Fate/relation (パープルハット)
しおりを挟む

プロローグ

感想等お待ちしております。誤字、誤表現がございましたら連絡お願いします。


【プロローグ】

 

開発都市第二区、此処は深夜になり初めて街の明かりが灯される。昼は蝙蝠と梟の休み場であるシャッタータウンも、十二時を過ぎれば歩行者天国だ。下級市民御用達の安上がりソープランドに、一夜にして数千万の金が飛ぶ賭博場。出店で売られている酒には違法薬物が盛られているとも噂される。都市構造からしてハチャメチャな街。貧困層、富裕層問わず狂った人間がより狂う為に現れる場所だ。

 

「見たか、巧一朗。アイツ度数の高い酒に溺れて死んだぞ。いや、あれは睡眠薬とのダブルパンチか?女の胸で死ねるなんて幸せ者だな。」

「……行くぞキャスター。ここで人が死ぬのは珍しいことじゃない。朝には全部綺麗さっぱり処理されているさ。」

 

この街においては余りにも平凡な服装の青年は、派手な衣装を纏った少女と共に街を散策する。彼は携帯に移された女の顔をしきりに探すが、人の波で溢れかえった通りで目当ての人物を発見するのは容易ではない。

一方、彼の後ろに付いて歩く少女は、彼の『仕事』に全く興味を持たない。少女が求めるのは無様な人間が魅せる最期の足掻きのようなもの、生に囚われた人間の死にゆく様を第三者として眺めることが彼女にとっての愉悦なのだ。

 

「つまらんな。死に飢えた獣はおかずにならない。」

「ここに来る奴が生きることを求めていると思うか?生と死を超えた絶頂こそこいつらの主食なんだよ。」

「それもそうだな。注射器で穴だらけの彼らはバーサーカークラスみたいなものだ。」

 

彼は街の裏側を目指した。あらゆる法に縛られぬ地区であるならば、そこに女の手掛かりはある筈だ。だがどの道を進もうと、同じ場所へ帰ってくる。裏側への通路は何者かによって秘匿されている。

 

「巧一朗、分かっているかとは思うが。」

「あぁ、サーヴァントの仕業だ。」

 

青年は探し求めている女では無く、今度はこの地区に住まう魔術師を目標にした。魔術師と言ってもホンモノがこんな場所にいるはずも無いので、赤い紋様、令呪を頼りに探索を始める。

 

「巧一朗とは違う、どうせマキリコーポレーションの令呪(タトゥー)だろ?数か月前に限定無料配布もやっていた…」

「そうでもしないと稼げないんだ。肝心の『人形』が高すぎるからな。」

 

少女は青年の右手に宿る三画の印を見つめる。マキリ社の提供する痣と違って、精度は良いが使い切り。契約して定期メンテナンスをすれば回復できるモノでは無い。それは彼が本物の魔術師であることを表している。

だが少女にとって巧一朗という青年が魔術師であろうが無かろうが、どうでもいいのだ。彼女にとって彼はマスターと呼ぶ対象ではない。少女は所詮人形に宿っただけの死者。専属従者サービスで現世に蘇らされた召使ロボットに過ぎない。令呪など無くとも、首元のスイッチを切れば彼女の魂は霧散する。それが上場企業の生み出した、新たなサーヴァントシステムである。

そして、少女は己の使命を全うする気も無い。巧一朗の住居に居候する只の厄介者であり、彼の『仕事』に付いて回っては、人間の醜さを観察する。彼女は気ままに第二の生を謳歌していた。

 

「なぁ巧一朗。サーヴァントは見つけたぞ。」

「…何?」

 

少女はクツクツ笑うと、光を失った外套に飛び乗り、辺り一帯を見回した。

 

「おいキャスター、どこにいるんだ、そのサーヴァントは。」

「巧一朗、君もよく辺りを見回してみるがいいさ。」

 

少女は青年を無理矢理狭い外套の上に誘う。彼は上手くバランスを取りながらも、少女に言われた通り、地区の全体を俯瞰した。

 

「酒屋、風俗、賭博場、怪しげな喫茶店、店が連なっていて、何より人通りが多い。人形に宿った英霊なんて匂いがしないから見つけられようも無いだろ?」

「違う、一人一人を観察するんじゃない。川の流れを見るように、この地区そのものを捉えろ。」

 

青年は敢えて目線の先をぼやかして、人の動きに注視した。するとキャスターの言わんとすることが段々と理解出来るようになる。

 

「今歩いている者全体、店に入ることも無く、ただ一定の法則性で通りを練り歩いている?」

 

街行く者達は、生気の籠らない顔で通りを行ったり来たりしている。何人かは本物の人間、つまり外様の観光客もいるが、彼らは目的の店に到着すると当然その波から離脱する。

 

「そう、鉄球を転がす永久機関のようなもの。彼らはこの街が賑わっているという錯覚を起こさせるためのサクラだ。」

「魔力で生まれた幻影か…この中にサーヴァントが?」

 

少女はまたも笑い出す。それは察しの悪い青年への嘲笑である。彼は馬鹿にされたことに気付き、むくれた。

 

「いや済まない。流石に幻影にサーヴァントが混じって隠れようものなら直ぐに分かるさ。ここの管理者たるサーヴァントは、親切心で観光客が裏側へ向かわないように設計している。勿論、観光客という定義には、君のようなややこしい者も含まれているんだ。招かれざる客を招かない。その為に作り出された人の波さ。」

「人波を捉えている以上は抜け道に気付くことすら出来ないという訳か。この都市構造の穴を探せと言うんだな。」

「あぁ。巧一朗がこの地区の支配者であるならば、裏世界に通ずる階段は何処に隠すべきだと思う?」

 

青年は暫く考え込むと、何かに気付いたように、外套から飛び降りた。人並みに揉まれながらも、ある場所へ向かって進んでいく。

 

「最も流れの強い、出店が存在しない壁、それこそが答えだな。」

 

人波から上手く外れた青年は、只の塀に手を触れた。一般人がもたれかかろうとその強固さを失わない壁も、真の魔術師たる彼が触ればいとも簡単に崩れ落ちる。サーヴァントや魔術師ごっこに悟らせない為の防波堤であるが、発泡スチロールを手遊びで割るように、彼は何者かの仕掛けた結界を二つに分割した。

 

「ビンゴだ、キャスター。」

 

いつの間にか後ろに佇んでいる少女と共に、青年は結界のその先へ歩みを進めていく。地下へ通ずる階段は、青年の子ども心を刺激するが、その先に待つ者がサーヴァントである以上、気を緩めてはならない。

階段を数段降りた先で、巧一朗は異変に気付いた。後を付いて来ている筈のキャスターが一向に階段を降りようとしない。

 

「おい、キャスター、来ないのか?」

 

巧一朗はそこで、少女の発した言葉を思い出した。キャスターはサーヴァントを見つけたと告げたが、もし地下に潜んでいたならば、外套の上からは存在を認識出来ない筈である。何故ならば、外からの知覚を遮断する結界が敷かれていたのだ。

 

「まずい…っ」

 

青年は階段を駆け上がるが、地下通路は土砂のような、それでいて金属のような、得体の知らない物質で埋められていく。彼は隆起した部分に足を取られ、何かに取り込まれそうになる。

 

「ほらほら、巧一朗、足掻けよ。生きたいと、そう足掻け。」

「キャスター、お前な!罠だと分かっていて!」

「慎重さが足りないな。ほれ、蜘蛛の糸だ、必死に捕まり天へ昇って来い。」

 

少女は少し引っ張れば千切れてしまいそうな赤い紐を彼に向かって伸ばした。巧一朗はそれを右手で掴み取ると、魔力を足へ集中させる。

 

「うおおおお」

 

緑の線が彼の皮膚に、葉脈のように広がった。勢いをつけて地面を蹴り、埋まりつつある地下階段から抜け出すことに成功する。加速をつけすぎたのか、勢い余って少女の身体にダイブするが、彼女は細い体で青年を受け止めた。

 

「残念だ、罠に嵌る君は何とも滑稽であるというのに。」

「あークソ、やってられねぇ。」

 

少女の豊満な胸に顔を埋めながらも、青年は少女の所業に悪態をつくしかなかった。そう、彼らは主従では無い。少女は青年を何時でもからかい弄ぶ。彼にとって少女はある意味で敵なのだ。彼女の出すヒントを正しく捉えなければ、愉快に死ぬ羽目となる。

 

「で、巧一朗はサーヴァントの正体が分かったかな?」

「ああ、凡そは。階段が崩れる瞬間、こちらを覗く三つの目が見えた。」

 

巧一朗はキャスターの手を引き、元の繁華街へ戻ろうとする。この場所そのものがサーヴァントの掌の上であるならば、いつまた埋められるか分かったものでは無い。

 

「巧一朗、君は仕事を放棄するのか?」

「違う、立て直しだ。流石に此処で戦うのは分が悪い…」

 

だが彼が向かう結界の先は、既に三メートルは越える高い壁に阻まれていた。第二区の守護者たるサーヴァントは彼らを帰す気は無いらしい。巧一朗の額に汗が伝った。

 

「貴様らは何者だ。」

 

壁の先から不意に現れた男は青年に問う。

 

「巧一朗、サーヴァントのお出ましだな。」

「キャスターはちょっと黙っていろ…」

 

巧一朗は一歩一歩近付いてくる男を観察する。白髪で長身の美青年だが、印象的なのは見開いた第三の目、それが彼を異形であると認識させる。その真名について必ずしも正解であるとは限らないが、それでも巧一朗はその答えに自信があった。

 

「貴様らは何者だと聞いている。」

「此処に間違えて入ってしまった善良な一般市民…と言っても信じてはくれなさそうだな。」

「関係は無い。間違えていようが皆殺しだ。私が問うたのは、これから死にゆく貴様らの素性だ。殺害した相手を覚えておくことが手向けであるからな。」

 

三つ目のサーヴァントは巧一朗の首を折る射程圏内に入った。だが彼は巧一朗の名乗りを待つ。只の人間が口を開く瞬間をじっと見つめているのだ。

 

「律儀だな、アンタ。」

「幾度でも問おう、貴様らは何者だ。」

「そういうアンタの真名を当ててやろうか?サーヴァントでありながら英雄では無い存在、日本古来から人に信仰されてきた異形、妖怪の類だろう?」

「だったら何だ。」

「アンタの名は【塗壁】。人の進行を妨げる壁を生み出す、妖の一種だ。」

 

サーヴァントは顔を歪ませる、如何やら正解であるらしい。巧一朗は自らの焦りを悟らせないように、塗壁に対しほくそ笑んだ。

 

「ふむ、貴様らはそんなにも死に急ぐか。当然、私の名を知られた以上は殺処分だ。」

 

塗壁は剣を抜くと、すかさず青年に切り掛かる。目にも留まらぬ早業は、宙に浮く葉をも切り落とした。反応に遅れた巧一朗だったが、キャスターが彼の襟を引き、避けさせる。塗壁は青年の首が落ちていないことに思わず舌打ちした。

 

「有難う、キャスター。」

「何をしている巧一朗。さっさと此奴を殺せ。剣は所詮飾り物、塗壁はエクストラクラス『ゲートキーパー』だ。」

「門番か。成程ね。」

 

巧一朗は第二撃が来る前に、キャスターの手を握ると、物陰までダッシュした。塗壁はゆっくりとした足取りで、青年の後を追う。

 

「隠れても無駄である、第二区全てを構成するのは私の壁だ。それら全てが意思を持つ。」

巧一朗は隠れたつもりは無い。これは単なる時間稼ぎだ。門番のクラスとの戦闘はこれが初めて、対処法を即座に思い付かねば、か弱い人間の命など数秒の内に食われてしまうだろう。

 

「巧一朗、犯人の放つ言葉の全てが探偵にとっては武器となる。今ある情報と、脳内に在る全ての秘策、それらを結べ。敵が未知のクラスであろうとも、それは逃げ出す理由にはならないだろう?」

「キャスター…」

 

塗壁は巧一朗たちの隠れた場所に剣を振り下ろした。が、彼らは既に別の場所へ逃げている。

 

「…鼠が。」

 

塗壁は周囲の壁の意思を感じ取る。彼にとってそれは目であり鼻であり耳であるからこそ、第二区に隠れている限りは必ず発見できる。彼は自らの宝具により生み出された分身たちを何よりも信頼していた。

 

「見つけたぞ。」

 

彼は東の方へ逃げた二人の影を捉えると、周囲の土地を操作し幾本もの柱を立てる。それはまるで鉄格子のように彼らを束縛した。

巧一朗とキャスターは土で出来た格子を崩そうと試みるが、それは鉄よりも固く容易には破壊できない。脱出を諦めた彼はまるでホラー映画の怪人のように迫って来る塗壁を冷静に見つめていた。

 

「勝つ方法を思い付いた。電源を落とすぞ、キャスター。」

「ふ、そうか。好きにしたまえ。」

 

巧一朗はキャスターの首元にある黒のスイッチをオフにした。その瞬間、彼女の肉体は光と溶け、元のオートマタへと変貌する。この人形には既に、キャスターの命は宿っていない。

巧一朗はただの絡繰を抱きかかえると、ポケットに忍ばせていたメモリーチップを胸部に差し込んだ。彼が今からこの人形に宿すのは、塗壁を殺すことの出来るサーヴァント。巧一朗の記憶の本棚に存在する英雄、その魂を呼び起こす。

 

〈データローディングは中止されました。このメモリーにはサーヴァントの記録がありません。〉

 

「そう、俺が呼べるのはただの一度きり、一期一会って奴かな。」

 

彼は独り言を呟き、自嘲した笑みを浮かべる。

 

「重ね、束ね、契れ…鈴を鳴らせ、線を垂らせ、器を満たせ、君の形を我が結ぶ(コギト・エルゴ・エス)、讃歌を謳う、一刻の邂逅と永劫の訣別に」

 

純粋な魔術師であるからこそ出来る、これはチートコードのようなもの。本来人形に英霊の力を宿せるのは対応したメモリーチップのみだが、彼は空のチップに自らの知識を当てはめ、それを無理に触媒として機能させる技を持っていた。だが召喚した英霊が戦闘を行えるのは一分程の時間、そして一度召喚した英霊は二度と呼び出すことが出来ない。

 

「招霊転化…現れよ、アサシン!」

 

塗壁の作り出した土格子を砕き、オートマタが起動する。宿るは巧一朗の狙い通りのアサシンクラスだ。華奢な肉体に、男を惑わす色香、妖艶という言葉が何より似つかわしい少女のサーヴァントであるが、塗壁の顔は恐怖に染まっていた。

 

「あら、なんやの、鬼でも見たような顔をして。」

「酒呑童子…っ」

 

塗壁は即座に壁を乱立し、アサシンを封じ込めようとする、が、全ては無力であった。彼の生み出す壁は、少女の注いだ酒に溶け落ちる。その圧倒的な蹂躙に、召喚者である筈の巧一朗も思わず息を飲んだ。

 

「ふふふ、あんさんもいけずやなぁ、妖怪ひとり退治するんに、うちを呼び出すなんて。」

「塗壁は言っていた。作り出した壁全てが意思を持つと。なら正面から壊していたってキリがない。その意思を全て挫く酒の魅了、誘惑があれば、彼が何度壁を生み出そうと関係ないと思ったんだ。」

「貴様、貴様ァァアア!」

 

塗壁は剣を掲げ、巧一朗に飛び掛かる。だが彼が青年を貫く前に既に勝負はついていた。巧一朗に覆い被さろうとする塗壁を、アサシンの少女が鋭い蹴りで地面に転がすと、すかさず彼女の宝具が炸裂した。

 

『千紫万紅・神便鬼毒』

 

その酒は妖であれば誰もが手を伸ばす禁断の果実。だがそれを飲んだが最後、彼らはいとも容易く酒に呑まれる。塗壁もまた同じ、アサシンの酒が到達する範囲全ての壁を根こそぎ散らし、彼自身の肉体も酒に溺れ消失した。

残されたのは塗壁の魂を宿していたオートマタ。その首元のスイッチは、サーヴァントの消失により自動的にオフになった。

そして約束の一分が経過する。アサシンは巧一朗に微笑みかけたが、彼は表情を変えなかった。もうこの可憐なサーヴァントと契約することは二度と無い。だから情は持たない、あくまで招霊転化で呼び出すサーヴァントとはビジネスライクな関係である。

 

「嘘つきは泥棒の始まり言うてなぁ。あんさんも我慢するんはほどほどにしときや。」

 

アサシンはそう言い残し消滅する。

 

「…英霊ってのはどれもこれも……」

 

青年は彼女が光となり消えて行った方向をしばらく眺めていた。前にも似たような事を、別の英霊から助言された。きっとポーカーフェイスをしているつもりが、その実見ていられない表情をしているのだろう。こればかりは仕方が無い。

そして物憂げな彼の腕に寄り添う者が一人、そこには電源を切られ消失したはずのキャスターがいた。彼女は豊満な胸部をわざと彼に押し付けながら、気味の悪い笑みを浮かべる。

 

「何でキャスターだけはいつも懲りずに帰ってくるのか…」

「酷い言い草だな。私は君だけのサーヴァントだから、主人の元に帰ってくるのは当然だろう?」

「…主従じゃないっての。」

 

本来であれば空になるはずの自動人形に、何度でも彼女の魂は宿る。システムのバグなのか、はたまた…

巧一朗は溜息をつくと、改めて『仕事』に取り掛かる。探し求める女は、確実に第二区の暗部へ逃げている。防壁が消失した今、裏へと通ずる道はあからさまだ。一般人が此処に侵入する前に、女を見つけなければならない。

 

「その画面に映った女、一体何をしでかしたんだい?巧一朗が熱心に女の尻を追いかけるなんて珍しいじゃないか。」

「単純だ。英霊の不正召喚だよ。申請を出さずに、未登録の遺物を掘り出したんだ。」

 

青年が出された指令は、女の持つ聖遺物を奪取すること。警察が介入する前に為し得なければ、国家機関により永久凍結されかねない。

警察だけなら急ぐ必要も無いが、他にも宝を狙う者がいるから事態はややこしくなるのだ。

巧一朗とキャスターは暗く道幅の狭い通路を抜け、第二区の裏側に到達する。その場所はさっきまでとは異なり夜だというのに殺風景だ。どうにも彼はこの街の昼夜逆転現象が当たり前に感じられすぎて、夜が静かだと違和感を覚えてしまう。

 

「巧一朗、ここから暫く先、何かがぶつかり合う音が聞こえた。」

「まずいな、もしライバル企業なら俺の降格処分もあり得るぞ…」

「くくく、ミサチは鬼だからね。」

 

巧一朗は頭を抱えつつも、音のする場所へ向かう。もし女が一人で隠れているならば、まだ聖遺物は盗まれていない可能性がある。彼はそのことをただただ祈っていた。

だが彼はこういう場面でいつも外れクジを引く。巧一朗の目線の先、目的の女と黒いフードの男がちょうど交戦中である。女は幼い少女のサーヴァントを連れており、黒フードは槍を携えた勇士を従えていた。客観的に評価しても明らかな戦力差、女は当然の如く敗北を喫した。

 

「待って、お願いだから、この子は私の娘なの。お願い、許して、殺さないで。」

「娘?馬鹿言え。お前は人間、こいつはサーヴァントだ。それ以上でもそれ以下でもない。」

 

黒フードは馬鹿にしたように笑う。女の願いを嘲り、罵り、自分のサーヴァントに少女のサーヴァントを殺させようとする。目的は恐らく巧一朗と同じ、聖遺物。それを得るだけなら殺す必要までは無いが、登録がない以上、このサーヴァントは暴走する可能性を孕んでいる。

オートマタに宿せるのはデータベースに存在する英霊のみ。それがルールである以上、これは仕方の無いことだ。

だが巧一朗の身体は動いていた。彼は生身で無理矢理に介入し、幼き英霊を抱いて槍の一撃を避け転がった。予想だにしない事態に黒フードは驚愕し、状況判断が遅れる。その間に巧一朗は女と少女のサーヴァントを路地の方へ逃がすことに成功した。

 

「な、なんだお前は…」

「とある優良企業のエージェントさ。待遇はちょこちょこブラックだけど。」

 

巧一朗は額に汗を滲ませながら構えた。招霊転化はそう何度も使用できるものでは無い為、ここからは彼自身が戦闘の主体となる。キャスターは決して戦わず、ただその状況を見て邪悪に微笑んでいるだけだ。

 

「何だお前、サーヴァントとやるつもりか?死ぬぞ。」

「忠告有難う。生憎こちらはそういった事にも臨機応変な対応をすることで有名な会社なんで。」

 

槍のサーヴァントは風を切るように加速し、気付くと巧一朗の懐に入り込んでいた。迷いなき殺意の一撃が青年の心臓を目がけて放たれるが、それは決して届かぬ一刺し、何故ならば、巧一朗は既に数メートル先に後退している。サーヴァントが敵を弱い存在だと甘く見てくれることを祈った決死の作戦である。すぐさま巧一朗は指先から魔力の砲弾を発射し、槍の兵士にダメージを負わせる。小さな攻撃だが、これが起爆剤となるのだ。

 

「てめぇ、魔術師か?」

 

槍兵は巧一朗に問いかけた。が、彼は答えない。どこか余裕ぶった表情で黒フードの男を見つめるのみである。

 

「何をしているランサー。ただの人間だ、さっさと殺してしまえ!」

「いや、すまんなマスター。コイツだけならすぐにでも始末できるが、俺たちはどうやら包囲されている。」

 

槍兵は巧一朗の攻撃が着弾した脇腹を擦った。それは彼にとって蚊に刺される程度の物であるが、これは彼を直接殺すために放たれたものでは無いと既に理解している。言うならばこれは発信機だ。この僅かな傷を目印に、千五百ヤード先から矢を番える者がいる。加えて彼の動物的直観が、もう一人の忍び寄る影を微かに捉えていた。槍兵は彼自身とマスターが袋の鼠だと正しく判断していたのだ。

 

「撤退だ。遺物は既に回収済み、任務は終わっている。」

「あぁぁあああぁあぁ、それでは教祖様に顔向けが出来ない、出来ないのだ。異端は殺せ、殺すのだ。行け、ランサー、令呪を以て命ずる、異端者を抹殺せよ!」

 

黒フードの右手に宿った赤い紋様が怪しく輝いた。撤退を申し出た槍兵の肉体を、精神を縛り、絶対的に従わせる。彼は黒フードの指し示す方向、巧一朗とキャスターに突進する。

 

「死ねぇぇぇえええ」

 

黒フードは狂気に満ち溢れていた。そんな様子をキャスターはつまらなさそうに眺めている。どうやらあの男は、キャスターにとって興味の対象では無いらしい。巧一朗はやれやれといった顔を浮かべた。

結果として、槍兵の突撃が二人に届くことは無かった。影から這い出た鎖が蛇のように絡みつき彼を縛った。そして遠く離れた場所から放たれた矢はいとも容易く彼を貫いた。霊核を寸分違わず射抜く一撃に、彼の肉体が耐えられるわけもなく、ただ静かに粒子となって消滅していった。

 

「なんだ…何が起きて…」

 

慌てふためく黒フードの男の目前に影より這い出た死神が立つ。足まで伸びた黒髪に、蛇の目をした魔女。彼女が男の頭を押さえつけると、彼は泡を吹いて死んでしまう。ただの人間が、彼女の「毒」に耐えられるはずも無い。

 

「脆いな。」

 

魔女は抱えた死体を巧一朗の方へ投げ捨てる。転がってきた男は見るも無残な姿に成り果てていた。

 

「バーサーカー、何も殺す必要は無かったんじゃないか?」

 

この場所が第二区である以上、人殺しが外部に漏れ出ることは無い。当然、巧一朗もまた、必要とあらば人間もサーヴァントも殺害する。だがそれはあくまで上の指示によるものだ。この魔女のように誰彼構わず殺すわけではない。それは単なる快楽殺人鬼だ。

 

「殺さない必要は無かった、だろう?違えるなよ偽善者。彼奴を殺さなければ聖遺物回収の任務は失敗していた。」

 

巧一朗は渋々バーサーカーの意見を飲む。始末書を書かされるのは彼女のマスターだというのに、何とも自由なサーヴァントである。

彼は黒フードの男の懐から、遺物たる短刀を回収した。これで任務は完了である。

 

「コーイチロー!バーサーカー!」

 

黒き魔女に駆け寄って来る学生服の少女。巧一朗から見て破天荒なファッションであるが、どうやら現在メンヘラコーデとやらがトレンドらしい。不健康そうなメイクだが、中身の少女は底抜けに明るい性格だ。ツインテールを左右に揺らしながら魔女の腕にしがみついた。

 

「お疲れ様、バーサーカー。今日も超イケてるね。」

「鬱陶しいぞ美頼…全く。」

 

バーサーカーのマスターである倉谷 美頼(くらたに みらい)はセーラー服を纏っているものの齢は二十、つまり立派な社会人である。巧一朗のとって美頼は後輩であるが、彼女には振り回されてばかりいる。どうせ今回の始末書も、最終的には巧一朗が代筆することとなる。出来れば美頼とバーサーカーの力を借りずに解決すれば良かったが、上司が協力せよと命じれば彼はそれに従う他無かったのだ。

 

「てかコーイチロー、ちゅんちゅんは?」

「あー、アイツなら多分アーチャーと共に先に帰っているはずだ。」

「えー!つまんねー!」

「リスクアセスメントだ。お前というリスクを避けるための、な。」

「はー?ウザ。」

 

それはそうだろう。何故ならば美頼と共に会社へ戻る道すがら、一体何が起こるか分からない。アイスクリームを奢るぐらいで済めばいいが、唐突な戦闘が起こったり、面倒事が増えかねない。本当なら巧一朗もまた彼女と極力関わりたくは無いが、美頼のおもりも含めて彼に割り当てられた仕事である。彼は思わず嘆息をもらした。

 

「くくく、巧一朗には女難の相が出ているな。」

「お前もだよキャスター…」

 

巧一朗は分かりやすく項垂れる。キャスター、バーサーカー、そして美頼、三人の別ベクトルに尖った少女たちに加えて、もう一人。直属の上司で鬼の鑑識官。

丁度その少女からの通信が入る。

 

「お疲れ様です、巧一朗さん。倉谷さんを連れて帰ってきてください。次の任務を伝えます。」

「承知しました、鬼頭教官。」

 

通信越しに青年のどこか憂鬱そうな声を聞き、鬼頭鑑識官は微笑する。

 

「ははは、巧一朗はまだ仕事が山盛りなのか。充幸さんも鬼だねぇ!」

「鶯谷さん。貴方もですよ。大丈夫、当博物館はサービス残業なんてさせませんから。」

「…残業代が出るってことか?」

「違います。定時までにキッチリ仕事を終わらせろということですよ。」

「やっぱ鬼じゃねーか!」

 

巧一朗の如く項垂れる男を尻目に、鬼頭鑑識官は従業員リストを更新していた。

 

「巧一朗さん、キャスター、美頼ちゃん、バーサーカー、鶯谷さん、アーチャー。これで実働部隊はマスター三人のサーヴァント三騎になりました。いよいよ我らが第四区域博物館も動き出す時です。打倒マキリ、打倒トーサカ、打倒アインツベルンですよ!」

「…全部大企業じゃねーか。」

 

巧一朗は鬼頭鑑識官との通信を切断し、インカムを内ポケットにしまった。美頼とバーサーカーは第二区の裏側へ初めて来たこともあって、短時間の冒険へ出掛けている。キャスターは巧一朗の右腕に絡みつき、離れようとしない。

 

「巧一朗、遂に始まる。革命か、世界への反逆か。君の物語がようやく再開するんだ。」

 

キャスターは、彼女だけは巧一朗の全てを知っている。だからこそ彼女は彼の前に姿を現した。

 

「…始まらないよ。俺は事なかれ主義だからね。」

 

巧一朗は歩き出す。脳で否定しようとも、彼の心はキャスターの指し示す道へ向かっていた。

 

ここは昔、日本と言う国であったらしい。今は皆がこの地を「オアシス」と呼び親しんでいる。

人が生み、英雄が育てたこの人工都市で、青年たちは今日も生きて行く。

 

【プロローグ 終わり】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

観測者編1

誤字等ございましたら連絡お願いします。
ぜひプロローグからご一読ください。


【観測者編①】

 

燃え盛る炎の中で、青年は自らの死を悟る。

天に向けて伸ばした手を掴み返す者はおらず、彼は奇跡など存在しないことを理解した。

一つの小さな小競り合いが、結果、世界を滅ぼした。願望器など今の世に実現してはならなかったのだ。

今更嘆いても仕方が無いが、ヒトはどう足掻いても後悔する生き物である。心から悔いることが出来る内は、素直に悔しがっておくべきだ。

それが英雄には出来ない、人間ならばこその行動だから。

 

「…ちくしょう。」

 

あと一歩だった。

その手が届けば、彼は幸せな未来へ進むことが出来た。出来たはずなのだ。

聖杯戦争に参加した七騎のうち、六騎が結託し、願いを共にした。その六騎と最後まで一人で戦い続けたセイバーは、青年のサーヴァントは、いま彼の隣で消滅の時を待っている。

 

「ごめんな、セイバー。」

 

青年は自らのサーヴァントに視線を向ける。もはや立つこともままならないが、手を伸ばして触れることは出来た。

セイバーは彼よりもどこか幼く見える、少女のサーヴァントだ。彼はセイバーの長くツヤのある髪が好きだった。ガラス片や木の枝がめり込んだ傷だらけの手で彼女の髪を優しく撫でる。返答は無いが、まだ生きていることは確認した。

 

「願い、叶えたかったな。」

 

彼の理想の先に、微笑むセイバーの姿があった。向日葵の園に佇む麦わらの少女、青年は彼女に手を引かれ、初夏の暖かな大地に転げ回る。お気に入りのスーツが汚れるのも厭わずに、童心に返ったように彼女と笑い合うのだ。汗ばんだ手を握られることが恥ずかしく、何度も離そうとするけれど、少女はその度に手のひらに力を込めた。少し痛いぐらいに握られるのが丁度いいなんて、青年はこれまで知らなかっただろう。無邪気に駆ける少女の横顔が、不意に吹いた風に揺られる白銀の髪が、彼の温度を上昇させる。

 

きっとこれは、そう―

 

「きっとこれは。」

 

セイバーは光の粒子となり消失した。

彼の触れていた髪がもうそこには存在しないことを悟ると、彼は空っぽの手で目を覆う。

大声で泣き叫ぶことは無い。だが溢れ出る熱さを止める術は無い。無様に悔しさを形にすることも無く、ただ嗚咽するのみだ。

炎が彼を燃やそうと関係は無い。死を恐れるならば、最初から戦争になど参加していない。今は溢れる感情の制御が先である。この弱さは戦場において不必要だ。

焼け焦げたスーツの匂いが彼の涙を塞き止める。ここで死ぬのは容易いが、それは謂わば逃げである。諦めた先に未来は無い。ならばたとえこの炎のような絶望の中でも、進むしか無い。彼は最後の力を振り絞り、この戦場で再び立ち上がる。

天使がくれた薬のように意識は朦朧としているが、進むべき道はその足が覚えていた。

 

「いま、行くぞ。」

 

敗北者は膝を折らない。

諦めなければ負けでは無いと教わったから。

迫る火をぼんやりとした目で見つめながら、亀の歩みで進み続ける。目的の場所は途方もなく遠い、だが、歩き続ければ必ず。

 

「不可能だ。」

 

誰かが傍で呟いた。その顔を見ることは無い。

 

「まだ、俺は、絶対、俺は…」

「死ぬぞ。」

「死なない、俺は、俺は…」

「お前一人では『憩い場』に到達できない。俺が連れて行ってやる。それが俺に出来る最期の贖罪だ。」

 

青年の意思はそこで途切れ、何者かが彼を抱え飛び去った。

 

青年は気付いている。彼の心の過ちに。向日葵の園で笑みを浮かべる少女への想いに。

 

《きっとこれは、世界を滅ぼす『恋』なのだ。》

 

 

「コーイチロー、ねぇってば。」

 

青年は甲高い少女の声で叩き起こされる。瞼を擦ると、派手な髪色の少女がしかめ面で彼を見つめていた。

 

「やっと起きた。これから博物館に行かなきゃ、でしょう?」

「美頼…すまない、こんな硬いベンチだが、風が心地よくてな。」

 

巧一朗は寝ている間に落としてしまった推理小説を拾い上げ、持ち前のアタッシュケースにしまい込んだ。内容は殆ど頭に入ってこなかったが、元々しっかり読むつもりも無い。これは言わば睡眠導入剤だ。難しい言葉の羅列がどこか昔の現代文の授業を想起させ、彼を眠りに誘う。薬など用いずとも意識をシャッタダウンさせられるのだから便利なものだ。特に登場人物がやけに多い推理小説は、いちいち名前を覚えようとしない彼にとって良き安眠への道標たる代物である。

 

「確かに、秋風は快適よね。一年中これで良いのにな。」

「オアシスは千年前の日本と言う国をある程度まで再現しているらしい。きっと昔の人も、この季節は好きだったろうさ。」

「別に全部英霊が管理しているんだし、そこまで再現しなくてもいいのにね。」

 

秋はスポーツにご飯に芸術に、何でもございな季節。実際、巧一朗の眠っていた公園では芸術家サーヴァントが子どもにスケッチを教え、体育会系の武術サーヴァントがカンフー教室を開いている。英霊にとって暑さや寒さは関係ない、だが人間は違う、三度も違えば着込む服が増えるぐらいに、寒暖の差には敏感だ。それは一般人であれ魔術師であれ差異は無い。

 

「そういえば、今日は社会科見学が入るんだって。基本的に吉岡さんが対応するだろうけど、人数次第では二グループに別れてやるみたい。その時はコーイチローが引率やってって、みさっちゃんが。」

「手当は出るんだろうな?」

 

美頼は口笛を吹いた。相変わらず下手くそだ。

巧一朗は頭を抱えながらも、重い腰をあげた。事務作業より子どもの相手をする方がマシだと自分自身無理矢理に納得させる。それにしても博物館のスタッフはまともじゃない人間ばかりだが、教育に悪いのではないかと考えてしまう彼であった。

 

「取り合えず行こ!ちゅんちゅんも先に着いているだろうしね!」

「おい、腕を引っ張るな。」

 

美頼は巧一朗の腕にわざとらしく胸部を擦り付ける。そうすれば彼が赤面し、彼女を意識することが分かっているからだ。彼女は青年を揶揄うことが好きだった。予定通り彼は頬を染めて振り解こうとするが、彼女は決して離れない。虐めっ子としての本性か、それとも。

彼らが博物館へ向かう道中、怪しげな黒フードの男が道端で骨董品の売買を行っていた。巧一朗はいつもなら見なかったことにして先を急ぐが、男の服装は以前第二区の裏側で出会った狂信者に酷似していた。

 

「ねぇコーイチロー…あれって。」

「同じ宗教団体の組員だろうさ。」

 

美頼のバーサーカーによって殺害された男の仲間、だとすれば、巧一朗達に復讐心を抱いている可能性は高い。彼は足を止め、別の道から博物館へ向かうことにする。

だがそこで、今まで腕にべったりくっ付いていた少女が消えていることに気付いた。美頼はあろうことか黒フードの男の出店の前に座り込み、並べられたガラクタに興味を示していた。

 

「おい馬鹿っ!」

 

巧一朗は仕方なく美頼の傍に駆け寄る。幸いにも、黒フードの男は彼女を只の客として応対していた。

 

「おじさん、これ全部聖遺物でしょ。しかも違法の。」

「ふふ、嬢ちゃん、アンタ、裏側の人間だね。」

「まぁね。一個買ってあげるよ。」

 

品物は全て法外な価格であるが、美頼は躊躇することなく、財布から大金を取り出し、購入した。男も自分で売っておいて驚きに満ちた表情である。それもそう、美頼は普段から学生服をお洒落として着ている為、客観的に見れば高校生が百万と言う大金を持ち歩いているように見える。無論、実際は二十を超えた成人女性であるが。

 

「毎度あり。」

 

男は金を手にし、客の前だというのに笑みがこぼれている。美頼は聖遺物を学生カバンにしまうと、男の顔をじっと見つめた。

 

「ねぇおじさん、これって何処で手に入れたの?」

「…アンタは羽振りの良いお客様だけど、流石にそれは答えられないねぇ。聖遺物を巡って、僕の同僚も何者かに殺されちゃったみたいだし。まぁムカつく奴だったからすっきりしたけどねぇ。」

 

巧一朗はフードから覗く男の顔を見て確信する。彼は美頼が同僚の死に関わっていると知っていて、敢えて素知らぬ振りをしているのだ。

 

「そっか、それは危険だね。」

「あぁ、危険なのさ。アンタもあまり暴れないようにした方が良い。ここ第四区の神は人間に対し放任主義を貫いているけど、第三区や第五区は違う。我らが教祖様に目を付けられないようにね。」

「教祖様…あぁ、第五区のアサシンの『災害(ディザスター)』クラスか。貴方達は彼ら災害のことを神様と呼ぶのね。」

「それはそうさ。世界を滅ぼしたのも、世界を生み出したのも、六の柱だからねぇ。教祖様は中でも最高の御方だ。あぁ我らの祈りが届くように、あぁ教祖様、あぁ創造主様。」

 

男は突然、狂ったようにその場で踊り始める。余りにも奇妙な姿に、道行く人々も足を止める。露店は注目の的となった。

 

「逃げるぞ、美頼。」

 

巧一朗は少女の手を取り、早歩きでその場を後にする。

 

「ちょっと、コーイチロー!」

「あまり目立つな。それこそディザスターに見つかったら最後だ。」

「急に踊り始めたのはあの男でしょう?あとちょっとでアイツらの素性に近付けたのに~」

「俺たちはあくまで博物館のスタッフだ。探偵じゃない。」

 

巧一朗はトラブルメーカーな美頼を叱りつける。怒るのはこれで十数回目だが、一向に改善の兆しが見られない。

 

「ごめんなさい…」

 

少女は深々と頭を下げた。哀しい目をされると、巧一朗は許さざるを得なくなる。そう、これはいつものパターン。しゅんとした表情の美頼に対し、追い詰めるようなことはしない。勿論これは接客の末身に着けた美頼のスキルであるが、巧一朗は敢えてそれに騙されるようにしている。問い詰めてもこの少女が反省することは決して無い。

 

「次から気を付けてくれよ。黒フードの不気味な連中がアサシンのディザスターと何らかの関係がある以上、関わってロクなことにならないだろうからな。」

 

彼らが第五区へ足を踏み入れることはこの先無いだろう。紛争地に好んで行く馬鹿はいない、そう、アサシンが暴虐の限りを尽くすあの土地は学校教育で立ち入らないように警告されている。博物館の見解も、君子危うきに近寄らず、だ。

 

「でも不思議よね。第五区出身の人は皆アサシンのことを好きって言うじゃない?ほら、吉岡さんも。」

「それはまぁ、あの王様、妙にカリスマ性があるからだろうな。」

 

巧一朗と美頼は雑談を交えながらも、職場である第四区博物館へ辿り着いた。歴史書で見たような、中世ヨーロッパ風の建築は何度見ても飽きないものがある。この外観を撮影するために、今日も数人のカメラマンが敷地内に三脚を構えていた。

二人は正面玄関を使わず、裏口の鍵を開けて中へ入った。警備にあたる無頼漢が会釈するのはいつも通り、もし侵入者であれば彼は腰の剣を抜き応戦するようにプログラムされている。

裏口の通路は一階のスタッフルームに繋がっており、彼らはその場所を目指す。ここも様々なトラップが仕掛けられているが、顔認証でスルー、随分とハイテクだと巧一朗は感心している。

美頼はスタッフルームの扉を勢いよく開けた。大声でお邪魔しますと叫ぶが、部屋はシンと静まり返っていた。

 

「お疲れ様です、巧一朗さんに、美頼ちゃ…倉谷さん。」

「お疲れ様です、鬼頭教官。」

「…その教官って言うの止めませんか?」

「鬼頭教官も、いい加減美頼のことをちゃんと下の名前で呼んであげたらどうです?」

 

巧一朗がそう返答すると、銀の髪をしたオッドアイの女は顔を赤くした。

彼女の名は鬼頭 充幸(きとう みさち)。この博物館においては鑑識官、及び展示課長を担っている。落ち着いた、大人の女性であり、彼女目当てで訪れる者も少なくない。だが巧一朗は彼女の性格が鬼のごとき厳しさであることを知っている為、基本的には絶対服従を誓っている。

 

「こほん、それは一旦置いておくとして、巧一朗さんには早速お仕事をお願いします。」

「あぁ、社会科見学の件ですか?」

「話が早くて助かります。いつも通り『博物館のスタッフ』として展示解説員役、お願いしますね。」

 

そう言い残し、鬼頭鑑識官は美頼との談話に入った。あっちはあっちで何かあるようだが、巧一朗は気にせず部屋を出る。恐らく後のことは吉岡に聞けば分かることだろう。

巧一朗は従業員通路を抜け、グランドホールへ向かった。今日は平日である為あまり来館者はいないようだが、休日は親子連れや年配者である程度の賑わいを見せている。恐らく皆が同じ目的でここを訪れる、それはマケドニア王アレクサンドロス三世の聖遺物、彼が生前愛用していたとされる剣の一部である。これはオアシスの規定する〈指定文化財〉であり、如何なる理由があっても、この触媒を利用した英霊召喚は禁止されている。もしこの禁を破れば、真っ先にその地区を管轄するディザスターが出現し、聖遺物の没収、加えて召喚者の投獄、最悪の場合は極刑が言い渡される。貴重な聖遺物や、強力な英霊を呼び出せる物は全てこれに該当し、それらは発見、国による登録が行われ次第、その地区が運営する博物館や美術館に貯蔵される仕組みだ。

だからこそ、国の登録に無い違法触媒は裏社会で密売や取引に利用され、挙句殺傷沙汰に発展しているのだ。

オアシスを管理、運営する六の災害は、自らを超える存在の誕生を恐れている。もし、巧一朗の持つ能力が、彼らにとって脅威として捉えられてしまったならば、彼の存在は抹消されかねない。だが現状、ディザスタークラスによるアプローチは無い。

 

「まぁ、一分しか戦闘出来ないサーヴァントは恐れるに足らず、か。」

 

彼は自嘲した笑みを浮かべると、受付で書類を確認している大柄な男に会いに行った。

 

「お疲れ様です、吉岡さん。」

「あぁ巧一朗君。今日はごめんね。これが今日の資料。前みたいに時間通りなら話す内容は任せるから、全部のフロアだけ回れるように調整して貰えると助かる。あと一時間で子ども達が来るから、十分前までは休憩室でゆっくりしていて。多分凄い体力持っていかれちゃうから。」

 

吉岡は早口だが正確に仕事内容を伝える。彼は巧一朗と違い、あくまで博物館の展示解説員に過ぎない、言うなれば表の人間だ。だから巧一朗と仕事を共有することは少ない。だが、巧一朗は一回りも年上の吉岡を良き上司と思い、接していた。彼はここのスタッフの中で誰よりも博物館に詳しく、誰よりも展示された全ての物を愛している。

 

「そう言えば、吉岡さんはこの博物館の展示品で何が一番のお気に入りですか?」

「僕の一番、か。難しいね、全部好きという回答は駄目だろうし。うーん、強いて言うならば、おまじないの道具、かな。」

「あぁ、旧北米エリアの隅にある奴ですよね。確か忌まわしき魔女裁判の…」

「光を浴びる存在も要れば、闇を受け入れる存在もある。僕は皆が見惚れる光も好きだけれど、同じだけ人を戦慄させる闇も綺麗だなと思っているんだ、なんて、呪いの道具とか拷問器具とか、暗いものにこそどこか心惹かれる部分があるんだよね。こう、中二病的な。」

「分かります。俺も何故かアイアンメイデンとか、カッコいいって思っちゃいますもん。」

 

吉岡は身に着けていた眼鏡をハンカチで吹きながら、熱く聖遺物について語り始める。巧一朗は彼の話に耳を傾けながら、彼のお気に入りである北米エリアのデータを閲覧していた。

 

「…という訳なんだよ。ふぅ、話過ぎてしまったね、休憩時間がかなり減ってしまった、ごめんよ。」

「いえ、今からの仕事に活かせそうです。有難うございます。」

 

巧一朗は英霊の知識を膨大に吸収している。それは彼が行使する魔術が、英霊の記録を触媒とする召喚であるからだ。幼少期から英雄伝を読み耽っていた彼だが、ヒトの口から新たな情報を摂取することもある。その貴重な瞬間を彼自身大切にしているのだ。

 

「そう言えば、確か巧一朗君の傍には女の子のサーヴァントがいつも付いていたよね。今日はいないみたいだけど…」

「あぁ、キャスターですね。彼女は基本的に自由に外で遊んでいます。僕の身に何かあれば駆けつけますよ。」

 

まぁ駆けつけても助けてはくれないんだけれど、と巧一朗は内心で付け加える。彼女は巧一朗の危機を最前列で鑑賞することに闘志を燃やしているのだ。

 

「そうか。三回ほど見かけたことがあったけど、凄く美人で母性的だから子どもに好かれるだろうと思ったんだけどね。」

「…母性的…?」

 

巧一朗の頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。確かに身体面において非常に女性的であると認めざるを得ないが、その性質は悪魔寄りである。純真無垢な子ども達には教育上よろしくない。恐らく彼女は人の貶め方について善意で語り出すことだろう。アインツベルン製の精巧精密なオートマタだが、宿った魂がこうも専属サービスに反していると、大企業の管理体制に疑問を抱かざるを得ない巧一朗である。

 

「まぁ取り合えず頼んだよ、巧一朗君。」

 

吉岡は巧一朗の肩を軽く叩くと、受付奥の作業スペースへ去って行った。

巧一朗に与えられた休憩時間は残り十分程度。ゆっくりお茶を飲む暇は無さそうだと判断し、正面口を出てすぐの庭園へ足を運ぶ。この場所を管理しているのは充幸であり、広大なスペースをたった一人で毎日手入れしている。彼女の趣味だそうで、巧一朗含め全てのスタッフが手伝おうとするのを許さない。万が一客によって花を折られた日には、彼女は復讐の鬼と化すだろう。

巧一朗は色とりどりの景色をただ茫然と見て回る。彼は生まれてこの方、植物に愛着を抱いたことは無い。恐らく有名なものを除けば、花の種類なんて答えることは出来ないだろう。今彼がこの庭園を散策しているのは真に暇つぶしであり、花壇に目を向けているけれども、脳内では全く関係の無いことを考えていた。

彼は両手をズボンのポケットにしまい込んで、ふらふらとルートに沿って歩いて行く。

巧一朗が庭園中央に設置されている休憩用ベンチに差し掛かったとき、庭園の散策者が彼一人で無いことを知った。絵画のワンシーンを切り取ったような光景が映し出される。ベンチに腰かけていたのは美頼のサーヴァントであるバーサーカー。黒髪の美女は目を瞑り、鳥の鳴き声に耳を澄ましていた。

 

「…巧一朗か。」

「やぁバーサーカー。すまない、邪魔をしてしまったようだ。」

 

巧一朗はそそくさと退散しようとする。彼はバーサーカーのことが少し苦手だ。狂った魔女の取扱説明書は彼の脳内データベースに存在しないためである。

だがバーサーカーは「おい」の一言で巧一朗の逃走を止めた。物理的に、彼の足は見えない鎖で繋がれる。

 

「座れ。」

 

魔女にそう命令されれば、従わざるを得ない。巧一朗は額に汗を浮かべながら彼女の横に腰かけた。当然心理的な距離間から半メートルは離れて座る。

 

「何か御用でしょうか?」

 

思わず敬語になる巧一朗である。バーサーカーは彼を見ることは無く、ただ庭園を眺めていた。

 

「この世界は貴様にとって住み心地の良きものか?」

「それは勿論。」

「そうか。」

 

暫くの沈黙。巧一朗はバーサーカーの意図が分からない。涼しい気候だというのに流れ出る汗が滝の様だ。

 

「我はそう思わん。英霊が神の如く存在するなど、今を生きる者への冒涜だ。」

「災害のクラス…のことか?」

「そうだ。ヒトの臨界を極めたものは〈王〉となる。だがヒトは神にだけは成れん。成ってはならぬ。人が鳥には成れぬように、鳥もまた人には成らないのだ。」

 

バーサーカーの右手に一羽の鳥がとまった。魔女はその一羽の背中を優しく撫でる。巧一朗から見て、その姿は宛ら聖母である。

 

「でもバーサーカー、貴女は鳥になっただろう?」

「あぁ、そうさな。」

 

またも沈黙。互いに一瞥もくれず、花園より遠い虚空を見つめていた。

 

「鳥の翼を得たとしても、我は結局我だったのだ。人はそう簡単には変わらない。」

「…」

「ならばこそ人は人として生きる。大地を踏み、己が死へ向かって歩いてゆくしかないのだ。間違っても空を飛び、最短距離でそこへ到達してはならん。」

「…そうだな。」

 

―あぁ、彼女はやはり女王なのだな。言葉の重みが違う。

巧一朗は再び目を瞑ったバーサーカーを確認すると、庭園から去って行った。

約束の時間である。彼の、博物館スタッフとしての仕事が始まるのだ。

 

第四区小学校三年の子ども達が教員の引率で登場した。ざっと見て三十人ほど、博物館に目を輝かせる才児もいれば、興味なさげに遠足のおやつを頬張る者もいる。吉岡は慣れたもので、彼らの興味を引くようなワクワク冒険譚を紙芝居方式で読み聞かせていた。中には博物館常連客もいるようで、吉岡の名を叫びながら抱きつく少年は、これが十数回目の来館だそうだ。吉岡は子どもの扱いがとにかく上手い、対して巧一朗は子どもに好かれぬタイプ。学校長の話のように退屈で、引きつった作り笑いはまるで「真実の口」だと充幸に茶化された程である。そもそもこういった機会で無い限り、子どもと接することが無いので、彼は仕方が無いと諦めていた。

 

「じゃあ二チームに分かれて博物館探検に出かけよう!右チームは僕の方へ、左チームはこっちのお兄さんについて行ってね!」

「あ、どうも宜しく。」

 

巧一朗の登場にシンとなるオーディエンス。先程の吉岡に懐いていた少年も巧一朗チームになり、少し不貞腐れている。

 

「やだ、俺も吉岡さんと一緒に回る!」

「ミナト君、ごめんな。後で合流するから。」

 

少年の名はミナトというらしい。彼は駄々をこね、中々吉岡から離れようとしない。吉岡も困り果てた表情だ。巧一朗が何かパフォーマンスで機嫌を取ればいいが、人には向き不向きがあると自覚しているので動かない。結局スタートから十分程遅れてしまう。

 

「ちっ、分かったよ。吉岡さん、また後でね。俺、吉岡さんに話したいことあるんだ。」

「うん、後でお話ししよう。ミナト君は偉いな。」

「一時間はこの死んだ魚みてーな兄ちゃんで我慢してやるよ。」

 

どうも、死んだ魚こと巧一朗です、と心の中で呟いておく。

こうして無事巧一朗達の仕事は始まった。巧一朗は各エリアを子ども達に見せながら、美術館の案内ガイドのような淡々とした口調で聖遺物について説明していった。

第四区博物館はオアシスでもトップクラスの保管量である。細かいものも含めればその数は数百に及ぶ。その為、大人ですら一日で回りきることは不可能だ。ましてや歴史に造詣の深くない子どもは尚のこと。社会科見学のナビゲーターは、手早く子どもが興味を持ちそうなエリアを回って行かねばならない。当然歴史に興味を持たない子は常に欠伸で、眠い目を擦る。巧一朗はそういう子らを尻目に、勉強熱心な子のみを相手に解説役に徹した。

 

「これはベルギーの画家、ルネ・マグリットの使っていたチューブだ。マグリットのイラストは明瞭かつ不可思議、彼の絵を考察し、研究する学者も多い。絵自体に神秘が込められているとして、一応は指定文化財だ。四区の災害のキャスターから厳重に保管するよう伝えられている。」

「もしかして巧一朗さんはディザスター様と会われたことがおありで?」

 

お嬢様のような風貌の女生徒が目を輝かせる。子ども達は聖遺物よりも興味が湧くものを見つけてしまったらしい。

 

「あー、まぁ仕事柄ね。」

「キャー!ディザスター様に会ったことがあるんですって!素晴らしいわ!素敵だわ!」

 

女生徒含め、先程まで上の空だった子ども達も、災害のキャスターの話題で盛り上がる。子ども達にとっては憧れのヒーローのようだ。オアシスに住まう殆どの人間はこの生徒たちのように、災害の存在を肯定する、それどころか神として、王として、英雄として崇め奉る。

 

「ディザストロキャスター様は美しき仮面の君。あぁ、私もお会いしたいわ。」

「ディザスター様は本当にカッコいいよな。ウチの両親は一度あの方の住まう城に招かれたことがあるんだぜ。」

「えーいいなぁ。そういやミナトは『天還(あまつがえり)』に選ばれたんだよな。」

「あぁ、後で吉岡さんに自慢するんだぜ。俺も『ヘヴンズゲート』へ行けるんだ!」

 

少年少女達は巧一朗そっちのけでワイワイと語り合う。楽しい雰囲気に水を差すのも彼自身申し訳なく思うが、生憎見学の時間は残されていない。あともう三か所は巡ることとなっている。

 

「皆すまないが、もうすぐ時間だ。次の北米エリアに向かおう。」

 

 

巧一朗が表の仕事に取り組む中、同じ博物館スタッフである鶯谷 鉄心(うぐいすだに てっしん)は相棒のアーチャーを連れて第四区の繁華街に繰り出していた。彼は正社員ではなくあくまで〈なんでも屋〉の一環で博物館の活動に従事している為、スタンスとしてはアルバイターである。今日は博物館の方は非番であり、彼の営む鶯谷本舗(清掃から危ないお仕事までなんでも引き受けますというキャッチコピーの個人営業所)にきた依頼を消化していた。

 

「飼い猫の捜索が六件、失踪した人間の捜索が二件、全く嫌になるなぁ。」

 

鉄心は分かりやすく溜息をついた。その様子を見てアーチャーは笑う。

 

「…何がおかしいんだよ、アーチャー。」

「すみませんマスター。この街においては行方不明なんて日常茶飯事。当事者以外は素知らぬ振りをしつつ、その事実を認めている。そんな狂った構造の社会において、貴方は不満を口にしつつも真面目に取り組むのですね、この『神隠し』に。」

 

鉄心は裏の仕事に従事しているからこそ知っている。災害は人間を管理しつつも、個人を認識していない。数十匹の蟻を飼育したとして、その内の一匹が命を落としても、それがどの個体だったのか認識できない人間が殆どである、理屈はそれと同じ。数が必要であれば、外部から別の蟻を収集して同じ籠へ入れるだけで、生体の観察と言う意味では事足りる。もし人が減ったなら、災害は人に子を産ませるだけだ。誰が死んだとか、そんなものは彼らにとって不必要な情報である。

 

「誰かが消えたら、きっとそれを悲しむまた誰かがいるはずだろ。依頼してくるってことは、生きていることを信じ願っているんだよ。」

「でも本音は?」

「…当然金だ。成功報酬が弾むからに決まっているだろ?」

「マスターは正直ですね。」

 

鉄心は迷い猫の写真が入ったビラを各地に貼り付けて回る。こんなものに期待する訳でもなく、ただの仕事をしているアピールに過ぎない。依頼料をより多く得るために、結果に至る為の努力を嵩増しする。それは彼が日銭を稼ぐために振り絞った知恵である。

 

「オッケー、じゃあアーチャー。この子猫の位置を特定してくれ。」

 

アーチャーのサーヴァントの力を以てすれば、探し物を見つけること等容易である。特に彼の契約しているアーチャーは、その部分において特化している。

 

「見つけましたよ、第二区に迷い込んでいます。」

「げ…何でそんな所まで…」

 

この調子で、全ての依頼を短時間の内にこなしていった。六件の飼い猫探しは全て無事に完了。猫も一匹だけ身体に傷を負っていたが、命に別状は無し。仕事としては上々の出来だった。

だが問題はその後だった。失踪した人間は、アーチャーの能力を以てしても見つけられない。彼がその生存を発見できない、ということは既に死亡している可能性が極めて濃厚である。

 

「やっぱ、人間はそうなるよなぁ…。とりあえず一件は死亡っと。結構美人だから、可哀想な殺され方をしているかもな。」

「ではもう一件も確認しましょう。こちらも女性ですね。」

 

アーチャーは写真に映し出された女の顔を覚えると、取り出したスコープで彼女の姿を捜索する、しかし。

 

「どうした、アーチャー。」

「見つかりはしました。ただし遺体として、ですが。」

「…っマジかよ。」

「縦に半分、オブジェのように壁にへばり付いています。ポリス連中も駆けつけていますし、我々が動かずとも依頼者の元に情報は行くでしょうね。」

「物騒だな、本当に。それ多分サーヴァントの仕業だろう?」

「恐らくは。っ…警察の現場検証に紛れ込んでいる、あれは…」

 

アーチャーはその女を捉えた。シルバーの髪に豊満な胸、ひと際目立つ存在だが、誰も少女に気付かない。そして、少女は見えている筈も無いのに、レンズ越しに彼女を捉えるアーチャーの方角を見てニンマリと笑いかけた。

アーチャーは背筋が凍り、すぐさまスキルで生み出したスコープを仕舞った。彼の額には一筋の汗が伝う。

 

「大丈夫かよ、見てはいけないものでも見たか?」

「まぁそのようなものですよ。巧一朗さんのサーヴァントが、あの現場にいました。」

「巧一朗は博物館で仕事中だろ?アイツの知らないところでまた探偵気取って事件に首を突っ込んでいやがる。あの女は決して正義じゃない。事件を解くためなら人だって殺しそうなパラドックス女だ。」

「何であんな危険人物を巧一朗さんは連れているんでしょうかね。」

「さぁな。」

 

おっぱいが大きいからとか、そういう冗談を思い付いたが、鉄心はそれを言わないようにした。同僚であるが、巧一朗の考えは誰にも分からない。彼ほど心の内に何かを抱えている者は博物館に存在しないだろう。だからそれなりの距離感で。関わり合うとロクなことにならないと鉄心は理解しているのだ。

 

「さ、仕事は終わりだ。アーチャー、これ行くか。」

「チケット?これは…まさか…まさか?」

「シェヘラザードの朗読会だ。」

「っ!愛しのシェヘラザード!今行きましょう!すぐ行きましょう!待っていてください愛しの君!」

 

すっかり興奮したアーチャーに手を引かれ、鉄心は朗読会の開催される第三区の方へ向かったのだった。

 

第四区は第二区や第五区に比べ、比較的治安が良いと言われているが、それは自治組織が災害のキャスター管理の元、運営されている所以である。他の区においても第五区以外、確かに地区権力としての部隊が存在するが、それは人類側が用意した者であり、災害たちはそれに基本的には不干渉。人類に興味を抱かない第二区の災害「アーチャー」と、王以外の力の存在を認めない第五区の災害「アサシン」に比べ、第四区の災害「キャスター」は真っ当な王としての責務を果たしていた。

最近巷を騒がせている第四区連続殺人事件、その書類が自治組織から災害のキャスターの元に提出される。彼の所有するオートマタの先鋭達が第四区各地でその目を光らせているが、今回の事件については未だ手掛かりが掴めていない。犯人は相当な実力を持つサーヴァントであることが窺い知れる。

 

「僕の作り上げた都市で、こうも上手く逃げられるとはな。」

 

オアシスで生み出されたオートマタを使用した英霊召喚であれば、どんな英霊が呼び出されたのか、全てを掌握できる。しかし純粋な魔術師による疑似肉体を使用しない召喚までは察知することが出来ない。だからこそ、第二区の災害は百体の『塗壁』を配置し、不正召喚だけは断罪する姿勢でいる。塗壁の端末の内、一体が何者かによって初期化されたようだが、その犯人は未だ見つかっていない。

 

「事件は全て四区内で起こっている。塗壁の件はまた別の話か。」

 

災害のキャスターは十六のモニターを見つめながら、第四区を監視する。生前の彼の性質からはかけ離れているが、王として、柱として、人間を管理することを彼は選んだ。それが世界を滅ぼし、創り直した者の責務であるからだ。

殺害現場の映像を何度も見比べ、熟考する。遺体は全て縦や横に切り裂かれており、ものによっては原型も分からぬほどに刻まれた個体も存在した。年齢は推定二十台から六十台に至るまで、男女問わず同じように殺されている。殺害方法が同一である以上、何らかの犯人の意図、メッセージ性がありそうなものだが、今の時点では快楽殺人としか考察しようも無い。災害のキャスターは今一度身元について警察部隊に調べるよう指示を下ろした。

 

「気配遮断を用いた殺し…アサシンか、はたまた。」

 

彼はモニターを四区の監視カメラ映像へ切り替える。映し出されたのはか弱き生命の幸福、今を生きる人類の風景である。公園で遊ぶ家族、噴水の前で待ち合わせをするカップル、ベンチで寝転がるサラリーマン、皆が等しく自らの人生を全うしている。

災害のキャスターにとってその光景は無駄な情報である。彼は責務を全うするが、人間に対し一切の興味を抱かない。英霊にも、人間にも、彼を超越する者はいないのだから。研究熱心な彼にとって、並び立たない存在は平等に「無」だ。

だが彼はモニターの一画面に目を留めた。映し出されていたのは白銀の髪の少女。丁度、彼が調べている連続殺人の現場に居合わせたサーヴァントである。

 

「…ふっ」

 

丁度、彼の執務室へ資料を届けに来た警備部隊隊長の男は後にこう語る。災害のキャスターが笑う所を見たのは、実に二十年ぶりのことであると。 

 

 

社会科見学は無事終了し、巧一朗はスタッフルームのソファーでぐったりと横たわっていた。慣れない仕事に精神が付いて行かず、こうも摩耗しているのだ。美頼の姿は見えない、恐らく彼女は別の案件で出向しているだろう。巧一朗の上司、充幸はモニターに映し出された映像と手元のタブレットを見比べ、ウンウンと唸っていた。

 

「鬼頭教官、どうしましたか?眉間にしわが寄っています、美人が台無しですよ。」

「褒めて頂き有難う。…以前、任務で第二区の裏側へ行き、未登録の遺物を奪取した件を覚えていますか?若い女性マスターと、幼子のサーヴァント、巧一朗さんは彼女らに出会い、危機的状況から救った。」

「結果的に彼女らを逃がすことになっただけです。目的は未登録触媒の強奪、彼女らを殺す理由はありませんでしたし。…第五区の巨大宗教組織が我々と同じ目的で動いていたことには驚きましたが。」

「巧一朗さんの判断は間違っていません。問題はその後、その女性は第二区の裏から逃亡したはずでしたが…」

 

充幸はタブレットに映し出された写真を巧一朗に見せた。それは無残にも胴体が二等分された女の遺体であった。巧一朗は思わず息を呑む。

 

「発見されたのはここ、第四区です。彼女は第二区の裏からここまで逃亡して、そして殺害されている。彼女のサーヴァントは消息を絶っており、警察部隊と災害のキャスターがこの事件の捜査に動いているようです。」

「話題の連続殺人に巻き込まれたという訳ですか?これで六件目か。」

 

ニュース番組では取り上げられていない怪事件。災害のキャスター自ら捜査に加わっているということは、サーヴァントによる犯行だと推測できる。今や専属従者サービスはオアシスの暮らしに必要不可欠なものとなっている。もしこれがアインツベルン製オートマタの英霊が起こした犯行であるならば、大きく信用を落としかねない。社会的不安が増大する前に、自ら決着を付けるつもりである。

 

「成程、大手の信頼が落ちれば、四区全体の運営にも影響してくるって訳ですね。」

「巧一朗さん。彼女の遺体は発見されたのは確かに六件目ですが、死後推定一か月は経過していると調査が出ています。つまり、この事件最初の被害者は彼女である可能性が高い、加えて…」

 

充幸は口ごもった。モニターに映し出された情報を垣間見て、巧一朗は充幸の言わんとすることを凡そ理解する。

 

「ウチで回収した触媒の正体、女が召喚したサーヴァントが誰なのか判明したんですね。」

「えぇ。少女のサーヴァントでありながら、誰もが知る最悪の殺人鬼でもあった。ロンドンを恐怖の闇に陥れた反英雄『ジャック・ザ・リッパ―』、この怪事件は彼女の仕業であると私は考えます。」

 

巧一朗はかつて書籍で切り裂きジャックのことを調べたことがあった。十九世紀かの大英帝国における最も有名な猟奇殺人事件であり、これは迷宮入りを果たしている。被害者の多くは女性で、その遺体はどれも激しく損壊していた。だが事件の全貌は謎のままであり、彼が招霊転化で呼べるほどの知識は獲得出来なかった。(元々呼び出すつもりは毛頭無かったが。)

オートマタという疑似肉体を用いた召喚は、同時に英霊の受肉を半ば強制的に実現させており、召喚者が死亡した場合においても、本体の電源を落とされなければサーヴァントは生き永らえる。だからこそ未登録の触媒は危険であり、災害はそれを絶対的に禁じているのだ。今回のケースは女がサーヴァントに裏切られたと捉えるのが通常であるが、巧一朗はどこか引っ掛かりを覚えていた。

 

「兎に角、博物館の活動が災害に見つかれば、我々は最悪の場合、極刑です。暫くは派手に動かないようにしないと、ですね。」

「あー、だから鶯谷は非番になったんですね。アイツは暫く来ないんですか?」

「はい、同じく美頼ちゃんも。暫くは巧一朗さんに頼ってしまうかもしれません。勿論、無理のない範囲で、ですけどね!」

「大丈夫です、俺は尋問されても博物館のことは公言しませんし、というか真っ先に舌を噛んで死にますから。」

 

巧一朗なりの冗談で彼女の心を凍り付かせたのち、彼は私用があると言い残し、スタッフルームを後にした。

 

夕暮れの空は日本という国の情景を人類が再構築したものである。この時間になると仕事帰りの大人が街中に増え、子どもは友と別れ帰路に着く。巧一朗もまた自宅へ帰る集団に混ざり歩みを進めるが、向かう場所は正反対の方角。昼に美頼によって叩き起こされた公園がある方向である。彼は彼なりに殺人事件に関わろうとしていた。万が一、巧一朗が結果的に逃してしまった少女のサーヴァントが事件関係者であるならば、博物館の行動が災害に伝わる可能性があった。何としても災害のキャスターより先に切り裂きジャックを始末せねばならない。

巧一朗は目標の場所に辿り着く。それは彼と美頼が通りがかった怪しげな売店、違法触媒の取引を行う黒フードの男が目当てであった。しかし、そこには骨董品も無ければ、目的の男もいない。彼は裏側の事情に詳しいであろう人物にコンタクトを取りたかったが、あてを失ってしまった。

 

「あれ?コーイチロー?」

 

巧一朗は振り向きざまに声をかけられる。その声の主は倉谷美頼。彼女もまた、黒フードの男の元を尋ねてやって来ていた。

 

「美頼、何故ここに?」

「さっきみさっちゃんから連絡来てね、コーイチローが神妙な顔つきで博物館を出たもんだから、例の殺人事件を追うつもりじゃないかと心配になったらしくて、あたしが来たって訳よ。」

 

そもそも何故巧一朗がこの場所にいるのが美頼に分かったのかについて、彼は敢えて触れるのを止めた。

 

「成程、危険だから俺に待機していろって伝えに来た訳だ。」

「そんな訳ないじゃん、みさっちゃんにはそう言われたけど、凄く面白そうだし、あたしもコーイチローと一緒に調査するに決まってる!」

「まぁ美頼はそう言うよな。因みに連続殺人事件について何処まで把握している?」

「多分コーイチローと同じだけ。切り裂きジャックが犯人だから殺すんだよね?」

 

美頼もまた充幸から同じ情報を与えられていた。恐らく充幸は元々巧一朗を止める気は無い。逆に、彼を利用して災害のキャスターを出し抜こうとしている。破天荒な美頼のお守りを、またもや巧一朗に押し付けたという訳だ。

 

「いや、そうとも限らない。俺は切り裂きジャックが犯人では無いと思っている。何故第二区の裏側に逃げ込む以前に、逃げ込んだ後に、マスターである女を殺さなかったのか、何故第四区に来てから殺害したのか、説明が出来ないだろう?勿論外的要因による心境の変化などは考えられるが、あの女マスターは我が子のように切り裂きジャックを可愛がっていた。だからどうにも納得できないんだよな。」

「犯人は別にいる、と?」

「事件は全て第四区で起こっている。ここがポイントになる筈だ。他の区に比べ第四区は警備体制が整っている。ただ快楽殺人に興じるなら、それこそ第二区にでも行けばいい話だ。第四区の人間を殺すことでしか達成できない目的、それが犯人にはある。」

「この場所に丁度来た時、俺たちは探偵じゃないと言い張っていたのに、コーイチローってば、もしかして目覚めた?」

「…うるせぇ。」

 

巧一朗に付きまとうキャスターの影響もあって、彼自身、小説の探偵のごとき振る舞いをすることに抵抗を感じていなかった。無論、彼はあくまで公共の利益の為では無く、博物館の為に動く。ならばこそ彼は推理モノの主人公には成り得なかった。

 

「でも、折角のアテも外れてしまった。第五区の黒フード連中が関わっていると踏んでいたんだがなぁ。」

「ふっふっふ、それならあたしにお任せ!」

 

美頼はにんまりと奇妙な笑みを浮かべて、バッグから小型の精密機械を取り出す。どうせロクでも無いものだ、と巧一朗は呆れ顔だ。

 

「じゃじゃん!GPS!」

「本当にロクでもねぇな!」

 

あの売買の際に、第五区の宗教団体の情報を手に入れる為に、美頼がこっそりと黒フードに発信機を取り付けていた。彼女はあくまでこれを遊びとしてやっているのだから質が悪い。そもそもれっきとした犯罪行為である。

 

「てか犯罪だとしても、あたし達は人を殺したことあるんだから、まずそっちの方が重くない?」

「そりゃそうだ。」

 

美頼のタブレットに男の居場所が映し出される。第四区に留まっており、比較的この場所から近い距離であった。彼らは地図を確認しつつ、男の場所へ向かった。なお巧一朗にも同じく発信機が取り付けられているが、それは後に判明する。

 

巧一朗と美頼が到着したのは、二階建ての駐車場である。あたりはすっかり暗くなり、近くの大型スーパーも閉店の時間を迎えていた。巧一朗だけならもう少し素早く来れたが、運動音痴な美頼に合わせて歩いた結果、時計の針が何周分も回ってしまった。

彼らの想定では怪しい物売りの住処だと睨んでいたが、どうにも人の住む気配は無い。こんな駐車スペースで商売を始めるとも考えにくい。

GPSが指し示す場所はかなり不可解であったのだ。

 

「服に取り付けていたならば、車にフードを置いて何処かに行った可能性はあるな。」

「もしくは、車の中で闇取引?テンション上がってきたぁ!」

 

夜の学校を探検することが好きそうな美頼は放っておくとして、巧一朗は念のため、警戒しつつタブレットの指し示す位置へ移動した。大型車の裏側、その乗り物の所有者で無ければ通常は確認しないその場所に、目的の男はいた。

 

「コーイチロー、いた?」

「…っ!」

 

巧一朗は後ろを付いてきた美頼の目を手で覆った。恐らく彼女は「平気」だと思うが、それでもこの光景は女子どもには見せたくないと、彼は本能的に動いていた。

 

「ちょ、なに?」

「七人目だ…あろうことか、俺たちが出会った狂信者が、七番目の被害者だ。」

 

そう、そこには黒フードの男が在る。遺体は激しく損壊し、見るも無残な姿へ成り果てていた。彼の着ていたズボンの先には、美頼が付けた小型の発信機がちかちかと点滅していた。

 

 

第四区、とある廃病院にて

白銀の髪を揺らしながら、少女は鼻歌を口ずさみ、魔法陣の上で踊っていた。中心にはアインツベルン製では無い、中古のオートマタが転がっており、彼女は円を描くようにステップを決める。

 

「告げる♪汝の身は我が下にー我が命運は汝の剣に♪」

 

彼女は淡く光る円の中を華麗に舞いながら、その呪文を歌う。オートマタと、その胸に突き刺さった短剣が、魔法陣に吸い込まれるように赤く燃え上がった。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『アサシン』現界します。〉

 

「おお!来た来た!」

 

魔法陣は急速に収縮し、彼女のいる病室内で軽い爆発を引き起こす。煙の中から初老の紳士が現れ出た。

 

「サーヴァントアサシン、真名は…」

 

男が名を告げる前に、白銀の少女はその口元に人差し指を当てた。

 

「よろしく『ジャック・ザ・リッパ―』。私の名はキャスター。英霊ではあるが、君のマスターでもある。」

「はぁ、左様で。」

「いや、こうも上手くいくとは。ミサチに渡った君の触媒を偽物とすり替えた甲斐があったよ。」

「…で、儂に何をさせるつもりで?マイマスター。」

 

「あぁそうだね。じゃあ一人サクッと殺してきてくれないかい?私の野望の為にね。」

 

 

 【観測者編① 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

観測者編2

誤字等ございましたら連絡お願いします。
ぜひプロローグからご一読ください。


【観測者編②】

 

開発都市「オアシス」で中核を担う三つの企業、最高品質の仮受肉用疑似肉体(通称オートマタ)を提供する「アインツベルンカンパニー」、召喚した英霊への絶対命令権である令呪の提供、販売を行う「マキリコーポレーション」、そしてオアシスの全地区の都市開発を一手に担う「遠坂組」はアライアンス契約下にあり、半年に一度、代表取締役同士が会食する約束となっている。アインツベルンは第一区に、マキリは第二区に、遠坂は第六区に本社を構えていることから、彼らが食事を共にするのは決まって第四区であった。それは四区の統率者である災害のキャスターの認可の元行われている。

この度、第四区の有名レストランにて開催が決定されたが、災害のキャスターは首を縦には振らなかった。その理由は、第四区で発生している連続殺人事件の足取りを追っている最中である為だった。万が一にでも要人の警護の網を掻い潜り、彼らに刃を突き立てる者がいたならば、ディザスタークラスの恥さらしも良いところである。災害のキャスターにとって自己の評価が下げられることはどうでも良かったが、他の柱がもしも、もしも代表たちに愛護的な感情を抱いていたならば、災害同士の戦争が勃発する可能性もある。オアシスの繁栄においてそれは余りにも大きな障害となり得る。だからこそ、この度の会合に関して、彼は否定的な見解を示していた。

だが、こともあろうに、第一区の災害「ライダー」が無理矢理にこの会食を執り行う声明を他の災害に通達したのだ。オアシスの六の災害でも最強と名高いライダーの意向は流石に無視できず、結局災害のキャスターは承認するほか無かったのであった。

会食の前日、遠坂組経営責任者の遠坂 龍寿(とおさか りゅうじゅ)は、真夜中に、四区繁華街の方まで繰り出していた。当然キャスターから殺人鬼の話は聞いていたし、地区間を移動する間は護衛を数人連れていた。だが今は一人、何かに誘われるように繁華街の路地裏へ足を運ぶ。

彼は行き止まりに差し掛かると、立ち止まって自らの足元をうろつく鼠を茫然と眺めていた。

 

「おやおや、本当に来て下さるなんて。」

 

彼の後方、暗闇の中からスーツ姿の初老の男が現れた。龍寿はすぐさま、その正体がサーヴァントであることに気付く。

 

「今時、紙の手紙なんて良く考えたものだ。確かに、今じゃメッセージを飛ばすより安全かもしれんな、アサシンである君にとって。」

「お褒めに預かり光栄です。儂が暗殺者のクラスだとよくご存じで。」

「君だろう?ディザストロキャスターが言っていた、猟奇殺人鬼というのは。」

 

初老の紳士は被ったハットを取り、深々とお辞儀した。龍寿は胸ポケットに仕舞っていた煙草を取り出し咥えると、魔術で指先に火を灯して一服する。ハットを被りなおしたアサシン「ジャック・ザ・リッパ―」は遠坂の余裕を不気味に感じていた。

 

「七人、殺したそうだな。無差別であるかと思ったが、ちゃんと共通項はある。四区の長は既にそのことに気付いていたぞ。」

「…と、言いますと?」

「全員が前科持ちだ。軽犯罪から殺人に至るまで、一度服役した経験のある者だけが狙われている。何だ、世直しでもしているつもりかね?」

「ええ、実に映画の主役、アウトローな執行人でありましょう?罪を犯した者がのうのうと生きるのは実に不合理でありましょうや。儂は快楽で人を殺す、生前は女を中心に、今は罪人をターゲットにしたゲームです。」

「一度鏡を見て欲しいものだ、で、僕は服役した経験は無い訳だか、何故君のゲームのエネミーに指定されたんだい?」

「オアシスでも有名人な貴方は清廉潔白な貴族として区民から慕われています、が、手紙にも書いた通り、貴方は只の犯罪者だ。ヘヴンズゲートの正体に気付いていながら、天還を至高の祭りとして囃し立てる。一体何人が犠牲になったんでしょうねぇ。災害と、遠坂が隠している秘密はオアシスを揺るがしかねない禁断のリンゴでしょう。」

「あぁ、君はアサシンだから気配を消して嗅ぎ回ったのかな?成程成程、それは少し面倒だね。」

 

ジャックは数日前、白銀の少女によって召喚されたばかりのサーヴァントである、その為、彼自身がオアシスの謎を知り得た訳では無い。彼の口を借りて、彼のマスターであるキャスターが語り掛けている。マキリの令呪をどこからか掠め取ってきたキャスターはそれを贅沢にも二画用いて、ロンドンの怪物を意のままに操っているのだ。

 

「(あの女(マスター)の言う通りにしたが、話の筋が全く読めない。ここからは儂がこのトオサカという男を殺害する手筈になっているが…)」

 

ジャックが腰から短刀を抜こうとした瞬間、彼の背筋に悪寒が走る。彼の中の生存本能が、動物的直観が、今すぐに逃げろと諭してきた。

だが彼が一歩退いた時点で、既に勝敗は決していた。瞬きをする程度の僅かな時間に、アサシンの四肢は狩り落されていた。顔と胸が残された状態で地面に転がり落ちる。彼の目の前に現れたのは画角に収まらぬ巨大な生物、人の身体ではあるが、何かが決定的に異なっている。そのスケールはパニック映画に出てくる巨大鮫かクロコダイル。龍寿をマスターとしているように見えるが、そもそもこの怪物はサーヴァントと呼称して良いのだろうか。アサシンの視界を半分借りたキャスターはこの迫力満点な光景に興奮が止まなかった。一方ロンドンの殺人鬼は召喚に応じてしまったことを後悔した。遠坂龍寿に対して全ての攻撃は通用しない、彼の経験則でそれを理解してしまったのだ。

 

「さて、ここからは質問タイムだ。アサシン、君はどこまで知っている?君のバックには誰がいる?」

 

龍寿は落ちていたジャックのハットを拾い上げると、埃を払い、彼に再び被せてあげた。手足が無い以上、ロンドンの悪魔と言えど何も行動を起こすことは出来ない。もはや彼は籠の中の鳥、自由に羽ばたく権利を奪われてしまった。

 

「儂…は…」

 

アサシンはマスターである白銀の少女の意に背き、全てを話すことで助かろうとする。当然のことながら、殺人鬼に英雄の矜持は宿っていなかった。それも必然、龍寿の後ろに立つ巨躯の化物を見れば、誰だってそうする。たとえそれが英雄であったとしても。

だが次の瞬間、アサシンは己の下を噛み切り自害した。口から血を吐き出し、彼は絶命する。龍寿は先程の鼠同様、地に這いつくばったか弱き命が消失する様を茫然と眺めていたのだった。

キャスターの腕に彫られていた三画目の痣が消滅する。いざとなれば自害させる予定であったが、こんなにも呆気なく敗退するとは考えていなかった。だが彼女の目的は達成し、かつ一番知りたかったことを知れて、大満足といった様子で廃病院を後にした。

路地裏から霊基反応が消えたことを確認すると、龍寿はまだ煙が立ち上る煙草を壁に擦り付けて掻き消した。これが、約束の合図。このサインを受け取った者が、彼の前に姿を現した。

顔全体を覆い隠す仮面を身に着けた、背の高い男である。龍寿は彼が姿を見せるや否や、跪いて頭を垂れる。

 

「ディザストロキャスター様、ご足労頂き誠に有難うございます。貴方様の使い魔の力までお借りできるとは。」

「ロンドンの殺人鬼であると推察し、警戒レベルを上げたが、なに、取るに足らない三流だ。この程度なら君のサーヴァントでも余裕ではなかったか?遠坂。」

 

災害のキャスターは龍寿の後ろに立っていたサーヴァントに触れる。すると巨躯なる怪物は地に吸い込まれるように姿を消した。

 

「して、四区で起こっている連続殺人、奴が犯人であると自ら述べていたな。最初の被害者の女の違法召喚によって生まれた存在であることは証拠からも確認済みだ。これで四区の平穏が再び保たれる。」

「…ですが、ジャック・ザ・リッパ―の背後には別の何かが暗躍している可能性があります。快楽殺人が趣味の男が、ヘヴンズゲートに辿り着いたのは些か不可解です。」

「だが、その背後にいる者まで探る必要は無い。僕の仕事はあくまでこの事件を止めることである。背後についているのが万が一にでも災害のアサシンであるならば、僕にはどうしようもないからな。事件が起これば、またそれを潰していけばいい。」

 

龍寿は納得する。災害のサーヴァント達が真の意味で人の平穏を願っている訳がない。このキャスターはまだマシな方だ。龍寿は遠坂の未来の為に、災害に選ばれし存在であり続けなければならない。第六区、災害のランサーから信頼を勝ち得ることは出来た。次なる目標は、四区のキャスター、オアシスと外の世界を繋ぐ「扉」の管理者たる彼を、何としてでも味方につけておかねばならない。アインツベルンやマキリを出し抜き、オアシスの頂点に君臨するために。

 

「そうだ遠坂、僕が去る前に一つだけ忠告しておこう。間桐には気を付けろよ。」

「間桐…マキリですか?彼らが裏で何か動いているのは明白ですが…」

 

災害のキャスターは路地裏から立ち去った。龍寿は明日に控えた会合に、一抹の不安を残すこととなる。

 

 

時を同じく、四区繁華街、夜の街に佇む古風な粉物専門店「お好み焼き『昇陽』」にて。

アルコールを一気に飲み干す快調な女、美頼と、それを若干引きつった顔で見つめる巧一朗の姿があった。美頼は枝豆と鶏のから揚げを頬張りながら、麦酒でそれを一気に流し込む。その間、巧一朗は彼女の分のお好み焼きの焼き色も窺っていた。

 

「いやぁ、人のお金で食べるご飯は美味しいわね。」

「奢るなんて一言も言ってないからな。」

 

彼女はついに麦酒三杯目に突入した。止まらないし、止める気も無い。潰れるまでアクセル全開である。巧一朗の仕事がまた一つ増えてしまった。昨日七番目の変死体をその目で見てしまったにも関わらず、美頼は一切それを気にする素振りも無い。何とも強固なメンタルだと巧一朗は感心している。彼は二人分のお好み焼きを華麗な技でくるりとひっくり返すと、枝豆を一つ口に入れた。

 

「てか、コーイチローのそれ、ハニーメイプルレモネード?絶対合わないでしょ。」

「そうか?美味いぞ。」

 

彼はアルコールを摂取しない。酒は強い方だが、二人とも酔っぱらうと目も当てられない事態になる。充幸からの大目玉は必至だ。

美頼は止まる気配も無く、手を休めずに過剰摂取する。カロリーオーバーだが、彼女の美意識は人一倍、そのあたりは運動するなりなんなりでカバーするだろう。問題はそこでは無く、余りにも良い食べっぷりなもので、他の客の注目の的になっていることだ。目立ちたくない巧一朗には地獄のような時間である。今度は山盛りポテトとホタテバター二人前が運ばれてきた。

 

「コーイチロー、その後事件の手掛かりは掴めたの?」

「そうだな、強いて言うならば、被害者は皆、受刑者だったらしい。」

「受刑者…何らかの罪を犯したことがあるって訳。それかなりいい手掛かりじゃない?」

「うんにゃ、そうでもない。刑務所や罪の内容に類似性が無いから、結局は振り出しだ。正義の味方を気取った輩による犯行か、本当に少女のサーヴァントであるジャック・ザ・リッパ―の仕業なのか…」

「コーイチロー、お好み焼きが焦げてるわよ。」

「まじか。」

 

美頼は既に自分の取り分を皿に切り分けている。彼女はテーブルのソースとマヨネーズ、青のり、鰹節を順番に振りかけ、お好み焼きを完成させていく。

 

「コーイチローは甘辛?それとも激辛ソース?」

「否、ここ昇陽ではマイボトルの持参が認可されている。俺は俺の味付けでお好み焼きをデコレーションする。」

 

巧一朗はスーツのポケットから、ハニーメイプルと書かれた容器を取り出し、それをお好み焼き全体にコーティングした。煙と共に甘ったるい香りが彼らの机に立ち上る。彼はボトルを一本使い切ると、出来上がったダークマターを幸せそうな顔で頬張った。

 

「うわぁ」

「何だ美頼、カマキリがバッタの腹を食い散らかしている瞬間を見てしまった時のようなその顔は。」

「カマキリの凶暴性に子ども心に気付く瞬間ね…ってそうじゃなくて、これはドン引きせざるを得ないでしょう?アナタもしかしてお好み焼きをパンケーキか何かと勘違いしてる?」

「パンケーキにはボトル一本じゃ足りないだろ、何言ってんだ。」

「駄目だわコイツ」

 

若干食欲の落ちた美頼とハニーメイプラー巧一朗はその後も淡々と食事を進めて行った。

他の客が食事を終え、店を後にした頃、巧一朗はようやく本題を切り出す。

 

「所詮俺たちは素人だ。災害のキャスターを情報戦で出し抜くのは至難の業。派手に動けば見つかるが、遅すぎても駄目。こんな時は情報屋に頼むのが良いと判断した。」

「情報屋?」

「各地区に一人はいる、その地区の裏側に精通している人物だ。四区の情報屋は博物館のことをよく知っていて、そして俺たちに協力的だ。何度も彼の協力を仰いでいる。」

「成程、その人物とこの店で落ちあうつもりね。

美頼は情報屋というワードにキラキラと目を輝かせる。彼女の想像はスパイ映画で見た金髪長身のハリウッドスター。当然現実でそんな者が街中を歩いていたら注目を集める、これは有り得ない妄想。

巧一朗が手を上げ、店主に注文する。奥から現れた武骨な男は、一言も話さぬままに生地を彼らの卓の鉄板に広げた。

 

「なに?コーイチローまだ食べるの?」

「違う。たった今俺たちは情報屋にコンタクトを取ったんだ。」

「は?」

「ネットを通した情報伝達は災害に見つかる心配がある。かと言って手紙も証拠として残りやすい。だからこそ、コレなんだ。」

「いや、まだ分からないけど?」

 

お好み焼きが鉄板で完成すると同時に、再び店主が現れる。その手にはマヨネーズの容器が二本。ソースを表面に塗った後、店主はお好み焼きにマヨネーズを器用に振りかけた。

 

「ま…まさか…」

「そう、マヨネーズならば!食べてしまえば証拠は残らない!」

「なん…だと?」

 

そう、昇陽の店主こそが裏社会の情報屋であった。美頼は妄想の中のハリウッドスターへ根性の別れを告げる。

 

「さぁ店長!頼んだぜ!」

「…あいよ。」

 

店長は長年培われた匠の技でマヨネーズを振るう。それはまるで、キャンパスに目の前の景色を映し出すアーティスト。浮かび上がる言葉を、巧一朗と美頼は期待の眼差しで見つめていた。

 

『殺人事件の犯人は』

「犯人は?」

「…」

 

店主、寡黙なままにそのままベンチ入り。店の厨房に帰り、そのまま音沙汰無し。

 

「え?犯人は…?」

「しまった!美頼!字数制限だ!お好み焼きに文字を書くスペースが残されていない!」

「馬鹿じゃないの!?」

「これを食べれば…次なる情報が…」

 

こうして、巧一朗と美頼の戦いは始まった。

メイプルをぶっかけ、美頼が巧一朗を殴り飛ばす事故も見られたが、二人は無事、十数枚のお好み焼きを完食した。

結局手に入れた情報は「被害者の連れていたサーヴァントもまた姿を消している」ことと「犯人が第五区の宗教団体の正装、黒ローブを身に纏っている」という事実だけであった。

 

巧一朗と美頼が店を出たのは、夜の一時を回った頃である。お好み焼きに合わせて、更にアルコールを過剰摂取した美頼は千鳥足になっていた。巧一朗は彼女の身体を支えると、亀の歩みで彼女の家へと向かった。専属従者オートマタに魂を宿したバーサーカーは彼女の元にはいない。恐らく既に家にいるだろう。

 

「俺とキャスターならまだしも、アイツは美頼の正真正銘のサーヴァントだろうが。」

 

女王自らが足を運ぶなんてもっての外なんだろうが、仮にも主従関係を結んでいるのだから、マスターの危機には駆けつけて欲しいものだと巧一朗はぼやく。無論、巧一朗自身、彼女をこのグルメバトルに参加させてしまったことに関しては罪悪感を抱いているが。

 

「コーイチロー…もう歩けない…」

「あとちょっとで家に着くから。」

「ちょっとぉ…ってどのくらい?」

「三キロだ。」

「それ遠くない?」

 

美頼は巧一朗を振り解き、道端で寝転がる。自慢の金色のツインテールが砂まみれだが、硬く冷たいベッドが火照った彼女には丁度良いらしい。このままだと朝までここで眠ってしまいそうだ。

 

「おい美頼、寝るな。寝たら死ぬぞ。」

「うーん、むにゃむにゃ」

「♪追いかけてー追いかけてー追いかけて…ゆき~ぐ~に~」

「zzzZZZZ」

「駄目だこりゃ」

 

巧一朗はすやすやと眠り始めた美頼を背負うと、近場のビジネスホテルで一泊することにした。一室しか取れなかった為、仕方なく彼女をベッドで寝かせ、自らは窓際の椅子に腰かける。

 

「…ママ…ママ…」

 

彼女は夢を見ているのか、苦しげな表情で今は亡き母を呼び続ける。巧一朗は知っている、美頼のとって一番の悪夢、彼女の心を蝕み続ける過去の事件、全てが終わった後も、少女はその鎖に縛られている。

だが夢は所詮夢だ。巧一朗は苦悶の表情を浮かべる彼女に何かしてやる訳も無い。ただ身体が冷えてしまわないよう、毛布を掛け直してあげるだけだ。

一時間ほど経過し、彼女の眠りは深くなった。悪夢は過ぎ去ったのだろう。巧一朗はホテルを出て、近くの二十四時間オープンのコンビニエンスストアでホットのはちみつレモンを購入した。

真夜中の寒空を見上げ、彼ははちみつレモンで暖を取る。こうして呑気にしている間にも、次なる被害者が出ているかもしれない。彼自身に正義感なんてものは存在しないが、博物館の皆を思うと少しだけ身体が震える。これは寒さの所為では無いと、彼は自覚していた。

 

「巧一朗、君も探偵の真似事を始めたようだね。」

 

後ろから不意に声をかけられる。巧一朗は背を向けたまま、自らのサーヴァントに返答した。

 

「キャスターは四区の連続殺人についてどう考えている?」

「どう?か。些か不可解な疑問だね。犯人の正体や手掛かりでは無く、私個人の思想を君は聞きたいのかい?」

「お前は犯人の正体に気付いていようが教えてはくれないだろう。」

「ふふ、まぁね。勿論犯人の正体は知っている。動機も知っている。考察のしようも無い、単純かつ明瞭な事件だ。だが私としては非常に面白く愉快な事件だ。このまま終わらせるのが勿体ないぐらいには、ね。」

「そうか。良いヒントだ。有難う。」

 

被害者は現時点で七人。その全員が何らかの罪を犯した経験のある者。最初の被害者、ジャック・ザ・リッパ―のマスターである女、そして七番目の黒フードの狂信者、この二人の共通点は地区の登録がされていない違法触媒を所持していたということ。そして被害者のサーヴァントは皆消失している。

 

「ただの快楽殺人の線は消えたな。儀式的な犯行だ。キャスター好みの事件なら、きっとそれは人として覚悟を決めた者の決死の大犯罪。違法触媒により召喚されたサーヴァントこそが犯人の目的か。徒党を組んでオアシスに、災害に反逆するつもりか、それとも…」

「その魂を大いなる存在に喰わせているか。」

「英霊の魂を七騎捧げる大儀式…まさかな。」

「もし、そのまさかなら、面白いだろう?」

キャスターはにやりと笑みを浮かべる。巧一朗の額に汗が滲んだ。

 

 

遠坂龍寿がジャック・ザ・リッパ―の撃退に成功した翌日、彼は三企業の会食を終え、六区へ帰還する準備を整えていた。護衛達に荷物を任せ、彼は時計を気にしつつある場所へ向かう。護衛の一人が彼の後ろに付いて歩いたが、彼は龍寿の辿り着いた場所に驚愕を禁じえなかった。

 

「龍寿様、ここは…!?」

「あぁ、大衆向けバーガーショップだ。」

 

富豪の中の富豪、リッチな生き方しかしてこなかった遠坂家の跡取りが、庶民的なジャンクフードショップに現れるなど、誰も予想が出来ないだろう。龍寿は特に変装することも無く、普段着のままでバーガーショップの二階へと赴いた。護衛は外で待機命令、どうやら龍寿は四区にいる旧友に会いに来たらしい。

龍寿が慣れない場所でキョロキョロと辺りを見回していると、目的の人物がコーラ片手に現れる。

 

「おい龍寿、久しぶりだな。」

「鉄心…!」

 

鶯谷鉄心と遠坂龍寿は幼馴染であった。遠坂家の屋敷から彼を何度も外へ連れ出し、様々な遊びを教えたのは他でもない、鉄心である。遠坂家の者たちは龍寿に箱庭の外側を教えた鉄心を忌み嫌っているが、龍寿は他の誰よりも鉄心を兄のように慕っている。それは彼が遠坂家当主の座についても変わらない。

 

「会えて嬉しいよ鉄心。変わらないな。」

「そっちはえらく社長の席が似合う風貌になってきたんじゃないか?歳の割に貫禄あるぞ。」

「そんなことはないさ。僕なんてまだまだ世間知らず。鉄心には敵わない。」

「俺なんかを目標にするんじゃねえぞ。ロクな人間にならないから。」

 

龍寿が六区へ帰るまでの一時間、彼らは昔話に花を咲かせた。張り詰めた顔をしている龍寿も、この時ばかりは上機嫌である。

 

「鉄心、折り入って相談があるんだ。」

「何だ?友の頼みならギャラは取らないぞ。」

「六区に、遠坂組に来ないか?君の力を借りたい。オアシスの為に、君が必要だ。」

 

鉄心は少し考える。断るのは前提のもと、如何にして話に乗らないか。親友の頼みならば聞いてやりたいが、鉄心は鶯谷本舗としてこれからも自由気ままに生きていたいと考えている。身近な困っている人間に手を差し伸べることで精一杯、とてもじゃないがオアシスの未来を考えていく余裕なんてない。

 

「すまんな、龍寿。俺は大企業で働けるタマじゃないんだ。学も無く、その日暮らしな俺には精神的にもキツイだろう。このなんでも屋みたいな仕事、割と気に入っているからさ。」

「そうか、すまない、無理を言ってしまったな。」

「どうした、お前にしては落ち着きがないように見える。何かあったのか?」

 

龍寿は昨日のことを話そうとする、が、天還のことを話せば、鉄心に嫌われる可能性がある。彼は友情に亀裂が走らぬよう、言葉を選んで相談した。

 

「マキリコーポレーションが裏で何か良からぬ動きをしている、かもしれない。確証もない話だが、遠坂の権威を脅かす何かを狙っているならば、当主として、どうすればいいのか。」

「マキリが?」

「災害のキャスターと面会した際に言われたんだ。気を付けろって。彼が言う限りにおいて、それは真実であろう。わざわざ災害のクラスが一人間にそんなアドバイスをするだろうか。」

「そうか…」

 

それは鉄心には答えられぬ内容だ。会社の幹部でも無ければ、企業間の熾烈な争いなど明瞭に見えては来ないだろう。だが、身内で無ければこそ見えてくるものもある。裏社会にもある程度顔の利く鉄心だからこそ、表舞台に立つ龍寿を助けられるかもしれない。

 

「じゃあ、それは依頼ってことでいいな、龍寿。」

「依頼?」

「そう、マキリが今何をしているのか、鶯谷本舗として全力で捜査する。次に会った時、マキリの全てを詳らかにして、龍寿に伝えるよ。それなら俺でも協力できる。遠坂組には入らないが、これは鶯谷本舗との企業間協力体制だ。まぁ俺のは個人事業だけどな。」

「鉄心…有難う。君という存在が僕に力をくれるよ。」

 

こうして、龍寿と鉄心のわずか一時間の邂逅は終わりを告げる。龍寿は六区へ戻り、再び代表として力の限りを尽くすだろう。そして鉄心は博物館の活動とは別に、マキリコーポレーションの調査に取り掛かっていくのであった。

 

鉄心は龍寿と別れた後、店の外で佇んでいたアーチャーを連れてマキリコーポレーション本社のある第二区へ向かうことにする。第二区は以前、博物館の仕事で訪れたばかりであるが、詳しく地区全体を見て回る暇も無かった。二区と四区は隣接している為そう遠くは無いが、やはり境界線を跨ぐと、別世界といった様子である。四区からなら自転車で行ける距離、アーチャーの能力を使えば瞬時に到着できるが、彼は少し考え、徒歩で行くことにした。

 

「マスター、どうして歩いて行くのです?」

「マキリのこともそうだが、博物館が関わっている四区連続殺人にも興味はあってな。被害者の内の二人ほど、二区に近いこの四区のはずれの辺りで殺されていたそうだ。何か手掛かりがあったら巧一朗の奴に教えてもいいかな。」

「確かに、昼間から閑散としていますし、夕方に差し掛かる今は余計に人がいませんね。」

「犯罪者は犯行現場に帰って来るって言うだろう?有り得ない話じゃないはずだ。」

 

鉄心の中で確証があった訳では無い。だが彼の動物的な勘がこの場所には何かがあると告げている。彼は自らの直感に従って行動することが多かった。アーチャーは警戒しつつ、鉄心の背後から悪意の匂いを嗅ぎ分けていた。

四区の最北部、二区と隣接するその街は、荒廃したベッドタウンである。取り壊し予定の家々が立ち並び、西側に位置する繁華街とは打って変わり、どこか物寂しい情景である。二区のシャッタータウンに非常に似た構造をしていた。

鉄心は二区へ向かいつつも、寄り道をするようにカメラで怪しげな屋敷や廃屋を激写していた。人通りは無に等しく、偶に警察が通りすがるのみ。ここで変死体が見つかったとしても、何ら不思議ではないと誰もが思うだろう。

 

「アーチャー、スコープで犯人を捉えることは出来ないよな?」

「顔さえ認識すれば世界のどこに居ようと見つけられますが、どこの誰かも全く分からない人物を覗き込むことは流石に出来ませんね。」

「そりゃそうだ。犯人に出くわすご都合な展開があればいいが。」

 

鉄心がカメラを構えながら歩いていると、目の前にしっかりとした身体つきの男警官が道を塞ぐように現れた。彼は鉄心の持つカメラのレンズを手で覆い塞ぐ。

 

「ちょっ…」

「ここで何をしている。カメラもビデオも禁止だ。」

「俺たちは二区へ向かっている最中なんです。風景写真を撮って次の芸術コンクールに出す予定でして…」

 

鉄心は咄嗟に嘘をつくが、警察はそれでもと突っぱねた。

 

「今この道の先は第二区のゲートキーパーが通行止めにしている。危険人物が二区に侵入しない為に、な。」

 

連続殺人のことは話題に出さず、鉄心を無理矢理元来た道の方角へ帰させた。何の資格も有さない彼はそれに従わざるを得ない。アーチャーと共に、元の道へ戻ることにする。

 

「いいのですか、マスター。」

「仕方ないさ。俺たちは派手に動くわけにいかないだろう?」

「確かに…」

「…なーんてな!」

 

鉄心は先程の警官が見えなくなるタイミングに、近くの廃屋へ転がり込んだ。身体能力の高い彼は、屋根上に軽々とした身のこなしで飛び乗ると、屋根伝いに二区の方面を目指して行く。

 

「マスター、これはまずいのでは?」

「ダイジョーブ!いざとなればアーチャー、お前の力を貸してもらうから。」

「全く、破天荒なマスターですね。面白い。」

 

鉄心は好奇心で、このベッドタウンを調査することに決める。カメラを回すことと止められたということは、撮られてはいけないものがあるかもしれないということだ。それがもし殺人事件を超えた、大企業や災害の関与するものであるならば、これ以上面白いことはないだろう。

 

「アーチャー、さっきの警官をスコープで覗けるか?プライバシーもへったくれも無いが、見つかったらアウトだからな。」

「勿論ですマスター。」

 

アーチャーはウキウキでスキルを解放する。彼の覗き込むスコープは真実を照らし出す。先程の警官が何処へ居ようと、今のアーチャーならば特定が可能である。

 

「先程の警官、歩いて廃病院の方へ向かいました。…何だあの場所、ひと際魔力の渦が大きく感じる。この場所自体どこか異様な空間ですが、特にあの病院は…」

「行くしかねぇな!何だかあの警察官も怪しく思えてきたぞ。」

 

ベッドタウン中央にそびえ立つ有名心霊スポット『旧葛原病院』。ここは利用者の激減に伴い、西の方へ移転し、取り壊しが決まった廃病院である。何故か移転してから一年は経っているにも関わらず、一向に業者が入る様子も無く、学生の間では有名な都市伝説になりつつあった。

鉄心とアーチャーは割れた窓ガラスから侵入を図ると、物音を立てぬように、慎重に警官の居場所を探った。

静かな場所である為、喋る声は反響する。警官の居場所が小児科の診察室だと気付くのにはそう時間がかからなかった。

 

「…写真家気取りの若者とサーヴァントだ。あぁ、勿論追い返したよ。」

 

先程の警官が大声で誰かと喋っている。何とも危機管理能力の無いことだ。鉄心はそっと聞き耳を立てた。サーヴァントが居た場合、魔力で察知されかねない為、アーチャーは少し離れた場所で待機している。

 

「お前の言う通りにしてきた。犯罪者のリストも、第五区の違法触媒のデータも俺が用意したものだ。お前が求めている『聖杯』とやらは七騎の魂で完成するんだろう?霊体化しているお前のサーヴァントを俺に見せてくれ。」

 

「(『聖杯』?『霊体化』?何のことだ?)」

 

「七人目の災害のクラスが誕生する。それも他の災害、アーチャーやライダーをも超える『コラプスエゴ』のクラスが…。教祖様が求める理想の世界、絶滅の儀へのカウントダウンだ!」

 

「七人目の災害…っ!?」

 

鉄心は驚きのあまり思わず声を出してしまう。彼は自らの失態に気付き、急いでアーチャーの元へ走る。だが、彼より早く動いたのは、そこにはいなかったはずのサーヴァント。彼の前に急に姿を見せた者は、もはや人の原型を保っていない、悪魔であった。

 

「なんで?さっきまでこんな馬鹿デカい怪物はいなかったはずだろ!?」

 

鉄心は敵の攻撃を転がるように避ける。すると先程まで彼が走っていたはずの床が溶け落ち、灰と化していた。このサーヴァントの攻撃に少しでも接触すれば、粉々に分解されてしまうようだ。

 

「ははは、はははは!これがコラプスエゴ!新たな災害!俺が見たかった、革命の時だ!」

 

警察官は高笑いし、鉄心を見下す。だが次の瞬間、悪魔の一振りにより、警官の首は消失していた。血が飛び散ることも無く、生命活動を強制停止された胴体は行き場を失い崩れ落ちる。鉄心はその隙に、何とかアーチャーと合流した。

 

「アーチャー、取り合えず距離を取れ。アレに触れたら御陀仏だ。」

「ならば飛びますよ、鉄心!しっかり捕まっていてください。」

 

アーチャーは鉄心を抱え、後方に跳躍した。幸い敵は鈍足、彼のスピードに追い付けるはずも無かった。アーチャーは窓から脱出し、マスターを抱えたまま地面に転げ落ちる。掠り傷で済んだことを、今は喜ばなければならない。彼らは本能的に、この場所に近付いてはならないと察知した。

だが、鉄心とアーチャーは既に、敵の罠にかけられていたのだ。

ベッドタウンから一刻も早く逃げようとするアーチャーと鉄心だったが、彼らがその一歩を踏み出した刹那、外の景色は壊れ落ち、いつの間にか元の廃病院の小児科へと戻されていた。先程、確実に、病院から抜け出した筈であるのに、何故か彼らは再びコラプスエゴを目の前に立ち竦むこととなった。

 

「なんで…」

 

悪魔は大きく裂けた口でニンマリと嗤うと、両手を彼らに向かって振り下ろす。アーチャーの判断が遅れ、彼らの立っていた場所は跡形もなく消し去った。彼らは言葉を交わす間もなく死亡した、はずだった。

彼らを後方へ引っ張り上げ、その一撃を躱した者がいた。鉄心は見慣れたその顔を見つめ、安堵の表情を浮かべる。

 

「さんきゅ、巧一朗。エマージェンシーコールしといて良かったぜ。」

「俺が偶々四区内にいたからいいものを…何をしている、鶯谷。」

 

巧一朗は招霊転化で呼び出したセイバークラスのサーヴァント『ディルムッド・オディナ』と共に並び立つ。彼は彼なりに事件を追っていたが、鉄心と同じく、この廃病院へ辿り着いた。目の前にいる悪魔こそが、彼の追う猟奇殺人に関わっていると判断する。この悪魔の後ろで隠れている黒のローブのマスターらしき人物、七人を殺し、その専属従者であるサーヴァントの魂をこの派手な悪魔に喰わせていたとしたら、先程の強力な一撃にも納得できる。

二人のマスターと二騎のサーヴァントを前に、コラプスエゴは嗤う。血塗られた殺戮の夜が今、始まろうとしていた。

                                

 

【観測者編② 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

観測者編3

誤字等ございましたら連絡お願いします。
ぜひプロローグからご一読ください。


【観測者編③】

 

『破綻者(コラプスエゴ)』とは即ち、その存在そのものが凌辱されたサーヴァントである。剣を極めた者、狂気に満ちた者、歴史に名を残す英雄奇人たちは世界の記憶に登録され、今を生きる民全てが彼らの名を、武勇を、語り継ぐ。その人間の一側面を削ぎ落し、現代に蘇らせるのが英霊召喚。オアシスにおいては、それがオートマタを媒介に行われる。

だが、もしも、個として内なる綻びを有した者が召喚された場合、どうなるか。例えば、悪魔憑きを英霊として呼び出した場合、それは悪魔憑き本人が呼ばれるのか、それとも悪魔が呼ばれるのか。悪魔憑きは何を以て人類の記憶に登録されたのか、人が主体なのか、悪魔が主体なのか…。通常の聖杯戦争である場合、それは総じてキャスターかバーサーカーに当てはめられ呼び出されるであろう。だが、オアシスは原型を留めることの出来ないエクストラを容認する。それは災害のサーヴァントによる認可では無く、開発都市オアシスが誕生するきっかけとも言える「始まりの聖杯」の力であった。存在の曖昧さ、歪さを肯定し、他者の個を吸収することで自らの存在を立証する、そんなコラプスエゴがこの地に生まれ落ちてしまったのだ。

コラプスエゴのクラスで召喚されたサーヴァントの名を解明することは何の意味も持たない。歴戦の強者で無く、彼らは偏に歴史上において弱者である。現代に蘇りし弱者が、現代において自己を確立する。歴史が彼らを物語るのではない、今を生きる者達が彼らの存在をその瞬間に決定してゆくのだ。

廃病院に使い魔をよこしたマキリコーポレーションCEO、マキリ・エラルドヴォールは、成長過程のコラプスエゴを鑑賞し、賛美した。淡い緑の髪をくるくると手遊びで弄りながら、モニター越しに破綻者の戦いを傍観している。既にコルクを抜いたワインボトルは三本目、今日の彼女は誰が見ても上機嫌である。彼女の豪華絢爛な部屋の片隅で立つ付き人の青年は、彼女のはだけた部屋着から覗かせる滑らかな白い肌に心臓の鼓動が数コンマ早くなっていた。

 

「あの、エラル様、そろそろお酒は控えて頂かないと…」

「えぇーバーサーカー、貴方も一緒に飲みましょう?」

「いえ、僕は…うわっ」

 

エラルは酔った勢いで青年を抱き寄せると、その白い髪をクシャクシャと撫でまわした。一方青年はスタイルの良いエラルの胸元に顔を埋め、幸福の呼吸困難に陥っている。早く彼女から離れなければと思いつつも、その感触を堪能する男としての本能に抗うことは出来なかった。

 

「アインツベルンが秘密裏に行っていた『英霊統合計画』は失敗に終わったけれど、コラプスエゴの霊基を媒介すれば…マキリはまだ進化の可能性を秘めている。」

「エ…エラル様。コラプスエゴとは即ち…?」

「本来であれば影にすらなれなかったはずの微小霊基が、他のサーヴァントや魔術師を取り込むことで存在を確立した姿。人間も英霊も、肉体があろうが無かろうが、その身にたった一つの魂を宿している。でも破綻者は例外として、他の魂と共存する。自己と他者の境界線が曖昧なのよ。こうして現界していることが奇跡、自己があまりにも強い英霊同士は通常反発するものだからね。」

「…他者を取り込み血肉にする、それは果たして強いのでしょうか?」

「それはマスター次第よ。これは言わばサーヴァントの育成ゲーム。いまこうしている間にも、コラプスエゴは進化し続ける。その進化の先が崩壊で無ければ、破綻者は災害すら飲み込むでしょう。」

 

モニターでは身長三メートルを超える怪物コラプスエゴと、二人の男の戦いが続いている。二刀流の剣士と後方から支援する狙撃手、良いチームワークだ。だが怪物の腕の一振りであらゆる攻撃ははじき返される。エラルの見立てでは、破綻者は既に七騎のサーヴァントを取り込んでいる。だがそれでもなお、暴食は止まる気配を知らない。二人の男とそのサーヴァント達もまた、怪物に殺される未来が待っているだろう。エラルは被害者になる男たちには何の興味も抱かなかった。

エラルは画面に噛り付くように見入っていたが、映写している使い魔がコラプスエゴの放った光弾により溶け落ち、強制的にシャットアウトする。画面に砂嵐が吹くと、彼女はがっかりと項垂れた。

 

「良いところだったのにぃ…バーサーカー!」

「何でしょうか?!」

「もう寝る!明日は早いし!だから、寝る前に、ね?」

 

エラルはうっとりとした表情で彼女の従者を見つめた。彼はやれやれと言った表情で、部屋の隅に陣取るグランドピアノへ向かった。エラルは就寝前に彼の演奏を聴くのが日課だった。バーサーカーの演奏はとても儚く、それでいて心安らぐものだ。部下たちは非戦闘要員のサーヴァントの召喚に断固として反対したが、彼女はそれでも彼を呼んだ。オアシスにおいて力比べの強さなど災害を前にすれば何の意味も成さない。ならば彼のような芸術家を招き入れる方が専属従者サービスを正しく活用していると言えよう。エラルはいつも演奏を聴きながら眠りにつくが、今日は静かに音を紡ぐ青年が堪らなく愛おしくなって、ベッドから立ち上がった。目を瞑り、音を奏でる彼の背後から優しく抱き締めると、時が止まったように静かな時間が流れ始めた。

 

「エラル様、そう抱き締められては、鍵盤を叩けません。…エラル様?」

「好きよ、バーサーカー。」

「…」

 

青年はエラルの手に自らの手を重ねる。人の温かさが、彼の中に染み入る。それはたとえ狂っていようが正しく理解できる。マスターであるエラルの想いは、青年の胸をじんわりとさせた。

 

「僕も貴方を愛しています。」

 

エラルは彼の隣に座ると、その肩に頭を乗せた。普段の彼女は冷徹無慈悲と恐れられているが、バーサーカーの前だけは安らかな表情を見せる。いつも気を張った彼女が唯一素でいられる場所、それが彼の隣なのだ。

彼女が眠りにつくまで、彼は静かな演奏を続ける。どうかこの時だけは、幸せであるように、そう願って。

 

エラルの使い魔が地面に転げ落ちたことなど露も知らない二人の男たちは、絶体絶命の危機に瀕していた。巧一朗が招霊転化で呼び出したディルムッドは流石の戦いっぷりであるが、相手が悪いと言わざるを得ない。鉄心のサーヴァントであるアーチャーもまた、自らの無力さを嘆いていた。膨張と収縮を繰り返す異形、コラプスエゴを前に、取り得る手段は全て試したが、どれも有効打にはならない。その霊核を剥き出しに出来ればアーチャーの矢は必ず届くが、未だその弱点を見つけ出すことも出来ずにいた。そしてじきにディルムッドは約束の一分を迎える。彼が消失した場合、巧一朗達の勝利の可能性はゼロになるだろう。

 

「どうするよ巧一朗。これだけ切り刻んでも簡単に再生されたんじゃ歯が立たないぜ。」

「鶯谷、俺のセイバーとお前のアーチャー、同時に宝具発動できれば勝機はある。」

「…となりゃ、俺も覚悟を決めないとな。」

「タイミングを合わせろ。行くぞ。」

 

コラプスエゴが病院の天井を破壊し、大きく飛び上がったタイミングに合わせて、ディルムッドもまた跳躍した。怪物は夜空に浮かぶ星々を眺めながら、自らの胸に向けて飛び込んでくる流星を受け入れるかのように抱き込んだ。だがそれこそ悪魔を刈り取る刃。ディルムッドはその手に持つ赤き魔剣でコラプスエゴの肉を幾層にも切り刻む。

 

『憤怒の波濤(モラ・ルタ)』

 

再生能力の追い付かない超高速の裁断。一振りで複雑に切り込むことで、肉体を蘇らせる工程をパズルゲームのように難解にさせる。霊核にはあと一歩届かないが、コラプスエゴの主たる魂の露出を、矢を番えるアーチャーが見逃すはずも無かった。

 

「令呪を以て命ずる。アーチャー、奴の魂を射抜け!」

 

鉄心の左肩に宿るマキリ製の令呪が淡く光を放つ。彼は二画の願いを昇華し、アーチャーの矢に光を届けた。

アーチャーの矢は必ず、その対象を射抜く。後はそこに魔力を乗算するのみだ。

 

「いけ、アーチャー!」

 

『我が恋、永久に飛翔せし(レルアバドゥ・サハム)』

 

狙撃手の放つ赤の閃光は怪物の心臓に風穴を開ける。サーヴァントとの戦いの経験が浅い鉄心にも分かる、対象の明確な死。叫び声を上げながら崩壊するコラプスエゴを確認し、彼の緊張の糸は途切れた。

 

「鶯谷、まだ終わっていない。」

 

巧一朗とディルムッドはコラプスエゴの後ろに隠れていたマスターと思しき人物目がけて走り出した。コラプスエゴは見間違えるはずも無く、オアシスのオートマタシステムに依らない、聖杯戦争と同じ方式で生まれたサーヴァントである。スイッチを切れば命を絶てる生易しいものでは無い。怪物は魔力の塊で、そしてそれを従えるマスターは巧一朗と同じ魔術師である。その事実を、この場で彼だけが知っていた。

コラプスエゴのマスターは巧一朗の殺気にいち早く気付く。コラプスエゴが敗北することは想定外だったが、その戦闘データを入手できたことは怪我の功名であった。彼は災害のアサシンの信仰集団『アヘル』の教団服のローブで顔を隠しつつ、確保していた逃走経路で脱出を試みた。自らの命さえ保証されれば、怪物は不死鳥の如く何度でも蘇る。それを計算したうえでの素早い行動である。

巧一朗は自らより先にディルムッドを走らせた。名だたる騎士の脚力を以てすれば、ある程度距離があろうとも確保することは容易い。実際にディルムッドは一秒も経たぬ間に、黒ローブのマスターの懐に入った。

だが、無情にも戦闘開始から約束の一分が経過する。

 

「すみません、マス……」

 

ディルムッドは光と共に消滅し、空のオートマタに再び白銀の少女の魂が舞い戻る。

 

「おぉ、クライマックス半ばに招霊転化のタイムオーバーって所かな、巧一朗。」

「くそっ、セイバーの次はキャスタークラスのサーヴァントか!」

 

黒ローブのマスターは突然の美少女の登場に狼狽するが、直ぐに切り替えると、再び逃走を図った。

 

「キャスター、頼む!奴を捕まえてくれ!」

「怪物の成長を見届けたかったが、仕方ないか…」

 

少女は黒ローブの足を引っかけ、派手に転ばせる。そして離さぬようにとその片足を抱え込んだ。黒ローブは魔術による拘束を受けると踏んでいたが、意外にも少女が力技でこちらを捕らえたことに驚く。そして彼女はサーヴァントにしてはあまりにも、あまりにも非力であった。掴まれた足で暴れ、少女に蹴りを入れると、彼女は呆気なく地に転げ落ちた。巧一朗が追い付く頃には、黒ローブのマスターは既に廃病院を抜け出した後だった。

 

「巧一朗、すまない。私はか弱き少女だから…ヨヨヨ」

「わざとらしく泣くフリをするな。…これは俺のミスだ。サーヴァントの制圧に四十秒もかかってしまった。」

 

キャスターは服に付着した汚れを手で払いながら、巧一朗の方をまじまじと見つめる。

 

「何だよ、キャスター。」

「どうだい、コラプスエゴは災害を殺せそう?」

「…現状は無理だろうな。完成には程遠い。」

 

巧一朗は頭を掻くと、キャスターと共に鉄心たちが待機しているであろう場所に戻ることにした。

 

「第四区連続殺人事件、あと少しで全体が掴めそうだ。次の犠牲者が出る前に何としてでも止める。キャスター…お前の思い通りにはいかない。」

「それは楽しみだ。」

 

巧一朗は白銀の少女の思惑に気付いている。彼女はわざとコラプスエゴを延命させた。彼の知らないところで、彼女は暗躍しているだろう。

その理由は考え得る限り複数あるが、最たるものとして、災害のサーヴァントを超える力の存在をオアシスに誕生させることだ。

彼女が巧一朗と共に戦うのは、最終目標が同じである為。

災害を殺すこと。

彼と彼女は、手段は違えど、オアシスを滅ぼすために戦っているのだ。

 

 

廃病院での戦いから一夜明け、巧一朗は第四区博物館で備品の整理に明け暮れていた。充幸の指示通り、鉄心と美頼は休日を謳歌している。巧一朗にとって、物静かな充幸と二人で仕事をするのは居心地の良い時間であった。

巧一朗は聖遺物の保管リストや出退勤のデータをファイリングしながら、棚の取りやすい位置に並べていく。ネームカードは洋菓子の入っていた缶ケースに纏め、文具はそれぞれの用途に合わせて引き出しに仕舞い込んだ。普段から整理整頓の苦手な美頼や鉄心に対し、巧一朗はこまめな雑用を好んでいる。だから、言われずとも彼らのデスクもある程度綺麗に掃除しておいた。特に美頼は、大切な入館証まで机に置いて帰る為、誰かが代わりに開けてあげなければならない。巧一朗はやれやれと思いつつ、大切なものは彼女のデスク引き出しに戻しておいた。

 

「整理お疲れ様です、コーヒーを淹れました。」

「どうも。鬼頭教官も少し休んでください。」

 

