ゼロの使い魔 〜使い魔は冒険者〜 (まほうつかい)
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第一章 冒険者と使い魔
第一話 来訪(いほうじん)


「諸君、決闘だ!」

 

 青銅で出来た薔薇を高く掲げた金髪の少年が高らかに謳い上げた宣言に、その表情に何らかの期待を込めて鈴生りに並んだ群衆がどっと沸く。

 

 トリステイン魔法学院の中庭、ヴェストリの広場。

 

 昼食後の有閑なひと時を彩るイベントに群がる野次馬達をものともせず、『彼女』は一歩一歩力を込めてゆっくりと歩む。だがその華奢な後ろ姿に緊張と若干の恐怖が滲むのは隠し切れない。

 それもその筈、『彼女』はつい先刻まで只の一般人だったのだ。ましてや相手は貴族、その怒りを買う事が何を意味するかは身体の隅々にまで染み着いている。

 

 だけど、と彼女は思う。

 

『だけど、それがどうした』

 

 あの少年はやってはならない事を、最悪の不義を働いたのだ。あまつさえ自らの過ちを認めず、他人になすり付けようとした。許せる筈が無い。ならば『彼女』に出来る事はひとつ。

 

 この決闘に勝利して、自身の正義を証明するのだ!

 

 なけなしの勇気を振り絞り、『彼女』は少年の手前五メイルで足を止めた。

 観衆にアピールしていた少年は『彼女』の気配を感じて向き直り、

────その手に握った得物を見て頬を引きつらせる。

 

「……君は礼儀だけじゃなく、常識も知らないのかね?」

 

 少年が指したのは『彼女』がその手に携えた得物であった。

 成程、『彼女』の本職を考えればそれは確かに『彼女』の武器であろう。

 しかしこの場に持ち出すにはいささか場違いであり、そして余りにも馬鹿げていた。

 

「いいえ、間違ってません。貴族の、いえ男の風上にも置けない汚物をお掃除するんですもの。

 これ以上似合いの得物はありませんわ」

 

 しかし『彼女』は臆する事無く得物を突き出し、少年を罵倒する。

 それを聞いた野次馬は「生意気だ」、「平民の分際で」などと騒ぎ立てるが、極少数からは「良く言った」、「その通り」と言う賞賛が投げ掛けられた、とは言え、普段の『彼女』を知るものが見れば驚愕で顎を落とすに違いない。それは決して彼らが知るいつもの『彼女』から出て来る台詞ではなかったのだから。

 そして当の少年は湧き出る怒りを噛み潰し、殊更気障な素振りで名乗りを上げる。

 

「成程、やはり君には教育が必要な様だ。

 ならば僭越ながらその役目、この『青銅』のギーシュ・ド・グラモンが仰せつかるとしよう」

 

 少年──ギーシュの名乗りを受け、『彼女』は踝まで届く草臥れたメイド服のスカートを摘み、腰を落として優雅に礼を返す。

 そして『彼女』はそばかすの残る可憐な顔に微笑を浮かべ、その手に握った『モップ』を掲げて威風堂々と名乗り上げた。

 

「ではその捻くれた性根を私こと『タルブ村のシエスタ』が叩き直させていただきますわ」

 

 いつしか二人の放つ重苦しい空気に呑まれて静まり返った広場に一陣の風が吹く。

 『彼』と『彼の主人』が共に固唾を呑んで見守る中、

 

「骨の一本二本は覚悟してもらおう! 『ワルキューレ』っ!!」

「そんなものはとっくに覚悟の上です! 行きます!!」

 

 二人の決闘は開始された。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、読者諸兄には何故貴族とメイドが決闘などしているのか、メイドの自信は何処から来ているのか等々、気になる事も多かろう。

 それを明かす為にはやはり先日の『使い魔召喚の儀式』から始めねばなるまい。

 『使い魔召喚の儀式』とはこの学院の進級試験に相当する儀式である。春先に行われるこのイベントは魔法使い、所謂メイジが僕たる『使い魔』を呼び寄せると言うものだ。このとき使われる『サモン・サーヴァント』と言う魔法で召喚されるのは、そのメイジが最も得意とする系統に近しい生き物になる。『火』ならばサラマンダー、『風』なら風竜。そのような幻獣でなくとも『水』ならカエル、『土』ならモグラ、と言う風に。

 己に近しい獣を呼び寄せ、使い魔の契約たる『コントラクト・サーヴァント』で従属のルーンを刻み、生涯の友とするのがこの儀式の目的である。

 

 繰り返すが、この儀式で呼び出されるのは主の系統に近しいものである。

 ならば自分の系統が不明のメイジが『サモン・サーヴァント』を行えばどうなるのか?

 

「ミス・ヴァリエール、残念ですがそろそろ時間が……」

「あと一回、あと一回だけお願いします! ミスタ・コルベール!!」

 

 その答えは『失敗する』。

 ひねりも何も無い回答だが少なくともこの少女、ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールにとっては最悪な答えであろう。

 

「いい加減にしろ『ゼロのルイズ』! 僕たちが帰れないじゃないか!!」

「どうせ成功しないんだから諦めろよ! 『ゼロ』なんだから!!」

 

 二人を取り巻いていた生徒達から上がる野次に、俯きながら唇を噛み締めて耐えるルイズ。

 その姿を見た指導教師のコルベールは運命と始祖を罵倒せずにはいられなかった。

 彼女は魔法が使えない。原因は不明ながらも、全ての魔法が爆発してしまう特異体質なのだ。

 このトリステイン王国屈指の大貴族、ヴァリエール公爵家に生まれながら魔法が使えないと言う事実、それは彼女に『侮蔑』と『憐れみ』、そして『嘲笑』となって襲い掛かる。

 メイジの性質を表す二つ名の『ゼロ』。意味は『成功確率ゼロのルイズ』。

 何度失敗しても諦めずに努力を続ける彼女に付けられたそれは、正しく彼女を言い表すと同時に最大の侮辱でもあった。

 コルベールも出来れば成功するまでやらせてあげたい。

 しかしそれは時間的にも忍耐的にも不可能である。

 だから彼はルイズにこう言うしか無かった。

 

「解りました。ですがこれが最後です。次で成功しなかったら大人しく諦めて下さい」

「そんな! ……いえ、解りました」

 

 正真正銘のラストチャンスに、ルイズはこれまで以上に気合いを入れる。

 

「ミス・ヴァリエール。使い魔は一生を共にするパートナーだ。

 『従える』のではなく、『共に協力し合う』ことを念頭に置きたまえ」

「あ……は、はい、そうですね。すみませんミスタ・コルベール」

 

 緊張でガチガチになった彼女を不安に思ったのか、コルベールは簡単なアドバイスを贈る。そう言われて初めてルイズは自分が『従えてやる』とか『捕まえてやる』と考えていた事に気が付いた。

 これでは使い魔だって来るはずも無い。何せ自分の都合で呼び寄せるのだ。

 それも一生拘束されるとなれば、どんな生物とて嫌がるに決まっている。

 深呼吸して心を鎮める。必要なのは使い魔への執着ではなく、生涯の友への呼びかけなのだから。

 

(お願い、誰でも良いの! 誰か、私と一緒に歩んでくれる『仲間』になって欲しいの!)

 

 心中で懇願を繰り返し、ルイズはルーンを唱えて杖を振る。

 瞬間、彼女はこれまでとは違う手応えを確かに感じ、

 

ドカァアアアアアアアアアン!!

 

 今までに無い規模の爆発に瞬時に絶望に落とされた。

 

 また失敗。

 

 これでルイズは進級資格を失った。

 留年など実家の姉や母が知れば、即座に実家に呼び戻されることだろう。

 そして王国きっての名門を穢した彼女を、一族郎党が許すはずも無い。

 黒く塗り潰された未来にルイズが膝を屈しかけたその時。

 

「ん? ……おお! ミス・ヴァリエール、成功しておりますぞ!

 ほら、あそこをご覧なさい!」

 

 コルベールの言葉に目をやれば、確かに爆煙の向こうに何やら大きな影が見える。

 ルイズの目が見開かれる。

 成功だ! 彼女は初めて、魔法に成功したのだ!

 爆煙が晴れるのももどかしく、ルイズは影に向かって走り出す。

 だが、影に近付くにつれその足は徐々に勢いを失い、遂には呆然と立ち尽くすこととなる。

 

 そこに居たのは人間だった。

 

 春だと言うのに外套を羽織り、黒いチュニックのような物を着て青く染められた厚手のズボンを穿いている。この辺りでは珍しい黒髪と黒瞳をした顔立ちは目の覚めるような美形でも吐き気を催す醜悪でもない、極々平凡な造りをしていた。

 背だけは高い。百八十サントを越えるだろうか? だが背丈に身体が追い付いていない。

 肉付きの薄い身体はどう見ても荒事に向いているようには見えなかった。

 その手には杖は無く、代わりに新品であろう背嚢を手にしている。

 

 その姿は少々珍しいものの、それは平民以外の何者でも無かった。

 

 平民はきょろきょろと周囲を見渡し、硬直するルイズと視線を合わせる。

 その時になって、彼女はようやく相手が歳若い男性である事に気が付いた。

 

「あ、あ、あんた、誰よ? 私の使い魔は何処に行ったのよ?」

「人に名を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが礼儀ではありませんか?」

 

 なまじ期待感が大きかっただけに、それを外された絶望感が大きい。

 震えながら名を尋ねるルイズに、男は肩をすくめながらそう返す。

 言葉遣いは慇懃ながら、そこには貴族に対する敬意が一片も含まれていなかった。

 

「な、何ですってぇ!? 貴族に対してなんて口を!!」

「貴族だと言うのなら尚更、人々の模範たる貴族が真っ先に礼儀を忘れてどうするんですか?」

「い、言わせておけば、あなた何様の……」

「ミス・ヴァリエール! 彼の言う通りですぞ!」

「え、ミスタ・コルベール!?」

 

 激昂するルイズとは裏腹に、男はあくまでも冷静に指摘する。

 なおも言い募ろうとするルイズを押さえ、コルベールは男に歩み寄った。

 

「失礼、私はトリステイン魔法学院の教師で『炎蛇』のコルベールと申すものです」

「わざわざありがとうございます。私はヤナギダ・トモと申します」

「見た所平民の方とお見受けいたしますが、家名があると言う事は貴族の方ですかな?」

「いえ、平民が何かは存じませんが、少なくとも私は貴族ではありませんね」

 

 コルベールの質疑に応える男。表情の変化が乏しいのでよく解らないが、若干震えている言葉から察するに、どうやら自分の陥った状況に戸惑っているようだ。その様子からある仮説を思い付いたコルベールはそれを確認するべく質問を重ねる。

 

「では、貴方はトリステインという国に聞き覚えはありますかな?」

「……いえ、初めて聞く国名ですね。ええと、ここは日本ではないのですか?」

「ニホン? ……ではアルビオン、ガリア、ロマリア、ゲルマニア、これらの国はご存知ですか?」

「………アルビオンはイギリスの古名では? 確か、ガリアはフランスの古名だったような?」

「古名? いえ、今もそう名乗っておりますが……」

「……………失礼ながらお聞きします。ここはヨーロッパですか?

 それとも南北アメリカのどちらか、あるいは中東、アジア、若しくはオーストラリアでは?」

 

 コルベールの言葉を聞いた男が不安を滲ませつつ挙げた国名。

 それはコルベールは元より、傍で聞いていたルイズでさえも聞き覚えの無い名前であった。

 二人揃って首を横に振るのを見た男はほんの少しだけ眉根を寄せ、最後の質問を繰り出す。

 

「………………今年は西暦何年になりますか?」

「「西暦?」」

「…………………いえ、結構です。信じ難い話ですが、今ので解りました」

 

 男は諦めたように天を仰いで溜め息を吐く。

 それを見たコルベールは、ルイズに『コントラクト・サーヴァント』を一旦待つように命じた。

 

「そんな! それでは私の進級が!」

「待ちなさいミス・ヴァリエール。どうやら彼は何も知らずに呼び出されたようだ。それに見覚えの無い服装に聞き覚えの無い国名、おそらく彼はロバ・アル・カリイエから来たのかも知れない」

 

 コルベールの推察を聞き、ルイズは最悪の想像を浮かべる。

 ハルケギニアの東、そこを占拠する人類最大の敵の名を。

 

「ま、まさか、エルフ……?」

「違うとは思うが、とりあえず学園長に相談してみよう。一応『サモン・サーヴァント』は成功しているのだし、君の進級も掛け合ってみるから」

「!、お願いします!」

 

 切実なルイズに頷きを返し、コルベールは事態を見守っていた生徒たちに儀式の終了を告げた。

 

「これで『春の使い魔召喚』を終わりにします! 皆さんは先に学園に帰っていて下さい!」

「やっと終わったよ……、『ゼロ』の所為で腹ぺこだ」

「ルイズ、お前は歩いてこいよ! なんたって『ゼロ』なんだからな!」

 

 口々に悪態をつきつつ、生徒たちは『フライ』の魔法で宙に浮く。

 それを見ていた男が驚嘆の声を上げた。

 

「……驚きましたね、全員『冒険者』とは。空を飛ぶってことは『キャスター』ですかね?

 『神器』の助けも無しに飛べるとは、相当『レベル』も高いのでしょう」

「ボウケンシャ? キャスター? シンキ?

 ……何の事か解らないけれど、メイジなら『フライ』で飛ぶのは当たり前よ?」

 

 思わず漏らした呟きにルイズが答える。それを聞いた男は軽く考え込む。

 

「……どうも私の常識とこちらの常識は違うようです。それで、貴女は飛ばないのですか?」

「……うるさいわね! 私の勝手でしょ、そんなの!!」

「おや、何か変な事を言いましたか? どうしたんです突然?」

「うるさい、黙って!」

 

 みるみる険悪になる空気──もっとも、ルイズが一方的に男に突っかかっているだけなのだが、それを止めたのはコルベールであった。

 

「お待たせしました。ではここの最高責任者である学院長の所へご案内しますので、着いて来ていただけますか?」

「すみません、私は生憎飛べないんですが」

「いえ、大丈夫です。少々歩きますが、それ程遠くありませんので。それでは参りましょう」

 

 そして日の落ちかけた草原を、奇妙な一行は歩いていった。

 

 

 

***

 

 

 

 トリステイン魔法学院の学院長、オールド・オスマンの名声は国内外問わず高く鳴り響いている。

 齢三百歳とも噂され、一説によると全ての系統を極めた際に虚無に目覚め、不老の魔法を獲得したとも言われているが、事実無根の噂話にしか過ぎない。裏を返せばそんな噂が立つ程の実力者であると言う事であるが、実力者が人格者であるとは限らないのは世の常であった。

 そう、秘書にセクハラを働いて折檻を受けるエロ爺を見て、それらの名声と結びつけるのは難しいだろう。学院長室の扉を開くなり見せつけられた光景に、コルベールは黙って扉を閉めつつそんな事を思っていた。

 

「……今のは?」

「……良いから忘れなさい。それがこの学園で生活するコツよ」

 

 呆気にとられた男の呟きに疲れたように返すルイズの言葉を背に、コルベールは今度はノックをしてから扉を開ける。

 先程の醜態が無かったかのように泰然とするオスマンと、その脇に控える秘書。

 彼の衣装にはっきりと残る靴跡が無ければ完璧と言えただろう。

 

「ふむ、ミスタ・アリエール、だったかな? こんな夜更けに何用かね?」

「私はコルベールですオールド・オスマン。語尾以外原型留めてませんぞ。

 ……実は『使い魔召喚の儀式』で問題が起こりまして、学院長のご判断を仰ぎたく参上しました」

「む、何事かね?」

「はい。……お二人とも、どうぞ中にお入りなさい」

 

 コルベールの招きに応じ、学院長室に入って来た二人を見たオスマンの目が細められる。

 

「おぬしは確かヴァリエール公爵の三女だったかな?

 後ろの御仁には見覚えが無いが、どちら様かの?」

「ここでは名乗りも上げずに人に名前を尋ねるのが礼儀なのですか?」

 

 先程と同じ敬意の無い言葉にルイズが爆発しかけるが、オスマンの謝罪がそれを制する。

 

「確かに、名も明かさずに名を尋ねるのは失礼じゃったの。儂はオールド・オスマン、このトリステイン魔法学院を預かっておるものじゃ。隣にいるのは儂の秘書でミス・ロングビルと言う」

 

 オスマンの紹介に合わせてお辞儀をする秘書。長い緑の髪が印象的な妙齢の美女である。

 それを見た男は慇懃な態度で礼を返す。どうやら全くの礼儀知らずと言うわけではないらしい。

 

「こちらこそ失礼しました。私はヤナギダ・トモと申します」

「ふむ、ではミスタ・トゥオモ、事情をお聞かせ願いたい」

「トモは名前です。ヤナギダが家名になりますが、敬称は要りません」

「おりょ、そうじゃったか。では改めてミスタ・ヤナギーダ。

 何が起こったのか、何故お主がここにいるのか、聞かせては貰えんじゃろうか」

「……まあいいでしょう。ですが、私にも何がなんだか解らないのですよ。

 こちらのミスタ・コルベールに着いて来ただけで……」

 

 二人の視線がコルベールに向けられる。それに応え、彼はそれぞれに対して事情を説明した。

 

 ルイズが『サモン・サーヴァント』でトモを呼び寄せた事。

 『サモン・サーヴァント』は一方通行で彼を帰す手段が無い事。

 トモの話を聞き、どうやらロバ・アル・カリイエの出身ではないかと当りをつけた事。

 ハルケギニアの東方に位置するサハラの向こう側をそう呼んでいる事。

 人間を召喚すると言う前例のない事態に『コントラクト・サーヴァント』を一時棚上げにした事。

 『使い魔召喚』は神聖な儀式で取り消しが効かない事。

 『コントラクト・サーヴァント』こそしていないが、『サモン・サーヴァント』は成功しているのでルイズの進級を認めてほしい事。

 ルイズが進級する為には使い魔を召喚せねばならず、やり直しも出来ないので出来れば彼女の使い魔になってほしい事。

 

 コルベールが一通り説明を終えると、場に一瞬の静寂が訪れた。

 耳に痛い無音。それを破るべくトモが口を開く。

 

「失礼ながら、そちらの……ミス・ヴァリエール、でしたか? 私は貴女の使い魔にはなれません」

 

 無情にもきっぱりと切り捨てた言葉に唖然とする一同。

 最初に我を取り戻したのは、やはり当事者のルイズだった。

 

「な、な、な、何ですってぇ!!! 貴方平民の癖に貴族に楯突こうって言うの!?」

「そちらに事情があるように、私にも事情があります。何より『冒険者』たる者が何者かに従うなど有り得ません」

「……ミスタ・ヤナギーダ。その『ボウケンシャ』とは何かね? 話を聞く限りでは何かの身分のようだが……?」

 

 オスマンの疑問に、トモは「長い話になりますが……」と前置きしてから語り始めた。

 

 

 

***

 

 

 

 昔々、神様は暇つぶしに世界を創り、沢山の生き物を造り出した。

 空を飛ぶもの、海を泳ぐもの、地を這うもの。

 様々な生き物が世界を覆う中で、人間は最弱の生き物であった。

 空も飛べず、海で溺れ、獣たちに追われ、人間は身を寄せ合って生きていた。

 しかし人間は諦めなかった。

 足りぬ力を道具で補い、知恵を絞って敵を出し抜き、いつしか人間は大地の覇者と化していた。

 それに怒った神様は人間を滅ぼそうとした。

 だが人間は何度滅ぼされても諦めず、ついには神様に牙を剥きさえしたのだ。

 

 ここに至り神様は思った。

 

 この弱い生き物は、もしかしたら自分より強くなるのではないか?

 もしかしたら自分の孤独を終わらせてくれるのではないか?、と。

 

 神様は唯一無二、永劫不変の存在である。故に永遠に孤独なまま在り続けるしかない。

 だけど人間は短い生涯を精一杯生き抜いて、ほんの少しの間に成長を果たす。

 成長と変化、それこそが人間の強みなのだ。

 それを知った神様は自分に歯向かった人間に、ある力を与えてこう告げた。

 

「いつか、私より強くなって出直してこい。私はいつでもお前たちの挑戦を受けよう」

 

 それを聞いた人間達は神に挑む為に己を鍛え、様々な道具(アイテム)技術(スキル)を生み出し、いつ果てるとも知らぬ無謀な挑戦を続けている。人はいつしか神に挑む彼らを冒険者と呼び、力を与えた神様を『運命の神(デウス・エクス・マキナ)』と呼ぶようになったと言う。

 

 

 

***

 

 

 

「……それが冒険者のはじまりです。神に挑むが故に、私たちは如何なるものにも仕えません。

 冒険者は自由を旨とする存在ですから」

「…………なんとも、壮大な話じゃの………」

 

 トモが語った神話は余りにも荒唐無稽でスケールの大きな話であった。

 終わりを望む神に挑む人間。故に誰にも頼らず従わず、自分の手で運命を切り開く、(けわし)きを(おか)(もの)たち。

 壮大で愚かしく、無謀で何より自由な存在。彼はその一員なのだと言う。

 

「とは言っても最近覚醒したばかりですがね。

 これから冒険に出よう、って所でミス・ヴァリエールに召喚されたようです」

 

 その手の背嚢を示してそう言うトモに、一同は苦い表情を受かべる。

 一瞬で重苦しくなった雰囲気に首を傾げる彼に、オスマンは事情を説明した。

 

「ハルケギニアでは系統魔法を創造した始祖ブリミルを崇めるブリミル教が一般的でな。それ以外の神は異端として扱われとるんじゃよ」

「別にブリミル教と敵対するつもりはありませんよ?」

「それだけじゃないぞい。ブリミル教は長い間サハラのエルフ達と対立しておる。故にエルフの使う先住魔法を、引いては異端の存在をブリミル教徒は決して許さんのじゃ。まあ儂らはそこまで熱心な信者と言う訳でもないが、教師達の中には快く思わぬ輩も多いでな」

「四面楚歌、って訳ですか。冒険者としては上等ですが、駆け出しの初心者には少々厳しいですね」

 

 溜め息を吐いて天を仰ぐ。どうやら天を仰ぐのが癖らしい。

 その姿を見詰めるルイズからは、先程までの気丈さが消えていた。

 彼には公爵家の公女の肩書きが通じない。異邦人たる彼にはハルケギニアの常識が通じないのだから。何より誰にも従わないと宣言している以上、ルイズに従うことも有り得ない。

 

 それはつまり、ルイズが使い魔を得られないことを意味していた。

 

 一日千秋で待ち望み、不退転の覚悟で挑んだ使い魔召喚。それが失敗に終わったのである。

 こんなに悔しいことが他にあるだろうか?

 大声で泣き出したくなるのを堪え、ただただ己の暗い未来に思いを馳せるルイズ。

 潤んだ瞳は、だが次の瞬間トモが放った一言に目一杯見開かれた。

 

「……仕方ありません。使い魔は無理でも、使い魔の振りをするくらいはいいでしょう。冒険者である事も可能な限り隠します。ですが、私は冒険者です。いつまでもここに居られないことだけは理解して下さい。そうですね、卒業まででどうでしょう?」

「ほ、いいのかの?」

「構いません。人々の依頼を請け負うのも冒険者の仕事ですから」

 

 そう言って、トモはルイズに向き直る。

 

「私はヤナギダ・トモと申します。貴女は?」

「る……ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールよ」

 

 初めての名乗り。その時になって初めて、ルイズは彼の首に下がる印に気が付いた。

 三本の剣を組み合わせたそれは白銀に輝き、不思議な存在感を放っている。

 それに手を触れ、祈るように目を閉じたトモは重々しく宣言する。

 

「冒険者ヤナギダ・トモはルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールを守り、共に運命を切り開く事をここに誓う。

 ──────宣誓(クエスト)!」

 

 最後の言葉を力強く言い放つと同時に、印が一瞬だけ力強く輝く。

 そして目を開けたトモはルイズに向かって改めて頭を下げた。

 

 「初めましてルイズ。そして初めての宣誓(クエスト)の依頼者に、感謝を」

 

 

 

 

 

 

────────────────────────────────────────────

 

※ヤナギダ・トモ(柳田智)

 

種属/ヒューマン

 

種属特性

・弱者の意地:1(※1)

 

体力:5(+1)/知力:8(+2)/感覚:5/敏捷:7(+1,−1)/

器用:3/魅力:3/精神:5/幸運:10 ※()内は今回加算された補正値

 

HP:11/11(+1) MP:10/10 SP:10/10 ※数値は現在値/最大値

 

EXP:2 所持金:20,200円

 

総合レベル:3

・ネゴシエイター:2(※2)

 ・詐術:1(※3)/説得:1(※4)

・サムライ:1(※5)

 ・居合い斬り:1(※6)

 

装備品

・厚手のコート(※7)

 

所持品

・背嚢(※8)/サバイバルナイフ(※9)/運命神の聖印

 

進行中クエスト

・ルイズを守る(期限:ルイズの卒業まで)

 

 

 




(※1)ヒューマンの種族特性。
    1シナリオ中に(Lv)回、ファンブルをクリティカルに変える。
(※2)交渉や説得に優れる一般技能系のクラス。/能力値補正:知力
(※3)他人を欺く話術。判定の達成値に+Lvの補正を加える。
(※4)他人を説得する話術。判定の達成値に+Lvの補正を加える。
(※5)刀を使うことに特化したウォーリア系のクラス。/能力値補正:敏捷
(※6)鞘に納めた刀を神速で振るって攻撃する刀技。
    クリティカル値にーLvの補正を加える。
(※7)物理ダメージを1d6+2軽減するが、敏捷に−1される。
    水属性ダメージを10%防ぐ。重量:1
(※8)アイテムを入れる袋。所持品の重量を無視出来る(制限:20個まで)。重量:1
(※9)大振りのナイフ。物理ダメージに+1、クリティカル値にー1。重量:0.5 
   装備していないので所持品扱いである。


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第二話 技能(できること)

 女性の部屋と聞いて何を思い浮かべるだろう。

 ファンシーなぬいぐるみに埋もれた部屋だろうか?

 淡いパステルに染まったメルヘンな部屋だろうか?

 人によってはたくさんの衣服に囲まれたファッショナブルな部屋を思い浮かべるだろうし、あるいは花に包まれたリラクゼーションな空間を思い浮かべるかも知れない。

 そう、決して必要最小限のものしかない殺風景な部屋なぞ、想像もしないはずだ。

 

「……これは、また……」

「何してんのよ?早く入って来なさい」

 

 ベッドと鏡台、勉強机らしきものと本棚、そして衣装棚。ルイズの部屋は驚く程質素であった。

 無論それらの調度品は全て最高級品であるし、絶妙な配置は卓越したセンスを感じさせるのだが……

 

「年頃の女の子、というのは皆こうなんですかね?」

「そんなわけないでしょ。私は無駄が嫌いなの」

「……おお運命の神よ、今私の幻想が守られた事に感謝いたします」

「……これから殺そうとしてる神に祈ってどうすんのよ?あんたの言う事は今イチ解らないわ」

 

 学院長室での宣誓のあと、彼らは様々な取り決めを交わした。

 今トモが女子寮にいるのもその一つである。

 着の身着のまま連れてこられた彼に、ここでの生活拠点などあろうはずも無い。

 それゆえ彼がルイズの部屋に居候する事は当然の成り行きと言える。

 ……本人が望んでいるかどうかはともかく、だが。

 

「はぁ……困りましたね」

「何でそんなに嫌がるのよ?別に鞭で打つとかは……しない、わよ」

「その間について問い詰めたい所ですが、別に嫌な訳じゃないんですよ。ただ……」

「ただ?」

「男女七歳にして同衾せず、ってのが故郷の風習でして。

 兄弟姉妹でもない限り、年頃の男女が同居することは有り得ないんです」

 

 最近はそうでもないようですけどね、と語るトモ。随分慎み深い国なのね、と納得するルイズ。

 一見すると穏やかな談笑。しかし会話が進むにつれ、段々雲行きが怪しくなって来る。

 

「じゃあ、もう一度確認するわよ。貴方は私が魔法学院を卒業するまで使い魔の振りをする。

 その間の滞在費その他の諸費用は全額私が負担する」

「そうですね、その通りです」

「使い魔の役割のうち、視界の共有は契約してないから問題外。

 秘薬の原料は種類が解らないから不可能」

「まあ、生まれが違いますし」

「最後の主人を守る、これも現状では弱っちくて駄目。……結局、何にも出来ないのね貴方」

「新米の駆け出し冒険者に何をお求めで?

 そもそも修行の為に旅立とうとした所を捕まえておいて、その言い草は無いと思いますよ?」

「そのくせ口だけは妙に達者なのよね。

 先生方もあっさり丸め込んじゃうし、冒険者より詐欺師の方が性に合ってるんじゃないの?」

「……あの方々が単純なんじゃないですかね? あと詐欺師云々は余計なお世話です」

 

 最早お互いに機嫌の悪さを隠そうともしていない。

 真綿で首を絞めるが如きの遠回しな嫌みの応酬、第三者が居れば胃を痛めそうな空気を打破したのは、やはり第三者であった。

 いがみ合う二人の耳に飛び込むノックの音。家主であるルイズが不機嫌に「開いてるわよ」と扉の向こうに声をかける。恐る恐ると言った体で入って来たのは黒髪黒瞳のメイドであった。

 その手にはパンが詰め込まれているバスケット、夕食を食べ損ねていたトモがオスマンに頼んでおいたものだ。

 

「失礼します。お夜食をお持ち致しました。

 もう竈の火も落ちていたので、余り物のパンで申し訳ないのですが……」

「え?……そう言えば頼んでいたわね。誰かさんの所為で夕食に行けなかったからお腹ペコペコよ」

「それは私じゃなくてあの方々に言うべきだと思いますよ? 私も喰いっぱぐれたんですから」

 

 再び始まりかけた嫌み合戦。しかしそれはあるものを目にした瞬間、雲散霧消した。

 

「あ……あの……」

「……止めましょう。メイドさんが困っています」

「……そうね。いい加減お腹も空いたし」

 

 そこに居たのは涙目でおろおろするメイドの姿。

 何となく置いていかれた子犬のような雰囲気があった。

 

「ふむ、犬耳とか似合いそうですね」

「え?」

「首輪も捨て難いと思うわ」

「え、えぇ?」

 

 さっきまで険悪だった二人が突然意気投合する様を見せられ、メイドは混乱する。

 どうやら自分を評価しているらしいが、その内容が意味不明。

 さっきとは別の意味でおろおろしているメイドに歩み寄り、トモはバスケットを受け取る。

 

「ありがとうございます。私はヤナギダ・トモと申しますが、貴女のお名前は?」

「えっ、あ、はい、私はシエスタと申します」

「ではミス・シエスタ。わざわざ届けて下さってありがとうございました」

「あっ、そんな、ミスだなんて付けて下さらなくて結構です! 気軽にシエスタとお呼びください!」

「解りましたシエスタさん」

「で、では、失礼致します!」

 

 ぱたぱたと遠ざかっていく後ろ姿を見送り、扉を閉めるトモ。

 そんな彼にルイズは胡乱な目を向ける。

 

「……なんか警戒されていましたね」

「……目を付けられたとでも思ったんじゃないの?」

「目を付ける?何の事ですか?」

「さっきのメイドに名前聞いていたじゃない」

「人に何かをしてもらったらまずお礼をしなさい、と言うのが故郷の風習でしてね」

「またそれ? 貴方の故郷ってどんな所なのかしら……」

「極東の島国で日本って言う所です。四季が美しい事と変わった風習が多い事で知られた国ですよ」

「ニホン……ロバ・アル・カリイエにはそんな国があるのね」

「その事なんですが……」

 

 突然改まるトモの態度。目を白黒させるルイズに、彼は信じ難いことを告げる。

 

「私はそのロバ・アル・カリイエとやらの出身じゃありません。

 ……いえ、このハルケギニアを含む世界の出身じゃ無いんです」

「は? どういう事?」

 

 切っ掛けはコルベールとの会話に出てきた国名だった。

 アルビオンとガリアは彼の世界において最も有名な大国の古い呼び名である。しかし両国ともその名を失い、今となっては知ってる方が少ないはずだった。当初は時間を遡りでもしたのかと考えたらしいが、夜になった瞬間にそれは否定された。

 窓から見える満天の星空、そこに輝く二つの月によって。

 

「私の世界では月は一つしかありません。その上、あなた方は冒険者を知らなかった」

 

 煌煌と光を放つ二つの月を見上げながら、トモは語る。

 冒険者とその神話は老若男女国家民族種属の関係無く広く知られていた。だからこそ『冒険者』という肩書きがもつ影響力は大きいのだ。

 少なくとも冒険者を知らない人間はトモの世界には居ない筈だった。

 

「荒唐無稽な話ですが、ここ……ハルケギニアは地球ではないどこかの星、若しくは平行世界ではないかと思うのです」

「信じられないわね。違う世界? 何なのよそれ。法螺話にも程があるわよ?」

「普通はそうなりますよね。ですが異世界云々は置いておくにしても、私がハルケギニアの常識に疎いことに変わりはありません」

「……最初っからそう言えば良いのよ。まあ、常識うんぬんは東方の出身と言う事で誤摩化せるでしょうけれど……」

 

 ご迷惑をお掛けします、と頭を下げてくるトモを見ながら、ルイズが今後の事を考える。

 とは言っても、何も知らないのは彼女とて同様なのだ。

 まずは彼が何が出来るのかを知らなければ対策だって取れない。

 

「ねえ、冒険者って何が出来るの?」

 

 ルイズの疑問に少し考えるトモ。何処まで話していいのかを吟味しているのだろう。

 

「ええと、全部は教えられませんよ?冒険者だけの秘密もありますから」

「いいわ。話せる事だけ話してちょうだい」

「解りました。……そうですね、まずは冒険者最大の特徴である『レベル』から説明しましょう」

 

 

 

***

 

 

 

 神が冒険者に与えた力は大きく分けて三つ。

 このうち、冒険者を冒険者足らしめているのが『レベル』である。

 冒険者は能力や技能を数値化して把握する。この数値を『レベル(以下Lv)』と呼ぶ。

 経験を積む事でLvは上がり、様々な恩恵を得る。

 Lvにもさまざまな種類があり、それぞれ得られる恩恵が違う。

 

 まず基本的な能力を表すステータスと呼ばれる各種能力。

 

 肉体的な力の強さや耐久力を表す『体力』。

 頭の回転や記憶力を表す『知力』。

 五感や勘の鋭さを表す『感覚』。

 素早さを表す『敏捷』。

 手先や身体の器用さを表す『器用』。

 他人を引きつける魅力を表す『魅力』。

 精神的な強さを表す『精神』。

 そして運の良さを表す『幸運』。

 

 その他に生命力を表すヒットポイント(HP)、精神力を表すマインドポイント(MP)、持久力を表すスタミナポイント(SP)がある。

 そして冒険者には成長の限界がない。鍛えれば鍛えるほど際限なく成長していくのだ。

 

 それは能力だけでなく技能に置いても同様である。それが『クラス』と『スキル』だ。

 クラスは冒険者が『何が出来るのか』を示す数値だ。そしてスキルとは『何が得意なのか』を表す数値であり、スキルLvの合計がクラスLvになる。

 クラスは四つの系統に分かれており、それぞれに得意とする分野が違う。

 

 肉弾戦を得意とするウォーリア系。

 主なクラスはファイター(戦士)、アーチャー(弓兵)、シーフ(盗賊)など。

 

 魔法を得意とするスペルマスター系。

 主なクラスはキャスター(魔術師)、シャーマン(巫術師)、ヒーラー(治癒術師)など。

 

 武具や道具の作成を得意とするマイスター系。

 主なクラスはアルケミスト(錬金術師)、ブラックスミス(鍛治師)、エンジニア(機工士)など。

 

 あまり冒険に関係はないが、あると便利な一般技能系。

 主なクラスはハンター(猟師)、ファーマー(農夫)、シェフ(調理師)など。

 

 ちなみに常人なら2Lvでプロ、3Lvで達人と呼ばれる。

 噂によればLv100に至った冒険者さえ居たと言うから驚きだ。

 

 そうしてLvを伸ばして成長するに従い、冒険者の能力は常人と掛け離れていく。当然、常人の使う武器や道具では間に合わなくなる。

 それをカバーするのがもう一つの力、いやシステムである『神器』であった。

 お金や貴金属、宝石など『価値があると認められるもの』を運命神に捧げ、それに見合う価値の道具を得るシステム。そうして得られた『神器』は決して壊れたり朽ちたりせず、中には所有者に絶大な力を与えるものも存在する。

 半面『神器』は冒険者以外には効果が無く、更には特定のLvやクラスでないと使えないものもあるので注意が必要だ。

 

 こう言った能力を駆使して、冒険者はいつか神に挑む為に研鑽を続けるのだ。

 

 

 

***

 

 

 

「……何よそれ、反則じゃないの」

 

 トモの話を聞いたルイズの反応は今ひとつであった。

 話のスケールは大きいものの、それらは冒険者でなければ実感出来ないものばかり。

 それは胡散臭く感じるのも当たり前だろう。

 

「レベルアップも相当だけど、神器は完全にインチキじゃない。

 そもそも自分を殺そうとしてくる人間にそんなものくれるなんて、何考えてるのその神様」

「運命神が何考えてるかなんて、卑俗な人間には理解出来ませんよ。

 私たちはいつか神を殺す、それだけですから」

 

 シエスタが持って来た夜食のパンを貪りながらルイズは愚痴をこぼし、トモはのらりくらりとそれを躱す。先に根を上げたのはルイズの方であった。

 

「もういいわ。とりあえず、明日から貴方は私の使い魔ね」

「正確には使い魔の真似事ですがね」

「嘘でも何でも良いのよ。魔法に成功したって事実さえあれば」

「何やら事情がありそうですが、もうそろそろ寝ないと明日がきついのでは?」

 

 言われてルイズも気付いた。もう既に夜半を過ぎている。

 ただでさえ朝が弱い彼女にとって、夜更かしは危険な行為だ。ネグリジェに着替えようとブラウスを脱ぎ、スリップに手をやった所でルイズはトモがこちらに背を向けていることに気が付いた。

 

「……何やってんのよ」

「いえ、いきなり着替え出したんで驚いただけです。最近の娘さんは慎みに欠ける、とは聞いていましたが、まさか男の目の前で着替えようとする程とは思いませんでしたから」

 

 ぐっ、と詰まるルイズ。

 別に使用人如きに気を遣う事もないが、慎みを持ち出されては言い返せない。後で下着の洗濯を命じるつもりであったが、こう言われては頼みにくかった。

 何とかして切り口を見つけようとする彼女に、トモは追い討ちをかける。

 

「あ、朝ご飯は何処で食べれば良いんですか?」

「え、それはアルウィーズの食堂で……」

「いやいや、推測するにそこは貴族専用ではないですか? 私は貴族じゃありませんし、下手に周囲の注目を浴びれば私の正体もバレかねませんよ?」

「そう言えばそうね、じゃあ厨房に行って何か分けてもらいなさい。私の名前を出せば分けてもらえると思うわ……っ!?」

 

 言ってしまってから、ルイズはまた一つ手札を失った事に気付いた。

 何と言う事だ。由緒あるヴァリエール公爵家のこの私が、さっきからこの男の口車に乗せられっぱなしではないか! 必死になって打開策を捻るルイズに、トモはまたしても爆弾を投げ付ける。

 

「ああ、それと洗濯物は普段誰に頼んでるんですか? メイドさんに言えば良いんですかね?

 何と言ってもプロですし、私がやるより確実でしょう」

「ぐっ……、その籠に放り込んでおけば掃除の時に持っていくわ。わざわざ頼まなくても大丈夫よ」

「成程。まあ汚れ物を面と向かって渡すのは恥ずかしいものですし、そう考えると良く出来たシステムですねコレ」

 

 互いのメリットを指し示しつつ矛先を躱し、躱した先に被害が及ばないように釘を指すと言う高度な交渉術に、ルイズは翻弄されっ放しだ。

 

(まあ、確かにコイツにやらせるよりメイドにやらせた方が確実だし……)

 

 渋々自身を納得させるルイズ。せめてもの反撃に毛布を投げ付けて「アンタは床で寝なさい」と言い放つと、そのまま夢の世界に旅立つのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 学院の雑用を一手に引き受けるメイド達の朝は早い。

 夜も明けたばかりの早朝、シエスタは山のような洗濯物を抱えて洗い場に急ぐ。

 

「……あら?」

 

 洗い場には先客が居た。

 正確には洗い場の傍で、誰かが何かを振り回していた。

 長身の男である。黒いチュニックのような服に藍染めのズボンを合わせた姿に、シエスタは見覚えがある。確か昨晩女子寮に夜食を届けに行ったとき、名前を尋ねて来た男だ。

 

 女子寮は基本男子禁制ではあるが、青い春に情熱を燃やす若人には関係ない。

 夜這いに逢い引きは当たり前、ある時などは部屋から漏れ聞こえる嬌声に顔を火照らせながら職務を果たした事さえある。

 だからあの男もそう言った間男の一人だと思ったのだが……どうやら違うらしい。

 

「ふっ! はっ! せいっ!」

 

 貴族は杖を振れども剣を振るったりはしない。

 衛士が好んで使うレイピアタイプの杖も、魔法との併用を念頭に置いた使い方をするのだ。

 しかし男が振るう棒切れはそう言った剣技とは明らかに一線を画していた。

 手にした棒切れは名匠に鍛えられた業物、振るわれるは必殺の斬撃。

 袈裟に払われたかと思えば刺突に、かと思いきや横薙ぎに変わったと見るや逆袈裟に。

 剣技に詳しくないシエスタでさえも魅了する、ふつくしい業であった。

 

 そして男は素振りを止め、左の腰だめに剣を構える。

 柄を握らず添えられた右手、体幹を捻り右半身を前に迫り出した異様な体勢。

 見慣れぬ構えのまま細く吐き出される吐息。それが途切れた次の瞬間、呼吸が爆発する。

 

 引き絞られた弓から放たれる矢の如き一閃。

 

 横薙ぎに振るわれたそれがそこに居ない筈の敵を一刀両断にするのを、シエスタは確かに見た。

 油断無く残心を払い、振り抜いた剣を正眼に戻して───男はそこで呼吸を戻す。

 張りつめられた何かが雲散霧消したのを感じ、シエスタは思わずへたり込んでしまった。

 その音に気付いたのだろう。男……トモはこちらに振り返り、へたり込んだシエスタを見るとほんの少しだけ苦笑いのようなものを浮かべた。

 

「おや、貴女は……確か、シエスタさん、でしたね。いつから見ていたんですか?」

「え? あ、いえ、ついさっきからです。すいません、お邪魔でしたか?」

「いえいえ、こちらこそつまらないものをお見せしました」

 

 その答えにシエスタは驚く。

 アレがつまらないものならば、一体何がつまるものだと言うのだろう?

 

「そんなことは……、それよりも剣士の方だったんですね! 私てっきり……」

「……何と勘違いしていたのかは敢えて聞きませんが、私は剣士ではないですよ?」

 

 剣士ではない? あれだけの剣技を持ちながら、剣士ではないと言うのか!?

 シエスタの顔に浮かんだ疑問を読んだトモは少しだけ考え込んだ後、名乗りを上げた。

 

「私はサムライ(侍)。サムライのヤナギダ・トモです」

 

 聞き慣れぬ異国の言葉だと言うのに、何故かシエスタの郷愁をくすぐるその名乗りに、彼女は小首を傾げる。

 

「さむらい、ですか?」

「ええ、カタナと言う特殊な剣に精通した、義に厚く忠を尊ぶ戦士の事です。こちらで言う騎士のようなものですね」

「え、騎士様だったんですか!?」

「いや、例えれば、ですよ。私はシエスタさんと同じ平民です」

「え……でも、昨日………」

 

 ミス・ヴァリエールのお部屋に居たじゃないですか、と聞きかけたシエスタだが、ある事を思い出して口を噤む。

 あの『ゼロ』が平民を召喚したらしい、と言う噂は使用人の間でも迅速に広まっていた。

 彼女も多分に漏れず、ゴシップ好きな同僚から聞かされている。

 『ゼロ』と言うのは確か昨晩、夜食を届けた先であるルイズの二つ名だった筈だ。

 

「あ、じゃあミス・ヴァリエールに召喚された平民の使い魔って、貴方だったんですか!?」

「ええ、そうなりますね」

 

 噂の人物を目の前にして、シエスタがまず思ったのは『思ったよりショボい』であった。

 

 噂話に尾ひれが付くのは何処の世界も変わらない。

 最初は正確だった情報も、人の口を介する内に段々歪んでいくものだ。

 『平民を呼び出した』が『平民の傭兵を呼び出した』に変わるのは序の口。

 色々付けられた尾ひれは、シエスタの元に辿り着く頃にはこうなっていた。

 

『絶世の美男子で凄腕のメイジ殺しの平民が、呼び出したメイジを半殺しにして学院中の教師を相手取った挙げ句、あと一歩の所で力尽きて取り押さえられた』

 

 最早原形を留めていない。

 

 しかし本人は上背こそあるものの顔立ちは平凡、もやしのような華奢な体つきは荒事に向いていなさそうで、メイジ殺しどころではない。

 そこまで考えが進んだ処で、シエスタは先程の鍛錬を思い出してその考えを否定する。

 あの見事な殺陣を見せた男が只者である筈が無い。実際にサムライという戦士がどのようなものかは知らないが、きっと凄い人々なのだろう。

 やや強引に結論を導いたシエスタを余所に、トモは傍に引っ掛けてあったボロ切れで汗を拭いながら「朝食はいつ始まりますか?」と尋ねた。

 

「あ、はい、もう間もなくだと思いますが」

「そうですか、ではそろそろご主人様を起こさねばなりませんね」

 

 そう言って踵を返すトモだったが、途中で歩みを止めて振り返り、大声でシエスタに呼び掛けた。

 

「あぁ、忘れてました。すいませんが、あとで食事を分けていただけますか?」

「……食事を、ですか?」

「はい、ご主人様から厨房で分けてもらえと言われてまして」

「あ、そうですね、判りました! 賄いで良ければいつでもいらして下さい!」

 

 ありがとうございます、と言い残して今度こそ去って行くトモ。

 その後ろ姿を見送りながら、シエスタは(不思議な人だなぁ)と思わずにはいられなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 所変わってルイズの寮室。

 大きな寝台で惰眠を貪るルイズの枕元に、昨日までは無かった奇妙なものが置かれていた。

 円形の胴体に数字を刻み、その中心に長さの違う二本の針が縫い付けられてくるくる回るようになっており、天辺には大きなベルが取り付けられている。今、長い針が『12』と書かれた所を指し示す。途端にベルがけたたましく鳴り始めた。

 

「ふぎゃっ!! 何、何事!?」

 

 その大音声にルイズが飛び起きる。

 それと同時に帰って来たトモが真直ぐベルを鳴らす物体に歩み寄ってその頭を叩く。

 ビタリと止まるベルの音。それを確認すると、トモはルイズに向かって優雅に朝の挨拶を贈った。

 

「お目覚めですがご主人様。もうすぐ朝食の時間ですよ」

「え、アナタ誰……って、昨日召喚したのよね私が。うん、覚えてる」

「それは重畳。では、私は席を外しておりますので、お支度をお願い致します」

 

 慇懃無礼の見本の如きわざとらしさで一礼すると再び部屋を出て行くトモ。

 一人残されたルイズは、着替えの手伝いをさせるチャンスを失った事に気付いて臍を噛んだ。

 

 一方、部屋を退出したトモは扉を背にして仁王立ちする。

 そうしていると不意に隣の部屋の扉が開き、中から燃えるような髪の艶かしい女性が現れた。

 

「あら? 確かそこはヴァリエールの部屋だったと思うけど、貴方は誰?」

「……人に名を尋ねる時は自分から明かすのが礼儀ですよ、お嬢さん」

 

 昨日から繰り返している主張をもう一度繰り返すトモ。

 それを聞いた女性は軽く目を見開いた後、笑いながら自らの名を告げる。

 

「あら失礼。私はキュルケ、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。二つ名は『微熱』よ」

 

そう言うと、女性───キュルケはチェシャ猫の如き微笑を浮かべるのであった。

 

 

 

 

 

 

取得アイテム

 

・目覚まし時計:バッドステータス『睡眠(※1)』を回復する。

・粗末な木刀:手作りの木刀。レンジ密着〜近距離、物理ダメージに1d6を加算する。

       判定時にファンブルすると破損する(ファンブル値に+3)。重量:1

 

所持金:16,200円

 

 

 




(※1):睡眠状態になったエネミーもしくはPCはイニシアチブフェイズで行動済み状態になる。
この効果を解くためにはメインフェイズで精神抵抗判定に成功するか、専用の回復アイテムかスキルを使用しなければならない。


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第三話 勧誘(なかま)

「あら失礼。私はキュルケ、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。二つ名は『微熱』よ」

 

 そう言ってチェシャ猫の笑みを浮かべる女性(キュルケ)

 男なら誰でも釘付けになりそうな蠱惑的な微笑みにも拘らず、トモは何事も無かったかのように居住まいを正して一礼を送り、堂々と名乗り上げる。

 

「初めまして。私はヤナギダ・トモと申します。

 先日よりこの部屋の主、ミス・ヴァリエールの使い魔を務めております」

「え?……じゃああの子、本当に平民を召喚したのね。うふふっ、面白くなって来たわ」

 

 不吉な事を言いながらほくそ笑むキュルケに、トモは若干引きながら釘を刺す。

 

「お手柔らかにお願いしますね。主人はどうも精神面が弱いようですので」

「あら? からかわないで、じゃないのね」

「素直に私の言葉を聞き入れて下さるのならそれでも良かったのでしょうが、どうも一筋縄とはいかない方とお見受けしますので」

「うふふ、よく解ったわね。その通りよ」

 

 スラスラと出てくるキュルケの人物評に当の本人が相づちを打つ。

 丁度そのときトモの背後の扉が開き、学院の制服に着替えたルイズが顔を出す。そしてキュルケの顔を見るなり、爽やかな朝に相応しくない苦々しい表情を浮かべた。

 

「待たせたわねって、ツェルプストー!?」

「朝から随分なご挨拶ね、ヴァリエール。貴女の使い魔はまともな挨拶をしてくれたわよ?」

 

 キュルケの台詞を聞いたルイズは所々引き攣った笑顔を浮かべ、トモに迫る。

 

「ど、ど、どういうことかしら、釈明があるなら聞くわよ?」

「どうもこうも、普通に挨拶しただけですよ? 人として当然の礼儀だと思いますが」

 

 その言葉にキュルケは微笑を浮かべて何度も頷く。対するルイズはぐうの音も出ない。

 『人として当然の礼儀』と持ち出されては否定出来よう筈が無い、貴族云々以前に人間の器が小さい事を晒す事になってしまう。

 たった一言で反撃の機会を潰す恐るべき話術に、昨晩から翻弄されっ放しのルイズは内心の焦りを隠して鷹揚に頷いてみせた。

 

「そ、そうね。私の使い魔ならその程度の礼儀はあってしかるべきだわ」

「お誉めに与り恐悦至極。ではそろそろ参りましょうご主人様、朝食の時間に遅れてしまいます。

 よろしければミス・ツェルプストーもご一緒にいかがですか?」

「な、な、何言ってるのかしらこの使い魔は! よりによってツェルプストーと一緒ですって!?」

「良いも悪いも、目的地は同じでしょうに。察するにミス・ツェルプストーとご主人様は何かしらの確執があるようですが、それは朝食を取り損ねる程重要なものなのですか?」

「ぬぐぐ……!」

 

 ああ言えばこう言う。実にやりづらいことこの上ないが、言われれば確かに食事をすっぽかす程重大な事ではない。空腹のまま授業を受けると言う苦行はルイズとて願い下げだ。

 葛藤を押し殺してルイズはキュルケに向かい、殊更慇懃無礼な態度で頭を下げる。

 

「先程は失礼致しましたわミス・ツェルプストー。そろそろ時間ですし、一緒に参りませんこと?」

「あら奇遇ですわねミス・ヴァリエール。私も丁度そのように思っていた所ですわ」

 

 おほほうふふと張り付いた笑顔で心にも無いお世辞を交わす二人に、トモは呆れて行動を促す。

 

「……お二方、お時間はよろしいので?」

 

 そう言えば随分時間が経ってしまっている。

 これ以上睨み合っていたら本当に朝食を逃すことになるだろう。

 

「そうね、とりあえず続きは食後で良いかしらツェルプストー?」

「異論は無いわね。じゃあ行きましょうかヴァリエール?」

「いってらっしゃいませ」

 

 食堂に向かいかけた二人を見送るトモ。それに気付いたルイズは怪訝な顔をする。

 

「いってらっしゃいって、貴方はどうするの?」

「昨日申し上げた通り、厨房で賄いでも分けて頂くことにします」

「貴方の分くらい用意させるわよ?」

「いえ、出過ぎた真似をして主人の顔に泥を塗っては使い魔の恥ですので」

 

 あくまで主を立てながら、自身の特殊な事情を匂わせつつ自らが譲歩する形でルイズの干渉を断ち切る言い回し。食事の許可は昨日出しているので主に逆らった訳ではないし、実際施しを与えるのは学園の使用人達なので彼女が関わる余地はない。

 これで使い魔を縛り得るカードがまた一枚手札から消えてしまった。

 その上天敵たるツェルプストーが証人である。今更命令を取り消す訳にもいかない。

 

(本当にコイツ冒険者なのかしら? 詐欺師じゃなくて?)

 

 この絶妙なタイミングも狙ったものなのだろう。ルイズは諸手を上げて降参せざるを得なかった。

 

「……じゃあ食事が終わったらこの部屋で待機して。次の授業には使い魔同伴が必須だから」

「了解しました。ではいってらっしゃいませご主人様」

 

 深々と頭を下げる使い魔の見送りを受け、今度こそ二人はアルウィーズの食堂へ向かう。

 

「そう言えば、貴女何を使い魔にしたの?」

「そうそう、聞いてよルイズ! 何と火竜山脈のサラマンダーを引き当てたのよ!」

「へぇ、そう言えば貴女『火』のメイジだったわね。それに引き換え私は……はぁ……」

「あら、貴女の使い魔だって『当たり』でしょう? あんな機転の効く使い魔なんて居ないわよ?」

「……手、出したらただじゃおかないわよ?」

 

 きゃいきゃいと雑談を交わしながら遠ざかる後ろ姿が見えなくなった頃、トモも朝食を確保するべく厨房へ向うのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 ルイズの後に着いて教室に足を踏み入れた途端、トモは驚嘆する。

 

「これは凄い、ここに居る全部が昨日呼び出された『使い魔』ですか!」

 

 トモの目前に広がる珍獣奇獣の大サーカス。主らしき生徒の椅子に留まる烏や足下で毛づくろいをする猫はまだしも、六本足の蜥蜴や宙に浮く目玉、下半身が蛸の異形に至るまで。

 女帝宜しく周囲に男子生徒を侍らせたキュルケの足下では、尾の先端に火を点したサラマンダーが眠りこけている。古今東西ありとあらゆる幻獣が大学の講義室のような教室を埋め尽くしていた。

 

「いやはや眼福眼福。よもやバグベアーやスキュラまでこの目に出来るとは!」

「貴方の故郷にはバグベアーとか居ないの?」

「バグベアーは良質の武器の原料になるんです。乱獲された所為で滅多にお目には掛かれませんね」

「……狩っちゃ駄目よ?」

「加工スキルは持ってませんから大丈夫です」

 

 じゃあスキルがあったら狩っていたのかしら? そんな不安を覚えたルイズは「狩り禁止!」と念押しして空いている席に座る。当然のように隣に座るトモを少しだけ険しい表情で見るが、結局諦めて正面を向く。丁度そのとき、ふくよかな体型の中年女性が教壇に現れた。

 教室を埋め尽くす珍獣達を見回し、上機嫌で講義の開始を告げる。

 

「皆さん、無事に使い魔召喚を成功させたようですわね。このシュヴルーズ、毎年この時期がとても楽しみなのですよ」

 

 そう言ってもう一度教室を見回すシュヴルーズ。ふと、その視線がルイズとトモに向けられた。

 

「ミス・ヴァリエール、学院長からお話しは窺っています。ええと、ミスタ・ヤナギーダでしたね?

 初めまして、『赤土』のシュヴルーズと申します」

 

 シュヴルーズの言葉に教室内の視線が二人に集まる。それをものともせず、トモは立ち上がって見事な答礼を返した。

 

「初めまして。私はヤナギダ・トモ、ヤナギダが家名でトモが名前になります。

 極東は日本国、こちらで言うロバ・アル・カリイエよりミス・ヴァリエールの招聘を受け、先日より使い魔を務めさせて頂いております」

 

 トリステインのマナーとは違うものの、礼節を感じさせる名乗りであった。

 この一連の流れに生徒達は呆気に取られた。からかいの言葉を用意していた小太りの少年に至っては、口を開けた状態で固まっている始末だ。

 

(ふぅん、これを狙っていた訳ね)

 

 この一連の流れ、実はトモが発案した結果である。

 昨晩、学院長室で話し合った際に彼が要求したのは

 

『トモがロバ・アル・カリイエ出身であると口裏を合わせる』

『ルイズの使い魔になることを了承する代わりにトモの身分を保障する』

『それらを学院の全教師に伝えておく』

 

 の三つ。

 東方の出身であるならハルケギニアの常識に疎くとも仕方が無い。しかも平民とは言え使い魔で主は国内最大の大貴族たるヴァリエール、その上オールド・オスマンの保証付き。

 これでは余計なちょっかいも出せまい。

 身を守りつつ、自分の立ち位置を保ち、その上ある程度の自由すら獲得する。まさに一石三鳥の計画だった。

 

(コイツやっぱり詐欺師だわ……)

 

 まんまと目論見通りになったことに脅威を感じつつも、ルイズはそんな感想を抱くのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 バラバラに吹き飛んだ教卓、割れた窓ガラス、煤けた石壁。

 滅茶苦茶になった教室を、ルイズとトモは無言で片付けていた。

 痛い程の沈黙。最初に口を開いたのはルイズだった。

 

「……可笑しいでしょう? 魔法が使えないのに貴族だなんて。

 どんな魔法も爆発させる、だから『ゼロ』。成功確率『ゼロ』のルイズってわけ」

 

 そう、この惨状を引き起こしたのはルイズの魔法だった。

 ルイズの魔法は爆発する。彼女を指名したシュヴルーズはそれを知らなかった。その結果、爆発に巻き込まれた彼女はルイズに罰として教室の片付けを命じて失神したのである。

 

「昔からそうだった。どんなに努力しても、どんなに頑張っても、系統魔法どころかコモンマジックさえ使えない。ルーンはそらで唱えられる位勉強したわ。魔法の杖だって何本も使い潰すくらい練習した。……それでも、駄目だった」

 

 俯きながら、絞り出すように弱音を吐くルイズ。その姿からは普段の気の強さが失われていた。

 

「お父様もお母様も凄いメイジだし、エレオノール姉様はアカデミーの研究員をしているわ。

 ちぃ姉様はお体が弱いけれど、魔法に関しては天才なの。……家族の中で私だけ、私だけが使えない。本当に……嫌になるわ」

 

 それは独白と言う名の悲鳴だった。トリステイン有数の大貴族の家に生まれながら魔法が使えなかったルイズは、ずっとその矛盾に苦しんでいたのだ。

 

「……貴方が召喚されたとき、本当に嬉しかった。やっと魔法が使えたんだ、もう『ゼロ』なんかじゃないんだ、って。呼ばれたのが人間だったなんて、思いもしなかったけれど」

 

 そこまで言うと、ルイズは手を止めてトモに向き直る。

 彼もまた手を止め、ルイズの視線を受け止めた。

 

「使い魔になることを望まないものを召喚したのは、魔法が使えないくせに貴族を名乗る私に下された始祖の天罰なのかも知れないわね。──────笑えるでしょう? 私は結局、貴族にもメイジにもなれずに周りに迷惑を掛けるだけの落ちこぼれなんだもの」

 

 血の気の引いた握り拳。ルイズの小さな両手が真っ白になるほど力が込められたそれを見て、彼は少しだけ考え込み、突然おとぎ話のように語り始めた。

 

「昔々、ある所に一人の男が住んでいました」

 

 唐突に語り始めたトモに胡乱な目を向けるルイズ。それに構わず、彼の話は続く。

 

「男は青い正義感と理想に燃えてとある街の自警団に志願しました。

 しかし彼はそこで理想を裏切る現実を見てしまいました」

 

 自警団とは裁判権を持たない衛士のようなもので、衛士の足りない街や村の有志によって運営されている。その性質上、大半が平民の志願者で構成されているので、そう言う事もあるだろう。

 けれど理想を裏切る現実とは何だろう? 首を傾げるルイズに、トモは衝撃的な事実を明かす。

 

「自警団は犯罪者達から賄賂を受け取り、それを見逃していたのです」

 

 それを聞いたルイズが憤る。憎むべき犯罪者と手を組むなんて、平民には誇りは無いのか、と。

 

「男はその現実を知り、苦悩しました。過ちを正そうと足掻き、その度にへし折られ……やがて男はその矛盾から目を逸らすようになったのです。

 自警団が守るべき住民達、けれどそれを脅かす犯罪者もまたその街の住人。

 みんなやっている事だから、自分もやる。そう考える様になってしまったのです」

 

 ルイズの怒りはもはや頂点に達していた。

 しかしその一方で、彼女はどこかその男に共感していた。

 

 どんなに頑張ろうが、終わる事の無い徒労はやがて毒のようにその身を蝕む。

 そしていつかはへし折られる。その男のように……今のルイズのように。

 

 けれどトモの語りは止まらない。ほんの少しだけ力を込めて、彼はとある男の人生を語り続ける。

 まるでへし折れたルイズの心を鼓舞するように。

 

「ある日、男は街の片隅に設置されたゴミ箱を漁る自警団員に出会いました。何をしているのかと問う男に、自警団員はとある犯罪の証拠を探しているのだと答えます。その証拠があれば犯人を捕まえる事が出来るかもしれない、だから町中のゴミ箱を探しているのだと言う自警団員に、男は尋ねました」

 

『この街全てのゴミ箱を探しても、その証拠が見つからなかったらどうするんだ?』

 

 それはルイズにとっても胸の痛む質問であろう。

 どれだけ頑張っても結果が得られない、それどころか全ての努力が徒労に終わる無力感。

 それは正に彼女が置かれた状況そのものだったのだから。

 

 だからこそ、その台詞に続く言葉はルイズの胸に響いたのだ。

 

「その問い掛けに、自警団員はこう答えました」

 

『そうだな…わたしは『結果』だけを求めてはいない。 『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ。近道した時真実を見失うかもしれない。やる気も次第に失せていく。大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。 向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう? 向かっているわけだからな……違うかい?』

 

 ルイズの目が大きく見開かれる。

 

 そう、『魔法を使う』と言う『結果』だけを追い求めたのはルイズも同じなのだ。

 そして『結果』だけを追い求めた挙げ句、彼女の心はへし折られたのではなかっただろうか?

 

 何かに目覚めつつあるルイズに頷きつつ、トモは語りを再開する。

 

「その自警団員の言葉を聞き、男は自分が『理想』と言う『結果』を求めるあまり、『向かおうとする意志』を失っていた事に気付いたのです。……後に男は心から尊敬するべき人物と出会い、仲間達と共に巨悪に立ち向かって命を落とします。けれどその『意志』は彼の仲間達に受け継がれ、悪を倒す原動力となったのでした」

 

 そこでトモは一旦語るのを止め、ルイズに向き直る。

 彼女も伏せていた顔を上げ、彼に向かい合う。

 

「冒険者も同じです。『神を倒す』と言う目標ばかりを見ていては前に進むことなど出来ません。

 前を行くものに焦り、目標の遠さに心が挫ければそれで終わり。けれど後ろを振り返って遅れたものを見下していては目標に達することは有り得ません。大事なのは前に進むこと、ほんの一歩、周りがどんなに早く歩こうが構わずに自分の一歩を確実に踏み出していけば、いつか目標に辿り着ける。自分が駄目でも、いつか誰かが果たしてくれると信じて一歩ずつ、決して歩みを止めない。

 ……大切なのは、そこですから」

 

 それだけを言い切ると、トモは再び掃除に戻った。

 ルイズも黙って片付けに戻り、教室は再び沈黙に満たされる。

 

 黙々と流れる時間。永遠に続くかと思われた沈黙を破ったのはルイズの言葉だった。

 

「……それが、冒険者の生き方?」

 

 不意に投げ掛けられた質問に、トモは手を休めないまま答える。

 

「生き方と言うか、諦めない為のコツとでも言いましょうか、そんなものです。

 ……諦めない限り、運命は変えられる。それが冒険者と言う生き物ですから」

 

 それは何と言う激しい人生なのだろうか。

 報われる保障すらないにも拘らず、ひたすら前に向かって進む生き様。

 これが──────冒険者、なのか。

 

「……嫌になった事は無いの? 諦めたくなった事は?」

 

 我ながら意地が悪い質問だな、と思いつつもルイズは問わずにいられない。

 けれどそれに対し、トモは驚くほど簡単に答えた。

 

「そんなの、幾らでもありますよ」

 

 えっ、と思わず漏らした驚きの声。

 意外なものを聞いた、と言うルイズの反応にちらりと視線を送り、トモは言葉を重ねる。

 

「私達を聖人君子か何かだと思いましたか? 生憎と私達も人間ですので」

 

 人間だから気弱になる事もあるし、何もかも投げ出したくなる時もある。

 けれどそこで踏みとどまるか否かで冒険者と一般人の道が別れるのだと言う。

 

「……そうですね、私も冒険者になるまでは随分掛かりました。もう止めよう、なんて思ったのだって一度や二度じゃありません。だけどその度に思い返すのですよ、先刻の言葉を」

 

 『大切なのは前に向かう意志』。

 その言葉を思い返す度、彼は挫けそうな心を奮い立たせて前を向く。

 そこに横たわる苦難の海に、一筋の光る道を見出す為に。

 

「大丈夫です。私でさえ歩いて来た道ですから、ご主人も出来ます。私が保障しますよ。

 ……まずは目の前の瓦礫から片付けないといけませんね」

 

 戯けたようにそう言って、教卓だったものを教室の外に運び出すトモ。

 その後ろ姿を見送って、ルイズはほんの少しだけ微笑みを浮かべた。

 

「……お節介な男ね。本当に、その通りだわ」

 

 再び教室が無言に満たされるが、それはほんの少しだけ温かいようにも感じられた。

 

 

 

***

 

 

 

 教室を片付け終えたのは昼食の直前であった。アルヴィーズの食堂へ向かうルイズと分かれ、厨房を訪れたトモはシエスタの姿を探すが見つからない。どうやら配膳に出ているらしい。

 

「すいませんマルトーさん。賄いを分けて頂きにまいりました」

「おう、使い魔の兄ちゃんか! すまねぇな、今ちょっと手が離せないんで待っててくれ!」

 

 トモは大人しく厨房の邪魔にならなさそうな所に引っ込み、一段落するのを待つ事にする。

 配膳の盆にずらりと並んだデザートらしきケーキをぼんやり眺めていると、マルトーがシチューの盛られた深皿を持って現れた。

 

「よう、待たせたな! ……なんだ兄ちゃん、覇気が無いぜ?」

「ええ、ちょっとご主人のことで悩んでましてね。マルトーさんはご主人のことをご存知ですか?」

「確かヴァリエールの三女様、だよな? 貴族様なのに魔法が使えないとか何とか……」

「どうやらそれを酷く気に病んでいるようでしてね。どうやって慰めようかと考えていたんですよ」

「……まあ、こればっかりは平民じゃあなあ……」

「それもありますが、何分あの年頃の娘さんが苦手でして。正直、どうすれば良いのか見当もつかないんですよ」

「なんか、嫁入り前の娘を持つ親父みたいな悩みだな」

「生憎独り身ですよ。……ん? 何だかホールの方が騒がしいようですが」

 

 食事をしながらたわいもない会話をしていたトモの耳に、昼時のざわめきとは違う音が入ってくる。様子を見に行ったマルトーだったが、すぐに青い顔で戻って来た。

 

「大変だ! シエスタが貴族に絡まれてる!」

「何ですって!」

 

 慌てて飛び出したトモが目にしたのは、何やら大声で喚き立てる金髪の男子生徒と、涙目になって頭を下げるシエスタであった。

 

「何をしているんですが! か弱い女性を泣かせるなんて、紳士失格でしょう!」

「……何だね君は。良いから退きたまえ、僕は今このメイドに礼儀の何たるかを教育しているんだ」

「いいんです、私なんかを庇ったらトモさん、貴方まで……!」

 

 生徒とシエスタの間に割って入り、仲裁を試みるトモ。だが男子生徒は眼中に無いかのように追い払う仕草を見せ、シエスタはトモの腕を掴んで押しとどめようとする。

 

「状況が分かりませんね、何があったんですか?」

「なんだ、事情を知らないのに出しゃばって来たのか? なら教えて上げよう、感謝したまえ」

 

 気障ったらしい仕草で髪を跳ね上げ、男子生徒──ギーシュと言うらしい──の説明が始まった。

 

 過剰な装飾や余計な表現を取り払って纏めよう。

 

 ことの発端はギーシュが落とした香水の小壜をシエスタが拾って渡そうとしたことであった。

 しかし彼は受け取りを拒否。けれど落としたのは確実なので暫く問答していると、その香水がモンモランシーなる女生徒の作であると誰かが看破する。

 騒ぎが大きくなる中、一年のケティなる女生徒が現れてギーシュを非難。

 何でも先日遠乗りに出掛けた仲らしいが、件の香水の作者と二股を掛けられていたらしい。

 鮮やかな平手を送って涙目で去るケティと入れ替わりに、今度は当のモンモランシーが登場。

 ギーシュの頭からワインを浴びせ、絶縁を言い渡して去っていったと言う。

 その後何を思ったのかギーシュがシエスタを詰り始めた。

 最初にとぼけた時に素直に引っ込んでいれば二人のレディの名誉は傷つかなかったと、とんでもない言い掛りをつけたのだ。突然のことに涙目になりながら頭を下げるシエスタになおも言い募ろうとした処で、トモが仲裁に入ったのだった。

 

「と、言う訳なのさ。分かったら下がりたまえ給仕君」

 

 気障なポーズを決めつつ世迷い言を吐くギーシュを捨て置き、トモはシエスタに確認を取る。

 

「彼の言うことは本当ですか? だとしてもシエスタさんには全く非が無いようですが」

「……はい、本当です。でも、貴族様に逆らったりしたら最悪無礼討ちで殺されてしまったりするんです。どんなに理不尽であっても、逆らいさえしなければ命だけは助かるんです。だから……」

 

 唇を噛み締め、俯くシエスタ。スカートを握りしめる拳が震えているのを見たトモは、やおらシエスタの肩を掴んで顔を上げさせた。先程から背後で「僕を無視するんじゃない!」と五月蝿いギーシュを意図的に無視して、彼はシエスタに問い掛ける。

 

「それで、いいんですか? それが、貴女の本心なんですか?

 ……貴女はそれで、本当に納得出来るんですか?」

 

 それは問いただすと言うより言い聞かせるような、不思議に耳に残る言葉だった。シエスタの黒い目にたちまち涙があふれる。自分が泣いていることすら気付かないまま、シエスタは思いの丈を吐き出した。

 

「だったらどうすればいいんですか!? 魔法が使えない、たったそれだけで平民は生死すら握られてしまうんです! たとえそれが全くの逆恨みだったとしても、平民には逆らうことすら許されません!! 無力な私に、一体何が出来るって言うんですか!!!!」

 

 彼女の激白に、野次馬達が鼻白む。

 平民が、平民風情が貴族に楯突くのか。何様のつもりだ!

