ようこそ知らない世界の教室へ (マサオ)
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入学〜中間試験
1.


 髪をポニーテールに纏め、女性用スーツに身を包んだ麗人が教壇に立っている。

 凛とした出で立ちのその女性は、こちらを見回してから口を開いた。

 

「新入生諸君、私はDクラス担当の茶柱佐枝だ。普段は日本史を担当している」

 

 どうやら俺は新入生らしい。この学校に入りたて、ということだ。

 周囲の様子を見るに、環境は日本の高校そのもの。

 

「この学校には学年ごとのクラス替えは存在しない。卒業までの3年間、私が担任としてお前達全員の面倒をみることになるだろう。よろしく」

 

 クラス。文脈的には学級のことを指していると思えるけど、断定はできない。

 パラディンとかヒーラーとかソルジャーとか、そういった役職を示している可能性もあるのだから。

 なんだか引っかかる言い方をしているし、後で確認しよう。

 

「今から1時間後に入学式が行われるが、その前にこの学校の特殊なルールについて書かれた資料を配らせてもらう。以前入学案内と一緒に送付したものと内容は同じだ」

 

 特殊、つまりは一般ではないルール。

 

 この世界で言う一般という概念を備えているのか怪しい俺にとっては、むしろわかりやすいかもしれない。

 

 資料が俺に回ってくるまでの間に、これまでの経緯を整理しようか。

 

 

 

 俺は転生者だ。

 元の世界で死んだ後に、よくわからない存在から転生することを言い渡された。

 それに伴い俺の願いを3つだけ叶える。そんなことを説明されたので半信半疑ながらも願いを考えて。

 

 チートスペック

 転生先は、主人公に近いポジション

 保留

 

 その結果がこれだ。いきなり理解できない状況に放り込まれて、思考停止していたかも知れない。

 我ながらテキトーすぎる願いだったと思う。

 もっと具体的に述べておくべきだったのに。

 

 ただ、ある程度の保険は用意できた。

 転生後にも願いを叶えて貰えるらしいから、3つの内の1つをいざという時に備えて保留してあるのだ。

 

 だから、転生特典に関してはそこまで問題ではない。きっと、たぶん。

 

 俺のやらかしにして、目下最大の問題。

 それは転生先であるこの世界について、何も確かめなかったことだ。

 とある創作の中の世界に転生してもらうと、あのよくわからない存在は言っていた。

 逆にそれくらいしか聞いていない。実に困った。

 我ながらガバガバすぎる。

 

 まずこの世界について。

 そもそも俺が知っている作品の世界かどうかすら不明だ。むしろ知らない可能性が高い。

 絶賛情報収集の最中だけど、ついさっき転生したから無知と言ってもいいのが現状。

 周囲を観察した限りでは、俺の知る日本の高校にかなり似ている。

 周りの人間の外見も、日本人のそれとほとんど同じ。

 ただ、容姿のレベルはかなり高い。特に女の子。カンストしてるんじゃないかってくらいの子もいる。

 

 次に俺自身。

 おそらくは入学したばかりの生徒で、性転換はしていない。

 さりげなく触ってちゃんとブツがついている事は確認済み。今生もよろしくな、相棒。

 

 さて、今わかっているのはたったこれだけ。この世界のことをもっと把握する必要がある。

 

 俺の転生先のポジションが入学したばかりの新入生であることを踏まえると、現状の第1候補は学園系。

 この世界がどんな系統であれ、平和なものであればそこまで文句はない。

 人がバタバタ死んだり星が滅んだりする世界観でなければ、その他の要素なんて受け入れてみせよう。

 

 そんなことを考えているうちに、前の生徒から俺へと資料が回ってきた。そこから自分の分を抜いて残った1枚を俺の後ろ、窓際最後列の男子へと回す。

 これで全員へ行き渡ったようで、すぐにこの学校のルールについての説明が始まった。

 

 最初に説明されたルールは、在学中の生徒が外部と連絡や接触を取ることを特例を除き禁じていること、だ。

 夏休みや正月も含めて敷地内からの外出は許されず、家族との連絡まで禁止されるとは。冠婚葬祭については言及されなかったけど、とにかく厳しい条件であることは間違いない。

 

 外側へ行けない代わりに敷地内で一通りの施設が揃っているから、不自由することはないということも併せて説明された。

 直近での問題にはならないだろうけど、少しキナ臭い。

 外の世界が虚構でした、なんてのはよくあるパターンだ。留意しておいた方がいいだろう。

 

「今から学生証カードを配る。お前達の身分を示すだけでなく、敷地内にある施設の利用や商品の購入にも使用できるものだ」

 

 学生証がキャッシュカードの機能を備えているのか。小銭が不要なのはありがたい。

 

「カードの利用ではポイントを消費することになる。学校内において、このポイントで買えないものはない。敷地内にあるものなら何でも購入可能だ」

 

 『なんでも』か。恐らくはキーワードだ。ポイントに関しての情報は優先的に収集しよう。

 ちなみに、ちょっとした疑問なんだけどさ?春や花は買えたりするのだろうか。いや、別に買いたいわけではないのだ。あくまで知的好奇心というやつで、不埒な考えなんて一切ない事をここに断言しておく。

 

「ポイントは毎月1日に自動的に振り込まれることになっている。既にお前達の端末へ10万ポイントが振り込まれているはずだ。1ポイントの価値は1円相当だから、10万円分だな」

 

 10万という数字が出て、室内の生徒達が騒つく。俺の感覚では高校生が自由にできる金額としては破格だ。周囲の反応を窺う限りでは、この世界の常識でもそれは変わらないらしい。

 

「支給額の多さに驚いたか? この学校は実力で生徒を測る。入学を果たしたお前達には、それだけの価値と可能性があるのだから好きに使うといい。卒業時には回収されるので、それは覚えておけ。さて、ポイントについて何か質問がある奴は?」

 

 そう言って教室を見渡す茶柱先生。疑問が0なんてことはないだろうけど、誰1人動かない。状況に飲まれているのだろうか。

 それなら、俺が動くとしよう。そう考えて手を挙げる。

 

「茶柱先生、質問させてください」

「浅村か。なんだ?」

「2点確認を。まず1つ目、ポイントは毎月1日に10万ポイント支給される、で間違いないでしょうか?」

「先ほど説明した通りだ。ポイントは毎月支給される」

 

 微妙に答えをはぐらかしている。ビンゴだ。恐らくは支給額に何かしらの変動要素があって、それを隠しているのだろう。

 

 質問に答えた茶柱先生は、先程よりも少しだけ目を細めてこちらを見ている。他にも何か隠しているのではと疑いたくなる反応だ。

 

「では2つ目‥‥‥俺の命は、いくらで買い取って貰えるでしょうか?」

 

 俺の質問が意外だったのか、茶柱先生は黙ったままだ。少しの間を置いて、教室がどっと沸く。

 

「お前、そんなにポイントが欲しいのかよ!?」

「自分を売っちゃうの……?」

「値段次第で私が買ってあげるよ!」

 

 いろんな奴からヤジが飛んできた。冗談だと思われたのかもしれない。

 ……別に売るとは言っていないんだけど。

 

 そんな喧騒が続くこと十数秒。教室の空気が落ち着いてから、茶柱先生は俺の質問に答えてくれた。少しだけ笑みを浮かべながら。

 

「お前の命はお前のものだ。故に、その価値の決定権を持つのは学校ではなくお前自身だ。それにポイントで購入できるものは常識の範囲で許されるものに限られる」

 

 なんとも言えない答えだ。

 否定的な言い方をしているものの、実際は肯定も否定もしていない。ポイントでなんでも買える、と言う説明は文字通りの可能性がある。

 ただ、流石に人身売買はしていないと思いたい。命の価値が軽い世界観なんて願い下げだ。

 

 

 とりあえず俺の質問を終えたので礼を述べると、その後に質問する生徒は出てこなかった。

 それを確認した茶柱先生は、入学式までここで待機するよう俺達へ言いつけて教室から出て行った。

 

 

 さて、早速第2のガバだ。クラスについて確認し損ねた。転生直後からガバガバすぎる。俺はこの先生き残れるのだろうか。

 

 こういう防げそうなミスをしでかすと中々に凹む。‥‥‥いつの間にか周りは、楽しそうにポイントの使い道とか話してるし。

 

 終わった事を悔やんでも仕方ない。わずかな時間でガバが続いたことの反省とかは後回しにして、まずは情報収集をしよう。

 

 とりあえずは、もらった学生証カードの確認からだ。そう考えて端末を起動させると、液晶画面には『100000P』の文字が浮かぶ。これが茶柱先生の言っていたポイントだろう。

 そして一緒に載ってる顔写真と名前、間違いなく俺だ。

 

 浅村 大地(あさむら だいち)

 

 前世と変わらない名前。これならやりやすい。

 

 

 ‥‥‥なんだかさっきから、周囲の視線を感じる。質問で目立ったせいだろうか。

 それは別にいいんだけど、チラチラこちらを伺っているくせに、誰1人俺に話しかけてくれないのだ。

 

 頑張れ頑張れ、みんな勇気出して! こういう時に自分から積極的に話しかけることが友達作りのコツらしいから勇気出して!

 

 ……さて、少し待ってみたものの誰も来ない。さっきの質問は他の人の前でするべきじゃなかった。これもガバだ。

 

 俺の前や隣に座っている生徒達との接触は望み薄。となれば後ろこそが活路になる、そんな期待を込めてチラリと背後を見る。

 そこでは、黒髪ロングの美少女とクール系イケメンが話していた。

 ちなみに俺の席は窓際で後ろから2番目。クール系イケメンの席は窓際一番後ろで黒髪ロング美少女がその右隣の席、つまりは俺の斜め後ろということになる。

 

 でもそんなことはどうでも良い。今大事なのは斜め後ろの女子がめちゃくちゃ可愛いということだ。俺、この世界に来てよかった。

 

 是非とも仲良くなりたいけど、やっぱり自分から声をかけて行かないとダメだろうか。

 知らない人との会話に割り込むのは、そこそこ勇気が要るんだけど。

 ‥‥‥いや、そんなこと言ってるといつまでも仲良くなれないし、ここは勇気を出すところだ。

 

 そう考えて身体ごと振り向こうとしたら、1人の男子が手を挙げて発言した。

 

「皆、少し話を聞いてもらってもいいかな?」

 

 教室の真ん中に立っているその生徒は、如何にも好青年といった雰囲気のイケメンだ。

 

「僕らは今日から同じクラスで過ごすことになる。だから今から自発的に自己紹介をして、1日でも早く友達に成れたらと思うんだ」

 

 最初に行動を起こしたあの男子。この世界の主人公かどうかはわからないけど、キーパーソンである可能性はとても高い。分類するとしたら爽やかイケメン系キャラあたりか。

 

 

 入学式まではまだ時間がある。名前や人柄を把握できるのは、俺としても都合がいいので参加することに。

 最初の自己紹介は発案者である爽やかイケメンから。言い出しっぺの法則に忠実だ。

 

「僕の名前は平田洋介。気軽に下の名前で呼んでくれるかな。趣味はスポーツ全般だけど特にサッカーが好きで、この学校でもやるつもりなんだ。よろしく」

 

 最初に行動を起こせる人間は、それだけで評価ができる。大した度胸だ。あの整った容姿も相まって、女子の人気はあの平田に集まるだろう。ただ、俺が引っ掛かってる生徒は他にいる。

 

 

「山内春樹!小校では卓球で全国に、中学では野球部でエースで四番を張ってたけど、インターハイで怪我をして今はリハビリ中だ。よろしくな!」

 

 体付きを見るに運動はそこまで達者に見えない。怪我を負っている様子もなさそうだし、中学でインターハイのくだりも考慮するとジョークの類だろう。

 軽い印象のお調子者に見えるし、賑やかし要員あたりだろうか。

 

 

「櫛田桔梗と言います。最初の目標は、ここにいるみんなと仲良くなることです。良かったら、後で連絡先を交換してください!」

 

 さっき女子達の容姿が特に整っていると述べたけど、この櫛田はその中でも突出している。

 明るい雰囲気と相まって、既に何人かの男はオチてるかもしれない。

 女版平田って感じだし、メインヒロインや主人公も十分にありえそうだ。

 

 

 

 その後も各々の自己紹介が進んでいって、俺が注目している生徒の番になった。

 

 髪を真っ赤に染め上げて、入学初日なのに服を着崩している大柄の男子。

 不良という要素を詰め込んだようなヤンキー系キャラだ。

 

 その不良男子は、自己紹介を促した平田を睨みつけて言い放つ。

 

「俺らはガキじゃねぇんだ、自己紹介なんて必要ねえ。やりたい奴だけでやれよ」

「強制するつもりはない。クラスメイト同士、仲良くなりたかっただけなんだ。不快にさせたなら謝りたい」

 

 赤髪に臆することなく謝罪する平田。

 性格と容姿はパーフェクトだ。刺のある対応をされても嫌な顔を全くしないのは普通にすごい。

 

 

 ただ、赤髪の男にはそれすらも気に食わなかったようだ。平田の返事を聞くだけ聞いたら、盛大に舌打ちをして出て行ってしまった。数人の生徒もそれに続いて退室していく。‥‥‥待機指示が出ていたはずなんだけど、まあいい。

 

 それよりもまずはあの男子だ。特徴的な容姿の上、行動でも目立っている。

 あの赤髪は主人公候補の1人として記憶しておく。そうでなくてもキーパーソンの可能性は高い。要観察だ。

 

 

 数人の退室というトラブルで微妙な空気になりつつも、平田がうまく場を収めて自己紹介は再開された。

 

「俺は池寛治!好きなものは女の子で嫌いなものはイケメンだ。彼女は随時募集中なんでよろしくっ!」

 

 こいつも賑やかし要員に分類しておく。自己紹介の途中に平田や俺に視線を送っていたけど、なんだろうか。

 

 

 そしてやってきた、赤髪と同じくらいに注目していた生徒の番。

 金髪オールバックのその男は、机の上に両足を乗せて自己紹介を始めた。とても行儀が悪い。

 

「私の名前は高円寺六助。高円寺コンツェルンの1人息子にして、いずれはこの日本社会を背負って立つ人間となる男だ。以後お見知り置きを、小さなレディー達」

 

 制服に隠れていてわかりづらいものの、凄まじく鍛えられた肉体。高円寺コンツェルンが如何なる組織かは知らないけど、おそらくは財閥の御曹司あたりだろう特別な出自。

 現状でモブ度が最も低い、キーパーソン暫定筆頭候補だ。

 アクが強すぎて主人公の線は薄いけど。イロモノ枠の最有力といったところか。

 体のラインが細ければ『花より団子』の四天王とかに出演していそうなビジュアルだし、ひとまず変則気味のオレサマ系キャラあたりに分類。

 とりあえず一言だけ言ってやりたい。女子だけじゃなくて男子にも挨拶しろ、と。

 

 

 その後も自己紹介が続いて、俺の番になったので立ち上がる。質問で目立ってしまったし、特別なことをするつもりはない。当たり障りのない内容を述べるだけだ。

 

「浅村大地です。これといった趣味はないのでこの学校にいる間に何か見つけたいと思っています。茶柱先生に変な質問を投げ掛けたけど、命を売る予定はありません。よろしくお願いします」

 

 周囲の反応はマチマチだったけど、おおよそは好意的。

 先程の質問で注目を集めていたせいか、他の生徒の自己紹介よりも反応が大きかった。

 正直、いきなり目立ちたくはなかったけど仕方ない。序盤の情報入手が生死に繋がる可能性もあるのだから。よって、あれはガバではない。

 

 

 とりあえずは自己紹介が終わったので着席。次は後ろの席のクール系イケメンだ。

 

「えっと……綾小路清隆です。えー、得意なことはありませんが、皆と仲良く慣れるよう頑張ります。よろしくお願いします」

 

 綾小路清隆、ね。自己紹介がちょっと失敗してるけど、強く生きてほしい。

 独特な空気を感じるけどクールよりのやれやれ系あたりに思える。分類するとしたら、モブか主人公のどちらかだろうか。

 

 

****

 

 

 現在放課後、初日から1人で敷地内の施設を見て回っている俺。ぼっちではない。

 

 1時間前までは入学式に出席。ありきたりな内容だったからほとんどの生徒は退屈そうにしていたけど、俺は気が気じゃなかった。

 いきなり殺し合いが始まったり、異形の化物が乱入してきても対応できるように警戒し続けたのが理由だ。結局何も起こらなかったのが嬉しいやら悲しいやら。

 そんな経緯もあって気を緩めたいんだけど、念のため今しばらくは気を張っておく。それに隠し持てる武器も用意しないと。とりあえずはハサミあたりを分解して研いで、袖に仕込む予定だ。

 

 

 そんな感じで油断できない状況だけど、それは俺にとっての話。他の生徒からすれば新たな環境で初めての自由時間でしかない。しかも10万円相当のポイントが付与されているという豪華なおまけ付き。浮かれるなという方が無理な話だ。事実、大半の生徒はケヤキモールに向かっている。

 ありがたいことに俺も何人かのクラスメイトからカラオケやカフェに誘われたけど、敷地内の情報収集を優先して断ってしまった。

 人脈構築は情報収集が一段落してからの予定なのだ、すまない。

 

 

 そうして始めたここら一帯の見回りも、一通り終えた。その結果気付いたことがある。

 

 まず、監視カメラの数が明らかに多い。

 少なくとも俺が元いた世界の基準からすれば、異常と言っていい程に。

 これがこの世界の標準なのか、それともこの学校で犯罪行為が多いのか、もしくは他に何かしらの意図があるのか。

 

 次に、至る所で無料の商品が用意されていた。

 敷地外に出ることが許されない以上、これは妥当な措置に感じる。生徒全員がポイントを適切に管理できるとも限らないのだから。

 

 

 そんなことを考えながら敷地内を歩き回っていると、コンビニの中に見覚えのある顔が2つ。

 

 ……まだ先生以外とまともにコミュニケーション取ってなかったし、そろそろ人脈構築の時間といこう。

 

 その目的を果たすべくコンビニへ入り、無料と書かれたワゴンの前で会話している男女へと近づく。

 

 こちら浅村、美男美女ペアにコンタクトを試みる。対象は綾小路とその隣の席に座っていためちゃくちゃ可愛い女子。

 

「2人ともこんにちは。近くの席だったけど覚えてるかな?」

「……あなたは、浅村君だったかしら?」

 

 黒髪ロングで程よく引き締まった体型。正面から見るとさらによくわかる、俺の好みにピンズドだ。

 キーパーソンとか関係なく仲良くなりたいけど、こんな綺麗な子がモブであるはずがない。

 この女子も自己紹介の場にいなかったし、情報収集と俺の願望の2つの目的ためにもここで面識を得たい。

 

「ちゃんと名乗ってなかったね、浅村大地だ」

「……堀北鈴音よ」

 

 微妙な間があったけど、名前を知ることができた。

 対応が硬いように感じるけどツンツン系だろうか。だとしたら性格まで俺の好みにドストライクだ。最高。

 この子がデレたら間違いなく可愛い。最強。

 

 なんとかお近づきになるべく話題を探す。彼女の手元を見ると無料のスキンケア商品が握られていた。

 

「それは、無料商品かな?スーパーや自販機でも見かけたよ」

「そう、ここ以外にもあるのね。ポイントを使いすぎた生徒への救済措置かしら?」

「そんなところだろうね。敷地内から出れない以上、0ポイントでも最低限暮らせる環境は用意する責任があるし」

 

 そんな風に堀北と会話しながら、無料だったり安価な日用品を見繕いカゴに入れていく。

 一緒にいたはずの綾小路はいつの間にやら何処かへ消えていた。

 

「‥‥‥10万ポイントも貰ったのにずいぶんと節約するみたいだけれど、そんなにポイントが大事なのかしら?」

 

 茶柱先生への質問のせいで、守銭奴みたいに思われているのかもしれない。なんだか刺のある言い方だ。

 まだポイントの使い道が絞り切れていない以上、最低限の出費以外は切り詰めるつもりだから間違った認識とも言えないけど。

 

「浪費癖がついたら卒業した後が怖いと思わない?必要だと感じたことにはちゃんと使うつもりだよ」

 

 もしかしたらこの学園にダンジョンがあって、探索用の装備はポイントで購入なんて流れになるかもしれない。

 そうなってから後悔しても時すでに遅し、だ。今のところファンタジー路線の可能性は低いけど、念には念を入れておく。

 

 そして残念なことに、堀北との会話が途絶えてしまった。もっとユーモアに富んだ返しをするべきだったか。とはいえまだ挽回できる。会話が止まったのなら再開すれば良いのだ。そんな事を考えて話題を探していたら、突如レジの方から響く大きな声。

 

「っせえな!ちょっと待てよ、今探してんだろうが!」

 

 何事かと様子を見ると、例の赤髪がレジで揉めていた。

 

 イベントか? イベントだな? 主人公暫定最有力候補と関わりを持つチャンスの到来というわけだ。もちろん突撃する。レッツコミュニケーション。

 

「学生証が見つからないのかな?」

「あ?なんだお前」

 

 別に喧嘩売ってるわけでもないのに、こちらを睨んでくる赤髪ヤンキー。

 この様子だと、同じクラスの俺を覚えていないのだろう。

 俺が自己紹介する前に出て行ったから、仕方ないと言えば仕方ないけど。

 

「クラスメイトの浅村だよ。さっき同じ教室にいただろ?」

「ああ。そういやいたなお前」

 

 少し事情を聞くと、学生証を持参していないらしい。予想通りである。

 入学したばかりの上特殊な環境だから、確かに起こり得るミスだ。

 

「ひとまず俺が立て替えようか?」

「そうだな、取りに戻るのも面倒だしよ」

 

 ……お礼くらい言ったらどうなんだろうか。

 

「明日返してね。それと、名前も教えてくれる?」

「……須藤だ」

「よろしく、須藤」

 

 そんな感じで須藤と話していると、いつの間にか堀北も何処かへ消えた。

 悲しいけど仕方ない。今はこの赤髪ヤンキーとの関係構築に集中しよう。

 

 

 須藤が買ったのはカップ麺で、立て替えたのはポイントは200やそこら。

 ヤンキーよろしく、コンビニの前で食べるらしい。

 出来上がるまでの間、少し話してみるか。

 

「須藤はさ、10万ポイントの使い道とか考えてる?」

「あぁ?そうだな‥‥‥取り敢えず食いもん、あとはボールだな」

「ボールってサッカー?バスケ?それともバレーかな?」

「バスケだよ、ガキの頃からやってんだぜ」

 

 バスケで赤髪とくれば、思い当たるのは国民的スポーツ漫画。スラムダンクだ。この世界にスラムダンクがあるのか知らないけど。

 もし須藤が主人公ならスポ根系が似合いそうだけど、この世界はその系統ではない気がする。

 学校外との接触禁止を禁じる規則は、どう考えても相性が悪い。

 

 

 ‥‥‥それにしても須藤って本当にバスケが好きなんだな。

 さっきまであんなに無愛想だったのに、バスケの話を始めた途端にとても楽しそうに口が回っている。

 

 

「‥‥‥って、やべっ! もう3分経ってるじゃねぇか。麺が伸びちまう」

「あ、ラーメンできた?じゃあ俺も帰ろうかな。また明日ね」

「おう」

 

 さてさて、次はマイルームの確認だ。監視されていたらたまらないから、念入りにチェックしないと。

 

 そんな風に確認する箇所を考えながら寮に向かい始めてから、ほんの数秒後。

 

 背後から須藤の怒声が聞こえて来た。

 

 レジの時といい、よく響く声だ。

 20メートルくらい離れてるのに普通にうるさい。

 

 振り返って確認した先には、3人組の先輩らしき男子達と対峙する須藤。どうやらイベント継続の模様。

 

「おい、お前1年か?そこはオレらの場所だぞ」

「んだよテメェら。ここは俺が先に使ってんだ。さっさと失せろ」

「おい聞いたか?失せろだとさ。随分と生意気な1年が入ってきたもんだな」

「あぁ!?1年だからって舐めてんじゃねえぞコラ!」

 

 年上3人が相手だってのにお構いなしの様子だ。コンビニでも一悶着起こしていたし、見た目通りの性格をしている。

 

「おー怖い。お前、どうせDクラスだろ?」

「だったらどうしたってんだ!」

「やっぱりな、お里が知れるってもんだ。可哀そうな不良品にここは譲ってやるよ。じゃあな」

「‥‥‥っち、食う気が失せちまったじゃねぇか」

 

 

 

 須藤も3人組も立ち去り、ようやくコンビニに平和が訪れた。これでイベントは終わりだろう。

 

 

 

 あの3人組が言っていた『不良品』。

 話の流れから察するに、それはDクラスの生徒全員を指している。

 クラス分けに何らかの意図があり、Dクラスには『不良品』が集められた?

 

 

 明日、茶柱先生に確かめてみよう。

 



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2.

 入学2日目、異世界での学生生活が本格的に始まっていた。

 

 嬉しいことに、昨日と違って今日の俺にはそれなりに心の余裕がある。この世界の常識がインストールされたのだ。

 そんなもの最初からインプットしておけよって思ったけど、そうもいかない事情があるのかもしれない。

 

 この世界の浅村大地のこれまでの記憶、今朝目覚めた瞬間にそれが刻みこまれたんだけど。違和感がすごいというか、とにかく凄まじい感覚だった。もう2度と味わいたくない。

 で、その記憶を信じるなら外の環境は俺の知る日本とほとんど同じ。

 

 この世界が平和なものである可能性がかなり上がったわけだ。

 

 そして現在、6限目が終わっての帰宅の準備をしている最中。昨日と同様、無事に終わりそうで何よりだ。

 バトル展開に備えて裁ち鋏をバラして隠し持ってはいるけど、使わずに済むのならそれが1番なのだから。

 

 そんな事を考えながら教科書を片付けていると、茶柱先生が教室に入ってきてホームルームが始まる。

 

「朝にも伝えたが、本日午後5時より体育館で部活動の説明会を開催するぞ。部活動に興味のある生徒は参加するように」

 

 今のところ部活に参加する余裕はない。スポ根系世界だと確定しない限りは後回しになる。

 そんなわけでひとまず説明会もパス。その時間で他のことを調べよう。まずは昨日聞き忘れたことを。ガバも挽回すれば、ガバでなくなるのだ。

 

「質問はないな?では、ホームルームを終了する」

 

 そう言って教室を出た茶柱先生を追いかけ、廊下で呼び止める。情報収集の時間といこう。

 

「茶柱先生、お聞きしたいことがあります。少しよろしいですか?」

「部活動説明会の準備がある。手短にな」

「聞きたいのはクラス分けについて、です」

 

 俺の質問を聞いた茶柱先生は、少しだけ目を細める。昨日も見た反応だ。

 しばらくこちらを注視した後に視線だけで周囲を確認して、それからゆっくりと口を開いた。

 

「……それは、長くなりそうだな。説明会の後なら時間が取れる。18時頃に職員室まで来るといい」

「わかりました、後ほどお伺いします」

 

 手応えアリだ。何かしらの裏があるのだろうか。とりあえず罠でないことを祈ろう。

 

 

****

 

 

 約束の時間より少し早いものの、職員室前へ到着。

 

 職員室独特の、近寄りがたい雰囲気を感じる。

 とはいえ、ここまで来たのに入らないなんて選択肢はない。さっさと茶柱先生がいるか確認しようと、職員室の扉を叩いてから中へと入った。

 

「失礼します。茶柱先生はいらっしゃいますか?」

「ん〜?サエちゃん?部活説明会に行ってるよ。もう少しで戻ってくるんじゃないかな?」

 

 応答してきたのは、セミロングでウェーブのヘアスタイルをした女性。

 

 この人も恐らくは先生だ。

 それより、『サエちゃん』って茶柱先生のことだろうか。

 

「そうですか。では外で待たせていただきます」

 

 まだ用事が終わってないのかもしれない。居心地が悪いから早く来てほしいんだけど。

 

 そんなことを考えつつ廊下に出ると、なぜかウェーブの女性も一緒に付いてくる。

 

「‥‥‥何か用でしょうか?」

「君って1年Dクラスの子だよね?私、Bクラスの担任なんだ。名前は星之宮知恵。よろしくね!」

 

 別にそんな事は聞いていないけど、先生を邪険に扱うわけにもいかない。適当に話してお茶を濁そう。

 ‥‥‥今日の授業では見かけなかったけど担当科目は何だろうか。

 

「浅村大地です、よろしくお願いします。茶柱先生を名前で呼ばれていましたが、親しい仲なのでしょうか?」

「モチのロン!高校からの親友なんだから〜」

 

 ゆるふわ系のこの先生と厳格な雰囲気の茶柱先生、性格は間違いなく正反対だ。

 正直、馬が合うようには思えない。

 

「それでそれで?サエちゃんに何か用?」

「少し確認したいことが」

「サエちゃんの好みのタイプとか?サエちゃん、昔からモテたからね〜。あ、でも私も結構モテたんだよ」

「確かにお2人とも綺麗ですからね。今もモテるんじゃないですか?」

「あれ、もしかして口説かれてる?今時の子にしては珍しく大胆!でも、気持ちは嬉しいんだけどごめんね」

 

 いつの間にかフラれてしまった。学生みたいなノリの先生だ。それに距離が近い。親しみやすい性格に思えるけど、果たしてそれだけなのだろうか。

 できれば一旦ここから離れたい。そう思ったものの、残念ながら口実がない。ここで待つと言ってしまったのだから。

 

「……何でそうなるんですか。学校のことで確認に来ただけです。そもそも、初対面の女性を口説く度胸なんてありません」

「本当に?君かっこいいし、さっきの褒め言葉も慣れてそうだったよ。女の子よく口説いてるんじゃない?」

「まさか。生まれて初めて人を褒めましたよ」

「まったまた〜、そんなこと言って、イイッタァァァイ !!!」

 

 ‥‥‥とてもいい音がした。廊下中に響き渡るくらい大きな、とてもいい音が。

 音源は星乃宮先生の後頭部。

 ダメージを受けたであろう頭を押さえてうずくまる星乃宮先生の向こうには、クリップボードを構えた茶柱先生が立っていた。

 ドーモ茶柱先生、待ちわびてました。

 

「サエちゃん!いきなり何するの!?」

「うちの生徒に絡むんじゃない。浅村も、こんな奴まともに構うな」

「仮にも先生ですよ。そうも言ってられないでしょう」

「2人ともひどくない!?ちょっとお話してただけじゃない!」

「冗談です。表情豊かなんですね、星乃宮先生って」

「浅村、まともに構うなと言っただろう。聞きたいことがあると言ったな‥‥‥ここじゃ何だ、ついて来い」

 

 そう言うと茶柱先生は踵を返す。それに追従すると、さも当然のように星乃宮先生もついてきた。

 なぜ職員室へ戻らないのだろうか。

 そう疑問に思っていると、茶柱先生が顔をしかめてこちらへ振り返る。

 

「お前はついてくるな、星乃宮」

「え〜いいじゃない。この子面白いんだもん。ねぇねぇ浅村君、聞きたいことあるなら私も答えるよ?」

 

 このゆるふわ系は何故ここまで絡んでくるのだろうか。

 正直質問に答えてもらえるなら誰でもいいんだけど、担任の機嫌を損ねるのはよろしくない。

 

「すみません、星乃宮先生。センシティブな話なので今回はご遠慮いただけないでしょうか」

「そんなぁ、サエちゃんの男性遍歴だって答えるのに。……もしかしてこれからサエちゃん口説くの!?」

「……もうそれでいいです」

 

 なんかめんどくさくなってきた。何を言っても無駄なのでは、と感じてしまう。

 

「……星乃宮」

 

 茶柱先生がクリップボードを構える。

 それを見た瞬間、星乃宮先生は脱兎の如く逃げ出していった。

 次から俺もああやって対処すれば手間が省けるのだろうか。‥‥‥流石に叩くわけにはいかないから無理だけど。

 

「目をつけられたぞ、お前。まともに相手をするなと言っただろう」

「……助言を真に受けなかったこと、結構後悔してます」

 

 星乃宮先生と会って数分かそこらだけど、めちゃんこ疲れてしまった。

 

 

 

 指導室前に到着した俺は、茶柱先生に続き中へ入る。

 俺が扉を閉めたことを確認すると、茶柱先生が口を開いた。

 

「それで、クラスについて聞きたいと言っていたな。何が気になるんだ?」

「まず前提として、クラスというものについての確認を。先生や俺が言うクラスとは学級のこと、つまりは40人ごとに分けられているAクラスからDクラスを指している。その認識でよろしいですか?」

「ああ、もちろんだ」

 

 これで、ヒーラーやパラディンの線は消えてしまった。

 微妙に残念な気持ちになっているのは何かの間違いだろう。

 平穏が1番。そうに決まっているのだから。

 

「では本題のクラス分けについて。AからDの各クラスへ生徒の割り振る際、何かしらの意図を持って振り分けていましたか?」

 

 具体的に述べるなら入学時に魔力とかミディ=クロリアン値を測っていたとか、そんな感じで。

 そう言った何らかの素養が低い生徒を集めたのがDクラス。

 だとすれば、昨日聞いた『不良品』と言う意味も理解できるのだ。

 

 それを確認するための問いかけだったんだけど、何故だか茶柱先生はとても嬉しそうな笑みを浮かる。

 ‥‥‥これは、地雷を踏んでしまったのかもしれない。

 

「どの学校もクラス分けには多少なりとも意図がある。当たり前だろう?」

 

 確かにその通りだ。クラス分けをする際、通常なら何らかの偏りが発生しない配慮をする。

 ただ、俺が言っているのはそういう事ではない。

 

「では違う聞き方を。各クラスで何らかの差がつくような、そういった生徒の割り振りをしていませんか?」

「答えられない。規則なのでな」

 

 これもビンゴか。昨日の3人組が須藤の所属はDクラスであることを把握した途端に、不良品呼ばわりした理由と関係している可能性が高い。

 だからもっと突っ込みたいんだけど、茶柱先生の様子がそれを躊躇わせる。

 これまでの姿からは想像できないくらい笑顔が溢れているのだ。ちょっと‥‥‥いや、だいぶ怖い。

 知られたからには死んでもらう、みたいな地雷踏んでしまったのかという不安がどんどん大きくなっていく。

 ‥‥‥裁ち鋏だけで切り抜けられるといいんだけど。

 

 そんなふうに警戒度を上げて黙っていると、茶柱先生が口を開いてきた。

 

「そんなことをわざわざ確かめにきた理由は?」

「気になったからです」

 

 茶柱先生の笑顔が一瞬で引っ込んだ。

 ‥‥‥これはこれで怖い。

 

「ちゃんと答えるので睨まないでください。他クラスの生徒を見て引っ掛かったんですよ」

 

 これも1つの理由ではある。

 今日の休み時間を全て、他クラスの生徒の観察に費やした結果わかったことだ。

 明らかに他のクラスの方が常識人が揃っていた。Aクラスなんて模範的な優等生の割合が明らかに違う。

 足を机に乗せて自己紹介したり、初日に上級生と揉め事を起こす人間は見当たらなかったのだ。

 

「ほう、たった2日で他のクラスまで把握しているのか」

「そこまで大それたものじゃありません。何となく感じただけです」

「お前がそう言うならそれでいい。で、聞きたいことはそれだけか?」

「もう1つあります。先生は昨日、『学年毎のクラス替えは存在しない』と言っていました。クラス替え自体は存在する、その認識でよろしいですか?」

「確かに、特例でのクラス替えはあり得る」

「その特例とは?」

「それも今は答えられない。規則なのでな」

「……その規則の閲覧は可能ですか?」

「生徒が当該規則を閲覧することは禁止されている」

 

 破ったらどういったペナルティがあるのだろうか、その規則は。

 ただ、答えられないと言ってくれる時点で何かがあると教えてくれてるようなものだ。今回はそれで満足しよう。

 

「それで、質問は以上か?」

「はい。ありがとうございました」

 

 用は済んだことだし、さっさと退散しよう。世界観がわからないのに教師と2人っきりなんて、いろいろと心臓に悪い。

 

「待て。今日ここであったことを他人に伝えることを禁じる。私が答えた内容も、お前が質問した内容もな」

「……もし、他人に伝えたら?」

「退学だ、お前もその相手も」

「わかりました。それでは失礼します」

 

 全校生徒の前で今の話をぶちまけたらどうなるんだろうか。

 いや、やらないけど。

 

 

 

 

 それから数日後、Dクラスの浅村と言う生徒が教師を口説いたと言う噂が流れていた。

 

 ふぁっきゅーMs星乃宮。



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3.

保険の授業があり、星乃宮先生が担当しているというオリジナル設定です。



 俺達新入生がこの学校に入学してから、既に数日。

 新しい生活にも慣れて、生徒のグループ形成も落ち着いてくる頃だ。

 そこで、俺が所属しているグループのメンバーを紹介しよう。

 

 1人目、浅村 大地。

 

 以上、ワンマングループである。ぼっちではない。

 他の生徒と交流がないというわけではなくて、みんなと挨拶は交わすし喋る相手もいる。

 須藤とは初日の縁で結構絡んでいるし、平田は何度か昼食に誘ってくれた仲だ。

 ただ平田には申し訳ないけど、今のところのお誘いは全部断っている。本当にすまない。

 

 基本的にどの生徒も、お昼を食べるときにはグループで集まるというスタイル。

 今までの昼休み全てを、他クラスの情報収集に費やした俺がワンマングループに所属することは当然予測できていた。

 つまり、仮に現在の俺をぼっちと呼ぶとしても、それは意図した結果であり何ら恥ずべきことではないのだ。

 

 それに、その代償に見合うだけの成果はあった。休み時間を使って観察し続けたお陰で、他クラスの状況はそれなりに把握できたのだから。

 故にそろそろ情報収集から人脈構築にシフトしようと思う。そのつもりで今日は登校してきた。

 今日こそ友達を増やすのだ。

 

「みんなおはよう」

 

 挨拶とともに教室に入ると、ホームルーム開始ギリギリの時間だからほとんどの生徒が揃っていた。ちなみに須藤はいない。貴重な会話相手なんだけど。

 そんなことを考えながら席に着くと、俺に視線が集まってくることが感じ取れた。何人かはこちらを見ながらヒソヒソと話している始末だ。

 チートな俺の耳で、そのウィスパーボイスを拾い上げてみると。

 

「……本当なのかな?茶柱先生に告白したって話?」

 

 は?

 予想外の展開だ。崩れそうになるポーカーフェイスをなんとか維持する。

 

「あれ?私、Bクラスの担任相手にアタックしたって聞いたけど?」

 

 かけらも覚えがない。いつの間にそんな与太話が広まったのか。

 

「え〜、年上の人がタイプなんだ浅村君。残念」

 

 俺は年齢で相手を選ぶような男ではありません。性格髪型顔立ち体型で選びます。

 

 どうやら変な噂が流れているらしい。心当たりというか、噂の元になった事柄は察しがついてる。部活動説明会の日に、職員室前で星乃宮先生と交わしたやり取りだろう。声の届く範囲には茶柱先生と星乃宮先生以外いなかったはずだけど、どこから漏れたのやら。

 ともあれ、まずは朝のホームルームだ。茶柱先生が入ってきたから、こちらへの視線もなくなったし。

 

 そのまま何事もなく終わるホームルーム。連絡事項を伝え終えて退出しようとした茶柱先生を、手を上げた男子生徒が呼び止める。

 

「せんせー!浅村に告られたって本当ですか!?」

 

 …………。

 俺の表情筋を褒めてやりたい。こんな状況でも。ポーカーフェイスを維持するという役割を忠実にこなしているのだから。

 

「そのような事実はない。なにやら変な噂が流れているようだな」

 

 流石は教師だ。きちんと事実を伝えて、俺の平穏を守ってくれている。

 

「なーんだ。じゃあ、Bクラスの先生に告白したってのも嘘ですか?」

「知らん、本人に聞け」

 

 こっちに振るな。教師として役目を果たせ。

 ついに表情筋が役割を放棄してしまった。思わず顔をしかめてしまう。

 

 

 そうして茶柱先生が爆弾処理をしないまま出ていった結果、俺の周りにでき上がる人集り。

 その中の1人。明るい色の髪をシュシュでまとめ上げ、制服を着崩した女子が訊ねてくる。名前は軽井沢恵。如何にもギャルですといった容姿をしていて、Dクラスの一大グループリーダーになりつつある生徒だ。

 

「浅村君。さっきの話だけどさ、先生達に告白したって本当なの?」

 

 先生『達』とはどういうことだとか、そもそも誰にも告白なんてしていないとか、俺はどこから突っ込むべきだろうか。

 

「ごめん、全然心当たりないんだけど、いつ誰からその話聞いたの?」

「昨日、篠原さんがクラスチャットで言ってたよ」

 

 おかしい。そのチャットに俺は入っていない。どこのクラスのチャットだろうか。

 とりあえずは暫定容疑者である篠原を見つめて、視線だけで問いかける。どういうことだ貴様、と。

 

「私も聞いただけだよ。Bクラスの人達がそんな話をしてたのをね」

 

 やっぱりBクラスか。噂の出所は星乃宮先生だろう。

 

「そうなんだ。さっきも言ったけど、茶柱先生にも星乃宮先生にも告白してないよ」

「星乃宮先生、ね。Bクラス担任の名前まで覚えてるんだ?」

 

 篠原が笑いながら視線で問いかけてくる。本当に何もなかったのか、と。

 

「職員室に行った時に話す機会があったからさ」

「なーんだ、『僕を買い取ってくれますか!?』って聞いてたのとか、熱烈なアピールかと思ってたんだけどなぁ」

 

 事実改変はやめてほしい。そんな変人じみた事を初っ端に言い出すわけがないのに。

 

「なんでもって言われたから、思わず聞いちゃっただけ。それ以上の意味はないかな」

「そっか。変な噂流しちゃってごめんね」

「別にいいよ。それより、女の子ってこういう話好きなのかな?」

「そりゃあ好きだよ。ね、軽井沢さん?」

「んー、私はあんまり興味ないかなぁ」

 

 軽井沢は真っ先に話を聞きに寄ってきたんだけど、これはツッコミ待ちだろうか。

 

「とりあえずみんな。そろそろ授業の時間だし、準備をしよう」

 

 平田からの助け舟だ。それを聞いた周囲の生徒は各々の席に戻っていく。

 次の授業は、確か保健体育。週に1コマしかないから、今日が初回だ。

 授業の準備を終えて待っていると、担当教員らしき人物がウェーブの髪を揺らしながら教室に入ってくる。

 星乃宮先生だ。最悪なことに、真っ先に俺を見つけて声を掛けてきた。

 

「やっほ〜、浅村君。久しぶり〜」

 

 またしても役割を放棄する俺の表情筋。ただ、これは仕方がないだろう。

 

 

****

 

 

 昼休み、俺は軽井沢のグループと共に食堂に来ている。俺以外の男子は平田だけ。

 何も聞いてくれるな、そう願いながら自前の弁当を食べる。そんな俺に対して軽井沢が口を開く。

 

「浅村君、先生達といつの間に仲良くなったの?」

「別に、普通だと思うんだけど」

「でも星乃宮先生『浅村君に褒められたんだ〜』ってすごい喜んでたじゃん」

 

 どうやら俺の真摯な願いは届かなかったようだ。というか、あの先生は絶対にわざとやっている。俺の平穏をかき乱して楽しむつもりだ。

 日本有数の進学校の授業が、あんな体裁でいいのだろうか。授業時間5分の1くらいを俺との話で費やしていたけど。

 

「先生に『綺麗ですね』なんて普通は言わないと思うけど。ね、篠原さん」

 

 2人がかりで俺を攻めるのはやめていただきたい。茶柱先生の忠告をもっと深刻に受け止めておくべきだったな。

 

「そうそう。茶柱先生と生徒指導室で2人っきりになった後、出て来た茶柱先生がすごく上機嫌だったていう話も気になるし」

 

 それは俺も気になる。あんなに嬉しそうだった理由は今でもわかっていないのだ。

 

「まあまあ、みんな。浅村君も困ってるよ。一緒にご飯食べるのだって初めてなんだし、他の話をしよう」

 

 平田が助け舟を出してくれる。間違いなくいいやつだ。裏がなくても好きになれる。

 

「確かに浅村君と一緒にご飯食べるのって初めてだね。いつも休み時間とか放課後いなくなっちゃうから気になってたんだ。他のクラスの女子でも漁ってたの?」

 

 どうやら軽井沢は平田の話を聞いていないらしい。話が変わっていないのがその証拠。

 しかも困ったことに、内容が若干否定しづらい。他のクラスの様子を見に行っていたのは事実だ。

 とはいえ、そんな不埒な目的だったら俺はDクラスから出ない。Dクラスには堀北がいるのだから。

 

「いやいや、図書館とかを見に行ってたんだ。立派な施設が多いし、なんだか物珍しくてさ」

「なるほどね。せっかく一緒のクラスになったんだし、浅村君とも仲良くなりたいって思ってたんだ。よかったら、みんなで遊びに行かない?」

 

 平田……。誘いを何度も断ってったのに誘ってくれるなんて、イケメン度が半端ない。

 今まで誘いを断り続けて本当に悪い事をしたと思っている。

 もしここがBL系列の世界で俺の処女を散らすことになるとしたら、それは平田に捧げよう。

 

「いいね、どこ行く?」「カフェいこ、カフェ!」

 

 女子達が放課後の予定を話し始める。

 ようやく平和が訪れた。この状態がいつまでも続いてほしいものだ。

 

 

****

 

 

 放課後になって、平田の提案通りにグループで遊びに行った。そして案の定、カラオケに行った後カフェでひたすら質問責めにあった。

 入学してから数日経ち、新しい環境に慣れてきた頃だ。何か刺激を求めていた中で、俺は格好の餌だったのだろう。

 

 適当に流していたら、またしても平田が助け舟を出してくれたので一緒に脱出。女子達はまだ遊ぶらしいので、2人で帰路についている。

 

 そんな救世主である隣の男、平田が苦笑しながら話し掛けてきた。

 

「浅村君、災難だったね」

「ほんと疲れた……。でも楽しかったよ。今までは誘いを断っててごめん」

「こっちこそ、何度も誘って迷惑じゃなかったかな?」

「まさか。友達が全然できないから嬉しいくらいだったよ」

「でも、須藤君とはよく話してるよね」

「他の人とはあまり話せてないし、須藤ともバスケの話しかしてないけどね」

「それでもうらやましいよ。僕が話しかけても、須藤君はいい顔しないからね。入学式の日、自己紹介の時に嫌われちゃったのかも」

「気にしすぎじゃない?平田ならすぐに仲良くなれるでしょ」

「……そうだと、いいんだけどね」

 

 俺の認識では平田も須藤もキーパーソンだ。平田が自力ではどうしようもないという状況だったら、俺が仲を取り持ってやろう。

 

 その後も平田と話しているうちに、目的地である寮へと到着。

 平田と別れて部屋に戻った俺は、急いで着替えて夕食の買い出しに出発。

 みんなで出かけたから予定より遅くなってしまった。無料の鶏胸肉が残っていれば良いんだけど。

 

 そうしてスーパーに到着したので、真っ先に無料のワゴンへ向かう。視界に捉えた鶏胸肉は残り1つ。生き残りがいた事に安堵しつつ伸ばした。

 それを買い物カゴに入れようとすると、妙な力が働いて抵抗される。

 不思議に思って手につかんだ鶏胸肉を確認すると、それを掴んでいるもう1つの手があった。

 その手を辿ると肘、肩、首、顔、毛髪のない頭頂部が確認できた。この男は知っている。

 AクラスのHAGEだ。

 

「話すのは初めてかな?Dクラスの浅村大地。よろしくね」

「……Aクラスの葛城康平だ。何度か見かけたが、確かに話したことがなかったな」

 

 葛城康平。

 入学数日にして、クラスをある程度掌握しているリーダーシップ、そして特徴的な外見を持つ男。

 Aクラスで俺がキーパーソンと見なしている人物の1人。

 体付きを見るに、運動は平凡の域を出ないだろうが頭はいいのだろう。インテリHAGEというわけだ。

 

「…………」

「…………」

 

 そんなHAGEと1つの商品を掴んで見つめ合う俺。堀北相手なら大歓迎だけど、男とこんなイベントがあっても困る。

 仮に男を相手にするなら平田だと、既に決めてしまっているというのもある。

 というわけで、ここは譲ることにしよう。

 そう考えて鶏胸肉から手を離す。

 

「……譲ってくれるのか?」

「うん、今日は他の商品を買うことにするよ。葛城とは1回話してみたかったんだ。一緒に回ってもいいかな?」

「‥‥‥ああ、構わないが」

 

 俺は鶏胸肉をリリースして、キーパーソン葛城との交流チャンスを得た。

 

「葛城は何か部活は入るのかな?」

「いや、生徒会に立候補しようと思っている」

「そういえば1年も生徒会に入れるんだったね」

「浅村は何をするか決めているのか?」

「俺はしばらくはいいや。身の回りのことで精一杯だし」

 

 そんなことを話しながら、買い物を済ませて帰路に就く。

 ふと葛城が足を止める。

 

「少し話せるか、浅村」

「ん、どうしたの?」

 

 あちらから話を振られるとは思っていなかった。もしかして鶏胸肉返してくれるのだろうか。

 

「浅村は、何度かうちのクラスの様子を見に来ていたな?」

「よく見てるね。確かにAクラスには何度か行ったよ。他のクラスにどんな生徒がいるのか気になってさ」

「……それで、Aクラスでお前の眼鏡に適った奴はいたか?」

 

 まさか、俺が有能そうな生徒の目星をつけているところまで理解してるとは。侮れない相手だ。

 

「……そうだな、まず1人は坂柳有栖」

「なるほど、坂柳か」

「もう1人は葛城康平、君だ」

「……………………すまない、俺はストレートだ」

 

 ……?

 ……??

 何を言ってるんだ、お前はHAGEだろう???

 

「申し訳ないが、お前の気持ちには応「葛城、何か勘違いしてない?」……そうなのか?」

 

 

 葛城はどうやら、俺の行動を女漁りだと認識していたみたいだ。

 仕方ないので、他クラスの生徒を観察していたことを素直に説明。変な勘違いされるよりは断然マシだ。

 

 

「そうだったのか。妙な勘違いをしてすまなかったな」

「それは構わないけど。どうして女漁りだと思ったのか、聞かせて欲しいな」

「今日、ある噂を聞いてな。Dクラスの浅村が教師達を口説いたと」

 

 ふぁっきゅー、星乃宮。

 

「入学してまだまもない。そんな時期から複数の教師を口説く浅村という男は、恋多き人間だと思えてな」

「そんな男が頻繁に自分のクラスの様子を窺っていたら、気にもなるか」

「そんなところだ」

「一応目につかないように様子見てたつもりだけど、そんなにわかりやすかった?」

「いや、Dクラスの特定の生徒をうちの教室の近くで頻繁に見かける。その理由が他に思い当たらなかった」

 

 鎌をかけられたということか。やってくれる。

 

「うちのクラスに、何人かお前を気にしている女子がいてな。その生徒達から浅村の出現報告がよく上がっていた」

「ごめん、迷惑だったかな?」

「そんなことはないはずだ。連絡先を知りたがっていたが」

「それならよかった」

「ところでさっきの話だが、坂柳と俺が眼鏡に適った、というのは?」

 

 忘れてくれたら御の字だったけど、そう都合よくはいかないのが世の常。

 隠すほどの話でもないけど。

 

「変な意味はないよ。俺から見て、Aクラスで特に優秀な生徒が君と坂柳だったんだ」

「確かに、俺にはその自負がある」

「生徒会に立候補するんだし、それくらいでないとね」

「それでなぜ、他のクラスの観察などしていたんだ?」

 

 流石はインテリHAGE、いい質問だ。頑張ってごまかそう。不良品呼ばわりされないためにも。

 

「他のクラスの友達を作りたくてね、どうせなら尊敬できそうな人がよかったんだ。早速、1人作れた」

「……面と向かって言われると、少しこそばゆいな」

 

 残念ながら男のデレは求めていない。ただ堀北のデレだけを求めているのだ。

 

「よかったら連絡先交換しない?違うクラスで何かしら助け合えることがあるかもしれないし」

「ああ、よろしく頼む」

 

 図らずも葛城の連絡先をゲット。

 

 その後は、お互いのクラスの様子や葛城の妹の話をしながら寮に戻った。

 

 どうやら葛城は、インテリ、HAGEの他にシスコン属性も有していたようだ。

 こんな濃いキャラがモブなわけがない。

 ……友達になったし、濃いとか薄いとか言わないようにしよう。

 



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4.

 プールの授業。早くも水着イベントの到来だ。

 

 現在は4月中旬。普通の高校ならばプールの授業を実施するような時期とは言えない。

 だが生憎とこの高校は普通ではなく、政府が力を注いでる日本有数の進学校である、らしい。

 今使っているプールも屋内50mという贅沢な造りだし、金を持っているのは確かだろう。

 

 「ヤッベェよ、櫛田ちゃんの胸。やっぱでかいなぁ、水着たまんねえ!」

 「バカお前、本人に聞こえるだろが」

 

 池や山内の声が聞こえてくる。何やら心配しているようだけど、それは無用なものだ。バッチリ本人の耳に入っているのだから。

 それより君達、水着がどうとかではなく、綺麗な女子達とプールに入れるというシチュエーションそのものにもっと何かあるのではないか。やれ胸がどうだとか、大した問題じゃないから。……嘘、ちょっと見栄張った。

 それにしても、あの2人は時々目に余る。朝からDクラス女子巨乳ランキングとかを作って、周囲を気にせず騒いでいたし。

 女子の半数が授業を見学するようだけど、あの騒ぎは聞こえていただろうし当然の反応だ。

 

 そんな中でも真面目に授業へ参加している麗しき堀北。

 今日もデイリーミッション『堀北との会話』にチャレンジするとしようか。

 

「4月から水泳の授業があるなんてね、小学校の時だったら大喜びしてたんだけど」

「私は昔から、好きでも嫌いでもなかったわ」

 

 返事はしてくれるものの、会話を広げづらいこの雰囲気。

 できればソロで攻略したいところだけど、まだ難しいのでフレンドの綾小路に救援を求めることに。

 

「俺も中学校からはそこまで好きでもなくなったかな。綾小路はどう?プールは好き?」

「特に好きでも嫌いでもないな」

 

 返事はしてくれるものの、会話を広げづらいこの雰囲気!!

 入学当初、俺を含めた3人でぼっちトライアングルを教室の隅に形成していただけのことはある。

 俺はぼっちではなかったけど。

 

「綾小路君と浅村君、何か運動はしていたの?」

 

 珍しく堀北から話を振ってもらえた。

 筋肉がお好き?結構、ではますます好きになりますよ。

 

「いや、別に。中学は帰宅部だった」

「へぇ、綾小路ってトレーニングとかしてないんだ?それでその体つきとは羨ましいよ」

「……どう見ても浅村の方が筋肉あると思うぞ」

「そりゃあ鍛えてるからね」

 

 綾小路はああ言っているけど、どう考えても鍛えている体格だ。

 ともあれ俺は、鍛えていることを堀北にアピールしてその反応を見る。

 これでリアクションが薄いようなら食事の量を減らして、平田のような細マッチョ路線に切り替えなければならない。

 

「確かに浅村君、凄い体しているわね」

 

 これはどうなんだろうか。好感触と捉えていいのだろうか。

 もう少し確認したかったけど、体育教師から召集がかかってしまった。

 

「よーしお前ら、集合しろ!」

 

 流石に体育を担当しているだけあって、その先生はかなり鍛えられた体つきだ。

 水泳の先生って、創作のジャンルによっては女子に不埒なことやアァンなことするをから心配していたけど、この人は大丈夫そうに思える。

 なんというか情熱を感じるのだ。ちょっと暑苦しいくらいに。でも筋肉では負けられない。

 

「見学者は15人か。ずいぶん多いようだが、まぁいいだろう」

 

 そう言って先生が見上げた先あるのは、2階の見学席。件の女子達がこちらを見下ろしている。

 

「早速だが、準備体操をしたら実力を測る。泳いでもらうぞ」

「先生、俺泳げません!」

 

 1人の男子が手を挙げる。なぜそんなに堂々としているのかと聞きたいくらいに威勢が良い。

 

「俺が担当するからには、必ず夏までに泳げるようにしてやる。安心しろ」

「別に泳げなくてもいいですよ、海なんて行かないし」

「そうはいかん。今は苦手でもいいが克服はさせる。泳げるようになっておけば、あとで必ず役に立つぞ。必ず、な」

 

 『必ず』、恐らくはキーワードだ。どのタイミングかはわからないけど、何かしら水泳技能を使うイベントがあるのかもしれない。

 全員強制参加水泳大会とかであることを切に願う。海の真ん中に放り出されて、『自力で生還しろ』とかは極力やめて欲しい。

 

 

 そんなこんなで全員が準備体操を始める。池がチラチラと女子を窺っているけど、バレバレだ。

 甘すぎる。視線制御がガバガバだ。バレないように観察するならば、自然な動作の中で観察対象を視界の端に一瞬捉える程度に抑えるべきなのに。

 とある女子曰く、男のおっぱいチラ見はバレバレらしい。だけど俺は相手と話すときに、顔を見ながら視界の端に胸を捉えているから問題ない。

 もし俺にこの技術がなかったら、葛城と会った時もあからさまに頭頂部をガン見して不興を買っていただろう。

 

 そんなことを考えていたら準備体操を終えて、全員が1度ずつ50メートルを泳がせられた。

 それも終えたあと、先生の指示で男女別で50メートル自由形で競争することに。俺この世界に生まれて、さっき初めて泳いだのですが……。適当にやろうかな。

 

「あぁそうだ。1位になった生徒には俺から特別ボーナス5000ポイントを支給するぞ。1番遅かったやつは補習だがな」

 

 勝負に手抜きなんて許されるはずがない。男たる者、敗色濃厚な勝負であっても全力で挑むべきである。

 俺は負けるつもりなんてないけど。

 

「まず女子からだ。人数が少ないから、1番タイムの速かった奴が優勝ということにする」

 

 その間男子はプールサイドに座り込み、女子の競泳を見学することになった。ほとんどが体育座りなのはなぜだろうか。

 

 結果は1位が水泳部女子の小野寺、2位は堀北だった。堀北は運動神経がいいらしい。

 

「次は男子だな。3組に分けてタイムを計り、上位5人で決勝を行うぞ」

 

 まずは1組目、須藤、綾小路、その他。

 せっかく話すようになった仲だし、声援くらい送ってやろう。

 

「須藤と綾小路。2人とも頑張りなよ」

「まあ見てな浅村。ブッチギリで1位取るからよ」

「ビリにはならんよう頑張る」

 

 綾小路は相変わらずやる気がない。本気を出せば1位も狙えるだろうに。これは須藤が1位で確定だ。

 

 そうして1組目が終わり、結果は予想通りの須藤1着。先生から水泳部へ勧誘されているほどダントツだった。

 運動についてはやっぱり飛び抜けているようだ。まあ負けないけど!

 

 そして2組目、俺、平田、その他。

 スタート台に立つと歓声が響いた。俺と平田に向けたものが半々くらいだ。

 ちなみに女子に限ると、平田向けがかなり多い。ただ、須藤の俺への声援がそれを覆している。

 女子5人分以上の声量だぞ、あのエールは。

 

「平田君、頑張って!」

「負けんなよ、平田」

「浅村君、腹筋すごーい!」

「浅村ぁ、負けたら承知しねぇぞ!」

 

 須藤は、俺のことを応援してるんだよな?

 

 そんなことを考えていたら笛が鳴ったので、咄嗟にスタート台から飛び出す。

 

 今生2度目のクロールは、明らかに先ほどよりも馴染んでいた。これなら須藤にどやされずに済む。

 

 終始先頭を維持したまま、無事にゴール。平田は俺より2秒以上遅れての到着だったけど、それでも残りの奴らよりは遥かに速かった。

 どうやら俺の筋肉が強すぎたらしい。

 

「……23秒81。浅村、お前部活はやっているか?」

「いえ、今は入っていないです」

「未熟な部分はあったが、それでこのタイムは驚異的だ。お前なら高校生日本一も夢じゃない。是非水泳部に入ってくれ」

「えっと、検討してみます」

 

 この世界が水泳漫画の世界観だったら喜んで入るけど、その線はかなり薄い。学校の仕組みが特殊すぎるのだ。

 すみません、水泳の先生。あなたの筋肉は嫌いじゃなかったけど、この世界観が悪いのだよ。

 

 そんなことを考えていたら、須藤が声を掛けてくる。

 

「んだよ、お前。めちゃくちゃ速えじゃねえか」

「まぁほら、鍛えてるし。例え須藤だろうと5000ポイントは譲らないから」

「バァカ、俺だってまだまだ本気じゃねえ。負けるかよ」

「そっか、決勝が楽しみだね」

 

 須藤とは1秒近くタイム差があるが、こいつは本気で俺に勝つつもりでいる。

 ガッツあるよなぁ、こういうやつ好きだわ。主人公ポイント結構高い。

 

 そんなことを考えながら須藤と話しているうちに3組目が終わったようだ。先生が驚いた様子でストップウォッチを二度見している。

 

「23秒22……だと……」

「ふふ、私の腹筋、背筋、広背筋は好調のようだ。悪くないねぇ」

 

 ……泳ぎに夢中で、高円寺のことが頭からすっかり抜けていた。

 ところであの先生、計測の度に驚いている気がする。他のクラスはそこまでタイム速くないのだろうか。

 

「須藤、どうやら他にもライバルが居たみたいだよ」

「関係ねえ、全員まとめてぶっ倒すだけだ」

 

 今の台詞は主人公ポイントが低い。ちょい強めの脳筋敵キャラが言いそうなやつだ。

 

「燃えてきたぜ……!」

 

 かと思えば、主人公ポイント爆稼ぎの台詞を言い放つ須藤。判断に困るキャラだ。

 

 

「やあ、レディーキラー。君もなかなか素晴らしい泳ぎをするじゃないか」

 

 高円寺がこちらに向かって何か言っている。おそらく須藤に話しかけているのだろう。睨みつけるだけで弱気な生徒、例えば佐倉さんあたりは殺せそうな目をしているし。

 

「んだテメェ、少し速かったからって調子乗ンなよ」

「わからないのかい、ボーイ。私も彼もまだ全力を出していないのだよ 」

 

 残念ながら、レディーキラーという名称は俺を指していることが確定してしまった。泣いてもいいだろうか。

 

「あ?浅村、お前手ぇ抜いてたのかよ?」

「抜いてないよ。泳ぐのが久しぶりだったから、本調子じゃなかったかもしれないけど」

 

 普通に本気出してあのタイムだった。にもかかわらず高円寺は俺より早かった。神様じるしのチートスペックなんだけど。

 

「次は本調子であることを願っているよ、レディーキラー」

「……そのレディーキラーって呼び方、やめて欲しいな。すごく恥ずかしい」

「私が決めた呼び名だ。恥じることなどないさ」

 

 わかっていたけど、高円寺はまともに取り合ってくれない。

 

「それなら次のレースで勝負しよう。それで俺が勝ったら、その呼び方をやめてくれないかな?」

「私がその申し出を受けるメリットがないね」

「そうだね。でも、俺が本調子になれる気がする」

「……ははっ!いいだろう。私が満足したら違う名前で呼ぶとしよう」

 

 さて、負けられない理由が1つ増えた。5000ポイントは頂くし、呼び名も正すのだ。

 

「よーし高円寺、浅村、須藤、平田、三宅は位置につけ」

 

 

 

 俺にとっては今生で3度目の水泳。体はさらに馴染んでいるはずだ。チートスペックを信じよう。

 

 響く合図の笛。それを聞いた俺は、人間の限界を超えた反射速度でスタートを切った。

 

 会心のスタートだ。泳ぎながら視界の端で高円寺を捉える。僅かにだが俺の方が速い。

 

 50mの直線だ、駆け引きなんて不要。体の出力の違いを見せつけてやるだけだ。

 

 そう考えながら、息継ぎのために顔をあげる。堀北が食い入るようにこちらを見ていた。

 

 

 

 

 堀北がこっちをガン見してるなんて珍しい。これはチャンスだ。是が非でもかっこいいところ見せてやろう。

 具体的に言えば、高円寺をぶっちぎるのだ。

 

 

 いや待て。前世で見た「恋が冷める瞬間特集」に『水泳の息継ぎの顔を見た瞬間』が入っていたはずだ。

 ……ダメだっ!!それはダメだ!!さっきまで右側向いて呼吸してたけど、左側に変更!!!!

 

 

 極めて重大な理由によって、呼吸のルーティーンが乱れた。ほんの僅かながら、こちらの加速の伸びが失われる。

 

 もう高円寺の方を確認する余裕なんてない。ゴールに手が届くまで全力で泳ぎ続ける。それだけだ。

 

 そして、決着の時が訪れた。

 

 

「…………21秒89、浅村と高円寺の同着だ」

 

 

「小野寺さん、あのタイムってどのくらい速いの?」

「……ちゃんとは覚えてないけど、あと少し速かったら日本記録だと思う」

「え、あの2人そんなにすごいの?」

「多分、日本で1番速い高校生だよ」

「……マジ?」

 

 

 ちょっとやりすぎたかもしれない。ただ、そんなことより今は確認しなければならないことがある。

 

「あの、先生?同着の場合は高円寺と俺に、それぞれ5000ポイントずつ貰えますよね?」 

 

 

 ほぼ全員が俺を変な目で見てくる。いや、大事なことでしょ。

 

 

 

「ははっ、ここまでやるとはね。いささか驚きだよレディーキラー、いや、大地」

 

「俺もだよ。……勝ったと思ったんだけどなあ。ま、名前で呼んでくれるならいいんだけど」

 

 

 

 

 

 

 

「浅村、高円寺。20万ポイントずつやるから、今すぐ水泳部に入部してくれ」

 

「え、えっと、検討してみます……」

 

 

 先生の勧誘を断るのに、すごく苦労した。

 

 

****

 

 

 授業は終わり、放課後。軽井沢グループにドナドナされた俺は、なんとか逃げ出してきた。

 平田が部活本格的に始めたからなのか、最近絡まれる頻度が増えた気がする。

 聞いた話だと、平田と軽井沢が付き合い始めたらしい。おめでとう。

 まだみんなには内緒だとか。これぞ青春、いいぞもっとやれ。このまま平和な雰囲気が続けば御の字だ。

 

 

 そうして部屋についた俺は、荷物を抱えて急いで出かけた。なんか前も似たような状況あった気がする。デジャヴだろうか。

 

 

 

 目的地は図書館。閉館時間前に、なんとか滑り込めた。

 さっさと持参した本の返却処理を済ませて、今日借りる本をピックアップしていく。

 閉館間際ということもあり、人はほとんどいない。

 

 DIY、医療、機械工学、薬学、植物図鑑、動物図鑑、アウトドア解説、調理、保健体育、化学、物理学etc。

 分野にまとまりが無さすぎるけど、何が必要になるかわからない以上は仕方がない。

 アウトブレイクやアポカリプスがいつ発生しても生き抜けるように、いろいろなジャンルを読み漁ろう。

 

 

 数分後、両手が埋まるほど大量の本を確保した。

 いつもならこれで終わりだけど、今日は小説も借りるつもりなので別の一画へ向かう。

 目当ての本はドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』。

 

 

 

 突然だけど、俺は堀北に結構話しかけている。それでも未だに友好関係を築いたとは言えない。

 堀北は休み時間は1人で本を読んでいて、きっかけを掴みづらいというのが大きい。

 その堀北が読んでいる本がドストエフスキー著『罪と罰』であることと、今回の俺の本のチョイスとは全く以って関係ない。

 ただ単に、前世で読んだモノと同じ内容か確かめたかっただけであり、それ以外の思惑なんて存在しない。

 本を接点にお近づきになったり、あわよくば話しかけてもらおうなんて軟弱者が考えることだ。

 

 

 

 そんなことを考えていると目当ての本がある小説コーナーへ到着。そこでは閉館間近にも関わらず、女子生徒が本を読んでいた。

 図書館でよく見かける1年Cクラスの生徒だ。目があったので会釈だけして、目的の本を手に取った。

 そのまま受付へ向かおうとすると、その女子生徒に声をかけられる。

 

「ドストエフスキー、読まれるのですか?」

「ん?そうだね。有名どころは大体読んだよ」

「いつも実用書や専門書ばかり読まれていたので、小説には興味がないのかと思っていました」

 

 確かに、転生してから小説の類は全然読んでいない。

 いざという時を想定して、知識を頭に詰め込むことしか考えていなかったのだ。

 

 ちなみに俺は、本をパラパラめくるだけで内容が頭に入ってくる。

 分厚い本も1時間もあれば読み切ってしまうのは流石だ。これぞチートスペック。

 最初は図書館でひたすらパラパラしていたけど、周りから変な目で見られたのでここ最近は借りることにしていた。

 

「新入生の方ですよね?同じクラスに本を読む方がいないので、つい声をかけてしまいました。Cクラスの椎名ひよりと申します」

「Dクラスの浅村大地、一応初めましてかな。よく図書館で見かけていたけど、椎名さんは本が好きなの?」

「ええ、ずっと読んでいたいくらいには。実際、放課後はここか部屋で小説を読んでいますし」

 

 そう言いながら、手に持っている本を見せてくる。

 

「‥‥‥それは、レイモンド・チャンドラーか。まだ読んだことがないな」

「普段はどういったものを読まれますか?」

「基本的に雑食だけど、強いてあげればSFだね」

「SFですか。そちらはあまり読んだことがないです」

「察するに、推理物が好きなのかな?それなら『星を継ぐ者』は是非読んで欲しい。人類最大の謎を解き明かす小説なんだ。俺のイチオシ」

「ふふ、今度読ませていただきますね」

 

 そんなことを話していたら閉館時間が迫っていたので、慌てて借りる本を受付に持っていった。

 毎日のように大量の本を借りていたせいか、受付の司書に怪訝な顔で見られた。いつものことだ。

 

 

 そして次の日、俺は堀北に本のタイトルが見えるような、そんな姿勢でカラマーゾフの兄弟を読んだ。

 1度も堀北からは話しかけてもらえなかった。

 



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5.

 入学直後は、誰もが緊張を保っている。

 ただ、時間が経てば気が緩む人間も出てくるだろう。

 少なくとも、Dクラスには大量発生していた。

 

 

 入学から2週間が経過した辺りで、Dクラスでは授業中に寝る、携帯を弄る、大声で喋る、これらが当たり前の様に行われていた。

 進学校でも寝てるやつとかはたまにいるけど、携帯触るのとか大声で話すのは完全アウトでしょ。寝てるやつも、授業内容がわかってて退屈ってパターンが結構あるし。

 良く寝てる須藤は勉強は全然ダメらしい。ギャップ狙いの隠れインテリキャラかもと思って聞いてみたけど、違った。

 他の不真面目組についても、多分勉強ができるわけではないと思う。不真面目な生徒がいるのはよくあることだけど、なぜ教師はそれを咎めないのだろう。普通は、サボってる生徒をあてて問題を解かせたり、口頭で注意するなりして矯正するはずだ。

 

 

 ちなみに俺は星乃宮先生にすごくあてられる。真面目に受けてるのに。保健体育の授業だから結構答えづらい。マジふぁっきゅー。

 

 

 そして高校には、中学とは違い留年がある。

 茶柱先生に留年のことを聞きに行ったが、例の如く教えてもらえなかった。

 ただ、1年のクラスはAからDまで全て定員通り40人だったし、上級生のクラスは40人に達していないクラスばかりだった。

 何かしらの基準を満たせなかった場合、普通は留年になるところでも、この学校だと退学になるかもしれない。授業中の態度が査定に含まれている可能性は大いにある。そもそもおダブリさんになるのも嫌だろう。

 そういった内容を付き合いのある須藤や軽井沢達に話した。須藤は授業中に寝ているけど遅刻は減った、軽井沢達は相変わらずだ。

 平田にも話して、クラス全体に注意喚起をしてもらった結果、他者の迷惑になる授業中の私語については全員控えることになった。私語がなくなった分、みんな携帯いじってるけど。チャットしてるでしょ、絶対。

 

 

 結局、かなりのクラスメイトが授業を真面目に受けないまま、4月最後の日を迎えている。

 

 

 休み時間が終わり、次の授業担当の茶柱先生が入ってきた。

 

「今日はちょっとだけ真面目に授業を受けてもらうぞ。月末だからな、小テストを行う」

 

 俺にもテスト用紙が回ってくる。茶柱先生の担当科目以外も、というか主要5科目の問題が載っているテストだ。

 

「えぇ、抜き打ちかよ〜」

「安心しろ。今回のテストは今後の参考用だ。成績表には反映しない。ノーリスクだから安心しろ」

 

 よかった、ノーリスクか。点数次第で命をもらう、みたいな展開だったら須藤あたりは危ない。友達だから助けたいけど、『ショーシャンクの空に』みたいな脱出ルートを須藤と脱出するのはちょっとな。堀北とならいける。

 

 テストが始まり、パパッと全問解き終える。内容はほとんどが簡単なモノだったが、一部の設問は異常に難易度が高かった。

 

 

 ‥‥‥いびきがうるせぇ、須藤。

 

 

****

 

 

 放課後、俺と綾小路は櫛田につかまっていた。

 

「私ね、堀北さんと仲良くなりたいんだ」

 

 わかる、わかるぞ櫛田。俺も堀北と仲良くなりたい。

 

「でも、なかなかうまく行かなくて‥‥‥」

 

 わかる、わかるぞ櫛田。俺もあまり仲良くなれていない。

 ただ俺が堀北に声をかけた時は、それなりの反応がある。櫛田はかなり冷たく拒絶されていた。

 つまり俺の方が堀北と仲が良い。はい、俺の勝ち。

 

「だから、堀北さんとよく話している綾小路君と浅村君に手伝って欲しくて」

 

 そうか、俺と堀北は仲良しに見えるか。良いやつだなお前、なんでもやるぞ。

 

「あー、できればどうにかしてあげたいけど、方法が思いつかないな。綾小路、何かアイデアある?」

「いや、オレも思いつかない」

「実はね、方法は考えてあるの」

 

 堀北と俺達が一緒にカフェに行き、そこに偶然現れた櫛田が相席する。

 櫛田のプランは、そういった内容だった。

 堀北とカフェに行く、か。とても魅力的な提案だが、問題があるな。

 

「ごめん櫛田さん、今日軽井沢さん達からカフェに誘われて断っちゃったんだよね、俺」

 

 なんでもやると言ったな、あれは嘘だ。

 そんなことより軽井沢達が最近、遠慮と言うものをしなくなってきた。普通に俺にタカろうとする。缶ジュースくらいならともかく、500円もするドリンクなんて到底おごってやる気にならない。俺の弁当の3倍近い値段だぞ。学生が飲む物じゃないよ。

 

「あー、それだと行きづらいね。綾小路君はどうかな?」

「‥‥‥オレはそう言うのはないけど」

 

 綾小路がチラッと後ろを見る。池と山内が血走った目で、物陰からこちらを見ていた。

 

「じゃ、よろしくね綾小路!櫛田さんも頑張ってね」

 

 俺はその場を離れることにした。綾小路のことを信じているからだ。

 綾小路が少し恨めしそうな目でこちらを見ていたのは、気のせいだろう。あいつ感情をあまり表に出さないしな。

 

 

 

 堀北が孤独な状況は、平田も気にしている。だからってわけではないけど、櫛田の作戦がうまくいって欲しいとは思っている。けど、正直厳しいと思う。堀北の櫛田への態度は明らかに、他の人間に対してのそれよりも厳しかった。

 人気者への嫉妬って感じには思えないし、隠れた因縁があったりするのかな。

 

 

 

 ともあれ、今日の買い出しだ。いざスーパーへ。無料鶏胸肉は俺のものだ。

 

 

 

 スーパーに着くと、無料鶏胸肉を手に取っている須藤を見かけたので声を掛ける。

 ソイツヲヨコセ。

 

「須藤がカップ麺以外を買うなんて珍しいね、自炊にでも目覚めたの?」

「あ?浅村か。いや、ポイントほとんど使っちまってよ、カップ麺も買えねえんだ」

 

 ‥‥‥ポイント使い切ったのか、こいつ。

 

「10万も何買ったのさ?」

「ボール、バッシュ、食いもん、あと春樹に言われてゲーム買ったな」

「あー、バッシュ結構高いもんな」

「明日ポイント入るから、今日は誰かに借りようと思ったんだけどな、春樹も寛治もポイント全然残ってなくてよ」

 

 山内と池か、あいつら何に使ったんだ?須藤はバスケ関連あるからわかるけど。

 

「浅村、明日返すからポイント貸してくんね?」

「‥‥‥初日のカップ麺代、まだ貸したままなんだけど」

「あー、それも明日返すわ」

「追加融資の申し込みは、受け付けておりません!その代わり、俺の部屋に来れば夕飯くらい出すよ」

「お、マジか。頼むわ」

 

 

 

 

 ちなみに今日のメニューは、茹でた鶏胸肉、ブロッコリー、豆腐、茹で卵!

 

 須藤に文句を言われたが、知ったことじゃない。

 バランスが悪い?うるさい、タンパク質は何よりも優先されるんだ。

 

 

****

 

 

 5月最初のホームルーム、その開始を告げるチャイムが鳴って、茶柱先生がやって来る。

 先月までとは違い明らかに険しい表情をしている。イベントかな?

 

「せんせー、生理でも止まりましたか?」

 

 池が空気を読まずに発言する。勇気あるなお前。

 

「これより朝のホームルームを始める。その前に質問はあるか?気になることがあるなら今聞いておけ」

 

 池の発言に構わず、茶柱先生が口を開く。

 それを聞き、何人かの生徒がすぐに手を挙げた。その中の1人、本堂が発言する。

 

「今朝確認したらポイントが振り込まれてなかったんですけど。そのせいでジュース買えませんでした」

 

 そう、今朝のポイントは、昨日から1ポイントも変動していなかった。

 他のクラスメイトに確認しても同様だった。

 

 ていうか、お前もポイント使い切った勢かよ。

 

「本堂、前に説明したはずだ。ポイントは毎月1日に振り込まれる。今日も問題なく振り込まれたことは確認済みだ」

「え、でも‥‥‥。ポイント増えてませんよ?」

 

 生徒達が顔を見合わせた。

 

「‥‥‥お前らは本当に愚かな生徒達だな」

 

 茶柱先生の雰囲気が変わる。怒りか、あるいは悦びか。

 咄嗟に、袖に仕込んでいる裁ち鋏に意識を向ける。

 

「ポイントは振り込まれた。これは間違いない。このクラスだけ忘れられていた、と言うこともない」

「いやでも、実際に振り込まれてませんし‥‥‥」

 

 本堂は戸惑いながらも訊ねる。

 不意に、高円寺が笑う。

 

「ははは、理解できたよ。私達Dクラスには1ポイントも支給されなかった、ということか」

「なんでだよ?毎月10万ポイント振り込まれるって‥‥‥」

「私はそう聞いた覚えはないね。そうだろう?大地」

 

 こっちに振るな。最近表情筋がオーバーワーク気味なんだよ!

 

「高円寺の言う通りだ。私は毎月10万ポイント振り込まれるとは説明していない」

 

 

「先生、質問良いですか?」

 

 平田が手を挙げる。さすがDクラスが誇るイケメンだ。率先して役割を果たしていくな。

 

 

 平田は、ポイントが振り込まれなかった理由を茶柱先生に問う。

 

 何十回もの遅刻欠席、何百回もの授業中の私語や携帯弄り。

 

 そういった行為がクラスの成績としてポイントに反映されて、結果的にポイントは支給されなかったことを、茶柱先生は淡々と説明した。

 

 計算式はわからないけど、マイナスの値が10万ぴったりってことはないだろうなぁ。足りない分は体で払ってもらう、とか言わないよね?

 

「4月の半ばで多少は改善したようだが、それでも話にならん。入学式の日に説明したな、この学校は実力で生徒を測ると。その結果お前達は0という評価を受けた」

 

 そう言うと、茶柱先生が厚手の紙を黒板に貼り付ける。その紙にはAからDクラスの名前、それと共に数字が記載されていた。

 Aクラス940、Bクラス650、Cクラス490、そしてDクラス0。

 

 綺麗に数字が並んでいた。アルファベット順にポイントが減っている。

 

「この評価に100を掛けた数値が、毎月生徒に振り込まれることになっている」

 

 つまり、Dクラスの俺達には、0ポイントが振り込まれたのだ。

 

「なぜ、ここまでクラス間での差があるんですか?」

 

 平田が当然抱くだろう疑問を投げる。

 

「この学校では、優秀な順にクラス分けされている。優れた生徒はAへ、ダメな生徒はDへ。つまりこのDクラスには不良品が集められたと言うわけだ」

 

 この説明、少し引っかかるな。Aクラスは確かに優等生の集まりだったが、B、C、Dで1番優秀な生徒にAクラス全員が優っているとは思えない。

 とりあえず、不良品ってこのことだったんだな。‥‥‥そっか、魔力とかスキルとかはないのか、この世界。いや、残念じゃないけどね?

 

「そもそも、あれだけヒントがあって、数人しか気付かないことが嘆かわしい」

 

 そう言って、茶柱先生がこちらを見る。

 

「浅村、お前は入学2日目でクラス分けの意図やポイントについて気づいていたな?」

 

 こっちに振るな。最近表情筋が(ry

 

「‥‥‥‥‥‥」

 

 クラスの視線が俺に集まる。なんとなく、唯一生徒のいない方、窓側を見る。

 今日はいい天気だなぁ。‥‥‥窓ガラスにこちらを向いてるみんなの顔が写ってる。こっち見んな。あ、堀北は見てていいよ。相変わらず可愛いね。

 

 とりあえず、無視するわけにもいかない。

 

「確信があったわけじゃありません。全てが予想通りってわけでもないですし」

 

 クラス分け理由も、魔力あたりの要素を未だに少し疑ってた。いや、まだ諦めてないけど。

 

 俺の返事に満足したかわからないが、茶柱先生は各クラスの数値を指差しながら説明を続ける。

 

「この数値は、毎月支給されるポイントに連動する他に、各クラスのランクに反映される。仮にお前達のクラスポイントが950だったら、Aクラスに上がっていた」

 

 わかりやすい。問題はどうやって、クラスポイントを増やすのか、だ。

 ハリーポッターみたいに、先生がポイントくれるのかな。もしそうなら、星乃宮先生へ全力で尻尾を振ってもいいぞ、俺は。

 

「もう1つ、お前達に伝えることがある」

 

 そう言うと、茶柱先生は別の紙を黒板に貼り付ける。そこにはクラスメイト全員の名前、そして名前の横に数字が記載されていた。

 

「これは昨日やった小テストの結果だ。一体中学で何を勉強してきたか聞いてみたいものだ」

 

 それは俺も聞きたい。パッと見、ほとんどが60点前後か。‥‥‥ん、須藤14点!?ま、まあ後で勉強見てやろう。そういえば、開始10分で寝てたもんなあいつ。

 

「これが本番だったら、7人は退学していた。小テストでよかったな、お前達」

 

 そう言って、点数順に並んでいる名前、その下から七番目の名前の上に赤線を引く。

 

「はぁ!?退学とか聞いてねえよ、先生」

 

 25点の山内が立ち上がり叫ぶ。‥‥‥こいつ、他の高校でも、退学はなくても留年してそう。

 楽しそうにしている高円寺が口を開く。

 

「ティーチャーが言うように、このクラスには愚か者が多いようだねぇ」

 

 煽るなよ、俺も似たようなこと思ったけど。

 

「何だよ、お前だってどうせ赤点だろ!」

「ふっ、どこに目がついてるのかね。よく見たまえ」

 

 高円寺の名前は、上から2番目に載っていた。幸村、堀北と同じ90点、同率2位だ。

 勉強も運動もできるなんて、堀北すげえな!高円寺?あいつはなんか、別枠だから。

 

「マジかよ、須藤とおんなじバカキャラだと思ってた‥‥‥」

 

 俺も思ってた。だけど違うみたいだな、完全に有能キャラだ。性格に難がありすぎるけど。

 

「座れ、山内。話を続けるぞ。この学校では、中間と期末のテストで1科目でも赤点を取ったものは退学になる。今回のテストで言えば32点未満の生徒だな」

 

 茶柱先生が具体的な数値を説明する。

 また微妙な数字だな。普通は30、40あたりのきりのいい数字を設定するはずだ。わざわざ『今回の』って言っているのも引っかかるし、確かめるか。

 質問するために手を挙げる。

 

「なんだ、浅村」

「次回のテストも、赤点は32点に設定されますか?」

「テストの結果次第だ。赤点基準はそのクラスの平均点÷2に設定される」

「小数点以下の数値については?」

「四捨五入される。この小テストならば平均点が64.4、その半分の32.2を四捨五入した数字の32点が赤点となる」

 

 やっぱり落とし穴あったか。やめてほしい、そう言うの。

 

「最後に、テストの点数は0点より低くなることはありますか?」

「いや、テストの点数は最低でも0点だ」

「わかりました、ありがとうございます」

 

 

 

 

 戸惑っている生徒に構わず、茶柱先生は説明を続けていく。

 

 クラスポイント は0未満にはならないこと。

 この学校は卒業後に希望の進路を保証しているが、その恩恵は卒業時にAクラスに在籍する生徒のみ受け取れること。

 

 2つ目の説明は、多くの生徒に衝撃を与えたようだ。

 

「浮かれた気分は払拭されたか?中間テストまでは後3週間、お前らが赤点を取らずに乗り切る方法はあると確信している。熟考して、退学を回避してくれ」

 

 そう言って茶柱先生は退出した。

 

 

 

 クラスの雰囲気が、重い。

 赤点組達は全員下を向いている。

 他の生徒も、Dクラスに配属された不満を口にしている。

 

「一旦落ち着いて、みんな聞いてくれ」

 

 やっぱり頼りになるイケメンだな、いいぞ平田。

 

「授業が始まるまで、時間がない。放課後、今後のことについて話したいんだ。みんなできるだけ参加して欲しい」

 

 時間をおいて、みんな少しは冷静になるといいんだけど。

 結局話し合いには、クラスの3分の2程が参加するようだった。

 俺も勉強会に参加することを伝えて、次の授業の準備を始める。

 

 

 

 

 

 ‥‥‥Aクラスで卒業後の進路って、どこまで保証されるのかな。俺、総理大臣になりたいんだけど。

 

 

****

 

 

 放課後、教室に残った生徒で今後の話し合いを始める。

 須藤や堀北はいない。綾小路は茶柱先生に呼び出しを喰らっていた、何かやらかしたのかな。

 

 まず、平田が口を開く。

 

「来月は必ずポイントを獲得したい。そのためには、遅刻欠席や授業態度をこれまで以上に改めるのはもちろん、中間テストでもいい結果を取らないといけないと思うんだ」

 

 まあ、そう考えるよな。ただ、その前に確認したい。発言権を求め、手を挙げる。

 

「何かな、浅村君」

「話の途中でごめん、先生が言っていた退学回避の方法についてなんだけど、1つ案がある」

 

 何人かの生徒が期待するようにこちらを見る。小テストで赤点をとっていなくても、不安に思う生徒は多いだろう。

 

「方法は簡単。全員0点を取ればいい。少なくとも、赤点未満の生徒は出ないよ」

 

 平均点が0点なら、退学になる点数は0点未満。全員が協力すれば、退学者は出ない。

 

「‥‥‥それは‥‥‥」

「現実的じゃないのはわかってる。選択肢として共有したかっただけで、俺もこの方法が取れるとは思っていないよ」

 

 そもそも、40人全員が協力できるとも思えない。どっかの高円寺とかが裏切った瞬間、みんな仲良く退学だ。

 期待してこちらを見ていた生徒が、再び下を向く。なんか、ごめん。

 

「うん、ありがとう。他のみんなも何か思いついたら、どんどん言ってほしい」

 

 そのまま話し合いは進み、勉強会を開催する流れになった。

 成績の良い生徒が講師になり、成績の振るわない生徒に勉強を教える形式だ。

 

「浅村君、講師役をお願いしたいんだけどいいかな?」

 

 まあ、俺に話が回ってくるよね。小テスト100点だったから。

 

「ごめんね。なるべく協力したいんだけど、約束はできない。須藤とかに勉強教えようと思ってるんだ」

 

 須藤は相変わらず平田にキツく当たる。あの様子では平田主催の勉強会には参加しないだろう。他にも何人か平田に苦手意識を持っていそうな生徒はいる。こんなイケメンなのに、なぜみんな嫌うんだ。

 

 平田も、俺の考えをわかっていたように応じる。

「わかった。須藤君達にも、なるべく参加してもらうよう声はかけるから」

「よろしくね。中間の模擬テスト作成とか、手伝える部分は手伝うから」

 

 

 

****

 

 

 次の日の昼休み、俺は堀北から声を掛けられている。夢かな?

 

「浅村君、もし良かったらお昼一緒に食べない?」

「喜んで」

 

 表情筋が総力を上げて、にやけそうな顔を押さえ込む。

 若干受け答えも怪しいが仕方ない。だって嬉しいんだもん。

 遂に、俺にも春が来たかな?まあ今はちょうど5月なんだけど。

 

 

 先に食堂で待っていてほしいとの事だったので、席を確保して座っている。

 めっちゃ見られている気がするが、許してやろう。今日の俺は気分がいい。

 そわそわしながら待っていると、待ち人がやってきた。

 

 

 

 

「ごめんなさい、待たせたわね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 堀北の隣には、綾小路がいた。

 

 なんでや。

 

 

 




誤字脱字修正大変助かります、ありがとうございます。
どんな機能か知らなかったのですが、いいモノですね。


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6.

 昼休み

 

「浅村君と綾小路君。あなた達に話があるの」

 

 うん

 

「私はAクラスに上がりたい。そのためにはまず、クラス全体が中間テストで良い結果を残す必要がある」

 

 うん

 

「小テストで赤点だった須藤君、山内君、池君の3人。彼らは平田君の勉強会へ参加しない様子だった。そうでしょう?」

 

 うん

 

「だから、私も平田君のように勉強会を開こうと考えているわ」

 

 うん

 

「つまり堀北、お前は須藤達を救済するために勉強会を開くってことか?」

「その通りよ、綾小路君。だから綾小路君は山内君と池君へ、浅村君は須藤君へ声をかけて欲しいの」

 

 そうか

 ほかのおとこめあてにおれをよんだのか

 

「浅村君は、平田君とのパイプにもなってくれるでしょうし」

 

 すどうだけじゃなく

 ひらたまでも

 

「どうかしら?頼めるのはあなた達しかいないの」

 

 窺うようにこちらを見てくる堀北。

 はい、可愛い。いろいろあって少しばかり呆然としていたけど復活だ。他でもない堀北の願いだし、聞かない選択肢はない。俺達しかいないなら仕方ないな!

