仮面ライダージェッター&レイガー (マフ30)
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第1話 暁の探検野郎

皆様ご無沙汰しております。
諸事情でしばらくハーメルンからリタイアしておりましたマフ30です(汗)
デュオルやグロリアスの続きはどうした?ともっともな意見もあるかと思いますが性懲りもなく新ライダーSS開幕でございます。

一応弁解をさせて頂きますと静養中にガタガタに落ちまくった執筆能力を自分なりの平均値に戻すためのリハビリ作品のつもりで今回新たに筆を執った次第です。
こんな無精で移り気な作者と拙作ですがどうかよろしくお願いします。

PS.読んでいただくとすぐにお気付きになるかもしれないので最初に白状しますと本作のメインキャラ三人のモチーフは作者の最愛の特撮の一つである宇宙鉄人キョーダインを参考にしております。


 

 もしも、空を自由に飛べたなら、あの山を越えて見知らぬ街を見てみたい。

 もしも、空を自由に飛べたなら、あの海を越えて不思議の国を探したい。

 

 ずっとずっと昔から、人はそんな夢想を抱いて空を眺めていた。

 空だけじゃない。地平を、海原を、雲の向こうを眺め続けて――

 いつしか人は星の海にまで旅立てた。

 

 無限大の夢を抱いた人々が、昨日も、今日も明日も、こうして奇跡を起こしていく。

 

 

 

 

 

 

 風にゆれる葉桜が美しいそんな季節のある夜のことだ。

 地方都市・鉄京市。

 鏡川という大きな河川によって東西に二分された地形のこの街は駅を中心とした繁華街のある東部と古い町並みが建ち並ぶ西部に分かれており、海にも面していることもあって地方にありながら、古くから海外との貿易なども盛んな活気のある街だ。

 

 そんな鉄京市の西部にある自然公園にはまだ何人かの利用者が静かな夜の時間を過ごしていた。

 仕事帰りに一息つくサラリーマン。

 ジョギングに励む中年男性。

 初めてのデートでどこかぎこちなく、甘酸っぱい雰囲気に浸る若いカップル。

 いつもと変わらない、平和な夜の一幕だ。

 

 だから、公園の敷地内にある小高い山の方角から何かが近づいてくる音は誰の耳にも入った。ガサガサと茂みを強引に突っ切って走るような物音だ。

 その場にいた何人かは怪訝そうな顔をして音の方角を見て身構えたりもしたのだが公園にいた誰もがどうせ野良犬か精々が野性のキツネやタヌキだろうと高を括っていた。

 自然豊かなこの街で、とりわけ西部ではよくある光景だと。

 だが、次の瞬間のことだった――。

 荒々しい蹄の音が鳴り。

 

『KYAGAAAAAAAA!!』

 

 茂みと言うよりは林を突き破って現れたソレはこの世の物とは思えない異形だった。

 夜闇を引き裂くように高々と掲げられた鋭い鎌の両腕と蹄を持ち筋肉が詰まった四本の脚。胸の中央には不気味なデスマスクのような小さな顔が生えている。

 カマキリの上半身と馬の下半身が融合したようなグロテスクな怪物が人語にも聞こえる不快な鳴き声を上げて人前に現れたのだ。

 

 それは混沌。

 まさに混沌。

 これこそは――混沌。

 

 まるで時間が止ったような間の抜けた静寂の後に公園には張り裂けんばかりの悲鳴で溢れた。そんな阿鼻叫喚の中で不条理の塊としか言えない姿形をした怪物は糸が切れたマリオネットのような脈絡のない動きで公園内を駆け回る。

 その両腕が大きく振るわれる度に街灯や自動販売機がまるで紙きれのように切断されていく様子を見て、場に居合わせた誰もが今夜、自分はここで死ぬと確信した。

 

「おぉおおお! そっちじゃねえだろうがコノヤロー!!」

 

 絶望に染まりきった人々の心を瀬戸際で掬い上げたのは怪物と同じ位置から聞こえる若い男の叫びだった。恐怖を堪えて怪物を注視した者の眼には暗くてハッキリとは見えなかったが怪物の背に誰かが跨っていたのが映った。

 少し伸びすぎた黒髪に明るいブラウンのミリタリージャケットを着た精悍な雰囲気の青年のようだ。キャンパーか登山者なのか背中には大きなバックパックを背負っている。

 まるで暴れ馬を宥めるカウボーイのように怪物が人を襲わないように制して、抗っているようだった。やがて、謎の怪物は背に乗る男を振り落とせない激しい挙動で真っ暗闇の山林の方へと駆け出して姿を消してしまった。

 

「なんだったんだ……いまの」

 

 四方八方に怪物が暴れ回った傷痕が残る公園には嵐が過ぎ去った後のような得体の知れない静けさが広がっていた。

 誰もが悪い夢か幻でも見ていたのではないかと、むしろそうであって欲しいと感じながらどうすることも出来ずに呆気に取られて立ち尽くしていた。

 一足違いで公園に駆けこんで来て、すぐさま怪人を追って山林の方へと去っていった二人分の気配に誰も気付くことなく。

 

 

 

 

 

 

『SYGAAAAAAAAAA!!』

「このバケモンめッ! 大人しくしやがれ!!」

 

 半蟲半馬の怪物――マンティスケイオスは鎌腕で山林の木々を切り倒しながらその背に跨る男を振り落とそうと荒い走りで坂道を駆け上がっていく。

 背中の男――帆高万里は手綱代わりに怪物の首や両腕に巻きつけた登山用のロープを握り締めながら叫んだ。

 まだ肌寒い夜だと言うのに滝のような汗を流して、万里はロープを握る手に力を入れ直す。この怪物が他の誰かに危害を加えないように決死で抑えているのだ。

 

「日本に帰って来たと思ったらなんてこっただ! 最高の探検の余韻がぶち壊しじゃねえか!!」

 

 自分を叩き落とそうとして迫るマンティスケイオスの右腕を鉤縄で巻きつかせたロープを引くと同時に蹴飛ばして何とか凌ぎながら万里は悪態をつき、現状に至るまでの自分の行動を振り返った。

 

 探検家およびフリーライターを生業にしている彼は一ヶ月半に渡る取材を兼ねたオーストリアでの探検を無事に終えて帰国。

 鉄京市にある自宅へ帰る道中に近道をしようと庭も同然の自然公園内の山林を抜ける途中で偶然にもこのマンティスケイオスがYouTuberらしき若者たちを襲う場面に出くわしてしまったのだ。そして自分の瞬間的な本能に従った結果このように怪物の背に乗りロデオよろしく命懸けのデスレースとなったわけだ。

 

「あー……こりゃあ、もしかしなくても自業自得だな!」 

 

 飛んできた小枝が掠り、頬から僅かに血を滲ませながら万里はヤケクソ気味に己の馬鹿げた行動を罵り、次の瞬間にはギラついた笑みを浮かべていた。

 

「よっし! 未知との遭遇、これも立派な探検だ! 意地でも何とかするっきゃねえな!」

 

 探検とは未知の秘境や未開の土地を拓くだけに非ず。

 自分の知らない【はじめて】に触れて、見聞を広げることこそが探検。

 などと言う、自らの信条に従って恐ろしいほどあっさりと気持ちを切り替えた万里は意気揚々とした態度でこの難局を乗り切ろうと気合を入れた。

 

『いい加減にしろ……この下等生物め!』

「なっ!? ぬおわっ!」

 

 けれど、万里のやる気に対して相手がそれに付き合ってくれるというわけではない。

 マンティスケイオスは低くノイズが混じった声ながらハッキリと人語を口にするとその特異な体型でわざと転倒して背中の万里を弾き飛ばした。

 幸い、背中のバックパックがクッションになり軽い打撲だけで済んだ万里だったがここまでマンティスケイオスに組み付いて、他の人間を襲わせないように動きを抑制する行動により彼自身の体力は大きく消耗していた。

 

「ハッ……ハッ、ノリが悪いじゃないか……ってか、喋れたのかよ」

『勘違いするなよ、人の形をしただけの凡庸な愚生物め。我らケイオスと対等に言の葉を交わせる立場だと思わないことだ』

「おいおい、俺は何もあんたを標本にして飾りたいつもりじゃないんだぜ? 会話でコミュニケーション出来るならもうちょっとお互いの趣味や夢について話してみないかい?」

『ほお、興味深い生態だな。お前は道端で気にも留めずに踏み潰すような蟻と語らうのか?』

「ハッ……手厳しいコメントだな」

 

 自分の良く知るカマキリ虫とは異なる淀んだ紫色の複眼に睨みつけられながら、万里は苦し紛れの軽口を叩くがマンティスケイオスは一欠片の慈悲も与えるつもりはないと言わんばかりに左右の腕の鎌を研ぐように擦り合わせ、ゆっくりと近づいてくる。

 そう簡単に死んでたまるかと生きる望みこそ捨ててはない万里だったが万策尽きた状態にどうしたものかと内心困り果てていた時だった。

 

「伏せて!」

『GRAAAAAAA!?』

 

 少年とも少女にも聞こえる澄んだ声が万里の背後から聞こえたかと思うと戦車の砲撃のような強烈な光弾が飛来して、マンティスケイオスを吹き飛ばした。

 

「なんだ……あんたら? いまの、そっちのゴツいのがやったのか?」

 

 慌てて振り向いたその視線の先には黄色い大きな麦わら帽子を被った中性的で端麗な顔立ちの高校生ぐらいの子供と青い仮面の戦士のような人影が立っていた。

 仮面の戦士と簡単に言うが万里の目から見てもその姿は異形であり、威容だった。

 まるで装甲車と獅子が融合したような蒼い重装甲の鎧を纏った闘士のようなフォルム。リベットの目立つ胸部装甲や獣の爪の意匠が組み合わさったショルダーアーマーはパワフルな凄みを醸し出している。

 

 一際目立つ蒼い兜のような仮面は真紅の角張った複眼と後頭部から伸びた獅子のたてがみや自動車のマフラーを想起させる六本のシンメトリーなパイプが特徴的だった。

 そして職業柄、万里の関心が湧いたのはベルトの中央にあるアンティーク調の羅針盤のような不思議なバックルだった。

 

『話は後だ! ティオ、彼を頼んだよ』

「レイガーも気をつけて! お兄さん、走れますか? こっちです」

「何だか分かんねえがありがとよ! 恩に着るぜ、青い兄さん!」

 

 黄色い麦わら帽子の下から蜂蜜色のふわりとした金髪を慌ただしく揺らして、黒と赤を基調としたポンチョのような異国風情のある衣装を身に纏った子供が万里を立ち上がらせると一目散に走り出した。

 ティオに手を引かれて間一髪で逃げ出せた万里を見届けるとレイガーと言う名の戦士は銃砲に変形していた右前腕を元に戻すと小さく重い息を吐き出しながらマンティスケイオスへと突撃した。

 

『この気配は! 魔術師共の追手か! 邪魔をするなぁあああああ!!』

『クッ……うおおおおお!!』

 

 謎の乱入者の正体に心当たりがあったマンティスケイオスは明確に殺意の炎を燃やしてレイガーに襲い掛かり、鋭い鎌腕を振り下ろす。

 その一撃はどこか動きの鈍いレイガーの右肩にまともに直撃するが分厚い装甲を前に刃は阻まれ、レイガーの体を僅かに沈ませるに留まった。

 あべこべにマンティスケイオスの方が迫力満点のタックルをお見舞いされて吹き飛ばされる有様だ。

 

