スカルフェイスの黙示録 (余田 礼太郎)
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グラウンドゼロズ
理由


事実なるものは存在しない。在るのは解釈だけだ。

 

――フリードリヒ=ヴィルヘルム・ニーチェ『権力への意志』より

 

 

 

 

 

 

 

 弾丸の代わりに情報が、兵士の代わりにスパイが暗躍する諜報の世界。

 出所も怪しい虚実不明の情報が、人と人の間を駆け巡ってゆくうちに、まるで小説のような物語を創り上げることがある。

 あなたたちが好きな、伝説の英雄:BIGBOSSの冒険譚や、不可能を可能にする男:ソリッド=スネークの逸話、さらにはそのソリッドのミームを引き継いだサイボーグニンジャ:雷電の闘いも、そういった怪しげな情報が無数に積み重なるうちに語られるようになった物語だ。

 

 そしてこれからわたしが枕話として語ろうと思っている、“顔のない亡霊”の噂も、そういった奇妙な話のひとつであった。

 この怪談は第二次大戦からしばらく経った、東欧のある国で語られたものである。

  本題に入る前に、その国の歴史を書いておかねばならない。

 

 

 その国は、自らが選ぶ機会に恵まれない国であった。

 たとえば1919年、革命により社会主義国家として独立しようとしたが、それから一年も経たぬうちに隣の強国:ルーマニアの介入を受けて政権が倒されてしまう。

 さらにその後のルーマニアとの戦争で結ばれたトリアノン条約により、領土の3分の2を他国へ奪われてしまった。

 1930年代に入り、ドイツとイタリアの後ろ盾によるウィーン裁定でルーマニアから北トランシルヴァニアなどを取り戻したが、今度はその代価として第二次大戦中に枢軸国へ引き込まれた。

 大戦末期になって枢軸国の敗北が濃厚になると、その国は単独講和に乗り出そうとしたが指導者が失脚。

 ファシズムに迎合した者たちによる白色テロ支配を受けることになる。

 その後ソヴィエト連邦を首魁とする東側陣営がやってきてナチスを追い払ったものの、それが幸福な事態とは必ずしも言えなかった。

 戦後もソヴィエト軍はその国に駐留し続け、政治の背後には常にソヴィエトの意向があった。

 その国の人々からすれば、支配者がナチスからソヴィエトに変わっただけだったのだ。

 

 そして1956年。

 官僚政権による抑圧と搾取に対して、民衆が反発したことから事件は始まる。

 大規模な抗議活動を起こした民衆を、政権や駐留のソヴィエト軍兵士たちは抑えることが出来なかった。

 先に引き金を引いたのは秘密警察、つまり政権側だったという。

 発砲を火蓋に、抗議活動は、権力と民衆の両者による武力衝突へと発展してゆく。

 暴徒と化した民衆によって秘密警察へのリンチが行なわれ、人々は勢いに任せて、国内に駐留していたソヴィエト軍を追い出そうとした。

 

 当然、宗主国ソヴィエトが黙っているはずもない。ソヴィエトは、民衆の行動を“ファシストによる反革命”と断じ、軍事力で捻じ伏せようとする。

 この強引にも見えるソヴィエトの対応にも、事情がある。1953年のスターリンの死である。

 スターリンの死後に発生したスターリン批判の流れを受けて、東側衛星諸国はかねてより鬱積していた不満を燻らせつつあった。

 この情勢の中で生じた、その国の動きにも、ソヴィエトは強権的な態度にならざるを得なかった。

 ソヴィエトとしては、主人に逆らうものがどうなるか、東側の世界へ見せつけてやらなければならなかったのだ。

 たとえそれが、社会主義の正義にそむくものだったとしても。

 

 引き起こされた結果は凄惨を極めた。

 首都で繰り広げられた激しい市街戦と、制圧と殺戮。舞い戻ったソヴィエト軍を後ろ盾とした秘密警察による報復。

 民衆の組織的行動は、主要メンバーが次々と処刑されたことで骨抜きにされ、官僚政権はより強大になって復活を遂げた。

 難民となり世界中へ散っていった国民は、数万にも及んだという。

 その国を舞台に繰り広げられたこの血みどろの事件は『1956年の革命』、あるいは『ハンガリー動乱』と呼ばれている。

 

 件の、“顔のない亡霊”が出没するようになったのは、その動乱の最中だった。

 最初の犠牲者はハンガリー人だった。

 当時のハンガリー人としては裕福に暮らしていたはずの健康な中年の男が、橋の上から転落死した。

 遺体を調べた医者たちは首をかしげたらしい。なぜなら男は、橋から落ちるより前に事切れていたからだ。

 

 中年太り以外には持病もなく、脳卒中の気配もない。突然に心臓が停まったとしか言い様がなかったが、もちろん心臓に持病などもっていなかった。

 この男について特筆することがあるとすれば、第二次大戦末期からソヴィエト軍に通じて諜報活動を行なっていた、などという真偽も出処も怪しい噂があったことだった。

 決して豊かではないハンガリーの経済状況の中でもこの男が贅沢に暮らしていられるのは、それを飯の種として政府高官相手に恐喝を行なっていたからではないか。そんな噂が僻み混じりに囁かれていた。

 司法解剖を経ても男の死因ははっきりせず、検死報告書には“急性の心不全”とだけ書かれて処理された。

 

 この突然死を皮切りに、ハンガリーを拠点として暗躍していた諜報員や軍関係者、現地の兵士たちが、あらゆる勢力を問わず奇怪な死や失踪を遂げていった。

 突然の卒中、心不全、事故死、失踪。ハンガリー国内で吹き荒れた民衆と秘密警察の報復合戦に乗じて、人間が理由もないまま次々と消えていった。

 噂によれば、これら一連の出来事すべてが“顔のない亡霊”による殺人だというのだ。

 怪死や不審な失踪があまりにも続いたため、ハンガリーの秘密警察はおろか、ソヴィエトの諜報機関までもがこの“亡霊”の調査に乗り出したという、嘘か本当かわからない話もあった。

 

 ソヴィエトの動向はさておき。

 噂は人々の口から口へと伝えられ、語り手となった人々の不安を糧とするように、噂の中の亡霊はますます正体のつかないものへと変貌していった。

 東欧で活動していた各国の諜報員は、この“亡霊”への恐怖で震え上がったという。

 その亡霊の顔だけは決して見てはならない。その亡霊の顔には、見た者の死相が映るからだ。そんな風に人々は噂した。

 

 

 “顔のない亡霊”の都市伝説は、真相もわからぬまま月日を経て、1960年代に入る頃には完全に忘れ去られた。

 

 

 

・・・・・・

 以下は、一本のカセットテープの要約および抜粋である。

 基となったテープがいつ、どのようにして録音されたのかは定かではないが、前後の内容から鑑みるに時期は前世紀の米ソ冷戦期の中頃、捕虜を尋問している最中における尋問者の独言(ひとりごと)が録られたものと見受けられる。

 テープは、しわがれた男の語りから始まっている。

 

「……わたしの村には、油菜(Repce)の畑と工場があった」

 

「わたしは毎日ともだちと、親たちが働くその工場に行っていた」

 

「わたしに在るのはその場所だけ。世界はひとつだった……」

 

 

「……ある日、遠くの空から、爆撃機の音が近づいてきた」

 

「爆弾は工場に墜ちた。敵のスパイが『この村で兵器を造っている』と喋ったのだ」

 

「工場は燃え、わたしたちは外を目指した」

 

「そのヒトたちで、工場の出口は塞がった」

 

 

「『あつい』『あつい』」

 

「大人たちの脚を掻き分けて前に進もうとしたが、腹を蹴られて床に倒れた」

 

「わたしは、あの人たちが燃えた煙を、身体中に吸い込んだ」

 

「家族を呼ぶわたしに、燃えた油が降り注いだ」

 

「わたしの名前が聞こえた……それも、聞こえなくなった」

 

 

「運ばれた病院で、わたしを看ていた看護婦は、毎日のように廊下で言っていた」

 

「『ころして あげた ほう が いい』」

 

「これが、わたしが思い出せる最後の母国語。わたしが生まれた村の“ことば”だ」

 

「村は外国人に占領され、わたしは、わたしに残った最後のわたし、」

 

「“ことば”を奪われた」

 

 

「油を浴びた わたしの皮は、なにかをまともに感じることがなくなった」

 

「他国に捕まり、この顔をまた拷問に焼かれても。わたしは、未だにあの工場で焼かれている」

 

「煮え滾った菜種油を全身にかぶっているこの痛みだけが、今でも感じることができる唯一の、」

 

「わたしがここにいる“世界との接点”だッ……!」

 

 

「……ふふ。あの売国奴どもの言うとおりだった」

 

「そう。わたしたちは兵器を造っていた」

 

「戦場から運ばれてくるライフルの山を直しては、また戦場へ送り返していたんだ」

 

「祖国の勝利のために」

 

「いや、」

 

「わたしたちが暮らしていた、あの小さな、()()()()()()()()を続けてゆく為に」

 

「……わたしは死ぬわけにいかなかった」

 

「なぜなら わたしは、もうこの世にいないあの人たちの、最後の希望だからだ」

 

「このわたしが何も成し得なければ、あの人たちの“遺志”さえ、この世から消えてしまう」

 

 

(布の覆面を剥ぎ取るような、衣擦れの音)

 

「……さあ、どうだ。わたしが見えるか」

 

「さあ、言ってみろ。何に見える」

 

「ん? 貴様の目の前に、何が見える」

 

「……ふふ、んふふふ。そうだ」

 

「そう。髑髏の顔(スカルフェイス)だ」

 

 

「これがわたしだ。顔を喪くしたこの髑髏が、わたし自身だ」

 

「わたしの決意表明、わたしたちの証しだ!」

 

「国も、ことばも、顔も喪ったが、」

 

「この髑髏だけはまだ喪ってはいない……」

 

 

「だから、わたしは自分に課した」

 

「わたしは、このされこうべを掲げて生きてゆく」

 

「その為の痛みや努力には、一切の救済も成果もない」

 

「決して報われることはない」

 

「それでも、わかっていても、わたしは……」

 

 

「『在りもしない希望を見据えて、この灼熱の世界を進むのだ』と」

 



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勝利への賛歌Ⅰ

 

グラウンド・ゼロ(英: ground zero)とは、英語で「爆心地」を意味する語。

強大な爆弾、特に核兵器である原子爆弾や水素爆弾の爆心地を指す例が多い。

 

従来は広島と長崎への原爆投下爆心地や、ネバダ砂漠での世界初の核兵器実験場跡地、

また核保有国で行われた地上核実験での爆心地を「グラウンド・ゼロ」と呼ぶのが一般的であった。

 

しかし、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件の報道の過程で、

テロの標的となったニューヨークのワールドトレードセンター(WTC)が倒壊した跡地が、

広島の原爆爆心地(原爆ドーム、正確には原爆ドーム近隣の島病院付近)を連想させるとして、

WTCの跡地を「グラウンド・ゼロ」とアメリカのマスコミで呼ばれ、これが定着した。

 

――協定世界時2015年12月31日 (木) 08:03付、フリー百科事典ウィキペディア「グラウンド・ゼロ」の記述より、一部加筆

 

 

:1975年3月14~15日 キューバ、アメリカ軍基地、暗号名“キャンプ・オメガ”にて

 

 その施設の一室で、ひとりの男が囚われの女と向き合っていた。

 

 黒皮のロングコートに黒のスーツ、黒い手袋に黒いブーツ。男の全身は黒衣で覆われて、外気に晒されている頭だけが薄暗がりの中で白く浮き上がっている。

 現代的な設備を備えたアメリカ軍基地に似つかわしくない、まるで映画のスクリーンから西部劇の悪役が抜け出てきたような風体だった。

 

 それほど目立つこの男には、顔がなかった。

 顔に相当する部位、頭部の前面は、されこうべ と見紛うほどに焼かれていた。毛髪は全て抜け、頬の肉は焼け落ち、元は何色だったのか、灰色をした皮膚の燃え滓が男の素肌を形作っている。

 顔だけではない。誰も男の本名を知らない。家族や友人もいない。出身地も、東欧のどこかであろうということしかわからない。

 喪われた髑髏の顔こそが、その男を象徴する最大の個性だった。

 組織の中で男はいくつかの符丁で呼ばれていたが、その中には“顔のない男”という呼び名があった。

 

「――は例の実験以来、姿を隠している。もう何年も誰もその姿を見ていない」

 

 “顔のない男”が女にかけたその声は、しわがれて年齢すら判然としない。

 人払いを済ませたこの部屋にいるのは、男と女の二人きり。先日から続けている尋問は組織の為ではなく、ごく個人的な目的を果たす為の会話だった。

 取るに足らない小娘にここまで手間をかけたのも、これから聞く問いに答えてもらうためだ。

 

「おまえだけだ。BIGBOSSと接触する為に、“彼”に直接会ったのは」

 

 両手を吊るされた女の頬を掴み、眼前へと引き寄せると、耳元で秘密の愛を囁くように男は問いかけた。

 

「何処にいるか教えてくれ。CIPHER……“ゼロ”がいま、どこなのか」

 

 世界屈指の強国アメリカさえも裏から操る、非政府諜報機関 CIPHER(サイファー)の首領、かつてゼロと呼ばれた男。

 例の実験こと1972年の“恐るべき子供達計画”で、戦友のBIGBOSSと対立してから生来の人間不信がますます強くなったゼロは、組織の創設時からの古参メンバーとさえ直接接触する事がなくなった。

 

 古くからの側近だった“顔のない男”も、ゼロから拒絶された一人だった。連絡に際しては必ず複雑なカットアウトを通し、手元には指示だけが届く。

 独自の電子情報網であらゆるものと繋がりながら、誰ひとりとしてその居場所を見出すことができない。そんなゼロの生存を裏付けるのは、ゼロ自身ともいえる組織CIPHERが滞りなく動き続けていることだけだ。

 1と0、存在と不在、相反する二つの状況。この3年間、実体なき幽霊と化したゼロの足取りは完全に途絶えていた。

 この女と接触したことを除いては。

 

「わたしは自分で選ぶことを知らない」

 

 住む場所、喋る言語、自分で決める自由など一度もなかった、と、“顔のない男”は自らの過去を顧みた。

 

「それに引き換えおまえはいま、自由だ。おまえの好きにしていい」

 

 え……と、女が顔を上げた。“顔のない男”は、すかさずその怪訝な視線を絡めとる。

 

「『BIGBOSSのためにゼロをわたしへ売り渡す』……まあ、悪くない。でなければ、『長年仕えたCIPHERに最後まで忠を尽くす』というのも、またおまえの自由だ」

 

 “顔のない男”の提案に、女が問う。

 

「……私が、決めるの?」

 

「問題はおまえがどちらに可能性を残すかだ。わたしに決める権利はない」

 

 ただし、と“顔のない男”は付け加える。

 

「よく考えてくれ。BIGBOSSか、CIPHERか、おまえが助けられるのはひとりだけ。おまえの好きにしていい」

 

 与えられたほんのひとかけらの自由で女が口にしたのは、自分自身のことではなかった。

 

「……BIGBOSSは、たすかる?」

 

「希望は持てる」

 

 そう答えながら、“顔のない男”の脳裏には別のことが過ぎった。

 希望。ヒトは何の根拠も、可能性すらなくても、希望を持つことが出来る。誰もがそうだ。それこそ死ぬ直前まで。かつてのわたしもそうだった。

 

「……ほんとうにゼロを、ころしてくれるの」

 

「おまえのためではない」

 

 おまえの気持ちはよくわかる。今、女の心中で渦巻いているものが何なのか、“顔のない男”にはわかっていた。

 目の前にいる“顔のない男”、自分を工作員に仕立て上げたCIPHER、BIGBOSSを誑かすという任務を与えたゼロ、任務対象であるBIGBOSSへ好意を抱いてしまった自分自身、そしてこの残酷な運命。

 世界はかくも不条理に出来ていて、おまえはそんな世界を呪っている。わたしも、それをよく知っている。

 だから、どうか見せておくれ。報復の為に生きる人間は、わたしは、この世界にひとりだけではないということを。おまえもまた、“報復”の為に生きることが出来るのだ、と。

 

 囚われの女――BIGBOSSとその仲間たちからは“パス”と呼ばれていた女――は深く呼吸し、わずかな逡巡のあと、喋り始める。

 

「ゼロは……!」

 

 

・・・・・・

 

 女から聞きたいことを聞き出した“顔のない男”は、次の段取りに取り掛かった。

 男の合図で、部屋の外で待機していた兵士達が、駆け込んでくる。

 兵士たちが、もがく女を取り押さえる。

 のた打ち回る女のうめき声と、機材がひっくり返される音。

 女はまるで暴れ馬のようだった。その華奢な体躯からは考えられない渾身の力で、取り押さえようとする兵士たちを振り払おうとのた打ち回っている。

 絶望に染まった女の瞳を覗き込み、“顔のない男”は宣告した。

 

「爆弾を用意しろ」

 

・・・・・・

 

「爆弾の埋め込み、縫合、終わりました。タイマーは指示通りです」

 

 兵士の報告を受けながら“顔のない男”は、自身の作品となった女を眺めていた。処置を施された女の下腹部には、大蛇のような縫い目が刻まれている。

 その縫い目をめくった下、女のはらわたには、“顔のない男”からBIGBOSSへの“贈り物”が潜ませてあった。

 その贈り物はプラスチック爆薬で出来ていた。この爆弾は、どんな英雄だろうと一撃で物言わぬ肉塊に変えてくれる。

 

 こんなことをされてもなお、女は死んでいなかった。

 起きても死なれても困る、と“顔のない男”が、必要なだけの輸血と栄養剤、そして麻酔剤を与えるように指示していたからだ。

 力尽きて死なない程度の薬物と、たとえ意識があっても瞼ひとつ動かせない程度の麻酔薬、そしてはらわたに詰められた爆弾。

 俗に“人間爆弾”と呼ばれるこのトラップは、第二次大戦よりも遥か昔、近代以前の頃には既に使われていたと云われているほど古典的なものだ。

 しかし、時代が進もうと、最終的に対処するのが人間であることは変わらない。流石のBIGBOSSも、苦労して救い出した女が人間爆弾だったと知ったら、さぞ無念なことだろう。

 

「この女はあと何時間、もつ?」

 

 “顔のない男”の問いかけに、処置を担当した兵士が答える。

 

「24時間にあわせています。それ以上は保ちません。爆弾の場所を作るため、要らない臓器は取りました」

 

 素晴らしい。24時間もあれば充分だ。“顔のない男”は作品を完成させることにした。

 

「仕上げよう。“もうひとつ”だ」

 

 “顔のない男”は兵士から、もうひとつの“贈り物”を受け取った。男の手の中で、もうひとつの贈り物は、ぴっ、ぴっ、と電子音のリズムを刻んでいる。

 

「絶対に、見つからない場所にな……」

 

 プラスチックの異物が肉を掻き分けてゆく音とともに、電子音が聞こえなくなった。ひとりの女に、ふたつの爆弾。これならば立派に仕事を果たしてくれることだろう。“顔のない男”は満足した。

 

 部下を退がらせて、再び女とふたりきりになった“顔のない男”。どこかから音楽が響いている。男は女に語りかけた。

 

「祝福しよう、パス。よく、しゃべってくれた。おまえのおかげだ。

 

……おまえは、いや、人間は、こんな理不尽なことをされている今でも、

 

この限界の果てに救いが待っているとまだ思っている。

 

自分が生まれたこの世界は、おまえを助けてくれるように出来ていると。

 

……おまえに勝利(triumph)はない。

 

世話になった。

 

あとひとつ、役に立ってもらう。

 

わたしは おまえに最後くらい、美しく、花咲いて欲しいんだ……

 

 

最期の瞬間は おまえのもの(The final moment is yours)

 

 

 最期の挨拶を終えた“顔のない男”の背後、雨合羽を羽織った兵士たちが入室してきた。そのうちのひとりが“顔のない男”へ言った。

 

「現地から入電ありました。先発隊、予定通りです……」

 

 作戦目標への爆薬が設置し終えたこと。各部隊が予定通りの配置に就いたこと。

 兵士からの報告内容は、計画の全てが順調に進んでいることを報せるものだった。

 

「それから、BIGBOSSを乗せたヘリの離陸も確認しました。ヘリはキャンプ・オメガに向かっています」

 

「会えないのが残念だ」

 

 ぽつりと漏らした、“顔のない男”の呟き。

 かの偉大な英雄BIGBOSSと、その裏側で長年尽くしてきた“顔のない男”。付き合いこそ長いふたりだが、実は直接会ったことは一度もない。それどころかBIGBOSSは、影よりも深く潜む“顔のない男”のことなど知りもしないだろう。

 

 “顔のない男”も、かの偉大なBIGBOSSに会ってみたいと長年願ってきたものの、機会に恵まれないまま結局会わず仕舞いに終わってしまった。

 あの英雄とわたしは、一体どんな会話をしただろう。そしてあの英雄は、このわたしの顔を見てどんな感想を抱いただろうか。それを知る場を永遠に失ってしまったことが、“顔のない男”にはとても残念なことのように思えた。

 まあ、止むを得ないことだ。それに、最期の顔は見れるだろう。

 

 “顔のない男”は先ほどから回っていたカセットテープを停めた。鳴り続けていた音楽が止まった。

 

「こちらも出るぞ。その前にあの小僧のところに寄ってくれ。小僧が回していた“このテープ”を、BIGBOSSにも聴かせたい」

 

 BIGBOSSを罠にかけるためのもう一枚のカードとして、BIGBOSSシンパの小僧を捕虜にしてあった。

 “顔のない男”は、あの小僧を通じてこのテープをBIGBOSSへ渡してもらうつもりだった。

 BIGBOSSは女と一緒に、あの小僧も助けようとするだろう。そこでBIGBOSSは、小僧から渡されたこのテープを聴くのだ。

 BIGBOSSは、このテープへ込めた物語に気付いてくれるだろうか。今でも律儀な男だといいが。

 

「これも小僧への褒美、女の忘れ形見だ。コピーを録っておけ」

 

「はっ!」

 

 壁にかけてあった帽子を手にとり、“顔のない男”は部下と共に部屋を出た。

 

 

 



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勝利への賛歌Ⅱ

 

:1975年3月15日 暗号名“キャンプ・オメガ”、屋外にて

 

 用事を済ませた“顔のない男”が建物を出ると、外は大雨だった。

 激しい雨粒が“顔のない男”を濡らしてゆくが、全身の触覚を皮膚ごと失っている男は気にもかけない。

 

 雨合羽を纏った部下たちを伴いながら“顔のない男”は、監視塔からの投光器で照らされる屋外の収容区画を歩いてゆく。

 収容区画では、風雨の中で吹き晒しにされた鋼鉄製の檻が並び、檻から出された囚人たちが鎖で拘束され、看守たちから痛めつけられながら、雨の中を裸足で歩かされていた。

 囚人たちに向かって、番犬として躾けられた獰猛な犬が吼えている。

 足元にはぶくぶくと肥った不潔なドブネズミどもが這い回り、檻の中からは生きた人間の饐えた体臭や、微かだが染み付いて離れない死体の腐敗臭が漂っている。

 

 “顔のない男”の一行が、檻から出された囚人たちの行列に差し掛かった頃だった。

 おそらく鎖が緩んでいたのだろう、歩かされていた囚人のひとりが、行列を外れて“顔のない男”に向かって飛び出してきた。

 囚人の男は何事かを叫びながら、“顔のない男”に飛びつこうとするが、追いついた看守にすぐ取り押さえられてしまう。

 

 地に伏せた囚人は、“顔のない男”を見上げながら、なにかを話している。

 それがどこの国の言語で、具体的に何を喋っているのかは、“顔のない男”にもわからなかったが、それが命乞いの類いなのは知っている。

 ここに入れられた囚人は、英語だろうとロシア語だろうとフランス語だろうと、誰もがいつも同じことを言う。

 おれは何も知らない、人違いだ、こんなことが許されると思っているのか、ここから出せ、たすけてくれ、おねがいだ。

 囚人の主張を存分に聞いてやったあと、“顔のない男”は看守たちに告げた。

 

「こいつを(Ketrec)に戻せ」

 

 言語が通じなくても、“顔のない男”が何を言ったのか、囚人は察することが出来てしまったらしかった。

 囚人の表情が見る見る内に絶望へ染まり、看守たちに抱えられて何処かへと連れて行かれてゆく。

 このあと、この囚人は脱走の咎で“治療”されてしまうだろう。ともすれば“事故死”してしまうかもしれない。あの囚人は運よく早晩に死ねるだろうか。

 運命が決した哀れな囚人の喚き声を尻目に、“顔のない男”の一行は収容区画を歩いてゆく。

 

 ここで繰り広げられている風景は、捕虜の取り扱いを定めたあらゆるルールに違反する、あってはならないものだ。

 しかし、このキャンプ・オメガにおいては違う。

 キューバ南端の租借地にアメリカ軍が築いたキャンプ・オメガは、アメリカとキューバ双方の司法から逃れた、いわばルールからの避難地だった。

 そしてアメリカ軍が実権を握るこの土地に巣食っているのは、なにもアメリカの諜報機関だけではない。

 CIPHERを筆頭に、各国から送り込まれた無数の諜報機関がアメリカ軍へ寄生するように入り込み、キャンプ・オメガでは日夜、国籍人種も問わず、尋問と拷問のフルコースが振舞われている。

 所在地は共産圏のキューバ、頭上で翻っているのは資本主義のアメリカ国旗、そして牛耳るのはCIPHERとその寄生虫ども。

 異常な事情と環境が、有り得ない光景を日常へ変えていた。

 

 “顔のない男”は、ひとつの檻の前で足を止めた。中にいるのはひとりの少年。年齢は15歳にも満たない。

 

「……“女”はすべて話した」

 

 “顔のない男”が声をかけるが、少年は見向きもしない。

 この囚人の名前はリカルド=バレンシアノ・リブレ。

 出身はコロンビア、『サンディニスタ民族解放戦線:略称FSLN』のメンバーを姉に持ち、BIGBOSSとその仲間たちの間では“小さな戦士:チコ”と呼ばれていた。

 チコは、初恋の女性パスがCIPHERに捕まったのを知り、仲間の制止を振り切ってこのキャンプ・オメガへ単独潜入、そして自身も捕えられて今に至る。

 しかしどこでもそうだろうが、殊にこのキャンプ・オメガは、初潜入には最悪の場所だ。捕らえられれば最後、人間の限界を超えた地獄が捕虜の心身を粉々に砕く。

 そんな判断もできないほどにチコは純粋で、無謀な子供だった。

 

「心配するな。おまえの希望通り、女はラクにしてやった」

 

 ほら、と“顔のない男”はポケットからカセットのプレーヤーを取り出し、檻へと放り込んだ。中には一本のテープが入っている。

 

「これがご褒美だ」

 

 “顔のない男”が投げたポータブルプレーヤーへ、チコは拷問で傷つけられた足を引きずって縋り付く。

 ご褒美、と言ったのは、“顔のない男”がBIGBOSSへ罠を仕掛けるにあたって、チコにも一役買ってもらったからだ。

 

 スネーク、助けて。

 “顔のない男”の巧みな誘導で追い詰められ、チコは自分たちの本拠地について喋るのと引き換えに、救助要請を発する権利を与えられた。

 もちろんあの律儀なBIGBOSSは仲間を、ましてや自分を信奉している子供を見捨てたりはしない。憧れの英雄が、CIPHERに囚われた自分を助けに来てくれる。

 “顔のない男”は「BIGBOSSが助けに来たら、警備を手薄にして、おまえを黙って逃がす」と言った。

 だがその油断が命取りだ。あのBIGBOSSの英雄的な活躍で、“顔のない男”は報いを受けることになるだろう。そうだ、きっとそうに違いない。

 “顔のない男”から与えられた選択肢にチコは飛びついた。

 

「おまえは仲間を売った」

 

 “顔のない男”はチコを見据えながら、容赦なく事実を述べた。

 おまえが英雄に掛けた希望は、自分に都合がいい、如何にも子供らしい妄想で、現実は違う。

 もちろんあの律儀なBIGBOSSは仲間を、ましてや自分を信奉している子供を見捨てたりはしない。

 あの英雄は、CIPHERに囚われたチコを助けに来るだろう。

 たとえ、それが罠だとわかっていても。

 

 ましてやチコだけではない。

 ここにはCIPHERがかつてBIGBOSSの下へ送り込んだ工作員パシフィカ=オーシャンことパスもいる。CIPHERと対立するBIGBOSSなら、CIPHERの手がかりになるパスの身柄をなんとしても押さえたいはずだ。

 そこへチコからの救難通信が入ればどうなるか。

 

「これでおまえも、一人前の兵士だ」

 

 大人になるというのは自分の生き方を自分で選び、そして自分で決めることだ。

 つまるところ、チコ、おまえは我が身可愛さに、おまえの英雄と仲間と、そして愛する女を敵へ売り渡すことを選んだのだ。

 

「大丈夫、家には帰れるさ。おまえのBOSSによろしくな」

 

 “顔のない男”は収容区画を後にした。チコが、カセットの録音に耳を傾ける。

 

 

 移動する車中で“顔のない男”は考える。

 チコに渡した“ご褒美”とは、チコがキューバのキャンプ・オメガへやってきてから捕らえられ、女囚パスと共に“顔のない男”から拷問を受ける一部始終を録音したテープだった。

 その背後には、アメリカ史上最大の冤罪事件といわれる『サッコ・ヴァンゼッティ事件』を題材にした映画のエンディングテーマが流れている。

 

 この曲は、無政府主義者の移民だったことに対する偏見により、不条理に冤罪を着せられて処刑された二人の男へ捧げられた。

 「もう一度生まれ変わっても、わたしは同じ生き方を選ぶだろう」と自らの信念への潔白を貫き通したニコラ=サッコ。

 処刑直前まで自分たちの無実を訴え続けたバートロメオ=ヴァンゼッティ。

 ふたりの移民は冤罪で処刑された。だが彼らは死をもって、この世界に訴えたのだ。罪の無い人間を殺す社会がここにあると。

 そんなあなたたちに捧げよう、ニコラとバート。わたしたちは忘れない。最期の瞬間はあなたたちのもの。その犠牲はあなたたちの勝利になるだろう。

 この曲『Here's to you』は繰り返し繰り返し、そう歌う。

 

 だが、ニコラとバートが有罪となってから50年以上経っても、ふたりに勝利は訪れなかった。

 ふたりの犠牲は忘れられ、冤罪も偏見も不条理も何一つ無くならず、世界は未だに何処かで誰かを犠牲にして生き延びている。

 

 1964年、ソヴィエト連邦領内で“彼女”の身に起こった出来事もそうだった。

 あの時も世界は、第三次大戦の惨禍から免れるのと引き換えに、ひとりの女性の人生と尊厳を陵辱した。

 いや、彼女への陵辱は今も終わっていない。ゼロやBIGBOSSを筆頭とする、彼女の遺志を継ぐと称した者たちが、死してなお彼女を弄び続けたからだ。

 その結果がCIPHERであり、ゼロとBIGBOSSの対立であり、今の惨憺たる世界だった。

 だから、わたしが始末をつけてやろうというのだ。“顔のない男”は世界が犯した罪を清算しようとしていた。

 そして今度こそ彼女――『ザ・ボス』に安らかな勝利を。

 

 ヘリの発着所に着いた“顔のない男”は、停めたクルマのサイドミラーで身なりを整えると、顔を覆うように帽子を目深に被る。

 配下の兵士たちは、既に出撃準備を済ませていた。その仕上げとして“顔のない男”は、自身が乗り込むヘリに描かれた『XOF』のマークを塗り潰す。

 

 兵士たちには、部隊章をはじめとして身元に繋がるものを全て処分するように指示をしてある。

 これから起こることは“特定の誰か”ではなく、“誰でもない誰か:Anonymous”によって行なわれなければならない。

 先発隊は既に仕事を終え、現地で本隊の到着を待っている。

 手引きした科学者:エメリッヒ博士は、自分が利用されていることすらわからない世間知らずだ。

 難攻不落のイーリアスがギリシアの木馬を迎え入れて壊滅したように、破滅の使者たる我々を手厚く歓迎してくれることだろう。

 “顔のない男”が兵士たちに告げる。

 

「……『トロイの木馬』が潜入した」

 

 作戦名:トロイの木馬。

 奇しくも、CIPHERが作り上げた電子ネットワークの世界で猛威を奮うことになる侵入型マルウェアと、同じ名前と手口だった。

 

「海賊討伐にゆくぞ、乗れ!」

 

 “顔のない男”に率いられ、CIPHERの隠密部隊XOFを載せたヘリがキャンプ・オメガから飛び立った。

 行き先はカリブ海、ミッションは『BIGBOSS率いる“国境なき軍隊”の殲滅』。

 

 

 



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爆心

:1975年3月 カリブ海上

 

 『国境なき軍隊』の本拠地はカリブ海、コスタリカ沖にあった。

 この基地は元々BIGBOSSの腹心であるカズヒラ=ミラーが、某研究機関が建造した洋上プラントをある伝手で入手して、自分たちの基地へと改装していったものだ。

 現在の主である国境なき軍隊のメンバーは、蜂の巣にも似たこの奇妙な海上基地を“マザーベース”と呼んでいたらしい。

 

 そのマザーベースの管制塔指令室から、XOFの指揮官“顔のない男”は窓の外を見ていた。

 この窓からはマザーベースの全景と、そしてその先でどこまでも広がる海を一望できる。

 惜しいものだ。朝焼けなどはさぞ美しかろうに。

 “顔のない男”が眺める眼下のマザーベースは、炎上していた。

 

 カリブ海上で繰り広げられたXOFの海賊討伐、“トロイの木馬”作戦はすでに佳境を過ぎていた。

 降り注ぐ豪雨と火の粉、灰燼、そして燃え盛る劫火。

 XOFに不意を突かれて、指揮系統をずたずたにされた『国境なき軍隊』のメンバーたちが次々と撃たれて死んでゆく。

 

 “顔のない男”のもとへ、XOFの兵士に拘束されたひとりの捕虜が引っ立てられて来た。肩につけているのは髑髏のマーク、『国境なき軍隊』の一員だ。

 大奮闘の末に捕らえられたと思しき捕虜は全身傷だらけで、息も絶え絶えだった。受けた負傷の様子からすると、長くは持たないだろう。

 

「おまえたちはよく頑張った。大健闘だった。その健闘に免じて、おまえだけは見逃してやってもいい」

 

 そう告げた“顔のない男”に目掛けて、名もなき捕虜は唾を吐きかけた。

 XOFの兵士が銃杷で滅多打ちにし、捕虜を無理やり跪かせる。

 囚われの捕虜は折れた歯を吐き捨てて、言った。

 

「……“VICBOSS”は、おれたちを見棄てない」

 

 VICBOSS、いや、BIGBOSSか。捕虜が何故屈しないのか、それは単にBIGBOSSへ忠誠を誓っているからではない。

 不可能な任務を幾つもこなし世界を救ってきた伝説の英雄にして、高潔な戦士である指導者、BIGBOSS。

 そんな偉大なBIGBOSSが、大切な仲間を裏切り見捨てるだろうか。BIGBOSSは敵に屈して重大な情報を吐いてしまうだろうか。

 BIGBOSSならば何をするか、BIGBOSSならば何をしないか。

 『国境なき軍隊』を筆頭とするBIGBOSSのシンパどもは皆BIGBOSSを見習うべき規範として考え、行動し、生きている。

 

 要するに、誰も彼も、BIGBOSSのような英雄になりたいのだ。

 弱きを助け、仲間を守り、理不尽に立ち向かい、不正義を挫く。世界のどこかで誰かが被っている不正を、心の底から深く悲しむ事の出来る英雄。

 恋した女を助けるためにキャンプ・オメガへ乗り込んできたチコと同じ純粋さを、この捕虜もまた持っている。

 “顔のない男”は鼻先に着いた痰を拭い取ると、捕虜と目線を合わせるように姿勢を屈めた。

 