 

「もちろん協力するさ。こっちからお願いしたいくらいだし」

 

 堀北と勉強会を開けるなんて最高のシチュエーションだ。是非とも肩が触れ合うくらいの距離で勉強を教えてもらいたいし、1つのノートを一緒に覗き込みたい。引っかかることはあるけど、須藤のためになるという点でもありがたいことだ。

 

「ありがとう浅村君。綾小路君も、もちろん協力してくれるわよね?」

「いや、オレは「その定食、誰の奢りだったかしら?」‥‥‥わかった」

 

 何を隠そう、綾小路が食べているデラックス定食は堀北の奢りなのだ。定価は1000P、俺の弁当の五倍以上。女の子に貢がせるとか酷い男と言わざるを得ない。

 

「浅村君にも、何かお礼をするべきだと思っているのだれど」

 

 そう言いつつ、こちらを見てくる堀北。俺は毎日弁当を持参しているので、綾小路のようにはいかないから悩んでいるのかもしれない。堀北との勉強会自体がご褒美みたいなものだけど、どうせならお願いしてみるか。

 

「別にお礼なんてなくても気にしないけど、そうだね。もし嫌じゃなかったら、今度一緒にカフェへ行かない?」

 

 デートしよう、放課後デート。休日でも一向に構わないけど。

 

「…………」

 

 堀北から返事がない。それどころか、眉をひそめている始末だ。‥‥‥そんなに嫌なのだろうか。

 

「あー‥‥‥堀北。浅村の誘いなら、櫛田は関係ないと思うぞ」

 

 綾小路が助け舟を出してくる。そういえば櫛田の作戦で、2日前に綾小路と堀北はカフェに行っていた。なら、堀北は同じような事態にならないかを懸念しているのだろう。

 

「……そう、なら構わないわ。都合の良い時に声をかけてくれるかしら」

 

 良かった。本気で嫌がられていたら、呼吸することをやめてたかもしれない。

 とりあえず、カフェに行くのは中間が終わってからだ。

 

「勉強会については、こちらで準備しておくわ。それと浅村君、聞きたいことがあるのだけれど」

 

 デートの約束を取り付けたので、今の俺は大変気分がいい。だからなんでも答えよう。ちなみに、好みのタイプは黒髪ロングでちょっとツンツンしてる人だ。

 

「昨日茶柱先生が言っていたわね。浅村君は2日目でクラス分けやポイント、Sシステムについて気付いていた、と。あれは事実なのかしら?」

 

 Sシステム、クラスポイント に関連するルールの総称だ。

 ……昨日から散々クラスメイトに聞かれて、正直その話には飽き飽きしている。堀北からの質問だからきちんと答えるけど。

 

「先生にも言った通りさ。予想していたこともあったし、そうじゃないこともあった」

「なら、どこまでが予想通りだったの?」

「……まずは、月ごとに支給されるポイントが変動すること。これは堀北さんも気付いていたんじゃない?」

「そうね。あなたが毎月の支給額について茶柱先生へ確認した時、もしかしたらとは考えていたわ」

 

 流石堀北、モブにあるまじき洞察力だ。メインヒロインか、はたまた主人公か。少なくともキーパーソンであることは確実。

 

「支給額の変動はいいとして、クラス分けの方は?」

「上級生が話しているのを、偶然耳に挟んだだけだよ」

「……他にも気付いていることがあるんじゃないかしら?例えば、ポイントの使い道についてとか」

 

 実に鋭い。いろいろ疑っているのは事実だ。ただ残念ながら、今のところは変わった使い道を見つけていない。

 限られた客しか知らない売店、みたいなものも見当たらなかったし。

 

「何かしら裏があるんじゃないかとは疑ってるけど、よくわかったね」

「初日に変な質問をしていたでしょう?最初はふざけた人だと思っていたけれど、浅村君が意味のないことを聞くとは考えづらいし」

「といっても、普通の買い物やサービス以外での使い道は見つけてないんだけど」

 

 R18の世界観ならポイントで春を買うとかがありそうなものだけど。今のところ見つかっていない。俺が買おうとか、そういった不埒な考えを持っているわけでないことはいうまでもないだろう。あくまで調査のためだ。

 

 

「それで?一体どうしたら入学2日目でその考えに至るのかしら?」

 

 堀北の目つきが鋭くなった。赤みがかった色の瞳が、射抜くようにこちらを覗く。とても綺麗なおめめだ。

 

「あなた、この前の小テストで1人だけ100点を取っていたわね。水泳の授業でも凄まじかったし、きっと他の運動もできるのでしょう?」

 

 覚えてくれてるなんて、嬉しいことこの上ない。やっぱり堀北は運動できる人がタイプだったりするのだろうか。

 

「人付き合いにも特に問題があるように見えない。そんなあなたが、なぜDクラスなのでしょうね?」

 

 身に余る高評価をされている上に、俺のことを知りたがっているくれている。とても嬉しく思うと同時に、申し訳ないという思いも抱いてしまう。クラス分けの基準がわからない以上、その質問には答えられないのだ。

 

「評価してくれるのは嬉しいけど、クラス分けをしたのは学校だからね。何かしらの理由があって俺をDクラスに決めたんじゃないかな。運動、勉強、人付き合いの三拍子が揃ってる平田だってDクラスだし」

 

 性格も容姿もイケメンで、Aクラスでもなかなかお目にかかれない優等生。それが平田だ。

 櫛田にもそこそこ当てはまるけど、堀北の前で彼女の話題はNGな気がする。

 

「……まぁいいわ。とりあえず2人とも勉強会に関して、3人へ声をかけてくれるかしら?私はテスト範囲の絞り込みをしておくから」

 

 お任せあれ。

 

 

 

 そんなわけで次の休み時間、俺は早速須藤に声を掛ける。

 

「須藤、ちょっといい?」

「んぁ?どした浅村」

「実はさ、勉強会を開くことになったんだ。須藤も参加しない?」

「‥‥‥行きたくねぇな、平田のやつだろ?」

 

 なぜだか嫌われてしまっている平田。ワンマングループだった俺のことを気にかけてくれたし、とてもいいやつなのに。

 

「いや、それとは別。堀北さんが開くやつ」

「堀北?あいつもよくわかんねぇからな。断る」

 

 思った通り、帰ってきたのは拒絶だ。予想していたのだから、当然誘う手段は考えてある。

 

「……須藤、まだカップ麺代返してもらってないよね?」

「あぁ?100ポイントかそこらだろうが」

「まぁ聞きなよ。勉強会に参加してくれれば、その件はチャラにする。そしたらまた必要な時にポイントを貸してもいい」

 

 追加融資はしないというのが俺の方針。それを強調してから、須藤の肩に腕を回してさらに語りかける。

 

「バッシュがダメになった時とか、どうするつもり?借りる相手いるの?」

「……わかった、参加するからひっつくな」

「よろしく、詳細は決まったら連絡するから」

 

 何か、一部の女子から熱い視線を感じたけど、気のせいだろう。

 

 

****

 

 

 数日後、図書館で1回目の勉強会を開いている俺達。当初の予定とは違い、須藤、山内、池の他に櫛田や沖谷も参加している。沖谷は赤点ではないけど、ギリギリだったらしい。パッと見女子に見える系男子だ。主人公に近いポジションにこういったキャラがいるケースは、結構多い気がする。

 予定の3人以外が参加する事になって、実は一悶着あった。沖谷の参加は簡単に許した堀北だけど、なぜか櫛田には難色を示したのだ。櫛田のうまい立ち回りで、結局押し切られていたけど。

 

 そんなこんなで、教師役の堀北が連立方程式の解説中。履修時期は中学2年生あたりだったはずなんだけど。

 

「以上、理解できたかしら?」

 

「……」

「……」

「……」

「うん、なんとか」

 

 沖谷は理解した反応を示すものの、残りの3人から返事がない。ちょっと、いやだいぶ3人の勉強してないレベルを舐めていた。

 数秒の沈黙の後、須藤がシャーペンを放り投げながら口を開く。

 

「ダメだ、やってらんねぇ」

 

 こちらの用意した教材を全く理解できないことがストレスなのだろう。投げやりな態度だ。それを見て、堀北の怒りのボルテージが上がっていくのは見て取れた。

 自分が手間を割いて教えているのに投げ出されたら、確かに腹が立つだろう。

 

「も、もうちょっと頑張ってみようよ。解き方がわかれば、後は応用するだけだから。ね?」

 

 櫛田が必死にフォローしている。とてもいい子だ。なんでDクラスなのだろうか。昔タバコでも吸っていたのだろうか。

 

「そんなこと言ってもさ、櫛田ちゃん。さっきから全然わかんねぇもん」

 

 池が櫛田の胸を見ながら返事をする。相手の目を見て話せ、と言ってやりたい。

 

「……あまりに無知すぎるわ。こんな問題も解けずに、将来どうしていくのかしら?」

「うっせえな、お前には関係ねぇだろ。勉強なんざ将来何の役にも立たないんだよ」

「確かに私には関係ないことね。やる気のない人に労力を割いても、時間の無駄だったわ」

「せっかく来てやったってのに、好き勝手言いやがって。こんなことしてるくらいなら、バスケの練習した方がよっぽどマシだったぜ」

「そうやって苦しいことから逃げ続ける人が、大成するとは思えないわ。バスケットにしても自分に都合の良いルールで取り組んでいるのでしょうね。私が顧問なら、あなたをレギュラーにはしない」

 

 ‥‥‥しまった、止め損ねた。いつの間にか、互いに相手の努力を否定し合うまでに発展している。

 先に我慢できなくなった様子の須藤が立ち上がり、堀北に詰め寄る気配を見せた。2人が接触する前に、須藤の腕を掴んで引き止める。

 

「須藤、落ち着いて」

「離せ浅村!テメェこいつの味方すんのか!?」

「そうじゃない。でも手を出すのはダメだ。バスケができなくなるよ?」

「‥‥‥クソが」

 

 幸い荒事にはならなかったものの、須藤は自分の荷物を鞄に詰めてから図書館を出て行ってしまった。

 

「堀北さん。俺、ちょっと須藤と話してくるね。後で連絡するから」

 

 そう言ってから荷物を急いでまとめて、須藤の後を追う。流石に今日の勉強会はお開きだろう。

 

 

 

 

 

 追いついた須藤は当然荒れていたから、それはなんとか落ち着かせた。その後に堀北へ連絡したけど出てもらえず、折り返しの電話もない。

 綾小路へ確かめたら、予想通り勉強会は解散になったみたいだ。

 次回の開催もかなり怪しいと言っていた。

 

 

 

 そんなこんなで今は1人。少し考えたいことがあったので、なんとなく歩き回っていた。

 いつの間にか日は落ちて、かなり遅い時間になっている。

 流石にそろそろ部屋へ戻らなければ。

 

 

 

 そう考えて遠くに見える寮に向かっていたら、妙な人影があった。

 近づく前にそれは見失ってしまったけど、建物の裏から僅かに話し声が聞こえる。

 イベントだろうか。今日はいろいろあったから、面倒そうならスルーしたいのが本音なんだけど。

 ただ、この時間帯のイベントは未経験。とりあえずは、夜のイベントに遭遇した場合のプラン通りに動こう。

 ということで隠密接近ドクトリンを選択。身を隠しながら様子を見にいくと、物々しい雰囲気が感じとれた。

 物陰から覗きこむと、そこにいたのは1組の男女。女子の手首を男子が押さえた状態で何かを話していた。

 

 これはやばい。状況が緊迫していることもそうだけど、遠目に見えるあの女子は堀北だ。貞操の危機かもしれない。

 

 急いで距離を詰めると、会話の詳細が聞こえてきた。

 

「お前のことが周囲に知られれば、恥をかくことになるのはこの俺だ。今すぐにこの学校を去れ」

「で、出来ません……っ。私は、絶対にAクラスに上がって見せます……!」

「愚かだな、本当に。昔のように仕置きが必要か?」

 

 そう言うや否や男が動きを見せた。前に引かれて、少しだけ宙に浮く堀北の身体。

 あれはまずい、そう判断して咄嗟に飛び出す。

 間一髪で堀北を投げようとしている男の手首を掴み、動作を押さえ込んだ。

 突然乱入した俺に対して、堀北が驚きの声を上げた。

 

「あ、浅村君……っ!?」

 

 俺に手首を掴まれた男は、こちらへ鋭い眼光を向けて問いかけてくる。

 

「何だ?お前は」

 

 初めて目にした男の相貌は、どこか堀北に似ていた。

 

「それは俺の台詞。こんな時間にこんな場所で、堀北さんに何をしてるんだ?」

 

 R18系イベントかと危惧したけど、違うかも知れない。

 この男、恐らくは堀北の親類だろう。

 

「出来の悪い妹にしつけをしているところだ。邪魔をするな」

「……しつけにしたって、やりすぎだよ」

 

 妹、ということは堀北の兄貴か。‥‥‥俺が止めなければ、かなりの勢いで堀北を叩きつけていただろう。

 

 堀北は以前からこんな仕打ちを受けていたのだろうか。

 

 そんな事を考えたら、手首を掴んでいる手に思わず力が入ってしまう。

 

「……っ!」

 

 男の腕が軋み、その顔が僅かに歪んだ。

 

 顔を伏せていた堀北が、こちらを見る。

 普段の様子からは想像がつかない弱々しさで。

 

「やめて、浅村君……」

 

 その声を受けて我に返り、堀北兄の手を渋々離す。

 瞬間、自由になった拳が俺の顔へとてつもない速度で放たれた。

 

 上半身を反らし、仰反るようにその拳を避ける。

 男は奇襲が失敗したことなど意に介さず、続け様に足払いを仕掛けてきた。

 反れた体幹を利用して後ろに飛び、両手を地面に突いてそれを回避。

 

「‥‥‥随分身軽だな。突然の攻撃にも動揺せず、さらにはその握力。何かやっているのか?」

 

 バク転で2連撃を回避した俺へ、掴まれていた手首の調子を確かめながら問いかけてくる堀北兄。

 魔法や刃物が出て来る世界観も想定しているのに、体術程度で驚いたらアホ丸出しだ。

 

「いろいろと鍛えてるんで」

「‥‥‥なるほど、お前が浅村か。鈴音と同じクラスだったな」

 

 堀北兄は、ゆっくりとこちらへ向き直りつつ口を開く。俺の話なんてまともに聞いてない様子だ。

 

 とりあえず、いきなりの事態で呆然としている堀北に代わって回答する。

 

「仲良くさせてもらってるよ」

「鈴音、お前に友達が居たとは。正直驚いた」

「浅村君は……友達ではありません。ただのクラスメイトです」

 

 …………え?少しは仲良くなってきたと思ってたんだけど。

 ………………ま、気にしても仕方ない。これからも頑張ろう。

 

「相変わらず、孤高と孤独を履き違えているようだな」

 

 確かに堀北は、すごくツンツンしている。

 綾小路と俺以外を相手にまともな会話をしている光景なんて1度も見たことがないのだ。そんなところも好き。

 

「浅村。お前のような奴がいるのならば、少しは面白くなるかもしれないな」

 

 そう口にしつつ俺の横を通りすぎ、闇へと消えていく堀北兄。完全に見えなくなるその前に、足を止めてからもう一度口を開いた。

 

「上のクラスに上がりたいのなら、死に物狂いで足掻け。それ以外に方法は無い」

 

 

 

 

 

 堀北兄が去り、残った俺達を静寂が包む。堀北は壁際に座りこんで俯いたままだ。

 事情を知らないから、些か声をかけづらい。だからと言って、このまま去るわけにもいかないんだけど。

「‥‥‥どこから聞いていたの?」

「堀北さんのお兄さんが、学校を去れって言っていたあたりから。散歩の帰りに見知った人影が見えて、気になったんだ」

 

 俺の返事を聞いて、再び俯き黙り込む堀北。ここは踏み込んでみよう。

 

「人の家族についてあまり言いたくないけど、さっきのはどうかと思う。前からあんなことをされているの?」

「……兄さんのことを悪く言わないで。私が至らないから、しつけられていたのよ」

 

 何をされそうだったか理解ているだろうに、平然と言い放つ堀北。

 本人がそう考えている以上、こちらが言えることはない。

 俺をいきなり攻撃してきたことに関しては、別問題だけど。

 

 

 そのまま暫く黙っていたら、こちらを見上げて堀北が問いかけて来た。

 

「浅村君、あなた何かやっていたの?荒事の心得があるように見えたけれど」

「生まれてからこれまで、殴り合いなんてしたことないよ。適度な運動を心掛けているくらいかな」

「……それだけで、兄さんの攻撃を咄嗟に対応出来るとは思えないわ」

「たまたまだよ。あんな目に遭ったのは初めてだし」

「そう、まともに答える気は無さそうね」

 

 堀北が俺に半目を向ける。一応、本当のことを話しているんだけど。

 

「あの、浅村君……。さっきのことは先生や他の人達には……」

 

 堀北は、先程のイベントについて口外しないことを要求している。

 そこまであの兄を庇うのはなぜだろうか。

 心酔しているからか、それとも何か弱みを握られているからなのか。

 気になるけど、ここはひとまず引くべきだ。

 

 

 バラされたくなければお前の体を、とか言ったらどうなるんだろうか。もちろん言わないけど。

 

 

「わかった。堀北さんがそのつもりなら、俺は何も言わない。ただ、何かあった時には相談して欲しいな」

「……相談するようなことなんて無いわ」

「ならいい。もう遅い時間だし、そろそろ戻ろう」

「そうね。この状況を誰かに見られたら、勘違いされてしまうもの」

 

 はい、俺も最初は勘違いしていました。凌辱または露出プレイかも知れないと。

 カメラ起動してバッチリ撮影しちゃってたのがその証拠だ。

 

 

 

 

 そうして部屋に戻る俺と堀北。寮のエレベーターを待つ間、わずかな時間だけど勉強会について話してみよう。

 俺があいつらの面倒を見ればそれで済む話でもあるけど、堀北と一緒にいるチャンスを逃すわけにはいかない。

 それとは別で、確かめたいこともある。

 

「そういえば、勉強会はもう開かないつもり?」

「……言ったでしょう。やる気のない人に時間を割いても無駄になるだけよ」

 

 正直、堀北の気持ちは理解できる部分もある。

 今まで勉強するべきだった時間、何をしてきたのだろうか。

 須藤はバスケをしてたんだろうけど。

 

「1度失敗したくらいで諦めるのは早すぎない?」

「そこまで言うのなら自分で面倒を見ればいいでしょう?悔しいけれど、小テストの点数もあなたの方が上。十分に叶うはずよ」

「俺1人で教えるより、堀北さんと2人で教えた方が効果的だよ。俺が声をかけて、今日来た人が全員来てくれるとは限らないし」

 

 須藤だけならどうにかできそうだけど、山内や池からは明らかに距離を置かれている。

 平田の勉強会に参加しなかったあの2人が、俺の勉強会に来るとは思えない。

 

「今日の件で険悪になった私が声をかけても同じでしょう。それに、彼らに労力を割くメリットを見出せないわ」

「本当にそう思ってる?」

「ええ、当然よ」

 

 それは多分違う。恐らく堀北は、一時の感情で目を曇らせているだけだ。

 周囲と距離を置き続けていた堀北が、わざわざ自分から声を掛けてまで勉強会を開いた。

 心の底では、1度の失敗で諦めていいだなんて考えていないだろう。

 

「ひとつ聞いてもいい?堀北さんはAクラスに上がりたいと言っていたよね。卒業後の進路の保証のためなのか、それとも自分の価値を認めさせたいのか。どっちかな?」

「…………後者よ。私には、追いつきたい人がいるの」

 

 追いつきたい人。さっきの男、堀北兄のことだろう。

 憧憬と畏怖の対象である男の前だから、あんな弱々しかったのか。正直ちょっと興奮した。

 

「なら、あいつらに労力を割くメリットはあるよ。不良品の集まり呼ばわりされているDクラス、その中でも特に勉強の出来ない層を更生させることができたら、それは堀北さんの評価につながると思わない?」

 

 俺の言葉を聞いて、黙り込む堀北。

 

「それにこれから先、あの3人が活躍する場面だってあるかも知れない。須藤は運動能力が突出しているからわかりやすい。池や山内にしても、優れた一面を隠し持っているかも。今回はたまたまあいつらの苦手な状況だった、それだけのことじゃないか」

 

 この先、何かしらの異能に目覚めた山内や池が無双するかも知れない。

 その時のために、少しでもあいつらの好感度を稼がねば。

 このままだと粛清されそうな予感がある。平田は確実に粛清されるから、それを逃す算段もほしい。

 

 

 俺の説得を聞いた堀北は、口を閉じたままだ。納得していないのだろう。

 ‥‥‥あの男の言いなりにはなりたくなかったけど、仕方ない。

 

「死に物狂いで足掻け。さっき、そう言われたろ?」

 

 堀北兄が立ち去る際に放った言葉。

 堀北の様子を見るに、効果は抜群みたいだ。

 

「…………彼等の素質についてはともかく、私のメリットについてはわかったわ。須藤君も含めて、私からもう1度話してみる」

「よかった。なら、一緒に頑張ろう」

 

 

 思ったより長話になった。

 

 待っていたエレベーターは既に到着していたので、2人でそれに乗りこむ。

 

 

 

 

 

 ……堀北とその兄貴以外に、隠れてこっちを見ているやつがいたな。結局出てこなかったけど。

 

 狙いは堀北か?それとも俺か?

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 次の日の放課後、俺は生徒会室を訪れていた。

 

「取引しませんか?生徒会長」

 

 昨日の夜、撮影した動画を再生しながら。

 



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7.

 今は放課後、場所は生徒会室。生徒会長である堀北の兄と2人っきりだ。

 

 連絡を取ろうといろいろ調べて、今日初めて名前と顔を知った。なんという衝撃の事実。

 知る必要がなかっただけで、決してガバではない。

 

 俺の右手には、昨日撮影した華麗な戦闘シーンを再生している端末。

 何をしているのかというと、欲しいものがあるので堀北兄におねだりしているのだ。

 あくまでお願いであって、決して脅迫ではない。

 

 保険があるとはいえ、結構リスキーなことをしている自覚はある。完全にアウェーだ。

 だけどポイントに余裕が無く上級生にツテもない俺が、欲しい情報を入手する方法なんて他に思いつかない。それとは別に、この人ときちんと会っておきたかったのもある。

 

 目の前に座っている人間、堀北の兄は恐らく敵ではない。根拠は昨日去り際にこの人が残した台詞。『死に物狂いで足掻け』、あれってわざと辛くあたってるけど、実は応援してるキャラが残すやつだろう。

 おそらく隠れシスコン枠。だから多分大丈夫なはず。そもそも堀北みたいな妹を可愛がらない人間が存在するはずない。つまり俺の行動は実質ノーリスク。問題ないのだ。

 

 

 なおこの場合、『妹に近づく虫は潰す』パターンは考慮しないものとする。

 

 

「それで、何が欲しいんだ?」

 

 決定的な証拠があるにも拘わらず、堀北の兄は全く動じない。ちなみにフルネームは堀北学、学お義兄さんだ。

 俺が昨日の件をバラしても揉み消す自信があるのか、それともブラフなのか。どちらかはわからないけど、見事なポーカーフェイスだ。正直、昨夜襲われた時よりもずっと怖い。やっぱり来るんじゃなかった。そもそもこの人は本当に高校生なのだろうか。とりあえず一言だけ、妹さんを僕に下さい。

 

「3年生全クラス、そのクラスポイントの変遷を教えてください。期間は現3年生が入学してから現在まで、です」

 

 別の3年生と交渉した時は、到底払えないポイントを要求された。吹っかけられたのか、その情報を保持してる人が少ないのか。俺の予想では後者。

 

「‥‥‥ポイントを要求されるものだとばかり思っていたが」

「確かにポイントは死ぬほど欲しいですけど、今回は我慢します」

「ふむ。いいだろう、クラスポイントの情報は用意する。条件は昨日の出来事を一切他言しないことだ。その動画も消去してもらう」

「わかっています。動画のバックアップはありませんし、昨日の事は誰にも話していません。‥‥‥はい、消去しました」

「結構、情報については今日中に送るから番号を教えろ」

 

 そうしてお互いの連絡を交換する。これで第2目標の『生徒会長の連絡先を入手』もクリア。第1目標は『クラスポイント情報の入手』だから、2つの目標をクリアしたことになる。

 他の人からも同じ情報を買って裏を取ればより確実なんだけど、残念ながら当てが無い。とりあえず、この人がシスコンであり堀北の味方であることを信じよう。でも怖いから早く帰りたい。というわけで(略

 

「お忙しい中ありがとうございました。それでは」

「‥‥‥やけにあっさりしているな?」

 

 帰ろうとしたら呼び止められた。さっさと退散したいのに。こんなところにいられるか、俺は部屋に戻るぞ!

 

「中間試験が迫っているので、勉強しないといけないんです。退学は怖いですから」

「小テストは満点だったと聞いてるが?」

「それでも絶対はないでしょう、心配症なんですよ」

 

 この人が指パッチンしたら黒服サングラスの厳つい男が5人くらい現れたりしないか、って考えるくらいには心配症なのだ。

 とそんなことより、なんで俺の点数把握しているのだろうか。

 

「まあ良いだろう。お前には期待しているぞ」

 

 何を期待しているのかわからないけど、とにかく思わせぶりな態度はやめて欲しい。自分から動いたせいで、流れが読みにくいのだ。

 この人が俺に期待していることって中間テストで全科目満点を取る、とかではないのだろう。

 

 

 結局、堀北学のことをどのくらい信用していいのか。その判断材料は手に入らなかった。

 昨日の堀北への仕打ちについて思うところはあるけれど、堀北へのスタンスが確認できたらすぐにでも味方にしたい。それが本音だ。昨日の堀北と俺を見ていた視線が気にかかる。

 

 あの視線の主について。

 

 昨夜俺達を見ていた存在、仮に監視者と呼ぼう。監視者は直接視認してはいないけど、人外の線まで考慮していられないので、とりあえず人間と仮定する。

 少なくとも昨日は、監視者は複数人ではなく単独で行動。常にそうなのか、背後に何らかの組織がいるのかは不明。そもそも敵かどうかすら定かでは無いのが現状だ。

 ただ、堀北学の行動を見過ごしていたから、堀北に好意的な存在とは言い難い。堀北学がいなくなった後もこちらを監視していたことから、恐らく堀北学が目当てではないだろう。そうなると残る目標は2人、俺か堀北だ。俺が狙いならそまだいい。自分の身を守るだけならどうとでもなる。だけど堀北を守るのは俺1人では限界があるのだ。何かしらの後ろ盾が欲しい。

 

 ‥‥‥監視者、単なるハイスペック覗き野郎だったりはしないだろうか。仮にそんな奴がいたら、それはそれで問題だけど。

 

 

****

 

 

 数日後、堀北は櫛田に協力してもらって須藤、山内、池の3人を勉強会再開のために呼びつけていた。あそこまで拒絶していた櫛田に自ら協力を依頼するなんて、大した変わり様だ。堀北の本気が見て取れる。前回は綾小路や俺を使って勉強会を開いたけど、今回は自分から意向を伝えるらしい。

 

「あなた達、平田君の勉強会に参加していないみたいね。このままだと退学になるわよ」

 

 堀北が言うように、この3人は平田主催の勉強会にも顔を出していない。

 俺は堀北の勉強会が無くなって時間が確保できてからは、平田組の方に講師として参加しているけど。そちらにも、須藤レベルではないものの赤点取りそうな奴が何人かいる。そいつら用のカリキュラムを組むのは結構な労力だった。どこまで理解できてるか洗い出すのに、それなりの時間がかかってしまうのだ。

 

「相変わらず偉そうだな。お前は何様なんだよ。俺はバスケで忙しいんだ。勉強なんてテスト前にやりゃ十分だ」

 

 堀北に須藤が噛みつく。俺は須藤がキレた時に止めるだけで、口は出さない。

 

「ねえ、須藤君。もう1度一緒に勉強しよ?一夜漬けでも乗り切れるかもしれないけど、ダメだったら大好きなバスケットができなくなるよ?」

 

 大したコミュニケーション能力だ。荒れてる須藤に話しかけられる女子なんて、堀北と櫛田くらいだろう。

 そして転がし方もよくわかってる。須藤は基本的にバスケを絡めれば説得できるのだ。チョロい。

 

「‥‥‥俺はこの女から施しみたいな真似を受けるつもりはねぇ。この間、俺に吐き捨てた言葉は忘れちゃいねぇからな」

 

 チョロくなかった。バスケットへの取り組みを否定されたせいか、簡単には頷いてくれない。

 須藤に正面から睨み付けられた堀北は、臆すること無く口を開いた。

 

「私はあなたが嫌いよ、須藤君」

 

 はっきり言うものだ。そんなこと言われたらそう考えるだけで俺まで胸が締め付けられる。なぜだか視界まで霞んできた。

 

「けれど、お互いを毛嫌いしていることなんて些細なことでしょう。私は私のために勉強を教える。あなたはあなたのために勉強を頑張ればいい。違うかしら?」

「そんなにAクラスに行きたいのかよ。嫌いな俺を誘ってまで」

「ええ。でなければ誰が好き好んであなた達に関わると」

 

 須藤を煽るのはやめてくれ堀北。それと、その『あなた達』に俺って含まれてないよね?

 

「‥‥‥バスケ部の他の連中は、テスト期間でも練習出てんだ。後れを取るわけにはいかねぇんだよ」

 

 須藤の発言を聞いた堀北は、用意していたノートを取り出して開く。須藤達の今後の学習計画が記載されているノートだ。ホレボレする綺麗な字が書き込まれている。

 

「この前の勉強会で気付いたわ。基礎の出来ていないあなた達に、あんなスタイルではダメだと」

 

 そう言って堀北は、新しい勉強法を説明していく。

 

 須藤達は平日の授業を受ける際、ノートは一切取らずに黒板の文字と先生の声のみに集中。

 堀北がまとめたノートを3人へ渡して、休み時間の間に授業の補足を堀北、櫛田、綾小路の3名が行う。

 

 確かにこの方法ならば、放課後の時間を使うこと無く勉強できる。須藤が部活を休む必要もない。俺も引き続き平田組の面倒を見ることができるという寸法だ。

 

「須藤君。あなたが全力を出しているバスケットを続けていくために、少しだけその力を勉強に回して欲しいの」

 

 それを聞いても、未だみ渋っている須藤。それを見た綾小路が口を開く。

 

「櫛田、オレが50点取ったらデートしてくれないか?」

 

 デートの誘いだ。

 須藤が頷くきっかけ作りだと信じている。色ボケしたわけではないはずだ。

 

「何言ってんだ綾小路!?櫛田ちゃん、俺とデートしよ!51点取るから!」

「は?俺52点取るから!俺とデートしよう、櫛田ちゃん!」

 

 池や山内が反応して、男3人からデートに誘われる櫛田という構図が出来上がった。ジェットストリームアタックかな?

 

「じゃ、じゃあテストで1番点数の良かった人とデートしようかな。私、嫌いなことでも頑張れる人って好きだから」

 

 ここまでくればあと一押し、少しくらいなら口出ししても大丈夫だろう。

 

「櫛田さんとデートするチャンスだってさ。どうする須藤?」

「‥‥‥ったく、仕方ねぇ。俺も参加してやる」

 

 綾小路が作ってくれた口実で、なんとか同意を取れた。ほんと、手がかかるというか。

 

「男子って想像以上に単純な生き物なのね」

 

 呆れたように言う堀北。確かに否定できない。俺は違うけど。

 

 

****

 

 

 堀北の勉強会が再始動してから1週間ほど経過。平田組にかかりっきりの俺は詳しく知らないけど、堀北の提示した新方式はそれなりにうまく回っているらしい。

 休み時間毎に堀北、綾小路、櫛田が赤点3人組に勉強を教えている姿も見慣れてきた頃だ。

 ちなみに須藤が教わっている相手は堀北。‥‥‥俺も赤点ギリギリの点数を取ったら、堀北に勉強を教えてもらえるだろうか。

 

 もう一つの懸念事項である監視者は、俺が堀北学とやり合った夜以降で動きはない。機会を見つけては堀北と行動しているんだけど、特になにも起きないままだ。堀北が1人の時を狙っているのか、俺の考えすぎなのか。

 

 

 そしてやってきた昼休み、堀北組は昼食後に図書館で勉強するらしい。4時間目の授業が終わった瞬間に須藤達3人は走って食堂に向かい、櫛田と綾小路もどこかへ行った。手早く昼食を済ませた堀北も教室を出て行く。やはり図書館か‥‥‥俺も同行する。

 

「堀北さん、図書館で勉強会するのかな?返却する本があるし、須藤達の様子も気になるから俺も行っていい?」

 

 以前行った作戦、カラマーゾフの兄弟を目の前で読んでお近づきになろうとした『僕も読書好きなんですよ、奇遇ですね』作戦は依然継続中だ。ただ、トルストイとかを目の前で読んでアピールしても、全然手応えがない。やっぱり堀北は筋肉の方が好きなんだろうか。

 

「ええ、構わないわ。どうせなら須藤君の面倒を見てもらおうかしら」

「そうだね。ここ最近は須藤のこと任せっきりだったし、俺にできることなら」

 

 須藤をやる気にさせたいのなら、俺に任せろー!バリバリ

 

 

 

 図書館に到着したので、まずは持参した本の返却と新しい本の借り出しを済ませた。

 借りた本を持って確保した机に向かうと、堀北が変な目で俺を見ている。

 

「‥‥‥色々借りるのね。参考書や小説は理解できるけれど、図鑑や釣りの本まで。多趣味というかなんというか」

「読んでみると結構面白いよ?」

 

 これは初めての手応えではないだろうか。それなら作戦を継続した甲斐があるというもの。好意的な反応とは言えないのだ残念だけど。

 

 

 そんなふうに堀北と話しながら勉強会の準備をしていると、須藤、山内、池がやってきた。俺がいることを確認すると、山内と池は少しだけ顔をしかめる。

 なぜそんな反応をするのだろうか。櫛田には近づいていないし、勉強会の補助でむしろ好感度を稼いだと思っていたのに。

 

 そんなことを考えていたら、視界の端に別の2人が。

 

「悪い、店が混んでて遅くなった」

 

 ほんの少しだけ遅れて、綾小路と櫛田がやってきた。2人揃って。その事実に池が疑いの目を向ける。

 

「綾小路、まさか2人で飯食ってたんじゃないだろうな?」

「うん、そうだよ。綾小路君とランチしてたんだ」

 

 綾小路に変わって返事をする櫛田。それを聞いた山内と池が凄まじい表情で綾小路を睨み付ける。

 いいぞ綾小路。2人のヘイトを集めてくれるなんて、流石は俺の友達だ。しかし、いつの間に櫛田とそんなに仲良くなったんだろうか。

 ‥‥‥恋愛マスターとかそこらへんの可能性を考慮したほうがいいかもしれない。とりあえず綾小路の主人公ポイント加算しておこう。あと、堀北の半径5メートル以内に近づかないよう策も練りたい。

 

 

「なんでもいいわ、早くしてちょうだい」

 

 

 そんな堀北の一声で始まる勉強会。俺、堀北、櫛田が講師になり、須藤、山内、池にそれぞれ教えている。綾小路は1人で勉強を進めている。赤点にならないレベルではあるものの。小テストの出来が良くなかったからな。

 

「須藤、theyは複数だからここで使うbe動詞はwereだよ。wasを使うのは単数の場合だね」

「そういやそんな事言ってたな」

 

 少しずつではあるけど、須藤も学習内容を理解してきている。頑張ったな、偉いぞ須藤。

 そんな風に感動しながら勉強を教えていると、2人組の男子がこちらのノートを覗き込みながら声をかけてきた。

 

「おい。お前らDクラスだろ」

「あ、なんだお前ら?なんか文句あんのか?」

 

 須藤がいきなりケンカモードで立ち上がろうとしたので、すかさず押さえた。

 面識はないけど、この2人はCクラスの生徒であることは覚えている。

 

「いやいや、文句はねぇけどよ?底辺と一緒に勉強させられたら、たまんねぇからさ。この学校が実力でクラス分けしてくれて、良かったなって思っただけだぜ」

 

 底辺?堀北が底辺?取り消せよ‥‥‥!!!今の言葉‥‥‥!!!

 

 須藤の肩を押さえたまま、立ち上がる。ポーカーフェイスが維持できてるか少し心配だ。

 

「随分好き勝手言ってくれるね。こっちは真面目に勉強しているんだから邪魔しないで欲しいな。そもそも君達、図書館で何してるんだ?」

「本読みに来たに決まってるだろ、馬鹿か?」

「へぇ?同じクラスに本を読む人はいないって、Cクラスの友達は言っていたけどね。俺も図書館によく来るけど、君達を見かけるのは初めてだ」

「はっ。俺達がいつどこで本読んでようが、どうだっていいだろうが」

「それもそうだね、申し訳ない。君達が本を読むように思えなくて、つい」

「……テメェ!!」

 

 俺の言葉に激昂して、2人組の片方が掴みかかってきた。

 先に殴られたら正当防衛が成立する。なのでここは、仲良く1発ずつ等価交換といこう。ボディに1発、1発だけだから。

 

 

 その目論見を実現するべく、更なる挑発の言葉を口に出そうとしたら。

 

「はい、ストップストップ!」

 

 思わぬ介入が入ってきた。この女子生徒を俺は知っている。Bクラスの一之瀬帆波、入学2日目の時点で目を付けていたキーパーソン候補だ。

 ストロベリーブロンドの長髪、整った顔立ち、ダイナマイトなボディを誇るBクラスのリーダー。これだけの要素を取り揃えているのだから、モブなわけがない。

 

 一之瀬の言葉を聞いたCクラスの生徒は我に返ったようで、掴んでいた俺の襟から手を離してしまう。‥‥‥もう少しだったのに。

 

「そこの君、流石に暴力沙汰は見過ごせないかな。学校に報告されたくないでしょ?」

「わ、悪い。そんなつもりは無いんだよ、一之瀬。‥‥‥おい、行くぞ。こんなところに居たらDクラスの奴らから馬鹿が移る」

 

 馬鹿って言ったほうが馬鹿という言葉がある。つまり。お前らこそ馬鹿なのだ。馬鹿め。

 

 Cクラスの生徒がそそくさと立ち去ったのを見届けた一ノ瀬は、俺に向き直ってから口を開く。

 

「君もあんまり挑発しちゃダメだよ。相手から絡んできたとしても、うまく流さないと」

「挑発するつもりはなかったんだけど、つい言い返しちゃって。いきなり胸ぐら掴まれたからびっくりしたよ」

 

 堀北が半目でこっちを見ている。その目もキュートだね。とてもプリティーだ。

 

「‥‥‥ところで、ちょっと気になったんだけどさ」

 

 一之瀬はそんなことを言いながら、池が開いている歴史の教科書を覗き込む。

 ‥‥‥池。胸元を見すぎだし、鼻の下めっちゃ伸びてるぞ。

 

「そこってテスト範囲外だと思うんだけど、わざわざ勉強してるの?」

 

 ‥‥‥‥‥‥What?

 

 

 



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8.

 昼休み終了まで残り時間が余り無い。けど、今の一之瀬の言葉は放って置けない。

 

「一之瀬さん、そこが範囲外って話、いつ誰から聞いたか教えてくれないかな?」

「え、先週の金曜日に星乃宮先生から言われたんだけど。えっと君は‥‥‥?」

「あ、ごめん。Dクラスの浅村、よろしくね」

「あぁ、君があの浅村君か」

 

 何が『あぁ』で何が『あの』なのか聞きたいけど、それどころじゃない。

 断りを入れてから、葛城へ電話をかける。

 

「‥‥‥あぁ、もしもし葛城?久しぶり。急で悪いんだけど、聞きたいことがあってさ。‥‥‥Aクラスが中間テストの範囲変更を知ったのって、先週の金曜日あたり?‥‥‥‥‥‥それって真嶋先生から聞いたよね?‥‥‥‥‥‥そう、ちょっといつ頃だったか確認したくて。‥‥‥‥‥‥うん、ありがとう。今度何かお礼するね」

 

 一之瀬が言っていたテスト範囲の変更について、葛城にも確認したが同様の答えが返ってくる。

 それを伝えるとみんな言葉を失っていた。俺だってびっくりだ。

 ちょっと予想してなかったな、この展開は。

 

 

 とりあえず勉強会は切り上げて、急いで職員室に向かうことに。全員で向かう必要はなかったけど、あの場にいた堀北組はみんな一緒に来ている。

 もしDクラスでも他クラス同様のテスト範囲変更があった場合、須藤達の努力はかなりの部分が無駄になる。気になるのは当然だろう。

 

 

 そうして職員室へ到着。すぐに中へ入ると先頭の堀北が口を開く。流石に動揺しているのか、少しだけ声が上擦っていた。

 

「茶柱先生、確認したいことがあります」

「取り込み中だ、手短に頼むぞ堀北」

 

 ノートに何かを記入しながら返事をよこす茶柱先生。俺としても手短に済ませてもらって、職員室なんてさっさと退散したい。星乃宮先生が来そうなところにいられるか、俺は教室に戻るぞ!

 

「他クラスの生徒から、中間テストの範囲が異なるという指摘がありました。先週、茶柱先生から伺った中間テストの範囲に間違いは無いでしょうか?」

「‥‥‥ああ、先週の金曜日に中間テストの範囲が変更されていたんだった。悪いな、伝えるのを失念していた」

「そんなっ──!?」

 

 堀北が衝撃を受けている。あそこまで感情が顔に出るのは珍しい。いや、そんな悠長なこと考えてる場合じゃないか。平田組の学習計画を急いで修正しないと。正直言って、かなりまずい。

 なによりも須藤だ。どう考えても時間が足らない。部活を休んで勉強すれば、どうにかならなくもないけど。

 ‥‥‥須藤の点数を部活の顧問にチクって、無理やり休ませるくらいしか手が思いつかない。後ですごく怒られそうだ。カップ麺奢ったら許してくれないだろうか。

 

 茶柱先生への不満が収まらない須藤達を促して、とりあえず職員室から出る。

 教室へ向かう前に、堀北に今後の方針を話しておこう。

 

「さっきの話、平田達には俺から伝えておく。須藤達のことは任せて大丈夫かな?こっちの講師役が足りてるようなら、平田達を見てあげたいんだけど。このままだと、あっちもかなりまずいことになる」

「今のところ足りているから大丈夫よ。平田君達の方をお願いするわ」

 

 そう、手は足りているのだ。ただ、時間がない。山内と池はともかく、須藤には部活を休んでもらわないとどうにもならない。

 それを口にするのを躊躇っていると、須藤が堀北に頭を下げる。

 

「堀北。お前には苦労かけるけど、頼む」

 

 え、誰お前?偽物か?うちの須藤を返せよ!

 他の勉強会メンバーも絶句していた。あの須藤が素直に頭を下げているのを見て、目の前の光景を疑げどのは俺だけじゃないらしい。

 

「明日から1週間、部活休む。それで何とかなるか?」

「‥‥‥本当にいいのね?苦労するわよ?」

「ああ、頼む。大成するには必要なことなんだろ?」

 

 須藤がニヤリと笑いながら、堀北の肩に手を置く。

 ‥‥‥うん、なんだかんだ仲良くなったよな。この2人。

 

 山内と池も次々に決意を口にしているし、やる気に関しては心配なさそうだ。

 

「わかったわ、あなた達に覚悟があるのなら協力する。だけど須藤君──」

 

 堀北は、肩に置かれた須藤の手を振り払ってから言葉を続ける。

 

「私の身体に触れないで。次は容赦しないから」

 

 正直、以前の堀北だったらこの程度では済まなかった気がする。丸くなったと言うべきだろうか。

 

 ともあれ、堀北組の勉強会については任せても問題ないだろう。メンバーのモチベーションは前よりも高いくらいだし。

 

 ‥‥‥俺だけは前から感じていた不安が少しずつ大きくなっていて、その重みで気持ちが沈んでいってるけど。

 それを誤魔化すように、須藤へ声をかけた。

 

「じゃあ、サボっちゃダメだよ?14点」

「ぶっ飛ばすぞテメェ」

 

 

****

 

 

 中間テスト当日。テスト範囲変更を知ったのが1週間前か。いや、ひどい1週間だった。いっそ笑えるくらいには。

 

 テストの範囲変更を平田組のメンバーに伝えた時は、それはもう酷かった。ムンクの叫びみたいな顔をしているやつも何人かいて、ちょっと笑ってしまったのは内緒だ。

 平田組にも山内や池レベルは何人かいる。そうでなくても、自分の努力が多少なりとも無駄になったと知れば、嫌になるのは理解できる。

 軽井沢も泣きそうになってたけど、それは平田が慰めていた。いいぞ、もっとイチャイチャしろ。最近癒しが少ないんだ。

 

 

 そんな阿鼻叫喚の中、モチベーションが落ちた生徒をなんとかなだめたり、赤点取りそうな生徒はひたすら追い立てたりしてたけど、実を言うと俺もちょっと冷静じゃなかった気がする。

 クラスメイトの面倒を見るのも確かに必要なことだ。けど、俺が最も注力すべきだったのはテスト攻略法の模索。自分で言った全員0点作戦すらも頭から抜けていたのだ。日に日に大きくなっていく不安を、忙しさで封じ込めていたせいかもしれない。

 

 そんな感じでやらかしていたわけだけど救いはあった、というか”いた”。大天使クシダエル(櫛田桔梗)が中間テストの過去問を入手して、我らに授けてくださったのだ。しかもどうやらその過去問、内容が今回の中間テストと全く同じ内容である可能性が高いらしい。ちょっと有能すぎない?俺の立つ瀬がないんだけど?茶柱先生の言っていた『乗り切る方法』ってこれのことだったのだろうか。

 

 そんな感じでテスト当日を迎えた我々だけど、クシダエルから授かった救済の一手のおかげでクラスの空気はかなり軽い。須藤達と平田組の何人かは退学になっても不思議じゃないレベルだったから、尚更だろう。

 

 既に5科目中4科目は終了していて、次は最後のテストである英語の時間。今までの4科目の問題は全て、過去問と完全に一致していた。

 これから先もこの手が使えるとは限らないけど、次の時間の英語に関しては他の科目同様に、過去問と同じ問題が出題されるだろう。

 他のクラスメイトもそう確信しているのか、緊張しながらもどこか余裕を感じる。

 

 これで少しだけ気が楽になった。というわけで、久々に堀北成分を補給。1週間ほとんど堀北と話せていなかったのだ。

 

「過去問があって助かったね、堀北さん。平田の方にも何人か危ない人はいたからさ、気が気じゃなかったんだ」

「そうね。流石に1週間で詰め込むことになると、危ない科目が出てきてしまうもの。櫛田さんには感謝しないと」

 

 意外な反応だ。櫛田と何かイベントでもあったのだろうか。対応がすごく丸い。気になるけど、堀北に直接聞くのもなんだし、須藤あたりに探りを入れてみようか。

 そう考えて須藤へ視線を向けると、明らかに様子がおかしい。焦った様子で英語の過去問をひたすら見ている。嫌な予想が頭に浮かび、それを確かめようと声をかける。

 

「須藤、もしかしてまだ過去問覚えてない?」

「‥‥‥昨日、寝落ちしちまったんだ。他の科目はやったんだけど、英語だけはまだ覚えれてねぇ」

 

 堀北にも聞こえたようだ、絶句している。時間がない。取れる手段はそんなにないけど、なんとかしないと。

 

「‥‥‥堀北さん、英語見てあげてくれる?」

「任せて」

 

 堀北に須藤の事を異願して、俺はクラスメイト達へ声をかける。

 

「みんな、お願いがある。英語に自信がある人だけでいい、少しでいいから次のテストで点数を下げてくれないかな?」

 

 教室中の視線がこちらを向く。須藤はこっちを見てないで勉強してくれ。

 

「‥‥‥英語で赤点を取りそうな人がいる、ということかな?」

 

 流石平田、ご名答だ。そしてみんな、須藤の方を見ないで欲しい。集中させる必要があるのだから。

 ただ、生活態度がよろしくなかった須藤への不満が噴出したのか、クラスの空気はざわつき始めてしまう。

 

「須藤の自己責任だろう、俺たちが点数を下げてまで助けるいわれはない」

「そうだよ、授業中いつも寝てたじゃん!」

「過去問せっかく櫛田さんからもらったのにさ」

 

 気持ちはわかる。普段から真面目に勉強している人にとって、須藤のような人間は不愉快かもしれない。だからこの反応は予想していたけど、それでも少し苛立ってしまう。つい、大きな声が出てしまった。

 

 

「わかってる!」

 

 

 協力しないならしないでいい。頼むから須藤の時間、集中力を奪わないでくれ。

 

「君たちが正しい。だから俺は言い返せない。できるのはただお願いすることだけだ。赤点にならない自信がある人だけ、少しだけでもいいので、協力してください。お願いします」

 

 そう言って頭を下げる。何人かの俺に言い返してきた生徒が、ばつが悪そうな顔をしていた。

 

「僕は協力したい。須藤君はクラスメイトだし、彼がこの1週間頑張っていたのはみんな知っているだろう?」

 

 平田、お前ってやつは‥‥‥!もしこの世界がBLだったら、俺はもちろん、須藤と堀北学のハジメテもお前に捧げよう。さすひら。

 

「私もどのくらいできるかわからないけど、できるだけ協力するよ!」

 

 クシダエル‥‥‥。可愛くて優しいなんて、まるで堀北のようだ‥‥‥。

 

「‥‥‥少しだけだ、下げるのは。後、次回以降のテストで同じようなことがあっても絶対に協力しないからな」

 

 俺の協力願いに真っ先に反論してきた眼鏡男子、幸村も協力してくれるみたいだ。

 ハイハイ、ツンデレ乙。とはいえ、堀北と高円寺に並ぶ秀才が協力してくれるのは大きい。

 そろそろ時間もないし、締めに入ろう。

 

「みんな、本当にありがとう。下げすぎて、自分が赤点にならないようにだけは注意して」

 

 

 さて、『そこをなんとか』作戦はそれなりの手応えだ。作戦内容はとりあえず頭下げるだけ、以上!

 平均点が何点下がるかまでは分からないけど、それなりに期待できるだろう。ただ、別の懸念事項が発生してしまった。話の途中で数人の女子が鼻血を出していたのだ。大丈夫だろうか。

 ともあれ、できることはやった。人知は尽くした。後は須藤と堀北を信じよう。天命を待とう。

 

 

 そして休み時間終了のチャイムが鳴り、最後のテストが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 試験終了後、俺を含めた堀北組が須藤の周りに集まっている。

 

「須藤、どうだった?」

「‥‥‥わかんねぇ。やれるだけはやったけど、自己採点なんてできねぇし」

「そっか‥‥‥」

「悪い、浅村。あんなにいろいろ助けてもらったのによ‥‥‥」

「何弱気になってんのさ。らしくないよ?」

「‥‥‥」

 

 流石にダメージが大きいみたいだ。この世の終わりを迎えたみたいに肩を落としている。

 正直言うと、須藤が退学になるとは思えない。到底こんなところでフェードアウトするようなキャラではないのだ。

 ただ、仮にフェードアウトするならその消え方が問題になってくる。この学校の言う退学、それが俺の認識している退学と同じものなら、何年後かに会えるから容認できる。問題は、退学がまともなモノじゃなかった場合。その時は、3つ目の願いの行使も視野に入れている。

 脱出ルートの構築を後回しにしすぎたツケだ。と言うよりルートの選定も未着手だ、つまりは何もしていない。

 

 

 そんなふうに俺が須藤の今後に考えを巡らせていたら、相変わらず俯いている須藤へ堀北が声をかける。

 

 

「須藤君、過去問をやらなかったのはあなたの落ち度よ」

「‥‥‥わかってる」

「それでも、この1週間あなたはやれるだけのことをやったわ。胸を張りなさい」

「‥‥‥慰めてくれてんのか?」

「事実を言っただけよ。だから、結果を待ちましょう」

 

 ‥‥‥ここ1週間、いや、それよりも前からずっと気になっていたことがある。

 

「私はこの前、あなたが大成しないと言ったわね。須藤君」

「‥‥‥今それを言うか?」

「勘違いしないで、それは間違いだったと言いたいの。私は自分以外のことを理解しようとしなかったわ。あなたがバスケットのプロを目指すことも馬鹿にしていた。けれど、それを後悔している」

 

 ‥‥‥もしかして、とは思っていたけど。

 

「どうか勉強会で培った努力を忘れず、バスケに活かして。そうすればあなたはプロになれるかも知れない。少なくとも、私はそうなってほしい」

 

 もしかしてこの2人は。

 

「あの時はごめんなさい、それを言いたかっただけ。‥‥‥それじゃ」

 

 そうして堀北が出ていくと、須藤は椅子に座ったまま呟いた。

 

「や、やべぇ‥‥‥俺‥‥‥堀北に惚れたかも」

 

 

 やっぱり堀北と須藤は。

 

 

 

 

 

 原作カップル(結ばれる運命)なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 

 地獄の1週間が終わり、クラスメイトの大半は解放感を噛み締めているみたいだ。俺も平田組の打上げに誘われたんだけど、辞退した。

 須藤の結果が分かるまでは安心できないし、堀北と須藤のやり取りも心に重くのしかかっている。とてもはしゃぐ気分ではない。

 ‥‥‥堀北と須藤のあれ、どう考えてもイベントだろう。2人とも、主人公でもおかしくないくらいイベントに囲まれてるし、キャラも立っているのだ。

 そんな2人がいたとして、ロマンスに至るわけがないと考えるほど楽観的にはなれない。

 そもそも自分でも言ったのだ、『こんな可愛い子(堀北)がモブなわけがない』と。モブじゃないということは、原作で決まった相手がいる可能性は大いにある。それが今回目に見える形で現れた、それだけのこと。

 堀北を諦めるつもりなんてないし、須藤と堀北が原作カップルと決まったわけでもない。原作カップルではない可能性の方が大きいくらいだ。

 ‥‥‥いや、違う。俺が憂鬱なのはそんなことを気にしてるからじゃない。

 

 俺はただ単に、友達(須藤)相手に好きな女(堀北)の取り合いをするのが嫌なんだろう。

 

 ‥‥‥ダメだな、こんなんじゃ。まだやることたくさんあるんだし、気合入れ直さないと。

 

 

 ‥‥‥‥‥‥はぁ。

 

 

****

 

 

 中間テスト結果発表の日の朝、クラスメイトは明らかにソワソワしている。自信があったとしても、退学がかかっていればそうもなるか。

 須藤も英語の結果が気になって仕方ないんだろう、足が忙しなく動いていた。

 かく言う俺も結構緊張している。須藤が退学した場合のパターンをいくつか想定して準備していたけど、明らかに準備不足。結局、脱出ルートは見つけられなかった。俺1人ならどうとでもなるけど、一般人である須藤を連れていくとなると、絶対に察知されてしまう。だから、『退学=死』だったりしたら3つ目の願いを使う以外に対処法がない。使って良いかどうかはまだ決めてない。多分、その時になるまで決められない。

 

 茶柱先生は教室に入るとすぐに、中間テストの結果について説明を始める。どうやらすぐにテスト結果を教えてくれる様だ。見た感じ銃とかを隠し持っている様子もない。お前は退学だ、ZAP ZAP!!パターンはなさそうだ。

 

 そうしてテストを実施した科目順に次々と、クラスメイト全員の得点一覧が黒板に貼られていく。小テストと同じく、点数が良かった順に上から名前と点数が載っている。

 茶柱先生が各科目の結果にコメントしながら得点一覧を貼っていき、英語以外の4科目は貼り終わった。

 過去問があったから、各科目とも100点の生徒が10人以上いる。俺も4科目は全て100点だ。同点の場合名前順なので、俺が1番上に来る。少しだけ嬉しい。そして最低点はどの科目も60点以上。4科目とも最低点取得者は須藤だ。

 少なくともこれまでの4科目で退学者は出なかった。ここまでは良い。あまり心配していなかったから。危険なのはここからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、英語の試験結果が貼り出される。

 

 

 

 その結果を見た瞬間に、須藤が叫び声を上げた。

 

 酷く興奮しているようだ。

 

 

 

 そんな須藤をよそに、俺の心はある種の絶望に支配されていた。昨日の4限目終了後以降の行動を激しく後悔している。3つ目の願いを使って無かったことにしようか、本気で思案したほどだ。

 

 思わず下を向いてしまった顔は、ポーカーフェイスなんてとっくに崩れてしまっている。何人かのクラスメイトがこちらに視線を向けているのが分かるけど、とても顔を上げられない。

 

 

 

 

 すごく恥ずかしい。穴があったら入りたい。

 

 

 

 結果論だけど、クラスメイトに平均点を下げてもらう必要はなかった。

 須藤の得点は51点、赤点は最高でも50点未満なので確実に赤点にならない点数だ。

 それにも拘わらず俺は、クラスメイトの前であんな派手な形でお願いをしてしまった。

 

 

 まあそれはいいんだ、結構恥ずかしいけど直接の要因では無い。

 

 

 重要なのは、須藤の名前が載っているのは一覧の1番下ではないという事実。

 須藤の英語の点数51点は、Dクラスの最低点ではないのだ。

 英語テストの得点一覧の1番下にはこう載っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浅村大地 50点

 

 

 もうやだ。

 




須藤以外も原作より点数が上がっています。


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中間試験後〜期末試験
9.


 中間テストの結果発表は終わった。

 

 俺にダメージを与え続けていた中間テスト得点一覧を片付けて、教室から出て行く茶柱先生。俺も今すぐこんなところから出て行きたいけど、生憎と自分の席は窓際にあるのだ。退室する前に軽井沢あたりに捕捉されてしまうのは確実、というか既に捕捉されてる。

 俺を捉える視線は20以上、彼我の戦力差は圧倒的だった。今はひたすら籠城あるのみ。黙って下を向いていれば、奇跡的に誰も俺へ話しかけないかもしれない。

 

「浅村、もしかして狙って50点取ったのか!?」

「ほんとに須藤君と仲良しなんだね!」

「須藤君にご飯作ってあげてるってほんとなの!?」

 

 奇跡なんてなかった。ところで、最後の発言した人はどこでその情報を知ったのだろうか。確かにクラスポイント0になってから、たまに須藤を部屋に呼んで夕飯食わせてるけど。代わりに須藤の分まで無料食材をもらっているから、懐は痛んでいない。

 

「‥‥‥ノーコメントでお願いします」

 

 そういった質問は事務所を通してください。須藤君は仲の良い友達です。それ以上でもそれ以下でもありません。

 

 いつの間にか周りに人集りができてしまった、完全に包囲されている。なんとかこの包囲網から脱出したい、救援を求む。

 下を向き続けてひたすらそんなことを考えていたら、視界外から長身の筋肉質な男がこちらに向かってくることを感知した。この歩き方‥‥‥須藤だ。きっとこの状況を見兼ねて助けに来てくれたのだ。真の友というのは、追い詰められた時にこそ駆けつけてくれるものなのだろう。人とは支え合いながら生きているものなのだから。

 

「俺のために50点取ったのかよ、お前‥‥‥」

 

 敵の増援でした。この裏切り者め!そもそも他人を頼るのが間違いだったのだ。いつだって頼れるのは自分だけ、それが世の摂理。

 考えを改めて顔を上げる。ポーカーフェイスは一応復旧していた。

 

「‥‥‥須藤、俺だけじゃないからね。みんな明らかに、英語だけ点数が低いから」

 

 他のテストでは100点満点が10人以上いたけど、英語の満点では1人もいなかった。最高点は高円寺の95点、あいつは過去問受け取ってないから素の学力でその点数ってことになる。傲岸不遜有能キャラか、相変わらず立ち位置がよくわからないやつだ。そして我らが堀北は55点。人のためにそこまで点数下げるとか優しい、しかも可愛いとか女神じゃないか。

 

 俺は立ち上がり、クラスメイトへ頭を下げる。包囲網をどうにかするための一手だ。これがダメだったら窓から脱出するしかない。

 

「クラスのみんな、協力してくれてありがとう。‥‥‥ほら、須藤もお礼言わないと」

「お、おお。‥‥‥あーお前ら、今回は迷惑かけた。助かったぜ」

 

 須藤も俺と同じように頭を下げると、教室が少しざわつく。あの須藤が頭下げるなんて、確かにびっくりするだろう。俺だって前見たときは本物かどうか疑ったくらいなのだから。今回はそのインパクトを利用させてもらう。これで包囲網も瓦解するはずだ。

 

「‥‥‥浅村の言うことなら、結構素直に聞くんだな須藤って」

「餌付けされてるんじゃない?」

「やっぱりあの2人は特別な関係なんだよ!」

 

 ‥‥‥うん、なんか聞こえたけど気にしない。とりあえずの危機は脱しただろうし。

 

 

 

 

 

 

 放課後、俺は中間テスト祝勝会で綾小路の部屋に来ている。堀北の第2期勉強会に参加したメンバーは全員参加すると聞いたので、それに参加させてもらった。綾小路の部屋、というより他人の部屋へ入るのは初めての経験だ。‥‥‥夜に使う大人の風船とか隠してないだろうか。

 

 本来音頭を取るべき堀北が本を読んでいるので、櫛田が代わりを務めて。

 

「じゃあ、全員揃って中間を乗り越えたことを祝して!」

「「「「乾杯!」」」」

「‥‥‥なぜオレの部屋なんだ」

 

 宴が始まった。それと同時に、いきなり押しかけられた不満をこぼす綾小路。押しかけた側の俺が言うのもなんだけど、ベッドが置かれている八畳間に7人も入るとなかなか狭い。堀北の隣を取ったから、むしろありがたいことだけど。‥‥‥なんか良い匂いする。‥‥‥堀北の匂いだよな?綾小路の部屋の匂いじゃないよな?

 

「だって須藤達の部屋は散らかっているらしいし、女子の部屋に押しかけるのは流石にまずいでしょ」

「浅村の部屋でよかっただろ」

「他人の部屋って入ったことなかったからさ、興味があったんだ」

「‥‥‥そうか」

 

 俺の極めて適切な主張に、綾小路も納得してくれたみたいだ。しかし、綾小路の部屋ってほんとに最低限のモノしかない。俺も結構少ないと思っていたけど、綾小路の部屋は元々備え付けられている家具以外ほとんど何もないのだ。

 

「そんなこと言ってるけど、浅村の部屋も散らかってるんじゃねぇの?」

 

 池がちょっかいをかけて来た。勉強会を時々一緒にやったりで、池や山内とも本当に少しずつだけど仲良くなれている気がする。俺が櫛田と話している時は相変わらず凄い目で見てくるけど。

 

「そもそも散らかるほどのものがないかな。ポイントはあまり使わないようにしてたし」

「あ!そういえば浅村、ポイント減ることわかってたんだよな?なんで言ってくれなかったんだよ!?」

 

 その話そろそろ時効でしょ。許して?

 

「いや、確信がなかったんだよね。まさか0になるなんて思わなかったし‥‥‥」

「‥‥‥浅村、使わないようにしてたってことは結構ポイント残ってるのか?」

 

 いくら残っていようと無料ではあげないぞ山内。融資なら考えてやる、限度額は5000だ。

 

「まぁ、それなりには」

「頼む!俺のゲーム機を30000で買ってくれ!今だけの特別価格だ」

 

 山内は以前に、似たような話を綾小路へ持ちかけていた。俺の真後ろだから丸聞こえだったのだ。その時価格は20000。特別に10000プラスしたのだろうか。とりあえず、山内の融資限度額は500に修正しておこう。

 

「ごめん、俺もそこまでは余裕ないかな」

「だよなぁ。ちくしょー、ポイントが欲しいぃ!」

「中間テスト頑張ったし、がっぽりポイント入んねぇかなぁ!?」

 

 池と山内が魂の叫びをあげている。俺も一緒に叫びたくなった。茶柱先生‥‥‥、ポイントが欲しいです‥‥‥!

 その叫びに反応して、堀北が本を閉じて口を開いた。本のタイトルは『悪霊』。ドストエフスキーが好みのようだ。

 

「Dクラスの中間テスト平均点は4クラス中最下位よ。それでポイントが増えるとは考えない方がいいわ」

「じゃあ来月も0ポイント生活か‥‥‥トホホ‥‥‥」

「この学校は実力至上主義を謳っている。ポイントを増やすには、勉強でもそれ以外でも他クラスと厳しい競争をすることになるでしょうね」

 

 堀北の話を聞いて、あからさまに肩を落とす池。なんだかんだで頑張っていたから、何かしらのご褒美が欲しいのだろう。気持ちはわかる。大丈夫、今回はたぶんいいことがあるから。

 ‥‥‥それにしても競争か。中間試験が終わって一区切りついたし、他クラスもいろいろ動いてくる頃かもしれない。

 

 ちょうどいい機会だと考えて、6人に向かって口を開く。

 

「他クラスといえば、気になっていることがあるんだよね。最近Cクラスの生徒が、うちのクラスの様子を頻繁に見てるみたいなんだ」

 

 Aクラスは葛城と坂柳が主導権を奪い合っている最中。Bクラスは一之瀬の下で緩やかにまとまっていることを把握済みだ。Cクラスは入学して少し経った後、外から見てもわかるくらいに荒れている時期があった。恐らくは主導権争いだろうそれが、少し前から収まってる。何かしら動いてくるかもしれない。

 この世界が学園モノだとしてDクラスの誰かが主人公の場合、物語の流れ的にはまずCと戦って、次はB、最後にAと戦うってパターンは王道だと思う。どこかのタイミングでCクラスとぶつかる可能性はそれなりにあるのだ。

 だから平田や軽井沢あたりにも、Cクラスについてはそれとなく警告してある。

 

「前に俺と須藤が図書館で絡まれたこともあるし、気をつけた方が良いかもしれない。Cクラスの生徒、ガラが悪い人が結構いるから」

「はっ!んな奴ら返り討ちにしてやるぜ。喧嘩で俺が負けるわけねぇ」

「はい、須藤アウト。生活態度改めようって話が平田からあっただろ?喧嘩なんてしたらクラスポイントがかなり減らされると思うよ?今は0だからこれ以上下がらないけど、何かしら他の要素で不利になるかもしれないし」

 

 今まで見てきたから断言できるけど、須藤は喧嘩っ早い。放っておけばトラブルを起こすのは確実。大人しくしていてほしいものだ。月収0ポイントから早く脱却したいというのだから。少しずつとはいえ、所持しているポイントが減っていくのは精神に大変よろしくない。

 

「でもよ、あっちから突っかかってきたらどうすんだ?」

「なるべく近づかない、他の人がいない場所では会わない。それの徹底かな」

「尻尾巻いて逃げろってのかよ、冗談じゃねぇ」

「結果的には大丈夫だったけど、みんなに英語のテストで助けてもらったこと忘れてないよね?恩を仇で返すわけにはいかないでしょ?」

「‥‥‥‥‥‥しゃーねぇ。ムカつくけど、なるべく近づかねぇようにする」

「うん、よろしく。みんなも気をつけてね」

 

 Cクラスが何か仕掛けてくるなら、須藤に接触する可能性は決して低くない。トーストをカーペットに落とした時に、バターを塗った面を下にして着地する確率と同じくらいにはあり得るだろう。かなり悪目立ちしているというのもあるけど、須藤には主人公疑惑もあるのだ。

 可能な限りトラブルは避けたい。そう思っているけど、あちらから積極的に仕掛けてくるようなら俺が相手をすることも考えておこう。Cクラスや監視者の情報も集めたいし、他のやつを狙われるよりはなんとかなるはずだ。

 

 

****

 

 

 7月1日、朝のホームルームが始まる前の時間。中間テストが終わってからは活気に満ちていた時間帯だけど、今日は一段と賑やかだ。入学時に10万ポイントが振り込まれて以来減る一方だったポイントが、今朝確認したら増えていたことがその理由だろう。その増加額、8400ポイント。入学時に支給された10万と比較するとなんとも少ないけど、それでも嬉しい。クラスメイトも同じ気持ちなのだろう。みんな少なからず興奮している。そんな中、いつもと変わらずに本を読んでいる堀北へ声をかけた。

 

「みんな8400ポイント振り込まれたみたいだね。中間テストの評価かどうかはわからないけど、クラスポイントが84に増えたってことかな」

「そうでしょうね。Aクラスとの差が少しでも縮まってほしいものだけれど‥‥‥あの中間テストの結果では期待しない方がいいわね」

 

 ひたむきにAクラスを目指す堀北、とても可愛い。でももうちょっと肩の力抜いてもいいのではと思うこともある。疲れない?マッサージしようか?

 

 そんな邪な考えが顔に出そうだったので、堀北の隣の席へ視線を送る。そこでは池、山内が綾小路に絡んでいた。

 

「うぉぉ!見たか綾小路!俺達の努力が実を結んだぞ!」

「そうだな」

「この調子で頑張れば期末で2万、2学期で4万、2年生になったら6万貰うのも夢じゃねぇ!がぜんやる気が出て来た!」

 

 いやそうはならんやろ。

 テストの度にクラスポイントを増やしてくれるほど、この学校は甘くないと思う。堀北兄データでもこの時期は4クラス共に100弱クラスポイントが増加していたけど、他の定期テストの時期には同様の変動はなかった。恐らくは、初回クリアボーナスか何かだろう。

 なんであれ、クラスポイントが増えた理由を早く知りたい、早く茶柱先生が来てほしいものだ。

 

 そんなことを考えていると、須藤が登校して来た。カバンを持ったまま、早歩きでこちらに向かってくる。

 

「聞いてくれよ浅村、堀北!俺、バスケ部のレギュラーになるかもしんねぇ!」

「1年生でこの時期から?すごいじゃないか、須藤」

「おめでとう。調子に乗りすぎないよう気をつけることね」

「‥‥‥お前は普通に褒められないのかよ、堀北」

 

 不満を抱くなんて、須藤には教育が必要かもしれない。堀北は須藤のことを心配しているのだ。つまりは女神。

 

「まぁまぁ。心配してくれてるんだよ、好事魔多しとも言うからね」

「‥‥‥工事、なんだって?」

 

 浅村は絶句した。必ずこの須藤の勉強嫌いを除かねばならぬと決意した。

 

「そういやCクラスが絡んでくるみたいな話、この前あったよな?」

「あぁ、綾小路の部屋で話したやつだ。もしかして何かあったの?」

「俺がレギュラーになるかもっつー話をされた日、同じバスケ部の1年に絡まれたんだよ。あいつら、Cクラスの連中だった」

 

 早速動いてきた。予想通り、トーストはバターの面を下にして着地したようだ。

 

「前から部活中に突っかかってくるウザってぇ奴らだったけどな。そいつらに特別棟に呼びつけられたんだよ。俺がレギュラーに選ばれるのが我慢ならないとかぬかしてやがった」

「‥‥‥もちろん行ってないよね?」

「ったりめぇだろ、めちゃくちゃむかついたけどな。やらかしたらレギュラーの話もどうなるかわかんねぇし」

「うん、良かった。須藤はバスケと勉強に集中しないと。喧嘩なんてしてる暇ないからね?」

「わかってるって。俺のオフクロかよお前は」

「‥‥‥いや、せいぜいオヤジでしょそこは」

 

 こんな手のかかる息子、絶対に疲れる。

 

「健も絡まれたのか?俺と春樹も因縁つけられたんだよ。あいつらがCクラスかはわかんないけど」

 

 後ろの席で綾小路と戯れていた池が会話に参加してきた。怪我とかはしてないように見えるけど、無事だったのだろうか。

 

「‥‥‥2人とも大丈夫だった?」

「なんか特別棟に顔出せとか言われたけど、浅村に言われてたから一目散に逃げてやったぜ」

「よかった‥‥‥ただ、もしかしたらってこともあるし、早めに相談して欲しかったな」

「わるい、ポイントのことで頭一杯だったわ」

 

 なるほど、ポイントのことなら仕方がない。

 さて、須藤だけでなく池や山内も特別棟にお呼ばれされたわけだ。あそこは確か、監視カメラの死角が多かったはず。これはあからさまだ。

 ‥‥‥他にも見境なく狙われるようだったら、動いた方がいいかもしれない。俺もここ最近は、Cクラスの奴らに見られているから、あっちから接触してくるかもしれないけど。

 

「それよりポイントだよポイント。中間前にあれだけ頑張ってやっと8400ポイントだぜ。Aクラスは毎月9万以上もらってるんだろ?一瞬でAクラスに行ける裏技とかないのかよ!?」

 

 確かにポイントは欲しい。けど、それ以外にDクラスであることの不満なんてない。堀北と同じクラスなのだから。

 

「喜べ池、一瞬でAクラスに行く方法は1つだけ存在するぞ」

 

 教室の入り口から茶柱先生の声が聞こえた。いつの間にかホームルームの時間になっていたようだ。

 

「せんせー、その方法とは一体なんでございましょう?」

 

 急いで席に戻った池が詳細を尋ねる。入学2日目に茶柱先生が言っていた『特例でのクラス替え』のことかもしれない。『1つだけ』と言っていたから、俺の予想ではポイントによるもの。問題はそれに必要な額だ。きっとお高いんでしょう?

 

「2000万ポイントを学校に支払えば、好きなクラスに移籍できる。頑張って貯めるんだな」

「2000万って‥‥‥。そんなの無理に決まってるじゃないすか」

 

 池は2000万あったら、Aクラスに移籍するのだろうか。大好きな櫛田と同じクラスでなくていいのだろうか?FA宣言するのだろうか。

 

「確かに不可能に近いだろうな。だが絶対に無理というわけではない」

 

 とはいえ、個人で目指すものとは思えない。クラス間で人材の引き抜きとか、そういった方向で機能しそうだ。

 

「私からも1つ質問させてください」

 

 そう言って手を上げる堀北。‥‥‥もし2000万貯めたとしたら、堀北はどうするのだろうか。

 

「学校が始まって以来、生徒個人で貯めたポイントの最大値を教えていただけないでしょうか?」

「良い質問だな堀北。3年ほど前に卒業間近のBクラスの生徒が1200万ほど貯めていたことがある」

 

 ポイントの総供給量を考えると、その生徒が銀行のような役割をしていたか、そうじゃなければ真っ当でない方法で集めたのだろう。

 

「結局その生徒は退学させられた。1年生相手に詐欺を働いてポイントをかき集めていたことが発覚してな」

「‥‥‥わかりました、ありがとうございます」

 

 ‥‥‥堀北、2000万ポイント用意したらお嫁さんになってくれたりとか。‥‥‥うん、ないだろうな。

 

「雑談は終わりだ。さて、今月の各クラスポイントを発表する」

 

 茶柱先生はそう言うと、手にした紙を黒板に広げていく。それには4クラス分のクラスポイントが載っていた。

 

 Aクラス 1004

 Bクラス 663

 Cクラス 492

 Dクラス 84

 

 Aクラスのクラスポイントが、入学時に付与された1000ポイントを上回っているのは流石だ。それはいいんだけど、予想に反してBとCのポイントがあまり増加していない。これは何かあったのかもしれない。

 

 そんなことを考えていたら、茶柱先生がポイントについての説明を始める。

 

「見ての通り、4クラスともポイントを増やしている。これは初めての中間テストを乗り越えたご褒美みたいなものだ」

 

 純粋な増加値では俺達Dクラスが1番高い。0ポイントはいくらなんでも低すぎるし、学校がそう考えて配慮したということも考えられる。

 

「他にも!他にも何かあったりしないんすか!?」

 

 池がノリノリだ。いいぞ、頑張って何か引き出してくれ。

 

「そうだな‥‥‥。中間同様に期末も誰1人赤点を取る事なく乗り切れたら、バカンスに連れて行ってやろう」

「バカンスっすか!?」

「ああ、青い海に囲まれた島で夢のような生活を送らせてやる。夏休みの予定は空けておけ」

 

 あ、離島とか行きたくないので遠慮してもいいですか?サスペンスとかあり得そうな環境はなるべく近づきたくないです。池も余計なことをしてくれるものだ。

 恐らくこれは、クラスポイント変動イベント。堀北兄データでも8月に4クラス共大きな変動があったから、確度はそれなりにある。

 青い海に囲まれた島、か。プールの授業で言っていた『必ず役に立つ』と関連があるのだろうか。遠泳とかで済めばいいんだけど。

 



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10.

 雲ひとつない快晴の朝。天気がいいのは結構だけど、流石に暑いかもしれない。数日前から7月が始まったにも拘らず、生徒は未だにブレザーを着ている。この学校は、この時期でも衣替えをしないのだろうか。長袖の方が都合が良いから助かっているものの、夏服の堀北を見たい欲求もあるから悩ましい。

 

 堀北の夏服姿を脳内に思い浮かべながら部屋を出ると、エレベーターの前に綾小路がいた。同じ階にお互いの部屋があるので、登校する時には結構な頻度で遭遇している。

 

「おはよう綾小路。そろそろ暑くなってきたね」

「ああ、そうだな」

 

 返事はしてくれるけど、会話を広げづらいこの雰囲気。いつものことなので、もう慣れっこだ。

 すぐにエレベーターが来たので乗り込むと、先客の一之瀬帆波がいた。

 

「おはよう奇遇だね、一之瀬さん」

「おはよう!浅村君と、えーっと‥‥‥」

「綾小路だ」

「にゃはは、綾小路君もおはよう」

 

 意外な人物と遭遇した。前に図書館で会って以来だ。あのときは中間テスト範囲のゴタゴタで、俺以外の面子は自己紹介していなかった記憶がある。

 

「一之瀬さんはいつもこの時間に登校してるのかな?」

「うん、大体これくらいかな。最近暑くなってきたから、少し早く出ようかなって思ってるけど」

 

 話しているうちにエレベータは1階へ到着。建物から出ると確かに暑い。‥‥‥堀北もこんな天気じゃ汗をかくのだろうか。

 ‥‥‥うん、とてもアリだと思います。

 

 

 

 そのまま3人で取り留めの無い話をしながら学校に向かっていると、後ろから櫛田が声を掛けてきた。登校時に会うのは初めてだ。

 

「おはよう3人とも!なんだか珍しい組み合わせだね?」

「寮のエレベーターでたまたま一緒になったんだ。桔梗ちゃんもおはよう!」

 

 この2人は名前で呼び合っているらしい。互いにコミュ力の権化みたいな感じだから、すぐに仲良くなったんだろう。

 そんなことを考えていたら、一之瀬に中間テストの礼を済ませていなかったことを思い出した。

 

「そういえば一之瀬さん、中間の時は助かったよ。テスト範囲を教えてくれてありがとう」

「どういたしまして。でもDクラスは過去問用意したみたいだし、いらないお世話だったかもね」

「よく知ってるね。櫛田さんが手に入れてくれたんだよ」

 

 隠せるようなことでもないけど、既にBクラスへも知られているらしい。学校も対策してくるだろうし、期末は過去問を当てにできないだろう。

 

「桔梗ちゃんが過去問もらった人って、綾小路君と一緒に食堂で話しかけてた先輩?」

「‥‥‥あはは、見られてた?」

 

 問いかけられた櫛田は、頬をかきながら苦笑している。

 過去問の入手に、綾小路が一枚噛んでいたとは気付かなかった。勉強会の時に櫛田と2人でランチに行ったりしてたけど、実は過去問のために動いてたのだろうか。

 つまり、綾小路も天使ということになる。女たらし系主人公だと疑って本当に申し訳ありませんでした、キヨタカエル様。

 

「てことは、Dクラスの恩人3人がここに揃っているわけだ。これは礼を尽くさないと」

 

 そう言って手を合わせ、3人を拝む俺。通学中でなければ五体投地してもよかった。

 

「恥ずかしいからやめて!みんなこっち見てるよ!」

 

 一之瀬はそう言うけど、元々手遅れなのだ。一之瀬と櫛田というトップレベルの容姿を持つ2人。それが一緒にいる時点で相当周りから視線を集めている。つまり俺は悪くない。綾小路が普通に嫌そうな表情を浮かべている気がするけど、俺のせいではない。

 

 

 

 そんなこんなで教室に着いたので、櫛田と綾小路と一緒に中に入る。池と山内が、敵を見る目で俺と綾小路を睨んでいるがいつも通りだ。

 気にせずに窓際の席へ向かうと、堀北が俺と綾小路を凝視していた。いつも通りじゃない。俺何かやっちゃいました?

 

「おはよう堀北さん‥‥‥えっと、どうかした?」

「‥‥‥おはよう。2人とも、櫛田さんと仲良く登校して来たみたいね」

「ああ、一之瀬も一緒だったぞ」

 

 綾小路が答えると、堀北の視線が更に鋭くなる。もしかして怒ってるのだろうか。仲間外れにされたと感じているのかもしれない。

 

「あー‥‥‥良かったら堀北さんも一緒に登校する?」

「遠慮するわ」

 

 なんでや。

 

 

****

 

 

 結局、堀北の機嫌は変わらないまま放課後になってしまった。そろそろ約束していたカフェデートのお誘いをしようと思っていたけど、今日はやめておくことに。他にやることもあるのだ。

 ホームルームが終わってから、俺は1人でショッピングモールへ足を運んだ。何か買ったりすることなく、1時間ほど歩き回った後にショッピングモールを出る。

 その後もスーパーへ行ったりして、そこでも買い物はせずに歩き回った。

 

 

 そうして2時間ほどブラブラした後、目的地である特別棟に入って現在に至る。

 俺が立っているのは長い廊下の突き当たり、監視カメラの死角になる場所だ。

 死角というか、そもそも今いる3階の監視カメラは全て電源LEDが点灯していない。以前からそうだったのかわからないけど、今の俺には都合がよかった。

 

「長々と付け回されていたけど、何か用かな?」

 

 そう声をかけると、監視カメラがある時は決して物陰から出てこなかった追跡者の1人が姿を現す。サングラスをかけている筋肉質な黒人の大男、山田アルベルト。身長が2メートル近くあり体重は100キロを超えているだろう巨体を誇る、以前から目を付けていたCクラスの生徒だ。

 尾けられ始めたのは、学校を出たあたりから。最初は監視者が釣れたかと思ったけど、あの夜の視線と比べると今回の追跡はあまりにお粗末。隠れている場所が一発でわかってしまうほどだった。この大男はその中でも特に目立っていて、俺じゃなくても気付いたはず。

 

 そんな目立つ生徒、山田アルベルトは口を閉ざしたままこちらに向かってくる。

 

 なんというか、この名前のバランスが悪すぎる。『山田』という名字は佐藤や鈴木に並んでよく目にするものだ。それに超攻撃型な名前である『アルベルト』を付けるこの暴挙。一周回ってモブキャラを疑ってしまう。せめて『マイケル』あたりにとどめておくべきだったのでは?フルネームで呼ぶのもダルいので、とりあえず『アルベルト』と呼ぶことにする。こいつを『山田』と呼ぶのはこの世界がギャグ漫画だった時だけだ。

 キャラとしては創作でそこそこ見かけそうな感じだけど、問題があるのは名前だけではない。こいつが高校生1年生を名乗るのは普通に無理があるだろう。ブレザーの制服と顔のバランスは劣悪だし、サングラスがそれにとどめを刺してしまっている。こいつだけ黒スーツを制服にするべきだ。周囲と違う服装になることを考慮しても、今よりは違和感を抱かずに済むことは間違いない。

 この世界がどんな作品かわからないけど、とりあえずこれだけは言える。出る作品を間違えてるだろう。メン・イン・ブラックとかマトリックスに帰るべきだ。

 

 そんなことを考えていると、アルベルトは応答しないまま目の前まで迫っていた。再び目的を問いただすために口を開こうとすると、いきなりこちらに殴りかかってくる始末だ。

 馬鹿め。いきなり殴られる展開は既に経験済みだ。キャラの濃差(こさ)が、筋力の決定的差ではないということを教えてやろう。

 

 そんなことを考えながら、突然の暴力を冷静に掌で受け止めて見せる。様子見のつもりなのか、思ったよりも攻撃が軽い。それでもかなりの威力があるけど、パワフルな俺に効くわけがないのだ。

 

「いきなりご挨拶だね」

 

 無造作に、しかも片手で受け止められたのが意外なのか、サングラスの向こう側では目が見開かれている。

 

「ねえ、Cクラスのリーダーって君?それとも龍園って奴?」

「‥‥‥」

 

 アルベルトはこちらの質問には答えない。表情も変わらないけど、『龍園』の言葉に反応して一瞬だけ視線が揺れた。あちらがリーダーの可能性が高い。

 龍園翔、アルベルトと同じく以前から目を付けていたCクラスの生徒。ロン毛と黒のワイシャツが特徴で、如何にも不良らしい風貌をしている。須藤がヤンキーで龍園がヤクザみたいなイメージだ。

 身体能力ではアルベルトに劣っているのが俺の認識だったけど、うまく従えているらしい。弱みでも握ったのだろうか。

 

 ともあれ、いつまでも男の手を握っている趣味はないので掴んでいる拳を離してやる。自由になったアルベルトは、俺を警戒しているのか数歩分の距離を取った。

 

「喧嘩しても良いことはないし、やめておかない?あと二人隠れてるみたいだけど、無駄だと思うよ」

 

 その内の1人は、隠れてカメラを構えている。バレバレだ。隠し撮りは良くないということを教えてやりたい。

 

 俺の言葉で隠れることを諦めたのか、物陰から2人の生徒が現れた。カメラを持った男子は石崎。ショートボブの女子は伊吹。どちらもCクラスの生徒だ。

 

「舐めたこと言ってくれるね」

 

 キレ気味に言い放つ伊吹。俺の言葉で怒ったのかもしれない。まあ、そのつもりで言ったんだけど。うまく情報を引き出すための駆け引きだ。朝のやり取り以降、堀北とまともに会話していないこととは全く関係ない。

 

「まさか、こんなところまでついて来るなんてね。それもご丁寧にカメラまで持って。Cクラスってストーカーみたいな真似をする人が多いの?もしかして夜もついて来てたり?怖いからやめてほしいんだけど」

「‥‥‥随分余裕あるじゃないか、自分の状況わかってる?」

 

 うーん、いまいちな反応だな。思ってたより伊吹は頭が回りそうだし、ターゲットを変えてみようか な って   向 こ う の  物  陰  に  誰  か い る な ?

 

 

 アルベルト達の背後、建物の向かい側にある階段。そこから、あの夜に感じた視線と同じモノが注がれている。

 

 

 それを感知した刹那、俺は瞬時に駆け出した。

 

「──っ!」

「やる気かい!?」

 

 反応したアルベルトの拳と伊吹の蹴りを躱す。そのまま3人を置き去りにして、視線の主へ向かって一気に加速。

 

 今、あいつらはどうだっていい。監視者が先だ。

 

「What is he‥‥‥?」

「っ、逃げるのか!?」

「え、速っ!?」

 

 こちらの動きに反応したのか、階段の陰から動く監視者の気配。

 

 階段に辿り着くと、開いている踊り場の窓が目に入る。

 迷わずそこから飛び降りた瞬間、建物の角に消える人影が見えた。

 着地と同時に地面を蹴る。

 

 

 やっと釣れた、絶対に逃すもんか、 って角から誰か出てくる!?

 

 

 気配を感じた瞬間、衝突を回避するために跳ぶ。

 

 ほぼ同時に目の前に現れた女子が短い悲鳴を上げた。

 

 間一髪、その女子を飛び越えて着地。わずか数秒のタイムロスだったけど、その間に監視者の気配は分からなくなってしまった。

 ‥‥‥逃がしたか。ようやく尻尾を掴みかけたのに。仕方ない、別の方法を考えよう。

 

 監視者のことは置いといて、目の前の女子をどうにかしないと。俺にびっくりしたのか、尻餅をついてしまっている。

 

 ‥‥‥誰かと思えば、同じクラスの佐倉だ。何でこんな場所にいるんだという疑問があるけど、とりあえず謝らないと。

 

「ごめんね、佐倉さん。ビックリしたよね」

「‥‥‥あ、浅村君?今、跳んで‥‥‥?」

「人を追いかけてて、つい走っちゃったんだ。ほんとごめん」

「‥‥‥だ、大丈夫です」

 

 いつでも取り出せるように指を引っ掛けていた裁ち鋏。それを袖の奥に戻して、腰を抜かしたままの佐倉に手を差し出す。

 その手を取ることなく、佐倉は自力で立ち上がった。‥‥‥俺の手、そんなに触りたくないのだろうか。

 

「追ってた人と入れ違いで佐倉さんが出て来たんだけどさ、その角から出て来る前に誰かとすれ違わなかった?」

「‥‥‥すれ違いました。一瞬だったから顔とかはわかりません」

「じゃあ、その人の服装とかは見た?」

「せ、制服でした。浅村君と同じ男子用の」

 

 俺も一瞬しか見えなかったけど、監視者は制服を着ていた。ブラフの線は捨て切れないけど、監視者は男子生徒の可能性が高い。それと人間であることもほぼ確定した。‥‥‥アンドロイドとか男装している女とかやめてね。

 でもよかった、人外じゃなくて。コズミックホラーだったりしたら、いくらチートスペックとはいっても人間である俺にはどうしようもない。

 成果はあったものの、相変わらず正体は不明だ。監視者とCクラスの繋がりをまずは調べよう。アルベルト達はあの様子だと何も知らない可能性が高いから、龍園に確かめるしかないな。

 

「そっか、教えてくれてありがとう。‥‥‥ところで足元に落ちてるカメラって佐倉さんのかな?」

「え‥‥‥あっ!」

 

 佐倉はカメラを拾い上げると、焦った様子で調子を確かめ始める。

 

「嘘‥‥‥映らない‥‥‥」

 

 佐倉は焦った様子で電源ボタンを押したりバッテリーを入れ直していたりしているが、電源は入らない。

 俺とぶつかりそうになった時に驚いて落としたよな、そのカメラ。‥‥‥ご、ごめんなさい。

 

「‥‥‥もしかして壊れちゃった?」

「‥‥‥浅村君のせいじゃないです」

 

 どう考えても俺のせいだ。少しばかり監視者に夢中になりすぎた。

 

「本当にごめんなさい。弁償させてもらいます」

「いえ、あの、大丈夫です」

「いえ、払わせて下さい」

「いえ、本当に、その、気にしないで下さい」

「いえ、絶対に「浅村君、こんな場所で何をしているのかしら?」‥‥‥堀北さん?」

 

 話に夢中で気づけなかったけど、堀北さんが声をかけてきた。なんてこんなところにいるのだろうか。とても危険だ。監視者の気配はしないけど、まだそこらに潜んでいるかもしれないのだから。

 

「悲鳴が聞こえたから何事かと思えば。‥‥‥あなたは、佐倉さん?」

「あの‥‥‥こ、こんにちは」

 

 堀北と佐倉が話しているのを見たことはないけど、名前は覚えているらしい。流石の記憶力だ。

 

「‥‥‥こんにちは。それで浅村君、何があったか教えてもらえないかしら?」

「ここの角で佐倉さんとぶつかりそうになってさ。その時にカメラを落として、どうやら壊しちゃったみたいなんだ」

「‥‥‥‥‥‥」

 

 堀北は探るような目で俺と佐倉を見ている。悲鳴が聞こえたのにこの言い分は苦しい。だけど、監視者の件はなんとか言わずに済ませてみせる。

 甘いかもしれないけど、なるべく堀北に不安を与えたくない。狙いが堀北だと確定したわけでもないのだ。

 

「浅村君、何か危険なことをしていないでしょうね?」

「危険なことって?」

「とぼけないで。須藤君や池君達が特別棟に呼びつけられたと話していたわね。Cクラスのことで何か動いているのではないかしら?」

 

 ほぼほぼ当たり。相変わらずの鋭さだ。でも、監視者のことは言わなくて済みそうな流れでもある。

 

「正直に言うと、その通りだよ」

「‥‥‥あなたがどれほど腕力に自信があるのか分からないけれど、危ない行動は控えて欲しいものね」

「もしかして心配してくれてる?」

 

 俺が茶化すと、堀北は顔を逸らして続ける。

 

「不祥事を起こされて、せっかく増えたクラスポイントを0にされてしまう事態は避けたい、それだけよ」

 

 冷たく言い放つ堀北だけど、いつも眺めている俺には少し違う様子に見えた。チートスペックの俺だけにしか分からないくらい少しだけ、本当に少しだけ耳が赤くなっている。

 もしかして、本当に心配してくれているのだろうか。そうだとしたら嬉しいけれど、何もしないわけにはいかない。Cクラスも監視者もどの程度危険なのかすらわかっていないから、その把握くらいはしておかないと不安なのだ。

 

「わかった。なるべく危ないことはしないよ」

「本当にわかったのかしら?」

「うん。ただし、あの夜みたいなことがあったら別だからね」

「‥‥‥あなたねぇ」

 

 見る間に顔が赤くなったけど、これは単に怒ってるだけな気がする。

 

「‥‥‥あ、あの」

 

 置いてけぼりだった佐倉が、声を上げて存在を主張してきた。

 もちろん忘れていない。ちょっと堀北との会話に夢中になっていただけだ。

 

「ごめんね佐倉さん。つい話し込んじゃった」

 

 果たして今日だけで、俺と佐倉は何回謝ったのだろうか。まぁそんなことよりカメラの話だ

 

「カメラなんだけどさ、やっぱり全額払う。驚かせた俺が悪いんだし」

「‥‥‥ポイントはいらないので、1つお願いを聞いてもらえませんか」

「ん?いいけど、どんなお願い?」

「カメラをお店へ修理に出す時、付き添って欲しいです」

「それくらいならいくらでも。それとは別でポイントも払わせてもらうよ」

「無償修理の保証期間内なので、ポイントは大丈夫です」

「‥‥‥まぁそれなら。もしポイントかかるようだったら言ってね」

 

 なんだか悪い気がする。借り1つということにしておこう。

 

 

****

 

 

 あの場所にずっといても仕方ない上、そろそろ日が暮れる時間。というわけで寮に向かっている俺と堀北。

 佐倉は寄るところがあるらしく途中で別れた。

 

「佐倉さんも不思議なお願いをするものね」

 

 堀北と2人っきりという事実に喜んでいたら、あちらから話しかけて貰えた。朝はあまり機嫌が良くなかったみたいだけど、もう大丈夫なのだろうか。

 

「確かに、なんでだろうね。カメラのことを聞きたいって感じでもなかったし」

 

 もしかしたら俺に気を使って、贖罪の機会をくれたのかもしれない。

 

「‥‥‥それで2人で行くのかしら?」

「いや、誰か他の人も誘おうかなって思ってる。佐倉さんとはほとんど話したことないし」

「そう、それがいいわね。誰を誘うつもりか決めているの?」

「うーん、佐倉さんと接点がありそうな人だから‥‥‥櫛田さんとか?」 

「‥‥‥そう」

 

 堀北の機嫌が悪くなった気がする。もしかして佐倉さんと出かけたかったのだろうか。

 

「あー、良かったら堀北さんも一緒に行く?」

「‥‥‥遠慮するわ」

 

 なんでや。

 




山田さん
アルベルトさん

ごめんなさい


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11.

 佐倉のカメラを壊した次の日の昼休み。弁当を取り出したり食堂に向かったりで周囲が騒がしい。そんな中教室を出て行こうとした櫛田に俺は話しかけている。

 

「櫛田さんって、佐倉さんとよく話す?」

「んー、挨拶するくらいかな。佐倉さんがどうかしたの?」

「実は一緒に家電量販店に行くことになってさ。できれば櫛田さんにも来てもらえないかなって」

 

 朝、付き添いを希望した理由を佐倉に確かめた。どうやら敷地内にある家電量販店の店員が苦手らしい。須藤みたいな感じなのかな?新商品を買うように脅されたりするのかもしれない。

 付き添いは複数の方が良いと思って、他の人を誘うことの承諾を佐倉からもらった。その第1号として櫛田に声をかけたわけだ。

 

「佐倉さんとはまだお出かけしたことなかったし、全然いいよ。いつにするか決めてる?」

「それなんだけど、今度の土日って空いてる?」

「えーと‥‥‥土曜日なら空いてるかな」

「じゃあその日で。時間とか場所は後で連絡するから」

「うん。浅村君とお出かけするのも初めてだから、楽しみにしてるね!」

 

 お店行くだけなのに大袈裟だな。‥‥‥?なんか急に静かになってない?

 不思議に思って周囲を確認すると、みんながチラチラとこちらを窺っている。池と山内は今まで見た中でも最高にヤバい顔をしていた。

 

 ‥‥‥待ってくれ、違うんだ!そういうのじゃないんだよ、俺を信じてくれ2人とも!

 あぁ、誘う場面を間違えたな。携帯で連絡すればよかった。少しでもダメージを軽減しないと。

 

「そうだ、綾小路も一緒に行かない?」

 

 教室を出て行こうとした綾小路に声をかける。こいつなら落ち着いてるし、佐倉の負担も少ないはずだ。

 このままだとせっかく稼いだ池と山内の好感度が大暴落してしまうので、ここは綾小路にもヘイトを負担してもらう。今度なんか奢るから許してくれ!

 

「あ、それいいね!綾小路君も行こうよ」

 

 櫛田からの援護射撃が来た。これは断れないだろう。綾小路からの好感度が下がる気がしなくもないが、それはコラテラルダメージというもの。

 

「‥‥‥わかった、後で連絡してくれ」

 

 よし、これで少しは俺へのヘイトが薄まっただろう。

 ‥‥‥あれれ?池と山内がさっきよりもすごい目で俺を見てるな、おかしいぞ?