『KYAGAAAAAAAAAA!!』

 

 マンティスケイオスはすぐさま馬の下半身の脚力で跳ね起きると奇声を上げてレイガーに斬り掛る。機動力を生かして仕掛けてくる敵に対してレイガーは落ち着いて再び右腕を伸ばして構えると狙いを定める。

 

『――食らえ!!』

『ぐばっぁあ!?』

 

 瞬間、ガシャガシャとまるでルービックキューブが高速で動くような動作で右腕が射撃武装グランバスターに変形すると強力なエネルギー弾がマンティスケイオスに直撃した。

 

『GRAAAAAA! 小細工ばかりを使い回して!!』

『ガハァッ!? ハァ……ハァ……まだまだッ!!』

 

 大きく仰け反って後退しながらも、四本の脚で踏み止まったマンティスケイオスは追撃しようと近づくレイガーを馬特有の強靭な脚力を駆使した前蹴りで弾き飛ばす。

 サッカーボールのように蹴飛ばされたレイガーは大きな木に激突して堪らず苦悶の息を吐き出す。

一進一退の攻防を繰り広げていると思われた両者だがまだまだ余力のあるマンティスケイオスに対してレイガーは既に片膝をついて疲労感のある呼吸を繰り返していた。

 何かしらの謎の不調が見られるレイガーだが鉄のように硬い決意を感じさせる声を出して、果敢に立ち向かっていく。

 

 

 

 

 

 

「えっと……この道は」

「こっちだ! 反対の道は人里に繋がっちまう! これ以上無関係の連中は巻き込めねえ」

「は、はい!」

 

 その頃、ティオの手引きで逃げ出した万里はいつの間にか不案内な土地に戸惑う彼に代わって水先案内人よろしく先頭になって月明かりだけが頼りの暗い山道を走っていた。

 

「あーっと、ティオってのはそちらさんの名前でいいんだよな? 足は止めないから説明してもらえるか! 日本で! いや、この土地で何が起こってる!?」

「……これからボクの話す内容を全て信じていただけますか?」

「あんな怪物の背中に乗った後だしな、何でも信じるさ。それに俺は探検家だからよ、絵空事だぁ法螺話にゃホイホイと食いつく性分だぜ?」

 

 ティオが話しやすいようにぐっと歩調を緩めて万里は空元気かもしれないがケラケラと明るい笑顔で答えた。そんな万里の態度にティオは多少面食らいながらも、可能な限り分かりやすく事の詳細を話し始めた。

 

「改めまして、ボクの個体名はティオドール・アインス。そしてあの怪物の名前はケイオス。ボクたち魔術師が暮らすアポジェネシスと呼ばれるもう一つの世界からこちら側へとやって来た過激な盗賊団の一人です。そして、ボクたちも彼らの暴挙を止めるためにこの世界へと渡って来ました」

「夢があるな! 異世界ってやつか……良いね、叶うなら行ってみたい探検先だ。となると、あの青い兄さんも向こうから来たお仲間か?」

「いえ、ゆ……彼はこの世界で出会った親切で心強い協力者です。ボクたちはこちらの世界の人々に迷惑ばかりかける存在だと言うのに彼はとても親身に接してくれる大切な友人とも言えます」

 

 どこか歯切れの悪い言い方をして顔色を曇らせるティオに出来るだけ穏やかな口調で続きを促す。

 

「……何か、ややこしい事情があるみたいだな。嫌じゃないなら話してもらえるか」

「この世界はボクたちの体質には合わないんです。普通に生活するには問題はないようですが魔力が少なすぎて、身を守るための初歩的な魔術も碌に使えない。けれど、彼らケイオスは禁術を用いてあの世にも恐ろしい異形の姿と力を手に入れてこの世界に適応してしまった」

「だから現地協力者が必要ってことか、理屈は通るな。にしてはレイガーだっけ? 随分とメカニカルと言うか、魔術ってのとはかけ離れた外見だったが」

「それは空想石に選ばれた者の強い力などへのイメージが仮面ライダーとしての姿に影響されるからです。ボクたちはこの空想石に選ばれし人たちを探しながら、少しずつ活動を始めたケイオスと戦っていました」

「そのパワーストーンの一種がレイガーの力の源なのは予想付くが……仮面ライダー?」

 

 ティオの説明で概ねの状況を把握した万里だったが新たに出てきた聞き慣れない単語に興味深げに首を傾げる。

 

「空想石が適応者を見つけて変化したファンタズムホルダーとライダーユニットを用いて変身した戦士の名をボクたちは仮面ライダーと呼ぶのです」

 

 そう切り出して、ティオは始まりの秩序と混沌の使者たちの話を万里に聞かせ始めた。

 

「いまから約半世紀ほど昔に、ケイオスの太祖にあたる悪辣なる魔術師がこの世界に侵攻したことがありました。その時に窮地に陥ったボクらの先人たちのために共に戦ってくれたこの世界の勇気ある人が自らをそう自称したのが由来だそうで、アポジェネシスの民の性質や空想石のもたらす奇跡もその時に判明したのです」

 

 仮面ライダーなる勇気ある誰かの昔話を聞かされた万里はしばし真剣な面持ちで何かを思案するとまるで遠足前日の子供のような眩しく、怖いもの無しといった笑みを浮かべて口を開いた。

 

「なあ、ティオくんさんよ」

「ティ、ティオでいいですっ!」

「その空想石とやら、まだあるかい?」

「――は?」

「首突っ込ませろって言ってるのさ! 最高にぶっ飛んだ探検の予感がするぜ!」

 

 不意打ち気味に飛んできた言葉の意味を理解してティオは開いた口が塞がらなかった。

 先に空想石の方が選び、優しさや正義感で協力を申し出てくれたレイガーとは違い、目の前のこの男は桁違いの興味本位だけで信じられない決断をしているのだ。

 

「だ、ダメに決まってるじゃないですか! 遊びじゃないんですよ! 命懸けの危険なことなんです。だから、貴方は早く安全なところに逃げることだけ考えて下さい!」

「悪いがこれでも毎度、遺書をしたためるようなことを生業にしている身だ。生き死にが懸かってる一大事なんてことは重々承知さ。それに仲間数は多い方があんた達も役目の達成率はぐんと上がるだろう、違うか?」

 

 当然のように窘めるティオだが、万里の方も折れる気配など微塵も感じさせずに重ねてそう告げた。ティオを見つめるその眼差しは確かに熱情に突き動かされるような爛々とした笑みとは対象的に永久凍土のように理性的で思わず竦んでしまいそうな重圧を感じさせた。

 

「で、ですけど……」

『ぐぁあああああ――ッ!?』

「きゃうっ!? そんな、夢路さん!!」

 

 万里の覚悟に相応のものがあることは認めるがそれでも無暗にこの世界の人たちを巻き添えにしたくないと思っているティオが返答を渋っている時だった。

 上空から苦しげな叫びを上げながらボロボロに傷ついたレイガーが突如として落下してきたのだ。ティオは思わずレイガーの変身者の名前を叫びながら血相を変えて駆け出して、万里もそれに続いた。

 

「大丈夫か! 生きてるな? 俺の声聞こえるか、この指何本に見える?」

「お、俺は平気だから。それよりも早く逃げて……くれ」

 

 土煙が晴れて、レイガーが落下した場所には変身者と思われる青年が傷ついた姿で倒れていた。濃い茶髪を清潔感のある感じに切り揃え、長身痩躯の柔和な顔立ちにストライプのシャツとベスト姿の若い男だ。

 幸いに大きな怪我は負っていないようだが苦しげに夜空を睨む夢路と呼ばれた彼の視線の先には彼をこんな風にした元凶がいた。

 

『口ほどにも無いな! ふざけているのか、仮面ライダー? それとも惨たらしく死ぬのに道連れの仲間が欲しかったわけか』

 

 耳障りな翅音がティオと万里の鼓膜にも聞こえた。

 恐ろしいことに半蟲半馬の巨躯で飛行まで可能なマンティスケイオスは打ち負かしたレイガーを愚弄しながら、上空から着陸すると標的をティオと万里に切り替えて仰々しく威嚇をする。

 

「ちょっとやばめだな。さて、こっからどうするかね」

「万里さん! 夢路さんを連れて逃げて下さい! この場はボクが時間を稼ぎます!!」

「……馬鹿言えよ。さっき、限りなく無力って言ってたのはお前自身だろ! 無策で何が出来るってんだ!?」

 

 想定外の窮地をどうやって脱するかと思案している万里の目の前にティオは突然躍り出てそんな無茶なことを言い始めた。

 

「この身を犠牲にすればお二人が逃げる時間ぐらいは頑張って稼げるはずです。言い忘れていましたがボクは人間ではありません。本体に使役されている使い魔。替えが利く消耗品です。だから、ボクを見捨てても貴方たちが罪悪感を抱く必要はないんです」

 

 人間ではない、人造の存在。

 いともあっさりと自らの出自を明かしてティオはそんなことを言って、二人に逃げるように促した。努めて無機質な人形のように装ったのだろう、けれどその両足は微かに震えている。ルビーのように鮮やかな赤い瞳は振り絞った勇気と怖さで哀れなほどに泳いでいる。あまりにも人間臭い仕草をするティオの似合わない振舞いに万里が文句を言おうとした時だった。

 

「ふざけたこというんじゃない、ティオ! それでも痛みはあるんだろ! 恐怖だって、キミは感じることが出来る! 初めて出会ったあの日もそうだった!」

 

 ボロボロで呼吸も弱々しかったはずの夢路が無我夢中で上半身を起こして、張り裂けんばかりの声を上げてティオに憤り混じりの苦言を呈したのだ。

 

 「キミたちの世界じゃどうかは知らないけどそんなキミを俺たちはヒトって言うんだ! だから、そんな悲しいだけの選択なんて選ぶんじゃない!!」

「だけど! こうしなきゃ全滅してしまいます! そうなる前に行って下さい、夢路さん!」

「ぐうっ……断るよ! それぐらいなら、もう一暴れ……無理でもやって――」

「全くだ。残される側の後味の悪さってもんを考えてもらいたいもんだぜ」

 

 ガクガクと悲鳴を上げる身体に鞭を打って無理やりに立ち上がろうとする夢路の肩に静かに手を置いて宥めると、万里は彼の気持ちを代弁するかのように言葉の続きを自分の気持ちを混ぜ込んでティオに言って聞かせた。

 この夢路という男がどんな人間なのかまだまるで分からない。趣味や好きな食べ物が何かだってさっぱりだというのに、いまの叫び一声だけで彼が善良な人間だと言うことが万里には何となくだが分かった気がした。

 きっと、件の空想石とか言う特別な何かに選ばれるような稀有な人柄なのだろう。だからこそ、万里としてはこの二人にますます肩入れしたいという衝動がもう自分でも止められないぐらいに激しく躍動していた。

 だから万里は迷うこよなく夢路とティオを背にしてマンティスケイオスの前に立ちはだかった。その手にはこっそりとティオから拝借した炎のように赤い水晶のような神秘の魔石が握られている。

 

「ティオ、悪いがちょっと勝手に借りるぜ?」

「なっ、いつの間に!? いや、だから無理ですよ。空想石に選ばれていない人が持っていても意味はないんです!」

「意味はないか……だがな、試す価値はあるさ。いや、試すことに意味がある!」 

 

