練習 なんでもあり (こもれびきせつ)
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1時間



彼女を好きになったのはいつからだろうか。私は思い人を見つめながら考える。

わずかな横顔しか見えないがそれでもわかる顔立ちの良さ、人の心を穏やかにしてなだめてくれる芯のある声、しなびやかに生え人に違和感を与えない肢体。女性の理想をかき集めてできたかのような美人な女性だ。そんな彼女は神によって一世一代の創造により作られた最高傑作なのではないかと私は密かに思う。この思想は私が彼女に焦がれているから出るのかそれとも他の人も思っているのか。わからないけども前者であれば私はひどくおぼれているらしい、恋の術中に。

「・・よ・・ん・・、よっちゃん!!」

思考の隙間に入ってきた声で体が揺れる。

驚きにより体が動いてしまったのだ。

私は硬直している体を無視して無理やり声を出し彼女にしゃべりかける。

「な、なによ、リリー」

先ほどの動揺が声に乗ってどもる。好きな人にはほんのわずかでも失態を見せたくないものなのに私は見せてしまった。後悔は胸いっぱいに広がるが彼女は気にしている様子はない。ならば気にしないべきなのだろうが気にしてしまうのは先に話した理由通りだ。

「今日は楽しかったねって聞いているの!せっかく二人で一日楽しく過ごしていたのに最後に片方が上の空じゃ台無しだよ。」

彼女は顔を膨らませて私にめっとしかる。負の感情をぶつけられているのに私は彼女をとても可愛らしく思えてしまう。どんな一面でも愛らしい。

「ごめん、ごめん。高台からの景色があまりにも良くて今日のことを振り返りながら呆けていたの。もちろん最高だったわよ。だからほら一緒に景色見よ」

真っ赤な嘘だ。ごまかすために半場強引に会話から身を引いて景色を見ると彼女は納得したのか体を街の方向に向け眺める。

私はちらっと一瞬の隙に彼女の横顔を再び眺める。今だけは私が独占している顔だけれど明日になればまた誰のものでもなくなる。そんな当たり前に心が荒波を立ててひどく感情が歪む。自分のものだけにしたいのであれば恋人になることだがその願いはかなわない。

この恋はどう転んでも同性愛になってしまうからだ。私と彼女が女である限りは結ばれない思い。私はかなわない願いだと明確に理解している。だから私は彼女に思いを告げないし崩したくない。これからの人生離れ離れになってもたまにでもいいから再会して、二人だけの時間である今を語って、一歩通行な思いを胸にしまって、あなたのことをずっと思い続けていきたい。

私はあなたが好きだから。

 



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1時間



心が星空を駆ける。数十分前までは視界一面が真っ暗で何も見えなかった空だが徐々に目が慣れ始めて星が煌めいているとに気づく。夜空に浮かんでいた星はこんなにはっきりとしてないものだったと思うのだが勘違いだったらしい。今見てる場所もどこにでもあるような少し広いぐらいの公園で普段の生活模様と大きく変わることはない。それなのにも関わらずほんのわずかな時間常闇に目を凝らすだけで見えなかった星が見え始まる。長い間都会で生活をしていたら夜に出歩くようなことはあっても視線を上には向けない。街灯が発光する人工的な光に星の光は遮られて視認できなくさせるため夜空に顔を向ける用事は自ずとなくなる。他の人は知らないが僕の認識では空とはただの黒。星空に物語はたくさんあるが僕と星空の物語はない。そんな関係はずっと続くと思っていたのだが今日は違った。特別何かある日でもないし嬉しいことがあった日でもない。いつも通り学校に行って誰とも話さないで放課後を待ち、時間が来たら先一番に下校する。誰とも話さないこと以外は全国学生諸君には当たり前の光景。

「中学校の頃は友達がいたんだけどな」

現状の不満が溜まっていたからなのだろうか心の中で留めていた言葉が吐露してしまう

この状況は僕が望んだ結果生まれたものだ。なのに不満と思ってしまう僕。誰とでも接するが疲れる関係。誰とも関わらずに過ごすが寂しい生活。どっちがいいのか。極端にならずに中間を選べばいいと思うだろうが僕みたいな人付き合いを苦手とする人間はどうしても極端になってしまうのだ。こんなことをぐちぐち考えている事実はもう根本的に人間関係が絡んでくる社会に向いていないのではと言い当てられているようなもの。

真実に近づくにつれて心は絶望に浸され未来への不安が一気に大きくなる。やめたいと思ってもやめられない自分会議。ならばいっそのこと星空を迎えて返答のない会議してみるのもいいかもしれない。相談相手が人ではなく星空なのは傍から見たら危ない人だが今宵は無礼講といこう。名づけるなら星空会議。

そんな決心をしたところで寝そべっていた体勢を一度崩し楽な姿勢を探す。何度か試行錯誤で赴くままに体を動かし続けるとピンとくる体の置き方を見つける。会議が長くなる予感だ。軽い気持ちで始めた星空会議だが長時間の対談にも耐えられるよう無意識ながら対策をする。人に心中を話さない期間が長かったからか僕は星空に全てを話す気でいた。それこそ答えが返ってこない話し合いなのに一緒に答えを見つけようともしている。

 



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文章が滅茶苦茶に


海はどんな音がするのか。人に聞くと海が砂浜を持っていく音を指すのだろう。でも私はそんな答えでは納得できない。あくまでも海の一面である波が生み出した音なだけで海の音というにはいささか物足りない気がする。屁理屈のようだが私が気になるのは海の音だ。地上からは日光をまんべんなく散らし輝きを見せ青の中に飛び込むのなら底が見えないほどの深淵が。海の闇には何があるのかは知らない。地上と違い見てみたいと思っても人間の身では行けない場所。地球の誰よりも人類の誕生と共に過ごして身近にしてきた海だが底は誰もがわからない。私は多くの謎を秘めている海の音が聞きたいのだ。

3週間前だったかまだ学校に転校する前のこと。聞こえないと頭ではわかっていても体は海に飛び込もうとしていた。知りたい海の音を聞こうとして。5月前後のこの季節。肌ざわりでもわかる明らかに遊泳に適していない外温。頭から来る本能的抑止は異常なほど止めていたがそれでも止まらない。制服を脱ぎ捨てて改めて視界を見渡すと夕方だからか日光は弱まりつつあり海面を照らし虹彩に。昼間よりはっきりと見える海のきらびやかさ。夕方特有の茜色が海面に落とし込まれより一層美しく思える。私は美しさに呆気を取られるがいけないいけないと本来の目的を思い出し心の中で活を入れる。活を入れたら後は簡単だ。大きく走り体を海に投げ出すだけ。後悔、羞恥心。これら全て未来の自分が片付けてくれるだろう。今の自分は飛び込むことだけを集中すればいい。足は動き出した。久しぶりに走ったと思えないほどにうまく足は回る。1歩、2歩、3歩、4歩。5歩目の最後で地面を蹴り上げ海に落ちるはずが突然何かが絡みつき体を静止させる。顔を向けると私と歳が変わらないであろう少女いた。彼女は必死な形相を顔に出し小柄な体から大きな力が出るか不思議に思わせるほどの引っ張りを見せる。なぜ知らない人が飛び込みの邪魔をするかはわからない。先ほどからほどくように何度も言うが彼女は一向に離さない。そのため私も負けずと不器用なもみ合いになり立っていた場所が揺れて振動が二人の体に伝わり大きくバランスは崩れる。崩れた先は海。体は勢いよく入り込み予想していた海の冷たさが全身に響き体温を容赦なく奪う。でも考えにもなかったハプニングが起きたうえでの海だ。突然の海に私は目を開けられず肺の空気も用意できてなかったからか息がとても苦しい。身の危険を感じ直観で身をバタバタとさせ陸に上がることを目指す。こうして海に飛び込むといった念願の一片だけは叶ったのだが、予想だにもしなかったお供をつれて飛び込むことに。

 



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4

心臓が大きく跳ね上がる。わずかにしか見えなかったがそれでもわかる美貌が廊下を歩いている。遠くから彼女を見てるだけでこれなのだから真正面で話すと俺は自分を保てないだろう。小さいとき毎日のように遊んでいた幼なじみは中学に上がる頃か、それを境目に可愛さは誰もが振り向く美しさに変わる。そんな変化に心が揺らぎずっと一緒にいた彼女を好きになるがあまりの美人さだ。俺には釣り合えるものがない。両想いになりたい気持ちの裏腹にはどうしたって振り向かせることはできない確信がある。ずっと近くにいてこれからも一緒に生きていくのだと思っていたがそうではなかった。彼女は純粋に友達として関わっているが俺は違う。淡い恋心を秘めている。顔を見るだけで幸せな気持ちになるがそれと同時に付き合うことができない事実を理解してしまう。心が苦しくなる。俺はそんなもどかしさは彼女の一心な気持ちを侮辱してるように感じてしまい罪悪感からか幼なじみの特権であった隣の居場所を放棄してそばから離れた。

俺たちが住んでいる場所は田舎、と言っても人はそこそこいて観光地となっているため活力はみなぎっている。家の周囲には高校は3つしかなく、俺と彼女は勉強はできるほうだったらしくそのため必然と一番学力が高い高校となる。

今は2年生。同じ高校なのだから当然時々彼女を姿を見るが未だ美貌に克服できておらず。

更に初恋はまだ終わってない。4年もたつが彼女への思いは冷めることを覚えない。

彼女は先述した通りとんでもない美貌を持っているがため多くの男を撃沈させているらしい。友達がいない俺でも流れてくるほどの噂だ。信憑性は非常に高い。あいつは色恋ざたは興味なさそうに見える。恋愛の話も一切しなかったしそもそも遊びの話しかしてなかった。

でもそれは小学生の頃の彼女の話だ。成長した後話したことないからどんな趣味をもっているかも性格をしているかもわからない。思春期は人を変えるもの。それならば彼女はどのような性格になったのだろうか。容姿から想像してみよう。美貌の系統はクールで誰も寄せ付けないような印象を持つ。それに彼女が友達と喋っているのを見たことない。そこから導き出されるのはぼっち気質…。勝手に決めつけた性格に俺は共通点を見出し同じことに喜びを覚える。失礼極まわりない妄想だが本人と喋るのはできない。ならばそのぐらいの妄想は許してほしいと心の中の彼女に弁解をする。ああ、悲しい。

 



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別館棟。この建物は授業でしか使われない教室が多数あるため放課後に生徒教員が来ることは滅多になく、しかも教室の入り口は不用心な学校なのか鍵はついているもののしまっていない。授業が終わると同時にさっそうと人気のない教室が並んだ奥の部屋に飛び込む。部活に入っていなく課外活動をしているわけでもない私たちはこれといった青春らしいことは一切なく放課後はものすごく暇である。なんもやることがないのなら必然的に友達とお喋りするぐらいしか面白いことがない。そのため帰り道に適当な店に体を投げ込み3人でだらだら話す生活を半年の間繰り返していたが私はそんな惰性の日々に変化させてしまうものを見つけてしまったのだ。それがこの教室。何の生産性もない会話も放課後の学校でただ話しているだけで価値は付き輝かしいものへと。グランドで汗水たらしスポーツを勤しむ生徒、かすかに聞こえる音楽室から漏れる楽器等の重なりあう音。私たちの時間はこれらと同価値の存在となるのだ。

「以上の説明を持ってこの場所を我ら青春部の活動場所とする!!」

私はこの素晴らしい考えに胸が誇らしく高々と叫びを上げる。

そんな高揚している私と違い二人は心底どうでもよさそうにんーだとかヘーだとか気が抜けた間抜け面で返事を返す。

「なんて興味のなさなのよ!てかあなたたちこの信念に深く共感したからいつもの店じゃなくてここに来たのでしょ!?」

二人の興味なさに私は動揺し声が荒げてしまう。ではなぜ空調がきいていて注文一つで飲み物が飲める店を辞めこの場所にしたのか。

「違う、私は話せるならどこでもいいし。店だとどうしても毎回お金がかかってしょうがない。それに学校なら授業が終わってすぐだらだらできるは利点だね」

「私は移動しなくてぼーと喋れるなら学校が一番かなーって」

前者は金銭事情から、後者はただのめんどくさがりから。

私だけだった。この場所の有意義さを実感していたのは。

―ならばさっきの説明を聞いたうえでならどうだ。私たちに足りていなかった青春を埋めてくれる偉大なる聖地。学校の外では何も起こらなかったがこの場所でなら何かが起きる予感がひしひしと感じる。

「てか青春、青春って言っているのとてつもなくダサくない?なにもしてない私たちが打ち込んでいる人たちと同列になるわけがないし失礼」

心に刺さるナイフ。

「青春コンプレックス丸出しでなさけないよねー」

また心に刺さるナイフ。

私の心はハチの巣状態で良心が穴から漏れ出した。

 

 



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剣先は弧を描きながら確実に私の首を掻っ切ろうとしていた。いくら再生能力が常人より優れていても肉体の復元には時間がかかるため力の元となる呼吸が困難となり戦闘の勝敗が一瞬で決まるだろう。ならば損傷した場合支障がきたす攻撃は食らってはいけない。

致命的一撃である斬撃、右足をスライドさせ体を回避させる。利き手側の足が下がったことにより攻撃の構えができた。全身の力を余すことなく剣に伝わるよう意識して相手に目掛けて打ち込む。

が、相手はここまで予想していたのか。振り終わった剣は時間を巻き戻すように剣筋を戻しその途中最初下から打ち込んだのとは逆に上へ切り上げる。

 

現段階で戦闘描写は無理

 

窓ガラスの向こうで道路のアスファルト濡れている。所々には水たまりもできていて降り始めた正確な時間はわからないが雨の強さから予想してみるとそれなりの時間がたっていることが分かる。雨は嫌いではないが好きとは言えない微妙な好感度を私から持たれている。確かに水に濡れ髪が乱れたり、お気に入りの服が台無しになってしまう。これは女の子にとって悲惨な出来事だ。でも私は出かける際に毎回天気予報を確認して雨対策を完璧にしてから出かける。最近の天気予報は外れることは滅多にない。私はここ数年そのおかげで体を雨に濡らした覚えはなくそのため晴れた日と何ら変わりもない天候と思えてしまう。

なんの阻害もない晴れの日。なんの影響も与えない雨の日。私はこれらに違いを求めることはできない。

気づくと目の前のコーヒーはほんの数分前に置かれたばかりなのに熱さを失っており最適な味を出す出来立ては飲めなくなってしまっていた。ますます味が落ちてしまう前に飲まなければと急いで口に持っていくが微妙な熱さで生ぬるく中途半端な味がする。

(これならば物思いに耽る前に早めに飲んでおけばよかった)

後悔の元が口いっぱいに広がり後悔をさらに加速させる。

この味わいで飲むならばいっそのこと時間が許す限り置いて常温で飲むのが一番おいしいのではと気づき待ち人が来るまで待つことにする。

そう私はこの店で人を待っているのだ。私は先週告白した。なんてことのない恋煩い。

どこの学校でもある女の子が好きそうな話。

あの人に直接断られるのが怖かった私はもし付き合ってくれるのならば学校帰りのある店に来てほしいと伝えた。もし否定の言葉を直接投げられたら泣いてしまうだろう。もう既に振られた時の想定をして保険を掛けてある。私は意気地なしなんだ

