寺生まれも楽ではない (満足な愚者)
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プロローグ

空を見上げれば清々しいという言葉がぴったりとくる青一面の高い秋空が目に入った。まるで、青色の絵具をバケツ一杯の水にこれでもかと、溶かした後、それを巨大な画用紙にぶちまけた様な雲一つない、晴天を体現したかのような空だ。

 

そんな素晴らしいお天道さんの下、手に持った煙草を咥え、思いっきり支援を肺に入れる。いつも通り紫煙は俺にニコチンを供給し、少しばかり頭がくらくらする。

 

――あぁ、本当に美味い。

 

そのまま、紫煙を吐き出せば、煙は雲一つない空に上って行った。

 

「先輩、またタバコですか?」

 

声の方をむけば、ショートヘアが特徴的な少女が一人。薄い茶色のカーディガンに、ホットパンツ。去年まで高校生だったため春までは構内で私服の彼女を見ると違和感があったのだが、半年もすればなれたものだ。

 

右に流した前髪を止める赤いヘアピンに、少しばかり幼さの残った顔は彼女が奇麗だというよりはかわいらしいと言った印象を抱かせる。

 

顔の作りの方はもう短くない付き合いだということを差っ引いても整っていると評価せざるを得ない。なんでも中高時代に告白された回数は50回以上だとか、ついにで撃墜数も同上だったりする。

 

まぁ、そんな風に以上に容姿に優れているのが我が後輩だが、今その顔は激しく歪んでいる。睨みつけるようにこちらを見ているのを鑑みるに俺が煙草を吸っているのが気に食わないらしい。

 

「別にいいだろ、ここ喫煙所だし、マナー違反でもない」

 

俺が入学した当時はそこそこの数あった喫煙所もその数を減らし今では片手で数えきるくらいになってしまった。

 

『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい』

 

今は昔、漱石は草枕の冒頭でこう語った。そう、今も昔もこの世の中は生きにくい。

 

この世のあり方は酷く単純だ。数百万人もの足をその肩で支えているはずの官僚は汚職に塗れ、重い天下が負ぶさっている筈の政治家は自らの利益のために国を動かす。子供を育て、守るべき存在の親は、その子供を虐待し、教え導く立場にある筈の教師には信念はない。目を輝かせ夢を語るべき筈の子供達の目は濁り、夢という言葉の意味すらも知らない。これが世の中だ。

 

喫煙所一つとっても愛煙家の俺にとっては生きにくいと感じさせるには十分だった。

 

しかしながら、この生きにくい世の中を生きていけないといけないのが人生である。この点において人生とは生き地獄と言っても差し控えない。

 

そうなれば生き地獄を生き抜くにはそれなりに楽しみがなければ、いけない。人によってその楽しみはそれぞれだろうが、俺の場合は至極明快。ズバリ、ニコチンとアルコールである。

 

寺生まれの寺育ちがアルコールや酒なんて、何を言っているんだ、という人間もいるだろう。

 

しかし、だ。今日日、葷酒山門に入るを許さずとはナンセンスにもほどがないだろか? 現実とはこんなにも辛いのだ。そんな現実でさらに苦行を積むなぞ、修行僧のそれ。俺は寺生まれで、寺育ちだが、修行僧ではない。むしろ親父も爺さんもみな坊主のくせして坊主らしからぬ暮らしをしている。

 

だから別に俺はこれでいいのだ。親父にも爺さんにもこのスタイルで何の文句も言われた覚えはない。

 

それに人は裏切る。肝心な場面で致命的に裏切る。であれば、裏切らない相方を探すしかない。

 

そして探しぬいて見つかったのがニコチンとアルコールである。

 

ニコチンとアルコールだけは人と違って裏切らない。ゆえに俺はその二つをもって人生の糧としている。

 

「私に匂いが移ります」

 

むすっとした顔で彼女はいう。そんな表情をしても絵になるあたり美人は得だと思う。

 

付けあがるのが目に見えているため、死んでも言わないが、そんじゃそこらの女優やらアイドルやらに匹敵するくらい美人なのがこの後輩だったりする。まぁ、頭のほうは少しばかり残念な時があるが……。

 

「別に匂いくらいいいだろ。文句言うなよ。それに別に喫煙所に付き合えといった覚えはないぞ」

 

「いや駄目です。匂いが染みついたらどうするんですか!? それと私がここにいるのは監視のためです。先輩はすぐに大学をサボってあっちこっち行くんですから」

 

――お前は俺のおふくろか!?

 

と喉元まで出かかった言葉を飲み込む。

 

「別に大学の授業に出ようが出るまいが俺の勝手だろ」

 

そういって咥え煙草で携帯をいじる。着信も新規のラインメッセージも新規メールもなし。相変わらず電話というよりもネットサーフィンとゲームをするだけの機会になり下がっている端末だ。

 

「駄目です! 留年したら、どうするんですか? 私はオジサンになんて言えばいいのか、分かりません」

 

「別にどうもいう必要ないぞ。馬鹿が勝手に留年しただけだ。ほら、お前と一緒に通える日数も増えるぞ」

 

ネットニュースを見ながら適当に返事をする。変なところで真面目な奴だ。この系統でまともに相手をするのは骨が折れるし、そんなことに無駄に体力を使いたくはない。学生の義務は勉強だ。授業をバックレる俺に彼女を説き伏せるだけの持論はないし、そもそも彼女を納得させようとも思っていない。

 

「そ、それは……そのー、先輩と通える期間が増えるのは非常に嬉しいですけど……」

 