 そこかしこから注がれる視線に、シエスタは自分が何を口走ったのかを悟り、さあっと青褪める。

 真っ暗な未来を思い浮かべ、足がガクガク震える彼女を目の当たりにしながらも、トモはなお言葉を重ねて行く。

 

「……シエスタさん、貴女は正しい」

 

 シエスタの両肩を掴み、正面から語り掛けるトモ。

 再びあの耳に残る不思議な旋律で紡がれる言葉が、徐々に彼女の頭に染み込んで行く。

 

「貴女はただ職務を果たしただけです。なのに貴女は無実の罪を押し付けられて、膝を屈してしまいました。それは貴女に力が無かったから。

 ……貴女が『運命を切り開く』だけの力を持っていなかったから」

 

 シエスタの心に染み込んでいくそれは、鼓舞。

 

「諦めは人を殺します。何も生まず、何も為さず、ただただ与えられた運命に従うだけの生ける死人となって人生を徒に失ってゆく」

 

 理不尽な仕打ちへの怒りが。女性を辱めた不義への義憤が。己の正義を貫かんとする不屈が。

 

「貴女が諦めることを諦めるのなら、押し付けられた運命に立ち向かう勇気があるのなら」

 

 貴族への恐怖で無理矢理心の隅に追いやられた様々なものが、トモの言葉に目を覚ます。

 

「私は貴女に与えましょう。

 ──────『運命を切り開く力』を!!」

 

 今、新たな戦士がハルケギニアで産声を上げようとしていた。

 

 

 



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第四話 反抗(せんせんふこく)

 トリステイン魔法学院の二年生、ギーシュ・ド・グラモンは『土』系統のメイジである。

 二つ名は『青銅』。その名の通り彼は青銅を操ることに関しては天才的で、青銅製のゴーレムを一度に七体も操ることが出来る。ことゴーレムに置いては二年生随一と言えるだろう。

 だが裏を返せばギーシュはそれだけが取り柄のメイジでしかないのだ。

 ドット、ライン、トライアングル、スクエアに分けられるメイジのランクにおいて、彼は最下級のドットである。そして未だにランクはドットのままで成長していない。

 

「いつまで僕を無視しているつもりだ! いい加減にしないとただでは済ませないぞ!!」

 

 ギーシュは四人兄弟の末っ子である。厳格な父を持つものの、母と兄達から溺愛されて育った彼の根底には未だ幼い子供のような『甘え』がこびり付いていた。

 ストレスに弱く、些細なことで癇癪を起こす、魔法と言う危険物を持った子供。

 

 目の前で訳の分からない会話を交わす二人を怒鳴りつけるギーシュ。

 その姿はまさに幼い子供そのものだった。

 

 

 

***

 

 

 

「私は貴女に与えましょう。

 ──────『運命を切り開く力』を!!」

 

 トモの言葉に、シエスタの目が揺れる。

 そこに宿る光は疑問のようでもあり、動揺のようでもあり、儚い期待のようにも思えた。

 

「力……ですか? それは一体……?」

「その力を得られるかどうかは貴女次第です。逆境に身を晒しても諦めない人間でなければ、『運命を切り開く』事は出来ないのですから」

 

 運命を切り開く。随分な大言壮語だが、それが出来るのは一部の人間だけだ。

 そう、それこそ『伝説の勇者』でもなければ不可能だろう。

 

「もしも貴女がこのまま運命に流されることを選ぶなら、私の助力はここまでです。そして再び理不尽な貴族の怒りにも逆らわず、運命に流されるように生きる日常が始まるのでしょうね」

 

 ああ、それがいい。それでいい。

 貴族様に目を付けられても、殺されるよりはマシだ。

 

(……本当に?)

 

「ですが運命に流されることを良しとしないで立ち向かう決意を抱くのであれば、私は貴女に『新たな道』を示しましょう」

 

 やめてくれ。

 しがない平民に過ぎない私に、そんな大それた決意なんか出来る訳が無いだろう?

 

(……本当に、それでいいの?)

 

「その道は険しく、道程も長い。

 踏破出来た人間は一人もおらず、何処まで続いているのかさえ分からない」

 

 なんだそれは。そんな危ないものに私を誘わないでくれ。

 私はただ安穏に生きていたいだけだ。

 

(……本当は、もう分かっているんでしょう?)

 

「その道を選ぶなら最初の道案内は務めましょう。

 ですがその決断を下すのは貴女でなければなりません」

 

 やめろ、やめてくれ、そんな道を指し示さないでくれ。

 

 だって、このままでは──────

 

「だって人生は、貴女自身の取り分なんですから」

 

 その眩しく輝く道に、

 

((──────踏み入りたくて、うずうずしているんだから!))

 

 シエスタの瞳に炎が踊る。それに気付いたものは居ない。

 ……いや、たった一人だけ、それを見届けた人間が居た。

 

「……私の人生は私の取り分。そうおっしゃいましたね?」

 

 内心の葛藤を制し、シエスタは頭一つ高いトモを見上げてそう尋ねる。

 そして彼は、彼女の言葉を肯定した。

 

「そうです。それを元手にどんな賭けに打って出ようが、それは自由です。勝てば億万長者、負ければ尻の毛まで毟られて素寒貧。ただ一つだけ言えるのは、それは決して貯金出来ずに目減りしていくものだ、って事だけですかね」

「成程、それは大変ですね」

 

 世間話のように気安い会話。されど、そこに込められた意味は重い。

 

「ああ、それともう一つありました」

「何でしょう?」

「賭けに負けたツケを他人に押し付けてはいけない、ですね」

「それはまた何とも素敵なお話しですわ。……では行って参ります」

 

 それは何より重たい決断。だが彼女に後悔は無い。

 

「宣戦布告ですね。精々派手に行きましょうか」

「ええ、精々派手に行きましょう」

 

 頷き合うと、二人はようやくそこに目を向けた。視線の先には怒りで顔を真っ赤に染めた気障男、ギーシュが居る。シエスタは先程までの怯えが嘘のように軽々と、そして堂々と歩み寄り、スカートの裾を摘んで一礼。

 

「……ごめんあそばせ!!」

「ぷべっ!?」

 

 そして彼女の豹変に戸惑うギーシュに、目の覚めるような平手を叩き付けた。

 

「な、何をするだァ──────ッ!!」

「あら失礼。何分下賎な平民の身の上でして、貴族樣方の作法は良く存じませんので」

 

 蒸気を吹き出さんばかりに怒り心頭のギーシュに、慇懃な態度でいなすシエスタ。

 余りにも急展開過ぎて置いてけぼりの野次馬を余所に、二人は次の演目に差し掛かっていた。

 

「し、し、使用人の分際で、よくもこの僕を平手打ちにしたな! もう許さんッ!!」

「生憎手袋の持ち合わせがないもので、平手で代用してみたのですが。お気に召しませんでしたか?」

「お気に召すも何も……って、手袋の代わり!? 正気か君は!?」

 

 更に言い募ろうとしたギーシュが、彼女の言葉の意味を悟って愕然となった。

 見れば周囲の野次馬の中にもそれを理解したものが居るらしく、あちらこちらでざわめいている。

 

「正気も正気、本気も本気ですとも。私ことトリステイン魔法学院の使用人シエスタは、『青銅』のギーシュに決闘を申し込みます!」

 

 シエスタの宣言を聞き、ざわめきは増々広がっていく。「あのメイド、頭大丈夫か?」、「可哀想に、余りの恐怖で精神を……」等と言う呟きも混ざり始める。

 

「い、いや、幾ら平民とは言え、女性に手を挙げるのはグラモンの男としては………」

「おや、お逃げになると? 武家の名門たるグラモン家のお方が、たかが平民のメイドに挑まれた程度でお逃げになるのですか?」

「何だとッ!! ……いいだろう、その決闘を受けようじゃないか!

 ヴェストリの広場に来るがいい! 君に貴族への礼儀を叩き込んでやろう!!」

 

 シエスタの挑発にあっさり引っ掛かかったギーシュが踵を返す。

 友人らしき生徒達が諌めようとするが、彼は聞く耳も持たずに食堂から歩み去った。

 その姿を見送ったシエスタとトモに、血相を変えたルイズが駆け寄る。

 途中からではあったが一部始終を見ていた彼女は、これを引き起こした元凶に詰め寄った。

 

「何考えてるの! け、決闘なんて……しかもメイドに!」

「ふむ、これでも一応勝算はあるんですがね。とりあえずシエスタさん、人目の付かなさそうな場所をご存知ありませんか?」

「はい?」

 

 唐突に振られた話にシエスタが面食らう。その質問の意味を取り違えたルイズが爆発した。

 

「あ、あンた! まさかこの子を手込めにするつもり!?」

「いいえ、『冒険者』関係なので人に見られたくないんです」

「……ボウケンシャ? 何ですそれ?」

 

 初めて耳にする言葉に眉を顰めるシエスタ。

 方やその意味を知るルイズは盛大に衝撃を受けていた。

 

「ち、ちょっと! それってどういう……」

「申し訳ありませんが時間が余りありません。あ、それとシエスタさん、お金か貴金属みたいな『価値のあるもの』をお持ちでしたら持って来て下さい」

「え? ええ、持ってますが……何に使うんです?」

「説明してる暇がありません。今はとにかく動きましょう」

 

 そう言うが早いか、トモはシエスタを連れて食堂を出る。慌てて後を追うルイズ。

 残された生徒達もまた唐突に開催されたイベントに騒然となりながらも、好奇心と野次馬根性の赴くままヴェストリの広場を目指すのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 トリステイン魔法学院の学院長とは多忙を極める役職である。

 故にオスマンと秘書のロングビルは昼食を学院長室で摂るのが慣例になっていた。

 酷く焦燥したコルベールが学院長室の扉を壊す勢いで突入して来たのは、二人が遅めの昼食に手をつけようとした、まさにその時だった。

 

「おおおおおオールド・オスマン! ねねねねね眠りの鐘の使用許可を!」

「落ち着きたまえミスタ・コルベット。一体何事かね?」

「そそそそれどころではありません! いいい一刻も早くあれを止めなければ!」

 

 オスマンが名前を間違えたにも拘らずツッコミが入らない、それを見たオスマンとロングビルが思わず顔を見合わせる。

 コルベールがツッコミを忘れる程の異常事態。

 何かが起きていることを感じさせるには充分過ぎた。

 

「ミスタ・コルベール、いいから落ち着いて話したまえ。学院の秘宝を使うからにはそれなりの大義名分が必要なことぐらいは知っておるじゃろう?」

「これをどうぞ、ミスタ・コルベール。気を鎮めるには丁度良いと思いますわ」

 

 オスマンが居住まいを正し、ロングビルが昼食に付いていたワインを差し出す。

 

「じ、実はヴェストリの広場で決闘騒ぎが起こりまして、それを止める為に眠りの鐘を使わせて頂きたいのです!」

「何じゃ、また貴族の悪餓鬼共が騒いでおるのか。そんなもん秘宝を使うまでも無かろうに」

 

 差し出されたワインを一息で飲み干したコルベールから事情を聞いて呆れ返るオスマン。貴族同士の決闘は禁止されているものの、決闘の名を借りた子供の喧嘩なら日常茶飯事。だからこの反応も仕方が無い。

 しかしコルベールは首を振ると、信じ難い言葉を吐き出した。

 

「決闘を受けたのは二年生のギーシュ・ド・グラモン!

 ……そして決闘を申し込んだのは、学院のメイドです!」

「「えっ?」」

 

 間抜けな声を漏らし、思わず惚けるオスマンとロングビル。

 それはそうだろう、何処の世界に貴族に決闘を申し込むメイドが居ると言うのか!

 

「……冗談じゃ、ないのじゃな?」

「冗談じゃありません! 本当のことです!」

「な、何を考えているんですの、そのメイド! 自殺行為ですわ!」

「私にも分かりません! とにかく早く止めないと、彼女の命に関わります!」

 

 二股が発覚した挙げ句その責任をメイドに押し付けようとした男子生徒が、そのメイドに決闘を申し込まれた。経緯だけ聞けば何の喜劇だとしか思えない話だが、その結末はどう考えても悲劇しか浮かばない。

 

「しかしじゃ。この学院に勤めておるメイドならその辺りのことは弁えておる筈。何が彼女をそうさせたのじゃろうな?」

 

 オスマンの疑問も当然だろう。しかしコルベールの答えは彼の想像の斜め上を行った。

 

「そ、それが……昨日召喚された彼が『力を与える』とか何とか言ってそそのかしたらしいのです!」

「何じゃと!?」

 

 昨晩学院長室を訪れた異国の男。壮大な神話を語り、誰にも従わないと明言した彼がメイドを誑かしたと言う。しかしオスマンはその言い様に疑問を抱いた。

 

「待ちたまえコルベール君、彼は確かに『力を与える』と言ったのかね?」

「人伝なので正確ではないのですが、複数の証言もあったので本当ではないかと……」

 

 『力を与える』。彼らメイジにとって『力』とは魔法を指すが、平民のメイドに魔法は使えない。

 ならば『力』とは何だろうか? 平民でも使える『武器』? それとも何らかの『戦術』?

 ……否、昨晩ここに現れた彼は何と名乗っていただろうか。そう、確か……

 

「よもや『冒険者』の力を与える、とでも言うのか!?」

「馬鹿な、彼女は平民ですぞ!? 神に挑むなんて大それた真似が……」

「いいえ、神に挑むと言うのであれば、貴族に逆らうなんて大したことじゃありませんわ!」

 

 運命を切り開き神に挑む『冒険者』の力。それを与えられると言うのならば、メイドの態度にも納得は行く。オスマンは即座に壁に立て掛けられた『遠見の鏡』を起動させた。しかし映し出されたヴェストリの広場にはギーシュと野次馬の姿はあれど、肝心のメイド達の姿が無い。

 

「メイドの名は?」

「確か……シエスタだったかと」

「ふむ、タルブから来ていたメイドだったかな? それならば……」

 

 オスマンが杖を振ると鏡に映る情景が変わり、メイド達が寝泊まりする寮の一室が映し出される。

 鏡の向こうで件のメイドと昨晩の彼、そして彼を呼び出した女生徒が何かを相談しているようだ。

 と思った次の瞬間、メイドの手に銀色に光る何かが出現した。そしてその何かに小壜らしきものを押し付けると、今度は細長い何かが姿を現す。

 

「何じゃ今のは。どう見る、二人とも?」

「『練金』でしょうか? にしては、杖を振る様子が……」

「そもそも、ミス・ヴァリエールは魔法が使えません。当然『練金』もです」

 

 『練金』は土系統では最も初歩の魔法だ。物質を作り替え、質量すら自在に操る魔法だが、あの場にそれが使えるメイジは居ない筈だ。

 

「と、言うことはあれが『冒険者』の力なのか? 何とも地味な……」

「それどころじゃありませんオールド・オスマン! このままでは彼女が……!」

「うむ! ミス・ロングビル、すまんが眠りの鐘を準備しておいてくれ!

 モーソトグニルが続けて三回鳴いたら鳴らすんじゃ!」

「分かりましたわ! すぐ準備します!!」

 

 学院長の使い魔であるハツカネズミを肩に乗せ、ロングビルは大慌てで走り出す。

 残った二人が『遠見の鏡』に目を戻すのと、メイド達が広場に現れるのは同時であった。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、学院長室から出歯亀されているなど思いもよらないトモ達一行が訪れたのは、シエスタの寮室であった。四人部屋を同僚と共同で使っているが今は皆出払っていてもぬけの殻、人目につかないと言う点では格好の場所と言えた。

 

「さて、始めましょうか。ではシエスタさん、利き腕の掌を上に向けてもらえますか?」

「はい……こうですか?」

 

 ルイズが放つプレッシャーを背に、トモは差し出されたシエスタの掌に自分の手を重ねる。

 

「……これで準備は整いました。最後に確認しますが、本当にいいんですね?

 今ならまだ間に合いますよ?」

「はい、構いません。神に挑むと言うのはよく解りませんが、このまま流されるように生きるよりは上等でしょうから」

 

 ここに来る道すがら、トモは冒険者のことを大雑把に説明していた。

 その余りに壮大で途方も無い目的に驚くものの、シエスタは自分の選択を撤回しなかった。

 既に喧嘩は売ってしまったのだ。今更止めろと言われても止められないし、何よりも『運命を切り開く』というフレーズが彼女の心を捉えて放さない。流されるままに生きたこれまでのツケ、清算出来るのなら清算してやりたかった。

 

「その気持ちを忘れないで下さい。『諦めないこと』、それが冒険者の基本にして極意ですから。

 ……では私の後に続いて復唱して下さい。心の底から『冒険者になりたい』、『絶対諦めない』、あるいは『絶対に神様をぶん殴る』と強く念じながら」

 

 言われてシエスタは思い浮かべる。故郷の村で過ごした日々を、学院に奉公に出てからの日々を。

 ──────貴族に下げたくもない頭を下げ、己が良心を裏切り続けた日々を。

 

「大迷宮におわす運命神よ、我に運命を切り開く資格あらば、我を認め給え」

「だ、大迷宮におわす運命神よ、我に運命を切り開く資格あらば、我を認め給え!!」

 

 朗々と響くその言葉。ルーンの響きにも似た旋律ながら、そこに込められたのは全く異なる意志。

 シエスタとて敬虔なブリミル教徒だ。異端の恐ろしさは肌に染みている。けれど彼女は今、自らその異端に足を踏み入れた。

 

(私の人生を切り開けるのなら、始祖にだって喧嘩を売ります!! だから──────!!!)

 

「されば我、神に挑む冒険者なり!」

「されば我、神に挑む冒険者なり!!」

 

 世界に宣誓が果たされる。その瞬間トモとシエスタは、祝福の鐘の音を確かに聞き届けた。

 そしてトモが手を離すと、シエスタの掌には三本の剣を重ねた形の聖印が光っていた。

 

「これは……!」

「……まさか一回で成功するとは」

 

 突然現れた聖印に見入るシエスタに、トモの不吉な呟きが聞こえる。

 それは傍で見届けたルイズにも聞こえたらしい。

 

「何よそれ! 勝算があるとか言って、行き当たりばったりじゃないの!!」

「い、いや……この『冒険者の洗礼』って、普通は一回じゃ成功しないんです。私だって何十回も試してやっと成功したんですよ? それが一発で……複雑な気分ですよ。あんなに苦労した私の努力は何だったんでしょうね?」

「ええと、その……ご、御愁傷様です?」

 

 落ち込むトモにずれた慰めを掛けるシエスタ。微妙な空気が辺りを漂う。

 だがいつまでもこうしているわけにはいかない。トモは自らの頬を叩くと、気合いを入れ直して次のステップに進んだ。

 

「さて、それが運命神様の聖印です。三本の剣はそれぞれ運命と未来、そして神に挑むことを意味しているそうですよ。……では、次は神器を手に入れましょう。シエスタさん、『価値のあるもの』はどれ位持ってますか?」

 

 水を向けられたシエスタの顔が曇った。彼女は稼ぎの大半を故郷に送っている為、あまり現金の持ち合わせが無い。その様子にルイズも事情を察し、おずおずとシエスタに申し出る。

 

「その……お金が無いなら立て替えるわよ? 元はと言えば私の使い魔が悪いんだし」

「それは出来ません。あくまで神器を欲する本人が所有しているものと交換でないと」

「でもこの子、お金、持ってなさそうよ?」

「お金でなくてもいいんです。何らかの『価値がある』と認められるものであれば……」

 

 主従の会話、その内容にシエスタは一条の希望を見出した。

 

「あの、お金でなくてもいいんですよね? 一寸待って下さい」

 

 そう言ってシエスタは私物を入れてある棚をひっくり返し、一本の小壜を引っ張り出す。

 

「これ、学院から貰った最初のお給金で買った香水なんです。勿体無くてあんまり使ってないんですけれど、これでどうでしょうか?」

「どれどれ……ごめんシエスタ。これあんまりいい香水じゃないわよ? そんなにするとは……」

「いえ、たとえ安物でも本人が価値を認めているのであれば大丈夫です。……入手出来る神器はお値段相当のものになりますが」

 

 小壜の中身は少し前に平民の間で流行った香水だった。平民向けだけにお値段もそれなりで、シエスタでも何とか入手出来た代物である。目の肥えた貴族であるルイズからすれば安物にも程がある粗悪品だが、どうやらこれでも神器は得られるらしい。随分安っぽい奇跡であった。

 

「では何にしましょう? 武器、防具、アイテム……ここは無難に武器にしときますか?」

「まあ、勝つ為には武器は必要だし、それでいいんじゃないかしら?」

「そうですね。まあ、貴族様に喧嘩売って骨の一本二本程度で済めば儲け物ですし、だったら全身の骨を砕かれる前に貴族様を叩きのめせる武器が欲しいですね」

「……可愛い顔して割と過激なのね貴女。ちょっとぞくっと来たわよ」

 

 物騒なことを言い出すシエスタにルイズがドン引きする中、トモは神器の入手方法を説明する。

 とは言ってもそんなに難しいことではない。何が欲しいのかを思い浮かべながら神器に香水の小壜を押し付けるだけだ。

 

「武器が欲しいと念じながら小壜を聖印に触れさせて下さい。そうすれば貴女のクラスで使える香水と同じ価値の神器が現れる筈です」

「はい、分かりました! ……武器が欲しい武器が欲しい武器が欲しいあの気障野郎をお掃除出来る武器が欲しい……」

「怖っ! なんか凄い怖いわよ! ……って、え!?」

 

 トモのアドバイスに従い、ぶつぶつ呟きながら聖印に小壜を押し付けるシエスタにドン引きするルイズの目が驚愕に見開かれる。聖印に吸い込まれるように小壜が消えたのだ。

 その代わりに現れたのは……

 

「「「モップ……?」」」

 

 そう、そこにあったのは何の変哲も無いモップだった。新品らしく、染み一つない毛先をだらんとぶら下げ、モップはそこに立っていた。

 

「な……なんで、モップ……?」

「え、私これで戦うんですか? 冗談ですよね?」

 

 唖然とするルイズと狼狽するシエスタ。同じく呆然としていたトモがそれを見て我に返る。

 

「シエスタさん、ステータスを確認してもらえますか!?」

「え、ステータスって……どうするんですか?」

「聖印に触れてステータス確認って念じれば分かります! 至急確認して下さい!」

 

 トモの指示に従い、シエスタは聖印を祈るように両手で握り締めて念じる。

 するとじわっと滲み出るように脳裏に何かが浮かび上がった。

 

 

 

────────────────────────────────────────────

 

※シエスタ

 

種属/ヒューマン

 

種属特性

・弱者の意地:1

 

体力:4(+1)/知力:3/感覚:6(+1)/敏捷:3/

器用:6(+2、−1)/魅力:5/精神:4/幸運:14 ※()内は今回加算された補正値

 

HP:10/10 MP:10/10 SP:10/10 ※数値は現在値/最大値

 

EXP:17 所持金:20スゥ

 

保有クラスとスキル

・ハウスキーパー(※1):1

 ・清掃術(※2):1

・ハンター(※3):1

 ・解体術(※4):1

 

装備品

・メイド服(※5)/モップ(※6)/運命神の聖印

 

所持品

・なし

 

進行中クエスト

・ギーシュと決闘(期限:本日中)

 

────────────────────────────────────────────

 

 

 

「は……はは………あはは……」

「しっかり! しっかりしてシエスタ!」

「……これは酷い」

 

 シエスタのステータスは想像以上に酷かった。何しろ戦闘系の技能が全く無いのである。

 

 ハウスキーパー(家政婦)? 掃除や洗濯でどうやって戦うのだ。

 

 ハンター(狩人)? ギーシュを狩った後なら役に立つかも知れないが、決闘では役に立たない。

 

 与えられた神器がモップだった理由がよく解る。確かにメイドが使うならこれ以上に相応しいものは無いだろう。壊れたように虚ろに笑い続けるシエスタを揺さぶり、何とか現実に引き戻そうとするルイズ。ある意味修羅場だった。

 

「もういいんですミス・ヴァリエール。所詮平民の私には冒険者なんて大それた真似、最初っから無理だったんですよ。あはは……」

「なに言ってるの! 貴女さっき諦めないって誓ったばっかりじゃないの!

 諦めない限り何とかするのが冒険者なんでしょう!?」

「……そうですね。まだ手はあります」

 

 その言葉を聞いた二人の手が止まる。思わず向けた視線の先で、トモは力強く頷いた。

 

 

 

 

 

 




(※1)家事全般を得意とする一般技能系のクラス。器用に+Lvのボーナス補正を加える。
(※2)掃除をする為の技能。判定の達成値に+Lvを加える。
(※3)狩りの技術に精通した一般技能系のクラス。器用に+Lvのボーナス補正を加える。
(※4)獲物を加工する為の技能。判定の達成値に+Lvを加える。
(※5)文字通りただのメイド服。判定にファンブルすると破損する(ファンブル値に+1)。重量:0.5
(※6)清掃用具。レンジ近距離、物理ダメージ及び清掃の達成値に+1(貫通効果あり)。重量:1


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第五話 決闘(しつけ)

 ヴェストリの広場。

 トリステイン魔法学院の中庭に位置するそこは、生徒達の語らいの場であり、憩いの場でもある。

 しかし今、ここは熱狂と興奮、そして戸惑いが渦巻くるつぼと化していた。

 

 決闘と言う前時代的な、それでいてプライトをくすぐるイベントに熱狂するもの。

 逸る心を抑え、命を懸けた戦いを今か今かと興奮しながら待ち望むもの。

 そして最も多いのが─────ここに至る経緯に戸惑うもの、だった。

 

「……なあ、ギーシュに決闘を挑んだメイドって、お前知ってるか?」

「ああ。黒い髪のメイドだろ? 結構可愛かったな」

「でさ、どう思う? 正直な話、正気の沙汰とは思えないんだけれど……」

「まあな。決闘を挑んだメイドもそうだけど、受けたあいつも大概だよな」

「しかも理由が二股がバレたから、だってさ。意味分かんないよ」

「貴族に逆らうだけでもヤバいのに、決闘までって、本気かな?」

「──────おい、どうやら本気だったらしいぞ。あれを見ろ」

 

 下馬評に花を咲かせていた野次馬達が注目する中、件の挑戦者……黒髪のメイドが現れる。

 ……その手に一本のモップを携えて。

 

「……まさか、あれで戦うつもりじゃないだろうな?」

「そのまさか、みたいだぜ」

 

 顔を引きつらせたギーシュの指摘に、メイドは堂々とした態度で啖呵を切る。

 

「おいおい、随分勇ましいじゃないか。惚れそうだ」

「相手は平民だぞ? それにお前、一年の子を狙っていたろう?」

「……ああ、そうだよ。あのケティって一年生をな」

「……全面的に俺が悪かった」

 

 そして互いに名乗りを交わす。決闘前の礼儀だ。

 ギーシュの傲慢な名乗り上げに対し、慇懃に礼を尽くした名乗りを返すメイド。

 可憐な容姿と裏腹に、苛烈な闘志を漲らせる少女の気迫に空気が張りつめる。

 

「……良いな」

「ああ、良いなコレ。この緊張感は癖になりそうだ」

「違ぇよバカ。あのメイドのことだよ」

「ああ言うのがお前の好みなのか? 尻に敷かれそうだが」

「…………良いな」

「たった今、お前との友情を考え直したくなったよ」

 

 両者の放つ覇気に押され、野次馬のざわめきが小さくなっていく。

 やがて完全に静まり返った広場に一陣の風が吹き、

 

「骨の一本二本は覚悟してもらおう! 『ワルキューレ』っ!!」

「そんなものはとっくに覚悟の上です! 行きます!!」

 

 二人の決闘は開始された。

 

 

 

***

 

 

 

 ギーシュが造花の杖を振るう。薔薇を形作る七枚の花弁、その内の一枚がひらりと舞い落ちて鎧を纏った女戦士の姿を形作る。

 これぞギーシュの得意技、『ワルキューレ』であった。彼は最大で七体の『ワルキューレ』を操れる。尤も、この場に現れた『ワルキューレ』は一体だけ。

 

(メイドを叩きのめすには一体で充分過ぎるくらいだ!!)

 

 ギーシュの目算は間違いではない。事実、平民への無礼討ちにしてもゴーレムを持ち出すのはやり過ぎと言えるだろう。けれどそれは失策であった。少なくとも今のシエスタに対しては。

 

『ギーシュの得意技? 確か、悪趣味な形のゴーレムを使っていたと思うけど』

 

 事前にルイズからもたらされた情報そのままの、捻りの全く無い行動。何の警戒も無く、惰性で行ってしまった手順。それは大きな隙となってシエスタの前に曝け出される。

 決闘の先手(イニシアチブ)は彼女が取った。

 

「ええぇいっ!!!」

「何いっ!?」

 

 力任せに薙ぎ払われたモップの一撃は、けれど寸での所で『ワルキューレ』に弾かれた。青銅の塊たる『ワルキューレ』に弾かれてなお傷一つ無いモップの頑丈さに驚きながらも、ギーシュは目の前のメイドへの認識を改めた。

 

(成程、大言壮語にはそれなりの理由があったという訳か)

 

 魔法を使うには準備が必要だ。杖を振るう、ルーンを詠唱する、あるいはマジックアイテムを起動するなどの準備は、同時にメイジにとって最大の隙でもある。

 そこを突かれれば如何にメイジとて平民に倒されることもあろう。

 それがメイドの狙いだったのだ。

 

(多分、ルイズ辺りの入れ知恵だろうな)

 

 この様子だと他にも策が在るかも知れないとギーシュは気合いを入れ直す。

 それは同時にシエスタの付け込むべき隙が消え去ったことを意味していた。

 

 ギーシュの表情から油断が消える様を見て、シエスタは作戦が失敗したのを悟った。

 彼女にトモから示された作戦とは「とにかく先手を打て」、それだけである。

 所詮は平民と高をくくり、油断し切った相手なら初手を取るのは容易。逆に言えば、それ以外で彼女が優位に立てる部分は無いと言うことだ。

 

(しまったなぁ……、これじゃ『もう一つ』の方に賭けるしか無いじゃない!)

 

 目論見通り初手を取ったまではいいが、まさか防がれるとは思わなかった。どうせやるなら『ワルキューレ』を造り出される前に片をつけねばならなかったのだ。

 無論トモもそのつもりで策を授けている。だからこれはシエスタ自身の失敗であった。

 これで彼女は文字通り『運を天に委ねて』決闘に望まねばならなくなった。

 

 この手番(ターン)はお互いに悪手の指し合いとなっただけに終わる。

 

 そしてお互い仕切り直しの第二戦、先手(イニシアチブ)を取ったのはギーシュ。

 踊り掛かる『ワルキューレ』の攻撃をギリギリで躱し、シエスタはモップを槍のように携えてギーシュに突撃する。術者狙いのその攻撃は、けれどそれを予測していた彼によって阻まれた。

 

「そこだっ!!」

「えっ!?……きゃっ!!」

 

 攻撃すると見せかけたのは罠。そのまま一回転して叩き込まれた裏拳をどうにか避けた彼女に、ギーシュは容赦なく追撃を仕掛けた。

 風を切って振り回される青銅の拳のラッシュを紙一重で捌き続けるシエスタ。

 勝負は持久戦に持ち込まれた。

 

 

 

***

 

 

 

 大方の予想を裏切り、意外に善戦する彼女に野次馬達がざわめき出す。

 野次馬達が見たいのは『決闘』ではなく『貴族に楯突く平民が叩きのめされる姿』なのだ。

 平民がメイジに、貴族に勝てるなどとは思い付くことさえ出来ない彼らにとって、一連の戦闘は『シエスタが奮闘している』ではなく、『ギーシュが不甲斐無い』としか捉えられない。

 野次馬のフラストレーションは徐々に高まりつつあった。

 

 もう何度目になるかも判らない金属製のストレートパンチをモップで捌く。どこにでもありそうなモップの柄は、しかし幾度となく『ワルキューレ』の拳が直撃したと言うのに罅一つ無い。

 当然だ。見た目こそただのモップだが、これも立派な神器。運命の神によって『壊れない』と言う祝福を受けているのだから。

 だが素人同然の冒険者(シエスタ)が繰り出した突きは『ワルキューレ』の青銅の肌に弾かれる。

 相手は金属、しかもメイジに操られるゴーレムだ。通常の青銅よりは頑丈なのだろう。

 反撃に備えるシエスタ、その目の前で『ワルキューレ』が唐突に頽れる。何のつもりか、と訝しんだ次の瞬間、青銅の弾丸が彼女を襲った。

 陸上のクラウチングスタートのように『ワルキューレ』がしゃがみ込んで力を溜め、全身のバネを使って体当たりを敢行したのである。突然襲い掛かって来た大質量の弾丸を咄嗟にモップで受け止めるシエスタ。しかし体格に劣る彼女にそれを止める術は無い。

 そのまま跳ね飛ばされて地面に叩き付けられる。衝撃に肺が軋み、一瞬息が止まった。

 咳き込みながら立ち上がろうとするシエスタの目前に『ワルキューレ』が迫る。両手を組んで振り下ろされる鉄槌。何とかモップで受け止めたものの、追い討ちをかけるように何度も鉄槌が振り下ろされる。逃げ場が無い状況で繰り出される攻撃。ダメージが蓄積していくにつれ、モップを握る手が段々緩んでいく。

 

 このままではジリ貧になると踏み、シエスタは一か八かの賭けに出た。

 『ワルキューレ』が手を振りかざすタイミングに合わせて身体を真横に転がす。突然目標を見失った『ワルキューレ』がたたらを踏み、その隙に体勢を立て直そうとした彼女の腹に途轍も無く重たい衝撃が走る。寸前で彼女の目論みに気付いたギーシュが『ワルキューレ』の間接を無理矢理捩じ曲げ、蹴り飛ばしたのだ。ゴーレムだからこそ出来る荒技だった。

 容赦のない一撃であったが、シエスタは何とか堪え切った。

 とは言え、彼女の受けたダメージは深刻である。熱いものが胃を逆流する。耐え切れずに吐き出すと、吐瀉物に混じって赤いものが見えた。内蔵を傷付けたのだろう。

 それでも尚、諤々と震える足を叱咤してモップを杖に立ち上がるシエスタに、ギーシュは驚愕しながらも降伏を迫る。

 

「……も、もういいだろう? それ以上の抵抗は無意味だ、今すぐ詫びれば許してやる!!」

「…………何を今更。むしろ詫びてもらうのはこちらの方では?」

 

 口の周りを朱に染め、震える身体に鞭打って再びモップを構えるシエスタのことを、彼は理解出来なかった。痛くない筈が無い。死ぬのが怖くない筈も無い。なのにそれでも尚立ち向かってくる彼女が、そこまで貴族に逆らう理由が、ギーシュには理解出来なかったのだ。

 

「……どうして君はそこまでして貴族に楯突く? 何の意味があってこんなことをする!?」

「何を勘違いされているのか存じませんが、私は貴族様に逆らっている訳ではありませんよ?」

「馬鹿な! ここまでやっておいてそんな詭弁が……」

 

 ギーシュの問いに飄々と答えるシエスタ。

 その言葉に激昂しかけ、しかしギーシュは続く台詞に言葉を失った。

 

「私はただ、自分のお尻も拭けない生意気な子供を全力で躾けているだけですもの」

 

 満身創痍の姿とは対照的な晴れやかな笑み。そばかすの残る顔に似合いの可憐な表情にギーシュは一瞬だけ見惚れ、すぐに振り払う。

 あれは敵だ。それも彼が全く理解出来ない未知なる敵だ。ならば遠慮はいらない!

 

「そうか、あくまでも僕を侮辱するのか。……最早手加減無用、全力で君を裁いてやろう!」

「お気遣いは無用です! 私はとっくに手加減なんてしていませんから!!」

 

 啖呵と共に、シエスタはモップを構えて突撃する。力任せの素人戦法だ。余裕を持ってギーシュは『ワルキューレ』でモップを弾こうとする。

 そして『ワルキューレ』の拳は宙を切り、青銅のゴーレムが空を舞う。

 

「……は?」

 

 それを見たギーシュの目が点になる。

 野次馬達もまた、たった今目の前で起きた信じ難い出来事に唖然とせざるを得ない。

 そんな観客達を余所に事態はどんどん進んでいく。ボロボロになっていく『ワルキューレ』の姿に、ギーシュはそれが事実であることを知った。

 

 満身創痍の筈のメイドが歴戦の戦士のように鋭く動き、『ワルキューレ』を弾き飛ばしたという、冗談みたいな光景が。

 

 

 

***

 

 

 

 冒険者の『スキル』とは、冒険者が必要だと求める事で『目覚める』技能である。

 もちろん持っているだけで鍛えなければ宝の持ち腐れだが、全くのど素人であっても『目覚める』ことでそこそこには戦える程度にはなれるのだと、冒険者の先輩(トモ)は語った。

 

『わざと決闘を長引かせて、スキルの覚醒を待つ』

 

 冒険者を名乗る使い魔が示した、奇跡と偶然に頼った策とも呼べない零か全かの大博打。

 己の命を賭け金にした一世一代の大勝負に、シエスタは勝利したのだ。

 

「おぉおおおおぉおおおおっ!!!」

 

 シエスタが勇ましい雄叫びを上げ、目の霞む疾さで刺突を繰り出す。

 それは空中に放り出された『ワルキューレ』を少しずつ削り取り、

 

「はあぁあっ!!」

 

 仕上げとばかりに青銅のゴーレムを軽々と放り投げ、シエスタはモップを構えて突進する。

 

「おりゃぁああああああぁあぁああああああっ!!!!!」

 

 可憐な容姿に似合わぬ雄々しき雄叫びと共に突き立てられたモップは、青銅製の『ワルキューレ』を易々と貫いて呆然と立つギーシュの腕を強かに打ち据えた。

 

「ぐわっ!?」

 

 想外な剛力にて繰り出された一撃は、盾となった『ワルキューレ』のお陰で威力が半減してしても尚、杖を取り落とすには充分だった。

 彼が杖を手放すと同時に『ワルキューレ』の動きが止まる。慌てて杖に手を伸ばすも、横から伸びたモップが一瞬早くそれを弾き飛ばす。自身を覆う影に見上げてみれば、そこには『ワルキューレ』を貫いたモップを振りかざしたシエスタの姿があった。

 

(あ、死ぬ)

 

 青銅のゴーレムすら貫いたモップである。ギーシュの頭蓋骨程度なら素焼きの壷並みに容易く砕くに違いない。

 彼の脳裏に走馬灯が走る。兄達に可愛がられた幼少時代、父に憧れ魔法に励むもドットを越えられなかった少年時代、志を抱きながら学院の門を潜った新入生時代、そして……

 

(志? はて、僕は何を志していたんだろうか?)

 

 引き延ばされた時間の中、彼が思い浮かべたのはそんな疑問だった。

 だがその答えを得るよりも早くシエスタの右手が閃き──────ギーシュの頬を打った。

 

「はぶっ!?」

「悪い事をしたら、まず『ごめんなさい』でしょう?」

 

 呆然とするギーシュに向かい、子供を諭すように語るシエスタ。

 突然の事態に混乱した彼が黙り込んでいると、彼女はもう一度その手を閃かせた。

 

「ひぶっ!?」

「悪い事をしたら、まず『ごめんなさい』でしょう?」

 

 頬の痛みで涙目になったギーシュに対し、シエスタはあくまで冷静に問い詰める。

 その様にルイズは厳格だった母を思い出して震え上がった。

 

「へぶっ!?」

「悪い事をしたら、まず『ごめんなさい』でしょう?」

 

 未だ現実に戻ってこないギーシュに三度閃く平手打ち。

 その段になってやっと観客達も理解できた。

 彼女は、シエスタはギーシュを叱っているのだ、と。

 

 四度目の平手を喰らわせるべく振り上げられた右手を見て、ようやく現実へと帰還したギーシュは慌ててそれを遮った。

 

「分かった! 謝る! 謝るからもう止めてくれ!!」

「じゃあ自分の何が悪かったのか、誰に謝らなければいけないのか、きちんと言えますか?」

 

 振り上げられた手が下ろされるのを見て安堵したのも束の間、シエスタの言葉にぐっと詰まるギーシュ。貴族が平民に頭を下げるなど前代未聞、出来る訳が無い。

 しかし再び沈黙する彼に向かい平手が構えられると、安いプライドは呆気なく崩壊した。

 

「君に八つ当たりした僕が悪いんだ! こう言えばいいんだぶびゃっ!?」

「……全然理解出来てないじゃないですか」

 

 渋々口にした反省は平手に遮られた。

 返す手の甲で反対の頬を打ち据え、もう一度平手を打ち付ける。所謂往復ビンタを喰らったギーシュは訳が分からず呆然とする。己の非を認めて謝罪したではないか。何故、更に責められねばならないのか、と。

 だがその疑問は、続くシエスタの台詞にガラガラと崩れ去った。

 

「貴方が謝るべきは私じゃなくて、貴方が泣かせた二人のレディです。あの方達が貴方に寄せた好意を、貴方は最低の行為で裏切った。その上、自分の非を認めず他人に責任転嫁した」

 

 頬を押さえて目を見開くギーシュを見据え、シエスタは断罪の言葉を吐いた。

 

「貴方は男として最低の不義理を働いたんです!」

 

 男として最低。その言葉はギーシュの自尊心にひびを入れるに充分だった。

 グラモンの男は代々女性を大切にする。だがそれは決して女性を弄ぶことではない。『命を惜しむな、名を惜しめ』という家訓は体面を守れと言う意味ではなく、か弱い女性を守り抜く為に死ぬことこそ、グラモンの男にとって最大の名誉なのだと言う戒めなのだ。

 ギーシュはよりによって、その家訓に自ら泥を塗ったのである。

 

 絶句するギーシュに、シエスタは「ちゃんと謝って下さいね!」と念を押して踵を返した。

 その後ろ姿にハッと我に返り、ギーシュは慌てて引き止めようとする。

 

「どこへ行くんだ! まだ勝負はついていないぞ!」

「いいえ、既に決着はつきました。貴方の負けですよ、ギーシュ君」

 

 だがそれは第三者の横槍によって妨げられた。

 いつの間にかギーシュの傍に立っていた男……トモが決闘の終了を告げたのだ。

 

「ふざけるな! 僕はまだ戦える!!」

「貴族の決闘は杖を落とした方の負け。そうですよね、ご主人!」

「あっ、そうよ! ギーシュ、貴方とっくに杖を落としたじゃない、だから貴方の負けよ!」

 

 そうルイズに言われて初めて、ギーシュは杖を落としていたことに気付いた。

 あの時、シエスタの攻撃で杖を取り落とした時点で既に決着は着いていたのだ。にも拘らず彼は決闘を続行しようとした。もし杖を拾っていたのなら、彼は決闘の作法を穢す卑怯者の誹りを受けていたことだろう。結果としてギーシュはシエスタに誇りを守ってもらったのである。

 

「あ……ああっ! なんて事だ、僕は……僕は!!」

 

 己が何をしでかそうとしていたのかを知り愕然とするギーシュ。決闘の高揚も、自己への陶酔も、怒りの熱狂も冷め切った今だからこそ、その事実を冷静に受け入れられた。

 ルイズはその姿を痛ましく思う。ここまでやり込められれば最早貴族の体面すら保てまい。

 だが彼がここまで追い詰められたのは自業自得、二人の女生徒に真摯に接していれば、あるいはシエスタに責任を押し付けなければ、こうはならなかっただろう。だから彼女は彼を哀れに思うものの、彼に同情するつもりは全く無かった。

 ボロボロと涙を零しつつ己の行いを悔いるギーシュに、トモは無慈悲にも追い討ちをかける。

 

「いかがですか? 自分が信じたものの脆さを突きつけられた感想は?」

「ちょっ!」

「……君も僕を笑うのかい? 笑いたければ笑いたまえ。貴族の誇りを持ち出しながら、自分で誇りを傷付けた愚かな僕を」

 

 無慈悲な台詞にルイズは咎めようとすよりも、ギーシュが自嘲気味に答える方が早かった。

 決闘が始まる前までの自信に溢れた姿は何処にも無く、ひたすら己を卑下する小物と化した彼に、トモは溜め息を一つ吐いて語り始めた。

 

「……かつて、栄華を極めながら一敗地に塗れ、玉座から引きずり下ろされた王様が居ました。

 王様はかつての栄光を取り戻す為にとある国の皇帝に仕え、一軍の司令まで上り詰めました」

 

 突如始まったお伽話にキョトンとするルイズとギーシュ。そんな二人に構わずトモは語り続ける。

 

「しかし、王様は敗北します。再び王様に土を付けた敵に、王様は復讐を誓いました。

 幾人もの部下を送り込み、策略を練って罠を仕掛け、最後には卑怯にも闇討ちまで使いました。

 ……けれど、敵はそれら全てを乗り越えてしまったのです。そう、まるでお伽話の勇者のように」

 

 それを聞いた二人の脳裏にある存在が浮かび上がる。

 平民に伝わる伝説、『イーヴァルディの勇者』。その敵のあり方は正しく伝説の勇者そのものだった。ならば、それに立ち塞がる王様とは一体何者だろう?

 

「繰り返される戦いの中で武人の誇りを失った王様に向かい、敵の一人がこう言いました。

 『男の戦いには、勝ち負けより大事なものがある』。

 結局卑怯な手すら破れ、再び敗北してしまった王様はその言葉に酷く動揺しました。王様も分かっていたのです。王様はまた王様に戻りたかったのではなく、自分が敗北した敵に一矢報いたかっただけなんだと。──────地に落ちた自分の誇りを、取り戻したかっただけなんだと」

 

 その台詞にルイズとギーシュは見た。

 全身を朱に染め、悔し涙を払って再び立ち上がる武人の姿を。

 

「王様は全てを捨てました。栄光も名誉も身分も何もかも。全てを捨てた王様はひたすら自分を鍛えに鍛え、そして正々堂々最後の一戦を挑んだのです。

 ……そして王様は負けました。全てを捨てて尚勝てなかったにも拘らず、王様は満足していました。全身全霊を込めた戦いに臨めたことに、最後には敵にすら自分を認めさせたことに。

 ──────失った誇りを、取り戻せたことに」

 

 それは苛烈な生き様を誇った武人の伝説。

 目的を見失い誇りを傷付け、けれど最期には誇りを取り戻した男の生涯だった。

 お伽話を語り終えたトモは、ギーシュをピタリと見据える。

 その真摯な眼差しに、ギーシュは言葉を失った。

 

「……貴方はそこで何をしているんですか? 一度負けたくらいで、貴方の人生は終わったんですか? 間違えたのなら正しなさい。罪を犯したなら償いなさい。何が間違っていたのかは、もう分かっている筈です。誇りを失った王様がそうであったように、一敗地に塗れた今からこそが貴方の本当の人生なんですよ」

 

 その言葉は何よりも重くギーシュの魂に響いた。彼が失ったものはまだ取り返せる。けれどここで躊躇っていてはいつまで経っても取り返せないだろう。

 ギーシュは己の手に目をやる。そこに杖は無かった。

 戦いの最中にシエスタに弾かれ、少し離れた所に転がっていたた杖を拾い上げる。青銅の薔薇は花弁を二枚失っていたが、残った五枚はしっかりとくっ付いていた。

 

「…………重い、な。僕の杖がこんなに重いとは気付かなかったよ」

 

 暫く己の杖を眺めていたギーシュがぽつりと漏らす。けれどそこには一片の影も無かった。

 そのまま薔薇の造花を高く掲げる。そして観客達が見守る中、彼は杖を手放す。

 そして足下に落ちた杖にざわめく観客達に向かい、ギーシュは高らかに宣言した。

 

「……諸君! この決闘、僕の負けだ!」

 

 広場の隅々にまで届く、良く通る声。

 敗者にも拘らず、そこには敗北への悔恨も、勝者への怨恨も全く感じられない。

 

「そして僕は僕が傷付けた三人のレディに謝罪したい!!

 ──────ミス・ロッタ、ミス・モンモランシー、そしてミス・シエスタ。僕の不甲斐無さで傷付けたことに対し、心よりお詫び申し上げる!!」

 

 その宣言と共に頭を下げた彼に、ざわめきが一層大きくなる。貴族であるケティとモンモランシーはともかく、平民のシエスタにさえ謝罪したと言う前代未聞の出来事に野次馬達の度肝が抜かれたのだ。

 

「……君たちにも迷惑を掛けた。済まなかったな」

「え? い、いや、私たちは───」

「私たちは何もしていません。只あなた方の背中を押しただけです。それよりも……」

 

 慌てふためくルイズとは裏腹に、あくまで冷静なトモにギーシュは鷹揚に頷いてみせる。

 

「分かっているさ。三人のレディには改めて謝罪に……」

「納得がいくかぁっ!!」

 

 ギーシュの台詞を遮ったのは一人の男子生徒の叫び声だった。血走った目で観客から抜け出し、大股で歩み寄って来た生徒に呆気にとられるトモとルイズ。ギーシュはその生徒に見覚えがあった。確か同じ二年生で風のラインメイジ、ヴィリエ・ド・ロレーヌと言った筈だ。

 

「何事かねミスタ・ロレーヌ。見ての通り決着は着いている筈だが……?」

「引っ込んでいろ負け犬が! 貴族に楯突いた平民に頭を下げるなんて、正気か貴様!?」

 

 余りの言い草にギーシュとルイズの眉が跳ね上がる。言い返そうとしたルイズを押し止め、トモは一歩踏み出してヴィリエに相対した。

 

「何が不満なんですか? 当人同士で決着が着いた以上、第三者が出て来る理由は無い筈です」

「喧しい! ドットメイジ如きに勝った程度で平民風情が調子に乗るな!!」

「平民風情、ですか……。では、どうなさるおつもりで?」

 

 あくまで慇懃な態度を崩さないトモに、すっかり逆上したヴィリエが杖を突きつける。

 

「決まっているだろう! 貴族の矜持を傷付けたお前達を叩きのめしてやる!

 ──────決闘だ!!」

 

かくして当事者達の誰もが望まなかった第二幕が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────────────────

 

※シエスタ

 

種属/ヒューマン

 

体力:6(+2)/知力:3/感覚:6/敏捷:3/器用:6/魅力:5/精神:4/幸運:14

※()内は今回加算された補正値

 

HP:2/11(+1) MP:9/10 SP:10/10 ※数値は現在値/最大値

 

EXP:7 所持金:20スゥ

 

総合レベル:3

・ハウスキーパー:1

 ・清掃術:1

・ハンター:1

 ・解体術:1

・ファイター(※1):1

 ・連続攻撃(※2):1

 

装備品(アクセサリー)

・メイド服/モップ

 

所持品(アイテム)

・運命神の聖印

 

進行中クエスト

・ギーシュと決闘(期限:終了)

 

───────────────────────────────────────────

 

エネミーデータ

・『青銅』のギーシュ(Lv:1) 敏捷値:5/攻撃値:6/防御値:4 HP/MP:10/14

 土のドットメイジ。精神的に脆く、挑発に乗り易い。杖を手放すと戦闘不能になる。

 ・保有スキル:練金Lv1(※3)/ゴーレムLv2(※4)

 

・ワルキューレ(Lv:1) 敏捷値:1/攻撃値:6/防御値:5 HP/MP:20/ー

 ギーシュによって作り出されたゴーレム。ギーシュが杖を手放すと戦闘不能になる。

 

 

 

 

 

 




(※1)武器の扱いに長けたウォーリア系のクラス。能力値補正/体力
(※2)単一の目標に連続して攻撃出来る戦技。攻撃判定をLv回追加出来る。
(※3)土属性の物質一つを違う物質に変化させる『土』魔法。生物に対しては使えない。ギーシュが練金出来る金属は青銅までである。
(※4)ゴーレムを作り出して操作する『土』魔法。1ターンに1体生成可能。ギーシュは最大7体まで生成・操作が出来る。

※選択ルール:貫通(採用にはGMの許可が必要)
・槍や弓矢、銃などの貫通効果のある武器を使ってクリティカルした場合、クリティカルごとに同一レンジ内に隣接する1体を攻撃対象に追加する。この場合、与えるダメージは1体ごとにエネミーの防御値を引いた値になる。
例:防御値5の対象Aに貫通が発生し、隣接していた対象Bを攻撃対象に加えた場合、Aに与えたダメージが12点とすると、Bには12−5=7点のダメージが与えられることになる。

※選択ルール:プレイ中のスキル獲得(採用にはGMの許可が必要)
 ・PCが取得に充分なEXPを保持している場合に限り、1セッション中に1回だけプレイヤーは任意のタイミングでスキルを獲得出来る。但しこれは特例であり、予めGMに許可を得なければならない。


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第六話 恫喝(きょうはく)

「ふぅっ、寿命が縮んだぞい。何と心臓に悪い……」

「ええ、あのメイドが蹴り飛ばされたときなど、思わず止めたくなりましたからな」

 

『遠見の鏡』を通して決闘を見守っていたオスマンとコルベールは、詰めていた息をようやく吐き出した。鏡に映るヴェストリの広場ではギーシュが高らかに掲げた杖を落とし、敗北宣言を行っている。それを見た教師達は顔を綻ばせた。

 

「まあ、プライドの塊だった生徒を説得出来たことだけが幸いじゃの」

「そうですな。この敗北は彼の人生にきっと良い影響を与えてくれるでしょう。ですが……」

 

 そこまで言うとコルベールは苦渋の表情を浮かべながら絞り出した。

 

「……本当は私たちがその役目を担うべきでした。決闘などではなく、日々の授業で教え諭すべきでした。結局私たちは彼に憎まれ役を押し付けてしまった。何とも不甲斐無い話ですな」

「ミスタ・コルベール、それを言うなら儂も同罪じゃよ。魔法を教える以前に、儂らは『貴族』を教えねばならんかった。それは学院の教師全員に言えることじゃがな」

 

 溜め息を誤摩化すように水煙草の煙を吐くオスマン。その言葉にコルベールも深く頷く。

 だが二人の嘆きも仕方が無い。長年積み重なった歪みの所為で生徒は聞く耳を持たず、それを正す教師達すら勘違いしている現状では、到底教え導くどころではないのだから。

 

「貴族とは民の上に立ち、民を守り導くもの。決して民を虐げる存在ではなく、民と共にあってこそ貴族と呼べる。儂らはそれを教えられなんだ」

「ですが、このトリステインの、いやハルケギニアの貴族ではそれを変えることは出来なかったでしょう。内側から変えることが出来ないのなら、外側から変えていけばいい。彼がミス・ヴァリエールに呼ばれたのは始祖のお導きかもしれませんな」

 

 魔法の使えない大貴族の子女に、『冒険者』と言う未知の可能性を秘めた使い魔。

 ハルケギニアに相容れない、故にハルケギニアを変えうる二人の出会いは貴族に、引いてはハルケギニアに変革を齎してくれるだろう。それが自分達の手でなされなかった事に一抹の寂しさを覚えながら、何気なく『遠見の鏡』を見やったコルベールの目にとんでもないものが映る。

 

「ん? ……!、お、オールド・オスマン! あれを!!」

「………!?、何をやっておるんじゃ! 折角纏まりかけていたものを、馬鹿者が!!」

 

 二人の教師が向けた視線の先には、野次馬から抜け出して来た生徒がふんぞり返って、ルイズ達に杖を突きつけている姿が映し出されていた。

 

 

 

***

 

 

 

「決まっているだろう! 貴族の矜持を傷付けたお前達を叩きのめしてやる!

 ──────決闘だ!!」

 

 ヴィリエの宣言が静まり返ったヴェストリの広場に空しく響いた。

 決闘を申し込まれたルイズとギーシュは目を丸くさせ、トモは溜め息を吐いて空を仰ぐ。

 三人の反応が思ったより少ないのを見て、ヴィリエの堪忍袋の緒はあっさりと千切れる。

 

「何を惚けているんだ! 決闘だと言ったろう、早く杖を構えろ!!」

「「「……誰と?」」」

 

 だが精一杯の気迫を込めた台詞はあっさり流された。

 ギーシュは先刻走馬灯を見たばかりだし、ルイズはもっと恐ろしい人を知っている。

 トモに至っては冒険者だ。ヴィリエを怖れる道理が無い。

 それ故の気の抜け切った返事だったのだが、ヴィリエにはそれが虚勢に見えたらしい。

 

「決まっているだろう、お前達『全員』とだ! あのメイド共々まとめて片付けてやる!」

「「……はぁ!?」」

「随分余裕ですね。幾ら何でも一人では無理でしょうに」

 

 ルイズとギーシュはヴィリエの言い草に驚く。

 先刻ここを立ち去ったシエスタが重症なのは誰が見ても明らかだ。なのにこの男はそんな彼女に追い討ちをかける気満々なのだ。あまりの傍若無人ぶりに二人は呆れる他無い。

 一方、トモは冷静に戦力の違いを指摘した。メイジ二名に冒険者二名、たった一人で相手取るには荷が重い。いかに自信があろうとも、どちらが優勢かは一目瞭然。

 しかしヴィリエはそれらを一蹴する。

 

「ふん! 決闘でボロボロになった平民に貴族の体面を穢した弱虫、魔法の使えない無能に口ばっかり達者な平民! 何処に僕が負ける要素があるんだ?」

「なぁんですってぇ!?」

「ヴィリエ、貴様!!」

 

 その台詞にルイズとギーシュがいきり立つ。あれ程の戦いをその目にしながら、この男は結果しか見ていなかったのだ。その上直接関わりの無かったルイズまで一括りにしている。ヴィリエが如何にルイズを見下しているのかが丸分かりだった。

 

「ちょっとアンタ! 一体どういうつもりかし……」

「お待ち下さい」

 

 問い詰めようとしたルイズの行く手を、そっと差し出された腕が阻む。

 激怒するルイズを、トモが押し止めたのである。

 

「ええと、ミスタ・ロレーヌで宜しいですか?」

「軽々しく僕の名を呼ぶな平民! 頭が高いぞ!!」

 

 名乗りも上げずにこの態度。ふんぞり返るヴィリエに、トモは無表情で問い掛ける。

 

「一応確認なのですが、ミスタは私たちに決闘を挑んだ、と言うことで宜しいですか?」

「誰が平民なんかに決闘を挑むものか! 僕が挑んだのはこの貴族の恥さらし二人だ、お前達は黙って僕に仕置きされていればいい!」

 

 トモの質問をまともに取り合わないヴィリエ。

 馬鹿にされた二人が激発しかけるが、再びトモが視線で押し止める。

 しかし次の瞬間、彼の口から飛び出したのは辛辣極まりない台詞であった。

 

「ふむ、決闘で弱まった今なら楽して止めが刺せる、と。そんなに自信が無いんですかね?」

「何だと!?」

「シエスタさんはもう限界、ギーシュ君も決闘で消耗しています。ご主人に至っては戦力外、唯一無傷で闘えるのは平民の私。……そうやって自分が確実に勝てそうな相手にしか喧嘩を売れない卑怯者に、そんな勇気がある訳がありません」

 

 それを聞いたルイズとギーシュは思わず納得してしまった。言われて見れば、今の今まで傍観していたヴィリエに割り込まれる謂れは何処にも無い。それでも手を出して来たのは今なら勝てると踏んだからである、と考えるのが自然だった。

 

「ぐっ、平民の分際で僕を侮辱するのか! いいだろう、まずはお前から叩きのめしてやる!」

「構いませんよ。弱虫小虫を相手取るのに、わざわざご主人の手を汚す必要もありませんから」

 

 わざわざ挑発しながら、トモは粗末な木刀を手にして正対する。

 

「いつ始めます?」

「無論、今からだ!!」

 

 宣言と同時に杖を振るうヴィリエ。そしてトモが身構えるよりも早く、彼の魔法は放たれた。

 

「『エア・ハンマー』!!」

「うおっとぉ!!」

 

 轟音を上げて迫り来る風の塊を、素早い身のこなしで避ける。

 

「ええい、ちょこまかと! 避けるだけしか能が無いのか!!」

「避けられるのにわざわざ当たる人は居ません、よっ!」

 

 『エア・ハンマー』は風系統の魔法ではポピュラーな攻撃呪文である。ハンマーの名の通り、風の塊を打ち出す魔法だ。不可視の風で出来た鎚をトモはひらりひらりと躱してみせる。

 

「くっ、この! いい加減当たれ!!」

「敵に懇願してどうするんですか? 悔しければ当てて見なさい!」

 

 ヴィリエの罵声に挑発で返すトモ。散々煽られたヴィリエはいともあっさり逆上した。

 

「ならば死ね! 『エア・カッター』っ!!」

「うひゃあっ!!」

 

 ヴィリエが放ったのは風を刃にして飛ばす魔法である。無論、殺傷力は『エア・ハンマー』の比ではない。

 ギリギリで身を捻り、風の刃をやり過ごすトモに再び放たれる『エア・カッター』。

 

「ちょっと、やり過ぎでしょ!? 殺す気!?」

「ミスタ・ロレーヌ、それ以上は駄目だ! 本当に殺してしまうぞ!?」

 

 先程までのように軽口を叩く余裕すら失い、必死に避けるトモを目の当たりにしたルイズとギーシュが慌ててヴィリエを制止する。けれど怒りに囚われたヴィリエに聞く耳は無かった。

 

「黙れっ! 負け犬と無能の分際で、貴族に指図するなっ!」

「なっ!?」

「ヴィリエ、貴様!!」

 

 余りの暴言に激怒する二人。それを尻目に、ヴィリエは三度『エア・カッター』を放つ。

 

「ぐあっ!!」

 

 迸る血飛沫。くぐもった悲鳴を上げて倒れる人影。

 それが自らの使い魔であることを、ルイズは一瞬遅れて理解した。

 

「い、いやぁあああああああああああっ!!」

「馬鹿な! やり過ぎだぞヴィリエ!!」

 

 血飛沫舞う生の暴力を目の当たりにしたルイズは悲鳴を上げてへたり込み、事態の推移を遠巻きに見守っていた観客達のざわめきも悲痛な色を隠せない。

 貴族と言えど人の子、まして彼らは未だ少年少女、思春期を迎えたばかりの若者だ。貴族の責務たる軍役とて、就学中の彼らには遠い未来の出来事である。目の前で人が傷つけば動揺するのは当たり前だ。やり過ぎを非難したギーシュの対応は流石武門の子息と言えよう。

 

(あ……あれ? 今、僕は何を……?)

 

 だが、この場で一番動揺していたのはヴィリエ本人であった。

 彼は確かに殺すつもりで魔法を放った。しかし殺すつもりは無かった。彼はただ逆上して煮えたぎった怒りのままに魔法を放っただけである。生まれ持った魔法の力、それが人の命を容易に奪い得る暴力であることを、彼は知らなかったのだ。

 

「は、はは……あーっはっはっはっ!! 平民風情が貴族に楯突くからこうなるんだ!!」

 

 突如壊れたように笑い出すヴィリエ。愉快だったからではない。笑わなければ自分の中の何かが切れてしまう、それだけの事。

 

「あ痛たたたたた! 結構洒落にならない攻撃でしたね」

「はっはっは………はあっ!?」

 

 だから倒した筈のトモが平気な顔で起き上がるのを見た瞬間、彼の中の何かが切れたのは至極当然と言えた。

 

「き、君! 大丈夫なのかね!?」

「ちょっと、平気なの!?」

「大丈夫ですよ。この外套も神器ですし、私も一応冒険者の端くれですので」

 

 立ち上がったトモを気遣い、容態を尋ねてくるルイズとギーシュに切られた部分を見せた。

 着ていたコートには傷一つ無いが、その下のチュニックは血まみれで腹の部分が大きく裂けており、素肌が覗いている。しかしそこには大きく引き攣れたような傷痕が残っているだけで、たった今出来た筈の傷が無かった。

 

「そんな馬鹿なっ!? 確かに『エア・カッター』が当たった筈だ!!」

「ええ、凄く痛かったですよ。そのままだと動けそうになかったので、薬を使いました。初心者向けの安物とは言え、残ったお金の大部分を失いましたが」

 

 驚愕に目を丸くするヴィリエに、手にした三角フラスコを見せるトモ。

 そのまま投げ捨てられた三角フラスコは地面でバウンドすると、溶けるように消えた。

 謎の怪奇現象に周囲がざわめく中、当事者二人は再び相対する。

 

「水の秘薬か……死に損ないが!」

「万一に対する供えは必要ですよ? 特に命が懸かった場合は」

 

 苛立ちも露に吐き捨てるヴィリエと飄々と答えるトモ。

 正反対の二人だが、よく見ればヴィリエが小刻みに震えている事や、トモの言葉の端々に隠し切れない苦悶が滲み出ている事に気付けただろう。

 睨み合う両者、最初に動いた……否、最初に仕掛けたのはトモの方だった。

 

「しかし、随分命知らずなお方ですね。よりによって私に決闘を申し込むとは」

「何ぃ!? 貴族に向かってなんだその口の聞き方は!」

 

 トモの軽口にヴィリエが鼻息荒く噛み付いた。しかしトモは首を振り、ヴィリエを見据える。

 

「貴族? 貴族と言いましたか、今?」

「そうだ、僕は貴族だ! 敬え、這いつくばって許しを請え!」

 

 捲し立てるヴィリエ。そんな彼に指を突きつけ、トモは舌剣を抜き放った。

 

「貴方は、領民の人口を把握していますか?」

「……何?」

 

 決闘の最中に突きつけられた唐突な質問にヴィリエは一瞬詰まる。

 それに構わず、トモはさらに言葉を重ねた。

 

「自領の特産物をご存知ですか?

 昨年の税収は?

 予算の配分は?

 書類の書式は?

 陳情の方法は?

 謁見の作法は?」

 

 トモが並べたのは貴族なら知っていて当然の知識。

 だが彼はそれに答えられなかった。

 口を噤むヴィリエに、トモは肩をすくめる。

 

「貴族の責務も知らない半人前が、よくも貴族を名乗れますね。恥ずかしく無いんですか?」

「う……五月蝿い! 僕は代々続く名門、由緒あるド・ロレーヌなんだぞ!」

 

 言い返せない彼に掛けられた追い打ちにヴィリエは癇癪を起こす。

 

「成程。ならばその名誉に、貴方自身は何の貢献をしたのですか?」

 

 だがそれもトモが投げ付けた予想外の反撃にあえなく潰れた。

 ヴィリエは何も言い返せない。

 彼がロレーヌ家の名誉に何の貢献もしていないのは事実だから。

 

「……貴方の言う名誉も誇りも、貴方のご両親やご先祖様のものでしょうに。

 ならば貴方自身は、ロレーヌでない貴方自身は何処に居るのですか?」

「五月蝿い、五月蝿い、うるさぁああああぁいいいいいぃいいいいっ!!!!!!!」

 

 貴族である。その事実はヴィリエにとって誇りであり事実であった。

 けれども、トモが突きつけた真実は彼にとって受け入れ難いものだった。

 

『自分は貴族に成り切れていない』

 

 それを受け入れるにはヴィリエの精神は幼過ぎた。

 彼を支える歪なプライドが、彼に現実を認めさせなかったのだ。

 

「そ、そんなものは誰かに命令すれば良いのさ! そう、僕は貴族なのだから!!」

 

 あくまで貴族であることに固執するヴィリエに、傍観していたルイズ達は呆れる他無い。

 ルイズ達とてトモの指摘を全て把握している訳ではない。が、自分の責務を他人に丸投げするような卑怯者でもなかった。

 

「ふぅむ、あくまで貴方は貴族であると、そうおっしゃる訳ですね?」

「くどい!!!」

 

 ヴィリエは念を押すトモを一蹴する。

 しかしその時、トモの目に一瞬光が走ったのをルイズは見逃さなかった。

 

(あ、あれは何か企んでるわね……?)