 



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練習

繋がり。

要するに誰かと関係を持つことだ。まっとうな青春を過ごしていれば誰にでもある極々ありふれた話。でも俺には一回もない。誰かから好意を持たれることもなく誰かを好きになることもない。それが俺だ。生まれてから16年何かに夢中になる出来事はなく只々時間を浪費していく。

この前ふと思ってしまった。このまま流れるままに過ごして何か変わるのかと。・・・変わるわけがない。受動的な日々を送って変化がなかったのだから明白だ。

なら誰かを好きになるには行動するしかないのだ。俺はこの行動を以って本心を理解する。

ずっと誰かと心を通わせたかった。自分自身の勇気のなさによって抑え込まれていた心。

長い時間停滞していたが変化を始めるために一歩目を切り出す。その結果どうなるかはわからないが幸せな結末があることを期待しよう。

 

不快な音が鳴り響く。俺は半分脳が寝ている状態ながらも手を伸ばしスマホのアラームを解除する。眼をこすり体を無理やり起こし少しふらついて起床。そんな寝ぼけいている状態を維持したままキッチンに向かい適当なパン、牛乳を空の胃の中に流しこむ。簡単な朝食だ。

この辺りからやっと意識がまともに。ハンガーにかけていた制服を身にまといその他等々こなす。後は外に出るだけだ。俺はドアノブに手をかけてドアを開ける。

「…行ってきます」

返事は帰ってくるはずもなく誰もいない部屋に響く声。むなしい響きは毎回嫌になるがなぜか言ってしまう。ドアを閉じ、虚しさを閉じ込めた。

 

ずっと一人暮らしだ。両親は俺が小さいころに死んだらしく顔をろくに覚えていない。中学までは祖母と一緒に暮らしていたが高校生になると同時に一人暮らしを始めた。そのためのお金は祖母が全て出してくれている。・・・ありがたい話だ。祖母は話すのが苦手で同時に近寄りがたい存在でもあった。ただでさえ人と関係を築くのが苦手な俺がそんな祖母と生活をできるはずもなく、逃げるように俺は一人暮らしを始めたのであった。

 

今日は快晴だ。雲ひとつない。雨の次の日はなぜかわからないが雲は一切なくなる。

空は群青色で満ち溢れている。熱した光が容赦なく降り注ぎ体温を上げ全身から汗がだらだらと流れる。もうすぐ夏だ。この暑さがまだ途中なのだからとても恐ろしい。俺は早く冷房で冷えているだろう教室に向かうべく歩く速度を上げた。家から学校まではゆっくり歩いても15分かからない。早足ならほんのすぐで着く。疲れにより息が漏れ出し始めた頃に多くの学生が目の前を歩いていた。大体の学生が通る学校への一本道だ。おはようといった元気な声掛けがあっちこっちから聞こえる。通学は退屈な授業が始まる前の一種の休憩時間のようなものだ。それ故朝から元気に話し気力を高めている。

俺も気力を高めたいところだが当然ながら話しかけてくるような相手はいない。

その事実を再認識してしまったせいか少し気力を下がる。毎朝起こる現象だ。いい加減慣れたい。そんな思考トラブルをしているうちにもう既に学校前だ。もう少しで朝のHRが始まるためギリギリ登校してきた学生がわんさか集まり密を作り出している。どこの学校も学生は遅刻寸前で登校する。余の摂理だ。俺も漏れなくその学生の一人でありただ違うのは一人で歩き続けている点。

 

教室は上の学年から順に1階、二階、三階と振り分けられている。学年が上がるたびに少ししんどい階段から解放されていく。当の俺は二年生に当たるため二階の教室に向かうことになるのだがなんともまあ中途半端な体力使うことになるのだ。内心ぐだぐだ言いつつも汗ばんだ体を動かし教室へ向かう。器が小さいな。

 

引き戸に手をかけて横にドアをスライドさせる。入るとひんやりとした心地よい冷気が体へと吹くのと同時に人と人が話している声、朝特有のざわめきが教室中に響いている。

誰も俺のことを見ないし上に声もかけてこない。いつもの光景だけども少し寂しいと感じる。自傷心を片手に席へ向かう。窓際の一番奥の片隅が俺の席だ。横に鞄かけて疲れた下半身を椅子に溶け込ます。視線を時計に向けると針は8時26分を指しており後2、3分で先生が来る時間だった。俺はこの何もすることがなく待つ時間が嫌なため遅刻すれすれの登校をしているのだがそれでも遅刻する可能性はある。そのため少しばかりの猶予を持って登校するのだがその猶予が手持無沙汰に。教室を一覧し視線を窓先にある校庭にやる。意味のないものだが他にやることがないのだからしょうがない。

先ほど一覧した際に気になったが今日も隣の席に座っていなかった。隣の席の彼女はいつも俺よりも遅く登校している。もっと言ってしまえばこのクラスの生徒誰よりも遅く教室に登校している。最初は遅刻癖がある人なのかと思っていたが毎回HRが始まる寸前に着席して遅刻を免れている。着席の時間がそれぞれ違うのならまだわかるのだがなぜか律儀におおよその時間が守られている。確固とした時間管理があるはずなのに遅刻寸前とはどういうことなのだろうか?俺はその答えのない実態に考え更けていた。

 

もうすぐ先生が来る時間だ。視線を教室にやると生徒はあらかた来ているらしくお喋りの声量も心なしか増えている気がする。そんなどうでもいい感想を内心つぶやいているとがらがらと引き戸を動かす音が聞こえた。彼女だ。背中まである手入れが良く届いているだろう髪。何もかもを見透かして心情を丸裸にしてしまうことを連想させる鋭い目つき。そして彼女の一番と言えるだろう特徴。真顔だ。俺はわずか数か月しか同じクラスいないが彼女の表情が変化するのを見たことがない。喜怒哀楽これらすべてだ。これが彼女の顔を構成するパーツ。これらが組み合わさり端正で整った顔立ち、美人と言った評価に至る。恐らく学校の一の美人だろう。そんな美人ならば男に纏わりつくはずなのだが教室に入っても俺と同じく声掛けはなくそのまま隣に座っていった。表情がないと幸が薄く見え人を寄せ付けなくなるのだろうか。その無表情に加えて彼女はとても無口で最小限しか喋らないため男どころか女すらも寄せ付けないため俺と同じく友達が一切いない。教室で仕組まれた運命か何かなのか俺たちは片隅に寄せ集められた。冷静に考えなくても運命でもなんでもないし隣に来たからと言って話すわけでもない。席替えをして2週間も立つが一言も会話していないのだ。そもそも誰かと話すことすら稀有な俺が同じ人種と話せるわけがない。きっと話したら教室中がパニックになるはずだ。・・・そんなわけないよなー。心の中で自虐ネタを披露。そうこうしているうちに先生が来た。

「おはようー、HRはじめるよー」

朝から元気がある声で生徒たちに声をかける。俺にとって退屈な一日が始まるのであった。

 

 

 

授業は滞りなく進む。先ほど始まったと思った一限目もとっくのとうに終わり既に昼休み前の4限目だ。教室中から黒板に板書された文字をノートに書き写す音が聞こえる。俺も黒板の文字を余すことなく書き移す。はたから見れば真面目に聞いているように見えるがその実態は何も聞いていなく耳から耳へと情報がすっぽ抜けていく。俺はずっとこのような姿勢を授業に対して向けているため毎度テスト直前の一夜漬けで乗り切り苦労している。往来の勉強に対する関心のなさはどうにかなるものではない。開き直っているのだ。だから授業をまとも聞かないで時間が経つのをただひたすら耐え忍ぶ。

ふと目を横にする。彼女は真剣なまなざしで授業に取り組んでいた。黙々と周りに目をやらずにひたすら集中。いつも通りの光景だ。整った顔の美人が物事に入り込むとここまで厳かな雰囲気を出せるのかと横目にするたび感じてしまう。

俺はなぜか毎日彼女のことを目で追っている。彼女に恋愛感情があるだとかお近づきになりたいと思っているわけではない。ではどうしてと言われると答えられないのだが気になるのだ。教室では一切喋らずクラスには友達はいない。たった二つの共通点。それが彼女を気になる理由なのか。俺は言葉にできない感情をうまく言語化しようと頭をひねらすが出てこない。俺はいつも独りぼっちだ。学校だろうが帰宅する際、家にいても誰かと過ごすことはない。それは確かなことだ。俺自身のことなのだから。でも彼女に関しては学校にいるときのみしかわからない。俺とは違い学校以外では友達がいてもしかしたら親友なんかもいて家にいる家族には学校では見せないような表情を見せているのかもしれない。

彼女と話したことはない。だからわからない。わからないからこそ俺は未確定の共通点に期待してここまで彼女を気にかけるのだろうか。

もしかしたら最初に否定していた恋愛感情だったりして。俺は答えが定まらないことから最初に否定した感情を結論にして投げやりに。

長々と語った理屈探しは置いていくとして気になることは事実。この事実を再認識しても俺は特に何か行動をしようとするわけではない。ホントにただ気になるだけだった。

キーンコーンカーンコーンと授業終了のチャイムが鳴り始める。チャイムと同時に解放されたからか安堵の声が教室中から聞こえる。

 

 

「今日はここまでな」

そんな短い言葉をかけた後すぐさま教室を出ていった。

先ほどまで静かだった空間は一気にざわめきに変わる。昼休みだ。

午前に酷使した脳を癒すほんの少し長い休憩時間。皆は家から持ってきたお弁当やらパン、もしくは学食で食べようと移動したり様々な準備を始めた。隣の彼女はお弁当が入っただろう布袋を片手に教室から出ていく。俺も当然お腹が空いている。いくら授業を聞いていないとしても学校にいるだけで疲れるものだ。横にかけてあるバッグに手を伸ばしいつも常備しているおにぎりを二つほど机に乗せる。今日のお昼ご飯はこの二つだ。青春真っただ中育ち盛りの男子高校生がこの量でいいのかと思うかもしれないが小食なんだ。

「いただきます」

誰にも聞こえないような小さい呟き。誰かに向けた言葉じゃない。ただの習慣。

 

当然ながら少量しかなかったためすぐに食べ終わってしまう。教室を見渡すと友達同士が集まり楽しく談笑している。さんざん言っているが俺には友達がいないため誰かと会話することは一切ないため必然とやることがなくなってしまう。なら腹ごなしの運動がてら校内を歩いてもいいかもしれないがそれだと俺が一人きりでいる悲しさにいたたまれなくなったみたいで嫌だ。誰も興味ないであろうにぶつぶつと被害妄想。俺は存在しない誰かに対抗心を向けて外の風景を見て時間を潰すことに。といっても校庭にはこれと言った物はない。そのためカラスが飛んでいる、不思議な雲だ、人が通った等々少しの変化に盛り上がってしまう。案外楽しい。

 

あっという間に午後の授業も終わってしまった。午前と変わらず聞いているふりだけ。

HRが終わった直後であるこの時間帯は教室には人だかりがたくさんある。部活に行く準備をしている人、友達と一緒にどこかへ遊びに行く人、しばらく教室で談笑をしようとする人。どこも楽しそうな顔だ。俺はすることがないため帰ることになる。隣の彼女もいつも学校ですることはないのかいつも早足で教室を出ている。鞄を手に持ち教室を出ることにした。別段と誰かに話しかけられるわけでもなくそのまま校門から帰路に赴く。今まで住宅街を歩いていたため周りの家が邪魔をして見えなかったが学校近くにある公園に近づくと周囲の風景が開けるため西の空に沈んでいく夕日が見えた。日中ほどの光量はなく茜色の絵の具で塗りつぶしたような色合いで静かに佇んでいる。いくら光量が少なくなったとは言え太陽の光だ。この街一面は例外もなく茜色に染められている。俺も染められてしまったせいか感傷的な気持ちになってしまう。何もなかった一日。誰とも話さず過ごした一日。何かを成し遂げなかったことを上げればきりがない。でも俺が一番嫌なのは誰とも時間を共有せずにいたことだ。学校ではいつも一人。最初の頃は好意的に話しかけてくれる人がいたが俺は逃げてしまった。中学生の時もどうしても誰かと仲良くなれずにいた。話しはするけども深い関係にまではいかず上辺だけの関係。その関係が嫌になり誰かと話すのを辞めた。逃げるように実家を飛び出して遠い学校へ。ここでやり直してみせると思ったが変わったのは環境だ。俺ではない。変わらなかったため当然変化などおきるわけなく最初の好意に俺は臆病になり答えられなかった。後は簡単だ。なりたくもない孤独を引きずりあっという間に高校生活半分を迎えようとしていた。人は誰しもが孤独で生きていくことはできない。そのためいつかは折り合いをつけて人と接する時が来るのであろう。でもそれは自分の意思で近づいていこうと思ったものではない。環境が生んだ関係。求めていた関係を得ても俺自身は何もしていなくそして変化していない。俺はいつか来るであろう未来を見通して複雑な気持ちになり俯く。

・・・本当はわかっているんだ。環境が変わったときにできなかった変化を今からでもすべきだと。でも心のどこかで引っかかってしまい行動に移せない。結局のところ怖いのだろう。

変わるためのきっかけが欲しい。全てを変える大きな要因。この願いもまた他人任せなのだろう。だけどももしこのきっかけが俺の手に振ってきたのなら取りこぼしたりは絶対にしない。

 

未来の行く先を考えていたらあっという間に家についてしまった。この後は特に予定がないため何もすることがない。時刻は夕方のためご飯を準備するにしても時間は十分に有り余っている。ならいつもの日課をこなすことにした。玄関前にあるポストを開けると周りの色とほんの少しそぐわない敷板が引いてあり板を上にあげると鍵がぽつんと置かれている。手を伸ばし鍵を掴みそのままドアを開ける。服装はそのままで邪魔になる鞄を玄関に投げ込んでおく。また鍵を差し込み戸締りしたところで鍵をもとの場所に戻しておく。不用心と思われるかもしれないが普段郵便物は一切来ない家のためポストは鍵の隠しどころにしている。準備ができた。出発するとしよう。

 

この街は自然が豊かで行く先々で緑を感じさせる。こう歩いてみても文明を感じさせる道路、街灯等はあっても緑が絶妙な具合で馴染んでおり心地よさを生み出している。都会と言えなく、田舎とも言えない。それがこの街だ。この町は周りの環境にも愛されている。駅前のバスに乗り30分も揺られていれば繁華街がある都市部に着く。そのため何か大きい買い出しや高校生が好みそうな遊びをする際にはバスに乗って赴くのだ。何とも便利なアクセスだ。しかし俺は友達のいない高校生。誰かに誘われて行くことなどないし一人で行くにしても一年に一回行けばいいほうだ。いくら便利なアクセスがあっても俺はほとんど使わない。ならばのどかな自然が多くあるこの街で暮らしていることは正解なのだろう。街は上から見ていくと山、住宅街、橋、河と並んでいき橋を渡った奥に都市の街がある。

 

 