――ん、このニュースは……。

 

馬鹿が何かぶつぶつ呟いているのを無視して某ネットニュースサイトのトップページを開いたところで気になる記事を見つけた。

 

『深夜の国道でトラックと乗用車の正面衝突事故。乗用車の乗客は即死か?』

 

なんてことのない事故の記事。こんな事故日本中どこもかしこもで起こっているだろう。

 

しかし、俺はこのニュースが気になった。

 

「そりゃー、私も、先輩とキャンパスライフ謳歌できればいいなーって思いますけど……でも、でもやはり留年は……」

 

――そういえばこの国道って、先週も事故があったよな。

 

俺のニコチンとアルコールに浸った海馬があてになるかどうかは置いておいて、記事の国道では先週も同じような事故があったと思い出す。そしていつかの日に何処かで聞いた噂もセットで海馬から引っ張り出した。

 

――場所はここから二時間程度か……。

 

そこまで遠い場所でもない。様子を見に行くのも悪くはないか。

 

「先輩! 先輩、聞いてます!?」

 

――しかしなぁ……。

 

別に行くのは構わない、そこで何かあっても対処できる自信がある。しかし、依頼がないのに行って解決しても何のうま味がないのも事実。こちとりゃまだただの学生。資金繰りにはいつも困っている。家に金の工面も頼めないし、家計は常に火の車どころか、バルカン半島もびっくりの火薬庫だったりする。

 

目の前の後輩(金持ち)に相当な金額お金を借りている、ことからも俺の懐の寂しさを理解して貰えるだろう。

 

生きにくいこの世を生きていくうえで大事な物は霊力でも超能力でも、魔術でもない。

 

金なのだ。

 

俺の考えがここまで来た時、不意に咥えてたタバコが口から引き抜かれた。

 

何事かと思い周りを見渡すと俺から奪った煙草を容赦なく水の入った灰皿に叩きこんだ後輩がいた。

 

「何してんだよ!?」

 

食費から引いたなけなしの金で購入した貴重な煙草を半分を吸わずに捨てられたことに講義すると、

 

「何をしてんだよ、は私のセリフです! なんですかこっちは何度も声をかけていると言うのにずっとうわの空で、先輩何か憑いているんじゃ? 祓ってあげましょうか?」

 

彼女はこう見えて結構えらい所の神社の神主の娘だったりする。そして、その霊力も強い。

 

「馬鹿言え、俺がこの分野でお前の後塵を拝するかよ。寝言は寝て言え」

 

いくら才能があろうが、霊力があろうが初戦はおこちゃま。現場経験が圧倒的に足りない。

 

「どーだか、うわの空で私の話なんて聞いていない先輩です。何かに憑かれた可能性もあるでしょうに……」

 

俺の人生の中で大切な物ランキングトップ5に入る煙草を捨てたことに何の罪悪感も持っていないのか、すまし顔でそう宣う後輩。全くもって可愛くない。これでも昔は可愛げがあったというに、時の流れは早くそして残酷である。

 

「んで、俺の人生の楽しみを奪い取った理由はなんだ」

 

「あぁ、依頼が来ました。先輩あてに」

 

依頼と聞いて思わず口端があがるのを止められない。何せ久しぶりの依頼だ。それに俺を指名するとなると、”そっち系”の依頼が多い。“そっち系”となれば羽振りのいいクライアントならまとまった金額を得られることがある。

 

――これは久しぶりに金に余裕のある週末を過ごせるかもな。

 

そんなことを内心思っていると、横からため息が聞こえてきた。

 

「はぁ、先輩。その三流以下の悪役のような笑い方止めません?」

 

「別にいいだろ、久しぶりに依頼だ」

 

「まぁ、そうですけど……」

 

「さぁ、困っている人を助けに行こうぜ」

 

テンションの低い後輩を置き去りにするかのように気軽に喫煙所から出る俺の背中に、

 

「どうせ直ぐにがっかりしますよ」

 

と投げられた言葉はついに俺の耳には届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

我が大学にはサークルや同好会が部室を構える部室棟なる建物がある。その大きさは結構なものでちょっとした規模の高校校舎くらいはあり、その全ての部屋がサークルや同好会の部室となっていた。その部室棟の3号館、通称C棟の四階、一番東端に城を構えるのが俺が所属する「日本オカルト同好会」である。

 

メンバーは諸事情により俺と後輩の二人。

 

入部した理由は至極明快。誰も同好会のメンバーがいなかったからだ。

 

大学に入学すると同時にサボり部屋が欲しかった俺は、メンバーのいない同好会やサークルを探し見事見つかったのがこの「日本オカルト同好会」である。勿論活動なんてしていない。年に一度それっぽい記事をだして構内の掲示板に貼って終わりの存在しなくてもいい同好会である。

 

そんな同好会でもつぶれないのは俺がでっちあげる記事がいいのか、それとも学校側が学生の自由をある程度認めていく方針なのか、それは知らんが俺にとって部室は非常に重要なので嬉しい限りである。

 

重要と言ったのは俺にとってサボり場であるというのも勿論だが、ここが俺と後輩の実質第二の事務所になっているからだ。

 

さて、ここらでいい加減依頼やらなんやらについて説明しておこうと思う。

 

前にも話したが、生きていくうえで一番必要なのは恋でも愛でも勇気でもなく金である。金がなければ飯も食えない。酒も飲めない。煙草も吸えない。いい女だって抱けはしない。

 

人間は霞を食って生きていけるわけでもないし、酒と煙草は俺にとっては飯より重要だ。

 