二人はソファーに並んで腰かけると、コーヒーを口に含んだ。巧一朗は頂き物のクッキー缶を開封すると、イチゴジャムの乗ったそれを充幸に手渡した。自らはメイプル風味のものを口に運ぶ。

 

「巧一朗さんはメイプルがお好きですね。」

「昔は苦手だったんですけどね。そういう鬼頭教官も甘いものには目が無いのでは?」

「私も同じく、甘いものは好きじゃありませんでしたが、そうですね、友人が余りにも美味しそうに食べている所を見て、私も好きになりました。」

「あー、ありますよね。人が食べていると美味しそうに見える現象。何でなんだろうなぁ。」

 

巧一朗と充幸は互いにスイーツを愛する者として、その話題で盛り上がる。二人とも四区内にある洋菓子店は網羅しており、どこが美味しいかの議論に花を咲かせた。

そして話題はただの雑談から打って変わり、巧一朗の調査している殺人事件の話となる。

 

「報告で上げた通り、コラプスエゴはまだ完全に消滅していないと俺は判断しています。鶯谷が聞いたところによると、破綻者は災害を超えると発言していました。俺たちの宝具で易々と殺されてしまうサーヴァントが災害のクラスを標的にするとも思えません。加えて、コラプスエゴは特殊な能力を持っていたと鶯谷も発言しています。」

「特殊な能力?」

「ええ、アーチャーと鶯谷が病院から脱出した瞬間、彼らは病院に巻き戻されたそうです。何らかの吸収攻撃であれば、彼らは戻されたということを知覚できる、が、実際は病院から出たと同時に、同じ場所に戻ってきていた。」

「時間干渉、もしくは因果干渉の能力?」

「どちらにしても非常に強力な力ではありますが、それにしては我々の宝具を受けあっさりと殺されるというのは納得がいきません。回数制限のある能力なら、切り札として温存するのが正しい戦い方だ。」

 

充幸はコーヒーに角砂糖を一つ追加すると、スプーンでからからとかき混ぜた。残ったコーヒーの量を鑑みても、彼女はかなりの甘党である。

彼女がただでさえ甘くコーティングしているコーヒーに更なる手を加える、それはこれから、やりたくないことをやる時の合図だ。

 

「それはもしかすると外部干渉かもしれません。巧一朗さんが持ち帰った、廃病院に落ちていた謎の物体…使い魔の類でしょうが、それがコラプスエゴに何らかの力を与えていた可能性があります。いえ、きっとそうです。」

「と言うと?」

「この後時間もありますし、一緒に外出しましょうか。丁度彼女から会いたいと連絡を受けていましたし。」

 

充幸は時計型のデバイスに映し出されたメールを巧一朗の携帯に転送した。送り主はマキリ・エラルドヴォール、何を隠そうマキリコーポレーションCEOである。

 

「鬼頭教官…なぜマキリと繋がりが?」

「色々ありまして、ね。彼女が四区の殺人事件に関与しているのは間違いないと思います。私の嫌な勘がそう告げているのです。」

 

充幸はエラルを激しく嫌っている。それはエラルが過去に出会った高慢な性悪女に酷く似ていたから。彼女からのメールはお友達を食事に誘う文面だが、実際は充幸を弄ばんとする罠に違いない。巧一朗は顔の引きつった充幸に困惑しつつも、共に第二区のマキリコーポレーション本社へ向かうことを決意した。

 

開発都市第二区の中央に位置する、卵の形を模したビルディングこそ、オアシス三大企業の一角、マキリコーポレーションである。アインツベルンや遠坂に比べ規模は小さいものの、知名度は群を抜いている。第二区は災害のアーチャー管理下であるが、アーチャーは都市を治めることに一切の興味を抱かない。その為、基本的にはこの地に住まう人間が統治している。その特性からか、他の都市よりも自由度が高く、歓楽都市としての機能を有している。

だが生を謳歌する自由もあれば、当然人の死もまた満ちているのが歓楽都市の真実であった。

巧一朗と充幸は鉄道から下車すると、最短ルートでマキリ本社へ足を運んだ。仕事以外で来るには、この都市は余りにも性と暴力に飢えている。巧一朗は博物館の任務で慣れたものだが、オペレーターの充幸は滅多に来ることは無い。巧一朗は手早くエラルに会うことを推奨する。

 

「鬼頭教官は美人だから、夜の街では引っ張りだこでしょうね。」

「出来れば、仕事は選びたいものですね。」

 

二人は自動ドアを通り、受付の女性にアポイントの旨を伝える。まさか当日に連絡して約束が取れるなど巧一朗は思わなかったが、充幸の持つコネクションの広さが成せる業であるようだ。彼らは早速エラルのいる最上階の部屋に通される。

巧一朗は部屋へ向かう間も、マキリ本社の構造を隅々まで観察していた。警護用のシステムが一面に張り巡らされており、厳重なセキュリティに守られていることが窺い知れる。だがここに来てから一度も英霊には遭遇していない。偶然か、それとも。

 

「巧一朗さん、もしかしてサーヴァントが一人もいないことに疑問を抱いているんじゃないですか?」

「その通りです、鬼頭教官。アインツベルン製のオートマタが無いことが引っかかりますね。」

「答えは、エラルに会えば分かります。」

 

エレベーターが彼らを最上階へと誘う。マキリ・エラルドヴォールのみが住まうことを許された最上フロアは、煌びやかな装飾の宛らグランドホテルの体裁であった。成程、充幸は好まぬ趣味である、巧一朗は直ぐにそのことを察したのだった。

巨大なシャンデリアの下、部屋の中央に存在感を放つ噴水があり、そこに淡い緑髪の女が待ち人の到着を心待ちにしていた。

 

「エラル、久しぶり、ですね。」

 

充幸がおずおずと挨拶すると、エラルは花が咲いたように笑うと、彼女の細い体を英国流のスキンシップで抱き締めた。戸惑う充幸だが、エラルは中々解放してくれない。巧一朗は居心地の悪さを感じつつも二人の再開を観察していた。

 

「充幸、会えて嬉しいわ。全然連絡をくれないから心配していたわよ。」

「すみませんエラル。とりあえず落ち着いて下さい。」

「落ち着けるわけがないわよ。久々にお友達に会えたんですもの。相変わらず本当に綺麗。色の異なる左右の目も、綺麗な黒髪も、桃色の毛先も、宝石のような美しさ。あぁ、妬ましいぐらいに羨ましい。」

 

エラルは充幸の腰まで伸びた髪に触れ、手櫛でそっと撫でた。一方の充幸はハードなスキンシップに顔を真っ赤にしている。そろそろ止めるべきだろう、と巧一朗が思ったところで。

 

「エラル様、お客様が困惑されております、程々に、ね。」

 

巧一朗の隣にいつの間にか立っていた白髪の少年が窘めた。

 

「(サーヴァント?!)」

 

巧一朗はその存在に全く気付いていなかった。警戒を怠っていた訳では無い筈だが、魔力の波動を感じ取ることが出来なかったのだ。仕事モードで思わず距離を取るが、白髪の青年は無垢な笑顔を巧一朗に向ける。一切の敵意は感じられない。

 

「すみません、驚かせてしまったようですね。僕はエラル様の専属従者であり、秘書も務めております。バーサーカーのクラスです。」

「そう、バーサーカー、真名は『ロイプケ』。私はクラス名で呼んでいるけれど、皆さんはロイプケと気軽に呼んでいただいて構わないわ。」

「僕はこの通り、しがないピアニストですので、戦闘能力はありません。ただの秘書です。ヒトのように接していただけると幸いです。」

 

巧一朗は脳内のデータベースでロイプケの名を検索する。

十九世紀に生誕したドイツの作曲家。天才として謳われたが、若くして病に伏す。彼が残したオルガンソナタ「詩篇九十四番」は儚くも激情的に復讐の神へ祈りを捧げるメロディーであり、今なお彼の楽曲は後世に語り継がれている。

巧一朗は意外だな、と感じた。マキリのトップが従えているのが芸術肌のサーヴァントであったとは。無論、彼が未知の能力を有している可能性もあるが、こと戦闘面において正統派とは言い難い従者であるのは間違いない。

 

「こほん、すみません。こちらも名乗るべきですね。私は第四区博物館の鑑識官を務めております、鬼頭充幸と申します。こちらは展示アドバイザーの…」

「山下良助と申します。」

 

巧一朗は名刺を手渡す。受け取ったのはロイプケであり、彼は巧一朗の名刺をぼんやりと見つめていた。

 

「充幸に後輩がいたなんて。良助さん、とおっしゃるのね。私はマキリ・エラルドヴォール。自己紹介はするまでも無いわよね。」

 

マキリ・エラルドヴォールの名を知らぬ者はオアシスに存在しない。彼女自身そう確信して他者とコミュニケーションを図る。巧一朗がこの地で生きて行く中で決して関わることが無い筈の大富豪が、目の前にいることに不思議な感覚を覚える。

 

「立ち話もなんだし、ゆっくりお茶しましょ。充幸は私に何か話したいことがあるみたいだし。」

 

エラルに付いて行く形で、彼らは豪華なテーブル席へ案内された。ロイプケはすぐさまアフタヌーンティーの準備に取り掛かる。用意する全ての物が高価、注ぐ紅茶ですら一杯数万円はする代物だ。

巧一朗は隣に座った充幸を観察する。彼女はこういった場には慣れているのか、意外にも焦っている様子は無かった。それどころか気品に満ちたその様はまるで王族。巧一朗は目の前で出来る上司像を叩き付けられ、思わず姿勢を正した。

 

「ふふ、固くならなくても良いわよ、良助さん。充幸の後輩なら歓迎するのが当たり前ですもの。」

 

ロイプケにより卓の上が豪華に彩られてゆく。紅茶にスコーン、一口サイズのケーキ、どれもこれも高級の一言である。英国式のものばかりだが、端の方に日本の和菓子が添えられていた。

 

「ごめんなさい、私が好きなの、和菓子。」

 

エラルもまた、充幸や巧一朗と同じく大の甘いもの好きである。特に練り物の和菓子に目が無く、客に振舞うときは必ず最高級のモノを用意することに決めていた。彼女曰く、和菓子友達を増やしたいのだとか。

 

「じゃあ早速頂きましょう。充幸に良助さんも遠慮なく食べていって。勿論食べられる分だけで構わないわ。」

「では、頂きます。」

 

充幸が紅茶に口を付けたのと同時に、巧一朗はスコーンに手を伸ばす。狙うは当然メイプルスコーン。彼がこのテーブルで虎視眈々と標的にしていた得物である。

だが彼は隣から圧を放つ少女の眼差しに気付いてしまった。

 

「(巧一朗さん、がっつくのは止めましょうね。)」

「(でも遠慮なく食べて、と。)」

「(マナーというものをご存じですか?博物館スタッフたるもの下品な振る舞いは許されません。)」

「(いや、でも、メイプル、メイプル)」

「(お下品ですよ、や・め・な・さ・い?)」

 

彼らは目と目でコミュニケーションをとる。巧一朗は充幸の怒りに触れ、仕方なく紅茶を啜った。

 

「エラル、早速ですが、今日私がここへ来た理由は一つです。第四区で起こっている連続殺人事件はお存じですね?」

「あら、優雅なティータイムに物騒な話ね。勿論認識しているわ。先日の三社会食も、厳戒態勢が敷かれる中で行われたものね。」

「単刀直入に、この事件に何処までマキリが関わっているんですか?」

 

正面から切り込む充幸に、巧一朗は思わず紅茶を噴き出した。ロイプケがすぐさま布を用意する、流石執事。

 

「(鬼頭教官、それはいくらなんでも…)」

 

巧一朗は充幸に目配せするが、充幸は真っ直ぐエラルを捉えていた。

 

「(野暮…か。ここは鬼頭教官にお願いしよう。)」

「あら、充幸のそんな顔久しぶりに見たわ。怒っているの?」

「…そうですね。こちらはある程度証拠を押さえています。嘘で塗り固めても無駄ですよ。」

 

鬼と呼ばれる充幸のオーラは凄まじいもので、エラルの傍に立つロイプケが額に汗を浮かばせるほどである。だがエラルは充幸の迫力に物怖じすることは無い。彼女もまた、修羅場を潜り抜けてきた強き女である。

 

「博物館こそ、この事件に何処まで関与しているのかしらね。貴方達は別に治安警察でも無いでしょう?災害のキャスターに全てを託せばいいのに、独自で事件を調査しているのかしら?一体何の目的で?」

「私が先に質問しています。それに答えて下さい。」

「もう、怖いわね。良いわよ、ただし、これから行うのは情報の交換、そして共有。当然貴方達も話してもらうわよ。そちらの良助さん、いや、巧一朗さんの事もね。ちゃんとこの場では、マナーを守って、ね?」

 

充幸は目を丸くする、対して巧一朗は冷静にエラルを見ていた。

 

「あら、意外と場慣れしているのね。」

「成程、このビルに入った者は思考をスキャンされる訳か。エラルドヴォール、あんた、やけに察しが良いなと思っていたんだよ。どういう原理かは理解しかねるが、あんたがそういう姿勢ならこちらとしてもやりやすい。」

「巧一朗さん…」

 

エラルは改めて二人の思考の読み取りを開始する、が、巧一朗からは一切の情報が抜き取れなくなる。何らかの特殊な訓練を受けているのは明白だ。一方充幸も、同じく殆どの情報が本筋と関係ないものに置き換えられ、重要な情報の選択が難しくなる。巧一朗はシャットアウト、充幸は情報の過剰供給で、互いにエラルの妨害に努める。

 

「ふふ、ははははは!博物館って軍隊か何かなのかしら?ただのスタッフが私のマインドリーディングを回避できる訳がない。本当、充幸は面白い!良いわ、情報の交換を始めましょう?私も素直に話してあげるわ。」

 

こうして彼らの情報交換はスタートする。連続殺人の犯人がコラプスエゴのサーヴァントである点、廃病院を根城に育成されていた点、充幸は時折嘘も交えながら、エラルとの話を進めていく。

 

「成程、廃病院で博物館のスタッフ二名が偶々巻き込まれた、と。」

「エラル、私が怒りを感じているのは、貴方がコラプスエゴを援護した事実です。具体的には貴方の『波蝕の魔眼』を用いて。勿論、使い魔から複製された魔眼は摘出済み。この援護の所為で、私の部下たちは殺されていたかもしれなかった。」

「それは申し訳ないことをしてしまったわ。もし充幸の可愛い後輩だと知っていたら、魔眼を使うことはしなかったでしょう。本当よ?」

「……何故、コラプスエゴ、連続殺人犯を庇う様な行為を?」

「それは貴方にも分かる筈よ。破綻者を私が庇った理由。」

 

充幸は考え込む。代わりに、既にその回答を知っていた巧一朗が答えた。

 

「災害のサーヴァントを超える為、か。」

「流石、あの状況で生還しただけあるわね、巧一朗さん。ザッツライト!マキリは災害の支配からオアシスを解放しようと考えている。」

 

エラルは巨大なタブレットを用意し、二人にある映像を見せた。これは世の中に出回っていない極秘情報である。

 

「マキリだけじゃない、アインツベルンもそう。今から見せる映像は半年前、アインツベルンが一区と六区の中間地点に存在する離島で行った実験の記録よ。『英霊統合計画』と呼ばれているわ。」

 

映像にはアインツベルン製オートマタと、それを調整する研究員たちが映し出されている。巧一朗が判断する限り、このオートマタは最新ブランドより器が大きく構成されている。研究員たちに交じり、アインツベルン家の開発部長、榎田のネームプレートをかけた男が魔法陣の準備に取り掛かっていた。

 

「榎田さん…ニュースで行方不明になったと報道されていた…」

「そうよ充幸。表向きにはなっていないけど、彼はこの計画の中心人物だった。」

 

映像は進み、アインツベルンは二つの触媒を用いて、一つのオートマタに二重の召喚術式をかける。本来であればこんなことが成立するはずも無いが、映し出されたアインツベルンの研究者たちは、それが出来ると信じて疑わなかった。

そして彼らはその計画に成功する。召喚されたのは大英雄アキレウスと、同じくその名を知らぬ者はいない、ヘラクレスの統合体。アーチャーのクラスで現界を果たした、被験体名『ヘラレウス』。その圧倒的なまでの巨大なフォルムと威圧感は、災害にも引けを取らない、否、それを超えるものである。だが、映像は彼の召喚に成功した部分で途切れた。

 

「っ…エラル、この後どうなったんですか?」

「コラプスエゴの事を既に知っている貴方達なら大体予想できるでしょう。ヘラクレスとアキレウスの魂を一つの人形に押し込める訳がない。映像の後すぐに大爆発を起こして消滅したわ。マキリも百の令呪を貸し与えていたけど、制御できるはずも無いわね。魔力でどうこう出来る問題なら簡単だったのだけれど。」

「研究者は、榎田は死んだのか?」

「そりゃあ、まぁ、ね。私からすれば、危機管理能力が無さすぎるわ。」

 

巧一朗から見て、エラルはどこか楽しそうな顔つきである。彼女がコラプスエゴを観測した理由は、統合計画を真の意味で完成させること、そう彼は結論付けた。

 

「エラル、貴方は、破綻者のクラスならば、英霊の統合が出来ると考えているのですね。」

「えぇそう。微小霊基とはいえ、既に七人ものサーヴァントを喰らい尽くしたサンプルケースが四区にいるとなれば、それを観察するのは当たり前。幸い、災害のキャスターはこの事件の解決に時間がかかっている。だからあんな所で、名も知らない英霊に倒される訳にはいかなかったの。」

「残念だったな、エラルドヴォール、コラプスエゴは俺たちが倒した。アンタが思っている程、破綻者は強くなかったよ。」

 

巧一朗はコラプスエゴを倒し切っていない事実を伏せた。彼女にこれ以上、この事件に関わらせる訳にはいかない。

 

「確かに、良い性能だったけど、見た目がイマイチだったから、別にいいや。恐らくコラプスエゴのマスターも、育成ゲームを楽しんでいる訳じゃなさそうだしね。」

「どういうことだ?」

「事件の被害者は皆、元犯罪者だったそうじゃない?前科が付くと、出所した後も仕事や家などある程度の制限を受ける。勿論、専属従者も例外じゃない。違法触媒を用いていたら話は別だけれど、基本的に前科持ちは一般人より召喚できるサーヴァントに制約が施される。つまり一般人が召喚するサーヴァントよりスキルやパラメータが弱いってこと。コラプスエゴをただ強くしたいだけなら、殺す相手は一般人の使役する従者の方が何倍もいいでしょう?でも敢えて殺害対象を前科持ちに絞っているのは、そのサーヴァントが目的では無いのよ。」

「犯罪者を殺すのは、世直しのつもりでしょうか…」

「さぁてね。人はふとした理由で人を殺す。答えを求めたって理解できる筈は無いのよ。」

 

エラルは少し寂しそうな表情でそう締めくくった。

マキリ側と博物館は、互いに一部、情報を隠蔽しつつも、大部分を共有した。エラルは充幸の事を友と認識しているようで、今回の事件には不干渉の制約を結んだ。と言っても只の口約束な為、全てにおいて信用した訳では無い。

彼女らが話し終える頃にはすっかり日も沈んでおり、エラルは会社の入り口まで二人を見送ることにした。

 

だが、充幸とエラルが別れる直前に事件は起こる。マキリコーポレーションの入り口を、目出し帽を被った武装集団が覆っていた。その数およそ二十人。人間と、その従者たるサーヴァントが半分ずつ、エラルにその刃を向け、行く道を塞いでいる。

 

「何だ、こいつらは…?」

 

巧一朗は充幸の前に立ち、戦闘態勢をとる。しかし今日は敢えてキャスターをこの場に呼んでいない。エラルを除いて、二人はサーヴァントが傍にいない状態である。そのエラルに付き従うのも芸術家サーヴァント。敵のクラスはその得物を見れば三騎士、圧倒的に不利な状況だ。

 

「ごめんなさいね充幸、巧一朗さん。偶にこうして直接ビルに突撃してくる集団がいるのよ。運が悪いわね。」

 

ロイプケは二人をビルの中へ誘導し、代わりにエラルが武装集団の前に躍り出た。

 

「マキリ・エラルドヴォール、お前が災害どもとつるんでいるのは知っているぞ!天還でヘヴンズゲートへと召された我が子を返してもらおうか!」

「さて、何の事かしら。」

「恍けるな!俺たちは知っている!ヘヴンズゲートなんてもんは存在しない!天還で選ばれた人達はなぁ、災害のサーヴァントに皆殺されちまうんだ!」

「……」

「次の天還祭は明後日に開催される。まだウチの子は生きている。直ちに中止して、返してもらおう!」

「嫌ね、その訴えは災害のアーチャーに言いなさいよ。私にどうこう出来る問題じゃないわ。」

 

武装した集団はエラルの一言に押し黙る。誰も災害に楯突く勇気は無い。だからこうして、災害に比較的近い存在のエラルに訴えようとしている。エラルはそのことを認識し、深く溜息をついた。

 

「お前を人質にすれば、災害のアーチャーも考えを改めるかもしれない!大人しく俺たちと来い。交渉が済めばお前も、ビルの中の二人も、大人しく解放してやる。」

 

武装した男たちとそのサーヴァントはじりじりとエラルに近付いて行く。エラルは改めて溜息をつくと、ゆっくりと右手を上げた。

 

「令呪を以て命ずる。自害しろ。」

 

彼女がそう告げた刹那、武装した男たちのサーヴァントは皆、自らの武器で自らを貫いた。その場にいたサーヴァント全員が、血しぶきを上げ絶命したのである。

 

「は……え……?」

 

男たちは言葉を失い立ち尽くす。そして如何に自らが愚かであったかに気付き始めた。エラルは敢えて自らのサーヴァントに下がらせ、自らが矢面に立ったのだ。それは自らの力に対する絶対的な自信の表れに他ならない。

 

「愚かねぇ。貴方達の身体に宿っているそれ、誰が生み出したものだと思っているのよ。」

「令呪…は俺たちの…」

「私の物に決まっているでしょう?マキリの令呪は全て私個人の管轄下にある。そんなことも認識できていないなんて。分かったらさっさと帰りなさい。これ以上攻撃するなら貴方達の命は保証できないわ。」

 

エラルは充幸と巧一朗の為、道を開けようとする。が、半ば狂乱した男の一人が、ナイフを片手にエラルへ襲い掛かる。その刃はエラルの腹部を貫いた。

 

「エラルドヴォール!」

 

ビルの中から様子を見守っていた巧一朗は思わず声を上げた。対し、充幸は冷静に見守る。それはロイプケも同じである。

エラルは血が止めどなく流れる腹部を見ることも無く、自らの右目に手を当てた。彼女は刺されたにも関わらず、楽しげに笑っている。

これから起こる逆転劇に、心を踊らせるかのように。

エラルの右目が青く光を放った。男たちはその光に魅入られるかのように吸い寄せられ、

 

そして、死んだ。

 

その場にいた武装集団全員が一秒も経たぬうちに死亡した。

全員が、その腹部をナイフで貫かれる。寸分違わず、エラルが刺された箇所と同じ部分を。

 

「波蝕の魔眼…」

 

充幸も、巧一朗もまた絶句する。二人はエラルの実力を嫌と言う程に見せつけられた。

 

「波蝕の魔眼というのは、波の満ち引きを観測し、波に介入し、その大きさを変動できる目。勿論実生活で使うことなんて無い、私にとっては弱い力だったけれど、令呪に宿る魔力をこの目に集中させることでね、色々なことが出来るようになった。因果に介入し、その起こりと結末を変動させる。今のは因果干渉で主体を客体に変換したの。それも一対一で無く、一対全にしてね。」

 

エラルは淡々と説明するが、そんなことが当たり前に出来る訳がない。それは人の身を超えた、神の所業である。

 

「令呪は、何画使用したのですか?」

「うーん、そうね、今回は一人一人に割り振る分、大体二千画程かしら。あぁ、でも安心して。このマキリコーポレーションで稼働している垓令呪システムから自動で使用、生成がされるから。」

「垓令呪?」

「そう、垓って分かる?億、兆、京、の次の単位なのだけれど、私が保有している令呪の総数。それを思うと二千なんて数は使ったうちにも入らないわね。」

「…」

 

巧一朗は言葉を失う。エラルはたとえサーヴァントが敵であろうとも互角に渡り合える、否、それを圧倒する。オアシスという地で、災害に次ぐ実力の持ち主であると、否応にも認識せざるを得なかった。

マキリコーポレーションの前に転がっている遺体と、スイッチの切れたオートマタは二区の掃除業者が何も言わずに撤去する。改めて、開発都市第二区の闇を、二人は目にすることとなった。彼らも裏社会の人間であるが、四区はここまでの闇を許容していない。これは死に満ちている二区ならばこその光景である。

エラルと別れると、二人はスピードライナーに乗って四区へと帰還する。その車内で、互いに言葉を交わすことはしなかった。戦闘意思は無いが、もしマキリが博物館の敵に回ったら、巧一朗はそのことで頭が埋め尽くされていた。

終着駅は四区の中央街。時間は既に十一時をまわっている。充幸の家は博物館の近くにあると言うので、巧一朗はそこまで送ることにした。充幸は遠慮したが、巧一朗なりの矜持があった。

道中、充幸が不意に巧一朗へ話しかける。

 

「エラルは強い、でも、災害のサーヴァントはそれを優に超える。ならば、巧一朗さんはもっと強くならなければなりません。エラルに負けないくらい、エラルを圧倒するぐらいに。」

「そうですね。」

「でもそれは、もっと後の話。今はコラプスエゴを殺すことにのみ専念してください。災害のキャスターが真実に辿り着く前に。」

 

充幸の声には力が籠っていた。巧一朗は彼女の中に渦巻く感情を、誰よりも一番に理解していた。

それは、巧一朗も同じだったから。

 

「任せて下さい、鬼頭教官。俺が必ず決着を付けます。これは博物館の仕事ですから。」

 

充幸を家に送り届けると、巧一朗は家路とは逆方向へ歩き出す。

彼は何かに突き動かされるように、目的の場所を目指した。

彼の後ろには、影のように現れ出た、白銀の少女がいる。彼女は巧一朗の顔を眺め、クツクツと笑った。

 

「どこへ向かうんだい、巧一朗。」

「博物館だ。調べたいことがある。事件の手掛かりが見つかるかもしれない。」

「ふふふ、そう言いつつ、もう犯人の正体に気付いているって顔じゃないか。」

「…まぁな。」

 

二人は事件の決着を付けるべく動き出したのであった。

 

 

マキリコーポレーション最上フロア、マキリ・エラルドヴォール自室にて。

博物館所属の二人と別れた後、エラルは一人、タブレットを眺めていた。ロイプケは彼女の様子が気になって、その後ろから彼女へ問いかける。

 

「エラル様が見ておられるのは、先程ご友人に見せた映像ですか?」

「そうよ。『英霊統合計画』の一部始終。実は彼女らに見せたものには続きがあってね。」

 

エラルの隣に座り、ロイプケも鑑賞する。被験体のヘラレウスが誕生した後、研究員や榎田はこれの制御に努めた。エラルは彼らに、被験体が大爆発を起こしたと説明したが、実際はそのコントロールに成功している。

 

「ヘラレウスの歩行、武器の召喚、仮想敵の制圧、全てが上手くいっている…?」

 

ロイプケは驚きを隠せない。エラルはそんな自らの従者を眺め、面白がっていた。

映像はいよいよクライマックス。カメラ映像は突如、空から飛来する何かを捉えた。それは炎の弾であり、榎田たちの実験施設へ衝突する。これはヘラレウスが放ったものでは無い。研究者たちは半壊する施設の中でパニック状態に陥っている。

その中で、榎田だけは飛来した何かをしっかりと観察していた。榎田が握り締めたビデオカメラに、先程の火球が映し出される。

ヘラレウスを前に、火球は二つに割れ、中から余りにも美しい女が現れた。髪は真っ赤に燃え盛り、その手に持つ巨大な槍は逆に酷く凍り付いていた。

その身に矛盾を抱えた女は、ヘラレウスに目標を定め、ゆっくりと歩き出す。

 

「災害の…ランサー…?」

 

榎田は女の正体を知っていた。だが女がこの地に現れた理由を見つけることが出来なかった。

 

「熱い(さむい)、寒い(あつい)、熱い(さむい)、寒い(あつい)、熱い(さむい)、寒い(あつい)、熱い(さむい)、寒い(あつい)」

 

女の槍は凍り付き、それでいて、炎を放つ。榎田は圧倒的なまでのオーラを感じ取り、ヘラレウスを捨て逃げる準備をする。だが、彼は、いや、研究者たちも、既に遅かった。この日、この離島に来なければ、命を落とすことは無かったというのに。

 

『されど災禍は愛故に(インフェルノ・ロマンシア)』

 

ビデオカメラが映し出した最期の瞬間である。この機械が絶えずその映像をデータとして送っていた為、消滅するまでの一部始終を捉えていたのだ。

 

「この離島にいた研究者や、元々住んでいた人間、ヘラレウス、全てが彼女に焼き尽くされた。そして今もなお、その炎は呪いのように、禁止区域に指定された離島を燃やし続けている。私も一度空からヘリで観察したけど、凄いわよ?地面が凍っているのに、絶えず燃えているんですもの。しかも、恐らく災害のランサーは力の半分も解放していない。」

「…何者ですか、彼女は。」

 

エラルは彼女の名を知っていた。愛を知る者、愛に飢えた者、愛を呪う者、彼女ほど愛という言葉を体現した者はいない。

 

その真名を『焔毒のブリュンヒルデ』。愛を欲し、愛を殺す災害である。

 

 

【観測者編③ 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

観測者編4

観測者編最終回!
誤字等ございましたら連絡お願いします。
初めて読まれる方は是非プロローグから!


【観測者編④】

 

深夜一時を過ぎる頃、巧一朗は博物館の資料室でひたすらに情報の取捨選択を行っていた。この第四区博物館に貯蔵されているのは聖遺物のみに非ず、オアシスに関する歴史書籍も本棚一面に保管されている。普段学生の研究以外の目的で資料室が解放されることは無いが、スタッフの権限を利用し、彼は事件の謎を紐解こうとしていた。

 

「これは、天還祭の資料?」

 

傍にいたキャスターが巧一朗に問いかける。彼が今高く積み上げているのは天還に関する書籍。彼自身その催しを知識として持ってはいたが、深く追い求めたことは無かった。

天還とは各地区の災害のサーヴァントが半年に一度のペースで、その地区から無差別に選んだ人間をオアシスとはまた別の世界へと誘うという祭である。別の世界の入り口は、人間たちによってヘヴンズゲートと命名され、自らがいつか選ばれることを心待ちにしている。

 

「巧一朗は信じるか?」

「ある訳ないだろ。これじゃ第五区の宗教組織と変わらない。あまり気にしたことは無かったが、人が災害を信仰していることは改めて理解できたよ。」

「ふむ。オアシスの人間のうち殆どがその度合いは違えど災害信仰を持っている。だが君が昨日出会ったマキリ襲撃の武装集団は天還を悪と認識していた。一部の人間は巧一朗のように災害を敵視しているんだろうね。」

「…俺の場合は他の人達よりちょっとばっかし災害の奴らと長い付き合いなんだ。あいつらがロクでも無いことは俺が一番理解しているよ。」

 

巧一朗は続いて、今まで行われた天還祭の情報をアーカイブで閲覧する。オアシスにおけるありとあらゆるデータを管理するのは、この博物館の館長の力だ。だが充幸以外、その存在を知る者はいない。

天還祭で選ばれる人間の数はその年、地区ごとによって変化する。だがオアシス全体で見れば、毎度、総数がおよそ五十人になるように調整されている。一年で約百人の人間がオアシスを旅立っている。

 

「オアシスの総人口は英霊を除き七千万人、そう思うと選ばれるという認識が人々の間で強くなるな。」

「だが巧一朗、必ず五十と決まった訳では無い。ほら、半年前は選ばれた人数が二十人程だ。大きく数を減らしている。」

 

巧一朗はキャスターの指さすグラフを確認する。確かに、年ごとに何らかのタイミングで大きく数が減少することがある。グラフの形は少しばかり歪だ。巧一朗はインスタントのコーヒーを口に含みながら、画面との睨めっこを続ける。

 

「巧一朗、我が平凡極まる助手。一つだけアドバイスだ。君は観察することを止め、観測をしろ。」

「観察じゃなくて、観測?」

「観察は不確定の動態に対する監視、観測は自ら設けた基礎を尺度に、監視の上で更に測定という過程が加わるものだ。ただ見つめるだけでは答えは得られない。お前が築き上げてきた知識、人間に対する認識を踏まえ、何故物事は流動するのか、自らで計算するんだ。それは古来よりヒトが作り上げてきた思考、叡智に他ならない。ヒトはそうやって『自然災害』を乗り越えてきたんだろう?」

 

巧一朗はキャスターの忠告を受け止めた上で、再びグラフと対面する。

 

「何故、災害は天還なんて始めた?本当にヘヴンズゲートなんてものが存在するのか?でなければ、この行為自体が非効率だ。災害は何をメリットにそんな事を…」

 

巧一朗は半年前のデータを、区域ごとに分類する。すると今まで見えてこなかったものが浮かび上がってくる。天還によって排出された人間の数に大きな開きがあった。具体的には第一区が大きくその数を減らしている。

 

「一区、災害のライダーの管理する土地、そして、アインツベルンカンパニー…まさか…」

 

巧一朗はすぐさま別のプログラムを立ち上げ、検索する。それはオアシス各地区における出生率調査のデータ。館長は全ての病院へのアクセスコードを所持しており、巧一朗はそれを用いて一つのグラフに統合する。

 

「どうだ巧一朗、これは面白いだろう?」

「一年に約百人の新生児が誕生している…」

 

半年前に起こった事件といえば、エラルから与えられた情報、『英霊統合計画』である。計画の主体となったのはアインツベルンカンパニーであり、同時に、災害のランサーによって殺害された多くの命が一区在住の者たちだ。

 

「つまり人数調整…多少の誤差は生まれても、総人口七千万人を維持しているのか!天還とは即ち…」

「箱庭を管理するために、キリ良く区民を殺しているんだな。老若男女問わず、平等に。」

 

巧一朗はコーヒーカップをデスクに置き、大きく溜息をついた。キャスターは彼の姿から、その感情を読み取ることが出来なかった。

 

「なんだ巧一朗、もっと驚くと思っていたが。」

「いや、まぁ、神が如き傲慢さを持つ災害たちなら納得するさ。俺も人を殺したことがあるし、彼らを糾弾する権利はないよ。」

 

巧一朗はすっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干した。やはりインスタントは不味い。充幸が淹れるものの方が明らかに何倍も風味があって美味しいと感じる。

 

「だがキャスター、それにしたって非効率だろう。祭なんて囃し立てる理由は無い筈だ。権力の誇示なんてするタマじゃないだろう?」

「誇示では無いが、ある種のアピールだろうな。神を信じる者は神を疑わない。神の施しは全て自らにとって善であると認識する。宗教とはそういうものだ。災害信仰をする者にとって、天還は救いに他ならない。救済と考えた方が、人間にとっても都合が良く、安心して思考放棄が出来るからな。単純に管理、運営するには丁度良かったのだろう。」

 

信じることは直ぐ出来て、疑うには時間がかかる。

真実を見極める行為そのものには多大な労力と時間を要する、ならば、真実を自ら設定し、脳を誤認させる方が単純かつ負担も少なくて済む。

だからこそ古来より人間は、人智を超えた全ての物を神と呼称し、責任転嫁し続けた。自然災害もその一つだ。

 

「都合のいい夢は、心地良いものなんだよ、巧一朗。」

「……そうだな。」

 

そして巧一朗は第四区連続殺人事件の犯人に辿り着いた。

正体に気付いたのはもっと前、だが、その動機を理解したのは今しがた。巧一朗が動かずとも、災害のキャスターが事件の真相に辿り着き、その存在を抹消するだろう。だがそれではいけない。犯人は博物館の裏を知っている。だから巧一朗が先に殺さねばならない。

 

「行こうか、キャスター。」

 

殺すことには慣れている。

彼は震える手を隠すように、ポケットへ突っ込んだ。

 

巧一朗は犯人の居住地を既に知り得ていた。だがそこへ向かう前に、偶然にも彼は見知った人間に接触した。皆が寝静まったこの時間に、博物館の庭園でぼんやりと花を眺めていた。

 

「あれ、巧一朗君じゃないか。どうしたの?こんな時間に。」

「……そちらこそ、どうして深夜に博物館にいるのでしょうか。」

「ふと目が覚めたんだよ。そして花を見に来たんだ。鬼頭さんはプロだからね、この庭園だけで入園料が取れるレベルだと思わないかい?」

 

巧一朗は黒のローブを身に纏う犯人の男をその目で捉える。探す手間が省けたと思うべきか、罠に誘い込まれたと思うべきか。

 

「隠す気は無いようですね。吉岡さん。」

 

第四区博物館、展示解説員の吉岡。彼こそが連続殺人事件の犯人にして、コラプスエゴのマスターである。

 

「勿論分かっているとは思うが、僕は巧一朗君の後を追ってここに来た。当然、君を殺すためにね。君はもう真実に辿り着いたんだろう?」

 

吉岡は庭園のベンチから動く気配がない。だが巧一朗が動けば、霊体化したコラプスエゴが刹那の内に彼の心臓を抉るだろう。傍にはキャスターがいるものの、招霊転化には詠唱を必要とする為、数秒のラグが生まれる。彼は額に汗を滲ませつつも、会話を続けることにした。

 

「コラプスエゴを育てる為ならば、わざわざ犯罪者を殺す必要は無い。目的はサーヴァントの強化では無く、人を殺すことにあった。理由は恐らく明後日に控えた天還祭でしょう?毎回五十人ほど選ばれる行事だから、各地区から選出されるのは平均して八人から九人です。この天還祭がオアシス区民の人数調整の目的で行われている行事であれば、つまり、今の時点で八、九人、四区で人を殺せば、再び調整される。四区からの選出は取り下げられる可能性があるってことですよね。」

「見事だな。」

「だが、必ずしもそうとは限らない筈でしょう?人数調整が目的かどうかも…」

 

巧一朗がそう言いかけた時点で、彼は吉岡の顔を見て、自らの認識を改めた。

 

「違うな。貴方は既に…」

「あぁ。半年前の天還祭で僕は既に立証した。二人殺した、すると二人減った。僕はこの博物館の膨大なネットワークでその証明を行えたんだ。そして、あのとき僕は、一人の子どもを救うことが出来たんだ。」

 

博物館の表スタッフである吉岡にアクセス権限は無いが、恐らく美頼のパスを使用したのであろう。実際、美頼は整理整頓が苦手で、大事な入館証を置きっぱなしにしていた。まさか同じ勤め先に犯人がいる等、到底思わなかっただろう。

 

「災害が天還で選出する人間はランダム、時にはか弱き、罪のない命が選ばれることもある。僕は子どもが好きだ。未来を担っていくはずの若き息吹こそ重視されるべき命だ。世の犯罪者、社会の荷物を減らし、尊き命を守る。それが、真の魔術師たる僕が成すべきことだと理解したんだ。」

「半年前は偶然救えたが、今回はあのミナト君という博物館好きな少年を救うために、確実となる人数を殺害したんですね。」

「そうさ。だがまだ終わってないよ。忘れたかい?僕が殺したのは無能警官も含めまだ八人。最後の九人目が残っていることにね。」

 

巧一朗は背後からの殺意に対し、反射的に身を逸らした。地面から生え出たのは植物の蔓であるが、その先端は鋭利な刃物の如く、人体を割くには十分な凶器である。彼は躱すために身体を大きく逸らした結果、バランスを崩してその場で転倒する。

だが攻撃は終わらない。第二、第三の蔓が硬いアスファルトを突き破り、巧一朗の心臓目がけて襲い来る。触手のようにうねり、転げながら体勢を整えようとする彼を追尾する。コラプスエゴの本体を特定できない為、何処から新たな追撃の手が伸びるか判断できない。

 

「まるで鼠だ。」

 

ベンチに座ったまま、哀れむような眼差しを向ける吉岡に、巧一朗は狂犬のような目で応える。

 

「何だその目は。巧一朗君、君もまたこのオアシスにおいてはゴミ同然の存在だろう?君達博物館は聖遺物の為なら人殺しも厭わないテロリスト集団だ。正義の味方の皮を被って、僕を断罪するつもりなら反吐が出るね。」

 

吉岡はベンチから立ち上がり、巧一朗を糾弾する。彼らが互いに意識を向けている間、キャスターは博物館の正面入口までひっそりと移動していた。所持していた緊急連絡用端末で、美頼か鉄心を呼ぼうとする。

 

「させる訳が無いだろう!」

 

吉岡が手を翳すと、博物館の上部、ビックベン風の大時計に張り付いていた怪物が彼らのいる庭園へ飛来する。巨大な蛙を思わせる肉体の先に、半分以上溶けた女のサーヴァントが取り込まれるように埋まっている。蛙の背から伸びた六本の触手は、博物館全体に張り巡らされ、巧一朗達を常に射程圏内に入れていた。その正体こそ、廃病院で相まみえたコラプスエゴ。前回の戦いでは身長の高さこそあるものの、まだ人としての原型は保たれていた、が、既にそれは宗教世界における悪魔の如く醜い有様である。キャスターは触手の一本に身体の自由を奪われ、肉体を蔓で縛られたままに、地面に向けて急降下で叩き付けられた。

 

「キャスター!」

 

白銀の少女の腹部に鋭利なアスファルトの破片が突き刺さる。悶え苦しむが、巧一朗には彼女の元へ駆け寄る余裕が無かった。

 

「巧一朗君、どうだい?また進化したんだ。コラプスエゴのクラス、その真名は『アグネス・サンプソン』。愚者により魔女に祭り上げられた、悲劇の女だ。彼女自身は只の助産婦に過ぎないが、今の彼女は正しく、魔女であると皆が認めよう。」

「魔女狩りの被害者…ですか。趣味が悪いですね。」

「悪魔を呼び起こし、嵐を巻き起こした。そんな有り得ぬ妄想によって残虐に殺害された女だからこそ、破綻者と成り得たのだ。誰もが疑うことをせず、盲目的になった結果が彼女だ。魔女信仰が彼女を魔女にしたんだよ。これはオアシスへのアンチテーゼ、僕が生み出した、新たな災害のサーヴァントだ!」

「AAAAaaaaaAAAAAAAAAAAaaaaAAAA」

 

アグネスは怒る、アグネスは嘆く、アグネスは嗤う。

取り込んだ他のサーヴァント達と混ざり合いながら、自らの内に生まれた「魔女」を容認する。

魔女では無い彼女が、魔女にされた彼女が、自ら魔女へと進化する。蛙の背中から美しき蝶の翼が生え、より禍々しい風貌へ変わった。

 

「災害のコラプスエゴ、今こそ虚構の嵐で犯罪者へ裁きの鉄槌を!はは、ははは!」

 

アグネスは翼をはためかせ、体内に魔力を集中させた。この宝具はアグネスが持たざる力だが、破綻を容認したからこそ、その空想を現実に昇華できる。巧一朗一人を殺すには余りある対軍宝具、吉岡もまた脳のねじが外れてしまっていた。

 

「させねぇよ。」

 

巧一朗は宝具発動までの数秒間で、怪物を倒すプランニングをシュミレートする。現状、この宝具をたった一人で受け止められる英雄を呼び起こすことは出来ない。ならば瞬時のうちに、嵐を起こす翼を切り落とす剣こそがいま必要である。それが出来るのは。

 

「キャスター、電源を落とすぞ。」

 

巧一朗は足に魔力を集中させてキャスターの元へ移動した。

思い浮かべるのはアーサー王と円卓の騎士たちの本。彼らのデータである。今まで一度も召喚したことは無いが、彼らなら、この絶体絶命の危機を乗り越えることが出来る。その確信が巧一朗の中にはあった。

 

「重ね、束ね、契れ…鈴を鳴らせ、線を垂らせ、器を満たせ、君の形を我が結ぶ(コギト・エルゴ・エス)、讃歌を謳う、一刻の邂逅と永劫の訣別に」

「終わりだ!巧一朗!」

 

膨大な魔力が解き放たれるその瞬間、黒い霧がアグネスの羽根を切断した。忽ち、溜めた力の渦は血液のように流れ落ち、その宝具は強制的にキャンセルされる。霧は翼を落とすのみならず、蛙の背から伸びた六の蔓をも消滅させた。その間、僅か一秒である。

巧一朗は呼び出す瞬間まで、その剣士をイメージすることは出来なかった。彼の焦りや肉体に走る痛みが、彼の魔術に影響を及ぼしたのだ。だが、それでもこの黒い霧は召喚に応じ呼び出された。彼にも、その理由が分からないままに。

そして突如、巧一朗の肉体に圧倒的なまでの負荷がかかる。全ての内組織が暴れ出す様な壮絶なる痛み、強力な英霊を呼び出したことへの

デメリットか。はたまた呼び出したサーヴァントが狂っていたからか。

招霊転化で現れたのはバーサーカーのサーヴァント、その真名を『ランスロット』。円卓最強の騎士である。

鼻や口から血を吐き出しながら、巧一朗は痛みに悶え、転げ回った。ランスロットは剣を振るわず、ただそこで立っているのみである。今、アグネスの霊核を砕けば、今度こそ勝利できるはずだった。だが、騎士は初撃を除いて、決して動かない。巧一朗も彼に指示を下すことが叶わなかった。

一方、コラプスエゴもまた羽根や触手を捥がれ、苦しみに喘いでいた。吉岡は舌打ちしながら、その右手に宿った本物の令呪を二画消費して怪物を再起させる。前回の戦いで敗れる際、一画を消費し彼女を守った為、吉岡はこれで全ての令呪を使ってしまった。

 

「立て、僕のサーヴァント。今なら奴のサーヴァントごと殺すことが出来る!殺せ!」

 

アグネスは赤い眼を光らせ再起動する。蛙の指先から伸びた猛禽類のような爪で、ランスロットへ切り掛かった。

 

「aaaaaaa」

 

だがその攻撃は宙を裂く。アグネスは瞬時に背後へ回った騎士に反応することが出来なかった。

もしランスロットがこの瞬間に剣を振るっていたならば、アグネスはそのまま息絶えていただろう。だが黒の影は攻撃に転じない。あくまでも戦いへの傍観を貫く。彼が召喚と同時に剣を振るったのは、彼自身の防衛本能に依るものだ。

アグネスは体勢を立て直し、自らの肉体を瞬く間に改造した。彼女の中に宿る英霊の一人、ガンナークラスのアウトローを基礎とし、その能力を最大限引き出すためのフォルムへ変貌する。西部劇のピストルと言うには余りにも巨大なバレルを腹部から生やし、重さを支える為に、足の本数を八に増やした。一見大砲にも見えるそれは、あくまで早撃ちに特化したハンドガンの類である。鉛玉を込めるラグが発生せず、彼女の殺意がトリガーとなり、目前の敵へ射出されるメカニズム。身体の異形さとは打って変わり、その動きは繊細であり、かつ英霊らしく豪胆である。動く気配のない騎士に照準を合わせるには、そう時間は掛からなかった。

アグネスはランスロットの脳天を砕く六発の弾丸を射出する。その早撃ちの速度に追い付けるものは、武の境地を極めし者のみである。影は自らの身を守る為に、三つの弾をねじ伏せた、が、彼が対処できたのはあくまで半分のみ。後の三発は見事彼の装甲に多大なダメージを与える。

 

「う…っ」

 

そしてそのダメージは、オートマタと繋がる巧一朗にも及ぶ。その痛みはフィルターを通したように弱くなっているものの、脳が激しく揺さぶられるような感覚に陥った。鼻と口から更なる血液が漏れ出し、アスファルトを赤く染める。

だがランスロットの強固な鎧はコラプスエゴの高出力を以てしても砕けない。煙が空へ立ち昇る中、彼の赤の眼光はアグネスのバレルを捉えていた。次なる装填が一秒とかからぬうちに行われるが、騎士はようやく重い腰を上げるように、対象へ向け歩き出した。

その光景は異様であった。黒の騎士は不気味にも、無防備かつ大胆に、正面から攻め込んでくる。アグネスの後ろへ回り込んだ時のような素早さは無く、ゆっくりとした足取りで、まるで自身の勝利を確信しているかのように。彼女は構わず、再び込められた六の殺意を、捉えどころのない黒い霧に向け発射する。だがその攻撃が二度と当たることは無かったのだ。

吉岡も、巧一朗も、この騎士がバーサーカーであると理解していた。しかしこと戦闘面においてランスロットはセイバークラスを凌駕する程の戦闘センスを見せつける。常人には知覚できぬ速度で弾の悉くを避け、手にした黒光りする剣を投擲すると、アグネスの翳した銃口内部に突き刺さり、内側からその組織を分解する。戦闘を見守るマスターたる彼らはこの瞬間、ランスロットが狂化されていると忘れてしまっていた。

騎士の放った剣がアグネスの中に眠る六の霊核を砕いて走る。彼女の歪な下半身は細切れになり、彼女を破綻者たらしめていた力の源を根こそぎ刈り取られた。虚空へ吠える少女を、この場にいる誰もが救えない。

黒い霧を纏った騎士はその手に持つ剣でアグネスの本体部分を二つに切り落とす。

 

彼女の断末魔が街中に轟いた。

 

「馬鹿な…」

 

吉岡はその場で崩れ落ちる。純粋な魔術師である自らが丹精に作り上げた希望が、名も知らぬ剣士に殺された。彼は巧一朗に嘗めてかかった訳では無かったが、招霊転化の力がここまでのものとは到底思わなかったのである。

アグネスの霊核は今度こそ消滅し、その肉体は霧散する。こうして、吉岡の作り上げた人工災害は、その命を終えたのである。

そしてランスロットもまた、約束の一分が経過する前にその役目を終えた。巧一朗は苦しみから解き放たれ、息も絶え絶えながら、何とか自らのオートマタの方へ這って行った。

オートマタは光に包まれ、また白銀の美少女がその姿を見せる。巧一朗は安心したのか、その場で仰向けになって空を見つめた。

 

吉岡は光の粒子になって消えるアグネスを見つめ、過去を思い出していた。

彼には昔、年上の妻がいた。身体が弱く、子を産むことは出来なかったが、二人は愛し合っていた。彼らの夢は養子を迎え入れること。その為に、厳しい条件をクリアしなければならず、二人はより理想的な夫婦になろうと努めた。

だがそんなとき、突然の別れがやって来た。吉岡の妻は天還に選ばれたのである。

吉岡も、妻も、その事を大いに喜んだが、同時に、その離別を悲しんだ。だがこれは仕方の無いことだ。災害が、それを決めたのだ。そして災害に選ばれたのだ。それは誇らしいことであり、悲しむことは選ばれなかった者達に失礼だと、そう考えた。そう思う方が、二人にとって楽だったから。

そして吉岡の妻はヘヴンズゲートへと旅立った。吉岡は涙を流さなかった。選ばれた妻への誇らしさと、いつか自分も同じ場所へ行こうという決心と、彼の心は幸福に満ちていた。

だが、ある日のこと、彼は災害のアサシンの宮殿で働いていた時に、アサシンの言葉を耳にした。

天還の真実。妻が選ばれた後に、どういう末路を辿ったのか。

吉岡は崩れ落ちるしかなかった。これが絶望だと、彼は知ったのだ。災害への憎しみと共に、何も疑わず、神のお告げを聞くように災害を信仰していた自らの愚かさを呪う。何故当たり前だと受け入れていたのか、何故幸せだと容認していたのか。

…何故、別れが寂しいと言えなかったのか。

吉岡はその後、仕事を変えながら様々な地区を転々とし、四区へ辿り着いた。彼は何度も首を吊ろうとしたが、その度に、恐怖に支配され出来なかった。…ならば惨めにも生きて行くしかないと、そう考えたのだ。

そんなとき、彼は偶然にもサーヴァントの召喚に成功する。それこそがアグネス・サンプソンであり、西洋人であるものの、その雰囲気は彼の亡き妻に似ていた。彼は優しい瞳をした彼女の胸で、大粒の涙を流した。吉岡は赤の他人に、その寂しさを告白したのである。

アグネスは吉岡の役に立つことを約束した。彼女自身が破綻者のクラスであること。そして、魔女になれば災害を超えることが出来るかもしれないこと、吉岡が守ろうとした唯一の宝物、博物館の子どもらを救えるかもしれないこと。

吉岡は反対する。大切な妻に似た彼女に、余りにも凄惨な過去を辿った彼女に、その枷は重すぎると。だがアグネスはただ微笑んだ。彼女は吉岡を助けたかったし、同時に、吉岡が守りたい子ども達も救いたかったから。助産婦アグネス・サンプソンが聖杯にかける望みこそ、自らの冤罪を晴らすことでは無く、子ども達の健やかな未来を守ることであったから。

吉岡はアグネスと共に多くの命を奪い、命を喰らい続けた。そして自らが気付かない程に醜く歪んでしまった。

彼は消滅したアグネスの光を手のひらで掴むと、巧一朗と同じく空を仰いだ。

 

「巧一朗君、僕の負けだ。」

「はい、俺の勝ちです。」

 

巧一朗はキャスターの肩を借りて立ち上がる。既に吉岡から戦意が消失していることは分かっていた。

 

「僕は…どうすれば良かったんだろうか。」

「分かりません。俺には貴方の気持ちは理解できない。」

「ははは、それもそうだね。」

 

吉岡は半分壊れてしまったベンチに腰掛けた。巧一朗はそんな彼をただ見つめている。

 

「そうだ、聞きたかったんだ。巧一朗君、君はいつ僕が犯人だと気付いたんだい?細心の注意は払っていたつもりだったが。」

「廃病院で対峙した時です。貴方は俺の能力が解けて現れたキャスターに対して『セイバーの次はキャスタークラスのサーヴァントか!』と口走っていましたよね。こいつがキャスターと呼ばれているのを知っているのは鬼頭教官、美頼、鶯谷、そして吉岡さんだけだったんですよ。」

「いや、でも犯人が、キャスタークラスと見極めた可能性もある訳だよね。」

「それは有り得ないんです。何故ならこいつはキャスタークラスじゃないから。」

 

吉岡はキョトンとした。巧一朗は周りに聞き耳を立てている者がいないのを確認して、吉岡に告げる。

 

「キャスターと呼んでいるだけなんです。本当のクラスは、貴方のアグネスと同じですよ。」

「…まさか…そんな…」

「私こそが全ての破綻者のプロトタイプだ。だからこそ私は吉岡、貴様の犯罪にいち早く気付けたぞ?実に簡単な事件だった。だが礼を言わせてもらう、お前のお陰で色々と新しく情報を仕入れることが出来たからな。」

 

白銀の少女はクツクツと笑った。それに釣られるように、吉岡もまた笑い出す。

 

「そうか、成程、君の招霊転化の秘密はそこに在ったのか。ははは、これならば災害を殺すことも、君達なら出来るかもしれないな。うん、安心して、僕は死ねる訳だ。」

「吉岡さん……」

 

巧一朗は数秒間目を瞑る。自分の中にある迷いを捨て去るようにして。次に目を開いた時、彼は吉岡に手をかける。博物館の為に、そして、他ならぬ吉岡の為に。

 

「吉岡さん。俺は貴方のことが好きでしたよ。」

「何だよ急に。僕もまぁ、少しだけしか一緒にいれなかったけど、君のことはそれなりに気に入っていたよ。さぁ、これで約束の九人目だ。これでミナト君は助かる。僕のスーツの胸ポケットに手紙を入れているから、機会があれば渡して貰えると助かる。」

「……善処します。」

 

巧一朗は魔力を集中させた親指を吉岡の額に当てた。死にゆく男の顔は、何とも清々しい。その手は小刻みに震えているが、彼は既に覚悟を決めていた。

巧一朗は心の中でトリガーを引いた。彼の親指に光が灯り、静かに燃え上がる。魔術で編んだ光弾が、吉岡の脳を貫いた。吉岡の身体はベンチごと後方に倒れそうになるが、キャスターがそれを留めた。巧一朗はわざと彼の返り血を浴びる。その血の匂いを絶対に忘れない為に。

 

「…痛いか、巧一朗。」

「痛くないよ。俺は撃たれた側じゃないからな。」

 

派手に戦闘したこともあり、博物館の一部が倒壊している。災害のキャスターに通達が入る前に、吉岡の遺体を処理せねばならない。巧一朗は彼と庭園で出会う前に、充幸へ連絡を入れてあった。彼女は眠たい目を擦りながら、じきに現れるだろう。到着時刻までも計算済みである。

彼は吉岡の身体を人目に付かない庭園の中に隠すと、隣へ腰かけ、自らが召喚したランスロットのことを考えていた。彼にとって招霊転化で自らの身が滅ぼされる感覚に陥ったのは今回が初めてである。バーサーカーのクラスのサーヴァントは過去に召喚したことがあった。狂化のランクが低かった為意思疎通が図れたが、今回の場合は意識が完全にシャットアウトされていた。攻撃の指示も届かず、ランスロットが剣を振るう度、全身の筋肉が細切れにされるような深い痛みが走る。この経験は今までになかった。

 

「円卓の騎士の召喚にはリスクが伴うということか。」

 

彼らは間違いなく強い。が、巧一朗に必ずしも協力してくれる訳ではないのかもしれない。

 

博物館入口前の階段を登る音が聞こえた。かつかつと軽快な音を鳴らしながら、ゆっくりとした足取りで現場に向かって来る。巧一朗は充幸の到着を予見するが、それと同時にある違和感を抱いた。それは、充幸が常に履いている靴が運動用のものであるということである。この足音はヒールのような構造のものでしか鳴らされない。まさか充幸が薄汚れた裏稼業にお洒落して来る場違いな性格でもあるまい。

 

「美頼か…?」

 

巧一朗は物陰から様子を窺う。彼の目前に姿を見せたのは、彼が今最も出会いを恐れていた人物であった。

異様な仮面を身に着け、近未来的な衣服でその男は現れる。男の正体は巧一朗も、キャスターも、否、全てのオアシス区民が知っていた。メディアに取り上げられる彼を、国を治める王の彼を、知らぬ者などいよう筈もない。

彼こそが災害のキャスター、開発都市オアシス第四区を管理する神にも等しい存在である。

 

「僕はお前達が隠れているのを知っている。対話に応じなければ直ぐ殺す。」

 

災害のキャスターは巧一朗の隠れる庭園を向き、そう告げた。彼らは観念して、王の前に現れ出る。災害を前にして、逃げることは即ち死を意味しているのだ。

 

「災害のキャスター様、ご無礼をお許しください、わたくしは…」

 

巧一朗は頭を垂れ、災害の前に跪く。彼の服にべっとりと付着した血に関して、言い訳をするつもりもない。見苦しさはかえって災害の怒りを買うと判断した為だ。

 

「別に僕への形だけの礼は必要ないさ。漏れ出ているぞ、僕への殺意。そんな物騒な感情を向けられたまま言葉だけ取り繕う意味はあるか?」

 

災害の圧倒的なまでのプレッシャーに、巧一朗の汗は止まらなくなる。目の前に立つ化け物が如何に規格外であるか、嫌が応にも思い知らされるのだ。一つのミスで、巧一朗だけでなく、近くまで来るだろう充幸も抹殺されてしまう。慎重に言葉を選ばなければならない。

 

「殺人事件の解決ご苦労様。僕を出し抜いて犯人を追い詰めるとは、優れたネットワークを持っているようだ。いや、優れたブレインかな?第四区の代表として礼を言わせてもらう。」

「……」

「自ら犯人を名乗る者が現れる等、色々と邪魔が入ったのでな。コラプスエゴという特殊なクラスについても僕は初めて認知した。第四区博物館のお前達は僕の知らない何かを抱えているようだ。災害への反逆で無ければ良しとするが、まぁ胸の内に隠した野望など僕には興味ない。」

 

巧一朗は災害のキャスターを前に、金縛りに遭ったように身動きが取れなくなっていた。彼自身、その理由を知っている。これは暴力的なまでの威圧感に対する屈服だ。災害と相まみえるのは初めてではないが、それでもこの感覚に慣れることはない。

巧一朗は自問自答する。招霊転化を使用してしまった以上、彼に戦える武器は殆ど存在しない。また、傍に立つ白銀の少女もまた、災害の前には無力である。充幸が事態を察知して、何らかの応援を連れてくることは…期待するだけ無駄である。

 

「私は犯人である男の命を奪いました。真相に偶然辿り着き、彼の説得を試みましたが失敗し、自らの身を守る為に戦闘を行い、結果殺してしまった。災害のキャスター様の敷くルールに基づき、罪を認め、罰せられる覚悟でいます。」

 

巧一朗は今とるべき最も安全な手段で仮面の男に訴えかける。人殺しの現場を見つけられてしまった以上、大人しく捕まるのが吉である。後は情状酌量の余地を、博物館の面々と彼自身で用意する外ない。災害のキャスター次第ではあるが、上手くいけば三、四年で監獄から出ることも叶うだろう。戦闘した場所が悪かったと、巧一朗は反省した。

 

「お前は面白いことを言うな。僕がお前を捕まえる為にわざわざ出向く筈も無いだろう。ただ確保する為であれば、下の連中に走らせているさ。僕は事件の顛末に興味があった訳では無い。そもそもお前などどうでもいいのだ。」

「え…?」

 

災害のキャスターはカツカツと靴底を鳴らしながら、白銀の少女に近付いた。彼女は頭を垂れることも無く、ただ真っ直ぐ災害の仮面を睨んでいる。彼は少女の肌に触れる距離まで近づき、その顔を仮面越しに見つめた。

 

「成程、セイバーとは別人だな。マスターの趣味か?」

「ふっ、違うな災害。これは私の趣味だ。オアシスの召喚式ならではのジョークさ。」

 

災害のキャスターはカメラで彼女を見つけた時から、その存在に興味を持っていた。それは彼がかつて戦ったセイバーのサーヴァントに酷似していた為。全くの別人であることを確認し、どこか満足そうな表情を浮かべる。

 

「お前は僕を恐れないのだな。白銀の探偵。」

「巧一朗や私を殺しに来た訳では無さそうだから。貴方が巧一朗の正体を知りながらも、第四区で生かしたままにしていることを考えると、少なくとも敵意は無い。いや、君はもっと先の次元で…」

 

二人が会話を進める中に巧一朗が割って入る。彼にとって聞き捨てならぬ言葉があった。

災害のキャスターが、巧一朗のことを知っている、その事実である。

 

「災害のキャスター、お前は俺を知っているのか?」

「無論だ。あの戦争で出会った、セイバーのマスター。他の災害がかつてを忘れようとも僕だけは覚えている。何故お前がオアシスに辿り着き、今もこうして生き永らえているのかは不明だが。」

「…っ、知っていて、俺を殺さなかったのか…!」

「セイバーのいないお前に何が出来る?」

 

災害のキャスターの問いかけに、巧一朗は答えることが出来なかった。彼の招霊転化では、たった一分の奇跡では、超えられぬ大きな壁。彼はあのとき戦ったキャスターではない。オアシスと言う地において災害と信仰された神にも等しいサーヴァント。あの戦争でさえ、セイバーと巧一朗は彼を殺すことが出来なかった。セイバーを失った今は尚のこと。虚勢を張るのが精一杯である。

 

「お前は今回の事件で僕を出し抜いたつもりかもしれない。僕が来るより先に犯人を殺すことが出来たんだからな。僕であれば残虐な殺害方法を採用していたかもしれないが、お前は苦しまずに犯人を殺す選択をしたのだろう?良かったな、お前の守り通したい秘密が守れて。」

 

災害のキャスターは巧一朗を煽った。全てお見通しだと言わんばかりに。いや、本当に全てが筒抜けなのかもしれない。

だが巧一朗にとって誇りや尊厳が踏みにじられることなどどうでもいい。この場を凌ぎ、次災害と相対する時には完膚なきまでに殺せるように。今彼の胸に渦巻くのは災害への明確な殺意のみだ。

 

「お前が、お前達が望むなら、今からでも僕が相手してやってもいい。もっとも加減するつもりは無い。どちらかが死ぬまでだ。」

「…それは…」

「無理だよ。今の巧一朗と私では数秒生きていられたら幸運、そんなレベル。恐らく今私たちは見逃してもらえるチャンスを与えられている。なら無理せずそれを受取ろう。とりあえず生きていこうじゃないか。災害の謎を解き明かすその時まで。」

 

白銀の少女の言葉に、災害のキャスターは冷たく笑う。それが何を意味しているかは、今の彼らには理解できない。

そして巧一朗が口を開こうとする際には、既にこの場から消失していた。どうやら災害は本当に、ただ少女の正体を確かめに来ただけであったようだ。彼は唇を噛み、虚空を見つめることしか出来なかった。またしても、あの時のように、彼は敗北を味わわされたのだ。

 

充幸から連絡が入り、彼女はあと五分もすれば到着するようだ。意外にも、真夜中に用事があってメッセージに気付くのが遅れたよう。だが災害のキャスターがいるときに来なかったのは不幸中の幸いである。

巧一朗は到着を待つ間、花壇の花を愛でるキャスターに声をかけた。

 

「キャスター、ジャック・ザ・リッパ―の触媒をすり替えただろう。ちゃんと鬼頭教官に返しておけよ。」

「何のことかなー?」

「博物館に監視カメラがあることはお前も知っているだろう。主電源を切ったつもりだろうが、別電源で稼働する物が隠しているだけで三つはあるんだ。お前の泥棒行為は既に把握済みだぞ。」

「ちっ、ミサチのやつめ…」

 

キャスターは不貞腐れた表情を浮かべる。巧一朗は彼女の行動意図を全て把握している訳では無い、当然、未登録触媒を盗みだした理由も、巧一朗たち博物館側への助力以上の意味が含まれているだろう。

否、行動意図に留まらず、巧一朗はキャスターの真名すら知り得ていない。

知っているのは三つだけ、キャスターにとって彼は六人目のマスターであるということ。巧一朗がかつて愛した白銀の少女と同じ容姿をしているということ。そして、彼女が探偵であるということ。

 

「なぁ巧一朗。私が殺人鬼ジャックを呼び出した時、老紳士の姿で召喚されたんだ。君が見た幼女とは全くの別人だ。ロンドンの殺人鬼とは一体何なんだろうね。」

「未解決事件だからな。犯人が分かっていりゃ迷宮入りはしていない。」

「そう。ジャックを形作るのは、彼ないし彼女を知らない人物たちによる妄想だ。各々がジャック・ザ・リッパ―に抱く恐怖、或いは尊敬の念が姿かたちとなって表れる。でもそれはロンドンの殺人鬼に囚われない。我々英霊は皆そういう存在だ。では君の愛する女の姿をした私は、君にとってどういう存在だろうね?」

「……さぁな。」

 

巧一朗は彼女との出会いを思い出す。彼の物語が動き出した雨の日の夜。

彼女は雨に打たれる巧一朗に傘を差し出した。

 

「傘を忘れたのか、センチメンタルな自分に酔いたいのか、君はどっちだい?前者なら傘をあげるし、後者なら放っておくよ。」

「……」

「成程、どちらでも無いな。君は『傘の差し方を忘れた』タイプだ。ならば私が代わりに君を雨から守ってやろう。」

 

白銀の少女は巧一朗の肩程の背丈しかない。が、腕を高く伸ばして自らの傘に彼を匿う。いま彼を濡らす雨粒ひとつひとつが彼の肉体を蝕む毒であるから。生きる意味など百年前に置いてきた、彼はそんな表情で虚空を見つめている。

 

「死なないのかい?」

 

白銀の少女は彼に問う。

 

「…理由は思い出せないけど、生きなきゃいけないんだ。」

「それは大変だ。今の君にとって死ぬより生きる方が何百倍も大変だろうからね。誰かと約束したのかい?」

「約束、あぁ、約束した。貴方と同じ顔をした女の子と。」

「ふふ、君には私の顔がその女の子と同じように映っているんだね。これは重傷だ。」

 

二人は誰もいない路地裏で出会い、その場から動くことも無く雨が止むのを待ち続ける。

 

「ところで貴方は誰だ?サーヴァント、だろう?マスターは?」

「私はコラプスエゴ。聞いたことが無いならキャスターとでも呼んでくれ。マスターはたった今から君だ。」

「…?」

「私はしがない探偵さ。この世界の謎を解き明かし、そして滅ぼすための存在。オアシス、桃源郷の反逆者だ。どうだい、君のお眼鏡に適うサーヴァントであれば嬉しいな。」

「…オアシスを滅ぼす?」

「あぁ。探偵が人を殺さないのは先史時代の掟さ。謎を解くために人を殺す。謎を解くために国を滅ぼす。それが探偵であり破綻者(コラプスエゴ)である私の使命だ。私は災害を殺す。今日からは君のサーヴァントとして、ね。」

 

雨があがる。

陽の光が路地裏に届く頃には、巧一朗の目に微かな燃え上がる炎が宿っていた。

 

「さぁ行こうか。君の名を教えてくれ。助手であり、相棒であり、我がマスターである君の名を。」

 

「俺は、間桐 巧一朗だ。」

 

「そうか、よろしく、巧一朗。」

 

彼らは光の差す方へ向かって歩き出した。全ての始まりである聖杯戦争

に勝利する為に。

 

 

【観測者編 完】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幻視急行編1

誤字等ございましたら連絡お願いします。
ぜひ観測者編からご一読ください。


【幻視急行編①】

 

「どうして、人を殺しちゃいけないの?」

 

私はその質問が大好きだ。

子どもの無邪気さで、自分より遥かに上の立場の大人たちを困らせる。

社会のルールとか、道徳とか、倫理とか、下らない回答で話題を突っぱねる。

精神論で語る人間もいたっけ。

私自身、その答えを知る訳でもないのに、まるで自分が人間心理を会得しているかのように優越感に浸る。

だって、大人が必ずしも子どもより賢い訳じゃないんだから。

そうして私はお父さんも、お母さんも、親戚のおじさんも、学校の先生も困らせてきた。

そしてそれは大人の階段を上り始めた今の私の問いでもある。

私はまたその永遠に解けない謎を吹っ掛けた。

 

「良かったよー美頼ちゃん。これ、お兄さんからのお小遣いね。」

 

汗で汚れたベッドの上で、裸体の中年男性が三万円を握らせてきた。

本日の出勤で出会った男は五人目、その中では一番値が低い。だが三万円が大金であることを知っている私はそれを快く受け取った。

 

「もー、木島さんったら。お兄さんって年齢でも無いでしょ?」

「ははは、美頼ちゃんは辛辣だねー」

 

私は今日初めて出会った男と軽いくちづけを交わす。部屋中が熱気と汗と性の匂いで充満している中、男の情欲は再びむくむくと膨れ上がった。

 

「美頼ちゃん、美頼ちゃんっ…」

 

男の手は自然と私の胸へと伸びる。三度ほど指のマッサージをさせた後に、その手を取り、指を絡めて制止させた。

 

「残念ながら時間です。またのご指名お待ちしております!」

「延長、延長は?」

「ごめんなさい。本日の営業時間は終了です。また、遊びに来てくださいね。待っていますから。」

 

私はいつもの制服姿に身を包むと、固定電話からフロントへと連絡を入れる。

だが男は一向に帰る気配を見せない。それどころか、電話を取る私の後ろに立ち、スカート越しに臀部を揉みしだいた。

男の興奮を肌で感じつつ、電話を切ると、私は冷めた口調で例の疑問をぶつけてみる。

 

「木島さん。どうして人間は人間を殺したら駄目なんだと思いますか?」

「なに、急に?」

「答えて。」

「…訳わからないこと言ってないでさ、金はあるから、ほら、ちょっとだけ延長頼むよ。ね?」

 

私は深いため息をつく。すると、私の今の気持ちを汲み取るかのように、男の背後から黒い影が伸びた。

影から這い出た鎖が男の腕を絡めとり、顔面に紫の液体を浴びせる。断末魔をあげる間もなく、男はベッドの上に倒れ込んだ。

気を失っている男の隣に優雅に座る黒髪の魔女こそ、私のサーヴァント。クラスはバーサーカーだが、意思疎通も普通に行える真っ当な従者である。勿論従者と言っても立場上は彼女の方が上、何故ならば彼女は生前女帝として国を治めていたからだ。

 

「バーサーカー、殺したの?」

「いや、奪ったのは彼奴の命では無く『性』 である。欲に駆られ、暴走することは無くなった。これからは仏門に入るように静かな生を謳歌するだろうよ。」

「そう、ここで殺したら私が犯人って分かっちゃうからね。」

 

私は大柄のスタッフ連中に寝静まった客を任せると、店の外に出る。

開発都市第二区歓楽街、ここはヒトの欲望と悪意が狂い咲く歪な世界。

以前、博物館のお仕事でこの場所の裏側を知った、だが何ら驚くべき点も無い。何故ならばこの地区に裏も表も真に存在していないから。

私はコートのポケットに両手を入れて、辺りの風景を観察した。女を連れ歩く恰幅の良い男がいると思えば、道の端で飢え死ぬ男もいる。まさに「混沌」と評するべき狂気の街。

しかし勿論、この街にも一つ、基礎となるテーマがある。

それは、「死」の許容であると私は考える。

この街では誰もが自由かつ平等に死ぬことが出来る。自らの意思で、或いは誰かの意思で。

世界でさえ、オアシスの他の全ての地区でさえ法で縛った「死」への制限を、この街は全て許容している。この第二区でのみ人は人を殺すことを、自らを殺すことを上から認められ行うことが出来るのだ。そのタブーを実現したのは管理者たる災害のアーチャー。彼が災害の中でもトップクラスの戦闘力を誇るからこそ実現できた理だ。最強と名高き災害のライダーでも迂闊に手を出せないのが、その強さを物語っている。そんな無法の街だが、こんなにも人通りが多いのは、誰もが「死」という概念に恐怖心を抱きつつも、それを甘美の味と認めているからだ。

 

「何故人を殺してはならないのか。貴様の疑問はこの街では無意味だな。」

「そうだね、バーサーカー。でも私が知りたいのはもっと根本的な部分。ルールがどうとかじゃなくて、道徳的な話だよ。」

「ふむ。それは些か難題が過ぎるのではないか?」

 

女帝であるバーサーカーはその答えを知っているように思えた。だから私は彼女にもその問いをぶつけてみる。

 

「答えは『成長』だ、美頼。」

「なにそれ?」

「人は地球に誕生して幾度となく傷つけ合い、殺し合ってきた。戦争がこの世から無くならないのは、人間もまた他の動物たちと同じ弱肉強食の輪に囚われているからだ。それは過去も現在も、そして未来もまた変わらない。だが、それを許容してしまうと、二千年以上の歴史を経てもヒトは成長していない、という証拠となってしまうだろう?」

「うん。」

「今を生きる貴様らは、自らを今までの人類で最も優れた個体だと信じたいのだ。動物の理を離れ、ヒトが如何に優れた存在であるか。如何に歴史を学び成長してきたか。神にでもなったつもりで、人自らがヒトを高尚なものと定義する。それが人を殺してはいけない理由なのではないか?」

 

私は彼女の言葉に同意する。だがバーサーカーの目に映る私は、納得のいかない顔をしていたようだ。

 

「美頼、貴様がその答えに辿り着くにはもう少し時間がかかるだろう。人が人を殺めることが何故禁忌であるか……誰かに正解を求めても貴様好みにはなるまい。」

 

また、はぐらかされた、と私は思う。

私自身そんなことには気付いている。哲学的問いに世界共通の正解を出すことは出来ない。様々な人間の考えを吸収し、自ら結論を用意する外ないのだと。

だがそれでも私は、無邪気に、残酷に、その問いを投げかけ続ける。

 

「さて、と。博物館に向かいますか。今日はコーイチローも出勤しているからね。」

「成程、どうりで今日は調子がいいのだな。」

「へへ、そうかな?」

 

私はデバイスを起動し、コーイチローに取り付けた小型機械から、彼の位置を特定する。今日は博物館で書類整理でもしているようだ。書庫に籠っていることが正確な位置情報から割り出せる。

コーイチローのサーヴァント、美人な白銀髪の少女は傍にいない。場合によっては殺すことも考えたけれど、彼が悲しむから一旦辞めておいた。だがもし彼女が彼を押し倒すことがあるならば、首を刎ねるつもりでいる。

 

「……好きなのか?美頼」

 

バーサーカーは私の思考を読み取るように問いかける。私は少し考えて、正直に告げた。

 

「好きだよ。彼を取り巻く全てを殺しちゃいたいくらいには、ね?」

 

私は第二区の守山駅に到着し、いつもの十六時発、第四区松坂行の急行列車を待つ。この時間は学校帰りの学生や、定時退社の社会人で溢れているが、ここ最近は座席シートに座れることも多い。

思えば、コーイチローとの出会いも、この急行列車だった。私はこの閉鎖的な空間で、彼と運命的な出会いを果たしたのだ。

私は思い出に浸りながら、急行列車に乗り込む。バーサーカーと共に空いた席に座り、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

二年前の話である。

美頼は歓楽街での仕事を終え、守山駅で一人、列車の到着を待っていた。

季節は冬、防寒具を身に纏いつつも、その手の震えは止まらない。彼女は暖を取る目的で、自動販売機でホットコーヒーを購入する。

以前まで苦くて嫌っていたコーヒーも、今は好んで飲むようになった。これが子どもから大人への成長か、と喜ぶのと同時に、幼い頃好んで食べていたメイプル漬けのホットケーキが遠ざかっていることに、どこか儚さを覚える。

彼女の母は料理が苦手だった。

倉谷重工の跡取り、一人娘して生誕した彼女には、汗と金属臭い父と、いつも笑顔を絶やさない母がいた。社長の娘と聞けば誰もが羨む勝ち馬であるが、経営難は当たり前、数名の従業員にご飯を食べさせるのが精一杯の弱小会社だ。貰えるお小遣いも友達より少なく、新しい服を買う余裕も無かったので、彼女は独自のアレンジで母のお古を最先端ファッションに作り変えてきた。

母が料理出来なかった為、美頼は独学でマスターする。中学に上がる頃には、従業員のお弁当を用意してあげられるほど著しく成長していた。彼女の母は我が子の努力する姿を、それはそれは嬉しそうに見つめていた。

美頼が料理を初めてキッカケは、母の作ったホットケーキだ。

三時のおやつにとよく出されたソレは、常に焼け焦げ、口に運ぶとしゃりしゃりとした音が鳴り、何より、頭が悪い程にメイプルまみれであった。美頼はこのホットケーキを食べて育ち、自分はこうはなりたくないと料理の勉強に励んだのである。

思い出すだけで胸やけがする。だがその味を忘れたくないと祈る気持ちがあるのも確かである。

美頼は二度と、そのホットケーキを食べることは出来ないのだから。

 

「はぁ」

 

吐息が白い煙のように空へ漏れ出した。自動販売機の前に立ち尽くし、コーヒーを口にすることも無く、茫然と煙の行く先を見つめている。

そんな彼女の後ろに人が立っている等気付きもしなかった。

 

「すみません。」

 

美頼が振り返ると、小銭を握り締めた茶髪の青年が訝しげに彼女を見つめていた。

 

「あ、ごめんなさい。」

 

美頼が横にずれると、青年は表情を変えぬまま、小銭を自動販売機に入れた。購入したのはメイプルレモネード。彼もまた温かな飲料で暖を取ろうとしていた。

美頼は常に自販機でコーヒーか炭酸飲料以外を購入しない。もし購入したドリンクが不味かったら、そんな気持ちが彼女の冒険心を封じ込めていた。幼少期であれば、彼が購入したメイプルレモネードも美味しく感じられたかもしれない。

 

「あの、俺に何か?」

「っ…いえ。」

 

知らないうちに美頼は青年の方を見つめてしまっていたようだ。視線を逸らし、彼から距離を取る。

彼女は携帯電話を取り出し、電車が来るまでブログの更新をするなどして待つことにした。彼女の務めている店の日記コーナーに、先程撮影した水着の写真を投稿する。暖房のきいた部屋だったとはいえ、流石にこの季節の水着は寒く感じられた。

先日投稿したメイド服の写真には、数十のコメントが書かれている。胸元を大胆に晒した衣装だったからか、男性からの反響が大きい。

美頼はその一つ一つに返信していく。どんな醜いコメントであろうと、彼女は感謝の文字を書き込むのだ。見てくれてありがとう、ぜひ遊びに来てね、と。

それは彼女に奉仕の精神があった為ではない。全ては金の為、今は亡き両親が背負った借金を叩き返す為だ。媚びることには慣れている、今までもそうやって生きてきた。優しさだけではどうにもならない現実を彼女は知っている。

 

「明日は、ギャル風メイクかな。」

 

彼女は溜息交じりに呟いた。ブログの更新を終えたと同時に、列車が駅に到着する。

今日はかなり混雑している。ただそれだけのことが彼女を更に憂鬱にさせるのだ。

 

幼い頃の美頼にとって、電車は万華鏡の様だった。

高速で駆け抜けて、次から次へとまだ見ぬ世界の広さを教えてくれる。靴を脱ぎ、車窓を覗き込めば、そこから先は彼女だけの時間。普段から元気が有り余っていた少女も、この時ばかりは落ち着きを取り戻す。大好きな父と母に挟まれて、彼女なりの観察日記を脳内に書き殴っていた。巨大なビルも、隣を走る電車も、高い鉄塔も、山も、空も、美頼を決して飽きさせない。次から次へと現れ、くるくると不思議な世界を見せる。だからこそ、彼女は思うのだ。何故大人たちはこの景色を知らず、下ばかり見て座っているのか。

それが大人になるという事なら、子どものままでいたいと願う。

美頼は携帯電話を弄りながら、吊革に摑まった。彼女は外の景色には目もくれず、ひたすらに美容の記事をスクロールしている。化粧品はより良いものを求めれば、それなりの金が必要となる。美こそ仕事に直結する彼女にとって死活問題だ。と言っても、百円ショップで手軽に行う美容動画には興味がない。出演しているタレントがブランド物を使用していることなど、知識が無くとも分かることだ。

あぁ、世の中は嘘だらけ

美頼自身もまた嘘で塗り固めた人生を送っている。だから誰かの嘘を否定することは出来ない。高校を卒業した後も、こうして学生服に身を包む。そうすれば喜ぶ人たちがいるからだ。年齢を偽り、写真は加工を重ね、思ってもみないことをぺらぺらと喋る。彼女が彼女として生きていくために必要なことだ。

彼女は深く溜息をつくと、携帯を鞄に仕舞い込んだ。

満員電車が右へ、左へ、揺れる。

美頼の後ろに立っていたスーツの男は、吊革に摑まっていなかったのか、彼女の肩を支えに踏み止まった。

 

「…」

 

男は急に触れたことへ謝罪しないどころか、有り得ぬ行動に出る。

彼は咄嗟に周囲を確認すると、美頼の背後にぴたりと貼りつき、彼女の腰の辺りを撫で始めた。

彼女は経験上、直ぐにそれが痴漢であると判断する。が、敢えて今は動かない。

背であればアクシデントと言い逃れられるかもしれない。男がその下に手を伸ばす瞬間を待つ。スカートの繊維が手に付着すれば、それが証拠になるからだ。彼女は不快感に身を震わせながら、その瞬間を待ち続けた。

いざとなれば、彼女の影に潜んだ魔女が、男の命を刈り取るであろう。

腰を撫でまわす男の鼻息が荒くなるのを感じ取った。彼の手は徐々に下がっていき、遂に美頼の臀部へと至った。慣れた手つきで指に力を入れる男に、これが初めてでは無いことを彼女は悟る。この男は恐らく過去にも、年端もいかない少女たちに乱暴を働いている。美頼は怒りに燃えつつ、男の腕を捕まえようと動いた。

が、その腕は既に何者かに捉えられていた。

 

「おい、アンタ。」

 

傍に立っていた茶髪の青年が、男の手首を捻り上げていた。

 

「痴漢だろ。」

 

あまりにも静かな声だが、青年の口から出たそのワードに、周りの乗客は一斉に注目した。痴漢行為に及んでいた男は余りにも多くの視線を浴びながら、額に脂汗を浮かべている。逃げようにも、ここは満員電車の中。周辺にいる全ての人間が男の敵である。

彼は自分が逃れられないことを悟り、諦めた。がっくりと項垂れると、次の駅で青年と共に下車し、呼ばれた駅員に連れて行かれることとなる。当然美頼も、そして青年も、警察からの事情聴取を受けることとなった。

そして彼女たちが解放されたのは陽が完全に落ちた後だった。美頼は感謝の意味も込めて、青年と近隣のファミリーレストランへ向かう。自分を守ってくれた騎士のような存在に心を躍らせながら。

 

「本当にいいのか?」

「勿論!これはおごりだよ。本当にありがとう。」

 

青年はメイプルチョコパフェを注文すると、スプーンでクリームを一気に掬い上げ、口いっぱいに頬張った。ハムスターのような食べ方に美頼はどこか愛おしさを感じる。ファミレスのスイーツをここまで美味しそうに食べる人間は彼が初めてかもしれない。

 

「あの、駅でメイプルレモネードを購入していたよね。ハチミツ好きなの?」

「メイプルは万能調味料だからな。」

「ふーん(万能調味料?)…。ちなみに名前は何て言うの?」

「……巧一朗。」

「へぇー~、コーイチローか。覚えた。素敵な名前!」

 

名前の他に、年齢や仕事、趣味や彼女の有無まで質問攻めの美頼に、巧一朗は辟易する。彼はパフェを食べ終わると、その分の代金をテーブルに残し立ち上がった。

 

「…よく知りもしない男に、執拗に関わろうとするな。勘違いをする奴も出てくるだろう。」

「コーイチローは勘違いしないの?」

 

上目遣いで見つめてくる美頼に対し、巧一朗は敢えて視線をずらす。座っている彼女は、胸元が大胆にも見えてしまっている。それを指摘するのも彼には野暮なことに思えた。

 

「…俺はお前を助けた訳じゃない。あの痴漢野郎を助けたんだ。お前、あの男を殺そうとしていただろ。」

 

巧一朗がそう告げると、美頼の目から光が消えた。彼は先程までぐいぐいと迫ってきていた少女の豹変ぶりにぎょっとする。

 

「お前のサーヴァント、オアシス式の疑似肉体を媒介とする英霊召喚の割に、霊体化に似たことが出来るんだな。さしずめ、お前の影の中に独自の世界を展開し、地上とのパスにして隠れているんだろう。」

 

巧一朗は美頼を影から守るサーヴァントの存在を見抜いていた。アサシンの気配遮断に近いが、彼女のサーヴァントはそもそも今このオアシスに実体が無い。だから僅かに残る残り香のような魔力を以て、その存在を容認する外ないのだ。人間の影に世界を構築するとは、かなり強力な英霊であることは間違いない。

美頼がバーサーカーへと合図を送ると、陽の当たらないはずの座席に黒の人影が伸び、彼女の隣に妖艶な黒髪の女が姿を現した。その端正に整った顔はこの世のものとは思えぬほどに美しい。

 

「霊体化という言葉を知っている時点で、コーイチローはホンモノの魔術師確定だね。」

「そういうお前も、魔術師なのか…?」

「美頼はただの一般人だ。魔術師の知識は我が授けた。そういう輩を殺したこともある。」

 

巧一朗はここで初めて、目の前にいる学生服の少女の名を知る。だが彼としては、今後一切の関りを持ちたくない。この少女は男を惑わす色香を振りまいているが、間違いなく、多くの人間を殺めている。彼女の意思か、はたまた女サーヴァントの意思か。

 

「あ、そうだ。コーイチローに一つ質問してもいいかな?」

「…何だ?」

「どうして、人を殺しちゃいけないんだと思う?」

 

美頼は幼い頃から好きだった問を投げかける。青年がどう答えるか、それを見極めるつもりである。

巧一朗は一瞬身構えるが、美頼の顔が思いのほか真剣であったが故に、彼なりの答えを用意してやることにした。

 

「じゃあ逆にお前は何で殺したら駄目だと捉えているんだ?」

「あーっ!質問を質問で返すのいけないんだー!」

「…殺したければ、殺せばいいじゃねえか。」

 

美頼が再度巧一朗の顔を見つめた時、その場にいた好青年は既にいなくなっていた。目の前にいるのは冷徹な瞳をした死神である。巧一朗もまた、修羅場なるものを潜り抜けてきた、美頼にとって彼は同族である。

 

「怖い顔だね、コーイチロー。」

「確かに法が、道徳学習が、人を殺害するのは悪だと定めているが、それは結局社会通念上のモノでしかない。自分という存在を失う覚悟が出来ているなら、殺してもいいんじゃないか。そういう質問をするってことは、単に興味本位か、お前にどうしても殺したい人間がいるかだ。」

「いる。いるよ。」

 

美頼の脳にこびり付いて離れない、惨劇の夜。母に向けてナイフを振り下ろす父の姿。優しかったはずの父の、狂気に支配された涙。そして、母を殺した後に、自らもその場で命を絶った瞬間。グロテスクで、バイオレンスで、忌々しい悪夢。美頼だけが助かった一家心中、その原因となった存在こそ、彼女が手を汚してでも奪いたい命である。

 

「なら、人の許しを請うな。お前が決めて、お前が殺せ。人道に反する癖に、人らしくあろうとするな。人を殺すからには、獣になれ。それがお前の質問に対する答えだ。」

 

巧一朗の答えは、彼自身への戒めでもある。彼がかつて聖杯戦争に参加した際に立てた誓い、それが殺した人間の顔と血の匂いを忘れないこと、奪った命を背負い、生きていくことだ。彼は不意に過去のことを思い出すが、目の前の話し相手のことを思い出し、我に返る。

美頼は自ら注文したホットコーヒーを飲み干し、にやけた顔を浮かべる。彼女にとって巧一朗の答えは気に入るものであったようだ。当然ながら彼の答えは質問の回答としては不誠実だが、素っ頓狂な美頼の問いかけにここまで真摯だったのは巧一朗が初めてである。

大人は誰しも逃げようとする、その前提が破られた瞬間であった。

 

「コーイチローのこと気になるかも。ね、連絡先教えてよ。どんな仕事しているのか、どんな趣味なのか、全部教えて欲しい。」

「教える訳が無いだろう。」

 

巧一朗はパフェを平らげると、千円札だけテーブルに残し、逃げるように立ち去った。宗教の勧誘より質の悪い相手に出会ってしまった、と彼の口から溜息が漏れる。念の為に遠回りをして博物館へ向かったが、既に美頼は彼のストーキングを開始していた。それもバーサーカーの影を使用した巧妙な手口である。見事、美頼は第四区博物館に辿り着き、後に裏稼業専門のスタッフに就任することとなった。

そして美頼は彼女自身の復讐劇を始めることにする。倉谷重工が開発したオートマタ技術の全てを大手企業アインツベルンに流した産業スパイ、和平 松彦(かずひら まつひこ)こそが、父と母を狂わせ、死に追いやった張本人である。彼女は博物館のデータベースを利用して、和平を葬る為のプランニングに勤しむようになっていくのだ。

 

 

「美頼」

 

バーサーカーの肩に頭を乗せ、眠りに落ちていた美頼は、彼女の声に目を覚ました。どうやら次の駅が終着駅、松坂である。

 

「あれ、私はいつの間に」

 

美頼は眠たい目を擦ると、無理矢理に脳を稼働させる。博物館へ行き、巧一朗の顔を拝みに行く途中である。彼女の腕時計の針は、ちょうど五の数字を刺していた。

 

「ありがとう、バーサーカー」

 

美頼は自らのサーヴァントに礼をする。バーサーカーは目を伏せたまま僅かに口角を上げた。

 

『次は松坂…松坂…終点です』

 

車内アナウンスが響き、乗り込んでいた皆が降車する準備に入る。美頼も顔を上げ、立ち上がろうとする。だが彼女の目の前に佇むスーツの女は、茫然と外の景色を眺めたまま、その場を動こうとしない。

美頼は女の顔を見た。疲れた目をしている赤髪の美人だが、その顔に見覚えがあった。

 

「もしかして、奈々良?」

 

女はハッとして美頼を見下ろした。高校時代の友人が、あの頃と同じ服に袖を通して座っている。幼い顔つきは五年前から変わらない。

 

「美頼…」

 

連絡を取り合わない旧友が、意外な形で再会したのである。

二人は久々の邂逅に盛り上がり、喫茶店で一時間ほど話し込んだ。奈々良は最初、美頼の奇天烈な格好に不信感を持っていたが、それも徐々に薄れていった。ファッションやメイク、好きな男の話で盛り上がった、あの頃の美頼と何ら変わらなかったからである。

 

「へぇ、あの第四区百貨店で働いているんだ。流石、奈々良はスマイル最高だからね。」

「よしてよ。言っても、ただのカスタマーサポートよ。鬱陶しいクレイマーの相手に連日かかりっきりで、もう疲れ切っちゃった。」

「あー、色んなお客さんがいるもんね。大変だろうな。」

「今はさ、どっちかって言うと、上司の方がね、ちょっと厄介。所謂、お局?的な。目を付けられちゃってさ。」

 

奈々良は酷く疲れた顔をしている。不眠症に悩まされ、大好きだった映画鑑賞も今は億劫だと話した。美頼は力になりたいと強く思ったが、彼女に出来ることは無いに等しい。だからこそ、偶にこうして話を聞くことに決めた。早速彼女は奈々良と連絡先をトレードする。

 

「なんか、美頼は変わらないね。勿論良い意味で。自分っていうのを持っているって言うかさ。凄いと思う。」

「そうかなぁ、でも奈々良が言うならきっとそうだね。でも奈々良だって変わらないよ。久しぶりに喋っても、優しい奈々良のままだった。」

「美頼…」

「私で良ければ、だけどさ。一緒に映画に行ったり、ショッピング行こうよ。電車で運命的な再会をしたのも、何かの縁って奴で。」

 

美頼は奈々良の手を両手で包み込むように握った。だが、奈々良は弾く様にその手を振り解く。

 

「よしてよ。高校の制服着た同い年と一緒に歩いていたら、私まで変な目で見られるでしょ。」

 

彼女は酷く冷たい目をしている。先程までの明るい奈々良はいなくなっていた。

 

「奈々良?」

「男と遊ぶのが仕事の貴女とは違うの。私には遊んでいる暇なんてない。」

 

奈々良は唖然とする美頼に対し捲し立てる。だが美頼の哀しい瞳を見て、我に返った。傷つけるつもりは無かったはずだ、だが彼女にはありのままに生きる美頼を受け入れることが出来なかった。

 

「ごめん、ごめんね。貴女は何も悪くない。私は、わたし…」

 

奈々良は店を飛び出した。美頼は彼女の瞳から零れ落ちる涙に気付き、急ぎ会計を済ませると、追いかけるように店を後にする。

だが時間差が生まれた結果、奈々良を見失ってしまう。

 

「奈々良…っ」

 

闇雲に探そうとする美頼を静止させるように、影に隠れていたバーサーカーが姿を現す。

 

「追ってどうする。あの女は貴様を拒絶した。関わり合う必要など無い。」

「…お父さんとお母さんが死んで、独りぼっちだった私の友達になってくれたのが奈々良だから。同じ道を歩くには不相応だって私から離れちゃったけど、もしいま奈々良が困っているなら助けたい。」

「ふむ、そうか。」

 

バーサーカーは奈々良が走り去った道を指し示す。彼女は消えた奈々良の影を捉え、追跡をかけていた。

 

「バーサーカー…なんて素敵なサーヴァント…」

「所かまわず抱き着くな、鬱陶しい。ほら、行くぞ。」

 

二人は奈々良が消えた先、かつて通っていた第四区南高校の方へ向かった。

 

奈々良は無我夢中で逃げた。情緒不安定な自分の所為で、大切な友人を傷つけてしまった。子どものような無邪気さで笑いかけてくれる美頼が眩しく思え、頑張って大人ぶろうとする自身に嫌気がさす。仕事で居場所を手に入れることが出来ず、プライベートでも孤独。それは全て自分が未熟な人間だから、と彼女は気付いている。だがそれを認めたくは無かった。認めれば、これまでの人生が否定されるような気がしたのだ。彼女はいつの間にか、かつて美頼と馬鹿な話に華を咲かせた、南高校の正門前に立っていた。息を整えながら、二人が昼食を共にした屋上の方を眺めた。そこに何もある筈はないのに、彼女の目には青春の日々が色濃く映し出される。

 

「美頼…」

 

学生たちは既に下校している。教職員はまだ仕事に励んでいるだろう。そこは奈々良が入ることを許されない場所であるが、彼女は何かに導かれるように正門に近付いて行く。

 

「おい、君。何をしている。」

 

だが、奈々良の突拍子もない行動は、警備を担当している男のサーヴァントに阻まれる。学生の安全を守るべく配備されたセイバークラスの英霊は、奈々良を取り押さえようとするが、過去に思いを馳せる彼女はサーヴァントを突き飛ばし、なおも欲望のままに突き進んだ。

 

「実力行使だ。」

 

セイバークラスの警備員は彼女の前方に回り込み、確保すべく立ち向かった。勿論、相手は一般人、軽度な怪我で済むように出力を調整して挑む。だがそれが失敗であった。奈々良の後ろから這い出た黒の念が実体を持ったように動き出し、警備員の両手両足を掴んで投げ飛ばす。彼は正門に身体を打ち付け、再起不能となった。

そしてそんな様子を遠くから走って追いかけてきた美頼とバーサーカーが目撃する。

 

「奈々良!」

「待て美頼。様子がおかしい。」

 

奈々良は虚ろな表情で美頼を見つめる。彼女の生気を吸うように、後ろに取り憑くのは怨霊の類。彼女が酷く疲れていたのも、この寄生虫のような存在が原因であったのだ。

 

「英霊の社会に生まれ落ちた、言わばバグのような存在だ。アレは生者に取り憑き、その血を啜る。壊しておいて損は無かろう。」

「でも、バーサーカー、奈々良にぴったり張り付いていて、引き剥がすのは難しそうだよ。」

「英霊に対して、奴らは人質無しでは戦う事すらままならんのさ。それだけに、厄介ではある。」

 

奈々良は美頼に一歩ずつ近付いて来る。彼女の後ろに付いた悪意の塊が、その四本の手で、バーサーカーを殺そうと殴り掛かった。

 

「なるごど、ただ力のある者に反応して攻撃してくる。理性すら墓場に置き去りか。」

「バーサーカー!」

 

振り下ろされた手をその身で受け止め、バーサーカーは地に転がった。美頼は駆け寄ろうとするが、彼女はそれを制止する。

 

「生憎だが美頼、我の能力は一つを除いて全て殺戮、強奪に特化している。彼奴を倒すことは簡単だが、貴様の友とやらもまた共に死ぬ運命にあるだろう。精神に触れただけで、いとも容易く壊れてしまいそうだ。」

「それは…それは駄目だよ。」

「だから仕方が無い。我の絶技の一つを使うぞ。良いな?」

 

頷く美頼を尻目に、バーサーカーは宝具を使用する。彼女からするとたかが弱小の悪霊程度に放つ力では無いが、美頼が救いたいと願う命であるならば、やむを得ない。彼女は右腕に付けた金の輪をちりんと鳴らすと、祈りを捧げるように、その場に蹲った。

彼女の周りが、徐々に光り輝く。それは美頼と、そして奈々良をも取り込むように伸びていく。

 

「白い…影…」

 

美頼は彼女の宝具を初めて目にする。それは黒一色のクールビューティーな姿からは想像できない程、淡く温かい光であった。

奈々良に取り憑いた怨霊は一瞬たじろぐが、改めてバーサーカーを殺そうと動き出した。

 

『我が願望は絶えず駆動する(イクイネン・ルオミネン)』

 

バーサーカーの発した光が辺り一面を包み込み、美頼は思わず目を伏せた。そして次に目を開けた瞬間、世界は生まれ変わる。

 

「え、なに、ここ」

 

美頼は目を丸くする。南高校も、それどころか、第四区すらもどこかへ消え去った。果ての無い領域で、天にまで伸びた機械の柱を中心に、世界が巨大なコンピュータに覆われている。それは超古代の遺産でありながら、近代的な装置。彼女はその景色を言葉に表すことが出来なかった。

 

「これは…バーサーカー、ここって…」

「固有結界、貴様に魅せるのは初めてだな。」

 

奈々良も、怨霊もまた、世界の変容に脳の処理が追い付いていない様子である。だが悪霊の動物的な本能が、目の前にいる黒髪の女を最大脅威に指定した。逃げなければ消される、だがこの世界に出口など用意されている筈もない。

 

「これって、バーサーカーの伝説の具現…?」

「そうだ。これこそが我のサンポ。願望器なぞ意味を為さぬ、支配者たる我の絶対的な権限である。」

 

バーサーカーはにやりと笑みを浮かべると、奈々良に向けて、光の刃を突き立てる。その剣は無限の鋳造機『サンポ』により生み出された新たな武器。バーサーカーがこの固有結界内に存在する限り、彼女の思い描くありとあらゆる願望が形となって鋳造される。いま創り上げたのは、少女と悪霊を分離し、悪霊のみを滅殺する剣。結界内に閉じ込めた相手を都合よく絶対的に滅ぼすことの出来る彼女の絶技だ。

 

「死にゆく者よ。我の名は『ロウヒ』。大魔女と謳われた、ポホヨラの皇帝である。我が手ずから殺してやる。光栄に思え。」

 

『カレワラ』で主人公たちの前に立ちふさがる、最強最悪の魔女。太陽と月すらも奪い、世界を混沌に陥れた正真正銘の悪女である。

世界が塗り替えられて僅か数十秒の内に敵は消滅した。正門の前で倒れた奈々良に、美頼は走り駆け寄る。

 

「奈々良!大丈夫?」

 

美頼に抱きかかえられた奈々良はゆっくりと目を開いた。この正門前で自らの意思が何者かに乗っ取られていたことを、彼女はハッキリと覚えている。突然のことで何が何やらといった様子だが、彼女を救ったのは他ならぬ美頼だ。彼女がサーヴァントの力で救い出してくれたのだ。

 

「弱った人間に取り憑く亡者の魂が貴様を蝕んでいた原因だ。そしてその邪魔者は我が分離し解体した。そら、肩が軽くなったろう。」

 

黒髪の美女に言われた通り奈々良は両肩を動かしてみる。すると、飛んで行ってしまいそうなほど軽く感じられた。

 

「奈々良はもう大丈夫。まだ現実の色々は解決してないけど、でも奈々良を苦しめていた物の一つはいなくなった。だから大丈夫だよ。一個一個、辛いことから解放されていこう。私も一緒だから、もう奈々良をひとりにはしないから。」

 

美頼はそっと奈々良を抱き締めた。

奈々良は苦しんでいた。美頼と疎遠になって、仕事一筋で生きて、多くを置き去りにして、そして結局何も残らない、そんな人生だと諦めていた。でも、偶然か必然か、かつての友と、電車の中で運命的な再会をした。まだ彼女には、青春を共に駆け抜けた、最高の親友が残されていたのだ。彼女は仕事のことなどどうでもよくなり、ただただ美頼の胸に顔を埋めて泣いた。この涙は悲しみから来るものでは無い。彼女が久しぶりに手に入れた、人のぬくもりである。

奈々良はひとしきり泣いた後、美頼の手を借りて立ち上がり、帰宅することにした。既に陽が落ち、近場の公園で遊んでいた子どもの声も聞こえなくなっている。二人は警備サーヴァントへ事の発端と突き飛ばしたことへの謝罪を示した。彼は学校に近付かないことを条件に、奈々良を許したのだった。

 

「奈々良」

「ありがと、美頼。頑張ってみるよ、私。凄く勇気もらえた。そして、ごめんなさい。酷いことを言ってしまって。」

「いいよ、全然大丈夫。」

「私ってばいつも美頼に助けられている気がするなぁ。また今度さ、今週の日曜日とか、もし空いていたら映画行こうよ。今日のお礼に奢るからさ。どうかな?」

「日曜日、空いている!行こ、一緒に!」

 

美頼は改めて、奈々良に向かって手を差し出した。奈々良は少し照れた後、その手をそっと握り締める。美頼は嬉しさのあまりブンブンと上下に振った。

 

「もー、痛いよ美頼。」

「日曜日、行こう!約束!」

 

そして二人は手を振り別れる。美頼から見て、奈々良の目には光が宿っているように感じた。

だから、だろうか。

翌日彼女はある知らせを聞き、凍り付いたように立ち尽くしてしまった。

 

―奈々良が、自ら命を絶ったのである。

 

                                【幻視急行編① 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幻視急行編2

誤字ございましたら連絡お願いします。
ぜひ観測者編からご一読ください。


【幻視急行編②】

 

オアシスにおいて最大規模の領域、史上最強の災害『ライダー』の管理する、かつての京都を模した古風な建造物連なる開発都市第一区。

区域の中央にはシンボルとなる天守閣、そして円形に広がった城下町と、往来を着物姿で歩く人々の姿。普段なかなか目にすることのない光景を、空飛ぶ絨毯の上からぼんやりと眺める男がいた。

青く染まったくせ毛をヘアバンドで固定し、どこかのバイト先で仕入れた作業着に袖を通している青年は、隣に座る相棒たるサーヴァントへ世間話を振った。

 

「なぁ、アーチャー。これって普通に領空侵犯的なサムシングでは?」

「貴方が街並みを見学したいと言い出したんですよ、鉄心。否、マイマスター。」

 

鶯谷 鉄心は第四区博物館で裏稼業のアルバイトをしている一般市民である。彼の同僚、巧一朗のように真なる魔術師では無い。魔術や英霊についての知識も殆ど獲得しておらず、彼の営む鶯谷本舗が若干のアンダーグラウンド業務に足を浸からせているだけである。

彼は自らの手の甲に浮かぶ三画の痣を見つめ、ぼんやりと物思いにふける。コラプスエゴとの戦いで消費した分は、マキリの令呪販売所にて補填した。以前までは髑髏マークで意気がっていたが、恥ずかしいのでシンプルなものに交換して貰った。何故髑髏と竜のマークだけ不人気だったのか、今の彼なら理解できる。

 

「マキリの調査を進めるつもりが、調べれば調べる程にアインツベルンが怪しくなるとはねぇ。」

「三大大手と言われる内のマキリとアインツベルンが密接に関係を持っている可能性が浮上しましたからね。勿論、オートマタと令呪は切っても切れない関係ですが、アインツベルンの巨大実験施設に多額の投資があったとなると、いよいよといった所ですね。」

 

鉄心は鞄から調査資料を取り出し、改めて目を通した。博物館のデータベースへのアクセスにより知り得た情報と、自らの足で入手した数々の廃棄データ、それらを合わせて彼なりに分析した。専属従者サービスは良くも悪くも、仮受肉用疑似肉体の存在が必要不可欠である。マキリの提供する令呪は、オートマタの売り上げに左右される為、業務提携をせざるを得ない。だがこれは比較的最近のことで、十数年前はアインツベルンの他にも、オートマタの製造販売を行う企業は多数存在した。倉谷美頼の家も、元は倉谷重工という地域密着型のオートマタ販売店であった。だが、ここ数年の間に、アインツベルンを除くあらゆるオートマタ系企業は悉く倒産している。マキリにとってこれは恐らく望ましくない状況である筈だ。

 

「実際、令呪の無料配布を行うぐらいに、近年は売り上げを大幅に落としている。マキリが暗躍しているとするならば、売り上げを伸ばすための何か…」

「例えば、オートマタの自社開発、ですか?」

「かもな。とにかくアインツベルンのきな臭さ、何をやっているのかを解明しないことには始まらないよな。」

 

鉄心は資料を再び鞄に仕舞い込むと、都市の中央に聳え立つ立派な城を双眼鏡で眺めた。ここには最強の災害『ライダー』がいる。鉄心は、その他の追随を許さぬ絶対的なオーラをモニター越しで見たことがあったが、その目で確認したことは今までに無かった。幼い頃から、第一区へ出向くことが無かったのも理由の一つだが、災害のライダーは基本的に人間の前に姿を現さない。だから、一区生まれ一区育ちの人間であっても、一度も会ったことのない者が多数である。

そしてその隣にアインツベルンカンパニー本社が建造されている。こちらは神宮に近い構造をしており、大規模な庭園を抱え込んでいる。これは災害の監視目的か、逆に災害がアインツベルンの動きを抑制しているのか。どちらにせよ、侵入を試みることは不可能に近い。

 

「……」

「こういう時、マスターはいつも無邪気な表情を浮かべている。だが今日は酷く緊張しているのか、顔が強張っています。これ以上近付くのは止めておきましょうか。」

「アーチャー、いや、すまない。全く別のことを考えていたんだ。」

「と言いますと?」

 

鉄心は第四区殺人事件の顛末を巧一朗から聞いた。犯人が同じ職員の吉岡であったこと、そして、巧一朗が彼を殺害したことを。

博物館がオアシスに対し、何か派手なことをやろうとしていることは知っている。過去に博物館の為に犠牲者が生まれていることもまた。だが、彼は初めて、彼の知る人物の死を目の当たりにした。それは仕方の無いことであったかもしれない。現に、吉岡は多くの人間を手にかけた。博物館が手を下さずとも、災害が彼を裁いていたことは明白だ。吉岡が死ぬという未来は変わらなかった。

―事実だけを淡々と語る巧一朗は、見るに堪えない表情を浮かべていた。

 

「アーチャー、どうして、人が人を殺しちゃいけないか、分かるか?」

 

鉄心はサーヴァントを倒すことはあれども、決して今を生きる人間の命は奪わない。それは彼自身甘い考えだと思っている。だが、たとえ博物館が命じても、そのエゴを曲げるつもりは無い。

 

「それは難しい質問ですね。人を殺すことで刑罰が与えられるから、という当たり前の回答は求められていないでしょう。」

「よく倉谷が聞いてくる質問だ。俺は敢えて答えないようにしていた。いや、アイツの求める解答を出してやることが出来なかった。何故ならアイツは、人を殺したことによって救われたのだから。」

「一家心中の原因を作った男を、自らの手で…」

「復讐に意味は無いなんてのは戯言だ。アイツは巧一朗に出会って、博物館に出会って、その手でナイフを握り締めた結果、幸せになれたんだ。これから先、その罪を背負って生きていかなくちゃならない、なんて言っても、アイツはへらへら笑っているだろうさ。だから俺はアイツを否定しない。」

 

巧一朗が、美頼が、人を殺すことを止めるつもりは無い。だからもし彼らが災害に裁かれるなら、鉄心は同罪で共に罰を受ける気概でいる。

それでも。

彼は偽善者と言われようと、決して人間に手はかけない。

 

「ボーダーラインなんだ。俺にとって。」

「マスターにとっての、人と関わる上での境界線、ですか?」

「人は一人では生きていけない。俺は俺を信頼してくれている多くの人間によって生かされている。無人島に独りぼっちだったら、ここまで能天気じゃないさ。それは巧一朗も、倉谷も、充幸さんも、吉岡さんも、極悪人も、一緒なんだ。必ず誰かが傍にいる。たとえ天涯孤独であっても、だ。俺がもしヒトを殺して、その未来を奪ってしまったら、同時に周りにいる奴らの未来まで狂わせちまう。倉谷のような被害者が生まれてしまうってことだ。俺は過去の影を殺せても、陽の差す未来にナイフを突き立てることは出来ない。…俺にはその、度胸が無いんだ。」

「マスター…」

「でも、俺はそんなエゴに塗れた自分が、意気地なしの自分が、結構好きなんだ。」

「そうですね、僕も、鉄心のそういう所が好きですよ。」

 

アーチャーの素直な告白に、鉄心は照れ笑いを浮かべ、頬を掻いた。

二人が和やかなムードで第一区の頭上を飛んでいる最中、地上では未確認の浮遊物に対する迎撃命令が発令されていた。その命令を下したのは災害では無く、都市管轄の代表を担うアインツベルン当主である。神殿の最奥から、空にポツリと浮かぶ小さな影を捉えていた。

 

「ミヤビ様…いまオートマタ部隊への通達が完了しました。」

 

カンパニーにおいて部長の役職を与えられたオートマタの一体が、凛とした佇まいの少女の前で跪く。

華やかな着物姿でありながら、西洋人の見た目をした彼女は、肉眼で侵入者である鉄心とアーチャーを把握した。彼女にとっては夜の月の表情を読み解くことすら容易い。障害物や遮蔽物が無ければ、一区の全てを見通すことも可能である。

 

「下がれ。」

「はっ、ミヤビ様。」

 

オートマタが姿を消すと、彼女は今宵の月を眺める。半分に欠けてはいるが、どこか嬉しそうな顔を浮かべていた。

 

「さぁ博物館、お主らの力をミヤビに魅せてみよ。」

 

少女の名はミヤビ・カンナギ・アインツベルン。アインツベルンカンパニー代表取締役にして、開発都市第一区の守護者である。

 

都市構造の把握に努めていた鉄心とアーチャーは、突如、地上から放たれた無数の矢に襲われる。魔術で構成された光の矢は、アーチャーのスキルにより生み出された空飛ぶ絨毯に風穴を開け、その機能を停止させる。

 

「やっぱりバレたか!」

「言わんこっちゃ無いですよ!マスター、着地はお任せください!」

 

高層ビルより遥か高い位置からの落下、だが、アーチャーが宙を泳いで鉄心を抱きかかえることによって命は保証される。

 

「まずい、アーチャー!」

「舌を噛みますよ!」

「違う、下に、俺たちの真下に、何かが大量に待ち構えている!」

 

鉄心の訴えに、アーチャーは目を凝らした。そこには剣や槍を構えたアインツベルンのオートマタが、彼らへ殺気を向けている。そのまま不時着すれば死の未来が待っていた。しかしそれを避ける為の足場が存在しない以上、彼らはそこに降り立つ他ない。

 

「(鉄心を抱えたまま、矢を番えるのは危険…か)」

 

アーチャーは脳内で様々なシュミレートを行う。結果、自らの背に刃を突き立てられながらも、マスターだけは守り通すプランで可決する。

当然死ぬつもりは毛頭ない。敵が雑兵である以上、前回のコラプスエゴとの戦闘よりは楽な修羅場である。

そしてアーチャーは敵陣の中へ突っ込むように落ちて行った。

砂埃が立ち込める中、立ち上がった鉄心とアーチャーは、自らの身に起きた違和感に首を傾げた。

彼らは落ちた先で強襲に遭うはずであった。アーチャーは致命傷にならない程度の傷を覚悟していた。

だが実際は両者無傷である。加えて、落ちた場所はずの場所とは全く異なる、古き家屋が立ち並ぶ大通りの裏側にいた。この場所にオートマタの影は存在しない。

 

「何が、起こったのでしょう?」

「分からん、何故か滅茶苦茶濡れているし。この辺に川とか海とかあったっけか。」

「強制転移、誰かが我々を助けてくれたのでしょうか。」

 

狭い通路の真ん中で息を整える鉄心と、オートマタの追跡を警戒するアーチャー、二人の前に現れたのは一人の女サーヴァントであった。

編み笠を被っているが、その顔は余りにも麗しい、長髪の美女である。特筆すべきは、第一区では珍しくない着物姿でありながら、その自己主張の激しい胸部である。鉄心の下心EYEが即時推定バストを演算するが、計測結果はアンノウン。彼が嗜む愛読書にもこれほどの逸材は存在しないだろう。巧一朗の連れ歩くキャスターや美頼もかなり大きい部類であるが、目の前の女はそれを遥かに凌駕する。現に若干着崩れしている程だ。まさに災害の双丘である。

鉄心の目が女の胸部に集中する一方、アーチャーは女サーヴァントに神経をとがらせている。所持しているのは薙刀、恐らくはランサーのクラスのサーヴァント。もし敵意を持って襲い掛かって来るならば、近接戦は圧倒的に不利。マスターを抱えて後ろへ逃げる必要があった。だが、ここは人目に付きにくい場所、もし大通りに跳ぶこととなれば、先程のオートマタに見つかってしまう恐れはある。そもそもの話、無事に逃げられるという保証はどこにもない。彼女の身に纏うオーラは、オアシスの専属従者たちと一線を画していた。

 

「貴女が、僕らを助けてくれたのですか?」

「そうよ。水も滴るイイ男になったじゃない。」

 

鉄心が女に見惚れているのと同様に、彼女もまた、二人の濡れた姿に心をときめかせていた。水を被ったことによりヘアスタイルが崩れ、更に衣服は身体にぴったりと貼りつき、細めながらも筋肉質なボディを詳らかにする。そして二人は読者モデルかと見間違えるくらいには顔立ちが良く、その鋭い眼光で睨まれるだけで女の胸の鼓動は高まってゆく。

 

「貴女は僕らの味方なのですか?」

「うーん、出会ったばかりだしね。素性も分からないから判断がつかないわ。」

「俺たちは第四区から来た。訳あって、アインツベルンの事を調査している。」

「ちょっ、マスター!」

「良いじゃねぇか。隠す必要はない。」

 

鉄心は堂々と自らの来訪意図を語った。いま彼らに必要な情報は、目の前の女サーヴァントが先程のアインツベルン製オートマタと同じ側なのかどうかということだけだ。

 

「あら、産業スパイの方だったのね。その割には、空から侵入してくるなんて度胸があるのかおバカさんなのか。ふふふ、面白いわね。」

 

どうやら鉄心の態度が気に入ったようで、女はにこやかに笑っていた。アインツベルン側であれば、このように気が抜けて笑うこともないだろう。アーチャーは彼女に助けられたこともあり、警戒を解いた。

だからこそ、彼は油断した。女サーヴァントの薙刀が頬を掠め、後ろの壁に突き刺さる。女は明確な殺意を二人に向けたのである。

 

「な…」

「取り合えず、殺すわね?」

 

目を丸くしている鉄心に対し、アーチャーは即座に襟を掴んで後方へ投げた。咄嗟にそう行動できたのは、今までの戦闘経験から。女はアーチャーを殺す前に、そのマスターである鉄心に刃を振り下ろそうとするはずである。

そして始まる、ランサーの卓越した槍さばきによる連続攻撃。狭い場所であるからこそ、アーチャーは常に彼女の射程内に留められる。彼は直感的に、跳躍しても逃げられないことを悟った。鍔迫り合いをする方が危険値もないというなんとも不可思議な状態である。

 

「やはりランサーですか。分が悪いですね。」

「そういう貴方はライダー?絨毯に乗って空を飛ぶなんて、分かりやすいオトコ。」

 

一手一手、確実に仕留めようとするランサーに対し、防戦一方のアーチャー。距離を取ることの出来ないもどかしさを抱えながら、それでも彼女の連撃を絶妙にもかわし切る。彼の戦闘のセンスは、鉄心と共に仕事をこなしていく中でより磨かれていたのだ。

 

「ふふふ、楽しいわ。貴方、素敵。」

「僕は楽しくないですけど、ね!」

 

彼はランサーの甘く入った突きを見逃さない。瞬時に掌に出現させた弓で薙刀を弾くと、隙だらけとなった彼女の身体に向けて、一筋の青い閃光を放つ。その矢が着弾することは無かったが、彼はランサーから一定の距離を取ることに成功した。

 

「(今放った矢、確実に貫いたと思っていましたが、水の泡に呑まれたような…)」

 

アーチャーの感じた通り、ランサーの胸部に放たれた閃光は、彼女の作り出した水しぶきに掻き消された。彼は、ランサーの手数の多さに身震いする。彼がかつて戦闘したサーヴァントの中でも、かのコラプスエゴを凌駕する程、圧倒的に強い。それは彼女と相まみえてからの一分にも満たない果し合いで十分理解できた。

彼の額に汗を浮かべながら、どうにかして逃亡するプランを画策する。が、何故か心の中で、この強い相手との決闘を楽しみたいと思う自分自身が存在することにも気付いていた。だからだろう、彼の口元は少しばかりにやけている。

