東方夜行曲 ~料理長の備忘録~ (北屋)
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備忘録の始まり

久しぶりの投稿。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。


曇り空。

血を零したように真っ赤な夕焼けが西の空を染め上げている。

人の時間は終わりを迎え、東からやって来た夜の青が空を刻一刻と覆っていく。

黄昏れ。

その語源は誰ぞ彼。夕闇に撒かれて人の姿かたちが曖昧になる時間。

……なんて、これはパチュリーの受け売りだけど。

人の時間が終わりを迎え、夜を行く者が目を覚ましだす。

ここからは私たちの時間。

だというのに、お姉様ご自慢の庭先にいるのは夜の住人だけじゃなくて。太陽がどれほど傾いても、ここだけはぼんやりとした明かりに照らされてほのかに明るい。

提灯やら蝋燭やら、ともすれば鬼火や魔法の光球まで。

参加者の個性を表すかのような明かりは、もちろん一つ一つは控えめで柔らかいけれど、ここまでたくさん集まってしまっては少し眩しいような気持ちさえする。

そんな風に思いながら、そっと、辺りを見回してみる。

私の家族に、見知った人。見覚えのある妖精に妖怪、話にしか聞いた事のない神様や仙人。

話に聞いた、大宴会はきっとこんな具合なのだろう。それから、隅っこの方にいる一団は人間……なのかな? 見た事もない人たち。

きっと、今までの私の人生の中で出会った人妖を全部合わせても、ここのいる人たちの半分にも満たないんじゃないだろうか。

これもあの人の人柄によるものなのかな。

でも、館の裏庭に集まったみんなは、誰一人笑顔を見せることはない。

 

「それでは、はじめましょうか……」

 

全員の前に立ったお姉様が小さな声でそう呟いた。

全員が姿勢を正し、お姉様の方を……ううん、より正確に言うのならば、お姉様の隣に置かれた黒くて大きな箱に目を向けた。

途端に目を伏せる人たちが何人も現れる。お姉様が厳かな調子で何かを続けるけれど、内容はあまり入っては来なかった。

お姉様の話の途中で、最初に耐え切れなくなったのは魔理沙だった。

トレードマークの帽子を目深にかぶり直し、顔を覆っているけれど、小刻みに震える体は誤魔化しきれていない。少しもしない内に零れ落ちた雨だれが地面に染みを作り始めた。

博麗の巫女は気丈で、人前で涙なんて見せたりはしない。けれど、その顔はいつになく……それこそ、初めてうちにやってきた時とは比べ物にならない程に真剣そのもので、握りしめた拳は真っ白になってしまっている。

いつの間にかお姉様の話が終わっていた。

みんながそれぞれ花を手に、黒い箱の前に一列に並ぶ。

白い花を、箱の中に入れるのが本当なんだって。でも、今日、参加者が手にしているのは色も種類も、何もかもがちぐはぐな花。

赤青黄色、白に紫。バラの花からユリの花、スズランに果てはヒマワリまで。

控えめに一輪、花束に、何をどう勘違いしたのかブーケまで。

黒一色の……あの人らしい色をした箱の上には次々と花が積まれて、瞬く間に殺風景な箱の上は色とりどりに彩られていく。

さながら小さな花畑。

そういえば、送り出し方も随分揉めたっけ。

人里のお寺さんに、ご存じ博麗、それから山の上の神社に……結局はお姉様が強引にまとめたみたいだけど。

しきたりや様式なんて知った事かと言わんばかりの無茶苦茶な様子は、けれど、あの人が望んだ事。

何て我儘な人なんだろう。

しんみりなんてしないで欲しいとか、恥ずかしいから顔は見せたくないだとか。他にもいっぱい。

普段はそんなに口うるさくない癖に、こんな時だけ注文が多い。

これだから人間は。

だけど、出来るだけひっそりと送ってほしいってお願いだけは聞いてあげられなかったな。

残念だけど、それはあなたの日頃の行いが招いた事だよ。反省してね?

なんて。

次は私の順番。

黒い箱の上に一輪のバラをのせてあげる。

鮮やかな紅色の、この館にぴったりのバラの花。

ねぇ、覚えてる? いつだったか、美鈴とあなたと一緒に、花壇の手入れをした時の事。

あれから私も、こっそり美鈴にお花の事とか教えてもらったんだよ。

 

「うっ……」

 

不意に、嗚咽が聞こえてきた。

私の後ろに並んでいた美鈴が、ついにこらえ切れなくなったみたい。

あなたとは苦労人同士? 気が合うみたいだったし、仕方がないよね。

でも美鈴、そんなに泣いたら、せっかくの美人さんが台無しだよ? あの人もしんみりしないでって言ってたよ?