 

 昨日から翻弄され続けたルイズは何となく察する。

 けれども、彼が落とした爆弾の内容までは予測出来なかった。いや、出来る訳が無かった。

 

「いやはや、爵位を継ぐ前からおとり潰し覚悟で誇りを貫くとは! 貴族の誇りとやらは平民の身では理解が出来ませんな!」

「────────え?」

 

 余りにも意外な一言にヴィリエのみならず、間近で見ていたルイズ達や遠巻きに見ていた野次馬の思考が止まった。ざわめきが治まり、ヴェストリの広場に静寂が下りる。そのタイミングを見計らい、トモは言葉を続けた。

 

「だってそうでしょう? 貴方は貴族でありながらトリステイン屈指の大貴族たるヴァリエール家と、トリステイン有数の武門たるグラモン家に暴言を叩き付けたのですから!」

 

 その台詞が頭に染み込むにつれ、さあっとヴィリエから血の気が引いてゆく。その意味に気付いた野次馬からも悲鳴が漏れた。

 彼の言う通り、ルイズの実家であるラ・ヴァリエールはトリステイン屈指の、と言うよりトリステイン最大の勢力を誇る大貴族だ。

 そしてグラモン家もトリステインの元帥杖を預かる武門の名家として名を馳せている。

 つまりヴィリエは王国屈指の名門に、それも二家同時に喧嘩を売った事になるのだ。

 

「う……あ……!」

 

 子供の責任は親が取るもの。当然彼の責任はロレーヌ家が被る。もし世間を知らぬ子供の戯言で済ませておけば、実家にまで責は及ばなかっただろう。けれど彼ははっきりと貴族の格式を持ち出してしまった。今更取り消そうにももう遅い。

 生まれたての子鹿のようにガクガク震えるヴィリエに、容赦のない追い打ちが掛けられた。

 

「しかも私の身分は学院長のオールド・オスマンに保障されてます。シエスタさんも所属は学院ですし、いやはや学院にすら逆らってまで誇りを貫くとは、素晴らしい覚悟ですね!」

 

 既にヴィリエの顔色は青を通り越して蒼白になっていた。

 オスマンの名声は国内外に広く知れ渡っており、宮中での扱いもそれに準じている。必要とあらば王に謁見することも出来る程度には身分も高い。

 そして平民とは言え彼が保護する人物への暴行は、その体面を汚す事に他ならない。

 シエスタに至っては学院の奉公人、即ち学院の財産である。仮に彼女を傷付けたのならば、それは学院に損害を与えたも同然。厳罰で済めば良い方、下手をすれば退学だ。

 見ればギーシュもその事実に思い至ったのかガクガク震えている。一体自分達は何を考えて決闘なんかしたのだろうか? ヴィリエが内心で数刻前の自分を罵倒していたその時。

 

「隙有りっ!」

「ぎゃっ!?」

 

 右手に走る激痛に、ヴィリエは悲鳴を上げて杖を取り落とした。

 バラバラと飛び散る木片、そしてへし折れた木刀を振り抜いた姿勢のまま残心を払うトモ。

 

「……うわぁ、えげつない……」

「流石にあれはどうかと………」

 

 全てを見ていたルイズとギーシュの顔が引き攣る。

 追い詰められたヴィリエが茫然自失となるや否や、トモが力一杯振り抜いた木刀で右手ごと杖をへし折る様を目撃してしまったからだ。

 

「ぐわぁあああっ!? 僕の、僕の手がぁあああっ!?」

「その程度で喚かないで下さい。さっきのシエスタさんの方が余程重症でしたよ?」

 

 技の威力に耐え切れなかったのか、柄を残して砕け散った粗末な木刀を手に嘆息するトモ。

 大事な杖を壊されたことにも気付かず、人目を憚らず泣き喚くヴィリエ。

 この決闘の勝者がどちらであるのか、一目瞭然の構図であった。

 

「さて、貴族の決闘は杖を落とした方の負け、それで良いんですよねご主人?」

「……ええ、そうよ。何だかすっきりしない決着だけどね……」

 

 かくしてヴェストリの広場で繰り広げられた決闘は、平民達の勝利で幕を閉じたのであった。

 

 

 

 

 

※ヤナギダ・トモ(柳田智)

 

HP:8/11(※1) MP:7/10 SP:10/10 ※数値は現在値/最大値

 

EXP:2 所持金:110円

 

 

取得アイテム

 

・回復薬(小):HPを1d6回復出来る。使い捨て。

 

 

エネミーデータ

 

・ヴィリエ(Lv:1)敏捷値:3/攻撃値:4/防御値:4 HP/MP:10/10

風のラインメイジ。非常に高慢だが、権威に弱い。杖を手放すと戦闘不能になる。

・保有スキル:エア・ハンマーLv1(※2)/エア・カッターLv1(※3)

 

 

 

 

 

 




(※1)回復薬(小)を二本取得した後、一本を使用して回復した値である。
(※2)風の塊を放つ『風』魔法。回避の難易度に+Lv、魔法ダメージに+Lvを加える。
(※3)風の刃を放つ『風』魔法。回避の難易度に+Lv、魔法ダメージに+Lvを加える。
   (クリティカル値からー1)。


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第七話 入手(おしゃべり)

「トリスタニアに行くわよ」

 

 虚無の曜日、週に一回訪れる休日の朝。

 朝食を終えるなりそう提案してきたルイズにトモは面食らう。

 

「トリスタニア、ですか?」

「そう、ここトリステイン王国の首都にして姫様のお膝元。あそこならきっとあるわ」

「ああ、成程」

 

 ルイズの言いたい事を察して納得するトモ。

 だがトモは眉根を寄せて苦しい懐事情を暴露する。

 

「ですが、お金がありませんよ?」

「それくらい私が立て替えるわ! ……神器って結構不便よね」

「……言わないで下さい」

 

 一通り嘆息すると、彼女達は頭を切り替える。

 

「それで、いつ行くんです?」

「勿論、今からよ。厩舎には連絡してあるから、準備もそろそろ終わってるでしょう」

 

 用意周到なことですね、と呟いた後、トモは首を傾げた。

 

「……厩舎? 準備?」

 

 

 

***

 

 

 

 決闘の直後、学院長室に呼び出されたルイズ達は厳しい追及を受け、それぞれに厳罰が下された。ギーシュは禁止された決闘に応じた罰として、ルイズはそれを止めなかった罰としてそれぞれ謹慎三日。ヴィリエは決闘を挑み、学院の財産である使用人を傷付けようとした事を鑑みて謹慎十日を言い渡された。

 

 問題になったのはシエスタである。

 

 何せ平民が貴族に決闘を申し入れ、しかも勝利するなど前代未聞の出来事。馘首にすることも検討されたが、そもそもの発端であるギーシュ自身の弁護もあってそれは免れたものの、流石にお咎め無しでは体裁が悪い。

 しかも彼女は冒険者だ。異端であることがバレれば学園にとっても拙い。

 そこである提案がなされた。

 

「とりあえず体裁上は馘首と言うことにして、名目上はラ・ヴァリエール預かりとする」

 

 要するに立場だけ変えて実際は現状維持を貫こうと言う先送りの提案であった。

 大まかな筋書きは以下の通り。

 

『不埒な行いをしたギーシュをシエスタが諌めた。本来なら厳罰ものであるが、その命を賭した献身に感動したルイズがその身を引き受ける事になった。しかし未だ卒業すらしていないルイズではその資格が無いため、彼女が卒業するまでは学院で面倒を見ることにする。』

 

 詭弁だが筋は通っているので問題は無い。異端云々もルイズにとっては今更であった。

 だからその異端を持ち込んだトモをどう扱うのか、それが皆の頭を悩ませていた。

 

 その原因たる彼への尋問はルイズとオスマン、コルベールとロングビルと言う事情を知るものだけで行われた。普段のおちゃらけた雰囲気は何処へやら、大魔法使いに相応しい威厳を纏うオスマンにも臆すること無く、トモはいつも通りの態度で応じる。

 

「最初に確認しておきたいのですが、シエスタさんの立場は保障して頂けますか?」

「……難しいがな。冒険者とは言え、彼女はブリミル教徒じゃ。ブリミル教の教えに従っているうちは異端指定も有り得まい。シエスタ君が自ら異端に走らない限り、儂らも彼女を神官共に告発したりはせんと杖に誓おう。これでよいかの?」

「それで結構です。ありがとうございます」

 

 オスマンの言葉に礼を述べ、トモは居住まいを正して本題に入る。

 

「さて、『冒険者の洗礼』は資格のあるものにしか行えません。方法も今の所シエスタさん以外に教えるつもりはないのでご安心を」

「も、もしやそれを受ければ誰でも冒険者になれるのですか!?」

「落ち着きたまえミスタ・コルベール。……で、どうなのかねミスタ・ヤナギダ? 儂らも洗礼を受ければ冒険者になれるのかの?」

 

 好奇心剥き出しで質問を飛ばすコルベールを諌めるオスマンだが、彼もまた溢れ出す好奇心を隠し切れない。あの壮大な神話に語られた冒険者、伝説のイーヴァルディの勇者の如きそれが手に届くかもしれないのだ。とっくに枯れた冒険心が疼くのは仕方が無い。

 けれどトモは少年の目をした教師二人に残酷な事実を告げた。

 

「無理ですね」

「「「「えっ?」」」」

 

 目を丸くする一同に、トモは洗礼について語った。

 

 『冒険者の洗礼』、それは運命の神に祈りを捧げ、冒険者に相応しいかどうかを審判してもらうと言うもの。運命神が認めれば証たる聖印を賜り、資格を持たないものには何も与えられない。

 その判断は運命神が下すため、洗礼を受ける側はただ委ねるだけ。

 一応『諦めずに努力するもの』が認められると言われているが、死ぬ程努力したものでさえ認められない事例も少なくない。シエスタは一発で認められたがこれは希有な例で、普通はトモのように何度も何度も繰り返してようやく認められるものだと言う。

 

「洗礼自体は簡単です。ただ運命神様に祈りを捧げるだけですから。でも、認められるかどうかは運命神様次第ですので、確実なことは何も言えません」

「な、なら……」

「肝心なのは『神に挑む』ためにあがき続けること。失礼ながら、お二方はそのようなあやふやな目的の為に人生を賭けられますか?」

「「むぅ……」」

 

 超人とも言うべき冒険者の力。それはあくまでも神に挑む為の布石に過ぎない。

 人生の全てをそんな漠然とした目標に賭け、何時果てるとも知れぬ闘いに身を投じるのが冒険者なのだ。ましてオスマンもコルベールも教師として、あるいは貴族としての責任と立場がある。それを捨ててまで憧れに挑む真似は出来ない。

 

「……しかしみだりに『冒険者の洗礼』を広めてもらっては困るのぅ」

「私も軽々しく洗礼を行うつもりはありません。冒険者の力を悪用されても困りますし」

「ちょっと待って! 冒険者の力を悪用って、アンタ達の神様はそれを許してるの!?」

 

 残念そうに自重を促すオスマン。

 それに答えたトモの台詞に含まれていた見逃せない言葉に、ルイズが反応する。

 

「はい、冒険者に認められるものには善悪の区別はありません。求められるのは『神を倒す』と言う目標ただ一つ。だからそれさえ諦めなければ、どんな悪党であろうとも冒険者になる資格があるんです」

 

 それを聞かされた一同に何とも言えない沈黙が下りる。

 善悪の区別なく与えられる絶大な力、もしそれが悪人の手に渡りでもしたら?

 ────結果は火を見るよりも明らかだ。

 

「……その力、ますます広めるわけにはいかないようじゃ。既に冒険者になってしまったシエスタ君は仕方無いが、これ以上冒険者を目覚めさせてはならぬ。これは厳命じゃ!」

「判りました。この場に居る方々以外にこの話はしないと誓いましょう」

 

 そして話は彼らの処遇に変わっていく。シエスタの扱いは先に述べた通りであるが、トモはそうはいかない。何せ彼は何処にも所属していないのだ。学院はおろかトリステイン王国とも無関係、あえて言うならヴァリエール家であろうが、それだって『使い魔』という扱いである。

 だが彼はその異様に回る口をもって、あっと言う間に己の無罪を勝ち取ってしまった。

 

「そもそも事の発端はギーシュ君にありますし、ミスタ・ロレーヌの件では私が被害者です。何より私を処罰するのであれば、彼の暴言が世間に晒されるのは必至。そうなれば彼の家にも累は及びますし、ひいてはこの学院の教育方針にも影響は出るのは確実。ここは一つ、何も無かったと口裏を合わせるのが得策かと」

 

 詭弁を振るい、丸め込まれた教師達から言質を取り、追求を煙に巻いて。

 気が付けば彼は決闘の関係者の中で唯一、お咎め無しとなっていた。

 

「……アンタやっぱり詐欺師じゃないの?」

 

 妙に疲れたルイズの残した一言が全てを表していた。

 

 

 

***

 

 

 

 ルイズ主従の朝はトモが持ち込んだ目覚まし時計の爆音から始まる。

 だがトモは夜が明ける前に起き出し、手作りの木刀(二代目)で鍛錬に励んでいる。なので正確にはルイズ『だけ』がその恩恵を受ける羽目になっているのだが。

 鍛錬を終えたトモの帰りを、騒音に満ちた部屋で顔を顰めたルイズが出迎える。

 

「おはようございますご主人様。今朝も良いお目覚めのようで?」

「ええ、気持ちの良い朝ね。さっさとこの騒音を止めてもらえるかしら?」

 

 神器を使えるのは冒険者のみ。故にがなり立てる目覚まし時計を止められるのは冒険者であるトモだけ。従って彼が戻って来るまでの間、ルイズは爆音の中で過ごす事になる。

 

「……毎朝毎朝こう五月蝿いんじゃ、おちおち寝てられないわよ」

「その代わり寝坊はしなくて済んでるんですから良いでしょう?」

 

 突っかかって来るルイズを宥めながら部屋を出る。

 するとタイミングを合わせたかのように隣人も顔を見せた。

 

「……毎朝毎朝こう五月蝿いんじゃ、おちおち寝ていられないんだけど?」

「本当は貴女方、仲が良いんじゃありませんか? 同じ台詞を先程聞いた気がしますが」

「「五月蝿い(わね)!!」」

 

 目覚まし時計の恩恵は、半ば強制的にキュルケの生活にも及んでいた。分厚い壁で遮られているとは言えど仮にも神器、惰眠を貪る彼女を叩き起こす程度の威力は備えている。かくしてキュルケの生活サイクルはルイズのそれとほぼ一致するようになっていた。

 

 不満たらたらで朝食へ向かうルイズ達を見送ってから、トモは厨房へ向かう。

 

「お邪魔します。マルトーさんはいらっしゃいますか?」

「おう、来たか『我らの棒切れ』!」

 

 厨房に顔を見せるや否や、料理長のマルトーが満面の笑みを浮かべて駆け寄って来た。

 しかし呼び掛けられた本人は少しだけ眉根を寄せて反論する。

 

「マルトーさん、何度も言いますがあれは棒切れじゃなくて木刀でして……」

「朝飯は一日の活力を蓄えるのに必要だからな! すぐ用意してやるから待ってろ!」

 

 トモの抗議を聞き流し、マルトーは彼の朝食を作り始める。憮然としながらもそれ以上突っ込まず、おとなしく待つトモに厨房のあちこちから苦笑と励ましが掛けられた。

 

「よう『我らの棒切れ』、朝から大変だな!」

「……そう思うんだったら、その呼び名を止めて下さい」

「あはは、無理無理! おやっさん、ああ見えて結構思い込み激しいから」

「まあ良いです。……それより、手元がお留守ですよ?」

「ん? げっ、焦げる、焦げる!」

 

 決闘の一件以来、トモとシエスタは学院の使用人達から英雄のように扱われていた。

 粗末な木刀を振り回し、貴族から勝利をもぎ取った彼をマルトーは『我らの棒切れ』と呼ぶ。ちなみにシエスタは『我らのモップ』だ。本人は割と気に入っているらしい。

 

 忙しく働く料理人達を眺めていたトモの前に、ふわりと湯気を立てる皿が置かれる。

 温野菜と鶏の笹身の炒め物をメインにしたプレート料理、添えられた米がボリューム感たっぷりの逸品であった。

 

「おお、これまた美味しそうなメニューですね!」

「おうよ、お前さんが言っていた『チャーハン』は米が足りなくて無理だったが、こうすればそこそこ喰えるだろう?」

 

 ハルケギニアにも米はある。

 ただし主食としてではなく、珍しい野菜の一種とされていた。

 数はそれ程出回っていないのだが、トモから米を使った料理の話を聞かされたマルトーが時々取り寄せてはアレンジしつつ賄いに出すようになったのだ。

 

「本当は『カツドン』にも挑戦したかったんだがな、材料が揃わなかったんだ」

「いえいえ、私の我侭を聞いて下さったんですから、それだけで充分ですとも」

「いやいや、そいつはお互い様ってモンだ。お前さんから教わった『医食同源』って奴には本当に驚かされたからな」

 

 決闘の後、マルトー達はトモの功績を讃えてご馳走攻めにした。その余りに豪勢な食生活に辟易したトモが、彼に栄養学の触りを教えたのだ。せいぜい『三大栄養素とビタミン等の効能』や『カロリーと塩の過摂取の弊害』程度だったが、マルトー達料理人にとってはまさに革命。

 ボロボロと目から鱗を垂れ流し、感謝とお礼を迫るマルトーにトモは代わりに自分用のメニューを作ってほしいと申し入れて、今に至る。

 

「タンパク質を多めに摂れるよう鶏の笹身を使ってみたんだ。どうやら正解みたいだな」

「まあ、故郷では武術の達人とかが主食にしてたりするくらいですし」

「そして温野菜にして身体を冷やさず、栄養を素早く吸収すると。……こんな簡単な事、どうして今まで気付かれなかったんだろうな?」

「貴族様は基本、食道楽っぽいですからね。その割には味音痴が多いみたいですが」

「その通り! この間も素材を活かした味付けにしたら、味が薄いって怒鳴り込まれてなぁ……」

 

 世間話だか愚痴だかを交わしつつ食事を終えたトモは部屋に戻り、同じく朝食を終えたルイズに付き従って授業に向かう。

 しかし二人が教室に足を踏み入れた途端、ざわめいていた教室が水を打った様に静まり返る。誰も近寄ろうとせずに遠巻きにルイズ達を囲む生徒達の姿に、二人とも嘆息した。

 

「いい加減ほとぼりも冷める頃だと思うんですが」

「私もそう思うけどね。こうなったのも貴方の所為なのよ?」

 

 何故こんな状況になったのか、原因はあの決闘でトモが使った脅しにあった。

 

『ヴァリエールの公女に暴言を叩くことは、即ちヴァリエールを敵に回す事と同義』

 

 余りにも当たり前な事なのだが、ルイズの級友達はそのことをすっかり忘れていたらしい。

 ヴィリエのような報復を怖れるあまり、彼らは彼女達を避けるようになった。誰であれ、好んで王国有数の大貴族を敵に回す輩は居ない。今のルイズに近付くのは同じ立場に立つものか、好んで敵に回る変わり者しか居ないだろう。

 

「やあルイズ。相変わらず君の周りは静かだね」

「ハーイ、ルイズ!ひとりぼっちで寂しそうだから来てあげたわよ」

 

 そう、同じく脅しに使われたギーシュと、元より敵対関係にあったキュルケのように。

 ヴィリエは未だ謹慎中だ。と言うより引きこもっているらしく、寮室の片隅でガタガタ震えながらひたすら「ごめんなさい」と繰り返していると専らの噂だ。

 

「別に悪口くらいで実家を頼る気はないわ。……そんなことしたら母様に殺されるもの」

「ご主人のご家族については深く突っ込まない方が良さそうですね」

「それは僕も同じだよ。っていうか、あの決闘の原因は僕にあるからね。女性に罪を擦り付けようとしただなんて知られたら、父様と兄様に半殺しにされるのは確実だよ」

「貴族様って皆こんな感じなんですか?」

「家はそうでもないわよ? まあ自分のツケは自分で払うのがツェルプストーの教育方針だから、そうなっても助けてはくれないでしょうけれど」

「……平民で良かったと思うのはこう言うときかも知れませんね」

 

 ルイズ曰く、ツェルプストーとは代々殺し殺され、奪い奪われの間柄だと言う。だがトモから見る限りではキュルケは気の良い姉貴分にしか見えない。最近はルイズがツンケンしなくなったり、キュルケも度を過ぎるからかいをやめたとかで落ち着いているとか。

 彼に対して色目を使う事もあるが、ルイズをからかう為のフェイクらしい。

 そんな現状を詳しく説明してくれたのは、大きな杖を持った青髪の女生徒だった。

 

「こんにちはタバサ。ご機嫌良さそうで何より」

「…………」

 

 無言のまま頷く生徒の名はタバサ。

 滅多なことでは口を開かない彼女が、トモに色々教えてくれた理由はちゃんとある。

 そしてそれは、この場に現れたもう一人の女生徒も同じであった。

 

「……随分おもてになるのね、ギーシュ?」

「げぇっ、モンモランシー!? 違うんだ、これは浮気じゃない!」

「……ミス・モンモランシー、流血沙汰は勘弁して下さいね?」

 

 トモが教えた東方の謝罪「DOGEZA」を繰り出すギーシュの頭を踏み付けているのは、あの決闘でギーシュに三行半を叩き付けたモンモランシーである。なりふり構わぬ謝罪に憐れみを覚えてよりを戻したは良いが、嫉妬深く疑り深い彼女はギーシュに四六時中張り付き、浮気していないかどうか監視しているそうだ。微妙にルイズとは距離を置いているが、他の生徒達のように村八分にしないだけの分別はある。

 

「まあいいわ。それよりミスタ、そろそろあの秘薬について教えて下さるつもりはないかしら?」

「……私も、興味ある」

「ですから、あれは東方の特別な製法で作られた秘薬でして、私にしか効果はないんですよ」

 

 この二人がトモに絡む理由、それは決闘の際に使った秘薬である。

 モンモランシ家は代々優秀な水メイジの家系で、水の専門分野である秘薬については一家言を持つと言う。タバサの方は身内に重病人が居るらしく、効果の高い秘薬は喉から手が出る程欲しいとのこと。だが彼が使った秘薬は冒険者のみが使える神器、成分製法は彼も知らないし、冒険者ではない彼女達には使えない。

 

 二人の追求を躱しつつ、ギーシュの泣き言を聞き流し、ルイズとキュルケを仲裁する。

 日中のトモは概ねこれの繰り返しであった。

 

 

 

***

 

 

 

「お見事。もう木刀では相手になりませんか」

「い、いえ偶然です、まぐれです! 私なんてまだまだですし!」

 

 夕食の後、トモとシエスタは模擬戦を行っていた。

 唸りを上げるモップを受けて砕け散った手作りの木刀(二代目)を手に、トモは惜しみなく賞賛する。それに謙遜しながらも、シエスタはふと浮かんだ疑問を口にした。

 

「確か、神器は壊れないんですよね? どうして折れちゃったんでしょう?」

「いえ、これは神器じゃなくて私の手作りです。それに刀って結構高いんですよ」

 

 刀は神器でも高額の部類に入る。一番安い『数打ちの刀』でも中々手に届かない。

 ほぼ素寒貧状態のトモでは入手不可能。しかも借りた金では本人のものと見なされないので、神器を得ようにも得られないのだ。

 

「これは早めに金策を立てないといけませんね。とは言え、どうしたものやら」

「げ、元気出して下さい!」

 

 シエスタに励まされつつ、模擬戦を終えた彼が向かうのは使用人用の蒸し風呂である。

 

「……これはこれでいいんですけれど、やっぱり湯船が恋しいですね」

 

 湯船を調達する手段をあれこれ模索しつつ、ルイズの部屋に戻る。

 けれど彼の一日はまだ終わっていない。

 

「あら、お帰りなさい。待ってたわよ?」

「……お邪魔している」

「毎晩毎晩いい加減にしなさいよアンタ達、特にキュルケ!!」

 

 手に持ったワイングラスを掲げてみせたのはキュルケ、その後ろにちょこんと座り込んでいたのはタバサ。家主の非難も何のその、毎晩押し掛けてくる二人を交えて東方にある(と言うことになっている)故郷の話をするのが、トモの日課になりつつあった。

 

「……魔法の代わりに技術が発展した国、ねぇ」

「貴族政治が廃止された国……興味深い」

 

 技術重視のゲルマニア出身であるキュルケは、魔法に取って代わった科学技術に興味を引かれると言う。一方、タバサは未知の社会制度である民主主義に興味津々のようだ。

 専門外だから、とぼかして伝えられたそれらについて語り合う二人をいなしつつ、トモはルイズに武器の調達を陳情する。

 

「……え? 貴方に今更普通の武器が必要なの?」

「……お金がないんですよ。『あれ』を手に入れるには手元不如意でしてね」

 

 現在無職のトモには収入の当てが無い。身分的には『使い魔』なので衣食住は保障されているものの、仕事として成立している訳じゃないので給金など存在しないのだ。

 

「シエスタさんみたいに手に職がある訳じゃありませんし、かと言って長期間ご主人の元を離れるのも問題ですし、どうにかなりませんかね?」

「あら、ケチ臭いわね。剣くらいポーンと買ってあげれば良いじゃないの」

「五月蝿いわねツェルプストー! 使い魔の教育方針にケチ付けるんじゃないわよ!」

 

 キュルケの茶々に噛み付くルイズ。

 それを傍観するタバサに、どうにかして収めようと奮闘するトモ。

 ドタバタ主従の一日はこうして過ぎていった。

 

 

 

***

 

 

 

 トリステイン魔法学院から首都トリスタニアまでは馬で約三時間程掛かる。

 故にトリスタニアに向かう為には馬が必須であるのだが……

 

「馬に乗れない?」

「ええ、まあ」

 

 乗馬技術を持たない人間にとっては不自由極まりない立地条件と言えるだろう。

 学院から貸し出された二頭の馬の前で、ルイズは呆れ返っていた。

 

「貴方ねぇ、そう言うことはもっと早く言いなさいよ。準備が無駄になったじゃない」

「いやぁ、よもや馬での移動が一般的とは思いませんでしたから。日本じゃ、乗馬は趣味人の道楽扱いだったもので」

 

 厩舎から連れ出された馬に跨がってさあ出発、と言う所で暴露されたトモの弱点。

 しばし首を捻り、相乗りと言う手段を思い付いたルイズに大きな影が差す。

 

「ハーイ、ルイズ! トリスタニアに行くなら乗ってかない?」

「……馬よりは早いし、乗馬出来なくても問題ない」

 

 見上げれば、小憎らしい笑顔を浮かべたキュルケといつも通り無表情なタバサを背に乗せた、立派な風竜がそこに居た。

 

 

 

 渋るルイズを説得し、一行は極短い空の旅へと臨むことになった。

 

「個人で空輸手段を持てるとは、故郷でもこんな経験はありませんでしたね」

 

 少女三人と男一人を背中に乗せた幼竜は力強い羽ばたきで大空を舞う。

 竜の名はシルフィード。

 『春の使い魔召喚』の儀式で呼び出された、タバサの使い魔である。

 

「あら、貴方の故郷に竜は居なかったのかしら?」

「東方では既に絶滅してますね。竜から取れる素材はお宝扱いだったもので」

『きゅいいいいっ!?』

 

 キュルケが振った話題に酷い答えを返すトモ。

 それを聞いたシルフィードが驚愕と怯えの混ざった悲鳴を上げる。

 

「……竜を狩り尽くすって、物凄い所ねロバ・アル・カリイエって」

「そう言えばベアードも乱獲し過ぎて絶滅寸前って言ってたわね……」

「興味深い」

 

 呆れるルイズとキュルケとは対照的に、瞳を爛々と輝かせるタバサ。

 秘薬のことを抜きにしても、トモの話はタバサの知的好奇心を刺激する様だ。

 

「具体的な話を聞きたい。竜のどの部分をどのように加工する?」

「確か……倒した竜から剥ぎ取った素材と、特殊な鉱石を掛け合わせて作っていた筈です。素材になった竜の性質や特徴によって様々な能力を発揮したそうで、それを使ってまた竜を狩っていたんだとか」

「竜の性質?」

「ええ。尤も実物にお目に掛かったことは一度もありませんが」

 

 そんな殺伐とした話題をほのぼのと語り合う一行。

 そうこうしている内に、一行が目指すトリスタニアの市街は目前に迫っていた。

 

 

 

***

 

 

 

 ブルドンネ街、トリスタニアで一番の大通りである。幅五メイル程の道の両脇に露店が建ち並び、大勢の人々が行き交う中、ルイズ達一行は人込みをかき分けつつ目的の店に向かう。

 

「結構狭いんですね。これでは掏摸だって横行するでしょうに」

「実際横行してるわよ。メイジが魔法で掏摸を働くこともあるし、注意はしとくべきね」

「っていうか、これで狭いって……貴方の故郷ってどんな所なのよ一体」

「…………」

 

 美少女三人について歩く冴えない男。従者にしては態度が横柄だし、友人にしては身分が釣り合わない。アンバランスな一行は人々の注目を集めながら路地裏に消えていく。

 

「ピエモンの秘薬屋の近くだから……、あ、あれだわ!」

「ようやく見つけたの? ……やれやれ、これでようやく小汚い所から出られるわ」

「ふむ、衛生面がしっかりしてませんね。いつ疫病が発生してもおかしくないでしょうに」

「この辺りは平民の中でも特に貧しい階層が集まる場所。衛生観念までは手が回らない」

「五月蝿いわね! ほら、早く行くわよ!」

 

 不衛生な環境にぶつくさ言う三人を一喝し、ルイズは武器屋の戸を押し開ける。

 様々な武器がびっしりと立ち並ぶ薄暗い店内の奥で、暇そうにパイプを吹かしていた店主が慌てて身を起こすのが見えた。

 

「お嬢様方、うちは全うな商売をしてまさぁ。

 お上に目をつけられることなんざありませんぜ?」

「客よ。私の従者に使わせる武器を探しに来たの」

 

 使い魔と言う身分を吹聴するのは拙かろう、と事前に口裏を合わせた設定を口にしながら、ルイズはトモを押し出した。

 

「へえ、剣をお使いになるのはこの方で?」

「そうなりますね。とりあえず手頃な得物を一通り見せて頂けますか?」

 

 トモの外見は一言で言えば『貧弱』だ。上背だけはあるが、それが一層彼をひ弱に見せており、とても武器に精通しているようには見えない。

 そんな彼を、店主は格好の鴨だと見た。

 

(精々高く売りつけるとしようかね!)

 

 ほくそ笑みながら持ち出して来たのは見事な細工を施された大剣。

 1.5メイル程の両刃の刀身は鏡のように輝き、鋭い刃には刃毀れ一つ無い。

 

「この店で一番の業物ですぜ! かの高名なゲルマニアのシュペー卿の作で、魔法も掛かっているから鉄だって一刀両断! 貴族のお供をさせるならこれ位は……」

「ああ、これじゃ駄目です」

 

 満面の笑みで売り込んでくる店主。だがトモは一目見るなり駄目出しを放った。

 

「何言ってるんでさぁ!? これ以上の得物はそうそうありませんぜ!?」

「私が欲しいのはバスタードソードくらいの大きさで片刃の曲刀です。カタナって言うんですが、ご存知ありませんか?」

「……知らねぇな。曲刀なら幾つかある。少し待ってろ」

 

 店主の態度がいきなり横柄になった。折角の売れ筋が潰された腹いせだ。

 しかしトモの言う『カタナ』には心当たりは無い。仮にも武器屋を営む以上、この道にはそれなりに精通している店主でさえも初めて聞く武器の名に、プロ意識がくすぐられた彼は在庫から何本かの剣を引っ張り出して来た。

 

「この店にあるサーベルとシミターはこれだけだ。人気のないシロモンなんでな」

「ううむ………」

 

 ハルケギニアで曲刀と言えばサーベルかシミターが定番だ。

 勿論、『カタナ』とは似ているようで全然違う。

 カタナ───所謂『日本刀』は適度な厚みと重さで押し斬る剣である。独特の製法による粘りを持ち、基本は両手で扱うものだ。一方、サーベルやシミターは騎兵や盾持ちが使うことを前提としており、基本的に片手で扱う代物だ。

 どちらも叩き切るのではなく切り裂く剣ではあるが、扱い方は全く異なる。

 早い話がサムライの剣技をサーベルで再現するのは不可能だということだ。

 

「駄目ですね。刀とは違い過ぎます。これじゃ私の技は使えません」

「あら、剣ならホラ、さっきのシュペー卿のが……」

「ちゃんと聞いてたキュルケ? あの剣は使えないって言ってたでしょう」

「……両手で使う片刃の長剣なんて、ハルケギニアには無い……」

『はんっ、そんな生白い腕でいっちょまえに得物を選ぶたぁな! 諦めな、お前さんには棒切れがお似合いさ!!』

 

 諦め切れずに曲刀の山を囲み、あれやこれやと試しているトモ達に割り込む謎の声。

 全員の目が声の方に向く。店主だけが「あちゃあ……」と頭を抱えた。

 

「……誰も居ない、わよね?」

「見た限りでは、剣が積んであるだけのように見えますが……」

「え? どうしたのタバサ、いきなり抱きついてきて?」

 

 怪訝な顔の三人と青い顔の一人が首を傾げる中、声は再び語り掛けて来た。

 

『手前ぇらの目は節穴か! 俺様はさっきからここに居るぜ!!』

「「「「え?」」」」

 

 そう言われても、そこには人影らしきものは無く、人が隠れる隙間も無い。

 ただ乱雑に積み上げられた剣の山があるだけだ。

 更に首を捻る一行。その脇をすり抜け、店主は一本の剣を掴み取って怒鳴りつける。

 

「やい、デル公! それ以上客に喧嘩売ってみろ、こちらの貴族様に溶かしてもらうぞ!」

『面白ぇ、どうせこの世にゃ飽き飽きしていたんだ! その方が清々するぜ!!』

「インテリジェンスソード!?」

 

 店主が鷲掴みにしたのは片刃の長剣だった。

 先程の大剣と長さは変わらないが緩く湾曲した刀身には錆が浮いており、お世辞にも見栄えが良いとは言い難い。その鍔元に付いた金具がカタカタ動く度に『やれるもんならやってみな!』だの『やるんだったら早くしろ!』だのという罵声が漏れる。

 

「……喋る剣? 何の利点があってそんな加工を?」

「インテリジェンスソードには特殊な魔法を掛けるから通常より頑丈になったり攻撃力を上げたり話し相手になったりオバケのフリをしたりといろいろ有利な点があるし平民でも扱える数少ないマジックアイテムでもあるから需要は多い」

「あら、いつになく饒舌ねタバサ?」

 

 首を捻るトモにメリットを語るタバサ。いつも通り鉄面皮な表情に、ほんの少しだけ焦燥と安堵が浮かんでいるように見えるのは目の錯覚だろうか。

 そんな一行を余所に店主と剣の口喧嘩は段々ヒートアップしてくる。

 そしてとうとう「そんなに言うならやってやらあ!」と飛び出しかけた店主を引き止め、トモは取引を持ち掛けた。

 

「ご主人、その剣を処分するくらいなら譲ってはくれませんかね?」

「まあ、出すもん出してくれるなら良いけどよ。いいのかい? こいつは口は悪いわ喧嘩っ早いわで、碌なもんじゃ無いぜ?」

 

 折角纏まりかけた取引は、しかし当の剣本人が否定した。

 

『やい若造、まともに剣も振れなさそうな手前が俺を買うだと? ふざけんじゃねぇ!』

「なら、私が君を使えることを証明すれば異論は無いんですね?」

『ハッ!出来るもんならな!!』

 

 剣が切った啖呵を聞いたトモは店主から剣を受け取り、正眼に構える。

 店主を含む一同が見守る中、トモは気合いと共に剣を振り上げた。

 

「イェアアアアアアッ!!」

 

 大上段から振り下ろされた剣はそのまま左に流れ、横薙ぎの軌道に変化する。

 振り抜かれた剣が即座に袈裟斬りとなって引き戻されたかと思えば、いつの間にか正面への刺突に変わっていた。流れるような一連の剣技、一息のうちにそれを為したトモはゆっくりと右の半身を突き出し、剣を左の腰だめに据える。

 見慣れぬ構えに皆が息を呑み、引き絞られた弓が如き緊張が場を満たす。

 それが最高潮に達した瞬間、彼の呼吸が爆発した。

 

「チェストォオオオオオッ!!」

 

 奇妙な掛け声と共に振るわれる神速の斬撃。

 振り抜かれた剣を正眼に戻し、トモは溜めていた息を吐く。すると一気に空気が弛緩し、観客達も一斉に息を吐いた。

 

「やれやれ、打刀に比べれば取り回しに難がありますが、まあ野太刀のようなものと思えば良いでしょう。で、どうですか? 満足して頂けましたか?」

『…………おでれーた。俺様の目もどうやら錆び付いていたみてぇだな。旦那を見くびっていたのは謝る。これから宜しく頼むぜ!」

 

 どうやら剣の方も納得したようだ。先程の喧嘩腰とは打って変わって敬意すら含んだ会話を交わす剣と使い魔の姿に、空気に呑まれて惚けていたルイズが我に返る。

 

「……あれはおいくらかしら、ご主人?」

「へえ、厄介払いも兼ねてますんで、百エキューで結構です」

 

 告げられた金額は決して安いものではないのだが、ルイズは気にせず支払おうとする。

 だが、その手はトモの言葉に止められた。

 

「冗談言っちゃいけません。鞘と砥石を付けて三十が妥当でしょう?」

「それこそ冗談じゃありませんや。大負けに負けて九十ってのが限度ですぜ?」

 

 店主とトモの間に火花が散る。口火を切ったのはトモであった。

 

「鞘と砥石、手入れ用の小物を付けて四十」

「馬鹿言うない、小物だけでも十は取るぜ? 鞘と小物込みで八十」

「十は取り過ぎでしょう。精々1エキューもしない筈です。四十五」

「剣士の相方を手入れするんだぜ? 命を値切るようなものじゃねぇか。七十五」

「売れ残りを引き取るんですよ? もう少し勉強しても罰は当たりません。五十」

「元手って知ってるか? そんな額じゃ食っていけないぜ! 七十」

「強欲は身を滅ぼしますよ? 五十一」

「……いきなり細かくなったな。強欲とは人聞きが悪い、良心的な値段だぜ? 六十九」

「あんな鈍らを店一番の業物と言い張る貴方がそれを言いますか? 五十二」

「あれはシュペー卿の手による一点物だぜ、言い掛りは止してくれ! 六十八」

「ではご主人、ちょっと先程の剣にどんな魔法が掛かってるか調べてもらえますか?」

 

 突如始まった熾烈な値引き合戦に完全に置いていかれたルイズ達に、これまた唐突に話を振ったトモ。財布を取り出したまま固まっていたルイズが目を白黒させているのを尻目に、タバサがシュペー卿の大剣に向かって杖を振った。

 

「……簡単な固定化が掛かっているだけ。それ以外に魔法の反応はない」

「馬鹿言っちゃいけませんぜ!? そいつはシュペー卿の紹介状を持った代理人が直接売りに来た代物ですよ! 偽物の訳が……」

「シュペー卿の紹介状? ……ああ、貴方騙されたんだわ。シュペー卿がそんなもの付けたって話はゲルマニアでも聞かないもの」

「……『ディティクトマジック』は魔法を探知する魔法。嘘は吐けない」

 

 タバサの探知結果に、ゲルマニア人のキュルケの駄目押し。

 それでも尚諦め切れない店主の耳に、ルイズとトモの会話が飛び込んで来る。

 

「何でその剣が偽物だって思ったの?」

「奇麗すぎるんですよ。剣ってのは消耗品ですから何かを斬れば刃毀れしますし、脂が付けば刀身は曇ります。刀身に曇り一つ無く刃毀れも無しって時点で何も斬ったことの無いというのが丸分かり、恐らく装飾用の儀杖だったんでしょう。それに固定化の魔法を掛けてペテンに掛けたと言うのが真相じゃないですかね」

 

 理路整然と判断理由を挙げていくトモに膝を屈する店主。

 

「そ……そんなぁ……俺の、俺の剣が……」

「え、ええと……元気出しなさい! 大丈夫、何とかなるわよ! ……多分」

 

 落ち込む店主を慰めるルイズ、しかしトモは容赦なく追い打ちを掛けた。

 

「騙されたのは御愁傷様ですが、貴族にまがい物を売りつけようとした事実は消えません。打ち首で済めば良いほうじゃないでしょうかね?」

「そんな、後生です旦那方! 助けて下さい!!」

「ならば鞘と小物一式付けて三十。呑んでくれますね?」

「はいいっ!!」

 

 容赦ない追い打ちに絶句するルイズから財布を受け取り、金貨を一掴み取り出す。それを慎重に数えた店主が、鞘と手入れ用の小物を一揃えてトモに渡した。

 

「……どうしても煩いと思ったら、鞘に納めれば大人しくなりますんで」

『……親父、元気出せよ。いつかきっと良いことあるぜ?』

 

 遂には剣にさえ気遣われる程落ち込んだ店主に、トモは囁いた。

 

「装飾剣としては極上ですし、どこかの物好きなら二千は出すでしょう。実剣として出さなければ詐欺じゃありませんよ」

「!、そうか、売れなくなった訳じゃ無ぇ! まだ元手は取れる、ありがとうよ!」

 

 元気を取り戻した店主に別れを告げ、店から逃げるように出て行く一行。

 大通りに辿り着いた瞬間、ルイズは大きな溜め息を吐いた。

 

「……やり過ぎよ。あの店主、泣きそうだったわよ」

「……あれは流石に可哀想だったわ」

「……哀れ」

 

 女性陣からの抗議に、トモはたじろぎもせずに反論する。

 

「あのまま剣を売りに出し続けていたら、いつか本当に命を落としかねません。忠告する機会としては妥当だと思いますよ」

『まあ、あの親父にはいい薬だったんじゃねえか? ……やり過ぎだとは思うけどよ』

「ふむ、君もそう思いますか、デル公君?」

『デルフリンガーだ、そう呼びな。……で、旦那は何者だ? 体格に力と技量が合ってねえ、『使い手』でも無いくせにこんな奴は初めてだぜ』

「自己紹介は後ほど。さてご主人様、買い物の続きと参りましょうか?」

 

 喋る剣改めデルフリンガーを鞘に納め、ルイズ達を促す。

 妙に疲れた顔の彼女達が一転、明るい色に染まった。

 古今東西、若い女性の買い物好きは変わらないらしい。

 鞘に納められておとなしくなったデルフリンガーを背負い、トモはきゃぴきゃぴとはしゃぐ彼女達の後ろを着いていった。

 

 

 

 

 

 

※ヤナギダ・トモ(柳田智)

 

HP:11/11 MP:9/10(※1) SP:10/10 ※数値は現在値/最大値

 

EXP:2 所持金:110円

 

 

取得アイテム

 

・デルフリンガー:錆の浮いた古びた大刀。レンジ密着〜近距離、物理ダメージに1d6+5、クリティカル値にー2。神器ではないので判定にファンブルすると破損する。重量:2

 




(※1)シナリオ内にて時間経過した事による自然回復後の値である。

※HP、MP、SPの自然回復
・HP:ゲーム内時間で6時間の休憩を取るごとに1点回復する。
・MP:ゲーム内時間で1時間の休憩を取るごとに1点回復する。
・SP:ゲーム内時間で一日の休憩を取るごとに1点回復する。
ここで言う休憩とは一切判定を行わない未行動状態を指し、一回の休憩で回復出来るのはいずれか一種のみである。


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第八話 奪還(くえすと)

「ちょっと買い過ぎたかも知れないわね」

「……これが、ちょっとの量ですか?」

 

 シルフィードを預けていた竜舎の前で、トモはうずたかく積まれた箱の山を見上げた。

 帰る段になってようやくシルフィードの積載量を思い出したルイズ達が明後日の方向を向く。

 彼女達の頬に伝わる冷や汗に、彼は天を仰いでから対策を提言する。

 

「……後で届けてもらいましょう。宅配業者とかは居ないんですか?」

「「「あっ!!」」」

 

 かくして身軽になった一行を乗せ、シルフィードは帰還の途につく。

 荷物の山を前にした時の絶望的な表情とは一転して妙に晴れやかに大空を舞う風竜の背で、トモとデルフリンガーは自己紹介を交わしていた。

 

『……じゃあ旦那はそのサムライってやつで、あれはサムライに伝わる剣技なんだな?』

「ええ、そうです。普通は打刀って言うバスタードソードくらいの大きさの刀を使うんですが、デルフリンガー君位の大きさの刀もありますから」

『ほう、そうなのか?』

 

 朗らかに会話を交わす一人と一本を眺めながら、ルイズは今までとこれからに思いを馳せる。

 魔法学院に入学して以来、ルイズの周りには敵しか居なかった。

 憐れみ、侮蔑、嘲笑。その他諸々の悪意が渦巻く中、彼女は常に一人だった。

 そんな環境が、ここ最近になって変わりつつある。

 相変わらずキュルケはからかってくるし、ギーシュは気障でモンモランシーは嫉妬深いのは変わっていない。しかしキュルケのからかいからは嫌みが抜け、ギーシュやモンモランシーも彼女を侮蔑する事無く友人として付き合っている。タバサはよく解らないが仲は悪くないと思う。シエスタはあの事件以降、ルイズ専属として働いている。中々に『出来る』彼女に、これは良い出会いだったと思わずにはいられない。

 

(……あの胸だけは気に入らないけど……)

 

 若干黒い思考が挟まるが、ルイズが彼女を高く買っているのは事実だ。

 オスマンやコルベールとも接する機会は増えた。オスマンのセクハラぶりには辟易するが、よく見ると決定的な間違いは犯していない事が分かる。あれもくだらないギャグと同じで、コミュニケーションを円滑にする手段なのだろう。

 コルベールは元々学院一の変人教師として知られていた。だが、その人となりを知るにつれ、それらの噂が事実を表していないことにルイズは気付いた。

 彼は火の系統を平和的に利用することを目指している。それに時々、平和ボケした他の教師とは違う剣呑な空気を漂わせていることがあった。おそらく過去に何かあって、それが彼の目的を産んだのではないかとルイズは推察している。

 

(こうやって考えてみると、それぞれに背負うものがあるのよね……)

 

 ルイズは貴族だ。だから貴族の責務を背負う義務があり、故に平民を統べる権利がある。

 だけどあの決闘の際、彼女は義務を忘れて権利だけを貪ろうとしていた貴族達の醜い姿を目の当たりにした。そんな貴族達にどれ程平民が追い詰められていたのかも。

 あの時のシエスタの叫びは、そのまま平民達の慟哭でもあったのだ。

 もしも、それに気付かずに貴族として民を導く立場になったとして、ルイズは果たして彼女の望む貴族になれただろうか?

 

 今、ルイズの意識に大きな変化が訪れようとしていた。

 それを導いたのは間違いなく彼女の使い魔である。

 自由闊達、奔放無頼、皮肉屋で口が達者な『冒険者』。いつか神を殺す、そんなあやふやな目的に人生を捧げた彼の生き様はルイズには理解出来ない。理解出来ない筈だった。

 けれど彼女は思い浮かべずにはいられない。彼とシエスタと見知らぬ仲間達と共に、迷宮を踏破し怪物達を倒し、強大な神に挑む己の姿を。

 その姿はルイズを強く惹き付けて止まない。けれど彼女は貴族なのだ。

 始祖に帰依するものとして、冒険者と言う異端に踏み込む事は許されない。

 

(止めよ、止め。益体もないこと考えても仕様がないわ)

 

 頭を振って思考停止。何かを訴え続ける心を無視して視線を正面に向ける。

 そして視界に飛び込んで来たそれに、彼女は呆気にとられた。

 

「………は?」

 

 五つの塔に囲まれた学院の本塔、それを殴り付ける巨大なゴーレムと言う非日常の光景に。

 

 

 

***

 

 

 

 ゴーレムとは本来『形なきもの』を意味し、土塊から産まれた人間の原型たる泥人形のことを指すと言う。それが転じて土から創られ、魔法によって動く人形を総じてゴーレムと呼称するようになったらしい。

 

(それが本当なら、差詰め『アレ』は巨人の原型ってところかしら?)

 

 魔法学院の強固な『固定化』を掛けられた本塔を蹂躙する巨大ゴ−レム。

 それを目の当たりにしながら、ルイズはそんな豆知識を思い浮かべていた。

 もちろん現実逃避である。

 彼女だけではない。一行を乗せたシルフィードも含め、みな唐突に起きた非現実な出来事に呆気にとられている。だが一行の中でただ一人だけ、即座に行動を開始した人物が居た。

 

「タバサさん、シルフィードを『アレ』の手が届かない高度に上げて、『アレ』の上空を旋回させて下さい! ご主人、キュルケさん! 『アレ』に見覚えはありませんか!?」

 

 トモの台詞に我に返ったタバサがシルフィードに指示を出す。

 急上昇するシルフィードの力強い羽撃きに、ルイズとキュルケが続けて我に返った。

 

「ちょ、ちょっと待って! キュルケ、あれは学院の関係者じゃないわよね?」

「そ、そうね。少なくとも学院をすすんで壊そうとする関係者は居ないと思うわ」

 

 全長三十メイル程のゴーレムは、上空を舞う風竜などおかまいなしに本塔を殴り続ける。

 そこに何があるのかを思い出したキュルケは、ゴーレムを操る人物の目的を見抜く。

 

「ねえ、あの辺って、宝物庫のある辺りじゃない?」

「まさか、賊? 有り得ないわ、ここにどれだけのメイジが詰めていると思ってるの!?」

「実際に襲われているじゃないですか! なら有り得ないことじゃありません!!」

 

 まだ混乱しているらしいルイズを一喝し、トモはゴーレムの様子を窺う。

 相変わらずゴーレムは壁を殴り続けていた。だだっ子のような力任せのそれは、しかし微笑ましさなど一切持ち合わせない純粋な暴力である。

 良く見ればゴーレムの肩に人影が見えた。恐らくあれがゴーレムを操る術者なのだろうが、有効な攻撃手段が手元に無い。トモは接近戦が専門だし、魔法もこの距離では精密さに欠ける。

 かと言って距離を詰めようにも、あの巨体に迂闊に近付けば瞬く間にシルフィードごと挽肉にされてしまうのがオチだ。

 

「とりあえず、この場は見逃す他は無さそうですね」

 

 悔しさを滲ませつつ、トモはそう漏らした。

 諦めた訳ではない。この場は見逃して泳がせて、先廻って捕縛するつもりだった。

 とりあえずもっと高度を上げるように指示を出そうとしたトモは、ルイズが杖を振り上げるのを見てギョッとした。

 

「ご主人! やめ──」

「魔法を使えるから貴族じゃないわ、敵に背中を見せないから貴族なのよ!」

 

 ルイズはトモの呟きを額面通りに捕らえてしまっていた。

 言葉が足りなさ過ぎたのである。

 何より、ルイズはトモに失望してしまった。

 『決して諦めずに運命を切り開く』、その言葉が口先だけだと思ってしまったのだ。

 

(見てなさい、私は決して諦めないわよ!!)

 

 もしも彼がその思惑を全て語っていれば、ルイズもこんな勘違いはしなかっただろう。

 あるいは呟きを漏らさなければ、状況は変わっていた筈だ。

 ここに来てから初めてとも言える、トモの失態であった。

 

「『ファイヤーボール』!!」

 

 勇ましく振るわれた杖からは何も出ず、代わりに本塔の壁が爆発四散した。

 そこへゴーレムの腕が突き刺さる。人影はゴーレムの腕を伝い、悠々と宝物庫の中に消える。

 そして再び姿を現した時、人影は大きな箱を抱えていた。

 それを見ていたルイズの頬に冷や汗が伝う。

 

「も、もしかして……やっちゃった、かしら?」

「「「………」」」

「だ、大丈夫! 今度は外さないから!!」

 

 ジト目の一同から顔を逸らし、ルイズはゴーレムに向けて再び杖を向ける。

 しかしゴーレムは学院の城壁を突き崩し、猛然と逃走を開始した。

 

「大変! 逃げるわよ!!」

「……追って」

『きゅぃいいいいっ!』

 

 タバサの簡潔な命令に従い、シルフィードは猛然とゴーレムを追い始めた。

 鈍重な見掛けとは裏腹にかなりの速度があるものの、最速を謳われる風竜には関係無い。

 瞬く間に追い付き、ルイズが再び杖を振り上げる目の前で、ゴーレムは突然崩れ落ちた。

 

「え……?」

 

 突然のことに目を白黒させる一同。

 ゴーレムはたちまち土の塊に姿を変え、小山のように降り積もる。

 そしてその肩にいた筈の人影は、煙のように消え失せていた。

 

 

 

***

 

 

 

 魔法学院の宝物庫、いや『元』宝物庫に集まった教師の数は驚く程少なかった。

 

「なんじゃ、これっぽっちしかおらんのか! この非常時に何たることか!」

「お、お言葉ですがオールド・オスマン。何分今日は『虚無の曜日』でして……、教師の方々も出払ってしまい、残っていたのは私たちしか……」

 

 不甲斐無い教師達に憤慨するオスマンに、残っていた数少ない教師の一人であるシュヴルーズが青い顔で釈明する。しかし彼女は運が良かった。もし賊が夜に現れたのなら、今晩の当直であるシュヴルーズが全責任を負わされていた筈だったのだから。

 我が身の幸運を始祖に感謝するシュヴルーズ。そんな彼女を横目にしながら、オスマンは壁に残された賊のメッセージを読み上げる。

 

「破壊の杖、確かに領収いたしました。土くれのフーケ、か……。近頃噂になっとる盗賊が、とうとう学院に狙いをつけたということかの」

 

 それはトリステインの貴族にとって恐怖の代名詞とも言える名前であった。

 主にマジックアイテム、魔法の付与された物品を専門に狙う盗賊で、盗みに入る際に『練金』でどんなに強固な壁や扉も土塊に変えてしまうことからそう呼ばれている。性別すら不明なほど謎に包まれており、唯一判明しているのは土のトライアングルメイジらしいと言うことだけ。

 そして犯行現場にふざけたメッセージを書き残していくことでも知られた盗賊であった。

 

「嘗められたものじゃな。言わばメイジの総本山たる学院に白昼堂々襲い掛かるとは……。もっともこの様では嘗められても仕方無いのかも知れんの」

「何を呑気な……! すぐに王室に連絡して、衛士隊を差し向けてもらわないと!」

 

 怒り半分に自嘲半分のオスマンに、駆けつけたコルベールが詰め寄った。

 しかしオスマンは首を横に振る。

 

「それはいかんぞミスタ・コルベール。これは魔法学院の問題じゃ。身に掛かる火の粉を己で払えずして、貴族は名乗れん。その上ここには王家からの預かりものもあるのじゃ、信頼して預けたものが盗まれましたでは学院の信用に関わってしまうぞい」

 

 故に自力で解決するんじゃよ──そう言うと、オスマンは目撃者の方へ目を向ける。

 そこに居たのはある意味で馴染みの面々だった。

 ルイズは何故か悲壮感すら漂う程の緊張を漲らせている。逆にトモは憎らしいほどいつも通りの態度で、一緒に呼び出されたキュルケとタバサのコンビと談笑していた。対極的な主従の姿に戸惑いながらも、オスマンは普段は隠している威厳を表に出して命じた。

 

「詳しく説明したまえ」

 

 その言葉にトモが反応するよりも早く、ルイズが進みでて説明を始める。

 トリスタニアから帰って来た途端、襲撃に出くわしたこと。

 使い魔の機転を自ら潰してしまったこと。

 ゴーレムを狙った魔法が誤爆して宝物庫の壁を破壊したこと。

 それが盗賊に宝を盗み出される隙を与えてしまったこと。

 逃げる盗賊を追いかけて結局見失ったこと。

 

「……ゴーレムは崩れて土の塊になってしまいました。賊の姿も一緒に消え失せ、その人となりも全く分からず仕舞いでした」

「成程、よく解った。ミス・ヴァリエール、下がって宜しい」

 

 話を聞いたオスマンは内心で嘆息する。

 事情を話している間、ルイズは俯いて血の気が引く程握り締めた拳を震わせていた。

 ゴーレムを見失った後、トモから話を聞いたルイズは自分の思い込みが全ての原因だと感じていたのである。無論、そんなことは無い。鮮やかな引き際を見せたフーケをあのまま泳がせていても、結局見失っていただろうことは想像に難くない。

 けれど立派な貴族たろうとするこの誇り高い少女は、自らの過ちを許せなかった。

 

 もしも、あの時血気に逸って攻撃したりせずに泳がしておいたなら?

 もしも、あの時壁を破壊しなかったなら?

 

 後から後から湧き出る後悔が彼女を押し潰す。しかしルイズは目を逸らさない。

 後悔と責任感が渦巻く内心を押し殺し、当事者としての義務を果たそうとする彼女の危うさを感じたオスマンは、わざと突き放してルイズを守ろうとしたのである。

 だが、その心遣いは一人の教師によって無駄に終わった。

 

「なんて事をしてくれたのかね、ミス・ヴァリエール! 君が余計なことをしなければ学院の秘宝は盗まれずに済んだのに!」

 

 口角に泡を飛ばしてルイズを糾弾したのはギトーと言う教師だった。

 学院でも珍しいスクウェアクラスの教師で、本人もそれを笠に着て自分の系統である風が最強と言って憚らない。直情径行の気があり、非常に感情的で物事を自身の尺度で図ると言う小物の条件を満たす男でもあった。風と言う自身の系統を裏切り、空気を読まぬ発言に場をかき乱されることもしばしばある。

 それがよりにもよって今この場で発動したのだ。

 

「そもそも魔法も満足に使えない劣等生の君に何が出来ると言うのかね!? ミス・タバサにでも後を任せて、さっさと引っ込んでいれば良かったものを!」

 

 蒼白になったルイズの目が潤む。けれども彼女は反論もしないでじっと耐えた。

 涙を堪えて投げ掛けられる罵声をただただ受け入れる彼女に、ギトーは一方的に捲し立てた。

 その言い草にコルベールやオスマンだけでなく、キュルケやタバサもむっとした顔になる。

 そして皆がギトーの暴言を諌めようと口を開けようとした刹那、

 

「大体、『ゼロ』の分際で───」

「お言葉が過ぎるんじゃないですかね、先生?」

 

 ギトーの口を塞いだのはオスマンでもコルベールでもキュルケでもタバサでもなかった。

 一歩進み出てルイズを背後に庇い、ギトーを睨み付けていたのは平民の使い魔、トモだった。

 

「何だ貴様は! 平民風情が邪魔をするな!!」

 

 青筋を立てて怒るギトーを無表情に一瞥し、トモは慇懃に一礼する。

 

「申し遅れました。私はミス・ヴァリエールに招聘されて使い魔を務めておりますヤナギダ・トモと申すもの。極東は日本国、こちらで言うロバ・アル・カリイエより召喚の儀にて呼び出され、オールド・オスマンの保護を受けて学院にお世話になっております」

「使い魔だと? ……そうか、『ゼロ』に召喚された平民とは貴様のことか!」

 

 あくまで慇懃な態度を崩さないトモに、ギトーは見下し切った目を向ける。

 何も珍しいことではない。平民は貴族に仕えるもの、その固定観念は生徒のみならず教師にとっても常識だったからだ。むしろオスマンやコルベールの方が異端なのである。

 六千年の貴族優位社会が育てた偏見は、余りにも強固に貴族自身を縛っていた。

 

「その使い魔が何の用だ! まさか主人を庇い立てするつもりか!?」

「いいえ、賊に付け入る隙を与えてしまったのはご主人の落ち度です。それに付いては異論はありません」

 

 その言葉を聞いたオスマン達は驚愕し、ルイズは絶望した。

 遂に使い魔にまで見放されてしまった、と。

 けれど続く言葉を聞くや否や、彼女は困惑する事になる。

 

「私はただ、先生の思い違いを正して差し上げようとしたまでです」

 

(思い違い? 一体、何のこと……?)

 

 ルイズの動揺を余所に、トモとギトーの対決は始まった。

 先手(イニシアチブ)を取ったのはトモである。

 

「ところで、先生は他の先生方のようにお出かけにはなっておられないのですね?」

「当然だ、学院の危機に備えずして何が教師か!」

 

 実際にはその気性に辟易した同僚が誘わなかっただけだが、それを知らないギトーは胸を張る。

 

「成程、その割には盗賊を迎撃する際にお姿を見掛けませんでしたが?」

「ぐっ!?」

 

 そう、何と言おうがフーケに立ち向かったのはルイズ達だけなのだ。

 ちなみにギトーはその時、パニックになって正装に着替えていた。同じパニックであっても、ルイズのそれに比べれば全然無意味な行動である。

 言葉に詰まるギトーに、トモは更なる追撃を掛けた。

 

「それにご主人は少なくとも貴族の義務を果たそうとしておりました。結果的には賊にしてやられましたが、その件について追求される筋合いは無いのでは?」

「うぐっ!?」

 

 貴族の義務を持ち出して来たトモに、ギトーは何も言い返せない。

 実際はともかく、建前としての高貴なるものの義務(noblesseoblige)は未だに残り、貴族はそれに準じた行動を取るべきとされている。ルイズはそれを実践しただけだ。それを否定することは貴族の名誉を穢したと思われても仕方が無い所行であった。

 再び詰まるギトーに、トモは止めの一言を放つ。

 

「何より私とご主人への暴言は、そのままヴァリエール家とオールド・オスマンの体面に直結します。引いては貴方の家名に泥を塗ることになりますよ?」

「ぐはっ!!」

 

 それはド・ロレーヌにも語った事実の再確認でしかない。

 けれど、それはギトーの頭に昇った血を一気に引き下げるには充分な威力を持っていた。

 ルイズとトモにうかつなことを言えば、ギトーは爵位と名誉と職を一気に失う事になる。

 最早彼に逃げ場所は無い。

 

「おのれ、虎の威を借る狐如きが……!」

 

 憎々しげに吐き捨てるギトー。その言葉を聞いたトモは飄々とした態度を崩さずに言い放つ。

 

「虎からすれば卑怯者でしょうが、狐からすれば生き残る為に考え出した知恵ですよ? 力の振るいどころを間違えた貴方に、狐を誹謗する権利があるのですか?」

 

 虎に喰われかけた狐が咄嗟に吐いた嘘、『自分は獣の王様である』を証明する為に狐の後を着けた虎。狐を見る度に逃げ出す獣達に嘘を信じ、狐に礼を尽くした虎は結局最後まで獣達が狐ではなく、その後ろに控えた虎に怯えていた事に気付けなかったと言う故事。

 『強者に媚を売ってその名を悪用する卑怯者』の代名詞と化した有名な故事だが、見方を変えれば『危機をチャンスに変えた知恵者』となりうるのだ。狐はただ自分の力を存分に振るっただけ、力を持ちながら使いもしなかったものにそれを否定する権利は無い。

 もはや完全に言葉を失ったギトーを一顧だにせず、トモはオスマンに向き直る。

 

「失礼しました。何分、聞くに堪えない世迷い言だったもので」

「……謝るのはこちらの方じゃ。ミス・ヴァリエール、ミスタ・ギトーの暴言、全教師に変わって儂が謝罪しよう。済まなんだな」

「い、いえ、そんな! お顔を上げて下さいオールド・オスマン!」

 

 ルイズは自らに向かって下げられた頭に慌てふためく。

 ギトーの言葉は刺があったとは言え、概ねその通りだと彼女は思っている。だから、オスマンが謝る理由が分からなかった。

 一方、オスマンはギトーの浅慮に腹を立てつつ、トモの言葉に驚嘆していた。

 確かにルイズのしでかしたことは問題だった。けれど今のルイズはいっぱいいっぱい、これ以上追い詰めれば彼女がどうなってしまうのか分からない。だからオスマンは一旦突き放して事件から遠ざけ、適当な罰を与えて罪悪感を軽減させようとしたのだ。

 しかしその思惑はギトーによって潰されてしまった。このまま彼女を遠ざければそのまま責任感に押し潰され、二度と立ち直れなくなってしまっただろう。

 だからトモはルイズの罪を肯定した上で教師たちの責任を追及し、その所在をうやむやにする事で彼女の名誉とその心を守ったのだ。

 

(……敵わんなぁ。これでミス・ヴァリエールは少なくとも己の罪業に潰されることは無くなるじゃろう。その上、ギトー君を生贄にすることで学院に責任を分散しおった。これで儂の提案も説得力を持つ事になる。……ここまで読んでおったのかの?)

 

 碌に顔を合わせたことの無いギトーの心理をここまで読み切って仕掛けたのなら、トモは一角の戦術家だ。それも最小の犠牲で自分と主に有利な展開を引っ張って来るような一級品である。

 敵に回すには恐ろしい部類の人物だった。

 だが、今はその支援砲火が有り難い。オスマンが提案しようとしていた策にこれほどの説得力が産まれたのだ、使わない手は無い。

 

「……こほん。えー、先程も言った通り、フーケの一件はあくまで『学院の問題』として処理せねばならん。故に儂ら自身で解決するのじゃ。そこでフーケの捜索隊を編成したいと思う。我と思うものは杖を掲げよ」

 

 有志を募ってフーケを追撃し、秘宝を取り返して襲撃の事実を隠蔽する。

 それがオスマンの考えであった。破壊された本塔は魔法の暴発とでもすれば良い。

 肝心なのは宝物庫の中身が揃っていることなのである。

 

「……どうした? 何故、誰も杖を上げんのかね?」

 

 しかし彼の思惑に対し、教師たちは沈黙によって応えた。

 あれほど調子の良いことを言っていたギトーですら、青い顔で首を左右に振るばかり。他の教師に至っては困ったように顔を見合わせるだけで、杖を掲げる素振りすら見せない。

 皆、怖れていたのだ。日が傾きかけていたとは言え、白昼堂々と巨大ゴーレムで魔法学院に乗り込んでくる盗賊に、尻込みしていたのだ。

 

「おらんのかね? フーケを捕まえて名を上げようとする勇敢な貴族は誰もおらんのかね!?」

 

 オスマンは舌打ちをしたくなった。

 数が少ないとは言え、ここに居るのはメイジを養成する為に国中から集められたエキスパートである。それがこの体たらく、この様では折角のトモの援護も意味を成さず、盗賊を逃した学院の名誉は地に落ちるだろう。

 だから震えながら掲げられた杖を発見した時、彼が杖の主を確認せずに捜索を命じたとて無理はあるまい。

 

「おお、行ってくれるのか! ならばお主に頼もう……って、お主は!?」

「馬鹿な、ミス・ヴァリエール!?」

 

 そう、高く掲げられた杖はルイズのものであった。

 驚愕する一同を見渡し、彼女は吼える。

 

「誰も掲げないなら、私が行きます! 元を正せば賊に付け入る隙を与えたのも私の責任、ならばその雪辱は自分で晴らしてみせますわ!」

「いけません、貴女は生徒なんですよ!? こんな危険にさらす訳には……!?」

 

 コルベールがルイズを説得しようとするが、続けて掲げられた杖を見て絶句した。

 そこに居たのはキュルケとタバサ。片や不敵な微笑みを浮かべ、片やいつも通りの無表情で、ルイズよりも高く杖を掲げている。

 

「君たちまで、何を!?」

「ヴァリエールに遅れをとるのはツェルプストーの恥ですもの」

「……二人が心配」

 

 何でも無いことのように言ってのける二人に、ルイズは心の中で感謝を捧げる。

 キュルケもタバサも、フーケの件には直接の関係が無い。たまたまその場に居合わせた二人を巻き込んでしまったのはルイズである。けれどその事を二人とも責めたりはしなかった。その上、彼女の雪辱戦を援護するとまで言ってくれたのだ。その心遣いにルイズはただただ感謝する。

 

「……やっぱり私は反対です! 今からでも衛士隊に……!」

「お待ちくださいミスタ・コルベール。この件、私とご主人にお任せください」

 

 教え子達が危険に晒されることを良しとせず、コルベールが再度衛士隊への連絡を提案しようとする。それを止めたのは、ギトーをやり込めてから一言も発しなかったトモであった。

 

「な、君まで……! 分かっているのかね? このままでは彼女達が……!」

「全部理解しておりますとも。だからこそ、止めるべきではないと思うのです」

 

 そう言うと、トモはコルベールにだけ聞こえるように囁く。

 

「……今のご主人は自信を喪失しています。それも以前のような上辺だけのものでは無く、魂とも言うべき大事な部分の、です。多少の危険はあっても、何らかの形でご主人自身が解決に関わるようにしなければ、ご主人は今度こそ限界を迎えてしまうでしょう」

「う、し、しかし……」

「何も盗賊本人を捕らえずとも良いのです。犯人に繋がる重要な証拠やアジトの手掛かりを見つけるだけでも、ご主人の救いになるはずですから」

「う、ううむ……」

 

 トモの言うことも分かる。だが、いくら彼女の為とは言えど、教え子をむざむざ危険な所へ向かわせるのは躊躇われた。苦悩するコルベール、だがその迷いを断ち切ったのはオスマンの言葉であった。

 

「ならば君たちに頼むとしよう」

「そんな、オールド・オスマン、私は反対です! 生徒を危険な目に遭わせる訳には……!」

 

 事態の推移に置いていかれたシュヴルーズが今更反対を示す。

 しかしオスマンが「では、君が行くかね?」と尋ねた途端、彼女は火が消えたように口籠った。

 

「まあ、コルベール君やミセス・シュヴルーズの心配も分かる。じゃが、彼女達は犯人を見ておるのじゃ。捜索においてこれほど有利なものは無い。その上、ミス・タバサは若くしてシュヴァリエの称号を持つ騎士じゃと聞いておるし、ミス・ツェルプストーはゲルマニア随一の軍閥の家系じゃろう?」

 

 それを聞いた教師達にどよめきが走る。

 シュヴァリエは序列こそ最下位ではあるが、他の爵位とは違い相応の功績を挙げたものだけに与えられる称号だからだ。タバサの歳でシュヴァリエに叙勲されるのは異例である。キュルケも思わず「それ本当!?」と本人に確認したくらいだ。

 そのキュルケも優秀な軍人を多数輩出したことで知られる名門の出だ。戦争の度にヴァリエール家と戦って来た経験は伊達ではない。

 

「本人達も二年では珍しいトライアングルメイジじゃ。系統は違うとは言え、同じトライアングルのフーケにそうそう引けを取ることはあるまい。ミス・ヴァリエールもトリステイン最大の大貴族の息女じゃし、何よりフーケと交戦した唯一のメイジじゃ! 杖も掲げんボンクラ共より余程信用がおけるわい!」

 

 そう言って居並ぶ教師陣を睨み付けるオスマンに、気まずそうに視線を逸らす教師達。

 

「その使い魔であるミスタ・ヤナギーダも一流の『メイジ殺し』じゃ! さあ、彼女達に優ると思うものがいるなら、一歩前に出て代わりに志願したまえ!」

 

 冒険者であることを伏せるため『メイジ殺し』────武器や策略でメイジを出し抜く平民の傭兵の総称────にされたトモが教師達を睨め付ける。

 たじろぐ一同が一歩も動かないのを確認すると、オスマンはルイズ達に向き直った。

 

「魔法学院は諸君らの努力に期待する。ただし、自身の命を第一にすること! 死ぬような真似は決して許さぬ、これは厳命じゃ!!」

「「「杖にかけて!!」」」

 

 ルイズとキュルケとタバサは直立不動で答えた後、恭しく一礼する。

 トモだけが何も言わずに控えていた。

 

「頼んだぞい。ところで、ミス・ロングビルはどうしたのかね? 姿が見えんようじゃが……」

「そう言えば、襲撃直後辺りから姿が見えないようですが……どこへ行ったのでしょうか?」

 

 オスマンとコルベールが互いに首を捻り合っていた時、噂のロングビルが慌てた様子で現れた。

 

「何処へ行っていたんですか!? 大変なことが起こったのですぞ!?」

「承知しています! オールド・オスマン、賊の居場所が分かりました!!」

「何じゃと!」

 

 ロングビルの報告に、オスマンのみならずその場にいた全員が度肝を抜かれた。

 

「ゴーレムが逃走した時、私は偶然黒ずくめのローブ姿の男を目撃したのです! さてはコイツが賊に違いないと後を着けたところ、近くの森にあった廃屋へ入っていくのを確認しました!」

「でかした! おそらくその廃屋がフーケの隠れ家じゃろう、そこは近いのかね?」

「馬で四時間程といった辺りでしょうか。今から向かうと恐らく夜になってしまうと思いますが」

 

 思わぬ知らせに考え込むオスマン。

 相手は名うての盗賊である。先刻はああ言ったが、危険な相手には違いない。如何に実力者揃いとは言え、未だ学生に過ぎない彼女達に危ない真似はさせたくなかった。

 

「……ではミス・ロングビル、馬車を用意させよう。彼女達をその廃屋まで案内してほしい。君たちにはフーケを見張ってもらおう。無理にフーケを捕まえようとせんで良いからの」

「では私たちの命が最優先で、次点は秘宝の奪還。フーケの捕縛はおまけとして考えれば良いのですね?」

 

 オスマンが下した命令を、それまで口を噤んでいたトモが簡潔にまとめる。

 

「そうじゃ。あくまで目的は秘宝の奪還なのでな」

 

 その言葉に頷いたトモは姿勢を正し、胸元の聖印にその手を重ねて重々しく宣言する。

 

「冒険者ヤナギダ・トモは捜索隊の身を守り、学院の秘宝を奪還することをここに誓う。

 ──────宣誓(クエスト)!」

 

 三本の剣を重ねた聖印が銀光を放つ。

 一行を乗せた馬車が学院を出立したのは、それから少し経った頃だった。

 

 

 

 

 

 

新規クエスト追加

 

・『破壊の杖』の奪還(期限:翌日まで)

 

 

 



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第九話 作戦(ねまわし)

 『破壊の杖』、学院の秘宝たるそれは名に反してどう見ても杖に見えない外見をしていた。

 鉄でも銅でも無い未知の金属で作られたそれは非常に軽く、1メイル程の太い筒に精密な小物がくっ付いており、何よりそれを振っても魔法は発動せず、『ディティクトマジック』を掛けても全く反応が無い。幾人ものメイジがその秘められた力を解き放たんと挑んだが、杖は黙秘を保ったまま今日まで死蔵されていたのだと言う。

 

「それ、本当に杖なんですか? 使えない道具ほど意味の無いものはありませんよ?」

「私もそう思うわ。けれど学院長が一度だけ使われる所を見たらしいの。それを見て『破壊の杖』って名付けたのも学院長だったし」

「そんな訳で『破壊の杖』は学院の秘宝とされたんですが、まさかフーケに狙われるとは思いもよりませんでした」

 

 日も落ちかけた黄昏時、フーケの隠れ家を目指す馬車の上でルイズ達は夕食代わりの弁当を囲みながら話に興じていた。無論、話題は『破壊の杖』の由来についてである。

 手綱を握るロングビルも交え、ああだこうだと憶測をする一行。

 そんな中、ルイズだけが険しい顔で考え込んでいた。

 

(……どうしよう。どうしたら勝てるのかしら? あのフーケに)

 

 キュルケやタバサ、そして己の使い魔が談笑するのを横目で見ながら、ルイズは焦る。

 彼女にはキュルケ達のような戦う力が無い。魔法も使えず、剣も扱えないルイズはただの無力な小娘でしかない。オスマンはフーケとは無理に戦わなくて良いと言ってくれたが、それは賊の出方次第で変わってくる。最悪、交戦になればルイズは足手まといに早変わりだ。

 

「……『貴族は魔法を持ってその精神とする』、か」

 

 ルイズは常々両親や教師達から繰り返し聞かされた言葉を口にする。

 彼女はそれを『貴族は魔法を使えなければならない』と言う意味に取っていたし、恐らく学院の生徒たちも皆そのように受け止めていると思う。

しかしルイズはこの言葉の真の意味を知った。それは────

 

(────貴族の誇りを貫くには、それ相応の実力がいるって事なのね)

 

 ならば、今のルイズは貴族と言えるのだろうか?