 

「アーチャー…」

「マスター。第一区は恐ろしい場所ですね。災害の他に、こんなサーヴァントがいるとは。」

「お前、楽しんでいるか?」

「……そうかも、知れません。」

 

鉄心はアーチャーの、これ程までに鋭い眼差しと、心からの笑みを見たことが無かった。否、一度だけ、あったかもしれない。彼の友人である遠坂 龍寿の連れているセイバーと対峙した時もそうだった。

 

「アーチャー、逃げる必要は無い。全力で戦いを楽しめ。俺だって楽しいからな。」

「鉄心……」

「あのランサーが槍を振るたびに、乳がバインバインだからな!俺も楽しい!」

 

鉄心は素直な気持ちを吐露した。自らのサーヴァントの危機など顧みず、主張の激しい胸ばかりを注視している。あわよくば着物から零れ落ちないものかと鼻の下を伸ばしながら。彼はアーチャーが考えるよりずっと天然だった。

鉄心は離れた距離からランサーをまじまじと見つめる。そして彼女の身に起きたある事に気付いた。

 

「アーチャー。」

「何でしょう?」

「ランサーの胸部、緑の着物が若干透けてないか?」

「マスター、命のやり取りに対し楽観的すぎませんか?」

 

呆れかえるアーチャーに対し、鉄心は真面目な考察をしていた。彼女が水を操ることは既に分かっている。が、その水が何処から引いてきたものなのか。魔術によって編み出されたものと都合よく解釈していた。

だが先程の、咄嗟にアーチャーの攻撃を躱した時に飛んだ水しぶきは、恐らく彼女の防衛本能に依るもの。彼女は両手で槍を握っていたし、文字が刻まれた訳でも無ければ、魔法陣が描かれていた訳でもない。魔術的な挙動は一切見せなかった。

故に彼は考える。彼女の正体を突き止めることが出来るかもしれない。

 

「マスター?」

「何らかの分泌液、母乳とか、それがあのランサーにとっては水なんだ。英霊、だけど、彼女は人間じゃない。」

「人間では無い、ですか?」

「それにあの槍さばき、何処かで類似した動きを見たことがある。」

 

鉄心の疑問に対し、アーチャーもまたハッとさせられる。他ならぬ彼自身が、彼女の戦い方をその身で覚えていた。これは西洋のスタイルでは無く、この古都に似合う日ノ本の技だ。彼自身の過去の戦闘から、その正体を考察する。

一方ランサーもまた、弓を巧みに扱ってみせた目の前のサーヴァントへ懐疑的な視線を向けていた。

彼女もまた、召喚に際しあらゆるデータがインストールされている。当然それは、過去の伝説や物語なども。

故に、彼女が空で彼を目撃した時、その瞬間に、彼の真名を理解した。空飛ぶ絨毯の物語など、たとえ幼き子であっても誰もが一度は聞いたことがあるだろう。

だが、彼はライダーのクラスでは無い。たった一度放たれた矢が物語る、その類まれなる射撃センス。これは彼女が知る物語とは若干矛盾している。もし彼が空飛ぶ絨毯の持ち主であるならば、弓矢が上手なのはどちらかというと弟の方だ。彼は、一体何者なのか。

ランサーがその槍で確かめようと一歩踏み出した時、隠れ潜んでいたはずの彼女のマスターが、彼女の肩を叩いた。

 

「そこまでにしとこうか。アインツベルンの追手が迫っている。」

「れ…禮士さま!」

「悪かったね。彼女の我儘に付き合わせてしまって。命を取るつもりはなかった。ここらで休戦といこうじゃないか。」

 

突如現れた、深くキャップを被った髭面のロングコートの男、彼はランサーのマスターであり、彼女の前に立ち、鉄心らに呼び掛けた。

 

「一体何者だ、アンタ。」

「俺は衛宮 禮士(えみや れいじ)。君達と同じ、アインツベルンを追う者だ。よろしくな、鉄心。」

「衛宮…何故俺の名前を…?」

「君は龍寿の友達だろう?俺は遠坂組とちょっとした契約を結んでいてね。君のことは知っていたんだ。いつか君が、第一区に現れることもね。」

 

鉄心は衛宮という男と初めて出会った。が、衛宮はまるで知り合いであるかのようにフレンドリーだ。どうにも信用は出来ないが、休戦という判断には賛成である。

 

「鉄心、君が第一区に関わるにはまだ早い。ここは君たちの想像を遥かに超える場所だ。帰ることをお勧めするが、言って聞くようなタマじゃないだろう。」

「そりゃあ、な。保護者面される筋合いも無ければ、アンタの妄言を信じるつもりも無い。」

 

アーチャーは再び矢を番えるが、ランサーは薙刀を構えない。一切の戦闘意思は無いようだ。あくまでマスターである禮士に従っている。

 

「アインツベルンの追手が迫っている以上、君に怪我させて帰すわけにはいかないからな。ランサーの力で第四区まで強制送還だ。」

「何で、俺を庇う?」

「良いように言えば、保護者面。悪く言えば足手まといだからな。」

 

鉄心と禮士を睨みつける。だが、彼自身どこか納得している部分もあった。禮士が遠坂組と付き合いがあるというある種の裏付けが、彼の考察によって決定付けられてしまったからだ。

 

「衛宮…さん。アンタのサーヴァントの槍さばき、というか戦い方。どこかで見たことがあると思っていた。それが今、分かった。」

「ほう?」

「龍寿が従えているサムライセイバー。彼と同じだ。確か、真名は『平教経』。源義経の最強のライバル、彼と動きが全く一緒だった。」

「確かに、そうです。クラスの違いはあれども、平教経の豪胆な立ち振る舞いに酷似しています。」

「アーチャーは気付くのが遅いけど、たぶん、同じ触媒か何かで召喚したんじゃないか?そうであれば、そのランサーの正体にも合点がいく。」

 

平教経は平安時代活躍した平家側の武将。かの有名な源義経の最大の好敵手にして、源氏を圧倒的なまでに追い詰めた屈指の猛将である。

そしてそんな彼の妻は、平家滅亡の際に身投げした結果、人間から河童と呼ばれる大妖怪に転生したとされている。源氏を呪い、その血の流れる者全てを海の深淵に誘う妖の女。

 

「ランサー、その正体は『海御前』。そうだろ?」

「……ふっ」

 

禮士は流石だな、と素直な感想を述べた。この一瞬のうちの戦闘と、彼の話した内容からここまで読み解けるとは。龍寿が慕う男の存在感をまざまざと見せつけられたのだった。

 

「鉄心、俺たちはまた会うことになるだろう。その時は共に戦おう。」

 

ランサーは自らの胸を押さえつけると、水の球体を作り出し、二人を中へ閉じ込める。この球体が瞬時に第四区まで彼らを運んでくれるだろう。鉄心とアーチャーは抜け出そうと試みるが、失敗に終わる。

 

「そうそう、言われたままじゃ癪だから俺も返しておこう。君のアーチャー、千夜一夜物語のあの三兄弟の魂が混ざり合って生まれた英雄だろう?でも、主人格は恐らく『アーメッド』だ。答えは聞かないよ。」

 

次第に禮士の声が遠ざかってゆく。視界すらも水の中で、彼らは第四区へと強制送還された。

鉄心は心の中で、畜生、とだけ呟いたのだった。

 

二人が消えたのを見届けた後、二人はアインツベルンの雑兵狩りに出向いた。サーヴァントの魂が宿っていないにも関わらず、そのポテンシャルは非常に高く、恐らく鉄心らには荷が重かったことだろう。

 

「禮士さま…良かったのですか?」

「良いも何も、もっと強くなって貰わなきゃ困るんだ。でなければ、第一区の災害には及ばない。」

「それは、遠坂組の意向、ですか?」

「違う。俺の意向だよ、あまたん。」

 

禮士は羽織っていたコートを海御前に被せる。先程多く水を搾った所為で、胸の先端が透けて露わになっていた。

 

「禮士しゃま、きゅん…しゅき…」

「ええい、くっつかないでくれ。お前の旦那が見たら俺が殺されるんだ!」

 

禮士は豊満な胸を押し付けてくる海御前を抑えつつも、鋭い眼差しで災害の城を眺めていたのであった。

 

 

美頼は親友が住んでいた古き木造家屋の一軒家を尋ねた。一昨日の夜に火事があり、彼女の親友は焼死体となり見つかった。早期に消火活動が行われ、奇跡的にも、大火災とならずに済んだことは良かったのかもしれない。

親友、奈々良は自らの手で命を絶った。そのことは、彼女がSNSツールで呟いた言葉からも読み取れる。自らの身体に火を放ち、苦しみ喘ぎながら、死んでいったのだ。

美頼はそのことが、堪らなく悔しかった。

彼女は購入した花束を近くに添えると、足早にこの場所から遠のいた。報道関係者や新聞記者が現れることを考慮した上の行動である。

 

「確かに、奈々良に取り憑いた悪霊は殺したんだよね。」

「あぁ、死んださ。確実にな。」

 

美頼は後ろから付いて来ていたバーサーカー、ロウヒに声をかけた。彼女自身、自らのサーヴァントがしくじるといった可能性は考えていない。奈々良が亡くなったのは、何か別の要因であった筈だ。

 

「悪霊を斬ろうとも、奈々良の中に負の感情が渦巻いていたのは事実だ。あくまで我がしたことは、肩こりを治したような、その程度のことに過ぎん。仕方の無いことだったんじゃないか?」

 

ロウヒの言う事はもっともだ。だが美頼は奈々良のことを信じていた。

 

「日曜日に、映画へ一緒に行く約束をした。確かに、あの時に。それを裏切って自殺する子じゃない。奈々良は、奈々良は…」

 

美頼の中にある確信。それは奈々良という人間をよく知っているからこそのもの。

 

「奈々良は、殺されたんだ。」

 

「だが、状況を鑑みても、自殺したのは間違いないと言われている。」

「だからね、バーサーカー。本当は嫌だけど、あの子の力を借りようと思っているの。」

 

美頼は現場からそのまま第四区博物館へ向かい、目的の人物へ会いに行った。

彼女がスタッフルームを覗き込むと、そこに一人、優雅に紅茶を嗜む少女がいた。ロウヒは庭園の花を愛でに向かったため、正真正銘二人で対面することとなる。

 

「キャスター…」

「おや美頼。巧一朗は充幸と出掛けているぞ。」

「知ってる。位置情報出ているし。みさっちゃんはコーイチローに興味無しから安心だし。」

 

美頼が会いに来たのは、巧一朗のサーヴァント、キャスターと名乗る探偵少女である。彼女はキャスターのことを毛嫌いしているが、逆にキャスターは美頼を気に入っている。

 

「ねぇ、貴女は探偵なんでしょ。ちょっと解いて欲しい事件があるんだけど。」

「断る。」

「奈々良っていう私の親友が自殺したの。でも自殺じゃないの。犯人探してよ。」

「断る。」

「いいから調べなさいよ!」

 

美頼はソファーに座って優雅なティータイムとしゃれこんでいたキャスターに飛び掛かると、身体のあちこちをくすぐり始めた。キャスターには一切効かないが、それよりもパーソナルスペースに入り込まれたことに不快感を示す。

 

「辞めろ。興味のそそられない事件は解くに値しない。」

「いま、事件、事件って言った?やっぱ事件なんだ!奈々良は殺されたんだ。」

「離れろ単細胞。君のことは嫌いじゃないが、あくまで観測対象として、だ。仲良くじゃれ合う必要性は無い。」

「私だってアンタは嫌い。でも今アンタの力が必要なの!」

 

美頼のくすぐりはやがて胸や尻と言った場所へ伸びる。だが胸を触るうちに、何故か彼女は敗北感を感じ、中断した。この柔らかさは美頼が決して届かぬ領域である。彼女はがっくりと項垂れた。

 

「馬鹿なのかお前は。否、馬鹿だったな。」

「……約束したの、奈々良と日曜日に遊びに行こうって。約束したのに、死ぬわけない。死ぬわけが無いんだ。」

 

美頼の目から流れ落ちる涙。彼女の中で堪えていたものが一気に溢れ出した。

当然、キャスターが情に絆されることは無い。だが気まぐれにも、キャスターは美頼の意思を尊重してやることにした。一人の観測者として、美頼を探偵に仕立て上げようと。

 

「そういえば、第四区ではよく自殺した遺体が見つかることがあったな。何故か、偶々、偶然、ある共通点が浮かび上がってきたなぁ。何だったかなぁ。」

 

キャスターは紅茶を啜りながら、美頼にアーカイブを見せた。彼女は泣き腫らした目を擦って、その情報に喰らいつく。

橋爪権蔵、糸尾しず子、岩凪勇気、勝部涼、年齢も性別もバラバラな人間たちのファイルが散見される。彼女はその中で、糸尾しず子の名だけは知っていた。

 

「しず子さんって、確か、熟女えるどらどで働いていた人だ。一回、ウチの店の部屋数が足りなくなって、空いていた部屋を借りたことがあった。」

 

まさか彼女も自ら命を絶っていたとは。殆ど面識が無かった故、知り得なかった情報だ。だが顔を知っている者の死というのはどうにも心が痛んで止まない。

 

「で、でも、共通点なんてあるの?全然分からないんだけど。」

「……ちゃんと最後まで読め。」

 

美頼は全ての記事を読み通すと、キャスターの言うある共通項に気が付いた。そしてそれは、奈々良も同じである。皆、死ぬ前の行動が全く同じであったのだ。

それは十六時守山駅発の松坂行き急行列車に乗っていたという事である。

 

「電車から降りて、或いは、電車の中で亡くなった人もいる…こんなの、偶然なワケがないよ。」

 

美頼の気づきに対し、キャスターは口角を上げた。そして更なるアドバイスを加える。

 

「美頼、奈々良は、何で死んだ?」

「いや、分からないけど、ストレス?なのかな。」

「違う、どうやって死んだかを聞いている。」

「どうやってって、自分の身体に火を付けて…」

 

美頼はハッとして、記事を見返した。橋爪はカッターナイフで自らの首を切り死亡、糸尾は首吊り、岩凪は転落死、勝部は電車の中で発狂して目に何故か所持していた果物ナイフを突き刺して死亡している。

 

「いや、死因は全然繋がりないじゃん。」

 

呆れる美頼に苛立ちを覚えながらも、キャスターは言葉を続けた。

 

「美頼、もし君が自ら死ぬとして、どういう方法を選ぶ?」

「どういう方法って、苦しまない方法かな、痛いのは嫌だし。うーん、何だろう。」

「自らの身体に火を放とうとするか?」

 

美頼は目を丸くする。奈々良が数々の死に方が選べた中で、敢えてそれを選んだ理由こそ、事件を解く鍵なのかもしれない。

 

「いや、でも、奈々良は殺されたから、選べなかったんじゃない?」

「状況的にも自殺だったと言われているだろう。間違いなく君の友達は自ら死んだ。なら何故火を放つ選択をした?どうしてだ。」

「そんなこと…分かる訳…」

 

そう言いかけて、美頼は口を噤んだ。それを言ってはいけない。思考放棄してはならない。

美頼が奈々良と関わらなくなって、それで彼女は苦しんでいた。奈々良の気持ちを考えていれば起こらなかったことかもしれない。

ならば、思考放棄は殺人と同じだ。

美頼は必死に考える。彼女の為に、そして、自分の為に。

 

「自分の存在を消したかった?首吊りとかだと、残っちゃうじゃん、身体は。」

 

―でも、何故消したかったんだろう。

美頼はどれだけ考えても、結論に至ることは出来なかった。そこでキャスターはまたもやヒントを出す。

 

「ヒトは五感、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚を用いて、人や自然とかかわりを持つ。燃えて灰になった時、命も無論そうだが、これらも全て失われる。」

 

キャスターの意味深な発言に、美頼は再びアーカイブを見直した。そして勝部涼というしがないミュージシャンの記事が目に留まった。

 

「この人も、そうだ。電車の中で右目をナイフで刺して、出血多量で死亡って、そんな死に方、余程見たくない物を見たとか、そうじゃない限りやらない…よ…」

「奈々良も、勝部という男も、他の奴らも、急行列車で何かを『見た』んじゃないか?」

 

美頼の額に汗が滲んだ。彼女が普段から利用している急行列車に、何か得体の知れない悪夢が潜んでいるかもしれないということだ。

彼女が幼い頃車窓を眺め希望を見出したように、奈々良は何かを眺め絶望した。

美頼は急いで出掛ける準備をする。今からなら、守山駅に十六時前に到着することが可能だ。

庭園にいるロウヒを連れて、調査へ向かうことにした。

そしてスタッフルームから飛び出る際、キャスターに呼び留められる。

 

「美頼。」

「なに?今から電車乗りに行くんだけど。あ、一応、ありがとうは言っておく。」

「岩凪という男子学生を除き、残りの橋爪、勝部は風俗通いであったらしい。そして岩凪は高校生だったが、君が通学していた同じ小学校出身だ。このことについてどう思う?」

「なに、私が犯人だとでも言いたいの?」

「もう一つ、興味深いことを言ってやろう。君の両親は一家心中で死んだそうだな。だがその事件が起きた時、今回と似たようなことが発生していた。君がかつて手にかけた、和平松彦、彼が産業スパイで潰してまわったオートマタ系企業の社長は、悉く自殺している。偶然だと思うか?」

 

美頼は冷徹な眼差しを向ける。和平を殺した時と同じ、彼女の怒りが最頂点に達したときの表情だ。

殺したはずの和平の呪い、それがまた美頼に襲い掛かろうとしている。

 

「君にとって博物館で初めての裏稼業だったな。改めて思い出し、再び心の凶器を握り締めろ。美頼は再び、和平という男に向き合わなければいけない。」

 

キャスターはそう告げ、美頼を送り出した。

バーサーカーのいる庭園に向け歩き出した美頼は、第四区博物館のスタッフとなった時のことを思い出す。

欠けてしまう程に歯を食いしばり、血が滲むほどに握りこぶしを作った。

彼女の瞳から光が消えてゆくのを、キャスターは見届け、そして一人ほくそ笑んでいたのであった。

 

 

 

                                                  【幻視急行編② 終わり】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幻視急行編3

誤字がございましたら連絡お願いします。
ぜひ観測者編からご一読ください。


【幻視急行編③】

 

お父さんが、包丁を振り上げた。

目の前で、お母さんだったはずのモノが転がった。

飛び散る赤色は、トマトケチャップよりずっと鮮やかで

でも、いい匂いはしなかった。

 

「ごめん、ごめんな」

 

お父さんは泣いていた。

どうしてだろう。

どうしてそんなに辛そうなんだろう。

嫌なら、やらなきゃいいのに。

 

「ごめんな、美頼。全部お父さんの所為なんだ。」

 

お父さんはお母さんの胸に刺さった包丁を抜いた。

公園の噴水みたいに、綺麗な赤色が噴き出した。

私はその場から動かなかった。

次は私の番だ、と知っていたけれど

逃げ出すことはしなかった。

泣き喚くこともしなかった。

死ぬのが怖くなかったから?

いいえ、きっと違う。

この後、お父さんも死ぬだろうから

またみんなで暮らせるでしょう?

またどうせ会えるんだから。

 

 

「という訳で、倉谷美頼、今日からこの第四区博物館のスタッフとしてお世話になります!よろしく~」

 

満面の笑みを浮かべる少女の登場に困惑する巧一朗と鉄心。彼女の後ろに立つ黒髪の美女サーヴァントは終始無言を貫いていた。

 

「えっと、倉谷…サン?俺や巧一朗と顔を合わせてヨロシクってことは、表のスタッフじゃないってことかな?」

「その通りです。」

 

鉄心の問いに答えたのはスタッフルームの扉を開け入って来た充幸であった。彼女が採用したという事は、つまり美頼は正真正銘、裏稼業のチームの一員になるということである。鉄心はアーチャーと共に、女性比率の向上に万歳する。

歓迎ムードの中で眉をひそめたのは巧一朗。当然、彼は美頼の参加を良しとしてはいない。だが館長や充幸が判断したことに異を唱えることも出来ない。充幸は彼の元へ寄り耳打ちした。

 

「彼女は、大丈夫ですから。」

「博物館の意思に反しないという事ですか?多分引っ掻き回しますよ、アイツ。」

「既に貴方のキャスターが存分に暴れてくれています。一が二に増えようと変わりませんよ。」

「…プラスに働くと、そう思っているんですね、鬼頭教官は。」

 

充幸は優しく微笑んだ。巧一朗は鬼頭充幸という人間を正しく理解している訳では無いが、その慧眼には絶大な信頼を置いている。年上と言っても大差ない齢で、いくつもの修羅を乗り越えてきた風格がある。

もしかしたら、このオアシスにおいては有り得ぬことだが、彼女は過去に聖杯戦争に関わったことがあるのかもしれない。

 

「何なに?内緒話?駄目だよ、みさっちゃん。コーイチローは私のモノなんだから。」

 

急に近付いてきた美頼に抱き着かれる巧一朗。ここまで懐かれるようなことをした覚えのない彼は顔を赤くしたまま振り解こうと躍起になる。そんな様子を充幸はにやにやと楽しそうに眺めていた。

 

「で、コイツはちゃんと仕事内容を知っているんですか?教官。」

「コイツ、じゃなくて美頼だよ。コーイチローは美頼って呼んでね。もちろん知っているよ、聖遺物の奪取、そしてオアシスという国そのものへの反逆でしょう?」

「あぁ、そうだ。俺たちのやっていることは、テロ行為に他ならない。災害を敵に回すってことだ。俺はお前……美頼にその覚悟があるとは到底思えないが。」

「覚悟かー、そうだね、無いよ!」

 

美頼はそう断言する。巧一朗は頭を抱えた。

 

「私、たぶんスパイとかハニトラとか、そういう場面で凄く役に立つと思う。私のサーヴァント、バーサーカーのクラスで真名は『ロウヒ』っていうんだけど、凄く強いし、博物館にとって武器になると思うんだよね。」

「美頼が単独で博物館の裏に辿り着いたことは知っている。そのサーヴァントが余りにも強力であることも。だが、そういう事じゃないんだ。この国に住まう心優しき人たちですら、俺たちは殺さなきゃいけないかもしれない。テロリストは非情さが無ければ…」

 

巧一朗がそう言いかけて、充幸がそれを制した。

 

「鬼頭教官?」

「倉谷さん、巧一朗さん、二人に任務を与えます。倉谷さんがメインとなって動き、巧一朗さんがサポートしてください。倉谷さんにとっては初めてのミッションですが、難易度はかなり高く、それでいて失敗は許されないものです。」

 

二人はそれぞれ資料を手渡される。それは同じく第四区内にある小規模な展示施設への潜入、加えて違法触媒の強奪であった。触媒は女ものの擦り切れた下着、経年劣化によりそれは生ごみのように黒ずみ朽ちている。ページを捲ると、それが過去にドイツから日本に輸入されたものであることが判明した。

 

「それは登録されていない触媒です。ですがこちらの調べで、それが『マールト』の物であることは判明しています。」

「まーると?」

 

美頼は首を傾げた。巧一朗も名前以外の詳しいことまでは知らない為、充幸の解説を待つ。

 

「ドイツ伝承で有名な、夢魔、の名前です。夜に人間の寝室に入り込んでは、悪夢やら淫夢やらを見せて生気を奪い取るとされています。夢魔は通常人間が捉えることの出来ない怪物の類ですが、マールトの一種は人間との結婚も果たしており、このように過去の遺物が残されているのです。」

「生気を奪うってことは、えっちなことをするっていうこと?」

 

美頼の何気ない質問に、充幸は頬を赤らめた。鬼の鑑識官もこういう所はピュアである。

巧一朗はコホンと咳払いをすると、資料の詳細を読み上げた。今回潜入する展示施設は博物館とは異なり、個人が経営するギャラリーに近い。正規の触媒も展示されており、そちらは見学も可能だが、金を出せば購入することも出来る。災害のキャスターに正式に認可された店舗であって、後ろ暗さは見当たらない。だがマールトの触媒を隠し持っているならば、裏の流通ルートがあるということだ。

 

「災害のキャスターの膝元でよくも抜け抜けと…」

 

美頼は呆れたが、博物館も人の事を笑えない立場である。むしろ触媒の占有率で言えば圧倒的に第四区博物館の方が極悪人だ。

 

「博物館は違法触媒の奪取後、全ての管理を当館の館長に委ねています。あの方にかかれば災害ですら把握できない保管庫を用意することも容易いでしょう。ですが、この展示施設はどうやって管理しているのか。実態は謎ですね。」

 

巧一朗も、当然ながら美頼も、館長の正体を知らない。膨大なデータと聖遺物を保有する謎の人物であり、その意思こそが博物館の意思である。災害を殺すという目標を共有した巧一朗は、キャスターと共に博物館へ加担することに決め、今に至る。そして彼は、館長の正体について薄々気付きつつあった。

 

「ちなみにみさっちゃん、肝心のお店のことが資料に全然記載がないんだけど。」

「それは倉谷さん、巧一朗さんが調べて下さい。秘匿されたものが多すぎるのと、相手が相手ですから、お二人だけで動くのがベストかと。」

「えーっ、博物館意外と手抜き~」

 

口を尖らせる美頼に対し、巧一朗は充幸の言葉が気になっていた。任務の性質上、ことは四区内で片付く筈だが、それを難易度の高いものと位置付けた。つまりは相当高レベルのセキュリティか、または博物館が相手にしたくない者がそこにいるか、だ。

 

「鬼頭教官、この展示施設の運営元は誰ですか?」

 

察しの良い巧一朗に充幸は口角を上げた。

 

「カズヒラスタディオ。第一区のアインツベルンカンパニーと密接な関わりを持つ、卸売業者です。」

 

充幸の言葉に目を剝いたのは美頼であった。彼女の手からするりと紙が零れ落ちる。彼女の父が経営していた倉谷重工にスパイとして潜り込み、その全ての技術をアインツベルンに横流しした男、和平松彦。その後行方を晦ませていたはずの彼の名を、ここで耳にすることになろうとは。充幸が美頼を任務に当たらせた以上、スタディオが和平と何か関係があることは明白である。

 

「倉谷さんの話は、博物館の面接で聞かせて頂きました。だからこの任務は貴女が相応しい。それが館長の判断です。」

「ちょっと待ってくださいよ、鬼頭教官。いくら何でもそれは…」

 

巧一朗もまた、美頼から過去を聞かされた。目の前で両親が死ぬ様を目撃したこと、その惨劇を生み出したのが和平松彦であったこと、そして彼女が和平を殺したいと切に願っているという事。だが、和平がどんな人間であったにせよ、彼を殺すことは博物館にとって有益ではない。アインツベルンが和平と関係を持っている以上、どう足掻いても博物館の悪事は大企業に対し明るみになる。同じ四区内で、聖遺物を狙う組織が存在すると認知されるだけでも非常に危険だ。

 

「美頼、もし任務の先に和平がいたとしたら、お前は…」

「殺すよ、コーイチロー。私がこの手で殺す。絶対に。」

 

美頼の目は虚ろである。彼女の気持ちが理解できる巧一朗には、どうしようも無かった。

つまり充幸や館長が巧一朗をサポートに付けたのは、美頼のお守り以上の、言わば火消要因である。

彼女の殺しを、絶対に隠し、漏れさせない。博物館の存在を悟らせない。アインツベルンにも、そして災害にも。

 

「マジかよ。」

 

巧一朗はがっくりと項垂れた。出来るか出来ないかで問われれば、間違いなく出来るだろう。だがそれを自分で判断するのではなく、他者から期待されるのは精神衛生上良いとは言えない。だが将来的に災害を相手取ることを考えれば、いま与えられた任務を全うに熟すほか無いのだ。

 

二人は足での調査を取り行うために、電車に乗り込み、目的地へと向かった。二駅分である為、歩いて行くには時間のかかる距離である。

巧一朗は度の入っていない眼鏡とキャップを被り変装。美頼はノリノリでウィッグを被り、普段の奇抜さとは打って変わる文学少女にチェンジした。

 

「コーイチロー、眼鏡かけていてもカッコいいじゃん。」

「巧一朗の名はもう呼ぶな。さっき偽の名刺を渡しただろう?」

「あ、ごめんごめん、良助だったよね。」

 

美頼自身は偽名を考えた末、高校時代の友人から一部拝借し、ナナと名乗ることにした。美頼は復讐相手がいるかもしれない状況だが、巧一朗とのお出かけを素直に楽しんでいる。

 

「ねぇ良助。どう、今の私。」

 

美頼は黒のセーラー服に身を包む。コスプレ感覚は止めろと巧一朗に止められたにも関わらず、彼女の好む衣装に着替えた。

普段の学生服とは異なり、制服自体が地味である分、より彼女の身体のラインが際立っている。敢えてリボンを結ばずに谷間を露出させ、巧一朗に見せつけてくる。

 

「いいんじゃないか、無駄に露出しなければ。」

「ハニトラだよー、ハ、ニ、ト、ラ。」

「はぁ、ったく。」

 

二人が乗り込んだ列車は満員で、二人は窓際に押しつぶされるような状態だ。だが美頼はここぞとばかりに胸や足を巧一朗に押し付け誘惑する。彼は彼女を守るような体勢になりながら、大きく溜息をついた。

 

「お前、こういうこと色んな男にやっているのか?」

「仕事の時はね。プライベートでは初めて。お金貰わずに、自分からするのは初めてだよ。」

「…お金に困っているのか?」

「まぁね。親が死んで会社倒産しているし、遺産も一部親戚に持ってかれたりしたしね。博物館がお給料くれるだろうけど、それじゃ返し切れないくらいには借金もしているし。」

「そうか。」

「なに、良助お金援助してくれるの?そんなことしなくてもヤらせてあげるよ?」

「ヤらないし、金も渡さない。悪いが、俺はお前に全く興味がない。ただの仕事仲間だよ。」

 

二人は人波に押されながら下車すると、一度その場で大きく伸びをする。

 

「まだ仕事始まってもいないのに、仲間って言ってくれるんだ。」

 

ニンマリとした笑みを浮かべる美頼に、巧一朗は頭を掻いた。

ただの揶揄うことが好きな年下女子高生に見えるが、その実は復讐に燃える成人済みの女。確かに、彼女に騙されてしまう男は一人や二人では無いだろう。彼女を上手く動かせば、博物館にとって強力な手札となり得る。だからこそ、充幸は初めてのミッションで、美頼の望みを叶えさせようとしているのかもしれない。

 

「行くぞ、この駅の徒歩五分圏内に対象の展示施設はある。気を抜くなよ。」

 

巧一朗と美頼が訪れたのは、白を基調としたアクセサリーショップのような高級感あふれる店舗、外看板には「enrichir」と書かれており、展示されたケース内には認可を受けたであろう聖遺物が並んでいた。購入した人間はデータローディングサービスを受け、実際にその触媒を用いて英霊召喚を行える。それだけに、その価格は一般小売店の高級ブティックなどを遥かに凌駕していた。

 

「エ…エンリッチャ?」

「オリシアだな。フランス語で、豊かになるとか、裕福になるとか、そんな意味だ。」

 

巧一朗も多言語に精通している訳では無い。そもそもオアシスにおいて外の世界への扉が塞がれている以上、学ぶことに何の意味も無い。彼がその単語の意味を知っていたのは、充幸がフランスという国に精通していた所以である。

二人が店内に入ると、スーツを着こなした若い女が出迎えた。巧一朗はその女のネームプレートを目に焼き付けておく。

 

「いらっしゃいませ。」

 

他に客がいない為、店内は静寂に満ちている。元気のいい美頼も、ここでは大人しい振る舞いを心掛けていた。

巧一朗は眼鏡のレンズに仕組まれたカメラで店内の様子を収めていく。別段怪しい物は存在しない。侵入者を探知するレーダーやブザーは、ブランドショップなら完備しているものである。彼は適当な会話で客のふりを続けながら、店のバックヤードの位置を特定していた。

 

「ねぇ見て良助、この聖遺物…」

「ネクタイの切れ端、だな。盲目探偵カラドスの物と書かれている。」

 

探偵という文字を見ると、巧一朗はキャスターを名乗る白銀の少女を想起する。彼は出会ってから今までその名を知ることが出来ていない。クラスがコラプスエゴである以上、何かの混じり者であることは想像に難くないが、その特定はもはや不可能である。

圧倒的な知識欲を以て、人の破滅を願う破綻者。彼女のマスターである人物は今頃何処で何をしているのであろう。思えば、奇妙な関係である。

二人が興味深くカラドスの触媒を観察していると、店の奥から黒スーツを着こなした恰幅の良い男が歩み寄って来た。

 

「探偵の遺物、気になりますか?」

「えぇ、専属従者になったら、どう私生活が劇的になるかと想像していたのです。」

 

現れた男は店のスタッフでは無い。それはネームプレートを付けていないことからも見て取れた。そして巧一朗はその正体にいち早く気付く。男を見て固まってしまった美頼を確認すれば容易に判断できることだ。

この男こそ美頼の復讐劇のヒール、和平松彦であろう。

演技を忘れ言葉を失う美頼を守るように、和平と会話する巧一朗。二人に面識があると思われる以上、悟らせてはまずいことが明白である。

 

「ただ、英霊召喚の性質上、必ず目的のサーヴァントが呼ばれるとは限らない。例えば、このカラドスを呼ぼうとしたら、ルイスが呼ばれたなんてジョークもあり得ますよね?」

「いえいえお客様。そこはローディングで呼び出される英霊をある程度まで絞り込むことが出来ます。もしお客様がカラドスをどうしても呼べないことが発覚した場合は、クーリングオフも当然対応しておりますので。ちなみに私はルイス・カーライルもそれはそれで人生を豊かにしてくれると信じていますよ。」

 

巧一朗は和平の手の動きや瞬きの数に至るまで記録していく。対して和平もまた、巧一朗の隣にいる美頼のことが気になっていた。

 

「お客様は、誰か会いたい英霊がいらっしゃいますか?」

 

和平は変装した美頼を嘗め回すように観察した。巧一朗は敢えて助け舟を出さず、美頼を見守ることにする。ここで無理に庇えば、一層怪しまれる可能性がある。

 

「私は…」

 

美頼は恐る恐る、乾いた喉からその言葉を絞り出した。

 

「隣のドアを叩け(ヒットザドアネクストドア)」

 

その言葉自体に意味は無い。だが、これはオリシアにとって重要な意を持つパスワード。二人はそのことを充幸の用意した資料で知っていたが、巧一朗がその暗号を発する予定であった。

だが美頼は、和平を前に、勝負の姿勢を見せることにしたのだ。

 

「(ったく、台本通りにはいかないな。さて、どう出る?)」

 

巧一朗は美頼の勇気とも無謀ともいえる行動に呆れ顔を浮かべつつ、和平の反応を窺った。

和平はにんまりと気持ちの悪い笑みを浮かべると、店のバックヤードへ二人を誘う。

 

「ちょっと、オーナー!」

 

女性店員も困惑の表情を浮かべている。彼女は和平から何も知らされていないただの従業員であったのだ。

和平に誘われるままにバックヤードに入る二人。別段怪しい雰囲気も無いが、和平は徐に並んでいた段ボール箱のタワーを取り去った。そこに現れたのは地下へ繋がっている階段である。

 

「さぁ、どうぞ。」

 

巧一朗は若干男心をくすぐられソワソワしたが、任務であることを思い出し切り替える。美頼は冷静なふりをしているが、その心臓は激しく脈打っていた。

そして彼らの前に古い扉が現れた。鍵付きのドアだが、鍵がかけられている様子は無い。和平はノブを捻り、中へ二人を誘導する。

巧一朗も、美頼も、目の前に広がっていた景色に驚愕する。オリシアの店舗よりずっと広い、まるでパーティー会場のような部屋に、所狭しと聖遺物が並べられていた。それも全て、巧一朗が確認する限りにおいて違法触媒である。そして二人を何よりも驚かせたのは、そこにいた客数である。オリシアの表側は誰もいなかったはずが、この裏側には十数の客が入り浸っていた。

巧一朗は先程の女性店員の反応を思い出した。彼女の困惑は、裏に客を通した事によるものでは無く、恐らく、初めて来訪した客を招き入れたことだ。ならば、この場所にいる者は恐らく常連客。白昼堂々、こんな場所で闇取引が行われていることとなる。

 

「なぁ、俺が聞くのもなんだが、災害への対策はどうしているんだ?移動屋台でもあるまいし、いつか足が付くだろう?」

 

丁寧語を取り去った巧一朗は、和平に一歩踏み入った話を吹っ掛ける。

 

「オリシアはかの大企業アインツベルンカンパニーに支えられ存在しています。ここは第四区に存在しながら、その権利は第一区のものなのです。」

「…アインツベルンに災害を従わせる力は無い。つまりは、災害のライダーか?」

「えぇその通り。災害のキャスター様が口を出せない理由、お分かりになられましたかな?」

 

この店舗が災害のライダーに認可を受けているならば、事態はより複雑となる。成程、充幸が難易度の高い任務と伝えた意味が理解できた。

美頼は一足先に中へ入り、数々の聖遺物を見学しながら、目的の物を探す。マールトの下着は部屋の最奥に展示されていた。

巧一朗もまた、彼女を追うように展示物を閲覧する。そして、それらの違法触媒の共通点を即座に解明した。これらは全て女の英霊を召喚する為の物。それも騎士の類では無く、もっとランクの低い者たちだ。マールトの件も含め鑑みると、何故ここがアングラでありつつも栄えているのか容易に判断出来た。

 

「(つまり、専属従者ならぬ、専属娼婦ということか)」

 

見回すと客の多くは四区内でもそれなりに名を馳せた企業の社長陣である。その手の甲にはマキリ製の令呪、それも三画以上彫り込まれているようだ。

 

「お客様は初めてですよねぇ。企業のトップともなれば、抱いた女の数は常人とは比べ物にならないでしょう。だからこそ、こういった趣味嗜好に至るのも無理はない、それが摂理です。」

「呼び出した英霊を令呪で屈服させ、性奴隷にする。英霊は妊娠もしないから楽だろうな。」

「ふふ、お客様はどのような娘がタイプですか?女スパイも、文豪も、あぁ、サキュバスなんてものもありますよ?一緒にいらっしゃった彼女さんも中々に発育がよろしいですが、人間では決して味わえない快楽がそこに存在しています。」

「あぁ。ここは良い店だ。今日は彼女とスリリングなプレイに興じているだけだから、次は一人で来るよ。」

 

巧一朗は美頼の手を引き、店を後にした。マールトの聖遺物の場所や、防犯装置の場所は全て特定済み。図面に起こして侵入経路を確保すれば、今日の夜にでも決行できる。

彼らが博物館へ帰る道のり、美頼は一言も言葉を発しなかった。

巧一朗にとって今回のミッションは簡単だ。マールトの聖遺物が目的であれば、すり替えを行えばいいだけの事。それが博物館の存在を悟らせずに済む方法である。幸い、マールトの触媒は展示物でも最高額であった。そう簡単に購入されることも無いだろう。勿論アインツベルンのチェックが入らなければ、の話ではある。

だが、美頼はオーナーである和平への殺意が増している。彼女は既に、ナイフを握る覚悟で任務に就いていた。和平を殺してしまえば、第一区にそのことが伝わり、必ず調べが入る。そうなるとリスクは二倍、三倍どころの話では無い。

博物館へ到着した後、巧一朗は美頼を庭園に呼び出した。心なしか、彼女は元気の無いように見える。店に着くまでは殺気立っていた筈だ。

 

「コーイチロー…私…」

「奴を殺すのは、辞めておくか?」

「……っ」

 

手入れされた美しき花々が嫌という程に鮮やかで、美頼は何度も目を擦った。

そして視界はぼやけていき、花の原型の無いままに、鮮やかさだけが焼き付いた。瞬きすると、視界を奪ったのは涙の雫であることを彼女自身理解したのだ。

 

「なんで、あんなやつが、生きているの?」

「なんで、あんな最悪な連中が幸せそうに笑っているの?」

「なんでお母さんとお父さんが死ななきゃいけなかったの?」

「なんで私だけこんな思いをしなきゃいけないの?」

「なんで、なんで、なんで、なんで、」

 

「なんで、人を殺しちゃいけないのよ」

 

美頼は天に叫んだ。

その問いに答える者はきっといない。

だから空へ吐き捨てる。

彼女の声は宙に消え、彼女の想いは頬を伝った。

 

「分かっているつもり、コーイチロー、もし私がアイツを殺したら、貴方は、博物館は大変な目に遭うかもしれない。だから殺すのは得策じゃない。だから、大丈夫。もう大丈夫。私は和平を殺さない。皆の為に、殺さない。」

 

それが美頼の結論だ。巧一朗のことを好きになったからこそ、彼に嫌われることはしたくなかった。

巧一朗は指で彼女の目元を拭う。そして彼は反省した。彼は倉谷美頼という人間を正しく理解できていなかった。

きっと美頼は、巧一朗よりずっと強い。彼が選べなかった選択肢を、彼女は選ぶことが出来たのだから。

 

「そうか、なら…………俺が和平を殺すわ。」

「は?」

「だってアイツむかつくし。」

「そんな理由で!?」

 

美頼は素っ頓狂な声を上げた。

 

「コーイチローの優しさだって分かる、けど、博物館の立場とか、色々まずいんじゃないの?だから私は…」

「どうでもいいだろ、そんな事は。新入りの癖に一丁前に気遣いやがって。俺たちはテロリストだ、最初に言っただろう。」

「…っ」

「それとも怖気づいたか?お前にはナイフは重かったか?」

「違う、殺せる。私は和平を殺すことが出来る。」

「ったく、ちゃんと覚悟は出来ているじゃねぇか。なら明日に決行だ。和平松彦を暗殺する。」

 

巧一朗は酷く冷たい目をしている。だが今の美頼にとって、その目が何よりも頼もしかったのだ。

 

「これは倉谷美頼の復讐劇だ。当然、バーサーカーにも協力してもらうぞ。」

 

巧一朗が美頼の影に向かって呼びかけると、黒髪の美女が現れ出た。突如呼ばれたことに不機嫌そうな顔を浮かべている。

 

「我に何をさせるつもりだ?弁えよ。」

「え、ちょっと待って、何でそんなに怒っているんだ?心当たりが無いんだけど。」

 

巧一朗はロウヒの態度に内心怯えつつも、和平殺害の計画を二人に向けて話した。美頼の顔は血の気が引き、ロウヒは逆に笑みが零れている。

 

「コーイチロー、本気?」

「いやだって、これしか無いだろう。」

「ハハハ、貴様中々に狂っているな!清廉潔白そうな顔をして、外道であったか!面白い。」

 

ロウヒにウケたことにより、作戦の決行が確定した。早速巧一朗は準備に入る為、博物館のデータベースへ向け歩き出した。

 

「ねぇ、コーイチロー、どうして私を助けてくれるの?」

 

美頼の心の底からの問いに、彼は当たり前であるかのように返答する。

 

「だって、アイツを殺してから、お前の人生が始まるんだろう?」

 

美頼はその時の巧一朗の笑みが、誰よりも温かったことを、この先も忘れることは無いだろう。

 

 

翌日の深夜、皆が寝静まった頃に、巧一朗たちは動き出した。和平の居場所の特定はロウヒが行い、現在オリシア店舗内にいることは確認済みである。巧一朗が直接地下へ潜入し、聖遺物を確保する。美頼は和平を捉え、速やかに殺害、その後遺体の処理を行う。ロウヒは和平に奥の手が用意されていた場合の切り札として投入予定だ。

派手に動けば、アインツベルンへ連絡する隙を与えてしまう。なるべく迅速に事を済ませねばならない。

オリシアの外側に回り込んだ巧一朗と美頼は、二手に分かれる。先ずはバックヤードで発注処理を行っている和平を、店舗内へ誘き出す。

美頼は巧一朗からその段取りを全て聞かされ、頭に叩き込むよう指導されていた。だが昨日偵察に来た時点で、巧一朗はオリシア内に数々のトラップを仕掛けていたようで、美頼は手順通り、比較的簡単に和平をあぶり出す。当然、店舗に和平しかいないのは確認済だ。

美頼が最初に入れたスイッチは、物が落ちてくる音である。静かな空間に突如鳴り響く異音は、和平をまんまとケース近くまで誘き寄せた。

 

「(今だ)」

 

彼女が次なるスイッチを作動させると、彼の目の前にあったケースが勢いよく割れた。飛び散る硝子が当たらないように腕で庇いながら、彼は後方へ勢い余って倒れ込む。そしてそのスイッチの発動に合わせて、入り口のガラスを叩き割り、中へ侵入した。通行人に気付かれる可能性もあるが、彼らはオリシア内に立ち入ることは出来ないだろう。何故ならば、入り口が破壊されて一秒も経たぬうちに、それは元通りとなった為である。新たに入り口のドアを創造したのはロウヒの技術、彼女のサンポは、宝具を用いずとも、現実に存在している者であれば即座に生み出すことが可能であるのだ。

そして尻餅をついた和平に馬乗りになった美頼は、彼が動けないように拘束し、ナイフを目前に突き立てた。

 

「な…あ…」

 

恐怖か、状況が飲み込めていないのか、彼は言葉を発することが出来なくなっていた。

 

「和平松彦。私の顔を覚えている?工場内でお父さんと話していた時に、貴方にお茶を出した娘がいたわよね。」

「な…なんだ、なんだ、誰だ?何をしている?」

 

和平は動転して、上手く呼吸が整わない。殺されるかもしれない恐怖が彼の脳を埋め尽くしている。

 

「お父さんの顔は覚えている?お母さんの顔は?お前が奪った命よ。」

 

和平は美頼の顔を見つめた。だが、彼は人を殺したことなど一度も無かったが故、その正体に気付くことは出来なかった。

 

「答えろ、和平!」

「わからない…工場?オートマタか?」

「そうよ、貴方がアインツベルンに横流しにした、倉谷重工の技術をね。だから経営難になって両親は命を絶ったの!私はその娘よ!」

「むす…め?え、何で?」

 

和平の思考は混濁する。恐怖が渦巻き、正常な思考が取り戻せない。彼は兎に角、生きる為にどうすべきか考えた。そして彼は自らが召喚したアサシンのサーヴァントに助けを請うことに決める。彼の腕の令呪が淡く光輝いた。

 

「アサ…アサシン、助けて、助けてくれ、殺されるんだ私は、何とかしてくれ!」

 

和平の上に乗るのは所詮、人間の小娘である。彼のサーヴァントは戦闘面において協力とは言い難いが、それでも人を一人殺すのは容易い。和平はアサシンが助けてくれることを確信し、落ち着きを取り戻した。

が、しかし、彼のサーヴァントが現れることは無かった。

 

「え?何で?」

「和平、あんたが召喚した『マールト』は現れないわ。それが隠し札だってことも、良助は、コーイチローは気付いていた。」

 

昨日の偵察時、階段を塞ぐ段ボールと、鍵のかかっていない扉に、巧一朗は疑問を持っていた。だからこそ、去り際に扉の鍵穴を目視で確認し、それがセメントのようなもので固められていることに気付いた。段ボールは地下通路を隠すためのものでは無く、中にいる誰かを出さない為のもの。そして『マールト』は鍵穴からすり抜けて侵入するというのもドイツ伝承通りで、和平は地下の部屋にてマールトの封じ込めを行っていたのだ。和平にとっての最後のセキュリティたるアサシンのサーヴァントは、今、巧一朗と対峙している。

美頼のお陰で難なく侵入に成功した彼は、部屋に入ると、異様なほどの甘い匂いに不快感を露わにした。これは昨日の偵察時には感じなかった、独特な香り。彼は強制的に、夢の世界に誘われる。

巧一朗が部屋の中央で倒れ込むと、部屋の隅にいた赤いロング髪の少女が、彼の上に乗った。

薄れゆく意識の中で、それがマールトであると判断する。幼い顔つきでありながら、セクシーランジェリーを身に纏い、扇情的に、蠱惑的に、巧一朗を魅了する。巧一朗は何とか意識を保ちながらも、金縛りに遭ったように動かなくなった身体を必死に動かそうとしていた。

マールトは巧一朗が夢に堕ちないことを悟り、次なる手に出る。それは彼女自身の魅惑で、無理矢理に生気を奪おうというものだ。

美頼やキャスターに比べ、身体つきは幼いながらも、そのテクニシャンぶりは彼の心臓を内側から掴んでくる。耳を舐め回し、服を破いた暁に、腹筋や胸板に舌を這わせる。夢魔の唾液には人間が持つものより何十倍ものフェロモンが含まれており、その快楽は並のものでは無い。

そしてマールトの意識が、巧一朗の下腹部に向いたところで、彼は何とか言の葉を絞り出した。

 

「マールト、貴方はあの太っちょの奴隷なのか。」

 

マールトは舌を使用した攻撃を止め、巧一朗を見つめた。

 

「私はアサシン、彼のアサシンです。」

「良いように玩具にされているんじゃないのか。」

「…彼の幸せは私の幸せです。彼の快楽は私の快楽です。」

「そうか、哀しい奴だな。」

 

巧一朗の言葉に怒りを覚えたのか、彼女は彼の唇を強引に奪い、彼女の唾液を流し込んだ。成すすべなく飲み込んだ巧一朗は、急激な肉体の火照りと血液の活性化に、息を荒くする。何度も行われれば、血液は沸騰する程に熱くなり、心筋梗塞などで命を落としかねない。

 

「私を語らないでください。」

「いいや、語るさ。貴方は可哀想だ。夢魔であっても、真っ当なマスターの元に召喚されていれば、こんな空気の悪い場所に閉じ込められずに済んでいたかもしれない。」

「黙れ」

 

マールトはそのか細い腕を伸ばして、巧一朗の首を掴みかかった。所詮は人間の一つしかない命だ。簡単に奪うことが出来る。

 

「黙れ、黙れ、黙れ、黙れ」

 

マールトは力を強めていく。

巧一朗は苦しみながらも、口角を吊り上げた。

 

「やっと幻惑の香りが消えたな。余裕を無くすからこういうことになる。」

 

部屋からは、彼女が夢に強制的に誘う甘い香りが消失し、これで彼女の幻惑にかかる者はなくなった。

地下室の扉の前で控えていたサーヴァントが、突入したと同時に、マールトの首を切り落す。

それは巧一朗が招霊転化で事前に呼び出していたサーヴァント『渡辺綱』。鬼に近い性質を持つマールトには最悪の相手であった。

そして和平のアサシンは消滅し、アインツベルンのオートマタだけががらんと崩れ落ちた。

 

「主、俺の役目は終わったようだな。」

「……」

「泣きそうな顔をするな。鬼を斬りたいときは、そうだな、俺以外の四天王を呼んでみるといいだろう。彼らはきっと、協力してくれる。」

 

そしてセイバー、渡辺綱は消滅し、毎度のように白銀の美少女キャスターが姿を現すのだった。

一方で、アサシン『マールト』が現れないことを悟った和平は、絶望の表情を浮かべた。

美頼は巧一朗の勝利を確信し、ナイフを握り締める力を強くする。

彼女の母親は父の振り被った一撃で絶命した。

だから、彼女もまた同じ動きで和平の胸を貫く。

 

「がはっ…っ」

 

その赤黒い血を大量に浴びながら、美頼は嗤った。

彼女の父親は自ら首を切り裂き絶命した。

だから、同じように和平の首元をナイフで掻き切る。

暗闇の中で、少女の復讐は終わりを告げた。

酷く呆気ないほどに、容易く、一つの命が終わりを告げたのである。

 

「美頼」

 

巧一朗は血塗られた美頼の元へ駆け寄った。

 

「大丈夫か、美頼。」

 

彼女が怪我をした様子は無い。だが彼は心配になって、美頼の血まみれの手を取る。

 

「コーイチロー…」

「大丈夫だ。明日には全てが元通りになる。後はバーサーカーに任せて、帰ろう。」

 

放心状態の美頼に対し、巧一朗はタオルでべったりした顔を拭ってやった。美頼は目の焦点が定まらぬまま、巧一朗の手をぎゅっと握り締めた。

 

「コーイチロー、服破かれて、なんかエロいね。」

「うるせぇ。」

 

 

翌日、博物館のラウンジコーナーで疲れた表情を浮かべる巧一朗の姿があった。無事、マールトの聖遺物は回収し任務は完了。侵入した痕跡は全て消し去った。博物館の存在を悟られることも恐らくは無いだろう。

彼は机に突っ伏したまま動かなくなる。疲労が蓄積し、眠気が止まらない。もしかすると、マールトの唾液が原因かもしれない。

そんな巧一朗の隣に、黒髪の美女が腰かける。彼女は注いでもらったホットコーヒーの香りを楽しみながら、情けない巧一朗の背を見て愉悦の表情を浮かべていた。

 

「バーサーカー、楽しそうだな…」

「何を言う、貴様に無理矢理働かされて、楽しい筈もあるまいさ。」

「で、和平松彦は、どうだ?」

「あぁ、いつも通り、オリシアのオーナーとして精を出しているよ。」

 

オリシアの店舗は何事もなかったかのように元通りであり、和平もまた、笑顔で裏稼業に営んでいる。昨夜の事がまるで無かったかのように、オリシアは今日も順調だ。

 

「しかし、マールトの聖遺物を入れ替えるだけで無く、和平松彦をも入れ替えるとはな。」

「……」

 

巧一朗の計画は、和平を殺害し、それをロウヒの宝具で処理させ、更に、和平の姿をしたオートマタを生み出すというものである。幾ら無限鋳造機サンポと言えど、ヒトを生み出すことは出来ない。どれだけ似た形のものを作り出しても、そこに魂は決して宿らない。

だから巧一朗は、和平の行動を完全に模倣したオートマタを編み出すことにした。

当然、アインツベルンのオートマタでは発覚してしまうが、倉谷重工の物であれば、既に廃業している為、足が付きにくい。和平オートマタは、偵察の際の細かい記録と、博物館のデータベースで肉付けし、和平が行う挙動をマスターさせた。ロウヒの力で精巧な和平松彦のボディを生み出し、それをオリシアに配置する。このオートマタには自動で博物館に情報を送信する機能を与えた為、アインツベルンや災害のライダーについても詳しく知ることが出来るかもしれない。

 

「倉谷重工を壊した男が、倉谷重工の技術によって死してなお存在を凌辱され続ける。愉快だな、全く。」

「バーサーカーはだから楽しそうなのか。」

「巧一朗、貴様が中々に外道だと知れて良かったぞ。これから楽しくなりそうだ。」

 

バーサーカーはコーヒーを飲み干すと、庭園の方へ向かった。その後ろ姿を、巧一朗は茫然と見つめていた。

そして入れ替わるように、手を振りながら走って来たのは美頼だった。一日も経っていないというのに、やけに元気がいい。

彼女は巧一朗の背に抱き着くと、頬を擦り付けながら、彼の匂いを堪能する。巧一朗は鬱陶しく、彼女を引き剥がした。

 

「お前、やけに元気だな。」

 

「だって、これから私の人生が始まるんだもん、ね!」

 

美頼は浮かべた笑顔は、今までで一番清々しく、やっと彼女を蝕んでいたものが消えたのだと、巧一朗は理解した。

 

「とりあえず、やりたいことリスト作って来たから!」

「うん?なになに。『コーイチローと付き合う!』か。残念、最初から夢叶わずだ。」

「何でよー!」

 

走って逃げる巧一朗と、それを追いかける美頼。

彼女の博物館での日々は、こうして始まったのであった。

 

 

【幻視急行編③ 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幻視急行編4

誤字がございましたら連絡お願いします。
ぜひ観測者編からご一読ください。


【幻視急行編④】

 

第二区某所にて、路上に駐車されたオープンカーから女の癇声が周囲に響き渡る。

クレープ片手にゆったり歩行していた若者も、仕事に疲れアスファルトを見つめるサラリーマンも、皆がその高級車に視線を集めた。

女はその地区では余りにも有名人である。だが、野次馬がカメラを向けることは無い。それは触れてはいけない類であるからだ。腫れ物に触れる対応こそが、この場では望まれていた。

女の従者たるサーヴァントは、居心地の悪さを覚えつつも、女を必死に宥めている。彼女が怒りに震えているのは、目の前に立つ警察官の対応が融通の効かないものであったからだ。

 

「だから、この場所は駐車禁止なんだよ…免許証を確認したいんだけど…」

「切符切るつもりでしょう、嫌よ。さっさと消えればいいんでしょう?」

 

警官もまた、女の顔には見覚えがあった。彼女は第二区でも有数の巨大企業「マキリコーポレーション」CEO、マキリ・エラルドヴォールである。その淡い緑髪や美貌、誰もが羨むモデル体型は、見間違いようもない。だが、テレビで見るクールビューティーさとは異なり、気性が激しく、偉ぶっている。彼女は自分の経歴に少しでも傷がつくことを認めない。正義感の人一倍強い彼は、たとえ大企業のトップと言えど、見逃すつもりは無かった。

彼は激情的なエラルを横目に、彼女のサーヴァントである青年に話を振る。白髪の幸薄そうな青年はエラルとは対照的に、穏やかな性格をしている。気苦労が絶えなさそうな様子だが、専属従者ならばそれも致し方無し。だが警官は何故か、自らの家庭のおける空気のような扱いを思い出し、不思議と同情心が芽生えていた。

 

「申し訳ございません。運転手は僕です。エラル様は同乗者でして、僕の全面的な過失です。」

「専属従者が何らかの罰則を受ける場合、そのマスターたる人物にも過失が認められるというのは無論、知っているだろう?」

「はい、そうですね。」

「バーサーカー、貴方は悪くない。ねぇ、一時間かそこらしか停めてなかったんだから、ちょっとぐらい見逃しなさいよ。」

 

エラルは全く悪びれるつもりもない。車から降りてきて、謝罪を続ける自らの従者「ロイプケ」を後ろから抱きしめ、膨れ顔を浮かべている。ロイプケは白昼堂々と胸を押し付けるエラルに戸惑いを覚えつつも、まるで恋人であるかのような多幸感に包まれていた。今、彼の顔は緩みきっている。バカップルのそれを見せつけられ、警官の額に怒りのマークが付いた。

 

「とにかく、特例は認められない。これは俺の感情どうこうの話では無いのだ。第二区のルール、法律、アンダスタン?」

「ノットアンダスタン。行くわよ、バーサーカー。」

 

エラルが警官を無視しようと決めた時、彼女は車道に隣接した高架鉄道を見つめた。特に観察する理由があった訳では無い。ただ、何となく、走り去る列車を目で追っていた。

彼女は普段鉄道というものを一切利用しない。だからこそ、そこに特段の興味が生まれる訳もない、筈であった。

四時二十分。彼女の前を走り抜けた何の変哲もない列車。だが彼女の目はその一瞬をコマ撮りで捉える。彼女だけが持つ魔眼が、これから起こる大きな「波」を詳らかにした。

一般人も、この警官も、ロイプケであろうと気付くことは無い。今、目の前を走り抜けた鉄の塊に、覆い被さるように取り憑いた悪意は、彼女の好奇心を刺激する。

 

「ちょっと君、いいから免許証を…」

 

警官がエラルの顔を改めて確認したとき、そこにはそれまでの彼女は存在しなかった。

どこか高慢的な人間味溢れるエラルはそこにはいない。彼女の光り輝く片目と、微笑する口元は、同じ人間とは思いたくないものであった。警官がかつて事件の捜査で出会った殺人狂の笑顔に酷似している。彼は二度とエラルと関わりたくないと本能的に感じてしまった。

 

「エラル様?」

「バーサーカー、この後の予定はキャンセル。あの列車を今から追いかける。」

「え、今から、ですか?これから会社に戻っての仕事が山ほど…」

 

言い掛けて、ロイプケは押し黙る。エラルの顔は、以前コラプスエゴを発見した際に浮かべていたものだ。彼女の持つ「波蝕の魔眼」は、事の起こりを見極める力を持つ。彼女の高揚した心は、間違いなく、通り過ぎ去った列車に向けられていた。ロイプケはデバイスからスケジュール変更の通達を本社勤めの幹部たちへ一斉送信した。幸い、エラルに残された仕事は、ロイプケが努力すれば一晩で担えるようなものばかりだ。

「エラル様、では助手席にお戻りください。追い付くために、飛ばしますから。警察のお兄さんも、次は気を付けますので。それでは。」

唖然とする警官を尻目に、ロイプケはハンドルを握った。列車は急行と言えど、この辺りは各駅に停車する。今から飛ばせば、十分にその影を捉えることが可能だ。ロイプケに騎乗スキルは無いが、オアシスで培われた抜群の運転技術がある。今度ばかりはルールに抵触しないよう、法定速度ギリギリで、松坂行急行列車を追いかけたのだった。

 

 

「松坂行急行列車が到着します。黄色点字ブロックの内側まで下がってお持ちください」

 

時計の針は丁度、四の数字を刻む。仕事終わりの大人や、学校帰りの学生に囲まれた駅構内で、派手なファッションの少女は人知れず目を尖らせていた。

 

「美頼。来るぞ。」

「うん、突き止めよう、私達で。」

 

美頼が仕事終わりに必ず乗車するこの列車は、多くのオアシス市民を乗せて今日も出向する。

だがここにいる人間たちは誰も気づかない。奇々怪々な事象が、この狭い世界で発現していようとは。

美頼は戦いの予見と共に、呪われた列車に乗り込んだ。

彼女達はいま六両編成の列車における、一番端の一両目にいる。普段とは異なり、客数も疎らである為、車両間の移動に困らない。人々が座席に腰かけたり、ドア近くで佇んだり、各々のポジションで落ち着く中、美頼は行動を開始する。

まず、携帯に送信したデータを改めて確認。年間通して第四区内で自殺した人間は十数人、そしてこの十六時発松坂行急行を利用後、または乗車中に死亡した数が五人。明らかに何かあるとしか思えない比率である。加えて、その内の三人が第二区歓楽街の関係者(風俗客を含める)で、一人は美頼が通った小学校の後輩にあたる人物で、最後の一人は美頼の高校時代の親友であった。

彼女はソープランドで働いているが、常連客を除き、接客した相手のことを毎度覚えている訳では無い。もしかするとこの事件の被害者と面識があった可能性はある。そして、彼女が博物館を出る前に、探偵を名乗るキャスターから聞かされた言葉を思い出す。

 

「君がかつて手にかけた、和平松彦、彼が産業スパイで潰してまわったオートマタ系企業の社長は、悉く自殺している。偶然だと思うか?」

 

和平の件は全く別物だと彼女は考えたが、美頼の周りの人間に危害が及んでいると仮定できる以上、無視しては通れない話である。

列車で何かを視た、乗客。

 

「和平の召喚したアサシンのサーヴァント、真名は『マールト』。」

 

自殺した乗客が見たものが、悪夢であったとしたら、マールトにより生気を奪われて、そのまま…。

 

「でも、マールトはコーイチローが首を落として倒したはず。」

 

美頼が和平に手をかけたその時、聖遺物奪取に努めていた巧一朗の話は、後に彼の口から聞かされた。そしてあの始まりの任務以来、マールトの触媒は博物館によって厳重に保管されている。オリシアのすり替えられた偽物は、未だに売れ残り続けているようで、今なお一度もオリシアから、アインツベルンから怪しまれた様子は無い。それは和平オートマタから手にした情報である。

 

「ねぇ、バーサーカー。あのマールトが今なお生きているなんてことはあるのかな?」

「奈々良に取り憑いていた幻霊のようなものであれば、有り得ぬという事は無い。」

「幻霊って、何なの?」

 

ロウヒは美頼の質問に淡々と答えた。幻霊とは英霊の器にすら至れなかった下層存在であり、オートマタにすらその魂を宿すことの出来ない、文字通り人間が見る幻のようなものである、と。当然、通常の英霊に比べ能力値は最低レベルまでランクダウンしており、巧一朗の従えているキャスターですら容易に仕留めることが可能であるようだ。

 

「だが、それだけに厄介な存在でもある。」

「奈々良のときみたいに、弱った人間に取り憑くかもしれないから?」

「そうだ。さながら生き血を啜る吸血鬼のように、ヒトの魂を啜り、生き永らえようとする。オアシス式召喚の利点は、英霊であっても、オートマタという肉体に縛られることだ。捕縛された精神に対し、アインツベルンなどの企業は絶対管理権を有する。だが幻霊はそうはいかない。命令すれば、スイッチを落とせば、殺すことが出来る訳ではないからな。弱小存在とはいえ、質の悪さは一級だ。」

「奈々良の時も、バーサーカーの宝具が無ければ…」

 

彼女は幻霊に取り憑かれたまま、命を落としていた。

 

「じゃあ、奈々良は怨霊に取り憑かれて、更にこの列車で何かを視たって言うの?」

「かもな。踏んだり蹴ったりとはこのことか。」

 

美頼とロウヒは、列車間の移動を開始する。

客席の市民たちを注意深く観察しながら、怪しい影がいないか見て回る。だが自らが不審人物と捉えかねられないので、あくまで素早く、目視でのチェックだ。

 

「でも、マールトに何となく結び付けたけど、恨みを買うことは沢山してきたし、誰が怨霊になっていても不思議ではない気がする。」

 

美頼は和平をその手で殺めた、それは確かな事実である。だが、そのサーヴァントであるマールトに復讐される謂れはない、筈だ。実際にマールトを殺害したのは巧一朗で、加えて彼女は和平に性奴隷として買われていたとさえ報告を受けている。美頼は確かに始まりの任務で関わったものの、直接的な関連性は皆無だった。

父が無理心中を図ったこと、同じくオートマタ系企業の経営者たちが自殺に追い込まれたこと、只の偶然では無いにせよ、それを奈々良が亡くなった件に被せるのは、どこか引っ掛かりを覚える。同じ自殺という手口でも、彼女の両親の死から既に何年も経過している為、同一犯であるかも怪しい。美頼は足を止め、一度ドア付近にもたれかかり、脳内を整理した。

何故、美頼の関係者が次々と命を落としているのか。

何故、松坂行急行列車なのか。

何故、手口が自ら死を選ばせることにあるのか。

 

「この列車は、私がコーイチローに出会った場所…」

 

そのことに別段意味など存在しないはずなのに。

彼女の脳内に、その事実がひたすらに渦巻いていた。

そして列車は、次なる駅に停車する。

美頼はドア付近にいると邪魔になると思い、座席の方へ移動した。

彼女は俯き、ただ何度も繰り返し思考していた。自らの内に孕んだ違和感が拭い去れぬままに、答えの無い問いを与えられ続けているように。

それはまるで、彼女が好むあの質問、何故人を殺してはいけないか、に直結するように。

 

「美頼。」

 

列車はまた動き出した。ロウヒに呼ばれ、美頼は顔を上げる。

そして、信じがたい現象を目の当たりにした。

先程までいた筈の乗客、その全てが消えていなくなっていた。

 

「え…っ」

「降りたぞ、客が全員。」

「降りた…って、さっきの停車駅で?そんな馬鹿な…」

「今この列車にいるのは、運転手と我らのみだ。」

 

美頼はガランとした列車内を茫然と眺めていた。連結通路より先の先まで、誰もここにはいない。吊革がぶらりと右へ左へ揺れるのみである。

本当に、全ての客が下車してしまった。彼女は思考するのを一度止め、目の前に差し迫る得体の知れない何かへ臨戦態勢で挑む。

茜色の空から、赤い光が差し込んだ。それは鮮やかな血の色に似ていて、美頼の身体に悪寒が走った。万華鏡のようにくるくると移り変わる景色が、全てオレンジと赤で塗り潰されていく。

 

「これは、幻覚、なの?」

「さてな。我もまた同じものを共有している以上、判断に乏しい。現実か、それとも幻なるか。」

 

走行音だけが響き渡る車内で、彼女らは取り残される。否、誘い込まれた、と表現するべきか。夢と現、その境界線があやふやになり、自己の存在の確立にすら、認知の時間を要する。激しく指を食い込ませて握りこぶしを作ったり、顔を引っぱたいたり、そうでもしなければ、自らが霊のようにフワフワと空へ消えて行ってしまう、そのような感覚。ロウヒは至って冷静であるが、美頼の方は次第に呼吸が荒くなっていく。全てが二色で塗られていく。白も黒も無い世界へ溶け始めるように。

 

「美頼。」

 

ロウヒは彼女の名を呼ぶ。が、彼女にはその声が届かない。

蹲り、苦しみ喘ぐ。何かがごっそりと抜け落ちるような、そんな痛みが全身を突き抜けた。

 

―嗚呼、何故、何故、何故、何故、何故

 

思考が何かに乗っ取られる。そして、美頼の背から、何かが芽吹いた。

 

「バーサーカー、どうして人を殺しちゃいけないの?」

 

美頼は自らの背から分離しつつある、何かをその目で捉えた。彼女の永遠の問いかけは、彼女の口から発せられたものでは無かったのかもしれない。

あの時、和平松彦に刃を突き立てたのは、本当に美頼であったのか?

 

「美頼。生きているか?」

 

彼女の背から現れ、へその緒のように繋がっている裸体の少女は無視して、ロウヒは本人に問いかける。

 

「今、どういう状況…?」

「貴様に取り憑いていた幻霊が、今、形を持とうとしている。」

「あぁ、あはは、そっか、そうだったんだ。どうして私の関係者が自殺しているのか、今やっと分かった気がする。」

 

力なく笑う美頼から、裸の少女が羽化した。和平の事件の時に、美頼へ取り憑いた存在がいたのだ。

巧一朗が殺した筈の魂、アサシンのサーヴァント、その真名はマールト。彼女が和平を殺害しようとする美頼へ取り憑き、生き永らえた。

美頼は確信する。何故松阪行急行列車で幻霊の呪いが発現したのか。それは巧一朗への恋心が生まれた場所であるからだ。

ヒトの情欲を貪る夢魔は、美頼の恋を食料源としていた。消滅を間近にして、ここまで回復するに至ったのだ。

ロウヒは蹲り、今にも嘔吐しそうな美頼を座席の方へ運ぶと、転がり落ちたマールトと対峙する。彼女は表情一つ変えず、ただマールトを殺すための準備を整えた。その行動に感情は宿らない。対象を抹殺する意思の元、マールトを魔術で編み出した鎖で拘束する。

 

「分離したならば簡単な話だ。貴様を殺すのに一秒もかかるまい。」

 

ロウヒが右手を突き出すと、そこからマールトを屠る毒液が零れ出る。正確には生物の毒では無く、病原菌のようなものだ。英霊であれば服毒して一分足らず、幻霊であれば即死は免れない、そんな疫病を彼女は生み出すことが出来る。その手がマールトの顔を押さえつけたが最後、この幻霊の魂は跡形もなく崩れ落ちるだろう。

だが彼女の右手が届く前に、マールトは掠れた声を発した。

 

「彼女の幸せは、どこにあるのでしょうか。」

 

マールトの言う彼女は、美頼の事を指している。

 

「何が言いたい。」

「彼女の恋は決して叶わない。ならば彼女の生きる意味はどこに、どこにありましょうや。人魚姫の恋を美しいと感じることは、当事者では無い者たちの特権です。本人は、ただ海の泡となり消えただけ。そこに意味は宿らないのです。」

「何も、恋焦がれることだけが人生の全てでは無かろう。」

 

ロウヒはマールトの戯言に耳を貸すつもりは無い。夢魔はいつだって、人を惑わせる存在なのだ。

だがロウヒは予想だにしない敵襲を受ける。運転手以外が消え失せた車内に、突如謎の影が現れた。

彼女がマールトの顔面を押さえつけたと思われたその瞬間、その行動は彼女の意図とは関係なく置換される。彼女が掴んだのはマールトでは無く、捉えていた鎖である。彼女の手から漏れ出た毒が鎖を腐らせ断ち切った。これによりマールトは解放され、逃げるように後退する。

ロウヒは自らの身に起きた事象に不可解さを覚えた。確かに、マールトの皮膚に触れたはずである。柔らかな頬の感触をその手で感じたままに、その行動自体が「無かった」ことにされた。

 

「因果干渉…か。」

 

英霊に対する絶対命令権である令呪を使用される感覚に似ているが、その行動を本人が把握できないという点で、より精度の高いものであることは間違えようも無い。美頼は座席で眠るように倒れ込んでいる為、命令を下しようも無い。そもそもメリットが無い。

となれば必然的に、外部からの攻撃である。先の車両から隠れて監視している者の仕業に違いない。

ロウヒは隠れ潜む者へのアプローチに、逃げ出したマールトを利用する。再び地面より這い出た鎖で彼女の足を捕まえると、巻き取るように、彼女を引きずり込む。足を掴まれ引っ張られたマールトは、裸のままであった為か、地面に乳首や腹が擦り付けられ、摩擦で流血した。

再びロウヒはマールトを殺すために、今度は短刀を取り出し、背中から心臓へ直接突き刺した。擦り傷とは比べ物にならない、血液のシャワーが車両に吹き上がる。

 

「(さぁ、どう来る。)」

 

ロウヒの冷酷無慈悲な殺戮を監視していたのは、オープンカーに乗って現れたエラルと、その従者ロイプケである。乗客が一斉に下車した途中駅で、彼女らは潜入することに成功していた。そして幻霊マールトが羽化する一部始終を、隠れ潜みつつも観察していたのだった。

 

「エラル様、あのバーサーカー、我々ではとてもでは無いが、太刀打ちできないでしょう。災害に匹敵するやもしれない恐ろしいポテンシャルの持ち主です。」

「えぇ、じゃあちゃんと挨拶しないとね。」

 

戦闘に参加しないロイプケを隠し、エラルは単身、ロウヒの前に現れ出る。彼女の右目『波蝕の魔眼』が青く光り輝き、それがロウヒとマールトの戦闘に干渉した。

エラルがその目で見た波の起こりは、ロウヒが短刀を取り出す瞬間。そしてその波が引く所で、彼女の眼は別の結末を用意する。その眼で見ることの出来る未来は多岐に渡って存在する。それは本来、可能性世界であり、人間はそれを故意に選び取ることが出来ない。

だが彼女の作り上げた垓令呪システムが起動し、その不可能を可能に変える。一つ一つは微々たる魔力源なれど、百や千と束ねれば、それは未来を切り開く剣となる。彼女は無数の未来を魔力の刃で切り落とし、波の満ち引きを捻じ曲げた。当然その中には、ロウヒがマールトの心臓を貫く未来も含まれる。

八百近くの令呪が弾丸のように放出され、彼女が突入した可能性世界は一つの結論に集約される。そして彼女は現実世界に引き戻された。

ロウヒはその魔眼に興味を持ち、その能力の一部始終をじっと見つめていた。結果、マールトが背から流した血は存在しなくなり、彼女が握り締めていた短刀は、溶け落ちた鎖の一部に置き換えられる。エラルはマールトを匿うように仁王立ちした。

 

「成程、魔眼使いか。これはまた面妖な。」

 

ロウヒの口元が緩む。久々に骨のある対戦相手に遭遇した喜びによるものだ。それも、只の人間が、サーヴァントに果敢にも挑もうとしている。だが彼女はそれを無謀と切り捨てることはしなかった。エラルの目には確かに、勝利への渇望が宿っていたからだ。

互いに数秒間見つめ合い、先に動いたのはエラルであった。彼女は基礎的な身体強化の魔術でロウヒに接近すると、指先から生み出した氷柱でロウヒの腹部を突き刺した。微弱な魔力ではロウヒの外殻すら傷を与えることは不可能。当然、互いにそれは弁えている。

エラルの氷柱は垓令呪からのバックアップを受ける。彼女の腕に無数の令呪が浮かんでは消費されるを繰り返し、ある種、無限のステータス上昇の恩恵が加えられた。氷柱は聖剣の如く成り代わり、遂にはロウヒの肉を裂くことに成功する。

そしてエラルは油断することなく、次なる一手に臨む。波蝕の魔眼を改めて起動し、一連の行動の因果を捻じ曲げる。突き刺さった氷柱は、ドア付近に設置された手すりと入れ替わり、鉄パイプがロウヒの腹部を大きく抉り取った。そして彼女は更に、その鉄パイプに強化の魔力を付与する。より濃密な魔力の渦がパイプを英雄の槍の位に押し上げ、黒髪の魔女に致命傷を負わせた。今の攻撃にかけた令呪の総数は占めて三千にも及ぶ。エラルはロウヒから一時飛び退くと、次の一手を脳内で用意した。

一方のロウヒは、口元から血を流しつつも、余裕綽々の表情を見せる。彼女にとって、霊核への直接的なダメージ以外は全て掠り傷。その痛みに悶えることも無い。彼女が自らの手で腹の傷を覆うと、忽ち、その穴は塞がり、元の状態へ戻る。

 

「今の一瞬で、治癒したというの…?」

「治癒、そうか、そう見えるか。」

 

ロウヒは蛇の如き鋭い目でエラルを捉えると、地面から新たに生み出した四本の鎖で彼女を拘束する。身動きの取れなくなった少女めがけて

どこからともなく取り出した剣を投擲した。狙撃手が得物を正確に射抜く様に、銀の刃はエラルの心臓目がけて、真っ直ぐに射出される。

エラルの額に汗が伝う。それは自らの命を奪い取る切っ先に対しての焦りでは無く、先程の流れで、自らの弱点を悟られてしまったことへの焦燥感。上手く誤魔化したつもりが、あっさりとロウヒには波蝕の魔眼の欠点を見抜かれてしまった。

エラルの眼は事の因果を詳らかにし、異なる結果を選ぶことの出来る力。つまり、事の起こりが存在しなければ、現象を捻じ曲げることは出来ない。もし剣が正確に心臓を穿ったならば、即死したならば、死んだ後に眼を使用することは当然不可能だ。そして彼女の眼のデメリットは更に存在する。それは因果を捻じ曲げたとしても、行動の一部始終を変換できる訳では無いという事だ。

彼女の能力はあくまで波の大きさを変える、波の当たる対象を変える、というもの。自らが負った傷の対象を相手に移し替えることが可能であり、弱い攻撃も致命傷に変えることが出来る。(無論、垓令呪システムの賜物ではあるが。)

先程、マールトの背に突き刺した刃は、鋭利ではないただの鉄鎖に置き換えられた。だが、その拳を振り下ろした事実までは無かったことに出来ない。ロウヒの持ち物を変えただけで、その行動までは捻じ曲げられなかったのだ。

現在、自らの命を刈り取る剣が襲い来る以上、波蝕の魔眼を発動する外ない。刺さって即死してしまえば、そもそも魔眼の力を引き出すことが出来なくなるからだ。彼女が投擲した事実を変えられないならば、剣の刺さる対象を変える他ない。すると二人の立ち位置は逆となり、エラルが死ぬという事実は消失する。

が、当然、ロウヒはそれを見越して射出している筈だ。

ただの人間であるエラルを貫く程度で、ロウヒ自身には傷一つ付けることの出来ないくらいの、そんな魔力の刃を、彼女は狙って投げたのだ。もし対象の因果を逆転させれば、立ち位置が入れ替わる。つまり、エラルの後ろにいるマールトに、何の抵抗も無い状態で急激な接近が可能となる。そうなれば、波蝕の魔眼を再度起動させたとしても、マールトが殺される瞬間に間に合わない可能性が高い。効果発動に時間を要する訳では無いが、連続で使用するには若干のラグが生まれてしまうのだ。彼女自身も、そして周りにもそうだが、命を既に落とした者には因果干渉が通用しない。

ならば、取れる手段は二通り。

剣そのものを捻じ曲げ、何か、当たったとしても柔らかいものに置き換える。

もしくは、エラル自身を、座席で眠るロウヒのマスターである美頼に置き換える。

エラルの好戦的な性格から、彼女は後者を選び取った。少しでも有利性を保つことが今は最善であるだろうと。当然、ロウヒはそのことを見越している筈ではあるが。

エラルの波蝕の魔眼が光を灯したその時、可能性世界にダイブした彼女は、信じがたい現実を目の当たりにした。

彼女は起こり得る結論を選び取ることが出来る、筈であった。今も無数の可能性が目の前に広がっている。

だがその中に、座席で倒れているマスターらしき金髪の少女と入れ替わる結果は、存在していなかった。

 

「何で…」

 

彼女は何本も伸びた線から、理想の解を探し当てようとする。もし、彼女がいち早く切り替え、別の結果を用意できていれば、この後のことは起こらなかったのかもしれない。だが、エラルは焦っていた。彼女だけが波蝕の魔眼を誰よりも深く追究していると、そう信じていたから。

そして無駄に令呪の魔力だけが消費されていき、彼女の眼から輝きが失われてしまう。目の前には人を殺める為に投擲された刃が迫る。

 

「エラル様…っ」

 

エラルの違和感にいち早く気付いたのは、彼女のサーヴァントであるロイプケであった。彼は波蝕の魔眼の起動を、誰よりも傍で見てきたからこそ、この異変に対応できた。彼は剣の射出からエラルを庇うために、咄嗟に前に躍り出ようとする。ロイプケはただの音楽家、そのスキルも、宝具も、この場においては何の役にも立たない。だが、それはエラルを助けない理由にはならない。彼は愛する者の為に、いつ如何なる時でも死ぬ覚悟は出来ていた。

そして、そんなロイプケを押さえつけて、立ち上がった者がいた。

鈍い音が響き、赤い波がエラルの身体に降りかかる。

それはエラルの血でも、ロイプケの血でも無い。彼女の前に立ったのは、何を隠そう、マールトであったのだ。

 

「え……」

 

目を丸くするエラルの前で、静かに崩れ落ちた幻霊。彼女が再びその眼を使おうとする時には、マールトは肉体が光の粒子となり、空へ消え去っていく途中だった。

 

「貴女、どうして…?」

「貴方達たちの幸せはどこに在りますか?」

「え?」

「恋を止めないで、下さい。そして、恋を知る貴方達が、恋叶わぬ誰かを、助けてあげてください。」

 

マールトは血塗られた肉体を引きずりながら、座席の方へ向かう。そして、目を閉じた美頼の顎を上げると、そのままそっと口づけをした。

 

「すみません、美頼。貴女を傷つけてしまった。私は正しき存在ではありませんが、それでも、貴女を見守っています。ずっと。」

 

唖然とした表情のエラルとロイプケを残し、マールトは消滅した。列車のアナウンスで、じきに終点の松坂へ到着することが知らされる。

 

「つまらない幕引きだな。」

 

ロウヒは呆れ顔で、美頼を抱きかかえると、エラルたちに背を向けた。これ以上戦闘行為に及ぶ理由は無い。エラルはなおも戦いの意思を失っていなかったが、ロイプケに静止させられる。エラルが想定した、波蝕の魔眼を以てしても叶わぬ相手、災害だけかと感じていたが、他にもいようとは。彼女は悔しさから唇を噛んだ。

 

 

美頼が後に知った結末は、シンプルなものであった。

まず、彼女の両親や、その他オートマタ系企業の社長たちを死に追いやったのは、和平の意思のままに行動していたマールトであった。

夢魔という性質とアサシンの気配遮断を用いて寝室へ忍び寄り、生きる為の気力を奪い去った。和平はこの時、アインツベルンと協力関係にあり、依頼を受けて、他のライバルとなり得る会社を潰して回っていたらしい。

そして数年が過ぎ、博物館の手で和平は殺害された。そのとき同時に殺した筈の魂は、和平を殺したいと切に願う美頼に同調し、怨霊のように乗り移った。マールトは既に消滅間近であった為、美頼の中で眠り続けていた。

そんな夢魔の意思は、美頼の恋愛感情と共に呼び起こされる。巧一朗と出会った列車に乗り込むたびに、美頼は恋焦がれる乙女になる為、この松坂行急行列車が、マールトの目覚めの瞬間になっていたらしい。列車に乗っている間のみ、マールトは自在に幻霊として動き回り、他の人間を弱らせては、その生気を啜っていた。美頼と何らかの関わりを持つ者のみが狙われた理由は、美頼を不幸に陥れたいという思いなどでは無く、美頼の中で生活する中で、ヒトに対する認識が弱わり果て、彼女の関係者のみを人間であると歪んで解釈してしまった為である。

そしてマールトはついに覚醒した。

美頼は奈々良の墓の前で、夢魔のことを考えていた。奈々良の命を奪ったことは許せないし、マールトを認めることは決してしない。

だが、彼女は羽化する瞬間、全ての乗客を下車させた。

何故そうしたのか、その理由は迷宮入りの謎である。

だがもし乗客がいる中で羽化すれば、様々な人間を巻き込んだ、大量虐殺にもなり得ていた。そちらの方が、マールトにとっては食料が増えるのと同じことで、有益な筈であるのに。

美頼が好んでする質問、どうして人を殺してはならないのか。

それはマールトの疑問でもあったのかもしれない。彼女は、生きる為に、人を殺していたのだから。

人を殺さなきゃ、彼女は死んでいた。だからこれは、彼女が問いかける永遠の問いなのだ。

 

「マールトが命を落とす瞬間、美頼、貴様の身を案じていた。最悪な厄介者だが、貴様の恋を応援していたぞ。」

 

ロウヒの言葉が、美頼の胸に突き刺さっている。

和平に召喚されたマールトの気持ちなど、一生かかっても理解できない。だが、そこで思考放棄するのは、何か違う気がした。

美頼は奈々良の墓に花を添え、手を合わせる。

 

「ごめんね、奈々良。貴方が自分から死のうって思ったのは、きっと私の所為なんだ。」

 

美頼は己の中にくすぶっていた、一つの疑問に答えを出した。

 

どうして、人を殺してはいけないのか。

 

マールトは、夢魔は、生きる為に人を殺めた。でも、ヒトである美頼は違う。生きる為に、人を殺さなくても、彼女の人生は続いていく。

和平を殺して、人生が始まったと、そう思い込んでいた。でもそれは彼女の想定に反し、殺せば終わりという話では無かった。

結局、ヒトの人生が始まるのは、生まれた瞬間であり、ヒトが生涯を終えるのは、死ぬ時でしかない。罪の問われなかったとしても、その呪いは、その悪夢は、ヒトが絆を紡ぐのと同じように、脈々と繋がれていくのだ。ヒトは決して希望だけを残すのではない。同じだけの絶望を残して逝く。もし、美頼の人生が始まったのだとしたら、それは和平を殺してからでは無く、巧一朗と出会ったから。和平に与えられた絶望と同じだけ、巧一朗から希望を貰っていた。

ようは簡単な話だ。人間とは非常に都合の良い生物だ。他の動物たちと異なり、言葉を話すし、思考する。それが人間にのみ与えられた特権である。

わざわざ、希望と絶望のバランスを毎度取る必要は無い。与えられる希望のみを糧とし、生きていくという方法もある。美頼にとってそれは都合の良い手品のような話だが、でも、自らが誰かを深い絶望の淵に落とすよりは遥かにマシな生き方である。ヒトを殺せば、自分も殺されるかもしれない、そんな当たり前の「相互観」こそ、この質問の答えである。

生きる為に、人を殺すというのは、美頼にとって、それ程にまで滑稽に思えたのだ。

 

まだ水の入った桶と柄杓を持って、奈々良の墓を後にする。

 

「これで、良かったんだよね。」

 

美頼の新たな問いは空を舞い消えていく。それに答える者は、この場には誰もいなかった。

 

                                【幻視急行編④ 終わり】

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幻視急行編5

幻視急行編、ここに完結。
誤字がございましたら連絡お願いします。
感想等も励みになりますので書いて頂けると嬉しく思います。


【幻視急行編⑤】

 

急行列車での一件から一週間が経過しようとしていた。

美頼は第二区にて、今日も常連客の相手を務めた。博物館は本日非番であるが、そういう日に限って、巧一朗の顔を見たくなる。いつも通りの時間に店を出、彼女は彼の邪魔になると理解しつつも、会いに行くことに決めた。

 

「お疲れ様ですー!」

 

美頼がフロントに立つ仏頂面の男に挨拶をした際、通常ならば、その風貌には似合わぬほど明るい声で返事が返ってくるのだが、今日は反応が無い。どんな作業をしていても、一度手を止めて見送ってくれるスタッフだったが故、彼女は心に引っ掛かる。もしかすると他店に出払っているのかもしれない。美頼は一瞬立ち止まったが、気にせず店の外へ出た。

すると店の前にそのフロントマンがいた。オーナーであるアジア系ハーフの女と談笑している。時折、怪訝な表情を浮かべていた為、興味を引かれた美頼は会話に加わることにした。

 

「お疲れ様です!」

「あぁ、美頼ちゃん。お疲れ。ねぇ、美頼ちゃんは橋爪権蔵って知っている?」

 

美頼はその名に聞き覚えがあった。十六時発松坂行急行列車に乗り、恐らくマールトに生気を奪われ、そのまま下車後に自ら命を絶った人だ。風俗通いであった為、知らない内に美頼が一夜を共にしていたかもしれない人物。

 

「馬鹿だな、オーナー。橋爪はその素行の悪さから、美頼ちゃんが来る前にウチを出禁になっただろう。美頼ちゃんが関わっているわけ無いんだから。ごめんね美頼ちゃん。その人が自殺したって話をしていて、こう言っちゃなんだけど、俺たちはいい気味だ、なんて話していたんだよ。」

「そう…なんですか、自殺…」

「何でも、将来設計に絶望して死んだとか、いやいや、アンタは他の人間を今まで慮らなかったでしょうがって。何を今更って感じ。」

「ねー。」

 

オーナーとフロントマンがまた会話に花を咲かせ始めたので、美頼はそそくさと退散した。これ以上は大人の話に加わるのも場違いだと判断する。

彼女は守山駅への道のりを歩き出す。流れていくいつもの風景が、今日は少しだけ歪に感じられる。何故か、何故だろうか。頭に靄がかかったような不快感。何かとんでもない事実を見落としているような感覚が渦巻く。

 

「あー、むしゃくしゃするなぁ。」

 

美頼は苛立ちを払拭するために、いつもとは違うルートで駅へ向かうこととした。同じ万華鏡もずっと見ていれば飽きが来るように、新鮮な風景を取り入れ、心を穏やかにしたかったのだ。

彼女はいつも、所謂夜の店が乱立した通りを行くが、敢えて人通りの多い道を選んだ。アクセサリーショップやアパレルショップ、ドネルケバブの出店、ゲームセンターなど、若者が盛んに出歩く風景が目に飛び込んでくる。美頼は派手好きではあるものの、人が多く行き交う場所は好みでは無い。だが偶には、ウィンドウショッピングがてら散策するのも良い趣向だ。

 

「コーイチローがいたら楽しいだろうなぁ。」

 

二人が非番の日に、デートするのはどうだろうか、とプランニングする。だが、彼は理由を付けて断りそうな雰囲気である。傍にいる探偵気取りのキャスターが付いて来るかもしれない。想像しただけで、眉間にしわが寄ってしまう。

彼女はふらふらと散歩していたが、ふと、小さな映画館の前で足を止めた。気味の悪い幽霊がポスターの前面を飾るホラー映画、いかにもB級といった雰囲気である。巧一朗と二人で見に行って、怖がる振りをしながら、手を握ったり、肩に頭を乗せたいなどと、邪な妄想が広がる。

 

「ていうか、こんな幽霊が堂々としていたら、怖さなんてなくなる……」

 

……彼女の脳裏に、一筋の光が走った。

 

「マールトは、夢を見せることで、その生気を奪い取る夢魔。」

 

―なのに、あの時

奈々良は、目を開けていた。

 

自らの眼を潰して自殺した勝部という男も同じだ。

夢を視たのでは無い。彼らは確かに、あの電車で何かを「視た」んだ。

美頼の中に築かれた事件の顛末という壁は、音を立てて崩れ去る。

マールトの姿は、ただの少女のソレだ。彼女の幻霊をその目で確認して、絶望するということは考えにくい。

では、彼らは何を視たのだろう。

美頼の中に暗く沈んでいた筈の違和感が、次々と浮上する。まるで開けてはいけないパンドラの箱を開いたかのように。

先程、オーナーたちがしていた話は、マールトの起こした事件の内容と矛盾している。美頼に取り憑いたマールトが、美頼の関係者たる人物を次々と殺めた、という話だが、事件の被害者である橋爪という男は、恐らく、美頼と一切の関わりがない。思えば、岩凪勇気という名の被害者は男子学生らしいが、美頼との共通点は、同じ小学校に通っていたというだけ、これを関係者と呼ぶには些か無理があるだろう。

自殺した者に法則性は無い、ただ十六時発松坂行急行列車に乗車していたという事実だけが残る。

 

「これって振り出しじゃん。」

 

美頼は分かりやすく項垂れる。また事件の調査を改めなければならない。

美頼は映画のポスターから目を外し、隣接されたサブカルチャーショップのショーウィンドウを茫然と眺めた。

 

―違う、振り出しじゃない。

 

「…っ」

 

―意図的に、この事件を闇に葬ろうとした人物がいる。

 

「それは、何のために…?」

 

―思い出せ、最初から、何か決定的なものを見逃している筈だ。

 

「何を、私は、何を忘れているの?」

 

ショーウィンドウに映り込む少女が、美頼に語り掛ける。

同じ容姿をした、美頼本人であるにも関わらず、それは全くの別人のようで。

彼女は、その場から逃げるように走り出した。

美頼は大通りから外れた、小汚い路地裏で、息を整える。

彼女自身、一体何から逃げようとしていたのかも分からないままに。

どこかぼやけた視界で、彼女はデバイスを起動し、博物館のデータベースに接続する。今まで、敢えて触れてこなかったその事実に触れる為に、とある好奇心が彼女を突き動かす。

それは倉谷重工を含めた、オートマタ企業が次々と倒産した事件。和平松彦のスパイ行為によって彼らの人生は奪われた。

 

「それはきっと本当にマールトの仕業…だけど、和平にとってこれは必要なことだったの?」

 

アインツベルンに情報を売るだけでも、企業は各々大損害を被っていた筈だ。わざわざ、マールトを嗾ける必要があったならば、それは和平の意思とは思えない。恐らく、バックにいるアインツベルン側の判断だ。

そして美頼は倉谷重工社長の一家心中事件の記事に辿り着く。社長の手によって殺された夫人、そして奇跡的に助かった娘、その記事に違和感は覚えない。だが、当時の雑誌に記された一つのワードが、脳天を撃ち抜いた。

 

「娘の名は、倉谷 未来……」

 

読み方は同じ筈なのに、その字では全く意味が異なるというもの。彼女自身、偽名を使っているつもりは無い。生まれた時から、美しいに頼ると書いて美頼であった。だが、どうして。

俯き、執拗にデバイスをフリックする美頼の影から、黒い服の女が現れ出た。ロウヒはデバイスを見つめる美頼の肩に手を置き、呼びかける。

 

「美頼。」

「バーサーカー、あのね、私おかしくなっちゃったかも。何でかなー、事件も解決してない気がするし、何か色々変なんだよね。」

 

美頼は頬を掻きながら、ロウヒに笑いかける。もしかするとロウヒなら、何かこの不安感を拭い去る一言を告げてくれるかもしれない、そんな淡い期待。

 

―思い出せ、最初から、何か決定的なものを見逃している筈だ。

 

ショーウィンドウの中の彼女が語り掛けたこと。

その言葉が反芻し、美頼の口からある疑問が零れ落ちた。

今まで気にも留めなかったこと、そういうものだと飲み込んでいた事実。

 

「そういえば、バーサーカーって、一度も私のこと『マスター』って呼んだこと、無いよね。」

 

口から零れたその言葉は、宙に消え、静寂が二人を包み込んだ。

ロウヒは微かな笑みを浮かべると、美頼を優しく抱擁する。

 

「ばー…さーかー…?」

「残念だよ。我が『マスター』からの命令だ。貴様を処分せねばならなくなった。」

「え……」

 

ロウヒから影が伸び、美頼はその中に引き摺り込まれていった。

 

 

美頼が目を覚ました時、そこは既に第二区では無かった。昔、書籍を通して見たことのある、かつての日本国をモチーフとした和の楼閣。障子に囲まれた畳の部屋で、ぽつりと取り残されていた。

 

「ここ、は…?」

 

酷い頭痛が彼女を責め立てる。同時にそれは脳からの緊急アラームであると解釈する。今までの戦闘経験から、彼女の身にこれから起こる事態を直感的に予測していた。ここが何処であるか見当もつかないが、敵陣であることは理解できる。そして、信じ難いことに、今の彼女には味方となる人物は一人もいない。

 

「コーイチローに…連絡…」

 

だが当然、彼女のデバイスを含めた所持品は全て喪失していた。助けを呼ぶことも叶わない。

 

「逃げなきゃ……」

 

彼女は身を起こそうと手に力を込めた、が、何故か、それは空回りする。そして、彼女は自らの両足が切断されていることに、今更ながら気が付いたのだ。 

 

「足…私の足が!?」

 

大地を踏みしめていた足が無い。その事実を受け入れることが出来ない。転がりながら、何度も立とうと試みる。欠損した部位がまるであるかのように、嘘であると信じたいが為に。

彼女の脳内に溢れ出た、先程までの光景。巧一朗と共に第二区をデートする妄想は、ひび割れ、瓦解する。

 

「あぁ…あぁあぁあああああああああ」

 

受け入れられない。でも、これが真実だ。

飲み込むことが出来ぬまま、彼女は胃の中にあったもの全てを畳の上にぶちまけた。

嗚咽、嘔吐、癇癪、繰り返しながら、ただ孤独に、ただ惨めに部屋を転げ回る。

 

「なんで…なんで…どうして私がこんな…」

 

美頼の目から、口から、様々なものが零れ、もう吐き出すものが無くなったと同時に、その部屋に来訪者が現れた。

それはこの屋敷の主である。華やかな着物姿の女は、そろりそろりと美頼の元へ歩み寄る。

美頼は女の目を見た。彼女は救いの糸では決して無い。美頼を蔑むその目は、侮蔑を孕んでいる。

 

「アンタは…」

「思い出せぬか。無理もなかろう。お主の記憶を消したのは、他ならぬ、このミヤビじゃからな。」

「アンタ…何で、私と、全く、同じ顔、え?」

 

美頼はミヤビと名乗る女の顔を睨んだ。寸分違わず、同じ顔をしている。瓜二つ、双子に生まれ落ちたように。

 

「それはそうじゃろう。お主はミヤビの自己像幻視(ドッペルゲンガー)なのじゃからな。」

「ドッペルゲンガー……?」 

 

美頼は聞き慣れない筈の単語に、親近感を覚えた。自らの思考がジャミングされているようで、ミヤビと名乗る女の記憶を引き出すことが出来ない。 

 

「改めて、記憶の消失したお主にとっては、お初にお目にかかる。ミヤビの名はミヤビ・カンナギ・アインツベルン。アインツベルンカンパニー代表取締役を務めておる。」

「アインツベルン…アンタが…」

「だがミヤビという名は偽りじゃ。アインツベルンをその手で奪った際に自ら名乗り始めた。真名は、倉谷 未来。お主と、同じ名じゃ。」

 

ミヤビはクツクツと嗤う。美頼は状況を全く飲み込むことが出来なかった。

 

「じゃあ、私は、倉谷美頼は、何なの?」

「言ったろうに。ミヤビの召喚した英霊、ドッペルゲンガー。それがお主じゃ。ミヤビの代わりに倉谷の娘を演じてくれたことに感謝の意を示そう。」

「私が…サーヴァント…?」

 

美頼は首元を頻りに触った、が、アインツベルン製オートマタの特徴である、電源スイッチは見当たらない。

 

「そもそも英霊の従属を強固たるものにする為に、電源を備え付けたのはアインツベルンもとい災害のライダーの意向じゃ。だから電源スイッチの実装されていない、他社のオートマタ企業を廃業させ、それら全てを処分する必要があった。倉谷重工が当時の和平やアインツベルンに潰された経緯はそこにある。」

 

ミヤビはあの日、母を殺そうとナイフを振り上げる父の姿を思い出した。

 

「ごめんな、未来。全部お父さんの所為なんだ。」

 

トマトケチャップが零れたように、部屋は血で染まった。父は包丁を片手に、無垢な少女に牙をむく。

確かにあの時、ミヤビは死ぬつもりであった。

だが、その直前、彼女はその覚悟を曲げる。

父の振り下ろした包丁を器用に叩き落し、彼の首めがけて、その刃を振り下ろした。

彼が自ら命を絶ったように、演出して。

 

「ミヤビが、お父さんを殺したのじゃ。」

 

美頼の中に残る偽りの記憶は、ミヤビが作り上げた偽りのレコード。真実は、父を殺し、愉快に笑う子が一人いたというだけ。

 

「ミヤビは、ミヤビは、人を殺すことが、堪らなく好きになってしもうた。」

 

美頼の目の前で歪んだ笑みを浮かべる少女。それは彼女が思うよりずっと、理を外れていて、どうしようもなく狂っている。

ミヤビを名乗る女は、人を殺めることを快楽と呼んでいた。

 

「美頼、悪かったなぁ。災害の目を誤魔化すために、お主を代替品として用意した。可愛い可愛い我が娘。お主の行動は全てミヤビの意思によるものじゃ。沢山人を殺したろう?辛かったろう?ミヤビは辛くなかった。楽しかった。和平もアインツベルンを我が手中に収めてからは不用品になったから、優しく殺してあげたのじゃ。あぁ、ロウヒはどうじゃった?ミヤビのサーヴァントじゃが、中々に従順じゃったろう?マキリのくだらない介入もあったが、奈々良に取り憑いた幻霊も、マールトも、ロウヒにより生み出された自作自演じゃった。どうじゃ?どうじゃった?探偵ごっこで偽りの真実に踊らされた気分は?良かったか?のう?」

「なんで……マールトが…自作自演…?」

「ドッペルゲンガーであるお主の中に生まれた唯一のオリジナル、それがコーイチローへの『恋心』じゃ。ハニトラにでもと使えたら良かったが、貴様という存在にバグが生まれてしもうた。奴に恋した列車にお主が乗り込むと、ドッペルゲンガーとしての性質と、召喚者であるミヤビの『起源』が現れる。心弱き者がお主を見つめると、未来の自分自身と誤認してしまうエラーが発生したのじゃ。文字通り、ドッペルゲンガーの性質が現れ、視たものは絶望し、自ら命を絶った。全てお主が恋にうつつを抜かした結果じゃ。『性』と『死』は表裏一体じゃからなぁ。お主が自らの記憶を取り戻す前に、ロウヒに命じて事件を有耶無耶にしたかったが、それも叶わず。電源スイッチの無いオートマタは製造を禁止されているが故に貴重だからのう。殺すにはもったいなかったが、仕方ない。」

「じゃあ…待ってよ、奈々良は、奈々良は……っ」

「お主が救いの手を差し伸べたから死んだのじゃ。お前というフィルターを通して『視た』幻によってなぁ。」

 

美頼の目から光が消えた。ミヤビの言う事は出鱈目かもしれない、が、自然と腑に落ちる部分もある。

そういえば、今更ながら、美頼はいつバーサーカーと出会ったのか、その記憶がごっそり抜け落ちていたのだ。

美頼の恋が、ドッペルゲンガーの性質に歪みを与え、巧一朗との出会いの場所で、殺戮兵器と化してしまった。 

 

「そんな…」

 

美頼は何度目かも分からぬ涙を零す。だがミヤビの言う通りこの身体がオートマタであるならば、これは只のオイルだ。

ミヤビは美頼の髪を乱暴に掴むと、奥の間まで引っ張った。パラパラと抜け落ちる髪に激しい痛みを覚え、発狂を繰り返す。

 

「ほれ、お主にも見せてやろう。」

 

美頼が放り投げられた部屋には、一体のオートマタが佇んでいた。ミヤビはそこにデータインストールを行い、その姿をプログラミングする。

現れたのは、新たなドッペルゲンガー。それも、美頼と全く変わらない容姿のものだ。

 

〈データローディング完了。真名:ドッペルゲンガー。マスター(ママ)の認証に成功〉

 

「新しいお主じゃ。無論、恋心など抱く筈もない。バグはきっちり修正された。これを改めて、第四区博物館にスパイとして放り込む。お疲れ様じゃ。お主のお陰で、災害に楯突くテロ組織の全容は掴めた。本当は先日第一区に現れた鉄心やアーチャーを生け捕りにして、お主の前で解体ショーするつもりじゃったが、邪魔が入ってな。じゃが安心せよ。ミヤビが、きっちりと、博物館の全てを殺してやろう。お主の愛するコーイチローもな?」

「っ!」

 

ミヤビが指を鳴らすと、影からサーヴァントが這い出る。美頼も良く知るその正体は、今や敵であるバーサーカー、ロウヒである。

 

「マスター、呼んだか?」

「そこの転がっている三流英霊を処分せよ、ロウヒ。」

「承知した。」

 

ロウヒは冷酷な瞳で美頼を捉える。そこには、下らない会話で盛り上がった姿など到底映りようも無い。ロウヒは蛇の目をしていた。美頼の最高の相棒は、ずっと傍にいながら、彼女を裏切り続けていた。

 

「バーサーカー、何でよ、何で貴方ほどの王様が、こんなサイコパスに従っているの?」

「美頼、貴様は我を最善たる王だと認識していたか?我はポポヨラにおいて主人公一行の前に立ち塞がる悪逆の王だ。」

「違う、貴方は、違う!」

 

ロウヒは一切の感情を見せない。そこに迷いも生じない。ただ目の前にある口達者な物体を縦に引き裂くのみだ。

 

「美頼、お前の問いに答えてやろう。」

「問い……?」

「何故、人を殺してはいけないのか。……それは、貴様が『王』ではないからだ。」

「何を言って」

「いつの世も頂点に君臨するものだけが、人を裁く権利を有する。法が禁ずると言うならば、その法を敷くのもまた王だ。王が頷けば殺人は認められ、王が首を横に振れば、社会に秩序が生まれよう。全ては王の裁量なのだ。貴様は道徳だなんだと狭い世界でしか物事を語れん。生殺与奪とは、王のみが得られる特権。それを貴様は知らない。生涯において知ることは決して無い。」

「ロウ…ヒ…」

「オアシスにおける王とは、災害なる輩では無い。王とは即ち、ミヤビなのだ。」

 

ロウヒの目が赤く、血の色に塗り替わった。

 

「や…やだ、コーイチローったすけ…………」

 

ロウヒは自ら生み出した剣を美頼の頭に突き刺した。そして切れ味の鋭いそれで、彼女の肉を二つに分割する。

美頼の叫びは誰にも届かず、孤独なままに彼女は絶命した。

 

「思えば美頼、お主に『未来』なんてものは無かったなぁ。美しさに頼ると書くお主には。」

 

ミヤビは口元を歪ませ、一人嗤い続ける。

新たなドッペルゲンガー、倉谷美頼と、そのサーヴァントを演じるロウヒは、共に第一区を後にする。

美頼の死によって、新たなる犠牲者が生まれることも無くなり、事件は終わりを告げたのであった。

 

 

過去の話。

美頼の初任務から数日が経過した、ある夜のことだ。

巧一朗、美頼の二人は聖遺物の調査に出向き、長時間かけても、収穫を得ることが出来なかった。

疲れ切った二人は、乗客の殆どいなくなった電車で、隣同士腰かける。

 

「これから博物館に出向いて報告って、鬼頭教官は本当に鬼だな。」

「みさっちゃんきびしー、けどやさしー」

「何だそれ。」

「だって私たちの為に居残り残業してくれているんでしょう。収穫無くて申し訳ないよね。」

「あぁ、それは確かにな。」

 

他愛も無い話に華を咲かせる。

疲れ切っている筈なのに、巧一朗の声を聞くだけで、美頼は何度でも元気になった。

恋って凄い、恋って素晴らしい。

美頼は巧一朗の肩にもたれ掛かり、彼の香りを近くで感じた。

 

「眠いか、美頼。」

「うん、ちょっとだけ。」

「松坂駅着くまで寝ていていいぞ。俺が起こすから。」

「うん。そーする。」

 

電車が、右へ、左へ、揺れる。

公共機関の筈が、この車両においては二人だけの特別な空間になっている。

きっと寝転んでしまっても怒られないだろう。だが美頼は巧一朗の隣に居心地の良さを感じている。

 

「ねー、コーイチロー。」

「何だ。」

「コーイチローは、好きな人いる?」

巧一朗は暫く考えて、正直に答えることにした。

「いる。」

「いるんだ。じゃあ私は失恋だ。」

「いるけど、もういない。」

 

オアシスが生まれるずっと昔、聖杯戦争があった。

そのとき、セイバーは命を落とした。

もう決して、彼が恋した彼女に会うことは無い。

 

「いないかー。じゃあ失恋じゃない可能性もある?」

「さぁな。」

「はぐらかすんだ。」

「俺は別にお前のこと嫌いではないからな。好きか嫌いかで言ったら好きだ。」

「ふふ、なにそれー。」

 

二人の間に、静かな時が流れる。

美頼が寝静まったものだと巧一朗は考えていたが、暫くして、彼女は改めて口を開いた。

 

「ねぇ、コーイチロー。」

「何だ。」

「もし私が任務中に殺されたら、どうする?」

「どうするって。」

「泣く?怒る?復讐する?」

「……そうだな。」

 

巧一朗はその状況を仮定してみる。

 

「復讐できる相手なら、復讐するんじゃないか?」

「何それ、相手を選んで報復するわけ?」

「例えば災害なら、俺は復讐する。」

「なんだ、ちゃんと強い奴でも復讐してくれるじゃん。」

「相手を選ぶってのは、強い弱いじゃない。例えばお前がお前を殺したら、俺は誰に復讐すればいい。」

「あ、そういう話?」

「そうなったら、どうしようもない。仕方なく、俺は死んだお前に対して怒る。怒っても意味は無いけど、ちゃんと怒る。」

「意味がないのに、怒るの?」

「あぁ、今を生きる人間だからこそ、感情はしっかり吐き出しておくべきだ。」

「ふぅん。」

「だから怒る。お前を殺したお前に対して、何してくれているんだってな。」

「なんか、想像したらシュールで笑えるかも。」

 

美頼は静かに笑った。

巧一朗もまた、釣られて笑みを浮かべた。

実を結ばぬ会話は、もう暫く続いてゆく。

巧一朗の肩に頭を預けて、美頼はときに楽しげに。ときに不満げに、表情を次々と変えながら。

 

「ありがとう、コーイチロー。」

 

まるで万華鏡のように、からからと。

 

 

【挿絵表示】

 

                                

 

【幻視急行編 完】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

桃源郷寸話:『ステイルメイト』

一話完結型エンターテイメント開幕!
誤字等あれば連絡お願いします。
初めての方は是非プロローグからご一読ください!


【桃源郷寸話:『ステイルメイト』】

 

「目」が胎動する。

辺り一面が砂で覆われようとも、力強い生命の息吹は傍で感じられた。

既に何もかもが消え失せたこの地で、「目」だけはドクドクと脈打つ。

余りに巨大なそれが動けば、当然大地は揺れ、脆い足場は崩れ去る。

俺はバランスを崩したが、転げないようぎりぎりで踏み止まった。

突風に交じった砂利が呼吸を荒くする俺を更に窮地へ追いやった。肺に紛れ込んだ細かな塊の所為で咳が止まらない。まともに酸素を取り入れることも困難だ。

視界も砂風に飲まれ、自らの死を悟る。高尚な願いも、首元に死神の鎌が差し迫れば、塵芥と化す。もし今目の前に聖杯が出現したならば、俺は迷わず存命を祈るだろう。

 

―怖い、死にたくない。

 

命に価値のないと決めつけていた過去の俺自身へ向け叱責する。どんな願いも、この命の灯があるからこそ輝くのだ。そんな当たり前に気付くのが遅すぎた。

俺はそれでも、と最後の力を振り絞り立ち上がる。果たして何のために、俺自身が理解せぬままに。

西風が運んだものは死の灰だけでは無かったようだ。走馬灯に、今一度歩き出す勇気を運んできてくれた。

 

「俺は、まだ……」

 

まだ、何だ?