金を稼ぐにはどうするか……。

 

まともにバイトとかで稼いでもいいのだが、それはそれでなんとも面白くない。幸運にも俺は寺生まれ。霊感と霊力なら右に出るものはそうはいない。そして、俺の後輩は神社生まれ、これまた霊感やらなんやらは並ではない。

 

そうして思い立ったのが何でも屋だ。

 

目に見えることから見えないことまでを解決するスペシャリスト。

 

迷子の猫探しから恋人の浮気調査、はたまたピザ屋の出前のバイトの助っ人や、果てなる上は封印の解かれた悪霊退治まで、幅広く受け持つ、学生兼何度も屋。

 

それが俺と後輩の二人組だったりする。

 

俺がなんで数ある名ばかりで活動していないサークルや同窓会の中から、よく分らん「日本オカルト同好会」なるものを選んだかというと、溺れる者は藁をもつかむということで本当に困っている人間が救いを求めてここにくる可能性を考慮してのことだ。

 

そして、その考慮は当たっており、年に数回だが“そっち系”の相談や依頼がくる。そして、その依頼を解決しているうちに小さな噂が小さな噂を呼び、知る人ぞしる“そっち系”の相談が徐々にだが増えてきているのだった。

 

そっち系の依頼というのは普通の依頼よりも割がいいことが多い。それはそうだ。並の人間に話したところで頭おかしい奴認定されるか最悪精神病院行きである。そして、信じて貰えたところで素人にはどうしようもないばかりか“悪化”させることすらある。

 

その点俺たちは悪霊から始まり怨霊、霊、鬼、都市伝説、呪い、神……ect、魑魅魍魎のスペシャリスト。俺たちが悩みを解決し、その結果の対価を相手が払う。実にまっとうな商売だ。

 

――さて、今日はどんな依頼主なのやら

 

依頼主はすでに部室で待っていると聞いていたため扉を三回ノックし開ける。

 

そして、室内にいた人間の顔を見るなり

 

「あぁ、俺今日帰っていい?」

 

急にやる気を失った。

 

 

 



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第1話 前編

今は昔、夏目漱石はその著書で、この世の生き辛さを書いている。そう、今も昔もこの世に生きやすい場所なんてなかった。

 

ある文豪は未来からくる漠然とした不安によって自害し、またある文豪は「世界は素晴らしい、戦う価値がある」と語った上で現実に負けてライフルで頭を撃ちぬいた。未来からくる漠然な不安があるのなら、過去からくる明白な不安もあるだろうし、「世界は素晴らしい。戦う価値がある」という言葉が本当であるのなら、かの文豪は死んでいないはずだ。

 

彼が自分の頭を撃ちぬいた理由は凡人である俺にはわからない。しかし、これだけは分かる。世界が素晴らしいものでなかったか、もしくは戦った結果死んだのだ、と。どちらにしろ救いのない話ではないだろうか。

 

そんな生きにくい世の中の生きぬくき原因は多くあれど、原因の中の一つに派閥というくだらないものがある。

 

人の世に派閥がない場所がないように、俺が通うこの大学にも派閥めいた物が存在する。それがスクールカーストならぬ、学部カーストだ。

 

我が大学には大きく分けてデカい顔をしている学部、というよりかは、プライドの高い学部が大きく分けて三つ存在する。

 

一つは法学部。文系の雄であり文系の中では一番権力がある学部だ。

 

俺からしてみれば完全に過去の栄光なのだが、今は昔法曹界で派閥を築いていた時期もあったそうで、その過去の栄光にしがみつき、やたらめったら教授のプライドが高い。それと、うちの大学名を出せば、まず一番に法学部の名前が出るような看板学部なので、それもあいまって学生もプライドが高い連中が多い気がする。まぁ、これは俺の偏見かもしれないが……。

 

まぁ、未だにキャリア組を年に数人排出してはいるため、中には頑張っている学生もいるようである。

 

二つ目は、経済学部。この学部は近年台頭してきた学部だ。非常に残念なことに法学部ほどの権力はないものの、それでも文系の中では力のある勢いある学部だ。その強みはなんと言っても就職の良さ、近年法学部の人気が低迷している中、文系の中ではナンバー1の就職力をもってして、学生の人気とともに大きな力をつけた学部と言えよう。

 

まぁ学生の気質は良くも悪くもステレオタイプの文系大学生そのもの。学校に遊びに来ているのか、それとも酒を飲みに来ているのかいまいちよく分からない奴らが多い。たいてい土曜日の早朝に大学前の飲み屋通りを通ると道端で吐いている人間をよく見かけるが、そいつらの約50パーセントが経済学部の学生だったりする。

 

そして、最後どの学部とも違う浮いた学部であり、学内では色々な意味で距離を置かれ、変人と奇人の巣窟だと噂されているその学部こそが俺が最も苦手としている――

 

――医学部だ。

 

 

 

 

――はぁ。

 

思わず出そうになったため息を飲み込み、心の中で吐き出す。もしも、本当にため息なんてつこうものなら何をされるか分かったものではない。

 

俺の目の前、折り畳みのテーブルを挟んで向かいには一人の“女性”が座っていた。身長145㎝、黒のポニーテール。一見すると女子小学生にしか見えない。羽織っている白衣はたっぱが足りず袖を二重ほど織り込んでいた。どこからどう見てもコスプレしている女子小学生なのだが、なんとこれでも俺よりも年上、しかも大学の准教授様でもある。

 

