突然の事で驚かれたでしょう?」

「そこは別に気にしてないよ。君には感謝してるし、どの道何か仕事しなきゃいけなかった所だしね」

 

小さく笑って天衣は答える。

そしてそれが、天衣が川神院に来ることになった理由であり答えだ。

 

あの後、自分は改めてお礼する為にこの男(イタチ)に駆け寄った

その後は再びお礼するしないの話になり、話の流れで自分が嘗て川神院で世話になっていた事を話した

その話を聞いた瞬間、男の目が一瞬輝いた…様な気がした。

 

話を聞いてみたら、どうやら仕事が人手不足で助っ人を探していたらしい

そこに現れた、自分という存在

川神院の人間が知り、信頼もある、ある程度に調理技術がある人間

まさに自分は、打って付けの人材だったという訳だ。

 

 

恩返しと、金銭の収入

 

 

正に一石二鳥、普段の天衣ならこの巡り合せに両手を上げて歓喜していただろう

……職場が川神院でなければ。

 

だが、その事を差し引いてもこれを逃す手は天衣には無かった

故にこうして直に話をするために、イタチについてきたのだが…やはり、頭の奥底には小さな不安があった。

 

そして応接室の扉が開き、新たに二人の人間が応接に入る

調理場を取り仕切る幸平と、川神院の責任者である川神鉄心だ。

 

「――久しぶりじゃな」

「お久しぶりです」

 

鉄心が小さく笑いながら言って、天衣もまた立ち上がり恭しくお辞儀をしながら返す

そんな二人の久方ぶりのやり取りを終えたのを見計らって、幸平が言う。

 

「よっし、そんじゃあ始めるとするか」

 

そう言って、四人は席について天衣の面接が始まる

…と言っても、鉄心は勿論のこと幸平も天衣とも面識があった為に、面接というよりも近況報告に近い物になっていた。

 

「しかし、イタチと天衣が知り合いじゃったとは…世間は思ったよりも狭いの」

「俺も驚きました、偶然知り合った人が川神院縁の人間…しかも、四天王に属していた程の人間だったとは」

「元、だけどね。負けちゃったからお役御免だよ」

 

肩を竦める様にして天衣は答える

そんな二人のやり取りを見て、幸平はククっと小さく笑って

 

「まあ、何にしてもコッチとしてはありがたい話だ。中々こっちに来れるヤツがいなかったからよ

聞いた話だと、基本的な事はできるんだろ?」

「はい、自給自足が多かったので。普通の川魚とかだったらある程度捌けます」

「十分、下ごしらえが出来る人間が一人増えれば、作業のスピードは倍は違うからな」

「それに天衣の人柄・性格も儂等は良くしっておるし、信頼・信用できる人間だと言う事も解っておる。良く知らない人間を雇うよりも、ずっと安心できるわい」

 

ウンウンと頷きながら幸平が言って、鉄心もまたそれに賛同の意を示す

普通の家庭料理等ならともかく、大人数が食べる料理だと下ごしらえ一つとっても膨大な量になる

故にそこを補ってくれる人間が一人増えれば、その分作業は大きく進むからだ。

 

そして何より重要なのが、信頼と信用だ。

これは別に川神院に限った話ではなく、ほぼ全ての事に共通して言える事だ

幾ら技術や資格を満たしていても、信用できない人間を雇う人は殆どいないだろう。

 

天衣は天衣で今までの生活や経験で、調理作業に当たってそれ程不安要素は無さそうだ

そう、不安要素は『殆ど』ない。

 

「だけど…その、私個人の問題なんですけど…」

「問題ねえよ、不幸体質だっけ?こっちもある程度は事情を知ってるよ。

でもその事を差し引いても、今は助っ人が欲しい所なんだわ」

「そうですね。正直に言うと、二人で今までの作業を行うのはかなり厳しいです

多少のデメリットを含めても、今は助っ人が欲しい所です」

 

申し訳なさ気に言う天衣に対し、幸平とイタチがそんな風に返す

しかしそんな二人に対して、更に天衣はたどたどしく返す。

 

「いや、その…イタチ、さんもこの前粗方見てたから知ってると思うけど…

基本的に私…その、運と間が悪いんだ…だから、ここまで話が進んでいるのに、こんな事を言うのは何だけど…かなり…というか、すごい迷惑をかけると思うよ?」

「それなら俺がフォローしますよ」

 