 慌てふためくティオに対して、万里は根拠不明の謎の自信に満ちあふれた態度でそう宣言した。

 

『またお前か愚か者。その小僧の言う通り、ただの人間でしかない貴様は我らに殺戮される運命だと受け入れろ!』

「断るね。それから、一つ忠告だ……あまり、ただの人間を舐めるなよ」

 

 自棄になったとしか思えない万里の行動に己の絶対の勝利を信じて疑わないマンティスケイオスは挑発とばかりに鋭利な鎌の刃をペチペチと彼の頬に当てて嘲笑う。

 けれど、覚悟も気合もとっくの昔に臨界突破を決めている万里は眼中にないような様子で啖呵を切り出した。

 

「確かに人間は弱っちい生き物さ。丸腰じゃ砂漠の酷暑にも、雪山の極寒にも太刀打ちできずに死に果てる。小指程の大きさの毒虫に刺されてあっさりお陀仏だって日常茶飯事さ……笑える程に脆くて弱い」

『ようやく身の程を弁えられたのか? 感心なことだが今更命乞いは受け付けんぞ?』

「しねーよ、マヌケ。俺の話にゃまだ続きがあるんだ。そ、つまりこんな藁の家みたいな脆弱な俺たち人間だがこうして世界のあちこちで生きているのは何故でしょう? 答えは簡単だ――夢を糧に、知恵と勇気をフル稼働して対策を編み出し続けてきたからだ」

 

 空想石を握り締める万里の右手に力が入る。

 

「人が見果てぬ夢を抱き続ける限り、例えどんな困難や試練が立ち塞がろうとも人はいつかは必ずそれを克服する。そういう生き物だ」

 

 心臓を、血液を、何よりも夢と探検をどこまでも愛する男の心からの熱情が傷と努力が染みついたその武骨な手から神秘の魔石に注ぎ込まれていく。

 

「そして! いまお前と言う困難が俺の目の前に立ち塞がるっていうのなら、それを打倒する術があるというのなら! 夢に生きるこの俺はお前と言う試練を踏破する術を物に出来るとも!」

 

 その時だった。

 握り締めた空想石ごと万里が右手を胸に叩きつけるように当てた瞬間に、まるでその灼熱の信念に呼応するように空想石が突如として眩い閃光を放ち始めた。

 

「空想石が……こんな、まさか!?」

「選ばれる? 違うね、俺が選ぶんだ! 空想石だったか? 覚悟しろよ、最高の探検にお前をご招待だぜ!!」

 

 長い付き合いになりそうな新しい相棒に万里が挨拶をすると空想石はレイガーのベルトに装填されていたものと同じようにアンティーク調の羅針盤に似たアイテム、ファンタズムホルダーに形を変化していた。

 

「そういうことで選手交代だぜ恩人さん。あんたはちょっと休んでな」

「キミは一体……」

「あんたには自己紹介がまだだっけ? 帆高万里、探検家だ」

 

 最悪の展開へと向かって行った運命の筋書きを変えてみせた万里は一度、後ろを振り返り夢路に先の礼を済ませると気さくな様子で遅くなった自己紹介をした。

 

「探検家って……いや、それは置いておこう。俺は探偵をやってる明石夢路って言います。不甲斐ないけど、力を貸してくれ」

「喜んで貸すさ。元より、あんたが俺を助けてくれなかったらこの展開は無かったんだ。誰でも無いあんたの成果さ、胸を張ってくれよ」

「万里さん! これを!!」

 

 規格外の行動ばかりする万里に少し気後れしながらも自分の素性を明かした夢路。そして、彼を巻き込む覚悟を決めたティオは自分が持っていたもう一つのベルト型ガジェット・ライダーユニットを万里に投げ渡した。

 

「サンキュ。よぉし、待たせたなバケモン。仕切り直して、俺が相手だ」

 

 不敵に口角を吊り上げて、ライダーユニットを装着した万里は手にしたファンタズムホルダーのスイッチを押してバックル部分に装填した。

 

【ライズ・ジェッター・ライ・ライド!!】

 

するとファンタズムホルダーから低く響くような不思議な声で呪文のような詠唱が鳴り響き、万里の足元に大きな魔法陣が赤い光を放ち展開される。

 

「変身――!!」

 

【オーライ・ライダ・ライライライラァァァ――イ!!】

 

 万里が勇壮にそう叫ぶと、続けて再びファンタズムホルダーからも雄々しき詠唱が響き渡り、鮮烈な輝きが万里を超常の存在へと変えていく。

 

「本当に変身できた!?」

「ジェッター……まさかこんな形で二人目が見つかるなんて」

 

 光が収まった時、夢路とティオの目の前には帆高万里だった仮面の戦士の姿があった。

 随所に黄色の稲妻ラインが施された真紅の鋼のボディを持つ、ジェット機と猛禽類が融合したようなスマートで軽快な遊撃騎士のようなフォルム。

 両腕や両踵には鋭いサブウイングが施され、背部には展開式の鋼鉄の翼を備えた大型イオンブースターを備えて、音より速いスピーディな凄みを醸し出している。

 特徴的な真紅の仮面には青い複眼と額からは邪悪を裂き貫く一角獣のようなホーンアンテナが伸びている。

 

 その名はジェッター!

 仮面ライダージェッター!!

 真紅の疾空者はこうして爆誕したのだ。

 

『おー……いいね。全身から力が漲って来る感じだぜ』

 

 自分の拳を握りしめジェッターはメタリックレッドのボディを眺めながら、我が身に起きた奇跡に感嘆の息を漏らす。

 一連の流れを静観していたマンティスケイオスは万里たちのやり取りを矮小な人間たちの三流芝居のように嫌悪の情で吐き捨てるとレイガーをそうしたようにジェッターも完膚なきまでに叩き伏せようと獰猛な戦意を剥き出しにして飛び掛かっていく。

 

『舐めるなよ! 雑兵が一人増えたところで何が出来る!!』

『いまなら、何だって出来るさ! さぁて、ブッ飛んで行こうぜ!!』

 

 対峙するジェッターも初陣とは思えない余裕の態度で臆することなく駆け出して、両者は激突する。

 

『ウオリャ!』

 

 腕の鎌刃で袈裟切りにすると見せかけて、前足で蹴りに来たマンティスケイオスの攻撃を低く身を屈めて回避したジェッターは両足に力を込めて大地を蹴るとアッパーカットを相手の顎下へと繰り出す。すると、ジェッターの動きに呼応してその足底からは強力なジェットが噴射してその跳躍や攻撃をアシストした。

 

『ガッハ!? 味なマネを……脆弱な人間の分際で!?』

 

 想像以上の攻撃をまともに食らったマンティスケイオスがふらつく隙を逃さずに宙に浮いたまま体勢を整えたジェッターは右の拳を握り締めて、全力で振りかぶる。さらに今度はその右肘から徐々にジェットが噴き上がる。

 

『言っただろう? 人間、舐めんなよコノヤロー!!』

『ぐぶぉおおおああ!?』

 

 炸裂するはカノンパンチャー。

 ジェッターの拳はロケットパンチとして発射されて、マンティスケイオスの大柄な異形を遠方まで吹き飛ばして岩壁に叩きつけると小さな爆発を起こした。

 

『おお……って、待てよオイ! 俺の手ェ飛んだ上に勝手に爆ぜたぞ、ボカーンって!? 聞いてねえって!?』

 

 変身した自分の力に圧倒されつつ驚いていたジェッターだったが軽いノリで喪失した自分の右腕に夢から覚めたように我に返ると血相変えを慌てふためいた。

 

「落ち着いてください万里さん! いまの貴方は細胞レベルで常人を遥かに凌駕した超生命体と言っていい存在に変身しているんです! だから、平常心を保って万全の自分をイメージしてみてください」

「大丈夫! 俺も最初はマジで焦ったけど何とかなったよ! まずは深呼吸して!」

『よ、よっしゃ……とりあえずやってみる!』

 

 先程までの恐れ知らずの飄々とした物腰は何処へやら、動揺しまくりで狼狽えるジェッターを見かねてティオと夢路がフォローとアドバイスを飛ばす。ジェッターは懸命に心を落ち着かせて言われた通りにイメージを思い浮かべる。

 

『ん? お、おお……戻ったぁ! よし、コツは掴んできたぞ』

 

 程なくしてティオの言うとおりにジェッターの無くなっていた右腕は淡い光がモザイクのよう発現すると元通りに復元された。

 

『調子に乗るなよ! 輪切りにしてやるゥゥゥ!!』

『ぬおっ!? 危ねえじゃねえか!』

 

 どうにか右腕を取り戻したジェッターが胸を撫で下ろしていると木々の奥から光の刃が飛んで来て肩を掠めた。それはジェッターが慌てふためいている間に体勢を立て直したマンティスケイオスの攻撃だった。

 マンティスケイオスは両腕の鎌を発光させると鋭利な切れ味の光輪を次々に乱れ撃ちしてくる。

 

『そう簡単に当たってやるもんかって! ソラァアアア!!』

『GRAAAAAA――!?』

 

 木や岩を切り裂いて襲い来る無数の光輪をジェット噴射を駆使した軽快な動きで回避しながらジェッターはマンティスケイオスに接近するとその顔面に大きな弧を描きながら斜め下から強力な回し蹴りを叩き込んだ。

 常識外れの自分の力に振り回され気味だったジェッターだったが二人の助言のお陰で冷静な思考を取り戻し、普段通りの自分で戦えるように早くも適応の兆しを見せていた。

 

「ベルトにあるファンタズムキューブを使え! キミ専用の武器になる!」

『分かった!』

 

 ティオに支えられて起き上がった夢路の言葉を受けて、ジェッターはベルトの脇にあるボックスから不思議な鉱石で出来たキューブ型のアイテムを手にする。ファンタズムキューブは眩い光を放つと飾り気のない無骨な大型ブーメランに変形して、ジェッターの手に収まった。

 

『チャンバラといこうか! セリャアアア!!』

『身の程を知れよゴミカスがあああ!!』

 

 専用武器、ジェットブーメランを投擲せずに剣のように振り下ろしたジェッターの一太刀をマンティスケイオスは左腕の一撃で切り払う。

 衝撃に怯みながらもバックステップで間合いを測り直したジェッターは力任せの荒々しい剣筋でマンティスケイオスと切り結ぶ。

 

『どこまで楯突くつもりだ! 恐れを知らぬ蛮族か貴様!!』

『そうさな、最初は俺らしくもなく人並みの理性を働かせて狼狽えたりもしたがよ……冷静に考えたら常識外れの怪物が殺意放って人間を襲ってくるなんてのはまあ、普通と言えば普通だよな』

『普通だと! この俺が……我らケイオスが普通だとほざくのか!?』

『俺の人生の中では昔、ジャングルの奥地でうっかり現地の食人族の縄張りに入り込んじまった時の方があんたよりよっぽど怖かったね』

 

 異形である自分を普通だとのたまう発言に激昂するマンティスケイオスにジェッターは砕けた口調で重ねて答えた。

 

『生まれた国は違えど、同じ生き物のはずの存在が自分のことを美味そうな食材として見て迫ってくるんだ。自分の中の常識が粉微塵に壊れるようなもんだ。そっちの方がずっと怖いとも!』