 自分の無力がこれほど恨めしく思えたのは初めてだった。

 

 落ち込むルイズに、そっと弁当が差し出されたのはそんな時だった。

 焼きたてのパンに切れ目を入れて肉や野菜を挟んだ、単純ながらも見慣れない料理が漂わせる香ばしい香りは、塞ぎ込む彼女の胃袋さえも刺激して食欲をそそる。

 

「食べておかないと持ちませんよ? 腹が減っては戦が出来ぬと言いますし」

「……いただくわ。ありがとう、シエスタ」

 

 それを差し出していたのは、何故か着いて来たシエスタであった。

 

 

 

***

 

 

 

 それは彼女達が出立する直前のこと。

 慌ただしく準備を整えるトモ達の前に現れたシエスタは一行に加わりたいと言い出したのだ。

 

「お願いします! 私も連れて行って下さい!!」

「分かりました」

「「「「ちょっ!?」」」」

 

 あっさり同行に同意したトモに驚くルイズ達。

 

「何考えてるの! シエスタはメイドなのよ?」

「ですが冒険者でもあります」

 

 慌てたルイズの抗議にトモは冷静に答える。

 

「冒険者は一人で戦う訳ではありません。仲間と組んで戦うこともあるんです」

 

 冒険者が数名寄り合って作る集団のことを『ギルド』と呼ぶ。様々な恩恵があるらしいがギルドの掛け持ちは出来ず、ギルドを脱退すればその恩恵を受けられなくなる。現在トモの周りに、いやこのハルケギニアにいる冒険者はシエスタだけ。必然的に彼がギルドを組む相手は彼女しかいない事になる。

 

「ギルドを組む利点は色々あるんですが、今一番重要なのは『耳打ち』ですね」

 

 同じギルドのメンバーは、聖印を通じてどんなに離れた所からでも意思疎通が可能になる。これを『耳打ち』と言う。一見地味だが便利なので重宝される恩恵の一つらしい。

 

「例えば先行した偵察と連絡を取るとか、離れた所にいる別働隊に指示を送るとか、ですね」

「!?」

 

 言わば人数限定の携帯電話や無線のようなもの。

 情報が未だ人伝にしか行き渡らないハルケギニアにおいて、一瞬にして情報伝達を可能にするそれがもたらす恩恵は莫大なものになるだろう。

 

「頭数を揃えて行くなら、固まるよりも分散した方が有利です。私とシエスタさんがギルドを組み、二手に分かれて連絡を取り合う。そうすれば賊がどう動いても対応出来ますから」

 

 それは未知なる戦術が完成した瞬間であった。

 タイムラグの無い、完全な情報共有を軸にした二面作戦。軍略に疎いルイズであってさえ、それがどれほど有用かが理解出来るくらい画期的な作戦である。

 ただ、問題があるとすれば……

 

「ねえ、それってキュルケ達にも事情をばらすことになるんじゃない?」

「あっ!」

 

 

 

***

 

 

 

「……確かに学院長に誓ったんじゃ、本当のことも言えないでしょうね。それにしても……」

「……如何なる困難にも決して諦めない、まるで『イーヴァルディの勇者』のよう」

 

 結局、トモはキュルケ達にも冒険者のことを明かした。

 オスマンに事情を説明して許可は得たものの、『冒険者の洗礼』などの深い部分は教えてはならぬと厳命されている。故にトモが語ったのは冒険者の由来とその目的だけだったのだが、余りに荒唐無稽な話にキュルケは呆れ、タバサは何故か瞳を輝かせた。

 

「神を殺す、ねぇ。そんな目的の為に一生を台無しにするなんて、私だったら考えられないわ」

「冒険者の目的はそこに集約しますからね。それを諦めないのが冒険者なんですよ」

「……シエスタが冒険者になったのは、ギーシュとの決闘の時?」

「はい。ですが無我夢中でしたので詳しいことは……、その辺りはトモさんの方が詳しいかと」

 

 呆れ顔のキュルケとは対照的に興味津々のタバサ。

 彼らの出自を元より知っていたロングビルはひたすら手綱を握るのみ。もっきゅもっきゅとシエスタお手製のサンドイッチを頬張りながらそれを眺めていたルイズは、口の中のものを飲み込んでからトモに尋ねる。

 

「それで、どういう作戦で行くの?」

「とりあえず隠れ家までは纏まって行動しましょう。ですが基本は私とご主人とロングビルさん、シエスタさんとキュルケさんとタバサさんに分かれるつもりです」

「タバサ達をシルフィードに乗せて空中警戒させて、私達は地上から隠れ家に近付くのね?」

「正解です。よく解りましたね、ご主人?」

 

 ルイズの推論に、トモは軽く驚いて賞賛を送る。

 だが当の本人は褒められても余り嬉しくなかった。

 

「だってミス・ロングビルは土のラインでしょ? 貴方だって接近しなければ戦えないし、私の爆発も狙いが甘いから遠距離向きじゃないわ」

「あら、貴女のそれって失敗なんじゃないのルイズ?」

 

 混ぜっ返すキュルケに鼻を鳴らし、ルイズは落ち着いて反論する。

 

「失敗だろうがなんだろうが、フーケに有効なら使うまでよ」

 

 その言葉を聞いたキュルケはルイズの評価を上方修正した。少なくとも失敗魔法を失敗とせず、有効な戦力の一つとして数える程度にはコンプレックスも解消されたらしい。

 

「どっちにしろ空中からならキュルケの火が最も有効でしょう? だったら後は消去法よ。わざわざシエスタを連れて来たこともそうだし、これ位見抜けなかったら間抜けにも程があるわ」

 

 元々座学は優秀だったのだ。頭の回転は決して遅くない。

 そこに状況を冷静に判断出来る精神力が備われば、彼女は一流の軍師足り得る人材なのだ。

 

(面白くなって来たわね)

 

 本来なら強敵の誕生は忌むべき事態だ。だがツェルプストーの家系は代々情熱を燃やすことに命を懸ける一族、恋であれ、戦であれ、全身全霊を掛けて倒すべき強敵がいる幸運を喜びこそすれ、それを嘆くような真似は有り得ない。

 このまま行けばきっと彼女は自分の情熱を燃え上がらせる強敵となるだろう────キュルケは今からそれが楽しみであった。その為にまず目の前の脅威から生きて帰ろう。キュルケは自分の頬を叩いて気合いを込め直した。

 

「……何やってるのキュルケ? いきなり自分のほっぺた叩いたりして?」

「ん〜? ルイズがいきなりまともな事言い出すから、夢じゃないかなって思っただけよ」

「な、な、何ですってぇ!?」

 

(まあ、今はからかい甲斐のあるお隣さんで充分かしらね)

 

 キュルケはじゃれ付く子猫のようなルイズをあしらいながら、そんな事を思っていた。

 

 

 

***

 

 

 

 じゃれ合うルイズとキュルケを尻目に、タバサはトモに疑問を呈していた。

 

「……教えて。学院長に誓う時、貴方は何故条件を細かく設定した?」

 

 オスマンの命令は『秘宝の奪還』である。だから『賊の捕縛』は別な任務であると言えなくもない。しかし通常ならこの二つはワンセットで捉えられるだろう。

 だからあえて優先順位を問いただし、任務を分解したトモの行動は、彼女からすれば不可解そのものだった。

 

「ああ、あれは冒険者の誓約(クエスト)ですよ」

「……誓約(クエスト)?」

 

 冒険者は何者にも仕えないとは言っても限度がある。働かねば喰えないのは冒険者であっても同じことなのだ。だが働くと言うことは雇用主に仕えることでもある。

 そこで考え出されたのが『誓約(クエスト)』であった。

 これは要するに『依頼を果たすことを運命神に誓う』形にすることで、雇用者に仕えるのではないと言う『こじつけ』だ。国家や組織、あるいは個人が依頼を出し、冒険者がそれを引き受けて報酬を得る。それが冒険者の主な収入源だそうだ。

 

「仕事の内容を吟味して、優先順位を決めるのは冒険者の常識ですから」

 

 名の知れた盗賊であるフーケを捕縛するより、隙を見て秘宝を取り返す方がリスクは少ない。特にシルフィードと言うアドバンテージを持つ自分達なら、『秘宝の奪還』だけに狙いを絞って行動した方が成功率は高くなる。

 

「それに誓約(クエスト)自体にも恩恵はあるんですよ」

 

 神に立てた誓いを守り、見事誓約(クエスト)を達成した冒険者は運命神から報賞が贈られる。

 その代わり、クエストに失敗するととんでもないペナルティが課せられてしまう。

 ペナルティの内容は様々だが、中には命を落とすような危険なものもある。

 まさにリスクを負って生きる冒険者を体現したシステムと言えるだろう。

 

「あのまま命令を受諾すれば、それはオールド・オスマンに恭順することになります。ですから誓約(クエスト)を受ける形にしたんですよ。それならこちらにもメリットはありますし」

「メリット?」

「ああ、利点があるって意味です。……ふむ、どうやら通じる言葉と通じない言葉があるようです。この件が片付いたら言語比較表でも作って、共通する部分を調べても面白いかもしれません」

「……冒険者はそんなことまでする?」

 

 意外なものを見た顔のタバサに、トモは頷いてみせる。

 

「ええ。冒険者の能力は天井知らずですから、鍛えれば鍛えただけ能力も上がります。それは筋力や素早さのみならず、知力や精神力と言った部分にも及びます。セージ(賢者)みたいな学者系クラスもありますし、腕の良いアルケミスト(錬金術師)なら神器並みの効果を持つ秘薬を、一般人にも効くように作り直す事も出来ますから」

 

 淡々と語るトモの言葉。だがタバサはその内容に衝撃を受けていた。

 彼女は現在、とある理由からエルフの秘薬の解毒法を探している。トモ達に近付いたのもその一環だが、冒険者の秘薬は運命神から賜った神器であり、彼ら以外には使えない。

 だが冒険者に、アルケミスト(錬金術師)になればそれに手が届くかもしれないのだ。

 胸中に燃え上がる激情の焔に押されるまま、タバサは冒険者(トモ)に尋ねた。

 

「私も、冒険者になれる?」

「無理ですね」

 

 あまりにも明確な拒絶にタバサは呆然とする。そんな彼女に構わずトモは言葉を続けた。

 

「冒険者になる方法はオールド・オスマンから厳重に口止めされています。ですが、それがなくとも私は冒険者を増やすつもりはありません」

「どうして? 何故シエスタは良くて、私は駄目?」

「シエスタさんは運命に立ち向かう意志を無理矢理押さえつけられていました。ですが……」

 

 そこまで言うと、トモはタバサを正面から見据える。

 その眼光に込められた鋭い意志の輝きに怯むタバサに、トモはその言葉を突きつけた。

 

「自分から立ち向かう意志を殺している貴女に、冒険者を名乗る資格はありません」

「!!」

 

 タバサはその台詞に狼狽える。

 トモのその言葉が、彼女を取り巻く事情を指しているように聞こえたからだ。

 

「……何処まで知っている?」

「知る知らないじゃありません。貴女の目がそう言っているんです」

「……目!?」

「昔から『目は口ほどにものを言い』と言うくらいですからね。目には感情が表れ易いですし、その人を推し量るのには目を見るのがとても重要なんですよ」

 

 どうやら自分の事情を知られた訳ではないようだ。しかしタバサは安心出来なかった。

 たかが『目を見て』そこまで解るならば、これ以上親しくするのは危険だ。彼女の特殊な事情が暴かれかねない。けれどタバサはこの主従に深く関わり過ぎた。今更離れるのは不自然過ぎる。

 

(今は現状維持に務める。それしか無い)

 

 この妙に勘の鋭い使い魔は、タバサにとって毒にも薬にも成り得る存在だ。

 故に切り札でもあり、奥の手でもある。

 今後の基本方針を固め、タバサは馬車の進行方向に目を向けた。

 当面の心配事は、その先にいる筈だったから。

 

 

 

***

 

 

 

 『土くれ』のフーケは大胆不敵、神出鬼没を売りにする盗賊である。

 だが、決して警戒心が薄い訳ではない。むしろ盗みに入る際は下調べを入念に行い、確実に盗める確信が付いてから実行に移すタイプだ。噂になるほど派手に盗みを働いても、その尻尾さえ掴ませない手管がそれを証明している。

 そのフーケは現在────滅茶苦茶焦っていた。

 

(不覚……やっぱりいい加減な情報を元に動くモンじゃ無いね)

 

 魔法学院の宝物庫はスクウェアクラスのメイジが数人掛りで『固定化』を掛けており、フーケが得意とする練金が通用しない。ならば他の手段を、と情報を集めていた矢先に『宝物庫の壁は物理的な力に弱い』と言う話を聞いたのである。

 既に下調べにかなりの時間を割いていたフーケは即座にその案を採用、実行に移すべく虎視眈々と教師陣の隙を窺っていた。そして今日、『フリッグの舞踏会』の衣装合わせを兼ねてトリスタニアに足を伸ばすと言う一人の教師を焚き付け、教師の大半を外出させたフーケは早速ゴーレムを用いて宝物庫の破壊を試みたのであるが……

 

 自慢の巨大ゴーレムの拳は宝物庫の壁に全く歯が立たなかったのだ。

 

 いくら殴り付けてもびくともしない壁にフーケが諦めかけたその時、たまたま現場に居合わせた生徒の得体の知れない魔法が誤爆、宝物庫の壁に大穴が開いた。これ幸いと宝物庫の中に侵入し、見事目的の『破壊の杖』を手に入れたまでは良かったのだが、その後がいけない。

 盗み出した『破壊の杖』は全く使い方が解らなかった。これでは売り物にならない。

 その為、教師陣をおびき寄せて使い方を探ろうと罠を仕掛ければ、引っ掛かったのがなんと生徒だったと言う体たらく。

 その上、あの得体の知れない魔法を使った生徒がフーケ追撃に参加している。慎重を期するフーケに取ってはイレギュラー要素満載の事態は頭痛の種でしかないのに。

 

(あの連中が付いて来たとなれば……苦戦は必死だね)

 

 何より、あの自称『冒険者』なる輩を敵に回すのは避けたかった。

 武器による直接戦闘しか出来ないとは言え、ああも見事に青銅のゴーレムを粉砕してみせた彼奴らと事を構えるのはリスクが大き過ぎる。

 かと言って『破壊の杖』を諦めるにはかけた苦労が割に合わない。

 

(全く……どうしたモンかねぇ……)

 

 もうすぐ追撃に出た生徒達が廃屋に辿り着いてしまう。フーケは焦りながらも、事態の解決に向けて必死に頭を捻っていた。

 

 

 

***

 

 

 

「あれです。あの廃屋にフーケが入って行くのを見ました」

 

 そう言ってロングビルが指差したのは、森の中の空き地にぽつんと建つ樵小屋らしき建物だった。

 

「……要はフーケを出し抜くこと。ならば囮が効果的」

 

 タバサが提案したのは囮を使ってフーケを誘い出す作戦だった。

 ゴーレムを作り出すには土が必要、フーケが戦う為には小屋の外に出るしかない。

 その隙を突いて別働隊が小屋に侵入し、『破壊の杖』を見つけ出して奪還する。

 それが作戦の概要だった。

 

「ならばその囮、私に任せてもらえますか?」

 

 囮を買って出たのはトモだった。そのまま彼は自分の腹案を明かす。

 

「タバサさん、シルフィードにシエスタさんとキュルケさんを乗せて空中で待機して下さい。キュルケさんはシエスタさんから合図があったら魔法で空爆をお願いします。シエスタさんは常に『耳打ち』に注意して下さい。聞き逃しがあったら大変ですから」

 

 そしてトモはルイズとロングビルに、廃屋を挟んだ反対側に向かうよう指示を出した。

 

「私が正面から近付いて中の様子を伺います。フーケが居た場合は挑発しておびき寄せますので、気付かれないように廃屋に侵入して下さい。『破壊の杖』を見つけた場合は爆発で合図を。決してフーケやゴーレムに攻撃を当てないように! 別働隊がいることに気付かれてしまいます」

 

 フーケに見つかったらキュルケ達とトモが遅延戦闘を仕掛け、その間にロングビルとルイズが『破壊の杖』を奪還する。成功したら再び爆発で知らせるので、それを合図にタバサはトモを回収して退却。その後ルイズ達と合流してシルフィードで学院まで逃げ帰るのだ。

 

「馬車は置いて行くことになりますが、後で回収すれば良いでしょう。とにかくこの作戦の肝は如何にフーケを出し抜くか、ですから」

「でしたら『破壊の杖』探しはミス・ヴァリエールにお任せして、私もフーケと戦った方が良くありませんか?」

「ミス・ロングビルは土のメイジでしょう? ならばゴーレム出現の予兆を察知することは出来ませんか?」

「それは……、出来なくもありませんが」

「だったらご主人と一緒に行動してもらって、万一フーケがそちらに現れる気配があったら即座に撤退してもらえますか? 安全の為にはその方が良いと思います」

 

 ルイズは作戦の内容を吟味する。

 出来ることならフーケの捕縛もしたい所だが、現状の戦力では危険の方が大きいし、何より戦闘が始まればルイズは足手まといにしかならなくなる。

 ならばトモの言う通り、ここは秘宝の奪還に絞った方が良い。

 

「私に異論は無いわ。その作戦で行きましょう」

「……異議なし」

「わ、私もそれが良いと思います」

「私も賛成ね。無駄な労力は払わない方が良いわ」

「…………仕方ありません。了解しました」

 

 ルイズの賛成を皮切りに、満場一致でトモの案が採用される。

 そしてトモはシエスタに聖印を差し出してギルドの結成に望んだ。

 

「シエスタさん、聖印を重ねて頂けますか?」

「は、はい!」

 

 トモの差し出した聖印にシエスタの聖印が重ねられる。

 そしてトモは宣言の言葉を謳い上げた。

 

「我ら、苦楽を共にせんことを誓う! さすれば我ら、共に歩む仲間なり!」

「わ、我ら、苦楽を共にせんことを誓う! さすれば我ら、共に歩む仲間なり!」

 

 トモの台詞をなぞるようにシエスタもまた謳い上げる。

 刹那、一瞬だけ聖印が輝くのをルイズは見た。

 

「……これで良し。『もしもし。シエスタさん、聞こえますか?』」

「わっ!?」

 

 突然聞こえて来た声にシエスタは度肝を抜かれる。まるで耳元で囁かれたかのようにはっきり聞こえたその台詞を、けれどもトモは口にしていなかった。

 

「声を伝えたい相手を思い浮かべて聖印に話し掛ければ伝わります。慣れてくると声に出さずに会話も出来ますが、とりあえず今はそこまでしなくても良いでしょう」

「……内緒話とかに便利ね」

 

 少し呆れるルイズだが、これで作戦が遂行出来るようになったのだ。

 とにかく今は目の前の脅威に立ち向かうことを考えなければならない。

 

「ではご主人、森伝いに回り込んで下さい。タバサさんは皆を連れてシルフィードの所へ。用意が出来たらシエスタさんは私に『耳打ち』をお願いします」

「解ったわ。ミス・ロングビル、ゴーレムの予兆を感じ取ったらすぐ教えて下さいね」

「解りました。ではミスタ・ヤナギダ、私達はこれで……」

「お願いします。では始めましょう」

 

 皆が行動を始めたのを見送ると、トモはデルフリンガーを抜き放つ。

 

「おっ、いよいよ出番か!?」

「静かに! いざと言うときは頼りにさせてもらいますよ、デルフ君」

 

 鞘から解放された途端に喋り出したデルフリンガーを嗜めつつトモは慎重に廃屋に近付き、窓から室内を覗き込む。埃の積もったテーブル、足の折れた椅子、崩れた暖炉、積み上げられた薪、中身の入ってない酒壜など、大小様々なものが雑多に転がる小屋の中に人間の気配はない。人が隠れられそうな場所も見つからなかった。

 

「……居ませんね」

「逃げられたか?」

 

 ぽつりと漏らした一言を、デルフリンガーが混ぜっ返す。

 だが、トモの表情は険しさを増した。

 廃屋に不釣り合いな真新しい箱が埃まみれの部屋に安置されていた。トモは少し考え、シエスタを通じてタバサに幾つかの指示を出すと廃屋の裏に回り、ルイズ達と合流する。

 

「どうしたの? 作戦変更?」

「フーケが居ません。ですがお宝を追いて逃げたとも思えません。十中八九、罠でしょう」

 

『あら、良く感づいたわね』

「「!?」」

 

 周辺を警戒しながらおそるおそる近寄り、打ち合わせに無い行動に疑問を呈するルイズと罠の可能性を指摘するトモ。二人の会話に第三者が割り込むのと、廃屋が粉々に吹き飛んだのは全く同時の出来事だった。

 

「来ました! 至急救援求むだそうです!」

「解った」

 

 シルフィードに乗って上空を旋回していたシエスタが『耳打ち』の着信を報告すると、タバサは即座に使い魔を急降下させた。暗闇の中で、あの時見掛けた巨大ゴーレムが立ち上がり、廃屋を殴り飛ばしているのが見える。そして、接近するにつれて徐々にそのディテールが判別出来るようになって行くにつれ、彼女達の顔が引き攣って行く。

 

「ちょっ! あれって……!」

「……不覚」

「な、ミス・ロングビル!?」

 

 三十メイルを越す巨大な土ゴーレム。

 握り締められたその手に囚われていたのは、間違いなくミス・ロングビルその人であった。

 

 

 

***

 

 

 

『あら、良く感づいたわね』

「「!?」」

 

 その言葉が聞こえた瞬間、咄嗟にトモはルイズを抱えて飛び退いた。次の瞬間、廃屋は粉々になって爆散する。もうもうと立ち籠める土煙の中から現れたのは巨大なゴーレム。

 その肩には黒いローブを纏った人影が見えた。

 

「フーケのゴーレム? いつの間に!?」

 

 驚愕するルイズを庇い、手にしたデルフリンガーを構え直すトモ。

 

「今、上空の三人に救援を要請しました。私が時間を稼ぎますのでご主人は皆と合流して下さい」

「何言ってるのよ! 私も戦うわ!!」

 

 突然の戦力外通告にルイズは異議を唱える。

 対するトモはゴーレムから目を離さないまま、彼女に言い聞かせた。

 

「私が囮になってる間に、あの廃屋の残骸から『破壊の杖』を見つけ出してください。発見次第、最初に決めた通り学院に逃げ帰ります! 秘宝を発見したら、シエスタさんを通して合流地点を指示して下さい。森の木々を上手く使えば、私一人なら何とかなりますから」

 

 流れるような説得に反論の為の言葉を詰まらせるルイズ。渋々ながら納得した彼女は背後に居る筈の緑髪の秘書を呼んだ。

 

「……解ったわ。ミス・ロングビル、私達は一旦引きましょう! ……ミス・ロングビル?」

 

 呼び掛けに返事が無いことを不審に思い、後ろを振り返るルイズの目に映ったのは鬱蒼と茂る森の木々だけ。そこに居る筈のロングビルは煙のごとく消え失せていた。

 

「え、ミス? 一体何処に……?」

「危ない、ご主人!!」

 

 戸惑うルイズを突き飛ばし、自らも飛び退るトモ。一瞬遅れて二人が居た場所にゴーレムの拳が突き刺さる。響く轟音、立ち上る土煙と飛礫が飛び交う中、ルイズはそれを見て顔色を変えた。

 

「……こう来ましたか」

「な……人質ってわけ!? この卑怯者!!」

 

 二人の目前に立ち塞がる三十メイルを越す巨大な土ゴーレム。

 握り締められたその手に囚われていたのは、間違いなくミス・ロングビルその人であった。

 

 

 

***

 

 

 

 殊更強調するように突き出された腕。その拳の中で、気を失っているのかぐったりと俯くロングビル。今にも握りつぶされそうな彼女の姿に、地上のルイズ達はおろか上空のキュルケ達も手を出せずに居た。

 

「そうだ、腕に集中砲火を浴びせてやれば!」

「駄目。あの高さではミス・ロングビルがただでは済まない」

「じ、じゃあゴーレムの足を斬りつけて倒すとか!?」

「あの太い足をですか!? 無理です!!」

 

 ルイズ達を追い回すゴーレムを追うシルフィードの背で、キュルケ達はああだこうだと対策を練るが、一向に良い案は浮かばない。試しにと飛ばした魔法はゴーレムの表面を削っただけで、足止めにもならなかった。ならばシエスタの槍術で、とモップを構えて突貫するも接近する度に駄々っ子のように振り回される腕が邪魔をする。地上のルイズ達も逃げるのが精一杯のようで、反撃に出る余裕は無いらしい。キュルケが挙げる対策に駄目出ししながら、タバサは打開策を検討していた。

 

「だったらあのゴーレムを操ってるフーケを見つけ出してふん縛ってやれば!」

「……それ! 森の外周に『ファイヤーボール』を打ち込んで炙り出す。シエスタ、連絡を」

「あ、はい!」

 

 テンパっていたキュルケが出した苦し紛れの案を、タバサはアレンジしつつ採用する。

 タバサの指示にシエスタは慌ててトモに『耳打ち』するが、その返答は信じ難いものだった。

 

「えっ!? でも、それじゃ……はい、わかりました! ……ミス・タバサ、トモさんからの伝言です! 『予定に変更なし、先程の指示通りに行動されたし』だそうです!」

「……!?」

「どうして!? このままじゃどうにもならないじゃない!!」

 

 理に合わぬ返答に戸惑うキュルケ。だがタバサは事前の打ち合わせ通り、シルフィードをゴーレムの攻撃範囲ギリギリで旋回させながらその後を追いかける。

 

「ちょっと、タバサ!?」

「……彼が何の考えも無しに指示を出すとは考えにくい。おそらく何らかの策を立てている。ならば独断専行は彼の作戦を破綻させる可能性が高い。今は指示通りに動くのが賢明」

 

 タバサの推察を聞いたキュルケとシエスタは揃って嘆息する。

 

「……仕方無いわね。ねぇシエスタ、彼からの指示に変更は無いのね?」

「はい、そのまま続けて欲しいとしか聞いていません」

 

 シエスタの返答に、キュルケは増々渋面になって行く。

 無理も無い、ゴーレムが出現する直前にシエスタを通じて出された指示は……

 

「……『何があっても手出しは無用。魔法を温存しつつ、緊急に備えられたし』、か。じゃあ今はその『緊急』じゃないのかしら?」

 

(それとも今以上の何かを警戒しているの? それがゴーレムよりも危険だと?)

 

 キュルケは台詞の後半を飲み込み、口には出さなかった。

 何となくではあるが、それが正解のような気がしたからだ。

 やがてシエスタに新たな耳打ちが届く。それは彼女達が待ち望んでいた膠着した事態を動かす一言であった。

 

「……来ました! 森に逃げ込んだら二手に分かれるので、ミス・ヴァリエールを回収して欲しいとのことです!」

「ルイズを? ……そうか、彼の足なら一人で逃げた方が効率が良いんだわ! ルイズを回収するまでの囮になるつもりね!」

 

 シエスタに入った『耳打ち』とキュルケの推察に頷き、タバサはシルフィードを森の上空へ羽撃かせる。最初の予定では馬車のある辺りを集合場所にしていたが、とてもそこまで戻っていられない。となればルイズを探し出して回収する必要があるのだが……それは非常に困難であった。

 唯でさえ鬱蒼とした薄暗い森の中を、月明かりだけを頼りに捜索する苦労は並大抵のことではない。しかも彼女達の背後にはあの巨大ゴーレムが居る。あまりにも悪条件が揃い過ぎていた。

 

「キュルケ、シエスタ、森の中に注目して。彼女を見つけるには足下が暗過ぎる」

 

 タバサの要請を受け、キュルケ達は目を皿のようにして森に注目する。

 ルイズ達が森に逃げ込んだのは、丁度その時であった。

 

 

 

***

 

 

 

「右です!」

「うひゃぁあああああっ!!」

「今度は左!」

「うきゃぁあああああっ!!」

 

 ルイズは走っていた。時折背後を着いて走るトモから方向を指示される度、淑女にあるまじき悲鳴を上げながら必死に逃げ惑う。

 そして彼女が方向転換する度に、ゴーレムの足がルイズの居た辺りを踏み抜いて行くのだ。

 まさに命懸けの鬼ごっこ。捕まってしまえばきっと彼女の艶やかなピンクブロンドの髪も、可憐な美貌も、ささやかな胸も、全部挽肉にされてしまうだろう。

 一目散に森の茂みを目指す二人。廃屋のある空き地はそう広くもないのに、森の木々がやけに遠く見える。その木々を翳めるように飛ぶ大きな影。先程シエスタに『耳打ち』した通り、ルイズを回収しようとシルフィードが低空飛行しているのだ。

 

「ご主人! とにかくタバサさん達と合流を! ここは一旦引いて体勢を立て直します!!」

「駄目よ!!」

 

 トモの指示を拒絶するルイズ。ここに至って我儘が再発したかと言葉を重ねて説得しようとするトモに向けられた眼差し。そこには驕りも稚気も無く、ただ誰かを思う気高さだけがあった。

 

「ミス・ロングビルが囚われているのよ、彼女を見捨てては行けないわ!」

「ですがこのままではジリ貧です! 勝てる相手では────」

「勝てる勝てないじゃないの! 仲間を見捨てるなんて、私には出来ない!!」

 

 それは『貴族』でも『メイジ』でもない、『ルイズ』自身の心からの叫び。

 『敵に背中を見せないのが貴族』だとか、『メイジの責任だから』とかではなく、ルイズと言う人間が自ら選んだ選択肢だった。

 

「私に出来ることなら何でもやるわ! だから────彼女を救いなさい!」

 

 トモはルイズの使い魔ではない。あくまで使い魔の振りをしているだけだ。

 だから彼女には彼に命令する権利はない。けれどその命令に、トモは力強く頷いてみせた。

 

「……了解!」

 

 言うが早いか、トモは身を翻してゴーレムに走り寄る。

 

「デルフ君、出番です!」

 

 デルフリンガーを振るってゴーレムの足を深く斬りつける。

 しかし元が土だけにさっくりと開いた刀傷は見る見るうちに小さくなってゆく。

 

「自動修復? お手軽な外見のくせになんて高性能な!!」

「大きさを考えろよ旦那! あれっぽっちじゃかすり傷にもならねえぜ!!」

 

 すかさず二の太刀を振るう。だがその刃は甲高い金属音を立てて止まる。

 いつの間にかゴーレムの足が鋼鉄に変わっていた。その隙を突いて飛んで来た拳を避け、トモはゴーレムと距離を置いて構え直す。

 けれどゴーレムはその場から一歩も動かない。いや、動けないようだった。

 

「どうやら鋼鉄の足では動けないようです。もう一度斬り付けてやりましょう」

「いやいやいや、斬れないから! 俺っちそんなに丈夫じゃないから!!」

「ごたごた言ってる暇はありません! 行きますよ!」

「いやぁあああああっ! 折れる折れる折れるぅうううううっ! らめぇえええええっ!!」

 

 泣き喚くデルフリンガーを構え、トモはゴーレムに再び走り寄った。唸りを上げて飛来する拳をかいくぐり、鋼鉄と化した足にデルフリンガーを叩き付けるべく居合いの構えを取る。

 

 それが、致命的な隙となった。

 

 居合いの体勢で立ち止まったトモの脇腹に、ゴーレムの足刀が突き刺さった。

 足払いをかけるように振るわれたゴーレムの右足が、立ち止まったトモを弾き飛ばす。

 

「ぐはっ!!」

「だ、旦那ぁあああっ!?」

 

 激痛で霞む視界にゴーレムの姿を捉えたトモは、自分がまんまと嵌められた事に気付いた。

 いつの間にかゴーレムの右足が土に戻っていたのだ。鋼鉄と化した左足は囮で、動けない振りをして誘い込まれた。そうと知らずに、トモはまんまと敵の思惑に嵌められたのだ。

 

「………これは参りました、ねぇ……」

「おい旦那!? くそっ、初陣で相方を失うなんて冗談じゃねぇぞ!!」

 

 デルフリンガーを杖にしてよろよろと立ち上がるトモ。そんな彼にとどめを刺すべく地響きを立てて近付いてくるゴーレム。最早彼の命は風前の灯だった。

 けれども次の瞬間、ゴーレムが勢い良く燃え上がった。

 突然のことに目を瞬かせるトモの目の前で、今度はゴーレムが凍り付く。かと思いきや再び炎上し、再度凍り付いたゴーレムの動きが止まったその時、強烈な爆発がゴーレムを揺るがした。

 右足の股関節に当たる部分が粉々に吹き飛び、バランスを崩したゴーレムが自重を支え切れずに倒れ込む。そのままゴーレムは崩れ落ち、ただの土くれに戻ってしまった。

 

「……何事ですか?」

 

 呆然とする彼の目の前に大きな影が舞い降りる。キュルケ達を乗せたシルフィードだ。

 そしてその一行の中に気絶したままのロングビルと、それを支えながらこちらに手を振るルイズの姿を見つけたトモは、何が起きたのかを理解した。

 

「大したもんだ! あの嬢ちゃん、えれぇ事を考えついたもんだぜ!!」

「……選んだんですね。いろいろ小細工をした甲斐がありました」

 

 デルフリンガーががなり立てる喜びの声に紛れ、その呟きは誰にも届かないまま宙に溶けた。

 

 

 

 

 

 

ギルド名:未定

 

・ギルドスキル:耳打ち(※1)

 




(※1)どんなに離れていても聖印を通じて会話が出来る。そのため、別々に行動しているシーンであってもPC同士の会話が可能。この効果は同一のギルドメンバーのみに適用される。


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第十話 覚醒(けつい)

「……了解!」

 

 言うが早いか踵を返すトモを見送りながら、ルイズは己の無力を噛み締める。

 どんなに偉そうな啖呵を切った所で、結局最後はこうして彼に任せるしかない。

 歯痒い思いを抱えながら、森に逃げ込もうとしたその時。

 

「ルイズ、こっちよ! 早く!」

 

 自分を呼ぶキュルケの声が聞こえて来た方向へ目を向け、彼女は驚愕に立ちすくんだ。

 そこには確かにキュルケが居た。ただし、急降下するシルフィードの足に逆さまにぶら下がり、両腕を大きく広げた姿で。

 

「え、あ、なに!?」

「……よっし、確保! タバサ、お願い!!」

 

 予想外の光景に呆然と立ち尽くすルイズを、上下逆さのまま抱きとめるキュルケ。

 即座にタバサへ合図を送り、シルフィードをゴーレムの射程距離外へ上昇させると共に『レビテーション』で風竜の背に戻る。途端にキュルケの全身から汗が滝のように吹き出た。

 

「こ……怖かった……!!」

「怖かったじゃないわよ! あんな無茶して……!!」

 

 今更になってガタガタ震え出すキュルケを揺さぶり、ルイズが詰め寄った。事実、双方に怪我が無いのが不思議な程の無謀な行動だったのだ。ルイズが取り乱すのも当たり前である。

 

「……あら、心配してくれるのルイズ?」

「べ、別にアンタのことなんか心配してないわよ!!」

 

 青ざめた顔色のまま余裕ぶるキュルケ。反射的にルイズがツンデレを炸裂させようとする。

 それを止めたのは切羽詰まったシエスタの絶叫だった。

 

「それどころじゃありません! あのままじゃトモさんが……!!」

 

 その言葉に現状を思い出したルイズは慌てて地上に目を向ける。それは丁度トモが一の太刀を入れた瞬間であった。

 ケーキにナイフを入れたかの如くさっくりと斬り付けた一撃は、けれどもゴーレムの大質量の前ではかすり傷も同然らしく、大した痛手にはなっていない。すかさず振るわれた二の太刀に至っては、なんとゴーレムを鋼鉄に『練金』する荒技で防がれたようだ。

 彼を挽肉にせんと迫るゴーレムを避けて距離を取るトモ。だがゴーレムはその場を動かない。

 

「……もしかして、動けないんじゃないの? あのゴーレム」

 

 トモもキュルケと同じ結論に至ったらしい。

 再びゴーレムの元へ走り寄ると、体を捻って剣を腰に添える。それがいつかの武器屋で見せたものだと理解するよりも早く、高速で飛来した足払いがトモを弾き飛ばした。

 まるで人形のように地面を弾み、森の大木に叩き付けられる様をルイズは見た。見てしまった。

 

「い………いやぁああああああああああっ!!!」

 

 くずおれるトモの姿に、ルイズは絶叫した。

 恐怖、悔恨、悲哀、激怒、ルイズの脳裏を様々な感情が駆け巡る。

 

 彼をあんな目に遭わせたのは誰だ? ……決まっている。『自分のせい』だ!

 自分があんな命令を出さなければ、彼もあんな絶望的な戦いに臨んだりはしなかった。

 自分が学院を襲った盗賊を逃さなければ、彼もこんな意味のない捜索に出ることはなかった。

 

 ……自分が彼を召喚しなければ、彼はこんな目に遭わずに済んだのに!

 

 全ての責任がルイズにある訳ではない。彼女はただ責任を果たしたかっただけだったのだから。

 だがルイズの矜持はそれを許さない。ぐるぐると渦巻く後悔が彼女を押し潰す寸前、キュルケの叫びがルイズの耳を打った。

 

「ちょっと、何してるの貴女!? 止めなさい!!」

 

 悲鳴染みたキュルケの台詞にばっと振り返れば、あろう事かシエスタが飛び降りようとしているではないか!

 

「駄目よシエスタ、貴女まで死んじゃうわ!!」

「トモさんはまだ死んでません! 諦めないでください!!」

 

 慌てて引き止めようとするルイズを振り払いながら指差す先には、よろよろとデルフリンガーを杖にして立ち上がるトモの姿があった。

 

「トモさんはまだ諦めていません! ならば私も諦めません!」

「馬鹿言わないで! 冒険者だか何だか知らないけれど、あんなのに勝てる訳が────」

 

 シエスタの啖呵に、キュルケが諌めようと口を挟む。

 しかし、シエスタはそんなキュルケに向かってきっぱりと言い放った。

 

「勝てる勝てないじゃありません! 仲間を見捨てるような真似、たとえブリミル様が許してもこの私が許せません! だったらやるしかないでしょう!?」

「!!」

 

 その言葉は、ルイズの魂を揺さぶった。

 シエスタはルイズとトモが交わした台詞を知らない。

 けれどシエスタの言葉は、先刻ルイズが語った言葉そのものであった。

 

『勝てる勝てないじゃないの! 仲間を見捨てるなんて、私には出来ない!!』

『私に出来ることなら何でもやるわ! だから────彼女を救いなさい!』

 

 そうだ、彼はまだ諦めていない────諦めずに、自分の無茶な命令を遂行しようとしている。

 いや、違う。彼は自らが立てた誓いを遂行しようとしているのだ。

 

 『ルイズを守り、共に運命を切り開く』と言う誓いを。

 

(そうよ、まだあいつは諦めていない……なら、私にも出来ることはある!!)

 

 思い返すのはあの決闘の日、ルイズの目前で行われた誓いの儀式。シエスタは一回で認められたが、トモは認められるまで何回も繰り返したと言っていた。自分がシエスタのように一回で認められるとは限らない。いや、そもそも認められない確率の方が高い。

 

 それは異端の力。異世界の神への誓いであり、祈りでもある。大貴族たるヴァリエールの息女が踏み込むべきものではない。

 

(────それが、どうしたってのよ!!)

 

 貴族の責務も、始祖の教えも、今のルイズには関係ない。

 彼女の胸中に宿る『誓い』はただ一つ。

 

(私は諦めたくない! あいつと一緒に、運命を切り開いてやるのよ!!)

 

 彼は、トモは見ず知らずの自分の為に誓ってくれた。

 そして今、彼は命を賭けてその誓いを守ろうとしている。

 ならば自分は、ルイズはその誓いに相応しい人間で居よう。

 命を賭けて、人生を賭けて、その誓いに応えよう。だって────

 

『だって人生は、貴女自身の取り分なんですから』

 

 自分には一か八かの大博打こそ相応しいのだから!

 

「大迷宮におわす運命の神よ! 我に運命を切り開く資格あらば、我を認め給え!!」

「え!?」

「何?」

「ミス・ヴァリエール!?」

 

 突然叫び出したルイズに、キュルケやタバサのみならず、シエスタまでもが驚く。

 キュルケとタバサは突然叫び出したルイズに、そしてシエスタはその内容に。

 だがそんな彼女達に構わず、ルイズは滔々とその言葉を紡いだ。

 

(私の人生、全部くれてあげる! だから、アンタをぶちのめす力を寄越しなさい!!)

 

「されば我、神に挑む冒険者なり!!!」

 

 世界に広がる宣誓。そしてシエスタとルイズが幾重にも重なった荘厳な鐘の音に包まれた。

 いつの間にか祈るように組まれたルイズの掌中に、銀色に輝く何かが現れる。

 ゆっくりと指を開いて行くと、そこには三本の剣を重ねた聖印があった。

 

「や、やった! 認められたんだわ!」

「ミス・ヴァリエール、貴女まで……!!」

「えっ? なに、何が起きたの!?」

「……まさか!?」

 

 何が起きたのかを知り、シエスタは狼狽える。

 大貴族たるルイズは精々食前のお祈り程度の平民の彼女とは違い、ブリミル教との関わりは段違いに深い。それは即ち、異端に堕ちた罪も段違いに深いことを意味する。

 そして冒険者は明らかな異端だ。本来ならこのハルケギニアに存在しない彼らの一員になると言うことは、ルイズもまた異端の道に足を踏み入れたことに他ならない。

 

「言いたいことは解るわ! でも今はそれよりも優先しなきゃいけないことがある筈よ!!」

「……はい!!」

 

 しかし、ルイズの表情は晴れやかであった。そこには異端に踏み切った事に対する後悔は無い。

 彼女はただ、自分に出来ることをしただけなのだから。

 

「確かステータス確認って、これ持って念じるのよね?」

「はい、そうです! 『ステータスが見たい』って思えば見えます!」

 

 シエスタのアドバイスに従い、ルイズは聖印を握り締めて念じる。

 するとじわっと滲み出るように、脳裏に何かが現れた。

 

 

 

***

 

 

 

※ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール

 

種属/ヒューマン

 

種属特性

・高貴なるものの義務:1(※1)

 

体力:3/知力:8(+2)/感覚:4/敏捷:3/

器用:3(+1)/魅力:6/精神:6/幸運:12 ※()内は今回加算された補正値

 

HP:10/10 MP:13/13(+3) SP:10/10 ※数値は現在値/最大値

 

EXP:15 所持金:150エキュー

 

総合レベル:3

・セージ(※2):2

 ・魔法知識:系統魔法(※3):1/戦術(※4):1

・ライダー(※5):1

 ・乗馬術(※6):1

 

装備品

・魔法学院女子制服(※7)/魔法の杖(※8)

 

所持品

・運命神の聖印

 

進行中クエスト

・『破壊の杖』の奪還(期限:翌日まで)

 

 

 

***

 

 

 

「……これは、酷い」

 

 ルイズは軽く絶望しかけていた。

 賢者(セージ)? それに騎手(ライダー)

 よりによって戦闘系のスキルが何一つ無いとは!

 

(何で魔法系のスキルが無いのよ! 知識だけあったってなんの意味も無いじゃない!)

 

 所詮自分は何処まで行っても『ゼロ』なのか。

 ────余りにも非常な現実に膝を屈しかけたその時、ルイズの脳裏に何かが引っ掛かる。

 

(ん? 『魔法の知識』?)

 

 慌ててステータスを見返すルイズ。そこにあったのは『魔法知識:系統魔法:1』の一文。

 魔法の知識はメイジには必須。それが何故かセージの技能として独立している。

 

(魔法が使えないからセージの技能になったのかしら? ……ううん、違うわ)

 

 シエスタの初期スキルはメイドとしての彼女を踏襲していた。それを考えると、このスキル構成は何だかおかしくはないだろうか?

 魔法が使えないとは言え、ルイズはメイジだ。スキルもそれに沿って設定されると思われる。

 ならばこのスキル構成が意味するのは一体何だ?

 

(……もしかしたら、メイジの魔法はスキルに入らない?)

 

 あの草原で『フライ』を使った生徒達を見て、彼は何と言っていただろうか?

 

『空を飛ぶってことは『キャスター』ですかね?』

 

 そうだ、あの時トモはメイジ達を魔術師(キャスター)と呼んだ。

 それを踏まえて考えるのなら、ルイズのクラスはキャスターになる筈だ。

 だが実際にはキャスターではなくセージである。

 それはひょっとすると、『魔法を使える』と『魔法を知っている』とは別物と言うことか?

 

(だとしたら────何とか出来るかも知れない!)

 

 今のルイズは異常なまでに冴えていた。

 刹那の間に考えをまとめ、唖然としていたキュルケに指示を出す。

 

「キュルケ、貴女が出せる最大火力であのゴーレムの足の付け根……そうね、右足を狙って!」

「何言ってるの!? ミス・ロングビルが捕まったままなのよ!?」

 

 人質の存在を指摘するキュルケに「いいから言う通りにして!」と言い放つと、今度はタバサに向かって命じる。

 

「タバサ、シルフィードをゴーレムの背後に回して!」

「……解った」

 

 ルイズの指示に従い、シルフィードがゴーレムの背後を取る。

 着かず離れずの絶妙な距離を保つ風竜の背で、生まれたばかりの賢者が初の実戦指揮に挑む。

 

「右足を狙ってあのゴーレムを右後ろに転がすわ! それならミス・ロングビルに及ぶ被害は最小限に抑えられるはず!」

「そうか、ミスが捕まってるのは左手だから……! そう言うことなら任せなさい!!」

 

 ルイズの言いたいことを理解したキュルケは、ありったけの精神力を込めた『ファイヤーボール』をゴーレムに叩き込む。それは狙い過たずにゴーレムの右脚、股関節に当たる部分に直撃して燃え上がった。しかしゴーレムはびくともしない。

 

「なんて頑丈な!」

「ううん、いいのよアレで! タバサ、同じ所に氷の魔法を、貴女が出せる最大の威力でお願い!」

「……承知!」

 

 ルイズの狙いに気付いたのか、タバサが全力の『ウィンディ・アイシクル』を放つ。

 燃え上がるゴーレムに叩き込まれた氷の矢は、即座にゴーレムを凍り付かせた。

 

「キュルケ、もう一度お願い。そうしたらタバサももう一度あいつを凍らせて」

「貴女はどうするの?」

 

 次々と指示を出すルイズにキュルケが疑問をぶつける。それにルイズは満面の笑みで応えた。

 

「決まってるでしょう!? 私の特大の爆発でとどめを刺すのよ!!」

「…………あっ! 成程、そう言うことか!」

「えっ? どういうことなんですか?」

 

 何かに気付いたキュルケと、事態に着いていけずにおろおろするシエスタ。

 そんな彼女にルイズは極上の笑みを浮かべてネタをばらす。

 

「ねえ、例えば熱々に熱した陶器の壷を、いきなり氷水に突っ込んだらどうなると思う?」

「……あっ!」

 

 ようやくルイズの言いたいことを理解したらしいシエスタ。

 そしてルイズは止めを刺すべくありったけの精神力を込めてルーンを詠唱する。

 本来攻撃用ではない魔法。だが彼女が使う限りにおいて、『それ』は最強の破壊力を産む攻撃魔法に変わるのだ。

 再び燃え上がり、再度凍り付いたゴーレム目掛け、ルイズは杖を勢い良く振り下ろした。

 

「『練金』!!!」

 

 夜闇に包まれた静寂な森の中に、耳を劈く爆音が轟く。

 ゴーレムの右脚の付け根がバラバラに吹き飛び、バランスを崩したゴーレムはゆっくりと右斜め後ろに向かって倒れ込む。

 

「熱疲労って奴よ」

 

 制御を失ったのか全身に罅が入り、ただの土くれに戻ったゴーレムが崩れ落ちるのを見ながら、ルイズは誰に聞かせるでも無く呟いた。

 

「どんなに頑丈だろうと所詮は土の塊。『固定化』でも掛けていない限り、その強度は土に準じる筈よ。だから熱した陶器を高速で冷やすように、炎と氷を交互にぶつけてやれば脆くなる」

 

罅はとうとう左腕にまで及び、捕われていたロングビルが空中に投げ出された。

 

「タバサ!」

「解ってる!」

 

 ルイズの指示を受け、タバサは未だ気絶したままのロングビルを空中でキャッチ。

 そのままシルフィードをトモの目前に着地させる。

 

「そこに私の爆発をぶつけてやれば、砕くのは決して難しいことじゃない」

 

 そう、それはこの場においてルイズ達が取りうる最良の選択。

 

「背後から狙ったのはミス・ロングビルを救うため。右後方に転がせば、左手の彼女まで被害が及ぶ前に救出できるから」

 

 彼女達が何をしたのか、どうやら彼の冒険者も理解したらしい。

 普段は表情の乏しいその顔に薄い微笑みを浮かべ、剣を杖によろよろと近付いて来る彼を視界に収めながら、ルイズは短い勝利宣言を呟いた。

 

「……賢者、か。まあ悪くないかもね」

 

 

 

***

 

 

 

 夜更けの森を照らす灯り。

 空き地のあちこちに焚かれた篝火が、廃屋から廃墟へグレードアップしたフーケのアジトを暗闇から浮かび上がらせていた。

 

「キュルケ〜、見つかったぁ?」

「まだよ〜、タバサは〜?」

「……こっちも同じ」

 

 粉砕された瓦礫を手分けして漁るルイズ一行。

 瓦礫の下に埋もれているであろう『破壊の杖』を探して右往左往する少女達を眺めながら、トモはフラスコに入った青白い液体を呷る。青汁を酢と炭酸水で割ったような、何とも言い難い味と喉越しに顔を顰めて嚥下する彼に、シエスタは黙って水筒を差し出した。

 

「……ありがとうございます」

「……どういたしまして」

 

 彼女もこの薬のお世話になっている。だからあの人類の味覚に挑戦してくる味も知っていた。

 口を濯ぐトモ。それでも炭酸特有のゲップが青臭過ぎる味を反芻させるので、眉間の皺は中々取れなかった。

 

「……何であんな酷い味なんでしょうか」

「一説では運命神様の嫌がらせだって言われてます。……説得力が有り過ぎですね」

 

 用を終えたフラスコが消える。何度見ても慣れないなぁ、とシエスタは顔に出さずに思う。

 見慣れないと言えば彼が背負う背嚢も変わっている。どう見ても入らない筈のデルフリンガーが丸々収まってしまった時には、一体どういう顔をすれば良いのか解らなかった。

 曰く、二十個までならどんな大きさのものでも入ると言う。大きさよりも個数制限が優先される背嚢、こんなマジックアイテムをシエスタは初めて見た。

 かと思えば子供染みた悪戯を仕掛けて来たりと、運命神の思惑がいまいち見えてこない。

 シエスタが首を捻っていると、捜索を切り上げたルイズがこちらに走り寄って来た。

 

「……もう大丈夫なの? 怪我の具合は?」

「全快ではありませんがね。もう一戦ぐらいならいけます」

 

 その答えを聞き、ルイズは眉根を寄せる。

 

「……貴方も、そう思うのね?」

「フーケの罠がこれ一つとは限りません。他にも何か企んでいる筈です」

 

 そう、ゴーレムを打倒して以降、フーケの足取りがぱったりと途絶えたのだ。

 盛大に篝火を焚いているのもフーケの来襲を警戒してだ。しかし待てど暮らせど、一向にフーケは姿を見せない。そこで一行はトモとロングビルの休息を兼ね、『破壊の杖』の捜索に乗り出したのだ。

 

「現状であの巨大ゴーレムとやり合うのは危険過ぎます。さっさと逃げ帰るのが得策でしょう」

「……ええ、そうね」

 

 一行が危惧しているのは、またあの巨大ゴーレムを持ち出されることだ。

 ルイズの機転で上手く切り抜けたものの、同じ手が何度も通じるとは思えない。

 そのうえ未だ目を覚まさないロングビルを抱えての立ち回りは危険に過ぎる。

 だが、ルイズの意識を占めていたのはその事では無かった。

 

(……おかしいわ。何かを私達は見逃しているのよ。でも、それがなんなのか解らない)

 

 ルイズはフーケの行動に何か引っ掛かるものを感じていた。

 腕を組んで違和感の正体に思考を巡らせるルイズに、おずおずとシエスタが話し掛ける。

 

「……ミス・ヴァリエール。良いんですか? 私達と違って、貴女は……」

「トリステイン有数の大貴族の息女が異端認定されたら大問題になる。そう言いたいのかしら?」

 

 あっけらかんと言ってのけるルイズに、シエスタは開いた口が塞がらなくなった。

 唖然とするシエスタを余所に、ルイズは予測される問題点を次々と挙げて行く。

 

「どんな大貴族だろうと異端認定を受ければ、ロマリアで審問と言う名の処刑が待っているわ。身内に異端者が出ればヴァリエールはお取り潰し確定、最悪ならアルビオンのモード大公のように討伐されることだって有り得るわね」

 

 流れるようにルイズが挙げて行く問題点。それを聞いたシエスタの顔色は真っ青。

 何よりそれを語るルイズがまるで他人事のように語るのが信じられなかった。

 

「そ、それが解っていて、何故!?」

 

 がくがくと震える膝を叱咤しながら、シエスタは崩れ落ちたくなるのを必死に堪えてルイズを問い詰める。だが彼女は会心の微笑みを浮かべて言い切った。

 

「馬鹿ねシエスタ。そんなの、バレなきゃいいのよ」

「……ほへ?」

 

 国家を揺るがすであろう大事件を、まるで子供の悪戯のように扱うルイズ。

 どうしていいのか解らず唖然とするシエスタを余所に、彼女の口は止まらない。

 

「異端審問ってロマリアの許可が要るのよ? そのロマリアだってそうそう動かないもの、幾らでも誤摩化しようはあるわ。幸い、ミス・ロングビルは気絶していたから私が冒険者になったって事は知らないし、学院長も私達が黙っていれば問題なし、って所ね」

 

 堂々と誤摩化すことを宣言するルイズに、シエスタは驚くべきか呆れるべきか迷う。

 

「…………まあ、その前にキュルケ達をどうにかしなきゃいけないみたいだけど」

 

 先程からこちらを窺いながら何事か話し合っているキュルケとタバサを見ながら、ルイズは心底面倒事になったと溜め息を吐いた。

 

 

 

***

 

 

 

「どうやら気付かれてるみたいね。まあ、あからさまにあの子達を見ながら話し込んでれば当然でしょうけれど。……しっかし面倒臭いことになったわね。タバサもそう思うでしょ?」

「………」

 

 キュルケが漏らした台詞に、タバサは無言のまま頷いて肯定する。

 正直な所、キュルケがルイズ達にちょっかいを出すのは『面白いから』だ。

 未知の国からやって来た使い魔に、メイドでありながら凄腕のメイジ殺し、そして最近角が取れて可愛くなって来たお隣さん。キュルケの認識はその程度だった。

 しかしいざ踏み込んでみれば『神を殺す』だの『運命を切り開く』だのと言った物騒極まりない言葉のオンパレード。あまつさえ学友が異端に堕ちたとくれば、いかに彼女とて付き合いを考えてしまう。普段なら決して見られないであろう渋面を作るキュルケ、だが彼女の親友たるタバサはその内心を見抜いていた。

 

「……でも見捨てられない?」

「まあね。冒険者だろうが異端だろうが、結局ルイズはルイズだし、それに中々刺激的じゃない?」

 

 キュルケとタバサの友情は、とある事件で敵対していたのが始まりだった。

 色々あって和解が成立したとは言え、決闘直前まで敵対していたタバサでさえ懐に迎え入れた彼女がルイズ達を見捨てるなんて有り得ない。

 何よりキュルケは『微熱』の二つ名の通り、情熱を燃やすものが大好きだ。何人もの男と浮き名を流すのも『恋』と言う情熱を求めてのこと、そんな彼女が『冒険者』と言うある意味情熱の塊みたいな存在に心踊るのは必然とさえ言えよう。

 

「何よりタバサがご執心なんだもの。略奪愛のコツなら幾らでも教えてあげるわ!」

「……それは間違い。私の目的は……」

「解ってるわよ。あの薬でしょ?」

 

 キュルケの言葉にこくんと頷くタバサ。

 彼女が相当深い事情を抱えていることぐらいはキュルケも察している。

 

「……彼は私に『資格が無い』と言った。もっと詳しく知る必要がある」

「ねぇ、タバサ。貴女まで異端に堕ちることは無いわ。あの薬が必要なら、彼に協力を頼むのも一つの手よ?」

 

 先刻もルイズ達が離れた隙に『冒険者の洗礼』を試していたのを彼女は知っている。

 だが荘厳な鐘の音も、光り輝く聖印も、タバサの元には訪れなかった。

 ほぼ怨念と言って良いほどの執念を燃やすタバサを、キュルケがやんわりと諭す。けれど首を横に振る親友に、キュルケは内心で溜め息を吐く。

 何故かは知らないが、この小さな親友は他人を頼ろうとはしない。

 何でも一人でこなそうとするのだ。

 

(こんな危なっかしい親友を放っとく訳にはいかないわよ)

 

 それがどんな理由であろうとも、親友を見捨てる選択肢はキュルケには無い。

 頼られないなら頼れるようになればいい。どんな小さなことでも、彼女の力になれるならキュルケはどんな手段でも取ってみせる。

 

(それが例え異端の力であったとしても、私は躊躇わない!)

 

 気合いを入れ直し、キュルケは『破壊の杖』の捜索に戻った。タバサもそれに続く。

 屋根であったろう板切れや壁や柱だったらしい丸太、炭焼き用の窯らしきレンガを除けるキュルケの手がふと止まった。

 全体的に古ぼけた建材の中にあって、真新しく頑丈そうな木箱は目立つ。その形状も。

 

「……宝箱(チェスト)?」

 

 ゴーレムの猛攻を凌いだらしきその箱に、キュルケは『アンロック』を掛ける。かちり、と小さな音を立てて空箱の鍵が外れる。蓋を開けて中を覗き込んだキュルケ達の目に、ずんぐりした筒状の塊が映った。見たことも無い素材で出来た、つるりとした表面にはこれまた見たことの無い文字が並び、持ち上げると意外に軽い。

 以前、宝物庫を見学した時に見た時と同じ形。紛れも無く『破壊の杖』であった。

 あっさり取り返せたことに拍子抜けしつつ、キュルケはそれを持ってルイズ達の元へ向かう。

 

「取り返したわよ。呆気ないけれど」

「……フーケが来ないうちに退却した方がいい」

 

 そう言いながらキュルケが掲げた『破壊の杖』を見て、トモが驚愕に目を見開く。

 

「……それが本当に『破壊の杖』なんですか?」

「そうよ。前に宝物庫の見学をした時に見たことあるもの」

「成程、これが使われる所を見たのなら、そんな名前が付いてもおかしくないのかもしれませんね」

 

 それは思わず漏らしたただの呟きだった。だが、その内容は皆の度肝を抜くには充分だった。

 

「え? これの事、知っているの!?」

「ええ、知っています。実物を見たのは初めてですが」

 

 驚愕する一同を代表するかのようなルイズの質問に、トモはキュルケが持った『破壊の杖』を検分しながらそう答える。

 

「そ、それでは使い方とかは……!?」

「詳しくは知りませんが、大体なら解りますよ」

 

 いつの間にか目を覚ましたロングビルの焦ったような質問に、トモは『破壊の杖』の先端に付いたピンのようなものを指し示す。

 

「この安全ピンを引き抜いて、中に収められている筒を伸ばします。で、狙いを定めてこの部分を押すと対象を破壊するんです。確かベトナム戦争で使われた携行破壊兵器で、M72LAW、ロケットランチャーと言う名前だった筈ですが……」

 

 大雑把な説明ながらも、誰にも解けなかった『破壊の杖』の秘密が解明された事には違いない。

 キュルケは『破壊の杖』をまじまじと見つめ、タバサは意外に簡単な使い方に驚いている。

 シエスタは『破壊の杖』を恐ろしげに見やり、ロングビルは長年の謎があっさり解明されたことに驚いて口を押さえている。

 ただ一人、ルイズだけが鋭い目つきで『その人物』を観察していた。

 

 

 

 

 

 

 

※ヤナギダ・トモ(柳田智)

 

HP:9/11(※9) MP:9/10 SP:10/10 ※数値は現在値/最大値

 

進行中クエスト

・ルイズを守る(期限:ルイズの卒業まで)

・『破壊の杖』の奪還(期限:翌日まで)

 

 

 

エネミーデータ

 

・巨大ゴーレム(Lv:3) 敏捷値:1/攻撃値:20/防御値:20 HP/MP:30/−

 『土くれ』のフーケによって造り出されたゴーレム。動きは遅いが大質量故の破壊力は脅威。

  ・保有スキル:自動回復Lv1(※10)

 

 

 




(※1)ヒューマン(上流・富豪)の種族特性。1シナリオ中1回だけ、指揮下に居るPCの人数×(Lv)分の補正を与える。これは他PCも対象に出来る。
(※2)世の中の知識全般に精通した一般技能系のクラス。能力値補正/知力
(※3)系統魔法に関する知識。知識判定の達成値に+Lvを加える。
(※4)戦闘を有利にする知識。任意のPLの達成値または攻撃値に+Lvの補正を加える。
(※5)様々な乗り物を操縦する一般技能系のクラス。能力値補正/器用
(※6)馬を乗りこなす技術。馬の敏捷値に+Lvのボーナス補正を与える。
(※7)トリステイン魔法学院の女子が着る制服。判定にファンブルすると破損する。重量:0.2
(※8)メイジが魔法を使うために必要なタクト状の杖(ルイズ専用)。判定にファンブルすると破損する。重量:0.2
(※9)回復薬(小)による回復後の数値である。
(※10)そのターンのエンドフェイズにHPを+Lv回復する。この効果は最大HP以上にはならない。


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第十一話 祝宴(あとしまつ)

 『土くれ』のフーケはこの幸運を始祖に感謝していた。

 誰も知らなかった『破壊の杖』の正体、それがこんな所で解明されるなど思っていなかった。

 東方で使われていた兵器だと言うなら価値は倍増する。好事家に売れば一財産になるだろう。

 

(本当はオールド・オスマン辺りを引っ張って来るつもりだったんだけど、こりゃ大当たりだ!

 ……これで『あの子たち』にも楽をしてあげられるね)

 

 フーケは故郷に残して来た『彼女たち』の事を思い浮かべた。

 けれどいきなり大金を送ったら『彼女』は吃驚してしまうかも知れない。

 いつもの額に色を付けたぐらいがいいのだろうか?

 だがそれではいつまで経っても『彼女たち』の生活環境は良くならないだろう。

 

(……いっそ、私が持ち込んだ方がいいのかも知れないね)

 

 考えてみればトリステインに来てから一度も里帰りをしていない。ならば「トリステインで一山当てた」とか言って全額一気に持ち帰った方が自然に受け取ってもらえる筈だ。

 

(……とりあえずこの餓鬼共をどうやって撒こうかね……?)

 

 異様に弁の立つ男にモップでメイジを倒すメイド、そして得体の知れない魔法で自分のゴーレムを粉砕してくれた小娘。

 メイジ二人組も脅威ではあるが、やはりこの『冒険者』なる輩は一筋縄ではいかない様だ。

 先程の『芝居』をもう一度やってみようか?

 だが流石にあれほどの巨大ゴーレムは連発出来ない。

 

(休憩を提案する? 駄目だね、こいつら最初っから退却を前提にしているからかえって怪しまれる。ならどうにかして誤摩化しながら別れるしかないね。問題はどうやって別れるかだけど……)

 

 必死で知恵を巡らせるフーケ。

 そんな『彼女』を冷徹に見る視線があることに、フーケは全く気付かなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 無事に学院の秘宝を見つけ、一行の気が緩んでいたのは間違いない。

 だから突然ルイズが出した指示に戸惑ったのも仕方が無いのかも知れなかった。

 

「トモ、シエスタ! ミス・ロングビルを拘束しなさい!!」

「「「えっ!?」」」

 

 何のことだか解らず呆然とするキュルケとタバサ、そしてロングビル。

 だがルイズの指示が出るや否や、トモとシエスタは常人離れした素早さでデルフリンガーとモップをロングビルに突き付けていた。

 

「ちょっと? 何、何なの!?」

「何事!?」

「こ、これは一体、どう言うことですか!?」

 

 

 意味が分からず狼狽えるキュルケとタバサ、そして鼻先に刃を突きつけられたロングビルは涙目で抗議する。しかし事情が理解出来なかったのは武器を突きつける二人も同じであった。

 

「え、ええと、説明してくれますか? 何だかよく解らないんですが……」

「同感です。これはどういうことなのか詳しく教えてください、ご主人?」

 

 困惑する一同を睥睨し、ルイズはロングビルに向かって言い放つ。

 

「お芝居はもう止めましょうミス・ロングビル。……いえ、『土くれ』のフーケ!!」

「「「「!!」」」」

 

 一同の時が止まった。

 キュルケは驚愕で、タバサは得心で、シエスタは困惑で、そしてロングビルは衝撃で。

 それぞれがそれぞれの理由で絶句する。

 変わらないのはルイズと、腑に落ちた表情のトモだけであった。

 

「な、何を言い出すんですか!? 何を証拠にそんなことを……!!」

「理由は色々あるんだけれど、まずはこのアジトの様子から始めましょうか?」

 

 わなわなと震えながら詰め寄るロングビル。

 そんな彼女に、ルイズは真相を明かす探偵のように語り始めた。

 

「ここに罠を仕掛けたのは予測してたの。でも貴女は直接襲って来た。それが第一の証拠ね」

「どういうこと?」

 

 その推理に首を傾げるキュルケの疑問に、ルイズは不敵な微笑みを浮かべて答える。

 

「私がフーケなら、追撃に備えるより全力で逃げる方を選ぶでしょうね。罠だって落とし穴や虎鋏みたいな仕掛けを使うし、わざわざ待ち伏せなんてしないわよ」

 

 通常なら泥棒が出たのならまず衛士隊に連絡する。しかし衛士隊も準備などがあるため、即座に動ける訳ではない。そして泥棒はその僅かな隙を突いて逃走を図るものだ。間違っても待ち伏せなぞする筈が無い。

 

「ですが、フーケだって休憩や睡眠は必要です! たまたま休んでいた時に私達が来たので仕方無く戦ったのではなくて!?」

 

 焦ったようにもう一つの可能性を持ち出すロングビル。だがルイズは慌てずに切り返した。

 

「貴女がフーケの足取りを追った時間と、そこからとんぼ返りして学院長に報告した時間。そして私達が此処まで来るのにかかった時間。これを全部合わせると、どんなに短くても八時間以上経っている計算になるわ。逃亡中のフーケがそんなに長い時間此処に留まっているなんて、絶対に有り得ない」

「うぐっ」

 

 ルイズの指摘を受けたロングビルが言葉に詰まる。

 それを見たルイズが駄目押しとばかりに一層声を張り上げた。

 

「何より一番の理由は『偶然が続いたこと』よ。『偶然』先生方が大勢外出して手薄だった。『偶然』逃げ出すフーケに気が付いた。『偶然』フーケが一カ所に留まり続けていた。『偶然』フーケがアジトを留守にしていた。『偶然』接近するゴーレムに気付かずに人質になった。そして『偶然』秘宝の使い方が明かされた時に気絶から覚めた。これだけ『偶然』が重なるなんて有り得ない、それこそ人為的なものを疑わずにはいられない程に」

 

 そしてルイズはぴたり、とロングビルを指差して断言する。

 

「もう言い逃れは出来ないわよ、『土くれ』のフーケ!」

 

 ギリッと言う音が響く。ロングビル、いや『土くれ』のフーケの歯軋りの音だ。

 彼女の計画自体は完璧だった。しかし、今回は余りにも想定外のことが多過ぎた。

 強固過ぎる宝物庫、使い方の解らない『破壊の杖』、尻込みする教師陣、頭の切れ過ぎる生徒達、焦り過ぎた自分。

 そして何より目の前に立ち塞がった『冒険者』達。

 未知の敵を侮った訳ではない。彼らの実力が彼女の警戒を上回った、そう言うことだ。

 

(言い逃れる? ……無駄だ、こいつの口には敵わない!

 なら隙を突いて逃げ出す? ……無理だ、あの風竜からは逃げ切れない!

 だったら此処で戦う? ……駄目だ、精神力に余裕が無い!

 ……どうしよう、どうすればいい!?)

 

 どんなに思考を巡らせても、この状況から逃れる術が見つからない。

 最早勝負は着いた。フーケの目に涙が溢れる。それは抵抗出来ない悔しさでも、知謀を見抜かれた怒りでもない、家族との別離を知って流す哀惜の涙だった。

 

(ごめんよティファニア! もう会えない!!)

 

 涙に暮れて頽れたフーケを、キュルケとタバサは冷たい目で見下ろしていた。

 どんな理由があるにせよ、彼女は犯罪者である。情けをかける理由が見つからなかった。

 

 シエスタは複雑だった。

 不謹慎だとは解っているが、彼女の活躍はある種の娯楽でもあったからだ。

 貴族に逆らえない平民達にとって、同じメイジとは言え貴族を出し抜く大胆不敵なフーケの犯行は爽快の一言に尽きる。鬱屈した不満を持て余した平民達は、被害者が増える度にフーケへ惜しみない拍手喝采を浴びせ、その被害者に嘲笑を浴びせかけたものだ。彼女にも覚えがある。

 

 けれどフーケが学院を襲った時、その幻想は打ち砕かれた。

 ゴーレムが逃走を図った時、シエスタの同僚が踏み潰されかけたのだ。

 間一髪で救出した同僚の恐怖に歪んだ顔が忘れられない。

 もしシエスタが『冒険者』で無かったら?

 もしあの場に居合わせなかったら?

 ……ほんの少し運命の歯車がずれていただけで、彼女は永遠に同僚を失う所だったのだ。

 そして賊の正体があの『土くれ』だと知ったとき、シエスタは悟った。

 

 『土くれ』のフーケは噂のような平民の味方じゃない。ただの盗賊に過ぎないのだ、と。

 

 噂の怪盗への失望、その正体への困惑、そして目の前で泣きじゃくる女性への同情。

 色々な感情が混ざり合う。それでも、シエスタは突付けたモップを引こうとはしなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 さて、一見フーケを追い詰めた様に見えるルイズだが、実の所追い詰められていたのは彼女も同じであった。

 

(困ったわね。どのみち縛り首になるんなら、口止めだって効果は無いし)

 

 そう、フーケの正体がロングビルだったことが拙いのだ。

 彼女は『冒険者』に深く関わり過ぎている。レベルアップや神器などの詳しい事情はともかく、『ルイズ達が冒険者である』ことを知る彼女をそのまま衛士隊に突き出す訳にはいかない。

 縛り首確定とは言っても裁判自体はきちんと行われるだろう。そしてフーケの証言と言う証拠があればロマリアだって動く。最悪、異端審問官がダース単位で送られて来てもおかしくはない。

 いっそこのまま口封じを……と考えていたルイズの脳裏に、ある疑問が湧いた。

 

「……ねぇフーケ、貴女どうして逃げなかったの?」

 

 先刻の推理でも語った通り、フーケに待ち伏せの必要は無いのだ。なのに彼女は一旦学院に戻ってわざわざ追手がかかるよう仕向けている。

 何故自ら窮地に陥るような真似をしたのか、ルイズにはそれが解らなかった。

 

「そ、それは……『破壊の杖』の使い方を知りたかったからよ。本当はオールド・オスマンか、教師の誰かを呼ぶつもりだったの。使い方が解らないアイテムなんか、売れないから。……もう意味は無いけれど……………ううっ」

 

 ルイズの詰問に、しゃくり上げながら答えるフーケ。

 そして帰って来た答えを元に、ルイズの頭脳はより深い思考に入る。

 

(使い方が解らないから追手を? そうか、あのゴーレムで私達を追い詰めて『破壊の杖』を使わせようって魂胆だったのね。……あれ? じゃあ何で使い方の解らないものを盗んだりしたのかしら? ………いえ、そもそもどうしてフーケはマジックアイテムを狙うのかしら?)

 

 マジックアイテムは確かに高額で取引される。けれど足が尽き易い。

 売ると言うからにはフーケの目的は金銭だろう。ならば何故、わざわざ足の付き易いマジックアイテムを狙う必要があるのだろうか?

 狙いを貴族に絞っているのも不自然過ぎる。確かに貴族は贅沢な生活を送っているが、大半の貴族は見栄を張っているだけで一部を除けば火の車というのが実情だ。しかも無駄にプライドが高いので、彼らから貴重なマジックアイテムを奪おうものなら執念深く追いすがってくるのは必至。

 相手の立場や状況によっては国軍すら動かしかねない。ハイリスクにも程がある。

 

(……けど、もしもそれに見合う動機があったとしたら?)

 

 あれほど見事なゴーレムを操るからには、噂通りフーケはトライアングルメイジなのだろう。

 学院長の秘書を務めていたのだから能力は高いであろうし、貴族に相応しい気品もあった。おそらく没落貴族なのだろうが、だとしたらそこそこ高い家格の出身と思われる。

 

 しかし秘書や執事は下級貴族が務めるもの、位の高い貴族が着く仕事ではない。

 だが────もしも、上級貴族が没落したとしたら?

 あるいは────仕えた家の問題が家臣にまで及んだとしたのなら?

 

 郎党にまで責が及ぶ罪は二つしか無い。即ち『謀反』と『異端』である。

 ルイズはシエスタに語った言葉を思い出す。

 

『異端を領主に持った家臣団は職を失い野に下り、領民は白眼視されて迫害される』

 

 もし、フーケがその『野に下った家臣』であったとしたら?

 本人に何の罪も無く、ただ仕えた貴族が没落したと言うだけで全て奪われたとしたら?

 そしてトライアングルに届く才能に溢れていたとしたら?