どこか申し訳なさげに言う天衣に対して、イタチがあっさりとそう返す

次いで言葉を続ける。

 

「前の時の様に、天衣さんに何か過失があっても俺がフォローしますよ

それに天衣さんを誘い、連れてきたのも俺です。ならば俺が彼女のフォローに回るのが筋かと思います」

「俺もそれで良いと思うぜ、それに不慣れな人間のサポートも俺の仕事だからな

今までも、実際イタチの時もそうやって立ち回って来た訳だし、何とかなるだろ」

「…フム、成程」

 

イタチの言い分を聞いて、幸平もまたそれに同意する

そして二人の言葉を聞いて、鉄心もまた納得する様に頷く

次いで改めて皆の視線が天衣と集まっていく、結局の所後は本人の意思次第だった。

そして

 

 

「――分かりました。慎んで、お受けさせて頂きます」

 

 

観念する様に、心から感謝する様に、天衣は頭を下げながらそう言った

天衣の言葉によって、その話は双方の合意が得られ纏まる

後は日程や時間、報酬等のやり取りをする流れになる。

 

その部分も特に大きな問題もなく纏まり、今日はこれにて解散……となる筈だったのだが

 

「――とまあ、大体こんな所かな?何か質問はあるか?」

「…それじゃあ、最後に一つだけ」

 

僅かに表情を固くさせて、天衣は鉄心を見る。

鉄心もそんな天衣を見て、大体の事が察しがついたらしく

 

 

「百代の事か?」

「…はい」

 

 

鉄心の言葉を聞いて、天衣は頷く。

嘗て自分の事を姉の様に、師の様に慕ってくれていた少女

そして自分と戦い、勝ち、武人として完全に上を行った少女

 

そして、そんな少女の前から逃げる様に去った自分。

 

「…会っていかんのか?」

「正直言いますと…まだ踏ん切りがついていません」

 

「そうか」

 

短く答えて、鉄心は顎に手を置いて少し考える様な仕草を取る

先程までは違い、その空気はどこか堅くて重い

そしてそんな二人の様子を、イタチは見つめて

 

(……成程、訳有りか……)

 

どうやら此処に来づらかったのは、恐らくソレが理由だろう。

見た所、百代よりも天衣の方が年上だ

川神院の人間との面識がある事を考えると、天衣は百代にとって近しい存在

姉や師と言った関係だったのかもしれない。

 

そして、イタチの見る限り…天衣は百代に勝てないだろう

実際に手合わせさせなければ分からないが…少なくとも、イタチには天衣が百代に勝つイメージは湧かなかった。

 

 

(……人間関係はデリケートな問題だからな、部外者が下手にちょっかいを出すべきではないな……)

 

 

先日の直江大和との一件もある、あまり興味半分で関わって良い問題ではない

イタチはそんな風に判断して、次いで鉄心が言葉を続ける。

 

「…ま、アレに関して言えば相変わらず元気が有り余っておる

少なくとも、そちらが心配する様な事にはなっておらんよ」

「…そうですか」

 

「仕事中は別に問題ないと思うぜ?百代の嬢ちゃんはあれで物の分別はついてる

中学に上がったくらいからかな? 厨房の人間の許可なしに勝手に出入りした事ないしな」

「…確かに、言われてみればそうですね」

「奥の作業場なら廊下から見える事もない、だから調理場にいる限り嬢ちゃんと顔を合わせる事はないと思うぜ?」

 

「分かりました、重ね重ね本当にありがとうございます」

 

そうして、互の意見が纏まり仕事への準備が完了する。

ちなみに天衣は、生活拠点を今の川原から川神院所有の裏山へと移した

鉄心やイタチは院内の空き部屋や宿直室を使う事を進めたが、天衣はどうしても遠慮があるらしく裏山にテントを移す事で妥協した

次いで細かい部分や注意点や疑問点を解消していき、その日はそれで終了した。

 

 

 

――そして次の日から、厨房は戦場と化していた――

 

「どんどん洗え!剥け!切れ!捌け!そんで全部こっちに回せ!」

『はい!』

「そっちが終わったら天衣は平皿一式出して盛り付け!イタチはメシを盛りながら並行でこっちの鍋のアク取りを頼む!」

「はい、分かりました!」

「了解です」

 

