勇者が斃した魔王を復活させた勇者の息子の物語 (若年寄)
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プロローグ
序章 敗れし魔王が遺した予言


 その日の満月は血のように赤かったと後に記されている。

 とある山の中を駆ける影が三つあった。

 その内の一つは大きくも禍々しい蝙にも似た翼を背に広げ木々の上を滑空し、一つは己が背の丈の倍はあろうかという木の杖に立ち魔女さながらに飛翔をしている。

 残る一つは徒歩(かち)であるものの枝々を跳び移りながら宙を行く二つの影と併走していた。

 

「穿て、火の精霊よ! 『プロミネンススフィア』!!」

 

 杖の上の影が翼を持つ影に向けて指差すや、なんとその先端に火が灯り球状を成す。

 それはすぐに指先から放たれ、翼の影に向かって突き進む。

 翼の影は(たい)を捩って軌道を変えて火球を躱すが、驚くべき事に火球も闇に赤い尾を引きながら弧を描いて翼の影に追い縋る。

 

「分かれよ!!」

 

 杖の影が叫ぶと、火球は分裂して数を増やし、翼の影を覆い尽くさんばかりに囲い込む。

 

『チッ! 風の悪鬼よ、迎え撃て! 『ゲイルミサイル』!!』

 

 翼の影が舌打ちしつつも両腕を交差させるように振ると、突風が起こり周囲の火球を掻き消した。

 にも拘わらず杖の影は口角を僅かに上げる。

 

「今!!」

 

 己が失策を悟り翼の影は臍を噬んだ。

 火球の迎撃に僅かではあるが減速してしまった事が大きな隙となる。

 

「せいっ!!」

 

 加えて併走しながらも沈黙を保っていた徒歩の影がいつの間にか姿を消していた事に漸く気付いたのだ。

 かと思えば突然、涌いて出たかのように翼の影の頭上に現れた徒歩の影は手にした剣を背中に叩きつけるように振り上げて、その反動を使って振り下ろした。

 翼の影はそれに対処しきれず、身を捻ったが翼の片方を根本から断ち切られて、その勢いのまま錐揉みして森の中へと消えていく。

 それを追って二つの影も森の中へと降り立つ。

 

「さあ、今度こそ逃がさないぞ! 観念しろ!!」

 

 大木を背に座り込んで俯く翼の影の前に杖を持つ人物が立ち、月光に照らされてその姿を露わにする。

 それは柔かな金色(こんじき)の髪をトップに纏めた黒衣の少女であった。

 少女は杖の先を翼の影に突き付け、状況がどう動こうとも対処出来るようにしている。

 

「長かった戦いもこれで決着ですね。アナタとの腐れ縁も漸く終わりにする事が出来そうです」

 

 続いて姿を現したのは腰まである黒髪をポニーテールにした一見少女と見紛う程の美麗な少年だった。

 白磁を思わせる白い肌を道着で包み、紺の袴を履いている。

 少年もまたかます切っ先を翼の影に向けて警戒を示す。

 

『終わりだと? 確かに我が魔力は尽き、この身に受けたダメージは深刻だ。軍団は敗れ、余もこんな()()()くんだりまで無様に逃げる有様よ』

 

 だが――翼の影が顔を上げる。

 中性的な美貌を不敵な笑みに歪め哄笑する翼の影に二人は訝しむ。

 

『だが、それがどうした? 貴様らに余は滅ぼせぬ! この『淫魔王』クシモ、今でこそ吸精鬼(サッキュバス)に貶められてはおるが、かつては豊穣と多産を司る地母神が一柱よ!! 神は殺せぬ、何人(なんぴと)であろうとな!!』

 

 かつては純白であったタキシードを己が血で紫に染めながらクシモと名乗った美女は立ち上がって二人を睥睨する。

 追い詰めているのは自分達ではあるが、未だに覇気が衰えぬクシモに二人は知らず半歩下がってしまう。

 

『今回は潔く敗北を受け入れよう。先程、余は死なぬと云ったが復活に膨大な時間を必要とするのもまた事実だ』

 

 三者の耳にパキリという乾いた音が届く。

 

『ふふふ……余はこれから永き眠りに就く。だがその前に一つ予言をくれてやろう』

 

「予言だと?」

 

 乾いた音は連続して聞こえ、徐々にその間隔が短くなっていく。

 見ればクシモの体が足元から少しずつ石のように固まっていた。

 

『先程は膨大な時間が必要だと云ったが、実際には復活にそう時間はかかるまい。何故なら地母神としての目を持ってすれば視えるからだ。貴様達が子を成し、その子供が余を崇める神官として復活の一助となるであろう事をな』

 

「巫山戯るな!! 僕達の子供がお前を蘇らせるなんてあるものか!!」

 

 少女が激昂して叫ぶが、クシモは涼しい顔をしている。

 既に胸まで石と化していて呼吸すら困難となっているのだが、苦しみよりも狼狽える怨敵の姿に愉悦の情が上回っているのだ。

 

『信じるも、戯れ言と突っ撥ねるも貴様の自由だ。だが覚えておけ。勇者の血を引く者が必ずしも品行方正とは限らぬとな』

 

「黙れ!!」

 

 少女が杖の先から火球をクシモへと放つが、その身は殆ど石と化しており効果は薄い。

 クシモはこの期に及んでますます笑みを深める。

 

『しかし、貴様も惨い事をする。エルフとドワーフの混血ゆえに迫害されてきた過去を忘れたか? だのに貴様は有ろうことかニンゲンと恋をし、その胎内(はら)には既に……どうやら貴様は子にも同じ地獄を味わわせたいようだ』

 

 少女はエルフ特有の長い耳を悔しそうに触れる。

 そんな彼女に少年は寄り添い、勇気付けるように肩に手を乗せた。

 

『貴様達の子は必ずニンゲンを始め、エルフ、ドワーフから忌み嫌われるだろう。余はそんな傷つけられた子供を優しく導くだけだ。“護ってあげるよってこちらへおいで”とな』

 

 クシモに告げられた未来を想像したのか、俯き唇を噛む少女を護るように少年が進み出る。

 その表情(かお)は穏やかそのものであり、未来に不安を抱いている様子は見受けられない。

 

「私達の子供はアナタの甘言に乗るような弱い子にはなりませんよ。私とアルウェンの子です。必ず強い子に育ちます。それにアナタは知る由もないですがね……」

 

 少年はすぅっと目を細める。

 その目には武人として、否、父親としての覚悟が込められており、クシモは思わず息を飲んだ。

 

「オタク文化といって()()()()ではアルウェンのような女の子はむしろ受け入れられてますよ。我が道場の門下生の中には“混血児、なんて美味しい設定なんだ”という困った人もいるくらいです」

 

 それに――と少年はクスクスと妖艶に嗤う。

 男子とは思えぬ艶やかな仕草にサッキュバスである自分の方が引き込まれそうになり、クシモは知らず生唾を飲み込んだ。

 

「当道場の教えと稽古は少々荒っぽくてですね。そこで鍛えられた我が子が簡単に靡くとは思えません。よしんば我が子がアナタの元へ馳せ参じたとしても……」

 

 右手の人差し指をクシモに突き付けて少年は微笑む。

 

「アナタの手に負えるようなヤワな子にはならないと思いますよ? 我が三池家はどういう訳か、我の強い子が誕生しやすい。まあ、推察するに当家の男子は私のように華奢で女顔の者が多いですから、世間に舐められないよう自然にツッパッた人格となってしまうのでしょうね」

 

『それはそれで面白いではないか。じゃじゃ馬を飼い馴らすもまた一興よ』

 

 利かん気な子供を手懐けるのは慣れている。何せ自分は大地の女神にして母なる神だったのだ。むしろやりがいのある話である。

 ふとアルウェンが鬼も斯くやと思わせる形相でこちらを睨んでいることに気付いたクシモは苦笑した。

 

『勘違い致すでない、勇者よ。余は貴様の子を屈服させようも誘惑しようとも思うてはおらぬ。母のように大地のように優しくその子を抱き留めるだけよ』

 

 何せかつては地母神と崇められた神だからな――と、クシモは思い返す。

 淫魔へと貶められた屈辱に耐えること千年、漸く力を蓄え人間界へ復讐の狼煙を上げたのが十年前の事。

 ただ心穏やかに田畑を耕し、子を宝として愛していただけの民を邪教の徒として殺戮と略奪の末に滅ぼされた怒りは今なお燻り続けている。

 天空に輝く星の一つ一つを神と見立てた星神教、この世の森羅万象に宿る精霊を崇めるプネブマ教、彼らがそれを成したのだ。

 実り豊かな大地を我が物にせんという愚にもつかない理由であったと知ったのはいつだったか。

 多産を司っている事からセックスに奔放だろうというこじつけに近い理屈によって淫魔へと貶められても、彼女は民の菩提を弔いながら静かに時を過ごしていた。

 だが、その沈黙は破られた。侵略者共はあろうことか民が安らかに眠る墓所を破壊したのだ。己が生活圏を広げる為だけに……

 正に怒髪天を衝く勢いで怒気を発したクシモは魔王と化し、星神教とプネブマ教への復讐を誓った。

 クシモはまず眠っていた民の魂を己が胎内へと宿し、吸精鬼(サッキュバス)吸血鬼(ヴァンパイア)へと産み直した。

 人ならざる者にされたが民達の中にクシモを責める言葉は無い。むしろ邪教徒として天国は疎か地獄にすら行けぬのなら神の復讐に殉じようと団結した程だ。

 彼らは夜な夜な聖職者を誘惑し、教徒を襲い、彼らに恐怖と堕落を強いた。

 クシモの軍団の恐ろしいところは血を吸われた者を下僕にする事でも精を吸われた者を快楽に溺れさせる事でもなかった。

 なんとクシモは子とも云うべき吸精鬼や吸血鬼に血や淫液を通して相手の力や知識、技能を盗む力を与えていたのである。

 膨大な知識と強大な力を蓄え続けた彼らは、自然界に宿る精霊や天空の神々に対抗できるだけの巨大な軍団へと成長を遂げた。

 千年にも及ぶ雌伏の時を耐えた『淫魔王』クシモの復讐戦争はこうして幕を切って落とされたのだ。

 

『ククク……誇れよ、勇者。貴様を迫害してきた連中には為す術も無かった余をここまで追い詰めたのだ。胸を張るが良い』

 

 考えてみれば憐れな娘ではあった。

 古来より顔を合わせただけで諍いが発生する程の犬猿の仲であったエルフとドワーフの橋渡しになればと望まれた子であったが、両親の立場が悪すぎた。

 片やエルフの中でも上位種にして王族であるハイエルフの王子、片やドワーフ族の族長の姫君、二人は秘やかに恋をして逢瀬を重ねていつしか子を得たのである。

 妊娠が発覚すると、二人は強く結婚を望み、産まれてくる子を両種族の和解の切っ掛けにしたいと主張したが却下された。

 当然の話である。混血児の一人や二人が産まれたくらいで埋まる程度の溝なら両種族にこれ程の確執は生まれていない。

 流石に生まれてくる子に罪が無い事と堕胎が出産以上に命懸けである事から誕生こそ許されたが、それぞれが純粋な血統を重んじているが故にアルウェンと名付けられた子は両種族から遠ざけられた。

 引き取り先に選ばれたのが双方共通の友にして尊敬すべき偉大な魔法使いである魔女ユームであった。

 ハイエルフの王とドワーフの族長が揃って頭を下げれば無下に扱わないだろうという打算が無かったと云えば嘘になるが、魔女として迫害された過去を持つユームならばアルウェンにとって良き導き手となってくれるだろうという期待もあった。

 事実、ユームは師として此の上無い存在であり、混血児と同様に魔女もまた人から蔑まれていたが迫害を受けてなお歪む事無く研鑽の日々を過ごす人格は良き手本となった。

 師弟であり、義理の親子と云っても差し支えない関係は勇者に選ばれた今もなお続いている。

 

『さて、いよいよ下顎まで石と化し、口が回らなくなってきたか……』

 

 クシモは何故か敗北者とは思えぬ慈愛に満ちた表情を浮かべると、二人に別れの言葉を告げる。

 

『では、さらばだ勇者よ。次に見《まみ》える時を愉しみにしているぞ』

 

 最後に、強き子を産み、大きく育てよ、と云い残してクシモは完全に石となった。

 アルウェンと少年はしばらく山の中には場違いに妖艶な裸婦像を眺めていたが、やがてどちらからともなく踵を返すと山を下りて行った。




 オリジナル小説の腕試しに投稿させて頂きました。
 タグに『神様転生』とありますが主人公の事ではありません。
 バトル物とは少し毛色は違ってくるかも知れませんが何卒お付き合いくださいませ。


 こちらの他、小説家になろう様、カクヨム様にも投稿させて頂いておりますので、そちらの方も宜しくお願いします。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第壱部 神に『魔人』と畏れられし教皇
第壱章 慈母豊穣会


 勇者アルウェンと淫魔王クシモの死闘から百年余りの時が過ぎた。

 ()()()クシモを崇める慈母豊穣会の神官見習いトロイは先輩神官に呼ばれて教会の応接間へと出頭した。

 

「お、お呼びでしょうか? あ、あの……ボク、何か仕出かしちゃいましたか?」

 

「うむ、仕出かしたと云えば仕出かしたな。お客様への挨拶を忘れておるぞ?」

 

 トロイを呼び付けた本人である枢機卿が笑い混じりに指摘すると、ソファに腰掛けている人物に漸く気付いた。

 見れば艶やかな銀髪を後頭部に纏めてシニョンにし、タキシードに身を包む美丈夫が優雅にティーカップを傾けている。

 トロイはしばし目の前の人物に呆気に取られ、はたとした瞬間に血の気が一気に引いた。

 全身の毛穴から冷や汗が滲み出し、膝がガクガクと震えてくる。

 

「ごごごごごご無礼を致しましたぁッ!! お、お許し下さい!!」

 

 頭を下げるどころか平伏するトロイにタキシード姿の美丈夫は鬱陶しそうに手を振った。

 

『構わぬ。どうせこの悪戯者のことだ。余がいる事を敢えて伝えておらなんだのであろう?』

 

 親指で差された老枢機卿は呵々と笑ったものだ。

 

「この老骨唯一の道楽ゆえ、どうぞ目溢しを」

 

『何が唯一だ、この破戒僧が。己の身分を笠に民を嬲る貴族の跡取りを叩きのめした時や自分の力量に酔って傍若無人振る舞う若き騎士の鼻をへし折った時も、口よりまず先に手が出るのが唯一の欠点で御座ると宣っていなかったか?』

 

「取り返しのつく若い時期に大失態を経験すれば向後の人生において良き教訓となると思えばこその警策、愛の鞭で御座るよ」

 

 暖簾に腕押しの枢機卿に呆れた様子で銀色の頭を掻くのをトロイは呆然と見るしかなかった。

 その様子に気付いた枢機卿は、いつまで這い蹲っておるつもりだ、と睥睨する。

 トロイは慌てて立ち上がると改めて目の前の人物に跪く。

 

「お初に御目文字いたします。トロイに御座いまする」

 

『知っておるわ。そなたを名指ししたのは余であるのだからな』

 

 その言葉にトロイは激しく動揺する。

 

「ぼ、ボク、あ、いや、私をですか?」

 

『普段通りで良い。何、この悪戯者からなかなか見込みのある新入りがいると聞いてな』

 

 初めて聞く評価だった。

 地母神クシモとその右腕である教皇の伝説に憧れて修道院に入ったは良いが、人より物覚えが悪ければ要領も悪い。

 更に天涯孤独の孤児院出身である事から貴族や騎士の家系出身の同期は云うに及ばず、先輩からもどやされ、莫迦にされる毎日だ。

 それでも歯を食い縛って修行や布教に明け暮れているのは偏に憧れの教皇さまのような人物になるためだ。

 かつて世界二大宗教であった星神教とプネブマ教によって淫魔に貶められた我らが地母神を救ってきた伝説の数々は今なお信徒の心を奮わせている。

 『淫魔王』などと不名誉な称号を与えられ、封印されもしたが、その眠りから覚ましたのが教皇ミーケであり、その当時はなんとまだ幼い子供であったという。

 地母神復活後も勇者を名乗る無頼共が二人を襲ったがミーケはその悉くを退けクシモには掠り傷の一つもつけさせなかったとされている。

 やがて健気に己が神を護り続ける少年の元に多くの仲間が集い、それが自分達が所属している慈母豊穣会の前身となった。

 その後、何度も苦難がクシモとミーケ、その仲間達を襲ったが、固い絆で結ばれた彼らはそれを物ともせずに進み続け、ついには星神教にもその存在を認めさせたという。

 彼らは自らを慈母豊穣会と名乗り、偉大なる地母神クシモを崇め奉る宗教団体として動き出す事となる。

 そして幼き頃より地母神を護り続けたミーケを教皇に据え、今や星神教やプネブマ教にも並ぶまでの勢いだ。

 その偉大な地母神が一体全体どういう経緯があって自分に会いに、しかも自ら足を運んで来たのか、トロイには見当もつかなかった。

 

『そなた、借金の取り立てをしておったオーキに意見したそうだな?』

 

 オーキ、その名前は忘れようにも忘れられはしない。。

 トロイには秘やかな趣味があり、手先の器用さを生かして玩具を作っては布教活動のついでに子供達と一緒に遊んでいる。

 元々子供が好きであったし、何より人の笑顔を見る事を喜びとする温厚な人格の持ち主であったのだ。

 そんな折り、とある路地裏から子供の泣き叫ぶ声を聞いた。

 急いで駆け付けると、そこには借金の形にと親から存じ寄りの幼い子供を取り上げようとする男の姿があった。

 泣く子供の腕を掴み無理矢理立たせて連れて行こうとする男の前に立ち塞がり、慈悲を乞うも関係無いヤツは引っ込んでいろと一蹴される始末だった。

 それでも尚縋るトロイにオーキと名乗る男は冷たく云い放つ。

 曰く、この父親はろくに働きもせず、酒色に溺れ、妻子に暴力を振るった挙げ句に女房に逃げられたクズである、と。

 どうせ生きながらの地獄にしか居場所がないのなら、ろくでなしに嬲られるよりは苦界で金を稼いだ方がこの餓鬼共の為になるとまで云った。

 最早、父親に働く気概は皆無であり、飢餓と暴力で潰されるくらいなら客を取らせた方がまだ餓鬼にも産まれた甲斐があるというものだそうな。

 何よりトロイにとってショックだったのは、子供をオーキに売ることを持ち掛けたのは父親からであったと云う。

 

「それともお前が代わりに金を返してくれるのか?」

 

 と凄まれて、トロイは慈母豊穣会から斡旋された仕事でお金はいくばくかあると答えると、オーキからの返事は鉄拳であった。

 巫山戯(ふざけ)てろと云い捨てるや、オーキは僅かな銀貨を父親に投げつけて去っていった。

 頬の痛みを堪えて立ち上がったトロイが見たものは、これで借金が無くなった、これで酒が呑めると嬉しそうに銀貨を拾う父親だった。

 その姿にトロイの胸に去来したものは失望と絶望であり、何故か怒りは湧いてこなかった。

 浅ましい父親から目を反らすように俯いたトロイはふと足元に一枚のカードが落ちている事に気付く。

 名刺である。それには『慈母豊穣会・直参・三池組・若頭補佐・大木直斗』と書かれていた。

 

『そなたの知る通り慈母豊穣会は、淫魔に陥れられ勇者に斃されたこのクシモを復活させ、地母神として祀る為に教皇ミーケが立ち上げた組織……表向きは善良な信徒を纏める宗教団体である』

 

 が――地母神クシモは一口紅茶を啜る。

 

『本来、慈母豊穣会は余の為の組織ではない』

 

「えっ?」

 

『慈母豊穣会とはミーケが商売の手を広げる為、人を集める際に付けた団体名だ。淫魔の名では誰も来ないから昔取った杵柄で地母神をやれと云ってな』

 

 崇めれば農作物が善く育つ、子宝に恵まれるという現世利益を武器に人を集め、忠実な労働力を確保する為のシステムに己が主を組み込んだのだという。

 集まった人々は勿論善良な人達ばかりではない。当然、御零れに与ろうという不逞の輩や利益を略奪しようとする無頼の徒も現れた。

 そこでミーケは慈母豊穣会を、クシモを頂点とする宗教団体としての体裁を整え、その管理を直属の部下や弟子に任せるようになる。

 自身はといえば、無頼の者を力とカネで纏め上げ、直参・三池組を組織し、裏から慈母豊穣会を操る影の支配者になろうと画策した。

 

『嗤うが良い。最早、余は飾りでしかない。余が何かを頼むとしよう。だがそれがミーケの命令と相反する時、余の言葉は聞かなかった事にされてしまうのだ』

 

「そ、そんな」

 

 それからもミーケは慈母豊穣会をフロント企業として暗躍を続け、世界各国の暗部との密貿易で得たカネに物を云わせて組織を拡大させていった。

 そればかりか、クシモ配下のサッキュバスらに命じて貴族や高官、富豪しか利用できない会員制の高級娼館を世界中に建造し、カネは勿論のこと高位の者達しか知り得ない情報も吸い上げることで各国の弱味を握るようになる。

 情報を制し潤沢な資金を持つミーケに敵は無く、あらゆる商人ギルドや犯罪結社が彼の手に落ち、貧しい国に至っては国ごとミーケの支配下に収まった。

 当然ながら星神教の神々も黙って指を咥えていた訳ではない。彼に自重を求めたし、何よりクシモが今なお籍を置いている魔界にも働き掛けたのだがミーケの耳には届かなかった。

 ついには神々も業を煮やし、あろうことか新たな勇者を勇者の血を引くミーケを討伐するために召喚したのである。

 神から聖なる剣と鎧、そして悪を屠る為の力を授かった勇者も意気揚々と旅立ったまでは良かったのだが、既に情報が筒抜けだったミーケに待ち伏せを受け、スライム一匹斃す間もなく返り討ちの憂き目に遭う。

 勇者も神器と呼ばれる文字通り神の力を宿した剣と鎧を身に着けていたがいかんせん実戦においては素人であり、対してミーケは百戦錬磨のつわものである。

 ミーケが野鍛冶で自ら拵え『無銘なまくら』と名付けた刀を立てて頭の右手側に寄せ左足を出す所謂八相の構えを取ったのが、勇者が最期に見たものであった。

 ぽかんとした表情の勇者の生首と聖剣と鎧を手土産に帰還した際には、然しものクシモも恐怖を覚えたものだ。

 余談だが、残された勇者の胴体は裸に剥かれ『この者、勇者を騙る詐欺師なり』という高札と共に晒された。

 しかもミーケはそれだけでは終わらない。彼は天界にコンタクトを取ると神器を盾に交渉を開始する。

 前述したが、神器には神の力が宿っており、下界に見せる奇跡の一つとして勇者や英雄に貸与乃至下賜されるものである。

 しかしそれは神々に取って諸刃の剣であり、分かりやすい奇跡を人間に示す事ができるが、もし神器そのものを破壊されれば封じられている神の力は永遠に失われる。

 つまりは神としての弱体化が避けられぬという事であり、力が弱まる事は即ち天界の中での地位が下がる事を意味している。

 それを見逃すミーケではなく、彼は神器の持ち主を発見すると必ず奪い取ってソレを天界との外交カードにしているのだ。

 早速、ミーケは神器の主である神を名指しすると、躊躇うことなく力の返却を条件に交渉という名の脅迫を開始する。

 この交渉をそばで聞かされているクシモはいつも辟易させられる。毎度のことながらミーケの要求はえげつないのだ。

 当の神配下の天使を何名か堕天させて魔界の尖兵にしろというのはまだ可愛い方で、位の低い神を相手にした際は、慈母豊穣会の盟に加われと平然と云う。

 こんな事を幾度と繰り返せば流石に新たな勇者を召喚しようという気も起こらなくなり、地上に現存する神器も悉く天界へと回収された。

 こうしてミーケは主であるはずのクシモに己と己が組織の力を見せ付けて発言力を削ぎながら慈母豊穣会を巨大化させていくのだ。

 

『地上、魔界はまだしも天界にまで影響力を持ち始めているミーケは最早、自分でも止まることが出来なくなっているに違いない。これは余の罪だ。余にはミーケを止めることが出来なんだわ』

 

「地母神さま……」

 

 天地魔界に比類無しと謳われる美貌に疲労を隠すことなく自嘲気味に笑うクシモにトロイは返す言葉が見つからない。

 だが、ここまで聞いてもトロイにはクシモが何を云わんとしているのかが読めなかった。

 確かに憧れの教皇さまの正体が欲と野望に取り憑かれた野心家だったのはショックであったし、地母神の疲労も分からなくもない。

 けど、何故それを自分に話すのか? 自分は修道院入りしてまだ一年にも満たない駆け出しとも呼べぬ未熟者だ。

 するとクシモはトロイの疑問を抱いている事が分かっているかのように口を開いた。

 

『トロイよ。余はそなたに頼みたい事があって参ったのだ。否、そなたに縋るより無いのだ』

 

「ちょ、ちょっとお待ち下さい!! 話がいきなり過ぎて何が何だか……」

 

 混乱するトロイに答える事はせず、クシモはタキシードの上着を脱いで見せる。

 するとクシモの腹を幾重にも巻いた大きな布が現れ、それには紫色の血がじんわりと滲んでいた。

 

「こ、これは?!」

 

『今朝、ミーケに諫言をした。あの子は完全に暴走している。今や魔界にいる魔王達も天界の神々も精霊ですらミーケの思うが儘。このままでは世界のバランスが崩れるのも時間の問題だ』

 

 クシモの口の端から血が滴ってくる。

 トロイはどうして良いか分からず縋るように枢機卿を見るが、彼は何かを耐えるように目を伏せているばかりだ。

 

『余は必死に諭したよ。このままで良いのか? お前の理想は、夢は天地魔界全てを繋いで皆と幸せになる事ではなかったのかとな。その結果がこれだ』

 

 ミーケはクシモの涙ながらの訴えに、そうか俺は子供の頃に抱いていた夢を忘れていたのかと男泣きに泣いたという。

 一頻り泣いた後、彼はクシモの後ろから抱きついてきて、どうすれば償えるんだと再び泣いた。

 クシモは、ああ良かった。この子はまだやり直せる、と安堵したのも束の間、腹部に灼熱が宿る。

 

「しゃーない。アンタ、俺の主って事で責任取ってくれや」

 

『な……ミーケ?』

 

 ミーケの手に握られた匕首がクシモの腹に突き立てられ、それが徐々に横へと割いていく。

 肩越しに振り返ればミーケは嗤っていた。嗤いながらクシモの腹を横一文字に引き裂いていた。

 

「俺ァ忘れちゃあいねぇよ? 俺の野望(ゆめ)は天地魔界を盟で結びその盟主になる事だ。だからよ? 俺の邪魔をするってンならアンタだろうと容赦しねぇ……」

 

 クシモの口から灼熱を帯びた血の塊が吐き出される。

 ミーケが内臓を抉るように匕首を何度も捻っているからだ。

 

「どの道、アンタはもう用済みだ。アンタから地母神の力を継承した色魔(イロボケ)なんざいくらでもいるんだぜ? もうアンタが居なくても慈母豊穣会、否、三池組は回っていく……だからよぉ」

 

 ミーケは匕首を引き抜くと、今度は下腹部に突き立てて一気に真上へと引き裂いた。

 

「さっさとくたばれやぁ!!」

 

 ミーケがクシモの背中を蹴飛ばすと、彼女は膝から崩れ落ちた。

 傷口から零れる臓腑にミーケは、ああ臭ェと嫌そうな顔をして正面に回り込むと腹に突き立ったままの匕首を彼女の手に握らせた。

 

「おー、立派な切腹だぜ、お見事、お見事」

 

 茶化すようなミーケの声と拍手をクシモはどこか遠くに感じながら聞いていた。

 

「んじゃ、そろそろ介錯してやろかい。ったく、大人しくしてりゃあよぉ、どっか辺境にでも押し込んで捨て扶持で飼ってやるつもりだったんだけどなぁ? 余計な事すっからいけねぇんだぜ?」

 

 もうほとんど意識を失いかけているが、何故か鯉口を切る音がやけに大きく耳を打つ。

 

「信者にはそうさなぁ……実は地母神としての寿命が尽き掛けていた。だから完全に死ぬ前に自ら命を絶ってその魂を大地に捧げるって感じのシナリオで良いか? よし、それでいこう」

 

 まさに凶刃がクシモの首を落とさんと唸ったその時、扉を蹴破る音と云い争う声を聞きながらクシモは意識を手放した。

 

『ミーケにトドメを刺されるその直前、そこにおるトラに救われ今ここにいるというワケだ』

 

「否、救っておりゃせんわ。臓腑を押し込んで止血するのが精一杯よ。アンタの命はもう間もなく尽きる。すまんの」

 

 枢機卿の言葉にトロイはもう何もかも思考を停止したくなる。

 何なのだ。自分達のやってきた事はなんだったというのか。

 夢も希望もありはしない。慈母豊穣会とはたった一人の男の野望を隠す為のヴェールでしか無かったのか。

 

「それで貴女達はボクにこんな話を聞かせて何をさせたいのですか?! まさかボクに教皇さまを止めろって云うんですか?!」

 

 トロイは自分でも驚く位の声量で叫ぶ。

 最早、礼儀云々以前の話だ。教皇の野望のスケールが大きすぎて現実感が無くなっているくらいである。

 

『ああ、そなたに頼みたい事はただ一つだ。それは……』

 

 クシモが云いかけたその時、礼拝堂から先輩達の悲鳴が聞こえてきた。

 続いて癇癪玉が破裂するような乾いた音が連続して起こる。そのたびに怒号と悲鳴、人々の逃げ惑う騒音がした。

 

「な、何が起こって……」

 

「クッ! もう来おったか!! 致し方無い。礼拝堂におる者達には気の毒だが今の内に逃げるぞ!!」

 

 枢機卿がソファの一つを倒すと、その下の床に取っ手が二つ見えた。

 彼が取っ手を引くと床に四角い切れ込みが走り観音開きとなり梯子が現れた。

 

「トロイよ、行くぞ!!」

 

 枢機卿に促されるが礼拝堂にいる人達が気になり動くに動けない。

 もっと云えば、この梯子を降りたら取り返しがつかないことが起きるような予感がするのだ。

 

「行け!! ここでそなたが奴らに捕まれば彼らの犠牲が無駄になるぞ!!」

 

 犠牲と聞いて助けに行こうとするが枢機卿に押さえ付けられてしまう。

 今は堪えろと再三促されてトロイは罪悪感に苛まれながら梯子を降った。




 ドン引き物のミーケの所業です。
 序章で大物感を出していたクシモを完全に道具扱いですがミーケの真意はどこにあるのでしょうか。
 そして巻き込まれたトロイの運命は如何に?

 次回、教皇ミーケ率いる三池組が三人を襲います。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍章 直参・三池組との死闘

 地獄まで続いているのかと思わせるほど梯子は長く、底も見えぬ闇があったがトロイとってそれが救いとなる。

 クシモを背負う枢機卿に急かされながら下降している内は何も考えずに済んだからだ。

 しかし何事にも終わりはあるようで、終点に辿り着くとそこはやはり闇の中であった。

 そして足がつくと先程の嫌な胸騒ぎが甦る。怖いとは違うと思う。強いて云えば忌まわしいと云うべきか。

 枢機卿の、しばし待てと云う言葉の後、パチリという乾いた音が続き、数瞬後、光に包まれる。

 長い闇に慣らされた後での突然の光に目が痛み、トロイは思わず目を覆うがそれにもすぐに慣れた。

 

「こ、ここは……」

 

 おそらく緊急の避難場所に繋がっているだろうと想像はしていたが、トロイの予想では洞窟であったのに対し、現実は意外にもよく整備された通路であった。

 しかも通路内は等間隔に光の棒と表現しようがない物が並び、昼間のようにとは云い過ぎだが、足元まで充分に照らされて歩行に問題はない。

 

「ここはな、万が一を想定してワシが叔父貴にさえも秘密にして造った脱出路よ。あってはならぬ万が一であったが、やはり使う事になったか」

 

 枢機卿が背中のクシモを降ろしながら苦虫を噛み潰したような顔で云った。

 秘密といったか? 否、違う。自分はここに来た事はないだろうか。

 赤煉瓦で舗装された酷く寒々しい通路に見覚えがあるような気がしてならない。

 ああ、そうだ。この通路は明る過ぎるのだ。()()()は心許ないランプの灯りだけが頼りだった。

 

「ああっ?!」

 

 突然、脳裏に大勢の子供達の泣き声が響く。

 それだけではない。赤い。煉瓦の色では無い事は確かだ。

 臭いも酷い。鉄錆の臭い。それに混じる糞尿の臭いもする。

 

「さあ、行くぞ。隠し扉の取っ手こそ外してきたが、叔父貴の手の者はいつまでもそれに気付かぬような間抜けではない。時を置けばすぐに追い付かれようぞ」

 

 老枢機卿に肩を掴まれてトロイは我に返る。

 

「大丈夫か? しっかりせいよ?」

 

「も、申し訳ありません。大丈夫です」

 

 自分を気遣う言葉に返事をした後、トロイは頭を振った。

 意識を保つ為ではない。未だ耳にこびりつく泣き声を振り払いたかった。

 

「まあ良い。それよりこれを持て」

 

 枢機卿はトロイに普段は自分が使っている豪奢な杖を手渡し、自らは刀を手にした。

 

「す、枢機卿さま?!」

 

「そなたは武術より魔法が得意だそうだな。それは僅かながらも使用者の魔力を高め、いざという時は槍にも棒にも(じょう)にもなる。ワシは専らやっとうでな、魔法など転んだ擦り傷を治す程度しか能がない。つまりは適材適所よ」

 

 そう云って枢機卿はトロイにクシモの背後を護らせ、自分は前に出る。

 

「さあ、気を引き締めよ。叔父貴は底が知れぬ。秘密の脱出路といえども安全とは云い切れぬのが叔父貴の怖いところよ」

 

『案ずるな。この余も九分九厘死しておる身とはいえ、ある程度は自衛が出来る。目的を果たすまでは死にはせぬ』

 

 クシモの右手の爪が瞬時に伸びて剣のようになる。

 

『ただこの力を愛するミーケに向けねばならぬのが無念よ』

 

「悔いるのは後ぞ。今はこの死地からいかに脱するかを考えよ。トロイもな、混乱しておるであろうが今は生き延びる事を、な?」

 

 枢機卿の言葉に二人は頷く。

 三者は枢機卿を先頭に通路を進んでいくが、彼が懸念していた刺客の気配は無い。

 ならば少し休憩をして、クシモの治療をすべきではないかとトロイが進言しようとしたその時である。

 枢機卿が二人を手で制した。

 

「何かが近づいてきておる……」

 

「まさかもう隠し扉に気付かれたのですか?」

 

 狼狽するトロイにクシモが(かぶり)を振る。

 

『違うぞ。臭いは前から来ておる。それも鉄と油の臭いだ』

 

 そこで漸くトロイの耳にも金属同士を擦り合わせるような不快な音が聞こえてきた。

 一つや二つではない。耳障りな音が怒濤のように前から押し寄せてきている。

 そしてトロイは見た、通路の奥から順に光が消えていくのを。

 

「こ、これは」

 

「叔父貴のヤツ、選りにも選って傀儡(くぐつ)のマサを寄越しおったか!!」

 

 通路の床といわず壁といわず天井といわず、無数の少年少女が生まれたままの姿で四つん這いになって押し寄せてくる。

 その表情(かお)は喜怒哀楽様々であり、中には恐怖に彩られた者、無表情の者までいた。

 何より異様なのは、よくよく見ると関節という関節が球体で繋がっている。

 

「人形?!」

 

「驚いておる暇はない! 構えよ、襲って来るぞ」

 

 枢機卿の声を合図にしたわけではないだろうが、先頭の数体が跳んだ。

 その狙いは全てクシモに向いていたが、何かが光ったと思った時には人形が全て斬り伏せられていた。

 枢機卿が目にもとまらぬ、否、目にも映らぬ早さで刀を抜き付けて迎撃したのだ。

 しかし枢機卿の動きは止まらない。獣の様な勢いで人形の群れに突っ込むと瞬く間に幾体もの人形を破壊してのけた。

 

『あの素早い寄り身はまさに稲妻のトラよな。老いて益々とはあやつの為にある言葉よ』

 

 だが――まだ甘いとクシモは云う。

 見れば彼女の爪には三体の人形が田楽刺しとなっていた。

 

『仕留め損ないがあやつの背後を取ろうとしておった。相手は人形ゆえに犠牲を恐れぬ。半壊されながらも破壊された仲間に紛れてあやつを遣り過ごし、トラの背後に回っておったのよ』

 

 それこそ何も見えなかった。この御方は本当に瀕死なのかとトロイは信じられなかった。

 

「あっ?!」

 

 火球が一つ真上に向かって撃ち出され、天井からクシモを襲おうとしていた四体の人形を貫通して屠る。

 トロイであった。杖を上に向けて火球を撃ち出す『プロミネンススフィア』を放ったのだ。

 

「流石は枢機卿さまの杖! よし! 行けるぞ!」

 

 それで勢いが付いたのか、すぐさま枢機卿を援護するように風の刃を飛ばして次々と人形を斬り裂いていく。

 

『おいおい、威力も申し分ないが発動までが早いな? しかも詠唱をしていないと来たか。トラめ、見所があるどころではない。魔法だけならミーケにも迫る末恐ろしい才を持っておるわ』

 

 枢機卿が不意に前のめりに倒れ、左手を床につきながら刀を一閃させれば前列の人形達の足が破壊されて転倒すると後続の人形達がソレに脚を取られてドミノ倒しとなる。

 ソレを見逃さずトロイは突風を大砲のように飛ばす『ゲイルミサイル』で体勢の崩れた人形達を吹き飛ばす。

 なんと枢機卿は突風が過ぎ去るやその低姿勢のまま突進し、生き残りの人形を次々と屠っていく。

 負けじとトロイも獲物に襲いかかる狼の如く動き続ける枢機卿をさけるように火球を連射して人形を的確に撃ち抜いた。

 まるで何十年もそうしてきたかのように呼吸を合わせているが、恐ろしいことに二人はほぼ面識が無いに等しくトロイに至っては十代の半ばに過ぎないのだ。

 

「おっほ! やるのう! まるで叔父貴が(せな)におるようじゃわい!」

 

 枢機卿が最早数える程度しか残っていない人形の頭部を唐竹割りにしながらトロイを褒める。

 

「さっきからおっしゃっている叔父貴って誰なんですか?!」

 

 わざとかと思えるほど隙を見せる枢機卿の背後を襲う人形にトドメを刺しつつトロイは問う。

 

「ケキョケキョ、そりゃあ文字通りトラの兄貴の叔父御さまに当たる組長(オヤジ)の事で御座んすよゥ」

 

「なっ?!」

 

 瓦礫の山と化した人形達が盛り上がり中から黒衣を纏った小柄な黒髪の少女が現れた。

 次いで黒いスーツを来たガタイのいい男まで出現し少女を大事そうに抱え上げる。

 

「いよいよ姿を見せおったな、マサよ」

 

「ケキョケキョ、トラの兄貴もご壮健のようで何よりで御座んすよゥ。殺るも殺ったり、いやはやお遊びとは云え人が丹精込めて拵えたオートマタ百体、見事に壊して下さいましたねェ」

 

 袖で口元を隠し、蝶番が軋むような笑い声を上げる少女をトロイは半ば呆然と見ていた。

 年の頃は十いくかいかないか、しかし声だけ聞けば年寄りが無理して甲高い声を出しているように聞こえる。

 そして、その少女を抱いている男もまた尋常ではない。

 顔をのっぺりとした白い仮面で隠しているのも不気味だが、その佇まいからは全く隙を見いだす事ができない。

 

「貴様がここにおると云う事はだ。この脱出路はとっくの昔に叔父貴にはバレとったワケか」

 

「ケキョケキョ、トラの兄貴ぃ、オヤジをナメちゃあいけませんよゥ。あの人に隠し事は出来ません。今頃は目眩(めくらまし)のおシンも隠し扉から追ってきていることでしょうよ」

 

「おシンまで来ておるのか?! まさかナオまでおらぬだろうな?」

 

「ケキョケキョ、あの人は別の仕事(シノギ)だそうですよゥ。まあ、あの人はただオヤジのそばにいられりゃ若衆でも構わねぇってお人ですからねェ。まったく欲の無いことで」

 

「ああ、ありがたいわい。変わっちまった叔父貴に今でも損得抜きにしてそばにいてくれておるのだからな」

 

「ケキョケキョ、けど変わっちまったからこそアタシらのような闇の中でしか生きられない人間でも日の目を見る事ができるようになったンで御座んすよゥ。ねぇ、姐さん?」

 

 笑い声は兎に角、仕草は上品に少女はクシモに意識を向ける。

 何故このような遠回しな表現をしたかと問われれば、少女の紅い瞳の見る先が左右に開いていてどこを見ているのか分からないからだ。

 

「ケキョケキョ、クシモの姐さんもまだ生きていてくれて嬉しゅう御座んすよゥ。何せオヤジから仰せ付かったのはアンタの身柄(ガラ)を抑える事。アンタには自ら命を絶って頂かないと。単純にアタシらが殺しちまったらマズいンで御座んすよゥ」

 

『ほう、大きく出たな。殺すだけなら簡単であると聞こえたのだが?』

 

 額に脂汗を浮かべつつもクシモは嗤いながら爪を伸ばした両手を前に出すように構える。

 それを少女は紅い目をグリングリン回しながら嗤う。

 

「そちらこそ、くたばり損なったその体でアタシに勝てるとでも? 否、万全であろうともアルウェンの如きペテン師に封印されるような三流魔王に負けるアタシじゃ御座んせんよゥ」

 

『貴様! 我が宿敵アルウェンをペテン師と抜かすか?!』

 

「ふん、ペテン師がおイヤなら外面だけのネグレクト女の方が宜しゅう御座んすか? 炊事洗濯まるでダメ、食べる事なら三人前ってどっかの歌じゃあるまいし、それで子供ほっぽってエルフやドワーフ助ける為に東奔西走ってそりゃ無いでしょうよ」

 

 少女は肩を竦める。

 

『エルフとドワーフの和解はあやつの親の代からの宿願、そして帰還は許されずとも自らの存在を両種族から認められる事はアルウェン一生の願い、それは子供達も理解していた』

 

 すると少女は手を叩きながら下品に爆笑した。

 

『な、何が可笑しい?!』

 

「そりゃ可笑しい、嗤うに決まってるでしょうよ。エルフとドワーフの和解? はん、事実その両者を取り持ったのは誰で御座んすかねェ?」

 

『それはミーケの手柄だ。七十年前、エルフとドワーフが慈母豊穣会の盟に加わり和解した時は、流石はミーケよ、勇者アルウェンの子よ、三代に渡る悲願を見事成し遂げたか、と膝を打ったものだ』

 

 何百年から続く軋轢からくる諍いを納め、和解を成立させた教皇ミーケの功績は世界を平和に導くと賞賛された。

 トロイも数多いミーケの伝説の中にあって武勇伝よりその偉業にこそ感動し憧憬を覚えたものだ。

 

「それが可笑しいってんで御座んすよゥ。元々アルウェン自身が両種族から門前払いを喰っていたんですよゥ? オヤジからすりゃあネグレクトの原因であるあの連中がどうなろうが知った事じゃなかったんですよゥ」

 

 むしろ――少女はニンマリと嗤ってみせた。

 

「オヤジはねェ、両者を煽って煽って徹底的に戦わせたンで御座んす。それこそ物資を提供までしてねェ?」

 

『貴様、何を云っている?』

 

「エルフやドワーフの若いのをちょいちょいやっつけてお互いを疑うような状態にしておいてからおシン得意の目眩しでエルフやらドワーフやらに化けましてねェ、“相手は孫に当たる教皇ミーケを頼って貴方達を滅ぼそうとしている。私はそれを阻止したいのです”って武器やら兵糧やらたんまりと寄越したんですよゥ」

 

 焚き付けるだけ焚き付けておシンが姿を消す頃には、アルウェンはおろかその時にはハイエルフの王となっていた父、ドワーフの新たな族長の妻となっていた母がいくら諭そうと止める事は叶わず、ついに戦争が起こってしまう。

 まさに血で血を洗う酸鼻極まる大戦争であり、純血を重んじるあまり只でさえ少なくなりつつあった数を致命的なまでに減らしていったのだ。

 初めて聞くエルフとドワーフの間で起こった戦争の絡繰りにトロイは言葉が無かった。

 

「頃合いを見計らってエルフの王様とドワーフの族長を暗殺しちまえば残るは烏合の衆、後はオヤジが、この(いくさ)、慈母豊穣会が預かるって云えば、もうあの連中は従うしかないという寸法で御座んすよゥ」

 

『そんな莫迦な、あの『最後の種族間戦争』と呼ばれた大戦はミーケが絵を描いていたと?』

 

「まあ、途中、その絵をアルウェンに気付かれた時は胆を冷やしましたが、流石はオヤジ、ビクともしなかったねェ」

 

 感慨深げに何度も頷く少女をクシモは睨みつけた。

 

『おい、正直に答えろ。貴様ら、否、ミーケはアルウェンをどうした? 思い返せば最後にあやつと会ったのは七十年程前だった。まさかそんな事しておらぬよな? ただ、あやつが余を嫌って疎遠になっておるだけよな?』

 

「何、“エルフとドワーフの血を引く者として、勇者として、何より母として貴様を許す訳にはいかない”ってイキってましたがねェ。勝てるワケが無いンですよゥ、アンタを殺し切れず封印するのが関の山の能無しにはねェ」

 

『貴様、先程から極まっておるぞ。余をこれ以上怒らせるな』

 

 クシモの三白眼が少女を射抜くが彼女には暖簾に腕押し、糠に釘である。

 少女は両手を水平にして指先を合わせると、その上に顎をちょこんと乗せウインクをしながら続けた。

 

「ま、最期の最期で役には立ちましたか。協議のテーブルの上にこうデンと置いてね、“これが復讐の為、アンタらを殺し合わせる今回の戦争を仕組んでいたんだ。息子として慙愧に堪えない。だが、これを怨念の塊にしたのはアンタらだ。許せとは云わないが、少しでもこれを哀れと思うならもうこれ以上争うな”ってね。いやはやオヤジも役者で御座んすよゥ」

 

『そこまで堕ちたか……母を殺し、罪を被せ、自分はそれで手柄を立てて名声を得たと云うのか』

 

「エルフといえども頭がいなけりゃ何も出来やしない。唯一のよすがであるプライドもアルウェンの最期を見てもう完全に砕けちまった。すっかりオヤジにビビってましたねェ。ドワーフ族長の嫁? アレ見て卒倒した後は物狂いになっちまってましたよゥ」

 

 それまで黙って聞いていたトロイだったが口を開いた。聞かずにはおれなかった。

 縋りたかったのだ、これまで信じてきたものに、ミーケに残された最後の良心に。

 

「教えて下さい。アルウェン様の亡骸はどうされたのですか? 僕達信徒はアルウェン様が御隠れになったという話を知りません。手厚くご供養なさった話も聞きません。どこにお墓があるのか存じていないのです」

 

「そんなのアタシらには常套の方法で御座んすよゥ。薬品でドロドロに溶かして下水に流すンです。優秀な警察のいる()()じゃ足がついちまいますが、文明が中世レベルの()()()()なら安心安全確実で御座んすよゥ」

 

 杖を握る右手が熱い。もう限界だった。

 全身から魔力が湧き上がり、その魔力に反応して枢機卿の杖が発光を始める。

 

「許せない。慈母豊穣会を隠れ蓑にして悪事を重ね、挙げ句に勇者アルウェン様を裏切りムシケラのように殺しただけでなく、その死を貶め利用した貴方達を」

 

「青臭い事を云うモンじゃないですよゥ。アタシらが裏で稼いだカネでアンタら慈母豊穣会の神官はおまんまが食えてるンだ。感謝されこそ怒られる筋合いは無いですよゥ」

 

「そうですね。貴方達、三池組が養って下さっていた事は感謝しています。けど同時に親を、それも母親を殺して平然としているミーケさまを許せないんですよ!」

 

 トロイの叫びに今まで嗤っていた少女から表情が消えた。

 同時に白仮面の男が少女を抱えたまま腰を少し落とす。

 

「誰が誰を許さないって?」

 

 明らかに少女の出すような声ではない。

 地の底から響くような胴間声でトロイを威圧しているのは白仮面の男だ。

 男は少女を右手だけで宙吊りにして自らの顔の横に掲げ、左手を半開きの形で前に出す。

 善く見れば少女の黒衣の背中に穴が開いており、右手はその中に入っていた。

 

「なあ、確認するがお前がオヤジを許さないって事で良いんだな?」

 

「あ、当たり前です! 子が親を殺すなんてそんな」

 

「もういい」

 

 男から溢れ出す威圧に気圧されつつも何とか言葉を紡ごうとするが遮られてしまう。

 

「分かった。今の話を聞いてそんな言葉が出るようではな……思うところが無いと云うことだろう。救えん」

 

「救えない? あ、貴方は何を云って」

 

「もういい、と云った。せめてもの情けだ。おシンが来る前に楽にしてやろう」

 

 杖を構えたものトロイは混乱の極みにあった。

 白仮面の男は明らかに怒っている。それは分かるがその理由が分からない。

 教皇ミーケを許さないと云ったから――それが切っ掛けである事は間違いないであろうが、新米神官が教皇さまに盾付いたからという単純な話ではなさそうだ。

 いったい自分の何がこの男を怒らせた? 子が策謀の為に母殺しをしたと聞いて義憤を覚える事の何が悪い。

 天涯孤独の孤児院育ちの自分は家族、取り分け母親という存在には強い憧憬を抱いていたのだ。それを殺めるなんてあってはならない事だ。

 

「それが救えないと云っている」

 

「あ、貴方には人としての情けは無いのか?! 孤児の僕が母親に憧れて何が悪い!!」

 

「これでもまだ思い出せないのか?」

 

 男が少女――の人形をトロイの鼻先につきつけるや少女の首がコキリと音を立てて右に捻られた。

 そして黒衣の袖からパラパラと何十枚もの小さな紙片が舞い落ちる。

 トロイにはその紙片に描かれているものに見覚えがあった。

 

「い、()()()?」

 

「や、やめとくれよゥ……これはとても大切なおカネなんだよゥ」

 

 少女の黒髪が頭部に吸い込まれて禿頭になったかと思えば、今度はまばらに白い髪が生えて老婆へと変貌を遂げる。

 それが憐れみを乞うように訴えかけるのだ、カネを持っていかないでくれと。首を捻れたままにして。

 

「ああ、嫌だ。そんな」

 

 首の折れた老婆、散らばるカネ、黒い着物。

 知らない。知らないはずだが見覚えがあった。

 

「安心せい。トロイよ」

 

「す、枢機卿さま?」

 

 ああ、そうだ。これは幻覚に違いない。この白仮面の男が人形を使って幻惑しているのだ。

 今に枢機卿さまが活を入れてこんな幻覚なんて吹き飛ばしてくれる事だろう。

 

「我ら、この事については罪に問わぬ。何故ならそなたは()()()()()()()のだからな」

 

 シャラン。

 

「えっ?」

 

 枢機卿さまは何をおっしゃっているのか?

 トロイは枢機卿を見るが、彼の自分を見る目はゾッとするほど冷たい。

 

「だが、そなたが()()でしてきた事については話が別である」

 

 シャラン。

 

「枢機卿……さ、ま?」

 

 その時、後退るトロイの足を何者かが掴んだ。

 

 シャラン。

 

 見れば裸の少年少女達が這いずっている。

 

「ま、まだ人形が!」

 

 シャラン、シャラン。

 

「痛いよぉ……やめてよぉ……」

 

「また幻覚か?!」

 

 トロイに縋る子供達の関節は球体ではない。生身の人間のソレである。

 無惨に服を奪われ、嬲られた()()達が苦痛と絶望に顔を歪めながら泣いているのだ。

 

「は、離せ!」

 

 トロイは子供達を引き剥がそうとするが彼らの力は見かけよりも強く振りほどけない。

 子供達は少しずつトロイの服を脱がしていく。

 

「お願いだよ、お兄ちゃん……今度こそ気持ち良くするから……苛めないでぇ」

 

 シャラン、シャラン、シャラン。

 

「ヒッ?!」

 

 トロイに纏わり付く子供達の皮膚が爛れ、肉が腐り落ちる。

 唇がとろけ、舌がダラリと垂れ下がり発声が困難になっても彼らはトロイに許しを乞う事をやめない。

 

「ほら、お兄ちゃんがくれた()()()()もあるよぉ」

 

 子供達は鞭や鎖のついた枷だけではなく、他にも語るもおぞましい拷問器具を手にしている。

 恐怖に駆られているトロイはいつの間にか下品に露出の多いボンテージファッションに身を包んでいた。

 

 シャラン、シャラン、シャランシャランシャラン。

 

「お兄ちゃぁ…ん。僕、こんな事が出来るようになったよぉ……痛いけど我慢したよぉ……だからお家に帰してぇ……」

 

 トロイの腰までも届かないような幼い少年がペンチで自分の生爪を剥がす。

 ああ、そうだ。褒めなきゃ……自分が教えた通りにした偉い子を褒めなくちゃ……

 

「うん、偉いね。えらいぎぃっ?!」

 

 シャラン。

 

 突然の太腿の激痛に見てみれば勝ち気そうな少女が千枚通しを突き立てていた。

 

「この変態!! みんなの仇を討ってやる!!」

 

 腐り濁りながらもしっかりと憎悪を込められた瞳に睨まれたトロイは激情に駆られ、少女から千枚通しを奪い取ると何度も彼女の顔面に突き刺した。

 

「この餓鬼!!」

 

 シャラン。

 

『これが貴様の本性か。なるほど確かにマサの云う通り救いがないな』

 

「え…あ…地母神さま?」

 

 トロイは呆然とクシモを見る。

 自らの足ですっくと立ちこちらを睥睨する様は先程まで瀕死の状態であったとは思えない。

 しかも地母神は枢機卿や敵であるはずのマサと並んでいたのだ。

 否、もう一人いる。黒い小袖を着た少女が脇に錫杖を挟んで腕組みしている。

 

 シャラン。

 

 錫杖の先に付いている小さな輪が澄んだ音を鳴らす。

 

「トロイさん、貴方様に無惨に殺された子供達の怨みはまだまだこんなものじゃありやせんぜ。そぅら見てみなせぇ。子供達も貴方様と遊ぶのが待ちきれねぇ様子。さあ、始まり始まり」

 

 手に手に拷問器具を取った子供達が腐り蕩けた足を引き摺ってトロイに躙り寄る。

 

「お兄ちゃん……遊ぼぉ……」

 

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 トロイは半狂乱に陥り、杖を振り回しながら逃げ出した。




 はい、ミーケとクシモとの巻き込まれた善良な狂言回しと思わせておいて実は悪党はトロイだったというオチでした。
 クシモや枢機卿もまたマサやおシンと仲間であり、全てはトロイを追い詰める為の仕掛けでだったという訳です。
 当然、ミーケもクシモとアルウェンを裏切ってはおらず、次回にてトロイと対決をします。
 というか序章含めて4話目にして主人公の発登場だったりしますw

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第参章 『魔人』教皇ミーケ

 逃げなくては!

 俺は枢機卿の杖で餓鬼共を薙払うと一目散に駆けだした。

 何故こんなことになった? 自分は選ばれし者のはずだ!!

 思い出したぞ。俺の人生はどん底だった。だが俺は生まれ変わったのだ、文字通りに!!

 俺の苦しみを理解してくれず、恥知らずとしか云わないクソのような両親、俺の嗜好を悪とした地獄のような世間の莫迦ども!!

 クソが!! 子供が好きで何が悪い!! あれはちょっとした悪戯、いや、ほんのお遊びなんだ。ああ、あれは只の事故だったんだ。

 それなのに警察は俺の云い分を聞かずに容疑をかけやがって!! 会社もそうだ、一方的に俺をクビにしやがった!!