追い詰められて、俺は何を遺したいと祈ったのだ。

今更神に祈ることも、仏門に入ることも、考えない。先のことなどどうでもいい。

聖杯戦争は終わったのだ。誰もが勝利に酔いしれず、砂の世界に溶け落ちた。

 

「はぁっ…はぁ…」

 

ならばこそ、だ。

まだ俺は生きていた。

生きているからこそ、意味が生まれるのだ。

生きているからこそ、価値が生まれるのだ。

明日世界は生まれ変わる。それを誰かに知らせなければ。

伝えなければ、千年先の未来へと。

この世界は終わりを告げる。人ならざる災害によって。

一度なら人は防ぎきれる。だがその災禍は六度来る。

太陽すらひれ伏した第三の災害に、ただの英雄が勝てるはずもない。

―だが、俺ならば。

この瘦せこけたか細い腕で、救える命がある。

希望は必ず最後に残される。御伽噺とは得てしてそういうものなのだ。

 

「桃源郷へ、向かうのか?」

 

俺の目の前に伸びた影が語り掛けてくる。

その勇ましい形は、昨日まで隣に立っていた戦友のようで、それでいて酷く懐かしいものだった。

 

「あぁ、向かう。」

 

俺は即答する。目は曇ろうと、歩む道は決して曲がらない。

 

「そうか。長い旅になるぞ。」

「構わないさ。元々俺に帰る家は無い。」

「そうだったな。」

 

影に喜怒哀楽は映らない、だが、俺にはハッキリと分かった。

目の前に立つ俺の友人は、儚げに笑っていた。

 

「次にお前が目を覚ました時、私はお前という存在を認識できなくなっているだろう。だからそのときは、お前が私を止めて欲しい。」

「無茶を言うなよ。」

「否、達成できる目標だ。絵空事では無い。私を良く知るお前であれば、必ず出来る。他力本願だと呆れたか?」

「いや、君がそうなったのは俺の責任だからね。約束は果たすさ。」

 

五感が失われていき、その場に崩れ落ちた。

影はそんな俺に近付くと、口を太い指でこじ開け、得体の知れない何かを飲ませる。

味はしないが、何となく苦い気がした。

 

「…西の婆さんのお節介だ。脳が潰れない限り、あと一万年は生きられる。」

「君が…飲まなかったもの…か?」

「あぁ、苦くて飲めたものじゃない。…飲まなかったから、私は英霊なのだ。」

「……勝手な…やつ…」

 

俺の意識はそこで途絶えた。

 

砂漠で横たわる自らのマスターを見て、影は満足げな表情を浮かべた。

 

「これで良かったんだよな、セイバー。」

 

影は踵を返すと、桃源郷へ向けて歩き出した。

世界を救うために、大切な者を裏切る。

その余りにも耐えがたい屈辱に身を震わせながら。

 

今はまだ、砂の世界に現れたオアシスに過ぎない。

だが千年の時が、桃源郷を理想郷へと進化させる。

六の災害の目的は同じ、英雄は今度こそ、世界を救わんと立ち上がる。

「アトランティス」へ、至る為に。

 

 

『緊急放送、緊急放送、開発都市第二区より暴徒の流入を確認。警戒レベル4。開発都市第六区市民の皆さん、直ちにパークオブエルドラードへ避難を開始してください。繰り返し通達。開発都市第六区市民の皆さん、直ちにパークオブエルドラードへ避難を開始してください。』

 

緑豊かなニュータウン、第六区和歌山駅の前で、噴水のモニュメントを眺める小汚い服装の男が一人。

避難勧告を受けた周りの上流階級市民は、男の姿を見るや、気味悪がりながら露骨に避けていく。

 

「やぁね。第二区の人間かしら。第六区をあんな身なりで歩かれちゃ、格が落ちてしまうわね。」

「ちゃんと遠坂組や災害のランサー様に許可を頂いているのかしら。不法滞在なら警察を呼ばなきゃね。」

「やーよ。近付いたら菌がうつるわよ。下層市民特有の貧乏菌がね。」

「それにしてもまた貧民が攻めてくるなんて、死ぬのが分かっているのに何故かしらね。」

「栄養が脳に足りていないのよ。さ、早くシェルターに避難しましょ。遠坂様がささっと対処して下さるわ。」

 

第六区在住の主婦たちが好き勝手に呟き、ゴミを見る目で蔑み去っていく。男は自分が噂されているなど気にも留めず、ただ技巧の凝らされたモニュメントを興味深そうに観察していた。

 

「禮士さま。今通り過ぎた女から、源氏の匂いがします。首を刎ねる許可を。」

「出さないよ。どうどう。」

 

ドリンクを片手に現れたのは、彼のサーヴァントであるランサーの女。主人であるこの男、衛宮禮士の悪口を言われたからか、その目には殺意の炎が立ち昇っている。禮士が彼女の髪をゆっくりと撫でると、ランサーは子ども扱いしないでとばかり、頬を赤らめ、ふくれ顔になった。

 

「第六区は富裕層のみが居住を許された土地だからね。俺みたいな異邦者は嫌われて当然さ。」

 

禮士はオアシスを旅する日銭稼ぎであった。龍寿に協力を持ちかけられるまでは、全六区からなるオアシスの地を転々とし、様々な風景を目にしてきた。第六区に個人で訪れたことは多くないが、必ずと言っていい程に、この場所では迫害を受ける。だがそれは仕方の無い話だ。第六区の人間にとって、二区や五区は畏怖の対象である。殺人が平然と行われる二区や、宗教組織によって完全に統制された五区は、もはや異邦と言っても過言ではない。それは全ての地区を巡った禮士だからこそ共感できる部分でもあった。

 

「第六区の災害か、土地の管理権を有する遠坂組に認可を得なければ、ここに来ることも出来ないからね。」

 

かつて龍寿と出会う前に禮士が訪れた際、ものの十分足らずで警官に見つかり、捕縛されてしまった。比較的平和な四区と比べ、その取り調べ時間は倍以上で、ウンザリした記憶がある。

 

「そういえば、あまたんは外から六区に来るのは初めてだったか?」

 

禮士は彼のサーヴァントである『海御前』に話を振る。当初はクラス名で呼んでいたものの、呼びやすさ優先で『あまたん』へ変えた。

 

「禮士さまが遠坂から触媒を受け取ってそのまま召喚して、直ぐに六区を離れたので、改めて訪れるのは初めてになりますね。これは生まれ故郷に帰って来る感覚なのでしょうか?特別な感情は湧いてきませんが。」

「それはそうだろうな。俺たちの交流は殆ど第一区だったから。」

 

禮士が海御前を召喚したのは二年前。その間、彼らは第一区に閉じこもり、災害のライダー、そしてアインツベルンの監視を行っていた。

その成果報告を行うのが、今回、六区を訪れた理由である。

 

「龍寿が第六区に戻ってくるまであと三時間あるからブラブラしていたけど、まさか避難勧告が出るとはね。俺たちもさっさとシェルターに逃げようか。」

 

禮士は糸の解れた鞄から、パークオブエルドラードの入場許可証を取り出した。第六区中央にある遠坂組総本家隣接のドーム型建造物、市民はこれをシェルターと呼んでいる。ホテルのように豪華な造りでありながら、外壁は災害の攻撃でも簡単には崩せないほどの強固さを誇る、まさに富裕層の命を守る為の城であった。六区居住者は他の地区より当然少数である為、全ての市民がこの聖域で優雅に暮らすことが出来る。禮士のような他区在住の一文無しは一生かけても入場を認められることが無い。だが龍寿と知り合えたことで、そのチケットをいとも容易く手に入れることが出来たのだ。

 

「まぁ残念ながら割り当てられた部屋は一部屋だけだし、しかも狭いけど、文句を言える立場じゃないよな。」

「此方は禮士さまが近くに感じられる場所ならばどこへでも…ふふふ」

 

海御前の目が怪しく光り、禮士は身震いした。龍寿のサーヴァントである平教経に惨殺される未来が予見される。

 

「行きましょう禮士さま。二人で、一つの、部屋。〇〇しないと出られない部屋、ふふ、ふふふふふ」

「そんな設定のシェルターは無い!ええい、引っ付くな!」

 

市民が皆パークオブエルドラードへ急ぐ中、呑気な漫才を繰り広げる二人であった。

 

二人がシェルターへ向かう道中、向日葵の花園に通りがかった。花を愛でる暇などある筈も無く、そそくさと過ぎ去る予定であった。

しかし禮士は花園の中心に、可憐な美女が佇んでいることに気付く。避難しなければならないこの状況下で、彼女は一体何をしているのか。万一にも、緊急アナウンスが耳に届いていないことがあるかもしれない。彼は足を止め、海御前と共に向日葵をかき分け立ち寄った。

透き通る肌に、紅に染まった長い髪、華奢な体に合う星空色の装甲を纏った美女。

遠くから見た時には判断出来なかったが、花園に入った瞬間に、彼女が誰なのか秒速で理解した。

禮士や海御前だけでなく、桃源郷に住まう誰もが彼女の正体を知っている。

 

第六区の守護者、災害のランサー、その名を『焔毒のブリュンヒルデ』。

 

禮士はその存在を認識した途端、逃げ帰るように元来た場所へ戻ろうとする。

あれは只の英霊では無い。台風や洪水と同じ、人を蟻のように踏み潰す災禍だ。近付けば、それだけで死に至る可能性もある。

だが、彼の足は恐怖からか、既に動かなくなっていた。

 

「禮士さま。」

「あまたん、決して敵意を出すな。一秒で消し炭になる。」

 

海御前は持ち前の槍を仕舞い込み、禮士の肩を支える。並の英霊であれば、災害に睨まれただけで意識を失うが、彼女は日ノ本生まれの大妖怪、この程度の修羅場では一切動じない。禮士にとってその強さは非常に有難かった。

 

「……?」

 

ブリュンヒルデは、向日葵の園に紛れ込んだ二人の存在に気が付いた。くたびれた男と、着物姿の少女。どちらも、見かけたのは初めてである。普段は個として認識しない彼女だが、この二人には興味を抱いた。

 

「向日葵を……見に来たのですか?」

 

災害が声を発したことに、大きな驚きを見せる禮士。それもそのはず、彼女は基本的に、熱い、か、寒い、の二単語しか喋らない。それは災害のランサーに上手く取り入っている龍寿から聞かされた話であった。

 

「いえ、避難勧告が出て、その、ここにいたら危ないと知らせようと思って。」

 

上手く頭が働いていない禮士は、ありのままの事実を述べてしまう。彼自身、言った後で、その内容に激しく後悔した。

 

「(災害に対して、逃げろ、だなんて、俺はなんて馬鹿なことを)」

 

逆鱗に触れるかもしれない。心臓の鼓動が激しくなる。

 

「……………………………優しい人。」

 

暫しの沈黙から漏れ出た言葉は、禮士にとっても、海御前にとっても、意外なものであった。ブリュンヒルデはぎこちない笑みを浮かべると、禮士たちとは反対方向に去って行った。その姿が見えなくなるまで、彼らは茫然と災害の背を眺めていた。

 

災害のランサーと別れた後、禮士と海御前はシェルター目前に到着した。既に全市民の避難が完了し、外には遠坂組が取り仕切る警備隊が忙しなく走り回っていた。

 

「禮士殿、お疲れ様です。」

 

禮士達を迎えたのは、遠坂組幹部の一人、リカリーという名の好青年である。龍寿は過去、最も優秀な部下として彼を禮士に紹介していた。

リカリーと禮士は再会の握手を済ませる。海御前は好みのタイプでは無かったのか、興味なさげにドームを眺めていた。

 

「第一区での活躍は龍寿様より聞き及んでおります。長期にわたる任務、お疲れ様でした。落ち着いてお話しできれば良かったのですが、状況が逼迫しておりまして…」

「第二区の暴徒って、そんな大した連中なのか?第六区のサーヴァント部隊が右往左往しているのを初めて見たぞ。」

「緊急放送の件、あれは偽りの情報です。市民を安心させるためのもの、本当はとてつもないことが起ころうとしています。」

「……聞かせてくれ。」

 

冷静沈着なリカリーが汗を滲ませている、その事実が禮士の心をざわつかせる。

 

「一時間前、突如我々に対し、宣戦布告の伝令が届きました。龍寿様と教経様がいない今を狙ってのものです。第六区へ向け、英霊が一人、百余りのオートマタ兵が進軍してきます。数値上、小規模、ではありますが、これは間違いなく『戦争』です。」

「敵さんは何処のどいつだ。」

「第一区、アインツベルンカンパニーです。ミヤビ・カンナギ・アインツベルン自らが、攻撃の意思を映像と共に送り付けてきました。」

「おいおい、遠坂、マキリ、アインツベルンは不可侵の契約を結んでいる筈だろう?」

「……先に禁を破ったのは遠坂だ、と。カンナギは禮士殿、貴方の名を出していました。」

 

禮士は唇を噛んだ。彼女の目から逃れるよう上手くやっていたつもりだったが、予想より遥かに、ミヤビは全てを見渡していた。矛先が鉄心では無く禮士であったのは不幸中の幸いである。

 

「俺のミスか。」

「いえ、禮士殿はスパイとして一流でした。遠坂の機密情報の一部が、何者かによって抜き取られていたのです。それがカンナギへ流れてしまった。遠坂組自らが証拠を与えていた…恐らく第六区内部に紛れ込んだ、アインツベルンのスパイによって。」

「恐らくマキリのスパイもいるだろうさ。そんなことは互いに察している。龍寿が遠く離れる瞬間を虎視眈々と狙っていたんだろう。だが、目的が分からないな。」

「とにかく緊急事態には変わりありません。突撃してくるサーヴァント、こちらでデータ解析も完了しました。……最悪だ、『三狂官』の一角が大軍を率いている。」

 

リカリーは目の前の情報を受け入れられず、目を泳がせている。禮士はリカリーのデバイスを拝借し、三狂官のデータを自らのデバイスにインストールした。

 

「三狂官?」

 

聞き慣れない言葉に興味を惹かれたのか、海御前が二人の会話に加わる。

 

「アインツベルン最強戦力、三騎のバーサーカーだ。彼らは災害に劣るとも勝らない実力の持ち主だと言われているが、こうして表に出てくるのは初めてだろう。第一区にいるとき、少しだけ話したことがあったろう?」

「そうですね、失念しておりました。確か、松の席、竹の席、梅の席と呼ばれているのでしたよね。」

「あぁ、松の席は未だ一切の情報が不明、梅の席が北方の女帝、魔女とも言われているサーヴァント、そして竹の席が……」

 

禮士の言葉を遮るように、海御前が彼の手元にあるデバイスの資料を読み上げた。

 

「竹の席、平安時代における最も有名かつ最強の僧兵、真名を『武蔵坊弁慶』……っ!」

 

海御前の目が変わった。身体の内側から漏れ出た殺意の炎に、禮士は脂汗を浮かべる。

 

「弁慶に対抗できるサーヴァントは、平教経様、そして遠坂のブレインサーバーを守護する二人のセイバー『アマゾニア』と『アキリア』のみです。教経様が不在である今は、この二人に出動を命じる他ありません。」

「歴史に名を刻んだ、二人の女性剣闘士(グラディエイター)か!」

 

グラディアトリクスと呼ばれる、ローマ帝国コロセウムで激しい戦いを繰り広げた二人の女たち。剣闘士と言えば男同士の血生臭い殺し合いを連想するが、そんな男社会で勝ち抜いた二人こそ『アマゾニア』と『アキリア』である。当時の資料から八百長とも言われたライバル同士の殺戮ゲームだが、遠坂の守り人として召喚されている以上、実力は本物であると窺い知れる。

 

「一人では叶わなくとも、二人ならば弁慶を止めることが叶いましょう。禮士殿、海御前殿は早くシェルターへ。」

 

リカリーは二人に逃げるよう促した。が、しかし、彼らはその場から動かない。

 

「剣闘士が二人、弁慶と戦っている間、ブレインサーバーは手薄になる。どうするつもりだ?」

「…それは…」

「アマゾニアかアキリアのどちらかを弁慶足止めに当たらせてくれ。俺と、あまたんが弁慶を討伐する。」

「っ!禮士殿、コロセウムの剣闘士二人がかりでも恐らく厳しい戦いになります。…正直に申し上げると、彼女らの消滅も視野に入れております。いまあなた方を戦わせることは出来ません。」

「なに言っているんだ、リカリー。俺は兎も角、海御前の力を見くびらないでもらいたい。この復讐の炎が立ち昇る様を見て、シェルターにこんなのを格納する気かい?」

 

リカリーもまた知っている。教経の妻として激動の時代を生き、妖怪として生まれ変わった、海御前の力を。相手が源氏であることを鑑みても、彼女に頼るのが最適解である。龍寿が認めた禮士の戦闘センスを以てすれば、弁慶への最高の対抗札となるだろう。

 

「……」

「リカリー。」

「……っ、弁慶並びにオートマタ軍はあと三十分で第六区全体を縁取る外壁に到達予定です。この不肖リカリーがオペレートさせて頂きます。アマゾニアを含む、こちらも百の軍勢で、アインツベルンの進軍を阻止してください。禮士殿、海御前殿、よろしくお願いいたします!」

「応さ。龍寿が帰還する前に、片を付けるつもりで!」

 

不安げな表情を浮かべるリカリーの頭をわしゃわしゃと撫でた後、禮士と海御前は指示された待機地点へ向かって行ったのだった。

 

バーサーカー武蔵坊弁慶の到達まであと五分を切る。

西側の平原地帯で敵襲を迎え撃たんと準備する禮士たち。三騎士クラスの英霊たちが集められ、一つの共同体を形成していた。

弁慶以外、意思の宿らぬオートマタであるならば、精鋭揃いの六区が負ける筈もない。問題はやはり、三狂官の一角、武蔵坊弁慶の実力であろう。オアシスという地に呼び出されようとも、この地が元々日本国であった以上、その知名度は抜群だ。オアシスで生まれ育った者全てが彼の名を習い、覚える。ここにいる英霊たちも、弁慶の名を知る人は数多い。中には尊敬の念を持つ者もいる。

 

「さて、どう戦ったものかね。」

 

禮士は右手の甲に浮かぶ三画の印を眺めた。その形状は歪、それでいて芸術的。禮士自身を表しているようだが、彼は未だピンと来ていない。

彼は続いて、自らのサーヴァントである海御前を見つめた。改めて確認しても、やはりとてつもなく美少女である。日本の大妖怪、河童であるが、その姿かたちは人間そのものである。頭の上に皿が乗っているというのも、物語の中だけのようだ。本来、水中戦こそ彼女の真骨頂であるが、戦闘の舞台となるのは緑豊かな田園地区。海の方角まで追い詰められれば勝機はあるが、そう上手くはいかないだろう。

外壁の方を見つめる彼女の目は吊り上がっていた。夫である教経のライバルと言えば、源義経。弁慶はその家臣である。言わばこれは代理戦争だ。だが彼女も、そして禮士自身も、その実力差は理解していた。当たり前ながら、海御前が弁慶に勝てる道理はない。

少し離れた位置から見つめる禮士の視線を感じた彼女は、難しい顔をするマスターへ向け、ひらひらと手を振った。それに気づいた禮士も、慌てて手を振り返す。海御前は禮士の前でのみ、聖母のような温かな笑みを浮かべていた。

 

「なに殺し合いの直前にボーイミーツガールしてくれちゃってんだよ。」

 

低い、獣のような声で禮士に呼びかけたのは、たった今駆けつけた、セイバーのサーヴァント『アマゾニア』である。ブロンドのセミロングに小麦色の露出した肌、何より浮き上がった圧倒的筋肉に、禮士は目を奪われる。ファーストコンタクトの感想は、とにかくデカいということだった。禮士の身長も百八十はあるが、この女剣闘士は二メートル近くある。見下ろされる感覚は、中々味わうことが無い。

 

「えっと、君がアマゾニア…?」

「そうだ、アタシこそ最強の剣闘士、アマゾニアだ。軟弱な奴ばかりだが、前線に立つ男が一番貧弱そうだとは夢にも思わなかったぜ。お前、アタシの指揮官としてちゃんと務まるのかよ。」

「まぁそれは互いの信頼があってこそだが…」

「信頼だァ?ある訳ねーだろデコスケが。アタシが暴れるから、お前らはそのサポートに徹しろよ。それで勝てるんだから。」

「そう易々と攻略できるほど、武蔵坊弁慶は甘くないと思うぞ。」

 

密着する程の距離で禮士に詰め寄るアマゾニア。それを氷のような目で睨む海御前。禮士は思わず溜息をこぼした。

 

「ちなみにアマゾニア、君の持つ宝具を先に確認しておきたい。データ上には表記が無かったからな。」

「ねぇよ。」

「は?」

「んなもんはねぇ。アタシの絶技はこの鉄壁の筋肉だ。それ以上に何が必要だよ?」

 

禮士は思わずポカンとした表情を浮かべる。本当に大丈夫だろうかと、彼は胃の痛みに苦しむことになるのだ。

アマゾニアは禮士の元を離れ、外壁の傍まで歩みを進めた。対して、海御前は禮士の元に駆け寄って来る。

 

「禮士さま、あの筋肉ガサツ女に何かされませんでしたか?親し気にお話しされていたので、何か弱みでも握られてしまったのではないかと。禮士さまはもっと女の子らしい身体が好きですよね?ね?」

「あまたん、一時的とはいえチームだから、仲良くね。」

 

刹那、彼らのもとにリカリーからの通信が入る。敵軍が第六区の西側外壁、禮士達の目前まで到達したようだ。壁は並のサーヴァントでは突破できない仕様であるが、弁慶はいとも容易く穴を開けるだろう。

禮士は即座に離れた位置に移動する。代わりに、海御前は第六区の先鋭たちの前に躍り出、持ち前の長槍を構えた。

 

〈武蔵坊弁慶含むアインツベルン軍の侵入まで、あと七秒!〉

 

リカリーのカウントダウンが開始する。禮士は右手の甲を左手で抑えながら、ぐっと唾を飲み込んだ。

 

〈五…四…三…二…一……!来ます!〉

 

第六区隅々まで届くような轟音が鳴り響く。円形にくり抜かれた外壁が空へ射出され、外側から屈強な男が姿を見せた。

 

「武蔵坊……弁慶!」

 

禮士の全身に悪寒が走る。僧侶の姿をしているが、男は誰がどう見ても武人の佇まいである。弁慶と言えば、様々な武具を極めた修羅の如き逸話が有名だが、いま相対している男は、その手に何も所持していない。

ただの腕力で、何十層にもなる外壁を切り取ったのだ。

 

「オラァァアアアアアアアアアア!」

 

猛獣のような野性味あふれる雄叫びをあげたのはアマゾニア。彼女は切るというより殴ることに特化した剣闘士の短剣を携え、生身の弁慶に飛び掛かった。

アマゾニアが弁慶の間合いに詰め寄ったのはわずか一秒にも満たない時間。剣闘士の脚力はチーターの走力に匹敵する。弁慶の後ろに続くオートマタ部隊など気にも留めずに、敵軍大将の心臓を我先にと取りに行く。アマゾニアは弁慶の足を蹴り、それを踏み台に飛び上がる。彼女の凶器ともいえる自慢の右足で弁慶の顔面をクリーンヒット。顔のパーツが激しく歪む大打撃に、弁慶は崩れ落ちた。

 

「シャイニングウィザード…生で見たのは初めて…」

 

禮士はまるでプロレスを見ているかのように、彼女の美しい肉弾戦を観察した。

だが弁慶は一切言葉を発さないままに立ち上がる。拳と短剣を用いたアマゾニアのジャブを軽々といなし、彼女の腹筋めがけて渾身の右ストレートを放つ。

通常、アマゾニアの露出した腹筋にパンチしようものなら、攻撃した方が痛手を負うのが当たり前であった。それ程までに鍛えられた筋肉は強固で、騎士の鎧すら悠々と凌駕する。だからこそ、アマゾニアは敢えて弁慶の攻撃を避けない。一秒先の未来で、弁慶の右手が粉砕骨折している、筈だった。

 

「がっ…?」

 

アマゾニアは一瞬、彼女自身の身に何が起きているのか理解できなかった。すぐに飛び込んできた事実は二つ、痛いという事、そして自分の口から血が飛び出しているという事。彼女は訳も分からぬままに、後方へ吹き飛ばされた。

 

「アマゾニア!?」

 

後ろに聳え立つ高級マンションの三十階まで飛ばされた彼女は、ようやく自らの身に起きたことを知る。彼女の内の骨が折られていた。たった一撃で、粉々に。

 

「おいおい、マジかよ。アタシがせり負けた。」

 

全身に走る耐えがたき痛みより、目の前の敵に対する尊敬が勝る。剣闘士として、彼女は屈辱の感情に支配された。身体から力が抜けると、そのまま三十階の高さから地面に落ちていく。

彼女の安否を確認したい禮士だったが、弁慶はその隙も与えない。後ろから現れたオートマタ部隊と、六区サーヴァント達の戦いが始まった。弁慶は無言のまま、次の標的を見定める。その白く濁った目は、矛先を向ける海御前を捉えた。

 

「貴殿もまた源氏なれば、此方は怨の刃でその首を必ず落とす!」

 

海御前はアマゾニアの短時間の戦闘を元に、長槍を用いたテクニカルな戦いを披露する。武器を持たない理由は不明だが、舐められているとしたら好都合。距離を取りながら、瞬足の槍さばきを繰り出す。その一手一手が明確な殺意。彼女の怒りを込めた一撃は、ただの一度でも当たれば弁慶に致命傷を与えられる。

だが弁慶自身もそのことには気付いている。目の前の女の正体は知る由も無いが、その殺意の波動が先程のアマゾニアとは比べ物にならないことは、醸し出すオーラから判別できていた。弁慶の怪力で槍を折ることは叶わずとも、全ての連撃を拳だけで叩き返した。

 

「くそっ…!」

 

海御前は一度距離を取る。そこに、先程数キロ先まで殴り飛ばされた筈のアマゾニアも駆けつけた。禮士は彼女の霊基を心配したが、まだまだピンピンしている。リカリーを通して、彼女の傷を癒す術式を展開した。弁慶はこの間、茫然と六区中央の巨大シェルターの方を眺めていた。

 

「舐めてやがるな、クソ坊主。」

 

怒りに震えるアマゾニアを禮士は一度制止させる。弁慶を打ち取るには、アマゾニアと海御前の連携は必須であった。今はこちらのカードをなるべく隠し、動向を窺うべきである。弁慶はこと戦闘において、バーサーカーとは思えぬほどに古兵だ。彼の逸話、九百九十九の略奪した武具の一つも見えていない以上、派手に動いて、限界を知られることは悪手であると判断する。

 

「リカリー、データは取れそうか?」

 

禮士はリカリーとの通信を試みるが、彼の言葉が届いていない。リカリーは今なお画面を前にオペレートしている筈なのに、何かアクシデントが発生したのだろうか。

否、リカリーは確かにオペレーションルームで戦いを見守っていた。だが、今起きている事実に、開いた口が塞がらぬ状況であった。とても冷静にはいられない、半ば絶望という感情に支配されている。

 

「リカリー、どうした…」

 

禮士はリカリーの息を呑む音を聞いていた。彼の意思は、どこか別のものに集中しているようだ。

リカリーの過呼吸にも似た荒い息使いを不審に感じ、禮士は改めて状況を確認する。すると、どうだろう。つい数十秒前にはあり得ぬと切り捨てていた悪夢が、目の前に広がっているでは無いか。

アマゾニアも、海御前も、禮士やリカリーと同じことに気が付く。それは武蔵坊弁慶への注力が起こしてしまった最悪の失敗。

そう、第六区の先鋭たち、その半分以上が、オートマタの大群に殺されていたのだ。

呆気に取られていた禮士はすぐさま、切り替えるように頭を振った。海御前へ指示を下し、アンドロイド部隊の方へ走らせる。

 

「おい、仮にも英霊があんな歯車とオイルの塊に簡単に殺されちまうなんてこと、あるのかよ?」

 

アマゾニアの疑問は至極真っ当である。リカリーもその何故の部分には気が付いていない。この場で禮士と海御前だけが、その理由を解き明かしていた。

 

「オートマタそれぞれの個体が所持している武器、あれは武蔵坊弁慶の逸話の物だ。」

 

禮士の一言にハッとしたリカリーは、急ぎ分析を再開する。

 

「待て、アレか?弁慶は九百九十九の武器を奪い取ったってヤツ。だがそれを借りているだけであんな……」

 

〈解析が完了しました。とんでもない事実です。心して聞いて下さい。〉

 

リカリーの通信に耳を傾ける。禮士の手は少しばかり震えていた。

 

〈弁慶の逸話、九百九十九の武具は通常、他のサーヴァントには使いこなせません。弁慶だからこそ、のものです。だが、予め弁慶の個々の武器の用途をプログラムされたオートマタであれば、ヒトのように癖が無く、的確に使用できます。何故アインツベルンがサーヴァントの大群では無く、オートマタを引き連れたのか、やっと理由が判明しました。〉

 

「おい、つまりどういうことだよ。」

 

〈………あのオートマタ、一人一人がミニマムな武蔵坊弁慶です。〉

 

「まじか…」

 

口をポカンと開けたままのアマゾニアを尻目に、海御前はその槍を豪快に振るい、オートマタを薙ぎ倒していた。既に十体ほどは機能停止に追い込んでいるが、それ以外は全くの無傷である。対して彼女は、剣や弓、槍にチェーンアレイなど、多種多様な弁慶武具を用いた連携攻撃を何度もその身に浴び、全身から血を噴き出していた。一人一人が一級サーヴァント並みの実力を有する為、傷を恐れていては満足に槍を振るうことも出来ない。結果、大将弁慶を消滅させる以前に、彼女は窮地に立たされていた。

通信上での、リカリーの制止を振り切って、アマゾニアが彼女の目前に現れ出た。その短剣を機械の脳天目がけて撃ち落としながら、海御前を守るように、その拳を振り続ける。もし今、一人佇んでいる弁慶が戦闘を再開すれば、この二人のみならず、残った第六区の勇士たちも、禮士でさえもジエンドである。アマゾニアが海御前に加勢するのは、一種の賭けであった。

 

「おい、デカ乳女!てめぇは一旦離脱しろ。マスターの元へ戻って、治癒でも何でも受けやがれ。クソ坊主が立ったまま寝ている今がチャンスだ。この絡繰どもはアタシに任せとけ!」

 

その拳をオートマタのコントロールブレインに叩き付けながら、海御前の為に道を作ってやる。野蛮そうに見えて、その実、動きは細やかだ。言う事を聞かない肉食獣という偏見は捨て去らなければならない、と海御前は認識を改めた。

 

「禮士…さま。」

「あまたん、大丈夫か?」

「はい、全て掠り傷です。まだ此方の中の『水』は一滴も漏れていませんから。」

 

禮士は治癒魔術で海御前の傷を癒した。その間も、アマゾニアは生き残った勇士たちを束ね、ひたすらにオートマタ軍を刈り取っている。流石は剣闘士、そのパワフルな戦闘スタイルは、味方にすると非常に頼もしい。彼女の鋭い蹴りは、次々と機兵の炉心部位を貫いていった。

そしてアマゾニアが三十人目のオートマタを殺した時、先程まで電源が落ちたように静かだった弁慶が重い腰をあげた。オイルに塗れたアマゾニアに目標を定めると、ここで初めて言葉を発した。

―言葉といっても、それは凡そ意思疎通の測れないものではあったが。

 

「きょうのごじょうのはしのうえ」

「あ?」

「だいのおとこのべんけいは」

 

弁慶はどこからともなく取り出した薙刀を所持すると、一歩一歩、アマゾニアの方へ歩いて行く。

アマゾニアも、禮士もまた、弁慶の異様な狂気に唖然とする。

弁慶は、一人歌っていたのだ。

 

「てめぇ、舐めているのか?」

 

アマゾニアの目が血走る。禮士はいち早く危険を察知し、海御前にスキルを使用するよう命じる。彼女の内側から絞り出した水球を、敢えてアマゾニアへ向け射出した。

 

「ながいなぎなたふりあげて うしわかめがけてきりかかる」

「歌ってんじゃねぇよ!クソ坊主!」

 

短剣の柄が折れるほど強く握りしめたアマゾニアは、弁慶の振り上げた薙刀を交わし、懐へ入り込もうとした。

だが、既に殺した筈のオートマタの残骸が、怨念を抱いているが如く、彼女の足に絡みつく。

弁慶の振り下ろした刃はアマゾニアの鋼の筋肉を斜めに引き裂いた。その衝撃は、先程の右ストレートとは比べ物にならない。辺り一面全てを吹き飛ばす嵐を巻き起こし、味方である筈のオートマタすら外壁まで吹き飛ばされた。

アマゾニアはその一瞬で、自らが命を落としたと悟った。英霊に昇華される前、まだ彼女が人間として生きていた頃を不意に思い出す。剣闘士として祭り上げられる前、性奴隷として男どもに飼われていた。繋がれた鎖、暗く湿った部屋、身体に虫が這う不快感、雇い主の趣味により、彼女は何百人の男を相手にした。一日で五十人余りに犯されたこともあった。満足な食事も与えられず、身体は痩せこけ、最後には、女性としての価値すら無いものとして、闘技場へ放り込まれた。

アマゾニアはその後、屈強な男や獣たちと血みどろの戦いに身を投じることとなった。多少の戦闘経験はあれど、相手は体格において叶わない野生の怪物たち。負ければ死ぬという状況で、彼女は持てる全てを戦闘へ持ち込んだ。肌を露出させれば男はたじろぐ、甘い声を出せば男は寄り添ってくれる。卑怯なのは知っている、だが、生きる為だ。彼女は男の弱点を知っていたが故に、そこだけをターゲットに勝利を収めてきた。下腹部を食い千切る様から、次第にアマゾニアそのものが獣と称されるようになった。

そして、彼女は同じように男社会で勝ち抜いてきた剣闘士『アキリア』と出会う。闘技場で相対した時、互いに生き様を認め合った。アマゾニアとアキリアは種族も違えば、肌の色も違う、所詮は敵同士である。己の拳が血と臓器で塗れる感覚を好きになることは決して無かったが、生まれて初めて彼女らは、戦いを大いに楽しんだのだ。正しく、彼女らは好敵手。互いが互いを美しいと思い合った。

勝利したのがどちらであったか、アマゾニアはそのことを良く覚えていない。恐らくアキリアもそうだろう。それどころか、その後の人生も、記憶から消えていた。二人とも、結果として誰かも知らない男に殺されたのは違いないだろう。

 

「アキリア……すまねぇ。」

 

アマゾニアの走馬灯は静かに終わりを告げ、彼女は膝を折った。内から零れ出る赤い血が、彼女の死を明確なものとする……?

 

「……あれ、アタシ死んでねぇ!」

 

アマゾニアの全身は、水球のバリアで守られていた。身体を流れていたのはただの水である。斬られた衝撃はあったが、彼女は無傷。走馬灯は、只の思い込みであった。

 

「サンキュー、デカ乳女!助かったぜ。」

 

一時的に禮士の元へ戻ってきたアマゾニアは、馴れ馴れしく海御前の肩を叩く。

 

「…此方の水球は一度しか通用しないでしょう。弁慶はもう、その強度をその薙刀で確かめている。次は水を貫通した攻撃に転じることが予想されます。禮士さま…。」

 

海御前は不安そうな顔で禮士に声をかける。小手先の技は通用しないということについては、彼も彼女と同意見だ。

禮士は身に着けていた帽子を、改めて深く被り直した。彼の中で勝利への道筋を作り上げていく。

 

「弁慶の攻撃、一手一手が重く、そして強い。それは戦った二人は感じただろう。」

「アタシがあのバカでかいビルまでぶっ飛んだんだ。そりゃそうだろ。」

「だが、彼の攻撃は『速い』訳では無い。現に、俺たちがこうして悠々と作戦会議を立てられるぐらいには、奴は侵略して来ない。いや、もしかすると出来ないのかもしれないな。」

「禮士さま…出来ないとは?」

「オートマタ部隊が弁慶の武器を所持していることは確認済みだ。だがその一つ一つは、オアシスに現存するホンモノを使用したものじゃない。当然ながら、弁慶の魔力によって練り上げられたものだ。百の部隊なら、百の武器を同時に展開していることになる。」

〈……っ弁慶というリソースを活用した部隊ですか!〉

 

通信のリカリーも驚愕の声を発した。

 

「何故、オートマタ企業のアインツベルンが百の部隊で攻めてきたのか。無限にオートマタを編み出せるのに、敢えて百機に限定する必要は無い筈だ。その理由こそ、ここにあるんじゃないか?弁慶が貸し与えることの出来る武器の総量が、マックスで百だった。それ以上は、弁慶そのものが動かなくなってしまう、というね。」

〈周りのオートマタを壊せば壊す程、弁慶は本来の力を取り戻していくということですね。〉

「一手一手は恐ろしく重い。だが動きは鈍い。なら、戦い方の解答は出ているだろう。」

 

禮士はにやりと口角を上げた。アマゾニアの頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいる。

海御前は禮士の言う解答を、いち早く導き出した。マスターである禮士の考えが分かるようで、少し嬉しい気持ちとなる。

 

「牛若丸の歌、ですね!」

 

こうして、彼らの作戦は決行された。

残っている六区の先鋭達へ指示を下し、守りの陣形で、オートマタを生かしつつ、その進軍を食い止める型へ切り替える。禮士とリカリーはこちらに注力し、魔術によるバックアップをしていく。

対して、海御前とアマゾニアは二人、弁慶を相手にする。海御前の絞り出した水の塊を空中に散布し、二人が飛び移る為の足場にする。さながら、牛若丸と弁慶の伝説、五条大橋での戦いを再現するように。

魔術によるバックアップを受けた海御前と、脚力に自信のあるアマゾニアが、スピードという点に特化して、弁慶の周りを飛び回り、翻弄する。足場から足場へ、二人は人間では知覚できない程のスピードで走り続け、弁慶に僅かのダメージを与えていく。一つ一つは致命傷になり得ぬ掠り傷、だがそれも蓄積されれば話は変わる。弁慶は薙刀を振り下ろす際は、爆風で吹き飛ばされぬよう、更に天高く用意した足場へ飛び移った。そしてすかさず改めて足場を用意し、また同じ攻撃へ転じる。

 

「きょうのごじょうのはしのうえ」

 

改めて歌を口ずさみ始める不気味な弁慶。

 

「おいおい弁慶よぉ、自分が活躍している部分の歌詞しか歌わねぇのは、負けるのが怖いからか?」

 

アマゾニアの煽りも、狂気に支配された弁慶には届かない。海御前は、意思を持たぬ絡繰のような弁慶の姿を見て、心臓を掴まされる感覚に陥った。

 

「だいのおとこのべんけいは」

 

弁慶は身体が切り裂かれ、削ぎ落ちていく肉を気にする様子もなく、ただ歌い続ける。

 

「ながいなぎなたふりあげて」

 

先程は歌詞の通りに、所持していた薙刀を振り被ったが、今は動く素振りを感じない。海御前はすぐさま、周りの状況を確認する。弁慶に小手先の技は通用しない。この状況をひっくり返す何かをしてくる筈だ。

 

「あまたん!上だ!」

 

離れた禮士が普段からは想像できない声量で叫ぶ。海御前は足場を飛び移りながら、頭上を確認した。

―そこには、いつの間にか用意されていた、弁慶の武器が無数浮かび上がっている。

 

「待て待て待て、クソ坊主、いつの間に!」

「一、十、百、駄目、数えきれない。もしかして貸し与えた百を除いた約九百本の武器!?」

 

次のフレーズが来たと同時に、これらの武器は一斉掃射される。そうなれば禮士も味方オートマタ諸共、全員がゲームオーバーだ。

 

「(あの宝具を…使えば…)」

 

海御前の切り札、それを用いれば、禮士たちだけでも守り通すことが出来るだろう。だが、それは、禮士との別れを意味している。

 

「っ…」

 

海御前に迷いはない、筈だった。だが愛しき人の顔が頭にへばり付いて離れない。その身が妖怪のものだとしても、心はうら若き乙女であった。この一瞬の迷走が命取りだという事も、正しく理解していた筈なのに。

 

「デカ乳女!てめぇは上の足場で、弁慶を倒す必殺技の準備でもしていろ!アタシがこいつを何とかしてやる!」

「な、何とかって、え?」

「剣闘士舐めんなよ!」

 

アマゾニアが野太い獣の声を張り上げると、空に用意された無数の太刀は、その矛先を彼女に向けた。それは彼女が剣闘士であるが故に所持していたスキルである。

 

「一対一の戦いに持ち込むスキルか!敵意を全てアマゾニアが請け負ったんだな。」

 

禮士が確認したアマゾニアにデータに記載されていた、剣闘士ならではの能力。敵の攻撃の対象を彼女一人に絞ることで、海御前はがら空きとなった弁慶に宝具を叩き込むことが出来る。

だが、それは、アマゾニアの死を意味していた。

 

「心配いらねぇよ。」

 

遠く離れた禮士の思考を読み取るように、アマゾニアは笑いかける。

 

「弁慶が自ら手に持った武器なら、確かにアタシでも無理だろうな。だけど、これは只の魔力による一斉投射だ。どれだけ鋭利であろうが、そこには人の熱は宿っていない。ならアタシの筋肉で、この拳で、全て跳ね除けられるさ。」

 

禮士は分かっている。それは只の強がりだ。数十なら兎も角、九百の武器を一人で相手するのは無謀な話。だが、自ら名乗り出て、勝利への道を示そうとする彼女の真っ直ぐな意志は、誰にも止められないだろう。

 

「リカリー、アマゾニアは遠坂組が召喚したサーヴァントだろう?ならいま、遠坂が抱えている令呪、出来るだけ全部をアマゾニアに注ぎ込んでくれ。彼女が九百の武器を壊せるように、急いでくれ!」

 

禮士はリカリーに呼びかける。彼に言われるまでも無く、リカリーは既にその準備を整えていた。

 

〈令呪を以て、第六区の守護者アマゾニアに命ずる!その鉄の身体で、千の切先を叩き割れ!〉

 

「うしわかめがけてきりかかる」

 

弁慶の歌と同時に、空に浮かぶ無数の武器が一斉掃射される。アマゾニアは空を見上げながら、満面の笑みを浮かべた。

 

「穢されようが、傷つこうが、剣闘士の誇りは折れたりしねぇ!」

 

彼女に注がれる膨大な魔力は渦となり、やがて翼のようにはためいた。

アマゾニアは目にも留まらぬ早業で、その一本一本を確実に墜としていく。

弁慶の動きは、射出している間、完全に停止する。海御前はアマゾニアの雄姿を見届けながら、弁慶を殺すための絶技の詠唱を開始した。

 

「皿を満たすは源(みなもと)の朱

 怨の積もらば覆水返らず」

 

海御前の身体は青く輝き、外壁の更に外側より、海水が渦となって空を飛んだ。遠坂組オペレーションルームからそれを見たリカリーは、後に「青龍のようだった」と呟いた。

アマゾニアは十数本の太刀を取りこぼし、身体の至る所を抉られながらも、その一斉射出に耐え抜いてみせた。今度はこっちの番だと言わんばかりに、天女のような海御前を眺めては笑った。

 

「此れ称するに『弾丸雨注(だんがんうちゅう)』!」

 

西外壁へ向け、せりあがった洪水は、弁慶目がけて落ちてゆく。その一滴が肉を貫く針のように、百ミリの雨が降り注いだ。

 

「針千本、飲ます♡」

 

海御前は口元に指先を立てながら、怪しく笑ってみせる。彼女の宝具は、がら空きだった弁慶の霊基を跡形も残らず壊し続けた。

その雨はオートマタ部隊をも同時に破壊する。アマゾニアと海御前の連携は、アインツベルン三狂官の一角を見事倒してみせた。

 

「おい、デカ乳。お前こんなすげぇ技があるなら最初から使えよな。」

「無理。源氏への怨念を溜めに溜めないと使えないの。」

「そうか……って、お前、水で濡れて着物が透けているじゃねぇか。その、見えているぞ!早く隠せよ!」

「ふふ、アマゾニアは意外とピュアなのね。」

 

赤面するアマゾニアを茶化す海御前、意外にも仲良く出来るかもしれない、そう禮士は感じたのだった。

 

〈お疲れ様でした。三狂官を倒すなんて、流石は禮士殿。気を付けて戻ってきてください。〉

 

リカリーの通信が入り、三人と、生き残った六区のサーヴァント三十余りが、遠坂組本部へ向かう。

リカリーは弁慶の霊基の消失を確認し、異常が無いことを確認すると、大きく伸びをする。他の遠坂組社員も、安堵からか、机に突っ伏したり、軽い談笑タイムに突入していた。

だが禮士は一人、難しい顔を浮かべたままであった。

 

「いかがなさいましたか、禮士さま。」

「いや、結局わざわざ三狂官で攻めてきた意味は、何だったんだろうな、と。」

 

右手で顎髭を擦りながら考える。だがリカリーはオペレーションルームで魔力の機微を管理している。何か異常があれば察知するはずだ。

 

「ん…?」

 

疑問の声を漏らしたのは禮士では無く、アマゾニアだった。

 

「アマゾニア?」

「アタシの中に流れる血が騒いでいる。剣闘士は人間とは比べ物にならねぇほど感度が高いんだ。命のやり取りが日常だからな。」

「先程の戦いで疼いているのか?」

「それもあるが、そうじゃねぇ。膨大な令呪のバックアップがあったときはそっちに気を取られていたけど、張り詰めるような感覚は戦闘中も感じていたんだ。」

 

禮士は改めて考え込む。

 

―令呪のバックアップで、遠坂の管理する魔力がアマゾニアに移動した……大規模な魔力の移動……

 

「まさか…っ!」

 

禮士はリカリーへすぐさま通信を入れる。

 

「リカリー、令呪の使用の際、遠坂のものとは異なる魔力移動が無かったか?」

〈魔力移動…ですか。………ある、あります、これは、遠坂のブレインサーバー!?〉

「リカリー達は魔力の計測を常に行っていたが、令呪のバックアップ、それも一画や二画なんて話じゃない、それを行う際、そちらに気を取られ過ぎていたんだ。大規模な魔力移動、誰だってそっちに注視するさ。まずいぞ、ブレインサーバーに敵サーヴァントが侵入している!」

「おい、それって!」

「アキリアが危ない!」

 

遠坂組総本山、ブレインサーバーにて。

果ての無い領域、固有結界内にて、鎖で吊るされたアキリアの霊基は消滅の危機を迎えていた。

超古代遺跡から、真っ直ぐに天高く伸びた巨大コンピュータは、その空間の異常さを物語っていた。

 

「まさか『我が願望は絶えず駆動する(イクイネン・ルオミネン)』を五分にも渡って耐え抜く者がいようとは。剣闘士とは耐久性に優れているのだな。」

 

アキリアは全身の筋肉が破裂してもなお、野生の目を失っていなかった。目の前に立つ妖艶な黒の女を精一杯睨み続ける。

 

「お前も、三狂官……か。」

「貴様らがそう言うならば、そうなのだろう。我が名は『ロウヒ』。北方の国ポポヨラの女帝である。我が手ずから殺してやるのだ。光栄に思うがよい。」

「剣闘士は生きる為に戦うのだ。死を誇ることは決して無い!」

「そうか。」

 

ロウヒは無限鋳造機「サンポ」で生み出された剣でアキリアの身体を半分に裂いた。豆腐を縦に割るように、いとも簡単に。

アキリアの上半身は転がっていく。末恐ろしいことに、仮受肉状態でありながら、まだ英霊として生存している。戦闘続行スキルでもここまで息を続けることは出来ないだろう。これが剣闘士の意地汚さかとロウヒは呆れかえった。

 

「弁慶も亡き今、早く遠坂の情報を持ち帰れねば、マスターが困ってしまう。いい加減死んではくれまいだろうか。」

 

どちらにせよ、ロウヒが固有結界を展開している以上、外から侵入することは出来ない。アキリアさえ殺せば、遠坂の全てがアインツベルンのものとなる。ロウヒの勝利は揺るがない。

 

「手間をかけさせるな、三流が。」

 

ロウヒが転がり落ちたアキリアの身体に剣を突き刺そうとする。これで終わりだと、ロウヒも、アキリアも結論付けた。

 

だが、決して起こる筈の無い、想定外の事態がロウヒに襲い掛かる。

 

彼女の振り下ろした剣は、何者かの槍で防がれた。

ロウヒは目を丸くする。彼女の固有結界に入れる者など存在しない。

 

―たった一人を除いては。

 

「災害の…ランサー?」

 

ロウヒの剣を弾いたのは、彼女の計算外の勢力。第六区の守り人、焔毒のブリュンヒルデ。

彼女はロウヒの固有結界を無理矢理こじ開け、内部から焼き尽くす。

 

「何故、災害がここにいる!?」

「………………………………………………………………熱(さむ)い」

 

ロウヒは身の危険を感じ飛び退いた。そして無限鋳造機サンポが彼女の炎で燃やされていることに気付く。

 

「馬鹿な、有り得ない。この世界は我の絶対勝利を保証している。災害、貴様はどうやって…」

 

そしてロウヒは気が付いた。焔毒のブリュンヒルデが燃やしているのは、魔力そのものだということに。

サーヴァントという枠組みを根本から崩しかねない事象、災害のランサーは、魔力そのものを消滅させることが出来る。

それは人間から酸素を奪うことに変わりない。英霊の命そのものが、災害に管理されている。

 

「無茶苦茶な……」

 

そしてその炎は、ロウヒの肉体にも燃え移る。その火を消すことは決して叶わない。焔毒とはつまり、相手を消し炭にするまで、永遠に燃え続けるまさに「毒」。この瞬間、ロウヒの死は確定する。

 

「流石だな、災害。」

 

ロウヒは燃え続けるサンポをフルに稼働させ、聖水を鋳造した。彼女は描いた理想を具現化できる。まだサンポが燃え尽きていないのなら、勝ち筋は残されている。ロウヒは全身に聖水を浴びて、災害のランサーの炎を消すことに成功した。左手一本が消し飛んだだけで済んだのは、幸いと言えるだろう。

ロウヒは宝具の使用を解除する。燃える世界は彼方へ消え、二人と、アキリアの遺体だけがブレインサーバーに帰って来た。

 

「我は退く。その前に答えよ、災害のランサー、貴様は何故遠坂に肩入れした。」

「…………………優しい人が…………困りますから。」

 

ブレインサーバーに向け走って来る音が聞こえる。遠坂組が異常に気付いたようだ。ロウヒは自らの影に吸い込まれるように溶け落ちた。

 

数十分後、禮士達はブレインサーバーに到着する。アマゾニアが真っ先に飛び込むと、そこには遠坂組関係者と、半分に砕かれたオートマタの残骸だけが存在していた。

 

「あ……アキリア…………」

 

海御前は目を伏せた。禮士は深く帽子を被り直す。

アマゾニアは涙を流すことも無く、彼女の好敵手の奮闘を想像して、両手を爪が食い込むほど強く握りしめていた。

そして災害のランサーの姿は既にそこにはいなかった。彼女に助けられたことを知る者は、誰一人いない。

 

遠坂邸を後にした禮士と海御前は、和歌山駅の方まで戻ってくる。

豪快に飛ばしてきた赤の高級車が彼らの前に停まり、中から彼の友人が青い顔をして現れる。

 

「禮士…っ…」

「お帰り、龍寿。思ったより早かったじゃないか。」

「状況は聞いているよ。アキリアは僕が殺したようなものだ。僕が離れた地に出張していたばかりにこんな……君たちが無事で本当に良かったよ。」

 

龍寿に続いて車から現れたのは、彼のサーヴァントである平教経である。高級車には収まり切らぬほどの巨漢に、禮士はアマゾニアを思い浮かべた(アマゾニアはそれでいて女性である)。

物珍しそうに見上げる禮士に対して、隣に立っていた海御前がずかずかと教経に近付いていき、その手を伸ばして彼の頬を引っぱたいた。

 

「お…おい、あまたん!?」

「この役立たず!」

 

海御前は目に涙を溜めていた。龍寿は慌てて弁解する。

 

「海御前、教経は悪くない。彼は僕の元を離れると、今度は僕自身がアインツベルンに狙われるかもしれないから、傍に残ってくれたんだ。攻めるなら僕を、叩くなら僕の顔にしてくれ。」

「いいのだ、マスター。」

 

教経は真っ直ぐに海御前を見つめた。妖怪として生まれ変わる前とはかなり容姿は異なっているが、その勝気な目だけは全く同じであった。

 

「海御前殿。遠坂の皆を救ってくれたこと、狂気に囚われた我が好敵手、弁慶を救ってくれたこと、敬意を表する。」

 

教経は元妻に対して跪く。生前では有り得ぬ行動だが、教経は彼女を一人の武士として尊敬していた。

 

「お前みたいなゴリラに恋愛感情は無い。此方は禮士さまという新たな主人に恋焦がれている。そのこと覚えておきなさい。」

「おっ…おい、あまたん!」

 

血の気の引いた禮士の腕に自慢の豊乳を押し付けると、無理矢理に龍寿たちから離れ歩き出した。

 

「あまたん、俺は龍寿と話すことが…」

「禮士さま、此方は先程の戦闘で激しく疲弊しています。ご褒美に第六区内をデートしましょう。いざデートです。レッツデート!」

「何でそうなる!」

 

禮士は海御前に引っ張られつつ、振り返る。龍寿にまた後でとアイコンタクトを送った。教経はどこか呆れた顔を浮かべている。

 

「だぁああああ!もう!分かった、デートしよう!今からデートだ!」

 

二人の背中を見送りながら、教経は小さく「有難う」と呟いたのだった。

 

 

開発都市第一区アインツベルンカンパニー楼閣にて。

居間で寝転びながらアーカイブを確認するミヤビの元へ、片腕の消失したロウヒが現れた。

 

「手痛くやられたようじゃな、ロウヒ。」

「災害の介入は計算外だった。」

「よいよい。おかげで焔毒のブリュンヒルデの能力も知れた。一石二鳥じゃ。お前が持ち帰った僅かばかりのデータも、中々に興味をそそられるものじゃぞ。」

 

ミヤビはデバイスを翳して、宙に大きく画面を表示させる。そこには過去に起きた、とある聖杯戦争の記録が記されていた。

 

「サハラの聖杯戦争。始まりの聖杯が生まれた地か。千年前の記録だが、これがどうした。」

「セイバーと、六の災害が誕生した聖杯戦争。そのマスターだった人物も徐々に判明しつつある。遠坂め、とんでもない事実を隠蔽しておったな。」

 

ロウヒは宙に浮かんだデータファイルを手動で開いた。すると、写真付きで、マスターであった人物が二人、大きく表示される。

 

「これは……」

 

一人は、本名、間桐 巧一朗。六の災害には属さなかった、セイバーのマスターである。

 

そしてもう一人、本名は、衛宮 禮士。災害のバーサーカーのマスターであった。

 

「何故、千年前に行われた戦争の当事者、それも人間が、このオアシスに存在しているんだ。」

「さぁな、それはおいおい、という奴じゃ。のう、貴様もそう思わんか。」

 

ミヤビは、ロウヒでは無い誰かに呼びかける。ロウヒが目を凝らすと、奥の部屋に何者かがいるようだ。

 

「マスター、誰かそこにいるのか。」

「ああ、貴様にはまだ紹介しておらんかったのう。竹の席は武蔵坊弁慶、梅の席はロウヒ、最後の松の席は?その答えじゃ。来い、ミヤビの最強臣下よ。」

 

ミヤビに呼ばれる形で、奥の部屋から大男が姿を見せた。ロウヒは焔毒のブリュンヒルデに出会った時のように、唖然と佇む他無かった。

 

「紹介しよう。災害のバーサーカー。真名を『后羿(こうげい)』。中国神話最強の神霊。九つの太陽を落とした神じゃ。」

 

                               【桃源郷寸話:『ステイルメイト』完】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

桃源郷寸話:『ハングリーチキン』

一話完結型エンターテイメント!
誤字等あれば連絡お願いします。
初めての方は是非プロローグからご一読ください!


【桃源郷寸話:『ハングリーチキン』】

 

〈ジョンジョンジョン♪ジョンターキー♪ボイルドチキンはジョンターキー♪〉

 

何とも間の抜けたフレーズが幾度となく繰り返され、客の耳にこびり付いて離れない。子どもはチキンを握り締めながら軽快なサウンドに乗せて愛らしい歌声を披露する。

喧噪の店内で、ひと際目立つ三人組が一部の男性客から注目を集めていた。一人は白銀の髪が艶やかな美少女、一人はファンシーとも奇怪とも取れるパーカーに身を包む学生服の少女、最後に、くたびれたスーツの冴えない男。ハーレムのように見えて、その実、アイドルとそのマネージャーという関係性がぴったりくる絵面だと誰もが邪推し、何なら男の苦労を勝手に想像して哀れんですらいた。

だが実際のところ、彼女らはアイドルでも芸能人でも無い。男は、マネージャーでは無いが、二人の美少女に振り回されているという点において、あながち間違いではないかもしれない。

 

「巧一朗、運命とは時に残酷なものだ。」

 

白銀の少女、キャスターは溜息交じりにマスターたる巧一朗に声をかける。巧一朗はいつにも増して、活力を失っていた。

 

「コーイチロー、元気出して、ね!」

 

金髪のメンヘラメイクの少女、美頼もまた、巧一朗の頭を優しく撫で、彼を勇気づけようとする。巧一朗はか細い声で「おう」とだけ返事をした。普段クールな青年が、ここまで精神的に追い詰められているとは、中々見られない光景に二人は驚き呆れている。

彼らは今、人気ファーストフード店『ジョンターキーボイルドチキン』で昼食をとっている。セレクトしたのは他でもない巧一朗。彼はこの店の名物サイドメニュー、メイプルビスケットを注文する為だけに、混雑するお昼時に関わらずやって来た。鶏肉など二の次三の次。彼の脳内は糖分を過剰に欲していた……が。

 

「まさか完売しているなんて、な。ははは。」

 

そう、休日は親子連れがいっぱいだった!迂闊!お子様御用達の甘味が無くなるのも時間の問題であったのだ。

 

「メイプルの無いコーイチローは、もはやコーイチローじゃないよ。」

「全くだ。彼奴の血液も脳細胞もシロップ漬けされているというのに。」

「あれ、何気に二人とも俺のこと馬鹿にしてない?」

 

巧一朗は注文したポテトをケチャップにディップしながら、窓の外を物憂げに見つめていた。キャスターはデザートメニューのチーズケーキを頬張り、美頼はデバイスでコスメ情報を流し見している。今日はなんと珍しくも休館日。各々が生産性の無い休みを謳歌していた。

 

「この後、どうする?」

 

巧一朗は二人に話題を振る。彼としてはメイプルに逢えなかった今、外を出歩く意味がない。さっさと帰宅したい所である。そもそも元々の予定では、彼一人で昼食をとる筈だった。キャスターは何故か巧一朗に付き添い、それを知った美頼が追いかける形で合流したのだ。四区の繁華街を出歩くのは疲れる為遠慮したいが、二人がまだまだ遊ぶ予定ならば付き合うつもりではいた。

 

「私はコスショップに行こっかなー。コーイチローが好きなナース服を一緒に選ぶの!」

「……何でナース服限定?」

「私は第二区に向かおう。人間が死ぬ瞬間を、巧一朗と共に観察しながら、甘いミルクを飲むのが至高のひと時だ。」

「……悪趣味だな、おい、探偵だろ。と言うか何で俺も行く前提なの?」

 

互いに巧一朗と二人きりになろうとする少女は睨み合う。キャスターについては美頼をただ茶化したいだけなのかもしれない。巧一朗は二人の意向を無視し、帰り支度を済ませた。

 

「コーイチローはコスショップ行くよね?」

「巧一朗は第二区の血肉に飢えた匂いを嗅ぎに行くだろう?」

「俺は帰ってパイオニアハザードの続きやります。」

 

三人分の会計を済ませ、そそくさと店を去る巧一朗。女性陣は慌てて彼の背を追いかけたのだった。

 

第四区繁華街のはずれ、アングラなショップが数多く存在する区画にて。

怪しげなビルの怪しげなショップで、美頼のファッションショーが始まった。

審査するのは二人、不満げな顔のキャスターと、欠伸が止まらない巧一朗。

じゃんけんの結果、見事美頼の案が採用され、午後はコスプレ三昧と相成った。

更衣室でウキウキの美頼を呆けた表情で待つ二人。何故かキャスターまでも付き合わされ、混沌とした会になる。

 

「帰っていいか、巧一朗。」

「奇遇だな。一緒にパイオニアハザードやろうぜ。俺はイオン使うから。」

「待て、私だってイオンを使いたいぞ。しれっと取るんじゃない。」

 

二人の中身のない会話は宙に消えていく。文句を言いつつも、結局は美頼に付き合うのが二人の優しさである。

カーテンを全開にし、堂々と現れた美頼。ピンクのナース服は彼女のメイクに似合っていて、素直に可愛らしいと認められる。巧一朗としては、大きく露出した胸部の谷間は非常に目のやり場に困るものだった。所詮はコスプレ、職業服とは異なり、別用途であると言えよう。

 

「いいぞ美頼、百点満点、さぁ、さっさと買って帰ろう。」

「ねぇコーイチロー、どう?可愛い?」

「おい、私は無視か小娘。」

「あぁ、まぁ、その、いいんじゃないか?」

 

巧一朗が目線を逸らしていることに、ふくれ顔になる美頼。彼の正面にずいと躍り出ると、惜しげなく露出した肌を接触させようとする。

 

「やめろ、やめろ、暴力反対。」

「何が暴力か!ヤりたいかヤりたくないか正直に答えなさい!」

「物騒な二択をぶつけてくるな。」

 

正直な所、巧一朗は美頼の姿を綺麗だと感じていた。が、かつて好きになった女の顔を思い浮かべると、冷静さを取り戻すのもまた事実。特に隣にいるキャスターの造詣が彼の愛した女に瓜二つであるから、余計にクールダウンする。惚れた彼女はもういないけれど、その恋を忘れていないのが現在の巧一朗である。

 

「むぅ、反応が悪いですなぁ。では続いてのナースに行きましょう。」

「だから何でナース限定なんだよ。」

 

巧一朗の至極真っ当な疑問は回答を得られぬまま放置される。鼻歌交じりに更衣室へ戻った美頼の背を眠たい目で見つめていた。

 

「巧一朗、美頼の雰囲気が以前までとは少し違うと思わないか?」

「一緒だろ。」

「……君は女心を理解していないようだな。」

「何でだよ。」

 

お前に言われたくないと言わんばかりに、じっとりとした目をキャスターへ向ける。キャスターはいつもの悪人顔で巧一朗へ笑いかけた。

 

「と言うかキャスター、お前はそもそも女なのか?」

「全てを魅了する美貌と男の情欲を煽り立てるこのボディラインをもった私が、君には男に見えるかい?」

「造詣はな。俺が言っているのは中身だ。お前、妙におじさんっぽいんだよ。残念系美少女って奴か?」

 

彼の相棒として振舞う彼女だが、二人は正式な契約者では無い。巧一朗は、キャスターの能力も、宝具も、名前すらも知り得ない。そのクラスが破綻者(コラプスエゴ)であること、そして彼女が探偵を名乗っていることだけを覚えていた。それだけ知識として有していれば十分だと思っている。

 

「私のことが気になるかい?巧一朗。」

「別に。」

「釣れないなぁ。いつもなら真実に辿り着くまで優雅にティータイムを楽しむ私だが、今日は特別に教えてやってもいいぞ。私の『真名』を。」

「……それ、こんな怪しいコスプレショップでカミングアウトするものなのか?」

 

巧一朗は聞く耳を持たない。何故ならば、それすら嘘で塗り固めてくる可能性もあるからだ。まともに耳を貸して、彼女の破滅的な快楽志向に飲み込まれれば、それこそ御陀仏になり兼ねない。

 

「……私はコラプスエゴの霊基を以て現界したサーヴァントだ。召喚者は、そうだな、これは秘密にしておこう。自ら告げているように、私はしがない探偵さ。呼ばれるクラスは、当然キャスター、の筈だったが、それは失敗に終わったのさ。」

「はぁ。」

「失敗の理由は単純さ。召喚の目的が、オアシスという枠組みを崩す為、災害へのカウンターとして呼ばれたのだよ。だが、オアシス式召喚は私の召喚を拒んだ。人間への従属、これがオアシス式召喚における前提条件だからね。人を故意に殺そうとするものは、残念ながら歪な形に変容する。まぁそれも、色々とやり方次第ではあるけどね。本来であれば私の魂は霧散する筈だった。」

 

巧一朗はキャスターから聞いた、切り裂きジャックの違法召喚を思い出す。なるほど、やり方次第とはつまり、アインツベルン製のオートマタを使用しない召喚などがこれに当てはまるという事である。巧一朗は結局、彼女の話に関心を向け始めていた。

 

「言わば私の元の魂は幻霊、夢幻へと昇華されつつあったが、強力な魂が呼応するように現れ、私という存在を支える柱として機能してくれた。もう一つの抑止の理、オアシスという完成された都市への解答札だよ。そうして私は三つの英霊が宿った破綻者として成立したんだ。」

「……おい待て、今の話だと魂は二つしか出て来ていないぞ。」

「キャスターとして召喚される時点で、私は交じり合った存在だった。思えばあのとき既にその精神は壊れていたのかもしれない。つまりだね、巧一朗。私の真名は三つある。その一つが今更明らかになろうが、私にとっては些事なのだよ。」

 

キャスターはクツクツと笑った。巧一朗は今の話を信用するか少し考え、一旦置いておくことにした。嘘である、真実である、その確証がどちらも持てない。

 

「なぁ、キャスター、もしかしてお前の召喚者は…………」

 

巧一朗の口内は乾ききっていた。涼しい店内で、彼の額に何本もの汗が伝う。

彼がその名を口にしようとしたとき、更衣室から可憐な少女が飛び出てくる。

 

「どうでしょうか!コーイチロー!」

 

先程露出度の高いコスプレ感とは打って変わり、本業の看護師に極めて近い衣装で登場する。肌の露出はかなり減ったが、そのはちきれんばかりの胸がボタンを圧迫して苦しげであった。

巧一朗とキャスターは素直に「おー」と感嘆の声を漏らす。肌色成分が減ったが、見えなくなった分余計にエロティックになったような気がしないでもない。二人は先程のピンク衣装より、今の姿に高得点を出した。

 

「先程より可愛さが増したぞ美頼。素直に私も誉めてやろう。」

「どうコーイチロー?好き?」

「聞けよ小娘。」

「まぁ、さっきよりは良いかもな。」

「それってつまりラブ?それともラヴ?愛してる?一生お前を離さない?」

「……ライクだ。それ買って帰ろう。」

「いや、まだまだ続くよコーイチロー!次はメイド風ナースよ!」

「だから何でナース!?」

 

満面の笑みの美頼に対し、やれやれといった表情の巧一朗。キャスターの中に眠る一つの魂が、仲睦まじく見える二人の様子を捉え、激しく熱を発していたのだった。

三着のナース服をリュックサックに仕舞い込み、鼻歌混じりに店を後にする美頼。結局、彼女のファッションショーは一時間にも及び開催された。疲れた顔の二人が彼女の後に続く。

 

「じゃあ用事が終わったし、帰るか。」

 

巧一朗は背伸びをしつつ、自然な流れで解散を持ちかける。だが美頼は別の何かを注視し、彼の話を聞いていない素振りだった。

 

「ねぇねぇコーイチロー、あれって……」

 

美頼のカラフルなネイルが指さす方向、三人にとっては馴染み深い顔がある。博物館裏稼業のアルバイター、鶯谷鉄心が店看板の裏に隠れ、何やら誰かの尾行をしていた。青いくせ毛をヘアバンドで雑に固定し、外で勤務をしてきたかのような灰色のツナギに身を包んでいる。お洒落した若者が行き交うこの場所では異様な格好であった。

 

「鶯谷本舗の依頼でもこなしているんだろう。無視して帰ろうぜ。」

「おーい!ちゅんちゅん!」

「っておい!美頼!」

 

美頼は大声で手を振りながら鉄心の元へ駆けて行く。相変わらず破天荒な少女である。

鉄心は美頼達の存在に気付くと、焦った表情を浮かべながら、口元に指を一本立てた。やはり何者かをつけていたようだ。ターゲットに悟られてはいけないらしい。

 

「倉谷、お前は空気を読んでくれ。ほら、分かるだろ?」

「?」

「駄目だわ。巧一朗、こいつを連れ帰ってくれ。」

「悪いな鶯谷。俺に美頼専用コントローラーは常備されていない。」

「あ、お前!倉谷を押し付けて先に帰るつもりだな!後はヨロシクって顔を浮かべやがって!」

 

鉄心は巧一朗とキャスターの二人も道連れにすることに決定。まさかの大所帯での尾行大作戦が始まってしまった。

 

「で、ちゅんちゅんは誰を付けているの?なんでも屋の仕事?」

「鉄心、君は探偵を目指しているんだね。私の弟子になるかい?」

「一気に話しかけるな。…ったく、仕事じゃねぇよ。今日の鶯谷本舗は臨時休業だ。」

「え、お前趣味で人のことをつけ回しているのか?」

 

哀れむような、塵芥を見るような、そんな目で鉄心を見つめる巧一朗。あらぬ誤解を与えたようである。

 

「待て待て、引くな引くな。いま尾行しているのは、その、アーチャーだよ。」

「アーチャーというと、千夜一夜物語の英雄、アーメッドか?」

 

キャスターの問いかけに、鉄心はふるふると首を横に振った。

 

「確かに霊基そのものはアーメッドだが、今のあいつは、アーメッドの兄貴だ。名前はフセイン。空飛ぶ絨毯の持ち主さ。」

 

首を傾げる美頼。鉄心の言っていることが理解できないようだ。巧一朗が補足で説明を入れる。

 

「アラビアンナイトの、空飛ぶ絨毯のストーリーで主役を務める三兄弟、フセイン、アリ、アーメッド。その三人の魂が一人の英霊に昇華されたのが鉄心のサーヴァント、アーチャーだ。アーメッドが主人格ではあるが、アリやフセインも肉体に息づいているということだろう。」

「だがコラプスエゴでは無い。その性質が破綻していないからな。三兄弟は一心同体なのだろう。」

 

キャスターはアーメッドに強い興味を抱いているが、彼の危機回避能力によって、今まで嫌という程に避けられてきた。

 

「ちゅんちゅんは、アーチャーを見て、今どの人格なのかが分かるってこと?」

「長い付き合いだからな。基本的に三人はほぼ同一存在と見ていいだろう。特にアリとアーメッドは、殆ど差異が無いと言える。ただ一点だけ、彼らを判別する方法があるんだ。」

「それは…?」

 

息を呑む三人に鉄心は真顔で応える。

 

「女の趣味が、違う。」

 

何故かどや顔の鉄心と、呆れた顔を浮かべる美頼。

 

「物語では、それぞれ違う人物と結ばれていたよな。アーメッドはペリパヌーと、アリはヌーロニハルと、フセインは…作中では独り身だったけど。召喚された今も彼らは想い人を愛しているのか。」

「いや、巧一朗、確かに愛してはいる、いるんだが、彼女らは英霊の座に存在しない。あの三兄弟が第二の生で再びかつての想い人と添い遂げることは出来ないんだ。…だから、彼らは一度、諦めた。オアシスにおいて、新たな恋人を探すことにしたみたいだぜ。ほら、見てみろ。フセインが待ち合わせをしている相手だ!」

 

鉄心が指さす先、現代風の爽やかな格好をしたフセインの元に、可憐な女性が姿を現した。これから二人でデートするようだが、鉄心を含めた四人はその相手側に見覚えがあった。

第四区の有名なクリニックにて看護師を務める、男なら誰もが恋に落ちてしまう白衣の天使、ウォッチャーのクラスで召喚された真名『ナイチンゲール』である。

 

「え、あれって、ナイチン先生!?」

 

驚き声を張り上げてしまった美頼の口元を、慌てて鉄心が覆った。巧一朗も声には出さないが、ぽかんと口を開けたままにしている。第四区で彼女を知らぬ者などいない。そのプロポーションもさることながら、誰に対しても明るく優しい笑顔で、かつ献身的に接してくれる、天使のような存在。芸能人では無いが、その美貌に目を奪われるものは多い。

 

「ちゅんちゅんのアーチャーが、ナイチン先生と……確かに美男美女ではあるけど、でも!」

「妬みで恨まれて殺されても仕方が無いな、鶯谷。こればかりは擁護できん。」

「そうなんだよな。ナイチンゲールさん、美人だし乳もデカいし優しいし最高だけど、いかんせん目立つからな。鶯谷本舗の裏稼業的には反対せざるを得ない恋だ。だが、その恋を応援したいという気持ちもある。」

 

だが鉄心は当然知っている。兄弟の趣味はそれぞれ異なり、例えば、アリはシェヘラザードへ半ば崇拝のような恋心を向けている。アーメッドは意中の相手を探している最中だが、以前、衛宮禮士とそのサーヴァントであるランサーと交戦したときに、ランサー海御前のその強さに心惹かれていた様子だった。だからもしフセインの恋が実れば、身体を共有している弟たちの恋は報われぬ結果となる。それは他の兄妹の場合でも同じこと、彼ら三人全員が納得する答えは存在しないだろう。鉄心は髪をかき乱しながら、分かりやすく項垂れた。

そんなマスターである鉄心が尾行していることなど露も知らないフセインは、待ち合わせにやってきたナイチンゲールを見て、純朴な少年のように顔を赤らめていた。普段の戦闘服のような恰好とは打って変わり、清楚なロングスカートの姿に、彼は新鮮さを覚えた。仕事の時とは明確に異なり、オアシスの街行く女子のトレンドな、カジュアルブランドのメイクをばっちり決めている。より彼女の美しさが浮き彫りになり、フセインは緊張を隠し切れない様子であった。

 

「今日は、ありがとうございます、私の我儘に付き合って頂いて。」

「僕なんかで良ければ全然…さぁ、行きましょうか。」

 

身長の差が二十センチ程ある男女が、互いの顔を見つめ、柔らかな笑みを浮かべ合った。それは客観的に見ても理想的なカップルの佇まいである。だがフセインは決して彼女の手を取らない。あくまで片思いであると認識し、弁えている。弟たちであればもう少し情熱的なアプローチを嗾けたかもしれない。だが彼は好きな女性を前に紳士的な対応を取らざるを得なかった。自らの経験値不足を嫌が応にも感じている。

彼は隣を歩く美少女を見つめながら、彼女との出会いを思い出していた。と言っても、ドラマティックなものでは無い。鉄心が風邪を引いたとき、付き添いでクリニックを訪れただけ。大して会話が弾むこともないままに、フセインはナイチンゲールの慈愛に満ちた姿勢に心をときめかせた。生前も美しい女は数多く見てきた。だが、これほどの眩さを内包した者はいただろうか。ただ、ビジュアルが良いだけなら姫君たちもそうだった。だが、患者に寄り添い癒そうとする、その献身性は唯一無二の輝きだった。

そしてフセインは鶯谷本舗の仕事の合間を縫って、クリニックの手伝いをし始めた。退屈を持て余した子どもと遊び、高齢者の話し相手になり、雑務は積極的に請け負い続けた。医学の知識はあまり無かったが、患者の心の治療に一役買っていると誰もが認めている。最初はナイチンゲールと共に働けるという下心から始めたことでも、今を生きる人間たちの心に触れ続けた結果、彼女と同じくらいには、クリニックでの仕事が好きになっていた。

 

「…フセイン、どうしましたか?」

「あぁ、すみません。物思いに耽っておりました。…ナイチンゲール、貴方と共にクリニックで働き始めて三か月、その思い出を振り返っていたのです。」

「まだ三か月、でしたね。もう三年くらいは一緒にいたような錯覚に陥ります。院長も、スタッフの皆も、貴方がいてくれて良かったといつも話していますよ。出来れば、これからもいて欲しいと。」

「あの英霊嫌いの堅物院長が、ですか?ナイチンゲール以外は認めないと最初は豪語していましたのに。」

「院長は英霊が嫌いというより、専属従者という枠組みが苦手のようです。私はほら、自由に楽しくやっていますし、フセインもきっと。ふふ、勿論私も、貴方と一緒に働きたいと切に願っています。」

 

お茶目に笑うナイチンゲールに、フセインは何度も顔を赤らめる。思えば「空飛ぶ絨毯」は、恋と冒険の物語だ。何度生まれ変わろうと三兄弟は誰か愛しの君を見つけてはその心を震わせる。それが語り部の作りし千の夜の記録。彼らの生みの親がシェヘラザードであったのか、それとも他の誰かだったのかは定かではない。だが彼らは今、恋と冒険の英霊として、この世界の記憶に残されている。

二人は談笑しつつ、第四区のショッピングモールにてショッピングを楽しんだ。ナイチンゲールのお目当ては、子供服やおもちゃである。クリニックに通う子ども達へのプレゼントか。二人仲睦まじく選んでいる様子は、宛ら新婚夫婦のようであった。フセインが心の底から楽しんでいる姿を見て、鉄心はどこか安堵したような顔を浮かべている。

 

「ちゅんちゅん、にやけちゃって、どしたん?」

「やっぱりさ、魂の在り方は三者三様だとしても、『アーチャー』が恋している姿は、本当に生き生きしていて、いいなって。」

「ふぅん。まぁバーサーカー、あ、ロウヒね、彼女が花園に座っているときは、とても幸せそうで、私もそれを見るのは好きだよ。」

 

美頼と鉄心が、自らのサーヴァントの幸せを心の底から喜んでいる中、巧一朗はキャスターのことを思い浮かべてみる。

キャスターの幸せ、ヒトが愉快に死ぬところ、苦しみ足掻く姿を観察すること。

 

「…………はぁ」

「おい巧一朗、いま私に対して凄く失礼なことを考えなかったか?」

 

キャスターからの苦情は華麗にスルー。再び彼らはフセインの監視に戻る。

 

「と言うか、鶯谷、何でお前はアーチャーをストーキングしているんだ?幸せそうだし別にいいだろう。」

「ただデートするってだけなら別にいいけどよ。問題はその後だ。フセインが今朝言っていたんだが、あいつ、今日告白する気なんだ。」

「こっ……こくはくぅ!?」

 

美頼と巧一朗は共に、素っ頓狂な声をあげる。通行人は一斉に振り返ったが、幸い、フセイン達には届いていなかったようだ。

 

「いや、まぁ、出会って、仲良く仕事して三か月、普通っちゃ普通だよね。」

「問題は、アリとアーメッドの意思…だろ?鶯谷。」

 

鉄心はこくりと頷いた。フセインが結ばれることを、弟たちは良しとするのだろうか。最悪内部に亀裂が生じれば、アーチャーという存在そのものが瓦解しかねない。

 

「破綻者(コラプスエゴ)でないからこその苦悩だな。三人共に個を諦めていない。アーメッドはアーメッドとして、フセインはフセインとして、生きようとしている訳だ。これは見ものだな。」

 

急にテンションが上がるキャスター。本当に性格が悪い。

 

「勝負はこの後、観光タワー展望台に上って夜景を眺める瞬間だ。いくぞ、お前達!」

 

何故か乗り気の鉄心に続き、博物館スタッフ三人は漢の雄姿を見届けんと歩き出す。男子中学生みたいだと巧一朗は内心感じたが、ツッコむのも野暮なので心に押し留めた。

そしてあっという間に時間は過ぎていく。イタリアンな夕食を済ませた彼らは、展望台のエレベーターを登って行った。

もはや堂々としている博物館スタッフたちは、二人の男女を追いかける。ここまで、アリとアーメッドは一切介入していない。フセインの恋慕を食い止めるなら、今しかない筈だ。

 

「目的の場所に着いちまったぞ。弟たちは出てこないか…」

 

心配する鉄心の肩を、巧一朗はそっと叩いた。彼は何故二人が邪魔して来ないのか、何となく察していた。

 

「二人が介入しないのは、あいつらは一心同体だから、じゃないのか?」

「どういうことだよ、巧一朗。」

「物語の中で、二人の弟は愛する者と無事結ばれた。けど、フセインだけはそうならなかった。三兄弟は一人の英霊として昇華されるほどに、互いを理解し、信頼している。もしかするとアリも、そしてアーメッドも、フセインの恋を叶えてやろうとしているのかもしれない。」

「弟たちが、兄の恋を……?」

「美しき兄弟愛ってな感じで。」

 

美頼もうんうんと頷いた。逆にキャスターはくだらないものを見たかのようにがっかりした表情を浮かべている。

 

「そうか。アリ、アーメッド、二人が。」

 

まるで親が子を見守るような、温かな表情で鉄心は彼らの行く末に祈りを捧げる。誰もいない展望台で、フセインとナイチンゲールは互いに見つめ合った。フセインを上目で見つめるナイチンゲール、その頬は少し明るんで見える。フセインはごくりと唾を飲み込んだ。

 

「(行け!フセイン!)」

 

柱の陰で見守る皆がフセインへ期待の眼差しを向ける。

フセインは手を少しばかり震わせながら、ナイチンゲールの肩をそっと掴んだ。

 

「フセイン。」

「ナイチンゲール、僕は……」

 

アーチャーという一人の英霊の中で、アリとアーメッドの魂もフセインの戦いを見守っている。

誰もが、フセインの発する愛の言葉を待ち望んでいた。

 

「ナイチンゲールを、僕は……………良き、仕事仲間だと思っています。これからも一緒にクリニックで働いていきたいと、そう、思います。」

 

フセインは、好きの感情を伝えることはしなかった。

 

「(何でだよ、フセイン…)」

 

唖然となる鉄心とその一行。アリとアーメッドだけが、フセインの出した結論を知っていた。

ナイチンゲールもまた、期待する言葉では無かったのか、驚いた表情を浮かべている。しかし、彼女もまた、フセインの意志を汲み取った。三か月、短い間とはいえ、彼女なりに彼のことを理解しているつもりだ。

 

「私も、フセインと一緒に働きたいと思っています。」

 

―だから最後まで、彼女は笑顔を崩さなかった。

 

展望台を降り、ナイチンゲールと別れたフセインの元に、鉄心を含めた博物館スタッフたちが駆け寄った。

 

「あれ、え?どうしたのですか皆さん。」

「何でだよフセイン。好きだったんだろ、ナイチンゲールさんの事。」

 

鉄心は当たり前の疑問をぶつける。美頼もまた、恋を諦めた理由を知りたがった。

 

「もしかしてアリか?それともアーメッドが?」

「あ、いえ、兄弟たちは別に何も、これは僕の意思ですから。兄弟たちも分かっています。」

 

フセインの口ぶりに、最後まで付いてきたキャスターは納得の声を漏らした。彼らの中で一番早く、フセインの行動の理由に辿り着いたのだ。

 

「そうか。君は破綻者では無い。あくまで、君は『アーチャー』なんだね。」

「どういうことだ、キャスター。」

 

巧一朗の疑問の声に答えたのは、他でもない、フセインであった。

 

「空飛ぶ絨毯の物語、三兄弟の冒険は、全て『恋』をきっかけにし、『恋』で締めくくられます。以前戦ったコラプスエゴと明確に異なる点が一つ、僕ら三兄弟は皆、恋するために存在しています。三人の魂が一つになれたのは、僕らが一つの物語であるからです。」

 

何者かが紡いだ物語の登場人物でしかない彼らは、一人一人が余りに力なく存在していた。三兄弟は個としての生命力が薄い。手を取り合うことで初めてオアシスという地で生きていけるようになった。誰かが紡いだ幻である三兄弟は、あくまでただの物語なのだ。

 

「恋をすることは僕らの活力だ。でもそれが叶ってしまえば、そこから先は何もないのです。千夜一夜の一夜に過ぎぬ僕らは、結ばれてしまったら、そこでめでたしめでたしなのですよ。『アーチャー』としての存在意義は消滅し、専属従者としての意味も失う、それはつまり、オアシスから退却するということなのです。」

「そんな…」

 

絶望した表情を浮かべる鉄心。フセインは、自らのマスターがただの一夜の御伽噺である彼の身を案じてくれていることに、果てもない嬉しさを覚えた。

 

「弟たちもちゃんと分かっています。だからアリは語り部のシェヘラザードを愛し、アーメッドは恋をしない選択をした。僕もそうだ。クリニックでナイチンゲールと働くのはとても幸せです。でもそれと同時に、鶯谷本舗として猫探しや引っ越しの手伝いに精を出したり、博物館の一員として聖遺物奪取の任務にあたったり、全部が僕にとっては大切なのですよ。だからもう暫くは、鉄心のサーヴァントとしてオアシスで生きていきます。僕も、博物館が敵対するであろう災害のサーヴァント達は、あまり好きになれませんからね。」

 

そう言い、フセインは笑った。恋をする為に存在するにも関わらず、その恋が叶うことはない、そんな矛盾を孕んだサーヴァント。鉄心は一瞬、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべたが、直ぐに顔を横に振ると、自らのサーヴァントに笑いかけた。

 

「そうか。うん、じゃあこれからも頼むわ。俺のサーヴァント!」

 

鉄心はアーチャーと肩を組む。彼はこれから近隣の居酒屋で朝まで飲むつもりだ。アーチャーの重さは、代わってやることの出来ないものだとしても、それを理解して共に歩むことはきっと出来る筈だと。

 

「じゃあな巧一朗、倉谷、そしてキャスター。付き合ってくれてサンキュー。また博物館で会おう。」

 

鉄心は「今日は飲むぞー」と叫ぶと、アーチャーを連れて夜の街に消えた。その顔に曇りは無い。真に、自らのサーヴァントを信頼しているのだろうと、巧一朗は悟った。

 

「俺たちも帰ろうか。」

 

巧一朗は美頼を見る。何だかんだ楽しい一日を過ごせたような気がする巧一朗と違い、美頼はどこか複雑そうだった。

 

「何だ?お前も鶯谷と一緒に飲みに行きたかったか?」

「………叶わない、恋。恋って、なに?なにそれ……」

「ん?何か言ったか?」

「あ、ううん!何でもないよ。帰ろ、コーイチロー!」

 

美頼は存在しないはずの感情に惑わされつつも、直ぐにそれを捨て去った。

今の彼女には、不必要なモノであったから。

巧一朗は暗い顔を見せた美頼を訝しげに眺めつつも、深入りしないことにする。人間なら様々思うことがあって良いだろう。

 

「キャスターも、行くぞ。」

「私は用事がある。先に帰っていてくれ。」

「そうか、早く帰って来いよ。」

 

巧一朗と美頼はキャスターと離れ、各々の自宅へ帰って行ったのであった。

 

 

真夜中の閉場した博物館、その庭園に訪れたのはキャスターである。彼女は別に花を愛でに来たのでは無い。鼻歌交じりにここへやって来た理由は、目的の人物に相対する為である。

庭園中央部、休憩用ベンチに座る人影。それはキャスターが求めていたサーヴァントであった。

 

「やぁ、バーサーカー。いや、ポホヨラの女帝ロウヒ。暫くぶりじゃないか。元気にしていたかい。」

 

背に持たれ、静かに目を閉じていたロウヒは覚醒する。瞼を開けたと同時に、目には映らぬ鎖でキャスターの足を捕らえた。

 

「何だ、えらく好戦的じゃないか。」

「我に用か、キャスター。否、貴様も真の名で呼んでやろうか?」

「女王に名前を憶えられているなんて実に光栄だね。でも私の名に意味なんてない。記憶するのは脳のリソースの無駄遣いさ。」

 

キャスターは茶化しながら、ロウヒの意思のままに椅子に腰かける。夜風は冷たく、ベンチも冷蔵庫のように冷え切っていた。温かい紅茶でも飲みたい気分だが、生憎とそれを用意してくれる者はいない。

 

「ちなみにその腕、どうしたんだい。まるで赤子のように小さくなっているけれど。」

「戦闘で負傷し、今生え変わっている最中だ。普段であれば一日も立てば元通りだが、今回はそうもいかん。」

「いやはや、まさか災害と戦って腕一本で済むなんてね。私は君のことを過小評価していたよ。」

 

ロウヒはキャスターに睨みを利かせる。馬鹿にするような発言に対してではない。キャスターはやはり、何もかもを知っている。

 

「掌握済みか。何もかも。」

「君が倉谷美頼を通して博物館を監視しているのと同じさ。私も探偵として君たちの動向を窺っている。あ、勘違いしないでくれよ。君もアインツベルンも、私にとっては等しくどうでもいい。重要なのは災害のサーヴァントだけさ。」

 

軽口を叩くキャスターの目前に、空中から無数の刃が出現した。彼女の命を今すぐにでも刈り取れる、そんな意思をロウヒは示す。

 

「おいおい辞めてくれ。どうでもいいというのは軽んじていることとイコールじゃ無い。ちゃんと敵の頭数には加えているとも。だが私が戦うのは災害だけで、君と敵対する意思は無いんだ。博物館がどう考えているかは知らないけどね。」

 

キャスターは両手を挙げ、降伏の合図をする。すると刃は忽ち宙で霧散した。

 

「而して、貴様は何故我の前に姿を見せた。災害のバーサーカーのことを掴みたいのなら、我も知らぬ。以上だ。」

「あー。違う。私が遊び場に使っていた小さな病院あるだろ?あそこ荒らしたのはロウヒかい?」

 

キャスターが巧一朗の家とは別に、根城にしていた廃病院。以前、ジャック・ザ・リッパ―を呼び出した場所でもある。そこに置いていた数多くの物が悉く盗みだされていた。

 

「そうだと言ったら?」

「酷いな!あそこに倉谷重工のオートマタ六機ほど隠していたのに!あとアグネス・サンプソンの触媒も!」

「アインツベルン製オートマタ以外はこのオアシスに存在してはならない。マスターの意のままに、我は貴様の所有する仮受肉用疑似肉体を全て破壊した。」

「あれ入手するのに時間がかかったんだぜ。…ロウヒも美頼も倉谷製の癖に、アインツベルンは自分たちさえ良ければそれでいいのか。」

 

頬を膨らませ抗議するキャスターを、ロウヒは見て見ぬふりをする。

 

「アインツベルンがトップを維持するためだ。追随する企業があってはならん。」

「違うね。何を言っているんだい、ロウヒ。隠しても無駄だよ。他のオートマタ企業を潰して回ったのは、災害の意思だろう?」

 

ロウヒは無言のまま、キャスターの顔をその蛇の目で捉えた。

 

「何のことだ。」

「アインツベルン製オートマタは昔からトップシェアだったろうに。敢えて他企業を潰すリスクはメリットに見合わない。現に、和平松彦や倉谷美頼、博物館という懸念材料を残してしまっている。それでもアインツベルン製以外の存在を一切認めなかったのは、首元についたスイッチ、これだろう。」

 

ロウヒは何も答えない。

 

「専属従者システム、聖杯戦争という枠組みが無いこの世界で英霊を呼び出し、服従させる。戦いが生まれぬはずのこの地で、敢えて英霊召喚を行う理由は不明だが、このシステムには大きな欠陥がある。万が一、災害を殺しうる存在が召喚されたら、オアシスという国の存亡に関わってくるという事だ。指定文化財という名目で強力な英霊の召喚自体を禁じてはいるが、どうしたって限界はある。現に、博物館はそれを災害への切り札として考えているからね。だから、英霊をいつでも殺せる、そんなセーフティーを設ける必要があった。アインツベルンは災害に全面協力しているから、君や美頼の存在が許されているんだ。」

 

ロウヒは目を伏せ、小さく拍手をする。「良い推理だ」と認めた。流石、探偵を自称するだけのことはある。

 

「ならば貴様に問う。美頼へ間違った推理を与えたのは何故か、とな。」

「間違った推理?」

「松坂行急行列車連続自殺、アレは美頼の恋心が暴走して起きた事件だ。貴様は敢えてそれを和平松彦、マールトの仕業であるかのように仕向けた。無論、美頼の末路はどう転ぼうと変わらない。壊れたものは修復しようが無いからな。だが貴様は何故か美頼に回り道をさせた。彼女は存在するだけで人を死に導きかねない。それを延命させるよう仕組んだ理由が知りたい。探偵として、矛盾している。」

「……だから私は破綻者(コラプスエゴ)なんだよ。あの行動は何というか、私の意思というか、私の雇い主の意思なんだろう。大事なのは回り道をさせたことじゃなく、結果、彼女が死んだということだ。私の介入によって彼女はより事件に首を突っ込んだとも取れるだろう?私の召喚者は、恋を嫌っている。巧一朗という存在を独り占めしたいらしい。」

 

ロウヒは呆れた顔を浮かべた。誰もかれもが恋だの愛だの、下らない感情に振り回されている。そんなものは、この庭園に咲く花のようになべて無価値だ。彩はあれど、そこに存在意義は無い。ポポヨラの凍土に花が宿らなかったのは、総じて弱者であったが故。力なき人間のつまらぬ恋慕に興味など湧く筈も無かった。

 

「で、ついでに聞くが、貴様が以前ジャック・ザ・リッパ―を使役し、災害のキャスターの捜査を攪乱したのも、探偵としてはあるまじき行為だと思うが、破綻者をより長く存命させ、自らのサンプルケースにする為か?」

「一人の人間の願いで誕生したクラスと私じゃ、その基礎概念は全くと言っていい程異なる。サンプルとして役立ったのは取り込んだ英霊の力をどこまで引き出せるかって点だけさ。もっと大きな情報が得られたよ、あの殺人鬼のお陰でね。」

「と、言うと?」

「災害のキャスターの手駒、使役している使い魔の姿を確認することが出来た。加えて、私は切り裂きジャック召喚時に倉谷の中古オートマタを使用したが、遠坂の代表に近付くまで、災害に存在を悟られなかったよ。つまり災害が英霊召喚を知覚できるのは、アインツベルン製だけだ。勿論、強力な魔力の波動を感知されればアウトだけど、気配遮断のスキルを持っていたからね、彼は。」

 

ロウヒは勿論、アインツベルンのオートマタに精通している為、その事実を知っている。ここまでキャスターが辿り着いたことに驚きを隠せない。

 

「あともう一つ、災害が認定する、指定文化財。このオアシスで召喚を認められていない者たちの条件だ。博物館の管理するものを全て確認したが、どうにも腑に落ちないことがあってね。」

「それは?」

「強力な英霊だけを禁じている訳ではないという事さ。芸術肌なサーヴァントも何騎かこれに該当している、ルネ・マグリットのチューブなんかもそうだろう。災害にとっての脅威とは何なのか、それを知ることが出来た。切り裂きジャックのような市民の平和を脅かしかねない存在には特に興味を示さない理由。」

 

キャスターは唐突にロウヒへ向かって指さした。彼女はその意図を測れず困惑している。

 

「君がその答えだよ、ロウヒ。アインツベルンが災害と結託しているからこそ説明がつく、このオアシスにおいて君だけが所有する能力、それが災害にとっての脅威だ。」

「成程、『固有結界』か。」

 

キャスターはビンゴ!と指を弾いた。ロウヒの宝具『我が願望は絶えず駆動する(イクイネン・ルオミネン)』こそが、心象風景を具現化する絶技である。

 

「何故災害が固有結界を危惧しているかは謎だけど、もしかしたらそれが彼らの行っているヘヴンズゲートとやらに関連するかもしれない。あともう少しで解明できそうだ。……災害との決戦の日は近いかもね。」

 

キャスターはそう言い、立ち上がった。ロウヒによって囚われていた足もいつの間にやら解放されている。お喋りは終了したのか、彼女はロウヒを置いて立ち去ろうとする。

背を向けたキャスターに対し、ロウヒは鎖の刃を空中から射出する。霊核を寸分違わず射抜く正確かつ無慈悲な一撃、だが、手にした得物でそれを弾き飛ばしたキャスターには届かない。

 

「おい、騙し討ちなんて女王がやることじゃないぞ。」

「……貴様が手にしている剣、左は『モラルタ』、右は『鬼切』か。起源の破綻者、貴様は底知れぬなぁ。」

「君が今宝具を使えば流石に分が悪いだろうけど、今のうちに私を殺しておくかい?」

「否、今のはちょっとした別れの挨拶だ。マスターにとって倒すべき敵は遠坂やマキリ、博物館は二の次だ。貴様が破綻者として完成しようとも、災害のバーサーカーには決して叶わない。」

「お、それフラグって言うんだぞ。」

 

キャスターは終始、ロウヒを茶化したままに去って行った。どうせ、彼女が庭園を訪れた理由にも、何か別の意味があるのだろう。

 

ロウヒは庭園のベンチに腰かけたまま、データアーカイブを開く。そこにはキャスターから採取したいくつものデータが存在した。

これらのデータを統合すると、彼女の中に眠る一人の英霊の真名が発覚する。

自らを探偵と呼称する滑稽さを、ロウヒが真っ先に知り得ていた。

 

「サーヴァント、コラプスエゴ。自らを探偵と名乗るその驚きの正体は……」

 

アーカイブに表示されたのは、探偵という存在と全く相反する概念。言うなれば探偵の敵である。

 

真名『ジェームズ・モリアーティ』。それが彼女の名だ。

 

 

【桃源郷寸話:『ハングリーチキン』完】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

桃源郷寸話:『三企業会談』

一話完結型エンターテイメント!
誤字等あれば連絡お願いします。
初めての方は是非プロローグからご一読ください!



【桃源郷寸話:『三企業会談』】

 

開発都市第四区、某所にて、厳戒態勢の巨大ビルディングに続々と高級車が集まって来る。

中でもひと際目立つのは、派手な色のオープンカー。折角、車を大量に走らせてカモフラージュしているというのに、中の人物が丸見えだった。これではアサシンに暗殺してくれと言っているようなものである。四区の自治組織、警備部隊隊長の男も、このオープンカーの持ち主には呆れるしかない。

 

「お疲れ様です。マキリ・エラルドヴォール様。ロイプケ様。お待ちしておりました。」

 

オープンカーから降りてきた不機嫌顔のエラルは、首を垂れる隊長の男に向かって歩いて行くと、手荷物を無理矢理に押し付けた。

 

「え、エラル様。こちらは第四区の警備隊長殿です。荷物は僕が預かりますから!」

 

運転席から慌てて飛び出たバーサーカー、ロイプケは、荷物を抱きかかえる隊長に一礼すると、彼の代わりにそれを預かる。エラルは苛立っていることを隠そうとしない。二人の男たちは同時に冷や汗を浮かべた。

 

「前に遠坂とアインツベルンは会ったばかりでしょう。何でまたわざわざ呼び出される訳?しかも災害のキャスターの『城』だなんて。いい加減にして欲しいわね。」

「エラル様、隊長殿に言ってどうこうなる話ではないかと…。」

 

ロイプケはエラルの怒りを必死に宥める。エラルも好きな異性に説得されれば、仕方なく折れるしかない。隊長の男を激しく睨みつけた後、正面ゲートから目的の場所へ向かって行った。エラルの履くヒールの音が遠ざかると、警備隊長は安堵の表情を浮かべた。

災害のキャスターの住まうこのビルは区民から『城』と呼ばれており、何者の侵入も決して許さない強固な魔力障壁で覆われている。自治組織の隊長、幹部のみが基本的に入場を認められているが、この度、大手三企業の緊急会談が行われることとなり、各企業の代表たちが続々と集まってきている。災害のキャスターの発令で、自治組織も動員されることとなった。警備用サーヴァントも忙しなく動き回っている。

警備隊長は無線で指示を飛ばしながら、最後の来訪者を待った。既に定刻は過ぎており、マキリCEOの怒りは頂点に達していることだろう。ビルの内部は幹部たちの管轄であり、彼は初めて自らの今の地位に感謝した。エラルのような気性の荒い女とはなるべく関わり合いたくないというのが彼の本音である。

そして地下駐車場へようやく数台の車が到着した。会談の予定時刻から三十分後である。警備隊長は入口ゲートの前で来訪者の登場を待つ。

そして現れたのは、華やかな模様の着物に身を包んだ少女。肌は白く髪は金色の為、異邦人を想起させる。名はミヤビ・カンナギ・アインツベルン。アインツベルンカンパニー代表取締役である。

 

「お待ちしておりました。ミヤビ・カンナギ・アインツベルン様!」

 

警備隊長はたどたどしく歩くミヤビに頭を下げた。どうやら彼女は自らのサーヴァントを連れ歩いていないようだ。歩くことに慣れていないような彼女に寄り添うものはそこにいない。彼は正義感、または親切心に駆られ、ミヤビの元に駆け寄り、補助役になろうとする。

 

「お主、ミヤビを支えようとするか。」

「僭越ながら、無論、ご迷惑でなければですが!」

「くく、善い。ならミヤビをおぶり、会談の行われる場所まで連れていけ。アインツベルン当主たるミヤビが許そう。」

 

警備隊長はミヤビを優しく背負った。彼の小学生になる息子より遥かに軽い。か細い腕は、ちゃんと食事しているか心配になる程だ。外見も当主というには若すぎる。彼は何も知らないなりに、勝手にも、アインツベルンの未来を案じたのだった。

ビルに入ると、幹部たちが怪訝そうな顔で警備隊長を見つめたが、彼の背に乗る少女に気付くと、事情を察知し、道を譲った。隊長はエレベーターに乗り、会場となる十四階に向かう。

 

「既に龍寿とエラルは来ているのか?」

 

ミヤビから話を振られたことに驚きつつも、隊長は直ぐに返答する。

 

「遠坂様とマキリ様は既に会場にいらっしゃいます。」

「そうか。奴らはミヤビの事を好いておらん故、怒りのボルテージもさぞや高まっているじゃろう。波乱の予感、か。」

 

ミヤビはクツクツと笑った。短気そうなエラルを前に、むしろこの状況を楽しんでいるようだ。

 

「それで、災害のキャスターは今どうしておる?」

「キャスター様は、今はこのビルを離れています。恐らく天空の城塞まで向かわれたのかと。」

「ああ、ヘヴンズゲートじゃな。ということは、あっちはあっちでお取込み中ということか。」

 

警備隊長はミヤビの言葉の意味を理解できないままに、三企業会談の開催部屋まで到着した。

 

「うむ、ここで良い。お主は下がれ。……ここまでミヤビを連れてきたこと、感謝しよう。」

 

ぽかんとした表情を浮かべている警備隊長を尻目に、ミヤビは戸を開き、中に消えて行ったのであった。

広いパーティー会場のような室内で、中央に円卓が用意されている。座席に腰を下ろしているのは二人、遠坂龍寿とマキリ・エラルドヴォール。それぞれの脇には各々の召喚したサーヴァントが立っている。エラルの傍にはロイプケという名の音楽家。龍寿の後ろで腕を組み佇んでいるのは最優のクラスと称されるセイバーの平教経だ。対して、扉を勢いよく開け堂々と入って来たミヤビには従者たる者がいない。

 

「すまんの。第四区に入ってから渋滞に巻き込まれてな。自動運転は寄り道もせんが、脇道も知らんときた。律儀に正攻法のルートしか辿れぬ真面目さがあるのじゃ。」

 

ミヤビは席に着くと、他企業のトップ二人をまじまじと見つめる。誰が見ようと、二人はミヤビに対し明確な敵意を抱いているのが明らかだ。そしてそれをミヤビは心の底から楽しんでいる。

 

「して、用件はなんじゃ。ミヤビも暇ではないからの。」

「先に失礼。僕からのお願いがある。いい加減、ミヤビ祖母さんの真似事はよしてくれないか。虫唾が走るんでね。」

「同感。お祖母ちゃん殺したのは貴女でしょう?アインツベルンに復讐して、乗っ取って、名前も地位も喋り方すら全部奪って、まだ貴女は嗤い足りないわけ?」

 

二人は同時に、ミヤビを睨みつける。その目には僅かだが、確かに殺意が籠っている。殺せるならば今すぐにでも殺してしまいたい、そんな怒りが渦巻いているのだ。

 

「なんじゃ二人して。あぁ怖い怖い。それを言うならお主らかてそうじゃろうに。のう、リュウジュ=インヴェルディアに、エラルドヴォール=インヴェルディア。遠坂、マキリの名に居心地の良さを感じておるか?え?」

「…その名で、呼ぶんじゃない。」

 

龍寿は机に拳を打ち付けた。その手が震えていることに、影のように立つ教経だけが気付いていた。

 

「すまない、取り乱した。……ミヤビ・カンナギ・アインツベルン、君とは以前不可侵の条約を結んでいた筈だが、先日アインツベルン軍隊が第六区に攻め入った件についてどう考えているのかな?」

 

龍寿は自らの怒りをコントロールする。感情的になればなる程、この醜悪な少女に付け入る隙を与えてしまう。加えて、この場において、エラルもまた遠坂にとっては仲間とは言えぬ存在であった。彼女に対しても、警戒を怠らない。

 

「先に禁を破ったのはそちらじゃろうて。偉大なる祖(インヴェルディア・オリジン)に誓い、我ら三家に隠し事は無しじゃった筈。始まりの聖杯戦争の記録、遠坂が隠し持っておるとは、いやはや、好青年かと舐めていたが、裏はとんだ毒蝮じゃ、エラルもそう思わんか?」

「貴女は私たちと違うでしょう、ミヤビ。名前を語っているだけの偽物じゃない。まぁでも、遠坂も遠坂。マキリに対しても秘密主義を貫いていたのはどういう了見かしらね。」

 

エラルは龍寿を挑発する。彼女含めマキリコーポレーションは積極的に過去の事象を調べない。あくまで災害を殺しうる力を欲しているだけである。

 

「(ミヤビと本格的に同盟を組むなんてのは絶対に嫌だけど、遠坂は災害の存在を肯定しているから論外よね。となるとやっぱり博物館かしら。充幸可愛いし。)」

 

ミヤビどころかエラルまで敵に回ってしまった龍寿は、慎重に言葉を選ぶ。彼の友人、禮士や鉄心に比べ、龍寿は自らを不出来だと卑下している。だが嘆いても助けてくれる友はここにはいないのだ。

 

「白々しいぞ。君達はずっと昔から僕ら遠坂に黙っていたことが色々あるだろう。英霊統合計画もその一つだ。第六区の災害、ランサーがいち早く危機を察知して計画を阻止してくれたが、もし暴走していたら、島を飛び越え、区民に多大な犠牲、損害を及ぼしていたかもしれないんだぞ。」

「じゃが、計画に参加していた第一区の研究者たちは皆、災害のランサーに殺されたぞ。それはお主にとってやむなき犠牲なのかの?」

「自業自得、と言いたいが、アインツベルンのトップたる君の指示であることは明白だから、君がまず責任を負うべきじゃないのか?」

「責任?何をだ。殺したのは、災害じゃ。台風の被害に遭ったのと、津波に攫われたのと、一体全体何が違うと言うのじゃ?龍寿はいい加減目を覚ませ。奴らは文字通り『災害』。コントロールなぞ出来る筈も無い。」

「でも僕らはそんな自然災害と共存してきた筈だ。だから………」

「はいはい、話が逸れていますよー。龍寿は私たちが隠し事をしていたから、自分も秘密主義になったと、そう言いたいのね。」

 

脱線していた話の流れを、エラルは強引に戻した。

 

「そうだ。まず暴力的手段に訴えたことがそもそもおかしいだろう。互いに探りを入れることも、秘密を増やすことも、今までは黙認してきた筈だ。何故ここにきて第六区に攻め入った。無関係の市民を巻き込む必要性は無かった。」

 

龍寿の真っ当な意見に、エラルもうんうんと頷いた。彼女が二社の激突を知ったのは後の話だが、どう考えても、アインツベルンはやり過ぎである。企業間の抗争の内容としては、常軌を逸した行動だ。

 

「ふむ、まず遠坂が隠している秘密を知りたくなったというのが最初の理由かの。オアシス誕生の理由、サハラの聖杯戦争、災害、ヘヴンズゲート。ミヤビは知らないことばかりじゃ。アインツベルンの幹部どもを皆殺しにした時も、一切情報を得ることは出来んかったからのう。未来志向のエラルと違い、龍寿はいくつも宝箱を抱えておった故な。二つ目の理由はそうじゃな………退屈?」

 

ミヤビの口から漏れ出た言葉は、到底二人が許容できるものでは無かった。龍寿はポカンと口を開いたまま静止し、エラルもまた目を丸くしている。

 

「退屈……?」

「ほら、遠坂の管理する土地が欲しいというのも勿論あるがの。持て余していたんじゃ、武蔵坊弁慶を。武人の癖になかなか戦う機会が与えられなくての。一度本気で遊ばせたかったのじゃ。遠坂もやるではないか。見直したぞ。」

 

あっけらかんと言い放つミヤビに、龍寿は拳を震わせた。彼の後ろに立つ教経は、もし龍寿が殴り掛かるなら止めるつもりでいた。

恐らくこの場で、教経だけが知っている。ミヤビの真後ろで、何かとてつもない力の塊が渦巻いていることを。

もし龍寿が怒りに我を忘れたならば、ミヤビは容赦なく彼の首を落とすだろう。その残忍さが認められる。

だが龍寿は自制した。アキリアの無念で呼吸を乱しながらも、あくまで遠坂のトップとして振舞う力強さを見せた。

 

「……分かった。アインツベルン、君達が欲している情報は明け渡そう。戦えば、それだけ大きな被害を出しかねない。それは僕の、遠坂の望みでは無い。だから今度こそ、正しく誓ってもらうぞ。もう武力行使は無しだ。」

「(龍寿は、そっちを選んだワケ。いよいよ、マキリが付くべき相手が明白になったわね。ミヤビのことだから博物館には目を付けてそうだけど。)」

「そうかそうか。龍寿の頼みじゃからな。区民を巻き込むのはやめにしよう。くふふ…あははははははははははははは」

 

ミヤビは手を叩いて笑い転げる。その姿はあまりにも奇妙で、龍寿は恐怖と嫌悪感に苛まれたのであった。

エラルはふと自らの従者であるロイプケを見る。彼はただ神妙な顔つきでミヤビを見つめていた。彼がエラルの視線に気が付かないのは、これが初めてのことであった。

ミヤビはひとしきり笑い終えると、冷静な表情で再び深く座り直した。

 

「で、マキリも何か隠し事はしておらんか?アインツベルンには見えない場所で、オートマタを製造するなどしておらんかの?」

「確かにアインツベルン製オートマタが独占状態の今、令呪の需要が減ってはいるわ。でも、もし我々にオートマタ製造のノウハウが用意されていたならば、とうの昔に着手している筈じゃない?」

「ふむ、それはそうじゃ。」

「でもね、マキリはアインツベルンの奴隷になる気は無いの。いつか必ず引き摺り下ろして、マキリがオアシスの頂点に君臨する。遠坂と違って、こちらは第二区に拠点を置いているの。戦争するならいつでも受けて立つわよ。」

「くく、それでなくては。だがお主、以前ミヤビの三狂官、梅の席に遊ばれてはいなかったか?」

 

松坂行き急行列車で対峙したエラルとロウヒ。僅かな時間の戦闘で、エラルの波蝕の魔眼はそのカラクリを解き明かされ、敗北を喫した。ミヤビの実力に関して、彼女は身をもって理解した筈である。

 

「垓の令呪でもどうにもならないことはあるのよね。修行不足を痛感したわ。でもね、次は負けないわ。」

 

エラルはそう言い放つ。彼女とてその手の内を全て明かした訳では無い。今までは、波蝕の魔眼で事足りる相手しかいなかったというだけ。もう一つ上の実力者には、それに匹敵するカードを出せる手札が、エラルにはあったのだ。

 

「というか、遠坂だってそうよ。まだ使ってないカードがあるんでしょう。龍寿の後ろに立っているセイバーだって、並のサーヴァントじゃ手も足も出ないでしょうに。」

 

エラルは確信をもってそう告げる。ほくそ笑むミヤビに対し、龍寿は沈黙を貫いた。

彼は守るべきものを決して履き違えない。遠坂の未来も、そしてオアシスの人々の命もまた。正義の味方になるつもりは無いが、遠坂組が守ってきたものは彼も守り通す。ただの都市開発企業の枠を超えて、区民の平穏を率先して守護する。そうやって遠坂組は区民の絶大な支持を集めてきた。

 

「能ある鷹は爪を隠すと言うが、最後まで爪を出さんと言うのは只の愚か者じゃ。然るべき時に龍寿の磨きに磨いた爪を見れること、ミヤビは楽しみにしておるぞ。」

 

三企業会談は緊急的なものであったこともあり、多少の情報共有の後に終わりを告げた。いつもの拘束時間を考えると楽な部類であるが、その実、ミヤビの振る舞いにより二人はえらく疲れ切っていた。

エラルとロイプケは駐車場の停めてあるオープンカーに戻った。同行していたマキリの者達は先に帰らせたので、この場には二人しかいない。ロイプケは紳士的な振る舞いでエラルを助手席に導くと、いつも通り運転席に腰を下ろす。しかし、なかなかエンジンキーを回すそぶりを見せない。エラルから見ても、彼は放心しているようだ。

 

「ねぇバーサーカー。」

「…っはい、只今発進しますのでっ…えあ」

 

ロイプケがエラルの言葉に返答した瞬間、彼は狭い車内で彼女に押し倒された。息が吹きかかる距離まで近づき、身体は密着している。

 

「えら…るさま!?」

「バーサーカー、ボケっとし過ぎ。シートベルトも付けてない。」

「え…あぁ、本当だ。申し訳ございません、エラル様。」

 

エラルの胸の鼓動がロイプケにも直に伝わって来る。彼女は大胆な行動をしつつも、緊張しているようだ。赤く染まりつつも、その目の鋭さは失っていない。彼女は恥ずかしさを覚えつつも、何か理由があって、彼に密着しているのだ。

 

「バーサーカー、今日ずっとミヤビのことを見てた。」

「えっと、はい。」

「ああいう、華奢な子がタイプ?着物とか凄く綺麗だものね。」

「はい???」

 

ロイプケはエラルが激しく嫉妬していることに数秒かけて気付いた。彼はミヤビをこれっぽっちも女性として意識していなかったが、エラルに要らぬ心配をかけていたらしい。

 

「違います、エラル様。違うのです。僕が愛しているのはエラル様ただ一人です。」

「じゃあ何故ミヤビのことを目で追っかけていたの?」

「それは……」

 

ロイプケはその事を口にするのを一瞬躊躇った。だが、エラルの潤んだ目を捉えると、自然と言葉が零れ出ていた。

 

「ミヤビ・カンナギ・アインツベルンは恐ろしい女です。彼女の纏う邪気のようなものは、恐らく彼女一人のものではないでしょう。恐らく、強力な英霊を連れ歩いているのだと考えられます。遠坂様の、セイバー平教経であれば、もっと深い所まで『見る』ことが出来たかもしれません。ですが、僕は非力にも、漠然とした嫌な気配しか感じ取れなかった。そのことが少しだけ悔しいのです。エラル様を守るのは僕の仕事である筈なのに。バーサーカーの霊基を以てしても、僕は力不足だ。」

 

ロイプケは自らの弱さを吐露した。彼は龍寿のように、あの場で自らを強く卑下していた。

エラルはロイプケの悲痛な声を聞き、今まで嫉妬の炎を燃やしていたのはどこへやら、彼を優しく抱擁する。

 

「エラル様…」

「バーサーカーは弱くなんて無いの。力に訴えるだけの野蛮さなんてマキリには私だけで十分だわ。私のバーサーカー、私のロイプケ、愛するロイプケ。貴方は誰にも負けない強さを持っている。」

「それは、何でしょうか?」

 

「世界を変えるのは、武力かもしれない。でもね、ヒトを変えるのは、いつの時代も『芸術』なのよ。」

 

エラルの言葉は、紙に水が沁み込み広がるように、ロイプケの心を通り抜け、温かい気持ちにさせた。エラルは誰よりも気分屋で、誰よりも我儘だが、誰よりも自由で真っ直ぐだ。ロイプケが第二の生を彼女の愛と共に謳歌できることは、彼にとって最上の幸せに他ならない。

 

「エラル様。帰ったらピアノを弾いても良いですか?貴方だけの、貴方の為の曲が、まだ一つ生まれ落ちたのです。貴方だけに聞いて欲しい。」

 

ロイプケは彼女を抱き締め返し、その熱を堪能する。ただのオートマタだが、その歯車は激しく回転する。この脈動こそがロイプケの生の証。彼はエラルを抱いたまま元の姿勢に戻り、名残惜しくもその手を離すと、エンジンキーを回した。

 

「バーサーカー。」

「僕にも幸い、恥じらいの感情があったようで。外でエラル様の温もりを味わうのはまだ難しいですね。」

「ふふ、そうね。私も他の人には見られたくないかな。」

「っと、そうだ、シートベルト!」

 

ロイプケの放心状態は少しばかり継続中。だがそれはミヤビへの敵意からエラルへの恋慕へと切り替わっているようだ。

彼はエラルを隣に乗せ、マキリコーポレーションに向け発進したのであった。

 

一方、先に車を出した教経と助手席でぐったりとしている龍寿は、第四区から第六区の方へ真っ直ぐに伸びた高速道路のインターチェンジに差し掛かっていた。教経は第四区の地理を把握している訳では無かったが、前方と後方に護衛含めカモフラージュの自動運転車を走らせている為、ただ前の車のナビ通りに走らせれば良かった。そして高速道路に乗ってさえしまえば、後は流れるままに第六区へと戻って行ける。

第四区を走っているときは少し緊張した面持ちだった教経も、ここまで来れば少し安堵の表情だ。

 

「鉄の馬ですら拙者には受け入れがたい物であったが、なび?というのには甚だ驚かされる。我らの戦場にも道を指し示す神秘があれば、時代は大きく変化していただろう。」

「確かに…義経の奇想天外な戦いにも対応できたかもな。」

「そうだな。だがマスター。なびがもし存在したとして、我が好敵手はそれすら軍略に組み込んでいただろうよ。拙者が勝つ未来は、遠かっただろうさ。」

「弱気だな、教経。」

「それだけ拙者はあの男を認めているという事だ。男……女だったような気もするが、関係は無い。拙者は彼奴に負けた。その歴史は覆らんだろう。だが義経がもし、おあしすで召喚に応じたならば、そして、再び拙者の前に立ち塞がるなら…」

「………」

「今度は勝つ、必ずな。」

 

龍寿は薄っすらと笑みを浮かべた。彼の中でくすぶっていた思いも同じであったから。

アインツベルンを、ミヤビ・カンナギ・アインツベルンを、いつか必ず止めてみせると。

 

「疲れているなら寝ているがいい、マスター。」

「すまないな。そうさせてもらう。」

 

龍寿はそう言い残すと、ものの数秒で眠りに落ちた。先程の会談で体力を著しく消耗したのであろう。教経から見ても、ミヤビは異常そのものであった。同じヒトと思うことがそもそも愚の骨頂。妖怪の口遊びに付き合わされたようなものだ。教経の生きた時代においても、妖というのは日常的に現れるものであった。何を隠そう、彼の妻もまた、死して河童へと生まれ変わったのだ。現代においては妖怪の神秘性は失われ伝承と化したが、それでも教経は今を生きる怪異も少なからず存在すると確信した。ミヤビのすぐ後ろで渦巻いていた悪意の塊も、妖の一種に違いない。人を殺めることに心が痛まないのは、もはや『鬼』の所業である。

 

「我らが先代も、鬼と戦い続けていた。拙者に課せられた使命は、源平の宿縁か、はたまた……」

 

教経はふと妻であった女、海御前を思い出す。

彼女と相まみえた時、彼は一切の情を抱かなかった。

無論、彼は愛妻家であった筈だ。だが、目の前に立っていたのは亡き妻では無かった。

彼女は、妖になっていた。

殺すほど憎むことは無い、だが、堕ちた女を掬い上げる気は失せた。

人が飼い犬に劣情を抱かないのと同じだ。海御前とは異なる生物である。教経の愛した女は間違いなく、死んだのだ。

だから彼女のマスターたる衛宮禮士に感謝した。妖の相手を担ってくれて有難うと。

 

「…いかんな、下らぬことを考えてしまった。」

 

教経は風景の変わらない道を法定上の最高速度で走り抜ける。

決して馬には出せぬスピードだ。風は感じずとも、爽快感はそこにある。

だが教経は、そんなドライブにほんの少しの違和感を抱いた。

別段気にすることでも無いが、喉に刺さった魚の骨のように、気持ち悪さを永続的に与え続ける。

 

「来たときは渋滞していたが、今はやけに空いているな。」

 

時間が経てば自ずと車両の数は減る、当たり前の話だ。だが、今の状況は少しばかり妙だ。

教経が見渡しても、前方と後方の自動運転車以外誰も走っていない。対向車に至っては一台も通らない。

 

「これほど極端に減るものだろうか。」

 

そして教経の不安はこの刹那、的中することとなる。後ろから音速で近付いて来る魔力の渦を感知し、彼は即座にハンドルを右へ切った。前方車と後方車から距離を取り、追い越し車線に乗る。そして彼らの上空を、あまりに巨大な何かが轟音と共に飛び去って行った。

 

「何だ…っ」

 

鼓膜を突き破りそうな程の壊音に目を覚ました龍寿。事態を飲み込めていないままに、前方を走っていた筈の自動運転車が粉々に砕け散っているのを目撃した。もし教経の判断が遅れていれば、彼らの車もまた巻き込まれ、数センチ単位に分解されていただろう。

技術を有した敵が武器で切り裂いた訳では無い。動き回るアリを踏み潰しただけ、と言わんばかりの、強者による蹂躙だ。

教経は上空を確認しながら、次の一手を予測する。敵の位置は全く確認できない。夕空を自由に駆け回っているのか。

 

「教経、敵襲か?」

「そのようだ。敵の姿、クラス、全てが不明。ヒトで無いことは確か。次は後方車がやられるぞ。取り合えず舌を噛まないように注意しろ。」

 

教経は敵の姿が見える前にハンドルをより右へと切った。すると、またも先程の轟音が襲いかかる。教経の予想通り、後方車が跡形もなく消え去った。

 

「拙者が騎乗スキル持ちで良かったな。」

「いや待て、流石に運転激しすぎて酔う……」

「酔うのと死ぬの、どっちがいい?」

「酔う方で。」

 

再び姿を晦ませた敵に対し、教経は次なる策に出る。彼は道路に対して平行に車を動かし、速度を固定しながら、自動運転機能へ切り替える。アクシデントが起こらない限り、この車両はひたすらに真っ直ぐ進み続けるだろう。

 

「教経…っ!」

 

彼は時速百キロの車両のドアを開け放ったかと思うと、天井部分に乗り、再び扉を閉めた。車内には龍寿のみが残される。切り裂くような風を全身に受けながら、教経は刀を抜いた。

 

「友成、決して折れるなよ?」

 

敵襲三波目、英霊である彼は音速の翼をはっきりとその目で捉える。予想通り、妖怪の類か。猛禽類に似た姿に、余りにも巨大な翼をはためかせている。その羽一本一本が武将の有する刀のようだ。

 

「成程、上空を通り過ぎるだけで大破したのはその為か。実に面妖な。」

 

音速で接近してくる魔力の怪物に対し、教経は長刀を振り被る。その瞬間、激しい鍔迫り合いが巻き起こり、彼らの敵は空へ飛翔した。

教経が落としたのはたった三枚の羽根。掠り傷にもなりはしない。だが、彼の剣も一切の刃こぼれをしていなかった。

 

「流石は古備前友成か。匠はやはり匠だ。」

 

感心している教経に、車内の龍寿からテレパシーの如き脳内伝達が入る。

 

「教経、このまま自動運転に任せるのはやはりリスクが大きい。僕が運転する。」

「出来るのか?」

「ははっ。振り落されないように注意してくれ。あと、こちらでも敵の正体を解析してみた。運良く、直ぐ真名に辿り着けたよ。」

「真名…?ということは、奴もまたサーヴァントなのか?」

「そうだ。妖怪というより、悪魔と呼ぶのが近いかもしれない。クラスタイプはバーサーカー、多分ミヤビのクソ野郎の置き土産だ。猛禽類のような見た目に、赤い眼、巨大な翼、その存在は伝承上のものでありながら、人々の信仰を一身に集めている。奴の名は……」

 

直後、龍寿の言葉を遮るようにソレは飛来する。今度は龍寿の目にもしっかりと焼き付いた。

 

「真名『モスマン』!USAの未確認生命体だ!」

 

教経の上空を踊り回るモスマン。お前も飛べるものなら飛んでみろと挑発しているようにも見える。

教経が高く跳躍し、その翼に切り掛かるも、怪物は逃げるように更に空へ飛んでいく。彼の剣先が届くことは無かった。

そして落ちてきた彼を抱きかかえるように、龍寿のドライブテクニックで教経を援護する。車両の上に無事着地した彼は、モスマンの対処法を数秒の内に思考する。第四波が来る前に何とかしなければ、いよいよ車両がもたないだろう。

 

「教経、令呪を使う。」

「魔力増強か。有難い。ならば拙者も抜くしかあるまいか。」

 

教経は手にしていた得物を敢えて納刀する。モスマンの急降下が襲い来るその瞬間に、決着を付けなければならない。

教経には所持している刀が数本ある。どれも名刀だが、神秘的な力が宿っている訳では無い。友成の打つ刀は、ただ『折れない』というだけだ。

今の教経には十分有難い保証。曲がらない刀がある限り、彼はセイバーであり続ける。モスマンが妖の類であるならば、その圧倒的技量の差で神秘を撃ち落とすまでである。教経には経験に裏打ちされた確信があった。

 

「降りてこい、梟。」

 

モスマンの眼光が激しく光輝く。龍寿はすかさずマキリ製特注素材の令呪を二画消費し、教経に魔力によるバックアップを施す。

 

「頼むぞ、教経。」

「応さ、佐々木小次郎が如く、素早き燕を捉えてみせようぞ。」

 

そして来たる、モスマンの第四波。遥か高い上空から、顔面でダイブしてくる。常人がその光景を目の当たりにすればショック死しそうなものであるが、教経はひと時も目を離さない。彼が手にする桜丸が白銀の刃をちらりと覗かせる。

モスマンの急降下、そして翼の百の切っ先が龍寿の車目がけて発射される。しかし、それは直ぐに、後の祭りとなったのだ。

 

「刃を満たすは空蝉の朱

 友成の鉄、並べて腐らず」

 

教経は握り締めた柄に力を入れ、愛刀『桜丸』を抜いた。

 

「此れ称するに『抜刀白魔(ばっとうはくま)』!」

 

桜丸の抜刀は弧を描き、宙を斬る。

上空で制止したモスマンは、斬られたことに数秒の間気付かずにいた。

教経は襟を正すと、運転席の龍寿の代わりに助手席へ飛び乗った。

二人を乗せた車両が先へ走り去る中で、ようやくモスマンの肉体は二つに分断され、道路に溶け落ちたのだった。

 

「おいマスター、アインツベルンとの不可侵の約束はどうした。」

「……思い出したら、あの女、区民を巻き込むのは辞めると宣言したが、僕たちを襲わないとは一言も言っていなかったな。わざわざ交通規制をかけたのか……」

「早めの対処が必要だな。」

 

ただでさえ疲れ切っていた龍寿は更に追い詰められる。この先のトンネルを超えた先、第六区に戻った暁には、真っ先に就寝しようと、彼はそう誓った。モスマンの襲撃のことを言えば、誰もが彼の眠りを妨げぬよう努力するだろう。龍寿と教経は互いに「お疲れ様」と言い合ったのであった。

 

 

会談の行われた会場に一人残ったミヤビは、キャスターの城の最上階へ登り、開けた場所で意識を飛ばした。

彼女は遮蔽物など無い空間であれば、その目ではるか遠い先を見渡すことが出来た。

どうやら彼女が遣わせたモスマンは敗れ去り、龍寿と教経は無傷で高速道路を走り抜けたようだ。

 

「ほぉ、流石じゃな。龍寿。」

 

だが彼女にとっては想定通り。これは只の遊びに過ぎない。災害のバーサーカーの力を振るうときこそ、遠坂との全面戦争である。

今はその時では無い。暇つぶしに、手駒であるバーサーカーで殺戮ゲームに興じただけ。

 

「エラルはそうじゃな。また今度、ミヤビの愛をくれてやろう。」

 

彼女はにんまりと口角を上げると、意識を肉体へと戻し、広がる景色を見渡した。そして、彼女にとっては酷くくだらないはずの過去を少しだけ、思い出した。

 

倉谷という魔術には縁も所縁もない家に生まれた彼女は、突発的に、超人的な力を有していた。

それは世界を見渡す力。広がった空間であれば、どこにいようと目的の人物を見つけ、確認することが出来る。

そんな生まれ持っての力を有していた彼女だが、愛の育まれた環境とは言えない。両親は偶に優しかったが、酷く暴力的でもあった。生まれてきた娘が気味の悪い力を有しているものだから、虐待するのは至極当然の摂理だ。何故なら、「気持ち悪いから」。

食事も満足に与えられない。冷蔵庫に入っていた、腐り切ったホットケーキが、彼女の記憶にこびり付いている。

そのホットケーキは、カビが生えて黒ずんでいた。キッチンに転げ落ちていた消費期限切れのメイプルシロップで何とか味を誤魔化した。

食べてみると、やけにしゃりしゃりする。それは彼女が殴られ、折れた歯の残骸だった。

 

―あぁ美味しい。

 

―ありがとうお父さん、お母さん、未来にこんな美味しいお菓子を用意してくれて。

 

―代わりに私が料理を作るよ。材料を買うお金が無いから、その辺りから調達してくるね。

 

工場住まいの未来は、両親を想いながら鼠を生け捕りにし、料理する。当然皿ごと投げ捨てられた。

彼女は決して感謝の心を忘れない。与えられた全てに感謝する。痩せて見るに堪えない姿になろうとも、身体のあちこちが醜く崩れていても、

母にバッドを振るわれようと、父に無理矢理犯されようと。

 

「有難う、お父さん、お母さん。」

 

ヒトの愛を見通して、ヒトの夢を見通して、ヒトの限界を見通して

そして、あの日を迎えた。

ごめんな、未来。父は優しく笑う。血塗られた包丁は、母への愛が詰まっている。

だからこそ未来は羨ましい。父の愛を一身に受けた母が羨ましい!未来は自らが父に殺されることを強く願う。

それが愛ならば、この上なく美しいものだ。

だが父がナイフを振り上げた時、未来はふと考えた。

もし自分が死ねば、誰が父を愛してくれるのだろうと。

だから未来は死ぬのを止めた。親孝行しようと考えた。今まで両親から貰った愛を、全て返してあげようと。

未来は喜んで父の首を串刺しにした。おめでとうお父さん、これは間違いなくハッピーエンドだ。

そして彼女は考えた。愛をくれた人すべてに、等しく『愛』を与えようと。

それは未来がミヤビになった後も、何度だって繰り返される。両親も、アインツベルンも、自らが呼び出したサーヴァント(ドッペルゲンガー)でさえも、

 

「どうして人を殺(あい)しちゃいけないの」

 

ミヤビの乾いた愛(こえ)に答える者は誰もいない。

 

 

【桃源郷寸話:『三企業会談』完】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

桃源郷寸話:『サハラの放浪者』

一話完結型エンターテイメント最終章!
誤字等あれば連絡お願いします。
初めての方は是非プロローグからご一読ください!