 

「────成程、復讐ってところかしら? 盗みを働く理由は」

「「「「「……えっ?」」」」」

 

 突然のルイズの言葉に、フーケを含めた一同が呆気にとられる。

 その微妙な空気に構わず、ルイズはフーケに話し掛けた。

 

「ねえ、もしかして貴女アルビオンのモード大公に縁がある家の出身?」

「なっ!? ………何のことかしら、私はトリステインの出身よ?」

 

 予想外の台詞にフーケは一瞬取り乱すも、即座に冷静さを取り戻して取り繕った。

 しかしその仮面は続くルイズの言葉にあっさりと剥ぎ取られる。

 

「だって、貴女の立ち居振る舞いはきちんとした教育を受けた貴族のそれよ? それも低い身分のものじゃない、有力貴族の振る舞いだわ。貴女の年でそれほどの大貴族が受けた改易はモード大公ぐらいですもの。もしかしたらと思ったのよ」

 

 フーケは内心で舌打ちする。そこまで読まれているとは思わなかった。これ以上ボロを出せば、ルイズは簡単に『あの子』に辿り着いてしまいかねない。

 剥ぎ取られた仮面を強固に被り直すフーケ。これ以上ルイズに踏み込まれる訳にはいかない。

 ポーカーフェイスの下で何とか誤摩化そうと策を巡らし始めた彼女に、横からトモが口を出したのはそんな時だった。

 

「ああ、前々から少し癖のある話し方だなぁとは思っていたんですが、言われて見れば顔つきもあの国の色が濃い。トリステインの民にしては少し色白ですし」

「え? そんなこと解るの?」

 

 トモの講釈に食いついたルイズに、彼は『アルビオン人の特徴』とやらを列挙し始めた。

 

 曰く、堅苦しく皮肉っぽい台詞が多く、やたらと天候を話題に出したがり、強情なまでに頑固。

 曰く、批判的で内気なくせに気難しく、ちょっと排他的な部分もあり、腹黒さは一級品。

 曰く、どんな材料を使っても素材の風味を消して不味い料理に変えてしまう、等々……。

 

 アルビオン人が耳にしたら激怒すること間違いなしのとんでもない情報の羅列。

 くだらない挑発。そう思って無視していたフーケでさえ、段々エスカレートして行く内容にこめかみが引き攣り出す。

 

「そして女性は二十代を過ぎると急激に太り出し、やたら厚かましくなるので婚期を逃す、とか」

「だぁれが行き遅れかぁああああああっ!!!!」

 

 とうとう我慢出来なくなったフーケが爆発する。

 それを見たルイズとトモがにやりと笑みを交わす。

 

「おや、どうかしましたか? 私はアルビオンの民のことを言ってるのですが?」

「貴女トリステイン出身じゃなかったの? なんでアルビオン人の事で怒るのかしら?」

「ぐ、ぎいぃぃぃぃぃぃぃっ……!!」

 

 飄々としたルイズとトモに、へし折れんばかりに歯軋りするフーケ。

 その様を見てドン引きするキュルケ達。

 

「……これは酷い」

「なんか、フーケに同情しちゃうわ……」

「あれは、ちょっと……」

 

 更にエスカレートするトモの語り。

 アルビオン人が『三枚舌で周囲を混乱させ、都合の悪いことはしらばっくれ、緊急事態でも香茶を手放さない、変態と言う名の紳士』にされた辺りで、フーケの堪忍袋は限界を超えた。

 

「だ、だ、誰が味音痴の腹黒変態淑女で年増の行き遅れだってぇえええええええっ!?」

「おや、私はアルビオンの事を言ってるんですが? 何か気に障る事でもございましたかね?」

「恍けるなぁあっ!! ああ、私はアルビオンのサウスゴータ太守の娘さ。これで満足かい!?」

 

 射殺さんばかりにトモを睨み付け、吐き捨てるように己の身上を暴露するフーケに、ルイズは驚いたように両手を打ち鳴らす。

 

「あらやだ、本当にモード大公の家臣だったの? 適当に言ってみたのに」

「なっ!?」

 

 実の所、ルイズの推論とはフーケが貴族に恨みを持っているから貴族を狙うのではないか、と言う程度のものだった。そこで知る限りでは近年最大の改易を例えに持ち出したのだ。

 そんな彼女のカマ掛けに、フーケは見事に引っ掛かったのである。

 

「な、何言ってんだい!? あんなにわざとらしく貶しておいて……!!」

 

 慌てて取り繕ってももう遅い。青筋を浮かべてルイズに詰め寄るフーケだが、その答えは未だ剣を構えたままのトモから返って来た。

 

「お忘れですか、ミス・ロングビル。私は極東から呼ばれて来たんですよ? トリステインのことすら良く知らないのに、アルビオン人の特徴なんて知る訳無いじゃないですか」

「うぬっ!? じゃ、じゃあ先刻の悪口は……」

「女性が嫌がりそうな単語を適当に並べただけです」

 

 トモはいっそ爽やかなまでに、はっきり断言した。

 余りにも酷過ぎる答えにフーケは絶句する。

 ノリノリで糾弾していたルイズでさえ「それは酷すぎない?」と顔を顰めたのだから。

 

「……まあいいわ。貴女がマジックアイテムを盗むのは貴族に恥をかかせるため、でいいの?」

「だったらどうするんだい? 今この場で死刑執行でもするのかい?」

 

 眉間を揉みほぐしつつ動機を確認してくるルイズに、フーケは挑発的な態度で答えるものの、内心では焦りまくっていた。何しろルイズの目的が読めないのだ。

 殺すつもりの相手を詳しく知ろうとは思うまい。余計な情が湧いて殺し辛くなるだけだ。

 だからといって見逃す筈も無い。『土くれ』のフーケと言えばトリステインを散々騒がせた大盗賊、王宮に突き出せばかなりの名誉になるだろう。名声に拘るトリステイン貴族にとって、彼女の首は同じ重さの金貨よりも価値がある筈だ。

 見逃すとは思えないが、殺す訳でもない。さっさとふん縛ってしまえば良いものを、それすらしないで尋問するだけ。

 

(何なんだこいつ……一体、何が目的なんだい?)

 

 背中に冷や汗がじっとりと浮かぶ。内心の焦りが最高潮に達した時、ルイズはポンと手を叩いてフーケに提案した。

 

「そうだ! ねえフーケ、私達に雇われてみないかしら?」

「「「「「はい?」」」」」

 

 ルイズを除く、その場に居た全員が全く同じ反応をした事にフーケは気付けなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 朝の日差しが差し込む学院長室で、オールド・オスマンは任務の達成報告を帰還した『六人』から受けていた。

 

「……と、言う訳でこちらにも多少被害は出ましたが、許容範囲ですし問題は無いかと」

「しかし、こうして秘宝が戻って来たのは僥倖じゃ。よくやってくれたの」

 

 オスマンの労いを受け、誇らしげに胸を張るルイズ。

 そんな彼女とは対照的に、キュルケ達はバツが悪そうな表情で所在無さげに佇んでいる。

 挙動不審気味なキュルケ達に首を捻るオスマンだったが、コルベールの咳払いで言葉を続けた。

 

「秘宝は無事に宝物庫に収まった。これでフーケを捕らえていたら『シュヴァリエ』位は賜ったかも知れんが、彼奴めを逃してしまってはの……。代わりと言っては何じゃが、儂の方から報奨金を出しておくぞ。大金とまでは行かんが、小遣い程度にはなろうて」

「よろしいので?」

「構わん構わん。事情が事情だけに王宮には内緒じゃからな。口止め料とでも思えば良い」

 

 トモの疑問をオスマンは呵々と笑い飛ばし、用意しておいた小袋をそれぞれに渡す。

 小袋の中には十エキュー相当の新金貨、確かにルイズ達貴族にはお小遣いでしかない。が、平民のシエスタにしてみれば大金だ。受け取る手が震えるのも無理は無い。

 

「い、いいんですか? 勝手に着いて行った私がこんなに戴いてしまっても……」

「その金は『冒険者』としてのお主に払う正当な報酬じゃよ。素直に受け取っておきなさい」

「そうよシエスタ。貴女だって活躍したんだから、もらう権利はあるわ」

 

 恐縮するシエスタに苦笑しながら、オスマンとルイズは彼女に袋を押し付ける。

 

「そうそう、今夜の『フリッグの舞踏会』じゃが、予定通り執り行うぞい」

 

 オスマンは手を打ちながらそう告げる。それを聞いた途端、キュルケの顔が輝いた。

 

「そうでしたわ! フーケの騒ぎですっかり忘れていました!」

「今夜の主役は君たちじゃ。せいぜい着飾るのじゃぞ」

 

 その言葉に礼を返して退室する一行。

 その背中に、思い出したようなオスマンの言葉が投げ掛けられる。

 

「ああ、ミス・ヴァリエールとミスタ・ヤナギーダはちょっと待ってもらえんか? 聞きたい事があるでの」

 

 その台詞に思わず立ち止まるキュルケ達だったが、ルイズが「先に行ってて」と言うと心配そうな顔をしながら扉の向こうに消えていく。そして彼女達が姿を消すと、オスマンはそれまで浮かべていた好々爺の顔を引っ込めて眼光鋭い猛者の顔を表した。

 

「……ミス・ヴァリエール。何故、『冒険者の洗礼』を受けた?」

「やっぱり気付かれてましたか。誤摩化しは……出来ませんわね、流石に」

 

 単刀直入なオスマンの追求にルイズは肩を竦め、トモは顔を覆って天を仰ぐ。

 

「あの、どうしてご主人が冒険者になったと思われたのですか?」

 

 トモの疑問も当然だろう。ルイズの事情は皆に口止めしている。オスマンへの報告にも一切そのことは触れていなかったのだから。

 

「何、簡単な事よ。挙動不審なミス・ツェルプストーやミス・タバサ、お主をちらちら横目で見てくるミス・シエスタ、何より『彼女』が見せた怯え様は尋常じゃないわい。お主達の特殊な事情を知るものからすれば、何があったかを推測するのは簡単じゃろうて」

「……ああ、彼女達の態度からの推測ですか。それでは口止めも意味ありませんね。盲点でした」

 

 呆れたような、安心したようなオスマンの台詞に、トモは再び天を仰いだ。

 隠蔽を見抜かれて嘆息するルイズとトモに、今度はコルベールが詰問して来た。

 

「何故です、ミス・ヴァリエール? 君は魔法こそ使えないが聡明な生徒でした。そんな君が『冒険者』になることの意味、よもや知らない筈もないでしょうに」

「確かに、私の選択は始祖の教えに背く行為かも知れません。……ですが!!」

 

 コルベールの指摘にルイズは俯く。しかし再び面を上げた時、その目には昏い炎が宿っていた。

 

「私は何度も始祖に祈りました! 母様や父様、姉様達のようにとは言わない、ドットでもいいから魔法の才能が欲しいって! 毎朝毎晩毎日、繰り返し繰り返し、自室で、礼拝堂で、食堂で、教室で、王都で、領地で、他国で、道中で、どんなときでも、どんな所でも!!」

 

 いつしか鳶色の大きな目に涙をたたえながら、ルイズは誰にも明かした事の無い胸中を明かす。

 

「魔法の教本ならボロボロになるまで読み返しました! ルーンだって全部暗唱出来るまで繰り返しました!! なのに、全然魔法は使えなかった! あんなに一生懸命お祈りしても、始祖は応えてくれなかった!!」

 

 それは彼女が生きた十六年分の澱だった。魔法が使えないが故に嘲られ、それでも大貴族の息女と言う身分を妬まれ、助けを求める悲鳴を黙殺された少女の嘆きだった。

 オスマンとコルベールは沈痛な表情を浮かべ、トモは黙したまま何も語らない。

 

「だから、私は選びました! 私を見捨てた始祖ではなく、私の祈りに応えてくれた神を!!

 ────自分の運命を自分で切り開く『冒険者』の道を!!!!」

 

 ルイズの絶叫にも似た悲痛な告悔。

 彼女が縋った始祖は何もしてくれなかった。けれど運命の神は、自分を殺してくれるであろう『冒険者』を待つ神は、そんな彼女に応えてくれた。

 その事実は信仰心に篤かったルイズをして異端に走らせるには充分過ぎたのである。

 

「……ですが、貴女はトリステイン有数の大貴族たるラ・ヴァリエール公爵の息女なのですよ?

 そんな貴女が異端に堕ちたと知られれば、この国が未曾有の大混乱を起こすのは必至ですぞ!」

 

 ルイズの壮絶な告悔に絶句していたコルベールが慌てて捲し立てる。見れば隣に立つオスマンも厳しい顔で頷いていた。

 異端審問はブリミル教圏とも言えるハルケギニアにおいて最大の不名誉である。名誉を何よりも美徳とするトリステインの公爵家ともあろうものが、自ら異端に堕ちる意味を知らない筈も無い。

 だが、そんな二人の懸念に応えたのはルイズではなかった。

 

「ふむ、そのことでお二人と『貴女』にお願いがあるのです。お聞きいただけますか?」

 

 そう語り掛けて来たトモの顔はオスマンとコルベール、そして『彼女』の目にはまるで取引を持ち掛ける悪魔のように見えたと言う。

 

 

 

***

 

 

 

 アルヴィーズの食堂の上階に設えた大きなホール。そこが『フリッグの舞踏会』の会場である。

 豪華な料理が盛られた卓の周りで思い思いに着飾った生徒や教師達が歓談している中にあって、一際目立つ一団が居た。

 燃えるような緋色の髪とは対照的なきわどい黒のドレス姿のキュルケ。

 同じく黒のドレス姿ながら、シックに纏められたタバサ。

 そして一番目立っていたのが、その黒髪を引き立たせる淡いパステルカラーのドレス姿のシエスタであった。

 

「ほ、本当に平民の私がこんな所にいてもいいんでしょうか?」

「いいのよ、学院長も『私達が主役』って言ってくれたしね」

「元々ルイズは貴女を出席させるつもりだった。じゃないとそんなドレスを用意したりしない」

「は、はうぅ……」

 

 ガチガチに緊張しているシエスタを、キュルケとタバサが宥めている。

 舞踏会の準備に大わらわだったシエスタを拉致同然にかっさらい、ああでもないこうでもないと取っ替え引っ替え着せ替えさせたのが少し前。何が起きているのかさえ把握出来ないままに着替えさせられた彼女が現状を認識したのは、舞踏会の会場に引っ張り出された後である。

 平民である彼女にとってこんな大舞台は初めてどころか場違いでさえあったのだが、名目上シエスタの主人であるルイズは強引とも言える論法で彼女と周囲の関係者を説得した。

 曰く「シエスタはもう学院のメイドじゃなくて私の侍女です。その上、フーケ探索では重要な役目を果たしてくれました。そんな彼女を舞踏会に参加させても何ら問題は無い筈です」と。

 当然反発もあったのだが、今度は使い魔であるトモが説得と言う名の脅迫を行う。

 曰く「フーケ探索の功労者を労わずして何が貴族ですか? ……ああ、貴族としての責務も果たせなかったくせに体面を気にしても今更ですよ?」と。

 こうしてシエスタの出席は決定され、こうして舞踏会の会場に立っている訳なのだが……

 

「な、何か注目されてるような気がします。や、やっぱり場違いですよね?」

「やあねぇ、心配のし過ぎよ。それに貴女、そこらの有象無象よりよっぽど可愛いわよ?」

「大丈夫。自信を持って良い」

 

 何せつい昨日まで夢にさえ見なかった出来事である。おまけに緊張し切った彼女を気遣い、次々舞い込むダンスの誘いをキュルケが片っ端から断るせいで肩身が非常に狭い。

 そうこうしている内にまた一人男子生徒が歩み寄り、その手を差し伸べる────キュルケではなく、シエスタに向かって。

 

「勇猛果敢なる勇者のお嬢さん。宜しければ私と一曲お付き合いいただけますか?」

「……え?」

 

 ぽかんとするシエスタ。一瞬呆気にとられたキュルケだが、すぐに満面の笑みを浮かべて彼女の背中を押し出した。

 

「ほら、行ってらっしゃいな! 殿方を待たせないのも、一流の淑女の嗜みよ?」

 

 若干パニックに陥ったシエスタだったが、やがておずおずと差し出された手を取る。

 

「え、ええと……はい、こんな私で宜しければ」

「おお、イーヴァルディの再来たる貴女のお相手を務められるとは!」

「いやそんな! イーヴァルディの勇者様と比べられるなんて!」

「いえいえ、その身を賭して貴族の間違いを正し、あの盗賊フーケの討伐に赴いて見事秘宝を奪還せしめた貴女は彼の勇者にも劣りますまい! ご謙遜なさらず、堂々とその武勇を誇りなされば宜しいのです。貴女の功績の前には、雛鳥のさえずりなど風に散る朝靄の如く霞むのですから!」

 

 過剰なまでにシエスタを褒め讃える男子生徒。

 男子生徒の友人らしき生徒達が「……あいつ、本気だったんだ……」等と囁き合うのを横目で眺めつつ、適当な相手を見つけるべく行動を起こそうとしたキュルケの目がある人物を捉える。

 寂しい頭頂部を大きな金髪の鬘で隠したコルベールの誘いをやんわりと断り、涙目になった彼の見送りを受けて歩み寄る『彼女』に、キュルケは手にしたワイングラスを掲げて見せた。

 

「良かったのかしら? ミスタ・コルベール泣いてたわよ、『ミス・ロングビル』?」

 

 そう、結い上げられた髪に合わせたエメラルドグリーンのドレスに身を包んだ麗人こそ、学院長秘書のミス・ロングビルこと『土くれ』のフーケその人であった。

 水を向けられたフーケは通りかかったメイドからグラスを受け取って一気に呷り、一息ついてから胡乱な目でキュルケを睨み付ける。

 

「ふん、アンタ達のお陰で仕事は失敗、そのうえあんな取引まで持ち出されちゃ、呑気に踊ってなんて居られないっての!」

「あらあら、あの条件を呑んだのは貴女でしょ? 恨むのはお門違いだわ」

 

 フーケの恨み言を飄々と躱すキュルケだが、内心では彼女に同意していた。

 あの時、あの廃屋の前で拘束されたフーケにルイズが出した条件は、キュルケ達をして目を剥き絶句させる程の威力を備えていたのだから。

 

『ねえフーケ、貴女ほどの腕前なら何処にでも忍び込めるわよね? だったらちょっとロマリア行って、私達のこと知られないように工作してもらえるかしら?』

 

 それはフーケならずとも言葉を失う行為だった。

 ロマリア、正確にはロマリア連合皇国はハルケギニアの他の国々とは違い、ブリミル教の全ての権威を預かる教皇が直接治める宗教国家である。そこに単身乗り込み、よりにもよってルイズ達の異端認定を妨害しろと言うのだ。

 フーケならずとも「それは死ねって言ってるのかい?」と漏らしたくなる。

 

 しかしルイズは笑いながら否定した。

 

 現在ルイズ達のことを知っているのはキュルケ、タバサ、オールド・オスマン、コルベール、そしてフーケしか居ない。この四人が口を噤んでさえ居れば、ルイズ達は『珍しい東方の技を使う』程度の認識で済む。一生徒が画策するにはスケールの大き過ぎる策略だが、その『万が一』が起こる確率が低いのだからある意味飼い殺しとも言える。

 

 この前代未聞の大仕事に対する報酬もやはり前代未聞であった。

 

『別に今まで通り盗賊稼業は続けても構わないわ。ヴァリエール領と魔法学院から盗みさえしなければ私は関与しないもの』

『……ツェルプストー領も含めといてもらえるかしら?』

『……ガリアでは止めてもらえると助かる』

 

 ころころ笑って酷いことを言うルイズに、キュルケとタバサが追随する。

 けれどフーケが最も心惹かれた報酬は、何の気もなくルイズが口にした台詞であった。

 

『後は、そうね……、危なくなったらヴァリエールで匿うわよ? 勿論、貴女のお仲間も』

 

 その言葉を聞いて真っ先に浮かんだのは故郷の村で待つ『あの子』のこと。

 無論完全に信用出来る訳ではないが、いざと言う時に逃げ込める場所が出来たことは歓迎すべきであろう。それにロマリアにはあらゆるマジックアイテムに関する情報が集まってくる。フーケにとっても利はあるのだ。

 此処までは問題ない。いや、問題はあっても自力で解決可能な範囲に収まっている。

 自力では解決出来ない問題、それは……

 

「……で、結局どういう風に纏まったのかしら? あの子ったら『当てが無ければ作ればいいのよ!』としか言わないんだもの」

 

 長い回想からきらびやかな舞踏会の会場に意識を戻したキュルケは、何やら自棄になったようにワインを呷るフーケに聞いてみる。その問い掛けにフーケは鼻を鳴らし、呆れ声で学院長室での取引の内容を明かした。

 

「……あのお嬢ちゃん、とんでもないね。オールド・オスマン経由で『鳥の骨』につなぎを取らせるなんて、どうやって思い付いたのやら……」

「『鳥の骨』? ……って、マザリーニ枢機卿!?」

 

 キュルケが驚くのも無理は無い。王位不在のトリステインの政治を一手に引き受けるマザリーニを頼ると言うことは、即ちトリステインを巻き込むことに他ならないのだ。

 だがフーケはもう一度鼻で笑うと、彼女の勘違いを訂正した。

 

「ああ、もちろん詳しい事情は知らせないよ。オールド・オスマンからは『ロマリアで働きたいメイジを受け入れてくれる神官を紹介して欲しい』としか伝わらないからね」

「成程、要するにコネを使って堂々と潜入するって訳か。正式な、それも枢機卿の紹介なら疑われないって所かしら?」

 

 そう、問題は『どうやってロマリアにフーケを送り込むか?』と言う難題であった。

 単身乗り込んだ所で異端審問に関わる重要な役職に近づける訳が無い。だからある程度高い地位の神官に近付く為に、ルイズが頼ったのがマザリーニである。

 彼はロマリアにおいて教皇候補に指名される程度には影響がある。

 それを利用すれば少なくとも出自を疑われることは無いだろう。

 

「あのお嬢ちゃんもヤバいけれど、あの使い魔はもっとヤバいね。あの交渉、アンタ達にも聞かせてやりたかったよ」

 

 トモがオスマン達に持ち掛けた策謀は、ルイズがフーケに持ち掛けた取引そのままであった。

 ただし、トモはオスマン達に『ロングビル』の正体を明かしていない。その上で『ロングビル』をロマリアに送り込む────この突飛な提案を呑ませる為にトモが用意した言い訳がこれだ。

 

『ロングビルの没落にはロマリアの陰謀が関わっているかも知れない。だからそれを確認する便宜を図る代わりに、ルイズ達の秘密を守って欲しい』

 

 普通なら誰も信じない、苦し過ぎる言い訳。

 しかしトモは問題を殊更強調し、論点を微妙にずらし、虚実を取り混ぜてあやふやにして、遂にはオスマン達を煙に撒いてしまったのだ。

 

『道すがらに聞いた彼女の話から大体の見当が付きました。とは言え、これはあくまで想像の話、事実であるかどうかは解りません。ですが、愛する家族や領民達と引き離される悲しみを語ってくれたミス・ロングビルの涙に、私はどうにかして報いたかったのです』

 

 ぽろぽろと涙を零しながらの訴えは思いのほか説得力があったらしい。嫌らしいことに、ルイズ達の問題はあくまでも言い訳にしか過ぎないような印象を植え付ける語り口で。

 オスマンとコルベールは号泣しながら『ロングビル』に最大限の便宜を図ることを約束。そこにルイズが『だったらマザリーニ枢機卿を頼ってみては?』と畳み掛け、あれよあれよと言う間に『ロングビル』のロマリア派遣が決定してしまったのである。

 

「あれは一流の詐欺師のやり口だね。正直、敵に回したら厄介どころの話じゃ無いよ」

「……彼の話術にルイズの頭脳が加わったら、もう無敵なんじゃないかしら」

「…………非常に手強い」

 

 何故か出会ってはいけないもの同士がくっ付いてしまったかのような、取り返しのつかないものが産まれてしまったかのような悪寒に身を震わせる三人。曲が終わり、慣れないダンスから解放されたシエスタがそんなキュルケ達の元に歩み寄るのと、ホールの扉に控えた衛士がルイズ達の到着を告げるのは殆ど同時であった。

 

「ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢、ならびにその使い魔ヤナギダ・トモ様のおな〜〜り〜〜!!」

 

 壮麗な扉が大きく開かれてルイズがその姿を見せた途端、ざわめいていたホールは一瞬にして静まり返る。

 長いピンクブロンドの髪をバレッタで纏めた小さな顔は、白いパーティードレスと相俟ってまるで宝石のように輝いて見えた。薄化粧だけのシンプルな装いも、肘までの長手袋の白さも、開いた胸元で揺れる三本の剣を重ねた聖印も、ルイズの高貴な美貌に良く映える。

 そしてその後ろに控えている使い魔もまた、普段とは違う装いを見せていた。

 無造作な短髪はオールバックに固められ、艶やかな黒い髪がエキゾチックな雰囲気を醸し出す。

 服装こそ何の変哲も無い黒の燕尾服姿だったがビシっと決まっており、いつものコート姿とは雰囲気が違う。背中に背負ったデルフリンガーだけが場違いだったが、それすらアクセントとなって彼を一流の従者に見せていた。

 

「あらシエスタ、そのドレス似合ってるわ、私の見立て通りね!」

「あらルイズ、貴女が選んだドレスはどれも地味だったわよ? シエスタにはもう少し派手な方が似合うと思うわ」

「………(がつがつ)」

「あ、あの私皆さんみたいに奇麗じゃないし、こんなドレス初めてだし、ええと、ええと……」

「いえいえ、とても良くお似合いですよシエスタさん。……むしろ私の方が場違いっぽいんですが」

 

 ルイズの感性に駄目出しするキュルケ、我関せずとご馳走を食い荒らすタバサ、そしていっぱいいっぱいなシエスタに何故か落ち込んでいるトモ。

 三者三様ならぬ五者五様に振る舞う彼女達を取り巻く生徒達を急かすように、楽士達が静かに音楽を奏で始める。それに勇気づけられたのか、生徒達が一斉に群がって盛んにルイズ達へダンスの誘いを申し込み始めた。

 殆どがキュルケ狙いであったが、意外な美貌を見せたルイズや、貴族の令嬢には無い素朴な可愛らしさを持つシエスタに熱い視線を送る男たちも多かった。タバサは興味が無いのか料理に向き直り、つられてトモも料理に手を伸ばそうとして……裾を引っ張られた。

 振り返ればそこに居たのは若干不機嫌な表情のルイズ。戸惑うトモに向かい、彼女は白い長手袋に包まれた手を差し伸べた。

 

「大勢に誘われていませんでしたか?」

「着飾った途端に群がって来るような安い男は御免だわ」

 

 ルイズの顔と差し出された手、そしてニヤニヤと笑顔を浮かべてこちらを窺う友人達を見比べ、トモは嘆息して天を仰ぐ。

 

「……ダンスの素養はありませんからね?」

「あら、ようやく貴方の弱点を見つけたわね!」

 

 ころころと笑うルイズの手を取り、トモは恭しく頭を下げた。

 

「それでは僭越ながら、一曲踊って頂けますかレディ?」

「もちろんお受け致しますわジェントルマン!」

 

 並んでホールに向かう二人。

 『邪魔だから』とその場に置いて行かれたデルフリンガーが小さく笑った。

 

「こいつはおでれーた! 主人のダンスの相手を務める使い魔なんて、初めて見たぜ!」

 

 

 

***

 

 

 

 どうにか踊り抜いたトモだったが、その後キュルケとシエスタにもダンスを申し込まれ、挙げ句見知らぬ女生徒からも熱烈なアピールを受ける羽目になった。

 これ以上晒し者になる気の無かった彼はどうにか煙にまき、デルフリンガーと幾つかの料理を抱えてバルコニーに逃げ込む。

 

「……想像以上にパワフルな方々ですね。まるで獲物を追い詰める猟犬みたいです」

「カカカッ、そりゃ言えてる! 皆あの嬢ちゃん達のおこぼれに預かりたいんだろうさ!」

 

 デルフリンガーの混ぜっ返しにげんなりしながら、テーブルからかすめ取って来たワインと料理に手を着ける。贅の限りを尽した料理は確かに美味で、高級であろうワインにも良く合う。

 けれどトモにはどこか物足りなく感じられた。

 

「マルトーさんの創作料理の方が美味いと感じるのは、私の舌が貧乏だからですかね?」

「そりゃ旦那、アンタの為に作った料理と見知らぬ誰かの為の料理じゃ気合いの入り方も違うってもんさ」

「……そう言うものですかね?」

 

 けたけた笑うデルフリンガーに同意しつつ、トモは天を仰ぐ。

 夜空に浮かぶ赤と青の月が、バルコニーに立つ一人と一振りを照らし出す。

 トモのグラスはいつの間にか空だった。継ぎ足そうと瓶を持ち上げ、手応えが軽い事に気付く。

 どうやら一本丸々空けてしまったようだ。

 

「……酒、弱かった筈なんですがねぇ」

 

 代わりを求めてホールに戻ろうとするトモの目の前に白の塊が現れる。

 真っ白なドレスの美少女。言うまでも無く、ルイズであった。

 

「楽しんでるみたいね」

「楽しんでいるかどうかはともかく、美味しい思いはしていますね。これで私を付け狙う方々の視線が無ければ言う事は無いんですが」

 

 トモが群がる女生徒から抜け出し、バルコニーに逃げ込む様子はルイズ達も目撃している。

 その時の事を思い返して吹き出すルイズに、彼は憮然としながら零す。

 

「昨日の大荷物の正体がコレだって知っていたら、昨日の内に燃やしておくところでしたよ。シエスタさんなんて物凄く緊張しちゃってるじゃないですか、可哀想に」

「でも可愛いからいいじゃないの。貴方も結構似合ってるわよ?」

 

 そう、彼らが着ている礼服は先日トリスタニアに向かった際に購入したものだった。

 ちゃっかりトモとシエスタの分まで確保して、彼らを驚かせようと内緒にしていたらしい。

 悪戯っ娘のようにころころと笑うルイズに、トモは少し躊躇ってからその疑問を口にする。

 

「……ご主人は『冒険者』の道を選んだ事に後悔は無いんですか?」

「無いわね」

 

 あっさり断定したルイズを思わずまじまじと覗き込んでしまうトモ。

 一方ルイズは無い胸を張り、実に堂々とした態度で彼を見返した。

 

「『私の人生は私の取り分』なんでしょう? だったらこれを元手に大穴に賭けるのも私の自由、損をしようが得をしようが私自身が選んだ答えですもの。後悔なんて必要ないわ。そうでしょ?」

 

 そこに居たのは自分の選択に誇りを持つ、立派な『冒険者』だった。

 その答えを聞き、一瞬だけ目を丸くしたトモだったが直ぐにいつもの無表情に戻る。

 

「……判りました。その覚悟、私は敬意を持って賞賛します」

「何よ、いきなり改まって?」

 

 突然居住まいを正すトモに、ルイズは目を白黒させる。

 そんなルイズを微笑ましく思いながら、トモは彼女に『お願い』をした。

 

「ところでご主人。ギルドを組んだら名前を付けなければなりません。後でシエスタさんも交えて相談しようと思っていたんですが、よければ私に付けさせてもらえませんか?」

「え? ……いいけど、あんまり変なのは駄目よ?」

「大丈夫です、いい名前を思い付きましたから。……怒らないで下さいね?」

 

 それを聞き、ルイズの眉が危険な角度に吊り上がる。

 

「……言って見なさい。その上で制裁するから」

「制裁は決定事項なんですか? ……コホン、では……

 もうそれ以下が存在しない極低温、後は熱くなるだけしかない絶対零度を表す言葉で、

 

 『アブソリュート・ゼロ』

 

 なんてどうでしょうか? ハルケギニア最初の冒険者ギルドには相応しいと思うんですが」

 

 ルイズはその言葉を舌の上で転がしてみる。

 『ゼロ』の呼び名が入るのは気に入らないが、言葉の響きはいい。

 何より『これより下が無い、だから後は上がるだけ』というその意味が素敵だ。

 成程、確かにハルケギニア最初の冒険者ギルドに相応しい。

 ルイズは花のような笑みを浮かべると、トモに向かって宣言する。

 

「いいわ、それで行きましょう。私達は今日から冒険者ギルド、『アブソリュート・ゼロ』よ!!」

 

 そしてこの日、神様に挑む愚者達の、余りにもささやかな旗揚げがなされたのであった。

 

 

 

 

 

 

CONGRATULATIONS!

THE 1ST SCENARIO ACHIEVEMENT!

 

シナリオ経験値:10(×3)

 

追加ボーナス

・セッションに参加した:1(×3)

・セッションで活躍した:1(×3)

 

達成したクエスト

・ヤナギダ・トモ:『破壊の杖』の奪還(追加EXP:5 報賞:任意のアイテム一点を得る)

・ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール:『破壊の杖』の奪還(追加EXP:5 報賞:任意のアイテム一点を得る)

・シエスタ:ギーシュと決闘(追加EXP:3 報賞:一回だけギーシュに命令が出来る)

      『破壊の杖』の奪還(追加EXP:5 報賞:任意のアイテム一点を得る)

 

 

 

ギルド名:『アブソリュート・ゼロ』

・ギルドスキル:耳打ち

 



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幕間:1

 宴も終わり、熱狂さめやらぬ生徒達も徐々に引き上げ始めた大ホールのバルコニー。

 二つの月明かりが照らし出すそこで結成されたばかりの冒険者ギルド、『アブソリュート・ゼロ』のメンバー達がギルド結成記念と称してささやかな祝杯をあげていた。

 祝杯とは言っても舞踏会の余り物のワインをくすねた程度であるし、楽曲も酒肴も無しでは杯を重ねるには程遠い。けれど和やかな時間を楽しむにはグラス一杯の酒が有れば事足りる。

 程よい酩酊もあって打ち解けた雰囲気の漂う中、ダンスの申し込み合戦を避けてバルコニーに逃げ込んだシエスタがふと呟いた。

 

「そう言えば、冒険者の詳しいお話しをまだ訊いてませんでしたねぇ」

「あ、そうだったわね。丁度良いから詳しく説明してちょうだい。今ここで」

 

 シエスタの漏らした疑問にルイズが乗る。水を向けられたトモはふむ、と頷いて杯を伏せた。

 

「まあ良い機会でもありますし、いいでしょう。何が知りたいですか?」

 

 そうして月夜のバルコニーにて、冒険者達の講習会が開始される事になった。

 

 

 

***

 

 

 

 はい、まずはご主人から伺いましょうか?

 

 ……冒険者の目的、ですか? 以前言った通り『神を倒すこと』、それだけです。

 あ、神様と言っても始祖(ブリミル)様ではありません。大迷宮におわす我等が神、運命の神(デウス・エクス・マキナ)の事です。

 

 ……どうしてそんな事をするのかって顔ですね、シエスタさん。 そう言えば『冒険者の神話』はまだシエスタさんには教えてませんでしたか。

 

 冒険者に伝わる神話によれば、この世界は暇を持て余した神様に創られたんだそうです。

 ですがその際、人間は鳥や獣より弱く創られました。それに甘んじる事を良しとしなかった人間は知恵を振り絞って獣や鳥を追い払い、世界を覆い尽くすほどの繁栄を手にしたんですね。

 

 ところが、それを見た神様は激怒して人間を滅ぼそうと天罰を下しました。

 けど何回滅ぼしてもしぶとく甦って来る人間を見て、神様も考え方を改めたんです。

 

 そもそも神様が世界を創ったのは暇つぶしだったんですね。どうして暇かって言うと神様は死ぬ事が無いから、だそうです。ですが人間はそんな神様でも予想がつかない成長をするらしくて、事と次第によっては神様より強くなれる可能性があるんです。

 そこで神様が人間に持ち掛けたのが『冒険者の力を与える代わりに自分を殺せ』って契約でした。

 

 ……酷い話でしょう? 要するに神様の自殺を兼ねた暇つぶしの為の玩具なんですよ、冒険者っていうのは。しかもこの目的を諦めると冒険者じゃなくなります。力も道具も何もかも失って、ただの人間に逆戻り。実際そうして力を失った冒険者は結構居ますし、お互い気を付けましょうね。

 

 じゃあ、次の質問にいきましょうか?

 

 

 

***

 

 

 

 次はシエスタさんの番ですね。

 ……冒険者の能力の詳細について、ですか? ああ、それぞれのステータスの意味が知りたいってことですね。

 

 すでにご存知の通り、冒険者は自分の力を数値化して把握しています。

 何が出来て、何が得意なのかを数字にしたものを冒険者は『レベル』と呼びます。

 経験を積めばLvは上がりますし、何らかの原因で逆にLvが下がる場合もありますから注意が必要です。それにLvにも種類があって、それぞれ得られる恩恵が違います。

 

 まずステータス。これは基本的な能力を表すLvですね。

 体力、知力、感覚、敏捷、器用、魅力、精神、幸運の八つ。それにHP、MP、SPの三つがあります。

 

 体力は腕っ節ですね。耐久力も兼ねてますので、これが上がると身体も頑丈になります。

 知力は知能の高さです。記憶力だけじゃなくて知恵や機転と言ったものも入ります。

 感覚は目や耳の良さを表してます。勘や直感、いわゆる第六感もこれの範疇ですね。

 敏捷はすばしっこさです。これが高いと馬と競争だって出来ますよ。

 器用はそのまんまです。手先だけじゃなくて体全体の使い方に及びますが。

 魅力も文字通りです。顔の美醜だじゃなくて、カリスマとか雰囲気とかも含んでます。

 精神、要は根性のことです。魔法系には割と重要な数値ですね。

 幸運はスバリ運の良さを表してます。他にも色々在りますが一旦置いておきましょう。

 

 で、残り三つ。

 HPはヒットポイントの略で、生命力を表します。これが無くなると死んでしまいます。

 MPはマインドポイント、これが尽きると気絶してしまうので注意してください。

 SPはスタミナポイントと言って疲労を示してます。これも尽きれば命に関わりますよ。

 

 ステータスは種属ごとに特徴があります。それを表したのが『種属特性』ですね。

 私たち人間は『ヒューマン』と言う種属ですね。特に秀でたものはありませんが、逆に苦手なものもありません。それに同じ種属でも、生まれによって特性は変わって来ます。例えば私とシエスタさんの種属特性である『弱者の意地』は平民の粘り強さを表したものですし、ご主人の『高貴なるものの義務』は貴族の在り方を表したものです。他にも色々有るようですが……。

 

 で、それを使って『何が出来るのか』を表したのが『クラス』です。

 クラスは四系統に別れています。剣や槍を使って直接戦うのがウォーリア系、メイジみたいに魔法を使うのがスペルマスター系、道具や薬を作るのがマイスター系、それに猟師とか農夫とかの普通の仕事を表す一般技能系。

 

 そしてそれぞれのクラスで『何が得意なのか』を表すのが『スキル』になります。

 このスキルを使うのに必要なのがMPって訳ですね。

 

 ちなみに冒険者には成長の限界がありません。鍛えれば鍛えた分だけ強くなれるんです。

 ですが、そうすると普通の道具では冒険者に付いていけなくなります。

 それを補完するのが『神器』です。神器はお金や宝石みたいな価値のある物を捧げて運命神から賜ります。ですが持っているだけでは使えません。神器やアイテムを使えるようにすることを『装備』と言って、現在使えるアイテムを表したものがステータスの『装備品』の欄なんですね。『所持品』の欄に表示されているのは、持っているけれどすぐには使えない状態のものを指します。

 

 それと、神器は冒険者以外には使えません。実際に一般人へ冒険者の薬を使って、何の効果も得られなかった事が確認されています。おまけに神器は壊れたり腐ったりしません。ものによっては使用者に凄い力をくれるのもあります。

 

 ……まあ、話だけ聞いてると凄く便利に聞こえるかも知れませんが、それが使えるようになるにはやっぱり努力が必要なんですよ。それもLvが上がれば上がるほど要求される努力も大きくなります。それが原因になって心が折れ、冒険者の資格を失う人も居るそうです。

 結局冒険者になっても最後にものを言うのは自分自身ってことでしょうね。

 

 

 

***

 

 

 

 おやご主人、まだ何か?

 ……え? 冒険者になる方法ですか?

 

 ……ええ、そうですね。『冒険者の洗礼』の仕組みは凄く単純です。

 

 『神様に祈る』、それだけです。

 

 ……嘘や冗談じゃありません。本当にこれだけなんです。だから怒らないでください。

 ええ、運命神に向かって「冒険者になりたい」と祈り、それに応えて神様が「冒険者に相応しい」と認めることで冒険者になれる、ただそれだけ。

 

 ……認められる為の条件? 判りません。『絶対諦めないこと』が絶対条件なのは間違いないんですが、努力してても認められなかった事例もごまんとありますし、高レベルの冒険者の手引きがあると認められ易いとは聞きますが、それも確実じゃ無いらしいです。

 

 ご主人やシエスタさんも聞いたと思いますが、認められると教会の鐘みたいな音が冒険者だけに届きます。そして『運命神の聖印』が運命神から与えられ、晴れて冒険者の仲間入りとなる訳です。聖印は『ステータスの確認』、『神器の購入』、『ギルドを組む』他にも色々使われますね。

 

 ……ん? 『ギルド』とは何か、ですか?

 『ギルド』とは冒険者が寄り集まって一つの集団になったもので、大体四〜五人で構成されることが多いですね。

 ……ああ、そう言えば『リーダー』と『拠点』を決めていませんでした。

 『拠点』とはそのまま本拠地になる場所で、『リーダー』とはギルドの方針を決定する代表です。ですが色々と常識はずれの冒険者のことですから、いずれも文字通りの意味ではありません。

 ギルドを組むと色々恩恵がありますが、その使い方を決めるのがリーダーです。

 他にも『拠点』があって初めて効果のあるギルドの恩恵もあったりしますね。それに常時発動タイプならともかく、基本的にギルドの恩恵は『リーダー』が承認しないと発動しません。

 冒険者にとってこの二つは絶対必要な条件でもあるんですよ。

 

 ……とりあえず、『拠点』はご主人の部屋でいいですかね?

 ……拠点は後で変更が利きます。拠点になる場所を運命神に報告するだけですので。

 

 あと、『リーダー』はご主人にお願い出来ますか?

 ……いえ、確かに冒険者に付いては私の方が詳しいですが、ご主人を『リーダー』に押すのは冒険者側から見ても妥当なんですよ。

 

 ご主人のスキル構成は後衛型です。それに対して私とシエスタさんは前衛型。

 最前線で戦う私達では戦況把握は難しいんですよ。だから『リーダー』は後衛型、それも戦況を理解し自分達に有利になるように運べるクラスが相応しいとされています。

 ご主人のクラスはセージ(賢者)です。戦況を把握し管理するにこれ以上相応しいクラスはありません。それにご主人は貴族ですから、社会制度上その方が好ましいと思います。

 

 ……そうですね、よろしくお願いします。

 

 

 

***

 

 

 

 ……ああ! 一番重要な事を忘れていました!

 

 ええと、以前ご主人にはお話ししたと思いますが、基本的に冒険者は何者にも従いません。

 そりゃ神様を倒そうって大それた連中が、今更王様や神官に従う筈が有りませんから。

 でも冒険者にも衣食住は必要です。でも仕事に就くのは誰かに従うってことでもあります。

 だから冒険者は『依頼を果たすことを運命神に誓う』ってこじつけて稼ぐんです。

 それが『誓約(クエスト)』です。そしてクエストを果たすと依頼人からの報酬だけじゃなくて、神様からも報酬を賜ります。ですが報酬と言っても物品とは限りません。中には形にならない加護や特別なスキルも含まれます。それらを授かる場所が拠点です。クエストの報酬は普通にしてたら絶対貰えないような凄いものも含みますが、その代わりクエストに失敗すると天罰が下ります。

 何が起きるかはまちまちですが、酷いのになると命に関わるものも有るそうです。

 

 ギルドの恩恵は他にもあります。一番有名なのが『耳打ち』ですね。

 ……ええ、そうです。同じギルド同士ならどんなに離れていても聖印を通じて会話が出来るってアレですよ。慣れて来ると口に出さなくても会話出来るようになります。冒険者が手強いとされる理由の一つですね。

 

 ……おや? なんか腑に落ちないって顔ですね?

 

 ……ああ、冒険者が群れる理由ですか。簡単な事ですよ。

 冒険者は誰にも仕えないから誰にも頼れません。だから仲間同士で助け合うんです。自分が得意な分野で仲間を助けて、その代わり仲間が得意な分野で助けてもらう、それがギルドを組む最大の理由なんですよ。

 

 一人で冒険を続ける『ソロ』と言うのも居ますけど、危険度は格段に跳ね上がります。

 冒険者にとって、信頼出来る仲間を見つけるのも大事な要素なんですよ。

 

 

 

***

 

 

 

 気が付けば大分夜も更けていた。どうやら話に興じ過ぎていたらしい。

 生徒達も皆引き払っており、ホールに残って後片付けをするメイド達の「邪魔だなぁ」と言う視線がルイズ達に突き刺さって、痛い。

 

「今日はここまでにしましょうか。もう皆さん帰ってしまわれたようですし、このままでは後片付けの邪魔になってしまいます」

 

 その台詞で、ルイズもようやく周囲の視線に気が付いたようだ。ばつの悪そうな顔でトモの言葉に頷き、少し残っていたグラスのワインを飲み干す。

 しかし空になったグラスを伏せるよりも早く、新たなワインが注がれる。

 

「……え?」

「……シエスタさん? どうされました?」

 

 ルイズのグラスになみなみとワインを注いだ犯人、それはシエスタであった。

 目を丸くする二人を余所に、彼女はトモのグラスにも溢れるほどにワインを注ぐと壜に直接口を付け、グビッと呷る。ぷはっ、と瓶から口を放すと同時に酒臭い息を吐くさまは、ドレスで飾り付けられた清楚で純朴な彼女の見た目にそぐわない、何とも言い難い雰囲気を纏っていた。

 

「ちょ、ちょっと! シエスタがおかしいわよ!?」

「ふむ、いつもと感じが違いますね。酔っているんでしょうか?」

 

 漢らしい飲みっぷりを披露する彼女に引くルイズと、冷や汗をたらしつつ冷静に分析するトモ。

 そんな二人に据わった目を向けるシエスタ。その顔はとろんとしつつも、どこか逆らい難い気迫を感じさせる。

 

「おい、トモ」

「はい?」

「飲め」

「……戴きます」

 

 呼び捨てに命令口調、明らかに酔っている。普段の姿からは想像もつかない酒癖の悪さに、トモは早々に逆らう事を止めてグラスに口をつけた。しかし次の瞬間、彼は口に含んだ酒を思いっきり吹き出して咽せる。グラスに注がれていたのはワインでは無く、かなり強い蒸留酒だったのだ。

 

「きゃっ!? ちょっとシエスタ、何を飲ませたの!?」

「ただのお酒れす。大丈夫(らいりょうぶ)大丈夫(らいりょうぶ)、安心れす!」

「呂律回ってないし!? 絶対大丈夫じゃないわよ!?」

「そりぇよりも、ルイズしゃまの飲みがじぇんじぇん足りましぇん!」

 

 驚いた拍子にひっくり返したグラスをルイズに持たせ、壜を傾けるシエスタ。しかし中身はすでに空だったらしく、琥珀色の滴が数適落ちて来るばかり。

 するとシエスタは自身の纏う淡いパステルのパーティードレス、その大きく開いた胸元に手を差し込む。そこから未開封の酒壜が出て来る様を見て、ルイズは目を丸くした。

 

「ど、どこからそれを!?」

「もらったのれふ!」

 

 ルイズの驚きに満ちた言葉にピントのずれた答えを返し、シエスタはコルクを素手で引き抜き、ルイズのグラスになみなみと注ぐ。表面張力で今にも溢れそうなほどたっぷりと注ぐと、再び壜からラッパ飲みで呷り始める。注がれたルイズと言えば、ワインとは明らかに違う強烈なアルコール臭を放つ液体に顔を引き攣らせていた、

 

「え〜と、シエスタ?」

「飲め」

「いや、こんな強いお酒、私飲めない……」

「いいから飲め」

「…………戴きます」

 

 シエスタの放つ圧倒的な迫力に、ルイズの抵抗は無意味であった。

 覚悟を決めて一気に呷る。強いアルコールが喉を灼き、ルイズのお腹がカッと熱くなる。

 

「きゅうぅぅぅっ……」

 

 そしてルイズはそのまま昏倒した。

 それを見届けたシエスタもころんと転がり、寝息を立て始める。

 

「……やれやれ、酷い目に遭いました」

 

 大惨事となったバルコニー。トモがようやく咳き込みから開放されたのは二人が寝入った、丁度その時であった。ドレス姿で寝転がる二人に苦笑すると、通りがかったメイド達に助力を頼む。

 

「無闇に嫁入り前のご婦人に触れるのも良く有りませんからね」

 

 そんな言い訳でメイド達を説得し、運ばれて行く二人を見送ったトモ。

 夜空には彼の生まれ故郷には有り得ない二つの大きな月が浮かんでいる。

 そしてそれを見上げながら彼が漏らした呟きは、赤と青の月光に染め上げられた夜の闇に溶け、誰の耳にも届かなかった。

 

「……さて、お互い小手調べは終わりました。ここからが本当の勝負です。ねえ、『神様』?」

 

 

 

 

 

 

 

To be continued.

 

NEXT:『冒険者のアルビオン』

 

 

 



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番外:1

ルイズ(ry(以下ル):ルイズとー!

 

シエスタ(以下シ):シエスタのー!

 

 

 

ル&シ:なぜなにTRPGー!

 

 

 

ル:……とりあえず言ってみたけれど、何これ?

 

シ:要するに、今までちょろちょろ出してきたルールを公開しようって企画です。

  いわゆる設定公開と言う奴ですね。

 

ル:……それは良いけど、どうして対談形式に?

 

シ:作者曰く「番外編だし、折角だから俺はこの書き方を選ぶぜ!」との事です。

  ぶっちゃけ作者の一人芝居ですけどね。

 

ル:……どこかで作者が悶えてるような気配がしたけど、気のせいね!

  じゃあ、早速始めましょうか!

 

 

 

■■■TRPGってなに?■■■

 

 

 

ル:さて、まずは基本の「TRPGとは何か?」の解説から。

 

シ:そうですね、じゃあ……

  『詳しくは適当なルールブック、またはリプレイを読め!』、以上!

  お疲れさまでした〜。

 

ル:ちょっと、それは幾ら何でもはしょり過ぎ!

 

シ:チッ、判りました。え〜と、TRPGとはテーブルトーク・ロールプレイングゲームの略称です。プレイヤーはキャラクターを演じて(ロールプレイ)遊びます。DQやFFの元祖とも言うべきゲームで、テーブルトークの名の通り(テーブル)を囲んで会話に興じる様は、事情を知らないと通報されかねない怪しさがありますね。

 

ル:なんでそんなに大勢必要なのかって言うと進行役が必要になるからよ。この進行役をゲームマスター(GM)って呼ぶわ。そしてプレイヤーは一人につき一つのキャラを受け持つの。これがプレイヤーキャラクター(PC)ね。

 

シ:このGMとPCがお互いに会話(トーク)しながらゲームを進めます。GMはシナリオと呼ばれる筋書きに沿って話を進め、PCたちの状況を解説します。それに対してPC達はどう言う対応をするのか、どう言う行動をとったのかをGMに報告して、またGMがその結果をPCに伝えてを繰り返す訳です。

 

ル:でも、GMとPCがそれぞれ好き勝手に行動してたらゲームにならないでしょ? だから何をするのか、何が出来るのかを明文化したルールがあるの。例えば「ゴブリンが襲ってきた!」ってシチュエーションを再現するとするわね。ここでGMが「俺のゴブリンはドラゴンより強いぜ!」とか言い出さないようにゴブリンの能力は定められているの。もちろんPCも同じ。「ぼくのかんがえたさいきょうのゆうしゃ」とか「永久力吹雪! 相手は死ぬ」みたいな連中が湧かない様に、ルールに沿ってキャラ設定を作り込むのよ。

 

シ:この小説で言うなら、文末に列記された数字がそうですね。

 

ル:次に、襲ってきたゴブリンに対してPC達がどう反応するかを決めるの。反撃しても良いし、逃げ出しても良い。変わった所では懐柔するとか、捕獲するって言うのもあるわね。

 

シ:作者の知ってる例では「人質をとって言うことを聞かせた」なんてのがありました。

 

ル:何それ酷い。……とにかく、PCは自分達の行動をGMに報告するの。そうしたらGMはそれが成功か失敗かを判断するのね。それが「判定」とか「ジャッジ」とか呼ばれる行為よ。それぞれの能力値を基準に、サイコロやトランプなんかを使って判断される事が多いわ。

 

シ:ちなみにサイコロのことは「ダイス」と呼びます。大体六面から十面体の奴が一般的ですね。

 

ル:そうしてGMは判定の結果をPCに伝え、PCはそれを元に次の行動を選択するの。ここら辺は決まったことしか出来ないコンピュータゲームとの違いね。先刻の例もそうだけど、会話で進めるTRPG最大の魅力はこの自由度にこそあるわ! ルールが許す限り、PCの選択肢は無限にあると言っても過言じゃない。「戦闘を継続する」「適当に追い払って逃げ出す」「懐柔を試みる」、もちろん「人質を取って脅す」もアリ! ゲームとは言え勝ち負けが決まったものじゃないから、遊び方もGMやPC次第で幾らでも変わるのよ。

 

シ:ですが、その所為で逆に取っ付きにくい人もいますね。遊び方が判らないとか……

 

ル:まあ、実際にやってみないと判らない所もあるからねー。そう言う人のためにプレイ内容を文章に起こしたものがリプレイよ。 ラノベを扱ってる本屋さんなら大体置いてある筈ね。

 

シ:ちなみに作者をこの道に引きずり込んだのは「新ソードワールド・リプレイ」だったそうです。TRPGファンなら「へっぽこ冒険隊」と言えば判ると思います。

 

ル:「へっぽこ」に限らず、名作と呼ばれるリプレイは幾つも存在しているから手を出して損は無いわ。TRPGの雰囲気を掴むには最適の教科書ね!

 

シ:……何か、私達SNEかF.E.A.R.の手先みたいですね。

 

ル:シーッ!

 

 

 

■■■TRPGの専門用語■■■

 

 

 

ル:さて、ダイスの話も出た事だし、TRPGで使われる専門用語を幾つか紹介しましょう。まずはこの小説でも時々出て来る〜d6について説明しましょうか。

 

シ:先程も出ましたが、TRPGではサイコロのことを「ダイス」と呼びます。そして普通の六面体のサイコロを「d6」と表記するんです。十面体なら「d10」、二十面体なら「d20」と、dの後ろに付く数字で種類を見分けます。

 

ル:このd6の前に付く数字はダイスの個数を示しているの。2d6なら「六面体ダイスを二個使用する」って意味になるわね。大体のルールではこれが基準になっているみたい。

 

シ:ちなみにこの小説のルールでも基本2d6で判定しています。

 

ル:で、ダイスの目が揃ったりすると特別な効果が発生する場合があるわ。それが「クリティカル」と「ファンブル」ね。クリティカルは「絶対的成功」とも訳されていて、ゲームによっては判定が自動的に成功したりするの。逆にファンブルは「絶対的失敗」とも呼ばれていて、判定が自動的に失敗した事になるわ。その効果はゲーム事に違うから一概に言えないけれど、この小説に置いては「6のゾロ目をクリティカル」、「1のゾロ目をファンブル」と定義しているの。

  

シ:この小説のルールでは「クリティカルしたダイスを振り足す」、「ファンブルしたダイスをー12する」と言う効果に設定しています。

 

ル:あと説明するとしたら「ターン」かな? これはTRPG内での時間経過を表す単位の一つで、1ターン内でGM、PCが行動する順番を決めるのが「イニシアチブ」よ。と、まあ取り合えずはこんな所かな? 後は随時説明して行くわね。

 

シ:では、いよいよこの小説のルール説明に入りましょう。

  

ル:そうね。じゃあ、まず最初はキャラクター作成から説明するわね!

 

 

 

■■■キャラクターメイキング:ヒューマン編■■■

 

 

 

ル:さて、これから自分のPCを作る訳だけど……

 

シ:先生、まず何を決めるのかが判りません!

 

ル:そうね、そこから始めましょうか。

 

───────────────────────────────────────

 

※ヒューマン

 

体力:A/知力:B/感覚:C/敏捷:D/器用:E/魅力:F/精神:G/幸運:x

 

HP:10/10 MP:10/10 SP:10/10 EXP:30+3d6 所持金:y

 

───────────────────────────────────────

 

シ:……何ですか、これ?

 

ル:これが初期ステータスよ。それぞれの数値の意味は挿話を読んでもらうとして、ここでは数値の入れ方を説明するわね。まず、体力から精神までの数値は1d6を振って決めていくの。けれどダイスは気まぐれだから、思った通りの値にならない事もあるでしょう? そこでステータスのA〜Gまでの値は自由に入替える事が出来るようになっているの。

 

シ:例えば体力が1で知力が6になったけれど、自分はパワー馬鹿をやりたいんだ!って場合は体力と知力を入替えられる、って事ですか?

 

ル:そうなるわね。

 

───────────────────────────────────────

 

※1d6を7回振り、出た値をそれぞれA〜Gに振り分ける。

 どの能力値に振るかはプレイヤーの判断による。

 

───────────────────────────────────────

 

ル:次にA〜Gの値を合計するの。それを42から引いた残りの数が幸運の値になるわ。

 

シ:引くんですか?

 

ル:幸運はちょっと特殊なステータスだから、完全なランダムには出来ないの。

  その代わり、これでどんなPCも能力値の平均が同じになるわね。

 

───────────────────────────────────────

 

※42ー(A〜Gの合計)=xとなる。

 

───────────────────────────────────────

 

ル:次に初期経験値を決めるの。初期値の30に3d6の出目を足した値が最初の経験値になるわ。これを使ってクラスとスキルを習得するってわけ。

 

シ:あれ? にじファン版ではヒューマンだけの特権だったような……?

 

ル:ルール改変に付き基本的に全種属統一されたわ。その代わり導入されたのが「種属特性」なんだけれど、とりあえず後回し。次に決めるのは所持金ね。

 

シ:私、所持金が20スゥしかなかったんですが……

 

ル:それは話の都合でそうなっただけよ。普通はまず2d6を振って境遇を決めるの。

 

シ:境遇? あ、平民とか貴族とかを決めるって事ですか?

 

ル:ええ、詳しくは以下の表を見てね。

 

───────────────────────────────────────

 

※2d6を振り、以下の表を参照して境遇を決定する。

 

────┬─────┬────

 出目 │ 境遇  │基本額 

────┼─────┼────

2   │赤貧(※)│千円  

────┼─────┼────

3〜5 │下流   │五千円  

────┼─────┼────

6〜8 │中流   │一万円 

────┼─────┼────

9〜11│上流   │五万円 

────┼─────┼────

12  │富豪(※)│十万円 

────┴─────┴────

(※)採用にはGMの許可が必要。

 

 (境遇の基本額)×(2d6)=yとなる。

 

───────────────────────────────────────

 

ル:最初に2d6を振って出た目に対応する境遇を選んで、もう一回2d6を振るの。そうして出た値にその境遇ごとに設定された基本額を掛け算した値が所持金になるのよ。ただし現代日本が基準になっているから、ハルケギニアではエキューに換算し直してね。

 

シ:レートは1エキュー=100スゥ=1000ドニエ=二万円で計算しています。ちなみに回復薬(小)って一本4100円なんですが、これってとある栄養ドリンクの値段を参考にしたんだとか。

 

ル:ハルケギニア価格に換算するとき、めんどくさくなって端数を切り捨てたらしいわ。それがシエスタの初期所持金の元ネタになってるそうよ。

 

シ:つまり、私の全財産は栄養ドリンク一本分しかないってことですか……

 

ル:……え、ええっと、じゃあ種属特性の説明に行きましょうか!

 

シ:(誤摩化しましたね)あ、でもにじファン版には種属特性ってありませんでしたよね?

 

ル:種属特性ってのはいわゆるパッシブスキル、持ってるだけで効果のあるスキルの事よ。今までに登場したのは「弱者の意地」と「高貴なる者の義務」の二つね。これはキャラクターメイキング時に取得するんだけど、クラスやスキルと違って一種属に付き一種類しか取れないの。追加で取れるようになるのは総合Lvが上がってからの話になるわね。

 

シ:その総合Lvっていうのも新しく追加されたんでしたっけ?

 

ル:ええ、そうよ。それじゃあ、それも含めてクラスとスキルの説明に入りましょうか!

 

───────────────────────────────────────

 

※種属特性:その種属が持つ特徴を表したもの。

      パッシブ(持っているだけで自動発動)。

      PC作成時に、種属ごとに設定されたスキルから一つ選ぶ。

      特定の出自でなければ選べないものもあるので注意すること。

 

※スキル:PCの持つ特技を数値化したもの。

     アクティブ(発動に判定が必要)。

     必要経験値を消費して取得(複数可)。

     Lv分のMPを消費することで発動判定を行い、成功すれば発動する。

     判定に失敗してもMPは消費される。

 

※クラス:PCの持つ技能を数値化したもの。

     取得したクラススキルLvの合計がクラスLvの値になる。

     クラス毎に設定された能力値に+Lvのボーナスを加える。

     技能を使う判定時に+Lvのボーナスを与える。

 

※総合レベル:PCの持つ技量を数値化したもの。

       取得したクラスLvの合計が総合Lvの値になる。

       幸運を除く能力値にLv分のボーナスを割り振る。

       総合Lvが一定の値を超えると種属の成長を選択出来る。

 

───────────────────────────────────────

 

ル:それぞれのスキルの説明はこんなところね。どのクラスを選ぶかによって能力値に変化があるから注意すること。スキル1Lvは10EXP、2Lvに上げるには20EXP必要になるわ。Lvが上がる毎に必要なEXPは二倍ずつ増えて行くのよ。

 

シ:クラスの系統って四つでしたっけ?

 

ル:そうよ、直接戦闘のウォーリア系、魔法を使うスペルマスター系、道具作成のマイスター系、それと一般技能系ね。それらを全部足したのが総合Lv、これが上がる事で種属的な成長が出来るようになるのよ。具体的には種属特性を追加出来るようになるのだけれど、種属そのものを変える事も可能よ。

 

シ:種属を、ですか? じゃあヒューマンからエルフになったりとか?

 

ル:残念だけどそれは無理。最初に選んだ種属の上位種にしかなれないわ。

 

シ:あくまで成長とか進化の範囲内、って感じでしょうか?

 

ル:一応「突然変異」って形で他種属を選ぶ事も出来るらしいけど、かなりの高Lvでの話だしね。

  話は戻るけれど、一般技能系を除く三系統のクラスにはそれぞれHP、MP、SPに補正が付くのよ。

 

シ:補正?

 

ル:例えばシエスタのクラスはウォーリア系でしょ? そのLv分、HPに加算されてるのよ。同じようにスペルマスター系のスキルを取得すれば、今度はMPが増えるわ。

 

シ:じゃあマイスター系ならSPが上がる訳ですね。

 

ル:その通りよ。あ、一般技能系はステータス上昇効果は無いけれど、所持金に補正が付くわ。

 

シ:へ? 所持金に?

 

ル:そう、セッションが始まる前のプリプレイ時にスキルLv×百円の収入が入るの。これはクエスト達成の報酬とは別に計算されるわ。イメージ的には「お給料」かしら?

 

シ:むぅ……お金を取るか、能力を取るか、悩みますねぇ……。

 

ル:どちらを取ってもメリット、デメリットはあるわね。それがTRPGの醍醐味でもあるのだけれど。

 

───────────────────────────────────────

 

※EXPを10点払う事でクラススキルを1Lvで取得出来る。

 以降、1Lv毎に必要なEXPは二倍になる。

 

※ウォーリア系のクラス1Lv毎にHPに1点加算する。

 スペルマスター系はMPに、マイスター系はSPにそれぞれ加算される。

 

※一般技能系のクラス1Lv毎に所持金へ百円追加する。

 これはシナリオ開始時、プリプレイで処理される。

 

───────────────────────────────────────

 

シ:そう言えばクラスって何処まで決まっているんですか?

 

ル:現時点で決まってるのはこれだけね。

 

───────────────────────────────────────

 

※ウォーリア系クラス

 ・ファイター(戦士):武器の扱いに長けたクラス。/能力値補正:体力

 ・モンク(拳士):素手又は篭手を使う闘いが専門のクラス。/能力値補正:体力

 ・サムライ(侍):刀を使うことに特化したクラス。/能力値補正:敏捷

 ・アーチャー(弓兵):弓による長距離攻撃を行うクラス。/能力値補正:感覚

 ・シーフ(盗賊):素早い身のこなしや罠の扱いに精通したクラス。/能力値補正:器用

 

※スペルマスター系クラス

 ・キャスター(魔術師):『魔法/理論』を使うクラス。/能力値補正:知力

 ・シャーマン(巫術師):『魔法/精霊』を使うクラス。/能力値補正:感覚

 ・ヒーラー(治癒術師):『魔法/治癒』を使うクラス。/能力値補正:精神

 

※マイスター系クラス

 ・アルケミスト(錬金術師):アイテム製造が出来るクラス。/能力値補正:知力

 ・ブラックスミス(鍛治師):武器・防具を作るクラス。/能力値補正:器用

 ・エンジニア(機工士):機械の製造・操作を専門にするクラス。/能力値補正:器用

 

※一般技能系クラス

 ・ネゴシエイター(交渉人):交渉や説得に優れたクラス。/能力値補正:知力

 ・ハウスキーパー(家政婦):家事全般を得意とするクラス。/能力値補正:器用

 ・ハンター(猟師):狩りの技術に精通したクラス。/能力値補正:器用

 ・セージ(賢者):広く世の中の知識全般に精通したクラス。/能力値補正:知力

 ・ライダー(騎手):様々な乗り物を操縦出来るクラス。/能力値補正:器用

 

───────────────────────────────────────

 

シ:……あれ? スペルマスターの『魔法/理論』とかって何ですか?

 

ル:まだ本編に出てきてないし、今は説明しないわ。系統魔法や先住魔法とは違う括りだし、そこまで含めると物凄く長くなるから。そうしたら最後は装備品と所持品ね。コレについては特に言う事はなし、さっき決めた所持金で買い物すれば終わりよ。

 

シ:ちなみにお買い物はプリプレイ時か、シナリオ中でGMが指定したタイミングでしか出来ませんので、買い忘れが無いように注意してくださいね。

 

ル:余談だけれど、私とシエスタの所持品はゼロ魔本編に準拠しているわ。だから杖とか制服とかメイド服は神器じゃないの。あと神器は装備することでステータスに補正が入る場合もあるわね。

 

シ:神器の補正は結構大きいですから、早めに神器に交換したいですね。……ファンブルしたら脱げるし(ぼそっ)。

 

ル:え? 何か言ったシエスタ?

 

シ:いいえ。……そう言えば、アイテムの後ろに付いてる「重量:」って何ですか?

 

ル:文字通りアイテムの重さよ。総重量がPCの体力と同じ値になったらそれが限界、それ以上は持てないわ。私や彼は重量無視出来る神器を持ってるから問題ないけれどね。それと基本、神器は一種につき一つだけしか装備出来ないの。

 

シ:え? それって剣だったらそれを二本持てないってことですか?

 

ル:そうなるわね。ここで言う装備品とは「即座に使える状態」のものを指すの。身に付けていたり、手に持っていたり、すぐ取り出せる様になっていたりするものの事ね。装備していない神器は所持品の項目に入るわ。これを使うためには装備する必要があるのよ。

 

シ:それじゃ、いつかの薬はどうなるんですか?

 

ル:あれは購入直後だったから手に持った状態だったの。だから薬を「装備していた」ことになるわけ。それと能力値補正のある神器は装備しないと効果を発揮しないから気を付けてね。

 

───────────────────────────────────────

 

※所持金の範囲内で所持品を購入する。

 

※所持品は装備しなければ使えない。

 

※所持品は一種につき1つしか装備出来ない。

 

※能力値補正ボーナスは装備した時点で発生する。

 装備を解除すると補正効果は失われる。

 

───────────────────────────────────────

 

 

 

■■■スキルを使ってみよう! 実戦(誤字に有らず)編■■■

 

 

 

ル:じゃあ、実際にスキルを使ってみましょうか!

 

シ:用意するものは六面体ダイス二個と鉛筆、メモ帳などの筆記用具、あと先程のステータスを書き入れたキャラクターシートです。

 

ル:スキルによっては判定にダイスを追加するものも有るから、予備のダイスは多めに持っておいた方が良いわ。……用意できたかしら?

 

シ:はい、準備完了です!

 

ル:じゃあ、まず例として以下の能力を持ったPCが居るとするわね。

 

───────────────────────────────────────

 

体力:3/知力:3/感覚:3/敏捷:3/器用:4(+1)/魅力:3/精神:3/幸運:14

 

HP:10/10 MP:10/10 SP:10/10

 

総合レベル:1

・シェフ:1(美味しい料理を造るクラス。/能力値補正:器用)

 ・菓子製作:1(美味しいお菓子を作る調理法。判定の達成値に+Lvのボーナスを加える)

 

装備品

・万能包丁(料理のクリティカル値にー1)

 

───────────────────────────────────────

 

ル:解説すると、シェフの技能は料理全般に及ぶの。その中でお菓子作りが得意な事を表すのがスキルの菓子製作Lv1な訳ね。

 

シ:あれ? スキルの説明にある『達成値』って何ですか?

 

ル:それを説明する為にはまず『判定』の事から始めなきゃね。先刻も言ったけれど、PC達の行動が成功か失敗かを判断するのが『判定』なの。最初にGMが「その行動の難しさ」を数値化した『難易度』を提示するのね。それに対してPCが2d6を振り、出目にクラスLvと各種ボーナスを足して『達成値』を算出するの。上記の例だと次のようになるわ。

 

───────────────────────────────────────

 

※難易度8のクックベリーパイを作る場合

 

 スキル:菓子製作を使用

 菓子製作のLvは1なのでMP:1を消費

 シェフLv1+2d6+[スキル補正:1] ≧ 難易度:8 で成功

 出目:5、5

 1+(5+5)+1=12 > 8 なので『判定』は成功

 

※PCは達成値12のクックベリーパイを作る事に成功した!

 

───────────────────────────────────────

 

ル:……と、こうなる訳ね。この場合は難易度より達成値が上回っているから、お菓子の出来映えも良かった事になるの。

 

シ:にゃるふぉど(口いっぱいに何かを頬張りつつ)。

 

ル:ここで振った2d6の出目が12、要するに6のゾロ目が出たら『クリティカル』になって、更に2d6を振り足す事が出来るの。ここで重要なのは装備しているアイテムね。クリティカル値からー1されるから、出目が11以上出ればクリティカルした事になるわ。

 

シ:(何かを飲み込んで)2d6で12が出る組み合わせは6ゾロしかないので、確率は2.78%です。

  それが11以上になると三通りの組み合わせになりますから、確率は8.33%まで上昇します。

 

ル:6ゾロは36回に一回しか出ないけど、11以上は12回に一回は出る計算になるわ。たった1の違いだけれど、結構大きいでしょう?

 

シ:(皿の上の何かに手を伸ばしつつ)逆に2d6の出目が2、すなわち1ゾロが出ると『ファンブル』になりますね。

 

ル:ファンブルの効果は出目にー12、上の計算式に当て嵌めると

  [1+(2ー12)+1=ー8 < 8]になるから、判定は失敗となるの。

  アイテムによってはファンブル値に補正が入るものも有るから、注意してね!

  ……シエスタ? さっきから何をって、ああ! クックベリーパイ、食べちゃったの!?

 

シ:さすが達成値12、すごく美味しかったですよ♪

 

ル:せっかく楽しみに取っておいたのにー! うわぁあああん!!

 

シ:ふふふ、早い者勝ちです。……あ、そうそう、上記の事例だとお菓子以外の料理にはスキルは使えません。その場合はシェフLv1だけが補正になります。

 

ル:ぐすっ……ちなみに、シェフのクラスを持っていなくても料理自体は挑めるわ。その場合は2d6の出目だけで判定されるの。こう言う補正の無い出目だけの判定を『平目』って呼ぶから覚えておいてね。

 

 

 

■■■「ぼくのかんがえたさいきょうのるーる」大募集■■■

 

 

 

ル:さて、駆け足て解説したけれど皆判ったかしら? 戦闘の処理とか、ターンとフェイズの説明はまた次回と言う事でお願いね。

 

シ:ちなみにこのルールは未完成版ですので、突然仕様変更される場合があります。そこはどうかご了承ください。

 

シ:ついでと言っては何だけど、読者の皆さんにも協力をお願いしたいの。

 

シ:と言うと?