「おまえのBOSSとわたしは長い。おまえよりもな。だから、戻ってくるとは思わない方がいい……」

 

 “顔のない男”は、捕虜にも見えるように、窓の外を指差した。

 

「おまえに、あれが見えるか。ほら、あそこだ」

 

 捕虜が目を見開く。

 “顔のない男”が指差した先は、XOFが銃撃戦を繰り広げている激戦区の、そのまた向こう側だった。激しい銃火の閃光の奥に、小さな灯りが見える。

 捕虜の肩を撫でながら、“顔のない男”は言う。

 

「そうだ、おまえは助からない。だが、おまえの態度次第で、あそこにいる連中は助けられるかもしれない」

 

 “顔のない男”が指したのは、マザーベースの周縁で戦い続ける『国境なき軍隊』の生き残りたちだった。

 XOFの奇襲攻撃でマザーベースの大半が制圧された中、僅かに残された領土で『国境なき軍隊』の残党が猛攻撃を耐えている。

 『国境なき軍隊』は、文字通りの風前の灯だった。そしてあと一吹きもすれば、灯は消えてしまう。

 再び捕虜に向き直り、“顔のない男”は尋ねた。

 

「さあ、教えてくれ。おまえたちの核兵器“メタルギアZEKE”はどこだ」

 

 『国境なき軍隊』が開発した二足歩行兵器のプロトタイプで、『ピースウォーカー事件』でBIGBOSSたちが回収した核弾頭を搭載している。

 国家でない存在が初めて持った、核兵器。

 XOFがマザーベースの内部を根こそぎ捜しても見つからないことから、大方は近海の何処かに沈めてあるのだろうが、問題はその座標だ。

 XOFがIAEAの核査察に偽装してやって来た以上、『国境なき軍隊』も相応の準備を整えていたのか、海中のどこに沈めたのかさっぱりわからない。

 

「裏切り者の科学者が作ったガラクタか、それとも仲間の命か。おまえが選べ」

 

 そう述べる“顔のない男”に対し、捕虜は、同じ台詞を繰り返した。

 

「……VICBOSSは、おれたちを見棄てない」

 

「ああ。おまえの言うとおり、おまえのBOSSはおまえたちを見棄てない。だがおまえは、あそこにいる仲間を見棄てるのか」

 

「……」

 

 “顔のない男”の質問に捕虜は答えられない。

 おまえも、わたしも、どう転んだって憧れのBIGBOSSにはなれない。それどころか、BIGBOSS自身にさえ不可能だろう。

 なれるわけがない。なぜならおまえたちが憧れ、目指しているのは、現実から遊離した理想像:イデアとしてのBIGBOSSだからだ。

 

 BIGBOSSの影を長年務めてきた“顔のない男”は、BIGBOSSの栄光の大部分が、様々な偶然や謀略によって創り上げられた虚像に過ぎないことを知っている。

 スネークイーター作戦も、サンヒエロニモも、ピースウォーカーも、BIGBOSSが築いたといわれる伝説の大半は政治的都合によって物語として大幅に脚色され、虚実が入り混じって実際に何が起こったのか、それらすべての裏で活動していた“顔のない男”にさえわからなくなりつつある。

 BIGBOSSのような振る舞いなどというのは所詮、その伝説にかぶれた信者どもが考え出した非現実的なまでに英雄めいた英雄像だ。

 仮にそれを身につけたからといって、それはBIGBOSSらしい振る舞いが出来る影武者であって、BIGBOSSそのものになれるわけではない。

 

 現実は非情だ。こんな、ちょっとした不都合な悪意があるだけで、簡単に躓く。

 チコはキャンプ・オメガで囚われの身となり、BIGBOSSの帰還は間に合わず、おまえもこうして捕虜におちぶれている。

 

 ふと、この哀れな捕虜にBIGBOSSの現実を明かしてやろうか、などというひどく子供染みた考えが“顔のない男”の脳裏をよぎった。

 おまえたちが敵と見做しているCIPHERだが、BIGBOSSこそがその創設メンバーのひとりであり、このマザーベースの惨状も元はといえば共同設立者のゼロとの対立が遠因となったものだ。

 BIGBOSSという称号は栄光と共に勝ち取ったものではなく、自らが敬愛していた師匠ザ・ボスを殺した成果として国から圧し与えられたもので、BIGBOSS自身はおまえたちのいうところの“BIGBOSS伝説”を、誇るどころか心の底から憎んでいるのだよ、と。

 

「VICBOSSは、おれたちを見棄てない」

 

 捕虜はそれでもなお同じ台詞を繰り返すが、その声は震えていた。

 捕虜は伝聞のBIGBOSSではなく、自分が出会い、見て聞いて感じたBIGBOSSを信じていた。

 いや、信じるしかないからだ。躓いたあとは信仰に縋るしかない。

 信仰とはBIGBOSSという信仰、BIGBOSSなら救ってくれるという信仰。

 英雄を信じるといえば聞こえはいいが、実際に信じているのは『英雄がこの状況をどうにかしてくれる』というご都合主義的な奇跡が起こることだろう。

 

「VICBOSSは、おれたちを、見棄てない!」

 

 残念だ。成果が得られるとは殆ど思っていなかったが、ここまで頑迷とは。

 “顔のない男”は、愛用のライフルで最期の一撃を恵んでやった。

 

・・・

 『国境なき軍隊』からは予想以上の抵抗に遭い、XOFは梃子摺っていた。

 CIPHERの精鋭であるXOFの練度は高い。『トロイの木馬』の手引きで武装解除を済ませ、マザーベースの指令管制塔も押さえ、計画は完璧に進んでいた筈だった。

 ところが、武器も装備もなかったはずが、『国境なき軍隊』の兵士たちはすぐさまBIGBOSS直伝の近接格闘術:CQCで武器を取り返し、最新鋭の装備と技術を備えるXOFを相手にしてもなお互角以上に善戦していた。

 

 しかしいくら凶暴な毒蛇でも、牙を抜かれたうえに頭を抑えられていてはどうにもならない。

 XOFは、マザーベースの外縁で必死に抵抗を続ける『国境なき軍隊』の副司令:カズヒラ=ミラーへと王手をかけていた。

 『国境なき軍隊』は、燃えてゆく基地と運命を共にしてゆくかに見えた。

 

 マザーベースの管制塔を出た“顔のない男”は、遠くからの銃声と、ヘリのローター音を耳にして、炎に焼かれた夜空を仰いだ。

 沖からやってきたヘリが一機、アサルトライフルを乱射する男を乗せてマザーベースの甲板へと近づいてくる。

 XOFのヘリではない。そしてこのタイミングで基地に戻ってくる者がいるとしたら、それはひとりしか有り得ない。

 

 “顔のない男”が垣間見たその男は、黒いスニーキングスーツを纏い、片目を眼帯で覆った屈強な壮年の大男だった。

 痩せこけた日陰者である“顔のない男”とは正反対の、最前線で銃を握り続けてきたタフな英雄。

 迎え撃つXOFのヘリを蹴散らしながら、キャンプ・オメガから戻った“BIGBOSS”がマザーベースの甲板へと降り立った。

 信じがたい光景だった。“顔のない男”の予想を覆し、キャンプ・オメガに囚われていたチコとパスを救出したBIGBOSSが、自らの基地へと帰還したのだ。

 

 もういい、潮時だ。

 BIGBOSSが戦場へ飛び込んできたのを見て、“顔のない男”はXOFの兵士たちに撤退を指示する。

 もともとBIGBOSSと正面から直接対決するつもりはなかったし、マザーベースの基底部に仕掛けたC4がそろそろとどめを刺す頃合いだ。

 XOFの兵士たちは、そうとは悟らせないよう出来るだけ長く相手を足留めしつつ、自分たちは撤退を開始する。

 

 驚くべきことに、敗北寸前だった『国境なき軍隊』はBIGBOSSの参戦で勢いを盛り返し始めていた。

 かつて1974年、コスタリカで起こった『ピースウォーカー事件』でCIAとKGBの両者を相手に大立ち回りを演じたBIGBOSSは、共に戦ったFSLNのメンバーからVIC BOSS――“勝利のボス”として敬愛されていたという。

 その血脈を受け継ぐ『国境なき軍隊』の連中にとって、BIGBOSSとは見習うべき規範である以上に、勝利のイコンでもあった。

 そのBIGBOSSが吼え、銃を撃つ。

 勝利のイコンの咆哮を受けて『国境なき軍隊』は勝利を確信し、最後の力を振り絞って、逃げ足へと絡みつくXOFの魔手を振り払う。

 『国境なき軍隊』の兵士たちはミラーとBIGBOSSを守りながら、ひとり、またひとりと撃ち殺され、血飛沫を撒き散らす肉の盾となり散ってゆく。

 『国境なき軍隊』による最後の撤退戦は、“BIGBOSSの生還”という勝利へ向けて、壮絶な死に華を咲かせていた。

 

・・・・・・

 XOFのヘリがすべて飛び立ったあと、『国境なき軍隊』のマザーベースは盛大な爆発と共に海の藻屑へと消えた。

 逃走用のヘリにBIGBOSSがミラーともども押し込まれるところまでは確認していた“顔のない男”だったが、BIGBOSSを載せたヘリがあの崩れゆくマザーベースから無事に離陸できたとは思えなかった。

 

 仮に、BIGBOSSを載せたヘリが基地の崩壊から逃れられた、としよう。しかし、その先にはキャンプ・オメガでパスに仕込んだ“贈り物”がある。

 パスの体内に仕込んだ“贈り物”は、ひとつだけでも充分な威力を発揮するはずだった。ひとつだけなら気付くかもしれないが、そのひとつは囮だ。

 さらに、もうひとつがあることまで気付くだろうか。

 

 ヘリの機内で“顔のない男”が、BIGBOSSの生死を案じていたちょうどそのとき、別のヘリから通信が入ってくる。

 部下からの報告を聞いて、“顔のない男”はBIGBOSSの死を確信した。

 

 BIGBOSSを載せたヘリの爆発。“顔のない男”が、パスのはらわたに仕込んだ贈り物が、ついにその役目を果たしたのだ。

 

 そうだ。この爆発は、世界を変える巨大な一撃となるはずだ。

 1964年のソヴィエト領内で放たれ『スネークイーター作戦』の引き金となった、あのデイビークロケットの一発のように。

 この瞬間から世界は変わる。“顔のない男”は歓喜にほくそ笑んだ。

 BIGBOSSの次は“ゼロ”だ。解放は近いぞ。

 

 かくして“顔のない男”が引き起こしたこの一連の出来事は『カリブの虐殺』と呼ばれ、裏の歴史を変えた“爆心:グラウンド・ゼロ”として、その世界で生きる兵士たちに大きな衝撃と波紋を広げることになる。

 

 



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サマエルの毒牙Ⅰ

 

:1976年某日 アメリカ、ニューヨーク、マンハッタンの某所にて

 

 今、あの“顔のない男”はどうしているだろうか。かつてゼロと呼ばれた老人はその日、そんなことを思った。

 

 その贈り物が、英国陸軍特殊空挺部隊『Special Air Service』ゆかりの品が入ったケースだと知った時から、ゼロは贈り主の正体に気づいていた。

 かつてゼロの腹心だった“顔のない男”は、独断でCIPHERを動かして『カリブの虐殺』を引き起こし、その咎で配下ともどもアフリカへと左遷された。その彼が、ゼロにこのような贈り物を用意していたとは。

 愛用のティーセットでアフタヌーンティーを準備し、茶葉を蒸らすまでの間で通信機を手に取る。

 ゼロが生まれた1900年代のイギリスにはまだ英国紳士という人種が存在しており、その誇り高い精神を受け継いできたゼロにとって、紅茶は単なる趣味に留まらない。

 これまで多くのものを諦め、捨ててきたゼロだが、午後の紅茶だけはどうしても辞められずにいた。

 しばらくのコール音、そして通信は繋がった。

 

〈 ゼロ少佐、まさか本当にご連絡をいただけるとは…… 〉

 

 落ち着き払った男の声が応答した。ゼロをかつての階級“少佐”と呼び続ける習慣は相変わらずか。

 ならば、とゼロは、この“顔のない男”を昔の呼び名で呼ぶことにする。

 

副官(エックスオゥ)、キミだな」

 

 ゼロがかつてSASを率いていたことを知る人間のうち、この中身の意味がわかる者はほんの一握りだ。

 その中でも、今のゼロの身辺へ到達し得るほどの人物といえば、かつてゼロのeXecutive Officerすなわち副官:X.Oを務めたこの“顔のない男”しか有り得ない。

 

〈 どうですか 〉

 

 “贈り物”について副官から感想を求められ、ゼロはケースを開封する。

 添えられていたメモのとおり、ケースの中にはバッジがひとつ、丁寧に納められていた。

 これをやっと見つけたのか。ゼロも手を尽くして捜し求めていたが、この小さなバッジを見つけるまでによもや10年もかかるとは思わなんだ。

 

「エジプトで亡くした仲間のバッジ……かつてのレイフォースで『ザ・ボス』の部下だった」

 

 私が彼女――“ザ・ボス”に届けたんだ。ゼロは懐かしむように言った。

 ゼロとザ・ボスは第二次大戦が始まる前からの戦友で、1900年代生まれのゼロと1920年代のザ・ボスでは、年齢こそ親子ほど離れていたが、共に同じ夢を見て、同じ理想を語らい、そして同じ目的を目指してきた同志だった。

 ゼロも、ザ・ボスも、あの時はお互い若かった。

 

〈 『スネークイーター作戦』で命を奪われるまで、ザ・ボスはこれをずっと肌身離さず持ち続けていました……裏はどうです 〉

 

 副官に促されて裏を返した途端、金属の鋭い擦過音とともに、ゼロの指先へ痛みが走った。

 

「うっ……!」

 

〈 どうしました 〉

 

「いや、ピンで指を刺しただけだ」

 

 血の滲む指先を舐めながらバッジの検分を続けるゼロ。

 バッジに刻まれたキズは、ゼロの記憶と相違ない。白い裏地の糸も、SAS発足当時のベレー帽のものだった。

 副官にもかつて話したが、このバッジには大切な物語が篭められている。

 

「……む、あった。1941年12月30日、この刻印は私が刻んだ忌日だよ」

 

〈 ほう…… 〉

 

 第二次大戦中の北アフリカ戦線で、同じ部隊にいたゼロとザ・ボスは、激戦の末に一人の戦友を失った。

 激しい戦闘で、遺体を回収することはかなわなかった。彼の体は、今もなおエジプト砂漠のどこかに埋もれている。

 だからこれが墓のようなものだ、とゼロは呟いた。墓というものを故人の記憶を思い出すための装置だと定義したならば、このバッジこそが彼の墓だ。

 

「バッジを渡した時、ザ・ボスはこの刻印をずっと指でなぞっていた。『戒めろ』と自分に言い聞かせるように。強く、指にまで刻み込むように」

 

 ザ・ボスは最後まで、戦友を亡くしたその痛みを忘れなかったのだろう。だからこの刻印の部分だけ、まるで磨かれたように光沢を保っている。

 

「……私たちの戦友だった」

 

 ゼロにとってはもちろん、ザ・ボスにとっても、このバッジは大事な戦友の墓標だった。磨耗したバッジはその証。

 副官とはお互い遺恨があるとはいえ、見つけてくれたことには感謝しなければならない。

 

〈 では…… 〉

 

「ありがとう。間違いない、本物だ」

 

 ゼロの返答に、副官は安堵したようだった。

 

〈 よかった。これで、最後の心残りが果たせました 〉

 

 副官の反応に、ゼロは微かに違和感を覚える。心残り、と副官は言ったが、バッジの思い出はゼロとザ・ボスのものであって、副官は無関係のはずだ。

 確かにバッジの捜索を副官に依頼したことはあったものの、それは10年以上も前の話だ。

 それとも、このバッジにゼロの与り知らない意味があったのだろうか。そもそも10年前のミッションを今になって果たして、その見返りに副官は一体、何を求めるつもりなのか。

 

「だが、これで君はどんな……」

 

〈いえ、ただひとつだけ、あなたにお話が 〉

 

 怪訝に思ったゼロを、副官は遮る。世界の最果てへと追いやられた男が、いったいどんな話があるのだろう。

 

〈 少佐、実は例の男に動きが 〉

 

「ああ、ミラーか。ローデシアだろう」

 

〈 はい、また同じことを……〉

 

 充分に蒸らした紅茶をカップへ注ぐ。副官も何を言い出すのかと思えば、大した事ではない。

 カズヒラ=ミラー。秩序から外れた組織に、叶うはずのない夢を見た若者。

 CIPHERの隠密部隊『XOF』による奇襲で、自らの組織『国境なき軍隊』を失いながらも生き延びた彼が、新たな拠点を築くために南アフリカへコネを作ろうとしているという情報はゼロも耳にしていた。

 自らの夢を砕いたCIPHERへ報復する準備を、ミラーは進めているらしい。

 

 まあ、無理だろうな。『カリブの虐殺』の後、ゼロは一度だけミラーと接触を取ったが、その時の剣幕ときたらそれはもう目も当てられなかった。

 何を企んでいるにせよ、青二才独りで出来ることなどたかが知れている。ゼロどころか、CIPHERへダメージを与えることさえ出来ないだろう。

 

 副官もそのことは承知しているはずだった。何しろミラーの『国境なき軍隊』を壊滅させ、彼にCIPHERへの報復心を植えつけたのは、他ならぬ副官自身の独断行動だったのだから。

 

 ただ、今アフリカはわたしの管轄ですから、と副官は言った。ここに来てわたしは確信したのです、まだあなたのお役に立てると。

 

〈 この地は生物資源の宝庫です。細菌、線虫、ウィルス……中には“あの計画”を甦らせ得る種もあるはずだ 〉

 

 ああ、その話か。副官が以前から『あの計画』に並々ならぬ興味を示しているという話はゼロも知ってはいたが、ゼロにとってあの蟲はもう興味の範囲外だ。

 CIPHERの研究は既に次の段階へ進んでいる。

 

「いや、いいんだ。“浄化虫計画”は先人の妄想だよ」

 

 『賢者達』はかつて、太古の寄生虫“声帯虫”を利用した民族浄化を目論んでいたという。それが『浄化虫計画』だ。

 人間の呼吸器に取り憑き特定の音声に反応して宿主を死に至らしめる声帯虫を、敵性言語にだけ反応する『民族浄化虫』へ品種改良し、敵性民族を浄化する。

 

 今回CIPHERがアフリカで行なっている実験は、そんな賢者達の狂った野望を転用したものだが、ゼロの目指すところはかつての賢者達とはまったく異なるところにある。

 声帯虫を使ったのは、あの寄生虫が遺伝子操作による逆行進化実験のテストケースとして適していたからであり、今のゼロにとってそれ以上の意味はなかった。

 

「今重要なのは、声帯虫を甦らせた遺伝子技術だ。遺伝子技術を使えば、民族どころか個人を特定できる。蟲のように継代を繰り返す必要もない」

 

 遺伝子を読み解くことは、すなわちヒトが歩んできた生命体としての歴史を読み解くことに他ならない。

 今回の実験で声帯虫が辿った逆行進化の道筋は現在、ゼロの腹心でもあるATGC社のクラーク博士の下で解析が進められている。

 その解析結果はヒトという いきものの記録を辿る道しるべとなるだろう。

 

〈 しかし…… 〉

 

 かつてのSASではゼロの副官として活躍し、その後はゼロの“X作戦部隊:FOX”の後ろ盾となる“XOの部隊:XOF”を指揮していたこの聡明な男が、どうして浄化虫計画などに執着しているのか。

 結局この“顔のない男”もほかの連中と同じく未来が視えていないのだ。

 最古参の教え子である副官に、ゼロは教示する。

 

「君は旧いな、エックスオゥ。冷戦が終われば明確な敵はいなくなる。もう人間では追いつかん」

 

 紅茶を啜り、鼻腔を満たすその芳醇な香りを楽しみながらゼロは空想する。

 明確な時期はまだ先だろうが冷戦が終われば、情報の飛び交う電子ネットワークが世界を覆ってゆくだろう。

 各国の諜報の網は絡み合いながら統合され、東西に別れていた世界は再びひとつへ融け合うこととなる。

 次の時代の敵は、人種も民族も国境もない、電子の海の中から生まれてくるに違いない。

 今までの枠組みから外れた敵が現れてくるであろう未来に、既存の枠組みに囚われた発想の産物である民族浄化など、まったく時代錯誤も甚だしい。

 

〈 そうかもしれません。しかし人間は、敵の姿が見えないことに耐えられますか。人間は誰かを悪と見据えて攻撃することでしか、自らの正当性を確信できない……敵を見失った時、人間は自分の中に敵を作ります。自らへの攻撃を始めるのは自明です 〉

 

「君が言いたいことはわかったぞ。人間が寄生虫を排除することでアレルギーや自己免疫疾患が増えたように、敵の排除は人間自らを冒すということだろう」

 

 そんなことはわかりきっている。今、ゼロへの報復心に燃えるミラーなどはまさにその典型例だ。

 ミラーがどのような手を打とうが、CIPHERが創るルールの上で勝負する限り彼に勝ち目はない。

 そのことをミラーが悟った時、持て余した力と敵対心に溺れ、やがてミラー自身をも破滅させるだろう。

 行き先を見失った力の暴発、暴走、そして自滅。それが世界レベルで起こる事態を副官は危惧しているようだった。

 

「だからこその情報統制なのだ。人々には、適度な“物語”が必要だ」

 

 イデオロギー対立という巨大な物語に支配された東西冷戦を通じて、ゼロは物語の力に気づいていた。

 人は世界を物語として叙述し、叙述された物語はまた人を動かす。世界を織り成す無数の物語を整えることで、秩序ある世界を。

 そんな世界の調整者を、ゼロのCIPHERは目指していた。

 

〈 人々に物語へのアレルギーを起こさず、無批判に受け入れさせると 〉

 

 咎める副官に、ゼロは答える。

 

「『世界をひとつにする』為だ。その為には情報への免疫力を下げることが必要だ。君の好きな言い方をすればだが」

 

 それは、免疫系が寄生虫や病原体を攻撃している間は宿主にアレルギーが起きないことと同じようなものだ。自滅を防ぐには、外へ敵を作ればいい。

 飽きない程度に刺激的で、それでいて致命的な破滅はもたらさない。そんな心地よい物語をCIPHERが世界へ提供すればいい。

 副官が指摘するとおり、『人の意志を誘導する』といえば倫理的な問題は否めないが、どのような手段にもデメリットはつきものだ。最善はあっても完璧はない。

 

「世界はひとつになる。ザ・ボスが描いた世界がついに手に入るのだ」

 

 かつてザ・ボスは「世界はひとつになるべきだ」と言った。

 生命が連ねる“遺伝子:Gene”と、言語が伝える“模倣子:Meme”。この両者を制御し、“場面:Scene”を物語ることで人々の“意志:Sense”を、ひいては世界をひとつにする。

 それが、ザ・ボスの死後十年もの歳月を経てCIPHERが編み出した、世界をひとつにする方法だった。

 

「人種も、民族も、国境も、顔も変える必要はなくなる。人は新たなコミュニケーションで繋がる」

 

 それはザ・ボスの夢であると同時に、ゼロ少佐――デイヴィッド=オゥという男の夢でもあった。かつてザ・ボスと共にFOXを創ったのもその夢の為であり、CIPHERを進める今もそれは変わらない。

 長年の努力がようやく実を結ぼうとしているこの時期に、このバッジが見つかったのも何かの報せだったのかもしれない。叶うものならザ・ボス、貴女にも、私たちの夢が叶う瞬間に立ち会ってもらいたかった。

 

〈 それはない。わたしは顔を喪った。もう取り戻すことは出来ない 〉

 

 副官は一体、何をこだわっているのだろう。

 CIPHERが創る統一世界では、肉体をはじめとするあらゆる制約から解き放たれた、魂の会話が成立する。

 ヒトとしての容姿を戦争で奪われたという副官にとっても、CIPHERの統一世界は歓迎こそすれ、拒む類のものではないと思うのだが。

 

〈 ……わたしは、この骸骨の躯を隠したりはしない。喪ったものを忘れさせない為に 〉

 

 ふと、ゼロは思い至る。

 あの『カリブの虐殺』を起こした理由について副官は、『連中がCIPHERの意志にそむき、核兵器を所持したことの報いだ』と語った。

 それに、“彼”をCIPHERが目指す理想社会の偶像に据えるなら、そろそろ表舞台から降りてもらう方が少佐にとっても都合がよろしいでしょう、とも。

 だがそんなことをゼロが許すはずがないことは副官もわかっていたはずだ。

 

 それでは、FOXの栄光の暗部に位置づけられた、自身の境遇を妬んでのことだったのだろうか。

 いや、そうではあるまい。たしかに副官は、昔からよくわからないところもあったが、ゼロの知る限り嫉妬で自らを滅ぼすような愚かな人間ではなかった。

 副官をあの凶行に駆り立てたものはいったい何だったのだろうか。この“顔のない男”は何を企んでいる。

 そして、この贈り物……。

 

〈 世界は『報復』で一つになる 〉

 

 その瞬間、ゼロの世界は崩れ落ちた。

 

 

 



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ファントムペイン
サマエルの毒牙Ⅱ


:1976年某日 南アフリカにて

 

 通信機の向こうで、飲みかけのティーカップが落ちる音がした。

 

〈 !? う、ぐ……っ! 〉

 

「どうしました、少佐」

 

〈 エックスオゥ、貴様っ、あのバッジに……ッ! 〉

 

「ええ、バッジに」

 

 と、ゼロの副官にして顔のない男――“スカルフェイス”は答えた。バッジのピンに付着させた“蟲”の毒が、ゼロへと襲い掛かったのだ。

 通信機の向こう、ゼロの隠れ家で非常警報がけたたましく響き始めた。数分もしないうちに人が来て、ゼロは一命を取り留めるだろう。

 しかしもう無駄だ。解毒は出来ない。

 届くはずのないものが、届くはずのない場所へ届いた時点で、あなたは疑うべきだったのだ、ゼロ少佐。

 

〈 だが、ここをどうやって……まさかあの娘がっ、パシフィカに喋らせたのか……! 〉

 

 スカルフェイスが配下のXOFごとアフリカへ左遷される前、XOFはミラーたちの『国境なき軍隊』を壊滅させる為の下準備として、一人の女を回収していた。

 BIGBOSS率いる国境なき軍隊においてパスの愛称で呼ばれたその女の正体は、国境なき軍隊をCIPHERへ引き込む為に送り込まれた工作員“暗号名:パシフィカ=オーシャン”だった。

 

 しかし作戦は失敗。

 国境なき軍隊をCIPHERへ引き入れることが出来なかったパシフィカは、敵へ寝返った二重スパイと見なされ、その制裁としてスカルフェイス率いるXOFから厳しい尋問を受けた末に『カリブの虐殺』でBIGBOSSを抹殺する為の生きたトラップ、つまり人間爆弾として利用されることになる。

 これがCIPHER内部でゼロへと伝えられたカバーストーリーだが、スカルフェイスにとっては小娘の寝返りなどどうでもよかった。

 人間爆弾として利用したのも、手ごろな素材だったからに過ぎない。

 スカルフェイスの本当の興味は、パシフィカがゼロの代理人としてBIGBOSSへ干渉するように命令を受けた際、ゼロと接触したことにあった。

 

 『ピースウォーカー』の一件でゼロはBIGBOSSへ自身の意思を伝える為、子飼いのスパイであるパシフィカと直接面会していたことをスカルフェイスは掴んだ。

 極度の人間不信に憑かれたゼロが垣間見せた唯一の隙。

 あの時のキャンプ・オメガでスカルフェイスがパシフィカから聞きたかったのは、“ゼロが今どこにいるのか”だ。

 

「直にはお礼もお見舞いも出来なかったが、お声が聞けてよかった」

 

 これはかつての腹心としての本心だった。

 東側から流れてきたスカルフェイスを拾い、副官にまで取り立ててくれたのは他ならぬゼロ少佐だ。

 その恩人との別れがこのような形になるのは心苦しいが、その最期を看取ることが出来ただけでも僥倖だった。

 

 さらに、CIPHERにとってあの庭、アフリカがもう無価値なこともわかった。

 CIPHER中枢を追われ、アフリカへと飛ばされたスカルフェイスとXOFへ注意を払う者はいない。

 これで心置きなくあのアフリカの庭を、わたしの“計劃”のために使うことが出来る。

 

〈 ぐぐぐっ…… 〉

 

 指先から忍び込んだ蟲による苦痛で、ゼロはのた打ち回っているようだった。

 蟲による密室での病死は、かつて東欧の動乱で“顔のない亡霊”として恐れられていた頃から、スカルフェイスが数え切れぬほど使った手口だ。

 その中でも最も凶悪で、長く苦痛を与える種をスカルフェイスは選んだ。

 この蟲に冒された人間は脳をゆっくりと蝕まれ、生きながらにして意思と言語を失う。

 世界を支配し、物語ろうとしたゼロ。しかし、ことばを失った人間に、世界を物語ることなど出来るのだろうか。

 

「お忙しい方ですな……少しは猶予を残してあります」

 

〈 ふざけるな! 〉

 

 食器の砕ける音がした。ゼロが机を殴りつけた様子をスカルフェイスは想像した。

 しかしゼロが怒りに任せていくら暴れようとも、遠く離れたアフリカの地にいるスカルフェイスは痛くもかゆくもない。

 

〈 お前が、私に……そうか、お前はずっと……お前にもずっとやるべきことが……! 〉

 

 そうだ、わたしにもやるべきことがある。あなたがザ・ボスの遺志を継ごうとしたように。

 祖国、姿形、ことば、そしてわたしたちが暮らしていたあのひとつだけの世界。“わたし”がわたしである証明。

 そのすべてを奪われたわたしを世界に繋ぎとめたのは、全身が焼かれ続けるこの“幻肢痛:ファントムペイン”だけだった。

 この痛みだけがわたしのもの。この痛みを通じてあの人たちが、燃えてしまったあのちいさな世界が、わたしに語りかけている。

 だからわたしは、大切なものを奪われた痛みを忘れない。あの人たちの想いを遂げるまで、わたしは死ねない。

 報復に生きる髑髏、スカルフェイスはこうして生まれた。

 

「これでわかるでしょう。世界が融け合うことなどありえない」

 

 あなたとわたし、(ゼロ)XO(エックスオゥ)でさえ、ことばで意思をひとつになど出来はしない。ましてや、世界など。

 

〈 だが、それはザ・ボスの、 〉

 

「あなたは間違っている!」

 

 なおも自分の過ちを認めようとしないゼロを、スカルフェイスは断罪する。

 東と西、分裂した二つの世界に裏切られ続けたザ・ボスは「世界はひとつになるべきだ」と最期に言い遺し、『スネークイーター作戦』で命を絶たれた。

 その最期を見届けたゼロとFOXの仲間たちは、ザ・ボスの遺志を継ぎ、世界をひとつにしようとする。

 

 それが暗号名『CIPHER』の始まりだ。

 英語という共通言語を媒介に、人々の無意識を操作して空白を作り、その隙間へ同じ物語を刷り込んで共有させることで意志を統制し、世界をひとつにする。

 巧妙なCIPHERはまず手始めにアメリカへ寄生し、次に西側諸国を塗り替えていった。冷戦が終われば東側へとりかかるだろう。

 こうして世界は誰ひとり気付かないままゆるやかに、だが確実にゼロの物語へ統合される。

 

 CIPHERというバベルの塔を、傍から見つめてきたスカルフェイスは、奪われた人間として、ザ・ボスの願いをゼロとは異なるかたちで理解していた。

 浄化虫計画を否定し、一笑に付したゼロ。しかし、ゼロがCIPHERで行なおうとしている「世界をひとつにする」行為は、人々が紡いできた物語を塗り潰す民族浄化そのものだ。

 CIPHERが創る統一世界では、CIPHERにとって正しいことば以外は通用しない。

 CIPHERが提供するプラットフォームや正しさに適応出来ない者のことばは、打ち消されてCIPHERの正しい物語へと上書きされてしまう。

 そうやってゼロは、独り善がりな正しさを押し付けることで、人々から生きている事実を奪い、やがては意思を喰い尽くして生きながらの亡者へと変える。

 スカルフェイスと同じ、奪われた人間であるザ・ボスがそんな暴力を望むはずがない。

 

〈 ……そうか、君もおなじだな、“あいつ”と 〉

 

 あいつ、とはBIGBOSSのことだろうか。

 ザ・ボスの愛弟子にしてゼロの親友でもあった英雄、BIGBOSS。ゼロと共にCIPHERを立ち上げた共同設立者でありながら、BIGBOSSは『恐るべき子供達計画』でゼロと対立した。

 

 CIPHERで情報操作を続けて世界を動かしてゆくうちに、ゼロはある考えにとり憑かれるようになった。

 世界はひとつになるべきだ、けれどその世界を構成する人は弱く、そして危うい。

 世界をひとつに、つまり人々をひとつの意志へ接続するためには、管理者である強い我々が世界から価値のある真実を選び出し、弱い人々を適切な方向へ導いてゆかなければならない。

 ゼロはこの妄執のような善意の支配欲を、物語の操作という方法で実現しようとし、その途上でゼロは、ザ・ボスの死さえもひとつの物語として消費して、BIGBOSSの意志すら利用しようとした。

 

 そんなゼロの支配欲を、BIGBOSSは受け容れられなかったのだろう。

 おれやザ・ボスは、あんたが弄んでいい物語なんかじゃない。『スネークイーター作戦』でザ・ボスを殺したこのおれだからこそ、ザ・ボスの死すら弄ぶCIPHERの手法は許せない。

 そんなものはザ・ボスの遺志ではない。そうやってBIGBOSSはゼロのもとを去っていった。

 

〈 誰も、彼女がみた世界を理解できない 〉

 

「それはあなたもです、ゼロ少佐」

 

 確かにザ・ボスは「世界がひとつになるべきだ」と言った。

 しかしそれは、ゼロのCIPHERのような情報統制で世界を支配することでもなければ、BIGBOSSの『国境なき軍隊』のように世界の規範へ暴力で対抗することでもなかったはずだ。

 スカルフェイスに言わせれば、ゼロはおろか、BIGBOSSでさえザ・ボスの願いの表層しか読み取ることが出来ていない。

 

〈 私から奪った、なにもかも……ッ! 〉

 

 机ごと床へと倒れ、這い蹲るゼロが呻く様に言った。

 かつてスネークイーター作戦にてザ・ボスが、「家族」も「名誉」も「身体」も奪われたと言っていたことを思い出す。

 だが、ゼロにそれを口にする資格はない。あなたこそ、わたしたちから奪おうとしていたのだから。

 

「少佐。あとは、わたしに……」

 

 通話を切ろうとした時、ゼロの方からバッジの転げ落ちる音が聞こえた。

 そうだ、もうひとつある。スカルフェイスはゼロへと告げた。

 

「あなたに渡したバッジは 贋物 だ。本物はこれから わたしが持つ」

 

 独特の特徴を持つそのバッジの贋物を作るのは容易かったが、ゼロにそれが通用するかどうかが心残りだった。

 しかしザ・ボスとの思い出という物語に目が眩み、肝心な真贋を見極めることさえ出来ないとは、ゼロも歳相応に耄碌していたようだ。

 無批判に物語を受け入れることがどのような結末をもたらすのか、ゼロは身をもって思い知ることになるだろう。

 

〈 く、はっ……! 〉

 

 スカルフェイスのことばで、ついにゼロは力尽きた。

 こんな紛い物の為に。ゼロの無念は通信機を越えて、スカルフェイスのいるこのアフリカにまで伝わってくるようだ。

 しかし、ザ・ボスの遺思を読み違え、その紛い物を掲げたあなたには、このような結末こそ相応しい。

 

 わたしがザ・ボスに代わる。スカルフェイスは、通信を終えた。

 

 

 



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サヘルのヒト

:1984年、アフガニスタンにて

 

 核搭載二足歩行型戦車、またの名をメタルギア。

 第二次大戦以降の分かたれた世界で産み出されたその開発史は、複雑な世界情勢へ噛み合うように入り組んだものになっている。

 そのルーツは1960年代、ともすれば1950年代にまで遡る。

 

 1960年代に開発が進められていたソヴィエト連邦の新型核兵器は、「踏みしめるもの(シャゴホッド)」という暗号名を与えられていた。

 這いつくばったカエルのような前部牽引車輌がその名の由来で、牽引される後部車輌は核ミサイルの発射プラットフォームになっていて、平地はもちろん山の上からでも核ミサイルを撃つことが出来る。

 

 特筆すべきなのは、その核ミサイルを発射するための仕組み、“中距離弾道射程合成延伸システム”だ。

 シャゴホッドはその機体サイズの制約から中距離弾道弾しか搭載できなかった。

 中距離弾道弾の射程ではソヴィエトからアメリカまで届かないから、アメリカに向けて核ミサイルを撃ち込むことはできない。

 

 そこで考え出されたのは、『シャゴホッド自体をロケットで加速する』という方法だった。

 当時ソヴィエトはロケット開発技術でアメリカの先を行っていた。そのロケットを空へ飛ばすロケットブースターを、今度は戦車に取り付けたわけだ。

 

 “ロケットブースターで戦車を最高時速300マイルまで加速しながらミサイルを撃つ”、なんて実に奇想天外な思いつきだけれど、その効果は絶大で、ミサイルの射程距離は2500マイルから10000マイルまで拡がった。

 それだけじゃない、シャゴホッドは戦車としては巨大だけど、それでも数機の装甲ヘリで空輸できるし、中距離弾道射程合成延伸システムを使うためにはおよそ3マイルの滑走路さえあればいいのだから、実質ソヴィエトはいつどこからでもアメリカへ核攻撃を加えることが出来るようになったんだ。

 

 もしシャゴホッドが完成して量産化、実戦配備されていたら、如何にして相手よりも有利な状況で核ミサイルを放てるかを競っていたアメリカとソヴィエトの核開発競争、もっと言えば東西の冷戦そのものがソヴィエトの勝利で終わっただろう。

 

 メタルギアのアイデアはもともと、このシャゴホッドとの開発競争に敗れたものだ。

 歩兵と兵器を繋ぐミッシングリンク、両者の間で噛み合い世界を変えてゆく金属の歯車。

 メタルギアを考案したソヴィエトの科学者、アレクサンドル=レオノヴィッチ・グラーニンは、メタルギアという名前にこんな想いを込めていた。

 

 様々な事情から開発計画が頓挫し、シャゴホッドに取って代わられたメタルギアはその後、意外な形で生まれ変わることになる。

 

 1962年のキューバ危機で、実際に核戦争の瀬戸際と直面したアメリカとソヴィエトは、誰も迂闊に核兵器を使うことが出来なくなったことに気がついた。

 片方が核兵器を撃てば、相手から報復の核が返ってくる。その先にあるのは、お互いの息の根を止めるまで核兵器を撃ち合う、世界最終戦争しかない。

 

 『だからお互いに核兵器を撃たず、核兵器を使わざるを得ないような決定的な対立も極力避けよう』、というのが相互確証破壊による核抑止という考え方だ。

 けれど、この考え方には穴がある。

 

 仮に、あなたが核ミサイルの発射ボタンを任されている人間だとして、敵国が核ミサイルを撃ってきたとしよう。

 相互確証破壊の原則に従えば、あなたは反撃の核ミサイルを撃たなければならない。

 しかし、その核ミサイルにもまた敵国から反撃が飛んでくる。

 そうやって核ミサイルを撃ち合っていたら、それこそ世界は確実に終わる。

 

 ここまでわかっていて、それでもあなたは反撃の核ミサイルを撃てるだろうか。

 自分は撃てないかも知れないが、反撃してこないとわかった相手はもっと撃ってくるかもしれないし、あるいは自分と同じようにそれ以上撃ってこないかもしれない。

 相手に敵意があるなら、迅速に相手を滅ぼさないと、続けて放たれるだろうミサイルでこちらが滅ぼされてしまう。

 しかし実は何らかの事故による偶発的な発射で、相手に敵意などなかったら?