俺は夜の時間帯は何もすることがないためこうして街の散策に明け暮れる。大まかな目的を決めて寄り道をしながら歩く。これが一年前から習慣になっている。今日の目的地は河にすることにしよう。まずは住宅街を抜けなければ河がある橋付近にはつかない。そのため歩いていると野球バットを持った少年グループが賑やかに喋りながら目の前を通り過ぎていった。この時間帯は小学生が遊び疲れて家に帰るのか子供を見る回数がやけに多い気がする。実際に道が進んでいくと何度も小学生グループに遭遇した。無邪気に笑い世界には苦しいものが一切ないと思わせるような笑顔を浮かべる。俺も小学生の時はあんな屈託のない笑顔ができていたはずだ。それに一緒に遊べる友達もいた。変化は恐ろしい。年々と駄目な方向に行ってしまう。心に根付いてしまっている闇が侵食をし始める。いけないいけないと思いつつも止めることはできない。俺は誤魔化すように早歩きに。後ろで楽しいそうな声が遠のいていく。

 

 

いつもの歩調より少しばかり速くしたせいで体が悲鳴を上げている。肺が酸素を求めて口を大きく開け空気をより多く取り込み体を落ち着かせようとする。7月の中旬は夏の暑さに最も近づいている時期と言っていいだろう。夕方のためその熱さは幾分か軽減しているがそれでも熱い。体を酷使したことにより疲れだけでなく汗も飛び出してくる。Yシャツに汗が纏わり付き密着しているため体から漏れている蒸気を閉じ込める。夏特有の何とも言えない不快感が押しかかってくる。襟元に手をやり空気が循環させる。この時期になると外を出歩くのは難しかったか。冬ならば寒くても厚着をしておけば寒さに耐えることができるが夏だとそうはいかない。いくら薄着にしても暑いものは暑いのだ。暑さが遠のくまで習慣である近隣の散歩はこれで最後にしとこう。この習慣自体には大した意味はない。所詮はただの暇つぶしだ。ならば大変な目に合わなくてもすむものが他にもある。例えば・・・読書とか読書とか。手持無沙汰が露呈してしまった。

 

しばらく歩いていると土手が見え登っていくと河があった。周囲には建物らしい建物はない。そのため遠くにある山が見えるほどに景色が開けている。河川敷にありがちな野球場や草が生い茂っていない場所はこの場所よりもさらに奥に行ったところにある。夕方ということもあり周りを眺めていても人が一人いるだけでそのほかは誰もいなかった。俺は土手に腰を下ろし座っているのに対してその他一人は少し距離が離れた斜め下の斜面にぽつんと座っている。距離が離れているため顔は見えないがスカートをはいた制服、後ろ姿からわかる中学生よりも大人びている佇まいから俺と年齢が近い高校生のはずだ。偏見かもしれないが何ともまあ珍しい。うら若き女子高生は一人で河川敷に来るなんて誰が思うだろうか。それを言ったら若い男子高生が一人で来るのも珍しいか。自分の偏見を自分で取り除く。

視線を元に戻し河川敷を眺める。川の水面は夕焼けの日光で照らされており茜色に溶け込んでいた。そして周りは縁緑地帯のため木がとても多くあり素晴らしい景色を生み出す。

この街のいいところは自然が程よく多く鬱陶しくないところだろう。その調和が見事な景色に。人間関係はてんで駄目だがそれを除けばこの街に不満な点は一切ないと言い切れるほどに俺は好きだ。上流階級である祖母が持っていた日本各地にある持ち家。これだけ聞くと俺が金持ちの御曹司みたいに聞こえるが実際はそんなことなくお金を持っているのは祖母、こっちには一切入ってこない。今まで有り余っている財産を欠片の一つも渡されたことがなかったが一人暮らしをしたい申し出を受け入れてくれありがたいことにあの家をくれたのだ。高校卒業までは金銭面の援助もしてくれるらしく本当に頭が上がらない。祖母は寡黙で目の鋭さから相手を委縮させるほど怖い。そんな容姿と態度からは予想できない優しさを持っているのだ。俺の人付き合いの悪いせいで勝手に居心地悪く思っただけで本当は知っていた。俺を大事にしていたことを。そんな思いやりで俺はここに引っ越してきた。この場所は街行く人々皆が幸せそうだ。河川敷に向かう途中で見た人並みは屈託のない満面の笑顔で人と人が繋がっていく。人が生きていく上で不幸な出来事で心を不安で蝕んでいくことは当然あるはずだ。それなのに一切顔に出さずに幸福が勝っている姿。これがこの街の住人だ。俺も同じ住人であるはずなのに違う。

 

 

輪に入ることができていないのだから当然と言えば当然だ。心から望んでいる人との繋がりを持てたのなら俺は本当の意味での住人になれるのだろうか。…変わりたい。何度も思った願い。でも願っただけでは叶わない。小学生でも知っていることだ。わかっていても怖気で行動できない自分がいる。好かれてもいないし嫌われてもいない俺は拒絶されるのが怖い。最初に好意で接してくれた人には拒絶したくせに身勝手な思想。自己嫌悪。みんな最初は怖いのだろうか。それを乗り越えた者だけが手にすることができる関係。独りでなくなる喜びが心を満たす。俺は手にしたことがないからわからないがいつも周りを見ると幸せそうだ。そんな長い思考に明け暮れているとざっと土を踏む音が聞こえた。斜め下の彼女が立ち上がり河川敷に仁王立ちをしていた。立ち上がった際に一瞬横顔が見えた。隣の席の彼女だ。俺がその事実を飲み込んでいる最中彼女は大きく息を吸い込み言葉にした。

「私は変わりたい、誰とも話せない自分ではなくて私が大好きな人と話せる自分に。人と繋がり一緒に喜んだり悲しんだり…そんな関係を築きたい。だから私は宣言します。私は絶対に変わります!!」

普段無表情な彼女が感情をあらわにして叫んでいることにもびっくりしたがそれよりさっきの発言に驚いた。

 

 

変わりたい。いつも教室で誰にも興味を寄せない素振りで誰とも話さずに一日を終える彼女が見たことのない表情で思いを宙に。声色には自分への怒りなのか怒気が、己が変わることに対しての畏怖なのか怖気がこもっていた。俺には痛いほどに彼女の気持ちが分かった。だってずっと欲していた繋がり、それは今もなお心の中でうずいている俺の願望そのものだから。短い。それこそ一息で話せる心情の吐露だった。でもその裏に隠されていた感情は俺が今抱いている人と関わりたい願望、そして人と関わるのが怖い怖気と同じ。同じ感情を持っているからこそわかる。彼女は俺と同じく心から繋がりを求めているんだ。

俺は自分に怒りを覚えた。変わりたいといいつつきっかけが欲しいと逃げ場を作りどこかで安心していた自分にだ。目の前で宣言した彼女は恐らく根っこの部分は一緒のはずだ。直接変化にしなくても願いを内側に置いといて腐らせない、声にして願った。これは俺ができなかった行動だ。それを彼女は成した。そんな事実が俺を動かす。今まで心の中にはあっても出てくることがなかったさみしさ、怒り、悲しさがこみあげる。我慢することはない。口にするだけだ。

「人との繋がりにもう絶対に恐れない。今まで自分を隠してきた偽りの無関心をとっぱらい俺は変わる。誰かに必要にされたい。誰かを求めたい。感じたことのない気持ちを知りたいんだ」

俺が出した声色には久しく出ていなかった喜びの感情が混ざっていた。何年も心の中で押しとどめていた感情が外に出たのだ。

 

 

彼女に後れをとらない声量。この河川敷には誰もいないためどうしても声が響いてしまう。俺はそれでもかまわない。いつもなら臆病が勝ってしまうところだが誰かに聞こえてしまう等の小さいことは考えない。一度感情が出てしまったことにより吹っ切れたのだろう。自分に夢中だった彼女はこの場に誰かがいるなんて予想できなかったのか俺の声にぎょっと体を硬直させ呆気を取られていた。お世辞にも普段の凛々しい顔立ちを連想させない呆然としている顔でこっちを見ている。俺は声が響き終えたことに納得して体を彼女に向けた。向き合ったことにより俺と彼女は眼が合うが相手は気まずそうに眼をそらす。正直何をすればいいかわからない。変化を求めて行動を起こした彼女に続き俺も宣言した。それは彼女の考え方によっては俺がおちょくってるようにも考えられる。偶然にも同じ感情、願望を持っていて君に憧れて俺も宣言しました。そんな偶然があるか。馬鹿にするため真似をしたと考えたほうが現実的だ。誤解を解くべきか、それとも別の言葉を投げかけるか。長年人と話さなかった俺にはいささか厳しい選択であり今度は俺が調子を崩す番だった。

「あ、あ...その...」

言葉になっていない文字が口から漏れているだけ。俺もまた視線が泳ぎ始める。行ったり来たりしている視線の中彼女はそんな俺の態度を見てなのか先ほどまでの不安定さは鳴りを潜めていつもの冷静で凛々しい顔を取り戻していた。しかし夕日の逆光が彼女の顔を少し見づらく今はどの表情をしているのかが大雑把にしか分からない。

「…遠藤君もかわりたいのですか」

俺の名前知っているのか。知らない誰かとは認識されていなかったみたいだ。俺は彼女に存在を認められた感覚になり奥底から喜びがこみあげてくる。冷静さを取り戻してきた。

「そ、そうなんだ。…うまく言えないけど今の自分が好きになれない。独りでいることに大きな不満はないけど小さな不満はある。誰かと一緒にいることはとても楽しいことなんじゃないのかと考えるんだ。だから変わりたいんだ。」

心の吐露。伝えたいことが整理できていない気がする。抽象的で漠然とした言葉に。

 

 

俺の告白を聞き彼女は眼をつぶり何も話さずに黙り込んだ。やはり俺の会話の拙さで意味を測りかねているのか。しかしそんなことはなかった。

「わかります。このまま関係を持たずに生きていくことはできますがそれは欠落しているのではないか。そんな考えが私の生活に付きまといます。私は自ら繋がりを持ったことのない人間です。それは臆病さが足かせになり至ったもの。つまり自分のせいなのです。周りのどうこうではなくまずは私が変わらなくては」

彼女は理解してくれていた。俺は同じ心境、立場であると感じていて彼女もそう思っていた。

だからちぐはぐな言葉でも理解できたのだ。俺たちは生い立ちは違い、過程は違くても今の状況は同じなのだ。臆病さから周りの手を拒んでしまい独りになった。それは選択の結果とは言えども選びたくて選んだ結果ではない。どこまでも纏わりついてくる臆病さが邪魔に。

足かせを切らなければ。俺はいつも変わらなくてきっかけを探していた。これも臆病だ。本来ならくるはずのないきっかけが今目の前に現れた。自分を別の何かに大きくかえてしまうもの。ここで逃せば俺は一生変われないまま。言うんだ、何でもいいから。

心は叫ぶが体が動いてくれない。魂と体が切り離されたようだ。表情が歪む。見えなくてもわかる。体はろくに動けないくせして表情だけは変わってしまう。彼女はそんな俺を見て何を思っているのだろう。やっと話せた初めての同級生。そんな彼女に不快感を与えたくない。

どう思われるかはいい。彼女が嫌な思いをするのが嫌なのだ。

 

 

体が硬直してから永い時が過ぎたように感じる。実際には数秒にも満たない時間。

その時間を破ったのは彼女。

「私と一緒に探しませんか。見えない繋がり。だけど確かに感じる物。私はこの提案を運命を変える一歩にしたいです」

違う。彼女はもう既に一歩目を歩いているんだ。昨日までは同じ立場だったのかもしれない。でも彼女は自分を変えるために行動を起こしたのだ。河川敷で心を叫ぶ。変化を与えなさそうだが現に俺に届き変化を呼んだ。彼女だけでなく俺の心までを変化させてしまった。

その変化は彼女と対等に並んで歩いて生きたい。そんな願望が生まれたことだ。俺はずっと同じ境遇の人と会うなんてありえないと思っていた。世界のどこかにいても目の前には現れないどこか遠くの存在。その存在がこの街にいて俺と向き合っている。隣の席の彼女は毎日の日々を過ごしていく中で変化を考えていた。そして偶然にも隣の俺も同じ変化を考えていた。意識してなかったが気づいてみるとずっと並んでいたのだ。心も体も。

 

 

だが彼女は前に進んでしまった。彼女の顔は見えない。見えるのは後ろ姿のみ。

本来ならこのまま進んでしまい姿さえ見えない遠いところに行ってしまうのだろう。

でも彼女は振り返り俺に手を差し伸べた。俺が惨めだとか可哀そうといった感情から生まれた優しさではない。長年付き合った関係ではなくそれも初めて話した。そんな短い時間でもわかる。彼女は困っていたら何も考えず誰かが幸せになれるよう手を差し伸ばせる優しさを持っている。

 

 

中々いないだろう。人生の中でほんの一瞬しか関わっていない人間に優しさを向けることができるのは。俺が彼女の立場であったらきっと優しくすることが出来なかっただろう。俺が持っている優しさは心に余裕がない時にはないものだ。それは優しさではない。ただのゆとりだ。彼女と比べていくと俺自身がどんなに人として劣っているかが明確になっていく。

そんな比較が変化を求める心に火をつけた。人に優しくしたい。彼女に向かい一歩踏み出す。

この一歩は彼女に近づくだけでなく同時に変化に近づく。怖い気持ちはある当然だ。前に出た足に続き体を動かす。それまで夕日で彼女の顔は見えてなかったが太陽が傾いたことにより徐々に見え始めた。彼女はずっと微笑んでいた。普段表情の変化を一切見せなかった彼女が笑っている。何に対して笑っているのか。変化が訪れたこと、俺と話せたこと、あるいはそのすべてか。俺は単純だった。その笑顔を見ただけで心が軽くなる。身も心も彼女に近づいた。

「俺は君と探す。繋がりを求めてその先にある時間を共有して今までとは違う時間にしたい。だからお願いするよ。俺は君の隣を歩いていく。だから君は俺の隣を歩いて時間を共有して欲しい」

傍から見たら愛の告白と勘違いされるのだろう。幸いなことにこの場には俺と彼女しかいない。なら人生の分岐点を見れたのは彼女だけ。これは確信と宣言だ。

言葉を受け取ると今まで以上に彼女の笑顔が強まった。先の見えない怖さを簡単に払拭させてしまう。

「はい」

彼女はうなずく。俺たちは準備ができた。永い永い、それもゴールがあるかどうかもわからない旅だ。困難を極めるだろう。それでも今日感じた感情を思い出せば立ち上がれる。

 

 