 

 

****

 

 

 現在夕方のホームルーム中、茶柱先生が連絡事項を伝えている。さっきまで池と山内に、何故自分達を誘わなかったのかと散々詰められていた。

 佐倉のための集いなのにあの二人を誘えるわけないだろ。あの子かなり内気みたいだから、綾小路以外だと平田あたりしか男子は呼ぶ気にならない。そんなこと言えるはずもないから適当に誤魔化したけど。

 綾小路に声をかけたのもミスだったようだ。結局は綾小路、池、山内の好感度が下がったであろう散々な1日だった。

 やらかしが続くと結構凹む。あぁ、こんな時は何かが欲しい。明日も頑張ろうと思える何かが。それがどんなものかは人それぞれだと思うけど、俺の場合は堀北との楽しい一時だ。

 だから俺さ、このホームルームが終わったら堀北をカフェに誘うんだ。

 いい加減に放課後デートがしたい。ゆくゆくは休日デートがしたい。

 

「では、ホームルームを終了する」

 

 茶柱先生の声が耳に届いた瞬間、最速で堀北の方を向いて声をかける。

 

「堀北さん、よかったらこれk「浅村、話があるので職員室まで来るように」‥‥‥‥‥‥」

 

 ‥‥‥俺は諦めないぞ。今日はなんとしても堀北とデートするんだ。どんな困難が立ちはだかろうとも堀北との一時を勝ち取ってみせる。

 マイルドな形でピシっと断ってやろう、そう決意して茶柱先生の方を向く。

 

「すみません茶柱先生。これから大切な用事があるので、明日にしていただけないでしょうか?」

「そうか、今日は星乃宮が所用でいないから良いタイミングだったのだが。そこまで言うなら明日にするか」

「すぐに職員室に向かいます」

 

 決して星乃宮先生が怖いわけではない、ちょこっと苦手だけど。堀北とのデートという一大イベントの前に面倒ごとは片付けてしまいたいだけだ。決して星乃宮先生が怖いわけではない。いいね?

 

「浅村君、何か言ったかしら?」

「いや、なんでもないよ。また明日ね、堀北さん」

 

 さらば愛しき人よ。俺は断腸の思いで職員室に足を運んだ。

 

 

 

 そして入学2日目の時みたいに、指導室で茶柱先生と二人っきりになっている。裁ち鋏持ってて良かった。

 気にしすぎかもしれないけど、監視者と接触しかけたばかりでどうにも勘繰ってしまう。

 

「それで茶柱先生、どういったお話でしょうか?」

「最近、遅い時間に出歩いているようだな?」

 

 確かに俺は毎夜出歩いている。中間テストが終わった頃から、監視者かバトルイベントに遭遇するかもと思って始めたんだけど、これといった成果は上がってない。

 

「いつも11時前には部屋に戻っていたはずですが?」

「確かに条例には反していないがな、内規により指導の対象となることもある」

「そうでしたか。これからは控えます」

 

 昨日の接触失敗で監視者側も俺を警戒するだろうし、継続する意味は薄くなったからやめてしまってもそこまで問題はない。ただ、監視者については別の方策を考えないとな。

 ‥‥‥もしCクラスと監視者に繋がりがなかったらどうしよう。こちらから監視者を探し出す方法が思いつかない。手詰まりだ。『監視者さぁん!』って叫びながら歩き回るか?

 

「ならばこれ以上は言わん。‥‥‥どうだ、学校にはもう慣れたか?」

「はい。入学してから刺激的な事が続きましたが、最近やっと落ち着いてきました」

 

 どっかの誰かさんがテスト範囲の変更を知らせてくれなかったりとかすごい刺激的でしたよ。絶対わざとでしょ。

 

「それは結構。そういえばお前とは入学2日目にもここで話したな。あの時の話題はクラスについてだったが、Dクラス配属について不満はないのか?」

 

 不満?あるわけないだろ、堀北がいるんだぞ。今から別クラスに配属されたとしても、2000万貯めてDクラスへの移籍を目指してやる。

 

「いえ、不満なんてありません。毎日楽しくやっています」

「‥‥‥そう答える奴はなかなか珍しい。Dクラスに配属された生徒は大抵不満を抱くものだ」

 

 そりゃ不良品呼ばわりされたらそうなるよね。俺はこの世界に生まれた時には既にDクラスだったからな。自分の評価だと思えないから、あまり気にならない。

 

「俺以外にも不満を抱いていない奴はいると思いますよ?高円寺とか」

 

 あいつも、自分がDクラスに配属されたことについて頓着していない。この学校が自分の価値を測れなかったにすぎないって言っていた。運動でも勉強でも非凡であることは確かだけどさ。

 

「お前達が特殊なだけだ。高円寺と違ってお前はクラスポイントの獲得に前向きなようだが」

「使えるポイントはたくさんある方がいいですから」

 

 ポイント残高が少ないと精神的に不安定になりそう。0ポイントが続いたら、堀北の幻覚が見えたりするかもしれない。

 

「ならば何故4月の段階でクラスを掌握しなかった?支給ポイントの変動にもある程度気付いていたのに対処を怠ったな?」

 

 今日呼び出した理由ってこれか?夜間外出を咎めるためだけに、この人がわざわざ二人っきりになるとは思えない。つまりは俺の働きが不満だったと。

 ‥‥‥初動は悪かったけどさ、俺頑張ってたでしょ?中間は過去問あったからあんまり関係ないけど、クラスの学力はそれなりに底上げしたと思うよ?

 

「‥‥‥随分とハードルの高い要求ですね」

 

 4月はファンタジー要素を疑ったり、サバイバル技術学んだり、友達作ったり、堀北に接近したりで色々忙しかった。そんな状態で一之瀬や葛城みたいな真似をするなんて俺には無理だ。

 クラス単位での支給額変動も予想していなかったし、そもそもあんな曲者揃いのクラスを1ヶ月未満でまとめられるもんか。

 

「それだけ期待しているということだ。結果を出せば、夜間外出にもある程度目を瞑ってやろう」

「これからは控えると言ったじゃないですか」

 

 別に遊び歩いてたわけじゃないんだぞ?堀北イベントにまた遭遇しないかなって期待してただけで。R18イベントについては、最近は出会いたくない気持ちが強い。アダルトな世界観での監視者とか絶対にろくな奴じゃない。

 

「他にもメリットはある。この学校は実力主義だからな。優秀な生徒には、私の裁量だけでもある程度は便宜を図ってやれる」

 

 ‥‥‥監視者とはまだ敵対したわけではないから、仮に学校が監視者と繋がっていても対話はできるはず。放置するよりはマシだろうし、突っ込んでみるか?

 

「実は気になることがありまして」

「ほう?言ってみろ、力になれるかも知れんぞ」

「夜、歩いていた時におかしな人影を見かけました。それがずっと引っ掛かっています」

「‥‥‥気にするほどのことなのか?学校も治安維持には注意を払っているぞ」

 

 監視者を匂わせても、特に変わった様子は見られない。単純に俺の質問に困惑しているだけだな。

 少なくとも茶柱先生と監視者は繋がっていないか?

 

「見かけたのが一度だけではないんですよ」

「その人影の特徴は?」

「遠目だったのでなんとも。ただ、動きが人間離れしていました」

 

 茶柱先生からどこまで話が拡散するかわからないし、全ての手札を開示するのは怖い。制服を視認したことは伏せておく。

 

「あれの正体がわからないと、せっかく夏のバカンスに連れて行って頂いても楽しめないかもしれません」

 

 茶柱先生がわざわざ呼び出した目的は、恐らく俺に発破をかけることだ。それならこの話に乗ってくるはず。例のバカンスでクラスポイントが動くなら、だけど。

 

「‥‥‥なるほどな、確かにそれは問題だ。通常は周知しないような確度の低い情報でも、お前にだけは回してやろう。とりあえずはこれでどうだ?」

 

 はいビンゴ。バカンスでクラスポイントが動くのはほぼ確定だな。不審者の情報も回してもらえそうだし、来てよかった。

 

「ありがとうございます。それならバカンスを楽しめそうです」

「ああ、期待しているぞ」

 

 

 最後は機嫌良さそうだったし、茶柱先生の目的は担当クラスをAまで押し上げることか?それならうまく付き合えると思うんだけど。

 

 そんなことを考えながら、指導室を出た。

 

 

 

 あれ?監視者って制服着てるから、余程のことがないと不審者扱いされないのでは?

 

 ‥‥‥うん、これは今日3回目のミスだな!

 

 もうやだ、堀北に会いたい。

 

 

****

 

 

 浅村が退出して、指導室には私1人だけが残っている。

 

 入学前とは別人ではないかと疑ってしまうほどの成績を残している生徒。予期せず手に入れた3枚目の大駒。それがあいつだ。

 

 初めから目をつけていた2枚はまともに動かせていない。高円寺は唯我独尊を極め、綾小路は頑なに能力を秘匿している。

 

 浅村にしてもAクラス昇格の意欲が豊富には見えないし、不審な点がいくつかある。それでも他の2枚と比べれば、遥かに使い勝手が良かった。成果を出すのであれば、入学後に突然力を発揮し始めた理由や夜間の外出なぞどうでもいい。

 

 奴の気質を把握すればもう少しうまく転がせるかと考えて餌をチラつかせてみたが、出てきたのは意図の読めない要望。

 当初の目論見通りとは行かなかったが、それを踏まえても意義のある話ができた。夏休みの特別試験については既に察知していて、その時に動く心づもりがあるとわかっただけでも十分だ。

 

 浅村に対してはあれで満足して、他の2枚に注力するべきか。

 

 

 

 そんな考えを巡らせていたら突然指導室の扉が開き、星乃宮が入ってくる。

 

「会議疲れたぁ。サエちゃんお茶入れてー」

「‥‥‥仕方ない。座って待っていろ」

「あれ?素直にお願い聞いてくれるなんてサエちゃんご機嫌だね」

 

 そう言いながら給湯室まで星乃宮はついて来る。

 

「そこで浅村君見かけたよ。早足でどこか行っちゃったけど。それと関係があるのかな?」

 

 ‥‥‥自分が思っているよりも浮かれていたかも知れないな。星乃宮が指導室に来た事に疑問も抱かないとは。

 

「生活指導をしていただけだ」

「ふーん?どんな話したの?」

「人の事情に首を突っ込みすぎると嫌われるぞ。浅村に関しては手遅れかも知れんが」

「嫌われてないもん!浅村君が照れ屋さんなだけだから!」

 

 浅村を呼び出した時のやりとりを聞いても、こいつは同じことを言えるのだろうか。

 

「浅村君、すごいよねぇ。中間テストで友達のためにわざと50点取った話、Bクラスでも有名だよ。なんであの子がDクラスなのかな。サエちゃん何か知ってる?」

「私に聞くな。気になるなら理事長にでも確かめるといい」

「本当に聞いてみたいんだよね。サエちゃんのクラスって浅村君以外にも何人か気になる子がいるし」

 

 星之宮が言う通り、今年のDクラスは粒揃いだ。個々の性能を十全に発揮すればAクラスにも届き得る。

 

「‥‥‥サエちゃんさ、もしかしてAクラスに上がれるかもって考えてる?」

「1ヶ月でクラスポイントを0にするような奴らがAクラスまで上がれると思うか?」

「私は無理じゃないって思ってるよ。サエちゃんだって同じでしょ?だから浅村君に目をかけてるんじゃないの?」

 

 ‥‥‥やはり浅村は目立ちすぎているな。2枚目を動かすべきだ。だがどうやって?

 綾小路を動かすために堀北を焚き付けたが効果はなかった。あの少女は能力が未知数な綾小路よりも、ある程度実力を示している浅村をあてにし始めている。

 高円寺を動かす算段は未だについていない。

 

 

 ‥‥‥1つだけ綾小路を動かせる手段がある。それを行使することには流石に躊躇いを覚えていたが、これ以上の駒に恵まれる事がこの先あるとは思えない。この機を逃せば2度と願いは叶わないかもしれない。

 

 

 生徒を脅迫してまで私はAクラスに上がりたいのだろうか?そう自問しても1度傾いた思考の天秤は戻らない。

 

 ああ、認めよう。私は教師として最低の手段ですら用いるほどに、Aクラスを渇望している。

 

 



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12.

 土曜日、佐倉の付き添いで出かける日の朝。特に気にしてなかったけど、休みの日に誰かと出かけるのは初めてだな。

 中間前は情報収集や勉強会で休日が潰れていたし、最近は外を歩き回ったり小説を読んだり袖からカッコよく裁ち鋏を取り出す練習をしたり、そんな感じで過ごしていただけだ。練習の成果を披露する機会は当分なさそうだけど。

 

 長袖が辛い気候になってからそれなりに経っている。天気予報によると今日の最高気温は30度超え。そんな中で長袖を着て出かけるのは不自然だし、どうせなら自慢の前腕を披露したい。仕方ないから裁ち鋏を袖に仕込むのは諦めて、ズボンあたりで妥協するか。腰から取り出すパターンも練習しとかないと。

 

 

 

 待ち合わせの場所に着くと、既に佐倉、櫛田、綾小路は揃っていた。

 早くない?まだ約束した時間まで20分くらいあるんだけど。

 

「3人ともおはよう。待たせちゃったかな?」

「いや、さっき着いたばかりだ」

 

 相手が後から待ち合わせ場所に来た時に言う台詞のテンプレじゃないか。

 綾小路ってやっぱりデートとか女子への対応とかに慣れている気がする。例えば櫛田と一緒にいる時とか、他の男子なら結構デレデレするけど綾小路はそういうのが全然ないんだよな。

 

「浅村君の私服姿って初めて見るかも。なんだか新鮮だね」

 

 俺も櫛田の私服を見るのは初めてだ。うん、スカートがよく似合っている。私服ってやっぱりいいよね。

 堀北は制服以外だと、どんな服を着るんだろうな。なんでも似合うと思うけど、スキニー穿いてる姿とか是非とも見てみたい。見てみたいんだけど、平日の学校以外で堀北を見かけたことがないんだよね。

 

「4人揃ったし、ちょっと早いけどお店行こっか?」

 

 ‥‥‥理由を聞き損ねたけど、佐倉はなんでマスクと帽子なんて装備してるの?

 整った顔立ちしてるのにもったいない。せっかくなんだからもっと披露すればいいのに。

 

 

 

 目的の店に着くと、早い時間だからか他の客は見当たらない。混雑する前に済ませてしまおうと、早速修理を受け付けてるカウンターに向かった。

 幸運にもカウンターの店員は、佐倉が苦手意識を抱いている相手ではないみたいだ。

 

「早めに来て正解だったね。混んでくる前に済ませちゃおうか」

「うん、私達で行ってくるから2人は待っててね」

 

 4人で受付に押しかけても邪魔になる。佐倉と櫛田で手続きをしてもらって、俺と綾小路は遠巻きに様子を見ることになった。

 よし、綾小路とのコミュニケーションタイムだ。この前失った好感度を取り戻さないとな。

 

「今日は付き合ってくれてありがとね。男1人と女子2人だとキツそうでさ」

「別にオレじゃなくても良かったんじゃないか?」

「佐倉さんって人見知りみたいだから、誘って平気そうな奴が平田か綾小路くらいしかいなかったんだ」

「そういうもんか」

「そういうもんさ。だからあんまり怒らないでよ。あんな目立つ誘い方して悪かったとは思ってるんだ。あ、なんか飲む?奢るよ?」

 

 綾小路先輩、午後の紅茶なんて如何ですか?この時間からキメるなんて最高にイケてると思いません?

 

「別に怒ってないから気にしないでいいぞ」

「ならいいけど」

 

 せっかくだから俺はこの赤のワンダを選ぶぜ。節約してたから缶コーヒーとか久々に飲むなぁ。

 ‥‥‥あれ?いつの間にか受付の店員が代わっている。佐倉と櫛田もなんか困ってない?

 

 綾小路に目配せしてカウンターに向かうと、2人の様子がおかしい原因がわかった。今やりとりしている店員が、なんと言うか凄まじいのだ。佐倉が苦手だと言っていた店員って多分こいつだろう。わざわざ付き添いを頼まれただけあるな。

 

「2人ともすごい可愛いね。アイドルみたいだって言われない?」

「そんなぁ、言い過ぎですよ。あ、この紙に書き込めばいいんですよね?」

「そんなことないって、君達かなりレベル高いよ!今年から高校生?」

 

 修理の手続きそっちのけで、かなりの勢いで話しかけている。佐倉と櫛田に向けている視線がすごくイヤらしい。凌辱系作品の主人公とかに居そうな外見をしていて、女に積極的に声を掛ける男か。

  ‥‥‥可能性は低いけど、こいつが時間停止系や催眠系のような能力を持っていたら見過ごせない。後手に回ってしまうけれど、櫛田か佐倉に明らかな異変があったら死角から仕留めよう。意識を刈り取れば能力は発動できないと信じて。

 

「学生っていいよねぇ、僕も君達みたいな子と同じクラスになりたかったなぁ」

「あ、あはは」

 

 櫛田でさえ対応しきれていない。筋金入りだな、この男。

 

「あぁごめんごめん、つい話しすぎちゃったよ。カメラの故障だったね。修理が終わり次第連絡するから、電話番号をここに書いてもらえる?」

「‥‥‥っ」

 

 この男に連絡先を知られることを心配しているのか、用紙を書き込んでいた佐倉の手が止まっている。

 この学校で連絡先知られると現在地とか色々バレるから、それが嫌なんだろうな。俺もやろうと思えば堀北の現在地がいつでも把握できるし。そんなストーカー紛いのことはしてないけど。

 

 硬直している佐倉の心情を察したのか、綾小路が間に割って入り自分の連絡先を書き込んだ。

 

「連絡先、オレのでも問題ありませんよね?」

 

 パーフェクトだ清隆。なんだよ今の、イケメンすぎるだろ。堀北が同じシチュエーションで困ってたら、是非真似させてもらおう。

 ‥‥‥そもそも堀北にあんなキモい視線向けたり困らせたりしたらこいつを潰すけどな?催眠とか掛けたりしてみろ、第3の願いを使ってでも報復してやる。

 

「ちょ、ちょっと君?それは‥‥‥ひっ!」

 

 ‥‥‥あ、やべ。堀北のこと考えてたら、つい缶コーヒー握り潰しちゃった。

 幸い誰にもかからなかったけど、床がコーヒー塗れだ。まだ開けてなかったのに、もったいないことしたな。

 

「すみません、床を汚してしまいました。すぐに拭きます」

「い、いえ!こちらで片付けておきます。ご連絡先もいただきましたし、残りの手続きはこちらで進めますので!ご来店ありがとうございました!」

 

 あれ、もう終わりか?もっとゴネてくるかと思ってたけど、案外すんなりいったな。櫛田と佐倉も変わった様子はなさそうだし、気にし過ぎだったかもしれない。

 ‥‥‥佐倉さん?なんで店員さんに向けてたような目で俺を見ているのでしょうか?

 

 

 

 

 無事に修理の依頼は通せたが、カメラの受け取りまで2週間ほど要すると聞いた佐倉は肩を落としている。その時にも付き添いが必要かもしれないから、一応スケジュールは空けておくか。休みの予定なんて基本入ってないんだけどさ。

 別にボッチなわけではないからね?

 

 さて、ファーストミッションであるカメラの修理依頼を達成したからセカンドミッションにとりかかるか。セカンドミッションの内容?コーヒーぶちまけた俺の名誉回復だよ。

 思ったより店員が酷かったので、軽い打ち上げ気分で俺達はカフェに来ている。佐倉にはカメラのお詫び、櫛田と綾小路には付き添いのお礼をしたかったので、ここの支払いは俺持ちだ。さっきのことは忘れて欲しいという気持ちもそれなりに篭っている。

 

「すみません、今日は付き添っていただいて‥‥‥」

「あはは、あの店員さん凄かったね。私、ちょっとびっくりしちゃった‥‥‥」

 

 カメラが壊れたのは俺のせいだから、佐倉がそんなにかしこまる必要はないと思う。それと櫛田はあの店員を凄かった、ちょっとびっくりしたでよく済ませることができるな。そんなに良い子でストレスとかたまらない?

 

「あの、あ、浅村君と綾小路君もありがとうございます」

 

 かしこまる必要はないから、俺のことを怯えた目で見るのはやめてくれ。追加でチョコケーキ頼んでいいからさ。

 

「綾小路の助け方、カッコ良かったよね。俺なんてコーヒー溢しただけだから見習わないと」

「浅村君のおかげですんなり引き下がったんだと思うよ?でも浅村君がああいうことするって思わなかったから、ちょっとびっくりしたかも」

 

 櫛田さん?「ちょっとびっくり」ってことは、もしかしてあなたの中であのヤベー目付きの店員と俺は同じ扱いなの?泣くよ?

 

「あの店員さん見てたら、なんとなく力が入っちゃってさ」

 

 普段はちゃんとパワー制御してるからあんなことにはなりません。

 だから櫛田も佐倉も怯えないでね?ほら、怖くない怖くない。 

 

「浅村はなんとなくでスチール缶を握り潰すのか」

 

 やっちまったんだから仕方ないだろ?

 

 結局カフェでは、俺の握力についての話が続いた。綾小路が興味を示してどんなものまで潰せるか試そうとか言ってたけど、俺をおもちゃか何かと勘違いしてない?俺で遊んでいいのは堀北だけだから。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

「今日は揚げ物の気分なんだよ」

 

 珍しく須藤の部活がない放課後。たまには一緒に買い出しをさせようとスーパーに向かっていたら、なにやら厄介なことを言い始めた。

 

 作れと?やだよめんどくさい。油の処理とかダルいし、部屋に臭いがつきそうだから絶対にやりません。

 

「昼の定食で揚げ物食べてたよね?今日はオフなんだから、夜くらい油っこいもの控えなよ」

 

 仮にオフじゃなかったとしても、練習の後だから控えろって言うけどな。

 

「オフなんだから好きなもん食わせろって。‥‥‥ん、あれって綾小路じゃねぇか?女と2人でどこ向かってんだ?つか、あの女誰だよ?」

 

 確かに綾小路ともう1人、一緒にいる女子は一之瀬だな。

 

「一之瀬さんだよ。中間前に図書館で会ったでしょ。覚えてないの?」

「あぁ、あいつか。そんな名前だったな。んなことより綾小路のヤツ、女に興味なさそうなフリして抜け駆けか?尾けてみようぜ」

 

 あの2人、人気のない方へ向かっているように見えるな。一之瀬の表情が普段とは違うし、何やら甘酸っぱいイベントの予感。とても気になるのだけど。

 

「‥‥‥やめよう。綾小路のプライベートなんだからさ」

 

 仮にどちらからかの告白だったとして、うまくいくなら良い。けれど、そうなるとは限らない。振るにせよ振られるにせよ、そんな場面を綾小路は見られたくない気がする。

 

「なんだよ、ノリわりぃぞ」

「いいからスーパー行くよ。ほら、早くしないと無料の肉が無くなっちゃうかもしれないし」

「それはヤベェな。豆腐まみれの夕食は勘弁してくれ」

 

 豆腐は身体に良いのに、一体何が不満なのだろうか。湯豆腐と冷奴と麻婆豆腐のチョイスは確かにイケてなかったかもしれないけど。

 

「にしても、最近ちょいちょい出てきたよな。付き合い始めましたってヤツら」

「入学して3ヶ月だからね。それなりに仲の良い男女は付き合い始める頃でしょ」

「俺も、思い切って堀北にアタックしてみっかなぁ」

 

 ‥‥‥ああ、うん。久しぶりだなその話題は。

 中間試験での一件以来、堀北に対して特にアクションを起こしていなかったから、少しだけ期待していたんだけどね。有耶無耶になって違う人と須藤がくっついたりするかもしれないって。

 我ながら情けない願望だけど、今のところ叶う確率は高くなさそうだ。

 

 堀北のことを諦める選択肢なんて俺の中には存在しない。つまり俺と須藤は張り合うことになる。それはある程度踏ん切りが付いているけれど、気に掛かることが1つあるんだよな。

 

 須藤が堀北に対して好意を抱いていることを俺は知っているけど、逆はどうだろう。俺が堀北に対して好意を抱いてることを須藤は多分知らない。

 そんな状態でもし俺が堀北を射止めたとしよう。そうなったら須藤は俺に騙し打ちされたように感じるんじゃないか?

 そんな真似はしたくないし、須藤との関係が拗れるのは嫌だ。だから須藤には早めに堀北への気持ちを明かしておきたい。

 

 明かしておきたいんだけど、正直かなり言いづらい‥‥‥。

 最近の須藤は部活だけじゃなくて勉強も結構がんばっているけど、その原動力って堀北に認めてほしいって気持ちが結構な割合を占めていそうに思える。

 それを考えると、気軽に『実は俺も堀北が好きだったんだ』って言うのもなんだかなぁ。

 

 ただこういうのって、時間が経てば経つほど言いづらくなっていくものなんだよね‥‥‥。

 

 よし、いい加減に腹を決めよう。

 悩んでても仕方ないし後3秒たったら言うぞ。

 

 

 3‥‥‥2‥‥‥1‥‥‥0‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。

 

 

 うん、やっぱりスーパー着いたら言おうかな。今すぐ話さないといけないわけじゃないしね。

 

 ‥‥‥スーパーもう目の前だったわ。

 よし、買い物終わったら言うことにしよう。未来の俺がナイスな言い方を見つけていると信じて。

 

 ってあれ?あの特徴的な頭、もといスキンヘッドは‥‥‥。

 

「葛城?」

「ん、浅村か。久しぶりだな」

 

 振り返った葛城は1人ではなく、隣に男子を連れていた。

 

「そうだね、久しぶり。葛城も夕飯の買い出しに来たの?隣の人は‥‥‥」

「クラスメイトの戸塚弥彦だ。弥彦、この男が前に話した浅村だ」

 

 葛城に紹介されたAクラスの男子、戸塚は値踏みするような視線でこちらを見ている。

 

「ふん、お前がDクラスの浅村か」

 

 うーむ、友好的な感じではないな。学校の仕組み上仕方ないと思うけど。

 

「んだよテメェ、なんか言いたことでもあんのか?」

 

 そして隣の須藤が戸塚に絡んで行く。学校の仕組み上仕方ないってさっきは思ったけど、須藤はもうちょっと穏やかにならないとだめでしょ。

 

「はいはい、大人しくしようね。あ、こいつはクラスメイトの須藤ね」

 

 須藤の肩を掴みながら、自己紹介できない本人に代わって名前を告げる。

 隣の赤髪ヤンキーを落ち着かせて目の前の2人を見ると、葛城も戸塚のことを窘めていた。

 

 なんだろう、葛城に対してすごいシンパシーを感じる。

 

「なるほど、浅村が中間テストで助けた生徒というのはその男か」

「‥‥‥もしかして他のクラスに中間テストのこと広まってたりする?」

「少なくともAクラスでは広まっているな」

 

 ふざけんな、誰だよバラしやがったヤツ。見つけ出したら絶対に後悔させてやる。

 

「それって誰から聞いたか教えてくれない?」

「星乃宮先生だ。授業の時間に話していたぞ」

 

 過去の事を蒸し返しても仕方ない。憎しみの連鎖はどこかで絶たないといけないからな。ここは寛大な心で許してやるとするか。

 

「浅村、早く行かねぇと肉無くなっちまうぞ」

「あ、そうだった」

 

 須藤に促されて急いで目的の場所に向かうと、目当ての品は2つだけ残っていた。

 それを確保して勝利の余韻に浸っていると、後ろにいた戸塚が鼻で笑いながら声をかけてきた。

 

「無料の肉しか食えないなんて、Dクラスは憐れだな。葛城さんもそう思いませんか?」

「俺も可能な限り無料で済ませようと思っていたが」

「おいお前ら、その肉は葛城さんのものだぞ!大人しく譲りやがれ」

 

 こいつ10秒前と言ってることが変わってるけど自覚ないのかな?誰か指摘してあげなよ、かわいそうじゃないか。

 

「よせ弥彦。すまない浅村、悪い奴ではないのだが」

「別に気にしてないよ。それより俺と須藤で2人分貰っちゃって良かったの?」

 

 葛城もこの肉が目当てだったようだし、1つずつ分け合うのが筋だと思うんだけど。

 

「ああ。浅村は倹約しているだろうが、それでもポイントは厳しいんじゃないか?以前は譲ってもらったからな、今回はこちらが譲ろう」

「じゃあ、ありがたく」

 

 

 

 

 スーパーでの買い物は肉を2つ入手すると言う華々しい勝利で終わった。まるで凱旋するような気分で俺は寮に向かっている。さっきの3人も一緒だ。

 葛城と久しぶりに会ったからいろいろ話そうと思って一緒に帰ってるんだけど、須藤と戸塚を放っておくとすぐにいがみ合うから失敗だったかも‥‥‥。

 

 心の中でため息をついていると葛城と目が合った。

 『お前も大変だな』と視線だけで語りかけてくる。同じく視線だけで『お互い頑張ろうね』と返す。

 

 そんなふうに葛城との友情を育んでいたら、いきなり声を掛けられる。

 

 

「ハッ!AクラスとDクラスで仲良くお出かけか?」

 

 Cクラスのリーダーと思われる男、龍園翔。

 気配は感じていたから、タイミングを見計らっていたんだろう。

 

「‥‥‥龍園か」

「そんなに身構えんなよ葛城。お前に用はねぇ」

 

 さて問題です。葛城を除いた3人、須藤、戸塚、俺のうち龍園の目的の人物は一体誰でしょうか?

 

「お前が浅村か?アルベルト達から尻尾巻いて逃げたって聞いたぜ。Dクラスは腰抜けばかり集められているようだな」

 

 選ばれたのは、浅村でした。

 

 

 予想通りだし計画通りだ。

 

 せいぜい俺を狙ってくれ。

 



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13.

 龍園との遭遇は望むところだった。今のところ監視者と繋がっている可能性が最も高いのはCクラスだし、こちらから出向こうかと考えていたくらいだ。

 

「‥‥‥もう一度言ってみろテメェ!」

 

 激昂した須藤が龍園に詰め寄ろうとする。やっぱりこうなるよね。

 教えてくれ、須藤。俺は後何回お前を止めれば良い?

 

「はい須藤ストーップ」

「浅村、お前ムカつかねぇのかよ!?」

「落ち着きなって」

 

 須藤はもうちょっとメンタルをどうにかしないと怖くて目が離せないな。龍園のヤツ、今も楽しそうに見てるし須藤が目を付けられてしまいそうだ。

 

「浅村、龍園達と何かあったのか?」

「俺の友達が何人かCクラスの生徒に声をかけられてさ。トラブルになりそうだからやめてくれないかって話をしようとしたんだ」

 

 葛城に以前のように変に勘違いされてしまう事態を防ぐには、素直に事実を話すことが1番だろう。

 特別棟で『やめてほしい』と言ったのは本当だし何も嘘はついてない。ちょっと煽ったことなんてわざわざ話す必要がないだけだ。

 

「龍園だっけ、俺に何か用?これから夕飯作らなきゃいけないんだ。話があるなら明日にでも時間作るけど」

「何言ってやがる、お前がアルベルト相手に俺の名前を出したんじゃねぇか。わざわざこっちから出向いてやったんだぜ」

「‥‥‥それはありがたいんだけどさ、もう少しゆっくり話せそうな時にして欲しかったな」

 

 できれば龍園とはサシで会いたかった。アルベルトや伊吹がいたとしてもそこまで支障はないけど、須藤や葛城が隣にいる今の状況はいろいろとやりにくい。

 

 龍園が1人で来たということは監視者と龍園に繋がりはない?それとも切り札として監視者を隠している?もしかして龍園自身が監視者か?‥‥‥まだ何とも言えないな。

 

「何だ、俺1人が相手なら逃げねぇのか?」

「怖いと思ったらさっさと逃げるよ」

「ならここで話を済ませてやる。Dクラスの馬鹿共を煽っても食い付きが悪かったが、誰かが入れ知恵をしたな?」

 

 即バレかよ。

 龍園が鋭いのか、須藤の粗暴さがそれだけ信頼されているのか。

 ‥‥‥どっちもありそうだな。

 

「馬鹿共って‥‥‥。因縁つけられても無視する良識が備わってただけでしょ」

「抜かせ。どうせお前、平田、鈴音あたりの仕業だろうが」

 

 SUZUNE?‥‥‥スズネ?

 

 

 

 

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥鈴音???? は?????

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 は???????????????????

 

 

「まぁいい、あんなのは挨拶みたいなもんだ。まずはお前らDクラスから潰してやる。楽しみにしていろ」

 

 そう言うと龍園は踵を返した。

 

 

 

 

 

 あの後葛城達と別れて須藤に夕食をご馳走したみたいだけどあまり覚えていない。

 

 堀北を巡るライバルが須藤以外にも出てきたらしいという、激しく憂慮すべき事柄に考えを巡らせていたからな。

 

 

 もしかしてこの世界って、須藤、平田、綾小路、龍園あたりが攻略対象で堀北が主人公の乙女ゲームだったりする?

 ‥‥‥普通にありそうな気がしてきた。

 

 須藤はとっくに攻略されている。チョロすぎるでしょあいつ。

 

 綾小路だって怪しい。そもそもあいつの席が堀北の隣って時点で問題がある。とてもずるい。100万ポイントくらいならなんとか用意するから売ってくれないかな。

 

 龍園にしてもいきなり鈴音呼びなんておかしすぎる。俺なんて未だに堀北『さん』呼びなのに卑怯だぞ。最初から下の名前で呼んで強引に距離を詰めるスタイルか、確かにドS俺様系は今までいなかったな。‥‥‥まさか元カレとかじゃないよね?

 

 平田は今のところ問題なさそうだけど、油断はできない。あんな優良物件がモブなわけがない。俺がプレイヤーなら真っ先に攻略する。

 

 堀北兄も疑わしく思えてきた。あの夜見かけた時は堀北に乱暴するつもりだって思ったけど、もしかしたら早とちりだったかもしれない。

 『昔のように仕置きが必要か?』って口にしてたのは、投げたり殴ったりとかじゃなくてキスとかハグとかアレだったり?

 まさか昔からそういうことしてんの?‥‥‥さ、流石にホッペにチューとかだよね?

 何にしてもイタすぎる。そんなことを仕置きと称する堀北兄もイタいし、ドヤ顔で止めてた俺もイタすぎる。とても恥ずかしい。

 

 高円寺も確実にモブではないし、AクラスやBクラスからも何人か出てくるに決まってる‥‥‥。

 

 あぁやばいやばい、遊んでる場合じゃない。もっと激しくアピールしないと。

 

 

 

 

 そんなことを考えているうちに朝を迎えていた。

 

 

****

 

 

 うん、昨日は少しばかり冷静ではなかったと思う。冷静ではなかったから、須藤に堀北への好意を告げることができなかったのは全くもって仕方がないことだ。

 

 龍園へ監視者について探ることも失念してたし。

 

 そう、監視者。あの身体能力は単なる学園ものや乙女ゲームには必要がないものに思える。

 いや、もしかしたら隠し攻略キャラ枠なのかもしれない。

 ‥‥‥堀北鈴音乙女ゲー主人公説はかなり有力だがひとまず置いておこう。思考が乱される。

 

 まずは今やるべきことに集中しなければ。

 

「堀北さん、これから時間ある?前に話したカフェの約束なんだけど今日あたりどうかな?」

 

 俺がやるべきなのは、堀北をデートに誘うことだ。ホームルームが終わって須藤が部活に向かった今は誘う機会として最適である。

 別に須藤に隠れてデートしようとしているわけではない。部活の前に余計な雑念を抱かないで済むよう俺なりに須藤へ配慮した結果、このタイミングになっただけに過ぎない。

 

「ええ、構わないわ。実は私からも話したいことがあるの」

「よかった。早めに行かないと席がなくなっちゃうから、カフェでゆっくり聞かせてもらおうかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、俺は今最高の気分だ。何しろ堀北と2人っきりでカフェに来ているのだからな。そう、2人っきりで!!

 なんか別の席に軽井沢達が座っていて明らかにこっちを観察しているけれどそんなの大したことじゃない。

 これで俺はあと10年は戦える。いや、盛り過ぎたな10日くらいにしておくか。‥‥‥10日も堀北に会えなかったら干からびるからやっぱり2日で。

 

「それで堀北さんの話って?」

「勉強会の時に、私はAクラスに上がりたいと話したでしょう。そのために浅村君、あなたの力を貸してくれないかしら」

「‥‥‥この前、少しだけ理由を教えてくれたよね。Aクラスを目指すのはある人に認めてもらうためだって。その認めてもらいたい人って堀北生徒会長?」

「ええ。私は兄さんに認めてもらうために、何としてもAクラスに上がりたいの」

 

 

 

 ほかのおとこめあてにおれをよんだのか

 

 

 

 

 なんてね。

 

 今回はそれなりに予想してたから問題ない。たとえ堀北兄が恋敵だろうと、俺は堀北に手を貸すだけだ。最後にこちらを見てくれればそれで良い。

 

「力を貸すのは全然構わないんだけど、1つ聞いても良いかな?」

「何かしら?」

「なんとなくだけどさ、堀北さんって人に頼ることをしないイメージがあったんだ」

 

 中間試験でも協力を依頼されたけど、あの時は須藤達の勉強会の中心はあくまで堀北で俺はヘルプ要員の1人だったし、協力も一時的なものでしかなかった。

 

「確かに今までは、可能な限り自分の力だけで何かを成し遂げて来たわね」

「だから今回の話を持って来た経緯が気になっているんだけど」

「‥‥‥私なりに、孤高と孤独を履き違えていると兄さんに言われたことを考えてみたわ」

 

 また堀北兄か。

 

「中間試験の時、あなたは迷わずみんなに頭を下げて協力を仰いだでしょう?」

「あぁ、うん」

 

 もうその話は良くない?何でみんな俺を虐めるの?

 

「私もあの姿勢を見習おうと思った。それだけよ」

 

 え、めっちゃ健気じゃん。

 俺だけに声をかけているあたり、まだプライドが干渉している気がするけどそれで良いよ。これから少しずつ頑張ろう。何ならずっと2人で頑張っても良いしね。むしろ2人だけでよくない?

 

「わかった。一緒に頑張ろうね」

「‥‥‥ありがとう、頼りにさせてもらうわ」

 

 うん、何でもやるからどんどん頼りにしてくれ。とりあえず龍園をシメてくれば良い?ライバルも減るし一石二鳥なんだけど。

 

「中間試験の時に、綾小路くんと櫛田さんにも同じ話をしたわ。あの2人も仲間ということになるわね」

 

 ちょっと何言ってるかわかりませんねぇ。

 

 櫛田はいいよ、うん。で、綾小路?またあいつなの?何人に粉かければ気が済むの?

 

「綾小路君はあまり協力的ではないし櫛田さんは私のことが嫌いなようだから、あてにはしないけれど」

 

 信じてたよ綾小路。お前がそんな不埒な真似するはずもないよな。‥‥‥ん、櫛田が堀北のことを嫌っている?

 

「櫛田さんが堀北さんのことを嫌っているって、何かの間違いじゃなくて?」

「本人から直接言われたから間違いないわ。‥‥‥つい話してしまったけれど、他の人には言わないでくれるかしら」

「それはもちろん」

 

 櫛田にも好き嫌いがあるのか。少し意外だけど、いつでもどこでも良い子にしているよりはそっちの方が納得できるな。

 

「当面は2人で連携して、必要があれば他に協力を仰ぐってことでいいかな?」

「ええ、そのつもりよ」

 

 やばい、にやけそう。堀北と仲良くなるのに最高のシチュエーションじゃないか。頑張ってアピールしないと。

 

「なら、いくつか共有しておきたいことがあるんだ」

「何かしら?」

「1つ目はCクラスについて。昨日Cクラスのリーダーらしき生徒と接触したんだ。龍園って名前なんだけど」

「危ない真似はやめて欲しいと言ったはずよ」

 

 何でそうなるのさ?危険な事に自分から近づいてると堀北に思われてるのかもしれない。そのうち誤解を解かないと。

 でも龍園って名前には特段反応してない。これは元カレの線は消えたかな?消えたよね?

 

「何もしてないよ。買い物帰りにあっちから声をかけて来たんだ」

「‥‥‥そうだったのね、ごめんなさい」

「心配してくれたんでしょ?」

 

 誤解は解きたいけどもっと心配して欲しいな、めちゃくちゃ嬉しいから。ポーカーフェイスが崩れてるかもしれないけど、もうどうでもいいや。

 

「それで龍園の発言なんだけどさ。まずはDクラスから潰すから楽しみにしていろ、だって」

「浅村君が危惧していた通り、Cクラスは不穏な気配がするわね。可能ならCクラスと組んでBクラスやAクラスに対抗したかったのだけれど」

 

 Cクラスと組むなんて絶対にありえない。龍園と堀北を近づけてたまるか。

 

「龍園は危険だし、やめた方がいいよ。Bクラスと組む方がまだマシだね」

「‥‥‥一之瀬さんがいるからかしら?」

「いや、Aクラスと組むわけにもいかないから消去法で言ったんだけど」

「‥‥‥そうね、当然のことだったわ」

 

 なんで一之瀬が出てくるんだろう、確かに連絡先は知ってるけど。

 それにしても他のクラスとのパイプをもう少し増やしたいな。Dクラス以外の人間で誰が信頼できるかって話になった時、俺なら真っ先に葛城の名前が挙がる。ただ葛城はAクラス所属だからやりとりが難しい、というか筆頭対抗馬だから余程の事態でないと組むことがない。次点で一之瀬が出てくるけど、こっちはまだ現実的だ。Cクラスなら椎名さんがいるけど、そっちも難しいだろうな。彼女自体は良い人なんだけど、あのクラスは龍園がいる限り無理な気がする。

 

「もう1つ、須藤達がCクラスに絡まれて逃れた話があったよね。それについて俺か平田か堀北さんが入れ知恵したんじゃないかって疑っていたよ」

「龍園という人もそれなりに鋭いのね。実際、あなたの警告が無ければ須藤君あたりはトラブルに発展していたかもしれないわ」

「かもね。その時に堀北さんのことを鈴音って呼んでたんだけど、もしかして龍園と面識があったりする?」

 

 お願いします神様。どうか、どうか何もありませんように。

 あ、お祈りですからね。第3の願いは使わないでください。

 

「少なくとも私に覚えは無いわ。勝手に下の名前を呼ばれるなんて不愉快な話ね」

 

 はい俺の勝ち。見たか龍園、今時ロン毛の俺様系なんて流行らないんだよ。池袋ウェストゲートパークに帰りな。

 

「なら良いんだ。物騒な雰囲気だったしこれからもあまり近づかない方がいいよ」

「それはあなたもよ、浅村君。少しは自分の身を顧みなさい」

 

 堀北が俺のことを心配してくれてる。こんなに嬉しいことはない。

 

「もちろん俺も気をつけるよ。Cクラスについてはこれくらいかな。話が変わるけどさ、見てもらいたいものがあるんだ」

 

 そう言って、堀北兄から受け取ったデータを堀北の端末に転送する。

 

「‥‥‥これは?」

「企業秘密。ここだと他の人に聞かれそうだし、帰ったら電話できる?」

 

 『帰ったら連絡するね』作戦。この前読んだ『狙った女を落とす100の方法』に載っていた手法である。デートが終わった帰宅後にも連絡することで、自分の存在を相手に刻み込むのだ。

 

「わかったわ。いい時間だし、そろそろ帰りましょうか」

「うん、今日は付き合ってくれてありがとう。よかったらまた一緒に来てくれるかな?」

 

 お願いします神様。どうか、どうかまた来てくれますように。

 あ、お祈りですからね。第3の願いはまだ使わないでください。

 

「ポイント次第ね。頻繁には無理だけれど、たまになら構わないわ」

「その時は俺が払うよ。頑張ってクラスポイントを増やさないとだね」

 

 これは勝ちでいいよな?いや、勝ちに決まっている。とりあえず会計を済ませよう。堀北におごるためにポイントを節約していたし、ここが使いどきだ。

 そう思って伝票をつかむと堀北が口を開く。

 

「浅村君、今日は勉強会のお礼で来たはずよ。私が払うわ」

「いや、来てもらっただけで十分だよ。ポイントには余裕があるし俺に払わせて」

「‥‥‥伝票を渡しなさい浅村君」

「え、やだ。俺が払う」

「‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥」

「‥‥‥好きにしなさい。全く強情なんだから」

「お互い様でしょ。これからも誘った時は俺が払うから、ポイントは気にしないでね」 

 

 これで俺はポイントがある限り堀北をデートに誘える。

 

 強引かもしれないけど、たくさんデートしたいからね。

 

 

 

 

 

 そうやって会計を済ませた俺達は、他クラスの分析をしながら2人で寮に向かった。50メートルほど後ろに見知った顔がいたとしても2人なのだ。

 

 結局寮の建物に入るまでこっち見てたな、軽井沢とか篠原とか。そんなにカフェ奢って欲しかったのか?仕方ない、期末試験でのあいつらの頑張り次第では平田と一緒に連れて行ってやろう。

 

 そんなことを考えながら2人でエレベータに乗り込むと、あの夜を思い出した。

 ‥‥‥監視者、早く見つけないとなぁ。今のところ実害はないけどやっぱり心配だし。

 あ、4階についてしまった。グッバイ2人だけの放課後デート、ハロー『帰ったら連絡するね』作戦。

 

「じゃあ、部屋に着いたら連絡してね堀北さん」

「ええ」

 

 部屋に入って荷物を置いた次の瞬間から端末を両手で持って待機する。

 

 

 まだかな?

 

 

 まだかな?

 

 

 まだかな?

 

 

 っ!来た!

 

「もしもし」

『‥‥‥呼び出し音が鳴る前に出たわね』

「そう?ちょうど操作してたタイミングだったからじゃないかな」

 

 流石にやりすぎたかもしれないけど、まあ俺は悪くない。堀北が可愛いのも悪くない。龍園が悪い。

 

『早速だけど、カフェで送付されたデータについて説明してもらえるかしら。見た限りだと過去のクラスポイントの変遷のように思えるわ』

「その通り、そのデータは今の3年生が1、2年の時のクラスポイントの動きらしいんだ。裏は取れていないけど、中間試験までのポイントの動きは整合しているからそれなりに信用していいと思う」

 

 データの提供元もそれなりに信用しているしね。ライバル候補だけど。

 

『これは3年生から手に入れたのかしら?』

「そうだね」

『‥‥‥ポイントにそこまで余裕がない状況でどうやって?』

「とある交換条件で」

 

 あれ?まずくない?堀北兄へおねだりしたことに感づいてない?

 

『入手した時期は?』

「黙秘します」

 

 勘のいい堀北も好きだよ。許してくれるといいんだけど。

 

『まぁいいわ。重要なのはこのデータが役に立つという事実よ』

 

 優しい堀北は大好きだよ。

 

「どうも。それで特に見て欲しいのが8月なんだ。各クラスとも大きくポイントが変動しているでしょ?」

『‥‥‥バカンスかしら?』

 

 即座に気付くなんて、やっぱり鋭いね。

 

「茶柱先生も思わせぶりな反応してたし、何かしらあると思う」

『定期試験と生活態度以外でもクラスポイントが動くのね』

「確証はないけど恐らくは」

『‥‥‥貴重なデータをありがとう。あなたに声をかけて正解だった』

 

 ああ、これはいけないな。堀北に褒められるのはとても嬉しいけど、過剰摂取で堀北中毒になってしまいそうだ。

 

「役に立てたならよかったよ。また何かあったら知らせるから」

『お願いするわ。‥‥‥それじゃあ、明日の準備もあるからそろそろ失礼するわね』

「うん、また明日ね。少し早いけどおやすみなさい」

『ええ、おやすみなさい』

 

 ‥‥‥‥‥‥よしっ!!!!『おやすみなさい』いただいたぞ!脳内メモリーに永久保存だ!

 頭の中でエンドレスにリピートしてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然だが、ちょっとだけ俺の出す問題を真剣に聞いて、答えを考えてみてほしい。

 

 

 問い・今日の堀北との時間はデートであるか否か

 

 

 今日の会話は、Aクラス昇格のための情報交換や分析に終始した。

 人によってはそんなものはデートでもなんでもないと言うかも知れない。

 

 

 だが、答えは是。

 

 

 なぜなら、俺はとても楽しかったからだ。

 

 



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14.

 期末試験まで残り2週間を切った。

 中間試験の時と同様に勉強会を教室で開催しているのだけど、そんなことお構いなしに篠原が俺に話を振ってくる。恋バナとか噂話とか大好きだって言ってたもんね。

 

「浅村君さ、この前堀北さん誘って2人でカフェ行ってたよね?あれってやっぱりデートしてたの?」

 

 Yes, that's right !ってすごく叫びたい。

 堀北が2人でのカフェの時間をどう受け止めてるかわからないし、須藤に隠すような形で行ったものをデートと明言するのは流石に気が引けるから叫ばないけどさ。デートだと言い張って周囲に自慢したい気持ちも大いにあるけどここは我慢一択だ。

 ただ、明言はできなくてもアレは誰がどこからどう見てもデートだろう。そうに決まっている。

 

「なんで堀北さんにだけ奢ってあげるの?ずるくない?」

 

 僻むな軽井沢。俺のモノは堀北のモノと言っても過言ではないからずるくない。それに君には平田というパーフェクトな彼氏がいるだろう?部活に行ってるからここにはいないけどさ。

 

「クラスのこれからについてとか話してたんだ。あ、今解いてもらってる問題集も堀北さんと作ったんだよね」

 

 今言葉にした通り、軽井沢達が取り組んでいる最中の問題集は俺と堀北との合作だ。期末試験対策として作成したが中々の出来だと思う。堀北と共に作ったという事実だけでただの紙の束が愛おしくなってくる。

 

「それだけで2人でカフェいく?他にも何かあるでしょ?」

 

 あるけど話す気はない。

 

 いいから君達ちゃんと勉強しよう?クラスポイントに多少は絡むかもしれないし、今回の試験は余程のことが無い限りは平均点を下げるつもりは無いからね?

 

 

 俺が他の生徒の勉強を見ている間に堀北が何をしているかというと、同じ教室で俺と同じように他の生徒に勉強を教えていた。

 ただ俺とは教える対象が違っていて、俺が全体的に面倒を見て堀北が非常に成績のよろしくない生徒を集中的に教える形になっている。意図した訳では無いけど、旧堀北組では特に成績が振るわない生徒の比率が高かったせいで自然とそうなった。

 中間試験の勉強会を開いた時は図書館を利用していた旧堀北組だけど、その時にCクラスが絡んできたこともあって今回は彼女も教室で勉強を教えている。

 おかげで期末試験前は中間試験の時よりも堀北と一緒にいる時間がずっと長くなりそうだ。やったぜ。

 それに今回はクラス全体でまとまって勉強会を開けているから、教室の方が黒板が使えたりして都合がいいしね。

 

 当然ながら須藤は中間試験で成績が芳しくなかったから堀北の管轄だ。期末試験前だから少しぐらいなら遅れても構わないらしく、ここ最近は30分程勉強会に出席してから部活に向かっていた。

 他の生徒よりも短い時間しか参加できないため、堀北も優先的に対応している。今日はもう部活に向かったけど、教室にいた30分のうち10分くらいは堀北から直接教わっていた。ずるい、俺だって堀北から勉強を教わりたいのに。須藤は俺が勉強見てるんだからそれでいいだろ。

 

 そもそも俺も堀北に勉強を見てもらうべきじゃないかな?中間試験で英語の得点がクラス最下位の俺がなんで他の奴らに教えているんだよ。全科目最下位取れば堀北に面倒見てもらえるのか?

 

 

 堀北に勉強を教えてもらうという余程のことのため、クラスの平均点を下げようか思案していたら茶柱先生が教室に入ってきた。

 

「浅村、この前頼まれたものだ」

 

 そう言って俺に監視カメラの画像、時間、場所が印刷された資料を手渡してくる。以前指導室で話した時に依頼した、不審者に該当しそうな人間のデータだ。

 

 ‥‥‥普通こんな場所で渡す?みんな興味津々でこっちに寄ってきてるんだけど。少し考えればこうなるってわかるだろうに、茶柱先生って案外ぽんこつなのかな?

 

「浅村君、差し支えなければ何を頼んでいたのか教えてくれないかしら?」

 

 堀北も寄って来た。俺のためにこの状況を作ってくれたであろう茶柱先生の深謀遠慮には全くもって感服せざるを得ないな。

 

「ちょっとした情報をお願いしたんだ。Cクラスの件とかがあったからさ」

 

 おっと、堀北が不満そうな顔をしている。可愛い。

 危ないことはやめて欲しいって言われたのは覚えているし、善処するからどうか怒らないで。

 

 誤魔化すように手元の資料に目を落とすと、少しばかり怪しげな人達の画像が並んでいた。何枚かめくって目を通していくうちに、見覚えのある顔が出てくる。

 この前家電量販店で遭遇した強烈な店員、櫛田が言うところのちょっとびっくりしてしまう男が学生寮周辺の監視カメラにそれなりの頻度で写り込んでいた。

 流石にあからさますぎるし、この男は監視者ではないだろうな。こいつが学生服を着ていたら間違いなく通報される。

 アルベルトに匹敵するレベルのキャラの濃さを持っていれば違和感が一周回って見逃してもらえるかもしれないけど、この男では無理だ。アルベルトはキャラが濃いだけで別にキモくないけど、この人はちょっとね‥‥‥。

 

「この男って、この前4人で家電量販店行った時の店員じゃないか?」

 

 ‥‥‥大した情報が無いと思ってここで確認したけど失敗だったな。

 後ろから覗き込んでいた綾小路も気付いたみたいだ。近くにいた佐倉にも聞こえてしまったようで、顔を青くしている。

 

「‥‥‥どうだろうね?」

 

 この情報自体、周知するまでも無いものという前提で用意してもらった。それを考えるとこれを根拠に対処するのは難しいな。こちらが気にし過ぎなだけの可能性もあるし。

 

 ‥‥‥佐倉が凄い不安そうな顔をしているからどうにかしてあげたいけれど、期末試験が終わるまでは動けそうに無い。

 

 

 

 

 

 ちょっとやらかしたけど、気を取り直して勉強会を進めてそろそろいい時間になってきた。

 

「うん、今日はここまでにしよう。わからないところがあったらチャットで答えるから、みんな帰ったら復習しといてね」

 

 軽井沢とか軽井沢とか軽井沢とかは特に復習するように。もし赤点取らせたりしたら平田に申し訳が立たない。

 池とか山内も堀北じゃなくて俺に聞いてもいいからね?むしろそうしてくれ。

 

 

「浅村君、今日も須藤君のこと迎えにいくの!?」

 

 何人かの女子が鼻血を出しながら問いかけてくる。最近かなりの頻度で鼻血を出しているので受診を薦めたが、身体にはこれといった問題は見つからなかったらしい。

 これだけ鼻血を出しているのに問題ないわけがない、絶対に診察した医者はヤブだ。

 

「そうだね、そろそろ部活終わってる頃だろうから。じゃあみんな、また明日」

 

 彼女達が言うように、ここ最近は須藤の部活が終わる時間を見計らって迎えに行っている。できることなら堀北と一緒に帰りたいんだけど、そうも言っていられないんだよな。

 

 

 

 

 

 待ち合わせ場所に着くと、須藤がイラついている様子で待っていた。

 原因はわかっている。少し離れて須藤を眺めている、バスケ部所属のCクラスの生徒のせいだ。小宮と近藤って名前らしいけど、面倒臭いから合わせてKKって呼ぼう。

 

「‥‥‥いちいちニヤケ面でこっち見てんじゃねぇぞ、お前ら」

「おい聞いたかよ?見てるだけで文句つけてくるなんて流石にレギュラー候補様は違うな」

 

 ‥‥‥俺が毎日迎えに来ている理由の1つがこれだった。須藤が爆発しそうで心配なんだよね。

 龍園と遭遇してから、Cクラスの須藤への煽りが激しさを増している。

 今のところは須藤も手を出さずに済んでいるみたいだけど、かなりストレス感じてそうだしどこまで我慢できるかな。

 須藤が煽りを気にしなくなれば解決するんだけど、すぐには無理だろうね。今はなるべく傍にいて何かあった時に宥めたりするくらいしかできない。

 

「お待たせ須藤。今日の復習しないとでしょ?さっさと帰ろう」

 

 須藤を煽っていたKKは無視して、その場から素早く離れる。

 あいつらって俺が須藤の傍にいる時はなにも仕掛けてこないんだよな。

 

 

 

 

「あのクソヤロウども!こっちが大人しいからって調子に乗りやがって!」

 

 あんまり大人しくないよね?我慢してるのはわかるから言わないけどさ。

 

 しかしどうしたもんかな。

 俺がこれから先も四六時中須藤に付きっきりってわけにはいかないし、夏休みあたりで鋼の精神力を身につけてもらうとするか。

 ‥‥‥どうやって身につけてもらおうか?みんなで須藤を煽りまくれば嫌でも慣れるかな?

 

 もう夏休みにやることがてんこ盛りだ、全然嬉しくないけど。

 なんで堀北との予定が1つもないんだよ!

 

 ‥‥‥とりあえずあと2週間は俺が頑張るしかないな。

 

「あんな奴らは相手しないのが1番だよ。人目がないところで突っかかることしか出来ないんだからさ」

 

 須藤もそんなことはわかっているんだろうけど、どうしようもないんだろうね。

 俺の半分でもいいから、動じない精神を獲得して欲しいものだ。

 

 

 

 

 ‥‥‥うん、いつも通り尾けられてるね。KKも含めて4人か。

 

 龍園が俺をターゲットにするよう誘導するつもりだったけど、堀北を『鈴音』呼びされた衝撃ですっかり忘れていた。

 

 その結果がこれだよ、完全に須藤が狙われている。

 

 結構大雑把な性格の須藤でも気付くくらいにはあからさま尾行。

 それがさらに須藤のストレスになっているみたいだ。

 

「あいつらいつまで俺達をつけ回す気だ?今日で何日目だよ」

 

 あえて気付かせて須藤をイラつかせるのが目的だろうけど、効果は抜群だな。かと言ってあまり須藤を責めることはできない。

 仮に他のクラスメイトが狙われたとしても、これよりいい結果になるとも思えないから。

 須藤みたいにイラつくことはなかったとしても、不安や憔悴でひどいことになっているかもしれない。

 須藤は負けん気もフィジカルも強いから、言っちゃ悪いけど狙われたのがこいつでまだマシだったとも思っている。俺がターゲットにされるのがベストだったんだけどさ、やらかしたから代わりに須藤を守ろう。

 

「きっと暇なんだろうね。須藤はバスケと勉強で忙しいんだから構うことはないよ」

 

 本当にバスケと勉強だけに専念してほしい。女に現を抜かす暇はないだろうし、堀北にも構わないでいいからね?

 

 

****

 

 

 いつも通り放課後に勉強会を開いていたら、その日は参加していなかった綾小路から突然連絡が入った。

 

『佐倉が例の店員と2人で会っているみたいだ』

 

 正直意味がわからない。あの店員に対してひどく怯えていた佐倉が、なんでわざわざ2人で会っているんだ?実はあの店員と佐倉が付き合っていて、俺と綾小路と櫛田は特殊なプレイに付き合わされたとか?

 ‥‥‥ふざけてる場合じゃないな。綾小路の声もどことなく張り詰めていたし、理由は後回しだ。

 

「堀北さん、悪いんだけど勉強会任せてもいいかな?事情は後で話すから。ごめんね」

 

 返事を待たずに身体一つと学生証だけで教室を飛び出し、端末に映る綾小路の現在地を目指す。

 

 少しでも早く着くために人目のないところでは全力に近いスピードで走り、綾小路の知らせから大した間もなく本人の下へ到着した。

 

「‥‥‥もう着いたのか」

「急いだからね。それで佐倉さんは?」

 

 綾小路が視線を送った先にはかなり興奮している例の店員、そして佐倉が居た。店員はこの前以上の勢いで捲し立てていて、佐倉は明らかに怯えている。

 

「‥‥‥助けに入らないの?」

「もう少し様子を見よう」

 

 そう言って綾小路は端末のカメラを起動して動画を撮影し始めた。‥‥‥確かに決定的な場面を撮った後の方があいつをどうにかしやすいんだけどさ。

 あそこ監視カメラの視界内だから、撮らなくても良さそうだけど。

 

 綾小路の意見に従って待機していると、佐倉と店員のやりとりが聞こえて来る。

 どうやら男は以前から佐倉を知っていて、手紙を送ったりしてアプローチしていたらしい。

 その店員、もといストーカーの主張は佐倉の気持ちを汲まない一方的なもので、正直聞くに堪えなかった。

 『狙った女を落とす100の方法』を是非とも読み聞かせてやりたい。

 

 

「もうやめてください‥‥‥迷惑なんです!」

 

 そう叫んだ佐倉は手に持っていた手紙を地面に叩きつける。ストーカーが書いたらしいあの手紙、結構な量だけどわざわざ保存してたのか?

 

 ‥‥‥あぁ、まずい。あのストーカー完全にキレたな。

 

「どうしてこんなことをするんだよ!僕は本当に君が好きなのに!」

 

 そう喚きながら佐倉の肩を掴んで壁に押さえつけている。

 

 限界だな、流石にこれ以上は見過ごせない。

 

 ストーカーを制圧するために前に出ようとすると、綾小路の手に留められた。

 この期に及んで静観するつもりなのか、そう抗議しようと綾小路を見やると何かを手渡された。

 

 

 

 

 

 

 赤のワンダだった。

 

 

 綾小路さん?

 

 

「あ〜見ちゃったっすよぉ、おっさん。なんかヤバめなことしてませんでしたかぁ?」

 

 綾小路さん??言語野バグってない??もしかしてその男から催眠か何か食らった??

 

 ‥‥‥あまり変わることのない表情に俺へ向ける視線、いつも通りの綾小路だ。違和感が凄まじいけど多分演技をしているんだろうな。

 

 そんなことよりさ、なんで赤のワンダを俺に渡したんだ??

 

「き、君達はこの前の!?いや、これは違うんだ!ちょっと話していただけなんだよ!」

「ほんとですかぁ?オレの隣にいる奴、そういうの許せないタチなんすよねぇ〜。早く逃げないとヤバイんじゃないすか?」

 

 綾小路さん???何適当なこと言ってるの???いや、佐倉に手を出したことは確かに許しがたいけどさ???

 そっちのストーカーもなんで俺を見てそんなに怯えてるの???俺のことなんだと思ってるの???

 

 

 

 

 ‥‥‥もういい、ヤケだ。

 

 俺は手に持った赤のワンダを一瞬で握り潰す。

 これがホントのコーヒーブレイク。

 

 破裂した勢いで茶色い液体が壁に飛び散る。トマトジュースだったらとてもスプラッターなワンシーンにできたかもしれない。

 

「‥‥‥佐倉さんから離れてくれませんか?怯えてしまっています」

 

 ストーカーだけでなく佐倉までもが俺に対して怯えた視線を向けている気がする。クラスメイトにビビられるのも嫌なので、紳士的な態度で語りかけた。

 

 

 ストーカーは叫び声を上げて逃げ出した。

 

 

 なんでだよ!普通に話しかけたじゃないか。

 あ、ちょうど駆けつけてきた警備員に捕まったな。ざまあみろ。

 

 カメラの監視範囲内とは言え、迅速な対応は流石だ。

 綾小路が介入したタイミングも結果的には完璧だった。

 

 ‥‥‥よく考えたら俺いらなかったよね?綾小路1人でもほとんど対処できたでしょ。警備員が来た時だって予想してたような反応だったし。

 

 俺を呼びつけたのはまだ理解できなくもないけど、なんでワンダを渡した?わざわざ準備してたんだよね?この前のことでからかってるの?

 

 綾小路に問い質してやりたいけど、いろいろあって動揺している佐倉の相手をしてる間は見逃してやるか。

 

 

 

 というか、いつの間にか須藤の部活終わりの時間が過ぎている。

 

 ここは綾小路に任せて早く須藤を迎えに行かないと。あぁでも先に帰ってるかもな。

 

 そう考えて端末を取り出す。

 

 須藤の現在地を確認すると、特別棟を示していた。

 

 




綾小路の口調については、私がふざけたわけではなく原作でもこんな感じです。ほんとに。


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15.

 今まで何回もやらかしてるけど、今回のは最悪だ。

 須藤が特別棟にいる理由なんてCクラス絡みに決まっている。

 挑発されて我慢できなかったのか?力づくで連れて行かれたってのは流石に無いと思いたい。

 

 ‥‥‥そもそもCクラス、龍園の狙いは?

 監視者が噛んでいるなら俺狙いも有り得る。あぁくそ、もっと有事に備えておくべきだったな。もし大きな仕掛けがあったら、裁ち鋏だけで須藤まで守り切れるかわからない。

 

 

 特別棟が見えて来た、考えるのは後回しだ。間に合うといいんだけど。

 

 建物に入ると、上の階から聞こえて来る怒号。その発生源へ向かって階段を駆け上がる。

 

 すぐに目的の場所へ着くと、5人の男子が視界に入った。

 龍園、小宮、近藤、そして尻餅をついて頬を押さえている石崎と、興奮しているせいか肩で息をしている須藤。

 

 須藤の拳は少し赤くなっている。これは、石崎を殴ったな。

 

 でも良かった、須藤には怪我を負った様子はない。‥‥‥手を出してしまったことについては全くもって良くないけど。罰として今後堀北の勉強会は参加禁止だ。

 

 ただ、それも今は関係ないこと。

 ひとまず須藤に声を掛けながら駆け寄ると、5人全員がこちらへ気付いた。

 

 これ以上の衝突を抑えるため、須藤と龍園達の間に割り込む。そのまま赤髪の友人を背中で押して4人からの距離を確保。

 興奮している須藤に少し抵抗されたけど、それはなんとか抑え込んだ。

 

「よぉ。遅いお迎えだな。ちょうど今、ソイツが手を出しやがった。大問題だぜ」

 

 須藤1人をCクラスの男子4人で囲んでおきながら、全く悪びれない様子の龍園が言い放つ。

 尻餅を着いていた石崎は立ち上がると、俺と龍園の間に位置取った。

 須藤の殴打も1発程度だと大したダメージでは無いらしい。龍園が気に入っているだけあってなかなかのタフネスだ。

 

「どうせそっちが須藤を挑発したんだろ?今までだって散々煽っていたんだし」

「言いがかりだな、証拠はあるのかよ?石崎は顔を殴られてるんだぜ」

 

 ‥‥‥須藤のやつ、1番目立つところを殴ってくれたものだ。

 

「こんな場所に呼び出して4人で囲んだのはそっちだろう?それくらいの反応は予想して然るべきだよ」

「過程なんて大した問題じゃねぇ。結果的にお前らは無傷、俺達には怪我人がいるんだ」

 

 確かにこちらだけが手を出してしまったという事実は重い。

 このままだと須藤がレギュラーになる話は危ういし、俺達のクラスポイントも影響を受けてしまう。

 赤点を取っただけで退学させる学校であることを考慮すると、暴行事件は一発で退学という可能性もある。

 

 そんな結末にはさせないけど。

 ‥‥‥喧嘩慣れしてそうな石崎にしようか。

 

「石崎だったよね?この前もここで会ったけど、今回は須藤を狙ったわけだ」

「なんだよ、なにか文句でもあんのか?‥‥‥っ!?」

 

 声を掛けたことでこちらを警戒していた石崎へ、一瞬で距離を詰める。

 相手は反射的に右手を繰り出して来た。

 

 俺はその拳を避けない。むしろ、狙いの甘いその一撃へ自分の顔を合わせた。

 

 

 次の瞬間頬へ衝撃が走り、口の中に鉄の味が広がる。

 

 

 俺以外の全員、殴った本人である石崎さえも呆気に取られていた。

 ‥‥‥いや、龍園だけはそうでもない。

 

「‥‥‥痛いな。いきなり石崎に殴られたんだけど、これも大問題になりそうだね」

「お、お前が急に突っ込んできたんじゃねぇか!‥‥‥すいません龍園さん。咄嗟に手が出て」

「過程なんて大した問題じゃない。そうだろ、龍園?」

 

 龍園は口の端を吊り上げて黙ったまま。話を続けろって事だろう。

 ‥‥‥自分から拳に突っ込んだから、そこそこ痛いし少し喋りにくいんだけど。

 

「俺と石崎が揉めてお互い1発ずつもらった。クラスポイントが減るのはどちらにとっても望むところではないから、ここで起きた事は双方口外しない。そんな感じでどうかな?」

 

 この前遭遇した時に挨拶みたいなものだと言っていたし、このトラブルだけでDクラスを潰そうなんて思ってはいないだろう。龍園からしたらこちらの出方を確認できればある程度の目的は達しているはず。

 

「それとも徹底的にやり合う?Cクラスにとってもあまり得策じゃ無いと思うんだけど」

 

 あちらは492、こちらは84のクラスポイントを賭けた俺達が圧倒的に有利なチキンレース。それでも張り合って来るような奴だったら交渉は成り立たないけど、そんな思考をする相手ならどのみちぶつかる。

 

 龍園は相変わらずニヤけた顔のまま、ゆっくりと口を開いた。

 

「‥‥‥いいぜ、乗ってやる。石崎とお前がじゃれ合ってちょっとした怪我をしたが問題行為はなかった。そういうことだな?」

「そうだね、石崎との間に遺恨はないよ」

「決まりだ。明日になってその綺麗な面が腫れ上がってても文句を言うなよ」

「そっちこそ」

 

 

 話は終わりだ、こんな場所さっさと離れよう。

 そう考えて階段を顎で指し、須藤を促した。

 

 

 

 お互いに何も話さないまま、階段を下りて出口に向かう。

 須藤はかなり気まずそうだけど、俺から声を掛ける気はない。喋りにくいのもあるけど、今回のことは少し怒っているのだ。

 

 

 

 そして出口へ到着。建物を出ると、目の前には黒髪の少女が立っていた。

 これは大変よろしくない、そんな予感がする。

 

「浅村君、鞄置いていったままだったわよ」

「‥‥‥わざわざ持って来てくれたんだね。ありがとう」

「どういたしまして。ところで、教室を飛び出す時に言っていたわね?後で事情を話すと」

 

 目の前の堀北はいつも通り落ち着いた表情で、とても可愛らしいけど間違いない。

 

「いきなり勉強会を放り出してこんなとこに居た挙句、あなたが怪我をしている理由は教えてもらえるのかしら?」

 

 少しどころではなく、大変怒っていらっしゃいますね。

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえず立ち話もアレなので、近くのベンチで話すことに。

 治療を優先するよう言われたけど、話が終わってからで十分だ。

 

 ベンチには堀北だけが座り俺と須藤は起立している。

 多分俺達は、これから怒られる。どうか嫌われませんように。

 

「それでは聞かせてもらおうかしら、浅村君が怪我をした理由とやらを」

 

 腕組みしたまま、立っている俺を上目遣いで睨んでくる堀北。可愛い。

 

「‥‥‥順を追って話すね。まず教室を飛び出した理由なんだけど、綾小路から連絡が入ったんだ。佐倉さんが危ないって」

「だから助けるために飛び出した、と。佐倉さんは無事だったのかしら?」

 

 無事だったけど、あれは俺がいなくてもどうにかなった。綾小路が目立つことを嫌がって、その代わりにいいように使われた気がする。

 まぁ、あいつにはなんだかんだ世話になってるし、佐倉さんの悩みも解決したかったから構わないんだけど。

 

「それは大丈夫。怖い目に遭って少し怯えていたけど、綾小路が一緒にいるはずだし」

「ならいいわ。それで、続きがあるのでしょう?」

「その後急いで特別棟に向かったんだ」

「なぜ?」

 

 さて、なんて答えたものか。ありのままを伝えると須藤の株が下がりそうだし。

 

「その、虫の知らせってやつで」

「‥‥‥教えてくれる気はない。そういうことかしら?」

 

 いや、違うんだ。ただちょっと、ナイスな言い方を考えさせてほしいだけで。

 

「俺がCクラスの連中と揉めてたんだよ。浅村は後から来たんだ」

 

 俺がいい感じに伝えようとしてたのに、その努力を踏みにじりやがる須藤。

 それだけじゃなくて、龍園との約束にも抵触してる発言だ。

 

「須藤、黙ってて」

「でもよ、浅村」

「いいから」

「‥‥‥わかった」

「浅村君?どういうことかしら?」

 

 本当のことを言えないのは辛い。嫌われてしまうんじゃないかという不安が少しづつ大きくなっていく。

 

「ごめんね堀北さん。何があったかは言えないんだ。‥‥‥言わないんじゃなくて、言えない」

 

 Cクラスとの約束を違えてしまえば、俺がわざと殴られた意味も無くなってしまう。須藤がレギュラーになる話は頓挫させたくないのだ。

 

「結果としてはCクラスの石崎って男子と俺が怪我をしたけど、お互いにあの場所であったことについては申し立てをしない。そういうことになったんだ。少なくともこの件でDクラスに悪影響は及ぼさせないよ」

「‥‥‥そんな話では無いでしょう。危険な真似はやめてほしいと言ったわよね?」

 

 確かにあまりスマートなやり方ではないけど、穏便に済ませる道筋がこれ以外に思いつかなかった。

 

「うん、それについては本当にごめんなさい」

「あなたは一体「待てよ堀北」‥‥‥須藤君、何かしら?」

 

 ひたすら黙っていてほしいのに、口を挟んでくる須藤。

 

「さっきも言っただろ、浅村は後から来たって」

 

 またしても違約になりかねない言動をしたので止めたいが、堀北が目線で俺を制してくる。

 

「特別棟で何があったかは言えねぇけど、それ以外は良いんだろ?部活が終わった後によ、いつもみたいに小宮達が絡んできやがったんだ」

 

 そういえば、須藤が特別棟にいた経緯は俺もまだ聞いていない。

 

「もちろん最初は無視してたぜ?ただ、普段はすぐ来る浅村が今日は遅くてな。その間もあいつらは好き勝手言ってきて、しまいにゃお前達までコケにしやがったんだ。不良品だとかいろいろ言われて、それで頭にきちまってよ‥‥‥」

 

 ‥‥‥ここで主人公気質が出てくるのか。嬉しいような、そうじゃないような複雑な気持ちだ。

 

「‥‥‥いつもみたいに?浅村君とあなたが最近一緒に帰っているのは知っていたけど、そんな事情があったのね」

 

 黙っていた俺を責めるように堀北が見てくる。

 違うんですよ堀北さん。いや、何も違わないんだけど。

 

「それであなたは特別棟にCクラスの人達と居て、そこに浅村君が現れたのかしら?」

「ああ」

 

 今の話だけだと、俺がまるで黒幕みたいじゃないか。そんな風には思われないって信じてるけど。

 

「あなたが浅村君の助言通りにしていれば、今回の事は起こらなかったというわけね」

「‥‥‥そうだな」

 

 事実ではある。けれど今回起きたトラブルの原因全てを、明らかに組織的な嫌がらせを受けていた須藤に求めるのは酷だ。

 

「待って堀北さん。須藤はここ何日もCクラスから狙い撃ちにされていたんだ」

 

 俺だってやらかした責任があるし、須藤がいなかったとしてもどうせ他のやつが狙われていた。今後もこういったことに対応するなら、個人の責任で話を終わらせてはいけない。

 

「わかっているわ。須藤君には大いに反省してほしいと思っているけれど、彼だけを責める気はないもの」

 

 そう言ってこちらをジト目で見てくる。

 はい、俺も反省します。

 

「俺も同じ轍は踏まないよ。今回の反省点は他の人に事情を説明しなかったこと、自分だけで須藤が狙われた状況に対処しようとしたことだね」

 

 他の奴らに説明しなかった理由は単純。

 Dクラスを統制できていない、そんな状況でまともにぶつかりたくないから。

 だからCクラスに対してのヘイトをクラスメイト達に抱かせたくなかったのだ。

 俺も平田も櫛田もDクラスへの影響力は持っていても、そこまで強いものでは無い。軽井沢は自分のグループに対しては強力な権威を誇っているけど、他のクラスメイトにはからっきしだし。

 

 ‥‥‥なるべく荒事に巻き込みたくなかったんだけど、やっぱり堀北には共有しておくべきだった。

 でもそうなると、今日は堀北が須藤を迎えに行ったのかもしれない。‥‥‥この2人が一緒に帰ってる場面なんて想像するだけで吐きそうだ。

 

「だから、今度からはできるだけ知らせるようにする」

「そうして欲しいものね。あなたの行いはクラスのためだとは信じているけれど、詳細を教えてくれないのはどうかと思っていたから」

 

 結局、俺1人だけだと限界がある。想定外があった時の対応ができない。

 

「経緯はわかったわ。もうすぐ日が暮れるし、今日は終わりにしましょう」

「そうだね、帰ろうか」

 

 そう言って3人で寮に向かおうとすると、堀北がジト目でこちらを見てくる。

 

「‥‥‥浅村君はこっちではないでしょう?保健室に向かいなさい」

 

 え、やだよ。須藤と堀北の2人で帰らせるとか無理です吐きます。それに星乃宮先生に治療されたら、むしろ悪化しそうだ。

 

「あまり大事にしたくないんだ。大した傷じゃないしすぐに治るよ」

 

 実際に口の中はわざと切ったようなものだし、既に血は止まっている。この調子なら、明日の朝にはほとんど治っているだろう。

 

「‥‥‥」

「‥‥‥」

 

 睨まれてもこればっかりはダメ。ここは譲れません。

 

「‥‥‥あなた、一度言い出したら聞かないんでしょうね。この前もそうだったもの」

「いや、本当に大丈夫だから心配しないで」

「そうはいかないわ。今から私の部屋に来なさい。手当てしてあげるから」

 

 おっと?

 

「自分で診るから大丈夫だよ」

「信用できないわね。まさかこれも断るつもりかしら?」

「えっと、その」

 

 お邪魔したい気持ちはすごいある。正直喜びを覚えているほどだ。

 だけど同じくらい、須藤に対して申し訳ないような気持ちを感じてしまう。本人は特に何も思っていないのかもしれないけど、それを確認するのが怖くて須藤の方を見れない。

 

「浅村のこと頼むな。俺はスーパー寄ってから帰るわ」

 

 そう言って離れていく須藤。

 

 ‥‥‥結局特別棟を出てから、須藤とまともに話せなかった。

 明日、ちゃんと話すことにしよう。

 

 

 

****

 

 

 

 堀北の部屋ナウ。めちゃめちゃ緊張する。

 さっきは須藤に気兼ねしてたけど、よく考えたら傷を診てもらうだけだし、特に色っぽい事情があるわけでは無い。

 堀北はいつも通りだし、俺だけが変に意識しすぎていたということだ。

 

「何があったかは聞かないけど、顔を痛めたのは事実なのよね?」

「はい」

 

 緊張して受け答えが怪しくなってしまう。堀北の部屋を楽しむ余裕なんてカケラもない。

 

 そんなことを考えていたら、綿棒を持った堀北がとんでもないことを言い出した

 

「特別棟から出てきた時、口から少し血を流していたわ。中を切っているでしょうし、歯に異常があるかもしれないわね。確認するから開けなさい」

 

 ちょっと待って。

 くちの中見るの?

 わざわざそんなことしなくていいから。

 大丈夫だってほんとに。

 明日には治ってるよマジで。

 神様助けて。

 

「浅村君?」

 

 ‥‥‥無理無理。ほんとに口の中見せるとかマヂ無理。

 

 待ってください。せめて歯を磨かせてください。後生ですから。

 ‥‥‥この部屋にある歯ブラシを借して欲しいなんて言いだす勇気が俺にあるだろうか、いやない。

 

「もしかして、開けられないほど痛いのかしら?」

 

 そう言って、どこか心配そうな顔をする堀北。‥‥‥石崎め、絶対許さない。この恨みはらさでおくべきか 。

 ‥‥‥堀北に余計な心配させたく無いし諦めよう。息は止めるけど。

 

 

 よし、落ち着け俺。こういう時は好きなものを数えるんだ。

 

 堀北が1人、堀北が2人、堀北が3人、堀北が4人、堀北が‥‥‥

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「‥‥‥‥‥‥歯は問題なし。頬の内側が少し切れてるけれど、小さな傷だし血は止まっているわ」

 

 あれ?もう終わったの?あっという間だった。

 

「確かに大丈夫みたいね。跡になりそうな傷じゃなくて良かった」

 

 そう言って頬にガーゼを貼ってくる。

 あっという間だったけど、今までで1番強烈な時間だった気がする。

 

「‥‥‥診てくれてありがとう」

「大した事はしてないわ。できればきちんと診察を受けて欲しいのだけれど」

「明日になっても痛みが続いてたらそうするよ」

 

 めちゃくちゃ緊張していたけど、それも終わり。

 堀北の部屋なんていつ来れるか分からないし、もっと堪能しておくべきだっただろうか。

 

「‥‥‥今回のトラブル、あなたが須藤君のために身体を張ったのでしょう?」

 

 どうやらお話ししてくれる模様。

 

 

****

 

 

「‥‥‥今回のトラブル、あなたが須藤君のために身体を張ったのでしょう?」

 

 こちらの質問に対して、浅村君は何も答えない。私も返事なんて期待していなかった。

 

「あなたの献身は美徳だと思うわ。けれど何も知らされていない状況で、知らないうちにそういったことをされるのは、とてももどかしいのよ」

 

 ついさっきも浅村君に伝えた、嘘偽りのない私の気持ち。

 彼は裏でいろいろ動いているみたいだけれど、詳細は教えてもらえないことばかりだ。

 そういった部分に限って危険そうな雰囲気がしていて、それがとても不愉快だった。

 

「Aクラスに上がるために力を貸して欲しい。私がそうお願いして、あなたは承諾してくれたわね」

 

 聞き入れてもらえるか分からなかったから、彼が頷いてくれた時はとても安心できたのに。

 

「あの時、あなたと私は仲間や、その、友人のようなものになったと解釈していたわ」

「‥‥‥うん、俺もそう思ってる」

「なら、1人だけで動くのはやめて欲しいものね。それとも私なんて、あなたにとっては信用に値しない存在なのかしら?」

 

 我ながらこの言い方は卑怯だと思う。彼がどう答えるかなんてわかり切っているのだから。

 

「そんなことはない。中間の時も勉強会の時も、一番頼りにしているのは堀北さんだった。これからもそれは変わらない」

 

 

 望んでいた答えを聞けて、喜びを感じているというのに。

 

 ‥‥‥それでも満たされないのは何故なのかしら?

 




いつも誤字報告ありがとうございます。
今回わざと漢字ではなく平仮名表記にしている部分があります。
ネタのためにそうしているのですが、結構誤字報告頂いてるのでわかりづらかったかもしれません‥‥‥。

数少ない笑いどころとして突っ込んだのですが反応いただけてないので、私が思っているほど有名なネタじゃないのかもです。
縦読みなのがいけないのでしょうか。


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16.

 さっきまで堀北の部屋にお邪魔していたのが夢みたいに感じる。招待されたことだけでも信じられないのに、堀北から友人と認めてもらえたなんて出来過ぎだ。

 

 ‥‥‥さっきの堀北、すごく可愛かったな。部屋も素敵だったし。

 

 自分の部屋までどうやって戻ってきたか、実はよく覚えてないんだよね。頬のガーゼがなかったら本当に夢だと思っていたかもしれない。

 

 それにしても友人、友人だってさ。

 堀北、俺のことを友人って思ってるんだってさ。えへへ。

 中間試験の時は俺のことをただのクラスメイトだって言っていたけど、それが今は友人。

 照れてるような言い方と相まってすごくクラっと来たよね。

 すごく可愛い友人を持てて、俺はとても幸せ。

 

 

 いきなりだけど、男女の人間関係って大きく分けると他人、知人、友人、恋人、夫婦の5段階があると思うんだ。

 そして俺は今日堀北の友人になった。いや、なったのはこの前カフェに行った時か?

 まあ何にせよ5段階中3段階目、現在は折り返し地点。このまま行けば2学期中に結婚できるかもなんて期待してしまう。

 

 

 なんてね、心配ご無用。結婚なんてまだまだ気が早いのは十分理解している。

 

 

 だって堀北も俺も結婚可能な年齢になっていないからね。

 

 それは仕方がないことだけど、懸念事項がある。

 女子の婚姻が認められている年齢は満16歳だから、堀北は来年にも結婚できる。

 だというのに俺が結婚出来る年齢は満18歳。まだ2年以上先の話だ。長い、あまりにも長すぎる。

 その間に愛しの彼女が堀北兄と結婚してしまったらと考えるだけで胸が張り裂けそうになる。

 

 須藤が堀北に惚れるまで約2ヶ月。2年間もあったらあの赤髪チョロインなんて12回は周回攻略されてしまう。

 堀北は須藤みたいにチョロくないけど、だからといって安心はできない。

 まだ見ぬ年上属性が現れる可能性だってあるし。

 ‥‥‥そういえば男の教師が何人かいるな、Aクラス担任の真嶋先生とかCクラス担任の坂上先生とか。

 

 一応攻略法はある。

 性転換すれば俺も来年には結婚が可能だ。幸いにも第3の願いがまだ残っている。

 

 いやダメだ、そもそも未成年だと親の同意が必要だったな。

 この学校は親も含めた外部と連絡を取ることが許されていない。

 条件を満たせない。

 

 ‥‥‥願いが不足している、そんな理由で堀北を取られていいのか?

 発想を変えるんだ。俺じゃなくて法律に手を加えればいい。

 結婚可能年齢は15歳辺りに、親の同意は不要の設定にすればすぐにでも結婚できる。

 ついでに実の兄は妹の半径3メートル以内に接近してはならない法律も盛り込もう。

 葛城には申し訳ないが、これも必要な犠牲というもの。

 

 

 ‥‥‥取らぬ狸の皮算用だな、堀北に振り向いてもらったわけでもないのに何考えてるんだ俺。

 そもそも今学期で2階級上がったように思えるかもしれないけど、その認識は正しくない。

 同じクラスになった時点で知人枠に自動的に入ったのだから、自力で上がったと言えるのは実質1階級分でしかない。

 あれ?それってこのままなら2学期の終わりには恋人になれて、3学期の終わりには結婚できる計算じゃないか?

 えへへえへへへ

 

 

 起きてても惚けるだけだな、寝よう。

 

 堀北を巡る争い、須藤の諸々、監視者の行方、龍園の動向、茶柱先生の意図など懸念すべきことはいくつもあるけど、それでも今日は気持ちよく眠れそうだ。

 

 ‥‥‥堀北可愛かったな。えへへへへ

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌朝、なぜか寝坊した。寝つきは良かったし、カフェインも摂っていないのに。

 日付が変わってから3時間ほどは堀北のことを考えていたから、寝る前は十分リラックス出来ていたはず。

 昨日殴られたことで脳がダメージを負ったか?

 ‥‥‥いや、龍園やストーカーの対応で疲れていたんだろうな。

 何にせよ準備をしないとだ。

 

 急いで支度したけど、それでもギリギリの時間になってしまう。

 走るほどでないけどさっさと登校しよう。

 

 

「おはよう浅村。‥‥‥そのガーゼ、怪我でもしたのか?」

 

 エレベーターを待っていたら綾小路が部屋から出てきた。

 俺以外に堀北の中で友人階級を獲得している疑惑がある男の筆頭。

 入学してからしばらくは1番堀北と仲が良さそうだったし、初日に2人で買い物してたとか完全にギルティ。

 

「おはよう。別に大した傷じゃないよ」

 

 このガーゼ堀北につけてもらったんだ、羨ましいだろ?特別に見せてやるよ、えへへ。

 それはそうと綾小路っていつもはもっと早く登校してるよね?

 

「いつもより遅い時間だね。寝坊でもした?」

「昨日いろいろあったから寝付けなかった」

 

 寝坊は良くないな。貴重な時間の浪費につながるから気をつけたほうがいいぞ。

 

「浅村は何でこの時間なんだ?」

「なんか起きれなかった」

 

 ただまぁ、仕方ないよね。お布団気持ちいいし。むしろあれだけ快適な時間を過ごしているのだから、最高に有意義な時間の使い方とも言える。

 

 何にせよちょうどいい、佐倉の様子とか確認したかったし一緒に登校するか。

 

「昨日佐倉さんが危ないって連絡くれたけどさ、よく気付いたね」

「偶然だ」

 

 佐倉とストーカーの対決に綾小路が居合わせたのは幸運だった。監視カメラがあったから大したことにはならなかったと思うけど、もしかしたらそうじゃなかったかもしれない。

 そういえば赤のワンダの件があったな。お返しにからかってやらないと礼儀に反してしまう。

 

「もしかして尾行でもしてた?」

「いや、例の店員の様子を見に行ったらたまたま佐倉とあの男がいたんだ」

 

 ‥‥‥一瞬雰囲気変わったんだけど、もしかして本当に尾行してたの?

 まあいい、深追いはしないでおこう。仮に後をつけてたとしても佐倉を心配してのことだろうし。

 

「運が良かったね。そういえば、昨日は後始末とか全部お願いしてごめん。佐倉さんはもう大丈夫そう?」

「あの後話しているうちに落ち着いてくれた。ただ、しばらくは男子相手に怯えるかもな」

 

 確かに男性恐怖症になっていてもおかしくないよな。

 佐倉が俺のことを怯えた目で見ていたのもきっとそれが理由だろう。というかそうに違いない。

 

「浅村はあの後急いでどこに向かってたんだ?」

 

 やっぱり気にするか。

 綾小路までゴタゴタに巻き込むこともないし、適当に誤魔化そう。

 

「んー、ちょっとトラブルがあってさ。そしたら派手にぶつかってご覧の通り」

「そうか、災難だったな」

 

 こっちの事情を汲んでくれたのか、その後は学校に着くまで怪我には触れてこなかった。

 お礼にこっちも赤のワンダについては聞かないでおこう。

 

 

 

 教室に着くとほとんどの生徒は揃っていたけど須藤がいない。寝坊は良くないな。

 みんな雫がどうたらとか話していたけど、俺の顔にガーゼがあることを確認するとこちらに興味をむけてくる。

 いいだろこのガーゼ、堀北に付けてもらったんだ。ちょっとだけ見せてやるよ、特別だからな?

 

「浅村君、顔どうしたの?」

「え、怪我?大丈夫?」

「軽くぶつけただけだよ。大したことないから」

 

 ‥‥‥思ったより心配されてるんだけど、もう治ったようなものだしガーゼ外したほうがいいか?

 まぁいいや、後で考えよう。もうすぐホームルームが始まる時間だし、席につかないと。

 

 教室の入り口から自分の席に向かうと、必然的に堀北の席の近くを通ることになる。

 自然に挨拶をするチャンスだからとてもありがたいんだけど、友人になったことを認識して初めての挨拶はちょっと緊張する。

 そんな理由でいつも挨拶するタイミングで口を開くことができずにいたら、堀北から声をかけてきた。

 

「浅村君、怪我はどうかしら?」

「おかげさまで、もう大丈夫だよ」

 

 開口一番傷の心配か。薄々感じていたけど、堀北って結構世話を焼くタイプだよね。

 俺に危険な真似をするなって注意したり、中間試験の時はなんだかんだ須藤達のために勉強会を開いたり。

 昨日も大したことない怪我をわざわざ手当てまでしてくれたし、本当に優しい子だと思う。

 

 それは大変いいことなんだけど、手のかかる須藤と相性がガッチリ噛み合うのがとっても気に掛かる。やっぱり原作公認カップルなのか?

 特別棟の近くまで来ていたし、昨日のゴタゴタも本当なら堀北が解決したのかもしれない。

 

「そう、保健室に行きたくないからって我慢しているわけではなさそうね」

 

 堀北が治療してくれるなら毎日保健室に行ってしまいそう。

 ところでみんな、なんでまだこっちを見てるの?そんなにガーゼが羨ましいのかな?上げないからね。

 

 ガーゼを守る手段を講じていたら須藤が教室に入ってきた。声をかけようかと思ったけど、直後に茶柱先生が現れてホームルームが始まったので断念。昼休みにでも話そう。

 

 

****

 

 

 4限目が終わると、俺が話しかける前に須藤から声をかけてきた。余人を交えず話すために屋上へ向かってるけど、一部の女子達が後をつけてきている。

 もしかして喧嘩しないように監視されてるのか?俺の怪我、須藤に殴られたってみんなが勘違いしてるかもしれない。後でちゃんとフォローしておこう。

 

 

 

 真夏だから当然だけど、屋上に着くと先客はいなかった。

 

「顔の怪我、大丈夫か?」

 

 全然痛くない、このガーゼのおかげでな。本当なら嫌なんだけど、ちょっとなら見せてやってもいいぞ。須藤だけだからな?

 それはそうと、昨日のことは流石に俺からも注意しよう。かなり肝を冷やした。

 

「もうほとんど治ってる。それより昨日みたいな危ない真似、やめてほしいんだけど」

 

 アルベルトあたりがいたら須藤でも危ない。自分がいない状況でそんなことになってると思うとヤキモキする。人の気持ちを考えてほしいものだ。

 

「怪我したらレギュラーもどうなるかわからないし、そんなの嫌だろ?」

 

 とりあえず須藤を説得する常套手段のバスケを使う。最近効き目が薄い気がするけど、他の手札がないから仕方ない。

 

「‥‥‥そうだな」

「なら、これからは一層Cクラスの奴らに注意してね」

 

 そう言って屋内に戻ろうと思ったけど、須藤は動かない。

 俺の話は終わりだけど、あちらはそうじゃないみたいだ。暑いから中じゃだめ?女子達が隠れてるけど。

 

 しばらく黙った後、俺に背中を向けたままの須藤が言葉を放ってくる。

 

「昨日さ、俺から手を出しちまったけどよ、マジで我慢するつもりだったんだぜ」

 

 確かにかなり耐えていたと思う、入学初日の須藤だったら絶対に無理だと思う程に。

 だから手を出したこと自体はそんなに怒ってないんだけど、須藤はそれを気に病んでるのか?

 問題はあいつらについて行ったことなんだけど。

 

「でもダメみたいだな。結局俺はクズ、不良品なんだ」

「そこまで思い詰めることじゃないよ。キツイ言い方だったかもしれないけど、そんなに怒ってないから」

 

 雲行きが怪しい。須藤がこちらを向かないのが無性に気になる。

 

「‥‥‥浅村さ、俺とつるむのやめろよ。どうしようもねぇ奴だって昨日のでわかったろ?」

「いきなり何言ってるの?」

 

 何でそうなる?実は俺にむかついてて、一緒にいたら殴りそうとか?そうだったら結構傷つくんだけど。

 

「俺達がつるんでると、クラスの奴らに変な目で見られることあるだろ?たまにコソコソ話してるしよ」

 

 ‥‥‥それって今もいるあの人達だよね?鼻血出しながらこっちを見てるあの人達だよね?