『生意気を言うな! KYAGAAAAAAAAA!!!!』

『うおわっと!?』

 

 挑発を越えた侮辱に近い言葉に激怒したマンティスケイオスの怒涛の猛攻を浴びせる。最初は捌いていたが押し負けてよろけたジェッターにマンティスケイオスは背中の翅を羽ばたかせて小さく飛翔すると全体重を掛けて両腕を振り下ろし、三枚おろしにしようとする。

 

『なんのォオオオ!! テイクオフだぜ――!!』

『貴様も飛んだぁああああ!?』

 

 ジェッターは重い二撃を敢えて真正面から受け止めると全身に力を漲らせ、背後の両翼を展開させる。次いでイオンブースターが轟音を響かせてジェットを噴き上げた。

 周囲に突風が吹き荒れるとジェッターはマンティスケイオスを抱え上げたような状態で星が瞬く大空へと飛翔した。

 

『最ッッッ高だ!! 俺は! 空を飛んでるぜええええええ!!』

 

 男なら――いや、人間ならきっと誰もが一度は夢見るであろう空を自由に飛べるその奇跡を叶えたジェッターは心から歓喜の声を高らかに上げる。

 最高潮を迎えたテンションでマンティスケイオスを投げ放つと天衣無縫に飛び回り、凄まじい連続攻撃を矢継ぎ早に叩き込んでいく。

 

『ぐががあああッ!? クソ! 追いつけないだと!? 俺の翅では追いつけないなんてええええ!!?』

 

『もっと速く! もっと高く! もっともっと自由に……ブッ飛んでいくぜええ!!』

 

 昆虫特有の飛び方で反撃を試みるマンティスケイオスだったがジェッターの驚異的な速度と信じられない縦横無尽の飛行軌道にまるで対応できずに嘆きの叫びを漏らしながら一気にボロボロに打ちのめされていくばかりだ。

 

「ジェッター! ホルダーのスイッチを三回押してください! とっておきが使えます!!」

『よぉしきた!!』

 

 ジェッターとマンティスケイオスの空中戦の様子をずっと見守っていたティオが勝機を確信して腹の底から大声で呼びかけた。

 言葉に従いジェッターはベルトに装填されたファンタズムホルダーのスイッチを連続で押した。

 

【ショーライ・ライダ・ライライライラァァァ――イ!!】

 

 ファンタズムホルダーの針がまるで風車のように激しく回転するとジェッターの体が激しく輝き始めて、奥底から溢れるほどのエネルギーが全身に駆け巡る。

 裂帛の気合を放つジェッターは音速で更に急上昇すると大きく反転しながら、マンティスケイオスに狙いを定めて飛び蹴りを繰り出した。

 

『クォオオオオオオ―――!!』

 

 渾身の叫びを上げるジェッターのイオンブースターが45度せり上がるように展開すると最大出力でジェットが唸りを上げて、その速度を更なる高みへと昇華する。

 

『ブレイズ・ダッシャアアアァァ――――!!』 

『認められるかこんな……ギイイヤアアアアアアア!!?』

 

 大気の壁を幾重もぶち破り、まるで火の鳥のオーラを纏ったジェッターの強烈なキックがマンティスケイオスを蹴り抜いた。

 マンティスケイオスはその異形に大きな風穴をぽっかりと空けて、自らの運命を受け入れられぬまま夜明けを迎え始めた大空で爆発四散して潰えた。

 

「良かった……勝ってくれました」

「ああ。助けるつもりが助けられたよ」

 

 地上からジェッターの勝利の瞬間を見ていたティオと夢路の二人は揃って安堵の息を漏らして、未だにはしゃいで遊ぶように空を飛び続けている彼を眺める。

 

「なんだか不思議な人が仲間になりましたね」

「探検家ねえ……呆れるぐらい夢に生きてる感じ、ちょっと羨ましいよ」

 

 ティオドール・アインスは新しい出会いに期待と戸惑いを入り混じらせながらも明るく頬を緩めていた。

 明石夢路はどこか遠くを見つめるような眼差しで複雑そうに顔色を曇らせていた。

 慌ただしい、ある夜のこと――彼らはこうして出会った。

 

「それにしても帆高万里か……どこかで聞いたような」

 

 

 

 

 

 

『この視点からこの街を見るのは初めてだな。――綺麗なもんだ。こんな風にも見えるんだな』

 

 戦い終わった静かな空の中でジェッターは朝焼けに照らされる鉄京市の街模様を眺めて、感激しきった声を呟いた。

 こんなにも身近な場所にでも、未体験の景色があった。

 まだまだ触れたことのない探検が隠されている。

 だから、世界は面白い。

 

『ああ、本当にナイス探検! 大好きだぜ、俺たちのこの世界!』

 

 雲一つない夜明けの空を真紅の戦士が駆け巡る。

 どこまでも自由に、鋼の翼を広げて紺碧の天を舞う。

 まるで生きる流星のように飛翔するジェッターの機影は暁に照らされて今この瞬間、世界中の何よりも鮮やかに輝いているようだった。

 

 語られることのない、されど最大級の探検がこうして始まりを告げたのだ。

 その航路はまだ誰にも分からず――。

 

 




というわけで新規投稿第一話となりましたがちょっと駆け足気味だったかと少し不安だったりしております(汗)
そして、ヒロインの影も形もない野郎所帯なことになってしまいましたが次回からはキャラも増えるし、色々と世界観についての補完も出て来るかと思います。

以前にも増して拙い文章とぐだぐだな更新ペースになると思いますが末永く見守っていただけると幸いです。

これからもどうかよろしくお願いします。
それでは!


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第2話 混沌を招くモノ





 

 小鳥の囀りが遠くで聞こえる早朝の鉄京市の住宅街を猛スピードで走る人影があった。それはほんの数十分前に異世界からやって来た怪人を相手に自らも仮面の戦士に変身して戦った帆高万里である。

 彼は背負ったバックパックの重量や先の戦いの疲労など感じさせないパワフルな足取りで一目散に西部の住宅街の中でも郊外の方に建つ一軒の大きな家を目指していた。

 

 目的の一軒家――と言うよりはお屋敷と言った方が適切な立派な住居だ。

 和風モダン調の大きな母屋の他に平屋造りながら立派な離れや管理の行き届いた菜園もある広い敷地が小窓を設けて開放感を持たせたレンガ造りの塀で囲まれている。

 万里は【遊月】という表札が掲げられたその家の塀を片手で軽く飛び越えると勝手知ったると言った様子で進んでいき、可能な限り静かな動作で玄関の鍵を開けると中へと入って行った。

 

「どうにか三葉さんが来る前に帰って……あ」

 

 大きく息を吐き出して安堵の表情を浮かべたのも束の間。

 万里は薄暗い玄関で自分のことを待っていましたとばかりにしゃんと背筋を伸ばして立っている人影の存在に気付いて、間の抜けた声を漏らした。

 

「おはよう、万里。いい朝ですね……もっとも、寝不足の身には少々つらい眩さではありますけれど」

「あ、安寿……おはよ」

 

 万里の目の前にいたのは黒いブレザーと青を基調としたチェックのスカートに赤いリボンタイという組み合わせの鉄京高校の制服に身を包んだ清楚な雰囲気の少女だった。

 腰まで伸びた烏羽色の髪をポニーテールで纏めて、折り鶴の細工が付いた簪を挿しているその佇まいは凛とした大和撫子という言葉が実に似合っている。

 彼女は遊月安寿(ゆうづきあんじゅ)。万里とは遠縁の親類にあたり、現在彼が居候している遊月家の一人娘だ。

 また居候と言っても万里が自ら区切りとして分を弁えている面があり、実際は11歳で身寄りを亡くして遊月家に引き取られて以来12年間ずっと一緒に暮らしてきた本当の家族も同然の妹分のようなものであった。

 

「もしかして……お前、俺が帰って来るのを寝ずに待ってたのか?」

「まさか。今日もこうして学校がある身ですもの。一睡もしていないというわけではありませんのでご安心を」

 

 思いがけない出迎えに万里が慌てて腕時計を見ると時刻はまだ朝の五時半にもなっていなかった。白く透き通ったような手で口元を押さえて可愛らしく欠伸を漏らす安寿に恐る恐る聞いてみる。

 

「そ、そりゃあ良かった」

「本当は丑三つ時を越えようと万里の帰りを待っているつもりでしたけど、一人寂しくお布団を被ってさめざめと枕を濡らしている間に眠りに落ちていたようで」

「……本当にすみませんでした」

 

 ホッと一安心した束の間。

 安寿は時代劇の一幕のように水晶のような瞳を右手の袖口でそっと覆って涙を拭う如何にもな仕草をしてみせる。安寿の言葉に一気に青ざめた万里は深々と頭を下げて、彼女が密かに小悪魔的な微笑を浮かべていることも知らずに平謝りの一択だった。

 

「そんなことよりも何よりもまず、万里は私に言うことがあるんじゃないの?」

「ああ、そうだな。罪滅ぼしの内容はそれからだ――ただいま、安寿」

「クス……おかえりなさい」

 

 安寿は頭を下げたままの万里の頬を両手でそっと触れて顔を上げさせると小首を傾げてそう問うた。涼しげだが強い意志を感じさせるその瞳には決して軽蔑が宿っているわけではない。むしろ、そこには安堵と慕情が深く満ちていた。

 彼女の言葉に万里もまた外で見せるような破天荒で飄々とした気風はなりを潜めて、凪の海原のような穏やかな物腰でしっかりとそう告げた。

 兄貴分と妹分。

 この少しまどろっこしく複雑な間柄の二人にとってこの二つの言葉は特別な意味を持っていることを知る者は少ない。

 

 

 

 

 遊月家のハウスキーパー・六角三葉(ろっかくみつば)の平日の朝は早い。

 輸入雑貨の貿易商を営む当主夫妻は年間を通して海外を忙しく渡り歩いているものだから、邸宅には高校二年生になる一人娘の安寿が一人で暮らしている。

 遊月家の居候ということになっている遠縁の親類である万里も職業柄よく家を留守にすることが多いので雇われの立場でありながら三葉は遊月家の管理を一任されており、実質的な主と言っていい状態だった。

 それだけに仕事に対する責務や内容は大きく多岐に渡る。だから遊月氏からの要望もあり三葉は敷地内の離れを住居としてあてがわれ、月曜日から金曜日までの五日間を住み込みで働いている。

なので、彼女にとって始業時間とは午前六時前後とかなり早い部類だ。

 第三者が聞けばなかなかに過酷なものと考えるかもしれないが彼女にとってはそれぐらいならばすでに慣れ親しんだ日常の繰り返しだ。簡単に言うと大した苦ではない。

 実務的なデザインのエプロンに身を包み、亜麻色の髪をシニヨンに纏めて、いつものように準備万端の格好でポストに入れられた新聞を取ってから、預かっている合鍵で母屋の勝手口から屋敷の中へと入っていく。

 

「ま、まだかよ安寿! も、もう限界だ……俺ァどうにかなっちまうぞ!」

「だめ。あともうちょっと我慢できたら、楽にしてあげるわ」

 

 屋敷の中へ入って早々にリビングの方からは熱を帯びた男の苦しげな声とそれを聞いて冷ややかだが愉悦に満ちた少女の声が響いてくるではないか。

 思わず体に染みついた前職の癖が出て、瞬時に気配を消して三葉は静かに素早くリビングのドアの前まで接近した。 

 