アラームが鳴り目が覚めた。起きた時に感じるいつもの気怠さはない。むしろ体の調子がいいぐらいだった。

昨日は不安を抱えずに寝れたからだろう。あの後特別変わったことはなかった。二人で一緒に帰るわけでもなくまた明日学校で会おうと約束しただけだ。約束をしなくても彼女は隣の席のため必然的に会えるのだがそれでも約束をして会うのは特別さを感じてしまう。その特別は嬉しさに繋がり寝るときに考えてしまう漠然とした不安に押しつぶした。その結果が爽やかな朝に。いつもの出発準備を素早くこなし外に出る。今日もまた誰もいない家に言葉をかけたが虚しさは全く現れなかった。通学路で大勢が賑わっている人波に沿って学校へ向かう。今日は足取りが軽かったせいかいつもより早く着いた。教室に入ると何人かがこちらを見るが特に気にせず視線を元に戻す。俺も気にせず席に向かう。その途中まだ誰も座っていない彼女の席に目がいく。昨日河川敷で互いの変化を話した女の子。一緒に変わっていくと決め初めて学校で会う。あの時見せた笑顔と違い教室では表情を一切見たことがない。知らない人が見たら別人と間違えるかもしれないほどだ。屈託のない笑顔で優しさに溢れている。凛々しい顔立ちで真剣なまなざしが見る人の心を貫かせる。どちらも同じ彼女だ。俺は思い出しながら席に着く。時計を見るとやはりいつもより早い時間だ。早く来たと言っても5分ばかりだが普段の登校時間と比べたら早いことには変わりない。隣の席をみつつ俺は緊張していた。今日から俺は彼女と一緒に行動してく。でも俺は長年人と会話をしてこなかったせいか緊張してしまう。脇汗が止まらず心臓はバクバクと音を鳴らす。HRまでの時間がやけに長く感じる。いつもHR直前に登校してくる彼女を待つ。教室の扉が開く音がした。聞き慣れているはずの音がやけに気にかかる。扉に目をやると彼女がいた。

教室にいる生徒は彼女が来たときのみ皆が視線を向ける。俺も例外ではない。背筋がしっかりと伸び見る人をほれぼれさせる歩きで彼女は席に向かい止まる。正確には席ではなく俺の前だ。なぜか目の前にいる彼女に疑問を持ち顔を上に向ける。昨日よりも近い位置で無表情な彼女は俺をじっと見つめる。注目を集めていた彼女が目の前に来たことで俺までも視線にさらされてしまう。浴びたことのない大量の視線。俺はあやふやな気持ちを抑えられなくなる。

「おはようございます、遠藤君」

透き通った声が教室を響く。音が反響を終えると今度は教室のざわめきが響き始める。

「俺唯月さんが話しているところ初めて見た」

「あんなに綺麗な声してるんだ」

 

 

 

言い方が悪いかもしれないがこのクラスの異物である二人が話していれば目を向けるのは当たり前。俺は宙に浮かでいるような浮ついた気持ちで声を返す。

「お、おはよ、唯月さん」

恐らく顔面蒼白で彼女に挨拶をしてるだろう。それほどまでに今までの人生で味わったことのない圧を感じる。

「俺遠藤が話しているところも初めて見た」

「あの二人が話しているなんて信じられない」

感想が次々と俺たちに降りかかる。わかっていたことだけど俺は異物認定だ。少し悲しい。

泳いだ視線を彼女に向けると挨拶は終えたはずなのにまだ俺のことをじっと見続けていた。

この状況続く限り俺は針のむしろ。どうにかして状況を変えたいがあいにく対人能力が皆無の俺はなんとかできる術を持ち合わせていない。汗が止まらない。朝の調子の良さはどこかへ消えたらしい。教室の扉を開ける音がする。

「やけに静かだね。何かあったの?とりあえずHR始めるよ」

この場に似合わないのほほんとした雰囲気で全員の意識を変える。生徒たちは名残惜しそうにちらちらと見ていたがやがて前を向き先生の話に耳を傾け始めた。

助かった。あのまま見られ続けていたら冗談抜きで壊れていた。一時的なものとは言え先生に感謝をしつつ安堵する。悪気がないとは言えどもこの状況を作った張本人は体を前に向けつつもちらちらとこちらを見てくる。先ほどに比べたら大したことはないが気になる。このHRが終わったらまた視線が集まって心が苦しくなってしまう。ならとる行動は一つだ。

 

 

「最近日を重ねるごとに熱くなっていくねー。もうすっかり夏だよ。ということは皆さまご存じのお祭りがやってくる。一年に一回きりで一番盛り上がるイベントだから先生楽しみだな。はい、いつもの雑談終わり、一日頑張りましょう!!」

元気のある威勢のいい声がHRの終わりを告げる。HRとは言えども毎日特別伝えることがあるわけではない。学校行事が近くなったときは今までの分を取り返すように伝えてくるが行事がないためやはり早く終わってしまうものだ。俺はいつもの光景を見通していたため事前にとる行動を考えていた。HRを終えた先生は一日の始まりを終えたからか満足げな表情で踵を返しすたすた歩いていく。生徒たちは全員先生の行進を見送ると思い出したかのように顔をこちらにやる。俺も動く。

「唯月さん、ちょっといい?」

姿勢よく先生の話を聞いていた彼女に声をかける。

声をかけられると思っていなかったから無表情で驚きを一切見せないが少し体がびくっと揺れた。

「なんですか?遠藤君」

・・・唯月さん動揺している。長年人と話さなかったことから俺は相手の気持ちに察することに疎いと思っていたがこれは察してしまった。

恐らくだが先ほどの俺と同じでいきなり話しかけられたことに動揺しているんだろう。

いつものように凛々しい顔立ちの上で表情を一切見せない姿で誤魔化しているが俺はわかってしまった。普段の姿から動揺なんてしないと勝手に思っていたが彼女も人の子。親近感を持ちつつ俺は右手の人差し指で教室の扉を指す。外で話そうの意だ。彼女は無言で頷き了解する。ものすごい視線を感じるがあえて見ない。逃げるように教室を後にした。

 

 

教室を出てすぐの廊下だとさっきの食いつき具合から追ってくる可能性があった。そのため特別棟に繋がる渡り廊下の方に行く。唯月さんは黙って俺の後をついてくる。渡り廊下付近まで来ると先ほどまで背中に刺さっていた痛い視線が消えたような気がする。ここならそこそこ遠く一時間目が始まるまでに戻ってくるだろう。体を彼女に向けて顔を見る。

「えっと、私何か余計な事してしまいましたか?」

顔には出ていないが言葉から俺に気遣いをしていることが分かる。まずは勘違いからといていく。

「違う違う。俺と唯月さんって教室で話したことないないよね。だから教室の皆が物珍しそうに見てた。俺は大勢の視線に慣れていないからさ、唯月さんも慣れていないじゃないかと思って。それで一旦は教室から離れたんだ」

あえて言わないが彼女はとんでもない美人なことからクラス問わず学校単位で有名な人だ。その上人と話さないからあらゆる人に注目されている。そんな有名人とクラスの無口が話しているのだから嫌でも見てしまうだろう。逆の立場だったら俺も見てる。

ほんの少ししか話していないが周りのことに気づかない面を彼女自身理解してない節がある。先ほども大勢の視線を向けられていたがじっと俺の方を見るだけで気にする素振りを一切見せかった。だけど俺に声をかけられただけで動揺してしまう。天然なのか

「え、見られていたのですか。・・・気づきませんでした。なんか恥ずかしいです」

これもまた表情に出ていないが言葉から恥ずかしそうにしているのが分かる。

 

 

「俺たちの目標はさ人と関わることでしょ?物珍しさで見られることを超えなきゃ人接せられない、とりあえず俺はあの状況に慣れることを頑張る。まずはそこから。俺が唯一事情を話せるのが唯月さんだけだから口に出して自分を追い込める意味で聞いてもらいたかった」

自信を無理やり変えるのなら口で無理を言いやらざるを得ない状況に。彼女と足並みをそろえるためにも最大限の努力はする。

俺の告白に彼女は目を瞑り数回うんうんと頷く。

「遠藤君...立派です。私も目標を立てて頑張ります。そうですね。毎日遠藤君と会話をするでしょうか。今まで話せなかった分話したいです。」

落ち着いた口調で思っていることを語る。

最後の俺ともっと話したいと言う言葉。素直にすごく嬉しい。良く知らない人だったら忖度か何かだと思ってしまうが彼女は違う。本心から言っている。相手の心情に疎い俺がわかるのだからそのわかりやすさは往来のものなのだろう。わかりやすさは相手に気持ちを届ける。彼女は優しいから決して不快な気持ちを渡さないで心地よい気持ちを渡してくれる。

何度も前述してる無表情の特徴がなければだれとでも仲良くなれていたはずだ。

心が温まってきたことにより先ほどの教室で痛みが和らいできた気がする。

「そっか。俺も唯月さんと話したいよ。まだ知らないことのほうが多いし。だから二人で頑張っていこう。」

俺たちはまだ話して二日目の関係だ。お互いのことは何も知らない。その状況でも俺はもっと話していきたいと思ってしまう。彼女の人柄の良さだ。きっかけをくれた人。そして俺の初めての友達。

「はい、そうですね。私たち友達同盟をどんどん広げていきましょう」

俺たちは一言も友達になろうなんて言っていない。でも彼女も俺のことを友達だと思っていてくれた。友達ができたことがなかったからわからなかったけど友達は言葉で出来るものじゃなくて繋がりで出来ていくものなんだ。

ずっと憧れていた繋がりをやっと持てた。偶然のめぐりあわせで生まれたものだ。神様と唯月さんに感謝をしよう。

予鈴が鳴る。一時間目が始まる時間だ。廊下で先生が歩いているところを見ていないのでまだ授業は始まらない。遅刻にならないためにも早く行こう。

「唯月さん行こ」

彼女は元気よく答える

「はい!!」

体の調子の良さが戻ってきた。

 

 

少しでも目立たないように後ろの扉から入るが案の定また注目を浴びてしまう。視線は未だに気にはなるが先ほどと違い心は痛くならない。友達って偉大だ。あえて右に目をやらず席に目掛けて一直線。唯月さんと俺は席に着く。唯月さんにはクラス中に見られていることを伝えているはずなのに一切影響を受けていない。自分自身と近い存在にしか目がいかないのだろうか。・・・やはり天然だ。周囲はまたひそひそと話している。そこそこ声量があるため聞きたくなくても聞こえる。内容は珍しいだとかどうしてだろう等々。決して悪口ではない。そしてその周りも貶す言葉は言っていない。個人的に好印象だ。クラスに関わってこなかった俺をぼろくそに言ってもいいはずなのに。視線の痛さを超えると見えてなかったものが見えてきた。わかったのはこのクラスは優しいってことだ。

前の扉が音を立てて開く。

「おらー始めるぞ。」

少し粗暴混じった声。勢いと声量もあるため体育会系を思わせる。ガタイがいいため実際そうなのだろう。もやしみたいな俺とは反対に位置する。先生の声掛けで今日の日直当番が授業前の挨拶号令をかける。俺はその言葉に従い立ち上がり礼をする。長い授業の始まりだ。

 

 

全く頭に入ってこない授業を四回こなしてあっという間にお昼の時間に。HR前の騒動によりいつも以上にお腹が空いている。普段なら誰も気にしないため教室で黙々と食べるところだがまたまた視線により針の筵になることが容易に想像できる。しばらくは外で食べるようにしよう。椅子から立ち上がりまずは購買に向かう。顔を扉に向けると視界の端で唯月さんが可愛らしいポーチを机に置いているのが見えた。立ち上がってから気づいた。友達は一緒に昼ご飯を食べるものではないかと。昨日今日で友達になった俺は今までの常識から抜け出せないでいる。声をかけてみよう。・・・中々勇気いるな。俺は彼女の横で直立している。ただでさえ注目を浴びているのに益々目立ってしまう。そんな目立っている俺を隣にいる彼女が気づかないはずがなく声をかける。

「どうしたのですか?そこに立っていて」

頭の上にはてなをとばし首をかしげる。

「あ、その、一緒に昼ご飯食べないかなってお誘いをしようと」

慣れない誘いから言葉が尻すぼみで小さくなってしまう。俯瞰して見たらとんでもなく情けない姿なんだろう。

誘いを受けて若干だが彼女の表情が変化する。本当に微かな変化で凛々しさを感じさせる顔が少し柔和に。

「はい、いいですね。一緒に食べましょう。せっかく席が隣ですから教室で食べますか?

あ、でも遠藤君はいつも購買でパンを買いに行ってましたね。なら外で食べるのも乙かもしれません」

 

 

 

少し早口で嬉しそうに言葉を返してくる。表情ではわからないから話し方での予想だが。ここまで反応がいいと誘った側として嬉しくなる。元々誘う前から外で食べることは決定していたため外で食べるように俺は提案する。

「わかりました。ならまずは購買に行きましょう。」彼女はポーチを持ち廊下へと迷いなく歩いていく。俺は呆気を取られ少し遅れて付いていく。彼女が弁当を持っているのは明らか。行く必要はないのに行くのは俺が買いに行くから。彼女が俺の用事に付き合わさせてしまうのは申し訳ないと思い断っとくことにする。

「いや、唯月さんは校舎の入り口辺りで待っててよ。俺がすぐ買って来るからさ。あの溢れ具合だとお互い迷子になるよ」

俺の言葉を受け彼女の目が煌めいた気がした。

歩いていた歩幅は段々と大きくなりつつスピードも増していく。

「購買はそんなに人がいるんですね。私行ったことがないのでわくわくしてきました。」

後半の部分しか聞いていない。彼女はいつも穏やかに相手の話を聞いてくれる人だ。

それが人の変わったように聞いていない。

彼女の変な導線に火をつけてしまった。・・・いや、最初から火がついていたのかもしれない。俺は止める術が分からないため彼女の周りであたふたしながら付いていくのがやっとだ。意外な一面を見てしまった。

 

 

彼女の勢いに負け購買に着いた。授業が終わって数分しかたっていないのに昼ご飯を求めて生徒が大量に押し寄せており氾濫していた。パンやらおにぎりやらとあっちこっちから販売担当をしているおばさんに求める声がかかり状況ははちゃめちゃに。いつもの光景を眺めていると横目で唯月さんが興味津々な目をしているのが見えた。こんな状況を見たら普通は慌てふためく気がするがそんな様子は一切ない。度胸が強いみたいだ。視線を戻し争奪戦が行われている購買を観察する。ただでさえ騒動が激しいのに俺たちのように後からあの波に入ってこようとする人がいるため益々大きな波に。俺は毎日ここで買っているからわかるがこの場所は早く来たから欲しいものが買えるというわけではない。面白いことに後から入ってきた人が買えるなんてこともあるのだ。どういうことなのかと言うと、あの波は前に移動しようとしても人波で思うように前に進まないため流れるままになる。そのため運が良ければ最前列に行き買うことが出来る。俺は今まで何度も挑戦してきたが最前列に流れ込んだことはないから事が収まってから人気がないため余っているマイナーなパンを口に。ちなみに昨日はマンゴーパンだ。食べてみると案外おいしく知名度がないことから敬遠され毎度残っている。それとは逆に人気のパンとしてクリームパンがとんでもなく人気を博している。ここのクリームパンは限定で5個しか置かれていなく理由として購買のおばさんが趣味の予算度外視で作っているのがある。周りから聞こえてくる噂によるととんでもなくおいしいらしい。俺はそのため予めコンビニなどで買うのではなくこの場所で挑戦しているのだ。もっとも最初は味を求めて挑んでいたが今では食べれない悔しさが動力源だ。そろそろ荒波に揉まれようと唯月さんに声をかける。

「あそこに飛び込んでくるから少し待ってて」

短い言葉の後彼女を待たずに走り塊の割れ目に身を投げ出す。満員電車など比較対象にならないほどの狭苦しさ、同時にひと肌による妙に生暖かい熱気が体に当たる。視界には誰のものかわからない服が少し見えるだけで状況把握が一切できない。それでも少しずつ前に移動している感覚がある。俺はその感覚を信じてひたすらに流れていく。すると一瞬光が見えた。