 親に逃走資金を頼めば、罪を償え、私達に出来ることは一緒に被害者とその家族に償いをする事だけと云って通報なんてマネをしでかした。

 目の前が真っ赤になり気が付けば親の財布を持って駆けていた。背後で何かが燃えているような気がしたがどうでもよかった。

 どれだけ逃げただろう。何年? 何ヶ月? いや、案外たったの数日だったのかも知れない。

 気が付けば俺は警察に囲まれていた。連中が何か云っているが理解できない。

 ふと手を見る。愛用の千枚通しだ。これで子供達と遊んでやると皆嬌声を上げたものだ。

 俺は何かを喚くことしか出来ない無様な警察に微笑んでやると、自分の耳に突っ込んで一気に貫いた。

 

 次の瞬間、俺は何も無い真っ白な空間にいた。

 俺は天国とは随分と殺風景なのだなという感想しかなかった。

 

『貴方は神に選ばれました』

 

 あの脳内に直接響くような声は今でも忘れられない。

 相手は姿を見せる事は無かったが、声からして若い女のようだった。

 その声が云うのだ。俺の魂こそが世界を救う英雄となる資質があるのだと。

 信じがたいことだったが、自分達が住む世界とは異なるもう一つの世界があるらしい。

 

『今まさに世界は『魔人』と呼ぶべき一人の男に蹂躙されようとしています。貴方には是非『魔人』の魔の手から世界を救って欲しいのです』

 

 今まで勇者と呼ばれる異世界の英雄達を『魔人』討伐に差し向けてきたが、その悉くを斃されてしまったという。

 どうも勇者召喚の情報が筒抜けで、『魔人』にいつも先手を打たれてしまうのだそうだ。

 

『そこで我らは考えました。まず勇者の資質を持つ魂を見つけ出し、その持ち主が死した後、勇者としての転生を提案しようと』

 

 初めから異世界で誕生させてから秘やかに育成する事で『魔人』の目も誤魔化せるのではと考えたらしい。

 面白そうな話だと思った。元々普通の日常が嫌で刺激を求めていた俺にとって魅力的な誘いだった。

 

『勿論、こちらの事情を押し付けるワケですからある程度の特典は用意してあります』

 

 これもまた素敵な提案だった。

 その一つが『魔人』に匹敵する魔力を備えた肉体である。風どころか嵐すら操り、巨大なドラゴンを使役すると云われる『魔人』に対抗するには必須だろう。

 二つ目は善き師となる人達と出会う機会に恵まれる縁だという。『魔人』は才能だけで勝てるような甘い相手ではなく、才能を生かすスキルの修得は必要とのことだ。

 そして三つ目が仲間を集めるのに必要な魅力の底上げだ。これについては俺から頼んだ。親を初めとした前世の狂った連中がトラウマになっていた俺は来世で人を信じる事ができるか不安だった。

 だが神の力で得た魅力で引き入れた仲間なら信用できる気がする。そう提案すると声の主は快諾してくれた。

 

『最後に、『魔人』は用心深く執念深い。貴方が転生した事を『魔人』に悟られぬ為にも前世の記憶は封印しておきます。しかし必要に迫られれば記憶が甦るでしょう』

 

 その言葉の後に俺の意識は薄らいでいった。

 

『お願いします。必ずや『魔人』、慈母豊穣会・教皇ミーケ、またの名を直参・三池組・組長・三池月弥を斃して下さい』

 

 最後にそんな言葉を聞いたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その記憶が今まさに蘇ったのである。

 どこをどう逃げたのか分からない。一本道だと思っていた通路は途中からいくつも枝別れをし始め、辻や小部屋までも現れたのだ。

 体力の限界を感じたトロイは追っ手がいない事を確認すると小部屋の一つに逃げ込んだ。

 そこに積まれていた段ボール箱に前世で見かけたメーカーのスポーツドリンクのロゴが描かれている事に気付いたトロイは箱を破いて十数年ぶりに見るペットボトルを手に取った。

 酷く喉が乾いている。キャップを開けると一気に中身を呷った。

 

「何、勝手に人のモン飲んでンだ? あ?」

 

 しかし後ろからの声に驚いて噴き出してしまう。

 

「あーあ、勿体ねぇなぁ、おい。つーか、また珍妙な恰好した泥棒だな、えぇ?」 

 

 振り返ると入口に背中を預けて腕を組む小さな子供がいた。

 白い法衣を纏うその姿は小柄ながら威厳に満ちており、ただの子供とも思えない。

 その肌は白磁のように白く、キメ細やかで透明感があり、事実血管がうっすらと透けて見えた。

 目鼻立ちもまた美しく、ルージュを引いているかの如く唇は赤く濡れており、潤んだ闇色の瞳と相俟って幼いながらも妖艶さすら備わっている。

 よく手入れの行き届いている艶やかな黒髪は腰まで伸びて、首の後ろと先端で束ねて右肩から前に垂らしていた。

 ただ惜しむらくは、隻眼なのかファッションなのか、右目に着けている黒いアイパッチがその美貌を台無しにしていた。

 そうだ。普通の子供がこんな所にいるわけがない。きっとクシモの一味に決まっている。

 トロイはしかし、何を思ったのか子供に向かって微笑みかける。

 

「君、どこの子かな? ここは危ないよ? さあ、お兄ちゃんと一緒に出口に行こう?」

 

 ボンテージ姿であり、それこそ自分が不審者そのものであるのだがトロイは場違いにも優しい笑みを浮かべていた。

 子供はトロイの言葉に頷くとトコトコと無警戒に近づいてくる。

 

「良い子だ。ご褒美に面白い遊びを教えてあげるよ。さあ、恥ずかしがる事は無い。ゆっくりで良いから服を脱ぐんだ」

 

 トロイの瞳は紫色に妖しく光り、子供を誘いかける。

 子供はトロイの妖しい瞳に魅了されたのか法衣の装飾を外していく。トロイは情欲を隠すことなくその様を食い入るように見ている。

 そして貫頭衣を脱いだ瞬間、トロイは目を見開いた。貫頭衣の下から現れたのは白い道着と黒い袴だった。

 しかも股立を取り、脚絆に安全靴と戦闘体勢は万全である。

 

「き、君は?」

 

「泥棒に名乗る名は無ェよ。おっと変態の間違いか」

 

 いつの間にか少年の右手には刀が握られていた。

 異変はすぐに起きた。体を締めつけていたボンテージが弾けるように裂けてトロイはブーツを除いて裸になってしまう。

 

「変態の割りにしょうもねぇドリル(隠語)ぶら下げてンなァ。俺だってもうちょっと見られるモン持ってるぜ?」

 

「み、見えなかった……枢機卿さまの剣も速かったけどそれ以上?!」

 

「枢機卿? お前、トラの事を云ってンのか? だったら参考にならねぇぞ。アレは俺の弟子だ。アイツの剣を速いと云ってるようじゃ俺の剣は見切れねぇよ」

 

 

 枢機卿の師と聞いてトロイはある推測を立てるが、まさかとソレを捨てる。

 何故なら目の前の子供はどう見ても八、九歳にしか見えないからだ。

 

「テメェが何を考えてるか大体想像がつくぜ? けどな、これでも俺は八十五歳だ。トラより十三も上なんだよ」

 

「八十五……」

 

「分かったらちったぁ敬えや。え? 福澤遼太郎君よぉ」

 

 トロイは肛門から魂が飛び出さんばかりに仰天する。

 だがそれは無理もない。何故なら、その名は前世における自分の名前だったからだ。

 

「な、何故その名前を?」

 

「つれねぇなぁ、おい。俺はテメェの命の恩人だぜ」

 

 思い出した。あの時、自分は自害に失敗したのだ。

 遊んであげても反応を示さなくなり、生かしておくのにも飽きた子供にそうしてきたように、自分の頭を貫こうとしたその手を止めたのが……

 

「あ、あの時の?!」

 

「思い出したか?」

 

 トロイもとい福澤遼太郎は耳から千枚通しを引き抜かれるや、その小さな拳からは想像出来ないプロボクサーにも引けを取らぬ重いパンチを頬に受けて吹っ飛ばされたのだ。

 意識が朦朧とする中、“お前はきっちり裁きを受けるべきだ。自分の罪をきちんと認識した上で吊されろ”と云う言葉を聞いた後、脳天に踵落としを喰らって意識を失った。

 

「テメェはこの世にいちゃいけねぇよ。覚悟しやがれ。今度は星神教の神にも介入させず、きっちり地獄へ送ってやるぜ」

 

「お、俺は見習いとはいえ慈母豊穣会の神官だ。き、教皇ともあろう者が部下を殺すのか?!」

 

「寝言は寝てから云え。そもそもテメェは俺を殺す為に送り込まれた転生勇者だろうが? トロイとは巧い名前を付けたモンだぜ。なぁ? この木馬野郎」

 

 トロイは全てが筒抜けになっている事に恐怖を覚えた。

 やはりこの子供、否、この男は『魔人』だ。自分が敵う相手ではなかったのだ。

 

「お、お慈悲を!! 金輪際教皇さまには逆らいません! 永遠の忠誠を誓います! 何なら二度と目の前には現れません! ですから命ばかりはお助けを!!」

 

 最早、トロイに出来る事は土下座をして教皇に許しを乞うしかなかった。

 瘧のように震えるトロイの肩にポンと手が乗せられる。

 

「良いぜ。俺はお前を殺さねぇよ」

 

「本当ですか?!」

 

「ああ、本当だとも。俺は生まれて此の方嘘と坊主は結ったことがねぇ」

 

 トロイはバッと顔を上げて教皇の顔を見る。

 確かに教皇の目には自分への殺意はおろか悪意すら見て取れなかった。

 

「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!!」

 

「ま、お前さんを裁く権利は俺には無ェってこった」

 

 苦笑する教皇にトロイは呆れるほどにしつこく礼を述べる。

 

「お前を裁くのはお前に殺された子供達だからな」

 

「えっ?」

 

 突然、山積みされた段ボール箱が崩れる。

 その音に驚いて見ればペットボトルが散乱していた。

 ペットボトルの群れが独りでに転がってトロイの周囲を取り囲む。

 

「教皇さま?! これは一体?!」

 

「あーあ、子供達はお前を許さねぇってよ。当然だわな。魅了の呪いをかけられてついて行ったら、そこで待ってたのは拷問と陵辱の日々だ。暗闇の中でお前に殺された子供らはどんな気持ちで死んでいったのかねぇ」

 

 一斉にペットボトルのキャップが回転して弾かれるように飛んでいくと、中から大量の血と肉片が噴水のように溢れ出した。

 

「教皇さま! 教皇さま?! 貴方は俺を騙したのか?!」

 

「人聞きの悪いことを云うンじゃねぇよ。お前を殺すのは俺じゃないってだけさね。その血肉はテメェに殺された子供達の怨念を具象化したものだ。どうするよ? みんな怒ってるぜぇ? 試しに謝ってみるか?」

 

「い、嫌だ。許してくれ!! 俺は二度も死にたくねぇ!! し、死にたぐぼえっ?!」

 

 トロイの口から、否、口と云わず鼻と云わず、顔中どころか全身の穴という穴から血肉が噴き出す。

 

「そういやお前、ペットボトルを一本飲んでたっけなぁ。つまり、もう既に子供達の怨念はお前の腹ン中に入り込ンでたってワケだ」

 

 それを皮切りに周囲の血肉達も津波のようにトロイに襲いかかった。

 彼らはトロイの体を外側から、内側からと蝕んでいく。

 

「そうそう、福澤君よぉ。お前、気付いてるか? この部屋、テメェが“遊び”と称して子供達を拷問して殺していた部屋なんだぜ。この部屋に限らず、この緊急脱出路は誰にも見つからねぇよう巧妙にカムフラージュされてたはずなんだがどうやって知った? どこの入口から入ってきたンだ?」

 

 答えらンねぇか――失敗したなぁと教皇ミーケは頭をバリバリと掻いたのだった。




 トロイの正体は神様転生をした猟奇殺人鬼でした。
 実はミーケは警察に協力してトロイの前世・福澤遼太郎を捕まえています。
 さて、この女神は如何なる思惑があって、ミーケとは因縁浅からぬ殺人鬼を勇者に選んだのでしょうか?
 またミーケ達はどうやってトロイの犯行を突き止めたのでしょうか?
 次回、その答え合わせをしたいと思います。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第肆章 全ては仕掛けだった

 扉が開き、クシモ達が揃って姿を現した。

 それを教皇ミーケは、ご苦労さんと軽く手を振って迎える。

 

『さて、今回の事件の顛末をきっちり説明してくれるのであろうな?』

 

「おう、地母神(オヤジ)もお疲れさん。そうさな、どっから説明したものか……」

 

 教皇ミーケは顎を擦った後、ちょっと待てと断りを入れて足元に転がるペットボトルを拾って一口飲んだ。

 床に散乱するペットボトルは全て綺麗なものであり、先程まで溢れていた血肉はどこにもなかった。

 部屋の隅ではトロイが力無く尻餅をついた恰好で小さくブツブツと呟いていた。耳をすませば人の名前と謝罪の言葉を繰り返している様子だ。

 

「事の始まりはこの界隈で幼い子供が連続して行方不明になる事件が起こったことだ。勿論、俺はすぐに動いたぜ。神官のみならず三池組も動員して表から裏から大捜索よ。けど手掛かり一つ見つかりゃしねぇ」

 

『うむ、子供達の親が連日のように彼らの無事を祈る様は悲痛な叫びを上げているようでな、聞いている余の胸も張り裂けんばかりであったぞ』

 

 クシモとしても地母神として助けてやりたかったが、いなくなった子供達の命の波動を感じ取れずにいたのだ。

 それは取りも直さず子供達の死を意味していた。

 

「ところがだ。ある日、タレ込みがあった。若い男が三歳になる我が子の手を引いて歩いているのを見たってな。しかもその場所は自宅から十キロも離れていたとよ」

 

 父親が男から我が子を取り戻すと、その若い男は舌打ちをして雑踏に紛れるように姿を消してしまったという。

 追いかけるべきかと思ったが、我が子の安否がまず第一と息子の様子を見るとどうやら夢見心地の様子。

 抱きしめて軽く背中を叩くと我に返り己も嬉しげに父親を抱き返す。聞けば、知らないお兄ちゃんが遊ぼうって笑った後は覚えていないとの事。

 我が子を連れて家に帰れば、息子の名を叫びながら泣いている妻の姿が見えた。

 狼狽える妻に子の無事を告げると彼女は安堵の為か腰砕けに座り込んでしまう。

 

「見知らぬ男が子供を連れて行こうとしていたから止めようとしたンだが、ニコリと微笑まれた途端に頭ン中が真っ白になって気付けば子供諸共いなくなってたそうだ」

 

「その訴えを聞いてワシはピンときた。こりゃ転生勇者の典型的な能力だとな。ニコッと笑かければポッと頬を染めて心底惚れる。略して『ニコポ』だったか」

 

 くだらぬわい、と枢機卿はトロイを見遣る。

 その視線を察したのか、トロイはソレから逃れるように頭を抱えて俯いた。

 

「ああ、クソみてぇなチートをエサにクソみてぇな連中を召喚、或いは転生させて刺客に仕立てるのは星神教の下級神の十八番(おはこ)だからな。なぁ、そうだろ? 福澤?」

 

 教皇の声にトロイはブルブルと震えるのみだ。

 

「世をひがんで引き籠もる奴らはまだ良いぜ。親はたまったもんじゃねぇだろうけどな。ま、そういう奴らは得てして“俺が本気を出せばこんなもんじゃない”とか思ってやがるから、いざチートを貰うと、これこそ俺の本当の人生だと云わんばかりにはっちゃけやがるから分かるよ」

 

『うむ、その上、転生勇者どもは基本的に違和感を覚えるまでに整った顔をしておるからな。これもまた神から与えられた特典か。だが、性根が腐ったままでは意味がなかろうよ』

 

「常人では決して出来ぬ事を成し遂げる強き心が英雄を生むって考えだそうで。確かに常人じゃあ出来ねぇでしょうが、猟奇殺人鬼なんて輩は英雄でも何でも無ェ。只の鬼畜でやすよ」

 

 錫杖を持った黒衣の少女が忌々しげに云う。

 錫杖の輪を鳴らす事で人に幻を見せ、巧みな話術と相俟って人を幻惑する目眩のおシンこと三池組・若頭補佐にして三池組内・霞一家・総長・霞信志である。

 そう、小袖を着ているが性別は男であり、少女然とした見た目をしているが少なくとも三十年は三池組に籍を置いている正体不明の怪人物だ。

 

「まさか緊急脱出路を隠れ家にされていたのは盲点でした。アレはいざっていう時の備蓄庫も兼ねていましたが、あんなおぞましい犯罪に利用されていたとは……それこそ慙愧に堪えない話です」

 

 スーツの男は仮面を外し、ガタイとは裏腹に眉目秀麗な顔を露わにして汗を拭った。

 先程見せたように人形を操る傀儡師であり、そればかりではなく様々な絡繰りや機械を操作、整備をする事が出来るエンジニアでもある。

 渡世の名は傀儡のマサ。おシンと同じく三池組・若頭補佐を務める。三池組内ではあるが、極道ではなくで神崎エンジニアリングという企業を運営しており本名を神崎政延という。

 

「まさに灯台下暗しよな。だが、福澤もといトロイは、一度目をつけた子供は何度誘拐をしくじろうと異常なまでに執着する性質があった。それが糸口となったのよ。天網恢恢疎にして漏らさずとは善く云ったものよ、のう?」

 

 老枢機卿はトロイに同意を求めるが、彼は全身に脂汗を浮かべているだけだ。

 その様に枢機卿、またの姿を三池組・若頭・東雲(しののめ)寅丸は鼻を鳴らした。

 

「再び我が子を狙わんとする男の気配を察した父親は、その男が近所でも評判の神官見習いである事を知り愕然としたそうな。子供に優しく、幼顔ではあるが端整な顔立ち、まだ未熟ではあるがそこそこ腕は立つ。悪評の一つもない少年を訴えるのは難しかった」

 

 慈母豊穣会や役人に訴えたところで証拠がなければまともに相手にされるはずがなかった。

 そこで父親は三池組に助けを求めたのである。

 

「そういう事にはナオは素早いぜ。真偽の裏取りは後回しにして、まずは子供を保護するのが先決だってンで、すぐに仕掛けを練り上げちまった」

 

 三池組・若頭補佐・大木直斗は父親に“ろくに仕事もせずに遊んでばかりいるロクデナシ”を演じさせ、近所の住人達にも彼を蔑む噂を流すよう依頼した。

 そしてトロイの目の前で借金の形に子供を取り上げるように見せ掛けて保護したという。

 然しものトロイも極道に連れられては子供を諦めるよりなく、大人しく帰っていった。

 

「ナオが云うには、確かにトロイの微笑みには一種の呪いが込められていたってンだからな。しかも日本語で書かれた名刺を普通に読めるときた。これで少なくとも元は日本人の転生者である事が確定したワケだ」

 

 三池組内・大木会は人員を総動員して付かず離れずトロイの見張りを続け、ついに彼が隠れ家にしている緊急脱出路の一部を突き止める事に成功する。

 そこで彼らが目にしたものは、目を背けたくなる無惨な子供達の遺体と悪趣味極まる拷問器具の数々であった。

 

「もう一刻も猶予すべきじゃねぇと思ったよ。俺はすぐに星神教の神々に捩じ込ンだ。素っ恍けられるかとも思ったが、すぐに福澤を転生させた神は引き出されたよ」

 

 過去、召喚した勇者をミーケに返り討ちにされた挙げ句に神器を奪われた事のある中位の女神だった。

 動機は復讐ではなく、飽くまで神として星神教徒を護る為に『淫魔王』と『魔人』を誅戮することが目的であると主張した。

 だが残忍で自分の罪を認識できない福澤遼太郎を勇者に選んでいる時点で彼女の行為には悪意があると見做されたのである。

 

「況してや福澤の逮捕には俺も警察に協力していたンだ。福澤が俺に復讐心を燃やすだろう事も織り込み済みだろうさ」

 

 女神にとっての誤算は生まれ変わったトロイが福澤遼太郎の嗜好と残虐性を引き継いだことだろう。

 

「転生させるならさせるで魂レベルまで真っ新にしてやるべきだったンだ。なまじ機を見て前世の記憶を蘇らせようとしたのが今回の悲劇の元よ」

 

「まさにそこよな。トロイ自身は信心深く敬虔な態度で慈母豊穣会に尽くしておった。失敗も多かったが天涯孤独の身の上でも決して腐らず懸命に神官になろうと邁進し衆生を救わんとしていた心根は本物であったと思うぞ」

 

『トロイは“誠実”を意味する言葉。あやつの祈りはまさに誠実そのもの。たとえ勇者となって我らと袂を分かったとしてもアルウェンのように尊敬すべき英雄になっていただろう。それをあの女神が台無しにした。奴の薄汚れた復讐心が誠実の男を“トロイの木馬”に仕立てたのだ』

 

 地母神、教皇、枢機卿。慈母豊穣会のトップ3の憐れみの籠められた視線を受けて、トロイは滂沱の涙を流して平伏した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 トロイとて心から子供達の虐殺を愉しんでいた訳ではなかったのだ。しかし常に心の奥から子供達を凄惨な拷問にかけて遊びたいという気持ちが溢れていた。

 子供を殺したくない。子供を苛みたい。相反する二つの心が鬩ぎ合いが四六時中続いていたのである。

 年々膨れ上がっていく己の悪意に苦しんでいく中で、ついに心の臨界点を超えてしまう出来事が起こってしまう。

 ある日、とある学校の課外授業の手伝いを司祭から命じられたトロイは、小川での写生大会に子供達を引率する事になった。

 しかし遊びたい盛りの子供達はすぐに写生に飽きてしまって川遊びを始めてしまう。

 引率役が怖い教師や大人の神官であったなら子供達もある程度は自重したであろうが、生憎トロイはまだあどけなさを残す少年だった。

 トロイの云う事も聞かずに彼らは裸になると川に飛び込んだ。もはや事態の収拾を諦めたトロイはせめて事故が起きないように見守ろうと川に近づいた。

 無邪気に遊ぶ子供達を微笑ましく見ている中、トロイは自身の異変に気付いて愕然とすることになる。

 まだ性に目覚めていない幼い子供達が男女入り乱れ裸になって嬌声を上げている様を見ている内に股間に激痛が走った。

 見て確かめる必要はない。自分が子供達の裸に欲情し、はち切れんばかりに勃起している。その事実にトロイは絶望した。

 一緒に泳ごうと誘う子供達に答える術はなかった。隆起する股間をローブで隠し、痛みに耐えるのが精一杯だったのだ。

 その夜、トロイは夢を見ることになる。夜陰に紛れて幼い子供を攫い、幼少の頃に偶然見つけた廃墟、即ちカムフラージュされた秘密通路にある一室で思うがままに蹂躙する夢だ。

 性別は関係無かった。性を知らぬ純粋な子供であれば男女の拘りは無い。むしろ少女より少年の方を好んだものだ。恐怖と苦痛に泣き叫ぶ幼い命の最期の迸りを感じながらトロイは何度も果てた。

 そして夜が明ける。飛び起きるように目が覚めたトロイは全身が寝汗に濡れ、何故か裸になっていた。なんて夢かと汗を拭っていると教会で騒ぎが起こっていることに気付いた。

 昨夜、子供が裸同然の男に攫われたと親達が口々に叫んでいるのだ。事情を聞いた司祭はすぐさま神官達を集め、子供達の探索を命じた。

 早朝から日が暮れるまで懸命の探索をしたにも拘わらず、子供達はおろか犯人と思しき裸の男の情報すら得られなかった。

 トロイは胸騒ぎが止まらなかった。深夜にこっそり修道院を抜け出すと、幼かった頃の記憶を頼りに隠された通路を探す。

 それは遠い記憶そのままに雑多に置かれた荷車の後ろに隠された入口があった。

 中は暗かったが念の為に持ってきていたランプのお陰で何とかなったが、問題は闇では無い。

 トロイは懐かしい記憶と()()()()()()を頼りに扉の一つに辿り着く。

 初めトロイは開ける事のみならずドアノブに触る事すら忌避感を覚えていた。この扉を開けたら何かが決定的に壊れるような予感があったのだ。

 逡巡している内に扉の奥から幽かにではあるが子供の泣き声が聞こえたような気がした。

 

 生きている!

 

 頭の中では開けるなと警鐘を鳴らしていたが、子供を救わなければという思いが勝り、蹴破るように扉を開けた。

 そこは地獄だった。床だけではない壁や天井に至るまで顔料をぶちまけたかのように赤黒く染まっていたのだ。

 そして数人の子供達が血塗れで横たわっており、既に事切れているのが見て取れた。

 誰もが恐怖と絶望の表情を浮かべている。限界だった。トロイはその場で嘔吐する。

 

「……い……で」

 

 トロイは顔を上げる。

 そうだ。子供の声が聞こえたはずだ。

 トロイは必死に子供達の体を検めた。皆が皆、凄惨な暴力を受けた痕があって痛々しい。

 正視に耐えない思いではあったが、一縷の望みをかけて生存者を捜す。

 

「……い……で」

 

 いた!

 祈るような気持ちで、否、実際祈りながらまだ少年とも呼べぬ幼児を助け起こす。

 この子も惨たらしい傷を負っている。特に性器の損傷が酷かった。

 助けなければと治療魔法をかけようとするが、幼児はトロイの顔を見て恐怖の叫びを上げた。

 大丈夫だ、助けに来た、と云い聞かせても幼児は弱々しくトロイの腕から逃げ出そうともがく。

 出血が酷い。早く治療をしなければ折角今まで生き存えていたのに手遅れになる。

 それなのに幼児は最期の力を振り絞るようにトロイから逃げようとしていた。

 

「……い……で」

 

 そしてトロイは何故、この幼児が自分から逃げようとしているのか知ってしまう。

 

「こない……で……あくま」

 

 僅か一瞬だった。 

 幼児から悪魔と呼ばれ、ほんの一瞬ショックを受けている間に幼児はトロイの指に噛み付いたのだ。

 

「おにいちゃんは……あくま」

 

 その先は覚えていない。

 気付いた時には幼児の命の灯火は消えていた。

 口の中に何かある。血の味がした。手に吐き出すとそれは幼児の舌だった。

 トロイはそれを再び口に含むとゆっくりと呑み下す。

 もはや忌避感は無かった。この胸に去来するのは歓喜しかない。

 トロイは、福澤遼太郎は身悶えするほどの幸福感を表すかのように雄叫びをあげたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「最期に教えて下さい。今日の一連の流れはボクをここで始末する為の仕掛けだったのですか?」

 

 やや憔悴してはいるものの、憑きものが取れたように落ち着いた様子でトロイが問う。

 福澤遼太郎であった頃では理解できなかった己の罪だったが、今ならはっきりと自分の異常性が認識できるようになっていた。

 認識してしまった以上、もう自分を許すことはできない。先程の醜態が嘘であったかの如く覚悟が定まり、心も凪のように穏やかだった。

 

「まあな、普通に捕らえても良かったンだが、それだと子供達が哀しむからよ」

 

「子供達……」

 

「お前、修行の合間に貧民街の子供達になけなし給料から食い物を買ってやったり玩具を作っては配ってたンだってな? 知ってるか? お前はこの界隈の子供達の間じゃ“おもちゃのお兄ちゃん”って呼ばれて大層な人気なんだってよ」

 

 トロイの子供好きは決して変態嗜好というだけではなかったのである。

 純粋に子供達が元気に遊ぶ姿を見るのが好きだった。友達と仲良く笑い合う子供達が眩しかったのだ。

 子供達が自分の作ったおもちゃを手に“ありがとう”と云ってくれるのが嬉しかった。

 貴族もなく貧者もなく楽しそうに遊ぶ子供達を思い出し、トロイは知らずに頭を抱えていた。




 トロイ、観念する。
 誤解がないように申し上げますが、チートを貰った転生者が莫迦をやるのは私の作品の中での話であって他作品のチート転生者へのアンチテーゼではありませんので悪しからず。
 神が転生勇者を使ってミーケやクシモを攻撃するのは第壱章のようにミーケがいらん事をしたせいではなく、慈母豊穣会が星神教に迫る勢いで力をつけているのと、昔ミーケが神器を破壊した事で神の力が失われた事件があり、神々の中でも下の方が勝手に“こいつヤバイんじゃね? でも俺らが推す勇者がミーケを斃したら上からの覚えも良くなるんじゃね?”という感じで独断で動いているだけです。
 しかも『淫魔王』を崇める邪教は滅ぼすべしとタチの悪い正義感に囚われています。
 だから転生勇者が後を絶たず、そのたびにミーケは「またか」となるのです。

 さて、次回はトロイにいよいよ裁きを下します。
 何故、トロイを生かしておいたのか、との答えにもなりますのでお楽しみに。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第伍章 慈悲深き罰

『しかし貴様らも少しは自分達の崇める神を敬えよ? 早朝、いきなり余の寝所に現れて叩き起こすや、腹に血糊を仕込んだ晒しを巻くわ、記者が使うような速記で書かれた台本を寄越して、覚えておけと抜かすわ、まだ着替えも終わらぬ内にベンツに押し込んで拉致するわ、ソレが神に対する仕打ちか?』

 

「しゃーねぇだろ。子供を犯さねぇと次の日の晩には鼻血が出るような奴がナオの機転で誘拐に失敗したンだ。早く始末をつけなきゃ何をするか分からねぇと思ったンだよ」

 

 クシモの苦言をミーケはあっさり斬り捨てる。

 それが二人の信頼関係のなせる業なのか、単に己が神をぞんざいに扱っているだけなのか、トロイには判断がつかなかった。

 

『余の裸を見た信徒が魅了され性欲が暴走したら何とする?』

 

「アンタの身の周りに鏡は無ェのか? 人を魅了したかったらケツと二の腕のセルライトを何とかしろ、ボケ! あと三メートル以上近づくな、鮮度の落ちた烏賊と腐ったチーズの臭いがするンだよ!」

 

 あんまりと云えばあんまりな言葉に呆然とするトロイに枢機卿は、いつもの事よ、気にするな、と笑った。

 余談だが、クシモの名誉の為に云わせて貰えばミーケの云っている事は事実無根である。

 天地魔界に比類するもの無しと謳われる程の美貌を持ち主であり、その肢体の悩ましさたるや人は云うに及ばす、魔王や神々すら虜にするほどだ。

 しかし今のクシモに取って愛すべきはミーケただ一人であり、常にあわよくば彼を物にしようと目論んでいる。

 ただ残念ながらミーケにその気は無く、ついでに云えば、男は勿論、女からすらも求められるクシモの美貌もミーケからすれば“好み”ではないのだ。

 他者が見ると蠱惑的で堪らないという微笑みだが、どうもミーケからすれば“人を小莫迦にしたような薄ら笑い”に見えて腹が立つらしい。

 それ故かミーケにクシモの誘惑は有効ではなく、仮に夜這いなど仕出かそうものなら長年磨き上げてきた三池流制圧術か魔女ユーム乃至母アルウェン仕込みの魔法で迎撃されるのが常である。

 そしてクシモ御付きの侍女達は彼女を回収するたびに戦慄するのだ、ミーケの手によって()()()されたクシモの無惨な姿を見せつけられて。

 

「あのような姿にされて封印もされなければ死にもしない我らが神が凄いのか、あのような目に遭わせておきながら決して命を奪う事は無い叔父貴が恐ろしいのか。相手を殺す事なく屈服させて捕らえる三池流制圧術・宗家の面目躍如と云ったところかの」

 

 クシモがどんな目に遭ったのかは分からないが、きっと勇者アルウェンと戦った時より酷い事になっていたのだろうと想像せずにはおれない。

 ミーケとはつい今し方会ったばかりだが、何故かそう感じたトロイだった。

 

「話を戻そう。応接間にクシモの姐さんをスタンバイさせるとワシはトロイ、お前さんを呼びにやった。後はお主の知る通りよ」

 

 そこでトロイは三池組の存在を虚実を織り交ぜて知らされる。

 

「ではクシモ様が『淫魔王』から地母神へと変わられたくだりは……」

 

『いや、あれはあれで腹の立つ話でな。この男、余の配下に加わる際に抜かしおったわ。“色魔の三下じゃ世間体が悪いからせめて地母神の信者にしろ”とな。しかも“地母神として使えるか試してやるから手始めに家の裏手にある畑を耕して来い”とも云いおったわ』

 

 その場にいた全員が固まった。

 トロイもそうだが枢機卿や神崎、浮き世離れしたおシンですら呆れてミーケを見る。

 当のミーケは臆するどころか平然と煙管に刻み煙草を詰めている始末である。

 

「叔父貴……その話は初めて聞いたぞ。アンタ、どこの世界に豊穣を司る神その人に畑を耕せという信者がおるのだ」

 

「ソレ、お袋にも云われたぜ。でもな? ウチの『淫魔王(ボス)』はお袋と親父に負かされて四半世紀以上封印されていたンだぞ? 復活したとしてまた魔王に復帰出来ると思うか? 普通、後継者か何かが台頭してきてボスの座に収まってるモンだと思うだろ? 仮にテメェの国に帰れたとしてだ。居場所がなくて辺境に押し込まれて捨て扶持で飼われる可能性もあったろうよ?」

 

 そんなのに仕えるのはゴメンだ、と教皇は盛大に煙を吐き出してから云った。

 

「だったら地母神(オヤジ)担いで新しい組織作ってのし上がった方が面白ェじゃねぇか。折角地母神やってた実績があるンだ。現世利益を武器にすりゃ、おはようからおやすみまで暮らしを見つめるだけの星神教の神を相手にしても勝ちの目はあんだろ?」

 

 ケケケと笑うミーケに三池組の幹部衆は呆れると同時に、その剛胆さに感服もした。

 

「つーか、何度も脱線してンじゃねぇよ。でよ、俺はトラのスマホを通じて頃合いを見計らって礼拝堂にカチコミをかけた。そうすりゃ瀕死のオヤジを逃がす為にテメェも否応無く地下に逃げるしかねぇ」

 

「スマホって……」

 

「使えるぜ? 魔界の大魔王にして月と魔を司る神『月の大神』ってのが居るンだが、そいつが大の新し物好きでよ。莫迦みてぇに無駄、あ、いや、絶大な魔力でこの世界は勿論、魔界や地球にまでネットが繋がるようにしちまいやがったのよ」

 

「だ、大魔王……『月の大神』……」

 

「これ以上、脱線する気はねぇぞ。兎に角、若手の神官の活躍は良かったな。身を呈して参拝客を逃がし、尚且つ多対一の状況を作りながら三池組の組員を数人やっつけやがった。あいつらは将来物になろうよ」

 

 教皇は若い神官達の頑張りを褒め称える。

 しかし急に不機嫌に顔を歪めた。

 

「けどよ、あの司祭はなんだ? オロオロと逃げ惑うわ、参拝客を護ってた神官に“そんなのは良いから私を護れ”と喚くわ、見ていてむかついたンだけどよ」

 

「ああ、年功序列で司祭になったという男だな。ワシも司祭にして良いものかと司教

から相談されておったが、そうか、やはりその程度の奴であったか」

 

「ったく、参拝客が俺の用意したエキストラだったから良かったものの本物だったら大恥掻いてたところだよ。しかも対テロを想定した抜き打ちの演習だって種を明かした途端に腰を抜かして泣き喚くわ、漏らすわ、垂らすわ、エラい騒ぎだったぜ」

 

「では降格か除名にでもするかの?」

 

「いいや、ただ放逐するのも問題ありそうだ。ま、しばらくは俺が実家の道場で直々に鍛え直してやるよ」

 

 クシモと幹部衆が憐れむように合掌するのでトロイは、ああ司祭さまはこれから地獄を見るんだな、と我が身の状況を忘れて同情した。

 それにしても、あの襲撃が自分を追い立てるだけでなく、司祭さまや神官を鍛える演習を兼ねていたのかと、そのそつの無さにただ感心させられた。

 

「次に出番が回ってきたのが私です。トロイ君がどれほどのチート能力を持っているのか、どれだけ前世の記憶が残っているのかを探るのが役目でした」

 

 神崎が慇懃に一礼をする。

 先程はガタイが大きく見えたが、今はスラリと痩せた長身の貴公子然としており涼しげな雰囲気を纏っている。

 訝しむトロイの様子を察したのか神崎はニコリと笑って種明かしをした。

 

「先程は我が社が開発したパワードスーツを着込んでいたので大きく見えたのでしょう。恥ずかしながら私は頭ばかりで戦闘はからきしでしてね。どんなチートを持っているか分からない敵を前にして生身で立つ度胸はありません」

 

「あの時は逃げて正解だったぞ。何せあのスーツの中にはテーザーガンやらグレネードランチャーやら50ミリ機関砲やら仕込まれておったからの。下手をすれば蜂の巣どころか死体も残っとらん」

 

「50ミリって対人の装備じゃないですよね?! 無痛ガンだって7.62ミリですよ?!」

 

 どんなチート能力を得たところで耐えられるものではない。

 枢機卿の云う通り戦わなくて良かったと心底思うトロイであった。

 

『こやつはミーケの親友だった男の孫だ。察しろ』

 

「あ、はい」

 

 神崎の祖父もミーケと馬が合うくらいなのだから尋常ならざる仁なのだろう。

 遠くを見つめるクシモから察するにかなりの苦労をかけられたに違いない。

 他の魔王達に何度頭を下げに行ったかなぁと呟くクシモの背中はかなり煤けていた。

 

「福澤遼太郎は共に罪を償うと云ってくれた御両親を殺してお金を奪うような男でした。なので伝承だけならトロイ君も知っている『最後の種族間戦争』を脚色してオヤジがアルウェン女史を殺したというシナリオを追加したら君がどう反応を示すか見てみたかったのです」

 

『あの時、貴様が見せた義憤は演技ではなかったようだな。だが、首の折れた老婆の人形を見た反応で前世の記憶が蘇りつつある事も理解した』

 

 全てはトロイを追い詰める為の芝居だったのだ。

 トロイを慕う子供達を傷つけないが為に、チート能力を持つ危険な転生者を確実に葬る為に彼らはここまでやるのである。

 

 シャラン。

 

「そしてやっとやつがれの出番が回ってきたワケでさ。この目眩のおシンのね」

 

 錫杖の輪を鳴らしながら黒衣の少女、否、少年が進み出た。

 

「おシンの錫杖は怖ェぞ。こいつが一度(ひとたび)シャランと鳴らせば、どんな大店(おおたな)の金庫でも開き、顔を見た奴らの頭ン中からおシンの顔が綺麗さっぱり消えるときた。変装、演技も得意でな。またの名を百化けのおシンという」

 

 子供達の幻影もあのおぞましいペットボトルも全てがおシンの作りだした幻だったのだ。

 今も尚ブーツ以外は裸でいるのだけは現実であるようだが、出来ればそれも幻であって欲しかった。

 

「どんなに胆の太い奴でも裸にしちまえば逃げるに逃げられないでしょうよ。それに裸にされた羞恥や不安、心細さから口も割らせやすいですしね」

 

「況してやテメェは子供達を犯し、嬲り殺しにしているからな。自分がやった事をやられるかも知れねぇって心理も働いて効果はバツグンだろ?」

 

 実際、トロイはすっかり縮み上がっている股間を手で隠しながら正座をしている。

 彼らからはトロイを拷問にかけようとする気配は感じられないが、自分が子供達にしてきた事を思えばそうされても文句は云えないと考えているのは確かだ。

 

「神崎の旦那に子供を模した人形を拵えて頂いたのは目眩しの下準備の為でさ。まあ、何もない所でも幻を作れるは作れやすがやはり素体があった方がやりやすいんでやすよ」

 

 おシンは猫背となり、顔を突き出すようにトロイへと近づける。

 

「あの人形達、実は福澤に殺された子供達の顔がモデルなんでやすよ。貴方様はそれに見覚えがあった。事実、福澤の太腿には千枚通しで逆襲された痕があったそうでやすよ。つまりは貴方様の中の福澤が完全に蘇った瞬間だ」

 

「た、確かに僕はその後、恐怖に駆られて逃げ惑いました。得手勝手な理屈を叫びながら世を呪い、如何にしてこの窮地から脱するかを考えながら走り続けたのです」

 

 しかし今の自分はどうだろうか。

 先程、福澤遼太郎の煮え滾る汚物のようなドス黒い感情に身を任せていたのに、今の自分は最早逃げる気も起こらず、彼らからの制裁を待ち望んですらいる。あれだけ世を呪い、生き汚く逃げ回っていたのにだ。

 

「順を追って説明してやるよ」

 

 教皇が神官見習いの前に出てしゃがんだ。

 その際、これ以上は控えよ、と煙管を取り上げようとしたクシモの額に殴り付けるようにして火皿を押し付けている。

 痛みと熱で額を抑えてのたうつクシモを見てトロイのこめかみにデフォルメされた汗が浮かんだ。

 

「酒は俺にとってのガソリン、ニコチンは知恵の泉だっつったろ、ボケ!!」

 

「よ、宜しいのですか?」

 

「神を崇拝する心持ちが敬虔なら問題無ェよ。現に餓鬼の頃、毎日祈っただけで封印が解けたんだから効果はあるンだろうよ」

 

『うう……毎日毎日、“守り神さま”と余に祈りを捧げてくれたあの純粋で可愛かった月弥はどこへ……』

 

 さめざめと泣く顔面にペットボトルを投げつけられた挙げ句に、鬱陶しいと睨らまれるクシモがなんだか憐れに思えてきた。

 

「あと月弥じゃねぇよ。三池だ、三池」

 

「叔父貴、もう七十年も昔の話であろう。そろそろ許してやれい」

 

 どういう事かと問うトロイに枢機卿は答えた。

 

「叔父貴が幼い頃、山の中で迷子になった事があったそうでな。その時、念話で叔父貴を封印されていた自分の所へ導き、同時にアルウェン婆にも念話を送って迎えにこさせて事無きを得た事があったそうでな」

 

「アルウェン婆……あ、そうか。教皇さまの甥御さまなら枢機卿さまはアルウェン様のご令孫に当たるのか。あ、いや、それなら地母神さまは恩人ならぬ恩神じゃないですか」

 

「そこには恩を感じているよ。けど後がいけねぇよ。“守り神さま”と懐いた俺に有ろう事か、“我は人々から忘れられた哀しき神。礼がしたいと云うのであれば毎朝毎夕祈りを捧げ、我を慰めておくれ”といけしゃあしゃあと抜かしやがってな」

 

『ミーケの祈りは素晴らしかったぞ。日ごとに力が回復し、一年経つ頃には分身や使い魔を作りだし活動できるようになっていたからな』

 

「当時の俺は阿呆の極みでな。雨晒しじゃ可愛そうだと社を作ってやったり、綺麗に掃除してやったり、供物もくれてやったっけなぁ」

 

 ミーケはジロリとクシモを睨む。

 クシモは罰が悪そうにしているが、それを枢機卿がかばった。

 

「騙されて折角両親が封印した魔王を復活させてしまった悔しさは分かるがいつまでも怨むことはあるまい? 復活してからの我らが神は叔父貴に尽くしてきたではないか。地母神をやれと云われれば他の魔王との折り合いが()しゅうなろうとも神となったであろう。これだけ滅私の心で叔父貴に償っておるのに未だ許さずは如何なものか? 叔父貴、これ以上は男を下げるまいぞ」

 

「いや、トラよ。お前、勘違いも甚だしいぞ。俺が騙されたのもオヤジを復活させちまったのも何とも思っちゃいねぇよ、当時は腹立たしくあったけどな」

 

「では何故クシモの姐さんに冷たく当たる?」

 

「あのな、魔界には『月の大神』を中心にそれを守護する九柱の魔王がいるのは知ってるだろ?」

 

「うむ、九本の尾を持つ狼という『月の大神』の姿に因んで『一頭九尾(ナインテール)』と呼ばれておるな」

 

「その『一頭九尾』がよ、どういうワケか俺の事を構い倒すんだよ」

 

『ミーケは可愛いからな。しかも魔王達を前にしても物怖じせずプレゼンも完璧、魔界全体を商売で繋いで豊かにした功績は誰にも真似はできぬ。その上、強い者がこれ即ち偉いという単純にして崇高なルールを尊重する魔界にあってミーケの強さは群を抜いておる。つまり魔王達からすれば放っておく理由がないのだよ』

 

 エヘンと胸を張るクシモにミーケは苦虫を噛み潰したような顔になった。

 

「張っ倒すぞ、テメェ。でだ、例えば俺がコイツを旅行に連れて行ったとするだろ? するとどこから聞き付けてきやがったのか、“クシモばかり狡い。余も連れて行け”と騒ぎ出すンだよ」

 

『考えてもみよ。王なんてものをやっているとプライベートなど無いに等しい。少々出掛けるだけで御付きやら護衛やらをゾロゾロと引き連れねばならぬ。先触れを出し、場所によっては規制をかけねばならん。旅を愉しむどころではないわ』

 

「だからって何で俺が魔王連中の面倒見なくちゃいけねぇンだよ? しかもこないだ『騎士王』と『盗賊王』を連れて温泉に行ったら、『騎士王』の側近共に、“清廉なる我が君を有ろう事か盗賊の守護者である『盗賊王』と相部屋にするとは何事か”って云われたンだぜ? なんで少ない休日削って旅行に連れて行ってやって文句云われンだって話よ」

 

 冷たくしているばかりかと思えば一緒に旅行に行く事はしているらしい。

 しかもねだられるままに他の魔王達も旅行に連れて行き面倒を見ている事から、言葉では何だかんだと云いながら仲は良いのだろう。

 

「するてぇと三池のオヤジがクシモの姐さんに優しくしないのは、姐さんに何かしてやると『一頭九尾』の御歴々が羨ましがってオヤジにねだってくるからだと?」

 

 おシンの問いにミーケは忌々しげに頷いた。

 

『ミーケの企画する旅行は面白いからな。山海の珍味に舌鼓を打ち、その地ならではの酒に酔い、素晴らしい景色に心を奪われ、人々と触れ合い、童心に帰ってアクティビティを思いきり楽しむ。雁字搦めの生活を送る魔王達にとって最高のガス抜き、癒やしなのだよ』

 

「かといってしょっちゅう連れてけって云われても困るし、それで内政が手につかないようじゃ本末転倒だ。だから俺は条件を出したンだよ。一つ“口喧嘩程度なら仲裁するが旅行先で人様に迷惑をかけるようなら二度と旅行には連れていかない”、二つ“領民を苦しめる愚王とは縁を切る”、三つ“民衆の幸福度を見て旅行に連れて行く優先度を決める”ってな」

 

「なるほど上手い事、考えやしたね。この条件なら旅行を円滑にする為に魔王同士で仲良くしようとするだろうし、民衆を幸せにしようと努力するようになるでしょうよ」

 

 トロイは思案する。

 これ、罷り間違ってミーケを斃してしまったら『一頭九尾』と呼ばれる十柱の魔王達に刻み殺される事になるのでは?

 今の自分では逆立ちしても傷一つつけられないだろう事は分かっているが、想像してしまって背筋を震わせた。

 

『殺しはせぬよ。ただ尻から糧を食し口から排泄するように内臓の位置を変えてやるだけだ。その上で千年の寿命と無限の再生能力をくれてやろう』

 

 クシモの壮絶な笑みを見せつけられてトロイは息を飲んだ。

 ミーケに弄られている姿を見てつい忘れていたが、彼女はかつて百年以上前に世界を滅ぼしかけた程の強大な魔王なのだ。

 その力は未だ健在、否、ミーケの祈りと信徒の信仰によってより強くなっているに違いない。

 トロイは思考を読まれていた事も相俟って恐怖に駆られて平伏した。

 

「からかうな。折角特殊清掃員まで雇って綺麗にしたのに失禁でもされたら敵わん。異世界への出張費用、口止め料上乗せでいくら払ったと思ってンだ?」

 

「三池流門下生であることを差し引いても、否、門下生だからこそ奮発するのが叔父貴だからな」

 

 云われて気付いたが、確かに見覚えのある部屋だ。

 偶然にもこの部屋に逃げ込んだのか、おシンの幻に誘導されたか、或いは子供達に呼ばれたのかも知れない。

 トロイはその資格は無いと思いつつも、両手を合わせて自分が殺してしまった子供達の冥福を祈らずにはおれなかった。

 

「さて、随分と脱線しちまったが今のテメェの状況を教えてやる」

 

「は、はい、お願いします」

 

 ミーケがトロイに向き直ると、彼は居住まいを正した。

 

「テメェが信の字からの幻術を受けて気絶している間にお前の魂を二つに分割した」

 

「た、魂を分割?!」

 

「おうよ。今回の元凶が星神教のクソ女神である事もあってか、上位の神々も協力的でな。その力を借りてお前さん、即ちトロイと福澤遼太郎の二つに魂を分けたのよ」

 

 だから今のお前の心はドス黒い感情が薄れているはずだ、と教皇は云う。

 トロイは自分の胸に手を触れる。確かにあの人の持つ悪意を濃縮したかのような吐き気を催すほどの醜悪な感情は無くなっていた。

 しかし、同時に文字通り半身を失ったかのよな喪失感も覚えていた。それでいて福澤遼太郎の人生の記憶もまだ残っていたのだ。

 

「まあ、神さん達が魂をどのように分けたかは知らんが、少なくとも福澤の持つ邪悪さや変態的性癖は二度とお前の中には現れねぇはずだぜ」

 

 教皇ミーケがトロイの肩に手を乗せてぐっと顔を近づける。

 

「つまり再びテメェが悪事を働いた時はテメェ自身が邪悪に染まったって事だ。そこンとこは、善く胆に銘じておけよ?」

 

 三池組・組長の三白眼に凄まれてトロイは十秒たっぷりかけて漸く掠れた声を振り絞って「はい」と答えた。

 数多くの勇者を屠ってきた歴戦の剣客に睨まれて返事が出来るだけ大したものだ、と老枢機卿はトロイを褒めたものだ。

 

『おいおい、そなたが脅してどうする。見よ、かわいそうに随分と縮こまって、まるで萎びておるようではないか』

 

「見たくもねぇやい。でよ、分離した福澤の方は星神教の神の手によってきっちり地獄に送られていったぜ。“もう一回、転生させろ”だの“トロイ(そいつ)は何故、地獄行きじゃないんだ”だのうるさかったが、降格して地獄の獄卒になった元クソ女神共々地獄へと引き摺られていったよ」

 

 さりげなく密かなコンプレックスを抱いていた部分を太腿で挟んで隠しながらトロイは最大の疑問を口にした。

 

「あの、福澤が地獄に落ちたのは分かったのですが、何故、ボクはまだここにいるのでしょうか?」

 

「まあ、疑問に思うわな。ただ地獄に落とすならわざわざお前と福澤を分離させる必要は無ェ。けどお前の事を許したワケでも無ェぜ」

 

「そなたはな、これから償いの旅に出るのじゃよ。長い長い旅にのぅ」

 

「償いの旅……」

 

「今回の事件に限らず子供というのは命を落としやすい。病気、怪我、災害、飢餓、戦争、暴力、数え上げたらキリがありませんが幼児の死亡率はかなり高い。だから七歳になって初めて社会の一員と認められるのです。“七歳までは神のうち”とは善く云ったものですよね」

 

 神崎がトロイの前に服を置く。

 ミーケに顎で促されて着てみると、それは慈母豊穣会公式の巡礼衣装だった。

 

「お前はこれから幼くして死んだ子供達の霊を慰める旅に出ろ。福澤やお前の犠牲者だけじゃない。事故や病気、飢えで死んだ者。この世に生まれることが出来なかった水子。それだけじゃねぇ、理不尽な暴力に苦しんでいる命も救え。親がいない子、亡くした子を保護しろ。それがお前に課す罰と心得ろ」

 

「各地にある慈母豊穣会の教会に行けば宿泊、路銀の補充、保護した子供達の引き受け、諸々協力を受けられるように手配してあります。莫迦正直に贖罪の旅と称しては風当たりも強いでしょうからオヤジから特務を受けて巡礼をしているという事にしておきましたので君も含んでおいて下さい」

 

 神崎の言葉にトロイは居心地の悪い心境になる。

 確かにありがたい話ではあるのだが、その厚情を受ける資格が自分にあるのかどうか……

 

「勘違いするな。慈母豊穣会の支援は飽くまで子供達の保護、供養の為だ。その責務の担い手に早々と野垂れ死にされたとあっちゃあ困るンだよ。それにこの任務はお前の償いだと云ったろ? さっさとくたばって楽になられちゃ罪も(すす)げめぇ」

 

「そなたに渡した杖はそのまま使え。ワシの杖を持つという事はそのまま枢機卿(ワシ)のお墨付きを得ておるという事よ。それに罪人扱いの男が救出にきたところで保護される側も素直には応じまい。含んでおけとはそういう意味でもある」

 

「ありがとうございます。ボクが手にかけてしまった子供達の魂の安息の為、この御恩に報いる為、生涯をかけて償いを致します!!」

 

 トロイは万感の想いを込めて教皇達に向かって頭を下げたのだった。




 ついにトロイと福澤に罰が下る。
 福澤と女神の末路は良いとしてトロイへの罰は賛否あると思います。
 半ば福澤に体を乗っ取られたようなものですが、それでもトロイの意思はあったので無罪は無いかと。
 まあ、期限の無い罰なので、これも慈悲と云って良いのか私自身迷いが残っていたりしますけどね。
 皆様のご意見がありましたら是非ともお寄せ頂けると嬉しいです。

 後、読み返すとかなり話が脱線してとっちらかった印象が拭えません。
 これは私の悪いクセなので今後、修正していけたらと思います。

 次回は仕掛けが終わった後の弛緩した空気の中でおシンとクシモ、魔界がミーケとどう関わっているのか語る半分ギャグ回をやって、エピローグに繋げていきます。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第陸章 仕掛けの後にて

 平伏するトロイの肩にそっと手が置かれる。

 顔を上げると表情の無い顔でおシンがじっと見詰めていた。

 

「そう気負う必要はありやせんよ。罪人だからといって幸せになってはいけないなんて道理はありやせん。やつがれだって昔はオヤジとは何度もやり合ったものでやすが、今ではこうして組を持たせてもらってやすからねぇ」

 

「あー、やったなぁ……悪戯を仕掛けては仕返しをされて、悪戯をされては仕返しをするってレベルから真剣勝負(ガチンコ)まで……俺が慈母豊穣会を組織したように召喚勇者や転生勇者を騙くらかして集めて勇者連合なんて組織を作って組織対組織の一大抗争もやったっけなぁ」

 

『あれは酷い戦いであった。慈母豊穣会と勇者連合の双方が互いに消耗していく中、おシンだけが平然と高みの見物をしていてな』

 

「やつがれは勇者でも何でもありやせんからね。勇者どもがばったばった斃されようと些かの痛痒も感じやせんでしたよ。むしろ、いつまで待ってもオヤジに隙を作る事が出来ない勇者連中に苛立ちを覚えたもんでさ」

 

 目眩しの術を用いた各々の勇者が思い描く理想の美女或いは美男子との甘美な記憶をエサに呪縛し使役するおシンは、人でありながら『幻魔王』との異名を取り恐れられていた。

 魔法では無いので如何なる魔法障壁も意味を成さず、武器は錫杖の音と言葉であるが故に盾も鎧も用を成さない。

 しかもおシンの術の仕掛けは音だけではなく、錫杖に反射させた光や小袖に描かれた彩り鮮やかな蝶や花を舞わせているかのような振り付けでも幻惑させる事が出来るという。

 おシンの幻術を防ぐには強い精神力を持って撥ね除けるしか無いのだが、ソレを体験している当人には現実と幻想の区別が不可能なのが問題なのである。

 ミーケでさえおシンの幻を受けて、落とし穴に誘導されただの、女風呂に突撃させられただのといった辛酸を舐めさせられたのは一度や二度では無い。

 それだけでも厄介なのだがおシンには自分の代名詞とも云える幻術以上に頼みとしている切り札が存在する。

 その切り札こそ錫杖に仕込んだ豊前の刀匠・真典甲勢(しんてんこうぜい)が鍛えた二尺六寸(約八十センチ)の剛刀であり、先祖伝来の霞流剣術であった。

 戦国時代に生まれた相手を鎧ごと叩き潰す実戦剣法と繊細な居合術の妙技を併せ持つ霞流の遣い手であるおシンはミーケとの真剣勝負において彼の脳裏に何度も『死』をちらつかせる程であったという。

 

『おシンの幻術から奇跡的に逃れ、神器である甲冑を着込み、馬上槍を持って神馬に跨がり突進してくる怒れる勇者を馬ごと叩き斬る様は凄まじかったな。アレには余を含めた『一頭九尾』全員が賞賛し、人中の魔王と称え『幻魔王』の称号を贈ったものよ』

 

「まあ、最終的にはオヤジに負かされちまったんでやすから、今となってはその称号も名前負けの象徴でやしょうけどねぇ」

 

「今だから云うが『幻魔王』の称号授与式を企画したのは俺でな。『一頭九尾』から要請されたとあっては流石のおシンも無下に出来ないと踏んだンだ」

 

「ほう、オヤジが……嬉しいでやすよ。やつがれに勝つ為にここまでの大仕掛けを用意してくれていたんでやすからねぇ」

 

 意味が分からないトロイの為にミーケはざっくりと説明する。

 剣の腕では遙かに上をいき、幻術を操るおシン相手に勝つヴィジョンが浮かばなかったミーケは、おシンを絶賛する魔王達を見て一計を案じたという。

 ならばいっその事、正式に『幻魔王』の称号を与えて祝福してやれば良い。嫉妬の念が無いと云えば嘘になるが、そうすれば俺もおシンを相手に素直に腹を割れるだろうとまで云った。

 その言葉を受けて『一頭九尾』は、善く云ったとミーケを褒め、これを機に慈母豊穣会と勇者連合の抗争を手打ちとしようと請け負った。

 

「そうなりゃおシンものこのこと魔界に出向いてきやがってな。式典の前に沐浴をして身を清めてくれと云われれば、警戒心の強いおシンも錫杖を手放しゆるゆると着物を脱ぐって寸法よ」

 

「油断していたんでやしょうね。やつがれが魔界の侍女衆に体を洗われているとね、不意に背後で水音がして何者かにヘッドロックをかけられたんでやすよ。ええ、オヤジでしたよ」

 

「流石のおシンも錫杖や小袖が無ければ目眩しの術は使えねぇ。いくら身体能力が高くても基本戦術が剣術のおシンなら無手同士の勝負は不慣れだろうと踏んだのよ」

 

「対してオヤジの三池流は相手を殺さずに制圧・捕縛する技が基本でやす。一流の剣客であり、超が十も二十もつく超一流の魔法遣いであると謳われているオヤジでやすがね。実際は素手の戦いの方が望む所だったんでやすよ」

 

「こうなったら逃がしやしねぇ。男同士、人を交えず一対一、お互いフリチンの大勝負よ」

 

『教皇ともあろう者がフリチンはよせ。だが、あの時、何故わざわざそなたまで裸になったのだ? それこそ完全装備で挑めばもっと楽におシンに勝利できたであろう?』

 

 クシモの疑問に枢機卿は、分かっておらんなと云った。

 

「勝つ見込みが無い相手に策を用いて裸にまでしたのだ。その上で完全武装で挑むのは叔父貴に取って恥の上塗りでしかない。だからこそ最終決戦は自分も裸になろうと決めておったのだ」

 

「ま、後で卑怯者の誹りを受ける覚悟で臨んだ喧嘩だったが楽しかったよ。裸になってもおシンは強かったしな。まさか幻術破れ、刀折れた時を想定して徒手の技、忍びの技まで修得してるとは思わなかったがな」

 

「霞流は合戦場で生まれた実戦武術でやすから無手の技くらいありやすよ。それに本音を云えばやつがれも結構面白かったでやすよ。いくらド突こうが投げ飛ばそうが必死に喰らいついてきやしてね。しかも戦えば戦うほどへばるどころか、やつがれの攻撃に対応出来るようになってきやしたからねぇ。まさか戦いながらパワーアップするとは思ってもみませんでしたよ」

 

『最後は金的への膝蹴りだったな。咄嗟に両手で防御しようとしたおシンの頭が下がったところに、膝を伸ばしながら軌道を変えて顎へ足刀を叩き込む三池流『燕流脚』は見事であったぞ』

 

 地力ではおシンに劣ってはいても一流派の宗家が放つ渾身の蹴りである。

 的確に顎へクリーンヒットすれば然しものおシンも脳震盪を起こして意識を手放してしまう。

 その後、ミーケは『一頭九尾』の前に出頭し、全てはおシンを斃す為の策であり、裸の相手に不意打ちをして勝利した事を告白した。

 魔王達からどのように痛罵されようとも受け入れるつもりであったし、罰を与えられても甘んじて受けるつもりだったが、ミーケを待ち受けていたのは感謝の言葉だった。

 

『ミーケとおシンの戦いは実は『月の大神』によって中継されてリモート観戦されていたのだったなぁ……天女の如く麗しい少年同士が生まれたままの姿で戦うなんてそうそう観られるものではない。眼福であったわ』

 

「ガチで魔王共、ダメ過ぎだろ。揃って賢者に転職しやがってよ。大魔王サマに至っては人間形態になって慈愛の表情を浮かべながら鼻血垂らしてやがったからな」

 

 一糸纏わぬ体を豊かな銀の髪で覆う女神像のような神々しい姿ではあったが、右の拳を高々と掲げ真っ白に燃え尽きている様はミーケをげんなりとさせた。

 他の魔王も似たり寄ったりであり、女性或いは両性具有の魔王達は“シンツキてぇてぇ。これで我が軍は百年戦える”と恍惚の表情を浮かべながら紙に凄まじい勢いで何やら書き込んでいる、或いは描き込んでいる始末であったという。

 比較的まともだったのは男性の魔王達だったが、飽くまで比較的であり、“あの『幻魔王』相手によう勝った”と目尻を下げて好々爺然としてミーケを褒めるだけだった。

 精々が『騎士王』と呼ばれる武と礼節を重んじる魔王が、おシンとの戦いにおける問題点、技の拙さ、悪癖の改善点を述べたのが説教らしい説教だといえた。

 

「魔王がてぇてぇて……」

 

「いや、俺がオヤジの世話になり始めた頃は皆威厳のある魔王ばかりだったンだぜ? けど、何でかなぁ、いつの間にかあんなんなっちまってなぁ」

 

 呆れるトロイにミーケはフォローにならないフォローを入れる。

 

『そなたが“人間を理解するにはここが一番”と『月の大神』を秋葉原に連れて行ったのが元凶だと思うぞ。天界で純粋培養され、魔界の者達の首根っ子を抑える為に魔界の頂点に据えられて以来、一歩も城から出た事の無い世間知らずを何で選りにも選ってアキバに連れて行くかね』

 

「あー……“魔界よ。これがニッポンだ”って悪ノリした時か。けどよ、そのお陰で魔王連中は日本贔屓になって魔界の地下資源を日本にタダ同然で売ってくれるようになったンだぜ? 魔王連中には原油もレアメタルも無用の長物だからな。今や日本は世界随一の資源大国だ」

 

 お陰で所得税も学校、病院など公共施設の利用もタダだぜ――と、カラカラ笑う教皇に地母神は頭を抱えた。

 

『だから何でそなたはそういうオソロシイ事を平気で……』

 

「良いじゃねぇか。俺を相方に選ンだのはアンタだ。誰も損はしてねェしさせる気も無ェ。アンタだって今や『一頭九尾』の序列は大魔王に次ぐ第二位だ。あと一歩でアンタを大魔王にしてやれる。主孝行の良い忠臣を得てアンタは幸せモンだ」

 

 どの口が忠臣と云うか、とクシモは肩を落とした。

 

「叔父貴、魔王の手下になるのが嫌で姐さんを地母神にしたのではないのか? それなのに姐さんを大魔王にしてどうする」

 

「俺は色魔のパシリにされるンが嫌なだけであって上司が大魔王になるのは吝かではないぞ。それに今の大魔王だって月と魔の神サンを兼任してンだぜ? 地母神と大魔王の両立くらいウチのボスならやれるだろ」

 

『勘弁してくれ。確かにそなたの祈りと信徒達の信仰により余の力は増大しているがな、『月の大神』に取って代わろうなどという野心は持ってはおらぬぞ』

 

 欲が無ェなと肩を竦めるミーケに、クシモは欲ならあると答えた。

 

『そなたが我が元に馳せ参じて七十年の時が流れたが余は一度もそなたに抱かれた事は無いぞ。地母神に返り咲いてはいるが今でも余が精を欲する時がある事はそなたも承知しておろう」

 

「承知しているからこそ、たまにお高めの寿司屋に連れてって鱈とか河豚の白子を喰わせてやってンだろが」

 

「ほう、サッキュバスとは白子でもいけるのか」

 

『そんなワケないだろう!! 生白子でも数十秒は火を通すのだぞ。旨いのは認めるが精液は得られぬわ!! そもそも余はミーケに抱かれたいのだ!!』

 

「いや、何かサッキュバス抱いたら変な病気貰いそうで怖いから嫌だよ。それにアンタの裸は何度も見せられちゃあいるが、ふたなりはちょっとなぁ……あと、淫紋って云ったか? あれ、刺青みてぇでドン引きしちまってよ。無理だわ」

 

『お前、終いには泣くぞ?! 余の事をそのように思っていたのか?!』

 

 自分を袖する理由を聞かされてクシモは本当に泣きながらツッコミを入れた。

 しかし、そこは男を堕とす事にかけては一級のサッキュバスである。

 次の瞬間には高笑いを上げて踏ん反り返った。

 

『ならばそなたの好みを云うが良い!! 余の力を持ってすればそなたの好みに合わせこの姿を変える事など造作もない事』

 

「いや、好み云々の前に性病が怖いって云っただろ。俺ァ鼻っ欠けになるのはゴメンだぜ」

 

『偏見の持ち過ぎだ!! よその淫魔は知らぬ。だが余と眷属達の体は毒素や病原体を浄化する能力があるゆえ安心して抱くが良い!!』

 

「ん? って事はアンタの体を調べれば性病の万能ワクチンを作る事も可能か? そういう事は早く云え!! 新たなビジネスチャンスじゃねぇか!!」

 

『だからそういうオソロシイ発想はやめいと云うとろうが!!』

 

 製薬会社に勤務する三池流門下生に連絡を取ろうとするミーケの肩を掴んでクシモは激昂する。

 見ればミーケはクシモの事を上気した顔で見詰めている。

 それが恋慕や性欲ならクシモとしても望むところだが、その瞳にあるのはハートマークではなく“¥”や“$”であるのだから悲しくもなるというものだ。

 

「あ、俺は今、無性に拘束衣を着て血を抜かれる事に悦びを感じる女の子と研究所にランデブーしたい気分だ。どこかにそんな女の子はいないかなぁ?」

 

『おるかぁ!! チラチラ見ても可愛くないわ!! どこの世界に主を研究所送りにしようとする忠臣がいる?!』

 

「アンタの目は節穴か? 目の前にいるだろ。アンタもかつては散々悪さをしてきたンだ。その罪滅ぼしに文字通りの献身をしてみてはどうよ?」

 

 余はまだ償えておらぬのか――地母神は愕然として教皇を見た。

 まあな、と答えるミーケはどこから出したのか算盤を弾いている。

 

「アンタの血を元に回春剤を作った時は王侯貴族や富豪に莫迦売れだったからな。貴族ってのは変態が多そうだし、きっと人には云えねぇ恥ずかしい病気を持ってるに違いねぇ。ワクチンを作れば大ヒット間違い無しだぜ」

 

『鬼か、お前はぁ?! しかもちゃっかりと何を作っておるのだ?! というか余の血なんてどこで手に入れた?!』

 

 叫び過ぎて、ぜいぜいと肩で息をしているクシモにミーケはしれっと答える。

 

「夜這いにきたアンタをギッタンギッタンにした時だな。ちょっとは考えろよ? 今日も一日疲れたなぁ、早く寝ようって思ってる時にド紫のベビードール着たオバハンが布団に潜り込ンでたら普通に殺意が湧くだろ? ファ○リーズしてもアンタの体臭は中々落ちなくて大変なんだよ、この妖怪イカチーズが」

 

『お、おま……云うに事欠いて妖怪イカチーズて……』

 

「叔父貴も叔父貴だが姐さんも姐さんじゃな」

 

 枢機卿の言葉はそこにいる人間の総意だった。

 

「因みに教皇さまの好みの女性ってどんな感じなんですか?」

 

 手で顔を覆って泣き始めてしまったクシモを慮ってか、トロイがミーケに水を向ける。

 

「んー……単眼、泣き黒子があればなお結構だな」

 

「オヤジも十分変態ですよ……」

 

「莫迦! いくらオヤジでも一つ目にはなれねぇだろ? これで諦めてくれりゃあ良いンだがよ」

 

 ボソッと呟いた神崎の脇腹を肘で小突きながらミーケは小声で云った。

 

『そうか、これがそなたの好みの女か』

 

 いきなり泣くのをやめて顔から手をのけたクシモの言葉に振り返ったミーケ達は……

 

「「「「「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああっ!!」」」」」

 

 ギョロリとこちらを見る巨大な一つ(まなこ)に悲鳴を上げて一目散に部屋から逃げ出したのだった。




 仕掛けの後のだらだら話で御座います。
 おシンはガチでやったらまずミーケでは勝ち目はありません。
 ミーケよりも強いのはいくらでもいる、間近にもいるという演出のつもりでしたが、成功してるのかな、コレ?