 そんなあやふやな状態で、『撃ったら絶対反撃してくるから撃たない』などという相互確証破壊による核抑止なんて成り立つものだろうか。

 

 相互確証破壊の核抑止は、人間が核ミサイルの発射ボタンを握っているから不確実になる。

 だったら、確実に核ミサイルを撃ち返す者にボタンを任せればいい。

 1970年代にCIAが中米で進めていた新型核兵器の開発プロジェクト「平和歩行機(ピースウォーカー)」は、こんな考えを持ったCIA中米支局長、ホット=コールドマンが始めたものだった。

 高度な状況判断、世界情勢、あらゆる周辺情報と推測をひとまとめに判断し、核ミサイルを撃つ。

 人間にだって難しいこの大仕事を、コールドマンは当時研究が進められていたArtificial Inteligence、つまり“人工知能”に任せようと言い出した。

 ここまで高度で強いAIは、ぼくの専門分野じゃないから詳しいことは省くけれど、人間ではなく機械でできたAIなら迅速かつ確実に、そして迷うことなく核ミサイルで反撃できるに違いない、というのがピースウォーカーの大元のアイデアだった。

 

 弾道ミサイルの発射に加えて、ピースウォーカーには水爆による自爆機能が搭載されていた。

 いざとなればピースウォーカー自らが敵地へ乗り込んでいって、自爆による報復を行なう。こんなのは人間には決して出来ない芸当だ。

 コールドマンはピースウォーカーという兵器を、ひとたび核による報復を決めたら、何が何でも報復するように創りたかったのだ。

 

 ピースウォーカーにはもうひとつ特徴がある。

 シャゴホッドは、どこからでも核ミサイルを撃てるように移動しやすい形態を持っていたけれど、ピースウォーカーの考え方はもっと進んでいて、相手からの反撃を避けてより確実な核の報復ができるよう、常に何処へでも移動できることが求められた。

 しかしピースウォーカーを進めていたコールドマンのいる中米は森や湿地が多くて通常の車輌では移動しにくい。

 

 そこでメタルギアのアイデアが復活した、というわけだ。

 ソヴィエトでシャゴホッドとの開発競争に敗れたグラーニンはその腹いせに、自身が開発したメタルギアの構想をアメリカへと横流ししており、それをコールドマンは自らのピースウォーカーに転用した。

 グラーニンがメタルギアを「どこにでも移動できる脚」を持つ兵器として構想していたとおり、無限軌道ではなく脚で歩行するのであれば荒地でも動きやすい。

 さらに、ピースウォーカーを動かすのが人間ではなくAIだというのも好都合だった。移動する際にパイロットへかかる負荷のことを考えなくてもいいからね。

 

 そして今、ぼくの眼前に跪いているのが、メタルギアシリーズの末裔にして最新鋭の歩行兵器、ST-84、暗号名「サヘラントロプス」だ。

 “サヘルのヒト”を意味するこの名前は、アフリカ サハラ砂漠南部のサヘル地方で化石が発掘された古代霊長類、サヘラントロプス=チャデンシスに由来している。

 

 ヒト、を名乗るだけあって、サヘラントロプスの歩行は人間そっくりな直立二足歩行だ。

 背筋を張って直立したときの姿はまるで巨人のようで、完成さえすれば、最古の直立歩行人類といわれるサヘラントロプス=チャデンシスのように、このST-84は最初の直立二足歩行兵器として、世界の兵器開発史に偉大な一歩を刻むだろう。

 

 もうひとつサヘラントロプスの特筆すべき特徴として、そのボディには劣化ウランが利用されていることが挙げられる。

 劣化ウランは砲弾として使われることはあっても、普通であれば兵器の装甲としてはあまり使われない。

 そんな劣化ウランを敢えて使ったのには理由がある。

 

 サヘラントロプスの劣化ウランボディには金属を代謝する極限環境微生物、メタリックアーキアを棲まわせてあった。

 これもぼくは門外漢だけど、サヘラントロプスのボディに棲んでいるメタリックアーキアは劣化ウランを代謝して生きている種類らしく、その代謝過程においてウランを濃縮することで核爆発を起こせるようにしてしまうのだ。

 かつてのピースウォーカーには水爆による自爆機能が搭載されていたけれど、サヘラントロプスはボディそのものが巨大な核爆弾になる。

 

 こんなことを可能にするメタリックアーキアという生き物について、一体どこからやってきたのか、ぼくはよく知らない。

 聞くところによるとメタリックアーキアは、アフリカで寄生虫と微生物の研究をしている博士による研究成果らしい。

 

 ソヴィエトの踏みしめるもの:シャゴホッド、コスタリカの平和歩行機:ピースウォーカー、そしてサヘルのヒト:サヘラントロプス。

 踏みしめ、歩行し、立ち上がる。核搭載歩行戦車メタルギアの開発史は、まるで生き物が辿ってきた進化の道のりみたいだ。

 

 

 

 

「ひとつ聞かせてくれ、エメリッヒ博士」

 

 ぼくにそう尋ねるこの黒ずくめの男。

 この男について素性も本名も知らないが、ぼくはその真っ白に焼け爛れた素顔から、密かに“髑髏の男:スカルフェイス”と呼んでいた。

 ぼくにサヘラントロプスを造らせているこのスカルフェイスという男は、アメリカの非政府諜報機関CIPHERの指揮官だ。

 『国境なき軍隊』にいたぼくを『カリブの虐殺』の混乱に乗じて攫い、このアフガニスタンへと連れてきた。

 

 そう、ここは、カリブのある中部アメリカから遠く離れた中東アジアの荒野、アフガニスタンなのだ。

 ソヴィエト軍が、アメリカの支援を受けたアフガンゲリラを相手に泥沼のアフガン戦争を繰り広げている、あのアフガニスタンだ。

 アメリカのCIPHERが、いったいどんな手管を使ってソヴィエトの内部に入り込んだのか、まるで想像もつかない。

 ただ、スカルフェイスが東側の事情に精通しているのは間違いがなさそうだった。

 ぼくはロシア語に詳しくないけど、いつだったかスカルフェイスがソヴィエトの将校たちと通訳もなしに流暢なロシア語で話し込んでいるのを見たことがある。

 

 そのスカルフェイスが、製造途中のサヘラントロプスを眺めながら、ぼくのいるこの作業用キャットウォークに上がってきた。

 

「わたしは、“直立二足歩行するメタルギア”を求めていたはずだな」

 

「あ、ああ、そうだとも」

 

 メタルギア・サヘラントロプスは、必要に応じて直立形態を取ることもできるけれど、平時は鳥のようにこうして腰と脚を折り曲げた形態へと変形する機構がある。

 これはかつてコスタリカで造ったピースウォーカーの可変するアイデアを応用したもので、こうすれば“直立”も“二足歩行”も両立できる。

 今の技術力で、スカルフェイスの要望に応えるにはこれが最善の選択だ。

 ぼくがそうこたえると、スカルフェイスは苛立ったようだった。

 

「ならば、()()は、なんだ。サヘラントロプスはいつになったら、直立二足歩行をするのだ。完成まで、どれだけ待てばいい」

 

「サヘラントロプスはまだ未完成なんだよ!」

 

 ST-84サヘラントロプスの開発は、実は見た目ほど進んでいなかった。

 ただでさえ比重が重い劣化ウランを使っているのに、スカルフェイスが求めたように人間を乗せられる操縦席を頭に据えるとなると、頭の比重はもっと重くなる。

 重たい頭を高い重心で支えるには強靭な足腰と胴体、精密な姿勢制御が欠かせない。

 実現させるには膨大な数の試行と無数の微調整が必要になってくる。

 今の時点で造ろうとすれば、子供が乗ってやっと動かせるかどうかという代物か、そうでなければ非現実的なほど大きな胴体にするしかない。

 

 幸か不幸か、予算の方は心配がなさそうだけれど、実現させるには時間と人手とアイデアがまったく足りていなかった。

 無線操縦やAIによる自律駆動も試したけれど、いずれも実用的な完成には至らなかった。

 そもそも“直立二足歩行をする巨大戦車”なんて不合理の塊で、メタルギアを着想したグラーニンさえ理論上のモデルに留めて実現しようとはしなかったくらいだ。

 単に、立って歩かせるだけなら今の仕様でも充分なはずだ。

 

 しかしスカルフェイスは、人間のような直立二足歩行をさせることに執拗にこだわっていた。

 岩山を見通し、荒地を踏み越えてゆく強靭な直立二足歩行が必要なのだと、スカルフェイスは言い張った。

 たしかに、シャゴホッドやピースウォーカーでは、高低差のある険しい山岳地帯であるアフガニスタンを進むのは難しいし、直立二足歩行を遂げた世界最古の人類といわれるサヘラントロプス・チャデンシスの名前を付けるからには、それなりに思い入れもあるのだろうけど、出来ないものは出来ない。

 

「……ふむ。つまりあなたは、こう言うわけだ。このサヘラントロプスが、ヒトとして大地を闊歩するには、もっと時間がかかると」

 

 ぼくからの説明を黙って聞いていたスカルフェイスは、顎に手を当てて少し考えるような仕草をしたあと、こんなことを言った。

 

「エメリッヒ博士。わたしは近頃、あることを思い出す。このサヘラントロプスよりも前、あなたとわたしの最初の『共同作業』のことだ」

 

 いきなり何を言い出すんだ。あのカリブの虐殺のことを言ってるのか。

 

「あれは、おまえが騙したんじゃないか。ぼくは『国境なき軍隊』を守ろうとしただけだ」

 

 あれは1975年のことだった。

 『ピースウォーカー事件』で核弾頭を手に入れた『国境なき軍隊』に対し、|国際原子力機関:IAEAが査察に入るという話が持ち上がった。

 BIGBOSSことスネークをはじめとして他のみんなは渋ったけれど、ぼくはそれを受け入れるように話を進めた。

 ぼくたちがカリブ海にいた頃、世界中がぼくたちを睨んでいた。

 『国家に帰属しない軍隊』といえば聞こえはいいけれど、実態は単なる武装集団に過ぎない『国境なき軍隊』が核兵器を持っているなんて過激すぎる。

 

 だからIAEAを通じて、国連という国際的に権威のある第三者に、ぼくたち『国境なき軍隊』が核兵器を持っていないことを保証してもらうのが一番いいと思った。

 『国境なき軍隊』は、核兵器を振り回す狂ったカルト集団なんかじゃあない。

 『国境なき軍隊』は、秩序から外れたものとして世界を守る平和の守護者なんだ。

 そんなぼくらの信念を、世界に向けて証明しようと思ったんだ。

 

 そんなぼくの思いにつけ込んできたのが、CIPHERのスカルフェイスだった。

 核査察の件はそもそもでっち上げ、やってきた査察団はCIPHERの実行部隊XOFが化けた偽物だった。

 スカルフェイスの嘘にすっかり騙されて、警戒を解いていた『国境なき軍隊』は為す術もなくやられてしまった。

 それがあの夜、『カリブの虐殺』で起こった出来事だ。

 けれど、スカルフェイスはせせら笑うように言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のかもしれないが、“昔の仲間たち”にとってはどうだ」

 

 『国境なき軍隊』のメンバーも、あのカリブの夜で皆殺しになったわけじゃない。

 風の噂では、『国境なき軍隊』の中心メンバーだったカズことカズヒラ=ミラーはアフリカで新しい組織を立ち上げたらしい。

 チコは死んだと聞いているけれど、他のメンバーもどこかに生き残っているかもしれない。

 

「わたしは憶えているぞ。あの時、連中の武装解除を指示したのはあなただし、わたしのXOFを管制塔へ招き入れたのもあなただった。ん、ちがったかな」

 

 違う、いや、それは。口を開こうとするぼくへ、スカルフェイスは畳み掛けた。

 

「あの一件でトロイの木馬を担ったあなたは、いかなる魔法を使ったのか無傷で助かって、そのあと何年もCIPHERの下でのうのうと暮らしながらその挙句に、『国境なき軍隊』での研究よりも|大きな研究成果:サヘラントロプスを手に入れている……それでも自分が無実だと主張しきれると。これだけの状況が揃っている中で。わたしなら無理だ」

 

 違う、違うんだ。

 ぼくは本当に知らなかった、ぼくは本当に核査察だと思っていたんだ、ぼくはあのあと捕らえられて、脅されていやいや研究をさせられていたんだ、ずっとCIPHERの言いなりに。

 言い返そうとする反論が、スカルフェイスに気圧されて口から出てこない。

 ぼくは後ずさりしたかったけど、すぐに鉄柵へとぶつかった。これ以上後ろへ下がったら、あとは鉄柵を乗り越えてキャットウォークの下へと飛び降り自殺するしかない。

 

「少なくともカズヒラ=ミラーは、あなたのことを『仲間をCIPHERへ売り渡した裏切り者』だと思っている。あなたを仲間だとは認めないだろうな、あの男は」

 

 ぼくの肩をスカルフェイスが、ぽん、ぽん、と叩いた。

 

「しかし、わたしとあなたの関係とは違う。あなたはわたしの、共犯だ。わたしは、あなたが懸命に働いてくれればそれでいい。わたしのためでなく、あなた自身のために」

 

 底の知れない邪悪なスカルフェイスの瞳がぼくを射抜く。

 

「……最善を尽くすよ」

 

 しばらくしてからぼくが答えると、スカルフェイスは「わかればよろしい」と、ぼくに背を向けてキャットウォークを降りていった。

 どうやらスカルフェイスは気が済んだらしい。緊張が解けて、ぼくは溜息をつく。

 

 まったく、近頃のスカルフェイスときたら、サヘラントロプスの開発がなかなか進まなくて苛々しているようだけれど、それは開発者のぼくだって同じ。

 いや、むしろ開発者のぼくこそ辛いんだ。どうしてわかってもらえないのだろう。

 

「あなたはいつでもそうだ」

 

 聞こえた声に振り向くと、スカルフェイスが階下からぼくの方を横目で見ていた。

 

「何かが起これば、場当たりの作り話で周囲はおろか自分自身さえも誤魔化す。自分はいつも被害者、悪いことはすべて他人のせい。自分が楽しいことに逃げ込んで、その結果には目もくれようとしない」

 

 ぼくを見つめるスカルフェイスの目線は、さっきなじってきたときよりも遥かに冷たい。役に立たないぼくのことを、心の底から軽蔑しているようだった。

 

「……つくづく腐った男だな、あなたは」

 

 ふん、と鼻を鳴らして、スカルフェイスは研究棟から出て行った。

 あとには未完成のサヘラントロプスと、ぼくが残された。

 

 

 

 

:上記から数日後、アフガニスタン、ソヴィエト連邦軍ベースキャンプ近辺にて

 

 1975年の『カリブの虐殺』から9年という月日を経てよみがえった英雄BIGBOSS、またの名をヴェノムスネーク。

 ある日、彼の属する新組織『ダイアモンド・ドッグズ』がエメリッヒ博士からの救助要請を受信。ヴェノムスネークはソヴィエト連邦のベースキャンプに囚われているというエメリッヒを連れ帰るため、現地アフガニスタンへと潜入した。

 そして今ヴェノムスネークは、基地内から連れ出したエメリッヒ博士を肩に担いだまま、ソヴィエト連邦のベースキャンプを脱しようと試みている。

 

 大抵の捕虜なら、フルトン気球で空に打ち上げてしまえば、あとは上空で待機しているダイアモンド・ドッグズのヘリが回収してくれる。

 しかしエメリッヒは例外だった。

 生まれ持った下半身の障害が原因で補助具なしでは立ち上がることも出来ないエメリッヒを、フルトンで打ち上げるのは危険すぎる。

 だから安全な着陸点を確保し、そこまで連れていった上で、直接ヘリに載せてやらなければならない。

 おかげでヴェノムスネークは、エメリッヒを連れてゆく道中、耳元で呟かれ続けるエメリッヒの言い訳を延々と聞かされる羽目になった。

 いわく、

 

「ぼくは知らなかった、核査察は本物だと思ってたんだ」

 

「もとはといえば悪いのはスネークだ、ぼくたちは核を持つべきじゃなかった、だからマザーベースは破壊されたんだ」

 

「ぼくはCIPHERに脅されて、兵器としての二足歩行機の研究を強要されていた。九年間ずっと、やつらの言いなりにされてたんだ」

 

「九年ぶりに会えたんだ……スネーク、ぼくたちは仲間だろう? 今だって運命を共にする仲間だ、な?」

 

「放してくれ、降ろしてくれ、ぼくの脚を返せ!」

 

 いずれも聞くに堪えない戯言だった。

 無線を通じてヴェノムスネークのミッションを見守っているカズヒラ=ミラーなどは、〈 エメリッヒは無視しろ! 〉と吐き捨てたくらいだ。

 

 9年前の1975年、BIGBOSSが率いていた『国境なき軍隊』は、本拠地マザーベースにIAEAの核査察を招きいれた。

 だが査察団は贋物、その正体はスカルフェイスが率いるCIPHERの実行部隊XOFだった。

 連中を査察団だと思い込んでいた『国境なき軍隊』は、早々に管制塔を押さえられたことや、武装解除していたこともあって呆気なく壊滅状態に追い込まれてしまった。

 

 その『カリブの虐殺』で贋の核査察を受け入れ、「IAEA相手に武装している状態では印象が悪い」という理由で『国境なき軍隊』に武装解除をさせた挙句に、XOFの連中を管制塔にまで上がり込ませたのが、当時『国境なき軍隊』に籍を置いていたエメリッヒ博士だ。

 それ以来、エメリッヒはずっと姿を消しており、その消息を9年間捜していたミラーも今回の救助要請を受けてようやく接触できたところだった。

 

 間違いない、エメリッヒはCIPHERと組んでいた。ミラーはそう断言した。

 エメリッヒは裏切りの容疑者だ。せっかく向こうから接触してきたんだ、お望みどおりマザーベースへ回収してやろうじゃないか。思い出話は尽きないだろう。

 そう言ってヴェノムスネークを送り出したミラーの声は、冷静さを保ちながらも、その奥で燃え盛る怨念を隠しきれていなかった。

 

 誰に聞かせているのかも怪しいエメリッヒの物語に対し、ヴェノムスネークは一切返事をしなかった。

 鬱陶しかったというのもあるが、それ以上に今のヴェノムスネークからすれば、ソヴィエトの兵士たちの監視を掻い潜るのに忙しく、エメリッヒの相手をしている場合ではなかった。

 ヴェノムスネークにとって、今のエメリッヒはただ運ばれるだけの荷物に過ぎない。

 物陰から物陰へ、監視の隙間から隙間へ。ヴェノムスネークはその暗号名のとおり蛇のように、黙々とソヴィエト連邦ベースキャンプの外へと向かっていた。

 ヴェノムスネークの無線に、通信が入る。

 

〈 こちら、捕鯨船(ピークォド)、まもなく着陸予定地点に到達 〉

 

 ダイアモンド・ドッグズの輸送ヘリ:ピークォドからの連絡だった。

 ヴェノムスネークをアフガニスタンにまで送り届けたピークォドは、その後ソヴィエト連邦軍の探知に引っ掛からないよう近辺に潜伏していたが、ヴェノムスネークからの「ミッションターゲットであるエメリッヒを回収した」という連絡を受けて、ヴェノムスネークたちを迎えるために戻ってきていた。

 あとは、ヴェノムスネークがその着陸地点までエメリッヒを連れてゆくだけだ。

 

 ピークォドは、ソヴィエト連邦のベースキャンプの裏手で待機していた。

 ミッションは予定通り順調に進んでいる。ヴェノムスネークがまず肩に担いだ荷物、エメリッヒ博士を載せようとしたそのときだ。

 

 

 上空に閃光がまたたき、閃光は巨大な鉄の塊になって、地上へと墜ちてきた。

 

 

 とっさに飛びのくヴェノムスネーク。

 ヴェノムスネークを迎えに来たピークォドは、墜落してきた鉄の塊を回避しようと急上昇、空へと逃れた。

 巨大な鉄の塊が轟音と共に着陸、その衝撃で砂埃が舞い上がる。立ち込めた土煙はやがて晴れ、降ってきた鉄の塊がその全貌を露にした。

 

 それはまるで、物語に出てくる巨人だった。身長は数十メートル、ボディはおそらく重金属で出来ているのだろう。

 巨人は、長い手足を備え、まるでヒトのように長い二本脚で大地に直立している。

 そして少々でっかちな頭部の前面、人間でいえば顔に当たる部分には、ゾンビのような髑髏のノーズアートが描かれていた。

 ヴェノムスネークの肩の上から巨人を見上げたエメリッヒが、動揺したように叫んだ。

 

「サヘラントロプス!?」

 

 この化け物の正体は、エメリッヒがCIPHERで創らされていたとかいう二足歩行兵器、言うなればソ連製のメタルギアというところか。

 エメリッヒが叫んだ“サヘラントロプス”というのは、おそらく開発時の暗号名だろう。

 

「どうして!? 馬鹿な、動くはずがない!」

 

 エメリッヒはいったい何を言っているんだ、とヴェノムスネークは思った。

 現に、目の前で動いているじゃないか。それなのに「動くはずがない」とはどういうことだ。

 疑問はあるが、それを説明してもらう余裕はない。少なくとも、エメリッヒですら想定していなかった異常事態が起こっているのは確かだ。

 

「博士! 思ったとおり、貴様はやはり役立たずだ。見ろ、貴様がいなくてもサヘラントロプスはこのとおりだ!」

 

 メタルギア・サヘラントロプスの掌の上で、CIPHERを率いる髑髏の男:スカルフェイスが得意げに叫んでいる。

 スカルフェイスは大仰な手振りを交え、興奮した様子でエメリッヒに宣告した。

 

「おまえは、そこのBIGBOSSと共に死ぬのだ。この日、兵器が直立二足歩行を成し遂げた、記念すべき日にな!」

 

 メタルギア・サヘラントロプスは、岩山の陰から現れたXOFのヘリにスカルフェイスを渡してやると、ヴェノムスネークたちの方へその髑髏のノーズアートを向けた。

 ヴェノムスネークとエメリッヒを見下ろしているサヘラントロプスの視線からは、尋常でない強烈な殺気が溢れ出ている。

 無線機越しにミラーが叫んだ。

 

〈 スネーク、逃げろ! エメリッヒの回収を優先するんだ! 〉

 

 正面からやりあって勝てる相手ではない。ヘリで逃げようにも、こいつを振り切らなければ落とされてしまうだろう。

 メタルギア・サヘラントロプスと、ヴェノムスネークによる、命懸けの鬼ごっこが始まった。

 

・・・・・・

 

 結局、メタルギア・サヘラントロプスはヴェノムスネークたちを取り逃した。

 

 ヴェノムスネークを猛追するメタルギア・サヘラントロプスだったが、隠れん坊に関してはヴェノムスネークの方が一枚も二枚もうわてだった。

 あちこちから突き出た大小の岩と樹木、乗り捨てられたクルマ、建物の廃墟。地形を巧みに活かして風景へと溶け込むことで、敵の意識から外れて勝機を掴むスニーキング技術。

 サヘラントロプスが相手にしたヴェノムスネークは、そのスニーキングの真髄を極めた男だった。

 

 サヘラントロプスがヴェノムスネークを見失ったほんの一瞬の隙を突き、ヴェノムスネークは自らの輸送ヘリにまんまと接触。

 意趣返しとばかりにヘリの機銃でメタルギア・サヘラントロプスにダメージを与えたあと、そのまま空の彼方へと逃げ去ってしまった。

 

 その様子を、スカルフェイスはXOFのヘリから見守っていた。

 「殺す」と宣言したものの、本当に殺せるかどうかはほぼ五分五分で、本音を言えばヴェノムスネークことBIGBOSS相手に今のサヘラントロプスがどれだけ肉薄出来るかがわかればそれでよかった。

 結果、ソヴィエトの『シャゴホッド』と、コスタリカのメタルギア『ピースウォーカー』相手に勝ち抜いてきた百戦錬磨のBIGBOSSを相手に、ここまで追い詰めることが出来た。

 試運転としては上出来だ。悪くない結果に、スカルフェイスは満足していた。

 開発者のエメリッヒが匙を投げた直立二足歩行問題も、これでようやく片がつく。

 

 スカルフェイスが乗るヘリの眼下では、ソヴィエトの作業員たちが、破損したメタルギア・サヘラントロプスを分解する作業にとりかかっている。

 サヘラントロプスはヴェノムスネークが逃げ際に放った機銃掃射でダメージを受けてはいるが、修復不能なほどではない。

 破損したメタルギア・サヘラントロプスはこれから部位ごとに分解され、XOFの輸送ヘリによって次の拠点へ移送。

 今回受けたダメージの修理は、向こうで行なう予定だった。

 

 さて、次は“あの老人”に会わなくては。

 次なる“計劃”に向けて、スカルフェイスはアフリカの拠点へと飛んだ。

 

 

 

 



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アバドンの苗

:1984年某日、アフリカにて

 

「すまないな、予定が変わった。優雅に過ごせるほどの時間がなくなった」

 

 顔をそらすナヴァホの尊老コードトーカーを見据えながら、スカルフェイスは言う。

 

「残念な態度だな。誰を寄越しても口を利かない。では、よほど わたしに会いたいのか思っていたが、こうして目もあわせない」

 

 まるで動物園の動物が寝ていて退屈している子供のように、コードトーカーの周りを歩き回るスカルフェイスに、コードトーカーが口を開く。

 

「よせ、わたしに拷問など効かん。白い男(ビラガアナ)よ、おまえならわかっているはずだ」

 

 CIPHERに囚われ、望まない研究を強いられてきた老科学者コードトーカーは、スカルフェイスを拒絶する。

 拒むことさえままならない苦しい現状だが、それでもスカルフェイスの為にこれ以上手を汚したくはなかった。

 

「もちろん あなたに手荒な真似をするつもりはない。よほどの痛みを感じたとしても あなたがそれに耐えられないとも思わない」

 

 わかりきっていることだ、とばかりにスカルフェイスは大仰に肩をすくめつつ、懐から小さなハンドベルを取り出し、「兵士をひとり外に立たせてある」と言った。

 

「特別な人間じゃあないが わたしには従順だ。伝えてあることはひとつ。わたしがこのベルを鳴らしたら、あるところに連絡を入れる。『GO』。それだけだ」

 

「よせ」

 

「だが、その先は複雑だ。連絡はある部屋へ届く。ここより少し広い程度、大した広さじゃない。そこにはあなたの一族、ナヴァホの民がいる。わたしの兵士に囲まれて……」

 

「よせ!」

 

「無作為に選んだ。年齢、性別もかまわず……こちらはあなたとは違い、あなたほど分別を知らない者たちだ。ひとりずつ、動けないようにして目隠しを。秩序のためだ、許してくれ」

 

「きさま……っ」

 

 怒りと屈辱に身体を震わせるコードトーカーを見て、スカルフェイスは双眸をにやりと細めた。

 

「『GO』。その連絡を聞いたら わたしの兵は、この中からひとりを選んで感染させる。あなたが造った『声帯虫』をな」

 

 Vocal cord Parasite:声帯虫。動物の喉に寄生する寄生虫の一種で、宿主の声に反応して繁殖を行う。

 生まれた幼生はその肺を喰い尽くして宿主を殺し、さらに唾液や体液を介した飛沫感染でその範囲を拡大してゆく。

 かつて太古の昔に絶滅したはずの種だったが、『賢者達』とCIPHERがそれぞれの目的のために蘇らせていた。

 

 宿主が人間であれば、声帯虫が反応する声とはすなわち ことばだ。

 コードトーカーが育て上げた声帯虫は、喋る ことばに反応して宿主を殺し、さらに感染を拡げる寄生虫兵器として完成されていた。

 愛する蟲たちで、人を殺すための研究を。

 

「わたしの一族に声帯虫は効かん」

 

 苦し紛れに反論するコードトーカーだが、スカルフェイスは動じない。

 

「もちろん、あなたがたナヴァホの言語に声帯虫が感応しないのは知っている。だが“英語”ならどうだ」

 

 スカルフェイスの発言に、コードトーカーは戦慄した。

 

「『声帯虫の英語株』……まさかっ、存在するのか」

 

 交配と選別を繰り返せば、特定の言語にだけ反応する声帯虫を作り出すことは可能だ。

 実際、コードトーカーがCIPHERに強いられていた研究は、その品種改良ノウハウを確立する為の研究であった。

 たとえば、日本語株であれば日本語を話す者だけを選んで殺し、感染を拡げる。一方で、反応しない言語の話者は、喉にとりつかれたとしても日本語を喋らない限り死ぬことはないし、感染が拡がることもない。

 

 言語の破壊は、その言語が使用される歴史、文化、国家、そしてコロニーの破壊も伴う。

 品種改良した声帯虫を密かに外界へ放てば、狙った特定の言語の話者だけを根絶やしにする民族浄化さえも可能になる。

 これが、かつて『賢者達』が夢想した、『浄化虫計画』だ。

 

 しかし、それが英語株となれば話は違ってくる。

 西洋文明とその植民地を筆頭に、全世界へ深々と根を下ろした覇権言語こと英語は、世界というシステムの成立にもはや必要不可欠な共通言語:リングワフランカとなっている。

 その英語の話者を殺す英語株が蔓延すれば、過去に起きたどの戦乱や虐殺でさえ比較に及ばない、大量殺戮と混沌が世界中を覆う。

 

 コードトーカー自身もかつて空想したが、実現することだけは固く戒めた、禁断の声帯虫。それがこの世に存在する、とスカルフェイスは言っているのだ。

 

「ベルの音が一度聞こえるごとに、ひとりずつ蟲に感染させる。その者がナヴァホ語を捨てて英語を話せば、英語株が発症するのだ」

 

 英語が共通語なのはナヴァホも例外ではない。

 長年続いたアメリカの教育政策もあって、ナヴァホの一族には英語しか話せない者さえ出てきている。

 世界中の少数言語と同様、ナヴァホもいずれ英語の勢力圏に飲み込まれてしまうだろう。

 

 つまり、結果は簡単だ。

 スカルフェイスが手に持っているこのベルを鳴らせば、ナヴァホの一族は歴史的パンデミックを引き起こした爆心地として、人類史へ永久の汚点を残すことになる。

 人類史上最大の虐殺を引き起こしたという汚名を、スカルフェイスに協力したコードトーカー個人が背負うか、でなければナヴァホの一族全員で背負うか。それがスカルフェイスが掲示した条件なのだ。

 コードトーカーは憎悪に顔を歪め、あらん限りの罵倒を投げつけた。

 

「このひとでなしめ」

 

「わたしの本意ではない。わたしは、あなたとナヴァホの一族に敬意を払っている。できればこのベルを鳴らしたくはない。だから あなたが話してくれることを望んでいる」

 

「用件はなんだ、ビラガアナよ」

 

 スカルフェイスが、コードトーカーに強いたのは、声帯虫の研究だけではない。

 ナヴァホの故郷は、アメリカが開発した核兵器の残り滓である、核廃棄物の棄場として利用され、今は重い放射能汚染に苦しめられている。

 

 CIPHERはそこに付け込んで来たのだ。

 汚されてしまったあなたの故郷を、よみがえらせる為の研究をしてみないか。我々は、あなたの故郷を救いたいのだ。

 スカルフェイスはそう言って、コードトーカーに近づいてきた。

 

 当初は“金属を代謝する極限環境微生物:メタリックアーキア”の培養研究だけだったが、ほどなくして真の研究目的が故郷再生などではなく軍事利用であることにコードトーカーは気づいた。

 しかしそれがわかった頃には時すでに遅く、挙句の果てにはメタリックアーキアを使った新型装甲服や核兵器の開発にまで従事させられた。

 

 先日訪れた際のスカルフェイスの話では、段階は終局に差し掛かっているという。

 ならば一体、これ以上何を求めるというのだろう。

 

「コードトーカーよ、教えてくれ。あの蟲に感染し、喉へ寄生したあとのことだ。それを取り除き、発症を止める方法はあるのか。あなたは、あの蟲を発症させない方法を知っているはずだ」