今にもその場に崩れ落ちそうな美鈴を、咲夜がそっと支えた。

さすがはメイド長。いつも通りのすまし顔で、所作はどこまでもそつがなくて、瀟洒そのものだ。でも、そのお目々が真っ赤になってるのは自分でも気づいてないらしい。きっと、お得意の時間停止でも使って、こっそり泣いてるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

やがて、箱に火が放たれた。

魔法の火はあっというまに箱を覆いつくす。

光が強すぎて燃えている様子を視認することは出来なかった。あまりの眩しさに目を閉じてしまいそうになりながら、それでも堪えて燃え続ける炎を見続ける。

 

 

 

 

ぱちぱち、と。火の爆ぜる音が聞こえる。

そこに、鼻をすする音や、しゃくりあげる声が混じっていた。

パチュリーは私と同じく、眩しそうに燃える炎を見つめている。違うのは眉間に刻まれた深い皺。無表情は相変わらずだけど、やりきれない思いは隠す気もないらしい。

その横では、小悪魔がぼろぼろと大粒の涙を流しながらわんわん泣いていた。悪魔の眷属がそんな調子で本当に大丈夫なのか、ちょっとだけ彼女の将来が心配になってくる。

 

 

そんな中でも、お姉様は、涙一つ、哀しそうな様子一つ見せずに、淡々と式の進行に徹している。

あの人と過ごした時間は、その実、紅魔館で一番多かったはずなのに。

長く生きてる分、人間との別れには慣れちゃったとか?

それとも、人間の事なんてなんとも思ってないとか?

……ううん。そんなことないって、一番知ってるのは私だ。

本当に泣きたいのは誰なのか、私はちゃんと知っている。

お姉様はこの館の主だから、人前で取り乱すわけにはいかないんだ。

それを冷たいって思う?

結局は自分の面子が大事なのかって?

 

そんな事を口にするような奴は、私が八つ裂きにしてやる。

 

お姉様の心の中は、本当の意味ではお姉様にしか分からない。

でも、姉妹だからなのかな。考えている事は何となく分かる。

レミリア・スカーレットは、咲夜や美鈴、そしてあの人の主で、パチュリーの友人で、そして私のお姉様で……どうしようもないくらいに、この館の主だ。

ここで取り乱してしまえば、それは従者や友人、家族の恥になるって、そう考えている。

そんな事を思う人なんて、この場には誰もいないっていうのに。

ううん。きっとお姉様はきっと、一人になったとしても取り乱すことも、所作の中に悲哀をにじませる事もないだろう。

何て頑固で偏屈で、何て誇らしい姉なのだろう。

 

みんなが見守る中で、弱まった炎がひときわ黒い煙を噴き上げた。

あの人がいつも身に着けていた色は、微かな風に吹かれただけで揺らいで、そして夜の闇の中に溶けて消えた。

 

「あ、」

 

火が、消える。

あの人がいなくなる。

そう思った。思って、しまった。

 

「あ、あぁ……あぁ!」

 

ずっと、必死でこらえてきたのに。

自分だけは何でもないようにって。あの人との約束を、ちゃんと守れるようにって。

だから考えない事にして、見えないふりをして、なのに、

 

「あ、あぁぁぁ……」

 

ダメだ。

堪えろ。あの人に約束したじゃないか。

私は、フランドール・スカーレット。誇り高き、レミリア・スカーレットの妹だ。

従者との約束一つ守れないなんて、そんな事はあっちゃならない。

それなのに、私の意思なんて無視して、声にならない声は止まらない。

視界がどんどんぼやけて、足元が覚束なくなってくる。

ダメだ。こんなんじゃ、ダメだ。

振るえる私の体を、不意に柔らかな感触が包んだ。

 

「お、姉様?」

 

私の体を抱きしめていたのはレミリアお姉様だった。

こんな私を見て、だけど、お姉様は何も咎めはしなかった。ただ、薄く微笑んで、

 

「フラン」

 

私の名前を呼んでくれた。

風が、吹いた。

火で炙られた、温かな風だった。

あの人の掌のような、優しいぬくもりに満ちた風だった。

それは彼の最期の挨拶のようで、

 

「う、あああああああああああ!」

 

こらえきれなくなった私はこれまでにないくらいに大きな声で泣いた。

哀しくて、辛くて、でもどうしようもなくて。

どうしていいか分からない私を、初めての感情を受け止めきれない私を、お姉様はただただ黙って抱きしめてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窓から見える空は赤く染まっていた。