目つきだけはきりッとしているのだが、それも白衣姿と相まって背伸びをしたいお子様そのものだ。そんな彼女だが、なんと隠そうこれでもこの大学で一、二を争うほどの有名人だ。少し上の世代だと彼女の顔は知らなくとも、名前は聞いたことがある人間がほとんどを占める。

 

この大学創立以来の天才。変人奇人の巣窟の医学部の中でもさらに極まった変人中の変人。頭の中がインターネットに繋がっているのではないかと思うほどの知識量に、その実オペの技術もけた外れに高いそうだ。

 

しかし、天は彼女に最高の頭脳を与えたが、日の当たるところがあるのなら、影がさすところもあるように、彼女に良い性格までは与えなかった。傲慢無礼、唯我独尊といった態度をとるのが彼女の常だった。

 

そして、たちが悪いことに彼女にはそれが許さるだけの実力と力があった。その力は特にこの大学では強い、なんといっても彼女の父は我が大学の医学部部長だ。全くたちが悪いにもほどがある。俺にとっては悪夢である。

 

そんな彼女に目を付けられたのは俺が大学に入るさらに前、そんなことから出会ってしまった俺は、それからことあるごとに彼女に振り回されている。

 

そんな彼女の名前は滝本、俺は愛着をこめてタキちゃんと呼んでいる。

 

「なんだ、折角美人が訪ねて来たというのに幸な薄そうな顔をしているな……」

 

軽く、口端をあげてタキちゃんが言う。完全にこちらの内心を分かった上での発言だ。

 

「別に、いつもこんな感じですよ。幸が薄いってそれを寺生まれにいっては世話ないでしょ」

 

確かに依頼は嬉しい。しかし、依頼主がタキちゃんなのはいただけない。タキちゃんが依頼主となれば足元を見られるのは間違いないし、本人のおもりも面倒くさい。普通の依頼主と違ってい良い所と言えば話が早いところくらいだ。それ以外は全てマイナスだ。

 

「そうか? 私には羨ましいものなのだがな。お前たちが見ている風景は私とは違うのだろう」

 

後輩が居れた紅茶を飲みながらタキちゃんは言った。顔が美形なため、身長がチンチクリンでも絵になる。やはり美人は徳である。なおチンチクリンをうっかり口に出そうものなら切れ味抜群のメスが飛んでくる。つい先日もそのお陰で俺の横髪は愉快なことになっていた。

 

「あんなの見えたところで人生でいいことなんて何もないですよ。それに三日で飽きます。俺にとってはタキちゃんの方が羨ましいです」

 

俺のタキちゃんにならい目の前に置かれたマグカップの中身を一口。色々と器用な神社生まれの後輩だが、お茶やコーヒーをいれるのも美味い。飲みなれたコーヒーに舌鼓を打つ。

 

「ふーん、そういうものか。隣の芝は青いってやつか、それと私のことは滝本准教授、もしくは滝本先生と呼ぶように」

 

その容姿のせいかタキちゃんはちゃん付けで呼ばれることを嫌う。しかし、俺にとってはタキちゃんはタキちゃんだ、今更呼び名を変える気はさらさらない。

 

「まぁ、滝本先生。先輩の顔が幸薄そうだったり、三流の悪人面だったりするのはいつものことじゃいですか」

 

けらけらと何がそんなに面白いのか分からないが俺の隣に腰かけた後輩が笑う。少しでもいいから俺にその楽しさを分けてほしいものである。

 

そして、久しぶりに口を開いたと思えばこの言葉だ。一体こいつは俺のことをなんだと思っているのだろうか?

 

まぁ、間違いなく尊敬すべき先輩だとは思っていないのは確実だろう。

 

「幸薄そうだったり、三流の悪役面だったりで悪かったな。それよりも、タキちゃん、今日の要件は何です? お茶飲みに来たって訳じゃないですよね」

 

分かり切ったことだが、万が一の希望も込めて聞いてみる。

 

「何って、聞くまでもないだろ。暇をもて余しているキミにアルバイトを持ってきてあげたまでだ」

 

足を組みながらさも当然のようにタキちゃんは言う。こちらとしては遠慮したい限りである。

 

「残念ですが、学生の本文は勉強でしてね。今日は午後から講義詰まっているんですよ」

 

最後の抵抗も、

 

「あぁ、心配しなくてもいいぞ。頼みたい仕事が夜からだ」

 

あっさり、斬って捨てれた。

 

――全く今日は厄日だ。

 

「これを見てくれ」

 

俺の心情を無視するようにタキちゃんは白衣の内ポケットから紙を一枚取り出した。独特の薄い鼠色はよく見慣れた新聞のそれ。どうやら何かの記事を切りぬいてきたらしい。

 

――深夜の国道でトラックと乗用車の正面衝突事故。

 

大きく書かれたその見出しは俺がさきほどネットでみた事故の記事だった。

 

「この事故について何か知ってるか?」

 

タキちゃんが俺と後輩を交互に見ながら聞いてくる。

 

「えーっと、朝のニュースで見ましたね。乗用車とトラックの正面衝突事故だったとか」

 

「俺もネット見ましたね。まぁ、それくらいですが。まぁ、でもこんな事故珍しくもなんともないでしょ」

 

タキちゃんは俺の言葉を受けて、もう一度俺と後輩の顔を交互に見た。

 

「巫女はともかく、お前は噂くらいは知ってるだろ」

 

ぎろりと睨まれた。

 

ついでに巫女とは神社生まれの後輩のあだ名だ。神社生まれであることと、こいつの名前を文字って巫女とか巫女ちゃんとか色々と呼ばれている。

 