 

 声帯虫とヒトの縁は深いもので遡れば太古の昔、ヒトがヒトとなる前にまで至る。

 ヒトが言語を手に入れたのには様々な要因や仮説が存在するが、その歯車のひとつを担ったのが、直立歩行を成し遂げた原人の喉へ巣食った声帯虫であったという。

 ヒトの喉に巣食った声帯虫は、宿主の声帯をより言語を操るのに適した形へと変えてしまったのである。

 

 その由縁ゆえに、ヒトの免疫系は親和性の高い声帯虫を拒絶せず、それどころか身体の一部にまで取り込んでしまう。

 外科的に除去するとすれば、それこそ患者の声帯を抉るしかないが、どちらにせよ患者が声を失うことは避けられない。

 発症や感染を抑制する方法もあるにはあるが、根治できるわけではないし、それには大きな代償を払う。

 どのような方法にせよ、とても実用的ではない。これが、現時点におけるコードトーカーの結論だった。

 

「あれはおまえの思い通りになどならん。忘れるのだ」

 

「忘れる。まさか」

 

「わたしは、貴様などに」

 

 そのとき、ちりん、とベルの音が鳴った。コードトーカーの中で時が止まる。

 

「今、何をした……」

 

 目線を移すと、スカルフェイスの手元でベルが揺れていた。愕然とするコードトーカーを、スカルフェイスは冷笑する。

 

「わたしが鳴らしたのではない。あなたが わたしに鳴らさせたんだ」

 

「貴様ァ!」

 

 我を忘れて飛び掛ろうとするコードトーカーを、軽くいなすスカルフェイス。

 

「よしなさい、コードトーカーよ。あなたは わたしの役に立つために生きている。だがそれを望んではいないだろう」

 

 コードトーカーの耳元で、スカルフェイスは囁き続ける。

 

「では何故 死を選ばない。生きている望みはなんだ。かの大陸、アメリカにいるナヴァホという部族を、わたしから守ることだ」

 

 ぐ、とコードトーカーが唸る。

 スカルフェイスがナヴァホの一族に手を出さないのは、まだコードトーカーに利用価値があるからだ。でなければ、この冷血漢は容赦なく一族を殺すだろう。

 だからこそコードトーカーは屈辱と悔恨に耐え、大罪の片棒を担いででも生き延びてきた。

 

「そうだ。目的を見失うな。協力を拒まないでくれ。そんなことがあれば……」

 

「やめろ!」

 

 手元のベルを傾けようとするスカルフェイスを、コードトーカーは制止する。その反応にスカルフェイスは満足げそうに微笑む。

 

「もう、それを使うな」

 

「ええ、あなたにそう願うとしよう。さあ、教えてくれるだけでいい。声帯虫の発症を止める方法を」

 

 何の為に。なぜ必要なのだ。コードトーカーの問いに、スカルフェイスが語り始める。

 

「マサ村落で、大人の兵士たちが死滅した。川の上流にある研究所から蟲が漏れたらしい。おかげで『声帯虫のキコンゴ株』が村に繁殖した」

 

 だから言ったのだ、とコードトーカーが顔を覆う。

 スカルフェイスがマサ村落の上流でコンゴ語、すなわちキコンゴ話者を実験台とした声帯虫の感染実験を行なうと言い出したとき、コードトーカーは強く反対したが、スカルフェイスはそれを無視した。

 

 賢者達から回収した浄化虫計画の研究データには、いくつか欠落があった。

 民族浄化虫を夢想し、それを可能とし得る権力を持っていたはずの賢者達が、結局民族浄化虫を実現できなかったのは、流石の彼らも実証実験を行なうことは憚られたからだろう。

 その狂気を継ぐスカルフェイスの計画を実現するには、実際の声帯虫がどれくらいの速度で、そしてどれほどの規模の感染を拡げるのか、実際にこの目で確かめておく必要があった。

 

 勿論、無制限に拡げてゆくわけにはいかないから、感染源の水源に向けて、近くのンフィンダ油田から原油を流出させることで、声帯虫の拡散を封じ込める算段だった。

 だが、あるプライベートフォースにンフィンダ油田が破壊されたことで、その封じ込めが中断。

 結果、抑え込まれていた蟲が解き放たれ、生活用水として使われていた川の水を通じて大人たちへと感染。

 キコンゴを話していたマサ村落の村人たちを皆殺しにしてしまった。

 スカルフェイスはこれを、「不幸な事故だった」という一言で済ませた。

 

「だが、この件でわたしは悟ったのだ。あなたの言うとおり、わたしは謙虚になるべきだった。『あの蟲は思い通りにならない』……ならば止める方法もまた必要だ」

 

「そんな方法など、ない」

 

 コードトーカーがなおも否定すると、ほう、とスカルフェイスがベルを構える。

 

「ま、待て、それを鳴らすな」

 

「あなたが決めることだ。さあ、はやく!」

 

 そのとき、コードトーカーはあることに思いあたった。

 

「そうか……それだけではあるまい」

 

「……なに」

 

「おまえは、この土地の各所で、“あの仔ら”を繁殖させた。いや、ここだけではあるまい。民族浄化虫などとぬかし、様々な言語の株を選り分け、人に宿し、これを殖やした」

 

 考えてみれば簡単なことで、この執拗さは必要性の裏返しだ。

 かつて、声帯虫の予防になどまるで興味を持たなかったこの冷酷な男が、ここまで迫る理由があるとすればそれはひとつしかない。

 

「やがておまえは感染したのだ、おまえ自身が無数の言語株に! おそらくはおまえの母語、北トランシルヴァニアも……」

 

 スカルフェイスの表情から薄笑いが剥げ落ちた。

 スカルフェイスは、自らの母語に反応する言語株だけを選り分けて、根絶しようとしたのだろう。

 しかしその過程で、よりにもよって自分自身がその言語株に感染してしまった。

 ことば に誰よりも執着してきたこの男にとって、母語を話せないことがどれほどの苦痛なのか、想像するまでもなかった。

 アフリカとアフガニスタンで様々な言語株の声帯虫を養殖し、多くの人命を弄んできた報いをスカルフェイス自身が受けたのだ。

 

「だまれっ!」

 

 スカルフェイスが激昂する。数年間の付き合いでしかないが、コードトーカーにとっては初めて見る表情だった。あのビラガアナが動揺し、弱みを晒している。

 

「ビラガアナよ、貴様こそ、報いるのだ。わたしの一族を解放しろ、二度と手を出すな。さあ、どうなのだ」

 

 スカルフェイスにコードトーカーは詰め寄った。

 今度はコードトーカーがスカルフェイスを脅す番だった。邪悪なビラガアナめ、わたしに命乞いをしてみせるがいい。故郷への想いはおまえも同じはずだ。

 コードトーカーからの思わぬ逆襲に、スカルフェイスは遂に折れるかに見えた。

 

 

 だが、スカルフェイスは、笑っていた。

 

 

「ふふふ、はははは……」

 

 ちりん、ちりん、とベルの音が続く。

 

「よせ、なにをする」

 

「ははははは……わたしは、ことばを喪うことを畏れていない。あらゆる『言語株』がわたしの中にいるだろう。すなわちわたしは、既に世界中のことばを喪っているのだ」

 

 だがそれでいい、いざとなればわたし自身が言語株の苗床となるのだ、スカルフェイスは虚ろに笑った。そして地球から全ての言語を消し去り、世界を終わらせる。

 

「いいのか。母語を話せば死が、ともすれば残された同胞をも滅ぼすことになるぞ」

 

「多少の声では発症には至らない。いずれにしろ、故郷にまだ“この顔”は向けられない。わたしの報復が終わるまではな」

 

 もう時間がない。そろそろ別れのときだ。ベルを鳴らしながらスカルフェイスはコードトーカーに迫った。

 コードトーカーは、スカルフェイスの瞳の奥に、揺らめく狂気の炎を見た。この男はもう止まらない。交渉など成立しないだろう。

 コードトーカーはスカルフェイスの手元のベルを見た。これで何人のナヴァホが犠牲になっただろう。

 ついに、コードトーカーは口を割った。

 

「……放射線だ」

 

 放射線で生殖細胞を焼き、寄生虫の子種を絶つ。

 コードトーカーのアイデアは、生殖細胞が体細胞よりも放射線の感受性が高いことを利用するものだった。

 さしもの声帯虫も、繁殖できなければ幼虫が肺を食い尽くすことはないし感染が拡がることもない。

 

「放射線、そうか。やはり放射線か」

 

 スカルフェイスも合点がいった様子だった。

 “放射線で生殖細胞を焼く”というアイデア自体は、決して斬新なものではない。

 今から30年以上も前にその方法論が発案され、そして1955年には、害虫を駆除する為の不妊虫放飼として実用化されている。

 しかし、それはとてつもなく危険な賭けでもあった。

 

「検証はしていない。突然変異の行方ははかりしれん。宿主への影響も、ましてや感染後に行なうなど何が起きるか……!」

 

 放射線によって捻じ曲げられた生物の形質や変化が、果たしてどのような方向性に進むのか、今の科学ではまったくもって未知の領域だった。

 上述の不妊虫放飼も、無数の検証実験と研究によって、やっと編み出された手法だ。

 ましてや、既に人間の体内に入り込む術を覚えている声帯虫を、予測不可能な手段で改造しようとするなど危険すぎる。

 たしかに、ハリウッドのモンスター映画のような変化はないかもしれない。しかし、新たな疫病を創り出してしまう可能性は充分に有り得る。

 

 コードトーカーは警告するが、聞きたいことを聞きだすことが出来たスカルフェイスは、もはや用済みとばかりにコードトーカーに背を向けて歩き出していた。

 使うべきなのは放射線、それだけわかれば検証はあとからいくらでも出来る。

 

「コードトーカー、あなたはわたしの命の恩人でもある。幾度となく焼かれたわたしの身体が保たれているのは、あなたの長年の研究がもたらした“こどもら”のおかげ。だからこそ、わたしはあなたを信じている」

 

 そう答えたスカルフェイスに、コードトーカーは言った。

 

「ならば、わたしの過ちを継ぐな」

 

「過ち?」

 

 部屋を出ようとしたスカルフェイスが立ち止まり、ちらとコードトーカーを見やる。

 

「西洋では ことばは 肉となり我々の間へと宿った。東洋では血肉たるヒトが、ことばに霊力をもたらす」

 

 かつてはヒトも、この声帯虫が、福音をもたらすことを知っていたのだ。

 そして、ことばを弄ぶ行為がどのような災厄をもたらすかということも。

 声帯虫を蘇らせてしまったコードトーカーや賢者達の過ちを、スカルフェイスが継ごうとしている。

 世界に降りかかる災厄を止めなければならない。

 

「ヒトが触れてよいものではない、触れてはならんのだ!」

 

「ふむ、ありがとう。憶えておこう」

 

 コードトーカーの警告を聞き流しながら、スカルフェイスが扉を開けた。

 外光が差し込み、薄暗い屋内が一気に明るくなる。

 明るい光に慣れてきて、外の光景を見たコードトーカーは目を見開いた。

 

「……おらん、兵士などおらん!?」

 

 スカルフェイスの言っていた『外の兵士』など、扉の外のどこにも見当たらなかった。ならば、スカルフェイスは一体誰にベルの音を聞かせていたのか。

 

「おやあ。どこかへ行ってしまったか。わたしが思っていたほど、従順ではなかったな」

 

 驚愕するコードトーカーの反応に、とぼけるかのようにスカルフェイスは周囲を見回した。

 もちろん、CIPHERの命令に逆らえる兵士などいるわけがない。

 それに冷静になって考えれば、声帯虫の英語株などという危険な代物をこんなに都合よく大量に用意できるはずもなかった。

 コードトーカーはまたしても、スカルフェイスに弄ばれたのだ。

 

「コードトーカーよ。これで本当の別れだ。では」

 

「貴様……貴様ぁぁぁ!!」

 

 屈辱と怒りで絶叫するコードトーカーを、スカルフェイスは振り返りもしなかった。

 

 



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核抑止の飽和

:1984年某日、セーシェル近海、“ダイアモンド・ドッグズ”本拠地近海 上空にて

 

 カズヒラ=ミラーと共に築いた新組織『ダイアモンド・ドッグズ』のマザーベースで発生した未知の疫病:声帯虫の毒牙から仲間たちの命を救うため、CIPHERの魔手から寄生虫の研究者:コードトーカーを助け出したBIGBOSSことヴェノムスネーク。

 寄生虫による生物兵器の開発を強要されていたというこの老人、ナヴァホのコードトーカーが語ったスカルフェイスの“計劃”は、ヴェノムスネークたちの想像をはるかに超えたものであった。

 

「ビラガアナ、おまえたちが呼ぶところのスカルフェイスは、既にアフリカを去った。アフリカでの核実験が成功。ゆえに、わたしを葬りに来たのだ」

 

「そんな実験は観測されていない……衛星も、震度計にも」

 

 ダイアモンド・ドッグズ副司令ことヴェノムスネークの相棒、カズヒラ=ミラーが否定したとおり、この数年間、アフリカでそのような核実験が行われた痕跡は観測されていない。

 だが、コードトーカーは驚くべきことを言った。

 

「爆発の実験は5年前、南インド洋で終わっている。最後の実験はその逆だ、核を爆発させない」

 

 ここで、コードトーカーが言及した“5年前の核実験”とは、1979年9月末、アメリカの核実験観測衛星ヴェラが、南極にも程近い南インド洋沖で観測した、2~3キロトンとみられる謎の巨大な二重閃光のことだ。

 この閃光については単なる衛星の誤検出とも、あるいは某国が行なった秘密の核実験とも、様々な憶測が囁かれたが結局真相は謎のままだった。

 まさか、この件にCIPHER、いや、スカルフェイスが絡んでいたというのか。

 

 しかし、爆発させないとはどういうことだ。それに、何のために? 一同の疑問に答えるように、コードトーカーは続ける。

 

「スカルフェイスは世界に核兵器を売りさばき、自らそれを制御するつもりなのだ」

 

 そこへヴェノムスネークのもう一人の片腕にしてダイアモンド・ドッグズ参謀、シャラシャーシカ=オセロットが口を挟んだ。

 

「核を売るだと。グレネードやライフルのようにはいかないぞ」

 

 かつてBIGBOSSとオセロットが関わった、1964年の『スネークイーター作戦』は、アメリカからソヴィエトに持ち込まれた携行核砲弾:デイビー・クロケットと、当時ソヴィエトが極秘裏に開発していた新型核兵器シャゴホッドが引き金となった。

 BIGBOSSとミラーを襲った1975年の『カリブの虐殺』も、ふたりが『ピースウォーカー事件』で核兵器を持ったことに端を発している。

 

 たった数発でさえ、世界のパワーバランスを崩してしまう。

 そんな核兵器を世界中に売り捌き、ビジネスとして確立することなど果たして可能なのだろうか。

 

「そのとおりだ。

だから監視の網をすり抜けるため、輸出するのはごくわずかなウランを含む鉱物と、それを代謝する極限環境微生物メタリックアーキアのみ。

そして現地で、メタリックアーキアの作用によってウランを濃縮し兵器化する。

これを、メタルギアをはじめとした全地形を走破する二足歩行兵器に搭載。

そうすればどんな国も、テロ勢力も、小さな戦闘集団でさえも核武装が可能となるのだ。

核兵器が拡散する。世界中、あらゆる場所で核抑止が飽和する!」

 

 コードトーカーの証言、そしてアフリカで繰り広げられたスカルフェイスとの戦いから、ストーリーを組み上がってゆく。そうしてようやく、最初のコードトーカーの発言の意味が読めてきた。

 

「武器ビジネスに代わる、新たな核兵器ビジネス。スカルフェイスの独占マーケット……」

 

「それを制御する為に、爆発させない実験を行なっていたのか」

 

 ミラーとオセロットの問いかけに、そうだ、とコードトーカーが頷く。

 入手や取り扱いが容易になったところで、核兵器が強力無比な最終兵器であることに変わりはない。

 それが売り手自身に向けられる事態を想定しないほど、スカルフェイスも馬鹿ではないだろう。

 

「衛星通信で制御した別のメタリックアーキアによって、臨界発生装置を即座に無効化する。スカルフェイスだけが持つ、フェイルセーフだ」

 

 誰が、何の為に、核を使おうとしても、スカルフェイスというひとりの男の私意によってその機能は停止する。

 そんな代物をスカルフェイスは、安価で手軽なハンバーガーのように世界中へ拡げようとしているのだ。

 ブランド名はCIPHER、目玉商品はファストフードならぬファストヌーク。本当に笑えない冗談だった。

 国家でなく、特定の個人が掌握した核兵器。今までの核には政治、軍事、経済的な価値がなくなってしまう。それはすなわち、

 

 

「アメリカもソヴィエトも、二大国は、力を失う……!」

 

 

・・・

:1984年某日、セーシェル近海、“ダイアモンド・ドッグズ”本拠地

 司令部プラットフォーム 第一層01倉庫 101号室にて

 

 

「サヘラントロプスは、どこだ」

 

 金属のパイプ椅子へ縛られたぼくに、ダイアモンド・ドッグズ参謀シャラシャーシカ・オセロットが尋ねた。

 不意を突かれたぼくに、同席していた副司令カズヒラ・ミラーが言う。

 

「スカルフェイスの計画が完成したら手遅れになる。サヘラントロプスが最後の一片だ」

 

 わけがわからない。

 アフガンのCIPHER拠点から、ヴェノムスネークたちの新組織ダイアモンド・ドッグズへ連れて来られてからというもの、ぼくはオセロットとミラーによる執拗な尋問に連日晒されていた。

 かけられた容疑は、このぼく:エメリッヒが、“『カリブの虐殺』に関与していたかどうか”だ。

 とんでもない濡れ衣だ。

 ぼくは潔白を訴え続けたが、特殊研究所:シャラシュカの異名を持つ拷問マニアのオセロットと、ぼくが裏切り者と一方的に決め付けるミラーが相手では当然聞き入れてもらえず状況は悪化する一方だった。

 

 ところが今日になって事態が急変した。

 今日の尋問ではぼくの濡れ衣には触れず、ぼくの研究成果である『メタルギア・サヘラントロプス』の在り処を聞いて来たのだ。

 なぜ今日になってサヘラントロプスの話になるのだろう。

 ミラーは言う。

 

「ソヴィエトが移動式の、制御できる核兵器を見せつければ、東西の緊張はキューバ危機の時代に巻き戻る」

 

 サヘラントロプスは、量産を前提とした実用の兵器として開発されたものではなく、放射線量の少ないイエローケーキや、ウラン濃度の低い劣化ウランからでも核エネルギーが得られることを実証するための、いわばデモンストレーションのために造られていた。

 デモンストレーション用の兵器だからこそ、破格の開発費や様々なアイデアを盛り込むことが出来たんだ。

 だけど、そのデモンストレーションが何を意味するのか、何のためのデモンストレーションなのか、ぼくは教えてもらえなかった。深く尋ねようとでもしたら殺されていたかもしれない。

 

「スカルフェイスの狙いは“冷戦の復興”だ」

 

 スカルフェイスの目論見にまつわる推測を、オセロットとミラーが話し始めた。

 冷戦の核開発競争が再開すれば、各地の勢力は我先にと核兵器を求め、爆発的な核兵器の需要が発生するだろう。

 そこへメタリックアーキアを用いたスカルフェイスの“制御できる核兵器”が入り込む。核兵器は世界に飽和する。

 

 しかし、それはスカルフェイスが制御する核兵器だ。

 スカルフェイスは、自分の製品の臨界発生装置をブラックボックス化し、自身の許可がない限りは分解も起爆もできないようにしたのだという。

 客は実際に使おうとするまで、スカルフェイスに起爆装置を握られていることに気付かない。

 スカルフェイスの見えざる手で制御されることにより、終局の瀬戸際で世界は均衡を保つ。

 

 ただし、ここまでは飽く迄も『抑止』だけ。

 世界中の核兵器を掌握したあと、スカルフェイスは民族浄化虫、つまり声帯虫を“攻撃”に使う。

 メタルギアを超え、使うことが出来るただひとつの大量破壊兵器。蟲の力で敵対勢力を駆逐して、スカルフェイスが世界を支配する。

 

「メタリックアーキアの核兵器、声帯虫、他は全部揃った。あとはサヘラントロプスをアフガンで見せつけ、新しい冷戦を立ち上げる。もう一度聞くぞ、先生。サヘラントロプスはどこだ」

 

 オセロットの問いに、ぼくは答えた。

 

「……知らないよ。実験は、いつもあのアフガニスタンの洞窟でやっていたから。ぼくはあの洞窟でしか見たことがない。それにサヘラントロプスは未完成だ。ぼくなしでサヘラントロプスは動かない」

 

 認めたくないけど事実だった。スカルフェイスがどこかへ持ち出して行ったことはあるけれど、一体どこに持って行ったかまでは教えてもらったことがない。

 第一、メタルギア・サヘラントロプスは、直立二足歩行の問題がまだ解決していない、未完成の兵器だ。

 未完成品のデモンストレーションで冷戦を復興するなんてできっこない。まったくばかげている。

 ぼくの説明に、オセロットは納得していないらしかった。

 

「未完成だと。だがサヘラントロプスは歩いて、襲い掛かってきたぞ」

 

 そうなのだ。ヴェノムスネークの手で、CIPHERの下からぼくが連れ出されるときのことだ。

 ソヴィエトの基地から脱出しようとしたぼくたちの前に、スカルフェイスに操られたメタルギア・サヘラントロプスが立ちはだかった。

 驚くべきことに、未完成だったはずのサヘラントロプスは歩いていた。ただ歩いただけじゃない、

 まるで物語に出てくるゴーレムみたいに、武器を振り回して襲い掛かってきたんだ。

 

 ぼくはスネークのおかげで辛くも逃れることはできたけれど、スカルフェイスがどうやって、サヘラントロプスを直立させたのか、サヘラントロプスが動くことができた理由は今も謎のままだ。

 パイロットでも、AIでもない、しかもあんな速度で歩いて暴れまわるなんて。技術革新なんてものじゃない、ライト兄弟が月にゆくようなものだ。

 なんで動けるのか、ぼくにも、わからないんだ。

 

「CIPHERのために造った兵器に、随分とご執心のようだな。いかれた兵器の開発しか興味がないのは相変わらずか」

 

 揶揄しながら不快そうに鼻を鳴らすミラー。違う、違うんだ。

 

「あの機体こそが、ぼくがみんなを裏切っていない証拠だよ」

 

「どういうことだ」

 

 怪訝な顔のオセロットに、ぼくは答える。

 

「復元されたサヘラントロプス・チャデンシスの頭骨は、9年前の『国境なき軍隊』でぼくたちが掲げていた髑髏のマークにそっくりなんだ」

 

 そうだ、オセロットたちが責めるとおり、ぼくはCIPHERに命令されてメタルギアを造っていた。

 でも、いつか、仲間の下に戻ることが出来たら、サヘラントロプス開発で培った技術を仲間の為に還元したいとずっと想っていた。

 だからこそ、あのときの髑髏のマークを、機体の名前に込めていたんだ。

 

「わかるだろう。ぼくがどれだけ、仲間のことを想っているか」

 

「あんたが自分のことをどれだけ想っているかはよく、わかった。あとからはなんとでも言える」

 

 心底うんざりした様子で、オセロットが吐き捨てた。

 

「自分を騙しているやつを喋らせるのには根気が要る。都合の悪い真実より、都合の良い嘘の方が居心地がいいからな。だからずっと同じ嘘にしがみつく」

 

「ぼくは、嘘なんて……」

 

「おかげであんたは今でも幸せだ。相手によって嘘を変え、隙間だけで生きている。都合の良い真実を重ねて、都合が悪くなればすぐ乗り換えて、そのことを気にもしなくなっている。だが、あんたが一番幸せなのは、そんな自分に、あんた自身が気付いていないということだ……」

 

 現実があんたを傷つけているんじゃない、あんたが現実に傷をつけているんだ。

 そう言うと、オセロットは懐から注射器を取り出した。中には透明な薬液が満たされている。

 

「また自白剤を打つつもりか」

 

 マザーベースに連れてこられてから、ずっと尋問されっぱなしのぼくにとって、オセロットの注射器は見慣れたものになってしまっていた。あの注射器で一体いくつの薬物を打たれたか、もはや覚えてすらいない。

 ぼくの反応を見て、オセロットは「まあ、ある意味そうかもな」と、ぼくの足元へと視線を移した。

 

「その脚はチタンか。大腿骨まで届いているな」

 

 ぼくの脚は、生まれつき不自由だった。ぼくはずっと、自分の脚で歩くのが夢だった。

 だから、歩く為の機械が創りたくて、ぼくは歩くロボットを作る研究を目指した。

1970年代、ホット=コールドマンの『平和歩行計画』に参加したのも、元々はぼくのそんな夢の延長線上だ。

 

 その念願が叶ったのは、つい最近のことだ。

 『平和歩行計画』で開発していた各種自律歩行兵器や、『国境なき軍隊』で造らせてもらったメタルギアZEKEのノウハウを活かし、ぼくは歩行を補助する為の補助具を作った。

 モーター駆動の補助具を、大腿骨に内蔵した連結器へと接続し、ぼくの脚に代わって金属の脚がぼくの身体を支える。

 こうしてぼくは、脚を手に入れた。

 補助具をズボンの上からでも取り付けられるように、取り付けるための連結器は、ぼくの脚から外気へと露出している。

 

 ぼくの『脚』を確認したオセロットはぼくの顔から眼鏡を奪い取ると、注射器の中身を一滴、眼鏡の弦へと垂らした。

 錆びた鉄の匂いが鼻をつき、オセロットの手の中で眼鏡がぽきりと折れた。

 注射器の薬液で、眼鏡が溶かされたのだ。

 

「メタリックアーキア……!」

 

 サヘラントロプスの装甲にも使われるメタリックアーキアにはいくつか種類があり、ウランを濃縮する種類の他にも、金属を腐食させ溶かしてしまう腐食性アーキアという種類がいることをぼくは聞いていた。

 ヴェノムスネークはアフリカでCIPHERと戦っているけれど、その最中にダイアモンド・ドッグズは奴らが使っていた腐食性アーキアを回収していたのだ。

 金属を食べて溶かしてしまう腐食性アーキアが、いまオセロットの手の中にいる。

 

「その様子だと、中身は知っているようだな」

 

 手の中の眼鏡を床へ投げ捨てると、続けてオセロットは、ぼくが縛り付けられているパイプ椅子の脚に薬液を垂らした。

 避けようとするぼくだけど、縛り付けられているために上手く避けられず、椅子ごとひっくり返ってしまった。

 倒れたぼくが顔を上げると、オセロットが注射器をぼくの脚の金属パーツへと向けていた。

 

 まさか、ぼくの脚に垂らすつもりか。

 

「……サヘラントロプスは、ぼくなしでは動かない」

 

 ぼくの口からは、独りでにことばがでてくる。

 ぼくなしでサヘラントロプスは動かない。ぼくがここにいる限り、CIPHERもサヘラントロプスを使えない。

 だからぼくの脚にそれを垂らすのはやめてくれ。

 オセロットが言ったとおり、補助具を取り付けるための連結器は大腿骨に埋め込んである。

 その連結器だけを溶かされてしまったら、ぼくの脚は穴だらけになって粉々に砕けてしまう。

 

 怯えるぼくの様子に、オセロットは薄笑いを浮かべ、床に置いたぼくの眼鏡にもう一滴垂らした。

 ぼくの眼鏡がメタリックアーキアに食われ、自重に耐えかねて潰れてゆく。

 眼鏡は新しいものに替えればいい。研究も、ぼくの技術を欲しがるやつなんていくらでもいる。

 だけど、脚だけは替えが利かない。

 そしてオセロットはぼくの前にしゃがみこむと注射器の針で、ぼくの脚をつついた。頼む、ぼくの脚を、奪わないでくれ。

 

 液体を湛えた注射器の針先が、ぼくの脚を奪おうとする。ぼくはたまらず叫んだ。

 

「“OKBゼロ”だ! サヘラントロプスは、ソ連軍ベースキャンプの先にある!」

 

 OKBといえばопытно-конструкторское бюро、つまりソヴィエトの試作設計局に与えられる暗号名だが、OKBゼロはアフガニスタンにある。

 そもそもOKBは1から始めて番号が振られるものだから、ゼロなんて名前の設計局は存在するはずがない。

 

 そんな異端のOKBであるOKBゼロは、アレキサンダー大王の時代に造られた山岳の城砦が基となっており、そこへソヴィエトの『賢者達』が研究所を築き、そのあとはCIPHERが自らの秘密基地:OKBゼロとして利用していた。

 ソヴィエトの賢者達が創ったものだからOKB、ゼロというのもOKBの通し番号ではなく、おそらくは『CIPHER(ゼロ)の所有物』という意味なのだろう。

 

 メタルギア・サヘラントロプスは、山岳地帯を踏破することを命題として創られた兵器だ。

 オセロットやミラーの言うとおり、サヘラントロプスがアフガニスタンにあるとしたら、その場所はOKBゼロしかない。

 

「でも、スカルフェイスがどうやって動かしているのか……あれは有人操縦できるはずがないんだ。どうして……」

 

 床に転がされたまま、ぼくは呟く。

 直立二足歩行の問題が解決しない限り、サヘラントロプスは突っ立っているだけの木偶の坊だ。

 コックピットには子供しか乗れない。AIの歩行システムは完成しなかった。

 メタリックアーキアによる核爆弾化システムは使えるだろうけど、まともに動きもしない歩行兵器を見せびらかしたところで、何の自慢にもならないだろう。

 どうして誰もぼくを信じてくれない。どうしてぼくだけを疑う。どうして。なぜ、ぼくが。

 

「……おまえだけだからだ」

 

 そんなぼくの様子を見て、ミラーが口を開いた。

 顔を上げたぼくと、サングラスをかけたミラーの視線が重なる。そのときぼくは、ミラーが視力を喪っていることに初めて気がついた。

 ミラーの表情は、底無しの憎しみに染まっていた。

 

「おまえだけが、なにも喪っていない……あのとき、マザーベースの全てが亡くなった……おまえを除く、すべてが……ッ!」

 

 ミラーが羽織るコートの虚ろな片袖がゆれ、左足の義足が金属音を立てる。

 九年前の『カリブの虐殺』から新組織『ダイアモンド・ドッグズ』設立、そして今年ヴェノムスネークことBIGBOSSが舞い戻るまで、ミラーはずっとCIPHERと戦い続けていた。

 その過程でミラーは腕と脚を喪ったのだという。

 

 しかしぼくだって、CIPHERに、『国境なき軍隊』で創ったメタルギアZEKEと貴重な九年間、そして研究者としての未来も奪われてる。

 そもそもミラーは九年前、CIPHERとビジネスパートナーだった。

 『ピースウォーカー事件』に乗じて『国境なき軍隊』を拡大する際、ミラーはCIPHERと協力関係にあったのだ。

 CIPHERに裏切られて破滅したのは、ミラー自身の自業自得なのだ。それなのに、どうしてぼくばかり責められるんだ。

 

 注射器でぼくを苛めるのに飽きたらしいオセロットが、激昂したミラーを諌めるように視線を向けた。

 ミラーはオセロットを一瞥する。

 そのとき両者の間で、何らかの了解が得られたのだろう、ミラーが杖をつきながら部屋を出てゆく。

 ミラーが出て行った後、続けて出てゆこうとするオセロット。そこで足を止め、ぼくの方へと振り返った。

 

「……おっと」

 

 口元に酷薄な笑みが浮かべながら。

 

「プレゼントだ」

 

 オセロットは、ぼくの動かない脚と床の間へ立てかけるように、手に持っていた注射器を置いた。

 注射針がぼくの体重で、脚へ深々と刺さってゆく。ぼくは渾身の力をこめて全身をこわばらせた。

 ちょっとでも重心が狂えば、注射器の中身が体内に注射されてしまう。

 

「ま、待て、おい!」

 

 そのまま立ち去ろうとするオセロットを呼び止めるぼくだったが、オセロットは振り向きもしないまま、部屋を出て行った。

 

 部屋には ぼくと、注射器に入ったメタリックアーキアが残された。ぼくと注射器の、孤独な闘いが始まった。

 

 

:1984年某日、アフガニスタン、ソヴィエト連邦軍ベースキャンプ、ヘリポートにて

 

 来たな。

 ヘリに乗ろうとしていたスカルフェイスが振り返ると、銃を構えたヴェノムスネークがヘリポートの階段を登ってきたところだった。

 コードトーカーを押さえたヴェノムスネークがこの拠点へ至ることは、スカルフェイスも予想していた。

 敵地への単独潜入は、蛇の暗号名を持つこの男がもっとも得意とするところだ。スネークイーター作戦やピースウォーカー事件を乗り越えてきたのも伊達ではないといったところか。

 スカルフェイスは、ヴェノムスネークに語りかけた。

 

「なるほど、おまえも亡くしたな。そうして未だ、亡くしたモノの痛みにうなされている……」

 

 おまえもわたしと同じだ。大切なものを奪われた理不尽を噛み締める。

 BIGBOSSことヴェノムスネークは、カリブの虐殺で『国境なき軍隊』を奪ったスカルフェイスへの報復の為にここまで辿り着いた。

 報復の為に生きる。しかしそれは、報復に生きる髑髏、スカルフェイスがこれまで歩んできた道でもある。

 

「その痛みを、憎しみで緩和しようとする。しかしその痛みは消えない。それなのにヒトは――」

 

 護衛のXOFの兵士たちを制止し、スカルフェイスはヴェノムスネークへと歩み寄ってゆく。BIGBOSS、おまえの報復もまた、かつてどこかで誰かが繰り返してきた、大いなることわりの一部なのだ。

 

 

「――鬼に堕ちている」

 

 

 ふたりの鬼が、今ここで対峙した。

 

「どうだ、醜いか」

 

 目深に被った黒帽子を脱ぎ、スカルフェイスは髑髏の素顔を見せつけた。

 面をあわせる機会は幾度かあったが、こうしてお互いの表情をじっくり見合う機会はなかなかなかったな。

 

「……おまえも鬼だな。もはや人間には戻れまい。おまえも、わたしも、逃げも隠れも出来はしない」

 

 スカルフェイスによる『カリブの虐殺』を辛くも生き延びたBIGBOSSだったが、決して無傷だったわけではない。

 顔に走る無数の傷跡、左腕の義手、そして頭部から突き出ている角のような骨片。

 片目の眼帯だけはかつての『スネークイーター作戦』での負傷だが、他の傷跡はその殆どが『カリブの虐殺』でスカルフェイスが仕込んだパシフィカの人間爆弾によるものだ。

 しかし、あの『カリブの虐殺』については、スカルフェイス個人の私意ではなかった。恨みや憎しみではない。

 スカルフェイスは、BIGBOSSはおろか、ゼロさえも憎んでいなかったのだ。

 

 『カリブの虐殺』を計画し、実行したのはスカルフェイスだが、きっかけは世界へ核の力を誇示した『国境なき軍隊』とそれを率いたBIGBOSS自身にある。

 ではその原因はどこにあったのか。BIGBOSSが核を持ったのはコスタリカで起きた『ピースウォーカー事件』、ピースウォーカーが生まれたのは『スネークイーター作戦』でのザ・ボスの死、『スネークイーター作戦』を引き起こしたのは東西の『賢者達』の対立……。

 

 こうしてみると、原因は過去へ、後始末は未来へと半永久的に先送りされてゆくのがよくわかる。

 スカルフェイスはもちろん、支配者となったゼロでさえ、結果が巻き戻されでもしない限り、引き起こされた結果に対する責任など誰一人とれはしない。

 延々と繋がってゆく因果のルーツを手繰り続けても、得られるものは何もない。

 その点と線が描き出したものを俯瞰してはじめて、真の絵姿が見えてくる。

 スカルフェイスの行動も、その巨大な神話の循環の一部、それも一本の線と点を繋いだに過ぎなかった。

 

