あれ? 勇者ってこういうのだっけ (みども)
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第二次リングル王国侵攻戦
プロローグ


 魔族の住まう荒廃した大地と、人間を始めとする種族の住まう国々が広がる豊かな大地。

 二つの世界を隔てる平原地帯の境界線に、この日1,000を超える魔族の軍勢が集結していた。

 

 彼らの目的は一つ。

 この河を超えた先に広がる人間達の領土、その最前線に位置する『リングル王国』を占領することであった。

 

 多くが褐色の肌に二本の角を持つ魔族達は、容姿こそ二足歩行の脊椎動物という大きな違いはない姿をしているが、人間に比べ強靭な肉体を持つ種族である。

 故に彼らはたとえ枯れ果てた大地であろうとたやすく絶滅することなく生存できる種族であった。

 

 だが、それでも限界がある。

 魔族の住まう領土は、大地は朽ち、川は枯れ、ただ荒廃が広がるばかりの世界である。

 作物は根付かず、獰猛な生物が闊歩し、過酷な環境にさらされてきた魔族は、新天地である人間達の支配する世界を手に入れなければ、いずれ干上がり絶滅するのを待つしかないほどに追い込まれていた。

 

 そんな困窮していた魔族達だが、数年前にかつて繰り広げられた人間達との戦争において封印されていた魔族達の王である魔王が復活。

 その魔王の復活によりわずかばかり荒廃した大地に潤いが戻った。

 

 朽ちた大地とともに消え去る未来しか見えなかった魔族達に、わずかばかり差し込んだ光。

 魔王の元、魔族達は一つにまとまり絶滅の危機から逃れるために境界を超え人間の支配する世界を侵略することとなった。

 

 魔王軍第3軍団。

 この地に集結したこの軍勢は、その先陣を任された軍勢である。

 

 そしてその第3軍団の手により、人間達の支配する世界へ進出するための橋を急造工事で組み立てているところであった。

 

 突貫工事ながら軍勢を動かせるほどの規模を持つ橋は、半分は周囲の木々を切り取って集めた材木が半分、魔法により生み出した材料が半分で構築されている。

 工程を詰めるために耐久性に難のある使い捨てを前提とした橋となってしまっているが、軍団が河を超える程度であれば可能だ。

 

 先鋒を務める第3軍団の任務は、未だまとまりのない人間達の諸国が連合を組む前に『リングル王国』の軍勢を撃破してこの地を制圧、橋頭堡を築くことにある。

 リングル王国は過去幾度となく魔族の侵攻を退けてきた強敵ではあるが、他国の支援を受けていない現在の情勢ならば制圧は決して不可能ではない。

 

 もともと耐久性に難のあるこの橋は、今回の行軍後は破棄する予定となっている。

 王国軍を撃破してから後続の軍勢が本格的な補給線を構築、制圧したリングル王国を橋頭堡として侵攻を進めるというのが今回の戦略の基本方針だ。

 

 橋の建造作業を見下ろせる魔王軍第3軍団の本営には、軍団長を務める『アーミラ・ベルグレット』と、今回の侵攻に際し一時的に第2軍団より派遣されてきた将の1人である『黒騎士』、そして『ある秘密兵器』を伴い侵攻軍に同行する『ヒュルルク』、この3名を筆頭としその他今回の侵攻軍における参謀や部隊長達が集まっている。

 

 

「軍団長、少しやる気出しすぎ。正直、ウザいよ?」

「貴様、上官に向かって『ウザい』とは何事だ!」

 

 

 アーミラと黒騎士が言い争う声が聞こえるが、属する派閥が違う故の些細な摩擦だろう。

 言い争いというより、戦を前に昂ぶるアーミラとその熱意を鬱陶しがる黒騎士、2人の戦に臨む熱意の差異が軋轢を生んでいるというところか。

 一応喧嘩するのも面倒だと考えたらしい黒騎士が引き下がったおかげでひとまず落ち着いたようだが、水を差されたアーミラは不満げな様子であった。

 

 しかし、それも決裂を生むほどのものではない。

 現状、魔王軍はリングル王国侵略の目的を共有して団結していた。

 

 そして、そんな本営から進捗状況を見られている建造中の橋に新たな材木を大量に乗せた戦車(チャリオット)が轟音とともに降り立った。

 

 

「お待たせしました!」

 

 

 雷を纏ったサイの魔物が引く三頭立ての巨大戦車。

 歩兵はおろか騎兵でも正面に立ちふさがる者は問答無用で一方的に蹴ちらす破壊力を誇るその戦車を操る1人の魔族が、橋の建造を指揮する部隊長に対して車両の上から声をかけた。

 

 戦場ではその破壊力を遺憾なく発揮するその戦車だが、今回は戦闘力よりもその運搬能力を必要とされており、車両の方に橋の材料となる大量の木材を乗せている。

 

 サイの魔物が纏う雷の轟音を聞き、橋の建造に携わっている周囲の魔王軍の兵士達が指揮官の指示も待たずしてやや駆け足気味に集まってきた。

 

 

「よし、下ろせ! これで材料は揃った。あとは橋を組み立てるのみ、間も無く完成するぞ!」

 

 

 そして早速材木を降ろす作業を行う兵士達に、橋の建造の指揮をとる部隊長があと一息だと奮起させる声を発した。

 

 そして、この材木を運んできた戦車の御者をしていた魔族の兵士もまた、材木を降ろす作業を行う。

 

 

「よし、これで全部下ろした。私は橋の組み立てに参加するから、少し待っててくれ」

 

 

 全ても木材を下ろすと、橋の建造に加わるために戦車を降りて運んできた木材を両手に持てる限り抱え、戦車を引く魔物達に声をかけてから橋の方へと向かう。

 

 もうすぐ魔王軍の侵攻のための橋の建造が終わる。

 いよいよ戦が始まるのだ。

 

 魔王軍第3軍団の兵士達の間に、言葉に表せない重たい緊張感が張り詰めてきた。

 

 そんな時だった。

 ……完成間近の橋目掛けてまるで巨人が雑草を引き抜いてきたかのような巨大な一本の地面から引っこ抜かれたであろう土のついた根が伸びている大木が降ってきたのは。

 

 

「なあ!?」

 

 

 最初にその大木に気づいたのは、橋の建造を指揮している部隊長であった。

 だが、人間よりはるかに強靭な肉体を持つ魔族であってもとてもできる芸当ではないその常識はずれの攻撃を前に、彼にできたのは驚愕することだけで、迎撃することなどとてもできなかった。

 

 

「まずい……軍団長! 前方から何か飛来してきます!」

 

 

 それでも最低限の義務を果たそうと、唯一迎撃可能だと考えた軍団長アーミラに助けを求めるように報告の大声を上げる。

 

 だが、彼女に迎撃してもらうには、大木の攻撃までの時間があまりにも足りなかった。

 

 次の瞬間には橋に大木が突き刺さり、本営まで響く巨大な破壊音が響き渡った。

 

 その音に気付き、そして橋が壊れる姿に驚愕するアーミラ達。

 次の瞬間には、橋は大木の突き刺さった箇所から亀裂を走らせ瞬く間に崩壊していった。

 

 1番混乱したのは、橋を建造中の部隊であった。

 何が起きたのかわからない。

 だが、崩れ落ちる橋の姿にここにいては河に落ちてしまうという事実だけは理解できた。

 

 ……理解できただけで、対応できたとは限らないけど。

 

 戦車を駆る魔族もまた、その1人であった。

 

 

「おいおい、マジかよ!?」

 

 

 それが最後のセリフ。

 彼らは崩れる橋の残骸とともに、足場を失いそのまま河に落下する。

 

 もはや魔王軍は大混乱に陥っていた。

 橋から落ちた兵士達は溺れ、周囲の魔王軍は何が起きたか理解できずに呆然となり、本営は対岸からこの大木を投げつけてきたであろう犯人を見つけ各々目の色が変わる。

 

 ヒュルルクは人間ではない何かを見たような怯えた顔に、部隊長達は犯人は見えたが到底そいつがなした破壊工作だとは信じられないという顔に、そしてアーミラは親の仇を見つけたような憤怒の表情に。

 

 

「ロオオオォォォズウウウゥゥゥ!」

 

 

 対岸から大木を投げつけてきた攻撃の犯人。

 白い服に身を包む緑髪の人間の姿を見て、アーミラが咆哮を挙げる声が響き渡った。



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第1話

 突然ですが、皆さんは異世界転移を信じますか? 

 普通は信じないでしょう。仮にあったとして、それを体験した人はこの世界に既になく返答のしようがありません。

 

 では、なぜこんな話題をいきなり出したのか。

 それは、私がその異世界転生を果たした人間だったから、です。

 ……つまり、私は仮にあったとしてもすでにこの世界にいないため『ある』という返答ができない輩の1人ということ。

 

 転生と転移は違うって? 

 ……これは失礼。私が体験したのは異世界『転生』です。転移ではなかった。

 

 さて、私がどうして異世界転生することになったのか。

 それを説明するには、15年程度時間を遡る必要があります。

 

 ただ、ここで問題が一つ。

 そんな昔話をしている余裕はねえ! 

 

 

「ガボガボガボ! だ、助けてくだがババ!」

 

 

 現在進行形で溺れている真っ最中だよ! 

 橋を建設中、もうすぐ完成だというところでいきなり橋が崩れた。

 そして憐れ私は河に真っ逆さま。

 

 面白いって? 

 笑い事じゃねえよコンチクショウが! 

 

 助けてください! 冗談抜きに、ヤバイです! 生死の境さまよっています! いや、本当に死んじゃいますから! 

 

 必死にもがくけど、橋の倒壊に伴い発生した波が次々に襲いかかり、呼吸しようと水面に出した顔に何度もかかってくる。

 人間より強い種族である魔族に転生したとはいえ、溺れた時の危機は人間だった頃と大差ない。

 

 結局波が落ち着くまで溺れるしかなかった。

 

 

「…………」

 

 

 びしょ濡れです。

 疲れました。寒いです。味方は助けてくれませんでした、薄情者が多過ぎます。

 

 ……いやさ、まあ魔族ってそういう種族だけど。

 安易に他人を信用せず、むしろ自分が生き残る可能性を上げるために容赦なく踏み台にする、個人主義の強い種族ですけど。

 この世界の魔族は過酷な土地に生きる種族のため、日々の糧を確保するだけで命がけの生活を送っている種族だったから、他人を気遣ったり助けたりする余裕がない。

 

 なんとか岸に自力でたどり着き、現在ぶっ倒れながら体力回復中です。

 このあと戦だと思うと億劫だ。

 

 丁度いい。

 時間ができたので昔話をしましょう。

 

 かれこれ15年前になりますか。

 今や私にとって異世界となってしまった地球にて、私は普通の高校生でした。貧乏だったけど。

 借金残して消えた父親とかいう赤の他人と、病気で倒れた母親と、小学生の双子の妹抱えて、年齢偽って深夜も働きながら学校通っていました。生きるだけでカッツカツなのは今世と変わらないけど、平和な分前世の方がまだマシだった。

 人間だった頃は毎日が人生の底辺だって落ち込んでいたけど、ちがいましたわ。人生の底辺って、転生してから味わうもんでしたわ。日本、身ぐるみ剥がされた餓死体がないだけ今世よりずっと生きやすかった。

 

 前世はもうどうでもいいわ。

 2人の妹のことが心残りだけど、もう帰れねえし。

 母親? 一切心配していない。生まれる前から死ぬ瞬間まで振り回したクソ親だって認識してますから。

 父親? 知らない赤の他人ですね。

 

 転生した経緯だけど、生徒会長と数名の生徒が数日前より行方不明になったという話を校長から聞かされた日の昼ごろ、母親が危篤状態だっていう連絡が病院から入って、急いで向かおうとしたら、道中車にはねられて、そして気づいたらこっちの世界に魔族になって放り出されていたという形です。

 

 今思えば口減しとかのためだったのだと思うのだけど、捨て子だった。今世の最初は葉っぱのない朽ちた木々の並ぶ森に遺棄されていた捨て子でした。

 混乱していたし、普通に薄気味悪い場所だったし、魔物は出てくるしで、前世の人生は高校生まで重ねていたけどいっぱいいっぱいになって幼児退行起こした。肉体に精神を持って行かれたとも言うけど。

 転生して最初に泣き喚きましたよ、そりゃもう。おかげで魔物おびき寄せて食われかけたけどな初っ端から。

 

 前世の記憶があった私は二度死ぬのは御免だったので、そこからは死に物狂いで対抗しましたよ。

 無力な幼児だったけど、泣きわめいても腹空かせた魔物がやってくるだけで誰も助けてくれないというのは転生して早々に嫌という程思い知らされた現実となったので、ただただ生きることに必死だった。

 生きるのに必死だったから今では普通に使える魔法もどうして使えるようになったのかとか、全く覚えていない。

 けど、体力はなかったけど魔力は相応にあったみたいで、雷の魔法を発現させることができた。

 それで魔物を殺して、動かない体を電撃で無理やり動かして、魔物の死体から血肉をすすって飢えをしのぎ、死と常に隣り合わせの野生の世界で幼少期を過ごした。

 ……肉体的にめちゃくちゃ過酷な時代でしたわ。

 頭に角が伸びてきたりと人間とは違う特徴が出てきたけど、そんなの気にする余裕なんてなかったから。自分のことを魔族だと知ったのはこの世界に来て12年くらい過ぎてからだったし。

 

 雷の魔法を駆使しギリギリ生存している日々を過ごして7年くらいした頃、雷を纏うサイの魔物の巣を見つけた。

 巨大なムカデの魔物が親を殺して残った卵も喰らおうとしていたところだったのだが、その時はとにかく腹が減って死にそうだったから明らかに喧嘩売っちゃいけない危険な魔物が相手だとしても「卵よこせェ!」と言わんばかりに噛み付いた。

 雷を纏うサイの魔物を捕食する巨大ムカデに、サイより弱い魔族のガキが雷魔法で戦うってめちゃくちゃ無謀だったけど。

 ……死にかけましたね、あの戦いは。

 ムカデの魔物は外殻が雷を受け付けなかった上に、牙には毒があるわ顎はサイの魔物の鎧のような表皮を食い破るほど強靭だわ、足や触角といったなんとか壊せる場所もすぐに再生する異常な再生能力持っているわで、デタラメな強さ誇る魔物でしたから。

 

 まあ、すぐ再生するけど足や触角にも神経が通っていたみたいだから、再生される前にそこに直接雷魔法を通して神経をぶっ壊した上で、電子レンジの要領で体内の水分を強制沸騰させ内側から破壊するというなんとも残酷な戦い方で勝利しましたけど。

 死にかけましたけどね! 右腕と肋骨と鎖骨と、結構骨やりましたけどね! ついでに毒も食らってマジで死に掛けましたけどね! 残酷な殺し方とか言われても、それくらいしか勝機がなかったんですよ!

 

 そして生死の境をさまよってから目が覚めたら、雷纏うサイの魔物の卵が孵化してその幼体たちが私を取り囲んでいたんですよ。

 可愛かったけど、その時最初に感じたことは「卵がぁ! 食料が、孵化しちまったぁ!」というものだった。

 生きるのに必死だったけど、だいぶ考え方が野生に染まってましたね。

 

 どうやらサイの魔物たちは私を親と誤認したらしい。

 鳥かよ!? とかいうツッコミをする余裕は当時なかった。

 気づけば3頭のサイの魔物たちはこの世界でできた私の家族たちになってしまったけど。

 魔族の一生、何があるかわかりませんね。まだ今世は15年、前世合わせて30年と少しですけど! 

 二つの生涯合わせても尚、48歳で危篤を迎えた親の人生よりなお短いとは。なんであんな親が長生きできて、私は妹たち残して早死にしてしまったのだろうか。

 48年でも十分短いと? では前世の一生が16年と3ヶ月で幕を閉じた私の立場は!? 

 ……もう前世の話は切り上げよう。今世ほどではないけど、いい思い出ほとんどないわ。

 

 それから数年前に魔王が復活し、己を領土に縛る代償を払ってわずかばかりの恩恵をやせ細った魔族たちの世界にもたらした。

 おかげで魔族たちは魔王の下で団結し、少しずつ改善の傾向が見られている。

 ……それでもその日の飢えをしのぐのが精一杯な下々民の貧しさはほとんど変わらないけどね。

 

 貧しい土地は急場凌ぎのことをしても貧しいまま。

 この大地に縛られる限り、魔族はいずれ飢え、死に絶える。

 ならばどうすればいいか? 

 豊かな大地を支配する人間たちを倒し、侵略してその領土を奪えばいい。というか、侵略しなきゃ絶滅する。

 生存のためには道義など瑣末な問題。

 魔王様は復活された。ならば、我らは身命を賭して魔王様を支え、魔族の未来を繁栄につなげるのだ! 

 

 そんなノリで魔王のもとに集った魔族たち、魔王軍はリングル王国への侵略戦争を仕掛け、本格的な人間と魔族の戦争が開始されたわけだ。

 新しい家族もできてより一層カツカツなその日暮らしをすることとなっていた私は、給料目当てでそのリングル王国侵攻のための募兵に応募し、魔王軍に参加したわけである。

 

 

「ここにもいたぞ! おい、大丈夫か!?」

「負傷兵がいたぞ! 衛生兵!」

 

 

 お迎えが来た。

 きりがいいところだし、昔話はこれでおしまいです。

 

 侵略戦争は悪いこと。日本人だった私はそう教えられました。

 けど、生きるためにはそんなこと言ってられない。

 被害者に言い訳するつもりはないけど、豊かな土地で安穏と生を謳歌できる相手から餓死しろという非難を受けるのは腹が立つ。

 

 道徳を説かれても腹は膨れない。

 二つの人生を通じて、もうすっかり悪党になってしまった私の学んだことはこれに尽きます。

 

 

 

 

 ……これは、異世界に勇者として召喚された者たちの物語でも、その召喚に巻き込まれ数奇な運命を辿った者の物語でもない。

 魔族として二度目の生を受けた、名もなき戦車乗りの元人間の魔族の物語である。



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第2話

 どうも、無名の魔族です。

 何故って? 今世の親に捨てられたから。前世の名前はあるけど、今世は名付けられてない。だから名前のない魔族、名無しの魔族なんですよ。

 名前があったところで腹がふくれるわけでもないし、魔物との戦いに役立つわけでもないけどね! 

 

 とはいえ魔王軍に入った以上は、さすがに名無しというのは不便だったので上官にも覚えやすかったから『戦車兵(チャリオット・ライダー)』と名乗ることにした。

 略してチャリオットとかライダーとか、あとは繋げて『チャラいダー』とか呼ばれている。

 私は結構『チャラいダー』を気に入っている。

 

 チャリオットは魔王軍から支給されたやつです。

 ワイバーンとかクマの魔物とか狼の魔物とか飼いならしている魔王軍において、魔物使いの魔族というのは珍しくもないらしい。

 このサイの魔物を飼っている魔族というのはいないらしいけど。

 

 だから、多少の改造は必要だったとはいえチャリオットを用意してもらうのは簡単だった。

 今のところ荷物の運搬が主な任務だけど、1度に物資を運搬できる量は陸路ならという制限がつくけど最大量である。

 まあ、支給されたチャリオットが戦闘仕様なので実際は思いっきり戦闘に参加する兵士なんですけどね。

 

 前半生は野生で生きてきたので学はありません。会話はできるけど、こっちの世界の文字とか地理とかの知識は皆無。魔法だって独学だしね。

 なのかは知らないけど、突撃するしか能の無い猪武者みたいな評価を受けています。

 しかも実戦経験ゼロの血の気だけ多いという。

 ……私、そんなに凶暴に見えますか? 

 

 まあ身体中傷だらけだし、お世辞にも育ちのいい雰囲気なんかないけど。

 これでも野生で生きていた頃よりばだいぶまともになった方だぞ。

 前世の分の人生もあり、血気盛んな若武者なんぞよりは落ち着きのある魔族だと自分を評価している。

 

 

「……おっそ。橋一本立て直すのに時間かかりすぎでしょ」

 

 

 第2軍団から派遣されてきたとかいうあの黒い全身鎧を纏った将『黒騎士』殿ほどやる気がないというわけでもないけど。

 再建作業を急ピッチで進めている現場に来て、指示を出すわけでも激励するわけでも罵倒をするわけでもなく、ただ文句だけ残して帰って行ってしまった。

 ……何しに来たんだ、あの方? 

 

 橋壊した犯人を見てブチ切れていた第3軍団長殿は、あの襲撃事件の後対岸の見張りを3倍に増やして厳戒態勢を敷いていた。

 リングル王国の方にも偵察部隊を放ち、向こうの動向をつぶさに観察しているらしい。

 橋の建造も倍の速度と強度で進めろというデタラメな注文がつけられ、それに失態を挽回したがる部隊長が応じたおかげで、昼夜問わず魔王軍は働き詰め状態である。私はさっきまで家族たちに無茶させて不眠不休でチャリオットを走らせました。

 運搬任務が終わったから家族たちは休ませることができたけど、私は休憩無しで橋の組み立て作業を進めています。

 ……戦の前に倒れそう。

 

 

「偉そうに……闇魔法を使う輩はやはり心も歪んでいると見える」

 

 

 文句だけ言って去って行った黒騎士殿に対し、部隊長が文句をたれた。

 他所の軍団の将ということもあり、建設を進めるほかの兵士たちも各々黒騎士殿にはいい感情を抱いていないらしく、一様に表情が歪んでいる。

 ……気持ちはわかるけど作業に集中しようよ。あんなの無視するに限るって。腹立てるだけ体力の無駄。

 

 

「おい急げ! さっさと橋を組み立てろ!」

 

 

 部隊長が八つ当たりのように怒鳴り散らし出した。

 不眠不休で作業していることもあり、兵士たちの不満がより一層募る

 ほら言わんこっちゃない。

 もはや橋の建設部隊のテンションはただ下がり状態であった。

 

 対岸の警備をしている部隊はピリついているし、本営の部隊は手持ち無沙汰で本来ならすでに始まっているはずの戦に向ける熱意のはけ口を探すのに苦労しているようだし、建設部隊はテンション最低だし。

 完成間近だった橋を壊された影響で、魔王軍全体に不穏な空気が満ちていた。

 ……一兵卒の名無し魔族には関係ないけど。

 

 そして当初の作業が順調だったために本来の予定より1日早まるはずだった橋の完成は、結果的には4日も遅れることとなった。

 

 

「全軍、前進だ!」

 

 

 橋の完成とともに軍団長が全軍に対し進軍を命じる。

 目指す戦場はリングル王国軍が出陣してきた平原地帯である。

 数に勝る王国軍は先に戦場に到着しているため地の利は向こうにある。だが、魔族と人間の身体能力には少なくない差があり、正規軍だろうが豊かな大地で衣食住に困らない生活で育ってきたような腑抜けどもが相手である。質ではこっちが圧倒的に上だから、戦力的にはむしろこっちが上と言えるほどらしい。

 そんな相手だからか。それとも侵略戦争で士気が高ぶっているのか。橋の建設で疲労困憊となっている部隊もあるけど、魔王軍の士気は全体的に高い。

 そして今回の侵攻に際して第2軍団から派遣された『黒騎士』と、末端までには詳細が来ていないけどこの軍には何やら秘密兵器もあるとのこと。

 負ける要素の方が少ない。

 魔王軍の面々は勝利を信じていた。

 ……末端の一兵士である私には、最終的にリングル王国を打倒し占領できるというならこの初戦の勝敗はさして興味のある事柄でもないけど。

 

 こうして魔王軍第3軍団はリングル王国軍約1,500が待ち構える平原地帯に到着した。

 1,000対1,500。数は王国軍が上である。

 ……いや、橋を壊された時溺れた兵士もいるのでこっちは実際にはもう1,000人割っているけど、約1,000である。

 

 こうして無名の魔族こと、人間だった前世持ちの戦車兵は初めての戦に臨むことになった。

 殺し合いは今世の幼少期から散々してきたけど、戦争というのは初めてです。

 

 平原の向こう側には、すでに集結した王国軍の姿がある。

 大規模な魔力が動いている。こっちの布陣が整う前に仕掛けるつもりらしい。

 

 

「ま、まずい! 遅れをとるな、我らも突撃するぞ!」

 

 

 待ち構えられていることをすかさず察知したのだろう。

 中央の魔王軍の突撃と王国軍の攻撃の前兆を見た部隊長が、陣形も整わないままに突撃の号令をかけた。

 それとともに魔王軍が一斉に王国軍の陣地目掛けて走り出す。

 

 ……空気が重い。

 あわよくば敵将の首を取り特別ボーナスを勝ち取りたいところだけど、生き残ることを第一に考えたほうがよさそうだ。

 というか、生き残ること以外は考えている余裕もなさそう。

 

 

『放てェェェェェェェ!!!!』

 

 

 そんな号令の雄叫びが聞こえてきた気がした。

 

 

「やばっ!」

 

 

 急いで雷魔法を展開させチャリオットを引く家族を守る。

 周りの友軍? そんなのかばっている余裕はない! 

 直後、歓迎するぞと言わんばかりの大量の魔法が雨あられと王国軍から放たれ魔王軍に降り注いできた。



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第3話

 チクショウ、チャリオットをひっくり返された! 

 どうも皆さんおはようございます。朝の開戦早々にリングル王国軍の攻撃を食らってチャリオットをひっくり返されてしまった魔王軍第3軍団所属の名もなき戦車兵(チャリオット・ライダー)です。『ライダー』とか『チャラいだー』と呼んでください。

 

 平原地帯で待ち構えていた王国軍の先制攻撃をくらい、突撃中に見事に戦車をひっくり返されました。

 戦車を引くサイの魔物たち、今世の家族たちは直前で守ったので無傷ですが、戦車がひっくり返ってしまったので動けなくなってしまいました。

 

 

「すぐ助けるからちょっと我慢して!」

 

 

 戦車に積まれていた槍を取り出し、雷魔法を付与して戦車をぶっ壊します。

 役立たずの荷車なんぞ破棄だ破棄! 私の家族によくも不自由を与えてくれたな! つか、あと少しで傷つけるところだっただろうが! どうせ借り物だし心は痛まない。

 

 これでひとまず家族たちは助けた。

 周囲を見ると、中央の魔王軍は進軍を続けているようだけどこっちの部隊はすごい損害を受けてしまっている。

 まあ、橋の建造でクタクタだった部隊だからな。防御行動も遅れるか。

 

 それ見越してか知らないけど、軍団長が端の方に配置していたので戦況に大きな影響を与えることはなかった。

 他の部隊はすでに王国軍とかちあっている様子。

 どうやら『黒騎士』が乱戦の中で大活躍しているらしく、王国軍が開戦早々の先制攻撃で作ったアドバンテージは早速崩されているようだ。

 わざわざ第2軍団から出向してきたことはある。強いなあの方。そりゃあんなわがままで奔放な行動が黙認されるわけだわ。

 

 しかし、戦況が均衡に移るのが早い。

 ここの部隊以外は防御行動が迅速だったのか、ほとんど被害が出ていないっぽいし。

 

 

「いや待てよ……」

 

 

 最初に感じた大規模な魔法。

 あれって王国軍側だけだったか? 

 戦場の端から見たら中央の方から出ていたように感じたのでてっきり待ち構えている王国軍のものだったのだと思うけど、よくよく思い返すと味方の方からも出ていた気がする。

 

 

「奴ら幻影に見事に惑わされたな!」

「進め! 向こうの陣形も崩れているぞ!」

 

 

 後軍が一歩遅れて横を駆け抜けていった。

 その中のセリフに、思わず絶句する。

 

 幻影って……あの最初の突撃しかけた友軍全部幻かよ!? 

 何それ、大損害被ったのこの部隊だけじゃん! 

 部隊長聞いてなかったのかよ!

 真相を問いただしたいところだが、部隊長は戦死していた。

 

 部隊壊滅状態で隊長戦死。

 初めての戦でその過酷さを嫌という程現実として叩きつけられました。

 

 王国軍も突撃してきたせいで、この一帯も瞬く間に乱戦になってしまった。

 急いで家族たちと合流し、一旦この乱戦の中から脱出しようとする。

 敵前逃亡? 指揮官不在で命令が無い現状、混乱した戦場で1人くらい離脱者出ても気にされないって。

 だいたい、こんなカオスな戦場で私に何を期待するのですか? 

 死にたくないので離脱します。

 

 ところがそう簡単には行かず。

 家族である3頭のサイの魔物たちをまとめていざ離脱しようとしたところで、後軍を率いていると思われる部隊長の魔族が近くにやってきた。

 

 女性の部隊長である。

 魔族にとって人間相手なら性別の差異など大したハンデにならないけど、やっぱり戦場で女性の活躍の舞台は限られているもの。

 軍団長はともかく、部隊長達ともなれば女性の魔族はほとんどいなかったから、彼女の素性は直ぐに記憶から取り出すことができた。

 

 確か、幻影魔法を得意とする『ハンナ・ローミア』という方だったと思う。

 出世争いのライバルだったからか、他の隊長達の多くが橋を崩された件に対して真剣に対応策などを議論する中にあって、部隊長が橋を破壊された責任を問い詰めながら嘲笑っていた顔が印象的。

 

 保身と出世が大好きな今は死体になってしまっている部隊長もアレだったけど、この方はそれ以上に陰険な印象を抱いているから仲良くなりたくないんだが。

 

 しかしサイの魔物は目立つ。

 すぐにローミア隊長に見つかってしまった。

 

 

「あなたは……グレッドの部隊にいた戦車兵ですね。部隊はどうなっているのですか?」

 

 

 部隊長の死体を確認した時、ローミア隊長はまたあの嘲笑うような笑みを浮かべた。

 えっ……まさかと思うけど、出世争いのライバル潰すために幻影魔法のこと教えなかったの? 

 そんなわけないよな。

 

 

「クスッ……使えそうなコマを残してくれたことには感謝しなければいけないですね」

 

 

 戦場の喧騒に紛れたおかげで側近にすら聞こえなかった呟きだが、私の耳は確かに拾った。

 マジかよ。そんなわけあったよ。部隊長同士の権力争いに巻き込まれて、部隊は壊滅しチャリオットもひっくり返されたよ。

 前言撤回。魔王軍、全然一枚岩じゃない。普通に内部でも抗争が起きていますわ。

 他人を気遣う余裕はなし、隙あらば食い尽くされる日常をあの枯れた大地で繰り返してきたのだ。当たり前といえば当たり前か。

 

 どうしよう。

 部隊長が戦死した場合、次の配属が正式に決まるまではその上官である軍団長の直接の麾下に入るか、近場の部隊長の指揮下に入ることになっている。

 つまり、この部隊の生き残りとなった面々は壊滅の原因を作り出したローミア隊長の指揮下に入るということになるわけだ。

 おいおいマジですかい……。

 

 でも戦車兵も所詮は末端の兵士なので部隊の現状とかよく分かっていません。

 さすがに全滅とまではいかないけど、ほぼ壊滅ってところかな。

 ローミア隊長、あんたのせいですよ。

 

 そんな愚痴を心の中で連ねていると、ローミア隊長の指揮下の兵士と思われる魔族の兵士が駆け寄ってきた。

 ちなみにその兵士さんも女性である。

 ……ローミア隊長の部隊、女性兵士多くね? 部隊の3割くらいは女性が構成しているように見受けられます。

 ちなみにグレッド隊は私の知る限り野郎ばかりでござい。

 

 

「グレッド隊はほぼ壊滅。生存者を確認できましたが、戦闘可能なものはわずか数名です」

「そうですか……」

 

 

 兵士さんの報告を聞いたローミア隊長が悲しげな表情を浮かべ、うつむきます。

 端から見るとこの部隊の戦死者を悼むように見えるけど、下から見るとうつむいた顔が思いっきり笑っているのがよくわかりますから。

 演技だよね、どう見ても! 

 

 

「やむをえません。グレッド隊の生存者を戦闘可能な者とそうでない者に選別してください。負傷兵は後陣へ、戦える者は私の部隊に編入し王国軍の陣を突破します」

「はっ!」

 

 

 テキパキと指示を出すローミア隊長。

 全く悲しんでないよね。悲しんでいたらそんなテキパキ動けないよね。

 心の中でそう指摘しまくっていると、こっちを向きました。

 

 

「戦車兵、あなたも私の部隊に入ってもらいます。以後は私の指示に従うように」

「了解しました!」

 

 

 チクショウ、離脱し損ねた上にもっと嫌な上司の部隊に入る羽目になってしまった! 

 これ、敵よりも味方に気をつけたほうがいいじゃないだろうか?



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第4話

 保身と出世が大好き部隊長が戦死したせいで、その原因を作った陰険部隊長の指揮下に入ることになりました。

 どうも、現地時刻はまだおはようございますの時間帯です。無名の魔族こと、戦車兵(チャリオット・ライダー)です。略して『チャラいダー』と呼んでください。

 

 痩せた世界で滅亡することを拒み、豊かな人間達の世界を手に入れるために開始された魔王軍の侵略戦争。

 その緒戦となるリングル王国の侵攻戦にて、私は給料目当てに兵士として参加しています。

 ところがどっこい、魔族内の出世争いに巻き込まれ所属していた部隊がいきなり壊滅し、戦車も破損しました。

 やったのは王国軍の魔法攻撃だけど、実質後ろの味方にやられたようなものです。証拠ねえけどな! 

 まだ王国軍の兵士1人も轢き殺してないのに……。

 

 現在は魔王軍と王国軍が衝突し、平原の各地で戦闘が繰り広げられています。

 まあ、ここは戦場の端っこなので全体の戦況なんてわかりませんけどね。

 

 

「戦車はどうしたのだ?」

「壊れました」

 

 

 暫定指揮官となったローミア隊長の側近の魔王軍兵士に聞かれ、ぶっ壊した……じゃなくてやむなく破壊することとなった戦車を指し示す。

 それを見た兵士は一瞬額に青筋を立てたように見えたが、怒鳴り散らしても体力と時間の無駄にしかならない考えたのか、一息置いてからこちらに目線を向けた。

 

 

「ローミア隊長の命令だ。貴様は魔物とともに王国軍の陣を突破し、後背に控えているリングル王国軍の本陣を急襲しろ」

 

 

 臨時で配属早々に部隊長から命令が来ました。

 あの隊長、幻影魔法で張り切りすぎたのか魔力すっからかんになったというのに、疲労をうまく装いつつも剣を片手に飛び出していった。

 おかげで部隊の魔王軍の士気がうなぎのぼりである。

 幻影魔法で疲労困憊だというのに、それでもなお剣を片手に前線に立つ姿に鼓舞されているのだろう。

 嵌められたこっちの部隊の生き残りまで心酔してやがる。

 ……絶対疲れてないよね、まだ存分に戦えるよね。それ演技だよね。こうすれば後々の評価が上がるという点を的確に抑えているよね。いちいち演技しなきゃ気が済まないのか? 

 

 まあローミア隊長はこの際どうでもいいや。あの方が戦死したとしても私に不利益があるわけじゃないし。寧ろスカッとしますわ、ざまあ見ろってね。

 

 新しい命令ですけど、私の今世の家族であるサイの魔物達とともに敵陣を強行突破して本陣に奇襲をしかけろとか言われました。

 戦場の端っこなので王国軍の陣を貫くのは難しくないけど、あの本陣にはまだリングル王国最強の剣技を駆使する騎士団長と彼の率いる精鋭部隊が無傷でいますよね? 

 確かに討ち取れればリングル王国には取り返しのつかない大打撃を与えられることになると思うけど。

 そんな敵の主力が集う巣窟に1人で突撃しろってか? 

 パワハラだろ! ローミア隊長、やっぱり性根腐ってる! 

 

 ……あ、狙いわかったぞ。騎士団長を本陣から引きずり出して指揮系統を混乱させ、その隙に自分たちが手薄になった本陣を潰す算段なんでしょう。

 中央で黒騎士殿が暴れているからって、そんなに手柄が欲しいのかよあの陰険魔族。

 もう女狐って呼ぼう。外見は狐って感じしないけど、内面は完全に狐だよね!? 

 

 しかし命令とあれば仕方がない。

 こうなったら私がリングル王国最強の騎士団長を討ち取って1番の大手柄を個人で立ててやる。

 

 

「了解しました!」

 

 

 というわけで、ローミア隊長の命令に従い家族たちとともに戦場をかけることにしました。

 三頭の魔物のうち、戦車では中央で引く役目を担う1番の力持ちである長男の背中に乗り込み、残る2頭を連れて槍を片手に走り出す。

 走り出したら簡単には止められねえぞ! さっき止められた上に戦車をひっくり返されたけどな! 

 

 

「止めろ!」

「槍衾を組め!」

 

 

 王国軍が陣の突破を試みる私の動きに反応し、すかさず即席の対騎兵用の槍衾を組み始めた。

 けどさ、馬ならともかくサイの魔物である私の家族にそんな即席防御が通用すると思ってんのか! 