「噂ですか?」

 

「あぁ、実はこの事故が起きた国道なんだが、事故が起こる頻度が異常に高いんだよ。確かに見通しも悪いし、街灯も少ないのは事実なのだが、それも起こりすぎだ。そして、そんな国道について、都市伝説ないし、噂がどこからか流れて始めたって訳だ。なんでも、あの道には赤い服を着た女の霊がでるそうだ、ってな」

 

――赤い服を着た女の霊。

 

その噂は俺も知っている。最近、聞くようになったため後輩が知らないのも無理はないかもしれない。噂の内容はどこにでもあるような、赤い服を着た女の霊が急に現れてドライバーを事故へと追い込むとかなんとかいうやつだ。

 

「で、その噂話がなんだっていうんですか? タキちゃん、まさかその噂話を信じているんですか?」

 

「まさか、私がそんな三流都市伝説なんぞ信じるわけないだろ」

 

基本的にタキちゃんは徹底的なリアリストだ。摩訶不思議な現象に対して、超常的な考えを否定し、全てを科学の力で解明しようとする。目に見えないもの、科学で解明できないもの、そういった物を彼女は認めない。

 

少なくともあの時俺と出会わなければ彼女はその生き方を最後まで貫いただろう。

 

あの事件以降、彼女も少しは魑魅魍魎の類を認めるようになった。彼女曰く『目に見えるものついては認めざるをえない』ということらしい。

 

滝本女史とはそういう人間だ。

 

「ただの三流都市伝説なら斬って捨てるが、なんでも少しばかり面白い話があってな。昨晩の事故で亡くなった乗用車の運転手なんだがハンドルをきったお陰か即死じゃなくてな、救急車両が到着するまでは息があったらしい。そして、救急隊員にこう、ぽつりと零してこと切れたとか『赤いワンピースを見てついよそ見しちまった……』 」

 

「……その話が本当だとしてなんでタキちゃんがそんな話を知っているんですか? 事故起こったの昨日だし、噂にしてもそんなに早く出回らないですよね」

 

「事故が頻発しているのは前から知っていたからな、事故被害者の様子を聞くついでに対応していた救急隊員に直接聞いた。だから間違いない」

 

「隊員の聞き間違え、もしくは若しくは被害者の見間違いでは? もしも噂を知っていれば事故のショックで見たと思い込んでも可笑しくないのではないですか?」

 

俺の言葉にタキちゃんはふむ、と唸ると、

 

「その線は薄い。隊員はその道のプロだ。動揺して聞き間違えることはあるまいよ。そして、見間違い若しくは幻視の可能性だがそれも可能性としては低いだろう。今回の事故の被害者は二つの県の人間だ。あの噂は最近になってこのあたりで流行りだしたもの。県外の人間がましてや二つ隣の県の人間が知るわけはあるまいよ」

 

どうにかしてタキちゃんからの依頼を断ろうと思ったがそれはやはり無理なようだ。

 

「じゃあ、今回の依頼というのは?」

 

「ご明察の通り、赤い服をきた女の霊というやつに関してだ。報酬はこれで」

 

タキちゃんはそういうと胸ポケットのなから紙幣を一枚取り出すと机の上においた。

 

――5000

 

紙幣には非常にもその数字が並んでいた。

 

「いや、タキちゃん。これ冗談でしょう?」

 

いくらなんでも安すぎると抗議のまなざしを飛ばす。勿論無駄だとは分かっているが抗議しないわけにはいかない。

 

「ん? 何か言ったか?」

 

「い、いや、ちょっとこの金額は安いというか……」

 

目的の国道まではこの辺りからだと2時間以上はかかる。往復だと5時間だ。霊が居ようがいるまいが5時間拘束されて、5000円。時給1000円。事前準備を含めるとさらに時給は減る。ピザ屋のバイトの方がまだ稼げるとはこれ如何に。

 

「ほう……。我が大学では基本的に学生同士の現金のやり取りは禁止しているのは知っているよな? 私は優しいからお前たちの活動に目をつぶっているだけだぞ。もし、私の気が変わったらどうなるか分かるだろう……」

 

にやりと口端を上げながらタキちゃんは言う。良い笑顔だ。

 

そして人はこれを脅しと言う。

 

「分かりましたよ!受けます! 受けますよ、その金額で!」

 

この同好会での“活動”で得られる金額も今では少なくない。折角作ったこの人脈とこの空間を一時の不利益で失うにはもったいない。ここは我慢することにする。

 

「その変わり、必要経費と終わった後酒の一杯でもおごってくださいね」

 

「あぁ、任しておけ」

 

やけになった俺にタキちゃんはいつも通りのどや顔で返した。

 

そして、後輩はいつものやり取りを笑いながらただ見ているだけだった。

 

――あぁ、やっぱり今日は厄日だ。



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第1話 後編

少しばかり視線を上に上げれば大きな月が暗闇に一つ浮かんでいるのが見えた。残念なことにその周りに星を見つけることは出来なかったが、どうやら朝の天気予報通り雨の心配はいらなそうだ。

 

満月というには少しばかり物足りない月を横目に右手ハンドルを握りながら左の煙草を口に運ぶ。少しタールの重めの煙草はいつも通り俺の肺にニコチンを供給してくれ、頭が冴える感覚がする。

 