 階段に隠れてるから須藤は気付いてないみたいだけど。

 

「他の奴らにどう思われようが知ったことじゃねぇんだけどよ‥‥‥お前に迷惑かけるのはごめんだ」

「要は俺の風評を傷付ける前に距離を置きたいってこと?」

「難しく言えばそうなんのかもな」

 

 難しくないからな?

 

「仮に須藤と一緒にいるせいで俺の評判に影響があるとして、それが何だって言うのさ」

 

 中間試験以降の須藤は真面目に授業を受けているし遅刻もしない。

 だから最近はクラスメイトからもマシな評価をされていると思う。

 そんな訳で暴行事件みたいなトラブルを起こさなければ、悪く言われることはないはず。

 そもそも須藤に気にかけてもらうほどの評判を俺が持ち合わせていない。入学直後にいろいろやらかしているし。

 

「俺、前も似たようなことやらかしてんだ。そんで推薦がダメになってこの学校に来たんだけどよ」

 

 そうか、須藤もやらかしてるのか。俺もちょいちょいやらかしてるから仲間だな。

 

「今はいいかもしんねぇけど、そのうち浅村も嫌気が差すんじゃねぇか?」

「須藤が暴力振るわなければ解決する問題に思えるんだけど」

「できねぇよ‥‥‥昔から、カッとなったら手が出ちまうんだ。注意されてたのに昨日もあのザマだぜ」

 

 今回はかなり頑固だな、須藤のやつ。

 ‥‥‥これ、もしかしてイベント奪ってるのかもしれない。本来は俺じゃなくて堀北の出番だったりして。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 

 いろいろ気に病んでいるのは間違いないけど、距離を置きたいのは本心ではないはず。

 本当に離れようと考えているのだったら、俺のことを無視するくらいはしてきそうだし。

 ‥‥‥俺に見限られるのが怖くて、いっそ自分から離れようって感じか?

 不謹慎だし自惚れかもしれないけど、もしそうだったらちょっと照れ臭い。

 

「そっか、なら尚更見張らないとね。クラスポイントが減らされるのは困る」

「いや、だからよ」

「これから直せばいいでしょ。結果的には手を出しちゃったけど、結構我慢してたと思うよ」

 

 諦めたらそこで終了ですよ?

 というかこれは俺が気付けたはずの問題だ。

 須藤が凹んでるのを見過ごしたのも大きなやらかしになる。

 昨日、堀北相手に浮かれてる場合じゃなかったな。

 あれ?凹んでる友達を放置して女に現を抜かしていた俺こそクズなんじゃないか?

 しかもその女は友達の想い人。‥‥‥やめよう。

 

「‥‥‥もう高1なのに今更治せるわけねぇだろ」

「まだ高1だよ、平均寿命の5分の1にも届かないから」

 

 そう、まだ大丈夫。須藤が手を出してしまう癖も、俺がやらかす癖も全然治せる。

 

「‥‥‥」

 

 何だか考え込んでるみたいだけど、それは俺の言葉に対してだよね?平均寿命とか分数に対してじゃないよね?

 

 

 1分ほど経っても須藤は黙ったままだ。

 ‥‥‥今は1人の方がいいかもしれないな、そっとしておこう。

 

「それじゃ、俺は先に戻るから。須藤も昼飯食べる時間無くならないようにね」

 

 返事はなかったけど、こっちは言いたいことは吐き出したから一足先に屋内に戻る。

 己のクズさを自覚してちょっと泣きたくなったことは関係ない。

 

 教室へ向かう前に、こちらを見ていた女子達へ喧嘩をしているわけじゃない旨を伝えたらひどく安心された。

 仮に喧嘩したとしても俺も須藤も余程のことが無いと手は出さないと思うけど、クラスメイトから見たらそうじゃないのかもな。

 もうちょっと俺達の評判を上げたいけど、どうしたものか。

 

 

****

 

 

 5限目、6限目の須藤は普段と変わらない様子だったし、放課後の勉強会でもいつもと同じように堀北に勉強を教わってから部活に向かっていった。許せない。‥‥‥俺が言えたことじゃないか。

 

 期末試験が近いから全員ラストスパートをかけている。

 そんな中で俺は平田に代役をお願いして早めに抜け出し、いつもの待ち合わせ場所で待機中。

 

 そして普段より早めの時間に待ち人が現れる。

 

「‥‥‥何で先に来てんだ?」

「昨日遅刻したから、その反省とかそこらへんで。須藤こそ早くない?」

「クソ野郎共に絡まれる前にさっさと抜け出したからな。あいつら、今日は大人しかったけどよ」

 

 龍園からの指示か?手を引いてくれたなら願ったりだな。警戒はしておくけれど。

 

「それは何より。とりあえずさっさとスーパー行こう。早くしないと肉がなくなるよ」

 

 昨日はデイリーミッションである『無料食材の獲得』を遂行していないから食材が足りない。

 本来俺が入手するはずだった肉。それが他の誰かの胃袋に収まっていると考えると無性に腹が立つ。

 

「‥‥‥昨日スーパー行った時に確保しといた」

 

 でかした!有能すぎる。なぜこんなにできる奴がDクラスなんだろうか。Aクラスに配属されなかったのが不思議で仕方ない。

 平田とか堀北とか櫛田とかもそうなんだけどな。

 

「よし、じゃあ飯食ってさっさと勉強だ」

 

 

 

 そう言って意気揚々と須藤の部屋に行くと、目に入ってきたのは冷蔵庫にしまわれず放置されたままの貴重な肉。

 

 浅村は激怒した。必ず、この長身赤髪の男を躾けねばならぬと決意した。

 

 



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期末試験終了後〜無人島試験
17.


 1学期最後の関門である期末試験当日。

 試験終了後のホームルームが終えるのとほぼ同時に教室を出た。

 目当ての人物がいるであろうBクラスに到着すると、教室の中央にできている人集りが目につく。

 その中心にいる生徒へと私は声をかけた。

 

「図書館で会って以来ね、こんにちは一之瀬さん」

「こんにちは。‥‥‥えっと、堀北さんだったよね、どうしたのかな?」

「突然ごめんなさい。いくつか聞きたいことがあるのだけれど、少しいいかしら?」

 

 闖入者である私を、周囲の生徒が訝しげに注視してくる。

 事前の通告無しの訪問なので、場合によっては出直すことも考慮していた。

 

「うん、大丈夫だよ。場所は変えたほうがいい?」

 

 ただ、一之瀬さんは受け入れてくれるみたいだ。

 その上、こちらの状況まで考慮して助け舟まで出してくれている。

 

「そうね、そうしてもらえると嬉しいわ」

 

 複数の視線に晒されても苦ではないけれど、都合が良いので彼女の提案に従ってBクラスから出る。

 2人で話せる場所に到着すると、こちらが口を開く前に一之瀬さんから声をかけてきた。

 

「それで、聞きたいことって何かな?」

「まずはお礼を言わせて。中間試験の時、試験範囲の違いを指摘してくれて助かったわ。今更かもしれないけれど、ありがとう」

「この前、浅村君にも同じようなこと言われたよ。気にしなくていいのに」

 

 一之瀬さんは朗らかに笑いながら、本当になんでもないことのように、そう口にしてくる。

 

「それで、本題に入るわね。夏休みのバカンスについて、Bクラスが知っていることを確認させてもらえないかしら?また私達だけ間違った情報を伝えられているかもしれないから」

「あ、なるほどね!えっと、今のところ言われているのは───」

 

 期末試験の結果を発表した翌々日の朝に離島へ向かう豪華客船が埠頭から出発、その昼頃に船が離島へ到着。離島に1週間滞在し、その後さらに船上で1週間過ごす。

 一之瀬さんが口にした内容はそんなところで、概ねこちらの情報と一致している。

 

「───こんなとこだけど、堀北さんの聞いてることと食い違いはある?」

「今聞いた限りでは無いわね。‥‥‥もう1つ、Cクラスについて確認させてほしいのだけれど」

 

 私の言葉を聞いても一之瀬さんは表情を変えない。

 応答する前に、自然な仕草で周囲を窺うと私へ視線を戻す。

 

「うん、何かな?」

「実はDクラスとCクラスの間でトラブルがあったの。Bクラスで似たような話がないか確かめたくて」

 

 浅村君と私は、BクラスとCクラスの間でも何かトラブルがあったと睨んでいる。中間試験後に両クラスともクラスポイントの上げ幅が小さかったこと、それと先日の特別棟での出来事を踏まえてその推論に至った。

 

「‥‥‥そっか、Dクラスもなんだ」

「ということは、Bクラスも揉めたのね?」

「うん、おかげでクラスポイントにも響いちゃった」

 

 Bクラスが受けたクラスポイントのペナルティは、おそらく1桁ではすまない。中間試験後に本来増加していたはずのポイントはわからないけれど、制裁として削減された数値は100近い可能性もある。

 もしかしたらDクラスも同じ目に遭っていたかもしれない。それなのに、特別棟であったトラブルの詳細を私は聞かされないままだ。

 

「私達とDクラスの両方とトラブルを起こしているんだね、Cクラスは。これって偶然なのかな?」

「なんとも言えないわね」

 

 偶然じゃないというのは浅村君の見解。私がまだ会ったことの無いCクラスの生徒、龍園という人物を彼は警戒している。ここ最近Cクラスからあったという接触を主導していたのがその生徒だと疑っていた。

 

「確かに何か証拠があるわけじゃないよ?でも」

 

 一之瀬さんが話している途中で、彼女の携帯から着信音が鳴り響く。どうやら時間切れらしい。

 

「あ、千尋ちゃんからだ。ごめんね堀北さん、そろそろ行かないと」

「いえ、こちらこそ急に押しかけてごめんなさい」

 

 話の続きが気になるところだけれど、最低限知りたかったことは確認できた。

 最後に1つだけ話をして、今日のところは終わりにしよう。

 

「その、差し支えなければ連絡先を教えてもらえないかしら?これから先、情報交換することもあるでしょうし」

「確かにそうだね。お願いしようかな」

 

 

 個人的な目的も達成できたことに安堵していると、一之瀬さんがさっきまでとは違った視線をこちらに向けてくる。

 人を待たせているのに立ち去る様子がない。

 

「‥‥‥なにかしら?」

「堀北さん、聞いていたよりも話しやすい人なんだね‥‥‥って、もう行かないとだ!それじゃあね!」

 

 再度携帯から着信音が鳴り響いて、一之瀬さんは急ぎ足で去って行く。

 彼女の背中が見えなくなったので、浅村君へ連絡を取ってこちらの話が終わったことを伝える。その場で待っていて欲しいと言われて、それから1分もしないうちに彼が現れた。

 

「早かったわね。近くにいたのかしら?」

「うん、こっちの方が先に終わったみたいだったから。それで、どうだった?」

「星乃宮先生ならいなかったわ。あなたも一緒に来れば良かったのに」

 

 Bクラスの担任である星乃宮先生の名前を口にすると、浅村くんは少しだけ眉根を寄せる。

 普段は表情を崩さない彼だけれど、時々こう言った反応をすることに最近気付いた。

 その様子をひどく子供っぽく感じることがあって、1人の時にふと思い出して笑ってしまったこともある。

 

「単に手分けしたかっただけだよ。それに、俺が聞きたいのは一之瀬さんの話」

「ええ、わかっているわ」

 

 さっきまで一之瀬さんと話していた場所で、今度は浅村君との密談が始まる。

 

「まずはバカンスについて。一之瀬さんが話してくれた内容は、こちらが把握していることと一致したわ」

「俺は葛城に確認したけど、こっちも同じ。今回は俺達だけ重要なことを教えられてないってことはなさそうかな。葛城も一之瀬さんも、調べたらわかるようなことを隠したりはしないだろうし」

 

 Aクラスの友人だと言う葛城君についてはあまり知らないけれど、一之瀬さんをそう評価する理由は理解できる。

 以前図書館で会った時やさっきの私への対応を見ると、私と違って彼女は大勢に好かれるタイプに感じた。

 

「これからも他のクラスが教えられている内容くらい、ちゃんと知らせてもらえるといいんだけどね。ただでさえ大きく遅れをとっているんだから」

「そうね、担任のことまで疑っていたらキリがないもの」

「ただまぁ、今回もこれから先も疑わざるを得ないんだよね‥‥‥。バカンスでのクラスポイント変動は確定したわけじゃないけど、俺達の予想通りなら今回は学年全体が隠し事をされているわけだから。この学校に勤めている大人達、本当にいい性格をしていると思う」

 

 浅村君は最近、学校の職員に対して辛辣な物言いをするようになった。今までの経緯を考えれば当然の反応だけれど。

 

「あぁごめん、話が逸れたね。それで、葛城にバカンスのことを聞いた時に探りを入れられた。どこまで把握しているのかはわからないけど、この学校が企画した旅行を単なるレクリエーションだとは葛城も思っていないみたいだよ」

「そう、やっぱり私たち以外にも気付いている人がいるのね」

 

 浅村君が3年生からクラスポイントの変遷を入手したように、他の生徒も何かしら情報を入手している可能性は考慮していた。

 Aクラスならその豊富なプライベートポイントを活かせば、私達よりも容易に情報を得ることができるはず。

 

 ‥‥‥この前少しだけ追求したけれど、浅村君が何を対価に差し出して情報を入手したのかはわからないまま。

 先日私が3年生から同じ情報を手に入れようと試みた時は、とんでもない額のプライベートポイントを要求された。

 個人では到底賄えないし、Dクラスの私達では複数人からポイントを集めても届くとは思えない。

 となると思い当たる節は1つだけ。もし私の予想通りなら彼とはしっかり話し合う必要があるけれど、すぐに確かめるのは難しい。

 

「一之瀬さんはどうなんだろう。気付いてると思う?」

「わからなかったわ。特に変わった反応はなかったけれど」

 

 気付いていないのか、それともその振りをしていたのか。

 彼女の性格が善良だとしても、ちょっとした演技くらいしてきても不思議ではない。それに私は、笑顔を崩さないままこちらへの悪感情を口にすることができるクラスメイトを知っている。

 一之瀬さんがそうだとは限らないけれど、人の良さを振り撒いている彼女に対してはどうしても身構えてしまう部分があった。

 

「AとCにも言えることだけど、大掛かりな準備をしている様子はない。だから、気づいてたとしても核心には至ってないと思うよ。‥‥‥そういえば、Cクラスについては確認できた?」

「予想通りBクラスとCクラスの間でもトラブルがあったみたいね。ただ、詳細は聞かなかったわ。こちらが話せないのに聞くわけにはいかないもの」

 

 その理由である彼を咎めるつもりで視線を向けても、かけらも気にした様子はない。それどころかどこか楽しんでいるように感じてしまう。彼の表情は変わっていないし根拠はないのだけれど。

 

「‥‥‥それで、Aクラスの方はどうだったの?」

「葛城が知る限りではCクラスと大きなトラブルはないって言ってた。龍園のことは特別棟で揉める前から知っている様子だったけど」

「一之瀬さんからその名前は出なかったわ。ただ、Cクラスについて思うところはある様子だったし、彼女も知っているかもしれないわね」

「どんなトラブルがあったのか気になるけど、大方Cクラスがちょっかいを出したんだろうね」

「それについて、もしかしたらBクラスから協力関係を持ちかけてくるかもしれないわ。Cクラスのことを脅威として捉えている様子だったし、Bクラスからすると他に選択肢がないもの。仮に組むのならBクラスだとこの前言っていたけれど、実際に提案されたらどうするつもりかしら?」

「‥‥‥悩むなぁ」

「意外な反応ね」

 

 私の言葉に対して浅村君は、少し間を置いてから反応する。

 

「引っかかってることがあって。真っ先に狙うべきAクラスを狙わないで、BやDを狙ったのはなんでだろうね?」

「‥‥‥確かに気になるわね」

「もしかしたらBクラスと俺達Dクラスが接近することが、龍園の狙いなのかなって思ってさ」

「そうだとして、Cクラスにどんなメリットがあるのかしら?」

「俺達とBクラスが組んでAクラスとぶつかる構図にして、漁夫の利を得ようとしているとか。他にも、BとDが組んだことで危機感を抱いたAクラスに接近するとか。パッと思い付いただけの、可能性の話だけどね」

「‥‥‥随分と警戒しているのね、その龍園という人を」

「無策で2つのクラスに喧嘩を売るような奴だとは思えなくて。なにも考えず全方位へ喧嘩を売っているだけのやつなら怖くないんだけどね。それなら放置しても自滅するだろうし、その分AクラスやBクラスに集中できるから気が楽だ」

 

 特別棟での事件以来、彼の関心の大部分がその龍園という生徒に向いている。須藤君が狙われたから過敏になるのは仕方がないと思うけれど。

 

「正直なところ、厄介さで言えば葛城や一之瀬さんよりも上だと思っているんだ。この前の騒動もこっちの出方を測っていたみたいだし、もし龍園が何か仕掛けてきても1人だけで対処しないでね」

「そんなことしないわよ。この前怪我をした誰かさんにこそ言い聞かせたい言葉ね」

 

 思わずため息をついてしまう。私の皮肉を聞いても、目の前の誰かさんは相変わらずの様子だ。

 

「もし怪我したら、また治療してもらおうかな。‥‥‥っと、そろそろ平田と約束した時間だ。この前話した通り、バカンスについては俺から伝えておくから」

 

 クラス内で誰と連携するべきか浅村君と話した時、最低でも平田君との協力は必要不可欠ということで意見が一致した。

 だから、情報を伝えること自体に異存はないのだけれど。

 

「ええ、私はいない方がいいのでしょう?」

「ごめんね。蔑ろにするつもりはないんだけど、最初だけは任せて欲しい」

「別に気にしていないわ。私が関わると軽井沢さんの気分を害することになるのかは未だに疑問だけれど」

 

 浅村君が言うには、私と平田君がいきなり関わりを持ち始めると軽井沢さんがいい顔をしないらしい。

 

「自分の彼氏とクラスメイトの女子、最低限の会話しかしていなかった2人が突然よく話すようになったら、気にすると思うよ。その上クラスメイトの女子がとびっきりの美人だったりしたら、どんな気持ちかな?」

「‥‥‥真顔で冗談を言うのはやめて欲しいものね。とにかく、平田君についてはお願いするわ。櫛田さんと綾小路君については私に任せて」

 

 とは言ったものの、2人へどう伝えるかなんて全く決めていない。

 

「よろしく。こっちの話が終わったらまた連絡するから」

 

 そう言うと浅村君は教室へと向かった。

 

 事なかれ主義者を自称しているくせに、茶柱先生には関心を寄せられている綾小路君。

 私を嫌っていると笑顔で言い放った櫛田さん。

 2人はAクラスを目指す上での仲間だと浅村君には説明してしまったけれど、その関係は宙に浮いたまま。

 今まで1人で生きてきたつもりの私には、どうすることが正解か全くわからなかった。

 

 

****

 

 

 マイルーム with Dクラスが誇るイケメン

 

 須藤以外を部屋に入れるのって初めてだから、なんか新鮮だ。

 

「大したものがないんだ、呼びつけておきながら申し訳ない」

「うん、お構いなく」

 

 本当は今日のためにお菓子とか用意してたんだけど、昨夜須藤に出してしまった。期末試験最後の追い込みでオーバーヒートしてるのを見たら、手が滑って。ま、平田なら許してくれるでしょ。

 

 座っている平田に麦茶を提供してから、机を挟んだ向かい側に腰を下ろす。

 

「それで浅村君、相談したいことって何かな?」

「いろいろあるんだけど、何から話したもんかな」

 

 たくさんあるんだよ、話したいこと。

 堀北との仲を進展させるにはどうしたらいいのかとか。

 堀北が好きなことを須藤に白状したいんだけど、どうやって言えばいいのかとか。

 バカンスでクラスポイントが動きそうなこととか。

 Cクラスとのゴタゴタとか。

 平田が監視者なのかどうかとか。

 

 堀北の話は置いとくとして、他の内容は今日中にある程度済ませる予定。特に監視者か否かの確認はバカンスで協力するための絶対条件だ。

 元々平田が監視者の可能性なんてほとんどないし、疑うような真似はしたくない。だけど、確かめないまま堀北に近づけるのは不安すぎる。

 イケメンで勉強ができるクラスの人気者って設定だけを見るなら、なにかしら裏の顔を持っていることが当たり前に思えてしまう。メタ読みだから、誰にも説明できない根拠なんだけどさ。

 

「中間が終わったくらいの時期に、須藤達がCクラスの奴らに絡まれた話って知ってる?」

「うん、本人達から聞いたわけじゃないけどね」

「実は、俺も絡まれてさ」

 

 俺がそう口にした途端に、平田の表情が険しくなる。

 

「もしかしてこの前の怪我、あれもCクラスに?」

「その時はうまく逃げたから心配しないで。この前の顔の怪我なら、単に俺がやらかしただけだから」

 

 石崎のせいにしない俺は模範的な生徒だと思う。ポイントくれてもいいんだよ?

 

「あれ以降絡まれてはいないけど、また同じことがないとも限らないし」

「‥‥‥あまり大事にしたくないと思ってたけど、学校に訴えるべきなのかな」

「そうするべきかもしれない。ただ、あの茶柱先生が簡単に話を聞いてくれるとも思えないんだよね。結構前の話だし」

「それでも何もしないよりはマシだよ」

 

 今のところ、平田に怪しい様子はない。クラスメイトのことを気に掛けている、我らが平田大明神のままだ。こんなイケメンを疑ってかかる自分が汚く思えるけど、これも堀北のため。

 

「俺もそう思う。心配してるのは、当事者だけだとこっちの言い分が通るかわからないからことかな」

「‥‥‥もしかして目撃者がいるのかな?」

 

 ここからが正念場だ。

 どんなに小さなぎこちなさも見落とさないよう、平田を直視しながら言葉を続ける。

 

「うん、放課後に特別棟で俺が絡まれて、それを男子生徒が見たはずなんだけど、声をかけようとしたら逃げられて」

「その人に証言して貰えば有利になるかもしれないね。何か特徴はなかった?」

「ちらっとしか見てないからわからないんだよね。ただ、制服は真新しい感じだったから多分1年生だと思う。体格はちょうど平田くらいかな」

 

 体格についてははったりだけど、1年生の男子なんて平田くらいの体格がほとんどだ。

 

「‥‥‥それだけだとなんとも言えないね。具体的な日時と場所はわかる?」

「それならメモしてある」

 

 そう言ってアルベルト達に絡まれた場所と時間を記載した手帳を開いて見せる。

 これを見せても反応がなければひとまず白だな。チート視力を駆使しても見破れないレベルの演技をされてるとしたら、そもそも俺の手に負える相手では無かったってことだ。

 

「‥‥‥場所は特別棟3階。日時は‥‥‥ちょうど僕が部活に行ってた時間帯か」

 

 ‥‥‥アリバイ調べるの忘れてた。普通に白じゃないか。いや、元々999割の確率で白だと思ってたんだけどさ。

 

「そっか、もし近くにいたら何か知ってるかもと思ったんだけどさ。残念」

 

 口ではそんなこと言ったけど、実際はすごく安心した。いやマジで。

 もし監視者が組織ぐるみなら白だとは言い切れないけど、この世界ってそこまで殺伐としてないんじゃないかなって最近思い始めた。

 それに監視者が単独じゃなかったとしたら味方を増やさないといけないし、その点でも平田を信じるのはベターだ。

 というか、友達相手に腹の探り合いとかいやだよもう。心が痛い。どうせ他のクラスの生徒か、そうじゃなきゃまだ出てきてない人物が監視者なんだろ?高円寺みたいなチートが他にも何人かはいるかもしれないし。

 そもそも平田が堀北兄の暴行を見逃すわけがないだろ。ぼっちだった堀北や俺を気に掛けてくれてたイケメンだぞ。誰だよ疑った奴。

 とりあえず警戒モードはやめやめ。一応アリバイの裏は取るけど、それで平田についての確認は終わり!

 

「ごめん、話が逸れた。目撃者のことはダメ元で聞いただけで、言いたかったのはCクラスには気をつけて欲しいってことなんだ。Cクラスの生徒、Bクラスとの間でもトラブルを起こしてるらしいから」

 

 どうせそっちも龍園の差し金だ。さっき堀北と話した時は言わなかったけど、あいつがDクラスにちょっかいを出してきた理由なんてわかりきってる。

 狙いは堀北だ。ああいう手合いが要求してくることなんて古今東西変わらない。

 この前の特別棟で須藤が石崎を殴った時、俺じゃなくて堀北が現場に到着してたらと考えるだけでも背筋が寒くなる。

 『須藤が石崎を殴ったことを黙ってて欲しいか?それならどうすればいいかわかるよな、鈴音』なんて言いながら龍園が詰め寄る光景がありありと目に浮かぶ。

 Bクラスにちょっかいを出したのだって一之瀬あたりのカラダが目当てだろうし。

 堀北は当然として、一之瀬も恩人だからな。龍園の魔の手から、俺が守護らねばならぬ。

 

「そうなんだ‥‥‥。少し前にCクラスに気を付けるよう言ったけど、クラスのみんなには改めて注意喚起するべきかもしれないね」

 

 とりあえず、平田も龍園のヤバさは理解してくれたみたいだ。

 彼氏なんだから軽井沢のことはちゃんと守らないとダメだからね?俺も頑張るけどさ。

 

「うん、改めてよろしく。それで、次はもう少しマシな話題なんだけど───」

 

 確証はないけど、恐らくバカンスでクラスポイントが動くこと。他のクラスで準備をしている様子はないこと。そんなことを平田に伝える。堀北と2人で調べたと言う部分は特に入念に説明しておく。

 ‥‥‥みんなが楽しみにしてるバカンスが実は試験でした、って話題がいいものかどうかは微妙だけど、Cクラスについて話すよりは気が楽だな。平田の表情も幾分かマシになってるし。

 

「‥‥‥浅村君にも堀北さんにも、なんて言ったらいいか。勉強会を開催しながら、他のことでも動いてくれてたなんて」

「帰宅部だからね。余ってる時間を有効活用しただけだよ」

 

 だから気にしないでいいんだよ、平田。でもどうしても気にするって言うのなら、さっきまで疑いの目を向けていたことを許して欲しい。

 いや、疑ってたわけじゃないけどね。念の為調べただけで、白だと思ってたんだけどね。

 

 いやでも、本当に気が楽になった。予定してたことは話し終えたし、後は学生らしい普通のお喋りでもしよう。

 

 

 

 ‥‥‥引っ掛かってるクラスメイトが後2人いるんだよな。

 他の人に話せるような内容じゃないから、確認する方法から考えないといけないけど。

 そいつら相手には、監視者か否か以外にも確かめたいことがある。

 



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18.

 期末試験の結果発表当日。

 中間試験同様の方法で、教壇に立つ茶柱先生が各科目の点数を張り出している。

 

「先日の期末試験で赤点を取った生徒はいなかった。全員揃って1学期を終えることができたな。喜ばしく思うぞ」

 

 そう口にしながらも、いつも通り仏頂面な茶柱先生。

 いきなり満面の笑みを浮かべられても恐ろしいだけだから、別に構わないけど。

 

「明日から夏休みに入るが、ハメを外しすぎないように。長期休暇中でも何かあればクラスポイントに影響することを忘れるなよ」

 

 茶柱先生の言葉通り今日は1学期最後の登校日。明日から夏休みに入る。

 他のみんなはそれが嬉しいみたいだけど、俺はとてもとても憂鬱だ。

 まだ始まってもいないのに、夏休みが早く終わって欲しくて仕方がない。

 

 1学期の間は、平日なら登校すれば確定で堀北に会えていた。夏休みに入るとそれが無くなってしまう。控え目に言ってクソだ。

 

 そんなクソみたいな仕様だけど、何かしらメリットがあるかもしれない。ここはポジティブに考えてみよう。

 1学期の間、教室に来るだけで堀北に会える環境にいたことがそもそも恵まれすぎていた。

 そのおかげで今まで潤沢なホリキタニウムを摂取できていたわけだけど、それを夏休みの間だけ減らす。そうすることにより2学期以降、堀北のありがたみを再確認することができるのではないか?理屈としてはドーパミンリセットみたいな感じで。

 そう考えると、一時的な別離も悪くない気がして来た。あえて接触を減らすと言う苦行もまた……甘美なホリキタニウムを堪能するためには必要。

 

 でもやっぱりクソなものはクソ。毎日登校させろ。夏休みなんて滅びてしまえ。

 

 とりあえずは堀北と会える頻度について、どのくらい減る‥‥‥もとい減らすのかが争点になってくるな。

 脳内では『いっそ開き直って夏休みの間はできる限り我慢、2学期が始まった時の楽しみにしよう』派と『ホリキタニウムは身体にいいんだから可能な限り継続的に摂取するべき、そもそも我慢できないだろ』派が論争を繰り広げている。後者が圧倒的に優勢だ。

 ‥‥‥そもそも俺の都合だけじゃ決められないんだけどね。会うのなら、その口実も考えないといけないし。とりあえずカフェに誘ってもいいとは言われているから、2日に1回くらいなら許されるかな?

 

「以前から通知しているバカンスだが、明日の朝5時に学校から港へ行くバスが出発する。その後は船に乗り換えて離島へ向かい、昼辺りに到着する予定だ」

 

 俺が夏休みの過ごし方について悩んでいる間も、茶柱先生の話は続いている。

 とりあえずバカンスの間は毎日会ったとしてもノーカン、ノーカンだから。クラスポイントが動く可能性が高い以上、堀北とは綿密な連絡を取る必要がある。むしろ会わない方が問題と言えるから、これは仕方がないことだ。つまりノーカン。

 苦しいのは旅行が終わった後だけど‥‥‥今の所はクラスポイントが動くバカンスに集中しよう。堀北と会い辛くなる期間なんてまだまだ先のことだ。

 

「旅行の詳細はこのプリントに記載されている。各生徒1枚ずつ持って行くように。寝坊するなよ、お前達」

 

 そう言ってプリントの束を教卓に置いた後、教室から退出する茶柱先生。

 出て行く時にこちらを一瞥したけど、視線の先にいたのは俺じゃなくて綾小路だった。

 ‥‥‥指導室で話した時みたいな雰囲気だったし、引っかかる。

 だけど今は、茶柱先生の一瞥よりも遥かに気になることがあった。

 朝から気になっていたそれを確かめるために、堀北へと声をかける。

 

「堀北さん」

「ええ、みんなが帰る前に手早く済ませてしまいましょう」

 

 バカンスでクラスポイントが変動する可能性について、特定の生徒に限定せずクラスメイト全員に知らせたい、そんな提案が堀北からあった。

 そのために声を掛けたのだと勘違いしているみたいだけど、俺が話しかけた理由はそんなことじゃない。

 クラスメイトに声をかけようと立ち上がる堀北だけど、その体幹はいつも程安定していなかった。

 

「はいストップ。堀北さん、体調悪いでしょ?」

「‥‥‥少しだけよ、話が終わったら部屋で休むわ」

 

 朝から声にハリがなかったけど、やっぱりか。

 登校時間にしたって、普段は教室に早く来ているのに今朝はギリギリの時間だった。

 これは一刻も早く安静にしてもらう必要がある。

 

「それは俺から話しておく。堀北さんは明日以降に備えて体調戻して。そっちの方がよっぽど重要だから」

 

 堀北が体調不良で不参加になるなんて事態は絶対に回避したい。

 他のクラスメイトがバカンスに行っている中、ただ1人学校に残るなんて辛すぎる。

 

「‥‥‥そうね、お願いするわ」

 

 素直に話を聞いてくれてよかった。

 生真面目な性格の堀北のことだし、クラスポイントが変動するイベントに参加できなかったりしたら気に病むかもしれない。

 傍を離れている間に監視者が動かないとも限らないし、そうでなくとも俺のやる気がマイナス方向に天元突破すること間違いなしだ。

 丸々14日間も堀北に会えないなんて、確実にホリキタニウム欠乏症に陥る。つまりは死ぬってことだ。俺はまだ死にたくない。

 

 さて、堀北にああ言った手前、ちゃんとみんなに話しておかないと。

 そういうわけで、教壇に立ってからクラスメイト達に向かって声を掛ける。

 

「みんな、バカンスについて話があるんだ。少しだけ時間をもらってもいい?」

 

 さっさと済ませて、堀北におかゆとスポーツドリンクを持って行こう。

 

 

 

****

 

 

 

 翌日、堀北が体調不良で欠席したり須藤が寝坊して遅刻したりすることはなく、Dクラスの生徒は40人全員が無事に参加できていた。

 俺はその事に安堵しながら、離島へ向かう船のレストランで朝食をとっている最中だ。

 さっきまで船の中を見て回っていたために、結構遅めの時間になってしまった。

 だから1人で食べる事になるかと思っていたけど、幸いにもそうならずに済んだ。

 同じテーブルに座っているのは堀北、櫛田、綾小路。

 見慣れた顔ぶれではあるけど、豪華客船のレストランという普段とは違った環境にいるせいで、その整った容姿を改めて意識してしまう。

 うわっ…俺の周りの顔面偏差値、高すぎ…?この3人の平均で100くらいありそうなんだけど。

 でも、俺だっておそらく多分きっと負けてない。といいなぁ。

 

「ほんとにすごいね!高校生の旅行でこんな豪華な船に乗れるなんて思わなかったなぁ」

「全く、櫛田さんの言う通りだ。4月からこの学校には驚かされてばかりだよ」

 

 目の前のエッグベネディクトにナイフを入れながら櫛田の言葉に同意する。

 一流レストランと言われているだけあるな。流石の味だ、クオリティが違う。ちなみに一番気に入ってるのは……値段だ。

 

 今食べている料理には、注文した際に発生するはずの料金が無かった。つまりは無料。なんていい響きなんだ。

 食事に限った話ではなく、シアターや高級スパなどの客船にある施設はすべて無料での利用が許されていた。俺、ここに住みたい。

 学校の食堂でも無料のメニューはあるけど、あっちは値段相応の味だし。

 まぁ食事が高かろうが安かろうが、堀北と一緒に食べている時点でプライスレスなんだけどさ。

 

「浅村君、船を見て回って何か気になるものはあったかしら?」

「今のところは特に。強いて言えば、船尾にヘリが1機置かれていた事くらいかな」

 

 今挙げたヘリだって考えすぎだと思うけど。あれがカプコン製だったりしなければなんの問題もない。

 

「おそらくだけど、試験は離島に着いてからだと思う。船でそういったことをやるつもりなら、乗船直後に何かしら動きがあるはずだし」

 

 気を張り続けている堀北に少しでも肩の力を抜いて欲しくて、俺はそう言い放つ。

 離島に着くまで平和だと考えてるのは嘘ではない。

 到着まで残り数時間程度しかない制約の中で、各生徒が自由に行動しているこの状況から何かが行われる可能性は高くない。

 タイムテーブルがまるっきり嘘で固められていなければ、って前提があるけどね。

 

 タイタニックみたいな事態が起きた時に備えて警戒は怠らない。ただ、そんなもしもに備えるのは俺だけで十分だ

 体調不良の堀北には少しでも休息してもらいたいし、他のクラスメイトにしたってせっかくの旅行なんだから、思う存分楽しんだ方がいいと思う。多少気を張っているとは言え、俺だって楽しんでるからね。

 今だって堀北相手にMy heartがgo onするような展開を頭に思い浮かべている最中だ。豪華客船のレストランで食事をしているから、想像が大変捗る。

 脳内では大西洋を航行していた豪華客船が少し前に沈み、俺と堀北が漂流している。

 ちょうど今、涙を流している堀北が凍死した俺の遺体を海底に放ったあたりだ。

 ちなみにこれはいざという時に備えたイメージトレーニングだからな?

 

「浅村君。島でどんな試験があるかは、まだわからないままかな?」

「ごめんね。学力以外を試すだろうなってことくらいしか思いついてないや」

 

 脳内タイタニックごっこを最初からリピートしながら櫛田に返事をする。これで4周目だ。

 

「そっか。厳しい試験じゃないといいんだけどな‥‥‥」

 

 櫛田が不安になる気持ちはすごいわかるけど、いきなり『ただ今より毒ガス訓練を開始する!!』とか『ここから泳いで帰れ』みたいなことは流石にやらないって信じてる。

 仮に学生相手の試験でそんなことがまかり通る世界なら、第3の願いを使って変革を願うしかない。

 

「試験の内容はわからないけど、気を張るのは島が見えてきたらでいいんじゃないかな。上陸してしばらく経っても何もなかったら、俺が昨日みんなに言ったことは忘れてもらおう」

 

 とは言っても、茶柱先生の反応を見るにそんなことはないはずだ。

 乗船直後に船の救命ボートとかを確認させてもらった時、バカンスを楽しむよう改めて念押しされたからな。あれが親切心から出た、言葉通りバカンスを楽しんで欲しいという意味だったら恥ずか死ねる。俺はまだ死にたくない。

 

「浅村は上級生から聞いたって言ってたな。よかったら、その先輩の名前とか教えてくれないか?」

「ごめん。俺もその人の名前や学年を教えてもらってないんだよね。顔は覚えてるから、会えばわかるんだけど」

 

 生徒会長の名前とかは自分で調べたからな。何も嘘はついていない。

 いつかバレそうで怖いけど、堀北兄がヤンチャした動画を消す代わりに情報をおねだりしたなんて話、堀北に言えるわけがないよね。

 

「その先輩のことで、何か気になることでもある?」

「いや、この学校はいろいろあるみたいだから、少しでも話を聞ける人を増やせればと思っただけだ」

「中間の過去問をもらった先輩とは連絡取ってないの?」

「過去問のやり取り以降は取ってないな。データをもらうために交換した連絡先はあるけど」

 

 俺も堀北兄と連絡先は交換した。だから俺の連絡帳は堀北には見せられない。そもそも堀北が俺の連絡帳に興味を示すことが想像できないけど。

 

「でも、あの先輩はそこまで親切な人ではなかったかな。綾小路君と一緒に過去問貰った時もプライベートポイントと交換だって言われたし」

 

 なんだかさっきから話の流れがよろしくない。俺の情報入手先を探るような雰囲気が漂っている。

 俺が誰から情報もらったかがそんなに気になるのか!?‥‥‥気になるよね、そりゃ。

 

「そのおかげで中間を乗り切れたわけだけどね。ほんと、あれがなかったらどうなってたか‥‥‥」

「あはは!その話、もういいのに。それにいつもそんなこと言うけど、浅村君本人には過去問なんて必要なかったね。期末試験だって、過去問無しで全科目満点だったし」

 

 よし!堀北兄から話題を逸らせたぞ!これで心置きなく脳内タイタニック5周目に突入できるな!

 

「次も満点取れるように頑張るよ。過去問がそのまま出題されれば簡単なんだけど、そんなことはもうないだろうね」

「池君達もそれは諦めてたね。いざって時は中間の時みたいに、浅村君が50点を取ってくれるはずだって話してたよ」

 

 やめてくれ櫛田、その話題は俺に効く。脳内タイタニックが中断されてしまったじゃないか。

 

「‥‥‥浅村君、もしもの話なのだけれど。もし、この前の期末試験で全科目の平均点を下げる必要があったら、あなたは全てのテストで50点を取れたのかしら?」

 

 今まで静かにしていた本物の堀北が、意図の読めない質問を唐突に投げ掛けてきた。

 え、なんでそんなこと聞くの?もしかして全科目50点取れる系男子が好みなの?

 

「堀北さんは、俺に取って欲しい?」

「‥‥‥ごめんなさい、変なことを聞いてしまったわね。気にしないでちょうだい」

 

 堀北に頼まれたら何がなんでも取ってみせるけど、そうでないなら勘弁だ。

 そんな全方位に喧嘩を売るような真似なんて、よっぽどの目立ちたがりでもなければしたがるわけがない。

 

 

****

 

 

 朝食をとり終わった後は堀北を部屋まで送って、今はその帰りだ。

 やっぱり体調が優れないのか、レストランにいる間は明らかに様子がおかしかったけど、部屋に戻る頃にはいつも通りの堀北だったからとりあえずは大丈夫みたいだな。

 

 それに安堵した俺は、自分の部屋に戻る前にしこたま食べ物を仕入れた。だって無料だから。

 堀北の前だからお行儀よくしていただけで、本当はメニューの端から端まで全部注文したかった。なぜなら無料だから。

 純粋に食べ足りないってのもある。男子高校生はこの世で最も飢えている種族なのだ。その上無料だから。

 

 そんなわけでBLTサンドやクロワッサンを抱えて割当てられた部屋に戻ると、ルームメイト達が騒いでいた。須藤、池、山内の3人だ。

 全員が枕を構えているのを目にした瞬間、手に抱えていた食べ物をテーブルに置き、枕を構えて俺も参戦する。

 

 開戦時期が想定より遥かに早いが仕方ない。

 第一次枕投げ大戦が起こっている側で食事をするなんて、食品が無駄になりかねない状況を容認する訳にはいかない。

 ならどうするか?武力を用いて奴らを鎮圧するしかない。

 というわけでかかってこい!相手になってやる!

 

 やっぱりこの世界は殺伐としているのかもしれないな。

 そんな悲しい想いを抱きながら、須藤に向かって枕を振り抜く。 

 

 突発的なトラブルへの警戒、脳内タイタニック、食品安全保証のために参戦した枕投げ大戦などの多重タスクで俺の頭は大忙しだった。

 



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19.

「浅村さぁ、枕投げに対してガチすぎない?」

 

 フレンチトーストを口にしながらそう問いかけてくる山内。

 年季が違うからね。枕投げは遊びじゃないんだ。

 それよりも今お前が食べてるそれ、俺が持ってきたやつなんだけど?

 

「いやでも、あのマトリックスみたいな動きは普通にすげえって。動画撮りたいからもう1回やってくんね?」

 

 サンドイッチを齧りながらそう言い放つ池。

 トリニティ役として堀北を呼んできてくれたらどんなシーンも喜んで演じるよ。

 それよりも今お前が食べてるそれ、俺が持ってきたやつなんだけど?

 

「食い終わったら続きだ、続き。次こそぶち当ててやる」

 

 ホットドッグを頬張りながらそう意気込む須藤。

 やめてよね。本気で回避したら、枕が俺に当たるはずないだろ。

 それよりも今お前が食べてるそれ、俺が持ってきたやつなんだけど?

 

 3人の制圧という目的は達成できたから戦術レベルでは勝利したと言えるけど、持ってきた食事の3分の1を略奪されてしまっている。参戦した理由である落ち着いた食事、その戦略目標を達成できなかった俺は結果的には敗北者だった。

 まあ、これから当分同じ部屋で過ごす仲だ。多少の狼藉は大目に見てやろう、BLTサンドに手を出さない限りは。

 あ、須藤は1個だけなら食べていいからな。ルームメイトの4人組に誘ってくれたけど、あれはすごく助かった。

 人数的に余ることがないのはわかってるけど、『まだ組んでいない奴らは誰だ』とか聞かれて挙手するのは勘弁だ。お前と友達でほんとよかったよ。

 少し前まで孤立気味だった堀北を心配してたら、自分がダメになりかけるとか笑えない。

 

 そんな感じでみるみる減っていく第2の朝食を眺めて心を痛めていたら、池が真剣な表情で口を開く。

 

「なぁ?旅行って独特の開放感とか、そういうのあるよな?」

「あるんじゃねぇか?少なくとも俺はテンション爆上がりだぜ、しばらく勉強とはおさらばだからな!」

 

 すごく楽しそうに応答している須藤だけど、あいつはただ知らないだけだ。俺の鞄には、夏休み中に須藤が取り組むための問題集が入っている。須藤専用ドリルだ。赤くはないし、分量が3倍だったりするわけでもない。

 今渡すのは流石に鬼畜だから控えるけど、2週間もあるバカンス中のどこかで渡すつもりでいる。それなら鬼畜じゃないはずだし。

 

「な!やっぱりあるよな!そんでさ、そういう時こそ好きな女子へ告白するチャンスだと思うんだよ」

 

 ふむ、続けてくれたまえ。

 

「だから俺‥‥‥この旅行で櫛田ちゃんに告白する!」

「寛治、マジか?振られたりしたら旅行中すっげぇ気まずいじゃんか」

 

 櫛田に好意を抱いていたはずの山内が真っ先に反応する。

 対抗する様子がないけど、他の誰かを好きになったとかそんな感じか?‥‥‥まさか堀北?

 

「櫛田ちゃんが告白されることに慣れていない可能性、その一点に全てを賭ける!あんな可愛い子だったらみんな尻込みするはずだし」

 

 ふむ、なるほど?慣れていなければ、池の告白で心が動かされるかもしれないと。

 わからなくもない理論だけど、参考にはできないな。櫛田レベルの女子が告白されたことがないなんて考えは楽観的すぎる。堀北なんて尚更だ。

 明らかに分の悪い賭けだから、正直やめた方がいいと思うんだけど。

 

「いきなりはやめとけって寛治。まずは2人で出かけたりして、そっから告白とかにもっていくべきだろ」

 

 俺が口を出すまでもなく、須藤がそう忠告した。

 そうだよね、まずは好感度だったりいろいろ積み重ねるべきだ。

 

「でもさ、悠長に構えてたら誰に櫛田ちゃんがもっていかれるかわかんねぇよ、健」

 

 そう言いつつなんでこっちを見るんだよ、綾小路とかもっと警戒した方がいいやついるだろ。

 

「段階があるだろ。まず下の名前で呼ぶとかよ。いきなり告白はマジでやめとけって」

 

 全くだ。いいこと言うじゃないか須藤。

 

「なるほどな‥‥‥よし。浅村、練習相手になってくれよ」

「‥‥‥え?」

 

 練習相手?なんの?俺は男だぞ?

 

「櫛田ちゃんのこと下の名前で呼ぶ練習だよ。いきなり呼ぼうとして失敗したらダセェじゃん」

「‥‥‥他を当たってよ。須藤とか山内でいいでしょ」

「嫌がるってことは、まさかお前も櫛田ちゃん狙ってたりすんのかよ!?」

「‥‥‥わかった、やればいいんでしょ。設定は?」

「そうだな、俺が櫛田ちゃんを夕陽が綺麗な船の上に呼び出したって感じで。もちろん2人っきりで」

 

 なぜか櫛田を演じることになった。明らかにおかしい気がするけど、演じる以上は妥協なんてかけらも許さない。

 咳払いをして喉の調整をする。

 完全な模倣はできないが、真に迫る演技ならしてみせよう。

 

 ん、よし。

 

「池君、話ってなにかな?」

「‥‥‥へ?‥‥‥‥‥‥あ、ああ!その、俺達って出会ってから4ヶ月くらいじゃん?だからそろそろ、下の名前で呼んでもいいんじゃない?名字だと他人行儀だしさ」

 

「おい、あれ浅村だよな?櫛田ちゃんの声にしか聞こえないんだけど、俺の耳がイカレちゃった?」

「安心しろ春樹。俺もほとんど櫛田の声に聞こえてるから。ギリギリ浅村の声が混じってるのわかるけどよ」

 

「そういえばいつの間にか山内君達とは名前で呼び合ってるね、池君って」

「そうそう!そんな感じで、桔梗ちゃんって呼びたいんだけど‥‥‥いいかな?」

「全然いいよ!よろしくね、寛治君!‥‥‥‥‥‥‥‥‥はい、終わり。満足した?」

 

 演技終了。

 演じていて辛いものがあるから2度とやらない。

 いろいろすり減るんだよ、良心とか羞恥心とかが。

 

「練習になったかわかんないけど「サンキュー浅村、これならイケる!ってことで行ってくるな!」‥‥‥え?」

 

 池が興奮した様子で部屋を出て行き、山内も後に続いた。

 つまり須藤と2人きりだけど、なんか嫌な予感がする。

 

「すげぇな浅村!まんま櫛田だったじゃねぇか!頼む、今のやつ俺にもやってくれ!櫛田じゃなくて堀北で!」

 

 やっぱりこうなるよね。俺って、ほんとバカ。

 

「さっきは俺が考えた櫛田さんの反応しただけだし、本人以外相手にいくらやっても意味ないでしょ」

「んなことねぇって!勉強会の準備とかでつるんでるんだから、あいつの癖とか知ってんだろ?」

 

 須藤は堀北を巡る明確なライバルだ。

 堀北の好感度レースにおいて、堀北兄がスタートダッシュを決めてるタイプなら須藤は真逆のスロースターターだと思ってる。これからすごい加速してきそうで心底怖い。

 特別棟で手を出した理由が、自分じゃなくて堀北や俺が馬鹿にされたことが許せなかったからだとか言ってたけどさ、アレって完全に映画版ジャイアン入ってるよね?どう見てもギャップ狙いじゃないか。あざとい。かなり嬉しかったんだけど、それとこれとは話が別だ。

 入学したばかりの頃はまともに授業聞いてなかったのに、それが期末試験直前には大好きな部活の時間を削ってまで勉強するようになったことだって見逃せない。あざとすぎる。でもこれからもその調子で頑張って欲しい。

 

 ‥‥‥俺も堀北に惚れていることをさっさと白状しておけば、須藤だってこんな事言い出さないよなぁ。後回しにし続けたツケが回って来てる。

 いっそのこと、この場で言ってしまうか?

 都合の良いことに今は2人だけだし。

 

「‥‥‥須藤、あのさ」

「あ?」

 

 どんな伝え方をすればいいか、なんて言えば須藤が納得してくれるのか、なかなかまとまらない。

 

 

 

 うん、とりあえず上陸前はやめよう。

 

「ごめん、実はそろそろ平田と約束してる時間なんだよね。試験について話すことになっててさ」

「そういや、バカンスでクラスポイントがどうとか言ってたな。俺も先に島の準備とかしておくか」

「うん、よろしく。池と山内が戻ってきたら2人のこともお願いしていい?」

「おう、任せとけ!」

 

 ‥‥‥夏休みの間、流石にそれがリミットだな。

 

 

****

 

 

 須藤にはあんなこと言ったけど、本当は平田と約束なんてしてない。行くあてもないので、なんとなく最上層のデッキに来て海を眺めている。

 センチメンタルな気分に浸っていたら、珍しい人物が後ろから声を掛けてきた。

 

「あぁ、実に美しい。君もそう思うだろう?」

 

 高円寺だ。まともに会話するのはかなり久しぶりな気がするけど、そんなことはどうでもいい。

 なんでブーメランパンツを穿いている上にずぶ濡れなんだこいつ?

 

「‥‥‥夏だからってそんな格好してると身体冷やすよ」

「無用な心配だねぇ。凡人ならいざ知らず、私がこの程度で体調を崩すことなどあり得ない」

 

 心配というより、体拭いて服を着て欲しいだけなんだけど。

 それにしても相変わらずナルシストなキャラはブレないな。

 確かに鍛え上げられた肉体はなかなかに見事だけど、俺はもっともっと美しいものを知っている。堀北よりも美しいものなんてこの世に存在するわけがない。

 ‥‥‥聞きたいことがあったし、ちょうどいい機会だ。まともに取り合ってもらえるかわからないけど。

 

「高円寺ってすごく鍛え上げてる感じだけどさ、ここから飛び降りたりできる?」

 

 下層デッキを眺めながら、そう尋ねる。

 高さにして5メートル以上。常人なら無事で済む筈がない高度だが、監視者と俺はこれくらいの高さから飛び降りていた。

 俺の質問に対して、軽くポージングをしている高円寺が口を開く。

 

「私は美しい。そうだろう?」

「え、うん」

 

 俺の返答を聞くと、満足したような表情を浮かべて立ち去って行く高円寺。

 

 ‥‥‥あいつ自由人すぎるでしょ。俺の質問に対しての反応がかけらもなかったし、そもそもこっちの発言なんて聞いてもいないんじゃないか?

 判断材料が少なすぎるし、高円寺は保留だな。

 

 得られた情報はほとんどなかったけど、少し気分転換になったのは幸いだ。まともな会話にならなかったけど、それが逆に良かった気がする。

 そろそろ島が見えてくる頃だし、切り替えないといけなかったからな。

 もしかしたらだけど、俺の微妙な雰囲気を察して声を掛けてくれたのかもしれない。

 床をびしょ濡れにしながら歩き回るような奴が、実は気配りできるキャラだったりそんな感じで。

 ここにもギャップが潜んでいるのか、油断できないな本当。

 

 濡れた床を拭いている乗務員へ高円寺の代わりに謝った後、海を眺める作業に戻る。

 しばらくすると水平線の向こうから島が現れて、それと同時にアナウンスが聞こえてきた。

 

『お時間がありましたら、是非デッキにお集まりください。暫くの間、非常に意義ある景色をご覧頂けるでしょう』

 

 やっぱり何かあるのは上陸後かな?とりあえず嘘つきにはならないで済みそうで何よりだ。後々のために『非常に意義ある景色』はしっかり見ておかないと。

 そんなことを考えていると、放送が流れたせいか周囲に生徒が集まり始めて、その中の1人が声を掛けてきた。

 

「お前Dクラスだろ?ここはAクラスが使うんだ、どっか他所へ行け」

「‥‥‥俺が先に居たんだけど」

 

 今まで会話したことがない男子生徒だけど、やたら威圧的だ。

 Aクラスの生徒が増長するケースは考えていたけど、思ったよりも早くそれが現れているのかもしれない。

 

「関係ない、この学校は実力主義なんだよ。どんな時だって俺達が優先されるのは当たり前だろうが」

「そんな規則、聞いたことがないね。先生からの指示なら従うから、真嶋先生でも連れてきてくれる?」

 

 Aクラスの担任の名前を出すと相手が少し怯む。

 真嶋先生が真っ当な先生ならスネイプみたいに横暴な振る舞いはしないはずだ。

 そもそもこの場所にそこまでこだわる理由もないから、普通にお願いされていたのなら譲っても良かった。ただ、こいつの言い分は容認できない。

 いつかAクラスから堀北を巡るライバルが現れた時に、同じ様なことを言われないためにもここは死守しなければ。

 ライバルならまだマシだけど、カラダ目当ての不貞な輩がいないとも限らないからな。

 他の学年の雰囲気を見ていると、なんとも言えない感じだし。

 

「面倒くせぇ奴だな、さっさとどけよ!」

 

 苛立った様にそう言い放ったAクラスの1人が、柵にもたれかかってる俺の肩を後ろから掴んでくる。

 お、いいぞ。まさしく実力(筋力)主義だな、わかりやすい。

 力比べで俺に勝てると思うなよ?どうしても動かしたかったらアルベルト10人か堀北を連れてくるんだな。

 

 柵を握っている腕に力を込めて、実力主義の勝負が始まろうとしたその時。

 

「おい、やめろ。葛城さんの知り合いだ」

 

 聞き覚えのあるその声に振り向くと、戸塚が人混みをかき分けて近くにやってきた。

 俺に掴みかかっていた奴が舌打ちしながら離れていったので、戸塚に話しかける。

 

「ありがとね。ただ、葛城とは知り合いじゃなくて友達だよ」

「‥‥‥あの人が優しいだけだ。調子に乗るなよ」

 

 助けに入ってくれたからそれなりに話せるかと思って、軽い感じで声を掛けたけど失敗したみたいだ。

 俺が葛城と関係している奴じゃなかったら、今のも止めなかったかもしれない。そう思わせるくらいには、前に会ったときよりも刺々しさが増していた。

 

「そっか、ごめん」

 

 それだけ言って前を向く。

 いろいろ思うところはあるけど、それは後で考えることにする。

 

 離島がすぐ近くまで迫ってくると、船は桟橋を無視して島の周囲を回り始めた。

 人の手が入っている様子はあるけど、整備されているという程ではない。その割には不自然な場所に、人工物らしきものが見えたりしている。

 

 島を1周し終えて船が停まると、再びアナウンスが響き渡った。

 

『これより、当学校所有の島に上陸します。全生徒はジャージに着替えて、30分後までにデッキへ集合してください。所定の鞄、荷物、携帯を忘れず持参するようお願いします』

 

 

****

 

 

 準備を済ませてデッキへ行くと、他のクラスメイトは全員揃っていた。

 Aクラスから順に上陸するらしいのでそれを待っていると、堀北が近寄ってきて小声で話かけてくる。

 

「浅村君、島は見てもらえたかしら?」

「うん、バッチリ見ておいた」

 

 堀北には部屋で休むようお願いしておいたけど、この様子ならそうしてくれてたみたいだ。

 

「私物の持ち込みが禁止されていて、先生達の物々しい雰囲気。間違いないようね」

 

 周囲には他クラスの生徒もいるので、そこで会話は切り上げた。

 

 荷物チェックを済ませて上陸すると、すぐに整列するよう指示されて点呼が行われる。

 明らかにバカンスという雰囲気ではない。他クラスでも数人が違和感を覚え始めているようだ。

 クラスメイトは俺の言葉が的中していると感じ始めたのか、何人かはチラチラとこちらを見ている。

 

 全クラスで点呼が終了すると、真嶋先生が用意された壇上に上がってマイクを手に取って話し始めた。

 

「今日この場に来ることができて嬉しく思う。病欠による不参加者が1名発生したことは残念でならないがな」

 

 その1名はAクラス所属の生徒、坂柳だ。船から降りるときに39人しかいなかったし、杖を使っている彼女は一際目につくはず。学校で見た時も、確かに身体が丈夫なようには思えなかった。

 堀北も体調を崩さないように十分注意を払わないといけないけど、それでも不参加にならなくて本当に良かったと思う。

 

「たまにいるよな、病気とかで旅行に参加できない奴。かわいそ‥‥‥て思ったけど、あのテントとかパソコンとかいろいろあるってことはやっぱり」

 

 池がそう呟くと。

 

「ではこれより───本年度最初の特別試験を行う」

 

 真嶋先生のその発言を聞き、周囲が一斉にざわつく。

 『最初』か。2回目はいつだ?冬休みか?

 

「君達にはこれから1週間、この無人島で集団で過ごしてもらう」

 

 バカンスのつもりでいる中で突然試験が行われれば、当然の如く不満が出てくる。

 真嶋先生の話を遮るように、他クラスの生徒が声を挙げた。

 

「今は夏休みのはずで、我々は旅行という名目で連れてこられました。こんな騙し討ちのような形での試験は如何かと思います」

「なるほど、理解できる言い分だ。だが安心していい。これは過酷な生活を強いるものではない。海で泳ぐのもバーベキューするのも君達の自由だ」

 

 水泳試験と肉の焼き方試験か?それなら任せろ。

 

「今回の特別試験では大前提として、各クラスに試験専用のポイントを300支給する。これをうまく使えば快適な1週間を楽しむことが可能だ」

 

 真嶋先生はそう言うと、数十ページほどの冊子を開く。

 

「このマニュアルには、試験ポイントで入手できるモノのリストが全て載っている。飲料水や食料などの必需品はもちろん、海で遊ぶための娯楽品やバーベキュー用の機材も取り揃えているぞ。計画的に使えば、300ポイントで無理なく1週間過ごすことができる」

 

 隣の堀北に視線を向けると、なぜか目が合ったので無言で頷いておく。可愛い。

 堀北兄から受領したデータと300という数値、それらを鑑みると今回の試験で動くクラスポイントが見えてくる。

 

「そしてこれが最も重要なことだ。この試験終了時に各クラスに残っている試験ポイント、その数値をそれぞれのクラスポイントに加算して夏休み明けに反映する」

 

 つまりは最大300ポイントの加算が見込めるということだ。他にも変動要素があるかもしれないし、試験ポイントを消費しないでクリアできる程簡単な設定にしてくるとは思えないけど。

 もしも300もクラスポイントが増えれば、月に貰えるプライベートポイントも30000増える。

 既存のポイントと合わせれば1ヶ月で20回近く堀北とデートできるな。‥‥‥だめだ、集中しろ。堀北と俺のより良き未来のために。

 

「今回のルールでは体調不良などでリタイアした生徒がいる場合、1名につき30の試験ポイントペナルティが発生する。そのため、Aクラスの試験ポイントは270からのスタートとなる」

 

 その一言で周囲は驚いた様子だったけど、Aクラスからはほとんど反応がなかった。

 間にCクラスとBクラスを挟んでいるせいで、織り込み済みなのか動揺を抑え込んでいるだけなのか判断がつかない。

 

「この場での説明は以上となる、各クラスは担任の元へ集まるように」

 

 そう言って真嶋先生が壇上から降りる。

 

 それぞれのクラスが距離を取るように集まり出し、特別試験が本格的に始まった。

 



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20.

 茶柱先生の前に集合したDクラス一同。

 

 まず最初に生徒それぞれへ腕時計が1つずつ配られ、それを装着するように言われた。

 他のクラスに対しても、各担任から同様の指示が出されている。

 見た限りでは、特段変わったところのないデジタルタイプの時計だ。

 ‥‥‥先生に逆らったら爆発するとか、変な機能ついてないよね?

 

「今配布した腕時計は試験終了時まで身につけておくように。許可なく外した場合にはペナルティが課せられるから注意しろ」

 

 俺が腕時計を観察している間も話は続く。

 それによるとこの腕時計には、時刻の確認以外にもバイタルチェックやGPSなどいくつかの機能が搭載されているらしい。

 緊急事態に陥った時は、側面についているボタンを押せば学校側が動くとのことだ。

 

 説明を聞いた周囲のクラスメイト達は次々と、指示通りに腕時計を装着していく。俺だけが着けないというわけにもいかない。

 まぁいいさ。そもそも堀北とお揃いなのに拒否するわけがないし。

 

「次はマニュアルだな。各クラスに1つずつ渡しておく決まりだ」

 

 それを聞いた俺は、質問の許可を得るために手を上げる。

 

「なんだ?浅村」

「1つ確認させてください。周知される内容はマニュアルを含めて、4クラスで同じでしょうか?」

 

 恐らくは、誰もが気になっている内容。

 中間試験みたいな情報格差がある状態では、まともな勝負にならない。

 

「もちろんだ。各クラスに用意したマニュアルは全て、真嶋先生が持っていたモノと同じ記述になっている。こちらから口頭で説明する内容にも差異はない」

 

 そう口にした茶柱先生は、取り出した数十ページほどの冊子を俺に渡してくる。

 あちらから開示される情報に差が無いことは確認できた。

 となれば次は。

 

 読書の時間だね、わかるとも。

 

「再発行には試験ポイントの支払いが必要になる。紛失するなよ」

 

 仮にマニュアルを失っても、内容を記憶していれば何の問題もない。

 他のクラスメイトも読みたいだろうし、さっさと覚えてしまおうか。

 

 茶柱先生の話を聞きつつ、須藤の背中に隠れて早速ページを捲っていく。

 

 説明された内容は

 

・クラス全体に8人用テント2つ、懐中電灯2つ、災害時用簡易トイレ1つ、マッチ1箱を支給。

・各生徒毎にアメニティが入った鞄を支給。

・簡易トイレ用のビニール袋と吸水ポリマー、女子生徒用の生理用品、日焼け止めは無制限に支給。無料。

・上記以外については食糧や水も含めた全てを自力で何とかするか、または試験ポイントを消費して学校に要請することになる。

・各クラスはベースキャンプとなる場所を選定すること。

・毎日8時と20時にベースキャンプで点呼を行い、不在者1名につき試験ポイントマイナス5。

・正当な理由の無いベースキャンプ変更は認められない。

・環境汚染行為を発見した場合、試験ポイントマイナス20。

・他クラスへの暴力行為、略奪行為、器物破損があった場合、その生徒のプライベートポイントを全没収、所属クラスは失格。

・真島先生が言っていた通り、リタイア1名につき試験ポイントマイナス30。

・この試験ポイントの最低値は0。仮にクラス全員がリタイアしてもクラスポイントが減ることはない。

 

 こんな感じだ。

 

 

 マニュアルも一通り読み終えたけど、説明と重複する部分が多かった。一度に全員へ伝えるため、記載されている内容をわざわざ口頭で説明しているんだろう。

 

 冊子の後半には試験ポイントと交換できる物品リストも載っていて、そちらも記憶済みだ。いくつか目ぼしいモノがあったから、堀北と平田には後で話を通しておこう。

 

 そんなことを考えていたせいだろうか。Dクラスの背後から忍び寄る脅威を俺が感じ取ったのは、ソレがかなり接近してからだった。

 遠くへ待避する時間がないと判断した俺は、素早く須藤の前側に回り身の安全を確保する。

 

「やっほ〜」

 

 背後から聞こえてきたのは気の抜けた声。これっぽっちも望んでいなかった星乃宮先生の登場だ。

 休みの間は関わらないで済むと思っていたのに、深刻な収容違反が発生してしまった。

 

 説明を中断させられた茶柱先生が、ため息を吐きながら声をかける。

 

「‥‥‥星乃宮、何の用だ?」

「え〜、そんなの決まってるでしょ?サエちゃんに会いに来たんだよ?」

 

 星乃宮先生はそう言いながら茶柱先生に歩み寄って抱きつく。

 俺達の背後から前方へ星乃宮先生が移動した挙動に合わせて、俺は須藤の背後に回り込んだ。視界に一切入り込まないよう動いたので、星乃宮先生には捕捉されずに済んでいる。

 

 ヨシ!このまま須藤を盾に、茶柱先生を囮にしてればやり過ごせるな。

 俺のために犠牲になってくれ。

 

 須藤の陰に隠れながらそう考えていると。

 

「サエちゃんの髪、いつ触ってもサラサラしてるよねぇ」

「‥‥‥どうせ浅村が目当てだろう?そこにいるぞ」

 

 信じていた担任がこちらを指差していた。ひどい裏切りだ、ふざけるな。我が身可愛さに他人を差し出すとか、人間としてどうかと思う。

 

「あ、ホントだ!隠れたりして相変わらずの照れ屋さんめ!」

 

 茶柱先生の人道に背く行いにより、居場所が露見してしまった。星乃宮先生がこちらに近寄ってくる。

 

 この島最初の試練の時間だ。取れる選択肢は多くない、というか思いつかない。

 須藤は明らかに俺を助ける気がなさそうだ。どう見てもニヤニヤしている。覚えとけよ、このヤロウ。

 

 ‥‥‥仕方ない。堀北とのデートでも思い出してやり過ごそう。いや、タイタニックごっこは楽しかったし、あの続きもいいな‥‥‥。

 

 そんな風に堀北のことを考えていたけど、決して諦めたわけではない。

 ただ証明したいだけだ。堀北との思い出さえあれば、どんな困難でも乗り越えることができるということを。

 

 そうやってイイ感じの悟りを開こうとしていた俺だったけど、救済は現世にこそあった。それもすぐ傍に。

 

「星乃宮先生、既にクラス対抗試験が始まっています。不用意な接触は控えるべきではないでしょうか」

 

 女神ホリキタが俺と星乃宮先生の間に立ち、そう言い放った。惚れた。

 

「やだなぁ堀北さん。仮にも教師である私が、情報を漏らしたりなんてするわけないでしょ」

 

 やだなぁ星乃宮先生。中間試験のこととかを他クラスへ言い触らしている人の言うことなんて信じられるわけないでしょ。

 

「‥‥‥星乃宮、そろそろ戻っておけ。それとも上に報告されたいか?」

「戻りまーす!ちょっとはしゃぎ過ぎたかもね!」

 

 そう言って踵を返す星乃宮先生。女神とSCPの対峙は、前者の勝利で一応の決着を見た。

 流石は堀北。その威光を前にしては、さしものユルフワ系教師と言えども退散するほかないようだ。

 

 

 そんな風に感心していたら、戻っていく途中の星乃宮先生が足を止めて振り返る。早く帰ってくれ。

 

「2人揃ってこの島に来るなんて、何だか運命みたい。‥‥‥サエちゃんもそう思わない?」

 

 言うだけ言うと返事を待たずに、今度こそBクラスに戻って行った。

 これはアレか。2人の間に何かしら因縁があるパターンだったりするのか。

 

「‥‥‥さて、邪魔が入ったが続けるぞ」

 

 本当、あの先生だけは苦手なままだ。別に怖いわけではないけど。

 Bクラスで適切に管理するよう、折を見て一之瀬にお願いしておこう。

 くびわつけといて。やくめでしょ。

 

 

「これまでは試験ポイントのマイナス要素について話したが、この試験ではプラスになる要素も存在する。今からそれについて説明しよう」

 

 

 突然現れた大敵を撃退してくれた女神への感謝の祈りを心中で捧げる。それと並行して説明を聞いたけど、こちらもマニュアルに記載されていた内容と変わらなかった。

 

 

・島の各所にはスポットとされる地点が設定してある。

・スポットには占有権があり、それを獲得したクラスはそのスポットを独占できる。

・スポットを占有するには、設置されている機械に専用のキーカードを使用する必要がある。

・スポットの占有権は8時間で消滅する。

・スポットを占有する度に試験ポイントプラス1。

・キーカードを使用することができるのはリーダーとなった人物のみ。

・リーダーは各クラスで必ず1名選出しなければならず、正当な理由の無いリーダー変更は認められない。

・試験最終日に、他クラスのリーダーと思われる生徒を指名することができる。

・指名された生徒がリーダーだった場合、自クラスは試験ポイントプラス50、指名された生徒の所属するクラスは試験ポイントマイナス50。

・指名された生徒がリーダーではなかった場合、自クラスは試験ポイントマイナス50。

・他クラスが占有しているスポットを許可なく使用した場合、試験ポイントマイナス50。

 

 この中で特に重要なのは2つ。8時間毎のスポット占有で試験ポイントがプラス1されること、リーダー指名でポイントが大きく増減すること。

 特に後者は大きい。指名を成功させれば自分達のポイントが増えるだけでなく、相手クラスのポイントを減らすことができるのだから。

 うまく立ち回れば今回の試験、各クラスでの獲得ポイントに大きな差をつけることが可能だ。

 

 

「説明は以上だ。健闘を祈る」

 

 そう口にした茶柱先生は、一歩下がる。

 

 後はお前達でやれ、とそんな顔だ。

 

 他のクラスメイトの様子はマチマチ。

 ポイントを増やす手段を聞いて浮かれていそうな人もいれば、サバイバルについての不安を露わにしている人もいる。

 

 

****

 

 

 説明を聞き終えた俺達は、強い日差しを避けるために森の中へ避難している最中だ。

 平田の呼びかけによるものだけど、堀北の消耗を抑えるナイスな判断と言える。軽井沢とイチャイチャする権利を進呈しよう。

 

 

「よし、ここならみんなで落ち着けそうだね」

 

 先頭の方から平田の声が聞こえてきた。良い場所を見つけたらしい。

 と、そうだ。堀北にマニュアルを渡しておくか。俺が読んでいる間チラチラとこっちを見ていたし、きっと早く読みたいんだろう。待たせてごめんね。

 

「堀北さん、マニュアル渡しておくから」

「‥‥‥もう読み終わったのかしら?」

「うん、覚えた。後半に物品リストと島の白地図が載っていること以外は、茶柱先生の説明と大差なかったよ」

 

 バッチリ記憶したので、返事と共にVサインをしておく。イェーイ。ピースピース。

 

 

 

 返事は返ってこず、変な目で見られた。とても綺麗な、赤みがかった瞳をそなえた変な目で。

 

 赤っていいよね。一番好きな色だ。二番目に好きなのは金色。両方とも名前によく馴染む気がする。

 

 

 

 堀北へマニュアルを渡してから歩くこと少々。

 先行していたクラスメイト達に追いつくと、ひらけた空間が現れた。

 平田が見つけたこの場所は40人を収めるのに十分な広さがあり、木漏れ日が多少差し込む程度で砂浜ほどは暑くない。

 ここなら落ち着いて話すことができるだろう。

 

 堀北がマニュアルを読み込んでいる間に、俺は次の動きを確認しようと平田へ声を掛ける。

 

「これから作戦タイムの予定?」

「うん、そのつもりだよ。浅村君の考えも聞かせて欲しいな」

「とりあえず、この辺りだけでも見て回るべきじゃないかな。ベースキャンプの場所を決める前に、ある程度地理は把握しておきたいし」

 

 ベースキャンプの変更が認められていない以上、居住性やスポットの位置を考慮しておかないと後々に響いてくる。

 

「確かにその通りだね。問題はどうやって探索するか、だけど」

 

 平田が悩ましげにそう言うと。

 

「そんなの何人かのチームに分かれて、バラバラの方向を見に行けば良いんじゃね?」

「‥‥‥私、知らない森の中を歩き回るのはちょっとキツいかも」

 

 近くで話を聞いていた池が口を開き、軽井沢がそれに反応する。それを皮切りにあちこちで論争が起きた。

 

 

「トイレ1つってヤバくない?男子と一緒ってことだよね?」

「ベースキャンプはなるべく涼しそうな所がいいね。砂浜ほどじゃないけど、ここも暑いし」

「今年こそ東北黄金鷲団が優勝するから!マジで!」

「食事とかお風呂とかどうするんだろ?試験ポイント使うのかな?」

「リーダーは誰にするんだ?浅村か平田のどっちかがやるのか?」

「この試験で何ポイント増やせるかなぁ。新しい服欲しいんだよね」

 

 

 いろいろな意見が出るのは大変いいことなんだけど、このままでは時間がかかりすぎる。

 

「みんな、ちょっといい?」

 

 注目を集めるためにパンッと手を打ち合わせた後、大きめの声で呼び掛けた。

 数秒で喧騒が収まり、全員の視線がこちらを向いたことを確認してから続きを述べる。

 

「これから1週間の過ごし方を話し合う、この島について知る。まずはこの2つをやるべきだと思うんだけど、どうかな?」

 

 堀北と平田は特に異存無さそうだ。

 少し間を置いてクラスメイト達の様子を見ても、異議は出なかったので話を続ける。

 

「それで提案。探索組と話し合い組に分かれよう」

 

 俺達は40人いるから、両方を並行して進めることができる。

 探索に全員が参加したところでデメリットが勝るし、何よりも今の堀北にひたすら歩き回るなんて真似はさせられない。

 

 そんな若干の私情が混じった提案を聞いたクラスメイトの1人、幸村が手を上げる。

 中間試験の時に、なんだかんだ言いながら英語の点数を下げてくれた秀才だ。つまりツンデレ。

 そのツンデレ秀才に発言を促すと、眼鏡をクイってしながら質問を投げてくる。

 ツンデレ秀才眼鏡からのクエスチョン、頂きました。

 

「役割を分けるとして、探索組の意見は考慮しないのか?」

「いや、そんなつもりはないよ。話し合い組にいろいろ考えてもらうにしても、最終決定の場には探索組も参加する形がいいと思う」

 

 今回の探索はあくまでベースキャンプを決めるための情報収集で、本格的な実施は別の機会を考えている。でないといつまでたっても堀北が休めない。

 だからそこまで時間をかけるつもりはないし、話し合いについても課題の洗い出しが済めば十分。そこから先はベースキャンプを構えてからだ。

 

 

 他にもいくつか飛んできた質問に答えた後、合意が取れたので探索チームの立候補者を募ることに。

 

 探索チームは3人組が良いという意見があって、結果的にはその提案通りになった。

 少人数で行動することには平田が懸念を示したけど、今回の試験でそれを控えることは難しい。

 

 1人では行動しない。

 利用できそうな場所かスポットを見つけたらすぐに戻ってくる。

 何も見つけられなくても1時間で帰ってくる。

 

 この条件で納得してもらった。

 

 

 

 

 

 そして現在。

 立候補者を募集し始めて少し経ったが、既に探索チームを3つ組織して送り出し済みだ。

 

 1チーム目は須藤が池と山内を引っ張っていった。見るからにやる気満々だったのはいいことだ。

 ‥‥‥俺に声を掛けなかったこととは関係ないけど、船に戻ったら須藤の夏休み用問題集を増量しておくか。プラス2ページ。

 それとマニュアルの地図を確認する時、堀北との距離がやたら近かったな。プラス15ページ。

 

 2チーム目と3チーム目は同時に決まった。櫛田が立候補した瞬間に男子が5人立候補したのだ。

 もしかしたらこの世界はギャグ漫画なのかもしれない。

 とりあえず男子3人で組まされた方は、ご愁傷様としか。

 

 4チーム目のメンバーは決めている真っ最中なわけだけど、これがなかなか決まらない。

 現状で立候補している人物。

 

 高円寺、以上。

 

 探索に行きたくなさそうなクラスメイトが元々多い様子だったけど、4チーム目が組織できない原因は多分それじゃない。誰とは言わないけどさ。

 

 せめて後1人、誰か立候補してくれないだろうか。

 そう考えてると綾小路が挙手したのが目に入る。

 

 よし、これで俺が参加すれば4チーム目が出発できるな。

 話し合いは堀北と平田に任せよう。

 

 

「じゃあ後は俺が‥‥‥って、もしかして佐倉さんも立候補してくれたのかな?」

 

 高円寺と綾小路に歩み寄りながら立候補の意思を表明する。

 それと同時に、佐倉が控え目に手を上げていたのが目に入った。秒速5cmくらいの速さで下がっているけど。

 

 せっかくやる気を出してくれたのだから、それは汲みたい。

 ただ、俺も参加しておきたい事情がある。

 これ以上の探索チームが組める様子もないし。

 

 ならここは。

 

「よし、4人で行こうか」

 

 待っててくれ、堀北。良さげな場所を見つけてくるからな。

 



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21.

 絶賛、森の探索中。

 隣の綾小路が、先行している高円寺を見やりつつ話しかけてきた。

 

「探索に来て良かったのか?話し合いへ参加すると思ってたんだが」

「せっかく離島に来たんだし、少しでも早く見て回りたくてさ。冒険だよ、冒険」

 

 古代文明が築いた遺跡、突如起動する魔法陣、青い光と共に空から舞い降りてくる女の子、引き出しの中から現れる青タヌキ。創作の世界であるのなら、何がきっかけで物語が動き出すかはわからない。

 ‥‥‥どうか神様。サメが出てきたり、ここがイスラ・ヌブラル島だったりするのはやめてください。誰かが死ぬのは嫌です。これは第3の願いではないので、そこんところ宜しくお願い致します。

 

 まぁ、99%学園系の世界だってことは理解している。

 それでもロボットや魔法とか追い求めてしまうのは男として仕方がないことだろう。スリルがあるけど誰も死なない世界を望んだっていいじゃないか。人間だもの。

 

 この探索に志願した本音は別のところにあるんだけどね。

 

「高円寺がいつも以上に楽しそうにしているのと同じ理由か?」

 

 綾小路が言う通り、高円寺は普段よりもテンションが高い。

 そして普段よりもこちらの言うことを聞いてない。

 

「さあ?あの気ままな振る舞いに、そもそも理由があるかどうかすら俺にはわからない」

 

 というか、アレと一緒にされるのはなんか嫌だ。

 堀北に友達と認定してもらった日の俺は、もしかしたらあんな感じだったかもしれないけど、それはそれだ。

 

「まあ、理由なんて無いのかもな。なんにしても大した運動能力だ」

「確かに。まるでターザンだ。ゴリラに育てられたって言われても納得できるよ」

 

 話題の野生児、もとい金髪男が位置するは地上から約7メートル。

 樹上の枝から枝へ飛び移り、高笑いと共に進んでいく様はとても楽しげだ。

 知らない人だったら間違いなく通報する自信がある。とりあえず、あの動きはターザン機動と呼ぼう。

 

 俺の皮肉を聞いた綾小路は、顔を前へ向けたまま視線だけをこちらに送ってくる。

 流し目がよく似合うイケメンだ。是非とも堀北以外に実施して頂きたい。

 

「ターザン‥‥‥たしか、バローズだったな」

「そっち?大抵の人はディズニー映画を連想すると思うんだけど」

「そうなのか?」

「たぶん。‥‥‥いや、ちょっと自信無くなってきた。佐倉さん、どうかな?」

 

 俺は探索チーム唯一の女子、少し遅れ気味でついて来ている佐倉へと話を振る。

 折角同じ探索チームになったのに、さっきから黙りっぱなしだ。

 俺と綾小路から仲間外れにされていると感じていないか心配になってしまう。

 

 高円寺に対してはそんなの不要な配慮だと断言できるけど。

 

「えっと、その、よくわからない、です‥‥‥」

 

 返事はしてくれるものの、相変わらずの距離を感じる反応。

 以前からその傾向はあったけど、ストーカー事件からはそれが一層顕著になっている。

 あの一件で男に対してトラウマを抱いたかもしれない。無理のないことだ。

 

 ただ例外もいるようで、綾小路とは一緒に帰ったりしているところを時折見かける。

 落ち着いてるし、いろいろ気が利くイケメンだからだろう。

 

 それはいいとして、だ。

 もしかしてディズニーって、この世界ではそこまで有名じゃない?

 元々いたところとは違うと言われたから、そうだとしても不思議ではないんだけど、そこらへんの流行が違うと色々やりづらい。

 堀北と2人でディズニーシーへ行くという俺の悲願、その成就に支障をきたすのはとっても困る。

 がんばれディズニー。まけるなディズニー。

 はたらけディズニー。やすむなディズニー。

 

 

 そんな風にディズニーへ純粋なエールを送っていたら、停止していた高円寺が話しかけてきた。地上7メートルの樹上から。ターザン停止だ。

 

「大地。あの主人公も高貴な生まれだ。その点では確かに私と共通しているが、他は比べるべくもない。こと美しさという点では遠く及ばないね。そこの凡人2人もそう思うだろう?」

 

 高円寺の言う凡人2人。俺のことは名前呼びだから、恐らくは綾小路と佐倉のことだ。

 その2人は応答せずに、『何言ってんだこいつ』みたいな表情をしたまま。

 

 残念だったな、高円寺。俺はさっき佐倉から返事をもらえたけど、そちらは違うみたいだ。

 これで俺だけが避けられているわけでないことが証明されてしまった。元々明白な事実だったけどね。

 

 2人から返事を得られなかった高円寺は、ため息をついて話を続ける。地上7メートルの樹上で。ターザンため息。

 

「やはり凡人では、私の美しさが認識できないようだねぇ。大地はすぐに理解したから、もしや君達もと思ったのだが」

 

 『何言ってんだこいつ』みたいな表情をした顔2つがこちらを向く。

 

 俺を巻き込まないで欲しいものだ。あんなの8割がお世辞に決まってるというのに。

 そして一番美しいのは堀北。これは絶対に譲れない。

 

 

 そんな感じで俺達は、楽しくお喋りしながら探索していた。

 

 このまま平和に終わればいいな、なんて望みを密かに抱きながら。

 

 僅か数分後、その希望は打ち砕かれることも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

「飛ばしすぎるとはぐれるって何回も言ってるだろ?もう少しスピードを」

「ノォプロブレムッ!この程度の森で迷う私ではない」

 

 俺の呼びかけを遮った高円寺は、哄笑と共に一段と加速する。問題大アリだ、バカヤロウ。

 

 あちらがスピードを落とさない以上、こちらがそれに合わせるか、でなければ離れ離れになるしかない。

 どんどん速度を上げる高円寺をなんとか捕捉し続けようとした結果、既に俺達3人の前進ペースは駆け足以上の速さになっている。

 それでもなお、少しずつ遠ざかっていく金髪ターザンの背中。

 見失わないためには、さらに急がなければならない。

 

 俺は平気だし綾小路も問題ないはずだけど、佐倉は見るからに辛そうだ。

 舗装されていない地面を駆けてきたせいか、既に息が上がっている。

 このままではいずれ脱落するだろう。

 綾小路もそれを察したのか、足を止めて俺に言葉を投げてきた。

 

「浅村、これ以上は体力が保たない。悪いが、高円寺の暴走に付き合うのは無理だ」

 

 出た、綾小路のイケメンムーブ。

 自分が泥をかぶるスタイルか。今度堀北相手に真似しよう。‥‥‥いや、堀北を疲れさせる時点でアウトだな。

 

「よし、チーム分けしようか。綾小路と佐倉さんはこの辺りを見てくれる?俺と高円寺は‥‥‥うん。いい感じに島を回るから」

「すまない。佐倉もそれでいいか?」

「は、はい。大丈夫、です」

 

 乱れた息を整えながら佐倉が返事をする。

 他の男子と2人っきりならともかく、綾小路相手なら佐倉も問題ないだろう。

 

 ‥‥‥なんか綾小路って、女子とサシでいるパターンが多いよね。

 櫛田と佐倉はちょいちょい見かけるし、一之瀬といる場面も見かけた。

 堀北にしたって最初会った時は綾小路と2人だった上、櫛田と計画したこととは言えカフェにも行っている。

 ‥‥‥まぁ、今考えることじゃないか。

 

「綾小路君も、浅村君も、ありがとうございます」

「こちらこそ。探索に協力して頂きありがとうございます」

 

 他のクラスメイト達が及び腰だった探索に参加してくれた。それだけで御の字だ。

 

「それじゃ、ここで一旦お別れだ。帰り道はわかるよね?」

「ああ、問題ない」

「ならいいんだ。俺はあっちに向かうから、2人は引き続きこの辺りをよろしく。区切りの良いところで平田達と合流しちゃって」

 

 そう言い終えると同時に、高円寺を追いかけようと2人へ背を向ける。

 

 駆け出そうとしたその時、綾小路が声を掛けてきた。

 

「高円寺のアレ、やらないのか?」

 

 ‥‥‥おかしい。怒らせるようなことをした記憶はないのに煽られている。

 人前でターザン機動する趣味はない。俺は文明人だというのに。

 

 

 たぶんこれは、綾小路流の冗談だろう。そうに決まっている。

 それならこちらも採点せねば、無作法というもの。

 

 俺は掌をパーの形にして綾小路に突き出す。

 

「50点」

 

 かなり甘めの評価だ。確実に赤点にならない点数‥‥‥やめよう。封印していた記憶が目覚めてしまう。

 

 

 俺の甘々評価は伝わったはず。

 だから何かしらのリアクションがあると思ったのだが、一向に反応が返ってこない。

 不思議に思って視線を向けると、そこには『何言ってんだこいつ』みたいな表情が2つ。

 

 それを確認した俺は今度こそ2人に背を向けて、高円寺が消えていった方向へ駆け出す。

 

 別に空気を凍らせてしまったからではない。高円寺が離れすぎると困るからだ。

 

 そもそも夏なのに空気が凍るわけがないから、たぶん気のせいだろう。

 

 封印していた記憶が目覚めている気もするけど、それだってもちろん気のせいだ。

 

 

 

 そうしてフリーズした空間から離脱し、高円寺を追うこと数十秒。

 目当ての背中が見えてきたあたりで地上から声をかける。文明人的アプローチ。

 

「綾小路と佐倉さんとは別行動することになったから」

 

 俺を誘うような加速。そして2人っきりの状況。何も起きないはずがなく。

 

 停止した高円寺は、髪をかき上げながらこちらへ振り返る。

 いつもの笑みとは少し違うソレを顔に浮かべながら。

 

「やはりこの程度、君は難なくついて来るようだねぇ」

「一応はね。こっちの制止を聞かなかったのは、俺を試そうとして?」

「ノゥ。この清々しい日差しを浴びて、私の体がエネルギーを求めていたからさ」

 

 言っている意味が理解できない。高円寺の体には葉緑体でも備わっているのだろうか。

 なんであれ、ゴリラの方がまだマシとさえ思えるコミュニケーション能力だ。

 

「しかし君の能力に興味があるのか、という問いならイェスだ。4月の水泳以来、本気を出していないだろう?」

「‥‥‥まぁ、加減はしていたよ」

 

 高円寺が指しているのは、俺が体育の授業などで全力を出さなかったことだろう。

 不自然に思われないよう留意はしていたけど、それでもバレていたらしい。

 

 ちなみに高円寺は手抜きしまくりだ。やる気の無いヤツランキングで不動の1位を誇っている。

 

 俺がそんなことをしている理由として、監視者の件が念頭にあるのは言うまでもない。

 そうでなくても身体能力は第3の願いを除けば、現状で俺が持つ最大の武器として認識している。

 可能な限りは秘匿して、いざという時に備えておきたかったのが本音だ。

 

 入学当初の俺の目立つ振る舞いが、色々と悪影響をきたしているな。

 今回のこともそうだし、星乃宮先生の件もそうだ。

 

 うわっ‥‥‥俺の行動‥‥‥ガバすぎ‥‥‥?

 

「君がそんな真似をする理由はどうでもいいがね。勝負が引き分けたまま、というのは私の趣味ではないのだよ」

「それはあれかな?今ここで決着を付けようと?」

 

 俺の言葉を聞いた金髪の男は、不敵な笑みを浮かべてこちらを見下ろす。

 

 

 高円寺六助。身体能力で考えた場合、Dクラス生徒の中で監視者の可能性が最も高い人物。

 もしその予想が的中していたのなら、ここで流血沙汰かそれ以上の事態が起きるかもしれない。

 

 寮に裁ち鋏を置いてきたのは失敗だったかもという後悔。

 いざという時、堀北のためならどこまでできるのだろうかという自問。

 

 それらを頭の片隅に追いやり、別の可能性に賭けて話を続ける。

 

 監視者の今までの行動は慎重そのもの。

 ここで何か事を起こすというのは大胆がすぎる。あまりにもミスマッチだ。だから、大丈夫。

 

「白黒つけると言ってもさ、どうやって競うつもり?」

「それは君が考えたまえ、大地。人前では全力を出さないのだろう?」

 

 こっちに配慮しているような言い方してるけど、単に勝負の内容を考えるのが面倒くさいだけに決まってる。

 でも、俺にとって都合がいいのも事実だ。

 

「なら、ちょうどいい勝負方法がある」

「聞こうじゃないか」

 

 俺は平田に対して、約束を破る不義理を心中で詫びておく。

 今から提案する方法は、探索前に決めた条件に反しているのだ。

 

「シンプルだよ。今から30分間、別れてこの島を探索。スポットをたくさん見つけた方の勝利。どう?」

 

 高円寺が優秀であるという点は疑いようがないけど、今まではその有能さをDクラスの利益につなげることができなかった。

 口実があれば乗ってくるかどうか。高円寺の能力がどの程度か。

 この勝負を試金石にできるのならば。

 

「ほう、私を利用するつもりかい?」

「まさか。ただ、このやり方だと引き分けがあり得るんだよね。それが嫌だって言うなら、別の方法を考えるけど」

「安い挑発だねぇ。だがグゥッド、乗ってあげよう」

 

 高円寺は愉快げに応答した後、俺が向かおうと考えていた方角へ体を向ける。

 それを認識した瞬間、荒っぽいことにならずに済んでよかったという安堵が吹き飛ぶ。

 

「では30分後、またここに」

「待った!俺がそっち行ってもいいかな?」

 

 俺が向かうつもりだった方角、それは北。理由は2つある。

 島の外周から観察した限りだと、険しい地形ながらも狭い範囲にスポットが密集している可能性が高い。

 そしてこっちが特に重要なこと。俺が愛してやまない漢字4文字、そのうちの1文字がまさしく北なのだ。選ばない理由がない。

 

 こちらの懇願を聞いた高円寺は白い歯をこぼしながら、今日一番の笑顔で返事を寄越す。

 

「勝負の方法を決めたのは君だ。なら、行き先を選ぶ権利が私になければ不公平だろう?」

 

 そう言うや否や、佐倉達を引き離した時以上のスピードで緑の向こう側へと消えていった。

 

 

 クソッ!北を取られてしまった。

 チクショウ‥‥‥高円寺のくせに正論言いやがって‥‥‥チクショウ‥‥‥。

 そっちが決めろって言うから勝負の仕方考えただけなのに‥‥‥。

 

 ‥‥‥こうなれば、あいつに勝ってギャフンと言わせてやらないと気が済まない。

 

 勝負中に限り、俺は文明人としての矜持を捨て去ろう。

 

 今より1800秒の間、この体は浅村大地ではなく、ただスポットを見つけるだけの獣になるのだ。

 

 

****

 

 

 勝負終了まで残り30秒。既に『スポット見つけるビースト』モード、血眼になりながらターザン機動している状態は解除している。

 1800秒まるまる維持していると、高円寺にも見られるからね。

 

 だから今は文明人機動、地上を走って待ち合わせ場所に向かっているわけだけど。

 スポットを探している間に模倣したターザン機動、アレがめっちゃくちゃ楽しかった。

 とりあえずこの島にいる間、人目がない時の移動方法にはアレを採用する。

 

 ‥‥‥よく考えたら、ターザン機動と呼ぶのも高円寺に失礼だな。ターザン機動あらため、NARUTO機動と呼ぼう。

 うん、これならカッコイイし文明的だ。

 

 

 残り15秒の時点で待ち合わせ場所に到着すると、高円寺は既に待機していた。地上7メートルの枝に腰掛けて足を組んでいる。ターザn‥‥‥NARUTO座り。

 

「やぁ、大地。制限時間内に君が現れないまま勝利、なんて興醒めな結果にならないで何よりだ」

「自分が負けるなんて微塵も思っていない言い草だね」

「当然だとも」

 

 自信満々な様子の高円寺に、同じく自信ありそうな感じで声をかける。実際はかなり怪しいと思っているけど。

 

 スポット探索で島を動き回っている間、見つけたスポットの配置と上陸前に島を外周から観察した結果に基づいて、島全体のスポットの配置を予測してみた。

 その見立てが当たっていて、なおかつ高円寺の回れる範囲が想定を下回っていなかった場合、俺は負けるだろう。

 

「ではまず私から。見つけたスポットの数は9、だ」

 

 どうやら、俺の見立ては当たっている可能性が高い。

 

 それはつまり。

 

 

 

 

 

 

「こっちは7箇所」

 

 俺の負け、ということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 本当に自らが勝つことを疑っていなかったのか、勝利した事による喜びは高円寺の表情から読み取れない。

 そこにあるのは先程同様の不敵な笑み、それと少しばかりの驚愕。

 

「ふむ‥‥‥4つ前後になると踏んでいたのだがね」

 

 実のところ、7箇所見つけられたのは運が良かったというか、ちょっとしたワケがあるというか。

 

 それは勝負開始後間もない時、微かに聞こえてきた須藤の声。

 

 何やら興奮している様子だったのでそちらへ急行すると、向かった先で川辺のスポットとそれを見つけてはしゃぐ須藤達を発見。

 

 勝負中だったから声を掛けずに離れたけど、あれのおかげで少し時間を短縮できた。

 そして何より、あのポイントはベースキャンプとして理想的。

 堀北の休める場所を探す、という目的を須藤が達成してくれたからこそ、俺は勝負に集中できたのだ。

 

 敗北という結果は変わらないけど、須藤の声が聞こえなかったら7箇所目が間に合ったかどうか。

 

 ところで『敗北』って言葉はあまり好きじゃないんだけど、1文字目を隠すだけでその印象は反転する。

 不思議なことに、胸のトキメキが止まらない。

 

「お望み通り決着がついたわけだけど、満足できた?」

「ああ。大いに楽しめたよ」

 

 そう言いながら高円寺は、腰掛けていた枝から立ち上がる。

 

「実を言うと手を抜かないか少し危惧していたのだが、いらぬ心配だったようだねぇ。有利な行き先を選択した私相手に、こうも食い下がるとは」

 

 やっぱりこいつ、北が有利だと認識した上で選んだのか。

 フェアな勝負をしようという気概が足りない。男として恥じるべきだろう。

 

 そんな俺の正当性しかない不満をよそに、高円寺は語り続ける。

 

「間違いなくこのバカンス最大の収穫だ。だからここはひとつ、君の質問に答えてあげよう」

「質問?‥‥‥もしかして船で聞いたやつのことを言ってる?」

 

 それは、上層デッキで居合わせた時の問いかけ。

 高いところから飛び降りることができるか、というもの。

 

 監視者が実行した行動が、高円寺に可能かどうかの確認だったのだが。

 

 

「それだよ。その答えだが───」

 

 

 言葉を区切った次の瞬間、高円寺は7メートルの枝から跳んだ。

 

 そのまま俺の目の前に着地すると、平然とその金髪をかき上げながら続きを述べてくる。

 

 まさに今、答えを目の当たりにした質問への返事を。

 

 

「───イェス、だ」

 

 

 それこそが、俺の最も困る回答。

 

 もしかしたらそれもバレているのかもしれない。

 

 とても楽しそうに笑っている。

 

 だとしたら、なんてキザで嫌味な奴だろうか。

 

 

 

 

 これが、高円寺六助。

 

 監視者と思しき身体能力を持つ男。

 

 そして監視者らしからぬ性格をしている、俺のクラスメイトだ。

 




NARUTO跳躍からの文明人着地。


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22.