 

 

「邪魔じゃ退け!」

「「「ぎゃあアアァァ!?」」」

 

 

 一撃粉砕。

 私の家族達の突進により、一瞬で足止めしようとした王国軍の騎士達を跳ね飛ばした。

 この子達にかかれば、歩兵の槍衾なんぞ道端の石ころほどの障害にもならないね。

 

 このまま向こうの予備戦力も突破して、リングル王国軍の本陣の裏手に回るとしよう。

 最前線の乱戦地帯を強行突破する。

 

 

「ぎゃあ!?」「止められない!」

「バカ俺は味方だ!」

「と、とにかく槍衾を!」「止められるわけないだろバカ!」

 

 

「邪魔だどけオラァ!!」

 

 

「「「ぎゃあアアァァ!?」」」

 

 

 私にとっては突破できるなら敵も味方も関係ない。

 乱戦の中、立ちふさがるリングル王国軍とそれに対峙していた一部の魔王軍も跳ね飛ばしつつ、前進する。

 文句ならオタクらの部隊長に言ってください。先に味方を罠にはめたのあの方ですから。

 

 

「魔法で仕留めろ! 放てぇ!」

 

 

 王国軍を撥ねまくりながら爆走していたら、魔法攻撃部隊から大量の魔法が降り注いできた。

 槍衾で止められないなら穴を掘るか魔法で止めるしかないのだろう。穴掘る時間なんぞないし、そういう意味では王国軍のこのやり方は正しい対応と言える。

 

 ただし、こちらも100人の一部隊丸ごとならともかく、家族達を降り注ぐ魔法攻撃から守るくらいには防御の魔法も使える。

 それに王国軍がまだ近場に多数いる中で攻撃を仕掛けるとか、よほど追い詰められている証拠だ。

 

 というわけで、家族達に雷魔法を駆使した防御用の結界を作り出し王国軍の魔法攻撃を防いだ。

 

 

「うわぁ!?」 「や、やめてくれ!」

 

 

 結果、私は無傷だったけど対応の遅れた王国軍に味方からの攻撃で多数被害が出た。

 まさかの王国軍側でも同士討ち発生である。

 混乱する戦場では同士討ちというのは発生しがちな現象だけど、実際目の当たりにすると酷いね。

 いくら種族が違うと言っても敵味方の識別は混沌とする戦場においては容易なことではない。同士討ちに発展してしまうのも、この混沌とした戦場ではしょうがないかもしれないけどさ。

 味方も撥ね飛ばしたお前が言うな、とか言われそうだけどね。

 

 さて、この魔法攻撃でできた土ボコリを煙幕代わりにして前線地帯を突破するとしよう。

 仕留めたと思っているのか、王国軍側からさらなる魔法攻撃は飛んできていない。

 

 だがしかし、私はともかく戦場の空気に当てられた家族達に隠密行動というのは難しかったようだ。

 

 

「「「ブオオオオオォォォォォ!!」」」

 

 

 三頭揃えての大合唱。戦場の端っこからでも響き渡る咆哮を上げ、雷鳴を轟かせた。

 ついでに土ボコリの煙幕も晴れちゃったよ。

 この子達の雷の魔法の威力、私より強いんじゃないだろうか。

 

 

「嘘だろ!? あれを食らって生きているなんて!」

「と、とにかく魔法を打ち込みまくれ! また走り出したら止められないぞ!」

「中央から増援を呼べ! 予備軍も限界までつぎ込むんだ!」

 

 

 やべ、完全に見つかった。

 すぐさま魔法攻撃が再開され、雨あられと多様な魔法攻撃が降り注いでくる。

 急いで家族達を守ろうとすると、この子達も攻撃されていることに反応したらしく王国軍の魔法部隊が集結している陣目掛けて突進を始めた。

 

 

「待って! あんなところに突撃したらあああぁぁ!?」

 

 

 あんなところに突撃しかけたら、敵地のど真ん中で孤立しちゃうよ! 

 私の制止を遮るように、家族達は一気に加速していく。

 だめだ頭に血が上って興奮している。これじゃあ落ち着くまで言うこと聞いてくれない。

 

 ローミア隊長が援軍送るとは思えないし、こうなったらなすがままに突進させて、前線を押し上げているはずの中央の部隊との合流を目指そう。

 家族達にとって危険になるだろう魔法攻撃だけ最小限の動きで直撃を防ぎつつ、私たちは王国軍の魔法部隊が集結している陣地に向けて突撃をしていった。

 

 

 

 

 

 

 ……いっぽうその頃、中央の戦場では異変が起きていた。



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第5話

 開戦よりしばらくの時間が経過したころ。

 戦況は魔王軍優勢に進んでいた。

 

 待ち構えていたリングル王国軍からの大規模な魔法攻撃に対し、魔王軍は同じく大規模な幻影魔法を駆使した幻の軍勢を囮にその攻撃を最小の被害で突破して激突した。

 そこからは王国軍と魔王軍の消耗戦となるも、数に勝るはずのリングル王国軍がすぐさま各所で劣勢に陥り前線が押し込まれ始めていた。

 たとえ訓練を積み上げてきた正規軍であっても所詮は人間。過酷な大地を生き抜いてきた魔王軍を構成している種族である魔族とは、身体能力において超えられない種族の壁がある。

 そのため質の面において圧倒的に劣る王国軍は、当初の攻撃を魔王軍の策略に嵌められてしまったことで空振りしてしまい、想定していたよりも大規模で被害の少ない軍勢と激突することとなった。

 

 王国軍は数に勝るとはいえ人間である。

 一対一はもちろん、2人がかりでも届かず基本3人がかりでやっと戦えるほどに強い魔族が相手。

 確かに数字だけ見れば王国軍に利があるとはいえ、種族の差というものを考慮した場合は違う。3倍の数は揃えなければ互角にもならないその質の面を考えれば、1.5倍の数というのはむしろ数的に不利と言っても過言ではない戦力であった。

 

 その上、魔王軍は開戦早々に秘密兵器としてこの戦場に連れてきていた、人工的に改良され生み出された巨大な蛇の魔物である『バルジナク』を前線に投入。

 並のモンスターとは一線を画すこの巨大生物の蹂躙により、王国軍の中央部隊はとてつもない損害を受け前線を大いに押し込まれてしまった。

 

 さらにもう一つ、この前線の部隊には今回の侵攻に際し第2軍団から出向してきた魔王軍の将『黒騎士』が参加している。

 この将の存在がバルジナクだけでも手一杯な王国軍にさらなる打撃を与えている。

 剣で斬りつければ自分の体が切り裂かれる、矢を射掛ければ自分が貫かれる、魔法を打ち込めば自分の体が燃え上がる。

 ただ歩きながら適当に敵を斬るだけ。

 黒騎士がやっているのはそれだけなのに、将を討とうと殺到する王国軍の騎士達は一方的に傷つけられ次々に倒されていくという異常な現象が起きていたため、それによる混乱がより一層王国軍の中央を不利な戦況に追い込んでいた。

 

 しかし、そんな魔王軍優勢の中央の戦場から黒騎士以外にも異変が起こり始める。

 両軍が激しく激突しあう中、何故か王国軍の倒れた兵士の姿が消えていくのだ。

 

 戦況の推移は魔王軍に傾いている。より多くの損害を受けているのも王国軍のはず。

 だというのに、戦場に倒れる骸の数は魔族のものの方が圧倒的に多い。

 

 両軍に混乱が広がる異常な現象が繰り広げられる中央の戦場。

 混乱の最中に置いて、これらの異常事態に両軍ともに戸惑い、それがさらなる戦場の混沌となっている。

 とはいえ俯瞰してみれば黒騎士とバルジナクの猛威により魔王軍優勢で進む戦況が展開されている。

 

 ところが、この戦場にさらなる大きな異変が起きる。

 それは戦場の端からサイの魔物を駆使して突撃してくる雷の魔法を駆使する無名の魔族の活躍によるもの……ではなく、魔王軍のバルジナクのようにリングル王国側もこの日のために準備していた彼らの秘密兵器があった。

 

 

「ぎゃぁ!?」「な、なんだこのガキども!?」「バカな、これが人間だと!?」

 

 

 戦場を切り裂くように輝く閃光と雷光。

 およそ人とは思えぬ、それどころか魔族と比べてもなおその上を行く強大な魔力から繰り出される魔法。

 外見は10代後半の戦場においては少年兵に分類されるような2人の人間が繰り出す二つの光が戦場を切り裂き、魔王軍の兵士を次々に蹴散らしていく。

 

 

「この国の人たちを守るために……俺は、戦う!」

 

 

 1人は穏やかなものの奥に強い意志も感じさせる光を瞳に湛える、精悍な顔立ちの少年。

 魔族にとっては天敵と言える強力な光魔法とリングル王国最強の騎士を彷彿とさせる鋭い剣戟を駆使して、向かってくる魔王軍を次々と撃破していく。

 彼が剣を振るい魔王軍の兵士を打ち倒すたびに、周囲の王国軍は一層奮起し魔王軍に立ち向かっていった。

 

 

「勇者として恥じない戦いをしよう……カズキ君やウサト君も頑張っているのだから!」

 

 

 1人は子供のように心底楽しいという喜びの光を瞳に湛える、美しい黒い長髪をなびかせる凜とした顔立ちの少女。

 異国の剣技を習っているのだろうか、この世界の一般的な剣術とは違う素早い剣戟を振るい、少年の光魔法にも劣らぬ強力な雷魔法を駆使し、立ちはだかる魔王軍を瞬く間に打ち倒していく。

 彼女が剣を振るうたびに魔王軍の兵士は惑わされ、疲れた隙間を後続の王国軍に押し返されていった。

 

 まるで今となっては古の伝説に語られる存在となった、魔王と対峙しその身を封印したと伝わる勇者を彷彿とさせる少年少女。

 2人の活躍が押し込まれる中央の戦場に嵐を呼び込み、その戦況を均衡へ、そして王国軍の側へ傾かせようとしていた。

 

 この2人はリングル王国が2年前に受けた魔王軍の侵略より、いずれ来ること日のためにと異世界より召喚した『今代の勇者』たちであった。

 

 一騎当千とはまさにこのこと。

 戦い慣れていないのか、緊張で顔がこわばり敵を殺し切れない甘さもあるなどまだ荒削りで拙い面も持つが、2人はまぎれもなく過去には伝説となった存在『勇者』であった。

 

 戦場を覆い尽くす両軍の乱戦。

 戦場各地において『個』の強さで猛威を振るう強者たちの活躍は、戦況に次々と波紋をもたらしていく。

 

 この戦況にあっては、戦場を単独で揺り動かす圧倒的な武力を持つ『個』の強者同士は自ずと惹かれ合うもの。

 

 

「へぇ……少しは面白そうなのがいるじゃん」

 

 

 血を流し倒れこむ多数の王国兵たち。

 その中心に立ち、惨状を作り上げた黒騎士が2人の勇者の活躍に目を向けその姿に興味を抱いた。

 

 

「死ねぇ!」

 

 

 その無防備な背中に、スキありと剣を突き立てる騎士。

 だが、黒騎士は全く応えた様子はなく。

 

 

「……何かした?」

「何!? バカな、確かに剣を……グハッ!?」

「立派な鎧も意味ないね。キミも見掛け倒しなんだ」

 

 

 次の瞬間には、剣を突き立てたはずの騎士の方が胸を穿たれて倒れ伏してしまった。

 

 新たな犠牲者には目もくれず。

 黒騎士は面白そうな相手の方に歩みを進める。

 

 戦いの趨勢を担う中央の戦場に、両軍の主力を担う将が相対する。



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第6話

「止めろ! ここを抜かれれば本陣をやられるぞ!」

「とにかく魔法を撃ちまくれ!」

 

 

「「「ブオオオォォォォォ!!」」」

 

 

 雷を纏う三頭のサイの魔物が本陣を守るリングル王国の騎士たちの陣を次々に粉砕し、爆走を続けている。

 

 家族の背中から失礼します。現地時刻はまだおはようございますの範疇ですが、変わらず戦場にいる名もなき魔族の戦車兵です。

 戦車が壊された、というか壊したから正確にはもう戦車兵じゃないんですけどね。

 

 豊かな人間の世界と手に入れるために起こした侵略戦争。

 魔王率いる魔王軍は本格的な侵略に向けた橋頭堡を築くべく、最前線に位置する国家『リングル王国』へと攻め込んだ。

 人間を上回る膂力と魔力を持つ魔族だったが、このリングル王国には過去に侵攻した軍勢を撃退されたことがあるという。

 2年くらい前のことらしい。当時の私は珍しいからと家族たちを狙った変な組織と抗争していた時代でしたね。魔王様が復活したとか、魔王軍が人間どもを滅ぼすべく進軍を開始したとか、噂で聞こえてきていた。

 

 そして今回の侵攻。

 痩せた土地に縛られている所為で物資の欠乏が多く長期戦がどうしても不向きな魔王軍は、リングル王国を早期に攻略するため秘密兵器を投入してきた。

 それが今中央の戦場で暴れている巨大な蛇の魔物である。

 野生じゃ見たことがない。ローミア隊長の側近の話を盗み聞きしたのだが、どうやら魔王軍には単に飼い慣らすだけではなく兵器として魔物の研究と改造をする機関があるらしく、巨大蛇の魔物はそこで人工的に作られた魔物なのだという。

 すなわち人造モンスター、いや魔族だし魔造モンスターとでも称するべき生物兵器ということだ。

 非人道的だとか生物に対する冒涜だとかいう批判をする人もいるかもしれないけど、同胞も他人なら信用できない環境で育ってみればそんな綺麗事なんて馬鹿馬鹿しいと思えてくるよ。ご高説を説かれてもお腹は膨れないし、喉も潤せないし、病気は治らないし、安眠できる寝床が手に入るわけでもないんだから。

 

 頼りになる兵器だというなら、私は別に文句を並べることはしないですよ。

 これで役立たずしか作れないなら、その魔物研究の機関は直ちに撤廃するべきだと思うけどね。

 

 末端の兵士にすぎない私にあの魔王軍の秘蔵とも言える兵器をどうこう言う筋合いはないから、あのモンスターに関しては我関せずでいいかな。

 私は私の役目を果たしてあわよくば特別ボーナスを得られるような手柄を上げればそれでいい。

 

 現在、私はリングル王国軍の本陣を目指して今世の家族たちとともに王国軍の中を爆走しています。

 防護壁も最終段階まで貫き、本陣は目と鼻の先まで来ました。

 王国軍の方は巨大蛇の暴れる中央か、前線で猛威をふるっている『黒騎士』殿か、側面から本陣を目指して派手に突き進む私たちか、どこに戦力を集中させるべきか迷っている様子。

 あちらこちらでこっちに増援するべきだとか、増援回してくれだとかいう叫び声が聞こえている。

 2つも3つも戦を敗北に導きかねない脅威が迫る戦況でどれから対応すればいいか迷うのは当たり前かもしれないけど、こういう時は結果的に負けてしまう悪手になったとしても即断即決しなければ中途半端な戦力で対抗するしかない前線の被害が膨れ上がるだけだよ。

 魔王軍としては願ったり叶ったりだろうけど。

 

 差し迫って1番の脅威は、自分で言うのもなんだけど最も本陣に距離を詰めている私だろう。

 もっとも被害を与えているのは巨大蛇だろうし、挽回するために狙うべきは黒騎士殿だろうけど、私はこの中では1番落とされてはならない本陣に近づいているのだから。

 例えばの話、不可能だろうけど仮に王国軍が黒騎士殿を倒し魔王軍の士気をくじいたとしても、本陣を崩されれば王国軍は指揮系統を失い組織的な戦闘が不可能となる。

 そうなれば軍は維持ができなくなり瓦解。数の優劣など関係なくなり、巨大蛇をはじめとした魔王軍の掃討の餌食にあい、軍を失った王国はやがて占領されてしまう。

 蛇を倒した場合も同じだ。というか、兵器と将の損失なら将の損失の方が大きいに決まっているのだから、蛇を狙い撃ちするのは三択の中だと1番の悪手である。黒騎士殿よりはまだ倒せる見込みがあるとしてもだ。

 王国軍が利口ならば、この状況で1番最初に対応しなければならないのは本陣の防衛、すなわち狙うべきは私たちということに気づくだろう。黒騎士殿や巨大蛇と違い、こっちは爆走し続けた結果孤立していますからね。三択の中で1番対応を急がれる存在であり、なおかつ1番倒せる可能性が高いから。

 だからこっちに戦力が集中する。本陣にたどり着かせないように、控えの戦力をつぎ込んで足止めを図ってくる。

 

 ……だけどさ、槍衾の壁を作って魔法で止めようとするのは私の家族を舐めているよ。

 威圧し駆逐する力は巨大蛇にはかなわないし、一方的に敵を倒して屍の山を築く力は黒騎士殿には敵わない。

 けど、正面突破の力なら私たちは1番強い。

 

 

「この子たちの足を止められると思うなよ!」

「「「ブオオオォォォォォ!!」」」

 

 

 三頭のサイの魔物、顔も知らない親に捨てられた今世でできたかけがえのない家族たちは、剣も槍も矢も弾く鎧のような表皮を纏う巨体の力を存分に発揮し、王国軍を陣をまるで薄紙のように粉砕して突破した。

 

 

「……見えた!」

 

 

 最後の防護壁を貫いた! 

 これで残るは敵の本陣だけ。あそこを落とせば今回の一番の手柄を上げたことになる。

 別に軍籍になるつもりはないけど、その日暮らしのカツカツな私としては特別ボーナスの機会は欲しいのです。

 

 

「させるかぁ!」

「ッ!?」

 

 

 だがしかし。

 ここでとうとう王国軍も出し惜しみはできなくなったらしい。

 野生暮らしが長かった私でも、魔族ならばよく知る最強の剣が出てきた。

 

 本陣から飛び出してきた1人の騎士。

 その速いのに重く強烈な剣戟をすんでのところで槍で受け止めた私は、衝撃までは流しきれずに『長男』の背中から叩き落とされてしまった。

 

 人間だった頃なら大怪我していたであろうところだけど、魔族の身体能力は人間よりはるかに優れる。

 それに、伊達に家族だったわけじゃない。全力疾走するこの子たちの背中から落下することなど何度も経験してきた。

 すぐさま姿勢を直して地面に着地する。

 そして槍を構え直すと、私の前には心配して足が止まってしまった家族たちと、無骨で丈夫そうなのに絢爛さも併せ持つなんとも見事な業物の大剣を握りしめる王国最強の剣技を駆使する騎士団長『シグルス』が立っていた。

 

 

「ここより先は一歩も進ません!」

 

 

 決して大きくはない声。

 けど、重い。

 シグルスの声は、その手に握る大剣のように重く、全身の肌に針山を突き立てるような鋭い威圧感を伴う歴戦の猛者が出せる声だった。

 話は聞いていたけど、これが王国最強の騎士か……。

 やっぱり、ただ話を聞くだけのと本物をその目で見て実際に対峙するのは全然違う。

 

 

「王国騎士団長シグルス……!」

「知っているか。ならば名乗りは不要だな、魔族!」

 

 

 ゴクリ。

 頬を冷や汗が伝う。

 緊張から唾を飲み込むと、もう唾液が出てこず口の中が枯れてしまった。

 ここまで強い相手だと、もう魔族と人間などという種族の差はあってないようなもの。対峙しただけでこの騎士団長の強さが本物だというのが伝わってくる。

 

 そして、魔王軍が優勢のはずの戦況で、軍の指揮よりも本陣の防衛を優先しシグルスは出てきた。

 文字どおり本陣を、ひいてはこの戦場の背中に背負う母国を守る最後の砦である。

 

 この人には負けられない理由があるのだろう。

 でも、私にも勝ちたい欲求がある。

 手柄を上げて、勝利して、家族達に命の危険と隣り合わせの生活を強いなくて済む。

 私も、魔物にも寒さにも怯えることの無い、前世で慣れ親しんで今世で恋い焦がれた平和な暮らしを手に入れることができる。

 ……だから、勝つ。

 侵略者として、祖国を守るために立ちふさがったこの人を、倒す。

 

 

「……その首、貰い受ける!」

 

 

 前世が日本人の影響か。

 戦国武将みたいなノリで槍を手にリングル王国最強の騎士団長へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……その頃、無名の魔族でも、黒騎士でも、バルジナクでも無い。

 シグルスも出陣したことにより守る戦力が空になってしまったリングル王国軍の手薄な本陣。

 サイの魔物たちにより戦場でもひときわ目立つ戦車兵を囮とし、手薄となった本陣を密かに狙う、紫色の髪をなびかせる魔族の率いる部隊があった。



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第7話

 古の時代に勇者によって封印された存在、魔王。

 その魔王が復活し、魔族たちをまとめ上げ魔王軍として人間たちの世界へ侵攻してきた。

 最初の本格的な侵攻は2年前。

 この時、魔王軍の侵攻に晒されたリングル王国は魔王軍をなんとか撃退することに成功した。

 だが、その犠牲も決して小さいものではなった。次の侵攻を受けた時に単独で凌ぐことは困難となるだろう。

 そう判断したリングル王国は、かつて魔王を封印したと言われる勇者を異世界より召喚する事にした。

 これにより、3人の人間が異世界より召喚された。

 

 1人は『龍泉(りゅうせん) 一樹(かずき)』。

 希少かつ強力な光系統の魔法に優れた素質を持った、不器用で危うさもあるが決して自分の役割から逃げずに立ち向かう強い責任感と、自分よりも友人を優先してしまう優しい心を持つ少年。

 

 1人は『犬上(いぬかみ) 鈴音(すずね)』。

 強力な攻撃性を持つ雷系統の魔法に優れた素質を持った、ネーミングセンスを始め色々残念で頭のおかしな凛々しく聡明でその外見に違わない美しい心を持つ少女。

 

 1人は『兎里(うさと) (けん)』。

 人間のみに素質が現れる自他の怪我などの治療に特化した希少な治癒系統の魔法に素質を持った、不幸にも前述の2人の勇者の召喚に巻き込まれてこの世界に事故で来てしまったのに魔改造の末に人型オーガへ変貌を遂げた、負けず嫌いな面もあるが基本的に温厚な少年。

 

 勇者の素養を持ち、底知れぬ才能をその身に宿してこの世界に降り立った少年少女たち。

 彼らはリングル王国の頼みを引き受け、勇者として魔王軍との戦いに参加することとなる。

 

 だが、彼らは元の世界で平穏を謳歌していた。

 戦場はおろか犯罪の類とすらほぼ無縁な平和な世界で生きてきた。

 

 勇者としての素養を得ようとも、接触も慣れていない年端もいかぬ若者たち。

 魔族といえど敵はほぼ人間と同じ外見をして、言語も発する者たちである。

 そんな者たちとの殺し合いが大規模に展開される戦場というのは、彼らにとって呼吸もままならないほど凄惨な光景が繰り広げられる重い世界だった。

 

 

「ハァ……ハァ……」

 

 

 戦場を包む重い空気は、精神と肉体の両方から戦う者たちの体力を過剰に消耗させる。

 敵も味方も命をかけて挑んでいる世界だ。よほどの歪んだ精神の持ち主でもなければ、この世界に満ちる重い空気を感じ取る。

 

 戦場に出た時、まず1番最初に学ぶべきことは生き残ることだ。

 手柄を上げて一財産を築いたり立身出世を果たすなどの夢や野望を自分の命より僅かでも優先させた者から死ぬ。

 自分の命をつなげるために、身に降りかかる危機を察知する感覚を鍛えなければならない。さもなくば、死ぬ。

 新兵はまず、どのような醜態を晒そうが生き残ることを全力を尽くさなければならない。

 一瞬の油断が命取りとなるのだから、この重い空気のみちる世界で常に警戒を怠らず臆病者と罵られようとも生き残ることに全力を注がなければならない。

 

 そして、勇者という一騎当千の英雄の強さを持つ彼らには、生き残るだけでなく王国から受ける大きな期待に応える活躍をしなければならないという重荷もあった。

 子供と言っても過言では無い若者たちの肩に、その重責は重すぎる。

 それでも2人の勇者は生き残ることと期待に応えること、その両方の目標を周りを固める王国の騎士たち、そして勇者同士でともに支え合いかばい合いながら全力でこなそうとしていた。

 

 

「先輩、後ろです!」

「ッ!」

 

 

 両軍の衝突から戦場の重い空気にさらされ続け、勇者という重荷も抱えて戦ってきたこともあり、疲労が募り注意が散漫になってきてしまった。

 その隙に、背中を狙ってきた魔王軍の兵士の攻撃。

 寸前のところで気づいた龍泉の呼びかけのおかげで防ぐことが出来た犬上は、即座にその兵士に対し魔法で応戦し倒す。

 

 

「ハァッ!」

「グアッ!」

 

 

 雷撃を受けた魔王軍の兵士はその場に倒れる。

 付近の魔王軍はこれで一旦掃討され一息つく間ができたが、龍泉が気づいてくれなければ背中を槍で貫かれていただろうありえた未来が想像できたことに彼女の額からは疲労ではなく恐怖からくる冷や汗が一筋流れた。

 

 

「先輩、大丈夫ですか!」

「ああ、君のおかげでなんとかね。助かったよカズキ君」

 

 

 頬を流れる冷や汗をぬぐいながら、龍泉の呼びかけに答える犬上。

 ただ、彼女の頭には先ほどの命の危機が強く印象に残っていた。

 あと少しで死んでいた。そのことを考えると、恐怖で身が竦む。

 だが、トラウマになりかねない死の恐怖に、犬上は真正面から立ち向かう。

 ここは戦場だと。疲れたからといって散漫になった自分が悪い、敵はそんなの御構い無しでくるのだからと。己の不甲斐なさを原因にして、怯えるよりも2度同じ轍を踏まないようにするべく気を引き締めた。

 

 

(呆けている場合か! ここは戦場、油断すれば死ぬ!)

 

 

 剣を握る手に力がこもる。

 勇者である自分が倒れれば、龍泉に背負う重荷を1人で抱えさせることになるし、リングル王国も巻き込んでしまった後輩の少年も守ることもできなくなる。

 自分の死はもちろん怖い。この上なく怖い。

 ただ、それ以上に龍泉と兎里、ともに異世界に召喚された彼らが戦う中で肩を並べて戦えなくなりその結果彼らを失うことになるのが怖かった。

 

 

「…………」

 

 

 そして、龍泉もまた先ほどの犬上の危機に対して思うところがあった。

 もっと早く気付いていれば、自分が止められたかもしれない。

 もし、先輩が対応しきれずに魔王軍の兵士の槍が貫いていたら……。

 そんなありえた未来の光景に、彼もまた身が竦む恐怖を感じていた。

 

 元の世界では、彼女は文武両道の完璧な生徒会長だった。

 誰もが憧れる欠点の無い、それこそ超人のような完璧な人。

 だけど、彼女は憧れる先輩であったとしても女性である。才能だけでは無い、その才能を引き出すための絶え間無い努力をしてきた人でもある。天才でも、決して超人なんかじゃ無い。

 だから、傷ついてほしくない。

 本人は守られることを拒否するかもしれないけど、守らなければならないという使命感があった。

 それに、身近な人達も守れない勇者が国を守れるものかと。

 この国の人たちのために、勇者として果たさなければならないことをやり遂げる。

 強い責任感を持つ龍泉は、だからこそ危うく大切な身近な人を失うことになったかもしれない未来に恐怖を感じ、そして絶対にそんなことはさせないと改めて強い決意を宿して剣を握る手に力を込めた。

 

 犬上の傍らに立つ龍泉。

 2人の勇者の目線は先ほど倒した魔族の兵士から、魔王軍の巨大蛇が暴れている右翼の前線へ、そして敵軍の後方に控えている魔王軍の本陣へと向く。

 

 巨大蛇は放置できない。

 だが、王国軍の話によればそれ以外にも猛威を振るう魔王軍の存在があり、巨大蛇を倒したとしても王国軍が敗北してしまう可能性が高い劣勢だという。

 ならばここは攻めに出ている魔王軍の手薄になっているだろう本陣を先に潰し、戦況を一気に逆転させるのがいいのでは無いか。

 そんな考えが2人の脳裏をよぎった。

 

 バルジナクだけでは無い。

 挑む王国軍を一方的に蹂躙していく黒騎士、立ちふさがる王国軍を蹴散らしながら爆走し王国軍の本陣に迫る魔物使い、王国軍の生命線を担う人身誘拐人命救護のエキスパートたちである救命団も手が出せない氷漬けの死体を量産して兵力を削る青眼、魔物使いを囮に手薄な王国軍を狙い剣を持ってその守備を崩していく紫髪。

 そして未だに本陣を動かず戦況を見守る敵の軍団長。

 王国軍を敗北に導く強敵は戦場に複数存在しており、バルジナクを撃破したとしてもその隙に敗北する決定打を叩き込まれる危険があった。

 

 魔物使いには王国最強の剣であり2人の勇者の教育も務めた師である騎士団長シグルスとその精鋭部隊が対応している。

 だが、中央は黒騎士とバルジナクの攻撃で戦線が崩されかねない危険な状況だ。

 この戦況を覆すには、バルジナクと脅威となる敵将である黒騎士を倒すか、兵力に劣るゆえに攻撃に偏重した結果手薄になっている軍団長の控えているだろう本陣を潰す。

 それが王国軍を立て直す選択肢であった。

 

 迷っている時間は無い。

 派手なバルジナクと違い最前線の混乱からは現在地がわからない黒騎士を探すよりも、逆に敵の本陣に攻勢をかける方が早い。

 そう判断し、近くの王国軍たちとともに魔王軍の本陣へ向かおうとした時。

 

 

「……見つけたぁ」

 

 

 その足を止めるように、黒い鎧で全身を覆い尽くした魔王軍の将『黒騎士』が2人の勇者の前に現れた。



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第8話

 クレイモアという剣をご存知だろうか。

 妖魔と戦う戦士ではなく、中世ヨーロッパの北欧にて使われていた大剣の一種のことです。

 馬ごと騎士を叩き切る両手剣の出身で、1メートルくらいの刀身を持つ剣だったと。

 見た目からして重たいはずの剣なんですけど、主に使用していたスコットランド人はそんな大剣を軽々と振り回していたらしいです。

 

 どうも皆さんこんにちは。

 現地時刻はそろそろ昼時になりましたので『こんにちは』です。

 戦車を壊されたので戦車兵を名乗れなくなった無名の魔族です。

 

 なぜクレイモアの話をしたのか。

 目の前に半人半妖が現れたから……ではなく、クレイモアを彷彿とさせる大剣を持つ騎士が現れたからです。

 単なる騎士なら家族で撥ねればいいのだけど、出てきたのは単なる騎士ではなくリングル王国最強の剣を振るう騎士団長のシグルスである。要するに敵の総大将が自ら登場してきたわけで。

 本陣陥落の窮地だけは絶対に阻止しなければならないと判断して、戦の指揮から離れてまで出てきた様子。

 しかも単騎ではなく、精鋭部隊の騎士たちも引き連れてのご到着である。

 

 しかし、逆に言えば本陣に控えているはずの最強の部隊が総大将に率いられて出てきたということ。

 今のリングル王国の本陣は文字とおり守る戦力が無い丸裸の状態。

 まさに最終防衛といえるだろう。

 シグルスたちを突破すれば、本陣を陥落させてこの戦いに勝利できる。

 そうなれば1番の手柄を上げたことになり、報酬も期待できる。転生以来困窮極まれりで続いてきた私たちの生活にも光が差すというものだ。

 

 いかにリングル王国最強の騎士団長といえど、剣士。

 対する私の武器は槍である。

 間合いはこっちが長いし、あの大剣では素早い身のこなしなどできないはず。

 剣道三倍段なんて言葉があるくらい、槍と剣のリーチの差というのは大きい。

 

 だから周りの騎士と一緒になって戦うなんてことにならなければ余裕だ。

 たとえ周りの騎士たちがまとめてかかってきたとしても、それはそれで好都合。

 威圧感半端ないけど、案外楽勝かも? 

 そんな風に思ってました。

 

 

「ハァッ!」

「うっ!?」

 

 

 前言撤回。

 リングル王国最強の剣技を駆使する魔王軍も警戒する存在。伊達じゃねえわ、全然名前負けしてないわ。

 この騎士団長、化け物みたいに強い。

 

 間合いの長い槍で戦っているにも関わらず、シグルスの剣技は武器による差など感じさせない。

 絶対重いはずの剣をまるで棒切れのように軽々と振り回し、こちらの振り回す槍を真っ向から跳ね返して隙を作り、すかさず人間とは思えない速さで踏み込んで距離を詰めてくる。

 そうなればこちらは下がるしかなく、見た目だけは軽々と振るわれる癖にめちゃくちゃ重い剣戟の嵐を耐えてなんとか距離を保とうとし、そして距離を作ってもまたすぐに弾かれて距離を詰められる。

 そんなほとんどこっちが押されている状況が続いていた。

 

 魔族は人間より膂力も魔力も勝っている。

 ……はずなんだけど、この騎士団長にしてみれば種族の差などあってないようなものらしい。

 

 槍は間合いが長いし振りまわすのも大剣なんぞと比べれば容易だ。

 それに、その間合いから繰り出す遠心力を駆使した振り回しと、力を穂先に込めて素早く繰り出す躱しにくい刺突、どちらも間合いが短い剣士相手には強い攻撃、のはずなのだ。

 なのだけど、この騎士団長には武器の性能もまたあってないようなものらしい。

 

 軽々と振り回される大剣は、強化魔法もかけているらしく人間とは思えない力が込められている。

 さらによっぽど愛着持って振り回し続けてきたのか、強化の魔法が武器にまで及んでおり、槍とかち合うシグルスの剣は当たるたびに魔力が小さな爆発を起こし、槍を握り続けるだけでも困難なほどに強い力が加わるので弾かれてしまう。

 隙を作らないように槍を振り回すのなんて無理。

 結果、弾かれるたびに大きな隙が生まれ、すかさずシグルスが踏み込んでくるのである。

 

 しかし、雷や炎ならわかるけど、普通強化の魔法まで武器に浸透させることできるか? 

 自分の方は戦車にしろ槍にしろ所詮借り物なので愛着も何も無いけど、武器に魔法を『纏わせる』のではなく『浸透させる』など、10年単位で扱いその細部まで理解し尽くしてなじませた、道具ではなく魂のようなものを宿してしまうほど長い時を共に過ごした物でもなければ出来ない芸当である。

 

 そしてやはり何と言っても地力が人間離れしている。強化魔法がかけられているとはいえ、魔族の振り回す槍を剣で弾き飛ばすのは人間業じゃ無い。

 本来は魔族の方が膂力と魔力で人間よりも強いはずなのだが、シグルスの場合は膂力と魔力が魔族よりも上である。種族の差をひっくり返すとか、軍団長たちが名指しで警戒する王国の切り札というだけあるわ。

 

 

「フンッ!」

 

 

 危なっ! 

 びっくりした。あと数センチズレていたら、首に剣が突き刺さっていた。

 シグルスの剣の切っ先を寸前でなんとか回避する。

 即座に反撃と言わんばかりに槍を振り回すけど、即座に弾き飛ばされた。

 

 手がしびれる。

 歯を食いしばらないと槍が抜けてどっかへ飛んでいきそうだ。

 

 私は強化系統の魔法が使えないから、魔族の力に頼るしかない。

 これでも野生で生きていたから並の魔族の兵士より力はあるはずなんだけど、それでも耐えるのが精一杯だ。

 魔法を使おうにもシグルスの速いうえに重い剣への対応に集中しないと一瞬でぶった切られかねないから、魔法使う余裕なんて一切無い。

 

 その場で跳躍して距離をとろうとする。

 こればっかりは人間に真似できない魔族の芸当だろう。4メートルくらいの高さまで飛び上がって……

 

 

「セイッ!」

「うおっ!?」

 

 

 うわ、びっくりした!? 

 咄嗟に前に構えた槍に、魔力の斬撃が飛んできた。

 飛び上がってくることはなかったけど、この騎士団長には斬撃を飛ばすこともできるらしい。

 多分、剣に込めた魔力を斬撃に変えて飛ばしてきたんだろうけど、こんな距離までこの威力で飛ばせるのは普通じゃ無い。いや、飛ばせる時点で普通じゃ無いけど。

 てか、今ので槍へし折れたし。

 

 

「くそっ、びっくり箱かよあいつ……!」

「ハァッ!」

「あぶなっ!」

 

 

 すかさず振り下ろされる剣。

 距離詰めてくるの速すぎるって! ジャンプで結構離れたつもりだったのに、こっちが着地するなりもう剣の間合いにまで近づいてきやがった。

 咄嗟にかわすと、勢い余って地面に打ち付けられた剣が地面に対し魔力を放出し爆発を起こした。

 地面にクレーターができたし。マジでびっくり箱かよあの騎士団長! 特撮か! 

 というか、槍もう使い物にならねえし! 

 化け物の剣戟相手とはいえ、正規軍の武器がこんな簡単に折れたりしていいわけねえだろ! 役立たずな! 貧乏だからって経費削減かコラ!

 

 

「後ろかぁ!」

「げっ!?」

 

 

 爆風を利用して距離を取り、槍を捨ててシグルスの背後に回る。

 だが即座にシグルズは体を回し、剣を横薙ぎに振り払ってきた。

 

 咄嗟にしゃがんで剣をかわす。

 先ほどまで私の首があった場所を通る剣。魔力が風を作っているくらいに気迫の込められた一撃、一瞬でも遅ければ首が落ちるどころか消し飛んでいただろう。

 

 

「槍がない、だと──」

「ッ!」

 

 

 だけどここにきてシグルスに初めて付け入ることのできる隙が見えた。

 槍を捨てて徒手空拳になってしまったけど、槍を捨てたからこそ付け入ることのできる隙だった。

 槍を振り回していたら付け入ることのできない小さな隙だった。

 狙ったわけじゃ無いけど、野生で培った感が敵に生まれてしまった隙を本能でかぎとる。

 ここしかない! 