年季の入った型落ちのセダンのアクセルを踏み込むと車は落ち着いた加速をみせた。ハイブリッドだ、電気自動車だといっている時代に真っ向から喧嘩を売るような型落ちセダンは見た目に同じく環境なんて何吹く風とばかりの燃費の悪さと排気量だ。数年前にひょんな以来の報酬で貰ったセダンは既に寿命を全うしても可笑しくないほど乗り回しているのに未だに安定した走りを見せてくれている。

 

ただえさえ、煙草も値上がり俺の財布は隙間風だらけと言うのにこの走る排気量発生装置は燃費も最悪であり、さらに俺の懐を寒くさせてくれる。

 

それに加えて最近はとうとうガソリンの値段もリッター170円を超えてきやがった。俺の財布は寒いを超えて凍えている。このままでは安定した収入が得られる前に俺のほうが破産してしまう。日本政府にそれまでに煙草か酒か、ガソリンの値段を下げていただきたいものだ。

 

いや、もういっそ全ての値段を下げてくれ。

 

そんな至極どうでもいいことを頭の片隅で考えていると、横から声がかかった。

 

「先輩、女性がいるのにずっと煙草を吸うなんてどうかと思いますよ!?」

 

元気溌剌、璆鏘なるような声は最早聞きなれた声だった。

 

「窓開けてるし、別にいいだろ。それにこれは俺の車だ。喫煙車にしようとも禁煙車にしようとも勝手だろ」

 

車に備え付けの灰皿に煙草の灰を落としながら目線をちらりと助手席に向ければ、端整な顔立ちを少しだけふくれっ面にさせた後輩がシートベルトを握りしめながらポツンと座っていた。

 

どうにも俺の意見に納得できないらしい。

 

「駄目です! 煙草は健康に悪いんですよっ! それに副流煙の問題もありますし」

 

――お前は俺のお袋か!?

 

喉元まで出かかった言葉を何とか飲み込む。もしも、口に出そうものなら大変なことになるのは目に見えている。昔の偉い人は言いました。君子、危うきに近づかず、と。

 

「まぁ、巫女。そこまで、怒ることはないだろうよ。確かに、煙草の副流煙には害はあるが、四六時中ずっと吸ってなければ、そんなに心配することはないさ」

 

フロントミラーを見れば後部座席で偉そうに座っている白衣の少女――いや、女性が目に入る。

 

どう見たって小学生か中学生のコスプレにしか見えない我が大学の医学部准教授様は淡々な笑みを浮かべ、メンソールの煙草を吸っていた。

 

「ってか、お前、俺にばっかり文句言うけどタキちゃんは良いのかよ」

 

その、俺の至極まっとうな意見を

 

「滝本先生は、今回のクライアントですし、それに大人だからいいんです」

 

助手席の可愛くない後輩はバッサリと斬ってくれた。

 

「いや、俺も大人だけど……」

 

「止めない限り、いや止めても何本も次々と吸う人間を私は大人だと認めていません」

 

痛い所を突かれたため少しばかり黙っておくこととする。

 

実はこの煙草で5本連続だったりする。

 

「そうだな、確かにお前はチェーンスモーカーの気が強すぎるきらいがある。ニコチンが欲しいというよりもただ口が寂しいだけじゃないか。後は私のことは滝本先生または、准教授と呼ぶように」

 

「ただのニコ中ですって」

 

俺がこの世で信じているものトップ2はアルコールとニコチンである。長いことこの信念でやってきたのだ。今更信仰は変えられない。

 

「それは分かっている。お前がニコチンとアルコール中毒だってことは出会った時から分かっていた。何せ病院に強制入院させてやろうと思ったほどだからな」

 

――全くいやことを覚えている人だ。

 

黙って煙草を吸う俺を尻目にタキちゃんはさらに続ける。

 

「ただ、チェーンスモークをする人間って言うのは往々にしてニコチン中毒とは別に口が寂しいことにも原因がある場合もある」

 

「なるほど、では飴でもなめとけってことですか」

 

「いいですね! 先輩次からは飴舐めましょう、飴! ついでにいつも持ち歩いて、私にくれれば言うことなしです」

 

――飴ねぇ……。

 

自分で言っておいて少しばかり、躊躇する。何せ、世間一般の酒飲みと同じく甘いものが苦手だ。むしろ嫌いなまでもある。甘いものなんて年に数回どころか、一回も食べない年もあるかもしれないレベルだ。クリスマスケーキなんて観賞用にしかならず毎回、助手席に座っている後輩に食って貰っているというだけで、俺の甘いもの嫌いが分かって貰えるだろう。

 

 

「飴は甘いからな……。食うならガムかな」

 

そういいながらギアを一つ上げ、さらにアクセルを踏み込む。日付をまたごうかという時間帯の国道はその車線の広さに似合わず車数は少なく、普段よりもアクセルを踏み込むことに躊躇はいらなかった。

 

そんな、俺を尻目に後輩は足元の手提げバックを何やら漁り始める。

 

人に文句を言ったり荷物を整理したり、本当に忙しそうな奴である。

 

「ガムか……。まぁ、いいんじゃいか。お前が、棒付きキャンディーを咥えている姿はイメージするだけで滑稽で笑えて来るが、まぁガムなら私の片腹もお前の健康にも幾らかいいだろう」

 

教授や教師といった教育者とは人格者がなるべき職だと思ったのだが、違うのだろうか。誰だよ、このチンチクリンを教壇に立たせる許可を出したのは……。もしも俺に許されるのなら、今すぐにでもその人間に抗議をしに行きたいね。

 

「お前、今失礼なこと考えなかった?」

 

馬鹿なことを考えていた俺に後部座席から低い声が飛んできた。

 

「――いや、別になにも」

 