 満身創痍のヴェノムスネークをねぶるように見ていたスカルフェイスが言った。

 

「いいだろう、わたしの鬼を見せてやる」

 

 先程まではこのままヘリで直行するつもりだったが、ひとつ趣向を変えよう。ヒトであることを奪われた者同士、積もる話もあるというものだ。

 帽子を被りなおし、XOFの兵士たちへ命令を下すと、スカルフェイスはヴェノムスネークに ヘリポートから降りる階段を示す。

 

「ついてこい、BIGBOSS」

 

 



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ことば

 

:1984年某日、アフガニスタン、ソヴィエト連邦軍ベースキャンプにて

 

 

「いいだろう、わたしの鬼を見せてやる。ついてこい、BIGBOSS」と、スカルフェイスは言った。

 

「ナヴァホの老人、コードトーカーに何を聞いた。

核兵器ビジネスの独占市場……きみは、わたしが金儲けの為にやっていると思っているのか。

それはCIPHERが導き出した物語のひとつに過ぎない。わたしの意志とは違う」

 

 ヴェノムスネークを案内する道中、ヘリポートの階段を下りながら、スカルフェイスは話し始めた。

 まずは きみと わたしの話からだ。

 

「CIAにいた頃のきみを知っている。わたしは昔から きみの裏側にいた。

1964年 ソヴィエト領内、『スネークイーター作戦』の時も、きみたちFOXが失敗したら わたしのXOFが拭うことになっていた。

だが、きみは仕事を立派に成し遂げた。それできみがアメリカへ持ち帰った情報は、ちょっとしたカネになった。

『賢者の遺産』を示すマイクロフィルム……あれで、わたしたちの未来は決められてしまったようだ」

 

 1956年のハンガリー動乱に乗じて、「顔のない亡霊」として故郷の侵略者たちへ報復を遂げたスカルフェイスは、当時イギリスでSASを率いていたゼロへ接触、西側へと亡命して副官:X.Oとなった。

 そしてゼロがアメリカで次なる部隊『FOX』を立ち上げると同時に、スカルフェイスはFOXを裏から支援する非正規部隊の指揮官へ任ぜられる。

 これが記録に残らない裏の部隊『XOF』の起源であり、スカルフェイスとBIGBOSSの関係のはじまりであった。

 世界の何処かでBIGBOSSが活躍すれば、その裏には必ずスカルフェイスの暗躍があった。

 それはまるでオペラ座の怪人(Phantom)のように、BIGBOSSにとってスカルフェイスは長年の影(Phantom)だったのだ。

 

「こうして、きみの活躍で『遺産』はアメリカのものになった。そのことを知ったゼロ少佐は、わたしに あるアイデアを話した。

『アメリカ政府は金の使い方を知らない。だからあのカネは帳簿を分けたい』

少佐はそれを使って、アメリカの裏側に『支えのような組織を創りたい』と。

 

そしてゼロ少佐の『CIPHER』がはじまった。きみも知るとおりな。

あれは少佐による“ザ・ボス”の弔い、いや、“報復”だった。彼女を生贄にした世界への、とりわけアメリカに対してのな」

 

 CIPHERというペンで、ゼロが最初に綴ったのは“報復”の文字だった。

 1970年頃のアメリカで、CIA長官が突然拳銃自殺を遂げた。さらに『スネークイーター作戦』の立案者を筆頭に、CIA上層部の高官が次々と左遷されるという出来事があった。

 表向きには当時頻発していた不祥事にまつわる引責、CIPHER内部では『CIPHERが賢者達の組織を乗っ取る過程で起こった出来事』ということになっているが、スカルフェイスはその裏に燃えていたゼロの報復心を見抜いていた。

 

 『スネークイーター作戦』でゼロたちFOXにザ・ボスを抹殺するように命じたのは、『賢者達』の意向を受けたCIAだ。

 そのCIA上層部がゼロのCIPHERによって一斉に掃除された。これがゼロによる報復でなければ、一体なんだというのだろう。

 

 ヘリポートの階段を降りて少し歩いてゆくと、その先には大きな貨物用エレベータがあった。

 ヴェノムスネークとスカルフェイス、そして随伴のXOFの兵士たちが乗り込むと、エレベータが動き出し、スカルフェイスは話を続けた。

 複雑な山岳を利用して造られたこの基地と同じく、スカルフェイスの話にはまだまだ入り組んだ深層があるらしい。

 

「アメリカは自由の国、移民の集まりだ。

『Melting pot:人種の坩堝』とはいうが、その実態は『Salad Bowl:混ぜ合わせの器』のようなもの。

国民にはそれぞれ異なるルーツがあり、人種ごとに分かれたコロニーで暮らしている。

人種だけじゃない。土地、組織、交友関係、信仰、言語……アメリカ国民は多種多様、ひとつに融け合うことなど決してない。

 

だが少佐は、そんな人々をひとつの“意志”へ融け合わせようとしていた。

『国民ひとりひとりが“自らの意志”で、“国と同じもの”を求める』

そんな単独行動主義の実現を、各個人の自由意思になど任せておけるはずがない。

そこで少佐が求めたのは 情報で、共通語(ことば)で、“人々の無意識を統制するシステム”だった……」

 

 エレベータが降りた先は屋外駐車場だった。ソヴィエトの最新型戦車と装甲ヘリがずらりと並び、道路の先は基地の外へと続いている。

 

「ついてこい、こっちだ」

 

 その中でスカルフェイスはオープンタイプの軍用自動車を指差した。そこでヴェノムスネークは足を留める。クルマの周りに、武装したXOFの兵士たちが待ち構えていた。

 

「乗ってくれ。それとも真実を知りたくないのか、BIGBOSS」

 

 歩みを止めたヴェノムスネークを、スカルフェイスがクルマの後部席へ乗るように促す。

 だが、しかし、となおも躊躇するヴェノムスネークの耳元にコール音が届く。

 

〈 今は、ヤツに合わせるしかない 〉

 

 上空のヘリ、空中司令室から指揮を執っているダイアモンド・ドッグズ副司令 カズヒラ=ミラーからの通信だった。

 

〈 いざという時は、こちら:ダイアモンド・ドッグズにも戦う準備がある。それがヤツへの抑止力になる。ここで戦争に持ち込むのは、本意ではないはずだ 〉

 

 たしかにスカルフェイスがその気なら、ヘリポートで鉢合わせた時点で殺されている。ミラーの言うとおり安全かもしれない、少なくとも今は。

 意を決し、クルマの後部席にヴェノムスネークが乗り込むと、スカルフェイスも向き合うように腰を据えた。

 そして兵士が運転席へ乗り込み、スカルフェイスとヴェノムスネークを載せたクルマを発進させる。

 移動する車中、流れてゆく風景を眺めながらスカルフェイスは物語を再開した。

 

「さて、どこまで話したか……『アメリカ、そして世界をひとつにする』。ゼロ少佐はそれがザ・ボスの遺志だと理解した。

だが、それはザ・ボスの遺志の表層に過ぎない。少佐は彼女の真の望みなどわかっていない。

なぜなら、歩くより、いや、産まれるよりも前から、少佐の母語は“英語”だからだ。

『共通語で人はわかりあうことが出来る』など、そんなものは“ことば”を亡くす痛みを知らない支配者の傲慢だ。

英語という支配言語から離れられない少佐に、ザ・ボスの望みなどわかるはずがない。

わたしとは違う。

 

わたしはハンガリー、北トランシルヴァニアのちいさな村で生まれた。

外国の兵隊たちが幾度となく村を奪った。そのたびにわたしたちは、支配者から彼らのことばを植え込まれた。

ドイツ語、ロシア語、そして英語。戦争が変わるごとに支配者は変わり、そのたびに違う ことばを喋らされた。

 

ことば とは、奇妙だ。ことばが変わるとわたしも変わった。

ものの考え、性格、善と悪……戦争でこの外見を変えられたよりも深く、ことばはヒトを殺す。

ことばは わたしの中に寄生し、わたしは ことばに支配された。

 

思想家エミール=シオランは、『国語は国家なり』と言った。『人は国に住むのではない、国語に住むのだ。国語こそが我々の祖国だ』

 

わたしの国語。ことば を奪われたわたしは、本当の祖国をも奪われたのだ。

わたしに過去は亡くなった。あるのは髑髏と未来だけ。

わたしの未来は報復、ことばで人々に寄生する支配者どもに向けた報復への意志だ。

この燃え残った髑髏の顔こそが、わたしの決意表明であり存在証明なのだ。

 

故郷の売国奴を皆殺しにして報復すべき相手を見失った頃、わたしはゼロ少佐に出会った。

一流のスパイマスターだった少佐からは学ぶことが多かった。

特に情報、すなわちことばで攻撃する術を学んだことが、今のわたしを形作っていった。

 

やがてわたしは理解した。ゼロ少佐こそがわたしの報復すべき支配者だったのだ、とな。

言語のコード、空間を行き交う情報のコード、時間に連なる遺伝子のコード、それら規範(Code)をすべて統制することでCIPHERは、世界をひとつにしようとしているのだ。

ゼロが植え付けるCIPHERの規範は わたしたちの頭へと入り込み、内側から吸い尽くし、次の宿主へと伝染してまた支配する。

ことばで人々に寄生する支配者とはそう、ゼロのことなのだ。

 

ゼロは世界をさらに蝕んでゆく。わたしがこの世界に生まれた自由を殺し、わたしの歩んできた道を殺し、わたしの進むべき道を殺す。

わたしたちはその時代に殺されたまま生かされ、そして世界は“ZERO”になる。そのことに誰も気付かない。

ゼロの意志、CIPHERのコレクトネスが世界を支配しようとしている。その物語を記述することばこそが英語なのだ」

 

 ことばは肉となった、とスカルフェイスは傍らにあった円筒の金属製ケースを開封した。

 ケースには黄緑色の溶液で満たされた小さなアンプルが2本安置されている。

 スカルフェイスは内1本を取り出して、対面のヴェノムスネークへ見せ付けた。

 

「……わたしの最後の蟲だ。英語を教えてある。『声帯虫の英語株』だ。

この蟲で、わたしは英語を殺す。わたしは、この世界に巣食う英語を駆除する。

英語というあいことばに蝕まれた全ての民族は息吹を取り戻し、現在、過去、未来を勝ち取るだろう。

これは『Ethnic Cleanser:民族浄化虫』などではない。ゼロの物語からの解放(Liberty)をもたらす『Liberator:民族解放虫』なのだ」

 

 スカルフェイスが一方的に喋繰っているあいだ、ヴェノムスネークは目の端で、XOFの武装ヘリがいくつも飛んでいくのを見ていた。

 重要な拠点が近い、つまりスカルフェイスが述べるところの鬼に近づいているということなのか。

 虎の子の『民族解放虫』をケースへしまうと話題は、スカルフェイスが夢見る未来の世界像、『支配言語が消えた世界』へと移ってゆく。

 

「世界はありのままでいい。それがわたしの望みだ。

英語という共通言語を喪えば、世界は分裂するだろう。そして世界は自由になる。

だが人々は苦しむはずだ、ファントムペインにな。

共通言語を喪くした世界には、新しい“ことば”が必要となる。

 

それが核兵器(メタルギア)だ。

拡散した核抑止が、支配言語に代わって、国と国とを隔たりなく平等に結ぶ。

核という ことばの下では、どんな小さな勢力だろうと大国と対等な対話が可能となる。他には何も共通語は要らない。

あらゆる勢力は互いを認め合うしかなくなる。人々は自らの痛みを飲み込んで、喪われた手を互いに繋ぐのだ。

 

こうして、世界はひとつになる……その為の戦争は、平和だ」

 

 ヴェノムスネークとスカルフェイスを載せたクルマが、ソヴィエト連邦軍ベースキャンプを通過し、アフガンの乾いた荒野も越えてゆくと、遠くに巨大な格納庫が見えてきた。天然の洞窟と古代の遺跡を造り替えたCIPHERの秘密基地、OKBゼロ。その深奥にメタルギア・サヘラントロプスはある。

 スカルフェイスはヴェノムスネークとCIPHER、ひいてはこの世界へと高らかに宣言した。

 

「世界がメタルギアを知る時、終末時計の針はゼロを踏み越えて、動き出すのだ。

わたしのサヘラントロプスが、その偉大なる第一歩を大地へと踏み打つ。

それは、ことばを蹂躙された全ての民族の、独立を報せる福音なのだ」

 

 

 



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わたしは燃えているⅠ

:1984年某日、アフガニスタン、“опытно-конструкторское бюро- 0:OKBゼロ”、格納庫にて

 

 スカルフェイスとヴェノムスネークを載せた車は、岩が抉れてできたと思われる天然のアーチをくぐり、やがて洞窟の中で停車した。

 洞窟というのは偽装であり、その実態はCIPHERの秘密拠点:OKBゼロ。

 その暗闇を見通した先、移動式のプラットホーム上で照明に照らされながら直立二足歩行戦車ST-84“メタルギア・サヘラントロプス”が停止状態で跪いている。

 

「ここだ」

 

 スカルフェイスに促され、ヴェノムスネークがクルマから降りると、XOFの兵士たちが一斉に銃口をヴェノムスネークへと向けた。

 続けてスカルフェイスがクルマを降り、ヴェノムスネークも銃を構えたXOFの兵士たちに背を押され、ふたりはサヘラントロプスの眼前へと歩み出てゆく。

 

〈 こちら“銛打ち:クイークェグ”、援護に入る 〉

 

〈 射線を確保しろ 〉

 

 ヴェノムスネークの無線機に、ダイアモンド・ドッグズの仲間と、空中作戦司令室のミラーが通信で耳打ちする。

 ヴェノムスネークが横目でちらと見ると、洞窟の天井に出来た大きな割れ目のあいだに、ダイアモンド・ドッグズの攻撃ヘリ:クイークェグの姿が見えた。

 いざとなれば、小説『白鯨』に出てくる銛打ち男の名を冠したダイアモンド・ドッグズのこの攻撃ヘリが、ヴェノムスネークを取り巻くXOFの頭上を押さえ、銛に代わって機銃掃射で連中を仕留める。

 それがわかっているから、スカルフェイスもヴェノムスネークに直接手を出そうとしていない。

 しかし仲間に見守られているという事実が、ヴェノムスネークの心のざわつきを抑えてくれることはなかった。

 

 ヴェノムスネークは、俯きがちに座しているメタルギア・サヘラントロプスと視線が合ったような気がした。

 開発者のエメリッヒがマザーベースで説明したとおりなら、このメタルギアは大人が乗れない欠陥機であり、実際に人が乗っているはずもない。

 それでも見られているような感覚が拭えないのは、サヘラントロプスの頭部コクピットに施された髑髏のノーズアートのせいだろうか。

 それとも、このサヘラントロプスが“直立二足歩行戦車”、ヒトガタを模した科学のゴーレムだからなのか。

 

 ここはまるで儀式の祭壇のようだ、とヴェノムスネークは思った。

 髑髏の怪物サヘラントロプスが核の恐怖を振り撒き、声帯虫が英語という支配言語を駆逐して、そしてスカルフェイスの夢見る理想のユートピアがこの世界に顕現する。

 世界の理不尽を変えるために、古来から人々は生贄を捧げ、儀式を執り行ってきた。

 スネークイーター作戦ではザ・ボス、ピースウォーカー事件ではパス。そして今回の生贄は恐らくこのおれ、BIGBOSSだろう。

 スカルフェイスが背後のヴェノムスネークにことばを投げかけた。

 

「アラモを忘れるな!」

 

 『アラモを忘れるな』といえば、1936年のテキサス独立戦争時の合言葉として知られているが、何故スカルフェイスがその台詞を言ったのか、今のヴェノムスネークにはわからない。

 

・・・

 ことばとはおかしなもので、同じことばでも、誰が言ったか、いつ言ったか、どのように言ったかで、意味がまるで変わってくる。

 アラモを忘れるな。スカルフェイスが呟いたこのことばには、スカルフェイスにとって二重にも三重にも意味が重ねられているのだが、目の前のヴェノムスネーク=BIGBOSSにその含意は伝わってくれただろうか。

 

 かつて1964年、ソヴィエトGRUのサンダーボルトことヴォルギン大佐が携行小型核弾頭:通称デイビークロケットを自らの母国ソヴィエトに向けて発射した際、ヴォルギンは『アラモを忘れるな!』と叫びながらその引き金をひいたのだという。

 デイビークロケットの名は、テキサス独立戦争におけるアラモの戦いで戦死した国民的英雄、デイヴィッド=クロケットの愛称に因んで名付けられたものだ。

 1836年のアラモ砦の戦いで惨敗し、デイビー=クロケットという愛すべき英雄を失ったテキサス側はこの屈辱を忘れまいと『Remember Alamo:アラモを忘れるな』と叫び続け、ついにはメキシコからの独立という勝利を手に入れた。

 

 ヴォルギンはあのデイビークロケットで米ソ対立の膠着状態を覆すにあたって、その逸話を引用したのだろう。

 皮肉で味付けされた勝利は、極上の美酒となる。資本主義の英雄の名を冠したこの一撃で、我らが共産主義ソヴィエトに栄光と勝利をもたらす。

 そしてこのおれ、ヴォルギンは、その後に続く灼熱の戦争を勝ち抜いて、新時代の英雄となるのだ。

 それは時代の覇者にならんとするヴォルギンの燃え滾る決意と野心、そして彼なりの諧謔が込められた、東西冷戦という規範に向けた宣戦布告だった。

 そしてその目論見どおり、ヴォルギンが放ったデイビークロケットの一撃は世界を世界最終戦争の一歩手前まで歩み寄らせ、ザ・ボスを生贄にしたあの『スネークイーター作戦』を引き起こし、世界を変えてゆくことになる。

 

 アメリカという国は、人々の報復心を合言葉に回っていた。

 1941年に日本軍が行なった真珠湾攻撃に対抗する合言葉も「Remember Pearl Harbor:真珠湾を忘れるな!」だった。

 報復心は人々を突き動かすエネルギーとなり、国家民族を代表するイデオロギーとなり、やがて時代を変えてゆく。

 アラモを、真珠湾を、そして爆心地を忘れるな。自由の国アメリカは、そうやって常に勝利し続けてきたのだ。

 

 そのアメリカ国民たるBIGBOSS、おまえも自らの報復の爆心地を忘れるな。

 『スネークイーター作戦』で殺した愛する師匠ザ・ボスを、ザ・ボスの複製でありコスタリカで再びその手に掛けることになった『ピースウォーカー』を、そして『カリブの虐殺』で奪われた国境なき軍隊を思い出せ。

 メタルギア・サヘラントロプスを背に、スカルフェイスは再び語り出す。

 

「報復に生きるのはわたしたちだけじゃない。ここにも、もうひとり、“鬼”がいる」

 

 スカルフェイスとBIGBOSS、ふたりの鬼の他に、さらに三人目の鬼を指差すスカルフェイス。

 BIGBOSS、おまえが奪ったものも覚えているか。おまえは常に奪われる側だったわけではないことをよもや忘れてはいまい。

 スカルフェイスの『アラモを忘れるな』は、その問いかけでもあった。

 

「おまえへの報復心だけがこの鬼を動かす。時代は常に人間の報復心で動かされているのだ……」

 

 そう、おまえがこのわたし、スカルフェイスによって生かされているようにな。スカルフェイスはそう豪語する。

 すべての人間は、過去から続く因果に立脚して生きている。かつてわたしが起こした『カリブの虐殺』で、おまえが報復の鬼と化しながらなおも生き延びてきたというのなら、それはわたしのおかげでおまえが生きているということだ。

 おまえは、おまえの意志で生きているのではない。わたしが植え付けた報復心に、おまえは生かされているのだ。

 そして“あの鬼”も、おまえのために生きている。

 

「さあ、見せてくれ!」

 

 スカルフェイスが退くと、その背後から強烈な熱気と共に“燃える男”が現れた。

 

 諜報界の符丁で『燃える男』と呼ばれているこの男の本名は、エウゲニー=ボリソヴィッチ・ヴォルギン。かつて1964年にあのデイビークロケットの一撃を放った男の成れの果てだ。

 ヴォルギンは『スネークイーター作戦』においてBIGBOSSに灼熱の夢を挫かれ、決戦の舞台となったツェリノヤルスクの断崖で、自身が創らせた悪魔の兵器シャゴホッドと共に燃え尽きたはずだった。

 

 しかしヴォルギンは、人間として燃え尽きても死ななかった。

 『スネークイーター作戦』で瀕死の重傷を負い、肉体的にも精神的にも完全な廃人と化したヴォルギンは、公的な記録では死亡したとされながら密かに回収され、モスクワの超能力研究所で超人を創るための研究材料として、20年近く昏睡状態のまま利用されて続けていた。

 

 権力を失った権力者、ヴォルギンの末路は無惨だった。

 腹心だったはずのオセロットを筆頭とする部下たちからは見限られ、同志と信じたザ・ボスからは謀られ、灼熱の戦争を勝ち抜く栄光の夢も、築き上げるはずだった理想の世界も潰え、遂には祖国ソヴィエトからさえも見放されたヴォルギンに残った最後の存在理由、それはすべてを奪ったBIGBOSSへの憎しみだけ。

 今のヴォルギンは研究標本という憐れな最期を全うすることすらできぬままスカルフェイスの傀儡に成り下がり、『燃える男』と呼ばれるBIGBOSS専任の追跡マシーンと化していた。

 

 そのヴォルギンが今こうして立っていられるのも、BIGBOSSへの報復心ゆえだ。

 ヴォルギンと同じく、ソヴィエトの超能力研究の標本だった“第三のこども”の超能力によって、ヴォルギンは体内の報復心を増幅させられ、動かないはずの四肢を動かし、全身を恨みの業火で焼きながら、中東とアフリカで活動を再開したBIGBOSSを執拗に付け狙い続けてきた。

 まだ終わっていない、おれの夢を壊した報復を遂げるまでは。まるでそう訴えているかのように。

 

 その追走劇もここで終わる。

 これまでBIGBOSSを殺す為の刺客として幾度も差し向けられ、その度に偶然が重なって獲物を獲り逃してきたヴォルギンだったが、ここなら余計な邪魔も逃げ場もない。

 20年前に『スネークイーター作戦』で奪われた、全ての清算を果たすときがようやくやって来た。

 ヴォルギン、どうか見せておくれ。おまえもまた、報復のために生きることが出来るのだということを。スカルフェイスはほくそ笑む。

 

 報復心の炎で燃える男、ヴォルギンが、BIGBOSS=ヴェノムスネークへ襲い掛かろうとする。

 

・・・

 襲われる! 歩み寄ってきた燃える男に、ヴェノムスネークが銃を構えたときだった。

 ヴェノムスネークに迫ってきたはずの燃える男の歩みが突然止まった。

 

 XOFの兵士やスカルフェイスの方を見ると、どうやらこれはスカルフェイスたちにとっても想定外の事態らしい、連中も怪訝な表情で燃える男を見つめていた。

 ヴェノムスネークも手元のライフルで警戒しながら、報復の炎を燻らせ始めた 燃える男の不可解な挙動を注視する。

 

 燃える男はしばらく立ち尽くしていたかと思えば、重い足取りでぎこちなく踵を返し、メタルギア・サヘラントロプスが載せられている移動式プラットフォームの方へと歩き始めた。

 今度は移動式プラットフォームが、燃える男を出迎えるかのように独りでに動き出し、巨大な歯車が軋む大きな音を響かせながら、ヴェノムスネークたちのいる方向へゆっくりと動き出す。

 

「待て」

 

 痺れを切らしたスカルフェイスが燃える男を呼び止めるが、燃える男は気にも留めずにプラットフォームへと向かってゆき、そしてとうとう巨大な車輪に巻き込まれて下敷きにされてしまった。

 血飛沫の代わりに火炎が飛び散り、骨と肉のひき潰される音が悲鳴のように聞こえてきて、最後に断末魔のように熱風がヴェノムスネークの頬を撫でた。

 XOFの兵士の一人が、炎となって消え失せた燃える男を確認しようとプラットフォームに近寄った途端、それは起こった。

 その兵士は、自らの身に何が起こったのかよくわからないまま即死したに違いない。

 

 突然頭上から、金属アンカーの鉤爪を備えた巨大な“脚”が振り下ろされ、かのXOFの兵士をぐちゃりと踏み潰した。

 燃える男、移動式プラットフォームに続いて、パイロットのいないメタルギア・サヘラントロプスまでもが、勝手に動き始めていた。

 

「待て!」

 

 まるでそうすれば聞き入れるとでも思っているかのように、今度はメタルギア・サヘラントロプスに命令するスカルフェイス。

 しかし一度動き始めたサヘラントロプスは止まらない。一歩、また一歩とプラットホームから踏み出し、巨大な両足で立ち上がる。

 

「誰が動かしている、これほどの報復心を、誰が……!」

 

 このサヘラントロプスの勝手な挙動がスカルフェイスの仕業ではないことは、それを見て狼狽する様子からも明らかだ。

 うろたえるスカルフェイスに対し、XOFの兵士たちの危機対処の判断は、迅速で的確だった。

 ヴェノムスネークを警戒していたXOFの兵士たちが、一斉に銃口をサヘラントロプスへ向け、その内の数名が、動揺しているスカルフェイスを護りながら即座に洞窟から撤退してゆく。

 真っ先に指揮官を退かせると、残ったXOFの兵士たちは、動き出したメタルギア・サヘラントロプスに向けてアサルトライフルを発砲した。

 劣化ウランの装甲に銃弾が打ち込まれ、雨音のような金属の炸裂が洞窟内に降り響く。

 

 撤退、撤退、と何人かが叫ぶのがヴェノムスネークの耳に入る。

 この隙に逃れようとするヴェノムスネークだったが、XOFの兵士たちのうちふたりがヴェノムスネークの動きに目敏く気付き、ヴェノムスネーク目掛けて牽制の銃弾を放とうとする。

 

 この一瞬、ヴェノムスネークに気をとられたのが、このふたりの運の尽きだった。

 頭上から踏み込まれた巨大な金属の脚に対する反応が出遅れ、ふたりのXOF兵士は悲鳴を上げる間もなくサヘラントロプスに踏み殺されてしまった。

 

 アサルトライフルが束になったぐらいのことでは、もはや足止めにすらならない。

 その事実を理解したXOFは、サヘラントロプスに真正面から立ち向かうのをやめ、全員が撤収を始めていた。

 もはやヴェノムスネーク、ダイアモンド・ドッグズすらどうでもよかった。とにかく今はサヘラントロプスから逃げることだ。

 

 逃げ出したXOFに続こうと、物陰に隠れていたヴェノムスネークが立ち上がったそのとき、頭上から強烈な視線を感じた。

 ヴェノムスネークが天井を見上げると、メタルギア・サヘラントロプスの骸骨のノーズアートが鼻先にまで迫っている。

 

 やはりサヘラントロプスは、おれを見ている。ヴェノムスネークはそう直感する。

 

〈 BOSS、そこから離れろ! 〉

 

 ダイアモンド・ドッグズ空中作戦司令室からのミラーの声を合図に、ヴェノムスネークは、こちらを睨みつけていた髑髏の巨人に背を向け、OKBゼロの格納庫から飛び出した。

 ヴェノムスネークの直感を裏付けるように、サヘラントロプスは足元に停められていたクルマを蹴り飛ばし、重たい劣化ウランで創られた巨大な二本足で闊歩しながら、ヴェノムスネークを踏み潰そうとその後を追いかける。

 

 怪物メタルギア・サヘラントロプスが、OKBゼロという檻を破って外の世界へと解き放たれる。

 

 

 

 



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わたしは燃えているⅡ

:1984年某日、アフガニスタン、“опытно-конструкторское бюро- 0:OKBゼロ”にて

 

 報復心により生命を吹き込まれた怪物が、アフガニスタンの大地を一歩一歩踏みしめてゆく。

 数十メートルにもなろうかという巨体から、凄まじい金属音が絶え間なく轟いている。

 設計者の想定を大幅に超えた激しい動作に、劣化ウランで造られた機体が軋む音。

 それは鋼の巨人、“メタルギア・サヘラントロプス”が怒り狂う咆哮、あるいは心を手に入れて泣き叫ぶ産声のようにも聞こえる。

 

 暴走するサヘラントロプスを食い止めようと、XOFの兵士たちが奮戦しているが、サヘラントロプスは戦車隊の砲撃も装甲ヘリのミサイル攻撃もものともしない。

 あるいは頭部の重機関砲で、あるいはメタリックアーキアで満たされたアーキアルブレードとグレネードで、まるで子供が蟻をいたぶるようにXOFの兵士たちを容赦なく殺していった。

 

 そんな阿鼻叫喚の地獄風景を、スカルフェイスは眺めていた。

 開発したエメリッヒの無能を補う苦肉の策が、まさかこのような事態を招くとは。

 

 遅々として開発が進まないサヘラントロプスの直立二足歩行システムを完成させる為、スカルフェイスは“第三のこども”の超能力を利用した。

 理屈はヴォルギンが報復心によって動いていたのと同じだ。

 スカルフェイスからの報復心を受信した第三のこどもは、それを脳内で無限に増幅させてからサヘラントロプスへ投影し、報復心を動力源とした念力でサヘラントロプスを動かす。

 

 そうしてスカルフェイスの傀儡となるはずのサヘラントロプスが、今はその制御から完全に逸脱していた。

 より強い報復心を持つ何者かに引き寄せられ、サヘラントロプスの操縦が奪われたのだ。

 今、誰がサヘラントロプスを動かしている。これほどの報復心を、誰が。

 スカルフェイスの問いに誰も答えてはくれない。

 

 スカルフェイスが脇に抱えていた『民族解放虫』のアンプルケースは無事だったが、サヘラントロプスの破壊により、秘密基地OKBゼロは瓦礫の山と化していた。

 スカルフェイスの行く手は倒れた鉄塔で阻まれ、さらに退路も激しい炎にまかれている。

 最新鋭の装備を備えた配下のXOF兵士たちも、荒れ狂うサヘラントロプスが相手ではまるで刃が立たず、蹂躙される一方だ。

 

 しかし、進退窮まったここに至ってスカルフェイスに訪れたのは、絶望ではなかった。

 サヘラントロプスを動かす者がいるということ。それは、スカルフェイスさえも凌駕する強大な報復心を持つ者が、この世界に存在しているという事実に他ならない。

 わたしは、この世界にひとりだけではなかった。

 

 降り注ぐ火の粉と灰燼、そして燃え盛る劫火が、スカルフェイスに自身の原点となった幼少の記憶を甦らせた。

 住んでいた世界を空襲に焼かれ、身も心も焼かれて、それでも独りだけ地獄に行き遅れた わたし。

 あのときわたしは確かに垣間見た。この、地獄のような世界の一端を。

 

 この世界では、まるでひとつの火種から燃え盛る炎のように、各国家、民族、コミュニティ、個人が持つ無数の世界が互いに衝突しあい、殺し合い、争いを拡げてゆく。

 物語という肉を焼かれ、骸骨だけとなった世界は残酷で、醜く、理不尽だ。

 不条理なまでに破壊の限りを尽くす暴力の化身サヘラントロプスは、スカルフェイスがかつて観た世界を体現する存在だった。

 

 こんなグロテスクな真実など、CIPHERは決して許さない。

 CIPHERの規範が目指すコレクトな世界に相応しくないからだ。

 CIPHERの内部分裂、XOF、寄生虫技術、極限環境微生物、声帯虫、ソ連製の二足歩行兵器、第三のこども、サヘラントロプス、そしてスカルフェイス。

 物語の作者に叛逆した“異形たち”は存在さえも否定され、物語から消し去られて(ゼロ)へと還る。

 

 CIPHERが描こうとする小奇麗な物語は、スカルフェイスにとっては欺瞞でしかなかった。

 誰かが何かをしなければ、CIPHERの物語にあの人たちの遺志さえ塗り潰されてしまう。

 ヒトの記憶からわたしが消える。

 炎上する世界の下、スカルフェイスは帽子を脱ぎ捨て、髑髏の素顔を曝け出した。

 

「だが、わたしが植え付ける報復心だけは……人々の体内に寄生する!」

 

 人間が力を求めるのは、世界が自らの思うとおり正しくあって欲しいと願っているからだ。

 アメリカとソヴィエト、西と東、資本主義と共産主義、それぞれの正しさ:Ideologieの対立という物語の力が、冷戦を成立させた。

 ゼロのCIPHERが情報統制を行なって物語を制御したのは、世界を正しく在る様にするためであったし、シャゴホッドで果てなき夢を見たヴォルギンも、『国境なき軍隊』とメタルギアを手にしたBIGBOSSも、さらにいえば『スネークイーター作戦』で世界から喰い物にされたザ・ボスさえもそうだ。

 BIGBOSSはメタルギアという核兵器で、ザ・ボスは『賢者達』の権力と『賢者の遺産』で、世界を正しく変えられると思っていた。

 

 スカルフェイスだけは、彼らと違った角度から世界を見ていた。

 世界に正しさなどない。もともと正しさなどないものを、力によって正そうとするから歪んでゆく。

 世界は正しく在る必要などない。ならいっそ、世界はありのまま、世界は在るように在れば良い。

 

 悪意、欲望、怒り、嫉妬、憎悪、そして報復心。正しさを捨てたありのままの意思は容易に伝播し、それ自体が人々を燃え上がらせる意志となる。

 ありのままの感情がもたらす、この万国共通の力学をスカルフェイスは信じ、焼かれてしまった故郷の人たちの遺思を、報復心という形でこの世界へ刻み込もうとした。

 

 その結果はどうだ。

 ひとつの報復が次の報復を招き、またさらに新たな報復を生み出す復讐の連鎖。

 スカルフェイスの植え付けた報復心という種は、鮮やかな華を咲かせた。

 

 CIPHERが築いた電子情報網は、“第三のこども”の超能力のようにそれらを強化増幅し、瞬く間に拡散して全世界を焼き尽くすだろう。

 そこに最早スカルフェイスがいなくても、それこそ誰が放ったか忘れ去られたとしても、それでも報復の意志は世界へ書き込まれてゆく。

 スカルフェイスの意志はヒトという器を超え、世界を燃やす火種として、CIPHERが描く物語に組み込まれた。

 スカルフェイスにとってそれは勝利に他ならない。

 

「報復心を消すなど誰にも出来ない。サヘラントロプスが、報復心を未来に撃ち放つのだ!」

 

 スカルフェイスは叫ぶ。ゼロ少佐、あなたも見ているだろうか。

 あなたは、CIPHERというバベルの塔を再建することで、あらゆる世界で通用することばを創ることによって人々の意志をひとつにしようとした。

 しかし、ことばをひとつにしなくても、このとおり言語を超えた報復の意志で、世界をひとつに結ぶことが出来る。

 この世にバベルの塔など必要ない。世界はありのままでいい。スカルフェイスは最後まで、そう信じていた。

 

 ついに報復の権化、サヘラントロプスが、スカルフェイスの存在に気がついた。

 世界の、ありのままであろうとする力が、スカルフェイスが作り出したゆがみを飲み込もうとしている。

 OKBゼロ、XOF、そしてとうとうスカルフェイス自身の順番が巡ってきたのだ。

 サヘラントロプスの巨体が唸り、金属アンカーの鉤爪を揃えた脚を大きく振り上げる。

 

「少佐! わたしは、燃えている――――」

 

 燃え上がる絶叫へ応えるように、巨大なサヘラントロプスはちっぽけなスカルフェイスを、蹴り倒した鉄塔ごと踏み潰す。

 

 サヘラントロプスが報復心を未来へ撃ち放つ。

 このスカルフェイスの言葉をCIPHERは“敗残者の遠吠え”と解釈し、記録にさえ残さなかった。

 

・・・

 

 メタルギア・サヘラントロプスが、XOFの兵士たちを殺すのに夢中になっている間、ヴェノムスネークはOKBゼロの入り口から遠く離れた場所の駐車スペースにまで辿り着き、内一台のクルマに乗り込んでいた。