 

 

「しまっ!?」

 

 

 体を回転させて剣を振り回してしまったせいで、不安定となった姿勢。

 そこに最速で届く足首に向けた蹴りを放つ。

 それにより、シグルスの体勢が崩れた。

 

 

「ッ!」

 

 

 しかしそこはリングル王国最強の剣。

 体勢が崩されたにも関わらず、剣を振り下ろしてくる。

 苦し紛れの攻撃ですら、こちらを倒せるほどの魔力も乗っている強烈なものである事を感じる剣だった。

 

 それでも苦し紛れの不安定な体勢で出した剣。受け止めるのはできなさそうでも、躱すことは難しくない。

 その剣を避けるとともに、腕をガラ空きのシグルスの喉に伸ばす。

 獲物にとどめを刺そうと伸びる蛇の頭のように、不安定な体勢で回避することもままならなかったシグルスの喉へその手が食らいついた。

 

 

「うぐっ!?」

 

 

 リングル王国最強の騎士団長でも、人間の急所は変えられない。

 強化魔法に阻まれて喉を潰すことはできなかったが、一瞬呼吸を奪うことに成功する。

 それが今度こそ致命的な隙になった。

 

 今世の前半を野生で過ごしていたおかげで、「その首、貰い受ける!」とか言ってた割には正々堂々とかいう文明人らしい戦い方と私は無縁である。

 本能で急所を狙う攻撃は避けるし、使えなくなったら武器は捨てるし、隙を見せたら野蛮と言われようが知ったことかと言わんばかりに手がつけられそうな急所を嗅ぎ分けて的確に狙う。そんな戦い方だ。

 

 シグルスは強いけど、戦い方はある。

 彼の恐ろしいところは剣士としての力量だ。彼が剣を振り回す限り、私に勝ち目はなかった。

 だから、隙を見せたならばその強みを潰す。

 格好悪い戦い方でも、勝って仕舞えば関係ないし。

 名誉を命より重んじる考え方はカッコいいからむしろ好きだけど、自分の命より大切なものをそんなあやふやで利益にもならないものに捧げるのは理解できなかった。

 

 致命的な隙ができてしまったシグルス。

 その最大の脅威であり武器である剣を潰すために、脚が浮いてしまい体勢が立て直さなくなっている隙をついて、剣を持っている腕ごと両脚で体を挟んで地面に組み伏せ抑え込んだ。



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第9話

 両腕もまとめて両脚で相手の体を挟んで馬乗りになり、シグルスを完全に抑え込んだ。

 悪いけど、こんな化け物に手を抜くことなんかできない。

 所詮末端の兵士なので、名誉を重んじる事も遺言を聞くこともしない。

 降伏勧告など無し、問答無用だと喉を握る手に一層力を込めもう一方の手をシグルスの目に狙いを定めて人差し指を伸ばした状態で突きさす。

 これで目を潰し、直後に指先から雷系統の魔法を出して脳髄を焼き尽くす。

 野生の世界で生き残るために獰猛で強大な数多くの魔物相手にその命を奪ってきた、私の必勝の殺害方法である。

 

 獲物に対してとどめを刺さる機会が巡ってきたら、本能でこの命を狩るまでの一連の流れを行ってしまう。

 だから、ここまでの動きはほとんど体の覚えた流れ作業のようにためらいなく進めた。

 まあ、明確にこの騎士団長を殺すことは意識していたけど。

 

 

「シグルス様ッ!」

 

 

 ところがどっこい。

 あと一歩で殺せるはずだったのに、まさかの横槍が入った。

 シグルスに当たるかもしれないから騎士からの攻撃はなかったと思っていたのだが、その予想に反して騎士たちが私の家族たちの妨害を突破してきたのである。

 

 そして、ここでも野生生活の弊害が。

 野生は危険と隣り合わせ。獲物を狩ったとしても一瞬の油断が背後からの横槍を許すこともありふれていたので、どんな時でも迫り来る脅威に警戒心が張り巡らさらせていた。

 その警戒が迫り来る王国騎士の精鋭部隊たちの脅威を敏感に感じ取り、思わずシグルスにトドメを刺す手を止めてしまったのである。

 

 そして危険を感じた本能に従いシグルスの目を貫こうとしていた手を振り払う。

 それは間一髪でシグルスを道連れに剣で串刺しにされて死骸になってしまうところだった危機を、騎士の剣を弾くことで回避した。

 

 

「痛っ!?」

 

 

 だが、まさかの騎士たちも剣も魔力が浸透していた。

 シグルスほどではないが、槍ではなく素手で弾いてしまったことで剣とぶつかった衝撃がもろに伝わり激痛が走る。

 

 しかも弾けたのは最初の1人だけ。

 直後には、さらなる騎士たちの剣が突き出されてきた。

 

 

「チッ!」

 

 

 これはさすがにたまらない。

 命懸けで作ったシグルスを討つ絶好の機会を逃してしまうのはもったいないが、死んでしまっては元も子もないので、急いでシグルスの上から跳びのき騎士たちの剣から逃げた。

 

 シグルスを助ける騎士と、こちらを追撃してくる騎士。

 介入してきた騎士たちは最初に弾いたやつも含め、それぞれ咄嗟の判断ですぐに動く。

 

 

「待てこの蛮族──グアッ!?」

 

 

 飛び退いて着地した場所にたまたま落ちていた剣を拾い上げ、シグルスに比べればまだまだ遅い追撃してきた騎士の剣を紙一重で躱し、カウンターで相手の鎧の上から胸に剣を突き刺した。

 癖になっている雷の魔法を剣を通して相手の体に流し込み、確実にその息の根を止める。

 

 力が抜けて凭れ掛かってきた騎士から剣を奪い、用のなくなった死体を邪魔なので蹴り倒す。

 その頃にはすでにシグルスは騎士たちに支えられて起き上がり、呼吸も体勢も立て直されていた。

 

 騎士の剣をパクって二刀流になってみたけど、ぶっちゃけ双剣術なんて知らない。

 というか、前世は中学からバイト三昧で部活している暇なかったし、剣道部に入ったこともない。今世も前半生は野生で生きていたので、槍を手作りして使ってきたから槍なら使えるけど、剣術は全く知らん。

 格好つけて二刀流になってみたけど、剣は素人だ。構えも適当。

 手数を多くできそうだからいいかな、という思いつきでやってみただけである。どうせ敵からパクった代物なので、使いにくければぶん投げるつもりだし。

 

 さて、仕切り直しになったっぽい。

 しかし先ほどと違い、敵はシグルスだけでなくかなりの人数のリングル王国の騎士も追加されている。

 家族たちの方もどっから湧いてきたのか鎧に血が付いているのにやけに元気なかなりの数の騎士たちに取り囲まれて、こっちの援護どころじゃなさそう。

 

 一騎討ちするぞ! とか明確に言ったわけじゃないし、そもそも私は一騎討ちなどという酔狂なことに興味はない。

 先ほどまでは私の家族が他の騎士が近寄らないように援護してくれていただけなので、それを突破してきたなら横槍を入れようがこうして1人相手に数で襲う状況を作ろうが、それは自由だと思う。

 だって戦場だし。勝つために、生き残るためにどんな手も使うっていうのは至極当たり前でしょ。

 さっきは「その首貰い受ける!」なんで調子に乗って言っていたけど、私は騎士の誇りだとか名誉だとかいうことには頓着しないし割とどうでもいいことだと思っている。

 だって武人の誇りとかいう何の形もないものでリスク犯すとか、アホじゃん。

 

 第一、人間は魔族に対してただでさえいろいろ劣っているんだから、群れて挑んでも卑怯じゃないと思う。

 ……あの騎士団長さんの剣はちょっと人間離れしてると思うけども。

 だから、別に数に任せて向かって来ていただいても全然OKだ。

 

 

「全員でかかるぞ。この場に時間はかけられん」

「「「ハッ!」」」

 

 

 シグルスの方もいつまでも本陣から離れているわけにもいかないのか、己1人の名誉よりも王国軍の勝利のために部下と共に戦うことにしたらしい。

 一介の騎士ならともかく、団長勤める人ならこのくらいの決断はできなきゃダメだよね。

 

 

「行くぞ!」

「「「応ッ!」」」

 

 

 そしてシグルスの号令とともに、騎士たちが一斉にこちらへと向かってきた。

 家族たちが不安そうな唸り声を上げる。

 待った待った、君らは包囲されているからむやみに突撃しないように。下手に怪我するよりも、雷で自分の身を守ることに集中して。

 以心伝心の家族たちにハンドサインで身を守ることに専念するように伝える。

 そして、同時に安心させるように笑顔を向けた。

 

 

「大丈夫だって。一騎討ちより、私はこっちの方が戦いやすいから」

 

 

 ……いや兜で口元しか向こうからは見えないと思うけど。

 まあ、言いたいことは伝わったらしい。

 家族たちは落ち着きを取り戻し、自分の身を守ることに集中する。

 

 よしよし。これで私も十全に戦える。

 数の力は偉大だけど、相手を選ぶべきだったね。

 足並みをそろえて向かってくる騎士たちに、私は都合がいいと口元に笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 ……そういえば、シグルスたちが出てきたということは王国軍の本陣は守る戦力が残ってないはずだよね? 

 私を囮にしているローミア隊長が、この絶好の機会を逃すとは思えない。

 やっぱりあの紫髪魔族、陰険だわ。



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第10話

「油断するな! 三方から取り囲め!」

「「「ハッ!」」」

 

 

 先に動いたのはシグルスたちの方だ。

 3人の騎士を先頭に、両側面と正面の三方向から取り囲むように足並みをそろえて切りかかってくる。

 その後ろからシグルスたちも続いており、前の騎士たちの剣を躱そうが受け止めようがあの強烈な剣戟を叩きつけて勝負を決めるつもりなのだろう。

 

 真っ当な相手ならそれで詰みにできるし、軍団長級でも対応に困るいい攻め方だと思うよ。

 アーミラ軍団長なら炎の魔法で騎士たちを追い払うけど、シグルスが突破して強烈な一撃をかましてその隙に周囲の騎士が殺到する、なんて連携につながると思うし。

 

 けど……さ。

 悪いけど、私は真っ当な輩じゃない。

 戦闘のいろはとかまともに習わずに、魔物相手に生存競争していたから。

 お行儀よく戦うのは無理なんだよね。

 

 両手の剣を上げて、両側から攻めてきた騎士の剣を止める。

 とはいえ正面からも同じタイミングで騎士が剣を振り下ろしてきているし、シグルス配下の騎士たちもまたシグルスほど強烈でないとはいえ武器にまで強化魔法を波及させて魔力を纏わせたガツン! とくる剣を振るってくる。

 私の片腕じゃそれはまともに当たっても止められない。

 おまけに後ろからはシグルスがきているときた。正面の騎士の剣を対応しようにも、直後にこの本命の攻撃が来て真っ二つになるだろう。

 

 普通なら、ね。

 私は普通じゃない。お利口さんでもない。さっきぶっ殺した騎士に蛮族呼ばわりされたけど、まさに知的生命体らしからぬ野蛮な戦い方をするのが私だ。

 

 両腕が押し込まれる前に自ら正面の騎士の間合いに飛び込むと、歯に雷魔法を帯びた魔力を纏わせ、両手ふさがれ無防備に見えた私の首を狙ってきた騎士の剣に噛み付いた。

 

 

「なっ!?」

 

 

 顎に途端にガツンと強い衝撃と激痛が走るが、我慢する。

 そして予想外の行動に出てきたことで怯んだ隙に、噛み付いた剣を強引に押し込んで騎士の体勢を崩し、後ろから来るシグルスにぶつけた。

 

 

「ぬっ!?」「何ッ!?」

「こいつ!」

 

 

 それに意表を突かれたのは、剣に噛み付かれた騎士だけじゃない。

 想定外の行動をとった私に、両側の騎士たちも驚いて押し込む力が弱まる。

 そしてシグルスはそういう人間らしく、邪魔になった部下を物理的に切り捨てることができず思わず剣を下ろしてしまった。

 

 痛え……手、めっちゃ痺れてる。

 顎なんか目の前に星が走りそうだったよ。

 

 けど、予想通り。

 魔力をまとった剣は顎の力だけじゃ噛み砕けないけど、雷の魔法で熱を与え溶かすことで私は騎士の剣を食いちぎった。

 

 

「ばっ馬鹿な──グアッ!?」

 

 

 動揺する騎士。

 その声がすぐさま悲鳴に変わる。

 

 常識的に絶対やらない予想外の行動に出て来た私に戸惑った騎士たちの連携は、完全に乱れた。

 その隙をつき、右の騎士の腹を蹴りつけて離すと、シグルスと私に挟まれて動けなくなった正面に騎士の腹を空いた右手の剣でブッ刺したのだ。

 

 

「ッ!?」

 

 

 シグルスが冷血な人間だったとして邪魔な部下とともに私を串刺しにしていたらポックリ逝っちゃっていたところだけど、仲間思いな騎士団長のことだからそんなことはしないと思ったのでこうしました。

 結果は大成功。

 初っ端の連携を完全に乱し、早速1人倒すことができた。

 しかも1番おっかない相手であるシグルスは、一騎討ち状態だった時と違い部下を傷つけることをためらったせいで私を殺せる機会を見事に振ってしまった。

 

 こっちも両手痛めたし顎が外れそうな激痛に見舞われたけど、拾った勝機に比べればどうってことないさ。

 すかさず左の騎士の顔に向けてまだまだ熱々な食いちぎった剣のかけらを飛ばす。

 

 

「熱ッ!?」

 

 

 思わず剣を手放して顔を抑える騎士。

 すかさずその腹を蹴りつけて手放した剣をパクると、正面の騎士を盾にしてシグルスの死角から盾にしている騎士ごと剣を腹に向けて突き刺した。

 

 

「ゴフッ!?」

「おのれ!」

 

 

 シグルスはすんでのところで防いだが、騎士が肉の盾にされているため反撃ができない。

 そしてその内臓をブッ刺された騎士は、もう悲鳴の代わりに血を吐いちゃった。

 剣を突き刺した状態で蹴りつける。

 

 シグルスは剣が二本が突き刺さった騎士を弾き飛ばすこともできず、傷を気遣い庇ってしまった。

 まるで命を弄ぶように人間を容赦なく障害物に使う私に怒りの目を向けるが、重傷を負った騎士をかばったせいで剣を振ることができなかった。

 

 一方、私はその隙に熱々の剣のかけらを顔にかけて視界を奪った騎士の喉に手を伸ばす。

 そしてその喉をつかんで、そこから雷魔法を通して電気ショックを加えて殺害した。

 

 

「カハッ……!?」

 

 

 声にならない悲鳴をあげて、電撃により絶命する騎士。

 とはいえ外傷はないので生きていると勘違いさせられるかもしれない。

 死体だとしても向こうの騎士たちは切りつけられなさそうだし、今度はこっちを盾にしよう。

 

 

「貴様、よくも!」

「よせ、むやみに斬りかかるな!」

 

 

 というわけで、怒りで団長の命令を無視して斬りかかってきた騎士たちに、新しい盾を突き出す。

 

 

「うっ──ギャァ!?」

 

 

 仲間がやられて怒る相手には、やられた仲間を盾にするのが1番効くのだ。

 突きつけられた盾に動揺して動きが止まった騎士。その隙ができた顔の急所である目に死角から伸ばした人差し指を突き刺して、網膜から脳髄に向けて雷魔法を流して焼き殺した。

 

 

「ひっ!?」

 

 

 いくら精鋭の騎士たちでも、こうも野蛮な戦い方されると怯む人はいるらしい。

 すかさず脳髄焼き殺した死体から剣をパクり、怯んだ騎士の投げつけた。

 

 

「させるか!」

 

 

 その剣を叩き落し、シグルスが騎士をかばう。

 

 ……いや、投げつけた剣を叩き落とすとか人間業じゃねえだろ。

 私もビックリしたけど、野生で培った勘はシグルスが私から思わず目をそらしてしまうという隙ができたことをすかさず嗅ぎ取ってくれた。

 

 野生に染まりすぎでしょ? 

 一騎討ちだったら魔族相手にする種族の壁を無視して正面から切り結べるシグルスに押されていた可能性もあるけど、仲間と連携して攻めようとしたのがむしろこっちが有利になり向こうにとっては障害になったね。

 

 負けたら死ぬからどんな卑怯な手を使っても、相手の弱点を徹底的について殺しにかかる。

 私の戦い方は魔物と森で生存競争により鍛えられたものだから、こういう野蛮なものなんです。

 誇りと名誉で剣術を駆使した騎士どのには納得いかないと思うけど、私は負けて死ぬくらいならありもしない名誉はドブに捨てますから。

 魔王軍の評価に関わったとしても、所詮末端のヒラ兵士だし全然気にしませんね。

 

 雷魔法で体の機能を無理やり強化し、シグルスとの距離を一瞬で詰める。

 シグルスの方もさすがというべきかすぐさま己に迫る敵に反応しこちらを向いたが、さすがにもう彼の剣でも間に合わない。

 

 今度こそ、その目に指突っ込んで脳髄焼いてあげるよ。

 シグルスの目を狙い手を伸ばす。

 彼の振り回す剣より、私の方が速い。

 

 ──だけど、私の手は届かなかった。

 

 シグルスの目を貫く直前に、野生の勘が危険信号を発してきた。

 理由はわからないけど、シグルスにとどめを刺したら私の身に致命的な何かが起こる。そんな予感。

 

 

「──ッ!?」

 

 

 野生で生きてきた私は、身の危険を感じたら獲物を討ち取る絶好の機会だろうと己の命の保全に全力を尽くす。

 そうしないと生き残れなかったから、もう反射みたいなことになっているんだよね。

 

 結果、私はシグルスへの攻撃を中止して全力でその場から飛び退いた。

 

 直後、私がさっきまで立っていた場所に謎の爆発が発生した。

 

 

「いや、何事!?」

 

 

 突然の事態に、騎士の1人が驚きの声を上げる。

 いやそれ私のセリフでしょ!? 

 突っ込みそうになったけど、私はそれどころじゃなかった。

 

 

「えっ──ベヴッ!?」

 

 

 だって、爆発地点の土けむりの中から緑色の髪に丈の長い白い服を着込んだ長身のオーガ(実際はれっきとした人間)が飛び出してきて、私を殴りつけてきたのだ。

 

 何で魔族と人間の戦場にオーガが出てくるの!? 

 思わずそう突っ込みたくなった。

 けど、その殴られた衝撃が凄まじく私は吹っ飛ばされた。

 

 家族たちの悲鳴が聞こえる。

 多分、予想外の乱入者に私が一撃でやられたことに戸惑い、急いで助けようとしてくれたのだろう。

 

 もう訳わかりません……。

 いきなり乱入してきた白オーガに殴られた私は、即座に拾って戦場から逃げ出してくれた家族たちの背中の上で、目に星を光らせて意識を手放してしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……この時何が起きたのか、シグルスにとどめを刺そうとしたところまでは明確に覚えていたけどそのあとは記憶が混乱して覚えていない。

 ただし、私が意識を取り戻した時にはすでにこの戦いの決着がついてしまっていたのである。

 リングル王国騎士団長の首を取り損ねるとは……変なのに乱入されてからの急展開で気絶させられたとはいえ、大きな手柄を逃してしまったね。残念。

 




独自設定です。
①原作では出陣していないシグルス軍団長に出ていただきました。
②ローミアを気絶させたのはローズにしてもらいました。その前哨としてオリ主が治癒パンチにより退場させられたことにしています。

ローズが勇者の危機に駆けつけられなかったのは2人の戦う最前線から遠い場所にいた為。そして本陣が危機に瀕しているという『正体不明の敵と交戦している勇者』よりも優先させなければならない事態が発生しているという独自設定にしました。

ベルハザルまでの大まかな展開は原作通りにしたいと考えています。


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第11話

投稿する話を間違えました。
申し訳ありませんでした。
こちらが第1章の11話になります。


 リングル王国が魔王軍の大規模な侵略を受けるのは、今回が初めてではない。

 2年前にも魔王軍第1軍団が襲来し、両軍の間に大きな戦闘が繰り広げられたことがある。

 

 本来人間側が団結して立ち向かうべき強大な相手である魔王軍に対し、一個軍団であったとはいえ当時は勇者もいなかったリングル王国が単独で撃退に成功したのはなぜか。

 その大きな力となっていたのが、戦場の負傷兵を迅速に治療し即座に戦線復帰させることで魔王軍に唯一勝っていた数的優勢の戦況を維持させ続ける『救命団』と言われる、戦場における人命救助のエキスパートたちの存在である。

 

 救命団は主に後方にて負傷兵の治療を専門に行う『灰服』、戦場にて負傷兵を確保し後方に届ける『黒服』、そして戦場に自ら赴きその場で負傷兵の治療を行う『白服』の3つに役割ごとに分かれている。

 

 灰服と白服は人間のみに素質の現れる治癒系統の魔法を使用する人員であり、彼らは回復魔法とは比べ物にならない高い治癒効果と即効性を持つ治癒魔法を駆使して負傷兵の治療を行う。

 

 黒服は回復魔法による延命措置を施し、並外れた身体能力で戦場を駆け抜け乱戦の中からすら負傷兵を確保して迅速に後方に届ける。

 

 言うのは簡単だが、実際これほどの人材を育成するのは生半可なことではない。

 というか、普通はやらない。

 どれほどの乱戦の中でも負傷者を迅速に救助して即座に戦線に復帰させることを可能とするリングル王国の『救命団』という組織は、とある女傑による頭のイカれた常識はずれなやり方によって作り上げられた存在なのだ。

 

 しかし、魔王軍もかつての侵攻の失敗から何も学ばなかったわけではない。

 今回の侵攻に際し、魔王軍第3軍団は秘密兵器である魔族モンスター『バルジナク』を投入。

 精強な王国軍ですら手も足も出ないこの怪物は最前線で猛威をふるい、王国軍の戦力を大いに削り取っていた。

 

 加えて、最前線で猛威を振るう存在がもう1人。

 今回の侵攻に際して第2軍団から一時的に出向してきた希少な闇系統の魔法を使う『黒騎士』である。

 自らは決して傷つかず、対峙した敵を一方的に殺戮する正体不明の魔法を駆使し、こちらも同じく王国軍の戦力をそぎ落とし魔王軍の士気を上げる起爆剤として活躍していた。

 

 中央でバルジナクと黒騎士が暴れるのが目立つが、両翼にも魔王軍には優れた将が存在している。

 

 左翼では氷系統の魔法を駆使しする青眼の魔族『トライ・ヴェルデ』が救命団の治癒魔法では対処のしようがない凍結させた死体を量産し着実にその戦力を削る活躍を見せている。治療させることができずに兵力を削られる王国軍右翼は押し込まれつつあった。

 

 そして右翼では戦車を爆走させる魔族が本陣に迫り、騎士団長シグルスが迎撃のために出陣するほどに押し込まれてしまっている。

 さらにこの戦車兵を隠れ蓑として、手薄な本陣を狙い王国軍の後背を突く部隊があった。

 率いる部隊長の紫髪の魔族『ハンナ・ローミア』は、黒騎士やヴェインら他の将ほどの派手な個の強さはないが、優れた戦略眼で魔王軍の勝機となる手を打ってくる知将として活躍している。

 

 右翼は本陣が肉薄される危機的状況であり、予備兵力の大半がこちらの対応に回される厳しい戦況を招いている。

 左翼は兵力が削られ劣勢となっている。

 中央は黒騎士とバルジナクの猛威により大いに押し込まれている。

 

 仮にリングル王国が前回の侵攻を撃退したことに胡座をかきまともな対策をしていなかったとすれば、救命団の活躍があったとしてもこの侵略を防ぐことは難しかっただろう。

 

 だが、2年前の侵攻を辛くも退けたリングル王国は、来るべき魔王軍の侵攻を迎撃するべく新たな手を打っていたのである。

 

 それが勇者の加護により桁外れの戦闘力を手にしてこの世界に降り立った異世界より召喚された2人の勇者、『犬上 鈴音』と『龍泉 一樹』であった。

 

 彼らの活躍により崩壊しかけた中央の戦線は、逆に魔王軍の攻撃を跳ね返すほどの勢いを見せる。

 だが、その活躍が無敵の闇魔法を駆使する『黒騎士』の目を引いてしまった。

 

 両軍の中央の戦線を支える将が相対する。

 勃発する2人の勇者たちと黒騎士の戦い。

 だが、その決着はあっけないものであった。

 

 

「ば、バカな……!?」

 

 

「カズキ君、今だ!」

「うおおおオォォォ!」

 

 

 受けた傷をそっくりそのまま相手に返す魔法。

 当初勇者たちは黒騎士のこの魔法に苦戦していたが、

 黒騎士の無敵の鎧のカラクリに気づいた犬上が『意識外の攻撃なら影響を受けない』という弱点に気づきついに黒騎士の背中に剣を突き立てることに成功したのである。

 無敵の魔法を破られ驚愕する黒騎士に、龍泉がトドメを刺そうと剣を振り上げる。

 

 勇者が黒騎士を倒す。

 リングル王国の騎士たちがその光景に勝利を確信したその時。

 

 

「──なーんて、『反転』」

 

 

 まるで背中から突き刺されている犬上の剣などないかのように、それまでの驚愕が一転して平然とした黒騎士の声が発せられる。

 直後、『意識外からの攻撃』で突き刺したはずの犬上の剣がつけた傷が、そっくり彼女自身の胸に突き刺さった。

 

 

「なん、で……?」

 

 

 膝をつく犬上。

 穴の開いた胸からは絶え間なく血が流れ、今までの戦いの熱が嘘のように引いて行き体から力が抜けて行く。

 

 そして、もう1人の勇者。

 龍泉もまた、彼女の目の前で黒騎士の腕にその身を貫かれていた。

 

 勝利目前だったのが一転、瀕死の重傷を負った2人の勇者。

 戦いは、あっけなく黒騎士の勝利で決着がついた。

 

 困惑する2人に、黒騎士が諭すというよりも小馬鹿にするような態度で説明する。

 

 

「『意識外からの攻撃』、とかさ……そもそも攻撃そのものがボクに通ると思っているその認識が間違っている。

 この鎧は、ボクの魔力でできたものなんだよ。

 本体であるボクには一切攻撃を通さない障壁のようなもので、反撃だって任意でやっているから不意打ちとか意味ないんだよね」

 

 

「そんなの……」

 

 

 ──反則じゃないか。

 

 犬上の言葉は、最後まで紡がれることがなかった。

 黒騎士が龍泉を降ろすとともに、犬上も地面に倒れる。

 たやすく自分たちの希望を打ち砕かれた周囲の王国軍の兵士たちは驚愕し、敵の勇者を見事打ち倒した黒騎士の勝利に魔王軍の士気は大いに盛り上がった。

 

 中央の戦いはもはや決したと言っても過言ではない。

 魔王軍の猛攻に、王国軍が崩れる。

 もはや頼みの綱の勇者を倒された王国軍の中央には、戦線を維持する力も残されていない。

 

 

「…………」

 

 

 盛り上がる魔王軍に対し、その勝利を導く存在となる黒騎士は反面全くと言っていいほど盛り上がっていない。

 静かに戦場を見据えている。

 まるで、期待はずれの敵に寂しさを感じているかのように。

 

 この重傷では勇者も立ち上がれないだろう。

 まだかろうじて息はあるようだが、胸を貫かれたのだ。致命傷である。

 

 

「……終わらせるか」

 

 

 黒騎士は犬上にとどめを刺そうと、剣を振り上げた。

 

 深手を負った勇者は立ち上がれない。

 救命団の黒服が駆けつけたとしても、持たないだろう。

 仮にこの危機から勇者を救い出すとすれば、その場で重傷すらも癒す魔法を駆使する『白服』の団員しかいない。

 

 だが、白服を着用する救命団の団長は王国軍の左翼にいる。全力で駆けようとも、黒騎士がトドメを刺すどころか勇者が傷で命を落とすまでのリミットにも間に合う距離ではない。

 

 

「楽しかったよ。少しだけ、ね」

 

 

 死の間際。

 犬上が、か細い声で言葉を出す。

 

 それは、2人の勇者以外にももう1人。

 事故で召喚に巻き込んでしまい、この世界にともにきてしまった大事な後輩への謝罪であった。

 

 

「……すま、ない……う、さと……くん」

 

 

「させるかあああぁぁぁっ!」

 

 

 黒騎士が剣を振り下ろすその時。

 喧騒の中から飛んできたひときわ大きな声。

 その主が、『救命団の白服』を靡かせて黒騎士を思いっきり殴り飛ばした。

 

 それは、この戦場にもう1人存在する救命団の『白服』を纏う少年。

 犬上がか細い声でその名を呼んだ、召喚に不幸にも巻き込まれた上にさらなる不幸として救命団に入れさせられた白オーガ2号少年、『兎里 健』であった。



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第12話

「させるかあああぁぁぁっ!」

「ッ!?」

 

 

 最前線を駆け巡り、その場で治癒魔法を駆使し負傷兵を治療する救命団員。

 その証である白い団服をなびかせて駆けつけたのは、2人と同じ世界から勇者召喚の儀式に巻き込まれてこの世界に来てしまったもう1人の日本人である『兎里(うさと) (けん)』であった。

 

 勇者として召喚された2人と違い、偶然『治癒魔法』の素養を持って生まれた彼は、リングル王国の救命団団長である『ローズ』に拉致され引き取られ、救命団の一員となりもう1人の『白服』を纏う団員として成長していった。

 そして2人とともにこの戦場に立った彼は、救命団の一員として自らの治癒魔法を駆使し縦横無尽に戦場を駆け回って負傷兵の治療をし続けていた。

 

 とある経緯があってこの戦場にて2人の勇者に危機が訪れることを知ることになった彼は、黒騎士と勇者たちの接触を聞いてここに駆けつけてきた。

 そしてまさにトドメを刺そうとしていた黒騎士を殴り飛ばし、2人の危機に間一髪駆けつけたところである。

 

 殴り飛ばされた黒騎士が地面に転がる中、兎里はすぐに倒れている犬上と龍泉の元に駆けつける。

 

 

「先輩! カズキ!」

「…………」

「う、さと……くん……」

 

 

 龍泉の方は意識がなかったため返事ができなかったが、息はまだあり体がわずかに動いている。

 犬上の方も瀕死ではあったが、まだ生きていた。

 

 

「間に合った……!」

 

 

 2人の生存が確認できた兎里は、すぐに治癒魔法をかける。

 息があるならどれほどの重傷でもたちどころに癒すことのできる回復魔法とは比べものにならない治癒力を持つ、人間にのみ素質が現れる希少な魔法系統『治癒魔法』。

 瞬く間に2人の傷は回復していき、かろうじてその命をつなげることができた。

 

 もしも彼が召喚に巻き込まれていなかったとしたら、2人の勇者は確実にこの場で命を落としていた。

 もしも彼が救命団に拉致されなければ、2人の勇者は確実にこの場で命を落としてした。

 もしも彼が2人の危機をある獣人の少女から教えてもらえなければ、2人の勇者は確実にこの場で命を落としていた。

 

 偶然か、それとも運命か。

 この世界にとっては『召喚に巻き込まれてきてしまった』という異物である彼の存在は、この世界の紡ぐ物語にこの時大きな波紋を投じることとなる。

 

 それはひとまず置いておき。

 とにかくローズでは間に合わなかった場に現れたもう1人の『白服』を纏う救命団員は、2人の勇者の危機を救った。

 

 兎里は2人を救えたことに安堵したが、一方でもちろんこの事態を不服とする者もいる。

 いわずもがな、勇者に与えるトドメの一撃を邪魔されただけでなく殴り飛ばされた黒騎士である。

 

 その魔法の特性上、決してありえないこと。

 殴り飛ばされた黒騎士は、突然現れた白服の少年に殴られた時、強烈な痛みを感じていた。

 

 受けた傷を相手にそのまま返す無敵の鎧。

 不意打ちされようとも、魔法で作られた鎧を突破することは不可能。

 仮に手段があるとすれば、鎧を形成する魔法そのものに干渉してあるべき性質を歪めることで攻撃を中身に通すか、あるいは鎧の上から死に至らしめる攻撃を繰り出す。

 黒騎士の魔法に対抗するには、こういった特別な手法を取らなければ傷1つ与えることはできない。

 殴るという手段で黒騎士を傷つけることは本来不可能なはずである。

 

 

「何なんだよ……」

 

 

 だというのに、黒騎士は殴られた。

 しかも殴られた箇所の兜の部分が崩れ、魔力の制御がきかなくなっているというさらなる混乱を与える事態も発生している。

 生まれてこのかたこの魔法に守られてきた黒騎士は『痛み』という感覚をほとんど知らずに生きてきた。

 ゆえに混乱し、この混乱を生み出した元凶である兎里に対して八つ当たりするように肩に担ぐ剣を投げつけた。

 

 

「ウサト君、後ろ!」

「危なっ!?」

 

 

 黒騎士の攻撃に気づいた犬上の警告のおかげで、咄嗟のところで2人を抱えて剣を避けることができた兎里。

 一方殴られた黒騎士の方は、未だに兜を再構成できず顔を晒してしまった状態で、兎里に対して自分自身理解できない怒りをぶつけ、叫んだ。

 

 

「何なんだ、お前ぇ!」

 

 

 初めて黒騎士の中身の素顔を見た兎里。

 予想に反し、鎧のせいかもしれないが周囲の魔族の兵士たちよりも長身だったその中身は──

 

 

「あのガタイで女だったのか!?」

「兜が……攻撃が通っている!?」

 

 

 痛がる黒騎士に、兎里と犬上がそれぞれ異なる驚愕の声を上げる。

 黒騎士が怪我をしている点について兎里が驚かないのは、彼女の魔法の特性を犬上と違って知らないからではあるが。

 そして犬上としては黒騎士の中身が女だったことよりも、攻撃が通っていることに驚くのも無理はない。

 

 勇者たちの危機を救うことはできたが、状況が好転したわけではない。

 黒騎士は未だに無力化できたわけではないし、傷は直したものの龍泉の意識は戻らないし、2人ほどではないとはいえ周囲には黒騎士の魔法の餌食となったリングル王国の騎士たちが倒れている。

 彼らの治療をするためにも、黒騎士を抑える必要があった。

 

 黒騎士の魔法の特性を犬上から聞いた兎里は驚きを隠せなかったが、負傷者の治療をするためにも黒騎士を抑える必要があると判断し1人で黒騎士へと立ち向かっていった。

 

 

「よ、よせ! いくら君でも──ウサト君!」

 

 

 犬上は制止しようとしたが、兎里には届いていないのか足を止めることなく黒騎士へと向かっていく。

 龍泉も意識が戻らない以上、負傷者たちを守るためにもここを離れるわけにもいかない。

 回復魔法で負傷兵たちに応急処置を施しながら、黒騎士に立ち向かう兎里の背中を歯がゆい思いで見るしかできなかった。

 

 治癒魔法は自分の怪我や疲労も治せる。

 黒騎士の魔法を犬上から教えてもらった兎里は、たとえ傷を返されようともその場でなおして仕舞えば関係ないだろというかなりイカれている脳筋な対処法を考えて黒騎士へと向かっていった。

 

 黒騎士の魔法は、受けた攻撃を与えた相手に返す、というだけではない。

 彼女自身が言ったように、鎧は無機物の武装ではなく魔力で形成されたものだ。

 龍泉を戦闘不能に追い込んだ一撃で使ったように、変幻自在に鎧の形を形成できるという特徴も持つ。

 黒騎士はその特性を用いて、自らの両腕を巨大化させた。

 

 巨大化した腕は、兎里の拳が届く範囲内からの攻撃を可能とする。

 先ほど兜を崩した方法がわからないが、それでも拳を届かせる前にこちらから仕留めて仕舞えばいいと、普段はその魔法の特性上受け身に回ることの多い黒騎士が自ら攻撃してきた。

 

 それに対し、兎里は黒騎士の振るう巨大な腕に対し足に『治癒魔法』を走らせて蹴りつける。

 これにより黒騎士の鎧に攻撃が加わった。後は黒騎士は自由なタイミングで、兎里の拳に彼自身の放った強烈な蹴りのダメージを返すことができる。

 ──はずだった。

 

 

「何ッ!?」

「んん?」

 

 

 しかし、なぜか兎里の蹴りを受けた黒騎士の鎧はまるで熱した飴細工のようにその形が溶けて崩れてしまったのである。

 もちろん兎里の手には何の異常もない。

 目の前の事態に黒騎士は驚愕し、兎里は犬上から聞いた黒騎士の鎧の特性が全く活かされていない事態に攻撃しておきながら困惑した。

 

 

「ッ!」

 

 

 混乱する黒騎士だが、もう片方の拳を振り回す。

 それに対して兎里は鎧を警戒して、振るわれる拳をいなそうとして、それもまた兎里の手に触れた瞬間に形が保てなくなりくずれた。

 

 

(返され……ない? 魔力切れか?)