 勝負した後もいろいろと苦労しながら、どうにかこうにか高円寺を誘導して帰路へついた。

 それがわずか数分前のこと。

 今しがた、待ち合わせ場所に集まっている平田達が見えてきたところだ。

 

 ただその前に、悲しいお知らせを。

 俺の左手に装着された腕時計が、少し前からアラーム音を響かせている。

 これは自身で設定したもので、探索に出発してから60分経過後に鳴るようタイマーセットしていた。

 

 つまりこの腕時計は、俺と高円寺が約束の時間に遅れてしまったことを知らせてくれているのだ。

 潰してやりたい。

 

 

 これで平田との取り決め3ヶ条は全て破ってしまった。

 そのことに対して申し訳ないって気持ちはもちろん抱いているけど、それ以上に大きいのが一刻も早く堀北に会いたいという想い。

 

 時間が迫っていることなどカケラも気にせずに探索、というよりは自由気ままな散歩 on treeを続行しようとしたあの自由人。

 それをここまでなんとか連行した結果、俺の精神力はアホみたいに消耗してしまった。

 その心理的疲労の凄まじさたるや、星乃宮先生の授業後にも匹敵しかねないほどだ。

 

 マジで疲れた。早く堀北とお喋りして回復したい。

 

 

 

 ただ、他の38人は既に揃っているのかと思えば、須藤と山内が見当たらない。

 池は戻ってきているので、見つけたスポット確保のために残っているのかもしれない。

 だとしたら平田との約束に反していることになるけど、例の川辺にあるスポットを確保するためには必要な行動だ。

 

 だからそれはいいんだけど、別の問題が発覚。

 遠目から見てもわかるほどに、話し合いが紛糾している。

 見た限りでは軽井沢と幸村がメインでの言い争いが勃発中。

 篠原や池も絡んでなかなかの白熱っぷりだ。

 

 内容は、うん。

 喧嘩だね、これは。

 

 とりあえず近づいて、流れをぶった斬るべく声を上げる。

 

「遅くなって本当にごめん。ただいま戻りました」

「あっ、お帰りなさい!みんな、浅村君達も戻ってきたよ!」

 

 こちらに背を向けていた櫛田が、振り返りざまに声を上げる。

 それを聞いて、他のクラスメイト達も視線をこちらへと向けてきた。

 その中にはもちろん、堀北もいる。

 赤い瞳が俺を見てくれた、それだけで身体中に溢れんばかりの活力が行き渡った。

 元気100倍、アサムラマン。

 

 そして、数秒前まで行われていた舌戦が途絶える。

 

「2人ともお疲れ様。大体時間通りだね」

 

 俺の遅刻に対する平田のフォローが五臓六腑に沁み渡る。

 その人当たりの良さといったら、爪の垢を高円寺に飲ませたいほどだ。

 

 

 いや、流石にそれだけでは少量すぎる気がする。

 この1時間で理解したけど、高円寺のアレっぷりは想像を絶する次元だ。

 いかにヒラタニウムを以ってしても、中和するのは容易ではない。

 

 

 ‥‥‥なら、爪を丸ごと食わせれば?

 

 

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥うん、ちょっと考えておこう。

 

 

 ともあれ、流石に今すぐどうこうできるものではない。

 まずは場を収めるのが優先だ。

 

「他の探索チームは戻ってきてるみたいだけど、ベースキャンプを構えるのに良さそうなポイントは見つけられたのかな?」

 

 言い争いなどカケラも聞こえなかったような俺の振る舞いに、一部のクラスメイト達は戸惑い気味。

 

 あのまま続行させるよりは、多少無理矢理だろうと仕切り直したほうがいい。

 そう判断しての態度だったんだけど、少し無理があったかもしれない。

 

 ただ、平田は俺の意図を察してくれたようで、間髪入れずに応答してきた。

 

「実は池君達が絶好の場所を見つけたらしいんだ。浅村君と高円寺君が少し休んだら向かおうかと思ってる」

 

 平田が手を向けた先には、エヘンと胸を張っている池。

 お手柄なのは事実だし、船に戻ったらドリンクでも奢ってやろう。

 無料だから好きなだけ飲んでいいぞ。

 

「俺達は平気だから、すぐにでも移動しよう」

 

 そう言って、荷物の中で一際大きい鞄を両肩に1つずつ掛ける。

 中にはテントの部材が入っていて、その重量は片方で15kg程。

 他のクラスメイトに持たせると、それなりの負担になってしまう。

 

「浅村君だけでそんなに運ぶ必要はないよ。1つは僕が」

「大丈夫。平田はみんなを先導してくれる?俺は最後に忘れ物が無いか確認してから出発するから」

 

 探索前にした約束破りをコンプリートしてしまったし、せめてもの罪滅ぼしだ。

 他にも理由はあるけど、それだってこちらの都合でしかない。

 

 

 平田は俺の言葉に納得した様子ではなかったけど、軽井沢達に急かされたこともあってそのまま出発して行った。

 他のクラスメイト達もそれに続いて、少しずつ移動し始めている。

 

「高円寺君、すごくゴキゲンだね。探索で何かいいことでもあったの?」

「おや、わかるかい?とても有意義な時間を過ごしたのさ。レディー達にも見せてあげたかったくらいだよ」

「それってもしかして‥‥‥浅村君が関係してる?」

「話したいのは山々だが、大地が怒るだろうからねぇ」

「‥‥‥え?それって‥‥‥えぇぇぇっ!?」

 

 高円寺、お口にチャックしろ。

 女子達にキャーキャー言われて喜ぶのはいいんだけど、俺をダシにするのはやめてくれ。

 負けたことを吹聴されて堀北の耳に入ったりでもしたら、即リベンジマッチを申し込んでやるからな。

 

 

 さて、あいつが見つけたスポットを聞き出しに行くか。

 高円寺と女子のやりとりが中断されるのは申し訳ないことだけど、仕方がない。

 いやほんとに不本意なんだけど、申し訳ないんだけど、仕方がないのだ。

 

 そんなことを考えながら、マニュアルとボールペンを貸してもらうために堀北へ声をかけた。

 

 

****

 

 

 他の人達は池君達が見つけたらしいスポットへ向かっていて、残るは浅村君と私だけ。

 木々の向こう側には、クラスメイト達の背中が見え隠れしている。

 それ以外に人影がないことを改めて確認してから、彼へと声をかけた。

 

「探索、大変だったわね。高円寺君が暴走したと聞いた時は、もっと遅れるかと思ったわ」

「いやほんと、苦労したよ。‥‥‥よし、忘れ物はないね」

 

 辺りに置き去りの荷物がないか確認し終え、こちらに向き直った浅村君の表情は普段と変わらぬまま。

 戻ってきた時は少し疲れているように見えたけど、それが気のせいに思えてきた。

 

「そろそろいい頃合いかな。俺達も向かおう」

 

 浅村君はそう言うと移動し始め、私もそれに続く。

 クラスメイト達の足跡を辿っている彼の歩みは、とてもゆっくりとしたもの。

 

「その鞄、2つともあなたが持つ必要はあったのかしら?」

「遅刻した反省の証ってところかな」

「それなら高円寺君にこそ持たせるべきでしょう」

「心底そうさせてやりたいけど、素直に言うことを聞いてくれる未来が見えないな。自分で運ぶよりも確実に疲れる」

「‥‥‥流石に2つはやりすぎよ。私も1つ持つわ」

「こういうことは任せてよ。それにこれだけ運んでたら、遅れ気味でも文句は言われないと思わない?」

 

 今2人きりになっているのは、成り行きではない。

 話したいことがあるので待っていてほしい、浅村君からそう言われたからこその状況。

 その言い訳に使うつもりなら、彼の思い通りにさせてあげよう。

 

「なら好きにしなさい。それで、話があると言っていたわね」

「試験のことで少し。その前に俺が探索へ出ていた間のこと、教えてくれるかな?」

「細かい話は色々あったけれど、主な議題はリーダーを誰にするか、ポイント消費をどうやって抑えるか。その2つよ」

「俺が戻った時もなかなか盛り上がっていたけど、アレは?」

「発端はポイントの使い道。リーダーが決まるまでは落ち着いた話し合いだったわ。荒れ始めたのはその後から」

「リーダー、決まったんだ」

「何人かはあの場にいなかったから最終決定ではないけれど、私がやることになりそうね」

 

 それを聞いた浅村君は足を止めると。

 

「‥‥‥そっか。実は俺の話もリーダーについてなんだけど」

 

 こちらへ向き直り、躊躇いがちに口を開く。

 

「その役目、俺にやらせてもらえない?」

「‥‥‥今から他の人達を説得するとなると、時間がかかるかもしれないわ」

 

 浅村君の認知度は、恐らく学年でもトップレベル。

 その分だけ、指名される危険性も他の人より高くなる。

 

「あなたや平田君もリーダーの候補には挙がった。それでも私になった理由、わかっているでしょう?」

「まぁね。それも踏まえた上で、こうして相談してるんだ」

「目的を聞かせてもらえるかしら?」

「狙いは、スポット占拠によるポイント獲得で優位に立つこと」

 

 彼はそう言うと、ポケットから1枚の紙を取り出す。

 

 それはマニュアルから破りとったもので、元々は白紙のページだった。

 そこへ瞬く間に島の地図を描き上げた彼は、何かを確認しに高円寺君の元へ。

 それが数分前のこと。

 

 彼の手元の地図には至る所にマーキングがされている。その数、16。

 

 あの時は尋ね損ねてしまったけれど。

 

「それは?」

「見つけたスポット。これで全部ではないと思うけど、結構な数が用意されているってことはわかった」

「あの短時間で、ここまで見てまわったというの?」

「俺だけじゃなくて高円寺のおかげでもある。わかっていたことだけど、あいつは色々と規格外だね」

「‥‥‥スポット占拠が狙いと言ったわね。理由がそれだけなら、あなた以外がリーダーでもいいのではないかしら?」

「そうなると多分、占拠する時に複数人で動くことになると思うんだ。リーダーを特定されないための対策として」

「当然そうなるでしょうね。あなたは違うと?」

「必要なら1人でも動けると思ってる。他クラスの動き次第でスポットの占拠合戦になった時、その方が競り勝ちやすい」

 

 それはかなり危険に思える選択肢。

 浅村君以外の人が言い出していたら、即座に荒唐無稽だと断じていたであろう提案。

 人数が増えるほど動きが重くなるとしても、他クラスからの指名を防げるメリットの方が通常なら遥かに勝るのだから。 

 

「簡単には肯けないわ」

「もちろんバレないよう動くつもりだよ。信じてもらえないなら仕方ないけど」

 

 彼はそう言うと、取り出したペンを手元で回し始める。

 何をしているのかと尋ねようとした瞬間、そのペンが消えた。

 

 彼はペンを持っていたはずの右手をひらひらしながら問いかけてくる。

 

「キーカードもうまく隠せると思うんだけど、ダメかな?」

「‥‥‥私が納得したとして、他のクラスメイト達にはどう話すのかしら?」

 

 全員一致で賛成になればいいけれど、恐らくそうはならない。

 ポイントの使い道以外にも火種が増えれば、初動はさらに遅れてしまうことになる。

 

「そこでも相談があってさ。他の人にリーダーを名乗ってもらおうと思ってる」

「クラスメイトに嘘をつくつもり?」

「全員が全員、隠し事が得意ってわけじゃない。俺が他クラスのリーダーを探るとしても、葛城や一之瀬さんは狙わないし」

「それなら今言ったことを説明して、リーダーを周知しなければいいだけでしょう?」

 

 多少の不満は出るかもしれないけれど、浅村君からの意見であれば採用される可能性が高い。

 彼にはいくつもの実績があるのだから。

 本人もそれはわかっているはずなのに、そうしないということは。

 

「‥‥‥嫌な言い方になるけど、他クラスへバラす人がいる可能性も考えないと」

 

 内通者への警戒。

 それが2つ目の提案、その根底にあるもの。

 わざわざ2人で話しているのも恐らくは同じ理由。

 誰がリーダーかという内部からの密告が為されれば、この試験では致命傷になってしまう。

 

 スポットを占拠したとしても、リーダーを指名されてしまえば加算されるポイントは0。

 茶柱先生に砂浜で説明されたルールの1つに、それがある。

 

「そういった人が、これから先出てくることもあり得る。この前それについて検討したのに、今更隠すことでもないでしょう」

 

 だからこそ、バカンスでは結果を出したい。

 このクラスで上を目指せると信じることができれば、余計な考えを持つこともないはず。

 浅村君がそう言ったのは、つい最近のこと。

 

「確かにそうなんだけどさ」

「最初から素直に話して欲しいものね」

「反対、しないんだ?」

「勝算があるから言い出したのでしょう?」

「それはもちろん」

「なら構わないわ。遅れすぎるわけにもいかないから、歩きながら話しましょう」

 

 そう口にして、止めていた足を動かし始める。

 いくら大きい荷物を運んでいるという建前があっても、かけられる時間はそこまで多くない。

 

「是非はともかくとして、浅村君の案を採用するのなら偽のリーダーが必要ということね」

「うん。だから、俺以外のリーダーが決まっているのは都合がいいってことになる」

「自分が選ばれるとは思っていなかったの?」

「なんとなくだけど、それはないだろうなって。‥‥‥正直言うと、堀北さん以外が選ばれて欲しかった」

 

 その一言を聞いた途端、自分の表情が強張るのがわかった。

 

「私では力不足だと、そう言いたいのかしら?」

 

 意図を確認するつもりだった問い掛けも、思わず圧をかけるような言い方に。

 

「‥‥‥俺がスポットを占拠したら、その分だけリーダーを名乗る人にも動き回ってもらうつもりなんだ」

 

 それは当然の要求。

 スポットが更新されているのに、リーダーを名乗る人物はキャンプから動かないまま。

 そんなことをしていれば、リーダーを騙っている事実は早晩見抜かれてしまう。

 

「ええ、そうでしょうね。スポットの占有権は8時間で消滅、夜中にも更新できるタイミングがあるわ。どうせその時間も動くのでしょう?」

「その方が有利なら」

 

 浅村君は1人だけでリスクを負う傾向があって、今回もその癖が存分に発揮されている。

 

「それで、他の人がいいと?」

「そうだね」

 

 彼は事も無げに返してきた。

 自分は無茶をするのに、私にはそれをするな、と。

 

「夜中にあなたが単独で動くことにも色々言いたいけれど、それは置いておくわ」

 

 一呼吸置き、自分を落ち着かせてから話を続ける。 

 

「偽のリーダーがそれらしく振る舞うには、ある程度スポットの配置や浅村君の動きを知っておくことも必要よ」

 

 だから、その選択肢は自ずと限られてしまう。

 

「堀北さんの能力に不安があるとか、そういうわけじゃないんだ。体調が万全なら、迷わずお願いしたと思う」

 

 その一言を聞いて少しだけ、ほんの少しだけ溜飲が下がる。

 

「そう。私の体調が万全ではないと思っているようだけれど、それなら一体誰を用いるつもりかしら?」

「須藤‥‥‥は冗談として、平田かな」

「そうなると他の人達の説得に時間を取られる上、あなたをリーダーにする話も再燃しかねない。平田君には他の役割もあるでしょうし」

「わかってるさ。堀北さんにお願いするのが一番うまく回る」

「そういうことよ。信じてもらえないなら仕方ないけれど」

「‥‥‥ずるい言い方をするね」

 

 浅村君がわずかに眉を下げて、額を手で押さえる。

 その仕草を見た途端、さっきまでの嫌な気分は何処かへと消え去った。

 

「そうかしら?そうだとしても、私は誰かさんの物言いを真似しただけ。きっとその人のせいよ」

「ほら、やっぱりずるい言い方だ」

 

 彼が少しだけ困ったような、そんな表情をする。

 どういうわけか、それがおかしくてたまらない。

 

 このやり取りをもっと続けたい。

 そう思ったけれど、そろそろ話をまとめに入らないといけない時間になってしまった。

 

「浅村君。私はあなたの案に反対しないわ」

 

 あなたはどうなの?

 言外にそう問い掛ける。

 

「‥‥‥よろしく、リーダーさん」

 

 彼からの返答を聞いた私は足を早めて、浅村君よりほんの少しだけ前に出る。

 

「決まりね、早くみんなと合流しましょう」

 

 そう言ってから、他のクラスメイト達の後を追いかけた。

 

 

****

 

 

 この物語の主人公が誰か、それは未だにわかっていない。

 これから先、判明するのかもわからない。

 

 堀北、須藤、平田。

 

 この辺りが有力だし、話の流れ的にDクラスの誰かだってことはほぼ確信している。

 

 だから俺が何かしなくても、この試験でもその先でもおそらくDクラスは勝つ。

 あるいは『俺が何もしなければ勝てる』かもしれない。

 

 けど俺が介入することへの不安、そんなものは今更な感情でしかない。

 

 後戻りはできない。

 堀北に啖呵を切った以上、俺なりのやり方で勝ちを拾いに行くしかないのだから。

 

 

 

 

 とりあえずさっきまでの話を総括すると。

 

 堀北はやっぱり最強に可愛い。

 

 偽リーダーを堀北以外にお願いしようとしたら怒ってたみたいだけど、可愛かった。

 危ない役目だから他の人に任せようとした試みが失敗したのは、それが理由。

 反省してるけど、あの可愛さに勝てというのは無理な話だ。

 

 最後にちょっと意地悪な言い方をされたのもとても良かった。

 あれは小悪魔とかそんなレベルじゃない。もはや大魔王級。

 女神でありながら大魔王だなんて、流石は堀北。

 

 なんであれエネルギーは充填できたから、これで1週間全力全開全ブッパで頑張れる。

 

 

 

 

 

 でも、星乃宮先生だけは勘弁してください。

 

 

 

 後、高円寺の介護も勘弁してください。

 

 



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23.

 堀北の可愛さに完全敗北してから数分後、目的地である川辺のスポットが見えてきた。

 既に集合していたクラスメイト達はこちらへ気付いた様子で、その中から抜け出した大柄な人影が小走りで近づいてくる。

 

 ある時は俺を星乃宮先生に売り渡そうとし、ある時は俺を誘わずに探索へ出発した裏切り者。

 須藤健だ。

 

「遅ぇぞ2人共。迷ったのかと思ったぜ」

 

 須藤は腰に手を当てながら、こちらに向かって口を開く。

 

「浅村。お前、探索組だったらしいじゃねえか。行く気だったならそう言えっつーの」

「行かないだなんて言ってないでしょ」

 

 須藤がこんなことを言ってくるってことは、俺が探索には参加しないだろうと判断したために池と山内へ声を掛けた可能性が高い。

 それならば情状酌量の余地がある。

 とりあえず、夏休み問題集プラス2ページについては執行猶予にしておこう。期間は1日くらいで。

 実はほんのちょっとだけ、大人気ない対応だったかもしれないと思っていたのだ。

 

「そうだけどよ‥‥‥おい、それ両方とも持ってきたのか?」

 

 話を中断して、訝しげに訊ねてくる須藤。

 2本の指でこちらを差していて、その先には俺が両肩から下げている鞄がある。

 

「まあね」

「1人で欲張りすぎだろうが。つか、他の男共は何してたんだよ。オラ、片方寄越せ」

 

 そう言うなり、俺の返事を待たずに荷物を取り上げてきた。

 

「うぉっ!?これ結構重ぇな」

 

 須藤はそんなことを言いつつ、クラスメイト達の方へと先に戻っていく。

 

 いつの間にこんなイケメンムーヴを覚えたのだろうか。

 是非他のクラスメイトにもやってあげて欲しい。

 さっきだって何人かの女子からこちらへと、熱い視線が送られていたのだ。

 その人達へ実行すれば、さらに評判が上がるのは容易に想像できる。

 

 これなら執行猶予扱いの夏休み問題集プラス2ページについては、1日の期間経過を待たずに消滅させてもいいかもしれない。

 善行に相応の報いがあるのは世の理だ。

 

 

 

 

 

 

 

「彼、張り切っているわね」

 

 隣にいる堀北が、感心したように須藤の背中を見ていた。

 情状酌量の余地皆無。

 あざとい行動によりプラス12ページの刑に処す。

 

 執行猶予となっていたプラス2ページ、それの消滅も取り消しだ。

 期間内に問題行動を起こしたのだから、もちろん加算することになる。

 悪行に相応の報いがあるのは世の理だ。

 

 せっかくのチャンスをふいにしてしまったな、須藤。

 

 

 

 

 

 さて、全員が有罪を主張している『12人の怒れる男』は脳内で続行するとして、まずは確認事項の消化を優先しよう。

 

 その後は話し合いの続きとここら一帯の整備。

 やることが山積みだ。

 早く終わらせて堀北とお喋りしたい。

 

 1週間頑張れるとは言ったけど、ホリキタイムがいらないとは言っていないのだ。

 

 

****

 

 

 堀北と話した内容について、平田にはある程度共有した。

 リーダー偽装の理由は内通者云々の部分を伏せて、須藤あたりは嘘が上手ではないといった感じで説明。

 

 予想通りではあるけど、俺の単独行動について懸念を示された。

 

 3年生のDクラスは一度もC以上に昇格したことがない事実。

 バカンスでクラスポイントが変動することを事前に察知していた堀北と俺の発言力。

 そこら辺を使って、リスクを負うことも必要だとゴリ押し。

 強引に進めるのは本意じゃないけど、長々と話す時間がない以上仕方なかった。

 

 知名度についても色々言われたけど、それは俺のせいじゃない。

 星乃宮先生が悪いのだ。

 つまりは不可抗力。

 だから、俺のせいじゃない。

 

 

 そんな感じで平田もなんとか説得できたので次のステップへ。

 いくつかの疑問を解消するため、答えを知っている人物がいるだろう場所へ向かっている。

 

 行き先はDクラスのベースキャンプが見える場所にある設営途中の教師用テント。

 

 そこへ近寄ると、テントの陰から2人分の話し声が聞こえてきた。

 

「体調が優れなくてね。リタイアさせてもらうよ、ティーチャー」

 

 1人は高円寺。

 

 リタイアの具体的な基準について質問するつもりだったけど、まさか聞く前に答えを知る機会があるとは。

 そしてそれを実践するのが高円寺であることも幸いだ。

 Dクラスの試験ポイントがマイナスになるとしても、監視者候補がリタイアするのは俺にとって悪い話ではないのだから。

 

 もうあんな介護をしなくて済む、という安堵も少しだけあることは認めよう。

 本当に少しだけだ。

 

「一度リタイアしたら試験には復帰できない。それでも構わないか?」

「もちろん。もうこの島に興味はないからねぇ」

 

 会話はそれで途切れ、テントの向こう側から高円寺が出てくる。

 こちらを一瞥したリタイアターザンは、とてもいい笑顔でウィンクをかましてから砂浜の方角へ足を向けた。

 

 これで試験ポイントマイナス30。

 止める気がない俺が言うのもなんだけど、本当に好き勝手やってくれる。まじで爪食わせるぞ。

 

 とりあえずこっちに来たウィンクは、脳内で打ち返しておいた。

 もちろんフルスイングでのピッチャー返しだ。

 堀北以外からのウィンクは受けつけていない。

 

 そんなことを考えながら高円寺を見送っていると、残っていた気配もこちらへ動く。

 物陰から現れた茶柱先生が俺に気付いたので、会釈をしてからそちらへ歩み寄る。

 

「止めないのだな」

 

 質問するためにここへ来たことを告げようとしたら、その前にあちらから声をかけてきた。

 内容は、今立ち去った問題児について。

 

 

 この担任は以前、わざわざ呼び出してまで俺に発破をかけてきたことがある。

 そんなことをするくらいだから、高円寺にも何かしらのアプローチをするのかもしれない。

 そう思っていた。

 ただ、さっきのやりとりを聞く限りだと俺の予想は外れたのだろう。

 

 

 ‥‥‥よもや、まさか、もしかして、それも俺にやらせようとしているのか?

 

 だとしたら冗談じゃない。

 俺は高円寺の保護者ではないのだ。

 どう考えても教師の領分だろう。

 そもそも人には各々の力量で実現可能なことと不可能なことがあって、俺にとって高円寺の介護は後者に分類される。

 堀北からお願いされた場合を除けば、そもそも挑戦する気すら起きない難題だ。

 

 そんなものを人に押し付けようとしないで、きちんと職責を果たして欲しい。

 

 あの自由人のコントロールが、茶柱先生にとっても容易ではないということは理解できる。

 だけどそんなもの、高円寺の説得を諦めていい理由にはならない。

 無理とは嘘つきの言葉なのだ。

 それを教え子達に理解させるため、一見不可能だと思えることに挑戦する姿勢を見せることは、教育者である茶柱先生の責務だろう。

 

「どうせ無駄骨です。先生こそいいんですか?」

「1度引き止めた。聞こえていただろう?」

 

 あんな事務的に確認しただけの作業を、引き止めたとは認めない。

 最低限の仕事はしてから人に投げろと言ってやりたいところだけど、まあいい。

 そんなことよりも質問だ。

 

「‥‥‥もし俺が、高円寺みたいにリタイアを申し出たらどうなります?」

「あいつと同じだ。船に移動することになり、試験には復帰できない」

「それは、俺がリーダーだったとしても?」

「その場合は、少し話が変わってくる」

 

 ビンゴ。リーダーのリタイアに関しては、他の規定があると睨んだけど正解だったらしい。

 入学時にクラスポイントなどの制度を説明しなかったことといい、この試験をバカンスと偽ったことといい、本当に癖のある教師達だ。

 隠し事や嘘はいけないことだと言ってやりたい。

 

「というと?」

「リーダーがリタイアを申し出た場合、乗船後に必ずメディカルチェックが行われる。その結果を基に、リーダー変更に足る理由があるかどうかの判断を下す」

 

 他クラスから指名されることを回避するために行われる自己申告リタイア、それへの対策だろうか。

 さらに気になることが出てきたから、1つずつ確認するとしよう。

 

「いくつか質問させてください。まず1つ目。その検査、誰が実施するのでしょうか?」

「船で待機している医師だ。星乃宮ではない」

 

 ならばよし!次!

 

「検査の結果、リーダー変更の理由に足ると認められなかった場合はどうなります?」

「そのまま島に戻って試験続行だな」

「つまりリタイアできないと?」

「ああ」

 

 なんらかの理由でリーダーであることが他クラスにバレた場合、リタイア以外に回避する方法が今のところ思いつかない。

 なんとか正当だと認定させたいけど、そのために取れる手段といえば。

 

「その理由、プライベートポイントで買えます?」

「ほう、買収するつもりか?」

「ええ。いけませんか?」

「逆に聞くが、問題がないと思っているのか?」

 

 質問の応酬になった。

 できるともできないとも明言してこない。

 つまりは何かあるってことだ。

 

「俺では判断がつきません。それで、どうなんでしょうか?」

「‥‥‥リタイア時にその旨を申し出れば可能だ」

「なるほど。その場合いくら用意すれば足りますか?」

「現時点では答えられない。リーダーの実際の体調、試験開始からの経過日数、スポットの占領回数などから総合的に判断するだろう」

 

 足元を見てふっかけてくると。

 学生相手になんて大人達だろうか。

 試験を運営している人間を相手にするわけだから、口先でごまかすことも難しい。

 

「ご存知の通り、Dクラスは入学時に頂いた10万ポイント以外で大した収入がありません。現在保有している以上のポイントが請求された場合はどうなりますか?」

「正当な理由がないのだから、試験続行だな」

 

 メディカルチェック後に必要ポイントが確定するのだから、不足した場合は一度乗船した後に船から島へ戻ってくることになる。

 他クラスにそんな場面を見られでもしたら致命傷になりかねない。

 

 堀北とのデート資金がなくなってしまうだけでも業腹だというのに、尚更この策を採用する気が失せた。

 ということは仮に俺がリーダーであると露見した場合、なんとか正当な理由を作るしかないわけだけど。

 

 ‥‥‥どうしよう。

 今のところ、思い切って骨をポキっていく以外に方法が思いつかない。

 堀北のためならば、10本や20本犠牲にする覚悟は完了しているけど、できるだけ痛い思いはしたくないのも本音だ。

 それに、何本捧げればリタイアに足る理由として認定されるかもわからない。

 

 想像してみよう。

 リタイアを認めてもらえるまで、ひたすら茶柱先生や医師の目の前で骨をポキっていく俺を。

 

『これで如何でしょうか?』

『まだ50万といったところだな』

『では追加で2本いきます』

 

 ‥‥‥なかなかに猟奇的な絵面だ。

 堀北には絶対見せたくない。

 

 

 体調や経過日数、占領回数で判断すると言う話からすれば、早めにリタイアすることで手持ちのプライベートポイントのみで届く可能性も高くなるけど、そもそもスポット更新でポイントを増やせなければ本末転倒。

 堀北と離れる時間が長くなるという点でもありえない選択肢だ。

 俺が死んでしまう。

 

 

 以上を考えると、リーダーのリタイアは計算に入れるべきじゃない。

 どうしようもなくなった時に、ダメ元で実行する程度の策だ。

 とりあえずは、他クラスに見抜かれないよう注意するしかない。

 

「最後に1つ。Dクラスのリーダーが誰かを質問された場合、茶柱先生はそれになんと答えますか?」

「試験の根幹をなす部分だからな。質問した人物が誰であれ、私がその問いに答えることはない」

「わかりました。リーダーは俺が受け持つので、キーカードの準備をしてもらえますか?」

「いいだろう。すぐに用意できるから少し待て」

 

 そう言ってテントの中に入ろうとする茶柱先生へ口を開く。

 

「それは後でお願いします。みんなの前で堀北さんへ渡して下さい」

「‥‥‥わかった。都合の良い時に呼べ」

「ありがとうございます」

 

 最後に礼を述べてから、クラスメイト達の方へと戻る。

 

 タスクは1つ消化して残り2つ。

 早く終わらせて堀北とお喋りしたい。

 

 

****

 

 

 Dクラス総出でベースキャンプの足場を整備中。

 話し合いを先にしようかと思ったけど、一度頭を冷やしてもらうために時間を空けた。

 根回ししてから円滑に進めようという話になって、俺は幸村や池と話すことに。

 

 さっきの流れは大体堀北から聞いているけど、どうなることやら。

 

「浅村。少しいいか?」

 

 わざわざ幸村の近くで作業していたら、狙い通りこちらへ話しかけてくる。

 

「うん、どうかした?」

「今回の試験だが、他のクラスとの差を少しでも縮めるために、可能な限りポイントの消費は抑えたい。そう思ってるんだ」

 

 俺は地面の草を毟りながら聞く。

 

 ここら一帯には樹木の生えていない空間があり、俺達のベースキャンプはそこに構えることになった。

 ただ、木が生えてないとは言っても人間が暮らしている環境ではない。

 地面には膝下あたりまでを覆い隠す程に成長した草が茂っている。

 歩く時に邪魔だし、暗くなれば足を取られて転倒する可能性も。

 だから動線確保の一環としてぶちぶち引っこ抜いているわけだ。

 

 堀北が転んで怪我をするかもしれない、そう考えるだけで草を握る手に力が入るというもの。

 時間が許すのなら、この島全域の草を撲滅してやりたい。

 

 ただ、草はまだいい。

 そこに生存しているだけで、堀北に接触してしまうのは草にとっても不可抗力。

 だから、ある程度は生きることを許容してやろうという気にもなる。

 

「池とかも賛同してくれたが、軽井沢あたりの女子達はそうじゃない。あいつらはそもそも節約という概念を知っているのかも疑わしい」

 

 問題は蚊だ。

 奴らは業腹なことに、意思を持って堀北に接近してくる。

 

 ここに到着した時だって、かなりの数が飛んでいた。

 50匹程叩き落としてからはそれなりにマシにはなったものの、島にいる間は定期的に間引くことになるかもしれない。

 

 堀北の血は、一滴たりとも溢す事罷りならない尊い血は、守り切ってみせる。

 

 血を吸うのはメスだけだとか、そんなことは関係ない。

 全ての蚊は射程圏内に入った瞬間、即撃墜だ。

 

「浅村は俺達と同じ考え、そう理解して問題ないか?」

 

 俺を狙ってくれれば対処は楽になるんだけど、何故か周辺の蚊はこちらから距離を取るコースで飛行していた。

 

 小賢しい真似をする。

 その程度で俺から逃げられると思っているのだろうか。

 だとしたら、舐められたものだ。

 手が届かなかったところで、やりようなんて他にいくらでもある。

 

 その内の1つを実践するべく、小指の爪よりも小さい石をつまみあげた。

 それを親指に載せ、20メートルほど離れたところを飛んでいる目標達に向けて飛ばす。

 弾かれた飛翔物は、進路上にいた2匹の蚊を絶命させてから森の中へ消えた。

 

 1ショット2キル。

 いや一石二蚊と言うべきか。

 

 今落とした奴達は堀北がいる方向へ向かっていたので、最優先で排除する必要があった。

 堀北の周辺10メートルは絶対防空圏なのだから。

 

 それにしても愚かな奴らだ。

 哀れみさえ覚えてしまう。

 堀北に近寄りさえしなければ、今しばらくは生き長らえることができたかもしれないのに。

 

「浅村、大切なことなんだ。真面目に聞いてくれ」

 

 幸村が眼鏡をクイってしながら言い放つ。

 眉間に皺が寄っているけど、おこなのだろうか。

 

 幸村はツンデレだから、感情表現が結構豊かだ。

 

 堀北と少しでも早くお喋りしたい一心で複数のタスクを並行して進めている、それだけの俺に対しておこなのもきっとそれが理由。

 

「ごめん、ちゃんと聞いてるよ」

 

 堀北の周囲15メートルに敵影なし。

 会議前の根回しタイムといこう。

 

「で、どうなんだ?」

「余計なポイントの消費は避けたい。その点では同じだね」

「なら」

「ただ、その考え自体はみんな持っていると思う。出費をどこまで許容するか、線を引く場所に違いがあるだけで」

「‥‥‥それで、浅村は線をどこに引いているんだ?」

「追加でテント2つ、仮設トイレ1つ、シャワー1つは欲しい。飲料水や食料も必要に応じて、頼むことになるかもね」

 

 事前に堀北や平田と詰めておいた着地点を幸村へ話す。

 

「軽井沢が要求してきた内容と同じだな」

 

 幸村の眉間の皺が増えた。さらにおこになったということだ。

 

 しかし、幸村はツンデレであると同時にインテリでもある。

 話せばわかってくれるということを俺は知っていた。

 

「今言ったやつは、マニュアルを読んだ時から目をつけてたんだ」

 

 蚊をさらに1匹叩き落としながら言葉を続ける。

 堀北の安全保障上必要な行動であることは、脳内議会において満場一致で認められた。

 

「ここら辺は結構虫が飛んでるし、テント無しで夜を過ごすって選択肢はなかなかハードだと思う。それに試験は1週間もあるから、どこかのタイミングで雨が降るかもしれない」

 

 サバイバルでは、体温の低下が生命の危機に直結しかねない。

 この試験は学校が監督しているからそこまでの事態にはならないと信じているけど、そもそも堀北が野宿する可能性なんて1ミリたりとも残してはならないのだ。

 

「テントは2つ頼んでも20ポイント。8人用らしいけどちょっと頑張れば10人寝れそうだから、それが4つでちょうど40人分」

 

 窮屈なのは正直嫌だけど、そこは我慢するべきだろう。

 

「雨のことを考えれば、シャワーも有用だよ。温水が出せるらしいから。リタイアが1人出る毎に試験ポイントマイナス30されることを考えれば、悪い選択肢じゃないと思う」

 

 既に高円寺のリタイアでマイナスされているけど、それは言わないでおく。

 話し合いの前にわざわざ刺激したくない。

 

「トイレも40人で1つだけだと流石に回せない。そこらへんで用を足して環境汚染だって言われたら、20ポイントマイナスだ」

 

 正直2つでも厳しいものがある。

 みんなには余裕を持って計画的な利用をお願いしておこう。

 

「仮設トイレも同じ20ポイントだから、それなら先に買ってしまおうってことだろう?俺だってそのあたりは考慮した上で言ってるんだ」

「だろうね。一応、こっちの考えも伝えておきたくて」

「結果的に浅村が言った物品にポイントを使うとしても、その経緯が重要なんだ。軽井沢達が欲しがったからと言ってその度にポイントを使われたら、試験が終わった時にどれだけ残せるかわかったもんじゃない」

 

 恐らくはこれが本音。

 軽井沢達に主導権を握らせたくないと。

 感情でそうしているというよりは、ポイントを維持するためにそうするべきだと考えているのだろう。

 

「そこは平田が話していると思う」

 

 少し離れた場所で会話中の軽井沢達と平田。

 あちらも根回しを進めているのが聞こえてくる。

 それを見やりながら述べた俺の言葉に、幸村は納得していない様子だ。

 

「どうだろうな。あの2人、付き合っているんだろう?」

 

 彼女に対しては対応が甘くなるのではないかという疑念を隠さない幸村。

 

 平田はその辺きっちりしてるイメージなんだけど、俺と幸村では違う印象を抱いてるのかもしれない。

 

「なら、後で俺からも話す」

 

 こちらの提案を聞いた幸村は、顎に手を当てて考え込む。

 

 軽井沢達が他にもいろいろ欲しがるというのは、あくまで可能性の話でしかない。

 もしこれ以上の対応を要求してくるのなら、他の説得を優先して外堀を埋める方向へ舵を切ることになる。

 禍根を残しかねないから、あまりやりたくないけど。

 

 蚊を撃墜しながら待っていると、スコアをプラス5したあたりで幸村が口を開いた。

 

「‥‥‥わかった。それなら、浅村が今挙げた物についてはポイントを使っても構わない」

「ありがとう」

 

 俺で話が終わってよかった。

 話が拗れたら堀北が出張って来ることになりかねなかったけど、それは俺にとって楽しい出来事ではない。

 

 その理由はとても複雑。

 

 まず、堀北と幸村の2人には共通点がある。

 学力重視の姿勢、Aクラスを目指すと公言していること。

 

 

 次に、幸村の特徴。

 眼鏡をかけていてツンデレ。

 

 生徒会長を務めているどこかの堀北兄も眼鏡をかけている。

 その性格は俺の予想では幸村と同じくツンデレだ。

 

 

 はい、有罪。

 材料が揃いすぎている。

 俺の脳内法廷では何人も無罪を宣告されるまでは有罪と推定されるけど、幸村は普通に危険分子なので確定有罪。

 覚悟の準備をしておいてもらおう。

 

 ともあれ、幸村への根回しは終わったから次は池だ。

 

 さっさと終わらせて堀北とお喋りしたい。

 



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24.

 幸村はひとまず納得してくれたので、次の根回しに移行する。

 こちらは幸村と少し違う論理で説得する予定。

 

 根回し対象は、川の近くで『300ポイント残せば毎月3万!1週間乗り切るだけで毎月3万!』とまるで演説のように叫んでる池だ。

 

 進路上の蚊をさり気なく叩き落としながら、そちらへ歩み寄る。

 モスキート死すべし。慈悲はない。

 

「池、ちょっといい?」

 

 背後から声を掛けると、振り返った池の顔には満面の笑みが。

 

「お、浅村じゃーん!お前も3万欲しいよなぁ?」

 

 そう言って俺の肩に手を回して来る。

 3万欲しい。くれるのか?

 

「テンション高いね。何かいいことでもあった?」

「お、わかる?いやでも、言いふらすことじゃないんだよな。だからっ!桔梗ちゃんとっ!何かあったということだけっ!教えとくっ!」

 

 池の口からは初めて聞く桔梗ちゃん呼び。

 櫛田を名前呼びしたいと船で話していたけど、その試みがうまくいったのだろう。

 俺も堀北のこと、鈴音って呼びたい。

 

「おめでとう。うらやましいよ」

「‥‥‥ダメだからな。浅村はこれからもクラスメイトとして接しろよ」

「わかったわかった。それで、3万がどうとか言ってたけど」

 

 まだこの辺りの整備も終わっていなければ、全員での話し合いも始まっていない。

 なので、こちらから切り込んでいく。

 

「そんなのプライベートポイントの話に決まってるだろ。説明聞いてたのかよ?」

「まさか、1ポイントも使わないで1週間乗り切るつもり?」

「そりゃ楽ではないだろうけどさ、とりあえずはそのつもりでやってみようぜ」

 

 あちらの考えは分かったので、先程と同じく俺の主張を口にする。

 テント、トイレ、シャワー、水と食料は欲しいと伝えたら、あちらの表情に不満の色が滲み出す。

 

 お前は堀北の体調が悪いということを理解しているのか?理解してないな?

 

「そんないろいろ用意したら、ポイントめちゃくちゃかかるじゃん」

「てことは反対?」

「反対だ反対!せっかくのチャンスなんだから、なるだけ我慢すればさ」

「水と食料まで反対されるとは思わなかった」

「食い物は探索中にいろいろ見つけたし、水ならこれ飲めばいいじゃん」

 

 池はそう言いながら目の前を流れる水を掌で掬う。

 

「これ、飲めるんだ?」

「いけるいける。キャンプとかで似たようなことしてるから、こういうの結構わかるんだよ」

 

 川の水を生活用水として使うことは考えていたけど、飲料水については試験ポイントの消費を覚悟していた。

 だから幸村にもそのつもりで話したんだけど。

 

「なるほどね」

 

 相槌を打ちながら川のそばにしゃがみ込む。

 指先で水面を撫でると、心地よい冷たさを感じた。

 川に触れた指を口に含んで味を見ると、池の言う通りだ。

 多少の青臭さとかは覚悟していたけど、そういったものがない。

 

 掌で水を飲んでみても結果は同じ。

 これなら問題なさそうだ。

 

 この水が飲めるとわかっただけでも収穫だけど、池がこういったことに詳しいと判明したのは大きい。

 俺には資料から得た知識があるだけで実践が不足しているから、経験者がいるのといないのではやっぱり違う。

 もしかしたら今回の試験でのキーパーソンなのかも知れない。

 

「確かにこれなら飲めそうだ。後でみんなと詰めようか」

 

 体調が優れない堀北や生水に抵抗がある人以外の飲料水を川から調達できれば、出費はかなり圧縮できる。

 

「だろ?だからトイレとかもなんとか我慢してうまくやってさ。な!」

 

 俺の返事を聞いた池に笑顔が戻った。

 そして飲料水について同意を得たことで、笠にかかって説得しに来る。

 

 それはまた違う案件だ。

 

「そうだ。話は変わるけど、実は気になってることがあってさ」

「ん?どんな?」

「これから1週間、女子達との距離が普段よりも近いよね」

 

 そして一呼吸置いて告げる。

 

「男子のみんな、我慢できるのかな?」

 

 俺が述べたのは思春期の少年に付き纏う話。

 ナニとは言わないが、それを聞いた池が固まる。

 

 返事が来るまで蚊を撃墜して黙っていたら、4匹目あたりで応答がきた。

 

「‥‥‥な、何の話?」

 

 ナニの話。

 

 返って来た声は明らかに上擦っている。

 さっきまで同様に顔は笑っているものの、その表情はところどころ固まっていた。

 

「試験の間って、選択肢がかなり限られていると思うんだ。まさか外で済ませる、ってわけにもいかないし」

 

 この島では周囲から隔離された空間の確保が難しい。

 テントは共有スペースなので、プライベートを確保できる場所は1つしかない

 

「パッと思いつくのはトイレくらいだけど、追加で用意しないってことは女子と共有だよね?」

 

 あちらの顔から笑みが消えていく。

 

「適切に後始末しても、鋭い人は感づくって話を聞いたことがあってさ」

 

 俺から視線を外し、虚な瞳で川面を眺める池。

 何か苦い記憶でもあるのだろうか。

 

「みんな試験の間は我慢してくれるって信じたい。けど、誰か1人でもやらかした途端に男子全員が容疑者入り。俺はそんなの、絶対に死んでも嫌だ」

 

 堀北にそんな勘違いをされようものなら、真犯人をクラスメイト全員の前に引きずり出してでも潔白を証明するしかない。

 

「Dクラス男子だけで20人いるよね。それが」

 

 話の途中で池がこちらを向き、俺の肩に手を置く。

 

「浅村」

 

 普段とは明らかに雰囲気が違う。

 もしかして、高円寺が既にリタイア済みで19人になっていると気付かれたか?

 

「どうかした?」

「俺が間違ってた」

 

 ‥‥‥よし、トイレは認められた。

 テントとシャワーも通せば根回し完了だ。

 

 で、3万は?

 

 

****

 

 

 ここら一帯の整備も一段落ついて、ようやくDクラス全体で話し合いの時間。

 事前に堀北や平田と打ち合わせているから、流石にそこまでは荒れないはず。

 仮設トイレとかはそろそろ設置しないと悲劇が起きかねないし、チャチャっと終わらせたい。

 

 終わらせたいんだけど。

 まずは伝達事項を周知するため、手を挙げる。

 

「話し合う前に、言わないといけない事がある」

 

 正直これを俺から伝えるのは嫌だ。

 けど、いつまでも黙っているわけにはいかない。

 

「高円寺がリタイアした」

 

 止めなかった事は黙っておく。

 諌めたところで思い留まるような奴ではないと言ったところで、流石に納得してもらえないだろうし。

 

 俺の報告を聞いて、ざわつくクラスメイト達。

 

「痛い損失だけど、Aクラスは最初からそのハンデを背負ってた。アドバンテージがなくなってスタートラインが横並びになっただけだ」

 

 視線だけを幸村へ向けて言い放つ。

 ツンデレ眼鏡をガチギレ眼鏡に進化させるわけにはいかない。

 

「そんな事言っても、毎月3000ポイント分が無くなったんだぜ!」

 

 こちらの発言を聞いたプチギレ池が、憤りながら詰め寄ってきた。

 気持ちはとてもわかる。

 俺だって堀北とのデート資金が減ったと考えるだけで、手に持っているマニュアルを握り潰してしまいたくなるのだ。

 

「そう、これで試験ポイントマイナス30。ただ、高円寺はいなくなる前に一仕事していった」

 

 そう言って、マニュアルの地図を開く。

 俺が手書きしたものとは別の、元々載っていた方を。

 

 その白地図には事前に、ベースキャンプから近いスポットを複数記載しておいた。

 

「実は探索中、高円寺から目を離してる時間があったんだ。その間にスポットを見つけたらしい」

 

 マークしてあるスポットは、実際には全て俺が見つけたもの。

 高円寺が見つけたスポットはここから遠い場所にある。

 説明すると色々ややこしくなるので、このまま話を進めていく。

 

「この情報を活かしてマイナスを取り返すためにも、冷静になろう」

 

 俺の話を聞いてた幸村や池は、納得した様子ではないものの引き下がってくれた。

 

「‥‥‥なんだかんだ言って、真面目に探索してたんだ。浅村君と遊んでたかと思ったのに。なんかガッカリ」

「ねー。つまんないの。思わせぶりな事言ってたから期待したら」

 

 なかなか鋭い。

 実際のところ高円寺からしたら、俺と遊んでたようなもんなんだろうし。

 

 とりあえず聞こえなかったフリで。

 

「俺の話はこれで終わり。平田、マニュアルありがとう」

 

 そう言ってマニュアルを平田に渡し、進行を一任。

 

 試験ポイントの使い道の話から始まって、テント、トイレ、シャワーを要請する事については問題もなく話が進んだんだけど。

 

 

 

 

 

「トイレもテントもシャワーも準備するんだし、水くらい妥協しろよな!あの川めちゃくちゃ綺麗なんだからさ!」

「そんな生水飲める奴なんてあんただけ!普通の人は無理!」

 

 池と篠原で紛争が勃発。

 なんとも息の合った2人だ。

 10秒前まで普通の話し合いだったのに、あっという間に出来上がっている。

 

 きっかけは水についての話。

 さっさと俺から議題に挙げればよかったんだけど、タイミングを見計っていたら池が先に切り出してしまった。

 それに対して篠原が反応した結果、この状況に至る。

 

「いや、浅村も飲んだから!うまいって言ってたから!」

「はぁ!?なに浅村君に変な事吹き込んでるのよ!」

 

 なんだろう、父親と母親が喧嘩してる気分になってきた。

 

 微妙に介入しづらいけど、さっさと止めないと面倒なことになりそうだ。

 軽井沢や幸村が混ざり始める前に。

 

「篠原さん。一旦池の話を聞いてみてくれない?」

「浅村君、こんな奴の言うことなんて真に受けなくて良いんだからね!」

 

 まじでそろそろやめてくれ。

 こんな奴呼ばわりされた池が、若干だけど涙目になってきてる。

 その上こっちまで睨んでくる始末。

 俺、味方なんだけど。

 

「俺から話そうと思っていたことでもあるんだ。聞いてくれる?」

「‥‥‥わかった。浅村君がそう言うなら」

 

 篠原は止まってくれたけど、池はどうだろうか。

 

「春樹‥‥‥おかしくないか?俺と浅村の何が違うっていうんだよ」

「理不尽な世の中だよな。入学初日から思っていたんだよ、あいつも裏切り者だって」

 

 なんかいじけてしまっていて、山内に慰められてる。

 一つ言わせてもらうと、理不尽なのは世の中じゃなくてそっちの判決だ。

 

 かのモスクワ裁判ですら、茶番とは言え裁判の体裁を整えていたのに。

 こちらに弁明の機会を与えないまま裏切り者扱いなんて、確実にそれ以上の暴挙。

 どう考えてもクラスメイトに対する扱いではない。

 

 とりあえず聞こえなかったフリして話を進めよう。

 

「前提として、嫌がっている人に強要する気はないんだ。池も同じだと思う」

 

 同意を求めて視線を送っても、池から反応がない。

 しゃがみこんで『の』の字を地面に描き続けていた。

 

「有志だけということかしら?それでは大した節約にならないと思うのだけれど」

 

 事前に打ち合わせした通り、堀北が質問を投げてくれる。可愛い。

 

「そうかな?例えば、この500mlペットボトル40本セットに必要な試験ポイントは6。一回の注文で全員に1本ずつ配って、現状なら1本だけ余る計算になる」

 

 40人クラスなのに、なぜか1本余るペットボトル。

 Dクラス7不思議の1つだ。

 

「この6ポイントを節約した場合、毎月貰えるプライベートポイントが600増える。卒業までの31ヶ月分に換算すると18600ポイントだね」

 

 具体的な数値を話すと、クラスメイト達が少しざわつく。

 

 当然の反応だろう。

 堀北との握手券が付いているわけでもない、何の変哲もない500mlの水。

 そんなものに2万近く払うなんて、ぼったくりも良いところだ。

 高円寺みたいな自由人ならいざ知らず、真っ当な金銭感覚を身につけている人間なら間違いなく反発するはず。

 

「多分1日に2セットは必要だ。クラスの半分が川の水を飲めば、それが1セットで済む。1日で6ポイント浮くことになるんだ」

「そっか。少し我慢するだけでそんなに違うんだ‥‥‥」

 

 篠原が呟くように言う。

 

「ポイントを使うことに消極的だった人達は、そのあたりも踏まえた上で判断した。それはわかって欲しい」

 

 幸村に視線を送りながら、そう言い放つ。

 軽井沢へ示していた懸念を払拭するための言葉だけど、頷いてくれたので一安心。

 

「どうしても無理って人や体調に不安のある人以外は、少しでもいいから協力して貰えるかな?」

 

 クラスメイト達にそう問いかけると。

 

「‥‥‥ 飲むよ、私」

 

 篠原はそう言うと、池に歩み寄り。

 

「‥‥‥ごめん。そこまで考えてると思わなくて」

 

 顔を背けながらではあるけど、謝罪した。

 なかなかできることではない。

 

「え、あ、うん。‥‥‥俺もいきなり無理言って悪かったよ」

 

 顔を少し赤らめた池が返事をする。

 

 

 俺はもしかしたら、喧嘩ップル誕生の瞬間に立ち合っているのかもしれない。

 大好物なので、くっついてくれることを切に願う。マジで。

 

 そもそも、このクラスはカップルが少なすぎるのだ。

 俺が知っている唯一の組み合わせである平田と軽井沢にしたって、弁えたイチャイチャしか見たことがない。

 既に入学から4ヶ月経過しているというのに、この有様。

 みんな、花の高校生である自覚をもっと持つべきだろう。

 

 ただ、この試験で進展する関係もあるかもしれない。

 1週間後に期待しておこう。

 

 

****

 

 

 多少荒れたものの、ポイントの使い方は決着が付いた。

 

 飲み水については、全員が川の水を飲む努力をする。

 難しい人は平田にその旨を伝えてミネラルウォーターをもらい、平田はそれを公表しない。

 可能な限り煮沸した水を飲む。

 食料にかかるポイント節約のため、釣り道具などを要請する。

 それ以外の支出については、平田の承諾を必要とする。

 

 以上のことが追加で決まり、リーダーの話をすることに。

 

 と言っても、出来レースだ。

 

 話し合いの場にいなかった人を集めて、リーダーは堀北で異存ないかを平田が確認。

 全員承認で決着が付き、その所要時間は1分程。

 

 そして、茶柱先生がやって来た。

 

「リーダーが決まったそうだな。キーカードは誰に渡せばいいんだ?」

「私へお願いします」

 

 そう言って歩み出た堀北に、引き渡されたリーダーの証。

 俺達には見えない形で受け渡しが行われたけど、そこには俺の名前が記載されているはず。

 

「早速、ここのスポットを占拠しましょう」

 

 ポケットへキーカードをしまった堀北が、そう言って更新用の機械へ移動する。

 

「更新する時、他のクラスに見られるわけにはいかないけど、どうしようか?」

「やり方は考えてあるわ。浅村君、平田君、軽井沢さんはこっちへ。他の人達は円を組んで周りを見張ってくれるかしら」

 

 俺の問いかけ、堀北の返事。

 両方とも打ち合わせ通り。

 この方法も実際には俺が言い出したものだ。

 これなら周囲を見張ると同時に、クラスメイト達に見られずに済む。

 

「人で壁を作り、内側にも複数人いれることで誰がリーダーか特定させないってことか」

 

 幸村が、俺が言うつもりだった台詞を口にする。

 

「ええ、その通りよ」

 

 堀北が幸村へ返事をする。悲しい。

 

「じゃあみんな、堀北さんの言った通りに動いてもらえるかな?」

 

 平田の一言でみんなが動き出す。

 

 これから1週間、他クラスだけでなくクラスメイト達も欺くわけだ。

 流石にやり過ぎかもしれないという思いを抱きつつ、機械の前に立って周囲がカバーされるのを待つこと30秒。

 

 36人の視線が外側に向いたことを確認してから、平田と軽井沢へ向けて人差し指を立てて口元に当てる仕草をする。

 『静かに』のジェスチャーを受け取った2人が頷いたことを確認してから。堀北がポケットからキーカードを取り出した。

 『Daichi Asamura』の文字が記載されているカードを受け取る、その前に。

 

「山内。こっちじゃなくてちゃんと前を見張っててね」

 

 背後にいる山内を牽制。

 明らかにこちらへ振り返ろうとしてた。

 

「うげ‥‥‥わかったよ」

 

 山内が前を向いたことを確認して、ようやく堀北からカードを受け取る。

 

 それを機械へかざすと電子音が鳴り、Dクラスの表示と共に8時間のカウントダウンが始まった。

 これで試験ポイントプラス1。

 

「終わったわ。これで今から8時間、ここの占有権は私達のものよ」

 

 堀北の声を聞いて、クラスメイト達が振り返る。

 

「なるほど、占有するとこんな表示になるのか」

 

 その中の1人、幸村が画面を覗きながら言い放った。

 眼鏡が幸村にクイってされる。

 

「更新のタイミングはどうするんだ?8時間経った後は、他のクラスに占有される可能性もあるんだろう?」

 

 俺が堀北に投げる予定だった質問、それをまたしても幸村が言い放つ。

 堀北とのやり取りを奪うとは、一体どういう了見だろうか。

 眼鏡が常に曇る呪いをかけても許されるのではないだろうか。

 

「そうね‥‥‥5時、13時、21時に更新でどうかしら?今は12時過ぎだから、今夜の更新を少し待つだけで調整できるわ」

「他はともかく、5時に全員揃うのは少し厳しくないか?」

 

 俺の台詞をことごとく奪い去っていく幸村。

 どうやら眼鏡が惜しくないらしい。

 

「無理に全員が揃うことはないと思う。軽井沢さん、浅村君、僕の3人はカモフラージュのために毎回参加するべきだけど」

「なら、人選は平田君に任せていいかしら?別のスポットの占領に全員で移動するのは、あまりいい考えではないでしょうし」

「そうだね。毎回10人くらいにお願いしようかな。取り敢えず近場のスポットの更新についてきてもらう人と、キャンプの整備をする人で手分けしようか」

 

 そう言って平田は、近場のスポット更新について来る人をピックアップした。

 女子が多めだ。

 

 キャンプ設営には男手の方が必要なのだから、そうなるのは当然でもある。

 こちらを見る目が若干厳しい気がする山内や池にも、是非ともそういった事情を理解してほしい。

 

 そして幸村もベースキャンプに残ることに。ナイスだ平田。

 

 

 

 内側の4人目に幸村を起用する案が堀北から出た時は焦ったけど、最終的に採用されたのは俺の提案した軽井沢案。

 

 彼女である軽井沢に隠し事をするのは、平田の精神衛生上よろしくない。

 リーダーにふさわしい存在感がある。

 

 この2つの理由を説明したら、堀北と平田は承諾してくれた。

 幸い軽井沢本人もこの役割に対して満更でもない様子だったから、すんなりと決定。

 

 ツンデレ眼鏡を好感度レースに参加させてはならない。

 そんな私情があったりもするけど、軽井沢以外を選ぶ選択肢は俺になかった。

 



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25.

 俺がキーカードをかざし、機械から電子音が鳴り響いた。

 

「‥‥‥ふぅ。これで、近場のスポットは全部占有できたかしら?」

「そうだね、地図に書いてあるやつはこれが最後だよ」

 

 堀北と俺のやり取りを聞いて、周りの10人もその囲いを崩す。

 

「これ、大勢でやるから結構な手間だよね。ポイントが入るのは美味しいんだけど」

「かと言って、堀北さん1人で占有して回るわけにもいかない。ベースキャンプはともかく、他のスポットを1日3回は厳しそうだね」

 

 軽井沢と平田の会話が若干心臓にくる。

 俺がリーダーであることを知っている2人は、むしろそれを隠すためにやってくれているのだろうけど。

 

 

 近場のスポット更新にはかなりの時間がかかった。

 7箇所回っただけでも、その所要時間は1時間を大きく上回っている。

 

 集団での移動はそもそも時間がかかるものだし、いちいち周囲を囲んでもらうのも結構なロスだ。

 俺1人なら10分かからないけど、こればっかりは仕方ない。

 

 ただ堀北が近くにいるこの時間は、俺としては永遠に続いて欲しいくらいに嬉しいもの。

 いっそ、このまま島のスポットを全部回ろう。

 そう言いたい気持ちすらあったけど、堀北の顔にも疲労の色が見える。

 初日から飛ばしたら1週間保たないし、早く休んでもらうとしよう。

 

「じゃあみんな、ベースキャンプに戻ろうか」

 

 平田の掛け声で、移動を始める俺達。

 

 拠点整備の進捗はいかほどだろうか。

 普段クラスをまとめている平田がいない状況で、どの程度進んでいるかが少し心配ではある。

 池に色々言い含めておいたし、櫛田がまとめ役代行として残っているので全く進んでいないということはないはずだけど。

 

 

 そんな若干の懸念と共にみんなの元へ戻ると、出発した時よりもかなり整った拠点が見えてきた。

 

「お、戻ってきたな! どうだ、俺達の努力の成果は!」

 

 池がこちらを見つけるなり、駆け寄りながら声をかけて来た。

 そのテンションはファンファーレでも鳴らしていそうなほど。

 経験があるということで、設営を主導してもらうよう話しておいたのが功を奏したらしい。

 

 いじけ気味だったから最初は聞いてくれなかったけど、とあることを囁いた途端に前を向いてくれたのだ。

 

 『いざという時頼りになる人って、女子ウケがいいと思うんだ。櫛田さんだって、きっと』

 

 俺がそう口にしただけで掌を返したようなこのやる気、見事と言わざるを得ない。

 チョロすぎて少し心配になるほどだ。

 

 櫛田ルートもいいけど、篠原ルートもあるということを池には忘れないでほしい。

 なんでもいいから、さっさとくっついてイチャイチャしろ。

 

 ともあれ、まずは感謝と労いだ。

 

「流石は経験者。頼りになるね」

 

 俺がそう声を掛けると、なぜか池はこちらへ近寄って肩を組んできた。

 どうしたのか、そう尋ねる前にしたり顔で語りかけて来る。

 

「浅村、お前の言った通りだったよ」

「何が?」

 

 仮設トイレを説得する時に出した話だろうか。

 だとしたら、中々に勇猛果敢だ。

 他のクラスメイトが働いてる最中であることを意に介さないとは、池の評価を改める必要があるかもしれない。

 

「言ってただろ? こういう時働くと女子ウケがいいって」

「‥‥‥ああ、なるほどね。ということは、手応えがあったのかな?」

「そりゃあもう、みんなにチヤホヤされたし! 俺がお前や平田側に行く日も近いかもな‥‥‥」

 

 キメ顔でそう言って来る池。

 

 俺や平田側と言っているけど、スポット更新組のことだろうか。

 出発前、明らかにこちらへ参加したそうな顔をしていたのはとても印象的だった。

 

 有能さを示せば示すほど、平田の代わりとして池は重宝される。

 つまりはこっちのチームに参加できなくなるわけだ。

 クラスにとってはありがたいけど、本人にとっては残念な結果と言える。

 とは言え、やる気に水を差したくない。

 申し訳ないけど、黙っておくことに。

 

「とりあえず、池の役に立ったなら何よりだよ」

「おう! お前もわかんないことあったら教えてやるからな!」

 

 そう言うと、作業に戻って行った。

 

 

 その後、俺は簡易トイレで用済みになった袋を廃棄する穴を掘ったり、蚊を叩き落としたり。

 

 その間の池は、ちょこちょこいろんなクラスメイトから質問されていた。

 本人が言った通り、たしかに頼りにされているみたいだ。

 たまに調子に乗りすぎたのか、須藤や山内に締められているのはご愛嬌ってところだろう。

 

 他に選択肢がなかったとは言え、平田も軽井沢も引っ張り出したのは正直やり過ぎかと思った。

 櫛田に大きな負担がかかってしまうだろうと思っていたけど、どうやら杞憂だったらしい。

 

 あれなら、俺は外側に集中できる。

 

 

****

 

 

 ベースキャンプが完成した頃、平田が俺へと声を掛けてきた。

 

「浅村君。申し訳ないんだけど、薪拾いをお願いしてもいいかな?」

 

 リーダーである俺が、島の各所にあるスポットを更新。

 そういう戦略なのだから、この依頼は適切なパスと言える。

 偵察のために抜け出す口実を考えていたところだったし。

 

「わかった。行ってくるよ」

「綾小路君や山内君にもお願いしてあるから、1人でたくさん持ってくる必要はないんだ。無理はしないで」

 

 偵察やスポット更新で時間を要することに配慮した物言い。

 相変わらずのイケメンっぷりだが、表の仕事もそれなりにこなさないと須藤あたりにドヤされそうだ。

 とりあえずは探索とスポット更新を優先して、それから薪集めと行こう。

 近場に乾燥した木材が少なかったから、それについては少し考える予定。

 

「お? 浅村どっか行くのか?」

 

 ベースキャンプを離れようとしたところで、須藤から声をかけられた。

 上半身はジャージ、下半身は水着姿。

 どう見ても遊ぶ気満々だ。

 

「薪拾い。飲み水とか沸騰させるのに、かなり使うだろうから」

「そんなの、春樹達が拾いに行ってたからいいだろ。それより泳ぎに行こうぜ。早くしないと日が暮れちまう」

 

 そう言って須藤が親指で指したのは、荷物置き場にある小さなカバン。

 俺の水着やタオルが入っていて、各生徒に割り当てられたものだ。

 

 泳ぎに行きたいのは山々だけど、残念ながらそうもいかない。

 

 それを説明するため、須藤へ歩み寄り耳打ちする。

 

「実はいろいろ役目があるんだよ。他クラスの偵察とか」

「‥‥‥そういうことな。なんで隠してんだよ?」

「スパイみたいでカッコよくない?」

「バァカ。ま、それなら俺もそっち行くわ」

 

 なんだかんだ付き合いのいいやつだ。

 少し嬉しかったりするけど、今回は断らないといけない。

 

「須藤、どう考えても向いてないでしょ。すごく目立つんだから」

 

 アルベルトが尾行してきた時ほどではないにせよ、それに近いレベルでミスマッチだ。

 

「‥‥‥いやまぁ、そうなんだけどよ」

「俺のことはいいから。キャンプ設営頑張ったんだし、思う存分遊んできなよ」

「そういうことならしゃーねーな」

 

 そう言って俺から離れようとする須藤。

 

「待った。日焼け止め塗った?」

「あ? いらねえよ、んなもの」

「そうはいかない。ちゃんと塗ってから行きな」

「却下。だりぃ」

「面倒なら、俺が塗ってあげようか?」

 

 日焼け止めを塗らないで海水浴すればどうなるか、そんなことは須藤もわかっているだろう。

 お肌真っ黒一直線。

 

 もともと肌が白いというわけではない須藤だけど、もし真っ黒になったりしたらそれはもうすごいことになる。

 赤髪に真っ黒肌という凶悪すぎるコンボ。

 

 山田アルベルトをも超えるであろう逸材(濃いキャラ)の誕生だ。

 NARUTOだったら間違いなく雲隠れの忍びを名乗れる。

 その程度には濃厚な印象を持つだろうことは確実。

 別にそれがダメってわけじゃない。良くもないけど。

 

 俺が日焼け止めにこだわる理由はただ1つ。

 

 

 無料だからだ。

 

 

 使えば使うほどお得なら、顔が真っ白になるほど塗るべき。

 そんなのは今時小学生だってわかる簡単なこと。

 須藤はもう高校生なのだから、その辺りは理解して然りだろう。

 

「わかったわかった。自分でやるからほっとけ」

 

 須藤はそう言って今度こそ、こちらから離れた。

 そのまま海の方へ向かうのかと思いきや、女子のテントへ。

 入り口近くに立つと。

 

「堀北、ちょっといいか?」

 

 あいつ、堀北を海へ誘うつもりだ。

 

 

 

 

 堀北が海への誘いを断ったのを見届けてから、俺はベースキャンプを出発した。

 

 体調の問題もある上、もともと堀北はそういったことに付き合う性分ではない。

 だから心配ないとは思いつつも、少しだけ不安も感じていた。

 

 もし堀北が承諾していたら、俺も水着を着用してから探索に出発するつもりだった。

 そして少し時間を置いてから迷ったフリをして海岸へ。

 

 堀北達が遊んでいるところへ、奇遇にも水着を着ている俺が迷い出る。

 そうなれば一緒に遊ぶのは当然というもの。

 

 

 完璧だ。

 

 

 

 

 

 

 

 完璧に穴だらけの作戦だ。

 

 

 まぁ、結局須藤は池とかの男子を誘って遊びに行ったから問題ない。

 

 そうしてベースキャンプから離れ、視線を感じなくなったところでNARUTO機動に移行。

 

 その後2時間ほどかけて、島を見て回った。

 

 各クラスのベースキャンプの位置。

 高円寺が見つけたスポットの確認。

 新しいスポットの発見。

 

 今回の目的はこの3つ。

 

 

 まず各クラスの拠点について。

 

 Aクラス。

 

 葛城はスポットである洞窟に陣取ったらしい。

 らしい、という言い方をしているのには理由がある。

 Aクラスの拠点と思しき洞窟、その入り口がブルーシートで覆われているのだ。

 

 アレのせいで内情を把握できなかった。

 

 しばらく様子を見ていたけど、入り口周辺では常に見張りが2人以上。

 誰にも気付かれずに突破するのはかなり厳しい。

 

 あんなもの、高校生が敷く警戒体制にしては度が過ぎている。

 まさか葛城も、監視者の存在に気付いているのだろうか。

 

 結局わかったことは、あちらが洞窟を拠点としていること、入り口近くに仮設トイレ2つとシャワー室1つを設置していたことの2点だけだ。

 

 

 Bクラス。

 

 かなり遠い木々の隙間から見たから、こちらもAクラス同様にそこまで詳しくは把握できていない。

 

 一之瀬達は滝壺の近くに陣取り、ハンモック等を用意していた。

 あの辺りは蚊がいないのだろうか。

 だとしたら少し羨ましい。

 Dクラスのベースキャンプに戻れば、俺はまた対空砲もどきをやることになるのだから。

 クラスメイト達に気づかれないよう叩き落とすのは中々に気を使うから、夜にまとめて始末することも考えている。

 

 話を戻す。

 もっと近くで偵察すれば、あちらが要請した物品の詳細から残りの試験ポイントを予測することもできた。

 だけどそれをしなかったのには、もちろん理由がある。

 

 Bクラス担任、星乃宮先生の存在だ。

 

 堀北がいない状況でアレに捕捉されようものなら、せっかく充填したMPがまた枯渇してしまう。

 余計なリスクを冒す必要はない。

 だから接近を控えた、ただそれだけのこと。

 

 大地、危うきに近寄らず。

 

 

 Cクラス。

 

 インパクトでは龍園達がダントツで1位だ。

 あのポイントの使い方はまさしく豪遊っ‥‥‥!

 

 トイレ、シャワー、食料や水などの必需品に近いものはまだいい。

 

 ベッドチェアー、パラソル、そして水上スキーなど娯楽品が勢揃いなのは流石に予想できなかった。

 必需品と比べてポイントが消費ポイントが抑えられ気味とはいえ、アレだけ用意しているせいで60ポイント近い出費になっている。

 

 ‥‥‥水上スキー運転してるやつ、Cクラスの生徒だけど免許とかどうしたんだ?

 16歳から取得できる種類が必要だったはずだけど、早生まれのやつが獲得したとかそんな感じだろうか。

 

 俺も堀北とアレに乗りたい。

 運転してる俺に、後ろからしがみつく堀北。

 水上スキーに乗るわけだから、水着の着用は当然の流れだろう。

 

 ‥‥‥免許、考えておくか。

 

 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥俺まだ15歳だった‥‥‥ちくしょう‥‥‥。

 

 

 

 なんであれ、龍園達はポイントを豪快に使っていた。

 確認できただけでも、150近いポイントを吐き出している。

 まともに試験を過ごすつもりとは思えない。

 このままフェードアウトしてくれるなら願ったりだけど、どうなることやら。

 

 

 

 次に、高円寺が見つけた9箇所のスポット。

 そのうちの1つは、Aクラスが拠点にしている洞窟の中だと思われる。

 だから目視での確認はできていない。

 他の8箇所も葛城達の洞窟が近いということもあり、多くは既にAクラスが占有した旨の表示が。

 

 占有されてなかったスポットについては、人目がないことを確認してからこちらで占有しておいた。

 そろそろ日暮れが迫ってきている時間。

 遠くにちらほら見えたAクラスの生徒達も引き揚げ始めているから、Dクラス占有の文字が誰かに見つかる可能性は高くない。

 仮に見られたところで問題はないし。

 

 

 新しいスポットも2箇所発見。

 

 高円寺との勝負で、どうにかしてこれを見つけておけば引き分けに持ち込めた。

 そう思うと少し悔やまれる。

 

 こちらも占有されていなかったので、Dクラスが頂いた。

 

 

 そんなこんなで初日は結構な数を占拠できたけど、明日以降は葛城や一之瀬も本格的に動いて来るかもしれない。

 

 そこで、俺の真価が問われるというわけだ。

 素早く見つからずに。

 簡単なことではないけど、NARUTO機動の開祖たる俺なら成し遂げられると信じよう。

 

 

 で、偵察を終えたから薪集めをしなければいけないんだけど。

 湿気ってたりするやつばかりで、燃やすのに適した枝が落ちていない。

 市販の着火剤とかを用意できない現状では、品質の悪い薪だと苦労することになる。

 

 

 だから今は、その解決のために移動中。

 島を駆け回っている最中に目を付けておいた、いい感じの倒木があるのでそちらへ向かっている。

 あれからなら火口、焚きつけ、薪まで一気に獲得できるので手間が省けるのだ。

 地面に落ちている樹木は自由に使用できることは、事前に茶柱先生へ確認済みだから問題なし。

 

 そうして倒木の場所へ到着。

 

 わかっていたことだけど、結構大きい。

 直径30センチ、長さは5メートルほど。

 どう考えても一般人が運べる程度を超過している。

 欲張ってもいいことはないし、必要な分だけ頂くとしよう。

 

 

 踏み砕く浅村の脚(アシ・ボルグ)

 

 引き剥がす大地の腕(ウデ・ボルグ)

 

 

 俺の冴え渡る技巧により、両腕に抱えられる量の薪を生成。

 

 明日の薪集めもこれで済ませれば、それなりの時短になる。

 

 少し頭を捻るだけで、必要な手間を大きく減らせるといういい事例だ。

 今後とも、知恵を絞ることは怠らずにやっていこう。

 

 



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26.

 一工夫したことで良質な薪を獲得した俺は、その成果を両手にベースキャンプへ帰還した。

 

 そうして目的地が近付いてくると、何やらクラスメイト達が騒然としている様子が目に入る。

 

 今日は色々あったから、この時間から何かが起こることは流石にないはず。

 そう思っていたけど、高を括っていただけなのかもしれない。

 そろそろ日が暮れるというのに今からイベントだなんて、嫌な予感がヒシヒシとする。

 

 場合によっては、堀北と焚き火を前にしてムードあるお喋りをするという俺のパーフェクトプランすら危うい。

 他クラスの状況やスポットの場所、明日からの方針とかいろいろ話すネタがあるのだから、なんとか至福の時間を過ごしたい。

 

 ホリキタイムを死守するには、迅速な事態の把握と収拾こそが肝要。

 それを実行するべく、ベースキャンプへ入った。

 

「ただいま。平田に言われた通り、薪を拾ってきたんだけど‥‥‥何かあったのかな?」

 

 近くにいるクラスメイト達へそう問い掛ける。

 軽く見渡したところ、堀北や平田がいない。

 

 その代わりってわけではないけど、本来ここにいるはずのない人物を視界に捉える。

 以前特別棟でアルベルト達と共に遭遇したCクラスの生徒、伊吹澪だ。

 

 あからさまな視線は向けないようにしていたけど、最初からこちらを見ていることは感じ取っていた。

 

 

 質問の返答を待つこと数秒。

 伊吹の傍にいた櫛田が、こちらへ近寄ってきて小声で話しかけて来る。

 

「おかえり、浅村君。今、平田君達が離れた場所で話してて、浅村君にも来て欲しいんだって」

「わかった。どこに向かえばいい?」

「こっち。ついてきてくれる?」

 

 

 そうして櫛田に先導され、堀北と平田のいる場所へ。

 

 

「2人共。浅村君、戻ってきたよ」

 

 櫛田が声をかけると、背中を向けていた平田がこちらへ振り返る。

 

「ありがとう櫛田さん。申し訳ないんだけど、また伊吹さんのことをお願いしてもいいかな?」

「うん、わかった!」

 

 そう言うと、元の道を戻っていく櫛田。

 

「浅村君も戻ったばかりなのにごめん。相談したいことがあって」

「まだ何があったか聞かされてないんだけど、話っていうのは伊吹さんのことでいいのかな?」

「ええ、そうよ。山内君達が薪を集めている途中、座り込んでいる彼女を見つけたらしいの」

「あっちから接触があったわけではないんだね。わざわざベースキャンプに連れてきたってことは、訳あり?」

 

 自分で言っておいてなんだけど、『訳なし』であるわけがない。

 

 伊吹の左頬はかなり腫れていた。

 誰かに殴られたような、そんな負傷だ。

 かなり強い衝撃を受けたであろう痕跡は、とても痛々しかった。

 

「詳しくはわからないけれど、Cクラスの人達と伊吹さんが揉めたらしいわ。それで怪我をした上に追放された。彼女の口から聞けたのはそれだけよ」

「それは‥‥‥なんともひどい話だ」

 

 偵察した時、伊吹が見当たらなかった事は覚えている。

 ただ、流石にそれを気に留めてはいなかった。

 あの時間帯にベースキャンプから離れている生徒なんて、他にも多くいたのだから。

 

「山内君が連れて来たんだけど、その処遇をまだ決めてないんだ」

「なるほど。相談って言うのは、うちのクラスで保護するかどうかってところ?」

「それもあるけれど、まずは彼女の言っていることが本当かどうか、よ」

「堀北さんは、彼女がDクラスの情報を探りに来たんじゃないかって思ってるみたいなんだ」

 

 それは当然の疑惑だ。

 誰にも話していないけど、アルベルトや石崎と共に接触してきた一件を考えればとても怪しい。

 アルベルトの肌の色、それと同じくらいにはクロと言えるレベル。

 ほとんどまっくろくろすけ。

 

 だからこそ逆に、そんなあからさまな事はしてこないのでは。

 そういう考えも頭をよぎる。

 それにあの腫れた頬は、わざとやろうとしても中々できるものじゃない。

 

「確かにその可能性もある。経緯に不自然な点はないけど、この試験の仕組みを考えれば簡単には信用できないね」

「‥‥‥浅村君は、受け入れるのに反対ということかな?」

 

 堀北に同意すると、少しだけ浮かない表情になった平田。

 このイケメンは優しいから、恐らくは伊吹を受け入れたいのだろう。

 

 実際、難しい問題だ。

 これがゲームのキャラクター相手であれば、受け入れに対してNoを突きつけることもできたかもしれない。

 

 だけど、多少なりとも言葉を交わしたことがある相手に対してそんな対応を取るというのは、些か以上に抵抗がある。

 

 

 ただ、Yesの選択にはそれなりのリスクが伴う。

 伊吹がもしCクラスのスパイなら、リーダーなどの情報を抜かれる危険があるのは当然のこと。

 

 クラスメイト達だってその可能性は考えているだろうから、受け入れに反発する人がいるかもしれない。

 それが新たな火種になることもあり得る。

 

 他に、寝床などいくつかの問題も解決しないといけない。

 馴染んでいない人間がいきなり同じテントに入り込んでくるというのは、人によってはかなりのストレスになるだろう。

 

 それでも。

 

「いや、俺は受け入れてもいいと思ってる」

 

 こちらの答えを聞いた平田が、安堵した表情を浮かべた。

 堀北は腕を組んで瞑目したまま、近くの木に寄りかかっている。

 

「ただ、一番大事なのはみんながどう思ってるか、だ。特に女子が」

「それについては問題なさそうだね。軽井沢さんと櫛田さんは受け入れに前向きだし、他の子からも反対の意見は聞いてないよ」

 

 櫛田はともかく、軽井沢まで同じ反応をするとは。

 女子達は伊吹に同情的なのかもしれない。

 それなら、あとは堀北の意向なんだけど。

 

「浅村君も賛成なら、私から言うことは無いわ」

 

 そう言って閉じていた目を開け、こちらを見てきた。

 きれいなあかいおめめだ。すき。

 

「ただ、好き勝手に動かれるのは論外よ。受け入れる前にいくつか条件をつけるべきね」

「それは同感」

 

 確認のために平田へ視線を送ると、頷くことで同意してきた。

 

「ちなみに、浅村君の考えている条件は?」

「俺が必要だと思っている条件は2つ。スポットにある機械には近寄らないことと、食料集めとかである程度働いてもらうことだ」

 

 まず、伊吹の言っていることが真実である場合。

 

 それなら、雁字搦めの制限は不毛でしかない。

 監視するのにも、それなりに手間がかかるのだ。

 見張られることになるあちらだって、愉快に感じるわけがない。

 

 自分のクラスから追い出されて、精神的に参っているはずの伊吹。

 そんな彼女へあからさまな疑惑の目を向けてしまえば、ここから立ち去ることすら有り得る。

 

 

 次に、伊吹がスパイである場合。

 

 俺がリーダーであることを知っているのは、堀北、平田、軽井沢の3人だけ。

 他のクラスメイト達は、堀北がリーダーだと思っているはず。

 

 だから、俺がやらかさなければ隠蔽はそこまで難しくない。

 上手くいけば、偽のリーダーを報告することさえ期待できる。

 泳がせて、恐らくは裏にいるであろう龍園のやり口を確認するというのも悪くない。

 

 俺がやらかさなければ、だ。

 

「堀北さんはどうかな?」

 

 問題は堀北の負担。

 

 テントを別にするなどの対策は打つけど、それでも気が安まる時間は減るだろう。

 だからこそ、堀北の意向が大事なんだけど。

 

「私はそれで構わないわ。平田君はどうかしら?」

「僕も似たようなことを考えていたから、特に異存はないよ」

 

 すんなり通る俺の提案。

 正直拍子抜けだ。

 

「それでお願いがあるんだけど。今の条件を平田から話してもらっていい?」

 

 一悶着あった俺と話すのは、伊吹の望むところではないだろう。

 しばらくは距離を置くつもりだ。

 

「わかった。それじゃあキャンプに戻ろうか」

 

 平田はそう言ってキャンプへ向かう。

 俺は足を止めたまま、その背中へ口を開いた。

 

「伊吹さんへの細かい対応を堀北さんと詰めるから、先に戻ってて」

「そういうことならお先に。ただ、そろそろ暗くなると思うからあまり遅くならないでね」

「了解」

 

 

 

 そうして平田がいなくなり、堀北と2人きりの状況に。

 計画では焚き火を前にするはずだったけど、夕日が差す森というのもなかなかどうして悪くない。

 ムードあるお喋りタイムの始まりだ。

 

「伊吹さんへの対応と言っていたけれど、私から彼女へ接触するつもりはないわ。平田君はともかく、あなたも軽井沢さんもそれは同じでしょう」

「そうだね。自分から話しかけたりするつもりはないよ。それとなく様子を見たりするくらいで」

「受け入れに反対しなかったけれど、彼女が全くのシロだと見なしてるわけではないのよね?」

「うん、かなり怪しいと思ってる。‥‥‥ただ、さっき見てきたCクラスの状況を考えると、それなりに信憑性もあるんだよね」

「‥‥‥どういうことかしら?」

「とりあえず見てきたことを共有しようか。まずはAクラスから───」

 

 

 

 

「───なるほど。Cクラスはまともに試験を乗り切るつもりがないようね」

「遊ぶだけ遊んで、高円寺みたいにリタイアするつもりじゃないかな」

「呆れたものだわ」

「でも龍園達が勝手にリタイアしてくれるのは、かなりありがたい。それに、伊吹さんを保護したことが活きてくる可能性もある」

「‥‥‥それは、どういう風に?」

「龍園達のキャンプに物資が残っていれば、伊吹さんの口利き次第で俺達が使うことも出来るかもしれない。今思いついただけの話だから、茶柱先生に確認してからになるけど」

 

 追い出されたとは言え、伊吹もCクラスの生徒であることに変わりはない。

 だから彼女にも、大量にあった物資を使用する権利はあるはずなのだ。

 

 伊吹からの許可があって、尚且つ他のCクラス生徒が島から退去済み。

 そんな状況なら、残った全てを俺達が利用できるなんてことすらあり得る。

 

「だからってわけじゃないけど、伊吹さんにはなるべく優しくしてあげたいかな」

「よくもまあ、そんなことがすぐに思いつくものね」

「龍園には世話になったし、そのお礼になりそうなことなら1つや2つは出てくるってものさ」

 

 Cクラスの試験ポイントで食べる飯は、さぞ美味しいことだろう。

 堀北との食事には遠く及ばないけど。

 

 さて、ここから難易度が高くなる。

 伊吹を受け入れた目的はこれだと言っても過言ではない、極めて重要な話だ

 

「後は誰が伊吹さんのアテンドをするか、だね」

 

 アテンド、付き添い人のことだ。

 

「‥‥‥それ、必要なのかしら?」

「仲の良い人を手っ取り早く作ってもらえると思う。見張りの役も兼ねることができる人が望ましいんだけど」

 

 櫛田あたりにお願いしたいところだけど、それは難しい。

 平田や軽井沢がちょくちょくいなくなる状況で、あの存在は貴重なのだ。

 

 というわけで、個人的な事情込み込みでの提案を。

 

「綾小路ならどうかな?」

「‥‥‥そこは普通、女子を選ぶと思うのだけれど。それに、性別を棚に上げても尚疑問の人選ね」

「そう?男子から選ぶとしたら平田か綾小路の2択だと思うけど」

 

 須藤が最上の選択肢なんだけど、流石に説得できる材料が思い浮かばなかった。

 

「平田君はまだ理解できるけれど、なぜ綾小路君を?」

「人のことをよく見ていて、気が利くから」

「同じ人物の話をしているのか、不安になって来たわ」

「綾小路なんて珍しい名字の知り合い、俺には1人しかいないよ」

 

 あの名前は、他人の記憶に残りやすそうで少し羨ましい。

 俺は姓も名も、あまり目立たないのだ。

 

「‥‥‥伊吹さんについては、直接やり取りする平田君に任せましょう」

「わかった、堀北さんがそう言うなら」

 

 須藤よりは通りやすいかと思ったけど、ダメだった。

 

 さっきも言った通り第1希望は須藤なんだけど、それにはもちろん理由がある。

 

 あのヤンキーは高い主人公指数を誇っていて、その序列は堀北に次ぐ第2位。

 

 須藤が主人公の物語である可能性も多分にあるのだ。

 

 ところで、魅力的な物語に重要な要素とはなんだろうか。

 友情、努力、勝利、予想できない展開、魅力的な敵。

 よく言われるのはこの辺りだけど、俺から言わせれば重要な部分は他にある。

 

 物語で最も大事な要素、それはヒロインだ。

 ヒロインが可愛ければ何もかも全てが許される。

 

 そして最強に可愛い堀北が登場しているこの世界は、最高に素晴らしい作品を基に構成されていることに議論の余地はカケラも存在しない。

 Q.E.D. 証明終了。

 

 なんという名前の作品かは未だに想像もつかないけど、作品名は多分『堀北鈴音の憂鬱』とか『魔法少女すずね☆マギカ』とかそんな感じだろう。

 

 

 ‥‥‥話が逸れた。

 で、須藤が主人公だとしたら、堀北以外のヒロインが登場する可能性も大いにある。

 いわゆるサブヒロインという存在だ。

 

 そして、今回の試験中に登場した他クラスの女子。

 

 この2つから導き出される答えは、伊吹が須藤を取り巻くヒロインの1人かもしれないという事実。

 

 もし俺の読みが当たっている場合、負けることが確定しているわけだから結構気の毒に感じてしまう。

 堀北という最強の存在(ヒロイン)を相手取り、勝つ見込みのない戦い(ヒロインレース)に身を投じた哀れな女子。

 それを応援したい、そう考えるのは全くもって自然なこと。

 

 入学当初の情報収集や特別棟でのやり取りから察するに、伊吹の性格は結構気の強いツンツンした感じ。

 そしてそれは、須藤の好みに一致している。

 ルックスだってCクラスで有数のレベルだ。

 だから後押ししたい、そう考えるのは全くもって自然なこと。

 

 浅村大地は、恋する女の子を応援しています。

 

 

 

 須藤が伊吹とくっつけば、俺はなにも気にすることなく堀北へとアプローチできるようになる。

 確かにそういった事実はあるけど、それはあくまで副次的な結果。

 その状況を作り出すために伊吹を応援する、そんな意志が存在するかどうかなんて、言うまでもないことだ。

 

 とにかく、須藤と伊吹を対象とした『カップル補完計画』はゆっくり進めていくとしよう。

 試験も計画もまだ始まったばかりなのだ。

 

 

 できれば綾小路が伊吹相手にどんな対応をするのかも見たかったんだけど、流石に無理筋だった。

 

 

 

 

 さて、ムードあるお喋りができたわけだけど。

 

「俺からの話は終わり。堀北さんからは何かある?」

 

 悲しいけど、どんなに楽しい時間も永遠に続くことはない。

 堀北とのお喋りも終えなければいけない時間になってしまった。

 

 平田と3人で話してた時と比べて、かなり暗くなってきている。

 もうすぐで完全に日が落ちるだろうし、あまり長居はできない。

 いつもなら堀北から話を振られるなんてラッキーなことはあまりないんだけど。

 

「1つ聞かせて欲しいのだけれど」

 

 俺の脳内でセロトニン、いわゆる幸せホルモンの分泌量が増大したことを直感的に理解した。

 ハッピータイムの延長だ。

 

「あなたと伊吹さん。面識は?」

 

 流石は堀北。

 これといった反応をした覚えはないのにも拘わらず、伊吹と俺が初対面ではないことを見抜いてきた。

 だけど、ありのままを話すわけにはいかない。

 特別棟でやり合いましたなんて素直に答えれば、一度まとまった話がひっくり返る可能性がある。

 

「初対面ではないね」

「須藤君の一件と何か関係が?」

「ない。あれに関与していたら、流石に受け入れは反対してたよ」

「なら、Cクラスにいるという友人が彼女なのかしら?」

「それも別人だね。伊吹さんとは一言か二言話したことがあるだけ。良好な関係とは言えないかな」

「‥‥‥そう。ごめんなさい、聞きたいことはそれだけよ」

「うん、じゃあ戻ろうか」

 

 そうして今度こそハッピータイムが終わった。

 

 

 

 そういえば、伊吹を受け入れた理由で言っていなかったことがもう1つある。

 

 それは性別が女であることだ。

 

 男ならともかく、女である伊吹が堀北の好感度レースに参戦するということはないはず。

 そう判断したからこそ、受け入れることに反対しなかった。

 男だったら死ぬほど反対していた。

 隔離して食料や水を提供するとか、そんな感じで。

 

 実は性別を偽っていて、本当は男。

 創作では、ちょくちょくそういったキャラクターが登場するし、伊吹はそういった属性を持っていてもおかしくないビジュアルではある。

 

 けど、その点は心配ない。

 男の娘でないことは確認済みなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特別棟でやりあった時に見えてしまったスカートの中。

 

 一瞬だけ視界に捉えたあれは、完全に女子のそれだった。

 蹴りが得意なんだろうけど、スカートで足技を用いるなんてガードが甘すぎる。

 

 というわけで、伊吹が男である確率は0。

 安心してDクラスで保護できるし、須藤とのカップリングを進められるというものだ。

 



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27.