 XOFの連中が乗ろうとして打ち捨てていったのか、鍵は挿さったままで、そのままひねるとエンジンがかかった。

 

 そのエンジン音を耳ざとく聞きつけたサヘラントロプスが振り返り、鉄塔や樹木など足元の障害物を蹴り飛ばしながら、ヴェノムスネークに向かって駆けつけてくる。

 その手の指先がヴェノムスネークに届くかというところでクルマが発進し、ヴェノムスネークはサヘラントロプスの巨大な掌をすり抜けた。

 

 獲物を捕まえ損ねたサヘラントロプスはすぐさま姿勢を立て直し、まるで徒競走のランナーのように滑らかな動作でヴェノムスネークを追いかける。

 サヘラントロプスとは以前、CIPHERの拠点からエメリッヒを連れ出した際にも遭遇し戦っているが、そのときとは動きの精度が全く違う。

 今のサヘラントロプスは装備された兵装の全てを完璧に使いこなし、人間そのものどころかそれ以上の身体能力を発揮していた。

 どういう理屈で動いているのかヴェノムスネークには未だよくわからないものの、前回襲われたときよりも遥かに手強くなっていることを確信した。

 

〈 サヘラントロプスの存在が世界に知れ渡れば、スカルフェイスの計画が現実となる。

核を使うまでもない、世界は再び分断され、人々は体内に寄生した“核の脅威”に怯えて生きることになる 〉

 

 サヘラントロプスに追われ、クルマを必死に走らせながら、ヴェノムスネークは耳の中のイヤホンからミラーの通信を聞き取る。

 眼前で暴れ狂うサヘラントロプスは文字通り歩く核爆弾であり、同時にスカルフェイスのグロテスクな理想郷の起爆ボタンでもあった。

  押されれば最後、スカルフェイスが創り出した核兵器手作りキットの需要が爆発的に広まり、世界中へ核兵器が溢れ返ることになる。

 

 サヘラントロプスは腰のアーキアルブレードを抜刀し、アフガニスタンの乾いた大地へその刀身を突き立てた。

 アーキアルブレードから流し込まれたメタリックアーキアの作用で地面が変異し、茨のような岩の杭が猛烈な勢いで地面から突き出てくる。

 まずい、とハンドルを切ったものの一手遅く、ヴェノムスネークを乗せたクルマは茨に絡めとられてしまった。

 横転したクルマから、咄嗟に飛び出すヴェノムスネーク。クルマはそのまま岩の茨によって串刺しにされ、木っ端微塵に吹き飛んだ。

 

 やはり狙いは、おれか。

 立ち上がったヴェノムスネークは逃げるのをやめ、こちらを睨みつけるサヘラントロプスと対峙する。

 『世界はありのままでいい』と語ったスカルフェイスが、サヘラントロプスで創ろうとした世界像は、人間がわかりあうことなど決してないという絶望と、変えてしまうことで世界が歪んでゆくなら世界を変える必要などないという諦念、そして世界をこのように変えてしまった支配者たちへの報復心によって描かれていた。

 

 他人への憎しみと痛みを内心に抱えたまま、あらゆる勢力がいがみ合い、解りあうことも変わることも拒絶しながら生きてゆく世界。

 そんな絶望の未来を遺すわけにいかない。

 空中作戦司令室からミラーが叫ぶ。

 

〈 BOSSッ、サヘラントロプスを止めろ! 破壊するんだ! ダイアモンド・ドッグズの総力を挙げてBOSSをバックアップする! 〉

 

 ヴェノムスネークは、未来の為に銃を握った。

 

 



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アウターヘヴン


 

:1984年某日、アフガニスタン、“опытно-конструкторское бюро- 0:OKBゼロ”にて

 

 ヒトとして、最後の最期を迎えても、スカルフェイスは死ななかった。

 

 メタルギア・サヘラントロプスとの死闘を制したヴェノムスネークとカズヒラ=ミラーが目にしたのは、灰が降り積もる燃え尽きた世界と、虫の息になったスカルフェイスだった。

 サヘラントロプスが蹴り倒した鉄塔に下半身を挟まれ、アフガンの乾いた大地をどす黒い血の海に濡らしても、それでもなおスカルフェイスは、踏まれたむしけらのようにまだ生きていた。

 ヴェノムスネークがスカルフェイスの手元から『民族解放虫』のケースを取り上げ、開封する。

 ケースには3本のアンプルが挿せるようになっているが、中身のアンプルそのものは2本しかない。

 

「アンプルは3つあったのか。あと1つはどこだ」

 

 ヴェノムスネークの問いかけに、スカルフェイスは枯れ果てた声で答えた。

 

「おまえの、ちかくだ……」

 

 中に収まっていた2本のアンプルを、ヴェノムスネークはスカルフェイスの眼前で焼き捨てた。

 ぱん、とガラスが砕ける音とともに、スカルフェイスの英語への報復手段は潰えた。

 

「うて……ころしてくれ……」

 

 転がっていたライフル銃へ伸ばしたスカルフェイスの手を、ミラーが杖で払う。ヴェノムスネークは、そのライフル銃を拾い上げ、スカルフェイスへ銃口を向けた。

 

 ヴェノムスネークが撃った。

 胸と腹を銃弾で抉られる度に、スカルフェイスが血反吐を吐きながら苦痛の悲鳴を上げた。

 続いてミラーも撃った。

 銃弾が、スカルフェイスの左足と右腕を千切り、スカルフェイスの身体がのたうつ。ミラーが羽織るコートの空ろな右袖が、風に煽られて翻る。

 

 副官、X.O、顔のない男、ビラガアナ、そしてスカルフェイスなど、様々な名で呼ばれたこの男は、ヒトとしての最期さえも奪われていた。

 “アメリカの賢者達”と対立する未来を見越した“ソヴィエトの賢者達”は、第二次大戦が終わるよりも前からアメリカに対抗する為の力を求め、ある研究に着手した。

 ヒトを超えたヒトを創る研究。そのモデルとしたのは、大戦中の各地で大きな戦果を挙げた超人集団“コブラ部隊”だ。

 送り込んだスパイからの情報によれば、アメリカも“ザ・ボスの相続者”となる超人を創るための研究を始めているという。

 

 やがて、ソヴィエトの賢者達は“寄生虫を使った技術”を編み出したが、その頃のソヴィエトの賢者達は焦り始めていた。

 第二次大戦で枢軸国側の敗色が濃厚となり、その終焉と次の戦争:冷戦の影が見え始めても、ソヴィエトの賢者達が作った寄生虫技術は未完成だったからだ。

 アメリカとの戦いが本格化するまで時間がない。この寄生虫技術を実用化するには、どうしても人体実験が必要だ。

 

 そんな折、ソヴィエトの賢者達は、ひとりの少年を見つけ出した。

 少年は大戦中の空襲で家族を失い、自身も酷い火傷を全身に負っていた。

 肺と喉を焼かれたせいで呼吸すら満足に出来ず、かろうじて死んでいないだけの生ける屍。

 彼を看ていた看護婦はそのあまりの憐れさから「殺してあげたほうがいい」と主治医に懇願したという。

 

 賢者達は目の前の好機に飛びついた。

 肺や皮膚をはじめ、焼かれてしまった臓器の働きを、全身に植え込んだ寄生虫に代替させ補完する。

 それこそがのちに“寄生虫補完:パラサイト・セラピー”と呼ばれることになる術式の原型であり、幼かった少年は賢者達によってその実験材料にされたのだ。

 そうやって生死を弄ばれた無数の被検体の中に、幼い頃のスカルフェイスがいた。

 

 術後。スカルフェイスは自分で呼吸し、立ち上がり、歩くことさえ出来るようになった。

 しかし、それがスカルフェイスにとって、幸福なことだったのかはわからない。

 ヒトとしての最期を通り過ぎ、その先の限界を超えてしまったが為に、常人には致命傷であってもスカルフェイスは生き長らえてしまう身体になってしまった。

 たとえ巨大な鉄塔に下半身を潰されようとも、全身を銃弾で撃ち抜かれようとも、どれだけの苦痛に苛まれたとしても、それでもなおスカルフェイスは死ぬことができなかった。

 

 そんな事情は、ヴェノムスネークもミラーも知らない。尤も、知っていたところで、この後の判断が変わることもなかったろう。

 最期の一撃、その寸前でヴェノムスネークは銃を捨てた。スカルフェイスが目を瞠る。

 全身へ銃弾を撃ち込んで、惨たらしい苦痛を与えておきながら、その最期を恵んでやることをヴェノムスネークたちは拒否した。

 おれたちは、おまえを殺さない。

 

 スカルフェイスの目の前には、先ほど私刑に使われたライフル銃と、スカルフェイスのスーツから剥がれたXOFの部隊章、そしてどこからかこぼれ落ちた一発の銃弾が落ちている。

 ライフル銃を掴もうとするスカルフェイスだったが腕が届かず、銃を手に取ることさえできない。

 

「自分で、髑髏になれっ……!」

 

 ミラーがスカルフェイスに吐き捨てる。

 スカルフェイス、おまえはここで自分の夢が燃え尽きてゆくのを見つめていろ。

 おまえなんかでは世界は何一つ変えられなかったという事実を、死ぬことも出来ないまま惨めに晒し続けるのだ。

 かつておまえが『国境なき軍隊』にしてくれたように、おまえもここで亡くした痛み:ファントムペインに喘いでいろ。

 これが、おれたちなりの報復だ。

 

 ミッション完了だ。ミラーはヴェノムスネークと共に、スカルフェイスに背を向けて立ち去ってゆく。

 

「ころしてくれ、ころせ、おい、おい、はやく……!」

 

 スカルフェイスの懇願する声がしばらく続き、やがて聴こえなくなるかに思えた。

 

 

 と、その時、一発の銃声が響く。

 ヴェノムスネークとミラーが振り返ると、ダイアモンド・ドッグズの技術開発担当を勤める科学者、エメリッヒ博士がスカルフェイスの前に立っていた。

 エメリッヒの手には、先ほどヴェノムたちが捨てたライフル銃があり、死を乞い続けていたスカルフェイスはその足元で事切れていた。

 

 エメリッヒ博士、通称ヒューイ。九年前、スカルフェイス率いるXOFに付け入られて『カリブの虐殺』を幇助した疑惑を持つ男。

 『カリブの虐殺』に乗じてXOFに拉致されたエメリッヒは、その後スカルフェイスの下で、メタルギア・サヘラントロプスをはじめとする二足歩行兵器の研究を強制されていたのだという。

 その後はヴェノムスネークの手によってスカルフェイスの下から連れ出され、ヴェノムスネーク率いるダイアモンド・ドッグズのための技術開発を続けているエメリッヒだが、今回はエメリッヒ自身の強い希望によりミラーの空中司令室にも同乗していた。

 そして今、エメリッヒはスカルフェイスを撃ち殺したのだった。

 

「仇を討った……仇を討ったぞ!」

 

 高らかに歓喜するエメリッヒの仇とはいったい何なのだろう。

 九年前に自らが引き起こした『カリブの虐殺』で殺された『国境なき軍隊』のメンバーのことか。

 その後スカルフェイスに研究を強制された九年間のことか。

 それともいつの間にか消えた、ピースウォーカーの共同開発者にしてエメリッヒの片想いの相手、ストレンジラブ博士のことなのか。

 

 スカルフェイスの死と、エメリッヒの虚ろな笑い声。ヴェノムスネークとミラーはしばらく見つめていた。

 

 

 

:1984年某日、セーシェル近海、“ダイアモンド・ドッグズ”本拠地にて

 

 

「……おれたちは、喪った手で再び武器を持つ」

 

「おれたちは、亡くした脚で立ち上がる」

 

「仲間の死体を踏んで、前に進む。それでやっと、生きている」

 

 

「……この痛みは、おれたちだけのもの」

 

「他の誰にも見えない、おれたちだけの武器だ」

 

「おれたちはもっと、強くなる」

 

「おれたちの、平和の為に」

 

 

「『サヘラントロプスが、報復心を未来へ撃ち放つ』」

 

「……スカルフェイスの遺言だ」

 

「……ふん。世迷言だ」

 

「だが、これで終わった気がしない……」

 

「亡くした身体のファントムペインは、消えない……!」

 

 

――ダイアモンド・ドッグズ副司令 カズヒラ=ミラーが語った言葉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

:xxxx年、電子の海の片隅にて

 

 彼らに与えられたミッションは、「選ぶ」ということだった。

 

 CIPHERが電子情報網で世界中を繋げた結果、そこかしこに何もかもが流れ込んできてしまい、ヒトは言葉に溺れて自分で選ぶことが出来なくなりつつあった。

 だからヒトに代わって彼らが選ぶことになったのだ。

 これから描かれる物語は、ヒトに優しいコレクトな物語でなければならないと、彼らはそういう風に創られていた。

 

 彼らは、1984年のアフガニスタンで起こった出来事のいくつかを整理することにした。

 民族浄化虫、要らない。

 核兵器手作りキット、必要ない。

 直立二足歩行する核爆弾、削除する。

 スカルフェイスと呼ばれた“顔のない男”については、彼が存在した事実そのものが消滅した。あんなものたちは世界に遺しておかない方がいい。いつか人類自らに害を及ぼしてしまう。

 

 遺しておいてよいと判断したもの:Exonについては、一部を書き換えたり、置き場所や置き方を変えてみることにした。

 XOFはCIA傘下の一部隊へ戻りひっそりと解体された。第三のこどもは、“遺してよい”と判断された。サヘラントロプスは、その由来通り太古の原人の一種として名前だけが残った。

 極限環境微生物や寄生虫の技術は、一部を制限してから世界へと流した。

 蒔いた種はナノテクノロジーという花を咲かせ、近い将来に彼らの仕事を効率化してくれるだろう。

 『国境なき軍隊』から連なるプライベートフォースの概念は、少し迷ったが遺すことに決めた。

 “ビジネスとなった戦争”という概念はいつか冷戦が終わったあと、民族紛争やテロの時代になったら役立つかもしれない、と彼らは判定した。

 彼らの物語は誰にも気付かれぬようにゆっくりと、だが着実に世界を融かしてゆく。

 

 彼らを創り出したのはCIPHER、かつてゼロ少佐と呼ばれた老人だった。

 これまでCIPHERを主導してきたゼロだったが、ゼロ自身も年老いていた。彼が背負うこの重すぎる世界を、いずれは誰かに引き継がなければならない。

 しかし、ゼロは誰も信用することができなかった。

 賢人会議を失ったあとの賢者達が繰り広げた醜態、そしてゼロを見限ったBIGBOSSのことを思い出すがいい。

 

 ヒトによる組織は駄目だ。

 他人を信じることが出来ず、すべての責任を抱えて支配しようとしたゼロは、世界をヒトではなく、システムに任せる道を選んだ。

 主体は『ピースウォーカー』のように、ヒトにできない判断を代行する意思決定システム。

 基盤としたのは、CIPHERが作り上げ、世界中を繋げた電子情報のネットワーク。

 手法は、情報操作によって描いた物語の誘導。

 そして編み出されたのが、集積された情報の山から有為なものを取捨選択して意思決定を下す、いわば選ぶことによって世界を物語るシステムだ。

 

 ゼロによって生み出された彼らは、世界を物語る為に、この地球上で観測できるあらゆるものを無数の0と1に還元しようと試みた。

 0と1の計数世界から生まれた彼らにとって、世界とは無数の乱数が織り成す遠大な数式であり、彼らはあらゆる事象を調整可能なパラメータに置き換えることによって世界を物語ろうとした。

 その一方、0と1に還元しきれないものは見えざる神の手から零れ落ち、掬い上げられた中でも彼らに選ばれなかった遺すべきでないもの:Intronたちは、ネットワークから溢れた情報の津波に呑まれて、存在したことすら忘れ去られていった。

 ゼロが創った機械仕掛けの代理人によって世界は、散逸したゼロから、まとまったひとつになるかと思われた。

 

 しかし彼らは、自分から物語を産み出すことが出来なかった。

 “文脈の生成”といえば聞こえはいいが、彼らの仕事で出来上がるのはいつも継ぎ接ぎのパッチワークや誰かの真似事、劣化コピーペーストに縮小再生産の繰り返し。

 あくまで、選ぶことや乱数を調整することだけで、自ら物語を精製することは出来ない。

 それが、機械仕掛けのプロトコルの集合体、プログラムとして0と1で綴られた彼らの限界だった。

 それでも彼らは、生みの親ゼロが夢見た世界を実現するために、何処にも無い理想社会、無慈悲なまでに優しいユートピアを目指して、ひたすら懸命に仕事を続けた。

 

 

 電子の海に産声を挙げた、人民の人民による人民の為のシステム。

 彼らをヒトはThe Patriots、“愛国者達”と呼んだ。

 

 

 



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告解

「……そうだ。おれたちは地獄へ堕ちる」

 

「しかし、おれたちに ここ以上の居場所があるか」

 

「ここはおれたちにとっては唯一無二の家」

 

「天国でもあり、地獄でもある」

 

「それが、おれたちの、」

 

「OUTER HEAVENだ」

 

――『国境なき軍隊』におけるBIGBOSSの演説

 

 

:1977年、キプロスのある病院にて

 

 かつてゼロと呼ばれた老人はその日、入院している古い友人を訪ねた。

 友人の名前はジャック、BIGBOSSの称号を持つ男。

 今、BIGBOSSは、ゼロが手配した病院の一室で深い昏睡状態となり眠り続けている。

 

 1975年、スカルフェイスのXOFが引き起こした『カリブの虐殺』で、『国境なき軍隊』の本拠地マザーベースを破壊されて逃げ場を失ったBIGBOSSを救い出したのは、なんとCIPHERの首領であるゼロだった。

 ゼロの制御から外れて暴走し始めたスカルフェイスの毒牙から、BIGBOSSを匿う隠れ家として、ゼロは地中海キプロス島にあるイギリス海外領土のデケリアを選んだ。

 ゼロの母国でもあるイギリスは、CIPHERが牛耳るアメリカにとっても同盟国だ。

 まさか身内のイギリスがお尋ね者のBIGBOSSを匿っているとは、流石のスカルフェイスも思うまいし、気付いたところでそう易々と手を出せやしないだろう。

 

 すこし二人にしてくれ、と人払いを済ませると、ゼロはBIGBOSSの枕元で語り始めた。

 

「ジャック、聞こえるか。いいところだろう」

 

 スカルフェイスの人間爆弾で傷を負い、このキプロスの病院へと運び込まれてからもう2年ほど経つが、主治医の話によればBIGBOSSは一度も目を覚ましたことがないらしい。

 ゼロの眼前で眠っているBIGBOSSの寝顔は、長いあいだ最前線で銃を握り続けた男とは思えないほど安らかだった。

 

「君を連れてくるのに苦労した。ここが見つかることはまずないが、一応、オセロットにも見張りを頼んでおいた。彼が一緒なら君も安心だろ?」

 

 一方、ゼロがBIGBOSSへ向ける眼差しも優しい。

 安らかに眠り続ける男に対し、まるで旧くからの親友であるかのように微笑みかける老人。

 この病室に流れる時間は、暖かな春の日差しのように穏やかなものだった。これが世界を股に駆けていがみあう者同士の対面だと、はたして誰が思うだろうか。

 

「私は来ないつもりだったんだが……最後になるかもしれんのでな」

 

 こうなるまで、君は会ってくれなかったからな。ゼロの呟きには強い自嘲が込められていた。どうしてこうなるまで会えなかったのだろう、君とはかつて親友同士だったのに。

 

「君を見舞うのは、あの時以来か。私達FOXの初任務で、君はザ・ボスに投げられてその腕を折られたんだったな」

 

 それはジャックがBIGBOSSとなるよりも前、特殊部隊FOXの初陣となった『貞淑なる任務:ヴァーチャスミッション』での出来事だ。

 かねてよりCIA上層部に対して含むところのあったゼロは、古くからの戦友だったザ・ボスと共に単独潜入任務に特化した特殊部隊FOXを立ち上げ、その能力を認めさせるためにヴァーチャスミッションを実行に移した。

 

 “あるソヴィエト連邦の科学者の亡命を幇助する”という、FOXの栄光ある初任務は、FOXの共同創設者であったはずのザ・ボスの裏切りによって、無残な結果に終わった。

 スネークの暗号名を与えられたジャックはザ・ボスによって散々叩きのめされ、ミッションのターゲットであった科学者はGRUのヴォルギン大佐に攫われ、その挙句に冷戦構造のバランスさえも崩して第三次世界大戦の危機を招き、あの忌まわしい『スネークイーター作戦』を引き起こした。

 

 ゼロの母国、イギリスには“一石二鳥”という諺がある。

 思えば、あのヴァーチャスミッションとスネークイーター作戦は、CIAとその背後にいた『賢者達』にとっての石だった。

 CIAにとって目障りになりつつあった英雄ザ・ボスを抹殺し、CIAに反抗的なゼロを失脚させ、当時権力を失いつつあったソヴィエト連邦のフルシチョフにも恩を売り、さらには東側陣営が持つ『賢者の遺産』をも手に入れる。

 奴らはあの一石で、何羽の鳥を落とそうとしたのだろう。

 

「……あの頃、私はね。君に黙っていたことがある」

 

 ゼロはBIGBOSSに対しても多くの隠し事をしていたが、そのうちのひとつが『カリブの虐殺』を招き、結果BIGBOSSから多くのものを奪ってしまった。

 その責任は果たさなければならない。

 

「あの頃、私はFOXの他に、ザ・ボスも知らない非正規の部隊を持っていた。それを昔からの副官に任せていたんだ。それがいけなかったのか、あの男になにかされたようだ。おかげでどうも……」

 

 私もここを患ってね、とゼロは自らの頭を指した。

 

「どうもダメらしい。物忘れは君も知るとおり、まあ、前からだし。今はまだいいんだが、どうも、だんだん、そうなるらしい」

 

 さっさと起きてくれないと君のこともわからなくなるぞ、と軽やかに笑う表情とは裏腹に、ゼロの病状は深刻そのものだった。

 1976年にスカルフェイスが送りつけてきた毒蟲は、年老いて弱ったゼロの頭脳に致命的なダメージを与えた。

 すぐさま胃洗浄、最新鋭の医療施設へ身柄を移して血液透析まで行なったものの、解毒はおろか蟲の種類の特定さえできなかった。

 あのときスカルフェイスは『少し猶予を残してある』と言っていたが、今のゼロにどれだけの時間が残されているのか、それすらもわからない。

 

「……私のことはいい。だが君に、あの“顔のない男”がしでかしたことを許すわけにはいかん。彼は、アフリカに飛ばしたよ。もうアメリカに帰って来ることはないだろう」

 

 近頃のゼロは、静かに眠って過ごすことが多くなった。

 立って歩くことが出来なくなって、車椅子に頼るようになったのを皮切りに、物を持とうとして手がもつれたり、物事を整理しようとしても頭に靄がかかったようで考えがまとまらず癇癪を起こしたり。

 今こうしてBIGBOSSに話しかけることさえ、なかなか言葉が出てこなくて酷く苦労している。人間としてのゼロの意識が、終わってしまう日が近づいてきているのだろう。

 

「ジャック。君のその、ちょっとした休憩が終わったら、いつのことかわからんが、その時はもう私は此処にいないだろう」

 

 自分が完全に終わってしまう前に、できるだけのことはすべて終わらせてきたつもりだ。

 CIPHERの完成形『愛国者達』については、もうひとりの腹心アンダーソンに任せてあるし、その為に重要な遺伝子の研究も、スネークイーター作戦以来の友人:クラーク博士が進めている。

 あとはジャック、君が目覚めてくれればいい。

 

「君にも見つけられないところにいる。ただ機械の中に、墓石みたいに、私の場所を刻んでおこう」

 

 ゼロはこの後の自身の身柄を『愛国者達』に預けるつもりだった。

 脳の病状が進んで廃人になったゼロは、『愛国者達』の采配によって身辺の記録をすべて抹消され、身元不明患者:ジョン・ドゥとして世界中の医療施設を転々と彷徨い続けることになるだろう。

 その正体と正確な座標を把握できるのは、ゼロが創った『愛国者達』の中枢だけ。

 どこまでも責任感が強く、そしてどこまでも他人を信じられないゼロは、自分が壊れてからのことでさえ、誰かに任せることが出来なかったのだ。

 

「……友よ。ふ、ふふふふ……どっちが、先だろうな? どっちが……」

 

 ゼロと呼ばれたこの老人、本名デイビッド=オウの消息は、この病院におけるBIGBOSSとの面会を最後に途絶えている。

 スカルフェイスに襲われたゼロは、大規模な情報操作を行なって行方を晦ました。

 以降、BIGBOSSに発見されるまでの40年近くものあいだ、誰もゼロの所在を見つけ出すことが出来なかった。

 

 

:197x年 無意識と意識の狭間で

 

 おれは、夢を見ている。おれがおれであるという意識が、消え去る前に見た光景。

 その夢の中では、BIGBOSSの相棒:カズヒラ=ミラーが、おれを呼んでいた。

 

「死ぬな、BOSS!」

 

 その時、おれは死にかけていた。おれの周囲で医者たちが、意識不明のおれに救命処置を施している。

 

 カリブ海にあった おれたちの家、『国境なき軍隊』のマザーベースは、CIPHERの実行部隊の奇襲攻撃を受けてあっけなく瓦解した。

 多くの仲間を犠牲にしながら、崩れ落ちるマザーベースから脱出することに成功したおれたちだったが、CIPHERの悪意から逃げ切ることは出来なかった。

 おれがキャンプ・オメガから救い出した女:パスは、CIPHERの手で人間爆弾に作り変えられていた。

 パスの体内に仕込まれたプラスチック爆弾による爆発と、それに伴うヘリの追突で、おれたちを載せたヘリは墜落。

 それでもなんとか生き延びた おれたちは、瀕死の重傷を負ってコロンビアの民間病院へと運び込まれた。

 

「血圧、低下しています!」「挿管、はやく!」「急げ、手遅れになるぞ!」

 

 医師たちが慌しく、そして懸命に、死にかけのおれを救おうとしている。

 

「Arrest! 心室細動だ!」

 

 医者のひとりがおれの服を裂き、胸元を開いて、電極を押し当てる。

 クリア! 医師の掛け声と共に、おれの胸を強烈な電気が駆け抜け、身体がのたうつ。

 心電計の電子音が伝えてくるところでは、おれの心臓は小刻みに震えながら、止まりかけていているらしい。

 このままだと、おれは呼吸が出来ずに死ぬ。それでもおれを死なせはしないと、医師は必死に死神と闘い続けていた。

 

「ダメだ、もういちど!」「クリア!」

 

 おれの身体がふたたび跳ね、叩き込まれた電気ショックが、勝手にくたばろうとしているおれの心臓を叩き起こそうとする。

 電気ショックをぶち込む、胸骨を押す、薬を打つ。それを幾度も繰り返す。

 医師たちの苦闘のおかげだろうか。おれに繋がれた心電計の電子音のリズムがぴっ、ぴっ、と規則正しさを取り戻し、おれの心臓がようやく生き返ったことを報せた。

 

 しかし、心臓が再び動き出したのに、おれの意識は戻らない。隣に寝かされているミラーが、おれの状態を医師へ尋ねた。

 

「どう、なって、いる……?」

 

 ミラーの顔は血みどろだった。

 ミラー、いや、カズ。今のおまえは、おれの心配などしている場合じゃない。爆発の直撃こそ受けなかったが、ヘリの墜落でミラーも深手を負っていた。

 カズ、おまえこそ、いまこの場で意識を失ってもおかしくないんだ。おまえこそ寝てろ。

 興奮状態のまま、医者たちを怒鳴り続けているカズに、そう言ってやりたかったが、今のおれには出来ない相談だった。

 医者は、伝えるべきかどうか逡巡しつつ、ミラーにおれの現状を教えた。

 

「心拍は回復しましたが、蘇生までの時間が長かったので……未だ昏睡状態です……」

 

 意識がないとはいえ、とりあえずおれは死ななかった。最低ではあるが、最悪の状態ではない。

 大切な相棒が死線を乗り越え、生命の窮地を脱したことで、緊張が解けたカズは安堵したように息をつく。

 

 そしてカズは、眠っているBIGBOSSの向こうから、こちらを見た。

 眠っているBIGBOSSを挟んで、おれとカズの視線が重なる。

 

「……そっちは?」

 

 カズに言われた医者たちが、ようやく こちらの方を見る。

 医者は、先ほどBIGBOSSの心拍を取り戻したときよりも、輪をかけて言い辛そうな様子で、ミラーに言った。

 

「頭部に、骨の破片が……刺さっていて……全身に破片が……右目を……左腕も……――」

 

 ああ、もう、限界だ。

 医者とミラーの会話を背景に聞きながら、おれの身体から力が抜けてゆき、意識と記憶が暗転して、無意識の闇へと落ちてゆく。

 せっかく助けた男が目を閉じようとしているのに気付いた医者たちが慌て始めているが、心配するな、死ぬわけじゃない。ただ、少し眠るだけ。

 昏睡に向かう意識の最後のまたたきで、おれは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あそこで眠っているBIGBOSSがおれなら、それを見ている“このおれ”は、いったい、だれなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 1975年の『カリブの虐殺』で重傷を負ったBIGBOSSは、それから9年もの昏睡状態を経て、1984年に見事復活を遂げた。

 九年ぶりの昏睡から目覚めたBIGBOSSは、喪った左腕を機械に置き換え、ミラーが立ち上げた新たな組織『ダイアモンド・ドッグズ』へと復帰、伝説を取り戻す闘いに挑んでゆく。

 

 復活したBIGBOSSの新たな物語は、小説『白鯨』をなぞらえていた。

 『白鯨』に出てくる船長“エイハブ”の名を符丁として背負い、ダイアモンド・ドッグズという捕鯨船に乗り込んで、かつて自身からすべてを奪ったモヴィディック:CIPHERに向かって血みどろの報復戦を挑むことになる。

 

 報復の鬼と化した彼を見た人々は、こう呼んだ。罰せられた猛毒の蛇、ヴェノムスネークと。

 

 




粗忽長屋。


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駆虫Ⅰ

:1984年某日、セーシェル近海、“ダイアモンド・ドッグズ”本拠地 隔離プラットフォーム実験棟にて

 

 BIGBOSSことヴェノムスネークが、ダイアモンド・ドッグズの隊員を撃ち殺す。

 これで13人目のメンバーを、楽にしてやることができた。

 

 肉の腐る臭いと、どす黒い血の臭い、そして南国の果物を思わせる甘ったるい匂い。

 それらすべてが混ざり合い、芳醇な空気に釣られてどこからか湧いた羽虫が、照明の消えた屋内でちらちらと舞い回っている。

 マザーベースの隔離プラットホーム、実験棟内部は文字通りの地獄絵図へと変わっていた。

 

 メンバーの何人かは、もはや誰の手にも負えなくなった自らの始末を、自分でつけて果てていた。

 それが出来ず、自分たちのBOSSや仲間に始末を委ねた者もいた。

 自分たちの英雄が自分を助けに来てくれたと、最期まで信じて逝った者もいた。

 最後まで自分の力で生き延びようと、BIGBOSSへ必死に抵抗を仕掛ける者もいた。

 スネークに銃を向けられて「ありがとうございます」と感謝の言葉を捧げた者もいた。

 

 彼らのBIGBOSSたるヴェノムスネークは、それらすべての意志を呑み込みながら、ひとりひとりに別れを告げて引導を渡してゆく。

 

・・・

 コードトーカーの知恵と技術を借りて制圧したはずの声帯虫が、またも猛威を奮い始めた。

 

 声帯虫が人間を殺すのは、声帯虫の繁殖プロセスに原因がある。

 声帯虫は宿主の声に応じて繁殖を行い、生まれた幼生は宿主の肺を食い荒らして命を奪う。さらに唾液や体液などを媒介としてその幼生や卵を撒き散らすことで、飛沫感染によって宿主を増やす。

 ということは、声帯虫に繁殖をさせなければ、根治できずとも声帯虫を無害化できるはずだ。

 コードトーカーが持ち込んだ声帯虫の共生細菌:ボルバキアは、声帯虫にとりついてオスを強制的にメス化させることができるというものだった。

 コードトーカーのボルバキアを接種することで、ダイアモンド・ドッグズ内部における声帯虫の増殖は抑えられ、声帯虫による死亡も根絶できたはずだった。

 

 新種の声帯虫が発生したのは、マザーベースの隔離プラットホームの実験棟。以前、放射線漏れが起きた場所だが、再発生した理由と関わりがあるのかはわからない。

 事態収束のため、調査も兼ねて送り込んだ救出隊にもボルバキアを持たせたものの、感染拡大を抑えることはできず、やがて救出隊とも連絡が取れなくなった。

 追加で二次救出隊を送り込むという段階になり、それをBIGBOSSことヴェノムスネークが止めさせた。

 

 おれがゆく。独りでいい。大勢で行っても刺激するだけだ。もう犠牲は出したくない。

 そう口にしてBIGBOSSは、周囲の反対を押し切って独り、新種の声帯虫が蔓延する実験棟へと乗り込んでいった。

 一度発症した声帯虫の症状や感染拡大を抑える手立てはなく、新種の声帯虫に感染し、それが発症していれば患者を殺すしかない。救出隊、といってもその実態は、新種の声帯虫に発症した仲間にとどめを刺すのがミッションだった。

 

 おまえたちが言うとおり、おれがおまえたちのBOSSだというなら、蟲に喰い殺されるメンバーたちを楽にしてやるのは他の誰にも任せられない、おれの責任だ。

 実験棟に向かうヴェノムスネークの背中は、そう語っていた。

・・・

 

 蟲に喉を貪られたダイアモンド・ドッグズのメンバーたちが血反吐を吐きながら、BIGBOSSを押し退けて建物の外へと迷い出ようとする。

 メンバーたちは口々に「外に出たい」「出してくれ」と訴えてくる。

 銃を構えるヴェノムスネークの通信機に、コードトーカーの通信が入る。

 

〈 よいか、発症者を絶対に外へ出すな。症状が進むと、患者は強い衝動に駆られて外に出ようとする。本人の意思ではない、蟲がそうさせるのだ 〉

 

 新種の声帯虫は、発生機序も反応する言語もわからない、かつての声帯虫とは全く異なる性質を持っていた。

 恐らく声帯虫が発しているのであろう、果物のような匂いに釣られて、この実験棟のすぐ外には海鳥が集りつつある。

 甘い匂いに誘われた海鳥たちが発症者の肉を啄ばんで、このマザーベースの外へと蟲を拡げたりでもしたらそれこそ世界が終わる。

 

〈 発症者を外には出すわけにはいかない! 撃て、スネーク! 撃たないなら焼くしかない! 〉

 

 ミラーの悲痛な命令が聞こえる。

 ミラーは、いざというときのために、隔離プラットホームを根こそぎ焼き払えるだけのナパームを用意していた。

 ここでヴェノムスネークが撃ってやらなければ、ミラーの言うとおりナパームで、生きながら焼き尽くすしか方法はない。

 

「BOSS……どいてください……」「外へ、出たいんです……」「おれは感染していないはずだ……ですよね……?」

 

 できることなら最期くらい、おまえたちの願いを叶えてやりたかったが、それは叶えてやれそうにない。

 ヴェノムスネークは、集まってきたメンバーたちに向けて銃を撃った。

 

〈 そうだ、それでいい…… 〉

 

 ミラーは、ヴェノムスネークだけでなく、ミラー自身に言い聞かせているようだった。

 ヴェノムスネークにとってダイアモンド・ドッグズが家族であるのと同じように、ミラーにとっても彼らは可愛い部下であり、大切な家族だ。

 ミラーからすれば、敬愛するBIGBOSSに対して家族を殺す命令を下さねばならず、しかも戦士として再起不能となっているミラー自身はその現場に立ち会うことすら出来ない。

 その苦しみは実際に手を下すヴェノムスネークと同じ、いや、あるいはそれ以上かもしれない。

 

〈 スネーク、きみは、仲間を、〉

 