 

 

一寸にも満たないかもしれない隙間から零れ落ちている光。その先には長い間待ち望んでいたパンが待っている。体は動かないがつかみ取るために手を伸ばすことできるはずだ。

俺は今までなかった好機に戸惑いつつもがむしゃらに手を伸ばす。届かない。けど更に手を伸ばす。まだ届かない。やがて戸惑いは不屈の心に変わりあきらめを忘れる。届かないことは関係ない。それでも手を伸ばすんだ。そんな必死さが届いたのか影で覆われていたはずの手に光が灯される。言うことを聞かない波が徐々に体を押しのけて俺を最前列に連れて行こうとする。彷徨い続けた波からとうとう出た。突然光の上に出てきたことから瞳が驚きを上げ瞼を閉じてしまう。視覚を閉じたことにより聴覚に集中するのだが周りの求める声は全く気にならない。あのクリームパンをとうとう掴むことが出来た喜びで他の情報が入らないのだ。数秒喜びをかみしめた後に重い瞼を開け瞳に光を入れる。目の前の場所は人波に飛び込む前の位置だった。・・・なぜ。

ただ単に戻ってきただけだった。俺は戻るために手を伸ばし続けていたのかよ。傍から見ても自分から見ても情けない光景であることは間違いない。伝説のパンを手に入れた気になっていたため落差によりショックがとてつもなくでかい。がしかし買えないものは買えない。あきらめて混雑が落ち着くのを待つことに。いつも通りマンゴーパンに。

 

 

ざわついた声を背後にして周りを見渡すが唯月さんが見当たらない。予想をしてなかっただろう購買の騒がしさに外に出てしまったのだろうか。彼女と合流しようと歩こうとすると弱弱しく一定のリズムで肩を叩かれる。誰だと思い振りむくと行方不明だった唯月さんが満面の笑顔(俺にはそう見えた)で立っていた。しかもよくよく見ると彼女の両手にはまぶしい輝きを放つものを持っている。あまりの眩しさに目を細めるが何なのかが気になりじっと見つめる。俺は驚いた。先ほどまで手のひらにあると思っていたクリームパンだった。

あまりにも珍しい品物のため神々しさが幻覚として現れ光を出していたのだ。

唯月さんに恐れ恐れで尋ねる。

「・・・それどうやって手に入れたの?」

俺はあまりの驚きに言葉がゆっくりと出てくる。

一年かけても取れなかったものを彼女はなんと一日目で手に入れてしまった。この購買の歴史は知らないがこのようなことは一度もなかっただろう。

「遠藤君があの人波に飛び込んだ後私も付いて行ったんですよ。押しのけ合いで身動きはとれませんでしたが気づいたら最前列で。一番美味しそうなパンを選んでお金を置いてきました。」

何という奇蹟。しかも伝説のパンを知らずして選んだ。俺は素直な賞賛と買えなかった悔しさが混じり曖昧な感情をもやもやさせる。正直羨ましい。

 

意識しなくても両手にあるパンを見てしまう。俺は溢れる欲求を無理やり押し込み話しかける。

「俺まだ買えてないからさ。騒がしくない入口辺りで待ってくれないかな?いつも通りなら後数分で収まると思うし」

販売が開始してから数分がピークとなる。その後は騒々しい声は潜め人も徐々にいなくなり購買は閑散とする。提案の聞いた彼女は何も反応せず曖昧な顔をするだけで要領を得ていなかった。お互いの空気が合っていない。よくわからない状況に内心あせりつつも彼女を見ているとはっと気づいたような顔をする。

「成長期は食べ盛りって聞きますしね。これでは足りないってことですか。私はこの量で一日は食べずにいられそうですが」

何かが噛み合っていない。そのパンは唯月さんが買った物であって俺が食べるものではないはずだ。・・・もしかして俺のために買ってくれたのかな?もしその通りだったら話が通る。聞いてみることに

「もしかして俺の分買ってくれたの?」

疑問を受け至極当然だろって顔をしている。

「えっと、だめでした?」

唯月さんと友達になってから常識が次々と覆る。俺は関わっている人がいなかったため自分だけのことを考えて生活してきた。彼女も学校に関してはそうだろう。それなのに俺に対しての善意の行動をしてくれる。俺は今までの生活にないことから対応ができていない。

だから購買に行く前も彼女を見てから一緒に食べることを思いついた。

その一面は彼女の尊敬できる特徴で見習うべきもの。

「いや、ありがとう。今日も買うの失敗してさ。ちょうどいいところだった」

優しさは繋がりを与える。

「よし、パンを手に入れたし中庭で食べよう」

「はい、行きましょう。私もうお腹がぺこぺこです」

友達と食べる初めての昼ご飯だ。

 

 

二年生の校舎入り口を右に横に抜けてしばらく歩くとベンチとテーブルがあり休憩スペースとして丁度いい場所がある。この場所は特別棟付近に加えて道中に草と木で生い茂っているため生徒はここに来ることは滅多にない。私立高校は土地を余らせているのか学校のいたるところになくてもいい場所がある。散策をしようと思わなければ3年間のうちに一回も行かないで卒業してしまうなんてこともあるのだろう。実際俺も話す人がいなくてやることもないため暇つぶしで散策をしていた。着いた場所を眺めると相変わらず景色がいい。一面が緑で覆われていて夏の熱いはずの日光を遮りこの辺りの温度は周りよりもいくらばかりか低い。このよう光景を緑地帯と言うのだろう。(多分言わない)

中心には先ほど言ったテーブル、椅子がありこの辺りだけは緑がないため夏特有で湧いてくる虫を寄せ付けなく快適な空間に。学校の全てを知っているわけではないがここは結構穴場なのでは。後ろから付いてきている唯月さんは周りをきょろきょろしている。彼女もまた学校を巡ろうとする性格ではないのだろう。だから珍しそうにこの場所を眺めるのだ。

上を向きながら言う。

「上の草がブリーチ状に組まれていて程よく熱さを遮ってくれていてすごく凄く過ごしやすい。・・・こんな場所があったんですね。知りませんでした」

先ほど日光に当たっていた際は服に隙間を作り仰いでいたが涼しさが効いてきたことにより今では一切仰いでいない。気に入ってくれたみたいだ。

「昼休みはいつも暇だからさ結構散策してたんだよね。この学校用事がないと一生行かないところがいっぱいあるし。その散策結果がここです」

 

 

よくよく考えるとこの場所に来るには二年生の校舎入り口に付近にある木々をすり抜けていかなければならない。そんなところを通っていこうとするなんて正直俺以外いないと思う。椅子を引いて座る。人が来ない割には案外綺麗で使う分には問題がなさそうだ。むしろ使いやすいかもしれない。彼女もつられて座り同じく何度も感触を確かめるように上下する。やがておさまり持ってきていたお弁当と先ほど購買で買った拳2つほどの大きさがあるクリームパンを置く。テーブルに置くと益々大きく見える。全部お腹に入るのだろうか。

「そういえばさ何でお弁当持ってきているのにパン買ったのさ。」

この光景を見て当たり前の質問をする。男で食べるのがきつそうな量を女の子である唯月さんが食べようとしているのだ。もしかしたらかなりの量を食べる体質なのか。

「えっと、そのー」

歯切れが悪そうに言葉を濁してごにょごにょ口を動かす。何を言っているのかわからない。

黙って待っていると徐々に言葉がはっきりしてきて明瞭に。

「そのですね、今まで一度も購買に行く機会がなかったもので浮かれてご飯があるのに買ってしまいました。・・・以上です。」

凄いギャップだ。凛々しくて涼やかな顔から想像できない浮かれ具合。彼女の気持ちは見えないが心の表情は様々な種類で富んでいるらしい。てか唯月さん相当浮かれていたんだな。

またまた天然属性が発動した。

唯月さんはこれもまた顔には出ていないが体の動きから恥ずかしそうにしているのが分かる。なんて言葉をかければいいかわからず黙っていると

「えっと、食べきれないお弁当を遠藤君に食べてほしいのですが...駄目でしょうか」

女の子からの人生初のお願いだ。しかも学校一のとびっきりの美人。俺はそもそも人と関わらないため容姿の云々は考えない性格なのだがこのレベルまで来てしまうと考えないと思っていても考えてしまうだろう。そういうことで俺は

「・・・いただきます」

腹をくくるのであった。念願だった伝説のパンは俺の心を満たすだけでは飽き足らず腹を目一杯満たしてくる。

 

 

地獄を見る前に唯月さんのお弁当を食べることにしよう。可愛らしいピンク色のポーチを開けると対称に無機質な色をした黒色のお弁当箱が出てくる。外と内の色合いの合ってなさが少し気になったが貰う身だ。何も言わないでおく。箱を開けるとご飯とおかずが綺麗に分けられていてその上とてもおいしそうに見える。卵焼き、ウィンナー、ポテトサラダ、衣が付いた肉。思えばこのようなしっかりとしたご飯は久しぶりに食べる。実家暮らしの時は家にいた家政婦さんに料理を作ってもらっていたが一人暮らしである今は料理を作れない上に挑戦すらもしていないため必然的に出来合いのものやインスタント食品等の人の温かさを感じさせないご飯になってしまう。そのため偶然とはいえ人が作った料理を食べさせてもらうのだからありがたい。お弁当を良く見るとおかずに冷凍食品特有の形の良さが一切ないのが分かる。おかずは全部手作りで作っているのだ。眺めていると唯月さんが少し照れくさそうに顔を背けながら言う。

「いつも私がお弁当を作っているんです。だから美味しさの自信はあるのですが人に食べさせたことがないので・・・。感想をください」

適当な食生活を過ごしている俺と大違いだ。この美味しそうなお弁当は手作り。毎日のお弁当なら楽をするためにも冷凍食品を多少なりとも使うものだと思うが彼女は一切使っていない。それだけで彼女の真面目な性格がうかがい知れる。

彼女にちらちら見られつつ俺は箸をを取り出し玉子焼きを口に頬張る。美味しい。

唯月さんが目の前にいなければ理性を忘れて美味しさを叫んでいたかもしれない。そのぐらい美味しい。

 

砂糖が入っている塩が程よく合わさっているからか甘じょっぱい味が口に広がる。普段玉子焼きを口にしないため好みがわからないが一口でこの味が好みだと確信する。美味しさに釣られて次々と食べてく。唯月さんがじっと見ていたような気がしたがお弁当に夢中だった俺は全く気にならない。人様のお弁当だってことを忘れてあっという間にお弁当を平らげると食べ終わった余韻で心が満たされる。今自分の顔を見ることはできないが多分幸福そうな顔をしているのが分かる。しばらく浸っていると徐々に理性を取り戻してきた。元に戻りずっと俺を眺めている彼女からの視線にやっと気になりだす。唯月さんに子供みたいに夢中になって食べてところを見られていたことが急に恥ずかしくなってきた。先ほどの唯月さんとは逆で今度は俺が恥ずかしさから顔を背ける。

「・・・すごく美味しかったです。」

羞恥心が言葉数を減らす。厚意?とは違うが貰った物なのだからお礼と絶賛をするべきなのはわかっているがそれでも口がうまく動かない。何も言えない気まずさにちらっと横目で彼女を見るとどうやら満足気な表情を浮かべている。

「はい、気持ちいい食べっぷりでしたから食べてもらう恥ずかしさがどっかに行ってしまいました」

・・・その恥ずかしさは俺のところに来ました。はい。

「凄く嬉しいものですね、誰かに美味しく食べてもらうのは。今度は遠藤君専用で持ってくるのでまた食べてもらえませんか?」

普段の俺なら申し訳なさからいいよいいよだとか大変だからさ等の遠慮をするところがだが今の俺には断る余裕がなかった。

「・・・うん」

またまた言葉数が少ない俺でした。

 

 

羞恥心と満腹感でいっぱいいっぱいだったが予定通り伝説のパンを食べたことによりお腹が悲鳴を上げた。唯月さんに心配されながら昼休みは時間ギリギリまで腹の膨張にうなされていた。その後意識があやふやだったが何とか授業を受けることに。いつも通り授業内容は頭に入ってこないが今回は俺の体はあらゆるもので満たされているためこれ以上入るキャパシティが存在しないからだ。今の状態はどうしようもないため先生に目を付けられるのが嫌だったためやってこなかった机に寝そべる体制をとっている。授業姿勢だけは表面だけを見るのなら模範的な優等生だった俺があからさまな態度を。長い間寝そべっていたが特に言われることなく時間が過ぎていく。時間が経つに連れてお腹の具合は益々ひどくなってきた。痛みはどんどん広がりやがて脳に到達し蝕む。・・・本格的にやばくなってきた。痛みで意識が朦朧としていると肩を叩く感触が現れた。唯月さんだ。唯月さんは申し訳なさそうな顔を近づけて小さな声で話しかけてくる。

「ごめんなさい、私がお弁当を押し付けたせいで・・・。具合がひどいようでしたら保健室に行きませんか?どうにかして遠藤君を連れていきます。」

確かに苦しんでる原因はお弁当とパンを無理やり押し込んだからだがそれは俺が自分の意志で食べたことだ。強制されたわけではないのだから彼女のせいにはならない。そんなことを言っても誠実の塊である彼女は責任を譲らないだろう。だったら俺がすることは。

苦しい顔は伏せて無言で手を挙げる。説明をしている先生が気づく。

「どうしたんだい遠藤君?質問?」

先生の声掛けでまたまた俺に視線が集まる。もう気にならない。痛みのせいで気にしていられないってのもあるかもしれないが何回も視線を集めたことでもう慣れてしまった。

視線に気にせず先生に要件を言う。

「体調が悪いので保健室行ってきていいですか?」

 

 

彼女と俺の水掛け論を強制的に終わらせる。今保健室に行ったらただの腹痛による具合の悪さのため放課後までには落ち着いているだろう。そして彼女に会っても事は済んでいることにより自責の念に負わされるようにはならない。全ては俺の責任だ。それに彼女の弁当を食べれた嬉しさは苦しみつつもまだ余韻に残っている。結局のところプラスなのだ。だから彼女のためにもさっさと行くことにする。

「大丈夫か?なら早く行ったほうがいいな」

苦しそうな俺の顔が真実を物語っていたのか疑うことなくあっさりと先生の許可が下りた。

まぁ嘘だろうと本当だろうと生徒が言っているのだから疑うわけにはいかないよな。

痛みで訳の分からないことを考えつつ教室を出る。ちらっと後ろを見ると案の定心配そうな目でこちらを見続けている。そんな光景を尻目にしつつ俺は保健室に向かうのであった。

 

保健室は本校舎一階の校舎入り口付近にある。二年生教室がある二階からは離れているために必然的に少し歩くことになる。歩いていると足の筋肉に意識がいっているからか腹痛の痛みが軽減して時たま痛むぐらいの頻度になる。正直この程度なら保健室に行かなくてもいい気がする。動いていた足が止まり階段の踊り場で仁王立ちしつつ俺の中で行かないでいいだろと囁く悪魔が生まれた。俺は今までの人生で一度も保健室に行ったことがなくそのためどうにも敷居が高いのだ。俺の偏見として不良が休息をするために訪れる、前時代も甚だしい認識を持つ。そんなアニメや漫画に出てきそうな設定が付くほどに保健室とは縁がない。考えるため目を瞑る。