 『一頭九尾』は基本、ミーケに激甘です。
 マスコットのような扱いと思えますが、魔界でも稀有な能吏であり、トップレベルの武人でもあるミーケは魔王達からすれば可愛がるに十分な資質の持ち主です。
 彼が可愛いだけなら身向きもされません。魔界の住人は強く賢くてナンボです。
 ちなみに魔界は、クシモとのカップリングとおシンとのカップリングが最大派閥だったりしますが、中には少数ながらアルウェンとのカップリングを推す危ない集団もいるとかいないとか(おい
 あと無用の長物なら何故、地下資源をタダでくれないのかと云えば、発掘する者達への労働報酬であり、日本円の獲得が目的です。

 ミーケのクシモに対する扱いは概ねこんな感じです。
 ただ憎からず思っているのは確かなのでクシモがアプローチを変えればもう少し違う結果になるはずです。
 ちなみに旅行に行く時は普通にアルウェン夫婦も参加しています。
 今ではクシモとアルウェンは差し向かいで一献傾け合うほど打ち解けています。

 さて、次回からはエピローグです。長くなるので前後編に別れます。
 それではまた次回にお会いしましょう。


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エピローグ・前編

『はっはっはっはっ、それはそれは一本取られましたね』

 

「そこまで笑う事ァねぇだろ」

 

 タブレットに映る涼しげな風貌の少年に笑われてミーケはむくれっ面を見せた。

 目尻に涙まで浮かべて笑う少年はミーケに劣らぬ白磁のような白い肌を持ち、手入れの行き届いた艶やかな黒髪をポニーテールにしている。

 目鼻立ちも女性的で美しく、どことなくミーケの面影が見て取れる。むしろミーケから幼さが消えて垢抜けてくれば少年に似てくるだろう。

 

『日頃から彼女をからかっているから思わぬ所で逆襲されるのですよ。もう少し素直になっても良いのではありませんか? クシモの復活から約七十年、ずっと見てきましたが、彼女なら安心して君を任せられると思っていますよ』

 

「カッ、かつてアンタらと何度も死闘を繰り広げた相手だぜ? ソレに息子が手籠めにされても良いのかよ?」

 

 吐き捨てるように笑うミーケに少年はニコニコと微笑んだままだ。

 

『昔の復讐に凝り固まったクシモだったならそれこそ彼女を殺してでも月弥クンを取り戻しましたけどね。今の慈悲を纏った地母神どのなら私も好ましく思いますよ』

 

「昔のねぇ……俺は山ン中で助けられた頃からの“守り神さま”しか知らねぇからなァ」

 

『君に取ってのクシモが慈母の神である事が大事なのですよ。わざわざ過去を掘り下げるなんて味のない話です』

 

「違いねぇ。女の過去を暴くなんざ味ない味ない。けどこのまま“守り神さま”の手に落ちるってのも癪な話でな」

 

 素直になれない我が子に父親は苦笑するが、内心ではそれほど危惧はしていない。

 口こそ悪いが我が子月弥は心根が優しく、誰が相手であろうと平等に接する事ができる器の大きな男だ。

 事実、彼の元には人間だけではなく、星神教では侮蔑の対象であるオークやゴブリンまでもが集まり慈母豊穣会の盟に五分の扱いで加わっている。

 プネブマ教で信仰されている精霊からも信頼が厚く、魔界の者達からも信用を勝ち取り愛されているという。

 かつての魔界は暗黒の世界に押し込められた邪悪なる者達の怨念が渦巻いており、隙あらば地上の人間や天界の神々に取って変わろうと虎視耽々と機を伺っていたそうだ。

 一応、『月の大神』が強大な力で押さえ付けていたのだが、それでも限界があり、苦肉の策として増えすぎた人間が奢り世界を蹂躙するたびに『神罰』という形で魔王達に地上を侵攻させて人口と文明を調節していたのだ。

 これを『魔王禍』と呼び、数十年から数百年ごとに魔王に地上を攻めさせ『勇者』によって事を収めるという出来レースの中で魔界のガス抜きも兼ねていたのである。

 百年前のクシモの侵攻も『魔王禍』の一つに過ぎず、クシモは復讐心を利用されて人口を適正数まで減らし、傲慢になっていた星神教上層部に猛省を促す事に成功していた。

 この『魔王禍』の恐ろしいところは魔王達に出来レースをやらされているという自覚は無く、人類側にも魔界に関する知識、伝承をリセットさせて次回の『魔王禍』への事前の対策をさせないというものだった。

 本来であれば月弥がクシモの配下となり魔界の一員となったとしてもその流れは変わらないはずであった。

 しかし月弥が魔界に召喚されて『一頭九尾』の前に引き出された時に楔が打ち込まれたのだ。

 『月の大神』が大魔王であり月と魔を司る神である自分を崇拝せよと命じた際、月弥はこう返した。

 

「崇拝するのは良いよ? でも僕にとって神様も仏様も“守り神さま”も鰯の頭も一緒くただけどそれでも良い?」

 

 当時まだ幼かった我が子の言葉に別室で様子を伺っていた父親とアルウェンは揃って絶句してしまう。

 昔から物怖じのしない子であったが自分を囲うように並ぶ魔王達、果ては真正面からじっと見据える大魔王に少しは感じるものがあっても良いはずだろう。

 現に『月の大神』を鰯の頭と同列に扱うと明言する月弥に魔王達から鋭い眼光が飛んできているのだが、我が子はいささかも痛痒を覚えている様子は無い。

 

『鰯の頭を崇めるか』

 

 憤る魔王達(逆にクシモは青ざめていた)を制して『月の大神』が問うと月弥は節分に門口に挿す柊鰯について説明する。

 柊の枝に鰯の頭を挿しておくと、鰯の臭いに悪鬼が誘われ、柊の葉の棘で目を刺されるので、この家には入れないと悪鬼が恐れて退散するのだと得意げに語った。

 そんな事があるかと嗤う魔王達に月弥は焼いた鰯の頭を柊の枝に刺した物を用意させて『月の大神』の目の前でソレを振って見せる。

 自分を簡単に丸飲みしてしまうような巨大な狼を前にする月弥に両親やクシモは気が気ではなかったが、当の月弥はペットと遊んでいるかのように無邪気に笑って居る始末だ。

 初めこそ平静だった『月の大神』であったが、やがて月弥の手の動きに合わせて視線が行ったり来たりするようになり、次第に首まで動くようになっていく。

 ついには鰯の頭の美味しそうな匂いに耐え切れず口を大きく開けてしまうが、巨大な舌に柊の棘が刺さると悲鳴を上げて大きく飛び退った。

 

「ね? “鰯の頭も信心から”って善く云ったよね」

 

 ケラケラ笑う月弥に居並ぶ魔王達は愕然としていたが、『騎士王』が、見事であると褒めたのを皮切りに次々と賞賛が飛んだ。

 一方、柊に舌を刺された『月の大神』は、そのあまりの痛さに“門口に柊と鰯の頭を挿す事を禁じる”事を魔界の法に新たに加えるべきかと真剣に考えていたという。

 横から聞こえる大きな溜め息に父がふと見れば、アルウェンが顔を青ざめさせながらも安堵の表情を浮かべて座り込んでいた。

 

『汝の鰯を信じる心は理解した。だが我とクシモ、その双方を崇める事はならぬ。クシモへの信仰を捨てよ。崇拝する神は己が守護神のみで良い。我は月そのもの、夜の闇の恐怖から汝を救ってみせよう』

 

「僕がどの神様を拝もうと僕の勝手でしょ。だいたい信仰心なんて形はないし量も限りとか無いじゃない。普段からお寺や神社に詣でているし、いつも精霊さんと魔法の練習しているし、クリスマスだってするんだよ? 今更、“守り神さま”と狼さんが増えたってどうって事ないんだから纏めて面倒見てあげるよ」

 

 どんと来い、と胸を叩く月弥に『月の大神』ら『一頭九尾』は揃って大口を開けて固まった。

 『月の大神』の出自は複雑である。魔界においては大魔王ではあるが、同時に月を司り、魔界を守護する星神教の女神でもあるのだ。

 つまり魔界に連なる者達は世界的には世に仇なす絶対悪の象徴であり、同時に『月の大神』を崇拝する敬虔な星神教徒でもある。

 だからこそ彼女は新たに配下に加わった者には大いなる加護を与える代わりに信仰を求めるのだ。

 しかしながら今、目の前に居る幼い少年はクシモへの信仰も捨てず、しかも『月の大神』をも崇め奉ると宣言した。

 のみならず精霊信仰も持ち合わせているし、どうやら他にも信仰があるようだ。

 その上でこの少年は気負うこと無く云ってのけたのである。

 一柱なんてケチな事は云わずに纏めて面倒を見てやる、と。

 そう、この月弥という少年、一つの宗派に囚われる事がない()宗教というオソロシイ一面を持っていたのだ。

 しかも彼の中では多くの宗教が渾然一体に消化され、整理され、矛盾することなく構築されているのだろう。

 

「あ、そうそう、僕の家、先祖代々真言宗だから狼さんに祈る時も般若心経になるから了承しておいてね』

 

 そう云うや、月弥はいまだ呆然とする『一頭九尾』を尻目に早速般若心経の内容をニコニコとレクチャーするのだった。

 

「折角祈っても意味が分からないんじゃしょうがないもんね。えっとまずはねぇ、そもそも般若心経って正式には仏説摩訶般若波羅蜜多心経と云ってね……」

 

 こうして大魔王と魔王達を相手に始まった般若心経の講習は意外にも好評で、その教えは魔界中に広がっていくことになる。

 後年、『月の大神』から星神教へと伝わる事になり、それが慈母豊穣会を星神教に認めさせる遠因となっていくのだから世の中分からないものである。

 

『いやあ、あの時は我が子ながら末恐ろしいと思ったものです。アルウェンなんて自分の命と引き替えにしてでも、この死地から脱して見せると覚悟を決めてましたからね』

 

「ああいう連中はおべっか遣ったところで気に入られるモンじゃねぇからな。遣う気もさらさら無かったしよ。ただ舐められたら終わりだって覚悟だけはしていたさ」

 

 幼い頃から既に無邪気さの中にもしっかりと反骨精神が備わっていた月弥に父親は苦笑いするしかないが、内心どこか誇らしくもあった。

 

『君はあの当時から朝起きると、まず切腹の作法から稽古して、自分はもう死んでいる。だから何が起ころうと恐れる道理は無いと覚悟を定めてから一日を始めてましたものね』

 

「命ってヤツは惜しみ過ぎると却って命を縮めるからな。俺がチート転生勇者のバケモノ共相手に今日まで生き残ってこれたのも、その覚悟のお陰さ。奴らは貰ったチートで面白可笑しく生きる事が目的だから生き汚くなる。だから必要以上に安全を確保しないと戦えないンだ。それが大きな隙を作る原因になるンだよ」

 

『親としてはもう少し自分の命を大切にして欲しいところですけどね。救いは君の覚悟というものが、ただ命を投げ捨てるものではなく、死の恐怖を克服するものだという事です。そういう意味では他者から貰った力を誇示する自称勇者よりも君の方が勇者を名乗るに相応しい』

 

 親としては複雑ですが、師としては誇らしいですよと笑いかける父親に月弥は、さいですかと横を向いた。

 父は愛息の耳まで真っ赤になっている様子に噴き出しそうになるが、それをすればむくれて当分通信してくれなくなるのが分かっているので何とか堪える。

 

『そう云えば例のトロイ君でしたか。彼は無事に旅立てましたか?』

 

「あ? ああ、福澤の名残なんざ欠片も見せず意気揚々と行っちまったよ。密かに奴に懸想していたらしい一つ上の女神官が追って行っちまったらしいが、まあ問題は無いだろ。孤独で辛い償いの旅をするより、二人寄り添う巡礼の旅の方が良いに決まっている」

 

 普段からトロイに厳しく接していた先輩神官が、教皇からの特命を受けてトロイが旅立ったと聞くや否や止める周囲を振りきって追いかけてしまったと聞いた時は然しもの月弥も驚きを隠せなかった。

 闇雲にトロイを捜す女神官を不憫に思った枢機卿がトロイと引き合わせ、改めて二人して旅立つ事を許可したという。

 

『トラちゃんらしい粋な計らいですね。月弥クンが自慢の息子であるようにトラちゃんもやはり私の自慢の孫です』

 

「いい加減、ちゃん付けはやめてやれ。孫がいる手前、自分の孫よりも若く見える祖父に頭を撫でられるのは勘弁して欲しいとよ」

 

『おや、それは困りましたね。私からすれば孫はいつまでも可愛い孫なのですが』

 

 愛する妻アルウェンと共に生きる為、クシモ討伐の褒美に星神教の神から彼女と同程度の寿命を授かった父は困ったようには見えぬ涼しげな笑みを浮かべるだけだ。

 

『それにしてもトラちゃ…寅丸クンも善く旅をするトロイ君を見つけられましたね?』

 

「まあ、トラがあいつにくれてやった杖にはGPSが内蔵されてるからな。流石に野放しにはしねぇよ」

 

 他にもボイスレコーダーやカメラも装備されており、何かトラブルに見舞われた際には慈母豊穣会の教会で映像や音声データを証拠として提出する事も可能であるという。

 善く見ればUSBやSDカードの差し込み口までも隠されていたそうで、音楽も聴けると説明された時はトロイも感心したものか呆れたものかわからなくなったそうな。

 

『なるほど、しかし心配なのは、その先輩の女の子が追って行ったのは…その『ニコポ』でしたか? ソレに当てられての事ではありませんよね?』

 

「その心配は無ェよ。福澤と分離させた際に余計なチート能力は封印しちまったからな。今のアイツは精々が(つね)の人より若干魔力と体力が高いだけの普通の男だ。仮にかかっていたとしてもとっくに無効化されている。つまりあの女神官の好意はガチなんだよ」

 

 彼女も最初は覚えが悪ければ要領も悪いトロイに少なからず苛立ちを抱いていたが、周囲のからかいや孤児である事にも負けずに頑張る彼の姿に次第に絆されていったらしい。

 また忙しい修行の合間を縫っておもちゃを手作りしては貧しい子供達に配って一緒に遊んでいるトロイの優しさに惹かれていったのだそうだ。

 

『なんとも甘酸っぱい、嬉し恥ずかし青春エピソードですね。それなら心配する必要は無さそうです。いやあ、初めはつんけんしていたアルウェンが徐々に心を開いてくれるようになってきた頃を思い出しますよ』

 

「親の惚気なんざ聞きたかねぇや。つーか、あの子煩悩で孫や曾孫にデレッデレのお袋にそういう時期があったのかい」

 

『出会った頃のアルウェンは長い年月、迫害されてきた為にかなり荒んでいましたからね。星神教の神々に勇者として召喚されたばかりの私を“神々のおもちゃ”と呼んで蔑んでいたくらいです』

 

「マジか? はぁ……毎日、毎日、ブラックコーヒーが甘ったるくなるくれぇいちゃついて、未だに夫婦で風呂に入って、夏場でも布団は一つってぇお袋がねぇ」

 

 月弥は改めて、女の過去は分からんもんだ、と感心した。

 余談だが、月弥は慈母豊穣会の教皇という立場にあるのだが、本人にとっては三池流宗家である事こそが本分である為、実は実家住まいである。

 行事や商談などに多少は左右されるが基本的には内弟子達の朝稽古を監督し、それから教会或いは三池組事務所へと出勤するという形を取っている。

 そして何事も無ければ夕方に帰宅し、通いの門下生達の稽古を見るというかなりハードな一日を送っていた。

 今、現在はトロイの事件のせいで三月(みつき)ばかり帰れていないが、それでも遅くても週に一度は通信をしないと心配する両親が異世界に乗り込みかねない。

 もし、そうなってしまったら月弥は非常に困る事になる。教皇や組長としての威厳に傷が付くという単純な話ではない。

 それというのも、この両親、二人だけの世界で完結していれば良いのだが、入浴の際に月弥まで浴室に連れ込もうとするほどに彼を溺愛しているのだ。

 そればかりではない。夜ともなれば和室には壊滅的に似合わないキングサイズの天蓋付きベッドにまで引き釣り込もうとするのである。

 しかも二人とも就寝時は裸で眠るタイプなので、月弥としてはとてもではないが落ち着いて寝ていられるワケがなかった。

 

「いい加減、子離れして欲しいンだけどなァ……」

 

『そうは云いますけどね。月弥クン、半妖精の君は本来ならばまだまだ親の庇護の元、平穏な暮らしをしているべきなのですよ? 君はドワーフとエルフの血を強く引いているから矮躯なのではありません。正真正銘、幼い子供なのです。本音を云えば、家に軟禁してでも魔界との繋がりを断ちたいくらいなんですよ』

 

 人間社会で育ったせいで大人扱いされているが、エルフやドワーフなどの長命種から見ればやはり月弥の処遇は異常であると云わざるを得ないという。

 しかし数多くの実績と類い稀なる強さ、反骨精神の裏に隠された優しさに惹き付けられた者達が月弥に平穏を望まなかった。

 三池組とて裏社会から慈母豊穣会を護る為に組織されたと表向きにはなっているが、実際は表社会で居場所を失った者達の受け皿としての意味合いが強い。

 その意味をしっかりと理解しているのは大木直斗くらいなもので、月弥を汚れ仕事から遠ざけようとしているのは彼だけである。

 他の者は大なり小なり月弥の懐の深さに甘えているのが実情であり、神崎政延など数多くの装置や武器を開発し三池組に貢献しているようで実際は完全に趣味人であり、月弥が資金を融通していなければ祖父が築き上げた神崎エンジニアリングはとっくに潰れている。

 おシンに至っては潜在的な意味で敵のままであり、隙でも見せようものならすぐさま月弥への復讐を始めて三池組延いては慈母豊穣会を乗っ取ろうとするだろう。

 枢機卿・東雲寅丸ですら厄介事を抱えては月弥に解決を依頼する側で、年齢が上であるという事もあってか彼が子供である事など考慮の埒外なのである。

 

「軟禁て……」

 

『君の姉と妹が常人より少しばかり老いが遠い程度である事に対して、君だけがほぼ妖精に近い存在である事を密かに思い悩んでいる事は知っていましたし、申し訳ないという思いはありますがね。それでも私とアルウェンは君の幸せを願っているのですよ』

 

 必要なら寅丸クンだろうと君から遠ざけます――父親の目から笑みが消え、凄みが顕れた事で月弥は思わずタブレットから身を引いた。

 

『その事はクシモにも伝えてあります。彼女もまた君が幸せになれないのなら魔界とも決別し、慈母豊穣会も寅丸クンと眷属達に引き継がせて自らは去る覚悟をしています。信仰で力を得られても君が不幸になってしまうのなら、それは害悪でしかないそうですよ』

 

 想像していなかった両親と主の覚悟に二の句が継げない月弥に父親は続ける。

 

『実際は魔界にしろ慈母豊穣会にしろ簡単に切り離せないでしょうし、これまで培ってきた絆というものがあります。何より君自身、無責任な事はしなくないはずです。しかし、いざとなればそれを実行するだけの覚悟があるという事だけは覚えておいて下さい』

 

「お父さ…あ、親父……」

 

『惜しい。昔みたいにお父さんと呼んで欲しかったのですが』

 

 普段通りの穏やかな表情に戻った父親に月弥は安堵する。

 常の月弥であったなら失言をとぼけるなりして内心の動揺を悟らせないようにしていたのだろうが、相手が尊敬する師であり親愛なる父親である為か上手く取り繕う事ができないでいた。

 父親もソレが分かっているので引き際を見定めてこれ以上からかう事はしない。

 話題は戻る事になるが月弥に云っておかねばならない事を口にすべきとも思ったのだ。




 教皇ミーケこと三池月弥ですが、実は元勇者の両親とは仲良しだったというオチです。
 月弥としてはそろそろ子離れをして欲しいところなのですが、親にしてみれば月弥はまだまだ幼い子供なのだからもっと甘えて欲しいといった感じです。
 これも長命種が人間社会で生活する弊害のひとつなのでしょう。
 ちなみに月弥はエルフ乃至ドワーフの国に行くつもりはまったくありません。
 理由としては、彼らとの確執ではなく、“あんな山深くて不便なところグランピングだって嫌だぜ”との事です。

 さて、いよいよ次回で第壱部の締めとなります。
 次回投稿後、アンケートを設置しますのでご協力お願いします。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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エピローグ・後編

『話は戻りますが、私とアルウェン、勿論クシモもですが今回のトロイ君の一件、君の事を本当に誇らしく思っているのですよ』

 

「あん? 何が? 転生勇者をやっつけるなんざいつもの事だろう?」

 

『トロイ君を許した事ですよ。何もわざわざ福澤氏と分離させずにそのまま地獄送りにしても良かったはずです。しかし、君は本当は八つ裂きにしても飽き足らないと思っていたはずのトロイ君の苦悩を察し救ってみせた。君自身も多分に思い悩んだはずです。その中で許しの道を選んだ。なかなか出来る事ではありません』

 

「お、親父……まさか知っていたのか?」

 

『あの事件で行方不明になっていた子供達を三池組まで動員して捜索している君の鬼気迫る表情(かお)を見ればね、親でなくとも察しますよ。友達だったのでしょう?』

 

 父親の指摘に月弥の滑らかな頬をすーっと一筋の雫が滑り落ちる。

 『一頭九尾』は当然として慈母豊穣会の信徒や三池組の組員、寅丸ら幹部衆にさえ見せた事のない涙であった。

 

「アイツは良いヤツだった。まだ十歳にもなってないのに聡明で優しかった。弱いクセに苛めっ子から友達を護ろうとする勇気も持ち合わせていたし、何より半妖精の俺を気味悪がらずに受け入れて友達になってくれたンだ」

 

 一度零れた涙は堰を切ったようにポロポロと頬を濡らしていく。

 かつての気の置けない友達が一人、また一人と天寿を全うしていく中、自分だけが幼い姿のまま置いて行かれる境遇に月弥は恐怖していた。

 どのような強敵、難敵が相手であろうと絶望する事無く、死を恐れずに突き進んでいた彼にとって近しい人達の別れこそが悲しく恐ろしい事であったのだ。

 そんな折り、赤ん坊の頃からの付き合いだった親友までもが天に召された悲しみに打ちひしがれて、当てもなく彷徨っていた月弥に声をかける少年がいた。

 声も無く泣きながらふらふらと歩く月弥が心配だったという。

 

「初めは鬱陶しいと思っていたが、餓鬼相手に大人気ないと思い直してな。しばらく話相手をして貰っていたんだ」

 

 気付けば月弥は少年に抱きしめられていた。

 少年が云うには、自分が流行り病で両親を亡くして悲しくて悲しくてどうしようもなくなった時、引き取ってくれた孤児院の先生が同じように抱きしめてくれたのだそうだ。

 

「先生の心臓の音を聞いている内に僕はいつの間にか安心していたんだ。そして先生から、“もし君のように泣いている人がいたら同じように抱いてあげられる優しい大人になって下さい”って教わったんだよ」

 

 子供特有の温かい胸に抱かれ、優しいリズムを刻む心音に心を委ねていた月弥はいつの間にか寝てしまう。

 目を覚ますとそこは少年が引き取られたという孤児院の一室であった。

 自分を囲んで心配そうに見守っている子供達に戸惑っていると、扉が開いて星神教の尼僧が食事らしき盆を持って現れた。

 月弥は迷惑をかけたことを詫びて、すぐに辞そうとするが、既に日が暮れているから泊まっていきなさい。親御さんには後で使者を送りますとまで云われて浮かしかけた腰を下ろしたのだった。

 

「あれから職員含めてその孤児院と交流が始まったンだが、みんな良いヤツばかりでな。特にアイツとは仲良くさせて貰ったよ」

 

 葛藤は当然ながらあった。

 友が次々と死んでいく現実に、新たな友を作ったところで置いて行かれる悲しみを再び味わわされるだけなのではないか、と。

 その最中(さなか)、話しの流れで死んだ友人達の事に話題が及んだ際、子供達が笑い転げてはしゃいで見せた。

 友人達と悪戯をしては共にキツイお仕置きを受けた話や、力を合わせて年上の悪童を懲らしめた話を聞かせてやると子供達は喜んだものだ。

 それで月弥はふと考える。

 友の死は確かに悲しい事だ。だが、悲しいだけではない。聞いた子供達が無邪気に笑うような楽しい思い出もまた胸に残っていた事に気付いたのだ。

 単純な話だ。人は一人では生きられない。孤独を愛する者もいるが少なくとも自分はソレに当て嵌まらない。

 この子供達もいずれは成長し、老いて自分より先に死んでいくのだろう。

 その時は大いに悲しむ事になるだろうが、きっと楽しい思い出もまた沢山残されているに違いない。

 そう悟った月弥は、自分が半妖精であると告白してもなお差し延べてくれた少年の手を掴んだのだった。

 

「アイツとはいつまでも、それこそ老いたとしても共に歩んでいけると思っていたのにな……」

 

 孤児院の尼僧が泣きながら少年がいなくなったと告げるまでは月弥はそう信じていたのだ。

 

「後でトロイの自白から知ったけど、アイツは同じように攫われた他の子供達の責め苦を受ける時間が少しでも遅くなるよう、少なくなるように自分からトロイの相手を買って出たンだそうだ」

 

 月弥は両手で顔を覆って泣きじゃくる。

 父親はそんな愛息をただ黙って見守っていた。

 

「取り戻したアイツの死体は悲惨の一言だったよ。自分が一番辛かっただろうにアイツは子供達を護る為にトロイの、福澤の苛烈な責め苦を一身に受けていたンだ」

 

 蘇生する事こそ叶わないが、損傷の酷い死体を修復し長期保存を可能とする『エンバーミング』という魔法がある。

 月弥自ら『エンバーミング』を施した際、ビデオの巻き戻しの如く修復されていく友の口内から截断された指や眼球、果てには性器までも吐き出されたのを見てしまい、血の涙を流し絶叫したという。

 

「八つ裂きにしても飽き足らない? ああ、そうとも。俺はトロイを仕掛けるその直前まで野郎を真鍮製の牛ン中にブチ込んで炙ってやるつもりだったよ。けど、アイツが…ムーティヒが云うンだ。復讐の為にツキヤが手を汚すのは嫌だって!!」

 

 『一頭九尾』の一角に『死者の王』という魔王がいる。

 彼女は悪霊やリビングデッドなどに代表されるアンデッドの軍団を束ねる王であるが、同時に自殺者や幼くして死んだ子供達など天国はおろか地獄にすら行けない魂達の引き取り手でもあった。

 自殺者の魂達は『死者の王』の元で人生とは修行の場であって自らの手で命を絶つなど言語道断であると叱責を受ける事になり、幼くして死した魂達もまた早くにして命を失う不幸を労われながらも、修行にならなかった人生を再びやり直すのだと自殺者共々魂を漂白されて転生を促されるのだ。

 『死者の王』はどうしても最期にツキヤに会いたいと云うムーティヒの願いを叶え、月弥との対面を許したという。

 そしてムーティヒの魂は復讐の鬼となりかけていた月弥を初めて会った日のように抱きしめると、ツキヤの綺麗な手が血で汚れるのは嫌だと諭したのだった。

 

「ああ、そうだ。さっき親父が俺の事を幼い子供と云ったが、確かにムーティヒの方がよっぽど大人だよ。アイツは死んだ後でも俺の事を案じ……鬼になりかけていた俺を救ってくれたンだ」

 

 ムーティヒはトロイもまた煩悩と呵責に苦しんでいると月弥に告げた。

 自分の意思ではあるのだろう。しかし何者かに操られて、したくもない事をやらされているようにも見えたという。

 俄には信じがたい事であったが、他ならぬトロイの犠牲者であるムーティヒの言葉だ。

 月弥はすぐに天界に確認を取ると、トロイの前世がかつて自分が逮捕に協力した殺人鬼、福澤遼太郎である事が分かった。

 トロイの中で福澤の人格が半端に蘇ってしまった事で、誠実なる若き見習い神官を邪悪なサディストに変貌させてしまったのだろうと推察した。

 それだけではない。恐らくトロイ自身もまた突然目覚めてしまった自分の凶暴さに苦悩し、救いを求めているのではないか。

 何よりムーティヒからトロイを救って欲しいと、ツキヤにしか出来ない事だからと嘆願されては動かないワケにはいかなかった。

 

「分かっただろ? 俺は自分からトロイを許したワケじゃない。いや、一生をかけて子供達とその霊を救えと期限の無い罰を与えているンだ。許したとは云えねぇだろ」

 

 だから誇れるようなことはしていない――月弥は懺悔をするように云った。

 

『それでも君は私の自慢の息子ですよ。少なくともトロイ君は君から与えられた罰に救われていると思います。それに彼を追っていった女の子の同行を素直に祝福できているではありませんか。それこそ君がちゃんとトロイ君を許す事が出来ている何よりの証拠です』

 

 父親の言葉に月弥は涙に濡れた顔を上げた。

 

『君が君を誇る事が出来なくとも君は私達の誇りです。三池月弥、私は君の父親になれて本当に良かったと心の底から思ってますよ』

 

「お父さん……」

 

 漸く月弥は子供のように、否、子供らしく泣くことができた。

 生涯の親友になれたはずのムーティヒを想い、愛する父に誇りであると云われた喜びに唯々大きな声を上げて泣いた。

 

「よく頑張ったね。僕もツキヤの事を誇らしく思うよ。僕達の子として生まれてきてくれて本当にありがとう」

 

「お、お母さん?!」

 

 不意にスレンダーな女性の胸に抱かれて月弥は戸惑いの声を上げる。

 金髪をトップに結い上げた小柄なこの女性こそ月弥の母であり、かつて父と共にクシモと死闘を繰り広げた勇者アルウェンだった。

 

「なんで?!」

 

『いやぁ、三ヶ月も会えなかったせいか、アルウェンが月弥分欠乏症に罹ってしまいましてね。それにずっと悲しみを心の奥に押し込めて頑張っている君に居ても立ってもいられなくなってそちらに行ってしまいました」

 

「ああ、良い匂い! 薬効成分ツキヤミンが全身に行き渡るよ!!」

 

「痛い、痛い! やめてよ!!」

 

「駄目駄目、まだ十パーセントも補充してないんだから。百二十パーセントまで満たさないうちは離さないぞ! それまで母の胸で思いっきり泣きなさい」

 

 泣くどころではない。アルウェンのアバラ骨が浮くほどの薄い胸にゴリゴリ押し付けられては痛くて堪らない。

 クシモの豊満な胸に抱かれる場合も窒息しかけて危険だが、これはこれで危険である。

 

『そのままで良いから聞きなさい』

 

「良くない! 助けてよ!」

 

『先程、寅丸クンに通話をしたところ、もうトロイ君の事件の事後処理は終わっているそうです。ですから今夜はアルウェンと一緒に家に帰ってきなさい。君の大好物の大根蕎麦を用意して待ってますよ。勿論、君の好きな外二(蕎麦粉十に対して小麦粉二)で打ってありますからね』

 

 本当はまだまだ仕事が残っているのだが、祖父に“ブラック企業じゃあるまいし働かせ過ぎでは?”と微笑を向けられて枢機卿は何故か顔を青くしてバーテンダーに振られるシェイカーの如く何度も頷いて月弥の帰宅を許可していたりする。

 孫が可愛いと云うのも本心に違いないが、まだ幼い我が子とその愛息をコキ遣う老齢の孫とでは天秤の傾きは大きく違う。誰にでも優先順位というものがあるのである。

 

「んー♪ 髪の毛も相変わらずサラサラで気持ち良い♪ こんな可愛くて良い匂いがして、それでいて色気もあって♪ もうママどうにかなってしまうよ♪」

 

「母なの? ママなの? って、なんでお尻を触るンだよ?!」

 

「本当、どうにかなりそうだ♪ やっぱり僕は“女”なんだなぁ♪」

 

「親父?! アンタの女房をどうにかしろ!! お袋の呼吸がヤベェ事になってンぞ?!」

 

 アルウェンが狙ってやったのか、単に危険を感じたからなのか、普段の反骨気質に戻った月弥が父親に叫ぶ。

 

『はっはっはっはっ、気持ちは分かりますが月弥クンもお腹が空いている事でしょう。まずは一緒に帰宅するのが先では?』

 

「それもそうだね。ツキヤミンも後で改めて補充すれば良いか」

 

 “気持ちは分かる”とか“後で”が気になるが母親が離れた事で安堵する。

 

「うんうん、改めて見るけど、その透明な白い肌、血のように赤い唇、漆黒でありながら艶やかな髪、クシモの眷属になった影響か、幼いのに肺を病んだ遊女のように色っぽいよね♪ 今度、島田を結って見せてくれないかな?」

 

「やらねぇよ!! ってか、誰が肺病持ちの遊女だ!! それが息子に母親が云う事か?!」

 

「そんな事云わないでおくれよ。ツキヤに似合うだろうと母さんは夜なべして赤い襦袢をせっせと縫っただよ? 折角、お父さん達とお揃いにしたんだからさ、親子三人で赤い川の字で寝ようよ」

 

「親父……俺、帰りたくなくなったンだけどよ」

 

 心の中で木枯らしが吹いて、指先ならぬ背筋が冷たくなった月弥が父親に訴えるが、無情にも却下されてしまう。

 

『私も月弥クンの赤襦袢姿が見たいので駄目です。それに私も着てみましたが思いの外悪くなかったですよ。差し詰め歌舞伎で娼妓(あいかた)の襦袢を肩にかける無頼になったような気分でした」

 

「というより遊女に悪巫山戯で襦袢を着せられた初登楼の若侍って感じだったね。まあ、その背徳的な姿に僕も思わずムラムラしてしまってね。つい一戦してしまったよ♪」

 

 語尾にわざわざテヘペロをつける母親に月弥は先程とは違う意味で顔を手で覆ってしまう。

 バカップルだ、バカップルだと思ってはいたが、ここまで生々しい話を聞かされるとは想像すらしていなかったのだ。

 

「益々帰りたくねぇ……」

 

『安心なさい。まだ第二次性徴どころか歯が全て乳歯の君に欲望を抱くほどアルウェンも私も理性を失ってはいませんよ』

 

「……まだ? 私も?」

 

『……安心なさい。月弥クンと離れている時間が長かった反動でアルウェンのテンションが上がっているだけです。今夜は月が綺麗ですよ。一緒に月を愛でながら蕎麦をたぐりましょう。柚子切り蕎麦もありますよ。コレも好きでしたよね?』

 

「おいこら、待てこら、云い直して無かった事にするな。しかも“月が綺麗”って口説き文句だって聞いた事があるぞ? 大丈夫か? 親子で朝チュンなんてシャレにならんからな?!」

 

「信用して良いよ。果実はね、ちゃんと熟した方が美味しいのだからね」

 

「安心も信用も出来ねぇよ!! 将来的には喰うって云ってねぇ?!」

 

『ふふ、漸く元気になりましたね。君は下手に慰めるよりこうしたコントじみた遣り取りの方が慰めになるでしょう?』

 

「綺麗に纏めてるようで安心材料なんか微塵も無ェからな?」

 

 月弥はタブレットの中の父親をジト目で睨む。

 確かに涙は引っ込み、悲しみも一時(いっとき)であろうが吹き飛んだ。

 自分の性格に合わせてくれたのはありがたいが、それでも他にやりようはあっただろうと思わずにはいられない。

 

「本当はこのまま泣かせてあげたかったんだけどね。でもここはほら、教会だろう? 神官達、況してやトラキチに泣き声を聞かれたくないのは分かっているからさ」

 

『その代わり今夜はとことん付き合いますよ。家ならどれだけ泣こうと聞く者はいません。そしてすっきりした後はお腹いっぱい食べて、お風呂で涙を流してしまいましょう。後はぐっすり寝てしまえば、明日には今日よりももっと成長した月弥クンになっているはずですよ』

 

 さあ、と差し出された母親の手を月弥はしばらく無言で見詰めていたが、やがて、この両親には敵わないと云わんばかりに頭を掻いた後にその手を握った。

 言葉にしたのだ。なら甘えて思いっきり泣かせて貰おう。その代わり明日は完全にオフにして親孝行をしてやろうじゃないか。

 柔らかく微笑みながらこちらを見詰める母親に月弥もまた微笑み返してそう思うのだった。

 そして振り返る。

 

「生まれ生まれ生まれ生まれて(しょう)の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに(くら)し」

 

 弘法大師空海上人の教え『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』の一節だ。

 自分はどこから生まれどこへ死んでいくのか。生まれるとは何か、死とは何かという一大事を、人はなおざりにして何も考えずに人生を送っている。

 生まれては死に、死んでは生まれ、何度も輪廻転生を繰り返すが、何度、生まれ変われば命の真実を悟れるようになるのだろうかという嘆きではあるまいかというのが月弥の解釈だ。

 チートに目が眩んで、躊躇い無く異世界転生を受け入れる数多の転生勇者達と(まみ)えているとこの言葉を思い出さずにはおれない。

 また新たな命へ生まれ変わろうとする魂への手向けの言葉に相応しかろうとも思っている。

 

「ありがとう。お前との付き合いは一年にも満たなかったが一生忘れないぜ。願わくば次に生まれ変わった時もまた俺の友達になってくれよ」

 

 月弥の視線の先には写真立てがあり、孤児院の子供達と撮った集合写真が飾られている。

 その中で月弥の隣で穏やかに微笑む青い髪の少年に注視し、親友ムーティヒの魂へ祈りを捧げるのだった。

 この時の月弥は知る由も無いことだが、ムーティヒの魂は転生する事無く、『死者の王』を介して『月の大神』の計らいにより天界での修行を許される事になる。

 そのおよそ百年後、月弥の守護天使となって降臨し、今度は月弥が天寿を全うするまで友情を育み、名コンビとして天地魔界の三界で名を轟かせるのだが、それは別の物語である。

 

「そろそろ行こうか? あんまり待たせるとお父さんまでこっちの世界に来てしまうよ」

 

「そうだな。じゃ、親父、今から帰るよ」

 

『ええ、寄り道せずに帰ってきて下さいね。私も早く君を抱きたいのですから。ああ、勿論、ハグという意味ですよ』

 

「だからそういう事を云うなっての! 兎に角、一旦切るぜ」

 

 月弥は苦笑しながらタブレットの電源を切った。

 すかさずアルウェンが今居る世界と地球を繋ぐ魔法を展開する。

 

「さあ、行こう」

 

 母アルウェンに手を引かれて月弥は門の形をした光の中へ入っていったのだった。




 ここまで読んで頂きありがとうございます。



 タイトルやあらすじだけ見ると悪党が主役のダークヒーローっぽいですが悪役は転生勇者側というオチでした。
 トロイも最初は善人で彼目線の話になるのかなと思わせておいて実は……という。
 今後も月弥と転生勇者の戦いが続きますが、勇者以外にも普通にと云ったら変ですが悪党も当然出てきます。
 中には転生勇者を助けるなんて展開もあるかも知れませんね。

 ちなみに月弥ですが、読んで頂いて“ん?”とお思いになられたかと思いますが、実は根っ子の部分はまだ子供です。
 元々持っている反骨心もありますが、慈母豊穣会並びに三池組のトップである事と“守り神さま”ことクシモを護る為、更には『一頭九尾』の手前、舐められないよう無頼な言葉遣いをしています。
 本来の心優しく傷つきやすい本性を見せられるのは両親とクシモだけというのが今の月弥の状況です。
 
 月弥は本当はクシモの事が大好きではあるのですが、肉体が幼すぎて生殖器が未成熟であり、性行為に対して興味よりまず怖いというのが本音です。なのでクシモに迫られるとクシモが好きという感情より恐怖が上回ってしまい過剰に防衛してしまっているというのが真相です。
 クシモも裸やセクシーランジェリー姿ではなく普通のパジャマで添い寝をせがめば月弥も初めは警戒するでしょうが最後は素直に応じてくれたりします。
 余談ですが作中、月弥はクシモの事を烏賊臭いだのチーズ臭いだの云ってますが、実際は香水をつけずとも薔薇のような良い香りが上品に漂っており、月弥も本音を云えば実はこの香りに包まれて寝るのが好きだったりします。
 まあ、花って結局は生殖器なんですけどね(おい

 あと今回の犠牲者の一人であるムーティヒですが名前の由来はドイツ語で『勇敢』を意味しています。弱い者苛めを見過ごす事は出来ず、文字通り体を張ってトロイから子供達を守り、死してなお月弥を想い心を救ってみせた彼に相応しい名前だと思っています。
 まあ、ご多分の予想通りネーミング辞典の力を借りてつけた名前ですが(苦笑

 次回からは新しいシナリオが始まります。
 その前にアンケートを設置しますので、是非ご協力をお願いします。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍部 魔女狩り騒動顛末記
第壱章 魔女との出会い


 月と星の灯りが届かぬほど鬱蒼と木々が密集する山の中、堅い物同士がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。

 一度や二度ではない。何者かが移動を繰り返しながら絶え間なく木々を叩いているのだ。

 夜毎繰り返されるこの現象を近隣の者達は“天狗の山走り”と呼んでいた。

 

「せいっ!!」

 

 一瞬、頭上の枝が途切れて月灯りが音の主の姿が(あらわ)にする。

 それはとてもとても小さな子供であった。

 両の手に木剣を持ち、立っているのも辛い急勾配を駆け上がり、密集する木々をかわしつつ木剣で叩いている。

 この修行の極意は当然ながら足腰を鍛え、如何なる状況でも剣を手放さぬ強靱な握力を獲得し、迷路のように入り組んだ木々を高速で避け続ける事で空間把握能力を得る事にあった。

 

 さて、その過酷な修行をしているのは前述したように小さな子供である。しかも、まだ少年とも呼べぬほどに幼い。

 まず顔立ちは身の丈に見合う中性的な幼顔で、肌は血管が透き通るほどに白いが、対照的に唇は紅を引いたかのように赤い。しかし当然ながら化粧っ気は無い。

 艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、首の後ろと先端で結わいている。

 幼い肢体を白い道着で包み、黒袴は股立を取り脚絆を巻いて動きやすくしてある。

 黒い安全靴を履いているが、その爪先と踵には鉛が仕込まれており、ただでさえ厳しい山駆けに更なる負荷をかけていた。

 その上で彼は自らをもっと追い込んでいるのである。

 彼の周囲を旋回するように浮遊する奇妙な球体がいくつも存在していた。

 一つは炎の球だ。いや、怪談にあるような火の玉ではなく、ミニマム化した太陽のように安定した球体を形成している。

 他にも凝固と融解を繰り返す水の球、風や小さな稲妻を纏う木製の球、砂や石、土塊が密集分離を繰り返す球体、金や銀、赤に黒と絶え間なく変色を続ける金属の球、中には光や闇の球としか呼びようのない物まであった。

 それらが彼を中心に公転する星の如く付き従っている。否、それは彼の完璧な制御によってなせる業である。

 

 やがて森が開けて彼は川原に出る。

 彼は呼吸を整えると木剣を片方手放して躊躇う事無く急流へと入り、腰が沈むまで進んでいく。

 その際、七つの球体は彼から離れるが、それでもなお旋回を続けていた。

 彼は川面に映る満月を前に木剣を下段に構えて身を切るように冷たい川の中に切っ先を沈める。

 

「せいっ!!」

 

 それはまるで夢でも見ているかのような光景であった。

 なんと水面の月が真っ二つに分かれているではないか。

 

「せいっ!!」

 

 間髪入れずに切っ先は弧を描いて翻り二つに断たれた月に襲いかかる。

 月は都合四つと相成った。

 それだけで終わるはずもなく、その後も唐竹、袈裟斬り、逆袈裟、横一文字と縦横無尽に月を斬り続ける。

 恐るべき事にそれを成しているのは真剣ではなく木剣である事だろう。しかも今宵は三日月であった。

 気が付けば東の空は白んでおり、朝陽が顔を出す頃には川面から月は去っていた。

 間を置かずに炎の球から野球ボール大の火球が撃ち出される。

 それを迎え撃つように彼が木剣を振るうと、火球は斬り裂かれて消滅する。

 今度は背後から(やじり)のように鋭い氷柱(つらら)が襲ってくるが、振り下ろした勢いのまま振り返りつつ斬り上げると、ソレもあっさりと斬られて消えた。

 次いで木の球から一筋の稲妻が放たれるが、恐ろしい事に彼の剣は常人では反応すら許されぬスピードで迫る雷光さえも真っ二つに斬り裂いたのだ。

 更に木の球は見る事が不可能である突風を撃ち出したが、それさえも彼の剣の前では二つに割かれて彼の両脇を通り過ぎていく結果に終わった。

 その後も彼は自分の顔よりも大きな石を斬り、鉄塊でさえ鏡面のような断面を見せて斬り落としたのだった。

 繰り返すがそれを成しているのは真剣ではない。観光地で売っているような平凡な木剣である。否、真剣であろうと出来る事では無いだろう。

 これはもう剣云々の話ではない。彼の持てる技術によるものと認識すべきだ。

 だがこれで終わりでは無いようだ。

 彼の四方八方を取り囲む球体達が今度は一度に複数の攻撃を行った。

 しかも光の球と闇の球も加わっての事である。

 しかし、彼はその悉くを斬り裂き、或いは避け、時には火球に対して氷の盾を生み出して防ぎ、自身の体にはたった一つの掠り傷も負う事は無い。

 もっと云えば彼の下半身は未だに川の中にあった。

 そして球体達の攻撃が始まってからきっかり十五分後、球体達の猛攻は止まる。

 彼は息も絶え絶えであったが、ついに無傷で凌いでみせたのだった。

 

「ありがとう……ございました」

 

 彼が頭を下げると、球体達は彼を労うように周囲を旋回した後、岸に戻った。

 彼は息を整えると、汗みどろとなった道着と袴、下着を脱いで川に放る。

 不思議な事にそれらは流される事無くその場に留まり、洗濯機の如く螺旋の動きを繰り返した。

 安全靴も脱いで岸に投げると、彼は汗を流す為にざんぶと潜って泳ぎ始める。

 平泳ぎに始まり、クロール、バタフライ、背泳ぎ、古式泳法と節操がないが彼は早朝の川遊びを楽しんでいた。

 その間、光の球は安全靴を優しく照らして乾かしているようだった。

 いや、ソレだけでは無い。川の中で動き回った事で傷んだ靴は修復され、目には見えないが雑菌を滅して臭いの元を断っているのだ。

 やがて体から火照りが消えて逆に冷えてくると彼は川から上がり、手招きをすれば、なんと川の中で回転していた道着が飛んできて彼の前で浮遊しながら停止する。

 

「うん、我ながら完璧♪ 汗も汚れも完全に落ちてる」

 

 彼は綺麗になった道着を見て満足げに微笑むと、炎の球と木の球を呼び寄せ、風に炎の熱気を纏わせて浮遊する道着を覆った。

 彼はあくびをすると、乾いたら起こしてね、と球体達に云うや滑らかな岩の上で横になり自らを天日干しするかのように濡れたまま寝てしまう。

 球体達は“寝るな”と云わんばかりに彼の頭上を高速で旋回していたが、やがて諦めたのかその場を離れる。

 彼らなりの気遣いなのだろう。闇の球の中から一枚のバスタオルが現れ、彼の顔に落ちた。

 

「う…ん…わかったよぉ…」

 

 咎められていることは察したのか、体を雑に拭いた後、バスタオルを腹にかけて再び寝てしまう。

 その様子に球体達は、呆れて首を横に振る仕草のように左右に揺れた。

 しばらく彼は心地良さげに眠っていたが、不意に上半身を起こし森の一角に人差し指を向ける。

 人差し指の爪に銀色に輝く付け爪のような物が出現して即座に銃弾の如き速さで撃ち出された。金の精霊の力を借りて金属の爪を敵に撃つ魔法『ネイルブリット』だ。

 

「誰? 次は当てるよ?」

 

「やれやれ、アンタの父親もバケモノじみた察知能力を持っていたけど蛙の子は蛙だねぇ」

 

 森の中から現れたのは若い女であった。

 年の頃は二十代半ばか、赤い瞳と身長の倍はあろうかという深い紫色の髪が印象的で、しかも幽霊のように宙に浮かんでいる。

 ただ早朝の爽やかな空気にレザー製の極端なローライズパンツとビュスチエ、大きな襟の付いた黒いマントが恐ろしく似合っていなかった。

 

「お姉さんは誰? 僕に用? それともお父さんかお母さんを脅す人質にするつもり?」

 

 彼は七つの球体を周囲に展開させて女を警戒する。

 両親、特に母親絡みで自分を攫おうとする輩との遭遇は一度や二度では無かった。

 もし、この女も()()()の類というのなら相応に歓迎してやると身構える。

 いきなり臨戦態勢を取る彼に慌てたのか、女は両手を前の突き出し、わたわたと振った。

 

「ちょいと待っておくれな。アタシは敵じゃないよゥ。アタシの名はユーム、アンタの母親アルウェンの師匠であり育ての親さね。あの子から聞いた事はないのかい?」

 

 その名は両親から聞いた覚えがある。

 魔女の谷と呼ばれる鳥も通わぬ死の谷に棲んでいて、占いが滅法良く当たると評判を取っているとかいないとか。

 大層な人間嫌いで魔女の谷から出てくる事は滅多にないとも聞いていたが。

 

「その人間嫌いがどういう風の吹き回しでこんな()()()の片田舎に?」

 

 周囲の球体が一回り大きくなり、炎や冷気など各々の力を活性化させる。

 

「お、落ち着いておくれよゥ。アタシは本物のユームだよ。人間嫌いは昔の話さね。今ではたまにだけど魔女の谷から出る事もあるよゥ。と、取りあえずはその可愛らしい唐辛子(隠語)を隠くしとくれ。風邪でも引かれた日にはアルウェンに合わせる顔がないよゥ」

 

 云って恥ずかしくなったのか、ユームは手で目を覆って赤面してしまった。

 見かけに反して案外純情なのかも知れない。

 彼は漸く警戒を解く。敵なら態々目を瞑るまい、と。

 それにこうも恥ずかしがられては、こちらまでもむず痒い気持ちになってくる。

 況してや見られて悦ぶ趣味もないので三池月弥は下帯を手に取った。




 新しいシナリオの開始です。 

 流れとしては、ざっくり云って、ユームとの出会いから、ユームの恋、魔女一家との交流、『死者の王』による『魔王禍』、魔女狩り、黒幕退治といった感じになるでしょう。

 さて、今回は修行時代の月弥が出てきました。
 かなりハードな事をしてますが、この後、“守り神さま”ことクシモの所で掃除をしてから、内弟子達と朝稽古をして、その後は普通に学校へ行きます。
 過労で死にそうですが、多分アルウェンが作ってくれた都合の良いエルフの秘薬か何かで回復するのでしょう(おい

 遅筆ではありますが、今回のシナリオも最後まで書いていこうと思っています。
 それではまた次回でお会いしましょう。



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第弍章 魔女の憤り、月弥の反論

「お待たせ」

 

 月弥の声に恐る恐る手をどけてゆっくり目を開けたユームは道着姿になった月弥を見てほっと安堵の息をつく。

 

「で、何?」

 

「何って……クシモ様を追って異世界まで行っちまったきり四半世紀もの間、音沙汰もなかったアルウェンがいきなり魔女の谷に姿を見せたと思ったら、こちらの世界で所帯を持ったと云うじゃないか。しかも子供どころか孫までいると云うし」

 

「そう云えばお母さん。お父さんが星神教の神様に召喚された儀式を解析して元いた世界と地球を繋ぐ魔法を完成させたって云ってたっけ」

 

「事も無げに云ってるけど異なる世界と世界を結ぶなんて神ならざる者には到底扱えない奇跡なんだからね? それをいくら才能があるとは云っても自前の魔力とあんな簡単な魔法陣一つで成し遂げるなんて……」

 

 頭を抱えてぶつぶつ云うユームに月弥はジト目になる。

 

「で、ユームお姉さんは僕に何の用があって来たの?」

 

「何の用て……我が子同然の愛弟子アルウェンが産んだ子に会ってみたいと思うのいけないかえ?」

 

「別にいけなくはないけど、態々熊や狼、挙げ句に悪霊、怨霊の類まで潜んでいる山を登ってまで来るくらいだから何かあるのかと思ったよ」

 

 家で待ってれば良いのに――月弥は首を傾げたものだ。

 

「勿論、顔合わせだけなら家で待っていれば良い。当然、アンタに用はあるのさ」

 

 ユームは月弥と同じ様に七種の球体を周囲に浮かべた。

 

「異なる属性の精霊を同時展開、同時制御する訓練はアタシがアルウェンに伝えたもの。それを孫弟子に当たるアンタが引き継いでくれているのは嬉しい事だよ」

 

 けど――ユームは小さな火球、火属性初歩の攻撃魔法『プロミネンススフィア』を月弥に当たるギリギリの軌道で放つ。

 月弥の方も当たらないと分かっているのか、微動だにしない。

 火球は川に着弾して水柱と水蒸気を上げた。

 

「アンタ、既に精霊魔法の基礎の基礎を身に着けたというのに未だに次のステップに行かないそうだね? アンタはアルウェンに魔法を教わる際に“やるからには魔法を極めてみせる”と宣ったそうじゃないか。あの子から魔法を教わって早三年、なのに初歩の初歩からステップアップしないというのはどういう了見だい?」

 

 ユームの知る若き魔法遣いは皆が皆、魔法を極めてみせると己が魔力を磨き、偉大なる精霊に認められようと努力するものであった。

 精霊魔法とは文字通り精霊の力を借りて力を行使する技術の事だ。

 火属性の魔法を遣いたければ火の精霊、水属性なら水の精霊と属性毎に異なる精霊と契約を結ばねばならない手間はあるが、それに見合う汎用性がある。

 また高度な魔法を遣いたければそれなりの地位にいる精霊と契約せねばならないが、位が高いほど簡単には契約を許して貰えず、認められるには何らかの試練を受ける必要があるのだ。

 まず師の元についた弟子は自我の薄い最下位精霊と契約を交わす。

 そして師匠の家の事を手伝いながら知識を与えられ、(すべ)を教わり、時には師の技を盗んで自身を磨いていくのだ。

 師に認められれば下位精霊との契約を許され、その段階になって漸く『プロミネンススフィア』に代表される初歩の魔法を遣えるようになる。

 では最下位精霊との契約には意味が無いのかと問われればそうではない。

 精霊と契約すれば魔法を遣わなくても常時最低限の魔力を捧げなければならぬ事実を知り、また魔力の消耗を体に覚えさせる前段階という重要な役割があるのだ。

 とまれ、初歩の魔法をマスターしたと師匠が判断すれば中位精霊との契約が許され、よりグレードが上の魔法を遣えるようになり、ここで漸く魔法遣いと名乗る事を許されるようになるのだ。

 その後、努力が実を結び、師に独立を許されると、自分が得意とする属性の上位精霊への紹介状を与えられて師の元から旅立つ事となる。

 その後、上位精霊との契約を許されれば晴れて一人前の魔法遣いの仲間入りを果たせるのだが、前述したように上位精霊ともなれば気位が高く、半端な実力者が相手では契約そのものを拒むようになる。

 故に上位精霊との契約がしたければ試練を受けて、実力のみならず知恵と勇気も備えていると示す必要があり、それをクリアした者が一人前扱いされるのも当然のことであった。

 

 さて、ユームが月弥の何に腹を立てているのかと云えば、彼の魔法に対する姿勢に他ならない。

 母アルウェンが月弥に魔法を教えようと思い立ったのが彼が三池流の修行を始めてから三年が経った頃だ。

 月弥はアルウェンからハイエルフとドワーフの血を強く引き継いでしまったが故に体格には恵まれず、また常人と比べて成長が遅く十歳を過ぎても身長は一メートルにも満たない。

 ドワーフの器用さは継承していたが、腕力はスポーツをしている同年代の女子に腕相撲で勝つ事ができない程であった。

 幸いと云って良いものか、三池流は相手の力を制して弱者が強者を打倒する流派であったので却って非力の月弥こそ三池流の本質であると云われている。

 だがアルウェンからすれば自分譲りの、もっと云えば自分以上に魔力をその身に内包する月弥が魔法を遣わないのは勿体ない事と思ってしまうのも無理もない話だ。

 ある日の事、アルウェンは月弥の目の前で火の玉を自在に操って見せて、魔法を覚えてみないかと打診を試みた。

 残念ながら月弥からの返事は、現代日本に魔法の遣い所が無い事と自分には三池流制圧術があるのでそもそも魔法は必要無いという子供らしい遠慮の無いものだった。

 しかし、父親から、遣った事も無いのに不必要と断ずるの早計ではないか、遣う遣わないは別として引き出しが多い事は悪い事では無いのではないか、と諭された事で七呼吸の間思案した後、御指導お願いしますと(こうべ)を垂れたのである。

 その際、月弥はアルウェンに、教わる以上は半端はしない。極めてみせると宣言したのだ。

 

「木、火、土、金、水、光、闇、全ての属性を操れるのは大したものだけど、どうしてそれ以上進もうとはしないんだい? 本来なら中位精霊とも契約出来ているはずだってアルウェンも嘆いていたよ。まさか極めるって言葉を反故しようってんじゃないだろうね?」

 

 月弥からの返事は無かったが、代わりに数十もの火球がまるで壁のようにユームへと押し寄せてきた。

 

「なっ?!」

 

 しかしユームを押し潰そうとするその直前、炎の壁は跡形もなく消え去った。

 

「何を怒ってるのかと思えば、随分と勝手な事を云うね。勿論、極めるって言葉に嘘は無いよ」

 

 でもね――月弥の周囲にソフトボール大の火球が複数現れる。

 

「勘違いしているようだから云っておくけど、僕にとって()()()っていうのは沢山の魔法を覚えるって事じゃ無いんだ。『プロミネンススフィア』ひとつにしても極め尽くすって意味なんだよ」

 

 火球が集まって大人一人よりも巨大な火球が出来上がる。

 ソレを見たユームの背筋は火球の熱量とは反比例するように冷たくなっていく。

 

「ほらね? 初歩の魔法だって、ううん、基礎の基礎だからこそ極めれば一度に沢山操れるし、こうして大きな火の玉にする事も出来るんだ。ステップアップ? 冗談じゃ無いよ。僕はまだまだ『プロミネンススフィア』を()()()()()()()()()んだからね」

 

 非力だからこそ月弥は基礎を大切にする。

 何故ならばその先にある奥義を含めた殆どの技が基礎の応用であるからだ。

 道場でも基礎を疎かにしている者が十の威力がある技を遣っても精々が五か六、甘目に採点しても八には届かないが、同じ技でも月弥が放てば十はおろか十二を軽く陵駕する。

 非力といっても丁寧に鍛え上げ、基礎をしっかり身に着けていれば難度の高い技でもブレる事は無いし、元々創意工夫をする事が好きで、自身の体格や力量に合わせて技を改良する事を強く推奨している流派ということもあり、月弥は三池流道場でめきめきと頭角を現すのだった。

 それは魔法においても同様であり、いくら母親が諭そうとも『プロミネンススフィア』に改良の余地がある限り月弥は更に工夫を重ねるのだ。

 巨大火球から小さな火球が撃ち出されユームの足元に着弾するや天にも届かんばかりの巨大な火柱と化す。

 

「こ、これは『フレイムピラー』?! この魔法は上位精霊と契約しないと遣えないんだよゥ?! アンタはいつの間に上位の精霊と契約していたのかい?」

 

「違うよ。『フレイムピラー』って相手の足元に発現させた火柱に敵を飲み込ませて攻撃する魔法でしょ? これも『プロミネンススフィア』の応用だよ。上位魔法って莫迦みたいに魔力を消費するから遣い勝手が悪いけど、今のなら『プロミネンススフィア』三、四発分くらいの魔力で撃てるから結構便利なんだ」

 

 ユームは戦慄する。

 莫迦を云え。何が便利だ。自分が放つ『フレイムピラー』とは比較にならない威力を出しておいて消費魔力が『プロミネンススフィア』の数発分だと?