それを映す湖も同じ色で、ひどく幻想的な光景だと、そう思った。

沈み始めた日の寿命は酷く短く、こうしている間にもどんどん地平線に飲み込まれていく。刻一刻と変わり続ける光景は飽きというものを感じさせず、出来る事ならばこのままずっと見続けていたいくらいだった。

 

「いけないいけない」

 

しばし足を止めて窓の外に見とれていた彼は、はっとしたように呟いて、軽く頭を振った。

呆けている場合ではない。今は仕事中なのだ。

自分に言い聞かせて、再びワゴンを押しながら廊下を進む。

昔はそうでもなかったのに、最近はどうにもふとした事に心を動かされる事が多くなったように思う。これが歳をとるという事なのかと、そう思い苦笑した。

窓ガラスに映る自分の姿には若さは感じられない。

白く染まった髪が、ひと際それを物語っていた。よくよく見れば肌も荒れている。目元に浮かんだ隈は恐らくもう二度と取れる事はないのだろう。

ちょっとした事で息が上がるのもしょっちゅうだし、昔ほど機敏に動く事も出来なくなっている。

 

「はぁ……」

 

仕方がない事と、ちゃんと分かってはいるが、どうにもこうにも割り切るのには時間がかかりそうだった。あるいは、割り切れるようになるまでに、自分に残された時間は足りないのかもしれないが。

 

「りょーりちょー!」

 

「のわっ!?」

 

廊下の曲がり角、不意に横から飛び掛かってくる影が一つ。

考え事をしていた所為か、もしくは感覚が鈍くなっている所為か、身構える間もなく彼女のタックルをもろに受けて倒れてしまった。

 

「あたた……お、おはようございます。フランドールお嬢様」

 

「おはよう、料理長!」

 

 

料理長と呼ばれた彼にのしかかるような姿勢で、彼女は満面の笑みを浮かべる。

嬉しそうに覗き込む少女と目が合った。

紅玉を思わせる瞳は、見つめるだけで飲み込まれそうな程に美しかった。

 

「っ……、今晩はお早いお目覚めですね」

 

魂が抜け出るような、あるいは魂が蕩けてしまうような、ある種の酩酊にも似た感覚を寸でのところで振り払う。

恐らく彼女に悪気は一切なく、それどころか何かをしたという気すらもないのだろう。だが、彼女の存在自体が、人間にとっては脅威そのものなのだ。

金の髪に紅玉の瞳。見た目こそは、幼さを残した少女。なれど、この幻想郷においては見た目とその本質は一致しないのが常である。

背にあしらった、宝玉の実る異形の翼。口元に僅かに覗く白い牙。

吸血鬼。

それが彼女の正体であった。

 

「んー、何か目が覚めちゃったんだけど、そしたら美味しそうな匂いがしてきて……」

 

「なるほど、私の所為でしたか。申し訳ございません。レミリア様、フランドール様のお食事はまだ準備中でして……」

 

起き上がりながら、支給品の懐中時計を開いてみる。

針は、主達がいつも目を覚ます時間のきっかり2時間前を指し示していた。

 

「ふーん……じゃあ、これは?」

 

彼女の目が、ワゴンに乗った皿に向く。

それを見て、料理長と呼ばれた彼は苦笑を浮かべて、

 

「あぁ、これは、パチュリー様にお菓子とお茶を。メイド長が手を離せないとの事で、代わりに私がお届けに」

 

「料理長が? そんなの、妖精メイドに任せればいいのに」

 

「そうしたいのも山々なのですが、一度、お届けするはずのお菓子がなくなっていたという事件がございまして……」

 

「あー……」

 

困ったような顔をする料理長を見て、フランドールは納得がいったという風に頷いた。

メイドの仕事をしているとはいえ、妖精は妖精である。美味しいお菓子を目の前にして、我慢がきかなくなるというのは分からない話ではなかった。

 

「そっか。なら、私も一緒に行ったほうがいいね」

 

「え? それは……あぁ、なるほど」

 

料理長は一瞬、きょとんとした表情を浮かべたかと思えば、すぐに悪戯っぽく笑う彼女の申し出の意味を理解して、芝居がかった動作でその場に跪く。

 

「では、フランドール様。申し訳ありませんが、どうか非力なこの私めを、図書館までお守りしていただけませんでしょうか」

 

「よろしい! 責任をもってパチュリーの所まで無事に送り届けるよ。代わりに、」

 

「はい。フランドール様にもお茶とお菓子をお渡しいたします」

 

 

 

 

 

「失礼いたします」

 

「たのもー!」

 