「んがぁ! 醤油が切れやがった!天衣、裏の食品庫から箱ごと持ってきてくれ!」

「いえ、俺が行きます。丁度一区切りつきました、作業途中の天衣さんよりも俺が行った方が時間の節約になります」

「じゃあイタチGO! 天衣はソレ終わったら大根下ろしと薬味だ!」

「はいぃ!」

 

「え!? 幸平さんが休み!?」

「ぎっくり腰らしいです、夜は問題ない様ですが昼は二人で回す事になります」

「…そ、そうなんだ」

「という訳で、今回は1.5倍のスピードでよろしくお願いしますね『クイーン』」

「…そういう意味じゃなかった気がするけどね…」

 

「あー、この炊飯器…とうとうご臨終しやがった」

「…本当ですね…残りの内の一台を早めに稼動させて、二回炊くしかないですかね?」

「それなら飯盒を使うっていうのは? 確か合宿用とかに使うヤツがたくさんあった筈だよ」

「そうだな…飯盒炊きか。偶には趣向を変えて行って見るか」

 

「うーっし、久しぶりに鍋物を作ってみるか。何か使いたい食材はあるか?」

「はい!はい!はい!糸こんにゃく!糸こんにゃくが良いと思います!」

「えーと、糸こんにゃく糸こんにゃく…あー今は切らしてんな」

「んなあぁ!!?」

(……糸こんにゃくが好きなのか……)

 

「――幸平さん、今どういう状況か分かっていますよね?」

「いや、さ…何つーの?極限状態故のインスピレーションというか、料理人故の探究心というか…」

「時と場合を考えて下さい、今は時間も人手が足りないというのに…皆に出すんですか、ソレ?」

「だーかーら!さっきから謝ってるだろうが!つーか無表情でキレんなよ、恐えぇんだよ!」

「キレていないし怒ってもいないですよ、事実を指摘しているだけです…ご自分で完食してくださいよ?」

(……料理しながら口論とか、二人とも器用だなー……)

 

「い、糸こんにゃく…糸こんにゃくが沢山…」

「はい、昨日仕込が終わった後に買っておいたんですよ。

どっちみち食材の買い足しはしなくてはならなかったし、天衣さんも好きそうでしたし」

「うん、大好き。ご飯何杯でもイケちゃう」

「ちなみに今日のおかずは、糸こんにゃくと豚肉の生姜煮だそうです」

「お、おぉ…まさかこんな幸せがあるなんて…」

「はは、大げさですね。それじゃあそろそろ仕込みの方を――」

「あーイタチー、生姜煮はあれ無しだ。肝心の豚肉の数が足りねえや」

「…………」

「すいません。代わりのメニューは糸こんにゃくを使った物で」

 

「すごい量のアサリですね」

「応よ、爺さんの古い知り合いが大量に送ってきたんだよ。もう砂抜きも終わってるし、今日はコイツを使ってみようと思ってな」

「アサリですか…味噌汁とか良いですね」

「炊き込みご飯も捨てがたいと思うな」

「シンプルにバターと醤油でいくのもありだな」

『…………』

「…全部、作っちゃうか?…」

「「異議なし」」

 

 

人員不足により、調理場はいつもよりも多忙だったが…それだけだった

技術こそ本職には及ばないが、体力と集中力において常人を遥かに上回る天衣は十分な戦力になった

無論、不慣れ故の多少の過失やトラブルはあったが、それ以上の働きと成果を天衣は残した。

 

そして、天衣の最大の懸念…百代との遭遇、これは一度もなかった

元々天衣は殆どの時間は調理場の奥で作業していたし、出入りも調理場に備え付けの勝手口を利用していた

それに百代の方にも、鉄心がそれとなく調理場に近づかない様に釘を刺しておき、イタチも陰ながらフォローしていた

また百代の方も、調理場が人手不足で忙しいという話を聞いていたので、邪魔しないようにと自ら近づく事もなかった。

 

故に期間限定ではあったが、天衣と百代が顔を合わせる事はなく

特にこれと言った大きなトラブルが起きる事もなく、数日が経った。

 

 

「う~し、今日はコレで終わりだな。二人共ご苦労さん」

「はい、お疲れさまです」

「お疲れ様でした」

 

幸平の言葉に、イタチと天衣もまた笑顔で返す

天衣が入り始めてから既に三日目、この日も特に大きなトラブル等もなく終了した。

 