怨霊とも引けをとらない迫力ある声に思わず、即答で返事をしてしまった。

 

霊力だ、霊感だ、言う前にこの人こそ人類の神秘だろ。それともあれか、医学を極めると人の心でも読めるのかよ。

 

そんなことをタキちゃんと話していると、後輩が何かを見つけたのか、「あったあった」と鞄から取り出した。

 

何が見つかったのかさしたる興味がない俺は、咥えたままの煙草を一息吸い込むと、一つ先の交差点の案内標識に目をやる。もうここまで来れば話すまでもないとは思うが一応説明しておく。

 

今向かっている場所は昼間、タキちゃんの話に合った『赤い服を着た女の霊』が出るらしき国道だ。どうせ行くなら早いほうが被害も少なくていいだろうという真っ当なタキちゃんの理由により、その日のうちにこうして三人で向かうことにしたと、言うわけだ。

 

ざっと調べたところ今朝の事故があった国道周辺での事故は転々としているが20kmの間で連続で起こっている。もしも、出るのならその20㎞の間の可能性が高い。

 

――呪縛例というよりか、どっちか言えば人間に恨みがあるタイプか?

 

そんなことを考えていた時だった。

 

口から煙草を急に引っこ抜かれた。

 

「――?」

 

そんなことを出来る人間は一人しかいないと視線だけ左へと向ければ、灰皿に煙草を押し込んでいる馬鹿の姿が目に入った。

 

――まだ半分しか吸ってないのに何しやがる。

 

抗議の声を出そうと口を開くと、

 

「はい、先輩!」

 

元気溌剌といった後輩から口に何かをいれられた。

 

「……? なんだ、ガムか」

 

入れ込まれた長方形の何かを噛みこむと弾力とミントの香りが鼻を抜けてた。

 

「はい、これで先輩も健康への第一歩を踏み出せましたね!」

 

そう言って彼女はけらけらと笑っていた。まったく何が楽しいのやら……。

 

文句の一つでも言ってやろうと思ったが、天真爛漫に笑うソイツの笑顔を見ると怒る気にもなれなくなり、ため息を深く吐くことしかできなかった。

 

「ってか、ガムなんてお前良く持っていたよな」

 

甘党のこいつならガムよりも飴だと思ったので聞いてみる。

 

「実は今日画家さんに貰いまして……」

 

――げっ、アイツかよ……

 

思っていなかった名前が出たため思わず心の中で毒気づく。

 

ある事件を通して出会ったソイツは、俺と巫女、さらにタキちゃんも含めての知り合いだったりする男だ。

 

「あぁ、彼か。元気にしてたか?」

 

アイツのことを何故か気に入っているタキちゃんが後輩に聞く。

 

「あ、はい。滝本先生にもよろしく言っておいてくれと、頼まれました」

 

「そうか、そうか。是非また今度彼の絵を見に行かないとな」

 

「そうですね、先輩も是非。画家さんも先輩にも会いたいと言ってましたし」

 

「あー、気が向いたらな」

 

勿論、行く気はない。それどころか、卒業まで合わないでいいまでもある。

 

彼と俺との話は長くなるためまた今度としよう。それよりも、今は『赤い服を着た女の霊』である。目標の国道まで残り約1時間、未だにマシンガンのように話し続ける女性陣の声をラジオ代わりに俺はさらにアクセルを踏み込むのだった。

 

 

 

 

 

目標の国道までは何事もなく着いた。事故が多発している現場はここを右折した峠の下り道だ。一応誤差も考えると峠の下り全てを範囲に入れておいた方がいいだろう。

 

助手席の後輩と、後部座席に座るタキちゃんに目配せをする。

 

「はい、先輩大丈夫です」

 

後輩は短くそう返し、

 

「滝本先生、お守りはキチンとお持ちですか?」

 

後部座席に座るタキちゃんに声を掛けた・

 

「あぁ、大丈夫だ」

 

タキちゃんは首を一度縦に振り、右手で後輩特性の紅いお守りを握りしめた。

 

手先が器用な後輩が作ったそれは正しく神社印の一品だ。効果も強い。

 

何せ、霊力がない人間が霊を見ることができたり、一時的な魔よけの効果までもある。その魔よけの効果も絶大で、よほど変な大物を釣り上げない限りはその身に傷一つ付けられないばかりか、大抵の霊なら触るだけで浄化される品物だ。

 

時間制限ありの一回こっきり使い捨てということを除いてもその効果は偉大であり、この手の専門家や、収集家がこぞって手にしたがる一品だ。

 

ちなみに勿論値段もその分釣りあがる。今回のタキちゃんが用意してくれた報酬じゃとてもじゃないが手に入らない。

 

まぁ、毎回タキちゃんの依頼の時に用意するのは後輩だし、作るのも勿論彼女だ。彼女が作ったものを彼女がどう扱おうが勝手なので好きにさせている。

 

信号が青に変わる。対向車もないため、素直に右折する。

 

――さぁて、何がでるやら。

 

蛇が出るやら鬼がでるやら、いや今から出るのはきっと悪霊だろう。

 

日付が変わった峠道を型落ちのセダンはゆっくり上っていくのだった。

 

峠の頂上へは直ぐについた。まぁ、そこまで大きくない山だ。車数も普段から少なく上りきった段階で対向車は0。

 

さて、ここまでは予定調和だ。ある意味分かり切った結果だ。

 