少女は語る、かつて自らが体験した異聞奇譚を。

 

己の色を求める剣士がいた。祖国を愛し、最期まで主人とその妻を守り通した。自らの死を以て、敗北の未来を塗り替えた。

 

失われた恋人を探す漁師がいた。愛ゆえに破滅する運命にある主人に最期まで寄り添い続けた。彼女の選択をただ一人肯定した。

 

志を捨てた狂戦士がいた。自らの生きた証全てを捨て去り、祖国を恐怖と絶望の色に染めた。

 

信仰に生きた皇帝がいた。生前の行いを悔い改め、なお、神を信じた。主人を良き友と理解し、友であるからこそ、その矛先を彼に向け、生き様を貫いた。

 

理想社会の為に命を燃やした蝶がいた。古き友を信じ、その願いを引き継いだ。新たなる友に裏切られても、それを許し、果てた。

 

そして

 

心優しき鬼がいた。自らの宿業に絶望しながらも、ヒトとしての最期を迎える為に走り続けた。

聖杯が消失した後に、大切な者へ己が全てを託し、命を落とした。

 

「生きて」いることは大変だ。

でもそう願われたなら、それを叶えるのが英雄だ。

困難を乗り越えて、いつか幸せが充ちたとき……

聖杯に頼らずとも、少女の祈りは届く筈だと。

 

【桃源郷寸話:『サハラの放浪者』】

 

「充幸……いい加減起きなさい……充幸。」

 

黒に極めて近い銀のロングヘアーを粗雑にまとめた少女は、肩に置かれた手の温もりに目を覚ました。その手の温かさは、周りの環境を鑑みても、不快に感じられるものであった。彼女の額を伝う汗が零れ落ちて、彼女の髪の桃色の毛先に染みていく。

寝ぼけた顔で周辺を見渡すと、辺りは一面の砂世界であった。ここはアフリカ大陸、モーリタニアの中心部。サハラ砂漠の真っただ中を、オフロード車がぐんぐん進んでいく。

少女は助手席から後ろに手を伸ばしたブロンドヘアーの女を凝視する。彼女は着ていた服を取り払い、真夏の水着姿で堂々と胸を張っている。運転席の男は隣をなるべく見ないように注意しつつも、変わらない風景に飽きたのか、横目でちらちらと女の豊満なバストを堪能していた。これには充幸と呼びかけられた少女も呆れるしかない。

 

「ナリエ、何故上半身脱いでいるのですか?」

「いくら魔術で外をシャットアウトしていても、外界気温は既に四十度を超えているのよ。盗賊団もいないみたいだし、肌を露出しても何ら問題は無いわ。」

「確かに暑いのは認めます。しかし運転席のエンゾにとっては目に毒でしょう。」

「目に毒とは何よ。彼は私の夫なのよ。彼が私で興奮しているなら、それは至って健全な反応よ。それに、ノエルとエルマは今ニーナさんが預かってくれているんだから教育上も問題ナシ!」

「はは、流石に今回のミッションにウチの子らを連れてくるわけにもいかないさ。ちなみに充幸君、君は絶対に脱がないでくれよ。俺がナリエに殺される。」

「そうね、充幸の身体は貧相だけれど、エンゾは節操なしだから、手を出しちゃうかもね。勿論、そうなったらぶち殺すけど。」

「……目が怖いぞーナリエ。」

「……貧相じゃないし。これでもDくらいは、多分あるし。貧相じゃないし。」

 

鬼頭充幸は、とある目的を以て、この地に足を踏み入れた。それは同乗している女、ナリエ・ダルマーロも、運転席の男、エンゾ・デ・キマリュースも同じ。彼らは皆、過去にフランスの地で起きた亜種聖杯戦争の生き残りである。当時は敵対関係にあった充幸とナリエも、今や同じ釜の飯を食う仲間だ。

ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアが西暦二千年に起こした大事件『聖杯大戦』より少し前、彼の世迷言を信じたエンゾが作り上げた聖杯システムを基盤に亜種聖杯戦争は勃発した。凡そ不完全なおままごとだった彼の戦争を真なるものへ変貌させたのが、参加者の一人、ランサーのマスターであるグラコンだった。グラコンの正体にいち早く辿り着いた充幸らは、戦争を終わらせるために協力関係となる。セイバー、ライダー、アサシンが協力し、バーサーカーと、ランサー、そしてそのマスターを倒すことが叶ったのだ。

だがその過程で、参加者の一人、鬼頭充幸は命を落とした。鬼の呪いと共に育った彼女は、二十歳までに呪いをどうにかしなければ、胎内に孕んだ悪鬼にヒトの外殻を食い破られ絶命してしまう。聖杯に望むつもりが、もともと不完全だった願望器は戦いの中で消滅してしまう。彼女は自らのアサシンのサーヴァント『エサルハドン』またの名を『身代わり王』に自らの生を託した。いま現在サハラにいる充幸は、もともとエサルハドンだったはずのサーヴァントだ。鬼の魔力を以て受肉し、悪鬼として今もフランスの地をさ迷い歩く鬼頭充幸の代わりに、彼女の一生を請け負っているのだった。無論そのことをナリエとエンゾは知り得ている。

 

「貧相とか言って悪かったわね。充幸には感謝してもしきれぬ恩がある。エンゾの気持ちにちゃんと向き合えたのは充幸が話し合いのテーブルを用意してくれたお陰よ。私の最高の友人だわ。」

「ナリエが言うと凄く胡散臭くなるのは私の気のせいでしょうか。」

 

充幸は手をパタパタと振り送風を試みるが、体温より外気の温度が高ければ、熱風しか発生しない。この地において自らを癒す手段は体内に取り込む冷えた水一点である。だがクーラーボックスはもはやその役目を果たしていないとみえる。取り出したペットボトルは生温い。

 

「というか、充幸はサーヴァントでしょう。熱さなんて感じない筈じゃ?」

「身代わり王とは、王と認証した人間の人生を請け負う宝具です。既に受肉している私は、自らが人間であるように振舞えば振舞う程に、元の充幸に限りなく近づいてゆきます。無論、彼女のように鬼の血が流れている訳ではありませんので、あくまでもヒトとしての充幸ですが。」

「じゃあもう、生前のエサルハドンとは違うという訳?エサルハドンの持つ、アッシリア領域を具現化する固有結界『連綿たりし我の国(ダーリウム・マートゥム)』は使用できないのかしら。」

「…どうなのでしょう。エサルハドンの権能の多くは消失していますが、まぁ聖杯戦争自体が今や過去のものですし、使用することも無いでしょうね。」

 

彼女らの戦いが終わった後に、充幸は教会で出会った監督役の男、スぺウポシス=テイオスに別れを告げ、フランスの地で滞在することを決心した。生存者として、結果的に時計塔へ招かれたエンゾとは異なり、彼女はあくまで一市民として、只の人間として、生きていくことにする。普通の女の子、それが鬼として生まれたマスターの願いであったから。

だが、魔術師は束の間の平穏すら許しはしない。今彼女がナリエ達と共にモーリタニアを訪れたのも、戦争へ関わった者の因果である。

西暦二千年に巻き起こる、世界を賭けた祭事『聖杯大戦』。

通常の聖杯戦争と異なり、黒と赤に別れた七騎のサーヴァントと魔術師が、己が望みの為に殺し合う。亜種聖杯戦争より遥か壮大なスケールで巻き起こった「本物」の戦い。大聖杯が失われ、これが人類にとって最後の聖杯戦争となった。

―筈である。

充幸は聖杯大戦の際、一切関わりをもつことは無かった。その間はまさに安寧そのものであった。それはこの場にいるエンゾ、ナリエもそうだ。没落したキマリュース家は嘲笑の対象にしかならない、が、エンゾは他人の声を気にも留めずに、一から頑張っていくことにした。既に天へ旅立った優秀な兄も、大切な思い出の中に仕舞い込んだ。自らの弱さを受け入れ、地道に努力していく。そのことを、彼はサーヴァントであるセイバーから学んだのだ。全ての戦いに勝利した男が守り通したものが、大切な誰かの為に決して敗北を恐れないことだったように。

ナリエも、また、ライダーの少年から多くを学んだ。永遠に会えない恋人への未練、彼女はそこに囚われていた。だがライダーはその執着を捨てずに、それでも未来を生きていた。少年は何気ないところから始まる物語を誰よりも信じていた。ナリエもまた少年に背を押され、エンゾと共に幸せに生きる道を自ら選択したのだった。

そして聖杯大戦が終結した後、無人教会を根城にしていた充幸の元に来訪者が現れた。

清掃に努めていた彼女が、突如開かれた扉の先を見たとき、腰を抜かすほどに驚いた。フランスの地で彼女は知り合いに再会するなど思ってもみなかったのである。それも、奇跡に等しい邂逅だ。

 

「貴方は………戦争の後に、消えた筈じゃ……」

 

なんと戸を叩き現れたのは、監督役たるスぺウポシス=テイオス当人だったのだ。

テイオスは聖堂教会から派遣された神父だと名乗っているが、その実、亜種聖杯戦争においてこの地に召喚されたルーラークラスのサーヴァントであった。その正体は、本人の口からは一切語られなかったが、充幸は古代ギリシアの哲学者『プラトン』だと判断している。

戦争が終わった後に裁定者が現世に留まり続けるなど、有り得ぬ話だ。

 

「どうして、テイオスが、ここに?」

「すまないね。いや、まぁ野暮用だ。うーん、僕が別に関わることでもないような気はしている。うん、きっと関わる必要は無い。無いんだがね、いや~、でもね、僕が昔々にくだらないことをポロっと言い残しちゃったせいで、少し大変なことになっているというか。」

 

テイオスは頭を掻きながら、要領を得ない言葉を続ける。充幸はキョトンとした表情で彼を見つめていた。

 

「充幸君、本当に申し訳ないのだが、一つだけ頼まれごとをしてくれないか?僕はこの通り、座に帰るつもりだ、身体が半分ぐらい消えているだろう?むしろこの数年よく耐えたと言っていい。ご褒美のケーキが欲しいぐらいだ。あ、いや、ごめんね。君に頼みたいことがあって、少しだけモーリタニアへ行ってくれないかい?調査して欲しいことがあるんだ。」

 

テイオスは杖をつきながら、教会の椅子まで歩いて行き、そこに腰かけた。彼の言う通り、もはや猶予は残されていないらしい。充幸は掃除道具を置き、隣へ走っていく。

 

「テイオス、ちゃんとした説明を求めます。貴方が言う事ならば、何か一大事なのでしょうけど、私は只の人間です。過度に期待されても困りますから。」

「充幸君、アッシリアの王エサルハドン。少し時間が無いから、手短に説明するよ。」

 

テイオスは所持していた四つ折りの新聞紙を充幸へ手渡した。赤いペンで雑に丸を付けられた一つの記事に目を通す。それは充幸も知り得ていた事件の記事だ。

 

「一週間前、突如日本の上を昆虫の繭のようなドーム状の壁が覆った。突然の出来事だから諸外国も対応に遅れたが、ようやくアメリカが軍事的アプローチを決行した。まぁ結果は残念、日本を包む繭はあらゆる攻撃を通さない。完全に、この世界から独立してしまった。フランスではまだ他人事だから広まっていないけれど、近隣のアジア各国は大騒ぎさ。宇宙人の襲来なんて騒がれているよ。」

「……知っています。私(マスター)の故郷ですから。恩師である真壁先生が暮らす日本には、いつか訪れる予定でした。この繭は、やはり魔術で編み上げられたものなのですか?」

「ただの魔術障壁なら良かったのだけれど、その材質はこの人類誰も特定できていない、僕を除いてね。」

「テイオスは、この繭の正体を知っているのですか?」

「あぁ。それにある程度は事件の内容も知っているつもりさ。繭は魔術で強化された『オリハルコン』で出来ている。」

 

オリハルコンとは、古典哲学者プラトンが自身の著書『クリティアス』で言及した、伝説の都アトランティスに存在した幻の貴金属である。現世においてオリハルコンは欠片たりとも残されていない。それはアトランティスが既に滅び去っているからだ。

 

「……オリハルコンは存在しない筈。確かに、その存在を認められるのはこの世界においてテイオスだけだと思いますが、でも何でそんなものが…?」

「充幸君はサハラ砂漠へ訪れたことはあるかい?モーリタニアのサハラには、巨大な環状構造が存在する。宇宙空間から視認した結果、それは現代において『サハラの目』と呼ばれるようになった。人類はそれを摩訶不思議な先史遺産だと解釈しているが、僕は違う。僕だけが知っていた。あの目は今なお生きている。あの目は来訪者を選別し、選ばれし者だけを招き入れる。あの目こそが、サハラの目こそが、アトランティス大陸への入り口なのだ。」

「……アトランティスは、まだ滅んでいないという事ですか?」

「いや、確かにアトランティスは滅んだ。人類が神へと近づきすぎた結果、正しく滅び去ったのだ。神はアトランティスの全てを根こそぎ焼き殺した。動植物が生きた証を、何も残さなかったのだ。今じゃ空想の産物さ。……僕は過去にイデアへ接続したからね。僕はその全てを知っているのさ。理想の都だったあの場所を、僕は確かに知っている。」

 

充幸は戦争で殺し合ったランサーのマスター、グラコンを思い出す。彼は蝶の翼をはためかせる怪物だった。彼こそがヒトのモデル『イデア』であったが、彼の祈りが成就することは無かった。人間の原型である筈の彼は、あまりに今の醜く変容した人間に近付きすぎてしまったのだ。

 

「でもそれが日本とどのような関係が?」

「別に直接的な関係は無いよ。日本、というか冬木市、君も聞いたことはあるだろうが、ここは聖杯戦争の生まれた土地だ。東洋の異質な魔術儀式程度の認知であった筈が、ダーニックの所為で魔術師の多くがその詳細を知ってしまった。聖杯大戦なんて教科書に乗せるか議論が繰り広げられたぐらいだ。だが、大聖杯がもうこの世界から消え失せた以上、もはや聖杯戦争が起こる筈は無い、そう誰もが思っていただろうね。」

「新たな……亜種聖杯戦争ですか?」

「サハラの目があるモーリタニアにて開催された亜種聖杯戦争。くだらないままごとと切り捨てるには可笑しい程に、この戦争は『完成』されていた。間違いなく、聖杯戦争をおっぱじめた始まりの御三家、遠坂、マキリ、アインツベルンは関わっているだろうね。聖杯戦争が失われた筈のこの世界で、また聖杯が誕生してしまったんだ。僕が気付くのに遅れてしまった所為でね。」

 

テイオスは唇を噛んだ。充幸は彼のことを正しく理解しているつもりは無い。そもそも彼と深い関係である訳でもない。聖杯戦争を通じて知り合った奇人変人といった認識だ。隣人ですらない。

だが悪鬼を宿しつつも人間を捨てなかった少女ならば、親身になっていただろうなと強く思う。

 

「そして繭の形状から察するに、日本全土が覆われている訳では無いようだ。僕の観測では、北海道や関東地方、九州などは既に消失している。そう、恐らく冬木市も、ね。この中で一体どのようなことが起こっているのか、僕の想像が当たらなければいいけれど……サハラの聖杯戦争が起こって数日後に、この繭は誕生している。既にマスターもサーヴァントもサハラの目からは退却したようだ。御三家がサハラに赴き、もし聖杯で願いを叶えたならば、日本がああいう状態なのも説明がつくかもしれない。モーリタニアで霊脈の話を聞いたことがない以上、アトランティスにまつわる何かが何者かによって発掘されたに違いないんだ。」

「それで、私に頼みたいことは何でしょうか。」

「モーリタニアの調査を、再度、君の手でお願いしたい。僕は肉体がこんな状態だから、取りこぼしている事実もあるだろう。サーヴァントであった君だからこそ何か見つけられることがあるかもしれない。無論、君が平穏な人生を望んでいることは知っている。だが、憶測に過ぎないが、あの繭はかなり危険だと感じる。数日も立たないうちに、何か恐ろしいことが起こる、そんな予兆がある。ヨーロッパは安全と言い切れない事態にもなり得る。頼む、充幸君。もし君にエサルハドンの力が微々たるものでも残されているならば、それに賭けるしかない状況なのだ。」

 

テイオスは早口でまくし立てる。彼が嘘を言っているようには見えない。今にも崩壊しそうな身体で、充幸へ、そしてエサルハドンへ託そうとしているのだ。充幸はこれを放っておくことは出来なかった。

 

「貴方が遠い場所で出会った、イデアは、人類に牙を向けました。でもテイオスは、その際、何もしなかった。貴方は観測者だった。……哲学者プラトンが血も涙もない悪しき王へ依頼する程、状況は逼迫していると考えて良いですね。」

「あぁ、そうだ。」

「でも私は只のヒトです。出来ることは、きっと見届けるという事だけでしょう。それでも私にサハラの目へ向かわせますか?」

「あぁ、それでもだ。」

 

テイオスの真剣な眼差しに、充幸は折れるしかなかった。彼女自身、答えは既に出ている。鬼の少女ならばそうしていただろう事を彼女は模倣する。そうして、身代わり王は鬼頭 充幸へと近付いていく。

 

「全く、仕方が無いですね。調査するだけですよ、他は何もしませんから!」

 

充幸は立ち上がり、テイオスに背を向ける。照れた顔を見せるのが恥ずかしかった為だ。両手で自らの顔を揉み解すと、具体的にするべきことを尋ねようとした。

 

「ところでテイオス、私は……」

 

振り返ると、そこには既に誰も座っていなかった。綺麗さっぱり跡形もなく、裁定者はその姿を消していた。

扉が開いた音はしない。彼は今この瞬間に、現世から消滅した。

彼は最後の力を振り絞って、この古びた教会にやって来たのだ。一人残された充幸は、空席を眺め続ける。

 

「本当、はた迷惑な監督役です、全く。」

 

充幸は少し呆れつつも、テイオスの英霊としての執念深さのようなものに賛辞を贈る。彼は好奇心の化物ではあるけれども、ヒトの未来を常に思いやっていた。彼がただ知識を求めるだけの存在であったなら、監督役としての役目を終えた時点で満足して消えていただろう。

サハラの目をアトランティス大陸と関連付けたのは何を隠そう生前のプラトンだ。もし日本上空を覆う不可思議な繭が、彼の言う通り、聖杯戦争の祈りによるものならば、それは充幸にとっても他人事では無い。

彼女は人の願いの尊さを知っている。そしてその歪さもまた知っている。聖杯が残されているならば、戦争は決して終わらないだろう。

 

「だからどうしたという話でも無いけど……とりあえずモーリタニアに行ってみようかな。」

 

充幸はかつての強敵であり好敵手、今は理解者である二人の友へ連絡する。きっと彼らもまた、聖杯戦争の生存者として聴取を受けていることだろう。充幸はナリエ・ダルマーロへコンタクトを取り、教会の外へ飛び出したのだった。

 

そして現在、三人はモーリタニアへ来訪した。延々と続くサハラ砂漠を猛スピードで駆け抜けている。

 

「連綿たりしサハラ砂漠……はぁ、暑いです。」

「でももう見えてきているよ、充幸君。あれがリシャット構造だ。」

「え、あれが?何だかよく分からないわね。」

 

ナリエの言う通り、充幸から見ても、ただゴツゴツとした岩場があるようにしか捉えられない。

 

「それはそうだ。『目』というのはあくまで、宇宙から見ればそれに見えるってだけだからね。」

 

エンゾはリシャット構造内部へ車を走らせる。砂漠に現れた山々が連なり、高低差を際立たせている。宇宙空間から見れば、これがくっきりと線で浮かび、ヒトの眼球のように見えるらしい。ナリエは双眼鏡で外の景色の隅々まで見渡している。

 

「さて、この辺りで一度降りようか。俺の魔術が施されたジャケットを渡しておく。」

「エンゾ、これダウンジャケットじゃないの。殺す気?」

「いやいや、確かに見た目はサイアクだが、着てみれば分かる。逆に涼しくなってくるはずだ。万が一ジャッカルなんかに襲われても二回くらいなら防いでくれるさ。」

「エンゾさんが得意の魔術結界ですね。有難く頂戴します。」

 

充幸はノリノリで、ナリエは渋々とジャケットに袖を通すと、先程の暑さが一転、快適な温度に調整された。これにはナリエも目を丸くしている。

 

「エンゾ、こんな良いものがあるならモーリタニアに来る前から渡しておきなさいよ。」

「いや、分かっているだろうナリエ。俺の三流魔術は多少精度が良くても時間制限がある。これは二時間程度しか機能しない。」

「あぁ、そういうことね。」

 

エンゾは苦笑いを浮かべると、自らもジャケットを着込み、車の外へ出た。盗賊が現れたときの為に、車にも結界を敷いておく。

 

「(仮に盗賊が現れても、充幸君とナリエが簡単に撃退するんだろうな。)」

 

エンゾは戦闘で活躍しない自らの姿を想像して溜息をこぼした。

彼は既に車を離れた充幸とナリエを追いかけつつ、この地で行われたとされる聖杯戦争の調査に入る。証拠足り得る品の回収が彼の任務だが、恐らく望む結果は得られないだろうことは彼自身理解していた。

 

「エンゾさん、どうされましたか?」

「テイオスが消滅してから、この地には何度か実働部隊の調査が入っている。俺たちが探しても何も見つからないだろうなぁ、なんて。」

「エンゾは卑屈なのよね、全く。むしろ功績を挙げるチャンスかもしれないわよ?」

「時計塔はキマリュース家みたいな没落魔術一家に一切興味は無いよ。俺が招かれたのは只の興味本位だ。知りたいことが知れたら、ボロ雑巾のようにポイ捨てさ。」

「エンゾさん……」

「だから功績の為じゃない。俺がかつて起こした戦争、それにより生まれたサーヴァントが、フランス市民の命を奪った。多くの悲しみを生み出してしまった。自分本位な願いだった……これは俺の贖罪だ。二度と、聖杯なんて生まれてはいけない。自分の願いの為に、他人を足蹴にして良い理由なんて無いんだからな。もしサハラで戦争があって、それが今も場所を変え続いているならば、俺は止める為に走るさ。」

「エンゾ…」

「でも魔術協会に目を付けられて襲われるなら、全力で逃げる!今は、ナリエも、そして子ども達もいるからな。」

 

エンゾは白い歯を見せて笑う。ナリエもまた、彼と同じ気持ちであった。かつて自らのサーヴァント、ライダーに言われたことを思い出す。全てを守るか、全てを憎むか、大雑把すぎる意思決定をすること。あの戦争で彼女は『守る』決意をした。当時胎内に宿っていた子だけでなく、エンゾも、充幸も守り通した。だからこそ彼女は今エンゾの隣で生きている。

 

「既に時計塔の調査が及んでいたのですね。サハラの聖杯戦争について、どれくらいまで情報を掴んでいるのでしょうか?」

 

充幸の純粋な疑問に、エンゾは知り得る限りで返答した。

 

「まず調査の結果、このサハラの目、というかモーリタニア自体と言っていいが、霊脈が殆ど存在しない。」

「は?」

 

エンゾの発言に、素っ頓狂な声をあげてしまったナリエである。

 

「霊脈が無いって、聖杯戦争が起こったのよね?」

「そうだよ。本来召喚術式を成立させるためには膨大な魔力が必須だ。この辺り一面砂の海なサハラでそんなものが出現する筈も無い。それは魔術教会側もとうの昔から分かっていたことだ。だが、確かにこの地で戦争は起きた。俺にはさっぱりだが、充幸君はどう考える?」

「…テイオスが言っていたことが真実ならば、サハラの目はアトランティス大陸のゲートです。もしアトランティスを一つの島では無く、仮に地底世界?もしくは異界と捉えた場合、誰かがサハラの目へアクセスし、何らかのアプローチで門の戸をこじ開けた。そして既に滅び去った筈のアトランティスから膨大なマナを取り寄せた……」

「プラトンの『クリティアス』は学術的に色々と不備があると言われている。そもそも彼は理想主義の塊で、アリストテレス学派の方が大部分を占めている社会だから、彼の言の葉に耳を傾ける者は数少なかったんだろうね。そして今まで現れなかった、アトランティスへの鍵を有する者がこの地に現れた。」

「いやいやいや、無理があるわ!魔術協会がそんな神秘を発掘出来ないわけ無いでしょう?アトランティスって神代のものじゃない!」

「ほら、アルビオンも中々に全容が掴めていないし……ね?」

「霊墓アルビオンと一緒にするんじゃないわよ。というか、何でじゃあ今になってサハラの目の鍵を持つ誰かが現れたのよ。」

 

ナリエの発言に二人はうーんと唸るしかない。そもそも彼らは魔術に精通している訳でも無いが故に、頭を悩ませようと答えが出ることは無いのだ。

 

「まぁとりあえず、サハラには霊脈が無いって事実は既に時計塔も知り得ていることだ。あとは、戦争の立役者と思しき人物にも凡そ見当がついている。」

 

エンゾは所持していたリュックサックから写真付きの資料を二人へ手渡した。

 

「三十代後半の男だ。名前は『テスタクバル=インヴェルディア』。俺と同じ、既に没落した魔術師だよ。インヴェルディア家の跡取りだが、親も兄弟も全員亡くなっており、天涯孤独の身だ。時計塔の魔術師で、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアの講義に積極的に参加し、彼を師事していたそうだ。ダーニックがナチスの魔術師として第三次聖杯戦争へ参戦する頃には、既に時計塔を離れていたらしい。まぁ上層部からしたらはぐれ魔術師など気にも留めないだろうからな。」

「聖杯大戦の元凶、ダーニックの弟子ということですか?」

「うーん、その辺りは良く分からないな。同じくダーニックの人気の欠片も無い講義を受けていた奴によると、テスタクバルはダーニックに煙たがられていたようだし。ユグドミレニアの暴動に関わっている様子でも無かったようだ。それはユグドミレニアの跡取りの青年も嘘偽りなく告白していたよ。」

「何故、そのテスタクバルさん?がサハラの戦争の立役者だと?」

「モーリタニアへ調査に入った協会側が、証拠を多数発見したんだとさ。別にテスタクバルは隠れてコソコソやるつもりはないらしい。戦争の跡がくっきりと残されていたんだ。このサハラの目を除いて、な。」

「時計塔もサハラの目を調査したけど、開かなかったという訳ね。」

「テスタクバルがどうなったかは不明だ。生きているのか、死んでしまったかさえも分からない。サハラの聖杯戦争に関わったかもしれない冬木の遠坂、マキリ、アインツベルンも、日本が今あんな様子じゃコンタクトも取れないしな。お手上げだよ。」

 

エンゾはやれやれといったジェスチャーを添える。充幸がテイオスに聞いていた話より遥かに、時計塔の方が情報を掴んでいるようだ。

 

充幸は資料に目を通す。ちょうどエンゾが話した内容が、箇条書きでまとめられていた。写真の男は恐らく現代の感覚ではハンサムと言えるだろう。アッシリアの地で王を務めたエサルハドンには、瘦せ型で少し頼りなくも見えた。

 

「じゃあこの辺り一帯を見て回ったら、車に戻り、より中心部へ近付いてみようか。現地の方々に接触できるかもしれない。」

 

エンゾの発言により、皆が個々に調査へ没入する。エンゾは魔術の足跡を辿り、ナリエはどこに隠していたのか、連れてきた小鳥たちに指示を出し、充幸は残された英霊の力で戦いの残滓を探す。

 

「というかナリエ、砂漠に小鳥を放つの、立派な虐待だと思いますが!?」

「私の小鳥にもエンゾの魔術を施して貰ったの!変なこと言わないで!」

 

各々が探索するも、それらしいものは中々見つからない。既に余すところなく魔術協会側に回収されているようだ。充幸は鬼の力を持たないが故に、死者の声に耳を傾ける力も所持していない。彼女は未来を占うことが出来ても、過去を見ることは不可能なのだ。

 

「綺麗なほどに消されているな。いや、持ち帰られている、というのが正しいか。早く日本を包み込む繭の材質を掴みたいと思っているだろうからね。」

「日本に近付いて繭を削り取る、というのは不可能なの?」

「アメリカ軍の主砲にも傷一つ付かない結界だからね。欠片たりともこぼさない、厄介なものだ。だがこの世界にあるもの全てに、対抗札というものが存在している。ウイルスに対するワクチンのようにね。繭を切り崩す何かが地球上には用意されている筈だけど……。」

 

エンゾは一度この場での調査を取りやめ、二人を乗せてより『目』の中心部へと車を走らせた。盗賊はおろか、現地住民すら一人も見かけないのは、過疎地域である所以だろうか。それとも既に何者かに『回収』されているのだろうか。

 

「この辺りまで来ると、魔力とは違う、何か神秘的なものを感じるわね。充幸はどう?」

「確かに、そうですね。」

「……よし、一度この辺りで停車しよう。地形が複雑で車だとタイヤをもっていかれるかもしれないからね。ここから先は歩きだ。」

 

三人は再び下車し、舗装されていない道を歩いて行く。登ったり下ったり、足に負担のかかる地形であることは間違いない。

 

「どう、エンゾ?」

「先程と変わりはない。充幸君のサーヴァントとしての嗅覚に託す他ないね。」

 

充幸は重度に熱された地面に触れながら、魔術を感じ取ろうとする。しかしエンゾの言う通り、この場所には霊脈らしきものが無い。あくまでこの場所は砂漠、痩せこけた土地だ。そしてアトランティスへ至る為の門の存在も認められず、ただ無意味に時間が過ぎていくのみである。

彼女から見ても、この場所はもはや只の観光地だ。

 

「テイオスはこの『目』に何を見たんでしょうか。」

 

悪路を往く三人に対し、突如、突風が襲い掛かった。西風を感じないこの場所でこれほどまでに強烈な砂嵐は想定外である。ナリエの叫び声が断末魔のようで、回線が途切れるように、突風の音に掻き消された。

 

「ナリエ!エンゾさん!」

 

充幸は後ろを歩いていた筈の二人へ振り向くも、舞い上がった砂の壁に阻まれ、安否を確認できずにいた。こういう時は動かずにじっと耐えるのが正しい、そう即座に判断して、その場に縮こまる。

 

「(でもどうして急にこんな砂嵐が)」

 

それはまるで外敵を阻むトラップのよう。もし意図的に『目』が到達者を拒んでいるならば、この砂嵐は決して収まらない。

充幸に出来ることはただ一つ、鞄から取り出した水晶玉で、この後の命運を占うのみである。

アッシリアの王、エサルハドンの占いは、未来視とまではいかなくとも、先の道行きを見定めることは出来る。肉体が人間へと限りなく近づいている今、その権能を振るえるかは甚だ疑問ではあるが。

 

「(まぁ、トライアンドエラーだよね。)」

 

充幸は水晶玉を両手で覆い、彼女の中に流れる魔力を込める。彼女が身代わり王として存在した際は、微弱な魔力でも機能した。だがそれはあくまでエサルハドンの身代わりであったが故。今の彼女には難易度の高いミッションである。

 

「(やっぱりエサルハドンの名を捨てた私では……)」

 

そう諦めかけていた時、水晶玉に一人の女が写っていることに気付いた。だがそれは先の未来を占った結果のものではない。彼女が顔を上げると、目の前に写り込んだ少女が立っている。ただガラスに反射していただけであったのだ。

その少女は余りにも異様であった。白銀の髪に赤い眼、白いワンピースを着ている。外の気温は熱いけれども、ここまでの薄着はかなり危険だと言える。モーリタニアの現地人であろうか。砂嵐に動じていない辺り、そう充幸は判断するしかない。

 

「あ…あの…」

 

充幸は恐る恐る口を開いた。だが喋ると砂が口の中に入って来る勢いだ。

白銀の少女は座り込んだ充幸を無表情で見下ろしている。手を差し伸べる訳もなく、ただその血のような赤い目で充幸を捉えていた。

 

「あの、現地の方でしょうか?」

 

充幸は声を振り絞った。少女はふるふると頭を横に振る。

 

「あなた、ひと?それともサーヴァント?」

 

少女はそう問いただす。その時点で充幸は警戒心を露わにした。英霊の概念を少女が知り得ている。間違いなく、サハラの聖杯戦争の関係者だ。充幸は唾をぐっと飲み込み、返答を考えた。

 

「どちらでも、あります。元はサーヴァントで、今は人間です。」

「そう。変なの。」

 

少女はしゃがみ込み、充幸と目線を合わせた。少し動けば肌が当たってしまいそうな距離まで詰めてきて、少女は充幸の顔を覗き込む。

 

「あ、あの……」

「こういちろうに会った?」

「へ?」

「こういちろう。わたしのすきなひと。」

 

少女の赤い目は鋭く尖っているように見える。充幸の返答次第では、何をしでかすか分からない、そのような雰囲気を醸し出す。

 

「知らないです。すみません。」

「そ。」

 

白銀の少女は急に興味を失ったように、そっぽを向いて立ち去ろうとする。

充幸は慌てて彼女を引き止めた。

 

「なに?」

「貴方は、聖杯戦争の参加者なのですか?」

「それは前のわたし。いまは前のわたしが遺したバックアップをさがしている。あと、こういちろうの場所も。この『目』がどこへ繋がっているのか、わたしにはわからない。『目』の先へおくった端末も、なにものかに制御されている。」

「えっと、はぁ。」

 

充幸は少女の言う事が理解できなかった。唯一知り得たのは、彼女が恐らくサーヴァントであることだけだ。

 

「そうだ、いいことを思いついた。」

 

白銀の少女は振り返り、充幸の肩を掴んだ。その目はキラキラと輝いているように見える。

 

「な、何でしょう……?」

「あなたも『目』に落ちて。サーヴァントだから、わたしがその足跡をたどる。もちろん、バックアップを見つけてからだけど、ちゃんとあなたを追いかけるから。」

「は、はい?!」

 

少女は充幸の手を取った。人間のものとは思えない凄まじきパワーで腕を引かれる。否、引きずられるという表現が正しい。

 

「何を、するつもりですか!」

「落ちて。扉の向こう。『目』の向こう。こういちろうを見つけて。」

「やめてください!」

「やだ。わたしがこういちろうに会うためだから、ちょっとだけ我慢してね。」

 

砂嵐を切り分け、少女はずんずんと歩みを進める。充幸は抵抗するも、鎖のように固く絡みついた指を引き剥がすことが出来ない。

 

「(まずい、嫌な予感がする)」

 

充幸の心音はまるでアラートのように警告を促す。彼女を引き離すために、出来うることを模索する。

そして充幸は信じられないものを見せつけられた。引き摺られた先、先程までは確認できなかった筈の、余りにも巨大な穴が存在している。

隕石でも落ちてきたかのような、大きすぎるクレーター。地球の裏側まで落ちて行ってしまいそうな、そんな気配が感じられる。

 

「(モーリタニアの裏側って、もしかして日本?でも日本の裏側はブラジルだって言うし、この穴は何?)」

 

充幸が考えている間にも、少女は穴へ向かって真っすぐに突き進んでいく。

 

「ちょっと、待って、死ぬよ、流石に死ぬって!待ってください!」

「だいじょうぶ。わたしの加護を受けるから、落ちても死なない。しっぱいしたら吊り上げてあげる。」

「いや、そういう問題では!」

 

充幸はこの短時間で走馬灯のように駆け巡った打開策をかなぐり捨て、エサルハドンの権能を何とか呼び起こすことに決めた。

彼女は握り締めていた水晶玉へ魔力を流し込む。そして、内に眠る英雄の残光へアクセスする。

 

『木は長命、金は調和、水ならば勇壮なりて、ホロスコープの導きにより、我が盟友は夙(つと)に在りし』

 

白銀の少女は充幸の身体が熱く燃え滾るのを肌で感じて、彼女を急ぎ突き放した。

少女は悟る。これから英雄の絶技が披露されるのだと。

 

『アシュールの息子達(カタム・クァラーダム)』

 

充幸が水晶を翳すと、サハラの地面から這い出た泥が、人間の形を形成する。エサルハドンを支えた剛勇たちの一人がランダムに選ばれ、現世に蘇る。心臓を持たないただの泥人形である為、この戦士を操作するのは充幸自身だ。もしエサルハドンならば百を超える部下を生み出せたかもしれないが、彼女は只の配下を自らが率先して操作することを嫌っていた。何ならば、汚らわしいとさえ感じていた。彼女は王として命令を下すのみであったのだ。だからエサルハドンはこの宝具を使わない。充幸となりつつある身代わり王だからこそ、使用できた力である。

 

「ごめんなさい。私は貴方の望みを叶えてあげることは出来ません。私は平穏に生きていきます。」

 

充幸が水晶を振り被ると、泥人形は前進し、少女を突き放すように働きかける。無論、充幸に戦闘意思は無い。少女を殺すつもりもなければ、傷つけることもしないだろう。あくまで充幸が少女から逃げる為の技だ。

 

「ふぅん。」

 

覆い被さろうとする泥人形から距離を取り、少女は興味深そうに後退する充幸を見つめた。

 

「やさしいのね。あなた。」

 

少女は宝具を使用したにも関わらず、戦う意思のない充幸へ賞賛の言葉を贈る。

 

「でも、だめ。」

 

少女は微笑みながら、砂の大地から黄金の柄を取り出した。だがその柄には剣身が存在しない。彼女がグリップを天高く翳すと、砂嵐に覆われた世界に小さな光が差し込んだ。

 

「なにを……」

「あなたとおなじ。わたしもみせてあげる。」

 

白銀の少女は目を閉じ、その権能を振るうための言の葉を紡いだ。

 

『マルスへ、接続』

 

突如、少女の掲げる柄から、葉脈のような幾重にも伸びる線が三本、発現する。その線は虹と呼ぶにふさわしい、カラフルなもの。空へ空へと広がっていき、複雑な回路のように宙を彩った。

そしてその三光が、充幸の泥人形を溶かし尽くす。だが少女はまだその絶技を完了していない。光の回路は何処までも、果てしなく広がっていく。

充幸は本能的に全てを察した。

彼女の宝具は、恐らく、サハラ全域へ及び、全ての生命を破壊し尽くす。

 

「(ナリエが、エンゾさんが、死んじゃう)」

 

充幸の握り締めた水晶玉に写り込む、宝具が放たれた後の未来。充幸は忽ち肉塊と化す。

ならばと、充幸はその選択肢を選び取る他無かった。そう、彼女は白銀の少女の前で、自ら穴の中へとダイブした。

 

「やるしかないでしょおぉぉぉおお」

 

充幸の声は果てしなく続くような穴の中でこだまする。

白銀の少女は充幸が望み通り落ちてくれたことを確認すると、発現した力を掻き消し、柄を仕舞い込んだ。

 

「おねがいね、きっと、こういちろうを見つけてね。」

 

 

あれから、どれほどの時間が経過しただろう。

充幸がふと目を覚ますと、青い空が広がっていた。

彼女が倒れているのは何処かの砂浜である。さざなみの音が耳を心地よく突き抜ける。

 

「いたたた」

 

彼女はゆっくりとその身を起こした。そして目を擦り、辺りをしっかりと見回した。

右方向には広大な海が広がり、左方向には見たことも無い巨大な壁が存在している。壁というより、ドーム状の建築物のようだ。乳白色の色をしたそれは、まるで何かの生物の卵のようである。充幸は立ち上がり、その壁まで歩いて行く。

 

「ここは、何なの……私は……」

 

充幸は壁のすぐ傍まで近づき、それに触れた。つるつるとして本当に卵の外殻のようだが、凄まじい強度を誇っている。

左手をぺたぺたと付ける内に、彼女はこれまでのことを思い出していた。

フランスの教会で寝泊まり生活を送っていた時に、テイオスに再び出会い、ナリエとエンゾ二人と共にモーリタニアへ調査へ行った。

 

「あれ……?」

 

―そのあと、どうなったんだっけ。

 

調査を進めていたことは確かに記憶に残っている。だがその後、何か大きな出来事があった筈だが、彼女はそれを思い出せない。彼女が察するに、この場所は恐らく日本である。目の前に聳えるのは、テイオスが言っていた繭そのもの。だが、何故彼女はこの地で倒れていたのだろうか。どれだけ頭を悩ませても、その答えを得ることは出来なかった。

 

「分からないけど、日本が大変なことになっているというのは本当だったのね。」

 

充幸はこれからどうしていいか分からず、茫然と立ち尽くした。パスポートも無しに海を渡ってきたのだ。自然の木々すら存在しない浜辺からどう脱出すればよいのか。彼女の顔は見る見るうちに青ざめていく。

 

「そう言えば、アメリカ軍が繭を攻撃しているって、テイオスが言っていた気がする。誤射で死なないように気を付けながら、何とか助けてもらおう。」

 

そもそも、もし戦闘機による空からの爆撃であったならば、彼女の存在はきっと見つけてもらえないだろう。

浜辺に大きくSOSの文字を書くか、検討し始めた、その時だった。

十数メートル先から、三人組の男女が、談笑しながら充幸のいる方角へ向かって歩いて来る。充幸が目を凝らすと、三人は迷彩柄の軍服を着ているようだ。

 

「もしかして、アメリカ軍の人たち?!」

 

充幸は慌てて彼らの方へ走り出す。浜辺を歩いているという事は、ここから飛び立てる、もしくは海へ出る手段を持っているという事だ。こんなチャンスは二度と無いかもしれない。

 

「あの!あの!」

 

充幸は普段からは考えられない程の大声で彼らを呼んだ。すると三人も充幸の存在に気付いたのか、その歩みを止める。

充幸は彼らに近付いていくことで、ようやくその顔や背格好を確認することが出来た。

一人は、中学生程の身長の少女である。白と黒の混ざった髪、口や耳に大量の装飾品を付けている。上着は腰に巻き、黒いインナーが露わになっていた。

一人はナイスバディと言わざるを得ないプロポーションの女。カーキ色の髪に、ガッツリと開かれた胸元、そして短すぎるスカートから網タイツの艶めかしい足が露出している。

最後の一人は、焦げ茶色の肌をした大男。隊服は上まできっちりとボタンが絞められているが、その圧倒的な筋肉に、今にも服が破れそうである。そして彼がかけているサングラスは虹色に照り輝いていた。

充幸は、アメリカ軍ってこんな感じだっけ、と疑問を抱きつつも、疑うことなく彼らの元へ走っていく。

そして彼らの声が聞こえる距離まで来たときに、身長の低い少女の舌打ちがはっきりと耳に届いた。

 

「何だよ、何でこんなところに『統合英霊』がいるんだよ。」

 

充幸は英霊という単語に反応し、急ブレーキをかける。ただのアメリカ兵が充幸の存在を見抜ける筈も無い。

 

「あら~やだわぁ。本当ね。人間と英霊の統合体はわたくしたちだけだと思っていたわぁ。これも教祖様のお力かしら?」

 

マッスルな大男はくねくねと身体を反らせながら発現する。身長の低い少女は男のオネエな口調に若干引いているようだった。

 

「あら、シュランツァちゃん。どうしたのよ、そんな熱い目でわたくしを見つめちゃって、もう!」

「いや、やっぱり慣れねぇな。お前のその感じ。」

 

シュランツァと呼ばれる少女はまたも舌打ちをしながら、充幸の方へスタスタ歩いて来る。充幸は驚いて数歩あとずさった。

 

「お前、ザー様の作った『統合英霊』か?」

「えっと、どういうことでしょうか…?」

「だから、災害のアサシンが作り上げた、人間と英霊の混成体かって聞いているんだよ。何度も言わせんなボケ。」

「混成体…?分からないです、本当に。」

 

シュランツァは目を尖らせる。かなり苛立っているようで、足で砂を蹴飛ばして、充幸を威嚇した。

 

「こら!もう、シュランツァちゃんったら!もしかしたら教祖様が先日アインツベルンに統合英霊計画の資料を渡していたから、それかもしれないわ。早々にアインツベルンが作り出した試作号かも。」

「それは無い。アサシンはアインツベルンを監視している。こんな被験体は確認されていない。」

「あら、詳しいのね、ウラルンちゃん。」

 

先程まで無口を貫いていたモデル体型の女が早口で発言する。どこかロボットのように冷たい口調であった。

 

「ザー様でも無けりゃ、アインツベルンでも無い、お前は一体何者だ?しかも繭の隠し通路を知っているのは第五区でも僅かだって言うのに、何故お前はここにいる?」

「私は……」

 

充幸は口ごもる。彼女自身、何故いまこの場所に立っているか分からないからだ。亜種聖杯戦争で戦い抜いたサーヴァントであり、人間へと生まれ変わりつつあることを説明しようにも、上手く言葉が出てこない。

 

「話す気は無いってか。そーかそーか、じゃあ拷問だコラ。」

 

シュランツァはズボンのポケットから小型の注射器を取り出した。そしてそれを、大きく突き出した自らの舌へ向かって差し込む。舌にはコネクタのようなパーツが装着されており、そこへ注射器の中に入った液体を注ぎ込んでいく。それは充幸から見て、非常に痛々しい光景だったが、少女は狂ったように笑っていた。

 

「あぁ、入って来る入って来る入って来るぅぅぅうううう。きんもちぃぃぃぃいいいいいいいいい。サーヴァントが流れてくるぅぅぅぅうううううう!」

 

シュランツァの顔や腕に、血管の筋がくっきりと浮かび上がる。彼女は白目を剥きながら、涎を垂れ流していた。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムセイバー』:『ヘラクレス』現界します。〉

 

「来い!アタシの身体を犯し尽くせ!ヘラクレス!」

 

シュランツァの肉体が発光する。黒と白のセミロングは腰まで届く長さに変化し、彼女の目は赤い血のように燃え滾っている。黒のインナーは破り捨てられ、上半身は裸である。その慎ましやかな胸の先端にも、そして臍に至るまで、金のピアスが付けられていた。

そして何よりもど派手な、身長を超える巨大な剣を、彼女は軽々しく持ち上げる。

 

「(なに?この人…どう見てもヤバい!)」

 

充幸は逃げる準備に入ったが、見渡す限りの砂浜には、隠れ潜む場所は無い。

 

「死ねやコラァァアアアア!」

 

充幸の目前まで刹那の内に迫ったシュランツァは大剣を振り被り、彼女のいる場所へ叩きつけた。充幸はよろけ、尻餅をついたおかげでぎりぎり剣先の届かぬ場所へ逃げることが出来ていた。シュランツァが地面に突き刺さった剣を引き抜くと、そこは真っ二つに割れ、断層が露わになっていた。

 

「(逃げられない)」

 

シュランツァは拷問と言っていたが、明らかに殺意を持って追いかけてきている。怒りを孕んだ目は、それでいてそこか虚ろであった。精神が英霊の方へ大きく傾いているようだ。彼女の残虐性のみが英霊の力を最大限に引き出している。

 

「(戦うしか、ない。)」

 

充幸は水晶玉を取り出した。そしてそれに微弱ながら魔力を注ぎ込むと、大きな杖の形状に様変わりする。

充幸はエサルハドンと袂を分かった。身代わり王は言わば犠牲者、多くの国民を苦しめた悪逆の王を許すはずもない。

だが、だからこそ、エサルハドンの権能を使用する。これはかの王との共闘では無い。王に利用された分、自らも王をこき使ってやろうという精神だ。

 

「(貴方が真の王ならば、今こそその権威を知らしめるときだろう。違うか、エサルハドン。)」

 

充幸が杖を強く握りしめると、彼女の銀の髪の毛先、淡い桃色が侵食してくる。彼女の両目もまた、エサルハドンと同じ桃色へと変化し、亜種聖杯戦争のときの感覚を取り戻していく。

 

「(いける、今なら、力を振るえる!)」

 

シュランツァの第二撃、高速で接近した彼女は無茶苦茶に剣を振り回した。充幸は杖で悉くをはじき返す。相手が聖杯戦争で召喚されたサーヴァントであるならば、鈍った身体で対応できるほど甘くは無いだろう。だが少女は英霊の力を宿した人間である。ヒトへ変わろうとしている英霊の方がより優れた戦闘センスを持っているのは言うまでもない。

充幸はシュランツァのがら空きになった上半身に、杖の水晶を叩き付ける。そしてすかさず、そこへ渾身の魔力を注ぎ込んだ。

 

『爆ぜろ(イシャータム)』

 

水晶が青い炎に包まれ、シュランツァの肌へ燃え移る。彼女は後方へ転がりながら、なおも燃え続けていた。

 

「何だよコラ、あっつ」

 

シュランツァは大きく息を吸い込み、炎へ向かって吐きかけた。通常人間の肺活量で燃え滾る火をどうにかは出来ないが、流石はサーヴァントを宿している者。一瞬にして煙へと昇華する。

 

「クソッ、何者だ。草食動物な顔の癖に、急に盛りやがった。」

「あらん、シュランツァちゃん大丈夫ぅ?綺麗なお肌が台無しよ?」

「ショーン、お前は黙っていろ。」

 

シュランツァは再び充幸に対し睨みを利かせる。野獣の眼光は、見るものへ恐怖を植え付ける。

だがエサルハドンの権能を振るう彼女にはもはや無意味だ。シュランツァに宿るヘラクレスの逸話を思い出しながら、その対処法を考える。どのみち長期戦になれば、敗北するのは充幸だ。そういつまでもエサルハドンの力を使える訳でもない。それならば今、彼女の全力でシュランツァの進軍を止めるしか策は無いだろう。

 

「行くぞピンクビッチ。アタシの本気はこっからだよ!」

 

シュランツァの蒸気機関が如きパワフルな突進に、充幸は動じることなく杖を構える。

充幸が出来ることは、最初から変わらない。どんな敵に対しても、自らのセカイで立ち向かう。

 

『カサーダム。

其の道は我が選び、我が進む。

ナダーナム。

この生は占卜と共に在り、指し示すは悠久の果てたる神の庭。

これは遥かなる大地に現出する久遠の理なり。』

 

充幸の足元、光り輝く魔法陣が広がり、大地から星屑の粒子が空へと昇っていく。

 

「何だ!?」

 

全速力のシュランツァも流石に動物的本能で立ち止まるしかなかった。だが充幸の固有結界から逃れる術は無い。

 

『連綿たりし我の国(ダーリウム・マートゥム)』

 

先程まで砂浜だった景色は流転する。そして、風が新たな世界を運んで来る。エサルハドンが王として存在したアッシリアの大地が、現代に再構築された。

 

「こ…固有結界かよ……嘘だろ?」

 

目を見開くシュランツァと、その背後で美しい景色に見惚れるショーン。

充幸は容赦なくシュランツァのレンジに到達すると、杖の先を顔に叩きつけた。シュランツァは草原を転げ回り、流れる川へと落ちていく。先程の炎などとは比べ物にならない、圧倒的なまでの破壊力。この結界内に充幸がいる限り、彼女は全ステータスの向上と決してダメージを受けない恩恵を得る。

川へ落ちたシュランツァに対し、充幸は魔術で編み出した炎の爆撃を浴びせかけた。シュランツァは逃げることも出来ず、ただそれを受け、倒れ込むのみである。そしてシュランツァの元まで走っていくと、三度その杖を彼女の生身の部位に叩き込んだ。

 

「かっ…ハッ……」

 

体重の軽いシュランツァを杖で無造作に持ち上げ、城塞の階段の方へ投げ飛ばす。彼女は早々にも戦闘不能に陥っていた。

充幸は温和な性格だと自負しているが、エサルハドンの権能を使用している間は、かつての彼女へ逆戻りする。つまり、いま彼女は敵をこれでもかと痛めつけることに快感を覚えているのだ。

 

「ちょっとちょっとぉ。ウチのシュランツァちゃんを虐めすぎないで!というか杖って本来そういう使い方をするものじゃないでしょぉ!」

 

充幸が声のする方へ振り返ると、ショーンと呼ばれるオネエの大男が、その右手に注射器を握り締めていた。

 

「…っそれは、さっきの…!」

「そうよ。まさかシュランツァちゃんだけだと思ってないわよねぇ?」

 

ショーンは左手首に取り付けられたコネクタに注射針を打ち込んだ。シュランツァのときと同様、彼の額や腕の血管が破裂しそうなほどに膨張する。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムキャスター』:『アスクレピオス』現界します。〉

 

「私も、行く。」

 

そしてその隣のウラルンもまた、注射針を胸部に付いたコネクタに刺し込んだ。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムアーチャー』:『ケイローン』現界します。〉

 

そして二人の人間の体に、二騎の英霊が降霊した。

ショーンは黒いフードにペストマスクの非常に奇妙な姿へ変身し、ウラルンはより露出度があがり、胸や足が強調されるフォルムになった。

ウラルンは手に携えた弓でエネルギー波の矢を連射し、充幸を大きく後退させる。その隙に、ショーンは宝具を起動した。

 

『毒薬・不要なる冥府の失笑(リザレクション・ヴェノムハデス)』

 

ショーンが掌に作り出した紫の球体が、シュランツァに向けて発射される。それを浴びた彼女はゾンビのように身体をあらぬ方へくねらせながら蘇った。

 

「お早う、シュランツァちゃん!大丈夫かしらん?」

「アタシには十二の試練がある。余計なマネするんじゃねぇよ。」

「でもでもでもぉ、それを使ったら、シュランツァちゃん、もう帰ってくれなくなるじゃないの!わたくし、それは寂しいわぁ!」

 

最初こそ紫の波動を浴び、身体の骨がぐちゃぐちゃに搔き乱されていたものの、数分の内に彼女は元通りになる。充幸から受けた傷も、全てが綺麗に消失し、戦う以前のような状態である。

 

「(あのショーンとかいう男の力、どう考えても只者じゃない…っ)」

 

充幸は杖を地に刺したまま、新たな一手を必死に思考する。

彼女がこの固有結界を破られない以上はまず負けることは無いだろう。ならば先にヒーラー役を担うショーンから倒すべきである。だが強力なヘラクレスを宿したシュランツァがそれを阻むことは必至。充幸の魔力が切れた時点で、彼女の死は確定するだろう。

だが充幸はこの時の甘い考えを後悔することになる。この固有結界にいる限り無敵であると、誰が決めた理であろうか。

 

「(そういえばもう一人、ウラルンって女は?!)」

 

彼女がアッシリアの光景を隅々見渡すと、ウラルンは天高く人差し指を掲げていた。

 

「(まずい、何かが来る!)」

 

充幸はシュランツァとショーンに目もくれず、真っ直ぐにウラルンの元へ走り出す。だがウラルンの小さな微笑みに、彼女は敗北を悟るのだった。

 

「私の宝具は対人宝具。この世界で発動しても貴方の無敵の肉体には傷一つ付けられない。でも、この世界の外からの一撃なら話は違う。空に輝く星座が見える?」

 

「(固有結界の外からの射撃!)」

 

「貴方の行動は計算済み。座標位置固定。もう貴方の杖は届かない。」

ウラルンは胸を大きく揺らしながら、天高く指した指をしまい、ぐっと拳を突き出した。

 

『星を蝕む災いこそが、救済の毒となる。―我が矢はもはや、放たれた』

 

固有結界内にまで届く轟音が、宇宙から一筋の光として飛来する。それは充幸を殺すための一射。固有結界の一部を突き破り、充幸の元へ堕ちてくる。

 

『天蠍惨毒一射(アンタレス・ヴェノムスナイプ)』

 

それは毒矢である。

充幸に降り注いだ矢は、固有結界もろとも、彼女を殺し尽くしていく。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

絶叫がこだまする。

その砲撃は一瞬、なれども、充幸にとっては永遠のような時間であった。

全身から黒い煙を放ちながら、充幸はその場に倒れ込む。浜辺の砂山が彼女を優しく受け止めた。

幸い彼女は死に至っていない。だが、その肉体から何か、かけがえのないものが消失したように感じていた。

 

「言ったでしょう。これは拷問。私は貴方の中の英雄のみをこの矢で貫いた。それも毒矢で。暫くしたら魔力は回復するだろうけど、貴方が英雄へと変身するたびに、全身へ毒が運搬される。……使用できてあと二回。だから使わない方が良い。」

 

ウラルンは仕事を終えたと言わんばかりに、後の二人に任せ、その場を立ち去った。

浜辺に残された充幸に対し、シュランツァとショーンは確保すべく近付いていく。第五区へ連れ帰り、彼女が何者であるか隅々まで調べ上げる。その過程で死んだとしても、何ら問題では無い。

 

「ウラルンのヤツに美味しいところ持っていかれたのは癪だが、ザー様への献上品だ。文句は言ってられねぇ。」

「可愛い女の子が酷い目に遭うのはちょっとザンコクだけれど、教祖様の愛を一身に受けられるのであれば、それは凄くステキなことよ。」

 

にじり寄る二人に、充幸は指一本すら動かすことが叶わない。

彼女はそこで諦めるしかなかった。

少しだけ、今回巻き込んだテイオスに対して文句を言いたくなった。それももう叶わないが。

だが、シュランツァが充幸へ手を伸ばしたその時、事態は急変する。

二人にとっては全くの想定外。決して起こり得ぬ事象が発生したのだ。

オリハルコンの繭の一部が無造作に開かれ、中から海魔獣を思わせる巨大な触手が、二人へ襲い掛かったのだ。

 

「なにっ?!」

 

シュランツァは触手に足を捕らえられる。すると彼女の足は徐々に腐敗し始めた。

 

「シュランツァちゃん!」

 

ショーンは光弾を発射してこれに応戦。無事彼女を抱え込み、一度距離を取ることに成功する。

彼は有り得ぬ事態に困惑していた。この壁の管理者は開発都市オアシスの第四の災害、キャスターによるものである。第五の災害、アサシンはこのキャスターに隠れて、こっそり外へと繋がる穴を用意したが、それが出来るのはアサシンだけである筈だった。

 

―もう一つ、誰かが繭に穴を開けている。

 

「これは教祖様へ報告ね。」

 

ショーンは充幸を放って離脱する。シュランツァの両足の腐敗のスピードが尋常では無い。触手の届かぬ範囲まで逃げ、アスクレピオスの力ですぐにでもその進行を止め、治してやらねばならない。

 

「一体誰よ、誰があの触手を……」

 

ショーンは全速力でその場を離れて行った。

取り残された充幸は意識を失っている。触手は彼女を優しく包み込むと、壁の中まで連れ去って行った。

 

 

充幸が再び目を覚ました時、そこは白いベッドの上であった。

未知の機械が山のように点在する部屋で、不釣り合いなベッドが中央を飾っている。彼女は身体の異常を探すも、至って健康体であった。

だがウラルンによって貫かれた事実は消えていない。彼女の中でエサルハドンの権能が著しく弱っていることに気付く。

 

「彼らは…何だったんだろう。サハラの戦争の参加者?」

 

充幸はベッドを降り、狭い部屋の中で伸びをする。身体からぱきぱきと骨の擦れる音が鳴った。

彼女はその後、恐る恐る部屋を出る。罠が仕掛けられていないか、慎重に行動する。

砂浜で倒れていた時、気持ちの悪い触手が彼女を助けてくれたことを思い出した。軍服三人組とはまた違う勢力かもしれない。五体満足で生きている以上、今すぐに何かされるという事は無さそうだと判断する。

部屋を出ると、洋風のカーペットが敷かれた廊下であった。誰が描いたかも分からない絵が等間隔で飾られている。他にも色々と部屋があるようだが、とりあえず真っ直ぐに進んでいくことにした。

その場所は気味の悪い程に静寂だった。人が一人もいないのでは無いかと、彼女は不安に掻き立てられる。自ずと、歩みを進める足も段々と早くなってゆく。

そして廊下の先へ躍り出る。扉の先、とても広い、劇場のホールのような美しい場所であった。

電灯は付いていないものの、その構造の気品さはフランスのルーブル美術館を彷彿とさせる。彼女は少し懐かしい気持ちになって、駆け足でホール中央へ行く。近くの受付場所には紙の資料が点在しており、この場所の正体を掴むには十分すぎる情報であった。一番多く積まれた日本語のパンフレットを手に取る。

 

「第四区…博物館?」

 

彼女の読み通り、芸術的なコミュニティホールであったが、第四区というワードは聞き慣れないものであった。

 

「でも当然か、日本のことは全然知らなかったしね。」

 

その隣には『開発都市オアシスマップ』と書かれた、地図の資料が積まれていた。それに目を通した際に、彼女は衝撃的な事実を目の当たりにする。

日本に酷似した地形であるが、中部地方の西側から中国地方、四国地方までがそこに記載されている。それは既に北海道や九州地方が消失しているとテイオスが発言していた通りだ。だがそこにかつての都道府県名は割り振られていない。六つからなる開発都市に分かたれている。そして日本という名前自体が存在していない。この地はオアシスと呼ばれているようだ。日本国家は既に解体されている。

 

「一週間前に繭が日本を覆い尽くして、そのたった一週間で日本が滅んでいるなんて、どうして、一体何があったの?」

 

充幸は資料を置くと、博物館にいる人間を探した。彼女をここまで運んでくれた人物が恐らくいるはず、ならばその人間に状況を問うのが一番手早いと考えた。右も左も分からないままに歩き回り、博物館の様々なエリアに足を運ぶ。

 

「この博物館、展示している物が全部、聖遺物だ……どういうこと?」

 

ミュージアムとは元来そういうものであるが、説明書きが彼女の知っているものとは違う。英霊の歴史、そしてその英霊がサーヴァントとして召喚された際、どのような影響を及ぼすか、事細かに書かれているのだ。

そもそも英霊召喚は聖杯戦争という秘匿された儀式における通過点だ。一般市民が来訪するであろう博物館で説明していい事案では無い。

充幸の頭はますます混乱する。彼女の中にあった不安が今にも爆発しそうだ。

 

「誰か、誰かいませんか?いたら返事をしてください!」

 

充幸は声をあげるが、反響した自分の声が帰ってくるのみである。彼女は先程の部屋があった廊下へ戻ることにした。スタッフオンリーと書かれた扉を開け、元来た道を進んでいく。

そして途中、エレベーターがあることに気が付いた。彼女は躊躇うことなく乗り込むと、表示されたボタンを押す。

行先階層の選択肢は一つ、地下へ潜るスイッチだけだ。彼女がB2ボタンを押すと、エレベーターは静かに動き出した。

そして扉は自動で開く。先程とは打って変わり、巨大なコンピュータが格納された、サイバネティックな廊下であった。ブルーライトが走る近未来的な道をひたすらに前へ前へと突き進んでいく。

 

「映画で見たような…凄い……」

 

彼女は巨大な扉の前へ現れた。備え付けられたコントロールパネルが、接近してきたものへ身分を問い質す。

 

〈貴方の名を貴方の声帯で入力してください〉

 

「え、えっと、名前を言えばいいの?『鬼頭充幸』です。」

 

〈スキャン完了。充幸様、扉の先へお進みください〉

 

扉が勢いよく開いた。充幸はまた恐る恐る中へ入っていく。ここはどうやら一つの部屋であるようだ。ここが終着点であることが窺い知れる。

そして入って早々、彼女は右側にある水槽のようなカプセルを見て、腰を抜かした。そこには彼女が先程まで求め歩いていた筈の、人間の身体がある。ホースのような装置が取り付けられ、その箱の中で眠っていた。

 

「あ、あのー、すみません。助けて下さったのは貴方でしょうか?」

「それは私の息子です。」

 

充幸は背後からの声に驚き、よろめいた。心臓の鼓動が一段と早くなっている。目を丸くして、声の主の存在を確かめた。

白衣を着た、実に研究者らしい姿である。

 

「ごめんなさいね、驚かせてしまって。そのカプセルにいるのは息子の巧一朗。コールドスリープで千年前から眠り続けています。」

「えっと、コールドスリープ?千年?えーっと……」

「無理もありませんね。一から全てを説明しましょう。私が知る全てを。英雄エサルハドン、いや、鬼頭充幸さん?」

「どうして私の名を…?」

「とりあえずこの椅子にでも座ってください。珈琲でも入れますから。苦いのは大丈夫ですか?」

「あ、はい。大丈夫、です。」

 

充幸は落ち着かない様子で辺りをキョロキョロと見回す。

これから自分はどうなるのか。

ナリエやエンゾは心配しているだろうか。

 

「心配ですよね。なるべく早く元いた所へ帰してあげたいのですが、ごめんなさい、それは出来ないのです。貴方を助けられたのは全てが嚙み合ったうえでの奇跡のようなもの。次、あの壁を開ければ、災害のキャスターに殺されてしまうでしょう。」

「災害……?あの、ごめんなさい。本当に私は何も知らないのです。だから最初から、最初から教えて頂きたいのです。お願いします。」

充幸は深々と頭を下げた。

「勿論、そのつもりですよ。では、まずは自己紹介から始めましょうか。」

 

 

「第四区博物館、館長を務めております、名前は『間桐 桜』と申します。ようこそ充幸さん、千年後の未来へ。」

 

 

【桃源郷寸話:『サハラの放浪者』 完 】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おまけものがたり『ハロウィンの日に』

本筋には関係のない日常回です。
博物館スタッフの小話、ぜひお付き合いください。
誤字等あれば連絡お願いします。


【おまけのものがたり『ハロウィンの日に』】

 

これはいつかのハロウィンの話

 

第四区博物館では、地域交流の一環で、毎年十月三十一日にはハロウィンパーティーが開催される。館内の大広間を祝祭用に開け放ち、数々の甘い菓子がテーブルに用意され、人々は各々化け物の姿に仮装する。館長の意向で表、裏に関わらず全てのスタッフが駆り出され、各々与えられた仕事に従事するのだ。

十五時の開催まであと一時間。

巧一朗は飾り付けの業務を終え、カウンターでうつ伏せになっている。こうして眠りこけているフリをすれば、誰もが彼に声をかけない。

…ただ一人の例外を除けば。

 

「コーイチロー!コーイチロー!」

 

彼はその例外に強く肩を揺さぶられる。耳元で大声を出されるものだから、無視するわけにもいかない。

 

「おはよー!寝ちゃだめだよ!あと一時間なんだから!」

「まだ、一時間もある。俺はもう疲れた。これからまた地獄だからせめて僅かでも休息をくれ。」

「そっか、コーイチローは子どもが苦手なんだっけ」

 

展示解説の業務とは訳が違う。子どもを楽しませる為にあらゆるパフォーマンスが求められる故、彼はこうも辟易していた。

 

「じゃあさ、私たちと一緒にコスコン出ようよ。子ども達の相手は吉岡さんとかちゅんちゅんに任せてさ!」

 

彼女の言うコスコンとはコスプレコンテストの略称であり、男女に分かれてカッコ良さ/可愛さを審査、今年のナンバーワンハロウィンコスプレイヤーを決める戦いである。美頼はその準備担当を自ら志願していた。無論彼女も出場者の一人である。

 

「コーイチローなら男性部門で一位取れるよ!カッコいいし!」

「やらねー。面倒だし、衣装ないし。」

「衣装なら貸出用のものがあるよ!大丈夫、絶対似合うから!ドラキュラ伯爵とかスマートで良さげじゃん!」

「コンテストのために裁縫とか一から頑張っている人たちもいるし、俺が勝つのは厳しいよ。勝てるとも思っていないしな。」

「ぶぅ〜〜」

 

美頼は膨れ顔だったが、巧一朗は彼女の期待に応えるつもりは無かった。ステージに立ち、注目の的になるのは裏稼業的にも正しいとは言えないだろう。だがあくまでそれを美頼にも強要する気はない。彼女は元々可愛い衣装を着こなすことに楽しみを見出している。今回のコンテストについてもニヶ月前から目を輝かせ語っていた程だ。

 

「というか、いまさっき、私たちって言ったよな。他に誰が出るんだ?」

「スタッフの梶さんでしょう?あと脇さんも。あ、みさっちゃんも出るって。」

「鬼頭教官も出るのか?!なんというか…意外だな。」

「私はナースコスで、みさっちゃんは十三日の金曜日の…」

「怪人ジェイソンか?!どうしてそこをチョイスしたんだ、あの人は…」

 

巧一朗は充幸のジェイソン姿を想像する。酷く似合っていないことは確かだ。

 

「みさっちゃんも出るんだし、コーイチローも出たら、絶対楽しいのになぁ。」

「……俺は客席から見ているよ。応援しているから。」

「本当?絶対絶対見に来てよ!約束だから!今回はサプライズゲストも出るからね!絶対来てね!」

 

美頼はぶんぶんと大きく手を振り、去って行った。巧一朗はやれやれと言った表情で彼女の背を眺めている。

すると身体つきの良い男が彼の隣に腰を下ろした。どうやら巧一朗を誰も一人にはしてくれないらしい。

天然パーマに眼鏡をかけた年上の男。巧一朗は男を見るまでも無く、その正体が表スタッフの吉岡であると判断した。

 

「はい、ホット。」

「有難うございます、吉岡さん。あ、でも俺いまコーヒーは……」

「大丈夫だ。ホットメイプルティーだよ。甘ければ君は飲めるだろう。」

「…流石ですね。有難く頂戴します。」

 

巧一朗は吉岡から飲み物を受け取ると、頭を傾け、勢いよく飲み干した。その様子に吉岡も唖然としている。

 

「あれ、どうしました?」

「いや、ホットだよ?そんな勢いよく飲めるものなの?」

「メイプルなので。」

 

巧一朗は決め顔でそう言うが、吉岡は苦笑するしかなかった。

彼らはハロウィンパーティーの立ち回り方を再確認しつつ、役割分担を決めていた。吉岡は他のスタッフにも再チェックするよう通達しており、巧一朗は彼のイベントにかける熱意を感じ取った。吉岡は無類の子ども好きだ。きっと何か彼らに還元できることを嬉しく思っているのだろう。巧一朗から見て、その姿は大人びていた。その点、自らの幼さを見せつけられたような気分になる。

 

「…で、四時になったら巧一朗君は鷺沼さんと交代して。そこからはフリーだから。」

「フリーって、仕事は?」

「事前準備に走り回ってくれたからね。今日くらいは君も楽しんでくれ。折角のハロウィンなんだから。」

「いやいや、俺やること無いですし、手伝いますって。」

「何を言っているんだ。やることはあるだろう?丁度四時からコスコンだ。彼女を応援してあげて。」

「……吉岡さん、聞いていたんですね。」

「ごめんね。だけど彼女、張り切っているんだからさ。一番見せたい相手は君だと思うよ。」

「…………分かりました。お言葉に甘えます。有難うございます。」

 

巧一朗は吉岡の計らいで、コスコンを鑑賞することになった。それも何故か最前席で。

 

 

十五時、ハロウィンパーティーが開催された。

老若男女問わず総勢百人近くが集まり、各々がこの祝祭の日を思い思いに楽しんでいる。

巧一朗は吉岡の傍でお菓子配りに従事。だが吉岡と違って、巧一朗のもとに子どもは並ばない。その様子を傍から見たスタッフがクスクスと笑っていた。

そして十六時。巧一朗は別のスタッフと持ち場を交代し、コスコン会場へと足を運ぶ。

既に会場は満席。立ち見客まで存在する程だ。巧一朗は吉岡がくれたチケットの座席番号を探す。

 

「げ……」

 

巧一朗の席は最前列、かつ中央の目立つ場所。更にその隣に見知った顔が座っていた。

 

「鶯谷、何故お前もいる?」

「よ、巧一朗。そりゃあ女の乳に尻が見放題なんだからフツー来るだろ。」

「お前はこのイベントをストリップショーか何かと勘違いしていないか?」

「確かに裸では無いけど、かなり際どい衣装もあったりするんだぜ。そういう目当ての男も会場には沢山いるぞ。倉谷は最有力候補だ。」

「美頼が?まぁ、アイツの本職的には、そういう服を持っていてもおかしくは無いが…」

 

地域コミュニティへの還元を謳う博物館イベントが、邪なものになって良いものかと考えあぐねる巧一朗であった。

そしてコスコンの幕が開ける。最初は男性のステージ。

様々なコスプレのイケメンたちが、各々アピールを繰り出していく。会場は黄色い歓声に包まれた。

巧一朗は改めて、出なくてよかったと、安堵の溜息をつく。

 

「しかし良く出来た衣装だよな、なぁ鶯谷。」

 

鉄心に声をかけるが、彼は興味なさげにデバイスを操作していた。なんとも現金な男である。

 

そしてイベントは進み、女性陣のターンが開始される。

野郎共の野太い歓声に、巧一朗は呆れるしかなかった。

モデル体型の少女や、温かみのあるお姉さんなど、次々に美人が現れては消えていく。鉄心は必死にカメラを構えていた。アングルが際どいときは、巧一朗が必死に止めに入った。

そして中盤に差し掛かり、ようやく二人の見知った相手が現れた。

セクシーな女性が相次ぐ中で、異様な雰囲気の女が姿を見せる。

不気味な仮面を被り、地味な衣装に身を包んだ、謎の女。彼女は両手で巨大なチェーンソーを抱えているが、電源が入っていないのか、それとも危険を考慮したのか、自ら「どるるん、どるるん」と奇声を発していた。

巧一朗、鉄心はすぐさま彼女の正体に気付く。美人な鑑識官である筈の、鬼頭充幸であったのだ。

先程まで歓声に包まれていた会場は、突如静寂に満ちる。

ステージを取り仕切っていた司会進行の女も、若干引き気味に、充幸へマイクを傾ける。

 

『えーっと、それは、十三日の金曜日、ですか?』

「どうるるん、どうるるん、ぎぎー、ばきばき」

『あら、随分本格的ですわね。』

「どぅるるるるるる、ぐちゃ、ぼとん、どぅるるるるるるるるるるるる」

『ちょっと何か答えてくれませんかね!?怖いわ!』

 

充幸はコスコンを本格的な仮装大会と認識していたようで(本人談)その異様なまでの不気味さは人々の間で語り継がれていくのだった。

ジェイソンは喋らないから、チェーンソーの音だけで答えてみました!と笑顔で語る彼女を知るのは、また後の話である。

そしてイベントはクライマックスを迎える。表スタッフの梶と脇のステージアピールが終わり、残す最後の一人は美頼のみとなった。鉄心は梶と脇のゾンビメイドコスの写真を確認しながら、気持ち悪い笑みを浮かべている。気付けばローアングル写真のオンパレード、これには巧一朗も頭を抱えるしかない。

 

「残すは倉谷か。俺の仕事は、見納めだぜ。」

「お前、美頼は撮らないのか?」

「倉谷は巧一朗の女だろう。他人の女に興味ねぇよ。」

「いや付き合ってないし。」

 

だが巧一朗は、自らの気持ちとは裏腹に、そわそわした心持ちだった。得も言われぬ高揚感、それを否定したい己との戦いである。

 

「おい、貧乏ゆすり辞めろよ、巧一朗。」

「は?してないし。」

 

巧一朗はデバイスを起動し、カメラモードをセットする。これは決して自分の為では無く、そう、美頼が後から欲しがるから、その配慮である。出来る男巧一朗はベストショットを逃さないのだ。決してやましい気持ちは無い。断じて無い。

 

『では、エントリーナンバー十二!昨年王者、二冠なるかぁ?!倉谷―美頼――――!』

 

司会の女の声に、巧一朗は唾を飲み込む。舞台袖から純白の衣装に身を包んだ美頼が堂々と姿を現した。

 

『おおっと!昨年王者は、まさか、まさかの!ナースコスだぁぁぁあああああ!』

 

会場が歓声に包まれる。男たちの野獣の如き叫びがこだました。

 

「おぉ、倉谷ってやっぱなんでも似合うのな。こういちろ…」

 

鉄心が隣を確認すると、巧一朗はデバイスを傾け、指が折れてしまう程に連写を繰り返していた。彼自身その行動の意味を把握していない。あっという間に巧一朗の写真フォルダは美頼の写真で埋め尽くされていく。

 

「巧一朗、お前……」

「言うな、鶯谷。男ならばやらねばならぬときがある。」

「分かるぜ相棒。」

 

鉄心は巧一朗の肩に手を置いた。二人はようやく、互いの理解者になれたのだ。

 

「さて、俺も倉谷をこの高性能カメラで収めておくかね。」

「は?」

「待て巧一朗、急にドスの効いた声を出すの止めてくれるか。」

 

二人の理解者は、ここで決別した。

 

『やはり昨年王者!今年も一位間違いなしって感じでしょうか?』

「ううん、今年はスペシャルゲストもいるからね、凄く可愛いよ!」

『スペシャルゲストとな。わたくし何も聞かされていませんが、まだエントリーしている人物がいると?』

「うん!ちょっと呼んでくるね!」

 

美頼は小走りで舞台袖へ降りていき、すぐステージへ戻ってくる。

彼女は誰かの腕を必死に引っ張っていた。彼女こそが最後のコンテスト出場者である。

 

「いや、興味本位で来てみた我も我だが、待て、待ってくれ、流石にこれは少し……」

「ダメ、約束だもん。令呪使っちゃうよ?」

「下らんことで令呪を使うな。あぁもう!」

 

美頼と共に現れたのは、まさかの人物である。

 

「じゃーん!スペシャルゲストは私のサーヴァント、バーサーカーだよ!」

 

姿を見せたのは、美頼と色違いの黒ナースコスに身を包む、妖艶な女。ポポヨラの女王『ロウヒ』であった。

彼女は顔を赤く染めながら、ミニスカートを必死に手で隠そうとしている。普段来ている黒のドレスからは想像できない、彼女の白の肌が皆の目前に晒されている。

 

「我は、その、別に、あの……」

 

常に自身に満ち溢れた残虐な悪女が、乙女の顔で恥じらっている。それは彼女を知るもの、知らないもの、その全てを虜にする破壊力であった。

鉄心はそっとカメラを掲げる。彼の顔は今までで一番凛々しく輝いていた。

 

「止めてくれるなよ、巧一朗。」

「あぁ、行け、鶯谷。求めるがままに、自由に。」

 

そして、ロウヒは得票率九十五パーセントで、伝説の人と化したのだった。

なおロウヒによって彼女を写したカメラは全て粉微塵に破壊された。鉄心はその日、ただ地に伏して男泣きを繰り返していたそうだ。

 

 

ハロウィンイベントが無事終了し、博物館スタッフは片付け作業に追われていた。

 

「私のジェイソンが、最下位、何故です、おかしい、最下位………」

 

カウンターでぶつぶつと呪いを唱える充幸を無視して、巧一朗はデバイスを眺める。フォルダには、これでもかと言わんばかりの、美頼のナース写真があった。

 

「(これ、美頼が見たらドン引きだよな。俺も流石にテンションがおかしかった。消しておこう。)」

「コーイチロー!私バーサーカーに負けちゃったけど、コーイチローは私に投票してくれたんだね!優しいなーもう!」

「え、おぁっ、美頼!?」

 

後ろから美頼に声をかけられ、彼はデバイスを落としてしまう。拾い上げた美頼は、彼の見ていた写真フォルダを確認した。

 

「あ、えっと、これは…」

「これ、全部、私の写真…」

「……悪い、許可も無く盗み撮るなんて最低だよな。ちゃんと消すから……」

「巧一朗ってば、そんなにナースが好きだったの!?」

「え?」

「もう!言ってくれればいつでもコスするのに!水臭いなぁ。」

「いや、別に俺は、その…」

 

「……どうかな?可愛かったかな?」

 

「…………あぁ、良かったんじゃないか。」

 

「そっか、そっか」

 

美頼は巧一朗に拾ったデバイスを押し付け、駆け出していく。

彼は声をかけようとするが、既にスタッフの波の中に消えていた。

彼女は真っ赤になった頬を見られるのが恥ずかしくて、その場から逃げる他なかった。

 

「ナースかぁ、そっかぁ、…可愛かったか、ふふ」

 

今日はハロウィン。ちょっぴり甘いお菓子が似合う日だ。

 

 

【おまけのものがたり『ハロウィンの日に』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神韻縹緲編 プロローグ

ついに本編突入です!
誤字等ありましたらご連絡お願いします。


【神韻縹緲編 プロローグ】

 

私の名前は、櫻庭 咲菜。第五区北看護専門学校の二年生。昨日に筆記の検定試験があったから、それの自己採点結果を持って、担任と面談をする予定である。ちなみに成績的には中の下くらい。志望校は軒並み判定Dをマーク中。

自宅を出て、通学路を走る。遅刻している訳では無いが、待ち人がいる為だ。私は毎日、クラスメイトで親友の雨ちゃんと一緒に登校している。雨ちゃんは学年でもトップクラスの成績。色んな大学からオファーが飛んできているという噂だ。

私は多種多様な花の植えられた散歩通りを走り抜けていく。花より団子な私には植物の名前など判断しようも無い。ランニングする青年や、車椅子で花を愛でながら話す老夫婦へ次々と声をかけていく。

 

「おはよう中野さん!」

「あ、お早う、サクナちゃん。今日も朝からランニングとは、精が出るね。」

「おはよう!鈴木のばーちゃんにじーちゃん!」

「サクナちゃん、学校なのね。気を付けていってらっしゃい。」

 

自分で言うのも何だが。私はこの地域では顔の広い方だ。幼い頃に親と死別した私を地元の方々が育ててくれた。私にとって商工会の方々は家族に他ならない。第五区でも辺境の地域であるが、私にとってはこの場所が最も温かみがある。都心部は災害のアサシン様とアヘルという名の組織が統治していて幸せな生活が保障されていると言うが、私は都会になんて行きたくない。災害様はこの第五区を愛していると豪語しているが、貧困層の人々は決して救われていない。私の地元にも、職を失った者が流れ付いて来ている。

 

「おっといけないいけない。考え事していたら遅れちゃうってば。」

 

私は凡そ華の女子高生とは思えぬフォームで駆けて行く。通り過ぎるみんなも、そんな私の姿に呆れつつも微笑ましそうに見つめてくれていた。

そして私はドーム球場数個分の広大さを誇る公園の中央、女神像のモニュメントの前に辿り着いた。目的の人物は既に到着している。

 

「ごめん、雨ちゃん、おまた。」

「咲菜ちゃん!大丈夫?汗だくだよ?」

「いやーごめんごめん、アラームをセットした筈なのに自分で止めて二度寝しちゃった。じゃあ雨ちゃん、行こ!」

 

私は制服のスカートをパタパタと扇ぎ、汗にまみれた下半身へ風を送る。が、赤面した雨ちゃんによってその行動は制止させられた。

 

「雨ちゃんは自己採点どうだった?」

「とりあえず、志望している学校は行けそうかも。第一区とか四区の学校も視野に入れて考え中かな。」

「え、マジ?いいなぁ、私も四区へ行きたい!ここより楽しそうだし。でも雨ちゃんは看護師にはならないんだよね。」

「うん、健診センターとか、そっちを目指しているよ。治すより、予防する為の仕事に就きたいんだよね。咲菜ちゃんはやっぱり看護師?」

「モチのロン!地元の病院のセンセには沢山お世話になったしね~。でも私の成績じゃかなり厳しいことも事実…。」

「でも、咲菜ちゃん、そういえばアヘルの看護施設から推薦の話が来ていなかった?それは受けないの?」

「うーん、私にはそのあたりの組織とか人の考えとかは分からないからなぁ。とにかく、私も第五区を出て、一区か四区の就職先を狙ってみる!将来の夢の為に、ね!」

 

私は右手を天高くつき上げた。太陽を掴むように拳を作る。

 

「夢?」

「雨ちゃんも知っているでしょう?白衣の天使で、慈愛の英雄『ナイチンゲール』!全看護師の憧れ、彼女の名前を知らない者はいない!私はオアシスのナイチンゲールになりたい。沢山の人の笑顔の為に!」

 

幼い頃に児童養護施設の本棚で見つけた漫画。主人公ナイチンゲールは女性の身でありながら、男社会で戦い抜き、医療と衛生改革を行った。彼女の遺した言葉『天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である。』は私の座右の銘になっていた。

幼い私を助けてくれた皆に恩返しがしたい。とくに、幼い子どもに手を差し伸べる人間でありたい!私の願いはずっと変わらない。

 

「素敵な夢だね。」

「あ、あと……素敵な彼氏も見つけたい!」

「ふふ、咲菜ちゃんらしいね。」

 

少し気恥しくなった私に、親友は温かな笑みを浮かべてくれていた。

頑張ろう。勉強は少し苦手だけど、なりたい自分の為になら、もっと努力できるはずだ。

私は届かない太陽に、少し背伸びをしながら、手を伸ばしてみるのだった。

 

 

第四区博物館屋上にて、ジャージ姿の青年とツナギの青年が互いに向かい合っていた。西風が吹き、彼らの髪を細かに揺らす。

ツナギの青年は手に持っていたヘアバンドで青い長髪をかき上げ、固定すると、拳を前に向かって突き出した。

 

「行くぞ、巧一朗。」

 

どこか気怠そうなジャージの青年の名を呼ぶと、ツナギの青年はファイティングポーズをとり、そしてそのまま全力で駆けだした。

 

「来い、鶯谷。」

「うらぁああああ!」

 

ツナギの青年、鉄心は、巧一朗目がけて飛び膝蹴りを食らわせる。巧一朗は咄嗟に両腕でカバーするも、勢いに負け、後退する。

鉄心は地面に降り立つ際も、次の攻撃の準備を欠かさない。素早く右足を地面すれすれの位置で豪快に回し、巧一朗を転げさせようとする。だがそんなことは想定済みと言わんばかりに、彼は鉄心の攻撃のタイミングを読み、飛び上がり避けた。鉄心は思わず舌打ちをする。

そして少し屈んだ姿勢の鉄心へ向けて、巧一朗も戦いに出る。鉄心の顔に向けて、右足によるストレートを打ち付けた。激しい炸裂音が屋上に響き渡る。鉄心の脳はぐらぐらと揺れ動いた。通常ならばここでノックアウト。だが彼もまた修羅場を潜り抜いてきた身、このような形でゲームオーバーになることは認められない。彼は頬と歯と骨の痛みに耐えながら、伸びてきた巧一朗の足を両手で掴み、彼のバランスを崩した。

 

「おっ、おぉ!?」

「おらぁああ!」

 

鉄心は巧一朗の足を取り、力任せにぶん投げる。格闘家も驚く程の馬鹿力は、いとも容易く巧一朗を宙に追いやった。彼は着地の姿勢を取れぬまま、屋上のフェンスに激突する。

 

「おい!殺す気か!」

「トレーニングは本気でやらなきゃ意味ねぇだろう?」

 

鉄心はにやりと笑みを浮かべると、弱った巧一朗に突進する。巧一朗は、今度は避けることなく、これに応戦。鉄心渾身のストレートを片手で受け止めると、その腕を捻りながら、強烈な頭突きをお見舞いする。鉄心は後ずさりつつ、左肩でタックルし、巧一朗を再び吹き飛ばした。

彼らは手足から、鼻から血を垂れ流しつつ、半時間に渡り、戦闘を繰り広げた。

そして二人の体力が底をつき、ほんのり温められた屋上に崩れ落ちる。ここに勝者はいない。彼らは互いに自らの負けを認めていた。

 

「かぁっ…はぁ……はぁ………」

 

互いに空を見上げながら、呼吸を整える。傷は博物館が秘密裏に所有する回復ポッドを使用すればいいとして、奪われた体力は、今はどうにもならない。太陽の光を浴びながら、大きく深呼吸を繰り返すのみだ。

 

「巧一朗、マジで容赦ねぇよ。」

「鶯谷もだろう。本気を出したのはそちらもだ。」

「命の奪い合いならサーヴァントを出しているさ。あくまで模擬戦だ。シュミレーションってな。」

「それもそうだ。」

 

屋上で倒れる二人の元に、金髪のツインテールを揺らしながら少女が駆けてくる。二人は同時にその少女の来る方向を見つめた。

 

「何これ!二人してなにやってるの!ボロボロじゃん!」

「あぁ、美頼か。」

「コーイチロー、大丈夫?」

 

美頼は巧一朗に駆け寄ると、その場に座り込み、彼の頭を自らの膝に乗せた。俗にいう膝枕である。そして額や鼻に付いた血の跡を、持ち合わせていたハンカチで拭ってやった。

 

「おーい、俺のことは無視かー?」

「ちゅんちゅんは大丈夫でしょ。それよりコーイチローだよ。折角のカッコいい顔にこんな傷を作っちゃって。」

「美頼、有難いが、俺も少し暑苦しい。もし頼まれてくれるなら、俺と鶯谷の何か水分を持ってきてくれると助かる。」

 

巧一朗は美頼から顔を反らしつつ、そう頼み込んだ。彼女の柔らかな太腿と、見上げるとハッキリわかる豊満な胸は、ハッキリ言って毒である。密着されることには多少慣れつつも、この距離は流石に彼も不味いと感じたのだろう。

 

「うん、それじゃあ待っててね、コーイチロー。」

「おい、俺の分もちゃんと頼むぞ!おーい、聞いているか?」

 

屋上の扉から勢いよく駆け下りて行った美頼。恐らく彼女は素で、鉄心の分の飲料水を持参し忘れるだろう。

 

「ところで鶯谷、さっきの話で思い出したんだが…」

「さっき?あぁ、命の奪い合いならサーヴァントを出しているって話か?」

「そうだ、それで、お前のサーヴァント、アーチャーをここ最近見かけないんだが、どうしたんだ?」

「あぁ、あいつなら……」

 

一週間前、鉄心に対し、アーチャーは暫くの休暇を申し出た。アーチャーの中に存在する三兄弟の魂、その長男であるフセインのたっての願いである。彼は第二の職場であるクリニックで繁忙期を迎えていた。子ども達を中心に風邪が流行っている為だ。本来、鉄心の専属従者である彼が好き勝手に行動するのは有り得ぬ話だが、マスターである鉄心はこれを認めたのだった。鉄心と巧一朗がトレーニングに励む今日も、フセインは忙しなく働いていることだろう。

 

「叶わぬ恋だとしても、傍にいて支えることぐらいはさせてやりたいじゃねえか。」

「ん、何か言ったか?鶯谷。」

「いんや、何でもねぇよ。」

 

そして鉄心の予想は的中。フセインはクリニックにて、慌ただしく走り回っていた。次から次へとやってくる子ども達の相手をすることに奮闘している。院長も、スタッフも、そしてナイチンゲールも手が離せない状況が続く。フセインはこの場所で習った四か月の知識をフル動員しながら、処方箋の準備や待機する子どもと仲良く遊んだりしていた。クリニックでの待ち時間というのは子どもにとってはストレスだ。泣き崩れたり暴れまわったりして親をも困らせる。ならば、と、フセインは親子で楽しめるマジックショーを披露したり、紙芝居をしたり、笑顔の溢れる空間作りに心血を注いだ。

そして今日も激動の一日が終わろうとしている。最後に現れた子を玄関先まで見送りながら、ホッと溜息をついた。

 

「お疲れ様です、フセイン。また今日も一日手伝って頂いて、本当に有難うございます。」

 

隣で一緒にお見送りをしていたナイチンゲールは、彼の汗ばんだ顔を見上げながら、彼に労いの言葉をかける。

不思議なもので、既に体力の限界が近付いていたフセインも、彼女の優しい笑みを見ると、幾らでもまだ働けそうであった。

 

「僕なんて、何も。院長や、スタッフの皆さん、そしてナイチンゲール、皆さんが一番頑張っていましたよ。」

「そんなことはありません。フセインだって一番です。それは私が知っています。」

 

悪戯っぽい笑みを浮かべた彼女は、フセインの唇に人差し指を置いた。これ以上は謙遜しないでね、そういうアピールである。そんな一つ一つの所作が、フセインの胸を高鳴らせた。

 

「でも、本当にクリニックに来て頂いて、大丈夫なのですか?貴方にもマスターがいる筈……」

「マスターの許可は得ています。優しく、慈悲深い男なのです、彼は。」

 

フセインは鉄心のことを自信満々に話した。自分の大切な人だからこそ、誰よりも彼の良さを語り聞かせたい、そんな気分だ。

フセインは不意に、ナイチンゲールについて、気になることが思い浮かんだ。彼は特に何も気にすることは無く、思うままに、その質問を投げかける。

 

「そういえば、ナイチンゲール。貴方のマスターはクリニックでの活動を許可しているのですか?専属従者サービスが嫌いな院長やスタッフは貴方のマスターでは無いのでしょう?」

 

フセインは一切の悪意なく、純粋な疑問をぶつけたつもりであった。だが、ナイチンゲールはバツが悪そうに、話題を逸らした。どうやら、彼女に、彼女の主人のことを聞くのはタブーであるみたいだ。フセインはそのことを心に留めておいた。

 

「あー、でも、そうだな、子ども達がいると大変ですけど、いなくなると、少し寂しくなりますね、ははは。」

「そうですね。でもまだ一人、このクリニックにいますよ。」

「あぁ、康太くんですね。」

 

フセインはクリニックで働いている中で、この場所で入院している少年の存在を知った。姫木 康太という名の小学生だ。小学生と言っても、彼はもう何年も学校に通えていない。彼の患っている病気は深刻なもので、本来であれば大病院で治療を施されるべき筈だった。

 

「お金がなくて、ここに来たんですよね。」

「はい。院長の特別な計らいで、ほぼ無償で彼を預かり、治療を行っています。今は良好な状態ですが、もし悪化したなら、大病院に任せる他ないでしょう。でも、受け入れてもらえるかどうか……本人も、どこか諦めているというか、このクリニックを家のように思ってくれているので。」

「確か親は借金で夜逃げしたんでしたね。康太くんを捨てて…」

 

フセインは思わず指が食い込むほどに拳を握り締めた。だが、フセインにどうこう出来る問題で無いことは確かだ。

 

「…フセイン、まだ時間はありますか?一緒に康太くんに会いに行きましょう。」

 

クリニックの二階に、月の光が差し込む部屋がある。康太はそこで空に浮かぶ星の数を数えていた。

 

「康太くん!」

「あ、ナイチンゲール先生に、フセイン先生。」

「はは、康太くん。僕はただの手伝いだから、先生じゃないぞ!」

 

フセインは康太の頭をわしゃわしゃと撫でまわした。自分で言っておきながら、先生と呼ばれたことが存外嬉しかったようだ。

 

「でも俺、見てたよ。フセイン先生が皆を楽しませているところ。テレビで見るヒーローそっくりだった!」

「おぉ、嬉しいことを言ってくれるじゃないか!」

「そうね、フセインは本当、ヒーローみたいですから。」

「なっ…ナイチンゲールまで…!なんか恥ずかしいな。」

 

フセインはコホンと咳払いすると、康太のベッドの脇に置いてあるパイプ椅子へ腰かけた。彼は今日もまた、康太へ一夜の冒険の物語を語り聞かせる。語り部の英雄シェヘラザード、彼女ほど魅力的では無いが、彼なりに、彼の冒険を交えた創作を愉快に話し始めた。康太はこの時間を誰よりも楽しみ、そして誰よりも幸せに感じていた。傍に立つナイチンゲールも、フセインの紡ぐ冒険譚に、静かに聞き入っている。

 

「それで、魔法の絨毯に火が燃え移って……っ」

「それでそれで?!」

「……今宵は、ここまでだ!」

「えぇ!?良いところなのに!」

「もう寝る時間だ。続きは明日にしよう。」

 

フセインは再び康太の頭を撫でた。今度はゆっくりと、赤ん坊をあやすかのように。

 

「明日、また来てくれるの?」

「明日も、明後日も、明々後日も、毎日来るさ。約束だ。」

 

フセインは小指を突き出し、康太の小さな小指と絡めた。鉄心が教えてくれた、約束をするときの合図だ。

 

「指切げんまん、嘘ついたら、針千本飲ます。指切った!」

 

康太はどこか満足そうな表情を浮かべながら就寝する。フセインとナイチンゲールは眠りにつくまで、傍にいて静かに見守っていた。

二人は康太を起こさないよう、静かに一階へと降りていく。そして院長やスタッフがくつろぐ部屋へ向かって行った。

 

「フセインの冒険は、凄く楽しいですね。」

「ちょっと脚色しているかなぁ。魔王に囚われたお姫様なんて、出会ったことないですし、ははは。」

「ふふ、もし私が悪い魔王様に囚われたら、フセインは助けに来てくれますか?」

「それは勿論、どんな場所であろうが駆けつけますよ。その為の絨毯ですから。」

 

フセインは真面目に返答する。ナイチンゲールの顔を見ると、茹でた蛸のように上気していた。

 

「ナイチンゲール……」

「あ、フセイン…」

 

彼は叶わぬ恋を胸に抱きながら、それでもと欲を出してしまいそうになる。だが正しく踏み止まる。鉄心の為、そして約束を交わした康太の為に。

彼女から目を逸らしたフセインは、足早に、院長のいるであろう部屋へ歩いて行く。ナイチンゲールも冷静になり、彼を追いかけた。

そして彼らが扉を開け、部屋に入ると、院長が電話対応をしており、スタッフたちが何かの紙を片手に大喜びしていた。ぽかんとその様子を眺めていた彼らだが、院長が電話を切ると、その事情を知ることとなった。

 

「どうしましたか、院長。」

「あぁフセイン君。やったよ、非常に嬉しいニュースだ。奇跡が起こったと言っていい!」

「奇跡?」

「あぁ、そうだ。これを見たまえよ。」

 

院長はスタッフの所持していた手紙のようなものを奪い、フセインに手渡した。ナイチンゲールも、覗き込むようにして、手紙の内容を読み込む。

 

「難病を患っている、康太君が!なんと、天還に選ばれたんだ!ヘヴンズゲートへ行けるんだよ!」

 

フセインは驚愕した。天還とは、災害が特別に人間を抽出し、楽園へと誘ってくれる祭りだ。康太が選ばれたのならば、彼は災害の手によって救済される。大病院の処置など無くとも、彼は元気に、健やかに、生きていけるのだ。

 

「そ、そうですね。良かった、良かったです。康太くんはこれで助かるんですね。」

 

フセインは戸惑いながらも、心を落ち着かせる。博物館が災害と敵対していることは承知の上で、それでも、康太が救われるならば良いことだろうと、己を納得させた。

 

「君も良かっただろう、ナイチンゲール君。君が一番傍で彼を支えてくれていたからな!」

 

院長もまた、康太のことを我が子のように可愛がっていた。だからこそ、彼は今笑いながらも、嬉し泣きが止まらない。

だが院長の言葉に対し、ナイチンゲールは一言も返さない。フセインが彼女の方を見ると、彼女の目は絶望に染まっていた。

 

「ナイチンゲール?」

 

彼女はカタカタと小刻みに震えている。まるで何かに怯えているかのように。

院長も、フセインも、もはや誰の声も届かない。

彼女の意識はコールタールの海に落ちていく。

そして彼女はその場で倒れた。愛する男の声は、彼女には聞こえない。

 

 

漆黒の海で溺れる少女が見たのは、過去の夢であった。

嫌だと泣き叫ぼうと、手を動かして払おうと、その痛みは流れ込んでくる。

 

それはナイチンゲールの記憶。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムバーサーカー』:『ナイチンゲール』現界します。〉

 

開発都市第五区、王の玉座の前で、とあるサーヴァントが召喚された。

稲妻のような光が走り、煙と埃の中から、少女のサーヴァントが姿を見せる。

 

「私…は……」

「ようこそ、余の神殿へ。歓迎するぞ。余の名はザ〇〇〇〇。ディザストロアサシンのクラスで君臨した、世界の王だ。貴様は自らの名が理解できるか?」

「私…は…ナイチンゲール。」

「そうだ。クリミアの天使、ナイチンゲール。救済の英雄こそが貴様だ。これからは我が国で臣下たちの救護を担ってもらう。」

「貴方が私のマスター…?」

「マスター?あぁ、器のことか。余の英霊召喚はちと特殊でな。人間の胎内に英霊を召喚し、統合させるのだ。ほら、貴様のその身体の宿主が貴様のマスターだぞ?」

「わた…しの?」

 

突如ナイチンゲールの脳内に人間の記憶が流れ込んでくる。

宿主の少女は女子学生。人々から愛され、人の役に立ちたいと願う少女。そして誰よりも、英雄ナイチンゲールへ憧れを抱いていた少女。

その名は、櫻庭 咲菜。

 

「え…あれ…?」

「余は適合者と見込んだのだが、なにぶん、器の容量が無くてな。貴様が召喚されたことにより死んだ。」

「死んだ?」

「器はこの神殿で祈っておったぞ。ナイチンゲールが、皆を救ってくれると。その想いに貴様は答えたのだろう?はは、皮肉だな、貴様が願いに応えたから、女は苦しみ死に果てたのだ。」

「私が……応えたから?」

「そうだ。貴様の所為だ。貴様が殺したのだ。」

 

災害のアサシンはナイチンゲールの滑稽な顔に邪悪な笑みを浮かべた。そしてナイチンゲールは、自らの感情がどこにあるかも分からず、ただ動物のように、言葉にならない言葉で、叫び続けたのだった。

               

 

【神韻縹緲編 プロローグ 終わり】

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神韻縹緲編1『name』

大変お待たせしました。
今回はいよいよ桜も登場です。
誤字等ございましたら連絡お願いします。


【神韻縹緲編①】

 

「重ね」

 

「束ね」

 

彼の意思は「隣」へ同調する。

 

「契れ」

 

彼の脳に流れてくる、果ての無い白の海。彼は手探りで、その先に佇む何かへコンタクトを図る。

 

「縫合—————開始」

 

彼の指先から放たれた細い光の線が、広大な海を割って進んでいく。

否、垂れている、という表現が正しい。

四次元空間へ放たれた糸は、対象へ結びつくまで四方八方動き回る。

 

「鈴を鳴らせ 線を垂らせ」

 

詠唱を唱える彼の額に汗が滲む。意識はもはや現世には留まっていない。彼は今、領域外を旅している。

 

「器を満たせ」

 

そして彼はようやく対象を捕縛する。彼の記憶の糸が対象を吊り、現世へ引き上げる。彼は眉間にしわを寄せながら、竿のリールを回転させるイメージを練り続けた。

 

「君の形を我が結ぶ(コギト・エルゴ・エス)」

 

あとは、彼の記憶の糸で、その対象に名を与え、存在を形成するのみである。だがこの工程が最も難易度が高い。その想像にブレがあると、忽ち定義が消滅する。

 

「讃歌を…………謳うっ……っあぁ」

 

彼の手が大きく震えた。集中力の途切れか、または外部の干渉。対象は霧散し、彼の糸は行き場所を失った。彼は急ぎ、海からの脱出を図るが、現世の肉体へのゲートが閉ざされ始めている。

 

「まずい…」

 

彼の肉体に外敵損傷があったのか、通常時より門の閉鎖が早い。もし万が一浮上できなければ、彼の意識は永遠に海の中へ閉じ込められる。そうなれば、現世の肉体は最早植物人間となるだろう。

 

「クソ、俺はいま博物館の書庫へ居たはずだ。何があった?」

 

彼は急ぎ空へ向かって泳いでいくが、途中、何者かによって阻まれる。彼の足を取り、深海へと引き摺り込もうとする者。彼はその正体を知らずとも、良く知っていた。

 

「隣人か……っ!」

 

彼が糸を結び付けた対象こそ、彼の言う隣人である。ただ、そこに在り、生きている者。彼の力の本質であり、また彼を喰らおうとする存在でもあった。

 

「牙を向けてくるか…隣人!」

 

彼は隣人の伸ばした触手に意識を絡めとられる。深い海の底へ青年を引き込んでいく。

 

「くそっ…」

 

―あぁ、どうして、間桐の家は危ない橋を渡らせるのか。

 

単純な術式の展開を極めることも出来ず、母の教えに全てを委ねた青年は、誰に気付かれる訳でもなく、自らの力によって殺されていく。

そしてゲートは閉じ、彼は海の底で生きることを諦めた。

 

どれほど時間が経ったのであろうか。彼は海の底で目を覚ました。

肉体を失った思念体は、自らが置かれている状況を正しく分析する。

「隣人」は彼を捕食することなく、その場を去ったようだ。彼の魂は、確かにそこで生き永らえていた。

 

「死んでいないのは、幸か不幸か…」

 

彼は水中で、空を目指そうと立ち上がる。当然、肉体に戻れぬからその行為に意味は無い。しかし、いつだって空を見上げるのが人間の在り方だ。そうやって人類は空の先の宇宙まで開拓してきたのだ。

そして彼は、自らの傍に誰かが浮遊していることに気付いた。同じく思念体であるが、そのビジョンは現実世界の肉体と同化して認知される。

彼はその思念体を、否、その人間を良く知っていた。

 

「さく…ら………?」

 

紫の髪に愛らしいリボンを付けた、白衣の少女が現れる。彼女は青年の元へ歩いて来ると、指先を彼の唇に押し当てた。

 

「桜じゃない!お母さんでしょう?巧一朗。」

「母さん………」

「ふふ、久しぶり、巧一朗。」

 

現れたのは間桐桜、間桐巧一朗の母である。彼女は細い腕で、彼をそっと抱き締めた。

 

「アンタが、生きている筈が無い。」

「それはそうね。貴方が聖杯戦争へ赴いた後には、私は死んでいたから。私たちが暮らした冬木も、今はもう存在しない。」

 

桜は遠い目をしている。彼女の故郷に思いを馳せているのだろうか。

 

「では、アンタは…俺の目の前にいる母さんは、何者なんだ?」

「……その質問に意味が無いことは、何より巧一朗が理解している筈でしょう?」

 

桜の言葉に、巧一朗は頷かざるを得なかった。

 

ここは「虚数海」。彼女の存在を定義づけるには十分すぎる空間だ。巧一朗の生み出した幻像(ヴィジョン)であろうが、桜の生み出した幻像(アバター)であろうが、そこに差異は無かろう。現世での肉体が死を迎えたとしても、魂が遺っていたならば、この膨大な海を彷徨っていても何ら不思議では無いのだ。だが巧一朗はそれでも、こうして彼のもとに姿を現した彼女を、都合がいいと考えてしまった。

 

「で、母さんは今更何をしに来たんだ。」

「あら、愛する息子に会いに来るのがそんなに可笑しなことかしら?」

「別に変なことでは無いが、タイミングだ。何故今になって、俺に会いに来たんだ。」

 

巧一朗は彼女を睨みつける。もし、彼女が本当に自分を愛してくれていたならば、遥か昔には助けてくれていた筈だ、と彼は考える。

 

「そうね。確かに少しばかり遅れてしまったのは否めないわ。…私はいつだって、貴方だけを探していた。それは本当。私は生前、巧一朗に虚数魔術の全てを教え、与え、継がせた。危ない力であることを知ってなお、私はこの虚数海で貴方と再会できると信じていました。」

「……こうして海で溺れるのは今回が初めてじゃない。出口が消えたのは初めてだけど、生死の境を彷徨うのは当たり前だった。いま母さんが来てくれたのは、俺がいよいよ本当に死んでしまったからか?」

 

桜は首を横に振る。

 

「出口は閉じていない。私が一時的に、見えなくしているだけ。話が終われば、貴方は解放され、皆の元へ帰ることが出来るでしょう。そこまでしなければ、貴方はきっと私の前から逃げ出すから。……あの時のように。」

 

彼女は悲しい目をしていた。巧一朗は当然、その顔の理由を知っている。

彼は自らの意思で聖杯戦争に参加した。桜には何も告げず、ただ一人でサハラへ赴いたのだ。

そしてその結果が、その報いが、日本の消失だ。彼の生まれ故郷は跡形もなく沈没した。

 

「……成程、母さんが仕掛け人って訳だ。もしかして臓硯も関わっているのか?」

「お爺様は関係ないし、言うならば間桐の意志も存在しないわ。…もう間桐は死んでしまったから。私が貴方を引き止めたのは、ただの親心、ただのお節介。」

「そうか。ならいい。俺は臓硯や桜のような、正義の味方の人生は御免だからな。」

 

思えばこうして巧一朗が海の中を漂っていられるのも、臓硯が『魂の物質化』を目指した副産物であるのは明白だが、彼にはそれがむず痒く感じられた。間桐の理想の果てが、この虚数の海であるならば、果たして彼らは報われたと言えるのだろうか。

 

「それで、母さんは俺に何を伝えに来たんだ?」

 

「それは……ずばり、巧一朗の戦力強化、です!」

 

「はぁ」

「巧一朗、貴方の行使する魔術『招霊転化』に大規模なアップデートを加えます。…今のままでは、色々と欠陥だらけだから。」

「いや、まぁ、そうだけど、そもそもこの力のルーツは母さんだろう。欠陥だらけと言われましても……」

「貴方は教えられた知識のみで力を使っているわ。それは違う。この力の意味を理解できていなければ、今回のように『隣人』に狩られかねないの。リスクの軽減が出来る訳ではないけれど、リターンを最大にすることは出来る。そうしなければ、貴方は『災害』には永遠に勝てない。」

「……」

 

巧一朗は押し黙る。災害の存在を出されては、反抗しようも無い。彼自身、自らの弱さに気付いているからこそ、素直に、彼女の言葉に耳を傾けた。

 

「まずは、招霊転化の源流から話すべきね。」

 

そう彼女は切り出し、話し始めた。巧一朗はそのことを知り得ていたが、改めてその歴史を学ぶことにする。

衰退する間桐家に変革が訪れたのは、ナチスのダーニックという魔術師が大聖杯を掠め取った後の話だ。冬木の御三家は没落の一途を辿るかに思われたが、ここに一人の異邦者が現れる。彼の名はテスタクバル=インヴェルディア。彼は廃人となった間桐臓硯から『令呪』の知識を奪い取った。恐らく御三家全てがテスタクバルの来訪に対応できなかっただろう。彼は恐らく、ダーニックの目論見が何らかの形で潰えることを知っていた。だからこそ、大聖杯に固執するのではなく、新たな聖杯を生み出すことに執着したのだ。テスタクバルは来日して一週間も経たぬうちにどこかへ消えた。

だがこの事件がきっかけとなり、間桐臓硯は何かに覚醒した。彼は腐敗した筈の魂の限りを尽くして、かつての願いだった人類の救済の為に心血を注いだのだ。数十年の研究と、遠坂家の次女である桜を預かった結果、彼は虚数魔術こそ真理への扉だと結論付けたのだった。

 

「勿論、お爺様は若かりし頃の志を思い出しただけで、腐った魂が元に戻った訳ではありません。……私は、間桐の家に引き取られた後、地獄のような日常を過ごしました。」

 

臓硯の理想は、自らと間桐の人間を犠牲に、全世界を救おうとするものだ。巻き込まれた桜は只の被害者である。それは巧一朗も理解していた。だが、桜は決して折れなかった。精神が弱り果てた彼女を奮い立たせるような、罪深い出来事が起こってしまった所為である。

 

聖杯大戦が勃発する二年前、再びテスタクバルが冬木市に現れたのだ。買い物に出かけていた桜は、道中で偶然にも彼の姿を拝見する。臓硯が親の仇のように憎んでいた男であった為、桜にもすぐにテスタクバル本人だと察せられた。

勿論、それには理由がある。なんと、テスタクバルが以前日本に訪れたときに撮られた写真と、全く同じ容姿であった為だ。考えればおかしな話である。六十年も経っているのに、彼の顔には皺の一つも増えていない。

臓硯のように生き永らえているゾンビのような存在を桜は知っていた為、不思議と疑問には感じなかった。彼女は急ぎ、テスタクバルを尾行する準備に入る。

テスタクバルが向かったのは、まさかの遠坂邸であった。桜は引き取られてから一度もその家に近付くことが無かったため、どこか緊張した面持ちで眺めている。堂々と屋敷の中に入って行ったテスタクバルを、彼女は追いかけることが出来なかった。

彼女は溜息をつき、買い物袋を揺らしながら、帰る決意をする。今更テスタクバルを追った所で、彼女の境遇が変わる訳でもあるまい。むしろ臓硯がそのことを知れば、より復讐の炎を滾らせる恐れもある。桜にとってそれは酷く面倒なことであった。

そして彼女が踵を返した時、事態は急変した。少女の叫びが辺りにこだましたのだ。

桜が振り返ると、屋敷を出たテスタクバルが、少女を抱え、連れ去っていた。近くに停めてある車へ向かって一直線に歩いて行く。

桜はその少女が誰かを知っていた。それは彼女にとって、大切な、かけがえのない、たった一人の「姉」である。

黒髪ツインテールに赤いスカートを履いた可憐な少女、見間違う筈も無い。彼女は桜の実の姉『遠坂 輪廻(とおさか りんね)』だ。

 

「姉さん!」

 

桜は買い物袋を放り投げ、慌てて輪廻の元へ走り出す。輪廻も懐かしい妹の姿をその目で捉え、必死に手を伸ばした。

 

「桜!さくらぁ!」

「姉さん!姉さん!」

「ちっ」

 

テスタクバルは桜の存在を視認すると、急ぎ車へ向かい、後部座席に輪廻を閉じ込めた。エンジンを吹かせると、急発進して、冬木の狭い道路を走り抜けていった。

桜は当然車に追い付ける筈も無い。内心パニックになりながらも、まずは遠坂邸へと足を運んだ。かつての両親がそこにいるならば、まずは安否を確認しなければならない。

だが、遠坂の屋敷の隅々を確認するまでも無く、彼女は現実に絶望することとなる。玄関扉を開けてすぐ、愛すべき二人だった筈のモノがそこに転がっていた。

 

「お…とうさ…ま?」

 

両親は、胸を鋭利な刃物で貫かれ、絶命していた。桜は冷たくなった身体に触れ、死という現実を受け入れる。彼女は何故か酷く冷静であった。自らが無力であることを、子どもながらに理解していたのかもしれない。

最初こそ臓硯にテスタクバルのことを伝えるか悩んでいたものの、死を目の当たりにした桜の目からは迷いが消失していた。テスタクバルが輪廻を誘拐したのは、聖杯戦争のパーツとして何らかの形で利用する為。つまり戦争が実際に行われるまでは、輪廻を助け出すチャンスがあるということだ。彼女は姉を救い出すために、虚数魔術をより深みへと進化させていくこととなる。

 

「ただ、結果として、サハラの戦争は始まった。私は輪廻を救い出すことは出来ませんでした……」

「母さん…………話が若干脱線してないか?」

「そ、そうね。こほんっ!」

 

桜は襟を正して、本題へと移行する。

臓硯が死してなお、虚数空間及びそれを力の源として利用する魔術への研究を進めた桜は、虚数空間に潜む謎の存在へ接触した。

その全容を掴むことは不可能であり、人間の認識ではそれを表現することは出来ない。桜はそれを「竜」と例え、巧一朗はそれを「巨人」と例えた。桜はその存在に「隣人」というコードを与え、観察を繰り返した。

隣人は魔力の塊であるが、魔力そのものでは無い。意思を持たぬが、虚数の海を漂い、食事と睡眠を繰り返している。英霊とは違い、それは虚数空間に存在しながらも、ひとつの生命として留まっている。

そして桜は、隣人の力の一端を、実数界に引き出す方法を開発した。

無論、隣人をそのまま現世に呼び出すことは不可能である。しかし、隣人の一部を魔力に変換し、それを彼女らのいる現実世界へ「召喚」することが可能となったのだ。隣人というコードを変更し、その魔力を英霊に置き換える技術である。

 

「招霊転化とは、隣人の強力な魔力の波動を素材とし、知識のみを媒介に行われる特殊召喚のこと。」

「勿論知っているさ。英霊は、座から呼び出される訳じゃない。あくまで俺の知識を隣人に与え、隣人自らが英霊の模倣を作り出しているに過ぎない。ただまぁ何というか、俺にはどうしてもそう思えなくて、本当に召喚に応じてくれたものだと考えてしまうけどな。俺の妄想と言い張るには無理があるくらい、勇ましいサーヴァントばかりだ。」

「……コギト・エルゴ・エス。巧一朗が名を与えることで初めて、存在が確立される。メリットは触媒を用意する必要が無いこと、巧一朗の知識量によっては、強力な英霊を生み出すことが出来ること。デメリットは……」

「隣人の力を引き出すのが綱渡りなことと、一分しか存在できないこと、だな。」

 

桜はこくりと頷いた。彼女もその弱点を分かっていたようだ。

 

「あとは、一度召喚した英霊の再召喚が出来ないというデメリットもあるけれど、これは隣人側で無く、巧一朗の意識の問題かな。隣人へのアクセスは現状、危険と隣り合わせだけど、これは改善が難しい。」

「虚数魔術自体が謎だからな。解き明かされないことに意味があるなんて、使い勝手が悪いにも程がある。だから母さんはさっきこう言ったんだ。リスクの軽減は出来ないけれど、リターンを最大には出来るって。」

 

招霊転化で呼び出された英霊は、オアシス式召喚の結果、オートマタにその魂を宿す。だが魔力自体が虚数海に存在する隣人のものである

以上、必ず矛盾が孕む。半ば強制的に名前という殻で閉じ込めているに過ぎないのだ。現状、巧一朗が英霊を維持できるのは一分間。それがこの力を行使するうえで、最大のネックとなっている。

 

「で、どうすれば時間を伸ばせるんだ、母さん。」

「…駄目よ、巧一朗。貴方の思考がそこにある時点で、強化は見込めないわ。」

「………どういうことだ?」

「何故隣人は現世にて自己矛盾を起こすのか、それは英霊の名前を与え、私たちが彼を騙しているからに他ならない。」

「いや、そうだけど、招霊転化はそういう魔術だろう。一度英霊というコードに書き換え疑似召喚する魔術で………」

 

巧一朗はハッとさせられる。桜の言おうとしていることは、余りにも馬鹿らしい話だが、もし可能ならば、彼は時間を気にしつつ戦闘する必要が無くなる。

 

「待て、母さん。もしかしてアンタ、隣人のコード変更をしないままに、魔力だけを現世に持ってこようとしているのか?」

 

桜はニヤリと笑みを浮かべた。巧一朗は、それが出来ないから苦労しているんだと言わんばかりの表情だが、彼女は気にせず話し始める。

 

「確かに虚数海の住人である隣人を呼び出すのは不可能、だからこそ私たちは「英霊」という枠に落とし込み、彼の力を行使してきた。でもこの魔術には次のステージがある。自己矛盾を起こさせない為に、どうすれば都合よく力を借りられるのか。重要なのは「役割(ロール)」なの。」

「役割?」

「今まで私たちは隣人に、英霊としての立ち振る舞いを強要してきたけれど、巧一朗はそもそも、英霊という存在の全てを掌握している訳では無い。あるのは結局脳のデータベースに蓄えた情報だけなの。それがどれだけ隣人の人格形成のパーツになろうとも、五感で獲得した感性は宿らない。だからすぐに瓦解するの。言わば子ども騙しの手品ね。」

 

巧一朗は吉岡と戦闘した際のことを思い出した。英霊ランスロットの召喚時、激しい苦痛に見舞われたのは、彼が円卓の騎士としてのランスロットへの理解が乏しかったから。思えばあのとき、円卓の騎士の誰かを呼び出そうとしたが、ランスロットへの明確な定義付けは成されていなかったのだ。

 

「勿論、これからする魔術の行使理念は私たちの住んでいた日本では絶対に不可能なこと。だけど、いま巧一朗が暮らしているオアシスならば、実行できるかもしれない。オアシスの異常性を利用した方法ね。」

「オアシスの異常性……?」

「そう、専属従者サービスによって、国内に溢れかえった英霊たちよ。そもそも人間をサポートする為だけだったら、元のオートマタのままでいいじゃない。敢えて英霊を呼び起こす必要が無いの。」

 

巧一朗は深く頷いた。英霊召喚を誰でも行える技術に落とし込む所までは理解できるが、その力の行く先が軍事利用で無いのは腑に落ちない点であった。人間を支えるある種介護ロボットのような枠組みに閉じ込める必要性がどこにあるのか。

 

「この答えは実は簡単。災害のサーヴァントは民衆からの支持を集めているけれど、皆彼らをサーヴァントとして崇めていないのは分かる?災害様とか、ディザストロ様とか、兎に角、ディザスタークラスであることを彼らは自らの勲章にしている。」

「……つまり、英霊という枠組みを陥れ、新たに『災害』という枠組みを構築している?他のサーヴァントにその地位を脅かされないように、オアシス内で、最上級の知名度補正を獲得しているのか!」

「そう考えるのが妥当ね。つまり、ここから導き出せる、災害に勝利する方法。それは何か分かる?」

「災害という殻を引っぺがす、それは真名看破だ。」

「その通り。災害のこの性質から、オアシスにおいて名前というものは弱点であり、本質であると定義されている。逆に言えば、名前に存在意義が無いにも関わらず、確固たるものとして君臨している生物こそ、このオアシスにおいては無敵であると言えるわ。何故ならばそこが弱点になり得ないんだもの。」

「じゃあ、英霊では無いな。」

「そう、それは『人間』。例えば巧一朗。貴方の名前は、親の私が言うのもなんだけど、改変が容易な名前だと思うわ。別に貴方と言う存在が名前に縛られることは無いの。でも、貴方は間違いなく巧一朗。貴方が変えたいと願わない限りは、死ぬまでずっと巧一朗なの。」

 

彼は割と自分の名前が気に入っているが、敢えてそれは母に言わないことにする。

 

「隣人を呼び起こす際にコード変更をする必要は無い。ただ巧一朗自身が、彼の力を身体の一部だと定義する。もし隣人にこれまで通り名を与えると言うならば、その名はずばり「巧一朗」。オートマタを媒介にするのではなく、貴方そのものを媒介に隣人を召喚する。一分しか保てないのも、再召喚が出来ないのも、結局は何度も手を加えてバランスが乱れた結果なの。人間の記憶も、想像力も、万能では無い。想像ならば何でもできると人は言うけれど、想像は常に知識を前提に行われることなのよ。」

 

巧一朗は顎に手を置き考える。いつの間にか海の底にいることも忘れていたが、今は彼女の方法論について熟考すべきである。

桜の理論は正しい。だが可能かどうかは甚だ怪しい。隣人という得体の知れないものを肉体に宿すのだ。まず間違いなくリスクは倍増する。

 

―否、巧一朗自身より、彼の身体を知り尽くしている桜の提案ならば、そこまでリスキーではないのかもしれない。

 

そもそも実現が可能かどうか。虚数空間にのみ存在する謎の怪生物を、現世に引っ張り上げることは出来る。だが境界線でその糸が剥がれ落ちる可能性は高い。今回も、英霊への書き換えの時点で、糸が千切れてしまったのだ。言葉で軽く言う程、優しいものでは無いだろう。

そして隣人を巧一朗と定義した際に、自己矛盾が起こらないのか。英霊の定義が一分間成立する以上、存在が担保されている巧一朗ならば、たとえ自己矛盾に陥ったとしても、比較的長時間は留まれるはずだ。だがこれも、やってみないことには分からない。

最後の問題として、巧一朗の肉体に呼び出される隣人は、果たして強いのか。英霊という爆発的な火力を持たないただの人間だ。もし長時間宿ったとしても、その力が二分の一、三分の一ならば意味がない。

考えあぐねた結果、結局やってみなくては分からないという結論に至る。はたして隣人をその身に宿し、その権能を借り受ける行為が、英霊の召喚を凌駕出来るのか、巧一朗のポテンシャルによって基礎能力が変化するのは想像に難くない。

 

「巧一朗、怖い……?」

「怖くないさ。元より俺は、サハラの地で死ぬ予定だったんだからな。隣人に肉体を奪われたとしても、俺は構わないと思っている。」

「巧一朗……っ」

「分かっている。分かっているともさ。俺には生きなきゃいけない理由が出来た。簡単に死ぬつもりは無い。利用できる力の全てを使って、俺はセイバーを殺した災害への復讐を果たす。」

 

それは巧一朗にとって、ある種の決別を示す言葉。

間桐が目指した、人間を救う正義の在り方を捨て去ったもの。災害が正義のこのオアシスで、彼は反逆の狼煙を上げる。

 

「新たな戦い方をする際、必要となるのは付随した詠唱です。途中までは招霊転化と同じ。でも貴方はもう讃歌を謳う必要は無い。巧一朗が力を行使するのに最適な言葉を、自ら選びなさい。トリガーとなるのだから、言葉選びは慎重にね。」

「今の俺にどこまで出来るかは分からないから、期待しすぎないでくれよ。」

 

巧一朗は目を伏せ、不敵に笑ってみせた。

 

「私からの話は以上。今回は英霊を好む巧一朗に、英霊を介さない力の存在を伝えに来ただけ。…貴方がまた新しいステージに立った時、私はまたこの海で貴方に会いに来るわ。」

「おい、唐突だな。…もうお別れか?まだ聞きたいことが山ほどあるんだけどな。」

「そうね。私も、巧一朗に言いたいことは沢山。でも、時間だから、もう行きなさい。門はもう貴方の目に映っている筈。」

「母さん……」

 

巧一朗は踵を返した桜の肩に手を置いた。だが、そこには何の感触も無い。彼はそれが意味することを理解していた筈だが、それでも目を丸くするしか無かった。分かっていたくなかった。彼女の前では、あくまで子どものままでいたかった。

 

「…っ」

 

そんな巧一朗を、桜は振り返り、ゆっくりと抱き締めた。彼は確かにその時、桜の熱を感じたのだ。

 

「大丈夫、またきっと会えるよ、巧ちゃん。」

 

―あぁ、どうしてこの人は

 

「俺が…憎くは無いのか?」

「そんな訳ないじゃない。貴方のお母さんなんだから。」

「そうだな。俺も、間桐は嫌いだが、アンタは好きだ、母さん。……いつか、全てが終わった日に、俺のガールフレンドを紹介するよ。こんな俺を好きになってくれた、とてもとても、向日葵が似合う女の子なんだ。」

「そう、それは楽しみね。私もまだまだ、頑張らないとね。」

 

二人は名残惜しくも、互いに手を離した。巧一朗は空へ向かって泳いでいき、桜は暗闇へ歩いて行く。

二人はもう、相手の方へ振り向かない。この虚数海が彼らを結びつける絆なのだから。

 

 

【何者かの深層意識にて】

 

男が吊るされている。

男は老体にも関わらず、労われることもなく、ただ鎖で吊るされている。

疲労困憊といった様子だが、誰かが助けに来るわけでも無い。

彼はいつから吊るされ、傷つけられているのだろう。最近かもしれないし、遠い昔かもしれない。

どうでもいいことだ。生涯この鎖が外れることは無い。

要は、我慢比べだ。圧倒的に不利な意地の張り合い。ただジョーカーは彼の手に握られている。

彼が負ければ世界は破滅。彼が勝てば完全犯罪の成立。やることは無限のシャトルラン。

彼には当然勝算がある。幸い、敵は盲目的な恋する乙女だった。

 

「紙とペンでもあれば時間を潰すには最適なのだが…仕方ない、頭で我慢しようか。」

 

男の減らず口に苛立った者、彼を吊るしている張本人たる女は男の腰を蹴り飛ばした。

 

「アアッ…腰は駄目だからネ!?」

「ごめんね、つい殺したくなった。」

「君、そういってほぼ毎日アラフィフを虐めるのはよしたまえよ。暴力系ヒロインはトレンドじゃないんだから…」

 

男がそう言いかけると、女は身体の内側から、外の映像を確認していた。当然男にもその情報が飛び込んでくる。

場所は博物館内。アクシデントで意識を失っている巧一朗を、美頼が膝枕で看病している。時折彼女は周囲を確認し、巧一朗の頬に自らの唇を押し当てたりしていた。

 

「あ~、凄くお似合いなカップるぅうっ!?!?」

 

男はもはやサンドバックの如し。巧一朗に何かあると、彼女の怒りの炎は限界値を突破する。

 

「ねぇなんで?貴方は天才だから教えてよ。私ちゃんとあの女が死ぬように仕向けた筈よ。どうしてまた恋心があるときに逆戻りしている訳かしら。」

「また恋心が目覚めたのか…それとも以前の倉谷美頼を学習しているのか。オアシス産サーヴァントは成長するから厄介だ。」

「巧一朗、こんなに近いのに貴方に会えないなんて…あぁロミオとジュリエットとは私たちのことね、きっとそうだわ。」

「あれ勘違いで二人とも死ぬ話だから。というか君の場合は美女と野獣じゃないカナー。あ、勿論君が野獣ネ。」

「……ふふふ」

「ちょっと待って剣の柄出すの禁止だからそれ仕舞って早くすまなかったよお似合いのカップルですハイ」

 

男は圧倒的に不利な状況でも余裕の笑みを崩さない。女はそのことがただただ気に喰わなかった。

 

「ねぇ、そろそろ教えてよ、巧一朗に会いたいの。」

「ダメ―!」

「コラプスエゴの主人格にいる謎の探偵、その名前さえ分かれば、私はこの身体を制御できる。」

「だからダメ―」

「何で?貴方は犯罪者でしょう、探偵の敵じゃない。どうして肩を持つの。世界の破滅を願う者同士、私たちは協力し合えるはずよ。」

「うーむ、ホームズ以外の探偵なんて敵ですらないからナー。あと、お嬢さん、君は勘違いをしているよ。」

「なにが?」

「世界を滅ぼしてしまったら、我々犯罪者は善人を弄べないじゃないか。犯罪とは相手がいるからこそ成立するのだよ。」

 

男は笑みを浮かべた。

女は正しく理解している。自らの身体に融合したサーヴァントは、余りにも厄介な「正義の味方」であることを。

 

「ジェームズ・モリアーティ―……最低最悪の男。」

「セイバー、君は最高のシンデレラだ。」

 

巧一朗の傍に立つ、キャスターを名乗る少女の内側で

今日もまた

二人の災厄が火花を散らす。

 

 

【神韻縹緲編① 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神韻縹緲編2『eye』

新キャラ登場!
誤字等ございましたら連絡お願いします。
※少しだけ過激な描写があります。ご注意ください!