 アルウェンも天才肌だったが、この月弥という子供はそれ以上の鬼才だ。

 

「あ、変な事考えてるでしょ? これは僕が努力して手に入れた僕だけの技だよ。才能なんてつまらない言葉で片付けられたら堪らないよ」

 

 月弥の頭上にある巨大火球が見る見る内に萎んでいく。

 否、違う。萎んでいるのではなく、凝縮されているのだ。

 

「才能だけのヤツにこんなマネは出来ないよね?」

 

 小さな点となった火球から一筋の線が放たれユームの横にある岩に当たると、一瞬にして真っ赤に染まり、バターのように融けてしまった。

 

「な…な…何をしたんだい?! 魔力の流れで何かを放ったのは理解出来たけど、見えなかった……」

 

「限界まで圧縮した炎をレーザーみたいに撃ったんだよ。相手には赤い点か細い線にしか見えないから見切りにくいし、威力もご覧の通りだよ。もう球体(スフィア)とは呼べないから『クリムゾンライン』って名付けたんだけど、どうかな?」

 

 お母さんにもまだ見せたことない取って置きだよ――ケラケラ笑う月弥にユームは答える事が出来ない。出来ようはずも無かった。

 こんなマネがお前に出来るかと問われれば、出来ないと答えるよりない。

 火球を圧縮する事は出来る。だが、見えるか見えないかというほどまでは無理だ。

 況してやソレを撃ち出すとなるともういけない。下手をすれば暴発をする。

 魔法を自分なりにアレンジして遣う魔法遣いは星の数ほどいるが、『プロミネンススフィア』なんて初歩も初歩の魔法をここまで強力に進化させた者は果たしてどれだけいるだろうか。いや、いない。

 そして気付く。気付かされる。

 そう云えばこの子は魔法を遣う際に()()()()()()()()()()、と。

 呪文を唱えるという行為は要は契約している精霊にこうして欲しいという指示のようなものと云えば理解がしやすいだろう。

 例えば『プロミネンススフィア』なら“火の精霊よ。敵を穿て”という具合だ。

 呪文を詠唱しない、所謂(いわゆる)『無詠唱』という技術は存在する。

 だが、それでも呪文そのものは必要であり、杖に呪文を刻んだり、呪文を書いた護符などを用いる事によって詠唱というプロセスを省くのだ。

 しかし、この月弥という少年は呪文を刻んだ道具を持っている様子はない。

 中には体に呪文を彫る気合の入った魔法遣いもいるが彼の体には傷一つ無かった。

 しかも月弥はあろう事か、魔法で洗濯・乾燥・除菌までやってのけている。

 昔から魔法を日常生活に用いようとするアイデア自体はあったのだが、如何せん精霊には家事をするという概念そのものが無いので呪文での指示を的確に汲んで実行に移すことは困難だったのである。

 一体、この月弥という少年は如何なる魔法を用いて精霊に洗濯をさせたのだ。

 いや、待て。言葉がおかしい。精霊に魔法を遣って洗濯をさせるとはなんだ、と自分が相当混乱している事を自覚してユームは頭を抱えた。




 今回はサブタイの通りでありますが実質、この物語の魔法の説明という(汗
 魔法遣いとしては駆け出しの月弥が何故、上位魔法の事を知っているかと云えばアルウェンが彼女なりの魔法理論をしっかりと月弥に叩き込んでいるからです。
 というより月弥が師の技を見て盗む場合、一を知って十を知るどころか百の理論を打ち立ててオリジナルの魔法をポコポコ生み出してしまうので、軌道修正が容易ではなくなるというオソロシイ事態になります。
 このように初歩の魔法を極め尽くして強力な魔法を編み出す絶大な魔力と自由な発想を持っていますが、月弥自身はチート転生者ではなく、念の為にユームに前世を占ってもらった結果、ゴリラと知れて軽く落ち込んだりもします。

それではまた次回でお会いしましょう。


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第参章 月弥と精霊達の在り方

「あ、そろそろ内弟子衆の朝稽古が始まっちゃう。“守り神さま”のお社の掃除も終わってないし、悪いけど()()()手伝って」

 

 月弥の周囲を旋回していた球体が膨らんで破裂するや七人の少年少女に変じた。

 

『良いけど今日のおやつはツキヤの手作りな』

 

 褐色の肌を持つ勝ち気そうな赤い髪の少女が云うと他の六人も同調する。

 

「分かったよ。今日のおやつはカステラだったんだけど、みんながそれで良いならホットケーキでも作ろうか? メープルシロップをたっぷりかけてね」

 

 月弥の提案に七人の子供達は諸手を上げて喜んだ。

 そこへユームが待ったをかける。

 

「あ、アンタ、その精霊達の存在感、強い自我、魔力……上位どころか高位精霊じゃないのさ?! アンタ、どうやって高位精霊と契約を交わしたんだい?!」

 

 ユームが驚くのも無理は無い。

 上位精霊と契約出来れば一人前だと前述したが、勿論、そこが終着点ではなく、更に高位精霊、最高位精霊と続き、最終的にプネブマ教が神と崇める大精霊となる。

 多くの魔法遣いが上位精霊と契約できた時点で満足してしまうものだが、更に精進を重ねて高位精霊と契約を結ぶと最早、魔法遣いの世界では雲の上の存在となり、最高位精霊との契約を成功させた者は『賢者』と呼ばれ、精霊同様に崇拝されるようになるという。

 先程は上位精霊と契約出来た時点で満足してしまう魔法遣いが大半と述べたが、彼らの名誉の為に云わせて貰えば、仮に高位精霊と契約が出来たとしても並の魔力しか持ち合わせていない者ではそれだけで日常生活もままならない程の魔力を持っていかれてしまうものだ。況してや魔法の行使など以ての外である。

 何事にも分相応というものがあるという事だ。

 余談だが大精霊は木、火、土、金、水、光、闇の一柱ずつしか存在せず、彼らとの契約を許された者は『大賢者』と呼ばれ、通称『七大賢者会議』がプネブマ教の意思決定を司っている。

 ちなみにアルウェンも火の大精霊と契約をして『火の大賢者』の称号を得ているが、最初の顔合わせの場以外では唯の一度も『七大賢者会議』に顔を見せた事はないのだそうな。

 

「んー? 僕、そんなのと契約してないよ? ただ最下位の精霊さんにずっと魔力をあげてたらいつの間にかこんなに大きくなって人間みたいになっちゃったんだ。それに上位精霊ってすっごく偉そうで僕やお母さんを“雑じり者”って莫迦にするから嫌い。態々試練を受けてまで契約なんかしたくないよ。こっちからお断り」

 

「アンタ、まさか精霊を()()()のかい? しかも、たったの三年で最下位から高位レベルにまで引き上げたと……いくらハイエルフ王家の血統とは云え人間との混血児がげ?!」

 

 ユームの首に何かが巻き付いて容赦無く絞め上げる。

 巻き付いているのは先端に分銅の付いた鎖だった。

 その鎖分銅の伸びた先にはゾッとするほど冷たい目をした月弥がいた。

 吸い込まれそうな闇色の瞳に居竦められてユームの全身から汗が噴き出す。

 

「ふーん、お姉さんも“雑じり者”って僕を虚仮(コケ)にする側の人だったんだ?」

 

 ユームは自分の迂闊さを呪わずにはいれらない。

 先程、月弥は何と云った? 自分とアルウェンを混血児と蔑むからと上位精霊を嫌い、その上で試練を受けるチャンスを蹴ったと云っていたではないか。

 アルウェンから月弥を人間社会の中で育てたと聞かされていたのだから予想が出来ていたはずなのだ。彼が混血児として迫害を受けてきただろう事に。

 そして混血児という言葉そのものが地雷である可能性も十分に予想できたはずだ。

 

「ご、ごめ…ぐがっ!」

 

 ユームの謝罪の言葉を封じるように月弥は鎖を手繰り寄せて更に締めつける。

 非力と云っても飽くまで武術家としてであり、弱いが故に磨き続けた技術に裏付けされたその力は武に長けていない魔法遣いに取っては十二分に強力で脅威だ。

 しかも鎖は片手鎌の刃の付け根、柄頭へと繋がっていた。

 

「さて、どうしてくれようか? 二度とその口が利けないように喉を潰そうか? それとも舌を斬り取ってあげようか? お母さんに取っては母親代わりでも僕からしたら赤の他人なんだから、手心は期待しないでね?」

 

 子供ゆえの残酷さへの恐怖より、他人呼ばわりされた事への悲しみが強かった。

 魔女というものは気性が激しい。怒りや怨みの念も強いが家族への情も強いのだ。

 厳しく育てたが娘同然にアルウェンを愛していたが故に、彼女が産んだ子供に拒絶されたという事実の方が鎖で首を絞められている状況よりも辛い。

 

「うん? 何?」

 

 不意に絞め付けが弛んだと思えば月弥が虚空を見て何者かと話し始めた。

 イマジナリーフレンドかとも思ったが、七柱の精霊達も同じ所を睨んでいるので月弥だけが感じ取れる存在ではないらしい。

 ただ月弥の表情が悪戯が発覚した子供のようにばつが悪そうにしているのに対して精霊達が敵を見るような顔をしているのが気になるが……

 

「いや、本気じゃ無いよ? 初対面だし、魔女って油断も隙もならないって聞いてたから、ナメられないよう最初に締めておこうと思って」

 

 何だソレは?

 いや、確かにアルウェンからは、幼いようで反骨が強いから気を付けるようにとは忠告されてはいたが、締めておこうって……

 

「はぁい……分かったよ」

 

 話が済んだのかユームの首に巻き付いた鎖を外すと、鎌の刃を畳んで柄に彫られた溝に収納し鎖を柄に巻き付けた後に銀髪の少女へ手渡した。

 受け取った少女の掌に闇の渦が現れて鎖鎌を飲み込むとすぐに消えてしまう。

 闇の精霊の力を借りて亜空間に繋ぎ、物を収納する『セラー』という魔法で、これも高位精霊と契約しなければ使えない高位魔法のひとつである。

 聞けば月弥はまだ十五歳だそうだ。普通の人間ならその歳にしては言動が些か幼すぎるのではないかと苦言が飛んできそうなものだが、長命種であるエルフとドワーフの血が濃く生まれてしまった事を思えば、むしろ大人びていると云って良いだろう。

 妖精ならば鍛錬どころか、まだまだ親に甘えていても許される歳であるのだが、人間社会で育った弊害か、既に随分と自立心が養われているのが憐れだった。

 アルウェンが十五の頃なんて、泣き虫でまだおねしょをしていたと記憶している。

 ここに至ってユームは己の過ちに漸く気付いた。

 自分がすべき事は魔法への怠慢を叱るのではなく(実際にはストイックに魔法を研鑽し続けていたにしてもである)、この幼い子供が平穏に子供らしく過ごせるようにしてやる事ではないのか。

 アルウェンの場合は強くならなければ生きていけなかった為に厳しく魔法を仕込んだが、この子は別に急を要するワケではなし、のんびりと育てても構わないだろう。

 そう考えると、さっきまであれだけ憤慨していた自分が滑稽に思えて仕方がない。

 ならばまずは謝ろう。そして改めて仲良くなれば良い。

 口を開こうとするその直前、月弥の大きな声が出鼻を挫いた。

 

「ごめんなさい。さっきはやり過ぎました。許して下さい」

 

「え…ああ、うん…こちらこそ大人気ない事を云ってしまってごめんよゥ。それとさっきのはアンタを侮辱するつもりは無かったんだ」

 

「はい、貴女の謝罪を受け入れます。貴女も僕の事を許してくれますか?」

 

「あ、はい、許します…あれ?」

 

 やられた。

 先に謝罪されて反射的にこちらも謝罪したところに再び先手を打って許す事で主導権を握ったのだ。

 

「お、オソロシイ子だね」

 

「ハイエルフの王様でさえ頭を下げる不世出の魔女にそう云われるなんて光栄だね」

 

 毛ほどにも光栄なんて思っていないだろう。

 カラカラ笑う月弥にユームは乾いた笑い声をあげるしかなかった。

 

『マスター、そろそろ行かなければ掃除をする時間も無くなりますよ』

 

「あ、そうだね。じゃ、ユームお姉さん、先に家に戻ってて」

 

 蜂蜜のように綺麗な金髪をした月弥よりもやや背の高い少女に促されて、彼はユームに先に戻るように告げた。

 

「アンタの母親の養母(ははおや)なんだからオババで良いよゥ。孫同然のアンタにお姉さんと呼ばれたとあっちゃあ尻の穴がむずむずしてしょうがないさね」

 

「そう? オバさんって呼んだら“お姉さんだろ”ってキレて追いかけてきたフランメお姉さんとは大違いだね。じゃあ、おばあちゃん、僕はもう行くね」

 

 ユームは眩暈(めまい)がして、つい地上に降りてしまった。

 髪が汚れてしまうがそんな事を気にしている余裕は無い。

 フランメとは火の大精霊の事ではなかったか?

 

「そうだよ? あ、そうだ、聞いてよ。お母さんは僕にフランメお姉さんと契約して欲しいみたいなんだけど、僕にはもう螢惑(けいこく)…あ、僕と契約している火の精霊につけた名前ね? 螢惑がいるからフランメお姉さんは大丈夫って何度も断ってるのにしつこいんだよ? お母さんの師匠なら何とか云ってよ。フランメお姉さんはフランメお姉さんで“試練なんて無しでも良いから”ってワケが分からない事云うし」

 

「さらっと怖い事を云うんじゃないよ。いや、そもそも大精霊って世襲制じゃないだろう? アルウェンもそんな道理の通らない事を云う子じゃないはずなんだけど、何かワケがあるのかい?」

 

 すると月弥は腕を組んで複雑そうに目を細めた。

 

「うーん……なんか僕、三歳か四歳の頃、フランメお姉さんと結婚する約束をしたらしいんだよねぇ? 全然覚えてないんだけど」

 

「結婚?! 契約じゃなくて結婚って云ったのかい?! って、半妖精の三、四歳って云ったらまだまだ赤ん坊じゃないか!」

 

「だよねぇ? けど、フランメお姉さんは“約束は約束だ”って譲らないし、お母さんに訊いたら、“いやぁ、僕って母乳が出にくい体質でさ、どう頑張っても二回に一回は粉ミルクにせざるを得なくてね。それを見かねてフランメが乳母になってくれてさ、ちょっと頭が上がらないんだよ”だって」

 

「乳母て……すると何かい? アンタ、大精霊のおっぱいで育ったというのかい?」

 

「そうなるね。そのせいか知らないけど、僕もお姉ちゃんも火属性ダメージを受けないどころか魔力を回復するようになっちゃってるんだよね。お姉ちゃんに至っては傷を負っても火で炙ると治っちゃうみたいだよ」

 

 もう人間じゃないよね――苦笑いする月弥にユームは返す言葉が見つからない。

 

「どうもね、離乳の時期になっても当時の僕はずっとフランメお姉さんにおっぱいをせがんでたんだって。で、“これ以上、(わらわ)の乳房をねぶりたくば我が夫となれ”って云ったら“はい”って返事しちゃったんだってさ」

 

「いやいや、いやいや、それで火の大精霊ともあろう者が本気になったと? 可笑しいだろう。大体、大精霊の身の丈は八ルーコ(異世界の単位で一ルーコ=約三十センチメートル、八ルーコは約二・四メートル)あるのに四ルーコにも届かない子が相手じゃ流石に犯罪だろうに」

 

「結婚するしないは別にしてフランメお姉さんと契約したら螢惑と解約しなくちゃいけないから僕としては当然受け入れられないよ」

 

 一度に契約する精霊が多いほど魔力の消耗が激しくなるので位が上の精霊と契約すれば下位の精霊と解約するのは当然の流れではある。

 また上位の精霊ほどプライドが高く、ランクの低い精霊が同時に契約している事を嫌う傾向にあるのも理由の一つに挙げられている。

 

「まあ、見るからに主従関係というより友達って感じだものねェ」

 

「うん、やっぱり精霊さんとは信頼し合うパートナーじゃないとね」

 

 勿論、月弥とフランメの間にも信頼と絆は結ばれてはいるが、実際に契約して魔法を遣うとなると話は別と云う事なのだろう。

 

「今じゃ身振りやアイコンタクトで僕が何の魔法を遣いたいのか、みんな分かってくれているもの。呪文無しで魔法を遣えるようになるのにどれだけ訓練した事か」

 

「アンタって子はどれだけ驚かせれば気が済むんだい。なるほどねェ、『無詠唱』の絡繰りは精霊との絆と訓練の積み重ねというワケかい。既存の『無詠唱』とは発想そのものが違うんだねェ」

 

「うん、一緒に遊んで学んで御飯を食べて家事をする。当たり前の事を共に過ごす事で絆が生まれるのは人間に限った話じゃないって事だね」

 

 だから精霊達も洗濯を心得ていたのか――ユームは漸く得心した。

 

「精霊と共に過ごし、精霊と共に成長する。アンタには、否、アンタ達には呪文は必要無い。その(わざ)を『詠唱破棄』と呼び、アンタに『沈黙の魔術士』の称号を贈る事で称えようじゃないか」

 

 喜んでくれるかと思ったが月弥の表情(かお)を見るに不満そうであった。

 ()の世界では称号を与えられる事は名誉であるのだが、月弥にとっては、或いはこの世界では不名誉な事なのであろうか?

 

「うわぁ……何、その中二病臭い称号……勘弁してよ」

 

「な、何故だい? こう云っては何だけど、アタシが贈る称号って結構権威があるんだよ? それとも沈黙って言葉が気に入らないのかい?」

 

「そうじゃなくて、なんか思春期の男子が考えそうな称号が恥ずかしいって話」

 

「は、恥ずかしい?!」

 

 兎に角、称号はいらないよ――月弥は精霊達を促して歩き出す。

 釈然としないままユームは月弥の後を追った。




 まだまだ続くよ、出会い編(汗

 これ、魔女狩り本編合わせたら第一部の倍、下手すれば三倍になりそうです(滝汗

 かといって第弍部を出会い編、第参部に魔女狩りとするのも変な話で……



 とりあえずはこの物語の精霊については書き終えたので、次回は封印状態のクシモと月弥の交流を書いていきたいと思います。

 ちなみに火の大精霊ことフランメですがだいたいクシモと同じ目に遭ってますw

 身長設定は神様扱いされている精霊なので、まあ大きいだろうとこうなりました。

 月弥は15歳時で105センチ、85歳で110センチとあまり背が伸びません。

 成長のピークは170歳から180歳ですが結局140センチ弱で止まってしまいます。

 本当はもうちょっと伸び代はあったのですが、幼い頃から過酷な修行を重ねてきた結果、却って成長を妨げてしまいました。

 参考としてアルウェンが145センチ、父親が160センチ、クシモが190センチです。

 枢機卿・寅丸は175センチ、神崎が178センチ、おシンが165センチとなります。

 ついでに月弥の守護天使となるムーティヒは160センチに設定してあります。

 さて、長々と書いてきましたが今回はここまでにしたいと思います。
 それではまた次回にお会いしましょう。


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第肆章 “守り神さま”のお社

 身の丈に見合わぬ月弥の早足に四苦八苦しながらユームは訊いた。

 

「と云うかアンタはどこに行くんだい? どこか掃除に行くとか云ってたけど」

 

「うん、“守り神さま”のところ」

 

「“守り神さま”? 何の神様だい?」

 

「え……っと、地母神って云ってたかな? 台風が来ても日照り続きでも関係無く野菜や果物が善く育つから御利益はあると思う。物知りで面白いし僕は好きだよ。ただ、最近、よく“契約しろ”とか“願い事を三つ云え”ってしつこいから、そろそろ付き合い方変えようかなって思ってるんだ」

 

「契約? 本当に神様なのかい?」

 

「さあ? でももう十年以上も付き合ってるし、どうでもよくなっちゃってるから。それに僕が魔法で悪戯しようとすると、頭の中に直接聞こえる声でお説教してくるし、さっきも僕の事を止めてたし、悪い神様じゃないと思うよ」

 

 “おや?”とユームは思った。

 地母神? そう云えばアルウェンは、この山はクシモ様と決着をつけた場だと云っていなかったか? それにクシモ様は吸精鬼(サッキュバス)に貶められる前は、太古から崇拝されてきた強大な地母神であったと仰せだったと記憶している。

 思い出した。『一頭九尾(ナインテール)』に代表される魔王達は()()()という実力者に契約を持ち掛けて直属の騎士とする事があると聞いた事がある。

 その際、騎士となった者は俗世を捨てて魔界の住人とならなければならぬ為、未練を断ち切らせるように、また魔王に忠誠を誓わせるように、契約の見返りとして三つの願いを叶えてやらなければならぬのだとか。

 こうして魔王に忠誠を誓った騎士達は世界を、人類を裏切った騎士であるとの自嘲を込めて『フェアラートリッター』と名乗っているという話だ。

 まさか、この子の云う”守り神さま”とはクシモ様なのか?

 この子の強大な魔力に目を着けたのか、アルウェンに対する当て付けなのか、或いはその両方か、ご自分の復活に月弥を利用しているのではあるまいか。

 ユームは知らず唾を飲み下すと、精霊達を引き連れて行く背中に声を掛けた。

 

「アンタは願い事をしたのかい?」

 

「うん、お試しで一つ、“修行を投げ出したり、修行で得た力を悪い事に使わないように見守って下さい”って頼んだよ?」

 

 振り返り、コテンと首を傾げる月弥にユームは苦笑した。

 コレは難敵だ。クシモ様もさぞ頭を抱えたに違いない。

 月弥に欲が無いからと云って、これ幸いと喜ぶ事は出来ないのである。

 “見守って下さい”“容易いことだ”と本当に頷いては魔王として沽券に関わるのだ。

 それというのもフェアラートリッターの願いをどういう形で叶えたのかというのが魔王達にとって一種のステータスとなっているからだ。

 “女が欲しい”と願ったから“器量、家柄共に申し分の無い娘を世話してやった”

 “強くなりたい”と願ったので“余が自慢とする武器の一つを下賜した”

 “永遠に若く美しくありたい”と乞われたので“肉体を改造してやった”

 などと他の魔王達に、自分は我が騎士の為にコレだけの事をしてやったのだ、貴様達にソレが出来るか、と誇ると同時に、騎士には自分はこうするだけそなたの事が必要なのだと示しているのだ。

 そういう風潮の中で“見守って下さい”と云われたから“はい”と返したとなれば、魔王同士、露骨に見下す事は無いだろうが陰で何を云われるか知れたものではない。

 クシモ様としては“強くなりたい”なり“何々が欲しい”なり云って欲しかったのだろうが、どうも月弥は“願いは自分で叶えるもの”という確固たる信念があるようだ。

 

「僕、チートって大っ嫌い。人から貰った力で強くなって何が愉しいのさ?」

 

 ユームは漸く月弥の為人(ひととなり)が分かってきた気がした。

 この子は誇り高いのだ。人より成長が遅くとも、力が弱くとも自らを鍛えれば才能が無かろうとも強くなれるのだと証明したいのだろう。

 そういう意味では火属性を無効化する体質も有り難迷惑に感じているらしい。

 そんな信念を持つ月弥に悪魔がどのような甘言を用いようと耳を貸す道理は無い。

 まあ、初対面の人間に対してナメられぬ為に締めようとする傲慢というか怖い部分もあるが、それは先程の自分が迂闊であった所もあるし、今後もアルウェン夫婦に育てられ、そこに自分も加われば改善されていくだろう。

 問題はクシモ様だ。

 我々、魔女達は魔界に与し魔王を崇めるが、何も知らぬ幼い子供を騙して己が復活する為の一助とするというのであれば黙ってはいられない。

 しかも、ソレがアルウェン夫婦に対する当て擦りであるのなら、たとえ魔王様が相手であろうと、否、魔界の眷属であるからこそクシモ様をお諫めしてこの子を守護(まも)らねばならない。

 そう覚悟を決めると、ユームは月弥との同行を申し出たのであった。

 

 ユームは目の前の光景に目が点になった。

 “守り神さま”の像が雨晒しでは可愛そうだから社を作ってあげたと月弥は云っていたが、一人で作ったにしては立派に過ぎた。

 宮大工の手とは比べるべくもないが、外壁は丁寧に朱に塗られ屋根には瓦が葺いてあって日本文化に馴染みの無いユームをして厳かな気持ちにさせられたものだ。

 

「おはようございます!」

 

 月弥が社の扉を開け放つと、そこにあったのは左手で股間を隠し右腕で乳房を隠す女性のようなフォルムをした岩であった。

 ユームはその岩から感じ取れる魔力に封印されたクシモであると確信した。

 

「じゃあ、みんなお願いね。僕は“守り神さま”を綺麗にしちゃうから」

 

 精霊達は銀髪の少女から箒や布巾を受け取ると社の内外で掃除を始める。

 月弥はというと、両手の人差し指と中指を立てて岩に向けていた。

 

「はーい、今から美人にしてあげるからね」

 

 ユームは卒倒しそうになる。

 何故なら指先から高熱にして高圧の蒸気が噴き出して岩に当てているからだ。

 恐らく火と水の魔力を合わせて蒸気を作り、風の魔力で圧縮しているのだろう。

 そんなものを石と化しているとはいえ魔王に噴き着けているのだ。

 しかも月弥が“守り神さま”と呼び慕っている存在にである。

 

「アンタ、何をやってるんだい?!」

 

「何って蒸気で汚れを浮かせてるんだよ。洗剤が要らないから経済的だよ」

 

 殺菌にもなるし――布巾で浮いた汚れを拭き取りながら月弥は云う。

 

「ちなみに火属性が効かない存在()にも熱ダメージを与えられるから面白いよ。さっき云った火の上位精霊にやったら、熱いって顔を抑えて悶えてたもの」

 

「本当に容赦のない子だねェ」

 

 目や鼻、口の無い石像の顔に頬を引き攣らせたクシモを幻視しながらユームもまた頬を引き攣らせた。

 

「ちなみにその魔法には名前をつけているのかい?」

 

「そのまま『スチームジェット』ってつけたよ。凝り過ぎて後で“これって何の魔法だったっけ?”ってなっても間抜けだし」

 

「然もありなん。こういうのはシンプルで良いんだよ。以前、アルウェン達に対抗意識を燃やしていた別の勇者がいたんだけど、そいつがエターナルなんたらかんたらって無闇矢鱈に長い名前の必殺技や魔法を好んでいてねェ。しかも技の前に大仰な見栄を切るものだから隙だらけになっちまって、善くクシモ様の眷属やフェアラートリッターに返り討ちにあっていたものだよ」

 

 ああ、知ってるよ――クシモの像に汚れが残って無いかチェックしがら答える。

 

「お父さんも云ってたよ。手柄を押し付け……じゃなくて、譲ってあげて名声を上げさせて王侯貴族からの煩わしいお誘いをみんなその勇者に受けて貰ってたって。ソレに合わせて魔界からのヘイトも引き受けてくれたから自分達は効率良く魔王討伐の旅をする事が出来たって感謝していたよ」

 

「そうだったね。アンタもオソロシイけど、そりゃあの男の子供だものねェ」

 

「そう云えばその勇者の末路って聞いてないや。どうなったか知ってる?」

 

「まあ、お莫迦ではあったけど腕は立つし根は善人だったからね。最後はアルウェン達とも打ち解けて共に最終決戦に挑んでいったよ。自分はライバルでもあったクシモ軍最強の騎士を引き受けてアルウェンらにクシモ様を追わせたそうだよ。最後はその騎士に打ち勝ったまでは良かったけど、その傷が元で死んじまったのさ」

 

 あれま、と返す月弥にユームは、軽いね、とジト目になった。

 

「まあ、そう見せ掛けてアタシが二人を匿って遠方の国に逃がしたんだけどね」

 

「逃がした? その心は?」

 

「二人は惹かれ合っていたんだよ。けど、片や勇者、片や魔界に忠誠を誓ったフェアラートリッター、許される恋じゃない。まあ、アタシとしてはアルウェンの仲間だし世話にもなったからねェ。それに二人とも話せば好感の持てる気持ちの良い奴らさ。だからちょいと『月の大神』様に頼んで目溢ししてもらってね、逃がしたワケさね」

 

 今じゃ五人の子を立派に育て上げた肝っ玉母さんだよ、とユームは笑った。

 

「クシモ様を追ってこの異世界に来ちまったアルウェンには彼女がその後どうなったか知る由もなかったから、無事だった事に安堵していたよ。笑えたのは旦那共々あの自称ライバルの勇者が女の子だって知らなかったようで吃驚していた事だねェ」

 

「あー、お父さんもお母さんもその人の事を『彼』って云ってたね、そう云えば」

 

「地元を支配していた貴族がエラい好色で毎年、年頃の娘を行儀見習いとして差し出せってお触れを出しては摘まみ喰いしていた最低なヤツでね。それから逃れる為に男として育てられたせいで自分を『俺』と云ったり無頼な言葉を遣っていたから無理も無いけど、善く見れば骨格が明らかに女だって解るだろうにねェ」

 

 余談だが、後に月弥と引き合わされた彼女は異世界における月弥の第二の母として、第三の師として世話をする事になるのだが、“男ならテッペンを取れ。一国一城の主になれ”だの“仲間を裏切るな。友を疑うな”だの“敵の罠を畏れるな。愉しめ”だのといった男前な言葉をかけ、強大な敵を畏れずに打ち勝って自身の背中をまざまざと見せ付ける事で月弥に多大な影響を与える事になる。

 

 




 月弥はチートが大嫌いです。
 今でこそ無類の強さを誇ってますが、小学生の頃はよく苛められてました。
 身長一メートルあるかないかという矮躯、病的に白い肌、中性的な顔立ち、そして何より非力というのは子供社会にあって苛めのターゲットになりやすかったのです。
 父親は何も云いませんでしたが、三池流道場に連れて行っては、基礎鍛錬を施しながら力を必要としない技を教えていました。まあ、アルウェンは苛めっ子宅にユーム直伝の呪いをかけようとしては思い止まる事を繰り返していましたがw
 そんなある日、自分の味方をしてくれていた幼馴染みまでもが苛めの対象になってしまい、その子を助ける為に奮闘した結果、苛めっ子のリーダーをやっつけてしまった事で、“チビでも弱くても強くなれるんだ”と武術の魅力に取り憑かれていったのです。
 そういう事もあってか、安易にチートを貰って簡単に強くなる事に嫌悪レベルの忌避感を持つようになるのでした。
 だからいくら魔王達が誘惑しても“チート能力を貰うなんて死んでも嫌だ”となるのです。
 余談ですが、『月の大神』に“後生だから願い事を云って欲しい”としつこく云われ続けていい加減うんざりした月弥が適当に“ピンピンコロリ”と願った結果、“天寿を全うするまで絶対に死なない、病気もしない、大怪我をしない、認知症にもならない”というトンデモチートを手に入れることになるのですが、当人は死ぬまでそれに気付きませんでしたw

 そしてラストに出てきたアルウェンの元ライバルですが、勇者としては兎も角、冒険者としてはこの上も無い師でして、修行時代に土日を使って冒険をする事になった際、冒険者のイロハを叩き込まれることになり、異世界の地理、歴史までも教わった事で、その経験が後の慈母豊穣会や三池組での活動にも生かされるようになります。
 また現場で見せられる彼女の背中を素直にカッコイイと憧れるようになり、いつしか表では自分を俺と呼び、無頼な口調で世の中を渡っていくようになっていきます。


 今回も後書きに色々と書き込んでしまいましたが、補足として必要かと思った次第です。

 出来れば次回で出会い編を終わらせて、その次からユームの恋から魔女狩りによる破局を書いてく予定です。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第伍章 魔女と“守り神さま”

『終わったよォ♪』

 

 身長百八十センチ以上はあろうかという鮮やかな緑色をしたセミロングの髪と瞳を持つ少女、いや、美女というべき精霊が月弥に勢い良く抱きついてきた。

 ユームは潰されるのではないかとヒヤリとしたが、気が付けば緑の精霊はふわりと横に半回転して床に座っていた。

 月弥は突っ込んできた精霊の衣を掴みながら自分も踏み込み重心を崩して彼女を斜め後方に投げたのである。衣以外、相手に触れずに投げる所謂(いわゆる)『空気投げ』と呼ばれる技だ。勿論、月弥は精霊を傷つける事無く絶妙な力のコントロールでやんわりと投げている。

 現に緑の精霊は何事が起きたのか理解しておらず、目をパチクリとさせていた。

 ちなみにこの技は隅に相手を投げ落とす事から、かつて『柔道の父』と呼ばれた嘉納治五郎氏により『隅落(すみおとし)』と名付けられ、正式な決まり手とされている。

 

歳星(さいせい)、お疲れ様♪ お陰で朝稽古に間に合うだけじゃなく、お祈りの時間も取れそうだよ♪」

 

 月弥が後ろから抱きついて頭をわしゃわしゃ撫でてやれば緑の精霊こと木の精霊・歳星は嬉しそうにきゃあきゃあと喚声をあげる。

 ユームは倍近い相手を投げた事実を見なかった事にして、月弥と歳星の遣り取りを微笑ましく見ていた。

 ふと背後から凄まじい怒気を感じ取って振り返る。

 清流を想わせる水色の髪をツインテールにした少女が腰に手を当てていた。

 

『さ~~~~~い~~~~~せ~~~~~い~~~~~っ!!』

 

『ふえ? 何?』

 

『“ふえ? 何?”じゃないわよ!! アンタのデカイ図体で飛び掛かってツキヤが潰れたらどうする気よ?!』

 

『痛い痛い?! 辰星(しんせい)ちゃん、頭グリグリはやめてぇ!』

 

 水の精霊・辰星にこめかみを拳で挟まれてグリグリと押し付けられた歳星が涙を流して許しを乞うが辰星は構わずに続ける。

 

「まあまあ、何も起きなかったんだから歳星を許してあげてよ」

 

『ツキヤは甘いのよ。こういう莫迦は体に教え込まないと何度も繰り返すんだから』

 

『ひ~~~~~ん、許してぇ』

 

 月弥が庇っても緩めない辰星の両手を掴んで引き剥がしたのは茶髪に黃色のメッシュが入った少年だった。

 

『ダメよん。もうお仕置きをしてツキヤちゃんも許してあげてって云ってるんですもの。許してあげなきゃ。これ以上は只の苛めになっちゃうわよん?』

 

 左頬に右手の甲を当てて品を作る少年に辰星が噛み付いた。

 

『でも鎮星(ちんせい)歳星(コイツ)は何遍云ったって聞きやしないのよ?! こないだなんてツキヤが寝てる布団に入り込んでたんだからね?!』

 

『えへへ♪ ツキヤちゃん、あったかくて良い匂いがするから好き♪』

 

『ほら、見なさい!! 全っ然、反省してないじゃないの!!』

 

『まあまあ、無邪気なのも個性ってね。自由じゃ無い歳星ちゃんは歳星ちゃんが無いわよん。それに嫉妬して歳星ちゃんに当たるくらいなら辰星ちゃんもツキヤちゃんに添い寝して貰えば良いじゃない? これから暑い時期になってくるんだしツキヤちゃんだって嬉しいと思うわよん』

 

『なっ?! あ、アタシがツキヤとそそそそそそそそそ添い……っ?!』

 

 歳星を指差しがなる辰星に土の精霊・鎮星は苦笑しながらも宥める。

 ただ余計な挑発(?)のせいで辰星は顔を真っ赤にしてフリーズしてしまったが。

 大人しくなった辰星に“やれやれ”と思っていると、今度はガシャコンガシャコンとやかましい音がして鎮星は額に手を当て渋い顔で目を瞑った。

 

『ほう、ソレは聞き捨てならぬで御座るな。主殿(あるじどの)と添い寝するとは何とも羨ま怪しからん!! この太白(たいはく)が成敗してくれん!!』

 

 純白の甲冑とフルフェイスの兜を着込んだ小柄な――声から察するに若い女が自身の身長を遙かに陵駕する槍を手に獅子吼(ししく)した。

 その背後に闇の渦が生じると黒い足が現れて太白を蹴り飛ばす。

 すると太白はあっさりと倒れて短い手足をバタバタさせて藻掻き始めた。

 

『誰だ?! この太白を突き飛ばしたのは?! ぬうううううっ!! 立てん! 立てぬぞおおおおおおおおおっ?!』

 

『貴女が出てくると進む話しも進まない。しばらく大人しくしてて』

 

 銀の髪をオールバックに撫で付け、片眼鏡(モノクル)を右目に装着した黒い忍び装束の少女が闇の渦を作りだし、金の精霊・太白を飲み込んでしまう。

 

『あ~~~~~~れ~~~~~~~っ!! 主殿、次の添い寝は是非ともこの太白に御用命を~~~~~~~~~~~~~っ!!』

 

『アンタ、甲冑そのものじゃない……何にせよ、グッジョブよん、玉兎(ぎょくと)ちゃん』

 

 親指を立てる鎮星に闇の精霊・玉兎もサムズアップで返した。

 

『あの()は暗闇が怖いのですから後で出してあげて下さいね』

 

 ハニーブロンドを膝裏まで伸ばしワンレングスにした白い袖無しワンピースを着た少女が玉兎を嗜めるように云った。

 

『ん、ツキヤのお祈りが終わったら出しておく』

  

『精霊が暗所恐怖症というのも変な話だけどねん。普通に悪霊や怨霊、妖怪の類を斬り捨てるクセに何が怖いのかしらん?』

 

『聞いた話では、マスターに頼み込んで()()を着て頂いた際に、その嬉しさの余りマスターが中にいるのを忘れて踊り狂ったそうでして……長時間、無理な動きをさせられたマスターにお仕置きとして動けなくされた後、三日間真っ暗な倉の中に閉じ込められたのが大分応えたようですよ』

 

 精霊達が月弥を見ると、初めはきょとんとしていた月弥だったが、ふと思い出したようにポンと手を叩くと、あの時かと云った。

 

「太白の中って微妙に空白があってさ、動くたびにアチコチ体をぶつけて痛かったんだよ。しかも太白は“裸じゃないとサイズが合わせにくいので”って云ってさ。もうダイレクトにぶつかるから痛いのなんのって……どうしたの、金烏(きんう)? 顔が怖いけど……」

 

『玉兎、マスターのお祈りが終わるまでと云わず、明朝までしまっておきなさい』

 

『らじゃー……』

 

 光の精霊・金烏の微笑みに何かを感じたのか、玉兎は何故か敬礼をした。

 

『結局、一番美味しい思いをしてたのは太白だったってオチかよ』

 

 火の精霊・螢惑(けいこく)はフリーズした辰星を介抱しつつ呆れていた。

 

「さてと、そろそろお祈りをして帰ろうか、今頃は内弟子衆も起き出して道場を掃除してるだろうしね」

 

 月弥がクシモと向き合うようにちょこんと座ると、精霊達もその後ろに行儀良く並んで座る。

 ユームは、どうしようかと一瞬迷ったが、魔界の眷属として自分は自分でクシモに祈りを捧げる事にした。

 

「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」

 

 月弥と精霊達が合掌して目を瞑る。

 

「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」

 

「えぇ……」

 

 言葉の意味は分からないが社の中の空気がピリッと張り詰めて厳かな雰囲気となっていくのを肌で感じ取る。

 恐らくは何かの教典を読んだものと思われるが、月弥はただ暗記して諳んじている訳では無く、一言一言意味を把握した上で唱えているのが理解出来た。

 月弥本人に気付いているのかは分からないが、彼の全身に神聖な魔力が溢れ、封印されているクシモの像へと注がれていく。

 クシモの像の真上に肌が透ける薄い衣を纏った女神のような姿をしたクシモの姿が浮かび上がり慈愛の頬笑みを湛えて、月弥の口の動きに合わせて自らの口も動かしているではないか。

 誰もこの姿を見て最強の吸精鬼(サッキュバス)、『淫魔王』クシモその人と思わないだろう。

 まさに月弥が“守り神さま”と呼び慕う慈母の神が顕現していたのである。

 

『ユームよ。久方振りであるな』

 

『クシモ様……ご機嫌麗しいご様子。このユーム、安堵致しました』

 

 脳内に直接響く声に驚く事なく、ユームも念話で返した。

 ただ月弥を想うと、感情が少し隠し切れていなかったようだ。

 

『そう睨むな。そなたが案じておるような事をするつもりは余には無い。ツキヤを我が騎士にしようとは考えてはおらぬ。この子は魔界程度で収まる器ではないからな。フェアラートリッターにするよりも自由に育てた方が面白い事になると余の勘が告げておるのよ』

 

『そうですか。しかしツキヤの口から契約を持ち掛けられたと聞かされてはおりますが? それに三つの願いも一つ、叶えているご様子ですしね』

 

 クシモの幻影が苦笑いをする。

 “見守って欲しい”との願いは山中での修行の間、事故を起こさせず、獣を遠ざけ、悪霊の類を浄化するなど“修行中の安全を保障”をし、魔法で悪戯しようとすれば叱ってやめさせる事で叶えている。

 月弥の行動範囲は広く、また幼いがゆえに発想が豊かで何をしでかすか解らないので、その対処に追われるとなるとかなり多忙な一日となるのだ。

 意外な話ではあるが、普通の願いの方が楽なのである。

 

『それにあやつは無欲ではないぞ。ただ魔王に叶えて貰う事を拒否しているだけであって、望みは自らの手で叶えるものと考えておるのだ』

 

 以前にも“強くしてやろう”と云えば“強くなる為に修行している”と返され、“金はどうか”と訊けば“今は師範代としての収入で十分”と断られ、“最強の武器は要らぬか”と打診をすれば、木剣で鉄の塊を斬り、火や風のみならず闇や光すら截断せしめる事で無言の拒絶とした。

 

『我らが世界では月は『月の大神』そのものとし闇の象徴としておるが、川面に映る月を想い剣を振るい続ける事で『闇』を斬る事が可能となった。また月はその身そのものが輝いてはおらず太陽の光を受け止めて優しく光を放っていることから、月を斬るという事は同時に『光』をも斬れる事を示している』

 

 ユームが月弥の父親から聞いた話では、祖父から“月を斬れ”と密かに命じられていたのだという。

 初めは夜空に浮かぶ月に向かって剣を振っていた月弥だったが、剣に変な癖がついてしまい、その事を指摘した事でその修行は無意味であると判断したらしい。

 想い悩む月弥に姉が川遊びに誘い、二人で泳いでいると月弥は太陽を背にしているのに眩しいと感じた。見れば川面が陽光を反射して月弥の目を刺激していたそうな。

 

『天啓を得た月弥はその日の晩から川に映る月を斬るようになる。満月ではなくとも鮮烈に夢想する事で三日月であろうと新月であろうと川面に満月を映し出し斬り続けたのだ』

 

 初めは川面を叩いて水飛沫を上げるだけだったが、これこそが“月を斬る“極意だと悟っていた月弥はその修行を続け、一年後についに月を截断する事に成功している。百回中三回の成績だったが、その半年後には百回中五十も成功するようになり、三年も経つ頃には確実に斬れるようになり、いつしか水飛沫すら上がらなくなったという。

 

『しかもである。川を斬り続けた事で『水』といった形を持たぬ物まで斬れるようになり、『火』を斬り、『風』を斬り、『地』を斬り裂き、『鉄(金属)』をも斬るに至る。それこそ勇者であった父親ですら会得出来なんだ三池流極意『月輪(がちりん)斬り』である。もしあの男が『月輪斬り』を修得しておったなら、余は封印どころか、なますに斬り刻まれて滅びておったであろうな』

 

 ユームは頭を抱えたくなった。

 魔法の才は母親より上で剣も父親を陵駕する逸材だ。

 これはクシモならずとも放ってはおかないだろう。

 今は経験の差で両親には敵わないが、いずれは二人を超える実力者として名を馳せる事になるのは明白であり、それを危険視する者もいれば利用しようとする者も現れるだろう事は予測できる。

 しかも剣を握っても良し、魔法を遣っても良し、自分より大きな相手を投げられる格闘センスも有しているオールラウンダーとくれば『一頭九尾(ナインテール)』はこぞって勧誘に来るに違いない。

 

『いや、既に星神教の神もちょっかいをかけてきておる。まあ、その悉くを余とフランメによって退けてはいるがな。よしんばツキヤとの接触に成功しても“ネットもシャワートイレも無いんじゃ異世界に行きたくない”などと宣っておるヤツだから勧誘以前の問題であろうよ』

 

 アルウェンにこの世界に連れて来られてから不浄を貸してもらったが、確かにあのシャワートイレは癖になる。使い心地も良いが何より紙の節約にもなるのが良い。

 月弥に感化されたワケではないが、水で尻を洗う魔法を開発するのも面白いだろう。三池宅に帰ったら契約している水の最高位精霊にシャワートイレを使わせて心地良さを実感させれば開発に協力してくれるかも知れない。

 いや待て。今はそんな事より月弥だ。

 

『ツキヤほど願いの叶え甲斐の無いヤツもおるまい。神を崇拝しておきながら頼ろうとはしないからな。畑で取れた物を供えておいて、“お裾分け”と云いながらも来年の豊作を祈るでもなし。一度、“地母神に豊穣を願わぬのか?”と問うた事があったが、“豊作を願って不作だった時、神様を恨みそうで嫌だ”だとよ。しかも“いくら地母神さまでも日照りや台風には勝てないでしょ?”と来た。あの時の余の気持ちが解るか? 神を前にして“仏ほっとけ、神かまうな。神はただ見守ってこそ神。自分の禍福は自分で決める”と平然と抜かすようなヤツなのだ』

 

 台風に襲われようと日照りが続こうと三池家の畑が毎年豊作なのは月弥が願ったワケではなく、クシモの地母神としての意地なのだそうな。

 善く祟られないものだと感心するが、善く善く考えてみればクシモにとっても月弥の祈りは必要なので苦しめるワケにはいかないのだろう。

 

『ツキヤの祈りが素晴らしいのは認めるところだ。お陰で今ではこうしてそなたと念話が出来る程に回復をしておる。否、力だけで云えば封印される前など比べようもないくらい力を増しておる。後は何かしらの切っ掛けがあればすぐにでも復活できるであろうよ』

 

『その切っ掛けとは? それによっては私もどう動くか分かりませぬぞ?』

 

 もしアルウェン夫婦を生贄にすると云うのであれば、クシモ様とも敵対し、彼女を道連れに自爆する事すら厭わない。

 愛する娘を守護(まも)る為なら命は惜しくもないし、幼い月弥から平然と親を取り上げるような魔王であるなら、それは“王に非ず”、ただの害獣だ。全身全霊をかけて排除してくれよう。

 

『……オソロシイ事を考えるな。『死者の王』直系の子孫である最強の魔女よ。そなたを害すれば『死者の王』との闘いは避けられぬ。そのようなリスクを負ってまで復活をしても意味は無い。そもそもにして余はアルウェンを恨んではおらぬ。ツキヤの祈りでここまで力を蓄えられた時点で意趣返しとしても過度であろうよ』

 

『では、クシモ様が御所望される切っ掛けとは?』

 

『分からん』

 

『分からない?』

 

 ユームは訝しむ。

 この期に及んでもったいぶる理由が分からない。

 

『他意は無い。力は取り戻した、否、以前よりも遙かに力を増してはいる。だが封印は解けぬ。封印といっても肉体を眠らせているだけで、特にアルウェンや神々に呪いをかけられているワケでなし。しかし復活するには何かが足りぬのか、未だに“守り神さま”のままなのだ』

 

 どういう事なのか、訊ねようとしたがクシモがソレを手で制した。

 

「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経」

 

 月弥の祈りが終わったようだ。

 月弥はクシモに頭を下げると精霊達に向き直る。

 同時にユームとも対面する形となり、何故か彼女は罰の悪い気持ちになった。

 

「みんな、お疲れ様。お陰で掃除もお祈りも無事に済んだよ。僕はこれから朝稽古に向かうから、みんなはいつも通り自由にしていて良いよ。では解散。ありがとうございました」

 

 月弥が頭を下げると、精霊達も頭を下げた。

 こうした遣り取りも精霊達との絆に繋がっていくのだろう。

 自分は契約した精霊とこうして交流を深めた事はない。

 契約をし、魔法を行使した、その見返りに魔力を与えるだけのドライな関係だ。

 だが、こうして精霊との絆を深めていく月弥を見ていると、見習うべき部分もいくらか見えてくる。

 それが詠唱の省略に繋がり、魔力運用の効率化にもなっているのだから。

 

「あ、そうだ。“守り神さま”にプレゼントがあったんだ」

 

 月弥が再びクシモに向き直ると、クシモの像の真上に闇の渦が現れて何やら白い物が落ちてきて覆い被さった。

 それはクシモの幻影と同じ白い衣であった。

 こちらは透けるほど薄くはなく、光沢があって一目で高級品であると見て取れた。

 月弥は帯を締めて衣の乱れを整えると、少し離れてしげしげ見詰めた。

 

「うん、似合う似合う。お母さんに習って絹を織るところから始めて、ちょっとずつ仕上げてやっと昨日完成したんだ。地母神だから裾に葡萄の模様に刺繡を入れてみたんだけどどうかな? 喜んでくれると嬉しいな」

 

『う、うむ、ドワーフの血を引いているとはいえ、子供が作ったとは思えぬなかなかの出来映え。気に入った。大儀であるぞ』

 

「本当? えへへ、実は今日で“守り神さま”と初めて逢って丁度十年なんだ。その記念日に間に合って良かったよ」

 

『そうか、月日の経つのは早いものよな』

 

「あ、早いと云えば、そろそろ朝稽古が始まっちゃう。じゃ、僕は行くね」

 

 月弥は手を振りつつ社を出ていき、見送った精霊達も三々五々に散っていった。

 残されたユームがクシモの幻影を見れば既に薄衣は月弥作の衣に変わっている。

 顔を赤く染めて体をくねらせているクシモにユームはニタリと嗤う。

 それに気付いたクシモは咳払いをしてから睨みつける。

 

『な、何だ?』

 

「いいえ、封印が解けない理由が解った気がしただけですよ、“守り神さま”?」

 

 言外に“貴女も乙女ですな”と云われた気がしたが反応をしては魔女を喜ばせるだけだと素知らぬふりをするも、結局ユームはその心中を察して益々笑みを深めるばかりであった。

 どうせ今戻っても朝食まで待たされるだけなので、ユームはいつから月弥に好意を持ち始めたのか聞いてやろうと目論んでいた。

 こうして神聖なはずの社は早朝から女二人の姦しい会話で盛り上がるのだった。

 

 だがユームは知らない。

 この日から六十年後に大恋愛をしてクシモに揶揄われる事になるのだと。

 そして、その恋こそが人間と魔女との大戦争を引き起こす切っ掛けになるとは神ならぬユームには想像すらしていなかったのである。




 精霊達は位が上がれば上がるほど人に近い姿になっていきます。
 そして美しく威厳のある姿を好むようになりますが、月弥の精霊はマスター、主呼びの者こそいますが基本的に友達付き合いに近いのでかなり好き勝手な姿をしています。
 因みに鎮星がオカマ口調の少年なのは、初めこそ女性型だったのですが、月弥の“男兄弟が欲しい”という願いを叶える為に女性人格のまま男性化した為です。
 太白も甲冑姿の女騎士でしたが、月弥が“僕もこんな鎧を着てみたいな”と云ったが為、“ならば私が主殿の甲冑そのものになれば良い”というトンデモ理論を展開してリビングアーマーになってしまいました。
 他の精霊達も何かしら月弥の不用意な言葉を受けて、姿を変えています。

 続いてクシモですが、もう既に月弥にベタボレです。
 初めは小生意気な小僧と思ってましたが、人並みに欲を持ちながら魔王の誘惑に屈する事無く、自らの手で叶えようと奮闘する姿に次第に惹かれていきました。勿論、純粋に“守り神さま”と無邪気に慕う月弥が素直に可愛いと思いましたし、しかも社を建て毎日掃除を欠かさない奉仕の心にも絆されていき、利用してやろうという気持ちは失せていつしか好意に変わっていったのです。
 ちなみにプレゼントされた衣はクシモにとって一番の宝物となり、『一頭九尾』が各々の宝自慢に話が及んだ際に衣を自慢して莫迦にされますが、ソレも最初の内だけで、月弥が魔界で頭角を現すようになる頃には全員が拳を掴んで身悶えするほど羨ましがります(笑

 さて、漸く出会い編が終わりました。
 次回は一気に時代が進んで六十年後、ユームが恋をした事をクシモと月弥に相談する所から始まります。
 クシモは揶揄いますが、月弥は渋面を作って云います。“悪い事は云わないから別れろ”と。
 月弥の真意はどこにあるのか、それは次回にご期待下さい。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第陸章 魔女の恋

 慈母豊穣会本部に珍客が訪れた時、教皇ミーケは素麺を茹でていた。

 お中元の贈り物の定番だが毎年嫌になるほど余るのが悩みの種である。

 例年、存じ寄りの孤児院や報謝宿に押し付けてしまうのだが、今年はある理由でそれでも間に合わず、仕方なく教皇は二日に一度は素麺を消費しているのだ。

 

「今年は新規の取り引き先が結構増えてな、古参の取り引き先は素麺が余って困る事を知っているから違う物にしてくれるンだが、新規の客はこっちの事情を知らないからなァ」

 

「無知は罪だよゥ。大口の取り引き先が毎年大量の素麺を持て余しているって事情を調べてないっていうのも如何なものかとアタシは思うけどねェ」

 

 辛めのツユに刻んだ茗荷と卸し生姜、小口切りにした浅葱(あさつき)、煎った白胡麻を薬味に入れてユームは素麺を一啜りして云った。

 初めて会った頃と比べて箸の使い方が大分サマになってきたな、とユームの箸捌きに感心しながらミーケもツユをたっぷり絡ませて素麺を啜る。

 適当に茹でたが、しっかりとコシがあって、それていて歯切れの良い絶妙な茹で加減だと自画自賛した。

 最高の茹で上がりの状態では壁に投げつけても下に落ちてこないというがミーケは生まれて此の方試した事は無い。

 正確には幼い頃に試そうとして母親にこっぴどく叱られた事で懲りたのだ。

 

『そう責めてやるな。慈母豊穣会(うち)と取り引き出来るようになって舞い上がっておるのだろうよ。初めの一年くらいは大目に見てやらねばな』

 

 慈母豊穣会の信仰対象である地母神クシモが刻んだ梅肉を混ぜたツユに素麺を浸しながら呆れるユームを宥める。

 豊穣を司る神にして魔界の王が一柱の食事としてはいささか質素に過ぎると思われるが、本人は気にしてはいない様子だ。

 自ら揚げた小海老、貝柱、玉葱、三つ葉の掻き揚げに抹茶塩を振りかけて美味しそうに齧る姿からは王の威厳は見て取れないが、幸せそうではある。

 

『転移魔法、冷却凍結魔法、収納魔法を駆使しての宅配業は当たりであったな。お陰で“内陸にある大国に新鮮な魚や肉を届けられる”と契約を持ち掛ける地方の漁港や牧場が急増して現場は嬉しい悲鳴を上げているとよ』

 

「商売はアイデアだよ。おまけに宗教法人は法人税がタダだからな。笑いが止まらねェやい。神様ってェのは本当にありがたいねェ」

 

 柏手(かしわで)を打つミーケにクシモは、“よせよ”と渋面を作った。

 慈母豊穣会は地母神クシモを崇拝する宗教団体と銘打ってはいるが実質的には様々な商売に手を広げる総合商社である。

 神々が目を光らせて文明の調整を行っているから携帯電話やテレビなどの電化製品を普及させる事は御法度であるが、それらを魔法に置き変えての商売は認められているので地球育ちのミーケにとってアイデアは事欠かない。

 これだけ成功を収めていれば当然敵も多いのだが、ミーケ本人の力量は勿論のこと、祀られているクシモが強大な地母神という事実から実際に攻撃される事は意外と少なかったりする。

 稀に無頼を雇っての嫌がらせや時には暗殺者を使っての直接攻撃を仕掛けてくる剛の者もいるがその悉くをミーケによって退けられている。

 闇に潜む暗殺者を『破ァ!』といとも容易く斃してしまう事から、一部からは『地球(テラ)生まれのTさん』と呼ばれ、畏れられているとかいないとか。

 ミーケとて地元の商業ギルドを蔑ろにしているワケではなく、きちんとアポイントメントを取った上で挨拶に出向き、提携を申し込んでいる。

 その幼い容姿から門前払いにされる事もあるが、それでも相手を貶めるような商売をした事はなく、上手く提携を結ぶ事に成功した場合には当然相手にも多大な利益を得られるようにしているので、慈母豊穣会は経済界でも注目度が上がっている。

 おまけに初めは門前払いされていた相手から後になって提携を申し込まれたとしても心良く受け入れている寛容さからミーケ本人の人気も高まっているのだ。

 

 いや待て、可笑しいだろう、と疑問に思う向きは当然ながらあるだろう。

 収納魔法『セラー』は高位精霊と契約しなければ遣えないと前述したし、並の魔法遣いでは高位精霊との契約も儘ならないとも説明をしたではないか、という意見もあるであろうが、そこがミーケの恐ろしいところである。

 ミーケは弟子或いは信徒の中でも一定以上の魔力を保有し尚且つ信頼できる者達を厳選し、かつて自らが行ったように精霊を育成する手法を伝授したのだ。

 これなら高位精霊と直接契約するよりも難易度は随分と下がる上に、消費する魔力も桁違いに穏やかとなる。

 しかも一属性のみに絞る事で更に体への負担を減らす事ができ、早期の上達も期待出来るので優秀な魔法遣いを多数育成する事が可能となった。

 こうして水属性に特化した者が肉や魚介、野菜を冷蔵冷凍し、闇属性に特化した者が『セラー』で収納、光属性特化の魔法遣いが転移魔法を用いて世界各地に一瞬にして荷物を届けられるシステムが構築されたのである。

 その上、魔法で凍らせると機械でするよりも細胞組織が破壊されにくいというメリットがある事が分かってきたそうだ。

 更に顧客に喜ばせたのは魔法を解けば一瞬にして解凍されるので、食材を傷めることなく、すぐに調理が可能となる事である。

 この慈母豊穣会が開発した冷却輸送システムは高度な魔法技術が必要である為、彼らの専売特許となり莫大な利益を上げ、この財力が星神教やプネブマ教に対する抑止力となっていく。

 

「こないだ大賢者サマの一人がアタシのところに来て愚痴っていったよゥ。“アレ(・・)は邪道ゆえやめるよう諫言してくれまいか”ってね」

 

「邪道ねぇ。で、バアさんは何て答えたンだよ?」

 

 午後の仕事に備えてか、エナジードリンクをチビチビ飲みながら教皇が問うと、魔女は鼻を鳴らして半目になって答えた。

 

「決まってるさね。文句があるならミーケに直接お云いって尻を蹴飛ばしてやったさ。昔、ツキヤにコテンパンにノサれたからってビビり過ぎなんだよゥ。あんなんで善く大精霊と契約が出来たものさね。情けないったらありゃしないよゥ」

 

「誰かと思ったらハイエルフの宰相どのかい。何、もう五十年以上も前の事なのにまだビビってたのかよ? 初めてハイエルフの国に行った時の“ここは貴様のような穢らわしい雑種が来るところではない”ってぇ踏ん反り返ってた威勢の良さはどこに行ったンだよ」

 

『それはお前、云い放った瞬間、鼻に膝を叩き込まれ怯んだところに金的を蹴り上げられ、頭が下がったところに掌底で顎を打たれて顎関節を外され、トドメに口の中を蹴り抜かれて歯の殆どをへし折られたら誰であっても畏れるであろうよ』

 

「あれはハイエルフ王が悪い。“勇者アルウェンとその子供達のお披露目”と称して人を呼んでおいて迎えにあんなバータレを寄越されたら誰だってブチギレるわ」

 

 当時のアルウェンは、これでエルフの国への帰参は叶わないと嘆き、事実ハイエルフ王もミーケに恐怖を覚えたものだが、どうした訳か、同席していたドワーフの族長はミーケの気骨を大いに気に入ってしまい、血も繋がっていないにも拘わらず“それでこそ我が孫よ”と可愛がるようになったという。

 

 閑話休題(それはさておき)

 悪怯れた様子も無くケタケタ笑いながらミーケはユームと談笑を続ける。

 

「で、宰相どのは何が気に入らねぇンだよ?」

 

「気に入らないというか、危惧してるのさ。高位級精霊(・・・・・)をポコポコ生み出しているアンタにね。このままでは本来の高位精霊の権威が失墜するっ云ってるけど、要はそれがプネブマ教の権威の失墜に繋がり、最後は自分らの地位も危うくなると思ったんだろうさ」

 

「カッ、くっだらねェ。だったら精霊様の権威が落ちないよう動けば良いだけの話じゃねぇかよ。それもしねぇでバアさんに泣きつくたァな。本当に善く大精霊と契約できたもんだぜ」

 

 吐き捨てるように嗤うミーケにクシモは内心こう思う。

 ミーケを侮辱したのが宰相なら、卑屈になるまで彼のプライドをズタズタにしたのはミーケ、そなただよ、と。

 確かに傲慢な人格ではあったが、それでも王を支え、美しき王国を狙う外敵と戦う事なく折衝のみで守り抜いた傑物でもあったのだ。

 でなければ木の大精霊も彼の契約を許し、愛する事はしなかったであろう。

 それを理解するにはミーケは幼すぎた。

 いや、現在の七十五歳という年齢も半妖精で云えばまだまだ幼いのである。

 人間と同ペースで育てられた事と武道により同年代の妖精よりは大人びているが、本当の意味で大人になるにはまだ百年もの時間が必要だろう。

 咎めるのは簡単だが、生来の反骨心と幼さから素直には応じまい。

 況してや祖母と慕うユームの前で説教をされては面白くはないだろう。

 だが、このまま宰相への悪口を続けさせるのもミーケの情操に良い訳が無い。

 それはユームとしても感じているに違いない。

 彼女が乗ってくれる事を期待してクシモは話題の変換を試みた。

 

『ところでユームよ。本日は何用があって参ったのだ? 互いに多忙の身、世間話をしに来た訳ではあるまい?』

 

「ああ、そうでした、私とした事が。実は相談があって参ったのです」

 

「相談だァ? 珍しい事もあるもんだぜ。まあ、云ってみねェ」

 

 ミーケが聞く体勢になったので、クシモは安堵した。

 ユームは暫く両手の指を絡めつつ口籠もっていたが、ついに意を決して口を開く。

 

「本当は云うか云うまいか悩んでいたんだけどね。実はアタシにいい人(・・・)ができたんだよ」

 

『いい人と申したか? つまり恋人ができたと解釈して良いのか?』

 

 顔を赤く染めてユームは無言で頷いた。

 これは本物だ。ユームは本気でその相手に惚れているらしい。

 

『ほほう、それはそれは……サバトで裸で踊り狂う事はあっても、決して誰とも体を合わせようとはしなかったあの万年処女(おとめ)のユームがなぁ?』

 

「万年ではありません! いや、この世に生まれて五百年もの間、処女だった事は認めますが……って、ツキヤの前で変な事を云わせないで下さい!」

 

 クシモの揶揄いにユームは益々顔を紅潮させてしまう。

 

「ふぅん、それで相手は誰なんだよ」

 

 ミーケも興味を持ったのか、クシモの足を踏みつけながら問う。

 

「あ、相手は聖都スチューデリアの内務大臣のオアーゼ=ツァールトハイト公爵さまといってね。ご嫡男が生まれてから毎月その子の吉凶を占うように依頼されていたんだよ。で、毎月、彼が魔女の谷を訪れるようになって五年経つか経たない頃、いつしかオアーゼ様の来訪を心待ちにするようになっている自分に気付いたのさ」

 

『オアーゼ様と来たか』

 

「あ、あわわわわわわわ……」

 

 ニヤニヤ笑うクシモにユームはしどろもどろになる。

 話が進まぬとミーケは踏んでいた足を躙る事で黙らせた。

 

「そ、そう、確か三ヶ月前の約束の日、その日は朝から良い天気だった。占いでも一日晴れると出ていたけど、何故だか外しちまったのさ」

 

 そしてやって来た公爵はユームに笑い掛けて云うのだった。

 

「今月も我が子の占いを頼む。今日で五歳の誕生日を迎える息子の吉凶、聞かねば安心して祝う事が出来ぬ」

 

 金の髪をオールバックに撫で付け、きっちりと整えた金の髭を持つ美丈夫をユームは迎えると早速、占いを始める。

 可もなく不可もない結果であったが、オアーゼは満足げに微笑むと報酬の金貨が入った革袋を“息子の誕生日の祝儀”と称して普段よりも多く寄越したという。

 だが、いざ帰るとなった時、俄に掻き曇り大雨に見舞われたのだそうだ。

 

「ははぁん、その後の事は大体想像がついたぜ。雨の中を出て行こうとする公爵に“お待ちを。遣らずの雨で御座います”って引き止めたってところかい」

 

「そこまで時代掛かった云い方はしなかったよゥ。“通り雨だろうから、少し雨宿りをしておきなさいませ。すぐにやみましょう”くらいは云ったかねぇ」

 

「ふぅん、いつまで待ってもやまぬ雨、互いを憎からず思っている男と女が二人きり、気まずい沈黙、いつしか二人の影は重なってって、ダメだな。俺には脚本家の才能が無いらしいや、三文芝居にもなりゃしねぇわ」

 

 今のは聞かなかった事にしてくれ――ミーケは照れ隠しに頭を掻いた。

 

「流石にそこで一気に仲が深まったワケじゃないよゥ。切っ掛けにはなったけどね」

 

 どう立ち回ったのか、今は公爵の屋敷に招かれるまでになっているという。

 しかも嫡男に懐かれるまではまだ理解できるが、正室とも打ち解けており、時には公爵が公務で不在であっても女二人のお茶会をするまで仲良くなっているらしい。

 

「つまりアレか? 相談というよりは惚気に来たのか?」

 

「惚気というか報告というか、兎に角、知っておいて欲しかったんだよゥ」

 

 クシモとしては歓迎しても良い話だった。

 魔女の一族であるがゆえに幼い頃より迫害され、心無い男達から強姦されかけて以来、恋をすること自体を忌避するようになってしまっていたが、どうやらオアーゼとやらはその心の傷を癒やし恋心を抱かせる程に良い男らしい。

 既に妻子があり、貴族と魔女という身分の違いがネックだが、仮に側室になれずとも内縁の妻となる道もある。

 事実、そうやってパトロンを得ている魔女も少なくはない。

 聞けば正室とも上手くやっているらしいので、このまま幸せになって貰いたいものだと願わずにはおれない。

 ふと、いつの間にかミーケが黙っている事に気付く。

 見れば彼は腕を組み、天井を見上げ何やら思案している様子だった。

 

「ど、どうしたんだい? 急に黙ったりして」

 

 ユームも異変に気付いたのか、心配げに声をかける。

 するとミーケはユームの顔を覗き込むようにして云った。

 

「バアさんの幸せに水を差すようで、云うべきか迷ったンだけどよ……やっぱ云う事にするわ」

 

「な、なんだい?」

 

 ミーケは七呼吸の間を置いてから続けた。

 

「悪い事ァ云わねぇ。今後はもう二度とオアーゼ=ツァールトハイト公爵とは会うな。出来れば、これがお互いの為と思って魔女の谷に結界を張って公爵さまが近づけないようにするのが一番だと思うぜ」

 

 ミーケの上目遣いというより三白眼がユームの目を捉えて離す事は無かった。




 やっと魔女狩り編が進みました。むしろここが本当の始まりです。
 ミーケは別れろと云いますが、失恋をした訳でもないのに初めての恋を捨てるなんてできません。
 次回、その理由をミーケは並べ立てますが、それでもユームには受け入れがたい事です。
 ましてや相手の公爵には何の落ち度も無いのですから(妻子の有無は横に置くとして)。

 一方でミーケ達、慈母豊穣会は結構やりたい放題やってます。
 まあ、世に仇を為しているワケではないので誰も咎めようはないのですがね。
 またミーケは以前も述べたように根っ子の部分はまだ幼いので、侮辱に対してのスルースキルはかなり未熟です。そのせいでハイエルフとの和解は遠のきはしましたが、逆にドワーフには気に入られたのでアルウェンとしては複雑な気持ちでしょう。
 エルフとドワーフとの和解はいずれ『最後の種族間戦争』と黒幕に雇われて戦争をプロデュースしていた敵だった頃のおシンとの戦いを絡めて書きたいと思います。

 その前に魔女狩り編を今年中に終わらせないとですね。
 それではまた次回にお会いしましょう。


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第漆章 魔女の為の救済策

 場の空気が凍りつき体感温度が一気に下がったのをクシモは感じていた。

 ユームも一瞬、何を云われたのか理解できていなかったのか、暫くきょとんとしていたが、少しずつ意味が脳に浸透するにつれ表情が険しいものとなっていく。

 

「どういう意味だい? オアーゼ様と別れろだなんて……事と次第によってはアンタといえども承知しないよゥ?」

 

『ユームの云う通りだ。そなたが突飛な言動をするのは今に始まった事ではないが、云って良い事と悪い事の区別がつかぬ分別の無い男ではなかったであろう』

 

 ミーケの三白眼が今度はクシモを捉える。

 その威圧に地母神は小柄とさえも呼べぬ小さく幼い教皇が巨大に見えたものだ。

 

「バアさんは兎も角、アンタが知らねぇのは可笑しいだろ。それでも『一頭九尾(ナインテール)』が一柱か。いや、だからこそ内密にしているのか?」

 

『何の話だ? そなたは何を存じおる?』

 

 すると教皇は再び天井を見上げて目を瞑った。

 そして七呼吸の間を置いた後、エナジードリンクの残りを一気に呷る。

 叩きつけたワケではないが、テーブルに空き缶を置いた音がいやに響く。

 

「口止めをされたワケじゃねぇが、かといって云い触らす話でもねぇ。そこを含ンだ上で聞いてくれ」

 

 クシモとユームはほぼ同時に頷いた。

 

「近い将来、と云っても何千もの年月を生きる魔王の時間感覚だからスパンは無茶苦茶だが遅くとも二十年内に『魔王禍』が起こる。それもざこば(・・・)の手によってな」

 

『ま、『魔王禍』だと?! およそ百年前、確かに余も行ったが、自分の意思で地上を侵攻したと認識はあれど、魔王の手による神罰の代行(・・・・・・・・・・・・)をさせられているという自覚が出来ないタチの悪いものだ。それが再び……』

 

「と云うか、ざこばって誰だい?」

 

「あ? バアさん、アンタ、自分の先祖のことも知らねぇのかよ」

 

「せ、先祖って『死者の王』ドクトル・ゲシュペンスト様の事かい?!」

 

『そなたがつけるニックネームは相変わらず酷いな』

 

 『死者の王』ドクトル・ゲシュペンスト、本名をクレーエという。

 太古において魔導を極め、人類で初めて大精霊との契約に成功した偉大な魔法遣いであり、精霊魔法の礎を築いた人物でもある。

 死後、その知識と知恵が失われる事を惜しんだ神々に請われるまま冥府の王の補佐に就き、彷徨える憐れな亡霊達や天国にも地獄にも行けぬ自殺者の魂、幼くして死した魂の引き取り手ともなった。

 しかし、世に怨みを遺したまま死んだ魂は思いの外に多く、神の救済の手が追い付かない程であり、然しものクレーエも扱いに困る事になる。

 その頃、魔界に潜む悪鬼、悪霊を抑え込む為に天界より『月の大神』が降臨する事が決まり、クレーエが『月の大神』に怨霊と化した憐れな魂達の救済を請うと、魔界の一角に死者の国を作り、その王になる事を提案された。

 荒魂に生前と同様の生活をさせる事で安寧を取り戻させる為の仮初め国ではあったが、魂達の慰めになるならばと慈悲深くもあったクレーエは王となる事を承諾し、名をドクトル・ゲシュペンストと改めて『死者の王』を名乗るようになる。

 その際、彼女は大精霊達をも虜にした美貌を捨て、髑髏の(かんばせ)となり、彼らから与えられた煌びやかにして荘厳なドレスを色褪せさせ埃にまみれさせる事で、美しいものもいずれは朽ち果て滅びるのだと己を見る者達への教訓としたのであった。

 しかし、彼女の美貌を惜しむ大精霊達の強い訴えにより、『月の大神』が月に一夜、満月の夜にだけ元の美麗なるクレーエに戻れるようにしたという。

 そして日が昇り始めると共にクレーエは急激に老いて、夜が完全に明ける頃にはおぞましい髑髏の魔王へと戻ってしまうのだ。

 その老いた顔が教皇ミーケの目に上方落語家の二代目・桂ざこば氏そっくりに映った事がニックネームの由来である。

 

「仮にも女につける渾名じゃないだろう……」

 

「本人は気に入ってるンだから別に良いだろ。そのせいか知らねぇが、『死者の王』の趣味に落語が加わっちまってな。一度、“廓物”を聞いてみねぇ。髑髏とは思えねぇ表情豊かな色っぽい演技がたまんねぇから」

 

『魔界がどんどんツキヤの色に染まっていくなぁ……この間も盗賊の守護者であり、人に他者の財を奪う知恵と誘惑をもたらす『盗賊王』に向かって、“盗みを極めたという事は防ぎ方も分かるはず、なら『防犯の神』になれ”と抜かしおったしな』

 

「おう、名付けて『魔界ポジティブキャンペーン』よ。魔王みんなで神になって星神教から信者を掠め取ってやろうって云ったら『盗賊王』のとっつぁんが乗り気になってくれてな。今、『防犯の神』を中心に据えたセキュリティ会社を作ろうぜって話が纏まりつつあるンだ。当然、宗教法人としてな」

 

 クシモとユームは返す言葉が見つからなかった。

 この子はどこまで商売を広げる気なのだ。

 しかも魔王達をも巻き込んでまで……

 

「まあ、商売の話は横に置いといてだ」

 

 ミーケの言葉に両者ははっとなる。

 

「ざこ…『死者の王』が『魔王禍』を起こしたらどうなるか、聡明なバアさんなら分からねぇワケはねぇよな?」

 

 魔女は『死者の王』の流れを汲み、ユームに至っては直系の子孫である。

 しかも魔界の眷属であり、ただでさえ迫害の対象となっているのだ。

 場合によっては魔女狩りさえ起こりかねない。

 

「それに聖都スチューデリアの大臣だぁ? スチューデリアと云ったら星神教を国教にしてるだろがよ。あの異端アレルギーの星神教の事だ。下手したらアンタの大事なオアーゼ様は魔女と交わったとして改易、悪けりゃ死罪もあり得るぞ?」

 

 ミーケの指摘にユームは唇を噛んで俯く。目尻には涙の粒が浮かんでいた。

 どうして? 初めての恋、祝福してくれると思っていたのに……

 クシモは揶揄いながらも温かな眼差しを向けてくれたが、孫のように可愛がっていたミーケはそれどころか別れろ、このままでは破滅するとまで云う。

 ユームの気持ちを察したのかクシモが非難を込めてミーケの脇を肘でつつく。

 

『おい、少しはユームの……』

 

「気持ちを汲めってか? それでどうなる? キツく云おうがやんわり云おうが別れさせる事に違いはねぇだろ? だったらバアさんに恨まれようと確実に別れさせられ

る方を選ぶよ、俺は」

 

『だからと云ってそなたが悪者になる事もあるまい。況してやユームにはそなたも懐いていたであろう。そういう役目は余に任せれば宜しい』

 

 俺が云うから効くンだろうが――教皇は目を瞑り眉間にシワを寄せて続ける。

 

「相手が公爵、しかも皇族公爵じゃなけりゃ、ハイス母さんにバアさんがやったように遠くに逃がすって手もあったがな。しかも妻子がいるンだぞ? 側室は? 公爵のご母堂もご健在だ。兄弟、親戚、女房殿の親類もいるぞ。云いたい事は分かるよな? この手の罪は連座が相場なんだぜ。一族郎党丸ごと助けろってのか? そんな事をしたら今度は慈母豊穣会とスチューデリアとの戦争だ。いや、状況が状況だ。星神教の本隊が出張ってくるかもだぜ。教皇としてそんなリスクは負えねぇよ」

 

 慈母豊穣会も今や星神教やプネブマ教も無視できない規模に発展しており、現世利益もある事から権威も順当に上がってきている。

 その組織の設立者でもある(おさ)が構成員を危険に晒すワケにはいかないのは理解できるが、それでもツキヤにだけは味方でいて欲しかったと思うのは図々しい話なのであろうか?