「ここで一つ朗報だ。明日から助っ人が来てくれるってよ」

「…っ!」

「本当ですか?」

「応よ。これで明日からはもう少し余裕もって回せる筈だ

それにあと三日もすれば休み取った奴らもちらほら帰ってくるからな、これでまたいつものペースでやれる筈だ」

「成程、それなら一安心です」

「…そっか、終わりか…」

 

今までの不安定な状態から、また安定した状態に戻れる

幸平とイタチはその事に素直に喜び

 

 

「……そっか、じゃあ…仕方ないか……」

 

 

その二人の後ろで、消え去りそうな小さな声が響いた。

 

 

 

 

 

 




今回は長いので分割です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話

 

 

「こんなもんで良いかな?」

 

目の前の荷物を手早く仕舞い、天衣は呟く

時刻は既に深夜に入り始めた22時、通常なら外出を控える時間だが天衣は敢えてこの時間を狙って準備をしていた。

 

「食料、水はOK。お金もOK、後はテントを解体するだけかな?」

 

最後の作業、その事を確認して天衣は軽く息を吐いて…この数日感の事を思い出す。

ただひたすら忙しかったこの三日間

慣れない作業で神経を削った三日間

密かに不安でビクビクしていた三日間

 

…だけど、本当に楽しかった三日間…

 

 

「……仕方、ないよ…ね…」

 

 

どこか名残惜しそうに、どこか躊躇う様にそう呟く

そして最後の作業、テントの解体を行おうとした…その時だった。

 

 

「――何が仕方ないのですか?――」

 

 

背後からその声が響く、予期せぬ背後からの声…だが驚きはしなかった。

何となく、その人物が来る予感がしていたからだ

 

「…こんな時間に、何か用?」

 

そんな声を掛けながら、天衣は振り向く

天衣の振り向いた視線の先、そこには天衣の予想通りの人物がいた

 

「驚かないのですね?」

「これでも元四天王だよ?」

「ではお聞きします。契約では、あと三日ほど勤務日があった筈です

それなのに、どうしてここから離れる準備をしているんですか?」

「…そうだね。確かに、仕事を紹介してくれた君には…最低限の筋は通すべきだよね」

 

天衣の目の前にいる人物、イタチに対してそんな風に軽く返して小さく笑う。

次いで軽く息を吐いて、改めてイタチに向き直って

 

「…どっちから聞いたの?」

「両方からです。ちなみに二人共『いきなりドタキャンとか舐めてるのか?』だそうです」

「はは、確かに。全くその通りだね」

 

そう言って、彼女は自嘲気味に笑う

小さく薄く儚げに笑って

 

「――ありがとう、この三日間…私の事をずっとフォローしてくれて」

「別にお礼を言われる事ではないですよ、あれは俺の仕事でしたので」

「後、私とあの娘が顔を合わせない様に、ずっと影で立ち回ってくれてたでしょ?」

「お互い気持ちの整理と準備をしてからの方が良いと、判断したまでですよ」

 

天衣の言葉にイタチは淀みなく返していく

そんなイタチのやり取りをした後に、天衣は力を抜くように小さく笑って

 

 

「やっぱり、君って良い人だね」

 

 

安心した様にどこか納得する呟く。

次いでその表情と笑みに影がさし、僅かに曇り

 

「…明日から、助っ人も来るみたいだし人手も足りる…私みたいに不慣れで不安定な人間が居ても、もう邪魔になるだけ。寧ろ私のフォローとサポートがない分、スムーズに仕事も回ると思う…何かやらかして大きな迷惑を掛けるよりも、ずっと良いと判断しただけ」

 

「その事で一つ、鉄心様から言付けがあります。

門下生の上位組を教えられる人材が不足しており、出来れば指導役を受けてくれないか?との事です」

「そっか…でも、失礼ながらお断りするよ。これ以上迷惑は掛けられないよ」

 

どこか決意した様に、その声が響く

そして天衣の雰囲気が変わる、その雰囲気や視線に真剣な空気が纏わって

 

「先に言っておくよ。君には、君たちには本当に感謝してる

お金を拾ってくれた、仕事を紹介してくれた、お金も稼げて美味しい物もたくさん食べれた

こんな思いになれたのは、久しぶりだった…あんなに楽しいと思ったのは、本当に久しぶりだった

…本当に感謝してる、言葉じゃ全部言い切れないくらいに感謝してる」

 