「おはようございまーす! 三葉さん出勤ですよー!!」

 

 二人の会話と声色から否が応でも只ならぬディープで禁断の光景を連想させる自らの煩悩を一度振り払って、三葉は勢いのままに部屋へと踏み込んだ。

 

「ふざっけんな! スマホゲームの1ステージをクリアするのにどれだけ時間食ってんだ! とっくに十五分は経ってるぞ? お前の腕なら大抵のゲームはすぐに片が付くだろ」

「ごめんなさい。いまプレイしているのは高難易度ミッションだから、どうしても長丁場になってしまって」

 

 三葉の視界に飛び込んできたのは山口県の名所である錦帯橋にも負けない見事なアーチを描くブリッジを決めている万里と、そんな彼を椅子代わりにして優雅にゲームに興じる安寿の姿があった。

 

「わざとだな? 最初から俺に責め苦を味あわせるために狙ったろ!」

「そうはいうけどね、万里。これは甘い一夜を待ち惚けにされた私への罪滅ぼしなのよ。それが簡単なものでは理屈が通らないとは思わなくて?」

「くっ……おっしゃる通りだよ! とてもじゃないが俺には反論する資格ないわ! 分かった。安寿の気の済むまで耐えてやるけど、コンテニューはするんじゃないぞ?」

「クス……あ、いけないわ。私としたことが選択ボタンを間違えてしまったわ」

「こぉおらぁ!?」

 

 全身をプルプルと震わせながら、どうにかブリッジの姿勢を維持する万里。体力には自信のある彼だがほぼ徹夜で人知を超えた怪物と一戦交えた後では流石に厳しい物があるのか安寿に文句をまくし立てるが彼女が言う正論の城塞の前には歯が立たず、最後の力を振り絞って意地を見せる。

 そんな万里の姿に満足しているのか安寿はわざわざ足を浮かせてパタパタと泳がせたり、万里の鉄板のように鍛えられた腹筋を指でなぞって弄ったりしつつ、涼しい顔でプレイ中のパズルゲームをクリアまで進めていった。

 

「あのー……お二人さん? 家族の朝のコミュニケーションを邪魔する気はないけど、ちょっとマニアックが過ぎるんじゃなくて?」

「おはようございます。三葉ねえさま」

「三葉さん、おはようございます! 今回も無事に帰ってきました!!」

 

 これはこれである意味完全な二人の世界である万里と安寿の姿にどうにかツッコミを入れることに成功した三葉。そこでようやく彼女の存在を認識した二人はそのままの状態で明るい声で挨拶を返した。

 

「あ、うん。はい。元気があってよろしいってことにしておこう! お姉さんは寛大だからね!」

 

 三葉の方もこの二人が本人たちの自覚は薄いようだが大なり小なり変わり者だということをすっかり受け入れているのでこれぐらいのことは笑って流すのが自然になっていた。

 久しぶりに主だった面子が揃った遊月家の朝はこうして始まった。

 

 

 

 

 程なくして、万里たちは屋敷の奥にあるダイニングキッチンで朝食を摂っていた。

 食卓には三葉の手によって前日から下拵えをされて手際よく用意されたタラの西京焼きやきんぴらごぼうに、漬物など純日本食が並んでいる。

 

「美味いな……最高です、三葉さん。この味噌汁飲んでると生きてるって感じだ」

「またまたー嬉しいこと言ってくれるじゃないですか! そんなに褒めても、オマケのもう一品なんて出ませんよ」

「他意のない素直な感想だよ。探検帰りの俺の味覚は縄文時代あたりまで退行してるんだ。全神経で味わっても足りねえよ」

 

 白菜とえのきの味噌汁に舌鼓を打ちながら、万里は満面の笑みで三葉の料理を褒め称える。隣では安寿がよく味のしみたタラの身を咀嚼しながら万里の言葉に同意するようにうんうんと頷いている。

 

「くぅ~! 万里くん、あんたいつの間にそんな悪い男になったのさ? そこまで言われたら今夜の夕食は予定を変更して奮発するしかないじゃない!」

「おお、ありがたい! 三葉さんが居る限り我が家は安泰だな!」

「うわっはっはっは! もっと持て囃してもいいんですよぉ!」

 

 万里の言葉に更に気を良くした三葉はけらけらと笑っていた。

 三葉が遊月家専属のハウスキーパーになって三年目になるが彼女の陽気で親しみやすい性格や、歳も近いことも手伝って万里も安寿も三葉を本当の姉のように慕っているのだ。

 

「それで今回は世紀の大発見はありましたか、万里君?」

「そんなポンポンとは無いよ。今回は殆ど観光を兼ねた取材旅行みたいなもんで。エッツ渓谷には前から行ってみたかったから、仕事で行けるとは願ったり叶ったりで食いついた感じです。ところで先に送ったお土産、ちゃんと届きました?」

 

 一段落して同じテーブルに腰をおろした三葉に今回の探検の話を振られて、万里は少し苦笑しながら旅先でのことを掻い摘んで話した。

 

「もち! 本場のラクレットチーズ、ばっちり堪能しましたとも! ねえ、安寿ちゃん?」

「絶品でした。まさか、チーズとパイナップルがあれほど合うとは」

「生ハムと合わせたサンドイッチも良かったよねー!」

「一応聞くけど……まだ残ってますよね? 大きさ、スクーターのタイヤぐらいのだったし」

 

 某アルプスの少女が劇中で食べていることで有名なとろけるチーズの味を思い返して盛り上がる安寿と三葉の勢いに万里は不安そうに尋ねた。

 

「ご安心を。万里と一緒に食べる分は当然キープしてあるわ」

「それを聞いてホッとしたよ。俺だって楽しみにしてたんだ」

「んん? 現地で色々と美味しい物食べてきたんじゃないの?」

「今回は現地の工芸品や純粋にエッツ渓谷の景観や道中の旅模様がメインだから、交通費が出ただけでも御の字ですよ」

 

 怪訝そうに首を傾げる三葉に万里はナスの浅漬けを齧りつつ主な収入源であるフリーライター業の実情を話した。

 探検家として駆け出しの頃に恩師を通じてその手の業界人と結んだパイプのおかげで慎ましい生活を心掛けていれば食うのに困らない程度の仕事を回してもらえるとは言え、探検家を生業として続けていくにはあれこれとやり繰りしなければならないし、科せられた制約はなかなかに多いのだ。

 

「おやおや、それはご無体な。でも、一食ぐらいは何か食べたでしょ?」

「節約できるところは節約したかったから、現地の木賃宿で一人寂しくペミカン作って、毎度変わらぬ献立だよ」

「ペミ……よく家でも作ってるあのジャーキーやドライフルーツを大量の豚の脂身で固めたギトギトの王様みたいなアレ? 登山用の保存食とかいう?」

「大正解。ま、そういう切り詰めた食生活だったから、一際家庭の味が尊いのさ」

「万里くんってば、顔は良い方なんだからスポンサーとかパトロンでも付けば良いのにねぇ」

 

 普段はあまり深入りして聞かない万里のお仕事事情に軽く哀れんで三葉はたははと笑っていると一足先に朝食を食べ終えた安寿がポツリと口を開いた。

 

「その手のお誘い、実は二年前から幾つかあったんですよ、三葉ねえさま。万里は全部断ってしまったんですけれどね」

「だってスポンサーとか付かれると建て前でも装備品とかメーカーで統一しなきゃいけなくなるだろ? それに別に俺は自分の探検を見せ物にしたいわけじゃない」

「そうかもしれないけれど、万里はもう少し探検以外のことは楽な道を選んでも良いと思うのだけれど」

「逆だよ、安寿。一応、いまの俺のスタイルは色々と考えて取捨選択を行った上での在り方さ。外野からの横槍を気にしないで気ままに探検を続けるための必要な制約なんだ。別に苦労だなんて思ったことはないさ」

「そう……万里が満足しているのなら、それがいいんでしょうね」

 

 意外にも現実的な考えを巡らせている万里の言葉にずっと涼しげで余裕の落ち着きを纏っていた安寿の表情が僅かに驚きで綻んでいた。

 普段はまるで腕白なやんちゃ坊主がそのまま大人になったような万里だが不意にこうした大人の顔を見せてくるのが安寿としては誇らしいと同時に一泡吹かせられたような気がして少し釈然としないものがあった。

 安寿がしばし黙りこんで食後のコーヒーが注がれたカップをちびちび飲んでいる間に今度は万里の方がずっと気掛かりになっていた話題を切り出した。

 

「ところで。俺の留守中に近所とかで変なこと起きなかったか? 不審者とか」

「東部の街を抜けた山奥で器物破損や大きな倒木のようなものが何件かあったらしいけど、大事件なんてものは起きてないはずよ」

「そうか」

「急にどうしたの万里くん?」

「いや別に、そりゃあ三葉さんに居てもらっているとはいえ大事な妹分を一人にしてりゃあな……色々と心配するだろ。色々とよ」

 

 二人のリアクションからどうやら昨日の自然公園での出来事も大きな騒ぎになっていなさそうな様子に万里は内心首を傾げて訝しんでいた。

 自分の知る限り怪我人こそ出ていないようだったがマンティスケイオスの暴れようから動画なり写真なりがSNSを通じで街中に広まっていても可笑しくないはずだったからだ。

 

「そこまで想っていてくれているのなら、もう少し保護者代理の自覚を持って家に居着いてくれると私は嬉しいのだけれどね」

「耳が痛いな。その気でいるからしばらくは遠出するつもりはないよ。それで勘弁してくれ」

「えっ!?」

「なんだよ?」

「別に。ふーん、そうなの……万里、いてくれるんだ」

 

「お邪魔虫だったか? まさか、本当は友達を家に連れ込みたいからさっさと旅立てとか言うなよな?」

「……この愚万里め」

「痛ぁ? え、なに!?」

「何でもありません。では、今日は日直なのでそろそろ支度していってきます」

「お、おう。いってらっしゃい」

 

 無神経というか、鈍感というべきか――兎に角、女心にはとことん疎い万里の言葉に安寿はジト目で睨んで彼を威嚇すると軽くおでこにデコピンを放って、そのまま早足でダイニングキッチンから出て行ってしまった。

 

「なんだい、安寿のいまのあれ? 俺なにか気に障ること言いましたか?」

「はぁぁぁ……朝からホントに仲睦まじくて結構なこと。全く、アオハルかよ」

「――分かった。ついに安寿も反抗期に突入ってやつか……参ったなぁ」

「そんなんだから、愚万里なんて言われるんですよ」

 

 見せつけるような二人の少し禁断の香りを混ぜ込んだ仲の良いやり取りに三葉が特大の溜息を吐く傍らで万里は最後まで腑に落ちない様子ですっとんきょうな不安に駆られて抱えなくてもいい頭を抱えていた。

 

「ところで万里くんの今日のご予定は? 暇ならまた包丁や鎌なんかを研いでもらいたいんだけど」

「悪い三葉さん……午前中は流石に一眠りさせてくれ。で、昼からはちょっと野暮用で出掛けます。包丁やらは明日には研ぎ直しておくよ」

「そっか。野暮用ってのはお仕事関係?」

「まあ、そんな感じだな」

 