 

 

 鎧のダメージを反転させてこない黒騎士に、兎里の方が困惑している。

 一方の黒騎士は混乱が増すばかりであった。

 

 何しろ反転()()()()のではない。

 反転()()()()のだから。

 理由は不明だが、兎里の体に触れる箇所の鎧が急に魔法の制御を失い形が崩れてしまうのである。

 まるで魔法が返すべきダメージを消されてしまったように。

 

 困惑しつつも黒騎士に対して拳を振るう兎里。

 右の拳を黒騎士の兜目掛けて振るう。

 

 

「ッ!」

 

 

 先ほど顔面に食らった一撃。

 痛みに慣れていなかった黒騎士は、兎里の振るう拳を警戒してその攻撃を既のところで躱す。

 だが魔法の特性から相手からの攻撃を回避するという動作に慣れていなかった彼女は、兎里の拳を躱すことだけに集中し彼自身の動きから目を背けてしまった。

 

 

「残念! 本命は左だ!」

「グアッ!?」

 

 

 もともと右の拳は牽制。

 兎里は黒騎士が右の拳を避けるのに集中してできた隙に、本命の攻撃である左の拳を体勢の崩れた黒騎士の顔面に叩き込んだ。

 

 兎里の拳に触れた兜がやはり魔法を発動できず形が崩れ、むき出しとなった顔に強烈な拳が直撃する。

 いくら頑丈な魔族でも、救命団にて徹底的にしごかれて何故か強靭な肉体を手に入れた兎里の繰り出す拳の直撃を食らえばただでは済まない。

 強烈なダメージが入り、黒騎士の視界に星が走った。

 

 

「こ……のッ」

 

 

 後退する黒騎士。

 今の攻撃で意識を飛ばさなかったのは、不屈の闘志によるもの。負けず嫌いの性根が、訳も分からないままにいきなり出てきた変な奴に負けるのを良しとしなかった。

 

 兎里相手には一方的にやられているが、彼女の魔法は魔族でも素質の希少な闇系統の魔法である。

 制御が困難であり殺傷性の極めて高い戦闘向きな要素の多いこの魔法は、魔族においても迫害の対象になりやすく、真っ当な幼少期を過ごせる者など殆どいない。

 そんな魔法を背負って生まれたのだ。心が歪むことはあっても壊れることなく生き抜くのは容易なことではない。

 その困難を乗り越えて生き抜いてきた事実は、負けず嫌いな彼女の強い精神力を表していた。

 

 とにかくこいつに、こんないきなり乱入してきたわけのわからない奴になんか負けたくない。

 黒騎士は混乱しながらも自らの魔法の制御を失うことなく、とにかく負けたくないという気持ちで我武者羅に攻撃を叩きつけた。

 

 

「死ねぇ!」

「死ねと言われて死ねるかよ!」

 

 

 黒騎士が鎧を変形させ、多数の触手のような形にして兎里に叩きつける。

 それを兎里は殴って蹴ってでやり返す。

 兎里に触れる鎧は形が崩れるが、黒騎士は崩れた形をすぐに直して手数で攻撃することにより兎里の接近を防ごうとした。

 

 しかし兎里の拳に触れるたびに鎧は形を崩してしまう。

 叩いてダメならばと、黒騎士は鎧の一部を鋭利な槍状の形に変え、兎里の首を貫こうとした。

 

 

「くっ……!」

 

 

 急所への攻撃はまずいと判断した兎里が、急いで右手でその槍を止める。

 だが黒騎士の鎧を殴るたびになぜか消えてしまう治癒魔法をかけ直す暇がなかったため、無防備な手のひらを槍状になった鎧が貫いた。

 

 首への攻撃を防ぐことはできたが、黒騎士の突き刺した槍には返しまで丁寧に作られている。

 簡単に抜くことはできず、兎里は黒騎士に捕まる形となってしまった。

 

 

「ハハッ! どうする?」

 

 

 初めてまともに兎里に対して攻撃が通り、調子付く黒騎士。

 鎧の形が崩れる理由はまだ分からなかったが、鎧が崩れずに攻撃が通ったならいよいよカラクリも切れたのだろうと判断した。

 そうなれば捕まえて距離もとらせなくなったこちらが有利だと、後はなぶり殺しにしてやるとほくそ笑む。

 

 だが、兎里が手の怪我の治療のために治癒魔法を発動させた途端、突き刺さっていた魔法もまた形が崩れて溶けてしまった。

 

 

「!?」

 

 

 無敵の魔法が通用しない。

 カラクリは切れたわけじゃない。

 

 

(どうなってる!? 何で、ボクの魔法が通用しないんだ!?)

 

 

 混乱する黒騎士はすっかり余裕をなくしてしまった。



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第13話

 黒騎士の魔法が発動していない。

 自身ともう1人の勇者である龍泉を圧倒した黒騎士が、その最大の脅威である魔法を制御できずに兎里に押されている姿に、犬上もまた困惑していた。

 しかし魔改造の末に脳筋で小難しいことを考えていない、返されても治せばいいし殴れるなら殴ってしまえという兎里と違い、彼女は騎士たちの命を回復魔法で繋げながらも黒騎士の魔法が兎里に効かない理由を真剣に考察していた。

 

 黒騎士の魔法は、鎧が受けた傷を相手にそっくりそのまま返す魔法である。

 なおかつその魔法の媒介としている鎧も彼女の魔法が形成しているものであり、鎧の上から攻撃を加えようとも魔力の形成する障壁を貫けずに鎧にしか傷を与えられない。

 そして鎧が受けた傷は彼女の任意のタイミングでつけた相手に返される。

 鎧が傷を受けるという段階そのものが『反転』の条件であるため、見えていない、不意を突く、感じることも難しい小さな傷など、意識できない攻撃というものであっても鎧に傷をつければ条件は整えられてしまう。

 初見殺しどころか、真っ当な攻撃手段しか持たないものでは対策すら浮かばない、受身が基本となるが高い殺傷性を持つ魔法である。

 

 また、彼女の魔法を構成する魔法の属する闇系統の魔法は、使い手によって様々な性質を帯びた魔力を闇の形に形成する場合がほとんどである。

 これらは使い手によって性質は様々なれど、多くの場合質量を持つ魔力の物体として使い手の意思に基づき形を構成する。

 黒騎士の場合は鎧だが、それはあくまで受けた傷を返す工程を効率よくするため全身をまとえる形を構成した結果行き着いた形の1つに過ぎない。

 魔力で構成された黒騎士の鎧は、龍泉を貫いた鉤爪であったり、兎里の手を貫いた槍であったり、使い手である黒騎士の意思1つで多様な形状変化をとる。

 ゆえに受身が基本とはいえ彼女自身が自ら攻撃を仕掛けるというのもないわけではなく、今も兎里を倒そうと腕を肥大化させたり蛸の足のように触手状にしたりしている。

 

 だが、兎里の体に触れるたびにこの黒騎士の鎧が制御を失い形が崩れるのである。

 黒騎士自身が動揺しているため、おそらく彼女も初めて見る事態なのだろう。

 

 鎧は形を変えても本質である『受けた傷を与えた相手に返す』というものは全く変わっていない。

 黒騎士が伸ばしてきた鎧の一部も傷をつければそれは与えた者に返されてしまう。

 黒騎士の攻撃を殴って蹴ってではじき返している兎里だが、普通の打撃で弾いていてはその度に反転を受け身体中に打撲や下手をすれば骨折を追ってしまう危険な対応だ。

 しかし黒騎士を殴った時もそうだが、兎里に対して黒騎士の魔法は『反転』させることができず、さらにはその身に触れてしまうたびに制御を失い形が崩れる。

 

 だが、黒騎士の攻撃が一切通っていないかといえば、実はそうじゃない。

 兎里の右手を貫いた一撃、あれは確かに魔法が崩れることなく兎里の身に傷をつけていた。

 彼が治療のために治癒魔法を発動させるなりまた崩れたが。一瞬とはいえ、兎里に対して黒騎士の攻撃が初めて通訳した瞬間だった。

 故に、例えば触れた闇魔法はことごとく消失するなどといった彼の特異体質であるという可能性はない。

 兎里自身も黒騎士の魔法の影響を受けないことに困惑しているが、黒騎士の攻撃は騎士たちや2人の勇者同様に兎里にも通用するのだ。つまり、信じられないことだが彼はオーガではなくれっきとしたまともな人間であることの証なのである。

 

 彼が黒騎士の魔法を彼自身もわからないカラクリでどのように破っているのか。

 この時はなぜ兎里の体に攻撃を通すことができたのか。

 そこに視点を当てれば、黒騎士を殴れるカラクリが解けてくる。

 

 兎里と黒騎士の攻撃に倒れてきたものたちの違い。

 1つ目は剣を携えて戦う騎士たちにたいし、兎里が徒手空拳で人外の暴れぶりをみせる特技『オーガ化』であること。つまり装備が違う。

 しかし、斬撃だろうが刺突だろうが打撃だろうが、黒騎士の鎧は受けた傷をそのまま返す。使う武器が違うだけでは説明がつかない。

 

 ただ、もう1つ違うものがある。

 これは勇者&騎士たちと兎里というよりも、各個人ごとに違うものだが。

 扱う魔法の系統である。

 

 救命団に拉致された誘われた発端となった、兎里が素養を見せた魔法系統。

 それは癒すという面に特化した『治癒系統』の魔法だ。

 黒騎士の魔法をもろに受けてしまったものたちと、無効化してしまった兎里の決定的な違いは、扱う魔法に殺傷性の有無があるというものである。

 

 兎里は常に戦場を駆け回り負傷者を治療するため、自らの体の疲労や怪我などを治し常に全快の状態を維持するために自らの体に治癒魔法を流している。

 なおかつ、役割上その必要もないからというのもあるが、2人の勇者以上に敵に対する殺傷を避けている。

 その結果、相手を殺さず無力化するために彼は治癒魔法を拳に纏わせて敵を攻撃するという治癒魔法の使い方に至った。黒騎士相手にもそれを実践しているだけである。

 

 治癒魔法とは? と突っ込みたくなる使い方は兎も角。

 黒騎士が攻撃を唯一通せた時、兎里は右手に治癒魔法を纏っていなかった。

 そして、治療のために治癒魔法を流した直後に黒騎士の魔法は制御を失い兎里の右手から離れた。

 それ以外の黒騎士の攻撃を受けた時には、彼は自身の体に治癒魔法を通していた。

 治癒魔法を通して黒騎士の鎧に触れていた時、その魔法は制御を失い無力化されていたのである。

 

 ここで改めて黒騎士の魔法についてその特性を考えてみよう。

 黒騎士の魔法は鎧の受けた()()相手に返すという性質が主軸となっている。

 これは使い手である彼女の心に起因するのだが、悪意や害意、殺意を向けてそれをふるってきた相手に同じ感情を突き返す魔法だ。

 だから攻撃を受ければ相手に攻撃を返す。

 

 しかし、兎里の攻撃は治癒魔法が通っている。

 彼の出す攻撃は相手を結果的にではあるが、傷つけることなく無力化する攻撃である。

 彼女の鎧は返すべき傷を受けると同時に治療されるため、相手にも傷が返せなくなった。これが黒騎士の反転が兎里に効かない理由である。

 

 黒騎士の魔法の特性を考慮するならば、このままでは相手に治癒を受けたので治癒を返すという『治癒返し』になってしまう。

 しかし、それでは黒騎士の鎧が治癒魔法に触れるたびに制御を失う理由までは解明できない。

 その点を解明するのは、黒騎士自身のこの魔法の根源となった心を紐解く必要がある。

 

 黒騎士の扱う闇系統の魔法は、その本質は違うが一般的には極めて殺傷性の高い魔法として扱われている。

 なおかつこの系統の素養を持つものは魔族に限定され、そして魔族の中でも希少でそうは見られない系統だ。

 故に差別や偏見の対象とされ、まっとうな人生を歩めるものは数少ない。

 正しく認識すれば決して危険な魔法ではないのだが、そうした悪意に晒された闇魔法の使い手というのは高い確率で自身の魔法に対し攻撃的な性質を与えやすい。

 敵意や偏見という悪感情ばかり向けられた子供がそれしか知らずに育つように。

 

 闇系統の魔法の本質は、使い手の心情が現れた性質を持つ闇を形作るもの。

 例えば闇系統の素養があるからという理由で魔物の蔓延る世界に捨てられた子供がいるとしよう。

 獣が弱肉強食を形成する世界には温情などなく、生き残るためには文明で生きる魔族ではなく、この残酷な世界を生き延びるために獣として適応する力が求められる。

 そうなればその使い手の闇魔法は『獣になりたい』という願いに反応し、使い手に獣のような能力を与え、特に環境に適応し憎しみ合う敵対者からすらもより高みへ至るすべを敏感に嗅ぎ取ってそれに適応することができる力を魔法の性質として宿すようになる。

 

 黒騎士の場合もしかり。

 彼女もまた差別の対象とされ、いわれのない悪意に晒されてきたから、向けられる悪意を受け入れず相手に突き返すという性質を魔法が帯びるようになった。

 それが彼女の黒騎士の鎧である。

 悪意に晒されてきた彼女はそれらを理解しているため、傷つけられた時の返し方がわかる。剣で切り裂かれようが雷で撃たれようが光で焼かれようが、傷つける奴らは拒絶しその与えられたものを突き返してしまう。

 

 ここで治癒魔法の話題に戻るが、この系統は多様な性質を見せる闇魔法と違い『癒す』ことに特化した、1つの性質しか持たない魔法である。

 しかし黒騎士は悪意や殺意を向けられることはいつもあったが、魔族にはない系統の魔法であるということも要因の1つではあるが『癒す』というものを向けられたことがない。

 つまり、彼女は受けた『治癒』をどう返せばいいかわからなかった。

 知らないものを返そうとしても混乱するだけであり、結果返すべきものがわからなくなった魔法は制御を失い形を崩してしまうのだ。

 黒騎士の魔法が治癒魔法を帯びた兎里の身に触れるたびに制御を失い反転もできないのは、これが理由である。

 

 黒騎士の鎧は魔力により形成されたものであり、無機物ではない。

 よって治癒魔法の効果を受ける。

 そして、兎里の治癒魔法も使ってしまえばその効果はなくなる。

 すぐにかけ直すとはいえ、鎧が触れた直後の個所の治癒魔法はすぐに消えてしまう。

 黒騎士が唯一攻撃を通せた兎里の右の掌は、直前に黒騎士の鎧を伸ばした攻撃を防ぐために触れており魔法が一時消失していたため、治癒魔法の効果を受けずにその身に傷をつけることができたのである。

 そして、すぐにかけた治癒魔法でまた制御を失ったのだ。

 

 冷静に相手の魔法の性質を見極めていれば、黒騎士も何故自分の魔法が効かないのかを理解し対抗することはできた。

 実際、兎里の治癒魔法は鎧で触れてしまえば一瞬効果を失い攻撃を通せる。それこそ急所を撃って即死させることができれば、治癒魔法の使い手でも倒すことはできた。

 

 だが、黒騎士は自身の魔法が効かない相手との戦闘というのが未経験であり、なおかつその性質から自身の魔法を絶対視していた。

 要するに慢心し、それを砕かれた経験が不足していたため、冷静な判断力を失っていたのである。

 

 結果、兎里の攻撃をもろに食らってしまった。

 ここでいうもろにというのは、ぶん殴る際に治癒魔法が鎧に相殺されたことで純粋な打撃となった兎里の攻撃をその身に食らうということだ。

 兎里は真っ当な人間人の皮を被った怪物だ。その拳を治癒魔法なしで食らう。

 想像を絶する攻撃である。よく耐え抜き気絶しないと賞賛されるべきだろう。

 

 犬上は兎里が治癒魔法を纏って殴りかかっていること、そのたびに黒騎士が反転させることもできずに鎧が崩れ攻撃を受けることから、兎里が黒騎士を殴れてなおかつ反転の影響を受けないことの答えにたどり着いていた。

 魔法を知らぬ世界から来たというのに魔法を瞬く間に理解し、黒騎士の魔法のカラクリもすぐに見破った。

 かつて日本では文武両道の完璧な生徒会長として活動していた天才というだけあり、洞察力と頭の回転は非常に優れているのだ。残念な人だけど。

 

 

「治癒魔法は傷を癒す魔法だから、受けた傷を条件に発動する黒騎士の鎧の魔法は治癒魔法を纏った攻撃を反転できない……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 犬上のつぶやきを聞き取った騎士たちも、兎里と黒騎士の戦闘を見て合点が行く。

 戦うすべを持たないはずの治癒魔法が、思いっきり戦闘に役立っているという謎な展開に驚きが隠せない。

 果たして治癒魔法とはなんなのか? 

 拳に緑に光る魔力を纏わせて『これです』と答えるものがいたとしたら、それは頭がおかしい。

 残念ながら、頭のおかしいその治癒魔法の使い方をしている人物は目の前にいる。

 

 

「治癒魔法は黒騎士の鎧と相殺され、残るのは……ウサト君の純粋な打撃だ」

 

 

「フン!」

「グアッ!?」

 

 

 また黒騎士が殴られた。

 もう足取りもおぼつかない。フラフラである。

 鎧の形も戻せなくなり、もはや原型が崩れ始め闇魔法が形を失いドロドロと溶け出していた。

 それでも、黒騎士は負けず嫌いな性分と精神力で意識をギリギリのところで保ち、膝をつかずに耐えていた。

 

 

「こんな……馬鹿な……」

 

 

 そして、自分を襲う理不尽に逆上するように、その感情を爆発させて剣を振り上げる。

 

 

「お前があああ!!」

 

 

 闇の魔法は使い手の心情に反映される。

 お前のせいで負ける。そんなの嫌だ。こんな負け方してたまるか。

 そんな癇癪を爆発させた黒騎士の感情に答え、形が崩れ始めていた魔力が振り上げた剣に集まると、その刀身を黒騎士の体格よりもなお巨大なものに変貌させた。

 

 いくら今までの攻撃が効かなかったとはいえ、その巨大な凶器を見せつけられてはさすがに怖気付いて一瞬足が止まる兎里。

 そしてそんな兎里めがけて、黒騎士が剣を水平に構えて剣先を兎里だけに向けると、不安定になりつつある鎧を鳴らしながら突っ込んできた。

 

 

「ウサト君!」

「心配いりません。次で仕留めます」

 

 

 しかし救命団の過酷な拷問訓練を乗り越えてきた彼は、すぐに気を引き締め利き手である右の拳を握る。

 もちろん治癒魔法も纏わせて。

 そして向かってくる黒騎士に、真っ向から立ち向かっていった。

 

 

「うおおおおオオオッ!」

「うああああアアアッ!」

 

 

 拳と剣が激突する。

 それとともに、剣を形作る闇魔法が制御を失い崩れていく。

 鎧自体の魔法も制御がきかず、ドロドロと溶け落ちる。

 そしてその無防備となってしまった黒騎士に、兎里の治癒魔法の消えた拳が届く。

 

 

 ────ドパン!! 

 

 

 治癒魔法使いから縁遠いはずの音が響き、黒騎士の腹に兎里の拳が直撃した。

 

 

「ぐ……あ……」

 

 

 黒騎士が意識を失い、鎧を形成する魔法が完全に解除される。

 勇者も瀕死に追い込んだ黒騎士は、完敗した。

 

 そして本来仲間の傷を治すはずの治癒魔法で自分たちを瀕死に追い込んだ彼女を倒した少年を見て、犬上はおもわず思った。

 

 これはなんて、間違った治癒魔法の使い方なんだ──と。



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第14話

 魔王軍の主力を担う将。

 今回の侵攻のために第2軍団から出向してきた『黒騎士』が撃破されしかも捕縛されたという報告は、魔王軍の本陣をはじめとした各所に渡ることとなった。

 

 

「何!? 奴が……黒騎士が捕まっただと!?」

 

 

 配下の報告を聞いた直後、絶対に負けるはずがないと思っていた黒騎士の敗北が信じられなかったアーミラの上げた驚愕の声が本陣に響き渡った。

 その上、勇者でもなくローズでもない、よりにもよってローズと同じようなことをする白い救命団服を着込んだ黒髪の少年によるものであるという報告に、もはや開いた口が塞がらなくなった。

 

 

「あんなのが、もう1人……だと!? くそッ!」

 

 

 想定外の白オーガ2号爆誕!新たな救命団員の登場は、アーミラにこの戦いの趨勢が決してしまったことを察知させる材料となった。

 勇者の復帰に加え、士気の起爆剤である黒騎士の捕縛。

 中央の戦線はもうくつがえせる状況ではなくなり、魔王軍の敗走が始まっている。

 

 そして王国軍にあと一歩まで迫っていたローミア率いる部隊も特攻要員であった戦車兵をシグルスに足止めされた上に、本陣の窮地を察知して駆けつけたローズにコテンパンに蹴散らされてしまい多くが戦闘不能に追い込まれた。部隊の再建ももはや不可能な段階となっている。

 王国軍の片翼を壊滅させたヴェルデの部隊が王国軍の中央と本陣の側面をつくことで撤退を支援し損耗は抑えられているが、彼1人の奮戦に頼れる状況ではない。

 ここは軍団長である自らが出るという手もあったが、勇者、ローズ、シグルス、そして黒騎士をとらえたという白服の救命団員。敵の脅威となる大きな個の戦力が軒並み健在である。

 この状況で本陣を開けてしまえば、間違えなくいずれかの刃が届くこととなり陥落するだろう。

 そうなれば今度こそ決定的な敗北につながる。

 残された最善の道は、ヴェルデの撤退支援を利用しこちらの戦力を温存したまま相手に追撃を許さない()退()だった。

 

 敬愛する主君、魔王に先鋒を任されながらの敗北。

 自らの失態ぶりに悔しさから歯噛みするものの、冷静さは見失うことなくアーミラは撤退の選択をすることとなる。

 

 兵士はヴェルデがうまく下げるだろう。

 残るはバルジナクだ。

 この兵器は魔物博士であるヒュルルクが操作を担当している。

 本陣で黒騎士捕縛の報告を聞きながらもバルジナクを暴れさせているヒュルルクに、撤退を命令する。

 

 

「ヒュルルク、バルジナクを下げろ。撤退だ」

「本気かな?」

 

 

 バルジナクの強さに信頼を置いているヒュルルクはまだペットに殺戮さ(あそば)せたいのか、敗北を宣言するアーミラに問いかける。

 だが、アーミラのシグルスもいるという言葉に、戦がもう詰みかけていることを知る。

 学者肌のヒュルルクといえど、王国最強の剣士の名は聞いている。それをまだ温存している王国軍相手にこれ以上の戦いは無謀だということくらいは、素人でも察することができた。

 

 このまま戦場に取り残されれば、いくらバルジナクといえど討伐されるだろう。

 それはヒュルルクの本意ではない。

 だが、中央の魔王軍が黒騎士捕縛の報により戦線の崩壊が早かったことと、ヴェルデが兵器の撤退支援までは勤めなかったこと、そして何より勇者が健在であることが災いし、バルジナクは逃げ遅れた。

 

 

「あ──勇者だ」

 

 

 バルジナクの目を通して、巨大な蛇の魔造モンスターに立ち向かってくる2人の勇者の勇姿を目撃する。

 それが最後。

 バルジナクは2人の勇者に見事に討伐され、ここに魔王軍は主戦力の将と兵器を失い敗北を喫することとなった。

 

 そしてリングル王国軍だが、救命団の活躍により被害を抑えることはできたとはいえその損害は決して小さいものではない。

 いざ戦闘が終わってみると、戦闘可能な兵力はいつの間にか逆転しており、とてもじゃないが余力の不足する王国軍に魔王軍を追撃する力は残っていなかった。

 

 派手に損害を受けたとはいえ救命団の活躍で死傷者の数は戦の規模と苦戦ぶりの割りに少なくて済んだ中央部隊は満身創痍だが、それ以上の損害を地味に被っていたのが王国軍の右翼であった。

 氷系統の魔法を駆使する『青眼』の率いる部隊と戦ったこの王国軍は、何より青眼自身の仕掛けてきた氷魔法の攻撃によって治癒魔法による治療ができない氷の棺に閉じ込められる死体を量産させられたことにより、戦死者の数が他の部隊に比べ桁違いに多かった。

 またこの青眼の率いる部隊は戦線の崩れた他の魔王軍の撤退も相対する王国軍の側面を付く形で支援し、魔王軍の被害を抑える役割も担った。

 リングル王国軍は勝利こそしたものの、それもかろうじて撃退が成功したという状況であった。

 

 だが、勝利には違いない。

 魔王軍を見事退けた英雄たちは、各々この戦いを通じて多くのものを学び、一皮むけた存在となって凱旋を果たすこととなる。

 

 そして、今回の侵攻に敗北した魔王軍第3軍団だが。

 軍団長のアーミラは敗戦の責任を取り自害も覚悟していたが、魔王は軍団長の地位を剥奪し第2軍団長補佐の任に与えることで降格処分だけという寛大な処置を与えた。

 第3軍団の生き残った各部隊長たちも罰が与えられたのはアーミラだけとなり、多くのものが現状維持の温情ある処置となる。

 そして、アーミラの降格に伴い空席となった第3軍団長の席を継ぐ者を選定することとなった。

 

 今回の戦いで敗北したとはいえ功績を挙げる活躍をした者、その中で最も大きな活躍をした者が第3軍団長候補となる。

 推挙されたのは、敵本陣への奇襲を成功させ勝利にあと一歩のところまで至った『ハンナ・ローミア』と、敵に大損害を与え魔王軍の撤退を支援した『トライ・ヴェルデ』の2名である。

 しかし、ヴェルデの方は軍団長候補を辞退。

 結果、魔王軍第3軍団長にはローミアがつくこととなった。

 

 以上が、魔王軍側の戦いの顛末である。

 しかし、この侵攻戦はあくまで前哨戦。

 これから魔王軍は今度こそリングル王国を攻め滅ぼすべく、二年前、そして今回とは比べ物にならない大規模な侵略戦争をするための準備に取り掛かることとなる。




これにて第1章『第二次リングル王国侵攻戦』は終了となります。
拙作を読んでいただき、ありがとうございました。

第2章『邪竜の再臨〜救命団副長ウサト・ケン』は11月から投稿予定です。


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第1章『第二次リングル王国侵攻戦』の登場人物

登場人物紹介になります。


魔王軍

魔王を君主とする魔族の勢力。作物もろくに育たない荒廃した大地を領土としており、生き残るために豊かな人間達の世界の征服を目指して侵略戦争を仕掛けてきた。第1軍団、第2軍団、第3軍団の3つの軍団から成る。第二次リングル王国侵攻の先鋒を務めるのはアーミラ・ベルグレット率いる第3軍団。

 

無名(チャラいダー)

日本人の前世を持つ魔族の兵士。魔法の系統は雷。今世は名前が無く、戦車を乗りこなして戦うことから『戦車兵(チャリオット・ライダー)』、略して『チャラいダー』と名乗っている。名前が無いのは顔も知らない生みの親が名前もつけずに魔物の蔓延る森に捨てた為。戦車を引く三頭のサイの魔物が今世の子供達でありこの世界で唯一心を開ける相手である家族たち。基本的には槍と魔法を使って戦う。槍の使い方などは完全な我流であり、前半生を魔物相手に生存競争をしながら森で過ごしてきたため、誇りや尊厳の類は一切ない獣のような戦い方をとる。言葉遣いが荒く、長身で自他共に認める起伏の乏しい寸胴体型の上に、戦場では身長が合わず男性用の支給装備をしたことから高確率で間違えられるが、女性である。前世の記憶と人格をしっかりと残しているが、その前世における境遇もあり勇者達に比べると人間性が同郷とは思えないほどに歪。転生者ということもあるが、仲間意識の強い魔族にしては珍しく魔王に対する忠誠心や優れた種族である魔族に対する誇りなどが一切無く、種族関係無しに『他人』は『他人』として見る。

 

アーミラ・ベルグレット

魔王軍第3軍団を率いる女魔族の将軍。魔法の系統は炎。総指揮官としてリングル王国侵攻戦の指揮をとる。魔王軍最強の剣士と言われる魔王軍第1軍団長の弟子で、当人の武力も魔王軍屈指の実力者。軍の指揮を後方からとるよりも、最前線で1戦士として戦うほうが性に合っているとか。

 

フェルム

魔王軍第2軍団に所属する魔王軍の将の1人。魔法の系統は闇。受けた傷を相手に返す特性を持つ魔力でできた鎧を纏うことから『黒騎士』と呼ばれている。リングル王国侵攻に際して第2軍団より出向してきた。得意の闇魔法によりリングル王国軍を苦しめ、勇者2人を相手取り無傷で制圧するなど活躍するが、勇者の危機に駆けつけた治癒魔法使いとの殴り合いに敗北し捕虜となった。

 

ハンナ・ローミア

第3軍団所属の魔王軍の将の1人。魔法系統は幻影。狡猾で冷酷な性格に見えるが、それは彼女の過去が起因しており本来は心優しい性格の持ち主。広範囲の幻影魔法に優れており、魔王軍の幻影を作り上げリングル王国軍の先制攻撃である魔法攻撃を空振りさせ、魔力を枯渇させながらも前線で剣を手に戦い続ける活躍を見せた。チャラいダーを利用してシグルズを引きずり出して手薄にしたリングル王国の本陣を狙うも、救命団団長の急襲により部隊を無力化させられ自身も気絶し退場となった。

 

ヒュルルク

別名『魔物博士』。魔王軍の運用する魔物の兵器『魔造モンスター』の第1人者。最高傑作の試作モンスターと称する大蛇の魔造モンスター『バルジナク』を駆使して戦局を優勢に進めていたが、黒騎士を撃破した治癒魔法使いにより復活を果たした勇者2人に撃破される。

 

グレッド

チャラいダーが所属していた部隊を率いていた魔王軍の将の1人。保身と出世欲の塊とチャラいダーに称されていたように、手柄は独占し失敗は部下に押し付けたがるお世辞にもいい上司とは言い難い人物。リングル王国軍の魔法による先制攻撃に巻き込まれて戦死した。

 

 

 

 

 

 

リングル王国

人間の世界に存在する国家の1つであり、魔王領に最も近い位置に存在する。魔王軍の侵攻を受け、異世界から勇者を召喚した。亜人に対する差別がほとんど無い国民性が特徴。

 

兎里 健

原作における主人公。犬上と龍泉、2人の異世界召喚に巻き込まれた日本人。龍泉とは同級生。魔法系統は治癒。基本的に穏やかで心優しい人格者だが、負けず嫌いな性分であり無茶なこともしてしまう危ういところがある。治癒魔法の適性があると知られ、ローズに無理やり救命団の仲間入りをさせられた。趣味は訓練、特技はオーガ化、他人の恋愛ごとには敏感なくせに自分のこととなると途端に鈍感となる。

 

犬上 鈴音

勇者としてリングル王国に召喚された日本人。魔法系統は雷。日本にいた頃は兎里と龍泉の先輩で生徒会長だった。文武両道の完璧な生徒会長という外面をかぶった変人。龍泉と恋仲だという噂があったが、実際はそんなことは無く、むしろ異世界に来てからは兎里の方に好意を抱いている様子。

 

龍泉 一樹

勇者としてリングル王国に召喚されたもう1人の日本人。魔法系統は光。兎里の親友で、犬上の後輩にあたる。他2人がぶっ飛び過ぎなだけというのもあるが、召喚された3人の中では1番の常識人。正義感が強くさっぱりとした人当たりのいい性格の持ち主。同性の友達というのに強い憧れがあり、兎里と友人になれたことを喜んでいる。困っている人を放っておけないお人好しであり、熱血ではあるが決して無鉄砲というわけでは無く冷静な面もある。

 

シグルス

リングル王国最強の剣技を駆使する騎士団長。その剣技は魔王軍が名指しで警戒するほど。2人の勇者の剣の師でもある。リングル王国侵攻戦においては、本陣に対し突撃を仕掛けたチャラいダーを迎撃した。

 

ローズ

リングル王国救命団の団長。魔法系統は治癒。人間離れした身体能力と常識はずれな治癒魔法の使い方をする、作中の世界における最強の一角に立つだろう実力者。兎里を拉致して間違った治癒魔法の使い方を叩き込んだ師匠であり元凶。リングル王国侵攻戦においてチャラいダーをぶん殴って気絶させた緑髪のオーガである。



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邪龍の再臨 〜救命団副長『ウサト・ケン』
第1話


お待たせしました。
第2章『邪竜再臨』です。


 リングル王国侵攻戦から暫く。

 魔王軍に属している間住処にしている、魔族の首都ともいうべき魔王都市ベルハザルの地下のスラム街の一角にて、アーミラ軍団長の解任と新軍団長に陰険なあのローミア隊長が就任したという話を聞きました。

 

 どうも皆さんこんにちは。

 地下なので現在の正確な時刻はわかりませんが、とりあえず『こんにちは』の時間帯だと仮定しました。前回の戦では開戦早々に戦車を壊された、というか自らの手で壊した『戦車兵』こと、無名の魔族です。

 名前ないんで『戦車兵(チャリオット・ライダー)』、長いので略して『ライダー』か『チャラいダー』と呼んでください。

 

 ここは魔王領の首都と言える魔王の居城のある都市ベルハザルの地下にある、貧民街の一角です。

 魔族は貧しい土地に縛られている種族なので。貧乏人とか捨て子だったとか犯罪者のような表に出れない輩だとか、そういった真っ当から踏み外れたような者たちが集まる場所です。

 なんでこんなところで寝泊まりしているかって? 

 魔王軍に参加したのだけど兵舎の借賃が高すぎたこと、それ以前に信用できないものを都市に入れられないということでしたので、魔王軍に属している間は持ち主を殺せば好きな穴倉で眠ることができるし借賃も必要ないこっちで寝泊まりすることにしていたからです。

 ちなみに普段は森で好きに過ごしてもらっている家族たちの為に、この地下の拠点とは別に都市の外の貧民街にももう一個拠点を作っています。

 

 前回の戦いでシグルスという大物の首を狙える機会を得たけど、結局討ち取れませんでした。

 末端の雇われ兵士なので薄給なんだよなぁ。

 ちなみに敵将の首とればボーナス出るのは本当のことだった。敗北したとはいえ、大活躍したローミア隊長とヴェルデ隊長には褒賞が授与されたらしい。

 ローミア隊長が受け取ったのには文句垂れたかったですけど。

 まあ、あの人が何しようが何言おうが、私に危害が及ばなければ勝手にすればいい。

 それよりもこの褒賞だけど、たとえ私のような募兵に集った非正規兵でも手柄を上げれば受け取れるそうだ。

 受け取った傭兵もいたし、本当なんでしょう。

 羨ましいな〜。

 

 でもまあ、兵舎の借賃抜いた上でだけど日雇い分の給料でも家族たちに久しぶりに腹いっぱい食べられる食料を買い込み、都市の外の住処の建物を建て直して快適なものにするくらいの収入はありました。

 命かけて戦場に立った分くらいの見返りはあったということかな。

 魔王軍は当然侵略を諦めていないだろうし、次の侵攻の準備が整う頃にはまた募兵がかかるだろうから、そうしたらまた参加するつもりです。

 危うく死にかけたし、次は部隊長の命令があっても無謀な突撃には参加しないようにしよう。

 あの件について私は許すつもりはないです。腹いせに故グレッド隊長の家に強盗で押し入ろうかとも思ったけど、溜飲下げるだけで労力に見合わないし収入もどれくらいになるかわからないし、何より犯罪者ともなれば次の募兵に参加できない可能性が高くなるので止めた。

 

 スラムはまあ、治安は無い。治安最悪というか、そもそも無い。

 文字どおりの無法地帯。

 当たり前といえば当たり前かな。

 上層の都市の住民からは『ゴミ溜め』とか呼ばれており、そこで生きる私たちはゴミを漁っているという意味で『寄生虫』とか言われている。

 ここの住人が蔑まれてもゴミ漁り止められないのは生きるためだから。他人の評価と自分の命、どっちを取るかなんて生物なら迷うまでもない。

 ゴミ漁りは無法地帯の弱者、すなわち子供とかがしていることで、大人たちはそういった弱者が飢えに苦しみながら必死に集めたものを力で分捕って生活している。

 どっちにしろカツカツだけどね。

 

 そして私は大人から見ればまだその搾取される側の子供だから、それも珍しい住処持ちで服も靴も所有しているからスラムではよく絡まれる。

 むしろそういう輩こそ訳ありで手を出すべきではないっていう危険を嗅ぎ分ける力がこのスラムでは必要な能力の1つなんだけど、無学な貧民らしくまともな判断能力も無いアホも多いのでやっぱり絡まれることは多い。

 まあ、魔物相手がほとんどだけど私もそういうアホをしでかした経験ありますから。一回や二回で片付けられない回数だし、返り討ちにされて命からがら逃げたこともある。1番記憶に残っているものだと、腹が減りすぎたせいで明らかに喧嘩売っちゃいけない巨大ムカデに立ち向かった事かな。

 

 そして今日も、やっぱりというか歩いていただけで絡まれた。

 いきなり乱暴に肩を掴まれて、強制的にその場に止められる。

 

 

「おい、おま──ギャアッ!?」

 

 

 シカトしてもしつこいだろうし、危険があるような感じもしなかったから、電撃を肩から流して即死させた。

 魔族といえど、対策無しに電撃を食らえば死ぬ。

 それに私の場合、自分の魔法だから当然その流れ方とかも制御できるし、人体の構造くらいは把握しているから対象を見ることなく脳髄狙い撃ちするのはわけない。最小限の魔力で殺すことが可能。

 だから見た目は電気の音がしたと思ったら肩つかんだ奴がいきなり倒れて死んだっていう、正しく事象を認識できなければ混乱するだろう出来事となる。

 

 

「なっ、何しやがったテメエ!」

「チッ! 魔法か!」

 

 

 今回は徒党を組んでいたらしい。

 これもスラムじゃよく見かける。徒党を組むのは得られる収益を独り占めできなくなるけど、多くの収益を略奪という手段で集めるのには効率的だからね。裏切って後ろから刺してしまえば独り占めも可能だし。

 私はあまり徒党を組むことしなかったけど。裏切られるリスクもあるし、徒党を組んでも盾の役目も果たせない雑魚じゃ足引っ張られるだけだし。

 

 振り向くと、粗末な服と粗末な刃物で武装した魔族たちが立っていた。

 こちらが魔法を使ったことに驚いている様子を見るに、魔法は知っているが戦闘に使えるほどに鍛えていないようだ。ナイフで武装していることからも推測できる。

 まあ、魔法頼みで戦うスラムの住人って、無駄な持ち物はさっさと金や食べ物に変えて身軽にしておくからね。どうせ魔法使ったほうが強いなら、お荷物をわざわざ携帯する必要ないし。粗末でも不足しているなら魔法は使えないのだろう。

 

 魔法使う相手から逃げないってことは、対応できる手段を把握しているかそもそも魔法で人を殺せる輩とやりあった経験が少ないかのどちらか。

 大抵の無力な連中は魔法を見せれば逃げ出す。

 もしくは敵わないと知っていても襲う必要があるとか、かな? 腹が減って限界とか。

 でもそこまで飢えるくらいなら仲間内で殺し合いして死体を貪るとかすると思うけど。そういう輩って大抵単独行動しているしね。

 魔族の肉とか臓器とかって、魔物よりもまだマシなもの食っているおかげがずっとまともな味だったし。共食いに抵抗はないでしょ。

 ……ん?共食いする発想に至るのって私だけ? 