無事、特に何事もなく図書館に辿り着くと料理長は控えめに声をかけた。しかし間髪いれず、その横でフランドールが場違いな大きな声をあげる。

 

「フランドール様、それでは少し意味合いが違うのでは?」

 

「え? そうなの? パチュリーから借りた本にこういう風にするって載ってたよ?」

 

「何の本を借りたのですか、それは……」

 

「今度読む? 面白かったよ」

 

と、他愛もない会話をしながら図書館を進む二人の前、本棚の影からひょっこりと顔を出す少女が一人。

 

「あれ? 料理長さん……妹様!? 一体どうしたんですか?」

 

「こんばんは、小悪魔さん。パチュリー様にお茶とお菓子をお届けにあがりました」

 

恭しく頭を下げる料理長に、釣られて小悪魔と呼ばれた彼女も頭を下げた。

紅い髪に、蝙蝠か何かの羽を頭から生やした少女である。当然、彼女もまた人間ではない。

 

「そうですか。パチュリー様でしたらこちらに。ご案内しますね」

 

「お願いします」

 

薄暗い図書館の中をふよふよと飛びながら先導する小悪魔に続き、料理長とフランドールが続く。

飛べない料理長の事を考えてか、小悪魔の進むスピードは非常にゆっくりで、フランドールに至っては飛ぶことすらしようとはしなかった。

その心遣いが嬉しい反面、少しだけ寂しいような哀しいような、なんとも言い表しようのない感情が料理長の心の中に湧きあがった。

人間の、自分の時間は彼女たちとは比べ物にならない程に短い。彼女たちにとって一瞬にも等しい間に自分は老いていく。

仕方がない事ではあるが、だからこそやりきれないものがある。

この館の主に拾われ、仕えるようになってからそう長い時間は経っていないにも関わらず、しかして自分は昨日より今日、今日より明日、明日より……どんどん役に立つことが出来なくなっていく。それが不甲斐ない。

従者の身でありながら、仕えるべき方々にいらない気遣いを強いてしまう。それが許せない。

ならば自分はどうすれば良いのか。

随分長らく考えてみたが、凡そ正しいと納得できる答えは出ては来なかった。

 

「パチュリー様。お茶とお菓子をお持ち致しました」

 

鬱々と悩んでいる間にも、時間は進む。

図書館の奥深く、専用の机に陣取った少女は、面倒くさそうに視線を彼の方に向けた。

病的なまでに肌の白い、どこか気だるげそうで、それでいて確かな知見の深さを感じさせる少女。

図書館の魔法使い、パチュリー・ノーレッジ。

 

「あら、料理長。相変わらず酷い顔色ね」

 

「こればかりは、いかんともし難いものでして」

 

苦笑を浮かべて一礼をすると、料理長は机の上にティーカップを置き、手慣れた様子でお茶の準備を進めていく。

温かな紅茶と、それから大きめの平皿に整然と並べられ様々なクッキー。

全て、料理長が材料から選び、自ら仕上げたものである。

 

「うん。紅茶の淹れ方も随分と腕が上がったようね」

 

「恐れ入ります」

 

紅茶を一口飲んで、パチュリーはほっと溜息を一つ。

近くの大きなテーブルについた小悪魔も、紅茶を飲みながら気の抜けたような表情を浮かべていた。

 

「クッキーは相変わらず美味しいよね。何か秘密でもあるの?」

 

クッキーを一つ齧って、フランドールが問いかける。

 

「さぁて……秘密、という程のものはありませんよ。なるべくレシピに従って、あとは状況に応じて若干の調整をしながら作っているだけです」

 

「そうなの?」

 

「えぇ。ですが、そのレシピと調整は料理人によってそれぞれです。同じ料理であれど、十人の料理人がいれば十のレシピが存在します。それが秘密といえば秘密なのかもしれませんが」

 

「ふーん。じゃあ、そのレシピを教えてもらえれば私にも作れるかしら?」

 

「そうですね……もちろん練習は必要になりますが、フランドール様であれば、私の作る物よりももっと美味しい物を作る事も可能かと」

 

「それは言い過ぎじゃないかしら?」

 

今まで黙って話を聞いていたパチュリーが、クッキーを摘まみながら口を挟んだ。

 

「料理の事は分からないけれど。こういうのってセンスが必要なんじゃないのかしら?」

 

「いえ、まぁ、それはそうなんですが。ですが、練習にどれほどの情熱と時間を費やしたかが物を言うのは、どの技能も同じですよ」

 

「あなたが言うと説得力に欠けるわね。元々料理人でもない癖に」

 

「これは手厳しい」

 