 平田から提示されたいくつかの条件、それを守ることに伊吹が合意した。

 これで当面の間、俺達Dクラスと共に過ごすことになる。

 

 現在の時刻は21時を回ったあたりで、点呼とベースキャンプのスポット更新は既に終えている。

 普段よりかなり遅めながらも夕食の時間だ。

 

「朝と比べてめちゃくちゃ味気ねぇ‥‥‥仕方ねぇんだけどよ」

 

 目の前に座っている須藤が呟く。

 その手に握られているのは、既に食べ終わった栄養バーの包紙。

 

「しかも全然足りねぇし‥‥‥食ったら余計に腹減った‥‥‥」

 

 1人で勝手にしょぼくれ始めた。

 Dクラスで最も大きいはずの体躯がなんだか小さく見える。

 

 今日は試験初日ということで、キャンプの整備や探索、スポット更新に人手と時間を取られてしまった。

 そのせいで、食料の確保にはあまり手が回らなかったのだ。

 

 ちなみに献立だけど。

 

 栄養バー、500mlの飲料水、果物。

 

 以上。確かに少ない。

 

 栄養バーと水は試験ポイントを使って申請したもので、セットで10ポイント消費。

 必要な出費とは言え、高い買い物だ。

 卒業までのプライベートポイントに換算すると31000。

 

 ‥‥‥やめよう、手に持っているペットボトルを握り潰したい衝動が抑えきれなくなってしまう。

 水筒として再利用することを前提に試験ポイントを支払ったのだ。

 お釈迦にしてしまったらさらに出費が増えて、そしてまた握り潰すという悪循環に陥りかねない。

 この合成樹脂で構成された相棒とは、これから6日間付き合っていくことになるのだから、大事に丁寧に使い潰してあげるべきだろう。

 

「そりゃ満腹ってわけにはいかないけどさ、果物があるだけ僥倖だよ」

 

 当初の想定では栄養バーと水だけの夕食になると思っていたけど、幸いにもそうはならなかった。

 

 俺が探索兼薪拾いに出かけていた間、嬉しいことに櫛田を筆頭に何人かのクラスメイト達が森へ食料調達へ出てくれたのだ。

 そのおかげで、少しは彩りのある食事になっている。

 

 体調不良には果物ということで、俺の分は堀北に献上しようとしたけど遠慮されてしまった。

 食欲がないのだろうか。とても心配だ。

 

 40人という大人数に配った結果、1人あたりの量は少なくなってしまうけどそれは仕方のないこと。

 

 今日はともかくとして、明日以降の食事には目処が付いている。

 探索でトウモロコシやスイカを見つけていたから、明日中にそれは収穫してしまいたい。

 2、3日なら保つだろうし、他のクラスに譲る道理もないのだから。

 この島の食料は全部ウチのじゃ。

 

「腹減ってんだからよくわかんねぇ言葉使うなよ‥‥‥ああクソ、肉食いてぇ。この試験終わったら絶対焼肉食ってやる」

「空腹を嘆いてるくせに、出す話題がそれ?」

 

 正気のチョイスとは思えない。

 どう考えても自分を追い詰めるだけだ。

 

「しゃーねーだろ。この学校来てから一回も食ってねぇんだぜ」

 

 ただまあ、気持ちはわかる。

 『焼肉食いたい』というフレーズは、男子高校生の共通言語なのだから。

 人によっては、喋る前と後につけることもあるほどに。

 

「夕食では結構な頻度で肉出したよね?」

「鶏胸肉か薄い豚肉のどっちかじゃねぇか」

「それはまぁ、仕方ないでしょ。豚肉なんて切り落とし以外が無料になってるの見たことないんだから」

 

 そして、そもそも無料コーナーに並ぶことのない牛肉様。

 自分がおいしいと思ってお高くとまりやがって。

 

「別に悪かねぇけど、たまには分厚いやつが欲しくなるんだよ」

「わかる。表面はちゃんと焼いてあるけど中は真っ赤とか、そんな感じの肉が食べたくなるよね」

 

 今言葉にしたような状態を実現するには、須藤が言ったような分厚い肉が必要。

 この学校に入ってから、そんなものは一度も口にしていない。

 つまりは希少品だ。

 それを調理するなら、やはり道具にもこだわりたい。

 今持っているのはコスパに優れたアルミ製だけど、いつかは鉄のフライパンが欲しいと考えたりもしている。

 

 ただ、そんなポイントがあるのなら堀北とのデートに回すだろう。

 その方が幸福指数が高くなることは、目に見えているのだから。

 

「いい感じに焼けたらタレをベッタベタにつけて、米と一緒にかっこんでな」

「なら、ご飯は固め一択だね。俺は塩胡椒で、玉ねぎも一緒に焼いて」

「んなものいらねぇ。ひたすら肉と米だけでローテーション組んでやる」

「またそんなこと言って。ちゃんと野菜も食べないと」

 

 

 そんな感じで須藤といつもの調子で話していたら、何故かみんなからの視線が痛かった。

 須藤はともかく、俺は野菜もちゃんと食べているのに。

 

 まあいい、そろそろ近隣のスポット更新に出かける時間だ。

 

「今から名前を呼んだ人はこっちに来てくれるかな。少しお願いしたいことがあるんだ」

 

 予定通り平田から招集がかかった。

 呼ばれた名前の中には当然ながら、堀北、軽井沢、俺が含まれている。

 

 少し濁した言い方になっていたのは伊吹がいるからだろう。

 

「呼ばれたから、ちょっと行ってくる」

 

 そう言って腰を上げると。

 

「おい、これどうすんだよ?」

 

 俺が手をつけてない食事を指差して、質問を投げてくる須藤。

 

「須藤が食べな」

「は?お前の分だろうが」

「朝、たくさん食べたから平気」

 

 無料という事実を最大限活用しようとした結果、少しばかりやり過ぎてしまったかもしれない。

 ギャグ漫画みたいな量を注文したせいか、店員から変な目で見られる事態に。

 最近はそういう視線に慣れてきた自分がいる。

 でもあの店員も店員だ。

 3回も聞き直してくるのは流石に失礼だろう。

 

「‥‥‥マジで食っちまうぞ?」

「遠慮せずどうぞ。バカンスが終わったら試合でしょ?食べる量を減らすのはよくないよ」

 

 俺の返事を聞いた途端、しょぼくれていた須藤の目が輝き出した。

 

「なら」

「かわりに条件があるけど」

「‥‥‥何だ?英単語か?イオン化傾向か?歴代総理大臣か?」

 

 須藤の瞳から一瞬で輝きが失われる。

 ガンダムSEEDに出てきそうな、そんな雰囲気をまとっている目だ。

 あの作品でこの目をした人間は例外なく、重要な役柄を演じていた。

 主人公然り、強敵然り。

 

 でも俺には、須藤が敵として立ちはだかる絵面が全く想像できない。

 というわけで、須藤の主人公指数を上方修正しておく。

 

 トリガーが何かはわからないけど、以前も似たような雰囲気になった記憶がある。

 

 期末試験の勉強会で、須藤はやたらと堀北に質問をしていた。

 その都度、俺が用意した須藤用期末試験問題集のページ数が増えていき、最終的な量は当初の3倍に。

 それを手渡した時の須藤が、ちょうどこんな目をしていた。

 

 須藤が勉学方面で覚醒したのだろうか。

 

 ともあれ、今回の条件は勉学とは無関係の事柄だ。

 

「果物は半分、伊吹さんにも分けてあげて。疲れた時や辛い時は甘いものに限る」

 

 あちらの瞳に光が戻った。覚醒タイムが終了したらしい。

 

 通常モードに移行した須藤は、怪訝な表情で口を開く。

 

「自分でやりゃあいいだろうが。元々お前のなんだからよ」

「俺は平田に呼ばれてるし。それに正直なところ、他のクラスならともかくCクラスってだけで気まずいものがあるんだ」

「その理由で任せる相手が俺とか、正気のチョイスとは思えねぇわ」

 

 人の正気を疑うなんて、気安い仲とは言え失礼極まりない。

 

「勉強はもちろん大事だけど、円滑な人付き合いも覚えて欲しいからね。手は出しちゃダメだよ」

 

 この場合の手を出すとは、暴力的な行いを指している。

 男女の関係的な意味合いでは、適切なステップを踏んだ上で是非とも手を出してもらいたい。

 

 俺の言葉を聞いた須藤は、顔をしかめながら応答してくる。

 

「‥‥最近のお前、しれっとそういうこと言うよな」

「嫌?なら、仕方ない‥‥‥とりあえず」

「やらないとは言ってないぜ」

「そっか。じゃ、よろしく」

 

 食い気味に快諾してくれたので、平田の元へ向かう。

 

 須藤は主人公候補第2位なのだから、女子の1人や2人は引っ掛けて然るべきなのだ。

 その力、存分に発揮してもらおうか。堀北以外に。

 

 俺が側を離れると、果物を持って伊吹の元へ向かう須藤。

 

 カップル補完計画の始まりだ。

 

「オラ。やるよ」

「‥‥‥なんで私に?」

 

 最初の1歩はまずまずの滑り出し。

 今はぎこちない2人だけど、この先どんな関係を築き上げるのだろうか。

 不器用さ故にお互いの真意を知りえない、そういう関係はとても好きだ。

 

「なんだっけな。疲れた時は‥‥‥いや、面倒だから浅村に聞け」

 

 2歩目で盛大に踏み外しやがった。

 俺の名前を出されてしまったら、なんの意味もないというのに。

 

 わざわざ他人に任せた時点で、名前を出して欲しくない意図があることは察するべきだろう。

 言葉の裏を読んで相手の考えを底まで把握しようという思慮が須藤には足りない。

 

 漢気とか、任侠とか、粋とかそこらへんの何かがふんだんに含まれた俺の心意気。

 それを察した須藤は、何も言わずに傷心の伊吹へ果物を差し出す。

 クラスから追い出されて心が弱っているところに、無骨なヤンキーからもらった果物でズキュン。

 そして始まる真夏のアバンチュールという完璧なシナリオだったのだ。

 

 ‥‥ガッカリだよ、須藤。

 『隣のトトロ』のカンタよろしく、『ん!』だけで渡すとかそんな感じでやって欲しかったのに。

 俺の気持ちは裏切られてしまった。

 

 不器用さを転じて自らの武器とする。

 主人公候補なのだから、その程度のことはやってみせるべきだろう。

 

 さて、須藤の口から俺の名前が出たことで、伊吹は明らかに訝しげな表情でこちらを見ている。

 

 どうしたものか。

 俺という異分子をなんとか排除して、2人の世界を作らせる方法を‥‥‥。

 

「浅村君、何か気になることでも?」

 

 堀北から声をかけられた。

 なんかもうどうでも良くなった。

 

 難しいことは明日考えようだなんて、そんな後回し思考ではない。

 俺はただ、堀北が近くにいる今この時を大事にしたい、その欲求に従っただけだ。

 

 それと、須藤の主人公指数を下方修正。

 伊吹が須藤のヒロインである可能性はかなり低下した。

 

 ただ、別の目的である伊吹への懐柔策の一歩目としては及第点。

 スパイの可能性がある以上、少しでも感情は和らげておきたい。

 特殊な訓練を受けたわけでもないただの女子高生に、同じ釜の飯を食べるという事実は強く作用するはず。

 櫛田あたりも話しかけ始めたし、クラスメイトに馴染むまでは余計な真似は控えるとしよう。

 

 仮に伊吹がスパイ訓練を受けていたとしたら、監視者への糸口となるかもしれない。

 そんなことを考えたりもするけど、本音は別のところにある。

 

 この学校がスパイ養成校だったら、とても楽しめるのではないか。

 スパイがいる高校なんて、如何にも創作にありそうな舞台設定だし。

 

 もし想像通りなら、『エージェント堀北』なんて言葉を耳にすることがあるのかもしれない。

 『Mr.&Mrs. スミス』みたいに、襲い来る敵を堀北と一緒に撃退する未来が訪れるのなら、第3の願いを捧げてもいい。

 それくらいには魅力的な絵面だ。

 

 

****

 

 

 夜のスポット更新マラソンは、特にトラブルもなく終えた。

 ただ、この時間の集団行動は流石に危険だということで、明日からはもう少し早い時間に実施することに。

 ベースキャンプ近辺の更新は、平田が言った通りの1日2回になりそうだ。

 

 スポット更新組がベースキャンプに戻ってきたのが30分程前で、時刻は間も無く23時。

 まだ1日だけとは言え、慣れない環境で過ごした時間はかなりの疲労となって体にのしかかっているはず。

 女子達は全員がテントに入っていて、中から聞こえてくるのは微かな寝息だけ。

 

 一方の男子は、更新組だった面子がこれからシャワーを浴びるところだったりで結構な人数が起きている。

 声を抑えてはいるものの、焚き火を囲んで話し込んだりで中々寝付く様子が見られない。

 

 かく言う俺もその1人。

 遊んでいるわけではなく、平田とこれからの話をしている最中だ。

 

「明日からは食料確保にも本腰を入れたいね。浅村君がいくつか見つけてくれたみたいだし」

「めぼしい場所はマニュアルの地図へ書き込んでおいた。トウモロコシとかの目立つものは早めに回収しよう」

 

 俺が更新したスポット近辺の畑については、占拠から8時間の間はDクラス以外に取られることはないはず。

 とは言っても確実ではないので、さっさと収穫してベースキャンプで保管してしまいたい。

 

「僕は明日以降、スポット更新以外の時間はなるべくキャンプに滞在するつもりだから」

 

 設営は終わったものの、やることは結構ある。

 平田はその面倒を見ると言っているのだ。

 

「俺としてはその方がありがたいけど、軽井沢さんと遊びに行ったりしないでいいの?」

 

 今日だって須藤達は泳ぎに行っていたのだ。

 この学校の生徒である間は、こんな機会でもなければ海には来れないだろう。

 

 高校生の間に彼女と海へ。

 そんな羨ましいことこの上ないチャンスを棒に振らせるのは、流石に忍びない。

 

「その気持ちだけで十分だよ。軽井沢さんは泳ぐのが好きじゃないし」

 

 確かに水泳の授業でも見学していたから、平田の言っていることは事実だろう。

 だとしても、せっかくのイチャイチャンスを活かさないと言うのはあんまりだ。

 平田がいない間は俺が代役を務めるつもりだから見ることはできないとしても、このイケメンと軽井沢がキャッキャウフフしていると言う事実があれば十分。

 とは言え、本人が乗り気でない以上は引き下がるしかない。

 

「平田がそう言うなら。もし出かけたくなったら、いつでも代わるからね」

 

 このイケメンがクラスを回してくれるのなら、内側は安心して任せられる。

 伊吹についても櫛田あたりと一緒に食料探索に出てもらう予定だから、こちらの動きが把握されることはない。

 

「うん、ありがとう。浅村君は明日からどうするつもり?」

「俺はひたすら釣りかな。とりあえずは日が昇り次第出発して、朝飯確保したい」

「‥‥‥わかった、無理はしないで」

「了解‥‥‥で、そっちは寝る場所決まった?」

 

 平田との話がまとまったので、後ろへ振り返って声を掛ける。

 そこでは池と山内が、かつて無いほど真面目な表情でジャンケンをしていた。

 

「気が散るから後にしろ」

 

 こちらには目もくれずに返事をする池。

 山内に至ってはそもそも気付いていない様子。

 

 2人がなんのジャンケンをしているのかというと、さっきも言った通りの寝る場所についてだ。

 

 スポット更新組である俺達が戻ってきてから、クラスメイト達は思い思いの場所を確保

 そして、池と山内の希望が衝突したのだ。

 

 横から聞いている限りだと、少しでも女子のテントに近い位置かどうかが争点らしい。

 決める方法をジャンケンにしたのは文句ないんだけど、15本先取にしたのは普通にイカれている。

 

 あいこになる度に気合いれたり次に出す手を考え込んだりしてるせいで、勝負の所要時間はかれこれ10分近く。

 

 面白いから、是非とも最後まで見届けたい。

 ちなみに、2人が揉めている間に他の場所は埋まってしまった。

 負けた方の寝床は、女子のテントから離れている場所にある方になってしまう。

 

 

 そして遂に決着の時が。

 

「っしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「クッソォォォォォォォォォォ!」

 

 ちゃんと女子に配慮して、小声で雄叫びをあげる2人。

 見てて本当に飽きない。

 

 勝者は山内。

 勝った方には希望通り、女子テントに最も近い寝場所が与えられるわけだけど。

 

「池、負けてよかったね」

 

 俺は池に近寄って、そう話しかける。

 

「‥‥‥なんだよ浅村。負けた俺を笑いに来たのか?」

「いや本心で言ってる」

「は?どういうことだ?」

 

 意図が掴めていないのか、怪訝な表情の池。

 

「山内が選んだ場所って、隣が須藤でしょ?」

「‥‥‥そうだな」

「なら、絶対後悔するよ。須藤って、死ぬほど寝相が悪いからさ」

 

 俺がそう口にした瞬間、女子テントから聞こえる寝息が荒くなった気がした。

 暑くて寝付けないのだろうか。

 

「‥‥‥なんで浅村がそんなこと知ってんだよ」

「期末試験直前、泊まり込ませて勉強見てた時にね」

 

 一瞬、女子テントから舌打ちが聞こえた気がする。

 ここら一帯の蚊は叩き落としたつもりだったけど、テントの中に逃げ込まれてしまったのだろうか。

 

「期末の日、あいつがすごい顔してたのってそういうことか」

「俺だってひどい目にあったんだ。中間では前科があるから、期末前日の勉強で寝落ちしないようにって強引に一晩面倒みたけど、もう2度と泊めない」

「‥‥‥何があったかすげぇ気になるけど、まぁいいや。明日が楽しみだ。春樹のやつ、ざまぁみろ」

 

 そう言ってから、自分の寝床に向かう池。

 須藤とは別のテントで、俺や平田が寝場所を確保した方だ。

 

 その背中を見送っていたら、平田が話しかけてきた。

 

「僕はそろそろ休ませてもらおうかな。浅村君も遅くなりすぎないようにね」

「流石にもう寝るよ。明日も早いから」

 

 そう言って平田と一緒に自分の寝床へ向かう。

 俺達の寝場所は隣同士で入り口が近い。

 これなら俺が夜間に出入りしても、誰かを起こさないで済む。

 

 早速今夜から、全員が寝ついた頃に出かけるつもりだ。

 



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28.

 無人島試験2日目の早朝。

 

 俺は1人で磯を訪れていて、手に握っているのは釣竿。

 潮騒を聞きながら海へ糸を垂らす行為にはなんとも言えない風情を感じる。

 昨日平田に言った通り、朝食確保のために釣りをしている最中だ。

 

 釣りに必要な素質、それは忍耐。

 最も多くを得るのは、風と波を読んでただひたすら待ち続けることができる者。

 

 

 

 

 

 

 そう思っていた時期が、俺にもありました。

 

 

とをあまりやっつ(18)

 

 誰もいない中、1人呟く。

 

 釣りを始めてまだ5分程だというのに、用意していた袋がもう満杯だ。まさに入れ食い。

 醍醐味も何もあったものじゃない。

 

 やたら釣れるからと調子に乗り、3匹目あたりからコンスコン艦隊を蹂躙していたアムロの真似をしながら釣り上げていた。

 それがまさか本当に、3分足らずで9カウントに到達するとは。

 ビビり散らしていたコンスコンの気持ちが今ならよくわかる。

 針を入れる度に速攻で食いついてくる魚が若干怖い。

 

 最初は純粋に楽しめていた。

 ただ上手くいきすぎるとそれはそれで、なんだか満たされないものを感じてしまう。

 我ながら贅沢な悩みだ。

 食料確保という点では大きなメリットだというのに。

 

 とりあえずは袋が一杯になったので、持ち帰る準備として魚を絞める。

 

 まだ時間には余裕があるし、少し仮眠を取ってから帰るのもいいかもしれない。

 ここは日差しが心地いい上、波の音が耳をくすぐる最高の昼寝スポットだ。

 

 現在の時刻は6時だから、正確には昼寝とは言えないけど。

 全員が寝静まってからキャンプを抜け出して島を動き回ってたりしてて、睡眠が十分ではないのだ。

 

 今のところは元気ハツラツで特に問題ないけど、これから先を考えれば少しでも多く休んでおきたい。

 

 ちなみに昨夜の単独行動については、昼の単独行動中に占拠したスポットの更新は行わなかった。

 こちらが試験序盤の、それも夜間に動いていることを察知されるのは面白くない。

 スポット占拠は確かに重要なものの、他クラスのリーダー指名も同じくらいには重要なのだから。

 始めはこちらの動きを隠したままポイントを稼いで、終盤で駆け引きに持ち込むのが理想的な動きだ。

 

 というわけで仮眠を取ろう。

 そう考えて近くの岩に背中を預けた瞬間、頭の中で警鐘が鳴り響く。

 

 まだまだ距離はあるものの、こちらに近づいて来る気配を感じ取った。

 

 これに関してはもう間違えようがない。

 星乃宮先生だ。

 

 なぜあの人がこんな早朝に活動しているのだろうか。

 

 毎日午前3時まで飲んだくれているのではという噂すら流れるほどに、毎朝ホームルームで晒している姿はダラシないらしい。

 

 流石に尾ひれがついているだろうけど、朝に弱いのは恐らく事実。

 だから早朝なら遭遇することはないと、そう踏んでいたのだ。

 

 だけどあの存在に人間の行動論理を適用するのが、そもそも間違いだったのかもしれない。

 

 動きを読もうなどとせず、近寄ってきたらその分だけひたすら距離を取る。

 それを徹底することにしよう。

 いくらなんでも、物理法則を超越することはないだろうから。

 

 というわけで撤退。

 釣果と釣り道具を引っ提げてベースキャンプに向かう。

 下処理は済ませたから、あとは調理するだけ。

 食べ方についてはいろいろ考えて、燻製をやってみたいという結論が脳内で出されている。

 そのための穴は昨日のうちに掘ってあるし、やり方も池に確認済。

 さてさて、堀北が喜んでくれる朝食になるといいんだけど。

 

 そんなことを考えながらベースキャンプへ逃げ帰っていたら、嫌な来客の姿が目に入った。

 

 小宮と近藤。

 特別棟で須藤を囲んでいた中の2人だ。

 

 KKコンビはこちらに背を向けている状態で、その2人とは須藤が対峙していた。

 この前の一件から大して経っていないのに懲りない連中だ。

 幸い須藤は学習したのか、苛立っている様子もなくただただ面倒くさそうに対応している。

 

 こういう時は、目には目を、歯には歯を、嫌がらせには嫌がらせを、だ。

 

 ハンムラビ教典本来の趣旨に則り、過剰報復はしない。

 あくまで冗談で済む、そんな範疇で。

 

 ルールとマナーを守って楽しく嫌がらせしよう!!

 

 その仕込みとして、こちらに気付いた須藤に向かって『静かに』のジェスチャーを送る。

 俺からのサインを受け取った須藤は、したり顔でうなずいてきた。

 

 自分達の背後へ視線を送られ、加えて意味ありげな仕草までされたのだから、KKコンビがこちらへ振り返るのは道理だ。

 

 

 

 

 

 馬鹿野郎と言ってやりたい。

 須藤のせいで悪戯は失敗してしまった。

 

 仕方ないので普通のアプローチをすることに。

 

「やあ、2人とも。特別棟以来だ。龍園と石崎の調子はどう?」

「‥‥‥別に、お前なんかに言う必要もないだろ」

「それもそうだけどさ。で、こんな朝早くからどうしたの?」

「いや、それがよ。わざわざポテチ如きを自慢しに来たんだぜ、こいつら。笑っちまうよな」

 

 2人に代わって答える須藤。

 煽りながら状況を教えてくるなんて、随分と器用になったものだ。

 昨夜もその器用さを発揮してくれれば尚嬉しかったのだけど。

 

 ただ、煽りというのは相手が予想していないような所を責めるべきだ。

 ひたすら上から物を言うだけでは、隙を突くことができない。

 

 そして今のKKコンビは、突然現れた俺に対しての警戒心を露わにしている。

 まずは、その閉じ籠もった相手を引っ張り出すところからだ。

 人を煽るとはどういうことか、須藤に手本を見せてあげよう。

 

「へぇ。落ちてるこれも、自慢するために?」

 

 そう言って、須藤の足元に落ちていたポテチを拾い上げる。

 小宮が持っている袋を見るに、コンソメ味だ。

 

「なんだ、お前も欲しいのか?ほらよ」

 

 そう言って、追加で俺の足元にもポテチを放ってくる。

 この俺を煽ろうとは片腹痛い。

 

「あと38枚」

「は?」

「いや、うちのクラスって40人だからさ」

 

 高円寺がいないけど、伊吹をカウントに入れれば40人だ。

 それに、こちらの内情をわざわざ教えてやることもない。

 

「あ?」

 

 何言ってんだこいつは。

 小宮と近藤からそんなことを考えていそうな目で見られた。

 俺はため息を吐きながら、自分の発言を補足する。

 

「ほら、こんな少しだけ貰っても仕方ないだろ?」

「だよな、10袋くらい持って来いってんだ。気が利かねぇなテメェら」

 

 流石須藤、俺の意図を正確に汲み取ってくれているようだ。

 言葉なんて交わさなくても通じ合えているという実感がある。

 これなら俺が言わんとしていることも理解しているはず。

 

「そうそう‥‥‥しかもこれコンソメだよね?別にダメってわけではないんだけど、なんていうかさ」

「あ??」

 

 さっきから何言ってんだこいつは。

 小宮と近藤にはそんなことを考えていそうな表情をされた。

 だが、須藤は違う。

 俺が視線を送ると『わかってる、任せろ』と言いそうな表情で頷いてから口を開いた。

 

「浅村の言う通りだぜ。イマイチなチョイスっつーかなんつーか。こういう時に選ぶ味って言えばよ」

 

 次に出てくる言葉が手に取るように理解できた。

 うすしおだ。

 

 須藤は人差し指を振りながら、さも当然のことのように口を開く。

 

「サワークリームオニオン以外ありえねぇだろうが」

 

 なんだぁ?てめぇ‥‥‥。

 

 

****

 

 

 そんなこんなでKKコンビを撃退したので、須藤と話しながら釣ってきた魚の燻製を作成中。

 

「やっぱ売り上げでしょ。数字は他の要素全てに勝ると思うんだ」

「でもよ、名前の文字数じゃこっちが勝ってるぜ」

「確かに‥‥‥あ、おはよう池」

 

 俺達の話し声で起きてしまったのか、テントから出てきた池。

 なぜだかこちらを睨んでいる。

 

「お前ら2人、この島にいる間食い物の話題禁止」

 

 開口一番、横暴すぎる要求をされた。

 俺と須藤に会話するなというつもりだろうか。

 

 こちらへきた池は、魚の切り身を燻している穴を覗き込みながら口を開く。

 

「お、早速燻製作ってんだな‥‥‥めっちゃ量あるけど、どうしたんだ?」

「釣った」

「は?1人で?」

「うん、こっちもね」

 

 そう返しながら、未調理の魚が入ってる袋を見せつける。

 

「すげぇ!大漁じゃん!」

「良い感じの釣り場を見つけてさ。地図にも書いておいたから」

「なら、俺も後で行ってくるか〜」

「池が頑張ってくれれば、昼飯抜きにしないで済むかもね。もしそうなったら、みんな喜ぶんじゃないかな」

 

 昨日の話では、朝と夜の食事は試験ポイントを使ってでも用意することになった。

 逆に言えば、昼飯には試験ポイントを使うことはない。

 その日の収穫次第では1日2食になるのだ。

 

「だよな!今から行ってくる!」

「いやいや、もうすぐ点呼だよ。それと、燻製の出来も見て欲しいんだ。初めて作ったから、いまいち自信がなくてさ」

「えー、しょうがねぇな。ま、出来るおとっこォォォォォォォォォォ!」

 

 唐突に須藤のグリグリ攻撃を受けた池が、なんとも言えない悲鳴をあげる。

 

「調子に乗んな寛治」

「わかった!わかったから!止めてくれ浅村!」

「須藤、じゃれつくのも程々にね。池の頭が潰れたら燻製見てもらえなくなるから」

「おっと、そういうことなら優しくしてやんねぇとなぁ」

 

 そう言って池を解放する須藤。

 

「‥‥‥お前ら扱いが雑だぞ!俺のことなんだと思ってるんだ!」

「この試験で一番頼りになる男」

「めし係」

「浅村、とりあえずヨイショすればいいと思ってるだろ!?健、お前はもうなんかアレだ!」

 

 なんとも元気なことだ。

 こちらのアクションに対して本当に面白い反応をしてくれる。

 須藤が頻繁に池へちょっかいをかける理由が少し理解できた。

 

 ただ、流石にはしゃぎ過ぎたかもしれない。

 一人分の気配が女子テントの中で動いて、程なくしてその主が出てきた。

 

「も〜、朝っぱらからうるさい。まだ寝てる人もいるんだから、少しは静かにしてよね」

 

 篠原がジト目で池に語りかける。

 少し前から身嗜みを整えていたのか、髪が乱れたりはしていない。

 

「ごめん。3人で燻製作ってて、つい」

 

 池に代わって返事をする。

 それを聞いた篠原は、こちらがやっていることに興味を持ったのか、煙を吐いている穴を覗き込んできた。

 

「‥‥‥燻製って、この中で?」

「そう、昨日から相談してたんだ。池が作ったことあるらしいから、教えてもらってて」

「へ〜、池って本当にいろいろ知ってるんだ。‥‥‥あ、ごめん。変な言い方したけど、あんたのこと馬鹿にするつもりじゃなくて」

 

 ほーん?

 

「あ、いや、平気。気にしてないから」

 

 ほほーん?

 

 これはこれは。

 

「ほんと、頼りになるよ池は。この燻製ができたら、昼飯の魚も釣ってきてくれるんだってさ」

「え、お昼食べれるの!?」

 

 俺の言葉を聞いた途端に目を輝かせ始める篠原。

 

「らしいよ。ね、池?」

 

 そう言って池へ話を振る。

 

「お、おう!任せとけって!」

 

 案の定乗ってくれた。

 そうでなくては。

 

「‥‥‥よかったぁ。実はお腹ペコペコだったんだ。昨日の朝、エステとか受けててあんまり食べれなかったのに、夜もアレだったでしょ?」

「それは辛いね。俺は朝食たくさん食べてたからまだ平気だったけど」

「ほんと、大変だった。なのに焼肉の話始める人達がいてね〜」

「ひどいやつがいたもんだ。どう思う須藤?」

「ありえねぇわ。なぁ寛治?」

「お前らさ‥‥‥」

 

 池が疲れたような目をしてこちらを見ている。

 まだ1日は始まったばかりだと言うのに、大丈夫だろうか。

 

「アハハ!でも、少しはマシになりそうで良かった。池、期待してるからね!」

 

 そう言うと、篠原は離れて行った。

 

 それを見えなくなるまで見送った池は。

 

「おい、どうしてくれんだよ!?釣れなかったら絶対がっかりするだろ!」

 

 思い切り詰め寄ってきた。

 煽ったのは俺だけど、乗ったのは自分自身だということを忘れていそうな勢いだ。

 

「落ち着いて。俺も頑張るからさ」

「ほんとだな!?もしダメだったら恨むからな!」

「全力を尽くす。だから、アピール頑張んなよ」

 

 でないと、御膳立てした甲斐がない。

 

「‥‥‥別に、篠原はそんなんじゃないけどな」

「誰も篠原さんだなんて言ってないんだけど」

「‥‥‥‥‥‥あーもう!この話終わり!つか、浅村ってこんな感じだったのか!?」

 

 一層疲れたような顔になった池が、須藤に話をふる。

 こんな感じってどんな感じだろうか。

 

「こいつ最近、化けの皮が剥がれてきてんだよ」

 

 須藤が妙なことを言い出した。

 

「へぇ、そういうこと言うんだ?」

 

 もし誤った認識を抱かれているとしたら、極めて遺憾だ。

 場合によっては正式な話し合いが必要かもしれない。

 

「いや、俺の気のせいだったわ。浅村は入学初日からこんな感じだぜ」

 

 しかし、杞憂だったらしい。

 俺と須藤の認識が一致しているようで何よりだ。

 

「だよね‥‥‥っとそろそろかな。一度味見してくれる?」

 

 そう言って、2人へ燻した切り身をひとつずつ渡す。

 

「悪くねぇな」

「うん、いい感じじゃね?」

「じゃあ今燻してるのは終わり。点呼の前に次の分仕込んじゃおうか‥‥‥ところで須藤、山内は?」

「声かけたんだけどな、全然起きねぇんだよ。昨日夜更かししたんじゃねぇか」

 

 ‥‥‥それはなんというか、ご愁傷様だ。

 

 

****

 

 

 点呼、朝食、縄張りのスポット更新を終えたのがなんだかんだで午前10時頃。

 Aクラスの動向を探るべく動き回っている間に昼前になってしまった。

 

 篠原に啖呵を切った池はなかなか頑張ったようで、10匹以上釣り上げていた。

 俺が別の場所で釣った10匹も渡しておいたので、十分に面目は立つだろう。

 

 平田の派遣した別働隊がトウモロコシやスイカの回収も行っているはずなので、しばらく食料で悩むことはなさそうだ。

 

 そして堀北だけど、他クラスの動向を気にしていて、各拠点を直接確認したがっていた。

 1人では動かないで欲しいと言ったら変な目で見られたものの、なんとか承諾を得ることに成功。

 

 少し疲れていそうだったし、すぐには向かうことはないだろう。

 動くのは昼のスポット更新が終わって、休んだ後あたりだと予想している。

 

 というわけで、その時間になったら堀北に話しかけてみる予定。

 あちらから誘ってもらえれば御の字だ。

 

 そんなことを考えながらベースキャンプに戻ってきたんだけど、堀北が見当たらない。

 

 所在を確認するため、近くにいた平田を捕まえて質問を投げる。

 

「平田。堀北さん探してるんだけど、どこにいるか知ってる?」

「堀北さんなら、さっき綾小路君と出掛けたよ。他クラスの様子を見てくるって言ってた」

 

 なるほど、綾小路と出掛けたのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほほーん?

 



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29.

 ベースキャンプを出発したのが40分近く前。

 

 偽リーダーの役目を果たすため、私は他クラスの拠点を訪れている。

 既にCクラスの拠点には立ち寄った後で、そこで初めて龍園君と対面した。

 

 絶対に気を許してはいけない。

 浅村君から何度もそう言われたから警戒していたけれど、拍子抜けだったというのが正直な感想。

 

 短いやり取りで抱いた印象は、粗野な刹那主義者でしかなかった。

 

 

 そうしてCクラスへの顔見せを終えて、今訪れているのは一之瀬さん達のベースキャンプ。

 

 情報交換も兼ねて話し始めて、既に10分ほど経過している。

 お互いの現況から始まった話題は、Cクラスの生徒へ移っていた。

 

 

 

 

「そう、あなた達もCクラスの生徒を保護したのね」

 

 一之瀬さんの視線の先にいる生徒、金田君を見やりながそう言い放つ。

 

「うん。試験中だからって、放っておくなんてことはできないからね」

「こちらも昨日、似たような生徒を1人受け入れたわ。伊吹さんという女子なのだけれど」

「‥‥‥金田君だけじゃないんだ」

「ええ、所用で歩き回っていた3人組が見つけたのよ」

 

 そう言って、一緒に来ている綾小路君へ視線を送る。

 

「言い出したのも連れ帰ったのも山内だ」

「謙遜することはないでしょう。その場にいたのだから、あなたの手柄でもあるわ」

 

 そしてそれは、責任についても同じこと。

 受け入れが決まった以上、今更何か言うつもりも無いけれど。

 

「そう思っているなら、その怖い目をやめてくれ」

「失礼なことを言うわね。元々こういう目つきよ」

「にゃはは!でも、Dクラスも同じ対応で少し安心した」

「それはこちらにとっても同じことね。いろいろ参考にさせてもらったし、助かったわ一之瀬さん」

 

 ある程度は事前に聞いていたものの、近くで見聞きできるのならそれに越したことはない。

 対価として、こちらの内情も問題ない程度には教えてある。

 

「なら良かった。ちなみに、AクラスとCクラスのベースキャンプはもう回ったのかな?」

「Cクラスはさっき寄ってきたところよ。あの喧騒だから、見つけるのに苦労はしなかったわ」

「Aクラスは、まだこれから?」

「そのつもりだけれど、一体どこにあるのやら。もし知っていたら、教えてもらえないかしら」

「たぶんあそこだろうなって場所で良ければ。えっとね───」

 

 一之瀬さんはそう言うと地図を開き、Aクラスの拠点がどこにあるかを説明してくれる。

 その情報は、浅村君から聞いていたものと一致していた。

 Bクラスも初日の時点で、それなりに動いていたということになる。

 

「───ただ、うまく隠されてるから、外からだと様子がわからないと思うよ」

「だとしても一度は自分の目で見ておきたいわ。それと、1つ提案があるのだけれど」

「ん?」

「BクラスとDクラスはお互いのリーダーを指名しない、というのはどうかしら?」

 

 今述べた内容は、事前に浅村君や平田君へは話してある。

 Cクラスがまともに試験に取り組まない状況で、Bクラスとも相互不可侵を結ぶことができれば相手はAクラスだけ。

 そう思っていたのだけれど。

 

「俺は賛成できない」

 

 今まで一之瀬さんの隣で黙っていた男子が口を開いた。

 

 名前は神崎隆二。

 一之瀬さんと共にクラスをまとめ上げている生徒と言われている。

 評判を聞く限りではそれなりに優秀な人物だと思えた。

 

「理由を聞かせてほしいわね」

「今朝Dクラスのキャンプへ挨拶に行った時、いくつかのスポットを見かけた。Dクラスが占有しているスポットをな。ただお互いを指名しないと言うだけでは、そちらに有利な取引だろう」

 

 彼がこちらを訪れたのは、早朝のベースキャンプスポット更新が終わった頃。

 場所によっては、昨夜の近隣スポット更新からギリギリ8時間が経過していない時間帯ということになる。

 

「あら、Bクラスはスポットを占有していないのかしら?」

 

 口にしたのはあくまで確認のため。

 浅村君が発見していない以上、Bクラスはベースキャンプ以外のスポットを占有していない可能性が高い。

 占有していたとしても1箇所か2箇所程度のはず。

 

「こちらよりもそちらの方がスポット占有では優位に立っている、というのが俺の認識だ」

「優位と言っても、まだ試験は始まったばかりよ。ただ、その反応からすると合意は難しそうね」

「今すぐは無理かな。ごめんね、堀北さん」

「気にしないで。提案しておいてなんだけれど、お互いのリーダーを見抜けるだなんて思っていないもの」

 

 最優先事項は、Aクラスのリーダーを探し当てること。

 私達が他のリーダーを探るのは、それが終わってからになる。

 Bクラスもそれは変わらないはず。

 少なくとも、当面の間は。

 

 

 

 そうして情報交換も終わり、Bクラスのキャンプを後にした。

 

 

 

 ‥‥‥僅かに、昨日よりも体が重い。

 2日目でこれでは、先が思いやられる。

 浅村君の懸念を押し切ってリーダー代理を引き受けた以上、不様な真似はできないというのに。

 

 ひとまず、ベースキャンプへ戻ったら休むことにしよう。

 

 当初の目的で残っているものは、Aクラスへの接触だけ。

 このまま例の洞窟へ向かえば、それで終わり。

 

 そう思っていた。

 

「堀北、少しいいか?」

 

 綾小路君から話があるまでは。

 

 

****

 

 

 ベースキャンプに戻って池の昼食準備を手伝っていると、堀北と綾小路が戻ってきた。

 

 

 2人で。

 

 

 

 

 偵察に行ったのか?俺以外のやつと‥‥‥?

 

 

 

 

 なんてね。

 

 堀北が自らをアピールすべく歩き回っているのには、少しでも俺の存在を薄めようという意図がある。

 

 だというのに、俺が同行してしまっては本末転倒。

 堀北の努力が無駄になってしまう。

 

 つまり俺が一緒に行けなかったのは仕方ないこと。

 そう、仕方ないことなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはそれとして残念だよ、綾小路。

 なんだかんだ友達だと思っていたのに。

 仮に次のテストで赤点取りそうになったとしても、俺の助けは期待しないでもらおう。

 

 ‥‥‥いや、そうなったら助けるけどさ。

 第2の須藤が生まれてしまう予感がするし。

 これ以上ライバルが増えてしまうなんて事態は、絶対に防がないといけない。

 

 既に手遅れである可能性もあるけど、そちらには目をつぶろう。

 

 とりあえずどんな手口で堀北を誘い出したのか、2人がどんな雰囲気だったのかを確かめなければ。

 

 そう考えて声をかける。

 

「お疲れ様。2人で行動してるのってなんだか珍しいね」

 

 あくまで自然に、だ。

 問い詰めたところで正直に答えるわけがないし、堀北もいい顔をしないだろう。

 

 そう思ったんだけど。

 

「オレのことを気が利くやつとか言ったらしいな、浅村」

 

 綾小路が何か言いたげな目で俺を見ながら言い放つ。

 

 なるほど、堀北はこちらの意見を採用してくれたわけだ。

 つまり俺がやらかしただけ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 信じてたよ、綾小路。(キヨタカ マイフレンド)

 

 堀北から直々の指名を受けたというのに、このクールイケメンは淡白な反応しか示していない。

 俺は今、綾小路にかつてないほど強い絆を感じている。

 女の子を見る目がない気もするけど、そこはご愛嬌だろう。

 

「ああ、確かに言った‥‥‥堀北さん、どうかした?」

 

 綾小路に気を取られて気付くのが遅れてしまったけど、堀北の様子に違和感がある。

 

「‥‥‥色々な人と話して、少し疲れただけよ」

「なら、テントで横になってた方がいい。食欲はある?魚やトウモロコシが受け付けないって言うなら今から果物をとってくるけど」

「‥‥‥少し疲れただけと言ったでしょう、大げさね」

 

 堀北はそう言うけれど、俺は至って当然の確認をしたに過ぎない。

 期末試験の日もそうだったけれど、堀北はあまり弱みを見せたがらないのだ。

 それが自分から言い出したなんて、どう考えても一大事。

 

「予断は禁物だ。今の環境だと、大したことができないし」

「わかっているわ。あなたと話したら休むつもりだから」

 

 そう言って堀北は近くの岩へ腰を下ろす。

 これは付き合うしかなさそうだ。

 

 堀北と話せる喜びと、堀北の体調に対する不安。

 それらが半々といった感じの、なんとも複雑な心持ちで近くの岩へ座る。

 

 綾小路も話に参加するのかと思っていたら、その気がないのかテントへ向かってしまった。

 俺の中で綾小路への評価がさらに上昇した。

 

「ならいいけど、話って?」

「主要な人達と面通しができたから、それについて」

 

 主要な人物、俺の頭に浮かぶ生徒といえば。

 

「‥‥‥葛城や龍園のことを言ってる?」

「ええ。2人とも、あなたの様子を知りたがっていたわ」

 

 葛城はともかく、龍園と俺はご機嫌伺いをするような間柄ではない。

 気色悪いからやめて欲しいものだ。

 

 それよりも。

 

「遠巻きに拠点を見てくるだけだと思ってたんだけど」

 

 アピールとはいえ、そこまでの接触は想定していなかった。

 龍園と対面するとわかっていたら、俺が付き添っていたのに。

 

「そのつもりだったけれど、Cクラスの拠点を見ていたら龍園君から呼びつけられたのよ」

「‥‥‥何もなかったなら、いいんだけどさ」

「特になかったわ。龍園君にはこの試験での努力を笑われて、葛城君からは警告されただけ」

「警告?」

「洞窟の中を見ようとして、それを咎められたのよ」

 

 正面突破とは、堀北らしいやり方だ。

 特になかったで片付けてしまうのがとても可愛い。

 可愛いけど、それはそれとして。

 

「‥‥‥あんまり無茶しないで欲しいな」

「あら、試験のルールには反していないでしょう?むしろあちらの対応に問題があると思うのだけれど」

「そういうことじゃないんだけど‥‥‥今はいいや。それで?」

「AとCはそれだけ。Bクラスについてはいくつか話しておくことがあるわ」

 

 そう言って、堀北はポケットからメモを取り出す。

 

「まず、一番大事なことから。一之瀬さん達もCクラスの男子を保護していたわ。名前は金田悟」

「‥‥‥Aクラスには?」

「葛城君に当たったけれど、そういった話は聞かなかったわね」

「なら、うちとBクラスか」

 

 これでAクラスにまで入り込んでいたら、あからさまに何か仕込んでると言っているようなもの。

 だけど、そうではなかった。

 最優先で狙うべきAに入り込んでいないのなら、伊吹がトラブルで追い出されたという話に少しだけ重みが増す。

 

 とはいえ、断定はできない。

 BとDは手下に任せて、龍園本人がAに何かしらを仕掛けるなんてケースもあり得るのだから。

 

 

 そして、1つ引っかかることがある。

 Cクラスは1学期中にもBとDの双方とトラブルを起こしているのだ。

 

 何か意図があるのか。

 それとも優等生たるAクラスの生徒は、俺の予想以上にトラブルの処理に長けているのか。

 

「ということは、Cクラスは常に2人不在の状況だ。点呼の度に試験ポイントが10マイナスされる。あの浪費を考えれば、残せても20かそこらだね」

「残りの試験期間、追加購入無しで彼らが乗り切れるとは思えないのだけれど」

「案外行けるかもよ?少ししか見えなかったけど、テントの中に結構な量の水や食料が隠してあったから」

 

 前に堀北へ話した、伊吹の口利きで頂く予定の物資のことだ。

 茶柱先生へ確認したところ、伊吹の同意があれば試験の規則には抵触しないらしい。

 窃盗扱いになるとクラス全体が失格になるから危惧していたけれど、その心配はなくなった。

 

 ちなみに、試験ポイントで購入した物品には全てシリアルコードが記載されたラベルが貼られている。

 その情報を基に各教師はどのクラスの所有物か把握しているらしい。

 だから、拾った物品を自分のものだと言い張っても嘘かどうかすぐにバレてしまう。

 

 ペットボトルの一つ一つにまで貼ってあるのは流石だ。

 そのおかげで、他の人と取り違えないで済んでいる。

 

「‥‥‥Cクラスはリタイアをすると言っていなかったかしら?」

「まだわからない。油断を誘っている可能性もなくは無いから」

 

 それも見張っていればわかることだ。

 というかリタイアしないのならともかく、するのならさっさとして欲しい。

 Cクラスが島に残る期間が延びるほど、あの拠点にある俺の物資が目減りしていくのだから。

 

「ただ、こっちのやることは変わらないよ。警戒を怠らずプラスを積み上げるだけだ」

 

 龍園に関しては正直、試験で負けることよりも他の懸念が大きい。

 学園よりも監視が行き届きにくいこの環境は、いかにもあいつ好みに感じてしまう。

 

「そうね。それで次の話だけれど‥‥‥ごめんなさい。一之瀬さん達に取引を断られたわ」

 

 堀北が言う取引とは、BとDでお互いにリーダーを指名しないという提案のことだろう。

 星乃宮先生がいるせいであのベースキャンプに近寄りづらい、そんな情けない俺の事情を察してくれたのかもしれない。

 女神だ。

 

「そこは俺達が上手く隠し通せば問題ない。ちなみに、誰が反対したとかはわかる?」

「神崎君ね。私達がスポットを何箇所か占有していることを理由にしていたわ」

 

 恐らく、Bクラスが占有しているスポットはあちらの拠点の1つだけ。

 出遅れたのか、あるいはスポット占有で稼ぐつもりはないから引き籠るつもりなのか。

 

「ここら一帯の占有がバレるのは織り込み済みだからいいんだけど、思ったよりも反応が過敏だね。俺達Dクラス相手の取引なら乗ってくるかと思ってた」

「競争相手として認識されているということでしょう。下に見られるよりはマシよ」

「‥‥‥俺としてはもう少し、油断とかして欲しいんだけどね」

 

 その点ではAクラスの方が与し易いかもしれない。

 船での接触を考えれば、少なくない生徒が慢心している可能性もある。

 

「無いものねだりをしても仕方ないわ‥‥‥さて、話はこれくらいね。浅村君から何もなければ休ませてもらうけれど」

「それなら、ちょっと待ってて」

 

 俺はそう口にしてから自分のテントへ入り、目当てのものを掴んで堀北の元へ戻る。

 

「それは?」

「お手製枕。吸水ポリマーを水に浸してから袋に詰めてみたんだ」

「あなた、そんなことまでやっていたのね」

「いくつか作ったんだけど、これが一番出来がいい。よかったら使ってみてくれる?」

 

 軽い感じに言ってるけど、結構ドキドキする。

 バレンタインで好きな男子にチョコを渡す女子もこんな気持ちなのかもしれない。

 

 

 堀北は俺が差し出した枕を受け取ると、手触りを確かめてから口を開く。

 

「‥‥‥ありがとう。使わせてもらうわ」

 

 ヨシ!

 

 余った試作品は欲しがる人にあげよう。

 

 ‥‥‥2番目に出来がいいやつは山内用で。

 



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30.

 視線の先にあるのは、スポットの更新用端末。

 

 昼飯とベースキャンプのスポット更新を終えた俺は、Aクラス拠点から近い地点に来ている。

 

 午前中にも訪れた場所で、その時はAクラス占有と権利消滅までのカウントダウンが端末に表示されていた。

 そこから逆算すると、どうやら占有されたのは点呼前の早朝。

 俺が釣りをしていた頃だ。

 

 その表示も、少し前に消えている。

 俺が占有すればDクラスにポイントが入るけど、そうするつもりはない。

 

 

 

 スポット地点から少し離れた樹上の、更新用端末が見える位置で待機し始めてから20分程。

 ようやく待ち人達が現れた。

 

 茂みを掻き分けて現れたのは葛城。

 その背後にはAクラスの男子が5人続き、その中の1人はブルーシートを抱えている。

 

 俺がその使い道に思い当たるのと同時に、6人は端末の近くへ寄ってブルーシートを頭上から被った。

 

 こちらの視界から端末と本人達を隠したのだ。

 これでは誰がスポットを更新しているのか、ここから直接は視認できない。

 

 考えたものだ。

 俺の提案したスポット占有方法より優れている。

 シートで試験ポイントを消費する点と、更新している最中は周囲の状況が分からなくなる点を除けば、だけど。

 

「ここも終わりですね、葛城さん」

「ああ、次の場所に向かうぞ」

 

 6人はそう言うと、シートを畳んでから移動し始めた。

 

 もちろん俺も距離を保ってその後を追う。

 そのためにわざわざ待っていたのだから。

 

 

 

 

 葛城達は、それから30分ほど掛けて4箇所のスポットを占有していった。

 その全てで、ブルーシートを被り周囲の視線を遮ることを徹底。

 なかなかの用心深さと言える。

 

 ただ、シートの動きから読み取れる情報もあった。

 6人のうち2人は、明らかにシートを支える挙動をしていたのでリーダー候補から外せる。

 

 残るは葛城、戸塚、司城、的場。

 まずはこの4択だ。

 

 

 とはいえ、流石にこのままでは勝負できない。

 

 こちらの指名が的中すれば、Dクラスがプラス50、Aクラスがマイナス50。

 クラスポイントの差が100も縮まることになる。

 

 逆に、外せばDクラスがマイナス50。

 

 期待値からすると、最低でも3択に絞り込む必要がある。

 

 ただそれは、賭けに乗ることができる最低ラインでしかない。

 可能な限り2択以下まで絞り込みたいところだ。

 

 幸い、残りの期間で葛城達の占有活動を監視し続ければ、それも叶う見込み。

 シートの揺れや下から見える足の動きで、僅かだけど中の動きも察せるのだ。

 

 Aクラスのリーダーがわかりさえすれば、まずは及第点。

 俺がリーダーであることも隠蔽しきれば、堀北に顔向けできる試験結果となる。

 

 

 

 

 それから葛城達が洞窟へ戻ったことを確認したので、偵察は終了。

 俺は他のスポットを確認して、Aクラスが占有していないスポットにカードをかざしてからベースキャンプへ向かっている。

 Aクラスの見張りが遠巻きに立っているスポットが2箇所あったので、そこはスルーした。

 あちらも網を張っていたということだ。

 

 

 ともあれ、葛城達の更新方法を直接見れたのはとても大きい。

 すぐに現れるか不安だったけど、それほど待たずに済んだのもありがたいことだ。

 

 洞窟の近くで見張るというのも考えたけど、Aクラスの生徒がそこかしこをうろついてるのでやめておいた。

 むやみやたらに見つかるリスクを冒すことはない。

 姿を晒すのは必要な時だけに留めておくつもりだ。

 

 

 今回の偵察では、平田からの仕事は特にもらっていない。

 クラスの運営にも余裕が出てきたから、出かけた口実も散歩とかそこらへんで通るだろう。

 

 だとしても、手ぶらで戻るのはもったいない。

 わざわざ出かけたからには何かしらの物資を持って帰りたいところ。

 

 

 例えば、薪とか。

 他にも焚き火用の燃料とか。

 燃やすための木材とか。

 

 

 燻製などの調理、水の煮沸で大量に必要だから持ち帰ろうとしているだけで、素手で倒木を解体することにハマったわけでは無い。

 

 ただ、なんとなくほっつき歩いていたら倒木の近くに、時短のために昨日訪れた場所にたどり着いてしまった。

 

 これは薪を持って帰れという神の啓示に他ならない。

 

 前回と同じ方法でもいいんだけど、さっきも言ったように燃料はかなり使う見込みだ。

 

 都度都度ここに取りに来るより、ベースキャンプ近くまでまとめて運んだ方が手間が省ける。

 次回以降も必要になるのだから、少しでも楽になる方法を選択するのが賢い男というものだろう。

 

 

 さて、件の倒木はまだ4メートル以上ある。

 

 なんというか

 

 それは 薪と言うには あまりにも大きすぎた。

 大きく 太く 重く そして 大雑把すぎた。

 それは 正に丸太だった。

 

 みたいなナレーションをしたくなる出立だ。

 

 

 昨日持ち帰った分もまだ使い切っていないから、残りの期間で使う量はこの半分もあれば十分賄えるだろう。

 

 そんな訳で

 

 

 アサムラーの

 

 メガトンキック!

 

 

 あしもとの とうぼくは へしおれた!

 

 アサムラー は いいかんじのとうぼくを もらった!

 

 

 

 薪の塊を獲得。

 誰かに見られたら面倒だし、さっさとズラかることにしよう。

 そう考えて、2メートル程になった倒木を担いでベースキャンプへ跳んだ。

 

 

 それから程なくして見えてくる目的地。

 

 ここで1つ問題がある。半分になろうと丸太は丸太。

 このまま持ち帰ったところで、クラスメイト達が困るのは目に見えている。

 それに野蛮人扱いも免れないだろう。

 そんなのはごめんだ。

 

 ここまでは運びやすさを考慮して丸太のまま持ってきたけど、どこかで適切な大きさにしたい。

 

 幸いにも、ベースキャンプから100メートル程離れたこの場所なら保管に適している。

 ここに安置して、適当なタイミングで適量を持ち帰ることにしよう。

 

 一気に解体したら楽しみがなくなってしまうのだから。

 

 

****

 

 

 薪を抱えて戻ったら、平田に苦笑しながら迎えられる。

 偵察に行くとしか言っていなかったからだろうか。

 

「浅村君、少しは休んでくれてもいいんだよ。それなりに余裕が出てきたし」

 

 平田はそう言いながら、ビニールの上に積まれている食料を見やる。

 諸々の収穫に出ていたクラスメイト達があらかた戻ってきたからなのか、そこには結構な量が保管されていた。

 役目を終えたクラスメイト達は、楽しそうに話し込んでなかなか賑やかだ。

 

「と言っても、さっき休んだからさ。テントでボーっとしてるのもつまらないし、本でも持ち込めればよかったんだけど」

「なんというか、浅村君らしいね」

 

 事実偵察へ行く前に仮眠は取ったから、休む必要は感じない。

 

「正直手持ち無沙汰なんだけど、何かやった方がいいことある?」

 

 釣竿は池達が使っている。

 それに、そろそろ伊吹達も戻ってくる頃だ。

 ベースキャンプを空けるのは好ましくない。

 

 そんなことを考えながら何かしらの仕事を平田へ要求したら、後ろから声をかけられた。

 

「浅村君って仕事好きなんだね。そういうのなんて言うんだっけ?ワーカーホリデイ?」

 

 近くで火の番をしていた軽井沢がそう言い放つ。

 

「ワーカーホリックのことかな?」

 

 平田が通訳してくれる。ありがたい。

 

「それそれ。仕事大好きな人のことそう呼ぶんでしょ?」

「中毒レベルにひどい場合はね。休みの日とかも仕事に打ち込んで体調崩すような人のことを指してるから、俺は違うよ」

「そうなんだ。最近の休みは勉強会の準備してるって言ってたけど」

 

 別に好きでやっている訳ではない。

 須藤用問題集がなぜか結構な量を作るハメになり、他のクラスメイトの分も含めた結果、期末前の休みがほとんど無くなってしまっただけだ。

 嫌々って訳でもないけど。

 

「俺はワーカーホリックの定義には当てはまらないかな。何もなければ、普通の休日を過ごすだけだし」

「普通の休みって何してるの?」

「本読んだり、掃除したり」

「ほんとに普通だ‥‥‥。他には?」

 

 最初の休みは『ウィンガーディアム・レビオーサ』して魔法力が宿っていないかとか、フォースと対話できないかとか、真剣に色々試していた。

 

 今思えば完全な無駄骨だ。

 配信サービスにそこらへんのものが並んでいる時点で、その作品の世界であるはずがないのに。

 

 ちなみに最初以外の休みは、結構な時間で裁ち鋏のハンドリングを練習していた。

 昨日堀北と話した時に、ペンで似たようなことを披露したけど大してウケなかったのは記憶に新しい。

 結構悲しかった。

 

「特にないけど。というか、他に何があるの?」

「ん〜、平田君なら部活なければ私とデートしたりとか」

 

 良いことを聞いた。

 この2人もきちんと彼氏彼女しているようで何よりだ。

 

「生憎、休みの日に一緒に出かける相手がいないからね」

 

 いつかは堀北と出かけたいけど、今はまだその段階ではない。

 

「ならさ、今度みんなで出かけようよ!この試験終わればもらえるポイントも増えるだろうし!」

 

 とは言っても、増えたポイントの使い道については既に考えがあるのだ。

 

「えっと、とりあえず学校に戻ってから考えようか。平田もその方がいいと思わない?」

 

 彼氏そっちのけで話し込んでしまっている。

 そう心配して平田に話を振ったけど、本人はいつも通りの笑顔だ。

 

 なんて広い心を持ったイケメンだろうか。

 彼女が他の人と楽しそうにしていても動じることがない。

 男たるもの、こうでなくては。

 

「そうだね。それに軽井沢さん、この試験の結果が反映されるのは夏休みが終わってからだよ」

「あ〜、そうだっけ‥‥‥」

 

 そう言って肩を落とす軽井沢。

 なんとか俺のプライベートポイントを守り切ったと思ったら。

 

「ねえ、軽井沢さん。浅村君って授業で結構ポイントもらってたよね?」

 

 突然篠原が現れた。

 

 言及しているのは時々起こる臨時収入イベントのことだろう。

 例えば、4月にあった水泳の授業で1位に与えられた5000ポイントの報酬がそれだ。

 

 確かにそこらへんのポイントは、かなりの割合で俺がもらっている。

 ただ、今の話題とは全くもって関係のないことだ。

 何が言いたいのだろうか。

 

「そう言えば休みの日に会ったことないから、浅村君の私服って見たことないかも」

「だよね〜。私も一緒」

 

 なんだか軽井沢と篠原が意気投合し始めた。

 よろしくない雰囲気を感じる。

 いつの間にか平田の笑顔も、『やれやれ』といった感じの苦笑いになっていた。

 

「それなら須藤とか綾小路とかが知ってるよ」

 

 あとは櫛田と佐倉だ。

 

 おかしい。

 我ながら休日を一緒に過ごしたことのあるクラスメイトが少なすぎる。

 どういうことだろうか。

 

「そうじゃなくて、浅村君て素材がすごくいいから。ね、軽井沢さん?」

「そうそう、コーディネートしたくなるっていうか」

 

 俺はこの現象を知っている。

 金のない女子が、人のファッションに口を出して購買意欲を満たすやつだ。

 

「そういうのは、まず彼氏にやるべきだと思う」

 

 Dクラスの誇るイケメンをまずはコーディネートするべきだろう。

 我ながら完璧な理論だ。

 

「もうやったよ」

 

 軽井沢が何気なく言い放つ。

 その一言で俺の理論が武装解除されてしまった。

 

「平田君は100%軽井沢さんコーデだから、浅村君はDクラス女子のコーデね!」

 

 篠原の提案が少し魅力的に聞こえる。

 Dクラス女子ということはすなわち、堀北も含まれるのだから。

 

 しかしそうか。

 平田は軽井沢一色に染められてしまったのか。

 

 

 

 いいぞ、もっとやれ。

 是非とも平田には軽井沢百色くらいに染め上げられて欲しい。

 

「ちなみに、買うとしたらどこ?」

 

 ユニクロやムラサキスポーツの名前が挙がることを祈って、聞くだけ聞いてみる。

 

「ケヤキモールだと、ZARAとか?」

「ネネットもアリじゃない?」

「却下で」

 

 既にポイントの使い道は決まっているのだ。

 堀北に言われた場合を除いて、俺がそういったブランドに手を出すことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 それからもしばらく1対2の攻防が続いたけど、最後はあちらが引き下がった。

 

 『私達の遊び相手が仕事』や『昨日の夜の仕返し』なんて言っていたから、どうやら冗談だったらしい。

 

 なんとか、俺のポイントは守られた訳だ。

 

 ちなみに平田のコーデについて確認したら、そこは本当だとか。

 良かった良かった。

 

 

****

 

 

 そんなこんなでこの島で2度目の夜を経て、3日目の朝を迎えた。

 点呼など諸々を済ませた俺は例によって、Aクラスへの偵察に向かっていたんだけど。

 

「森が静かだ」

 

 なんとなくそれっぽい台詞を口にする。

 

 実際、昨日より静かではあった。

 

 理由にも心当たりがある。

 Cクラスの拠点からかなり離れた場所でも聞きこえてきた喧騒。

 それが今は聞こえない。

 

 これは、遂にその時がきたのでは。

 

 そう考えて龍園達のベースキャンプへ急行した。

 

 これは時間との戦い。

 最悪の場合、Bクラスとの競争にもなりえるのだから。

 星乃宮先生を投入されてしまったら、俺だけで対抗できる自信がない。

 

 

 

 そうして目的地へ到着してあたりを確認すると、誰1人そこには残っていなかった。

 ベッドチェアーやパラソルなどは散らかった風に放置されている。

 忽然と人だけが消えたような、そんな雰囲気だ。

 メアリー・セレスト号の逸話を彷彿とさせる。

 

 恐らくはリタイアしたのだろう。

 予想通りだから、それは問題ない。

 

 

 

 問題なのは、物資の行方。

 目をつけていたものが軒並み消え去っている。

 

 アレは2日間で消費しきるような量ではなかった。

 となれば、誰かが持ち去った可能性が高い。

 必ずや、邪智暴虐の略奪者から俺の物資を取り返さなければならない。

 



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31.

 これは盗難事件である可能性が高い。

 それならやることは決まっている。

 

 時系列の整理と現場検証だ。

 

 

 まず、物資が最後に確認されたのは無人島試験初日。

 俺が各クラスの拠点を見て回っていた時だ。

 堀北と綾小路が昨日の顔見せ時に目撃した可能性もあるので、そちらについては要確認としておく。

 

 物資が無くなっていることを、俺という善良な一般生徒が偶然にも認識したのが1分前。

 盗まれたと推測される物資は水や食料、その他消耗品の数々で、試験ポイントにして50は超えるほどの量だ。

 それら全てを掻っ攫う強欲さにはほとほと呆れる。

 仲良くお裾分けしようという思考には至らないのだろうか。

 

 

 次にここら一帯の状況。

 最初に目につくのは、そこかしこに放置されたままのレジャー用品。

 Cクラスの生徒達が使っていたものだ。

 盗人はこれらには手をつけなかったらしい。

 

 そして周辺には、多数の足跡が残っている。

 38人が拠点としていた場所なのだから、それ自体は不自然なことではない。

 

 大量の足跡が砂浜の向こう側まで続いているのも、全員でリタイアして船に向かったからだろう。

 念のために後を辿ってみたら、客船へ戻るための舟艇が乗り付けている地点へ到着した。

 予想通りだからこれも問題ない。

 

 というわけで現場に戻って、本命の調査だ。

 

 複数人分の新しい足跡が、1列になって森の中へ続いている。

 明らかに統率された動きだ。

 それが整地された場所ではなくわざわざ森へ入っていくなんて、怪しいことこの上ない。

 もしこれが実行犯の残したものなら、恐らくは計画的犯行。

 Cクラスがリタイアするのを待ち構え、俺よりも早く察知して行動を起こしたということになる。

 なんと恥知らずで欲深い連中だろうか。

 この手掛かりを辿って、是が非でも分かち合うことの尊さを教えてやらねば。

 

 ただ、順当に考えれば足跡が続いている先にあるのは、Bクラスのベースキャンプである可能性が高い。

 もしそうだったら一度撤退して、他の誰かに様子を見てきてもらおう。

 堀北に同伴してもらえるのなら俺でもいいけど、あまり負担はかけたくない。

 そんなことを考えながら追跡を開始した。

 

 

 

 そうして到着したのは、Aクラスが拠点としている洞窟。

 

 正直意外だった。

 葛城達がCクラスの生徒を保護したという話は聞いていない。

 

 ‥‥‥あまり楽しいものではないけど、1つ思い当たった展開がある。

 それを確認する手段も、同時に頭に浮かんだ。

 

 

****

 

 

 足跡を追ってAクラスの洞窟まで辿り着いた俺は、一旦ベースキャンプへと帰還。

 Cクラスの生徒達が消えたこと、残して行った物資を見繕いに行くことを報告後、諸々を済ませてから再び出発した。

 

 それから現場に到着したのが少し前。

 

 今回は単独行動ではなく同行者がいる。

 須藤、池、綾小路、山内、櫛田、佐倉、伊吹だ。

 

 予定より膨れ上がって、結構な人数になってしまった。

 

 この面子の中で、伊吹は必須。

 その付き添いとして綾小路と櫛田へ声を掛けたところ、話を聞きつけた他のメンバー達が参加を表明して今に至る。

 以前似たようなことでやらかした感覚を覚えたけど、気のせいだろう。

 

 とりあえず伊吹以外の同行者には、Cクラスのものと思しき物品全てを1箇所に集めてもらっている。

 そのシリアルナンバーを、俺がひたすらメモ用紙に記載していくという役割分担だ。

 

 

 

 

「パラソルあたりはわかるんだけどよ、こんなゴミとかまで集める必要あんのか?」

 

 そう言いながら寄ってきた須藤は、両腕に空のペットボトルや瓶を抱えていた。

 

「使い道があるかもしれないから、一応よろしく」

 

 シリアルナンバーのメモを取りながら、返事をする。

 

「つっても、何に使うんだ?」

「手紙を入れて海外へ流したりとかはどう?Hello Somebodyって」

「校則違反だろ」

「かもね。冗談抜きで言うと、伊吹さん経由で先生へ確認を取るから全部一括で済ませておきたいってのがあるんだ」

「ま、お前が言うならやるけどよ」

 

 一応は納得してくれたのか作業に戻っていく須藤。

 パラソルやベッドチェアーだけなら数点しかないけど、細かいものまで含めればそこそこの量になる。

 それを面倒に感じたのだろう。

 

 俺だって、誰が口を付けたかもわからない空のペットボトルなんて使う気はない。

 ただ、こちらもメモしておいた方がリスクを減らせるのだ。

 

「‥‥‥正直、ここに来るのも憂鬱なんだけど。暑いのも好きじゃないし」

 

 離れて行く須藤の背中を見やっていたら、呟くような伊吹の声が聞こえてきた。

 日差しが暑いだろうからと木陰にいることを勧めておいたのに、なぜか少し離れた位置に立ったままだ。

 

「無理言ってごめん。同伴してもらった方がトラブルにならないで済むと思って」

「まぁいいけどね。あんたらには世話になってるから。それより」

 

 言葉を途中で区切った伊吹は、こちらへ近寄ってくる。

 そのまましゃがみ込んでいる俺の傍までくると、再び口を開いた。

 

「いつ声を掛けてくるかと思ってたんだけど。何も言わないんだね、あんた」

「‥‥‥いきなりどうしたの?」

「わかってるでしょ。とぼけなくていいから」

「俺を尾け回していた日のことを言っているのかな?」

 

 こちらの問いかけに対して、伊吹は少し間を置いてから頷いてくる。

 

「それならもう終わった話だ。『怖いからやめて欲しい』ってお願いは、聞いてもらえたみたいだし」

「‥‥‥私が言うのもなんだけど、馬鹿だよね。どいつもこいつもお人好しすぎるよ、Dクラスの奴らは」

 

 離れた場所で作業している櫛田や池へ視線を送りながらそう呟く伊吹。

 

「それ、喧嘩になるから他の人には言わないでね。というか、伊吹さんだって似たようなようなもんだと思うけど」

「‥‥‥何が?」

「暴力振るわれて追い出されたのに、先生には言わなかったんでしょ?」

 

 好意的に捉えれば、クラスメイトのために我慢したとも解釈できる。

 試験での禁止事項に記載されているのは他クラスへの暴力だけとはいえ、クラス内暴力が問題にならないとは考えにくい。

 伊吹もそう判断したから訴えていないのかもしれない。

 

 ただ、話したところで学校側は動かないと感じている可能性もある。

 俺の感覚だと、伊吹の件は須藤と龍園達のイザコザよりも深刻だ。

 普通の学校なら、点呼にいない時点で何かしらの手を打つだろう。

 

 しかし、この学校は普通ではない。

 ときどき、それに怒りを覚える。

 

「平田から聞いたけど、この試験が終わるまで1人で乗り切るとか言ってたらしいじゃないか。充分に馬鹿でお人好しだよ」

「‥‥‥うっさい」

 

 伊吹はいつも仏頂面だけど、今のやりとりでそれがさらに強まった気がする。

 気まずさを感じたのか、持参していたペットボトルで喉を潤し始めた。

 

「そうだ、1つだけ言いたいことがあったのを忘れてた」

「‥‥‥‥‥‥なに?」

 

 水を飲んでいた手を止めて、さっきよりも強張った表情でこちらを見る伊吹。

 その顔を見上げながら、躊躇いがちに口を開いた。

 

「その、スカートの時はさ、蹴りは控えた方がいいんじゃないかなって」

「は?」

 

 

 伊吹は呆けた表情でたっぷり10秒ほど硬直してから。

 

 

「‥‥‥‥‥‥っ!」

 

 ペットボトルの水を思いっきりぶっかけてきた。

 

 当然のことながら、避けなければ濡れる。

 

 

 俺の一言が気に食わなかったのだろうけど、今の忠告は善意による部分が大きい。

 それに対してこの仕打ちはどうかと思う。

 次にハイキックをぶちかます時、また下着を晒すハメになっても良かったというのだろうか。

 

 そもそも伊吹が怒っているだろう特別棟の件については、スカートの中を覗こうなんて意図はカケラも無かった。

 監視者がいたから結果的にそうなってしまっただけであって、こちらも被害者なのだ。

 

 なので無実の俺が責められているのも、伊吹がスカートの中を晒してしまったのも、全ては監視者の責任。

 到底許すことはできない。

 

 とはいえ、伊吹の気持ちは理解できる。

 自らの行動に起因するとしても、下着を見られてしまったのは面白くないだろう。

 照れ隠しで暴力を振るうようなキャラと比較すれば、極めて真っ当な反応とさえ言える。

 とりあえず、今回は甘んじて受け入れるつもりだ。

 

 

 

 いや、やっぱりおかしい気がする。

 そもそもスカートを穿いているかどうかに関わらず、日常で蹴り技なんて使っていいはずがない。

 ちょっと距離を詰められたらハイキックを放つなんて、完全に暴力系ヒロインの反応だ。

 

 

 

 ‥‥‥ただ、この考えはアルベルトにも当てはまってしまう。

 あいつも距離を詰めただけで殴ろうとしてきた。

 そして、石崎にも同じことは言えるのだ。

 

 これは、アルベルトと石崎が暴力系ヒロインではないという理屈をこねる必要があるかもしれない。

 

 

 

 

 

 そんなことを考えていたら、伊吹からの攻撃が着弾。

 上半身のジャージは色が変わるくらいに濡れてしまった。

 

 とりあえず一言だけ言わせてもらおう。

 

「飲み水は大事にして欲しいんだけど」

「うっさい、死ね」

 

 そう言って離れていくキレ気味の伊吹。

 遠慮する気がなくなったのか、それとも俺に嫌気が差したのか、今度は遠くの木陰へ向かっていた。

 

「どうした浅村。もしかして口説いて失敗したのかぁ?」

 

 伊吹の最後の一声が聞こえたようで、山内が寄ってくる。

 さっきまで綾小路や佐倉と一緒に離れた場所で作業していたのに。

 

「まさか。少し忠告をしたんだけど、それが気に障ったのかも」

 

 山内へ返事をして、濡れたジャージの上着を脱ぐ。

 天気もいいし、この気温ならすぐに乾くだろう。

 

「どうせ言い方が良くなかったんだろ?伊吹ちゃんはいろいろ大変なんだから、優しくしないと」

「そうだね。これからはもっと気をつけるよ」

「全く。そんなんじゃレディーキラーの名が泣くぜ?」

「‥‥‥‥‥‥山内、ちょっといい?」

 

 声を掛けながら、Tシャツも脱いで上半身裸の状態になる。

 

「あん?」

 

 そのまま困惑した様子の山内へ近寄り、肩へ手を回した。

 逃さないように、しっかりと。

 

「な、なんだよ」

 

 山内の問いかけを聞き流して、目の前の海へ向かって足を進める。

 最初の3歩で靴を脱ぎ、次の3歩で靴下を脱いだ。

 流石にズボンは穿いておく。

 

「おい、この手はなんだ?なんで裸足になってるんだ?なんで海に向かってんだ?」

「ありがたい忠告をもらったから、ついでに親睦を深めようかなって。それには同じ境遇を経験するのが有効だと思わない?」

 

 道連れとしてずぶ濡れにしてやろうとか、そんな意図はない。

 

「そんなんで仲良くなるわけないだろ!?」

「どうだろう。物は試しとも言うからね」

「ふざけんな!このまま海に突っこんだら俺は怒るからな!」

 

 山内が踏ん張り始めたけど、意に介さず海への距離を縮めていく。

 

「分かった、正直に言うよ。俺のことを変な風に呼んだ仕返しだ」

 

 腹いせとして濡れ鼠にしやろうとか、そんな意図はない。

 

「待てって!俺だけじゃない!池とか本堂も呼んでた!」

「なるほど、そっちとも親睦を深める必要がありそうだね」

 

 情報提供はありがたく受け付けながらも、足を動かし続ける。

 

 

 そうして山内の抵抗をものともせずに波打ち際まで来たところで、掴んでいた肩を離した。

 

「‥‥‥あ?」

 

 突然自由になったことで困惑している山内。

 

 仕返しとして山内をビビらせてやろうとか、そんな意図はあったのだ。

 それにしてもこの反応からすると、本気で海水浴させられると思っていたのだろうか。

 

「流石に冗談だよ。変な呼び方をやめて欲しいのは本当だけど」

 

 そもそもみんなに動いてもらっている状況で、俺達だけ遊ぶなんて真似はよろしくない。

 

 

 とりあえず、なんだかんだでこっちを見ていた伊吹に半裸は晒したし、これならイーブンだろう。

 あっちは俺の半裸なんて興味ないだろうけど、俺だって伊吹の下着に興味はない。

 水をぶっかけられたことも考慮すれば、釣り合いは取れるはず。

 

 

 

 そんな感じで山内へのお話を終えたので、脱ぎ捨てた服を回収しながら戻っていたら。

 

「‥‥‥浅村、なんで上だけ脱いでるんだ?」

 

 綾小路がおかしな質問を投げてきた。

 

 下も脱げだなんて、いきなり何を言い出すのだろうか。

 人前で全裸になるのはおかしい事なのに、その常識を備えていないのだろうか。

 

 ‥‥‥綾小路は抜けているところがあるから、有り得るかもしれない。

 

 

****

 

 

 シリアルナンバーを一通り確認し終えたので、Dクラスのキャンプへと帰還。

 

 書き込んだメモ用紙を片手に持った俺は、伊吹を伴って茶柱先生のテントへ向かっている。

 

「ねぇ、私って必要なの?」

「申し訳ないけど、必要なんだ。俺が聞いても、教えてもらえるのはDクラスのものかそうじゃないかだけだから」

 

 教師は全クラスのシリアルナンバーが載っているデータベースにアクセスできる。

 生徒が確認を依頼してきた場合、その生徒が所属するクラスの所有物か否かのみを回答。

 

 それが事前に茶柱先生へ質問して分かったことだ。

 

「あっそ」

 

 俺の返事を聞いた伊吹は相変わらずの仏頂面だけど、目当ての茶柱先生がいるテントはもう目の前。

 あと少しだけ辛抱してもらおう。

 

「茶柱先生、いらっしゃいますか?」

 

 俺の呼びかけから程なくして、テントの中から茶柱先生が現れた。

 

「浅村か、何の用だ?」

「お願いがあります。俺ではなく伊吹さんからですけど」

 

 そう言ってから伊吹へメモを手渡す。

 

「じゃあ伊吹さん、さっき話した通りによろしく」

「はいはい。こちらのシリアルナンバーがCクラスの持ち物かどうかを教えてください、茶柱先生」

 

 一応Cクラス担任の坂上先生に確認するか聞いたけど、それは伊吹が嫌がった。

 まぁ、俺が同じ立場でもそうなるだろう。

 

「ふむ、結構な量だな。少し待て」

 

 伊吹からメモを受け取った茶柱先生は、テントの中へ戻っていく。

 

 そのまま待ち続けること3分。

 茶柱先生が再びテントから出てきた。

 

「確かめたぞ。この紙に記載されているシリアルナンバーは、全てCクラスが申請したものだ」

「だってさ」

「確認ありがとうございます。あと、伊吹さんからCクラスが申請した物品の使用許可をもらったので、それも報告しておきます」

「伊吹、浅村はこう言っているが事実か?」

「はい」

「ならいい。他に話は?」

「いえ、ありません」

「そうか、ではな」

 

 用件が終わったことを確認した茶柱先生はテントへ戻った。

 俺の目的も達成されたし、これで伊吹も解放できる。

 茶柱先生を待っている間は終始黙っていたし、不機嫌ゲージが溜まっていそうだ。

 

「ありがとう。伊吹さんにはいろいろ手間をかけたけど、あとはこっちで勝手にやるから」

「‥‥‥使うものは回収に行くんでしょ?そっちもついて行くよ」

「そう?こっちとしてはありがたいけどいいの?」

「乗り掛かった船だし」

「分かった。その時になったら声をかけさせてもらうから」

「今から取りに行かないの?」

「多分明日になるかな。他にもやることがあるんだ」

 

 実際、そろそろ近隣のスポット更新に出かける時間だ。

 それに、出発前にキーカードを預けた堀北へきちんと説明する必要もある。

 

 

 

 

 

 

 Cクラスの物資がAクラスへ渡っていることが確定した、と。

 

 

 Aクラスの拠点である洞窟、その入り口付近に設置されているシャワーやトイレ。

 遠目でもそのシリアルナンバーは確認できたから、それをメモ用紙のリストに交ぜ込んでおいたのだ。

 

 結果はクロ。

 

 少なくとも試験開始間もない頃には、AとCは通じていたことになる。

 それ自体に文句はない。

 

 

 問題はいつから2クラスが組んでいたのか、だ。

 

 いや、それだってどうでもいい。

 

 

 須藤が特別棟で嵌められかけた件に、葛城が関わってさえいなければ。

 



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32.

ごめんなさい!
ほんとごめんなさい!


 AとCの協調。

 メインシナリオではなかったけど、想定していた流れの1つだ。

 

 その中で最も危険なのは、CクラスがAクラスの手先に成り下がり、リスク度外視の攻撃を仕掛けてくる展開。

 

 Cクラスの集団リタイアは見せかけで、武闘派が島のどこかに潜伏。

 タイミングを見計らってそいつらが襲撃をかけてくる、なんてのは勘弁してほしい。

 

 そんなことが起こるかと言われれば十中八九起こらないだろう。

 けど、そんな状況に陥った時の危険を思うと捨て置く事もできない。

 いわやるテールリスクというやつだ

 

 ただ、これはメタ読みによる部分が大きいから他人には説明しづらい。

 この無人島という環境は学校の敷地内と比べれば監視が緩く、直接的な手段をとるハードルもそれだけ低くなっている。

 

 ただ1つ愚痴らせてほしい。これは本来、学校が責任を負うべき部分だ。仕事しろ。

 

 ひとまず高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応していくしかない。

 

 

 一方で、龍園達から玉砕アタックを喰らう懸念とは別に、AクラスとCクラスが協調していることについての共有と対応は必須。

 堀北がどう受け止めるにせよ、無手というわけにはいかない。

 

 真っ先に浮かび上がる対抗策は、Bクラスとの連携。

 相手が徒党を組んでいるのならこちらも、というのは常套手段ではある。

 

 ただ、それは俺にとって諸刃の剣。

 話の持っていき方については、よくよく考えるべきだろう。

 

 理由は至極単純。

 一連の流れが、Bクラス男子ルートへの分岐点に思えてならないからだ。

 思い返すと兆候というか、伏線のような出来事がいくつかあった。

 

 

 まず挙げられるのが、バカンス前のBクラスへの探り。

 俺はこれを、堀北1人に任せてしまった。

 

 それに加えて、昨日実施された他クラスキャンプへの訪問。

 こちらは堀北1人ではなく、綾小路が同行した。

 堀北の体調などを考慮すれば、2人で出かけたのは仕方のない選択と言える。

 同行者が俺にとっての最上級容疑者であることなんて、瑣末な問題なのだ。

 

 ただ、俺はBクラス男子の浸透圧を過小評価していたらしい。

 訪問後に堀北の口から、別の男子の名前が出てきてしまったのだ。

 

 神崎隆二。

 DクラスとBクラスが相互のリーダーを指名しない、という堀北発案の不可侵条約をつっぱねた生徒だ。

 Bクラス男子の中で無罪判決から最も遠い存在、と言い換えることもできる。

 

 

 噂で聞いた限りの評価は。

 

 整った顔立ちに、落ち着いた佇まい。

 勉強と運動は共に上々。

 

 はい、最上級容疑者。

 ここまで女性ウケを狙ったような特徴を持った人物を怪しむな、というのは無理な話だ。もはや有罪。

 こういうやつに限って、頭の中は女子のことで一杯だったりするのはよくある話。やはり有罪。

 

 堀北の話し方から察するに、『最初はムカついてたけど、あいつって案外良い奴?』パターンだろう。

 人類誕生以来、脈々と受け継がれてきた伝統芸能だ。

 そんな王道展開が発動されてしまえば、俺が介入する間も無く進展してしまう可能性すらある。

 

 それは、俺にとって絶望と破滅でしかない。

 これから先も生存し続けるため、危険な芽は早急に摘むべきだろう。

 

 

 とはいえ、どうしたものか。

 

 Bクラスとの連携は、堀北と最上級容疑が接触する機会の増加に繋がりかねない。

 そんな諸刃の剣は今すぐ投げ捨てたいけど、選択肢から排除するには惜しい効果を有する。

 

 さらに言えば、当面をDの独力で乗り切ったところで、いずれはどこか他のクラスと手を組む可能性は高い。

 

 さらにさらに言えば、卒業まで他クラスと手を組まずに済んだとしても、堀北と他クラス男子の接触を根絶できるわけではないのだ。

 

 

 

 ‥‥‥この手の問題は、これから先も間違いなく発生する。

 根本的な解決には、やはり地球上のY染色体持ちをどうにかするしかないのかもしれない。

 俺にだって、生存権はあるのだから。

 

 

 

 そうして頭を悩ませつつ、ベースキャンプへと戻った。

 

 悩み事ばかりだと、気が滅入ってしまう。

 こんな時こそ癒しが必要だ、と堀北を探してみると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いない、見当たらない。

 

 

 また誰かと出かけているのだろうか、という懸念が頭を埋め尽くしかけたけど、おそらくそうではない。

 他クラスのキャンプを訪れた昨日とは違って、今の堀北はキーカードを保持している。

 リーダー情報流失と体調悪化という2つのリスクを抱えた状況で、堀北が外出するだろうか。

 断言するやつがいたら、間違いなくエアプだ。

 

 ただ万が一、何か尋常ならざる理由でキャンプを離れている可能性が無いとも言い切れない。

 念のため、念のために確認するべきだ。

 

 そう考えて、キャンプから離れたところで話し込んでいる平田と軽井沢へと足を向けた。

 

 

 

 

 

「お疲れ様、浅村君。早かったね」

 

 こちらに気付いた平田が俺を労い、それに反応して軽井沢もこちらへと振り向く。

 平田は見慣れた通りの爽やかスマイルを浮かべているけど、軽井沢の雰囲気がいつもと違う。

 張り詰めた、というほどでは無いものの空気が重い。

 

「‥‥‥Cキャンプで用事を済ませてきたから、その説明をしようかと思ったんだけど、後にしたほうがいい?」

「いや、むしろいいタイミングだよ。僕からも話したいことがあったから」

「平田君」

 

 なぜだかおとなしい様子の軽井沢が、何かを訴えるように平田の袖を掴む。

 それに微笑みを返してから、平田はこちらへ口を開いた。

 

「女子が、少しだけ試験ポイントを使いたいらしいんだ」

「ねぇっ」

 

 軽井沢から咎めるような声が上がるものの、平田はそれを平然と受け流す。

 少し間を置いて、軽井沢は諦めたようにそっぽを向いてしまった。

 

 

 

 さて。

 ポイント使用については平田に一任すると、初日の話し合いで合意済み。

 にも関わらず、わざわざ俺へ共有しようとしている。

 それに加えて軽井沢のあの様子。

 

「具体的な使い道、平田は聞いてる?」

「フロアマットと電池式扇風機をそれぞれ複数。全部で8ポイントだったかな」

 

 フロアマットが3ポイント、電池式扇風機が1ポイント。

 組み合わせ的に両方を2個ずつの注文以外はあり得ない。

 

 男子と女子で分け合う気だったのか、それとも2つある女子テントの両方に配備するつもりだったのか。

 ‥‥‥あまり突っ込まない方が良さそうだ。

 

 誰が言い出したのか、にも可能な限り触れない方針で進めていこう。

 

「キャンプの整備はけっこう進んだから、どうにか乗り切れそうだと思ってたけど」

「船の居心地が良すぎたから、落差を感じたりしてるのかもね」

 

 それにしてもタイミングが変だ。

 

 フロアマットで改善されるであろう寝辛さについては、テントの床にビニールで作った簡易マットを敷き始めた。

 どれくらい効果があるかは夜になってみないととわからないけど、クラスメイトの反応は悪くなかった。

 

 ベースキャンプとその周辺には打ち水をしていて、日中でもそれほど暑さを感じずに過ごせる。

 よって、こちらも対策済。

 

 どちらも元々はBクラスで実施されていた工夫で、それを堀北が共有してくれた。

 それに対して、要望を被せてきているようにも見える。

 

「軽井沢さん、少しいい?」

 

 話へ加わる気が無いとアピールするかのように、体全体を横へ向けていた軽井沢へ声を掛けると、視線だけがこちらを向いた。

 

「‥‥‥なに?」

「このリクエストって、どの程度のレベルだと思う?通れば嬉しいくらいの話なのか。それとも絶対に必要なのか」

「‥‥‥なんであたしに聞くの?」

「俺よりも軽井沢さんの方が、女子の気持ちに寄り添えると思って。この試験が大変なのは男女共通だけど、特有の苦労っていうのはどうしてもあるだろうし」

 

 俺の言葉を聞いて警戒を緩めたのか、軽井沢はこちらへ向き直る。

 

「別に、平田君か浅村君がダメって言えば引っ込めるんじゃない?」

「ってことは、必須ではない?」

「たぶんね」

 

 返ってきたのは予想通りの答え。

 

 8ポイント程度なら夜陰に乗じてスポットを巡れば挽回できるとはいえ、リスクは少ない方がいい。

 それに、幸村との約束もあった。

 最初から考えていた通り、ここは諦めてもらう。

 

 問題はその方法。

 試験はまだ折り返し前だ。

 ここで無条件に突っぱねたら、そのしわ寄せはどこへ向かうだろうか。

 

「それならマットと扇風機についてはひとまず見送って、代わりに別の提案はできるかな?」

「どんな?」

「何かしらの、ポイント消費が少ないやり方。例えば、そうだな‥‥‥。女子が担当してる作業を、こっちがいくらか肩代わりするとか」

 

 これは却下されることが前提の条件で、布石として提示しただけ。

 

 ‥‥‥なんだけど、軽井沢の反応がいつもよりも鈍い。

 即座にダメ出しをしてくるかと思っていたのに、それが一向に飛んでこなかった。

 ただ、もどかしげな表情をしているだけだ。

 

 しばらく沈黙が続いて、それを破ったのは軽井沢ではなく平田だった。

 

「特に体力を使いそうなものは男子に、他を女子へ。みんなに仕事をお願いする時、僕はその辺りを意識してたかな」

 

 この提案は女子にとって、ひいては軽井沢にとって大した利益がない。

 言外にそう伝えているのか。

 あるいは、既に女子へ一定の配慮はしている、という意味かもしれない。

 

「女子の担当は火の番や調理あたりがメインだっけ。そこら辺を代わるってのは、イマイチかもしれないね」

「‥‥‥男子でも料理できる人っていなかった?燻製のやり方とか教えてくれたのは池だし、浅村君だって自分でお弁当とか作ってたよね?」

 

 普段の料理スキルと、この試験で食事を用意するスキルは別物だ。

 焚き火で魚を焼くのも、最初は少し手間取った。

 それはともかくとして。

 

「調理するだけなら軽井沢さんの言う通り、俺達でもできる。ただ申し訳ないんだけど、俺から男子にこの提案をするのは難しい」

 

 俺の言葉を聞いて、軽井沢の表情に僅かな影が差す。

 それを見ても、平田は介入してこない。

 

「ちなみにその理由、軽井沢さんはわかる?」

「‥‥‥仕事増えるのが嫌だからじゃないの?」

「はずれ」

「‥‥‥わかんない。他に何かある?」

「あるよ。すごく重要なことが」

 

 そう言って、一旦言葉を区切る。

 関心をできるだけ引きつけ、これから伝える内容を強調するように人差し指を立てながら。

 

 

「これってつまるところ、女子の手料理を男子から取り上げる行為なんだよ。間違いなく、俺が袋叩きにされる」

 

 

 

 しばらく沈黙が続き、唐突に軽井沢が吹き出した。

 横を向いて口元を押さえているけど、それでも笑いが漏れ出している。

 

「ふっ‥‥‥いや、ちょっと──ふふっ。すっごい真顔で、なに、しょーもないこと言ってるの」

「ちなみに、平田から提案してもらうってのはどう?」

「ごめんね、僕も袋叩きはちょっと」

 

 平田へパスを出し、更なる追撃。

 変なツボに入ったのか、軽井沢はさらに体を震わせ始める。

 若干のおふざけが混じっていたのは認めるけど、内容に関して嘘は言っていない。

 

 

 

 この試験で俺がキーパーソンと見なしているDクラス男子は2人。

 

 まず1人は鉄板というか、いつも通りの人物。

 目の前で微笑んでいるイケメン、クラス全体の統括を担当している平田だ。

 

 そして残るもう一方。

 こちらは須藤でも高円寺でも綾小路でも幸村でもない。

 

 この試験が始まってからその存在を大いにアピールしているクラスメイト。

 釣りの仕方、火起こしのコツ、靴ずれの対処法までなんでもござれのサバイバリスト、池寛治だ。

 

 軽井沢に述べた「女子が調理したものを食べるとテンション上がる系男子」には、このサバイバル系男子も含まれている。

 含まれているどころか、その筆頭だ。

 

 理由もまあ、察しはつく。

 

 普段の料理とはいささか趣が異なるものの、なんだかんだで調理を担当しているのは女子の中でも料理が得意であろう面子。

 その調理組には、篠原や櫛田が含まれている。

 

 

 つまりはそういうことなんだろう。

 池の心情は、自分のことのように理解できる。

 俺も、堀北の手料理食べたかったし。

 

 

 池の狙いが誰、もといどちらであれ、それは俺の関知するところではない。

 意中の女子による手料理を楽しんでいるという事実が重要なのだ。

 

 そんな状況で俺が調理を担当するなんて言い出したら、まず間違いなく、それはもうひどいことになるだろう。

 

 

 逆の立場で考えると、とてもわかりやすい。

 

 

 例えば、堀北から手料理を振る舞ってもらう機会があったとしよう。

 それは俺にとって、命と同じくらいには大切なものだ。

 

 その貴重な時間を台無しにする輩が現れたとしたら、そいつへどんな仕打ちをするだろうか。

 自分でも想像がつかない。

 想像がつかないけど、ついつい手が出てしまっても、やり過ぎということはないだろう。

 

 こちらの命に匹敵するほど大切なものを奪おうとしているのならば、逆にあちらの命が奪われることもあり得る。

 その可能性は考慮して然るべきなのだから。

 

 正当防衛の成立要件も満たすし、ボコる程度ならノープロブレム。社会正義の遂行ということで、感謝状の授与すらあり得る。

 

 以上からわかるように、俺が調理担当になるのは悪手。

 本当にやるなら、最低でも池にボコられる覚悟をしなければならない。

 

 

 

 話をまとめると。

 キーパーソンの機嫌を損ねる事態は避けるべし。

 馬に蹴られたくない。

 そろそろ平田と軽井沢以外のDクラスカップルが誕生してもいいタイミングではないだろうか。

 平田と池は優良物件、かつ堀北とのフラグが建っていないキーパーソン。軽井沢や篠原、櫛田との関係をこれからも全身全霊で応援していきたい。

 ということだ。

 

 そんなふうに、女子が調理するべき4つの理由を脳内で再認識していたら、軽井沢がようやく平静を取り戻した。

 

「大丈夫?落ち着いた?」

「‥‥‥『いきなりどうしたの』みたいな雰囲気出してるけどさ、浅村君が原因だからね?」

「そこまで笑うほど?」

「真面目な顔で、そんなくだらないこと言われたら笑うに決まってるじゃん。しかも、平田君と浅村君からそんなの出てくるなんてさ。‥‥‥あぁ、でも」

 

 言葉を切ると少し上を向き、顎に指を添えて何やら考え込む軽井沢。

 数秒経ってからこちらを見た時には、その表情は楽しげなものに変わっていた。

 

「そういえば浅村君、元々はそんな感じだったかもね。入学したばかりの頃は変なこと言ってたし。茶柱先生に向かって、『俺を買ってください』とか」

「よかった、俺の話は理解してもらえたみたいだね。話を戻そう」

 

 平静と一緒に調子も取り戻したのか、軽井沢はからかうような目でこちらを見ているので、それとなく軌道修正をかける。

 建設的なやりとりを優先するためであって、嫌な話題が出てきたからではない。

 とりあえず1つ言わせてもらうと、値段を聞いただけであって売る気なんてさらさら無かった。

 

「星乃宮先生を口説いたって噂も流れてたよねぇ。‥‥‥浅村君って、年上好きなの?」

「それ、入学して3日目とかの話でしょ。本当に口説くなら、もっとじっくりやってるから。‥‥‥違う、俺の流儀はどうでもよくて、今大事なのは女子に納得してもらうための条件。さっき話した通り、作業の肩代わりはイマイチ。代案が必要なんだけど、平田は何かある?」

 

 視線を平田に向けながら、言葉を投げる。

 救援要請だと理解してくれたのか、平田は苦笑しながら口を開いた。

 

「ごめんね、僕も考えてたんだけど‥‥‥。軽井沢さんはどう?」

「ん、あたしも思いつかない」

「‥‥‥放置できる問題じゃないけど、ちょっと後にしようか。時間を置けばアイデアが浮かぶかもしれないし、先にCクラスと物資の話を済ませてもいい?」

「なんか、いきなり真面目モード?」

「もともとそのつもりで声を掛けたんだ。大丈夫、手短にするから」

 

 どことなく不満げな軽井沢を尻目に、報告を始める。

 

「目当ての食料や飲料水は、残念だけど見つからなかった。それ以外で残っていたものがいくらかあったから、念のためにシリアルナンバーはメモしてきた」

 

 そう言ってシリアルナンバーを記載した紙を平田に渡すと、軽井沢も身を寄せて横から覗き込んだ。

 このメモは後から用意したもので、Aクラスの拠点で見つけたシリアルは入っていない。

 

「うわ、ビッシリ‥‥‥。えぇっと空のペットボトル、クーラーボックスにベッドチェアー‥‥‥本当に好き放題してたんだ、Cクラス」

 

 メモを食い入るように見ながら、軽井沢が洩らす。

 これなら行けると感じたので、頷いてから話を続けた。

 

「少なくとも100ポイント前後、おそらくはそれ以上にポイントを消費していると思う。そのリストに載っている物品が、Cクラスから申請されたモノであることは間違いないよ。茶柱先生へ確認して裏はとったから」

「クラスぐるみでリタイアしたんだし、Cクラスの試験ポイントがどれだけ減ったかなんて、気にしなくてもよくない?それよりさ、この残り物ってどうするつもり?」

「どうするつもりもないけど」

 

 そう返すと、軽井沢はこちらへ変な目を向けてくる。

 

「もしかして軽井沢さん、何か欲しいものでもあった?」

「逆にさ、浅村君は食べ物と水以外いらないってこと?」

「そこらへん以外は、あんまり考えてなかった」

「‥‥‥せっかくだからいろいろ使わせてもらった方が良いと思うなぁ」

 

 無料なんだからたくさん使おうというのが軽井沢の言い分。

 それはとても魅力的ではあるものの、返却時に破損や汚れなどでイチャモンをつけられるのでは、という懸念がつきまとう。

 消耗品や食料なら使えば無くなるので、その辺りをかわしやすいという計算だ。

 本当にCクラスが全員リタイアしたのなら、単なる杞憂でしかないんだけど。

 

「借りるとしたら、具体的にはどのあたり?」

「ベッドチェアーとかパラソルとかは、ちょっと欲しいかも」

「レジャー用品だね。そのあたりを揃えたら、他の女子も嬉しいかな?」

「それはまぁ、バカンスっぽさがグッと増すからね。喜ぶと思うけど」

「そっか。それなら」

 

 我ながら周りくどいことをしたと思う。

 ただ、ここまでくれば終わったようなもの。

 

「ベッドチェアーとパラソルは女子に使ってもらって、代わりに扇風機やマットについては見送り。そういう方向へ持って行けるかな?」

 

 こちらの提案を聞いた軽井沢は、平田と俺に視線を向けてから口を開いた。

 

「さっきも言ったじゃん。平田君と浅村君がダメって言うなら、引っ込めると思うって」

「あんまり雑な対応はしたくないんだ。相談してきた女子を無視するみたいで、ちょっとね」

 

 ストレスのたまりやすい環境で、不満を上から押さえつけるのはリスクが大きい。

 この試験中に爆発した場合、矛先についての懸念もある。

 

「あんまりってことは、場合によっては雑な対応してたってこと?」

「代案が思いつかなくて、試験の終わりが近かったら『あともう少しだけ我慢してください』って土下座してただろうね。終盤はもう、気合と根性とガッツだから」

「その3つ、何が違うの?」

 

 笑いながら問いかけてくる軽井沢。

 見え隠れしていた緊張感は、どうやら消え去ったらしい。

 

 

 

 それからしばらくは軽井沢にチャチャを入れられながら、クラスメイト達の様子を少し語った。

 そして、ようやく聞きたかった話題に。

 

「2人とも、堀北さんがどこにいるか知ってる?」

 

 問いかけつつ、平田と軽井沢だけに見えるよう両手の親指と人差し指で長方形を作る。

 

「これ、お願いしてたんだよね」

「さっき見た時は、テントで休んでたよ。あたし、呼んでこよっか?」

 

 堀北は出かけていなかった。予想通りだ。

 欠片も心配なんてしていなかったから、『知ってた』としか言いようがない。

 

「いや、平気。すぐにどうこうってわけじゃないから。スポットを回る時に済ませるよ」

 

 いろいろ話したいことはあるけど、休んでいるのならそちらを優先してもらおう。

 

「その方がいいかもね。堀北さん、体調良くなさそうだし」

 

 軽井沢がしれっと、最大の懸念事項を口にする。

 

 慣れない環境と、朝晩のスポット周回。

 ほとんどプライベートが存在せず、気が休まらないであろう空間。

 

 これらの悪条件は確実に、堀北の体調へ悪影響を与えている。

 軽井沢に察知されている以上、他のクラスメイトに広まるのも時間の問題かもしれない。

 

「それについては、正直打つ手がない。‥‥‥静養してもらうべきなんだろうけど、役割があるとなかなか、ね」

 

 この島に来る前から薄々感じてはいたけど、あの体調不良もなにかしらの伏線な気がする。

 問題は、それがどのような結果をもたらすか。

 試験結果に関わるのものなのか、あるいは。

 

 何にせよ、現状では経過を見守るしかない。

 

「役割がなかったとしてもこんな環境だし、船に戻らないとどうしようもないよね。‥‥‥てか、まだ3日目じゃん。こんな試験、早く終わってほしいのに」

 

 軽井沢はつまらさなそうにつぶやいてから、顔を上げた。

 

「‥‥‥ごめん。みんなのこと待たせてるから、あたしそろそろ戻るね。さっきの話、よろしくっ」

 

 そう言って、軽井沢が離れていく。

 さて。

 

「浅村君。少し話したいことがあるんだけど、いいかな?」

 

 平田が声を掛けてきた。

 少しだけ、そんな気はしていたけど。

 

「なに?男同士で内緒話?」

 

 離れかけていた軽井沢が足を止め、振り返りながら問いかけてくる。

 

「ちょっとした相談事だよ。パラソルやベッドチェアーのことで、男子のみんなにしっかりと納得してもらう必要があるから」

 

 返事をした平田の雰囲気は、いつも通りの温和なものだ。

 

 だけど、そんな軽いものではないだろう。

 

 

 

 

 

 様子のおかしかった軽井沢。

 助け舟をほとんど出さず、何かを推し量ろうとしていたように見えた平田。

 そして、このタイミングでのコンタクト。

 

 これはもう間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 俺は今から、裁判にかけられる。

 

 嫌疑は、『俺の彼女に色目使ってんじゃねぇクソ野郎』だ。

 



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33.