 いやいやまさかそんな──

 

 

「クソ!」「死ねえ!」

 

 

 1人でチンピラどもを考察していたら、ナイフで切りかかってきた。

 栄養失調しているがたいじゃない。飢えではないか。

 相手の魔法も詳しく見極めようとせずに様子見ではなくガチで襲いかかってくるあたり、魔法を使う相手の対抗手段に精通しているとかいうわけでもなさそう。

 あ、こいつら正真正銘の無知なアホか。

 結論に達した以上、こっちの対応も決まる。

 

 シグルスのとは月とスッポンな雑に振り回される刃物を躱し、その手に触れて脳髄を焼く電撃を流す。

 これで1人死亡。

 一瞬のことで断末魔すら上がらなかった。

 そしてその死体を仲間の振り回すナイフの盾にする。

 

 

「なっ!? てめえ、ふざけんじゃ──グギャッ!?」

 

 

 そして死体の盾からナイフを抜こうと悪態つきながらその死体に触ったところを狙ってもう一発電撃を流して、死体の盾を経由しもう1人のチンピラの脳髄に電撃を届かせて焼き殺した。

 体が痙攣し一瞬硬直してから、力が抜けた死体が崩れる。

 チンピラが死ぬと、周囲のハイエナの目をした連中も手を出すのはまずいと判断したらしく、変なのが出てくることはなかった。

 

 さて、チンピラの死体だけど、こいつらには収入源があったのか服を着て粗末だけど靴も履いている。

 刃こぼれしたナイフはいらないけど、布と皮は使えるので、服と靴は貰います。

 ナイフを捨てると、貴重な金属を手に入れようと目を凝らしていた魔族たちがナイフに集った。

 別に私はナイフいらないし、あれは放置する。

 

 次に死体だが、これは食料になるし狩りの材料にもなるので持ち帰りたいところ。

 ただし、ガタイのいい男3人は重いし、戦の給金ももらっているので今すぐ魔物狩りしなきゃならないほどはカツカツというわけじゃない。どうせ腐るだけだしなぁ……。

 喉乾いたところだし、()()飲んでから魔物狩りの餌用に1つだけ持って行くことにしよう。

 というわけで、3人分の服と靴と死体一つという収入を持って、地下を後にしました。

 魔物をおびき寄せる餌も手に入ったので、森に行くか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景を見ていた者たちは、戦慄していた。

 男たちに絡まれた見た目は年端もいかぬ魔族。

 まともな服を着ていたので鼻の効く者からすればカモどころか藪に潜む蛇だと感じるその者に、無知な男たちが絡んだ。その結果魔法で返り討ちにされ全員殺されたという、スラムでは珍しくもない抗争の光景の一つだった。

 勝者であるその者は死体を盾に使ったり、何をしたのかもわからない魔法で全員をほぼ出血もさせずに殺すというスラムの住人たちにも驚く光景を見せつけたが。

 しかし、そこまでは驚くような光景ではあるが、この界隈ではありえないことではないから別にいい。男たちが死んだのも自業自得だ。

 

 だが、勝者が去ってから残った男の死体よりいろいろと奪おうと画策していた者たちは、そいつの行動が見せた次の光景に戦慄することとなる。

 金属には興味がないらしく、ナイフは捨てられる。

 そして服と靴は剥ぎ取り、さらに何に使うのか盾にしていた死体を担ぎあげる。

 ここまでは別にいい。戦利品を選別するのは勝者の特権だ。

 

 だが、次の光景は彼らも今まで見たこともないものだった。

 空いている方の手で最初に殺した死体を持ち上げると、その首に噛みつき残っている血を飲み始めたのだ。

 日夜生きることに必死で犯罪の蔓延るスラムの住民たちですら、その猟奇的な光景には腰を抜かして恐怖している。

 当人は周囲からどんな目を向けられているのかにも気づかずに、単なる水分補給をするような気楽な表情で死体から血をあらかた飲むと、それを道端に捨てて死体一つを担いで去って行った。

 

 死体でも、髪の毛などの売れるのもはある。

 だが、血を吸い尽くされた死体が転がるそれに群がるハイエナは、少なくとも今の光景を目にした者たちの中にはいなかった。

 

 どれほど治安の悪い世界であっても、流石に共食いなどというおぞましい行為をする魔族はいない。

 同胞の亡骸を辱める行いをすることはあっても、どれほど飢えがひどくても、それを貪るような真似はしない。しないはずだ。普通はできない。普通でなくてもできないだろう。

 だから、狂人でもやらないような所業を平然と行なったその魔族に、スラムの住民たちですら恐怖した。

 

 その日を境に、その狂者に絡もうとする猛者の姿はいなくなるのであった。



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第2話

 魔物の生息する森。

 そこにやってきた私は、餌となる死体をその場に置いてから樹の上に退避。

 あとは死体の匂いを嗅ぎつけて魔物がやってくるのを待ち、出てきたところを奇襲して仕留める。

 魔物の死体は物によって貴重な代物で割と高く売れたりするものだ。正規ルートにつてがない私は闇ルートにしか捌けないので、そこで結構引かれているけど。

 収入削られるのは痛いけど、いつでも魔物の死体を換金できる場所というのは自分で潰したくはないし、供給元としての信用を数をこなして得られているらしく徐々に高値で買い取ってくれるようになってきているので、今では別にそのくらいはいいやと思っています。

 

 放置された魔族の死体に気づいたらしく、巨大な虎の魔物が出てきました。

 おお、毛皮持ちの魔物は当たりだ。これを仕留められれば、取引先の闇商人も結構いい顔と額で買い取ってくれそう。

 早速死体を貪り無防備な頚椎をさらけ出している虎の魔物目掛けて槍を向けて飛び降りる。

 

 

「ガアアアァァァ!!」

 

 

 虎の魔物は悲鳴をあげるが致命には至っていない様子。

 暴れるその虎の首にしがみついて、とどめを刺すべく虎の死角より目に指を突き刺す。

 この神経は脳髄に直通ルートで伸びているし、眼球は構造上どうしても柔らかくなる生物の急所。

 ここに指が刺されば私の勝ち! 

 

 

「食らえネコ!」

 

 

 電撃を眼球の神経を通して虎の脳髄に流し込む。

 脳をやられてはいかな虎の魔物といえど絶命し、倒れた。

 

 危なげない勝利だね。

 虎の背中から降りた私のところに、家族たちが駆けつけてくる。

 私としては危なげない勝利だったけど、家族たちは心配で仕方がなかった様子だ。

 勢い余って、私がぶっ飛ばされちゃったよ。

 

 

「おおお落ち着いて! 私は平気だから、怪我一つしてないから!」

 

 

 むしろ君らに突き飛ばされたことでケガしちゃうところだったから! 

 両手を上げてケガ一つしてないよとアピールすると、家族たちも納得してくれたらしく落ち着いた。

 

 私もこの子達が傷つくのは嫌だし、危険な目にあうと心配してしまうけど、この子たちの方も私が傷つくのは嫌なことらしい。

 親ということになっている私がこの子達を心配するのは当たり前にしても、この子達の方から心配されてしまうとは。

 うむむ……子供に心配かけるとか、親失格だ。非常によろしくないね。

 でも、この子達が心配してくれるくらいに私のことを家族としてみてくれているのがわかるから、とても嬉しい。

 いや、そのためにわざと危険な橋渡ったりとかいうのは流石にしないよ。身の危険を心配させていじるのは流石に性格悪すぎると思うから。

 野生に染まってもう倫理観破綻している私だけど、そのくらいの良心は残っている。

 

 ともかく、今日の狩りは成功。

 家族の中で一番の力持ちである長男の背中に虎の死体を乗せて、私は次男の背中に乗って帰路につく。

 私としては子供の背中に乗るよりも隣を並んで歩きたいのだけど、この子達は私を背中に乗せるのが好きなのかこっちの方が嬉しそうな反応をしてくれるのだ。

 この子達が嬉しいなら、私も嬉しい。

 前世も今世も親はクズだったから、生みの親じゃなくてもこの子達にはしっかりとした『親』をしてあげたい。

 出会いはそんなつもりなかったけど、この子達はもう今世において私のかけがえのない家族だ。

 

 そんなことを思いながらベルハザルの外に広がるスラムの一角、魔物の死体も扱ってくれる闇ルートの商人の元へと到着する。

 すると、そこには顔なじみとなった商人と護衛の他に、魔王軍の装備を身を包む1個小隊がいた。

 

 取り締まりとか逮捕、というわけじゃなさそう。

 そこは取り締まれよとかいうツッコミが入りそうだけど、私としては彼を逮捕されると魔物狩りの収入が途絶えることになるので止めて欲しいです。

 

 向こうもこっちに気づいているらしく、2名の兵士が近づいてきた。

 珍しく女性兵士である。

 ……ちょっと待って、この人たち見たことある。

 片方は前回のリングル王国侵攻戦で私が軍からの借り物である戦車を壊したことを聞いて青筋立てていた兵士だし、もう1人はグレッド隊長の戦死を報告していた兵士だ。

 そしてこの兵士たちが所属する部隊を率いていた方といえば……

 

 私の嫌な予感は的中する。

 小隊の兵士たちに囲まれていたこと、椅子に座っていたことで最初は気づかなかったけど。

 立ち上がって近づいてきたのは、小隊を率いている隊長、いや今は軍団長となったことで装束も一層豪華になった紫髪の中身は陰険な女性の魔族。

 

 

「あなたを待っていました。『戦車兵(チャリオット・ライダー)』、と呼べばいいですか?」

 

 

 魔王軍新第3軍団長、ハンナ・ローミアさんでした。

 ……嘘でしょ?



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第3話

「ここに来ると聞いたので。あなたと話したいことがあってきました」

 

 

 私はこの方と話すことなど何もない。

 何もないから会うこともないと思っていた。

 だいたい、一時的に指揮下に入ったとはいえ私が配属されていたのはグレッド隊長の部隊。彼が戦死したせいで指揮官不在となり暫定的に彼女の指揮下に入って戦ったに過ぎず、むしろ単なる雇われ末端兵士の私と今や軍団長へ出世を果たしたローミア軍団長との接点はそれしかない。

 

 そもそも貧民街を住処にしている『寄生虫』と呼ばれている立場の私に、わざわざこんな場所まで自らで歩いてきて顔をあわせるような理由はないでしょ、ローミア軍団長。

 だから帰ってください。

 ごみ捨て場ですよ、ここ。表の陽の当たる世界に住まう魔族が来る場所じゃないですよ。

 

 そんな私の心の叫び声は当然届かず、ローミア軍団長はここに私に会いにきたという旨を伝えた。

 どこから私がここに来ること聞いたのかな? 

 ……陰険だし、闇ルートの魔族たちと顔見知りだとしてもおかしくないなローミア軍団長は。

 

 ここは逃げたかったけど、ベルハザルの拠点は過ごしやすいし次の戦にも参加したいと思っているので、魔王軍の軍団長殿から逃げるという選択はとれなかった。

 闇商人さんはこの話し合いの場を提供しただけであり、こちらはローミア軍団長に話はなさそう。

 そこは提供しないでよ、追い返してよ……。

 

 逃げ道をふさがれた私は、致し方なく闇商人さんに虎の死体を運んでもらうよう頼んでから、用意されたローミア軍団長の対面の椅子に座る。

 すかさず逃すまいと周囲を兵士が囲んできました。

 家族たちが心配そうに見ているけど、いきなり殺されたりすることはないと思うので安心するようにハンドサインを送る。

 私のハンドサインが家族たちに向けられていたことに兵士たちが警戒するけど、しぶしぶおとなしくなった家族たちの姿に危害を加える意図はなかったことを察して、剣の柄にかけた手を離して警戒を解いた。

 

 さて、ひとまず一触即発の雰囲気はなくなったわけだけど……本当にこの軍団長何しにきたの? 

 会いたくないというのは私の本心だけど、それ以前にこの状況にわからないことがあります。

 そもそも、この方が私に会いに来る理由というのにも心当たりがなかった。

 ……あと、『戦車兵』と呼ばれても問題ないけど、さすがに長いと思いますので。略称の中でも気に入っているのを伝えます。

 

 

「『チャラいだー』でいいですよ。長いでしょうから」

「……どういう意味かはわかりませんけど、なんとなくその呼び方は抵抗があるので『ライダー』と呼ぶことにします」

 

 

 何故に? 

 まあ、別にライダー呼ばわりでも構いませんけど。

 名前教えろとか言われても……親に捨てられたしなぁ。名前なくても森なら生きてこられたし、戦車兵っていう呼称もついたから今更いらないです。

 けど、こういうときに名乗れとか言われたら不便ですね。前世のならあるけどこっちで名乗ったことないし、正確には今世の私のものではないし、魔族の名前としては不自然すぎるから名乗ってもいいものとは思えないし、今世では名前が無いから答えられないので。

 

 闇商人さんの護衛が入れてくれた茶を優雅に一口飲んでから、ローミア軍団長がまじまじとこっちを見てきた。

 ……なに、その珍獣を見るような目は? おかしなところあるのだろうか? 

 野生育ち故にあってもおかしくないですね。戦の時にはどうせ汚くなるし、装備の支給品だったしで、身だしなみについて突っ込まれるようなことはなかった。結局ベルハザルきてもスラムに住処構えたから文明人とまともに接触してないし、こっちの世界のまともな装飾文化を知らないです。

 おかしな点があって珍獣を見るような目を向けられてもおかしくはない。

 

 するとカップを置いたローミア軍団長が、今までの仮面の上から語るような口調ではなく何となくだけど本心から出てきたように聞こえる声で、こう言ってきた。

 

 

「そういえば、兜で隠れていたので気づかなかったですが……あなた、女性なのですね」

「?」

 

 

 あれ? 言ってなかったか……言ってなかったね。

 日雇い兵士だし。兜も口しか見えないタイプのものだったし。長身で寸胴だから支給された男用の鎧を着れたし。というか男用の方じゃなければ着れなかったし。魔物乗りこなしている姿を見れば、男性と誤認されていたとしもおかしくはない。

 でも、それを言うならローミア軍団長も側近たちも女性じゃないですか。

 それにこのご時世、女性兵士なんて魔王軍じゃ珍しくもない。

 

 

「驚くようなことですか?」

「男用の鎧を着ていたはずなのに実は女性だったと知れば驚きます」

「小さすぎて着れなかったからです」

「それに、魔物は基本的に己より劣るものには従わないことが多いですから」

「……飛竜乗りにも女性兵士がいたと記憶しているのですが」

「あれは長い時間を共に過ごして信頼関係を築くことにより乗り手として認められているのです。単純な強さで繋がれている関係ではありません」

「意外と知能が高いんですね、ワイバーンって」

 

 

 私の家族たちも似たようなものだけど。

 思わぬところでローミア軍団長から他の魔物に騎乗するものたちの事情を聞くことができた。

 ……どうでもいいけど。

 

 私が女の身で魔王軍に参加していたことよりも、単純に魔物を乗りこなして戦っていた私が女だったことに驚いたというだけらしい。

 特に深く追求したりせず、ローミア軍団長はすぐに仮面をかぶりなおして元の声色に戻った。

 

 

「さて、前置きはこのくらいでいいですね」

あなたには関わりたくないのですが……

「何か言いましたか?」

「いえ何も」

 

 

 つぶやき溢れちゃったよ。そして拾われちゃったよ。

 内容までは聞き取られなかったようだけど。

 ……陰険な上に地獄耳ときましたか。

 

 でも、本当にこの軍団長は何の用で私を訪ねてきたのか。

 本題に入るみたいだけど、私にはやはりわからない。

 

 ローミア軍団長の方はまたひとくちお茶を飲み込むと、陰険な方にしては遠回りとか抜きにここを──というか私を訪ねてきた理由を口にした。

 

 

「単刀直入に言います。あなた、魔王軍に正式加入するつもりはありませんか?」

「……え?」

 

 

 まさかの正規軍へのスカウトである。

 ……あれ? でも募集する兵士と違って魔王軍の正規兵ってちゃんとした身分とか必要な役職だったのでは? 

 少なくとも『寄生虫』呼ばわりされているスラムの住民にはなれないもののはず。

 

 疑問を頭に浮かべる私に対して、ローミア軍団長が陰険ぶりも見えるとってつけたような微笑みを浮かべた。

 その笑顔むしろ怖いのですが。



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第4話

 当然のことだけど、魔王軍において募兵で集まった兵士と専属の正規兵とでは大きな差がある。

 魔王領は魔王の復活に伴いだいぶマシになったとはいえ、枯れた大地に縛られることによる様々な困窮は避けられない。恒常的に人件費のかかる正規兵だけで人間の国々を侵略する大規模な軍勢を編成することはできないのだ。

 そこで使われるのが、戦が起こるときにその場で雇い入れる非正規兵、前回の戦いにおける私のような立場の魔王軍兵士に当たるものたちだ。

 

 数合わせの非正規兵と違い、魔王軍の正規兵は立場と信頼というものが必要となっている。

 だから、身分不確かなものを入れることはできない。

 非正規兵と違い軍律だとかに縛られているし、訓練などで日常的に拘束されることは多いけど、その分給料など多くの待遇が非正規兵に比べて優遇されている。

 

 そこに入れてくれる、とローミア軍団長は仰るのだけど。

 でも、それには問題が。

 その正規兵になるために必要な『地位』が私にはないです。

 この地に生きる魔族として魔王に認められている『民』ではなく、それから弾かれているそこらの獣とか魔物と同じくくりに入れられている『モノ』の地位なんですけど。

 

 

「……私、スラムを住処にしているのから見てわかると思うのですが『此方』の魔族ですよ?」

 

 

 正規兵にはなれない、そういう扱いを受ける魔族だと、スラムを指してローミア軍団長に伝える。

 この場所で会うという話を聞いたあたりから薄々察していたとはいえ、改めて本人が自らの口で言ったことに、いわゆる『民』の地位にいる周囲の魔族の兵士たちが、目の色を『同胞』ではなく『モノ』に向けるものへと変えた。

 

 

「……なるほど」

「寄生虫か」

「何が魔族だ、薄汚い分際で」

 

 

 ま、こういう反応ですよね。小声とはいえボロクソ言われてます。

 別に気にしてない。というか、前世の頃から慣れてますから。

 前世は前世で貧乏人だったので、そういう『人間』として扱ってもらえない立場にいましたから。

 教師とかにはよく「貧乏人は存在そのものが犯罪者より劣る国家の恥だ」とか「国民の血税を貪る『寄生虫』だ」とかよく言われてたし……あれ? 今と呼ばれ方変わんねえわ。

 

 前世はどうでもいいわ。

 モノというか、生物学的には同じ魔族の括りに入るから、彼らからしてみれば同胞の姿をしているモノということでより蔑む対象になっているかな。別に魔物を差別視しているようなのとは違うし。

 これは言うならば、あれです。『ゴミ』を見る目です。モノより酷いなおい。

 

 そして正規兵にはなれないという言葉を聞いたローミア軍団長は、それなら仕方ないと諦めてくれるだろうと思ったのだけど。

 私が『此方』の魔族だと言い周囲の兵士たちがそれを聞いて蔑みを込めた目を向けた時に一瞬だけど仮面が剥げ落ちるほどの怒りの表情を浮かべた……ように見えました。

 ──あれ? 気のせいかな。

 あるのはさっきと同じ仮面を貼り付けたような笑顔。

 

 お茶をまた一口飲むと、カップを置く。

 

 

「……そのことは気にしなくても結構です。身分がなくとも、軍団長の権限ならばあなたを正規兵として採用することはできます」

 

 

 そして、諦めることなくまだスカウトしてきました。

 軍団長の権限を行使するという発言に、周囲の兵士が驚いています。

 ……そこまでするの? 

 私も正規兵として魔王軍に入れるなら出世の道もあるかもしれないし入りたいけど、これってローミア軍団長に恩を売るということになりますよね? 

 この陰険な軍団長殿に借りは作りたくないです。

 怪しいお誘いには乗りたくないので、お断りさせていただくことに。

 

 

「ごめんなさい」

「あら、断るのですか?」

「お断りします」

「では、前回の戦いで戦車を破壊した件について損害の賠償を求めます」

 

 

 ……あれ? 

 勧誘を断ったら、損害賠償を請求されてしまった。

 しかも、到底払える額ではない。

 

 戦車は魔王軍の借り物だけど、壊したのは私じゃなく王国軍の最初の魔法攻撃ですよ! 

 いや、結局最終的に壊したのは私だけど、家族を助けるためにやむおえず破壊したのです。

 反論しようとしたが、口を挟む余地など与えるかとローミア軍団長が逃げ道を塞いできた。

 

 

「戦車1両にはそれ相応の費用がかかっています」

「でもそれを壊したのは──」

「王国軍の魔法攻撃ならあなたに請求をしませんが、戦車はひっくり返されただけ。車輪の損傷などもなく、起こせば戦闘は可能な状態でした。それを壊したのはあなたの槍です。魔王軍兵士に支給される槍です」

「し、しかし、戦車が返されては──」

「あなたは人間のつもりですか? 非力な者でも魔族ならば3人いれば起こすことはできたはずでしょう?」

「あっ……!」

 

 

 しまった! 

 前世のことここで引きずっていたわ! 起こせるわけないという先入観が判断を誤らせてしまうとは! 

 確かに魔族の力なら、重たい戦車も起こすことはできました。

 しかも周りには友軍、それもローミア軍団長の部隊の兵士たちがいましたし、人手を集めるのは簡単だったよ。

 集められたのに集めもせず、その上で戦車を破壊。

 ……あの時の兵士さんが壊れたことを聞いて青筋立てていたのこれが原因のよう。

 

 

「そして、正当な理由なく軍の備品を故意に破壊した場合、当然その損害を請求させてもらうことになります」

「…………」

「魔王軍に入り私の配下になると言うなら、立て替えてあげてもいいですよ?」

 

 

 は、嵌められた……。

 いや、墓穴に足突っ込んでいたのは私自身だけど、逃げ道をことごとく塞がれてしまった。

 戦車の損害請求、私には払えない。

 よって、立て替えてもらわなければ犯罪者となるし、次の戦への参加もできなくなってしまう。

 

 詰みました。

 はい、もうローミア軍団長の要求を受け入れるしか、私に道は残されていないようです。

 

 

「……わ、わかりました」

「ふふ……歓迎しますよ」

 

 

 良いコマが手に入った、という心の声が聞こえます。

 こうして私は魔王軍に正式加入することとなりました。

 

 ……後に聞いた話なのですが、実は魔王軍の正規兵となれた『モノ』も少数ながらいるらしく、第二軍団長がそういう立場だったと聞いた時には私も驚きました。

 第二軍団長の『コーガ・ディンガル』といえば、最年少で軍団長就任を果たした出世頭として有名な方ではないですか。

 魔王軍って、内情は意外とザルな面もあるのかな?



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第5話

 ローミア軍団長の脅迫勧誘により、魔王軍に就職しました。

 どうも皆さんこんにちは。名もなき魔族の戦車乗りこと、戦車兵(チャリオット・ライダー)です。略して『チャリオット』か『ライダー』、もしくは『チャラいだー』と呼んでください。

 本当は正規軍に入れるような身分ではなかったのですが、ローミア軍団長がごまかしてくれたのか無事に魔王軍に入ることができました。

 しかもローミア軍団長の直属、第3軍団として。

 ……入りたくなかった、この方の下には。

 

 魔王軍は軍を再編し、諦められない人間たちの世界への再侵攻を計画しているとのこと。

 魔王軍はすでに次の侵略の準備に取り掛かっているらしく、ベルハザルの都市の中は慌ただしい様子。

 ……よくよく考えたら、このベルハザルの都市の内部というのはほとんど見たことがなかった。住処にしていたのスラム街だったし、身分不確かな輩を入れるような都市ではないし。

 

 次の侵攻は魔王軍の第1軍団から第3軍団までのほぼ全軍が投入される大規模なものとなるそうで。

 そのため即座に侵攻、というわけには行かず数ヶ月単位の準備が必要になるとのこと。今すぐ戦が起こるというわけではないらしい。

 一方で、リングル王国も次の侵攻に備えて兵力を温存する予定らしく、逆侵攻などの様子はなかった。

 なかったのだが、どうやらリングル王国は人間の世界に広がる各国に対して書状を出して魔王軍に対抗するための連合軍を作ろうと画策しているという情報があるらしい。

 

 そんな情報どこで聞いたかって? 

 ローミア軍団長が話してくれたんですよ。

 なんで一兵卒の私なんかにこんな話を振るのかすごい気になるし嫌な予感がプンプンするので今すぐ耳を閉じて聞いたことを忘れて立ち去りたいのですが、できませんでした。

 

 

「あなたには秘密裏に人間の国に潜入して貰い、彼らの連合結成を妨害して貰います」

「…………」

 

 

 極秘の潜入任務。

 いや、どっちかっていうと彼女の出世欲の材料となる手柄を上げてこいという命令だね。

 ──ふざけんなこの陰険魔族! 

 

 先日、第2軍団長に対して魔王から直々にこの連合軍結成に際した妨害工作をするべく獣人の国に向かうように指令が出たらしい。

 そしてそこに同行したのが、第2軍団長補佐となった元第3軍団長のアーミラ・ベルグレット。

 同格の軍団長、そして元上司が魔王の命令を受けて動いている。

 ここで手柄をあげられれば、自分が第3軍団長の座を下されることでも危惧したのか、この陰険紫髪軍団長は独自に別口で連合軍の妨害工作を仕掛けようと画策した。

 そして、その命令を私にしてきたというわけであります。

 

 ……決戦前に自分の側近失いたくないからって、最悪亡くしてもいいけどそれなりに使えそうで成功する可能性もある都合の良いコマということで私に目をつけたらしい。

 そのためにあのひと芝居を仕掛けて、脅してまで自分の配下の魔王軍に組み込んだわけですよこの方。

 

 ……もう魔王軍裏切ろうかな。でも亜人差別の思想が強い人間たちが受け入れてくれるわけないよな。同族にも同胞ではなくゴミだの魔物だのと同じ扱いされる身分だしなぁ。

 この前の戦で捕虜になった黒騎士殿はリングル王国に寝返ったとか言われているし。どうやら軍団長の魔法の情報を売り渡して入れてもらったらしい。

 亜人差別の少ない寛容なリングル王国でも手土産なしには魔族は受け入れられないということ。

 ……無理かぁ。やっぱり、魔族に生まれた以上魔王軍しか居場所はないらしい。

 

 

「ローミア軍団長の魔法系統ってなんですか?」

「当然、この任務受けますよね? 軍属となった以上、待遇に見合う忠誠を期待します」

「……はい、受けます」

 

 

 手土産になりそうな情報を引き抜こうと試みたが、ダメでした。

 この陰険、流石にガードが固い。出し抜くのは難しそう。

 

 

「それからあなたの魔物ですが、二頭は残してもらいます」

「……人質のつもりですか?」

「いえいえそんなつもりはないですよ。ただ、あれほど目立つ魔物を三頭も連れて歩かれては、任務にも支障が出るでしょう?」

 

 

 手土産ない時点で裏切ることもできないというのに、さらに周到なことに家族を人質にとりやがった。

 ……ダメだ。今は3頭とも向こうの手の内にある。ここで暴れても、家族たちに危険が及ぶことになる。

 

 

「……裏切るつもりなんてありませんよ」

「裏切る予定があるのですか? その際にはあなたの愛しいペットを処分しなければならなくなりますが──」

「危害を加えたら許さねえぞ」

 

 

 部屋に雷撃が鳴り響き、調度品などが多数破壊される。

 周囲の側近たちが警戒し剣に手をかける中、ローミア軍団長だけは家族が無事である限りは私が手を出せないことを承知しているのか薄気味悪い笑みを浮かべたまま私をまっすぐ見つめ返している。

 

 

「暴れたければご自由にどうぞ? ですが、あなたはそこまで愚かではないはずです」

「……チッ」

 

 

 舌打ちして雷の魔力を抑える。

 ……性格最悪だなこの軍団長。やだよこの方の下で働くの。こんな陰険だったら、まだ保身と出世欲の塊なダメ上司のグレッド部隊長の下だった頃の方が良かったよ。

 でもまあ、ここで暴れても家族たちが傷つくだけ。従うしかない。

 

 

「地図を持ってきてください」

 

 

 ローミア軍団長が側近の1人に指示を出し、この世界の地図を用意させる。

 そしてそれを開くと、魔王領と魔物の森を挟んだ先に広がる豊かな人間たちの世界、その最前線のリングル王国からさらに先に存在するとある国を示した。

 

 

「あなたには、この国に向かってもらいます」

「…………」

 

 

 あの……今世の前半生は野生で過ごしてきたので、私には学がないんです。

 前世の知識があるから地図は読める。森を越えて河を越えて進軍し、リングル王国に差し掛かった。森とか山とか川は絵で描かれているからこれもなんとなくわかる。そこから魔王領とリングル王国を示している場所は分かる。

 でも、文字が読めないので他は全くわかりません。というか、人間の世界にどんな国があるかもリングル王国以外分かりません。ついでに獣人の国があることも最近初めて知りました。

 ごめんなさい、目を凝らしてもやっぱりこの世界の文字は読めません。

 

 

「……文字が読めないのですか?」

「…………」

「無言は肯定と受け取ります。そうですね、スラムに居を持つ者で文字を読めるものはほとんどいないはずですから」

 

 

 ……なんか悔しい。

 ため息をつきながら、ローミア軍団長は国名の解説をしてくれた。

 

 軍団長から解説を受けた結果。

 私が向かうことになる国の名前が『ニルヴァルナ王国』だということを教えてもらいました。

 この国は人間たちの世界の中においても屈指の武闘派として知られる国であり、強力な戦士を多く抱える魔法を考慮しなければ最も質の高い兵士を抱える強国とのこと。

 しかし強さを絶対視するが故に自国より劣る国には従いたがらない気風が強く、魔王軍の侵攻に対しても他国の協力要請を突っぱねているらしい。

 しかしリングル王国の説得に応じて連合軍に参加することとなれば、脅威となる国の一つだという。

 

 

「具体的に何をはすれば?」

「そのようなことはあなたが考えてください」

「上官の責任果たせ陰険」

「……何か言いましたか?」

「いえ、何も」

 

 

 地獄耳だし聞こえたはずだが、あえてスルーした軍団長。

 軍団長のくせに具体的な命令はなくとにかく破壊工作しろなんで雑な命令出しておいて文句返されないと思う方がおかしいのでは? 

 まあいいや。適当に首脳陣を抹殺して国家機能を破綻させれば、それで戦争どころではなくなるでしょ。

 

 

「とりあえず国王とか首脳陣を軒並み殺せば戦争どころじゃなくなるから、それでいいですか?」

「乱暴ですがいい考えですね。ではその方向でお願いします」

 

 

 あっさりローミア軍団長は賛成した。

 自分で言っておいてなんだけど、都市の中に住む真っ当な魔族様が敵に仕掛けるとはいえ殺戮なんて野蛮な手法をとることに抵抗見せないってどうなんだろ? 

 ひょっとして、ローミア軍団長も案外暗い過去引きずって歪んでいる方なのかな? 

 ……ああ、歪んでいるから陰険なんだ。

 

 

「失礼なことを考えませんでしたか?」

「いえ別に」

「……何を考えたのか、言ってみなさい」

「国王とか首脳陣をまとめて殺すのにいい機会はないかな、と」

 

 

 実際は本当に失礼なことを考えたけど、この陰険軍団長に正直に言ったら何やり返されるのかわからないからごまかしておきます。

 この手合いの陰険って、ネチネチネチネチと長期間にわたって嫌がらせで返してきそうだから恨みはあまり買いたくない。

 味方にご用心で戦場には挑んでいられませんよ。

 

 でもまあ、ごまかしのために口に出した事柄も重要なことではあるはず。

 ローミア軍団長もそれはわかっているらしく、くだらないことを追求するよりも国王暗殺計画に対する方向に思考を切り替えてくれたらしい。

 

 

「……何か機会があるはずです。こちらで調べておきましょう」

「宜しくお願いします」

 

 

 意外とこういうことはしっかりしてくれるのかな? 