 

ル:簡単よ。「作ってほしいクラスとスキル」、あるいは「実装してほしいルール」を募集したいの。「こんなクラスがあったら良いな」とか、「こういうスキルがあると面白いんじゃね?」みたいな希望があったら、作者宛にどしどし送ってちょうだい。採用されるか否かは作者が判断するけど、面白ければ何でも良いわ。あ、もちろんルールに対するツッコミやダメ出しも受け付けているわよ。

 

シ:作者は小心者ですので、なるべくお手柔らかにお願いしますとのことです。

  ……だったら公開しなければ良いのに(ボソッ)

 

ル:それじゃあ今回はここまで。また次回お目に掛かりましょう。

 

シ:……正直、コレ書く暇あったら本編の続き書いた方が良かったんじゃ……

 

ル:正論だけど駄目よシエスタ! 作者が一番気にしてるんだから!

 

 

 




と、言う事で設定解説&β版ルール公開です。
是非、皆さんのご意見をお聞かせください。
よろしくお願いします。


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第二章 冒険者のアルビオン
第二章予告


今日の更新はお休みさせていただきます。
……ええ、間に合いませんでしたよ。

お詫びと言っては何ですが、第二章の展開を「今回予告(※1)」風にしてみました。
ついでに「ハンドアウト(※2)」も作ってみたので公開。
よろしければご笑覧ください。



今回予告!

 

 

 

大盗賊、「土くれ」のフーケ追撃より見事生還した冒険者達。

 

だが彼らの行く手に再び試練が迫る!

 

儚き姫君から託された願いのため、天空の大陸アルビオンを目指す一行。

 

立ち塞がるは謎の男女二人組!

 

そして試練に立ち向かうルイズの元へ、忘れた筈の過去が舞い戻る!

 

冒険者と過去の二つの誓いに揺れるルイズ。

 

裏切り者達が闊歩するアルビオンで、彼らは何を見て何を知り、何を選ぶのか?

 

運命の選択が新たな未来を造り出す!

 

 

 

『ゼロの使い魔 〜使い魔は冒険者〜』

第二章 冒険者のアルビオン

 

 

 

冒険者よ、三つの刃で運命を切り開け!

 

 

 

***

 

 

 

※ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール用ハンドアウト

 

コネクション:ワルド子爵 関係:婚約者

 

貴女には親が決めた婚約者が居た。

遠き日の幼き思い出だった筈の彼が再び貴女の目の前に現れたのは、

敬愛する王女からとあるクエストを受けた、その時だった。

 

 

 

※ヤナギダ・トモ(柳田 智)用ハンドアウト

 

コネクション:ウェールズ皇太子 関係:友人

 

危なっかしい主人が受けた、危なっかしい依頼。

それは文字通り「未来を左右する」重要な案件である。

貴方は溜息と共にそれを受け入れざるを得なかった。

 

 

 

※シエスタ用ハンドアウト

 

コネクション:キュルケ(タバサでも可) 関係:戦友

 

貴女は仲間達が引き受けた、危険なクエスト。

だが道中、思いもよらぬ同行者を得る事になった貴女は

嫌な予感を覚えつつも、ひたすら目的地を目指すのだった。

 

 

 




(※1)主にF.E.A.R.系のTRPGで採用されている、次回予告の今回版。
    セッションの冒頭で大筋をプレイヤーに伝え、GMとPCのすり合せを行う。

(※2)同じくF.E.A.R.系で使われているルール。
    簡単なキャラクターの設定や背景などが記載されており、
    それを元にプレイヤーは自分のキャラクター作成を行う。
    通常はプレイヤ−側に選択権が有るものだが、
    シナリオの都合などによりGMがプレイヤーを指名する場合もある。
    その場合は事前に通告してプレイヤーの意思を尊重するのがマナーである。


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第十二話 準備(ぷりぷれい)

 朝靄に霞む地平線から朝日が頭を覗かせ始める払暁。

 いくら日の出と共に目覚める平民と言えど寝ぼけ眼を擦るであろう早朝、突如響き渡った甲高い金属音が静謐な空気を打ち砕く。

 ぎぃん、ぎぃん、と鳴り響くそれに目を向ければ、二つの人影が争うさまが見て取れた。

 

 人影の片方は背の高い青年だった。地味な色のコートを纏い、錆の浮いた大剣を振るう太刀筋は中々に鋭く、高い技量を伺わせていた。

 こちらは別におかしいところはない。問題はもう片方の人影である。

 くすんだ黒のワンピースと白のエプロンを合わせたエプロンドレスに、ボブカットの黒髪に乗せられた頭飾り(ホワイトブリム)、それを纏うは素朴な顔立ちにそばかすを乗せた愛らしい少女。

 そしてその手にはモップ、その姿を見た者は十人中十人が同じ言葉を思い浮かべるだろう。

 

 すなわち──────メイドさん、と。

 

 成程、メイドならモップを使っていても問題はあるまい。けれども、そのモップの使い道が剣士と戦うための得物、と言うのは色々問題があり過ぎる。

 そう、先程からこのメイドは剣士たる青年と丁々発止の斬り結びを繰り広げていたのだ。

 

「はっ!」

「なんとっ!?」

 

 気合いと共に繰り出されたモップが鋭い二連突きと化して青年を襲う。対する青年は正眼に構えた切っ先をモップの穂先に合わせ、受け流すように優しく払い除ける。

 

 見るものが居れば目を疑う光景だろう。なにせ少女の二段突きも、それを見切った青年の斬り払いもごく自然に、かつ実戦さながらの威力を持って行われたのだから。

 必殺の攻撃を受け流された少女がたたらを踏む。そこへ青年の剣が唐竹に振り下ろされる。

 為す術無く少女の頭部へ吸い込まれる白刃。けれど少女が掲げたモップの柄が大剣を受け止めた。

 木製の、一般的なモップに準ずる太さの、一見して何の変哲も無いただのモップが、錆だらけとは言えど鍛えられた剣を受け止めると言う非常識を前に、それでも剣士は眉一つ動かさない。

 

『オイオイ、俺様と斬り結んで傷一つ付かないたぁ、どんな化物モップだよ!?』

 

 不意に響き渡る濁声、しかしそれは青年からでも少女からでもなく、なんと青年が握る大剣から発せられていた。鍔に当たる部品が唇のように開閉している。

 どうやら青年の剣はインテリジェンスソード、意志持つ魔剣だったようだ。

 

「少し黙りなさいデルフリンガー君! 気が散ります!」

『おっとすまねえ、けれど旦那の太刀筋は気持ちがいいねぇ! 例えるなら上等な砥石でピカピカに研ぎ澄まされた刀身みてぇだ!』

「生憎私の親族には無機物は居ませんので、その例えは全く判りません!」

 

 魔剣と青年が漫才を繰り広げる間にも、モップと大剣が火花を散らす鎬の削り合いが続く。

 しかし次の瞬間、渾身の力を込める青年の目がほんの少しだけ驚愕に見開かれた。

 なんと華奢な少女の両腕が、思いもよらぬ虜力を持って大剣を押し返して来るではないか!

 

『オイオイ、何の冗談だ!?』

 

 魔剣の言葉通り、正に冗談じみた光景。けれどそれは確実に現実の光景である。

 震えるほどに力を込めて押し込もうとする青年、しかし少女の力はそれを凌ぎ、

 

「おおオォッ!」

「うおっ!?」

 

 とうとう力任せに振り抜かれたモップが青年を弾き飛ばす。

 規格外の怪力を発揮した少女はすぐさま追撃に掛かるが……、

 

「こなくそっ!」

「ええっ!?」

 

 今度は少女の目が驚愕に見開かれる。

 弾き飛ばされた青年はその勢いを殺すどころか更に加速させ、瞬く間に少女の目前から姿を消したのだ。一拍遅れて突き出された少女の刺突が、誰も居ない空間に突き出された。

 慌てて周囲を警戒する少女、その首筋にぴたりと冷たいものが添えられる。

 

「……そこまで!」

 

 いつの間にか少女の背後を取った青年が、大剣を突きつけるのと同時に掛けられる第三者の声。

 朝靄の中から姿を現したのはマントを羽織った学生服姿の少女だった。だがメイジ然とした出で立ちにも拘らず、少女の手には杖が無かった。

 その代わりなのだろうか、鈍色に光る大きな鉄扇を青年に向けて少女は宣言する。

 

「勝負有り、トモの勝ちよ!」

 

 

 

***

 

 

 

「あはは、負けちゃいました」

「いやいや、結構ギリギリでしたよ? 何回ヒヤリとさせられた事か……」

 

 大剣を肩に担いだ青年──トモと、モップを小脇に抱えたメイド──シエスタが互いの健闘を称え合う。そんな二人を少々呆れた目で眺めるメイジ──ルイズが割り込むように手を叩く。

 

「はいはい、お互いお疲れさま。……まったく、真剣で模擬戦するなんて聞いたときはどうなるかと思ったけれど、今のを見たら納得するしか無いじゃないの」

 

 そう、今の戦闘は模擬戦だったのだ。ただしシエスタはともかく、普段ならトモは手作りの木刀を使っていたのだが、今回に限り彼は愛刀たるデルフリンガーで戦うと言い張ったのである。

 それを聞いたルイズは危険を訴えたが口の回るトモに敵う筈も無く、こうして実戦さながらの模擬戦を行う運びとなったのだが。

 しかし彼とて何の考えも無く真剣試合を口にした訳ではない。その理由は彼らが新たに手に入れた()にあった。

 

「百聞は一見にしかず、口で説明するよりも実際に見てもらった方が判り易いですし」

「でも、凄いですよこれ! 身に付けただけでこんなに変わるとは思いませんでした!」

 

 興奮したシエスタが二人に突きつけたのは、右腕を覆う無骨な篭手。

 華美を好むトリステインではあまり見ない、飾り気の無いそれは銘を『力の篭手』と言う。

 装着者の体力を増強する効果を持つと言われる神器であり、先のフーケ討伐クエストの報賞として運命神よりシエスタに下賜された神器であった。

 

「まあ戦士型の、それも一撃に重きを置くシエスタさんのような人向きですからね」

 

 そう言うトモも、しきりに足下を気にしているようだ。

 その足を覆っていたのは丈の短いブーツ、けれど良く見れば薄手の革の生地は極限まで削られ、そして何より動き易さを重視したデザインをしているのが判る。

 『ファストブーツ』と呼ばれるそれも、運命神から下賜された神器だった。

 非常に軽く、靴底に工夫がなされたこれはその名の通り装着者の素早さを一段上げる代物だ。

 ただし防御力も極限まで削っているため、防具としては使えない。あくまで素早さを信条とするクラス向けの逸品と言えよう。

 

「……まあ、言いたい事は判るわ。けれど……」

 

 浮かれ気味の二人に対し、ルイズの気分はあまりよろしくない。

 理由はやはり、その手に持つ鉄扇にある。

 

「後衛向けの武具、って聞いたから何かと思えば……」

 

 ぶつぶつと零しながら鉄扇を広げるルイズ。そこに現れたのは蛇のような生き物と大きな猫、トモ曰く蛇のような物は東洋の龍であり、大きな猫は虎だそうだ。

 それの名は『竜虎の鉄扇』、攻撃にも防御にも使える汎用性と携帯性に優れた武具である。

 ただし鉄製なので重い。非力なルイズでは杖と同時に装備出来ないので、使いどころを考える必要があった。

 だがそれを踏まえても優秀な武具には違いない。

 何より、この鉄扇には『指揮をし易くする』と言う祝福が掛けられているのだ。

 後衛型でギルドの頭脳役を受け持つ彼女にとっては非常に大きな力となる。

 

「使いどころに迷うわね……」

 

 そう言いながらルイズは腰に巻き付けたベルトポーチへ鉄扇を押し込む。

 明らかにサイズ違いの鉄扇は、しかし抵抗無くするりとポーチに納まった。はみ出したり、ポーチを突き破ったりする様子も無い。

 これもまた神器である。トモの背嚢と同じく、五つまでなら重量も容量も無視して収める事が出来る代物だった。彼女はこれに自分の杖と鉄扇、そして回復薬を三つ収めて持ち歩いている。

 後衛が回復役を担うのは冒険者の常識なのだとトモは言う。

 前衛のトモやシエスタでは戦闘にかかりっきりになった場合、回復薬を使うタイミングが取りにくいと言うのがその言い分だったが、どっちにしても飲ませるのなら変わらないだろうと聞いてみると、なんと回復薬は傷口にぶっかけても効果あるらしい。物凄く染みるそうだが。

 

 

 

***

 

 

 

 彼らが手に入れたのは武具やアイテムだけではない。

 ある意味、冒険者の最大の特徴たるものも同時に成長している。

 

「でも先刻のトモさんの避け方、凄かったですね!」

「ええ、私もあそこまで有効だとは思っても見ませんでしたが」

「あれが冒険者の力なのね。確かにこれは凄いわ……」

 

 模擬戦の最中、トモが見せた一瞬の攻防を思い返したシエスタの言葉にトモも同意、ルイズもまたその言葉に改めて自分達が規格外の成長を始めた事を思い知る。

 トモが使ったのはサムライのスキル『斬り払い』だった。

 サムライはその性質上、盾を持てない。そのため刀を使った防御が発達したのだと言う。

 

「サムライは一撃必殺が身上です。が、防御にも気を配らねばフーケ戦の二の舞になりますし」

「そうすると手数の多さで圧倒するのが私の役目ですね」

「……欲を言えば魔法が使えるクラスがいいんだけど」

 

 スキルLvが高ければ高いほどその効果は絶大になる。

 けれどスキルを使うにはMPが必要で、そのLvが高ければ高いほど消耗も絶大になってしまう。

 だからと言って低Lvのスキルを浅く広くで固めてしまえば、中途半端な役立たずで終わるのがオチだ。現在手持ちのスキルを伸ばすか、それとも新しいスキルを得るほうがいいのか。

 

 悩みに悩み抜いた末、彼らが選んだのは『現状維持』である。

 

「折角ギルドを組んだのですから『器用貧乏』より『一芸特化』で行きましょう。分担した役割を果たせば、大抵の戦闘は切り抜けられます」

 

 トモの説得によりルイズは戦術構築能力の向上を、シエスタは連続攻撃の強化を選んだ。

 

「私が戦術指揮を務めて貴方が素早さを活かして攪乱、シエスタがトドメを刺すってところかしら」

「悪くない構成ですね」

 

 言うまでも無いが、先刻の模擬戦はそれの確認も含んでいる。

 ルイズが審判役を務めていたのもその一環であった。

 

「シエスタさんの連撃も鋭くなってますし、ご主人の戦術眼も的確です。ギルドも強化されましたしね」

「……まさか、あんな事まで出来るなんてね。ギルドの恩恵って凄いわ」

 

 ルイズ達の成長と共にギルドもまた成長する。

 具体的には使える恩恵が増えるのだが、ルイズ達は新しい恩恵に『速攻』を選んだ。

 これは一時的にギルドメンバー全員を素早く行動させるものだ。他にも拠点に居る限り傷や疲れの回復を早める『回復促進』や、神器の購入額を引き下げる『値切り』等がある。

 なのにわざわざ戦闘向けの恩恵を選んだ理由、それは──────

 

「ただでさえ手狭なのに、これ以上人が増えたら私たちも住めなくなっちゃうわ」

 

 ギルド『アブソリュート・ゼロ』の拠点はルイズの寮室である。

 貴族の子弟が住む寮室故にそこそこの広さはあるものの、流石にトモとシエスタを含めた三人で使っていれば手狭にもなる。

 『回復促進』は拠点で寝泊まりするのが条件だ。『値切り』も拠点でしか使えないので手狭な事には変わりない。

 ちなみに隣室のキュルケは三人で集まっている彼女達に対して何か勘違いしたらしく、ある夜にワイン片手に乱入して来た。そして何事かと目を丸くする三人に『多人数でのお付き合いの秘訣』を伝授した挙げ句、ルイズとシエスタにそっと『危険物』を手渡して愛想笑いを浮かべながら退場していった、らしい。トモはキュルケの持ち込んだワインがシエスタに渡らないようにブロックしていたので『危険物』云々は又聞きでしかないが、それらは翌朝ルイズ直々に焼却処分にされたので正体は不明のままだ。

 

「あの色ボケにこれ以上勘違いされるのも嫌だしね……」

「……あの方についてはご主人に一任しますよ」

 

 疲れたように漏らすルイズに追い討ちをかけるトモ。

 シエスタも同意見らしく、苦笑を浮かべていた。

 

「まあとりあえず、確認しておく事はこれ以上無いでしょ? そろそろ戻りましょう」

「そうですね。もうすぐ朝食の準備が始まりますし、続きは夜にでも」

「私はまだ確認したい事がありますので、もう少しここに居ます。朝食までには戻りますので……」

 

 すでに三分の二まで顔を出した朝日に気付き、ルイズとシエスタは話を切り上げようとする。

 しかしトモは二人に断りを入れると、デルフリンガーを振り上げ素振りを再開した。

 

「……仕様が無いわね。行きましょう、シエスタ」

「あ、はい! じゃあ行ってきますトモさん!」

 

 すでに二人の言葉も耳に入らぬ程に集中しているのか、トモは黙々と素振りを繰り返す。

 しかし彼女達の姿が学院の中に消えると、彼は素振りを止めて座り込んだ。

 

『ケケケ、旦那らしからくねぇ失敗だったねぇ』

「……ご主人の洞察力ならどう言い訳しても気付かれてましたよ」

 

 流れる汗を拭き取りつつ、彼は相方たる魔剣の茶化しに反論する。

 

『だったら素直に『一人になりたい』って言えばいいのによ』

「余計なお世話です」

 

 軽口を叩き合う一人と一振り。やがてどちらとも無く口を閉ざすと、トモはすっかり昇り切った朝日に照らし出された空を見上げる。

 雲一つ無い蒼穹の空はどこまでも澄み切っていて─────

 

「─────これからの波乱を暗示させる、と言うのは少し格好付け過ぎですかね?」

『ん? どうした旦那?』

 

 ぼそりと呟いた独り言を聞きつけたデルフリンガーに「何でもありません」と返したトモは、朝食を摂るべく重い腰を上げた。

 

 

 

***

 

 

 

「けどトモさんも熱心ですよね。私もあれくらい打ち込むべきなんでしょうか」

「……冒険者になるのに時間が掛かった、みたいに言っていたから、その所為でしょうね」

 

 寮室と厨房に向かう道すがら、ルイズとシエスタは先刻の立ち合いを反芻していた。

 思い返されるのは自分達が手にした力の大きさ、そしてそれに溺れず鍛錬を繰り返す彼の姿。

 

「本来なら一発で認められる方が珍しいらしいわ。私達の場合は偶々上手く行っただけよ」

「それは判っているつもりなんですけどね……」

 

 トモから聞かされた『冒険者の洗礼』の話を引き合いに出しながら、如何に自分達が幸運だったのかを説くルイズに、シエスタも曖昧な頷きを返す。

 彼女達にしてみれば『唐突に手に入れた』代物である冒険者の力。それに対し、彼は何度も『洗礼』に失敗しながらも諦めずに冒険者を目指したと言う。

 冒険者に準ずる覚悟に差はないだろう。差があるとすれば、それを目指して挫折したかどうか位ではないだろうか。そしてその差は意外に彼女達の心に影を落としていた。

 暫しの無言、沈黙を破ったのはルイズだった。

 

「そういえば、そろそろ武器を変えないの? いつまでもモップって訳にもいかないでしょ?」

 

 あの決闘以来、シエスタはこのモップを愛用している。

 しかしあの時は大した手持ちも無く、渋々これを選んだに過ぎない。フーケ討伐の報賞で懐の暖かい今ならもっと優れた武具に乗り換える事も出来るだろう。

 だがシエスタは首を横に振った。

 

「いえ、いいんです。今のところは平和ですし、そんな武器を持っていたらメイドのお仕事なんてできませんから」

「……そう言えばそうね」

 

 

 シエスタの言う通り、平和な世の中では武器を持つ事自体が平和を乱しかねないのだ。

 自身の脳筋な発想に苦笑するルイズ。しかし冒険者は基本、荒事中心の生活を送るものだ。

 目的が目的であるし、超人的な身体能力を活かすのならば自然とそうなるとトモは言うが……

 

「何か、引っ掛かるのよね。……あれじゃ、まるで─────」

 

 ─────自分達が戦闘に巻き込まれる事を、確信しているようでは無いか。

 

「……なんて、今更よね」

 

 幾ら何でも気にし過ぎだろう。そう結論付けるルイズ。

 この小さなしこりがどんな意味を持つのか、それはまだ誰にも判らなかった。

 

 

 

 

 

 

───────────────────────────────────────────

 

 

 

※ヤナギダ・トモ(柳田智)  種属/ヒューマン

 

種属特性

・弱者の意地:1

 

体力:5/知力:8/感覚:5/敏捷:10(+3)/

器用:3/魅力:3/精神:5/幸運:10 ※()内は今回加算された補正値

 

HP:12/12(+1) MP:10/10 SP:10/10 ※数値は現在値/最大値

 

EXP:13(ギルド供出:3) 所持金:10エキュー+10スゥ

 

総合レベル:4

・ネゴシエイター:2

 ・詐術:1/説得:1

・サムライ:2

 ・居合い斬り:1/斬り払い:1(※1)

 

装備品

・運命神の聖印/厚手のコート/背嚢/デルフリンガー/ファストブーツ(※2)

 

所持品

・サバイバルナイフ

 

進行中クエスト

・ルイズを守る(期限:ルイズの卒業まで)

 

 

 

※ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール 種属/ヒューマン

 

種属特性

・高貴なるものの義務:1

 

体力:3/知力:9(+1)/感覚:4/敏捷:3/

器用:3/魅力:6/精神:6/幸運:12 ※()内は今回加算された補正値

 

HP:10/10 MP:14/14(+1) SP:10/10 ※数値は現在値/最大値

 

EXP:15(ギルド供出:4) 所持金:159エキュー+15スゥ

 

総合レベル:4

・セージ:3

 ・魔法知識:系統魔法:1/戦術:2

・ライダー:1

 ・乗馬術:1

 

装備品

・運命神の聖印/魔法学院女子制服/ベルトポーチ(※3)/竜虎の鉄扇(※4)

 

所持品

・魔法の杖

 

進行中クエスト

・なし

 

 

 

※シエスタ 種属/ヒューマン

 

体力:9(+3)/知力:3/感覚:6/敏捷:3/

器用:6/魅力:5/精神:4/幸運:14  ※()内は今回加算された補正値

 

HP:12/12(+1) MP:10/10 SP:10/10 ※数値は現在値/最大値

 

EXP:12(ギルド供出:3) 所持金:10エキュー20スゥ+10スゥ

 

総合レベル:4

・ハウスキーパー:1

 ・清掃術:1

・ハンター:1

 ・解体術:1

・ファイター:2

 ・連続攻撃:2

 

装備品

・運命神の聖印/メイド服/モップ/力の篭手(※5)

 

所持品

・なし

 

進行中クエスト

・なし

 

 

 

 

ギルド名:アブソリュート・ゼロ

ギルドレベル:2

・ギルドスキル:耳打ち/速攻(※6)

 

 

 




(※1)敵の攻撃を受け流すサムライの刀技。攻撃の達成値で防御判定を行えるが、失敗すると装甲無視で全ダメージが素通りになる。
(※2)極限まで軽量化されたブーツ。物理防御:1、敏捷に+1、重量無視。
(※3)腰に付けるベルト状のポーチ。所持品の重量を無視出来る(制限:5個まで)。重量:0.5
(※4)竜と虎が描かれた鉄扇。物理攻撃/防御:1d6+2、任意の対象の達成値をクリティカルに変える(1シナリオ中に一回)。重量:2
(※5)飾り気の無い鉄製の篭手。物理防御:2d6、体力に+1、重量:1
(※6)一時的にギルドメンバーを素早く動けるようにする恩恵。使用を宣言したターンにおいて、メンバー全員がイニシアチブフェイズで行動出来るようにする(1シナリオにつき一回)。


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第十三話 姫君(かごのとり)

「うっく……えぐっ……」

 

 ハルケギニアを照らす二つの月が一つになる『スヴェル』の月夜。

 ヴァリエール公爵の屋敷の中庭、重なる月から紫紺の月光が差し込む小さな池。

 そこに浮かぶ小舟の上で、幼いルイズは一人毛布に包まり嗚咽を漏らしていた。

 

 ルイズは魔法が使えない。しかしそれは彼女が努力していない所為では無い。

 むしろ同世代において、今のルイズに匹敵する努力をするものなど居ないだろう。

 

『ルイズ、まだお説教は終わっていませんよ!』

 

 だが何事にも厳格であった母には通じなかった。

 母にはルイズの努力よりも目に見える成果の方が重要だったのである。

 その上、二人の姉の出来の良さがルイズの不幸に拍車を掛けた。

 

『ルイズお嬢様は難儀だねぇ』

『上の二人のお嬢様はあんなに魔法がお出来になるって言うのに……』

 

 母から逃げ出し、植え込みに隠れたルイズを探しに来た使用人達の何気ない会話。

 使用人達からすら哀れまれていた事を知り、彼女の自尊心は脆くも砕け散った。

 そんな時、彼女は『秘密の場所』と呼ぶ中庭の池に逃げ込む。

 誰も居ない此処でなら、ルイズは誰に憚る事なく泣く事が出来るから。

 

 仄紅く照らし出された中庭で、ルイズが暫く啜り泣いていると……

 

「泣いているのかい、ルイズ?」

 

 いつの間にか立ち籠めた霧の向こうから声が掛けられる。

 白い石で作られた東屋が建つ池の小島に、マントを羽織った貴族が立っていた。

 

「子爵様、いらしていたの?」

 

 ルイズは慌てて居住まいを正し、先程まで頬を濡らした涙を拭う。

 彼の事は良く知っている。最近自領を相続したばかりの将来有望な少年であり、同時に彼女にとって憧れの存在でもあった。

 両親の覚えもめでたく、特に父と彼の間に交わされた約束はルイズの胸をほんのりと熱くさせた。

 

「今日は君の父上に呼ばれたのさ。『あのお話』の事でね」

「まあ! ……いけない人ですわ、子爵様は」

「僕の小さなルイズ。君は僕の事が嫌いかい?」

 

 頬を染めて俯くルイズに子爵は戯けながら尋ねて来るが、彼女は小さく首を振った。

 

「そんな事はありませんわ! ……でも、私、まだ小さいし、よく解りません」

 

 その答えに子爵は小さく笑みを浮かべると、小舟のルイズに手を差し伸べる。

 

「ミ・レィディ。手を貸してあげよう。ほら、つかまって……」

「でも……」

「また怒られたんだね? 安心して、僕からお父上に取りなしてあげよう」

 

 差し伸べられた手はまだ六歳のルイズには大きく感じられた。

 たった十歳違いの少年のそれは、力強い自信に満ちあふれている。

 ルイズの小さな手が、子爵の手を取ろうとしたその時、

 

 

 

「何やってるのルイズ! 置いて行くわよ!!」

 

 

 

 背後から掛けられる、聞き覚えのある声。

 思わず振り返ったそこにあったのは、見慣れた中庭の光景では無かった。

 

 天高くそびえ立つ、重厚な意匠の黒く巨大な扉。

 到底人の手では開きそうも無いそれが今、一人の男によって少しづつ押し開かれていく。

 そしてその扉の前で、どこか見覚えのある人々がルイズを手招きしていた。

 

 メイド服の上に白銀の軽装鎧を着けた黒髪の娘が居た。

 長大な突撃槍を抱え、緊張に強ばる表情にはほんの少しだけ期待感が浮かんでいる。

 

 褐色の肌も露な扇情的で艶かしい衣装を纏った紅い髪の女性が居た。

 その手にあるのは長距離用のライフル銃、その手つきは長年使い慣れた達人を思わせる。

 

 黒いマントに同じく黒いとんがり帽子を被った青い髪の少女が居た。

 大きな杖と謎の書物を何冊か抱えており、幾つもの傷が刻まれた立派な風竜を従わせている。

 

 他にも何人か居るらしいが、逆光になっていてよく判らない。

 そして今、門を開き切った人物が鮮やかな緋色の陣羽織を翻して振り返った。

 背に大太刀を、腰に二本の刀を佩いたその男が、普段からは想像もつかない満面の笑顔を浮かべてルイズに手を差し伸べる。

 

「さあ、行きましょう『大迷宮』へ! この先で待つ『神』に挑むために!!」

 

 

 

 ルイズは迷う。

 子爵と共に父の元へ向かうか? それとも……?

 

 

 

 迷いは一瞬。ルイズは─────

 

 

 

***

 

 

 

 目覚めたルイズが見たものは、部屋の窓から見える二つの月だった。

 寝ぼけ眼でそれを眺めていた彼女は、その月が普段よりも接近している事に気付いた。

 

「……ああ、もうすぐ『スヴェルの月夜』だったっけ。だからか……」

 

 幼き日のあの頃、ルイズの味方は優しい下の姉と『彼』だけしか居なかった。

 そしてその日々は、丁度こんな夜に魘される程度には彼女の心に傷を残している。

 それでもこんな夢を見たのは久々である。随分懐かしくて寂しい夢だったなぁ、と夢の内容を思い返していたルイズはあれ?と首を捻った。

 

 夢の最後に、子爵ではない誰かが出て来たような気がする。

 

 彼女の悪夢に出て来る面子はほぼ同じ、あの頃ルイズの回りに居たのは『彼』を除けば身内しか居ないのだから当然ではあるが。

 けど夢の終わりに出て来た人々に、彼女は確かに見覚えがあった。

 しかし何分夢の中の出来事、朧げな印象しか思い出せない。

 

 そして、最後の選択でルイズが選んだのは果たしてどちらの手だったのか。それさえも霞み行く記憶の向こうへ置いて来てしまったらしい。重要な決断だったような気がするが、それがどうしても思い出せないので彼女は早々に諦める事にした。

 

 時刻は夜半過ぎと言った所だが、妙に目が冴えてしまったために寝直す事も出来ず、何とはなしに月夜に照らされた風景を眺めるルイズ。その視界の端を見慣れた外套姿が翳めた。

 

「……ん?」

 

 そこに居たのは異界から来たと言う『冒険者』、トモであった。

 愛剣たるデルフリンガーで素振りをしている姿は最近良く見掛けるが、流石にこんな夜遅くまで鍛錬をしていたとは思わなかった彼女は驚くものの、同時に納得もしていた。

 冒険者になった直後にルイズに呼び出されたため、彼の冒険者としてのキャリアはルイズ達と大して変わらない。しかし彼は冒険者に憧れ、長年にわたり修練を積んできたと言う。

 

「そこが私達と彼の違いなんでしょうけど……」

 

 ある意味『棚ボタ』で冒険者の道を選んだルイズ達との決定的な違いはそこしか無い。

 逆に言えば、その一点において彼女達はトモに及ばないのだ。

 

「……最近、距離をおきたがっているのもその所為かしらね」

 

 あの手合わせの日もそうだったが、最近のトモはルイズ達から距離を置く様になっていた。

 もっともそれはルイズがそう察しているだけだ。一緒に鍛錬もするし、使い魔同伴が暗黙のルールとなった授業にもきちんと付いて来ている。なにより一緒の部屋で寝泊まりしているのだ。

 ただ、彼女の考察力がトモの異変を嗅ぎ取っただけに過ぎない。

 

「う〜ん、シエスタに相談する訳にはいかないし、あの色ボケには知られたくないし……」

 

 素直なシエスタでは腹芸は出来まい。かといって最近妙な勘違いをしているキュルケに相談しようものならどうなるかぐらい、推理しなくても考察出来てしまう。

 こう言う時、ルイズは自身の交友関係の狭さに呆れ果てる。けれどすでに異端である身には今の状態が都合が良いので、結果としては痛し痒しであろう。

 

 気付けば夜も大分更けていた。トモも鍛錬を終えたらしく、剣を収めて本塔に向かっている。

 ルイズもようやく訪れた睡魔の誘惑に屈し、船を漕ぎ始める。意識を失う寸前、彼女が思い浮かべた疑問は誰にも悟られる事無く、夢の世界に解けて消えた。

 

(……何で、あんなに、鍛えているのかしら? まるで、これから、戦いに赴く、みたいな……)

 

 

 

***

 学院で最も人気のない教師を上げろと言えば十人中五、六人が必ず挙げる名前がある。

 その教師の名はギトー、長い黒髪に漆黒のマントを纏った冷たい雰囲気を持つ男だ。

 だが、彼の不人気の原因はそれだけではない。否、むしろそちらの方が問題であった。

 

「知っての通り、私の二つ名は『疾風』。疾風のギトーだ」

 

 教卓に立つなりそう名乗るギトー。

 静まり返った生徒達の反応をどう受け取ったのか、彼は満足げに教室を見回す。

 しかし彼の目が『ある二人組』を捉えるや否や、その表情が渋面に取って代わった。

 そこに居たのは『魔法も碌に使えない劣等生』と『生意気な平民の使い魔』の問題児二人、言うまでも無くルイズとトモの主従である。

 あの『フーケ襲撃』事件で家柄と立場を盾に脅迫されて以来、ギトーは彼女達を苦手にしており、あからさまに避ける様になった。とは言えルイズが生徒である以上、いつかはこうして面と向かわなければならない。

 苦々しく思いつつもギトーは彼女達の傍に陣取っていた女生徒に質問した。

 

「最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」

「『虚無』じゃないんですか?」

「伝説の話をしている訳ではない。現実的な答えを聞いているんだ」

 

 突然名指しされたキュルケが混ぜっ返すが、ギトーはにこりともせずに切り捨てた。

 何とも癇に障る物言いが、情熱的な彼女の琴線に触れる。

 

「『火』に決まってますわ。ミスタ・ギトー」

 

 不敵な笑みを浮かべつつ、キュルケは己の系統こそ最強とあえて言い放つ。

 彼女の自信に満ちあふれた宣言は、けれど予想外の反応をギトーから引き出した。

 

「残念ながらそうではない。試しに、この私に君の得意な『火』の魔法をぶつけて来たまえ」

 

 その言葉に目を剥いたのはキュルケだけではない。すぐ傍に居たタバサやギーシュ、モンモランシーは元より、その場に居た生徒達は皆ギョッとした事だろう。

 そんな中、トモとルイズだけは少々違う反応を見せた。

 ギトーの発言を聞いたルイズはトモに何事かを囁き、彼はそれに頷きを返す。

 二人の遣り取りを余所に、キュルケとギトーの挑発合戦は佳境に入っていた。

 

「どうしたね? 君は確か『火』系統が得意なのではなかったかな?」

「火傷じゃ済みませんわよ?」

「構わん、本気で来たまえ。君の、有名なツェルプストーの赤毛が飾りでないのならば」

 

 その言葉を聞いた途端、キュルケは胸の谷間に差していた杖を引き抜きルーンを詠唱。

 そのまま杖を振ると彼女の掌に小さな炎の玉が生まれ、見る見るうちに膨らんでいく。

 慌てて机の下に隠れる級友を尻目に、キュルケは1メイル程の火球を放つ。けれど唸りを上げて迫り来る業火にも物怖じせず、ギトーは冷静に己の杖を振るう。

 たちまち舞い上がる烈風。それは向かい来る火球を掻き消したのみならず、そのまま呆然と立ち尽くすキュルケをも吹き飛ばした。

 これがギトーの不人気の理由である。彼は毎年、他系統の生徒を挑発しては叩き伏せ、自らの系統である『風』が最強だと言う持論を無理矢理証明していたのだ。

 今年の生贄であるキュルケが吹っ飛ぶ様を見て、ギトーの口元に笑みが浮かぶ。

 けれどその笑みは盛大に引き攣った。

 

「大丈夫ですか?」

「え? ……あら?」

 

 キュルケが暴風に跳ね飛ばされたと思った次の瞬間、彼女は何事も無かったかのように自身の席に座っていたのだから。

 確かに吹き飛ばされた筈、と首を捻る彼女と級友達。トモとルイズは会心の笑みを浮かべる。

 種を明かせば何の事は無い、ギトーが大人げなく弾き飛ばしたキュルケを、トモが受け止めて元の席に戻しただけだ。

 

 単にそれが目に止まらない早さで行われた、それだけのこと。

 

 何が起きたのかさえ見えなかったギトーは一瞬だけ呆気にとられるが、すぐさま威厳を取り繕って講義を続ける。

 

「『風』は全てを薙ぎ払う。『火』も『水』も『土』も、試したことは無いが『虚無』すらも吹き飛ばすだろう。故に『風』こそが最強なのだ。目に見えぬ『風』は時に盾となり、時には矛となって全てを薙ぎ払う。従って……」

「そのご意見には異議がありますわ、ミスタ・ギトー」

 

 段々熱が入っていく彼の独壇場に誰かが水を差す。

 そこに居たのはピンクブロンドを優雅に掻き上げる少女。

 ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールその人だった。

 

「……どういう意味かね、ミス・ヴァリエール?」

「どうもこうも、最強が『風』と言うのは間違いだと言いたいだけですわ、先生?」

 

 怒りを押し殺しているのか頬を引く付かせて問うギトーに、ルイズはあくまで慇懃な態度を崩さない。その余りに堂々とした態度に、ギトーはおろかキュルケ達でさえも気圧されていた。

 

「先程、風は全てを薙ぎ払うと仰られましたが、どんな風とて山は崩せませんわ。燃え盛る業火に風を当てても煽るだけですし、海が風で吹き飛ばされたなんて話も聞きません。なにより、そんな嵐のような風を生み出せるメイジなんて極少数しか居ませんわ。数少ない例外を例に出して『風は最強』なんて言っても、説得力はありませんわよ?」

「ぐっ……!」

 

 ルイズの指摘にギトーは言葉を詰まらせた。

 そもそも『風』とは大気の流れ、即ち運動エネルギーを伴った空気を指す。

 元が空気であるだけに大質量相手にはいささか分が悪く、まとまった質量を相手取ることが出来る風メイジなぞトライアングル以上に限られる。

 ギトーの言う通り『全てを吹き飛ばせる』メイジは非情に希少だった。

 

「何より、『風』系統の優位性はその早さにありますわ。四系統中最速であるが故に対人戦闘では優位に立てますでしょうが。ミスタ・ギトー、一体どんな状況を想定して『風は最強』と仰られたのかしら? 無学な私にご教授くださいますかしら?」

「ぬぐっ……!」

 

 ルイズの容赦ない追い打ちにギトーは口籠った。

 彼女の言う通り、『風』は対個人戦でこそ真価を発揮する。国内外から怖れられた『烈風カリン』のような例外こそあるものの、並の風メイジでは対集団戦闘はこなせまい。

 

 しかし此処で引き下がっては教師としての沽券に関わる。

 自らの持論をこき下ろされたギトーは声を張り上げて反論を開始した。

 

「……確かに、風で城壁や河川を吹き飛ばすことは出来ん。それでも『風』が最強である事に変わりはない! 何故なら『風』は変幻自在、如何なる戦場にも適応出来る唯一の系統だからだ。だからこそ最強……」

「何も戦うだけが戦争じゃありませんよ?」

 

 自らが信じる『風』の優位性を挙げて自己弁護を始めたギトーを遮る声。

 ルイズの後ろに控えていたトモが割り込んだのだ。

 ギトーの機嫌が目に見えて悪くなる。先程のルイズは曲がりなりにも貴族で生徒であったが、トモは平民で使い魔と言う身分である。取り合う必要は無い。

 あからさまに無視を決め込むギトー。だが空気を読まなかったのか、それともギトーに対する当てつけなのか、隣に居たギーシュがトモに疑問を呈する。

 

「どう言う意味だい? 戦争って戦う為の物だろう?」

「簡単ですよ。直接戦う人間だけでは戦争は勝てないってことですから」

「……戦争で必要なのは戦力だけじゃない。食料などの兵站、傷病者を治療する水メイジなどの衛生対策、陣地構築に必要な工兵、そう言った後方支援なしでは戦えない。そう言うこと?」

 

 トモの答えを補強したのは、それまで黙っていたタバサであった。

 その言葉に頷き、彼は言葉を重ねた。

 

「例えば『風』で百人の敵を薙ぎ払うより、『土』で城壁を築いて千人を阻んだ方が効率が良いでしょう。一騎当千の『風』メイジを新しく集めるより、戦える者を『水』で癒した方が戦力を減らさずに済みます。密集している敵を倒すなら『風』よりも『火』の方が適任です。中心に油でも撒いて火を着ければ勝手に燃えてくれますから。状況によって必要とされる技能は変わります。『風』に拘る必要はありません」

 

 それを聞いた生徒達の表情に理解の色が浮かぶ。

 だがギトーのこめかみには青筋が浮かんだ。

 

「何を言う、『風』に優る系統など有り得ない! 事実、先程のミス・ツェルプストーの火球は私に届かなかったではないかね!?」

 

 引き合いに出されたキュルケの笑みが強ばる。けれどトモは呆れた様に指摘した。

 

「……どんな攻撃が来るのか、予め判っているなら対策だって容易でしょう? キュルケさんは『火』のメイジですし、『火』系統の攻撃魔法で来るのは判っていた筈です。あそこでギーシュ君のワルキューレが出て来たら、ミスタ・ギトーはどうされていましたか?」

「むぐぐっ……!」

 

 そう、キュルケに狙いを定めたのは彼女が『火』系統であったからである。

 『火』の攻撃魔法として第一に上がるのは『ファイヤー・ボール』、即ち先程の火球だ。

 攻撃魔法として一般的であるが故に、対抗手段は研究され尽くしている。

 当然、ギトーもそれを熟知していた。

 

「それにあの火球以外にも攻撃手段はあるでしょう? 今回はキュルケさんの工夫が足りなかっただけです。力押し一辺倒では余りに芸がなさすぎますから」

「……確かに力押しで行こうなんて思っちゃったのは失敗だったわ。他にもやりようはあったもの」

 

 トモの言葉に頷くキュルケ。

 敢えて乗った挑発だったが、思い返してみれば余りにもギトーの思惑通りに過ぎた。

 まんまと踊らされたことは腹が立つが、ルイズ達の意趣返しで溜飲は下がっている。

 後はこの二人がどうやってギトーをへこませるかを見物するだけだ。

 そのギトーは火を噴かんばかりに顔を真っ赤に染めてルイズ達を糾弾に掛かっていた。

 

「ええい、黙れ黙れ! 平民の分際で貴族に意見するとは何事か!」

「ふむ、まともに答えられない所を見るに、図星だったようですね」

「ぐぎぎぎぃ……っ!!」

 

 相手はオスマンすら丸め込んだ詐欺師だ。ギトー如きでは口論にすらならない。

 追い詰められた彼は最後の手段に出た。

 

「ならば見るがいい、風が最強たる所以を! 『ユビキタス・デル・ウィンデ……』」

 

己が使える最高の魔法を繰り出さんとルーンを詠唱し始めたギトー。

丁度その時、教室の扉が音を立てて開き、時ならぬ闖入者を迎え入れた。

 

「あややや、ミスタ・ギトー! 失礼しますぞ!」

「ミスタ・コルベール! 授業中です……ぞ?」

 

 折角の見せ場を遮られて不快な表情を隠そうともせず、乱入して来た同僚に抗議しようとしたギトーのしかめっ面が呆然とした表情に取って代わる。いや、彼の姿を見た生徒全員が呆気に取られていた。

 薄い頭頂を大きな金髪をロールさせた鬘で覆い隠し、幾重ものレースや刺繍に飾り付けられたローブを纏ったコルベールの姿に。

 

 はっきり言おう。似合っていない。

 

 まるで洒落っ気の無い独身中年男性が初めての見合いに合わせて精一杯着飾ったかのような、非情にいたたまれない空気が漂う。

 ギトーと生徒達が一斉に沈黙した意味に気付かず、コルベールは重々しく告げた。

 

「おっほん。今日の授業は全て中止であります! ええと、皆さんにお知らせが……」

 

 もったいぶった調子でのけぞるコルベール。

 その拍子にサイズの合っていない大きな鬘が外れて床に落ちた。

 微妙な空気が教室を満たす。沈黙を破ったのはなんとタバサであった。

 

「……滑り易い」

 

 教室が爆笑に包まれた。

 直前まで不機嫌だったギトーでさえ明後日を向き、肩を振るわせている。

 キュルケに至っては笑い過ぎて腹がよじれたらしい。引き攣る腹を押さえながら「貴女も言うわね!」とタバサの肩を叩いていた。

 当の本人だけがにこりともせず、いつもの鉄面皮を保っていた。

 

「ええいっ、黙りなさい小童共が! ミスタ・ギトーも!! 大口を開けて笑うとは……」

「ミスタ・コルベール、何かあったのですか? 着飾っていらっしゃると言うことは、どなたか貴人がお見えなのでは?」

 

 いや、もう一人だけ爆笑に混じらなかった異物がいたようだ。

 先程のギトーもかくやとばかりに顔を真っ赤に染めて怒鳴りかけたコルベールに、トモは至極冷静に用件を尋ねる。隣のルイズすら爆笑していると言うのに一人だけ冷静沈着なその姿に、コルベールは此処を訪れた理由を思い出した。

 

「ええ、おほん。皆さん、本日はトリステイン魔法学院にとって降臨祭に並ぶめでたき日であります。恐れ多くも先の陛下の忘れ形見、アンリエッタ姫殿下が本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされます。急なことですが、今から学院の総力を挙げて歓迎式典の準備を行います。生徒諸君は正装して門に整列すること」

 

 その台詞が発せられるや否や、先程までとは違う理由で教室がざわめく。

 皆、馬鹿笑いしていたのが嘘の様に緊張した面持ちになる。

 それを見たコルベールが重々しく頷くと、目を見開いて告げた。

 

「諸君が立派な貴族に成長したことを姫殿下にお魅せする絶好の機会ですぞ! お覚えが宜しくなる様に、しっかり杖を磨いておきなさい!」

 

 コルベールの言葉が終わると同時に、生徒達が一斉に寮室へ向かう。

 慌てて身支度を始めるルイズに苦笑しながら、トモは窓の外に広がる空を見上げた。

 

 どこまでも広がる蒼穹の空。そのどこかに浮かんでいるであろう運命を睨み付けるように。

 

 

 

***

 

 

 

 トリステイン魔法学院に続く街道を、四頭立ての馬車が粛々と進む。

 沢山の花々で飾られた街道沿いには大勢の人々が立ち並び、歓呼の声を上げて出迎える。

 馬車に掲げられた紋章には水晶の杖とユニコーンが刻印され、馬車を引く馬達の頭にも立派な角が生えていた。

 無垢なる乙女にしかその背を許さぬ聖獣に引かれた馬車の主。それに当て嵌まる人物はこの国に一人しか居ない。

 

 馬車の窓を覆い隠すレースのカーテンが開き、うら若き女性が顔を覗かせた。その気品ある顔立ちを目の当たりにした人々から一際大きな歓声が上がる。

 しかしカーテンを閉じて再び人々の目から隠されると、女性は優雅な微笑みを引っ込めて憂いも露に深い深い溜め息を吐く。そんな彼女を、隣に腰掛けていた初老の男性が咎めた。

 

「……王族たるもの、無闇に臣下の前で溜め息なぞ吐くものではありませぬ」

「王族ですって! まあ、このトリステインの王様は貴方でしょうに!」

 

 女性の名はアンリエッタ・ド・トリステイン、現トリステイン王国第一王女である。

 そして隣に座る初老の男性は前王亡き後トリステインの政治を一手に握るマザリーニ枢機卿、通称『鳥の骨』であった。

 瑞々しく若さ溢れるアンリエッタとは対照的に、まだ四十そこそこであるにも拘らず髪も髭も真っ白に色が落ち、痩せぎすの身体は骨張っている。

 けれど無理は無い。政治を一手に握るなどと言うと聞こえはいいが、実際は彼以外まともに政治を行っていないだけなのだから。故に国政を預かる心労が彼に集中し、実年齢よりも十歳以上も老ける羽目になったのだ。なのに本来王位に就くべきマリアンヌ大后は夫の喪を理由に頑に即位を拒否し続けており、その娘は……

 

「枢機卿、今、街で流行っている小唄はご存知かしら?」

「……存じませんな」

「それなら聞かせて差し上げますわ。『トリステインの王家には美貌はあっても杖は無い。杖を握るは枢機卿、灰色帽子の鳥の骨……』」

 

 ……この調子だ。少なくとも、話題にしていいものの区別がつかないようでは話にならない。

 彼が後続の馬車を降りて王女の馬車に乗り込んだのは、こんなどうでもいい話をする為ではない。

 彼らがわざわざゲルマニアまで出向いた事情の再確認の為である。けれど肝心の王女はずっとこんな調子で、マザリーニの話をのらりくらりと躱していた。

 

(……まあ、仕方が無いと言えば仕方が無いのだが……)

 

 忸怩たる内心の思いを表に出さず、マザリーニは咳払いをして話を戻した。

 

「街女の歌うような小唄など、口にしてはなりませぬ」

「いいじゃないの、小唄ぐらい。私は貴方の言いつけ通りにゲルマニアに嫁ぐのですから」

 

 憂いに陰った表情でマザリーニに反論するアンリエッタ。

 これが彼女がずっと不機嫌だった理由である。彼女は隣国ゲルマニアとの軍事同盟の見返りとして、一回り以上年の離れたゲルマニアの皇帝と結婚しなくてはならないのだ。

 政略結婚は政治における常套手段であることはアンリエッタとて理解している。

 しかし納得はしていない。まして先王より蝶よ花よと育てられた箱入りの身ではなおさらだ。

 王族らしく外面には出ないものの、近しいものには不満を漏らしまくる毎日。

 それが普段から口煩いマザリーニであるなら皮肉の十や二十も出てこようと言うものだ。

 けれどマザリーニはそれを咎めない。彼にしても今回の縁談は苦渋の決断であったのだから。

 

「仕方ありませぬ。ゲルマニアとの同盟はトリステインにとって急務なのですから。殿下もご存知でしょう? かの『白の国』アルビオンの革命とやらを」

「そのくらい、私だって知っていますわ! 礼儀知らずのあの人達の、恥知らずな行為のことは!」

 

 このハルケギニアに始祖ブリミルが降臨してより続く王家の一つ、アルビオンで起きた謀反は瞬く間に王家を圧倒し、伝統あるアルビオン王家は今や風前の灯と化した。

 蜂起した貴族達はハルケギニア統一を謳い、堕落した現王家を滅ぼして新しい国家を建設することを夢見ている。故にアルビオンの次に狙われるのは、その親戚たるトリステインとなるのは自明の理。それに対抗する為に打ち出されたのがゲルマニアとの同盟であった。

 ゲルマニアは始祖に王権を授けられた四王家とは違い、優れた技術力と軍事力でのし上がった新興国家である。最高元首が王ではなく皇帝を名乗っているのもその所為だった。

 また金さえあれば平民であっても公職に就ける、すなわち貴族になれると言う実力主義の国でもあり、平民の地位もそう悪く無い。それが他国には『成り上がりの野蛮人』として受け取られているのだ。その成り上がりの国に、小国ながら始祖以来の歴史を誇るトリステインの王女が輿入れする─────アンリエッタを憂鬱にさせていたのはそれだった。

 マザリーニにも思うところはあるのだが、歴史はともかく国力の劣るトリステインを存続させる為にはこの方法しか考えつかなかったのだから仕様がない。

 

「先を読み、先手を打つのが政治なのです、殿下。ゲルマニアと同盟を結び、近いうちに成立するであろうアルビオンの新政府に対抗せねば、トリステインは生き残れませぬ」

 

 何度も繰り返し言い聞かせた台詞を再び聞かせるマザリーニ。けれどアンリエッタは溜め息を吐くばかりでろくな返事もしない。

 トリステインの行く末に不安を抱きつつ、馬車は一路魔法学院に向かって進んで行く。

 

 

 

***

 

 

 

 魔法学院の正門に整列した生徒達が一斉に杖を掲げる中、王女の馬車は本塔前に止まった。

 オールド・オスマンが立つ本塔の玄関と馬車の間に緋毛氈の絨毯が敷かれ、カチンコチンに緊張した衛士が大声で王女の到着を告げた。アンリエッタの名が高らかに響き渡る中、馬車の扉が開かれる。けれどそこから現れた人物を見た途端、生徒達は一様にがっかりした顔になった。

 だがマザリーニ枢機卿はお世辞にも歓迎しているとは言えないその視線にも動じず、扉に向かって手を伸ばす。その手を取って現れたのは、可憐な微笑みを浮かべるアンリエッタであった。

 一際高く響き渡る生徒達の歓声に、優雅に手を振って応えている。

 

「成程、確かにお姫様ですね。温室育ちの薔薇みたいです」

「……それは褒めてるのかしら? 貶してるのかしら?」

 

 トモの人物評に、隣に立つキュルケが首を捻る。その隣には我関せずと座り込んで本を読むタバサの姿もあった。そして今の発言に一番食いつきそうなルイズはと言えば、呆然としながら王女の護衛に立つ貴族に見入っていた。

 見事な羽根帽子を被った口髭も凛々しい好男子である。幻獣グリフォンに跨がっていることから、魔法衛士隊の一つであるグリフォン隊の所属であろう。

 魔法衛士隊と言えば貴族の子弟が一度は憧れる騎士の花形だ。王女の護衛ともなればおそらくは隊長クラスであろうことは容易に想像出来る。しかしルイズはそんなところに注目していた訳ではない。その風貌が、昨晩の夢に出て来たある人物そっくりだったからであった。

 

「……ワルド、さま?」

「どうしましたご主人、何か気になることでも?」

「……何でも無いわよ」

 

 思わず漏らした呟きを聞きつけたのだろう、トモが心配そうに覗き込んで来る。

 慌てて取り繕うが、その視線を辿ったキュルケが例の貴族に気が付き、混ぜっ返す。

 

「あら、中々いい男じゃない? あらやだ、一目惚れ?」

「何でもそっちに結びつけるんじゃないわよ、この色魔!」

「ご主人、声! 声が大きいですよ!?」

 

 慌てて口を押さえるルイズ。幸い、周囲の歓声に紛れて王女一行まで彼女の怒鳴り声は届かなかったらしい。失態を咎められなかったことに安堵しながら、ルイズは口を押さえていた手を離した。

 

「あ、危なかった……!」

「全く……、キュルケさんもあんまりご主人をからかわないで下さいね?」

「善処するわ。うふふっ」

 

 どう見てもからかう気満々のキュルケを牽制していたルイズの肩が叩かれる。

 何事かと振り向けば、そこには先程まで本を読んでいた筈のタバサが居た。

 

「……結局、誰を見ていた?」

「……別に、昔の知り合いが居たから吃驚していただけよ。一目惚れとかじゃないわ」

「納得した。……キュルケもこれでいい?」

「何だ、つまんないの」

 

 どうやらキュルケを宥める為だけに話し掛けたらしい。彼女が詰まらなさそうに口を尖らせたのを見て、再び読書に戻る。ルイズが意外な援護射撃に目を白黒させていると、今度はトモが話し掛けて来た。

 

「ところで、最初の男性はどなたですか? どうもあまり好かれていなさそうでしたが」

「……ああ、そう言えば知らないのよね貴方。あれがマザリーニ枢機卿、今このトリステインを仕切っているお方よ」

「ふむ、あれが……胆力のある御仁ですね」

「あら、どうしてそう思ったのかしら?」

 

 感心した様に何度も頷くトモの台詞に、興味を引かれたキュルケが尋ねる。

 

「いえ、あれだけ嫌われていながら眉一つ動かさないなんて、凄いとしか言いようが無いでしょう?」

 

 その答えにはっとなるルイズ。

 現在のトリステイン貴族で、平民の血が混じっているとも噂されるマザリーニを快く思っている貴族なぞ居ないと言っても過言ではない。それにも関わらず、国王不在のこの国が機能しているのは彼の尽力あってのもの。

 マザリーニは圧倒的な敵意をものともせずに国政に邁進しているのだ。

 それを考えると彼の凄さが良く理解出来る。

 

 大多数の貴族の例に漏れず、ルイズもマザリーニのことは嫌いだ。

 けれど考えてみれば彼の置かれた立場は、この学院におけるルイズの立ち位置そのものではないだろうか? 彼女も少し前までは圧倒的な悪意に晒され、孤立していた。だがあの『使い魔召喚』以降、彼女はそれを嘆く事は無くなった。

 それは言うまでも無く隣に立つ彼と、『冒険者』の道との出会いがあったからだ。

 運命に挑む覚悟と、何より大切な仲間との邂逅が彼女を変えてくれた。

 では、マザリーニにはそんな『仲間』が居るのだろうか?

 

「……確かにね。それだけは尊敬出来るわ、心から」

 

 ルイズの呟きは誰にも届かないまま、吹き抜けるそよ風に溶けていった。

 

 

 

***

 

 

 

 最近、ルイズの部屋は彼女の愉快な仲間達の溜まり場と化している。

 ルイズとトモは言うに及ばず、彼女の専属になったシエスタや冒険者の事を聞きに来るタバサとお供のキュルケ、たまにモンモランシーに夜這いを掛けて撃退されたギーシュが混ざったりする。

 けれど今日は流石に誰も訪れなかった。シエスタは本職が忙しく、ギーシュも王女が居る間は夜這いを自粛したらしい。タバサとキュルケも今夜は自室に篭っているようだ。

 そんな訳で、この部屋の主は久しぶりに静かな夜を過ごしていた。

 錆落としの為に鞘から抜き放たれたデルフリンガーも空気を読み、大人しくしている。

 磨き粉を付けた布で擦られる度「おうっ……」だとか「も、もっと優しく……」とか悶える剣と言う気持ち悪いものを、何とはなしに眺めているルイズ。

 

 

 

 扉を叩く音が聞こえて来たのはそんな時だった。

 

 

 

 始めに長く二回、続けて短く三回。

 

 それはルイズにとって特別な意味を持った音だった。

はっとした顔になり、慌てて身だしなみを整え、トモにデルフリンガーをしまう様に言いつけると、ノックされたドアをそっと開ける。

 そこに立っていたのは黒い頭巾で顔を隠した少女。

 辺りを伺い、誰も居ないことを確認した少女は部屋に入り込んで後ろ手に扉を閉めた。

 何かを言いたそうなルイズに人差し指を立てて口を噤ませ、杖を出してルーンを唱える。

 そして水晶の飾りの付いた杖を振ると、室内を光の粉が舞った。

 

「……ディティクトマジック?」

「どこに目や耳があるのか判りませんからね」

 

 そう言って頭巾を払いのける少女。

 栗色の髪がこぼれ、薄いブルーの瞳がルイズを捉えると、その目が笑みを形作る。

 

「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」

 

 そこに居たのはアンリエッタ王女その人であった。

 

 

 



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第十四話 任務(だっかん)

 アンリエッタ・ド・トリステイン。言わずと知れたトリステイン王国の王女である。

 当年とって御年十七歳、十六のルイズとは一つしか違わない。その年齢の近さと国内最大の権勢を誇る大公爵家の血筋を買われ、幼少時ルイズは王女の遊び相手を仰せつかっていた。

 だが彼女にとって、そしてそれを決めた大人達にとっても計算外だったのは、王女がとんでもない『やんちゃ』であったことであろう。

 城の中庭で蝶を追いかけ、泥だらけになって侍従長に叱られるのは序の口、菓子を取り合ってはお互い泣くまでつかみ合うわ、ままごとを巡っての喧嘩ではアンリエッタのボディブローがルイズの意識を刈り取り、鮮やかなTKOを奪ってみせたことすらあったと言う。

 

(当時の家臣達はさぞや苦労したんでしょうねぇ……)

 

 それが目の前で繰り広げられる茶番を見たトモの正直な感想だった。

 

「ああ、ルイズ! 懐かしいわ!」

「いけません姫殿下! こんな下賎なところへお越しになるなんて!」

「そんな堅苦しいことを言わないで! 貴女と私はお友達、お友達じゃないの!」

 

 最初は畏まっていたルイズも、時間が経つにつれて次第に態度が軟化していった。

 抱き合いつつも交わされる思い出話がやたら物騒だったのはご愛嬌と言って良いのだろう。

 

「感激ですわ、そんな昔のことを覚えていて下さったなんて……。私のことなど、とっくにお忘れになられていたと思っていましたわ」

「忘れる訳無いじゃない! あの頃は毎日が楽しかったわ、何にも悩みなんて無かったもの……」

 

 先程までのハイテンションから一転、深く憂いを帯びたその台詞に首を傾げるルイズ。

 

「……どうかなされましたか、姫様?」

 

 その様子を見たルイズの質問に、窓の外の月を見上げて溜め息を吐いたアンリエッタがその手を取って笑みを浮かべる。それは傍目にも無理をしていると判るような、そんな笑顔だった。

 

「結婚するのよ、私」

「それは…………おめでとうございます」

 

 アンリエッタのその言葉を聞いたルイズは、彼女が何を憂いているのかを正確に把握した。

 けれどそれを口にはせず、代わりに固い声色で当たり障りの無い祝福を掛けるに留めた。

 

「……何なんでしょうか、この大根芝居」

「言うなよ旦那。本人にしてみりゃ大真面目なんだろうさ」

 

 どこかわざとらしさの漂う二人の姿に、小声で突っ込むトモとデルフリンガー。

 そこでようやく王女はルイズの背後に控えていた一人と一本に気付いたらしい。彼女はルイズとトモ達を交互に見比べ、何かに感づいた様にはにかんだ笑みを浮かべた。

 

「あら、ごめんなさい! もしかしてお邪魔だったかしら?」

「それは勘繰り過ぎと言うものです。敢えて何が?、とは言いませんが」

「あ……ええと、彼は私の使い魔です」

 

 頬を染めるアンリエッタに、トモは憮然とした顔で突っ込みを入れた。

 そしてルイズの紹介を聞き、王女はキョトンとした面持ちで彼をまじまじと見詰める。

 

「使い魔、ですか? 人間にしか見えませんが」

「ご覧の通りの人間です。人間以外の何かに見えるなら医者をお薦めしますよ」

「……申し訳ありません姫様。彼はこちらの常識や礼節にまだ疎いもので」

 

 慇懃な態度こそ崩さないものの、容赦の欠片も無い言葉にアンリエッタの頬が引き攣った。

 不躾を通り越して喧嘩を売っているトモの台詞に、頭を抑えながらルイズが謝罪する。

 何しろ相手は『何者にも仕えない』と言い切った男だ。今更王家の、それも他国の王族の威光など歯牙にもかける筈も無いのだが、表向き『ルイズの使い魔』と言う立場に居る彼の無礼はそのまま彼女の、引いてはヴァリエール公爵家の面子に拘る。

 胃と頭の痛みに耐えつつ、ルイズは紹介を続行した。

 

「こちらはトリステイン王国第一王女、アンリエッタ・ド・トリステイン殿下よ。姫様、彼は冒険者と呼ばれる人々の一人で、ヤナギダ・トモと言います」

「……あ、初めまして。私、アンリエッタと申します。以後よしなに」

「失礼しました。私はヤナギダ・トモと申します。ヤナギダが家名で、トモが名になります」

 

 ルイズの紹介でようやく名乗りを交わす二人だったが、トモの名乗りを聞いたアンリエッタが不思議そうに尋ねる。

 

「……家名をお持ちのようですが、もしや貴族の方ですか?」

「いえ、私の故郷では国民全員が家名を持っているんです」

「国民全員が、ですか? そのような国は存じませんが、どちらの国からいらしたのでしょうか?」

 

 小首を傾げながら王女が問う。その疑問に答えたのはルイズであった。

 

「姫様、彼はロバ・アル・カリイエより遠い所、ニホンって国から召喚されたんです」

「まあ、ロバ・アル・カリイエよりも遠いところからですって!? ルイズ、貴女って昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね!」

 

 ころころと笑うアンリエッタと、どう返していいのか判らず憮然とするルイズに、今度はトモが水を向ける。

 

「で、アンリエッタ姫殿下は一体何用でこんな夜更けにこちらまでいらしたので?」

「あ、……そうでした。ですが……」

 

 ちらちらとトモの顔色をうかがう王女に、トモは肩を竦めて溜め息をつく。

 

「判りました。席を外しましょう」

「……いいえ、ここにいて頂戴」

 

 しかし空気を読んで出て行こうとしたトモを、ルイズが引き止める。そしてそんな彼女の行動に驚く王女に、ルイズは彼の同席の利点を説いた。

 

「姫様、彼はこう見えてかなりの切れ者です。もしかしたら力になってくれるかもしれません」

「……ルイズがそう言うのであれば。ですがこの場でお話ししたことは他言無用に願います」

「……仕方ありません。お話しだけは伺いましょう」

 

 不承不承と言った体で王女に向き直るトモ。

 だが肝心の王女は憂い顔で俯いたまま、一向に語り出そうとしない。その姿にトモが何かを言おうとする直前、ルイズが割り込む様に口を開いた。

 

「察するにゲルマニアの皇帝との婚約に関する何かだと思いますが、違いますか?」

「えっ!?」

 

 ルイズの爆弾発言に意表を突かれたのだろう。思わず取り乱すアンリエッタに、ルイズはまるで試験の答え合わせでもしているかの様に淡々と己の推察を語り始めた。

 

「姫様はゲルマニアからお帰りになる途中で学院にご行幸されています。そして先程ご結婚なさるとお話しになられました。ならばこの二つは関連性が高い。ゲルマニアの皇帝にはまだ皇子がいませんし、ならばその相手は十中八九、皇帝自身となりましょう。……違いますか?」

「……凄いわルイズ、その通りよ。たったそれだけで良く判ったわね?」

「簡単な推理ですわ。この程度、アカデミーの論文を読み解くより容易いことです」

 

 そうは言うが、たったそれだけの材料で真実を暴いたのは驚嘆に値する。

 ルイズの慧眼を知って安心したのだろう。アンリエッタは婚約の経緯を語り始めた。

 

 アルビオンで反乱が起きたこと。

 王室は善戦したが力及ばず、今にも滅亡しそうなこと。

 反乱軍の掲げる目標から、アルビオンの次はトリステインに矛先が向くのは確実なこと。

 それに対抗する為にゲルマニアと同盟を結ぶこと。

 その見返りとしてゲルマニア皇室へ嫁がねばならないこと。

 

 そして話が今回の行幸に差し掛かると、アンリエッタはそれまでの饒舌が嘘の様に口籠る。

 しかしルイズとトモの無言の催促に折れたのか、おずおずと言った様子で口を開いた。

 

「……アルビオンの叛徒共は当然この同盟を望んでいません。ですので、彼らは血眼になって婚姻を妨げる為の材料を探している筈です」

「あるんですね? 心当たりが」

 

 ルイズの容赦無い追求に、とうとうアンリエッタは顔を覆って泣き崩れた。

 

「おお、始祖ブリミルよ! この不幸な姫をお救いください!」

「……茶番は結構ですから、その心当たりとやらを教えていただけませんか?」

 

 王女の大袈裟なリアクションに呆れたトモが続きを促す。両手で覆われたアンリエッタの表情は見えないが、こめかみがひくついてる所を見ると内心穏やかとは言えないようだ。

 

「……私が以前したためた一通の手紙です。もしもそれがアルビオンの貴族達に渡ったら、彼らはすぐにゲルマニアの皇帝に届けるでしょう」

「手紙……?」

 

 手紙一通で婚約が破綻すると聞き、ルイズの脳細胞がフル回転を始めた。

 婚約を解消する理由として一般的なのは浮気である。その証拠にされるなら、その手紙とやらは恋文で決まりだろう。だが先王の過保護もあって箱入り状態だった王女にそんな相手が居た等とは、一番身近にいたルイズでさえ聞いたことも無い。

 ……いや、以前行われたラグドリアン湖畔での園遊会で、王女に懇願されたルイズが王女の身代わりを務めた事があった。思い当たるとしたらそれ以外には無い。

 園遊会に出席していた人物をリストアップ、年の差や身分の違いで振るいに掛ける。

 

 ……そして思い至った可能性に、彼女は血の気を失った顔で王女に詰め寄った。

 

「まさか、ウェールズ皇太子に恋文を!? 敵陣のまっただ中ではありませんか!!」

「……そうです。若気の至りでウェールズ様にお送りした恋文の中で、私は永久の愛を始祖に誓ってしまったのです」

「な!?」

 

 あまりの浅慮に、ルイズは目眩を起こしかける。

 しかし傍に控えていたトモには、それがどれほどの脅威なのかが判らなかったらしい。

 泣き崩れる王女と蒼白な主人とは対照的に、いっそ場違いなまでの冷静さで疑問を投げ掛けた。

 

「よく解りませんが、たかが手紙一通でそこまで大事になるものなんですか?」

「……始祖に誓った愛は撤回出来ないの。たとえ若気の至りでも、証拠が残っているのならそれは有効だわ。そして相手がいる上で他人と婚約したのなら……それは重婚の罪になるのよ」

 

 大国と呼んでもいいゲルマニアの皇帝が小国に過ぎないトリステインとの婚姻を欲するのは、正統な王家の血を取り込む事で自らの権勢を固めるためである。だが重婚の罪を犯した王女との婚姻など、ゲルマニアにとっては不名誉でしかない。却ってゲルマニアの正当性を貶めるだけだ。

 発覚すれば婚約は取り消され、同盟も白紙に戻るだろう。

 そうなればトリステインは一国で叛徒共を相手にしなければならなくなる。王家を滅ぼす程の力を持った彼らに立ち向かえる戦力なぞ、この国に無いのは一目瞭然。

 若気の至りで済ませるには重大過ぎる失態であった。

 

「……成程、それは大問題ですわ。ですが姫様、このことはマザリーニ卿には?」

「言える訳ありませんわ! これを知れば枢機卿がどれほど怒ることか……!!」

「国難よりも保身が第一ですか。トップがこうなら貴族だってああもなりますか」

 

 王女ともあろうものから出たとは思えない言葉に、トモは苛立ちを覚え始めたようだ。

 だがルイズはそれを咎めない。そして癇癪を起こした子供の様にただ泣き喚く王女の手を取り、強引に立ち上がらせる。突然のルイズの奇行に目を白黒させて泣き止むアンリエッタに、彼女は険しい表情を浮かべて口を開きかけた。

 

「……姫様、それについてですが……」

 

 けれどその言葉は、突然扉を蹴破って飛び込んできた人影に遮られた。

 

「その一件、このギーシュ・ド・グラモンにお任せください!!」

 

 転がる様に王女の目前に膝をついたのは、薔薇の造花をくわえたギーシュ。

 王女の行幸中は夜這いを自粛しようと言う空気に耐えられず、禁を破って女子寮に足を向けた彼はたまたま王女を見掛けて後を着け、今の今まで扉の外で聞き耳を立てていたのである。

 

「お話しは全て窺いました! この未曾有の国難、不肖このグラモン家の四男たるギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けいただければ存外の幸せ! どうか姫殿下におかれましては大船に乗ったお気持ちでお任せいただだだだだだっ!?」

 

 しかし必死の自己アピールは、トモが敢行したウメボシ(こめかみに拳を押し付けてグリグリすること。親指を握りこんで中指を立てると効果絶大)によって止められた。

 

「な、何をするんだね君ぃ!?」

「それはこちらの台詞です! 何を勝手に引き受けてるんですか!?」

 

 涙目で痛むこめかみをさすりながらの抗議を、トモはこめかみを引き攣りつつも却下する。

 腕組みしながら無表情で迫る彼にビビりながらも、ギーシュは更に言い募ろうとするが、

 

「……そうね。あなたに任せるわギーシュ」

 

 ルイズが発した一言が全てを塗り替えた。

 

 驚愕に目を見開くアンリエッタと喜色に染まるギーシュを余所に、慌てて詰め寄る使い魔とその主人の会話は既に口喧嘩の様相を見せていた。

 

「ちょっ、本気ですか? どう聞いても自殺行為にしか聞こえなかったんですが先刻の話!?」

「ギーシュだけじゃ頼り無いわね。私達も着いていくわよ? 勿論、シエスタも」

「それこそ本気ですか!? 学生に頼むことじゃないでしょうこんなの!?」

 

 あくまでも冷静なルイズと、普段の感情の薄さをかなぐり捨てて当たり散らすトモ。

 先刻とは真逆の姿に、ギーシュとアンリエッタが目を瞬かせる。

 

「まあまあ、少し落ち着きなさいよ。別に私が何か頼まれた訳じゃないし」

「これが落ち着いていられますか! どうせこのお姫様の頼み事なんて決まってます!」

「ええ、そうね。多分『密書を取り返して欲しい』って所かしら?」

 

 ルイズの台詞は正鵠を得ていたらしい。

 目を剥くアンリエッタに、激昂したトモの言葉が突き刺さった。

 

「判っているならどうして平然としているんですか!? このお姫様はよりによってお友達に『死んでこい』って言ってるんですよ!?」

「!?」

 

 『死んでこい』。よく考えてみれば、いやよく考えなくてもその通りである。

 

『内乱の最中の敵地に乗り込み、敵が血眼になって探し求める『重婚の証拠』を取り返す』

 

 彼女がルイズに頼もうとしていたことを簡潔に書けばこうなるだろう。困難な任務どころではない、まさに特攻そのものの任務。それを彼女は『幼馴染み』と言うか細い縁だけを頼ってルイズに押し付けようとしていた。

 そのことに今、ようやく気付いたのだ。

 

「あの、ルイズ……」

「別に、私だってそのことぐらいは気付いてるわよ」

「「「えっ!?」」」

 

 恐る恐る口を挟もうとするアンリエッタ、その口を噤ませるルイズの爆弾発言。

 いや、彼女だけではない。事態を呆然と見ていたギーシュも、激しくルイズに詰め寄っていたトモさえも、その言葉に仰天して絶句していた。

 

「姫様。姫様がこちらにいらしたのはその為でしょう? いえ、学院へのご行幸自体は偶然だったのでしょうね。おそらく、マザリーニ枢機卿あたりが言い出したことでは?」

 

 ルイズの指摘にこくこくと頷くアンリエッタ。

 

「でしょうね。……ただ、ここに私が居ることをどなたから、おそらく私の旧知の人物からお聞きになり、愚痴をこぼしに来る途中で思い付いた、そうではありませんか?」

 

 今回の魔法学院訪問は突然過ぎた。

 しかし公人ともなれば気軽に出向くことなど出来ない。ならば本来この訪問は予定に入っておらず、突然誰かが言い出して変えさせたのだろう。もしアンリエッタが言い出したとしても、マザリーニが賛成すまい。なら、この予定変更はマザリーニ自身が言い出した可能性が高い。

 だがマザリーニはここにルイズが在学しているとは言い出さないだろう。この王女が思ったよりもお転婆であることを、彼は誰よりも良く知っているのだから。

 

 故に王女に彼女のことを教えたのは他の誰かと言うことになる。

 

 ルイズはその人物に心当たりがあった。おそらく気晴らしの為の共通の話題として持ち出したのではないだろうか? それが彼にも思いがけない方向に転がってしまっただけだ。

 アンリエッタとてただの学生にこんなことを頼みに来た訳ではあるまい。

 最初は旧知の彼女に愚痴でも零したかっただけだったのだろう。しかし意外に機転の効くルイズを目の当たりにして、追い詰められていた王女はそんな彼女に縋ることを思い付いたのだ。

 

 顔面を蒼白にして、時折呻き声を漏らすだけの彼女をさておき、トモはルイズに尋ねる。

 

「それが判っていて、どうして引き受けるんです?」

「姫様が学生にすぎない私に頼ろうとするぐらい、宮廷に味方が居ないからよ。正確には、アルビオンの間者が入り込んでいるから、ね」

 

 その言葉に動揺したのはアンリエッタだけではなかった。

 血の気を失って真っ青になったギーシュがルイズに迫る。

 

「どどど、どういうことだい? 何で宮廷にアルビオンの間者が!?」

「ねぇギーシュ、貴方も先刻の話を聞いていたんでしょう? 姫様の婚約を破棄させる材料を探すのだったら、アルビオンよりトリステインやゲルマニアを探るって事ぐらい判るわよね?」

 

 そう言われて、ようやくギーシュも理解出来た。

 確かにアルビオンの叛徒共がそんなものを探すなら、地元よりもトリステインやゲルマニアを狙うのは自明の理。全てを排除するのはいかに魔法衛士隊とて不可能だったに違いない。

 そう言った『敵がどこに居るか判らない』状態である王女が、敵にバレたら即付け込まれるような恋文の存在を誰に相談出来ると言うのだろうか?