 こうして満足いく食事を堪能した万里は自室に戻るなりベッドに寝転がるとそれまでの疲労が一気に押し寄せたのかそのまま電池の切れた玩具のように動かなくなり、深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 鉄京市・東部。

 駅を中心にデパートや様々な商業施設などが建ち並ぶ繁華街から少し外れたところに夢路の自宅を兼ねる明石探偵事務所が入ったビルはあった。

 

「夢路さん、身体の方は大丈夫ですか?」

「平気だよ。今回はまさかあの図体で飛ぶ奴だとは思ってなくて痛い目見たけど、次からは気を付けるさ」

 

 心配そうなティオの言葉に乱れた髪を掻きながら気恥ずかしく夢路は言って、事務所へ続く外階段を上る。片手にはコンビニの総菜パンがいくつか詰め込まれたビニール袋が握られている。

 

「おやおやぁ♪ 探偵さんは今日も朝帰りとは昨夜はお楽しみでしたか?」

 

 突然、階段の上の方から明るく弾むような可憐な声が投げかけられて二人はふと足を止めた。そこには茜色の髪をさっぱりとしたショートカットにした二人がよく知る少女がおどけた笑みを見せて、事務所のドアの前でしゃがんでいた。

 制服をラフに着こなし、ミニスカートからは良く鍛えこまれた瑞々しく健美な生足が伸びている。スカートの中身がうっかり見えてしまいそうな危うい丈の長さに夢路は何か言いたげだったが心配無用と主張するように彼女の太ももを黒いスパッツが包んでいた。

 

「おはよう、リンカちゃん。残念だけど、キミが想像している様なスリリングな夜は体験してないよ」

「それはそっか! ティオっちも一緒だもんね。もしもそうならあたしの予想を上回るマニアックな夜になっちゃうか……いやー大人の世界はハードですなー」

 

 少女はアダルティな想像を膨らませているのかにまにまと口元を緩ませながら身軽そうに立ち上がり、大きく伸びをする。

 

「そうじゃなくて! というか、未成年の女子があまり外でそう言うこと言うんじゃありません!」

「いいじゃん。あたしと夢にいとの仲じゃない?」

 

 彼女の名前は和堂(わどう)リンカ。

 鉄京高校に通う高校二年の女子生徒であり、夢路とは所謂幼馴染の間柄である。また明石探偵事務所が入っているビルのオーナーであり、同ビル一階で美容室を営む和堂藤次郎氏の娘でもあった。

 

「それはそれとして、お仕事だったのはホントなんでしょ、お疲れ様。今回は浮気調査とか?」

「いや、それは……」

「大丈夫、知ってるよ。守秘義務ってやつでしょ? どんな仕事にしろ、夢にいがまたこの街の困っている誰かのための力になったことに変わりはないんだから、祝わねば! ハイ、拍手♪」

 

 弾むような声でそう言うとリンカは手を叩いて仕事終わりの二人を屈託のない笑顔で労った。

 

「……あ、ありがと」

「おはようございます。リンカさん」

「ティオっち、おはー! うひゃー相変わらず可愛い顔してるねえ! 肌白っ! すべすべ!」

「ひゃう!? ボクは子犬ではありませんよ、リンカさん……く、苦しいぃ」

 

 自分たちが夜間にどんなことをしていたのか正直に言えないもどかしさやド真ん中ストレートに褒められることに夢路がぎこちなく照れている脇からティオがトレードマークの帽子を取りながら顔を出して、リンカへ挨拶をした。

 するとリンカは幼少の頃からの付き合いである夢路を相手にしていた時よりもさらに気軽な足取りでティオにくっついてスキンシップを取り始める。

 

「元気があり余ってるのは良いことだけど、それぐらいにしてやりなリンカちゃん。いくらティオが大人しいからって舐めてるとそのうち噛みつかれるかもよ?」

「いやー失敬、失敬」

 

 使い魔という造られた存在ゆえか傍から見れば素晴らしい美貌の持ち主とも言える端麗な外見をしているティオをあちこち撫で回しているリンカをほどほどで引き離して、夢路はさらに続けた。

 

「なにか俺に用事があったんじゃないの? こんなところで油売ってると学校に遅刻するよ?」

「ご心配なく! 足の速さには自信ありですので! 女子100m走のアキレウスとはわたしのことッ!」

「それは初情報だ。うっかり、画鋲とか踏まないように気をつけるようにね。アキレス腱切ったなんてことになったら、悪い意味で学校の神話になるでしょう」

「むっ……それはカッコ悪いね。よし、ちゃんとストレッチ済ませて全力で学校へ向かうことにするよ、ありがと夢にい!」

「素直なことはいいことだよ。リンカちゃんらしい」

「おっと、忘れるとこだった! はい、これ!」

 

 他愛のない雑談をほどほどにリンカは持参していた紙袋を夢路に手渡した。

 中には四角い包みが二つ入っていた。

 

「またおかず作りすぎちゃったから、お弁当にしたんだ。二人で食べてよ」

「いや、そう毎度毎度なんか悪いよ」

「悪いと思うんならしっかり食べて。ほらそれぇ! ちょっと目を離すとすぐにコンビニの食べ物で済まそうとするんだから!」

 

 リンカが今朝のように差し入れを持ってきてくれるのは今回が初めてではないこともあり、遠慮がちになる夢路に彼女はビシッと手に提げたビニール袋を指差して窘めた。

 

「め、面目ない」

「うむ、分かればよろしい♪ それじゃあ、あたしもいってくるよ! またね、夢にい! ティオっち!」

「はい。いってらっしゃいです、リンカさん」

 

 半ば押し付けるようにお弁当を夢路たち渡したリンカはその場で忠告通りにストレッチをした後で軽快な足取りで学校目指して駆けだすと、風のように素早くあっという間に見えなくなっていった。

 

「これは昼飯だな。折角だから、少しでも温かいうちにごちそうになろうか?」

「あの、ボクはその……活動するための魔力は太陽光で賄えますし、夢路さんが二つとも食べてもらっても。このところ連戦続きでお疲れでしょう?」

「一人で食べても味気ないから、むしろティオに一緒に食べてもらえると嬉しいんだけどな。それにリンカちゃんに味の感想を聞かれたら大変だろ?」

「で、ではご相伴にあずかります!」

「ああ、かたじけない……なんてね。兎に角、ティオの仲間も探さないといけないしやることは山積みだ。腹が減っては何とやらってね――いや、本当に」

 

 事情が事情だけにまだこの世界の人間たちに対して、負い目や罪悪感から遠慮がちになるティオだがこうして夢路には全幅の信頼と安心を寄せているようで、尻尾を振って喜ぶ子犬のようにその背中の後ろを追って事務所の中へと入って行った。

 この二人が出会い、陰日向で異世界からの侵攻に立ち向かうようになってもう二週間が経とうとしていた。

 

 

 

 

 それは大空に浮かぶ一つの雲の中にあった。

 正しくは不変の雲を模した結界の中に存在する浮島にそびえる隠し砦。

 その名も【アウトレイジ・パレス】

 これこそが異世界から来た盗賊団の拠点である。

 

 砦の中にある一区画。

 まるで中世ヨーロッパの酒場のような危うさと退廃的な空気が漂う広間には二つの人影があった。

 

「いけないなあ……これは」

 

 不可思議なクリスタルを眺めながら赤いローブに身を包んだ青年が呟いた。

 

「どうかしたの、ランテマーニュ? 随分と悲しそうな声だわ。まるで愛玩するペットが死んでしまった幼子のよう」

 

 青年の呟きに傍にいた紫のローブの女性が尋ねた。

 

「ペットは酷いんじゃないかリヨネッタ。我らの仲間がまた一人……討たれたようだ」

 

 ランテマーニュと呼ばれた青年はそう言って面を上げた。

 ローブで見え辛かったその容貌が露わになるがその顔は右半分が奇妙な仮面によって綺麗に覆い隠されていた。さらに外界の様子を映し出す魔術道具であるクリスタルを持つ右手は角張った機械仕掛けの鋼の義腕のようだった。

 だが、年若くも覇気を備えた凛々しく不遜な雰囲気のこの青年こそが異世界アポジェネシスより来訪した盗賊団の総団長ランテマーニュ・ジェミオスであった。

 

「貴方が気を病む必要はないわ。あくまで私の主義思想のことだから。禁術によって得た異形と力を持ちながらむざむざ敗れた負け犬に愛着も哀悼も感じないの」

「だがね、リヨネッタ。斥候として送りだした仲間たちはそれなりに恐怖と絶望を振りまいて暴れたはずなのにこの世界への汚染が些か少なすぎる。その原因が彼らにあるとしたら、それだけの強大な力を持っているとしたら我らとしても看過は出来ない」

「私たちを追ってきた魔術師の小細工の線もあるけれど、確かにそう考えると少し厄介ね……仮面ライダー」

「ああ、そうだ。我らが団の太祖ですら半世紀前にその野望を砕かれた怨敵とも言える存在だ。遊び過ぎるのもよくないかもしれないな。そろそろ、当初の予定通りに樹を用いた仕掛けで本格的に国盗りの準備を始めたいと思う。それまでは真面目に働いておくれよ」

「残念ね。もっと派手に可愛い子たちがいる盛り場へ繰り出して遊びたかったのに――嗚呼、略奪! 凌辱! 鏖殺! 見目美しい女子供の血肉で贅沢に湯浴みでも愉しもうと思っていたのにねぇ? アハ!アッハッハッハ――!!」

 

 紫のローブの女性は深い憂いの溜息を艶やかに吐いて、いきなり哄笑を上げた。

 フードと一緒に長い髪を掻きあげて興奮した様子で立ち上がると肌に密着したボティスーツのような衣服越しに豊かな乳房がたわわに躍動する。

 白い女が嗤う。

 真綿のように白い髪で。雪のように白い肌で。黒真珠のような黒く爛々とした眼で。

 寒気がするような美しい肢体を鼠径部や臍などあちこちにジッパーがついた白いレザースーツで包み込んで白い魔女が嗤う。

 ギザギザした獣異常に鋭く物々しい牙を色っぽい唇からチラつかせて、盗賊団の副団長・リヨリッタは天使のように美しく、悪魔のように恐ろしげな笑みを浮かべていた。

 

「盛り上がっているようだな、リヨリッタ」

 

 するとリヨリッタの猟奇的な笑い声にも動じずに巌のような声の主は暗闇の奥から堂々とした歩調で現れた。深緑のローブを纏った逞しい体格の男だった。獣の毛皮や骨を加工した野趣溢れる軽鎧を纏っている。彼の名はバルバント。リヨリッタと同じく盗賊団のもう一人の副団長だ。

 

「おかえりなさい、地上の様子はどうだったの?」

「それについては後に詳しく報告しよう。それよりも少し面白い収穫があった。おい」

 

 リヨリッタの言葉に短く答えるとバルバントは一部の隙もない挙動で自分の後ろに控えさせていた人物を団長であるランテマーニュの前に目通りさせる。

 バルバントが連れてきた人物の身なりを見てリヨリッタはおろかランテマーニュさえも興味深げに目を丸くした。

 

「ほぉ……ようこそ、我らのアウトレイジ・パレスへ」

「へへっ。アンタ達、俺を雇う気はないか?」

 

 カンテラの灯りに照らされて、来客の姿が露わになる。

 くたびれた派手な柄のアロハシャツ。その男は間違いなくこの世界に住む人間の格好をしていた。ニヤついた笑みを浮かべる男の手には驚くべきことに万里たちが持つものと同じファンタズムホルダーが握られていた。