 ユームはまるで捨てられた赤子のように心細かった。

 

「俺に、いや、『死者の王』に出来る事は精々『魔王禍』までに魔女と魔界が不仲である事を見せ付けて、この戦争に魔女は関わりが無いとアピールするくらいだ。これはバアさんの事が無くても元々そうするつもりだったがな。それに『月の大神』の方でも動いているそうだ。“魔女は魔界の眷属なれど人類の敵に非ず。妄りに事を構える事は禁ず”ってな」

 

「ツキヤ……」

 

 ユームが顔を上げる。

 

「だが、魔女と皇族公爵が結ばれればどうなるか分からん。上層部(うえ)が理解を示しても信徒(した)はやはり早々には差別根性が抜けねぇと思う。だから俺としてはバアさんの恋を応援するワケにはいかんのよ。もし俺の忠告が聞けないって云うのなら、せめて誰にも見つからねェようにしろ。気の毒だが側室は諦めろ。精々が内縁の妻だ。まあ、公爵が死んだ後、墓を分けて貰い魔女の谷にも建てられる許可を得られるように尽力はしてやるが、俺にできる事は悪いがこれくらいが精一杯よ」

 

 それで十分だよゥ――ユームは本心では味方のままでいてくれたミーケに嬉し涙を流した。

 

「ただ、これだけは約束してくれ。予防線を張れるだけ張るがそれでも不測の事態は起こる時は起こるもんだ。その時はまず自分と公爵さまだけでも俺の実家に逃げろ。公爵家や奥方の縁者は可能な限り俺が何とかする。生きる事を諦めるな。そして自分達の恋を続けた結果を呑み込むだけの覚悟はしておけ。その事は公爵さまにもきちんと伝えて約束させろ。いいな?」

 

 ミーケの三白眼の威圧が増して、ユームは頷くのが精一杯だった。

 

「頼むぜ。もし、バアさんに何かがあったら、おいらは腹を切って天国にいるハイス母さんに詫びに行かなきゃなんねぇからよ。“アンタの恩人を守護(まも)ることが出来なんだ”ってな」

 

「ハイス……そうかい。あの()、死ぬ間際にアタシの事をアンタに頼んでいたんだね」

 

「別に頼まれちゃいねぇよ。ただ恩を返しきれてないって云ってたから俺が勝手に引き継いだだけさね」

 

 ハイスとは昔、ユームが遠方に逃がしたアルウェンの自称ライバルである勇者の名前である。

 またミーケに冒険者のイロハを叩き込み、異世界の知識や各国の情勢を教えてくれた人生の師であり、異世界におけるミーケの母となってくれた女性(ひと)でもあった。

 

「けど、良いのかい? オアーゼ様や正妻さまの親類まで助けるって云っちまって。リスクを回避するのが教皇なんだろう?」

 

「聖都スチューデリアの筆頭将軍ってな、ぽっちゃりした若い娘が好みなんだってよ。星神教最強の聖騎士団長は堅物そうに見えて女装が似合う美少年にどっぷりとハマってるそうだ。その二人にちょいと足止めをお願いすれば一族まるごと助けるのは勿論、慈母豊穣会が動いた証拠を消す時間も十分稼げるだろうさ。後は鼻薬を嗅がせる相手を間違えなければ、“あれぇ? 公爵の親類はどこぉ?”ってなる寸法よ」

 

「本当にオソロシイ子だねぇ……」

 

「覚えておけよ。どんなに強い奴でも睾丸(きんたま)掴ンじまえば力が抜けちまうって事さね。これぞ『淫魔王』直伝ハニートラップの極意よ」

 

『相手の性癖を掴んで脅す事をハニートラップと抜かすか……』

 

「絶対に身バレしない上級国民用高級娼館って触れ込みでアチコチに造ったら、まあ、かかるわ、かかるわ。客の中には“聖女さま”と世間で評判を取っている徳の高い尼僧が仮面で顔を隠して御稚児を買いに来るって云うンだからよ。世も末だよな」

 

 元々は情報収集の為に始めたクシモ配下の吸精鬼(サッキュバス)による会員制娼館だが、予想を遙かに超えて慈母豊穣会の敵が多い事に危機感を覚えた彼女達が独断で知識を奪う能力を駆使して軍部、政治、宗教問わず上層部の弱味を握ったのだ。

 武人であるミーケの怒りを買う事を覚悟の上で報告すると、返ってきたのは労いと感謝の言葉であった。

 自分は確かに武人であると謳っているが、策略を用いぬ訳ではない。

 武人には武人の、サッキュバスにはサッキュバスの戦い方がある。

 むしろ体を張って貴重な情報を獲得してきたアンタ達には感謝の念しかない。

 そう云って頭を下げるミーケにサッキュバス達は感激を禁じ得なかったという。

 魔界の騎士達からどちらかと云えば蔑まされていた彼女達は、素直に感謝の意を伝え頭を下げられる彼に熱烈な忠誠を誓うようになっていくのだった。

 

『近年、サッキュバス達の間では、このクシモとミーケのどちらに命を捧げる事ができるか論争になっているそうだな。ミーケが大切に想われている事を喜ぶべきか、余とミーケを天秤にかけている事に腹を立てるべきか』

 

「クシモ様をして“ミーケの為なら死ねる。むしろ死ぬよ”と仰せですものね」

 

『おま、ソレをミーケの前で云うなよ』

 

 姦しくなってきた女二人にミーケはげんなりとした表情を浮かべた。

 話が脱線しかけてきたのでミーケは一度咳払いをする。

 

「まあ、別れろと云ったのは悪かった。云われるままに引いてくれればそれで良かったンだが、そこまで真剣(ガチ)なら俺からはもう異論を唱えるつもりは無ェよ」

 

「ツキヤ、ありがとう。約束するよゥ。必ずオアーゼ様とじっくり話し合って、今後の交際をどうすれば安全に続けていけるか考えてみるさ」

 

「云ってくれれば逢瀬の場所は提供してやる。ただ、その露出の多いアニメの悪役みてぇな魔女ファッションは控えてくれ。悪目立ちにも程がある」

 

「悪役て……これは魔力の流れを肌で感じ、大気に漂う魔力を全身で吸収し、果ては魔界の王達の無聊をお慰めする由緒正しい魔女の装いだよ」

 

「魔女で御座いって云わんばかりの恰好をナントカしろって云ってンだよ。お袋だってバアさんに育てられたが露出は好んでなかっただろ」

 

『いや、アルウェンもミニスカート愛用していて健康的な生足は勿論、動く度に眩いばかりの白いショーツを拝ませてくれていたぞ』

 

 余計な事を云うクシモの顔にミーケの裏拳が叩き込まれた。

 ミーケとしても、もう玄孫(やしゃご)もいるのだからそろそろミニスカートはやめにしないか、と打診はしているのだが、“僕のポリシーなんだ”と真剣な顔で云われては“あ、はい”と返すより無かったという。

 

「まあ、後日、お袋も交えてアンタの服をいくつか新調しようよ。あ、勿論、ミニスカは無しだ。親のパンチラを見るのもキツイのにバアさんのを見た日には……な」

 

「どういう意味だい」

 

 ジト目で睨らまれるがミーケは平然としている。

 

『余としてはレディー用スーツにメガネをかけた女教師風を推したい』

 

「アンタは黙っとれ。趣味の話をしてるンじゃねぇよ」

 

『きゅっ!』

 

 ミーケは裸絞めでクシモを絞め落とした。

 主に対する容赦の無さにユームは苦笑いを浮かべる。

 この主従の遣り取りは最早慣れたものなのだ。

 

「教皇さま、そろそろお時間です」

 

「おう、そうか。ありがとうよ」

 

 ドアがノックされ、時間を告げられるとミーケは礼を云って立ち上がった。

 

「あ、もう午後の仕事かい。忙しい中、悪かったねェ」

 

「いや、今日はもう仕事は上がりだよ。ちょっと予定があってな」

 

「予定?」

 

 ミーケはクローゼットを開けてスーツを取り出しながら答える。

 

「ああ、墓参りだよ。今日は大切な友達の祥月命日なんだ」

 

 ネクタイを締めながらミーケはユームに振り返る。

 

「バアさんも時間があるなら一緒に行くかい? 暫くお袋にも会ってなかっただろう? ついでに服屋にも行こうじゃねぇか」

 

 意外にもスーツに着せられた感は無く、きちんと着こなしつつミーケは髪をオールバックにして首の後ろで結わいている。

 

「行くのは構わないけど、誰の墓だい?」

 

「バアさんも知ってるヤツだよ。東雲(しののめ)姫子。姉貴が嫁いだ東雲一族の本家のお姫様さ」

 

 ユームの脳裏に、かつて’籠の鳥”と表現した幼い少女の顔が鮮明に蘇る。

 自由を渇望しながらソレは叶わず、若くして命を散らした憐れな娘であった。

 そして同時に嫌な顔も思い出してしまう。

 姫子の夫でありながら、彼女の死を嘆くどころか、命と引き替えに産まれた赤ん坊を見て、“何故、男を産まなかった”と亡き妻を罵ったいけ好かない男の顔だ。

 

「ああ、行こうじゃないか。命日って事はあの男も来るんだろう? ずっと一言文句を云ってやりたいと思っていたんだ」

 

「悪いが俺はヤツとは会いたくねぇンだよ。本家が墓参りするのは午前中だ。わざと時間をずらしたのさ」

 

 二人は知らない。

 姫子の夫がミーケの思惑を見越して待ち構えていた事を。

 そして、その再会が後々に思わぬ事態を引き起こす事になるとは想像すらしていなかったのである。




 何だかんだでユームの味方だったミーケでした。
 元々『魔王禍』で魔女達に被害が出ないように色々と準備をしていました。
 実際、『魔王禍』の最中で魔女狩りが起こった事は一度や二度ではありません。
 ただ、いくら予防策を練っても想定外の事態は起こるものです。
 なので、ミーケとしても、この時期にスチューデリアの大臣と恋仲? 勘弁してくれ、となってしまいます。

 オアーゼ公爵は誠実清廉の人です。
 政治の人ですから勿論、清濁併せて呑み込む器量も持ち合わせています。
 ただ本人はまだ登場していないのでここでは掘り下げません。

 因みに月弥が七呼吸置くという描写が散見されますが、これにも理由はあります。
 武士道論書『葉隠』にて『七呼吸の間に思案しろ』という言葉があります。
 「分別も久しくすればねまる」つまり思案は長くたてばにぶるとあります。
 更に「万事しだるきこと十に七つ悪し」万事ぐずぐずしたものは十に七つは悪いとしてるのです。
 これはただ即決するのが良いと云っているのではなく、心持ちがうろうろしている時は正しい決断はつかない。澱なくさわやかに凜とした気持ちで思案すれば七呼吸の間に胸がすわって決断できると云っているのです。
 月弥はそれを実践しているのですね。

 さて、次回は友達の墓参りです。
 そこで待ち構える友の夫は如何なる思惑があるのでしょうか。
 これが今後の展開に大きく関わることになっていきます。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第捌章 東雲家の一族

 とある寺院の外れに小さな墓がポツンと建てられていた。

 墓碑には『姫子之墓』とあったが、何故か苗字は何度も斬りつけたかのように削られて読むことは適わない。

 そんな無惨な墓を黒いスーツを着た小柄な子供が懸命に掃除をしている。

 

「非道いもんだねェ……こんな寂れた場所に本家のお姫様がたった一人で眠っているのもそうだけど、何をどうしたらこのような有り様にできるんだい?」

 

 同じく黒いスーツを着た薄紫色の髪の女性が墓の周囲を覆い尽くしている雑草を引き抜きながら誰に云うでもなく独りごちる。

 午前中に本家の墓参りがあると聞いていたが、それにしては荒れ放題であるし、何より花の一本、線香の一本も手向けられた気配も無かった。

 

「さあな、野郎が何を考えてやがるのか知らねぇし知りたくもねぇやい」

 

 初めは純白だったタオルが三本、泥と苔ですっかり汚れきったところで漸く墓が綺麗になったが、削られた苗字が却って浮き彫りになってしまったようだ。

 子供が削られた部分に手を翳すと、掌にほんのりと光が灯り墓を照らした。

 

「何度直してもそのたんびに削られちまうンだがやらねぇよりはな」

 

 なんと墓石の穴が見る見るうちに塞がり姫子の苗字が再生される。

 三池月弥は東雲(しののめ)姫子の墓を哀しそうに見詰めるのだった。

 その後、月弥も草毟りを手伝い、人の墓らしい状態になる頃には日が傾き始めてしまっていた。

 月弥は寺院の横にある生花店で購った花束を供え、線香を手向けると、しゃがみながら手を合わせる。

 

「よう、今年も来たぜ。あの世の暮らしはどうだい? それとも、もうとっくに違う生命(いのち)に生まれ変わっているのか? 俺は相変わらずだが、最近、ダチがちらほら逝くようになっちまってな。今年の春なんざ、百歳以上は生きると思っていた神崎のバータレが()ンじまったよ。あの野郎、“俺が死ぬ時は腹上死以外に無い”と云ってたクセに年末から長引いてた風邪を拗らせてな。そのままさ」

 

 人の寿命ってな分からんもんだよなァ――月弥が少し鼻をすすった。

 友に置いて行かれる痛みを知る魔女ユームは黙って月弥の肩に手を置いた。

 

「けど入れ替わるようにトラの孫が生まれてよ。誰かが“神崎の生まれ変わりだ”と云ったらトラのヤツ、“こんな可愛い女の子を掴まえて、あの狒々親父の生まれ変わりとはどういう了見だ”ってキレやがってな。あわや警察沙汰の大暴れさ。まあ、こうしてな。ダチが逝くのは寂しいが、毎日、賑々しくやってるわ」

 

 その時、爽やかな涼風が二人の顔を優しく撫でる。

 図らずも二人の脳裏に愉しげに笑う姫子の顔が浮かんだ。

 

「そうかい。俺の話は愉しいか。じゃあ、来年も面白い話を仕込ンでまた来るよ。俺はまだまだそっちには行けねぇが、多分、神崎も地獄に堕ちてねぇと思うから一緒に愉しくやって待っててくれよな」

 

 立ち上がる月弥の顔を夕暮れ時とはいえ、真夏とも思えぬ冷たい風が襲う。

 月弥は姫子の墓に向けていた柔かな頬笑みを消して振り返る。

 ユームもまた険しい表情(かお)になり宙に浮遊した。

 

「とっくにお帰りだと思っていたぜ。何か忘れ物かい?」

 

 月弥の見詰める先に数人の老人がいた。

 ユームは戦慄する。魔女ともあろう者がわずか数メートルまで接近を許すとは、恋に浮かれていたとしても普段なら有り得ぬ失態であった。

 

「相変わらず口の利き方がなっておらぬな。控えよ、お館様の御前(おんまえ)であるぞ」

 

 老人の一人、一際背の高い男が威圧するが月弥も負けてはいない。

 

「はん、何がお館様だ。高が田舎の一名士じゃねぇか」

 

「き、貴様! 分家の分際で畏れ多いぞ!!」

 

「俺が分家ならテメェも分家だろうがボケ。いい歳こいて相変わらず虎の威を借る狐をやってンのか? そんな生き方して虚しくねぇのかよ?」

 

 すぅっと細められた闇色の瞳に囚われて、小柄ながらもでっぷりと肥えた老人が冷や汗を垂らして半歩下がった。

 

「な、何たる侮辱! お、お館様、この無礼者を許してはなりませぬぶえっ?!」

 

 小柄な老人が紋付の男を見上げて進言しようとするが、紋付の男が持つ杖に鼻面を強かに打ち据えられ顔を押さえて蹲る。

 黒い着物をきた背筋のすっと伸びた老婆がしゃがんで小柄な男の鼻にハンカチを当てているが、気遣っている風には見えず、聞き苦しい呻き声をさっさと止めたいという様子である。

 

「久しいな、月弥。こうして直接顔を合わせるのは十年ぶりか?」

 

 紋付の男がすっと前に出て月弥に話かける。

 杖など要らぬかのようにしっかりとした足取りも然る事ながら石畳を踏む足からはひたりとも音がしない。

 

「どうせならテメェの葬式まで会いたくはなかったがな。もしかして、今までスタンバってたのか? 今更俺に何の用だよ?」

 

「そう邪険にするな。折角、東雲五家が集まったのだ。ゆっくり食事でもしながら話をしようではないか」

 

「カッ、テメェらとツラ突き合わせて喰う飯はさぞ不味かろうよ。悪いがパスだ」

 

 吐き捨てるように嗤ってやると老人達が色めき立つが、紋付の男が右手を上げた途端に鎮まるのを見て月弥は苦笑した。

 

「随分と手懐けられてるじゃねぇか。俺ら分家衆の役割は東雲本家に尻尾を振ることじゃないぞ。本家のサポートもそうだが、独裁を防ぐのも俺達の役目だろうが? いつからテメェらは本家の幇間(たいこもち)になったンだ、ああ?!」

 

「我らが幇間なら貴様は拗ね者であろうが。貴様が東雲のお役目を蔑ろにしているせいで我らに要らぬ苦労をかけさせておるのに偉そうな事よ」

 

 長身の老人が月弥を睥睨する。

 しかし異世界や魔界で揉まれてきた月弥にとっては何処吹く風であった。

 

「あ? 三池のお役目ならちゃんとこなしているだろうが? むしろ、こちとらテメェらが仕損じた仕事のフォローまでしてやってるンだぜ? 人にケツ拭かせておいて偉そうなのはどっちだ、コラ」

 

 月弥の三白眼に睨まれて長身の老人は思わずたじろいだ。

 一歩下がりかけた所で背中に何かが当たり止められる。

 見れば杖の先端だった。

 

「口にせねば鎮まる事ができぬか? ならば云うてやる。黙れ」

 

 ユームはかろうじて悲鳴が口から出るのを抑えることができた。

 紋付の男から放たれる濃厚な殺気は魔女をして恐怖心を植え付けるほどであった。

 

「ほう、なかなかの殺気を出すようになったじゃねぇか。お人好しが服を着て歩いていたような若い頃からは想像できねぇよ。それに腕の方も落ちてないようだな。いや、若い頃より今の方が強いンじゃねぇのか?」

 

 魔王にも引けを取らぬ殺気に月弥は愉しそうに笑みを浮かべる。

 もっとも余裕がある訳ではなく、手の内には汗が滴っていた。

 

「勘違いするな。咎める為に殺気を出したのではない。月弥、お前も感じ取ってはいよう? ヤツら(・・・)の薄汚い気配にな」

 

「ったく、神聖な寺院に何で出るのかね? やっぱ、噂は本当だったのか? ここの住職が聖人と敬われている裏で“飲む”“打つ”“買う”の三拍子が揃った生臭坊主だってのはよ」

 

「知らぬよ。先祖代々からの菩提寺であるから使っているだけの話だ」

 

 紋付の男が杖に仕込まれた刃を抜くと自分の影に突き刺した。

 途端にこの世のものとは思えぬ絶叫があがり、黒く生臭いものが噴出する。

 

「出てこい。おぞましき“モノノケ”共よ」

 

 紋付の男の影から這い出てきたのは、正に“おぞましい”と形容するのが相応しい姿をしている。禿頭(とくとう)には顔の半分は占めている昆虫の複眼のような器官が左右に一つずつある。腕は異様に長く、そればかりか脇腹にも二対の腕が生えていた。腰は内臓や骨格が無いかのように異常なまでにくびれており、下半身に至っては最早人とは呼べず、蜂のようにずんぐりと膨れた腹部があって先端から槍の穂先のような針を出し入れしている。

 

『クソゥ!! よくも、この蜂魔(ほうま)を串刺しにしてくれたな!!』

 

 背中の羽を振るわせて蜂魔と名乗った怪物が宙に浮いた。

 見れば首の後ろから胸にかけて貫通した傷があり、そこから黒い血としか呼びようもないものを噴き出している。

 

「私を殺したくば、もう少し体臭に気を遣え。その鼻が曲がるような臭いを巻き散らしては自ずから居場所を教えているようなものだ」

 

 事実、蜂魔からは腐乱死体にも似た悪臭が立ち込めている。

 更に周囲に飛び散る黒い血もまた腐臭を放っていた。

 

『貴様ッ!!』

 

 紋付の男の言葉を侮辱と取った蜂魔が急降下して腹部の針を突き出す。

 紋付の男は動かないが、この場にいる者は一人として動じていない。

 部外者であるユームでさえ、紋付の男に危機が迫っているとは思っていないのだ。

 

「東雲流……『霜の夜』」

 

 両者が擦れ違う。

 

「憐れなる者よ。せめて痛みを知らず滅びよ」

 

 既に紋付の男から殺気は無い。

 いや、それどころか蜂魔が影から這い出た時にはもう殺気は無かったのである。

 月弥は内心、舌を巻いていた。

 霜が降りる夜の如き静寂が場を支配する。

 音ひとつ立てず一本の針が落ちた程度の気配を持って紋付の男の刃が振り下ろされるのを月弥は見た。

 蜂魔は脳天から針の先まで真っ二つになり、断末魔の叫びをあげる事なく静かに消えていった。

 まさに『霜の夜』の名に相応しい秘剣であった。

 

「やっぱり若い頃より強くなってるな。殺気も無く闘気も無く、かといって憐れむでもねぇ、全くのフラットな状態で斬るなんざ俺にはまだまだ出来ねぇ芸当だ。最近になって漸く七割の力で『月輪(がちりん)斬り』を成功させられるまでになったからな。完全に脱力した状態で成功させるまで後何年の修行せにゃならねぇのか。ましてや実戦で欠片も殺気を出さずに剣を振るなんてのは無理だぜ」

 

「アンタがあのレベルで剣を振れるようになったら、もう『一頭九尾(ナインテール)』の方々でもアンタを止められないよゥ」

 

 ユームは呆れて月弥の背に向けて云ったものだ。

 そして消えゆく蜂魔の残滓を見て紋付の男に声を掛けた。

 

「“悪しきモノ”の眷属を神器でもない唯の剣で斃す事が出来るなんてねェ。相変わらずシノノメ一族の力は凄まじいものだよゥ」

 

「星神教の神々が安易に世界と世界を繋ぎ、こちらの世界の人間を勇者として召喚していなければ“悪しきモノ”がこちらにまで侵食してくる事は無かったのだがな」

 

 『魔王禍』を収める勇者を態々異世界から召喚するのには当然理由はある。

 魔界軍の侵攻は神罰の代行である為に容赦が無く、仮に世界の征服に成功したとしても、これだけ破壊し尽くしてしまっては旨味が無いだろうと疑念が芽生える程に殺戮と破壊を徹底して行うのだ。

 故に勇者を選抜しようにも、この大破壊によって人々の心が折れてしまい魔王及び魔界軍に立ち向かおうとする勇気を持つに至らないのである。

 この事態に頭を悩ませていた神々はふと並行する異世界、即ち地球にも人間が住んでいる事に気付き、物は試し(・・・・)と召喚してみたという。

 試しで召喚された方はたまったものではないだろうが、話を聞くに連れて義憤に駆られるようになり、勇者として魔王を退けてみせようと請け負ったそうだ。

 彼は知恵は並以下ではあったが不思議と人望があり、人々を鼓舞しながら単騎で魔界軍と戦う姿を見せる事で、折れた心を振るい立たせて蘇らせたのだという。

 彼は神々から与えられた怪力と風のように疾駆することができる赤い毛並みの馬、そして斧槍(ハルバード)にも似た神器を用いて瞬く間に魔界軍を魔界へと追いやったのだそうだ。

 彼こそが地球から初めて召喚された勇者であり、天界には『ホウセン』と名が記されているという。

 

 だが()の世界の脅威は魔界軍だけではなかったのである。

 世界中に蔓延るモンスターという存在は魔界の眷属ではない。

 古来より人々から“悪しきモノ”と呼ばれ畏れられている存在が何者であるのかは解っていない。否、神ですら理解の範疇を超えているのだ。

 定まった姿形を持たず、体の大きさすら自在に変える事が出来るのだそうだ。

 解っている事は無尽蔵ともいえる永遠に満ちない食欲と神や精霊さえも滅ぼす無差別にして強大な破壊力、そして意思の疎通が不可能である事だ。

 二つ以上の個体が連携している事から白痴蒙昧ではないと推測できるのだが、こちらからのコンタクトはその悉くを襲撃をもって返されてしまうのが常である。

 そして“悪しきモノ”の真の恐ろしさは破壊力のみではない。

 彼らの全身から“黒い霧”と称されるモノが絶えず漂っており、ソレに触れた者は例外なく腐り溶けて三日をかけて死に至るのである。

 その想像を絶する苦痛により感情が暴走し、周囲に罵詈雑言をぶつけながら死んでいくという。例外は無く、中には聖者と称えられた徳の高い者すらいたらしい。

 その死後、溶けた肉体はおぞましい姿へと作り変えられ、モンスターへと変貌し“悪しきモノ”の尖兵として世に仇をなすのだ。

 しかもモンスターに変えられるのは人間だけではない。獣や植物も云うまでもなく、無機物や果てには神の残滓でさえも怪物と化しているという。

 “悪しきモノ”と呼ばれる所以である。

 

 “悪しきモノ”がいつから地球に入り込んだのかは不明だが、歴史の中で極悪人と呼ばれる者達の中には“悪しきモノ”によって人の姿をした怪物にされた者がいるとされている。

 その“悪しきモノ”の眷属を討伐する目的で誕生したのが東雲流であり、東雲流剣士達を統括しているのが東雲一族なのである。

 “悪しきモノ”を含め眷属共は人々の抱く憎しみや妬みなどの悪感情も糧にしているらしく、憎しみをもって斬る事で却って彼らを活性化させる事態になってしまった事を受けて、東雲流の開祖は許し(・・)の心を持って斬る事により“悪しきモノ”を浄化する技を編み出したのだという。

 そして政府公認の組織として二十一世紀の今をもって帯刀を許可され、日本においては“モノノケ”と呼ばれる怪物討伐のスペシャリストとして栄えているのだ。

 

 東雲流は東雲家を宗家として中心に据え、その補佐に四天王と呼ばれる分家四家をつける事で足元を盤石なものとしている。

 四天王とは即ち、東雲家に随行し共に“モノノケ”討伐を行う三池家、諜報に長けた水心子(すいしんし)家、物資及び武器の調達を受け持つ固山(こやま)家、渉外や“モノノケ”討伐後の後始末を請け負っている森岡家である。

 他にも様々な役目を負う分家は存在するが、特に重用されており強さにおいても群を抜いているのが四天王なのだ。

 そう、紋付の男、東雲家当主に鼻を打たれて悶絶しているこの小柄な男、森岡家当主もまた人格は別にして四天王に恥じぬ実力を持っており、竹刀試合であれば老いた今なお三本中一本は月弥から奪う事ができる達人であるのだ。

 

「ふむ、共に食事を愉しむ空気ではなくなったな。だがお前に話があるのは本当の事だ。近い内に改めて会食の場を設けるゆえ参加してくれ。心配せずとも畏まった席ではない。旧交を温めつつする話だ。悪い話はしないと約束しよう」

 

「何だってンだ? 見合いならノーサンキューだぞ?」

 

 月弥の言葉を受けて東雲十六夜(いざよい)は初めて笑みを浮かべた。

 

「お前に人間の娘を世話する訳にもいかんだろう。そうではなくてな。孫娘が婿を取る話が纏まりつつあるのだが、その男が今まで“モノノケ”の存在を知らずにいた外部の人間なのだ」

 

「ああ、風の噂で聞いてるぜ。お前の孫が追っていた“モノノケ”が逃げ込んだ先がその男の家で一家惨殺の憂き目にあったってな。しかも同じ高校に通う生徒で、その上クラスメートだったとか? 慈母豊穣会でも善く“ソレ、何てエロゲ?”って話題にのぼっているよ」

 

 月弥の軽口を無視して東雲家当主は続ける。

 

「初めは孫を憎んでおり、孫、櫻子も“お役目”ゆえに仕方が無かったのだと割り切る事もできずに苦しんでいたが、何の因果か、その高校が“モノノケ”の隠れ家になっていてな。少年は何度も“モノノケ”討伐に巻き込まれていたそうなのだ」

 

 意図せずに少年は櫻子の足を何度も引っ張る事になるのだが、機転が利くのか“モノノケ”の弱点や攻略の糸口を見抜いて櫻子の勝利に貢献していたらしい。

 そんな事を繰り返している内に二人の蟠りは解けつつあったのだが、ある晩の事、櫻子が“モノノケ”の罠にかかって囚われの身となり一週間にも渡り拷問と称して陵辱の限りを受けていたのだが、僅かな手掛かりを元にした少年の執念の推理によって校長こそが“モノノケ”である事を突き止めて櫻子を救出したのだという。

 忌まわしい事件ではあったが、それが切っ掛けとなり二人の交際は深まって、大学を卒業した後に結婚することが決まったそうだ。

 

「なあ、三池の門下生にゲームのシナリオライターがいるンだが、詳しい話をソイツにしたら面白いゲームが出来るんじゃね?」

 

「孫が陵辱された話を語れるか、莫迦者。それに東雲流が政府に公認されているとはいえ、“モノノケ”の存在を示唆するものを公開する事は御法度だ」

 

 月弥は、冗談だ、と笑った。

 

「で、俺に取っての悪くない話ってなんだよ? お前の孫が結婚するとして俺に、否、三池家に何の関わりがあるよ? 云っとくが独身の俺に仲人はできねぇぞ?」

 

「だが異世界では地母神クシモと火の大精霊フランメの両人は三池姓を名乗っていると聞くぞ? 夜這いを撃退している以外は仲も良好であろう。何よりコレだけはお前に引き受けて貰いたい。杯を交わした義兄弟のお前にしか頼めぬ事なのだ、三池の兄弟(・・)

 

 東雲家の次代には男子はいない。

 将来、櫻子が男子を産めば仲人となった月弥は次期当主の後見人となる。

 悪い話ではないとはそういう意味なのであろう。

 

「チッ、ここで兄弟と呼ばれたら断りづれぇだろうが」

 

 月弥は苦々しく頭を掻いた。

 

「分かったよ。仲人の件は引き受けてやるよ、東雲の兄弟」

 

「そうか、“モノノケ”に陵辱された過去から引き受けてくれる者がいなくてな。兄弟以外の四天王すら尻込みする始末で困っていたのだよ」

 

 東雲家当主の言葉に背後の老人達が縮こまった。

 

「結局、消去法じゃねえか!」

 

 一応はツッコンではみたが、東雲十六夜の目を見れば本気と知れた。

 

「ただし一つだけ条件がある」

 

「何だ?」

 

 月弥は姫子の墓を指差してその小さな体からは想像も出来ない声量で云った。

 

「この墓の有り様は何だ?! 荒れ果ててるばかりか、花の一本も手向けられて無ェってのはどういう事だ?! それ以前に何故、墓から東雲の名を削る?! 納得のいく返事を聞かせて貰わん限りは仲人は引き受けるつもりは無いと思え!!」

 

 否!!――月弥の鋭い眼光が東雲家当主を射抜く。

 

「返事によってはテメェとの杯を返させて貰うぞ!!」

 

 東雲家当主は目を瞑って黙っていたが、七呼吸の後に静かに口を開くのだった。




 しばらく時間が空いてしまいましたが無事に更新できました。

 東雲本家との邂逅ですが、勿論、無駄ではありません。
 今後の魔女狩り騒動にもがっつりと絡んできます。
 エロゲに出てきそうな組織ですが、特にお約束のような足の引っ張り合いは無く、当主の東雲十六夜も恐怖政治のワンマン当主ではなく、ちゃんと分家衆や若手の意見にも耳を傾けています。
 次回、当主から何が語られるのかはお楽しみに(過剰に期待されても困りますけど)

 “悪しきモノ”の設定は小説家になろう様に投稿している拙作『雪月花日月抄』にも出てくるものと一緒です。
 時代こそ違いますが世界観は同じですし、雪子達の時代でも“悪しきモノ”を何体かは滅ぼしてはいますが、根本的な解決はできませんでした。
 当主の孫も非道い目に遭ってますが、実は基本的に複数人で討伐任務に当たる事を徹底しているにも拘わらず、単独で行動していた孫の自業自得でもあります。女として生まれたが故に当主にはなる事ができず、しかも長女として強制的に婿を取ることが決定付けられている運命に反抗しての事だったりします。そのせいで未来の夫の家族は皆殺しになるし、高校を中心に“モノノケ”が出没する事に不審を抱いた当主が調査員を派遣しているのですが、「私の学校は私が守る」と追い返してしまいます。
 まあ、“はい、そうですか”という訳にもいかないので、陰ながら調査するのですが、それが校長が黒幕である事を突き止めるのが遅れた原因です。仮に素直に調査をさせていたら校長はあっさりと正体を見破られて退治された事でしょう。故に櫻子が陵辱されたのは因果応報なのです。
 しかし、こういう系統のゲームって主人公やヒロインって何で阿呆な行動をするんでしょうね?
 だからこそエロゲとしては美味しいのは分かりますけどねw

 それではまた次回にお会いしましょう。
 


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第玖章 失恋と友情と東雲姫子の秘密

「お前達、いつもの料亭(みせ)で先に()っていろ」

 

 東雲(しののめ)家当主の言葉に月弥を除く四天王は動揺する。

 

「お、お館様?! なりませぬぞ!! こやつは何をしでかすか分からぬ男。況してや魔女が共におるではありませぬか!! お館様にもしもの事があれば」

 

「もしもの事があれば我らの責任問題か?」

 

「いえ、決してそのような……」

 

 狼狽える長身の男に東雲家十六夜(いざよい)は溜め息一つ吐いた。

 

「ならば云い方を変えよう。外せ。私は兄弟(・・)と話があるのだ」

 

 三池月弥にも劣らぬ十六夜の眼光に固山(こやま)藤十郎は平伏した。

 

「では我らは先に参りますゆえ、ごゆるりと」

 

「うむ、もし私が顔を見せなんだら支払いは東雲家に回しておけ。お前達もゆっくり飲んでいくと良い」

 

「畏まりました」

 

 森岡龍之介が藤十郎の首根っ子を掴んで立たせると、その場から立ち去る。

 水心子(すいしんし)あやめは終ぞ一言も口を利かずに頭を下げて踵を返した。

 

「相変わらず龍の字は分からん。小物なのか強いのか」

 

「常に一歩引き、小物のロールプレイで我の強い我らの手綱を握っておるのよ。お前も気付いているだろう? 私に鼻を打たれたように見せてしっかり袖に隠した手甲で防いでおった。嘆かわしい事だが、藤十郎もあやめもそれを察することが出来ておらなんだわ」

 

「はあ、喰えない男だねェ。ツキヤは分かっていたのかい?」

 

「子細あっての小物ぶりだと思っていたが、俺達を操縦する為だとは思ってなかったよ。まあ、考えてみたら小物に渉外や後始末を任せる事は出来ねぇわな」

 

 魔女ユームの問いに月弥は肩を竦めて答えたものだ。

 そして東雲十六夜と差し向かいとなる。

 

「で? 姫子の墓の有り様について納得のいく説明をお聞かせ願えるンだよな?」

 

「ああ、私もこの歳まで随分と悩んだが、一人で秘密を抱えるのも疲れた。お前が耐えられるかは分からんが私としても誰かに打ち明けたかったのだよ」

 

「あん? 随分とまた思わせ振りな云い方をするじゃねぇか」

 

「聞けばお前も納得するはずだ」

 

 十六夜は姫子の墓に哀しげな目を向ける。

 

「思えば姫子は我らの青春だった。お前もまた姫子に惚れた男の一人であったな」

 

「俺と姫子は友達だよ。好きだったが惚れたハレたって関係じゃねぇ」

 

「だが、少なくとも姫子はお前が婿に来る事を望んでいた」

 

「それを云うな!!」

 

 視線だけでも射殺さんばかりに十六夜を睨んでいるが、ユームの目には月弥が怒っているというより泣いているように見えた。

 自分も恋を知ったが故に解る。十六夜の指摘通りに月弥もまた姫子に惚れていたのは明白であったが、月弥の体に半分流れる妖精の血がそれを許さなかったのだ。

 東雲家先代当主が姫子の婿を取り次期当主にすると公表した時、それを望む男子達の中に確かに月弥はいたのだ。

 集まった分家衆の男子達が数々の過酷な試練によって容赦無く篩い落とされる中、最後まで残ったのが月弥と十六夜であった。

 そして最終試験として両者の一騎討ちが始まったが、試合は終始十六夜の有利に進んだ。月弥の実力が十六夜に劣っていた訳では無かったが、やはり体格差はどうにもならなかったのである。

 しかも決戦の前夜、月弥は先代に呼び出されてこう云い渡されていたのだ。

 

「未だ生殖能力の無いお前に当主を譲る訳にはいかぬ。どれほど望もうが姫子が生きている間に生殖能力は獲得出来まい。後継者を儲ける事が適わぬお前を当主には出来ぬのだ。お前が姫子を愛していようと。姫子がお前を愛していようとだ。解るな?」

 

 精彩を欠いた状態では勝てる勝負も勝てないだろう。

 しかも十六夜は家柄こそ分家の末端だが、実力、人格ともに申し分の無い男だ。

 姫子との仲も悪くはない。何より姫子への想いは自分にも負けてはいないだろう。

 ああ、何故、自分は長命種の血を受けて生まれてしまったのか。

 不覚にも視界が涙で歪み、それが致命的な隙となってしまう。

 十六夜の下から伸びてくる剣を受け止め損ねて木剣を取り落としてしまったのだ。

 

「勝負あり!!」

 

 喉元に突き付けられた剣先に審判の判定が下る。

 月弥は見てしまう。

 東雲家当主の安堵の溜め息を吐く姿を。

 両親の申し訳ないという罪悪感に満ちた顔を。

 “やはり人間ではない者は”と嗤う分家衆の面々を。

 そして、裏切られたと云わんばかりに睨む姫子の失望を。

 月弥は勝者を称える事も出来ず、落とした木剣もそのままに、頭を抱えてその場から逃げるしかなかったのである。

 

「あの試合はどちらが勝っても可笑しくはなかった。紙一重の差だと思っているよ」

 

「よせ。当時の俺ではお前には敵わなかったよ。現に結納してからのお前達は幸せそうだったじゃねぇか。今なら分かるぜ。俺には姫子を幸せには出来なかったってな」

 

「違う。そうではない」

 

 今度は東雲家当主が血を吐くように云った。

 

「それは表面上の事だ。私は姫子を幸せにはしてやれなかった。出来なかったのだ」

 

 泣いていた。

 東雲十六夜は真っ直ぐに月弥を見据えながら泣いていたのである。

 

「姫子を幸せにしてきたのは、いつだってお前だった。姫子を笑顔にしてきたのはほかでもないお前だったのだよ。私は常にそんなお前に嫉妬していたのだ」

 

 生まれついて病弱だった姫子に魔力を与えて歩けるようにしたのは月弥だった。

 自由を渇望し、空を自由に飛び回る鳥に憧れていた姫子に魔法をかけて一時的に空を飛べるようにすることが出来たのは月弥しかいなかった。

 強制的に婿を取るしかない運命にあった姫子を力づける為に、ライバルであるはずの婿候補達を鍛えて、誰が婿になっても未来は明るいぞと笑い飛ばして見せたのも月弥の人望の賜物であった。

 

「私が強くなれたのも元を辿ればお前が鍛え、知恵を授けてくれたからだ」

 

 誰よりも姫子の笑顔を望み、幸せを願ったのは月弥だったのである。

 そして姫子もまた月弥の優しさに惹かれていたのだ。

 

「忘れもしない。姫子が十六歳となり私との祝言を挙げた日の事だ」

 

「ああ、俺がどれだけ話しかけても姫子は一つも返事をしてくれなかったよ」

 

「だが、姫子が最期まで、否、今でも愛しているのはお前である事に違いはない」

 

「今でも?」

 

 東雲十六夜は大きく息を吐いた。

 その姿は月弥と同じ七十五歳という年齢を考慮しても老いていた。

 まるで今の溜め息で先程まで見せていた若々しさまで吐き出してしまったようだ。

 

「祝言の晩、私達は初めて共に(とこ)に就いた」

 

「あ、アンタ、少しはツキヤの気持ちを…」

 

 姫子との恋に破れた月弥に初夜の話を聞かせようとする十六夜にユームは“待った”をかけようとするが、当の月弥に手で制されてしまう。

 

「私に純潔を捧げた痛みに涙を流しながらお前の名を呼んでいたよ。月弥、お前の助けを呼んでいたんだ。心を絶望に塗り潰しながら泣いている姫子に私は嫌でも気付かされたよ。私では姫子を幸せに出来ないのだとな」

 

 初めて聞かされた事実に月弥もまた涙を流していた。

 しかし月弥には返すべき言葉が見つける事は出来なかったのである。

 

「絶望に萎えそうになる自分に叱咤して、どうにか当主として、夫としての務めを果たした後、事件は起こった。起こってしまったのだ」

 

 姫子にどう言葉をかけるべきか悩んでいた隙に姫子は枕元に置いてあった懐剣を手にしていた。月弥が守り刀として結婚祝いに手ずから打ったものであった。

 

「体はお前にくれてやる。じゃが、(わらわ)の心、否、命は月弥の物じゃ」

 

 止める間もなかった。

 守り刀に愛おしげに唇を落とすと、一切の躊躇いを見せずに胸を突いたのだ。

 

「月弥さま……お慕い申し上げまする。妾の魂はいつまでも貴方と共に……」

 

 姫子は嬉しそうに微笑むと腰砕けに倒れて、そのまま動かなくなった。

 

「うわああああああああああああああああああっ!!」

 

 月弥の拳が十六夜の頬に突き刺さる。

 倒れる十六夜に馬乗りになると何度も彼の顔を殴りつけた。

 ユームも暫く呆然としていたが、殴られるままになっている十六夜を見て正気に返る。

 

「お、およし! このままじゃ死んじまうよゥ!!」

 

 ユームは羽交い締めにして月弥を十六夜から遠ざける。

 

「お前!! 約束したじゃねぇか!! 必ず姫子を幸せにするって!! それを! それを!! 何でだ?! 俺もお前ならと身を引いたンだぞ!! おい! 何とか云え!! 巫山戯るなっ!! それがどうして、選りに選って俺が贈った守り刀で……何故なんだ、姫子?! 何で俺の剣で死んだ?! どうして……」

 

 ユームの腕の中で暴れていた月弥だったが、やがて力無く項垂れた。

 

「それが……その守り刀がお前との最後の繋がりだったからだ」

 

 月弥にあれだけ殴られていながら十六夜の顔は鼻血すら垂れていない。

 それが月弥の非力の哀しさか、それとも十六夜の老いてなおの強さなのか。

 

「それに話はまだ終わっていない」

 

「ああ?! この期及んで何があるってンだ?! それによっては仲人どころじゃねぇ!! 否、杯を返して殺してやる!!」

 

「落ち着いとくれよゥ。まずは話を聞こう。判断はそれからでも遅くはないからさ」

 

 ユームは月弥を後ろから抱きしめて宥める。

 このままでは月弥は十六夜を殺しかねない。

 心優しい月弥に人を殺させたくはなかった。

 

「アンタも下手な云い訳なんかするんじゃないよゥ?」

 

「そんな事をしたら月弥の怒りに油を注ぐようなもの。それくらいは心得ている」

 

 十六夜は石畳の上で正座をした。

 

「姫子は生まれついての病弱だった。それは覚えているな?」

 

「ああ、医者からは“十二歳まで生きられれば奇跡だ”って云われてたそうだな」

 

 それ故に姫子は屋敷の奥で床に就いているのが常であり、外に出ることすら許されなかったのだ。

 

「しかも先代の子は姫子のみ。跡取りはおらず、かといって婿を取ろうにも彼女はあの状態だ。その線も絶望だった」

 

 十六夜は怪我こそしていないものの、先程よりも更に老け込んで見えた。

 

「故に先代は東雲の血を遺す為にしてはならぬ事(・・・・・・・)をしてしまったのだ」

 

「話が見えねぇよ」

 

「東雲に婿入りが決まった際、私も先代から初めて聞かされたが、我が耳を疑ったよ」

 

 十六夜は七呼吸どころか十分以上も口を閉ざしてしまう。

 その間、月弥も黙って待っていたが、それが彼の心を落ち着かせた。

 

「先代は“モノノケ”の持つ不死性に目を着けた。そして姫子に与えられる薬に少しずつ“黒い霧”を元にした秘薬を混ぜたという」

 

「おい、ちょっと待てや! あの先代が、半妖精の俺の後ろ盾になってくれていた、あの優しかった先代がそんな事をしていたのか?!」

 

 先代は姫子との結婚こそ許してくれなかったが、それでも幼い頃から目をかけてくれて、時には差別の目から守護(まも)り、時には三池家の後継者争いでも味方になってくれたのだ。

 

「先代の目論見(もくろみ)では姫子の体を強化しつつも“モノノケ”にはならないというものだったそうだ」

 

 本来、医者の家系であった東雲家は“モノノケ”と化した者を人に戻す秘薬の研究もされてきたそうだが、あと一歩のところで上手くいかなかったらしい。

 完成したのは“モノノケ”と化した者達の中でも初期の者なら殺す事ができる毒と、“黒い霧”にある程度の耐性を持ち、“モノノケ”化を予防する霊薬が関の山であったという。

 

「先代の思惑通り、姫子は僅かずつではあった健康体に近づいていったそうだ。そして、その効果を劇的に上げていたのは月弥、お前だった。お前が姫子に笑顔を与えた事で彼女の体内に陽の気が溢れ、健康増進を促しつつ負の感情を糧とする“モノノケ”の影響力を削いでいったのだよ」

 

 月弥は思い出す。

 『浮遊』の魔法で宙に浮いた事で姫子が見せてくれた太陽のように眩しい笑顔を。

 遊びに連れて行った際、見るもの全てが新鮮で無邪気にはしゃぐ姿を。

 そして、“月弥、妾をお前のお嫁にしておくれ”と捧げられた初めてのキスを。

 

「だが、その幸せを私が壊してしまったのだ。私が婿入りする事が決まった日から、姫子は次第に変わって行った……少しでも苛立てば周囲に当たるようになり、かと思えば急に塞ぎ込んだりしてな」

 

 負の感情を爆発させる姫子を見るのは辛かったという。

 当たり前だ、と月弥は思った。

 愛する者が荒れていく様は誰であっても苦しいものだ。

 

「あの愛らしい(かんばせ)を憤怒に歪ませて罵ってくる姫子はそれでも美しかった。否、そうとでも思わなければ耐えられなかったよ」

 

 いつの間にか月弥は十六夜を抱きしめていた。

 先程まであれだけ憎かった相手だったが、今はこの憔悴した友を労いたい。

 

「トドメがあの初夜だ。私に純潔を捧げた、否、奪われた絶望は姫子の限界を超えてしまったのだろうな」

 

「限界?」

 

「姫子の中に眠っていた“黒い霧”が覚醒し、暴風のように姫子を蹂躙して……姫子は“モノノケ”と為った」

 

「な……え……」

 

 流石の月弥も二の句が継げなかった。

 

「元の美しい姫子のまま天使のような純白の翼を背に広げ、お前から貰った守り刀を胸に刺したまま飛び去っていったよ。私にはどうする事もできなかった」

 

「じゃあ、姫子は生きているのか?」

 

「あの状態を生きているというのであれば、生きていると云えるが果たして……」

 

 果たしてこの友は半世紀以上に渡っておぞましい秘密を一人で抱えてどれだけ苦しかったのだろう。月弥は小さな体を精一杯使って十六夜を掻き抱く。

 

「本家はその事を秘した。当然だ。東雲本家から“モノノケ”が出たなんて云える訳がない。しかも原因は“黒い霧”を娘に飲ませていたのだからな」

 

「そして産後の肥立ちが悪くて死んだ事にしたのか」

 

 月弥は姫子の墓を見る。

 そりゃ墓が荒れ放題になる。墓の下には何も無いのだから。

 そりゃ東雲姓が削られる。“モノノケ”となった者を一族として認められるか。

 そりゃこんな外れに墓を設置する。本家に取って遠ざけたい存在だろう。

 

「ちょ、ちょいと待っておくれな。ならアンタの娘は? ヒメコが初夜に消えたってんなら、あの赤ん坊はどこから来たのさ?」

 

「あれは私とあやめの子だ。水心子家への援助と発言権を条件に腹を借りたのだ。そして成長後は、遠方に追いやっていた先代の隠し子、正確にはその息子を呼び戻して本家の血を再び入れたのだ」

 

「あやめは元々お前に惚れていたからな。それこそ望まぬ結婚をさせられていたし、たとえどんな形であろうとお前との子を為す事が出来るのなら喜んで腹を貸しただろうさ」

 

「名家の血を保つ為にそこまでするのかい」

 

「そこまでやって護るからこその名家だよ。アンタも公爵さまと付き合っていくってンならこれくらいの覚悟は決めろ。最悪、嫡男に何かあったら“腹だけ貸せ”って話もありえるからな?」

 

 この手に抱く事を許されない子を産む事になることも覚悟しておけ、と言外に釘を刺す事も忘れない。これが次代に血を確実に遺す事を義務付けられた者達の宿命であるのだから。

 ユームは、分かってるよゥ、と返すよりなかった。

 

「姫子の居場所は分かるのか?」

 

「いや、水心子家の持つ力を総動員しても見つけられなかった。しかし、かと思えば外国で胸に刀を刺した天使(・・・・・・・・・)が現れたという噂も聞く。姫子が何をしたいのか、私には皆目見当がつかない。そもそもアレが姫子のままなのかも分からぬのだ」

 

 東雲家としては姫子と呼ぶ訳にはいかないので、便宜上『姫天狗』という個体名をつけたのだという。

 

「見つかったとしてどうするよ? 斬るのか? 捕らえるのは不可能だぞ?」

 

「それも分からぬ。姫子を相手に私は許し(・・)の心を持って斬れるのか。そもそも無心になれるのかさえも怪しい。ここ半世紀以上、私は姫子への罪悪感が僅かでも晴れた事がないのだからな。勿論、姫子を人間に戻す研究も進めているが、進捗は芳しくない。異世界の方ではどうなのだ?」

 

「まずそんな研究自体されてねぇよ。“悪しきモノ”にモンスターに変えられたが最後、その苦しみが長引かぬよう楽にしてやろうって考え方が一般的だ。俺だって姫子が“モノノケ”になってるって知らないままだったら同意見だったよ」

 

「仮に姫子がお前の前に現れたとして斬れると思うか、お前に?」

 

 十六夜の問いに月弥は首を傾げる。

 

「さぁな。『月輪(がちりん)斬り』で刻む事は出来るかも知れねェがトドメを刺すとなると厳しいな。トドメは東雲流の技でしか刺せねぇしよ。異世界でも弱らせるのは俺の役目でトドメや封印は星神教に任せるのが常よ」

 

 ああ、と月弥はポンと手を叩いた。

 

「姫子と戦えるのかって意味なら、その時になってみないと分からんな。案外、姫子に絆されて一緒に“モノノケ”になるかも知れねぇぜ」

 

「冗談でもやめてくれ。お前が“モノノケ”になったらそれこそ東雲に勝ち目は無い。その日が東雲流最後の日となるだろう」

 

「冗談だ。だが、やっぱり放ってはおけねぇだろうなァ。取り敢えずは三池の情報網を使って捜してみるわ。情報戦は何も水心子の専売特許じゃねぇって事よ。そうさな、もし姫子が俺の目の前に現れたら大きな声で『メヒコ』って呼んでやらァ。昔っからその渾名で呼ぶと涙目になってまでカンカンに怒っていたからな。人が贈った守り刀で胸を突き腐りやがったアイツには良い薬だろうよ」

 

 カラカラと笑う月弥にユームと十六夜は居た堪れない気持ちになった。

 明らかに月弥が無理して笑っているのが解ってしまうからだ。

 案の定、笑い声は次第に小さくなっていき、嗚咽と変わっていく。

 

「そうか、姫子のヤツ、生きてたかァ。じゃあ、俺が助けてやらなきゃだよな」

 

 月弥は十六夜の肩をポンポンと優しく叩く。

 

「姫子、否、奥方様をお守りするのが三池家当主たる俺の役目だ。だからよ。奥方様を取り戻したら今度こそ幸せにしてやってくれ。頼ンだぜ、お館様」

 

「ああ、東雲家当主として、お前の義兄弟として、何より姫子の夫として誓う。必ず姫子を幸せにする。お前の口からまたそのような言葉を聞けて嬉しいよ、兄弟」

 

「俺もお前の胸中も知らずに避けちまって、すまなかったな、兄弟」

 

 同じ女性を愛した親友同士は半世紀振りに抱擁して静かに泣いたのだった。




 姫子の秘密が明かされました。
 “モノノケ”となった姫子の立ち位置は勿論ボスキャラです。
 月弥にとって色んな意味で戦いにくい敵となるでしょう。
 
 東雲家当主との友情が復活しました。
 半世紀以上確執があったにしてはあっさりと修復してしまいましたが、そこはお互いさっぱりとした性格ということでひとつ。
 
 月弥は恵まれた出自ですが、全てが順風満帆というわけでは無かったようで、姫子との手痛い失恋などたびたび苦い経験をしています。
 十六夜はその中でも親友であり善きライバルでした。

 さて次回はまた十年の時間が飛びます。
 この時、月弥は八十五歳、漸く第壱部と同じ時間軸になります。
 ユームと公爵の間に生まれた子供達と月弥との交流を書いていきます。
 その子供達の一人が、小説家になろう様に投稿している『冒険者ギルド職員だって時として冒険する事もあるんだよ』の主人公の一人、クーアです。月弥以上に幼く、魔法の才能に溢れる生意気盛りの天才児に月弥はどう対処するのでしょうか。

 それではまた次回にお会いしましょう。

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 改善点、誤字などの指摘もありましたら、是非ともお知らせ下さい。


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第拾章 魔女の子と孤児院の子達

 リビングで二人の男が云い争っている。

 一人は若い男、もう一人は父親と思しき壮年の男だ。

 

「何で認めてくれないんだ?!」

 

「認める、認めないではない。お前には務まらないと云っているんだ」

 

「何でだ?! 俺は直接スカウトされたんだぞ!」

 

「だからと云って親に相談もせずに契約する莫迦がいるか! どうせ三つの願いに目が眩んでの事だろう!!」

 