睨むようなじっとりとした視線を受けて、料理長はまたしても苦笑を浮かべた。

 

「そこは、まぁ、私の作る料理の味が丁度、紅魔館の皆様方に大変評価いただけたということで。運が良かったんです……と、話を戻しましょう。私の事はともかく、こういった技能には、なるほど、確かにセンスは重要でしょう。ですが、才覚に頼っているだけでは限界というものがありまして」

 

「限界?」

 

「はい。才を奢って研鑽を怠ればそこまでです。才は十、百の研鑽があってこそ輝くもの。その点、私めはしがない人間ですが……」

 

「なるほど。練習にかけられる時間はフランの方が勝る、ってこと?」

 

料理長は恭しく頭を下げて見せた。

 

「むー」

 

「おや、いかがされました、フランドール様?」

 

そんな料理長の様子を、面白くなさそうに見つめる少女が一人。

 

「そんなのつまらない」

 

「はい?」

 

料理長が首を傾げると、フランドールは口を尖らせて、

 

「私がお菓子作り上手くなった時、料理長は私よりもおいしいお菓子を作って見せてよ。そしたら私ももっと勉強して、もっと練習して、もっと美味しいお菓子作るから」

 

「え?」

 

「ずっとずっと、料理長は私を楽しませてくれなきゃ嫌だよ。料理長は、ずっと私たちの料理長なんだから」

 

「フランドール様……」

 

その時、料理長が浮かべた表情が何だったのか。

泣きそうで、笑いそう。悲しみと楽しみが同じくらいに同居した顔の意味は、フランドールにはその時理解できなかった。

ただただ、彼女は忘れていた。

それは知らなかったと言い換えても良い。

だが、気づいていながらも、パチュリーも、料理長もその誤りを指摘することはしなかった。

 

「そんなお言葉を頂けるとは、光栄の極みでございます。不肖、この料理長、精いっぱいに努めを全うさせていただきます」

 

感極まったという風に、彼はいつにもまして丁寧に頭を下げた。

 

「む。りょーりちょー、そんなに畏まらないでよ」

 

「いえ、そういう訳には」

 

九十度、直角に腰を折り曲げたまま料理長は答える。

 

「そんなに畏まられてもくすぐったいってば」

 

「ですが……」

 

そんなやり取りを続ける二人をどこか楽しそうに見ていたパチュリーは、ため息を一つ。

面倒くさそうに、しかしわざとらしく懐中時計を開いてみせた。

 

「そろそろ食事の準備をする時間ではないかしら?」

 

「え? あぁ、もうそんなお時間ですか。では、失礼いたします」

 

「じゃあね、パチュリー。さ、行こう、料理長」

 

フランがふわりと浮かび上がり、料理長の手をとり、図書館の出口に向かって進みだす。

彼女に手を引かれる形で、料理長もそれに続いて歩き出した。

 

「フランドール様?」

 

「料理長。今日のご飯のメニューは何かしら?」

 

「そうですね……」

 

「私も何かお手伝いさせて?」

 

「え? それは、」

 

「ねぇ、いいでしょ?」

 

「そうですねぇ……メイド長とお嬢様にお伺いを立ててからでないと」

 

「えー」

 

「勘弁してください。私が叱られてしまいます」

 

来た時と同様に取り留めのない会話をしながら去っていく二人の後ろ姿を、パチュリーは微笑ましいものを見るような目で見送った。

しかし、彼女の視界から二人が消える寸前、彼女の目から優しさが消え去る。どこか冷めていて、愁いを帯びた瞳だった。

それは一瞬の事。フランドールと料理長の背中が見えなくなった時、彼女の視線は再び読みかけの本へと戻っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、と」

 

羽ペンを置いて、今書き上げたばかりの文章に目を通す。

こういう文章を書くのは初めてだけど、我ながら、なかなか上手く書けたように思う。

さて、自分で書いておいてあれだけど、これは一体何なんだろう?

思い出しながら書いている上に、私の体験だけじゃなくて本人や、人伝に聞いた話が混じっていたりして、その分補正や覚え違いがあって……だから、とても記録なんて言えない。

日を追ってつけているわけでもないから、日記とも違う。

物語というのも少し違う。だって、彼は確かにここにいたのだから。あの人は、おとぎ話の登場人物なんかじゃないんだ。

 

「うーん……」

 

こんなに長く机に向かったのはいつぶりだろう?