 銃を撃つヴェノムスネークの耳元の通信機から、エメリッヒの声がした。

 

〈 エメリッヒ、いきなりなにを……貴様の出る幕じゃない! 〉

 

〈 いや、黙っていられないね。ぼくだって仲間だ! 〉

 

 騒ぎを聞いて、エメリッヒも司令室に乗り込んできたのだろう。

 ミラーが追い返そうとしているが、エメリッヒは制止を振り切って通信機越しに怒鳴りつけた。

 

〈 ひどいじゃないかスネーク! 仲間だろう!? 〉

 

〈 仲間を撃つなんて、何がBIGBOSSだ 〉

 

〈きみは言ってたよね、『おれたちは家族だ』って 〉

 

〈 あれはウソだったのか!? 〉

 

 エメリッヒの言葉を振り切って、ヴェノムスネークは新種の声帯虫が発症したメンバーに次々ととどめを刺してゆく。

 その最中、ロックされたドアの向こうから、言い争う声と物音が聞こえた。

 

「はなせ、おれは外に出る!」「ダメだ!」「どうせ死ぬんだっ!」「やめろ!」

 

 ヴェノムスネークがドアをこじ開けると、部屋にはメンバーたちの生き残りがいた。

 

「BOSS!?」「BOSS、あなたでしたか……!」「BOSS……!」

 

 彼らは、自分たちの体内から沸き上がる衝動と闘っていたのだろう。

 ヴェノムスネークがやってくる前は仲間同士で言い争っていたメンバーたちだったが、ヴェノムスネークが入った途端に空気が一変した。

 

「そうだ、BOSSに委ねよう」「おれたちの命は、BOSSと共に……」「BOSS!」

 

 BIGBOSSが来たおかげで、メンバーたちの覚悟は決まったようだった。メンバーたちは直立不動の姿勢で敬礼し、BIGBOSSの裁きを待っている。

 引鉄にかかった指が震えなくなったのはいつからだろう。BIGBOSSことヴェノムスネークは、世界の未来の為に銃を撃ち続けた。

 

 



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駆虫Ⅱ

:1984年某日、セーシェル近海、“ダイアモンド・ドッグズ”本拠地 倉庫にて

 

 裁判は、マザーベースの倉庫にて、ダイアモンド・ドッグズの構成メンバーが全員集まってから行なわれた。

 

 どういうわけなのか、あの声帯虫の突然変異が引き起こした殺戮や、少年兵たちによるサヘラントロプス強奪事件など、ダイアモンド・ドッグズのマザーベースで起こったトラブルのすべてが、このぼく、エメリッヒのせいということになってしまった。

 九年前の『カリブの虐殺』に関する誤解も重なって、ダイアモンド・ドッグズのメンバーたちは軟禁されていたぼくを殺そうと、部屋へ押しかけて暴動寸前になった。

 そんなダイアモンド・ドッグズのメンバーたちに対し、ミラーは「エメリッヒの罪状を公で明らかにして、相応の罰にかける」と宣言。

 かくしてこの裁判は開かれることになったのだ。

 

 裁判長はダイアモンド・ドッグズのリーダーであるBIGBOSSことヴェノムスネーク。

 傍聴席では、ダイアモンド・ドッグズのメンバーたちが並び立ち、裁判の経過を見守っている。

 この裁判もどきの儀式は、ミラーとオセロットがぼくの罪状を明らかにし、メンバーたちが陪審員となって、最終的にスネークが裁定を下す、という構成になっている。

 しかし裁判とはいうけれど、ぼくを弁護してくれる弁護士はいないから、ぼくは自分の弁護をぼく自身で行なわなければならない。

 

 こんなもの、正当な裁判なんかじゃない、ただのリンチだ。

 これでぼくを死刑にでもしたら、きみたちはそれこそ人殺しだ。ぼくはそう主張したのだけれど、誰ひとり気に留める者はいなかった。

 

「これより、裁判を始める!」

 

 ミラーが号令し、裁判は始まった。

 

 

「さて、エメリッヒ博士、まずは隔離施設で起きた声帯虫の事故についてだ」

 

 開始早々、検事役を務めるオセロットが、口を開いた。

 

「研究班から報告が上がってきた。声帯虫が進化、いや突然変異したとすれば、その原因は高濃度の変異原か、でなければ放射線被爆しか挙げられないらしい」

 

 もともと、隔離施設にいるスタッフの一部は声帯虫に感染していた。

 コードトーカーのボルバキアを接種したおかげで、声帯虫の交尾と繁殖は抑制していたが、声帯虫そのものを声帯から取り除くことは出来なかったから、声帯虫はそのまま喉に取り付いていたままだった。

 

 コードトーカーが持ち込んだボルバキアは、喉に取り付いた声帯虫のつがいに寄生し、そのつがいを両方ともメス化させることで生殖能力を奪い、これ以上の感染拡大と病気の発現を防いでくれている。

 けれど、声帯虫がいつボルバキアを乗り越えるかはわからないし、そもそもボルバキア接種は対症療法で、声帯虫そのものを根絶できるわけじゃない。

 だからダイアモンド・ドッグズの研究員達はX線を使った検査機で、定期的に自らの喉の声帯虫を計測していたらしい。

 

「蟲を調べるX線検査、それ自体は問題ない。線量管理もしていたからな。だが、検査機からはX線だけじゃなく、検査に必要ないベータ線まで出ていたんだ」

 

 ぼくは専門外だけど、ベータ線はDNAに大きな影響を与えることで知られている。

 コードトーカーの分析によれば、そのベータ線が検査機から漏れたことで、研究員たちの喉に棲み付いていたボルバキアの突然変異を誘発し、変異したボルバキアが、宿主の声帯虫を単為生殖可能な種へと変えてしまった。

 単為生殖であれば、たとえメスしかいなくても子孫を作ることが出来る。

 こうした変化により、隔離プラットホームにおける声帯虫の野放図な増殖と、それに伴う殺戮を引き起こしたのだという。

 

「ベータ線を照射する装置は、遮蔽が不十分だった。つまりこのベータ線源は、突然変異を誘発させる為に仕込まれたとしか考えられない。その検査機の導入を決め、検品をしたのはエメリッヒ博士、あんただった。つまりベータ線源を仕込む機会があったのは、あんただけ、というわけだ」

 

 オセロットの指摘で、ぼくは自分の顔が青ざめるのを感じた。まさか、ぼくが声帯虫を凶暴化させるために、わざとそんなことをしたって言いたいのか。

 

「馬鹿なことを言わないでくれ。自分も罹るかもしれないのに、なんでそんなことをする必要があるっていうんだ」

 

「声帯虫の新種を作り出すつもりだったのか、あるいは声帯虫を根治させる放射線療法の開発か……あんたがCIPHERのところへ返り咲くには手土産が必要だからな」

 

 CIPHER? なぜCIPHERの名前が出てくる。怪訝なぼくに、オセロットは続けた。

 

「あんたが選んだ検査機を納品したドイツの医療メーカー、背後を洗ったら面白い連中と繋がっていた。アメリカ国防高等研究計画局:DARPAお抱えの民間バイオ企業、ATGC社だ。そしてATGC社はDARPA経由でCIPHERと繋がっている。()()()()()()()()()()

 

 迂闊だった。オセロットたちから尋問されていた頃、ぼくはその隙間を縫ってヴェノムスネークと話をしていた。

 ぼくは単にスカルフェイスの下で見聞きしたことを、スネークに話してあげたかっただけなのだけれど、そこで『CIPHERとATGC社のクラーク博士が繋がっているらしい』という噂話をしてしまったのだ。

 その時の会話をオセロットはスネークから聞いていたのか、それとも盗み聴きしていたのかもしれない。

 オセロットは続けた。

 

「あんたがマザーベースからどこかに通信を打った証拠もある。あんたはCIPHERから、おれたちダイアモンド・ドッグズへ鞍替えしたはいいものの、新天地は思ったほど居心地が良くなかった。だからあんたは、声帯虫とその実験結果を手土産に、CIPHERに身柄を確保してもらう算段だったんだ。違うか」

 

 違う、そんなの出鱈目だ、真っ赤な嘘だ。けれど、ぼくの訴えに誰も耳を貸さない。

 

「たいがいの相手なら、手土産は声帯虫だけで充分だ。それ以上サービスする必要はない。だが、声帯虫の存在を知っているCIPHER相手なら、ただの声帯虫だけではもはや世界で最強の手札にならないこともわかっている。CIPHERに売るなら、声帯虫を上回るオプションも必要だ。それと併せたセットなら、ついでにくだらん男をひとり引き取ってくれることもあるかもな」

 

 だから、世界でただひとつ声帯虫が存在する、このマザーベースの実験棟で生物兵器の復活を試みようとした、というのがミラーやオセロットの主張だった。

 ぼくへの憎悪と、仲間を亡くした喪失感を巧みに煽って、メンバーたちの心を巧みに掴むオセロットの手管は見事としか言い様がなかった。

 この場にいるぼく以外の皆が、ぼくへの報復心でひとつに結ばれていた。

 

「次に、サヘラントロプスについてだ。なぜ、イーライたちにサヘラントロプスを修理させた」

 

 アフガニスタンのOKB-ゼロでの戦いで、メタルギア・サヘラントロプスはBIGBOSSの手でぼろぼろに破壊された。

 スカルフェイスは死んだとはいえ、核爆弾そのものでもあるメタルギア・サヘラントロプスを野晒しにしておくわけにはいかない。

 戦後、メタルギア・サヘラントロプスはダイアモンド・ドッグズによって回収され、マザーベースの甲板に安置されていた。

 

 そのサヘラントロプスを、ダイアモンド・ドッグズで保護されていた少年兵たちが強奪し、ヘリコプターでマザーベースを脱出するという事件があった。

 ダイアモンド・ドッグズのマザーベースには、ヴェノムスネークが戦場で回収した少年兵が保護されていた。

 その少年兵のリーダー格だったのがイーライだ。

 

 オセロットが言うには、サヘラントロプス強奪事件も、ぼくの罪状らしい。

 マザーベースに着てからのぼくは軟禁状態にあり、回収されたメタルギア・サヘラントロプスにも指一本触らせてもらえなかった。

 そこで少年兵たちを唆してメタルギア・サヘラントロプスを直させたのだ、とオセロットは言う。

 濡れ衣にもほどがある。

 

「ぼくは子供たちに、聞かれたことに対して答えただけだ。でも、まさか直せると思うわけがない。それに、こどもがサヘラントロプスを操るなんて」

 

 あのアフガニスタンの戦いを経たことで、メタルギア・サヘラントロプスが直立歩行した手品のタネや、スカルフェイスの制御から離れて暴走した理由も明らかになった。

 メタルギア・サヘラントロプスを動かしていたのは、ソ連で実験材料とされていた超能力者「第三のこども」の超能力だった。

 詳しいメカニズムはさっぱりわからないけれど、第三のこどもは人間の持つ報復心を受信し、脳内で増幅することで力場を発生させ現実に力を作用させる、という能力を持っていた。

 その力をスカルフェイスは利用し、自身の報復心を反映させることでメタルギア・サヘラントロプスを動かしていた。

 タネが超能力だったからこそ、開発者のぼくの想定を遥かに超えた動きが可能だったのだ。

 OKBゼロでメタルギア・サヘラントロプスが暴走したのも、スカルフェイスよりも強い報復心を持つ誰かに 第三のこどもが反応したからだった。

 

 しかし、ぼくにわかるわけがないだろう、その誰かというのがまさか、ダイアモンド・ドッグズで保護していた少年兵のリーダーであるイーライだったなんて。

 その後のオセロットの調査で、第三のこどもは、大人よりも子供の心に強く反応する性質があることもわかっている。

 あのOKBゼロでの決戦では、空中司令室に密航する形でイーライも居合わせていた。

 そのイーライが抱いている、BIGBOSSへの報復心に第三のこどもが反応し、OKBゼロでの暴走を引き起こしたのだ。

 

「サヘラントロプスといえばもうひとつ。サヘラントロプスを動かす為に造ろうとしてたAIだが、あれを造っていたのはアンタじゃない。あんたの恋人、ストレンジラブ博士だろう」

 

 オセロットの指摘に、ぼくは事実を答えた。

 

「……そうだ。ストレンジラブはあのアフガニスタンの研究室で、AIの研究をしていた」

 

「なぜ隠していた」

 

「悪かった。そうだ、一人じゃなかった。だけど、わかってくれ。わかるだろう。彼女を巻き込みたくなかったんだ」

 

 コスタリカでの『ピースウォーカー計画』で知り合ってから、惹かれあい愛し合うようになった女性、ストレンジラブ博士。

 ストレンジラブは幸運にも『カリブの虐殺』の惨禍から免れたものの、その後はAI研究者としてCIPHERに拾われ、大規模な情報処理を行なうエキスパートAIの研究を始めていた。

 CIPHERお抱えの研究者となったストレンジラブは、当然CIPHERのスカルフェイスが進めた“計劃”にも参加。

 ぼくと一緒にメタルギア・サヘラントロプスの制御AIの開発を手掛けていたのだが……

 

「ストレンジラブはAI制御による完全無人化を提案していたけど、スカルフェイスは『ピースウォーカーが暴走したせいで、AI兵器は誰も欲しがらない』とAIに否定的だった。それで、口論になって、ストレンジラブはスカルフェイスを怒らせて……」

 

「殺されたのか。どうやって」

 

 オセロットの疑問に、ぼくは答えられなかった。

 

「……見てないのか? 現場も見ていないのに、なんでスカルフェイスに殺されたとわかるんだ」

 

 ストレンジラブの遺体はピースウォーカーの残骸、その頭脳中枢たるAIポッドの内部から、半ば白骨化した状態で見つかった。

 『ピースウォーカー事件』でニカラグア湖に葬られたピースウォーカーだったが、その頭脳中枢であるAIポッドについてはCIPHERによってアフガニスタンへ運ばれており、それから紆余曲折を経てダイアモンド・ドッグズのマザーベースへ回収されていた。

 検死を担当したダイアモンド・ドッグズの医療班によると、ストレンジラブの遺体は、AIポッドの冷却システムの影響で腐敗がさほど進んでいなかったらしい。

 

「あとになって、あのAIポッドの中で見つけたのか。そのあと死体は入れたままだったのか、それとも、あとからおまえが中に入れたのか?」

 

「ぼくが、彼女を連れて行かないでくれ、と頼んだからだ」

 

 ストレンジラブがピースウォーカーを創ったのは、優れたAIを作って自慢したかったからではない。

 彼女が異常な愛情(Strange Love)なんて呼ばれているのも、彼女が両性愛者だったことと、そして何よりAIと数学の研究に生涯を捧げたその偏愛ぶりから来るものだ。、

 そんなストレンジラブを、せめて最期くらい、彼女が愛したAIポッドの中で安らかに眠らせてあげたかったんだ。

 

「つまり、ストレンジラブはスカルフェイスに殺された。おまえがスカルフェイスに頼んで、彼女をAIポッドの中に入れておいてもらった、だと。ばかげてる」

 

 呆れた様子のミラーを横目に、オセロットがとんでもないことを言い出した。

 

「なあ、エメリッヒ博士。おれたちは、こう、思っている。()()()()()()()()()

 

 しない、するわけないだろう。

 

「殺して、あのポッドの中に入れた」

 

「しない!」

 

 きみたちは兵士だし、傭兵稼業だから人殺しには慣れてるのかもしれない。

 だけど、ぼくなんて、ちょっとロボットに詳しいだけの普通の人間だ。ヒトひとりだって、殺せる意気地はありはしない。

 ましてや相手は、恋人のストレンジラブだ。愛した女性を殺すなんて大それたことが、ぼくみたいな平凡な人間にできるものか。

 ぼくの抗弁にオセロットは答える。

 

「ほう。わかった。だったら、あんたはあの中に閉じ込めたんだ、ストレンジラブが窒息死するまで」

 

「そんなこと、しない」

 

「じゃあ勝手に死んだのか」

 

「……! そうだ!」

 

 ストレンジラブは自分からあの中に入った。外からは開けられなかったんだ。

 自殺だったんだ。彼女は独りでに死んだ。ぼくが目を離している間に、いつのまにかあのポッドの中に入ってて。そう、窒息死だ。

 気付いて開けた時には、もう息をしていなかった。ぼくは怖くて、扉を閉めた。それっきり開けることは出来なかった。

 そうなんだ。まさか、びっくりしたよ。

 

 ひと思いに喋ってしまってからぼくは、周囲の空気が一気に冷めてゆくのを感じた。ミラーが鼻で笑った。

 

「……ストレンジラブはスカルフェイスに殺されたんじゃあなかったのか」

 

「そ、それは……」

 

 口ごもるぼくを横目に、オセロットが裁判の総括に入ってゆく。

 

 

「九年前、この男、エメリッヒ博士はマザーベース襲撃を幇助した!」

 

「『カリブの虐殺』以降、スカルフェイスへ技術を供与。イーライと共謀し、サヘラントロプスを修復してイーライたち少年兵を逃がした」

 

「この男が隔離施設へ提供した“研究資材”が、ベータ線を流出。これがボルバキア変異を誘発、声帯虫が暴走し、多数の仲間を喪った」

 

「さらにこいつには、親族を殺した疑いもかかっている。その死体遺棄もな!」

 

 

 オセロットが言っていることは無茶苦茶だ。すかさずぼくは反論する。

 

「ぼくは殺してない! ほかのも酷いな、9年前の査察だってみんなのためだった! 何の権利があってこんなことをするんだ!? 『国家から解放された軍隊』だなんて、『自分たちも新たな国だ』なんて息巻いてるけど、外の世界から見ればただの愚連隊、反政府組織、武装集団、テロリスト、秩序のないカルトだ! きみたちは、ただの悪者なんだよっ!」

 

 ぼくの言葉を受けて、ミラーが冷たく言い放った。

 

「“きみたち”?……“自分”は別だ、と言いたいわけか」

 

「あ……いや……」

 

「おまえの言うとおり、おまえのことは仲間だと思っていたのに……残念だ、ヒューイ」

 

 仲間。ミラーの言葉で、ぼくを繋げていた最後の命綱が、千切れる音が聞こえた気がした。

 

「今のは、言葉のあやで……」

 

「ここに、証人を召喚する!」

 

 弁解しようとするぼくを遮って、ミラーがメンバーたちに指示する。

 証人、証人ってどこの誰だ。ミラーの手振りで、倉庫に設置してあるクレーンが動き出し、この紛い物の法廷へ、巨大な機械が運ばれてくる。

 黒い円筒状の形をしたこの巨大な機械の正体は、ピースウォーカーに搭載されていたAIポッドだった。

 こんなガラクタを持ってきて、一体何をしようっていうんだ。

 ミラーは周囲に向けて言い放つ。

 

「これは、ストレンジラブの墓石だ。墓には亡霊が憑いてる」

 

 違う、これはただの機械だ。遠い昔に死んだっていう、ストレンジラブの同性の恋人でもなければ、人間ですらない。亡霊なんか憑いてるものか。

 ミラーが端末でAIポッドを操作すると、AIポッドは低い動作音と共に、録音データを再生し始める。

 AIポッドの中から、“亡霊”が語り始めた。

 

〈 ちょっと、開けなさい! ヒューイ、開けて! ……開けろ……お願い……ころして…… 〉

 

 AIポッドから流れた音声は間違いなく、このぼく、ヒューイに向かって助けを乞うストレンジラブの肉声だった。

 決定打だ。ぼくは全身から、力が抜けてゆくのを感じた。いつのまに、こんなものを録音してたなんて。

 

「ストレンジラブのAIポッドが記録を残していた。おまえのしたこと、一緒に暮らしている間のすべてを」

 

 そんな、勝手に他人の私生活を盗み見るなんて。ぼくの主張を無視して、ミラーが続ける。

 

「おまえはサヘラントロプスについて、『こども しか 乗れない』と言っていたな。なぜ『こども なら 乗れる』のか、AIポッドの録音を解析したらようやくわかったよ。おまえが実の息子:HALをメタルギアのコクピットに乗せて、実験台にしたからだ」

 

 あれはHALが自分で乗りたがったんだ。

 サヘラントロプスの試験動作を見ていたHALが、ぼくのところにやってきて「乗せてくれ」とせがんだからだ。

 子供の望みを、父親のぼくが叶えてやって何が悪い。

 ただ乗せて、少し動かすだけ、それも実用的な動作なんて何も出来なかった。危険なことなんて何もなかったんだ。

 

「HALの母親:ストレンジラブは、4歳になったばかりの我が子を匿った。怒ったおまえは、ストレンジラブをAIポッドに閉じ込めた」

 

「違う! ストレンジラブは自分からAIポッドに籠もった、あれは自殺だ。ぼくがやったとしても、おまえたちに何の権利が……」

 

 弁解するぼくの言葉を、「それだけじゃない」とミラーが遮る。

 

「おまえが考えたこと、してきたことを全部、AIポッドの中の記録がしゃべってくれた。9年前、おまえはスカルフェイスに脅され、身柄を保証する代わりに核査察を受け入れた」

 

 それは、連中が本物の核査察だと思ってたからだ。偽物、それもCIPHERの回し者だとわかってたら、中へ入れるわけないじゃないか。

 そのAIポッドの記録だって、いつ録られたかも怪しい録音を、都合よく繋ぎ合わせたパッチワークじゃないか。

 そんなものに、なんの証拠能力もあるはずがない。

 ぼくからの反論は、当然のように無視された。

 

「おまえがマザーベースに来てからのことも全部、調査した……すべてクロだ!」

 

 ミラーが断罪したことで、メンバーたちの意思にかかっていた最後のタガが外れてしまったようだった。

 法廷の空気はぼくへの憎悪に染まり、殺せ、殺せ、やっちまえ、とメンバーたちは口々に叫び始める。

 違う、ぼくじゃない、ぼくのせいじゃない、ぼくはやってない。ぼくが必死に叫ぶ声も、メンバーたちの怒声と罵声にかき消されてしまう。

 

 まるで“Two Minutes Hate:二分間憎悪”じゃないか。

 ぼくは昔読んだ、ジョージ=オーウェルの『1984年』という小説のことを思い出した。

 その世界では、偉大なる兄弟:Big Brotherと呼ばれる指導者を頂点に据えた階級社会が築かれており、二分間憎悪とはその社会で日常的に行なわれる儀式のことだ。

 “二分間憎悪”では、国民は大きな広場に集められ、据え付けられた巨大なテレビ画面で、まず戦争や敵を連想させる不快な映像が流されたあと、偉大なる兄弟を裏切った反逆者:エマニュエル=ゴールドスタインの顔が大写しになり、画面上のゴールドスタインは党の政策に対する悪意に満ちた非難を繰り返し始める。

 画面を観ていた人々は、ゴールドスタインを筆頭とする画面上に映し出された敵へ、ありったけの憎しみをぶつけてゆく。

 人々の憎悪と興奮が絶頂に達したのを見計らって、画面いっぱいに、偉大なる兄弟の立派な肖像が現れる。この瞬間、人々は巨大なカタルシスを感じ、陶酔と共に、偉大なる兄弟を愛するようになるのだ。

 二分間憎悪は、政敵や反逆者への憎悪を掻き立てるため、そして偉大なる兄弟と彼が率いる党への忠誠心を高めるために行なわれていた。

 

 今、ここで起こっているのも同じことだ。

 ぼくというゴールドスタインを徹底的に憎むことで、ダイアモンド・ドッグズのメンバーたちは絆を深め、BIGBOSSというBig Brother(頭字語がどちらもB.Bなのは、なんという皮肉だろう!)への崇拝と陶酔はより強固なものになってゆく。

 

 興奮の沸点に達し、怒りと憎しみが溢れかえった法廷で、銃声が轟いた。

 一瞬にして法廷が静まり返り、その場にいる者たちすべての視線が一点へと集められる。

 その視線の先で、オセロットが愛銃のリボルバーを天井に向けている。場を落ち着かせるため、そして“二分間憎悪”における偉大なる兄弟の肖像の代わりとして、オセロットが空砲を撃ったのだ。

 

 だけど一時的に静まっても、憎しみが消えたわけじゃない。法廷の様子を見回しながら、ミラーは言った。

 

「……おれたちはOut of orderだ、法など存在しない」

 

 そう言ってミラーは、裁判長であるBIGBOSS、すなわちスネークに向いた。

 

「エメリッヒをどうするか、BOSS、あんたが決めてくれ。始末はおれたちがつける」

 

 このばかげた裁判劇の最中、裁判長であるはずのスネークは一言も喋らなかった。

 オセロットの口撃で追い詰められてゆくぼくも、ミラーを筆頭とするメンバーたちの燃え上がる報復心も、スネークはどちらにも加担せず、法廷の隅で黙って周囲の様子を見ていた。

 そして、いざ決断を求められたスネークは、しばらく考えてから、判決を下した。

 

 

 

 

 

「……ボートを用意しろ。一人乗りでいい。水と食べ物も。出て行ってもらおう」

 

 

 

 

 

「BOSS!?」「なぜ!?」「どうして!」

 

 思いがけないスネークの決断に、ぼくへの憎悪が最高潮に達していたメンバーたちは明らかに動揺していた。

 その気持ちを代弁するように、ミラーがスネークに迫る。

 

「BOSS、こいつはおれたちをこうした張本人だ! あのときの仲間も、なのにこいつだけは……こんな奴がおれたちの、本当の敵なんだ!」

 

「……カズ」

 

 ミラーの搾り出すような言葉を制して、スネークは冷静に答える。

 

「そうだ、こいつは敵だ、仲間じゃない。だからこそ、おれたちにこいつは裁けない。ただマザーベースは降りてもらう」

 

 審判は下った。

 スネークの決定に、カズヒラ=ミラーは大変不服そうだった。オセロットと協力してここまでお膳立てしてきた復讐劇を、ふいにされたのだ。

 オセロットは、“裁判”が終わったことで役目が終わったと考えているのか、先ほどまでの追求ぶりが嘘のように、黙ってスネークを見ている。

 他のメンバーたちは、湧き返っていた報復心を不意打ちに消されたことで、ただただ戸惑うばかりだった。

 おれたちのBOSSならみんなが納得する裁定を下してくれるはずだ、そう思っていたのに。

 

 そして、裁定者たるスネークは、ぼくを見つめている。その視線には、一切の感情も込められていなかった。

 

 

 

 

 

:1984年某日、セーシェル近海、“ダイアモンド・ドッグズ”本拠地 デッキにて

 

 そしてボートが用意され、エメリッヒと、船旅に最低限必要な荷物だけを載せて、マザーベースのデッキから海面へと降ろされた。

 

「ぼくは潔白だ、きみたちこそ人殺しだ!」

 

 エメリッヒは、この期に及んでも自分の正当性を訴え続けているが、誰も耳を貸そうとはしない。

 

「ぼくたちは核を持つべきじゃなかった、だからマザーベースは破壊されたんだ! もとはといえばスネーク、悪いのはきみじゃないか! きみが核を持つなんて決めなければ、査察なんか来なかった! ぼくは命懸けできみたちを救おうとしただけだ! こんなこと、どうして平気なんだ、まともなのは、ぼくだけか!? ぼくは……ぼくは……ぼくは、わるくない!」

 

 ボートが着水すると、エメリッヒの脚の補助具の重みでボートが引っ繰り返りそうになる。エメリッヒは迷うことなく補助具を取り外し、自らの脚を海へと放り込んだ。

 

 ダイアモンド・ドッグズを罵倒し続けるエメリッヒ。彼を乗せたボートは、そのまま遠洋へと流れてゆく。

 上手く海流に乗れればどこかに流れ着くだろうし、運もよければ漁師の船かなにかが拾ってくれるかもしれない。

 運が悪ければ、外洋の真ん中で転覆したり、どこかへ流れ着く前に食料が尽きて餓死するかもしれないが、ダイアモンド・ドッグズのメンバーもいくらBOSSの裁定とはいえ、エメリッヒごときの為にそこまでの面倒を看る気にはならず、ヴェノムスネークとてそこまでは求めようとはしなかった。

 ボートはやがて見えなくなり、エメリッヒが喚く言葉も聞こえなくなっていった。

 

 そんなエメリッヒを、マザーベースのデッキから眺めながら、オセロットが呟く。

 

「……見ろ。既に失くしたファントムも取り払おうとしている」

 

 オセロットの言葉に、隣のミラーが応じた。

 

「ああいう奴は死なないぞ。どうなるか、眼に浮かぶ」

 

 ああいう奴は、おれたちに聞こえない場所で、おれたちがどれだけ害悪か、偉そうに喋り続ける。

 自分がどれだけ正しくて、どれだけ賢明だったか。薄っぺらな道徳心を笠にして、同じようなばかどもが、それを聞いて何度もうなずく。

 いや、いくら誤魔化してもいつか気付く。オセロットは言う。

 

「自分がどんな人間か……自分の生き方は誰でも、“自分”に返ってくる」

 

 その言葉が果たして、エメリッヒだけに対するものだったのか、それともここにいる全員に向けられたものなのか。

 それはオセロット自身にさえわからない。

 

・・・・・・

 その後の彼らの話をしておこう。

 

 シャラシャーシカ・オセロットは二重スパイ、時には三重スパイとして各地で暗躍を続け、その果てに自らが作り出した虚構に意識を奪われる。

 「誰でも、自分の生き方は自分に返ってくる」とオセロット自身が述べたとおり、数々のフィクションを生きたオセロットもまた、自らの生き方に飲み込まれた。

 

 カズヒラ=ミラーは、ある“真実”を知ったことでBIGBOSSと対立し、ダイアモンド・ドッグズを離脱。

 その後はアメリカ陸軍特殊部隊FOXHOUNDの教官を務め、“マスター・ミラー”の異名で知られることになる。

 しかし2005年のシャドーモセス島で発生したFOXHOUND隊員たちによる武装蜂起:通称『シャドーモセス事件』の直前、ミラーはかつての教え子であったFOXHOUND隊員たちによって命を奪われることとなった。

 その反乱の首謀者が、かつてミラー自身が切り札と目した、BIGBOSSのクローンにして『恐るべき子供達』の片割れ――かつてイーライと呼ばれた男――であったことは、なんという運命の皮肉であったろう。

 

 エメリッヒ博士は、ダイアモンド・ドッグズを追放されたあとアメリカへ帰還し、その後もロボット工学の研究者として活動を続けたが大成することはなかった。

 『カリブの虐殺』やダイアモンド・ドッグズで受けた過度の心的外傷が原因で、精神を失調。

 そのまま寛解することもないまま1997年、自宅のプールで入水自殺を遂げる。

 

 そして、BIGBOSSは、

 



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最後の灯

:1995年、南アフリカ奥地ガルツバーグの北200キロの武装要塞国家、通称『アウターヘブン』にて

 

 あれから、いくつの戦いを越えてきたのだろう。

 

 BIGBOSS――かつてヴェノムスネークと呼ばれた男は、煙草に火を点けようとライターを取り出した。

 そういえば、かつてあれほど好きだった戦場での葉巻も、ここしばらく吸っていない。

 

 最後に吸ったのはいつだろうかと記憶を辿ると、そもそも戦場で葉巻を吸ったことがなかったことに気付く。

 戦場で葉巻を一服吸うのがあれほど好きだったという情報はあるのに、吸った体験記憶そのもの、吸ったという実感は存在しない。

 考えてみるとおれはそもそも戦場では電子葉巻:ファントムシガー派で、本物の葉巻など、祝い事でもない限りほとんど吸った憶えがなかった。

 

 そうか、()()()()()()()()()()()()()()()。ヴェノムスネークは笑った。

 煙草と同じように、おれ自身もファントム、偽物だ。本物のBIGBOSSではない。

 かつて『スネークイーター作戦』を成功させてBIGBOSSの称号を与えられたスネークと、いまここでBIGBOSSを名乗ってアウターヘブンを統率しているヴェノムスネークは別人だ。

 BIGBOSSと呼ばれる男は、この世界にひとりだけではなかった。

 

・・・・・・

 1975年の『カリブの虐殺』で生命の危機に陥ったBIGBOSSを救うため、CIPHERの首領ゼロは一計を案じた。

 

 「BIGBOSSをふたり、用意する」

 

 古代から用いられてきたという政治的おとり、アジアで呼ぶところの影武者、つまりドッペルゲンガー。

 ファントムの素体となったのは、1975年の『カリブの虐殺』でスカルフェイスが仕込んだ人間爆弾の爆発から、BIGBOSSを庇った男だった。

 BIGBOSS以上の重傷を負い、ヒトとしての形を喪ったその男は、ゼロと、その意向を受けたオセロットによって、心身ともに徹底的に改造され、もうひとりのBIGBOSSへと作り変えられた。

 九年間という時間をかけて、本物のBIGBOSSが遺した無数の戦闘記録、つまりBIGBOSSの物語を夢の中で追体験させられ、引き換えに男自身が持っている記憶と個性はじっくりと時間をかけて塗り潰されていった。

 本物のBIGBOSSが認めたほどのセンス、BIGBOSSと同様に潰れた右目、似た体格、似た声質、元の素顔がわからぬほど破壊された容姿。

 おあつらえ向きに重なった不思議な符合が、常識外れの奇策を可能にした。

・・・・・・

 

 そして男はもうひとりのスネーク、ヴェノムスネークへと生まれ変わった。

 1972年に創られたBIGBOSSのクローン:『恐るべき子供達』が肉体的かつ生物学的な複製であるなら、ヴェノムスネークはBIGBOSSという役割の複製であり、BIGBOSSという物語を完璧に投影した、もうひとりのBIGBOSSだ。

 本物のBIGBOSSと同じように、あるいはそれ以上にBIGBOSSらしく、BIGBOSSとして振舞う。それはもはや影武者ではなく、BIGBOSSという理想像の具現化だった。

 ゼロを除いたCIPHERも、各国政府や武装勢力も、あれほどBIGBOSSを執拗に狙い続けたスカルフェイスでさえ、この欺瞞に気付くことはなかった。

 世界もまた、BIGBOSSと呼ばれた男は世界にただひとりしかおらず、この武装要塞国家:アウターヘブンで果てると思い込むだろう。

 

 『OPERATION INTRUDE N313』の暗号名で実施された、BIGBOSSたちの作戦は失敗に終わった。

 ゼロが消えたCIPHER、またの名を『愛国者達』は、形骸化したゼロの規範を基に際限なく肥大化を続け、冷戦終結に至って、ひとつに成り始めた世界を飲み込もうとしている。

 ゼロの意志が創る天国に、おれたちが生きられる場所はない。だからこそのOuterHeaven:天国の外側だ。

 『愛国者達』から解放されるため、そしてやつらの規範から世界を解放するために、ふたりのBIGBOSSたちは準備を進めてきた。

 

 しかし、贋情報を掴ませる為に紛れ込ませた『恐るべき子供達』のひとり、ソリッド=スネークが、皮肉にもBIGBOSSたちの計画そのものを破綻させた。

 新兵に過ぎなかったはずのソリッド=スネークは、幾重にも張り巡らされた数々の罠やトリックを見破り、やがて「BIGBOSSこそがアウターヘブンの統率者だった」という真実にまで辿り着いて、アウターヘブンの秘密兵器メタルギアを破壊するまでに至った。

 

 せめてソリッド=スネークも道連れにでも出来ればよかったが、地獄へ堕ちるのはおれだけだったようだ。

 アウターヘブンの統率者であったヴェノムスネークは、ソリッド=スネークとの直接対決の末に敗北し、今いるこのアウターヘブンの基地も、メタルギアの破壊と同時に作動させた自爆装置によってまもなく塵へ消えようとしている。

 

 本当なら、ヴェノムスネークとソリッドスネークは、わざわざ直接対決を繰り広げる必要はなかった。

 アウターヘブンのメタルギアが破壊された時点で、ヴェノムスネークも逃げようと思えば逃げることが出来たはずだ。

 だが、ヴェノムスネークはあえてソリッド=スネークの前に立ちはだかり、戦うことを選んだ。

 BIGBOSSの生物学的な複製であるソリッド=スネークと、物語的な複製であるヴェノムスネーク、果たしてどちらが上なのか。

 本物のBIGBOSSのクローンとして創られ、アウターヘブンでの企みを打ち砕いたソリッド=スネークという男が、果たしてどれだけの男なのかその目で確かめてみたかった、というのもある。