 

「……お話しは判りました。ですが、わざわざご主人が出向く必要は無いでしょうに。枢機卿にでも連絡して、信用出来る貴族か誰かを派遣してもらえば済むのでは?」

 

 だがトモだけは納得いかないらしい。更に言い募る彼に、ルイズは最後の理由を語った。

 

「それは、私達が『冒険者』だからよ」

「ちょっと、ご主人!?」

「「冒険者?」」

 

 その言葉に慌てるトモ、そしてその言葉に戸惑うアンリエッタとギーシュ。

 未だに冒険者のことは秘匿されている。知っているのはごく一部、これだけ付き合いの深いギーシュでさえ冒険者の事は知らされていないのだ。

 それをあっさりバラしたルイズ。けれど彼女は飄々として言葉を続けた。

 

「私達の存在はいつまでも隠し仰せるものじゃないわ。遅かれ早かれ、いつかはバレる……なら、早いうちに対策をとるべきよ」

「……それで王女様を巻き込もうと?」

「あら、それ位はいいじゃないの。こっちは命を賭けるんだもの、これぐらいの報酬が無ければ割に合わないわ」

「……確か、彼女を巻き込んで隠蔽工作を頼んでいた気がしますが」

「あそこにバレるのと姫様にバレるのとでは意味が違うわ。トリステインでの事なら姫様のご威光で何とかなるし」

 

「あ……あの、ルイズ……?そんなに堂々と私の前で宣言されても……」

「……腹黒い、腹黒いよルイズ……ああモンモランシー、僕はどうすればいいんだい?」

 

 肝心のところをぼかした会話ながら、どうにもきな臭い雰囲気を台詞の端々から嗅ぎ取ったギーシュとアンリエッタの頬が引き攣る。

 一般人と王族の目の前であるため、異端がどうとかロマリアに工作とかフーケを抱き込んだとか言える訳も無く、詳しいことを省いての会話なので内容が不明なのだ。にも拘らず王女を利用する気満々であることが丸分かりな言葉の応酬、内容不明である故に口を挟めないのがもどかしい。

 そんな悶々とする二人をさておき、トモはルイズの答えに納得したようだ。

 

「成程、それならこちらにも益がありそうですね。とは言え、無茶なことには変わりありませんが」

「まぁね、それ位でなきゃこの命も遣いどころが無いってものよ。それに……」

 

 そこまで言うと、ルイズは意味ありげに王女に視線を向ける。

 

「実は反対する気、無いんでしょう? 先刻からやたら怒鳴ってるのは、姫様に自分のしでかしたことを自覚させるため、違うかしら?」

「!!」

 

 ルイズの言葉に目を見張る王女。

 図星を指されたトモは一瞬だけ目を見開き、再びいつもの無表情っぽい薄笑いに戻る。

 

「……やれやれ、見抜かれてましたか。もうご主人をからかえなくなりますね」

 

 ルイズの指摘通り、トモは爆発した振りをして王女の悪行を列挙していたのである。

 直接指摘するよりも、ルイズの身の危険を強調して『お前の所為だ』と迂遠に問い詰めた方が理解し易いだろうと考えたのだ。少々意地の悪い方法だが効果は覿面だったらしい。

 

「……からかうとかは後で追求するとして、貴方も賛成なら問題は無いわ。姫様、私達三人にお任せください」

「無理、無理よルイズ! ああ、なんてこと! 私は貴女達に取り返しのつかないことを……!!」

「そんな弱気でどうしますか、姫様!!」

 

 追求はするんですね、とぼやくトモを尻目にルイズは王女に向き直り、改めて奪還の任務を引き受ける意向を示す。

 一方のアンリエッタと言えば、蒼白を通り越して今にも折れそうな顔色で震えていた。散々脅されたために、今更自分の罪業に恐れを為し始めていたのである。

 だがそんな彼女を、ルイズは一喝した。

 

「貴女はこのトリステインを背負う王家の方なのですよ? 貴女は唯、一言命令を下すだけで宜しいのです、『国のために死ね』と!」

「そんな! ルイズ、貴女は……!!」

「杖は私が振るいましょう。ルーンを唱え、剣を構え、槍を突いて敵陣を走破し、皇太子の元へ向かいましょう。ですがそれをさせるのは姫様、貴女の命令です! 貴女の意志で私達を戦地に送るのです! 貴女の一言が、私達と立ち塞がる敵の生死を決めるのです!」

「あ、ああ……!」

「さあ、ご命令を! トリステイン王国第一王女、アンリエッタ・ド・トリステイン殿下!!」

 

 アンリエッタは涙目になって首を小刻みに振る。

 

 自分の立場がこんなに恐ろしいものだなんて知らなかった。

 自分の一言がこんなにも重いものだなんて知らなかった。

 ─────自分がこんなに何も知らなかったなんて、思いもしなかった………!!

 

 今更ながらの後悔は彼女にとって何の意味も為さない。既に賽は振られてしまった。

 彼女は自分自身の手で、彼女の大切な『お友達』に命令しなければならないのだ。

 

「い……いや……わ、私……何もしてないのに………好きで王女になった訳じゃないのに……!」

「……誰だって好きで自分に生まれて来た訳じゃありませんよ」

 

 遂に泣き出したアンリエッタに掛けられる厳しい言葉。

 ルイズと王女の遣り取りを黙って見ていたトモが険しい表情で彼女を見下ろしていた。

 

「けれど生まれは変えられません。それが嫌なら自分自身で変えていくしか無いんです。貴女が此処で泣き喚こうが、何にも変わりませんよ。何もしないで、何も変えないで、不平不満をダラダラ流すだけならば、貴女はトリステインを火の海に変えた王女として、歴史に残るだけでしょう」

「ひぃっ……!」

 

 なんて事を言うのだろうか、この男は!

 トリステインを火の海に変える? そんな悪行を為した王女として名が残る?

 ……そんなのは嫌だ、嫌に決まっている!

 

「わ……私は一体、どうすれば……」

「それを私達に聞いてどうするんですか? それを決めるのが王族の務めでしょうに。それが出来るからこそ、貴族も平民も王に従うのですから」

 

 涙ながらの訴えも冷たく断じられる。それはまさに刃の様な言葉であった。

 孤立無援。アンリエッタはしゃくり上げながら思う。どうしてこうなった?

 

 ─────決まっている。自分が何もしなかったからだ。

 

 味方を作る努力をしなかった。こうなる前に枢機卿に相談しなかった。

 何より、自分の立場を理解しようとしなかった。

 何もしなかったツケが、今此処に噴出しているだけ。

 悪いのは全て自分。何もしなかったが故に大切な『お友達』からすら見放されて、こうして泣き崩れる羽目に陥ったのだから。

 

 ルイズの部屋に沈黙が落ちる。

 誰も口を開こうとしない。皆、黙って啜り泣く王女を見詰めているだけ。

 時間にして数分か、数時間か。沈黙を破ったのは、アンリエッタだった。

 

「……貴方は、私が何もしていないとおっしゃいましたね? このままならば、稀代の悪女として歴史に名を残すと」

「そうですね。その通りです」

「先程ルイズは私に『死ね』と命令しろ、と言いました。あれは貴方がそう言わせたのですか?」

「違います。私はただ変わる機会をご主人に与えただけ。あの台詞も、そこに至る考え方も、ご主人が自力で辿り着いたものです」

「貴方は、何もしてこなかった私に、何かをする資格があると思いますか?」

「何かをするのに資格はいらないでしょう。今まで何もしなかったのなら、今から何かするべきだと思いますよ」

 

 それを聞くと、アンリエッタは眦に残った涙を拭き払う。

 そこには先程までとは打って変わり、毅然とした表情が浮かんでいた。

 

「ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエール、及びその使い魔ヤナギダ・トモ、そしてギーシュ・ド・グラモン、貴方がたに命じます。アルビオンに向かい、ウェールズ皇太子から件の手紙を受け取り、私の元に届けなさい。必ず、生きて私に直接渡すのですよ。これも……命令です!」

 

 王女が下した命令に、ギーシュは背筋を伸ばして杖を掲げ、「杖に懸けて!」と誓う。

 そしてトモとルイズは胸元に輝く三本の剣を組み合わせた聖印にその手を重ねて宣言した。

 

「「我ら『アブソリュート・ゼロ』は必ず手紙を奪還することをここに誓う。

 ──────宣誓(クエスト)!」」

 

 三本の剣を重ねた聖印が銀光を放ち、運命神と王女にクエストが結ばれる。

 こうして冒険者パーティ『アブソリュート・ゼロ』最初のクエストは幕を上げた。

 

 

 

 

 

 

ギルド『アブソリュート・ゼロ』進行中クエスト

・手紙の奪還(期限:アンリエッタの婚姻まで)

 

 

 



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第十五話 出発(しゅつげき)

 学院長秘書、ミス・ロングビルはここ最近多忙であった。

 学院長と枢機卿の推薦を受けたロマリア派遣が間近に迫っていたからである。

 

「まったく、何でいきなりお姫様が学院に来たりするんだか」

 

 一週間後に迫った出発の日に備え、ようやく準備を終えたところに降ってわいたアンリエッタ王女の行幸。虎の子の一張羅を引っ張りだすために、せっかく纏めた旅装を紐解く羽目になったことに愚痴りながら、彼女は自らの『右腕』に目を落とす。

 

(あいつらもまあ用心深いことで。……それとも用意周到って言うべきなのかね、これは)

 

 ルイズ達との取り決めの中で、ついでの様に提案された『それ』。

 これだけ頭が回るのなら、さぞや立派な泥棒か詐欺師になれるだろう。

 あながち間違いでもない未来予想図を思い浮かべ、思わず苦笑を漏らしたそのとき、

 

「随分ご機嫌だな」

「!?」

 

 背後から掛けられた、見知らぬ誰かの声。

 いつの間にか……そう、いつの間にか彼女の背後に人影があった。先刻までこの部屋には確かに彼女しか居なかった筈なのに。

 

「探したぞ。こんなところに潜んでいたとはな」

「……深夜に女性の部屋に忍び込んでおいて、随分なものの言い様ですね?」

 

 腰に差した杖に手を伸ばしながら、ロングビルは油断無く人影を観察する。

 背が高く、全身を覆う黒いマントから長い杖の先が覗いている。おそらく軍人が好んで使うレイピアタイプの杖剣だ。けれどその表情を窺うことは出来ない。

 何故なら、怪人は不気味な白い仮面で顔を隠しているからだ。

 

(…………コイツ、強い……!!)

 

 ロングビル、いやフーケの背中にじっとりと脂汗が浮かぶ。

 これ程の窮地に陥ったのは冒険者達を敵に回した時以来、だがあの時のように丸く治まると言う期待はするだけ無駄だろう。

 

(騒ぎを聞きつけた誰かか駆けつけるまで時間を稼ぐしかない……、やってやろうじゃないの!)

 

 吹き飛ばされるのを覚悟しながら引き抜かれた杖は、けれど怪人の台詞に押し止められた。

 

「私は争いに来た訳じゃない。杖を引け『土くれ』……いや『マチルダ・オブ・サウスゴータ』」

「んなっ!?」

 

 男の投げた爆弾は、彼女の度肝を抜くには充分過ぎた。

 既に知るものの居ない筈の本名を呼ばれたフーケが驚愕する。

 

「アンタ一体何者だ? 何故その名前を知っている? ……いや、そもそもどうやって私を見つけ出した!?」

 

 有能な秘書の仮面を脱ぎ捨てて叫ぶのも無理も無い。今やその名を知るものは彼女の家族と『冒険者』達しか居ないのだから。

 没落貴族である『サウスゴータ』の息女の名前くらいは調べも付く。しかし『マチルダ』と『フーケ』、『ロングビル』が同一人物だとは知りようがない。そんなフーケの内心を悟ったのか、怪人は仮面の奥で嘲る様に鼻を鳴らす。

 

「ふん。蛇の道は蛇、貴様とサウスゴータを結びつける証拠なぞいくらでもあるわ。……それに平民の衛兵なぞ役に立たん。べらべらといらんことまで喋っておったぞ」

 

 衛兵達は『フーケ』の正体がロングビルであることなど知らない。彼らはただ、襲撃の際に教師陣が見せた失態を面白おかしく語っただけだ。

 学院の秘宝を狙ってフーケが襲撃をかけたこと、その際に学院の教師の大半が留守にしていたこと、暫く経ってからようやく結成された追撃部隊には教師は一人も参加しておらず、皆怖じ気づいて尻込みしていたこと。そして学院の秘宝を取り返して来たのが学生と平民達であったこと。

 

 ─────尾ひれのつきまくったそれは、さぞかし旨い酒の肴になったことだろう。

 

「衛兵が? ……それは盲点だったね」

 

 まさかの情報漏洩に舌打ちするフーケ。

 そんな彼女に白仮面はとんでもない提案を持ち掛けた。

 

「私と来い『土くれ』。共に『聖地』を取り戻そう」

「『聖地』だぁ!? 寝言は寝てから言いな!!」

 

 ハルケギニアの東に位置する『聖地』は、ブリミル教にとって特別な場所である。

 数百年前、長命と尖った耳と進んだ文明を持つエルフによって奪われて以来、『聖地』の奪還は全ブリミル教徒の悲願となった。けれど強力な先住魔法と恐るべき武器によって武装した彼らは非常に手強く、系統魔法を旨とするメイジ達は未だに辛酸を嘗め続けている。

 

「はん、百人総掛かりでも勝てない相手に喧嘩を売るなんざよっぽどの物好きだね! 心中の誘いなら余所に行きな!!」

 

 怪人の妄言をフーケは一蹴する。しかし白仮面はさらに言葉を重ねた。

 

「百人で勝てぬなら千人で掛かれば良い。ハルケギニアを統一すれば不可能じゃないさ」

「ハルケギニア統一だって!? 正気かい!?」

 

 伝統にこだわり気位だけは高いトリステイン、実力主義故に蛮国とも陰口されるゲルマニア、政変以降きなぐさい噂が絶えぬガリア、そして憎き故郷アルビオン……。

 様々な国家が群雄割拠するハルケギニアで、全ての国が肩を並べるなど有り得ない。

 壮絶な足の引っ張り合いに終始することは確実であろう。

 だが目の前の怪人は自信たっぷりに頷く。

 

「我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族の連盟だ。無能な王家を打倒し、有能な貴族が政を行う。そして我々の手で統一されたハルケギニアの総力をもってエルフ共を駆逐するのだ!」

「王家を打倒!? ……そうか、アルビオンで謀反を起こしたってのはアンタ達だったのかい!」

 

 フーケの言葉に重々しく頷き、白仮面は杖に手をかけて最後通告を突付けた。

 

「我々は優秀なメイジが一人でも多く欲しい。同士になれマチルダ。さもなくば此処で死ね」

「……知られたからには、って奴かい。自分でべらべら喋っておいてそれは無いだろうに」

 

 溜め息を吐きながらフーケを両手を上に挙げる。降参の意思表示だった。

 

「やっぱり貴族って連中は嫌いだよ。人の都合なんかこれっぽっちも考えやしない。ええい、解ったよ。どことなりと連れて行きな」

「案外聞き分けがいいのだな」

「まだ死にたくは無いからね。それより、アンタ達の組織は何て言うのさ?」

 

 フーケの問いに、怪人は仮面の奥でくくくっ、と笑うと初めて名乗りを告げた。

 

「レコン・キスタだ。……着いてこいマチルダ。早速やってもらいたい仕事がある」

「着替えの時間位くれないかい? それともこんな格好でつれ回す気?」

「……外で待っていよう。手早く済ませるんだな」

 

 そう言い残すと白仮面はマントを翻して足早に部屋を出て行く。

 残されたフーケは夜会服の裾に手をかけようとして、ふと『右腕』に目をやった。

 

「あの子達、このことを予測していたのかしら? まさかね」

 

 

 

***

 

 

 

 明くる日の早朝。

 朝靄が立ち籠める学院の厩舎で、ルイズ達は出発の準備を整えていた。

 

「ね、ねえ君。これはやっぱり貴族としてどうかと思うんだが」

「またそれですか? お忍びの任務なんですから、それ位は当然だと思いますが」

 

 不満そうなギーシュの台詞に、溜め息を吐きつつトモが返す。

 そんな彼らが纏うのは質素な厚手の丈夫な服に、最小限の荷物。

 まるで平民の旅人のような衣装である。

 

「これから渡る先は敵地なんですよ? 身分を吹聴して回る訳にはいかないでしょう」

「それにあんな大荷物抱えてアルビオンに向かうつもり? いざと言うときのために最小限にしとけって言ったでしょ」

「し、しかしだね……」

 

 昨晩、王女から命令を受けたルイズ達は翌朝出発することを決めて解散。

 その際にトモは「荷物は最小限に、身元がバレる服装は厳禁」と言い含めていた。

 しかし今朝、集合場所に現れたギーシュは舞踏会にでも出るのかと言わさんばかりの服装で、山のような大荷物と共に現れたのだ。もっとも、それを予測していたルイズとトモによってその場で着替えさせられ、シエスタが予めまとめておいた荷物に差し替えられたのだが。

 

「仮にも王族に会うのに、夜会服の一つも無いと言うのは……」

「緊急事態です。略装で充分でしょう」

「あんまり大荷物だと夜盗に狙われ易くなりますよ? 用心に越したことはないです」

 

 未だぶつぶつと零すギーシュをトモとシエスタが宥めている。

 それを横目で見ながら、ルイズは胸元に目を落とす。そこには革紐を通して即席のネックレスにされた指輪が光っていた。

 

『いいですか? ルイズ、これは貴女に貸したものです。必ず返して下さいね』

 

 トリステインの国宝『水のルビー』。

 アンリエッタからお守り兼身分証明として手渡されたものだ。

 もう一つ預かっているものがあるのだが、それは無くさぬように隠し持っている。

 ……どこに仕舞ってあるのかは、乙女の尊厳に懸けて黙秘しておこう。

 

「姫様も随分心配性ね。私達が散々煽った所為でもあるんでしょうけれど」

「ご主人がそれを言いますか? ……私も似たようなものですが」

 

 指輪を渡して来たときの王女の必死な顔を思い出して苦笑いを浮かべるルイズに、すかさずトモのツッコミが入る。あまりの無礼に事情を聞かされたシエスタが卒倒した昨夜の出来事を、二人ともやり過ぎたとは微塵も思っていなかった。

 

「姫様、結構過保護にされてたもの。それに国王様が亡くなった後は、そう言ったごたごたから遠ざけられていたらしいし、だから今まで知る機会が無かったんでしょうね」

 

 蝶よ花よと育てられた箱入り娘に、王族の責任は重過ぎた。

 本来なら社交界で徐々に磨かれて行く筈だったそれを、貴族達の都合で捩じ曲げられて今の形に納まった、と言うのがルイズの見立てである。

 

「ですが薬が効き過ぎたかもしれません。副作用には充分注意しないと」

 

 一方、トモは王女が現実を受け入れられなかった場合を危惧しているらしい。

 王女に暴走されれば全てが水の泡、せっかく刺した釘も無意味に終わる。出来ればこの旅の間だけでも大人しくしていて欲しいものだ、とトモは思う。

 

「ああ、それは多分大丈夫よ」

 

 しかしルイズはそんな彼の懸念を笑い飛ばした。

 その余裕あふれる態度から、トモは彼女が何かしらの対策を立てていたと推測する。

 

「……何か仕込みました?」

「一応、念のためにね」

 

 しかしルイズはそれを明かそうとはしない。トモの方も詳しく追求する気はないのか、それ以上は何も訪ねようとしなかった。

 ギーシュが困り顔で懇願をしてきたのは、丁度そんな時であった。

 

「お願いがあるんだが、僕の使い魔を連れて行ってもいいだろうか?」

「使い魔? ギーシュ、貴方の使い魔って何だっけ?」

 

 ルイズの酷い一言に、ギーシュは思わずずっこける。

 気を取り直して立ち上がり、地面を何回か叩くとそこから茶色の何かが顔を出した。

 

「紹介するよ。僕の使い魔、ジャイアントモールのヴェルダンデだ」

「わあ、大きなモグラさんですねぇ」

 

 シエスタの言う通り、それは小熊程の大きさのモグラであった。

 髭と鼻をひくつかせるその顔は愛嬌があると言えなくもない。

 

「ああヴェルダンデ、君はいつ見ても可愛いね! どばどばミミズは一杯食べて来たかい?」

「……なんだか急に可哀想な人に見えてきました」

「しっ、聞こえるわよ! 私もそう思うけど!」

 

 モグラに頬擦りする美少年という非常に困るものを見せつけられ、げんなりする二人。

 と、急にヴェルダンデが鼻先をひくつかせ、ルイズに擦り寄って来た。

 

「え? 何よこのモグラ……って、きゃあっ!」

 

 次の瞬間、突然ヴェルダンデがルイズを押し倒し、鼻先で体中をまさぐり始める。

 羞恥とくすぐったさで地面をのたうち回るルイズ。いつもの服装なら盛大に曝け出されたであろう下着は、厚手のズボンに隠されていたので無事であった。

 

「ちぃっ、惜しい!」

「……ギーシュ君、後でお話しがあります。まずは君の使い魔を止めて欲しいんですが」

「あっ、そうだ、そうだね。済まないルイズ! 止せ、止してくれヴェルダンデ、主に僕の世間体的な意味で!」

 

 ジト目で睨み付けて来るトモとシエスタの視線に押され、ギーシュは慌ててヴェルダンデを制止する。が、ヴェルダンデはそれに構わず盛んにルイズの胸元を鼻先で突き回す。

 これ以上ルイズを辱める訳にもいかない。トモが背中のデルフリンガーに手をかけ、シエスタがモップを構えたその瞬間、一陣の風がヴェルダンデを吹き飛ばした。

 

「ああっ、ヴェルダンデ! 誰だ、こんなことをする奴は!!」

「済まない。婚約者の危機に居ても立っても居られなくてね」

 

 気障な台詞とともに朝霧の中から現れたのは、羽根帽子を被った長身の青年だった。銀糸でグリフォンの刺繍が施された見事なマントを羽織っている。

 それを見たギーシュの目が大きく見開かれた。青年には見覚えが無かったが、そのマントのことは良く知っていたから。

 

「そ……そんな……魔法衛士隊、だって……?」

 

 絞り出す様なギーシュの問い掛けに、青年は頷きを返した。

 

「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長のワルド子爵だ。 姫殿下より君たちの護衛を命ぜられ、こうして馳せ参じた次第だ」

「「魔法衛士隊の隊長!?」」

 

 ギーシュとシエスタの驚愕が重なる。魔法衛士隊と言えばトリステイン騎士の頂点、王族とはまた違った意味で雲の上の人であった。

 

「そうですか、ご助力感謝します。私はヤナギダ・トモ、ロバ・アル・カリイエよりご主人に召喚された使い魔です」

「使い魔? 君がルイズの? ……失礼、まさか人とは思わなかったもので」

 

 トモの自己紹介に一瞬だけ目を見開き、青年……ワルドは帽子を取って一礼する。

 

「初めまして、僕はジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドだ。僕の婚約者がお世話になっているよ」

「いえ……婚約者?」

「ああ、ルイズのことさ。まあ、親同士が決めたことなんだけれどね」

「「えええっ!?」」

 

 再びギーシュとシエスタの驚愕が重なった。

 トモはと言うと、眉がそれと気付かない程度に跳ね上がるだけ。

 逆に慌てたのはルイズである。ワルドの発言に顔を真っ赤にしながら、それでも淑女然とした態度を崩さずに抗議する。

 

「もう、ワルド様ったら! それにしても姫様も大胆ね、グリフォン隊の隊長を派遣するなんて」

「お忍び故に大人数を動かすわけにはいかない。だから僕が指名されたと言う訳さ」

「量より質、ってことでしょうけれど……、仮にも隊長の肩書きがついた人物の単独任務なんて、アルビオンの貴族派にとって大いに興味を引く事柄でしてよ? そこから私達の存在を嗅ぎ付けられる可能性もありますし、もしかしたら待ち伏せも覚悟しないといけないかも………」

 

 ルイズが並べた懸念に、ワルドは驚いた顔で敬服する。

 

「これは驚いた! 僕の婚約者はいつの間に一流の策士になったんだい?」

「ですがご主人の懸念ももっともです。それに……」

 

 そこまで言うと、トモはワルドの服装に視線を向ける。

 グリフォン隊のマントもそうだが、立派な羽根帽子に貴族らしく洗練されたローブ、おおよそお忍びの任務には向かない姿と言えるだろう。

 その視線の意味に気付いたのか、ワルドも肩を竦めて首を振っていた。

 

「何しろ急な話だったのでね。旅装は揃っていても、流石に偽装までは手が回らなかったんだ」

「いえ、それは仕方がありません。グリフォン隊と言うことは、乗騎も?」

 

 ワルドが口笛を吹くと、鷲の頭と獅子の身体を持った幻獣グリフォンが現れる。

 顔を寄せて擦り寄るグリフォンを撫でながら、彼は困った様に頬を掻く。

 

「無論、こいつで行くつもりだったよ。けれど、どうやら君たちの思惑を外してしまったようだね」

「……まあ、いいでしょう。ですが、このままでは悪目立ちに過ぎるでしょうし……」

 

 腕を組み、頭を捻って計画を修正して行くトモとルイズ。こう言ったことに関しては彼らが適任であることを知っているシエスタとギーシュは口を挟もうとはしない。

 だから、それを知らないワルドが思わず口を挟んだのは仕方が無かったことなのだろう。

 

「ふむ、ならば僕の従者の振りをすればいい。何かあっても従者までは狙われないだろうし」

「「却下」」

 

 即座に切り捨てる二人に、ワルドの口元が引き攣った。

 

「何故だい? いい案だと思うけれど」

「お忍びの任務に従者を連れて歩く軍人がどこに居ますか? 鋭い人ならまず偽装を疑いますよ」

「それより問題はグリフォン隊隊長が単独で動いてる、って事ね。ちょっかい出されることが前提なら、いっそ一緒に居ても不自然じゃない理由を考えましょう」

「それは……、確かにそうだね」

 

 そこまで言われればワルドとて考え直さざるを得ない。

 

「……ご主人、子爵とはどれ位親しいので?」

「え? そうね、小さい頃は領地も近かったし、結構親しかったわよ? 十年前くらいにワルド様が爵位を継いでからは疎遠になっちゃったけど……」

「そうだね、軍務に掛かりっ放しだったから領地にはほとんど帰れなかったからな……」

「ふむ。では、少なくとも幼馴染み程度には親しかった、と考えて宜しいですね?」

「……何か思い付いたの?」

 

 一連の遣り取りに何か突破口でも見出したのだろうか?

 こういう悪知恵において、彼は他の追随を許さない。それを知っているルイズに水を向けられたトモは「ええ、まあ」と曖昧に頷くと、今度はワルドに矛先を向けた。

 

「では子爵、公務ではなく私的な理由で護衛などを引き受ける、と言うのは良くあることですか?」

「良くあるとは言えないが、それが公務や政治に支障を来さない限りはままあるな。……もしや、ルイズを?」

 

 唐突に振られた話にも関わらず、ワルドは即座に質問の意味を理解した。

 

「ええ、ご主人の護衛として派遣されたことにしましょう。ご主人、申し訳ありませんが制服に着替えていただけますか?」

「……学院の生徒がアルビオンを訪れる理由はどうするの? 姫様のことは秘密なのよ?」

「学院から一時帰省した留学生の友人を捜しに行く、と言うのはどうでしょうか。中々帰ってこないから心配になったとか何とか」

「そうね、貴族のお嬢様が冒険紛いの遊覧旅行としゃれ込んだ、ってところかしら」

 

 目の前で展開される策略に、ワルドは瞠目するばかり。

 要するにこの二人は『世間知らずの学生』と言う身分を逆手に取り、本当の目的を上手くぼかしながら自分が護衛に就く理由をごく自然にでっち上げているのだ。

 老獪なマザリーニ枢機卿には劣るものの、充分に及第点を出せる作戦であった。

 

「……君たちは凄いな。いつの間にそんな知識を?」

「私は東方で何でも屋みたいなことを生業にしていました。その所為ですね」

「私は……魔法が使えないから、知識だけは完璧にしておこうって思って……」

 

 ワルドの問い掛けにスラスラと答えるトモに対し、ルイズの言い訳はどうにも辿々しい。

 冒険者の秘密を明かせないにしても、これではないか隠しているのが丸わかりだ。

 とうとう彼女は「着替えてきます!」と言い残し、寮塔へ駆け込んでしまった。

 慌ててシエスタが後を追う。

 その後ろ姿を見送ったトモはギーシュにも制服に着替えてくるように指示を出した。

 

「え? でも、先刻この服に着替えろって……?」

「先程の話を聞いていましたか? その旅装じゃ、学院の生徒とその護衛に偽装出来ないでしょう」

 

 呆れたようなトモの指摘に、ギーシュも慌てて寮室へ駆け込むことになる。

 残されたトモとワルドの間に、何とも気まずい空気が流れた。

 そんな空気を吹き飛ばそうと思ったのか、殊更気さくにワルドはトモに語りかけた。

 

「ねえ君、ルイズの使い魔と言うことはいつも一緒に居るんだろう? 学院での彼女はどんな感じなんだい?」

「そうですね……実技はともかく、座学は優秀みたいですよ? 残念ながら私はこちらの魔法に明るくないので、具体的にどうこう言えないのですが」

 

 表面上は朗らかな会話を交わす二人。

 そしてトモはルイズ達が戻るまで、貼付けた笑顔を崩さなかった。

 

 

 

***

 

 

 

「随分かかりましたね? 寮室からここまで直線でそんなに離れてませんよ?」

「い、いえ、ルイズ様が……」

「駄目よシエスタ、ネタばらしはもう少し後でね」

「……また何か仕込んだのかい、ルイズ? 正直、お腹いっぱいなんだけれど」

「ふむ、僕の婚約者はいろいろ謎が多いみたいだね」

 

 すっかり日も高くなった頃、騒がしく出発した一行の姿を学院長室から見送るアンリエッタ。

 どうも増援として送ったワルド子爵と何やら悶着があったらしい。実用一辺倒な旅装から学院の制服に着替えた一幕は、王女にとっても予想外であった。

 

「……もしかしたら、余計なことだったのかもしれませんね。ですがルイズ、貴女達には無事に帰って来て欲しいの。私の我侭に巻き込んだ所為で、大切なお友達を失ったりしたら私は……」

 

 祈るような呟きはそこで途切れた。

 思い返すのは昨晩、すべてを引き受けたルイズが残した一言。

 

『一度私たちを信じてくださったのなら、どうか最後まで信じきってくださいな。それだけが姫様の『大切なお友達』からのお願いですわ』

 

 大きく頭を振って雑念を払い、王女は真直ぐルイズ達を見る。

 彼女達は自分の失態を取り戻すために立ち上がったのだ。それを信じなくてどうする?

 彼女は王族であり、貴族と平民を束ねるもの。それを自覚しなかったが故に、アンリエッタは『大切なお友達』を戦地に送ることになったのだ。それを知りつつも敢えて困難な任務を引き受けてくれた彼女達に贈る言葉は『祈り』ではなく、『信頼』であるべきだ。

 

「ルイズ、そして皆さん。私は貴女達を信じて待ちましょう。だから必ず、無事に帰って来なさい」

 

 毅然として彼らを見送るアンリエッタの後ろ姿を、オールド・オスマンとマザリーニ枢機卿が眩しそうに見ていた。

 昨晩、マザリーニの部屋に突然現れた彼女から事の顛末を聞かされた枢機卿はそれこそ飛び上がらんばかりに驚いた。重婚の証拠となる恋文の存在もそうだが、何よりそれを取り返すべく動いたのがヴァリエールの公女であったことが拙い。下手をすればトリステイン最大の貴族が謀反を起こす可能性だってあるのだ。

 しかしアンリエッタは一歩も引かず、逆に彼を説得し始めた。

 

 これは自分の失態であることは重々承知していること。

 それを教えてくれたのがルイズ達であること。

 国宝である『水のルビー』をルイズに渡しているので、最早一蓮托生であること。

 ルイズ達に万が一のことがあった場合、王女自らが責任を取ること。

 ヴァリエール公爵には直接自分が説明に当たること。

 そしてそれを防ぐために出来る限りのことをしたいので知恵を貸して欲しいこと。

 

 男子三日会わざれば刮目して見よ、の格言通り、いや、たった一晩で王族の責務の重大さを知り、一回りも二周りも大きく成長した王女の姿に思わず気圧されたマザリーニ。

 そして湧き上がる喜びと感動。

 先刻まで王族の覚悟なぞ欠片も持たなかった小娘が、一瞬にして『高貴なるものの義務』に相応しい気高さを身につけたのだ。これほど喜ばしいことは無い。感涙にむせび泣くマザリーニを宥め、アンリエッタはルイズ支援のための策を立てる。

 軍を使うことは出来ない。

 そんなことをすればたちまち貴族派に嗅ぎ付けられてしまうだろう。

 なら気付かれない様に護衛する? 論外だ。

 彼ら自身が見つからない様に動こうとしているのだ。

 それを更に影から守ろうなんて不可能に近い。

 

「結論は、メイジも傭兵もものともせず、雲霞の如き敵兵に囲まれた皇太子の元へルイズ達を届け、無事に帰って来れる……そんな方法ね」

「正しく無理難題……ですが、おそらくこの国でたった一人だけ、その無謀を叶えることの出来る人物が居ます。彼を使いましょう」

 

 指名されたのはルイズが学院に居ることを教えたグリフォン隊隊長、即ちワルドである。

 この困難な任務を彼は「姫殿下と婚約者の危機とあらば」と進んで引き受けでくれた。

 その忠誠に感謝しつつも、マザリーニは零さずには居られなかった。

 

「……それにしても、オールド・オスマンは良い生徒をお持ちのようだ。ともすれば不敬として処罰されかねないと言うのに、身を挺して姫殿下を諭すとは……」

 

 枢機卿の周囲にはそのような気骨のある人物などおらず、不満や侮蔑を隠そうともしないくせに媚びへつらう奴らばかり。一命を賭して王女を諌めるような忠臣など望める筈も無い。

 だから、そんな生徒を育てたオスマンが羨ましくて仕方が無い。

 

「ほっほっほっ、それは買いかぶりと言うものじゃろう。むしろ子爵のような忠臣を持った枢機卿こそ羨ましいがの」

 

 だがオスマンにしてみれば見当違いも甚だしい。

 あの『冒険者』が召喚されて以来、彼の胃が休まる日は無いと言っても過言ではなかった。

 召喚直後の一幕や決闘騒ぎ、そしてフーケ襲撃とその後の顛末。異様に口の回るあの男に加え、最近はルイズと言う黒幕が現れたことで彼の気苦労は増えるばかり。今回の件にしても、あの二人が噛んでいると知った時点で全て放り出して雲隠れを考えたほどだ。

 

(全く、彼が来てからと言うもの頭が痛いことばかりじゃわい)

 

 これまでとこれからを考えると頭痛がして来る。

 思わず頭を抑えるオスマンだったが、事態は突然飛び込んで来たコルベールによって更に深刻なものとなった。

 

「おおおおオールド・オスマン、大変です! ミス・ロングビルが失踪しました!!」

「何じゃと!? 一体いつ!?」

 

 息も絶え絶えに語られた衝撃的な報告に目を剥くオスマン。

 そんな彼に、コルベールは懐から何かを取り出しながら話を続ける。

 

「つい先程、見回りをしていたメイドがミスの部屋が開いているのを発見したのです! 部屋は既にもぬけの殻、そして『これ』が脱ぎ捨てられたドレスの『右腕』に……!」

「むぅ、それは…………!?」

 

 差し出された『それ』を見たオスマンは顔を青褪めさせた。

 マザリーニは意味が分からず首を捻っている。

 

「何と言うことだ、こんな時に……!」

「で、ですが、このままでは………!」

 

 狼狽するオスマンと浮き足立つコルベール。右往左往する二人を諌めたのは、今や豆粒よりも小さくなったルイズ達の後ろ姿を見送り続けている王女であった。

 

「お静かに願います、オールド・オスマン。日の出より大分経ったとは言え、まだ休んでいる生徒も居ることでしょう?」

「ぬ、しかし……!?」

「何があったのか説明していただけますか? もしかしたら力になれるかもしれません」

 

 毅然とした態度を崩さず詳しい説明を求めるアンリエッタに、オスマンとコルベールは顔を見合わせた。

 

「……少々取り乱しましたな。ですがこれは学院の問題、姫殿下におかれましては……」

「構いません。こちらの事情に学院を巻き込んだのです。その分は埋め合わせるべきですわ」

 

 ぴしゃりと言い放つその姿に、オスマン達は再び顔を見合わせる。

 目配せの応酬の末、コルベールは己が握り締める『それ』の意味を説明した。

 

「…………と、言う次第で……」

「なんと! それは一大事ですぞ!!」

「……ですが、余りにも時期が合い過ぎています。もしかしたら、ルイズ達の件と何か関わり合いがあるやも知れません」

 

 その説明に驚くマザリーニとは対照的に、アンリエッタは冷静にこの件とルイズ達の任務の関わりを指摘する。

 

「うぬ、なれば早速彼女達に増援を……!」

「なりません。少数精鋭に留めた意味をお忘れですか?」

「しかし殿下……!!」

 

 慌てふためくオスマン達を嗜め、アンリエッタは朝靄の晴れつつある蒼穹の空を見上げる。

 

「既に杖は振られたのです。ならば彼らの忠誠を信じずして何としますか?」

「む、ぐ………そうじゃの、そうであった。確かに彼らなら道中にどんな困難があろうとも、必ず乗り越えてくれますでしょうな」

 

 その言葉にマザリーニはワルドを思い浮かべ、彼以外はあの男の姿を思い浮かべる。

 一見無表情にも見える薄い微笑みで、思いもしない事をしでかす正体不明の謎の男。

 

『何かをするのに資格はいらないでしょう。今まで何もしなかったのなら、今から何かするべきだと思いますよ』

 

 東方から来たと言うトモの言葉を思い出し、アンリエッタは既に見えなくなった後ろ姿に目を向けた。

 

「彼らを信じましょう。そして、私達は私達が出来ることをするのです。

 ─────彼らが帰って来た時、胸を張って迎え入れるために」

 

 力強く言い切るその姿は、まさにクエストを誓った時のルイズ達そのものであった。

 

 

 



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第十六話 襲撃(まちぶせ)

 一つの岩から削り出された建物が、山道を挟んで張り出した渓谷の崖を穿つ街並。

 港町ラ・ロシェールはそんな街である。そんな渓谷に翳されて昼なお薄暗い町並みから一本外れた裏通りの奥深く、そこに『金の酒樽亭』は存在していた。

 

「アルビオンの王様はもう終わりだね!」

「いやはや、『共和制』って奴の始まりなのか!」

「では『共和制』に乾杯!」

 

 一見すると廃屋の様にしか見えない店内で、強面のごろつき紛いな男たちが手にしたジョッキを掲げて乾杯を交わしていた。彼らは今や叛徒である筈の貴族派から『王党派』と呼ばれているアルビオン王国軍から逃げ出した傭兵達である。

 王国への忠誠だの新体制への移行だのはどうでもいい。肝心なのは金払いがいいか悪いか、そして生きるか死ぬかの違いだけだ。支払われた金と自分の命が釣り合うなら負けるまで雇われてやる。だが最後まで付き合うつもりは無い。

 そんな彼らだからこそ『彼女達』に目を付けられたのだろうか。

 

 立て付けの悪いはね扉が耳障りな音を立てる。男たちの無遠慮な視線が突き刺さるのも気にせず現れたのは、フードを目深に被った長身の女だった。

 

「……アンタ達、傭兵かい?」

 

 街娘のような蓮っ葉な言葉遣い、だが育ちの良さが窺える上品な声色という矛盾した女の台詞に傭兵達は互いに顔を見合わせる。

 

「……姐さん、あんた貴族かい?」

「メイジではあるけどね、貴族じゃないよ。それより、私に雇われる気はあるかい? ……金なら、ホラ」

 

 傭兵達に纏め役である一番年嵩の男が放った疑問に答えた女は袋を投げ出す。重たい音を響かせてテーブルに落ちたそれの中身を見て、男の目の色が変わった。

 

「おほ、エキュー金貨じゃねぇか! ……こんだけ貰えるなら充分だ。いいだろう、雇われてやるよお嬢さん。それで何をすればいいんだ俺達は?」

「悪いけど、私は代理人だよ。もうすぐ雇い主が来るだろうから……」

 

 女がそこまで言いかけたその時、再びはね扉が耳障りな音を立てる。傭兵達の視線が新たに現れた人物を捉えるや、店内にどよめきが走った。

 なぜならその人物は怪しい仮面で顔を隠していたからである。

 

「連中が出発した。少し手間取っていたようだがな」

「そうかい。こっちはたった今傭兵を雇ったばっかりだよ」

 

 女との遣り取りに傭兵達はこの白仮面が雇い主だと理解した。

 

「貴様らはアルビオンの王党派に雇われていたのか?」

「先月まではな。負けるような奴は主人じゃ無ぇよ」

 

 白仮面の質問に答えた男の言葉に傭兵達がどっと湧く。

 だが続けて放たれた怪人の言葉で店内は凍り付いた。

 

「金は言い値を払う。だが俺は甘っちょろい王様じゃない。逃げれば殺す」

 

 不気味なほど静かなその台詞に、百戦錬磨の傭兵達は脂汗を流して頷く以外出来なかった。

 

 

 

***

 

 

 

 魔法学院からラ・ロシェールまでは早馬で二日ほど、だが翼あるグリフォンなら無休憩で一日あれば着ける。しかし流石のグリフォンとて五人も載せることは出来ない。

 故にルイズとワルド以外の一行は馬を乗り換えながら街道を直走る羽目になった。

 

「ラ・ロシェールまで止まらずに行くつもりだったんだが……」

「戦力を分散する訳にはいきませんわ。私達は偵察がてら彼らに合わせましょう」

 

 馬に合わせてゆったりと飛ぶグリフォンの騎上で、ワルドを嗜めるルイズ。

 そのグリフォンに追い付こうと全速で走る三騎の馬のうち、一騎だけがやや遅れ気味だった。言うまでも無くトモを乗せた馬である。

 

「……彼は馬の乗り方が下手だね。まるで初心者のようだ」

「ようだ、じゃ無くて初心者そのものですわ。彼の国では馬自体珍しかったそうですし」

「ほう? ではどうやって移動していたのかな」

「馬を使わない乗り合い馬車のようなものが発達していたそうですわ。仕組みの方は専門外とかで教えてくれませんでしたが」

 

 ワルドに抱え込まれるような格好でグリフォンに跨がるルイズが、未だ硬い口調で話すのは偽装のためだ。ワルドは気にし過ぎだと言うが、ルイズはそうは思わなかったらしい。

 

「いつ、どこで、誰が見ているのかなんて分かりませんもの」

「気にし過ぎじゃないかい? 僕としてはもっと気安く接して欲しいんだが……」

「いいえ。貴族派が何らかの行動を起こすことを念頭に置かないと、いざと言う時に備えられませんわ。任務を終えてから昔みたいにいっぱいお話ししましょう?」

「ふふっ、そうだね。ならば増々急がねば!」

「……彼らを置いて行かないでくださいね?」

 

 何故かやたら急ごうとするワルドを諫めたのは、これで何度目だろうか? いい加減注意もおざなりになって来た彼女をひたと見据え、彼はとんでもないことを言い出した。

 

「随分彼らを気にするね。もしかして、あの中の誰かと恋仲なのかな?」

「へ?」

 

 突拍子も無いその言葉に、ルイズは硬直する。

 

「違うのかい? やたら彼らの肩を持つようだったし、もしかしたらと思ったんだが」

「……ち、違いますわ。彼らは……そう、仲間! 仲間なんですもの!」

 

慌てて否定するルイズに、ワルドは悪戯っぽく微笑む。

 

「それは良かった。婚約者に恋人が居るなんて聞いたら、きっと僕は生きていられないからね」

「……大袈裟ですわ。第一、婚約者とは言っても親同士が決めたことじゃなくって?」

 

呆れたようなルイズの言葉にワルドは戯ける。

 

「おや、僕の小さなルイズ! 君は僕のことが嫌いになったのかい?」

「そんな訳ありませんわ! それに、もう小さくありませんことよ?」

「僕にとっては未だに小さな女の子さ。覚えているかい? あのお屋敷の中庭で……」

 

 その台詞を聞いた途端、ルイズの脳裏に夢の情景が甦る。忘れ去られた中庭、池に浮かぶ小舟、毛布に包まって泣く幼い自分、迎えに来てくれた少年と、そして……

 

(……?、何だったかしら、何か……あったような気がするんだけれど……)

 

 霞んでしまった夢の情景に首を捻るが、思い出せないのなら大した事ではなかろうと意識の外へ追い出し、ルイズは微笑み返した。

 

「……そうね、貴方はいつでも私の味方で居てくれたわ」

「そうだね。僕も君に相応しい男になろうと必死だった。何があっても君を守れる貴族になって君を迎えに行くんだと誓って、一生懸命軍務に奉公したものさ」

「本当に領地には帰ってこなかったものね。お父上がランスの戦で亡くなられて……」

「ああ。陛下は父を良くご存知だったし、特別に計らって戴けたお陰で魔法衛士隊にも入隊出来た。色々苦労はしたけれど、ようやくあの日の誓いを果たせる日が来たよ」

 

 ルイズにとって、ワルドは初恋の人だった。

 同時に、夢に見るまで思い出せなかったくらい遠い日の思い出の人でもあった。

 婚約者だと言うのも父同士が交わした戯れのような約束にしかすぎない。けれどそんなあやふやな絆を支えに、彼は今日まで頑張っていたのだと言う。

 ワルドの事を好きか嫌いかと問われれば、間違いなく好きに傾く。しかしそれは、家族や友人に向けるような「好き」であり、恋人に向けるそれとは違う。

 このままでいいのだろうか、そんな思いがルイズの中で渦をまく。

 彼の預かり知らぬ事とは言え、彼女は既に真っ当な貴族とは言い難い。運命に立ち向かう誓いを立てた『冒険者』と言う立派な『異端』なのである。

 自分の都合に彼を巻き込みたくはない。けれど彼の思いに喜びを感じる自分も居て、ルイズはどうしていいのかよく解らなくなっていた。

 

「お互い久しぶりに合うんだ、この旅は良い機会さ。一緒に旅を続けていれば、昔みたいに打ち解けられるよ」

「……そうね。焦らずのんびりと行きましょう。お互いのためにもね」

 

 いつの間にか昔の口調に戻っていた事に、ルイズは気付いていなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 乗馬はただ馬に跨がっていればいいと言うものではない。縦横無尽に揺れる馬の背で、馬に負担がかからないように進みたい方向へ誘導しなければならないからだ。

 少なくとも初心者が馬を全力で走らせるなんて真似、無謀以外の何者でもない。

 

「……大丈夫かい? 顔色が悪いどころじゃないけれど」

「だ、大丈夫です。どうにか着いて行けてますから」

 

 慣れない馬の背で長時間過ごすと言うのは相当な負担である。貴族として乗馬の嗜みくらいは経験のあるギーシュでさえそう思うのだ。初心者のトモにとっては拷問にも近い苦痛であろう。

 しかしギーシュとて余裕がある訳ではない。ルイズとワルドを乗せたグリフォンは、時折彼らを置いて行こうとするかのように速度を上げるからだ。その度にルイズに嗜められては速度を緩めるので距離はそう離れていないものの、着いて行く立場の彼らにとっては重圧である。

 

「もう一日近く走りっ放しだぞ? どうなってるんだ、魔法衛士隊は化け物か」

「ですが、一応私達に合わせては下さっている様ですよ?」

 

 乗り馴れているとは言え、あまりの強行軍にぐったりしつつあるギーシュが漏らした台詞に、多少余裕のあるシエスタがフォローを入れる。そんな光景を繰り返すうち、夜闇に覆われた険しい山々の合間にぽつりぽつりと明かりが灯る様が見えて来た。

 

「あ、ほら、ラ・ロシェールの入口が見えてきましたよ! この分なら夜明け前くらいには着きますから、もう少しの辛抱です!」

「……私の目には山にしか見えませんが、どこが『港町』なんでしょうか?」

 

 シエスタが遠くに霞む渓谷を指差し、疲れきった一行を励ます。しかしトモから投げかけられた疑問にギーシュとシエスタは顔を見合わせ、そこでようやく彼の出自を思い出した。

 

「そう言えばトモさんはロバ・アル・カリイエ出身でしたっけ。 それならばご存じないかもしれませんね」

「君はアルビオンを知らないのかい? ならば楽しみにしていたまえ、いろいろ驚くだろうから」

 

 そんな二人の様子に首を捻りながら、トモは矢継ぎ早に質問を重ねて行く。

 

「あの山の向こうに海があるとか?」

「いや、見ての通り此処から先は山しか無いよ」

「じゃあ船はどこから出るんです?」

「ラ・ロシェールからに決まっているさ」

 

 トモの質問攻めにギーシュは一つ一つ丁寧に答えるが、肝心の所はぼかしたまま。シエスタはと言うと、吹き出しそうになるのを必死に堪えて微妙な表情になっている。

 山道を直走り、やがて東の空がぼんやりと明るくなってラ・ロシェールの街並がはっきり見えるようになった頃、突如ルイズの警告が二人の脳裏に響いた。

 

『気を付けて! 怪しい連中が待ち伏せてる!』

「止まりなさい、ギーシュ君! 敵襲です!!」

「えっ? 何だって!?」

 

 咄嗟に馬を止めたトモ達の制止に戸惑うギーシュ。

 冒険者ではなく、聖印も持たない彼にはルイズの警告が届かない。

 やや離れて立ち止まった彼めがけて火の点った松明が投げ込まれた。

 

「う、うわぁっ!?」

「ギーシュ君、今行きます! シエスタさん!」

「はいっ!」

 

 松明の炎に驚き、激しく暴れ出した馬から放り出された彼の頭上に矢の雨が降り注ぐ。

 鋭い鏃の切っ先に己の死を予感し、ギーシュは思わず目を閉じるが、しかし今にも頭蓋を貫こうとしていた矢は白刃に振り払われた。

 それぞれの獲物を握り締めたトモとシエスタが、彼を庇って矢の雨に立ち塞がったのだ。

 

「ミスタ・グラモン、私の後ろに!」

 

 凄まじい早さでデルフリンガーを振るうトモに、信じ難い勢いでモップを振り回すシエスタ。二人に叩き落とされた矢が音を立てて地面に突き刺さる。

 それを目の当たりにしながらギーシュは悔しさに顔を歪めた。

 

「くっ、ワルキューレさえ、攻撃さえ届けば………!!」

 

 だが敵は切り立った崖の向こう、ゴーレムでは手も足も出ない。同様にトモの剣もシエスタのモップも届かず、状況はかなり不利だった。歯噛みするギーシュの目前で風が揺らめき、小さな竜巻が矢を弾き飛ばす。ルイズと共に空を舞うワルドの援護だ。

 だがトモ達に取ってはまさに余計なお世話、遠距離攻撃に欠けるこの面子で唯一の遠隔攻撃持ちが守りに走っても意味が無い。

 それはワルドも理解していた。だから彼は涼しい顔の婚約者に「僕達は奴らを討とう」と提案したのだが、彼女は憂いなど無いかのように軽く答えた。

 

「ああ、それは大丈夫よ。もうすぐ来るんじゃないかしら?」

 

 何が?、と言う彼の疑問は、次の瞬間驚愕へと変わる。

 何故か矢が彼らとは逆方向の上空に向けて放たれたのだ。

 そして先程と同じく小さな竜巻がそれを弾き飛ばす。だがワルドは何もしていない。

 ほどなくして崖の上から弓手が転がり落ち、大きな影が舞い降りて来る。やがてトモ達の目前に着地した見覚えのある風竜の背に乗っていたのは、これまた見覚えのある二人組だった。

 

「ハァイ、お・待・た・せ!」

「お待たせ、じゃありませんよ。何しに来たんですか、キュルケさん?」

 

 そこに居たのは学院の制服に簡単な旅装を纏ったキュルケとタバサであった。

 よほど慌てて出立したのだろう。身だしなみに気を使うキュルケには珍しく、制服は縒れて鞄からは荷物の端が飛び出している。タバサに至っては制服と小鞄一つと言う有様だった。大地に降り立ったキュルケは寝癖塗れの髪をかきあげ、寝不足で血走った目でトモにウインクを送る。

 

「それはもちろん、助けに来たからに決まってるじゃない」

「……まあ、出発にもたついた辺りでバレるかな、とは思ってましたが」

 

 「俺の出番これだけかよ!」と不満げなデルフリンガーを鞘に納め、トモは溜め息を吐いた。

 転がり落ちた際に強かに身体を打ち付け、うめき声を上げてのたうち回っているところをギーシュに『練金』で拘束される男たちを指差し、キュルケは口を尖らせる。

 

「何よぅ、結果的に助かったんだし良いじゃないの! ……って、タバサ!?」

「……朝、貴方達とそこの貴族が出掛けようとするのを私が目撃した。後を着けようとしたらキュルケも着いて来た。だから悪いのは私」

 

 あくまではぐらかそうとするキュルケを押さえ、タバサが事の真相を暴露する。

 彼女は今朝、こそこそと旅支度を整えて出掛けようとする彼女達を目撃したのだ。ルイズ達『冒険者』がこぞって出掛けるとしたら、それは『クエスト』以外に有り得ない。ならば先回りして彼女達の『クエスト』を間近で観察し、冒険者の力を知る手掛かりにしようと考えた。

 だが慌てて旅支度を揃え、朝食がまだだとごねるシルフィードを杖で脅していざ出立と言う時、同じく旅支度を整えたキュルケが現れて同行を申し出たのである。

 

『貴女が何か背負っているのは知っているわ。でも困ってる親友を見捨てる程、ツェルプストーの女は薄情じゃないのよ!』

 

 これは自分の問題だと説得するタバサに、キュルケはそう叩き付けた。

 シルフィードの背中に陣取って頑として降りようとしない彼女に、これ以上の説得は無意味と悟ったタバサは渋々彼女を連れてトモ達を追いかけ……

 

「……で、追い付いてみたら襲われてたから、恩を売る絶好の機会だと思って……」

「あいつらを一人残らず焼き払う、と激怒するキュルケを宥めるのには苦労した」

「ちょっ! 何でバラすのよタバサ!?」

 

 ……まあ、そんな訳で誰にとっても意外な援軍として活躍する事になったのだ。

 しれっとするタバサに顔を真っ赤にしたキュルケが詰め寄るのを見物していたトモだったが、ふと先程のルイズの言葉を思い出して首を傾げる。

 

「そう言えば、何でご主人はキュルケさん達が来るって解ったんですか?」

「そう言えばそうですね。……もしかして、見えていたとか?」

「まさか! シルフィードには高いところを飛んでもらっていたし、そこのグリフォンが貴女達の所に降りてから私達も動いたのよ? そうそう気付かれる筈が……」

「それは僕も気になっていたな。ルイズ、何を根拠に彼女達の援軍を予測したんだい? 見える限りでは何も無かったと思うが……」

 

 彼らの疑問はもっともだ。この場面で援軍が来るとは誰も思わないだろう。

 だがそんな当たり前の疑問に、ルイズは一同が思いもしなかった答えを出した。

 

「別に? この二人ならここら辺で出て来るんじゃないかなって思っただけよ」

「「「「「………ゑ?」」」」」

 

 その言葉に呆気にとられる一同。

 呆然とする彼らに、ルイズは悪戯小僧のような笑みを浮かべてネタばらしをする。

 

「大した事じゃないわ。私がやったのは出かける時に、タバサに私達の姿を見せただけだもの」

「…………あっ! じゃああの時、わざわざ遠回りしたのって……!?」

 

 思い当たる節があったのか、シエスタが驚愕の声を上げる。

 

「それにタバサが来るなら十中八九、キュルケも着いて来る筈よ。貴女の性格なら首を突っ込んで来るのは確実だしね」

「……け、けど、そんなあやふやな根拠だけで確信出来るものなのかい?」

 

 ワルドの問いに、彼女はちらりと目を向けて言葉を重ねた。

 

「根拠ならありますわ。彼女の使い魔……シルフィードが」

「シルフィードが?」

「ええ。追いかける手段が無ければ諦めもつくでしょうが、彼女達にはシルフィードが居ます。ならば追いかけないと言う選択は取りませんわ。タバサのシルフィードなら私達に見つからないように後を着けるのなんて簡単でしょうし、何より馬に合わせてゆっくり進む私達を見失うなんて有り得ませんもの」

 

 そしてタバサは、いや、その場に居た全員がルイズの策略を理解した。

 タバサが冒険者にご執心なのは彼女も知っていた。だからルイズ達が旅立つ姿をわざと見せつけ、

彼女が追って来れるぎりぎりの速度を保ち、そうやって誰にも、そう本人にさえ気付かれないまま、彼女達を『見えない援軍』に仕立て上げたのだ。

 ルイズの底知れぬ神算鬼謀に戦く一同に、ルイズ自身は肩をすくめて溜め息をつく。

 

「……もっとも、これは保険のつもりだったのよ。本命は別にあったんだけど……」

「本命、ですか?」

「ええ、『キュルケ達を拘束する』って言う本命が、ね」

「「「「「なっ!?」」」」」

 

 あまりに意外なその言葉に度肝を抜かれる一同。しかしその中で、唯一冷静なままだったトモが言葉を失った一同を代表するかのように訪ねる。

 

「だったら最初から誘うような真似をしなければ良いでしょうに。一体全体、何故そんな事を?」

 

 その言葉に、しかしルイズは首を横に振った。

 

「私たちが居なくなったことを知れば、まずタバサが動くわ。……そうよね?」

 

 問いかけられたタバサが小さく頷く。

 それを見たルイズがさらに言葉を続ける。

 

「タバサが動くなら当然キュルケも動くわ。……でもキュルケ達は留学生、国外からのお客様なのよ? 万一の事があったら大変だし、何より王家の秘事に関わらせて怪我でもさせたら外交問題に発展するでしょう?」

 

 そこまで説明したところで、不意にトモが何かを閃いたように手を叩く。

 

「成程。見つからない様にするのではなくてわざと見つかり易くして、逆に彼女達の行動を縛った訳ですか。確かに大人しくしている御仁でもありませんし、ならばいっそ逮捕、拘束と言う手段を行使した方が確実でしょうね」

 

 それを聞いた一同、特に名指しされた二人は納得せざるを得なかった。

 

 ルイズが危惧していたのは彼女達の不在を知ったタバサの反応である。

 彼女が『冒険者』に固執している事はルイズも知っていた。そんなタバサが『冒険者』の手掛かりである自分達を見失った時、どのような行動に出るだろうか?

 あちこち探しまわる程度ならばまだ良い。だが万が一、ルイズ達がアルビオンへ向かった事を知り、後を追いかけるようなことになれば国際問題に発展する危険性がある。

 そこでルイズは発想を転換した。

 任務を誤摩化したり、旅立ちを隠したりせず、むしろ堂々と見せつけてわざと追ってこさせる。

 そうして着いて来たところを待ち伏せし、適当な罪を被せて身柄を拘束させるのだ。

 

「自発的に後を着けて来る分には何かあってもこっちの責任にはならないわ。むしろ王家から下された極秘任務に勝手に着いて来たんだし、逮捕拘束も許されるでしょう?」

 

 そうして身柄を押さえ、任務が終わってから訴えを取り下げれば国際問題にはならないだろう。

 何せ『他国の留学生』の身分で『王家の極秘任務』を探ったのだ。重罪とは行かなくても、これが表に出ればゲルマニアやガリアの体面を傷つけるのは間違いない。国力の低いトリステインに痛くもない腹を探られるくらいなら、自国の貴族子弟がやらかした問題の一つや二つ、目を瞑って見なかったことにするだろう。

 それがルイズの策の全貌であった。

 

「いやはや、僕の婚約者はとんでもない策士だね。鼻を高くすれば良いのか、それとも将来を不安に思うべきか、分からないよ」

 

 肩をすくめて呆れるワルドとは対照的に、キュルケとタバサは肩を震わせて俯いている。

 タバサは己がルイズの手のひらで踊らされていたことに、キュルケはルイズにそれほど嫌われていたと言う事実に打ちのめされていた。

 そんな中、唯一余裕を崩していなかったトモが口を開く。

 

「そんなに心配でしたか? 彼女達の身の安全が」

「「「「「………はい?」」」」」

 

 トモの台詞に再び目を丸くする一同。

 そしてルイズはと言うと、右手で顔を押さえて「あちゃあ……」と漏らしていた。

 

「やっぱり判っちゃったか……、出来ればバラさないで欲しかったんだけど」

「偽悪趣味も程々に願いますよ? 恩を押し付ける輩よりは断然マシですが」

 

 そう、ルイズは二人を嫌ってこのような策を練ったのではない。むしろ二人の身の安全を保障するためにこの策を考えだしたのだ。

 内乱のさなかのアルビオンで、幾ら腕が立つとは言え一学生の、しかも見目麗しい女生徒が無事で済む確率は低い。

 ならば最初から同行を申し出るか? それこそ愚策だ。ルイズ自身が言った通りタバサ達は国外からの留学生、ましてキュルケはゲルマニア人なのである。彼女を関わらせるのは任務の内容的にもよろしくない。彼女達を同行させる選択肢をルイズは一番最初に切り捨てていた。

 

 何より重要なのは二人の身の安全。そこでルイズが目を付けたのが『牢獄』である。

 何しろちょっとやそっとではびくともしない頑丈な建物に、厳重な監視網。警戒する対象が中か外かの違いはあれど、少なくとも中に居る限り安全は保障される。

 無実の罪になるので謝罪と賠償は必須だが、任務に巻き込まれて死亡と言う最悪の結果よりはまし、そう考えたルイズは自ら悪役を演じる決意を固めた。自分の貴族としての体面は傷付くし、キュルケ達との交流も途絶えるだろうが、それでも彼女達を失うよりは遥かに良い。

 それが彼女の行き着いた答えであった。

 

「ご主人は役者には向いてませんね。割とバレバレでしたよ?」

「そりゃ貴方と比べたら大部分の人間は役者に向いてないわよ。あーあ、折角の作戦が……」

 

 朗らかに殺伐とした会話を交わす主従の姿に、呆気に取られていた一同が再起動を果たす。

 そして一同を代表するかの様にキュルケが二人に詰め寄った。

 

「ちょちょちょ、ちょっと待って! それってつまり、襲われる事も織り込み済みってこと!?」

「それなんだけど、襲撃を受けるのはラ・ロシェールに着いてからだと思ってたのよね。この時期アルビオンに向かう貴族なんて警戒されて当然だもの」

「アルビオン!? 貴女達、あの内乱真っ最中の国へ一体何をしに行くのよ!?」

 

 目的地を知って蒼くなるキュルケ。

 タバサも相当な衝撃を受けたらしい。顔色が若干白くなっている。

 

「でも実際に襲われたのはラ・ロシェールに入る前だわ。確実に情報が漏れているわね」

「おそらくだが、僕の不在から嗅ぎ付けられたんだろう。ルイズの危惧が当たってしまったな」

「問題はどの程度まで知られているのか、ですね。連中を問いただして探りましょう」

「そんなに素直に話すかしら?」

「おそらく出自を誤摩化して来ますね。物取りでも名乗って来るんじゃありませんか?」

「貴族相手に物取り、しかも一目で魔法衛士隊と判る相手に? 有り得ないわよ、そんなの」

 

 トモの意見を即座に却下するルイズ。

 と、そこへ会話に入れなかったので襲撃者を尋問していたギーシュが戻って来た。

 

「子爵、あいつらはただの物取りだと言っています。捨て置いても問題は無いかと」

「「「「「「……………」」」」」」

 

 有り得ないことがあっさり有り得た事に、一同は言葉を失う。

 その沈黙をどう取り違えたのか、「ふふん、僕に任せてくれればこの通り!」とふんぞり返るギーシュにトモはデコピンを叩き込んだ。

 

「あからさまに言い訳じゃないですか!」

「ぶふぇっ!?」

 

 体力5のデコピンの威力に悶絶したギーシュを放って、ルイズ達は拘束された男たちに向き合う。

 

「……さて、君たちの素性を訊かせてもらおうか」

「へっ、あっちの兄ちゃんにも言っただろう? 俺達ゃただの物取りさ」

「もうすぐ夜明けですよ? こんな時間に出没する物取りが居る訳無いでしょう」

 

 改めてワルドが尋問を開始する。早速はぐらかす男達の矛盾を指摘するトモ。

 

「……へっ、これくらいの時間の方が獲物も油断するってモンだぜ」

「なら宿屋や野宿している旅人を襲った方が確実でしょう? こんな時間にほっつき歩くような旅人なんてそうそう居る訳有りませんし」

「…………へっ、朝一番の船に駆け込む奴らは良いカモなんでな」

「平民の商人や旅人ならともかく、幻獣に騎乗している貴族をですか? あからさまに貴族だと分かる獲物を狙う博打を、ただの物取りがしますかね?」

「………………へっ、貴族様ならたんまりと金を持ち歩いているからな」

「じゃあ何で攻撃を中断したんですか? メイジ相手に攻撃の手を休めるなんて、反撃して下さいと言っているようなものなのに」

「……………………」

 

 言葉を重ねるうちにどんどん男達の顔色が悪くなるが、どんなに矛盾を指摘されても彼らは証言を覆そうとしない。丁々発止の遣り取りが続き、不毛な言い争いに発展しかけたあたりで、呆れたワルドが遮る様に発言した。

 

「もういい、僕に任せたまえ。魔法衛士隊でもこんな奴らは良く相手にしていたから慣れている」

「……ふむ。では後はお任せします」

 

 そう言ってトモと入れ替わったワルドは杖を抜き、青白い光を纏わせる。風系統の軍人が好んで使う『エア・ニードル』の魔法だ。

 そしてワルドはそれを躊躇い無く男の手に突き刺した。

 

「ぐわぁあああああああっ!?!?」

「なっ!?」

 

 激痛で蹲る男を見下し、ワルドは冷たい声で尋問を開始する。

 けれどそれは先程までトモが行っていたような『温い』ものでは無かった。

 

「さて、お前達に許されるのは二つだけだ。真実を語って生き延びるか、黙秘を貫き全身を切り刻まれて死ぬか……好きな方を選びたまえ」

「ひぃいいいっ、話す! 全部話すから命だけは助けてくれ!!」

 

 執行人の眼前に引っ立てられた死刑囚の如く、怯え切った男達がいとも簡単に口を割る。

 自分達は傭兵で、ラ・ロシェールで怪しい二人組に雇われた事、片方は滅多に見ない美人で、もう片方は白い仮面を被った正体不明の人物だった事。

 高額の報酬につられて引き受けた事、此処を『グリフォンに乗った貴族』が通りかかったら襲うよう命じられた事、だが決して殺してはいけない事、『グリフォンに乗った貴族』以外は皆殺しにして構わない事、そして逃げたら殺すと脅された事………。

 

「……それで全部か? 隠し立てするならその首刎ねてやるまでだが」

「本当だ! これで全部なんだ、嘘は言ってねぇ! 信じてくれ!!」

 

 その必死な姿に嘘は言っていないと判断したワルドが一行に向き直る。

 

「どう思う?」

「……『グリフォンに乗った貴族』って言うのはワルド様の事ね。姫様の護衛が単独で動いたのを知って、揺さぶりをかけたってところかしら」

「だとしたら、任務については知られていない可能性が高いな。おそらく同行者を殺すなりして、こちらの出方を見るつもりだったのかな?」

「仮面を被った人物と言うのはアルビオンの貴族派でしょうね。自分達の正体を探られない様に変装を……って、どうしたの? 顔色が悪いわよ?」

 

 ワルドと証言の内容を考察していたルイズが黙ったままのトモに気付いて声をかける。『エア・ニードル』が突き立った手を押さえて悶える男を見詰めていたトモは、その言葉に我に返ったように慌てて会話に加わった。

 

「いえ。何でもありません。……そうですね、ご主人の見立てが正解だと思います。おそらく時間稼ぎも兼ねているんでしょうが」

「時間稼ぎ?」

「そうです。先程ご主人が言われた通り、連中は私達をラ・ロシェールで迎撃するつもりなのでしょう。その為の兵力をかき集める時間が欲しかったんだと思いますよ」

「成程、斥候を兼ねた足止めと言う事か。まんまと嵌ってしまったな」

 

 頭を掻きむしり、悔しげに言い捨てるワルド。

 そんな彼を促し、ルイズは再びグリフォンに乗り込む。

 そして馬三匹とグリフォンに風竜を足した一行は街の灯りを目指し、山道を駆け抜けて行った。

 

 

 

***

 

 

 

 その日、貴族や豪商御用達の老舗『女神の杵』亭は早朝から慌ただしかった。

 夜が明けたばかりだと言うのに貴族が五人も押し掛けて来たのだ。従者も二人付いている。

 しかし押し掛けて来た貴族はほぼ身一つの上に馬三頭にグリフォンと風竜が一匹ずつと言う纏まりの無い構成。まして主より従者の数が少ないとくれば誰とて怪しむ。

 面倒事を嫌った店主は丁重に断ろうとして、その中に有名人の姿を認めて固まった。

 

「急で悪いが密命でね。済まないがすぐに部屋を用意してくれるかな? 相部屋で構わないから」

 

 魔法衛士隊隊長ワルド子爵、トリステインでも有数の実力者の言葉が決め手となり、『女神の杵』亭は時ならぬ客人を迎え入れようと天地をひっくり返す大騒ぎとなった。

 

「なんだか申し訳ないですね。私達の所為でこんな大騒ぎになってしまって」

「ほほほ本当にそそそうですねねねね」

「……もうちょっと楽になさいなシエスタ」

 

 一生懸命眠気と戦う従業員を見たトモがそう漏らす。その隣では一生縁がなかった筈の高級宿にガチガチに緊張したシエスタがガクガク震えていた。そんな彼女をルイズが宥めているうち、乗船交渉のため『桟橋』へ出向いていたワルドが戻って来る。

 

「アルビオン行きの船は明後日、いやもう明日だな。とにかく明日にならないと出ないそうだよ」

「あら、どうして今日は船が出ないんですの? ……ええと、ミスタ?」

 

 席に着くなり困った顔で告げるワルドに理由を尋ねようとしたキュルケが言葉に詰まる。今更ながらワルドの名前を聞くのを忘れていたのを思い出したのだ。

 ワルドも名乗っていなかった事に思い至り、苦笑いしながら自己紹介をする。

 

「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊の隊長ワルド子爵だ。君たちは?」

「あら、これはご丁寧に。私はゲルマニアからの留学生でキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーと申します。こちらに居るのがガリアからの留学生でタバサ。二人ともルイズの級友ですわ」

 

 キュルケの自己紹介を聞いたワルドが片眉を上げ、ルイズを見る。その視線に気が付いた彼女は肩を竦めて頷いた。

 

「……成程、何やら深い事情がありそうだから追求は止めておこう。だが此処から先は王家の秘事に関わる事だからね。済まないが一休みしたら学院に戻ってくれないだろうか? さもなくば先程ルイズが言った通り、衛士に逮捕してもらうしか無いんだが」

「それは先程の問いに答えていただけたら考えますわ、ミスタ・ワルド?」

 

 ワルドの言葉にキュルケが噛み付く。恋多き彼女にしては珍しい反応である。

 

「今夜は『スヴェル』の月夜だろう? だから明日の朝、アルビオンが最もラ・ロシェールに近付くんだ」

「ふむ、ならば今日はゆっくり休めますね。とりあえず昼まで一眠りしましょう。昼食をいただいてから情報収集に務め、夕方またここに集合。これで宜しいですか?」

 

 トモの提案に一同首を縦に振る。襲撃と強行軍の疲れもあって、全員とにかく早く休みたかったのだ。それを見たワルドが鍵束を取り出す。

 

「とりあえず貴族用が三部屋と従者用が一部屋取れた。部屋割りだがミス・ツェルプストーとミス・タバサが相部屋、ギーシュ君が一人部屋でどうだろう? トモ君とシエスタ君は済まないが偽装の為だ。従者用の部屋で良いかね?」

「今更偽装も意味ないとは思いますが了解しました。シエスタさんは?」

「え? あ、こ、困ります! 流石に男の方と同室は……、あ、いえ、トモさんが嫌って訳じゃないですよ?」

 

 従者にしては態度の大きいトモ達に、その正体を推測しているのであろうひそひそ話に興じる従業員達を横目で見ながらトモはシエスタに話を振る。

 同意を求められた彼女が真っ赤になってわたわたしているのを見て、キュルケが苦笑いしながら助け舟を出した。

 

「仕様がないわね、シエスタは私達のところにいらっしゃいな。タバサも良い?」

「……問題ない」

 

 ワルドに睨まれ、慌てて立ち去る従業員を見送りながらタバサは生返事を返す。

 と、そこでトモが名を呼ばれなかった人物に気付いた。

 

「あれ? ご主人はどうするんですか?」

「僕と同室だ」

 

 その言葉にギョッとするルイズ。キュルケ達も唖然としてワルドを見た。

 

「あ、あの、ワルド様? それはまだ早過ぎると思いますわ。ほら、私達まだ結婚している訳じゃありませんもの」

 

 顔を赤くしながら抗議するルイズをひたと見据え、ワルドは理由を告げる。

 

「大事な話があるんだ。二人きりで話がしたい」

「午後の探索に支障がない程度でお願いしますよ? では……」

「あっ……」

 

 その遣り取りに動じる事も無く、トモは鍵束の一つを拾い上げて部屋に向かった。

 慌ててルイズが呼び止めようとするが既に遅く、その後ろ姿は従者向けの部屋へと消える。

 一瞬こちらを振り向いたが、その表情を窺い知る事は出来なかった。

 

「……どうしたの、彼? 何だかちょっとおかしいわよ?」

「そうだね。普段なら『幼女趣味とは随分なご趣味ですね』位は言いそうブぁっ!?」

 

 何の気無しに軽口を叩いた瞬間、後頭部を強打されてテーブルに沈むギーシュ。

 いつの間にか彼の後ろに回り込み、重そうな鉄扇を優雅に扇いだルイズがその美貌に相応しい可憐な笑みを浮かべて一同を見やる。

 

「あらあら、ギーシュったらこんなところで寝ちゃうなんて……。さあワルド様、彼を部屋まで送りがてら私達も参りましょう?」

「「「「イエス、マム!!!」」」」

 

 ワルドを含めた全員が直立不動で敬礼を返す。タバサでさえそれに逆らえなかった。

 重たい鉄扇で貴族の子女らしく優雅に口元を隠して「ほほほ」と笑ってみせるルイズが、かつて敵対したどんな相手よりも遥かに恐ろしかったのだ。

 

(笑顔は本来攻撃的なものだと言うけど、あれはそんなチャチなものじゃ断じて無い)

 

 タバサは脂汗を流しながら、ギーシュを『レビテーション』で持ち上げてびくびくしながら歩くワルドと、その後ろを着いて行く桃色の後ろ姿を見送る。まだ目を覚まさないギーシュを文字通り部屋に叩き込み、ルイズ達の姿がこの宿で一番上等な部屋に消えていくのを見届けた一同から安堵の溜息が漏れた。

 

「……私、これからはルイズをからかうの、止めるわ」

「あの、穏便にミス・ヴァリエールを起こす方法、ご存じありませんか?」

 

 ダラダラと脂汗を流しながら今後の付き合い方を模索するキュルケとシエスタに、タバサは額に滲んだ冷や汗を拭き取りながら「諦めろ」と言おうとして……、不意に思考の海に沈んだ。

 

(それよりも、彼は一体……?)