もしかしたら初めての事かもしれない、なんて思いながら伸びを一つ。

机の端っこに置いておいた木箱に手を伸ばす。

そっと蓋を開くと、オルゴールの音色が、地下室に響く。一人の夜に相応しい、静かな澄んだ調べ。

夜想曲。彼によく似合う曲だなんて、そう思った。

箱の中に詰め込まれたお菓子の中から一つ、クッキーを取り出して口に放り込むと、バターの香りと、優しい甘さが口の中に広がって、思わず顔がほころんだ。

咲夜に無理逝って拵えて貰ったこの箱の中は、時間の流れがとっても遅い。こっそりため込んだお菓子も、ほとんど出来たてのままでずっと保存が出来る。

あの人の作ったものを、今でもこうして口に出来るなんて、物凄い贅沢なんじゃないだろうか? こればっかりはお姉様にも教えてはあげられない。

 

「ずるいわね」

 

瞬く間に口の中から消えてなくなったクッキーの後味をしっかりと味わいながら、小さく呟く。

人間は、狡い。それに嘘つきだ。

約束一つ守らないで、すぐにいなくなる。

その癖、人の心の奥深くにまで踏み込んでくる。

そして、私達は人間よりも長く生きる。その分、色々な物を見て、聞いて、知って……その分、色々な事を忘れていく。

いつの日か、私もお姉様も、あの人の事を忘れてしまう日がくるのだろうか。

それはきっと、とても悲しいことだ。

覚えている限り悲しみは消えず、忘れてしまっても新しい悲しみを生む。

本当に、人間はなんて身勝手なんだろう。

 

「……そうだ」

 

パチュリーからもらった分厚いノート。今しがたまで文字を書き連ねていたそれの表紙に、新たに文字を書き込んだ。

……うん。これだ。

 

「備忘録」

 

人間は、忘れてはいけない事を記してメモをそう呼ぶらしい。

少し意味合いが違うのかもしれないけれど。これ以上、それらしい言い回しも見つからないし、当面この名前で通すことにしよう。

オルゴール箱のお菓子が無くなるのが先か、それともあの人のエピソードが尽きるのが先か。それとも飽きるのが先かな?

案外、これが最初で最後の執筆だったり?

 

まぁ、ともかく。

気が向いたらこれからもあの人の事を書いていこうと思う。

 

料理長の備忘録

 



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備忘録① 秋の宴会料理

かたかたと、窓ガラスが音を立てる。

 

季節は秋。つい先日までの暑さは鳴りを潜め、日が落ちれば思いのほかに冷え切った夜気に驚かされる時分。

少し前までならば、風の心地良さに目を細めたものだが、今の自分の老いさらばえた肉体には堪えるものがある。

そんな事を考えながら、彼は自室の窓辺に置かれた椅子に腰かけた。

窓枠が十字に切り取った空には,煌々と輝く月が浮かんでいる。月齢9前後だろうか。上弦よりもぷっくりと膨れたそれは、手を伸ばせば届きそうな程に大きく見えた。

椅子とワンセットになった小さな机の上には、開いた状態の懐中時計とホットワインの注がれたカップ。

銀時計の盤上では、長針と短針が間もなく天辺で一つに交わろうとしている。

普段ならば、もう既にベッドにもぐりこんでいる時間ではあるが、今晩ばかりはあんまり月が綺麗すぎて、珍しく少しだけ夜更かしをしたい気分になったのだ。

 

「ふわぁ……」

 

思わず欠伸が漏れた。

ひと昔前ならば、このくらいの夜更かし、なんてことはなかったというのに。近頃では一挙手一投足に体の衰えを感じる。

残された時間はどれほどのものなのか。そんな考えが、ふとした拍子に頭をちらつく始末だ。

 

「ダメですね……」

 

苦笑を一つ、そんなつぶやきを零す。

そんなネガティブな事を考えていては、ましてや少しでもそんな事を主の前で口にしようものなら何を言われるか分かったものではない。

主を怒らせるなど、従者の風上にも置けぬこと。

それに、こればかりは、悩んでも仕方がないことでもある。

人間がどれだけ頭をひねったところで、ましてやじぶんのようなちっぽけな人間が考えたところで、この漠然とした不安が拭い去られる事はない。その時が来るとすれば、それはこの心臓が止まる時だけだろう。

 

あるいは――人間でなくなるか。

 

かちり、と。

秒針の進む音が静まり返った室内に響いて、我に返った。

無意識に懐中時計の蓋を閉じて、表面を指なぞる。時計に描かれた複雑な紋様は、この持ち主が何者であるのかを、変わらずにきっちりと示していた。

すなわち、この身は血の一滴にいたるまで主の持ち物である、と。

ならば、残された時間がいかほどであろうとも、その使い道は決まっている。

 

「さて、と」

 