 ……いや、単に自分の手柄を上げるために周到になっているだけか。私の安全とか成功率の向上とかは考えていなさそうですね。



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第6話

 魔物の生息する森。

 今世で最初に私が捨てられていた森もその一部だけど、この森のことを指す場合は魔王領を取り囲み人間たちの世界と隔絶している国境として広がる森を指す。

 その先に人間たちの国々が広がっているのだが、魔王領として一つにまとまっている魔族たちの世界と違い人間たちの世界には複数の国が存在する。

 

 まず、魔王領に最も近い位置に存在するリングル王国。

 王族の気風か国民の気風か知らないが、魔族や魔物の領域に最も近く最も被害を受けやすい割には魔族を含めた亜人に対する偏見がほとんどない、不思議な国だ。

 だが、魔物の領域に近いことなどもあり騎士や魔法使いの質が高く、救命団という負傷兵の確保と回復に特化した集団があるなど、魔王軍の侵攻を2度にわたり防いでいるその実力は本物である。

 

 次に魔王領以外の国々と交流を持つ大陸最高峰の魔法研究機関の学園、魔導学園都市ルクヴィス。

 ここは正確に言えば国家ではなく、独立都市のようなもの。世界中からあらゆる魔法に関する資料をかき集め、魔法使いの高い素養を持つ人間たちが大陸中より集い、日夜魔法の研究を続けている。魔法を学ぶならルクヴィス以上の場所はないともいわれており、大陸において最先端の魔法研究が行われているこの場所には人間だけでなく高い魔法使いの素養を備えた獣人をはじめとする亜人たちも集い学んでいるらしい。

 こと魔法という面においては、魔族すらも及ばない叡智の先端を走る機関だとか。

 そういう事情からか各国の王侯貴族なども多く通っており、大陸全土に強い影響力を持つ。

 

 次にリングル王国とルクヴィスにほど近い地に国土を持つ、カームヘリオ王国。

 魔王という脅威がありながらリングル王国への協力姿勢を見せる国が少ない中、リングル王国との親交が長いためか数少ない協力的な姿勢をすでに見せている国である。国力的にも中堅規模の侮れる国ではない。

 リングル王国に対して早期に協力的な姿勢を見せている国であり、ここは連合軍への参加が確実とみられているため破壊工作をしようともヒビを入れられない国だ。

 

 次にリングル王国同様に魔物の生息域である森に近い国土の広がる国、サマリアール王国。

 祈りの国とも呼ばれるサマリアールは古くから存在する国家であり、その長い歴史が独自の研究で積み重ねてきた高い水準に達する魔法文明を持つ国である。流石にルクヴィスには劣るだろうが。

 この国は閉鎖的であり、また色々と曰く付きな黒い歴史とあるとかなんとか。情報も少なく、不明瞭な点が多いのでどんな国かわからない。むやみに介入すれば藪から蛇が出てきそうなので、魔王軍としても警戒している。

 

 そして、私が今回の任務で向かう予定に存在する人間諸国の国々の中でも屈指の軍事力を誇る大国、ニルヴァルナ王国。

 勝者絶対、敗者無用! を地でいく脳筋国家というのが最適な評価などという話もあるほどに『強さ』に対する執着の強い国で、それゆえか人間たちの国の中では最も戦士の質が高いと言われる。

 ローミア軍団長が仕入れた情報では、国王自ら腕自慢を国中から集めて武闘大会を開くほどだとか。

 ……これってさ、暗殺に絶好の場所じゃない? 国中の腕自慢が集まる大会とはいえ、国王をはじめとする王国の首脳部の大半が国民たちの前に姿をさらけ出すのだ。それに、この大会の賞金を目当てによその国からも腕自慢が集まるため、入り込むのも難しくはない。

 ニルヴァルナ王たるもの、挑戦者なれば暗殺者も含め受けて立ち己が力を持って沈め威信を示すものなり、というスローガンが向こうの王家にはあるらしく、脳筋の歴代ニルヴァルナ王は自ら大会に紛れ込む暗殺者すらも迎え撃つ覚悟を示すとかで欠席したことがないのだそう。

 脳筋ここに極まれり。決めた、この大会に忍び込んで国王たちを暗殺しよう。

 いくら強くても脳筋の王っていうのは策を弄そうとしないから、首を狙い撃ちするのは難しくはないかな。

 

 他にもエルフの集落が人間領の森のどこかにあるとか、魔物の森の只中に広がる巨大な湖の中心に都市があるとか、いくつか未確認の勢力もあるらしいが、魔王領は人間たちの世界と交流があるわけではないので詳細は不明とのこと。ここは情報が少なすぎるらしい。

 そもそも長らく人間と争っている魔族は人間たちの世界をほとんど知らない。交流もないしね。

 

 というわけで、私は秘密裏にニルヴァルナ王国に向かうこととなった。

 狙うは脳筋王の開催する武闘大会。参加者は腕自慢ならば亜人だろうがなんだろうが誰でも大歓迎というずさんなセキュリティーで管理されているというので、潜入は簡単だろう。

 王も『来るなら来い暗殺者!』という態度で大会に顔をみせるそうだし。

 なら、望み通りその命もらいに行こうかな。

 ……でも成功しようが私ではなくローミア軍団長の手柄になるっていうのが腹立つ。

 

 今回の任務は『三男』のみ連れて行くことになる。

 残る家族たちは明言されていないけど、確実に裏切り防止用の人質だ。

 亜人嫌いの人間たちがなんの手土産もない私を受け入れるとは思えないし、むしろ完全包囲されて獄中に放り込まれたり処刑されたりしそうだから、魔王軍を裏切る意思は今の所ないのだけど。

 

 これから向かうのは敵地のど真ん中。

 援軍はなく、周りは全部人間──つまり敵だ。

 前世があるとは言っても、私の今世は魔族。これは変わらないし、この世界の人たちにとっては今世の私が全てだ。

 

 

「グウウゥゥゥ……」

「大丈夫だよ。絶対帰ってくるから」

 

 

 潜入任務の出発当日。

 私は家族たちとなるつもりはないけど今生の別れになるかもしれない挨拶をすませる。

 安心させるように笑顔で取り繕うけど、やはり家族というだけあって隠し事をしようとする笑顔は見抜かれるのか、長男も次男も不安そうで落ち着かなかった。

 

 鼻先を撫でて声をかけるけど、やっぱり落ち着いてくれない。

 一緒に連れて行って欲しいと、言葉を発しているわけではないけど鳴き声からそう懇願しているのがわかる。

 

 

「……ごめんね、それはできないんだ」

「グウウゥゥゥ……」

「大丈夫だって。絶対に私は死んだりしない、必ず生きて帰ってくる。約束するから」

「ブルル……」

「うん、約束。また会おう」

 

 

 家族たちの角に小指を合わせて、約束を交わす。

 長男と次男と、それぞれと。

 それでもまだ不安そうだったけど、私との約束を信じていると言うようにようやくおとなしくなってくれた。

 

 

「……行こうか」

「ブルゥ!」

 

 

 もう1人の家族。

 この戦いに1頭だけ同行する、旅において私の唯一の味方となってくれる家族。

 三男に声をかけると、彼もまた末っ子らしく元気な声とともに答えてくれた。

 

 

「成功を祈っています」

「……では、行ってきますね」

 

 

 ローミア軍団長も見送りに来てくれていたけど、要らない。むしろいらない。

 あの方こっちの心配なんてこれっぽっちもしていない。『成功すればもうけもの』くらいにしか思っていない。

 門出にあなたの見送りは正直要りません。

 

 そんな愚痴を心の中でこぼしながら、三男の背中に乗る。

 そして地面を勢いよく蹴って駆け出す三男の背中にしがみつきながら、森へと向かっていった。

 

 

「……やっぱりあの方苦手だ」

「ブルゥ!」

 

 

 嫌いというか、苦手だ。

 騙し合い化かし合いで、どちらかというと引き摺り下ろす方に立つタイプの方だ。

 自分が生きるためならなんでも利用する点は私に似ているけど、直情的で冷血で自分の命に極端に執着している私と違って、あの方は利用できるものからできないものすらも利用して己の命だけでなく地位も名誉もかっさらって利益を得る狡猾なタイプだ。自分が助かるだけじゃ満足できない、かなりの強欲。

 しかも頭も切れるし。

 ……やっぱり苦手。いくら警戒してもいつの間にか利用できるだけ利用されて最後は捨てられるという運命に他人を導きそうだから、本当にあの方には関わりたくない。

 三男も同じ匂いを感じ取ったのか、同意の声をあげてくれた。



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第7話

 魔王領と人間たちの世界の間には、魔物の生息する広大な森が広がっている。

 場所によって生息する魔物などが変化するが、いずれも単身で乗り込むには魔族であろうと危険な地帯である。

 

 どうも皆さんこんばんは。

 現地時刻で今は夜、真っ暗な魔物の生息する森の中を三男の背中に乗って駆け抜けている名もなき魔族です。

 なぜに名無しと? 今世の顔も知らない親に名前もつけられずに捨てられたからです。よって、名前もありませんので無名とな。

 ……捨てた親からつけられた名前なんてこっちから捨てたいところだけど。

 

 さて、本来なら家族たちに引かれる戦車を乗りこなすので『戦車兵』になるところですが、今回は人間たちの世界への潜入任務のために『三男』だけ連れてきているので戦車もありません。もはやこれでは『騎兵』ですね。

 というわけで今回は『チャラいだー』が適切ではないので『騎兵(ライダー)』と呼んでください。

 

 では私と三男がなぜこの危険な魔物の森を夜に進んでいるのかというと、魔王軍に正式に参加してからすぐさまある任務を軍団長から命じられたためです。

 内容は人間たちの国の一つであり屈指の武闘派として知られる『ニルヴァルナ王国』の反魔王連合軍の加入を阻止すること。

 そのために魔王領と人間たちの世界を隔てること森の中を進んでいるわけです。

 ニルヴァルナ王国は人間たちの世界にある国なので、この森を超えないとたどり着くことができないのだけど。

 さすがに魔王領から魔族が堂々と入り込むわけにもいかないので、こうしてあえて危険だが見つかりにくい夜に人間たちの世界への侵入を目指して移動しているというわけです。

 多分、もうすぐ人間たちの世界にたどり着くと思う。

 

 魔王の復活により魔王軍が結成され、魔族一丸となって人間たちの国に対し侵略戦争を開始した。

 その侵略を受けたリングル王国が独力での対抗は困難と判断したのか、人間の他の国に対して魔王軍に対抗する連合軍の結成を呼びかける動きを見せているらしい。

 当然だけど魔王軍としては連合軍を組まれるよりも各個撃破の方がやりやすいのだから、連合軍参加の妨害を仕掛ける必要がある。

 今回のニルヴァルナ王国潜入と破壊任務はその一環なのだ。

 ……手柄の欲しい軍団長の独断だけどね。

 成功すればもうけもの、失敗しても失うのは拾い物のコマ一つで済むしそもそも独断だから軍団の内で片付けられるので経歴に汚点がつくわけでもない、というなんとも周到なやり方なんです。

 陰険な軍団長らしいローリスクハイリターンな手法だね。

 

 そんな任務に駆り立てられている私ですが、従わざるを得ない事情というものがあります。

 今連れている三男の兄弟であり私の今世のかけがえのない家族である長男と次男が軍団長のところにいる。つまり、人質をとられているわけであり、何かあったら彼らの身に危険が及ぶのです。

 だから逃げることはできません。

 裏切るなんて選択肢は元からない。亜人差別の多い人間の世界では、魔王軍として敵対していることも含めれば獣人以上に魔族は受け入れられないから。

 ……正規軍に入ったことで安定的な収入を得られるようになったけど、縛られることが多くなった。あの軍団長の配下に入れられたことも考えると、マイナスの方が多いと感じるこの頃。

 

 とりあえずリングル王国は近いけど間違えなく国境の警戒が強いだろうから、潜入には向いていない。他もだいたい魔物が森から出てくることもあるので警戒は強いだろうけど、なるべくバレないように比較的目立たない場所から侵入する予定です。

 位置的には怪しい噂が聞こえる曰く付きの国であるサマリアール王国と、大陸最高峰の魔法研究機関である魔導学園都市ルクヴィスの境界付近を狙おうと思います。

 人間同士の国々の国境もだいたい警戒が強いのだけど、ルクヴィスはその特別な立ち位置からか比較的緩いらしい。

 それにこのサマリアールとルクヴィスの境界付近というのは未開拓な辺境で、人間もほとんど居を構えていないらしい。

 らしいというだけで詳細は不明だけど、そもそも魔王領で人間たちの世界の情報なんてほとんど手に入らないのだから仕方がない。

 

 このあたりの魔物の領域は、理由は不明だけど他の地域に比べて危険な魔物が多数生息している。

 境界の魔物の領域は全体的に魔王領側に危険な魔物の生息域が広がっているが、このあたりの魔物の領域は人間側の森にも危険な魔物が多い。

 それこそグランドグリズリーに並ぶ強さを持つ狼型の魔物であるグローウルフとかもいる。

 ……といっても、私の今世早々に捨てられた魔王領のさらに奥に広がる魔物の領域に比べれば遥かに安全だけどね。魔族たちの中でも魔境呼ばわりされており、あまりにも危険だから近付けず口減しに子供を捨てるなんてこともできないくらいだし。こっち側ではヌシを張ることも珍しくないグローウルフなんか、魔境に放り込めば即エサだよ。

 

 この辺りは危険な魔物が多い地域だけど、魔境で前半生を過ごした私たちにしてみれば大したことない。

 賢い魔物は格の違いを嗅ぎ取るらしく三男の姿を見るなり逃げ出すし、怖いもの知らずで襲いかかってくる魔物は全然ザコだから軒並み返り討ちにしている。

 夜は確かに危険だけど、私たちにしてみれば踏破するのは難しくなかった。

 

 というわけで、魔物の領域をほぼ抜けました。

 まだ森が続いているけど、魔物の領域は出たみたい。魔力をほとんど持たない動物の数も多数見かけるようになってきたし。

 ……人間の姿は流石に見られないけど。森の中だし。夜だし。

 

 

「ブルゥ!」

「そんなに焦らないで」

 

 

 魔物の領域では大した敵と巡り会えず、家族たちの中では落ち着いている三男も闘争心を持て余している。

 その頭を撫でて落ち着かせながら、森を進む。

 ニルヴァルナ王国では存分に暴れてもらうから、それまでの辛抱だよ。

 

 

「…………」

 

 

 しかしながら、任務とは全く関係ないのだけどこのあたりの魔物の領域が周辺に比べて一際危険な地帯になっていることが、何となくという曖昧なものだけどどうにも気になる。

 こういう時の『何となく』は無意識の内に身に迫るほどの危険を感じていることもあるからあまり無視したくないのだけど……。

 私の方も何だか妙な胸騒ぎがしているし、ここはなるべく早めに抜けよう。

 そう思い、足を速める。

 

 

「ちょっと走るよ」

「ブルゥ!」

 

 

 なるべく早めに森を抜けようと、三男にも声をかけて走り出す。

 走り出した私にあわせてついてきてくれている家族の姿を確認して、前を向き直った。

 

 ──その時だった。

 突然、夜の帳を切り裂くような強烈な悪寒がしたのは。

 

 

「ッ!?」

 

 

 野生で過ごした高い危機察知能力を持つ本能が叫んでいる。

 今すぐここから離れろ、と。さもなくば命が危険にさらされる。

 気配から察するに、ここら辺の魔物なんぞは相手にもならない、魔王領の魔境でも感じたことがないようなとてつもなく強大な何かが前触れもなく突然近くに出現したみたい。

 

 

「ダメ、止まって!」

 

 

 咄嗟に三男に対して片手で止まる指示を出す。

 三男も魔物の本能からその脅威を感じ取ったらしく、先ほどまでの闘志が引っこみ怯え始めた。

 

 

「落ち着いて。大丈夫、私がついてるから」

 

 

 三男のそばに駆け寄り、その体を撫でて落ち着かせる。

 しかしながら、落ち着けと言った私の方が内心焦りまくっています。

 冷や汗が止まらない。急に重たく寒くなったように感じる空気に、足がすくむ。

 

 

「──────────!」

 

 

 森の奥から、聞いたこともないような悍ましい咆哮が森の中に響き渡る。

 ……間違えない。暗くて姿は見えないけど、今の咆哮を上げたのがこの悪寒の元凶。

 どうして突然あれほど強大な存在が出てきたのかわからないけど、野生で培ってきた本能はこの咆哮の主が今まで見てきたどんな魔物よりも強大な存在であり決して関わっていい相手ではないという警鐘を全力で鳴らしてきている。

 

 この感覚、家族たちと出会うきっかけとなったあの大ムカデを前にした時以来のものだ。あの時はお腹が空きすぎて耐えられなかったから巨大ムカデに喧嘩をふっかけたけど、冷静になってみれば相手にしていい存在じゃないことを肌で感じ取れる。

 

 

「何なの……?」

 

 

 サマリアールってなんか怪しい話を多数聞いたことがある国だ。

 そんな国の近くから人間領なんかに入るべきじゃなかったかな……。

 今更ながらルートの選択を誤ったと感じる私だった。



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第8話

 竜という存在なら、魔王軍でも見たことがある。

 飛竜、というか空飛ぶトカゲだけど。『ワイバーン』という魔物の一種で、魔王軍において飼いならされている個体が多数おり乗り手の指示に従いともに戦場をかける。

 

 でも、ドラゴンとなると私は見たことがない。

 こっちの世界でもファンタジーだと思ってました。

 そして今、そのファンタジーが姿を現しました。

 意味がわからないって? うん、私も意味がワカラナイ。

 

 ……現実逃避してる暇はない。それは確かに姿を現した。なんの前触れもなく、いきなり。

 強烈な悪寒を発してきた圧倒的なその存在は、ワイバーンどころか森の木々なんぞよりもはるかに巨大なドラゴンでした。

 

 ドラゴンの実物なんて見たことないけど、前世では数多のファンタジーに登場してきた。

 夜の森に出現したそれは、まさにそのファンタジーの世界で語られてきた伝説の生物の姿そのものである。

 暗くて細部は確認できないけど、シルエットといいその巨体といいドラゴンそのものだ。

 あれの外見を説明しろと言われても、ドラゴンとしか言いようがない。

 

 サマリアール王国って、ドラゴンを生み出すことができるの!? 

 魔王軍でも野生に存在しない魔物を造る技術はあるけど、流石にドラゴンはない。

 いろいろ黒い歴史があるという噂を聞くサマリアール王国、まさかの辺境の地でドラゴンの研究をしていたとは。

 あれが野生の魔物とは考えられない。私の推測だけど、あの破壊の化身のような巨大生物は歴史も長いがその歴史において黒い噂が多くあることが魔族にすらも伝わるほどの不気味な国、サマリアール王国が生み出した戦略兵器である人造モンスターだと思うのですが。信じたくないけど、魔境でもないこんな場所にドラゴンがポッと出てきていいわけないし、兵器として作られた魔物と考える方がまだ納得できる。

 ……サマリアールって、リングル王国が反魔王軍連合の呼びかけをしている国の一つだよね? あんなの相手にしなきゃならないだとか、もう魔王軍辞めようかな。その選択肢ないけど。

 

 まだドラゴンは私たちには気づいていないみたいだけど、時間の問題だ。

 見つかっていないうちに逃げよう。あんなのは相手にできない。

 

 

「ブルゥ……」

 

 

 怯える三男の首を撫でて、宥める。

 今パニックに囚われて走り出せば、確実にあのドラゴンに見つかる。

 なんとなくだけど、あのドラゴンは自分以外のすべてに対する殺戮衝動に満ちた話の通じない存在に感じる。こういう手合いの魔物に限って、臆病な弱い魔物並みに生物の気配を敏感に感じ取るんだよね。

 臆病な魔物なら見つけ次第逃げ出すけど、こういう魔物は逆に見つけ次第まず逃げ道から塞いでくるひどい性格をしていることが多いのだ。

 ……あれ制御できているのか? 絶対兵器用とかには向いてないと思うけど。

 

 だから、見つかる前に多少時間がかかっても静かにその場を離れるのが得策。

 そう判断して、怯えて動けなくなる三男をゆっくり誘導して、静かにドラゴンから遠ざかっていく。

 本能は『今すぐ全力疾走で何もかも振り切り逃げろ!』と訴えているけど、それでは見つかってしまうから却下。一度でも見つかればあのドラゴンから逃げるのは容易ではない。向こうがどんな隠し玉持っているかも判明していないなら、避けるべきリスクは見つかることだ。

 

 ところがどっこい。

 結論いえば、私の本能が訴える警鐘の方が正しかった。

 

 ドラゴンの方に空気が流れていく。

 それがドラゴンの息を吸う行為によるもの、すなわちブレスの予兆だと気づいた時には、ドラゴンの口から火山の噴煙と見間違えるような巨大な黒い──というか紫色の煙らしきものが噴き出したかと思いきや、それがこっちに降り注いできたのである。

 

 ヤバい。

 何がヤバいって? 

 あれは触れちゃいけないものだ。そう本能が全力で訴えてくる。

 防ぐとかいう考えなんか思いつかなかった。

 

 

「逃げて!」

 

 

 咄嗟に私は足がすくんで動けない三男の巨体を雷魔法を流した脚で蹴り飛ばす。

 怪我をしかねない威力の蹴りだけど、そんな気遣いをする余裕もなかった。

 とにかく恐怖に身がすくんで動けない家族をあのドラゴンのブレスから助けなきゃいけないということしか考える余裕はなかった。

 

 三男を避難させ、私も離脱しようとした。

 けど、一足遅かった。

 三男を避難させた時には、もうブレスは降り注いできていたから。

 

 頭上から降り注ぐ質量の塊が破裂した直後、私の視界は真っ赤に染まった。

 

 

「────!?」

 

 

 痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛イ痛イ痛イ痛イ痛イイタイイタイイタイイタイイタイイタイ!! 

 ブレスを食らった直後に、身体中を激痛が走り。目から、鼻から、耳から血が吹き出てきた。

 耐えきれずに悲鳴を上げようとしたけど、私の喉からは何の音も出なかった。

 

 喉が震える感覚も感じないし、悲鳴だけじゃなくて音そのものが消えたよう。

 視界が血の色で染まったわけじゃない。聴覚も多分、そう。今のブレスで私の感覚がイカれたんだ。平衡感覚もイカれているのか、天地がひっくり返ったような感覚に陥る。

 とてもじゃないけどまともに立ってなんかいられない。身体中を走る激痛もあり、その場に思わず倒れこむ。

 視界が黒と赤で点滅している。喉だけじゃなくて、体の感覚のほとんどが気の狂いそうな激痛を訴える痛覚以外麻痺しているかのように地面の感触すら感じなくなっている。

 

 今のドラゴンのブレスが原因、だろうね。見るからに毒々しかったし。

 って、それより痛い。この身体中を走る激痛で、もうまともな思考がどこかに吹っ飛びそう。この痛みから抜け出せるなら何でもするから、誰でもいいから助けて! 

 

 ドラゴンの放ったブレスにより、木々が、地面が、その場に存在していたあらゆる命が瞬く間に命を摩耗させ朽ちていく。

 一瞬にしてブレスの降り注いだ場所は死の世界へ早変わりした。

 その中に取り残された私も、周囲の木々のように体が表面より腐り落ち朽ちていく。

 木々よりも朽ちるのが遅くその形を何とか保っていたのは、人間よりもはるかに強靭な魔族の肉体があったからこそだ。前世の時のように人間の身で直接喰らおうものなら、瞬く間に骨も残さず腐り落ちただろう。

 

 そして永き時を経てとある吸血鬼の魔物によって復活した古の時代の伝説にすら語られることの許されない怪物『邪龍』は、そんな己の破壊の一端に巻き込まれた矮小な生物のことなどには目もくれず。

 ただ復活して最初に対峙することとなった、己を封印した存在と同じ匂いを感じる忌まわしくも矮小な『敵』のみを見据えていた。



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第9話

 最初に訂正するが、名も無き魔族の騎兵の見たドラゴンだが、これはサマリアール王国の人造モンスターではない。そもそもそんな技術がある国がいたとすれば、それは世界をすでに飲み込んでいただろう。

 魔物を人工的に造る技術は現在となっては魔族の特権であり、サマリアールにはドラゴンは当然ながら人に害をなすこともできないような弱小モンスターの一つを作る術すら存在しない。

 そして仮にその技術があったとしても、この龍を使役することなど決して出来なかっただろうし、この時代においてその骸を再び現世に蘇らせることもできなかった。

 

 二対の神龍の片割れ、暴虐と破壊の化身。

 その猛威を世界に振るい古の時代の国々を次々と滅亡させ、サマリアールをも滅ぼそうとした存在。

 その存在は、伝説にもほとんど名を記すことはない。

 しかし、かつての戦争において勇者以上に畏怖を轟かし魔王以上に世界に破壊をもたらした。

 

 ──その名は『邪龍』。

 人知れず永き時を生きてきたネクロマンサーの手によって再びこの世界に現れた、最凶にして最恐の怪物である。

 

 

「ヴギュォワアアアアア!!」

 

 

 たとえ骸と成り果てようとも、その存在の前にはあらゆる生命は己の矮小さを知ることになる。

 人間も、魔族も、獣人も、そして魔物さえも。

 雑多な有象無象如きとは格が違う。

 巨大な一つ目の龍は、己の復活を世界にはびこる有象無象に対して知らしめるかのように、世界の果てまで届くと錯覚してしまうほど悍ましく巨大な咆哮を夜の帳に覆われた空へ向けて轟かせた。

 

 名もなき魔族の戦車乗りがその巨大な存在を目にし、そして毒のブレスを受けたて倒れた時。

 魔族である彼女も一瞬で逃走の選択肢を選んだその存在に立ち向かうものたちがいた。

 

 人間の騎士と、獣人の少女と、青毛の熊と、白服のオーガのような人間人間のようなオーガで構成される、種族の壁などに囚われない様々な面々で構成される一団だ。

 彼らは本来、魔王軍に対抗するための連合軍結成の呼びかけのための書簡渡しの旅の途中である。それがどうして邪龍とことを構える事になるか。それを説明するには、少し時を遡ることとなる。

 

 彼らの目的は、魔王軍に対抗するための連合軍を結成する事にある。

 そのための協力をこう書簡をリングル王国より託され、周辺諸国に渡すために同郷の2人の勇者らとともに彼らは旅立った。

 そしてルクヴィスを訪れて、大陸最高峰の魔導学園都市より連合軍参加に対する了承の返答を得てから、一行は3つの国に向けて別れた道を歩むこととなった。

 光の勇者である龍泉はニルヴァルナ王国を目指して。

 雷の勇者である犬上はカームヘリオ王国を目指して。

 そして救命団副長である兎里はサマリアール王国を目指して。

 

 彼らはそのサマリアール王国へ向かう途中にて、ある村に立ち寄る。

 そこは、ネクロマンサーという死体を操る術を駆使する人型の魔物によって孤立させられた村であった。

 行きずりの者を巻き込みたくない村人たちは当初そのことを隠していたが、ゾンビに襲われていた所を兎里に助けられた村娘のネアから彼らは真実を聞かされることとなる。

 村の窮状を知った兎里は多少ラブコメっぽい展開も挟みつつも、ネクロマンサーに対しプッツンとなりその魔物をぶん殴ることを決意。

 相棒であるブルーグリズリーの子供の『ブルリン』、護衛の騎士でありゾンビに有効な炎の魔法を得意とする『アルク』、とある事情を抱えて獣人の国からリングル王国に来た未来予知の希少な魔法を駆使する幼女少女『アマコ』、そして村の男衆たちとともにゾンビに守られるネクロマンサーの館にカチコミを敢行した。

 

 その結果どうして邪龍がゾンビとして蘇ったのか。

 答えは、邪龍の骸はネクロマンサーが切り札として館の地下に保管していたものだからである。

 村の窮状を生み出した元凶である魔物、吸血鬼とネクロマンサーの混血という真の姿を見せたネアは、吸血鬼の魔法によって村人たちと罠にはめたアルクを操り、兎里たちと対峙した。

 兎里はネアの操る村人たちとアルクを治癒魔法を駆使した多様な攻撃によって結果的に──そう、あくまで結果的にだが無傷で全員制圧した。殴ったり魔力を投げつけたりと、散々人間離れした大立ち回りをして。治癒魔法の使えるオーガだし、人間離れしているのも納得できる。

 そして残すはネアだけという局面に至って、彼女は切り札である邪龍を復活させたのである。

 

 そのあまりの悍ましさと恐ろしさから、伝承からほとんど姿を消した存在である邪龍。

 二百年以上の月日を生きてきたネアが生まれるよりもさらに遙か昔、サマリアール王国の地にて当代の勇者によって封印された存在。

 不完全な形ではあるが明確な復活を果たしたその龍は、最初の獲物となる矮小な存在にかつて己を封印した存在の纏うこの世界にはない『匂い』を感じ取っていた。

 

 狡猾な邪龍は、滅ぼす相手に逃げ道など与えない。

 深く息を吸い込むと、動植物関係なく全ての命を腐らせるブレスを兎里たちをあえて狙わずにその背後へ向けて放つ。

 最初の一発にて本来は何の関係もなかったはずの完全な巻き添えを食らった魔族がいたことなど、彼らは知らないし邪龍にとっては何の興味もない事柄。

 

 やってられるかと自慢の脚を頼りにちゃっかり邪龍の肩に乗るネアを煽って逃走を図ろうとしていた兎里たちは、続けて放たれた邪龍のブレスにより死の結界を張られ逃げ道を塞がれることとなった。

 

 邪龍が見据える敵は1人だけ。

 かつて対峙した矮小な人間風情が己を封印して見せた。

 今も体の奥に突き刺さるあの刀を持っていた勇者と同じ匂いを持つ少年である。

 

 あれと同郷だというならば、例え刀を持たずとも、例え背格好が違おうとも、例え年齢が違おうとも、例え青毛のクマを従えていようとも、例え人間ではなくても、須く無条件で破壊しなければ気が済まない敵だ。

 すでに朽ちているはらわたが煮え繰り返るような怒りと、あの男と同じ世界のものを殺す機会が最初に巡ってきたという喜びを一つ目に宿し、邪龍はその敵を見据える。

 

 そして、邪龍によって退路を絶たれた兎里。

 ブルリンはまだ平気そうだが、邪龍の放ったブレスの影響を受けたのかアマコの体調が優れない。

 アルクさんも気絶してしまったままだし、彼にもこのブレスの影響が及んでいる可能性が高い。

 逃げ道がない以上、彼には戦って邪龍を殴って倒す選択肢しかなかった。いや、他にもっとまともな選択肢はあるはずだ。何故そうなる。

 

 

「ブルリン、2人を頼む」

「グルァ」

 

 

 アルクとアマコを背負ったブルリンが、兎里に返事をする。

 青い顔をしながら、1人で邪龍に立ち向かおうとする兎里に、アマコが心配そうに声をかける。

 それに応えるように、兎里はアマコの肩に触れて治癒魔法をかけつつオーガらしくない優しい表情で安心させるように言った。

 

 

「ウサト……」

「心配いらない。殴ってみて倒せるかどうか確かめればいいから」

「まず殴って判断するのはやめよう」

 

 

 治癒魔法のおかげで少し元気になったアマコが冷静に突っ込む。

 兎里も自分の異常な考え方に対して自覚があるのか、優しい笑顔が苦笑いになってしまった。

 しかし彼は立ち向かう選択肢を曲げるつもりはない。

 根は一応平和主義者であるため決して戦闘狂というわけではないが、それでも龍を相手に殴りかかろうという判断をするあたり相当な脳筋である。そんなもの今更だろう。

 

 

「さあ、ウサトを捕まえなさい!」

 

 

 邪龍の肩で一気に形勢が逆転した事に嗜虐的な笑みが止まらないネア。

 そしてそのネアを肩に乗せ、兎里を見据える1つ目の怪物。

 

 

「まずは殴る。それからだ!」

 

 

 白の団服を靡かせ、その強大な存在へと兎里はたった1人で立ち向かっていった。

 

 

 

 

 いかに復活を果たしたものの不完全で全盛期には程遠い存在といえど、いかに救命団にて肉体と精神を鍛え抜き戦争も生き残り乗り越えてきた兎里といえど、弱って尚この世界において頂点の一角に君臨する邪龍に1人で立ち向かうなどただの自殺行為だ。

 戦いは当然一方的なものとなるだろう。

 

 ──だが、不確定要素というのはどこに転がっているかわからないもの。

 この時、彼らの意識の埒外よりその戦いに乱入を仕掛けようとする存在があった。



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第10話

 聞くものすべての耳に不快感とそれ以上の恐怖を刻み込むおぞましい咆哮を響かせながら、夜の森を走り兎里めがけて巨体を生かした突撃を仕掛けてくる邪龍。

 半分腐り落ちていながらも、尚いかなる名工が鍛え抜いた鎧よりも頑強であることを主張するで圧倒的な存在感を放つ龍鱗に覆われた前足を振り回す。

 

 緩慢に見えるのは巨体ゆえのこと。

 実際振り回すその前足の速度は、質量も相成り直撃どころか掠れるだけでも人の身体など挽肉になるほど破壊してさらにお釣りが山のように帰ってくるほどの破壊力を持つ。

 

 しかし巨体だからこそ大ぶりで緩慢な動きとなる。

 全盛期ならばいざ知らず、土の下より無理やり呼び覚まされた骸となり果てた身で繰り出す攻撃では、救命団にて団長ローズの拳を交わす特訓をボコボコにされながらもくぐり抜けてきた兎里にとって目を瞑ってでも躱せる攻撃である。

 どれほど強力でも当たらなければ意味がない。

 振るわれた前足は空を切り、地面の枯葉や土を舞い上がらせる強風を起こすにとどまる。

 

 邪龍の前足を避けた兎里は、止まることなくその巨体に向けて駆け抜ける。

 それに対して邪龍は、今度は地面を駆け回るゴキブリを潰そうとするかのように前足を地面に叩きつけてきた。

 

 

「デカいだけじゃ避けるのなんて──って、うおッ!?」

 

 

 余裕を持って邪龍の前足とその手に伸びる鉤爪を逃れた兎里だが、叩きつけられたその前足の生み出す地面の振動を受け思わず足が止まってしまう。

 邪龍の強烈な攻撃は地面に大きなくぼみを作り、避けた兎里をその余波で転がすほどであった。

 

 地面を走り回る兎里の目線では、横の動作を明確に見分けられる振り回す攻撃よりも、直線的な動きをとり且つ躱しても衝撃で相手の姿勢を崩すこの手合いの攻撃の方が対応しにくい。

 振り下ろしの攻撃が振り回しの攻撃より兎里にとって躱しにくいものであることを瞬時に見抜いた邪龍は、追い討ちをかけるように前足を逃げ回る兎里に対して次々に叩きつけてきた。

 

 

「うおおおぉ!? 危なっ──くそ、近づこうにもこれじゃ……!」

 

 

 邪龍に勝る数少ない利点の1つである脚を生かして動き回る兎里を両腕で激しく地面に叩き追い回す邪龍。

 その苛烈な攻撃は地を揺らし風を起こし、回避を続ける兎里のバランスを崩しにかかる。

 一回や二回程度ならば躱し続ける程度造作もなかった兎里だが、邪龍の攻撃に体勢を崩され彼の間合いである拳の届く懐深くまで入り込むことができなかった。

 

 このままではジリ貧だと判断し一度大きく下がって距離をとった兎里に、追い詰めていると思い気を良くしたネアが邪龍相手に地面を転げまわる兎里を嘲笑った。

 

 

「あはは! さっきまでの威勢はどうしたのよ変態治癒魔法使い! こいつを殴るとか言っていた割には、間合いにすら入れていないじゃない!」

「誰が変態治癒魔法使いだ! 僕の間合いが拳の届く範囲だと思うなよ!」

 

 

 ネアの挑発を受け、兎里の額に青筋が立つ。

 その矮小な体を潰してやると言わんばかりに突進してくる邪龍。

 すると兎里は手のひらに治癒魔法を集中すると、その腕を引いて邪龍の肩に乗るネアめがけて治癒魔法の魔力の塊を投げ飛ばした。

 

 

「食らえ、治癒魔法弾!」

 

 

 そう、投げ飛ばした。

 魔力の塊を。野球のピッチャーよろしく豪快なスローイングで。

 そして救命団の地獄の拷問訓練を乗り越え鍛え抜かれた兎里の肩の力を込められた治癒魔法の塊は、デタラメな豪速球となってネアの顔面にクリーンヒットした。

 

 

「ぎゃうん!?」

 

 

 治癒魔法の豪速球を躱すことができず顔面にその衝撃をもろにくらうネア。

 いかにネクロマンサーと吸血鬼の混血という特異な個体の魔物の彼女といえど、それを食らえば無傷では──肉体的には治癒魔法のおかげで無傷とはいえ、心理的には無傷では済まない。

 果たして治癒魔法とはなんぞや? 