【神韻縹緲編②】

 

「げ……」

「………」

 

第六区パークオブエルドラードのゲート前にて、編み笠を被った着物姿の少女は溜息をついた。

この場所に召集されたのは彼女だけでは無かった。腕を組み、目を伏せた、屈強な男もそこに佇んでいる。

 

「此方は禮士さまの勧めで、ここに来たのですけれど。」

 

編み笠を取り、不機嫌そうな顔を露わにしたのは、衛宮禮士に付き従うサーヴァント、海御前。彼女は元夫である平教経との再会を良くは思っていなかった。平家の人間である教経が妖怪の類を目の敵にしているのと同様に、既にその道に堕ちた海御前も、人間らしくない人間である彼を好ましく思っていない。教経は末代まで恨むべき源の血に対し、ある意味無頓着、それどころか源義経を好敵手として尊敬している。源氏を殺すために河童と成り果てた彼女には、教経の価値観は理解不能であった。

 

「拙者もまた龍寿…我がマスターに手引きされ、来たのだ。ある人物と相対するためにな。」

「目的は……同じですか。」

「そのようだな。」

 

教経は依然、目を伏せたまま答える。海御前に一瞥もくれないその態度は、彼女をより苛立たせる。

 

「でもまぁ、意外ですね。遠坂組最高戦力の貴方が、他のサーヴァントに教えを乞うなんて。肩書きが重くなりましたか?」

「最高戦力であるならば尚のことだ。拙者が敗北することは決して許されない。自惚れていられるほど戦争は甘くは無いのだ。またいつアインツベルンが攻めてくるか分からんのでな。災害が牙を剝く可能性もある。」

 

海御前の精一杯の皮肉も、真面目な教経の前では通じない。

 

「貴殿も、強くなるために来たのだろう?海御前。貴殿の愛する者を守る為に。」

「当然です。此方の方がお前より伸びしろがありますので。」

「ならば良し。」

教経は初めて海御前に視線を合わせ、僅かばかり口角を上げた。人と妖、交わることは無くとも、その志は同じである。

 

「おーい、海御前!」

 

二人の元に駆け付けるサーヴァントが一人、小麦色の巨大な女が愉快に手を振りながら走って来る。

 

「アマゾニア!」

 

遠坂組ブレインサーバーの守護神、セイバーのサーヴァント『アマゾニア』である。アインツベルン襲撃の際、武蔵坊弁慶を倒すために共闘した二人はまるで友人のような距離感となっていた。アマゾニアは屈強な身体で、海御前に優しくハグをする。抱き締められた海御前も女子同士のスキンシップに、満更でもない様子である。

 

「もしかしてアマゾニアも…?」

「そうだ。海御前を連れて行くよう指示されたんだよ。第六区のことはあまり詳しくないだろうしな。まぁアタシも初めて尋ねる場所だけども。」

 

アマゾニアの指示で、教経と海御前はパークオブエルドラード近隣の、古民家へ向かう。富裕層が快適に暮らすことを目的とした第六区において、年季の入った日本家屋は物珍しいものである。だが他の区の住居に比べ。気品に満ちているのは確かだ。教経が先導して、古風な呼び鈴をからからと鳴らした。

 

「御免。」

 

この三人の中で、目的の人物と出会った経験のあるのは教経だけである。海御前とアマゾニアはどこかそわそわした気持ちで佇んでいた。

 

「今更だけどよ、これから会う奴は誰なんだ?」

 

アマゾニアは案内役を任されただけで、その概要は知らされていなかった。この古民家で暮らす者の正体すら彼女は知らない。

 

「これから会うのは、第六区に召喚されたサーヴァントの中でも、最強と名高い剣士なの。」

「最強?この男じゃねーのか?」

 

アマゾニアは教経の背を指さす。

 

「彼は最高戦力。前線に立って軍を指揮する、軍人なの。でもこれから会うのは、あくまで剣士。剣の技量だけなら、彼を遥かに上回るわ。」

「そんな奴がいるのか。弁慶のときは出てこなかった臆病者だろ。」

「彼奴は遠坂の為に剣を取らん。常に己が技量向上の為だ。」

 

教経は再び呼び鈴を鳴らす。反応が返ってくることは無いので、教経は勝手に戸をスライドさせた。

 

「不法侵入だろ…っ!?」

 

アマゾニアの至極真っ当なツッコミを置き、教経は中へ侵入する。

進んだ先、六畳一間の空間にポツリと、痩せこけた男が寝転んでいた。白髪の作務衣を着た老人である。海御前から見ても、到底彼が最強とは思えない。アマゾニアは思わずポツリと「コイツが?」と呟いてしまった。

 

「眠っているのか、『柳生宗厳』。」

「『石舟斎』と呼んではくれますまいか、教経殿。」

 

老人は頭を掻きながら、ゆっくりと起き上がった。立ち上がると顕著になる、教経やアマゾニアとは真逆の、筋肉が削ぎ落ちた薄い身体。

 

男はセイバーのクラスで現界したサーヴァント『柳生石舟斎宗厳』。彼ら三人より後世に誕生した剣士である。

 

「して、何用か。剣しか知らぬ老いぼれに、期待することはありますまい。」

「その『剣』を教わりに来たのだ、石舟斎。」

 

教経は自らの剣、桜丸を石舟斎へ手渡す。自らの愛刀を差し出したことに、海御前は驚きを隠し得ない。石舟斎は鋭い眼差しで教経を捉えた。

 

「教経殿、儂に剣は不要だ。」

 

血管の浮き出た細い手で、教経の手を下げさせた。石舟斎は小指で耳をカリカリと掻きながら、ついて来いと言わんばかりに、スローな足取りで外に出る。教経を先頭に、三人もその後に続く。

少しひらけた場所に赴いた石舟斎は、彼らと距離を取ると、ゆっくりと拳を構えた。

彼はセイバーのクラスで現界したにも関わらず、丸腰で戦いに臨む。教経は石舟斎の戦闘スタイルを理解しているが故に驚かなかったが、他二人は唖然としている。

 

「さぁ、どなたでも。」

「いや、じーさん、剣を握らないと意味ねーだろ。」

「否、儂は既に長物を握っております故。さぁ。」

「ったく、じーさん、どうなっても知らねぇぞ。」

 

最初に石舟斎の前に立ったのはアマゾニア。彼女は短剣を握り締め、獣の如き目で老人を睨んだ。無論、彼女は決して手加減などしない。相手が誰であろうと全力のファイトをするのが剣闘士だ。魔力が急上昇し、彼女の野性が目を覚ます。血走るその眼を見てしまった者は、もう彼女からは逃れられない。

 

「アマゾニア……」

 

海御前はどこか不安そうな表情で彼女を見つめていた。石舟斎の戦いを知らぬ彼女だが、同じ日ノ本出身故か、彼の底の見えないオーラを肌で感じ取っていた。

そして、アマゾニアは駆ける。ものの一秒で石舟斎の目前に移動した。短剣を右手で振り下ろし、老人の頭蓋を破壊せんとする。

だがアマゾニアは、石舟斎のレンジに入って初めて、自らの愚かさに気付いた。それは動物的な直感である。彼女がもしこの男と戦争の場で相対したならば、真っ先に逃げるべきだったという、仮定の後悔。当然、剣闘士に尻尾を巻いて逃げる選択は許されないが、それならば、戦い方を改めるべきであった。例えば遠距離からのチマチマした攻撃でも良い。兎に角、石舟斎に決して近付いてはならない。

彼女の短剣は宙を舞う。

 

「……っ」

 

アマゾニアは自らの身に何が起きたかも分からないまま、気付けば、青い空を見上げていた。彼女は所持していた剣を失い地に背をつけている。自らが敗北したことを察すると、痛みより先に笑いが込み上げた。

 

「何だ、今何が起きたってんだ。アタシが寝転ばされているのは、じーさんの所為か?」

「そうよアマゾニア。一秒で決着がついた。」

「まじか、やべぇな。」

 

語彙力すら何処かへ置いて来てしまったアマゾニアは、所持していた筈の剣を拾い行く。続いては海御前の番だ。

 

「よろしくお願いします。」

 

海御前は四十五度のお辞儀をすると、両手で長槍を構えた。

彼女は石舟斎とアマゾニアの戦闘を脳にしっかりと焼き付けていた。彼はアマゾニアの突進をひらりと躱し、彼女を軽く投げ飛ばしたのだ。

海御前は大きく深呼吸をし、石舟斎に向き合う。

 

「柳生新陰流、ですか…」

 

石舟斎は答えない。海御前は彼の器を図るべく、丸腰の彼へ襲い掛かる。

当然、同じ轍は踏まない。アマゾニアのやり方では勝てないことは百も承知だ。海御前は身体の内側から溢れ出す水流を槍の先端へ集める。

 

「ほう」

 

そして彼女は遠距離から六発の水の弾丸を射出した。狙うは石舟斎の心臓。練習だ、修行だとかまけていられるほど、彼は甘くないのだ。

海御前の殺意の波動を、この場にいる全員が肌で感じ取る。アマゾニアは「おいおい」と呟くが、教経は冷静沈着であった。

そして六の水球が石舟斎へ被弾する。海御前は彼が『無刀取り』でアマゾニアを打ち負かしたことを理解し、その領域外からの攻撃に打って出たのだ。

 

「(これで勝てるとは思っていないけれど)」

 

海御前は砲撃後、数歩後退し、改めて水の流れを体内で作り出す。胸の内側からその全てを絞り出し、彼女は文字通り水を纏った。彼女は決して出し惜しみをするつもりは無い。

そして石舟斎は、砂埃を払いのけ現れる。当然の如く、彼女の弾丸は只の一つも届いていない。海御前が遠距離攻撃に徹することを、最初から理解していた素振りだ。

 

「流石、天下の柳生。刀が無くとも、その切れ味は抜群ですか。」

 

海御前の額に汗が伝う。彼女が同じ攻撃を繰り返し、後退し続けたならば、先に白旗を挙げることになるのは彼女だ。彼女の水とは即ち魔力。対して石舟斎は体術。リソース切れを起こすのは海御前である。

 

―ならば手は一つ。

 

彼が弾丸を叩き切るならば、それが間に合わないレベルにまで弾の数を増やせばよい。それは即ち、彼女の宝具『弾丸雨注』の一斉掃射である。雨の一粒一粒を払えるような匠がこの世に存在するだろうか、いや、いない。

だが彼女の宝具は源氏への怨念を形にするもの。発動自体は可能だとしても、目に見える範囲で源氏が確認できなければ、その起動に幾ばくかの時間を要する。柳生が徳川と勢力を共にし、徳川家康が清和源氏の子孫を語っている以上、柳生の者を源氏の者だと拡大解釈しなければならず、それは彼女の思考の歯車がどうにも嚙み合わなかった。彼女がいま絶技を放つのは、ただの「八つ当たり」でなければならない。

 

「(でも、それしか勝ち道は無い。)」

 

海御前は強く強く槍を握り締めた。こんな場で、敵でも無いサーヴァント相手に放つ道理はないが、彼女が本気にならない限り、彼女はその先へ進めない。目の前にいる老人こそ、海御前の道を切り開く者である筈だから。

 

―禮士さまを守る力を、私は…手に入れる。

 

海御前の体内を走る水が、一斉に溢れ出した。纏う水はやがて生物のように形作られる。石舟斎も流石に驚いているようで、少年のような瞳で、彼女の水の龍を見つめていた。

 

「行きます!」

 

彼女の美しき髪も、鮮やかな着物も、多量の水を浴び、艶やかさを演出している。この場において心を揺るがせるものは存在しないが、男どもを手玉に取ることも叶いそうだ。石舟斎はその色めいた肌に目もくれず、彼女の目だけを眺め続けていた。

 

「皿を満たすは源(みなもと)の朱

 怨の積もらば覆水返らず」

 

龍が空へと昇っていく。これは見事な滝登り。彼女から染み出した全てが、石舟斎を殺す弾丸となる。

石舟斎はこれから我が身に起こる事柄を知り、それでもなお口角を上げる。

 

「切り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ たんだ踏み込め 神妙の剣」

 

彼は短歌を一つ置き土産に、海御前へ向け走り出した。

彼女の目前へ到達するのに一秒とかからない。アマゾニアの獣の足より速い。

 

「なっ……」

「技は強大、されど尊大。儂には、隙が多過ぎた。」

 

海御前の濡れた腕を掴むと、腕を滑らせ、逆へ捻る。彼女の力が抜けた瞬間を逃さず、石舟斎は槍を奪い、その切っ先を彼女の目前へ突き立てた。空へ打ちあがった龍は霧散し、彼らはバケツに入った水を被ったようにずぶ濡れとなる。

 

「……見事なり、石舟斎。流石ですね。」

 

石舟斎はニコリと笑みを浮かべると、海御前の手を取り、倒れていた彼女を起こし上げた。

 

「無刀取りをカウンター技だとばかり認識していました。攻撃に転じるとは。」

「刀を取る技に非ず、刀無きときに人に切られまじき為なり。……我が命を守る為には、命を捨てる覚悟も必要だという。如何かな?」

「此方の宝具はあの瞬間、発動していた筈だった。本当に瞬間の隙、ずっと狙っていたんですね。悟らせることもせず。」

「左様。」

 

石舟斎は長い白髪を輪ゴムで雑にまとめた。髪の水気を切る為でもある。

 

「柳生新陰流の源流こそ『剣禅一如』に在り。心の在り様こそ、振るう剣に通ずる。教経殿は心得ておりますかな?」

 

教経は深く頷いた。例え彼の剣が古備前友成の打つものだとしても、教経がそれを正しく使用できなければ、只のボンクラになる。

 

「即ち石舟斎、拙者たちが学ぶべきは『転(まろばし)』だな。」

「左様。」

「ま…ぼろし?」

 

アマゾニアが聞き慣れない単語に頭を傾けた。

 

「まろばし、也。言い換えれば、自由なる心。転とは絶技に非ず。己の内、明鏡止水で在り、而して野兎のように跳ね回る。恐れず、憎まず、嘆かず、愛さず、ただ生き、ただ斬る。」

「???」

「つまりね、アマゾニア、対応力こそが大事ってことなの。少し直情的な所があるでしょう?」

「成程。」

 

アマゾニアは恐らくその本質を理解できていないが、自らが強くなれるならばと、素直に聞き入れることにした。海御前も転の意味を理解してはいるが、実践できている訳では無い。そしてそれは教経も同じ。彼は彼女より少し先を進んでいる筈だが、それでも柳生新陰流の極意をマスター出来てはいないのだ。

 

「次は拙者だ、石舟斎。手合わせ願いたい。」

「無論。儂こそが貴殿の胸を借りるつもりで。」

 

二人の戦いが始まった頃、それを遠くから眺める者たちがいた。

平教経のマスター、遠坂龍寿と、海御前のマスター、衛宮禮士である。

今回の修行をセッティングしたのは龍寿本人であった。禮士は、この地に、柳生宗厳が召喚されていることなど露にも思っていなかったのだった。

 

「柳生宗厳が第六区にいるなんてな。助けてくれれば、弁慶戦も苦労しなくて済んだんじゃないか?」

「そうはいかないのが難しいところだ。彼は自らを頑なに石舟斎と名乗っている。もはや戦う気は無いという事だ。……彼は富裕層の子ども達に剣道を教えている。それが自らの召喚された役割だと言わんばかりに。」

「まぁ、専属従者のロールとしては正しいが、なんとも口惜しい。逆に彼が全盛期であれば、災害に駆逐されていた可能性もある。召喚できたという点だけでも良かったことと捉えるべきかな。」

 

彼らがいる場所は、パークオブエルドラードの屋上、植物園が併設された展望台である。この場所からなら、彼らの戦いをしっかり見届けることが出来た。海御前と違い、流石の教経は、石舟斎と互角の戦いを繰り広げていた。

 

「実際、教経の実力は如何程なんだろうか。いざとなれば災害を超えられるか?」

 

禮士の質問に、龍寿はゆっくりと首を横へ振った。

 

「そうか。」

「第六区の災害『焔毒のブリュンヒルデ』が相手なら、教経は一分ともたずに消滅するだろう。それだけ災害は規格外なのだ。だから遠坂は災害には逆らわない。共存の道を示す。遠坂組が生き残るために。」

「そうだな。俺もそう思うよ。」

 

禮士は目を伏せ、静かに笑う。龍寿から見て、彼は少しばかり寂しそうに見えた。

 

「禮士は、どう思う?災害と僕たちは、共に歩めると思うか?」

「龍寿ならば、きっと出来るさ。俺は……アイツを止めなきゃいけないからな。」

 

龍寿は彼の言うアイツの正体が、災害のバーサーカー、后羿であることを知っている。禮士は彼を止める為だけに、今なお生き続けている。

サハラの聖杯戦争、その概要を全て知る訳では無いが、禮士が抱えている重荷を、龍寿は正しく理解していた。

 

「俺はアインツベルンの雇われ魔術使いだった。そして后羿はアインツベルンが召喚した切り札だ。でも、俺は聖杯戦争で勝ち残るために、アイツの最も嫌いな『裏切り』行為をさせたんだ。狂っていようとも、その信念だけは曲げなかった男が、本当に全て狂ってしまったんだ。必要なことだったとはいえ、俺の責任だと思っている。」

「………」

「他の災害は知らないが、災害のバーサーカーは、必ず理想郷を生み出そうとするだろう。あの英霊は、人間にとって正義の味方なんだ。だから、それを殺そうとする俺は『悪』だ。」

 

龍寿は禮士の言う事が間違っているとは思わなかった。だが、僅かばかり、それは悲しい考え方だと思ってしまった。

 

「気にしないでくれ、龍寿。俺は遠坂の味方だし、君の望みに最後まで寄り添うつもりだ。俺の拘りは結局その一点しかないからね。あとは気ままに過ごすさ。あまたんは、こんな俺を導いてくれる優しい人だからね。」

 

禮士は修行に励む海御前を優しく見守りつつ、缶コーヒーを口にした。禮士が海御前を見る目は、恋と言うには少し遠いが、無二の親友に対するそれだ。龍寿もまた思う。教経の意思がどうかは分からないが、もし新しい恋が海御前に宿っていたならば、或いは、と。

龍寿もまた、自動販売機で購入したエナジードリンクを口にした、その時だった。

 

屋上のドアが激しく開かれ、二人の見知った人物が息を切らして飛び込んでくる。

遠坂組幹部の一人、リカリーである。

リカリーは呼吸を整えながら、二人の元へ歩み寄った。顔は汗だくで、ここまで全力疾走で階段を駆け上がってきたことが窺い知れた。

 

「どうした、リカリー。」

「龍寿様、すみません、エレベーターを待つ暇もなく……緊急伝令です。」

「聞かせろ。」

 

「昨夜未明、開発都市第二区のマキリコーポレーション本社にて、大規模な火災が発生。原因は不明ですが、建物は全焼、中にいたスタッフの殆どが安否不明の状態です。」

 

「何?」

 

当然、二人は熟知している。マキリコーポレーション本社が、ただの火事で、燃えるはずなど無い。

まず間違いなく、何者かの襲撃だ。

 

「それで……」

「それで、なんだ?」

 

「マキリコーポレーションCEO、マキリ・エラルドヴォールの、焼死体が、発見されたそうです。」

 

「な……」

「…に…」

 

龍寿、禮士ともに絶句する。

天高く飛ぶカラスの鳴き声だけが、この場で響き渡っていた。

 

 

時は昨日に遡る。

開発都市第二区、マキリコーポレーション本社にて。

皆が寝静まった闇夜の空に、二匹の梟が飛んでいた。

それは梟と言うには余りにも巨大である。民間人がその姿を見れば、恐らく失神して倒れることだろう。

最上フロアの窓からその様子を観察していたエラルは、従者であるロイプケに、その正体を調べさせていた。本社内に残っていた社員は全員帰宅させ、警備員のみが巡回している。

 

「エラル様、解析結果が出ました。サーヴァントタイプはバーサーカー、真名は『モスマン』ですね。遠坂がデータを転送してくれていたので辿り着きやすかったです。」

「そう、つまりミヤビの仕業ね。」

 

現状、二騎のモスマンに攻撃意思は無く、蠅のようにビルの周りを飛び回っているだけである。ロイプケは妙だと感じたが、エラルにはミヤビの意図が理解できていた。

 

「エラル様、どうされますか?」

 

ロイプケはどこか不安そうな表情を浮かべている。常に前線に立つのが愛する彼女であるからこそ、緊急時には常に心を乱してしまう。

そんな彼を、エラルは優しく抱擁する。

 

「大丈夫よ。ミヤビが欲しているのは多分、マキリが隠している秘密。遠坂のときのように、実力行使に出てきたって訳。でもマキリはそんなことでは怯まないわ。」

 

彼女はロイプケの髪を撫でる。それは子どもに接する時のようで、彼は少し悔しい気持ちになった。

 

「僕も戦えます。エラル様の隣で、僕も。」

「いいのよ、バーサーカー。貴方の指が怪我をしたら駄目だもの。私が貴方を守るわ。大丈夫、私は負けないから。」

 

エラルは名残惜しくも、ロイプケから身体を離す。彼女のいる部屋の扉がノックされた。

 

「客人ね。」

 

彼女は臆することなく、その戸を開く。

現れたのは、第二区の守護者。ゲートキーパーのクラスで召喚された『塗壁』であった。

 

「あなたは……」

「マキリ様、市民からの通報で、不肖、塗壁、仕りました。このビルディングの半径一キロメートルに厳戒態勢を敷き、塗壁部隊を投入いたします。どうかお二人とも、私の後に続き、別の場所へ避難を。」

 

塗壁は第二区の警備部隊である。彼の登場に、ロイプケは安堵の表情を浮かべる。

 

「さぁ、こちらに。」

 

塗壁は戸の外へ、二人を誘導する。 

 

「エラル様、ここは塗壁に任せましょう。」

「……」

「エラル様?」

 

エラルは扉の外へ出ることなく、部屋の端へと移動する。そこに置かれているのは西洋騎士の甲冑。彼女は飾られている巨大な剣を手にすると、塗壁の首を叩き切った。

 

「エラル様!?」

 

塗壁の頭は転がっていくが、胴体から一切の流血は無い。崩れ落ちることも無く、そのまま突っ立っている。

 

「正体を表したらどう?」

 

エラルの言葉に、首の無い塗壁はクツクツと笑いだした。そして、胴体からにょきにょきと、新たな首が生え出てくる。その首は、先程までの、端麗な顔つきの彼では無い。その頭は外を飛び回る梟と同じであった。

 

「未確認生命体モスマン。貴方がその本体という訳ね。」

「ぐふふふふふふ、お気づきでしたか!そうです、私こそがモスマン、梟人間です!流石はマキリ様!そこな三流英霊とは訳が違いますね!」

 

梟は高笑いし、対して、エラルの怒りのボルテージは上昇していく。

 

「ふふふ、失礼。今宵はミヤビ様の命令で、マキリコーポレーションの機密情報を頂きに馳せ参じました。勿論、これは交渉では無く、脅迫です。外にいる私に分身は、常に貴方達の命を刈り取れる、無論理解して頂けますよね?」

「理解できないわ。」

「おやおやおやおや!ただの人間が、私に勝てるとでも?強硬手段に出ることもやぶさかではありませんよ?」

「それはこちらも同じ。」

 

エラルは指をパチンと鳴らす。するとスイートルームに仕掛けられているトラップが起動した。侵入者を阻むだけでなく、その命を奪う罠。モスマンの頭上から伸びた管が彼の首元に刺さり、魔力そのものを吸引する。

 

「おやおや」

「ちょうど先日、マキリコーポレーション社内のトラップ全てのメンテナンスを実施したの。やっておいて正解だわ。」

 

管が吸収した魔力は、地下深く埋め込まれた垓令呪システムによって、新たな令呪へ返還され、格納される。モスマンの身体は干乾び、アインツベルン製オートマタは砂のように崩れ去った。

 

「………意外と呆気ないわね。」

「エラル様!」

 

ロイプケはエラルを庇うように前に出る。再び扉の先から、今度はタキシードを纏った梟人間が姿を現した。無論、この個体もモスマンに他ならない。

 

「下がっていなさい、バーサーカー。」

エラルは彼を制し、モスマンの前に躍り出た。アインツベルンであれば、何ら不思議な光景では無い。モスマンというサーヴァントを、複数体召喚しているのだろう。

 

「どうも、先程ぶりです、マキリ様。」

「あと何人いるの?」

「そうですね、数は把握できませんが、それこそ、垓、かと。くふふふふふ」

 

アインツベルン自体が、オートマタのリソースをそこまでモスマンに割いている訳では無い。これはモスマンの宝具『不定の狂獣(デンジャラスビースト)』の能力である。相手のモスマンに対する恐怖心が、新たな個体を絶えず増やしていくという、異形ならではの絶技だ。それぞれの個体が戦闘、交渉に割り当てられる。例えば現在建物周りを飛び回っているのは戦闘特化型モスマンであり、平教経が相対したのもこのタイプだ。いまエラルの前にいるのは、言わば頭脳派モスマンであり、戦闘力こそ無いものの、嫌らしい手口で相手を追い詰めていく。

 

「また罠を起動しますか?朝まで、何度も、何度も、休む間もなく!外にいる梟たちも呼んで、共にパーティーでも開きましょうか?ぐふふふふふふふ」

「……本当に下劣ね、ミヤビ。」

「絶対に逃がしません。むしろ逃げれば、機密情報を強奪させて頂くだけですので!さぁ、外にいる私の分身も、三騎に増えましたよ!さぁ!さぁ!」

「……エラル様。」

「……バーサーカー、大丈夫よ。私が貴方を守る。」

 

エラルは部屋の中央に移動すると、宙に浮かんだデータへ入力を開始する。暗証番号を解き、ロックを解除すると、床下から隠されていたショーケースがせり上がった。中に飾られているのは、多種多様な色をした『眼』である。

 

「ほう、これはこれは!」

「これはマキリの主戦力。令呪システムに対応した『魔眼』よ。」

 

そこには様々な能力を宿した魔眼が存在した。オアシスが立ち上がる前、日本にて保管されていたもの。ランクは『波蝕の魔眼』とさほど変わりは無いが、ものを変えることで、あらゆる敵へ対抗できるように調整されている。

 

「例えば、私のこの右目は『波蝕の魔眼』。事の起こりを見極め、因果に介入できる力がある。じゃあこの左目は?」

 

彼女の左目が緑色に光り輝く。モスマンは動物的な本能で危険を察知した。

「これは『勾配の魔眼』。自らの立っている場所の傾斜を測量できるという、専門の仕事の人にしか需要の無い力だけど、垓令呪のバックアップで、こうなるの!」

 

彼女の視界に入ったモスマンは、徐々に肉体が傾いていく。そしてビルの窓まで滑っていき、窓を割って飛び落ちた。それは外を飛び回るモスマンも同様である。三騎は方向感覚を完全に失い、あらゆる方向へ『落ちて』いった。

 

「貴方達が何度来ようと、全て私が返り討ちにする。ミヤビが諦めるまで、ずっとよ!」

 

再び部屋へ舞い戻る新個体のモスマンへ、ハッキリと言い放つ。エラルは敗北するつもりなど無い。愛する男を守る為ならば、どんな手でも使えた。彼女の恋は、ミヤビの想定以上に、強固なものであったのだ。

 

「おやおや、これは計算外。魔眼コレクターなのは知り得ていましたが、躊躇なく自分の身体に埋め込んでいたとは。自分自身がモルモットだと言う事ですか?」

「当り前よ。社員にやらせる訳無いじゃない。私が行使する力は、私の手によって編み出されるもの。そうでなくては意味が無いわ。マキリ・エラルドヴォールは、ワンマンCEOなんだから!」

 

エラルは決め顔を浮かべながら、モスマンを指さした。彼女の心からモスマンへの恐怖は取り除かれ、彼の宝具は忽ち効力を失う。

 

「おやおやおやおや、ふふふふふふ、流石はマキリ様。一筋縄ではいきませんねぇ。」

 

モスマンは大人しく白旗を挙げる。彼は大人しく引き下がることにした。遠坂組のときもそうだが、彼に与えられる指令は、言わばミヤビのお遊びに過ぎない。深追いするのは、それこそ三狂官が果たすべき責務である。

 

「では、本日はここまで。私は大人しく去りましょう。貴方の隠し財宝は全て記録済み。これ以上長居しても、痛い目を見るのは私でしょうから。ふふふふふふ」

 

梟人間は両手を挙げたまま引き下がる。エラルはそれを追うことはしない。ロイプケが無事であれば、それで十分なのだ。

 

だが、事態は急変した。

 

扉の外へ出ようとしたモスマンの身体が突如、自然発火する。エラルのトラップ、魔眼によるものでは無い。

 

「な…これは!」

 

モスマンは火を消さんと跳ねまわるが、一切効果は無い。スプリンクラーの雨を以てしても、その火が消滅することは無かった。

 

「マキリ様、、これは、貴方が!?」

「違う!何が起きて…」

 

モスマンは脳内で情報伝達を行う。現在第二区に潜入した全ての個体が、同様に燃え続けている。これはまさしく霊基そのものを破壊する炎だ。ミヤビの仕業という訳でもない。

 

「何故、何故、何故!?」

 

マキリコーポレーション全域にアラームが鳴り響く。ロイプケが急ぎ、監視カメラを確認すると、一階から三階まで、全域が燃やされていた。

 

「これは何だ!?何が起きている!?」

「バーサーカー?」

「マキリの防衛システムの全てがシステムダウンしています!火の手が、いま、四階へ……」

 

エラルは言葉を失った。そして彼女の目の前で、モスマンの断末魔が響き渡る。彼は跡形もなく、このオアシスから消滅した。

犯人は特定できない。エラルは警備員たちへ連絡するが、彼女の声に答える者はいなかった。

 

「エラル様、原因不明ですが、兎に角、逃げましょう。」

 

ロイプケは社内の非常階段など、避難経路の確認をする。どうやら下位層はアクセス手段が全て絶たれているようで、逃げる為には、窓から飛び降りる他ない。サーヴァントであるロイプケは、芸術家と言えど、飛び降りても死なない屈強さがあった。だが、エラルは違う。

 

「エラル様。僕が貴方を抱えて飛びます。それで逃げましょう。大丈夫です。僕もサーヴァントの端くれですから。ちょうどモスマンのお陰でこの部屋の窓から脱出できそうです。」

 

ロイプケはエラルの腕を引き、窓際に立った。彼は生前、このような高さから飛び降りたことなど無かったため、恐怖で震えている。だが、恐らくこの瞬間こそが、エラルに男を見せるチャンスでもある。

 

「エラル様。必ず僕が貴方を守りますから。この命に代えても、必ず。」

 

ロイプケはエラルを抱きかかえようとする。彼女は余りにも凛々しい表情の彼を見て、頬を赤らめた。

そして彼の唇を塞ぐ。強く強く、互いが繋がってしまう程に、強く。

 

「ん…っ!」

 

ロイプケは最初驚いたものの、すぐにそれを受け入れた。女性と熱いベーゼを交わすのは、彼にとって初めてのことである。

ピアノと共に生きた人生。神に命を捧げた人生。後悔は無かったけれど、彼は第二の生を以て気付く。

エラルに召喚され、エラルに恋し、彼女の為に弾くピアノは、どれほど美しいだろう。

ロイプケは唇を離すと、彼女をしっかりと抱き締めた。彼女のいない人生に意味は無い。必ず守ると誓いを立てる。

 

「行きましょう、エラル様。歯を食いしばって、舌を噛まないように。」

 

ロイプケはお姫様を抱くようにしてビルから飛び降りようとする。彼が手を離さなければ、必ず彼女と共に生きられる。

だが、エラルはそっと、三十センチほど、距離を置いた。

 

「私の左目には、傾きを変えることの出来る眼がある。」

「はい、魔眼ですよね。そんなことは置いておいて、行きましょう!」

 

ロイプケが再びエラルに触れようとしたその時、エラルは、彼を窓の外へ突き飛ばした。

 

「え………………」

「貴方は死なない。私が死なせない。私が貴方の命を守るから。」

「えらる…さま…」

 

彼女の左目は淡い緑色に輝いていた。零れ落ちる涙すら照り輝いているようで。

ロイプケはこんなときに、それを美しいと思った。

 

「エラル様!エラル様!」

 

ロイプケは落ちていく。それも、マキリコーポレーションより離れた地点へ向けて。

彼は直ぐには、この建物へと戻っては来れないだろう。

エラルはこのビルに一人残る。彼女は責任者として、この不測の事態に立ち向かう決心をした。

もし誰かの悪意であれば、それは総じてエラルに向けられたものである。ロイプケを巻き込むわけにはいかない。

「さぁ、誰の仕業かくらいは、突き止めなきゃね。」

エラルは飾られた魔眼の全てをアタッシュケースへ移動させると、自ら下階層のフロアへ足を運んだのだった。

 

エラルが一階エントランスへ降りたとき、炎の渦の中に人影を発見する。男が、燃え盛る火の中で笑っていた。

この状況下であれば、犯人に違いあるまい。彼女は魔術で編み上げられた防火スーツを着て、男の元へと歩いて行く。

 

「誰なの。ここは私のビルなのだけれど。」

「嗚呼、知っているぜ。」

「敵という認識で会っているわよね?」

「お前にとってはそうだろうなぁ。もっとも、俺たちの方が正しいのは自明の理だがよぉ。」

 

男は火の粉を払いのけ、姿を見せる。彼女は男の正体を知っていた。

考え得る限り、最悪のケースだ。

 

「災害の……アーチャー……」

 

開発都市第二区を管理する災害。人を殺しても罪に問われない、無法地帯、犯罪都市を築き上げた元凶である。

災害のアーチャーは首を鳴らしながら、エラルへ向け歩いて来る。

 

「どうして、こんなことを?」

「どうしてって…天空城塞での災害会議は知っているだろ。そこで、マキリ全員殺戮の決定が成されたんだよ。アイツ、アサシンが言い出したことだけどよぉ、バーサーカーにランサー、あと俺、過半数が賛同しちまったからな。残念無念だ。」

 

彼はやれやれといったジェスチャーをする。

エラルには全く概要が掴めていない。

 

「ほら、遠坂は災害との共存?あとアインツベルンは災害の使役?色々道を選んでいるだろ。けどマキリと博物館?とかいう連中は災害と敵対する意思を見せた。まぁクソ人間のクソ戦力で俺たちを殺そうなんざ五千万年はえぇけども、お前の魔眼、こりゃ駄目だ。アサシンがその危険性を提示したから、俺たちはお前と、あとついでに博物館?殺すことにしたよ。お前は俺が、博物館はキャスターが向かっている筈だぜ。」

「そんな…馬鹿な…」

「つまり調子に乗り過ぎたってコト。ちゃんとあほ面したままあの世で反省しろよ?」

 

アーチャーはエラルのスーツを手で引き裂くと、彼女の髪を強引に掴み、地面に叩きつけた。彼女の額からは血が溢れ出す。

エラルは急ぎ『波蝕の魔眼』を起動するが、アーチャーの攻撃に対しての因果介入がキャンセルされる。どんな未来を辿ろうと、彼女には絶望が待っていた。

 

「なんで……」

 

令呪の全てをつぎ込んだとしても、アーチャーには傷一つ負わせることが出来ない。力の差は歴然だ。

 

「俺、無敵だからさ。傷付かねぇんだよ、この身体。」

 

アーチャーはエラルの首を掴むと、再び地に叩き付ける。彼女の美しい顔は既に赤黒く血塗られていた。

 

「あ…う……」

 

衝撃で意識が混濁する彼女を、アーチャーはただただ楽しそうに見つめている。彼女の頬に舌を這わせ、血を舐め、それを口の中で堪能する。

 

「俺は吸血鬼じゃねぇから分かんねぇけど、敗北してちびった高慢な女の涙と血液は美味だと思うぜ。」

 

アーチャーは倒れた彼女の上に跨り、その服を剥ぎ、美しき裸体を露出させた。意識を取り戻したエラルは、アーチャーが彼女の身体を揉みしだき、舐め回していることに違和感を覚える。

 

「あなた、災害、でしょ…にんげんなんかに、欲情して、変なの…」

「カカカ、ちげぇよ。俺は人間だ。英霊とか災害は役職に過ぎない。俺は座とかいう奴に登録されようと、召喚されようと、人間なんだ。飯を食らい、女も食らう。俺は人間だよ。」

「そう、人間のフリだけが…上手なのね。」

 

アーチャーはその一言に、怒り狂う。

エラルの首を絞め、「人間だ」と叫び続ける。

 

「クソが、クソ、クソ、クソアマ、死ぬ前に抱いてやろうと思っていたが、失せたわ、カスが。」

 

アーチャーはエラルの右目に、親指と人差し指をねじ込んだ。彼女の発狂と共に、波蝕の魔眼を摘出する。それは左目も同様に行われる。エラルは両目を失い、何もかもが見えなくなった。

アーチャーはそれを握りつぶし、彼女の所持していたアタッシュケースも燃やし尽くした。これで彼の任務は達成された。

エラルは様々な部位から血を流しながら、薄れゆく意識の中で、必死にロイプケのことを考えていた。

これがもし俗にいう「走馬灯」ならば、最後にロイプケに会えて事は、彼女にとって幸福だった。

 

初めて召喚された彼―どこか怯えた表情だが、私はそんな彼に一目ぼれした。

 

ピアノを弾く彼―この地上にいるどの男よりも凛々しくて優雅で、美しかった。

 

隣で眠る彼―子どものようなその頬に、こっそりキスしたこともあったっけ。

 

ビルから飛び降りようとする彼―今までで一番かっこ良かった。

 

恋して良かった。貴方を好きになってよかった。

でも、ひとつだけ、ひとつだけ、後悔がある。

それは、恥ずかしくて、彼のことを名前で、『ユリウス』って呼んであげられなかったこと。

大好きなのに、ずっとクラス名なんて、変じゃない。

ああ、失敗したな。

もしまた会えたら、そのときは

 

彼女のたった一つの後悔は

燃え盛る炎に掻き消えた。

 

                                【神韻縹緲編② 終わり】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神韻縹緲編3『memory』

投稿が遅くて申し訳ないです。
よりによってFGOはボックスガチャイベ初日と来たもんで、相変わらず間の悪いこと悪いこと。
お暇がありましたら読んで行ってください。感想、誤字等ありましたら、お待ちしております。


【神韻縹緲編③】

 

二年前。

クリスマスイブのこの日、往来を行き交うのは若い男女のペアのみである。もしこの華やかなイルミネーションに彩られた商店街を、ただ一人俯きながら歩く者がいたとしたら、憐みの目を向けられるに違いない。

事実、普段より抜群に着飾ったこの男、鶯谷鉄心は、溜息をつきながら一人途方に暮れており、周囲は「あぁ、この人はイブに振られたんだな」と身勝手な解釈で彼を哀れんでいた。

鉄心はポケットに忍ばせていた高価なネックレスを手に取った。彼なりに数時間かけて選んだプレゼントだが、不要の産物となってしまった。そう、周囲の人間の解釈は正しかった。鉄心は今日、好んでいた女に振られたのである。

鶯谷本舗としての仕事の最中、出会った依頼人であった。迷い猫を見つける過程で、依頼人の女と中を深めていった。覚悟を以て臨んだこのクリスマスイブ、彼は見事玉砕した。彼女曰く「フラフラしながら人助けで日銭稼ぎをやっている人間との将来は考えられない」とのこと。

 

「あー、くそ!」

 

鉄心は路地裏の青バケツを蹴り飛ばした。中から分別されていないプラスチックゴミやら生ごみが転がり落ちる。彼はそれを放置せず、半ば自棄にもなりながら、それらを手掴みで元の位置に戻した。

 

「こいつも、要らねえか。」

 

彼は購入したネックレスを数秒間見つめると、少し名残惜しそうに、それを手放した。ゴミ箱の底へゴトンと音を立てて格納される。

そして鉄心はその場に座り込み、胸ポケットに仕舞い込んだ煙草に火を灯した。禁煙生活四か月目にして、久々の煙である。これをお守り代わりに持ってきていた時点で、彼は敗北することを察していたのかもしれない。

彼が咥え煙草で物思いに耽っていると、彼をよく知る男が、この路地裏に迷い込んできた。男は金色の髪をオールバックに、小洒落た服装をしていた。彼も鉄心同様、この場においては独りぼっちである。

 

「なんだテツ、煙草は身体に悪いから辞めたんじゃなかったか?」

「……俺の悲しみとかそのあたりの色々を、煙に乗せて吐き出しているんだよ。察してくれ。」

「はは、お前また女に振られたのか!」

 

男は鉄心の高校時代の同級生、薫であった。クラスの隅にいていつも読書ばかりしていた薫は、大学進学と共にデビューを果たす。現在は第二区の歓楽街でホストをしているらしい。鉄心とは大人になった後も、何度か飲み会を開いて、互いの愚痴を聞き合っていた。

 

「そういう薫も今日は独りか?」

「本当なら店でクリパの予定だったんだが、流行りの風邪にスタッフ何人かイカれちまってよ。蔓延防止の為に中止になったんだ。それで俺はフリーになったって訳。四区で女捕まえようと声かけまくりの最中、お前がここで死んでいるのを見かけて、な。」

「ったく、俺に声かけなきゃ今頃ホテルで熱い夜だっただろうな。お前も失敗したな。」

「まぁな。だが、テツと煙を吹かせる夜も悪くないと思ったんだ。」

「…………なんか若干キモイな。」

 

鉄心と薫は互いの顔を見つめ、共に噴き出した。高校時代、クラスの隅で漫画片手に笑い合った日のように。

 

「何故かテツは男にモテるんだよな。遠坂のお坊ちゃまとか、俺とか、クラスの男ども皆がお前のことを信頼していた。鶯谷本舗も、ここらの皆が信頼しているから成り立っているだろう。」

「有難い話だな。女にモテないことを除けば。」

 

鉄心は寂しそうに笑う。

薫はデバイスを取り出すと、ネットの画像をスクロールし始めた。

 

「何だ、薫?」

「今日は第二区に繰り出すか?ちょうど今、めちゃホットな嬢がいてさ、俺もサービスを受けたんだが、最高だったんだ。」

 

薫はデバイスに写った少女の写真を提示する。どこかの風俗店の女性スタッフだ。源氏名は『ミライ』。金の髪をツインテールにしているコスプレ少女で、その身体つきは男どもを虜にするものだった。加工しているとはいえ、恐らくかなりの美少女に違いない。

 

「ちなみにこの娘、ちょっとした黒い噂もあって、黒い服の女サーヴァントを飼いならしているんだが、ルールを守らない客がいた場合、このサーヴァントが罰を下すとかなんとか。まぁ俺も冒険するつもりで楽しんだが、噂はただの噂だったよ。」

ケラケラと笑う薫に対して、鉄心はバツの悪そうな顔を浮かべる。

「……悪い、そういう気分じゃないんだ。」

 

鉄心は吸殻をケースへ仕舞い込んだ。地面に直接座り込んでいた所為で、高価なスーツも泥まみれである。

 

「やっぱりな。テツ、お前が女に振られる理由、俺には分かるよ。」

「んだよ。」

「お前さ、まだあの娘のこと、引き摺っているんだろう?」

 

二人が思い浮かべたのは同じ顔。同じ高校で同じクラス、鉄心の隣に座っていた寡黙な少女。

 

「名前は…確か…」

「入谷 雪匣(いりや ゆきばこ)」

「あぁ、そうだ、ユキバコだ。変わった名前だし、友達いないけど、とんでもない美人だったから、皆一目置いていたんだよな。」

 

カーキ色の髪をした孤独な少女。誰とも群れず、只一人、机に伏して眠っている。男たちが揃ってアプローチをかけるも、見事玉砕した。ただ一人、クラスの中心人物だった鉄心のみ、彼女へ日常的に声をかけ続けていた。

 

「お早う、入谷。」

「…………」

「いつも寝ているな。今日は朝から小テストだぞ。起きて勉強したらどうだ?」

「…………」

「まぁお前、何気に成績良いから、家で勉強してきているんだな。なら安心だな。」

「…………………してない。」

「してないんかーい。というか起きているんかーい。」

「…………………起きてる。」

「ならそのまま寝たままで、俺が今から範囲のところでテストに出そうな箇所言っていくから、覚えてくれ。赤点は回避できるだろう。」

「………………………」

 

鉄心が顔をあげない雪匣に声をかけ続けるという奇妙な光景は、クラスの名物にもなっていた。薫から見ても、鉄心は相当物好きな人間であっただろう。

 

「未だに信じられん。テツがあの頃、ユキバコと付き合っていたなんて……」

「俺にもよくわからん。」

 

鉄心は二年生から三年生に上がる日の前日に、屋上へ雪匣を呼び出した。そして顔を赤らめつつ、彼女へ想いを告げた。

答えは二つ返事でオーケー。あまりにも無表情であった為、何度も確認した程だ。

そして鉄心は雪匣と一年間付き合った。兎に角、感情を表に出さない少女で、気が付けば眠りこけていた。

付き合った後で変わったことと言えば一つだけ。鉄心の膝で眠るようになったことである。

そして二人は卒業し、離れ離れになり、自然と別れていた。どちらかが拒絶した訳では無く、ただただ疎遠になった。後で鉄心が気付いたことだが、彼は雪匣のアドレスすら知らなかったのだ。

 

「テツ、ユキバコのことは忘れろ。元々良く分からない奴だったんだ。あれから何年経っている?ユキバコもあのビジュアルなら男も黙っていないだろうし、もしかしたら一児の母になっている可能性もあるだろう?」

「………あぁ、分かっているさ。」

 

鉄心自ら、彼女への想いを封じ込んできた筈だった。だが忘れようと頑なになればなる程に、その存在の大きさに気付かされる。

雪匣はいま何をしているのだろうか。誰か大切な人と過ごしているのだろうか。そんな想像が、鉄心の胸を冷たくさせた。

 

「……テツ、今日は二人で居酒屋でも行くか。」

「あぁ、そうしよう。それが良い。」

 

薫は鉄心の肩に手を回し、夜の街を突き進んでいく。今の鉄心には、薫の強引さと優しさが身に染みるのであった。

そして二人は終電が来る前まで飲み続け、フラフラになりながらも別れた。

薫は帰路に着いたが、鉄心は誰もいない自宅へ帰ることを寂しく思い、既に暗くなった街へ一人繰り出していった。

 

時刻は深夜一時を回った頃。

夜風に当たり酔いを醒ましていた彼は、商店街の裏からの大きな物音に導かれた。

この通りを真っ直ぐに抜けた先、建設中の鉄筋ビルがある。深夜は作業も休止している筈だが、弾かれるような激しい金属音が轟いている。イブの熱気でおかしくなった若者が暴れているのかもしれない。

鉄心はどこかむしゃくしゃした気持ちで、その場所へ向かう。関係ないストレスを、この場で晴らしてしまいたい、そんな欲に駆られていた。学生の遊びなら、注意して学校へ報告してやろう、そんな気晴らしだ。普段の鉄心ならば「君子危うきに近寄らず」な冷静さがあっただろうが、彼はアルコールに飲まれていたのだ。

立ち入り禁止のテープを潜り、彼は不法侵入する。激しい音は中央から鳴り響いており、ここからは慎重に近付いて行った。

工事中と言えど、既に三分の二は完成している。上階に続く階段も用意されており、今は停止しているが、エレベーターも完備されている。

この場所はオフィスのロビーにあたる。広々とした薄暗い空間で、金属音だけが反響している。

 

「(何だ?何が起きている?)」

 

鉄心は恐る恐る音の出所へとにじり寄った。確認できるのは二人の人間。片方がもう片方に馬乗りになっている。そして次の瞬間、金属のぶつかり合いは終わり、男の声で断末魔が響き渡った。

戦っていたのは、どちらもサーヴァントであった。たった今殺害されたのは剣を所持していた、恐らくセイバークラス。そして馬乗りになっていたのは、クナイのような短剣持ち。こちらのクラスは見当がつかない。

鉄心は今まで、サーヴァントとは無縁の人生を送ってきた。オートマタは高いし、専属従者にも甚だ興味が湧いてこない。そもそも戦いとはチンピラどもとの殴り合いの喧嘩が最大で、本物の殺し合いなど、彼には物語にしか感じられなかった。

 

「(マジかよ、いま、ヒトが死んだ?)」

 

剣を有していたサーヴァントは消滅し、オートマタだけがポツンと取り残された。馬乗りになっていた影は、デバイスで誰かと連絡を取り合っている。

 

「あぁ、僕です。たった今対象のサーヴァントの消滅を確認しました。どうやら見立て通り、はぐれだったようです。聖遺物については回収済みです。直ぐに帰還します。」

 

聞こえてくる声はまるで子どものようだ。背丈も合わせて考えれば、中学生ほどの少年だった。だが馬乗りになっていた時は、もう少し背丈も高かった筈だが、鉄心にそれを気にしている余裕は無い。

 

「(暗殺部隊の少年兵とか…?漫画で見たことはあるけど……)」

 

鉄心は少年がいなくなることを待つことにする。幸い、気付かれぬよう隠れられる場所があった。彼は息を殺して、少年の動向を見守る。酔いなどとうの昔に消え去っていた。

少年が入口へ向かってテクテクと歩いて行く。鉄心はその道中の柱に身を潜めており、少年が過ぎ去ったことに安堵の笑みを浮かべた。

だが、少年は突如立ち止まる。彼はひたすらに匂いを嗅いでいた。そして何かに気付くと、鉄心の隠れる柱の方へゆっくりと歩いて来る。

 

「(なんで!?)」

「ヒトの汗だ、汗の香りだ。僕は視覚に障害があるけれど、鼻と耳だけは抜群に良いんだ。だから暗闇は平気さ、むしろ好都合と言っていい。」

 

少年は長袖をまくり上げ、右肩に付いたコネクタを露出させる。そして手にしていた注射器をその穴へ突き刺した。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムアサシン』:『ハサン・サッバーハ』現界します。〉

 

少年の身体は鉄心と近い背丈まで成長する。白い髑髏の仮面で顔を隠し、肌は薄暗いものへ変貌した。

そして彼の身体が肉体改造された瞬間、周囲に白い煙が立ち込める。それを吸い込んだ鉄心は、激しく咳き込むことになる。

 

「見つけた。」

 

鉄心は床へ転がりながら、全身の痺れに身動きが取れなくなっていた。彼が吸い込んだのは少年の放つ毒だ。徐々に肉体が蝕まれてゆく。

 

「(あぁ、これ、駄目なヤツ……)」

 

少年は激しく咳き込む鉄心の元へ寄ると、謝罪を口にする。それは、罪なき彼を殺すことへの贖罪であった。見られてしまったならば仕方ないと、少年は顔を近付けていく。

 

「何を…するつもりだ…おまえ………」

「口づけさ。物語において王子様のキスは目覚めの儀式だったりするけれど、僕のは少し違う。君に最高の瞬間で死んでもらうための、甘い殺戮だ。」

「いや、待て、俺は男、男だ。何かあるだろ!殺すにしても、もっと突き刺すとか、撃つとか!」

「そんなの、痛いだけじゃないか。」

 

鉄心は全身の痺れに何とか抗いながら、匍匐前進で逃げ続ける。少年は何故か成長して女性的な色気を醸し出しているが、それはそうと、男である。鉄心的に、死ぬのは勿論嫌だが、ファーストキスが男なのもいただけない。

 

「(どうする、どうする、どうする俺!死にたくねぇよクソ!)」

 

鉄心は必死に思考するが、生き残る道が思いつかない。このまま放っておいても全身麻痺したままで力尽きることは必至。どこか諦めの境地に至っていた。

そして鉄心は暗闇の中、ソレを見つける。

それは先程この少年に消滅させられたサーヴァントの亡骸、空っぽのオートマタである。

鉄心は無機質なそれに抱き着く様に縋った。無論、先程までそこにいた剣士のサーヴァントはいない。只のガラクタだ。

英霊を知らぬ彼は、サーヴァントの召喚に聖遺物かそれに類するデータが必要だという事を知らない。だから身勝手に、無意味に、祈り続ける。過去の英雄が、見知らぬ彼を救ってくれると信じて。テレビの前でヒーローの登場を待ち続ける子どものように。

だが当然、それは叶わない。少年は手にした凶器で、鉄心の太腿を貫いた。彼は痛みに喘ぎ続ける。

そしてその傷口からも、少年の毒が注入される。痺れを通り越し、全身に想像を絶する痛みが走った。

 

「痛い痛い痛い痛い痛いっ!!あぁあああああああああ!!」

「いいですね。いい声だ。生の声は、やっぱり心地いい。」

 

少年は舌なめずりしながら、鉄心に覆い被さる。興奮した少年の姿に、鉄心はついに死を覚悟した。

 

そして彼は走馬灯のように高校時代の青春を回想する。

そう、あれは雪匣と図書館へ出掛けた時のことだ。

彼らは学校課題の提出の為、学校の図書室へ訪れたが、既に他生徒が大勢いて、本棚は空になっていた。

仕方なく第四区図書館へ赴き、小難しい書物を見比べていた。

鉄心は普段本を読まない。好みの漫画は全てデバイスに保存されてある。紙の書物は古臭くて、手に取るのに少々の嫌悪感があった。だからこそ今回の課題もデバイス一台で何とかしようと試みていたが…

 

「まさか雪匣が本好きだなんてなぁ。」

「うん。温かみがあるから、好き。」

 

雪匣は間髪入れず答える。それほど本を愛しているという事だろう。

 

「それで、どうする?研究のテーマはこの辺りの本で十分だと思うけど…」

 

鉄心は備え付けのテーブルに五冊の本を重ねた。だが雪匣はそれを開こうともしない。

 

「雪匣?」

「鉄心、これを見て。」

 

雪匣は鉄心と同じように、所持していた本をどかりと置いた。

それは課題とは百八十度異なる書籍だ。まさかの、童子向けの絵本である。

 

「お前、これ……」

「全部好き。鉄心は?」

「いや、俺も昔は好きだったけど、今は関係なくね?」

「ふふ、関係ないね。でも読もう。」

 

雪匣は一冊の絵本を手に取り、鉄心の傍で朗読した。彼の肩に頭を乗せ、母のような優しい声でページを捲ってゆく。

 

「これ、空飛ぶ絨毯、だっけ。」

「うん、三兄弟の冒険。」

「好きなのか?」

「……一番好き。」

 

フセイン、アリ、アーメッド、三人の仲良し兄弟の冒険譚。鉄心がかつて読んだ際も、沢山出てくるアイテムに心を踊らせた記憶がある。

雪匣は楽しそうに、鉄心へ読み聞かせた。

そして数冊分絵本を読み終えた後、彼女は鉄心の隣で眠り始めた。すぅすぅと微かな寝息が鉄心の耳元で響き続ける。

 

「ったく、課題はどうするんだよ。」

 

彼は彼女のおでこを軽く小突いた。こんなことでは彼女は目を覚まさない。これは彼なりの悪戯だ。

そして幸せそうに眠る彼女を起こすつもりも無い。静かな図書館で、鉄心は課題図書を読み続けたのであった。

 

そして走馬灯は終わる。

彼自身、何故この瞬間にこのような些細な思い出に浸ったのかは分からない。だが、もしかすると、これこそがこの状況を打破するための切り札なのかもしれない。

 

「では、君の唇を頂くね。『妄想毒身(ザバーニーヤ)』」

 

鉄心はガラクタの手を取り、祈る。いま必要なのは物語の主人公。危機的状況にも屈しない先導者。願いを叶えてくれる英雄だ。

彼の脳内で浮かび上がるビジョン。それは空飛ぶ絨毯に登場する三兄弟の弟だ。

 

「頼む!来てくれ!『アーメッド』!」

 

無論、魔法陣も聖遺物も、この場には何も存在しない。

だが、罪なき青年は、この瞬間、奇跡を起こした。

眩い光がオートマタを包み込み、馬乗りの少年を後方へ吹き飛ばす。

鉄心が握り締めたその手は、徐々に熱を帯びてゆく。

 

「な、なんだ?何が?」

 

慌てる少年を尻目に、奇跡の英霊召喚は成された。

鉄心の元へ舞い降りる、この世のものとは思えない美系の男。鉄心はそれが『アーメッド』だと、心の内で理解した。

 

「英霊召喚!?馬鹿な!有り得ない!」

 

吹き飛ばされた少年の身体から毒霧が再噴出する。鉄心は身構えるが、アーメッドは悠々と、所持していた果実の香りを嗅いでいる。

 

「アーメッド、それは?」

「これは世にも不思議な魔法のリンゴ。さぁ、嗅いでください。」

 

鉄心はスンスンとその果実の香りを堪能する。至って普通のリンゴの匂いだが、みるみるうちに鉄心の身体を蝕む毒が消えていき、彼はその場で立ち上がることも出来るようになった。

 

「これはヌーロニハルを救ったリンゴか!やっぱりお前はアーメッド!」

「そんな貴方は、僕のマスターですね。お名前を伺っても?」

「鉄心だ。鶯谷鉄心。マスターかどうかは分からないが、これが運命だと信じて、俺はお前と契約を交わすぜ。」

「承りました。まずはこの場を切り抜けましょうか。」

 

アーメッドは弓矢を構えると、アサシンの少年へ向け、光弾を放ち続ける。煙の中、少年は気配を消して、彼らから隠れ潜んだ。

 

「アーメッドの矢は確か、凄い伝承を持っていたよな。」

「そうですね、僕の矢は『決して落ちない』ことに定評があります。ですが、当たるかどうかは別問題でして、その辺りは兄であるアリの方が上手かと。実際にヌーロニハルと結ばれたのはアリですし。」

「マジかよ。」

「マジです。対象を見失ってしまうと、どうにも……」

 

矢を番えるアーメッドに対し、完全に気配を消した少年がにじり寄る。手にした小型ナイフが、彼の首へと伸びた。

だが突如地面から生えた大きな腕が、少年の手を掴み、投げた。それはアーメッドの影。漆黒の益荒男が呼び出され、雄たけびをあげる。

 

「僕のスキルでもあり、妻ペリパヌーの力でもある。僕の影にいるのは、僕の守護者『シャイパル』!力持ちのシャイパルだ!」

 

漆黒の幻はすぐさま霧散したが、時間稼ぎとしては充分だった。アーメッドは再び矢を番える。今度は決して外さない、決めの一手だ。

 

『見果てぬ恋は空を割る(レルアバドゥ・サハム)』

 

その矢は少年へ向け、放たれる。

殺すためでは無い。少年の仮面を撃ち抜くための技。

それは狙い通り、寸分違わず、少年が宿した英霊を貫く。ヴェノムアサシンは光の粒子となって消え去り、意識を失った少年だけが取り残された。

 

「………………やったか?」

「えぇ。初陣としてはこの上の無い勝利でしょう。」

 

アーメッドは得意げな顔を見せる。鉄心は嬉しさのあまり、思わず彼に抱き着いた。英霊という存在と関わりを持たなかった青年が、この日初めて『運命』と出会ったのである。

そして彼らは共にビルを後にした。深夜二時をまわろうとしている夜の街は、イブにしてはどこか物寂しく感じられたのだった。

そしてその後。

改めて互いの自己紹介を終えたその時、アーメッドに異変が起こる。

同じ顔、同じ声であるにも関わらず、アーメッドでは無い、別の人格が姿を現したのだ。

 

「こんにちはマスター。僕はフセイン。」

「こんにちはマスター。僕はアリ。」

「待ってくれマスター、何故この僕、アーメッドの身体に兄さんたちが宿っている!?」

「次は僕を戦闘に出してくれよ?マスター。」

「アリは黙っていろ。次は僕だ!」

「待ってくれ兄さんたち。この身体は間違いなく僕のものだ!そうだろ?鉄心!」

 

「そんなのって、アリ?」

 

鉄心が起こした奇跡は、ただの一度に非ず。

もしかすると、三つもの願いを叶えてしまったのかもしれない。

 

 

そして時刻は午前四時をまわる頃。

気絶した少年を、高身長の筋肉質な軍服男が抱きかかえていた。

男は冬の季節にも関わらず、虹色のサングラスをかけている。

そしてその隣にいる女も、季節感の無い、薄着で街中を闊歩していた。

ただ一人、彼らの半歩後ろを歩く女だけが、冬服を着用している。

 

「なぁショーン。モゴイの奴は誰にやられたと思う?」

「あらシュランツァちゃん。モゴイくんの敵討ちでもするの?」

「ちげぇよ。モゴイは別に死んでねぇし。ザー様みたいに違法触媒を回収している奴らがいるのかなって。」

「さぁねぇ。でもモゴイくんはちゃあんと回収してくれていたから、それは無いんじゃないかしらね。サーヴァントと殺し合った結果、傷を負ったんじゃないかしら。」

「まぁそれもそうだな。」

 

彼らが路地裏に差し掛かったとき、前を歩いていたシュランツァは足を引っかけて盛大に転んだ。どうやら青いゴミ箱で躓いてしまったようだ。様々な種類のゴミが辺りに散らばる。

 

「ちょっと、大丈夫!?シュランツァちゃんったら!」

「ってぇ。クソが!こんな場所に置いておくんじゃねぇよタコ!」

 

シュランツァは青バケツを足で蹴り飛ばした。散らかったゴミは放置し、苛立ちながら向こう側へと歩いて行く。シュランツァとショーンの後ろを歩いていたウラルンは、ふとその場で足を止めた。

 

「………………」

「あら、どうしたの、ウラルンちゃん。」

「これ」

 

ウラルンが手にしたのは、女物のネックレスだ。

 

「何これ、イブだから男が女に渡して、捨てられたんじゃないの?というか、女物なのに装飾が髑髏とか、趣味が悪すぎるわよ。捨てられて当然ね!」

 

ウラルンはネックレスを暫く眺めると、それを軍服のポケットに仕舞い込んだ。

 

「え、何?ウラルンちゃん、それ、好きなの?」

「好き」

 

ウラルンはポケットの中でそれを握り締める。彼女が過去に付き合っていた、大切な男を思い浮かべながら。

 

                                【神韻縹緲編③ 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神韻縹緲編4『disaster』

大変お待たせしております!
感想、誤字等あればご連絡ください!
幻視急行編5章にて挿絵も追加しております、ぜひそちらも合わせてご覧ください。


【神韻縹緲編④】

 

「おい、聞いているのか。馬鹿息子。」

「聞いていますよ父上。大丈夫、任せて下さいよ。」

 

聡明な僕とは違い、生まれた息子は大馬鹿者だった。

頭は悪い癖に、傲慢で、不遜で。

どうしてこんな脳みそ筋肉な若人に育て上げてしまったのか。

 

「僕の今言った事、絶対に忘れるんじゃないぞ?僕の才能は確かに神をも驚愕させる代物だが、本気で神を怒らせたら、あっという間に殺されるからな?」

「はい、心得ております!」

 

そして愚息はその一歩を踏み出した。

奴は馬鹿だから、こんな運命に巻き込んだ僕のことをこれっぽっちも恨みはしない。

それどころか、こいつは。

 

「待て、〇〇〇〇!やっぱり辞めておこう、無謀だ!」

「大丈夫ですよ父上。だって……」

 

「父上がくれた『翼』ですから!」

 

聡明な僕とは違い、彼は……

頭は悪い癖に、傲慢で、不遜で……

 

神をも恐れぬ『勇気』を持っていた。

 

「僕は父上を信じます。父上は、神様をビックリさせる、世紀の天才、ですから!」

 

そして彼は、

あの遥かなる空へ。

誰よりも自由に。

 

「ったく、馬鹿息子め。」

 

僕はあの愚息が誇らしかった。

 

でも、結局。

 

〇〇〇〇は落ちていった。

深い深い海の底へ、只一人、孤独に。

 

そうさ、僕が最後に犯した罪こそ

我が最愛の息子を殺してしまったことなのだ。

 

 

「おい、ディザストロキャスター」

「……っ」

 

オアシス上空に浮かぶ、天空の城塞『ヘヴンズゲート』。

その中心部の巨大広間の円卓に、各地区を統制する災害のサーヴァント達が招集された。

たった今、一人眠りこけていた災害のキャスターが、アーチャーに叩き起こされたのである。

 

「全員揃うまで時間がかかったな。一番早くに到着していたキャスターが睡魔に襲われるのも無理はない。」

「『英霊』の枠組みを超え、より人間らしくなったように感じるよ。」

 

談笑するアーチャーとキャスター。彼らは特段仲がいい訳では無い。

否、この場に集まる全員が、聖杯戦争で殺し合いをした同士だ。

互いが互いの腹を探り合い、牽制しあう。どこかギスギスとした空気の漂う議会である。

今回は、災害のアサシンによる緊急招集でありながら、最後に登場したのが当の本人であったのだった。

 

「すまんな、よりのもよってこの日に、第五区の暴徒たちが結集してしまったのだ。余の臣下たちがこれを鎮静させた。……おや、ライダーの姿が見えんが?」

「奴は忙しいってよ。てめぇのことが嫌いなんじゃねぇか?アサシン。」

「ほう?」

「俺たちはライダーの計画に付き従っている。それはアトランティスを蘇らせる為に必要だからだ。でもてめぇだけは裏でコソコソ好き放題やっているみたいだな。統合英霊ってヤツは、俺たち周知しているぜ。」

 

アーチャーは円卓を回りながら、アサシンの傍まで近付いた。アサシンは余裕の笑みを崩さない。

 

「余もライダーの思想には賛同しているぞ。私兵を持つことはそれほどまでに悪しきことか?」

「いや、塵を積もらせても山には成りえねぇよ。ライダーはえらく警戒しているが、俺たち災害に人間如きが叶う訳もない。」

「ならば良いだろう。全ての災害で、こと戦闘面においては貴殿こそが最強だ、アーチャー。その発言は正しいさ。余の『アヘル』は余にとっておままごとに過ぎない。石橋を叩いて渡る必要もあるまいよ。」

「いいから、アーチャーは座ってくれ。僕は忙しいんだ。早く本題に入ってはくれないか、アサシン。」

 

キャスターの提案に、アーチャーは素直に従う。その長い両足をテーブル上に乗せ、偉そうに腰かけた。

 

「すまんな、余からの話と言うのは『不穏分子の抹殺』についての提案だ。」

「不穏分子?」

 

アーチャー、ランサー、バーサーカーはそのワードに反応を示す。

ただ一人、キャスターは第四区博物館を思い出した。

 

「そう、災害の思想に仇なす存在。余はその完全なる排除を、貴殿らにも願いたい。」

「んなもん、今までだって無数にいただろ。何で今更。」

 

アーチャーは難色を示す。それはランサー、バーサーカーも同じのようだ。

 

「これまでとは比べ物にならない規模のものだ。円卓中央を見よ。余の『アヘル』の調査により発覚した、二大巨頭。」

 

皆が注目する中、クリアブルーのアーカイブから二種類のビジョンが浮かび上がる。それは第二区に構える令呪販売企業のマキリコーポレーションと第四区博物館の画像であった。アーチャーは自らの区内企業が挙げられたことに驚きを露わにした。

 

「おい、マキリって、魔力源を溜め込んでいるあの企業だよな。」

「あぁ、反災害思想を持った危険な組織だ。貴殿は気付いていなかったのか?アーチャー。」

「興味が無いからな。どうせ雑魚だろう。」

 

そして第四区博物館の映像に、キャスターは眉を顰める。

彼はこの博物館という存在を他の災害に一度も公言していなかった。

 

「アヘルの調査によると、マキリは垓令呪システムの申請を出していたものの、裏で魔眼収集を行っていることは秘匿しているようだ。旧日本国の遺産、我々が把握し切れていない特殊な魔眼も保有しているらしい。その効果を知らないままに、革命を起こされたとしたら、アーチャーでも対処に困るやもしれん。」

「あ?俺が負けるってか?」

「そうは言っておらん、落ち着け。」

 

その長い足でテーブルを蹴るアーチャーを、アサシンは諫める。

 

「そしてもう一方の、第四区博物館。只の公共施設を謳っているが、内部では我々の与り知らない違法触媒を不法に取得、隠し持っているようだ。この建物の下に巨大な地下施設も存在することが判明している。」

 

アサシンはそう語りながら、キャスターを一瞥した。アサシンの提示するデータの殆どを、キャスターは既に知り得ていたが、他の災害に今まで共有して来なかったのだ。

 

「キャスター、貴殿はマメに人間社会にコンタクトを図り、自治していたろうに、この事実に気付いていなかったのか?」

「当然、建築物の構造は把握していたが、その主目的まではさっぱりだ。僕も特別危険視はしていない。我ら災害にとって、些事、であることには変わらない。」

「慎重派な貴殿がそう切り捨てるとは、な。…まさか、貴殿のお気に入りか?」

「馬鹿を言え、僕は人間の全てに興味がない。もしアサシン、お前が博物館を邪魔だと感じるならば、僕が手ずから奴らを殺してやって良い。」

「そうか、ならば殺せ、跡形も残すな。」

 

アサシンはアーチャーとキャスター、二人の災害に、不穏分子の抹殺を命じる。アーチャーは久々の人殺しに興奮冷めやらぬ様子だが、キャスターは腕を組んだまま静止していた。

 

「ランサーに、バーサーカー、彼らも余に賛同した。ライダーがいなくとも、これで過半数票は獲得した。…明日には、災害としての威光を示してもらうぞ。」

「マキリの女社長、中々に上玉じゃねぇか。殺す前に抱いてやるのも悪かなぇな!」

 

そしてアーチャー、バーサーカーは離席する。アサシンも立ち退こうとするが、キャスターはこれを引き止めた。

 

「各地区の統制は、その場を管理する災害に一任されている。何故、第五区の守護者たるアサシンが僕たちの地区へ意見を飛ばしてくる?」

「同じ繋がった大地で、隣国が兵器を向けてくるとも限らんだろう。余は、余の国を守る決断をしているだけだ。」

「…………」

「貴殿の報告を楽しみにしているぞ、キャスター。」

 

アサシンは含みのある笑みを浮かべると、天空城塞から姿を消した。

キャスターはなおも席を立とうとしない、腕を組んだまま、天井を眺めている。

そんな彼を、どこか心配そうに見守る人影があった。

この円卓に残った、第六区の災害、ランサーのクラスで現界した『焔毒のブリュンヒルデ』である。

彼女はキャスターの元へ歩いて行き、その隣まで近寄った。

 

「何だ、ランサー。」

「貴方は……殺したくないのですね。」

「……違う、買い被るな。僕は聖人でも臆病者でも無い。」

「貴方も、ライダーも、優しい人、ですから。」

「違う、僕は災害だ。人間たちの理解者には決してなり得ない。」

「…………そう」

 

ランサーは寂しそうな表情を見せる。

災害の中で、最も優しく、最も狂っている彼女を、キャスターはそれでも美しいと感じていた。

 

「アサシンは、ライダーも、キャスターも、嫌っています。だから貴方の望まないことを押し付ける。両者の隙を常に狙っている。アサシンはヘヴンズゲートに背き、別のアプローチでアトランティスを築き上げようとしています。」

「……だとしても、僕に出来ることは何もないのさ。」

 

キャスターは遂に立ち上がり、ランサーと見つめ合った。

サハラの戦争で相まみえた時、彼女の目は確かに英雄の持つ気迫に満ち溢れていた筈だ。

だが今は、黒く淀んでいるように見える。オアシスが、彼女の全てを変えてしまったのだ。

 

「ランサー、君も第六区へ戻れ。君の出る幕じゃない。」

 

キャスターはそう言い残し、天空城塞を後にする。

彼がその足で向かうのは、第四区博物館。

こうして足を運ぶのは、二度目のことである。

 

 

第四区博物館地下施設にて

紫の髪をたなびかせた白衣の女が、備え付けられた巨大な円形装置を入力していた。

彼女の様子を見守っているのは、この博物館にて鑑識官の役職を与えられた充幸であった。

 

「あの、館長、急な呼び出しの理由とは?」

「充幸さん、来て頂き有難うございます。……もう少々時間がかかりますので、そちらの椅子でお待ちください。」

 

第四区博物館館長の間桐 桜は、充幸に背を向けたまま、作業を続けていた。

円形装置の中央部には、エサルハドンの権能の一つ、未来を占う水晶玉がはめ込まれている。この水晶玉は只の硝子に非ず。アッシリアの超巨大幻想種の眼球そのものだ。未来視の力を併せ持ち、ここまでのエサルハドンの戦闘を何度も助けてきた。未来視と言っても、漠然とした先の予測のみで、確実な演算を行える訳では無い。

 

「私の杖は、役立っていますか?」

「勿論、大いに。我々人間が災害と戦っていくのに、『千里眼』は必須要素ですから。」

 

桜は取り付けられた六つのデバイスを巧みに同時操作している。充幸には一体彼女が何をしているのか理解できなかった。

 

「充幸さんは『ラプラスの悪魔』を知っていますか?」

「それって、過去と現在の物質の流動状態の全てを把握できれば、未来の因果を算出できるっていう、ピエール=シモン・ラプラスの考えた概念ですよね。」

「はい、通常そんなことが出来る存在を、ヒトは『神』と呼称しそうなものですが、後世に『悪魔』と名付けられたのは、実に人間らしいですね。ヒトは自らの範疇を超えて存在する生物を、常に『敵』と認識する生き物ですから。」

「その、ラプラスの悪魔がどうしたのですか?」

「その悪魔は、量子力学的には存在が否定されていますが、魔術的に言えば、あり得ると私は考えています。未来視の魔眼に、千里眼、それは神々がまだ世界の支配者だったころから存在が肯定されていたものですから。……今私がやっていることも、ある種、ラプラスの悪魔との邂逅なのです。」

 

桜は充幸を呼び寄せると、デバイスの閲覧用データを彼女の前で表示した。そこには、これから起こり得る未来の予測が細かく表記されている。

 

「ラプラスの悪魔のパラドクス、確定した未来を知った者が、現在の時点で、未来が変わるように動いた場合、確定した筈の未来が未確定になる。でも実は、そこに矛盾など生じないというのが私の考えです。確定した未来と、新たに確定した未来、その二つへ分岐する。もし私が明日交通事故で死ぬとして、それを知った私が、明日外出しなければ、私が死ぬ未来と生きる未来が同時に誕生するということです。」

「なるほど?」

「そして今、充幸さんが見ているデータは、これから博物館に起こること、その未来予測です。幾つもの未来をこの水晶に映し出し、現在の私たちがどう動くべきか、逆算して組み立てています。」

「それは、何というか、凄いですね。」

 

エサルハドンもここまで高度なことはしなかった筈だ。

そもそも彼女が行っていたのは占いという行為。未来予知と言えど、それは虫の知らせ程度のものであった。

ここまで正確なデータを導き出せているのは、桜の作り出したシステムの賜物だろう。

 

「とりあえず、直近の算出データ十件を確認してみてください。」

 

充幸は自らのデバイスに送られてきたファイルを閲覧する。だがそこに書かれているのは、どれも同じ結末であった。

 

「博物館と、第四区そのものが消滅……!?」

「そう、これは一週間以内の未来予測。どんな選択をしようとも、私たちはバッドエンド、全滅です。」

 

桜は肩をすくめる。欧米的なオーバーリアクションに充幸もぽかんと口を開けたままだった。

 

「充幸さんは驚かないのですね。」

「館長がどこか余裕そうな感じですので……」

「そうですね。どれだけもがこうと全員死ぬのですから、こういう諦めの感情にもなるのでしょうね。勿論、諦めるつもりは一切ありませんが。手は尽くしておくべきでしょう。その為に、充幸さんを今日ここに呼んだのですから。」

「私を?」

「今日、私たちは災害と相まみえます。申し訳ありませんが、戦闘に出るのは巧一朗、そして充幸さんに託します。無論、貴方達の命は私が保障しますので。そのことを、巧一朗に伝えて下さい。」

「裏の実働部隊は、あと二人、いますが…」

「美頼さんと、鉄心さんですね。彼らは要素に含んでいません。素直に自宅待機させてください。充幸さんにはこちらの親端末と、四機のオートマタをお渡しします。触媒データはインストール済みです。」

 

充幸は桜からデバイスを預かる。そこにはオートマタに宿されるサーヴァントの詳細が記録されていた。戦闘方法や不測の事態に対する対処法も明確に指示されている。

 

「災害のキャスターのデータはかなり少なく、予想通りの動きをするとは考えにくいでしょう。ですが、私が今前線に出てしまうと、博物館が積み上げてきたロジックが崩壊する恐れがある。申し訳ありません、この場を何とか耐えきってください、充幸さん。」

 

桜は深く頭を下げる。充幸には断る理由は無かった。

元より、彼女は桜に協力するつもりでここにいる。災害を倒さなければ、彼女はフランスに帰ることも出来ないのだから。

 

「(いや、それだけじゃない、か)」

 

―きっと、本物の充幸なら、桜を見捨てることはしなかった、筈だ。

 

「畏まりました。私は館長を信じます。」

 

充幸は端末を片手に、地下施設を後にした。

そしてそれに合わせて、姿を隠していた人物が桜の前に躍り出る。

白銀の髪の少女、コラプスエゴの霊基を以て召喚された『キャスター』である。

 

「あら、モリアーティさん。いつから忍び込んでいましたか?」

「君が一人で占いとやらに熱中している頃からだ。それにしても、よくこの私が、いつもの探偵では無く、モリアーティだと判ったね。流石は私の『元マスター』って所かな?」

「歩き方です。いつもの方は、貴方より歳を召しての現界ですので、少々足腰を気遣う歩き方をしますから。」

「少女の若い肉体に宿っているとはいえ、生前の癖は抜けないものだ。あの探偵も、そして私も。」

 

キャスターは端のソファーに腰かけると、紙コップに注がれたインスタントコーヒーを口にする。

桜から見て、これも一つの判断材料だ。あの探偵は、あまり苦い飲み物を嗜まない傾向にある。

 

「それで、桜は、どこまで把握している?いい加減、君の意思を知りたいと思っている。」

「私の意思ですか?」

「全てが謎だ。そもそも記録を調べても、巧一朗から直接聞いても、『間桐桜』は既に死んでいることになっている。それもサハラの聖杯戦争の前に、だ。オアシスにおいても、カプセルで凍結させられていた巧一朗とは違い、君は千年近く、博物館を存続させている。只の人間が、寿命を超えて生きていられる筈が無い。そしてゾンビの如く生き永らえて、やろうとしているのは災害討伐だ。色々と、不思議なことが多くてね。」

「……探偵ならば、解き明かしてみては?」

「違う違う、私は犯罪者だ。推理するのは得意じゃない。情報を得た上で、それを組み立てるのは上手いだけさ。」

 

桜もまた、キャスターの隣に腰かけると、インスタントコーヒーで一息入れる。

キャスターは横に添えられた袋菓子のアーモンドを貪り始めた。

 

「全てが、歪なのです。サハラの戦争も、災害も、そして『桜』も。彼女の行動理由、それを引き継ぐ私の行動理由、それは『後悔』によるものです。それも、千年の時間をかけるには、余りにもちっぽけな、二度と修復できない『言葉の刃』。桜は死んでなお、巧一朗の為にこそ生きている。可笑しいでしょう?死んでいるのに。」

 

桜はどこか遠い目で語る。キャスターも察していたが、やはり間桐桜は死んでいたようだ。

では目の前にいる、博物館館長とは何者なのか。キャスターはその考察に入る。

 

「もしかして桜、君は間桐桜の……」

「サーヴァント、ですよ。名前は内緒です。」

「魔力切れを起こさなければ確かに、見た目も変わらないまま生きていられるが、それにしても千年は長すぎるだろう。何故そこまで時間がかかったんだ。災害はそれほどにまで凶悪なのか?」

「そうですね。それも、今は内緒にしておいてください。災害を一人止めるだけでも、難易度はエクストラなのですから。私はオアシスにおいて、いえ、全てにおいて、只の『観測者』に過ぎません。勿論勝つ為のサポートは致しますが、私が前線に立つことは無いでしょう。そうしなければ、私の脳内に在るロジックが崩れてしまうのです。」

 

桜は舌先を出し、照れ笑いをする。

 

「とりあえず、災害に対するアプローチ、手札は持っているという認識でいいのかな?」

「えぇ、そうですね。ただ正直に、どこまでが有効打かは分かりかねます。今日はピンチでもあり、チャンスでもあります。災害のキャスターが単身、この博物館に訪れるのです。以前、吉岡さんのときは巧一朗も消耗していましたが、今回は万全の状態、かつこの博物館をステージとして迎え撃つことが出来ます。」

「ちなみに勝てる確率は?」

「限りなくゼロ寄りです♪」

 

キャスターは呆れ顔だ。今からでも逃げる選択をすべきなのではないかと考える。

だがここは、桜を名乗る胡散臭い館長に全てを委ねてみることにした。モリアーティ、犯罪界のナポレオンの直感が、チップをレイズしろと告げていたのだった。

 

 

時刻は深夜を回ろうとしている。

博物館のエントランスにて、充幸と巧一朗、キャスターが待機していた。

そしてもう二人。

 

「おい、何でお前までここにいるんだ、鶯谷。それとアーチャー。」

「仲間外れは無しだぜ、巧一朗。お前が戦うなら俺も一緒だ。」

 

巧一朗は頭を抱える。今回はいつもの聖遺物強奪任務とは訳が違う、アルバイト代も出ない、ただただ死ぬかもしれない危険なだけのミッションだ。それを再三伝えた筈であるのにも関わらず、鉄心は共に戦う覚悟を決めていた。

 

「鶯谷さん、これはその、遊びでは無いのです。相手は災害のサーヴァント、もしかしたらこちらも全滅しかねない。アルバイトを称するなら、命まで責任を負う必要はございません。」

 

珍しく充幸も本気で怒っている。しかし鉄心は聞く耳を持たなかった。

 

「だったら猶更だ。俺がぐーすか寝ている間に、巧一朗や充幸さんが死んじまったら、俺は行かなかったことを死ぬほど後悔するだろう。いつもそうだけど、別に遊びでやっているつもりはねぇよ。…俺だって博物館の一員なんだ。」

「マスターである鉄心がそう願うのであれば、僕も共に全力で戦います。」

 

鉄心の後ろでサムズアップしたのはアリ。三兄弟で最も戦闘向きな彼が、今回は表に出てきている。

 

「どうします?鬼頭教官。」

「私も、巧一朗さんも、自分のことで手一杯になり、貴方達を守れないかもしれない……」

「大丈夫、俺たちの命ぐらい、自分らで守るさ。アーチャーと俺はあくまで後方支援だよ。矢を飛ばし続けるぜ。」

 

鉄心の手の甲に宿るマキリ製の令呪は、なんと四画。以前こっそりマキリの出張販売所のスタッフを騙して、掠め取ってきた。これで魔力増強を行い、アーチャーをバックアップするつもりだ。

決意を固める鉄心に対し、巧一朗の表情は浮かない。彼の招霊転化が次のステージへ至る前に、災害と戦わなければならない為だ。吉岡の生み出したコラプスエゴとの戦闘から、彼自身成長したとはいえない。彼の母の言う、隣人への直接的なアクセスが叶わなければ、災害のキャスターを超えることは出来ないだろう。

 

「(そもそも隣人の魔力を以てして、災害を倒すまでに至れるのか?)」

 

考えれば考える程に、マイナスな方へと流れていく。

彼はこれ以上の妄想は不必要だと、自らに喝を入れた。

作戦の要は巧一朗では無い。充幸が用意した四機のオートマタ、その同時召喚である。

その全てが強力な英霊で構成されている。巧一朗が出来るのは、四機もの英霊を使役することとなった充幸のサポートのみ。

充幸への直接的な攻撃さえ防ぎきれば、勝機は生まれてくるだろう。

 

「今回用意されたオートマタはアインツベルン製じゃないんですね。」

 

巧一朗の問いかけに、緊張した面持ちの充幸は気付く素振りが無い。

 

「鬼頭教官?」

「あ、え、はい?何でしょう、巧一朗さん。」

「大丈夫ですか?当然ではありますが、顔色が悪く見えたもので。」

「……こういった修羅場は何度も乗り越えてきた筈ですが、今回は別格ですね。もし話し合いで解決できるなら、それに越したことは無いのですが……」

 

充幸の手は少し震えていた。

それも仕方の無いことだ、と巧一朗は思う。この期に及んでも姿を現さない博物館館長への苛立ちのみが募る。

敢えて姿を現さない理由は何なのだろう。考えても彼の中で答えが得られることは無かった。

 

そして時計の針が十二の数を指した時。

正面ゲートから堂々と、一人の男がやってきた。

いつもの近未来的な服装とは全く異なる。全身を黒のアーマー装甲で包んだ、戦闘のみに特化したフォルムで現れる。

だがその纏うオーラで全員が判断できる。彼こそは『災害のキャスター』。博物館の敵だ。

アーマーの男は、巧一朗たちが待ち構えていたことに驚きを覚えた。この時間に来訪するとは告げていない筈、ならば未来を予測した者がいるのだろう。

それも全員から殺意の波動を感じ取る。彼らはどうやら、逃げずに戦う道を選択したようだ。

 

「僕が内部監査に来ることを、知っていたのか。……あれから少しは成長したか?間桐巧一朗。」

「あれから?」

 

口から疑問が漏れ出た鉄心を尻目に、巧一朗は災害のキャスターの目前に躍り出る。

前回から変わった点、もしそれがあるとすれば、災害の圧に耐えられていることだろう。汗の一滴も流れ落ちない。

 

「別に僕はお前達を殺しに来た訳じゃない。天空城塞で再び取り行われるであろう災害たちの会議に、お前達を放り込もうと思っているだけだ。やましいことが無ければ、そこでハッキリと主張すればいい。」

 

災害のキャスターは意外にも冷静かつ合理的な判断を下していた。しかし博物館サイドにとって、それは殺される日が少しばかり遅くなるだけだ。むしろ他の災害がいる以上、反撃は絶対に不可能だろう。

ならば、今この場で災害のキャスターだけでも倒してしまう方が賢明だ。

 

「いや、俺たちは災害と敵対する。お前達が忌み嫌う『違法触媒』によって。」

「隠す気は無いのだな。」

「隠したって意味無いだろう?ここが俺たちの正念場だよ。」

 

そして充幸はデバイスからオートマタを同時に起動する。

次々と触媒データがインストールされ、四機の人形に生命の息吹が宿り出す。その時間は僅か一秒にも満たない。事前に調整しておいたお陰だ。ここからは四人のサーヴァントのマスターである充幸の戦いである。

 

〈データローディングは正常でした。『イスカンダル』『土方歳三』『チャールズ・バベッジ』『天草四郎時貞』現界します。〉

 

現れる四騎のサーヴァント。

ライダー、バーサーカー、キャスター、セイバー、それぞれが別々のクラスで召喚され、災害のキャスターの前に立ち塞がる。

どれも歴史に名を残した強力な英霊ばかりであり、このような状況にも関わらず、巧一朗は興奮を隠し切れなかった。

 

「ほう、違法触媒を用いた同時召喚か。アインツベルンの制御装置も見当たらない、つまりは廃棄予定の別社人形だな。」

 

災害は冷静に分析する。

巧一朗とキャスターは充幸の傍に寄り、鉄心とアーチャーは四騎の後ろから、その狙いを定めた。

そして充幸は早速、自らの腕に隠し持っていたマキリ社製令呪を三画使用し、イスカンダルへ宝具の発動を命じた。

 

「いざ!遥か万里の彼方まで!」

 

イスカンダル、アレクサンドロス大王の最強宝具『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』は彼の切り札であり、彼の志を示す固有結界宝具。心象風景が具現化され、博物館は忽ち大砂漠と化した。そしてイスカンダルの臣下たちがサーヴァントとして連続召喚され、巧一朗たちの前を往く。数万のサーヴァントがいま、博物館の味方として現れ出たのだ。鉄心もそのドラマティックな光景に思わず感嘆の声を漏らした。

これこそが博物館の狙い。固有結界を認めない災害へのカウンターである。イスカンダルに狙いの的が絞られたとしても、残り三騎の英霊がこれを防ぎ、進行を阻む。彼らもまた(土方歳三を除き)固有結界宝具へアクセスできる力を有しており、第二、第三のカードとして切り込むことが出来るのだ。

イスカンダルと、その近衛兵団が先陣を切り、災害のキャスターへと駆けて行く。その様子を、巧一朗らは固唾を飲んで見守った。

黒い装甲の災害は一切それに動じることなく、ただ一人、砂漠の真ん中で立ち尽くしている。その圧倒的なまでの自信が、博物館サイドに緊張をもたらした。

 

「オラララララララララ」

 

漢の叫びと共に大砂漠を走り抜けるイスカンダル。その隣には同じく呼び出された新選組副長の土方歳三。災害のキャスターが立つ地点まで、あと数十メートル。

災害は仮面の下で、不敵にも笑っていた。

 

「巧一朗、聞こえるか。固有結界が災害へのカウンターとでも思ったのだろう?」

 

災害のキャスターは左手を前に突き出す。

 

「確かに、このオアシスを包む繭は、僕の固有結界を元に編み出されたものだ。当初は他のサーヴァントの宝具による上書きのような結果を恐れてはいたさ。ただし、それは千年前の話だ。」

「災害のサーヴァントはお前達にとって絶対的な存在だ。だからお前達も攻略法を考えに考え続けたのだろう。だが、その間、僕たちの成長が止まるとでも思っていたのか?僕たちが停滞すると認識していたのか?それは甘すぎる考えだ。災害は全員、千年の時を超えて、神にも等しい力を得ている。」

「千年の重みを受けるがいい、第四区博物館(テロリスト)。お前達の旅はここが終着点だ。」

 

災害のキャスターは鎧に取り付けられた片翼で宙に浮かんだ。

そして左手を掲げると、青い空は瞬く間に曇り、闇に包まれる。

 

「何が起こる!?」

 

巧一朗の目前、マケドニアの近衛騎士団たちの足元から、耳が割れる程の轟音が響き渡る。固有結界は地震が起きたように縦や横に揺れ、誰もが災害の前に跪いた。

大いなる砂漠の世界に、突如、余りにも巨大すぎる壁がせり上がる。様々な方向の壁、壁、壁。災害が見晴らしのいい世界を、暗い石の壁で包囲した。

 

「これは何だ!?」

 

アーチャーは急ぎ、巧一朗と充幸を後方へ連れ出した。彼が跳躍した瞬間、空から、その実態が明らかになる。

巧一朗も、充幸も、共に跳んだキャスターも、この瞬間、災害のキャスターの真名を理解した。

壁に巻き込まれた軍勢は皆、光の粒子となって消滅する。残された四騎は、壁の世界に閉じ込められ、外への脱出が不可能となっていた。

巧一朗の目に映るその景色、砂漠の中に現れた死のアトラクション。

然るに、それは

 

「迷宮(ラビリンス)」

 

そして充幸もまた、跳躍の瞬間、目撃する。

閉じ込められた四騎のうち、キャスターのチャールズ・バベッジが、その建造物内部で何者かと接触した。

彼の目の前に現れたのは画角に収まらぬ巨大な生物、人の身体ではあるが、何かが決定的に異なっている。そのスケールはパニック映画に出てくる巨大鮫かクロコダイル。牛の仮面で顔を隠した、文字通り『化物』。

 

「ミノタウロス!?」

 

化物はその手に持つ斧を振り下ろし、チャールズ・バベッジを一撃のもとに葬り去った。

元のオートマタはもはや原型を留めていない。

残されたのはイスカンダル、土方歳三、天草四郎時貞。だがそれも時間の問題であろう。

災害は別格である。

彼の前では、全てのサーヴァントが蟻。ただ踏み潰されるだけの存在。

キャスターは「なるほど」と一人呟いた。彼女の中で何か合点がいったようだ。

 

「宝具起動。『万古不易の迷宮牢(ディミョルギア・ラビュリントス)』。生前の僕の最高傑作だ。もうお前達は逃げられない。」

 

そして逃げ続ける巧一朗たちも、一人、また一人と、抜け出せない大迷宮の中に囚われていく。

これは災害のキャスターの心象の具現化、否、彼の発明の具現化だろう。

壁に飲まれたキャスターは、巧一朗の手を掴む。次々と背の高さを遥かに凌駕する壁の建立を見届けながら、キャスターは空に浮かぶ災害を睨みつけた。

 

「空を飛ぶ翼、怪物ミノタウロスを閉じ込める大迷宮、それを用意できるのは、君しかいない。ギリシアの工匠、それでいて天才発明家、芸術家って言えばいいかな?」

「キャスター、奴の名は……」

 

「あぁそうさ。災害のキャスター、君の名は『ダイダロス』!神をも超える名工だ!」

 

探偵よろしく指差しで真名を看破するキャスター。だがもはやそのことに何の意味も生まれない。

彼は自信満々にこの大迷宮を出してきた。つまり自ら名を明かしたのと変わらない。

既に博物館は彼の手のひらの上、待ち受けるのは『死』のみだ。

 

そして二人の元に断末魔が轟いた。

また一騎、召喚したサーヴァントがミノタウロスに殺されたのだ。

脱出不可の要塞で、絶望と恐怖の時間が、始まろうとしていた。

 

 

【神韻縹緲編④ 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神韻縹緲編5『victory』

お待たせしました!
vs災害のキャスターです!
感想、誤字等あればご連絡ください!


【神韻縹緲編⑤】

 

征服王の絶技、その心象世界に、突如現れた異様なる大迷宮。

その場に存在する全てのものを飲み込んで、はや三十分が経とうとしていた。

鉄心とアーチャーは幾多にも分岐する道を左に進みながら、巧一朗や充幸のことを探していた。

だが歩けども合流することは叶わず。何度道を選択しようとも、同じ場所へ帰ってくる。

幸い迷宮の召喚者たる災害のキャスターことダイダロスや、迷宮の番人ミノタウロスに出くわすことは無い。

だがこうしている間にも、仲間たちは災害や怪物の手にかかっているかもしれない。

焦りが、鉄心を苛立たせる。

 

「くそ!ずっと左に進んでいるのに、何故戻って来る?!」

「この迷宮は生物のように流動しているのかもしれません。我々の視覚情報には捉えられぬ速度で。」

「アリアドネの糸があっても、こんなのは攻略できねぇよ。」

 

アリの所持する矢の先端で壁をがりがり削りながら歩いてきたが、それも目印としては全く機能していないように見える。

彼の言うように迷宮そのものが生きているのだと仮定すれば、壁は傷つけられても回復する作用を持っていると言えよう。

 

「これ歩いている意味はあるのか?ここで皆と合流できるのを待った方が……」

「それは辞めた方が良いでしょう。」

「!?」

 

鉄心の溜息交じりのぼやきに、返答する者が一人、彼らの後方より現れる。

二人が一斉に振り向くと、そこには牧師風の伊達男が、巨大な大砲片手に佇んでいた。

 

彼こそは、充幸が召喚した英霊の一人『天草四郎時貞』である。

 

「あまくさ…さんっ!?」

「奇跡にも等しい邂逅ですね。私はどうやら幸運だったようです。」

 

天草は鉄心の隣、アリの元まで近寄ると、手にしていた灰色の大砲を彼に授ける。

 

「天草殿、これは?」

「セイバークラスの私には使用できない武器です。これはチャールズ・バベッジ氏の遺品です。」

「遺品?」

「バベッジ氏は迷宮に飲まれて早々に、ミノタウロスと交戦し敗北、彼のオートマタは粉微塵に吹き飛ばされました。が、彼はこのオアシスという国の召喚式を理解し、それを逆手に取るスピードが誰よりも早かった。彼自身の腕を蒸気製の大砲機関に改造、そしてそれを先に切り離し、私に託しました。アーチャーの貴方であれば、これを正しく使用することが可能でしょう。」

「そうか、オートマタを媒介とする召喚だから、独自改造すれば、消滅と同時に消えないように出来る訳か。でもそれってすげぇ高度なことなんじゃないか?」

 

鉄心は感心する。チャールズ・バベッジ、流石は稀代の天才である。

 

「ですが、込められた弾丸は一発のみ。使いどころを間違えぬように。」

 

アリは所有する弓より遥かに重量感のあるそれを背負い、バンドで括り、繋ぎとめた。この重さは単なる鉄の重みでは無いだろう。死した英霊の遺留品、託された想いこそが、彼の肩にのしかかっている。

 

「それにしても、天草さんに会えてラッキーだ。この調子で他の皆と合流して、出口を突き止めようぜ。」

「そう上手くはいかないでしょう。我々四騎の英霊は、召喚されてから、どうにも奇妙なことが起こっているように感じます。」

「奇妙?」

「まず、これは私の場合ですが、このオアシスという国について、英霊の座から知識をほぼ与えられていないのです。国としてここに成立している以上は、その歴史が存在する筈なのですが……」

 

天草は神妙な顔つきで物語る。二人は黙って彼の違和感の正体を探るのに付き合っていた。

 

「そして私、私は天草四郎時貞、で、ある筈なのですが、これがどうにも腑に落ちない。私は天草なのだろうか?その疑問が常に付きまとってくる感覚です。そもそも、天草四郎とは何者であるかさえも……」

「天草四郎と言えば、旧日本国の英雄だ。『島原の乱』で貧しい農民たちを救おうと、抗い続けた男の中の男だぞ。」

 

不真面目を売りにしているような鉄心でも、彼の名と彼の生き様は学んでいた。古典書物を好む雪匣の影響でもある。

スタンスは異なるが、彼のレジスタンスの人生は、どこか博物館に似ているようにも思われた。

 

「私はセイバーのクラスで顕現しています。だから剣を振るうことは出来る。だが、今はそれが精一杯なのです。スキルも、宝具も、今の私には使用できない。お役に立てないかもしれませんね。」

「いやいや、そんなことはねぇよ、な、アーチャー。」

「そうです。貴方に会えた時、どれ程僕たちにとって頼もしかったか。」

 

鉄心は天草の不調の原因を考えてみた。

正解に辿り着ける筈も無いが、もしかすると災害の持つスキルなのかもしれない。宝具を封じてしまえば、固有結界の発現も阻止することが出来るからだ。

 

「確か、鉄心と、アリ、でしたね。この空間では止まっていても良いことは無い。前に進みましょう。ミノタウロスにさえ見つからなければ、どうにでもなりますから。」

「あぁ、そうだな。」

「承知いたしました。」

 

鉄心、アリ、天草の三人は再び。左方向の道へ歩みを進めていった。

天草の感じる違和感が、悪いものでないことを信じて。

 

 

鉄心が天草と合流できたように、巧一朗とキャスターも、一人の男にばったりと遭遇していた。

着物姿の益荒男は、全身から血を噴き出しつつも、ふらふらと前進し続けている。彼の口から吐かれる息は、白く雲のように立ち昇っていた。

巧一朗は彼を一目見た時、安堵の表情を浮かべた。それは充幸の召喚したサーヴァントであった為。

 

「土方さん!」

 

バーサーカークラスで顕現した土方歳三。日本国幕末に活躍した新選組副長である。

 

「あぁ?」

 

後ろから呼び止められた土方は不機嫌そうな顔で巧一朗とキャスターを捉えた。

 

「土方歳三、君はどうしてそんなにボロボロなんだい?」

「あぁ、牛の仮面のデカ物に殴り飛ばされた。俺はどうやら、奴に殺されたらしい。」

「殺されたって……」

 

巧一朗が目を丸くするのに対し、土方は不敵な笑みを浮かべる。

 

「俺は殺されたって死なねぇよ。」

「そうか、仕切り直しスキル、いや、ここまでくると戦闘続行スキルと言うべきかな。恐るべき執念だ。」

「ただ進み、ただ斬る。道がどれだけ入り組んでようと関係ねぇよ。俺に迷いはねぇ。」

 

土方は踵を返し、再び前へ歩き始める。

 

「土方歳三、我武者羅に進み続けてどうなる?」

「ちげぇよ、逆だ。立ち止まって、どうなる?この壁は生きてやがる。そこに佇んでいたって何も得られないし、何も成しえねぇ。」

 

天草と同様に土方にもオアシスの情報は与えられていない。

彼自身が充幸の声に応えて呼び出されたのかも、定かでは無い。

己の存在定義すらも曖昧だ。だが彼が失っていないものがただ一つある。

それは『誠』の一文字だ。

その意味すらも忘れている彼が、胸に刻みつけ、支柱としている言の葉。

それがある限り、土方歳三は剣を振るい、進み続ける。

 

「キャスター、行くぞ。」

 

巧一朗は立ち止まる彼女の手を握り締めた。土方の背を追いかけることに決めた彼は、その手を強く引いた。

 

「巧一朗。この迷宮にいる限り、ダイダロスの掌の上だ。固まって歩けば、一網打尽にされる恐れもある。」

「俺はまだ次のステージに立ててない。まだ、一分間しか俺たちは戦えないんだ。俺たちは弱い。土方さんに付いて行こう。」

「君がそう言うなら、そうしよう。」

 

二人は土方を追いかける。こうしている間にも、彼はただ一人、迷いなく突き進んでいた。

 

「……さっきの断末魔、声質的に土方さんだったのね。タフな人だな。」

 

巧一朗にとって英霊の存在は憧れの対象である。招霊転化と異なり、目の前にいるのは、本物の新選組副長だ。危機的状況でも、胸の躍るような気持ちに歯止めは効かなかった。

だがキャスターは逆に、土方の存在が何か不幸を呼び込むのでは無いかと感じていた。殆ど虫の知らせのようなものだが、探偵の直感と言うのは得てして馬鹿にならないものである。

そして彼女の予感は余りにも早く的中する。土方の進む道、トラップが仕掛けられていたようだ。壁の側面から狼に似た獣たちが十数匹、群れを成して出現する。土方は動じることなく、その刀で狼たちを切り捨てていく。

 

「雑魚の群れだ。そこの胸のでけぇ女も戦え。」

「私はっ…戦闘にはっ…向いていない、のだけれど!」

 

巧一朗は格闘術で何とか応戦。だがキャスターは狼から逃げ回り続けている。

招霊転化を使用するタイミングを見計らうが、そう何度も使える代物では無い為、巧一朗は躊躇った。

 

「(俺の能力は欠陥だらけだな、本当に。)」

 

逃げ惑うキャスターはついに壁際に追い詰められた。しかし十分な時間稼ぎが出来ていたのだろう。土方が周りの狼たちを薙ぎ倒し、事なきを得た。

 

「おい、大丈夫か。」

「あぁ、有難う。」

 

巧一朗は狼三匹あまりを倒したのち、二人のいる場所へ向かった。掠り傷のみで済んだのは幸いだった。

 

「お前ら、本当にあの鎧の男と、牛のデカ物、二人とやり合う気か?」

「頼りないって言いたいのか、土方さん。」

「あぁ、頼りないな。だが女のマスター、お前の眼は良い。ただ一つの目標を捉えている眼だ。名前は?」

「俺は、巧一朗。」

「巧一朗。弱さを嘆いている時間はねぇ。お前はただ戦え。決して迷うな。お前だけが出来る仕事をこなせ。良いな?」

「……っはい。」

 

土方は巧一朗の焦りも、胸の内の淀みにすら気付いていた。それは狂戦士とは思えぬほど繊細な心配りである。

 

「話している所悪いけど、まだまだ壁から出てくるみたいだ。」

 

キャスターの指さす方角、狼が再び数匹現れ出る。この場から逃げることが得策のようだ。

だが、巧一朗は敢えて逃げない選択をする。

これが純粋な罠かどうかは不明だが、わざわざこの場所に仕掛けるのは、何か理由があるのだと推察した。

そして当然、土方も撤退はしない。既に狼の群れに飛び込んで暴れている。

 

「巧一朗。」

「分かっている、でも、まだ招霊転化は使えない。キャスターは隠れていてくれ。俺だって魔術師の端くれだからな、俺が戦う。」

 

そう言い残し、巧一朗は駆けた。

壁から無限に湧き出る狼に、巧一朗も食らいついていく。葉脈のように光り輝く魔術回路は、拳を振るうたびに、宙に線を描いた。

噛まれても、引っかかれても、殴られても、蹴られても、

彼は純然と立ち向かう。半ば自棄になったかのように。

だがそんな様子に、土方は口角を上げた。

 

「土方さん、俺はまだ弱いんだ。災害のことが嫌いで、憎くて、でも逃げてばかりでいた!」

「そうか。」

「俺はまだ強くなれると、母さんが言ったんだ。でもそのやり方は分からない。どうすれば俺は次のステージに立てるのかも!」

「あぁ。」

「だから、分からないなりに、俺も進んでみようと思う。これって『迷い』なのか!?」

「ちげぇ。一個大事にしている想いがあるなら、それは迷いじゃねぇよ。」

 

増殖する狼を、土方はただ切り落とし、ただ進む。

彼の肉体から淡い光が漏れ出し、それが彼の掌に宿り、何かを形成する。

遠くからその姿を眺めていたキャスターには、それが大きな旗印であることが即座に理解できた。

 

「俺の手に在るコイツを、俺はどう使うのかも知らねぇ。だが、それでもだ!巧一朗!」

 

巧一朗のもとに三匹の狼が一斉に襲い掛かる。だがその鋭利な爪も牙も、彼に届くことは無かった。

巧一朗の背を守るように現れたのは、一人の剣士。

誠の旗の元に呼び出されたスカイブルーの羽織の少女は、三匹の狼を忽ち切り落とした。

 

「俺が新選組だ、そうだろ!沖田ァ!」

「えぇ、新選組はここに、在りますとも!」

 

土方歳三含め、新選組の者達が共有する絶技『誠の旗』。

それは『誠』の精神を持ち、共に時代を駆け抜けた同士を、範囲内に呼び出す宝具。

 

土方の叫びに答えたのは、新選組一番隊隊長、最強の剣士『沖田総司』。

 

巧一朗の脳内データベースとは乖離した、可憐な和装の美少女として召喚された。

 

「(沖田総司って、女の子だったんだ……)」

 

彼女が呼び出された反動で尻餅をついた巧一朗を尻目に、土方と沖田はバッタバッタと敵を斬り殺していく。

流石は沖田総司。無限に湧き続けるかと思われた狼を、あっと言う間に退かせた。

巧一朗は歓喜に打ち震えている。戦闘の当事者である筈にも関わらず、この瞬間ばかりは、巧一朗も只のオーディエンスだ。

 

「ふー、終わりましたね、お怪我はありませんか?」

 

沖田の伸ばした手を取り、立ち上がる巧一朗。彼女はオートマタでは無く、純粋な魔力の塊、聖杯戦争におけるサーヴァントと同じだ。

彼はサハラでセイバーの手を取ったときと同じ感覚を思い出した。

 

「…にしても、まさか俺の旗印でお前が呼ばれるとはなぁ、沖田。」

 

血塗られた土方は、もはや自分の血か獣の血か判別できない程に赤く染まっていた。

 

「……?」

「あ、何だよ、沖田。」

「誰です?貴方。」

「は?土方だよ。土方歳三。」

 

血みどろの所為で分からなかったのか、土方は布で顔を拭い、改めて沖田と見つめ合う。

だが沖田の頭の上の疑問符は永遠に外れない。

 

「おい沖田、俺のことを忘れたのか?」

「え、だって、土方さんは私と同じ『女性』ですよ?こんな獣臭い男じゃありませんってば。」

「はぁ?俺が女だぁ?」

「はい。髪の長い、屈強な女性です。確かに土方さんを男性にしたなら、貴方みたいになりそうですけれど……。昔から一緒にお風呂に入って流し合いっこしていたじゃないですか?というか、本当に貴方は誰です?新選組にいましたっけ?」

 

土方歳三の宝具により呼び出されたかつての仲間は、彼のことを知らなかった。

ポカンとする巧一朗の隣に、キャスターは並び立つ。彼女はぶつぶつと独り言を唱えていた。

 

「キャスター、どういう状況なんだ?これ。」

「ふふ、成程。もしかすると、思ったよりも最悪な方向性かもしれないな、これは。」

「どういうことだよ?」

「私が以前召喚したジャック・ザ・リッパ―の件も、老紳士と幼女で姿が全く異なっていただろう?あれは雲隠れを続けた切り裂きジャックならではの事象だと認識していたが、どうやらそうでも無いらしい。土方歳三は間違いなく男性だ。ジャックと違い、日本国的には近代の英霊であった筈、その証拠も多く残されている。だがこの瞬間、女性である可能性も示唆された、それも彼に最も近しい人物によって……歴史が、どこかで異質な変貌を遂げているのかもしれない。」

「歴史が、書き換わっている?」

「……」

 

キャスターは考える。

英霊召喚は、英霊の座に登録された英雄英傑の側面を切り取り、現代に呼び出す高度な術式だ。

だがオアシスではそれが日常的に行われている。魔術の知識のない一般人が、人形と偽の令呪で、いとも容易く。

オアシスだからこそ有り得た『コラプスエゴ』の霊基。

総括すると、英霊の価値が、このオアシスでは余りにも安く、脆い。

災害は自らを英霊の区分から外し、『神』の領域に近付けようとしている?自らの価値を上げるのではなく、周りの価値を貶めることで。

だが性別すらも曖昧になるのは、余りにも……

 

「まさか」

 

キャスターはある可能性に行き着く。

それは神を冒涜する所業。災害を名乗る彼らの余りにも大きな罪。

 

だが突如、キャスターの思考はキャンセルされる。

土方も沖田も巧一朗も、皆がたった数十秒油断した結果、近付いて来る存在に対しての反応が遅れてしまう。

そして迷宮の闇からの来訪者の手が伸び、瞬間、鈍い音が響き渡った。

 

「え」

 

巧一朗は大量の血を身体に浴びる。

彼の目の前、先程まで明るく話していた快男児、その胸は巨大な指で貫かれていた。

そして沖田もまた、その血を派手に浴びた。誠を背負った誓いの羽織が、赤黒く染まっていく。

それは、巨大な化物の指だった。土方歳三の心臓を穿ち、おもちゃのように抜き捨てた。

 

「ひじかた…さ…」

 

どしゃりと落ちてくる男の亡骸。

血に塗れても立ち上がり続けた男は、音もなく忍び寄った悪意に、簡単に踏みにじられる。

そして刹那、動いたのは沖田総司。彼女は巧一朗とキャスターの手を引き、虎と同じ速度で逃亡する。

 

「おきた…さんっ!?土方さんが!土方さんが!」

 

巧一朗は上手く思考も纏まらぬまま、彼の名を叫び続ける。

沖田は何も答えない。彼女に出来ることは、土方を名乗る男が守ろうとしていた二人の若者を生き延びさせること。

彼が死ねば、その宝具で呼び出された沖田総司も消滅する。彼女がまだこうして存在するということは、虫の息ながら、彼が生存していることを表している。

なら、やるべきことは、駆けること。

次、巧一朗たちが前へ進むために、今は後ろへ引き下がる。

迷宮を、右へ、左へ。怪物から遠ざかる為に、ただ走り抜けた。

そして消滅を待つだけの土方は、再び牛の怪物と出会う。

その巨人は沖田を追いかけようと動き出した。土方同様、皆殺しにするつもりだ。

だから土方は、怪物の足に剣を突き立てた。それは蚊に刺される程度も痛みではあれど、数秒間の隙を生むのに成功する。

胸がぽかりと空いた身体で、怪物の足に縋りついた。

 

「離せ、邪魔だ。」

 

怪物ミノタウロスは、鬱陶しそうに振り払おうとする。

だが土方は離れない。どこから力が湧いて来るのやら、今の彼自身にもその原理は理解できないだろう。

 

「それでいい、沖田、立ち止まるな、やれば、出来るじゃねぇか」

 

土方の肉体は足から徐々に消滅する。

 

「キャスター、とか言ったな、あの女、良い胸だ、悪くない」

 

ついにミノタウロスに引き剥がされた土方のオートマタは、手足がバラバラになり迷宮に転がっていく。

そこにはもはや、彼が土方歳三だったものは何も残されていない。壊れた機械人形のパーツのみが、地面に散らばっていた。

 

 

同時刻、充幸もまた、召喚したサーヴァント『イスカンダル』と再会していた。

だがそれは決して余裕のある状況では無かった。

そう、充幸が襲われている瞬間に、イスカンダルが間に合ったのである。

そして充幸を殺そうとしていた者こそ、漆黒のアーマーに身を包んだ、この迷宮の主。災害のキャスターこと『ダイダロス』本人だった。

彼は迷宮の中に直々に現れ、四騎の英霊をデバイスで管理する充幸に狙いを定めていたのだ。

 

「奇妙な装備だな、災害とやら。」

「僕の弱点は僕自身の肉体の脆さだ。これは僕の発明でね、無駄を省くことで片翼でも飛べるようにカスタマイズし、胸部リアクターからは常時潤沢な魔力の供給が得られる。無論、他にも優秀な機能は多数存在しているよ。」

「そんな自信満々の貴様が、女一人を追い詰め、殺そうとするとは。余が思うより遥かに、貴様は小物と言う訳か?」

「言っていろ。僕はお前達のようなチープな人形に興味は無い。この女は人間のふりをしたサーヴァントだ。それも、お前のように自分の心象を形に出来る。」

「ほう。お主、只のマスターでは無いのか!」

 

イスカンダルは感心して充幸を興味深そうに見つめた。充幸はその反応に困っている。

 

「征服王イスカンダル。貴方と再会できたのは幸運でした。お願いです、私の大切な仲間の為にも、目の前の災害のキャスター『ダイダロス』を倒してください。私も、出来る限りのサポートはします。」

「ほう、お主、余の宝具の為に令呪を全て失ったのでは無かったか?」

「あ、えっと、それはそうなのですが、デバイスで博物館の魔力タンクにアクセスできれば、まだバックアップが可能と思われますので。」

「ふむ、可憐な乙女に乞われたならば、叶えるのが漢というものさな。さて、では余の臣下の全てを地の底に葬った目の前の敵に、本気でぶつかっていくとするかな!」

 

イスカンダルは己が剣を空へ掲げると、宙を切り裂き、亜空間へ接続する。

そこから大迷宮へ現れ出たのは、彼をライダーたらしめるチャリオット。二匹の神牛が太い雄叫びを上げる。

轟音と共に稲妻が走り、大迷宮の至る箇所へ雷が落ちた。充幸はそのスケールの大きさに、思わず巧一朗たちが心配になるが、今は他の人間のことを案じている余裕は無い。

彼女は桜の指示通り、イスカンダルの英霊としての記録を紐づけ、魔力による補助を開始する。固有結界内とはいえ、充幸の存在がある限り博物館のシステムは順当に稼働した。

イスカンダルは電撃の走る戦車へ乗り込み、手綱を握る。『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』と呼ばれるそれは、ライダーの決戦武器だ。ダイダロスは動く気配もなく、ライダーの切り札を興味深く観察していた。

 

「(ダイダロスは翼で空に逃げるつもり?)」

 

充幸は彼の背にカスタマイズされた片翼、通称『イカロスの翼』とも呼ぶべきそれに注視する。だがもし空に逃げたとしても、ライダーの戦車が放つ雷はゼウス神に由来する強大な威力を秘めている。それはイスカンダルも分かっているだろう。

 

「では、行くぞ、災害。余が引導を渡してやろう。」

「来るがいい。」

 

イスカンダルは宝具を発動する。それは自らの戦車による圧倒的蹂躙、対軍宝具。

戦車を走らせ、ダイダロスへ向け突進する。稲妻が壁一面を焦がしながら、たった一人の男へ向けて、豪快にも走っていく。

 

『遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)』

 

二匹の神牛は暴力的なまでに、地を、壁を、破壊しながら突き進む。

そして数秒も経たないうちに、ダイダロスの場所に辿り着いた。

充幸の予想は外れ、ダイダロスは空に飛び立つことをしなかった。

それどころか、ライダーの渾身の突撃に真正面からぶつかっていく。

これは、心象世界一つを巻き込んだ『相撲』だ。

ダイダロスは武器を持つまでも無く、その拳一つで二体の神牛、そして戦車の暴力に応戦した。

 

「嘘でしょ?」

 

充幸は顔面蒼白である。

博物館の魔力リソースを回した、かの英傑、征服王イスカンダルの全力。

それをダイダロスは拳一つで粉砕した。

走る電撃を諸共せず、ダイダロスは神牛を殴り飛ばす。

その衝撃で戦車は弾け飛び、空中で分解、霧散した。

イスカンダルのみが充幸の元へ落ちてくる。彼女は咄嗟に手を伸ばすが、その手は届かなかった。

砂埃と稲妻が走る密閉空間で、絶望だけが押し寄せてくる。

幸いイスカンダルは軽傷で済んだ。彼の戦車が、結果的に彼の身を守ってくれたからだ。

だが、彼の絶技の全ては使い果たされた。もはや魔力の一滴も残されていない。

 

「悪いな、嬢ちゃん。今のが余の全力かと笑うなら笑ってくれ。……余が征服王イスカンダルであると、自ら認められたならば、彼奴にも届いたかもしれんなぁ。」

「どういうこと、ですか?」

「余は今なお、この命の灯が消える寸前まで、迷い続けている。余が余であると認められる何かが、今の余には存在せん。」

「迷うって、もしかしてこの大迷宮の能力?!」

「否、もっと根本的な何か……オアシスというのは桃源郷、ならばそれ以外の場所はきっと…………只の砂漠に他ならんのだ。」

 

そして

イスカンダルは消滅した。

現界出来る筈の魔力はまだギリギリ残されていた筈だ。だが、問答無用で、彼という存在が消されたのだ。

まるでこのオアシスに、イスカンダルは不要とばかりに。

 

「どう……して……」

 

充幸は残された空のオートマタを抱き締める。熱の無い、空虚な人形だ。そこにヒトの熱は宿っていない。

 

「征服王イスカンダル。それが博物館の切り札だったか?」

 

ダイダロスは問いかける。充幸は答えず、ただ彼を睨んでいた。

 

「ヒトの存在定義とは曖昧だ。死んでしまえば何も残らない。当人の存在を認めることが出来るのは、他者には不可能、本人にしか難しい。」

「イスカンダルを退去させたのは、貴方の力?」

「そうとも言えるし、違うとも言える。そもそも、イスカンダルという英霊はこの世に存在しただろうか?」

「何を言っているの、今、貴方が殺し……」

 

―あれ?