・・・やっぱり行こう。考えた結果行くことに。先生に行くといった手前行かなければ嘘になるしなにより暑い。考えている僅かな時間だけでも汗が止まらなくだらだらと流れている。放課後までこの暑さを耐えるのは無理ってものだ。つまるところ自己保身。階段を降り黙々と向かう。

 

暑さが思考をぐちゃぐちゃにする。どうして保健室は一階にあるのだろうか。よくよく考えたら今まで通っていた学校全てがその通りだった。・・・数秒考えると答えがすぐ降りてきた。三階にあったら階段の昇るため保健室に行くのが大変だ。小学生でもわかる答え。

瞬間的にわかんなかったところ暑さはよっぽど俺の冷静さを損ねている。その後まとまりのない考えをしていたらあっという間に保健室前。扉はしまっているが所々にある隙間がエアコンによって生み出された冷気を漏らしている。ほんの少しの涼やかさが一気に脳を覚醒。その覚醒と同時に訪れたことがない不慣れさから緊張が走り俺の情緒に不安定を呼ぶ。頑張って扉に手をかけるが開けることは叶わず。唯月さんと友達になった際に思い切りが大事だって知ったのにまたまた行動できない。扉前でうーん、あーだとかの気の抜けた声を出しあたふたしてしまっている。・・・いや、思い切りだよな。うん。無理やり気持ちを押し殺し飛び込む準備だ。カウント30秒前。30、29,28。

「ねぇ、邪魔なんだけど」

心臓が飛び跳ねる。現れるはずのない場所から不意に声がした。体は硬直して畏まるがなんとか体を左に向けると女の子が不機嫌そうに立っている。予測不可能な事態に俺は何も言えずに驚きの阿保面になっている。

「ねぇ、邪魔なんだけど」

先ほどと同じように不機嫌そうに一言一句変わらぬ言葉を発する。

・・・いや、怖い。冷静さが戻ってきて感情も戻ってくると彼女の気だるさと不機嫌さが混ざった言葉に恐怖心が芽生えてくる。ただでさえ人に感情をぶつけられたことがないのにストレートにぶつけられるなんて。しかも女の子だよ。

俺は何も言わずに一歩後退して入口を譲る。というか怖くて言えなかった。

 

 

俺を横目にしながら大して気にもせず保健室の扉を開けて中に入っていく。怖そうな見た目とは裏腹に扉は静かに閉めまたこの場に静寂が戻ってくる。どうしよう。行きづらくなった。今度は新たに増えた要因が頭を抱えさせる。カウントをしたら飛び込む予定だったが気持ちに迷いが生まれまたまた悩む時間になってしまった。俺は予想外の出来事に遭遇すると延々と考えてしまう癖があることに気づく。駄目な癖だ。なら思い立ったが吉日。

唯月さんと約束したじゃないか変わって見せると。足は正直すくむが心を前にやりなんとか進んで見せる。今度こそ扉に手をかけ横に開ける。ガラガラと音を鳴らせ保健室の中が見え先ほど感じた冷たい冷気が一部ではなく全身にかかり夏の暑さを忘れさせる。室内を左から右へと眺める。奥の机に座り事務作業をしている女の先生がいるだけで怖い女の子(失礼)は見当たらない。

危険物を探す勢いで隅々まで見るがやはりどこにもいない。生徒が入ってきたことに気づいた先生がペンを置きこちらに向かってくる。

「は~い、今行きます」

少し遠くだった印象が分からなかったが近づいてくると優しそうな雰囲気とにこやかな表情といい人を体現したような印象を与える。声質もふわふわとしたもので心を穏やかにさせる類の効果がありそうだ。保健室の先生は人を和ませる才能を持たないとなれないのかと思わせる。あまりにも保健室に最適である人選になぜか動揺してしまい黙ってしまった。

恐らく俺がぼけーとした顔をしてしまったせいだろう。先生はどうしたのって顔をしてこちらを見てくる。

そして何かに気づいたのか左の手のひらに右手の握りこぶしを振り下ろす。こんなしぐさやる人初めて見たぞ。テレビでもそうそう見ないであろう廃れたしぐさをここで見つけた。

「わかったー、保健室初めてだから緊張してるんでしょー。あるあるだよね」

呆けていた原因を勘違いされうんうんと頭を上下に動かし勝手に納得している。

 

 

数分前の俺ならその解釈は合っているが今は違う。間違っているけどいちいち口に出すほどのものではない。言葉をのむこむことに。

「まぁそうですね。はい」

長年で培ってきた人見知りさと飲み込んだ言葉が混ざりぶっきらぼうな言い方になってしまう。がしかし先生は一切そんなことを気にせずに親しげに話しかけてくる。

「うんうん、保健室に来る人は中々いないからね大歓迎しちゃうよ。とりあえずこっち来て」

保健室に来るってことは体調不良がある人のわけだから大歓迎でいいのかとどうでもいい疑問を思い浮かべながら手招きされた場所に向かう。先生が座っている二対あるソファーに対面するように座る。ソファーの真ん中には長方形で黒く縁どられた透明のテーブルにどこからか持ってきた紙にペンを走らせている。

「えっと学年と名前はおしえてくれるかな」

保健室はこんな感じで進めていくのかと理解したところで答えていく。

「二年の遠藤翔太です」

学年と名前を聞き空欄だったスペースにすらすら情報を書いていく。

「ふんふん、遠藤...翔太君ねー。なるほどなるほど」

何に納得したからは知らないが小さく俺の名前を何回か口ずさむ。そして今度は口を閉じこちらの顔をじっと眺めている。初対面の人に見られる気まずさから俺は顔を横にそらし視線から逃げる。

 

 

「いやいや、最近の学生は怪我をしないものでね。保健室に来るのは珍しいから一人ひとり丁重にもてなそうと思っているの。だから大歓迎だよ」

…突っ込まないぞ。置いておくとして先生の言いぶりだと保健室に来ることは中々ないようだ。だからか室内は静寂がとても似合う雰囲気を醸し出している。この空間が珍しく来た生徒を休息させるのだろう。

「遠藤君はどのような体調不良で来たのかな?恋の病?」

この人は冗談交じりの会話が好きなんだろうな。最後の言葉は無視しておく。

「昼休みにお腹いっぱいに食べてその影響で体調不良が...」

説明している最中に声が徐々に小さくなり聞こえなくなる。俺は説明の最中に恥ずかしくなってしまった。当事者以外が聞いたら凄い阿保らしい話だ。食べ過ぎて体調不良ってなんだよ。羞恥心が顔を刺激して赤面にする。やだ。

「ふんふん、ってことはただ単に胃もたれによる体調不良ってことだね。大したことのない症状で良かったね。」

先生は俺の痴態を深く掘り下げることなく話を進めていく。そのおかげで心に広がっていた恥ずかしさが少しずつ取れていき精神面が助かっていく。いい人だな..。今度は先生の優しさが心に広がっていく。

「見たところ問題なく話せるし遠藤君が落ち着いたと思うまで保健室にいなよ。ベッドはもう片方は空いているし空調管理も抜群だからね。不自由なく休息できるよ。」

先生は左手を伸ばして部屋の端にあるベッドを指す。真っ白なシーツで清潔さを感じさせる綺麗なベッド。眺めているとその隣でU字型のレーンを通してカーテンで覆われている空間がある。先生がいうにはベッドがもう一個あるらしい。個性が強い先生を相手にすることで手いっぱいだった俺は気づくことが出来ていなかった。どこに行ったか気になっていたが入口で会った怖い女の子はここで寝ているのか。空いているベッドに視線を向けるのではなく閉まっている場所に向いていたからか先生は察してくれて説明してくれる。

 

 

「ああー、隣はね由香ちゃんが寝ているんだよ。今日も今日とておさぼり中です。」

口元を手で隠し機嫌よくせせら笑う。さっきの子は授業をさぼってここにいるのか。

偏見でものを言ってた不良がいるという考えは合っていた。まぁ授業に出ていないだけで不良というのも言い過ぎかもしれないが。

「ここのとこ最近なんだよねー。先生の立場としては授業に出てほしいのだけどね」

生徒を心配する先生としての言葉と裏腹に表情はにこにこしている。絶対に言っていること思っていることが違うな。俺でもわかった。

癒し声に含まれている少量の邪気が由香?って呼ばれていた女の子の癇に障ったのかこっちも少量の怒気を含ませて声を返してくる。

「うっさい、義務教育じゃないんだから生徒が授業に出るか出ないかは自由」

まさかのため口で返ってきたが先生は気に留める様子は一切ないため普段からこのような口調で話していることがわかる。なんだろう...色々と型破りな性格だ。

「そういうことだから使うのなら隣は気にしないでね。でどうする?」

二人の間に入れずに黙って聞いていた俺に声がかかった。どうしたものか。もう体調もわるくないため寝る必要もないのだがやることがひたすらにない。起きていたら十中八九先生のおもちゃにされて根掘り葉掘り聞かれることに。想像しただけで恐ろしい。答えは一つだ。

もうベッドで昼寝をするぞ。

ベッド前まで移動してふかふかの毛布に腰を下ろす。

「やることもないので昼寝します。しばらくしたら授業に戻るのでそれまでは。」

俺の返事を聞くと先生はがっかりした顔であからさまな落胆をする。

「ええー、体調わるくないなら先生とお話ししようー。日頃の悩みから秘密まで根掘り葉掘りで聞いちゃうよ」

予想してた通りになった。それが嫌だから寝るのです。

言葉で返事をしないで曖昧な顔で返事をしてベッドにもぐりこむ。おやすみぐっない。柔らかさに包まれて目を瞑る。

「まぁしょうがないか。それじゃおやすみなさい」

余計な追及はせずにあっさりと引き下がる。やっぱりいい人ではあるな。

しばらくするとペンを走らせる音が聞こえてくる。俺が来るまで作業していた事務作業を再開したのだろう。その微かな音が聞こえるだけで隣にいる由香?さんからは一切音が聞こえないため室内は静寂に包まれる。眠る振りだけでベッドに入ったが室内の雰囲気に呑まれたからか眠気が押し寄せてくる。意識は細かく切れて思考は定まらない。俺は...

 

 

視界がふらふらし頭がおぼつかない。徐々に頭は明瞭になっていき勢いよく枕から頭を離すとやっと現状が把握できた。どうやら寝ていたらしい。口元には情けないことによだれが付いており熟睡してたようだ。慌てて手の付け根でごしごしと拭う。汚いのどうこうはこの際は気にしない。周囲を見るとベッドを囲むようにU字型にカーテンで覆われている。寝る前に俺は閉めた覚えがないため恐らく先生が気をきかせて閉めてくれたのだろう。とりあえずここから出る。足を地面にやり上履きを履く。今気づいたが制服で寝ていたからしわが付いてしまってなんとも情けない恰好になっている。授業が終わって帰ったらアイロンでのばそう。

「ん、音が聞こえるね。ひなちゃん起きたみたいだよ」

寝起き早々の癒し系ボイスが聞こえる。先生の声だ。...いやそれよりも雛?

俺がここ数日思い当たる名前を呼んでいた。勢いよくカーテンを開ける。光がろくに入ってこない空間にずっといたためかあまりの眩しさに虹彩が驚き瞼を閉じる。ゆっくりと目を開けていくとその光には茜色が混ざっていることがわかる。その茜色に彼女は染められていた。昨日と同じように凛々しさを表面に纏わせて。でもその中には何もかもを包み込むような優しさを秘めている。女の子の名前は唯月ひな。陽光に照らされて彼女はじっと座っていた。カーテンの音に遅れながら気づき俺の方向に腰を据える。表情はほっとしているように見える。

「遠藤君体調は良さそうですね。良かったです。」

 

 

どうやら気にかけてくれて来たみたいだ。それしか唯月さんが来る理由がないが。

今気づいたが茜色は夕方がさす光。ベッドに入ったのが5時間目の最中、1時10分ぐらいだったはずだ。うすうす気づいているが上に掛けてある時計を見ると時刻は5時半を指している。とんでもなく熟睡をしてたらしい。せいぜい一時間程度だと勝手に思っていた。

つまり唯月さんは授業が終わって保健室にいる俺の様子を見に来たってことになる。

「おはよう、唯月さん」

数時間ぶりに会った彼女に声をかける。するとくすっと笑い愉快に笑いを表情に乗せる。

「ふふふ、寝ていたからしょうがないとは言えもう夕方ですよ。なのにおはようって...ふふ」

今までにないぐらい上機嫌に笑う。彼女のツボに入ったようだ。言葉は確かに間違えたがそんなに笑うところなのだろうか。

「確かに夕方だよね。遠藤君おかしー」

先生も唯月さんの笑いに釣られてくすくす笑う。

どうやら俺の笑いの感性が疎かったらしい。

その後数分はこのネタで保健室は笑いに包まれた。俺以外は

 

 

「うんうん、遠藤君は元々体調がひどくなかったしもう大丈夫そうだね。帰ってよし」

先生の墨付きをもらった。どうやら帰っていいらしい。

「ここは暇だからね。また体調が悪くなったらいつだって歓迎するよ。」

暇だからという理由で病人を歓迎していいのか。人としては尊敬できるかもしれないが教師としてはアウト。初めての保健室で得た感想だ。

「遠藤君、出ましょう」

俺は頷きで了解の意を唱え預けていた鞄を肩にかけて入口に向かう。

「お世話になりましたー」

「失礼します」

二人とも異なる言葉をかけて保健室をあとにしようとする。がその前にだ。

「先生」

「ん、なになに」

大事なことを聞いていなかった。今までの俺だったら絶対にしない行為だろう。

「先生の名前は何て言うのですか?聞いていなかったなと思って」

名前を知るということは微かではあるが関係を持つ。そこから繋がりが大きくなるかはわからないが一歩目ではあることには間違いない。

今までずっと笑顔だった先生はより一層笑顔が増し見る人全てを朗らかにさせる、そんな屈託のない笑顔になった。俺の意図を汲んでいるかどうかはわからない。でも先生は嬉しくなったから喜びを顔に出したんだ。その事実が俺を嬉しくさせる。

「私の名前は佐藤美咲。名前聞いたんだからまた来てよね。じゃなきゃ私が保健室送りにしちゃうぞ」

笑顔で恐ろしいことを言う。

あえて何も言わずに黙って扉をくぐる。

先生は変わらず笑顔で手を振り俺たちを見送った。

 

 

今度は唯月さんと二人きりになった。俺がぐっすり寝ていたため時刻は夕方。昨日と同じく茜色の光が校舎を照らして本来の色を損ねている。物は元々持っている色が一番違和感なく視認できるのだろう。しかし目の前で変色している校舎はいつも以上に幻想的で懐かしい記憶を呼び覚ますような気持ちを感じさせる。勝手な推測だが夕方には特別な何かがあるのだろう。戯言か。校舎を黙って見ていた俺と同じく唯月さんも黙って眺めて物憂げな表情で遠くを見ていた。俺と同じことを考えているかどうかわからないが何かしらの思考に更けているのは見てわかる。

 

 