 少なくとも魔力をぶん投げて敵の顔面に直撃させることにより結果は無傷で制圧するための魔法ではないだろう。

 

 悲鳴をあげて大きくのけぞった彼女は、疾走する邪龍の肩から落ちる。

 その操作する主人の悲劇に、邪龍は全く興味を示さずただ己の憎き敵の同胞を亡骸に変えてやると言わんばかりに減速すらせずに突進を続行した。

 

 

「操っているんじゃないのかよ!?」

 

 

 邪龍のゾンビを操っているネアを気絶させれば止まると思っていた兎里は、止まる気配のない邪龍に悪態つきながら横に地面を転がることでその突進を間一髪のところで回避する。

 直後に驀進した邪龍の巨体が生み出す破壊の余波が、強力な風圧となって兎里の体を吹き飛ばした。

 

 

「くっ!」

 

 

 人間離れした身体能力を持つ治癒オーガこと兎里でも、不安定な体勢でこの風圧を食らえば踏ん張ることなど叶うはずも無く吹き飛ばされるしかない。

 地面に激しく体を打ちつけながらも持ち前の治癒魔法で即座にコンディションを全快に戻しすぐさま立ち上がる兎里。

 

 だが、まるでそれを待っていたかのようにいつの間にか突進を止めていた邪龍の巨大な尻尾が立ち上がったばかりの兎里に振るわれその身に強烈な一撃を叩き込んだ。

 

 

「なっ──グアッ!?」

 

 

 回避も防御も間に合わなかった兎里は、巨大な尻尾の一撃を受けてネアを置いてきた方向に吹き飛ばされる。

 通常の人間なら原型など止めないような攻撃だったが、救命団で鍛え抜いてきただけありなんとか兎里の体は骨折などの負傷こそしたものの原型は残り命も取り留めることができた。

 

 

「こんなの、団長の拳に比べれば痛く無いんだよ──!」

 

 

 そして、回復魔法とは比べ物にならない効力を持つ治癒魔法は、基本的に命が繋がっていればたとえ戦闘不能な重傷であろうと即座に治癒して万全な状態に戻すことができる魔法である。

 兎里には魔力さえ続けば軽傷も重傷も治癒魔法で癒せるので、負傷というのは無いのだ。

 術者の傷を癒して即座に戦線復帰させるというのは治癒魔法の正しい使い方ではあるのだが、アコライトは前衛とかいうわけじゃ無いのだから治すなり殴りかかるあたりやはり使い方を間違っている。

 

 ……そう。

 兎里は何を思ったのか、邪龍の巨大な質量に任せた尻尾の攻撃を喰らいながらもその怪我をすぐに癒し、逆に距離が詰められたのをチャンスと見て邪龍の巨体に拳を叩き込もうと突っ込んだのである。

 

 

「喰らえやトカゲ野郎が!」

 

 

 もう人間の顔では無い。

 治癒魔法を纏った兎里の黒騎士を沈めた時よりもさらに強力となった渾身の治癒パンチが、邪龍の右側の下腹部に叩き込まれた。

 

 如何に龍鱗に覆われた邪龍の表皮でも、治癒オーガの拳ならば有効打になるだろう。

 だが、人間離れしたその一撃をもってしても邪龍の鱗はかけることも凹むことも無く、兎里の拳に返ってきたのは硬い壁を殴るようなまるで効いていない手応えだった。

 

 

「硬いなぁ……」

 

 

 あまりの手ごたえのなさに、苦い顔をする兎里。

 しかし、そんなことをつぶやいている余裕などない。

 肌に口を刺してくる五月蝿い蚊を叩き潰すように、腹を殴った兎里めがけて邪龍が前足を振り下ろしてきた。

 

 

「うおっ!? あ、あぶなかった……」

 

 

 間一髪のところで回避に成功した兎里。

 あと少し回避が遅れていたら死んでいただろう邪龍の攻撃に、一瞬でも気を抜いたら即座に殺されるほど強大な存在に1人で立ち向かっているということを改めて思い至り気を引き締める。

 

 無力な人間をあざ笑うように、邪龍の朽ちかけている顔が嗤いを浮かべる。

 術者であるネアの制御とは明らかに無関係な動きを見せてくる邪龍に、兎里はやはりネアが制御できていないのでは無いかという可能性を感じる。

 

 だが、ネアに操られていようが独自に動いていようが、人間をやめたオーガである兎里にとっては遥かに強大な怪物を相手にしていることには変わりがない。

 殴ってもまるで効いていない。治癒魔法を投げつけてもおそらく効く可能性は無いだろう。

 殴ってもダメだったとなるとどうすればいいのか。

 邪龍攻略の糸口がつかめ無い兎里の額から、彼の焦りを示すように汗が一筋流れた。

 

 邪龍が大きく息を吸い込む。

 逃げ道を塞いだ毒のブレス。

 その前兆を邪龍が見せ、兎里はすぐに動いた。

 

 

「させるかぁ!」

 

 

 毒だろうと治癒魔法を駆使する兎里には関係無い。

 だが、邪龍のブレスの軌道にはネアが魔術研究などをするために隠れ家としていた洋館がある。

 そこにはネアに操られていたためやむなく治癒魔法を使って気絶させた村人たちがまだいる。

 

 躱そうとも飛びかかろうとも、止めなければ村人たちがブレスの餌食になってしまう。

 それだけはさせてたまるかと、兎里は殴っても効かない相手に無謀にも飛び込んでいった。

 

 兎里の拳など避ける価値も無いと言わんばかりに、動き出した彼を無視して息を吸い込む邪龍。

 すぐさま邪龍との距離を詰めた兎里は、歯を食いしばり手加減なしの全力の治癒パンチを下腹部に叩き込む。

 だが、拳に返ってきたのはやはり壁を殴るような感触のみ。邪龍には答えた様子がかけらも無く、息を吸い込む動作も止まる気配が無い。

 

 

「止めろおオォォォ!」

 

 

 それでも諦めるものかと、兎里が拳を叩き込む。

 効いている感触などないのに、我武者羅に殴り続ける。

 

 しかし、邪龍を止めるには弱すぎる妨害だった。

 無情にもその口は開かれ、毒のブレスが放たれる。

 

 

「止め────」

「ブルォォォオオオオオ!!」

 

 

 降り注いだ一帯を死の世界に変えてしまう邪龍のブレス。

 それが兎里と洋館めがけて放たれる直前、その雷鳴は突如として夜の森に響き渡った。

 

 

「えっ──?」

 

 

 混乱する兎里の目に映ったもの。

 それは、邪龍のブレスが洋館に降り注ぐ惨劇では無く、その邪龍に雷を纏った巨体で強烈な体当たりを敢行したサイのような姿をした一体の魔物だった。

 

 よほど強力な攻撃だったのだろう。

 兎里の拳では傷1つつかなかった邪龍の鱗はサイの魔物の突進により蜘蛛の巣状の亀裂が走り、ブレスを放とうとしていた邪龍の口から毒の塊ではなく悲鳴を上げさせた。

 

 

「ヴキュオゴオオオォォォォォォ!!」

 

 

 明らかに苦悶から来る咆哮。

 邪龍の身体が揺れ、サイの突進に押されるように動く。

 兎里の拳も受け付けなかった鱗を砕かれた。

 サイの魔物がなんなのか兎里にはわからなかったが、それでもここが勝機であると兎里はひとまずサイの魔物のことは横に置いておき邪龍のヒビの入った腹めがけて渾身のストレートを叩き込んだ。

 

 

「ここだあああぁぁぁ!」

 

 

 今度こそ壁を殴ったような感触では無い。

 ひび割れた龍鱗が砕かれ、身体の髄に響く強烈な一撃が邪龍に対して叩き込まれた。




原作との相違点です。
原作においてはアルクさんが操られたことで不利に陥った兎里たちは一度体勢を立て直すために撤退し、翌日に村人たちが村に戻った後の館にて戦闘してアルクさんを取り戻してからネアの復活させた邪龍と対峙してします。
(拙作では兎里が獅子奮迅の働きをして村人とアルクさんをまとめて気絶させ、反撃作戦の決行日に焦ったネアが邪龍の封印を強引に解いて呼び起こしたことにしています。そのためネアは兎里が異世界人である境遇などを知らず、欠片程度はあった邪龍の制御は全く無い状態です。目覚めた邪龍は先代勇者と同郷である兎里の纏う『異世界人のにおい』を嗅ぎ取り、かつて己を封印した存在の同郷の者として初っ端から『コロシテヤル』のロックオンを兎里に限定しています。己を起こしたネクロマンサーも、ブルリンやアマコも、村人たちのことも、当然ながら巻き込まれた魔族のことも一切認知していません。館を狙ったのは、そこからも感じ取れる己を封じた憎き存在『先代勇者の刀』を滅ぼしたかったから)


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第11話

 兎里の拳が、サイの魔物により破壊されひび割れていた邪龍を鱗を砕いた。

 突如として乱入した魔物の突進、そして脆弱な人間の拳。全盛期であれば取るに足らない雑魚の攻撃であったが、朽ちた邪龍の龍鱗は本来の堅牢さを発揮できず、これらの攻撃を肉に響かせることを許してしまった。

 

 一度朽ちた後にネア──ネクロマンサーの手により再誕を果たした邪龍の肉体は、純粋な生物ではなく不死種のそれである。

 長年の封印が魂を摩耗させ、未だに命の灯火が尽きていないもののカテゴリ的にはゾンビと同様の存在に堕とされた邪龍の肉体は、すでに治癒魔法の効果を受け付ける存在ではなくなっている。

 そのため、兎里の治癒パンチは纏った魔法を使うことなく、邪龍の肉体に対して純粋な打撃として突き刺さった。

 

 邪龍にとっての不幸は、ネクロマンサーの力によって呼び起こされた為に本来の力がほとんど発揮できない脆弱な存在として再臨を果たしたこと、その猛威を振りまいていた時代から進化を遂げた世代の魔物の突進攻撃を受けてしまったこと、そして喧嘩を売った相手が矮小な人間ではなく治癒魔法を間違った方向に進化させたオーガ異世界人の兎里が相手だったことだろう。

 相手も自らの肉体も現状というものが理解できていなかった。

 邪龍とてバカでは無い。むしろ、創生の時代から生きる片割れの龍、その年月に見合う知性と狡猾さ、残忍さといったものを持ち合わせている存在であった。

 だが、長き時は生命の知の分野の源である『脳』をも腐敗させており、加えて兎里から感じた己を封じた相手と同じ匂いを発する存在というものに対して湧き上がった怒りにより、邪龍はその知性を発揮しきれなかった。

 ネクロマンサーによって甦らされたゆえの弊害と言える。それにとらわれ、己の弱体化と敵の強さを明らかに見誤っていた。

 

 

「ヴキュオゴオオオォォォ!!」

 

 

 兎里の拳はよほどの効果を発揮したらしい。

 邪龍が明らかに苦痛に呻く類の悲鳴を天に向かって上げる。

 その口からは毒気を帯びた息が漏れるが、ブレスほどの勢いはなく制御できない物を口から垂れ流しているような無様な姿だった。

 

 しかし、毒気を帯びていることに変わりはない。

 彼らの頭上に降り注いで来ないだけマシだが、いつまでも吹かせていていいものでは無いだろう。

 阻止こそできたものの、あれがまともなブレスとしてネアの根城としていた館──村長たちのいた場所に放たれていたら、想像しがたい地獄絵図が作られていただろう。

 間一髪で回避できたその愛悪の結末が脳裏をよぎり、兎里は額に冷や汗を一筋流した。

 

 そして、それと同時に思う。

 さっきのブレスは、兎里1人では防ぎきれなかった。

 突如として現れた謎の魔物、あの犀みたいな魔物が邪龍の体に傷を入れなければ止められなかった。

 

 そういう意味なら、彼は恩人といえる存在だ。

 ブルリンという前例があったことから魔物に対して一定の理解のある兎里は、その恩人といえる存在の犀の魔物の方を見る。

 

 

「ブルオオォォオォォ!!」

 

 

 しかし犀の魔物はといえば、兎里など一切眼中に入れず咆哮をあげると、痛みに呻く邪龍にまるで親の仇と言わんばかりに雷を纏った突進攻撃を再度食らわせようと駆け出していた。

 

 邪龍がその足音に反応し、眼下を疾走してくる魔物を睨みつける。

 自身より強い相手には基本的に喧嘩を売らない本能が勝るはずの魔物だが、犀の魔物はそんな威圧ごときで止まるか! と言わんばかりの気迫で、足を止めることも怯えるそぶりもなく邪龍めがけて突撃していく。

 

 思わぬ邪魔者の乱入、それも本能的に彼我の強弱など分かるはずの存在の無謀ともいえる突撃は、しかし邪龍の意表をついたらしくむしろ邪龍の方が一瞬ひるむそぶりを見せる。

 そして、その一瞬を犀の魔物は見逃さなかった。

 

 

「ブルオオォォオォォ!!」

 

 

 雷を纏った突撃が、邪龍の右の前足を捉える。

 直撃とともに雷鳴が轟き、鱗を、肉を、骨を打ち砕いて邪龍の片腕を粉砕して見せた。

 

 

「ヴキュオゴオオオォォォ!!」

 

 

 やはりゾンビと化した肉体でも、痛覚はある様子。

 身体の欠損という損傷を受け、邪龍が苦悶の咆哮をあげる。

 そして、邪龍の目は己の仇の同郷ではなく、明確な脅威として犀の魔物へと移った。

 

 

「グギギ……ギザヴァアアアアァァァァ!!」

 

 

 邪龍がその目に怒りを浮かべ、残った方の前足を振り下ろす。

 それを犀の魔物の方は猪突猛進、ひたすら敵に向けて前進を続ける突撃で真っ向からぶつかっていく。

 体格差は圧倒的だというのに、邪龍の前足は犀の魔物を押しきれず、その力は拮抗した。

 

 

「ブルオオォォオォォ!!」

 

 

 だが、その拮抗は唐突に崩れる。

 四肢と全身を使い全力でぶつかっていった犀の魔物と、片腕一本で鬱陶しい害虫を潰すように足を振り回した邪龍。その勝敗は、気迫で勝っていた犀の魔物に軍配があがる。

 ひときわ大きく咆哮を上げた犀の魔物が、邪龍の前足を押しのけついにはその凶悪極まる攻撃を真正面から跳ね除けたのである。

 

 そのまま突撃し、邪龍の肉体にさらなる一撃を穿つ。

 咄嗟に上から嚙みつき攻撃で対抗しようとした邪龍だが、それを正面突撃で図体に似合わない加速のついた速さにより置いて行くように躱した犀の魔物は突進攻撃を邪龍の胴体に叩き込んだ。

 

 

「ガギャヴギギガァアアアアァァァァ!!」

 

 

 四肢の踏ん張りも効かず、邪龍の肉体が揺らぐ。

 犀の魔物は突進攻撃によってついには邪龍の体勢すらも崩して、その巨体を転倒させてしまった。

 

 

「ギヴルルグゥ!!」

 

 

 だが、邪龍の方もただで倒れてやることはしなかった。

 倒れる最中において、正面しか向いていない犀の魔物めがけて自らの身体で作った死角から振り回した尻尾を叩きつけたのである。

 

 

「ブヴッ!?」

 

 

 防御も回避も考慮せずひたすら前進あるのみだった突進攻撃に全力を注いでいたこともあってか、犀の魔物はその一撃を受けてしまう。

 犀の魔物にとってその一撃は強烈だったらしく、一撃でその身体を吹き飛ばされてしまった。

 邪龍と違い、悲鳴すらかき消されて地面に叩きつけられる犀の魔物。

 その犀の魔物に、起き上がった邪龍が前足を振り下ろす。

 

 

「ヴァギャグヴォゴァアアアアァァァァ!!」

「ブオオオォォォ……!」

 

 

 邪龍の足に踏みつけられ、犀の魔物が悲鳴をあげる。

 邪龍は悲鳴をあげるその魔物を見下しながら、よくもコケにしてくれたなと言わんばかりの怒りを感じる咆哮を上げた。

 

 

「な、なんなんだよ……」

 

 

 その様子を見ていた兎里は、困惑するばかりである。

 ネアが気絶した現状、邪龍の様子を見る限り彼女の制御下に無いのは明らかである。

 いくらポンコツで残念な彼女といえど、流石に己の住処にしている館を破壊しようとなんて考えないだろうし。村人の虐殺を無意味に行うこともしないだろう。

 何より、邪龍の目には明らかに自我といえる感情の灯が光っているように感じる。

 ……もっとも、ロクでも無い感情のようだけど。

 

 一方の唐突な乱入者は、兎里のことなど眼中になさそうである。

 そして、邪龍の意識も兎里から犀の魔物の方へと完全に移っていた。

 犀の魔物が何者かはわからないが、邪龍とあの魔物が争っているうちにアマコやアルクさん、村人の皆さんを避難させたほうがいいかもしれない。

 

 

「いや、今のうちにみんなを逃がさないと……!」

 

 

 救命団の一員として果たすべき使命と、乱入者によって作られたチャンス。

 兎里は今するべきことを冷静に判断して、動こうとする。

 

 

「……けどなぁ」

 

 

 だが、その足は一歩目で止まってしまった。

 

 頭では理解しているつもりだ。

 あの魔物は別に兎里を、村人たちを邪龍から助けたわけじゃ無い。

 結果的に助けたというだけで、あの魔物はなんの理由かわからないけど邪龍に対して無謀な挑戦をしているだけであった。

 兎里はただ、同じ敵と戦っていただけの存在。眼中にもなかった様子なのだから、恩義なんか感じる必要も無い。

 

 しかし、兎里の足は止まってしまった。

 救命団としては、この状況を利用して助けるべき人を助けなければならないところだ。あの魔物が死んだとしても、兎里たちにとってデメリットは無い。無い、はずなのだ。

 それでも兎里の目には、勝てるはずの無い邪龍に何か理由があるのか無謀とわかっていても感情を任せて挑みかかるその犀の魔物がかつて巨大ヘビの魔物に両親を殺されその敵討ちに挑んだブルリンに重なって見えてしまった。

 

 あの犀の魔物は、明らかに邪龍に対して怒っている。

 それこそ、自身の命を危険に晒しても構わないほど、深く激しい怒りを感じる。

 邪龍相手にボコボコにされているというのに、それでも邪龍を見上げる目だけは決して屈しないという強い意志を宿しているように見える。

 

 

「やっぱり、認めたく無いんだよなぁ……」

 

 

 助けるべき人を危険にさらして、助けなくてもいい相手を助ける。

 我ながら救命団失格だなと、内心自嘲しながら。

 兎里は白い団服を靡かせて、アマコたちに背を向けた。

 

 

「ブルリン、いいよな!?」

「グアァ!」

 

 

 そちらの方には目を向けず、相棒の魔物に尋ねる。

 訊いた内容は、アマコたちを引き続き守っていて欲しいというもの。

 それに対し、兎里の言葉を理解してくれる勇敢なブルーグリズリーの子供は、任せておけと言わんばかりに返事をしてくれた。

 

 なら、任せよう。

 拳を握る兎里の口元に、相棒への信頼と感謝からくる笑みが浮かぶ。

 救命団員として間違った選択だけど、仲間は許容し尻拭いを約束してくれた。

 これで後顧の憂なし。

 

 

「行くぞトカゲ野郎! そのゲスな足を退けろオラァ!」

 

 

 次の瞬間、兎里の笑みは引っこみ代わりに鬼の形相が浮かび上がる。

 そして犀の魔物をいたぶるあまりこちらを無視していた邪龍への顔面に向けて飛び上がり、強烈なストレートをだらしなく開いた顎へと叩き込んだ。



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第12話

 体の感覚がない。

 あれほど蝕んでいた苦痛も綺麗さっぱり無い。

 けど、何も感じないからこその恐怖もある。

 まるで、自分の体がなくなったかのような感覚。

 おそらく、さっきの巨大な龍がぶっ放してきた毒のブレスによるものだろう。

 あんなものが直撃したのだ。いくら魔族の体といえど、致命的なダメージを食らっている。

 痛覚などがなくなっているのが、むしろ幸いかな。体が溶け落ちていく死に様は、野生でも見るからに1番嫌な死に方だったからなぁ。

 向こうの森だと龍じゃなくて主に蜘蛛と鋏虫みたいな魔物が使っていた殺害方法だけど。

 

 三男を蹴り飛ばした。

 あのまま食らっていれば、私だけじゃなくてあの子がこの毒を食らっていたはず。

 家族を助けることはできたけど、それだけ。龍に見つかれば、次にあの子を守るのは誰もいない。

 あのブレスを受ければ、あの子は……。

 

 

「──────ッ!」

 

 

 かすかに聞こえる音。

 聞き覚えのある声だった。

 私の家族が挙げる声だった。

 言葉がわかるわけじゃ無い。でも、その声がどんなものかを私は知っている。

 生まれたばかりの頃、私を親と勝手に決めつけて後ろを付け回して、好奇心の赴くままに遊んで、そしてたまに巨大な魔物に襲われて逃げてきた時。私に必死で助けを乞うようにあげていた、悲しい咆哮。

 

 

「認め、られるかよッ……」

 

 

 雷魔法を体の内側に流し、動けない体を無理やり動かす。

 溶けている部位が崩れていく。無理に動かしたせいで残りの体がより一層崩壊を進めて、わずかな寿命がガリガリと削られていく。

 でも、そんなの関係無いと無理やり体を動かす。

 

 私は他人に興味なんて無い。

 利用できれば利用する。害になるなら排除する。無意味なら無干渉で済ませる。

 人を人として見られない。モノとしてしか見られない。

 だから、義理とか、愛情とか、道義とか、忠誠とか、そういうものに一切共感できなかった。

 他人がどうなろうと、私が無事でいられるなら、生きられるなら、躊躇なく踏み台にする。どこまでも自己の保全しか興味が無い、それが私だ。前世からそうだった。

 

 でも、家族は別だ。

 私は親に恵まれなかったから、まともな家族愛というものを知らない。

 それでも、前世でも今世でも、家族は私にとって唯一自分の命を張るということができるかけがえの無い存在だ。

 

 だから、立ち上がらなきゃならない。

 私の家族が、傷を負うことも厭わずに戦っている。

 なら、この子達の『親』になるって決めた私が、私を捨てたクソ親どもと同じ我が身可愛さに子供を見捨てる選択肢なんてとるわけにはいかない。

 

 目を開く。

 そこに見えたのは、毒ブレスを放とうとする腐ったドラゴンと、それに殴りかかる白服の人間と、ドラゴンの前足に踏みつけられて悲鳴をあげる私の家族だった。

 

 

「──ッ!」

 

 

 その光景に、私の怒りが噴火した。

 

 ドラゴンだか龍だかどっちでもいいけど、私の家族に手を出すなら許さない! 

 問答無用であいつは腐ったトカゲ野郎、クソトカゲだ! 

 

 槍を握りしめる。

 腕に雷の魔力を流す。

 

 クソトカゲとの間に見覚えのある黒髪がいる。

 なんで行方不明になったはずのあいつがいるのか知らないけど、今はそんなことどうでもいい。どうでもいい他人より、私の家族を傷つけたあのクソトカゲをぶちのめす方が先だ。

 普段なら他人なんか気にせずまとめて串刺しにするけど、あのクソトカゲには確実に槍の投擲を万全なもので打ち込みたい。

 だから、黒髪の背中に向かって()()()()叫んだ。

 

 

「そこをどけ、兎里ッ!」

 

 

 腕の残った筋肉など一切留意せず、全力で槍を投げる。

 どうせイカれて消えた痛覚だ。今更この体をどう酷使して壊そうが、痛くなければ関係無い。

 

 雷を纏う槍は私の声に反応し回避したクラスメイトの横を通り過ぎ、クソトカゲの残っている方の目を穿ち、風穴をその顔面に開けて夜空の彼方へと飛んで行った。

 

 

「ヴキュオゴオオオォォォ!!」

 

 

 ドラゴンが悲鳴を上げて、風穴の空いた顔面を両の前足で抑える。

 その際、三男を押しつぶす前脚が上げられたことで拘束から解放された。

 

 

「私の家族に手を出してんじゃねえぞ、クソトカゲがぁ!」

 

 

 当然そんな程度で許してやるつもりなど無い。

 雷魔法を全身に回して、腐っている傷口などは焼き固めて、神経は筋肉も骨も安全を考慮せず全力で動けるように指令を流し跳び上がり、痛みに呻くクソドラゴンのガラ空きの腹に飛び蹴りを叩き込んだ。

 

 

「ヴキュオゴオオオォォォ!!」

 

 

 どこまでも耳障りな鬱陶しい咆哮をあげる邪龍。

 しかし目が潰れた影響か、こちらが見えていないらしく我武者羅に前足を振り回してくる。

 だが、見るからに当たれば一撃で致命傷となる強力な攻撃であろうとも、狙いも定めていない上に巨体ゆえに鈍臭く大ぶりな攻撃なんぞに当たるほど私は優しくなければバカでもない。

 

 魔力を内側と外側へ循環させることにより肉体の一部を魔法で覆い、その外側を魔力の属性に変化させる。

 これにより外界から見れば肉体そのものをその属性の魔力に変化させる、使い手から見れば『魔法という装甲を纏った』という表現の合う、外側だけだがその魔法の属性を得ることができる魔法。

 黒騎士殿の闇魔法を参考にしているのであの方の使っていた鎧が近いかもしれないけど、こちらは私の独学ゆえに多分原理は全く違うだろう魔法『属性同化』だ。

 これにより一時的に自分自身の足を雷に変えることが可能となり、空中でも雷光よろしく立体きどうもお茶の子さいさい、自由な回避と移動を可能とする。

 あくまで魔法の鎧を纏っているだけなのでその鎧を破壊する攻撃を受ければ中の実体に攻撃が届くようになるし、本当の意味で自分の体を魔法に食われないようにする魔力の制御が難しいため、頭以外の体の一部にしか使えないけど。

 

 邪龍のデタラメな攻撃をこの『属性同化(雷)』を用いることにより、巨体が繰り出す攻撃を素早く躱しながら、本来自由に動けない空中でも回避して邪龍の腹に拳の届く位置に降り立った。

 そしてすぐに足から右腕全体に雷魔法を纏い、『属性同化』を展開する。

 その拳を引き絞り、ひび割れ破壊されている役立たずの鱗に覆われたドラゴンの腹に打ち込んだ。

 

 

「くたばれええエェェェ!!」

 

 

 鱗が砕かれ、邪龍の朽ちた肉体に強力な雷の魔力が流れる。

 内臓と体幹を支える骨にまで届いた雷は、邪龍の腹を内と外からその強力な魔力によって打ち砕いた。

 代わりに魔力の暴発で私の右腕が肘から消し飛んだけど、あいつに一泡吹かせて三男を助けられたのなら腕の一本くらい安いものだ。別にこれで即死というわけじゃ無いんだし、どうでもいい。さっさと焼き固めて止血するだけに済ませる。

 

 

「……思い知ったか、クソトカゲ」

「ヴキュオゴオオオォォォ!!」

「チッ……!」

 

 

 ドラゴンが尻尾を振り回してくる。

 手応えもあったし、いろいろとぶっ壊したはずなのだが、まだ動けたらしい。

 しぶといトカゲだな、クソッ……。舌打ちをこぼしながら、頭と腹を潰してもまだ倒れないドラゴンから距離をとろうとする。

 

 ここまでやって倒れないなら……逃げたほうが良さそう。毒のブレスによって森が破壊されて退路を塞ぐように被害が広がっているけど、まだ私たち分の退路くらいは残っているし、別に森が朽ち果てても私には関係無いし。

 腹の中身の骨と臓物、それと顔面。まあ、流石にここまで壊せば三男を助け起こしてからでも逃げ切るくらいは大丈夫だろう。もともとトカゲ野郎に一泡吹かせて三男の安全を確保できれば、もうこれ以上やりあう理由は私には無いのだから。

 そう判断して踵を返そうとした時、私の横を先ほどまでドラゴンに踏みつけられていた三男が通り過ぎドラゴンめがけて突進してきた。

 

 

「ブルオオオオォォォォォ!」

「何をして──ッ!? 止まって!」

 

 

 慌てて制止しようとしたけど、頭に血が上っているのか言うことを聞いてくれない。

 雷を纏う三男の突進はドラゴンの体に直撃し、その鱗を破壊して攻撃を通す。

 だが、それもドラゴンを倒し切るには至らない。

 むしろ、目が見えないドラゴンにその位置を教えるようなものだった。

 

 ドラゴンの風穴を顔面に開けながらもアゴは無傷の、ところどころかけてはいるが三男くらいならば十分噛み砕けるだろう巨大な口が迫る。

 

 

「クソがッ!」

 

 

 属性同化によって脚のみを雷に変えて再度跳び上がり、三男をかみ砕こうとしたドラゴンの頭部を横から左腕で殴りかかる。

 噛みつこうとしている姿勢は不安定だし、殴り飛ばせばによりドラゴンの牙は三男に直撃するコースからずれ地面にかぶりつくことになる。

 ──はずだった。

 

 ドラゴンはまるで私が三男を助けるのを待っていたかのように、首の向きをいきなり私の方に向けてきた。

 

 

「なっ──!?」

 

 

 誘われた。

 気づいた時にはもう遅い。

 ドラゴンが私を捉え、その鋭利な牙の並ぶ口で噛み付いてくる。

 

 ならもう片方の腕をくれてやると、もう一度魔法の暴発による攻撃でドラゴンの牙から逃れようと魔力を流した時。

 今度はそのドラゴンの本命の攻撃に横槍が入った。

 

 

「オリャアアアアアァァァァァ!」

 

 

 一瞬、オーガと見違えた白服を纏う人間。

 先ほど槍を叩き込むために退くよう怒鳴りつけてから放置していた、前世は見慣れたがこの世界ではどちらかというと珍しいだろう黒髪に、白の救命団の服を身にまとった青年。私がこの世界に転生する前、行方不明になったはずのクラスメイトである兎里 健。

 そんな彼が、私の前世における記憶の中では一度たりとも浮かべたことの無い鬼のような形相を浮かべながら、噛み付こうとしていたドラゴンの横顔を殴りつけてきたのである。



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第13話

 ドラゴンを相手に立ち向かう勇者が、どうやって戦うと思いますか? 

 聖剣、聖槍、或いは大砲などでしょうか。候補をあげるとしたらこういったものになるでしょう。

 少なくとも素手で「おっしゃ、ブン殴ろうか!」というノリにはならないと思います。

 

 

「オリャアアアアアァァァァァ!」

 

 

 ……ならないよね、普通は。

 

 どうも皆さんこんにちは。名もなき戦車乗りの魔族です。

 ドラゴンを見た、の次はドラゴンに挑む勇者は、という話題がなんで出てくるのか。

 理由は同じです。目の前でドラゴンに立ち向かっている勇者がいる光景があるからです。

 ただし、その勇者。

 聖剣も魔剣も持たず、何を思っているのかドラゴンを素手でブン殴って戦っているのです。はい。

 

 意味不明だって? 

 私も意味不明ですよ。

 でも実際、ドラゴンに殴りかかってしかも顎の骨砕いて殴り倒した人が目の前にいるのだから、意味不明でもなんでも現実として受け入れなければならない。

 しかもそれが前世で同じ学校の同じ学年に所属していた名字と人当たりのいい性格以外にさほど目立つところの無い名前と顔は知っている人物と同一人物である、というおまけつきです。

 ……より一層意味不明だっての。

 

 他人の空似かもしれないけど、その可能性は低いと思います。

 槍を投げつける時に、久しぶりに使った日本語で退くように言ったら、それに反応して避けてくれたので。

 咄嗟の反応かもしれないけど、退けという言葉の意味を理解した上での行動だったように見受けられました。

 

 ドラゴンに殴りかかったならお前も同類だって? 

 私がクソトカゲ野郎にしかけたのは腕一本犠牲にした魔力の暴発を利用した攻撃です。殴るというよりも魔法に重点を置いた攻撃なので、殴りかかったという表現は適切ではありません。

 それに、制御度外視なので腕が吹き飛ぶリスクが大きいけど破壊力もしっかりとある攻撃でしたから。

 あの素手でドラゴン殴り倒すという奇行を繰り広げる輩と一緒にしないでください。

 

 結論──分かりません。

 ドラゴンに殴りかかる奇行種、もとい兎里(うさと) (けん)は、ドラゴンの顎を拳で砕くという少なくとも人間ができる所業では無いことをしでかした後、訳も分からず混乱している私の前に降り立つと、この血なまぐさい世界に似合わない年相応の平和ボケの染みている他人を心配する表情をしながら私の方に駆け寄ってきた。

 

 

「君、大丈夫!?」

 

 

 言うなり、混乱している私の肩に触れる。

 兎里から敵意を感じなかったというのもあるけど、他人に簡単に触れられるのを許すほどに私は混乱していた。

 そしてその直後に兎里の掌から穏やかな緑色の魔力の光が放たれて、邪龍の咆哮などによりズタボロにされていたはずの私の身体が瞬く間に治っていった。

 

 治癒魔法。

 人間にのみ発現する、端的に言えば生物の治癒に特化した魔法である。

 兎里の魔法系統なのだろう。魔法が無い世界に生きていたはずのこいつに魔法が使えるのも驚きだったけど、希少な系統の魔法を扱うことよりもドラゴンを殴っていたことが衝撃的だったのであまり驚くことができなかった。

 文句は言わせません。治癒魔法使えることより、ドラゴンに殴りかかることのほうが衝撃的。よっぽどの天然でもなければそう感じるはず。

 

 ……しかし、治癒魔法の系統の持ち主って治癒魔法しか使えないはずだよな? 身体強化の魔法とか使えないはずだよな? 

 それでドラゴンを殴り倒す。

 ──だめだ、深く考えるのやめよう。敵であるはずの魔族を躊躇いなく治療する能天気なツラみたら、それについて考えるべきでは無い気がしてきた。底なし沼にはまる予感がします。

 

 焼き固めてしまった腕以外は、兎里の治癒魔法ですっかり治ってしまった。

 兎里を括るのは間違えかもしれないけど、人間に助けられるとは思いませんでした。

 私の知るこの世界の人間は魔族や獣人といった亜人に──というか人間以外に対する偏見が極端に強い種族だったから。

 

 

「その、腕は……」

 

 

 まだ混乱から立ち直っていない私に対し、兎里の方はといえばなぜか申し訳なさそうにしている。

 まさか、腕を生やすことはできないことを謝っているのか? 

 ……どんだけお人好しなんだよ、こいつ。なんか、前世で頼んでもいないのに鬱陶しくおせっかいを焼き説教もしてきたあの野郎を思い出す。

 これだけお人好しだと、同性とはいえ無類のお人好しだったあの野郎とも仲良くできたんじゃ無いかな? なんてどうでもいい感想が浮かんだ。

 

 その時、本能が警鐘を鳴らしてきた。

 兎里の背後に、先ほど殴り倒されたクソトカゲが首だけを起こしてブレスを吐こうとしている姿が目に入る。

 

 

 

「──ッ!? ボサッとしてんじゃねえ!」

「うわっ!?」

 

 

 即座に兎里の襟を掴んで、跳び上がる。

 咄嗟の事でガラにもなく他人を助けるということをした直後、眼下を邪龍の放った巨大な腐敗の煙が通り過ぎた。

 

 

「チッ、目が3つあるのかよあいつ……」

 

 

 残っていた方の目は槍で確かにブチ抜いてやったはずなのに、クソトカゲの野郎は明らかに狙って兎里と私にブレスを放ってきた。まるでどこかにもうひとつ目があるような狙いである。

 

 属性同化(雷)で脚を雷に変化させることで滞空しながら、下を通ったブレスの惨状と邪龍を見下ろす。

 感電されるのも面倒臭いしこっちの魔力の無駄遣いなので、兎里は肩に担いでいる状態です。

 

 

「う、うおおおお!? な、なんで僕空飛んでるの!?」

「驚くようなことかよ……」

 

 

 肩に担いだのがなんか空を飛んでいることに驚いて騒いでいるようだけど、私から言わせてみればお前も素で飛び回っていたじゃねえかさっきまでと返したいです。人間があんなバッタみたいにポンポン飛び回ってたまるか、仮面のバイク乗りヒーローじゃないのだし。

 

 寸前まで命の危機に直面していたのに子供みたいに空を飛んでいることにはしゃいでいる肩の荷物に若干呆れていると、クソトカゲが鼻をピクピクと動かすのが見える。

 直後、先ほどまでブレスを放っていた方を向いていた貌が空を飛んでいるこっちを向いた。

 

 

「ユウ者ガアアア!! 逃ガザグゥウウオオオオオォォォオォォォ!」

 

 

 あのトカゲ喋れたのか!? 

 いや、それよりも見つかった。

 あのクソトカゲ、目が見えないからって匂いでこっちの位置を特定してきやがった! 