 俺が無辜であることは明白。

 テスト当日に『勉強してない』とほざくやつが、バッチリ勉強している確率と同じ程度には明白だ。なお、須藤は除くものとする。

 

 

 ただ平田が疑念を抱くのも仕方がない。

 俺にとって不利な事実が存在するのだから。

 

 それは会話の頻度。

 軽井沢が普段話している相手から、女子を除いたものを表すとどうなるか。

 

 平田>俺>>>>>その他男子

 

 となる。なってしまう。

 

 

 

 

 いや、やっぱり

 

 平田>>俺>その他男子

 

 くらいだ。

 なんかそんな気がしてきたし、きっと平田もそう思っているだろう。

 

 

 

 

 ともあれ、他の男子達よりも軽井沢と会話する機会が多いのは否定のしようがない事実。

 

 あちらから話しかけてくることが結構な割合を占めるものの、それを以って無罪を主張するのは賢いことではない。

 むしろ逆効果だろう。

 

 俺が同じような裁判を開いたとして、その時に罪人から『堀北の方から頻繁に話しかけてきただけだ。席が隣だからだろうな』なんて言われたら、その瞬間に極刑判決を下す。

 

 なら黙っていることが妙手なのかと問われれば、それも否。

 

 俺が同じような裁判を開いたとして、その時に罪人がひたすら掴み所のない表情で黙秘を貫いていたら、十分に検討を重ねた後で極刑判決を下す。

 

 

 

 つまり、今ここで必要なのは適切な弁明。

 

 何も難しいことはない。

 

 俺には好きな人がいること。

 それは軽井沢ではないこと。

 平田と軽井沢の関係を心の底から全身全霊で応援していること。

 

 これらの真実をやんわり伝えれば、それで事足りるのだ。

 

 

 

「他の人にはあまり聞かれたくない話?」

 

 軽井沢が完全に離れたタイミングを見計らって、平田へ水を向ける。

 

 裁判が開かれるというのは、あくまで俺の見立てに過ぎない。

 他の相談である可能性もある。

 

「軽井沢さんについて、少し」

 

 可能性が打ち砕かれた。

 

 いや、まだわからない。

 女子に関連することで、軽井沢の名前が最初に出てきただけのパターンもある。

 

「ただ、それを話す前にひとついいかな?浅村君が誰かと付き合ってるって話を聞いたことはないんだけど、実際のところはどうなんだろう?」

 

 打ち砕かれた可能性の破片が、砂となって消えていった。完全に、跡形もなく。

 

「それ、人によっては嫌味として受け取ると思うよ」

 

 俺の知る限りではDクラス唯一の彼女持ちである平田からの、交際相手がいるかどうかという質問。

 普段の平田を知らない人物であれば、マウントを取りに来たと捉えかねない。

 

「浅村君が相手だから、その心配はしてなかったな。確かに不躾な質問だよね」

 

 『ごめんね』と謝罪しながらも、平田は続きを促してくる。

 もしかしたら引き下がってくれるかもしれないという希望に賭けて牽制してみたけど、その様子はない。

 

 

 はい、裁判開廷。

 

 こちらを注視している平田に対して、これより弁論を開始する。

 

「‥‥‥付き合ってる相手はいない。ただ、これは口外しないで欲しいんだけど」

 

 有罪判定ラインを一歩越えながら、無罪であることを証明するための材料を投げつける。

 

「好きな人はいる」

「‥‥‥少し、意外だ」

 

 目を見開く平田。

 悪くない反応だ。

 

「そう?そんなに変なことじゃないと思うけど」

「ああ、うん。浅村君が誰かを好きになるのがおかしいってことでは無くて──」

「別に怒ってるわけじゃないよ。それより、俺も意外だったな。平田からこういう話を振ってくるのは」

 

 ここから有罪判決を食らうパターンは1つ。

 好意を向けている相手が軽井沢だと勘違いされることだ。

 

 もしそうなったら、堀北の名前を出さないと挽回できないかもしれない。

 

 それは困る。

 俺なりのタイミングや戦略があるから、具体的な情報は可能な限り伏せておきたいし、秘密を明かす最初の相手はできれば須藤がいい。

 

 そのためにも、特定されるような言及は避けつつ、平田が懸念しているであろう要素を潰していこう。

 

「僕にも人並みの興味はあるよ。それに、浅村君に関しては気にしていない人の方が少ないんじゃないかな」

「‥‥‥それ、心当たりがある。軽井沢さんがさっき言ってたみたいに、先生達を相手にどうのこうのって話でしょ。みんな、俺のことをおもちゃと勘違いしてない?」

「人気者だからね、浅村君」

「そっか。俺の高校デビューは大成功ってわけだ」

 

 軽くため息をついて見せると、苦笑が返ってくる。

 

「平田みたいに特定の相手との関係を公言できれば、そういうのも減るんだろうけど」

 

 俺の言葉を皮肉と受け取ったのか、少し困ったような表情を浮かべる平田。

 

「あ、嫌味じゃないよ。平田と軽井沢さんのことは応援してるし、目標にしてるところもあるから」

「‥‥‥それは、買い被りすぎだよ」

「俺はそうは思わない」

 

 ちょっとゴリ押しがすぎたかもしれない。

 平田の表情がさらに困った感じになっている。

 

「目標っていうと仰々しかもしれないけど、要は羨ましいんだ。俺はまだ、そういう関係に至ってないからね」

 

 平田が悲しそうな顔をし始めた。

 何だか勘違いされてる気がする。

 

「別に暗い話でもないよ。その人と誰かが付き合ってるって話は聞いたことがないから。まだまだこれからさ」

 

 火の玉ストレートの如く、無罪である事実を叩きつける。

 軽井沢と平田が付き合ってる事実もデートした時の話も、俺は嫌というほど聞かされているのだ。平田の目の前で、軽井沢から何度も何度も。

 よって俺の好きな人は、軽井沢ではない。

 完璧に、俺の無実を証明できた。

 

 

 

 ‥‥‥ただ、話し方が悪かったかもしれない。

 平田がめちゃくちゃ居心地悪そうにしているから、きっとそうだ。

 でもこれは、仕方がないこと。

 ぼかしながらとはいえ、堀北と出会えた喜びを誰かに表明するのは初めてなのだから。

 無罪欲しさとのダブルパンチで余計なことを口走ってしまったとしても、それは仕方のないこと。

 

 ただ、次からは自重しよう。

 平田が表情に出すほどだし、凄まじくアレなのだろう。

 

 ‥‥‥なんか恥ずかしくなってきた。

 

「答えとしては、これで十分?」

「‥‥‥うん。急な質問だったから、答えてもらえるとは思わなかった」

「さっきも言ったけど、他の人には秘密で。ちなみに相手は、先生とかじゃないからね」

「先生相手に恋愛感情抱いてないって部分も、秘密にしておいた方がいい?」

「そっちはどんどん広めてほしい」

 

 たとえ平田が言ったところで俺の扱いは変わらないだろうけど。

 

 保健の授業で弄られまくって、それを休み時間でさらに弄られる。それが月曜日のルーティン。

 その負の連鎖を断ち切るには、元凶である星乃宮をどうにかするしかない。

 つまり、俺の独力による解決は不可能ということだ。クソだ。

 

 ともあれ、容疑は晴れただろう。

 念のために確認はするけど。

 

「風評改善はお願いするとして、本題は?軽井沢さんについて、って言ってたけど」

 

 有罪路線だったなら、恋愛関連の話が続行。

 無罪路線であれば、適当な話題に切り替わるはずだ。

 平田なら、俺が無罪だったパターンも想定して用意をしているだろう。

 

「さっき、女子からの試験ポイント使用の要望があったことは話したよね。察してたと思うけど、あれは軽井沢さんから出た話なんだ」

 

 無罪を勝ち取った俺は、脳内で『勝訴』と書かれた紙を空に掲げる。

 

 ただ、しばらくは経過を観察されているという可能性も考慮すべきだ。

 軽井沢の話題は深入りしない方がいいだろう。

 

「俺からどうこう言うつもりはないよ。彼氏の手腕に期待かな」

「それは責任重大だね」

 

 平田が見慣れた笑みを返してくる。

 

「話を振られたから口出ししただけで、元々は平田に判断してもらうって話だったんだ。だから俺のいないところで軽井沢さんの要望を優先しても、文句は言わない」

「ありがとう。そうならないように頑張るよ」

「他のみんなにしても、同じように考えると思う。もし平田に文句を言うやついたら、俺が代わりに怒られておくよ」

「‥‥‥優しいんだね」

「平田には劣る。俺のはどっちかというと、負い目だから」

「負い目?」

「2人には、朝晩のスポット占有に毎回付き合ってもらってる。平田にはクラスのことを丸投げのおまけ付き。俺が好き勝手やるために、2人の楽しい時間を奪ってるんだ」

「浅村君だって、クラスの利益を考えてのことだよね。負担の大きさで言えば、1番じゃないかな」

「なら、その俺が言う。2人が多少勝手をやったところで、文句は言わせない」

 

 なんなら、うまく隠してみせる。

 と出かけた最後の言葉を飲み込み、強引に話を切り上げた。

 この話題を続けたところで、お互いに得るものなんてない。

 

 それよりも問題は、この件を堀北へ共有するか否か。

 

 成り行きで省く形になってしまったけど、堀北も交えた場で話したかったというのが本音だ。

 ただ、平田からすれば軽井沢の立場を優先するのは当然のこと。

 

 ‥‥‥微妙なところだけど、今回は平田に任せよう。

 合意した通りでもあるし、チクるってのは気持ちのいいものじゃない。

 

 

***

 

 

 ベースキャンプ周辺のスポット占有は後回しになった。

 軽井沢をフォローした方がいいと平田へ言い張って、そちらを優先させたからだ。

 

 実施回数は1日2回なので、多少遅らせたところで問題はない。

 

 無罪は1日にしてならず。

 自分に有利な状況証拠を積み重ねてこそ、信用が形成されるのだ。

 

 それに、後回しにしたところで手が空くわけでもない。

 やるべき事は他にもあるのだから。

 

 

 水を汲んで煮沸して、空のペットボトルに詰めて。

 

 足らないものを聞いて回って、不要と思えるものや調達が難しいものは色々話して諦めてもらって。

 

 頑張れば手作りできそうなものは、その準備をして。

 

 暇だから楽しませろと言われて、適当な手品を披露して。

 

 

 そんなことをしてたのでそこそこ忙しかったけど、ようやく落ち着いた。

 

 

 あとはひたすら、いくらあっても足りないだろう紐の作成。

 

 それと、ずっと注がれていた視線への対処だ。

 

 

 

 

 まず重要なこととして、これは監視者のものではない。

 特別棟や堀北兄の時に感じた無機質さが全くないし、何よりあからさますぎだ。

 

 ‥‥‥というか、視線の主まで特定できている。

 だからこそ放置していたんだけど。

 

 ただ、視線を感じ始めてから結構な時間が経っているし、流石に声をかけるべきかもしれない。

 そう考えて振り返り、こちらを見ていた人影を視界に収める。

 途端にその人物、佐倉が慌てて目線を逸らした。

 

 これは、俺から働き掛けないと埒が明かない。

 そう判断して腰を上げた。

 

 

 

「佐倉さん、何か手伝おうか?」

 

 近寄って話かけると、佐倉も観念したようにこちらへ向き直った。

 

「‥‥‥その、ごめんなさい。忙しい、ですよね?」

 

 俺が手に持っている紐とハサミを見つめながら、呟くような声で言い放つ佐倉。

 他のクラスメイトの相手をしていた時ならともかく、こんな無機物相手にまで気を使うことはないと思う。

 

「いや全然。急ぎってわけじゃないから」

「‥‥‥その、ちゃんとお礼を言いたくて」

 

 お礼。

 感謝の意を示すこと。

 

 佐倉から感謝される心当たりは2つある。

 

「この前は本当にありがとうございました」

 

 ペコリと頭を下げてくる佐倉。

 

「路地裏で、綾小路と一緒だった時の話かな?」

 

 恐らくは電化製品店にいたストーカーと付き添いなしで接触し、襲われた事件のことだろう。

 

 ちなみに俺は、あの一件以来コーヒーを飲まなくなった。

 苦い記憶を想起させるものを遠ざけるのが、精神の安定を保つコツだ。

 

 佐倉はこちらの問いかけに頷き、少し間を置いてから再び口を開いた。

 

「本当は、助けてもらった時に言うことだったんですけど」

「いいんだよ、そんなの。佐倉さん自身が一番大変だったんだから。そもそものきっかけだって、俺がカメラを壊したことだし」

 

 茶柱先生から受け取った不審者情報が影響を及ぼした可能性すらある。

 

 だから俺は責任を取っただけで、感謝される資格はない。

 綾小路からの連絡がなかったら、関与すらできなかっただろう。

 

 というわけで、あの事件はむしろ詰められるべきものなんだけど。

 目の前の佐倉にはそんな気がないのか、首を振って応えてきた。

 

「いえ、落としたのは私なので‥‥‥」

 

 この問答で前回はループにハマりかけた。

 俺は同じ轍を踏まない。

 

「まぁまぁ。そういえば、カメラはもう使えるようになった?」

「はい。この前受け取って、ちゃんと撮れるようになっていました」

「よかった。あの後どうなったか、聞くに聞けなかったから」

「‥‥‥すみません。それも、もっと早く話した方がよかったですよね」

 

 気を緩めて口を開いたせいで、佐倉が謝る展開に。

 そのフォローをしようとしたら、突如肩を組んでくる人物が現れた。

 

「よーぅ、2人とも。なんの話してんだ?」

 

 山内だった。

 佐倉へ全力全開のヤマウチックスマイルを向けてから、こちらには種類の違う笑顔を向けてきた。

 見覚えのある、マイナスオーラメガマックスのやつを。

 

「あの‥‥‥その‥‥‥」

「おっと」

 

 手に持っていたハサミを地面へリリース。

 自由落下した刃先は、山内のつま先から10cm辺りの地面に突き刺さった。

 

「‥‥‥あっぶねぇ!」

「ほんと。刺さらなくて良かった」

 

 山内が下を向いて飛び跳ねた瞬間、身を固めている佐倉へ『ここは俺にまかせて、早く逃げろ』とアイコンタクトを送る。

 99.9999%通じていないだろうけど、それでも速攻で離れていく佐倉。

 これがゾンビ映画だったら、俺の生存は絶望的だった。

 

「次からは普通に声かけてよ」

「いやお前──あれ、佐倉?」

「行っちゃったね」

「‥‥‥ま、いいか。で、なんの話してたんだよ?」

「この前佐倉さんに迷惑かけちゃったから、その後いかがでしょうかって」

 

 返事を聞いた山内は、訝しげな表情でこちらを見てから歩き出した。

 肩を組んだままの俺は、当然ながら引きずられていく。

 少し前に似たような状況を経験した気がするけど、間違いなく気のせいだ。

 

 何となく流れに身を任せていたら、辿り着いたのはベースキャンプ近くの川。

 

「寛治!寛治!」

「んぁ?」

 

 山内が近くにいた池を呼び寄せる。

 

「今からいくつか浅村に質問するから、嘘ついてると思ったら教えてくれ」

「‥‥‥おっけー!」

 

 意味ありげな表情の山内に、少し間を置いてから得心が行った様子の池。

 何が始まるんです。

 

「ちなみにさ、嘘ついてたらどうすんだよ?」

「浅村流仲良しメソッドの出番」

 

 山内が何やら根に持っている様子だけど、全く身に覚えがない。

 確実に何かの思い違いだろう。

 田中将大投手(ver2013)が負け投手にならない確率と同じ程度には確実だ。なお、日本シリーズは除くものとする。

 

 

「‥‥‥念のために言っておくと、ここは飲み水ゾーンだから」

 

 クラスメイト全員のために忠告すると、山内は素直に歩き始めた。俺の肩に回した手を離してくれる様子はない。

 

「余計なことしなくても質問なら答えるけど」

「ああ。俺もお前もびしょ濡れにならないで済むって信じてるからな、浅村」

 

 言葉のキャッチボールが成立しないまま、飛び込みOKゾーンへ到着。

 めちゃくちゃ悪い顔をしている山内は、5本すべての指を開いて見せながら口を開いた。

 

「んじゃ質問な。さっき、どっちから話しかけた?」

「俺からだね」

 

 池が頷いたのを見届けてから、親指を畳む山内。

 

「次。1学期、佐倉と出かけてたよな。あれはなんでだ?」

「佐倉さんに迷惑かけたから、補填のため。2人には1回話した記憶があるんだけど」

 

 池が頷いたのを見届けてから、人差し指を畳む山内。

 

「春樹、俺も質問する。その時さ、桔梗ちゃんも誘ったよな。なんで桔梗ちゃんだったんだ?」

「佐倉さんのことはよく知らないし、2人きりだと場が保たないと思ったんだ。櫛田さんなら、うまく取り持ってくれるって考えた次第で」

 

 当時説明した内容を再び述べる。

 

 山内が中指を見つめながら思案していると、池がその指に手を添えて力強く頷いた。

 結果、折り畳まれる3本目の指。

 

 やれやれ、と首を振りながら山内が口を開く。

 

「ここから先はよく考えて答えろよ、浅村。あと2つだからな」

「ひとつも嘘なんてついてないんだけど」

「相手の気持ちに寄り添えって言ってんだよ。な、春樹?」

 

 となるともう、答えは沈黙。

 それしかないのでは。

 

「とりあえず次の質問。追加の面子を探す時、綾小路に声をかけたな。その理由は?」

「なんとなく目に留まったから」

 

 薬指が即座に折り畳まれた。早過ぎる。

 以前も詰められた案件なのにこの仕打ち。

 再逮捕再勾留禁止の原則を知らないのだろうか。

 

「‥‥‥ちなみに山内。5本目の小指までコンプリートしたら何かいい事があるのかな?」

「親睦が深まる。そんなことにはならないって信じてるけどな?」

 

 ひどいことを口にしながら、山内は川の流れギリギリまで足を進める。

 

「恐れ多いから辞退してもいい?」

「安心しろよ。質問はこれで終わりだし、浅村次第でどうとでもなるヤツだから。──もしもまた桔梗ちゃんや佐倉と出かける事になったら、次は誰を誘う?」

「‥‥‥タイミングや出かける内容による」

 

 俺の返事を聞いた山内は、嘆息しながら小指をゆっくり折っていき。

 

「待って。2人の言いたいことはわかるよ。すごくわかる。ただ、アテにするべき相手は俺じゃない。櫛田さんや佐倉さんと出かけることに関しては、他に有識者がいるはずだ」

 

 曲がり切る前に発した俺の言葉で、静止した。

 

「命乞いか?」

「ほら、聞くだけでもさ。そもそも俺があの2人と出かけたのは、例の1回だけ。次の機会があるのかはかなり疑わしい」

「その気になればどうとでもなるだろ?」

「自分で言うのもなんだけど、勉強会の準備とかもあってそれなりに忙しいんだ」

「まぁ、そうだな」

 

 俺の発言に同意する池。

 それを見て小指を再び立てた山内は、無言で続きを促してきた。

 

「俺と佐倉さんは滅多に話さない。これについては、池や山内と同じ状況だよね?」

「桔梗ちゃんは?」

 

 間髪入れずに問いかけてきた池へ、顔だけ向けて返事をする。

 

「そもそも俺は『櫛田さん』で、あっちは『浅村君』。お互い苗字で呼び合ってる段階だよ。名前で呼び合うようになった池や山内の方が、よっぽど勝算があると思うけど」

「‥‥‥まぁ、そういうもん、か?」

「それはそれとして、浅村も協力してくれるって信じてるぞ」

 

 山内が手強い。

 

「その協力として、他の奴を頼るべきだって助言してるんだ」

 

 何だか変な目で見られた。

 きっと納得してくれたんだろう。

 

「俺が関与するのなんて、後からでもできるんだからさ。佐倉さんとたくさん話してたり、櫛田さんと2人きりで出かけたことのある奴がいたら、まずはそいつを頼った方がいい」

 

 目前の2人は、俺の発言を聞いて顔を見合わせる。

 こちらへ向き直った時には、明らかに悪いことを考えている表情になっていた。

 

 2人とも、この条件に当てはまる男子を思い浮かべているのだろう。ああ、恐ろしい。

 

「‥‥‥なぁ。綾小路って、佐倉とよく話してるよな」

「中間試験の時とか、桔梗ちゃんと2人でランチしてたよな」

「そういえば、そんなこともあったね。俺は櫛田さんと2人きりってのはないからなぁ。もしそんな状況になったら、何を話せばいいのやら」

 

 2人が何を考えているかはわからない。俺にはカケラもわからない。

 でも、そこまでひどいことにはならないだろう。

 

 もしかしたら綾小路に多少の負担がかかるかもしれないけど、押し付けているというわけではない。

 女子と2人で出かけるような話術を持っている男子なら、こういったダル絡みを躱すテクニックは間違いなく心得ている。

 それを披露してもらいたいだけなのだ。

 だから全くもって問題ない。

 いわゆるコラテラルダメージというやつだろう。

 

「2人きりでの会話に自信がないってのは、佐倉さんについても一緒なんだよね。初日の探索で別れる時に、佐倉さんと綾小路組、俺と高円寺組に分かれた理由の1つがそれだし」

「‥‥‥寛治?」

「そういや、佐倉と綾小路は先に戻ってきてたな」

 

 池の返事を聞いて、さらに変貌する山内の表情。ああ、恐ろしい。

 

「話題の選び方とかを聞き出せば参考にできるんじゃない?俺は2人っきりの状況なんて全然ないから想像もつかないけど」

「‥‥‥あいつ、今どこにいる?」

「さっき、あっちにいたわ」

 

 

 

 

 無事、俺は解放された。

 

 

 頑張れ綾小路‥‥‥おまえがナンバー1だ。

 

 図らずも矛先が向いてしまったタンク役へ精一杯のエールを送りながら、俺は2人を見送った。

 

 ああいった役回りに対して、綾小路は最高の適性を有している。

 だから全くもって問題ない。

 

 

 

 

 

 余裕があったら山内にもう少し付き合ってあのままダイブしても良かった。

 ただ、Aクラスがスポットの占有に乗り出すと思しきタイミングが迫ってきてる。

 

 びしょ濡れでの見張りは、気付かれるリスクがなんか大きい気がしなくもない。

 

 そんなわけで。

 

 

 

 本当に、ありがとう。

 

 心中で綾小路へそう告げながら、ベースキャンプを離れた。

 

 



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34.

 

 

 葛城達が拠点としている洞窟から、それほど離れていない場所での張り込み。

 網を張っているのは、少し前まで『Aクラス占有』と表示されていたスポットだ。

 ちょっとした見回りなら何度か行なっているけど、更新タイミングを狙った本格的な偵察はこれが2回目。

 

 今までの探りでスポットの占有時間を確認してきた結果、葛城達が複数箇所の占有を1日3回行っていることはほぼ確定している。

 前回偵察した時も、占有が解除されてから間を置かずに現れた。

 

 だから今回も、葛城はすぐに姿を見せる。

 その確信があったからこそ、信頼している綾小路に諸々を託し、断腸の思いでここへ来たのだ。

 何の成果もあげられませんでした、なんて泣き言は許されない。

 あの献身を無駄にするわけにはいかないのだから。

 

 

 

 さて、試験は折り返し目前で、Aクラスのリーダー候補は4人。

 

 のんびりしてはいられないものの、ある程度の見通しは立っている。

 葛城が積極的に占有ポイントを獲りにきていることで、今みたいな張り込みがしやすいのは大きい。

 Bクラスのように引きこもられていたら、リスクを負って強引に行くか、でなければ時間をかけて回りくどいやり方をするしかなかった。

 時間を割くことが難しい状況では、葛城の積極的な動きは悪いことばかりではない。

 

 とはいえ、大量のポイントを稼がれつつあるというのは結構なプレッシャーでもある。

 唯一1000以上のクラスポイントを保有しているのに、それで満足することなく動いてきた。

 突き放しにきてる、と見るべきだろう。

 ここでさらに差をつければ、他クラスの心を折れる、と。

 それは、俺が最も危惧してる展開だ。

 

 

 ‥‥‥暗い話ばかりだと俺の気が滅入る。

 なので、次は明るい話を。

 把握している限りでは、島の各スポットをAとDで同程度ずつ保有している。

 Bはベースキャンプのスポットのみで、Cはノータッチ。

 

 つまりDクラスはこの試験において、現状では2トップの片割れということになる。

 ほら、明るい話だろう?

 

 

 

 ちなみに1日の占有回数。

 俺達は2回で、Aクラスは推定3回。

 明るい話と言ったな、あれは嘘だ。

 

 ただ、リーダー指名に成功すればスポット占有で稼がれたアドバンテージは叩き潰せる。

 だからこそ、候補の絞り込みが肝要なのだ。

 最低でも3択、できれば2択までは絞り込んでから堀北へ共有したい。

 

 

 情報が揃わなかった場合、メタ読みで当てに行くという方法も一応はある。

 流石に運任せすぎるし、他人に提示できる根拠もないからやるつもりはないけど。

 

 

 

 というわけで、綾小路へ諸々を託したのは仕方がないことだった。

 これはもう仕方がないと、本人も同意してくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 そんなことを考えていたら1時間が経過。

 誰一人として、スポットに現れることはなかった。

 

 

 つまり俺は、誰もこのスポットを訪れることがなかった、という確かな調査結果を得たのだ。

 これで、胸を張ってベースキャンプへ戻れる。

 

 

 

 

 

 いや、欺瞞は良くない。

 今回は流石に、結果を出せたとは言えない。

 心の中だけでもキチンと謝って、人としての有り様を示すべきだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ごめん、堀北。

 

 

***

 

 

 当初の目的を果たすことができないままの帰還。

 沖合に浮かぶ船の観察で成果は上げたから、たぶん許されるはずだ。

 

 そんなことよりも。

 長時間の単独行動により、そろそろエネルギー補給が必要だと俺の視床下部が訴えている。

 

 供給源の女神は──いた。木陰に座り込んでいる。勝利確定。

 

 

 

 

 何か気になることでもあるのか、膝の上に乗せたマニュアルへ目を向けている勝利の女神、堀北。

 

 いつものことながら、俺の視線を引き付けてやまない美貌だ。

 ページの端をつまんでいる指先まで、どこをどう切り取っても美しい。

 

 

 ただ、違和感がある。

 

 堀北は普段から読書していることもあって、文章を読むスピードはそれなり以上に早い。

 なのに今は、ページをめくる綺麗なおててが止まったまま。

 それどころか視線すら動いていない。

 

 何か考え事でもしているのだろうか。

 それとも疲れが溜まっているのだろうか。

 どんな事象であれ、堀北にマイナスをもたらす要因は取り除かれる必要がある。

 

 ひとまず目の保養タイムは終了。目と耳の保養タイムといこう。

 

 

 

 

 

「何か気になることでも?」

 

 近寄りながら声を掛けると、反応した堀北がこちらを見上げてきた。可愛い。

 

「試験のルールを見直していただけよ。浅村君は‥‥‥散歩から戻ったところかしら?」

「正解。見たいものがあってさ」

「その様子だと空振りだったみたいね」

 

 またもや正解。

 色々と理解が早い堀北との会話は、テンポが良くて実に心地いい。耳と頭と内臓と骨にとてもよく効く。

 

「残念ながら。まぁ、次回に期待かな」

 

 ここで『今度は一緒に』とでも言って誘うことができれば、などとついつい考えてしまう。

 堀北の体調が万全でない以上、詮無きことだというのに。

 

 ‥‥‥そもそも、次回の偵察が空振りに終わる可能性もある。

 Aクラスに関しては、アプローチを変えていく必要があるかもしれない。

 

「そう‥‥‥ところで、時間は取れるかしら?話しておきたいことがあるのだけれど」

「それなら、俺からも。ただ、今すぐには難しそうだね」

 

 そう言って背後へ振り返ると、こちらへ歩いてくる平田と視線がぶつかる。

 近くまで寄ってきた平田は、申し訳なさそうな笑顔で口を開いた。

 

「取り込み中にごめん。そろそろスポット占拠へ向かおうと思っているんだ。2人とも、どうかな?」

 

 堀北の意向次第なので、視線を向けて返事を促す。

 

「‥‥‥ええ、構わないわ」

「俺も問題ないよ」

「よかった。他の人達の準備もあるから、5分後に出発で」

 

 堀北と俺の了承を確認して、早足で戻っていく平田。

 

「確かに、そろそろ時間だったわね」

 

 そう口にしながら、堀北が立ち上がる。

 

「体調はどう?」

「相変わらずよ」

 

 その答えとは裏腹に、挙動の節々から疲労や不調が滲み出ていた。

 なんともないように振る舞っているけど、この島へ来る前よりも体調が悪化しているのは確実。

 おそらくは軽井沢以外にも悟られているだろう、と感じるほどに。

 

 ‥‥‥不慣れな環境のせいもあるだろうけど、主な原因は間違いなく偽リーダーを演じていること。

 スポット占拠の度に結構な距離を歩き回り、それに加えて昨日の他クラスへの顔出し。

 負担にならないはずがない。

 

 とはいえ堀北が言い出さないことを俺が無闇に引っ張り出す、というのも気が引けた。

 

 だから、もうしばらくは様子見。

 このまま乗り切ってくれるのなら、それが一番いい。

 

「そういえば、Cクラスのベースキャンプでは何か見つかったのかしら?」

「レジャー用品とか娯楽品周りが少し。水や食料はなかった」

「そう。みんなが喜ぶなら何よりね」

 

 堀北から話を振ってきたけど、明らかに興味なさげな様子。

 物資漁りへ出発する前、めぼしい消耗品は無くなってるかもしれないと伝えた時と同じ態度だ。

 軽井沢がベッドチェアーやパラソルに食い付いてきたのとは対照的で、堀北はそういったものに興味が無いらしい。

 

 だからこれは体調不良を隠すための、露骨な話題転換なのだろう。心配ではあるけど、とても可愛らしいのでノープロブレム。

 そもそも、こちらから切り出そうとしていた話でもあるのだ。

 

「収穫って言えるかは微妙だけど、Cクラスについては気になってることがあってさ。後で、すり合わせておきたい」

「‥‥‥ええ、構わないわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、日課となりつつある一帯のスポット占有を終えてから少し後。

 俺と堀北はベースキャンプから少し離れた場所で、内緒話を始めた。

 

 2人っきりでの密談。どんな病でも治ってしまうような、五臓六腑に染み渡るシチュエーションだ。

 

「まずは、あなたの話から聞かせてもらえるかしら?」

「なら、Cクラスについて。結論から言うとあの龍園、この試験を捨ててないかもしれない」

「‥‥‥何か目的でもあると?」

「うん。そう思ったきっかけが、これ」

 

 堀北へ、物品一覧のメモを手渡す。

 軽井沢たちへ渡したものとは別の、Aクラスのトイレやシャワーについても記載してある方を。

 

「‥‥‥Aクラス」

 

 メモを読んでいた堀北が、わずかに目を細めてつぶやく。

 

「Cクラスの発注した物資が、それで全てとは限らない。たぶん、あの洞窟の中にもっと隠してると思う」

「まさか、Aクラスのベースキャンプの中まで見たというの?」

「いや、流石に。根拠はCクラスのリタイアした人数。沖合の船上に、23までは確認した」

 

 プールを独占したりと、好き放題していた連中だ。

 他クラスが全然いないからと船の甲板ではしゃぎ回っていたおかげで、短時間で結構な人数を把握できた。

 

 ‥‥‥そんな中、びしょ濡れ半裸で歩きまわっていた高円寺。

 流石というかなんというか。

 

 なんであれ、Cクラスの過半数はリタイアが確定した。

 

 

「あの距離を目視‥‥‥いえ、いいわ。そうなると、点呼1回につきマイナス115。最初に配布された300ポイントは、試験終了時までに0となるわね」

「うん。だからその前に物資へ変えて、Aクラスに渡せるだけ渡したんじゃないかな」

「そもそもとして、他のクラスに物資を渡す理由がわからないわ。ましてや相手はAクラス。トップを目指す上で最大の障害よ。見合う対価なんてあるのかしら?」

「それは俺も気になってた」

 

 何かしらの答えを期待されていたのかもしれないけど、生憎それは持ち合わせていない。

 Cクラスの勝利を望むのなら他にやりようがある、と感じてしまっているのだから。

 あるとしたら、龍園の望みがクラスの栄達ではなく、個人のそれである場合くらいだ。

 

「Cクラスについては、他にも気になることがある。龍園本人のリタイアが確定してれば、いくらかは安心できたんだけど」

「‥‥‥その言い方、23人に彼は含まれていないのね」

 

 堀北の言葉に頷く。

 気にかけていた取り巻き達、アルベルトや石崎あたりは船への滞在を確認できたけど、肝心の龍園が見当たらなかったのだ。

 それが、かなり引っかかっている。

 

「他にも、と言ったけれど、たとえば?」

「1つは、リタイアのタイミング。Aクラスに物資を売りつけるなら、最初の300ポイント分を全部渡してさっさとリタイアした方が、対価をつりあげやすい。なのに、そうしなかった」

「あえて見せつけていたと?」

「そんな気がする。もしその通りなら、裏で何か悪巧みをしてるわけだ。参考に聞きたいんだけど、Cクラスのキャンプへ行った時とかに変わった様子はなかった?」

「‥‥‥俺たちはただ、バカンスを楽しんでいる。龍園君の言葉よ。少なくとも、私からはそう見えていたわ」

 

 堀北を信じないわけではないけど、そのパターンは構想外。

 

 相手の出方が読めない時は、悲観的思考に基づいて深手を避ける。それが長生きの秘訣。

 読みが外れても、無駄骨だけで済む。

 

「いかにもってセリフだ、とりあえずは、Cクラスには引き続き注意を払うべき。それが、俺の伝えたかったことだよ」

「その対象には、伊吹さんも含まれるのかしら?」

 

 わずかな沈黙。

 

 庇護の対象であるのと同時に、疑いの対象でもある伊吹。

 この島では残り少ないCクラス生徒なのだから、その比重はむしろ上がる。

 だから、当然含まれているんだけど。

 

 即答できなかった理由は、堀北の意図がわからなかったから。

 クラスメイトから排斥されたという境遇に、同情でもしているのだろうか。

 

「‥‥‥その認識だけど、何か気になる?」

「彼女をどう位置付けるか、それを決めかねているわ」

 

 Cクラスのスパイと仮定して動く。

 迷わず、そう判断すると思っていた。

 

「隣人として扱いつつ、競争相手として扱えばいいんじゃないかな」

「つまり?」

「引き続き、注意を払っていこう」

「‥‥‥それしかない、でしょうね」

 

 堀北はなにやら気にしているようだけど、現状ではこれ以上言いようがない。

 

「俺が話したかったことは終わり。堀北さんの方は?」

「それを話す前に、1つ。Aクラスのリーダー絞り込みは進んでいるかしら?」

「4択までは」

 

 進捗がイマイチなので、あまり言及したくなかったことが話題に昇る。

 尋ねられてしまった以上、答える以外に選択肢はなかった。

 

 もっと絞り込めていれば驚いた顔が拝めたかも、とか少しだけ皮算用してたんだけど。

 いつもクールな堀北だからこそ、最高に可愛いに決まってる。

 いや、いついかなる時でも、堀北は最高に可愛いんだけどさ。

 それはそれとして、いろんな表情を見たいと考えてしまうのが男ってものだろう。

 

 しかしこうなると、今日の空振りをさらに悔やんでしまう。

 下手を踏んだつもりはないけど、俺の偵察がバレてしまったのかもしれない、という懸念も少しだけあった。

 

「‥‥‥実はそれについて、情報が」

 

 堀北が粛々とつぶやく。

 

 意外に感じると同時に、『やはりきたか』と言う妙な納得感も抱いた。

 

 目の前の少女こそ、主人公である可能性が最も高い人物。

 最上級のキーパーソンなのだから。

 

 ただ、この胸の違和感はなんだろう。

 

「Aクラスのリーダーは、戸塚君である可能性が高いわ」

「流石。ちなみに、どうやって?」

 

 こちらの問いに堀北は即答しない。

 

 逡巡するように、少しだけ目を伏せていた。

 

 

 心臓の上あたりにつかえていたものが、少しずつ形を鮮明にしていく。

 

 

「‥‥‥ごめんなさい。言えないわ」

 

 負い目を感じているのか、それとも臆しているのかはわからない。

 

 ただ、その振る舞いがこちらの心を酷く揺らして。

 

 次の瞬間、俺は自分がどこに立っているのかわからなくなってしまった。

 



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35.

 

 一瞬だけ感じた寒気。

 

 体の不調がもたらすそれとは違う、周囲の空気まで凍りついたような感覚。

 

 ただ、視線を浅村君に戻しても変わった様子はなかった。

 

 だからきっと、今のはノイズ。

 

 あるいは、私の負い目か思い上がりが生んだ錯覚だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

「──うん、乗った」

 

 口元に手を当てて数秒だけ瞑目した後に、浅村君はそう言った。

 

「‥‥‥随分とあっさりしているのね」

「いや、流石に悩んだよ。で、少しだけ確認」

 


 浅村君からの再追求。

 当然の反応だけれど、私から何か答えることはできない。

 

 情報を提供してもらう時に提示された条件。

 綾小路君の関与を秘匿するという要求は、意図がわからないとしても守る必要があった。

 違えれば、今後の協力が見込めなくなってしまう。

 

 だから、私は。

 

「この情報を掴んだ経緯について俺があれこれ質問するのは、堀北さんにとって都合が悪いこと?」

「‥‥‥ええ。何も聞かないでもらえると、手間が省けるわ」

「了解。とりあえず、Aクラスのリーダーは戸塚を指名する方針で行こう」

「‥‥‥少し、拍子抜けね。あなたは納得しているのかしら?こんな出所もわからない情報、私が浅村君の立場なら採用しないわよ」

「確かに俺には、その情報の確度も出所もわからない。でも堀北さんは知ってる。それで十分だ」

 

 浅村君の言葉を聞いて、一瞬だけ得意げになりかけた。

 そんな自分が、ひどく浅ましいように感じる。

 

 この試験自体を事前に察知して、さらにはAやCの動向を掴んだ浅村君。

 いつのまにかAクラスとCクラスのリーダーに見当をつけていた綾小路君。

 

 私はただ、2人の成果に寄りかかっているだけなのに。

 

「それに俺の見立てとも齟齬はない。こっちの4択にも、戸塚は入っていたから」

 

 浅村君がどうやってそこまで絞り込んだのかは気になる。

 けれど、それを確かめるのは、きっとフェアじゃない。

 

 綾小路君のAクラスリーダー推定は、試験初日に葛城君と戸塚君を見つけたことに端を発している。

 それすらも開示できないなら、せめて。

 

「だから、Aは決まり。残るはBとCなんだけど」

「目処はついているのかしら?」

「Bはまっさら。Cは船に乗っている人達を除外できるから、かなり絞り込める。当て推量だけど、龍園じゃないかな」

 

 綾小路君も、Cクラスのリーダーは龍園君だと言っていた。

 Aクラスの場合と違って、『あいつの考えは読みやすい』なんてデタラメな説明だったから、アテにしていなかったのだけれど。

 

「伊吹さんや金田君がリーダーを押し付けられている可能性は?」

「それを否定できる材料はない。龍園だと思ったのも、これといった根拠があるわけじゃないから」

 

 浅村君と綾小路君の意見が一致したのなら、きっとその通りなのだろうと思う。

 だから龍園君がリーダーであるという見解に異存はない。

 

 ただ、2人には見えているものが私には見えていないという事実がもたらす不快感は、思っていたよりもはるかに大きかった。

 

「‥‥‥彼がリーダーなら、正当な理由のないリタイアは不可能。試験終了まで、この島のどこかに留まっているはずよ」

「そうだね。この島はけっこう広いし、1人で隠れるなら場所には事欠かない。なんなら、快適に過ごせそうな洞窟もある。そこの先客と仲良くやれるのかはかなり疑問だけど」

「Aクラスが匿っているとでも?取引の痕跡があったとはいえ、そこまで緊密な関係を築けているのかしら?」

「あり得なくはない、程度の認識だね。まぁ、今どこにいるのかはそこまで重要じゃないんだ」

「‥‥‥龍園君を指名するのなら、所在は特定すべきよ。島から見える範囲に出てこないだけで、彼もリタイア済みかもしれないでしょう?」

 

 苛立ちをかき消すように次から次へと投げた質問にも、浅村君は淀みなく答えてくれる。

 

「その通り。だから確かめるつもりだよ、最終日に」

「具体的にはどうするつもり?」

「まずはAの──」

 

 

 

 そうして話しているうちに不快感は消え去って、残ったのは妙な懐かしさ。

 

 なんとなく、まだ幼かった頃を思い出してしまった。

 

 

***

 

 

 頭がマッシロシロスケだった割には悪くない対応だった。

 さっきの堀北とのやりとりを総括するなら、これだ。

 

 

 あの瞬間で最も避けるべき事態は、堀北からの信用を損ねてしまうこと。

 Aクラスのリーダーに関して堀北と違う判断を下して、その上で俺が誤っていた場合、取り戻すのに多大な労力を要するだろう。

 

 ならいっそ、物分かりの良さを見せつけるために同調しておいた方がリスクを減らせる。

 そんな計算だ。

 

 ただ、迎合したつもりはカケラもない。

 情報をもたらしたのが堀北である時点で、その精度はかなりのものだろうとも踏んでいた。

 

 仮にこれが堀北以外の、まだ活躍していない誰かだったりしたら、期待値はかなり低いものとして扱っていただろう。

 場合によってはその精度を、39分の1とみなしていたかも知れない。

 

 だけど、堀北は主人公と思しきキーパーソン。判断力も折り紙つき。

 そんな重要人物が掴んだ情報なら、真か、偽か。

 俺からすれば、最低でも五分五分の勝負。

 その上こちらの推察とも一致していたのだから、堀北から俺に対しての信用云々が無くとも乗っていたのは間違いない。

 

 だから、Aクラスのリーダーとして戸塚を指名することに異存はなかった。

 

 

 

 

 問題は堀北がそれをどうやって突き止めたか。

 

 Dクラスのみんなには、堀北をリーダーとして周知。

 体調不良という裏事情と相まって、堀北が外部と接触する機会はほとんど無かった。

 

 例外は昨日綾小路と出かけていた時くらいだ。

 共有してくれるまでのタイムラグも考慮すると、そこで戸塚がリーダーだと知った可能性はかなり高い。

 

 そして、堀北が口にした『出所』という単語。

 あの言い方を俺は、堀北自身の推理や観察ではなく誰かから情報を得た、と言うメッセージとして受け取った。

 

 

 

 その出所が『誰』なのかまではわかってないけど、これまでの堀北とその周囲を鑑みるに、多分男だろう。

 というか俺の直感が、『情報提供者は間違いなく”男”だ』と叫び、その上で『かなり手強い』と警鐘を鳴らしまくっていた。

 

 あそこまでショックを受けたのは、そういった経緯があったからだと思う。食堂での『綾小路同伴事件』や、龍園の『鈴音呼び事件』の時よりもはるかに衝撃的だった。

 

 で、ここで重要なのは、情報提供者の正体と狙い。

 特に前者は、少しでも輪郭を掴んでおきたかった。

 

 裏が取れる前にも関わらず、Cクラスリーダー候補として龍園の名前を挙げたのはそのため。

 

 あの俺様系ロン毛がリーダーであるという流れは、メタ読み的には全然有り得る。

 数字で表すと3分の1程度。

 もっと言えば『龍園』『伊吹』『金田』『それ以外の島に残ってるかもしれない14人』の4択があって、龍園の比率が他の3つよりも少しだけ高い。

 

 けど、その理屈で納得するのはおそらく俺だけ。

 

 今回はそれで問題なかった。

 確たる理由を提示せずに龍園がリーダーだと主張すれば、大抵の相手が示す反応は否定、あるいは懐疑。

 堀北は後者だったけど、やけに飲み込みが早かった。

 龍園が島に残留している可能性に思い至っていた、あるいは知っていたのでは、と勘繰ってしまうほどに。

 

 もう少し論じると、堀北の情報源は龍園である、というのが想定の1つにあるのだ。

 明確な根拠はない。

 ただ、諸々のタイミングやこれまでの動きを思い返すと、堀北とやり取りしてる姿が真っ先に頭に浮かぶのはあの俺様系ロン毛。ちょっと違和感もあるけど。

 

 一方で素直に考えると、Aクラスのリーダーを知り得るのは同じAクラスの生徒。

 その場合、堀北は内通者からその情報を入手した、となるだろう。

 葛城と坂柳の関係を考えれば、これもまた有り得る展開。

 ただ、情報流出がその経緯で発生したものならば、俺にまで秘匿する理由がわからない。

 

 ともあれ、Aクラスのリーダーを知り得る人物という時点で、候補はかなり絞られる。

 それなりの実績か説得力を持つような人物の言葉でなければ、堀北は受け入れないだろうから。

 

 そこらへんと1学期の暗躍具合、AクラスとCクラスの取引も勘案した結果。

 

 本命Aクラス生徒。

 対抗龍園。

 あとはBクラスの神崎あたりがまあまあ怪しい、といったところか。

 それ以外はどんぐりの背比べ状態で、顔見せに同行した綾小路が少しだけ飛び出している程度。

 

 

 

 ‥‥‥改めて考えるとこの学校、男子が多すぎる。1学年に10人もいれば十分だろう。

 

 ちなみに、この情報源を警戒している要素は直感だけではない。

 理性溢れる脳内会議でも、これを敵対的生命体と認定する決議が全会一致で採択された。

 

 なぜかって?

 俺が堀北と違うクラスだったとしたら、同じような手管で接近するからだ。

 クラスメイトを裏切るのはともかくとして、他クラスのリーダー情報を餌にするのなら心理的なハードルも低い。

 この動機ならば、情報提供者側による俺への秘匿があったとしても大いに納得がいく。

 

 

 

 ‥‥‥考えれば考えるほど、このシチュエーションに嫌な感覚を抱いてしまう。

 

 油断して胡座をかいている男が隙を突かれて、大事なものを掻っ攫われるという、脳が壊れる類のアレだ。

 

 ただ、この浅村大地にそのような油断はない。

 そう思っていただこう。

 

 そもそも油断できる要素が皆無、という悲しい事情は棚に置いておくとして。

 

 この場合に注意すべきは、堀北を責めてると捉えられるような言動は慎むことだ。

 俺にそんな気がなかったとしても、些細なすれ違いから生まれる悲劇なんて腐るほどある。

 

 逆に、どんなことでも許すような寛容さを示すことができれば、それは離れていく心を繋ぎ止める力となるかもしれない。

 そもそも付き合ってすらいない現状、許すも何もないという悲しい事情は棚に置いておくとして。

 

 とりあえず、こういった展開をもたらしそうなキャラの特徴は。

 

 欠点のない優等生、兄弟や父親などの血縁者、権力者、御曹司、小汚い中年、オラオラ系、チャラ男、変なアプリをインストールしてるやつ、体育教師、外国人、席が隣の生徒、身体のとある部位がやたらデカいやつ──。

 

 ‥‥‥ダメだ、警戒するべき属性が多すぎる。

 しかも来年以降は後輩や年下もここに加わるのだから、いい加減にしてほしい。

 

 つまるところ、男はみんな危険。

 そういうことなんだろう。

 

 

 

 ‥‥‥堀北に話しそこねたBクラスとの連携案、やっぱり投げ捨てた方がいいのかもしれない。

 

 

***

 

 

 3日目、夜。

 慎ましい夕食と夜のスポット周回を終え、就寝時間に入ったのが3時間ほど前。

 しばらくは喋り続けていた池やその周囲も、だいぶ前から寝息を立てている。

 

「‥‥‥桔梗ちゃん、そこまで俺のこと‥‥‥。あ、いや。違うんだ篠原」

 

 悪夢なのかそうでないのか、判断に困る寝言も聞こえてきた。

 他の男子に聞かれていたら格好のイジリネタにされただろうけど、幸か不幸かこのテントで起きているのは俺だけ。

 そろそろ日付が変わるから、それも当然だ。

 昨日までなら、俺も眠っていた時間だし。

 

 にも関わらず起きているのは、いろいろと気になることが出てきたから。

 

 

 

 ‥‥‥いや、いきなり状況が動きすぎだろう。

 そろそろだとは思ってたけど、この流れはよろしくない。

 夜陰に乗じて堀北への接触を図るやつがいても、なんら不思議ではない雰囲気なのだ。到底許容できない。潰す。

 

 真面目な話、Cクラスに動きがあったことや話の展開を考慮すると、これから何かしらのトラブルに見舞われると睨んでいる。対象はDクラスか、あるいは堀北。

 

 メタ的な事情だけど、何事もなく順調に終わりました、では物語が成り立たないのだから。

 

 けど、そんなのは俺の知ったことじゃない。

 トラブルなんて起きずに済むのなら、それが1番いい。だから潰す。

 

 突き詰めれば、今起きているのもそれが理由。

 

 要は寝ずの番だ。

 試験終了までは、残り4夜と少し。

 その程度、この身体なら乗り切れるだろう。乗り切れ。

 

 そんなわけでひたすら警戒。

 就寝時間にテントの外で警戒し続けるのも不自然なので、索敵はテント内からの聞き耳と気配感知頼りになっている。

 

 今のところは静かなもので、時折トイレへ向かう足音が聞こえた程度だ。

 

 ‥‥‥そう、トイレ。

 物音と気配だけで索敵するのはなかなか新鮮なんだけど、ちょっとした問題もある。

 本気で周囲に集中すると、キャンプから少し離れた位置にあるトイレは余裕で索敵範囲内。

 となると、諸々の音も聞こえてしまう。

 そういったプライベート、特に女子のそれへと踏み込むのはいくらなんでもまずい。

 とりあえずは適当なタイミングに耳を塞いで、今のところはやり過ごしていた。

 

 

 

 

 そしてまた1人、女子テント──2つある内の堀北が使っていない方──から誰かが出てくる。

 

 ‥‥‥この足運び、伊吹だ。

 

 足音は真っ直ぐにトイレの方へ向かったので、ドアの開閉音を確認してから耳を塞ぐ。

 

 これで問題解決。

 

 取り敢えず3分くらいだろうか。

 

 ‥‥‥正直、この時間が結構辛い。

 音を遮断してボーッとしている間、堀北が情報を手に入れた経緯について余計なことを考えてしまう。

 得る物など何もないと分かっていても、そちらの方に思考が寄ってしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3分経過して、警戒モードに戻った。

 トイレ周辺に人の気配はなく、周囲から聞こえるのは寝息のみ。

 

 異常なし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして30分後、自分のやらかしを理解した。

 

 

 トイレの方角、そのさらに向こう側から寄ってくる伊吹の足音を感知。

 

 耳を塞いでる間に離脱されてしまったのだろう。

 

 伊吹を警戒しようと堀北へ言ったのに、俺自身がこの始末。

 

 ‥‥‥悔やんでも仕方ない。

 今後、伊吹はクロという前提で動く。

 

 ただ、気配は単独なので襲撃の手引きとかではないだろう。少なくとも今は。

 

 離脱した目的は外部との連絡か、付近のスポット偵察か。

 なんであれ、スパイである可能性はかなり高まった。

 

 対策は、ほどほどの牽制による行動抑制。

 

 万全を期すなら証拠を掴むなりして追い出すべきなんだけど、それをやったところでCクラスにダメージを与えられるわけではない。

 さらに言えば、排除された伊吹が別の手を講じる可能性がある。あるいは、島に残っているかもしれない龍園が。

 

 そしてこれは保険。

 伊吹が散歩に行っていただけの可能性を考慮した、最後の妥協だ。

 

 次に怪しい動きを見せたら、容赦しない。

 

 

 さて、方針は決まった。

 伊吹側から見えない位置、キャンプ中央に腰を下ろして待ちかまえる。

 

 

 

「あんた、なにしてんの?」

 

 聞こえてきたのは、昼間よりも幾分冷めた声。

 こちらに気づいても狼狽えず、躊躇いなく声までかけてきたあたりは流石だ。

 

「夜更かし」

「‥‥‥‥‥‥」

「天体観測って答えなら、納得できる?」

「‥‥‥バカじゃないの?ここでまともに見えるわけないでしょ」

「確かに」

 

 頭上では、木の枝が折り重なっている。

 ここをベースキャンプとした選定理由の1つは、日差しを遮る立地。

 星なんて見えなくて当然だ。

 

「‥‥‥ま、なんでもいいさ。寝付けないのはわかるけど、ほどほどにしときなよ」

 

 そう言って、伊吹はテントへと戻っていった。

 

 特に問い詰めることはしなかったけど、それなりのプレッシャーを与えたはず。

 追求しても適当に言い逃れをされるのがオチだろうし、無闇に追い詰めて爆発されるのも望ましくない。

 

 適度に圧力をかけて、過度な動きを縛る。

 あれが単なる内偵として、こちらのリーダーを探りにきた程度ならそれで十分だ。

 

 もともと、それくらいは想定して準備してきたのだから。

 

 俺がリーダーであることを伝えてあるのは、堀北、平田、軽井沢の3人だけ。

 ここから情報が漏れる、というのはほとんど心配していない。

 そこまで疑ったら1人で全てやることになってしまう。

 

 他からの漏洩については微妙なところだけど、それで辿り着くのは『堀北がリーダー』という偽の情報。

 伊吹や龍園次第でそれがAクラスに伝わる可能性まで考慮すれば、泳がせておくのはベターな選択だ。

 

 理想的な展開は、偽情報でAクラスのポイントを削りつつ、AクラスとCクラスの関係に亀裂を入れること。

 ただ、そこまで成立させるには何かしらの細工が必要だろう。

 

 俺だったら何かしらの証拠が無ければ他クラスの、それも龍園の報告なんて信用しない。

 葛城がどうかはわからないけど、俺と同じ感性なら物証を求めているはずだ。

 

 今のところ思いつくのは、伊吹がカードを持ち去るよう仕向けてから俺がリタイアするパターンだけ。

 

 だけど、その方法は取れない。

 

 最終日にCクラスリーダーの所在を確認するのは俺だ。

 俺じゃないと失敗しかねないし、所在以外にも確認しておきたいことがある。

 

 それに、堀北の傍から離脱してしまうというリスクも軽視できない。

 

 龍園の目的が暴力的なもので、そのためにトロイの木馬として伊吹が派遣されていた場合。

 今でも四六時中そばにいるわけではないけど、俺はそれなりの抑止力として捉えられているはず。

 その俺がリタイアして、龍園達がその瞬間を狙ってきたら最悪だ。

 

 実際そんなことが起こるのか、と言われるとかなり微妙ではある。

 

 島に残っている可能性があるCクラス生徒の中で、武闘派は龍園と伊吹のみ。

 Dクラスにも須藤、平田、三宅、綾小路あたりの腕っ節に期待できる生徒はいる。

 順当に考えれば、夜陰に乗じようとあちらに勝機はない。

 

 それでも警戒してる理由は3つ。

 龍園がCクラスへの損害を考慮してない可能性、信用しきれない学校の方針、そして監視者の存在。

 

 最後に挙げた理由については、特に危険視している。

 

 あの身体能力は、常人のそれを大きく上回っていた。

 誇張抜きで、1クラス全員をまとめて相手にしようともひっくり返しかねない程に。

 

 平穏な学園生活とは馴染まない存在。

 それが、監視者への暫定評価。

 

 もしもアレが龍園と繋がっていて、あるいは龍園自身が監視者で、Dクラスに対しての脅威となった時は俺の出番だ。

 流石に、出し惜しみをしてる場合じゃない。

 絶対に潰す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 試験折り返しの目前で、盤面には剣呑さが満ちてきた。

 

 何事もなく終わるなんて最初から思ってなかったけど、今の状況はそれを踏まえてもかなり刺激的だ。

 

 これもひとえに、監視者と龍園のおかげ。

 なら、それに報いることは人として当然の行いだろう。

 



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36.

 

 夜が明け、テントの中にまで光が漂い始めた。

 数人のクラスメイトが目覚め、動いてる気配もする。

 

 最も隙の生じる時間帯を脱したということだ。

 

 

 

 

「おはよう浅村君」

 

 このテントで1番早く目覚めた男子、平田から朝の挨拶。

 まだ寝ているクラスメイト達に配慮してか、控えめの音量だ。

 

「おはよ。いつもながら早起きだね、平田は」

「昨日は特によく眠れたからね。シート1枚だけ隔てた硬い地面よりも、こっちの方が僕には合ってるみたいだ」

 

 言いながら、平田はテントの床を撫でる。

 

「それは何より。ビニールシートを重ねただけでも、だいぶ変わるよね」

 

 知ったようなことを言ってるけど、これは完全なでまかせ。

 

 柔らかくなったということはわかる。

 寝心地が良いということもわかる。

 

 ただ、これまでの硬い寝床でも俺は問題なく爆睡していた。

 のび太と勝負できるレベルの、凄まじい早さだったという自負がある。

 

 そんな奴が眠りやすさについて論じたところで、なんの説得力もない。

 

 ‥‥‥寝る場所で俺が困ることはないと、前向きに受け止めよう。

 

 

「‥‥‥平田。こっち側だけ跳ねてるよ」

 

 自分の横髪をつまんで、平田の寝癖を再現する。

 

「ん、ほんとだ」

「軽井沢さんに見つかる前に直さないと」

「そうだね」

 

 笑いながらテントを出た平田に追随して、川辺に到着。

 ほとりにしゃがみ込んで、水面に首から上を突っ込んだ。

 

 ──夜通しの警戒で熱を持った頭に、川の冷たさが染み渡る。

 

「ふぅ。生き返った」

「ひんやりして気持ちいいよね、この川」

「わかる。できることなら、ずっと水に浸かっていたいよ。‥‥‥寝起きに申し訳ないんだけど、みんなが起きてくる前に話したいことがある」

 

 隣で顔を洗っていた平田へ、話を振った。

 視線だけがこちらへ向き、続きを促してくる。

 

「昨日いろいろ話してから考えてたんだけど、気づかないうちにみんなのストレスが溜まってるのかも。それで、伊吹さんの周りをもう少し固めておきたい」

 

 まずは口実から。

 平田の性格的に、伊吹への疑惑だけを監視の理由とするよりも、本人を守るような意味合いを持たせたほうが受け入れやすいだろうという判断だ。

 

「‥‥‥からかわれたり、仲間はずれにされたりすることを心配してるのかな?」

「それはあるよ。馴染んできたとはいえ、微妙な立場だから。ただ1番の目的は、伊吹さん自身に余計な動きを躊躇ってもらうこと」

 

 タオルで顔を拭っている平田の表情はわからないけど、ひとまずは言葉を続ける。

 

「試験が終わりに近づくほど、空気は張り詰めていくと思う。トラブルの種はできるだけ潰しておきたい」

「‥‥‥浅村君は彼女をどう見てるのかな?」

「クロ」

「でも、追い出すつもりではないんだね?」

「確証がない」

 

 場合によっては追い出す、そう解釈してもらうための意思表示。

 ある程度は強い態度で臨まないと、平田の妥協を引き出せない。

 

「僕はできる限り、そういった事態を避けたいと思ってる」

「俺もだよ。せっかくのバカンスだから、気持ちよく終わってほしい」

「‥‥‥うん、わかった。伊吹さんと一緒に行動する人が増えるよう差配しておくね」

「ありがとう。で、ごめん。もう1つお願いがある。少人数で行動する機会をできるだけ減らしてほしい。これは全員が対象だけど、特に女子」

「理由を聞いても?」 

「これも、確証はないんだけど──」

 

 

 

 

 龍園がリタイアしてない可能性。

 何かを企んでいるのではという疑念。

 その2つを平田へ伝える。

 

 これで納得してもらえなかったら、誰かが出掛けるたびに適用な口実をつけて人数を増やすしかない。面倒臭くて死ねる。というか、カバーしきれない。

 

「うん、それもわかった」

 

 細かいことを聞かずに納得してくれる平田。

 高校生とは思えない懐の深さだ。

 

「仕事の割り振りとかに支障は?」

「食料調達はちょっと心配してる。数人での行動は、ほとんどがそれだったから。もしかしたら、ポイントを使うことになるかも」

「そんな平田に朗報。逃げ足と食料調達の両方に秀でた逸材がここにいるよ」

「‥‥‥色々と頼ってる僕が言えた義理じゃないけど、もう少し自分のことを大事にしてほしいかな」

「そっちもね。お互い、試験が終わるまでは難しいだろうけど」

 

 困ったような笑みが返ってくる。

 自覚があるということだ。

 面倒ごとを押し付けてる俺が言えた義理じゃないけど。

 

 ともあれ、平田への話は完了。

 これで明るい時間帯はある程度、他のことに注力できる。

 

 どうか、平田と俺の骨折り損になりますように。

 

 

 

 

 

 そんなムダ骨祈願と朝食の後。

 クラスメイト達へ平田が色々話して、俺の要請した件は通過。

 

 結果、Cクラスキャンプへの物資拝借にも男子だけで向かう流れになった。

 具体的な面子は、須藤、池、俺の3人。

 池はすごく嫌そうな顔をしてたけど、須藤が力こぶを見せて懇切丁寧にお願いしたら、快く引き受けてくれた。

 

 

 

 今はその帰り道。

 パラソルを担いで歩いてる池が口を開いた。

 

「誰なんだろな。平田の言ってた、イノシシを見かけた男子って」

 

 イノシシの目撃証言。

 集団行動の理由付けとしてこちらが用意したものだ。

 

 これを口実に、単独行動は控えてほしいと伊吹も含めた全員に伝達。

 そのタイミングで深夜のトイレについても言及した。

 色々と丁寧に話したけど、要は『夜にトイレへ行くなら誰かと連れションしろ』ということだ。

 

 ここまで言ってもなお1人で向かうやつは、俺の警戒対象となる。

 ‥‥‥頼むから、変態じみたことをさせないでほしい。

 

「見かけたのはイノシシっぽいナニか、だけどね。池は誰だと思ってるの?」

「別に誰でもいいんだけどさ、見間違いだと思うんだよ」

 

 池へ視線を向けて、続きを促す。

 

「この島ってスイカ畑とか色々あったじゃん?たぶん学校が用意したんだろうけど。イノシシなんていたら、そこらへんの食料めちゃくちゃに荒らされてるぜ」

 

 順当な指摘だ。

 俺が見た限りでは、獣道や糞などの痕跡は皆無。

 だから池の言う通り、この島にそういった類はいないはず。

 

 つまり、この口実は穴だらけ。

 それでも採用した理由は、伊吹にこの集団行動の不自然さを認識させるため。

 

 自分に目が向いてると察知して、おとなしくしてほしい。

 そんな悪あがきの一環。

 

 このあたりの方針で、平田と俺に差異はなかった。

 

「言われてみれば、確かに」

「だろ?だから、なんかの見間違いだって」

「でもその理屈で言えることって『俺達がこの島へ来る前までイノシシはいなかった』程度じゃない?」

「‥‥‥どゆこと?」

「試験開始から一定時間経過で島に獣を追加、みたいな感じでテコ入れしてくれたのかもしれないよ」

「クソ運営じゃん。‥‥‥クソ運営だったわ、今までも」

 

 学校への厚い信頼を口にする池。

 茶柱先生にそのまま伝えてやりたい。

 

「やばい。なんかそう言われると、イノシシとかがいてもおかしくない気がしてきた」

 

 むしろ俺はいて欲しいくらいだ。

 魚も悪くないけど、そろそろ肉が恋しい。

 

「なぁなぁ、健はどう思うよ?」

 

 ベッドチェアーを脇に抱えている須藤へ、池が振り返って声をかける。

 

 だけど、返事が帰ってこない。

 Cクラスのキャンプを出発したあたりから、なぜだか須藤がおとなしいのだ。

 

「‥‥‥健?」

「‥‥‥コーラ飲みてぇ」

 

 須藤からこぼれる欲求。

 池が間を置かずにツッコミを入れた。

 

「試験終わるまでそういう話は禁止って言ったよな」

「あ?いつ言ったよ?」

「浅村とポテチの話してた時」

「覚えてねぇ」

「言った。浅村は覚えてるだろ?」

「食いもんの話禁止、とは言ってたね」

「コーラは飲みもんだぞ、寛治」

「知ってる!そこらへん含めて全部禁止だ!わかれよ!」

「んだよ、そういうことなら最初にちゃんと言っとけってんだ」

「須藤の言う通りだよ、池。そういうのは男らしくない」

「俺か?俺が悪いのか?なぁ?」

 

 ギギギっと唸りを上げる池。

 こんな感じで場を取り持ってくれるので、いきなり険悪な雰囲気が漂いかけた時とかにはとても助かっている。

 

「つか、今の寛治のやつこそどうなんだよ?」

「え、俺?」

「食い物の話禁止って言ったくせに、『ポ』と『チ』の入ってる単語言ってたじゃねぇか」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥チ○ポ?」

「お前のクラスメイトやめるわ」

 

 森の中に響く2人の笑い声。

 それが治まると、須藤が隣に並んできた。

 

「うっし。浅村、よそのクラスのやつなんざほっといて、さっさと行こうぜ」

「待て待て待て待て待て」

「ダメだよ須藤。いくら池がチ○ポを食べものと認識してても、仲間はずれは良くない」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 

 なぜだか池がこちらをガン見してくる。

 信じられないものを見た、そんな表情で。

 

 まさか仲間はずれにされることを望んでいたのだろうか。

 ‥‥‥俺には理解できないけど、世の中にはそういう奴もいるのかもしれない。

 

 

 

 そんな風に世界の広さを実感していると、固まってた池がようやく口を開いた。

 

「浅村、チ○ポとか言うんだな‥‥‥」

「逆に聞きたいんだけどさ、なんて呼ぶと思ってた?」

「ソレとかアレとか。でなけりゃ、漢字使った難しい呼び方とか。‥‥‥てか、俺はチ○ポ食わないからな!?」

 

 周回遅れのツッコミに、須藤が首を振る。

 

「寛治、自分で言ったんだろが」

「お前が!ネタを!振ってきたんだろが!」

「え?」

「‥‥‥え?」

 

 2人が顔を見合わせた。

 

「いや、そんなつもりじゃなかったぜ」

「‥‥‥」

「マジで」

「‥‥‥‥‥‥よっし!エロくないけどエロい単語ゲームしようぜ!はい、浅村から!」

 

 唐突に始まった謎ゲーム。

 というか会話のテンポが凄まじい。世界を狙えそうな早さだ。

 

 まぁ、どんなルールかは想像がつくし、頭にはいくつもの候補が浮かんでいる。

 

 その上、相手は男子高校生。

 どんな単語に対してもR18要素を見出す多感な年頃だ。

 この時期に限れば、かなりの男子がフロイトとやりあえるレベルに達しているだろう。

 

 

 ただ、ここでの答えは1つしかない。

 

 リズムを刻んでる池の手拍子に合わせて口を開いた。

 

「バナナ」

「食いもんの話題禁止っつったよなぁ!?」

 

 職人芸のような素早いツッコミ。

 楽しそうでなにより。

 

「そういや寛治、俺になんか話してなかったか?」

「‥‥‥あれだよ、イノシシなんてこの島にいるのかな〜って話。で、いるかもって浅村が言ってる」

「ならいるんだろ」

「確かに健ならそう答えるわ、聞いた俺が悪かった」

「ぶっ飛ばすぞ」

「ま、いたとしても平気だよな。お前ら2人ならどうにかしてくれそう」

「いや普通に逃げるよ」

「俺も。怪我してバスケできなくなったらヤベェからな」

 

 パタリ、と池が足を止める。

 

「‥‥‥お前らが全力で逃げたら、俺、絶対置いてかれる」

「ありがとう、池」

「ありがとうってなんだよ!‥‥‥健!俺達友達だよな!」

 

 叫ぶ池をチラリと見て、須藤が口を開いた。

 

「‥‥‥怪我させるわけにもなぁ」

「健‥‥‥」

 

 感動したような視線を須藤へと向ける池。

 その期待は間違いなく裏切られるというのに。

 

「‥‥‥いや別に怪我してもいいのか。リタイアしなけりゃ」

「そうそう。あとは点呼。マイナス食らわないように、毎回ちゃんと出てもらわないと」

「お前らもう!マジでもう!」

 

 

 

 そうして池が喚いているうちに、ベースキャンプへ到着。

 川の近くにベッドチェアーとパラソルを設置して、なんちゃってバカンスセットの完成だ。

 

「‥‥‥なんかすっげぇ疲れた」

 

 げんなりした顔で池がつぶやく。

 

「寛治の荷物が1番軽かっただろ。体力無さすぎじゃね?」

「ちっげぇよ!お前らといるとカロリー消費が半端ねぇの!」

「『ら』って、もしかして俺も含まれてる?」

「本体のくせにとぼけんな、浅村。須藤単体ならおとなし‥‥‥くはねぇけど、まだマシ」

「俺の方が上だってさ、須藤」

「寛治、テキトー言ってんじゃねぇぞ。どう考えても俺がメインだろが」

「あーもうダメダメ、今日は終わり。またのご来店おまちしてまーす」

 

 手をヒラヒラしながら離れていこうとした池に、須藤がヘッドロックをキめる。

 

「そうだ、池。ベッドチェアーとか準備できたから、女子に知らせてあげたら?」

 

 櫛田とか、篠原とかに。

 堀北以外が相手なら誰が相手だろうとそれなりに応援するから、頑張ってほしい。

 

「‥‥‥この状況をスルーして話振ってくるのはどうなん?」

 

 須藤の腕をタップしながら、池がくぐもった声を発する。

 ヘッドロックされても会話はできているのだから、俺の対応は間違っていない。

 

「無理そう?だったら、俺が伝えてくるけど」

 

 そう口にした途端、凄まじい勢いで須藤が振り払われた。

 池はそのまま『みんなぁ!』と元気一杯に叫びながら走り去っていく。

 

「‥‥‥寛治のやつ、あんなんだったか?」

 

 腕をぐるりと回しながら、訝しげな顔で須藤が尋ねてきた。

 

「春を感じてるんじゃないかな」

「あ?こんなバカ暑いのに何言ってんだよ」

 

 須藤はそう言いながら座り込むと、足を伸ばして爪先を掴む。

 日課のストレッチだ。

 

「手伝おうか?」

 

 言いながら後ろに回り込み、須藤の背中に手を添える。

 

「お、頼むわ」

 

 

 

 しばらくそうして、柔軟を手伝っていたら。

 いつもとは違った調子の、躊躇いがちな問いかけが須藤から飛んできた。

 

「‥‥‥浅村さ、なんか機嫌悪いか?」

「めちゃくちゃ悪い。出さないようにしてたんだけど、よく分かったね」

「なんとなくな」

「気を使わせてたならごめん。もしかしたら池も気付いてたかな?」

「わからね。気付いてたとしてもそこまで気にしてねぇだろ、たぶん」

「だといいんだけど。とりあえず気をつけるよ、ありがと」

「機嫌悪い理由教えてくれたら無料タダでいいぜ」

 

 3000円払ったら10連ガチャ無料と似たような理屈が飛び出してきた。

 俺の好きな無料タダはそんな紛い物じゃない。

 

「他の支払い方法で」

 

 どう考えても須藤は隠し事が不得手なタイプ。

 控えめに言って、下手くその中の下手くそだろう。

 

 堀北の話にしろ伊吹の話にしろ、その性質はかなりデリケート。

 いずれ打ち明けるにしても、今はダメだ。

 

 特に堀北の方。

 下手をすれば須藤まで不機嫌になる可能性もある。

 

「ケチケチすんなって。誰かがやらかしやがったとかか?」

「さて、どうだろう。正直、そういうのは1学期の分だけでお腹いっぱい」

「お前も大変だな〜」

「ほんと、誰かさんのおかげだよ。それより代金だけど、今やってる柔軟の手伝いってのはどう?」

「それは星乃宮せんせーからかばってやった分でチャラだろ」

 

 試験初日、茶柱先生の説明中に乱入してきた時の話だろう。

 確かに俺は、須藤のことを遮蔽として使った。

 

 ただ、茶柱先生の心無い行いで俺の場所は露見。

 そしてその時、須藤はニヤニヤしていた。ニヤニヤしていたのだ。

 あれはまさしく、裏切り者の顔。

 

 

 

 両手の親指にゆっくりと力を入れていく。

 こう、須藤の背中に対して垂直になるように。

 

「おい、指!指!」

「遠慮しなくていいよ。この指圧マッサージ、代金だから」

 

 指の力を徐々に強めながらの宣告。

 須藤への懐柔策だ。

 

「ダァー!わかった!無料タダでいい!マッサージもいらねぇからやめろ!」

「ほんと?なんか悪いね」

 

 

 

 

 

 懇切丁寧にお願いした結果、須藤は了承してくれた。

 

 やはり話し合い。話し合いは全てを解決する。

 



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37.

 本日2度目のCクラスキャンプ跡地への訪問中。

 

 初回とは目的が異なる。

 1度目は物資回収のためだったけど、今回は海水浴だ。

 

 きっかけとなったのは、『Cクラスのキャンプから見た海が綺麗だった』という池の一言。

 

 これに篠原が興味を示して、他の女子達が同調。やるじゃないか、池。

 結果、なんだかんだで集まった希望者15名の引率として再度ここへ来ることに。

 内訳は男子5、女子が10。

 

 話が出てきた段階では平田を引率担当にして、軽井沢との海岸デートでも楽しんでもらおうと勝手に考えていた。

 だって、堀北は間違いなく居残り組だから。

 

 ただ、肝心の軽井沢が興味を示さなかったので、平田も留守番決定。

 

 だからと言って俺が出掛ける必要はないと思っていたんだけど、平田から直々に『浅村君、お願いできるかな』と言われてしまった。

 なるべく集団で行動するように提案したのが俺である以上、断る選択肢はなかったのだ。

 

 ちなみに、俺が同伴すると聞いた池はすごく嫌そうな顔をしていた。素直なのは良いことだと思う。

 

 俺が離れている間にキャンプ側がCクラスから襲撃を受けないかという懸念もあったけど、そのリスクはかなり小さい。

 平田や三宅、綾小路あたりは居残り組だし、そもそも男子の数はキャンプ側が3倍。

 

 つまり、どちらかと言えば危険なのは海水浴組。

 俺が同伴するのは理にかなっているのだ。

 

 そういった事情で仕方なく、海辺に来ている。

 ただ、泳いではいない。

 

 なにをしているかというと、釣り。

 岩場で釣り。

 海水浴を楽しんでいるクラスメイトを視界に収めつつ、ひたすら釣り。

 

 食料調達が懸念事項になったのだから、この時間を活用しない手はないだろう。

 そう言ったら、俺が海水浴へ参加しないことに不満を示していた面子は引き下がったし、池はとても嬉しそうな顔をしていた。素直なのは良いことだと思う。

 

 

 そんな感じで誘いを断った以上、『成果を上げられませんでした』なんて泣き言は許されない。

 

 前回とは釣り場が違うから少し心配だったけど、今回も入れ食い状態は変わらず。

 

 ひたすら釣っては締めて、釣っては締めてを繰り返していたら、持参した袋のうち6つが一杯になって残るは2つ。

 

 それなりの量は確保できたから、これで夕食に関しての心配はなくなった。

 とはいえ高校生、特に男子なんてのはいくら食べても腹が減る生き物。

 

 可能な限り、食糧は確保しておくべきだろう。

 

 ただ、魚ばっかりというのも芸がない。海の幸は他にもあるのだから。

 例えば、貝とか。

 

 そう思って試しに潜ってみると、目に付くのはサザエサザエアワビサザエ。

 貝毒の危険性が低い巻き貝達が、そこかしこに散らばっている。

 

 夕食の献立に貝の焼き物が追加された瞬間だった。

 

 

 

 

 

 堀北の苦手な食べ物に貝が含まれていないことを祈りつつ、携えた袋にサザエやアワビを入れまくった。

 袋が一杯になったところで海から上がると、数人のクラスメイトが辺りを歩き回っている。

 

 ‥‥‥少しばかり夢中になりすぎていたかもしれない。

 あれはたぶん、何も言わずにいなくなった俺を探し回っているのだろう。

 

 

 

「えっと、ごめんなさい」

 

 謝りながらみんなの元へ戻ると、真っ先に気付いたのは池だった。

 

「いたぁ!浅村いたぁ!」

 

 なんだか釈然としない掛け声を聞きながら、歩みを進める。

 

「お前さぁ。泳ぐなら誰かに言えよな」

 

 池から投げられた、反論しようのない一声。

 これではどっちが引率かわかったものじゃない。

 

「ほんとごめん。こいつら見つけたから、つい」

 

 そう口にしながら、素潜りの成果を袋から取り出して見せる。

 

「‥‥‥それ、もしかして」

 

 篠原が食いついた。

 

「アワビとサザエ。浜焼きみたいなやり方でイケるんじゃないかな」

「よっしゃ!金網とか探してくるわ!どうせCの野郎ども使ってたろ」

「早い早い早い」

 

 浜の方へ駆け足で戻っていく須藤。

 あの様子だと、池のツッコミは届いていないだろう。

 

「しっかしすげぇなここ。魚はめちゃくちゃ釣れるわ、アワビまでいるわ」

「Cクラスも拠点選びのセンスはあったみたいだね。ところで、池ってこいつらの調理とかやったことある?」

 

 そう言いながらアワビを見せつけると、池がなんだか変な顔でこちらを見てくる。

 姿勢も妙だ。

 こう、前屈みというか。

 

「どうかした?もしかして貝苦手?」

「イヤ、スキダヨ?タダ、イマハミナクテモイイカナ?」

 

 そう言いながら体育座りで海の方を眺め始める池。

 声を掛けても『ダイジョウブ』としか言わなくなってしまった。

 

 どうやら時間を置けば解決するらしいので、放置して再び潜る準備をしていたら、かすかな足音を拾い上げた。

 

 内陸、森の中から近づいてくる複数人のものを。

 

 念のために早足で浜の方へ戻って、その集団を待ち構えると。

 

 

 

「やっほ〜浅村君。久しぶりだね」

 

 現れたのはBクラスの生徒達。

 その先頭に立っている一之瀬が、こちらに手を振っている。

 後に男女が続いて、計6人。

 

「久しぶり。そっちも偵察に来たのかな?」

「声が聞こえてきたから、誰かいるのか気になって」

 

 Bクラスの拠点は、ここからそれなりに離れた場所にある。

 その上わざわざ一之瀬が出てきているのだから、行き当たりばったりのはずがない。

 

「‥‥‥『そっちも』てことは、Dクラスも偵察に来たってことか?」

 

 一之瀬の後ろから出てきた男子、柴田が声を掛けてきた。

 

 平田と同じくサッカー部所属で、足の速さはかなりのものだと聞いている。

 つまり有罪候補。

 

「もちろん。それ以外にここへ来る理由はないし」

「‥‥‥あれ、どう見ても遊んでないか?」

 

 そう言って柴田が指差した先では、クラスメイト達がバチャバチャしたりキャッキャウフフしたり。

 柴田の言葉通り、とても楽しそうに遊んでいる。

 

「うちのクラスの遊んでるフリ、様になってるでしょ?」

「え?全力で遊んでるっぽいけど、フリなの?」

 

 素直に疑問を投げてくる柴田。

 池とは違った感じだけど、なかなか話しやすいタイプではある。

 さすが有罪候補。

 

「浅村、何してんだ?」

 

 Cクラスの残した物資から金網を引っ張り出した須藤が、こちらへ気付いて寄ってきた。

 

「久しぶり、須藤君」

「あ?あぁ‥‥‥えぇーっと」

 

 一之瀬から声を掛けられて、言い淀む須藤。

 

「‥‥‥イチノセ」

「一之瀬じゃねぇか。中間の時はマジで助かったわ」

 

 他の人には聞こえない音量でヘルプを入れた途端、須藤の口が回り始めた。

 案の定、名前を忘れていたらしい。

 綾小路と一之瀬が2人でいる場面を見かけた時も忘れていたから、これで2回目だ。

 

 お礼を言えるようになったことを評価するべきか、恩人の名前をまだ覚えてなかったことを嘆くべきか。

 

「にゃはは、どういたしまして。須藤君も浅村君も律儀だねっ」

「あ、こいつら、例の中間試験の」

 

 柴田からムズムズする言葉が飛び出してきた。

 さんざんネタにされてきたけど、未だに慣れない。多分これから先も慣れない。

 

 だってそうだろう。

 俺にとっては黒歴史を暴かれてるのに等しいのだから。

 人目が無かったら、間違いなくうめき声を上げながら転がり回っている。

 

「おい浅村!俺らも有名になったな!」

 

 須藤が笑いながら、バシバシと背中を叩いてきた。

 このメンタルの強さは見習っていきたい。

 

 それはそれとして。

 

「ちなみに、話が広まった理由はBクラスの担任だって話を聞いたんだけど?」

 

 問い詰めるように視線を送ると、一之瀬は苦笑いして、柴田は顔を逸らした。

 管理者にあるまじき態度だ。

 危険物を取り扱っているという自覚が全く足りていないように見える。

 

「ほらほら、苦情は本人に言ってもらうとして。そんなことよりさ」

 

 無責任な一言の後に、柴田が近づいてくる。

 マジマジと須藤と俺の体を見つめながら、再び口を開いた。

 

「2人ともえっげつない身体してんなぁ」

 

 遠慮のない視線が柴田から、そして他のBクラス生徒から注がれる。

 

「ったりめぇだ。Dクラスのトップ2だからな」

「いや、高円寺も結構なものだよ」

「あーなんだっけ。その名前も聞き覚えある」

 

 むしろ高円寺の方こそ、俺達よりも名前が知られていて然るべきだろう。

 キャラの強烈さに関しては、俺なんかと比べ物にならない。おれがアッサリ鶏ガラで、あいつは濃厚豚骨。最低でもそれくらいの差がある。

 

「水泳ですごいタイムを記録した人、だったかな?」

「それ!浅村と同着だって、星乃宮先生が言ってたやつ」

 

 一之瀬と柴田の間で、余計な情報のやり取りが行われている。

 星乃宮先生は俺に何か恨みでもあるのだろうか。

 

 ‥‥‥きっかけは俺が高円寺の名前を出したことだから、墓穴を掘ってしまったと言えなくもないけど。

 

「で、その高円寺ってやつは今いるのか?泳いでたりする?」

 

 柴田が海岸へ、再び視線を送る。

 

「いねぇよ。試験始まった途端にリタイアしやがったからな。使えねぇどころの話じゃねぇぞ、あいつ」

「‥‥‥Dクラス、1人リタイアしてたんだ」

 

 一之瀬の反応を見て、口を滑らせたことを自覚した須藤が『やべっ』と言ってそうな表情でこちらを見てきた。

 これがミスだと言うのなら、高円寺の名前を出した俺こそが責任を負うべきだろう。あるいは高円寺本人が。

 

「他のクラスには内緒でよろしく。お世話になったBクラスは特別ってことで」

 

 隠すほどではないものの、念のためにフォロー。

 一之瀬達が相手なら、そこらへんの内情は教えても問題ないだろうけど。

 

「なんか、Dクラスも色々と大変なんだな」

 

 諸々を察してくれたのか、憐れむような目でこちらを見てくる柴田。

 

 同情するのなら、星乃宮をなんとかしてほしい。

 あとは高円寺を更生させて、龍園をおとなしくさせて、監視者の正体を暴き出してほしい。

 

「そうだね。内に外にと、ほんと勘弁してほしいよ」

 

 つい愚痴をこぼしたら、一之瀬が意味ありげにこちらを見てくる。

 

 そのまま考え込む素振りをしたブロンドの少女は、Bクラスの面々へ振り返って口を開いた。

 

「ね、みんな。せっかく海の方に来たんだし、少し自由行動にしよっか」

「お、まじ?よっしゃー!」

 

 一之瀬が言い終えた途端に柴田が服を脱ぎ出す。

 中に着込んでいたらしい水着だけになって海の方へ駆け出し、残りの男子も後に続いた。

 

「帆波ちゃん、中に着てきた?」

 

 Bクラスの女子、白波からの問いかけに首を振る一之瀬。

 

「そんなつもりじゃなかったからね〜」

「なら、岩場の方とか行ってみる?」

「ごめんね。私、浅村君と話しておきたいことがあるんだ」

「ん?俺?」

 

 一之瀬から指名された瞬間、白波の視線が突き刺さった。

 なんだか棘のあるような、そんな視線が。

 

 白波とは話したことすらないし、気に障るようなことをやらかした覚えもない。

 

 ‥‥‥流れ的に一之瀬絡みの可能性が高いけど、本気で覚えがない。

 

「浅村君、ちょっとだけいいかな?」

 

 そう言って、こちらの返事を待たずに一之瀬が歩き始める。

 白波が気にかかるとはいえ、すぐにどうこうできるものでもない。

 あちらからアクションがあったら、その時に考えよう。

 

 そんなわけで、背中にチクチクと視線を感じながら一之瀬の後に続いた。

 

 

 

 

 

 

「無理矢理ごめんね。少し相談したいことがあって」

 

 他の生徒達からほどほどに離れたあたりで、足を止めた一之瀬が口を開いた。

 

「うちのリーダーを教えろ、とかじゃなければ喜んで」

「ありがとっ。でも、どこから話そうかなぁ」

 

 拳に顎を乗せて『うーん』と唸る姿をしばし見守る。

 

 数秒経って考えがまとまった様子の一之瀬は、砂浜で競走し始めた須藤と柴田へ視線を送りながら話し始めた。

 

「単刀直入に言うとね、DクラスとBクラスで同盟みたいなものを組めないかって内容なんだけど」

 

 タイムリーな申し出だ。

 タイミング的に、一之瀬もAとCの関係を察知したのだろうか。

 どう返答するにせよ、まずは提案の背景を明らかにする必要がある。

 

「個人的にはいい考えだと思う」

「ほんと?よかった。反対だって言われたら、どうしようもなかったから」

「ただ、うちのクラスへどんなことを期待しているのかっていうのは気になるかな」

「別にそこまで大袈裟なものじゃないよ。お互いに無理のない範囲で協力して、競うべき時は正々堂々と競う。私がイメージしてるのは、そういう関係」

「協力っていうのは、例えば情報交換とか?」

「そうそう」

 

 一之瀬が口にしたのは、束縛の少ない緩やかな関係。

 言ってしまえば、今とそう変わらない。

 

 わざわざ相談を持ちかけてきた以上、それ以外の何かがあると見るべきだ。

 

「特に問題があるようには思えないけど、何か気にしてたりする?」

「まずはDクラスの反応。1学期の終わりに堀北さんと話した時は、乗り気かどうかわからなくて」

「一昨日も綾小路と一緒に、そっちのキャンプへお邪魔したって聞いたよ。その時は何か話した?」

「おしゃべりはしたけど、こういうことは話せなかった」

 

 なんとなく含みを感じる。

 『まずは』と言っていたのも、そのあたりと関係しているのかもしれない。

 

 それはそれとして、堀北はBクラスの男や綾小路とどんな話をしていたのか、距離感はどれくらいでどのように対応していたのかをもっと詳しく話してほしかった。

 これ以上話の腰を折るわけにはいかないから、自重するけど。

 

「俺から見た限りでは、Bクラスに悪い印象を持ってる人はいない」

 

 堀北は一之瀬あたりを警戒してる向きもあるけど、おそらくは大丈夫だろう。

 1人でBクラスへ赴いたり、不可侵条約を提案してきたりしているのだから。

 

 ‥‥‥別の意味で大丈夫じゃない。

 やっぱり一度、神崎あたりとは顔合わせをしておくべきだ。クラスとかそこら辺の事情抜きで。

 

「なら、あとはこっちの問題」

「Bクラスの?」

「その、悪い意味で捉えないでね。なんていうか、うちのクラスの何人かがDクラスを気にしてるような感じがするんだ。私が思うに、その理由は浅村君なんじゃないかなって」

「‥‥‥俺かぁ」

 

 悪目立ちが過ぎた自覚はある。

 

 それにしても、そこまで警戒されるほどだろうか。風聞を広めた星乃宮先生にこそ、真の責任があるのではないだろうか。間違いなくある。過失割合で言えば、100:0だ。

 

 ただ、これで白波の妙な視線にも合点がいった。

 一之瀬の言う『何人か』には、きっと白波も含まれているのだろう。

 

「で、その数人の反対に困ってるとか?」

「困ってるのとは違うかな。反対されてるってわけでもないし」

「なら、問題はないように思えるけど」

「実際はその通りかも。私のこだわりというか、単なるわががまなんだよね。できるだけみんなに納得してほしいって思っちゃうんだ」

 

 一之瀬がBクラスの生徒達から慕われている理由の1つは、間違いなくこの性格だ。

 欠点のように言っているけど、美徳とすら言える。

 

 一方で、こうもあっさりと内情を曝け出してくるところには危ういものを感じなくもない。

 

 距離感とかにも幼さを残しているし、色々と心配だ。

 悪い男に引っかかりそうだとか、女慣れしてない男子を勘違いさせそうだとか、そこらへんで。

 

 ただ、今はそんなお節介よりも、一之瀬の要望の方が大事なわけで。

 

「反対派を説き伏せるならともかく、腹の底から納得させるのは難しいんじゃないかな」

「簡単じゃないとは思ってるよ。ただ、試してみたいことがあるんだよね」

 

 そう言って、一之瀬は両手を合わせてこちらを拝んできた。

 

「1回だけ、みんなと会ってみてくれないかな?」

「みんなって言うのは」

「うちのクラスのみんな」

「‥‥‥実際に会っただけでどうにかなるかな?」

「断言はできないけど、浅村君の人となりが分かれば余計な心配はしなくなるかも」

 

 本当に解決するのかはかなり疑問だけど、一之瀬からの頼みであれば無下にはできない。

 加えて、Bクラスとの面通しが叶うのはこちらにとっても好都合。

 

 それにこの流れで行けば、堀北ではなく俺がBクラスとの窓口になり得る。

 ひいては、堀北とBクラス男子の接触を減らせるのだ。

 まさに、渡りに船の提案。

 

 

 ただ1つだけ、どうしても気になってしまうことがあった。

 

「場所は?」

「こっちのキャンプでいいかな?」

 

 当然の返事だ。

 となれば、星乃宮と出くわす可能性もある。というか、出くわさないわけがない。

 

 

 

 

 しばし、目を瞑って考えてみる。

 

 

 一之瀬への義理、星乃宮への畏れ。

 自分にとって優先順位が高いのはどちらだろうか。

 

 

 それぞれを天秤の両端に乗せた瞬間、星乃宮の乗った方がガクッと沈み込む。

 あまりの勢いに、一之瀬への義理は彼方へ吹き飛んでしまったほどだ。

 

 では。

 空いた方に、堀北に関する諸々の事情を乗せてみる。

 

 

 天秤はギシリと軋みながら、堀北側へと傾いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ────答えは得た。

 

 大丈夫だよ堀北。俺も、これから頑張っていくから。

 

 

 

 

 目を開けて、こちらの様子を窺っていた一之瀬へ視線を向けた。

 

「うん、かまわないよ」

「‥‥‥ほんとに平気?無理してほしくはないし、気まずいなら」

「大丈夫、俺にもメリットはあるから」

 

 食い気味に返事をして、一之瀬の懸念を吹き飛ばす。

 

 ここで話は済ませておくべきだ。

 決心が揺るいでしまう前に。

 

「で、いつにしようか。そっちにも準備があるだろうけど、早めがいいと思う」

「じゃあ、明日のお昼あたりでどうかな?」

「了解」

 

 これで退路は絶った。

 後悔が津波の如く押し寄せているけど、まぁどうにかなるだろう。

 

 ‥‥‥どうにかならなかったら、堀北のことを考えて乗り切ればいい。つまりはどうにでもできる。

 

 さて。

 

 

「一之瀬さんの相談事は、これで大丈夫そう?」

「うん。私ばかり相談しちゃったけど、浅村君は?」

「‥‥‥じゃあ、星乃宮先生のことをお願いできるかな?」

 

 言うべきか少し迷ったけど、独力では対応できない俺に選択肢なんてなかった。

 対応を誤れば、アレはさらなる被害を生み出すだろう。どうにかなるわけがない。

 

「‥‥‥もしかして、ほんとに苦手だったりする?」

 

 真面目な顔で問いかけてくる一之瀬。

 

「距離感というか絡み方というか、そこらへんがどうも。そっちのキャンプにお邪魔する間だけでも、なんとかしてもらえないかな?」

「‥‥‥わかった。私のお願いで来てもらうわけだし、責任があるよね」

「そこまで重く考えなくても」

「大丈夫。浅村君がこっちへ来る時間に、適当な口実でキャンプから離れてもらうだけだから」

「なら14時にお邪魔しようかな」

「了解。タイミングが大事だねっ」

「上手くいくことを祈ってるよ。ところで、そろそろ戻った方がいいんじゃないかな?」

 

 言いながら背後をチラリと振り返るとBクラス女子、というか白波が視界に入る。

 一之瀬と話している間もひたすらガン見されていたので、気になって仕方がない。

 

「そうだね。みんなのこと待たせてるし」

 

 そう言って一之瀬が歩き始める。

 

 待たせていると言ってもそれは女子だけの話だ。

 柴田達Bクラス男子は、波打ち際で須藤とプロレス染みたことをしている。

 

「‥‥‥失敗したなぁ。私も水着持ってくればよかった」

 

 男子達の乱闘を見て、一之瀬が楽しそうに呟いた。

 

 アレを目の当たりにしてそんな言葉が出てくる女子は、なかなかいないだろう。

 

 

 

 

 その後は、コミュニケーション能力を発揮した柴田がDクラス女子と打ち解け始めたあたりで解散になった。

 

 

 篠原や櫛田と楽しそうに会話をする柴田。

 それを、体育座りでひたすら眺めている池。

 

 

 そんな光景がとても心に刺さったので、そろそろキャンプへ戻ろうと俺が声をかけたのだ。 

 

 

 

 

 

 

 キャンプへの帰り道、池が何か言いたそうにこちらを見ていた。

 

 結局は何も言ってこなかったけど、内容には察しがつく。

 

 柴田を退散させたことに、感謝の意を示したかったのだろう。

 

 



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38.