とりあえず帰ろう。いつの間にか授業が終わって放課後はいつも通りすることがないため帰宅するだけだ。

「唯月さんはまだ学校ですることはあるの?」

上の空の唯月さんに話しかける。急に意識が戻ってきたからか驚きにより体が上下して言葉とは言えない声で返事をした。どう反応したらいいかわからない俺がしばらく黙っていると彼女はわざとらしく咳ばらいをして一旦区切る。

「学校では委員会も部活動もやっていないので家に帰るだけです」

「そうなんだ。俺も一緒。だったらさ一緒に帰らない?」

初めて一緒に帰ることを誘う。今日は初めてが多いな。

唯月さんは慌てていた表情を一瞬で潜めて屈託のない笑顔を見せる。

「勿論一緒に帰りましょう。私初めてです。お友達と一緒に帰るのは」

「はは、じゃあ帰ろう」

俺も初めてだがそのことを話すのは少し照れくさかったため口に出せなかった。

秘めたる心を分け隔てなく晒せるのは彼女の良さだろう。彼女には人間として尊敬できる場所がとても多い。だから俺は人と繋がらなかった期間が長かったが気にせずに接することが出来るのだろう。唯月さんは嬉しそうに少し早足で校舎入り口に向かう。そんな彼女についていきたい。友達との学校生活を過ごしてみての俺の思いだ。

 

 

生徒が最も多く下校する時間帯は二つある。授業が終わってすぐの3時半の時間帯と部活動が終了する6時半の時間帯だ。現時刻は5時。俺は保健室で授業が終了しても目覚めることなく爆睡していたためこんな時間になっていしまった。唯月さんはその間ずっと保健室で待っていてくれたらしく何だか申し訳ない。俺はそのことを謝るといやいや私のせいだから返ってきて今度は俺がいやいやとなり終わりが見えない応酬が始まり俺たちはお互いに終わらないと察して二人とも辞めた。話を戻すと5時の時間帯は通学路には皆無と言っていいほどに生徒がいない。朝は生徒の多さで道の奥が見えない程度に人がいるのに時間がずれるだけでこんなにも景色が違って見えるのだから不思議だ。車もろくに通らないことから俺と唯月さんは道路の真ん中を並んで歩く。俺たちは二人して自ら率先して話しをするタイプではない。そのため二人の間に会話なく静寂が。カラスがなく声、種類はわからないが一定の間隔で忙しなく鳴くセミ。周囲はこんなにもうるさいこの空間だけ静かだ。

普通ならこの空気が気まずいと思うかもしれないが俺は違う。初めて友達と帰る何とも言えない充実感が心を満たす。この静寂もその一環として見ているのだ。

 

 

唯月さんの表情に変化はないためどんな気持ちで歩いているかはわからない。人間関係において自分が思っていることは相手も思っていると聞いたことがある。つまりは自分が嫌いだと思っていれば相手も嫌いだと思っているというものだ。彼女もこの時間が満足しているといいなという楽観的願望に都合がよすぎる情報を勝手に頭が持ってきているのか。

なんにせよ俺と同じ感情を抱いて欲しいとは思っているのだ。直接は聞かない。このように人と触れ合っていく中で心の奥底に眠る感情を出すのは恥ずかしいものだと気づいてしまった。体がむずむずするし照れくさい。俺はその後も黙りっぱなしだった。

「えー、待ってよー」

「置いて行かれるのが悪いんだよ」

ランドセルを背負った小学生2人が俺たちとは逆の方向に道を進んでいった。小学生が下校するには遅い時間帯だ、帰り道で遊んでいたのかそれとも児童館で遊んでいたのか。俺は小学生の下校事情を知らないためふと気になり首を後ろにやり目で追いかけてしまう。見たところで何もわからないがそれでも見てしまう。あのような光景は子供にしか得られないものなんだろう。未来のことを考えずに只々今を必死に楽しむ。大人になるにつれて難しくなっていくのだがその行動は決して忘れてはいけないはずだ。なら俺はどうなんだ。今まででそれらしいものを得たためしはない。誰かと過ごすことがなかったのだから当然といえば当然だ。じゃあいつ得るんだ。・・・こうして考えるとせっかく一緒に帰れているのに話さない状態はなんだかもったいない気がしてきた。いつかこの瞬間が楽しかった瞬間として懐かしむ時が来るのか。経験がない俺にはわからない。彼女と会ってから俺はどんどん前に進みたがるようになってしまった。怖さはとうにない。

「あのさ」

「あの」

長い沈黙を破ったのは2人の声だった。

「えっと、どうぞ」

「いえ、遠藤君こそどうぞ」

お互いの譲り合いが始まってしまった。今日もあったがこのようなとき彼女は譲るような性格ではないと知っている。だから俺から話すことにする。

 

 

「唯月さんって言えどこの辺にあるの?そういえば聞いてなかったなって」

本当に聞きたいことは他にある。けどなぜか口に出せずに別の言葉が出てしまった。

彼女は少し悩みながら答える。

「商店街の近くにある住宅街ですね。家近くにはそれしか目印がないので上手く説明できないです」

商店街近くの住宅街と言えば俺が住んでいる場所と同じだ。隣の家だとかそういう驚くオチにならないことはわかっている。それでもこの広い街で同じ区画に住んでいることは凄い偶然。

「奇遇だね、俺はその住宅街で一人暮らししているよ」

同じ区画に住んでいる、一人暮らしをしている告白を聞くとびっくりした顔で反応する。

「え、遠藤君も同じ住宅街に住んでいてしかも一人暮らしなんですか!」

彼女にしては珍しい興奮状態で俺の方ぐいぐい近づきながら足を動かしている。

って「も」?

「ま、まさか唯月さんも一人暮らししているの?」

今度は俺が驚愕の顔になる。高校生が一人暮らしをしているなんて相当珍しいものだと思っている。データを取ったことがないため数字はわからないが一つの学校に一人いるかいないかもしかしたらそれ以上かもしれない。初めて友達になってくれた彼女は何かと俺と境遇が似ている。縁結びの神が繋げてくれたのではないかと錯覚してしまうほどに奇蹟だ。

あまりの偶然にしばらく放心してしまった。やがて落ち着き話を続ける。

 

 

「凄い偶然過ぎる。びっくりとしか言いようがない」

「私もです。高校生で一人暮らししている人なんて絶対いないと思ってました」

俺もそう思っていた節があった。けど実際にお互いの目の前にいるのだ。一人暮らしをしている人が。…てことは唯月さん、家事をこなしつつご飯を全部自分で作っているのか。

俺のだらしない生活が頭によぎる。近所にある弁当屋で買ったり、即席食品を食べたり、スーパーの惣菜等々。俺ができる自炊と言えば白米を炊くことだけだ。洗米して炊飯器にセット。…情けないな。かといって今更怠惰が染みついた生活を戻すことはできない。俺は根っからのダメ人間なんだと思い込む。このことは触れないでおこう。

「遠藤君は料理得意な方ですか?私はやっと自信が付いてきたところなんです。だから毎晩の料理が楽しくて楽しくて。」

言葉の槍が飛んできてグサッと心に穴が開く。穴から漏れるのは生活に対する良心だ。

彼女の言葉に何も言えずに俺は声が喉奥に引っ込んでしまう。何も言えないよ。

そんな様子に気づいたのか唯月さんは聞いてくる

「もしかして…毎日適当なご飯を食べていませんか。」

心臓を鷲掴みにされた俺は答えなくてもわかりやすく顔に出てしまう。

「駄目ですよ、毎日の食事は血となり肉となる。さらに言えば心の充実にまでも直結するんですよ。そんな食事を蔑ろにするなんて」

彼女にしては珍しく饒舌で熱意を込めて話しかけてくる。いつもなら落ち着いて話すのだが。それだけ料理にお熱なのか。とにかく彼女の言うことは正論極まりなかった。反論なんてなかったしもっと言えば怠惰な生活をなくさなければいけないのだろう。

唯月さんは手を口元にやり考える仕草をとる。しばらく長考した後彼女は言った。

「私が遠藤君のお昼ご飯を作ります。1人分と二人分は作る手間は変わりません。

せっかくできたお友達が倒れても困りますしね、これは決定です」

またまた彼女にしては珍しい強硬だ。しかし彼女は俺を心配してここまでしてくれているんだから迷惑をかけるからという理由で断るのはだめだ。俺のことも考えると確かに怠惰な生活を抜け出す一歩にしたい。なら

「う、うんお願いするよ」

動揺が言葉に出てしまったが何とか返事をした。

すると返事を受けた彼女は

「よろしい、とくとご賞味ください」

優しい笑顔で冗談を返した。

 

 

その後も会話が途切れることなく話は続いた。唯月さんの好きな食べ物はどら焼きだったり、夜はいつも読書をしてたりなどの彼女の話を聞いた。深くは聞いていないが彼女も人とは長らく接していなかった様子から話題を貯めていたのだろう。だから話題が尽きることなくずっと話していられた。なぜそう思うかって?俺も話題が尽きることなく話せてそう感じたからだ。話に夢中で下校している感覚がなくなる。それでも通いなれた通学路を足が覚えており無意識ながらも自宅付近に着く。ふと周りを見なければそのまま通り過ぎてしまうところだった。最初の無言は何だったのかと聞きたくなるほどに夢中になり話していた。俺と唯月さんが住んでいる住宅街は商店街の通りを過ぎた後に人があまり通らない交差点を右に曲がることでその一帯に出る。まっすぐに行けば昨日行った河川敷。左に曲がれば標高があまりなく山と言っていいか微妙な線だが一応山である園山に続く道となる。言わばここの分かれ道は大まかな場所に行くための分岐点になるのだ。右に曲がれば家に帰れるが…気持ちは止まってしまう。俺の足は気持ちと共に止まる。唯月さんはその様子を見ると何も言わずに動きを止めた。また無言の時間が始まった。俺自身わからなかった。

どうしてこう黙ってしまうのか。

 

 

関係性はわからないが体の奥深くに眠る感情がうずめく。その感情の中身はまだ唯月さんと一緒にいたい。そんな気持ちだ。下校時に最初に声をかけようとした時もまだ家に着くまでに時間があったはずなのにそんな気持ちがあった。物事に執着したことがない俺には経験がなかったが今理解した。これ名残惜しいというものだろう。世の友達同士は一日の終わりにこのような寂しさを感じて家に向かっているのか。俺はその事実を知っただけでも寂しさが益々募る。事実を目からそらすためか俺の目は太陽に目をやる。学校にいた時よりも太陽は沈み空の上部には暗さを宿している。もう二時間もしたら町は闇に覆われて夜になる。唯月さんが目の前にいるのに俺は関係のない太陽ばかり見てしまい頭は上の空になってしまう。そんな浮ついた頭に昨日の情景が思い浮かぶ。昨日も一切不純物を感じさせない茜色で街を覆っていた。そしてその横にいたのはまだ話したこともなかった...。

昨日の出来事なのになぜか遠い記憶のように感じて懐かしみ、そして大切にする。俺はあの光景に近づきたくなった。彼女に向き合い声をかける

「今からさ河川敷に行かない?どうしても行きたくなってさ」

この提案には特に用事は含まれていない。ただ俺が行きたいと思ったから言っただけの提案だ。唯月さんが付き合う義理も義務もない。彼女は驚いて目を開く。その表情にどんな意味があるのかは俺にはわからない。変化した表情はやがて戻り無言で頷く。

2人の足は昨日の場所に向かい始めた。

 

 

本来ならもうとっくのとうに家にいるはずなのだが俺が感じてしまった今日は会えない寂しさが二人を河川敷へと向かわせる。明日また学校で会えるのに離れたくない衝動が走る。ご飯を食べてお風呂に入り寝る。そんなことをしていたら夜はあっという間に更けて学校に行く時間になる。短い時間ですらも我慢が出来なかった。俺は生まれついての依存体質なのか。それとも友達とほんの少しでも離れたくないと思うのが世の友達なのか。友達が唯月さんしかいない俺は到底わかるはずもない。教科書が入った鞄が歩く振動に合わせて揺れる。一日学校で使うものが丸々入っているためやはりそこそこの重さになってしまいその重さが肩に食い込む。唯月さんは両手で持ち手を掴み鞄を前に置き歩いている。互いに自宅付近に来たのだから鞄を置いてきても良かったのだろうが俺は河川敷に行くことに夢中になり考えになかった。唯月さんも考えていなかったのかそれとも俺に合わせてくれたのか。

とにかく二人とも鞄を持って目的地に向けて黙々と進む。下校時最初と同じく二人の会話はなかった。今回は無理に話しかけようと思っていない。黙った状態でもなぜか気まずい空間を感じさせずむしろ穏やかな空間になっている。無理に取り繕って会話をしようとしたのが駄目だったのかもしれない。恐らく彼女もそう思っているだろう。

2人の気持ちは河川敷に向かっている。その気持ちには余分なものはなく一心に向けている。

昨日と同じく15分程度歩いていると道の真ん中に河川敷の堤防が見えた。風を通して漂ってくる緑が混じった川の匂いがしてきた。車一つ通っていない道路を超えると堤防を昇るための階段がある。予想以上に体を使い口から酸素をこぼしながら体を動かしその先にある夕焼けへと向かう。この階段は10段もないのに体力が持ってかれる。運動不足がうかがい知れる。

 

苦労して階段を登りきろうとする直前に堤防の向かい側から斜光が溢れて思わず手で光から守り目を細める。昨日と同じ眩しさだ。視界の端で俺と同じように唯月さんが光にやられている姿が見える。16年も生きていればこのような斜光を何度も見てきているはずなのに俺も彼女もたどたどしい様子になってしまう。この様子は夕焼けが持っている不思議な力なのか。校舎で見た茜色に染まる校舎に心を奪われたことからこのような力があっても不思議じゃないはずだ。階段を登り切った場所にある土手に着くと周りには遮るものがないため全身余すことなく斜光に包まれる。遅れて登り切った唯月さんも茜色に染まる。暖色系統である茜色に包まれている彼女は暖色系統が想起させる優しげな雰囲気とは違いどこか儚げな印象に包まれる。この世界に確かに存在するはずなのに手を伸ばしたら消えてしまう。そんな印象だ。昨日みたあの光景。夕焼けに立っていた完璧な彼女に不完全な俺が近づいたら台無しにしてしまう。彼女を壊してしまう危うさがあるのにどこからか優しさが溢れてその優しさに誘われて近づいてしまう。でもそれは間違いだった。昨日今日話してみて彼女は俺と同じ悩みを抱えて互いに心を圧迫していた。人と繋がりたい。完璧に見えた彼女を不完全にさせる要素。俺も人と繋がりたいと思っていたのだから繋がるのは至極当然の話だ。

 

 

俺と唯月さんは植物で覆われている斜面を下る。彼女は平地に立ち、俺は斜面の中腹に立つ。気づけば二人は昨日と同じ場所にいた。同じ光景。でも昨日と徹底的に違うのは2人の関係性だ。言葉すらろくに交わしたことがない関係性だったのに今では友達に。改めて友達だということに認識すると世界が色づいていく気がした。もし本当に世界が色づいたのならばそれはきっとセピア色なんだろう。いつか思い出したときにこの光景を懐かしむために。