 

—私は、誰の話をしているの?

 

充幸は再び抱きかかえたオートマタを見やる。だが、そこに何の魂が宿っていたのか、分からなくなってしまっていた。

 

「あれ、えっと、え?」

「歴史とは嘘と真実のマリアージュだ。信じるものが正しいとは限らない。嘘も、真実にしてしまえば、正しいことと語られよう。お前が召喚した英霊は、ここで皆忘れ去られる。お前も、巧一朗も、オアシスの住人も、彼らを思い出すことは無いだろう。」

「え…どうして、私は……」

 

充幸はデバイスを何度も確認する。

召喚した筈の英霊四騎、そのデータが全てロストし、召喚記録すら残されていない。

オアシスから、彼らは完全に退去してしまったのだ。それはヒトの記憶からも。

 

「終わりだな、博物館。」

 

ダイダロスはゆっくりとした足取りで充幸の方へ向かって行く。

彼女は成すすべなく、その場で絶望したまま座り込んでいた。

 

 

そしてその余波は巧一朗たちにも。

彼らは怪物から逃げる道中、沖田総司と別れ、それでもなお走り抜けていった。

だがこの場所はミノタウロスのある種の家である。勝手が分かりきっている怪物から逃げることなど叶いようも無い。

土方や沖田の努力も虚しく、巧一朗は襲い来る巨大な手に全身を掴まれた。

 

「巧一朗!」

「くそっ!」

 

牛の仮面を身に着けた、上半身が裸の大男。その身長は三メートルをゆうに超えている。その手は人一人を握り潰せるほどだ。

巧一朗は今こそと、招霊転化の詠唱準備に入るが、全身を圧迫されているせいで、上手く言葉を発することが出来ない。

 

「捕まえたぞ、人間が。」

 

ミノタウロスは仮面の下で不気味に笑っていた。だが、それと同時に、少しばかりの違和感も覚えていた。

それは巧一朗も同様である。彼はミノタウロスの手を、彼の声を知っていた。

余りにも過去の記憶であるが、鮮明に覚えている。

 

「巧一朗!」

 

キャスターの叫びも今は耳に入ってこない。

巧一朗はミノタウロスの拳の中で、必死にその記憶を掘り出していた。

 

「お前のことを、俺は知っているぞ。」

 

ミノタウロスは今にも丸呑みしてやろうとしていたが、不意にその手を止めた。

遠い昔話、だが、忘れてはいけない筈の物語。

 

「何を言っている、人間。お前が今更どうしようと、災害に逆らうのは不可能……だ……」

 

『不可能』。その言葉が、彼らの脳に光を走らせた。

 

彼らが出会った時の言葉。それを巧一朗は一言ずつ思い出していく。

 

「まだ、俺は、絶対、俺は…」

 

「死ぬぞ。」

 

「死なない、俺は、俺は…」

 

「お前一人では『憩い場』に到達できない。俺が連れて行ってやる。それが俺に出来る最期の贖罪だ。」

 

それはセイバーが命を落とした時。

焔の中、前も分からず進み続けた巧一朗を、助けてくれた存在。

諦めなかったからこそ、今巧一朗がオアシスで生きている理由。

 

「貴方は、英雄アステリオスか……?」

 

巧一朗をオアシスまで導いた存在こそ、この怪物ミノタウロスであったのだ。

 

「何を…違う、俺はミノタウロス、醜悪な怪物ミノタウロス!」

「貴方は、俺を、助けてくれた。死ぬしか無かった俺に、生きるチャンスをくれた!」

「違う、違う違う違う違う違う違う!」

 

巧一朗を離したミノタウロスは、頭を抱え暴走する。

充幸に止めを刺そうとするダイダロスも、ミノタウロスの原因不明の暴動を感知した。

ミノタウロスの住処である大迷宮はしなる鞭の様に脈動し、絡まる無数の道も、一本へ集約し始める。残された博物館メンバーはチャンスとばかりにその場を走り抜け、遂に大迷宮の出口へと辿り着いた。

そこはイスカンダルが死してなおも残り続けた心象風景。ダイダロスの迷宮に汚染され、彼のフィールドにされてしまった。だが充幸はこれが誰の固有結界なのかももはや思い出せない。

彼らが合流した瞬間、迷宮は崩落した。次々と壁が地の底へ落ちてゆき、地震と共に土砂崩れを起こす。

出口の崩落に巻き込まれた巧一朗、鉄心はその衝撃で気を失った。彼らのサーヴァントに助けられた際、外傷が少なかったのは不幸中の幸いであった。

 

そして出口の無い砂漠世界で、ダイダロスがなおも襲い掛かる。彼はミノタウロスの暴走を感知し、彼を含めた大迷宮をわざと消滅させた。所詮は彼の戦術の一つに他ならない。博物館を殺す手立てなど幾らでも存在した。

ダイダロスは空へ飛び立つと、胸のリアクター部位から光弾を何十発も連写する。その一つ一つが地面にクレーターを生むほどの威力だ。いま戦えるのは充幸とアリ、キャスターのみ。もはや敗北は確定したようなものである。

 

「アーチャー、その背中にある大砲は?!」

「あぁ充幸、これはあの大迷宮で誰かから託された必殺技です。一発しか弾が無いことだけは覚えています。」

「誰かって、誰ですか?!」

「分かりません!でも、使ってみる価値はありそうです!」

 

アリの所持するスキル、ヌーロニハルと結ばれるために手に入れた、どんな場所でも見渡せる望遠鏡を取り出した。これをチャールズ・バベッジの蒸気機関砲へ装着し、空に浮かぶダイダロスに目標を定める。

 

「弱点は、あのリアクターか?」

「あれは魔力の供給を常時行えるタンクだと彼自身が発言していました。あれを壊すだけでは、突破は難しいでしょう。」

「ならばそのリアクターの隣、胸部装甲を狙うのはどうだ?ダイダロスも馬鹿じゃない。あんな中央にでかでかと自分の弱点は出さないだろうさ。心理的にも、弱点なる場所は厚い装甲で隠したいものだ。」

 

キャスターの助言通り、アーチャーはリアクターの装着された隣の部位に狙いを定める。だがダイダロスの光弾による砲撃が、その機会を奪い去った。狙いを定めようにも、襲い来る白色のビームが邪魔をして、攻撃に転ずることが出来ない。逃げることに精一杯である。

キャスターは巧一朗を、充幸が鉄心を背負っている所為で、彼らの動きも鈍くなっている。彼らが消し炭になるのも時間の問題だ。

 

「くそ、どうする」

 

焦るアーチャー、そんな彼を見て、充幸はある決心を下す。

それは内なるエサルハドンの魂、その解放である。

この場所を塗り替えることの出来る彼女の宝具があれば、アリの為に隙を作ることも出来るかもしれない。

無論、それは彼女の中に植え付けられた毒を活性化させることに他ならない。

 

「(ウラルンって女は、あと二回が限界って言っていた。ならこの一回で、私がまだ死ぬことは無い!)」

 

充幸は覚悟を決め、その手を天高く翳した。

 

しかし、詠唱を始める瞬間、彼女の脳内にテレパシーで声が伝わる。

それは充幸も聞きなじみのある声、博物館館長、間桐桜のものだった。

 

「館長!?」

「駄目よ充幸さん。大丈夫。やっと間に合いました。」

「間に合ったって、どういうことですか、館長!?」

 

「こちらも『切り札』を使います。充幸さんとアーチャーは巧一朗と鉄心さんを連れて、私が今から言う位置まで走ってきてください。私の力で、この固有結界から脱出させます。」

 

「え、でも、じゃあキャスターは……!?」

「それこそが切り札です。さぁ、博物館最高戦力を解き放ちます!」

 

充幸は桜の指示通りのことを二人にも伝達する。キャスターを除き、四人はその場を離脱、目標地点へ走り抜けていく。

そしてキャスターだけが空に浮かぶダイダロスと対峙する。彼は博物館の突然の行動に理解が追い付いていなかった。

桜は、今度は、キャスターの脳内へ信号を送る。キャスターは無線でもないのに、耳を抑えて聞いている素振りを見せた。

 

「おいおい元マスター。この手を使う必要はあるのかい?」

「緊急事態ですので。貴方の、いや、貴女の力を借りますよ。『セイバー』」

 

桜は博物館の地下から令呪を起動させた。それにより、モリアーティと白銀の探偵が封印していた第三の存在が、一時的に、このオアシスに顕現する。

 

『令呪を以て、破綻者(コラプスエゴ)の霊基を一分間のみ分割する。さぁ暴れて下さい、サハラのセイバー、オアシスに送り込まれた彼女の端末よ。』

 

一面の砂世界に、光が走った。

ダイダロスの目前、先程から一人佇んでいた筈のキャスターに、光の柱が降り注ぐ。

それは彼にとって異常事態だ。コラプスエゴの霊基は、セイバーの存在を隠すためのものであったのだ。

オアシスの災害たちが最も恐れた存在が、この瞬間、黄金の柱から顕現する。

 

「馬鹿な……これまでの全てが、茶番だったか?」

 

巧一朗のサーヴァント、セイバーが降臨した。その姿は神々しいまでに洗練されており、彼女が絶対的な強者であることを示している。

彼女は刀身の無い、黄金の柄を握り締めていた。

 

「せっかく加齢臭のする空間から抜け出れたのに、巧一朗ってば寝ちゃっているなんてね。でも起こしてあげるのも可哀想だし。今回は我慢して桜に付き合ってあげるわ。」

 

空に浮かぶダイダロスを睨むセイバー。サハラの戦争以来の邂逅である。

 

「久しぶりね、ダイダロス。流石に今の私より強くなっちゃってるか。これは凄く面倒ね。」

「あぁ、懐かしいな、セイバー。やはり生きていたか。」

「私には巧一朗がいるもの。彼が望むなら、貴方達の理想も、全部殺してあげる。でも貴方のミノタウロスが巧一朗のことを救ってくれたのはちゃんと感謝しているわ。優しい使い魔ね。」

「あれは僕の意思とは関係なく動くときがある。手のかかるモンスターさ。」

 

セイバーは話しながらも、ダイダロスのアーマーを隅々まで見通していた。その材質は特殊金属オリハルコンと予想される。それも百年近く鍛錬されたものだ。まだ端末である彼女の宝具で壊せるかは、かなり不透明だ。

どうせこの霊基であれば一度しか宝具は放てない。ならばこの一分でやれることをやるのみだ。

 

互いに牽制し合うセイバーとダイダロス。その間に、桜の黒い触手によって世界に穴が開き、充幸たちは救出されていた。

充幸と鉄心、巧一朗が砂漠から抜け出、あとはアーチャーのみとなった。

 

「早く、アーチャーも、急いでください!」

「……」

「アリ!」

「すみません。僕は残ります。充幸殿、マスターを頼みました。」

 

アリは踵を返し、セイバーのいる方向へ向かう。

 

「ちょ…何で?!待ってください、アリ!」

「直感です。只の直感。多分、僕の力と、この大砲が必要になる気がします。大丈夫、僕らは気ままな物語の精霊たち、泥臭く生き延びて、また鉄心の元へ帰ってきます。」

 

桜の開けた穴は閉じ、アリは砂漠に残された。

彼は急ぎ走り出す。セイバーが戦えるのはたったの一分間だけなのだ。

 

セイバーはダイダロスとの再会を喜ぶ筈も無く、ただ彼を殺し尽くす為に、その黄金の柄を天に掲げる。

そして絶技の為の詠唱を開始する。

 

『十三拘束解放(シール・サーティーン)、円卓議決開始(ディシジョン・スタート)』

 

『是は、生きる為の戦いである〈承認〉』

 

『是は、己より強大な者との戦いである〈承認〉』

 

『是は、一対一の戦いである〈承認〉』

 

『是は、私欲なき戦いである〈承認〉』

 

『是は、破滅へ導く戦いである〈承認〉』

 

セイバーの手にする黄金の柄に、黄金の剣が現れ、伸びた。

そして彼女の傍に辿り着いたアリは、ダイダロスに大砲の照準を定める。

 

「貴方は何のつもり?ここにいたら死ぬわよ?」

「分かっています。でも必要だと思ったから、僕は来ました。」

「うん、流石ね。私の宝具ではまだ足りない。この黄金が彼を飲み込むその瞬間、その大砲を打ち込みなさい。私があの装甲だけなら消し去ってあげるから、そのコンマ六秒の隙に、やってみせなさい。」

「はい。やります!」

 

ダイダロスは迎撃の準備に入る。

セイバーの宝具は、黄金の刀身は、ダイダロスと、世界そのものを切り裂いた。

 

 

『凍結された勝利の剣(ネクスカリバー)』

 

 

ダイダロスは大迷宮の堅牢な壁を一時展開し、防衛する。

だがそれはものの一秒足らずで消し去られた。

 

「くっ、これは……」

 

ダイダロスの自慢のアーマーすら、セイバーの絶技には耐えられない。

オアシスに流れ着いた端末でこの威力ならば、もし本当の彼女がオアシスに誕生すれば、手の付けられようが無いだろう。

 

「コラプスエゴ、セイバー、違う、そんな枠に収まる女じゃない、これはヴェル…………ぐうぅう」

 

そしてアリは蒸気機関砲、渾身の一撃をダイダロスに打ち込んだ。見事それはダイダロスの霊核に届く。だがダイダロスが咄嗟に強化外装を施し、それは掠り傷程度のもので済まされた。

 

だが、オアシスにおいて初めて、災害に傷を負わせたのである。

 

そしてセイバーの宝具により砂漠世界は光に飲まれ、消滅する。

ダイダロスは翼の飛行能力で壁の外側へ退避した。

そして

アーチャー『アリ』は最後の力を振り絞り、キャスターの身体を抱え、滅びゆく世界の外側へ脱出する。

彼は何とか、キャスターと、自らの兄フセイン、弟アーメッドの命を守ることに成功した。

だが、彼自身は。

アリという存在そのものが、セイバーの宝具の余波で焼き尽くされた。

 

—これで良かったのだ。

 

—後は頼みましたよ、兄弟。

 

光と共に消失する世界の出口の前。

アリは只一人、孤独に果てた。

 

                                                   【神韻縹緲編⑤ 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神韻縹緲編6『devil』

遅い時間に失礼いたします。
いつかきちんと設定資料出すので暫しお待ちを。
感想、誤字等あればご連絡ください!


【神韻縹緲編⑥】

 

揺れる業火。

 

耳を刺す警笛(サイレン)。

 

多数のどよめき、僅かの嘲笑。

 

その全てが現実だと嫌が応にも諭される。

 

「君、ここより先は危険だ!離れなさい!」

「離してください!中にまだ人がいるんです!僕の大切な人が!」

 

高飛車で、傲慢で、嫉妬深くて、でも

責任感が強くて、頑張り屋で、凄く甘えん坊な彼女が。

 

「駄目だ、消防隊ですら安易に近づけない状態なのだ。」

「離せ!エラル様がいるんだ!マキリ・エラルドヴォールが!」

 

僕は静止を振り切り、走る。

何の力も持たない僕でも、譲れないところはある。

 

僕の指を繊細だと言ってくれた彼女が

 

僕のピアノを隣で聴いてくれた彼女が

 

僕を愛してくれた彼女が

 

この地獄に一人でいるなんて、有り得ないのだ。

 

「待て!死ぬぞ!」

 

構わないさ。

ユリウス・ロイプケの居場所なんて元より存在しないのだから。

エラル様がいない世界に、僕が生きる価値なんて無いんだよ。

 

僕は燃え盛るビルのエントランスに飛び込んだ。

瓦礫の山を掻き分け、彼女を探し続ける。

 

燃える、燃える、燃える。

身体の芯から焼かれ続ける。

爪が剥がれる。

手の皮がめくれ上がる。

腕は黒く焦げる。

だが、こんなものは痛みの内にも入らない。

瓦礫を掬うこの手は、赤く塗れる程に洗練され

抉れたこの指は、復讐の鍵盤を叩く。

愛する彼女が奪われた絶望、そして怒り。

 

『復讐の神よ、光を放ちなさい(愛する貴女にこそ安寧を)』

 

僕の眼から溢れ出たものは、涙では無く、真っ赤な血だ。

あぁロイプケは狂っている、それでいい、それがいい!

彼女の為に狂えるならば、それは実に幸福だ!

 

『地を裁く者こそ立ち上がれ、高ぶるものへ報復を(恋するが故に音を奏で、愛謳う故に我が在る)』

 

もしもここにオルガンがあれば

僕は更なる地獄へと往けただろうに。

 

「どうした、死ぬつもりか?」

 

焔の中で、声がした。血みどろの僕を、鼻で笑った。

それは女だ。高貴な女だ。顔が見えなくとも、その歩みで理解できる。

 

「狂戦士のままならば良い、だが、復讐者に成るならば、話は異なる。ユリウス・ロイプケは何を乞う?」

「オルガン、ピアノでも良い。我が指を躍らせるものをここへ。今ならば、良い曲が生み出せる。」

「それは、辞めておけ。『騎士の怒りはその場の怒り、芸術家の怒りは時代の怒り』だ。若き才を腐らせるな。」

「では我が怒りはどこへ向かう?木の根のように地の底へ伸び広がるだけだ。」

 

嗚呼、我はユリウス・ロイプケ!

怒りという感情に、命を燃やし尽くした男。

富は要らぬ、声も要らぬ、愛も要らぬ、我が水分は『怒り』のみ。

注げ、驕れるものの血液を!

注げ、虐げられしものの涙を!

 

「熱く、燃え滾っているぞ。女よ、お前は若き才を腐らせるなと、そう言ったな?そうだ、その通りだ、我がユリウス・ロイプケの可能性を奪い取ったのだ!詩篇九十四篇という極地に至り、そして死んだ!嗚呼死んだ!死んでしまった!」

「そうだ、ロイプケは結核で二十四歳という若さで亡くなった。もし生きていれば、神の領域に踏み込む達人(ヴィルトゥオーゾ)になっていたかもしれない。」

「そうか、結核か。惜しいな、実に惜しい!ロイプケが人間であったから、死ななければならなかった!嗚呼違う、我の所為だ!我がその才能の根を摘み取ってしまったのか!ははは!」

 

嗚呼我の名はユリウス・ロイプケ!

今こそ、全ての愛しき者達を救おう!

神よ、許したまえ!赦したまえ!

遁走(フーガ)による終末(フィナーレ)を!ロイプケの物語を終わらせよう!

 

「狂戦士、復讐者、そのカテゴリーに当てはまる英霊であるかと思っていたが、ふふ、そうか、貴様は『破綻者(コラプスエゴ)』であったか。この事実をマキリ・エラルドヴォールは知る由もあるまい。ユリウス・ロイプケの真実は既に闇の中だ。」

「嗚呼知るまいよ、我もまたユリウス・ロイプケなのだから!我らは一人だ、そして独りだ!……女、我が名を決して呼ぶな、呼んではならない、我を解き放つな、ユリウス・ロイプケは愛されなければならないのだ!」

 

既にかの美青年は消え去った。

残された我は黒き一角獣。

魔法は解かれたのだ、剣先は十二の針を差したまま。

我は殺す、美しいものの為に、全てを殺す。

謳えや謳え!彼女には遠く及ばずとも、お前であれば踊れそうだ!

 

「女、我と踊れ。そして狂い咲け。」

「……断る。勘違いをするなよロイプケ。貴様の過大評価された力など、我には遠く及ばない。」

 

女は手を掲げる、そして世界は塗り潰される。

 

『我が願望は絶えず駆動する(イクイネン・ルオミネン)』

 

現れ出たるは古の万能鋳造機。ロイプケたる我を殺すための、只一振りの宝剣。

我は走る!荒野を走る!この憎悪が消えぬ限り、神罰は下るのだと。

だが世界は、そう生易しいものではないようだ。

 

「無限鋳造機サンポ、貴様を殺す剣は出来た。そしてその剣は貴様を貫く。貴様の言う『遁走(フーガ)による終末(フィナーレ)』とはこのことか?」

「嗚呼ポポヨラの女王ロウヒよ!あの暗き列車の中で、ユリウス・ロイプケを見抜いていたな!?」

「飛んで火にいる夏の虫だ。…いや、我からすれば、棚から牡丹餅?か。」

 

逃げれども、どこまでも追いかけてくる切っ先。

この世界に出口がない以上、殺される以外の選択は我に残されていないだろう。

 

「エラルに似て、強き女だ!嗚呼美しい女は良いなあ!創作意欲も捗ると言うも…の………」

 

肉が剥がれ落ちる、これが痛みだ!痛みとは生そのものだ!

我は今確かに生きている!ユリウス・ロイプケは確かに生存しているぞ!

オルガンは何処だ!この高揚感こそを描きたいのだ!ははははははは!

 

「嗚呼ロウヒよ!さらば!さらばだ!怒りと共に我は逝く!嗚呼どうか美しき君に神のご加護が在らんことを!ははははは!」

 

「さらばだ。『アムドゥスキアス』。ロイプケに乞われ、契約し、そして逆に彼に魅入られた者。」

 

「名を呼ぶなと言ったろうに!はは、ははははははは!」

 

 

災害のキャスターの襲撃事件から三日後。

閉鎖された第四区博物館にて、裏のスタッフたちが地下施設へと誘われた。

ここへ立ち入るのは、充幸を除き、皆初めてのことである。

鉄心と美頼は、電子的な近未来空間に高ぶる感情を抑えられなかった。

本来ならば博物館自体が倒壊していてもおかしくは無かった。全ての事件が征服王イスカンダルの固有結界内にて起こったが故に、施設は奇跡的にも保存されたのである。

長い渡り廊下を、充幸が先頭になり、一行は歩き続ける。既に怪我は完治済みの巧一朗は、どこか不機嫌そうな表情を浮かべていた。

 

「どうしたんだ、巧一朗。魚の骨が喉に刺さったような顔をして。」

「キャスター、これから博物館館長に会う訳だが、何故災害のキャスターとの戦いでは姿を見せなかったのか、不信感が募っていて、な。」

 

彼と鉄心が気を失っている間に、英霊の追加召喚で事なきを得たようだが、その情報もどこか怪しい。巧一朗からして、充幸やキャスターは何かを隠しているように思えた。

 

「鶯谷、アーチャーは、というかアリは大丈夫なのか?」

「あぁ、アーメッド曰く、アリは戦闘のダメージを負ってか、暫くは休養中らしい。回復まではアーメッドとフセインが表に出てくるよ。」

「そうか、まぁ今日もフセインは診療所の手伝いだからな、肉体的には大丈夫そうか。」

 

当然、巧一朗も鉄心も、それどころか充幸でさえ、アリが消滅したことは知り得ない。アーメッドとフセインが結託し、その事実を隠蔽している。博物館の面々に心配をかけないようにと。

 

「そういえば美頼、ロウヒはいないのか?」

「あー、バーサーカーなら用事があるって出掛けて行ったよ?」

「おいおい大丈夫かよ。俺たちは指名手配犯みたいなものだろう?」

「大丈夫ですよ、巧一朗さん。あれから三日、第四区は驚く程に日常通りですから。博物館で起こったことは、市民の皆さん誰一人として知らないようです。ダイダロスは誰にもそのことを言っていないのでしょう。」

「災害が人間を殺し損ねたなんて、言えるわけもないですね。」

「それとは逆に、第二区のマキリコーポレーションの火災については大きく報道されています。恐らく我々同様に彼女も災害による『洗礼』を受けたのでしょう。彼女は……」

 

充幸は口を噤んだ。言わなくても分かる。マキリ・エラルドヴォールの焼死体が発見されたのだ。仲良しという訳でも無いが、充幸とエラルは交流があった。巧一朗たちには理解できない感情が、充幸の中で渦巻いている筈だ。

 

「従者のロイプケも無事では無いだろうな。……ゴシップ雑誌の記事によれば、違法な魔眼が数十点に渡って徴収されたようですね。あと、オリジナルのマキリ社製オートマタ開発資料も。」

「やはり令呪企業はその本体も極秘裏に製造していましたか。実用段階に至る前に、処分された……」

「もしこのオートマタの開発という点が今回の内部監査の理由ならば、えらくアインツベルンにとって都合がいいですね、鬼頭教官。」

「それは私も思います。何故今なのか、そこはもう少し掘り下げてみてもいいかもしれませんね。」

 

二人が会話を続けている内に、一行は巨大な扉の前に辿り着く。充幸は声帯入力を経て、ゲートを開いた。

その内部にはコールドスリープ用の水槽カプセルや、水晶のはめ込まれた巨大円形装置などが、所狭しと配置されている。映画で見た光景に鉄心と美頼ははしゃぎ回っていた。

そして部屋の奥から、ピンクリボンの髪飾りを装着した、白衣の女性が現れる。この場にいる誰もが、彼女を第四区博物館館長だと認めた。

巧一朗は意外にも、彼女の登場に反応を示さなかった。

 

「どうも皆さん、初めまして。こうして無事にお会いできたこと、本当に嬉しく思っています。私はこの第四区博物館で館長を勤めております『間桐 桜』と申します。」

 

桜は丁寧にお辞儀する。美頼と鉄心はその名を聞いたと同時に、巧一朗へ目線を寄越した。

 

「間桐って、コーイチローも。」

「そうです。巧一朗は私の息子です。」

「え!?母親!?巧一朗の?若いな!ですね!」

 

驚く鉄心の敬語が若干怪しくなる。桜はニコニコと巧一朗の方を見つめていた。

 

「辞めろ、お前は俺の母親じゃないだろう。」

「…………」

「え、どういうこと?コーイチロー……」

「アンタがここのトップ張っているんじゃないかって、薄々は勘付いていたよ。桜は、というか母さんはもう死んでいる。この外道は俺の母さんを演じている只の愉快犯だ。……災害を殺すためなら手段を問わないその姿勢、アンタって感じがするよ。」

「……えっと、何かフクザツなんだね。」

 

美頼と鉄心はそれ以上触れるのを止めた。巧一朗の眉間に皺が寄っていることに気付こうとも、桜はその微笑みを崩さない。

 

「えっと、私たちは館長さんを信頼して、いいのかな?」

「まぁ中身は腐っているが、コイツは正義の味方だ。あくまで仕事の範疇なら、信頼していい。」

「コーイチローが言うなら。」

 

笑顔のままの桜に気持ち悪さを覚えながらも、彼らは座り心地の快適なソファーへと腰かける。キャスターを含めた四人に対し、充幸は高価なティーカップに注がれたインスタントコーヒーを配膳した。

美頼と鉄心にはコーヒークリームが一つずつ、巧一朗の前にはボトルに入ったメイプルが用意された。

 

「相変わらず好きなのね、巧一朗ったら。」

「うるせぇよ館長」

 

そして彼らは各々それを飲みながら、桜の次の言葉を待つ。いま博物館に起きていること、そして、これからのこと。

 

「まずは皆さん、先日はお疲れ様でした。災害の突然の強襲にこうして対応できたことは、大いなる一歩とみて間違いないでしょう。ですが災害のキャスター『ダイダロス』は今回の戦闘でほぼ無傷、対して此方は隠し持っていた札全てを晒し、やっと防ぎきれた、という結果です。」

「アンタは前線に出てこなかったがな。」

「そこは申し訳なく感じています。間桐桜の存在が彼らに警戒心を抱かせる可能性がありましたから。」

「というか館長さん!私とバーサーカーは今回戦ってないよ!私そんなことが起きているなんて知らずに家でぐーすかぴーしていたんだから!私は兎も角、バーサーカーは凄く強いと思う!」

「それは巧一朗の優しさと思っていてください♪あと、ロウヒさんは別に動いていましたので、今回は決戦の場に呼びませんでした。」

「(ロウヒを別の場所で動かしていた?)」

 

巧一朗は顎に手を置き、桜の真意を読み取ろうとする。が、まだ情報が足らず、答えには至らない。

その隣で、キャスターはインスタントコーヒーを不味そうに飲んでいた。

 

「今回こちらが使用したカード、違法触媒ですね、それは色々とありますが、その全てがダイダロスの前に敗れ去りました。例えばマケドニアの征服王イスカンダル、彼ほどの強力な英霊も、災害の前には屈してしまった。」

「イスカンダル……か。何故だろうか、俺たちを助けてくれたはずの彼や、土方歳三、チャールズ・バベッジ、天草四郎時貞、みんなの顔にモザイクがかかっているように感じるんだよな。天草さんなんて俺とアーチャーを庇ってくれたんだぜ?なのにその存在が、おぼつかない、と言うんだろうか……」

「鶯谷、それは俺も同じだ。男なのか女なのかも曖昧になっている。」

 

だが、巧一朗を守ってくれた土方歳三の生き様だけは、心に響いて残っている。新選組としての、彼の姿勢を尊敬した。

ダイダロスの迷宮がそうさせたのだろうか?恐らくその答えに、キャスターは辿り着いている。

 

「館長は気付いているのか、その答えに。」

「ええ、それを今から解説しようかと。我々の武器が奪われてしまったのですから、ね。でも、解説するのは私ではありません。ここで皆さんに紹介したい方がいます!」

 

桜はこの部屋のさらに奥の扉へ向かって歩いて行く。恐らくこの場所に来ている人物という事は、新たな博物館スタッフだ。今まで巧一朗たちにすらだんまりを決め込み、機密保持を入念に行ってきた桜が招き入れたのだ。新たな戦力と見て間違いないだろう。

 

「え、誰だろう?転校生みたいでワクワクするね!」

「しないよ俺は。これ以上変な奴が増えたら、それこそブレーメンだ。」

 

楽観的な美頼に、溜息を零す巧一朗。

扉が開かれたのち、二人の異なる表情は、同じものになる。

否、二人だけでは無い。桜を除く、この場にいる者全てが、来訪者の正体に目を丸くした。

 

登場したのは二人。

車椅子に乗り、両眼を包帯で隠した女。

そしてそれを押す、白髪のか弱そうな男。

その顔を見た途端、真っ先に声をあげたのは、充幸だった。

 

「エラル!?それに、ロイプケさん!?」

 

そう、彼ら博物館スタッフの前に満を持して登場したのは、彼らと同時刻に災害のアーチャーの襲撃に見舞われた、マキリコーポレーションCEO、マキリ・エラルドヴォールと、そのサーヴァント『ロイプケ』であったのだ。

 

「エラル!エラル!」

 

充幸は彼女の元へ走っていく。嫌いなタイプだと溜息を零していた筈の過去の充幸はそこにはいない。オアシスという地で孤独にも生きてきた少女を『友』と慕ってくれた、高慢かつ我儘なお嬢様、彼女が生きていたことに、ただ涙する。

 

「その声は充幸、かしら。とりあえず落ち着きなさい?」

「落ち着けるわけがありません!久々にお友達に会えたんですから!良かった……生きていて、良かった!」

「オーバーね。ほら、貴方を見ることが出来ない分、貴方を抱き締めさせて。」

 

エラルと充幸は優しく抱き合った。確かにエラルは生きている。充幸の頬を伝う熱はあとが残る程に何度も線を描いた。

エラルと違いロイプケは外傷もなく、ピンピンしている。

 

「ロイプケ、生きていたのか。」

「巧一朗君、そうですね。黒い服の魔女『ロウヒ』さんが我々を救出して下さいました。」

「ロウヒが!?」

「彼女の力でエラル様そっくりの遺体を作り上げ、本物のエラル様の救出に成功しました。彼女に第四区博物館へ亡命するように命じられ、今の僕らの立場上、この場所が最も安全だと悟り、口車に乗せられてきたという訳です。」

「(成程、館長の指示でロウヒは独自に動いていた訳か。)」

 

桜がポンと手を叩くと、皆が静まり返る。充幸や巧一朗は元いた席へ戻った。

 

「紹介します。彼女はマキリ・エラルドヴォール、そしてその従者、ロイプケ。これからはこの二人も、博物館のスタッフとして共に戦う仲間となります!」

「よろしくね。皆さんのことを見れないのは残念だけれど、バーサーカー……じゃなかった、『ユリウス』が私の目となって動いてくれるわ。」

「これでもマキリ社では執事をやっておりましたので、皆様の身の回りもサポートさせて頂きます。」

 

桜の扇動により、彼らは二人に拍手を送る。そんな中、腕を組み、訝し気な顔を浮かべていたのは、鉄心だった。

 

「あら、鉄心さんは何かご不満が?」

「いや、こんな易々と迎え入れて良いものなのか?この前襲撃に遭ったばかりのエラルドヴォールを匿えば、リスクも倍増するだろうし、何より信用できるのか?でしょうか?」

 

鉄心は龍寿のことを思い出していた。遠坂組はマキリコーポレーションに警戒心を露わにしていた。実際鉄心が独自調査した際も、最終的にはアインツベルンにその怪しさの矛先は向いたが、マキリに対する不信感が拭えたわけでは無かったのだ。

 

「そうね、正しいわ。マキリは色々と裏の事情にも手を出してきた組織。でも安心して、今の私には何にも無い!魔眼は全部取られちゃったし、オートマタの開発資料も燃やされたし、どうやら災害の発令によって、マキリ製令呪の切除も、市民の間で徐々に行われているらしいわ!何もかもを失ったのよ。貴方達を裏切って、なんてこと、出来る余力も残されてないわ。」

「そして館長的な補足も追加しましょう。鉄心さんはリスクとおっしゃいましたが、確かにその通りです。正直言えば、我々陣営に抱き込むには、少々お荷物過ぎる存在です。勿論、今の彼女の説明だけならば、ね。マキリ・エラルドヴォールには、そのリスクを補って余りある、一つの強力な武器が残されています。それこそが博物館の切り札になる。」

「え、何だ、じゃない、何ですか、それは?」

 

ポカンとした顔の鉄心より先に、巧一朗が答えを出した。

 

「垓令呪、だな。」

 

「その通りよ、巧一朗。マキリコーポレーション内とは隔絶された場所にある、純粋な魔力源。エラルは人類でただ一人、その令呪の使用権を持っている。今の博物館にとっては、喉から手が出るほどに欲しいものでしょう。」

「それは……そうですね、確かにそうだ。俺も、垓令呪は必要だと思います。」

 

鉄心も納得せざるを得なかった。巧一朗の思考では、ロイプケにも何か隠されているのではないかと察知していたが、恐らく館長のことだ、何かしらの安全装置(セーフティー)は施してあるだろう、と一先ず置いておくことにした。

 

「それで、エラルが説明してくれるのか?俺たちの身に起きている、英霊の記憶が消失していくバグの原因を。」

「ええ、亡命したのだし、情報は惜しげなく暴露させて頂くわ。私が知っている限りにおいて、ね。」

 

 

一方その頃、鉄心のアーチャーことフセインは、第四区の見晴らしのいい展望台へ向かっていた。

診療所の手伝いがあると嘘をついて出てきたが、それは今の彼ないし彼らの不調を、鉄心に悟らせない為である。

そう、今も彼は、気が抜けると光の泡を空へ放出し始める。それはこのオアシスにおいて『退去』の合図に他ならない。

彼らは三兄弟で一人のサーヴァントだった。その内の次男、アリの死亡は、残り二人の兄妹にも影響の大きいことだった。

彼らのバランスが著しく崩れ去っている。その命はもって一週間あるかないか。無論、これ以上戦闘に望めば、その寿命は数時間にもなる。

だがその事実を、アーチャーは誰にも告げようとはしない。彼らの足を引っ張ることはせず、ただ明るく、最後まで、マスターである鉄心を支えられればと考えている。このような身体では、クリニックの激務にも耐えられる自信が無かったのだ。

フセインは鉄心、そして自らが好意を寄せていた、診療所のナイチンゲールを思い出す。この苦しみから救われるために、いっそ彼女に告白して、恋愛が成就してしまえば、と邪にも思ってしまっていた。それ程までに心身ともに弱り果てていたのだ。

展望台まで歩いてきた彼は、街を見下ろすように、その景色を堪能した。思えば、彼ら三兄弟がヌーロニハルを奪い合った時、弓矢比べを行ったのも、このような空と地の両方を見渡せる高い場所だった。アリもアーメッドも凄腕で、フセインは彼らの才能に嫉妬したこともあった。

 

だが結局嫌いになることはなかった。自分だけが愛する女を迎え入れることが出来なくとも。

 

「あれ、フセイン、ですか?」

 

後方から声が聞こえた。それはフセインにとって、最も会いたくて、最も会いたくない相手だ。

彼がこのオアシスという地で出会い、恋をした女性。

 

「ナイチンゲール」

「やっぱりフセインですね!最近クリニックに来ないから、少し心配していました……あぁ、勿論、フセインにはフセインの事情があるのは分かっています。元気なら、それで良いのです。」

「ああ、はい、すみません。僕はこの通りスーパー健康体ですから!」

 

フセインはその場でくるくると回ってみせた。ナイチンゲールは彼に会えたからか、嬉しそうに笑っている。

 

「本当は行きたいのですが、最近少しばかり忙しくて、すみませんね。康太くんは、どうですか?」

「あ……はい、そうですね、康太くんの病状は、今のところ良好です。あの子も、フセインの話をまた聞きたがっています。」

「そっか、なら男フセイン、それに答えなきゃいけませんね!僕は康太くんのヒーローなもので!」

 

二人してひとしきり笑い合う。だが、暫くして、ナイチンゲールの表情は曇ってしまった。

それはあの時、康太のヘヴンズゲートへの出向が決まった時と同じ表情だと、フセインは気付いた。

 

「この場所、ベンチがあって、結構風も心地良いんです。良かったら、座りませんか、ナイチンゲール。」

 

フセインは彼女を誘い、共にベンチに腰掛ける。酷くベンチが冷たく感じるのは、きっと風の冷たさだけでは無いのだろう。

これからナイチンゲールが口にするだろうこともきっと、この社会の冷たさに他ならないのだ。

 

「フセイン、貴方に嫌われるならばと、隠していたことがあります。でも、言わなければならない。」

「それは康太くんのことですか?」

「先ずは、私という英霊のことです。貴方だけに聞いて欲しい。私の過去、私の過ち。」

 

「私は、ヒトを殺したことがあります。」

 

ナイチンゲールは語り始めた。

それは彼女が、この開発都市オアシスで召喚されたときのことだ。

第五区で真っ当な人生を歩み、地域社会の人々へ還元したい一心で、看護師を目指した少女『櫻庭 咲菜』の物語。

その生まれから、その末路まで、ナイチンゲールは話し続けた。

災害のアサシンは、人間の肉体を媒介に、英霊召喚を行い、統合英霊という存在を作り出す。

適正者として選ばれた咲菜は、憧れの存在、ナイチンゲールを思い浮かべた。

もしナイチンゲールがオアシスに来てくれれば、もっと沢山の命が救われるかもしれない、と。

彼女はその余りにも純粋な想いに応え、召喚に応じた。

だがナイチンゲールがこのオアシスで形を持つ上で、咲菜の肉体は余りにもか弱過ぎた。

そしてその儀式は止まることなく遂行され、結果

ナイチンゲールが誕生し、櫻庭 咲菜は死亡した。

彼女の肉体の全ては、今のナイチンゲールの身体を形成するのに使用された。

もはやこのオアシスにおいて、彼女の存在は欠片も無い。

だが咲菜の記憶だけは、その純然たる祈りだけは、ナイチンゲールの心に残された。

そしてそれから、絶望により虚ろな人形となったナイチンゲールは、災害のアサシンの思うままに動いた。希望の無い彼女は、アサシンの言葉による洗脳を受け続ける。こうして第五区は宗教都市として成り立っているのだと、今ならば理解できるだろう。

 

ナイチンゲールは目に涙を滲ませながら、自らを傷つける言葉を吐き続ける。その余りにも痛々しい姿に、フセインは思わず手を伸ばしていた。

 

「え」

 

ナイチンゲールの背中に手を回した彼は、彼女をしっかりと抱き締める。

そうせずにはいられなかった。でも、そうすることしか、出来なかった。

 

「逃げ出して、きたのですか?」

「はい」

「ならもう大丈夫。僕が貴方の罪を赦します、僕が貴方を守ります。僕が必ず傍にいます。」

 

残り僅かばかりの命、そんなことは重々承知していた。

でも今それを言わなければ、フセインは死んでも死にきれないだろう。

ナイチンゲールは泣いた。

フセインの衣服を、涙と鼻水で汚しながら。

これまで溜め込んできた全てを解き放つように。

この高台いっぱいの声で、泣き続けた。

 

そして彼女が落ち着きを取り戻した時、フセインは康太のことを訊ねた。

絶望的な第二の生を送る彼女が、何故あの時暗い顔をしていたのか、その理由を。

 

「災害のアサシンは言いました。統合英霊など、ヘヴンズゲートの非人道的な行為に比べれば、マシだと。アサシンはヘヴンズゲートを嫌っていたのです。」

「ヘヴンズゲートというか、天還?は選ばれたオアシス市民が理想郷へ迎え入れられるというものですよね。」

「それはあくまで建前です。選ばれた人間の末路は、悲惨なものですよ。」

 

ナイチンゲール、そして、エラルはほぼ同時刻に、その事実を告げた。

 

 

「ヘヴンズゲートで選ばれた人間は、過去の世界へ飛ばされ、『英霊』となります。」

 

 

「え、えーっと、つまり?」

「例えば、私、ナイチンゲールはクリミア戦争の英雄です。でも、ヘヴンズゲート被験者が過去に介入し、私の代わりを務めてしまったら、ナイチンゲールは歴史において不要の存在となるでしょう。彼らは決して自らの名を遺さない形で、英霊の『代役』を果たします。」

「だい、やく?」

「そうです。あるべき歴史を辿りながら、英霊の名だけを消失させる。これにより、災害のサーヴァント達はあることを目指しています。」

「あることって……」

 

 

「英霊の『座』の消滅です。」

 

 

「え、いや、うん、そっか、ごめん、僕には少し難しいかも。康太くんはそこに選ばれたのか。」

「そう、ヒトならば誰しもが英雄を目指すものでしょう。でもそれは、目指した結果なれるものであって、与えられるものでは無い筈です。康太くんは、ただただ過酷な英雄としての人生を、誰にも認められず、その名を呼ばれることもないまま、孤独に生きなければならない。あのフセインをキラキラした目で見つめるあの子が、貴方をヒーローだと言ったあの子が、誰かの意思で、操り人形で、ひとりぼっちで、『正義の味方』にならなくちゃいけない……そんなの、どうしようもないくらい、辛いことですよ。」

 

ナイチンゲールの言葉にハッとさせられる。

誰もが望んで人生を受け入れられる訳では無い。

もし康太が選ばれたとしたら、死にたくても死ねないような、そんな人生を送らなければならないかもしれない。

 

「でも、ナイチンゲール、ヘヴンズゲートに『辞退』の選択は出来ない、そう言われている。それに…」

 

—彼の難病をこのオアシスでどうにかする術もない。

 

フセインはその言葉を押し留めた。

そんなことは彼女も当たり前に分かっている。だからこそ、歯を食いしばり、涙を零しているのだ。

あと一週間、持つか分からぬ命。

その間にフセインが出来ること、彼はそれを探さねばならないと思った。

不意の突風に、彼は思わず目を閉じた。この風はきっと、先程よりも冷たい。

 

                                                  【神韻縹緲編⑥ 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神韻縹緲編7『ship』

パープルハットtwitter(@Purple__Hat)にてiTunesカードのプレゼント企画も実施中!
振るってのご参加お待ちしております!
感想、誤字等あればご連絡ください!


【神韻縹緲編⑦】

 

この世界の裏側、世界の理の当てはまらない異質な海。

深層を漂う巨体の生物『隣人』は届かぬ叫びを繰り返す。

その生態観察を続けるのは、死してなおこの世界に留まり続ける住人。

彼女は決して現実世界へ浮上することは無いが、もし人々の前に姿を現したとしたら、紫の髪をたなびかせた白衣の美女だと全員が認識するだろう。

彼女の名は『間桐桜』。虚数魔術の到達点へ臨み、そこへ至った女。

彼女は隣人の海中水泳を見届けながら、決して見ることの出来ない空を仰ぐ。

 

「ついに始まるのね。」

 

モーリタニアへ巧一朗が赴いて、そして聖杯戦争が終わり、外の世界では凡そ一週間が経つ。オアシスの急速な時間経過は千年を過ぎた辺りで一度落ち着いたが、それでも尚、急激な文明発展を起こしていることは変わらない。

『災害』は一部の土地を除いた全てを滅ぼし、文明をリセット、一からのやり直しを行った。英霊という枠組みを破壊しながら、時を加速させ、己が地位を確固たるものとする為に。

 

「それにしても、一日で百四十年はやり過ぎよ。」

 

桜の観測によると、開発都市オアシスは少し『浮いて』いる。地球上に在る限り、重力の影響を受ける筈だが、どういう理屈か、その概念そのものを遮断し、独自の世界を生み出したように思われる。彼女の考察において、これは恐らく『災害のライダー』の宝具だ。拡張術式か、拡大解釈か。これ程のことを成している割には、抑止の力すらも彼ら災害に味方をしているようだ。

この地球の存続という観点において、彼らは間違いなく『正義』である。

ならば桜は悪となり、その蛮行を食い止めなければならない。

実数界にて彼らは盤石の布陣を整えた。だから桜はその裏をかく。彼女の死はあくまで辞書的な意味でしかない。臓硯が考案し、桜が生み起こした理論。虚数世界を利用した反逆だ。

だが、隣人の急速な成長を見るに、事は一刻を争うだろう。だからこそ、彼女は実数世界においても保険となるものを残してきた。

それは彼女が持つ虚数魔術の基本、影の現出と、その使役である。彼女の能力は幼少期より飛躍的に向上し、隣人の魔力を用いた、実数界への反転召喚を可能にするに至った。巧一朗の招霊転化のモデルとなる力である。ただし彼女は、オアシスの誕生直後に虚数の海から力を行使した為、まだオートマタ媒介の英霊召喚を会得していなかった。だからこそ、彼女は自らの肉体へ英霊を召喚し、オアシスにて『間桐桜』として活動させたのだ。そして自らは永遠に虚数の海を彷徨う亡霊となった。

博物館館長『間桐桜』の役割を担うサーヴァントは、肉体の老化を防ぐ為の、コールドスリープシステムを開発し、千年の間に寝ては起きてを繰り返した。この技術は、巧一朗がオアシスへ至った際にも、同様に活用している。

虚数海の桜の精神も、実数界のサーヴァントも、己の命の継続に躍起になるあまり、大部分の時間を対災害に当てることが出来なかった。その間にも彼らは目覚ましい成長を遂げているというのに。

そしてそれと同時に、サハラの目にも異常事態が発生している。コラプスエゴ『モリアーティ』の中にいる三番目の人格、セイバーの力の一部を担う少女がオアシスにて剣を振るった後、サハラ砂漠においても異常な魔力が検知された。二つの同質の魔力が呼応するように、空へと放出されている。災害のキャスターが襲ってきたとはいえ、力を解き放つのは早計であったかもしれない。そもそもの話をすると、彼女が『正義の味方』となるべく虚数海へ降り立ったのは、巧一朗がサハラで悪い意味でのミラクルを起こしてしまったからだ。セイバーという脅威に対抗する筈が、今や災害のサーヴァント達の方が明確な人類の敵と相成っている。

 

「もう。上手くやってくださいね、桜(ライダー)。」

 

彼女は虚数の海から、博物館館長を叱責する。

無論、彼女が呼び出したライダーが物凄く頑張ってくれていることは知っている。

だが間桐が世界を救うには、まだまだ足りないものがあるのは事実。

それはライダーだけでは無く、巧一朗もまた。

 

「せめて私がそちらに行ければ良いけれど、困ったものね。……でも巧一朗が嫌がるか。」

 

桜は遠い昔に感じられる過去を反芻する。

巧一朗がモーリタニアへ向かったのは、桜自身の責任だと彼女は後悔している。

彼女が巧一朗に放った言葉。

それは深く、ナイフで刺すよりも深く、彼の心を傷つけた。

今更謝ってどうこうなる話ではない。彼女なりの懺悔で、彼の活躍に寄り添うのみだ。

 

 

災害のキャスターの『城』である第四区某所の巨大ビルディングにて、ダイダロスは地区監視用モニター部屋のリクライニングチェアに腰かけている。

まだ災害のアサシンからの招集は無い。博物館を抹殺できなかった事実が知れ渡れば、笑い者か、最悪の場合、何かの罰を与えられるかもしれない。彼自身は甘んじて受け入れるつもりだが、災害のライダーに迷惑をかけることだけはしたくなかった。

彼にとって災害のライダーは、自らと並び立つどころか、遥か先を歩む者だ。このオアシスを包む繭も、出口を隠す迷宮も、ヘヴンズゲートのシステムも、全てダイダロスが、災害のライダーの為に創造した。世界を守ると言ってくれたあの男へ報いるために。

彼はサハラで初めて、災害のライダーと出会った時のことを思い出す。

ダイダロスの召喚者は、実にくだらない性根の曲がった魔術師であった。彼は多くの知識を聖杯から与えられたことにより、技術の停滞、否、技術の破綻を知ってしまった。

人類は未だに、空すらも己の翼で飛ぶことが出来ない。

根源へ至る為に、ダイダロスという強力な英霊を召喚した魔術師は、その過程で数多の命を奪っていた。欲望の為に、他者の尊厳を踏みにじる悪魔だった。

だからこそダイダロスは、マスターである筈の魔術師を殺害した。無論、彼自身も死ぬつもりであった。

だが男の死体から漏れ出る血液を通して視えたのは、何処までも歪んだ自分自身の顔だ。ダイダロスも思えばそうだった。自らの欲望のままに人を殺したことがあった。

嗚呼、人間は決して変わらない。

ダイダロスは悟る。創造の先にあるものは常に『無』であるということを。

零れ出たのは涙か、それとも血か。

どうでもいいのだ。ダイダロスに価値など、無かったのだから。

 

だが、しゃがみ込んだ彼の肩を叩く者が一人、そこにいた。

 

男はサハラの聖杯戦争に召喚された『ライダー』だと言う。幸の薄そうな顔に、何より特徴的なのは、その『水夫』のような格好だ。

誰が見ても彼は船乗りだ。だが、彼はキャスターの元に徒歩で来たと笑って言う。

ダイダロスにとってライダーは戦争の敵同士。武器すら持たない彼を殺すことは容易かった。だが、これから死ぬつもりのダイダロスはそれをしない。無視を決め込んで、自らの口に銃口をあてがう。

 

「死ぬつもりなら、悪いけど、オレの話に付き合っては貰えないだろうか?」

「五月蠅い。」

「そう固くなるなよ。アンタは『ダイダロス』だろう、知っているさ。オレのマスターは物知りなんだ。アンタの力を借りたくてね、ここに来た。我ながら運が良い。ナイスタイミングだよ。」

「黙れ、敵に話すことなど無い。」

「そう固くなるなよ。実は召喚されたはいいものの、オレは『船』を持っていなくてね。あれが無いと始まらないというか、戦えないというか、そう、つまりアンタに作ってもらいたいんだよ。」

「馬鹿が。僕に何のメリットがある。」

「メリットか、そうだな、じゃあオレが船長だから、オレの船に乗せてやるよ。アンタはこれから広い広い海で最高の冒険をするんだ。死ぬよりもきっと楽しいさ。」

「はっ、話にならないな。お前、僕が相手じゃ無ければ死んでいるぞ。」

「そうだな、オレはきっと運が良いんだろう。頼むよ、ダイダロス!オレのマスターもそこへ乗せてやりたいんだよ!海をあんまり知らないって言うしな?」

「ええい!馴れ馴れしい!そもそも僕はお前のことなど知らん!」

「あぁ、そうだな。自己紹介がまだだった。オレの名は」

 

ライダーは余りにも軽々しく、敵であるダイダロスにその名を明かす。

ダイダロスは笑顔でその名を語るライダーを目の当たりにし、銃を床に落としてしまった。

 

「お、やっと銃を置いたか!物騒だもんな!」

「お前、いくら何でもその嘘は駄目だ。名を偽るなよ。」

「え?何の話だ?オレの名前は今言ったとおりだよ。そんなことはどうでもいいんだ。一緒に旅をしようぜ、ダイダロス。」

「どうでも良くないだろ!お前は!」

 

ダイダロスは激高する。

ライダーに対してか、はたまた別の誰かに。

もしこのひょうきんな男が嘘を付いていないなら、この男の今の態度はおかしい。

あぁ、この男は一言で表すならば『呪い』だ。『呪い』そのものだ。

何も悪い筈なんてないのに、彼はただ世界に嗤われ続けた。その末路すらも。

こんなことがあってはならない。ダイダロス自身を含めた愚かな人間の本質に苛め抜かれた彼が、道化師のように笑顔を浮かべている筈が無い。世界最悪の復讐者になってもおかしくない筈なのに。

 

「どうした?腹でも痛いのかー?」

「お前、僕が船を作ったら、旅をすると言ったな。」

「あぁ、『世界を救う旅』だ。もう誰も辛い思いをしなくて済むように。オレは、あまり褒められた人間じゃないからな。英雄らしいことでもしてみたいんだ。」

「大馬鹿者だ!世界を救うだと?お前が?お前は人類最大の敵になるかもしれない男だろうに!何故だ、何故そんな風に笑える?人間に救う価値など無いことは、何よりもお前が嫌という程に知っている筈だろう!」

 

ダイダロスは怒り、叫んだ。己の醜さを肯定したうえで、それでも叫ばずにはいられなかった。

ライダーは少し困った顔を浮かべた後に、再び口角を上げる。

 

「ありがとう、オレの代わりに怒ってくれて。」

 

そしてダイダロスは全てを察したのだ。

この男は、ライダーは、怒ることすら出来ないのだと。

山火事、台風、洪水、そう言った『災害』と呼ばれる理不尽なものと同じなんだと。

生まれついて、この男には怒る権利すら与えられていなかったのだ。

 

「……ダイダロス?」

「嗚呼、僕も乗ってやる、お前の船に。消滅間近の僕にも出来ることはあるかもしれない。お前の言う冒険とやらに付き合ってやろうじゃないか。」

 

ダイダロスはライダーの手を取った。

己の全ての創造は彼一人の為に。

理不尽な人間、理不尽な世界、その全てを薙ぎ倒す様な、そんな船を造り上げる。

もしその過程で自分が理不尽なる『災害』になったとしても、構わないと、そう誓ったのだ。

 

彼は過去を懐かしんでいたが、その時間を邪魔するように、思考にジャミングがかかる。

それは本来呼び出さなければ存在出来ない筈の使い魔、ミノタウロスの声だった。

ダイダロスは深く溜息をつくと、その声に耳を傾ける。

 

「ダイダロス、お前、自慢のアーマーがセイバーに潰されたらしいな。」

 

ミノタウロスは煽るように嗤う。

 

「化物風情が。過去の名で呼ばれたことがそれ程までに嬉しかったか?お前は怪物ミノタウロスだよ。何も変わりはしない。僕が言い続けてやるよ、お前は醜悪なミノタウロスだ。」

「ふん、別にお前に英雄としての名を呼んで欲しくなどないさ。俺はお前の使い魔だが、お前の思い通りにはならない。」

「……巧一朗を生かしたのも、僕への嫌がらせか?」

「そうだ……と言いたいところだが、実はそうでもない。あれが、俺にとっても、お前にとっても、最善の選択だった。」

「最善だと?」

「あぁ、お前では分かるまい。巧一朗が死んだとて、セイバーは止まらない。何度殺そうが、何度も蘇る、そしてその刃を研ぎ澄ませる。災害はセイバーには敵わないのだ。ならば、彼女を止めることの出来る可能性に賭けてみるべきだろう。」

「それが、あのか弱い人間だと?」

「そうだ、知っているか?ダイダロス。怪物は生まれながらにして怪物なのではない。いつの世もそう、怪物は『孤独』のうちに怪物となる。独りになると、誰の声も届かなくなるのだ。俺もそう、俺はあの男(テセウス)に感謝している。何処までも迷い続けるだけの狂った回廊で、俺を見つけてくれた。俺に向き合って、俺を殺そうとしてくれた。俺は結局、英雄(アステリオス)にはなれなかったが、怪物(ミノタウロス)として死ぬことは出来た。それは俺にとって幸福に他ならない。だから俺は、セイバーに、巧一朗に、孤独を与えたことを罪だと認識している。セイバーには、手を握り締め、引き止めてくれる相手こそが必要なのだ。」

「くだらないな。愛が世界を変えるだの、そんな理想でしか物事を語れんか。」

 

ダイダロスはやれやれといったジェスチャーを添える。

ミノタウロスはそんな彼を哀れむように見つめていた。

 

「……ダイダロス、俺はお前の使い魔だ。ならば、お前は俺という駒を離さず、果ては道連れにするだろう。だが、これだけは忠告しておく。お前は生前から何かと『臭いものに蓋をする』癖がある。これは悪癖だ。精々足元を掬われぬようにな。」

 

ミノタウロスはそう言い残し、それ以上口を開くことは無かった。

 

「……お前こそ人間を脅かす災害だろうが。お前といい、愚息といい、僕の発明にあやかり過ぎなんだよ。」

 

ダイダロスは蒸したタオルを顔全体に被せると、天井を仰ぎながら思考を停止する。

部屋の片隅にて自動修正を施されるアーマーは、そのメンテナンスにあと二百年の月日を要する。

もし博物館が逃げずに立ち向かってきたならば、今度は生身で、彼らを迎え撃たねばならない。

 

 

第四区博物館、地下最奥の館長部屋にて。

博物館に新たに仲間入りを果たしたマキリ・エラルドヴォールが、自らの秘匿していた情報を巧一朗たちに明かしている。

災害のサーヴァントが催す『天還』の概要とは即ち、英霊の座への介入と、その破壊であった。

無論、現代を生きる人々を過去時空に移動させることなど、容易に行えて良い筈も無い。そこには災害のキャスターことダイダロスの知恵があった。彼はこのオアシスにて独自の『粒子加速器』を開発し、それを運用している。但し、一度に過去へ送ることの出来る人数は限られており、それが天還祭によって選ばれているようだ。

そしてエラルが独自に獲得していた情報、それは、過去介入といえども、神代には転送できないということだ。神秘渦巻く時代は残された文献や記録が少なく、時代の座標軸を固定することが出来ないらしい。幾ら災害といえども『神』へ挑むことは、現状不可能であるようだ。

 

「英霊を歴史から消し、取りこぼした者達も、このオアシスで専属従者として隷属させる。そして開発都市で千年間、神の如く居座ることで、人々から崇め奉られるようになった。『災害』を名乗る彼らは、絶対的な力を欲しているようだわ。」

 

博物館、そしてマキリコーポレーション、そのどちらも災害のサーヴァントへの絶対的な勝算は持ちえない。ダイダロスの真名を見抜いたことろで、の話である。サーヴァントを用いた物量作戦も、彼らに及ばないことは痛い程に理解できている。

災害が何故、力を求めているのか。その理由の一つを、エラルは知っていた。

 

「災害のこと、開発都市オアシスのこと、きちんと最初から語らなければ、何も始まらないわよね。既に頭がパンクしている人もいるだろうけど、必死に付いて来て。まずは全ての始まりである『サハラの聖杯戦争』について、よ。」

 

西暦二〇ⅩⅩ年、『テスタクバル=インヴェルディア』という男がモーリタニアのサハラ砂漠にて、聖杯戦争を巻き起こした。彼は師事していたダーニックから聖杯戦争のシステムを伝え聞き、それを自らの手で実行すべく動いた。来日した際には、聖杯戦争の源流とも呼べる御三家からその資料、技術の全てを盗み取り、遠坂家長女『遠坂輪廻』を誘拐した。優秀な魔術回路を有する少女を、聖杯の器として利用したのである。

 

「エラル…さん、そのテスタクバルさん?はどうして聖杯戦争を起こしたの?」

「みらいちゃ…倉谷さん、私もそこは気になっています。エラル、加えて、何故テスタクバルはサハラ砂漠なんて場所で戦争を?来日したならば、冬木で戦争を起こすことも視野に入れる筈です。」

 

美頼と充幸の問いに、エラルは良い質問です、と頷き返す。

比べて、鉄心の頭上にはクエスチョンマークが大きく浮かんでいた。

 

「まず、どうしてテスタクバルがサハラ砂漠を選んだか。それはモーリタニアにある『サハラの目』という環状構造が関係しています。」

「サハラの目?」

 

外の世界の知識に疎い美頼達に代わり、充幸がリシャット構造を手短に説明する。

宇宙から見た時に『目』の形に見えることから名づけられた環状構造は、古典哲学者プラトンにより、伝説の都アトランティスの入り口では無いかと考察されたスポットである。アトランティスは神秘がまだ残された時代にヒトの手により発展した前衛的な都市国家だ。だがアトランティスは神々の手により滅んだと言われている。

 

「『サハラの目』はアトランティス大陸へと通じています。勿論、その先はもはや何も存在しない空白の世界でしょう。でも、未だ人類はアトランティスの場所を完全に特定できていない。そう、滅び去ったアトランティス大陸は、そのままの状態で、今なお保全されているのです。」

「え、でもでも、何にも無いんでしょう?空白の世界って。」

 

美頼の疑問は至極真っ当なものだ。

エラルが答えるより先に、巧一朗の口が動いていた。

 

「空気だ。」

「そう、巧一朗さん、ザッツライト。神代の膨大かつ潤沢なマナがそこには溢れている。テスタクバルはサハラの目から、その魔力のみを引き出したの。」

「そんなこと出来るのですか、エラル。」

「ええ、それが先程の、何故、の部分。どうしてテスタクバルは聖杯戦争を起こしたのか。彼の目的はただ一つ。『アトランティスを現代に蘇らせること』なのよ。そしてその理由こそ、テスタクバルの正体にあるわ。」

 

「テスタクバルはアトランティス大陸住民の末裔。現存した只一人の、アトランティスの門番なの。」

 

テスタクバルはサハラの目、その扉を開ける鍵を受け継いでいた。彼はそれを利用し、神代の魔力を基盤とする聖杯戦争を生み出したのだ。

ポカンとした顔の鉄心を除き、皆が各々頷きのジェスチャーをする。

キャスターはコーヒーを半分残し、自ら勝手に用意したホットミルクを飲みながら、興味深そうに聞いていた。

 

「とりあえず話を進めるわね。テスタクバルはサハラの地で、今の『災害のアサシン』を呼び出し、共に聖杯を勝ち取るべく動き出した。けれど、そこで何かがあった。何か大きな不具合、聖杯戦争を揺るがす『何か』が起こってしまったの。召喚された七騎のサーヴァントのうち、セイバーを除いた六騎が結託し、聖杯を強奪した。」

「何かって、何ですか?」

「ごめんね、美頼さん。それは私も分からないの。災害たちの目的は同じく『アトランティスを作ること』だけど、何かが根本的に違う気がする。彼らは日本へと渡り、これを滅ぼした後に、開発都市オアシスを生み出した。時を加速させながら、文明を作り替えたのよ。」

「色々疑問~~」

「美頼、一旦エラルドヴォールの話を聞こうか。」

「有難う、巧一朗さん。そしてインヴェルディアの、そうね、私たちが言う所の『偉大なる祖(インヴェルディア・オリジン)』の子ども達は、その指示で三つの家に別れた。本家がアインツベルンで、分家がマキリと、遠坂ね。既に災害の手によって聖杯戦争誕生の地である冬木市は滅ぼされていたから、元々いた筈の御三家は既に存在しなくなっていた。私たちがその代わりをやることになったの。そのルーツと同じような、それぞれが企業を立ち上げてね。私はマキリ家の二十五代目当主となり、今も『偉大なる祖(インヴェルディア・オリジン)』の考え、その想いを継承している。でももうそれも限界ね。遠坂やアインツベルンとは別の道を歩むわ。」

 

インヴェルディアはオアシスにおいて、災害との共存を確固たるものとしてきた。だがエラルは、故ミヤビ・カンナギ・アインツベルンの対災害の思想に強く共感し、こうして博物館に亡命してきたのだ。ミヤビはエラルにとって、母にも等しい存在だった。だがそれも、サイコパスな少女に全て刈り取られてしまったのだ。

急行列車でマールトをめぐってロウヒと戦った時、現当主のミヤビと瓜二つな美頼を、ミヤビ本人だと誤認していた。彼女はまだ、ミヤビと美頼の間にある真実を知らない。彼女の中に残された疑問は、ロウヒという存在だ。博物館にスパイとして潜り込んでいるならば、この館長が真っ先に気付いて対処していそうなものである。無限鋳造機サンポを有するロウヒが味方か敵かによって、事態は大きく変化するだろう。

 

「ここまでで、一度質問を受け付けるわね。」

「色々ある~~けど頭がまとまらない~~」

「じゃあ、俺から一ついいか?」

「どうぞ、巧一朗さん。」

 

最初に手を挙げたのは巧一朗だった。

見えないエラルの代わりに、ロイプケが耳元で誰の発言かを伝えるが、どうやらエラルにはその必要が無いらしい。彼女は博物館の面々の声のトーンや特徴を捉え、判別している。流石は元マキリコーポレーション代表取締役。性格は高飛車だが、部下からの信頼が厚い理由はここにあるようだ。

 

「マキリは災害と敵対する意思を持っていたようだが、どうやって災害攻略に乗り出す気だったんだ?秘密裏にオートマタを開発していたようだが、ヘヴンズゲートの概要を知り得ている以上、英霊召喚を武器にする選択は取らないと思うが?」

「それは、貴方がたも知っているでしょう。このオアシスにおける異端児『コラプスエゴ』の霊基ですよ。専属従者サービスが生きている限り、弱小とはいえ英霊の力を行使できる環境は整っています。ならそれらを乗算していけば、災害に負けない戦力を獲得できる。……勿論プランはこれだけに留まらず、魔眼という切り口でも研究は進めていました。今やどちらも夢物語ですがね。」

「『波蝕の魔眼』では災害を殺せなかったか?」

「ええ、波蝕や勾配、それなりに種類は用意しているつもりでしたが、災害にはノーヒットでした。因果介入が成功しても、選択できる結果の先が悉く鉛筆削りで削ぎ落されたようになっていましてね。上位のカラーが所持できていれば良かったのですが、まぁそんなものは千年前に災害に駆逐されているか……。」

「実際に開発したオートマタは?」

「当然、全て焼き尽くされています。ですが一応、まだ私の脳が辛うじて残りましたので、制作のノウハウをある程度出力することは可能です。ただ博物館の戦力として、なら期待されても困ります。製造ラインが確立されていない為、コストを加味しても六か月はかかります。」

「それはそうだろうな。」

 

巧一朗は納得の表情を浮かべる。

続いて手を挙げたのは美頼だ。

 

「あの!エラルさん!同じインヴェルディアの家の人だったら、遠坂組とか、アインツベルンカンパニーとか、協力を打診できないかな?」

「美頼さん、それは難しいわね。遠坂組も、今のアインツベルンも、災害と共存する姿勢を見せているわ。誰だって命は惜しいものでしょう?長いものに巻かれていた方が幸せなのは世の常ね。」

「そっか、残念。」

「他に、質問はあるかしら。」

 

鉄心も充幸も押し黙ったままだ。

だがここで、意外な人物が手を挙げる。

それは既にホットミルクを飲み干した、キャスターだった。

 

「失礼。巧一朗のサーヴァントのキャスターだ。私からも、君に聞きたいことがある。いいかな?」

「勿論よ。」

「いや、君の話し口調とか、その内容で、気になる点があったんだ。先程、災害のサーヴァント達は『アトランティスの為に』日本へ向かったと言ったね。それは何故だ?」

「何故?聖杯戦争始まりの地だから、かしらね。」

「違うな。インヴェルディアは敢えて来日したにも関わらず、あくまでモーリタニアでの聖杯戦争を望んだ。それはサハラの目がそこにあり、彼の願いが『アトランティスの復興』だったからだ。なのに何故、災害はわざわざ、日本で、アトランティスを作り出そうとしたんだ。サハラの地でやればいいじゃないか。それに、聖杯戦争始まりの地である冬木は、災害によって沈められている。」

「さてね、災害の考えることなんて分かる訳が無いじゃない。」

「ではもう一つだ。君は『偉大なる祖(インヴェルディア・オリジン)』と言って、先祖のインヴェルディアを崇めているね。でも、最初君はサハラの戦争の元凶たるテスタクバルを呼び捨てで呼んでいた。敢えて、君はこれを使い分けたんだ。私たちは勝手にテスタクバルこそがオアシス御三家の源流と思い込んでいた。いや、君はそう思い込ませたかったのかな?」

「……」

「我々は一蓮托生だ。互いに隠し事は無しにしようじゃないか。本当に災害を殺す意思があるならね。」

「……探偵がいるって聞いていたけれど、流石ね。ふふ、参ったわ。ちゃんと教えてあげる。」

 

エラルは手をひらひらと振り、白旗を挙げる仕草をする。

巧一朗はキャスターの洞察力にただただ驚いていた。

 

「このオアシスには、黒幕たる人物がいる。災害のサーヴァント達が願いを共にする理由そのもの。何故アトランティスを作る地を日本に設定したか、それは彼女の『故郷』だからよ。まぁ念には念を入れて、霊脈のある冬木は消されちゃったけどね。」

「ふふ、成程ね。」

 

「『偉大なる祖(インヴェルディア・オリジン)』とは、日本の魔術師であり、サハラの地においてはライダーのマスターとなった、器そのもの。そう、彼女の名は『リンネ=インヴェルディア』。またの名を『遠坂輪廻』。」

 

 

桜館長の顔は険しいものとなる。この事実には、付いてこれていなかった筈の鉄心でさえ驚愕していた。

 

「誘拐された輪廻ちゃんが、インヴェルディア?!しかも黒幕って!」

「単純に『悪』と言う訳にもいかないわ。でも彼女は聖杯として捧げられた筈でありながらも、ライダーを従え、オアシスにて私のような子孫を残している。間違いなく、オアシスの立役者であり、彼女がもし今もなお生きていたならば、博物館にとっては最大の敵となる。だって、災害の中でも最強と名高い、災害のライダーのマスターですもの。」

 

そしてエラルの話は終わった。

これから始まるのは、具体的な災害のキャスター『ダイダロス』の攻略会議である。

再び中心に立ち仕切り始める桜館長に、皆が注目を集めるが、彼女は周囲に目を配ることをせず、ただ一人を注視していた。

その視線の先、皆が顔を向ける。彼らの一番後ろで、股を開き座っていた鉄心は素っ頓狂な声を上げた。

「え、何だよ。」

「鉄心さん。その、ここからは作戦会議となります。」

「え、いや、流石にそれは分かるよ、ますよ。」

「いえ、理解力とかそういう話では無く、アルバイトの貴方はここまでだと、そう言いたいのです。」

「は?」

「館長として言います。鉄心さん、貴方はもう、博物館の為に命を懸ける必要はありません。今日限りでこの実働部隊を離れて頂きます。」

「は、え、ちょっ、何だよ、急だな、おい。確かに始めた時は時給に惹かれたものだけど、もう巧一朗たちと一緒に仕事し始めてかなり経つんだ。今更俺だけ抜けるなんて、出来ねえよ。」

「鶯谷、お前は魔術の知識も無ければ、今の話にも中々付いてこれていなかったな。お前は一般人なんだよ。命を張る必要は無い。」

「巧一朗まで……何でだよ、おかしいだろ。というか館長も、それなら最初からこんな場所に呼ぶんじゃねぇよ。」

「それはその通りですが、私の口から直接、今までの感謝を伝えたかった。巧一朗を、博物館を支えてくれたこと、本当に有難うございました。」

「待て待て、本当にお別れになるじゃねぇか。何だそれ、何だよ。じゃあ正社員になるよ、責任感は確かに無さそうに見えるかもだが、お前らが戦うときに指くわえて見てられるほど、短い付き合いじゃないんだぞ。」

 

鉄心は突然のことに混乱しながら、傍から見れば、挙動不審そのものとなっている。

そんな中、キャスターはわざとらしく大きな溜息をついてみせた。

 

「鉄心、君は本当に理解力がないな。君は自分のサーヴァントの死に目に立ち会わないつもりかい?」

「おいキャスター、お前!」

 

巧一朗は彼女の口を塞ごうと近付くが、彼女はスカートをたなびかせ、ひらひらと逃げ回る。

 

「鉄心、君は自分のアーチャーの体調が分からない程に間抜けだったのかい?分からないなら私がアーチャーの現状を伝えてやろう。三人の兄弟の内、アリは死んで、後の二人は霊基もガタガタだ。あと一週間持てば幸い。戦闘なんてものをしようなら即御陀仏だ。」

「おいキャスター、辞めろ。」

 

怒りを露わにして手を挙げた巧一朗を、鉄心が後ろから止めた。

 

「鶯谷?」

「悪かった、あぁ、知っているよ。分かっているさ。もう、お別れの時が近付いているってことぐらい。すまん、館長さんも、駄々をこねるようなことを言ったかもしれない。皆が気遣ってくれていることは分かるさ。」

「鶯谷、無理をするな。」

「巧一朗もサンキューな。……館長さん、お願いがある。せめてこの作戦会議だけでいい。俺も残って聞いても良いだろうか?当然参加はしないけど、巧一朗や倉谷のこと心配だから、平気で無茶するようなやつばっかりだから。俺にも聞かせてくれ、頼む!」

 

鉄心はその場で頭を地面に擦り付けた。

そんな彼を見て、それでも出て行けと言えるものは誰一人いなかった。

 

 

本格的なダイダロス攻略会議に乗り出す前に、十分間の休憩となる。

各々が僅かばかりの時間を過ごす中、巧一朗と美頼は庭園の方まで出ることにした。

普段ならばこの場所は散歩する人々で溢れているが、博物館の閉鎖に伴い、今は入り口が施錠されている。

彼らは態々鍵を開けることも無く、塀の外側から、庭園の花を眺めた。

 

「こんな時でも、みさっちゃんは手入れを欠かしていないんだね。」

「そうだな。鬼頭教官も大変な身なのに。」

 

二人の間に暫く無言の時間が流れる。

これからのこと、不安を抱えていない筈も無かった。

巧一朗としては、鉄心だけでは無く、美頼にも参加して欲しくないと思っている。今の彼には、周りを助けてあげられる余力は無かった。

美頼はどうして、傍にいて、共に戦ってくれるのだろう。

彼女だって実際に災害を相手にするのは怖いだろうに。

 

「あー、あの、美頼。」

「なあに、コーイチロー?」

「……いや、何でもない。」

 

彼の中で、先程のキャスターの言葉が反芻される。

 

『我々は一蓮托生だ。互いに隠し事は無しにしようじゃないか。本当に災害を殺す意思があるならね。』

「(俺はサハラの戦争のことを、美頼に隠している。いや、もっと大切なことを。)」

 

だが巧一朗は彼女にそれを伝えることは出来なかった。

代わりに、彼女が疑問を抱いただろう事柄について話し始める。

それは彼がオアシスに辿り着いたときのこと。

 

「美頼、俺はさっき『母さんは死んでいる』って言ったよな。少し難しいんだが、実際は死んだというか、遠い国に行った感じなんだ。魂みたいなのが、ゆらゆらと旅をしていて、母さんの身体は、あの博物館館長が使っている。」

「え、何それ。それじゃあコーイチローが言っていた、お母様を演じている外道って、そういうこと?」

「あの中にはサーヴァントが入っている。俺って記憶が幾つも抜け落ちている箇所があるんだけど、オアシスのとある場所で、アイツに助けられたことは覚えているんだ。」

 

博物館に至る前。

倒れている巧一朗に、白衣を着た女は手を伸ばした。

最初、巧一朗は自らの母親だと思い、喜んで手を取った。

だがその手は酷く冷たく、母の温もりでないことは瞬時に理解できた。

警戒を露わにし、急ぎ距離を取る巧一朗。

間桐桜の顔をした誰かは、呆れたような顔を浮かべている。

 

「お前は誰だ」

 

巧一朗の問いに、肩をすくめる女。

彼女は戦闘姿勢を崩さない巧一朗に対し、自らの内に渦巻く黒ずんだ何かを明かすことにした。

間桐桜が虚数海から呼び出したイレギュラー。彼女は自らの名を直接伝えるような優しいマネはしなかった。

 

「『ライダー』の霊基を以て現界したサーヴァントです。」

「お前の真名は?」

 

「『血塗られたメアリー』とだけ、答えておきましょう。」

 

白衣の女は、美しくも怪しく、ほくそ笑んでいた。

 

 

 

                                                   【神韻縹緲編⑦ 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神韻縹緲編8『outbreak』

神韻縹緲編も、ついにクライマックスへ向け動き始めました。
感想、誤字等あればご連絡ください!


【神韻縹緲編⑧】

 

「では本作戦について説明していきます。メモは必要ありませんから、頭に叩き込んでください。」

 

桜館長が中心に立ち、博物館実働部隊のメンバーが席に着き、各々襟を正した。

桜館長はまず、本作戦の意義を話す。

第四区博物館は、災害の管理する世界からの脱却、そしてオアシスの解放を目指す。

災害のキャスターの襲撃が再び行われる前に、此方から仕掛けてやろうというもの。

その為に、博物館が積み上げてきた対災害の為の主戦力を惜しげなく使う必要がある。

人類に名を刻んだ英霊の力は、災害の手によって抑えられた。だが当然、抜け道もある。

 

「まず災害を名乗るサーヴァントのうち、キャスタークラス『ダイダロス』の完全なる排除を目指します。これまで私は彼のデータを収集し、彼の持ちうるスキルや宝具など、解析して参りました。先の戦闘では苦い思いもさせられましたが、その全てが無駄ではありませんでした。」

 

桜はホワイトボードにダイダロスの能力に関する説明を殴り書く。彼の持つ力は、細かいものを除けば、大きく分けて二つ。

『ミノタウロスの迷宮』と『イカロスの翼』である。

どちらも巧一朗たちは体験済み。博物館側として召喚に応じた四騎のサーヴァントをいとも容易く倒してみせた。

 

「ですが、先に申し上げますと、『イカロスの翼』を、我々は既に攻略済みなのです。」

 

巧一朗たちの頭に疑問符が浮かぶ。

桜館長の説明はこうだ。

ダイダロスは生前、幽閉された塔から脱出するために、息子イカロスの分も含めた、四枚の翼を造り上げた。

イカロスはその翼で自由に空を飛び回り、太陽の熱に翼を溶かされてしまう。結果、残ったのはダイダロス自らが飛ぶ用の二枚羽のみ。

そしてオアシスにおけるダイダロスは、ロウで出来た翼という弱点を減らす為、機能を一枚羽に集約、それをまるごとアーマーで保護したのだ。

だが、博物館の奮闘により、ダイダロスのアーマーを引き剥がすことに成功した。

 

「バベッジさんの蒸気機関砲とアリさんの決死の判断のお陰です。いまダイダロスには逸話再現可能な翼は残されていません。」

「……」

 

充幸は押し黙ったまま、真実を隠す桜館長を眺めていた。

あくまで博物館の持つ『セイバー』というカードは誰にも秘密なよう。ジョーカーはババにもなり得るからこその判断だ。

 

「問題なのはダイダロスの持つ宝具『万古不易の迷宮牢(ディミョルギア・ラビュリントス)』でしょう。固有結界宝具であろうと内側から侵食、破壊し、我々を何処までも閉じ込める堅牢な壁。様々な罠が仕掛けられ、かつ、歴史上でも名を遺す最悪の怪物『ミノタウロス』を放し飼いしている。我々はあれを突破できなければジエンドです。」

「更に英霊の力も、ヘヴンズゲートで消滅させられている、ときたものだ。私でも逃げ出す難問だよ。」

 

キャスターがインスタントコーヒーをがばがばと飲み干しながら、茶々を入れる。先程エラルの秘密を一つ暴いた白銀の探偵はいなくなり、今は『モリアーティ』が主人格を担当しているようだ。

 

「で、我らが館長は、どう攻略を進めるつもりなのかな?」

「当然、ダイダロスと真っ向勝負する気はありません。勝てませんから。」

 

桜はホワイトボードをスクリーンがわりに利用し、デバイスの写真を映し出した。それはこのオアシスを覆う繭、内側にいる彼らからすれば壁と呼称されるものである。オリハルコンを材質に利用したこの壁は、二重構造となっている。

まず第一の壁は英霊の力でも突破可能、だがそれを突き破った先、ダイダロスが用意した罠がある。彼は自らの宝具を常時顕現させ、第二の壁として機能させている。つまりは先日の戦闘で発動した宝具と同様のものが、オアシスの繭にも存在しているという事だ。これはオアシス市民が外の世界へ逃げ出さない為の迷宮。万が一、第一の壁が突破されても、迷宮の中に迷い込み、最期は仕掛けられたトラップかミノタウロスに殺されてしまう。桜館長が充幸を救出した際には、まだそこまで複雑なシステムでは無かった。他国の軍事警告に合わせ、より強固な回廊に造り直したのだろう。

通常、彼の使い魔はこの繭の迷宮を守っており、ダイダロスの指示に合わせ、その場を離れることを繰り返している。

 

「館長は、ミノタウロスがいない、手薄なときを狙って繭の破壊に乗り出す気か?」

 

巧一朗の問いに、桜はくすくすと笑った。

 

「おいおい、何が可笑しいんだよ。」

「別にそれで迷宮踏破されても、確かにダイダロスの権能を削ぎ落すことにはなるけれど、ただ繭の一部に穴を開けられただけに過ぎないわ。直ぐに彼の手で修繕されるでしょうね。」

「成程。」

「ダイダロスの権能を完全に落とすには、ミノタウロスを殺すことが不可欠。怪物退治をして、かつ、迷宮の出口に辿り着くの。それによって初めて、勇者(テセウス)の物語が再演される。つまり、我々はダイダロスが駆けつけられない時を狙って、ミノタウロスを倒しに行きます。そしてそのタイミングは、マキリと博物館の駆除報告を行うために天空城塞で行われる筈の『災害会談』です!」

 

桜はどや顔で、天に人差し指を掲げる。キャスターのみが拍手を送るが、残りのメンバーは表情を変えることも無い。

 

「……簡単に言ってくれるが、ミノタウロスは災害に匹敵するだろう力の持ち主だぞ。どうする気だ、館長。」

 

巧一朗の問いに、皆が一同に頷いた。まず迷宮という性質に囚われた時点で、敵の掌で踊ることになる。地の利が相手にある以上、策を弄そうとも簡単にひっくり返されてしまいそうなものでもあるが。

桜館長は勿論、彼らの疑問に対する答えを用意していた。自信満々な表情で、そのプランを説明する。

 

「まずオアシスの繭、大迷宮への解答札は、コレです。」

 

彼女は充幸へ指示を出し、あるものを持ってこさせた。

自然と皆の視線が、充幸の腕の中にある何かに吸い寄せられていく。

 

「博物館はこれまで違法触媒を集めてきましたが、何もこれは英霊召喚の為だけではありません。その聖遺物こそが、逆転の要素となることも、想定内でした。そしてこれは災害すら知り得ないネットワークで入手した逸品です。巧一朗、これが何か分かりますか?」

 

巧一朗は充幸の持つ聖遺物を凝視する。古く原型を留めていない気もするが、それは間違いなく『糸玉』であった。

 

「アリアドネの糸、か?」

「正解。」

 

英雄テセウスがミノタウロスの迷宮から脱出する手段として、王女アリアドネから渡された糸。彼はそれを垂らして歩き、ミノタウロスを倒した後に、その跡を辿ることで脱出が出来た、とされている。その性質が様々な伝承を経て、聖遺物として確立したもの。この糸の指し示す先に、迷宮の出口が『必ず』用意される。

 

「この聖遺物のもつ力を最大限に活用する為、マキリにも協力を仰ぎ、ついに『アリアドネナビ』が完成しました。垓令呪を動力源に、この聖遺物を内包した特殊デバイスが、外の世界の出口を探してくれます。これに従って歩いて行けば、自動的にゴールへ辿り着くでしょう。今回は二つ、用意しました。巧一朗と美頼さんに、それぞれ渡しておきます。」

 

それは通常の携帯デバイスにも見えるが、どうやらアプリとして仕込まれているらしい。恐るべきマキリの技術。

 

「それで、肝心のミノタウロス、ですが、巧一朗さんには『招霊転化』で英雄テセウスのイマジナリーサーヴァントを召喚して貰います。当然、テセウスなどヘヴンズゲート最初の被害者になりそうなお方ですが、その辺りはご安心ください。第四区館長たるこの私にかかれば、記憶の保全、継承など容易いことです。イスカンダルの時は、迷宮の浸食により皆さんの脳内へ負荷がかけられてしまいましたが、今度は大丈夫。私がこのオアシスに存在する限り、貴方がたは英雄テセウスを忘れずにいられるでしょう。そして巧一朗の招霊転化は実際の英霊召喚とは異なり、脳内データベースを元に英霊を形作る技術です。一分間の制約はあれど、必ずミノタウロスへの対抗札となるでしょう。」

「俺が、テセウスを呼び出す……」

「その奇跡にも等しい一分間を、マキリの垓令呪の魔力でバックアップします。災害というくくりには当てはまらない、使い魔のミノタウロスには、単純な魔力の差が勝敗を分けるキーとなる。無論、それだけでは心もとないのは事実です。だからこそ、ミノタウロスを逃がさない為に、美頼さんにも出てもらいます。」

「え、わ、私?」

「正確には、貴方の影に隠れているサーヴァントに、ですが。」

 

桜の言葉に反応した人物が、美頼の影から這い出た。

それはエラルとロイプケを救い出した、ロウヒ本人である。

 

「バーサーカー、いたの!?」

「あぁ、この作戦会議とやらには参加していたぞ。我の『我が願望は絶えず駆動する(イクイネン・ルオミネン)』を求めるか、桜。」

「ええ、是非力をお貸しください。無限鋳造機サンポがあれば、ミノタウロスを殺しうる武器の生成も可能でしょう。貴方にも当然、垓令呪のバックアップは付けさせて頂きます。巧一朗と美頼さんの力が合わされば、きっとかの怪物にも届く。そしてダイダロスの権能を大きく削り落とすことが出来る。信じています。」

「おい、ロウヒの力が必要なら、美頼まで迷宮に向かわせる意味は無いだろう。」

 

巧一朗は彼女の身を案じ、提案するが、桜は首を横に振った。

 

「巧一朗、我が美頼を傍に置いておきたいのだ。サーヴァントならば、マスターに隣にいて欲しいと思うのが当然だろう?」

「ロウヒ……」

「大丈夫だよ!コーイチロー!何かあったらバーサーカーが助けてくれるよ!」

「それは、そうだが……」

 

納得のいかない巧一朗だが、ロウヒの提言ならば、それに従うほかない。本作戦においてロウヒは必要不可欠だからだ。

実働部隊は巧一朗と美頼、そしてそれぞれのサーヴァントで迷宮攻略、桜館長、美頼にエラルは博物館からサポートに徹することとなる。

無論、鉄心はこのメンバーには加えられていない。分かってはいても、寂しい気持ちになるのが、人情家の鉄心だった。

 

「未来予測において『災害会談』は明後日に執り行われます。それまでに巧一朗は英雄テセウスの勉強を必ず。勝負は一秒でも早くつけることが望ましいので、体力はこの日の為に温存しておくこと。以上です。質問は随時受け付けていますので、いつでも館長室に来てください。皆さんのご武運を祈っております。」

 

桜館長の締めの言葉で、この作戦会議はお開きとなる。各々二日後に備える為に準備に取り掛かった。

巧一朗たちから離れ、一人博物館を後にした鉄心は、一抹の寂しさを抱えながら、アーチャーがいるであろう場所へ向かったのだった。

 

 

鉄心のサーヴァントであるアーチャー『フセイン』はナイチンゲールと共に、クリニックへ訪れていた。

空には災害の造る星々が美しくも儚く輝いている。この世界で生まれ、そして死んでいく者たちは、誰も本物の空を知らない。

でもきっとほとんどの人間が、このオアシスで満足して死んでいく。それが当たり前だと認識しているから。

外の世界の景色を見たい、などと思う事すら、きっと無いのだろう。

彼らは明かりの消えたクリニックへ入り、音を立てないよう階段を登っていく。

慎重に扉を開けた先、月の光の差し込む部屋で、少年は星を見上げていた。

 

「眠れないの?康太くん。」

「あ、先生……」

 

ナイチンゲールは彼の元へ寄り添うと、その頭を優しく撫でた。康太はくすぐったそうに頬を震わせている。

彼女に続いて、フセインも部屋の中へ入る。先日尋ねた時には、絵本や玩具が散らかっていたが、今日は綺麗に片付けられていた。

酷く殺風景に思える。康太を取り囲む環境が、とても冷たく感じられる。

 

「え、フセイン先生!?」

「康太くん。会いに来たよ。」

 

フセインが彼の元へ近付くと、康太はそのか細い腕でフセインの胸元をぽかぽかと叩いた。それは少年の精一杯の抗議の声だ。

 

「明日も明後日も、来てくれるって約束したじゃん!酷いよ!」

「ごめんなぁ、ごめんな康太くん。僕も、会いに来たかった。」

 

フセインは思わず、康太を抱き締めていた。

余りにも小さな身体。でもその温かい体温は、フセインにもしっかりと伝わっている。

康太の心臓はとくんとくんと鳴り響いている。それだけで、フセインの目頭は熱くなった。

 

「フセイン先生。今日もお話、聞かせてくれる?」

「あぁ、勿論だ!」

 

フセインは語り始める。彼の辿った軌跡に、ほんの少しの嘘を交えて。

ナイチンゲールも、目を閉じながら、彼の物語を聞いていた。

魔法の絨毯で、世界中を旅するストーリー。

康太がもしヘヴンズゲートへ至り、英雄の人生を歩むならば、こんな数奇な運命を辿るのだろうか。

それはそれで、この少年の現状を鑑みれば、幸せなのかもしれない。

 

「っ……」

「フセイン先生?」

「あ、いや、何でもない、それで絨毯がグルグル巻きにされた後は……」

 

違う。

そうじゃない。

フセインは自らの愚かさに、戒めのパンチを噛ます。

誰かの歩んだ人生の肩代わりなど、あってはならない。

康太は康太として生きなければ意味がない。

独りが寂しいことを、誰よりも、フセインは、理解していた筈。

その選択は、親に捨てられた康太を、また孤独にしてしまう。

 

「……今宵は、ここまでだな。」

「ええー!またー?気になる!」

「今日はもう遅いから、ゆっくり寝よう。また来るからさ。」

「本当?」

 

康太の眼は、少し潤んでいるように見えた。

アーチャーとして鉄心に尽くす筈の第二の生、それは理解している。

でも、彼はこの子を裏切れない。

命が尽きるその日まで、傍にいたいと、そう願った。

 

「ああ、今度は本当の本当。夜は毎日来る。沢山お話ししよう。な?康太くん。」

「うん、ありがと、フセイン先生。」

 

そして康太は眠りについた。

彼が寝静まった後も、フセインは暫く、少年の安らかな顔を見つめていた。

 

そして、一時間が経ち、ようやくフセインはクリニックを後にする。

その玄関口で、ナイチンゲールが見送りに出た。

 

「有難うございます、フセイン。」

「いえ……今日は、話し辛いこと、聞いてしまってすみません。でも、嬉しかったです。」

「フセイン……」

 

二人の間に暫く静寂が訪れる。

何を話していいか、迷っている。会話の答えが見つからない。

フセインは何とか絞り出すように言葉を紡いだ。

 

「ナイチンゲールは、ヴェノムバーサーカーという特殊なクラスですが、その、身体とか、大丈夫なのですか?」

「え、ええ。そうですね。……私の身体は咲菜さんのものです。英霊としての力を振るえる、只の人間だと思って頂ければ。オアシスにある、始まりの聖杯?に呼ばれた訳ではありませんので、英霊として退却することも無いでしょう。代わりに、咲菜さんの寿命が私の寿命ですので、ヒトと同じように、いつかは必ず死にます。」

「そ……そっか、ヴェノムっていうと『毒』のことだから、少し心配になりました。でも、ナイチンゲールが元気なら、それで良いです。」

「私は他のヴェノムサーヴァント達と同じように、災害のアサシンの『ギフト』を与えられていません。中には毒の力を使って戦う子もいましたが、私はそもそも失敗作ですから。……実は私は、ナイチンゲールとして宝具を使用することも出来ません。本当に、何の為に呼ばれたのか、無力な自分に嫌気がさします。」

「だから、観測者を意味する『ウォッチャー』のクラスを名乗っていたのですね。」

「はい。私は見ていることしか出来ない。英雄としては、失格ですね。」

 

ナイチンゲールの顔が次第に曇っていく。

フセインは、こんな話をしたかったわけではない。康太にも、そして愛するナイチンゲールにも、笑顔でいて欲しかった。

彼は我を忘れたかのように、彼女を抱き締めていた。

 

「フセイン?」

「……ありがとうございます。康太くんをずっと『見ていて』くれて。あの子が病気と闘いながらも笑顔で生きているのは、貴女が第四区に来て、彼を励まし続けたからだ。」

「それはフセインも同じでしょう?」

「……いいえ、僕は結局、ちゃんと寄り添えていなかった。約束も違え、今も少し、嘘を付いている。僕は……」

 

そしてナイチンゲールは気付く。

フセインの身体から漏れ出す光の粒子。それは彼の死が遠くない未来に確定している証拠だ。

 

「え……どうして、フセイン、なんで……」

「すみません」

「何で……そんな……フセインまで……」

 

彼女の顔が見る見るうちに青ざめていくのが分かる。

それが分かるからこそ、フセインは彼女をより強く抱き締めた。

 

「大丈夫、生きています。僕は、ここに。」

「……っ………うぅ……」

「泣かないでください。」

 

―お願いします、神様。もう少しだけ、僕をここにいさせてください。

 

フセインは歯を食いしばり、自分の存在証明をする。

彼の中で眠るアーメッドも然り。まだ終われないと、踏ん張り続ける。

そして彼らは何とか、空へ消えていく粒子を留めることに成功した。

だが、時間は待ってはくれないだろう。彼の余命はあと僅かだ。

 

「フセイン…っ……」

「一緒にいましょう。康太くんと、三人で。マスターにも事情を話します。ちゃんと最後まで貴女の傍で。」

 

ナイチンゲールが泣き止むまで、彼は彼女を抱き締め続けた。

星々の光が彼らを照らす。それは本物の空より、明るく思える。

 

 

フセインはナイチンゲールと別れた後、とある場所へ向かった。

そこは第四区商店街を通り過ぎた先、聳え立つ立派なオフィスビルディング。

有名な株式会社のロゴが暗闇を照らしている。窓から漏れ出る室内の光は、会社員たちの苦労の証。夜遅くまで戦い続ける名も知らぬ誰かへ敬礼を送る。

無論、フセインはこのオフィスに用事があった訳では無い。

この場所は、まだ建設中だったころ、鉄心と初めて巡り合った場所なのだ。

思い出というには些か物騒なものではあるが、それでも、足を運びたくなる。

只の物語が、終わった筈の物語が、この場所でまた紡がれ始めた。

 

「……立派なものだよな。」

 

不意に後方より聞き馴染む声が飛んでくる。

フセインは振り返らない。振り返らずとも分かる。

 

「ええ、やはり完成品を見ると、匠の仕事が窺える。今を生きる人々の当たり前が、我々サーヴァントには物珍しく見えてしまうのです。」

「当り前じゃねぇよ。このビルを建てるのに、多くの人が汗水垂らして走っている。それはきっと、昔からそうなんだ。モノは違うけど、昔からヒトは、モノを作る為に命を注いでいたんだ。」

 

そして声の主、鉄心がフセインの肩を叩いた。

彼は自らのサーヴァントがこの場所にいることを、何となく察していた。鉄心にとってもこの場所は、思い出の大切な一ページであったから。

 

「アーチャー、お前はまだ走れるか?」

「ええ、まだ。僕はクリエイターではありませんが、僕にも、作れるものがあると思います。その為に、走れる、まだ、走れますとも。」

「そうだな。」

 

互いの顔は見なくとも、その表情は読み取れる。

短くもあり、長くもある、そんな二人の物語。

 

きっとそれは、終わるにはまだ早すぎる。

 

「俺はアーチャーのことちゃんと理解できているか分からないけど、俺なりに一生懸命考えてみた。だからまずはお前の話を、お前の願いを聞かせてくれ。」

「畏まりました。聞いて頂きたいのです、僕の愛する女性と、愛する少年の話を。」

 

彼らはビルを離れ、ゆっくりと街はずれへ向け歩き出す。

目的の無い、お喋りの為の散歩。優しく吹き付ける夜風が、フセインの押し留めていた想いを、言葉に乗せて運んでいく。

 

「僕は最後まで、彼に、彼女に寄り添いたく、そう願います。」

「そうか。」

「……申し訳ありません。結局僕は最後まで、貴方の『アーチャー』ではいられない。」

「気にすんな。偶然、俺があの場所にいただけだ。物語なんてのはミラクル続きがデフォだろうよ。」

「マスターは、博物館として災害と戦うのですか?」

「あー、俺はまぁ、なんか、もうクビっぽい。……結局俺は只の一般人だからな。お前がいたから、俺は楽しい夢が見られていたんだと思う。」

「…………」

「まぁ鶯谷本舗が終わる訳じゃねぇ。地道にコツコツ行くよ。」

「いっそ第三区や第六区にも活動範囲を広げてみては?ワールドワイドに行きましょう。」

「おぉ、それもいいかもな、ワールドワイドに…………」

 

急に鉄心はその場で立ち止まる。

アーチャーは目を丸くしている鉄心に首を傾げた。

 

アーチャーから伝えられた話を思い返す。

 

オアシスで治療が確立されていない病気を持つ康太。

始まりの聖杯とは関係のないナイチンゲール。

博物館の、迷宮打破作戦。

それら全てが交じり合い、ただ一つの可能性を導き出す。

 

「鉄心?」

「ははっはははは!やっぱり、物語はいつだってミラクルだ!もしかしたら、アーチャー、お前に出来ることがまだあるかもしれない!」

「えっと、どういうことです?」

「魔法の絨毯で、お姫様を外の世界へ連れ出す物語さ!」

 

鉄心のにやりと笑う口元は、

吉岡のコラプスエゴの調査の時や

第一区に忍び込んだ時と同じ。

慎重派なアーチャーの手を引き、面白いものへ突っ走っていくときのものだ。

 

「勿論、アーチャーには死ぬほど頑張って貰う必要はあるけどな。」

「ええ、ええ、僕はまだ走れます!マスター!」

 

「行こうぜ、アーチャー。最初で最後の『恋』を叶えによ!」

 

 

迎えるは決戦当日。

開発都市第四区の最南端、海を阻む巨大な壁が存在する。

それは外の景色を写してはいるが、それより先へは進めない。

中心部とは異なり、このような辺境に来る市民は数少ない。博物館は目立たずこの場所へ辿り着けた。

並び立ったのは、巧一朗にキャスター、美頼、そしてロウヒ。

……だけでは無いようだ。

 

「おい、何でお前までここにいるんだ、鶯谷。それとアーチャー。」

「仲間外れは無しだぜ、巧一朗。」

「いや待て待て待て、前も似たようなやり取りをした記憶があるが、今回は流石に駄目だろ!しかも何だ、その隣の、ナイチンゲール先生と小さな子どもは!?遠足か!」

 

巧一朗の指摘は最もである。この作戦からは外れた鉄心と、先の短いアーチャー、何故かナイチンゲールと一般市民の子。何とも緊張感のない面子が、映画のクライマックスシーンさながらの様子で一列になっている。

 

「おい、どういうことなんだ、館長!」

 

巧一朗は耳に取り付けた小型通信ユニットで、博物館へ抗議の声を上げる。

充幸の乾いた溜息交じりの笑い声が、かすかに響いていた。恐らく彼女も、桜館長の判断に付いていけなかったのだろう。

 

「あら巧一朗、昨日、鉄心さんから土下座でお願いされて、断れませんでした♪」

「でした♪じゃねぇよ……」

「作戦の邪魔にならないようにだけお願いしましたので、後は自己責任という事で。彼らは彼らで、別ルートから迷宮の出口を探すそうです。巧一朗、貴方は貴方の仕事をしなさい。」

「いや、分かっているよ、いるんだが……」

 

美頼は鉄心やナイチンゲールが来てくれたことに喜んでいる。何故か、この場で常識的な判断をしているのが巧一朗だけらしい。

 

「本当に、俺はアイツらを守れないからな?」

「承知の上、らしいわよ。まぁ、そうね、私から言えることは、『がんば!』」

「…………(いらっ)」

 

巧一朗は通信を切断する。

全く、何を考えているのか、さっぱり読めない。

巧一朗は頭を掻きながら、失われた緊張感を取り戻そうとしていた。

 

一方、病室から康太を連れ出してきたことに、一抹の不安を隠し切れないナイチンゲール。

康太自身は久々に外へ出られたことにはしゃいでいるが、病状が悪化すれば、幾らナイチンゲールと言えど、その場しのぎの救護しか叶わないだろう。

フセインから聞かされた、一つの可能性。

それは余りにも荒唐無稽で、上手くいくことなど、一つも予想できなかった。

だがそれでもナイチンゲールは、フセインの言葉を信じてみることにした。

もう手は残されていないのだ。やれることはやっておくべきだろう。

 

「フセイン先生、これからどこに行くの?」

「これからな、ナイチン先生と三人で、魔法の絨毯の旅に出るんだ。」

「え、本当?」

「ああ、きっと楽しいぞ。」

 

フセインは康太の頭をくしゃくしゃと撫でまわした。その姿を見て、ナイチンゲールの顔にも温かさが戻る。

そしてフセインは彼らから一度離れ、鉄心の前に立った。

互いに見つめ合うこと数十秒。別れの瞬間だというのに、二人の顔は晴れやかだ。

 

「じゃん、前のときの令呪、四画がちゃんと残っていたんだ。」

「はは、本当ですね。マキリCEOに怒られますよ?」

「今使い切るからセーフ!じゃ、手を出せ。」

 

フセインは拳を突き出した。鉄心は令呪の浮かぶ左拳をこつんと合わせてみる。

友情を確かめ合う様なやりとりで、鉄心は令呪を一画使用する。

 

『令呪を以て命ずる。フセイン、お前の恋、叶えてこい。』 

 

そして仄かに輝く赤い痣は、一つ、空へ消えて行った。

だがフセインの心には、鉄心の想いがしっかりと宿る。それはまた、彼自身の祈りでもあるのだ。

 

「じゃあ次、アーメッドに変われるか?」

「はい、勿論です。」

 

フセインと入れ替わるように、その精神に主人格のアーメッドが宿る。

彼もまた、この先の運命を受け入れ、その為に走る覚悟を示した。

 

「悪いな、アーメッド。お前には損な役回りだろう?」

「本当にそう思いますか?」

「あー、なんか俺が思っているより、さっぱりした顔をしているな、お前。」

「はい。これ以上なく、さっぱりです。兄の恋路を応援できることが、貴方の期待に応えることが、僕にとって至上の喜びですので。」

「そっか、なら、最後まで気張ってこい。」

 

アーメッドは拳を突き出す。鉄心は先程同様、左拳を合わせた。

使用されたのは、残された三画全て。これにより、アーメッドの絶技、その一つが解放される。

 

『三画の令呪を以て命ずる。アーメッド、千の夜を超える奇跡を。』

 

「御意に。」

 

アーメッドの肉体に宿る赤い闘気。それは鉄心が与えてくれた希望に他ならない。

そして鉄心は満足そうな顔を浮かべると、手をひらひらと振りながら、踵を返し、彼らの元を離れて行く。

 

「鶯谷、お前は来ないのか。」

「巧一朗、俺は一般人だぜ。足手まといになりたくはねぇ。俺の役目はこれで終わりだよ。……信じているぜ、必ずミノタウロスを倒して、無事に帰って来い!」

「ああ、言われなくても。」

 

背を向けて去る鉄心を尻目に、彼らはついに、作戦を開始する。

桜館長の合図を皮切りに、繭の一部分へ巧一朗が接近する。

オアシスに残された魔術師として、彼もまた覚悟を決めている。

掌に、葉脈のように拡がった緑の線が、忽ち、壁の一部を斬り落とした。異次元のような不気味な空間に、彼らは吸い込まれるように飲まれていく。

ダイダロスの生み出した、第一の壁は難なく突破。これはむしろ、彼に誘われていると捉えるべきだ。

問題はここから、待ち受けるのは外へ人間を出さない為の防波堤、精巧なる大迷宮。

彼らが吸い込まれた先にて、以前の戦闘時に経験した、あの迷宮が目前に再現される。

 

「ここが、迷宮」

「美頼、気を付けろ。ここからは敵の思う壺だ。」

「うん……」

 

四次元的な吐き気を催す空間を、巧一朗とキャスターはずんずんと進んでいく。

置いて行かれないように美頼は後を追うが、ロウヒに肩を叩かれた。

 

「バーサーカー?」

「美頼、お前の持つ『アリアドネナビ』をナイチンゲールに渡しておけ。」

「え、でも……」

「いいから、我の言う通りにしろ。」

「う、うん、分かった。」

 

美頼は迷宮へ降り立つ前に、桜館長に託されたデバイスをナイチンゲールに手渡した。

彼女にはロウヒの意図が分かりかねたが、この後、その理由を嫌が応にも理解することとなる。

 

視界に悪い空間を抜けた先、彼らはダイダロスの大迷宮に辿り着いた。

ここからは、巧一朗、キャスター、美頼、ロウヒは同じチームで動き、ミノタウロス討伐へ向かう。

そしてアーメッド一行は、この迷宮の出口を探す。

桜の指示通り、巧一朗にはテセウスを召喚する為の準備が整っていた。

 

しかし、事はそう円滑には進まない。

 

迷宮へ降り立つ直後、出迎えとばかりに、奇襲に遭う。

彼らが来るのを知っていたかのように現れたのは、この迷宮の番人『ミノタウロス』だ。

影から振り下ろされる巨大な斧に、危険を察知したロウヒが応戦する。何処からともなく取り出した剣で、そのプレッシャーを弾き返した。

 

「好都合だな、俺たちは貴方に会いたかったよ、アステリオス。」

「……その名で呼ぶな。お前達の側に付いてしまいたくなる。」

「貴方が手を貸してくれるなら百人力なんだけどな。」

「それは決して無い。俺は所詮あの男の使い魔だ。俺はあの男の迷宮から出ることは叶わない。」

 

ミノタウロスへの交渉は当然ながら決裂する。そう甘い話にもならないようだ。

そうなると、この場で彼は倒すべき敵となる。

早期決着を望む博物館の意思により、ロウヒは開幕早々に自らの心象世界を構築する。

彼女の生み出す世界、無限鋳造機サンポを以て、ミノタウロスを羽交い絞めにする。招霊転化でテセウスを呼び出せれば、博物館の勝利だ。

 

「宝具起動。『我が願望は絶えず駆動する(イクイネン・ルオミネン)』」

 

ロウヒの足元より花開く彼女の世界。巧一朗もまた、キャスターの首のスイッチに手を伸ばした。

しかし、その刹那だった。

仮面の下で満面の笑みを見せるミノタウロスは、ロウヒの作り出す心象世界へ介入する。

そう、彼もまた、自らの心象を具現化する力を持つ。

 

「テセウスか……アイツは邪魔だ。これより先は、俺のフィールド、俺の世界。」

 

ロウヒの宝具が完成した直後、無遠慮な壁が、彼女の土地から現れ出る。それは、ダイダロスが見せた絶技に酷似するもの。

博物館は一つ重大な見落としをしていたのかもしれない。

ミノタウロスもまた、『迷宮』を所持しているのだと。

 

「侵食、侵食、ガハハハハア!迷え!彷徨え!」

「これはっ!?」

 

ミノタウロスの意思により、ロウヒの世界はそのままに、不気味な壁が乱立する。

そして、彼女と美頼だけが世界に取り残され、巧一朗たちははじき出された。

 

「美頼!」

「コーイチロー!」

「呵々、俺の役目はポポヨラの女王とのタイマンだ。巧一朗、お前の相手は災害のキャスター『ダイダロス』!勝てるものなら、勝利してみろ!」

 

ミノタウロスの宝具『万古不易の迷宮(ケイオス・ラビュリントス)』は、自らが生前閉じ込められた迷宮の再現。これはダイダロスの宝具にかなり酷似しているが、それは同一のものでは無い。

ダイダロスは創造したのみ。実際にそこを住処にしていたのはミノタウロス。彼らの作り出す心象が同じである筈も無い。

だからこそ、成立した概念。迷宮の中にまた生み出された迷宮。ロウヒと美頼だけが、彼と対峙することとなったのだ。

 

「バーサーカー」

「どうした美頼、そんな心配そうな顔を浮かべて。」

「だって、だってさっき、『アリアドネナビ』渡しちゃったし……テセウスもいないし……」

「ふ、そんなことか。簡単な話だ。『我が願望は絶えず駆動する(イクイネン・ルオミネン)』に上書きされたといえど、我が究極の切り札、無限鋳造機サンポまでが消された訳では無い。ならば我らの勝利は確実というものだ。」

 

泣きそうな顔の美頼を安心させようとするロウヒだが、そんな様子を、目の前に立つミノタウロスは嘲笑う。

 

「ミノタウロス、何が可笑しい?」

「気付いていないのか?ロウヒ。ここは俺の迷宮だ。お前の『宝』はいま、どこにある?」

「……っ!」

 

ロウヒはそこで気付かされる。

彼女の絶技、サンポは、この迷宮のどこかに隠されてしまっている。

彼女の宝具であるにも関わらず、彼女はそれを見つけない限り、サンポの力を使用することが叶わない。

 

「……やってくれたな、牛仮面。」

「お前は、お前の世界で死ぬ。さぁ、命懸けの『宝探しゲーム』の始まりだ!」

 

 

                                                   【神韻縹緲編⑧ 終わり】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神韻縹緲編9『story』

投稿頻度が上がっている気がします。
ゆっくり読みたい方ごめんなさい。
感想、誤字等あればご連絡ください!