 父親の言葉に一瞬言葉を失うが、すぐに父親をきっと睨むと部屋から出て行く。

 

「もういい!!」

 

「待て! 話はまだ終わってない! 兎に角、許さんぞ!」

 

 自室の机で頭を抱えている若者にそっと近づき肩に手を乗せる人物がいた。

 若者の母親である。

 

「母さん……父さんはどうして認めてくれないんだ」

 

「お父さんは貴方の事が心配なのよ。今までずっと一緒に暮らしていた子供にいきなり“魔界に行く”と云われたら誰だって心配するに決まっているわ」

 

「けど俺だってもう二十歳を過ぎてるんだ。いつまでも親の脛を齧っていられない」

 

「そうね。少し寂しいけど立派に巣立つまで成長してくれてお母さんも嬉しいわ」

 

 寂しげに微笑みながら母親は若者の前に封筒を差し出す。

 

「何だよ、これ?」

 

「貴方と喧嘩してからお父さんも何日か悩んでいたけど、“アイツが決意したことなら”と云って取り寄せてくれたのよ。いくら魔王の加護を得られると云ってもフェアラートリッターが危険な仕事なのは変わりはないから、せめてこれくらいは入っておいてちょうだい。その方がお父さんも少しは安心してくれると思うわよ」

 

「親父……」

 

 封筒には『魔界共済』と書かれていた。

 次の瞬間、美しい女性のソプラノが響き渡る。

 

「ま~かいきょお~さい~~~~~~~♪」

 

 更に落ち着いた優しげな男性の声が続く。

 

「魔界は二〇××年日本冬季オリンピック・パラリンピックを応援しています」

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあまあの出来だな」

 

「何これ?」

 

 CMだよ、と云って教皇ミーケはパソコンからブルーレイディスクを取り出した。

 

「フェアラートリッター向けに共済組合を立ち上げてな。フェアラートリッターの契約促進も兼ねたコマーシャルを作ったンだよ」

 

 そして完成したばかりの映像をチェックしていたのである。

 

「母様も云っていたけど、どこまで商売を広げるつもりなのさ? しかも立ち上げたばかりと云ったくせに、しっかりオリンピックのスポンサーになってるし」

 

「金はあるからな。蒔ける時は蒔くよ。そうすりゃ世の中の経済も少しは回っていくってもんさね」

 

「羨ましい限りだね」

 

 慈母豊穣会の人気の要因は現世利益に限らない。

 信徒からお布施を頂かないのも庶民の財布に優しい宗教として信者を増やしいる。

 元々総合商社として成功しているので、どこぞの宗教のように搾取する必要が無いのだ。精々が食事系や創作体験系イベントを開いた時に志程度の参加料を募るくらいである。

 

「で? お前は何でここにいんだよ?」

 

「固い事云わないでよ。ここは居心地が良いんだ。それに毎日毎日、魔女の谷に引き籠もっていたら気が滅入るからね」

 

 ミーケがじと目で見る先には白いローブを身に纏った子供がいた。

 爽やかな緑の髪が風に揺れる様はさながら若草の生い茂る草原のようである。

 この少女と見紛う可愛らしい顔を生意気そうに澄ましている少年こそ魔女のユームの子であり、聖都スチューデリアの内務大臣であるオアーセ=ツァールトハイト公爵の落とし胤である。名をクーアといい、今年で八歳だそうだ。

 

「俺には飯をたかりに来てるようにしか思えねぇけどな。バアさん家、調味料が塩しか無ェから分からんでもねぇが」

 

向こう(・・・)とこっちじゃ砂糖の値段が全然違うから仕方ないよ。胡椒とか香辛料に至っては同量の金と交換出来るくらいなんだから」

 

「だから調味料くれぇ送ってやるっつってンのに聞きやしねぇ」

 

「母様が云うには、“砂糖や胡椒とかの高級品に舌が慣れてしまったら独立した時に苦労するに決まっている”だってさ。まあ、分かるよ。ツァールトハイト家ですら胡椒なんて滅多に手に入らないのだからね」

 

 面倒臭ェな――教皇はぼやきながら小鍋から煮えた白菜を摘まんで口に放る。

 クーアの目の前ではハンバーグが鉄板皿の上でジュウジュウと音を立てているの対して、ミーケの前には小さな鍋と一膳の茶碗飯があるだけだ。

 小鍋だてといって浅い小鍋に出汁(だし)を張り、好きな物を煮て食うのだ。

 その日は一晩かけて戻した貝柱を煮ながらほぐし、ざく切りにした白菜を少しずつ食べる趣向のようである。味付けは塩と酒のみだ。それ以上は貝柱の良い出汁が台無しになってしまう。

 元々小食である彼はこれだけ食べればすぐに満腹になってしまうのだという。

 足りない栄養はサプリメントで補っているが、やはり栄養は食事で摂って欲しいと周囲は願っているようである。

 一時期は少ない食事を五回に分けて取る食事療法も行っていたようだが、質の良いサプリメントが出回るようになってきた事と何より本人が段々面倒臭くなってきてしまったので現在のような習慣が出来上がってしまったのだ。

 

「ま、子供(ガキ)がやるもんじゃねぇよ。肉喰え肉。で、さっさとデカくなれ」

 

 教皇は幼い魔法遣いの頭をわしわしと乱暴に撫でて笑ったものだ。

 クーアは内心、“自分も子供のクセに”と唇を尖らせた。

 

「で、結局何の用だよ? 俺は午後から予定があるからあんまり構えンぞ」

 

 食後、エナジードリンクを飲みながらクーアに問う。

 

「予定って何さ? この前だってそう云ってどっか行っちゃうし。秘書って人に聞いても、教皇さまのプライベートの事なので答えられないって云われたんだよ?」

 

「実際、お前には関係無い話だからな。それより用件を云え」

 

「新しい魔法を開発したから見て欲しいんだ。今度こそミーケを驚かせてみせるよ」

 

 挑戦的な笑みを浮かべるクーアに対してミーケはあからさま呆れて見せた。

 クーアの口から出る言葉は決まって“新しい魔法を見ろ”だからである。

 

「お前よォ。いつも云ってるだろ? 新しい魔法を開発するのは結構な事だが基本も大切にしろってよォ。基本を疎かにしていたら折角の新魔法も威力や精度が落ちちまうって耳にタコができるくれぇ何度も云い聞かせてると思うンだがなァ」

 

 子供が相手ゆえに三白眼になって凄むことはないが、それでもミーケのじと目は幼いクーアをたじろがせるには十分だった。右目のアイパッチも迫力を増している事だろう。

 

「せめてこれくらい出来るようになってから新魔法の研究をしやがれ」

 

 クーアの目の前に差し出された掌の上に水でできた小さなリングが現れ、複数の小型の火球が輪を為して並んでクルクルと水のリングを何度も、しかも高速で潜り抜けていく。

 

「そんな小手先の芸なんか出来たって意味無いよ。僕はもっと強力な魔法を遣えるようになって魔女の一族を莫迦にしてくる連中を驚かせてやりたいんだ」

 

 ミーケが操る魔法の精度に感心しながらもクーアはなおも主張を曲げなかった。

 小手先の芸と云われてミーケのこめかみにある血管がぴくりと脈打つ。

 

「ふぅん。俺は精密な魔法の制御を身に着けろって云ったつもりだったンだが、そこまで云うンなら仕方ねぇ。ちょっと付き合え」

 

 ミーケは手早くカジュアルな服に着替えると、クーアの首根っ子を掴んで自室から出て行くのだった。

 

「ちょっと?! 痛い痛い!」

 

 絶妙に首の経穴を押さえられる激痛にクーアは涙を流した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、ツキヤ、いらっしゃい」

 

「よォ、来たぜ。元気そうで何よりだ」

 

 三池月弥は出迎えてくれた青い髪の少年に手を挙げてにこやかに笑う。

 僕と対応が違うじゃないか、とクーアは不満げだが月弥は意に介さない。

 

「その子は初めて見るね? ツキヤの友達かい?」

 

「いや、知人のせがれだ」

 

 ここは、“そうだ”と返すところだろとも思ったが、やはり月弥は知らん振りだ。

 

「聞き分けのねぇクソガキにお灸を据えてやろうと思ってな。ほら、入ったばっかりの利かん気な餓鬼がいるって云ってたろ? ついでにそいつにも“悪さが過ぎれば拳固を喰らう事になる”って教育してやるのさ」

 

「乱暴は良くないけど、ツキヤのする事なら大丈夫かな。でも、あまり過激なのはダメだからね?」

 

「大丈夫だって。信用してくれ」

 

 カラカラ笑う月弥にクーアは今更ながら悪い予感を覚えた。

 

「じゃあ、みんなを呼んでくるよ」

 

「あっと、その前に、これを後でみんなと食べてくれ」

 

 月弥のそばに闇の渦が現れ、それに手を突っ込むと、紙袋が出てきた。

 

「この前、好評だったカステラだ。後で家の畑で取れた野菜も厨房に置いておくからな。沢山食べてくれ」

 

「あはは、ありがとう。ツキヤの野菜は美味しいからね。みんな喜ぶよ。カステラも嬉しい。後でみんなと一緒に食べよう」

 

 月弥と青い髪の少年は朗らかに笑い合う。

 クーアはそんな二人を何となくつまらなそうに見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在、クーアはもう使われなくなった採石場にて月弥と対峙していた。

 勿論、土地の所有者には許可を取ってある。というより、天涯孤独な地主はある事件により十数年前から月弥に貰った金で介護付き高級老人施設に入所しており、使い道の無い採石場跡で良ければ好きに使ってくれと托しているのだ。

 それ以降、月弥は採石場跡を演習の場として利用している。

 

「じゃ、おっ始めるか」

 

 月弥は軽いストレッチ運動をしながら云った。

 

「ツキヤ、苛めるのはダメだからね?」

 

「分かってるっての。少なくとも血を見る事はしねぇと約束するよ」

 

 クーアは先程から月弥と親しげにしている青い髪の少年を見る。

 聞けば数ヶ月前に知り合ったばかりだそうで、彼を中心に集まっている子供達と共に共同生活をしている孤児だという。

 どんな出会いだったのかは教えてくれなかったが、まさか半年足らずで親友と呼べるまでに仲良くなっているとは想像すらしていなかった。

 自分はもう八年も付き合っているのに未だ親戚の子扱いだというのに。

 改めて見るが、どこをどの角度から見ても平凡と云うよりない。

 鮮やかなライトブルーの髪こそ目を引くが、目鼻立ちは凡庸というよりなく、肌は子供らしく日に焼けている。ただ九歳という年齢にしては、その穏やかな微笑みは不自然なまでに大人びているように思えた。ミーケに“転生者では?”と進言してみたが“集団生活で兄役を任されていれば誰だってそうなる”と取り合ってくれなかった。

 

「仮に転生者だとして、だから何だ? 何一つ悪い事をせず懸命に生きる善良な男だ。嫌う理由も攻撃する理由も無ェよ。俺の敵は神から貰ったチート能力を使って得手勝手に生きるクソな連中だよ」

 

 そう云って呆れとも軽蔑とも取れる目でじろりと睨まれる始末であった。

 ミーケに取ってあのムーティヒという少年は余程大切な存在となっているらしい。

 

「ねえ、ツキヤちゃん? 決闘をするってムーティヒお兄ちゃんから聞いたんだけど、相手の子って女の子だよね? 女の子を殴っちゃうの?」

 

 七歳くらいの女の子が問うと、月弥は爆笑した。

 

「まあ、ぱっと見、女の子に見えねぇ事もねぇが、ちゃんと男だよ。嘘だと思うなら今から裸に剥いて見せてやろうか?」

 

「じょ、冗談じゃないよ?!」

 

 クーアが自分の身を守るように体を掻き抱くと、月弥は“マジになるな”と冷めた目をして手を振った。

 

「ねぇ、さっきから僕の扱いが悪くない? しかも聞いていれば、この子達みんな、ミーケの事をツキヤって呼んでるし、何で僕だけミーケ呼びなのさ?」

 

「良い子とクソガキじゃ扱いに差が出るのは当然だろうが?」

 

 月弥を困らせている自覚があるのか、クーアは呻いた。

 

「あと、テメェが勝手にミーケをファーストネームと勘違いしただけだろ。まあ、分かってて訂正しなかったンだが、お袋が三池姓を名乗ってる時点で察せられなかったお前が悪い」

 

「うっ……じゃあ、僕もツキヤって呼んでも良いの?」

 

 クーアが上目遣いに訊く。

 月弥は肯定しようとするが、ふと何かを思いついたように云い変えた。

 

「別に禁じちゃあ……いや、そうさなァ。よし、こうしよう。今からやる演習で俺を満足させられたら好きに呼んで構わねぇぜ」

 

「分かった。もし、満足させられなかったら?」

 

「そのままミーケ、いや、ミーケさんと呼べ。黙って聞いてりゃ友達でもねェのに何、呼び捨てにし腐ってンだ。確かにお前よりチビだが目上だぞ、コラ。あと、万が一にもバアさんの名を落とすような不甲斐無ェ結果を出してみやがれ? 実家の道場で一ヶ月内弟子体験させてやっからな? 元プロレスラーが泣いて夜逃げする地獄を味わわせてやる」

 

 実際には夜逃げした弟子は一人もいないのだが、普段の言動から鵜呑みにしてしまい、クーアは顔を青ざめさせた。

 

「それとそこの新入り!! 名はええと……レヒトだったか?」

 

「な、なんだよ?!」

 

 いきなり名指しされて利かん気そうな赤い髪の少年の体がビクリと震えた。

 

「親に虐待された過去には同情するが、だからといって、それが免罪符になるワケじゃねぇぞ。我を張るなとは云わん。だが同じ施設の仲間を傷つける事は許さねェ」

 

「お、大きなお世話だ! 俺は誰の世話にはならねぇって決めたんだ!」

 

「それが力の弱いヤツから飯を奪う事だってのか? 自分に割り当てられた仕事を押し付ける事なのか? 孤児院で衣食住の世話になっておいてお山の大将を気取るのは情けないにも程があるだろ」

 

「うるせぇ、あのクソ親だって云ってたぞ。“弱いヤツが悪い”ってな。だから俺もそうするんだ! 弱いヤツは俺の云う事を聞いてりゃ良いんだよ!」

 

 レヒトの幼くも歪んだ主張に月弥は頭をばりばりと掻いた。

 

「いいか、良く聞け。ここにいるクーアはまさに魔法の申し子というべき天才だ。僅か三歳で魔法の理論を理解し、五歳で上位精霊の方から契約してくれと懇願されるまでに至った精霊達の寵児よ」

 

 突然の賛辞にクーアは一瞬目を白黒させたが、すぐに胸を張った。

 

「だが、それ故に増長しやすいところもあってな。修得している魔法の数は俺のソレを軽く陵駕しているし、新しい魔法を開発する知恵もあるンだが基礎を疎かにする悪癖があるンだ。そのせいで完成度が今一つでな。いつもそのことを注意するンだが馬耳東風ってヤツさ」

 

 横目で睨まれてクーアの胸が痛んだが、それでも基礎鍛錬よりも強力な魔法の開発を優先することはやめられない。魔女である母様、そしてその血を引く兄弟達、家族を莫迦にしてくる奴らを見返してやるんだ。

 初めは魔女の一族を人間に認めさせる事を望んでいたが、いつしか人間への意趣返しへとすり替わってしまっている事にクーアは気付いていない。或いは気付いていない振りをしているのかも知れぬ。

 

「で、一番の問題点は天才だからこそ力を持たぬ者達の気持ちを汲めねぇって事よ。つまりはお前と同じって事さね。事実、クーアは弱者を見下す悪癖があるしな」

 

「何が云いたいんだよ?」

 

「力で人を屈服させようとする者は結局、更に力の強い者に屈服させられるって事をお前に教育してやろう。そういう趣向だ。勿論、お前を直接しばき倒すワケじゃねぇ。これから行う演習を見て学んで欲しいのさ。まあ、感じ方は人それぞれだ。お前に影響を与えるのか、或いは何も感じないのか、それはお前次第ってヤツだ」

 

「俺は考えを変える気は無いぞ」

 

「まあ、面白い見世物が始まると思って気軽に見てくれ。演習とは云え、真剣(ガチ)でいくのは久しぶりなんでな、つまらねぇ戦いにはしねぇつもりだよ」

 

 月弥の細められた目にレヒトは何かを感じたのか、顔から血の気が引いた。

 そして月弥はクーアへと向き直る。

 

「悪いな。ちと待たせちまったか?」

 

「い、いや、僕の方も精神を集中する時間が取れたから」

 

「そうかそうか、ならお互い遠慮はいらねぇって事で」

 

 月弥の笑みが益々強くなる。

 全てを吸い込みそうな闇色の瞳に一瞬呑まれそうになるが(かぶり)を振って意識を保つ。

 

「いざァッ!!」

 

 月弥の裂帛の気合に負けじとクーアも声を張る。

 

「尋常に!!」

 

「「勝負!!」」

 

 突如、目の前が暗くなる。

 次の瞬間、額に衝撃が走り、頭が破裂したかのような激痛がした。

 

「あれ?」

 

 眩しい。

 何で僕は太陽を見上げているんだ?

 そして漸く理解する。自分が倒れている事に。

 

「取りあえず加減は出来たか。流血沙汰にしないって約束だからな」

 

「な、何をしたんだ、お前?!」

 

 狼狽するレヒトの声が聞こえる。

 起き上がろうにも体が動かない。

 

「何だ、見えなかったのか? 随分と加減をしたンだがなァ」

 

 あれ? 手足が痺れてる?

 

「え? あれ、おしっこ?」

 

 名前は知らないけど、女の子の言葉に自分が失禁していることに漸く気付いた。

 

「おい、クーア。テメェ、いつまで寝てンだ? まだ小手調べもしてねぇぞ」

 

「なあ、本当にアイツに何をしたんだよ、お前?!」

 

「何って本当に見えなかったのか?」

 

「うん、そのクーア君だっけ? 彼に何をしたんだい?」

 

「いや、クーアの額に膝を叩き込ンだだけだぜ?」

 

 事も無げに云う月弥にクーアは愕然とする。

 全く見えなかった。いきなり暗くなったと思った時には額に衝撃が来たのだ。

 

「とっとと起きろ。このままだとマジで道場で扱くぞ、おい。次は先手を取らせてやるから、さっさとかかって来い。態々骨が厚い額を狙ってやったんだ。ダメージは少ねぇはずだぜ」

 

 これが、『一頭九尾(ナインテール)』全員からの寵愛を受けている男の実力。

 魔法遣いにカテゴライズされていながら、武も並の武術家の比ではない。

 正直怖くて堪らない。このまま寝てしまいたい。

 彼我の実力差は歴然だ。とてもでは無いが僕には勝ち目はないだろう。

 でも、だからこそあの魔法(・・・・)を試す事が出来る。

 クーアは治療魔法を自分にかけながら起き上がる。

 

「行きます!!」

 

 先手をくれるというのなら遠慮無く貰おう。

 クーアは魔女が箒で空を飛ぶ魔法を応用して宙に浮かんだ。

 彼も男である。このまま無様に負けるくらいなら試せるだけ試す気概があった。

 一瞬で終わったと思われた勝負であったが、まだ終わりそうにない。

 

「来いや。面白い勝負が出来たら、おシンに頼ンで小便漏らした記憶を子供達(こいつら)から消してやるからよ」

 

 月弥はクーアが放とうとしている魔法に期待して壮絶とも云える笑みを浮かべた。




 最初のコマーシャルは悪巫山戯ではありますが、同時に魔界と日本との付き合いが深いという演出でした。
 そして前話から十年後、小説家になろう様にて投稿している『冒険者ギルド職員だって時として冒険する事もあるんだよ』の主人公クーアが登場しました。
 リンクしやすいように近日中にこちらでも掲載致します。
 月弥からの扱いは雑ですが、それも幼さと才能ゆえに増長しやすいクーアを押さえる為です。
 実際の感情は弟が出来たようで猫可愛がりにしたいけど、我慢しています。
 
 第弍部でもムーティヒが出てきました。
 クーアは平凡と評価していますが、それはハイエルフの血を引く月弥や魔女ユーム、地母神クシモなど超絶美形ばかりに囲まれて目が肥えてしまったが為であり、実はムーティヒの顔立ちは可愛い系の美人さんです。

 それではまた次回にお会いしましょう。

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第拾壱章 教皇対魔女の子

 子供達はクーアの姿が変わっていくのを見た。

 鮮やかなライトグリーンの髪が風も無いのにざわめき、次第に長くなっていく。

 同時に色もダークグリーンへと変わり、全身に絡みついていくではないか。

 

「な、なんだかクーアちゃん、怖い……魔女みたい」

 

 孤児の中でも一番幼い少女が怯えるので、ムーティヒは手を握ってやる。

 

「大丈夫だよ。ツキヤの友達だから怖いことは無いさ」

 

 口では否定していたが、月弥に取ってクーアが大切な存在であるのはちゃんと伝わっている。そんな彼が悪い子な訳が無い。そもそも月弥が悪い子を自分達に紹介なんてしないだろう。

 ムーティヒの月弥への信頼は既に絶対なものとなっていた。

 

「流石は不世出の魔女ユームの息子だな。その歳でもう変身する事が出来るのか」

 

「見た目だけじゃないよ? 普段は封印している魔力を解放して全身に巡らせているんだ。全身を使って魔力を増幅させているのも勿論そうだけど、当然ながら身体強化もされている。こうなったら、さっきのようにはいかない。今の僕は人間の骨くらいなら簡単に握り潰せるし、甲冑を叩き割る剛剣だろうと鋼鉄の盾を貫く剛槍だろうと傷一つつけられないよ。しかも飛んでくる矢を掴み取れるレベルで動体視力と反射神経までも強化されているんだ」

 

 余裕が出てきたのか、笑みさえ浮かべるクーアに月弥はぞんざいに手を振った。

 

「能書きは良いから、はよせいや。その姿に成るだけで魔力が阿呆みてぇに消費するのは知ってンだぜ。もたもたしてっと、試したい魔法を遣う前に魔力切れになるぞ」

 

「他に云う事は無いのかい? まったく、こんな可愛げのない人を『一頭九尾(ナインテール)』の方々は何で可愛がるんだか」

 

「こまっしゃくれた餓鬼に云われたかねェやい。良いからかかって来い。早く終わらせて風呂に(へえ)りながら洗濯してぇンだよ」

 

「お風呂は分かるけど、お洗濯?」

 

 訝しむクーアに月弥は煽るように云う。

 

「テメェを小便まみれにしたまま(けえ)したらバアさんに何云われるか知れたもんじゃねェからな。気触(かぶ)れないように後で股座(またぐら)にベビーパウダーもはたいてやる。オムツもしてやろうな」

 

「ミーケェェェェェェェェェェッ!!」

 

 激昂したクーアの真下から巨大な火柱が吹き上がった。

 一本どころではない。八本もの炎が竜巻のように渦を巻いてクーアを囲んでいる。

 悲鳴を上げる子供達を覆うように光の膜が現れた。

 光の精霊の力を借りて対魔法防御結界を作り出す『ライティングドーム』だ。

 

「お前達、そこから出るなよ。まあ、もっとも出れねぇだろうがな。その光の中にいる限り安全だ。俺が保障する」

 

 月弥の“保障”という言葉を受けて子供達は騒ぐのをやめた。

 信頼が盤石なのはムーティヒに限ったものではない証拠だ。

 

「いつか君が話してくれたスサノオだったかな? 神代の伝説に登場する怪物の名前を拝借したよ。破壊力重視の炎の柱を竜巻の魔法でコントロールする殲滅戦用大魔法『ヤマタノオロチ』。全てを焼き尽くす地獄の炎が飛燕の如きスピードを持って八方から襲いかかってくる恐怖を存分に味わってよ。今度はミーケが失禁する番さ。いいや、この際だから脱糞して命乞いするまで徹底的にやるからね」

 

「出来ねェ事を口にすると後で恥掻くぞ。つーか、早く来いや。御大層な炎を出すのは良いが、俺には唯の虚仮威しにしか見えねェンだがよォ?」

 

「またそんな減らず口を!!」

 

 炎の竜巻の一本が地面の岩盤を(えぐ)りながら月弥に襲いかかる。

 飛燕と例えるだけあって中々の速さだが月弥の顔には焦りらしきものは見えない。

 

「一本だァ? お前、本当は一本ずつしか制御出来ないってオチじゃねぇだろうな? こんなんお前、脅しにもなりゃしねぇよ」

 

「そんな事を云うなら対処して見せてよ!」

 

 竜巻の近くにある瓦礫が吸い込まれて炎に呑み込まれていく。

 それに伴い火柱が大きくなっていくが月弥はまだ動こうとはしない。

 そこでクーアは漸く異変に気付く。

 巨大な、しかも炎を纏った竜巻が至近距離にあるのに何故微動だにしない(・・・・・・・)

 異変の正体は月弥の足元にあった。

 彼の両足にはいつの間にか純白の装甲が装着されており、それが地面に吸い付くように固定してその小さな体が風で飛ばされないように守護(まも)っていたのだ。

 無論、物理的な重量ではなく魔力の保護であるのは云うまでもない。

 

「気付くのが遅ェよ、バータレ。風を起こすは木の精霊。で、木の精霊に克つのは」

 

「金の精霊……しまった! しかもミーケは火属性ではダメージを受けない!」

 

「だから虚仮威しだって云ったろ。でだ、大人気ない事を云えばお前が契約しているのは上位精霊、俺が契約している精霊は今や最高位級精霊(・・・・・・)だ。つまり、こういう事も出来るンだよ」

 

 月弥の両腕にも純白の装甲が現れた。

 彼が虚空で何かを両手で掴む仕草をし、それを引き裂くように腕を広げて見せた。

 すると目前まで迫っていた炎の竜巻がその動きに合わせて左右に裂かれて消え失せたのである。

 

「金剋木ならぬ金乗木よ。お前が天才なら俺はキャリア七十年以上の熟練者だ。俺とお前とじゃ経験が違うって事さね。悪い事ァ云わねェから新魔法の研究は後回しにするか余暇にでもして、今は魔力の制御の修行に専念しな。極めれば木の魔法と相性が悪い土の魔法でもこんな事が出来っからよ」

 

 岩盤から大量の土砂が巨大な壁のように噴き上がり、怒濤の如く別の炎を呑み込んでしまう。土の高位攻撃魔法『タイタンウェーブ』だ。

 

「土の魔力が強すぎると木の魔力が克つ事が出来ず、土が木を侮るって訳だ。土侮木ってね。テストには出ンが覚えておいて損は無ェぞ」

 

 これにより三本の炎が押し潰されて早くも半数に減らされてしまっていた。

 更に純白の手甲が握り拳の形で両手から撃ち出されて二本の炎を打ち破る。

 金属の爪を撃つ『ネイルブリット』を月弥が独自に発展させた『ロケットパンチ』は威力も凄まじい事もあるが、インパクトと悪ノリ重視で開発した事もあって莫迦な仲間内では恐ろしく好評であったのは全くの余談である。

 

「で、これが金侮火で御座いってな。ざっとこんなもんよ」

 

 にやりと嗤う月弥にクーアは一言も無い。有ろう筈もなかった。

 新たな魔法を編み出しては押し掛けて月弥で試し、その悉くを破られていたが、これはあんまりではないか。

 満を持して開発した『ヤマタノオロチ』がこうも容易く、しかも無造作に破られて穏やかな心持ちになれる訳がない。

 クーアの全身が震える。恐怖もあるが、内心を占めているのは怒りと屈辱だ。

 かつて勇者であったアルウェン義姉(ねえ)様の子であり、『淫魔王』クシモ様直属の騎士でもあるミーケの存在は母様から何度も聞かされていた。

 曰く、あの子こそ魔法の申し子だ。

 曰く、あの子ほど魔法と真摯に向き合い、精霊に愛されている魔法遣いはいない。

 曰く、あの子は将来、精霊魔法の祖、クレーエ様を超えた存在になるだろう。

 曰く、あの子に認められた者は、その悉くが本物(・・)へと至るのだ。

 

「折角よォ。バアさんの魔力と親父さんの知恵をふんだんに受け継いでいるンだ。磨かなきゃダメさ。契約している精霊と向き合い絆を深めろ。常に魔力を全開にして魔力の流れをコントロール出来るようになれ。名著を読み、賢者に教えを乞い、先人の知恵を蓄えろ。そして得た物をそのまま遣うのではなく、自分なりに消化し、整理して我が力として構築していくンだ。それが出来るようになったらお前は本物(・・)になれる」

 

 だが――月弥の三白眼がクーアを捉える。

 途端にクーアの震えは恐怖のみとなり、陰嚢が縮んだ。

 

「今のままじゃ、いつまで経っても物にはならねェよ。今日の事はお前が成長する為に不可欠な(みそぎ)と思え」

 

 月弥の手には木刀が握られていた。

 土産物屋で(あがな)ったごく普通の物である。

 

「来い! 意地があるなら残った二本を同時に操って見せろ!」

 

 見抜かれている、とクーアは内心呻いた。

 当然だろう。もし八本全てを同時に操る事が出来るのなら『タイタンウェーブ』で纏めて三本も消滅させられてはいない。

 ミーケの云う通りだ。新魔法の完成度が低いと認めるしかないだろう。

 虚仮威しと云われても返す言葉は無い。

 

「今は演習だ。制御が甘くても構わん。だが『ヤマタノオロチ』を虚仮威しにしない為にも複数同時に操作出来る事をお前が証明しなければならねェ。でなけりゃお前は唯の大法螺吹きよ。殲滅戦用大魔法と銘打ったんだ。それに見合う威容を見せてみな。魔女ユームの息子としての矜持があればの話だがよ」

 

「ぐっ、云われなくても!」

 

 残る二本の炎の竜巻に魔力を送り同時に動かそうとするが、それだけで魔力がごっそりと失われて意識が混濁してくる。

 しかし、ここで気を失う訳にはいかない。

 自分の制御を失った炎の暴走を危惧しての事もあるが、何よりこれ以上ミーケを失望させたくはなかった。

 新魔法を開発しては、いの一番にミーケに見せるのは試験運用の相手に丁度良いというのもあるが本心では彼に“クーアは凄い”と認めて貰いたかったからだ。

 それというのもクーアの初恋はまさに目の前に居るミーケであるのだから。

 高い魔力を有し、迫害されてきた魔女の子は、草食動物が危険を回避する為に生まれてすぐ歩けるようになるように、生まれた瞬間から物心がつき、目が見えているのものだ。場合によっては既に歯が生え揃っている子もいるという。

 自分の誕生を祝う人達の中でもクーアが惹き付けられたのが白磁の肌に鮮血のように真っ赤な唇と闇色の瞳が映える小さな子供だった。

 優しげに微笑ながら語りかけてくる綺麗な子に生まれたばかりのクーアの無垢な心は鷲掴みにされていた。

 残念ながら耳はまだ聞こえなかったので何を云っているのか分からなかったが、それでも心が温かくなったのは今なお覚えている。

 むしろ、それがクーアの記憶の始まりであったと云えるだろう。

 もっとも聞こえていたら大変な事になっていただろう事はクーアは知らない。

 

「お前は本当は俺の胤なんだぞ。父ちゃんって呼んでみ?」

 

 ましてや聞き咎めたクシモに後頭部を引っ叩かれていた事を知る由もなかった。

 油断していると洒落にならない冗談を飛ばすのが月弥の悪い癖の一つだ。

 余談ではあるが三池月弥は八十五歳の現時点でも童貞である。

 

「おら、男を見せやがれ! 魔女の秘法を受け継いでようと男をやめたワケじゃねぇだろ?! それとも魔女に成る為にちんちん取られたンか?」

 

「莫迦にするな! 僕の底力を見せてやるよ!」

 

 想い人からの侮辱に発憤したクーアは臍下丹田に魔力を集中させる。

 すると炎がさらに巨大化し、風の勢いも増していく。

 

「行っけえええええっ!!」

 

 二本に減らされて魔力の分散が抑えられた為か、クーアは見事に複数同時のコントロールをやってのけた。

 炎の竜巻は飛燕どころか矢の勢いで月弥を挟み撃ちにする。

 

「やれば出来ンじゃねェか。じゃ、ご褒美タイムといくか」

 

 月弥は木刀を下段に構えながら一方の竜巻に向かって走る。

 

「せいっ!!」

 

 月弥の右下段からの斜め斬り上げは炎の竜巻をあっさりと両断して消滅させた。

 三池流が極意とする秘剣『月輪(がちりん)斬り』の御披露目である。

 川面に映る月を長い年月斬り続けて太刀筋を極限まで磨き上げる事で、ついに鉄はおろか火や水、果ては光をも截断するに至った正に秘中の秘だ。

 期待通り殻を破って二本の炎の竜巻を操って見せたクーアへの敬意の表れである。

 月弥は斬り上げた勢いのまま振り返り、刃を返して振り下ろす。

 これで最後の炎の竜巻もまた截断されて消滅した。

 前後の敵を瞬時に斃す三池流『三日月』、剣の軌跡が美しい弧を描く事から名付けられた技であり、前方の敵を斃しながらも後方の敵の気配を捉えおく高度な空間把握能力が求められる三池流の奥義の一つである。

 

「すげぇ……」

 

 二人の演習を見ていたレヒトの口からそんな言葉が洩れる。

 いや、それだけではない。どの感情に起因しているのか自分でも解らないが、レヒトの双眸からは止め処もなく涙が溢れていた。

 

「これで決着だ」

 

「えっ?」

 

 なんと月弥はクーアがいる位置にまで跳躍をしていた。

 弓矢でも用いねば届かないと思っていたクーアは、その人間離れした跳躍に驚いて硬直してしまう。月弥は固まるクーアの頭を太腿で挟むと後ろへと回転して地面に叩きつけた。『フランケンシュタイナー』と呼ばれるプロレス技である。

 魔女化していた為にダメージは無いが急激な回転により平衡感覚が狂わされており、起き上がる事が出来ない。

 すかさず月弥はクーアの後ろから抱きついて共に後方へと回転し、そのまま足を絡めて覆い被さるようにブリッジの体勢で押さえ込む。

 『ローリング・バック・クラッチ』所謂(いわゆる)『オコーナーブリッジ』である。

 一方、クーアは平衡感覚が狂ったままである事と体を海老のように折り畳まれた恰好なので動く事は適わずに固められてしまう。

 それを見た子供達は地面を叩きながらカウントを始める。

 

『ワン! ツー! スリー!!』

 

 月弥の勝利が確定し、子供達から歓声が上がる。

 月弥の趣味の一つにプロレス観戦があり、誰彼構わずに異世界人であろうとプロレスの試合の映像を観せて布教する事も月弥の悪癖である。

 余談だが、月弥はとある偉大なレスラーの真似をする事があったが、美しくないとの理由により、しかも『一頭九尾』や精霊達が泣いて懇願した為、以後、彼は顎をしゃくれさせる事を禁じられているという。

 

「最後の頑張りに免じて子供達の記憶から失禁の事は消してやるよ。あと親父さんに頼ンで剣の稽古でもして貰え。接近戦に持ち込まれた時の対応が出来なさすぎる。魔法遣いが接近戦をしちゃいけないって法は無ェンだ。出来る事は可能な限りやれ。それに魔法は術者の精神力にも左右される。武道に限らず体を鍛える事は精神を鍛える近道と知れ。そうさな、まずは走り込みから始めてみちゃどうだい?」

 

 月弥からのアドバイスにクーアは表情を無くした顔で頷いた。

 思うところが無かったのではない。生まれて初めて全力を出し切った事と、その上で完膚無きまでに敗北した事で心が千々に乱れており複雑過ぎる感情を表す事が出来なかったのである。

 

「初めて全力を出した達成感と、それにも拘わらずコテンパンにされた悔しさで心がしっちゃかめっちゃかになっているってところか?」

 

 内心を云い当てられてクーアの体がビクリと震えた。

 月弥はそんなクーアに優しげに微笑みながら頭を撫でる。

 

「それで良い。負けて悔しいって気持ちがあれば何度でも這い上がれらァ。後はひたすらに鍛錬する事だな。稽古量はそのまま自信に繋がる。ああ、忘れちゃいけねェよ。友達を沢山作って沢山遊べ。子供の頃の付き合いがそのままコネに繋がる場合も少なくないし、遊びの中にこそ工夫に繋がるヒントがあるものさ。お前を孤児院の子達に紹介したのもその一環だ。ここの子はみんな良い子だし、将来一角の人物になりそうな器がちらほら見える。きっとお前に取ってプラスになるだろう」

 

「ミーケ…さん」

 

「ツキヤで良い。俺が出した条件は“俺を満足させる”事であって勝つ事じゃねェ」

 

「ううん、僕が満足してないから、もっと強くなるまではミーケと呼ぶよ」

 

「そうかい」

 

 それでこそクーア、ユーム女史とオアーセ公爵の子だ、と月弥はクーアの額に唇を落とした。途端にクーアの顔が()を塗ったように赤くなって全身が硬直する。両親やユーム、クシモと善く月弥の額にキスをして褒めていたので、彼も人を褒める時はそうするものなのだと思い同じようにしているのだ。

 そのお陰で信徒や部下、弟子達のやる気がストップ高となり、教皇さまを喜ばせようと必死に働いている事は月弥は知らない。むしろ「おお、みんなやる気満々だな」と感心している始末だ。

 

「ツキヤ、お疲れ様。恰好良かったよ。クーア君も凄かった」

 

「ありがとうよ。つーか、子供達みんな強くなったなァ。クーアが『ヤマタノオロチ』を出した時はトラウマになるンじゃねェかと心配だったが怯えた様子も無いようで何よりだぜ」

 

「それだけツキヤの事を信用しているんだよ。僕達に取っては借金取りや寄付金を盾に僕達や先生達に厭らしい事をさせようとしてくるお金持ちの方がずっと怖いよ」

 

「然もありなん。ま、慈母豊穣会が後ろ盾になった今となっては、そんな不埒な輩は絶対に近づけねェから安心してくれ」

 

 やはり上も無く下も無く五分でミーケと対話しているムーティヒを羨ましく思いつつクーアは全身に巡らせていた大量の魔力を抑える。すると全身に絡まっていた髪がほどけ、色も元の鮮やかなライトグリーンへと戻っていく。

 ただ完全に元通りとなった訳ではなく、髪は長いままであるし、クセがついたのか所謂ゆるふわヘアになって前にも増して女の子っぽくなってしまっていた。

 

「あ、あの……」

 

「ん? 何だい?」

 

 おずおずと袖を引く少女にクーアが向き直れば、彼女だけではなく数人の子供達が集まっていた。

 

「ねえ、クーアちゃん。もし、良かったら私達に魔法を教えてくれない? ツキヤちゃんから身を守る方法を教えて貰ってるけど、私達はちょっと運動が苦手だから」

 

「えっ?」

 

 クーアは戸惑う。

 自分だってまだまだ修行の途中だし、況してや今日は自分の不甲斐なさを痛感したばかりだ。むしろ自分が教えるよりミーケに教わった方が良いのではないかと思う。

 

「教えてやれ。案外、人に教えるというのは難しいものだし、自分に取っても良い復習になる。それに子供達の自由な発想は刺激になるに違いねェ。さっきの話じゃねェが、ひょっとすると新しい魔法のヒントを得られるかも知れんぞ?」

 

 月弥からも推されてクーアは腹を決めた。

 

「分かったよ。ただし僕も教えるのは初めてだから加減が分からない。僕の説明が難し過ぎたり、教え方が怖かったら教えて欲しい。或いはミーケに云ってよ。そうすればミーケも教え方を一緒に考えてくれるかもだし」

 

「うん、解らない所があったらちゃんと訊けってツキヤちゃんも云ってたし、借金取りより怖い人なんて滅多にいないから大丈夫だよ」

 

「それと今更だけど僕は魔女の子供だよ? それでも良いの?」

 

「魔女って事は魔法は得意なんでしょ? 問題無いよ。それを云ったら私は孤児だし、人間とゴブリンの混血だもん」

 

「へ?」

 

「僕はオークと人間!」

 

「アタシは妖精とのチェンジリングって云われて孤児院に捨てられた!」

 

「俺の親は人間だけど悪い事して今は牢獄にいるよ!」

 

 クーアは納得してしまう。

 やっぱりこの子達はミーケと五分の付き合いをしているだけあって逞しいと。

 

「あ、あの……」

 

 今度は月弥に話しかける者がいた。

 

「あ? 何か用か?」

 

 月弥が睥睨する先には身を縮こまらせているレヒトがいた。

 彼はまるで信号機のように顔を赤くさせたり青くさせたりと忙しい。

 しかし口元をもにょもにょと動かすだけで中々口を開こうとしなかった。

 

「用があるならさっさと云え。俺は早く風呂に入りたいンだ」

 

 月弥からすれば見上げるほどの体躯を持つレヒトであったが、端から見ればレヒトの方が小さく見えて憐れみを覚えるほどである。

 

「あの……」

 

 促されはしたが月弥の三白眼は場数踏んだ極道ですら身を竦ませる迫力がある。

 況してや演習とはいえ、あれだけの戦闘能力を見せ付けられては尚更であろう。

 

「しゃきっとしろい!! 心持ちがうろうろしているから、すっと言葉が出てこねェンだよ。いいか? 古人の言葉に“七呼吸の間に思案しろ”というものがある。これは何も即断するのが良いと云っているンじゃねェ」

 

 月弥はレヒトの胸にとんと指を置く。

 

「今のお前のように心持ちがうろうろしている時は正しい判断がつかないもんだ。いいか、レヒト、レヒト君よ。心の扉を閉めていたらダメなんだよ。心を開いて善く考えろ。澱みなく爽やかに凜とした気持ちで考えれば七息の内に胸が据わって決断ができるって事だ。さあ、心を開け。光を、風を心に入れてみろ」

 

 レヒトは月弥を見る。

 先程と変わらず三白眼のままであったが、どうだろう。

 今は恐怖ではなく頼もしさを感じ安心を覚えるではないか。

 口を開けば罵り、手や足が飛んでくる両親のせいでいつの間にか自分の意見を云えなくなっていたが、彼なら自分の言葉に耳を傾けてくれる。そんな気持ちにさせてくれた。

 

「いいか? 慌てなくて良い。ゆっくりと七回呼吸をしてみろ」

 

 言葉こそ父親のように乱暴だが、自分の言葉を聞く体勢になっているのが分かる。

 

 一回。

 

「ここにはお前を罵る者はいない」

 

 二回。

 

「ここにはお前を殴る者もいない」

 

 三回。

 

「ここにはお前を嗤う者もいない」

 

 四回。

 

「ここにはお前から食べる物を奪う者もいない」

 

 五回。

 

「ここにいるのはみんなお前の仲間だ」

 

 六回。

 

「さあ、心の扉を開け」

 

 七回。

 

「ほ、炎の竜巻を斬った姿に惚れました!! 俺を弟子にして下さい!!」

 

「許す。今日からお前を三池流の門下に加えよう」

 

「えっ?」

 

 あまりにもあっさりと許されたのでレヒトは一瞬呆けてしまった。

 

「お前、歳は確か十二だったか?」

 

「は、はい」

 

 レヒトは子供達が驚くほど素直に返事をした。

 呆けていたからではない。元来のレヒトは素直であると月弥は既に見抜いていた。

 だが、生まれてから今まで受けいた父親からの虐待と母親のネグレクトのせいで心を閉ざしてしまった結果、自分の身を、否、心を守る為に攻撃的になってしまったのだろうと推測したのだ。

 月弥とて心理学者ではないし、況してや神ならぬ身であるので、それが正解かは分からなかったが、子供が心を開きやすいように敢えて派手な魔法や秘するべき奥義を遣ってまでクーアと戦ったのだ。

 そう、今回の演習はクーアへの教育でもあったが、レヒトの心の救済も目的としていたのである。そういう意味ではクーアが『ヤマタノオロチ』というド派手な魔法を遣ったのは僥倖であった。

 

「取り敢えずまずは風呂だ。レヒト、お前には背中を流して貰おうか」

 

「は、はい!」

 

「じゃあ、僕は三人がお風呂に入っている間に洗濯と着替えの用意をしておくよ」

 

 ムーティヒが請け負った。

 

「悪いな。ああ、クーアは男だが魔女としての教育も施されているから女装にも抵抗は無い。むしろ好んでいる節がある。最近は修道女の服に凝っているらしいから先生に云ってお古を見繕ってやれば喜ぶと思うぜ」

 

「それは良いんだけど先生達は星神教徒だよ? 先生達には偏見の心はないけど、魔女のクーア君は平気なの?」

 

「魔女で、しかも男が修道服を着るのが良いらしいや。まだ八歳なのに末恐ろしい趣味をしてやがるよ。しかも親父さんは、可愛いし似合うのだから良いではないか、とご満悦だ。こないだなんか、“お揃いだよ”とか云って自分は白いガーターベルトを着けて俺に黒を押し付けてきやがったからな。流石に“趣味を押し付けるな”って裸絞め(スリーパー)で寝かしつけて逃げたよ」

 

「それは寝かしつけたとは云わないんじゃないかな? でもクーア君は君に取って大切な存在ではあるんだよね?」

 

「トラが生まれた時も思ったが弟が出来たみてェでな。まあ、可愛いよ。俺に女装を勧めてくるのが玉に瑕だが、俺なりに可愛がっているつもりだよ。ただクーアの母親が俺の母親の師匠であり育ての親でな。魔女一家と組んで両親までも俺に女装をせがむようになってきやがって、最近ちと怖いンだわ。そもそも俺の髪が長いのも両親の我が侭なんだよ。俺としてはパンチパーマに「ダメだよ?」えっ?!」

 

「折角綺麗な髪なんだからパーマなんて当てたらダメだよ?」

 

「いや、これでも一組織のトップなんだから迫力を出した「ダメだよ?」お、おう」

 

 いつもの穏やかな微笑みのようで何故か有無を云わさぬ迫力を感じて月弥は頷くしかなかった。

 

「じゃあ、少し短く「ダメだよ?」お、おう」

 

 切るのもダメなのか。

 

「ならブリーチ「ダメだよ?」お、おう」

 

 脱色もダメか。

 

「髪がダメなら眉「ダメだよ?」お、おう」

 

 そうか剃るのもダメかい。

 

「試しにクーアに乗っかって女装してみるのも……」

 

「良いんじゃないかな?」

 

 それは良いんだ。

 

「ああ、うん、ツキヤにはいつも綺麗でいて欲しいんだ」

 

「綺麗て、いやまあ、男としては複雑だが周囲から持て囃されちゃあ自覚をしないのはイヤミと心得ているよ。流石に女装は沽券に関わるからしねェがな」

 

「それは分かっているよ。それはそうとお風呂に入っておいで。出る頃にはお茶の用意もしておくから、一緒にカステラを食べよう」

 

「そうだな。時間は有限だ。お言葉に甘えて汗を流させてもらうぜ。おう、お前ら、帰るぞ!」

 

 見れば子供達はクーアを交えて『花一匁』で遊んでいた。

 ルールは子供達は勿論、クーアにも教えていたので愉しそうに笑っている。

 それだけでもクーアを連れてきた甲斐があったというものだ。

 彼らは月弥の呼びかけに素直に応じると一人も欠ける事無く集まった。

 一応、兄役のムーティヒが点呼を取り、全員無事であると確認する。

 

「おーし、帰るぞ。ちゃんとムーティヒについて行けよ」

 

 彼らの前に門の形をした光が現れる。

 光の中にムーティヒが先頭になって入っていくと、子供達もそれぞれ入る。

 その先が自分達が生活する孤児院に繋がっている事を信じているのだ。

 レヒトも入り孤児院の子が全員入った事を確認すると、最後にクーアと月弥も光の門の中に入っていく。

 その直後、門は消え去り、後は夕陽に照らされた採石場跡に静寂が訪れていた。




 いつもより長くなってしましましたが、更新出来ました。

 演習ではありますが、第弍部・第拾壱章になって漸く出た月弥の初戦闘シーンだったりします。
 まあ、ぶっちゃけた話、事件が起こって黒幕を見つけて仕掛けで懲らしめる物語なので戦闘能力は実は必要無かったりします(おい)
 仮に月弥が何の才能も無い非力な半妖精だったなら第弍部はもっと短かかったはずです。
 魔女狩りが起こって魔女や冤罪で捕まった人達がどんどん処刑されていく中、アルウェンもユームもどうしようもないという状況で一人だけ事件を俯瞰で見ていた月弥が黒幕を見つけて人知れず仕掛けて、いつの間にか魔女狩りが収束していたという感じになっていたと思います。
 しかしそれでは、薄っぺらいし詰まらない話になっていた事でしょう。
 何より月弥が事件に介入する動機が無いんですよね。お金だとしても依頼をする人物がどうやって月弥とコンタクトを取るんだって話になります。
 そこで生まれたのが、勇者である両親が折角封印した魔王を蘇らせる不肖の息子でした。
 クシモを中心に据えてどんどん商売を広げた結果、様々な事件に巻き込まれるという土壌を作った訳です。
 そして魔王を復活させるにはやはり強大な魔力が必要だろう。異世界だけではなく地球でも事件を起こすには、地球でも巻き込まれる土壌を作るべきだろうと生まれたのが東雲家であり、そのものより分家の方がストーリーに厚みが出るだろうと三池家も生まれたのでした。
 こうして非力ながらも異世界と地球を往き来できる文武両道の半妖精・三池月弥が誕生しました。
 そして神によって召喚、或いは転生させられた勇者を敵に据える事で色々と応用の利く設定が出来上がったのです。
 これなら主人公が一人だけで、悪役令嬢物も組織発展物も今流行っているパーティー追放物も思いの儘に書くことが出来ます。
 ただ難点が、私自身の頭がお粗末なので、万人受けする話が書くのが難しいという事です(待て)

 それではまた次回にお会いしましょう。

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第拾弍章 湯の中の語らい

 孤児院の中にあるとは思えぬ豪勢な大浴場に三人の影があった。

 一人はご存知、慈母豊穣会・教皇ミーケこと三池月弥、もう一人は魔女ユームの子であるクーアであったのだが、二人とも気不味げに顔を反らしている。

 何故ならレヒトの胸には二つの膨らみがささやかながらもあったからだ。

 地球と違い、この世界(・・・・)は両性具有が生まれやすいらしい。

 実に全人口の二割が両性具有であるそうで確率はかなり高いと云える。

 それは人間に限った話では無く、エルフやドワーフなどにも当て嵌まるそうな。

 

「お前、両性具有(ふたなり)ならそう云えよ。風呂場に連れ込ンじまったじゃねェか。しかも生傷が到る所にあるし、見られたくなかったろうよ」

 

「いえ、師弟の契りを結んだ以上、俺は先生に尽くすつもりです。先生の行くところなら、たとえ火の中、水の中だろうと厭いません! それに俺は親父や親戚、借金取りに犯されててもう嫁に行ける体じゃないですから、気にしないで下さい!」

 

 気にするなというのが無茶な話である。

 親から虐待されていた事は聞いていたが、まさか親戚から金を借りる為、借金の返済を待ってもらう為に体を差し出されていたとは想像していなかったのだ。

 

「取りあえず傷を治すからクーアも手伝え」

 

「うん、分かったよ」

 

 クーアが生傷の上に手を翳すと、掌から光を帯びた水が溢れる。

 光る水が傷を覆うと立ち所に塞がっていくではないか。

 水の精霊の力を借りて傷を癒やす水を精製する『ヒーリングウォーター』だ。

 この魔法は深い傷を負った際に本領を発揮する。

 傷口を覆う事で患部を保護し、そこから入った雑菌や毒を排除する力があった。

 しかも痛みを和らげる効果もあり、傷を癒やしながらすぐに戦線に復帰する事ができるのだ。ことパーティー戦で重傷を負った前衛を治療する事に向いている。

 

「じゃあ、俺は古傷を治すか」

 

 魔王と直接契約を交わし騎士となった者には様々な恩恵が与えられる。

 一つ目は契約の際に三つの願いを叶えて貰える権利。

 二つ目は単純ではあるが、魔界における地位と権力。

 そして精霊と同様に魔王の力を借りて行使する暗黒魔法と呼ばれる技術である。

 これは契約した魔王の特性によって遣える魔法が異なり、それによって契約したいと思う『一頭九尾(ナインテール)』の人気の差にも繋がっているという。

 例えば盗賊の守護者である『盗賊王』と契約をすれば、罠の有無を調べる『探査(サーチ)』、安全に扉や宝箱の鍵を開ける『開錠(アンロック)』などといった盗賊からすれば喉から手が出るほど欲しいであろう『盗魔法(ロブマジック)』というスキルが手に入る。

 『死者の王』からは死者を操る『死霊魔術(ネクロマンシー)』を与えられるイメージがあるが、荒魂を鎮める役目を持つ慈悲深い彼女からすれば、そのような魔法はご法度である。代わりに精霊魔法の技術向上の指導と無限に書き込む事が可能な『白の魔導書』と呼ばれる全てが白紙の本を与えられる。生涯をかけて魔法を研鑽して自分だけの魔導書を作って見せろという意図が込められた粋な贈り物である。

 では吸精鬼(サッキュバス)の王にして吸血鬼(ヴァンパイア)の王である『淫魔王』から何が与えられるのかと云えば、御察しの通り、相手を魅了する『魅了(チャーム)』や性欲を増進させたり感度を上げたりする『淫魔法《セクシャルマジック》』と呼ばれる技術(わざ)というか(わざ)となる。

 何故、治療の最中に今の説明を入れたのか、不思議に思う向きもあるだろう。

 その答えはすぐに月弥が出してくれた。

 

「見た目はグロいが痛みはほとんど無ェから我慢しろよ」

 

 月弥は右手の人差し指と中指を立てると、既に塞がってはいるものの無惨にも引き攣れている傷に宛がった。

 右手がピンク色の靄に包まれたかと思えば、中指が触れていたレヒトの古傷が煙を立てて焼け爛れる。

 

「ヒッ?! 先生、何を?!」

 

「痛みは無いっつったろ? 善く見ろ」

 

 焼け爛れた肌が人差し指から放たれた光によって瞬時に治癒されていく。

 しかも古傷は綺麗に消えて、本来の瑞々しい肌に戻っていた。

 

「こ、これは?」

 

地母神(オヤジ)から貰った感度を上げる魔法の応用で、感度を三千分の一にして痛覚をほぼ抑制し、古傷を焼いてすぐに治癒することで元通りにするオリジナルの魔法よ。元々極道の部下の刺青を消す為に開発したンだが、古傷にも効いてな」

 

 だったら初めから云えば良いのにとクーアは思ったが、“古傷を焼き潰してから肌を再生させる”と説明されて“どうぞ”と云える患者はいないだろうなと思い直した。

 そして思い知らされる。これほど精密な治療魔法を遣えるミーケと自分とでは初めから勝負になっていなかったのだろうと。

 ちなみにこの魔法は“堅気になって懸命に生きろ”という願いを込めて『堅生術(けんせいじゅつ)』という名が付けられている。

 

「最後に膣と処女膜も治してやるからな。後でおシンに犯された記憶も消して貰おうか。いずれは良い縁談を捜してやろう」

 

「ああ、借金取りに入れられたタトゥーまで消えて……ありがとうございます」

 

 かつて逃げられぬよう太腿に入れられた髑髏のタトゥーも見事に消えたのを見て、レヒトは漸く自由になれたと実感した。

 

「これで綺麗になったな。こうして見るとお前も中々の別嬪じゃねェか。今後、男として生きるにしろ、女として生きるにしろ、将来の伴侶は選り取り見取りだ」

 

「別嬪って……」

 

「ま、これからは自分を大切にして生きていくンだな。自棄を起こさず一日一日を大切に送っていれば幸せの方から歩み寄ってくるってもんだぜ。少なくとも俺の目が黒い内はお前を不幸にしようとする輩は近づけさせやしねェからよ」

 

「先生」

 

 月弥は笑いながら浴槽に身を沈めた。

 

「久々に神経使う魔法を遣ったから肩が凝っちまったぜ。レヒト、肩を揉んでくれ」

 

「はい、ただいま!」

 

 早速、レヒトをコキ使う月弥に苦笑しながら、クーアも湯船に浸かるのであった。

 

組長(オヤジ)、頼まれていた、子供達の記憶の消去は終わりやしたぜ」

 

 浴場に入ってきた幽鬼の如く青白い少女を見てクーアとレヒトの背筋が凍った。

 まるで幽霊のように音も無く入ってきた事もそうだが、浴場の扉が開いた音すら聞こえなかったからである。

 況してや前髪で目が隠れているのも不気味さに拍車を掛けていた。

 しかし月弥は平然と手を振っているではないか。

 

「おう、悪いな。後でお前ンとこの事務所に報酬を届けさせるからな」

 

「普段から面倒見て頂いているのに、これくらいの事で報酬は頂けやせんや」

 

「そうはいくかよ。個人的な頼みとはいえ仕事をして貰ったからには報酬はきちんと払うぜ。そこン所をなあなあにすると綻びが生じるからな」

 

「そういう事なら遠慮無く」

 

 三池組・組内・霞一家・総長・目眩(めくらまし)のおシンはニンマリと笑った。

 

 シャラン。

 

 金属同士が擦れるような軽い音と共におシンの姿が消える。

 

「ま、折角だしやつがれも風呂に入らせて頂きやすよ」

 

「えっ?」

 

 いつの間にか一糸纏わぬ姿となったおシンが洗い場で体を洗っていた。

 そして漸くおシンが少女ではなく少年である事を知ってクーアは驚いた。

 色鮮やかな花や蝶を染め抜いた黒い小袖から勝手に女の子と思っていたのだ。

 

「そういや、おシンは何でいつも着物姿なんだ? お前との付き合いはもう半世紀じゃきかないが男装をしている姿を見た事ァ無いンだが」

 

「そうでしたかい? まあ、母親の形見と思っておくんなせぇ。やつがれを産む前に松の木にぶら下がったそうでね。それから暫くして腐り蕩けた母親の腹を破って産まれたというか、落ちてきたのがやつがれだそうですぜ」

 

「また壮絶な産まれ方をしたな」

 

「その後は育ての親でもある師匠に飴で育てられやしてね」

 

「飴?」

 

「まあ、師匠もこの世の者じゃなかったんで御座ンすよ。金はあったけど今みたいに粉ミルクがあった時代じゃねぇでやすから仕方なかったんじゃないですかね」

 

「いよいよ怪談染みてきたな。着物の話をするだけだったンだがよ」

 

 口とは裏腹に月弥は興が乗ったと云わんばかりに身を乗りだした。

 反対にクーアとレヒトは顔を青ざめさせて距離を取っていたが。

 

「で、師匠から同じ霞姓を頂き、“信念を胸に志を持った立派な男”になるようにと信志ってぇいう名をつけてもらいやしたのさ」

 

 師は母親の形見だと彼女の片袖を斬り取り信志に渡したという。

 そして無惨に腐った母親の遺体を小袖ごと荼毘に付したのだが、翌日には信志は母親が生前そうしていたように完全な状態の小袖を着ていたそうだ。

 

「以来、やつがれは小袖を御包みにして育ち、稽古の時すら小袖姿でした。いや、師匠には道着を用意して頂いてたんでやすがね。稽古の最中でも気が付けばいつの間にやら小袖になっていたんでやすよ」

 

 小袖を脱ぐときは風呂か洗濯をする時だけで、それ以外は小袖姿であったという。

 しかも洗濯をしようにも汚れが全くついていなかったそうで、山野を駆け回ろうと、どれだけ汗をかこうと決して染みひとつつかなかったらしい。

 

「でね、師匠から霞流の免許皆伝を許された時に気付いたんでやすが、やつがれは十五の頃から全く歳を取っていなかったんでさ。まあ、その時のやつがれは軽く還暦を超えてやしたから、師匠もやつがれもどれだけ暢気なんだって話でやす」

 

「はぁん。お前さんの体からは人間以外の血が入っている匂いはしねェけどな。長命種でもないのに今なお若いアンタの正体って何なんだ?」

 

 今更それを訊くのかとクーアは呆れた。

 

「さてね。そもそも親にしてもどこの誰かは分からなかったんでやすよ。ただ母親の死体にはこの世の全てを怨んでいる(・・・・・・・・・・・・)と思えるほどに怨念が渦巻いていたそうでやす。ま、強いて云えば『生まれついての怨霊』もしくは『人間に近い悪霊』って所じゃねぇですかね? 現にオヤジに負けるまでは世に仇なし、金の為なら何でもする小悪党でやしたし」

 

「ふぅん。ちなみに師匠とやらはその後どうしたンだ?」

 

「やつがれが剣術を始め、柔術や投毒術、手裏剣術、馬術と霞流の悉くを継承したからか、思い残す事は無いって成仏しちまいましたよ。置き土産に隠し財産と秘伝書を遺してね。まあ、いい女でやしたよ。“自分の代で霞流を滅ぼしてしまった”と嘆くその憂い顔がまた色っぽくてね。成仏する間際、必死に口説いて口説いて童貞を捨てさせてもらったのも良い想い出でさぁ。師匠の方も本音を云えば、男を知らぬまま成仏したくはなかったようでしたからねぇ」

 

「ほぉん。上手い事やりやがったな」

 

「そ、そうかな? 初めてが幽霊って……」

 

 魔女ゆえか幼くして性に関する知識を持つクーアは頬を引き攣らせた。

 月弥はレヒトに向かって云う。

 

「この目眩のおシンはな。自分を小悪党と抜かしちゃァいるが、今の俺が全力を出しても真剣勝負(ガチンコ)じゃ勝てねェのよ。俺が目標としているレベルの一つさね」

 

「先生よりもお強いとは……」

 

「ああ、そのお人が新しいお弟子さんですかい」

 

 おシンはレヒトの顔を覗き込む。

 途端に金縛りにあったように体が動かなくなる。

 月弥の瞳が闇色と表すほどに黒いなら、おシンの瞳は虹彩と瞳孔の区別がつかないまでに黒一色であった。

 

「なかなか良い面魂(つらだましい)をしていやすね。これなら青龍衆、いや、玄武衆まで行けるんじゃねぇですかい?」

 

「お、分かるかい? 俺も久々に良い弟子を取れたと思っていたところよ」

 

 おシンの言葉に月弥は嬉しそうに返す。

 右目が開いていない為、ウインクをしているようにクーアには見えた。

 

「セーリュー? ゲンブ?」

 

 体が動くならレヒトは首を傾げていただろう。

 

「ああ、ついでに三池流の修行の流れを教えておこうか」

 

 三池流には四つの段階があり、入門したばかりの門下生は白虎衆の呼ばれている。

 これは十五歳未満或いは入門から三年未満の者で構成されており、基礎となる走り込みや素振り稽古をこなしつつ、基本となる技の稽古を徹底的に仕込まれるのだ。

 そして入門三年以上かつ十五歳以上になった者が試験を受けて合格すると次の段階である朱雀衆に進む事を許される。

 朱雀衆は真剣による稽古を許され、奥義を除く応用技の稽古や希望すれば槍、弓、馬術、鎖鎌、棒術など武器術の受講もできた。

 門下生の大半はこの朱雀衆であり、修行期間も一番長いだろう。

 それだけ覚えるべき内容が多いのだが、仲間も多く、何より上達を実感できる時期でもあるので、三池流の修行の中では最も面白い段階であると云える。

 朱雀衆の中でも奥義を得るに相応しいと師に見込まれた者達は青龍衆に入り、奥義修得の修行を許された。

 また青龍衆は奥義を別とすれば全ての技術の熟達者であるので、宗家の許可があれば師範代として白虎衆や朱雀衆の指導を任される事もあるという。師範代となった者はその段階で指南料を免除され、逆に師範代としての給金が支払われるようになる。