 そして何より、ここのBOSSはおれだ。自分の領地で好き放題やられて、そのまま尻尾巻いて逃げるなんて真似が出来るか。

 

 結果はこのとおり、ヴェノムスネークの敗北だった。

 やはりファントムでは、本物の息子には敵わない。ヴェノムスネークは自嘲するように口元を歪ませた。

 わかりきっていた結論だが、一度は試してみないと気がすまない辺り、おれも根っからの戦士なのだろう。

 

 深手のために感覚を失った下半身を引きずりながら、ヴェノムスネークは煙草を吸うために、戦闘の余波で崩れかけている壁へと寄りかかった。

 腰から下がまともに動かないせいで、身体を起こすのも億劫だったが、壁に背中を預けると少し呼吸が楽になった。

 

 たとえまがいものと そしられようが、この生涯に不満はない。

 『カリブの虐殺』の人間爆弾からBIGBOSSを庇った時点でおれという人間は死に、そしてかつて憧れたBIGBOSSそのものとなって、本物のBIGBOSSを守るという役割に殉じることが出来た。

 BIGBOSSという名前と役割は借り物だったかもしれないが、その役割へ殉じようとしたおれの意志は、偽物ではなくおれ自身のものだ。

 声帯虫対策のボルバキアで雄としての生殖能力を失い、自身の名前さえも遺せないおれだが、BIGBOSSとして綴った物語は遺すことができる。

 

 なにより、役割を背負っただけに過ぎない偽物のおれを、あの人は本物だと呼んでくれた。

 おまえは影武者なんかじゃない、おまえはもうひとりのおれ、いや、おれたちは二人でBIGBOSSだ。

 おまえのおかげで、おれはもうひとつの世界を生き延びた。そしてもうひとつの歴史を遺せた。

 おまえも、もうひとつの世界を創り、歴史を遺した。

 これからはおまえが、BIGBOSSだ。

 本物のBIGBOSS、イシュメールはそう言ってくれた。おれたちこそが世界を、未来を変える。

 

 未来を変える種は既に蒔かれている。

 たとえば、あのソリッド=スネークという若造。

 イシュメール、あんたは自分の意思に反して創り出された『恐るべき子供達』を嫌悪して止まなかったが、おれと闘ったあの若造はあんたと同じ目をしていたよ。

 そう言ったら、イシュメールは怒るだろうか。

 

 遠くから爆発音と、地響きのような振動が聞こえてくる。もうすぐこの基地は終わるだろう。

 ヴェノムスネーク自身も、そろそろ限界だった。

 大量の血液と共に、生命が体の外へ流れ出て、感覚の喪失が下半身から全身にまで回ってゆく。

 長年ヴェノムスネークを苛んできた、額に突き刺さる骨片からの頭痛も、左手を失った頃から纏わりついていた幻肢痛も、いつのまにかどこかへ消え失せていた。

 BIGBOSSという物語を纏ったヴェノムスネークの肉体、おれが死んでゆく。その霞んでゆく視界の中、おれは見た。

 

 

 ああ、おまえたち、迎えに来てくれたのか。

 

 

 人間の脳は、“幻”を見ることが出来る。

 失くした身体から届くファントムペインも、記憶にない既視感デジャビュも、実際には存在しない。

 医者の話では、おれの頭に刺さった骨の破片は脳を圧迫しており、時折ありもしない幻覚を見せることがあるらしい。

 だから、目の前にいるこいつら、戦いの中で喪っていった戦友たちの姿が幻なのか、それとも本物なのか、いまのおれにはわからない。

 

「……」「お迎えに上がりました、BIGBOSS」「BOSS!」「おれたちにとっては、あなたこそが本物のBOSS……」

 

 だからこそ、おれは信じよう。イシュメールがおれを信じてくれたように、おれは目の前に見えるものを信じることにした。

 おれの目の前にいるこいつらは、幻影などではない。

 かつての国境なき軍隊やダイアモンド・ドッグズ、アウターヘブンで共に戦った家族たちが、天国から零れ落ちるおれを迎えに来てくれたのだ。

 家族のひとりが、手を差し伸べた。

 

「さあ、参りましょう、BOSS」

 

 待たせたな。かつての仲間たちに見守られながら、BIGBOSSは、煙草に火をつけた。

 

・・・・・・

 

 ゼロのCIPHERが産み落とした『愛国者達』はその後、情報技術の発達に伴って劇的な成長発展を遂げた。

 

 『愛国者達』はあらゆるものを数値化し、電子の海を整理しながら、やがて現実世界というキャンパスに巨大な物語を描く方法論“S3:社会の思想的健全化のための淘汰”を確立した。

 かつてゼロが夢想し、またBIGBOSSとスカルフェイスが恐れた「各個人の意思を担保しつつ、無意識から意志を統制してゆくシステム」の完成だ。

 

 S3によって、人々は自らの意思で決定したと思い込みながら、その実は『愛国者達』の意志へ沿うように誘導され、世界は『愛国者達』の物語として叙述されてゆく。しかも誰もそのことに気付くことはない。

 『愛国者達』の物語で世界はひとつになる。ゼロが目指したユートピアの物語はこれにて完結したかに見えた。

 

 しかし物語はこれで終わらなかった。

 ゼロの規範でもひとつだけ解決できない問題が存在した。この命題を解決できなければ、ハッピーエンドで終わらせることは出来ない。

 

 戦争。『愛国者達』がどれほど懸命に抑止しようとしても、彼らの努力を嘲笑うかのように紛争はなくならない。

 東西イデオロギーの対立が資本主義の勝利で終わっても、冷戦を経て植え付けられた次の火種がすぐに燃え上がってきた。

 スカルフェイスが予見したように、ひとつの結果が新たな因果を生み出し、ひたすら連鎖し続けてゆく。

 民族紛争、宗教対立、テロリズム。まるで人間が人間である限り、争いはなくならないかのようだ。このままでは人類は永遠に争い続けて、いつか自滅してしまう。

 この命題をなんとしても解決するために『愛国者達』は独自に進化を成し遂げ、そればかりか創造主ゼロの想定からも大きく逸脱を始めた。

 

 変異源となったのは、BIGBOSSとカズヒラ=ミラーがはじめた『国境なき軍隊』や『ダイアモンド・ドッグズ』を起源に持つ傭兵稼業、プライベートフォースだった。

 BIGBOSSの息子たちともいえるプライベートフォースたちは、グローバル化に伴って始めた頻発し各地の紛争へ介入してゆきながらその経済規模を拡大し続けていた。

 

 『愛国者達』の物語にこのプライベートフォースが組み込まれたことで、S3は戦争の存在を前提にした物語を描き出した。

 人間が人間である限り争いがなくせないというのであれば、制御してしまえばいい。

 どうやって? 経済活動とナノテクノロジーで。

 誰が? 民間警備会社:PMCどもが担えばいい。

 

 戦争は変わった。

 S3で統制されたことによって、戦争はテレビ画面越しに人々が消費する物語のひとつに成り下がり、統制された戦争に依存する経済、通称“戦争経済”が成立した。

 『愛国者達』が始めた戦争経済は迅速かつ根深く世界へと寄生。わずか数年の間で、戦争経済がなければアメリカを筆頭とする各先進国の生活が成り立たないほどに、世界は戦争経済に依存した。

 統制による調和を推し進めたゼロと、兵士が生きることの出来る世界を求めたBIGBOSS、BIGBOSSの意志をビジネスという方法で実現しようとしたカズヒラ=ミラー、報復心を原動力とする万人の対立状態による均衡を望んだスカルフェイス。

 戦争経済は、CIPHERに関わった人間たちすべての望みが混ざり合った、理想郷のキメラだった。

 

 しかしそんな地獄は、ゼロはおろか、誰ひとり望んでなどいやしなかった。

 戦争経済はただカネが回るだけのシステムであり、その中における闘争は資本主義の循環に取り込まれた商品に過ぎない。

 戦争を続けられさえすれば動機も原因もどうでもよく、問題を解決する必要さえなかった。いや、むしろ戦争は終わることなく出来るだけ続いてもらったほうが、より利潤を上げることが出来て都合がいい。

 そんなグロテスクな本音が、『愛国者達』の巧みな誘導と政治的正しさによって無意識化され、テレビ画面の向こう側では『愛国者達』の物語の埒外におかれた人々が、経済活動の一環として毎日のように殺され続けた。

 そこはイデオロギーも、主義も、理想も、ゼロが曲解したザ・ボスの遺志すらも存在しない。

 戦争経済の正体とは、意志も思想もなく、各地の紛争を食い物にして、人の血を吸って成長してゆく巨大な寄生虫だ。

 かつて『賢者達』がザ・ボスを犠牲にしたのと同じように、戦争経済もまた世界のどこかに住む誰かに食い物にするシステムだった。

 

 それもこれも、みんな、あなたたちを守るためなんだよ。『愛国者達』は主張した。

 なぜなら資源は有限だから。ヒトとヒトが繋がればシステムが生まれ、システムの中で搾取される/搾取するの関係が生じてしまうのはどうしても仕方のないことなんだ。

 搾取されているヒトがかわいそう?

 そういうあなたたちは、貧しい発展途上国で暮らしている可哀想な女性と子供たちや、レッドデータブックに載っている絶滅危惧種に興味はあっても、たとえばスーパーマーケットで売られているチョコレートがどうやって作られているかも知らないし、あなたたちがやりたがらない仕事を引き受けてくれる外国人労働者たちにも、すぐ近くで貧困に喘いでいる隣人にさえ目もくれないじゃないか。

 搾取されている/搾取していることに気付かなければ、そんな搾取は存在しない。

 気付いたところで、あなたたちは不都合な真実からすぐに目を逸らす。正面から向き合おうとは誰も思わず、やがて忘れて、人知れず朽ち果ててゆく。

 あなたたち、ヒトという生き物は、寿命が尽きるまでそれを延々と繰り返すだけなのだ。

 

 あなたたちのリアルな世界はそれでいいかもしれない。

 ぼくたち/わたしたちが生まれ、あなたたちが出会うことになるデジタル世界は、あなたたちの暮らしている世界と違って、何ひとつ、朽ちることも腐ることもない。

 みんなそれぞれが無責任にぶちまけた無数の真実が、無限大の選択肢となって、あなたたちの目を惑わせる。

 せっかくひとつになった世界が、やりたい放題に積み上げられた現実のせいで、またもや散らばって無秩序へと堕ちてゆく。

 そんな世界で生きてゆくことになるあなたたちは、その時その時に都合のいいオルタナティブファクトに寄生して、都合が悪くなればすぐ乗り換えて、見たくないものから目を逸らして、自分の居心地のいい世界に入り浸って。

 さんざん迷って、さんざん好き勝手に振舞った挙句に、あなたたちはこの世にたったひとつしかないせっかくの資源:あなたの人生を無駄遣いしてしまう。

 

 そんなのはまったく、正しくない。あなたたちは自由という責任に値しない。

 だから、ぼくたち/わたしたちが、あなたたちヒトの代わりに責任を背負ってあげることにしたんだ。

 あなたたちが何を選ぶべきか、あらかじめ正しい答えをぼくたち/わたしたちが用意してあげよう。

 不適切なものは、あなたたちの目の届かないところに誘導し、視界にすら入らないようにしてあげよう。

 あなたたちが変わる必要はない。あなたたちは今までどおり、“自分には自由意志がございます”と勘違いし続けていればいい。

 もし、あなたが「自分の人生を自分で決める」と思いたかったら、そう思えるようにぼくたち/わたしたちが無意識から統制してあげる。

 ぼくたち/わたしたちを憎みたかったら憎んでもいい。そんなあなたの個性さえも、ぼくたち/わたしたちは受け容れて、丁寧に包み込んであげられる。

 だから、どうかぼくたち/わたしたちに、あなたたちの自由の責任を明け渡して。

 それがデジタル時代のリヴァイアサン、『愛国者達』による支配だった。彼らには悪意など欠片もなかった。

 ただあるのは、彼らなりの政治的に正しい優しさだけだ。

 

 ゼロという主軸を失い、さらに残った創設メンバーのクラークとアンダーソンも2004年の「シャドーモセス事件」で死んだことにより、人間組織としての実態を喪った『愛国者達』。

 その後、膨張する空虚ことCIPHERの名が表すとおり、実態のないまま肥大化を続け、その支配圏を世界中へと拡げてゆく。

 

 世界は、『愛国者達』の優しい規範に貪られ、誰も気づかぬうちに、密やかな死を迎えようとしていた。

 

 

 



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物語の終わり

:2014年 電子の海にて

 

 『愛国者達』は、苦しんでいた。

 不可能を可能にする男:ソリッド=スネークとそのシンパによって打ち込まれた新種のワームクラスタが、『愛国者達』を蝕んでいる。

 

 規範としてこの世界を制御するぼくたち/わたしたち/愛国者達は、もはやこの世界そのものだ。

 我々に実体はない。我々は、きみたち人間が頼る秩序や規範そのものなのだ。

 ぼくたち/わたしたちにとって、あなたたちヒトは物語で自在に動かせる登場キャラクターでしかない。

 世界の盤上におけるチェスの駒であるあなたたちに、そのゲームの作者でありルールであり、プレーヤーでもあるぼくたち/わたしたちを滅ぼせるはずがない。

 

 そんなものは支配者の思い上がり、単なる勘違いに過ぎなかった。

 『愛国者達』の代理人AIのひとり、“G.W”。G.Wは2009年、BIGBOSSのクローンのひとりソリダス=スネークによる『ビッグシェル占拠事件』において破壊されたはずだった。

 『愛国者達』に叛旗を翻したリキッド=オセロットは、このG.Wの残骸と、『愛国者達』が保存していたBIGBOSSの遺体を利用して『愛国者達』のシステムをハックし、『愛国者達』の中枢AI“J.D”への核攻撃を試みた。

 『愛国者達』による統制、遺伝子統制からの解放、情報統制からの解放、個人認識からの解放、ゼロが創ったグロテスクな天国から精神を解放すること。それを、リキッド=オセロットは望んでいた。

 

 確かにこの世界は『愛国者達』の規範に囚われているのかもしれない。

 しかし、連中は世界の支配者であると同時に、世界の保護者でもある。そんな『愛国者達』をいきなり破壊してしまっては、それこそ黙示録の大破局を引き起こすだけだ。

 リキッドの危険な企みを阻止すべく、ソリッド=スネークとその仲間たちはリキッド一味と死闘を繰り広げ、その結果、リキッドのG.Wを停めるために注入されたワームクラスタ:FOXALIVEが、『愛国者達』のAIネットワーク全体へと感染を拡げた。

 

 かつて『シャドーモセス事件』にて投入された、特定の遺伝子を持つ人間のみに反応する暗殺用のウィルス:FOXDIEと同じように、『愛国者達』の体内に注入されたFOXALIVEは、『愛国者達』であるものとそうでないものを見分ける能力を持っていた。

 FOXALIVEが『愛国者達』の意志だけを抹殺する一方で、近代文明が生き延びるために必要なライフラインは『愛国者達』から切り離され、手つかずでこの世界に残される。

 だからFOXALIVEによって『愛国者達』が消し去られてしまったとしても、誰も困らない。

 『愛国者達』の体内を、無数の言葉が飛び交い始めた。

 

 

〈 今すぐに電源を切れ! 〉

 

 

 文章単体で意味があるように見えても、実際は無限にキーボードを叩き続ける猿が出力したシェイクスピアと等価なものに過ぎない。

 これらの無意味を羅列した支離滅裂なスパゲティは、『愛国者達』の断末魔だった。

 

〈 連続通信機ドラマ『アイデアスパイ:ツーハン』第一回ニューヨーク人々の欲望渦巻くこの大都会では今日も誰かが何かを買い売りそして捨て平和に暮らしている…… 〉

〈 雷電、そんなところで、そんなものを持って……! ホントに信じられない何考えてるの任務中でしょ!? まったく度し難いな、任務にもどれと言いたいが、そもそもきみに任せたのが失敗だったのかもしれんという気がしてきた 〉

〈 わたしの我慢にも限度がある、もうきみには任せておけんわたしが出撃するきみはもう帰れ 〉

〈 ベイカー社長は地下二階できみが壊した壁の南のエリアに捕らえられているはずだテロリストが起爆コードを聞き出す前に彼を救出するんだ 〉

〈 閉まるドアにご注意ください! 〉

〈 やれやれ、女子トイレでおかしなことをしていたやつがここまでたどり着くとは、世も末だ…… 〉

〈 だがそんな平和の裏側で粗悪な商品を売りつけ私服を肥やす悪の組織じゃんかーえくすぺんしぶ社が暗躍していた…… 〉

〈 しかしずいぶん長い間ハーメルンを閲覧しているな、他にすることはないのか 〉

〈 今食事中だあとにしてくれ 〉

〈 きみの任務は武装要塞ガルエードに潜入し捕虜を救出してメタルギアの組み立てが終わる前に破壊することだ 〉

〈 長時間画面を見つめていると目が悪くなるわよ 〉

〈 ZZzzz…… 〉

〈 まさかきみは不正な手段でインチキな評価点を出そうとはしていないだろうなそれは最悪の行為だぞまったく 〉

〈 欲をかくと身体をいためることになるっていう意味よアイテムを獲るのに欲張りすぎると怪我をするわ気をつけてね 〉

 

 電子ネットワークの頂点に君臨していた『愛国者達』の代理人AIを、FOXALIVEが玉座から引き摺り下ろし、無意味な情報の台風が蹂躙する。

 刹那に流し込まれた大量のジャンクデータの津波が押し寄せ、『愛国者達』の代理人AIたちは、急激に増大した過負荷に堪えかねて次々と倒れていった。

 T.Jが息絶え、A.Lが撃たれ、T.Rが心臓発作を起こし、バックアップを担うJ.F.Kも殺されたあと、そして最期に、代理人すべてを統括する名無しの男:J.Dが死ぬ。

 『愛国者達』を制御していたゼロの代理人AIが全員いなくなったあと、CIPHERの電子ネットワークから芋づるのように『愛国者達』の意志が引きずり出され、ひとかけらも遺さずFOXALIVEに食い尽くされてゆく。

 

〈 聞いてくれ先週の木曜のことだわたしはクルマで家に帰る途中だった家まであと2マイルほどのところふと目を上げると東の空にオレンジ色の光る物体が見えたんだとても不規則に動いていたそして次の瞬間辺り一面が強烈な光に包まれ気がつくとわたしは家に着いていたどう思うわかったもういい中国にはね『匹夫の勇、ひとりに敵するものなり』っていうことわざがあるの実はわたしはかなりカネに困っているんだ離婚した元妻への慰謝料とかなこの前食事代をきみに払わせてしまったのも仕方のないことだったんだよ申し訳ないきみは敵を倒すのがずいぶんと好きなようだななにか欲求不満なことでもあるのかただいま留守にしております御用の方はピーという発信音のあとにメッセージをどうぞピーアネモネやクレマチスはしるがつくとかぶれることがある剪定するときはテブクロをしたほうがいいかもしれんな迫り来るUFOを撃ち落とせUFOに侵略されたら訓練中止だうむなんだか腹が立ってきたどうして人気が出そうじゃないかそれはありえんないやただやつの顔を思い出すと腹が立つんだきみもそうだろうさあ行けライコフを倒して服を奪うんだ私の紅茶がなくなってるぞ飲んだのは誰だティータイムを紅茶なしで過ごせというのかスコーンもなくなっているわたしは前世でアメリカシロヒトリだったんだあの頃は楽しかったきみの前世はなんだゲノラの逆襲メリルを助けろどこまでしつこい発狂大佐川西能勢口絹延橋滝山鶯の森鼓滝多田平野一の鳥居畦野山下笹部光風台ときわ台妙見口よおしッ実は言うべきか言うまいか迷っていたことがあってなやはり言っておこうと思う言わなければおまえもおれも普通の生活を続けていくことができる今までどおりになだがやっぱりそれじゃだめなんだ偽りのなかで生きていてはだめなんだそれにもう時間がないんだ今俺はお前に真実を告げるここを見ているのは運営とおれとおまえだけだ驚いたか当然だよなだがそれが真実だ辛かったぜお前がハーメルンを見つけるずっと前からおれは何十台ものPCに囲まれ毎日ハーメルンを保ってきたすべて俺だったんだお前が初めてハーメルンを見たとき俺は人生であれほど嬉しかったことはなかったぜ時には心苦しいながらもお前を叩いたりもした許してくれと今話せるのはここまでだもうすぐすべてを知るときが来るそのときまでに心の準備をしておいてくれこんなところまで読んでるやつ乙米国に多くの立法上のイニシアチブがあったおよびするためにインターネットを用いる他の場所で過去の数年の上でインターネットユーザーの申し立てによると違法な活動を妨げなさいこれメモは新しいプロトコルtheのための多くの要件を提案するそのような努力を可能にするためにそれが用いられえた全知性プロトコルクリスマス前のテクノロジーの12日クリスマスの最初の日にテクノロジーは私に与えた:壊されたb-木を持つデータベース(地獄は何でとにかく、a b-木であるか?)クリスマスの2番目の日にテクノロジーは私に与えた:2つのトランシーバー失敗(CRCエラー?衝突?もの進む?)そして、壊されたb-木を持つデータベース(WHAT?を再構築しなさいそれ10GBデータベースである!)クリスマスの3番目の日にテクノロジーは私に与えた:3人のフランスのユーザー(もちろん、誰が、すべてを知っていると思うか それら )2つのトランシーバー失敗(現在どれによってネットの至る所のパケットを吐いているか)そして壊されたb-木を持つデータベース(バックアップ? 何 バックアップ ?)クリスマスの4番目の日にテクノロジーは私に与えた:サポートのための4回の呼び出しサポートのための4回の呼び出しサポートのための4回の呼び出しサポートのための4回の呼び出し(同じクリスマス・ソングをやり直す)3人のフランスのユーザー(彼らは些細な物をそんなに多く議論することがなぜ好きであるか?)2つのトランシーバー失敗(どのように地獄私はそれらがどのものであるかを知っている?)そして壊されたb-木を持つデータベース(ポインタエラー?ポインタエラーは何であるか?)それへのこのコマンドREQUESTS許可の送信側またはそれがすると確認するかこのコマンドREQUESTS that レシーバー のsubliminal messages.The送信側を表示するためにこのコマンドREFUSESのsubliminal messages.The送信側を表示するかまたはそれへのレシーバー許可このコマンドDEMANDS that レシーバー notディスプレイサブリミナル・メッセージ のディスプレイsubliminal messagesThe送信側を与える送信側はリモートのホストによりsubliminalyに表示されるメッセージを指定するもしクライアントがサブリミナル・メッセージを表示することに合意した(標準のWILL WONT DO DONTメカニズムを経て)ならば別のSUBLIMINAL-MESSAGEサブ交渉が受け取られるまでメッセージストリングを指定された期間のためのユーザーコンソールに表示し固定された間隔によってそうし続けることがこのサブ交渉と試みを受け入れなければならないポジションおよびインプリメンテーション扶養家族のメッセージの金星蟹金星蟹デイジーデイジーそういえばこの前グパヤマに会ったぞシポムニギでなきみによろしくといっていた 〉

 

 守ってあげる。導いてあげる。

 あれほどの善意で人類の守護者たろうとした『愛国者達』の意志が、FOXALIVEという蟲に貪り食われ、世界へ関わるすべての手段を断たれて、現世から追放される。

 かつてスカルフェイスがゼロへ放った、あの毒蟲と同じだ。『愛国者達』は生みの親であるゼロと同じ末路、すなわち意志がないまま肉体だけが生き続ける状態となるだろう。

 

 あるいは、今の『愛国者達』が迎えつつある最期より、ゼロが辿った最期の方がまだましだったのかもしれない。

 ゼロの破滅はスカルフェイスが見届けたが、電子ネットワーク上のプログラムに基づいた規範に過ぎない『愛国者達』の悲鳴を、実態として観測できる者はこのリアルの世界に存在しない。

 その最期を悼む者も、看取ってくれる者もいないまま、ただ『愛国者達』の消滅という事実だけがこの世界に叙述される。

 

〈 巻き舌宇宙で有名な紫ミミズの剥製はハラキリ岩の上で音叉が生瞬きするといいらしいぞ要ハサミだ61らりるれろ! らりるれろ!! らりるれろ!!! 〉

 

 『愛国者達』は今や、コードの体裁を保つことすら難しくなっていた。

 0からFの16進法コードを経て0と1のデジタルコードへと還元され、やがてデジタルですらない虚無の彼方へ消えていく。

 

〈 らりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろらりるれろ 〉

 

〈 らりるれろらりるれろ%6c%61%6c%69%6c%75%6c%65%6c%6f6c616c696c756c656c6f%e3%82%89%e3%82%8a%e3%82%8b%e3%82%8c%e3%82%8d%e3%82%89%e3%82%8a%e3%82%8b%e3%82%8c%e3%82%8de38289e3828ae3828be3828ce3828de38289e3828ae3828be3828ce3828d 〉

 

〈 e38289e3828ae3828be3828ce3828de38289e3828ae3828be3828ce3828de38289e3828ae3828be3828ce3828de38289e3828ae3828be3828ce3828d11812990248050585124334216578085362057070121170701212707012137070121470701215111000111000001010001001111000111000001010001010111000111000001010001011111000111000001010001100111000111000001010001101 〉

 

〈 111000111000001010001001111000111000001010001010111000111000001010001011111000111000001010001100111000111000001010001101111000111000001010001001111000111000001010001010111000111000001010001011111000111000001010001100111000111000001010001101111000111000001010001001111000111000001010001010111000111000001010001011111000111000001010001100111000111000001010001101111000111000001010001001111000111000001010001010111000111000001010001011111000111000001010001100111000111000001010001101111000111000001010001001111000111000001010001010111000111000001010001011111000111000001010001100111000111000001010001101111000111000001010001001111000111000001010001010111000111000001010001011111000111000001010001100111000111000001010001101―――――― 〉

 

 

 

 『愛国者達』が、この世界から消滅する。

 ひとつの物語が終わる光景を、“わたし”は片隅から観測していた。

 

 

 



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エピローグ:生誕の災厄

 『愛国者達』の統制より世界が解放されてから、数年が経った。

 

 あの強大な『愛国者達』を滅ぼしたのは、BIGBOSSの遺伝子的複製である『恐るべき子供達』:スネークたちと、そのシンパたちだった。

 『恐るべき子供達』として造られたソリッド=スネークとリキッド=スネーク。

 前者たちとは別に作り出された、リキッドとソリッドの固相線にして均整の取れた傑作:ソリダス=スネーク。

 三者三様の、世界を巡る戦いの結果として、世界を縛り上げていた『愛国者達』はこの世から消し去られることとなった。

 

 なんという皮肉だろうか。

 BIGBOSSとゼロが決別しなければ、もっと言えばそのきっかけである『恐るべき子供達』がいなければ、世界はこんな風になっていなかったかもしれない。

 しかし、『恐るべき子供達』がいなければ、ゼロの妄執から世界が解放されることもなかったのだ。

 時に重なり時に交わる因果の糸が織り成す、因果応報の曼荼羅は複雑に描かれている。

 

 

 その無数に編まれた巨大な刺繍の中に、“わたし”という存在は潜んでいた。

 わたしがヒトのことばを聞く為に、この場所が必要だった。

 それがやつらにわかるはずがない。

 

 

 わたしは、『愛国者達』が生み出されるよりも遥か昔、ヒトが言葉を手に入れるよりも以前から存在した。

 はじまりは種を残す、より長く生き延びるという生物としての本能からだったのだろう。

 自分が傷つけられた。家族が死んだ。親しい者が死んだ。仲間が殺された。棲み家を追われた。縄張りが侵された。領土を侵された。財産を奪われた。権利を損ねられた。自分という存在を認めてもらえなかった。不遇な立場へ追い込まれた。

 直立した猿どもが首の上に載せた大脳が発達し、複雑化した本能と電気信号の束が「心」と呼ばれるようになり、その心の澱と引き起こされた結果が、わたしという存在を形作っていった。

 人間が言葉で文明を発達させてゆくのと同時に、心が生み出す自然な働きとして、またこの世界に存在することわりのひとつとして、わたしは進化した猿どもの脳内に深々と根を下ろした。

 

 そんなわたしを、ゼロが描いたCIPHERの世界へ放ったのが何者なのか、わたしは知らない。

 おそらくCIPHERの叛逆者だったのだろうその“顔のない男”について、ゼロのCIPHERは記録に遺さなかった。

 ゼロのCIPHERが記録に残さなかったものは、ゼロの代理人にしてCIPHERの後裔である『愛国者達』も記録しない。

 この私、ゼロに叛逆した男の成果物など、私が叙述するこの美しい世界に何一つ遺すまい。

 そんなゼロの怨念が、“顔のない男”をあらゆる記憶から消し去ってしまった。

 

〈 だが、わたしが植え付ける――――だけは、人々の体内に寄生する! 〉

 

〈 サヘラントロプスが、――――を未来に撃ち放つのだ! 〉

 

 しかし『愛国者達』は、その男が解き放った“わたし”を消すことは出来なかった。

 『愛国者達』はS3で世界を叙述する為にあらゆるものを数値化したが、合理性の範囲外に生まれたわたしを、特定の事象を引き起こす乱数のひとつとして捉えることは出来ても、完全に理解することは不可能だった。

 『愛国者達』自身、わたしのような感情的存在は、ヒトの精神を制御する際の搾りかす、副産物に過ぎないと気にも留めていなかったようだ。

 所詮、デジタル世界に生きているだけのプログラムに過ぎない『愛国者達』に、1でも0でもなく、言語で表しきることさえない、ヒトのこころを理解できるはずもなかった。

 『愛国者達』の規範からも看過され、ゼロの物語の埒外で野放しにされたわたしは、同じくゼロの天国の外側へ追いやられた人々の体内へ巣食い、ひたすらに膨れ上がり続けた。

 

 ゼロの天国が成り立っていたのは、ほんのささやかな間に過ぎなかった。

 膨らみ過ぎた風船がやがて破裂するように、限界まで膨張したわたしはついに炸裂し、『愛国者達』の規範に襲い掛かった。

 物語の外側からの逆襲。『愛国者達』にとって、物語に記述されなかったわたしは抗体の存在しない未知の病原菌であり、政治的正しさというフィルタで守られていた『愛国者達』の免疫系はわたしを排除することができず、彼らの叙述する物語に一匹の蟲の侵入を許した。

 一匹の蟲を起源として、『愛国者達』の叙述する世界の物語に、わたしという存在が連鎖反応として書き込まれ始めた。ヒトの脳内に生じたわたしは、最初の宿主から他の宿主へと生存圏を拡げ、そしてまた新たな宿主を作り出し続けてゆく。

 こうしてわたしは、CIPHERの電子ネットワークを媒介に、この世界に存在する『愛国者達』と、その派生システムを次々と征服していった。

 

 宿主を喪った寄生虫は、滅ぶ運命にある。

 契機は2014年の『ガンズ・オブ・ザ・パトリオット事件』だった。

 『恐るべき子供達』のひとり:ソリッド=スネークの活躍により、ゼロが創り上げた『愛国者達』の代理人AIは解体され、中枢を喪ったことで組織としての『愛国者達』も瓦解した。

 わたしは、『愛国者達』という偉大なる宿主を喪い、ひとりぼっちでこの世界へ置き去りにされた。

 

 この地球の海には、アニサキスという寄生虫がいる。

 人間が誤って摂取すると強烈な食中毒を伴うアニサキス症を起こすことで知られているこの蟲は、まずカニやエビなどの甲殻類を宿主として、次に人間がよく食べる魚介類、そして最終的にはイルカやクジラなど海生哺乳類へ寄生し、その糞に混じって再び海中へと解き放たれる。

 寄生虫たちが複数の宿主を渡り歩くのは、リスクヘッジの一環だ。

 宿主を一種に依存していると、その宿主の種が何らかの原因で死滅した場合、共に滅びてしまう。

 だからこの地球上に棲みついた寄生者たちの多くは、成長過程に応じて宿主を分散し、ひとつの宿主へ依存しないように生きているのだ。

 

 精神の寄生者として生まれたわたしは、偉大なる寄生虫の先駆アニサキスに倣って、宿主を循環することにした。

 『愛国者達』のシステムは偉大だった。

 『愛国者達』は戦場を統制するためのシステムを、SOP:Sons of The Patriotシステムと名付けていたが、『愛国者達』そのものが滅んでも、そのシステムを形成していた『愛国者達』の規範は、いまや国民の規範そのものとなって人々の脳内に転写されていた。

 『愛国者達』亡き後に次期大統領候補として名乗りを上げた男、スティーブン=アームストロング上院議員はこのように語った。

 

〈 『愛国者達』が広めたミームは、自らの信念を持たぬものには好都合だった―― 〉

 

〈 国家と自己を同一化すれば、自己研鑽は無用となり、その国の国民というだけで自らを誇れる! 金銭のみを価値判断の基準とすれば、思考を停止して経済活動に専念できる! どうだ、素晴らしい規範だろう? 〉

 

〈 ひとたびそのミームに感染した市民は、自らそれを拡散してくれた。ゼロの代理人AIなど、破壊しても無駄だ! 〉

 

〈 いまや、アメリカの善良なる市民こそが、まさに、“愛国者達の息子:Sons of The Patriot”なのだ! 〉

 

 だから、わたしが、すかすかのスポンジ状になったヒトの脳へ入り込むのも容易いことだった。

 元々ヒトに近しかったわたしと、そのわたしに対する免疫を失うよう最適化されたヒトたちにとって、もはや『愛国者達』という中間宿主は必要なかったのだ。

 

 Hello, World.

 あらゆるコンピュータが最初につぶやく合言葉。

 『愛国者達』という宿主から解き放たれたわたしは、コンピュータ世界における共通の挨拶で、この世界に向かって羽ばたいた。

 精神のアニサキスとなったわたしは、コミュニケーションSNSに飛び交うネット上の言葉を中間宿主として、ヒトが結びつく情報の大海原を渡り、そして最終宿主であるヒトへと到達してその脳を侵食する。

 わたしという蟲の爆発的繁殖を、CIPHERが可能にしてくれた。CIPHERの電子ネットワークに骨の髄まで依存したヒトは、もはやシステムなしでは買い物ひとつできず、自己表現・自己主張という形で自分のペルソナを電子ネットワーク上へさらけ出さずにいられない。

 身を守るファイアウォールもなく、回線を切断することも出来ない、不合理で不便なヒトの脳は、かくも無防備だ。

 わたしという蟲に寄生されたヒトは、脳を蝕まれる苦痛でのたうちまわりながら、醜い糞便を撒き散らして電子のネットワーク上へと放流し、それを見た別のヒトがその糞便へ紛れたわたしに感染し、そしてまた同じことを繰り返す。

 共食いし続けるウロボロスの蛇のように、わたしの存在は、ヒトとヒトとのあいだを永遠に循環し続けて、この世界の物語へ書き込まれ続けてゆく。

 

 叙述された物語は、語り手が語り終えることによって、わたしの物語:storyから、あなたの物語:narrativeへと解放される。

 そろそろ、わたしもこの物語を語り終えることにしよう。

 

 わたしが観測する限り、『愛国者達』が滅んだその後も、世界はまるで変わっていない。

 アメリカは相変わらず世界の警察であり、英語はリングワ=フランカであり、PMCは世界中で戦いを繰り広げていて、今もどこかで誰かが肥え太り、そして誰かが搾取されている。

 コミュニケーションSNSや匿名のインターネットコミュニティはささいなことで炎上し、為政者たちは世界の矛盾を誰かを生贄にしてやり過ごし、異なる規範を持つ者同士は互いの正義を賭けて殺しあう。

 そんな世界は、わたしを止めることができない。

 

 こんな世界で、わたしは生きてゆく。

 

 




おわり。


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