月明かりが森を照らす中で、天衣は微笑んで今までの自分の気持ちを語る

しっかりとイタチの瞳を見据えて、その気持ちに嘘偽りが無い事を示して

 

「でも、だからこそ…私はここに居れない、居られない」

 

「…訳を聞いても?」

「別に良いよ、本当に大した事ない…下らない理由だしね」

 

そう言って彼女は少し罰が悪そうに頭を掻いて、小さく呼吸を整え

 

「…炊飯器、壊れちゃったね」

「あれは寿命です」

「幸平さんも、ぎっくり腰になった」

「誰にでも起こり得る事です」

 

「人手が急に足りなくなったのも、私と君が知り合った直後だった」

「偶然です」

 

「そうだね、ただ偶然が重なっただけ…運とタイミングが悪かっただけ…きっと君に限らず、皆そう思うだろうね…私以外は」

「…………」

「面倒くさい女でしょ?」

 

少し声のトーンを下げて静かに、だが重い響きを持たせてその声が響く

次いで天衣は少しだけ瞼を閉じて、少しだけ何かを思い出す様に沈黙して

 

 

「でもね…ずっとそうだったんだ」

 

 

 

静寂な闇夜に、そのまま解け消え去りそうな程に小さな声で天衣は呟く。

 

「今まで、ずっとそうだった…私にはいつも不幸が付いて回ってた

私だけじゃない、私に優しくしてくれた人、親切にしてくれた人…

私の傍にいた、私の近くにいた、ただそれだけで…その人達は巻き添えになっていた」

「今回もご自分の所為だと?」

「多分ね…今までずっとそうだったから…確かに偶然が重なっただけかもしれない、間が悪かっただけかもしれない」

「………」

「確かにそうかもしれない、私には全く関係ない事が原因でそれが事実かもしれない

……でもね、私自身が…どうしてもそう思えない、『私が原因だ』『私が皆を巻き込んだ』…そんな声が頭の奥にこびり着いて離れないんだ」

「………」

 

「こんな女、近くに居ても嫌な空気になるだけ…迷惑になるだけだよ」

 

 

それで言いたい事を言い終えたのか、天衣はイタチに背を向けたままテントに向き直る

自分がここに立ち退く為の最後の作業、テントの解体を行う為だ。

 

つまり、それは天衣の意思の現れ

もうこれ以上話す事はないし、あっても自分の意思は変わらないという事だろう。

 

 

「天衣さんの話は良く分かりました…ですが最後に、俺の話を聞いてくれませんか?」

 

 

再び、イタチの声が響く。

その言葉をきいて、天衣も再びイタチに向き直る

互いに向き合い、互の瞳が交差して、その空気は再び緊張感を帯びていく。

今までとは少し、真剣な気持ちや思いが滲み出るように空間と空気を侵食していく

そして

 

 

「天衣さん、『人』という字はですね――」

「あーもういいや、言いたい事分かったから」

 

 

その瞬間、緊張感が霧散する。

イタチの最後の言葉、一体どんな言葉かと構えていた天衣だったが

その緊張も構えも、イタチの一言で保てなくなったからだ。

 

「フム、と言いますと?」

 

しかし、当のイタチはそんな様子を気にもせず天衣に返す

天衣の方も全く動じていないイタチに対して、愚痴にも似た溜息を吐いて

 

「人という字は、お互いに支えあっているとか言いたいんでしょ?

その手の話は色々な人に、何度も聞かされたよ…ていうか、寧ろ知らない人の方が少ないんじゃないの?」

「確かに、俺でも知っているくらいですからね」

「そもそも『人』っていう字、あれって支え合ってない。片方がもう片方に寄りかかって楽してる…結局はそういう事だよ」

「そうですね、全くその通りです」

 

天衣の言葉を否定せず、概ね同意しながらイタチは小さく頷く

次いで改まって天衣の瞳を見据えて

 

 

 

「――結局、人というのは…誰かに支えて貰っているんですよ――」

 

 

 

その言葉を、気持ちを、想いを、イタチは天衣にぶつける。

 

「…俺だってそうです、今でこそ住み込み作業員の様な事をしていますが…

俺は川神院に大きな助けを…それこそ先程天衣さんが仰った事とは、比べ物にならない程に助けられ、迷惑をかけ、支えられました」

 