 

「面白い人間だね。我らに詳しい話を聞かせてもらおうじゃないか?」

 

 様々な思惑と野望を孕みながら、彼らは笑う。

 

 

 

 

 正午を少し過ぎた頃。

 朝に分かれる前に取り決めていた約束の時間の少し前に万里が事務所を訪ねてきた。

 

「こんちわ。今朝は先にお暇して悪かったな」

「万里さん、こんにちは。お待ちしていました」

 

 一眠りしてすっかり体力も回復した様子の万里は小脇に甘くて香ばしい匂いが漂う紙袋を抱えながら物怖じする様子も無く事務所の奥へと入って行く。

 明石探偵事務所の室内は整理整頓が行き届いており、秘密の潜入アイテムや事件の捜査資料が散乱しているような探偵小説に出てくるような事務所と言うよりは商社ビルの一角にあるモダンな応接室といったクリーンな印象が漂っていた。

 

「いらっしゃい。まあ、適当に掛けてくれよ。ところで何を持ってるんだいそれ?」

「おう。まあ、長話になりそうだと思ったんでお茶請けぐらいは持参したのさ」

「妙なところで準備が良いな。うち、コーヒーしか置いてないぞ?」

「構わねえよ。何たって、鉄京市が誇る老舗和菓子屋の一番人気だ! 何にだって合うさ。ティオは甘いもん好きか?」

 

 コミュニケーション能力が高いのか既にこちらが気後れするぐらいフレンドリーな物腰の万里に苦笑しながら夢路は一度奥にあるキッチンへと引っ込んでいく。

 彼の背中を見届けながら事務所の中央に配置された応接用のテーブルとセットになったソファーに腰掛けた万里は先程から興味深そうに紙袋を見ていたティオに声をかける。

 

「は、はい! その、こちらの世界のお菓子という物はあまり食べたことありませんが南瓜の煮物というものでしたり、砂糖入りの卵焼きというものでしたり、甘いの好きです!」

「そいつは結構! ちゃんとした食生活を送れてるじゃないか。いいよな、南瓜。俺も好きだよ。卵焼きも出汁より甘口派だし」

 

 天然なのか、まだこちらの食文化にはそれほど馴染みがないのか少し素っ頓狂なアンサーを素直な顔で答えるティオに豪快で気持ちの良い笑いを返しながら、万里は紙袋の中からまだ少し温かいUFOのような焼印が押されたどら焼きを手渡した。

 

「ほら。お前の世界の中での甘くて美味いの常識が覆るぞ? 自家製オリジナルレシピのバターと粒あんが無敵のスクラムを組んだ鉄京市の誇る和菓子屋葉山堂が誇る一番人気の特製バターどら焼き、通称……」

「円盤焼きだあああぁ―――!!」

 

 まるで我が子を自慢するかようにどら焼きをプレゼンしていた万里の声はコーヒーの乗ったトレーを持って出てきた夢路の突然の大声にかき消された。

 

「ゆ、夢路さん!?」

「ビックリしたぁ……なんだよ、明石さんの方はまさか甘いの駄目か?」

「違う、そうじゃない。円盤焼き――それでキミのことを思い出したんだ。探検家の帆高万里!」

 

 慌てて躓きそうになりながら、二人にコーヒーを配り、自分の分を窓辺にあるL字型のデスクに置くと夢路は探検家としての万里について知っていることを話し始めた。

 

「三年前にシルクロードの砂漠で未発見の小規模な城塞都市の遺跡を発見して大騒ぎになったのがキミだろ? 若手探検家が世紀の新発見をしたって日本でも一時期有名だったんだ」

「お、おう……面と向かって言われると照れ臭いがその帆高万里が俺だよ」

「万里さん、そんなすごい人だったんですか?」

 

 正直なところ、探検家というのは自称で実際は定職について居ない自由人だと思っていたティオも夢路が話す内容が真実だと言うことを理解して思わず唖然とした顔で万里のことを見ていた。

 

「だけど、この鉄京市に与えた影響としてはその発見よりも、その後に行われたTVインタビューの方が大きかったんだ」

「げ……あれ、見てたのかよ?」

「多分、あのニュースの後にキミが頑なにメディアに顔を出さないこともあって記憶が風化されただけでこの街の殆どの人は確実に見ているだろうね。なんせ、キミの言葉一つが一部の人たちの運命を変えたんだ。あれは事件と行ってもいいぐらいだ」

「それはどういう……ゆ、夢路さんっ」

 

 露骨に気まずい顔をする万里にティオは首を傾げて、続きを促すように夢路の方を見た。

 

「キミはいま一番なにがしたいというインタビュアーの質問にこう答えたんだ。好物の地元の和菓子屋のどら焼きが食べたいって。未練を残しておいた方が却って意地が出て生きて帰れるだろうから、食べずに探検に出た。だけど、店主がそろそろ店を辞めるって噂もあったからすごく心配だってね」

「やめろォ! 世界に晒した赤っ恥を丁寧に掘り起こすんじゃねえや!」

「だけど、その発言が切っ掛けで当時、後継者がいなくて本当に店を畳む気でいた葉山堂にはお客さんが殺到。その味が本物だと言うことが分かるとついには有志の後継者志願者まで現れてほんの一年で葉山堂は鉄京市にある和菓子屋でも指折りの大人気店に急成長して、いまでは近隣の他の街にも数軒の支店が出来るまで大盛況だ」

「……あ、えと。す、すごいでーす」

 

 顔を真っ赤にして狼狽する万里を尻目に探検家としての彼とそんな彼が鉄京市に巻き起こした微笑ましい事件のあらましを夢路が語り終えると事務所にはしばし、何とも言えない沈黙が流れ、空気を察したティオは朝のリンカを真似てとりあえず万里へと拍手を送った。

 

「くっそー……人が忘れていた黒歴史を無慈悲に突きつけやがって、人が悪いぜ名探偵」

「よしてくれよ。俺なんてのは何処にでもいる普通の探偵、そうだな平探偵だよ。さて、兎に角キミの素性がちゃんとしたものだって判明したし、そろそろ気を許して本題について話そうか」

「ん……もしかして、俺ってばついさっきまで実は警戒されてたのか?」

 

 夢路の言葉に引っ掛かるものを感じた万里は円盤焼きを齧り付きながら、怪訝な顔をした。するとコーヒーを一口飲んで夢路が申し訳なさそうな顔で切り出した。

 

「我ながら少し人が悪いと思ったけど、用心はしていたよ。なんせあんな風に生身でケイオスに立ち向かっていたのはキミが初めてだったんだ。その、すまない」

「気にすんな。不用心よりはよっぽど仲間としては頼もしい。じゃあ、早速俺の知らない細々を教えてくれないかい?」

「んくっ。では、それについてはボクの方から――」

 

 ティオは密かにあまりの美味しさに舌鼓を打って大口で頬張っていた円盤焼きを急いで呑みこんでから真面目な面持ちで切り出した。

 

「ケイオス達がこちらの世界で企てているのはずばり、この世界を奪うことです」

「世界征服ってわけかある意味シンプルで分かりやすいな。とはいえ、犠牲が増えるのは願い下げだが」

「いや、それが俺たちが思っている感じのと少し毛色が違うらしいんだ。どうやら連中は極力無傷でこの世界を奪いたいらしい」

 

 意味深な夢路の言葉に万里は円盤焼きの生地の欠片がついた指先を一舐めして、ティオの説明に耳を傾ける。

 

「そもそも奴らは一度アポジェネシスで国盗りと称して各地で武装蜂起を起こした末にこちらの世界へ渡航してきたのです。迎撃に当たった王都の軍は最初、ケイオスたちは敗走したものと判断していたのですが実際はこちらの世界を手中に収めて、戦力を増すための陽動だった」

「考えたな。ティオの世界と俺たちの世界、二つの世界の優劣を比べるのはまたの機会にしておいて未知の文化圏の兵力は正体不明というだけで十分に脅威だ」

「恐らく、そういう魂胆もありますがもう一つ。禁術を得て異形となった彼らには世界の環境を自分たちに最適に変質させる恐るべき秘術を持っているんです」

 

 不安そうに顔色を曇らせて話すティオの様子に好奇心以上の危機感を本能で感じた万里は唇を真一文字に結んで引き締めると無意識に窓から鉄京市の街を眺めた。

 

「まさに一大事だな。だが、それを聞いたら尚更あの化け物どもの好きにはさせたくなくなってきたよ。俺たちの世界は盗人どもがそう簡単に土足で踏み荒らせるほど安くはないぜ?」

 

 気ままな探検家には荷が重いのはあきらかな案件に乗り掛ったことを実感する。だがそれ以上に、平凡に暮らしていたら決して巡り会えない様々な未知に触れられる予感に不謹慎ながら歓喜で肝が震えるのを感じた。

 それに放浪を愛する万里だがこの街には守らなければならない人が、日々の営みが、あまりにも多く在りすぎた。

 

 

 

 

「毎度、ありがとうございました」

 

 鉄京市・東部のある大通りにソレイユという店名の花屋がある。

 小さいが華やかなお店だ。

 店長の並木春政は十年間サラリーマンとして働いて開店資金を貯めて、二年前の春にこの店をオープンした。

 よく手入れされた商品の花々と男性ながら丁寧で花について豊富な知識を活かした上質な接客が噂となり、大盛況というわけにはいかないがそれでもまずまずの売上を出せるだけに店の軌道も乗り、店主である春政は日々、追われるように忙しい充実した毎日を送っていた。

 

「ふー! さてと、いまの内に来週保育園に配達するお花の確認でもやっちまうか」

 

 春政はそう言って気合を入れ直すとまだまだやることが山ほどある、花屋の仕事に邁進する。花とは生き物だ。我が子の面倒をみるように剪定から、保存の温度調整など気を配ることは多い。花の手入れ以外にも数多ある花言葉を常に脳内に留め、お客の要望に合わせて冠婚葬祭を始めとするあらゆる行事に最適な花を選別するための情報収集など例に出せばキリがないぐらいだ。

 

 彼が花屋を始める切っ掛けになったのは亡き祖母との思い出だった。

 生前、春政の祖母はよくこんなことを言っていた。「花を買うというのは、その人の心にゆとりがある証拠。だから、日頃から花が生活の身近にあるような人生を送れるように努力したいものね」と。

 両親が共働きで幼少期は祖母に育てられ、その後も高校生の時に死別するまでの長い間、祖母と一緒にいる時間が多かった春政だったがその言葉の意味については学生の身分でいる間は到底理解できないものだった。

 

 けれど、大学を卒業後に社会人として仕事に追われ、時間に追われ、日々を忙しなく走り抜ける毎日が始まって初めて、彼は敬愛した祖母の言葉の意味と花一輪の秘めたる癒しの力を痛感した。

 やがて春政は人の心に余裕を与える花を商い、自分じゃない誰かの生活や心に余裕という潤いを与えられたらと言う夢を持つようになった。

 そして、仕事と並行して苦学すること十年、彼はいまのようにまだ小さく貧相な店構えながらも自分の夢を叶え、夢を大きくするために学ぶことだらけの仕事に奮闘していた。

 だが、そんな夢に邁進する善良な彼にこそ混沌は忍び寄る。

 