ここからだ。霊というのは往々にして発生条件と言うものが決まっていることが多い。特定の場合ではないとその霊が望む結果が得られることが少ないからだ。例えば、人を殺したい霊が、歩行者を驚かしたって精々腰が抜けたり、失神するのが関の山だ。そもそも、霊感の人間には霊は見えないし、霊感が少しあったところで何か靄がかかっている位にしか感じない。

 

だから霊は特定の条件下に現れることが多い。そうやって条件を特定し、絞っていくことにより自分の存在を強くするのだ。その特定化においては霊感のない人間でも察知できるように……。

 

今回の条件は既に分かっていた。今まで起こった事故を調べると全てが法定速度を10キロ以上オーバーしていた。それが自損事故でも対人事故でもだ。

 

そうなればやることは一つ。峠の頂上を超えたあたりからアクセルを出来るだけ踏み込み速度を上げていく。

 

それは直ぐにやってきた。

 

峠の下り道第三つ目のヘアピンを曲がろうかとハンドルを右に回そうとした時だった。

 

――この感覚は、

 

「先輩!」

 

「あぁ――くる!」

 

背中をかけめくるヒヤリとした感覚、今まで何十、何百と感じてきた感覚だ。今更間違えるはずもない。

 

「ハンドルは任せた!」

 

「え……えええええええ」

 

その感覚が全身を駆け抜ける前に、体は反射的に動いていた。前回の窓から半身を乗り出す。横であわあわと言っている後輩に、「ハンドルを思いっ切り右へきれ。面舵いっぱいってやつだ!」とフォローにもならない声を掛けておくことも忘れない。

 

そして、そのままブレーキを踏み込む。

 

「えーい! どうなっても知りませんよっ!」

 

法定速度を軽く20kmはオーバーしていた車体がうねりを上げてカーブへと突入する。我が後輩ながらナイスハンドリングだ。

 

「あれか!?」

 

そんな時後部座席からタキちゃんの声が聞こえた。

 

確かに今まで見えなかった場所から赤いワンピース姿の女性の後姿が見える。

 

しかし、

 

「あれじゃない。あっちだ」

 

ヘアピンを曲がり切ろうとしたその時、対向車が見えた。中型トラック。

 

そして、そのトラックの前には赤いワンピースを着た顔の抉れた女性。そいつがトラックの進路を狂わそうと車道に飛び込もうとしているところだった。

 

――とっくの昔に準備は終わっていた。

 

真っすぐ伸ばした右腕に左手を添える。そして、想像する。破魔矢のように美しくもなく、銀の弾丸(シルバーバレット)のようにスマートでもない。この身は――。

 

――砲台だ。

 

その技は、お経のように面倒な詠唱をいらず、破魔矢のように弓のような道具を要らず、お札のようにまどろっこしい準備もいらない。

 

霊力を集め、放つ。

 

ただ、それだけの技である。単純ゆえに強力、霊力にものを言わせた攻撃はあらゆる魑魅魍魎に対して致命的になる。

 

技名も存在しない。ただ、気合とともに打ち放つのみ。

 

「破ぁぁぁぁあああああああああああ!!!!」

 

腕に貯めこんだ霊力の砲弾が発射される。霊感を持たない一般人にすらも見えるまでに凝縮されてれた霊力は青白い光を放ち、悪霊へと飛んでいく。

 

刹那、悪霊と視線が交差した。

 

たった一瞬だがその顔には戸惑い、怒り、苦しみ、恨み……。様々な色が読み取れた。

 

悪霊が回避行動をとる、がもう既に遅い。砲弾が発射された時点で勝負は終わっていた。

 

青白い光が彼女を飲み込み、そして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「せ、先輩!!!! 何やっているんですか!? 死ぬかと思いましたよ!!」

 

胸倉を掴まれながら上下にぐわんぐわんと揺らせる。何時もなら反撃するが今回ばかりはその気は起きない。ただ成されるままに頭と首を振っておく。

 

どうやら途中でハンドルを任せたことに恨みがあるらしい。

 

シェイクされながら首を右に向ければトラックの運転席で胸に手を宛てながら深呼吸をして冷汗を流す運転手の姿。

 

「まぁ、巫女そこまでにしておけ。無事に生きているんだ」

 

彼女の行動を止めたのは以外にもタキちゃんだった。

 

あの後、正気を取り戻したトラックの運転手がハンドルを切り直し急ブレーキ。俺たちもなんとか、車を停車させて今にいたる。トラックともガードレールとも距離があるとは言え一歩間違えれば大けがだったことも事実だ。

 

「し、しかし滝本先生」

 

「それに今回はまだましだったじゃないか。あの病院の時に比べれば」

 

「そ、それはそうですが」

 

「私としてはもう少しスリリングでも良かったくらいだ」

 

「滝本先生それはどうかと……」、「そうだ、巫女! 今度一緒にドライブに行こうか」、「い、いえ滝本先生の運転は先輩よりもスリリングと言いますか、今日よりも三途の川に近そうと言いますか」、「なるほど、ということは天国も見える神技ドライブテクってことだな」、「い、いえ……決して――」

 

女性二人のどうでも良い話は置いておいて、あの霊の最後の表情について考える。

 

――なんで、彼女は最期笑ったんだろうか。

 

光が当たる刹那確かに彼女は笑っていた。

 

――…………。

 

胸ポケットから煙草を一つ取り出し火をつける。線香の代わりだ。

 

「先輩! 吸いすぎです! これでも噛んでいてください!」

 

しかし、その煙草も直ぐに口から抜かれ、灰皿へと叩きこまれた。

 

――あぁ、寺生まれも楽ではない。

 

俺は改めてそう思った。

 



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