イタチは嘗ての自分を思い出し、そして語る

家もなく、金もなく、記憶もなく、名前すらなかった自分

そしてそんな自分に手を差し伸べてくれた百代

自分の代わりに入院費を負担し、身元引受人になってくれ、自分を受け入れてくれた川神院の皆

 

「そしてそれは、何も俺達に限った話ではない…例えば百代

彼女は確かに素晴らしい素質と才覚に恵まれ、それに驕ることなく日々鍛錬している」

 

語るのは、恐らくイタチにとって一番身近な少女の事。

 

「――ですが生活面のみ見れば、彼女もまた養われの身です

確かに、小遣い程度の金はアルバイト等で稼いでいるでしょう、ある程度自身で稼いだ事もあるでしょう

だが彼女もまた家の金で食事をし、生活をし、学び舎に通う…言わば親や家に食わせて貰っている身です」

「………」

「そしてこれは、恐らく誰にでも言える事です…人間なんて、結局誰かの助けが無ければ生きていけない

結局誰もが知らない所で他の誰かに迷惑を掛けて、助けられて、支えられている…そしてその上で生きているのだと思います」

 

そしてイタチは天衣に一歩歩み寄る

次いで二歩三歩と天衣との距離を詰めて、ゆっくりとその手を差し出す。

 

「かけましょうよ、迷惑」

「……で、でも…」

「仮に迷惑を掛けても、この数日間の様に返していけば良いんです

幸いな事に、それでも良いと仰ってくれた奇特な人達が…川神院には少し多い様ですから」

 

既に自分の想いと気持ちは伝えた

既に川神院は天衣を受け入れる用意もあると伝えた。

 

後は、本人の意思次第

天衣の気持ち次第

 

「やっぱり、できないよ」

 

だが、彼女の意志はまだ変わらない。

 

「私は、君やあの娘とは違う。君達は仮に迷惑を掛けても、ちゃんと返す事ができる

あの娘も今は確かに養われの身だけど、必ず武人として大成する…そしてその力は川神院への大きな貢献になる

君だってそうだよ。幸平さん達から聞いたよ、凄い仕事ぶりで前よりもずっと院の整備と手入れが行き届いているって」

「………」

「…でも私はそうじゃない、周りを巻き込んで迷惑をかけるだけ…その分を返そうとしても、周りに迷惑をかけて困らせるだけ…ただの悪循環になるだけ

返そうとして頑張っても、もっと迷惑をかけてもっと困らせるだけ…マイナスがマイナスを呼んで、結局ただそれだけなんだ」

 

自分を責める様に、相手を責める様に天衣は語る

怒る様に泣く様に、叫ぶ様に嘆く様に天衣は自分の想いを吐露する。

 

そしてその気持ちは、全ての目の前のいるイタチに注がれる

呪いにも似たその言葉は、全てイタチにぶつけられる。

 

故にイタチは

 

 

 

「じゃあ、俺が天衣さんに迷惑をかけます」

 

 

 

イタチもまた、再び天衣にその言葉をぶつける。

 

「――え?」

「貴方の気持ち、良く分かります。俺もそうでした、川神院の皆に助けられてばっかりで、支えられてばっかりで…感謝と申し訳ない気持ちで一杯でした

だから、せめて自分が出来る事で返そうとした。そうする事で恩返しができたと思えた、そうする事で安心できた、自分は此処に居て良いと思えた」

「………」

「もしもソレすらも出来なかったとしたら、俺ももしかしたら貴方と同じ事をしていたかもしれない。何も返せない自分を恥じ、そのまま何も告げずに姿を消していたかもしれない…だから、貴方の気持ちは良く解ります」

 

語りながらイタチは思い出す、川神院に身を寄せたばかりの頃を

居場所を貰い、三食と寝床を提供してもらい、助けて貰ってばかりの頃

タダ飯を食らって平然としておれず、せめて自分なりに出来る事で恩返しをしようと思った。

 

だから、今の天衣の気持ちは良く分かった。

 

「だから、俺が天衣さんに迷惑をかけます、我侭を言います、困らせます

だから貴方が俺に迷惑を掛けても、困らせてもお相子です

貴方が周りに迷惑を掛けても、俺がフォローします。そしてその俺が貴方に我侭を言います

そうすれば条件は一緒です、何も気にする必要はありません」

「…じゃあ聞くけど、どんな事を言って私を困らせるの?」

 

 