 

 先程の襲撃以降、トモの様子がおかしいのは皆気付いている。

 ……けれどタバサは何となくその理由を察していた。

 

(……でも、それは有り得ない。本当にそうだったとしても、私達に出来る事は無い)

 

 彼女にも覚えがある。

 それを乗り越える為には尋常じゃない苦労が伴うが、乗り越えられれば案外楽だ。

 だが彼にその方法が使えるだろうか? 彼が『冒険者』、決して諦めないことが信条の人間である以上、その道を選ぶとは到底思えない。

 そこまで考えが及んだところで、タバサはとある可能性を思い付く。

 『冒険者である事』と『タバサのようになる事』は、もしかしたら水と油の様に相反すると言う事ではないのか?

 ひょっとしたら、彼の言う『冒険者の資格』とはそう言う事なのだろうか?

 

「……?、どうしたのタバサ?」

 

 だとしたら期待外れにも程がある。タバサがそれを『諦めた』のは、それを犠牲にしてでも成し遂げたい『目的』があったからに他ならない。その覚悟こそ彼女の支えであり、故に非情に徹する事を良しとしない『冒険者』の道は彼女にとって何の意味も無い。

 

「ちょっと、タバサ、顔色が悪いわよ?どこか痛いの?」

 

 けれど彼が使ってみせた秘薬、あれだけは別だ。

 どんなに高級な『水の秘薬』だろうとそれは魔法の効果を高める為のものであり、メイジが居なくてはただの水。しかし彼が使った秘薬は飲み干すだけで傷を癒した。それも重傷だった彼を即座に戦線復帰させるほど強力に、だ。そう言った『冒険者』の秘薬の中にはタバサが求める効能を持つものもあるかも知れない。それを『諦める』のはまだ早い。

 

「タバサ? タバサ?」

「ミス・タバサ、どうされました?」

 

 問題は他にもある。ルイズ達が使っていた秘薬は『冒険者』にしか扱えない。

 だが、それとなく聞き出したところトモの故郷では『冒険者』の活躍により一般人も恩恵を受けていたと言う。タバサはそこに光明を見出す。

 

(『神器』は駄目でも、『クラススキル』なら……)

 

 ハルケギニアの医療は『水』の系統頼り。タバサも『水』と『風』ではあるが、彼女は治癒術を得意としていない。だが『冒険者』には治療に特化したクラスがある。

 

(それさえあれば、私の『目的』を果たす事が出来るかも知れない……!)

 

 思い出すのは少し前に戦ったサンク勝負だ。あの時はイカサマを見抜けずに後一歩まで追い詰められたが、自分の使い魔の機転で切り抜けられた。しかし今度の相手はちんけなイカサマ野郎とは違い、正真正銘凄腕のギャンブラーだ。そう何度も幸運は彼女に微笑むまい。

 この勝負においてルイズ達は『切り札』だ。タバサに配られた手札は少なくとも、この『切り札』なら場をひっくり返すだけの力がある。

 

(……やはり暫くは彼らと付き合う必要がある。この遠征で、彼らからどれだけのものを引き出せるかが鍵)

 

 とりあえずの方針を固め、思考の海から還って来たタバサの頬に柔らかい何かが当てられた。

 それがシエスタの掌であると認識する間もなく、その見掛けからは想像もできない剛力のビンタがタバサの小さな身体を吹き飛ばした。

 

「ぶほっ!?」

「ああっ、ちょっとシエスタ! やり過ぎよ!!」

「ええっ!? ででででも、気付けにはこれが一番だって曾祖父ちゃんが……!!」

 

 実は冒険者の中で最大の筋力を誇る武闘派メイドの目の覚めるような一撃は、思惑とは裏腹にタバサの意識を刈り取ってしまった。椅子から吹っ飛んだ親友の惨状にキュルケは愕然とし、曾祖父譲りの気合い入れが齎した惨劇にシエスタは戸惑う。

 そんな三人の様を遠巻きに見ていた従業員達の顎がかくんっ、と落ちる。

 

「……ミス・ツェルプストー、ミス・タバサは多分お疲れになられたんだと思います。あの強行軍の直後に先刻のミス・ヴァリエールの剣幕では……」

「それもそうね。私も何だか疲れちゃったし、もう休みましょう。そうしましょう」

 

 従業員達の視線に気付いたシエスタが平静を取り繕い、それに気付いたキュルケも追随する。良く見ればキュルケは冷や汗を流し、シエスタは若干青ざめていたのだが。

 

「と、とにかくミス・タバサをお連れしましょう……よっと」

 

 誤摩化す様にタバサと一行の荷物を抱え、シエスタは指定された部屋に向かう。

 

「ミス・ツェルプストー、申し訳ありませんがドアを開けていただけますか?」

「……仕様が無いわね。ちょっと待ってて、今開けるから」

 

 二つあるベッドの片割れにタバサを横たえる姿は、兄弟の面倒を見るうちに身に付いた母性溢れる仕草も相俟って、遊び疲れた子供を寝かし付けるお母さんにしか見えない。キュルケはその光景を微笑みながら見守る。

 

「……何か?」

「いいえ、何でも無いわ。……このままじゃ眠れそうに無いな、って思っただけよ」

「そうですね、それでしたら何か頂いて来ましょうか?」

「それくらいなら自分で頼めるわよ。それよりタバサの事、お願いね」

 

 そう言ってキュルケは先程から遠巻きに彼女達を見ていた従業員達に向かう。真直ぐ自分達に向かって来る彼女に慌てて姿勢を正す従業員達に、キュルケは「楽にしてて良いわよ」と言いつつ軽めの酒を頼む。

 

「それでしたらヴァンショー(※ホットワインの事)が宜しいかと」

 

 春も半ばを過ぎたとは言え、山間部にあるラ・ロシェールはまだ肌寒い。いささか季節外れではあるがヴァンショーの温もりは有り難かった。

 

「じゃあ、それを三杯持って来てもらえるかしら?」

「さ、『三杯』ですか? ……いえ、承りました。すぐにお部屋にお持ちします」

 

 お願いね、といって踵を返すキュルケの後ろ姿を従業員達は惚けた様に見送る。

 いや、従業員達は実際に呆気に取られていたのだ。

 

 『貴族を張り倒す従者』と『それを咎めない貴族』と言う、決して有り得ないものを目撃したが故に。そしてごく自然に従者と酒を酌み交わす貴族の存在に。

 

 キュルケもシエスタも意識して振る舞っている訳ではない。フーケ追撃、いや決闘の日以来の付き合いでお互い遠慮が無くなった、それだけだ。

 最低限の礼儀こそ守るものの、彼女達の関係は『友達』と言って差し支えない。特にフーケ戦以降の関係は、秘密を共有する『戦友』とも言えた。

 先程の暴挙にしても、キュルケはシエスタに悪意が無い事ぐらい承知している。むしろ純粋な善意の行動であり、いつものじゃれ合いの延長だとしか思っていない。

 

 だが事情を知らぬものから見れば、それはやはり『有り得ない』としか言えないのだ。

 ハルケギニアにおいて平民と貴族を隔てる断崖は絶対に乗り越えられぬもの。特にトリステインではそれが顕著だ。なにせ貴族と平民が同じ席に付くことすら不敬とされるのだから。

 だからこそ、その『不敬』をあっさりと許すキュルケと、それを平然と受け入れるシエスタが理解出来ない。キュルケの口ぶりから察するに、気絶した少女もそれを受け入れるのだろう。

 

(あの奔放な振る舞いからしてトリステインの貴族様じゃ無さそうだけど……)

 

 従業員は蜂蜜と砕いた香辛料を入れた赤ワインを火にかけながら考える。

 地味なコートを羽織った従者も随分気安く貴族に接していたし、おそらくその主であろう少女がメイドにかけていた気遣いはまるで手のかかる姉妹に向けるそれだ。

 

(─────あれを羨ましいと思うのは、間違ってるのかね?)

 

 貴族と平民、従者と主、そんな関係を超越したような彼女達の在り方。

 もしもそれが彼女達だけではなく、自分達も含めたハルケギニアの全てで繰り広げられたなら、それはどれほど優しい世界なのだろうか?

 そこまで考えたところで従業員は苦笑する。平民は貴族に従うもの、それがブリミル降臨から六千年もの間変わらぬ『常識』なのだ。

 

(そうさ、あの嬢ちゃん達が『非常識』なだけなんだ。あたし達には関係無いよ)

 

 ワインを煮立たせないように注意しながら、香辛料の香りが十分に移った事を確認してから暖めた陶製のカップに注ぐ。マドラーの代わりにシナモンで軽くかき混ぜれば出来上がりだ。

 出来上がった『三杯』のヴァンショーを慎重に運ぶ従業員はそう結論付ける。けれどその瞳には諦観以外の何かが微かに揺らめいていた。

 

 

 

 

 

 

エネミーデータ

・傭兵団(弓):Lv1 敏捷値:2/攻撃値:6/防御値:3 HP/MP:20/10

 主に弓矢を使う雇われの兵士達。モブ(※1)として扱う。

 忠誠心は低く、報酬に見合わない仕事なら逃げ出してしまう。所謂ザコ。

 ・保有スキル/矢の雨(※2):Lv1/破れかぶれ(※3)Lv2

 

 

 




(※1)集団を1体のエネミーとして扱うこと。
(※2)矢を一斉に放ち、広範囲に渡って攻撃する弓技。
    レンジ遠距離、範囲内の対象全体に物理ダメージ(Lv)d6を与える。
(※3)一か八かの捨て身の攻撃をする自爆技。発動にはMPを2倍消費する。
    レンジ密着、物理ダメージを(Lv)倍にするが、防御値を0にする。
    これを使用したターンはパッシブも含め、一切の行動が出来ない。

※選択ルール:範囲攻撃(採用にはGMの許可が必要)
・複数の対象を同時に攻撃出来るルール。
 中心となる目標から指定された範囲内にいるエネミーを攻撃対象に出来る。


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第十七話 挑戦(てぶくろ)

「痛ぇ、痛ぇよ……、畜生、あの白仮面野郎! 話が違うってんだ、くそったれ!」

「……ふん、足止めにもならんとはな」

 

 ルイズ達が立ち去っても傭兵達の拘束は解けなかった。

 身動き出来ずに転がされ、ただただ呻くしかできない彼らに酷く見下し切った声が掛かる。

 いつの間にか白い仮面を付けた雇い主が男達の傍に現れていた。

 

「手前ぇ、何が『相手は素人』だ! 無茶苦茶手強いじゃねぇか!!」

 

 その姿を見るや、男は唾を飛ばして噛み付く。だが怪人はそれに構う事無く、懐から短刀を引き抜き一閃。風の刃が青銅の鎖を切り裂き、彼らは自由を取り戻した。

 

「契約はまだ有効の筈だ。街で待機している連中と合流し、手筈通り襲撃をかけろ」

 

 それだけ言うと白仮面は踵を返す。その背中に傭兵達は絶縁状を叩き付けた。

 

「冗談じゃねえ! 俺はこの仕事を降り……」

 

 いや、叩き付けようとした男がそれを言い切る前に一陣の風が吹く。そして男は永遠にその台詞の続きを口にする事が出来なくなった。

 

 何か重たいものが落ちる音が響く。そして次の瞬間、盛大な水音を立てながら男の身体はゆっくりと地面に倒れ伏した。

 ……その頭部にあるべきものを無くした姿で。

 

「ああっ!? ジョーンズ!!」

「て、手前ぇ! 一体全体、何のつもりだ!!」

 

 突然の事に呆気にとられた傭兵達が仲間が倒れた音で我に返る。とは言え得物であった弓はルイズ達に取り上げられていたので、今の彼らは徒手空拳。

 対する怪人が握るのはレイピアのような杖剣。その切っ先を男達に突付け、白仮面は低く唸る様に吐き捨てた。

 

「逃げたら殺すと言った筈だ。それとも俺に勝つつもりか? 丸腰の貴様らが」

『ぐっ……』

 

 言葉に詰まる傭兵達。

 彼らとて戦場を駆け抜けた傭兵、メイジを相手取ったとしても充分に渡り合う自信はある。けれどそれは装備や作戦が十二分に整っていた場合の話であり、人数に優るとは言え素手で、しかも凄腕のメイジを相手取るのは無謀としか言い様が無い。

 両手を挙げて降参の姿勢をとる傭兵に、彼らの雇用主は満足そうに頷くと言葉を続けた。

 

「……奴らの実力を見誤っていたのはこちらも同じだ。今回の失敗は見逃してやる。だが二度目は無いぞ? 怖じ気づいてこの場で俺に殺されるか、それとも仕事を続けるか……好きな方を選べ」

 

 

 

***

 

 

 

 貴族向けだけあってルイズ達の部屋は一際豪奢な造りをしている。

 天蓋付きの大きなベッドが並び、手の込んだレースのクロスが掛けられていた机には、平民なら銘柄を見ただけで震えが止まらないであろう高級銘柄のワインがあった。

 ワルドはそれを惜しげも無く開封し、陶製の酒杯に注ぐ。

 

「折角だから一杯やろう。ルイズもそこに座ると良い」

「そうね。このままじゃ眠れそうにないし、寝酒と言うには時間がおかしいけれど」

 

 ワルドは自分の杯を掲げた。ルイズも自分の杯を取る。

 

「何に乾杯するべきなのかしら?」

「そうだね……僕達の再会と、任務の成功を祈念してと言うのはどうだろう?」

 

 悪くないわね、と言って杯を合わせる。

 豊かな香りが口腔を経て肺を満たす。高級銘柄の名が示す通りの上等な味わい。

 けれどどこか物足りない。そんな感想が浮かび、ルイズは首を傾げる。

 

(いつもなら女子寮に忍び込んだギーシュが逃げ込んで来て、追いかけて来たモンモランシーにボロボロにされて、タバサが話を聞きに来て、そんなあの子にキュルケがお酒を片手に着いて来て、シエスタがお酒に手を出す前にトモと私が急いで飲み干して─────)

 

 キュルケが持ち込む酒の銘柄は高級な物ではなく、むしろ庶民向けの安物であることが多い。

 だと言うのに今の彼女にとっては、その安酒の方が美味かったように思えたのだ。

 

「……どうかしたのかい? 先刻から何か悩んでいるようだけど」

「あ、いえ、何でもないわ」

 

 しかし首を捻ったのもつかの間のこと。

 ワルドの問いかけに、ルイズは脳裏に浮かんだ疑問を心の片隅に追いやって微笑む。

 

「ならいいんだが……。色々と君には驚かされてばかり居たからね、少し気になったんだ」

「あら、そんなに心配されるほど頼り無かったかしら?」

 

 ワルドの言葉におどけてみせるルイズ。誤摩化すのではなく、それ以上触れてほしくないと相手に伝えて話題を切り上げさせるための、一種の駆け引きであった。

 彼もそれに気付いたのだろう、酒杯に口を付けて一拍置いてから別の話題に切り替える。

 

「……殿下から預かったものは、きちんと持っているかい?」

「大丈夫。ここにあるわ」

 

 そう言ってルイズは自らの薄い胸を押さえる。そこに納められたアンリエッタからの預かりものの重さを、彼女は今更ながらに感じずにはいられなかった。

 そんなルイズの姿に、ワルドは目を細めながら頷く。

 

「そうか……。ところで僕が承った命令は『ルイズの護衛』でね。殿下が君に何を預けたのかさえ知らないんだ。差し支えなければ教えてくれないか?」

 

 その台詞に逡巡したのはごく僅か、ルイズは首を横に振る。

 

「それはお教え出来ません。私に預けて下さった姫様の信頼を裏切れないもの」

 

 そんなルイズに「それもそうだね」と返し、ワルドは酒杯を呷った。

 しばしの無言。沈黙を破ったのはワルドの方だった。

 

「しかし驚いたよ。ツェルプストー嬢の件もそうだが、任務に出る前の用意周到さや姫様を説得した話術、まさに一流の手腕だ。一体どこでそんな事を覚えたんだい?」

 

 ルイズは言葉に詰まる。まさか『冒険者になったからです』などとは言えない。

 だから彼女は自分の使い魔に丸投げした。

 

「彼に、トモに教わったの。彼の故郷はトリステインには無い変わった風習が多いし、いろいろ考えさせられる事も多くて勉強になるわ」

「そういえば彼はロバ・アル・カリイエで何でも屋をやっていたそうだね。成程、ならば色々知っていてもおかしくないか」

 

 素直に信じてくれた事に安堵しつつも、彼を騙していることにルイズは罪悪感を抱く。

 だからと言って『実は異端ですのよオホホ』とでも告げた日には一族郎党がまとめて没落するのは確実。その中には当然ワルドも含まれる。

 

(そうよ、これは彼の為でもあるんだから……)

 

 必死にルイズが自己弁護を行っていると、ワルドが遠い目をして語り始めた。

 

「本当に驚いたよ。あの小さなルイズがいつの間にか成長していたんだからね。覚えているかい?  昔、君のお屋敷の中庭で交わした約束の事を」

 

 そう言われたルイズが思い出すのは、やはりあの夢である。相変わらず最後の方が思い出せないが、子爵らしき少年との語らいは間違えようが無い。

 

「……あの、池に浮かんだ小舟の事かしら?」

「そうだ。君はご両親に怒られたあと、いつもあそこでいじけていたからね。まるで捨てられた子猫のように……」

 

 ワルドが語る昔話に、ルイズは思わず吹き出した。成程、捨て猫とは上手い例え話だ。少なくともあの当時、彼女が味わっていた絶望は正しくその通りだったのだから。

 

「ふふっ、変な事ばかり覚えていらっしゃるのね。でもあの頃はお母様に叱られる度、自分は要らない子なんだって思っていたもの。お姉さまが優秀だったから比べられてばっかりだったし」

 

 自虐気味のその言葉を、ワルドは首を振りながら否定する。

 

「それは違うさルイズ。確かに君は失敗ばかりしていたけれど、僕は君が凄いメイジになるってことを確信していたよ。君は誰にも無い魅力を放っていた。そう、始祖ブリミルのような偉大なメイジになる、そんな予感を感じさせてくれるんだ」

「……いくらなんでも褒め過ぎでしょう、ワルド様 」

 

 ルイズは呆れながら嗜める。その台詞で冷静に戻ったらしく、ワルドは赤くなった頬を掻きながら残ったワインを一息で煽った。

 

「……済まないルイズ、どうも熱くなっていたようだ。でもこの気持ちは本物さ、きっと君は偉大なメイジになれるだろう。僕も並のメイジじゃないからそれが判る。……信じられないかい?」

 

 ルイズは首を縦に振る。きっとこれは彼流の冗談だと思っていたからだ。

 続けて放たれたワルドの言葉を耳にするまでは。

 

「ならば証明しよう。ルイズ、この任務が終わったら僕と結婚して欲しい」

「………………え?」

 

 唐突なプロポーズに、ルイズの思考が停止した。それに構わず、ワルドは台詞を続ける。

 

「僕は魔法衛士隊の隊長では終わらない。いずれは国を……、このハルケギニアを動かすような貴族に成りたいと思っている。そんな僕が認めたんだ。君はきっと、歴史に名を残す素晴らしいメイジになれるって。僕の一生を賭けても良いくらいにね」

 

 一旦言葉を切り、ワルドはルイズに熱の篭った視線を向ける。

 

「君ももう十六だ。自分の事は自分で決められる年齢だし、お父上も許して下さる。ずっとほったらかしだった事は謝るよ。けれど、全ては君に相応しい貴族になる為だったんだ。君の隣に立つ為に、僕の青春を国に預けてまでしてね」

「ワルド、様……」

「君の婚約者だなんて、言えた義理じゃないのも判っている。……それでも、僕には君が必要なんだ、ルイズ」

 

 ルイズの頬が急速に赤く染まって行く。

 当たり前だ、なにしろずっと憧れていた初恋の人からの求婚である。嬉しくない筈が無い。

 喜び勇んで了承を伝えようとして────

 

 ルイズはそれ以上何も言うことが出来なかった。

 

「……どうしたんだい、ルイズ?」

 

 黙り込んでしまった彼女を気遣ってか、ワルドが心配そうに尋ねてくる。

 

「いえ、大丈夫ですわ。ただ、ちょっと唐突だったもので……」

 

 それに対し、ルイズは慌てて首を振って誤摩化す。

 確かに不意を突かれたこともある。だが彼女が口を噤んだのはそれだけが理由ではない。

 何かは分からない、けれど確かに存在する不安が、求婚への返答を躊躇わせているのだ。

 それは求婚された喜びや驚愕を押しのけるほどの存在感を持って、ルイズの中に痼りを残す。

 

「……どうやらいきなり過ぎたようだね。返事は今でなくてもいいよ。でも、この度が終わるまでには君の気持ちも僕に傾く筈さ」

 

 俯いたまま黙り込むルイズを見て、ワルドも流石に性急過ぎたと感じたらしい。

 苦笑いしながら返答期限を先延ばしにしてくれた彼を見て、ルイズは申し訳なく思う。

 

「それじゃあ、もう寝ようか。午後からも忙しくなりそうだしね」

 

 そう言うと、ワルドはルイズのおとがいに手をかける。

 それが唇を合わせる仕草だと思い出したルイズはそっと身を離す。

 

「……それは、まだ早過ぎましてよ?」

「そうみたいだね。まあ、急がないよ僕は」

 

 キスを拒絶されたにも拘らず優しく微笑むワルドに若干の罪悪感を覚えながらも、何故かルイズはほっと胸を撫で下ろしていた。

 

 

 

***

 

 

 

「……ねえキュルケ、それ……」

「聞かないで」

「でも……」

「いいから、聞かないで」

 

 中天より西寄りに傾いた日の光に照らされた『女神の杵』亭の一階、夜は酒場となるホールにて遅めの昼食を摂るルイズ達一行。しかしよく見ればシエスタの姿が無く、やたら疲れた表情のキュルケとタバサの顔色が青い。もしかしたら先程『女神の杵』亭の店主から渡された請求書を見て、ワルドが盛大に顔を引き攣らせた出来事と関係があるのかもしれないが、ルイズは敢えてそこに触れようとはしなかった。

 

「やあ、みんなおはよう。……ところで僕の頭がやたら痛むんだけれど、何か知らないかい?」

 

 寝過ごしたのか、ギーシュが後頭部をさすりながら現れて席に着く。そしてトモが空気を入れ替える様に手を叩き、今後の進退を決める会議が始まった。

 

「さて、まずは情報収集から始めましょう。子爵、船の手配はお済みですか?」

「ああ。明日の朝一番に出航する船にねじ込んだよ。貨物船だから乗り心地までは保障出来ないが、緊急時だ。贅沢は言えんよ」

 

 トモの問いにワルドが答える。

 

「それは重畳。では、出航までに半日と一晩の余裕がある訳ですが……」

「余裕は無いと思うわよ。むしろ今すぐ出立したいくらいだわ」

「……それは、どう言う意味だい?」

 

 トモの台詞を遮り、ルイズは懸念を示す。その言葉にギーシュが首を捻った。

 だが他の面々はその意味に気が付いたらしい。トモが顔を覆って天を仰ぐ。

 

「あのね、私達を襲った奴らは時間稼ぎを狙っていたのよ? じゃあ、何の為に時間が欲しかったと思ってるの?」

「それはもちろん僕たちを迎撃するため─────っ!?」

 

 ルイズの説明に、一拍遅れてギーシュもその意味を理解した。

 

「そうよ、連中は『ラ・ロシェールで』『私達を』迎撃したいのよ? だったら『今』、『ここにいる』私達を見逃す筈ないでしょう?」

 

 そう、言わばこの地は敵陣そのものと言えるのだ。だのに彼らは見張りも立てずに惰眠を貪ると言う、隙だらけの行動をとってしまった。

 襲撃を受けなかったのは幸運としか言い様がない。……いや。

 

「襲撃がなかったのは、向こうも戦力を整える時間が必要だったから。そう考えると半日と一晩は長過ぎる」

 

 メイジ殺しは事前の準備が重要だ。魔法を使う隙を与えない圧倒的な物量に綿密な作戦、人海戦術に必要な頭数揃え、半日もあれば相当な準備が整えられる。さらに半日与えられれば尚更だ。

 そして気の緩みがちな深夜は奇襲には最適な時間帯である。

 悪条件も此処まで揃えばいっそ清々しい。

 

「本当ならもっと早く気付くべきだったわ。不覚をとったわね」

 

 自身の不覚を悔いるルイズだが、彼女とていっぱいいっぱいだったのだ。

 ただでさえ困難な任務に加えて、途中の襲撃や初恋の人からのプロポーズなどで混乱の極みにあった彼女に、『敵の行動の予測』をさせるのはオーバーワークと言っても過言ではない。むしろ半日の休養だけでそこに気が付ける洞察力と精神力こそ賞賛に値するだろう。

 とは言え危機的状況には変わりない。

 ルイズの話に聞き入っていた一同も渋面を作って考え込む。

 

「出航を急がせるのは?」

「無理だな。風石の積み込みが終わるのは明日の朝になるらしい。どんなに急がせても今日の夜までは動かせないだろう」

「それにアルビオンの情報は必須です。下手をしたら敵陣のど真ん中を突っ切る羽目にもなりかねませんし、少なくとも王子様の居場所位は把握しておかないと」

 

 ギーシュの提案をワルドが否定し、更にトモが情報収集の必要性を訴える。

 

「手分けしてって訳にはいかないわ。戦力の分断なんて、どうぞ襲って下さいって言ってるようなものよ」

「ふむ、ならば君たちは街中で情報収集に回ってくれたまえ。無論、全員でだ」

 

 ルイズの懸念にしばし考え、一行全員での行動を促すワルド。

 

「判りました。子爵はどうなされますか?」

「僕なら単独でも何とかなる。出航を急かすついでに『桟橋』で情報集めをしよう」

「なっ!? 単独行動は危険だと、先刻ルイズが言ったばかりではありませんか!!」

 

 トモの疑問に応えたワルドに、驚愕したギーシュが泡を食って詰め寄る。

 しかしワルドは飄々とした態度を崩さずに、逆にギーシュを説得にかかった。

 

「僕はこれでも『風』のスクウェアだからね。逆に単独の方が都合がいいんだ」

「……ああ、確かに! でもワルド様、騒動など起こさないようにお気をつけてくださいね?」

 

 ワルドが言いたい事を察したルイズが釘を刺す。

 『風』の本領はその早さにある。殲滅力では『火』に劣るものの、対人戦闘では他の追随を許さない。言い換えれば『風』の早さに着いて行けない味方など足手纏いでしかないのだ。

 だからと言ってわざわざ敵に喧嘩を売る必要は無い。ルイズの忠告の意味を理解してか、ワルドは苦笑いしながら首肯する。

 

「判っているさ。さて、他に意見はあるかね?」

「いえ、それで行きましょう。ご主人も宜しいですか?」

「そうね……そうしましょう。じゃあ夕刻に此処へ集合ってことで」

 

 そう言ってルイズは席を立つ。

 それにつられて皆が立ち上がりかけた所で、ワルドが思い出した様に呼び止めた。

 

「ああ、ルイズと……使い魔君はちょっと待ってくれるかな?」

「え?」

「構いませんが、何か?」

 

 呼び止められた二人を真直ぐ見返しながら、ワルドは何でも無い事の様に告げた。

 

「いやなに、ちょっと僕と決闘して欲しくてね」

 

 

 

***

 

 

 

 ワルドに導かれた一行が辿り着いたのは、空樽や空き箱が山と積まれた中庭の物置き場であった。

 かつての栄華を示す苔むした旗立台を見上げ、ワルドはこの宿の成り立ちを語り始める。

 

「もともと『女神の杵』亭はアルビオンからの侵攻に備える為の砦だったんだよ。この練兵場もその名残さ。古き良き時代、かのフィリップ三世の治下ではここでよく貴族が決闘したそうだよ」

「それはまた、物騒なお話しですね」

 

 どこか懐かしむような、あるいは羨望するかのような語り口。

 それに返されたトモの台詞に、彼は苦笑いしながら首を振る。

 

「まあ実際はくだらない事で杖を抜き合ったそうだよ。例えば女を取り合うとか」

「……何処であっても男というのは変わりませんねぇ」

 

 呆れるトモだったが、その言葉にほんの少しだけ共感が混じる。

 それに気付いたのだろう、ワルドは少年のようにはにかみながら答えた。

 

「何処であろうと男の矜持は変わらんさ。名誉と誇りに人生を賭け、惚れた女に命を賭ける、それが許された時代も確かにあったのだから」

「確かに。男と少年の違いは玩具の値段でしか無い、なんて格言もありますしね」

 

 違いない、と朗らかに笑い合う男二人を呆れた様に眺めるルイズ。

 その視線に気付いたのか、ワルドは少しだけバツが悪そうな顔をした。

 

「済まないね、ルイズ。でも、僕の背中を預ける相手の実力を知らなければ、今後の任務にも差しさわるからね」

「それは判りますけれど……突然決闘なんて言い出すから驚きましたわ」

 

 彼女がここに居るのは介添人を頼まれたからだ。

 いざとなったら身を挺してでも止めると覚悟を決めていたルイズだが、以外に気安い二人の態度に呆れつつも安堵の溜息をこぼさずにはいられなかった。

 

「言葉が足りなかったね。けれどこれは重要なことなんだ」

「作戦を立てるにも何処まで出来るかを知らなければ話になりませんからね」

「その通り! 準備はいいようだね。では……」

「あ、少々お待ちを。どうせならそれらしく行きましょう」

 

 そう言うとトモはデルフリンガーを抜き、斜め上に突き出す様に掲げた。

 

「私の国の作法じゃないんですが、こうやってお互いの武器を交差させてそのまま五歩ずつ離れて五歩目を踏んだ所で振り向き決闘開始、と言う物です」

 

 唐突な申し出にワルドが困惑していると、トモはいつもの無表情に近い薄い微笑みを湛えた顔に、ほんの少しだけ感情の色を浮かべる。

 

「故郷で一時期流行っていた、時代物の演劇で良くやっていたんですよ。子供の頃、近所の悪餓鬼共とつるんで真似る程度には憧れましたね」

 

 そして彼は先程のワルド同様、遠い目をしながら懐かしむように、あるいは羨望に浮かされたように『その言葉』を口にする。

 

「そう、『さあ、ここからは遅い奴が死ぬだけだ』って」

 

 そんなトモに少しだけ目を丸くしたワルドだったが、直ぐに破顔して大きく頷いた。

 

「くくく、確かに『男と少年の違い』は大した差じゃないね。子供のお遊戯と一緒にされるのは癪だが、しかし『早さ比べ』なら話は別だ」

 

 そして杖剣を掲げ、デルフリンガーに交差させる。

 

「その話、乗ろうじゃないか! 精々楽しませてくれ、使い魔君!」

「お誉めに与り恐悦至極。そのご期待に見事応えて見せましょう!」

 

 少年の様に無邪気な笑みを浮かべ、二人は一歩目を踏み出す。

 

「五」

 

 キュルケが苦笑いを浮かべる。良い年をした男達が子供染みた理由で激突する姿に。

 

「四」

 

 ギーシュが歯噛みする。互いの誇りを掛けたあの場所に自分が居ない悔しさで。

 

「三」

 

 タバサが呆れた様に嘆息する。お遊びのような戦いに臨む生温い男達を見て。

 

「二」

 

 ルイズが喉を鳴らす。どちらにも負けてほしく無い自分に気付いて。

 

「一」

 

 そして─────

 

「─────ゼロ!」

 

 決闘は始まった!

 



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第十八話 試合(けっとう)

さる4月4日、ゼロの使い魔の作者ヤマグチノボル先生が永眠されました。
遅くなりましたがこの場を借りて先生のご冥福をお祈りさせていただきます。




 『剣士はメイジに勝てない』、それがハルケギニアの常識だ。

 なぜそう言われるのか? その答えは酷く単純だ。

 読んで字の如く、剣士は剣の届く範囲内でなければ戦えない。

 対してメイジは剣士の間合いの外から攻撃できる。

 たったそれだけのシンプルな理由だが、剣士からすれば絶望と同義であろう。

 

 故に剣士がメイジ相手に勝機を掴むには、常に自分の間合いを保たねばならない。

 逆に言えば、メイジであろうとも間合いを計り損ねれば敗北する可能性があるのだ。

 

(だから剣士は初手から決して寄せ付けるな!、だったかな)

 

 対メイジ殺しの鉄則を思い返しながら、ワルドは四歩目を踏む。

 互いに五歩ずつ、合わせて十歩。剣士の間合いには遠くとも、メイジに取っては射程距離。だからこそ彼ははトモの提案を呑んだのである。

 先手からこれほど間合いを広げると言うのは自殺行為、しかし遥か東方のロバ・アル・カリイエ出身だと言うのなら知らなくても仕方ない。むしろ些か強弁ではあるが、ハルケギニアの流儀を叩き込む絶好の機会だとさえ言えるのだ。

 

(少々心苦しいが……、互いに実戦に身を置いているんだ。よもや卑怯とは言うまい?)

 

 交わした杖剣を構え直し、ワルドは最後の一歩と同時に身を翻す。

 そして余裕たっぷりに『エア・ハンマー』のルーンを唱えようとした彼の目に……

 十歩の距離を一瞬で詰めたトモが、大きくデルフリンガーを振りかぶる姿が映った。

 

「なっ!?」

 

 慌ててルーンの詠唱を止め、杖剣を掲げて受け止めるワルド。

 甲高い金属音を上げてデルフリンガーの幅広の刃が阻まれるや、ワルドは大剣をいなして反撃に繋げる。しかしその切っ先は一瞬早く飛び退ったトモに擦りもしなかった。

 

「……早いな!」

「お互い様でしょう? 今のを防がれるとは思いませんでした!」

 

 ワルドの驚嘆に無念を滲ませつつ、トモは大剣を素早く巡らせて逆袈裟に切り上げる。後手に回ったワルドが杖剣で捌き、その勢いを利用して杖剣を振るう。が、それを予測していたのだろう。

 トモは軽く身を捻り、杖剣を避ける。鮮やかな回避に目を見張る間もなく、ワルドは轟音を上げて迫る刃を紙一重で躱す。だが即座に繰り出した反撃は、トモの影さえ捉えられずに空を切る。

 まるで幻影を相手にしているかのような手応えの無さ。ワルドは先刻の余裕を失いつつあった。

 

 

 

***

 

 

 

「凄い……! これが魔法衛士隊の隊長なのか……!!」

 

 このメイジにあるまじき剣戟の応酬を目の当たりにしたギーシュが、感嘆の唸りを上げた。

 あの中庭での決闘でシエスタは先手(イニシアチブ)を取ろうとしていた。だから彼女の仲間であるトモが先手(イニシアチブ)を取ってくるのは予想していた。

 だが、その必殺の一手をあろうことか『剣技』で防いだワルドの戦い方は流石に予想外だった。

 

(……いや、メイジとて剣を使わない道理は無い。むしろ魔法より隙が少ないのだから、積極的に使っていくべきなんだ!)

 

 一般にメイジは武器を使う戦士を見下す風潮がある。しかし魔法衛士隊を始めとした実戦重視のメイジが杖剣のような『武器の機能を持った杖』を好むのは、他ならぬメイジ自身がその威力を認めている事に他ならない。少なくともギーシュは目前の決闘をそう解釈していた。

 

(『魔法』と『剣』の併用、それが魔法衛士隊の強さの秘密か!!)

 

 彼もメイジの一員である。故に魔法の有利を微塵も疑っていなかったし、思ってすら居ない。

 とは言えギーシュも規格外の戦士(シエスタ)と交戦しているし、『ルーンの詠唱』と言う魔法の不利も実戦で経験済みだ。だからこそワルドの取った戦術がどれほど有効なのかが解るのだ。

 

(……もしシエスタと戦わなければ、僕は剣技の有用性に気付けなかっただろう。いや、もしかしたら平民が使うと言うだけで、武器そのものを認めなかったかも知れない)

 

 そしてそれが傲慢な思い違いである事にも気付かないまま、武器を取って戦う誰かに討たれて死ぬ未来を想像し、ギーシュは己の未熟さを噛み締めていた。

 武門の名家に生まれ、元帥杖を預かる父を持ちながら、戦いを侮って散る愚か者。もしもあの決闘を知らずに生きていたのなら、そんな屈辱と羞恥に塗れた最期が待っていたのだろうか?

 

(けれど僕はあの敗北を知った、この決闘を知った! ならば変われる、変えて見せる!

 ……そうだ、僕は生まれ変わったんだ! あの情けないギーシュから、部門の名家たるに相応しい『ギーシュ・ド・グラモン』に!!)

 

 時には百勝を挙げるより、価値ある一敗を識ることこそが人を成長させる。

 ギーシュは今、正しく『価値ある一敗』を識ることが出来たのだ。

 そして彼は己の胸の内に生まれた宝物(けいけん)の価値に気付かないまま、自分が目指すべき二(・)人(・)の決闘の行く末を見守るのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 唸りを上げて迫る大剣を寸前で躱すと同時に入れた反撃は、その影に掠ることなく空を切る。

 魔法を使おうとすれば先手(イニシアチブ)を打たれ、ルーン詠唱を妨げられて不発に終わる。

 そんな巧妙な強敵(トモ)の剣技に翻弄されていたワルド。しかし冷静にその『剣技』を観察していた彼の目は、トモの技量を正確に看破していた。

 

(……やはり、だ。彼の剣技そのものは僕と同じか、僅かに劣っている程度でしかない!)

 

 ワルドも何人かメイジ殺しの剣士とは渡り合って来たし、中には彼の剣技では太刀打ち出来ない達人も居た。そう言う達人に比べれば、トモの剣技は攻撃の速度こそ人並み外れては居るものの、決して抗えないとは言えない程度の腕前に見える。

 

(……だと言うのに!)

 

 そう、技量が互角であってもそれを支える身体能力が文字通り桁違いなのが問題なのだ。

 

(僕とて『閃光』の二つ名を持つメイジだ! なのに、その僕でさえ追いつけない早さを、こともあろうに素の身体能力だけで成し遂げるとは信じられん!!)

 

 ワルドの二つ名は彼の得意魔法から来ているが、その敏捷さも由来の一つである。

 だがそれも魔法の後押しがあればこそ、素の身体能力ではどう頑張ってもトモの速度に追いつけない。否、既にワルドはトモの剣速に着いて行けないのだ。トモの技量が身体に追い着いていないからこそ、彼はどうにか互角に戦えている。

 

「はあっ!!」

「ちぇえええいっ!!」

 

 杖剣を振るって攻撃すると見せかけてルーンの詠唱に入ろうとするが、真っ向から振り下ろされた大剣に邪魔される。紙一重で躱すものの、ルーンの詠唱は中断せざるを得ない。

 もはや何度目になるのか解らない攻防に、ワルドは遂にその事を認めた。

 

(くっ、屈辱だが認めよう。─────君は、僕より強い!)

 

 剣の腕では互角でも、身体能力にこれほどの開きがあっては勝ち目はない。もしもこれが試合ではなく実戦であれば、今頃ワルドの首は胴体と泣き別れになっていた筈だ。

 そして己の力不足を認めたワルドから焦りが消える。そして優雅にマントを翻して飛び退り、間合いを空けようと飛び退る。

 それを看破して追撃に入るトモの面前に現れる閃光、それは文字通り閃光のような早さをもって繰り出されたワルドの突き。この手番(ターン)において、初めてワルドが先手(イニシアチブ)を取った瞬間だった。

 

「う、おおおおっ!?」

 

 突然現れた杖剣の刃を無理矢理避けるが、無理が祟って姿勢を崩すトモ。そこへ駄目押しとばかりに突き立てられるワルドの杖から、トモはバック転の要領で距離を取りつつ体勢を整える。

 けれどワルドはそれ以上追撃を仕掛けない。千載一遇である筈のチャンスを不意にしながらも、彼は再び杖剣を正面に構える。まるで仕切り直しだと言わんばかりに。

 

 

 

***

 

 

 

(……やっぱり。あの速さに誤摩化されていたけれど、彼自身は達人には及ばない……!)

 

 今までの流れをつぶさに観察していたキュルケは、奇しくもワルドがたどり着いた答えと同じ結論に至った。ツェルプストー家はゲルマニアでも有数の武門、当然その子女である彼女の観察眼もそれなりに肥えている。時折繰り出される鋭い剣閃や武器屋で見せた必殺技、何より恐ろしいまでの身体能力の所為で見誤っていたが、彼女の審美眼がトモの剣技を『かろうじて一流、悪くて二流の最上』程度であると看破させていた。

 

(とは言え、相手は曲がりなりにも魔法衛士隊の隊長。それでも互角以上に戦えるのは、あの馬鹿馬鹿しいくらいの速さのおかげ、なのよねぇ)

 

 彼がただの平民ではなく、『神』に戦いを挑む『冒険者』なる存在である事は知っている。

 ただ、それは『知って』はいても『理解している』訳ではない。キュルケはそれを言葉や知識では無く、目の前の決闘から実感せざるを得なかった。

 以前トモから聞き出した話によると、冒険者は自分の力量を数値化して把握しているらしい。そして素早さを表す彼の敏捷の数値は10Lv。人間の平均値が約3Lvほど、最大でも6Lvが限界であると言うから常人の二倍近い速さを持っていることになる。文字通り人間を超えた『超人』と呼ぶに相応しい能力だろう。

 余談だがサムライである彼のクラスレベルは2しかない。対するワルドの剣士としてのLvは3から4、彼女の下した『かろうじて一流、悪くて二流の最上』と言う例えはかなり正鵠を突いていた。

 

(……全く、貴方達と一緒に居るとメイジの常識がぐらつきそうになるわ。多分、それを今一番実感しているのはあの色男さんなんでしょうけれど)

 

 そしてキュルケの考察はこの決闘を提案した本人へと移る。

 見た目は間違いなく合格だ。キリっとした髭も凛々しい青年貴族、そのうえトリステインの魔法衛士隊隊長と言うエリートキャリアでもある。しかも王国有数の大貴族たるヴァリエール家の、三女とは言え子女の婚約者ともなれば将来は約束されたも同然だろう。

 なのにキュルケの食指は動かない。相手がヴァリエールの婚約者であるにも拘らず、だ。

 

(うーん、おひげが素敵なお兄様なんだけど……、どうにも胡散臭いのよね)

 

 意外だが、キュルケの情熱は誰にでも向けられるものではない。

 見た目もさることながら、何より彼女の琴線に触れる『イイ男』であることが重要なのだ。

 先刻も言及したが、ワルドの見た目は間違いなく合格ラインである。だがキュルケは彼から漂う胡散臭さを何となく感じており、微熱を向けることを躊躇わせていた。まあ、明確な根拠も無いあやふやなものではあるのだが。

 

 そのワルドが防戦一方の戦局を打開しようと間合いを空ける。その目論見を看破し、すかさず距離を詰めようとするトモの目前に、突然鋭い杖剣の切っ先が現れる。

 

「えっ!?」

 

 急変した戦局に驚くキュルケだったが、それも一瞬のこと。次の瞬間にはワルドが取った戦法の見事さに感心していた。

 

(速くて捕まえられないなら、向こうから攻撃に当たるようにしたって所かしら?)

 

 自身が引くことで追撃を誘い、予想された進路上に突きを放つ。

 たったそれだけのシンプルな策であったが、その効果は絶大だった。

 無理矢理に杖剣を避けたことで姿勢を崩したトモに繰り出されるワルドの追撃。しかしトモはそれを後ろに転がる要領で躱し、跳ね上がるようにして体勢を整える。

 何故かワルドはそれ以上の追撃を入れようともせず、杖剣を胸の前に掲げて構えを取り直す。

 だがキュルケは、ワルドがそれまで放っていた焦りの感情が消えるのを感じ取った。

 

(仕切り直しってことね、ここからが本番かしら? 頑張ってね色男さん?)

 

 その言葉は果たしてワルドとトモ、どちらに向けられたものだったのだろうか?

 それはおそらく、キュルケにすら解らなかったに違いなかった。

 

 

 

***

 

 

 

「……正直に言おう、僕は君を侮っていたらしい。まさか速さが売りの『風』メイジが追い着けない速さとはね。僕も達人と剣を交わした数は少なくないが、君ほどの剣士は居なかったよ」

 

 ワルドの唐突な告白にトモの目が細まる。台詞の中身だけ聞けば降参の意思表示のようだが、その身に纏う気迫がそうではないことを全力で主張していた。

 

「それはそれは、お誉めに与り恐悦至極。とでも返せば宜しいのでしょうか?」

「まさか! 僕はこれでも魔法衛士隊を預かる身なんだ。この程度で降参なんかしていたら、部下と女王陛下に合わす顔が無い」

 

 トモの慇懃無礼な挑発に大袈裟に肩を竦め、ワルドは羽帽子を深く被り直す。

 そして再び杖剣を構えると、先程までの焦りが嘘のように不適な笑みを浮かべた。

 

「君の実力は見せてもらったからね。今度はこちらの番さ。

 ─────魔法衛士隊のメイジがただ魔法を唱える訳じゃないところをお見せしよう」

 

 言うが速いか、マントを翻してワルドが疾る。先手(イニシアチブ)を許したトモが迎え撃とうとデルフリンガーを青眼に構えるのと同時に、鋭い切っ先が連続して突き入れられた。

 しかしそれは決してトモの速さを上回るものではなく、大剣の一薙ぎで打ち払われる。

 だがワルドはそれに構う事なく攻撃を続行する。後手に回ったトモの耳に、一定のリズムをもったワルドの呟きが聞こえて来たのはそんな時であった。

 

「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ……」

「!、やべぇぞ旦那、魔法が来るぜ!!」

 

 それはデルフリンガーの警告とどちらが速かったのだろうか?

 跳ねた空気が巨大な鉄槌となってトモに襲いかかった。 咄嗟に剣を掲げるも形持たぬ暴風を防ぎ切る事は出来ず、彼は風に舞う木の葉のように吹き飛ばされる。

 

「ああっ!」

「これは、決まったかしら?」

「……決着」

 

「…………何よ、」

 

 その場に居た全員が彼の敗北を確信する中で、唯一ルイズだけがそれに気付いていた。

 

「やっぱり詐欺師じゃないの」

 

 十メイル以上も吹き飛ばされ、積み上げられた樽に激突するトモ。ガラガラと崩れ落ちた樽に埋もれた彼の手から大剣が零れ落ちる。それを踏みつけたワルドは杖剣を樽の山に突きつけた。

 

「さあ、これで終わりだ使い魔くん。降参したまえ」

 

 降伏を促すその言葉に、樽の山からは何の反応も返ってこない。不審に思ったワルドが再び降伏を促すが、樽の山は沈黙したままだった。

 

(む、もしや打ち所でも悪かったのか? 気を失った程度であればいいのだが)

 

 流石にやり過ぎたか、と樽の山に『レビテーション』を掛ける。

 そして次の瞬間、ふわりと浮かんだ樽の一つが突然ワルドに襲いかかって来た。

 

「何ぃっ!?」

 

 いや、襲いかかって来たのは樽ではない。樽の陰に隠れていたトモであった。

 その手に光るのは大振りのナイフ、その刃は不意を討たれたワルドの脇腹を掠めるように閃き、慌てた彼が身を引くと同時に踏みつけられていたデルフリンガーを拾い上げる。

 

「おおっ、旦那! 無事だったか!!」

「……インテリジェンスソード? 変わった剣を使っているね」

 

 突然喋り始めたデルフリンガーに驚いたワルドが目を丸くするのにも構わず、トモは無言でデルフリンガーを左腰に帯びるように構えると、左足を引いて右半身を突き出すように構える。

 ほとんどワルドに背を向けるまでに身を捻った奇妙な構え。

 

「あっ、あの構えは!」

「……勝負に出たわね」

 

 その構えに見覚えのあるシエスタとルイズがそれぞれ驚きと期待に声を上げた。

 それだけではない。その構えを知るキュルケとタバサは元より、それを知らぬ筈のギーシュや相対するワルドもまた、そのただならぬ気配に息を呑む。

 

「……それは、何だい?」

 

 僅かに震えの混じったワルドの問い掛けに、トモは一言で返す。

 

「……抜刀術」

 

 そう、それこそは彼の現行最大の必殺技たる『居合い斬り』の構えであった。

 

 

 

***

 

 

 

(……間違いない! 彼の本当の武器は剣技でも速さでもなく、間合いの取り方にある……!)

 

 一連の勝負をつぶさに観察していたタバサは、トモの強さについて仲間たちよりも一歩踏み込んだ観点を得ていた。

 確かに彼は速い。けれど本当に速さだけで魔法衛士隊隊長の肩書きを持つワルドを圧倒出来るものなのだろうか?

 そんな疑問を抱いたタバサの観察眼が見いだした真実、それは─────

 

大剣(デルフリンガー)細剣(レイピア)が持つ間合いの違い』

 

 ─────と言うものだった。

 

 ワルドが使う杖剣は軍人が好んで使う細剣(レイピア)型の杖剣である。

 対するトモが使っているのは1.5メイルに届く幅広の大剣(デルフリンガー)だ。

 いくら高度な『固定化』が掛けられているとしても、その剛剣を受け止めるには細剣(レイピア)では些か頼り無い。事実、最初の一合以降ワルドは捌くことに専念しているではないか。

 

(……ううん、あの奇襲が『受け止めると危険』だと印象づける為の作戦だったとしたら……?)

 

 ならば話は変わってくる。

 最初の一合で『受けることの不利』を理解させ、回避に徹させることで反撃の目を潰す。後は細剣(レイピア)の間合いの外で、大剣(デルフリンガー)の間合いに入る位置に留まるだけだ。

 

(あの杖剣を当てるには間合いを詰めるしか無い。けれど今の子爵では二の足を踏んでしまう)

 

 何より恐ろしいのは、トモが杖剣の間合いから一歩外れた位置を保っていることだろう。

 ワルドが一歩踏み込めば一歩下がる。たったそれだけで彼の攻撃は掠りもしなくなるのだ。

 そしてその位置は同時にデルフリンガーの攻撃射程でもある。一歩下がったところで間合いが外れることは無いのだから、彼の優位は崩れない。

 それと気付かれないように戦況を操作して敵に本領を発揮させない、まるで策略の手本のような状況を作り出したトモの作戦。それを知ったタバサの目が鋭く光った。

 

(技量の差を身体能力と策略で埋める『冒険者』の戦い方。それを取り入れることが出来たなら、私はもっと強くなれる筈……!)

 

 驚いたことに、タバサはトモの技量がワルドに劣ることを早くから見抜いていた。

 だからこそ、この茶番のような決闘に付き合っていたのだ。

 『決して諦めない』、トモが語った冒険者の基本にして極意。それが欠けているが故に冒険者になれないのなら、せめて冒険者の強さの秘密を解き明かして自身の成長に繋げたい。

 そうして貪欲に強さを求め、いつの日か『悲願』を達成するのだ。

 知らず知らずのうちに杖を握る手に力を込めながら、タバサは決闘の行く末を追う。

 

「……正直に言おう、僕は君を侮っていたらしい。まさか速さが売りの『風』メイジが追い着けない速さとはね。僕も達人と剣を交わした数は少なくないが、君ほどの剣士は居なかったよ」

 

 どうやら考え込んでいる間に仕切り直しが行われたようだ。

 慇懃なトモの挑発を軽く受け流し、マントを翻して突進するワルド。連続して放たれた突きは当然のようにトモに払い除けられるが、ワルドはそれに頓着すること無く攻撃を続けている。

 攻守こそ逆転しているものの、ワルドの攻撃がトモに掠りもしないのは先刻と同じ。ワルドの思惑が読めずに首を捻るタバサだったが、遅れて聞こえて来た詠唱にその意図を悟った。

 

(あれは軍人の使う……剣技詠唱!)

 

 それは剣と魔法を扱う軍人なら基本中の基本とも言える動作であった。

 これは杖を剣のように扱いながらあらゆる動作に合わせて詠唱を完成させると言うものだ。

 ただし動作を途中で取りやめたりすると効果が発揮されないので、これを使う為には詠唱者が戦局を握っていること、すなわち『攻勢であること』が第一条件になる。

 先刻まで詠唱もろくに出来なかったのはこの所為だ。だからワルドは攻撃が通じないと理解しつつも、一見無謀にさえ見える突撃を敢行したのだろう。

 果たしてその目論見は成功した。

 

 風の塊が跳ね上がり、トモの身体を吹き飛ばす。空中高く跳ね飛ばされた身体は積み上げられていた樽の山に激突、山を崩しながらトモの姿が樽に埋もれて行く。

 

「……決着」

 

 あれでは流石に一溜まりもないだろう。あっけない幕切れに落胆しつつも他の二人と同様に決着がついたと判断したタバサの横で、ルイズだけが毛色の違う呟きを漏らしたことに気が付いた。

 

「何よ、やっぱり詐欺師じゃないの」

 

 詐欺師? はて、何のことだろうか?

 意味が分からず首を捻るタバサの目の前で、ワルドが樽に『レビテーション』を掛けている。

 ふわり、と音も無く浮かび上がる樽。しかしその影に紛れるように立ち上がった人影を見た瞬間、彼女は先刻のルイズの台詞の意味を完全に理解した。

 

(何てこと……! やられた振りをして相手を油断させて、反撃に繋げるなんて……!)

 

 通常、メイジが力仕事をすることは無い。大抵の場合は『念力』で済ませてしまうからだ。

 それを知っていたトモはわざとやられた振りをしてワルドの油断を誘い、『レビテーション』で浮かんだ樽に隠れての不意打ちを目論んだのだ。

 わざわざ剣を手放したのは信憑性を増すためと、近くに子爵をおびき寄せるため。自分に不利な状況を作ることで自身に有利な状況へ誘導すると言う、まさに詐欺師の面目躍如な作戦だった。

 しかしワルドも徒者ではない。凡庸なメイジならともかく、彼は魔法衛士隊の隊長なのだから。

 

「何ぃっ!?」

 

 全くの不意打ちだったナイフを紙一重で躱すワルド。しかし無理が祟ってか、デルフリンガーを押さえていた足が宙に泳ぐ。その一瞬の隙にトモは素早く大剣を拾い上げ、再び距離を取る。

 鮮やかな攻防、その一連の流れを目撃したタバサは最初の結論が間違っていたことに気付いた。

 

(……私は彼の武器が『間合いの取り方』だと考えた。確かにそれも武器には違いないけれど、それだけじゃ無い! 彼の本当の強みはそれらを最大限有効に使いこなす『判断力』と『決断力』、そして『精神力』にこそある……!!)

 

 自身の技量がワルドに劣っていることを見抜いた『判断力』、その差を補完する為に速度を使って間合いを保つことを選んだ『決断力』、剣技詠唱を用いたワルドの戦法を覆す為にわざと攻撃を食らって見せた『精神力』。この三つが彼の技能と身体能力を十全に活用させている。

 そしてその中心となる意思(おもい)こそが、冒険者の資格たる『諦めない心』なのだ。少なくともタバサはそう理解した。

 そしてそれが自分に足りない『資格』であると言うことも。

 

 そんなタバサの思考を尻目に、事態は更に変化して行く。大剣を腰だめに構えたトモが、身体を大きく捻じる奇妙な構えを取り始めたのだ。彼女はそれがいつかの武器屋で見せた構えであることを思い出し、トモがあの大技で決着を付けるつもりなのだと気付いた。

 

「……それは、何だい?」

「……抜刀術」

 

 言葉少なに交わされた遣り取りが緊張感を高めて行く。

 二人の気迫に引き込まれつつも、タバサは心の何処かにもやもやしたものを感じていた。

 

 

 

***

 

 

 

 細く漏れる呼気が静まり返った練兵場に谺する。

 日本の剣術など知らない筈のワルドでさえ警戒せざるを得ない気迫を放ち、それと気付かぬ程の摺り足でじり、じりと彼我の距離を詰めるトモ。

 抜刀術は日本剣術における奥義だが、同時に一度技を放てば後の無い乾坤一擲の戦法でもある。

 故に一撃必殺であり、一発限りの博打技なのだ。

 

 幽玄の如き呼吸音が不意に途絶え─────刹那のうちに爆発する!

 

「いぇえええええええぃっ!」

 

 練兵場を揺るがす気合いと共に白光が弧を描く。あまりの速さに閃光と化した斬撃が三日月の軌道を描く。されど『閃光』を迎え撃つワルドもまた『閃光』であった。

 斬撃が放たれると同時にバックステップ。先刻まで散々悩まされた『間合いギリギリでの回避』のワルド版と言ったところか? だが─────

 

(馬鹿な、足りない!?)

 

 長刀であることを考慮に入れ、十分に取った筈の間合いが想定よりも近い。

 そもそも日本の剣術において最も重要視されていたのが『間合い』の取り方である。当然、それを悟らせない為の技法も確立していた。その中の一つに含まれるのが『継ぎ足』と呼ばれる足さばきだ。起点となる後足を前足に引きつけ、大きく踏み込んで間合いを詰めるそれは初見の相手ならば見破るのは難しい。

 ワルドの見立てよりも半歩ほど踏み込んだ斬撃は、真っすぐ彼の胴体に吸い込まれて行く。この絶体絶命の危機の中で、ワルドはその場にいる誰もが仰天する奇策を繰り出した。

 

「『エア・ハンマー』っ!!!」

「なっ!?」

 

 おそらく対峙の合間に詠唱していたであろう『風』魔法が再び跳ねる。しかしそれが向かった先はトモではなく、何と詠唱したワルド自身であった。

 見えざる戦鎚が彼を弾き飛ばす。そして目標を失った白刃が空しく空を薙ぎ、不発に終わった乾坤一擲の必殺技は一転して致命的な隙を曝け出す。

 

「『エア・カッター』っ!!」

「!、しまった!」

 

 それを見逃すワルドではない。即座に放たれた魔法がトモの右手に握られた剣を正確に射抜き、大技の直後で握力の緩んだ右手はその衝撃に耐えられなかった。そして策によるものではなく、純全に武器を失ったトモの喉元に杖剣が突付けられる。

 

「……今度こそ勝負有り、だな」

 

 杖剣を握るワルドが不敵に笑う。それに答えるようにトモは両手を挙げて降参の意を示した。

 

「……やれやれ、もう少し粘れるかと思ったのですが」

「正直言ってここまで追い詰められるとは思っても見なかったよ。……特に最後の一撃には肝を冷やしたよ。君程の剣士は今まで見た事が無い」

「それはどうも。ですが負けは負け、本当に魔法と言うのは厄介ですね」

 

 その言葉を聞き、ワルドは頷く。

 

「そうさ。幾ら剣の腕が立とうと、魔法がある限り剣士はメイジに勝てないのが道理だよ」

「ご忠告どうも、今後は注意することにしましょう」

 

 朗らかに笑う青い顔のワルド、神妙な様子でいつもの薄い笑みを湛えるトモと言う、一目ではどちらが勝者なのか区別がつかない顔色の二人。

 口々にやり過ぎを諌める声や敢闘を讃えつつ駆け寄って来たキュルケ達を押しのけ、ワルドはルイズに向かって語りかけた。

 

「……これで判ったろうルイズ。どんなに強くとも、平民の彼では君を守れない」

「だって貴方は魔法衛士隊の隊長じゃないの。強くて当たり前でしょう?」

「そうだよ。けれど僕達が行くのはアルビオンだ。敵を選ぶ余裕なんて無い。それとも君は強力な敵を目の前にして、私達は弱いです、だから杖を収めて下さいなんて言うつもりかい?」

「……呆れた。それを言うためにこんな決闘を持ち掛けたの?」

 

 ワルドの物言いに呆れるルイズ。己の強さを誇示したい、などと言う子供染みた理由にばつの悪そうな顔をしたワルドは釈明しようとするが、それを遮ってトモが助け舟を出す。

 

「ご主人、子爵の言うことももっともです。とりあえずお互いの実力も測れましたし、時間もありませんから早速情報収集へ向かいましょう」

 

 その言葉にルイズはとりあえず矛を収めることにする。そして目の前で起きた超人バトルに興奮しているギーシュ達を宥めるトモとワルドを横目にしながら、一人思案に暮れるのであった。

 

 

 

***

 

 

 

 渓谷に挟まれたラ・ロシェールでは、午後の日差しもどこか陰りを帯びている。

 それは一本外れた裏通りにある『金の酒樽亭』を、より陰鬱な雰囲気に彩っていた。

 

「あいつら無茶苦茶だ、冗談じゃねえ!!」

「ジョーンズがやられた、だと……!? 畜生!!」

 

 『金の酒樽亭』に先遣隊の面々が逃げ込んで来たのはつい先程のこと。

 そして伝えられた仲間の死に様は、傭兵達を驚愕させるのには十分過ぎた。

 

「糞っ! あいつら殺してやる!!」

「どうやってだ? あいつらがどこに居るかも判らねえのに!!」

「けどよ、このままじゃ俺達もジョーンズみてぇに殺されるかも知れねぇんだぞ!!」

「……殺しはしない。お前達が俺の命令に従う限りはな」

 

 いきり立つ傭兵の背後からかけられる声。ざわめいていた酒場が一瞬で静まり、そして一斉に声の出元……はね扉に顔を向ける。

 そこに居たのは白い仮面を被った人影と、その一歩後ろで佇む妙齢の女性。今の今まで話題に上がっていた雇い主、その本人達であった。

 

「手前ぇっ! よくものこのこと────」

「馬鹿、やめろ!! 死にたいのか!?」

 

 激昂して踊り掛かろうとする傭兵を仲間が止める間に、白仮面の背後に控えていた女が抱えていた袋を机に放り投げた。重たい響きと共にテーブルを揺らした袋の口が緩み、大量のエキュー金貨が零れ落ちる。その尋常ではない輝きに、傭兵達の動きが止まる。

 

「前金の倍だ。無論死んだ男の分も含めてある。仕事に成功したらこれの三倍出そう」

「……どういう事だ? こんなにポンポン金を出すなんて、手前ら一体何モンなんだ?」

 

 傭兵を取りまとめていた古参の男が漏らした疑問に、白仮面は首を振る事で答えた。

 

「相手について調べが足りなかったのはこちらの落ち度だ。相手はスクウェア、魔法衛士隊の隊長にトライアングルが二人。その内一人はシュヴァリエだ。その上無名だが腕の立つ『メイジ殺し』が二人に、とんでもなく頭の切れる参謀役が付いている。かなり手強いぞ」

「ま、魔法衛士隊の隊長だと!? なんだその連中は!?」

「馬鹿言うな! そんな奴らに勝てる訳無いだろうが!!」

 

 余りと言えば余りの事に、傭兵達はこの世の終わりが来たかの如く騒ぎ出す。

 当然であろう。スクウェアで魔法衛士隊の隊長といえばあの『閃光』の事だろうし、シュヴァリエ持ちのトライアングルはそれだけで脅威になる。しかも『メイジ殺し』に参謀が付いて来るとなれば最早軍隊と変わりない。敵に回すには最悪の布陣、それを相手にすると言っているのだ。文句の一つも生まれようと言うもの。

 だが傭兵達の罵詈雑言にもたじろぐ事なく、白仮面は余裕を崩さない。

 何しろこの怪人達は、そんな最悪の敵に対する秘密兵器を用意していたのだから。

 

「安心しろ。今夜の襲撃にはお前達だけじゃなく、彼女も付いて行く。貴様らは彼女の襲撃を援護するだけで良い」

 

 男の言葉を受けた女がフードを撥ね除ける。零れ落ちる『緑色』の長い髪を払い、女は未だ騒ぎ続ける傭兵達に向かって名乗りを上げた。

 

「あたしはロングビル。アンタ達にはこう名乗った方が早いか。『土くれ』のフーケ、ってね!」

『『土くれ』ェ!?』

 

 トリステインにその名を轟かす大盗賊に、男達の驚愕の声が唱和する。

 その反応に女……フーケは大きく頷き、傭兵達にその『作戦』を明かした。

 

「……ってのがアタシの作戦さ。簡単だろ?」

「た、確かに簡単だけど、何なんだ? 何をするつもりなんだアンタ達は!?」

 

 『ひよっ子に毛が生えた程度のメイジを襲う』、大金と共に持ち掛けられたそれは簡単な仕事の筈だった。しかし相手は手強く、逃げ出した仲間は本当に殺された。そして今度はあの『土くれ』が仲間だと言う。此処までくればどんなに巡りの悪い頭の持ち主でも「これはヤバイ」と思い始めるだろう。

 しかし仮面と『土くれ』はその言葉を取り合わず、淡々と告げる。

 

「……金は充分に払う。逃げ出さなければ殺しもしない。だがな……」

 

 そこまで言うと、白仮面は傭兵達を睨み付けた。

 仮面に隠されて見えない筈の目に射抜かれた男達の背に冷たいものが走る。

 

「……逃げるのならば、裏切るのならば……貴様らの命は無いものと思え」

 

 壊れた様に首を縦に振る傭兵達を横目に見ながら、フーケは『右腕』をさする。

 フーケに取ってもこの作戦は『博打』なのだ。だが、もはやこれ以外彼女がとれる手段が無いのも事実であった。

 

(とにかくあの子たちに接触することが第一だよ。それから後は……ぶっつけ本番だね)

 

 不安はある。焦りもある。けれどフーケはそれを怖れない。

 その姿は正しく『冒険者』そのものの姿であった。

 

 

 

 

 

 

エネミーデータ

・『閃光』のワルド:Lv6 敏捷値:6/攻撃値:10/防御値:4 HP/MP:20/40

 トリステイン騎士の頂点、魔法衛士隊「グリフォン隊」の隊長。

 衛士達のエースであり、実戦経験も豊富な『風』のスクウェアメイジである。

 ・保有スキル/エア・ニードル(※1):Lv3/エア・ハンマー:Lv2/

  エア・カッター:Lv2/レビテーション:Lv1

  ファイター:Lv3相当として扱う

 

 

 




(※1)杖を中心に風の刃を纏わせる『風』魔法。
    武器のダメージタイプを魔法ダメージに変更し、+Lvの補正を加える。
   (クリティカル値からー1)。


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