『もし――』

「いらっしゃいま……せ!?」

 

 声を掛けられて振り向いた先にいた異様なお客に春政は思わずたじろいだ。

 くぐもったような声の主はデスマスクのような不気味な白い仮面に黒いローブという装いだったからだ。

 

『オマエ、良い夢を持っているな。決まりだ……お前を使ってやろう』

「何を……あ、がっ――!?」

 

 値踏みを終えたケイオスはまだ事態が呑み込めていない春政の胸部に手にしていた気味の悪い種子を問答無用で植え込んだ。

 その種の名はケイオスシード。文字通り、混沌を生ずる悪夢の大樹の源である悪しき禁術の一端である。

 

「僕になにを……ひぎッ!? これは僕の腕から芽が出て……う、嘘だ!?」

 

 街路を行き交う人々の困惑と驚愕の喧騒を余所にケイオスの足元で蹲ってもがき苦しむ春政は自分の体に起き始めた異変に絶句した。

 彼の手足や頬、頭部など体中のいたるところから植物の芽のようなものが生えたかと思うとまるで映像を早送りしているかのように急速に成長を始めたのだ。

 

「こんな、の――誰か助、だ……だずげ……でぇぇえぇええ――!?」

 

 この世の物とは思えない恐ろしい光景。

 その悪魔のような植物はまるで春政を苗床にして見る見るうちにドス黒く、あちこちに極彩色の鉱物のような物が埋め込まれた巨大な樹木へと変貌したのだ。

 更にその醜悪極まる樹木がそそり立つと同時にケイオス自身が持つ野望のイメージと春政の夢のイメージとが混ざり合い、素体状態であったケイオスの姿形をも変貌させていく。

 

『混沌樹よ! さあ――育てよ、育て! さあ――穢せよ、穢せ! 我らケイオスの春を招き給え!! 悪濁汚染を開始せよォオオ!!』

 

 顔そのものが巨大で刺激的な赤色の毒薔薇となり、幾本もの太くて鋭い棘を持つ植物のつるのようなものが四肢となり人型を成した完全体への変化を完了させたケイオス。

 さらにその異形の肉体を守るかのように腕部や背中にはダンゴムシのような甲殻が具足のように纏わりついている。

 薔薇とダンゴムシの融合怪人――ローズケイオスは割れんばかりに響き渡る周囲の人々の悲鳴をまるで恵みの雨を浴びるかのようにその身に受けて悦に浸る。

 

『素晴らしい! 素晴らしい恐怖! 素晴らしい混乱! 恐怖に震えて、喚き散らせ木端共! それこそが混沌樹の養分となるのだ。悪濁領域(ケイオスゾーン)よ、世界を塗り潰せ!!』

 

 まるで神託を受けた預言者のような大袈裟な振舞いでローズケイオスは大空へ向けて声を張り上げる。先程まで青く澄んだ空の色は混沌樹から放出される黒く濁った禍々しい瘴気によって気持ちの悪い闇色が広がり始めていた。

 

 

 

 

「ところでよ。昨夜あのカマキリ野郎が随分と自然公園を荒らしたわけだが今朝になってもまるで騒ぎになってないみたいなんだがティオたちが何かしたのか?」

「それはボクというよりも正確にはボクのオリジナルにあたるティオネウスがこの国に施した認識阻害の魔術の影響です」

「なんでもそれのお陰で一般の人たちは物や建物が壊れたりしても、その原因についてはあやふやで意識の対象から外れるみたいなんだ。こちらとしても正体がバレるリスクやマスメディアに変に騒がれるのを心配する必要がないからありがたいよ」

「そりゃあ便利な仕掛けをしてくれたな。出来れば直接出会って礼が言いたいぜ」

「そんなことは……でも、気を付けてください。オリジナルによると万里さんたちと仮面ライダーが同一人物だと明確に認識してしまった場合、その人への魔術の効き目が急激に減退してしまうらしいですから」

「了解だ。ま、変身すればあんだけ違う存在になるんだ。誰も気付きはしな――」

 

 同時刻、明石探偵事務所で話をしていた万里たちが持つファンタズムホルダーの磁針が突然激しい勢いで回転したかと思うとある方向を指し示して震え始めた。

 

「なんだ? ホルダーが勝手に」

「夢路さん!」

「ああ。これは奴らが……ケイオスが派手な騒ぎを始めている警報だ」

「昨日の今日でか!? ハン、上等じゃねえか!」

 

 敵の出現を知らせるアラームに万里たちに緊張が走った。

 いち早く外の異変に気付いた夢路が事務所の窓を開けて街の様子を窺うとまさにソレイユがある方角の空が一定範囲で異様に黒く染まっていた。

 

「場所はあの黒い靄の発生しているところだろうな」

「明石さん、車とか持ってるかい?」

「ごめん、いま人に貸してる!」

「なら俺の乗ってきたのを使うぞ。来い!」

「えっ、ちょっと待っ――!?

 

 事件現場を断定した夢路を万里は自分がした質問に彼が答えるか否かの速さで力任せに外へと連れ出して事務所近くの駐車場へと走った。

 

「さあ、乗りな! 本当は道路交通法的にアウトだが緊急事態だ!」

 

 目的地に付いた万里は自宅からここまでの距離を移動するのに使っていた愛機に跨って、夢路に後ろに乗るよう催促するも彼は顔を引きつらせて、冷静かつ語気を強くツッコミを入れる。

 

「い、いや。いやいやいや……これママチャリじゃないか! 速度的にキツイって!」

「大丈夫。自慢じゃないが俺は中学の頃に自転車で75キロ出して警察のネズミ捕りに引っ掛かった男だぜ。二人乗りでも50キロぐらいは出せるって!」

 

 謎の自信と実績に満ち足りた表情の万里に夢路は少しずつ分かってきたこの男の破天荒さと良くも悪くも本能や直感に素直なノリに頭を抱えながら、冷静にまだ明かしていない仮面ライダーとしての装備について教えるべく、ティオに声をかけた。

 

「本当に自慢にならないからな! それよりも良い物があるんだって。ティオ、頼む!」

「はい! 万里さん、これを渡します」

「おう……で、これは?」

 

 夢路の言葉を受けて、ティオは万里にスマートフォンに似た見慣れぬ端末を手渡した。通常のそれよりも少し分厚く角張ったデザインをしていた。

 

「ファンタズムデバイス。ボクたちの世界にある生活補助型魔法書をこちらの世界に合わせて形状からガラっとアップデートしたものです。そして、こんなものも搭載しています」

 

 ティオはそういって、デバイスを操作すると画面から眩く光る何かが飛び出して万里の目の前に姿を現す。

 それはまるでフロントカウルを始めとして、鎧を纏った戦馬を模した意匠をしたオフロードバイクのような乗り物だった。

 

「うおっ! すげえな、バイクが飛び出してきたぞ!」

「機巧馬メタローダー。デバイスと同じく、長距離移動用の錬金術製の機械馬をこちら側の乗り物に寄せたものです。今後は自由に使ってください」

「ハッハハ! ありがたい。助かるぜ、ティオ!」

 

 実に奇跡を起こす魔術の力とばかりのアイテムの登場にすっかり昂った万里はティオの頭を少し荒く撫でると意気揚々とメタローダーに跨った。

 

「使い方は俺たちがよく知るバイクやスマホと殆ど一緒だ。いけるな、帆高君」

「もちろんだ! 任せとけ、明石さんよ」

「お二人とも出発しましょう!!」

 

 そして、夢路が自分用のデバイスでメタローダーを召喚して後ろにティオを同乗させると二台のマシンは爆音を上げて混沌樹が出現した場所へと駆け出した。

 

 

 

 

 三人が悪濁領域の展開されているすぐ傍に辿りついた時には領域内はかなりの濃度の瘴気に汚染されていてまだ太陽が高く昇っていると言うのに暗闇の世界と化していた。

 混沌樹から放出されている瘴気の影響か悪濁領域内に巻き込まれた人々は生気を失い廃人のようにその場で座り込んでいたり、倒れ伏していた。

 まさに生き地獄の再現のような凄惨な光景だった。

 

「酷いなこりゃあ。前からケイオスが悪さするとこんな感じか?」

「いや……ここまで目立つアプローチは初めてだよ。ティオ、これが前に言っていた例の?」

「はい。混沌樹とそこから展開される悪濁領域の影響によるもので間違いありません」

 

 冷や汗を一筋流しながら、ティオは緊張したように微かに震えた声で二人に伝えた。

 

「これが世界の性質を化け物の好みに魔改造するってやつか?」

「はい。これが完了してしまえば汚染された一区画はケイオス達の物と言って過言ではありません。この黒い瘴気の中では人間は淘汰され、悪しき魔性は栄える。彼らの言う国盗りとはこういうことです」

「この妙な現象、連中を倒せば元に戻るのか?」

「悪濁領域を消すにはケイオスともう一つ、世界を汚し変質させている瘴気を発生させている混沌樹を取り除かなくてはなりません」

 

 ティオの言葉に万里は目を凝らして黒い瘴気に覆われた範囲の街並みを慎重に見渡した。

 

「あれだな。靄が濃くて見辛いがデカい枯れ木みたいなのがある。全く、探検し甲斐のある場所じゃねえか!」

「お二人とも急いでください! もしも悪濁領域が完成してしまえばその一区画を元に戻すのは容易ではありません」

「まるでオセロか陣取りゲームだな。発想と代償は最低の極みだけど。急ごう」

 

 夢路はケイオスの引き起こした混迷の悪趣味さに強い怒りを浮かべて、ライダーユニットを腰に装着する。

 そして、万里もそれに続くように不敵な笑みを浮かべて懐からファンタズムホルダーを取り出して起動させると力強くライダーユニットに装填した。

 

【ライズ・ジェッター・ライ・ライド!!】

「変身――!!」

 

【ライズ・レイガー・ライ・ライド!!】

「変身ッ!!」

 

 赤と青。二色の輝きを放って、二人の足元にそれぞれの魔法陣が展開する。

 

【オーライ・ライダ・ライライラァァァ――イ!!】

 

 迷いのない声が二つ重なって暗天の空に響くとファンタズムホルダーから溢れ出る神秘の力が無限大の可能性を秘めたる仮面の戦士たちを顕現させる。

 

『よし! 一仕事、始めよう!!』

『おうよ、ブッ飛んで行こうぜ!!』

 

 蒼鋼(そうこう)の雷霆――レイガー。

 紅鉄(こうてつ)の熱風――ジェッター。

 

 二人の仮面ライダーが見つめるその視線の先には無数の枝先から絶えず禍々しい瘴気を吐き出す混沌樹が不気味に聳え立っていた。

 どんな危険、どんな障害が待ち受けているか定かではない想像不可能な不確定危険地帯。

 悪濁領域にいま――夢の守り人たちは不屈の闘志で挑戦する。 

 

 

 




お久しぶりです。
依然と比べるとかなり時間が掛かってしまいましたがどうにか第二話更新です(汗)
ちなみに本作の主な舞台となる架空の地方都市・鉄京市ですが地形としてはFate/SNの冬木市をイメージしています。地形や地理の説明や描写もっと上手くなりたいものです。

それにしてもほぼ二週間かけて戦闘シーンまで持っていけないとは……
次回は沢山ある予定なので平にご容赦下さいませ。
それでは、よろしければご意見・ご感想お待ちしております。




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