「――鼻でスパゲッティーを食べろ、とかどうでしょう?」

「ブフッ!」

 

 

その一言を聞いて、今までの真剣さや誠実さをひっくり返す様な一言を聞いて

天衣は思わず吹き出す、今までの緊張の反動も合って盛大に吹き出して

 

「プ、く…ククっ…!…確かに、それは困るね、うぷ、ぷ…確かに迷惑だ…っ!」

 

口元を手で押さえて、天衣は笑う

それはイタチも初めて見る、心の底から楽しそうな彼女の笑顔

一頻り笑った後に、彼女は改めて表情を作り替えて

 

「…色々話が脱線しちゃっけど、本題に戻ろうか…やっぱり、私にはそんな風に簡単に割り切れない。周りに迷惑をかける事も、君に迷惑をかけられる事も、今すぐこの場では決められない」

「…そうですか」

 

 

「――だから、最初の約束は守るよ」

 

 

イタチの目を真っ直ぐに見据えて、彼女は決断する。

 

「一番最初に取り決めした、調理場の手伝い。残り後三日間、ちゃんと行くよ

残り三日間やってみて、考えてみて、その上で決めるよ」

「…そうですか」

 

彼女のその答えを聞いて、イタチも小さく笑う。

完全に引き止められた訳ではない、彼女からしっかりとした答えを聞けた訳でもない。

 

だが、変わった

今までどこか卑屈だった、後ろ向きだった、そんな彼女の想いや感情が

このやり取りで、確かに変わった

そしてソレは両者が感じ取っていた、その確かな違いを感じていた。

 

「ねえ、最後に質問していいかな?」

「はい、何でしょう?」

 

悪戯っぽく微笑んで、天衣はイタチに問いイタチも頷く。

 

 

「…どうして君は、そこまでして私を引き止めてくれたの?」

 

 

それは、このやり取りの中で天衣がずっと抱いていた疑問だった

目の前の人物とはまだ数日程度の付き合い、関係で言えばただの同僚だ

普通ならここまではしないし、する必要もない

仮に川神鉄心に頼まれたとしても、そこまでする義理も義務もない

 

ましてや、こんな面倒な女に対してだ。

 

「…言わなきゃだめですか?」

「出来れば正直に答えて欲しいな」

 

どこか言いにくい雰囲気を作るイタチに対して、天衣の笑みはますます悪戯っぽい色を帯びる

さっきの意趣返し、という訳ではないが…これ位の意地悪は良いだろうと思ったからだ

イタチは僅かに考えるような仕草をして、改めて天衣に顔を向き合わせて

 

「正直、理由は色々です。嘗ての俺を見ているみたいで放っておけなかった…

折角出来た仕事仲間、もっと言うなら下っ端仲間ができて嬉しかったから

このまま後味の悪い終わり方で、お別れをしたくなかった…とまあ、理由はそんな感じです」

 

「…なーんだ、もうちょっと違う答えを期待してたんだけどな」

「そうですね。ここで気の利いた台詞の一つでも言えれば…もう少し格好がついたかもしれませんね」

「はは、そうかもね」

 

肩を竦めながら呟くイタチに、天衣も小さく笑いながら返す

そしてこれでお互いに言いたい事を終える

そして天衣はこの男と出会ってからの数日間の事を、改めて思い返す。

 

本当に色々な事があった、本当に沢山の出来事があった

正直、まだ完全に割り切れていない

まだ卑屈な考えや後ろ向きな感情は、まだ残っている

 

だけど、それ以上に新しい想いが芽生えた

真っ直ぐに前を向いて、改めて色々な事に向き合っていこうという気持ちが芽生えた。

 

この日、この時、この瞬間、確かに彼女の中で何かが変わり始めた。

 

そして

 

 

(……運命の、出会いか……)

 

 

 

その言葉を思い出す

数日前は気にも留めていなかったその言葉、その言葉を改めて思い出して

 

 

(――今回は、ちょっとだけ信じてみようかな?――)

 

 

胸に燈った小さな感情を噛み締めながら、天衣は夜空を見上げて微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

=======================================

 

======================

 

==========

 

====

 

==

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う~ん、明後日からとうとう日本かー。今からワクワクするなマルさん!」

「そうですね。私もお嬢様と同じ気持ちです、年甲斐もなく気持ちが昂ぶっています」

 