「私はずっともがいていたのです」

気づけば彼女は口を開いていた。口から漏れる声は普段の姿からは予想できない重々しい声だった。俺の方を見ないで、太陽に体を向けて真剣な眼差しで彼女は言う。

「話しかけられる人がいませんでした。学校に友達はいない、家にも誰もいない。そんな生活を何年続けたのか。いつだって誰かと話したいと望んでいました。話しかけようとしても勇気が出なくて遠くに行ってしまう。次第にこの街に居場所なんてないのだと思い始めました。だからある日我を忘れて走り続けました。この街を出るために、私が安心できる場所を見つけるために」

俺は間違っていた。彼女は変われる勇気を持っている人であると思い込んでいた。でも実際は俺と同じく居場所を求め続けるも何物にも慣れない自分に嫌気をさし迷い続ける存在。

まるで鏡合わせのような気持ちだ。

「がむしゃらに走って気づくとこの河川敷にいました。笑っちゃいますよね。遠くに行くはずが全然遠くではなかったのですから。」

自嘲気味に囁いた笑いはしばらく彼女を黙らせる。顔を俯かせると彼女の長い髪が顔を覆い影ができていた。

 

 

「今思えば街を出る勇気なんてさらさらなかったのでしょうね。変わる勇気もなくそのくせ現状を嘆いている。私はなんて惨めで滑稽なんでしょうか。」

俺はその言葉に思うことがあったが今は何も言わずただ黙って聞くことに徹する。ここで間を挟むのは彼女の言葉を邪魔するように思えたからだ。今できるのは本心を逃さないこと。

「胸の中は自己嫌悪で乱されどうしようもない負の感情ばかりを生み出す。その悪の塊である感情にもがき苦しみまるで心に穴が開いたようでした。幸福だとか喜楽なんてものはとっくのとうに穴から零れ落ちていたんです。」

自己嫌悪は厄介なものだ。他人の嫌いな場所は離れれば危害を受けることがないため良いが他ならぬ自分自身の嫌いなところなら話が違う。いつも隣にいて本人を苦しめる。逃げるなんてことはできなく目をそらすのもできない。できるのは受け入れるか消してしまうか。その二択だけなのだ。どちらを選ぶにしたって本人だけの力では変えられない。この行為には他者の力が必要になる。前者は第三者の目から見て嫌いな部分のいい点を教えてもらい好きになる等、後者は人と話すことにより新しい一面を見つけ自然的に消滅させる等々。この通り人の力が必要になる。だから繋がりがない俺たちは自己嫌悪という自傷行為にいつまでも傷つき苦しんでいくのだ。

「色々な感情が零れ落ちていく中で一つだけ最悪な私に引っかかるものがありました。

その感情は自己嫌悪があったからこそ生まれたもので周りが醜いからより一層輝きを持っていたのです。」

「私は目の前にある全身を包み込む大きな光に向けて残っていた最後の希望、変わりたいと思う感情を叫んだのです」

「普段の私はこんなことは天と地がひっくり返ってもしないでしょう。どん底のいたから行った行為。その結果、あなたという光が現れてくれた。その他大勢である私の独り言に反応してくれて愚直なほどに心の内を晒してくれた。以上が昨日の話です」

ずっと夕日に向けていた体をこちらに向ける。今まで半分しかわからなかった表情が全てわかる。救われた顔だった。

「あなたの優しさに心の全てが洗われました。こうして友達と一緒に学校を過ごし他愛も話をする。終わったら二人で帰り寄り道をする。私がどんなに焦がれていても叶わなかったことをあなたのおかげで成し遂げられたのです。」

俺は自分のことを優しいなんて一度だって思ったことはない。いつだって俺の馬鹿げた恐怖心で人との関わりを断って逃げて傷つけてきた。自分でやったことなのに後悔して心が自己嫌悪で胸いっぱいになる。唯月さんが自分自身を最低な人間だと思っていたように俺も自分自身を最低な人間だと思っているのだ。そんな人間に優しさなんて…。

彼女から向けられている好意がひどく胸にささり心が苦しくなる。

 

 

唯月さんは勘違いをしているのだ。自分のことを最低な人間だと思い込んで、そして俺のことを優しい人間だと。唯月さんは優しい人だ。一緒に過ごしていたるところで彼女の誠実な優しさが垣間見えた。その上否定をしていたが変われる勇気を持っている。勇気がなくては昨日俺と友達になろうなんて思わなかったはず。だからこれは勘違いなのだ。

…じゃあ、俺は?

俺が彼女を否定するように彼女自身も俺のあり様を否定している。

彼女は言った。俺は優しさを持った人間であると。胸の内で俺は何度も自信の存在を確認する。けれど何回確認しても俺が優しい人間だと思えない。先ほど言った事実はどうしたって変わらない。唯一無二の友達である唯月さんが言ってくれた言葉。なのに否定して間違いだと正してしまう。

痛んだ心が体に影響を与えて徐々に頭痛が走る。この長年連れ添った性格はわかっていても俺をえぐるらしい。やがてふらついてきたおぼろげな頭に一つの言葉が現れる。

彼女も間違っていて俺も間違っている。

自分自身なぜ浮かんだのかもわからない。でもそんな言葉が浮かんできたのだ;

するとその言葉に連想して自身の間違いを、新たな事実を発見した。

今までの俺と彼女を否定する考え。

それはどちらも自分自身に自信がないことから生まれたものだってことだ。

 

 

俺は彼女自身が思っているような最低な人間だと思っていない。それなのに実際とは異なるもの、私は最低な人間だと思い込んで苦しんでいる。今度は俺だ。彼女は俺を優しい人間だという。どちらも自身をを否定する。ここでだ。彼女がもし言っていることが正しいと仮定するとどうなるか。俺は優しい人間であるということになる。何度も何度も否定してきた考え。自分を嫌いになったときも、誰かと過ごすことに遠い憧れを抱いたときも。いつだって一緒にいた俺だからこそ理解しているのだ。でもこんなにも彼女の心の闇に近づいてやっと気づけた。どんなときだって信頼すると決めた唯月さんを信じないでどうしようもなく駄目な俺を一心に信じていた。普段は信じないくせに自分の嫌いな部分のみは信頼にのめり込む。今信じるべきは唯一の友達である唯月さんの言葉だ。認めがたい事実でありそんなものなんてないと思っていたがどうやら俺には優しさがあったらしい。これも全て自身に対する自信がなかったから起きたことなんだろう。自分勝手に嫌う。もう辞めだ。

心に根付いていた闇に一寸の光が灯される。その小さな光は徐々に大きくなり周囲をあまなく照らす。彼女が教えてくれた俺ですら知らなかった本質が自信へと変化する。

その自信は次第に世界へと影響を与え始めた。茜色に染まり切っていた世界は現れるはずのない鮮やかな色彩で色づいていく。こんなことはありえない。俺の心を一つで世界が変わるなんて。ならば答えは一つだ。

 

 

認識ひとつで俺から見る世界がこんなにも変わる。さきほどまでと同じ世界のはずなのに違って見える。世界はこんなにも美しい。ずっと退屈な世界にいた俺は変化しない日常にうんざりして同時に自分にもうんざりしていた。でも今は違う。自分を良いところを知れたことで好きになり気持ちが晴れ晴れとしている。これが生きる喜びなんだろう。

俺もやっと世界に一歩踏み出せた気がする。次にすることは?

目の前には内から生まれる絶望に浸される少女。彼女は俺の初めての友達で大切な人だ。

彼女の言葉は俺を救った。なら次は俺の言葉で彼女を救う。いつだって俺は思ってばかり。些細な言葉も大切な言葉も全て内側に留まっている。伝えなければ伝わらない。だから伝えなければならないのだ。たった一言。それで彼女の世界も変わる。

昨日と同じく少し離れた位置にいる俺は唯月さんの方に向けて歩く。この距離は2人の心の距離と同じで少しずつ近づいていく。彼女は言った。俺が光だと。なら君がくれた灯火で心の闇を払って見せる。近づく。目の前の女の子は今にも泣きそうで辛そうで不安そうで。

普段の立ち振る舞いからは想像のできない姿。弱音を見せるのはいい。けど最後は笑っていなくちゃ駄目なんだ。

 

 

彼女の目の前で立ち止まる。手を少し伸ばしたら触れる距離。この距離はあってないような距離だ。そんな距離だからこそ伝えられる。

「君は優しくて勇気がある人なんだ」

初めて世界に出た俺の気持ち。外に出たらあまりの脆さですぐに消えてしまい人に伝えられないのではと思い込んでいた。でも気持ちは今外に出た。形がなく見えもしない。

「えっ…」

だけど届いた。俯いていた彼女はゆっくりと顔を上げる。先ほどまで泣きそうな顔していたが今では驚きの顔になっている。言葉で繋がれたのなら後は落ち着いて本心を伝えていくのだ。

拙さをかき集めて全ての本心が伝わるようにしていく。彼女を変えるのに必要なこと。

「俺は自分のことを最低な人間だと思っていた。人と関わること恐れてそのくせして繋がりが欲しいなんて欲張って。唯月さんは言っていたよね。私は最低だと。俺も同じことをずっと思っていたんだよ。好きになれない。だって自分のいいところを見つけられなかったんだから。でもさっき君は言ってくれた。俺が優しい人間だと。俺が今まで思っていたことと逆でどうしてそう思うのか不思議で信じられなかった。でも違った。俺が信じている性格よりも君が言ってくれた性格を信じるべきだったんだ。かけがえなのない友達から言われた言葉だ。信じなくてどうするんだよ」

目頭から熱いものがこみあげてくる。本心を話すたびに心の奥底では信じれなかった俺が浮き彫りになって情けなくて情けなくて…。一度外に出た言葉はもう止まらない。

「だから君も俺を信じてほしい。唯月さんは優しくて勇気がある人だってことを。

だって一緒に過ごしてそう感じたから」

学校で俺と楽しそうに話してくれて、一緒に弁当を食べて、体調の心配をしてくれて、帰りの寄り道を何も言わずに付いてきてくれて。そして昨日は繋がりを知らなくて怖いはずなのに俺との繋がりを選んで友達になった。そんな優しい彼女が自信を貶している姿を見せると俺はひどく悲しくなってしまう。気づいたら頬に涙が零れ落ちる。初めて知った。気持ちを外に出すと止まらなくなるのと同じで一度出た涙は止まらない。一定の間隔で頬を伝わり乾いた地面に落ちていく。今日の俺は変な気分を味わってばかりだ。自信を知れて嬉しくなったり、見たくない姿を見て悲しくなったり。感情に境界線がなくなったのではないか。

「―っ!」

こんな姿になってしまった俺を唯月さんが気づかないはずがなく泣き姿を見られてしまう。

驚きを混じった反応にどのような意味が込められているかはわからない。

言葉を続けなければ。

一方に泣き止まない涙を無理やり手で拭い止めようとするが一切止まらない。

いつかもこんな風に泣いた気がする。

どうしようもなく悲しくて強引に気持ちを抑えようとするけど今日と変わらく同じ結果に。

遠い遠い記憶なのだろう。

だから懐かしい気持ちになるのだ。

その時の情景を思い出せないが踏み出せなかったことだけが頭に残っている。

今度こそは。

 

 

「本当の自分を見つけて救ってあげて欲しい。そうしたら自身を好きになれるはずだから」

俺は君の言葉で自信を知れて好きになれた。彼女は意識をしないで本心を言っただけなのだがそれだけで簡単に世界は変わる。そんな魅力を持っている唯月さんが知らないまま人生を歩いていくなんてもったいない。魅力があるなら気づいて胸をはり歩いていきたい。その方がとても楽しいはずだ。

「…」

彼女は天を仰ぐ。空に向けられている表情はどのようになっているかは見えないし予想もできない。でも微かに見える口元からは聞こえない声がぼそぼそと出ており言葉を吟味している様子がうかがい知れる。今俺にできるのは待つことのみだ。

しばらく動いていた口は止まり硬く結ばれる。同時にほっぺたに涙が伝う。ゆっくりと首元を通り服に染み込み跡形もなく消えてしまう。消えた涙に目をやっていると彼女が勢いよく首だけを動かし見えていたなかった表情が目の前に現れる。目に溜まっていた涙はその勢いさに釣られて空中を飛び出し四方の方向に飛んでいくのが見えた。不思議なことにその瞬間をなぜかゆっくりと見える。極度に集中していると物事が遅く見えると言うがそれ近い類なのか。宙に放たれた涙は夕方の茜色を通し様々な角度に反射させ自身を輝かせている。俺はその光景をとても綺麗だと感じた。どうしてあっちこっちにある水と同じ成分で色合いで姿をしているのに人から出た水ってだけでこんなにも違う感想が出るのか。

涙を追っているとその向かい側に強い覚悟を決めた、決心をした表情が俺と向き合う。唯月さんは俺と顔が合うことを避けていたが今度は逸らすことなく真正面から向かい合う。

 

 

「私はこれだけ言葉をかけられても自分を人間だと思えません。でもあなたが、私を変えてくれ優しくしてくれた遠藤君が肯定してくれた。心にうずめく否定の念よりあなたがくれた本当の私をいつかは信じたい。いつになるかはわかりません。ですが約束します。その瞬間に向けて走り続けると。そうしたらその時は一緒に笑ってくれますか?」

変われなかった過去に囚われて過ごしている今でさえ潰していた。

「うん、勿論。約束するよその日が来たら一緒に笑うって。…じゃあ帰ろっか」

そんな俺たちが未来の話を始めた。

「…はい!」

夕焼けに背を向けて二人は歩き出す。ついさっきまで俺たちを照らしてくれた茜色はもう視野にはない。名残惜しさはない。過去を照らす光はもう心の中にあるから。

「そういえばさ、帰りのHRで先生何か言ってた?いなかったらわからないんだよね」

「もうすぐ夏休みだから祭りのイベントをボランティアで人を…」

俺たちを纏っていた不安は今日という日に置いてきた。もう戻ることはできないし良くも悪くも取り戻すことはできない。できるのは懐かしむことだけだ。遠い日に思いを馳せて笑いあう。それは彼女と約束をしたいつかにできる。その日を楽しみに待とう。

ああ、もうすぐ夏休みだ。

 

彼女は思っているのと違う、じゃあ俺も実は優しい人間。お互いの話をする。

それぞれの勘違いを解いていく話

 



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2022/08/13

「ごめんなさい…ごめんなさい」

彼女は泣きながら言う。その様はひどく悲しそうで彼女の心情を全くわからない私でさえも悲しくなる。

どうして彼女は泣いているんだろうか。私たちは無事にいろいろな苦難があった納涼祭を超えてこの五人がいる瞬間に幸せを感じていた。そんなときに彼女はいきなり泣き苦しそうに言葉を紡いでいった。前兆なんてものはないいきなりだ。

私以外のみんなも困惑する。

「瑞樹どうしたの。なんで泣くのさ」

皆の代表として楓が尋ねる。瑞樹の何に対しての不安化はわからないがその不安を取り除くために穏やかな声で語りかける。彼女は謝るようなことはしていない。むしろ瑞樹には多くのサポートがあったため感謝したいぐらいだ。なのに彼女は語りかけに一切の反応を示さずにひたすら謝罪の言葉を口から出す。

「ごめんなさい...ごめんなさい...私が...私が...」

肝心な言葉が抜けていて不明瞭な言葉だ。この言葉から予測は一切できない。なら私たちが出来ることは言葉を出させようとすることだけ。

 

 

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