 

「ちょっと待ってよ。四つの段階って云ってたけど、三つ目で奥義を教わるのなら最後の段階は何なのさ?」

 

「それを今から説明するところよ」

 

 奥義を含めた全ての技を修得したと認められた門下生は玄武衆を名乗る事を許されるが、当然ながら修行が終わった訳では無い。

 奥義修得はゴールではなく、むしろそこからが新たな修行の始まりであるとしており、各々が師から離れて独自の修行をしていく事になる。

 基礎を初めから練り直す者。工夫を凝らし新たなる技を開発する者。三池流を想定敵とし三池流打倒を志す者。それそれが高みを目指して邁進していくのだ。

 

「つまり一生修行が終わらないって事?」

 

「当たり前だろ。俺だってまだまだ修行が足りねェと思っているし、おシンだって顔を合わすたびに強くなっている。バアさんも魔法の鍛錬と研究を続けているのはお前も知っているはずだ。親父とお袋なんか今では『魔王禍』の頃の地母神(オヤジ)では相手にならないだろうと云われてるよ。それどころか『一頭九尾』の中でも未だ心身共に鍛えている魔王()がいるンだぜ? “これでいいや”なんて事はこの世に無いと知れ」

 

 また玄武衆ともなれば師範となり後進の指導を義務付けられる。

 月弥とて青龍衆以下の修行時代は玄武衆から可愛がられたものである。

 彼らの課す修行が如何に厳しく理不尽に思えても宗家が“効果あり”認めれば、たとえ三池家の子弟であろうとも服従しなければならない。

 我の強い月弥ですら、自室で悔し涙を流し枕を叩いたのは一度や二度ではない。

 

「忘れもしねェよ。鉄を斬れるようになって、“『月輪(がちりん)斬り』を修めた”って報告したら玄武衆(ヤツら)はどうしたと思う? “じゃあ、これを斬ってみろ”ってアラミド繊維とケブラー繊維を重ねた防刃防弾ジャケットを着込み、強化アクリルの盾を持った人形を用意しやがった」

 

 初めはアクリルの盾に弾き返され、その様を嗤われた。

 半年後、強化アクリルの盾を斬れても防刃ジャケットに阻まれる。

 二年かけて漸くジャケットを斬り裂くも中に詰まった粘土と孟宗竹が刃を止めた。

 更に一年、孟宗竹ごと人形を両断出来るようになったが、“まずまず”と頭を撫でられただけで終わったのだ。

 

「今にして思えば当然だった。当時の俺が全力で振って漸く八割の確率で成功させていたのに対して、玄武衆は一番弱い若輩者でも三割の力で『月輪斬り』が出来たンだからよ」

 

 今では伝統となり、『月輪斬り』を修得した者に対する試金石として『アラミド斬り・月輪許し』の名で青龍衆から恐れられているそうな。

 

「ある意味、東雲(しののめ)流剣士より化け物揃いでやすよね」

 

「当たり前だろ。東雲流剣士を守護(まも)り、活路を開いて“モノノケ”にトドメを刺させるのが三池のお役目なんだからよ。東雲流が弱いとは云わねェが純粋な戦闘力じゃ東雲本家より三池の方が上だと自負しているよ」

 

 月弥はレヒトの目の前でパンと手を叩く。

 その拍子にレヒトの体が動くようになった。

 必死に体を動かそうとしていたところに、いきなり動けるようになった為か、バランスを崩して月弥に向かって倒れ込む。

 

「ぐえっ?!」

 

「大丈夫か? おシン、いくら観察したいからって『不動金縛りの術』を遣う莫迦がいるか。ガタイは良くても相手は十二の餓鬼だぞ」

 

「すいやせんね。どうせ怯えられるなら動かなくした方が良いと思いやして」

 

「いやいや、いやいや。倒れてきた子の喉をクロスチョップで受け止めるミーケも大概だからね?! 普通に受け止めてあげなよ」

 

「いや、俺とレヒトの体格差で普通に受け止めたら、おっぱいを掴むか、おっぱいに顔をうずめていたからな。ラノベじゃねェンだから、ラッキースケベは御免蒙るよ」

 

「またそういう事を」

 

 実際、そうなってもレヒトは怒らなかったが、月弥が心配しているのは、それを聞きつけたクシモやフランメが“十二歳の娘を受け止めたのなら我らも受け止めろ”と訳の分からない理屈で迫ってくる事である。

 

「ちなみに組長(オヤジ)に頼まれていた例の記憶はもう消してありやすよ。今のレヒトさんは父親からの暴力と母親の育児放棄から救い出されて今の孤児院の世話になっているってぇ筋書きになっておりやす」

 

「流石はおシン、仕事が早いな」

 

「やつがれに出来る事はここまででさぁ。後は組長(オヤジ)が師として導いてやっておくんなせぇ」

 

「おうよ。任せろや」

 

 月弥はそう請け負うと、咳き込んでいるレヒトの背中をさすってやるのだった。

 それをおシンはじっと見ている。

 クーアは何故かおシンを放っておけない気持ちにさせられたものだ。

 

「ええと、おシンさんだったっけ? どうしたの?」

 

「いえね、やつがれもそろそろ弟子を取った方が良いのかと思いやしてね。霞流を後世に遺すのが師匠との約束でしたから。つくづく師匠が幽霊だったのが惜しまれやす。子供がいれば後継者に悩む事は無かったでしょうしね」

 

 寂しげに笑うおシンを見て、クーアは人間らしい表情も出来るのだなと思った。

 

「今度、魔女の谷に遊びに来てよ。兄弟の中には魔法が遣えない子もいるし、僕も接近戦が出来ないって欠点を指摘されたばかりでさ。剣を教えてくれると嬉しいかな」

 

 おシンは虚を衝かれたのか、目を丸くした。

 それも一瞬の事で小悪党のようにニンマリと笑うやクーアの頭を撫でた。

 

「貴方様は高貴な御人と偉大な魔女の血を引く御方だ。やつがれのような小悪党と付き合っちゃあいけやせんよ。まあ、跡継ぎはこれからゆっくり考えやすから心配はいりやせんや。でも、御気持ちは嬉しかったでやすよ。ありがとう御座ンす」

 

 おシンがクーアから離れると既に小袖を身に纏っていた。

 

「今後、御困りの事があったらいつでもやつがれを訪ねてきて下せぇ。やつがれに出来る事なら何でもお引き受け致しやしょう」

 

 シャラン。

 

 さっきと同じ音がして、何の音かとクーアが視線を巡らせて、再びおシンのいた所を見ると、既に彼の姿は無かった。

 

「何だ。おシンのヤツ、もう帰ったのか?」

 

「そうみたい」

 

 夢でも見ていたような心持ちでクーアは答えた。

 

「あっ」

 

「ど、どうしたの? いきなり変な声を出して」

 

「やられたな」

 

 月弥が指を差した先はクーアの胸元である。

 見れば赤い点があった。

 

「血?!」

 

「お前、おシンに何か云ったか? アイツが印をつけるなんてよっぽどだぞ」

 

「印って、コレをつけられるとどうなるの?」

 

 月弥は盛大に溜め息を吐いた。

 

「お前はおシンに魅入られたンだ。その印をつけられたが最後、どこにいようが、何をしようがお前はおシンから逃げられねェ。世界の反対側に居たとしても一瞬にしてお前の前におシンが現れるようになったのさ」

 

「ふぅん」

 

「ふぅんて、お前」

 

「確かに呪詛を感じるけど、不思議と嫌な感じはしないかな。おシンさんとは少しだけ話したけど悪い人って感じはしなかったしね」

 

 再び胸元を見るが既に印は消えていた。

 

「お前が気にしてないなら良い。だが何かあったらすぐに云えよ? アイツを信じて懐に入れたのはこの俺だ。責任は俺にある。俺も無いと思っているが、万が一、おシンがお前に何かをしようとした場合、俺はアイツと刺し違えてでもクーアを守護(まも)る覚悟は出来ているからな」

 

「分かったよ」

 

 流石にクーアもおシンを信じきる覚悟が有るとは云えなかった。

 口にするには“覚悟”という言葉は重すぎるのだ。

 

「お前はお前でおシンを信じていれば良い。俺には見えてないおシンをお前には見えているのかも知れない。目を見れば分かる。今日だけでお前が随分と成長した事がな。ならお前が信じているおシンを俺もまた信じるのみだ。お前の覚悟はちゃんと伝わっているよ」

 

「うん、ありがとう」

 

 月弥ははにかむクーアの頭にポンポンと手を乗せた。

 そしてレヒトにも向き直る。

 

「勿論、お前も三池流で大成すると信じている。だからそんな寂しそうな顔をするな。ちょっとクーアと大事な話をしていただけで、お前を蔑ろにしていたワケじゃねェンだからよ」

 

「はい…あ、いえ、俺ってそんな寂しそうな顔をしてましたか?!」

 

「まあ、これでも何人も子供達を見てきたからな。だが、安心しろ。俺は弟子も友達も一人たりとてぞんざいに扱わん。修行の厳しさにお前が逃げ出したとしても地の果てまで追いかけて一人前にしてやるよ」

 

「お、御手柔かにお願いします」

 

「いや、お前がここでしてきた悪さの分、仕付けてやるから覚悟しやがれよ?」

 

「は、はい」

 

 最初の頃と比べて随分と素直になったレヒトの反応に月弥は思わず噴き出した。

 

「冗談だ。新弟子に無茶をさせるほど俺も莫迦じゃないさ。ちゃんとお前の成長に合わせた修行をつけてやるから安心しろ。もっとも気を抜けば怪我だけじゃ済まないから稽古中は厳しくやらせてもらうがな」

 

「はい、宜しくお願いします」

 

「じゃあ、そろそろ上がるか。あまり遅いとお茶するどころか晩飯の時間になっちまう。カステラを食い損ねたら、それこそ子供達の怒りは計り知れん。食い物の怨みはオソロシイというからな」

 

 月弥の言葉に二人は頷いた。

 だが月弥は知らなかったのだ。風呂でのお喋りが想像以上に長くなっていて、恐れていた通りにカステラが御預けになってしまった事を。

 そして子供達の機嫌を直す為にクーアやレヒトと共にシスター服を始め、様々な女装ファッションショーをやらされるなど想像していなかったのであった。




 レヒトはかなり悲惨な境遇で生きてきました。
 星神教が彼(彼女?)の状況を知り、保護して孤児院に入れたのです。
 慈母豊穣会視点だと悪役になりがちですが、実際は善良な僧侶達で運営しています。
 まあ、孤児院自体も借金まみれで月弥が後ろ盾になるのが遅かったら、ロリコンやショタコン御用達の娼館に変じていた事でしょう。
 レヒトは今後、三池流を学びながら幸せにしていきたいと考えています。
 
 おシンも色々と過去を語らせましたが、勿論、おシンも魔女狩りに絡んでいきます。
 クーアとフラグを立てさせたのもその一環です。
 ちなみにおシンの師匠は小説家になろう様に投稿している『雪月花日月抄』の主人公、霞三姉妹の誰かの娘か孫に当たります。
 彼女も頑張っていましたが、やはり時代の流れには勝てず、道場を畳むはめになりました。
 一応、霞三姉妹が遺した財産で食べる物には困りませんでしたが、それでも絶望は大きく、失意のまま死んでしまいました。これで地球における霞家の血は絶えてしまったのです。地球では。

 孤児院の子供達は逞しいです。
 月弥ですら下手に怒らせるとたじたじになってしまいますw
 クーアとしては月弥と一緒に綺麗な服を沢山着られてラッキーだったようです。
 レヒトも犯された過去を封じられた影響か、女の子として生きるのも悪くないかなと、ちらと考えているようです。月弥の方をちらと見ながら。

 それではまた次回にお会いしましょう。

 もし宜しければブックマークや評価、感想などをお願い致します。
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人物紹介・慈母豊穣会

 三池月弥

 

 容姿:透き通るような白い肌。顔立ちは中性的な幼顔。

    目は吊り目勝ちで瞳は闇色と表現される程黒い。

    右目は黒いアイパッチで覆われている。

    化粧っ気は無いが唇は血のように真っ赤に濡れている。

    痩身矮躯。鍛えられてはいるが、細マッチョには少し届かない。

    むしろ薄く乗った脂肪のせいで全体的に丸みがある。

    艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、首の後ろと先端で縛っている。

 

 技能:精霊魔法・木・火・土・金・水・光・闇

    三池流制圧術(敵を斃すより捕縛に特化した体術)

    三池流武器術(剣を中心にした槍や弓などの戦闘術)

    簿記

    語学(英語・仏語・独語・中国語・露語)

    鍛冶(特に刀)

    機織り

    裁縫

    大工(小さな社なら独力で建築出来る)

 

 好きなもの:家族。仲間。友達。『一頭九尾(ナインテール)』。精霊。

       武闘会。

 

 嫌いなもの:差別主義者(特に混血児に対して)。快楽猟奇殺人者。チート。

       舞踏会。“悪しきモノ”。

 

 趣味:読書。物作り。プロレス鑑賞。

 

 身長:105センチメートル(15歳)

    110センチメートル(75~85歳)

    138センチメートル(170歳:成長ピーク)

 

 主人公。

 地母神クシモを崇拝する慈母豊穣会の教皇であり、裏では無頼を束ねて組織した直参・三池組の組長でもある。

 無頼口調で話し、反骨気質であるが根は優しく面倒見が良い。

 三池組も表社会に身の置き場の無い者達の為に用意した受け皿の意味がある。

 一見、節操無く商売の手を広げているのも三池組の組員達が少しでも表社会で真っ当に生きられる土壌を作る為である。早い話が極道の形をした更生施設。

 ただし受け入れるのは更生の余地がある者だけであり、外道と判断した者は容赦無く断罪する非情さも持ち合わせている。その場合も安直に殺すのではなく捕らえて司直の手に委ねている。

 

 魔王を斃した勇者である両親から産まれているが本人は魔界に属している。

 しかし両親との仲は良好で、むしろ溺愛されていると云える。

 ハイエルフとドワーフの混血児である母親と人間の父親の間に生まれた半妖精。

 ハイエルフの強大な魔力を受け継いでいるが、そのせいでドワーフの怪力は得られなかったが、物作りに適した器用さは十二分に遺伝している。

 機織りと裁縫には定評があり、特に絹織物を使った加工品は購入希望者が多い。

 また鍛冶技術も玄人跣であるが、打った刀は本人の反骨心の表れか、全て『無銘なまくら』と号している。

 大工スキルもあり、小さな社なら独力で建築できるが、宮大工と比べると数段落ちる。また“熊を咥えた鮭”の木彫り像など訳の分からない物を作っては周囲を呆れさせている。

 

 第壱部の段階で85歳だが、半妖精ということもあって見た目も幼いが精神面でも根っ子ではまだまだ未熟で幼い部分がある。

 人間社会で育ち、武道で厳しく指導されていた事から同年代の半妖精と比較すると大人びて独立心も養われているが、本来ならまだ親の庇護の元、平穏に暮らしているべき年齢である。

 素の状態では一人称は“僕”であり、言葉遣いも若干幼い。

 この本性を見せられるのは今の所、両親と地母神クシモ、火の大精霊フランメ、契約している七柱の精霊のみ。多い様だが要は家族乃至家族同様の者だけである。

 幼いゆえに煽り耐性は皆無に等しく、混血である事を侮辱されると、立ち所に報復してしまう。そのせいでトラブルに巻き込まれる事態にも。

 

 教皇として活動しているが、三池流宗家にして三池家当主という立場であり、本人としてはこちらを本職としている。

 東雲(しののめ)家の分家として本家を支えて、世界中に蔓延る“悪しきモノ”とその眷属の討伐を行う。

 東雲家当主とは幼馴染みであり、若い頃は義兄弟の杯を交わした親友でもあった。

 

 本人は剣客のつもりだが、魔界軍にあっては魔法遣いにカテゴライズされている。

 また非力であるものの、それを補って余り有る技術により素手でも十分に強く、勇者と戦う際には魔法はおろか抜刀する必要すらない。

 ちなみに必勝パターンとしては、相手の膝に低空ドロップキックをかまし、膝をついたところに、立てている膝を踏み台にして顔面に膝を叩き込む所謂シャイニングウィザードで大抵決着がつく。

 

 神々や勇者からは『魔人』と呼ばれ畏れられているが、ぱっと見幼女なので彼の悪友達からは『ちんちんの付いた幼女』と渾名をつけられた事もある。

 

 以降、話が進む度に更新予定。



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第拾参章 教皇の裁判

 地上より気が遠くなるほど降った悪魔や悪霊が跋扈する怨念渦巻く地下世界、即ち魔界の中央で一つの騒ぎが起こっていた。

 地母神クシモを崇める慈母豊穣会の教皇にして、『淫魔王』第一の忠臣である三池月弥の裁判が行われようとしていたからだ。

 既に大魔王にして月と魔を司る神『月の大神』、その武の片腕とされる『山の魔王』アカギ、知の片腕と呼ばれる『海の魔王』フタラ、そして『淫魔王』クシモを除いて『一頭九尾(ナインテール)』に数えられる魔王達は姿を見せている。

 被告である三池月弥を挟むように左サイドには、盗賊の守護者であり人々に他者の財を奪う(すべ)と誘惑を齎す魔王『盗賊王』フュンフ=トーア。

 誇り高き騎士達を育て上げて統括し、自身もまた武と礼節を尊ぶ『騎士王』ティム=ポロス=ソプラノ。

 アンデットの軍団を束ね、冥府の王の補佐も兼任する『死者の王』ドクトル・ゲシュペンストが並ぶ。

 右サイドには、ドラゴンと呼ばれる最強種の頂点に君臨し、『月の大神』が降臨するまでは実質魔界の支配者であった『鬼龍王』、名は人間には発音も聞き取りも不可能なドラゴンの言葉なので割愛させて頂く。

 亜人オークの最上位種であるオークキングにして配下のオークやゴブリン、ダークエルフに代表される妖精や亜人を絶大な指導力で統括し、魔界全体の防衛を担っている『守護王』シルト=シュバイン。

 かつて地上にある国の王族であったが、政争に敗れて魔界へと追放され、数百年という時間と百代を越える世代交代を経て過酷な魔界の環境に順応し、後に魔族と名乗る一族がいる。

 その後、"強い物が即ち偉い”というルール以外は混沌としていた魔界に秩序と法を作り平穏をもたらした功績により『月の大神』により代々当主に『魔王』と名乗る事を許されたエミルフォーン。

 この三柱の魔王が並んでいた。

 

『既に『死者の王』による『魔王禍』が始まっている大切な時期に『一頭九尾』全員を召集しての裁判とはミーケは何を仕出かしたのだ?』

 

『知らぬのか? いや、私も又聞きではあるのだが、話によると『魔王禍』を収める為に召喚された勇者十名の内、三名を殺し、二名に再起が不可能になるほどの重傷を負わせ、更に二名を発狂、一人を恐怖で引き籠もるまで追い込み、また一人の勇者を元の世界に戻してしまったとの事だ』

 

 長い銀髪を背中に流す美丈夫、エミルフォーンが問うと、緑がかった肌を持ち筋骨隆々ではあるが端整な顔立ちの女戦士然としたシルトが答えた。

 

『常にこちらの世界と日本(・・)を往復しているあやつなら、勇者を元の世界へと追い返すくらいはしても驚くに値せぬがな。問題は『魔王禍』を収める役目をたった一人の勇者が背負う事になったという事だ』

 

 裁判の為、今は人の姿に変身している『鬼龍王』も二柱の会話に加わる。

 エミルフォーンは、合点がいかぬと顎を擦る。

 

『あのミーケがな。確かに好戦的な部分もあったがアレは人の命を進んで奪うような男ではあるまい。むしろ"自分を殺そうとする相手と友達になる事こそが最強の奥義である”と普段から口にしているし、またそうして生きてきたはずだ。少なくとも余の耳にミーケが人を殺めたという話が入ってきたのは今が初めてだ』

 

『左様、あやつが忌み嫌う転生勇者とて殺された者は皆無だ。それは十年前に親友を無惨に殺したトロイですら許した事からも分かるように、ミーケの根本にあるのが慈愛と友愛だからだ。そのミーケが勇者とはいえ三人も殺すのか?』

 

 エミルフォーン同様、シルトも疑問に感じているらしい。

 

『真相はこれから始まる裁判で明かされるであろうがな。ソプラノ殿はどう考える? 『一頭九尾(我ら)』の中で一番親しいのはそなたのはずだ。何せ折りに触れては三池流と合同で訓練をしているのだからな』

 

『鬼龍王』が月弥越しに金の髪をきっちりと結い上げ、蒼い甲冑を身に着けている精悍な面差しの青年騎士に水を向ける。

 若き『騎士王』は暫し目を閉じて黙していたが、控え目な声量で答えた。

 

『私はツキヤの潔白を信じるのみだ。よしんば有罪になったとしてもツキヤと私の友情に些かの影響を与えるものではない』

 

 『騎士王』は目を開けて済んだ蒼い瞳で三池月弥を見据える。

 当の月弥は金の精霊・太白(たいはく)そのものである純白の甲冑を身に纏い静かに裁判の時を待っていた。

 その姿はまさに威風堂々といった佇まいであり、今から裁きを受ける罪人とは思えない。

 

『控えよ。『月』と『魔』を司りし神にして大魔王であらせられる『月の大神』様のご出座である』

 

 場の左前方に巨大な闇の渦が現れ、中から人が登場する。

 否、人と呼ぶには巨大に過ぎた。

 禍々しい蜈蚣を思わせる黒い甲冑を纏うその女騎士は人を丸呑みにしてしまいかねない程の巨体であったのだ。しかも下半身は人のそれではなく、蜈蚣そのものであり、長い胴体が入りきらないと云うかのように、未だ途中で背後にある闇の渦の中にあった。事実、彼女の胴体は山を七巻きしてもなお余るとされているので仕方の無いことなのだろう。

 彼女こそ『月の大神』の武の片腕である『山の魔王』アカギである。

 

『皆様、多忙の中、遠路遥々御苦労様です。しかし、それほど重要な裁判なのです。ご理解とご容赦をお願いします』

 

 次いで右前方にも闇の渦が出現して、今度は八人の女性が現れた。

 否、彼女らは総じて膝から下が癒着して蛇のように鱗が生えており、更に途中で全ての蛇身が融合して一本の巨大な大蛇(おろち)の胴体になっていた。即ち、彼女達は八人で一つの生命体であるのだ。

 彼女こそは『月の大神』の知の片腕である『海の魔王』フタラであった。

 

『これより慈母豊穣会・教皇ミーケの裁判を取り行う』

 

 そして最後に彼らの正面に姿を見せたのは、美しい銀色の毛並みと九本の尾を持つ巨大な狼、大魔王にして魔界の守護神、『月の大神』と、その隣に控えるように腰から蝙にも似た翼を生やした妖艶な美女、吸精鬼(サッキュバス)の王にして吸血鬼(ヴァンパイア)の王、そして『豊穣』と『多産』を司る地母神、クシモである。

 

『ミーケよ。そなたの長年に渡る忠勤は誰もが認める所で有るが、その罪は罪。裁きを受ける覚悟は出来ているな?』

 

 アカギの言葉に月弥の横に並ぶ六柱の魔王達は少なからず驚愕する。

 これでは既に有罪が確定しているようではないか。

 その中でエミルフォーンだけが一早く冷静に立ち戻り、これはミーケの量刑を決める裁判なのかと納得していた。

 

「何でも良いから早くしろ。テメェの肛門と口を縫い合わせてムカデナンタラに相応しい姿にすンぞ、ボケ」

 

『ヒッ?!』

 

 この状況でも反骨の姿勢を崩さない月弥にクシモが手で顔を覆って溜め息をつく。

 逆に見た目に反してヘタレな反応を見せるアカギに、フタラが"あーちゃん、ファイト”とガッツポーズと共に励ましていた。

 

『ふーちゃん……やっぱり今日の仕切はふーちゃんに……』

 

『あーちゃん?』

 

 フタラがニッコリと微笑むと、アカギはビクリと震える。

 

『ヒエッ?! で、ではミーケよ。ざ、ざざざ罪状を読みあぎぇりゅ……ふーちゃ~ん! ミーケが睨んでるよォ!』

 

 有ろう事かアカギは泣きを入れてフタラに助けを求める。

 そんなアカギにフタラは頬を染めて背筋をぞくぞくと震わせていた。

 

『ミーケ、グッジョブです。あ、いや、罪人の身で、しかも魔王に対してその態度は頂けませんよ? 罪が重くなるだけではなく、不敬罪も加わりましょう』

 

『そ、そうだぞ。だから早く、その…睨むのをやめろ!』

 

『あーちゃんは黙ってようね?』

 

『ヒッ?! ふ、ふーちゃん?!』

 

 最早、威厳もへったくれもなかった。

 それと云うのもアカギは一度月弥にこっぴどく敗北した苦い経験があるからだ。

 原因が月弥の主であるクシモをアカギが侮辱したからなのだが、月弥の怒りはそれはそれは凄まじいものであった。

 アカギの甲羅と甲冑、そして人間のような部分の皮膚も含めてどのような攻撃を通さない無類の防御力を誇っていた。

 それこそ神器を持つ勇者の一撃でも掠り傷一つつかないほどだであった。

 しかし、月弥が(やじり)を一舐めした矢を放ったのがアカギの栄光の終焉となってしまったのだ。

 矢は真っ直ぐアカギの眉間目掛けて突き進み、あっさりと刺さったのである。

 

「この手の妖怪って人の唾液が弱点っていうのが相場なんだけど、異世界の魔王でも効くんだね」

 

 当時、十六歳、まだ幼かった月弥の辞書には"容赦”の文字は無く、更に『月輪(がちりん)斬り』を遣ってアカギの背中を突き刺し、そのまま終点目掛けて走り出したのである。

 

『背開きにして蒲焼きにしてやる』

 

 怒れる月弥を止めたのは『月の大神』だった。

 彼女は慌てて止める周囲を振りほどいて月弥に頭を下げたのである。

 

『主を愚弄されて怒る気持ちは善く分かる。けどアカギは余に必要なのだ。アカギの不始末は余の不始末、余が詫びるゆえ怒りを収めてはくれまいか』

 

 こうして『月の大神』の真摯な謝罪により矛を収めた経緯があったのだ。

 今まで主である『月の大神』も含めて傷をつけられたことがない自慢の甲羅を貫かれた事と『月の大神』に頭を下げさせてしまった事実はアカギの心にも大きな疵痕を残したのだ。

 

「主が舐められたと云う事は、それは即ち僕も舐められたと云う事。今回は狼さんの顔に免じて許してあげるけど、また僕の顔に泥を塗ってご覧? 次こそ生かしておかないからね?」

 

 月弥の三白眼に気圧されたアカギは有ろう事か、"はい”と返事をしてしまい、落とし前として、自分の眷属である山に棲む魔物達の一割を月弥の眷属として差し出すハメになったのだという。

 更に追い打ちをかけたのが、月弥に降った元眷属達が皆、厚く遇されており、"アカギ様の所にいた頃よりずっと良いよな”と喜んでいるという噂であった。

 勝負に負けた上に、残った眷属が月弥の元へ行ったかつての同僚を羨ましがり、しかも自分もそちらに行きたいと転属願いを続々と出されているときてはアカギの落ち込みようは凄まじいものであった。

 何よりオソロシイのは、眷属の待遇も含めて月弥の報復であった事だろう。

 二度とアカギが自分に逆らう事が出来ないように精神の奥の奥、深層心理レベルにまで徹底的に三池月弥には勝てない(・・・・・・・・・・)と刷り込まれるまでに仕掛けたのである。

 後に、"魔王殺すにゃ勇者は要らぬ。ミーケに云うと云えば良い”という戯れ歌が魔界で流行るのも頷ける話であった。

 

『月弥』

 

 普段は無頼のように接してはいても、流石に今日のような場で主に窘められては月弥も一旦は落ち着く。

 

『月弥、何故そうも荒ぶる? 何がそなたをそこまで掻き立てるのだ?』

 

「云ったところでアンタらが理解出来るとは思えん。所詮、俺とアンタらは棲む次元が異なる生き物って事だって痛感した。俺はもうアンタらには何の期待もしてねェ」

 

『何だと? それはどういう意味だ?』

 

 流石に聞き捨てならぬとクシモは月弥を睨む。

 対して月弥の目は路傍の石を見るが如くである。

 

「何故、俺が勇者を排除したかって? 簡単だ。神罰の代行なんて生温いことは云わずに地上は一度『魔王禍』で滅びるべきだと判断したからだよ。否、そもそも文明の調節なんて小賢しい事をやってるから人は前に進めねェンだ。むしろ進化も退化もしねぇから歪ンだ所が歪みっぱなしになってンだろがよ」

 

 軽蔑の目で月弥はクシモを、否、『月の大神』を見据える。

 

「地上を見ろ。人間のほとんどの敵意は魔王や魔界軍じゃなく、魔女に向いてるじゃねェか。しかも人様の迷惑にならねェようにひっそりと穏やかに隠遁している連中にだ。ただ魔王の眷属ってだけでな。いや、もっとタチが悪い。人間に対して友好的で大人しいからこそ、攻撃対象にされちまったンだ。魔王や魔界軍に対抗出来ないからこそ、その怒りを魔女にぶつけていやがるのさ」

 

 そう、今や地上では魔女狩りが行われているのだ。

 しかも権力者達は、いつまでも魔王を退けられない不甲斐なさを民衆に責められるのを防ぐ為という愚にもつかなぬ理由で魔女狩りを推奨している始末である。

 

「地上を攻めてる魔王共がこんな所でのほほんとしてるってのに、何で罪の無ェ魔女が虐げられてンだって話だよ。俺が調べた限りじゃ、分かっているだけでもう既に魔女の犠牲者は千人を超えている。それどころか、気に入らねェヤツを魔女として教会に売るヤツまでいやがるそうだ」

 

 月弥はキセルを取り出すと刻み煙草を詰める。

 それを咎める魔王は一柱とていなかった。

 

「天界に云われるまま、畏まって(そうろう)って地上を攻めるのは良いけどよ。その割りを喰うヤツが出るのが分かっていながら、何のフォローもしてねェってどういう事だ、ああ? 特に『月のバカ犬』! テメェ、魔女狩りが起こらないよう星神教に働き掛けるって話はどうした? 何の為の大魔王だ。飾りなら魔界から()ねや。ざこば(・・・)、テメェもだ。魔女達はアンタの流れを汲んでいるンだぞ。それをただ殺されるのを指を咥えて見てるだけか?」

 

 最早、どちらが裁判にかけられているか分からない状況だ。

 月弥は煙を盛大に吐き出してから続ける。

 

「これだけ云われてだんまりか? 誰でも良いから"生意気抜かすな”って云ってみろや。おい、そこの節足動物! テメェも主をディスられて何も無ェのかよ? いつもの虚勢はどうした? さっきは俺の罪状を述べるって抜かしてなかったか?」

 

『ぐうううう……』

 

 アカギは唸ることしか出来ずにいた。

 いや、そればかりか、『一頭九尾』の全員が返す言葉が見つからなかったのだ。

 

「情けねェ。なら俺はドロンさせて貰うぜ」

 

 月弥は被告席から立つ。

 

「もし、俺の邪魔をするってンなら容赦はしねぇぞ? 止めるなら全員でかかって来い。流石の俺も『一頭九尾』に一斉にかかられたら五、六柱を道連れにするのが限度だからな」

 

 月弥の挑発にも魔王達は動こうとしない。否、動けずにいた。

 

「ふん、それでも動かずか。じゃあ、あばよ」

 

 月弥は侮蔑の表情を浮かべて魔王達に背を向けた。

 その際にクシモの方を一瞬見るが、クシモは目を伏せて何故か立てた右手の親指を左手で弄んでいる。

 月弥はもう何も云わず、その場を立ち去った。




 こちらは久々の投稿になってしまいました。

 ついに『一頭九尾』が全員集合しましたけど、月弥との中は険悪に(?)
 とうとう魔女狩りが起こってしまったのに動かない魔王達に怒り心頭です。

 これから先、月弥と魔王達はどうなってしまうのでしょうか。
 そして人々に追われる魔女達の運命は如何に?

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾肆章 魔女狩りの裏

「お疲れ様でやす、組長(オヤジ)。どうやら首尾良くいったようで」

 

 甲冑姿でありながら足音ひとつ立てることなく、裁判の舞台となっていた謁見の間から戻ってきた月弥を三池組・組内・霞一家・総長おシンが労う。

 

「ああ、ちとアカギの姐さんには気の毒だったがな」

 

「あの御方は腹芸も演技も出来ねぇでやすからね。良くも悪くも素直過ぎまさぁ」

 

 おシンは苦笑しながら月弥をある一室に案内した。

 

「この部屋は徹底的に調べ上げて“目”も“耳”も無い事は確認済みでやすよ」

 

「御苦労さん」

 

 月弥が用意されている椅子に座ると太白(たいはく)の甲冑が消えて、黒袴の道着姿になった。

 

「で、『一頭九尾(ナインテール)』の方々はどうでしたかい?」

 

「俺の見立てじゃ『鬼龍王』だな。あのプライドの塊が俺の挑発を受けても一言も云い返さなかったぜ。大人の対応とかじゃねぇ。その証拠に擬態が解けかかって頭から角が飛び出していやがった。地母神(オヤジ)もきっと何かを嗅ぎ取ったンだろうな。右手側の先頭が怪しい(・・・・・・・・・・)って合図を送ってきたよ。つまりは俺の右手側の一番前に座っていたアンニャロウの事だ。あの堪え性の無ェ『鬼龍王』がぶるぶる震えながら俺を見送ったのも、"暫く大人しくしていろ”と指示されてたンじゃねェか?」

 

「ま、『鬼龍王』の旦那は前から地球を狙ってやしたからねぇ。魔界にいたままじゃ『月の大神』の姐さんに頭を押さえ付けられたまんまでしょうから、新天地に野望を見出していたとしても可笑しくはありやせんぜ」

 

 月弥はハッと吐き捨てる。

 

「莫迦だねぇ。地球に来たところで返り討ちに遭うだけだろうさ。何せ世界中に“悪しきモノ”と戦い続けている猛者(もさ)がわんさかいるンだぜ? 仮に日本に来てみやがれ、東雲(しののめ)流と三池流が宣戦布告をする前に袋叩きにしちまうよ」

 

 鋼鉄より堅いとされるドラゴンの鱗も森羅万象を斬り裂く『月輪(がちりん)斬り』によって容易く截断されてしまうだろうし、炎のブレスも三池流魔法術(・・・・・・)を学んだ精鋭達によって簡単に封じられてしまうのだ。

 

「まあ、望めば神になれるだけの力を持つに至った『古き龍』ではあるがな。『月の大神』に首根っ子を掴まれているような体たらくで、世界なんか獲れるものかよ」

 

「しかし、神に近いからこそ『月の大神』の神託を上書きして、星神教の上層部に"魔の眷属、魔女を滅ぼすべし。その笑顔の裏に隠された悪意を見逃すべからず。神の怒りの裏に秘された愛を受け止めよ”ってぇ宣託を授ける事が出来たってワケでやすからね。侮れやせんよ」

 

 あの裁判の形をした茶番は『月の大神』の神託を握り潰し、都合の良い御告げに掏り替えた“敵”を見定めるという意図があったのだ。

 

「ま、いずれあのトカゲの大将には落とし前をつけさせてやる。だが、それはまだまだ先の事だ。今は泳がせて、この魔女狩りを仕組んだ黒幕を突き止めるのが先決だ」

 

 月弥は身の乗り出して対面に座るおシンへと獰猛な笑みを浮かべた顔を近づけた。

 

「これから忙しくなるぞ。兎に角、捕まったり追われている魔女の救出を最優先にしながら、俺とお前、後はナオで黒幕を特定しなけりゃならねぇ。頼りにしてるぜ?」

 

「それは承知しておりやすが、トラの(あに)ぃは良くないんで?」

 

「良くはないな。もうすっかり痩せ細って元の半分になっちまったかのようだぜ。今はモルヒネで痛みを抑えるのが精一杯でな。医者の話じゃ後、半月持つか持たねェかってところらしい」

 

 慈母豊穣会・枢機卿・東雲寅丸は風邪を拗らせて病院に行ったところ肺癌が見つかったのだが、既に体の至るとこに転移しており手の施しようがなかったらしい。

 元々、引退を考えていたので、良い機会だとポジティブに考える事にして、大司教を務めている二人の息子に枢機卿を継がせるべく教導していたそうだ。

 同じように自分も引退して次代に教皇を譲り、組織の若返りを考えていた月弥も、ついでとばかりに後継者として二人を教導していた。

 厳しい教導の結果、明るく面倒見が良い事から信徒からの人気が高かった弟が教皇を継ぎ、頭脳明晰で組織運営に適正のあった兄が枢機卿を継ぐ事になる。

 それを兄が不服に思って後継者争いになっても困るので、一応それとなく不満が無いか訊いてみたところ、“自分はトップより一歩引いて組織を仕切っている方が性に合っている”と答えたので月弥も胸を撫で下ろしたそうな。

 兄弟が次代を担うに相応しい力を着け、信徒達からも新たな教皇と枢機卿の誕生を歓迎されると、自分の役目は終わったと云うかのように寅丸は一気に力を失い、病床の人となってしまうのだった。

 

「俺が見舞いに行くとな、“叔父貴は今、こんな所にいる暇は無いであろう。早く魔女達を助けに行ってやれ。もうすぐ死ぬ人間よりこれからを生きる人間(・・)だ”ってエラい剣幕で追い返されちまったよ」

 

 笑いながら報告する月弥であったが、その目に光るものがあった事をおシンは見て見ぬふりをした。

 

「小さい頃は俺の後ろをちょこちょこ追いかけてな。俺が姫子らと仲良く遊んでいると引っ付いてきて“ダメ! のんちゃんはボクのお嫁さん!”って泣いていたものだったが、今はもうお迎えを待つばかりか……時間の流れは残酷って善く云ったもんだ」

 

「やつがれも請われて霞の技を教えた事がありやすが、弟子が師より先に逝くっていうのはこんなにも辛いものだったんでやすねぇ」

 

 二人は同時に鼻を啜った。

 余談になるが、月弥の“のんちゃん”なるニックネームは、月弥が分家衆から“月さん”と呼ばれている事から連想されたものである。

 “月さん”から“お月さん”となり、神仏や月を表す“のんのさん”となり、幼かった寅丸がそこから“のんちゃん”と呼ぶようになったものだ。

 

「ところでマサは見つかったのか?」

 

「まだ見つかったという報告はありやせんね。ただあの爆発でやすから生存は難しいかと……らしくない事をするからでやすよ」

 

「あと一日で良い。もう少し探してやってくれ」

 

「へい」

 

 三池組・若頭補佐の一人、神崎政延は魔女として捕らえられた女性達の探索中に彼女達を連行する騎士団と遭遇戦となり、彼女達を救うべく孤軍奮闘をしていたが、元々が非戦闘員の技術職ということもあってすぐに追い込まれてしまったそうだ。

 それでも神崎は彼女達を逃がす為に騎士達の壁となり続け、ついに槍で貫かれてしまう。しかし、絶対に女性達を逃がしてみせるという意地から騎士団を道連れに自爆をしたと、無事に逃げ(おお)せて慈母豊穣会に保護された女性達からそのような報告があったのだ。

 

「あれほど無理をせずに、ヤバくなったら逃げろって云い含めておいただろうが、あのバータレが! だが遺された妻子と神崎エンジニアリングは俺が責任を持って一生面倒を見てやるから安心しろ。俺の親友(ダチ)だった爺さんに宜しく云っておいてくれや」

 

「それで星神教の異端審問会にはどのように報復をするんですかい?」

 

「報復は無しだ。マサの自爆に巻き込まれた騎士達にも親や妻子はいるだろう。神殿騎士とて仕事でやっていたはずだ。それで報復していたら憎悪の連鎖が生まれて最後は慈母豊穣会と星神教の戦争だ。そんな事は神崎も望んじゃいねェだろ」

 

 向こうも莫迦じゃなければ報復はしないだろう、と月弥は深く息を吐いた。

 

「では下の者達にもそう伝えておきやしょう。万が一、向こうが報復にきたら、殺さずに捕らえておくよう云い含めておきやす」

 

「頼むわ。暴走する莫迦がいるのは慈母豊穣会(うち)も同じだし、星神教には話の分かる慈悲深い僧侶だって大勢いるンだからな。兎に角、今は一人でも多くの魔女を救いながら黒幕の正体を掴む事に専念しよう」

 

 月弥の言葉におシンは頷いた。

 

「で、依頼人の方はどうだ?」

 

 月弥の問いにおシンは珍しく渋い顔をする。

 

「こっちも芳しくありやせんね。ありゃあ腹ン中に相当蟲が涌いておりやすよ。トラの兄ぃじゃねぇですが、半月持てば良いところでさ」

 

「チッ、悠長にはしてらんねェか。で、連中の正体は分かったのか?」

 

「いえ、目眩(めくらまし)の術を使って口を割らせようとしやしたが、どうも強烈な暗示をかけられているようで、肝心の黒幕の名前どころかテメェの名前も云えない有り様でやすよ。自害用の毒を奥歯に仕込んでいるあたり、連中の背後には大きな影が潜んでいるようでやす。それもかなり巨大なね。恐らく“敵”は個人ではなく組織なんじゃねぇですかねぇ?」

 

「ああ、それも相当厄介な組織だろうな。何せ、星神教の神もプネブマ教の大精霊も自分で召喚した勇者が入れ替わってる(・・・・・・・・・・)事に気付いてねェンだからよ」

 

 死んだ三名の勇者とは自害した偽者であり、重傷を負った二名は抵抗が激しすぎる為に止むを得ず斬るしかなかった者達だ。そして発狂した二名はおシンが術を遣って話を聞き出そうと試みたところ、何かしらのトラップがあったのか、精神に異常をきたしてしまったのである。

 

「で、一人は俺達か組織か分からんが、恐怖のあまり一度入ったら二度と抜け出せねェ『迷いの大森林』に逃げ込ンじまうし、唯一、保護を求めてきた偽勇者は黙して語らず、無理に聞き出そうとすれば発狂した二人の二の舞か。八方塞がりだな」

 

「最後の一人はどうなんですかい? 未だに勇者として活動しているようでやすが」

 

「あれは本物だよ。保護した偽者が唯一話した事にゃあ、あの勇者は入れ替わろうとしていた仲間を一瞬にして小間切れにしちまった上に死体を燃やし尽くしちまったとよ。黒髪で偽者を雁字搦めに巻き取ったかと思えば、次の瞬間にはバラバラだとさ。しかも魔法も遣わず睨んだだけで死体が燃えたそうだ。で、髪を操る前に“こくじょう”と呟き、睨む時も“しょうねつ”と呟いたってよ」

 

 月弥の報告におシンは口に右手を当てて考え込む。

 

「日本の地獄に黒縄地獄っていうのがあるのをご存知で?」

 

「ああ、八大地獄の二番目だろ? 墨壺で亡者の体に線を引いて、その通りに鋸や斧で刻んじまうンじゃなかったか? で、その墨壺が黒縄地獄の名の由来だろ?」

 

「ええ、その通りでやす。ですから黒髪を使って相手をバラバラにしちまった能力こそ『黒縄』って名前なのではないかと思いやしてね」

 

「って事は偽勇者を燃やしたのは『焦熱』か。他にも“しゅうごう”と云って爪を伸ばして剣のようにした事から、これは『衆合』だな。随分と恐ろしい力を持った勇者が現れたもんだな、おい」

 

 神が云うには、その勇者にはチート能力を与えていないとの事なので、持って生まれた能力という事なのだろう。

 

「笑えるのが、神が与えた聖剣より『衆合』で伸ばした爪の方が斬れ味が凄まじくて丈夫らしいや。他にも『等活』とか『叫喚』といった能力もありそうだ。実際に会って話を聞くのも面白そうだな」

 

「およしなせぇ。下手に怒らせて、“臛臛婆(かかば)”だの“虎々婆(ここば)だの叫びながら氷付けにされるオヤジは見たかありやせんぜ」

 

 おシンが忠告するが、月弥は“そういや八寒地獄もあったな”と笑っている始末だ。

 

「おまけに頭も切れるようだ。オークで構成された中隊がその勇者のいる街を襲撃しようとしたそうだが、街を囲う壁の上に鎧やら有り合わせの金物を鎧のように見せてずらっと並べてな。しかも入口の門をわざと開けて隠れている街の衆に鬨の声を上げさせたンだとよ。そしたらオークの奴ら、街には大勢の兵がいて罠が仕掛けられていると勘違いして逃げていったってよ」

 

「ははぁ、バケモノ染みた力を持ちながら『空城(くうじょう)の計』を用いやすかい。こりゃ、たった一人になった勇者の負担を考慮するどころか、『死者の王』のお命の方が危ういんじゃねぇですか?」

 

「お命も何もとっくに死んでンだろ。ある意味、究極のチートだわな」

 

 それもそうでやすな、とおシンも頷いたものだ。

 

「ふむ、何にせよ。残った勇者がどうこうされる心配は無さそうでやすし、やつがれ達は魔女狩りの対処に専念出来そうでやすな」

 

「だな。取り敢えずは当初の作戦通りに魔女狩りの拠点を虱潰しにしていって、女達を助けつつ異端審問会を拉致して締め上げていくか。時間はかかるが地道にやっていくしか無いだろうな」

 

「急がば回れとも云いやすしね。偽勇者を送り込んだり、魔女狩りを煽ったりと何がしたいのか動機が分からねぇ事には、それしか動きようが無いでやすから」

 

 二人は頷き合い、部屋から出ようとするが、二人の前に黒い高級スーツを着た五十絡みで能で使う武悪(ぶあく)面をそのまま生身にしたような強面の男が現れて立ち塞がった。

 しかし、顔の造作は厳めしいがメガネの奥にある目は澄んでいて、善く観察すれば優しげな光があるのが分かる。

 直参・三池組・組内・大木会・会長にして三池組・若頭補佐の一人、大木直斗だ。

 

「おう、どうした、ナオ? お前には依頼人の警護と彼に近づく人間で怪しいヤツがいないかチェックしろと頼ンでいたはずだが、何かあったのか?」

 

 見れば大木は全身に大汗をかいている。

 急いで魔界に来たのは分かるが、それだけではないだろう。

 表情を見れば尋常ならざる事態が起こったのは明白であった。

 

「オヤジ……マズい事になりました」

 

「どうした? お前がそこまで焦った顔をするのは珍しいぞ。何があった?」

 

 大木は一瞬迷ったが、もったいつけても事態は改善しないと思い直して口を開く。

 

「ユームの姐さんの情夫(イロ)、オアーゼさんでしたか。あの人が処刑されました」

 

「何だと?! あの人は公爵だぞ。それも聖帝と血縁関係にある皇族公爵だ。それが何でいきなり処刑されるンだよ?!」

 

「どうやらユームの姐さんが魔女狩りの的にされちまったようで、それを救う為に聖帝に談判した所、怒りを買って裁判無しでいきなり斬首の刑にされたようです」

 

「聖帝て……そン時、依頼人はどうしてたンだよ?」

 

「あの人はもうベッドから起き上がれる状態じゃありません。どうする事もできませんよ。しかも悪い報告はこれだけでは無いんです」

 

 大木の顔が焦燥から月弥を気遣う色に変わったので嫌な予感がした。

 事実、大木はオアーゼの時と違って口にする事を逡巡している。

 

「云ってくれ。オアーゼの旦那以上の凶報だろうと受け入れてやるから」

 

 真っ直ぐ見詰めてくる月弥に大木はいきなり自分の頬を張った。

 決断した大木は口の端から垂れる血をそのままに報告を続ける。

 

「実はオアーゼの旦那と一緒にユームの姐さんの助命を訴えていたご長男とご次男もスチューデリア兵に捕まり、民衆が見守る中……縛り首に」

 

「何だと?! 長男と次男ってカストルとポルックスの双子か?!」

 

「へい、魔女の子として民衆に石と罵声を浴びせられながらの無惨な最期だったそうです。しかもお二人の死体とオアーゼの旦那の首は“風化するまで晒せ”と厳重な警護の元、何重もの頑丈な檻に入れられて晒されているようですぜ」

 

 月弥は血の気の引いた顔で口元を手で覆ってしまう。

 おシンと大木は静かに月弥の言葉を待っている。

 

「おシン、すまねぇが魔女の谷に行ってバアさんの様子を見てきてくれ。場合によっては魔女の谷に留まって動向を見ていてくれ。くれぐれも無茶な事はさせるンじゃねェぞ」

 

「へい、承りやした」

 

「ナオ、お前は引き続き依頼人の警護を続けろ。片時も目を離すな。次にヤバいのは多分、依頼人だ。誰であろうと近づけるな。女房も子供もだ。良いな?」

 

「承知しました」

 

 月弥はどっと椅子に腰を下ろした。

 

「何がどうなっている? 何が起こっていやがる? 偽勇者と同じ手口なのか?」

 

 青ざめた顔でこれからの事を考える。

 月弥が顔を上げると、何もない空間にパソコンの画面のようなものがいくつも浮かび上がった。

 更に手元に光で構成されたキーボードのようなものまで現れる。

 テンキーに目を向けると、画面に電話番号らしい数字が打ち込まれていく。

 数回のコールの後、“ふぁあ…い”と返事なのか欠伸なのか分からない声と共にタンクトップにショーツというだらしない姿の少女が画面に現れた。

 

「いつまで惰眠を貪っていやがる!! シャキッとしろい!!」

 

『は、はいっ?!』

 

 月弥の剣幕に少女は何故か敬礼をした後、画面から消えた。

 『アイタ』とか『メガネ、メガネ』という声が聞こえるから通信が切れているワケではないらしい。

 暫くして先程の少女が何故か青を基調としたケピ帽と軍服を身に着けた格好で再び画面に現れた。

 

『やあ、愛しのミーケ姫。嬉しいよ、ボクにラブコールをくれるなんてね』

 

 どうやら騎士か王子様を気取っているらしく胸に手を当てて優雅にお辞儀をしているが、ケピ帽を被っても誤魔化しきれていない寝グセが間抜けで情けなかった。

 彼女こそ東雲寅丸の孫にして次期枢機卿の長女である東雲明である。

 高祖母であるアルウェンから、日本人の血で淘汰されたはずの金髪を何故か受け継ぎ、耳まで長く尖っているエルフそのものの容姿をしていた。

 折角の金髪をショートにしてしまい、人間離れをした美貌もまた分厚い瓶底メガネで台無しにしているが、何故か服装だけはこだわりを持っており、騎士風や王子様風の装いを好んでいる。

 そしてアルウェンのように気障な口調で話すのだが、瓶底と寝グセのせいで様になっていないのだ。

 しかもセリフにあるように月弥を姫と呼んで事あるごとに口説いてくるのである。

 

「まだ目が覚めてねェようだな。待っててやるから味噌汁で顔を洗ってこい」

 

『ふふ、つれないね。でもそんなミーケ姫も大好きさ』

 

 月弥は頭を抱えたくなるのを辛うじて堪える。

 本音を云えば、頼りたくはないのだが、今は手が足りないという事もあるが、見かけによらず彼女は腕が立つし便利なスキルを持っているので手を借りるしかないのが口惜しい。

 

「手を借りてェ。魔女狩りの拠点をいちいち内偵して捜している暇が無くなった。お前の持つ演算能力で拠点の割り出しを頼みたい。で、魔女裁判にかけられている魔女の救出と異端審問会の拉致を手伝ってくれ。報酬はキャッシュで一億だ。それと魔女を含めた女達の救出に成功すれば一拠点につき一千万払おう。異端審問会を生け捕りにすれば一人当たり百万だ。どうだ?」

 

『お金なんていらないさ。こう見えてボクはイラストレーターとして十分稼いでいるからね。今は急ぎの依頼はない事だし引き受けても良いよ。報酬はボクと一緒にディナーを愉しんでくれれば良いさ』

 

「ディナーってお前の手作りじゃねぇか。旨いのは認めるが一度に作る量が莫迦なんだよ。俺は小食なんだ。山のように積み上げられた唐揚げなんざ見ただけで胸焼けがすらァ。俺は茶漬けの一杯しか付き合わんぞ」

 

『まあ、今のところはそれで良いさ。焦って欲をかいて姫に嫌われてしまっては本末転倒というものだしね』

 

「宜しく頼まァ。後で迎えを寄越すからすぐに来てくれ」

 

 引き受けた旨の言葉は聞いたのだ。

 明が何かを云いかけているのを無視して通信を切る。

 

「これでマサを失った分は取り戻せるか?」

 

 月弥はおシンと大木に向き直る。

 

「さあ、動くぞ。マサだけじゃねェ。オアーゼの旦那とカストル、ポルックスの弔い合戦だ。これ以上の悲劇を喰い止めるぞ!」

 

「「へい!!」」

 

 出て行く二人を見送りながら月弥は溜め息をつく。

 椅子に深く身を預けながら独りごちる。

 

「さあ、事態はどう動く? オアーゼの旦那を殺したヤツと依頼人、どっちが本物の聖帝(・・・・・・・・・)だ?」

 

 月弥は目を閉じる。

 思い浮かべるのは恋人のクーア(・・・・・・)の顔だった。

 

「出来る事ならキミと会いたいよ。クーアはオアーゼさん達の死をどう受け止めているんだろう?」

 

 心細さを紛らわす為に月弥は膝を抱えるのだった。




 前回の裁判は裏切り者を特定するために仕組んだ裁判でした。
 この裁判が仕掛けと知っているのはクシモと『月の大神』とフタラの三柱だけです。
 余談ですが、前回の後書きで書き損じましたけど、フタラはドSでアカギの事が大好きではあるものの一番好きなのはヘタレながら泣いているアカギだったりします(おい)
 ちなみにアカギとフタラは元々『月の大神』の毛皮に紛れ込んだ普通の蜈蚣と蛇でしたが、彼女の血を吸いながら共に海に千年、山に千年、天界に千年棲み分けた事で力を得て大妖となり、以後『月の大神』に忠実な魔王となっています。

 さて月弥達三池組は依頼を受けて魔女狩りの収束を目指していましたが、既に寅丸は病を得て離脱、傀儡のマサは戦死しています。マサのパワードスーツがチート過ぎたがゆえにこうなってしまいました。ごめんね、マサ。
 魔女狩りも急展開、この後、『冒険者ギルド』の方にもあるように魔女ユームとクーアによる復讐戦争が始まります。いくら温厚でもキレる時はキレます。魔女を怒らせた報いをスチューデリア人は受ける事になりますが自業自得なので思うまま暴れて貰います。

 そして最後、月弥とクーアは付き合ってます(爆)
 切っ掛けはクーアが数え年で15歳になったことで、月弥が“元服祝い”にと守り刀をプレゼントしたついでに“大人になったお祝いに何か願い事があれば叶えてやる”と云ったのが運の尽き。お酒も入っていた事もあって告白してしまい、月弥もフリーであったのとクーアの事を憎からず思っていたのでお試しでと付き合ったらハマってしまいました。
 更に詳しい交際状況は次回以降にご期待ください(待て)

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾伍章 懐かしき客人

 扉を叩く音に月弥は顔を上げる。

 長い時間、無理な体勢でいたからか腰が痛くなっていた。

 

『ツキヤ、いるかい? お客人を連れてきたよ』

 

 良く知る声に月弥は跳ねるように椅子から立ち上がって扉を開ける。

 予想通り、蒼い甲冑を身に纏う麗しの騎士がそこにいた。

 『一頭九尾《ナインテール》』の一柱であり、親友でもあるティム=ポロス=ソプラノだ。

 

「ティム? どうしたの? 僕にお客さんって……あっ!」

 

 月弥は自分の失態を悟った。

 事態の収拾を図る為に沈考していてからか、或いは時折り空想のクーアに慰めを求めていたせいか、()になっていた事に漸く気付いたのだ。

 月弥は咳払いをすると、一旦、扉を閉めてすぐに開けた。

 

「おう、ティムじゃねェか、俺に客って誰だよ? ったく、天下の『騎士王』様に案内をさせるたァ太ェヤツもいたもんだな」

 

 『騎士王』は“流石に無理があるよ”と思ったが、突っ込めば照れ隠しに逆ギレして面倒な事になるのが分かっているので言葉を呑み込んだ。

 それはそれで可愛いのだが、今は非常時なのでじっと我慢の子であった。

 

『君も知っている人だよ。さあ、ご婦人(・・・)、どうぞ、こちらに』

 

 一瞬、全てが闇に包まれ何も見えなくなる。

 いや、二つだけ見える。狂気を孕んだ双眸が月弥を見詰めていた。

 その笑みを形作る血走った目に月弥の背筋に冷たいものが走る。

 だが、それも一瞬の事で気付けば既に元の応接室に戻っていた。

 

「お久しぶりです、教皇さま。トロイめに御座います」

 

 月弥は思わず目の前の人物を凝視する。

 

「嘘だろ、おい」

 

「はははは、十年一昔と云いますからね。僕だって変わります(・・・・・)よ」

 

 巡礼装束を身に纏うトロイはフードを目深に被って顔が見えない。

 いや、それどころか、フードの中は闇に包まれて顔の輪郭さえ掴めないのだ。

 しかし、朗らかなその声は確かに十年前に罰を与えたトロイのものである。

 かつて幼い子供が攫われて虐殺される事件が起こり、慈母豊穣会と直参・三池組による執念の探索の結果、トロイが犯人であると突き止め、彼を操る前世の人格・福澤遼太郎を滅ぼしたのだ。そして残されたトロイには非業の死を遂げた子供達の霊を救い、また不幸な子供達を保護する為に巡礼となって世界中を旅して回る罰を与えたという経緯があった。

 

「そういや、お前、今は一人か? 確かお前を追っていった女神官がいたと思ったんだが? それにそのフードは何だよ? 善く見れば怨霊封じの札があちこち貼られているじゃねェか?」

 

「ああ、ご存知ありませんでしたか? 彼女は半年で巡礼の旅に音を上げて、とっくに別れていますよ。確か実家に帰ってすぐ、どこかの商家に嫁いでいったと記憶しています」

 

 過酷な巡礼であったのは分かるが、修道院を飛び出してまで追いかけていったのにオチがこれか。確かに戻りづらいだろうが、せめて取り持った寅丸に挨拶をするのが筋であろうに。

 

「ままま、年頃の女性に一日に数十キロも歩き、時には野宿をし、時には十日以上もお風呂はおろか水浴びも出来ない状況に耐えろと云うのは酷でしょう」

 

 当のトロイが大らかに笑っているので月弥も怒りを収めるしかない。

 

「このフードはご容赦下さい。この十年の間に色々とありまして、人様に見せられる顔ではなくなってしまったとご理解頂ければ幸いです」

 

「まあ、見せたくないツラを態々見せろたァ云わねェが、そのフードにベタベタ貼られた怨霊封じと関係があるのか?」

 

「その問いには“はい”と答えますが、僕としては気にはしていませんので。このお札も旅の途次に知り合った魔女が厚意で貼ってくれたものです」

 

 月弥は何と無しに子供の怨霊に取り憑かれたか、と察した。

 しかし、トロイ本人からは邪悪な気配は感じられない。

 これがトロイの精神力によるものなのか、知り合った魔女に貰ったというお札のお陰なのかは分からなかった。

 

「ところでティムよ。さっき、アンタはコイツをご婦人と呼んでいたが、コイツはれっきとした男だぜ。顔を隠していたとは云え、何でそう思ったンだよ?」

 

『何故も何も気配で女性と分かるだろう? 歩き方も女性のソレであったしね』

 

 何を云っているんだと訝しむ月弥にトロイが説明をする。

 

「いえ、『騎士王』様のおっしゃる通りです。子供達の霊を慰めている旅の中で知ったのですが、水子や赤ん坊の霊は想像以上に強力でした。しかし憐れな霊達を力尽くで成仏させる訳にもいきません。そこで僕は考えました。ならば僕がこの子達の母親になってやろう(・・・・・・・・・・・・・・・・)と」

 

「は?」

 

 流石の月弥も“は?”と答えるより無いだろう。

 否、話を聞いていた『騎士王』もまた弛緩した表情を見せている。

 有ろうことかトロイは地母神クシモの像に三日三晩祈りを捧げた後、性器を切り落として奉納したと云うではないか。

 

「切ったって…ええ?! いや、そんなモン貰ったって地母神(オヤジ)も困ったろうよ。というか、善く生きてたな?」

 

「いえ、祈りの中、地母神さまの声が確かに聞こえたのですよ。“そなたが覚悟を示すことが出来れば、生者、死者を問わず子供の餓えを満たす乳を授けよう”と」

 

 

 

 

 

 

 

 

 クシモの神託を受けたトロイは護身用のナイフで陰嚢と陰茎を纏めて切り落とし、クシモの像の足元に備えてある供物を供える器に捧げたそうな。

 出血と激痛に苛まれる中、トロイの脳裏に“しかと見届けた”という声が聞こえた。

 暫くしてトロイはベッドの上で目を覚ます。

 どうやら自分は気を失っていたらしい。

 

『よう耐えた。そなたの覚悟はこのクシモの心を確かに動かしたぞ』

 

 声のした方を見れば、絹糸のような銀髪をアップに纏めたクシモがいた。

 彼女は一糸纏わぬ姿でトロイに微笑みかけている。

 これが吸精鬼(サッキュバス)の王にして『多産』と『豊穣』の女神。

 トロイがこれまで見てきた女性の誰であろうと比較にならぬほどの美しさだ。

 妖艶でありながら神としての慈愛もまた同居している。

 

『そなたの命の杖(ファロス)を余に捧げた対価として約束通り、死した赤子すら満たす乳を出す乳房をくれてやった。確かめてみよ』

 

 ベッドから起き上がると自分もまた生まれたままの姿をしていた。

 いや、そんなことより体を見下ろすと、確かに自分の胸には釣り鐘のような形の良い乳房がつんと上を向いて鎮座している。今まで感じた事のない重量に思わず体が前傾気味になってしまう。

 

『重かろう? だが女はその重さに耐え、それを持って子供を育てるのだ。真に偉大な生き物だと思わぬか?』

 

「は、はい……その通りですね」

 

『まあ、もう少し大きくしてやっても良かったのだが、そなたは永遠の旅人、大き過ぎても邪魔であろうし、男からの邪な視線は煩わしかろうとそのサイズにした』

 

「ご配慮、感謝致します」

 

『ついでにサービスとして女性器を成形しておいた。残念ながら生殖機能は無いがな。その代わり、サッキュバスと同じく精液から力を得られる能力を与えておいた。有効に遣ってくれ』

 

「は、はぁ…」

 

 思わず生返事をしてしまう。

 無惨な傷があるよりは良いだろうが遣い所は無いのではなかろうか。

 自分が男に抱かれる姿が想像出来ないでいるのだ。

 

『遣うも遣わぬもそなた次第だ。ただモデルは余の物(・・・)である。名器であるのは保証するぞ』

 

 また返事のしにくい事を云われたものである。

 

『それとな』

 

「はい?」

 

『ツキヤは未だに余を抱いてはくれぬ』

 

 いきなり何を云い出すのだ、この人、いや、魔王(かみ)は。

 

『復活してから七十年、もう独り寝の夜は寂しいを通り越して僧侶の如き禁欲生活には耐えられぬのだ』

 

 トロイは嫌な予感を覚えた。

 

『単刀直入に云う。頂きます!!』

 

 クシモの長身が宙を舞い、フライングボディアタックのように覆い被さってきた。

 

「ひっ?!」

 

『ぐぼっ?!』

 

 トロイは思わず膝を立ててしまい、それがクシモの鳩尾に突き刺さる。

 ほぼ完璧なカウンターにクシモは沈んだ。

 

「あー……なんか、すみません」

 

 ピクリとも動かないクシモに謝罪すると、俄に意識が薄れていき、気が付けば元のクシモの像に祈りを捧げていた教会に戻っていた。

 トロイが体を検めると長年連れ添っていた我が子は消え失せ、胸には程良い大きさの乳房があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「という事がありまして」

 

「聞いててタマがヒュンってなったわ」

 

『しかし、元は男だったのをこれほどの女性に改造するとは流石はクシモだね』

 

 顔を顰める月弥に対してティムは感心しているようだ。

 

「お陰様で僕のお乳を飲んだ霊達は心残りが無くなったのか、怨念が浄化されて成仏したようです。特に水子霊には効果が覿面で、皆満足げに笑いながら天に召されていきました」

 

 ただ――トロイが声を落としたので、月弥は問題が無かった訳ではないんだな、と身構えた。

 

「ただ、赤ん坊や幼児の霊が僕のお乳を求めて殺到しましてね。お乳をあげるのは一度に二人が限度ですからどうしても時間がかかってしまって、気付けばこの有り様でして……」

 

「うーわ…」

 

 トロイがフードを捲ると彼、いや、彼女の顔の右半分を無数のコブが覆ってしまっていた。しかも善く見ればコブの一つ一つが人の顔のように見える。

 

「人面瘡かい。話には聞いていたが、実際に見るとエグいな、おい」

 

「これでも抑えられているんですよ。お札が無ければ全身が子供達の霊に侵食されて今頃は人の顔をしたコブの集合体になっていただろうと、お札をくれた魔女は云ってましたね」

 

「つまりお前が俺の所に来たのは、人面瘡を何とかして欲しいってことか」

 

「いいえ、子供達の霊を浄化すれば人面瘡はいずれ収まると魔女が云ってましたので、そっちは大丈夫です」

 

「あん? じゃあ、何の用があって魔界にまで来たンだよ?」

 

 訝しむ月弥にトロイは再びフードで顔を隠す。

 途端に顔が闇に包まれて輪郭すら判別できなくなってしまう。

 

「実は困った事が起きまして」

 

『人面瘡以上に困った事かね?』

 

「ええ、そうなんです」

 

 トロイの体からずるりという何かを引き摺るような音がしたかと思えば、フードの闇から無数の赤ん坊の腕が生える。

 

「もう軽くホラーだな」

 

『シッ! 何かが出てくる』

 

 赤子の腕により闇から引き摺り出されたものが床に吐き出される。

 

「数日前、いきなり僕の前に現れて、“俺はお前になる”と云って襲いかかってきたんですよ。一応、殺さずに捕まえましたので、彼の処遇も含めて教皇さまの判断を仰ぎたく参上した次第です」

 

「おいおい、コイツはどうにも……なァ?」

 

 猿轡を噛まされ、縄で拘束された男を見て月弥はこめかみに手を乗せて呻いた。

 慈母豊穣会公式の巡礼衣装を着た少年の顔はトロイと瓜二つ(・・・・・・・)だったのである。




 第壱部で悪役だったトロイが再登場しました。
 寅丸、神崎に代わる新戦力としても動いてもらいます。
 トロイは水子霊が思いの外強い力を持っていると知り、かと云って調伏する訳にもいかないので、どうしたものかと思案した結果、母親を求めているのではと解釈し、ならばと地母神の慈悲を乞うたところ、要約すると“お前のちんちん捧げたらおっぱいやるで”という神託を受けて、自分で切ってクシモに捧げてしまいました。
 効果は覿面でトロイのおっぱいを飲んだ霊達は満足して成仏したのでした。
 まあ、結果としてトロイの周囲に赤ちゃんの霊が集まってしまい、あのような姿になってしまったのです。
 クシモは両性具有なので相手が女性でもOKでして、チートとはいえ顔が可愛い事に違いはないので、貯まった性欲をトロイで解消しようとしましたが、結果はご覧の通りですw
 ちなみにクシモのフライングボディアタックは最初、あまりの見事さにトロイが棚橋弘至を幻視するネタがあったのですが、流石に世界観を壊すのでボツにしました(今更?)