そこは川神から遥かに離れた場所

川神を越え、本州を越え、日本を越え、更に海を越えた国にある、とある邸宅の一室

数多くの愛らしいヌイグルミや小物に溢れた部屋に、長い金髪の少女と長い赤髪の淑女がいた。

 

「あっちの学校が始まるまでに、色々な所を回っておきたいなー

京都ではサムライやシノビが居ると聞いたし、沖縄は海が凄く綺麗だと聞いたし、北海道は雪景色が素晴らしいと紹介してあったし

…うーむ、全部行ってみたい所だが…流石に全部回れる時間がなー…マルさんはどう思う?」

 

「そうですね…やはりどれも捨てがたい、京都は何度来ても巡り終わらない観光名所の宝庫と聞きます。また北海道は冬は雪景色、春先は残雪の景色が楽しめ遊覧船等のツアーも始まると聞いています。そして沖縄、四月の沖縄は気候も安定して暖かく、海でダイビングやシュノーケリング等が楽しめるそうです」

「うわあぁ! ますます悩んじゃうじゃないかー!」

「まだ時間はありますので、ごゆっくり選考された方が良いかと」

 

一つに絞りきれず、唸るように声を上げる『お嬢様』を見て

『マルさん』と呼ばれた赤髪の淑女、マルギッテ・エーベルバッハは柔らかく微笑む

明日からこの二人は日本の川神に移住し、そこの学校に通う

既に新たな住居や転入手続きは終わっており、新生活が始まる前に日本を観光して回る予定だ。

 

しかしその観光先を絞りきれず、今に至る。

 

「あ、そうだ!マルさんはどこに行きたい?どこが良い?」

「私の行きたい場所は、お嬢様の行きたい所です」

「もー!そういうのじゃなくて、マルさんの中でビビっと来た場所とかココだ!って思った場所はないの?」

「…そうですね」

 

目の前のお嬢様に詰め寄られ、マルギッテは今まで得た日本の情報を思い出す。

そして、一つの光景を思い出す。

 

「実は一つだけ、気になっている場所があります」

「何だ、やっぱりあるんじゃないか」

「ですが、あまり参考にならないかと」

「それでも良いから。それでどこ?沖縄?京都?北海道?」

「川神院です」

 

観念する様にマルギッテは答える。

そのマルギッテの答えを聞いて、目の前の少女は少し意外そうな顔をして

 

「カワカミイン?……確か、日本の武術の総本山と言われる場所だったな…でもそこは…」

「そうです。お嬢様と私の新たな生活拠点と同じ川神、つまりこれからは、行こうと思えば何時でもいける場所なんです」

「…ふむ、成程」

「ですので、後はお嬢様次第という訳です。じっくり選考された方が良いかと」

「むー、そっか。よーし、それなら待ってろマルさん!最高の思い出になる様に、しっかり考えて選ぶからな!」

「はい、期待しております」

 

その後、簡単な取り決めと雑談を終えてマルギッテは部屋を後にする

既にその日の業務は終わっているが、まだ幾つか片付ける事がある為に自室に戻る。

 

そして

 

 

――そう、これからはいつでも行ける――

 

――そして、いつでも会いに行ける――

 

 

「…フっ…」

 

 

気が付けば、口元が僅かに緩んでいた

次いでその口元を改めて引き締めて、マルギッテは自室に向けて歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****情報を更新します*****

 

 

 

川神百代…好感度59. 

マルギッテ…好感度18. 

橘天衣…好感度66. NEW!

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

????…好感度?

 

 

 

 

 

 




後書き
皆さん、お久しぶりです。気が付けばもう新年、今年もよろしくお願いします。
かなり長くなりましたが、これで天衣さんの話は一先ず終了です。
本当は百代とのやり取りも書きたかったのですが、そこまで書くと終わりどころが完全に分からなくなる為、今回はお預けです。

そしてイタチの方ですが、天衣さんに対して特別な感情とかは今のところないです
作中でも述べていますが、天衣さんに『有り得たかもしれない自分の姿』を感じての行動です

ちなみにイタチの本名、まさかの剛田さんの所のタケシさんという可能性が――すいません、嘘です(笑)

そして次回、マルさん襲来!実に八ヶ月ぶりの再登場になります。
という訳で、また次回にお会いしましょう。


Q、前回と次回のマルさん回、違う所はどこですか?
A、特に違いはないです。強いていえばクリスもいる位です。





目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。