そこまで考えて、彼は思考を放棄した。

小難しい事を考えるのは昔から苦手な性質だ。それよりも今は、この見事な月を相手に晩酌を楽しむ方が遥かに建設的である。

そっとカップに触れると、じんわりとした熱が掌に伝わってきて心地いい。立ち昇る香りを十分に楽しんでから一口。赤ワインと、それからシナモンの香りが、熱と共に体中にしみ込んでいく。

理屈ではなく、生きているとはこういう事だと、そう思った。

綺麗なものを見ながら、美味しいものを味わい、それからゆっくりと眠る。これに勝る幸せなどあろうものか。

もちろん、主や上司、同僚といった紅魔館の面々と過ごす時間とて楽しいと感じてはいる。お客様が来てくれた時も(暴力事には辟易するが)騒がしくなるのは嫌いじゃない。

だが、たまにはこうして一人きりの時間が欲しくなる。

幻想郷に来る前からの習慣によるものなのか、もともと持って生まれた習性なのかは分からないが、ともかく自分はそういう人間なのだ。

耳を澄ませば遠くから聞こえてくる秋の虫の大合唱を聞きながら、月を見上げ、ワインをもう一口。

 

こん、こん、と。

 

扉が叩かれる音が聞こえた。

 

「はい?」

 

こんな時間に誰だろうか。

反射的に返事をするが、扉は開かない。

首を傾げながら腰を浮かせかけると、

 

「こんばんは、料理長。夜分にごめんなさい」

 

「わっ」

 

目の前に、メイド服姿の少女が現れた。

そう、現れた、としか形容が出来ない。何せ彼女のそれは瞬間移動のようなもので、神出鬼没もいいところ。

下手をすればこの館にプライベートなどなくなりそうなものだが、その辺は彼女もきちんと考えてくれている。

毎回こうして驚かされるのは少し心臓に悪いが、きちんとノックをして返事を聞いてから入ってきてくれる。

普通に入ればいいのではとも考えないでもないが、瀟洒な彼女のちょっとしたいたずら心、彼女なりのコミュニケーションだと思えば、別に実害があるわけでもなし、別段構う事でもない。

 

「あぁ、メイド長。どうしました?」

 

来訪者はこの館に自分よりも前から使えるメイド長。

所属部署こそ違うが先輩であり、上司にあたる人物、彼女を前にして背筋が自然と伸びるのを感じた。

 

「お嬢様がお呼びよ」

 

「は。すぐに」

 

反射的に立ち上がり、緩めていたシャツの襟もとを正す。

僅かなりとはいえ、お酒が入ってしまっているが、こればかりはいまさら如何ともしがたい。

それよりも今は一刻も早くお嬢様のもとに向かうことを優先すべきだろう。

我が主は誇り高く、自由闊達。とはいえ、用もなく、ましてや時を選ばずに配下を呼びつける暴君では決してない。

何か自分の仕事に不備があったのか。あるいは夜食をご希望なのだろうか。

様々な憶測を巡らせる内に、自然と顔が引き締まる。

 

「どうでもいいのだけど、誇り高く自由闊達って、見栄っ張りで気紛れってことかしら?」

 

「え? いや、決してそんな……って、メイド長、読心術もお使いに?」

 

「読心? さぁ、私はどうでもいい話をしただけだけど?」

 

メイド長に先導されて主の部屋に向かう道中、そんな会話を交わした。

 

「お嬢様。料理長をお連れ致しました」

 

「咲夜、ご苦労様」

 

メイド長が扉を開けた先、置かれた玉座に腰かけ不敵な笑みを浮かべる主がいた。

銀と蒼の境目のような淡い色の髪。白磁の如く透き通る美しい肌。怪しく輝く紅玉の瞳は、比べてしまえばいかなる宝石も色醒めて見えることだろう。

まだ幼さを残す顔立ちをしながらも、彼女はどこまでも美しかった。

纏いし存在感は少女のそれに非ず。

その在り様はまさに夜を統べる王。

吸血鬼、レミリアスカーレット。

料理長がこの世で唯一忠誠を捧げる相手であった。

 

「こんばんは、料理長。今夜は良い月の夜ね」

 

「は。お嬢様」

 

料理長が跪き、頭を下げようとする、が彼女はそれをやめるように身振りで示した。

 

「そんなに畏まらないで頂戴。あなたの性分なのは知っているけれど、顔を合わせる度に跪かれていては。自分の館なのに気が休まらないわ」

 

「申し訳ございません、お嬢様」

 

「別に謝る必要もないの。まったく、あなたという人間は本当に面倒くさいわ……」

 