 また素の月弥は本当に幼いのですが、彼の立場がそれを許してくれません。
 慈母豊穣会のトップ、三池家の当主、三池流の宗家、これだけでも相当に重圧ですが、魔界でもクシモの忠臣として名を知られているので、クシモの顔に泥を塗らないように睨みをきかせる必要があったりします。
 素の状態を見せようものなら、見かけと相俟ってナメられると分かっているので、普段は無頼口調で話しているのです。
 まあ、何故か定着しないので油断すると幼い素が出てしまうのですがw

 さて、偽のトロイは何者なのでしょう。
 それは次回、明らかになるかも知れません。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾陸章 ドブネズミ達の挽歌

「さて、お前さんはどこの誰なんだ?」

 

 月弥は偽のトロイに問い掛ける。

 猿轡は外しているが、体の方は縄で縛られたままだ。

 それは良いのだが亀甲縛りなのは如何なものなのか。

 トロイとしては有効な縛り方を採用しただけなのだろうが、どちらかと云えば女性的な柔らかさを持つ童顔な為か、倒錯感もあって目のやり場に困る。

 

「僕はトロイだ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

「翻訳魔法のお陰で言葉は通じちゃァいるがな。テメェの口から出てるのはスペイン語だろがよ。トロイ、少なくとも福澤はスパニッシュを修得して無ェ。つくならもっとマシな嘘をつけや、ボケ」

 

「ちなみに福澤が得意としていたのは中国語と韓国語ですね。あれで貿易会社に務めていましたから」

 

 トロイの補足に月弥は頷いた。

 その事実を知っているだけでフードを被ったトロイの方が本物だと知れる。

 

「ちょっと体を検めさせてもらうぜ」

 

 やめろと騒ぐ偽トロイを無視して彼の頭部を検分する。

 時折り予告も無しに上下左右と向きを変えるので痛みに呻くがお構いなしだ。

 

「ははぁん、これか」

 

 月弥が耳の裏を示すと、大きく引き攣れた手術痕と思しき傷があった。

 処置が極めて雑だが整形手術を施されてトロイに似せた顔にされたのだろう。

 

「肌も無理矢理漂白されたっぽいな」

 

「善く見たらカラコンも入っていますね」

 

『そうなると声の方も若干、トロイ女史のものと違って聞こえるな』

 

 初めは、自分こそトロイだと騒いでいた偽者だったが、検分が進むにつれて口数が減っていく。

 

「次は胴体だな」

 

 月弥が手ずから打った刀を取り出したかと思えば、すぐに収納魔法『セラー』の中に片付けてしまう。

 しかし、次の瞬間、偽トロイの巡礼服が縄ごと斬り裂かれて裸になってしまう。

 今の彼が身に纏っているのは黒いビキニパンツだけだ。

 

「白いのは首から上だけで、地肌は浅黒いと。でスペイン語を話すとくれば…」

 

「タトゥーが入ってますね。眼球のある髑髏に薔薇、祈りを捧げるように合わされた手、これは……聖母マリアかな? 典型的なチカーノデザインですね」

 

『メキシコか?』

 

 『騎士王』の問いに月弥は、だろうなと返した。

 偽のトロイは縄が解けたにも拘わらず逃げ出す素振りを見せない。

 無駄だと悟っているのだ。とても逃げきれる相手ではない。

 下手に逃げて彼らを怒らせるよりは従順を装っていた方がまだ待遇はマシになるだろうと観念したのである。

 

「で、結局のところ、お前は何者だ? 偽勇者共や偽聖帝は仲間なのか?」

 

 偽トロイは答えない。

 それどころか、全身が冷や汗で濡れて震えている。

 明らかに彼は恐怖している。だが、恐怖の対象は月弥達ではない。

 

「奥歯に仕込まれた毒と催眠トラップか? だったら安心しろ。その毒に対応した解毒剤はあるし、トラップがあると分かれば解き方なんざいくらでもある。お前が白状(ゲロ)しても命を奪われることも廃人になることもないからよ」

 

 月弥が微笑みながら伝えるが、それでも偽トロイは首を横に振るだけだ。

 しかも、益々恐怖に顔を歪めるばかりか、冷や汗の量も尋常ではない。

 

「ダメだ。云えねぇよ。偽勇者が全滅してからヤツら(・・・)はもっと直接的な方法を選びやがった」

 

「ああ?」

 

「入れ替わりに失敗したら、口封じに毒を飲ませるのではなく、相手もろとも……」

 

 何かを察した月弥は『騎士王』とトロイに、部屋から出ろと叫んだ。

 反射的に『騎士王』達は応接室から飛び出し、月弥もそれに続く。

 

「た、助けてくれ! アイツらスイッチを入れやがった! 腹の中で機械(・・・・・・)が作動したのが分かる!」

 

 月弥は応接室の扉を閉めると何重にも結界を張って部屋そのものを封じ込める。

 

「云う! 云うから助けてくれ! 俺達はドブネズミ狩りで集められ」

 

 次の瞬間、応接室の中で爆発が起こり、結界を張っている月弥は衝撃に耐える。

 

『私も手伝おう!』

 

 騒ぎに駆け付けたのか、『守護王』が防御結界を張って月弥をサポートする。

 いざという時は国を丸ごと包み込み、核融合のエネルギーにも耐えると謳われる『守護王』の防御結界はたやすく偽トロイの爆発に耐えた。

 

「ありがとうよ。結界に一カ所穴を開けて衝撃を逃がすなら兎も角、完全に封じるのは骨だからな。助かったぜ」

 

『それは良いのだが、何があった? たまたま通りかかったら、いきなり“助けてくれ”だからな。見ればミーケが応接室を結界で包んでおるから、只事ではないと思い、手を貸した次第だ』

 

 2メートルを超える頑強な肉体を持ちながらも、どこぞの令嬢のような端整な美貌も同居するオークキングが月弥の頭を撫でながら微笑んだものだ。

 緑がかった肌ではあるがキメは細かく、腰まで伸ばしている赤い髪は艶やかで粗野な印象は受けない。況してや蒼い瞳は優しげで知性の光があった。

 ドレスを身に纏えば、彼女をオークと紹介されても百人中一人、二人しか信じなかったと云われるほどの麗人である。

 

「敵が自爆しやがったのよ。もっとも自分の意思ではなく、恐らくは遠隔操作で体内に埋め込まれた爆弾を作動させられたようだがな」

 

『なんと人間爆弾か?! 惨い事をするものよな』

 

 既に『騎士王』は爆発で集まった兵士達を指揮して応接室を検分している。

 『守護王』は月弥が震えてる事に気付いた。

 しかし、爆発に怯えての事ではないようだ。

 

『どうした? 勇者がいる城を攻めるとなれば城門ごしにダイナマイトを投げ込み、天界の神々や大精霊と謁見する際には腹にダイナマイトを巻いて臨むそなたが今更爆発が怖くなった訳ではあるまい?』

 

 無茶するなぁ、と云うトロイは顔が見えていたならば苦笑いを見せていただろう。

 

「ああ、偽のトロイが爆発する前、ドブネズミ狩りで集められたと云いかけてな」

 

「僕も聞こえましたね。ドブネズミ狩りとは何です?」

 

 トロイの問いに月弥は珍しく七呼吸以上も逡巡していたが、漸く重たい口を開く。

 それだけ月弥からすれば忌まわしい言葉なのだろうと察せられた。

 

「ストリートチルドレンって知ってるか?」

 

「路上で生活をしている子供達の事ですよね。家族からの援助も無い、云ってしまえば子供達のホームレスになりますね。僕もこの十年で保護しましたが、千人を超えた時点で数えるのをやめたくらい数が多かったです」

 

 お前は善くやっているよ、と教皇はトロイを褒めた。

 

「異世界だけではなく地球でも大問題となっていてな。分かっているだけでも一億人はくだらない。しかも戸籍が無いから正確な統計が取れなくてなァ、実際にはその倍、いや、もっといるだろうと云われている。特に途上国で都市化が進むにつれて数が増えるだろうとも云われているそうだ」

 

 戦争や事故、病気などで親を亡くした子供が自宅に住めなくなってストリートチルドレンになるが、原因はそれだけにとどまらない。

 家庭内暴力や育児放棄などで家出をした子供達や、貧しい暮らしから抜け出そうと家を出て都市に出てきた子供達もまたストリートチルドレンになりやすい傾向にあるようだ。

 

「都市部と農村部の経済格差、災害や戦争による貧困、国そのものの経済が停滞しているといった社会的な原因もあるがな」

 

『由々しき事であるな』

 

 『守護王』シルト=シュバインは腕を組んで瞑目する。

 

「環境も劣悪でな。伝染病に罹りやすいし、悪い大人に只働き同然に重労働を強いられ、その上で食い物も貰えないから餓死者もいるし……その……云いにくいが性的な被害も莫迦にならないそうだ」

 

「僕も取りこぼした命は一人や二人ではありませんでしたよ。一時期、救えなかった命に対する罪悪感から自傷行為に走った事もありました」

 

 そのトロイを救ったのが次期教皇である大司教であった。

 

「お前が自分を傷つければ、お前に救われた子供達が苦しむ。自分を愛せない者に人を救う資格はない。子供達の為にもお前は笑っている義務がある。その事も含めての罰と私は見た。さあ、笑え。その代わり、お前の苦しみは私が和らげよう」

 

 そう笑いかけて、挫けそうになるトロイを大司教は励まし、時には短期間ではあるが巡礼に付き合う事で、トロイに“お前は一人ではない”と力づけたのだそうな。

 

「ふ、あいつを次の教皇に選んだ俺の目に狂いは無かったようで安心したよ」

 

 月弥は微笑むと、話を続けた。

 

「問題は他にもある。ストリートチルドレンが徒党を組んで悪さを始めるンだ。生きる為とはいえ盗み、暴力を振るい、犯し、薬物にも手を染める。所謂(いわゆる)ストリートギャングってヤツだな。大体マフィアの下部団体となる事が多くて、拳銃も手に入りやすいから銃乱射事件を起こしたり、こちらも問題となっている」

 

『過酷な環境にいるというだけではなく、悪の温床にもなりかねぬのか』

 

「ああ、マフィアがケツ持ちになってる上に子供だから抑制が効かなくてな。何をしでかすか分からねェ。しかも、一端(いっぱし)に縄張りにいる大人達からみかじめ(・・・・)を取っているって話だ」

 

 そして、ここからが月弥の話の核心であった。

 

「そのストリートチルドレンを各地で攫って売買する連中が現れたンだ」

 

 元々人身売買の組織はあったが、中でもストリートチルドレンを“ドブネズミ狩り”と称して捕獲し、少年兵として鍛え上げて世界中の戦場に“換えのきく駒”として売り捌く死の商人がいた。

 本名は不明だが自身もドブネズミ(ラット)と名乗り、子供達を殺人マシーンに仕立て上げて自分が開発した武器や兵器と共に売っていたのである。

 それだけではなく、ラットは僅かなカネ(それでもストリートチルドレンからすれば大金)、それと食料で餓えていた子供達を手懐けると、主要都市に送り込んで対立する商人や組織の情報収集をさせていた。

 当然、見つかれば只では済まないが、生きている内はカネだけはくれるので、それでも子供達はラットに従っていたという。

 しかも巧妙なのが、子供達は誰がラットの手下なのか分からないので下手に助けを求める事が出来ず、互いを監視し合っている状態であったそうだ。

 そればかりか、非合法な新薬の実験台や時には細菌兵器やウイルス兵器の投与実験の検体としても提供していたらしい。

 それだけ大掛かりな誘拐をして非道に手を染めていれば当局が動きそうなものだが、各国政府としても悩みの種であったストリートチルドレンだけでなく、散々手を焼かされていたストリートギャングまで消えてくれる上にラットから大金が送られるとあって見て見ぬ振りをしていたのが現実であった。

 そして、ラットはとうとう禁断の領域にまで手を染めてしまう。

 有ろうことか、ラットは“悪しきモノ”が放つ“黒い霧”に少しずつ子供達を触れさせてコントロールが可能な怪物を作れないか試みたのである。

 この非人道的な実験の結果、万を超える子供が犠牲になったが、人間という範疇から見れば十二分に驚異的な能力を有する兵士が数十体も誕生してしまった。

 

「一人の勇気有る女の子が助けを求めてくれたンだ。“お姉ちゃんをドロドロに溶かして怪物にしたアイツをやっつけて”ってな」

 

 アメリカで活動しているハンター(この場合は“悪しきモノ”と戦う者)であり、月弥そして東雲(しののめ)家当主・十六夜共通の親友からの要請により渡米した二人はラットが作り出した黒霧兵(こくむへい)と戦い、その悉くを斃すと黒幕であるラットと対峙した。

 見苦しく命乞いをし、カネで懐柔しようとしたラットであったが子供達を平気で犠牲にしてきた外道に友人のハンターが激昂してしまい、ラットをサブマシンガンで蜂の巣にしたという。

 

「その後、ラットはこのまま死を迎えるよりはって一縷の望みを賭けて“黒い霧”の入ったタンクに自ら落ちていったよ。で、巨大なドブネズミってェ救いようのねェ化け物になってテメェの城の中にあるモン全てを喰らっていった。カネも“黒い霧”も武器も手下さえも、そして自分の城まで喰い尽くすと俺達まで襲おうとしたが、東雲の兄弟の手によって静かにトドメを刺されて消えていった」

 

「僕が云うのも可笑しな話ですけど、そのラットが斃されて良かったです」

 

『だがラットとやらが死した後にも“ドブネズミ狩り”と称して子供を拐かし、手駒にする手口を使う者が現れたと云う事か』

 

 『守護王』の言葉に月弥は頷く。

 

「野郎に後継者がいたのか、単に手口を真似たのか、“ドブネズミ狩り”と称しているのは単なる偶然なのか、分からんがな。だが、ストリートチルドレンを攫い、顔を変えて偽者に仕立てているヤツがいるのは確かだ。しかも異世界に召喚された勇者や聖帝、しかも今度はトロイと来た。ひょっとしたら的は俺かも知れンな」

 

 自意識過剰という訳ではない。

 魔界においてはいずれは勇者と対峙すべき役職に就いているのは確かであるし、どちらが本物かは判別出来てはいないが聖帝からは魔女狩りの収拾(・・・・・・・)を依頼されている。

 そこへ来てトロイの偽者と来れば、自分かクシモ、或いは慈母豊穣会が的になっていると疑うしかないだろう。

 

「もし、ラットの後継者がいて偽者を送り込ンでいたとしたら、目的が何にせよ、一番に叩くべきソイツだろうな。きっと監視役のストリートチルドレンもいるに違いねェ。連中に四六時中見張られている状況は極めて危険だ。早くドブネズミの親玉を斃して子供達を人間に戻して(・・・・・・)やらなきゃな」

 

 月弥の決意にトロイとシルトは頷くのであった。




 今回、改めて登場した守護王は人或いは国を守る事に特化した魔王です。
 彼女の防御結界は核融合のエネルギーにも耐えてしまいます。
 勿論、パワーも申し分無く、巨大な戦斧を振り回して敵を蹴散らし、下手に受けようとすれば粉々になってしまうでしょう。
 攻撃魔法は遣いませんが、バフ系の魔法を得意としており、例えば、か弱い赤ん坊に防御力を上げる魔法をかければダイナマイトを至近距離で爆発させても無傷で済ませるほど強力で、勿論爆発音による鼓膜のダメージもありません。
 兎に角仲間を死なせないことに関しては右に出る者はいないでしょう。
 また舞踏会に参加すれば、一緒に踊って下さいと男衆が群がるほど美しいです。
 しかも男性のステップも踏めるので女性からもお誘いがあったりしますw
 ちなみに月弥曰く、もし『一頭九尾』全員と同時に出会っていたら恐らく守護王に仕えていただろう、とあります。
 で、それを聞いたクシモが泣いて縋って、そういうとこだぞ、と顔面にハイキックをかまされるのがオチです(おい)

 騎士王のイメージは男だったらと想定したセイバーです。
 騎士のイメージそのままに正々堂々とした戦いを好みます。
 また月弥との演習で甲冑の上から衝撃を中に通す『鎧通し』という強烈な掌底を鳩尾に受けて悶絶する過去があるのですが、その際に“くっ、殺せ”と宣い、“男に云われてもな”と呆れられてましたw
 ちなみにある宴の余興で、騎士王の物と同スペックの甲冑を『月輪斬り』で真っ二つにして見せた際には、流石の騎士王も頬を引き攣らせたとか。
 これにより月弥は魔王達から『母親の胎内に忖度を置き忘れた男』と呼ばれるようになったとかならないとか。

 さて、折角の手掛かりも爆発で失ってしまい、もう打つ手は無いのでしょうか。
 かつて斃した外道の手口を復活させた敵の思惑は如何なる物でしょうか。
 楽しみにして頂ければ幸いです。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第拾㯃章 復讐の狼煙は飛蝗

「チッ、あの莫迦、やりやがった!」

 

 偽トロイ自爆の後処理を『騎士王』及び『守護王』に任せた月弥はトロイを伴って聖都スチューデリアまで出張ってきたのだが、そこで想像すらしていなかった光景を目の当たりにする事となった。

 初めは煙かと思ったのだが、善く善く見れば上空を覆う黒い影は恐ろしいまでの虫の大群である。それらが畑という畑を襲い、食い荒らしていた。

 

「見てみろ」

 

 月弥が跳躍して虫の一匹を捕まえるとトロイに見せた。

 

飛蝗(バッタ)ですね。蝗害というヤツでしょうか?」

 

「善く見ろ。体の色は緑だし、羽が短くて足が長い。『孤独相』だ」

 

「『孤独相』…ですか?」

 

 いまいちピンと来なかったのか、トロイは首を傾げる。

 

「バッタってのはな、蝗害を起こす前に移動に適した『群生相』というものが生まれる。特徴としては全体的に褐色で足が短くなり、羽が長くなるンだ。『孤独相』のバッタはその名の通り個体同士が離れようとするが、『群生相』は逆に個体同士が惹かれ合うように近づいていく。で、爆発的に数を増やしながら、畑を襲うンだ」

 

「うへぇ、怖いですね」

 

「それだけじゃねェ。『群生相』のバッタは稲や農作物だけじゃなく、『孤独相』のバッタが喰わねェような紙や綿といった植物由来のモンまで喰い尽くしちまう。しかも短時間でな。当然、被害地域の食物生産は不可能となり、深刻な食糧不足や飢饉をもたらす事になるンだ」

 

 そこでトロイは疑問を持つ。

 『孤独相』は群れを作らないのでは、と。

 

「まあ、例外もあるけどな。『孤独相』も群れに入れば群生行動を共にするらしい。けど、見た限りではアイツらは全て『孤独相』だ。まずありえねェ状況だ」

 

「つまり、ありえない事を起こしている人物がいると……そして、その張本人があの莫迦(・・・・)と呼んだ人なんですね」

 

 月弥は苦虫を噛み潰したような顔で首肯した。

 

「あの野郎、『孤独相』のバッタを魔法で無理矢理手懐けて畑を襲っていやがる。恐らくはここだけじゃねェ。下手するとスチューデリア全ての畑が被害に遭っているかも知れねェぞ。それだけの魔力を有しているからな」

 

 トロイはこの悲惨な蝗害をもたらしている犯人の狙いを読んで背筋を寒くした。

 

「狙いはスチューデリア人の皆殺しですか。それも真綿で首を絞めるようにじわじわと嬲り殺しにするつもりのようですね。まずは食糧を奪い、餓えの中で時間をかけてゆっくりと彼らを甚振る気か。まるで魔女裁判で女性を拷問にかける神の代行者気取りのように」

 

「それだけ野郎の怒りが凄まじいって事だろうよ。こりゃ(やっこ)さん、スチューデリアに住む人間は赤ん坊だろうと生かしておくつもりは無ェな。見ねェ、あの洗濯物をよ。子供服どころか赤ん坊のおしめや御包みまで喰ってやがる。怖いねェ。きっと徹底的にやれ(・・・・・・)って命じてやがるンだろうな。ここまで情けが一切入らねェ純度の高い殺意を持ってアイツはバッタを操っているンだ」

 

「止めるおつもりですか?」

 

 トロイの問いに月弥は肩を竦めて見せた。

 

「さてね。俺が依頼されたのは魔女狩りの収拾(・・・・・・・)であって、魔女からの報復を止めてくれ(・・・・・・・・・・・・・)とは云われてねェからな」

 

 無謀にもバッタを松明で追い払おうとしていた農夫が逆にバッタに纏わり付かれて悲鳴を上げているのを横目に月弥は歩を進める。

 

「教皇さま、どちらに?」

 

「聖都スチューデリアにも慈母豊穣会と契約している農家がいるからな。まずはそっちを優先的に守護(まも)らにゃならねェ」

 

「この人は宜しいのですか?」

 

 トロイが器用に服だけを食べられている農夫を指差すが月弥の歩みは止まらない。

 

「別に死ぬワケじゃねェだろ。それに、そのオッサン、背後に怨霊が憑いているから霊視してみたが、魔女狩りに便乗して若い娘を襲っていやがる。怨霊もオッサンに襲われて首括った娘だぜ」

 

 それを聞いて、トロイは助けを求めてローブの裾を掴む農夫の手を足で払う。

 

「では行きましょうか。もしかして教皇さまは契約農家を助けた事で犯人が怒って姿を見せるとお思いに?」

 

「お、分かってるな。確実じゃないが、助けたのが俺と分かれば高確率で姿を見せると思うンだよ。ま、上手くいったらご喝采ってね」

 

 服どころか髪や皮膚の一部も喰われている農夫の目の前で、教皇と巡礼は自らの影に沈むように姿を消した。その様はさながら魔女のようであったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーおー、やっぱりな。案の定、スチューデリア全域の畑を襲っていやがる」

 

 慈母豊穣会と契約を結んでいる農家の元へ馳せ参ずれば、既に空を覆い尽くさんばかりのバッタが畑を襲っていた。

 太陽を隠すほどの群れはさながら魔女達による復讐の狼煙(のろし)だ。

 瞬く間に作物を喰い尽くされた農夫は呆然とその光景を見ている。

 

「爺さん、どいてろ! バッタを駆除してやる!」

 

 月弥の手の平にピンク色をした靄が球状を為しているものが現れると、上空へと浮かび上がる。すると、靄の球を目掛けてバッタが食べるのをやめてまで押し寄せてくるではないか。

 

「後はコイツで」

 

 靄に集まるバッタの群れを覆うように巨大な闇の渦が出現し、バッタを余さず吸い込んでいく。

 主君、『淫魔王』クシモの力を借りる暗黒魔法『淫魔法(セクシャルマジック)』の一つ、生物を本能レベルで惹き寄せる『フェロモン』をバッタのみに強く作用するように調整し、呑み込んだ敵を破壊し尽くす闇属性の最高位攻撃魔法『ブラックホール』で一匹残らず殲滅したのである。

 

「教皇さま、ありがとうございます。しかし遅すぎましたじゃ……畑の物は恐らく全滅、出荷するどころか、年貢や家族の食い扶持すら()うなってしまいましたわい。ワシらはこれからどうすれば良いのか……」

 

 嘆く老農夫に月弥は大仰に呆れて見せた。

 

「おいおい、契約書をちゃんと読んでねェのか、爺さん? アンタ、契約と同時に保険も入っていただろ? 後でちゃんと読み返しておくンだな。“災害時には被害に応じた保証をする”って書いてあるからよ。蝗害は立派な災害だ。贅沢しなけりゃ生活出来るだけのカネは出すし、税金も立て替えてやるから心配しなさんな。それに善く見りゃ小麦や米の貯蔵庫は無事なようだぜ? 特約の盗難災害防止結界サービスも付けておいて正解だったな」

 

 教皇の言葉を受けて、老人は跪いて感謝の言葉と共に涙した。

 

「爺さん、頭を上げろや。これも全て、ちゃんと保険に入って、毎月保険料を納めていた結果なんだぜ。“無駄金だからやめろ”と云っていた息子夫婦の反対を押し切った自分の先見の明を褒めるンだな」

 

「はい…はい…」

 

 ふと月弥の懐が振動する。スマホであった。

 

「おう、どうした?」

 

 馴染みのない道具を使い、見えない相手と会話をしている月弥を老人は不思議そうに見つめている。

 

「そうか、御苦労だったな。良いか、少しの驕りも見せるなよ? 保険金は毎月納めて貰ってるンだ。保証を受けるのは当然の権利だと思って丁重に対処するンだぜ」

 

 通話を切ってスマホを懐にしまう。

 

「スチューデリアの契約農家は軒並み全滅だとよ。けど、保険に入っている農家は取り敢えず当面の生活は出来そうだとの報告があったぜ。流石は俺が鍛えた精鋭だ。蝗害の対処もアフターケアもばっちりだぜ」

 

「しかし、それでは随分とお金が出て行くのでは?」

 

「構うか。慈母豊穣会は信徒、顧客の誰一人として不幸にはさせねェ。たとえ身銭を切る事になっても守護(まも)り抜いて見せてやる」

 

 事実、この蝗害の対処には莫大な人員と金が動く事になるのだが、契約農家は一件たりとも破産させなかった事から教皇ミーケの名は世界中に轟いた。

 “教皇ミーケは全財産を擲ってでも顧客を守護る”“民が餓えようと搾取をやめない王侯貴族や宗教家気取りとは違う”と男を上げ、信徒或いは顧客を増やす結果となったのである。

 

「ふぅん…一瞬にして群れに大穴が開いたから、何事かと思って来て見れば、やっぱりキミか」

 

「はん、随分と早く炙り出されやがったな。もう二、三件、契約農家を助けに行くまで姿を見せねェと思っていたぜ」

 

 突如、宙に現れた白いローブに老農夫は、その身に纏う怨念と相俟って幽霊でも出たのかと胆を潰した。

 しかし、善く見れば幼い子供であると知れる。

 歳の頃は八、九歳か? 背丈は教皇ミーケとほぼ変わらないようだ。

 爽やかな風が吹く草原のようなライトグリーンの髪、瞳も鮮やかなグリーンだが老人の目には夜の闇よりも(くら)く見えてゾッとさせられた。

 

「ま、魔女か?」

 

 老人の幽かな呟きは宙にいる子供の耳に届いたようで、じっと視線を向けてきた。

 

「だったら? 異端審問会に報告するかい? 構わないよ?」

 

 クスクスと笑う子供に老人の体は金縛りにあったように動かなくなる。

 しかし、教皇がパンッと手を叩いた途端に動けるようになった。

 

「おシン直伝の『不動金縛りの術』か。随分と遣いこなしてるようだな」

 

「御褒めに預かり光栄だね」

 

 見た目は幼い子供ではあるのだが、この妖艶とも呼べるまでに妖しい存在感と色香はどうだ。老人は改めて魔女と対峙している今の状況に恐怖した。

 

「ま、魔女狩りの復讐か?」

 

「それ以外に何があるのさ? 君達、星神教徒は、いや、聖都スチューデリアはやり過ぎた。今度はこちらが裁く番だよ」

 

 よくもそんな愚問を投げかけられたね、と侮蔑の表情を浮かべる子供に老人は知らず腰を抜かして尻餅をついていた。

 

「それにしてもツキヤ、キミなら僕の気持ちを理解してくれていると思っていたのだけど、どうしてスチューデリア人を助ける真似なんかするんだい?」

 

「知れた事だ。ここもそうだが、スチューデリアにも慈母豊穣会(うち)と契約している農家がいるンだよ。企業として顧客を救うのは当然の事だろうが、そんな事も分からねェのか、ウスラボケカス」

 

「相変わらずだね。つまり僕を止めるつもりだと解釈して良いんだね?」

 

「あ? テメェらが復讐してェのなら勝手にやれや。俺が止めるように依頼されてるのは魔女狩りであって復讐じゃねェ。云ったろ? 俺は顧客を守護ってるだけだぜ」

 

 一瞬、空に浮かぶ子供の目が点になるが、暫くすると喉の奥からくつくつと音が漏れ、次第に笑い声が大きくなっていく。

 

「そ、そうだった。そうだったね! キミはそういう人だった。そういうところは全くブレないんだなぁ。そうか、スチューデリア人を皆殺しにするのは不可能か。キミは顧客を守護る為ならきっと僕とも躊躇することなく戦えるだろうしね」

 

「そういう事だな。いやァ、哀しいぜェ? 三池流の奥義の数々をお前に叩き込むのはよ。けど、安心しな。どういう姿になっても相手を絶対に死なせない優しさが三池流の売りだからよ」

 

「流動食しか食べられなくしたり、オムツや人口肛門が必要な生活になる程のダメージを与えるのは優しさとは云わないと思うよ」

 

「だが、俺と本気で戦うと云うのなら確実に体が変形する(・・・・・・・・・)程度の事は覚悟して貰わないと困るぜ?」

 

 頬を引き攣らせる子供に月弥はさも当然とばかりに返した。

 

「だが、まずは話をしよう。親父さんやカストル、ポルックスの事も含めてな」

 

 月弥の提案に子供はすぅっと表情を消した。

 

「話す事は何も無いよ。僕達は必ず聖都スチューデリアを滅ぼす。キミと戦う事になってもね。僕から出せる妥協案は“土地を捨ててこの国から去るのなら見逃す”それだけだよ。勿論、魔女狩りに僅かでも関わった者は逃がす気は無いけどね」

 

「クーア!!」

 

「何? これでも随分と譲歩した方だよ? キミの顔を潰す事になるかもだけど、千を超える仲間と父様、兄様、そして内縁の妻の子にも拘わらず受け入れてくれたツァールトハイト家の人達、その無念を思えば当然だよね?」

 

 クーアは地上に降り立つと自らの影に飲まれるように沈んでいく。

 先程、月弥が見せた影を媒介とし、影から影へと瞬時に移動する『影渡り』と呼ばれる移動魔法である。

 

「じゃあ、ツキヤ、次に会う時は敵同士だね」

 

 クーアは月弥に微笑んで見せた。

 彼の思惑では、この微笑みの意図が読めずに月弥が怯むはずであったのだが、そうは問屋が卸さなかった。

 

「クーア! これを見ろ!」

 

「何だい?」

 

 なんと月弥は自分の前歯を掴むと毟るように外してしまった。

 しかも上下共にである。

 

「なっ……それはどうしたの?!」

 

 クーアは驚愕のあまり体を影から出してしまっていた。

 月弥は『影渡り』が解除されたのを確認すると、部分入れ歯を元に戻す。

 

「どうしたの、その歯は? 誰かにやられたの?!」

 

 先程とは一転して心配げに近づいてくるではないか。

 これだけでクーアが復讐心の塊になりきった訳ではないと内心安堵する。

 

「違ェよ。今まで全部の歯が乳歯だったンだが、最近になって生え変わり始めたのよ。だが、どうした事か一気に乳歯が抜けちまってな。こうして部分入れ歯が必要になっちまったンだよ」

 

「な、何だ。脅かさないでよ。じゃ、じゃあ、僕はもう行くから」

 

 再び影に沈もうとするクーアの手を掴む。

 距離が詰まったので捕まえるのは容易かった。

 

「まあ、聞け。お前に取っても良い話なんだ」

 

「い、良い話? その歯と何か関係があるって云うの?」

 

 いつの間にか、クーアは月弥に後ろから抱きつかれる恰好となり、右手も月弥の左手に掴まれたままだ。

 

「あのな? 娼婦の一部には歯を抜いちまうのがいるンだってよ。まあ、大半は抜くっていうより抜かれるみたいなんだがな」

 

「ひ、非道い事をするもんだね。け、けど、それがな、何?」

 

 前述したが二人は男同士ではあるが恋人として交際をしている。

 その相手に後ろから抱きしめられて耳元で話しかけられては動揺するなというのが無理というものであろう。

 

「どうもな、歯の無い口でして貰う(・・・・)とそれはそれは天にも昇る心持ちになるらしいぜ? どうする? 今の俺、前歯が無いけど……多分、あと二、三日で新しい歯が生えちまうぞ? 今、去ったら、もう試すチャンスは無くなるぜ?」

 

 クーアは生唾を飲み込んでしまう。

 今の段階では時間を見つけてはデートをするだけの清い交際だ。

 最近、漸くデートの終わりに軽く触れるだけのキスを許されたばかりである。

 それなのに、月弥の口からそのような言葉が……

 つい想像してしまい、顔が、全身が熱くなっていく。

 

「なあ、話をしようじゃないか。その後でゆっくりとな?」

 

 魔女の秘術を継承してはいるが、クーアとて男である。

 想い人からの誘いに男としての本能が揺れ動いた。

 

「ねぇ、クーアは僕とそういう事するの嫌かな?」

 

 久しぶりに聞く月弥の甘えた声にクーアの分身は別個の生き物のように脈動してはち切れんばかりになるのだった。

 

「だ、ダメだよ。魔女にそんな誘惑は効かない。僕はスチューデリアを滅ぼすんだ」

 

 しかしクーアはそれでも拒絶の言葉を放つのだった。

 

「そうかい。なら仕方ねェ。血の雨を降らせるしかないよな」

 

 何が起こったのか分からなかった。

 月弥が左手を引くと、それに釣られて体が半回転する。

 その勢いのまま向き合う形となった月弥の右腕がクーアの喉に叩きつけられた。

 『レインメーカー』と呼ばれる強烈無比のプロレス技である。

 

「うわぁ……さっきまでの甘い誘惑が嘘だったかのような容赦の無さですね」

 

「実際、嘘だし拒否したのはクーアだ。ま、ほいほい来られたら俺も困ったから助かったけどな。いくらクーアが相手でも流石に口でするのはちょっとなァ」

 

 月弥は気絶しているクーアを横向きにして抱き上げた。所謂お姫様だっこである。

 非力ではあるが、近い体格のクーアを持ち上げるくらいは出来た。

 

「さ、ゆっくり話が出来るところへ移動するか」

 

「了解しました」

 

 二人は老農夫に別れを告げると、『影渡り』で移動をするのだった。

 

「でも、ちょっと残念だったかな」

 

「教皇さま、何かおっしゃいましたか?」

 

「いや、何でもねェよ」




 はい、『冒険者ギルド』の方とリンクしてますので、ピンとこられた方もいらっしゃると思いますが、クーアによる報復でした。
 戦争でまずやられたら何が一番困るかと云えば物資、特に食糧の破壊だと思い。魔女らしい兵糧攻めなら何かと考えた結果、魔法で飛蝗を手懐けて畑を襲うというものでした。勿論、アバドンも参考にしています。
 伝説の通り、この後はネズミを使って疫病を流行らせる作戦も企みますが、勇者の機転で失敗に終わっています。

 クーアは心根は優しいので理性では皆殺しにはしないで、魔女狩りに関わった者だけに報復すれば良いだろうと思う反面、魔女の気性として二度とこのような事が起こらないように徹底的にスチューデリアを滅ぼすべしという激しさも確実に存在していて、その間で揺れ動いています。
 この後の話し合いがどうなるのかは次回以降のお楽しみという事で。

 ちなみにクーアも見た目は月弥同様に幼いですが実年齢は18歳で合法ショタの仲間入りです(おい)

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第参部 バッドエンド系魔法少女に転生した男
第壱章 魔法少女の世界へようこそ


「もう! 心配したんだから!」

 

「ッ?! ッ?!?!」

 

 目を覚ますと無機質な天井を見上げていた。

 だけど体は動かない。何とか視線を巡らせていると水色という有り得ない色をした髪を持つ女の子と目が合った。

 女の子は初めは目を丸く見開いて固まっていたが、次第に目尻に涙がたまっていき、零れたと思ったら飛び付くように抱きついてきたのだ。

 その瞬間、全身に激痛が走って声にならない悲鳴を上げてしまう。

 

「らいかッ! らいかッ! うわあああああああああああん!」

 

 見知らぬ女の子は俺に抱きついたまま大声で泣き続ける。

 俺は女の子を引き剥がそうとしたが全身の痛みに加えて腕に力が入らず動こうにも動けない。

 

「…ッ?!」

 

 そればかりじゃない。どういう訳か声すら出ない有り様だった。

 

「ちょっと、しずくちゃん、ここは病院ですよ? 何を騒いで…」

 

 痛みもあるが状況が掴めずに困惑していると部屋にまた一人の女の子が現れた。

 この子もまた派手な緑色の長髪をポニーテールにしている。

 

「らいかちゃんッ!」

 

 ブルータス、お前もか…

 緑の子も俺に抱きついてわんわんと泣き始めてしまったではないか。

 しかも首に腕を絡めているせいで地味に呼吸が苦しい。

 訳の分からない状況に、全身の骨が軋む痛み、呼吸困難の三重苦で俺は限界寸前となり、再び意識を失いそうになったその時だ。

 

「いい加減にせんか、莫迦もんがッ!!」

 

 この部屋そのものを揺さ振るような怒号を受けて俺は完全に意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「記憶喪失ぅ?!」

 

「ええ、どうやら、らいかちゃんは私達の事が分からないようです。そればかりか自分が何者かも理解していない様子です」

 

 再び意識を取り戻した俺は部屋の中にいるヤツらの会話に耳を傾けている。

 目を覚ますと目の前には紫色の緩くウエーブのかかった髪を持つ眼鏡の女にいくつか質問をされた。

 白衣を着ている事から医者なのだろうが胸元を広く開けすぎており、優しげな目をしていながらどこか妖艶な印象を受ける。

 縁日のカラーヒヨコじゃあるまいに、何で派手な髪のヤツばかりなんだ。

 

「まず彼女は自分の“らいか”という名前に反応しませんでした。自分がどこにいるか分かりますか、と質問をしても首を横に振るばかりで…」

 

「そんな…らいか? アタシの事を忘れちゃったの?」

 

 しずくというらしい女の子が涙目になって訊いてくるが俺には答えようがない。

 そもそも知らないのだから肯定も否定も出来ないというのが正解だ。

 

「私の事もですか? 柊みどりですよ? らいかちゃんの幼馴染みです」

 

 気の毒だが俺は辛うじて首を幽かに横に動かす事しか出来ない。

 二人の少女の嗚咽が部屋いっぱいに広がり居た堪れない気持ちになるがどうしようもない。

 と、云うか、さっきから俺の事をこいつらは“らいか”と呼んでいるが何なんだ?

 俺の名前は近藤源助といって、しがない三十代のヒキニートだ。

 昨夜も習慣のネットサーフィンに勤しんでいたが、そこから記憶が無い。

 いや、寝落ちはしょっちゅうだから夢でも見ているのだろうか?

 混乱の極みにいる俺を置いていくように会話は進んでいく。

 

「そもそも、あの将軍を相手と戦って生還しただけでも奇跡なのだ。今はその幸運を噛み締めよう。いや、今までも奇跡を起こしてきたらいかの事だ。記憶だっていつか戻るに決まっている。仲間であるお前達が信じなくてどうする」

 

 漆器のような艶やかな黒髪の女の子がしずくとみどりの肩に手を乗せて慰めているが、どうにも二人より背が低い為に様になっていない。

 だが言葉は届いたようでしずく達は泣くのをやめて頷いた。

 そこで思い至る。さっきのデカイ声はこの黒髪の子の声だと。

 それにしても戦っただの生還しただの物騒な言葉が飛び出してきたな。

 僅かに動く首と目を何とか視線を巡らせれば俺の体は包帯が巻かれていた。

 顔も包帯まみれという事は全身がこんな有り様であるらしい。

 さて、この状況をどうしたものかと思案を巡らせていると何者かが慌ただしく部屋に駆け込んできた。

 

「何ですか。そんなに慌てて、騒々しいですよ。ここは病院ということを忘れていませんか?」

 

 女医風の紫髪が窘めるが、飛び込んできた茶髪の兄ちゃんは早口で喚き散らす。

 

「それどころじゃないッスよ! 帝国がッ! ウンターヴェルト地下帝国が街で暴れてるんスよ! マオルヴルフ将軍を斃したらいかちゃんを差し出さないと日本を滅ぼすって、そりゃ凄い剣幕で! まさに総攻撃! 怒り心頭ってヤツッス!」

 

「そうか、やっぱり怪しいと思っていたが魔女王とマオルヴルフ将軍はデキてたか」

 

「えっ?! そうなの? そんな事が分かるなんて大人~」

 

 みどりが黒髪の子を褒めると彼女は“経験が違うよ”と得意げに胸を反らした。

 

「莫迦な事を云ってないで迎撃よ!」

 

「「「はいっ!!」」」

 

 すると少女達の体から光が放たれて思わず目を閉じる。

 数秒後、恐る恐る目を開けるた俺は目の前の光景にあんぐりと口を開けてしまう。

 何故なら、そこにいたのはワンピースとプロテクターが一体化したデザインの衣装を身に着けた三人の少女がいたからだ。

 

「水と癒やしのボーゲンヴァッサー!」

 

 水色の髪をツインテールにしたしずくが青いワンピース姿となり、波の意匠をした弓を持って珍妙なポーズを取っている。

 某フィギュアスケート選手のように仰け反りながら弓をこちらに構えて何故かウインクしているのだ。

 

「木と幸運のゲヴェーアバオム!」

 

 髪はポニーテールのままだが緑のワンピースを着たみどりが葉っぱの意匠の装飾を散りばめた小銃を肩に担いで銃に見立てた右手をこちらに向けて撃つ仕草をしているが、やはりこの子もウインクをした。

 

「闇と安らぎのズィッフェルケッテンフィンスターニス」

 

 長いな、名前?!

 黒髪の子は特にポーズは取らなかったが黒いワンピースに鎖鎌というミスマッチにも程がある姿となっていた。

 いや、もしかしたら鎖を首に巻いて舌を出しているのが彼女なりのポーズなのかも知れないけど……

 

「魔法少女デア・ベーゼブリック出動!!」

 

 紫髪の号令で三人は病室の窓から文字通り飛んで行った。

 何? 飛んだ? 魔法少女って本物?

 

「頼んだわよ。火と生命(いのち)のアクストフランメが戦えない今、苦しいでしょうけど貴方達だけが頼りなの」

 

 ふーん、もう一人いるのか。

 その子は何故か動けないと……ん? 何だ? 何を見てるんだ?

 

「今は傷を治す事だけを考えなさい。記憶だって、きっとすぐに戻るわよ」

 

「そうッスよ! それまで不肖、神崎がお守りするッス!」

 

 微笑む紫女医と胸を叩く神崎青年に俺は漸く状況を飲み込む事が出来た。

 まさか俺はネット小説とかで良くある転生をしていたのか?

 しかも選りに選ってバトル系魔法少女の世界にか?!

 と云うことはこの全身の傷は戦いで負ったものだったのか……

 いや待て、状況は非常にマズいだろう。

 転生して前世の記憶が蘇ったと仮定するとして何でこのタイミングなんだよ?!

 魔女王ってくらいだから敵のボスなんだろう。で、ボスとデキてる幹部を斃したせいで敵は完全にキレていると。

 そして前世の記憶ついでに思い出した事がある。

 これって俺の弟が昔に連載していたラノベの世界じゃないか、と。

 

「むう! むう!」

 

「らいかちゃん?! あの子達が心配なのは分かるけど興奮しないで! 神崎君! 鎮静剤を持って来て!」

 

「ラジャーッス!」

 

 冗談じゃない!

 これって出版したは良いが全く売れずに数巻で打ち切りになったヤツじゃないか。

 思い出したぞ。打ち切りになった事で不貞腐れた弟は最終巻で魔法少女と敵組織を相討ちにさせる全滅エンドにしたはずだ。

 だとしたら、このままでは主人公らいかは、俺は魔女王と壮絶に自爆するはずだ。

 そうなる前に逃げなければ。

 しかし怪我で動く事は叶わず、鎮静剤を打たれて意識を失う事となった。

 だが、俺はまだ知らなかったんだ。

 魔女王の復讐なんて比較にならない悪意が俺を狙っていただなんて…

 

「生まれ生まれ生まれ生まれて(しょう)の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに(くら)し」




 第弍部が終わってないのに第参部です(汗)
 各部は独立しています。安心してお読み下さい。
 中編で五話くらいで終わります。
 本当はこういうのを書きたかったんです。

 さあ、バッドエンドが近い魔法少女の世界に転生してしまった男の命運は如何に。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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第弍章 死にゆく魔法少女

 魔法少女なら導入で元気に自己紹介をするのが王道なのだろうか。

 私、ナントカ! どこぞの小学校に通う何歳の女の子! ってな。

 だが生憎と今の俺は満身創痍でベッドから動けない身である。

 状況から推察するに、俺はかつて弟が連載していたラノベ『魔法少女らいかちゃん』という昨今珍しくなくなったバトル要素を取り入れた魔法少女の物語の主人公、梅木らいかに転生しているらしい。

 どうしてこうなったかと問われれば、出版したは良いが全く売れずに数巻刊行してすぐに打ち切りになった事でヤケを起こした弟が敵味方問わず全滅させるバッドエンドに舵を切ってしまったからだ。

 物語の終盤というか最終巻(武士の情けで第何巻であるかは黙秘させて頂く)の冒頭で敵幹部の一人と壮絶な相討ちとなり、勝つには勝ったが自分の魔法を逆手に取られて全身に大火傷を負ってしまう。

 悪い事に斃した幹部は敵の女首領と恋仲であった為にガチギレした大ボスは唐突に大攻勢をしかけてくる。

 仲間の魔法少女達が因縁のある幹部と相討ちとなって果てていく中、傷を押して出撃した主人公も最期は敵のボスの自爆に巻き込まれて命を落とすのだ。

 そもそもにして主人公の梅木らいかが変身する魔法少女アクストフランメは炎と斧を武器とする魔法少女としてどうなんだという設定だった。

 しかもネーミングが斧を表すドイツ語のアクストと同じくドイツ語で炎を示すフランメの組み合わせというどちらかと云えば特撮の怪人向けのなんだよなぁ。

 

「らいかちゃん、落ち着いて聞いて欲しいッス」

 

 このままではバッドエンドに巻き込まれると興奮していた俺は鎮静剤を打たれて眠っていたが、ふと目を覚ますと茶髪の青年が沈痛な面持ちで立っていた。

 神崎青年はいわゆる魔法少女達のムードメーカーとなる近所のお兄ちゃんポジションにいる人物で軽薄な言葉遣いとは裏腹に何でもそつなくこなす優秀な男だ。

 変な機械を発明しては騒動を起こす悪癖があるが最終的に彼の発明が敵の弱点をついたり敵の作戦を妨害したりして勝利に貢献している。

 この神崎青年も敵本拠地への侵入を阻むバリアの発生装置を破壊する為に犠牲となっており、最終決戦において悲劇的な演出の一助となる運命だ。

 ただ引っ掛かるのはこの青年の名前は“神崎だったかな?(・・・・・・・・)”という所だが、曖昧な記憶なので追求しても仕方が無いだろう。

 

「さっき出撃したしずくちゃんとみどりちゃんだけど…ウンターヴェルト地下帝国のアーマイゼ博士とフロッシュ大佐と相討ちになって…」

 

「神崎君!!」

 

「先生?!」

 

「どういうつもり? この事はらいかちゃんにはまだ話す訳にはいかないって云ったでしょう? この子にはショックが大きすぎる話だわ」

 

 紫色の髪を持つ女医に叱られた神崎青年であるが、キッと睨みつけて反論する。

 

「もっともらしい事を云ってるッスけど残された戦力がらいかちゃんだけになってしまったからでしょう? らいかちゃんが戦えなくなったら終わりッスもんね?」

 

「ええ、そうよ。残された魔法少女はアクストフランメただ一人。そのたった一人の遣う魔法無くしてウンターヴェルト帝国の超科学力に対抗なんて出来ないわ!」

 

「だからといって傷だらけのらいかちゃん一人に全てを押し付けて良いワケが無いッス! そもそも地上と地下帝国が戦争になったのは――」

 

 俺は云い争う二人をどこか冷めた目で見ていた。

 そうか、やっぱりあの(・・・・・・)三人は死んだか(・・・・・・・)

 弟の思惑通りに物語は進んでいるという事だろう。

 

 

 

 

『兄さん、この前、読んで貰った小説なんだけど、ひょっとしたら本になるかも知れないんだ』

 

 

 

 

 弟よ。お前が作った世界で兄さんは死にそうだよ。

 どうしてくれるんだ、馬鹿野郎。

 

「らいかちゃん、しずくちゃん達の活躍で帝国の戦力は大幅に減退させる事が出来たわ。でも残る魔女王が要塞諸共自爆しようとしているの。魔女王の言葉を信じるなら地球そのものを道連れに出来るって云っていたわ。お願い。要塞に行って自爆を止めて欲しいの。貴方にしか出来ない事なのよ」

 

「正気ッスか?! いや、アンタ、人間か?! らいかちゃんは動けないんスよ?! それに要塞を守るバリアはどうするんスか? しずくちゃん達の魔法もミサイルも効かないのにらいかちゃんだけに行かせてどうするんス?!」

 

 茶番だな。結局らいか(・・・)が行くしかないのに無駄な口論だ。

 終盤も終盤で前世の記憶が戻ったせいだろう。

 ()を庇う神崎青年の言葉どころか、しずく達の死すら心に響く事はない。

 

「世界を守る為なの……仕方無い事だわ……分かって頂戴……」

 

「何が世界を守る為ッス! その金看板の為ならあの子達に犠牲を強いるのは当たり前って事ッスか? 恥を知れッ!!」

 

 おーおー、熱いねぇ。

 でもな、神崎青年。君の言葉は何にも響か…な…

 

 

 

 

『何であの小説がお兄ちゃんの名義で出版されるのよ?!』

 

『しょうがないじゃない。あの子は死んだのよ? だったら代わりにお兄ちゃんが作家デビューしたって良いでしょう。新しい門出と思えば良いじゃないの』

 

『バッカじゃないの?! ラノベだからって簡単に考えてない? あの子が書いていたからこそ登場する女の子達は生き生きと動く事が出来るの。お兄ちゃんなんかじゃあの子達(・・・・)どころか、設定を生かす事すら出来ないわよ!』

 

『なんて事を云うの! お兄ちゃんは国立大を出たエリートなのよ? 中学を卒業してすぐに働きに出たあの子とは物が違うの! きっとあの子以上の小説を書けるに違いないわよ』

 

『学歴なんか関係無い! そもそも良い大学を出ていながらろくに働かないお兄ちゃんを養う為に私もあの子も進学を諦めたのよ?! それなのに死んだら、散々莫迦にしてきたあの子の小説を盗んで作家デビュー?! 巫山戯るのも大概にしなさいよ!! 恥を知れッ!!』

 

 

 

 

 何だ、今のは?

 いや、これは俺が作家デビューした祝いの席で空気を読まないクソ妹が親類達の前で何もかもぶちまけやがった時の記憶だ。

 折角、大手出版社に勤める親類に下げたくもない頭を下げて小説家デビューをしたっていうのに俺は恥を掻かされたんだっけ。

 しかも俺が手直ししてやった小説を扱き下ろしやがって!

 弟の設定だといちいち地下帝国の連中を改心させやがるからキャラが多くなって大変だから殺せる時は殺してキャラを減らして楽させてやったってのに編集のヤツ、Web版の方が面白かったですよね、だと?!

 どいつもこいつも俺の事を莫迦にしやがる。

 俺が悪いんじゃない。弟の設定が悪いんだ。

 だから打ち切りが決まった時、物語をきっちり終わらせるには全滅シナリオしかないと思ったんだよ。いや、それも俺の華々しい作家デビューに腹を立てた弟のヤツが地獄から電波を送ってあんなラストを書かせたに違いない!

 

『へぇ…兄さん(・・・)、シナリオの改悪すら僕のせいにするんだ?』

 

「なに?」

 

 今の声は?

 

『父さんにさ。“働け、働け”って云われても全く働こうとしなかったのに、僕の作品を読んだら“この作品を寄越せ。これで作家デビュー出来るぞ”って云ってさ…』

 

 紫髪と神崎青年の罵詈雑言の応酬は続いているのに何故かこのぼそぼそとしている声ははっきりと俺の耳に届いている。

 だが二人には聞こえていないようだ。

 

『断ったら……僕の頭、こんなになっちゃった……』

 

 声は窓から聞こえてくる?

 恐る恐る窓を見るとしずくとみどりがいた(・・)

 

「ああ…あああああ……」

 

 頭蓋を割られて脳髄を剥き出しにして血と脳漿を垂らしながらも二人はニタニタと嗤っている。

 

『それどころか……よくも僕の世界を滅茶苦茶にしてくれたね?』

 

「そ、そんな……その顔は……」

 

 しずくとみどりのその顔(・・・)は……

 

『ねえ、兄さん?」

 

 弟の顔(・・・)だった。

 

「うぎゃああああああああああああっ?!」

 

「「らいかちゃん?!」」

 

 俺はベッドから転げ落ちると病室から飛び出した。

 どこをどう走ったか分からない。

 兎に角、一刻も早くここから逃げなければ!!

 

「え、エレベーターだ!!」

 

 俺は丁度口を開けているエレベーターに乗り込むと一階のボタンを押した。

 すぐに扉は閉まり動き出す。どうやら弟は追って来ていないようだ。

 やがて一階に着くと扉が開ききらない内にまろび出る。

 

「な、なんで?!」

 

 そこは満天の星が煌めく夜空が見えていた。

 一階に下りたと思っていたのに何故か屋上に出ていたのだ。

 

『兄さん、待ってたよぉ』

 

「ひいいいいいいいいいぃぃぃぃぃ」

 

 そこへ少女の姿をした二人の弟(・・・・)が待ち構えていた。

 いや、弟の顔を持つ少女達といった方が正しいのか?

 

「結構余裕があるじゃねぇか」

 

「だ、誰だ?!」

 

 干されたシーツが何十枚と並ぶ中から漆黒の影が現れた。

 

「お、お前も死んだんじゃ? お前も幽霊なのか?」

 

 黒髪の少女はしずく達と違って頭は割られていない。

 しかも顔は弟のそれじゃない。幼いが目鼻立ちが良く、高貴ささえあった。

 

「おいおい、神崎君も云ってただろう? 相討ちになったのは、しずくとみどりだってな。俺が死んだなんて一言も云ってなかったはずだぜ?」

 

 吸い込まれそうな闇色の瞳を細めて少女が嗤う。

 

「お、お前は何なんだ?! しずくとみどりの幽霊はお前が操っているのか?」

 

「ハッ! 今更、しずくもみどりも無ェだろがよ。お前は今やコイツらを弟と認識しているはずだぜ? 違うかよ?」

 

 黒髪の少女の言葉に俺は返す言葉がない。その通りだからだ。

 もう二人は魔法少女じゃない。弟の亡霊だ。

 

「非道いヤツだな、ええ? 弟の小説を分捕るだけでも許し難いってのによ。何も頭をかち割る事は無いだろうよ? 御陰で弟さんの怨みは相当なもんだぜェ?」

 

 黒髪の少女がいつの間にか、俺の背後に現れる。

 シーツに身を隠して移動したのか?

 

『兄さん……兄さん……』

 

 弟達も白いシーツの中で見え隠れしている。

 

「う、うるさい! 一流大学を出た俺に見合う仕事を与えない社会が悪いんだ! 自分に合った仕事を見つけるまで待ってくれって云ってるのに、何度も“働け”ってうるさい親父も悪い!」

 

「そりゃ大学まで行かせた息子が十年以上も無職のままじゃ親父さんだって心配するに決まってんだろうよ」

 

 今度は真横から姿を見せる。

 

「挙げ句に中卒のクセに俺に逆らいやがって! 母さんだって云ってたんだ。“お前は悪くない。良い大学を出たお前にはいつかきっと良い仕事が見つかる”って! なのにアイツら、“もう面倒見切れない”って抜かして家から出て行こうとしやがった!  それどころか親父まで母さんと離婚するって云って、しかも“出て行くのはお前達の方だ”って俺達を家から追い出そうとしたんだぞ!」

 

「だから殺したのか? 弟を、最後までテメェを見捨てる事を躊躇っていた弟を」

 

 ついに俺の目の前に立って蔑んだ目を俺を見る黒髪。

 

「ああ、殺してやったよ! 俺が作家になる為に小説を寄越せって云ったら、あいつは何て返したと思う? “この作品はみんなで楽しむ為の物であって兄さんの金儲けには使わせない”って云いやがった! 中卒のあの莫迦が国立大を出た俺に向かってだぞ?! そんなの許せる訳がないだろうがッ!! だから親父のゴルフクラブで頭を叩き割ってやったよ。親父もざまあ見ろだ! 親父が依怙贔屓にしていた弟を親父のドライバーで殺してやったんだ!!」

 

『そんな事で僕を!!』

 

「ひぃっ?!」

 

 黒髪に気を取られている内に背後に回っていた弟が俺の首に抱きついてきた。

 

「クソッ! 離れろ!!」

 

『兄さん、兄さん、ニイサン、ニイサンニイサンニイサンニイサン』

 

 いくら振り回そうとも亡霊達は離れない。

 クソッ! どうすれば逃げられるんだ?!

 

「眩しッ! 夜明けか?!」

 

 太陽が昇ってきて明るくなりつつある空を見て俺は重要な事を思い出した。

 そうだ。俺は魔法少女に転生してるんだった!

 魔法少女に変身して一先ず空に逃げれば良いんじゃないか!

 そして炎の力で亡霊共を焼き尽くしてやる!

 そうと決まれば俺は屋上の端に向かって走り出した。

 

「おい! 何を考えてやがる?」

 

 黒髪が焦るって事は意図に気付いたか。

 だが、もう遅い!

 

「炎と生命(いのち)のアクストフランメ!!」

 

 主人公の力を思い知らせてやる!

 思いっきり勢いをつけて屋上から飛び出す。

 

「へっ?」

 

 しかし俺は魔法少女に変身する事が出来ずに亡霊共々地上へと真っ逆様に落ちていったのだった。

 

『何で落ちてんスか?!』

 

 亡霊達の口から何故か神崎青年の声が聞こえたのを最後に俺は地面に激突した。

 

「な、何で…?」

 

 何故変身出来なかったのか疑問に思いつつ屋上を見上げる。

 そこには黒髪と紫髪、そして神崎青年が痛ましいものを見る目で見下ろしていた。

 合掌している黒髪の唇が幽かに動いているのが見える。

 それが俺の最期の記憶だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「生まれ生まれ生まれ生まれて(しょう)の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに(くら)し」




 魔法少女は実は転生していなかったというオチでした。
 第壱部のトロイのように悪の道を行ってしまった者達を仕掛けで追い詰めて自滅させるのが本作のコンセプトだったりします。
 次回からは仕掛けの種明かしとなります。

 それではまた次回にお会いしましょう。


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