 

 

「動くぞ、口閉じてろ!」

「何が──ってエエエエェェェ!?」

 

 

 騒いでいる荷物に声をかけてから、即座にその場を動く。

 少し遅れて、邪龍のブレスが私たちの先ほどまで滞空していた場所めがけて放たれた。

 

 邪龍のブレスを躱しつつ、三男を探す。

 私の言うことを聞いてくれないくらいに怒っていたようだけど、クソトカゲの振り回した尻尾の直撃を受けて弾き飛ばされてしまったようで、離れた場所にうずくまっていた。

 邪龍からは完全に無視されているらしく、ひとまずは安全の確保できる場所に倒れているけど。

 ……相当無茶をしたのだろう。もう体を纏う雷が消えかかっている。怪我もしているのか、立ち上がることもできないようだ。

 

 避難させて治療したいけど、クソトカゲのブレスで狙い撃ちにされている状況ではそれもままならない。

 でも、氏素性のしれない魔族もケガ人なら助けてしまうこのお人好しなら、魔物も助けてくれるかもしれない。

 邪龍のブレスを飛び回って躱しながら、私は肩に担ぐ荷物を利用することにした。

 

 

「おい、兎里!」

「な、何!? というかなんで僕の名前──」

「んなことは後だ! あの子を治癒魔法で助けろ!」

「え、まだ怪我人が──って投げるなあアアアァァァァ!」」

 

 

 担いでいては回避もしにくい。

 私は言いたいことだけ兎里に伝えると、三男がうずくまっている場所めがけて兎里を投げ飛ばした。

 

 兎里がいることとか、治癒魔法を使えることとか、ドラゴンを殴り倒せることとか、そもそもこのドラゴンどこから出てきたのだとか、いろいろ考えるべきことはある。確かめなきゃいけないこともある。私だって混乱している。

 だが、何をおいてもまずはあのトカゲをどうにかしてからだろう。

 

 クソトカゲが匂いをたどって兎里を投げ飛ばした方向を向く。

 あいつは人間の匂いでも嗅ぎ取っているのだろうか。

 だとしても、今はあいつをやらせるつもりはない。

 せめてあの子の怪我を治してもらうまでは、こっちに付き合ってもらう。

 

 

「よそ見してんじゃねえぞ、トカゲ野郎が!」

 

 

 こちらをガン無視するクソトカゲに向けて、注意を引くために肘から先をなくした右腕にもう一度魔力を集めて無防備に晒す背中めがけて落雷の如き渾身の攻撃を叩き込んだ。



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第14話

 肘から先、肩まで右腕が跡形もなく消し飛んでしまった。

 別に家族のためなら惜しくないし、中途半端に残る腕なら全部消してしまっても関係ないし、あのブレス食らったせいで痛覚がおかしくなったのかさほどというか全く痛みがなかったし、さっさと電撃で焼いて止血して仕舞えばどうということはなかったので、別にいいけど。

 代わりにクソトカゲの背中をぶち抜けたので良しとしよう。あいつの鱗はどうやら雷、というか熱にやけに弱いみたいだし。私の攻撃は比較的効くみたい。

 

 どうも皆さんこんにちは。……こんにちはとか言っておきながら、もう現地はこんにちはの時間じゃなくておやすみなさいも過ぎたような深夜の時間ですけど。

 名もなき戦車乗りの魔族です。今は戦車乗ってないですけどね。

 

 魔王軍に所属している私は、上司である陰険軍団長からある任務を命令されて人間領に来ました。

 その途中、魔王領を囲む魔物の森を抜けた先にあったこの場所で、謎のドラゴンと遭遇。ブレスを食らってしばらく退場していた間に三男とどこから湧いたのか前世で同じ学校の同じ学年の同じクラスに所属していた、いわゆるクラスメイトであった兎里というやつがいて、彼らが──というか三男が邪龍に立ち向かっていったので私も戦う羽目になりました。兎里だけが戦っていたなら私は迷いなく三男連れて離脱していましたね。

 三男が倒されてしまい、治癒魔法を使えた兎里に彼を助けるように言って放り投げ、私はその間クソトカゲの注意を引くために右腕の残りを犠牲に一撃を背中に叩き込んで今に至ります。

 

 ドラゴンに殴りかかるとか何考えているんだよっていうツッコミは兎里にしてください。

 私は殴っているけどあくまで魔法で攻撃しているのに対し、兎里は素手でこのトカゲに殴りかかり顎の骨ぶち抜く離れ業をやってのけるやつだから。

 ……多分というか確実にさ、魔王軍に対抗するためにリングル王国に召喚された勇者とかいうのって兎里のことですよね。前世では生徒会長とあのお節介と一緒に行方不明になったし、異世界召喚されたというなら見つからなかったとしてもおかしくない。前回の戦いであの黒騎士殿を制圧した救命団の白服着た黒髪のバケモノという魔王軍に流れていた噂に出てくるのと外見的特徴も一致しますし。

 勇者に倒されたのか。黒騎士殿も不運だな。別に親しかったわけでもないというかほぼ関わりなかった魔族だから、あの方がどうなろうと知ったことではありませんけど。

 

 

「ガギュグオオオォォォアアアァァァァ!!」

 

 

 背中を砕かれたクソトカゲの注意は、完全にこちらへ向いた。

 目は見えなくても、背中を壊されたならさすがにこっちの位置も割れる。

 首をこちらの方に向け、ブレスを放ってきた。

 

 

「当たるかバカ!」

 

 

 クソトカゲのブレスには、息を吸い込むという前兆がある。

 暗い夜間に黒い体表ならその動作も目立たないかもしれないが、背中に乗っていれば手に取るようにその動きがわかるのでブレスを放ってくることは分かっていた。

 すぐさま属性同化(雷)で脚を稲妻に変化させて空に飛び上がり、その攻撃を躱す。

 

 デカ物なだけあって、図体の割には速い方の動きなのかもしれないが私から見ればその動きは遅い。

 躱すことは難しくない。ブレスの予兆もわかりやすいし。

 確かに一撃掠められればこっちとしては大ダメージ必至だが、かすめられないように回避とこちらに注意を引き付けるために動き回るのであれば出来ないことではなかった。

 

 

「タカガ雑魚魔族風情ガ、欝陶シイワァァアアア!!」

 

 

 忌々しいと、クソトカゲが咆哮をあげる。

 最初は分からなかったけど、このドラゴン喋れるっぽい。

 舌と歯肉が腐って顎が壊れているから聞き取りにくいけど、こっちの世界の言語を確かに喋っている。

 喋れるというだけで、腐った脳みそは短絡的な思考回路しか形成してないっぽいけど。

 

 しかし、脳も腐ったクソドラゴンだけどやはりドラゴン。

 こっちの攻撃は片腕くれてやったものですら体を傷つけることはできても見た目や音の割にそれほど深い負傷には至らないようだし、デカ物を倒す決定打にかけている。

 対して向こうの攻撃は掠めるだけでこっちは死にかねない攻撃手段を多数持っているし、ブレスなんて遠距離攻撃手段も持ち合わせている。

 それに目を潰したのだが今度は鼻で相手の位置を特定してくるので、回避は難しくなくても油断し止まっていれば的になってしまう。三男と兎里の方に攻撃を仕掛けられるわけにもいかないので、意識をこっちへ釘付けにするために攻撃をし続けなければならない。

 圧倒的格上の強者に命を懸けて挑む絶対的に不利な戦いという、野生で生きてきた身の上としては何度も経験してきたけど一度たりとも慣れることのない戦いとなっていた。

 

 マシな面があるとすれば、クソトカゲに知性があることかな。

 あの図体で獣のように本能に生きているわけではなく知性があるというのは厄介な面ではあるけど、逆にこっちを勝手に見下してくれるだの煽り耐性が低いので挑発に乗りやすいだの、なまじ半端な知能があるために攻撃に読みやすい面があるだの惹きつけるのがやりやすいだのといったこと。

 逆に本能に生きる野生の世界の魔物たちは、ウサギを狩るのに全力をかける獅子のごとく格上格下関係なく余力は残すようにはするけど全力で狩りに来るから。本能で容赦無く急所を突きまくり、弱点を狙いまくり、執拗すぎる追撃もためらわずなどなど……傲慢なんて死に直結する贅沢だから、野生の生存競争においては舐められるというのは無縁です。

 その点、このクソトカゲはこちらを見下しているからやり易い。ブチ切れても雑魚魔族とかほざいて見下すのを忘れないくらいだから。

 巨大なぶん鈍足で、挙動が単純でわかり易いというのもマシなところか。

 

 とはいえ、一撃掠めれば死ぬ戦いであることには変わりない。

 毒もブレスのたびに巻き散らかされているので、長期戦も不利になるのは明白。

 三男を潰してくれた礼はもう私としては十分返したから、あの子を治してもらったらさっさと逃げたい。

 

 属性同化(雷)を駆使して空中機動を取り邪龍のブレスを躱しつつ、何度か魔法で雷攻撃を打ち込み続け、機を見て接近戦を仕掛けては一撃離脱を繰り返す戦いを暫くしていたところ、邪龍の背後から白服をなびかせる前世のクラスメイトが戻ってきた。

 体感的にはかなりの時間が経ったけど、実際は3分くらいだった邪龍とのサシの戦いを繰り広げていたところに、素でドラゴンをぶん殴る所業をこなしている勇者が再度横槍を入れる。

 

 

「こっち向け化物おおおぉぉぉ!!」

「ゴギュルグウウゥゥゥウウウゥゥッ!!」

 

 

 今度は殴りかかるのではなく、魔法の類ではない素のジャンプで邪龍の巨体を跳び越えてから、脳天めがけて踵落としを食らわせてトカゲの頭を地面に叩きつけた。

 ……いや、どっちが化物だよ。

 乱入早々大暴れしている。前世ではこんなことするような人物には見えなかったのだが、異世界に来て本性を晒し始めたとかなのだろうか? 少なくとも身体能力に物言わせて叩き伏せて良い相手ではないと思う。

 

 よくないけど、まあ良い。

 ツッコミどころもあるだろうけど、命を懸けた狩る者と狩られる者の闘争の舞台にそんな不純物を持ち込む余裕なんてない。

 ドラゴンが兎里の攻撃で地面に頭を叩きつけられた。今はそれによって大きな隙が生まれたということさえ認識していれば良い。余計な不純物の片付けは後から出来る。余計なものに気を取られてこの好機をみすみす見逃すようでは、野生ではすぐに死ぬ。

 

 すかさず地面に叩きつけられた邪龍の頭部に接近し、槍で穿った方の目に腕を突っ込む。

 この部位は眼球という構造から必ず脆い上に、槍でさらに瞼などを軒並み破壊してある。もう、脳髄に至る道を守るものは全て剥がされたこの巨大生物に作られた大きな弱点だ。

 そして頭部に眼球を持つ生物の宿命として、この場所から通る神経は脳髄に直結している。

 何度も、何度も何度も何度も、野生の世界で格上相手にこの攻撃を通して倒してきた。

 

 

「────死ね」

 

 

 触れたクソトカゲの視神経へ、雷魔法を打ち込み脳髄に電撃を直接叩き込む。

 

 

「ヴキュオゴオオオォォォ!!」

 

 

 邪龍は目を通して脳へ直接打ち込まれる電撃に言葉にならない悲鳴をあげ、やがてその咆哮は断末魔へと変わり静かに四肢から力が抜けて倒れ伏した。



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第15話

 邪龍の目のあった穴から、腕を引き抜く。

 すでに絶命したらしく、呼吸をする様子もない。

 私がクソトカゲからとどめを刺した腕を引き抜いたとほぼ同時に、その脳天に踵落としを叩き込んだこの攻撃のチャンスを作った人間離れした人間となった前世のクラスメイトが私の隣に降りてきた。

 

 どうも皆さんこんばんは。現地は深夜だけど下手したらもう夜明けが近づいてきているかもしれないほど遅い時間帯です。

 今世の親に捨てられたので名前がない、名無しの魔族です。今回はお見せする機会がなかったですが、魔王軍の兵士として参加するときは戦車を乗り回して戦うので、便宜上『戦車兵』と名乗っています。

 

 魔王軍として働いていたある日、とある任務に従事するため陰険上司の軍団長に命令されて人間の領域に潜入したのですが、その道中で謎のドラゴンと遭遇しました。そしてその場にいた前世のクラスメイトと共闘することとなり、そのドラゴンを打ち倒したところです。

 現状を簡単に説明するとこうなります。

 

 隣に降りてきた前世のクラスメイト、彼の名前は『兎里(うさと) (けん)』。

 同級生で珍しい苗字だったから名前と顔は知っているけど、正直言葉を交わしたことなど皆無でほとんど知らない仲だった。

 そんな彼は私がこの世界で魔族として転生する羽目になった事故の数日前、突如として生徒会長と鬱陶しいお節介だったよく知る人物とともに行方不明になったという話を聞いていました。多分だけど、この時に彼らはこっちの世界に召喚されて勇者となったのだと思います。

 その勇者の活躍で前回のリングル王国侵攻戦にて魔王軍が敗北し、そして今回はドラゴンを倒すことができた。ということを考えると、いろいろとこんがらがっている展開があるものだと思わされます。私は別に家族を養える日銭を稼ぐために魔王軍に入ったのだから、人間も魔族もドラゴンも何がどうなろうと、自分と家族が無事で済むというならばどうでも良いですけどね。

 

 すでに動かなくなったドラゴンを見上げながら、こちらに近づいてくる兎里。

 私の方はもう骸となったドラゴンには興味ないので、小山のような死体は無視して兎里の方に最優先で確認したいことを問い詰めるべく詰め寄った。

 

 

「おい兎里」

「あ、よかった無事だったんだ」

 

 

 三男が心配で気が立っている私とは対照的に、兎里は戦闘中に見せていた鬼のような形相は引っこみ前世でよく見せていた穏やかな人当たりの良い笑顔を浮かべていた。

 もう前世のクラスメイトというより今世の人間に召喚された勇者であり魔族の敵という認識が強くなっている私としては、魔族に向けるのにはなんか釈然としない反応である。

 それ以前に、まさかこいつ私が魔族であると認識していないのだろうか? 

 まさか人間と魔族を同一視しているわけではないはず。ツノはある、肌は褐色、魔法も身体能力も人間より上の存在を喋れるだけで人間と同一視するということはあり得ないだろう。こっちの世界の人間ではなく、魔族という存在に慣れていないとしても。

 

 でも、今はそんなこと私にとってはどうでも良い。

 兎里に私が魔族という認識があるのか、魔族に対する差別意識があるかないか、ついでに鬼みたいな形相を浮かべるようになった豹変ぶりとかも関係ない。

 まずはこいつに託した三男の無事を確認したい。それ以外に興味はない。

 

 

「あの子は?」

「え?」

「お前を投げつけたところにいた私の家族だ。あの子は無事なのか?」

「ああ、あの犀みたいな魔獣のことか! 大丈夫、今は眠っているけど命に別条はない。傷も僕の方で治療しておいたから」

 

 

 私の質問に一瞬戸惑い返答に詰まった兎里の胸ぐらに掴みかかり、さっさと答えろと問い詰める。

 そこで兎里の方も私が何を気にしているのかを気付いたらしく、受け手にとっては暢気とも取れる穏やかな笑顔で無事であることを答えた。

 兎里の方に嘘をつく理由はないし、実際無事なのだろう。

 それを聞いて、私は大きな心配事が解決し肩にのしかかっていた不安という大きな荷物が下される感覚を味わった。

 

 

「そうか……手間をかけた」

 

 

 クソトカゲを仕留めたこと、三男が無事だったこと、そして前世の知り合いと顔を合わせ言葉を交わしたことで困窮していたが平和だった前世のことを思い出したこと。

 幾つかの事情が重なったことで気が緩んでしまったらしい。

 私は柄にもなく、他人である兎里に対して感謝の言葉をこぼしていた。

 

 

「いや、僕の方も君に助けられたから」

 

 

 一方、兎里はさりげなく私の肩に触れて治癒魔法をかけながら、お人好しぶりを発揮して向こうから見れば初対面の相手に向けるようなものではない穏やかな表情を浮かべつつ返答してきた。

 

 私が助けるようなことをした、か? 

 こちらは自分自身のために戦っていたにすぎない。礼を言われる筋合いはないのだが、向こうにしてみればクソトカゲを倒すのに共闘した存在と見ているのかもしれない。

 共闘しただけで味方と見るのは随分と甘い考えだとは思うが、日本人としての記憶が色濃いならそういう考え方に傾いていたとしてもおかしくはないかな。

 

 しかし、私としてもこの疲れ果てている状況で兎里と敵対するのは避けたい。

 向こうが警戒していないなら、都合が良い。勇者の暗殺任務なんて請け負っていないし、この場で事を荒立てるメリットはなくそのつもりもない。お互いこれ以上の荒事は無し、停戦の方向で進められるならばそれに越したことはない。

 

 兎里の治癒魔法の魔力はその表情に似合う穏やかで温かいものだった。

 治癒魔法というだけあり、心地よい。無くした腕の根元にできた傷口もすぐに塞いでしまった。

 

 頼んだわけでもない私の治療を終わらせた兎里。

 ドラゴンが片付きひと段落したところで、お互い尋ねたいことが多くある。

 その話題に移ろうと兎里が口を開こうとした時、まるでそれを遮るように兎里の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

 

「ウサト!」「ウサト殿!」「グルァ!」

「アマコと、この声はアルクさん!? よかった、目を覚ましたんだ!」

 

 

 自分の名前を呼んだ声に反応する兎里。

 どうやら連れがいたらしい。

 仲間がいたのにこいつ1人でドラゴンに立ち向かっていたということか。足手まといだったら離しておくのは正しい判断だろうが、無謀極まりないことに飛び込んでいることには変わりないし、やはり馬鹿なのではないだろうか? 

 そんな感想を抱いていると、こちらの連れも目を覚ましたらしく駆け寄ってくる足音と声が聞こえてきた。

 

 

「ブルゥ!」

「起きたみたいだね」

「……そうらしい」

 

 

 そしてお互いの連れが茂みを越えて姿を表す。

 出てきたのは三男、そして向こうの連れは赤髪の鎧に身を包んだ騎士らしき人間と狐耳の獣人──そして青毛の魔獣ブルーグリズリーの子供だった。

 

 

「魔族だと!? ウサト殿、危険で──うぐっ」

「グルァ」

「ウサト、誰なのあの魔族?」

「ブルゥ!」

 

 

 そしてお互い初対面を果たしてからの反応。

 騎士はすぐに私が魔族であることを見抜き剣を抜いて兎里をかばうように立ち塞がったがどこかを痛めているのかすぐさま膝をつき、狐耳の獣人はこちらを警戒するように見ながらも兎里に誰なのかを尋ね、ブルーグリズリーの子供は彼なりの挨拶なのか兎里の背中をぶっ叩いた。

 三男は、向こうの面子を完全に無視して私に飛びかかってきた。

 

 

「痛っ!? ちょっ、いきなり飛びかからないでよ!」

「アルクさん、まだそんな急に動いたらダメですって! すぐに治療しますから」

 

 

 兎里は膝をついた騎士にすぐに治癒魔法をかけ、私は三男に押しつぶされた。

 再会が嬉しいのはわかるけどビックリするし痛覚の復活も確認できるし戦闘終わって疲れているから、いきなりこれは勘弁してほしい。こっちも嬉しいから良いけどさ。

 

 

「ねえ、質問に答えて。誰なの?」

「申し訳ありませんウサト殿」

「謝ることじゃないですよ。……あれ、なんか背中にすごい圧が」

「グルァ」

 

 

 騎士の言動で引き締められそうになっていた空気が一気に弛緩する。

 こちらを警戒するように見つめる狐耳の獣人の目線は、いつしか兎里の背中に氷の視線となって突き刺さっていた。

 

 ……異世界から来た勇者、多分だけどリングル王国の人間の騎士、狐耳の獣人、そしてブルーグリズリーの子供。

 魔物を連れている私が言うことではないかもしれないけど、随分と色物を集めた集団に見える。まともなのは騎士だけだ。

 何をどうしたらこんな集団が出来上がるのだろうか。

 片腕でようやく三男を落ち着かせてその巨体から抜け出した私は、戦闘の次は彼の率いる面々の色の豊かさ驚かされるのであった。

 



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第16話

 三男、私は一体何を見せつけられているのか教えて。

 クソトカゲとの死闘を終えた直後とは思えない兎里の率いる面子のやり取りを眺め、私は呆れれば良いのか嘲笑すれば良いのか叱りつければ良いのかわからず困惑していた。

 

 

「待ってアマコ、僕も彼が誰か知らないんだ!」

「嘘、とても初対面とは思えないくらい親しく話していた」

「ウサト殿のお知り合いでしたか。ならば大丈夫ですね」

「アルクさんも何納得しているんですか!? さっきまでの警戒は!?」

「グルァー」

「ブルリン、テメエは知らん顔してんじゃねえ!」

 

 

 どうも皆さんこんばんは。

 交通事故で人間から異世界の魔族に転生した後、前世のクラスメイトと予期せぬ再会を果たし、今は彼が率いる面子とのやりとりを見せつけられている名もなき戦車乗りの魔族です。

 名前がない理由は……もう説明するまでもないですよね。

 

 予期せぬ再会からクソトカゲとの戦闘において共闘することとなり、そのトカゲを撃破してからお互いの連れと再会を果たしたのですが、一体私は何を見せつけられているのかという疑問を呈したくなる光景を兎里が見せつけている現状です。

 今更行方不明になった前世の特に関わりもなかったクラスメイトとの再会に思うところなんてないですけど。

 

 翻訳の魔法でもかけられているのか、兎里の方は日本語で、連れの方は異世界語で話しているのに、両者の間には会話が成立している。

 転生したため異世界語の知識がなく、会話を一から聞き取って独学で学んだ私と違い、異世界召喚された勇者様には翻訳の特典が付いているらしい。

 知らないと思って日本語で話しかけていたこっちの気遣いは無駄だったということですか。そーですか。

 

 

「今更だけど、君、名前は?」

 

 

 そして彼の仲間たちに、というか主に狐耳の獣人で兎里との会話からアマコという名前らしい少女から問い詰められたことで、確かに今更ながら兎里は私に名前を尋ねてきた。

 騎士の方も私と兎里が会話しているところから敵ではないと判断したらしく剣を鞘に収めて退いているし。

 魔族相手にこんな態度をとれるのは間違えなくリングル王国の人間だろう。他の国だったら、間違えなく魔族は害悪だ蛮族だだと問答無用で切り掛かってきているはずだから。

 

 兎里が今更の質問をしてきたので、こちらも今更だがその質問に答える。

 翻訳の魔法がかけられているのか異世界言語でも通じる兎里はともかく、彼の連れに私の発する日本語が通用するとは思えないので、此処は異世界語で自己紹介をすることにした。

 ……名前ないけどね。

 

 

「無い。私に名前は無い。だから好きに呼んで貰って構わない」

 

 

 自己紹介でこれをするのは如何なものかだが、実際今世の名前は無いのだから仕方が無いでしょ。

 親に名前つけられる前に魔物の領域に捨てられたんだから。

 

 まあ、名前もつけずにというのは聞かないけど親に捨てられるというのは魔族の世界では珍しいことでは無い。

 口減しで捨てられるというのが1番多いけど、不吉だと言われる闇魔法の偏見や、魔王軍に入って知ったことだけど身売りされた子供を兵器用の魔物の模擬戦相手という名の餌にするなんて事例もあった。あの魔物博士、本物のマッドサイエンティストでしたよ。

 生き残ってこられただけ私は自身を幸運だと思っているから、憐れみを向けられるいわれなど無い。

 

 だけど、私が名前を持たないことを告げたところ兎里たちは途端に聞いてはいけないことを聞いてしまったような表情となった。それも、全員揃って。

 名前が無いだけでそんな表情をするということは、魔族の中でもこっちの世界の境遇に慣れ親しんだ輩からこういう返答が何を意味しているのか分かる何かを聞いているみたい。……多分、黒騎士殿でしょうね。あの方の魔法は闇系統、魔族において差別視されている魔法の使い手だったから。

 少なくとも名前を尋ねたら、名前が無いと返されたので困っている、というわけでは無さそう。

 

 

「……同情のつもりか?」

「そ、そんなわけじゃ──」

「お前に同情される理由は無い。どうせ黒騎士殿からこの手の境遇を受ける魔族のことを聞いたとかでしょうが」

「フェルムのことを知っているの?」

「知らない。魔族の世界では、闇魔法の使い手は真っ当な生き方を許されないから想像はつく。軍団長から、リングル王国の治癒魔法を使う黒髪のガキが黒騎士殿を制圧したって話を聞いたから」

 

 

 兎里の口から黒騎士殿の名前が出てきた。

 私は初めて聞きましたよ、その名前。魔王軍の連中、みんな黒騎士黒騎士ってばかり呼んでいたし。

 でも、黒騎士殿の名前が出てきたってことは、兎里の方はあの方のことをよくご存知の様子。黒騎士殿から聞いたという私の仮説は概ね当たっているみたい。

 

 

「ガキって……いや、実際まだ成人していないし日本人は童顔に見られるっていうけどさ……それ言うなら君だってまだ声変わりもしていないじゃ無いか。君にガキ呼ばわりされるいわれは無い」

「ガキって言っているのは私じゃなくて魔王軍全体」

「うぐっ……そ、それはそうだけどさ……」

 

 

 ガキ呼ばわりが気に入らなかったのか、兎里がつっかかってきた。

 前世では誰かに無意味に突っかかるような真似はしなかったと記憶しているのだけど。ドラゴンに殴りかかるくらいだ、これこそ今更の話かな。

 そして、せっかく反論してもらって申し訳ないけど私に君の言う声変わりが来る可能性は極めて低いと思う。

 

 

「ウサト、口喧嘩は殴ったり罵詈雑言を放てば勝てるものじゃ無いよ」

「ウサト殿、魔族は魔法の扱いに長けている分頭の回転も速いものが多いのです。相手の土俵で挑むのは如何なものかと」

「グルァ」

「フォローしているつもりかもしれないけど、僕にしてみれば誤射を背中に受けているようなものだからね」

 

 

 そしてすかさず仲間たちから援護射撃という名の誤射を受ける。

 仲間からまで論破の弾丸受けてどうするつもりなのか。

 

 すると、今度は兎里の仲間たちが私の方を向いた。

 そういえば彼らの名前を聞いていないけど……今更だし聞く必要も無いだろう。兎里との会話で、狐耳の獣人が『アマコ』、騎士が『アルク』、ブルーグリズリーが『ブルリン』というくらいは分かったし。

 

 

「貴方も勘違いをしている」

「アマコ……!」

「ウサトはガキじゃなくて、オーガ」

「おいこらモフ耳娘」

「それからウサト殿は単に治癒魔法を使うだけの少年ではありません」

「アルクさん……!」

「リングル王国の『救命団』副団長です! 魔族の方では『人攫い』の通り名が有名かと」

「アルクさん、それ強面どものことでしょ!?」

「グルァ」

「ブルリン、言葉わからないけどその顔は絶対フォローとかしてないよな」

 

 

 2人と1頭が私に対して何を言ってくるのかと思ったら、フォローしつつ的確に油断した兎里の心をさらにえぐることを言ってきた。

 ペラペラ聞いてないことまで教えてくれるとは、どういう風の吹き回しだろうか。……素手でドラゴンに殴りかかる治癒魔法使いのぶっ飛びぶりに付き合う者達の溜まった不満から出た愚痴に聞こえるのは気のせいかな? 

 

 

「私はアマコ。ウサトが口走ったから予想ついていると思うけど」

「自分はアルク・ガードルといいます」

「グルァ」

「全員揃ってスルーするわけ?」

 

 

 心にダメージを受けた兎里を3名揃って無視して私に自己紹介してきた。

 ……改めて4名揃って見てみると色物ばかり集まったような面々である。

 しかし、私の発言から魔王軍所属であることが割れたはずなのにその点は触れないのか。揃いも揃ってマイペースすぎないか? 面子の色が濃いとこうなるのか。

 

 

「お前は何をどうしたらこんな集団を率いることになるわけ?色物ばっかりじゃねえかよ」

「失礼な──」

「失礼な。色物はウサトだけ」

「ウサト殿に比べれば自分など」

「グルァ」

「あー、言われてみれば確かに1番の色物は兎里だ」

「全員揃って僕に失礼じゃ無いかな?」

 

 

 兎里いじりがお約束なの、こいつら? 私も同意見なので納得できたし、そして意図せず参加することになったから気持ちはわかるけど。

 



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第17話

 既に死んだから私はもう興味は無いけど、このドラゴンは結局何だったのでしょうか? 

 此処はサマリアール王国の領土のはずだから、魔族がバルジナクをはじめとする魔造モンスターなどを戦力として有しているのと同じようにこのドラゴンはサマリアール王国が開発した魔物兵器の類だと思ったのですが、それではドラゴンが兎里と交戦した理由がわかりません。

 

 軍団長から聞かされた話では、リングル王国が魔王軍に対抗するための連合軍結成のために勇者達を使者としてニルヴァルナ王国やサマリアール王国に派遣したということだったはず。それを考慮すると、ドラゴンがサマリアール王国の魔物兵器だとするならばリングル王国から派遣された正式な使者に当たる勇者である兎里と交戦する理由がわかりません。

 

 可能性を上げるとするならば、試作品をこの地に放棄しておりそれと交戦することとなった場合、暴走し制御ができなくなった個体であった場合、サマリアールがリングル王国と戦争状態になった場合などでしょうか。

 もしくは、私の想定がそもそも間違えであり、このドラゴンは野生の魔物だった場合。

 ……いきなり現れたし、こんな怪物に他の個体がいるということは想定したくないので、願望も込めて野生の可能性は低いと思いたいのですけど。サマリアール王国が飼いならしているなら被害を受けるのは魔王軍だから私にとってはどうでもいい事になるけど、野生にこんな化物がいるのは勘弁願いたいです。今回はドラゴンも殴り倒してしまうオーガ種特異個体の兎里と共闘して勝利できたけど、こんな化け物と何度も対峙するのは流石に嫌なので。

 

 絶命したドラゴンの骸を見ながらそんなことを考えていたところ、仲間達からのいじりは一通り済んだのか兎里が声をかけてきた。

 内容は以前どこかで会ったことがあるのか? というもの。おそらく、兎里の名前を私が一方的に知っていたから気になったのだと思われます。

 

 

「ところでさ、僕たちって前にどこかで会ったことある?」

「……無い」

 

 

 兎里の質問に、一瞬迷いながらも心当たりは無いと返答した。

 実際は顔と名前と大まかな人柄などを知っている程度の面識はあるけど、私にとってそれは前世の話だし今世は魔族と異世界から召喚された勇者という接点が無い関係なので。

 

 兎里は自分の方が一方的に忘れてしまっていただけとでも考えていたのか、私の返答に対して驚きと困惑の混じった、悪く言えば間抜けなツラを見せた。

 あれ、そうだっけ? じゃねえよ、今世では私たちは初対面だよ。

 ドラゴンを素手で殴り倒したオーガ勇者とは思えない間抜けな表情に反射的にそんなセリフが出そうになった。

 ……出さないけど。

 

 

「初対面にしてはかなり馴れ馴れしいみたいだけど」

「おや、初対面だったのですか」

 

 

 そして兎里の連れの獣人と人間は、私の言葉にそれぞれ反応を示す。

 アマコは初対面にしては馴れ馴れしいと警戒するような目を向け、アルクは仲良しにでも見えていたのか初対面だという事実に意外だったという反応をした。

 しかし初対面だった事実を聞いてからも、既に敵とは認識しなくなっているのか敵意は向けてくる様子が無い。

 あくまでサマリアールではなくニルヴァルナにおける妨害工作を任務にしているので、私の方には争う理由が無いからこちらから敵意を向けていないというのもあるかもしれないけど。

 アマコの警戒心も、魔族である私という存在そのものに対してよりも兎里との初対面なのに初対面に見えない第三者からすればおかしく感じる距離感に対するものみたい。

 兎里を信頼しているから、彼に近づく相手を警戒しがちになる様子。兎里を案じているのと、やきもちを焼いているのが半々といった感情と表現するのが適切かもしれない。

 

 

「だいたい、初対面なのに何でウサトの名前を知っているの?」

 

 

 そして、兎里の隣から一歩出てこちらに近づいてきたアマコが馴れ馴れしいと感じられる最たる要因、初対面なのになぜ名前を知っているのかについて尋ねてきた。

 確かに、私はここで予期せぬ再会を果たすまで兎里がこの世界に来ていたことなど知らなかったし、魔王軍にリングル王国には白服の治癒魔法を使う化物がいるという話はあったが『兎里』の名前は知られていなかった。初対面の私が兎里の顔と名前を知っているのは、不自然に思える。

 

 

「……勇者を召喚した情報は魔王軍も把握しているから」

 

 

 当初はドラゴン討伐までは行かずにどさくさに紛れて離れるつもりだったので、これについては適切な言い訳を考えていなかったため、適当なことを理由にして誤魔化しました。

 リングル王国が勇者を召喚し前回の侵略戦争を退けたということを魔王軍が把握している事に関しては、事実。末端の身なので上層部が把握しているかどうかはわからないけど、名前を魔王軍全体が把握しているというのはウソですが。

 そのため、名前を知っており初対面なのに顔と一致する事について突っ込まれると厳しいです。

 

 すると、兎里達はこちらの懸念とは裏腹に意外だという表情を一同浮かべる。

 一瞬、私の答えに困惑するような反応を見せ、そして何故か兎里はげんなりとし、アマコとアルクは「あー、なるほどね……」とでもいいたげな苦笑いを浮かべた。

 

 この反応は予想外です。

 兎里は納得していない様子だし、アマコとアルクの反応もどこか不自然に見えます。

 事実と異なるがそう評価されても仕方が無いとでも言いたげな雰囲気。

 私の答えが事実と異なっていたのでしょうか? まさか、兎里は一見勇者みたいだが実は勇者じゃ無い、などというわけでもないでしょう。それでは『普通の人間』というカテゴリとなり、ドラゴンを素手で殴り倒せる説明がつかないです。

 それならまだ私と同様に『転生』して別の種族としてこの世界に生を受けたという方が納得できます。

 

 

「僕は勇者じゃないよ」

「……は?」

 

 

 ところが、兎里の口から出てきた言葉はそれはないだろうと否定したものでした。

 聞き間違えたのではないかと、私は一瞬兎里の答えを受け止められなくなりました。

 

 

「そうなるよね」

「ウサト殿はウサト殿です」

 

 

 私の困惑が予想通りだったのか、アマコとアルクはむしろ納得できるというかのように頷いている。

 ……いや、アルクの方は若干違うかもしれない。

 2人の反応から、どうやら兎里は勇者ではないらしい。

 だが勇者ではないというなら、兎里は『普通の人間』か『そもそも人間ではない』という事になる。

 

 

「勇者じゃ、ない……のか?」

「僕はね。言って仕舞えば、普通の人間さ」

「それはない」

「それはないでしょう」

「グルァ」

「……()()()()()だから」

 

 

 勇者じゃない、とはどういう事なのだろう。

 兎里の言葉が飲み込めない。特に『普通の人間』のところが。

 勇者じゃないというならば、なんでこの世界にいるの? 転生したならば、この世界に染まっていないのが不可解。

 ただ召喚されただけの日本人とでも言うつもりなのか? それこそ、勇者でもないのに人間離れした身体能力を持つ事に説明がつかない。

 

 

「……なら、なんでこの世界にお前がいるわけ?」

「勇者の召喚に巻き込まれてね。だから、僕は異世界人だけど勇者じゃないんだ」

 

 

 兎里の連れには聞き取れないように()()()で尋ねる。

 アマコとアルクに翻訳されていない私の日本語はわからなかったが、日本語を知っている兎里は私の質問の不自然さに気づく事もない様子で答えた。

 

 そして、兎里の答えに私はますますわけが分からんと混乱が増す。

 召喚に巻き込まれただけ? 勇者じゃない? でも日本人? 

 ならなんで身体能力で空に舞い上がるんだよ。そして何故ドラゴンを素手で殴り倒せるんだよ。ブルーグリズリーの子供を連れているんだよ。お前、クマなんて飼っていなかったよな。

 

 

「普通の人間がドラゴンを殴り倒せるわけあるか」

「鍛えればできる。僕がその証明だ」

「お前は人間じゃないから証明になってない」

「人間だよ!」

「嘘つくな!」

「人間だよ!!」

 

 

 あくまで人間であると主張する兎里。

 いや、普通の人間が鍛えただけであんな動きするわけがない。

 人間より身体能力に勝る魔族にもあんな芸当はそうそうできるものではない。軍団長クラスでもなければ。

 興奮したせいか、無意識に異世界語に戻っています。

 

 

「じゃあ君には僕が何に見えるっていうのさ!」

「「オーガ」」

「誰がオーガ──って、アマコまで!?」

 

 

 兎里の質問の答えが、アマコと重なった。

 タイミングも内容も一緒である。

 なるほど、異世界人から見てもオーガに見えるのかこいつ。

 

 

「君たちも初対面だよね。僕に言わせれば、アマコの方が初対面とは思えないくらい息ぴったりなんだけど」

「誰でもオーガって言うと思うよ」

「お前、本当はオーガに転生したんじゃねえのか? ツノは無いけど」

「ツノがある幻覚が見える時はあるよ」

「勝手に殺すな! ツノも無いし!」

「突然変異って可能性もあるだろ」

「君はあくまでも僕をオーガだと言い張るつもりなのかッ……!」

 

 

 拳を握り締める兎里。

 どうあっても自分がオーガである事を認めようとせず人間だという主張を通すつもりらしい。

 ドラゴンとの戦いを見れば、オーガだったという方が納得できるのだけど。

 治癒魔法の系統が発現するのは人間だけでオーガには絶対に使えないので、人間であるという主張は真実なのだろうけどさ。

 

 

「治癒魔法が使えるから人間なんだろうけど」

「分かっててオーガ呼ばわりしたのか!?」

「仕方ねえだろ! 治癒魔法使いがドラゴンを殴れる身体能力を持つなんて矛盾した存在、特異個体の方がまだ納得できる」

「いい加減殴るぞ」

 

 

 治癒魔法の光を灯しながら拳を握り締める兎里。

 おいこらやめろ、あの威力の拳で殴られたら魔族でも大怪我は免れないから。

 別にいじってないのに、真剣に言っているのに何故怒りを買わなければならないの? 

 左手を小さく上げて降参の意を示す。

 

 

「待て、お前に殴られたら後遺症が残りかねない」

「治癒魔法をかけているから怪我は残らないよ。安心してくれ」

「その化物みたいな笑顔で安心できるか!」

「誰が化物だ!」

 

 

 反射的に出てしまった化物発言に、ついに兎里がキレたらしい。

 本能が鳴らす警鐘に思わず身を屈めた直後、先ほどまで私の顔があった場所を兎里の拳が鈍足ドラゴンとは次元の違う速さで通り抜けた。

 

 

「避けるな!」

「避けるわ!」

 

 

 命に危機を感じる拳だった。

 避けるなというのは無理な相談である。

 そして、キレた兎里の表情は鬼のそれだった。オーガより恐ろしかったのだが。

 

 

「前言撤回、お前はオーガじゃ無い」

「そうだよ、人間──」

「オーガはもっとマシだった。お前はもっと恐ろしい何かだ」

「恐ろしい何かってなんだよ! 人間だって言ってんだろうが!」

「オーガを見た事があるのですか」

「オーガの方がマシなんだ……」

 

 

 オーガは2〜3メートルくらいの背丈と怪力が特徴の魔物。あれは好戦的な魔物ではあるが、拳でドラゴンに殴りかかるほど命知らずではないし、倒せるほど強くもない。

 よく考えてみれば、兎里をオーガと呼ぶのは違う。

 

 

「だいたい、僕を化物呼ばわりするなら君だって似たようなもんだろ! あの鱗、僕でも壊せなかったのに君は簡単に壊して見せたじゃ無いか!」

「私のは魔法だ! お前みたいに拳でドラゴンの鱗を壊せるわけ無いだろ!」

「僕だって治癒魔法を使っているよ!」

「お前のは拳じゃねえか!」

 

 

 治癒魔法は関係無いよね、癒す事に特化している治癒魔法を纏って殴ると拳の威力が増すなんて話聞いた事が無いんだけど! 

 そしてすかさず兎里の仲間たちから援護射撃が飛んでくる。

 

 

「ウサト、治癒魔法は関係ないと思う」

「ウサト殿、治癒魔法はあまり関係が無いと思うのですが」

「グァ」

「僕の味方はいないのか……!」

 

 

 ただし、背中に突き刺さる誤射だったけど。

 兎里たちはそれから身内の会話に流れたため、私はもう一度ドラゴンの骸へと目を向けた。

 すでに壊されたドラゴンの目は、何の色も映さない。

 

 

「…………」

 

 

 ただ、骸となった姿をあらためて見たとき、私にはこの魔物がどこか歪な存在に見えた。



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