呆れて苦言を呈しながらも口元が緩んでいるのは、料理長の向ける混じりけなしの敬意に満足してのものだろう。

こそばゆく思いながらも、それはそれで嬉しいらしかった。

 

「さて。まずはこんな時間にあなたを呼び出した訳なんだけど」

 

「はい。いかがいたしましたか? あ、まさかお夕食の件でしょうか。隠し味にお嬢様の嫌いなお野菜をいれてしまったことでしたら、申し訳ありません、より美味しい料理をお作りすべく夢中になってしまい……」

 

「え、そうだったの?気がつかなか……じゃなくて!私に嫌いな野菜などある訳がないでしょう! 咲夜!こっそり笑うのをやめなさい!……いいえ、別にそんな話ではないわ」

 

「それでしたら、お夜食でしょうか? 少しお時間いただければすぐにでもご用意いたします。先日ご好評を頂きました、ラムレーズンのパウンドケーキなどいかがでしょうか?」

 

「そうね、あのケーキは美味しかったわ。濃い目の紅茶と合わせて……こほん。そうじゃないわ。別の用事よ……でもケーキは明日また作って頂戴」

 

「別の用件、ですか?」

 

料理長は首を捻るが、それ以上、思いつく限りでの用件は出てこなかった。

 

「えぇ」

 

頷いてから、レミリアは窓の方に視線を向ける。

釣られて料理長もそちらに顔を向けると、窓の外には先ほどまで彼が見ていたのと同じ、綺麗な月が浮かんでいた。

 

「もうすぐ満月の夜が来るわ」

 

「はい」

 

今宵の月は膨らみ、丸みを帯びてはいるがまだ満ちてはいない。

完全な円を描くのは三日後のはずだ。

 

「次の満月の晩は月を見ながらの宴会をすることになったの」

 

「宴会、ですか。場所は、」

 

「あぁ、今回は紅魔館ではなくいつも通り博麗神社よ。霊夢に魔理沙、七色の人形遣い。それから月の連中や鬼……結構な人数が来るそうよ」

 

「なるほど、ではそれに合った料理をお作り致します」

 

主の言わんとしている事をくみ取って、料理長は首肯する。

彼の頭の中には既に何通りもの宴会料理のレシピが浮かんでいた。

 

「理解が早くて助かるわ。でも、今回は少し違うの」

 

「違う、とおっしゃられますと?」

 

「今回の料理には季節感が欲しいの。よって、秋の食材をふんだんに使っていて、お酒によく合う料理をお願いするわ。そう、それから、ありきたりな料理じゃなくて、インパクトがあるとなお良いわ」

 

「秋の味覚ですか、それにインパクト……」

 

料理長は顎に手をやって、考え込む。

見れば彼の眉間にはうっすらと皺さえよっていた。

当然である。何せ、今考えていたレシピが悉く使用不可になったのだ。加えて、期限は三日、宴会当日の事を考えられるのは正味二日しかない。

中々に難しい案件である。

 

「頼んだわよ、料理長」

 

料理長の心境を知ってか知らずか、レミリア・スカーレットは薄く笑みを浮かべて見せる。

頼み、と口では言っているが、それはお願いではなく命令に等しい。

しかし同時に、彼女が浮かべる表情が、配下への信頼の笑みだと、料理長には分かっていた。

だからこそ、彼の持つ答えは一つきり。

 

「畏まりました、お嬢様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛用の羽ペンを置く。

思ったよりも筆が進んだ……つもりだったけれど、まだ話は続きそう。あの人の話はまだまだ一杯あるのに、よりにもよって何でこんな長い話を選んでしまったのだろう。

まぁ、上手くまとまりそうな話で一番最初に思いついたのがあの宴会の事だったのだから仕方がない。

全く、お姉様の無茶ぶりも困ったものだけど、それにハイハイ頷いちゃう料理長もどうかと思う。

あの人は本当にお姉様のカリスマ?に傾倒していたみたいだけど、割とポンコツなところを知らなかったのかな?

知っててあそこまで真面目な尊敬を向けていたのなら、それこそ凄い事だと思うのは私だけ?

そんな事を思いながら、冷めてしまった紅茶を一口、それからオルゴール箱の中から取り出したお菓子を口にする。

ラムレーズンをはじめにクランベリーやオレンジピール、それからクルミが入ったパウンドケーキ。

しっとりとした生地にどっしりした食べ応え。なのに、上品な香りと甘さで、いくらでも食べられそうな気になってくる。

流石はお姉様もお気に入りだった逸品だ。

ちゃんとレシピは教わってるし、この後作ってみようかな。

それで、うん。

続きはその後、また気が向いたら書こうかな。

 



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