 

 海に出掛けていた全員が、揃ってキャンプへ帰還。

 

 戻ってすぐに、池と俺で貝を調理し始めた。

 池を救う時の口実にした『採れた貝を食べよう』の実践だ。

 

 心が壊れそうな時は、手を動かして気を紛らわせた方がいい。

 そんな俺からの配慮でもある。

 

「こっちのサザエ持ってくな」

「うん。アワビもそろそろ出来上がるよ」

 

 幸いというべきか、池に変わった様子は見られない。俺だったら柴田にグーを出していたかもしれないのに。

 

 

「ほい、サザエの壺焼き。熱いから気をつけてな」

「やったぁ!」

「あたし、初めて食べるかも」

「アワビは?」

「今、浅村が焼いてる。そこまで数ないから切り身になるけど」

「おい寛治、こっちにも寄越せ!」

「待てって!こういうのはレディーファーストなんだよ!」

「浅村みてぇなこと抜かしてんじゃねぇぞ!」

 

 

 須藤の分は無くても良さそうだ。堀北に上げよう。

 

 そんなことを考えながら、切り分けたアワビに手製の爪楊枝を刺していると。

 

「器用だな。砂袋の処理なんて直に見たのは初めてだ」

 

 隣で調理を見ていた綾小路が声を掛けてきた。

 

「学校にいる間は、ほとんど毎日料理してたからね」

「木を削るのが手慣れているのも同じ理由か?」

「それは別。サバイバル番組とか見るのが好きなんだよ。エド・スタッフォードは?」

 

 サバイバルと言えばご存じエド。

 秘境での原始的な生活は、見ていて飽きない。そして、絶対に真似したくない。

 

 彼の経験した環境と比べれば、今の状況は天国だろう。

 いや、ハクナマタタと唱えながらムシを食べる境遇になろうと、堀北がそばにいる時点で天国確定なんだけど。

 つまり、この世界は天国。前世で徳を積んだ甲斐があった。

 

「知らないな」

「ベア・グリルスなら見たことある?」

「それもない」

「どっちもサバイバル系のドキュメンタリーに出てるんだけど、オススメだから暇な時に見てみるといいよ。‥‥‥はい、出来上がり。みんなに配ってくれる?」

「わかった。そっちは?」

「先生にお裾分け」

 

 そう言って、教師用テントへ足を運んだ。

 

 

 

 

 

「気が利くな。酒があればなお良かったが」

「準備できる材料だとワインかウィスキーですけど、イチから作ることになるのでとんでもない時間がかかりますね。そもそもここの気候で作れるかどうか」

「冗談だ。いちいち真に受けると面倒な類を引きつけるぞ」

「俺も冗談です。面倒な類については、お互い心あたりがあるのでは?」

「どうだろうな」

 

 茶柱先生は口の端を微かに釣り上げて笑うと、貝を載せたトレイを受け取った。

 

「で、お前がわざわざ来たということは、他にも何か用があるのだろう?」

「はい。2点ほどお聞きしたいことが」

「言ってみろ」

「まず1つ目。他クラスのリタイアした生徒を確認する方法はありますか?」

「ない」

「島に残ってる他クラス生徒の所在も?」

 

 問いかけと共に、右腕の多機能時計を指差す。

 

「それもなかなか難しい。私も含めた各クラスの教師がGPSで把握できるのは、自らが担当している生徒に限られる。生徒のバイタリティに異常が発生した場合など、いくつかの例外はあるがな」

「わかりました。それではもう1つ、最終日の流れについて確認させてください。試験は7日目午前8時の点呼を以って終了し、その後に各クラスの指名したいリーダーを茶柱先生へ伝える。この認識で相違ないですか?」

「用紙を渡すので、指名するリーダーはそれに記載しろ。他はそちらの言う通りだ」

 

 サザエの身を手際よく取り出しながら、茶柱先生が返事を寄越す。

 

「その用紙はいつ提出すればいいのでしょう?」

「書き終えたらすぐに。普通に考えれば5分もいらないだろう」

「では違う聞き方を。どれくらい待ってもらえますか?」

「なんだ。遅れる予定でもあるのか?」

「場合によっては」

「‥‥‥ま、いいだろう。試験完了後、島に残っている全生徒を一箇所に集めて結果発表を行うことになっている。それが9時。ここから集合場所まで、この人数だから30分かかるとしよう。つまり、20分程度なら大目に見てやれんこともない。言うまでもないことだが、点呼を欠席すればペナルティーは発生するからな」

 

 猶予は20分。

 間に合う気もしなくはないけど、相手の動き次第な部分がある以上は楽観できない。

 

「もし結果発表に遅れたら?」

「正当な理由も無しに結果発表を欠席した前例はないから断言できん。が、下手をすれば試験結果にペナルティーを課されることもあり得る。遅れた時間などを加味して試験ポイントをマイナス、あたりは誰かしらが言い出すかもな」

「プライベートポイントを支払ってもいいので、そのあたりにもう少し融通を利かせてもらえませんか?」

 

 切り身を口へ運んでいた茶柱先生の手が止まり、視線がこちらへ突き刺さる。

 

「20分で間に合うかどうかわからないので、それ以上遅れた場合は時間の猶予を購入していたという処理にして頂けないかと」

 

 あちらの出した20分という時間は、他の教師へエコ贔屓でないと言い張れるギリギリのラインなのだろう。

 口実があればもう一段上を通せるというのが俺の見解。

 

 茶柱先生は直前で止めた一切れを口に放り込むとテントへ戻り、紙とペンを持ってから出てきた。

 

「それで、いくら払うつもりだ?」

「10万までなら俺1人でどうにか」

 

 相場を知らない以上、こういう言い方しかできない。

 クラスメイトに頭を下げて工面することも考えたけど、大した額にはならないだろうし。

 

「現時点なら、1分あたり1万のレートが妥当だろう。遅れが確定してからの取引であれば、さらに跳ね上がるがな」

 

 言いながら、茶柱先生がペンを走らせる。

 いろいろ言葉を並べているけど、要約すると10万ポイントで10分買いますという内容だ。

 

「全額つぎ込むかどうか、まだ決めかねているのですが」

全額・・なら15万は出せるはずだ」

 

 当たり前のようにこちらの残高を把握されている。

 そうだろうとは思っていたけど、気持ちのいいものではない。

 

「いくら持ってるにせよ、定期収入の月1万と比べたらはるかに大きな額です」

「授業中のボーナスポイントをほとんど独占してるお前が言うことではないな。職員室でも話の種になっているくらいだぞ」

 

 口と手を同時に動かしていた茶柱先生が、文書を書き終えて紙とペンを手渡してきた。

 

「それに、この試験が終われば月1万ではなくなるだろう?」

「‥‥‥ええ、そのつもりです」

 

 諦めの返事と共に、自分の名前と日付を書き込む。

 

 最後に全体を見直して、瑕疵がないことを確認してから用紙を差し出した。

 茶柱先生は、受け取ったそれをヒラヒラさせながら口を開く。

 

「これの処理は進めておくが、現在試験中のお前は端末を保持していない。よって、ポイントの徴収は船に戻ってからだ。かわりに、結果発表の場にDクラスが遅れても10分以内ならば不問にして見せよう。それ以上は約束できん」

「遅刻しなかった場合も支払いは発生しますか?」

 

 なんとなく無駄な予感がするけど、ネゴシエーション開始。

 試験の度にこんな出費があってはたまらない。堀北とデートできなくなってしまう。

 

 そもそもこの話自体、クラス昇格という茶柱先生の目的に沿ったものなのだから、『支払ったことにしておいてやる』くらいの言葉があってもいいだろうという気持ちも強い。貧乏学生を舐めているのだろうか。

 

「発生するに決まっているだろう。でなければ、毎日遅刻申請を投げてくるような愚か者が出てくる。もう1つ言っておくと、支払い処理の握りつぶしは私の裁量では不可能だ」

 

 そう言って、目の前の教師は口を閉じる。

 面倒な雰囲気を感じ取ったので俺も押し黙ったまま。

 

 結果、沈黙を破ったのは茶柱先生だった。

 

「だが、10万がお前にとってそれなりの額であるということはわかっている。前にも言ったな。この学校は実力至上主義を謳っており、秀でた者には私の裁量である程度の便宜を図れると。これには、プライベートポイントの付与も含まれる」

「実質的に肩代わりしていただける、と受け取っていいですか?」

「早まるな、この試験の結果次第だ」

 

 ほらきた。

 

 ‥‥‥ほらきた、と堀北ってめちゃくちゃ似てる。道理で語感がいいわけだ。

 

「そうですか。あまり期待しないでおきます」

「早まるなと言っている。10万以上の一括付与はそれなりに前例があるが、何かしらの物言いが入ることも多い。私にとってもそれなりに面倒だということを理解しろ」

 

 わずかに口の端を吊り上げながら、茶柱先生は続ける。

 

「だからこうしよう。この試験でDクラスを1位で終えたら10万付与する。お前ならそこまで難しくはないはずだ」

 

 提示された条件自体は妥当なものだけど、このまま承諾するのは面白くない。

 

 発言の裏に、俺を手懐けようという魂胆が透けて見えている。

 半端な結果を出そうものなら、『今回は多めに見てやる。次は期待してるぞ』みたいな論調で恩に着せてくる姿が目に浮かぶくらいに。

 

 前からそんな雰囲気はあったけど、これはあからさまだ。

 今後も、ことあるごとに主導権を握ろうとしてくるかもしれない。

 

 

 だから、ここである程度絞っておく。

 

「レートを上げてもいいですか?」

 

 こちらの問いかけに、茶柱先生が目を細めた。

 

「この試験で、Dクラスの獲得ポイントを他3クラスの合計以上にするか。または、Cクラスへ昇格するか。どちらかは果たして見せます。代わりにそちらは、付与ポイントを倍の20万にしてください」

「‥‥‥大きく出たな」

 

 Aの戸塚とCの龍園、2クラスへのリーダー指名が的中して、俺がリーダーであることはバレない前提での提案。

 

 それでもBクラスの占有ポイントや消費ポイントまで考慮すると、他3クラスの合計を上回れるかは微妙なラインだ。

 いや、おそらくは20か30足りない。高円寺がリタイアしたせいで。

 

 ただ、金田を抱えている一之瀬達がすんなり占有ポイントを獲得できるだろうか。

 

 龍園達がAかBのリーダーを片方でも指名してくれれば、前者の条件は叶う見込み。夜間と最終日に俺1人でスポット占拠して、ある程度上乗せできれば確実に上回る。

 8割方こうなるというのが俺の予想。

 

 もう1つの条件は2割を引いた時の保険だ。

 

「‥‥‥一括で20万の付与となると、私がかなり攻撃されるだろう。以降も同じ様に話が通るとは思うなよ」

「その発言。受けて頂ける、と取ってよろしいですか?」

「ああ、構わん。試験中にも関わらず差し入れを持ってくる、その殊勝な心がけには応えねばな。それに、お前が言った通りの展開になるのなら安いものだ」

 

 茶柱先生はそう言うと、空いたトレイを手渡してきた。

 

 もう少しゴネる必要があるかと思っていたのに、やたら素直だ。

 俺が知らない裏でもあるのだろうか。

 

「なんなら、もう少しレートを上げても構いませんよ」

「前のめりはほどほどにしておけ。お前は勝つ自信があるのだろうが、無茶はしないに限る」

「他クラスの試験ポイントは把握されていないのですか?」

「試験が終わるまではわからん。今私が知っているのは、Dクラスの未使用試験ポイントだけだ。スポット占有で加算されるポイントすら把握していない」

「なるほど。教師の過度な肩入れを警戒しての措置でしょうか?」

「おそらくは。クラスの順位は我々の評価、ひいては給料に影響してくる。となれば、良からぬことを考える教師への対策は必要だろうな。それでも抜け道はあるわけだが」

 

 自分は金のために色々やっている。

 暗にそう言いたいのだろうだけど、絶対に嘘だ。

 

 もし本気で言ってるのなら転職した方がいい。

 

「さて、もういいか?私は試験終了までに20万付与の建前を考えておく。残りの試験、せいぜい楽しめよ」

 

 そう言って、茶柱先生は自分のテントへと戻っていった。

 

 

***

 

 

 4日目の夜は何事もなく過ぎ去り、5日目の朝を迎えた。

 不眠の警備2日目と言うこともあって、若干の気怠さが薄い膜のように体を包んでいる。

 

 でも、それだけだ。

 やたらハイテンションになったり吐き気を覚えたりするかと思ったけど、今のところその様子はない。

 

 その点で言えば、目の前の赤髪ヤンキーの方が症状的に当てはまっている。

 吐き気じゃなくて、ハイテンションの方で。

 

「あ〜、俺も行きてぇんだけどなぁ」

 

 昼過ぎに計画しているBクラスへの訪問中、イノシシとかに注意してほしいと話してからこの様子。

 例のニヤニヤ顔で、とても楽しそうだ。

 

 ‥‥‥いや、邪推は良くない。

 きっと新しい友人でも作って、そいつと遊びたいだけだろう。Cクラスにキャンプで楽しそうに遊んでた柴田とか、そのあたりで。

 俺が須藤を信じないでどうする。

 信頼こそ、人が生きる上で最も大事なことだというのに。

 

「よそのクラスに行きたがるなんて珍しい。新しい友達でもできた?」

 

 須藤は圧が強いから連れて行く気はなかったけど、理由次第では。

 

「お前とせんせーのコントが見たいからに決まってんだろ」

 

 はい留守番決定。やっぱり人間なんて信用するもんじゃない。

 

 まあ、今回は話題提供のつもりで話したから、多めに見てあげよう。

 須藤用の夏休み問題集が10ページ増えるだけだ。

 

「お生憎様。今回は一之瀬さんにお願いして星乃宮先生は外してもらってるから、須藤が言ってるようなことにはならないよ」

「フラグって知ってるか?」

「もちろん知ってるさ。勝利が確定してる状況のことでしょ?」

 

 ──ピコーン!

 

 

 

 

 

 そんな感じで話しているうちにスポット周回の時間がやってきて、平田から指名されたメンバーでキャンプを出発。

 

 その移動中に、堀北が声をかけてきた。

 

「今日、Bクラスのキャンプへ行くそうね」

「耳が早いね」

「須藤君があれだけ大声で話していたら、いやでも聞こえるもの。いつ決めたのかしら?」

「Cクラスのキャンプで一之瀬さん達と会った時、あっちから誘われて」

「目的は協力関係の構築?」

「そう。堀北さんに任せっきりだったけど、少しは俺も動かないと。動機も材料も増えたし」

「それなら、私も一緒に行くわ」

 

 

 

 さて、困った。

 

 浅村3原則の第2条には『浅村は堀北の意向を可能な限り尊重しなければならない』とある。

 対して、現在の堀北の健康状態はお世辞にも良いと言えない。

 その疲弊具合は、表情へ出さずに済んでいるのが不思議なほど。

 

 つまるところ現状でのさらなる外出は、浅村3原則の第1条『浅村は堀北の安全を確保しなければならない』に反するのだ。

 

 だから、キャンプに残って休んでもらう方向で説得する。

 

 心苦しいとしても、それが堀北のためなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周囲のスポット占有その他の午前の日課も済ませて、現在の時刻は13時30分。

 一之瀬と約束した時間14:00 までにBクラスのキャンプ伏魔殿 へ到着するべく、移動している最中。

 

「どうやらあなたも一之瀬さんも、他人へ配慮しすぎるきらいがあるようね」

 

 隣を歩く同行者、堀北と会話をしながら足を動かす。

 Bクラスキャンプへ向かうと平田に伝え、カードを預けて抜け出したのが20分前。

 堀北の体調も考慮して移動速度はかなり遅めだけど、それを踏まえても時間にはかなりの余裕があった。

 

 

 

 まあ、あれだ。

 

 好きな人には勝てない。

 

 それが世界の法則。

 

 

 

「それに付き合ってくれてるんだから、堀北さんには感謝しかないよ」

 

 感謝はもちろんある。

 堀北と2人きりで過ごす時間は常に需要過多なのだから。

 

 ただ、体調への影響を考えると、どうしてもやるせなさの方が大きくなってしまう。

 

「‥‥‥一之瀬さんに借りがあることは、私も理解しているもの」

「それ。結構大きいから、早く返し切らないと利子がすごいことになりそう」

「そのために訪問要請を承諾したのかしら?」

「借りのことは念頭にあったよ。それが無かったら話を蹴ってたかもね」

「受けてたでしょうね。Bクラスとの協調自体に乗り気だったことと、あなたの性格を考慮すれば」

 

 理由はともかくとして、読み自体は当たっている。

 

 一之瀬の提案に乗った最大の理由が、堀北とBクラスの接触を減らすことだったとは口が裂けても言えない。

 堀北の同行を許したことにより、その目論みが崩れようとしていることも言えない。

 

 我ながら脊髄反射が過ぎると思う。『ゼロ男子政策』完遂の道程は果てしないようだ。

 

 それはそれとして。

 

「性格云々についてはよくわからないかな」

「己の性分を理解しないと、いつか痛い目を見るわよ。浅村君を騙せる人なんてそうはいないと思うけれど」

 

 脊髄反射での会話についてはまさに反省しているところ。

 ただ、後悔はしていない。

 結果的にはこうして堀北と2人でお話できているのだから。これであと1000年頑張れる。

 

「心配無用。信用する相手は厳選に厳選を重ねてるし」

「それは重畳。つまり、今回は相手を選んだ結果ということかしら?」

「クラス全体に関わることへ、個人の事情を介在させない程度の良識はあるさ」

 

 なんだか堀北に変な目で見られたけど、別に嘘ではない。

 確かに昨日まではバリバリ介在させていた。

 それを反省して今から改めるので、嘘ではない。

 これから先も同じような過ちを繰り返すという確信に似た何かがあるけど、その時までは『個人の事情を介在させない良識』を持ち続けているのだから、嘘ではない。

 

 『2時間禁煙した』のと似て非なる理屈だ。

 

「‥‥‥着いたら、私と一之瀬さんは少し離れるわ。その方が彼女の目的にかなうでしょうし、話しておきたいこともあるから」

 

 Bクラスを訪問することになった経緯は、一之瀬の個人的な事情も含めて共有済み。

 その甲斐あってか、なんだかんだ言いつつ堀北も協力してくれるようだ。

 『潜在的反対派』をどうにかする役割は俺なのだから当然の提案と言える。でも寂しい。

 

「わかった。ただ、お互い目の届く範囲にいよう」

「当然ね。遊びにきたわけではないもの」

 

 堀北はそう言いながら、前へ向き直った

 身体の動きから見て取れる消耗は日に日に増しているのに、その凛々しさは少しも損なわれていない。

 

 

 いつもそうだった。

 いつも泰然とした印象を崩さないのが、堀北という女の子で。

 例外は、中間前の勉強会が頓挫しそうになった時と一昨日2人で話した時だけ。

 

 だから、というのも変だけど。

 今まで一度も笑っているところを見たことが無い。

 

 堀北は、どういう時に楽しいと感じるのだろうか。

 

「堀北さんは、どういう時に楽しいって感じる?」

 

 そのまま言葉に出てしまった。

 今日の俺は、脊髄と口が直に繋がっているらしい。

 

 脈絡が無さすぎて、流石の堀北も見たことがない表情をしている。

 困ったような、そんな表情を。

 

 ‥‥‥何をやってるんだろう、俺は。

 

「‥‥‥ごめんなさい、意図がわからないわ」

「ごめん、今のナシ。意図なんてないから」

 

 ほんの少しだけため息まじりに返すと、堀北が足を止めてジッと見つめてくる。

 わずかに眉を寄せて、何やら考え込んでいる様子だ。

 

 

 そのまましばらく沈黙が続いて。

 

 

 この微妙な空気をどうしたものかと悩んでいたら、堀北から口を開いてくれた。

 

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥小説を、読んでいる時かしら」

「‥‥‥確かに堀北さん、休み時間は読書してることが多かったよね。『罪と罰』とか」

「よく、そんなところまで見ているものね」

「読んだことのあるタイトルだから、目についたんだ。ドストエフスキーが好きなのかな?」

「彼の著書は読み始めたばかりよ。手始めに選んだのが、あれだっただけ」

「なら同じだね。俺も最初に読んだのは『罪と罰』だから。終わりの方が好きで、そこばっかり何度も読み返してたな」

「私は正直、途中までの方が好みだったわ。後半は拍子抜けというか、緊迫感に欠けていたもの」

「中盤の醍醐味はまさにそれだよね。物語がどんな終わりを迎えるのだろうっていう興奮は、一度しか味わえない」

「今読んでいる本が、丁度その段階ね」

「『白痴』?それとも『悪霊』?」

「ドストエフスキーではないわ。『誰がために鐘は鳴る』よ」

「いいチョイスだ」

「読んだことが?」

「あるよ。俺のヘミングウェイ入門書」

「私が最初に読んだのは『武器よさらば』だったかしら」

 

 怪我の功名、思わぬところで会話に花が咲いた。

 堀北の好きな話題は小説。最近のトレンドはヘミングウェイとドストエフスキー。記憶に刻みこんだ。

 

 

 そうして口を動かしながら、堀北が好みそうな話題のストックを頭の片隅に積み上げていく。

 

 この幸福で幸せなウルトラハッピータイムを少しでも長く楽しんでいたい。

 ただ、その一心で。

 

 ‥‥‥なんか忘れてる気がするけど、この時間以上に重要なことなんて存在するわけないから別にいいか。

 

 

 

 

 

「さて、次は浅村君の番よ」

 

 15分ほど話し込んだあたりで、堀北が流れを変えてきた。

 

「俺?」

「私だけが答えるのは不公平だもの。あなたも同じ問いに答えるのが筋でしょう?」

 

 どんな時に楽しいと感じるか、という質問のことを指しているのだろう。

 よくわからないけど、堀北的な公平とはそういうものらしい。

 

 どんな時に俺が楽しいと感じるかなんて、そんなの決まっている。

 

「今みたいな時」

「‥‥‥からかおうとして言ってるのなら、容赦しないわよ」

「10割本心だよ。もう少し言うと、俺の場合は何をしてる時かじゃなくて、誰といる時かだと思う」

「‥‥‥‥‥‥だとしたら、大層な物好きね」

「ありがとう。厳選に厳選を重ねてるから、そこらへんにはかなりの自信があるんだ」

「どう受け止めたらそのセリフが出てくるのかしら」

 

 呆れながらも応じてくれる堀北との会話は、それからもしばらく続いた。

 

 

 

 そして、楽しい時間とはあっという間に過ぎ去ってしまうもので。

 

 かなり多めに見積もっていたはずの時間は、Bクラスのキャンプへ到着した時にはなぜかオーバーしていて。

 

 平たく言うと、堀北と俺はちょっとだけ遅刻した。

 



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39.

 

 到着前に自分で言っていた通り、堀北は離れた場所で一之瀬と話し込んでいる。

 その傍には他の女子も何人かいるけど、男子はいない。大変素晴らしい。

 

 一方の俺は。

 

「初めまして、かな」

「噂は色々と耳にしているが、話すのは初めてだな。神崎だ」

「Dクラスの浅村大地、よろしく」

 

 Bクラス男子の最右翼とサシで対峙中。

 到着して間を置かずにあちらが接触してきて、自己紹介から始めたところだ。

 

「いろいろとデリケートなタイミングだ。申し訳ないが、諸手を挙げて歓迎というわけにもいかない」

 

 歓迎どころか、感じるのはなかなかの警戒ムード。

 方々から視線を注がれているあたり、一之瀬の懸念は的中しているように思える。

 

 その上、今は試験の終わりが見えてきて、色々と張り詰めてくる頃合い。

 

 訪問を請け負ったのは俺だけど、これをどうにかしろってのはなかなかの無茶振りだ。

 

「当然の対応だね。逆の立場だったら、俺もそうしてる」

「理解した上での来訪なら尚更だな。ひとまず、どういった用向きか聞かせてもらえるか?」

 

 だから、俺なりの方法で納得してもらうつもりで来た。

 

「BクラスとDクラスの協力関係構築」

「‥‥‥前回と似たようなものか。こちらの答えは変わらない。そもそも協力自体の是非は別として、こちらに不利なタイミングだとは思わないか?」

「リーダー指名回避のことを言ってる?」

「ああ。積極的にスポットを占拠しているDクラスが負っているリスク、負うべきリスクは俺達よりも大きいだろう」

「Bクラスの占有度合いがどの程度か知らないからコメントしづらいけど、理屈としては理解できるよ。俺の目的はそこじゃないから、不服なら条件から外していいと思ってる」

「それならバランスは取れるかもしれないが、別のところが引っかかる。試験中にわざわざやってきた理由だ」

 

 純粋な協力が目的なら、試験が終わってからゆっくり話せばいいはず、と。

 真っ当な言い分だ。

 

 このタイミングでキャンプを訪ねてくる奴なんて、リーダーを探りに来たか、でなければよっぽどの無神経か。

 俺だったらそのどちらかだと判断するし、神崎もそうしたからこその対応だろう。

 

 とはいえ、俺はどちらでもない。

 

「気になることがあったから、情報提供をしたくて」

「試験に関することか?」

 

 問いかけに頷いてから、補足を投げる。

 

「俺が協力を提案してる動機の1つでもある」

「聞かせてくれ」

「葛城と龍園の間で、何かしらの取引がされているかもしれない。Cクラスの物資がAクラスに流れてた」

「‥‥‥どうやって突き止めた?」

「物資のシリアルナンバーで」

「もう少し詳細を知りたいが、難しいか?」

「他の人に話さないって約束してくれるなら」

「わかった」

 

 悩むそぶりをかけらも見せずに言う神崎。

 素直に守ってくれるかは微妙なところだけど、手口を知られたとしても、あちらの出方がわかるなら安いものだ。

 

「まず確認。物資のシリアルナンバーを先生へ照会すると、自クラスのものかそうでないか教えてもらえるのは知ってる?」

「‥‥‥いや、初耳だな。俺だけじゃなく、Bクラス全員が知らないだろう」

「一応言っておくと、星乃宮先生の説明不足ではないと思う。こっちから質問しなかったら、俺も知らないままだっただろうし」

「ああ、そこは疑っていない。抑えるべきところは抑えるのがあの先生だ」

「え?」

 

 思わぬ一言につい反応。

 さらに余計なことまで言いそうになったけど、喉仏のあたりでグッと抑え込んだ。

 

「‥‥‥どうかしたか?」

「なんでもない、話を戻そう。今説明した照会方法で、Aクラスの拠点にあったシリアルを確認してもらったんだ。うちのテントにいるCクラスの生徒、伊吹さんに」

「なるほど、それなら間違い無いだろうな。しかし、伊吹はよく承諾したものだ」

「そこは色々工夫したよ」

「信用してるのか?」

 

 俺なら遠回しに確かめるような内容でもズバズバ聞いてくる。

 なかなか素直な物言いだ。

 

 とはいえ、こちらが正直に答えるかどうかは別の話。

 

「それはもう、キャンプまで招き入れてるわけだから。そっちも似たような状況だって聞いてるけど、どうなの?」

「‥‥‥無警戒、というわけにはいかないんだがな」

 

 離れた場所で作業している生徒の集団、その中にいる金田へ視線を送りながら神崎がこぼす。

 

 瞬間、蜃気楼のようにおぼろげだった懐柔への道筋が、確かな形を成した。

 

「とりあえず、AとCが取引しているという話は理解した」

 

 そして前言撤回。

 素直な物言いだと思ったけど、そうでもなさそうだ。

 

「あのメガネをかけてる男子、あれが金田だよね?」

 

 神崎と同じく、メガネの男子を見ながら問いかける。

 

「ああ。面識があるのか?」

「ないよ。Cクラスの腕章が無かったら、Bクラスの生徒だって思ったかも。かなり馴染んでるみたいだ」

「積極的に手伝ってくれるからな。こちらもかなり助かっている」

「本気で言ってるようには見えないけど」

「どうしてそう思う?」

「俺と同じだから」

 

 あちらが望んでいるだろう言葉を投げて様子見。

 

 ただ、そのまま待っても探るような視線は変わらなかった。

 なので、もうひと押し。

 

「この中で一番、Cクラスを信用してない」

「随分はっきりと言うんだな」

「そうしないと話が進まなかったでしょ。で、どうなの?」

「否定はしない」

「なら、ちょっと安心した。金田はOKだけど俺はダメ、なんて言われたらどうしようも無かったし」

「到着してからの対応を気にしていたのか?」

「そりゃあね。Cクラスより信用されてない状況だったら、協力なんて望めるわけないから」

「さっきの物言いもそうだが、金田が龍園の手先だと確信しているように聞こえる」

「AとCがやり取りした痕跡。BとDに1人ずつ紛れ込んでるCの生徒。まだ足りない?」

「‥‥‥俺はともかく、一之瀬達は納得しないだろうな」

 

 金田が龍園と繋がっている可能性。

 確かに一之瀬なら、親切や心配りが擬人化したような性格のあの少女なら、それを考慮はしても最優先事項にはしないだろう。

 

「Dクラスはどうなんだ?そこまで掴んだのなら対策を講じても良さそうだが、伊吹を隔離したりはしないのか?」

「少なくとも、平田は納得しないだろうね」

 

 平田の性格も一之瀬同様、親切や心配りの占める割合が100割オーバー。

 そういう状況は可能な限り避けたい、と言われてもいる。

 

「なるほど。そちらは平田と浅村、こちらは一之瀬と俺。似たような立場だと」

「そこらへんでも、個人的な協力とかが出来たりするんじゃないかって思ってる」

「わかった、組もう。ただ、他のクラスメイトについては断言できない。皆の意向次第では、個人的な協力に留まる可能性もある」

「それで構わないよ」

 

 神崎の了承は取り付けた。

 一之瀬への義理も、これで多少は果たせただろう。

 

「とはいえ、こちらの内情くらいは話しておくべきだな。察しはついてるだろうが、俺達はあまり動いていない。ベースキャンプ以外のスポット占有は皆無で、集めた情報もそちらには劣る。色々と教えてもらった後に言うのも申し訳ないが、現状では渡せるような情報がない」

「別にいいさ。一之瀬さんから貰った分があるし」

 

 そう告げると神崎が訝しむような表情をしたので、補足を投げる。

 

「中間試験の範囲変更、一之瀬さんに教えてもらったんだ。担任が告知し忘れてたらしくて」

「‥‥‥茶柱先生はそういったミスとは無縁だと思っていたが」

「目の前で言われたからね、失念していたって」

 

 神崎の漏らした所感は、誰もが抱くものだろう。

 実際のところ、情報を知らせなかったのが意図的であることは確実。

 動機も察しはつくけど、ただただ面倒だから本当にやめてほしい。

 

「ともかく、そこらへんを知らなかった俺達は必死に範囲外を勉強してたってわけ。一之瀬さんの指摘が無かったら、Dクラスは40人じゃなくなってたかも」

「なるほど。やたらと好意的だった理由がようやくわかった」

「本人からは何も聞かされてない?」

「初耳だ。当然のことをした、程度の認識なんだろう。他クラスの生徒を助けたのも、俺が知っているだけで1度や2度ではないからな」

「なるほどね」

「一之瀬だけじゃない。Bクラスはそんな人間ばかりだ」

 

 そう言って、神崎は再び金田へと視線を向ける。 

 

「そしてこの学校では、そこに付け入ろうとする奴が必ず出て来る」

 

 今まで起伏の乏しかった声が、少しだけ揺らぎ始めた。

 

「だいぶ口がほぐれてきたんじゃない?」

「誰のこと、とは言ってない」

「まぁ、気持ちはわかるよ。気のいい奴らがバカを見るのは本当に腹が立つ。うちの平田だって、他クラスの人の手助けをした回数は片手31じゃ足りないだろうし」

「そこは同感だ。一之瀬の2桁を超える親切が裏目に出るような事態は避けたい」

 

 こちらへ向き直った神崎と視線がぶつかり、バチバチと火花を散らす。

 

 別に神崎の言葉を否定する気はない。

 一之瀬が施した親切が、1学期だけでも10や20を超えているだろうってことは俺にだって想像できる。

 

 ただ、平田も1日1善みたいなところがある。

 Dクラスの面倒を見るのに忙しいだけで、本来なら3桁に届いてたはずの逸材だ。だから、実質平田の勝ち。

 

 しかし、神崎が張り合ってくるとは思ってなかった。

 クールなタイプだと思ってたけど、存外に意地っ張りなところがあるらしい。

 

 ただ、クラスメイトの優しさ自慢に関してはもとより結果の見えていた勝負。

 こちらの勝ちは揺るぎようがなかった。

 

 

 堀北は言うまでもなく女神。ここで名前を出したらレギュレーション違反扱いになるであろう最強の存在。約束された勝利の美少女。

 

 平田もさっきまで散々言った通り、Sランク間違いなしの強者。見ていて心配になるレベルで人の良さが漂っている。その体はきっと、無限の優しさで出来ていた。

 

 櫛田だって一之瀬に比肩するレベルで学年全体から慕われている。噂によると、人の悩みを聞くのが上手なんだとか。ストレス溜まりそう。

 

 須藤は派手な見た目でバスケがうまい。

 

 

 ほら、俺の勝ち。

 

 

 ちなみに今上げた面子は、Dクラスの主人公候補トップ4でもある。

 9割方、この中の誰かだ。

 花京院の魂を賭けてもいい。

 

 というか、そうであってくれ。

 高円寺が主役だったりしたら、話の展開が読めなさすぎるし、俺のストレスは果てしなく加速する。

 

 

 

 

「なんか揉めてる?」

 

 しばらく視線だけでの押し合いに興じてたら、柴田が寄ってきた。

 いらぬ心配をかけてしまったらしい。

 

「いや、全く。神崎と親交を深めていただけ」

「決裂寸前、と言ってもいい状況だな」

「神崎?」

「冗談だ」

 

 仕返しのつもりなんだろうけど、なんとも大人気ない。

 素直に敗北を認める勇気も時には必要だろうに。

 

「‥‥‥まぁ、大丈夫そうならいっか」

 

 そう言って離れて行こうとする柴田。

 

 だが、俺は忘れてない。忘れるわけがない。

 

 こいつはBクラス暫定第2位。

 Cクラスキャンプ跡地で、池が大きなダメージを負うことになった元凶だ。

 

 野放しにすれば堀北へ魔の手が及ぶ。

 

「そういえば昨日、須藤と楽しそうに話してたよね」

「ん、俺?」

 

 呼びかけに反応して振り返る柴田。

 

「そう。あれが初対面でしょ?どうやってあそこまで打ち解けたのか気になって」

「別に、変わったことなんてしてないけどな。浅村のことサッカー部に勧誘しようかなって言ったら、『あいつはバスケ部に入るんだ』って返されて、そっから流れでプロレスが始まって」

 

 そんな事実バスケ部に入る予定はない。

 

 よっぽどのことがなければ、これからも帰宅部に所属し続けるつもりでいる。

 

 理由は簡単。

 堀北がなにかしらの部活を始めた時、同時に入部できる状態を維持しておくためだ。

 

「つか、浅村だって神崎とは今日が初めてだろ?普通に話せてるじゃん」

「それはまぁ、頑張ったから」

「あぁ」

 

 どこか納得した様子の柴田が、神崎へと視線を流す。

 

「ちなみに神崎はどうだった?」

「何がだ?」

「先生とか一之瀬が言ってた、話すとだいぶ印象変わるってやつ」

「まぁ、変わったと言えば変わったが」

「‥‥‥柴田の言う先生って」

「星乃宮先生」

 

 不吉な名詞が出てきた。

 今この場にいないことを理解していても、その名はなお禍々しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 待て、近づいてくる気配がある。

 酒をこよなく愛していそうなこの足取り、間違えようがない。

 

 柴田が迂闊にも名前を出したせいで、災厄を呼び寄せてしまった。

 まさに、口は災いの元。

 

「浅村、どうかした?」

「なんでもないよ」

 

 とはいえ、ここで騒いでも醜態を晒すだけ。

 堀北と一緒にこのキャンプを訪れている以上、俺だけが逃げるなんて選択肢は存在しない。

 

 

 

 

 

 

 ‥‥‥そして今、背中に視線が突き刺さったので、視認範囲から逃れるという選択肢も消え去った。

 

 それなりの距離があるのに、捕捉されるまでの時間が短すぎる。

 右腕に付けているDクラスの腕章を隠す暇すらない、それこそ一瞬と言っていい早さだった。

 

 迷いのないこの動き、俺がここにいることをあらかじめ知っていたそれにしか思えない。

 

 

 なんであれ、詰みだ。

 俺に残された手段は、現実から目を逸らして自分に言い聞かせることだけ。

 

 

 そう。

 

 こちらを凝視してたとしても、俺に興味を示しているとは限らない。

 

 真っ直ぐに寄ってきたとしても、俺に興味を示しているとは限らない。

 

 すぐ後ろで足を止めたとしても、俺に興味を示しているとは限らない。

 

 

 

 いや、流石にダメだろう。

 現実を見ないと、取り返しのつかない事態に陥る。それこそ、命に関わりかねないような事態に。

 

 

 というわけで現状の整理。

 

 目の前にいる神崎と柴田は、さっきまでとは違った顔をしている。

 前者は『オイオイオイ』の表情で、後者は『死ぬわアイツ』の表情。

 

 背後には1メートルほどの位置に星乃宮先生の気配。

 

 結論:眼鏡の解説役が不足

 

 

 

 

 ふざけるのはそろそろ控えよう。

 思考停止こそ破滅への最短経路なのだから。

 

 まず重要なのは、あちらの目的。

 これは足音を抑えて近付いてきたことから簡単にわかる。

 間違いなく、俺に対しての不意打ちだ。

 

 となれば、具体的な攻め手の予測も難しくない。

 今の間合いなら肩トントンからの振り返った頬に人差し指ツン。

 さらに距離を詰めてきたら膝カックン。

 この2択であることは確実。花京院の魂を賭けてもいい。

 

 ただ一方で、星乃宮先生相手に読み合いが成立するだろうかという不安もある。

 というか、成立しないだろう。

 だとしてもノープロブレム。

 2択である以上、読みが当たる確率は50%なのだから。

 

 仮にハズレを引いたとしても、不意打ちが成立してない時点でどうということはない。

 

 

 なぜなら、俺は既に『覚悟』しているからだ。

 

 頭脳や肉体ではなく、精神が『覚悟』しているのだ。

 

 悪い出来事を予測することは『絶望』と思うだろうが、逆だ。

 

 明日『死ぬ』とわかっていても『覚悟』があるから幸福なのだ。

 

 『覚悟』は『絶望』を吹き飛ば

 

「だーれだっ」

 

 掛け声と共に塞がれる視界。

 

 瞬間、五感がその機能のほとんどを喪失した。

 

 かすかに感じることができるのは、体の震え、激しい動悸、あふれ出す涙、喉の奥から込み上げてくる何か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?浅村くーん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無視するなら」

「すみません。びっくりして反応できませんでした」

 

 なんとか再起動。

 

 汎用人型決戦兵器だってホワイトグリントだってT800だって再起動できたのだから、俺が再起動できても全く不思議ではない。

 

 しかし、今のはなかなか新鮮な体験だった。

 人は未知に恐怖すると言われているけど、それを身をもって知ることができたのだ。だからもう十分。2度と体験したくない。

 

 やはり、この人相手に読み合いなんて概念は通用しない。

 

 思い返せば少し前にも同様の結論に至って、近づかない方針でやって行くと自らに定めた。

 

 なのにそれを守らなかった結果として今がある。

 これはその戒めだ、甘んじて受け入れよう。

 

 

 

 

 はい、受け入れた。

 だから早く解放してくれ、距離が取れない。

 

「にしてもさ、今のは酷いんじゃない?」

「ですから、びっくりしたと。普通に声をかけられたのなら、まともに返してましたよ」

「だってそれじゃつまらないもん」

 

 もん。

 いい年した大人の使う語尾だろうか。

 

「ちょっと失礼なこと考えた?」

「いえ。つまらないと言われて、どうしたものかと困惑してただけです。それより、そろそろ離していただけませんか?」

「ほらほら〜、私ってずっとお仕事してるわけじゃない?この島にいる間、1週間休みなく。やっぱりストレス溜まるから、癒しとかが欲しくなるんだよね〜」

 

 相変わらずの、人の話を聞かないスタイル。

 どう考えてもストレスとは無縁の性格に思える。癒しが欲しいのはこちらの方だ。

 

 

 しかし、これは星乃宮先生からのヒントかもしれない。

 

 獣が獲物を狩るのは、飢えを満たすため。

 逆に言えば飢えを感じなければ、獣は獲物に興味を示さない。

 

 星乃宮先生が口にした、癒しへの渇望。

 これを満たせば見逃してやらんでもない、ということだろう。

 

 

 では、星乃宮先生の癒しとは何か。

 

 これはもう、酒に決まっている。

 

 ここから導きだされる、現状を打破する答え。

 それは試験で発注できる物品リストに載ってたアレだ。

 

 消毒用エタノール、度数は80。


 真っ当な人間が接種していいのかは甚だ疑問だけど、我慢は体に毒という言葉もある。

 

 つまり飲んでも毒、飲まなくても毒。

 だったら飲んだほうが得だ。たぶん。

 

「いつもはどうされてるんですか?お酒ですか?」

「確かにお酒は好きだけど、その言い方はちょっとデリカシーがないよねぇ」

 

 圧力が増したのでこの案は却下。

 

 

 

 どうにか回避したかったけど、ストレス発散に付き合う以外の道はなさそうだ。

 

 まぁ、要する時間なんて高が知れている。

 せいぜいが5分かそこら。

 その程度なら、余裕で乗り切れるだろう。

 

 

 

 

 なぜなら、俺は既に『覚悟』しているからだ。

 

 これから『死ぬ』とわかっていても『覚悟』があるから幸福なのだ。

 

 『覚悟』は『絶望』を吹き飛ばすからだ。

 




次回投稿日時はあらすじを参照してください。


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40.

 

 間一髪だった。

 

 堀北によって解放された時、腕時計が示していた経過時間は数十秒程度。

 ただ、俺が体感した時間はそれをはるかに超えていた。

 精神と時の部屋のような感じだ。

 

 今際に至ると人の意識は圧縮され、極めて短い時間で様々な記憶がフラッシュバックするという話があるけど、それを体感したような心持ちでいる。

 

 大事なことなので、もう一度。

 間一髪だった。

 

 

 ともあれ、Bクラス訪問の目的は概ね達成。

 いろいろと被害はあったものの星乃宮先生からも逃げおおせた。

 

 

 堀北の前でまたもや醜態を晒してしまったという問題については、目を逸らして対処。

 どこかで得点を稼ぐことだけ覚えておこう。

 

 

***

 

 

 6日目、早朝。

 

 天幕に水滴が落ちる音が、テントの中に響き続ける。

 少し前から降り出した雨によるものだ。

 頭上に枝葉が茂っているキャンプでこれなのだから、外はかなりの土砂降り。

 

 実質的な最終日にこんな天候を引き当てるなんて、いろいろと勘繰ってしまう。

 

 島の天気は変わりやすいなんて言葉もあるけど、この雨が簡単に止んでくれるとは思えない。

 せいぜいが、降ったり止んだり程度だろう。

 

 

「‥‥‥1週間もこの島にいれば、1日くらいはこんな天気ともぶつかるよね」

 

 隣にいる平田からの掛け声。

 言葉とは裏腹に、その表情は冴えない。

 

 当然だ。

 このレベルの雨だと、野外活動はかなり制限される。

 

 食事の準備や水の煮沸、スポット占有などあらゆることに影響が出てくるのだから。

 

 ただ、この雨をより忌々しく思っているのが平田と俺のどちらかと問われれば、間違いなく俺。

 

 理由は2つある。

 堀北の体調がさらに悪化する懸念と、警戒への悪影響。

 

 前者は言わずもがな、そして後者の比重もそれなりに大きい。

 

 現に、周辺の音を拾う上でこの雨が大きなノイズとなっている。

 何か別の方法を考えるべきかもしれない。

 

 

 そうして日没以降のことへ考えを巡らせていたら、テントに近づいてくる足音を感知。

 

「浅村君と平田君、起きてるかしら?」

「おはよ〜」

 

 堀北と軽井沢の控えめな声が聞こえてきた。

 さっきも言ったように、外は大雨。

 

 テントの外へ出ると、頭にバスタオルを被っているだけの2人が目に入った。

 

「2人とも、少しだけ待ってて」

 

 そう告げて川辺に向かい、Cクラスから借りたビーチパラソルを2つ引っこ抜いて戻る。

 

「はい。それだと風邪ひくよ」

「浅村君こそ、一瞬でずぶ濡れじゃん」

「俺は頑丈だから平気」

 

 返事をしながらパラソルを1つ平田と軽井沢に渡して、もう1つで堀北と俺をカバー。

 

 普通の傘よりもかなり大きいので、人間2人程度なら無理なく入ることができる。

 

 

 ‥‥‥場違いだけど、夢が1つ叶った。

 

 雨の中 鈴音と同じ 傘の下 わが衣手ころもでは つゆにぬれつつ

 

 それはそれとして。

 

「こんな朝早くにどうしたの?」

 

 時刻は5時を過ぎたあたり。

 まだクラスメイトの半分以上が眠っている時間だ。

 

「軽井沢さんと話していたのだけれど、今日のスポット占有は私達4人だけで向かうべきよ。この雨だと、大人数での移動はデメリットが勝るわ」

「で、どうせなら今から行かない?この時間から回れば明日の点呼までに4回占有できるし、4人だけなら結構早く回れるよね?」

 

 堀北と軽井沢から、示し合わせていたであろう言葉が出てきた。

 相性が良くない組み合わせだと思っていたけど、俺の勝手な思い込みだったのかもしれない。

 

「まぁ、平田君と浅村君がめんどくさいって言うなら、あたしと堀北さんだけでもいいけどね?」

「流石に2人だけで向かわせるわけにはいかないよ」

 

 平田はそう言って、こちらへと視線を向ける。

 

 これで4人のうち、俺以外の3人が合意。

 多数決なら既に答えは出ているし、堀北からの提案である時点でこちらに否はない。

 夜のスポット集会については懸念もあるけど、俺がそばにいるから大丈夫だろう。

 

「俺もそれでいい。他の人には?」

「篠原さんと王さんには話したわ」

 

 伊吹と同じテントで寝起きしている2人。

 どんなニュアンスで伝えたのかはわからないけど、堀北なら抜かりはないはず。

 

「なら大丈夫だね。早速行こうか」

 

 

 

 

 そうして薄暗い中、キャンプを出発した。

 

「足元、気を付けて。かなりぬかるんでるみたいだから」

「大丈夫よ。迷惑はかけないわ」

 

 

 この場面を伊吹に見られれば、4人の中の誰かがリーダーだと確定させてしまうことになる。

 

 ただ、1週間近くも一緒に過ごしているのだ。

 それくらいまではもう絞り込まれているはず。

 

 もしそれすら叶わない人間を送り込んだのなら、龍園の手札も程度が知れる。

 

 

 

 

 

 

 結局、朝と昼のスポット占有は何事もなく完了。

 

 出発のタイミングを目撃された気配もなかった。

 他の女子曰く、伊吹はテントの中でずっとおとなしくしていたとのこと。

 

 幸い、忌々しかった雨も今は止んでいる。

 といっても空は相変わらずの曇天。今にも降り出しそうな、ダークグレイ一色だ。

 

 そこらへんを勘案して、今日はスポット占有以外の遠出は控えようという結論になった。

 

 食料調達も諦めて、完全なる引きこもり40人が完成した。

 

 俺にとっては初めての、この島での手持ち無沙汰な時間が到来。

 

 とりあえずは人心地つけて、夜に備えているところだ。

 

 

 ちなみに、食料に関しては備蓄なんて残ってない。

 その上で調達も諦めたのだから、食糧危機が訪れるのは当然のこと。

 

 平田は試験ポイントを使って対応しようとしたけど、軽井沢を中心としたメンツから待ったが入った。

 

 明日の朝には試験が終わって、船に戻れる。

 そしたら美味しいものがたくさん待っているのだから、今日1日くらいは我慢してもいい。

 

 そんな意見だ。

 

 ほとんどのクラスメイトがそれに賛同した結果、全員が何も食べないで過ごしている。

 

 空腹で、かつやることが無い時間。

 人によってはなかなか堪えるだろう。

 

 例えば、人一倍食べるバスケ部所属の赤髪とか。

 

 

「浅村、なんか面白い話してくれよ」

 

 暇そうにしている須藤からの無茶振り。

 都合、8度目の無茶振りだ。

 

「‥‥‥遠い昔、遥か彼方の銀河系でa long time ago in a galaxy far far away

「お前、どれの話しようとしてる?」

「8」

「殴るぞ」

「わかった、やめるよ。というか暇なら、池達の人狼に混じってきなよ。GM役やってあげれば喜ぶんじゃない?」

 

 言いながら、近くの男子用テントへ視線を送る。

 中で人狼ゲームが開催されているテントだ。

 

「なんで腹減ってるのに頭使わなきゃならねんだ」

「そこまで頭使わないでしょ。ノリで行けるよ」

「性に合わなねんだよ、ああいうやつ。やってる最中も食いもんのことばっか頭に浮かぶし。船に戻った時なに食おうかとか、そんなんばっか考えてる」

「それでさらにお腹が減ると」

「マジでそれ。だから、さっさと時間が過ぎてくれねぇかなって」

 

 そう願うほど、ゆっくりと流れるのが時間という曲者。

 

 俺にも覚えがあることだ。

 それもごく最近に。

 具体的に言うと、星乃宮先生に絡まれてた時。世界が一巡したんじゃないかってくらい長かった。

 

「なら勉強でもする?」

「だから、なんで腹減ってるのに頭使わなきゃならねんだよ‥‥‥。そもそも、ノートもペンもないから無理だろ」

「枝で地面に書けばいい。紙と文房具を自由に使えるのがどれだけ恵まれているのか、理解するいい機会じゃないかな」

 

 そう言ったら、須藤は枝を拾い上げて地面に文字を書いた。

 『クソ』と。

 

「‥‥‥あ〜腹へった」

 

 何度目の『腹減った』だろう。

 

「発想を逆転させるべきかも」

「あ?」

「食い物のことを考えちゃダメって意識してるから、余計にそっちへ寄ってるんじゃない?」

「じゃ、どうしろってんだ」

「食べ物で古今東西してみるとか。暇潰しにもなるし」

「絶対逆効果だろ」

「しばらくやってたら池が釣れる可能性もあるよ」

「うっし、やるか!」

 

 そばにあるテントを指で差しながら言うと、須藤が楽しそうに応じてきた。

 

 さっきまでただただダルそうにしてた表情にもやる気が満ち溢れている。

 目もキラキラし始めたし、完全にお気に入りのおもちゃを見つけた男の子のノリだ。

 

「じゃ、お題は寿司ネタで回答時間は30秒、俺からね。コーン」

「マグロ」

「アスパラ」

「あー‥‥‥エビ」

「味玉」

「‥‥‥タコ」

「ハンバーグ」

「クソッ、あんま出てこねぇ‥‥‥‥‥‥イクラ」

「こっちはまだまだ行けるよ。ちくわ天」

「俺だって余裕だわ。余裕だけどちょっと待て」

 

 そうして須藤がうなり始めたタイミングで、テント入口から勢いよく池が現れた。

 

「食べ物の話は禁止ぃ!あと!浅村のやつは寿司ネタじゃねぇ!」

 

 ビシッとこちらを指差しながら、捲し立てる池。

 それを見た須藤はしばらく呆気に取られたような顔をした後、ニヤリと笑いながらこちらを向いた。

 

「マジで釣れたじゃねぇか」

「みたいだね。びっくりしてる」

 

 滾るツッコミソウルを抑えきれなかったのだろう。

 

「いや、俺を釣る云々とかも聞こえてたから無視する気だったけど、我慢できなかったわ」

「難儀な性格だね。ところで、人狼はいいの?」

「ちょうど吊られた。あと、みんなもちょっと飽きてきたっぽい」

「そっか。じゃあ須藤、30秒経ったから俺の勝ちね」

「‥‥‥‥寛治が今言ってたろ。お前の言ってるやつは寿司ネタじゃねぇって」

「回転寿司とかで提供されてるから立派な寿司だよ。須藤もそれをわかってるから、文句言わなかったんでしょ?」

「いやいや、こういうのは多数決だろ。2対1で俺の勝ちだぜ。なぁ、寛治?」

 

 そう言いながら池の肩へ手を回す須藤。

 『おお、心の友よ』とか言いそうなノリだ。

 

「なら、第3者の意見を聞いてから改めて結論を出そう。──篠原さん、ちょっといい?」

 

 あたりを見回して目についたクラスメイト。ベッドチェアーで暇そうにしていた篠原へ声をかける。

 

 池の体が微妙に強張った。

 

「ん?どしたの?」

 

 篠原はそう言うと、わざわざこちらへ寄ってきてくれた。

 

「すごくどうでもいいこと聞きたいんだけど、食べ物の話していい?」

「え〜やだ〜!どうしてもって言うなら、少しだけ聞くけど」

 

 ケラケラ笑いながら応じてくれたので、質問を投げる。

 

「じゃあ早速。回転寿司に行ったことはある?」

「そりゃあるよ。家族でちょくちょく通ってたかな」

「そのお店さ、アスパラとかコーンとかあった?」

「あったあった!あたしコーン軍艦好きなんだよね」

「健、お前の負け」

「はぁ!?寛治テメェこのやろっ!」

 

 判決を下した池が、須藤からヘッドロックをキめられた。

 こうなることがわかった上で、池は筋を通したのだ。

 なんて漢気あふれる行いだろう。

 

「聞きたかったことって、今の?」

「そう。コーンとかアスパラとかの変化球を寿司ネタとして扱うかどうかで意見が分かれてたんだ。篠原さんのおかげで、無事に寿司ネタとして認定されました」

「イェーイ!」

 

 パチパチと拍手をしてくれる篠原。

 ノリがいい。

 

 これなら間違いなく、池との相性も抜群。俺のお墨付きだ。

 

「ちなみに、そこでヘッドロックしてる方が反対派。されてる方が賛成派」

 

 そう伝えると、篠原はヘッドロックされてる方(池)へ声をかけた。

 

「わかってるじゃん。たまにいるんだよね〜、コーンとかアボカドとか認めない古典派が」

 

 ジロリ、と須藤が視線を篠原へと向ける。

 

「俺のこと言ってるだろ、篠原」

「もちろん。早く池を解放しろー」

「こいつが考えを改めたら離してやるよ」

 

 須藤はそう返すと、エンドゲームやたらかっこいい名前の締め技の体勢へ移行。

 

 『解放しろ〜』と一人シュプレヒコールをかましている篠原も、楽しげな様子だ。

 

 

 すると、池と同じように会話を聞きつけたのか、テントの中から人狼組がゾロゾロと出てきた。

 

 山内が『そもそもワサビ入ってないやつが寿司を名乗るべきじゃない』と言えば、本堂が『原理主義者かよ。稲荷寿司とかちらし寿司はどうすんだ』と返す。だいぶ場が温まってきた。

 

 

 

「随分と賑やかだな」

 

 その熱に惹かれたのか、幸村も声を掛けてきた。

 話すのは初日以来になる。

 

「みんな、譲れないものがあるみたいだね」

「10分後には鎮まってそうな空元気にしか見えない」

「それでも、何もしないで過ごすよりはいいと思う。一番苦痛を感じるのって、暇な時だし」

「‥‥‥なら、少しだけ俺の暇つぶしに付き合ってくれ」

 

 そう言って踵を返す幸村。

 黙ってその後に続くと、少し離れたあたりで足が止まった。

 

「明日、他クラスのリーダーは指名するのか?」

 

 単刀直入の問いかけ。

 

「そのつもりだけど、最終的な結論はこれから。もしかして、何か掴んでたりする?」

「いや全く。完全に興味本位だ」

 

 言って、幸村は軽く息を吐いた。

 

「浅村はいつもどうやって動いてる?」

「動いてるって言うのは」

「情報の集め方だ。この試験が実施されることも、事前に言い当てていただろう」

「ひたすら人から話を聞く。それに尽きる。そんなに奇抜なことはやってないと思うよ」

「それ、今回みたいな試験でも通用するのか?」

「この島に来てからは、Dクラス以外だとBクラスとしか話せてない気がする」

「通用してないんだな」

「大丈夫。リーダーの目処はついてるから」

「試験が終わったらでいいから、どうやって突き止めたか教えてくれないか?」

 

 眼鏡をクイっとした幸村が、フイッと横を向く。

 

「それも興味本位?」

「後学のためだ。これから、同じような試験がないとも限らないからな」

「誤指名したら理由や経緯を説明する、にしてくれない?」

「あまり言いたくないか?」

「そうだね。こういうのって、ネタばらししない方がかっこよく見えるし」

「‥‥‥なら、かっこよく終わらせてくれよ」

 

 そう言うと幸村は戻って行った。

 



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41.

 

 試験最終日の朝が、何事もなくやってきてしまった。

 

 『しまった』なんて悪いことのように言っているけど、もちろんいいことだ。

 ただ、釈然としないだけで。

 

 

 実質的な最終日である試験6日目に、狙ったような大雨。

 

 その状況で何も起こらないなんて、重大な見落としをしているのでは。

 そんな考えがよぎってしまう。

 

 とはいえ、堀北から情報をもらった時のような胸騒ぎはない。

 

 過去最高レベルで気を張ってたのに、肩透かしを食らってしまった。

 それが飲み込めてないだけだろう。

 

 

 

 

 

「テント解体と穴の埋め立ては終わったよ。他は?」

「ありがとう。こっちはもう大丈夫かな」

 

 平田へ声をかけて、そう返された。

 

 時刻は7時前。

 

 昨日までならまだまだ寝ているクラスメイトもいる時間帯だけど、今日は全員が起床済み。

 試験終了までにできる範囲で、ベースキャンプを元の状態へ戻しておくように言われていたからだ。

 

 クラス総出で取り掛かっているので、片付けは順調に進んでいる。

 これなら、点呼までには完了できそうだ。

 

「じゃ、俺はそろそろ出かけても平気?」

「そうだね。みんなにはタイミングを見計らって話しておくから」

「よろしく」

 

 指名するリーダーを確定させるために点呼を欠席することは、堀北、平田、軽井沢にだけ伝えてある。

 

 伊吹その他への漏洩を警戒して、それ以外のクラスメイトには未だ知らせていない。

 点呼の直前あたりで、平田から説明してもらうという段取りだ。

 

 そんなわけで、できるだけ気取られないよう抜け出さなければならない。

 

 堀北にアイコンタクトだけ送って、ベースキャンプを後にした。

 

 

 

 そうして、1つ目の目的地に到着。

 既に待ち合わせ相手である神崎が待ち構えていた。

 

「お待たせ」

「いや、今回は待ってない」

「そこは『ううん、今来たところ』って返さないと。早速だけど、Bクラスの意見はまとまった?」

「ああ。大半のクラスメイト達も、Dクラスとの協力については賛成してくれた」

「それは何より」

 

 言いながら、神崎へメモを差し出す。

 

「これは?」

「試験中に船上への滞在を確認したCクラス生徒、計34人の名簿」

 

 堀北へ話した時よりも人数が増えた。

 昨日や一昨日の日中にちょくちょく監視していた成果だ。

 

「停泊している位置はかなりの沖合だったはずだが」

「マニュアルの物品リストに双眼鏡があったでしょ」

「なるほど。それで、なぜ俺にこれを?」

「追加の情報提供。Cクラスのリーダーを指名する参考になるかと思って」

「このリストに間違いが無いとして、確率は6分の1。分の悪い賭けだな」

「だから、あくまで参考程度で。ちなみに金田は?」

「昨日リタイアした」

「船に戻る場面まで確認した?」

「ああ。クラスメイトを何人か同伴させた」

「なら5分の1まで絞り込めるね」

「伊吹はリタイアしてないのか?」

「俺がキャンプを抜け出した時は、まだ残ってた」

 

 こちらの返事を聞いて、神崎の表情に険が混じった。

 

「‥‥‥抜かれたのかもしれないな」

 

 メモを見ながら、呟くように言う神崎。

 

 何とは言っていないが、間違いなくリーダーについて言及している。

 金田がスパイだという前提で話せば、役目を果たしたから一足先にリタイアしたというのは十分にあり得る流れだ。

 

「今更どうにかできるものでもないし、結果を待つしかないよ」

「わかっている。ところでこの名簿、龍園の名前が見当たらないが」

「書いてないからね」

 

 神崎が目を細める。

 

 そのまま押し黙って何やら考え込んでいる様子を見守ること1分。

 ハッとしたようにこちらへ向き、口を開いた。

 

「‥‥‥いや、すまない。この名簿に載ってない生徒については知っているか?」

「面識あるのは椎名さんくらいだけど、どうかした?」

「内向的なやつを除いてさらに絞り込みたい。甲板に出てこなければ、リタイアしててもこの名簿に載らないわけだろう?」

「その観点で言うと、食堂とかモールで見かけないタイプだね」

「島に残っているのは伊吹だけ、という可能性も十分にあるわけか」

「そこについてはなんとも」

 

 少なくとも龍園は残っているというのが俺の見解だけど、神崎の言っているパターンも否定できない。

 それの答え合わせも、もうすぐできる。

 

「ともかく、その名簿は上げるから好きにして」

「ああ。しかし、よくもまぁ次から次へと情報が出てくるものだ」

「流石にもうネタ切れだよ。今のメモにしても、本当ならそっちへお邪魔した時に渡すつもりだったし。トラブルがあって頭から吹き飛んでたけど」

「‥‥‥星乃宮先生の介入が悔やまれるな」

「いや、一番の被害者は俺だからね?」

「それについては一之瀬がかなり気に病んでいた」

「だろうね。帰り際の謝り方、すごい勢いだった。気にしないでって言っても逆効果かな?」

「逆効果だろう。──と、話が逸れたな」

 

 点呼の時刻まで残り30分を切っている。

 神崎がCクラスのリーダーを指名したいなら、そろそろ戻る必要があるはずだ。

 

「後は、お互いのリーダー指名をどうするか、だ。そちらに異存が無ければ、今回は相互で指名しないよう約束しておきたい」

「それでいいよ。書面に残す?」

「口約束で問題ないだろう。破ればどうなるか、お互い理解してるはずだ」

 

 神崎がしれっと恐ろしい言葉を吐く。

 

 これは間違いなく脅迫だ。

 違えれば星乃宮先生を差し向けるという、紛う事なき脅迫だ。

 

 見損なった。

 教師とは尊敬するべき対象。

 それを脅迫の道具として利用するとは、なんて卑劣な男だろう。

 

「信頼の証として受け取っておくよ。ところで、時間は大丈夫?」

「そろそろ戻らないとまずいな。ただ、最後に1つだけ聞いておきたい」

「どうぞ」

「Dクラスは、Cクラスのリーダーを指名するのか?」

「まだ悩んでいる最中。結論が出るのは、たぶんギリギリかな」

「そうか。情報、感謝する」

 

 そう言うと神崎は早足で離れていった。

 

 あとは龍園の所在確認のみ。

 

 試験終了の時間まで、念の為に全クラスのベースキャンプから離れた位置で待機だ。

 

 

 

 そしてアラームが鳴った8時になった瞬間、時計を外して駆け出す。

 

 行き先はCクラスのベースキャンプにある坂上先生Cクラス担任のテント。

 

 30秒ほどで目的地近くに到着すると、テントを出発して森の方へと向かっている坂上先生が視界に入った。

 

 その手元の教師用端末には、島の地図と2つのシグナルが表示されている。

 

 片方は俺達がキャンプを構えたあたりで点滅し、もう片方は島の中央部、全拠点から離れている場所で点滅していた。

 

 ビンゴ。

 伊吹以外の誰かがこの島に未だ滞在していて、坂上先生はそいつの元へ向かっているわけだ。

 

 

 

 スーツ姿のCクラス担任は、躊躇いなく木々の中へと足を進めていく。

 

 気取られないように距離を維持しつつ、その後を追った。

 

 

 

 7分後、シグナルの近くで足を止めた坂上先生が辺りを見回して口を開く。

 

「龍園、そこにいるか?」

 

 声に反応して茂みが揺れて、その向こうから汚れた身なりの龍園が現れた。

 

「ようやく終わりか」

「金田君はリタイアした。伊吹君は──」

「言われなくてもわかってるぜ、先生」

「そうか、ではめるとしよう。まずはカードだ」

「ああ」

 

 返事と共に、龍園はキーカードを差し出す。

 

 受け取った坂上先生がそれを懐にしまう瞬間、わずかに見えたアルファベット。

 

 『Kakeru Ryuen』の文字列。

 

 Cクラスのリーダーは龍園で確定した。

 

 

 残るはもう1つ。

 

「確かに。では、これに各クラスのリーダーを記載しろ」

 

 そう言って、坂上先生はボードに乗せた用紙を手渡した。

 

「全く。努力は嫌い、君は良くそううそぶくが──」

 

 用紙にペンを走らせる龍園相手に、坂上先生が続ける。

 

「汚れた服に、傷を負った身体。その全てが勝利への執念と努力を物語っている」

「くだらねぇこと言うなよ、先生」

 

 返事と共に龍園が差し出した用紙には。

 

 

 Aクラス:戸塚弥彦

 Bクラス:白波千尋

 Cクラス:    

 Dクラス:

 

 

 AクラスとBクラスの生徒氏名が記載されていた。

 

「ほう、Dクラスだけ指名せず。手心でも加えたか?」

 

 用紙を受け取りながら、坂上先生がそう言い放つ。

 

「俺がそんな真似すると思うか?」

「想像できないな。やはり、浅村君か?」

「さぁな。ただ、いい遊び相手にはなりそうだ」

 

 話しながら、2人は移動を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 実に面白くない結果だ。

 

 堀北の情報源が龍園である可能性が跳ね上がってしまった。

 

 加えてAとBのリーダー指名まで的中していた場合、それは龍園が有能であることの証左となる。

 

 つまり、フェードアウトは望めないかませではない

 

 本格的な長期戦を覚悟しておくべきだろう。

 

 

 ただ、1つだけ嬉しかった要素もある。

 

 龍園が戸塚を指名したことだ。

 

 これで、AとCが協力している線はかなり薄くなった。

 

 物資のやり取りは、単なる取引と見なすべきだろう。

 

 突き詰めれば、須藤の件に葛城が関与している可能性がかなり低下したのだ。

 

 

 

 

 そんなことに考えを巡らしながら、2人の側から離脱。

 

 

 

 

 それから、移動中のAクラスの集団の中に戸塚がいることリタイアしてないことを確認した後、放置してた腕時計を回収してDクラスキャンプへと帰還した。

 

 

 時刻は8時12分10万払わなきゃ良かった

 

 ベースキャンプ跡地には人だかりができていて、中心には用紙を持った堀北と平田、そして茶柱先生が立っていた。

 

 まだ少し遠いその集団へ声を掛けると、全員がこちらを向く。

 

 それに向かって全力のサムズアップを決めて、無人島試験が終了した。

 

 

***

 

 

 戻ってきた浅村君からのゴーサイン。

 彼を迎える歓声を脇目に、リーダー指名用紙へ戸塚君と龍園君の名前を書き込んで、茶柱先生へと手渡した。

 

「お待たせしました、茶柱先生。これでお願いします」

「結構。さて、結果発表の時刻が迫っている。お前達全員、急いで移動だ」

 

 呼びかけながら、茶柱先生は早足で歩き始める。

 一瞬の間を置いて、他のクラスメイト達もそれに追随した。

 

 

 宣言した通り、先頭の茶柱先生はドンドン先へ行く。

 正直なところ、ついて行くのが少し辛い。

 

 ただ、それもすぐに終わる。

 

 

 目的地はもう目の前。

 

 木々の向こう側に見えてきた海岸。

 クルーズ船に戻るための舟艇。

 整列しているAクラスの生徒とBクラスの生徒に、伊吹さんと龍園君。

 

 

 

「よし、全員揃っているな。私はこれから集計作業に入る。結果発表は9時を予定しているから、それまで待機していろ」

 

 告げて、離れていこうとする茶柱先生。

 

 それに向かって、浅村君が手を挙げながら声を掛けた。

 

「暑くて倒れる自信があります。時間までクラス全員、日陰で待機してていいですか?」

「構わん。発表のアナウンスが流れたらすぐに戻ってこいよ」

 

 茶柱先生は歩きながら返事をすると、近くのテントへと入った。

 

 

 

 重い体を日陰で休めることしばらく。

 目を閉じて息を整えていたら、誰かが近くで腰を下ろす音がした。

 

「お疲れ様」

「‥‥‥ようやく解放されたみたいね」

 

 浅村君へ、労いの言葉を投げる。

 

「どこにそんな元気が残ってのかってくらい激しかった。少し待てば結果なんて分かるのにさ」

 

 何人ものクラスメイトに囲まれた浅村君は、キャンプからここへの移動中もひたすら質問責めされていた。

 どうやったのかは見ていなかったけど、うまいこと抜け出してきたのだと思う。

 

 誰かに見つかってしまえば、それも元の木阿弥。

 再び何人ものクラスメイトに囲まれるはず。

 

 けれど、今は私と2人だけ。

 

 最近気付いたことがある。

 浅村君は人の視線を避けたり逸らすのが上手い。

 

 でなければ、今だって10秒と経たずに見つかって、質問責めが再開されているはずだから。

 

「みんな、あなたに期待してるのよ」

「正直、心臓に悪い。さっさと結果発表されないかな」

 

 言葉とは裏腹に、浅村君は平静そのもの。

 彼に質問を投げかけていた人達も、不安というよりは期待しているような、そんな楽しげな表情をしていた。

 

 今も周りから聞こえる会話は、何ポイント取れているかという話題がかなりの割合を占めている。

 

 

 

「そうだ、忘れるとこだった」

 

 浅村君はそう言うと、折り畳まれた紙を差し出してきた。 

 

 開いてみると、中には『龍園はAクラス:戸塚 Bクラス:白波を指名』というメモ。

 

 綾小路君の予見した通り、CクラスはAクラスとBクラスのリーダーを指名した。

 

「Bクラスの指名は、金田君の功績かしら」

「順当に考えればね。ただ、戸塚まで指名したのは意外だった」

「Aクラスとは協力していなかった。そういうことでしょうね。トップを走るクラスのポイントが減るだからありがたいことよ」

「確かに。‥‥‥さて、そろそろみたいだ」

 

 そう言った浅村君が立ち上がりきると同時に、アナウンスが流れた。

 

『これより、特別試験の結果発表を行う』

 

 

 

 

 

「この1週間、諸君の取り組みを見せてもらった。真正面から試験に挑んだ者。工夫し試験に挑んだ者。総じて素晴らしい試験結果だったと思っている。ご苦労だった」

 

「なお、結果に関する質問は一切受け付けてない。自分達で分析し、以降の試験に活かされることを期待する」

 

「では、特別試験の順位を発表していく。最下位は──Cクラス、50ポイント」

 

「続いて3位はBクラス、140ポイント。2位はAクラス、170ポイント」

 

「そして1位はDクラス──411ポイント」

 

 



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42.

 

 順位とポイントが告げられた次の瞬間、周囲が一斉に沸いた。

 

「1位だよ1位!しかも400!」

「ほんと!?ほんとにあたし達1位なの!?」

「やぁったぜぇ!」

「ッシャァ、オラァ!」

一月ひとつき5万??一月ひとつき5万!?一月ひとつき5万!!」

 

 方々から聞こえてくるクラスメイト達の歓声。

 それを微笑ましいとは感じながらも、同調できない自分がいる。

 

 

「あまり嬉しそうには見えないけれど、この結果でも不満かしら?」

「まさか。申し分ない成果だと思うよ」

 

 堀北へ告げたその言葉に嘘はない。

 変動バクチ要素として残っていた戸塚への指名成功と、俺への指名回避。

 その双方で賭けに勝ったのだ。

 Dクラスとして望み得る最高の結果と言える。

 

 ただ、心配事があって気分が上がらないだけで。

 

「だとしたら少し残念ね。年相応に喜ぶあなたが見れるかと思っていたのに」

「俺も、嬉しそうにしている堀北さんを見てみたかったな」

 

 そう返すと、堀北はそっぽを向いて黙りこんでしまった。

 少し残念だ。

 

 まぁ、この試験を堀北が無事に乗り切ってくれただけでもヨシとしよう。

 正直なところ、もっと体調を崩す展開になると思っていたから。

 

 疲れ切った堀北を目の前にして『無事に』なんて言うのもアレだけど、要はそれだけ不安だったということだ。

 

 無事じゃないのは、俺の精神的な諸々。

 

 新たに現れた情報提供者、こいつのせいで試験結果を喜ぶどころでは無くなってしまった。

 監視者と並んで厄介な存在だ。

 

 両方とも、正体は龍園だったりしそうで怖い。

 

 ‥‥‥冗談抜きで、この2つが同一人物というのはあり得る。なんか、そんな気がする。

 

 

「オイ!2人揃ってなぁに澄ましたツラしてやがんだ!400ポイントだぜ400ポイント!」

 

 寄ってきた須藤が、捲し立てながら肩を組んできた。

 ちょっと見たことがないレベルの笑みを顔に浮かべている。

 

「それともなんだ?これでも足りねぇってか?」

「満足かって意味でなら、少し足りないね。100億くらい足りない」

「‥‥‥んなアホみたいなポイント、あったとして何に使うんだよ?」

「残高眺めて悦に浸る」

 

 そう返すと、須藤の笑みが呆れたようなそれに変わった。

 

「お前が食費にすらポイントほとんど使わねぇ理由、それとか言わねぇよな?」

「Yesって言ったらどうする?」

 

 流石にこれは冗談だ。

 

 今後のことを考えて、少しでも多くのプライベートポイントを確保しておきたいというのが本当の理由。

 活用できる場面がかなりあるという予測は、茶柱先生との取引で確信に変わった。

 

 だから、節制はこれからも続けていく。

 散財するのは、それこそ残高100億くらい行ってからの話だ。

 

 ちなみに堀北とのデートは、言うまでもなく必要経費。

 というかその支出優先度は最上位なので、食費その他の出費を切り詰め、なんなら借金してでも払うべきものだ。

 

 首が回らなくなるくらいまでデートしたい。

 

「なぁ、これからは月に5万入ってくるんだぜ?もうちょっと肉の量とか増やしても良くねぇか?」

「毎月10万入ってくると信じた結果、一文無しになった例がある」

 

 こちらの言葉を聞いて、グッと黙り込む須藤。

 ちょっといじめすぎたか。

 

「冗談だよ。そっちもポイント負担するなら、もう少し豪華なやつ作ってもいいけど」

「‥‥‥どこからが冗談だ?暗い部屋の中、1人で残高眺めてニヤニヤするってのはガチだろ?」

「最初から最後まで。料理のグレードを上げるって部分も冗談になったからよろしく」

「あ、ヒキョーだぞてめぇ!」

「冗談だよ」

 

 俺が返すのと同時に、茶柱先生の呼びかけが聞こえてきた。

 

「さて、試験は終了だ。各自、忘れ物が無いか確認しろ。準備ができた者からボートに乗り込め」

 

 それを聞いて、ゾロゾロと移動するクラスメイト達。

 

 ようやく終わった。

 そう実感した途端、身体が空腹と眠気を訴え始める。

 

 色々と気になることはあるけど、船に戻ったらとりあえずは飯食って一眠りだ。

 

 

 

 そうして船に戻ると。

 

「試験ご苦労だったねぇ、諸君」

「テメェ、高円寺!」

 

 俺達を待っていたのは、いい感じに日焼けしたブーメランパンツ姿の高円寺だった。

 ジュース片手にとても楽しげな表情をしている。

 

 そんな煽りスタイル全開のターザンへ、須藤が詰め寄っているのが目の前の構図。

 

「落ち着きたまえよ、レッドヘアー君。1位を取ったのが初めてとはいえ、いささか興奮しすぎだ」

「ざけんな!誰のせいで30ポイントも減ったと思ってやがる!」

 

 かなりの勢いで須藤が詰っているけど、高円寺は全く動じていない。

 壁に背を預けながら、上機嫌にジュースを飲んでいる始末だ。

 

 それが一層、相手の神経を逆撫でている。

 

「おい!聞いてんのかテメェ!」

 

 今にも掴みかかりそうな剣幕の須藤。

 

 いつもならそんな振る舞いに眉をひそめているだろう他のクラスメイト達も、今回は須藤の味方だ。

 何人かは同調して高円寺へ迫りそうな気配すらある。

 

 気持ちは理解できるから、暴力沙汰にならない限りは好きにやらせてあげたい。

 ただ、事情がそれを許さないので、須藤の肩へ手を置いて制止する。

 

「須藤、いいから行こう」

「あ!?お前はムカついてねぇってのか!?」

「急がないと、レストランの席埋まっちゃうよ」

「バカヤロウ何やってんだ、さっさと行くぞ」

 

 言い終わるや否や須藤は歩き出した。判断が早い。

 

 きっと、頭ではなく身体で理解しているのだろう。

 最も優先されるべきは栄養補給だと。

 

 

 それからは部屋で着替えて、早歩きと言い張れるギリギリの速度でレストランへ急行した。

 急いだ甲斐もあって、なんとかテーブルの確保に成功。

 

 試験を終了したばかりである俺達の空腹に配慮したのか、食事はビュッフェスタイルで提供されていた。

 

 握り寿司、ローストビーフ、炊き込みご飯、野菜のマリネetc。

 鮮やかに並んでいる料理、その全てが無料。

 なんて素晴らしい空間だろうか。

 食事とは斯くあるべし。

 

 

 まずは各自が好き勝手に食事を取ってきて、テーブルに並べた。

 その内訳が偏っていたのは、ある意味では当然の帰結と言える。

 具体的に言えば、寿司、寿司、揚げ物、肉、寿司、揚げ物、肉、寿司、揚げ物、肉、申し訳程度1人分のサラダ、肉。

 なかなか男子高校生らしい罪深いラインナップだ。

 

 

 

「もっと野菜も採った方がいいよ、須藤」

「おう、食えたら食うわ」

 

 ひたすら肉や揚げ物をかきこんで、コーラで流し込む。

 そんな罪深い行いを繰り返している須藤への忠告は、軽く流されてしまった。

 あの返事、絶対に食べないやつだ。

 

「っかー!米ってやっぱうめぇ!」

「マジそれ。生きててよかった」

「しっかしアレだよな。高円寺のヤツ、俺らが無人島にいる間も毎日こんな食事してたってことだよな」

「浅村さ、マジでどうにかしてくれよアイツ」

「いや、ドラえもんじゃないんだからさ」

 

 軽く言ってくる山内に対して、適当に返す。

 

 今回みたいなことが幾度もあるなら流石に手を打つことになるだろうけど、できればそれは避けたい。とてもめんどくさい。

 

 

 それからしばらくは食べることに専念。

 ひたすらカロリーを摂取していたら、4人の端末が同時に鳴った。

 確認してみると、クラスの全体チャットで平田が『今夜、クラスのみんなで打ち上げをしたい』という提案を投げている。

 『参加します』という返事を投げて食事を再開すると、同様に端末を見ていた池が口を開いた。

 

「焦ったぁ。また騙し討ちで試験が始まるのかと思ったわ」

「俺も。これから1週間は遊べるって言われてるけど、実際どうなんだ?浅村、なんか知らねぇの?」

「何も知らない。でも池の言う通り、俺達が油断したタイミングを狙ってくるってのはありそうだよね」

 

 ありそうというか、その線が濃厚だと思っている。

 

 今まで優しさなんてカケラも持ち合わせていなかった学校が、『クルーズ船での1週間を楽しめ』なんて言ってきたところで信じるわけがない。

 目的が無人島での試験だけなら、終わり次第学園に戻るはずだ。

 

 そんなわけで、折を見て茶柱先生に探りを入れる予定。

 

「お前ら3人とも気にしすぎだろ。そん時はそん時だ。それより、メシ食い終わったら何するよ」

「打ち上げまで寝る」

 

 真っ先に返事をすると、須藤が不満そうな顔を向けてきた。

 

「遊ばねぇの?」

「今日は許して。本当に眠い」

 

 言ってるそばから、どんどん瞼が重くなってきている。軽く見積もっても100トン以上の重量だ。

 食欲がある程度満たされたのならば、次は睡眠欲。

 身体がそう訴えていた。

 無人島での無茶振りに応えてくれたのだから、次はこちらが応じる番だろう。

 

 そのままだと食事をしながら居眠りしかねない勢いだったので、自分で取った食事だけ平らげて部屋に戻った。

 シャワーを浴びてから端末を確認すると、『打ち上げの開催は17時、甲板でBBQ』という平田からの返信。

 これなら、まとまった睡眠が取れそうだ。

 

 そうしてベッドへとダイブした俺は、着地を確認することなく意識を手放した。

 

 

***

 

 

 アラーム音で目覚め、ベッドから体を起こす。

 

 時刻は16時で、打ち上げ開始までの猶予は1時間ほど。

 部屋の窓からは強烈な西日が差していた。

 

 シャワーを浴びて身なりを整え、平田が確保してくれた甲板へと向かう。

 いつものごとく、段取りは全部丸投げした。ありがとう平田。

 

 そんな感謝と共に到着すると、既に数人のクラスメイトがグリルやテーブルを並べたりしている。

 

「早いね、浅村君」

 

 先客の1人、平田がこちらに気付いた。

 

「待ちきれなくて、つい。準備、まだ何か残ってる?」

「それなら飲み物を並べてもらえるかな」

「了解」

 

 今回は段取りを丸投げしなかった。よくやった俺。

 

 そんな自画自賛と共に準備を進めていたら、開催時間が迫っていた。

 クラスメイト達も続々と姿を表している。

 

 ちなみに参加を表明したのは38人で、残りのうち1人堀北は不参加、もう1人高円寺は未回答。

 参加率は97%という凄まじい数字だ。

 堀北の不参加が体調不良であることを考慮すれば、実質的に100%と言い張ることもできなくはない。

 

 もし特別試験前に似たような催しがあったとしても、参加率は良くて半分程度だっただろう。

 

 勉強会がその最たる例で、学習進度の違いなどいくつかの事情があるとはいえ、目に見える形で区切ってしまっていた。

 だから、クラスの内側に壁があったことは否定できない。

 

 苦労を共にし、結果として1位を取った7日間。

 それで、多少は雪解けしているといいんだけど。

 

 

 

「浅村君、なんでエプロン着てるの?」

「焼く気満々だから」

 

 話を振ってきた櫛田へ返事をしながら、手に持ったトングをカチカチと鳴らしてみせる。

 

 俺はこれから鉄板奉行、もといグリル奉行になるのだ。

 なら、それに相応しい装いというものがある。

 

 チェンソーマンが服を着ないように。

 くまのプーさんが上半身しか服を着ないように。

 

 俺にとってのそれが、エプロン姿だったのだ。

 

「1人だと大変だよね?私も手伝ったほうがいいかな?」

「やめとけ櫛田。こいつ、こういうの結構うるせぇぞ」

「そ〜そ〜。それより桔梗ちゃん、何飲む?」

 

 遊びの誘いを断ったせいか、須藤のあたりが強い。

 そしていつも通りの池。

 手伝ってほしいわけじゃないけど、2人は櫛田を見習うべきだ。

 

「‥‥‥浅村君、大丈夫?」

「ご心配なく。結構好きなんだよ、こういうの」

 

 そう言って、温まってきた4つのグリルへ肉や野菜を並べていく。

 

 ようやく、夏休みらしくなってきた。

 

 

 

 

 そして1時間と少し後。

 水平線へ太陽が沈みそうな頃になって、俺の仕事は完了した。

 

「お前、マジで1人でさばき切ったな」

「グリル4つにトングが2つ。あわせて8倍だったからね」

 

 焼き終えた最後の肉を皿に乗せながら、須藤に返す。

 大体のクラスメイト達は食事に満足した様子で、適当なものをツマみながらおしゃべり中だ。

 

「はい、これで終わり。‥‥‥ちょっと、手とか洗ってくる」

「おう」

 

 須藤にそう告げて、抜け出した。

 

 歩きながら端末を開き、1人で過ごしているだろう堀北へチャットを投げる。

 

『体調はどう?』

 

 正直、返事がもらえるのは明日あたりだろうと思っていたけど。

 

『夏風邪だからしばらく安静にしてること、だそうよ』

 

 予想に反して、ものの十数秒で文章が返ってくきた。

 

『なら、ぶり返さないように気をつけないとね。電話できる?』

『ええ』

 

 ダメ元で聞いてみると、一瞬で了承を貰えた。

 これも予想外。

 嬉しい誤算だ。

 

 早速電話をかけると、ワンコールで堀北の声が聞こえてきた。

 

「あなた、今は平田くん達と祝勝会に出ているかと思っていたのだけれど」

「ちょっと抜け出してきた」

「主役にあるまじき行いね」

「38から37になったところで、大して変わらないよ」

「なら、そういうことにしておいてあげましょう。それより、どうかしたのかしら?」

 

 電話をかけた理由を問いかけてくる堀北。

 ただ、そんなものはない。

 

 正確に言えば、堀北へ伝えられるような理由がない。

 声を聞きたかったっていう理由はあるんだけど、正直に伝えて引かれでもしたら命を絶つことになってしまう。

 

「これといった理由は無いんだ。なんとなく電話しようかなって思っただけで。迷惑だった?」

「そうでもないわ。ずっと読書してて、そろそろ気分転換したいと思っていたところだから」

「誰がために鐘は鳴る?」

「ええ、もうすぐで読み終えるところよ。次に何を読もうか決めていないのだけれど、オススメはある?」

 

 俺のセンスが試されている。

 まぁいくら悩んだところで、結局は自分が好きな本を薦めるという結論になるんだけど。

 

「‥‥‥そうだな。堀北さん、SFは?」

「あまり読まないわね。昔、ジュールヴェルヌをいくつか読んだ程度で」

「なら、JPホーガンの『星を継ぐもの』を。この船の図書室にもあると思うよ」

 

 この船の蔵書は、クルーズ船にしてはかなりの規模だ。

 だから、たぶんある。

 

「あなた、SFが好きなのかしら?」

「何かジャンルを1つ選べって言われたら、SFかな」

 

 そう返すと、通話の向こう側で堀北が微かに笑った。

 

「何かあった?」

「‥‥‥いえ、気にしないで」

「本当に大丈夫?」

「大丈夫よ。それよりも浅村君、そろそろ戻ったほうがいいと思うわ」

「わかった。その前に、堀北さんからも何かオススメしてくれない?」

「‥‥‥ダフニの『レベッカ』」

「ありがとう。読んでみるよ」

「ええ。それじゃ」

「またね」

 

 そう言って、通話が切れた。

 

 

***

 

 

 浅村君との通話が終わって、すぐに部屋を出た。

 あの部屋にいると笑いかけたことを思い出して、なんとなく負けた気になってしまうから。

 

 

 目的地である図書室に入って、『星を継ぐ者』の題名を備え付けの端末で検索。

 すぐに『蔵書有り』の結果が返ってきた。

 

 案内された本棚へ向かうと、JPホーガンの著書が並んでいる。

 ただ、そこにあるだろうと思っていた目当ての本が無い。

 収まっているはずだった場所には、一冊分のスペースがぽっかりと空いていた。

 

 ──本が湧き出してくるわけもないのに、何故だかそこを眺めてしまう。

 

「もしかして、この本をお探しでしょうか?」

 

 しばらくそうしていたら、横から聞こえてきた声。

 視線を向けると、面識のない少女が目的の本をこちらへ差し出していた。

 

 この人は、たしか──

 

「ええ、よく分かったわね」

「借用処理をしていなかったので、もしかしたらと思っただけです」

「私も申請したわけではないわ。優先権はそちらにあると思うけれど」

「いえ、読み終えたのでお構いなく」

「‥‥‥そう。差し支えなければ名前を聞かせてもらえるかしら?」

「Cクラスの椎名です」

 

 

 自分の性格が友好的なそれからかけ離れていることは、痛いほど理解している。

 そんな私でも、確たる理由もなく初対面の相手へ敵対心を抱いたのは、初めての経験だった。

 



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