【神韻縹緲編⑨】

 

美頼とロウヒが異質な空間に取り込まれ、数分が経過した。

ミノタウロスにより追い出された巧一朗、キャスター、アーメッドたちは、その場で立ち尽くしている。

だが、ここで彼女らを待つ選択が正しい訳もない。もし先程のミノタウロスの発言、災害会議に出ている筈のダイダロスがこの迷宮に姿を現すならば、万全の対札を講ずるべきである。

巧一朗は一先ず、通信ユニットで桜館長へ連絡を入れた。

 

「すまない、美頼とロウヒはミノタウロスの宝具により取り込まれた。彼女らの救出は困難と思われる。」

「そうですか、巧一朗さんは今どういう状況ですか?」

 

彼の声に返答した相手は、充幸だった。

今は本作戦を立てた張本人の指示を仰ぎたい所ではあるが……

 

「あぁ、すみません。館長は席を外しておりまして。代わりに私がオペレート致します。」

「え、いや、鬼頭教官が?」

「何かご不満でも?無論私も、桜館長の指示通りには動いておりますので。」

「いえ、こちらとしては特に問題はありません。俺を含め、あとの五人は無事です。ミノタウロスの発言によれば、ダイダロスがこの迷宮に現れるまで、恐らくそう時間は残されていないでしょう。ここで彼女らを待つより、我々五人も各々行動するべきだと考えます。」

「そうですね。巧一朗さんとアーメッドさん、ここで別行動をとりましょう。そもそも、彼ら三人の目的は別のものですので。」

「俺とキャスターはダイダロスとここで戦う。アーチャーはこの迷宮の出口を探す、二手に別れるという事ですね。ただ、アーチャーたちの前にダイダロスが現れる可能性もあるとは思いますが……」

「そうですね、極めて高確率でダイダロスは巧一朗さん側に狙いを定めると思いますが、ゼロとは言い切れません。こればっかりは祈るしか無いでしょうね。纏まって動いた場合の方がリスクも高くなりますから。」

「確かに、俺とキャスターで彼らを守り切れずにデッドエンドが関の山でしょう。かしこまりました、彼らと別行動をとり、俺とキャスターはダイダロス討伐を目指します。」

「……どうか、ご武運を。」

 

巧一朗は通信を切ると、聞き耳を立てていたキャスターと向かい合う。

招霊転化で召喚できるデータベースに、ダイダロスへの有効打は殆ど存在しない。垓令呪のサポートがあったとして、一体どこまで災害へ噛み付くことが出来るだろうか。

 

「巧一朗、君だけが犠牲になるつもりか?」

「……ロウヒは、きっとミノタウロスを超える。俺に出来ることを、精一杯やるだけだ。」

 

キャスターに背を向けた巧一朗。

だがその背中を、彼女は全力で叩いた。

 

「痛って!?何だよ!」

「君が望むなら、私はライヘンバッハから容易くこの命を投げ捨てよう。だがそれは希望による投身自殺であるべきだ。君のそれは、独りよがりでしかない。英雄にでも憧れたか?」

「俺は……災害を殺せたなら、それでいい。」

「だけど自分が非力だから、何も持たざる者だから、強者に託して死のうとでも?それを独りよがりと言うことに気付いていないのかい?」

「……だったら何だよ。」

「理由は思い出せなくとも、君は生きなきゃならないのだろう?私と同じ顔をした少女との約束の為に。」

「…………そうだな。」

 

サハラ砂漠にて、一人の少女に救われた。

力尽き、死に絶える瞬間に、彼へ手を伸ばした少女。

白銀の髪をたなびかせ、最大の愛情を以て、彼を抱き締めた女の子。

 

―俺は、その名を覚えている。

 

「悪い、弱気になっていた。良い喝が入ったよ。ありがとう。」

「なら良い。私もあの滝は二度と御免だからね。」

「……キャスター、お前はあの『ホームズ』なのか?」

「いいや、その逆さ。私は彼の最大の好敵手『ジェームズ・モリアーティ』。」

「何だ、探偵じゃないじゃん。」

「いいや、探偵さ。私の中に眠る『もう一人』は私と極めて近い性質を宿している。いや、ほぼ『同じ』と言っても良いだろう。ライヘンバッハの滝で救われたのが、ホームズだけじゃなかったら、そんなイフの物語さ。」

「…………成程、そうか。……お前の正体に興味の無かった俺だけど、やっと本当のお前に出会えた気がするよ。」

 

巧一朗はこれまでの行動から、白銀の探偵、その正体へ辿り着いた。

だが敢えて、彼はその名を口にすることはない。

彼女が何者であろうと、彼にとっての『キャスター』なのだ。そこが変わらなければ、それでいい。

巧一朗はキャスターと見つめ合い、互いの意思を確かめ合った。

 

巧一朗は充幸と話した内容をアーメッドたちへ伝える。

互いに『アリアドネナビ』を所有している状況だが、指し示したルートは別々のものとなっている。

これは迷宮という性質を利用したルート分岐だ。巧一朗たちは最短ルートで、アーメッドたちは遠回りで出口へ向かう。

ダイダロスが現れるとすれば、最短ルートの方だろう。巧一朗の交戦中に、アーメッドらは出口へ辿り着けるはずだ。

 

「いいのですか、巧一朗さん。」

「そっちには小さな子もいるからな。それに、鶯谷の令呪があるとはいえ、お前も本調子じゃないだろう?」

「そう……ですね。」

「……あのさ、短い間だったし、俺はあまり貴方と話していないとも思うけど、でも色々助かったよ。鶯谷のことも、有難う。」

「頭を上げて下さい、巧一朗さん。最後まで貴方たちの旅に同行できず、申し訳ございません。こちらこそ、本当に楽しい日々でした、有難うございます。」

 

彼らは互いに頭を下げ、そして、別れを告げる。

もう再会することはない、そのことを、互いに察知していた。

 

「あ……あの!」

 

二手に別れる直前、意外な人物が声を上げた。

それは博物館とは無関係のサーヴァント、ナイチンゲール。彼女は本作戦に無理矢理な形で参加したことに、罪悪感を覚えていたのだ。

自らを役立たずと称する彼女だが、せめてもの思いで、声を上げた。

 

「どうかされました、ナイチン先生。」

「この度は、我々の願いを聞き届けて頂き有難うございました。部外者の私を、招き入れて下さって……」

「いえ、それが博物館の、アーチャーや鶯谷の願いでしたので。当館の館長の意思ならば、俺はそれに従うだけです。」

「有難うございます。私はサーヴァントとしては二流、三流ではありまして、宝具はおろか、スキルさえも大幅な弱体化を受けております。でも、一つだけ、貴方がたに協力できることがあるかと思います。お時間は取らせません。」

「それは何でしょうか?」

「はい、それは『情報』です。もし貴方がたがこの先、第五区へ足を運ぶなら、災害のアサシンと敵対するならば、知っておくべきことがあります。」

 

ナイチンゲールは第五区で誕生したヴェノムバーサーカー。

アヘルにおいて地位は低いものの、災害のアサシンの直属で働いた経験がある。

 

「まず、第五区は宗教組織『アヘル』が全てを管轄しています。災害のアサシンによって生まれた、人間に英霊の力を注入した『ヴェノムサーヴァント』、私やランサークラスを除いた五騎が都市運営をしているのです。彼らはコードネームで『シュランツァ』『ウラルン』『ショーン』『モゴイ』『アダラス』と呼ばれています。元は人間であるものの、並のサーヴァントでは彼らに太刀打ちできません。」

「成程、シュランゲ、ウラル、ショー、モゴィ、アダラか。ネーミングセンスは皆無だね。」

「キャスター、どういうことだ?」

「彼らの名は全て、別の言語だ。意味は同じ、動物の『蛇』さ。」

「蛇……」

 

英霊をその身に宿す人間たち。

それは招霊転化の技術にも近い。

彼らは如何なる手で、常軌を逸した技を使っているのだろうか。

 

「ふふ、ナイチンゲール。君は災害のアサシンについても、何か知っているんだね?」

 

キャスターの問いかけに、ナイチンゲールは深く頷いた。

これこそが、博物館にとって最も有益な情報であるだろうと、確信している。

 

「災害のアサシン、その名を私は知っています。その正体は『蛇』であり、世界を滅ぼしかねない『毒』を有している。」

 

 

「災害の名は『蛇王ザッハーク』。」

 

 

巧一朗は脳内データベースを漁ってみる。

『シャー・ナーメ』というペルシアの叙事詩に登場する、悪逆の王。悪霊イブリースに騙され、両肩に蛇を生やした化物になってしまった。そして人間をひたすらに食らい続け、最期には英雄フェリドゥンによって退治されてしまう。

だがこのとき、彼の頭に疑問符が浮かぶ。

彼は一度、サハラの地で、アサシンと巡り合っていた。だがそのとき、その肩には『何もなかった』筈だ。

蛇を隠し通していたのだろうか、はたまた……

 

「ザッハークの狙いは、恐らく統一国家の設立でしょう。噂によれば、アインツベルンカンパニーを裏で操っているとも。敵対するには、あまりにも危険な人物です。……私が知るのはここまでです。少しでもお役に立てていれば良いのですが……」

「あぁ、ありがとうございます。いつかは倒さなきゃいけない相手ですので。」

 

ナイチンゲールの話は終わり、いよいよ別れの時が来る。

きっと、アーメッドも、ナイチンゲールも、巧一朗が生き残ることを信じている。でなければ、彼に残す言葉など無かった筈だ。

キャスターは『期待されているねぇ』と嘲る。だがそれは、巧一朗にとって、少しばかり心地良いものであった。

きっと、今、美頼やロウヒも頑張っている。

ならば、キャスターの言う通り、生きる為の戦いに臨むべきだ、そう決意を新たにした。

そして二人はアーメッドたちの元を離れ、歩き出した。挑むは災害、工匠のダイダロス。

 

 

巧一朗が去った後、アーメッドもまた、意志を固める。

ナイチンゲールと康太が不安そうに見つめる中、初めて会った彼らに、精一杯の笑顔を振りまく。

 

「では、こちらも行きましょうか。」

「……はい、『アリアドネナビ』は右へ進むよう指示を出しています。巧一朗さんとは真逆の……」

「ええ、それで大丈夫です。」

 

アーメッドが康太の方を覗き込むと、か弱い少年は、ナイチンゲールの背に隠れてしまった。

どうやら姿かたちは同じ、フセインとは違う『誰か』に怯えているらしい。子は存外、人間の動作の機微に敏感だったりする。

 

「康太くん、大丈夫よ。」

「えっと、うん、えっと。」

 

康太はフセインがいないことが不安で仕方ないらしい。

アーメッドは自分がこの場で邪魔になっていることを察し、鉄心との約束の宝具の使用を決心する。

元より、彼の戦いはここが最後。ここからは兄フセインが頑張る番だ。

全身全霊の一矢、通常死ぬことは有り得ないが、消滅間近の彼にとっては、命を捨て去る宝具だ。兄の想いを叶える為に、彼はその弓を取り出した。

「アーメッド…さん?」

「……兄は、家族のことを大事にして、自らを優先しない男なんです。だから、僕はずっと兄に幸せになって欲しかった。」

 

空飛ぶ絨毯の物語。

一番矢を飛ばした男が、王妃を手に入れる。

アリは狙った先へ飛ばし

アーメッドはどこまでも落ちぬ矢を飛ばし

フセインは

 

「(分かっているよ、兄さん。貴方は、僕らへ譲ってくれたんだよな。)」

 

結果、物語はアリとアーメッド二人の幸せで幕を閉じる。

フセインだけは、独り身で、何処までも絨毯で旅を続ける。

アーメッドにはそれが寂しく感じられた。

だから第二の生において、アリとアーメッドは、フセインの恋を応援した。

アーメッドが掌を天高く翳すと、光の玉が現れ、そこから魔法の絨毯が取り出される。

そしてそれを絞るように操ると、忽ち矢の形状へ変化した。

 

「凄い」

「フセイン先生の言っていた、空飛ぶ絨毯だ!」

 

アーメッドはマジシャンになったかのように得意げだ。

最期に、自らも康太の笑顔を引き出せたことを嬉しく思う。

 

「さぁ、二人をこれから、空飛ぶ絨毯の旅へ連れて行きますよ!」

 

アーメッドは迷宮の先の先へ向かい、矢を番える。

彼が魔法の絨毯に与える権能は、ただ一つ。

〈何があろうとも、恋を叶えるまで決して落ちないこと〉

 

『求めたのは不落の矢。これはある語り部の紡いだ、終わりなき恋の物語。』

 

アーメッドは限界まで弓を引き絞った。

彼の肉体から零れ出る粒子が矢の先端へ宿る。

自らの精神をフセインから剥し、全身全霊を、この一射に託した。

 

『天球を廻る一途な羇旅(レルアバドゥ・サハム・アルフ・ライラ)』

 

矢は、黄金を描き、放たれる。

加速した魔法の絨毯に、フセインが乗っている。

彼は絨毯の上に、ナイチンゲールと康太を乗せた。その速度に、二人は目を見開いている。

 

「きゃああああ!」

「え、なに!?なに!?」

「しっかり捕まってくれ、ナイチンゲール!康太くん!」

「フセイン先生!?」

「フセイン!」

「行こう!空飛ぶ絨毯の物語だ!」

 

三人を乗せた絨毯は、迷宮の先の先へ、あっという間に消えて行った。

そして、その場で崩れ落ちたのは、アーメッドだった筈のモノ。

迷宮と混ざり合うように、砂となって零れ落ちていく。

 

「やりましたよ、鉄心……僕は…………」

 

口を動かすことは叶わない。

だが、だからこそ、言葉にしたい。

彼の創造主こそ、言の葉を紡ぐ英雄ならば

彼もまた、最期は吐き捨てるように喋りたい。

 

「あ……あぁ…………ペリパヌー…………」

 

―あぁ、またいつかどこかで君に出会うことがあったなら。

 

「恋が…………したいなぁ………………」

 

足も、手も、胸も、頭も、全てがさらさらと崩れ去った。

誇らしい兄の背中を、優しく見守りながら。

 

 

ロウヒの敷いた固有結界内にて

ミノタウロスの侵食迷宮により、切り札である無限鋳造機サンポが彼の手で隠されてしまう。

『命を懸けた宝探しゲーム』だと嗤うミノタウロス。

汗の止まらない美頼の肩にロウヒはそっと手を乗せた。

 

「バーサーカー、ヤバいよね、これ」

「何がだ?」

「『我が願望は絶えず駆動する(イクイネン・ルオミネン)』はバーサーカーの持つ最強の必殺技。無限鋳造機サンポの力で、敵を殺す出力を持った武器を生成出来るから、この心象風景に閉じ込めた時点で、バーサーカーの勝ち、だけど……」

「あぁ、サンポが見当たらない以上、我の心象に何の効果もありはしないな。只のみすぼらしい殺風景だ。」

「それに相手は、使い魔とは言えど、災害クラスのパワーを持っているんでしょう?どどどどどうしよう!?」

「そうさな。ふん、まずは美頼、カレワラについて話そうか。」

「はい?」

 

呑気なロウヒに痺れを切らしたミノタウロスが襲い掛かる。

だが地面から這い出た無数の鎖が、彼を束縛した。

 

「なに!?」

「いいから、そこで貴様も我の話を聞いていろ。なに、貴様からすればマイナー文学だろうけども、な。」

 

『カレワラ』はフィンランドの伝統的な民謡文学である。だが現代に残された物語としては異質な立ち位置である。

口承にて伝え聞かされた伝説だが、現代において文書として遺されたものとは、内容が些か異なっている。それは後の時代にて、歌謡、民詩の取捨選択が行われ、物語の整合性が取れるように再編された為だ。つまり英雄譚として見るに、登場人物たちの持つ能力、精神性は僅か数パーセントしか物語に反映されていない。

例えば、この『カレワラ』の世界において、登場する一般人ですら、魔法領域に達している、とされた。だがそれは現代的には『魔術への精通』と解釈されている。これは全市民が魔法領域へ達した場合の、破綻、崩壊を阻止する目論見でもある。

この『カレワラ』が神話であるか、それとも、ヒトの手による英雄譚であるか、それは読み手の解釈に委ねられる。オアシスという地で召喚された以上、この世界のロウヒは『ヒトの限界を極めし悪王』であり、神へは成りえない。

だが、それはオアシスの地において、という話である。

 

「どういうこと?」

「『我が願望は絶えず駆動する(イクイネン・ルオミネン)』は我の、ポホヨラの心象を具現化する領域魔術。これは決して『無限鋳造機サンポを呼び出す魔術』では無いという事だ。」

「?」

 

首を傾げる美頼に対し、いつの間にか話に聞き入っていたミノタウロスが答えた。

 

「無限鋳造機サンポは、副産物に過ぎない、と?」

「そうだ。伝言ゲームというのは怖いものでな。ヒトからヒトへ伝わる際に、元のものから徐々にズレが生じていく。だが、そうして伝わった全てが、我の物語に他ならない。この領域は、歴史が物語る『反英雄ロウヒ』への期待が元に構成されている。主人公であるヴァイナモイネン、鍛治屋イルマリネン、彼らの好敵手たるロウヒは『これぐらい強くなければならない』というな?」

 

ロウヒが指を鳴らすと、彼女の心象領域は大きく様変わりし、豪雪の凍土が再現された。

 

「バーサーカー、これは…!?」

「貴様らは『カレワラ』を知らなさ過ぎる。ポホヨラの女主人ロウヒが権能を存分に振るいだすのは、『サンポが奪われた後』だろうに。」

 

ミノタウロスが頭上を仰ぐと、天から空を混ぜるようなハリケーンが巻き起こり、彼の元へ落ちてくる。彼は鎖を引きちぎり、これを回避しようとするが、一秒間に合わず、その右足を風に切り落とされた。

 

「ぐぁあああああああああああ」

「さぁ、次だ。」

 

ロウヒが再び指を鳴らすと、ミノタウロスの足元から、巨大な深海の主が現れる。彼の巨体を遥かに上回るスケールで、丸呑みせんと襲い掛かった。

 

『水の主は陸へ、我は水へ。水の主は鉄より重く、我は落ち葉より軽い。』

 

深海の主は巨大な目と口を有する、まさに異形そのものである。美頼は思わず後ずさるが、たとえ誰がこの場にいても、彼女と同じ反応をしていただろう。ミノタウロスは持ち前の斧で応戦し、その牙へ向け叩きつけた。

 

『無限の手を持つ海魔(イクトゥルソ)』

 

フィンランドの伝承における災厄、深海の異形『イクトゥルソ』。

それはサーヴァントですら容易く喰らう、無数の触手を纏う怪物。『カレワラ』にて、ロウヒが英雄たちに差し向けた刺客の一体。

これもまた、ロウヒがサンポを使用できないという特定の条件下でのみ行使できる魔術である。

『敵を一人殺害する剣を創造する無限鋳造機』がどれ程までに易しかったのか。

この悪魔は、領域内の全てを喰らってもなお、空腹が満たされることはない。

 

ミノタウロスはイクトゥルソの歯を、刃で叩き割っていく。

それは触手を切り落とすより、実に効率的と言える。丸呑みされ、消化される前に、突破口を用意したのだ。

彼は無限に生える触手の波を潜り抜け、イクトゥルソの目へ飛び掛かった。

ぎょろりと彼を捉える目に、流石のミノタウロスも若干ながら怖気づく。だが、この視線の圧に屈する程、彼は怪物の看板を張ってはいない。

ミノタウロスはイクトゥルソの顔面にしがみつくと、獣のように爪を立て、その眼球を腕で貫いた。

海の化物の断末魔は、鼓膜を破る勢いだ。ロウヒは美頼の周りにシャボンの如き膜を張り、彼女を守り通す。

眼球を乱雑に抉り取ったミノタウロスは、それを雪原へ投げ飛ばした。崩れ落ちるイクトゥルソを尻目に、彼はロウヒへ向け走り出す。

 

「流石だな。神話の怪物だぞ?そう簡単に殺せるものか?」

「世辞は結構。俺はどうやらお前を早々に殺すべきなようだ。」

「それは我も同じだ。」

 

ミノタウロスは超人的な速度でロウヒの前に躍り出る。対するロウヒは、一切武器を持たず、澄まし顔のままだ。

それが牛仮面の怪物にはどうにも気に入らなかった。彼は斧を振り被り、ロウヒの核を切り裂こうとする。

 

「バーサーカー!」

 

美頼の叫びがこだまする。

だがロウヒは余裕綽々といった素振りだ。全てが彼女の計算通り、そういう意味での含み笑い。

そして、ミノタウロスの斧が届くことは無かった。

彼の両手と片足は、後ろから伸びた触手に囚われ、雪で固まった地面を引きずられていく。

 

「イクトゥルソは死なん。水滴の一粒あれば復活する。」

「くそ!馬鹿な!」

 

ミノタウロスは再びイクトゥルソと向き合うこととなった。

だが今度は先程と異なり、全身が触手に捕縛されている。

逃げ出すことも出来ず、その胎内に取り込まれた。

 

「……ミノタウロスは死んだの?」

「さぁな。腹を突き破って出てくるかもしれん。だが、あとは鼬ごっこだ。奴が根を上げるまでの、な。」

「バーサーカーって、凄いんだねぇ。」

 

美頼は余りにも頼もしい彼女に、惚れ惚れしている。何とも緩んだ顔をしていた。

だが対称的にロウヒが笑いかけることは無かった。

 

「バーサーカーが私を同行させた理由って、サンポに頼らなくても強いっていうのを証明するため、なのかな?」

「……そうさな。」

 

ロウヒが言い淀んだことに、美頼は気付かなかった。ロウヒには何か別の意図があったのかもしれない。

 

「……ポーランドの詩人が残した、『三つの不思議な言葉』という概念。三つの矛盾を知っているか?」

「え、急にどうしたの?知らないけど…」

「一つ目が『静寂』、二つ目が『無』、そして三つめが『未来』だ。静寂を口にした時点で、その場に静けさは無くなる。無を口にした時点で、それは有となり、未来を口にした時点で、それは過去のものとなる。」

「えっと……なるほど?」

 

要領を得ない美頼に対し、ロウヒはようやく口を緩ませた。

 

「言の葉は生き物だ。流動し、成長し、時代と文化で形状変化を起こす。だが、変わらぬものがあるのもまた事実だ。これから多くを経験し、誰かの為に走り抜けるだろうお前は、そのことを決して忘れるな。貴様の願望もまた、絶えず駆動するのだから。」

「????」

 

目が点になっている美頼を放置し、ロウヒはイクトゥルソへ向かって歩いて行く。

すると、その腹を切り裂き、胃液で塗れたミノタウロスが現れ出た。

その筋肉は所々が消化液に侵され、腐り果てている。強烈な悪臭が、領域内に広がった。

 

「流石の執念だな。ミノタウロス。」

「ああ、俺はまだ負けていない、からな。」

 

ミノタウロスは地に拳を突き立て、自らが呼び出した迷宮を崩壊させる。

ひび割れ、崩れ落ちていく壁。崩落と共に姿を現したのは、無限鋳造機サンポであった。

そしてサンポがロウヒの元へ返還されたことで、イクトゥルソは完全に消滅する。

ミノタウロスはフラフラとした足取りで、ロウヒへ襲い掛かろうとする。

だがそれは、美頼から見ても、哀れとしか言いようのない光景だった。

今の彼は余りにも弱弱しい。幻霊マールトにすら、容易く殺されかねないだろう。

 

「成程、サンポを我に献上し、海魔の襲撃を断ち切ったか。」

 

ロウヒは賞賛の拍手を送りつつ、サンポで即座に鋳造された宝剣を飛ばし、ミノタウロスを八つ裂きにする。

それは誰がどう見ても、弱者への虐待だった。切り裂かれた部位から夥しい量の血液と、光の粒子が漏れ出した。

だが、それでもなお、怪物ミノタウロスは止まらない。

宝剣の切っ先をその手で握り締め、血を噴き出しながら、ロウヒへと向かって行く。

 

「ミノタウロス、何が貴様を動かしている?ダイダロスへの忠誠心か?」

「……そんなものはない。」

「ならば、何だ?貴様を奮い立たせるものは。」

「俺はいつだって俺自身と戦い続けている。俺の中に住まう醜いモノを殺すために。」

 

生まれて、沢山の愛を受けて、それと同じだけの迫害を受けて、牛仮面は独りになった。

迷宮に迷い込んだ子ども達、捧げものの子ども達。

仲良くなっては平らげた。無数の命を飲み込み続けた。

 

そしていつも『独りぼっち』

 

醜悪なミノタウロス。誰もが怯え、誰もが嫌う。

 

「へぇ、アンタがアステリオスか!ダイダロスの友達の、クラスはライダーだ。よろしくな!」

 

光が一つ、差し込んだ。

呪われた男が、俺の手を取る。穢れた俺の手を、ぶんぶんと振り回す。

 

「俺が怖くないのか?」

「何故だ?アンタは英雄アステリオスだ。一緒にオレと船旅をしよう。一緒に広大な海を見に行こう!」

 

俺は呪いに救われた。

美しいものに、救われたのだ。

 

「俺はダイダロスなぞに興味はない。俺はあの男の為に戦う。俺を救ってくれた男に、恥じない戦いをするのだ!」

 

ミノタウロスは片足で跳躍する。

斧を天に翳し、ロウヒへ向けて全身をバネに振り下ろした。

これこそが彼の最期の攻撃。残された力の全て。

 

「うああああああああああああああ」

 

その声は魂の叫び。

怪物を掬い上げてくれた、あの男への想いの慟哭。

誰もが幸せに笑い合える世界で、何処までも続く海を見る為に。

 

「俺は、勝つ!」

 

流星の如き一振り。

その衝撃は、領域全体へ嵐となって吹き荒れた。

ロウヒが手にしたのは円形の盾。それはスパルタの大英雄が如き、如何なるものも通さない代物。

金属音が轟くが、それが反響した後に、聞こえてきたのは破裂音。

割れたのは、ロウヒの盾だ。ガシャンと音を立て、そのものが崩れ去る。

 

「バーサーカー!」

 

だが、斧がロウヒに届くことは無かった。

先に崩れたのは、ミノタウロスの両腕だ。イクトゥルソの消化液によって溶かされていた腕が、ぼとりと地面に落ちていく。

そして彼の身体もまた。

既に四肢を捥がれた怪物は、地に伏すことしか出来なかった。

この戦いは、ロウヒの勝利にて幕を閉じる。

 

「見事だ、歴史に名を遺した怪物ミノタウロスよ。」

「あぁ……そうかよ…………」

 

ロウヒは固有結界を消滅させ、美頼を連れ出した。残されたのは、既に見る影を失った怪物の残骸のみ。

だが、美頼はそんな彼の元へ走り、彼女の手の甲に宿るマキリ製令呪を使用する。

祈りも、願いも無い。単純な治癒のための魔力譲渡だ。彼女は、そうせざるを得なかった。

 

「人間が……また俺が暴れ出してもしらないぞ…………」

「もう、貴方は大丈夫。一生懸命戦ったから、もう……」

「お前らは、まだダイダロスが残っているだろう。なら力の使いどころを間違えるな。俺の戦いはもう、終わった。」

 

目を閉じたミノタウロス。

だが彼の想定とは逆に、このオアシスから退却することは無かった。

彼の崩壊した肉体は、しぶとくもこの地に残り続ける。

 

「ミノタウロス、貴様にはまだやるべきことがあるようだ。」

「何だと?」

「どうせ貴様は我には敵わん。つまり敵対する道理はない。……最後ぐらい、力を貸してくれてもいいだろう?」

「お前に貸すものなど無い。」

「我では無い。お前を英雄(アステリオス)と呼んだ、一人の無力な青年にだ。誰しもにとって、名を改めることなど、特段意味の無いことだろう。だが貴様は違う。貴様はその名で呼ぶ者を、捨て置くことはしないだろう?」

「俺をお前の物差しに当てはめて語るな。……俺はもう疲れた。殺す気が無いなら、さっさと散れ。」

 

ミノタウロスがこれ以上話すことは無かった。

 

ロウヒは彼に背を向け、歩き出す。美頼も急ぎ、彼女の傍へ走り寄った。

既にこの迷宮へ到達してかなり時間が経っている。巧一朗たちの安否を早期に確認したいところだ。

 

「え、でも、どっちに進めばいいのかな?」

「知らん、我に聞くな。」

「え、でも、アリアドネナビを手放したの、バーサーカーだよね?」

「……我の仕事はここまでだ。後は巧一朗が何とかするさ。きっと、な。」

 

ダイダロスの権能の一つ、『大迷宮のミノタウロス』の無力化に成功した博物館。

災害会議を早々に退出した災害のキャスター『ダイダロス』が、遂にその牙を剥く。

 

 

天空城塞ヘヴンズゲートにて

ダイダロスを見送ったザッハークは、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべていた。

今日もまた、災害のライダーは出席していない。

ザッハークの指示で、アインツベルンカンパニー当主のミヤビが、オートマタの誤作動による反乱を起こさせる。

第一区を管轄するライダーは、その処理に自ら乗り出していた。

ザッハークは意図して、彼の出席を抑えたのだ。

 

「くくく、災害決議を執り行うぞ?」

「待て、アサシン。流石に二人も災害がいねぇのに決定するのはアリなのか?」

 

止めに入る、災害のアーチャー。焔毒のブリュンヒルデもまた、立ち上がり、アサシンの横暴を止めようとする。

が、しかし。

ブリュンヒルデの口から漏れ出たのは、彼女の真意を隠蔽する、意味の生じない言葉だった。

 

「熱い(さむい)」

「あぁ?何が?」

 

苛立つアーチャーに対し、ザッハークは嗤い続ける。

 

「お前は何も言わなくていい、『ヴェノムランサー』。」

「熱い(さむい)、寒い(あつい)……っ」

 

ザッハークは立ち上がり、焔毒のブリュンヒルデの元へ歩いて行く。

恐怖に縛られた彼女をゆっくりと椅子に座らせ、その耳元で囁いた。

 

「余が貴様を守ってやる。第六区もな。お前は何もしなくていい。少しでも余に歯向かってみろ。余の毒がまわり、貴様は永遠に喋れなくなるぞ?」

「っ…………」

 

ザッハークは怯える彼女を放置し、再び自らの座席へと戻る。

アーチャーはその様子をどこか不愉快そうに眺めていた。

 

「てめぇ、何を考えてやがる。」

「さて?良いでは無いか、些末なことだ。今は、災害議決を優先すべき。」

 

ザッハークの提案。

それはこれまでの災害にとって、考えもしないもの。

災害のアーチャーだけは、これに同意するのに時間を要した。

 

オアシスの歴史が変わる。

オアシスの全てが狂い始める。

これはそんな物語の、最初の一ページ。

 

 

                                                   【神韻縹緲編⑨ 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神韻縹緲編10『truth』

物語は佳境へ

感想、誤字等あればご連絡ください!


【神韻縹緲編⑩】

 

「僕の方がヌーロニハルを愛している!」

「いや、僕だね。僕の恋は海よりも深い!」

「いや、僕の方が!」

「僕だね!」

 

目の前で、弟たちが一人の女性を巡って争っている。

趣味の異なる三兄弟が、同時に一人の女を愛した。

誰がより彼女に男らしさを見つけられるか。

この矢を一番遠くへ飛ばしたものが、麗しの彼女を手にすることが出来る。

 

「まずはフセインからだぞ。」

「兄さんは弓が上手いからなぁ……」

 

父が、弟たちが、そして彼女が見守る中で。

僕は矢を天に翳した。

 

「…………………行くぞ。」

 

弓を精一杯引いた。

筋肉が引き千切られそうなほど、強く引いた。

きっと彼らより、遠くへ、遠くへ、飛ばすことが出来ただろう。

でもこの時の僕は、あろうことか地面に向かって放った。

当然矢は飛んでいかない。

勝利は絶望的となる。無邪気に喜ぶアリとアーメッドがいた。

 

「やばい、まずったなぁ。ここ一番で緊張してしまった。」

 

僕は頭を掻きながら、笑ってみせる。

これでいいと、思った。

何と言う事も無い。

諦めれば、アリかアーメッドは幸せになれるのだから。

兄ならば、当然のことをしたまでだ。

 

この気持ちに蓋をしたまま。

僕は魔法の絨毯の旅を続ける。

いつか、諦めたくない恋に出会うまでは。

このままで、良い。

 

 

フセインは康太を抱き締めながら、迷宮を真っ直ぐに進んでいく。

絨毯にはもう一人、ナイチンゲールが共に騎乗している。バランス感覚を掴むまでは、彼女もフセインにしがみついていた。

現在は少しばかり恥ずかしくなったのか、フセインの袖を指で摘まんでいる。

迷宮は暗く、陰鬱な回廊がどこまでも続く。康太を喜ばせる景色がそこに広がっていないのは、仕方ないとはいえ残念である。

だが、康太はそれでも目を輝かせていた。

 

「フセイン先生!見て!壁から大きな木が生えているよ!」

「本当だな。当たると危ないから、ちょっと下降するよ。」

 

フセインは康太を右腕で強く抱き締め、左手でナイチンゲールの手を握った。

 

「あ」

「離さないで、ください。」

「うん………はい………」

 

アリアドネナビの指し示す先、到達まであと半時間。

どこまでも、この手を取っていたいと思ったフセインであった。

 

 

巧一朗とキャスターは最短距離で出口を目指す。

無論、そのまま迷宮踏破とはいかないことを、彼らは承知している。

彼らは互いに話を切り出さない。敵の懐にいる為か、緊張感によるものか。

巧一朗は歩きながら、自らの掌を見つめる。

サハラの聖杯戦争、途方もなく昔のことに感じられる。

だが、彼の心に灯る復讐の火が吹き消されることは無かった。

 

「君は……」

 

ふとキャスターが沈黙を破る。

何か言い辛そうなことを話そうとしているのか、中々その続きが出てこない。

巧一朗は辛抱強く待ち続ける。

 

「君は、私と同じ顔をした少女を、過去に失っている。まだ君は、彼女を……」

「あぁ、俺は愛している。」

「……野暮だったね。」

「いや、改めて、俺は災害を殺さなきゃいけないと思った。それでセイバーの無念が晴らされるかは分からないけど、それでも。」

 

巧一朗は握りこぶしを作ってみせる。

キャスターは、そんな巧一朗を見て、何とも言えないような表情を浮かべた。

 

「どうして巧一朗はそこまで…………」

 

白銀の探偵でも、モリアーティでも無い。彼女の中で眠る少女が口にしたように思える。

だが巧一朗が気付く筈も無い。隣を歩いている二人だが、そこには果てしない壁が存在する。

 

「僕にも聞かせてもらえるか。巧一朗、お前が何故、非力なままに僕らへ挑んでくるのかを。」

 

突如、二人の前に、一人の男が召喚された。

災害のキャスター『ダイダロス』。アーマーを失った彼は、生身の姿で二人の前に姿を見せる。

巧一朗とキャスターはすぐさま臨戦態勢を取る。

 

「盗み聞きか、趣味が悪いな。」

「巧一朗、本当にお前がここに来るとはな。勝算はあるのか?言っておくが、『テセウス』というカードは俺に効かないぞ?」

「あぁ、そんなことは百も承知だ。」

 

巧一朗はキャスターの電源を落とす。そして招霊転化の準備に入る。

 

「重ね、束ね、契れ…鈴を鳴らせ、線を垂らせ、器を満たせ、君の形を我が結ぶ(コギト・エルゴ・エス)、讃歌を謳う、一刻の邂逅と永劫の訣別に」

「頼んだぞ、アヴェンジャー!」

 

巧一朗の行動を察知し、ダイダロスはエネルギー弾を砲撃する。だがそれらは召喚に応じた者の手によって阻まれた。

巧一朗のイマジナリーサーヴァント、一分間の契約にて召喚されたのは、ダイダロスもよく知る人物だ。

 

「サーヴァント、アヴェンジャーのクラスにて現界を果たしました『ペルディクス』です。お久しぶりね、ダイダロス。」

 

金色の髪にスレンダーな体系の美女が、巨大なコンパスを携えて現れる。それは数学にて円を描くための文具であるが、彼女の持つそれは鋭い針が装着された『槍』に他ならない。

彼女の登場に、ダイダロスは苦々しい表情を浮かべている。それもその筈。発明家ペルディクスの才能に嫉妬して、彼女を殺害したのが、何を隠そうダイダロスなのだから。

彼女の登場と共に、ダイダロスの右肩に宿ったシャコの呪いが彼を蝕む。ペルディクスを殺した結果、ダイダロスはアテナから罰を受け、一生消えぬ鳥の形の傷と、呪いを受けたのだ。

 

「一分しか無い。充幸さん、垓令呪を頼む。」

 

巧一朗が小型通信ユニットで充幸へ呼びかけると、その瞬間、ペルディクスの魔力が秒速で上昇していく。

ダイダロスは流石に身の危険を感じたのか、先制攻撃に出た。

彼は修理途中のアーマーの左腕部分を独自改良し、オリハルコン製のレイピアを創造する。それはペルディクスの持つコンパスの針にも負けない鋭さを有する。もし一撃でも貫かれれば、サーヴァントでもひとたまりもない。

だが、ダイダロスの攻撃を、ペルディクスは悠々とはじき返した。それどころか、その衝撃で、ダイダロスを転倒させ、コンパスの柄の部分で彼の腹部へ殴り掛かる。アーマーを装着していない彼には、吐き出す程の痛烈な一手である。

そしてペルディクスは彼の上に跨ると、コンパスとは別に所持していた小型の鋸を彼の脳天目がけて振り下ろした。ダイダロスはその直前で何とか右に避ける。振り下ろされた鋸は、地面に深く突き刺さった。

 

「ったく、ヘヴンズゲートでお前という女を真っ先に消したというのに、博物館め、やってくれたな。」

「あら、私を最初に葬り去ったの?情熱的なのね、ダイダロス。ごめんなさいね、世紀の大発明家ともてはやされた貴方には、私という『天才』は鼻についたでしょう?」

「そういう所もだよ。あぁ、殺して正解だった。」

「もう、ダイダロスったら、『臭い物には蓋をする』癖はついぞ直らなかったのね。」

 

今度はペルディクスが攻撃に出る。頭上でコンパスを巧みに回転させながら、それをダイダロスの立つ方角へ投げつけた。

彼はその投擲を難なく避けるが、ペルディクスの狙いは、的へ当てることでは無かった。地面に刺さるコンパスがひとりでに動き、その場でくるくると回転する。ダイダロスすら巻き込んで、大型の円を描いた。

そしてペルディクスが「FIRE!」と叫ぶと、サークルの内部が大爆発を起こす。ダイダロスは描かれた円から一歩も出ることが叶わず、燃える炎に包まれる。

ペルディクスのコンパスにて描かれた円は言わば『牢屋』だ。彼女はその中に囚われたものへ、集中的な範囲攻撃を与えられる。

その脱出方法は二通り。遠距離攻撃にて、ペルディクスへダメージを負わせるか、コンパスそのものを破壊すること。

煙を払うダイダロスが取った行動は後者だ。垓令呪のバックアップ化にあるペルディクスは一旦無視して、彼女の武器を壊す方へ集中する。

ダイダロスはレイピアを形状変化させ、大木を切り落とすオリハルコン製の斧にした。それを力いっぱいコンパスの柄に叩き込む。

 

「やっぱり貴方はそうするわよね!」

 

ペルディクスにとって、ダイダロスの行動は読み通りだ。同じ技術者であるからこそ、人間としては嫌っていても、互いに技術そのものへの崇拝がある。だからこそ、それを打ち負かしたいと、二人は同時に考えていた。ダイダロスはコンパスを、ペルディクスはこの迷宮を。

彼女が掌を前方に向けると、コンパスは自動的に彼女の手に戻った。同時に、ダイダロスは円の中から解放される。

炎に包まれながらも無傷のダイダロスに、ペルディクスは爪を噛んだ。生半可な攻撃は、この男には通用しないという事だ。彼女が確認するところ、彼は視認できない程度に薄く、それでいて強固な『膜』の鎧を身に纏っている。すぐさま鎮火したのも、この膜の鎧の効果だろう。

 

「おいおい、一分ってのはこんなに長かったか?巧一朗。」

「まだ三十秒だよ、災害のキャスター。いくぞ、アヴェンジャー、ラストスパート頼んだ!」

 

止めどなく、彼女に注がれる垓令呪。だが一分間に注がれる魔力量にも限度がある。これは博物館側の技術の問題だ。『垓』を一度に使用することは出来ず、現在においてもまだ一万画しか使用されていない。

だがペルディクスにはそれで十分だった。彼女はダイダロスを葬ることの出来る絶技を有している。これは生前の彼女の死の逸話の再現である。かつて『兄』であるダイダロスによってアテナイのアクロポリスから突き落とされたペルディクスの、復讐の宝具だ。

ペルディクスはコンパスを彼の頭上に投げつけた。ダイダロスはそれをはじき返そうとするが、そのコンパスはひとりでに攻撃を避け、空へと昇る。そして迷宮の頂上に円を描くと、ダイダロスのいる場所へ光の柱が降り注いだ。

 

「何だ?」

 

雲の合間から漏れ出る陽の光のような光景は、誰しもが、神に導かれたように思えるものだ。天使に誘われるように、ダイダロスの肉体も宙へ浮かび上がる。まるで空へ引っ張られるかのように、迷宮の天井まで肉体を押し上げられた。

そしてペルディクスはアテナの力の一端であるシャコの翼を広げ、宙を舞う。

ダイダロスが彼女の接近に気付いたとき、既に手遅れだった。ペルディクスはその翼で、浮かび上がる彼の元へ近寄り、燃え上がる憎悪の拳を彼の顔面に向けている。

そう、これは転落死した彼女の、復讐劇だ。彼女の拳が、ダイダロスの頭蓋にクリーンヒットすると、彼は真っ逆さまに迷宮の地面へと墜落していく。

 

『其れ聖域と呼ぶ勿れ(オルギ・アクロポリス)』

 

彼女は、ダイダロスを殴り落とした。

魔力の上乗せされた拳が、ようやく、彼の膜の鎧を貫く。落下による衝撃は全て生身の彼に注がれるだろう。

巧一朗はダイダロスの墜落の様子を観察している。もし彼が何かの手段で、彼の『翼』を有していたなら、今こそそれを使うときだろう。ペルディクスが約束の一分を迎えるまであと十秒。災害にどれ程の手傷を負わせられるだろうか。彼は固唾を飲んで見守った。

そしてダイダロスは、何も為さぬまま、地に落ちた。

桜館長の言う通り、イカロスの翼は既に消失しているのだろう。神が明確に存在した時代でのみ成立した翼は、未だ人類の辿り着いていない境地だ。神々の時代であるからこそ、イカロスの翼は成立し得るのだ。

宙に浮かぶペルディクスは、満足げに消滅し、代わりにキャスターが舞い降りてくる。

 

「どうだい?巧一朗。」

「恐らく、かなりのダメージは与えられた筈だが……」

 

砂埃を払い現れるダイダロス。彼は全身から血を流しながら、ふらふらと立ち上がる。

先程の戦闘中、巧一朗の元に充幸から連絡が入っていた。内容は、美頼とロウヒがミノタウロスを撃破した、というもの。

これにより、ダイダロスの権能は大きく削ぎ落されたこととなる。

もはや彼は、並のサーヴァントと変わらない。そう判断し、巧一朗は構える。

 

「人間が、災害に歯向かい、ここまで、ここまで追い詰めるとは、な。」

 

ダイダロスは虫の息ながらも、笑みを崩さない。

彼はずっと求めていた。自らと並び立つ存在を、無謀にも『神』に抗おうとする勇者を。

それは、かつて彼の心を震わせた、勇気ある者を想起させる。

 

「ダイダロス、決着の時だ。」

「あぁ、そうだな。決着を付けようか。」

 

彼の目の前に立つのは、『神』にも臆さない人間だ。

彼は、それに敬意を評し、

そして同時に『嘲笑』する。

込み上げる笑いが止まらない。不気味にも、ダイダロスは嗤い続ける。

 

「あぁ、決着を付けようか、僕の、『災害』の勝利によってなぁ!」

 

そして

想定し得ないことが、起こった。

巧一朗が、ペルディクスが、負わせた全ての傷が、ものの数秒で回復していく。

まるで時を戻したかのように、彼は出会った瞬間の万全な状態へと。

 

「回復……していく?」

 

キャスターもまた、この光景に目を丸くしていた。

全てが振り出しに戻るかのような、そんな絶望を味わっている。

 

「僕の肉体は、エーテル体でも、受肉でも無い。千年に渡り、僕が改良に改良を重ねた、特殊合金、オリハルコンで出来ている。核さえ残っていれば、何度でも、この肉体は組み上がる。無論それはただの使い魔のミノタウロスとて同じだ。何度でも、何度でも、何度でも、何度殺されようと、再生する。」

 

一分間の奇跡、ペルディクスの奮闘は、無かったことにされた。

ダイダロスへの復讐劇も、彼にとってはそれこそ『劇』を鑑賞していたようなものだったのだ。

 

「あの女如きが、僕の創造に追い付けるわけが無いだろう。」

 

ダイダロスは武具の形状を変化させ、ピストルを模した遠距離武装を創り出した。

そして、呆気に取られているキャスターに向けて、その引き金を引いた。

巧一朗の隣で崩れ落ちる少女。

彼は、脳の処理が追い付かず、すぐさま反応することが出来なかった。

 

「キャス……ター?」

 

巧一朗は震える手で、彼女を抱き上げる。

その胸から止めどなく零れ落ちる液体が、彼の手を、足を、染め上げていく。

反応がない。彼の目から見ても、命中されていた。

憎まれ口を叩くいつもの彼女が、ここにいない。美しい白銀の髪も、彼女の赤色に塗れている。

 

「おい、キャスター?……おい、おいってば…………」

 

巧一朗は声を震わせ、呼びかけ続ける。

その姿を、ダイダロスは哀れに感じていた。

 

「冷めるだろう、巧一朗。僕は『神』に抗う無様な人間を見たかったのに、英霊がいちゃ意味がない。お前の勇気を見せてくれ。その希望の全てを、僕が叩き壊す。」

 

ダイダロスは再び銃口を彼に向ける。

巧一朗はそれを察知し、キャスターを庇うように、背を向けた。

彼の期待はずれな行動が、ダイダロスを苛立たせる。

 

「立ち向かってこい。僕が相手をすると言っているんだ。くだらない死を演出するな。」

 

巧一朗は動かない。

彼は半ば、戦意を消失しているようにも思える。

彼のトラウマ、記憶の棚に突き刺さったガラス片、セイバーの死の瞬間が、いまフラッシュバックする。

彼が生きる理由ともいえる少女の死は、彼を深い絶望へ誘う。

 

「駄目だな、これは。……もういい、死ね。」

 

ダイダロスは冷めた目で、その引き金を再度引く。

射出された弾丸は、巧一朗の心臓目がけて飛んでいき、そして着弾する。

……かに、見えた。

 

彼の前に立ち、弾丸を弾き落した存在がいた。

血塗られたキャスターとは対照的な、『白』を纏った女がいる。

それは、巧一朗も良く知る人物だ。本来ならば、この場所に来る筈の無い女だった。

 

「桜…………館長…………?」

「遅くなってごめんね。もう大丈夫。」

 

現れたのは、第四区博物館館長『間桐桜』だ。彼女は充幸にオペレーターを任せ、単身、この迷宮に割り込んできた。

小型通信ユニットに取り付けられた発信機を辿り、こうして巧一朗の元へ駆けつけたのである。

 

「お初にお目にかかります。災害のキャスター。私は第四区博物館にて館長を勤めております、間桐桜、と申します。以後お見知りおきを。」

「そうか。お前がテロ組織の親玉か。見た所、サーヴァントのようだが、誰かの従者という訳でも無いらしい。」

 

ダイダロスは彼女を見定める。

その存在は余りにも歪だと認識される。通常の聖杯戦争において、彼女は召喚されない。そもそも、英霊というカテゴリーにすら当てはまらないだろう。オアシスという特殊空間が、彼女を確立させている。

その力は、計り知れない。真っ当な戦闘が成立するかも怪しい、そう思える。ヘヴンズゲートの歴史変革においても、彼女は絶対に動かせない。言わば、彼女こそが特異点だ。

 

「巧一朗、幸いキャスターは急所を貫かれている訳じゃない。貴方の回復術式で血を止めることは出来るわ。意識だって、元に戻る。まずは落ち着いて。冷静に処理するの。いい?」

「………………あぁ、すまない。取り乱した。」

 

巧一朗の両手に光が灯る。魔術回路が葉脈のように拡がり、彼は意識を集中させた。

無論、ダイダロスがそれを許す筈も無い。彼はピストルを再び変化させ、散弾銃を創造する。

だが、桜が手のひらを彼の前にかざすと、彼の放つ攻撃の全てが、『何か』に覆われ、はじき返された。

ダイダロスは今、薄い風船のような球体に押し留められている。ペルディクスの円と同じ、彼はその場所から出ることが叶わない。

 

「何だ、これは。」

「さて、本当の最終決戦を始めましょう?」

 

桜の目の色が赤色に変化する。

ダイダロスが佇む空間、その地下深くから、轟音と共に『船』がせり上がった。

それは中世的とも、近代的ともいえる、特別な装飾の無い普遍的な『船』であるが、その甲板には幾つもの血の跡が付着している。

乗船するのはダイダロスただ一人。彼は船を降りられず、その舵を切ることも出来ない。

この船において、彼は完全に孤立する。

 

「この迷宮において『私』が存在することで、船は顕現する。何故ならば、私こそが船そのものだから。私は『血塗られたメアリー』、でもどこかの国の女王様ではなくってよ。」

「お前、やはり元は『人間』じゃないな!」

 

桜館長はにんまりと笑みを浮かべた。彼女は初めて他人にその名を明かすこととなる。

 

 

「私はライダーのクラスを以て現界したサーヴァント、その真名は『メアリー・セレスト』!ポルトガル沖にて漂流していた幽霊船だ!」

 

 

一八七二年、ポルトガル沖にて発見された無人漂流船『メアリー・セレスト号』。乗客乗員皆が行方不明となった、航海史上最大の怪事件である。数々の証拠はあれど、その全てが正解を導かない、歪な謎に満ちた、血塗られし呪いの船だ。

桜館長を形作るのは、メアリー・セレストの謎の全てだ。乗務員全ての遺体が消失した原因、様々な憶測や疑念そのものが、彼女を英霊として成立させている。

充幸を救い出した黒い触手のようなものもまた、『クラーケンが現れ、船上の人間を海に引き摺り込んだ』というオカルトを元にした能力であった。呪われし船が未解決事件である限りにおいて、彼女は存在を確立できるのだ。

 

「つまり僕は今、お前の船に乗せられた、ということか?」

「そうです。この瞬間、私の権能は起動する。メアリー・セレスト号に乗船する者は、大いなる謎の元に、その存在が抹消される!」

 

ダイダロスを殺す、という選択肢では無い。

彼を、謎として、有耶無耶にするという宝具だ。

メアリー・セレストだからこそ叶う、『災害』そのものへのカウンター。力比べという概念を超えた、チートコード。この絶技には不死性も関係ない。彼女の定義が成立した瞬間、彼らは大いなる謎として、オアシスから退去する。ダイダロスを『迷宮入り』させるのだ。

 

「まさか博物館がこんな切り札を残していたとはな。」

 

ダイダロスは両手に斧を装備し、船の破壊を試みる。

メアリー・セレスト号の絶技は、その発動までにタイムラグがある。その間に、船そのものを破壊されればゲームオーバーだ。

桜館長は、巧一朗へ振り向いた。幸いキャスターは致命傷にならず、意識も取り戻している。

 

「俺は館長のことをずっと勘違いしていたよ。イングランドの女王様とばかり思っていた。でも違ったんだな。」

「多くを話していなかった私も悪いと感じています。今回の作戦において、私が出しゃばってくることも。……作戦会議の場には『裏切り者』もいたからね。」

「ん……?何か言ったか?」

「いいえ、何でも無い。さぁ、巧一朗とキャスターにはあとひと踏ん張りしてもらうからね。……やることは、分かっているでしょう?」

「……………おう。」

 

巧一朗が、キャスターが、やるべきこと。

それは桜館長の宝具を成立させることだ。

その為には、このタイムラグを、彼らで埋めなければならない。

巧一朗は既に招霊転化の術式を起動している。今まで、彼は続けざまに二度使用することは出来なかった。

だが、今は、出来るかどうかの話では無い。虚数海へ糸を垂らす特訓を彼はひそかに何度も繰り返してきた。

 

―何としてでも、やるしかない。

 

以前に虚数の海へ落ちた時、母親に言われたこと。

『隣人』そのものをオアシスに呼ぶことは、今の彼には出来ない。

だからこそ、今できる最大限のパフォーマンスで、災害に立ち向かう。

 

「巧一朗、私は大丈夫だ。……君を信じている。」

 

巧一朗はキャスターの言葉に、静かに頷いた。

そして彼女の首元のスイッチを再び落とす。

彼の肉体に緑の線が無数に浮かび上がった。まさに、今こそ災害との決着を付ける時だ。

ダイダロスを仕留める力は必要ない。

いま思い浮かべるべきは、彼を止めるだけの力。

押し留める為に、必要なものは一つだ。

 

「重ね、束ね、契れ…鈴を鳴らせ、線を垂らせ、器を満たせ、君の形を我が結ぶ(コギト・エルゴ・エス)、讃歌を謳う、一刻の邂逅と永劫の訣別に」

 

対災害会議のときから、ずっと考えていたこと。

第四区博物館だけでなく、マキリコーポレーションも災害に襲われた。

その際に、マキリ・エラルドヴォールの蒐集していた『魔眼』の全てが奪われた。

それはつまり、そこにこそ、突破口が見出せるという事だ。

ならば、答えは決まったも同然である。

 

「現れよ、『ライダー』!」

 

巧一朗の叫びと共に、オートマタへ英霊が宿る。

それはダイダロスと同じ、ギリシアの英雄、否、怪物。彼女の逸話を知らぬ者など、この人類に存在しないだろう。

英雄ペルセウスに打ち取られた歴史を代表する異形。彼女は蛇の眼を持つ。

 

召喚されたのは『メドゥーサ』。ギリシア神話の反英雄が、巧一朗と、桜館長の前に姿を現した。

 

「垓令呪を乗せる!頼んだぞ、ライダー!」

 

メドゥーサは目隠しを取り去ると、彼女の逸話『石化の魔眼』を発動する。令呪の輝きが上乗せされ、それは災害すら拘束する絶技となった。

ダイダロスの足が、腹部が、腕が、瞬く間に石へと変化していく。

流石の彼も、これには焦りを隠し得ない。何とか、脱出を図ろうとする。

が、博物館の覚悟が、それを僅かに上回った。巧一朗は二度目の招霊転化の使用で、肉体のあちこちから血を吹き流している。だがそれでも、決して折れない。一分間の奇跡の為に、以前のランスロットの召喚とは異なり、足を開き、踏ん張ってみせた。

ダイダロスは斧を再び作り替えようとするが、その武器すらも手首諸共固められていった。

そして桜館長はにやりと口角を上げる。ついに、彼女の宝具は完成した。

 

「災害のキャスター『ダイダロス』!貴方をこのオアシスから追放する!」

 

メアリー・セレスト号の大いなる謎、その入り組まれた迷宮へ、ダイダロスを誘うのだ。彼女は突き出した腕をクロスさせ、それを天へと翳してみせる。詠唱は必要ない。ミステリーの扉を開くには、その合言葉だけで事足りた。

 

『神隠しの漂流船(ファントムシップ・ボヤージュ)』

 

桜館長の眼光は再び赤く染まり、空想が形作る漂流船が浮上した。

波も海も存在しないが、まるで航海しているようにも思える。ダイダロスはもはや石像となり、一言も発しない置物と化した。

そしてその乗組員のロールに当てはめられたダイダロスの存在が消滅していく。

船上は神々しい光に包まれ、迷宮の中で粒子と共に消え去った。キラキラと、輝くシャボン玉だけが、寂しくも浮遊している。

 

そして迷宮に、静寂が訪れる。

 

「…………はぁ……はぁ……」

「巧一朗、大丈夫?」

「倒したのか、奴を……」

「ええ。ダイダロスはこの世界において謎の一部となった。……もう大丈夫よ。本当にお疲れ様。」

 

メデゥーサは消滅し、キャスターの魂が戻って来る。彼女はその場で倒れ込んだ巧一朗を支えた。

 

「やっと、君の復讐のうちの一つは、完遂できたね。」

「あぁ、魔眼の有用性に気付かせてくれたエラルには感謝だな。」

 

巧一朗は体勢を整え、自ら立ち上がる。

ダイダロスが消えれば、ミノタウロスも消滅する。あとは、アーチャーたちがこの迷宮の出口へ辿り着くのを祈るだけだ。

 

「助かったよ、館長。あなたのお陰だ。……俺だけでは、災害を超えられなかった。」

「ふふ、そうでしょうそうでしょう!もっと貴方の母を称えてよいのですよ!」

「お前は母親じゃねぇよ!ったく。」

 

巧一朗は笑った。

キャスターと桜館長も、釣られて笑う。

第四区博物館、痛快な勝利である。ようやく彼らは、テロリストとして、その一歩を踏み出せたのだ。

 

 

このとき、誰もがそう思っただろう。

 

 

寄り添い合う三人の元へ、歩いて来る影があった。

薄ら笑う男は、わざわざ、彼らの元へ足を運ぶ。

彼らの絶望を、誰よりも彼自身が眺めたかったからだ。

男の背には『白い翼』が生えていた。誰かが彼を見たならば『天使のようだ』と告げるだろう。

 

「え…………」

 

誰もが絶句する。

傷一つない身体で現れたのは、たった今このオアシスから消え去った筈の男。

災害のキャスター『ダイダロス』だ。

 

「身体の全てを石に変えられて、流石の僕も冷や汗をかいたぞ。だが、まぁ、お前らの誤算だな。僕はあの船から空へと逃げ去った。この『翼』でな。」

 

彼の背から生える二つの白い翼。それは伝承通りの代物、まごうことなき『イカロスの翼』だ。

桜館長の予測において、彼がそれを有する筈が無かった。失われた神代の奇跡を、彼が作り替えたのだろうか。

 

否。

 

「どうして…………翼が…………」

「メアリー・セレスト、お前のスキルに、恐らく『行方不明となった者の行く先を記録する』力があるだろう?あの怪事件において真実を知っているのは船だけだからな。それによってお前ら博物館は、ヘヴンズゲートにより歴史から消された英雄たちを記憶していた。だから、見誤ったんだろう。ま、それか、知っていても、信じたくは無かった、か?」

「まさか…………貴方は………」

 

「ああ。僕はヘヴンズゲートを使って、息子イカロスの存在を消滅させた。あのとき、僕の創り上げた翼は『誰にも貸与されなかった。』」

 

「そんな、実の息子を…………どうして…………?」

「簡単だ。アイツは僕にとって『愚か者』でしか無かったからだ。『災害』たる僕にとって、目の上のたん瘤でしか無いだろう?」

「貴方は……息子を愛してはいなかったのですか?」

「愛してはいたさ。でも仕方ないじゃないか。僕の息子より、僕の『翼』の方が大事だ。あのとき太陽神を怒らせなければ、僕の『翼』は消えずに済んだのだから。」

 

ダイダロスはあまりにも、あっけらかんと言い放つ。

実の息子より、自分の発明品を愛していた。

彼は、殺すよりも残酷に、イカロスという男を歴史から葬り去ったのだ。

 

「親が子を愛さないなんてことは、別によくある話だろう?……僕はお前を知っているぞ、巧一朗。お前の母親がお前になんて言ったのかを。酷いよなぁ、あんなことをお前に言うなんて。だからお前は、何もかもを変える為に、サハラへと赴いた。」

「……やめろ」

 

ダイダロスは一歩一歩、彼らへ歩み寄る。

思わずたじろぐ桜館長とは対照的に、巧一朗とキャスターは、一歩も後退しなかった。

 

「僕はお前の器を見切った。僕が改めて、お前にあの言葉を言ってやろうか?お前の柔な心に突き刺さるナイフ、思い出させてやるよ。」

「…………母さんは、違う。俺は母さんに愛されている。」

「本当にそうか?」

「本当だ。本当に、俺は…………」

 

 

「『あなたなんて、生まれてこなければよかったのに』」

 

 

ダイダロスはその言葉を口にする。巧一朗に脳内に響き渡り、鈍痛を引き起こす。

キャスターは頭を抱える巧一朗を抱きとめる。彼を弄ぶ災害に、鋭い眼差しを突き付けた。

だがダイダロスは止まらない。巧一朗を追い詰める為、更なる一手を用意する。

 

「巧一朗、今度はキャスターを守れるか?」

「っ!?」

 

ダイダロスは掌からエネルギー弾を放出した。それは巧一朗を抱きとめるキャスターを目標に発射される。

巧一朗はキャスターを優しさあふれる手を振り解き、彼女の前に躍り出た。

彼は、今度こそ、彼女を庇ったのだ。

 

「巧一朗!」

 

唖然とするキャスターと桜館長の目の前で、巧一朗は被弾する。

エネルギー球体の熱に肉体を焦がされ、彼はその場で崩れ落ちた。痛みに喘ぐことすら許されない。

その肌は溶け、黒い煙と共に焼き消される。着込んでいたスーツも、灰となって風に流されていく。

 

そして座り込んだキャスターの元へ、彼のお気に入りの、メイプルシロップボトルが転がって行った。

 

「ふ……クク……ハハハハ!アハハハハハハハ!」

 

高笑いを続けるダイダロス。

桜はその場で固まり、動けなくなっていた。

そしてキャスターは、巧一朗の焼け焦げた衣服から、『何か』が動き出すのを見ていた。

『何か』は必死に彼女の元へ行き、

そして

こぼれたメイプルを、啜り始めた。

 

「ああ、巧一朗。お前は人間として戦った。大いに戦った。災害を代表し、僕がお前に敬意を評そう。…………だがお前は、実のところ人間では無かった!人間を精一杯演じていただけだ!」

 

 

「間桐巧一朗。お前の正体は『甘い蜜(メイプル)に集る、蟲』だ。」

 

 

過去の話

巧一朗が生まれ落ちた日の、間桐邸、蟲蔵にて。

 

裸体のまま、苦しみ喘ぐ間桐桜を、間桐臓硯は嗤っている。

 

「うぐううう……あぁあああ……いだ…いだいいいいいいい!うぐぁあああああああああ!」

 

桜の子宮から、『何か』が生まれ落ちた。

『何か』は元気に、その場で跳ね回っている。

 

「ほう、刻印虫の改良を経て『虚行虫』を開発し、はや一年。まさか遠坂の胎盤から逸品が生まれるとはのう。」

「うま……れ……」

「蟲共の子を孕むとは、お主の素養には感服するぞ。ワシの『お遊び』が、こうも世界を救う鍵となるとは。」

「わた……しの…………子ども…………?」

「そうじゃ。見てみよ。」

 

キチキチキチキチキチキチキチキチ

 

「あんなのが…………赤ちゃ……………おええええええぇぇぇぇぇええ」

 

キチキチキチキチキチキチキチキチ

 

「名を付けるか?桜よ。短命とはいえ、虚数魔術の多くを明かす存在になるのじゃからな、名前ぐらいないと可哀想じゃ。」

 

キチキチキチキチキチキチキチキチ

 

「ホホ、幼体の癖に跳ね回りよる。まるで家に湧いて来る、なんじゃったか、ゴキブリ、のようじゃな。」

 

キチキチキチキチキチキチキチキチ

 

「ゴキブリ……『コックローチ』…………ホホ、『こういちろう』なんてのはどうじゃ?人間らしい名じゃよ。」

「巧一朗……私の……………………………………息子」

 

桜はいつまでも、光を失った目で『何か』を見下していたのであった。

 

 

 

                                                   【神韻縹緲編⑩ 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神韻縹緲編11『neighbor』

物語はついにクライマックス

そして何故かFGOイベント初日とまたもやブッキング。

空いた時間にでも是非。

感想、誤字等あればご連絡ください。


【神韻縹緲編⑪】

 

サハラ砂漠内某所

 

一人の女騎士が、空中の割れ目に吸い込まれていく。

 

ひび割れた空間から、何者かの血液が零れ落ち、彼女は足を滑らせた。

 

「マスター!駄目です!早く『糸』を切断して!このままだと、聖杯戦争どころでは無くなります!早く、早くしないと、この世界そのものがっ…………」

 

彼女の必死な訴えに、『一匹』は応答しなかった。否、出来なかったが正しいかもしれない。

女騎士の肉体を侵食する黄金の線は、やがて彼女の意思や、その願いすらも奪い去った。

そして血溜まりの中に落ちた彼女は、数分後に目を覚ます。『一匹』は恐る恐る、彼女の顔に近寄った。

女騎士はゆっくりと起き上がり、『一匹』を抱き上げた。ぬいぐるみを抱く愛らしい少女のように、『一匹』を慈しむ。

 

「君が私のマスターなのかな?」

 

『一匹』は人間らしい仮の肉体を喪失していた。彼を構成していた物質全てが、この度の召喚に消費されていたのだ。

だから彼は現在、言語能力もまた失っている。彼女とコミュニケーションをとることが出来ない。

 

「ありがとう。独りぼっちの私を助けてくれて。寂しかったんだ、本当だよ?」

 

『一匹』は現状を理解できていない。彼女が『何者』であるかさえも。

 

「君の吐く糸は、虚数空間へアクセス出来るのね。でも君はもっともっと、もーっと凄いことをした。難しいなんてものじゃないの。君はね、『私』のいる場所へ接続した。私のこの小指に、赤い運命の糸を結んでくれたの。独りぼっちの私を、外に連れ出してくれたんだよ?」

 

女騎士はその装甲を全て解除し、ワンピースの姿で、『一匹』を抱き締め続ける。彼は彼女の温かさを堪能する。

 

「私、君のこと、分かるよ。君にこうして触れているから。君の名前は『こういちろう』。聖杯に願うことは『人間になること』だね。すっごく可愛い!私の恋人が君みたいな可愛い人で本当に良かった!」

「君はずっと独りぼっちだったんだね。私と一緒だ。私もそう。世界を救った王子様は、二人も要らないなーんて言われて、ポイされちゃったの。酷いよねぇ。私を造ったのは君達なのに、用済みになれば粗大ごみさ。」

「え?私の名前?クラス?名前は内緒!クラスはねー、あれ、何だろう?『剣士(セイバー)』?『狂戦士(バーサーカー)』?それとも『彗星(メテオ)』?まぁ何でもいいや。私がいればこの戦争は勝ったも同然だし、別に良いよね。」

「ねぇ、こういちろう。一緒に、こんな世界から抜け出して、二人きりになろう?糸で結ばれた私たちは永遠に離れない。私が君を守り、君が私を癒す。ずっと夢だったの。私を大切だと想ってくれるヒトが現れること。嬉しい、本当に嬉しい。」

 

『一匹』と少女は、砂の世界の中心で結ばれた。

互いにとって、相手は必要な存在だったようだ。

 

「こういちろう、私と出会うために『生まれてきてくれて、ありがとう』。」

 

赤い糸が紡ぐ『運命』は、その瞬間、始まったのだ。

 

 

アリアドネナビに印された、迷宮の出口。

フセインの操る魔法の絨毯は、あと五分もすれば、そこへ辿り着く。

意外にも仕掛けられた罠は殆ど存在せず、苦労せずに現在地点まで来ることが出来た。

だが、最後にどんな展開が待ち受けているかも分からない。フセインの緊張が解けることは無かった。

 

「フセイン先生は、やっぱり凄いね!」

 

康太は無邪気に告げた。

フセインが語り聞かせてきた話は本当だったのだと、康太は胸を躍らせる。

彼にとって、ここが死臭漂う迷宮だろうが関係ない。

病室の外側は、どんな場所だろうと少年の心を熱くする。

 

「僕は、別に凄くなんかないよ。」

 

康太の前で珍しくも、フセインは弱音を吐いた。

アリやアーメッドのような、物語の主人公のロールは、彼の肩には重すぎる。

彼は兄弟の起こした奇跡の数々に縋りついただけなのだ。

アーメッドの宝具のお陰で、彼は順調に来られたのかもしれない。

フセインはただこの絨毯の騎手であり、ただ進み続けているだけだ。

出口へ向かい、外の世界へ羽ばたいていくことこそ、彼らの目的である筈なのに。

フセインは、この冒険が終わってしまうことを、少し寂しく感じていたのだ。

 

「フセイン先生、初めて俺の病室に来てくれた時のこと、覚えてる?」

 

 

康太とフセインのファーストコンタクト。

それはフセインがクリニックで働き始めて間もない頃だった。

院長の指示で、荷物運びを手伝っていた最中、フセインは康太のいる病室に赴いた。

康太は昼食に手を付けず、窓の外の景色に思いを馳せていた。

フセインは彼の部屋の戸を叩く。

 

「入ってもいい?」

「どうぞ。」

 

酷く冷めた声が返ってくる。

何もかもに興味を失ったような、そんな寂しい声だ。

 

「失礼します。……っと、食事中だったね。」

「いいよ、別に要らない。お腹空いてないから。」

「そっか。じゃあ無理して食べなくていいぞ。ついでに僕が片付けておくから。」

 

フセインがそう言うと、康太の目線は窓からフセインへと移る。

康太は意外そうな表情を浮かべていた。

 

「ちゃんと食べろ、って怒らないの?」

「お腹空いてないなら仕方ない。」

「変わった先生だね。なんか見た目もチャラいし。」

「僕はただのお手伝いだよ。医療の知識はまるでゼロだ。」

 

フセインは康太の様子を確認しながら、自らの内に眠るアーメッドに語り掛ける。

目的は、アーメッドの持つ『神秘のリンゴ』だ。

だがアーメッドは首を横へ振った。康太の、生まれついての難病までは、どうにもならないらしい。

傷を癒すこととは訳が違う。フセインは頭を掻くしか無かった。

 

「病院食って、あんまり美味しくない。俺、ジョンターキーのボイルドチキンが食べたい。」

「あぁ、油分を摂取したくなるよな。確かに病院食ってのはどこもパサパサだ。」

 

フセインは康太のベッドの脇に寄ると、彼のテーブルに置かれた配膳プレートに手を伸ばした。

 

「これ、食べないんだよな?」

「うん。」

「僕が食べてもいい?」

「え?あ、うん、良いけど。」

 

フセインは味のしないパンに自然加工ジャムを塗り、頬張った。

彼は実に美味しそうに、それを食べ尽くす。

 

「美味しそうに食べるね。」

「まぁな。僕の時代に比べれば、こんな病院食でもリッチなディナーだ。」

「時代……?もしかして、サーヴァント?」

「まぁな。名前はフセイン。千夜一夜物語の登場人物だ。よろしく。」

 

彼は口元に付いたジャムを紙ナプキンで拭き取りながら、自己紹介する。

康太は呆気に取られていた。

 

「サーヴァントって、専属従者でしょう?マスターがいるのに、こんなところで油を売っていていいの?」

「あぁ、僕のマスターは寛容でさ。僕はわりと気ままに第二の生を謳歌しているよ。」

 

フセインは二つ目のパンを手に取った。そしてそれを康太の掌の上に乗せる。

 

「美味いぞ。」

「俺は、毎日これを食べてる。変わらないよ、味なんて。」

「いや、意外と美味いかもしれない。僕はこの三個目を頂く。」

 

フセインはジャムを塗りたくり、改めてそれを口にした。

康太の前で、笑顔を浮かべながら、リスのように頬張ってみせる。

康太は彼に釣られ、パンの先端をかじった。

 

「……っ?」

 

康太は目を丸くしながら、少しずつ、パンを食べ進めていく。そして、丸々一つ完食した。

 

「何で?なんか、いつもより美味しいかも。」

「だろ?」

「サーヴァントだから、何かスキルでも使ったの?」

「いいや、そんな便利な力はないさ。でも僕はとっておきの魔法を知っている。」

「魔法?」

「誰かと食べるご飯は、美味しくなるって魔法さ。」

 

フセインは康太の口回りを、紙ナプキンで拭った。

そして盆に残された果実と、スクランブルエッグを、彼に勧める。

 

「半分こしよう。僕も食べたい。」

「半分こ。……うん。」

 

後に、フセインが仕事を放棄し、患者の食事に手を付けたことは、院長に咎められる。

だが康太は、この日より、フセインの来訪を心待ちにするようになったのだ。

 

 

そんなかつての思い出を、康太は楽しそうに話した。

康太は、フセインがくれた魔法を、今もずっと大切にしている。

 

「フセイン先生は凄い。俺のこと、助けに来てくれたヒーローなんだ。」

 

康太の無邪気な笑顔を見て、フセインの目から涙が零れ落ちる。

そして彼は康太の華奢な身体を、優しく抱き締めた。その小さな温もりを決して忘れない為に。

 

彼の絨毯はついに、一本道に差し掛かる。

暗い迷宮の先、僅かばかりの光が漏れ出している。ついに、彼らはゴールへ辿り着いたのだ。

 

「ナイチンゲール、ついに来ました。やっと、出口だ!」

「はい。外の世界へ、やっと。」

 

彼ら三人は手を取り合う。

共にその瞬間を迎え入れる為に。

 

「光が、僕らを導いている!行こう!」

 

魔法の絨毯は真っ直ぐに出口へ飛んでいく。

彼らの顔は希望で充ち溢れていた。

 

だが

 

だからこそ、彼らは油断した。

 

迷宮なのだから当然だ。出口の隣には、必ず『トラップ』が仕掛けられている。

フセインはその判断を見誤ったのだ。

出口の目前、無数の触手が壁前面から襲い掛かる。

魔法の絨毯は触手に引き裂かれ、フセインと康太を庇ったナイチンゲールは、触手に身体を捕らえられた。

 

「ナイチンゲール!」

「ナイチン先生!」

 

地面に転がり落ちた二人とは対照的に、ナイチンゲールは高い天井の壁に吸い寄せられていく。

このままでは、彼女の肉体は迷宮の壁そのものに喰らわれ、永遠にこの場所から出られなくなるだろう。

 

「ナイチンゲール!今、助けます!」

 

フセインは彼女の手を取ろうと、その手を伸ばした。

しかし、彼女にそれを振り解かれる。

 

「何故!?」

「……フセインは、康太くんを連れて、外へ……今が好機です。」

「出来る訳無いだろ!」

「……っ!やりなさい!貴方が!フセインが!康太くんの傍にいなくてどうするの!家族になってあげてください!」

 

―私には、その資格なんて無いから。

 

ナイチンゲールはその言葉を飲み込んだ。

出来損ないのサーヴァント、夢溢れる少女の命を奪って、一体何を望むというのか。

正しい結末だと思う。

元より、彼女にはフセインの隣に立つ資格なんて無かったのだ。

 

「(これでいい、ごめんね、咲菜。)」

 

ナイチンゲールは静かに目を閉じた。

最低な存在である自分には、十分すぎる程、幸せな第二の生だった。

英雄らしいところなんて一つも無かった彼女が、少年の心の支えになれたのだから。

 

もう手の届かない場所まで行ってしまったナイチンゲールを、フセインは静かに見上げていた。

彼はクリニックでの、彼女との会話を思い出す。

 

 

「ふふ、もし私が悪い魔王様に囚われたら、フセインは助けに来てくれますか?」

 

「それは勿論、どんな場所であろうが駆けつけますよ。その為の絨毯ですから。」

 

 

フセインは意志を固めると、康太の方へしゃがみ込み、その視線を合わせた。

 

「フセイン先生!ナイチン先生が!」

「あぁ、康太くん。大丈夫、僕がこれから助けるから。」

「で、でも、どうやって!?」

 

慌てふためく康太の頭を、そっと撫でる。

そして彼の小さな手に、赤色の布切れを握らせた。

 

「これは?」

「いいか、康太くん。これからナイチン先生が落ちてくる。彼女も人間ではあるけれど、サーヴァントだからそれは大丈夫だろう。そうしたら君は、この魔法の絨毯の切れ端を持って、ナイチン先生と出口に向かって走れ。決して振り向くな。ただ真っ直ぐに走れ。僕と、約束してくれるか?」

 

フセインは小指を突き出した。

康太は少し戸惑っている。

 

「ごめんな、毎日遊びに来るって約束は、僕が破ってしまった。だから、ちゃんと針千本飲み込んでやる。……また、僕と指切りしてくれるか?」

「…………っ!」

 

康太はフセインの小指に、自らの小指を絡ませた。

 

「指切げんまん、嘘ついたら、針千本飲ます。指切った!」

 

「男の約束だ。康太、僕の大切なナイチンゲールを守ってくれ。」

「うん、僕、頑張るよ。」

 

フセインは再び康太の頭に手を置き、わしゃわしゃと撫でまわした。

くすぐったそうにしている康太を見て、彼も思わず頬が緩む。

フセインは康太に、指示した場所へ走らせた。ナイチンゲールの落下予測地点の近く、出口へ走るには障害の殆どない場所だ。

 

「さて、これが最期の踏ん張り時だ。」

 

フセインはアリ、アーメッドの使用した弓と同じものをその手に召喚する。

矢を比べ合った時に使用した、そのものだ。

かつての彼は、兄弟たちの前で諦め、矢を飛ばすことをしなかった。

いつかの、諦められない恋の為に、温めておいた力だ。

だが、彼はその絶技を知らない。何故ならば、彼は恋を叶えたことは無かったからだ。

不可能だと、心の声が訴える。でもそれは、覚悟の果てのフセインにとって只のノイズだ。悪魔の囁きに耳を貸している余裕は無い。

彼の創造主が言の葉を紡ぐ英霊ならば、きっと彼の口からも、自然と漏れ出るものだろう。

 

今こそ、願いを形にするときだ。

 

『語り部の外に在りし、紡がれざる物語。』

 

彼が放つべき矢は『克己宝具』。

過去の記録にも、物語にも存在しない、イフの全盛。

迷いを捨てた彼だからこそ、新たな物語を紡ぐことが出来る。

 

『羇旅の果てにて恋を印す(ラシーダン・エラム・アルフ・ライラ)』

 

フセインはその矢に思いの丈を乗せた。

そしてそれはナイチンゲールを包む、触手へと発射される。

一秒と経たぬうちに、その一条は全てを射抜いた。

トラップは崩壊し、空へ浮かんだナイチンゲールは落ちてくる。

 

「……おぉ、僕ってば、弓の才能あったんだなぁ。」

 

落ちてきたナイチンゲールの手を引き、康太は真っ直ぐ出口へ走っていく。

天井が崩壊し、瓦礫が降り注ぐ中、少年は決して振り返らない。

きっと康太も、フセインの覚悟を知っていた。

 

「ありがとう、康太くん。約束を守ってくれて。」

 

二人が光へと吸い込まれる直前。

意識を取り戻したナイチンゲールは、フセインのいる場所へ振り返る。

そこには、笑顔で崩れ去っていく、フセインの姿があった。

康太には見せたくない、そんな思いが彼にはあったのだ。

 

「フセイン!フセイン!フセイン!」

 

ナイチンゲールは叫ぶ。

だが、康太は、彼女の手を引き、外の世界へ走って行った。

ナイチンゲールの伸ばした手に合わせるように、一人残されたフセインは右手を正面に翳してみる。

その掌は空を掴んだ。指先も、砂のように崩れ去っていく。

 

「鉄心、アリ、アーメッド、康太くん、ナイチンゲール」

 

一人ずつ思い浮かべては、身体の一部が溶け落ちていく。

彼に悔いはない。第二の生は、最高に我儘に、面白おかしく生きることが出来た。

でもこの記憶は、ここだけのものだ。

フセインは、これから先も、見えない恋を探し続けるだろう。

 

「あぁ、僕の恋、叶ってしまったなぁ。」

 

フセインは空を仰ぐと、満足そうな笑みを浮かべながら、消滅した。

 

 

「間桐巧一朗。お前の正体は『甘い蜜(メイプル)に集る、蟲』だ。」

 

ダイダロスは転がり落ちた巧一朗を侮蔑、嘲笑する。

桜館長はいつまでも固まったままだ。彼女の観測した未来を、変えることは出来なかったのだ。

キャスターは、メイプルを吸う巧一朗をそっと抱き上げた。

 

「巧一朗」

 

彼女の悲痛な声は、きっと彼には届かない。

この状況は、どこの誰が見ようと、博物館の敗北だ。

ダイダロスはひとしきり笑った後、彼女らを始末すべく、その距離を縮めてくる。

 

「巧一朗、どうして君は、サーヴァントである私を守ろうと……」

 

探偵は知っている。

巧一朗は、必ずそうすると。

かつて彼の愛した少女と同じ顔をしたキャスターを、守らない筈は無い。

たとえ命を落としても、彼は矢面に立つだろう。

 

「君は、人間を名乗るには、真っ直ぐすぎるな。」

 

探偵は、自らを破綻者だと認識している。

だが、人間の感情を捨てた訳では無い。

ときには、情に流され涙することだってある。

彼女の瞳を伝う雫が、蟲の身体に零れ落ちた。

 

その刹那。

 

蟲の肉体がひとりでに光を放つ。

ダイダロスも、桜館長も、そしてキャスターですら、その光景に唖然としていた。

蟲は光の中で急速に成長し、人間の形を取り戻していく。その影は、彼女たちも良く知る、いつもの巧一朗だった。

そして白い光は消え去り、尻餅をついたキャスターの上に、全裸の巧一朗が跨っていた。

 

「…………」

 

キャスターは言葉を失いながら、細くも筋肉質な彼の肉体をまじまじと観察する。

どこをどう見ても、彼は人間でしかない。

 

「…………あー……すまん。見苦しいものを見せてしまった。」

 

巧一朗はキャスターの上から離れると、桜館長の元へ寄り、着ていた白衣を拝借する。元の衣服が焼け焦げたための、緊急措置だ。

そして茫然と眺めていただけのダイダロスの前に立ち塞がった。

 

「お前、何をした?」

「アンタと同じことをしただけだ。この迷宮の構成材質がオリハルコンなら、俺にも出来ると思ってな。」

 

巧一朗は蟲の肉体に戻った瞬間、メイプルを舐めるふりをしつつ、この迷宮のオリハルコンを口から摂取していた。彼の吐く糸で変幻する金属同士を繋ぎ留め、元の肉体を再構築したのだ。無論、ダイダロスの真似事であり、彼はその糸で縫合、繋いだだけに過ぎない。改めてダイダロスの砲撃を受ければ、忽ち元の蟲に戻ってしまう。

だがそれでも、ダイダロスは感心する。巧一朗が今まで人間として生きてきたことこそ、この技術の応用に他ならない。彼の糸は虚数魔術でありながら、現実世界においても、縫合という観点で、大いに役を成している。

―技術の模倣という点に目を瞑れば。

 

「蟲のままなら、僕もお前を見逃していたかもしれないぞ?」

「そんな訳あるかよ。そういう所こそ慎重だろうが、お前は。」

 

巧一朗は動作確認の為、握り拳を作ったり、腕を大きく回してみせる。流石は材質がオリハルコンなだけあって、万能感は否めない。

ダイダロスからしてみれば、今更復活したとして、何が出来る、という話だ。招霊転化は既に二度も使用済み、桜館長は手の内を明かされ、不意を突くことも出来ない。キャスターの中に眠るセイバーの端末を叩き起こすならば、その前に勝負をつけられる。

巧一朗は何のために戻ってきたのか、彼には理解が出来なかった。

 

「巧一朗。僕と一戦交える気か?」

「当然だ。まだ戦いは終わっていない。」

「どうやって?僕が言うのもなんだが、無謀でしか無いだろう?僕を殺すには、全ての障害を乗り越えて、この心臓を壊さなければならない。今の君に到底できる芸当では無いな。」

「そうだな、今の俺には無理だろう。でも、既に突破口は見出した。俺が災害のキャスターを超える突破口だ。」

 

彼はその地に手を付けた。そして、指から一本の糸を垂らしていく。それは現実世界の裏側、虚数の海だ。彼の母がいるその場所へ、巧一朗はアクセスした。

 

「お前、僕が時間のかかる出来損ないの術式を許すと思ったか?」

「あぁ。きっとダイダロスも興味があるだろうさ。俺がこれからやろうとすること、それは虚数世界の住人、『隣人』を呼び出すことだからな。」

 

巧一朗はついに、次なる領域へと手を伸ばす。彼はようやく、新たな魔術への一歩を踏み出した。

招霊転化のその先、新たなるステージへと。

 

「虚数世界の魔物か……。当然僕も認識している。確かに時が経つにつれ、奴も強大な力を手に入れているみたいだが、それがどうしたと言うんだ。どうせ外界の不純物か、くだらない神秘の端くれだ。このオアシスで、それは通用しないんだよ!」

 

ダイダロスは再び高熱波を放つ。

すると今度は、ペルディクスのコンパスを握り締めたキャスターが、巧一朗を守る為、それをはじき返した。

 

「キャスター!」

「ペルディクスのこの槍があれば、一定時間は円の内部を守り通せる。巧一朗、君の術式を邪魔させたりはしないさ。」

「たまにはその姿でも役に立つんだな、お前。」

 

ダイダロスは唾を吐き捨てた。

だが彼の中で、例え巧一朗の魔術が行使されても、自らは敗北しないだろうという確信があった。『隣人』が何者であったとしても、自らが創り上げたヘヴンズゲートやオアシスの各種システムは、決して揺らぐことはないと。そして、人間如き、否、それ以下の存在に、自らが膝をつくことは無いと。

そんな余裕そうな災害を見て、巧一朗は不敵に笑う。

 

「何がおかしい、巧一朗。『隣人』とは別世界の神か何かなのか?それを貴様如きが本当に操れるとでも?」

「ダイダロス、あんたさ、本当に知らないのか?」

「なに?」

「ペルディクスが言っていた、『臭い物に蓋をする』のは本当だったみたいだな。アンタが創り上げてきた全て、本当に完璧なものだったのか?穴も、付け入る隙も、一切無かったのか?」

「何が言いたい?」

「例えばヘヴンズゲートで、英霊を消滅させるなんて芸当、確かにダイダロスぐらいにしか出来ないだろう。でも、本当に英霊たちは消えてなくなったのか?選ばれた名もなき人々が、本当に彼らの代わりを果たせたのか?」

「ヘヴンズゲートシステムはこれまで数多くの英霊を抹消してきた実績がある。現に、メアリー・セレストの権能が無ければ、イスカンダルも、土方歳三も、お前は認識できていなかっただろう?災害である我らは人々からの千年の信仰を元に、強大な力を有した。それが何よりの証拠では無いか?」

「まぁ、それはその通りだ。でもこのシステムには致命的なバグがある。」

「バグだと?」

「あぁ。自由な意思決定の出来る『人間』を残したんだからな。皆が皆、誰しもがお前らを信じる訳じゃない。ヘヴンズゲートに大切な人を奪われた人達は、お前らを憎む。俺たちも、災害を倒すテロ組織として活動している。お前らの信仰に絶対性は無いってことだ。英雄を作るのはいつだって『ヒトの願い』だ。英霊の座の上辺だけを消したって、ヒトの願いすら失われる筈が無い。親の背中を見て育つ子は親に英雄を見る。憧れのアイドルや、アーティスト、スポーツマン、皆が誰かの英雄になれるんだ。」

「だが、たかが願いの一つや二つが、英霊になることは無い。英霊の座とは、常に人類史に名を刻んだものだけが招かれる。そこに必要なのは痛烈さだ。平凡な者には至れぬ境地。名前など、残るはずが無かろうが!僕はその全てをこのオアシスから排除してきた!これまでも、そしてこれからも!」

 

ダイダロスの怒号を無視し、巧一朗は『隣人』と同期する。

 

虹の光が眩い海の中。何処までも彼は沈んでいく。

そして、その中のたった一つ、ほんの小さな可能性へと手を伸ばした。

それは余りにも脆く儚いもの。

だが、今の巧一朗にとって、それは切り札に他ならない。

今なら、届く。彼にはその確証があった。

 

「マスター」

 

巧一朗と手を重ねる少年。彼は全てを悟り、そして巧一朗の声に応える。

 

「君のお母さんは優しい人だったよ。二千億もの光の中から、君の為だけに、僕を見つけてくれたのだから。」

「そうか。」

「僕の父上が迷惑をかけたね。昔から、変な所で融通の利かない人だった。」

 

少年は毒づくが、それでも心底、自らの父親が誇らしい様子であった。

 

「僕は英霊の座にはもういない。僕の存在はフィクションだ。それでも、マスターが必要としてくれるなら、僕は君と共に戦える。」

「あぁ、一緒に、馬鹿親を止めに行こう。」

 

重ねた掌から、少年の物語が巧一朗に取り込まれていく。

巧一朗の手の甲に宿る三画の令呪、その一画が消滅した。

そして彼の糸は、二人を繋ぐ。『隣人』が、巧一朗の肉体を満たした。

彼が手にしたのは、儚くも小さなモノ。

神に抗う『勇気』である。

 

「何が起きている?」

 

ダイダロスは茫然と佇む。巧一朗の身体が淡く緑色に輝き、そして、彼の背中に二枚の『翼』が宿ったのだ。

その形を、災害は覚えている。自らよりも先に飛び立った、一人の少年の背へ憧れを抱いたのだから。

巧一朗の手の甲から令呪の痣が一つ消え去っていた。そしてその肉体に、蛍光色の線が無数に浮かび上がる。

 

「讃歌を終える。我は終末にて円筒を渡されし者。」

 

「縫合(トランス)—————完了(オフ)。隣人への部分接続。『招霊継承』。ダイモニオン『イカロス』の物語を受け継いだ。」

 

「何だ、お前は、誰だ?巧一朗は、何だ、これは?」

 

ダイダロスは目を白黒させている。

彼の観測において、有り得ぬことが起きている。

巧一朗の持つポテンシャル、ステータスが軒並みサーヴァントと同じ数値に引き上げられた。

そして、その特性には見覚えがあった。何を隠そう、彼の息子イカロスと全く同質の力が、目の前の人間に宿っている。

英霊の座に存在しない筈の愚か者が、目の前に化けて出たのだから、開いた口が塞がらないのも道理だろう。

そして巧一朗は七騎の既存クラスに属さない。ダイダロスも想定外の完全なるエクストラ。彼のデータベースでは説明できない代物である。

 

「お前は、イカロス、なのか……?」

「半分はそうだ。今俺の肉体には現実と虚構が入り混じっている。どっちだっていいさ、俺はいまダイダロス(父上)を一発殴らなきゃ気が済まないんでな。お前の霊核に響く、とっておき、お見舞いしてやるよ。」

 

桜館長も、そしてキャスターでさえも、巧一朗の進化を図れずにいた。ラプラスの悪魔にて加味されなかった可能性がここに浮上する。

巧一朗は最速でダイダロスのレンジに到達し、素手で彼の頬へ殴り掛かった。

 

「おらぁあ!」

 

ダイダロスは投げ飛ばされるが、直ぐにオリハルコンにて修復される。

巧一朗の打撃は、間違いなくサーヴァントのそれと同じものだった。

 

「お前らが、虚数の海に不法投棄したものだ。現実世界から排除して、流れ着いたものが俺の力だ。」

「僕たちが……だと?」

「隣人は、隣に立つ人のことだ。俺の隣に立っているのは、俺の英雄、俺に『勇気』をくれる存在なんだよ。」

 

巧一朗は何度も、何度も、その拳をダイダロスに叩き付ける。

災害はそれを回避することも出来たが、そこに思考のリソースは割かれない。

ダイダロスの大いなる知識欲は、巧一朗という存在に向けられていた。

 

「僕の愚息が、僕に立ち向かってくるだと?あの何の能力も無い馬鹿が、僕を超える気でいるのか!?」

「あぁ、俺(イカロス)は神様たる太陽なんて気にも留めず、空を自由に飛んでみせた。アンタより先に、この人類で生まれて初めて、人間として、空へ飛び立ったんだ。アンタも、そこに一つの希望を見出した筈だ!てめぇの息子に、英雄を見た筈だ!」

「僕が、イカロスに!?そんな訳があるか!」

「いいや、答えは出ている。虚構を現実にする為には、現実に『縁』が無ければならない。人々の記憶から忘れ去られたイカロスには、決定的な『縁』が存在しなかった。メアリー・セレストは消失した者の観測艇だからな、意味がない。」

「だったら、何が僕の息子を呼び寄せた!誰もあの子のことを覚えていなかった筈だ!」

 

「てめぇだよ!ダイダロス!」

 

「!?」

「お前だけが、覚えていたんだ!たった一つの『勇気』を!お前があの翼を持っていた時点で、全ての条件は成立していたんだ!」

 

巧一朗の連撃は止まらない。

ダイダロスの、災害の顔を、胸を、腹部を、全力で殴り続ける。

その拳に乗せられた思いの全てが、ダイダロスの鋼鉄へ不協和音を響かせた。

 

「調子に……っ乗るな!」

 

ダイダロスは修復機能をフル動員させつつ、反撃に出る。

彼もまた巧一朗とのボクシングに打って出た。強化された拳で、巧一朗の頬骨を抉る。

だが、巧一朗は決して止まらない。武器を使用することも無く、ただその拳一つで、ダイダロスを攻め続ける。

ダイダロスはその勢いに押され、後退を余儀なくされる。彼は自分が恐れの感情に乱されていることを、自ら悔いた。

災害がたかが一人に、たかが一匹に、追い詰められることなど、言語道断。

ダイダロスは血が滲むほどに、激しく唇を噛んだ。

 

「ダイダロス、お前は気付いていた筈だ。人間の持つ願いなんてものに果てが無いことを。英霊は、決して『神』にはなれないことを。どこかで必ず矛盾が生じることを。天才のお前が知らない筈は無い。」

「お前が僕を語るな!」

「以前戦った際、お前は『千年の重み』と言ったよな。そうだ、正しいよ。お前ら災害の作った千年は、ちんけなテロリストにはあまりにも重い。でも、お前らは過小評価し過ぎているんじゃないか?英霊を離れ、災害となり、人間を完全に見下していたんじゃないか?」

 

ダイダロスが徹底して博物館を排除しようと動いていたならば、巧一朗の奇跡は起きぬままに滅び去っていた。

だが、事実として、博物館は生き残った。それはダイダロスの怠慢に他ならない。

 

「ダイダロス、お前こそ、ずっと『迷い』続けていたんじゃないのか?」

 

巧一朗の拳が、ダイダロスの眉間に突き刺さる。

鼻から血を零しながら、ダイダロスは怒り、震えた。

 

「迷い、だと?」

「そうだ。お前は根っからの技術者だ。『暴君』には向いてねぇよ。」

 

「巧一朗、いや、僕が作った最高の出来損ない、イカロス!」

「ああ、父上、俺はあんたの創造品では、最低な粗悪品だよ。……それでも、アンタは……」

 

僕を信じてくれたんだろう?

僕を信じて、翼を授けてくれたんだろう?

 

「すみません、父上。僕は、貴方の期待に応えられる息子ではありませんでした。」

 

巧一朗はダイダロスに拳を突き立て、謝罪する。

二つの心が入り混じった存在に、ダイダロスはただただ混乱していた。

 

「でも、それとこれとは話が別です。貴方は『神』になってはいけない。貴方は『神』に抗う者でなければいけない。貴方はずっと、ずっと、ずっと、ずっと昔から、人間の可能性を信じてきた筈だ。どんなに愚かでも、貴方の創造は、ヒトの未来の為だけに存在した筈だ!踊らされて迷宮を造った時も、逃げる為に翼を造った時も、そこには純粋なダイダロスがいた!」

 

巧一朗の目から涙が零れ落ちる。その雫を散らしながら、なおも攻撃の手は緩まない。

愛する親に拒絶され、でも、それでも、子は親を信じるしかない。

そして子が失敗したならば、親はそれを教育で正し、親が間違えたならば、子は持てる力の全てでそれを正す。

 

「有難う、父上。取るに足らない僕のことを、覚えていてくれて。」

 

ダイダロスの顔は巧一朗の打撃の末、醜く歪んでいる。

だが修復は行われない。

彼は囚われの塔の記憶を思い出していた。

 

 

あぁ、僕の創造は馬鹿どもを救うためにある。

なんと僕は慈悲深いのか、そう傲慢にも考えていた。

 

だが、僕は自分が思うよりもずっと、下らない人間だった。

 

僕より凄い発明家へ、嫉妬した。

モノ作りへの信仰があった訳では無い。僕が、創造することに、意味があったのだ。

だから僕より凄いペルディクスを丘の上から突き落とした。

僕だけが、評価されるべきだったから。

 

迷宮は、怪物ミノタウロスを閉じ込めた。

これで、皆が奴に殺されることは無い。そう考えていた。

誰もが僕を称賛した。僕は得意げな顔をしていただろう。

実際は、ギリシアの子ども達が、大人たちの身代わりになっていただけだった。

 

僕の発明は、誰を幸せにした?

僕は何のために、この手を動かし続けている?

 

傲慢不遜な僕は、次第に、自分を失っていった。

 

だからこそ、塔へ幽閉された時。

僕の翼に、僕は自信を持てなかった。

また、誰かを不幸にしてしまうかもしれない。

だから、だろうか。

馬鹿息子が、僕の前に立った時は、心底驚いたし、本当に馬鹿だなと呆れかえった。

僕の創造が、世界を変えるなんてこと、ありはしないのに。

 

「僕は父上を信じます。父上は、神様をビックリさせる、世紀の天才、ですから!」

 

何故、そう言い切れる?

何故、笑顔で立てる?

どうしてお前だけは、僕を信じられる?

 

僕の疑問を吹き飛ばすように、イカロスは空へ飛び去った。

 

「イカロス!イカロス!」

 

あぁ、イカロス。お前は飛んだ。

何処までも自由に、飛んで行った!

最後まで、僕を信じてくれた。

 

そうだ、それだけで、僕には十分だったんだ。

 

 

ダイダロスはオリハルコンによる修復を放棄する。

巧一朗の連撃の末、彼はついに、膝をついた。

 

「あぁ、クソ、お気に入りの服が血塗れだ。」

 

ダイダロスは血を吐きながらも笑う。

攻撃の手を止めた巧一朗は、彼の次の言葉を待ち続けた。

 

「自己修復すれば、元の木阿弥、だな?どうする、巧一朗。それでもまだ、お前は僕へ食らいついて来るか?」

「勿論だ。アンタが折れるその時まで、俺はぶん殴り続ける。」

「はは、そうか。思えばゴキブリというのは随分昔からしぶとく種の繁栄を続けてきたらしい。蟲は存外、人間よりも執念深いのかもな。」

 

巧一朗はダイダロスに一礼する。彼の意思と、イカロスの意思で。

 

「千年間、オアシスの人々を導いてくれて、有難うございました。第四区の人々は誰もが貴方に感謝しています。」

 

「一番の反逆者が戯言を抜かすな。そして勝手に終わらせるな。」

 

ダイダロスは立ち上がり、巧一朗の元へにじり寄る。

そして、彼の前へ改めて立ちはだかる。ダイダロスは衣服を捨て去り、その胸元を露出させた。

 

「イカロス、そして巧一朗。お前の覚悟を見せてみろ。お前達の『勇気』を僕へ示せ。ここが僕の心臓、僕の弱点、僕がずっと守り通してきた場所だ。お前達の拳を、僕の霊核に叩きつけてみろ。お前らに、ここを壊せるか?」

 

ダイダロスは不敵に笑い、両手を横へ広げた。

もう邪魔をするものは無い。巧一朗はその右手に全てを込める。

 

「これが、最期だ。災害のキャスター『ダイダロス』」

「ああ、来い!巧一朗!」

 

巧一朗はその拳に全身全霊、ありったけを乗せる。

そしてダイダロスは、それを受け入れた。

 

胸元に突き刺さる拳は、その瞬間、確かに災害の核へと届いた。

ついに、届いたのであった。

 

 

                                                   【神韻縹緲編⑪ 終わり】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神韻縹緲編 エピローグ

半年間にわたり、お付き合い頂き有難うございました。
読者様は私にとって宝そのものです。
是非最後までお楽しみください。

感想、誤字等ありましたらご連絡ください。


【神韻縹緲編 エピローグ】

 

真っ直ぐに突き出したその拳に伝わったのは、何かがひび割れる感覚だった。

込めた思いの深さは、そのまま拳に宿る熱となる。そして、振り絞った後は、煙のように天へ消えていく。

巧一朗は肩を上下させながら、激しい鼓動を鎮静化させる。

深呼吸を繰り返し、ようやく落ち着きを取り戻した。

ふと気付くと、彼の身体から、英雄イカロスの心は消失していた。彼は何を告げることも無く、元いた場所へ帰って行ったのだ。

だが、もしかすると、語ることなどもう無いのかもしれない。巧一朗とイカロスは、一瞬とはいえ、その人生を共有した。無二の親友や相棒のように、言葉はもはや必要なかったのだ。

巧一朗は、地に背をつけた災害のキャスター『ダイダロス』を確認する。

はだけた胸元から、光の粒子が零れだしていた。

それはこのオアシスにおいて『退却』の印に他ならない。

彼らはついに、災害のサーヴァントの一人へ、一矢報いることが出来たのだった。

 

「巧一朗!」

 

桜館長は彼の名を叫ぶ。

振り返ると、彼女は大粒の涙を流していた。

 

「終わったよ、館長、キャスター。」

「やったな、巧一朗。」

 

キャスターも素直に喜びの声を漏らした。

 

「ナイチン先生たちも、無事、この迷宮の出口から外へと出られたようです。これでいよいよ、開発都市オアシスに変革の時が訪れます。ダイダロスの消滅により、外の世界と繋がる。そうすれば外の魔術組織にもコンタクトが取れるでしょう。……充幸さんもようやく元いた場所へ帰ることが出来ます。」

 

逆に言えば、災害の脅威が外の世界へ放たれるという危険性もある。

だが彼らが神の如く崇められているのは、このオアシスという空間のみでの話だ。築き上げた千年大国も、世界の歴史の中では酷くちっぽけなものに過ぎない。彼らにとって有利なフィールドこそこのオアシスであったなら、その枠組みを取り攫えば、災害に幾ばくかのマイナス補正を施せるかもしれない。

 

「そうだな。……ある意味じゃ、博物館の戦いも、ここからは必要なくなるのかもしれない。」

 

巧一朗の復讐は、決して終わらない。

それでも、今以上に苦難に満ちたものにはならないだろう。彼よりも優れた魔術師たちが、知恵を振り絞ってくれる。ならば彼はその最前線で、再び拳を振るえばいい。

 

「帰ろう、みんな。」

 

巧一朗はその手を伸ばした。桜館長と、キャスターは、二人して、彼の手を取ろうとする。

だが、その刹那、彼女らの顔は酷く凍り付いた。まるで幽霊を目撃したかのように。

 

「どうした?」

 

巧一朗は振り返る。

すると目の前に、死を待つのみだった筈のダイダロスが、立っていた。

 

「へ?」

 

キャスターの右拳が巧一朗の頬に直撃し、彼は回転しながら吹き飛んでいく。彼を抱き留めたのは、この場に駆け付けた美頼だった。

 

「こ……コーイチロー!」

 

巧一朗はノックアウトした。後方より現れたロウヒはやれやれといった表情を浮かべている。

 

「巧一朗、お前の拳はまだまだ軽い。この僕が、霊核を砕かれたから死ぬなどと思ったか?殺されたぐらいで、死ぬわけが無かろうさ。」

「災害のサーヴァント滅茶苦茶過ぎないか!?」

 

思わず探偵すらツッコミを入れる。

桜館長とロウヒは戦闘の意思を固めるが、ダイダロスがそれを制した。彼にはもう、博物館と戦うつもりは無い。

 

「お前たちは勘違いをしているようだ。この僕が無知なお前らに解説をしてやる。まず、最初の間違いだが、この迷宮に『出口』は存在しない。」

「はい?」

 

皆が首を傾げる。事実として、ナイチンゲールたちは外の世界へ飛び出した筈だ。

 

「テセウスの物語を思い出してみろ。彼はアリアドネの糸を垂らしながら進み、ミノタウロスを撃破し、その糸を辿って外へ出た。だが奴は出口へ辿り着いたわけでは無い、ただ入口へと戻っただけだ。そう、僕の作る迷宮に、そもそも出口なんてものは存在しない。怪物ミノタウロスを幽閉する為の空間なのに、外へ逃がす可能性のある扉を二つも用意する筈が無いだろう?」

「じゃあ、ちゅんちゅんのアーチャーと、ナイチン先生は!?」

「僕が特別に、外への出口を用意してやっただけだ。」

 

災害のキャスターとして、第四区を常に監視していたダイダロスは、ある日、病室で一人寂しげな少年を見つけた。

人間に興味を抱かないダイダロスだったが、彼の病については、認識しておく価値があると判断する。

このオアシスにおいて治療の確立されていない病気だ。少年の未来に待つのは、絶望しか無かった。

だからこそ、キャスターはヘヴンズゲートという道を、少年の為に用意する。

もし少年が英雄として生きるなら、大いに結構。

もし抗ったなら、それだけで充分に生きた証になるだろう。

博物館側からしてみれば、有難迷惑この上ない話だが、ダイダロスなりに、康太のことを案じていた。

 

「僕にとってはどうでもいいが、彼を病から救えないのは、開発都市オアシスの落ち度だからな。選択肢は与えた、後はあの子どもが自ら選び、生きていけば良いさ。」

「ダイダロス、お前……」

 

美頼に膝枕された巧一朗が起き上がる。

肉体を繋ぎとめる『糸』が解れそうな手痛い一撃だった。彼はオリハルコンの恩恵を授かりながら、自己回復に努める。

 

「そして次の間違いだ。僕が消滅しようと、このオアシスは無くならない。確かに僕が造ったものだが、所有者は別にある。」

「所有者が別、だと?」

「そうだ。僕の仕事は、ライダーの為に「船」を造り上げることだ。八百年前に作業工程は全て完了している。後の分は、まぁ、サービス残業のようなものだ。ギリシアの工匠ダイダロスの仕事は、とっくの昔に終わっていたんだよ。」

「まさか、このオアシスは……?」

 

「開発都市オアシスの正体、それは災害のライダーの『船』だ。呵々!お前ら博物館がどんなロジックを組み上げようと、全てが手遅れだ。災害のライダーを倒さない限り、このオアシスはこれから先も、外へ通じることは無い!」

 

「オアシスが、船そのもの?」

「成程、時の流れが外界と全く異なるものになっていた理由の一端は理解できたよ。巧一朗、災害のサーヴァントとは、中々に馬鹿げた連中だよ。」

「あぁ、全くだ。」

 

このダイダロスもそうだ。

巨大迷宮、強固なアーマー、オリハルコンの肉体、霊核を砕かれようとゾンビの如く生き永らえるタフさ。

もし、イカロスという鍵が無ければ、彼はここまで雄弁に語ってはくれなかっただろう。

 

「さて、これで僕からの話は終わりだ。お前らは、ここから立ち去れ。出なければ、死ぬぞ。」

「逃がすわけが無いだろう!俺がお前を、倒す!」

「いや、逃げた方が賢明だ。たった今、災害会議にてある決定が下されたのでな。」

「決定?」

 

「あぁ。外部へ人間を流出させた罪として『第四区そのものを滅ぼす』決定が成された。博物館諸共な?」

 

災害のキャスターは嘲笑う。誰もが彼の言葉を飲み込むことが出来なかった。

そんな中、小型通信ユニットに連絡が入る。声の主は、酷く焦った充幸だった。

 

「館長!皆さん!たたたた大変です!おおお落ち着いて聞いて下さい!」

「充幸さんこそ落ち着いて下さい。何がありました?」

 

「第四区の頭上に、巨大な『太陽』が出現しました!『太陽』が落ちてきます!」

「は?」

 

充幸の説明は支離滅裂だが、その事の重大さを表していた。

第四区の空に突如出現した小型太陽が、徐々に第四区へ接近している。

それは第四区そのものを焼き尽くすものである。

住民たちはパニックに陥り、街の機能も完全に停止している模様。

そして太陽の着弾まで、あまり時間は残されていない。

 

「成程、災害のバーサーカー『后羿』の絶技だ。お前らも知っているだろう、『后羿射日』の逸話を。」

 

中国神話最強と名高い英霊こそ『后羿』である。彼は空に浮かぶ十の太陽のうち、九つをその矢で射落としてみせた。彼の神話再現が、このオアシスにて行われようとしている。

 

「規模からして、第四等太陽だろうな。一等だと、オアシスそのものを滅ぼしかねない。的確に、第四区だけを消し炭にしようとしている訳だな、ハハハハハ!」

「ダイダロス、てめえ!」

 

巧一朗は拳を握り締め、ダイダロスへ怒りを露わにする。飛び掛かるのを静止させたのはキャスターだ。

 

「駄目だ、今は逃げよう。彼の言う通り、もし『后羿』が我々の敵ならば、戦う選択をしてはならない。」

「でも!」

「『太陽』が落ちてくるなんて、本当に災害だ。今の我々に出来ることは無い!どうしようもない!」

「でも、俺たちだけじゃねぇ。第四区全員が死んでしまうかもしれないんだ!鶯谷も、吉岡さんが救った海斗くんも、博物館の来場客も、皆が燃やされる……っ」

「博物館が生き残ることだけを考えろ!私たちはテロ組織だ、慈善団体じゃない!」

 

キャスターの一喝に、巧一朗はたじろいだ。

その通りだ。今まで手を汚し続けてきた彼が、今更正義のヒーローを気取るなんて馬鹿げている。

犠牲は承知で、それでも災害を殺すべく戦ってきた。周りの人間を顧みず、走り続けてきた筈だ。

巧一朗は言葉を失った。

 

「コーイチロー」

「巧一朗、動け。生き残って、次こそは、災害に勝利するんだ。まだ、終わりじゃない。」

「…………すまない、取り乱した。」

 

こうしている間にも、太陽は徐々に迫ってきている。

だが、それでも、巧一朗は最後に叫んだ。

叫ばずにはいられなかった。

 

「ダイダロス!お前がずっと守ってきた第四区の幸福を、こんな簡単に、お前、心が痛まないのか!おかしいだろう!何もかもが狂っている!俺は絶対にお前を許さない!認めない!」

「テロリスト風情が、知ったような口を利くな。僕はお前らを救う義理も義務もない。博物館、お前らは永遠の罪人さ。地に這いつくばりながら、下らない人生を歩むがいい。」

 

ダイダロスは高笑いを続けながら、迷宮の深淵へと姿を消した。

巧一朗たちはアリアドネナビから、入り口の場所を特定し、迷宮を走り抜ける。仕掛けられた罠の数々が起動することは無かった。

 

 

第四区博物館にて

地下施設、メインサーバールームにて、充幸は慌てふためいていた。

トランクケースにデバイスやメモリーの数々を押し込み、逃げる準備を整えている。

バタバタと走る音を耳で楽しむエラルと、苦笑しているロイプケ。どうやら焦る人間がいると、かえって冷静になるようだ。

 

「エラルは車椅子だし、あぁ、もう!早く逃げないと!館長と合流しなきゃだし!どうしようどうしよう!」

「落ち着きなさい、充幸。私たちが逃げるにはまだ十分時間があるわ。ねぇ、ユリウス。」

「はい、先程第六区の遠坂様に連絡が取れました。既存のルートとは別の、遠坂組所有地を経由した方法で、第六区へ逃げ込むことが可能です。エラル様ご存命の一報には流石の遠坂様も驚かれていらっしゃいましたが。」

「龍寿ならその辺り、何とかしてくれる筈よ。さぁ、行きましょう。」

「あ~、待ってよエラル!忘れ物がないかチェック中だから~!」

 

充幸は目をぐるぐるさせながら、巨大なリュックサックを背負っている。ロイプケは親切心で、彼女の荷物を代わりに背負ってあげた。

 

「さぁ、準備は良い?充幸」

「えっと、はい、これで大丈夫、です!」

 

ロイプケがエラルの車椅子を押し、一行は扉の先に出ようとする。

だが、充幸はふと足を止めた。そして、地下施設中央の円形装置に向かって、無言で歩いて行く。

 

「充幸様、どうされまし……た………?」

「どうしたの、ユリウス。」

「え……エラル様!充幸様が……あれ?充幸様…………ですよね?」

 

ロイプケが驚くのも無理はなかった。

先程までの慌てる充幸はどこへやら。

彼女は酷く冷えた眼差しで、円形装置の前に佇んでいる。

そして彼女の銀色の髪は見る見るうちに、桃色へ染まっていく。

彼女の落ち着いた衣服は消え、エスニックな戦闘衣装へと変化した。

 

「充幸様が……変わった……?」

「あぁ、充幸から聞いたことがあるわ、その話。」

 

充幸は円形装置の中央に設置された水晶を取り外し、何処からともなく用意した杖の上部に装着した。

そして金属の音を鳴らしながら、エラルの元へ歩いて来る。

 

「どうも、初めまして、『エサルハドン』。」

「…………」

 

ロイプケの額から汗が噴き出した。

とてつもない圧力だ。国の王が纏う様なオーラが、この少女にはある。

充幸はただ何も言わず、二人を眺めていた。

 

「どうして、今になって貴方が出てきたのかしら。貴方はずっと『充幸』だった筈よね。」

「…………我は我の所有物を回収しに来ただけだ。」

 

充幸は杖の先、水晶を覗き込む。

未来占いの水晶。それはこの先の出来事を映し出す。

彼女はこれから起こることを理解し、小さく笑った。

 

「何が、見えたのですか……我々の死、とか、第四区の滅亡、とか?」

「ユリウス、想像が暗いわね。」

「いや、でもこの状況だとどうしてもですね!?」

 

「存外、不幸な未来ばかりでも無さそうだ。」

 

淡い桃色の髪の少女は口角を上げたままに消失する。

杖を握り締めた銀髪の充幸は、何が起きたかを理解できぬままに、キョロキョロと辺りを見回していた。

 

「あれ、私、何をしていたんだっけ?」

「しっかりなさいよ、充幸。さぁ、行きましょうか、第六区へ!」

 

 

巧一朗とダイダロスの戦闘から、一時間が経過する。

第四区内から逃げおおせた人々と、未だに留まり続ける人々。

その誰しもが、希望を失っていた。

災害とは、ヒトを守るものに非ず。

ヒトを害する災いで在ったのだ、そういう類での絶望である。

第四区から全ての活気が失われ。

人々の目から光が失われていた。

 

空に浮かぶのは煌々と燃える太陽。

地上に落ちてくるまで、もう時間は残されていなかった。

身体の弱き者は、もう立ち上がることすら出来ないだろう。

 

一人の男が、太陽を見つめていた。

その光から目を逸らすことはしない。

 

男は大きく溜息をついた。

これから成すこと、全てを踏まえての溜息である。

 

「お前、嘘を付くのが下手くそだな。」

 

後ろから現れた巨体が、男を揶揄ってくる。

 

「お前、もう霊核がぐちゃぐちゃで死に体じゃないか。それに、何が『地に這いつくばりながら、下らない人生を歩むがいい』だ。素直に生きろと言えば良いだろう。」

「事実だ。僕はあいつらテロリストを救うつもりは無い。」

「でも、第四区の人間は、守るんだろ?」

「…………災害のアサシンが好き勝手暴れるのが不快なだけだ。それに、第四区を滅ぼすだと?ふざけるなよ、ここは僕が造った、ライダーの『船』だ。僕の創造物にケチをつけられる謂れはない。」

 

災害のキャスター『ダイダロス』と、その使い魔『ミノタウロス』。彼らはある種、主従関係であるが、互いに手を取り合うことは無い。

互いが互いの存在を嫌い、憎み、哀れんでいる。互いに相手を利用すべく動いている。

これまでも、これからもそう。ダイダロスが聖杯戦争に呼ばれようと、彼らが協力して戦うことは決して、未来永劫有り得ない。

 

だが

 

ダイダロスは第四区の為に

ミノタウロスは、自らを英雄と呼んでくれた者の為に

 

今、共に共通の敵を睨んでいる。

 

「おい、怪物。一度だけだ。僕のためにその全てを使い尽くせ。…………英雄だろう、お前は。」

「死ぬほど癪だが、仕方が無い。今回だけだ。二度は無いぞ。」

 

ダイダロスはその背に、白き翼を宿した。

そして孤独に、太陽の迫る空へと飛びあがっていく。

彼にとっても、これは生前のリベンジマッチだ。『神』と持て囃されたヒトが、生まれて初めて本物の『神』へ挑もうとしている。

 

ダイダロスはかつて大切な息子を失った。

自由を求めた勇気ある青年を、神によって奪われた。

それは青年が愚かであったからか?

ダイダロスの翼が、『神』に屈したからに他ならない。

 

だから、彼は敢えて空の上で、太陽と対峙した。

その翼は、もはや熱に溶かされることは無い。

二度と落ちない為に、千年かけて創り上げたのだ。

彼は第四区を背に、燃える光へ手を翳した。

 

「宝具起動。『万古不易の迷宮牢(ディミョルギア・ラビュリントス)』。」

 

空中に浮かび上がる、第四区を守る為の、神秘の障壁。

陽の光が壁を飲み込むように接近する。

そして遂に、その二つは衝突した。

人々の耳を切り裂くような轟音が響き渡る。パニックになっていた人々は、誰しもが、こぞって空を見上げた。

そして彼らは気付く。誰かが、人間の希望の為に戦っているのだと。

その翼こそ、第四区の象徴。決して燃え尽きることのない、『自由』そのもの。

人々は手を重ね、祈りを捧げた。

 

「ディザストロキャスター様」

 

災いを齎す筈の存在に対して、彼らは祈る手を止めない。

この地区において、彼に感謝を捧げない者は殆どいなかった。

盲目的であったかもしれない。それでも、千年に渡り、人々を守り抜いたのは事実なのだ。

最期まで、災害のキャスターは人類の味方だったと、彼らは語り継ぐだろう。

 

そして地上に立つミノタウロスもまた、己の宝具を発動した。

ダイダロスを支える為の、第二の迷宮、第二の壁である。

 

「宝具起動。『万古不易の迷宮(ケイオス・ラビュリントス)』!」

 

ミノタウロスの発動した宝具はエーテルとなり、ダイダロスの壁に重なった。だが二人の持つ心象風景に若干の差異が生まれ、完全なる調和が図れない。

 

「このクソ怪物が!僕に合わせる努力も出来んのか!」

「お前は造った、俺は住んだ。この違いだ馬鹿!俺も必死でやっている!」

「あぁクソ、熱いから思考が鈍る!」

 

ダイダロスの肉体から一気に漏れ出した光の粒子。

もう彼は長くない。

目前の太陽に指を、手を、顔を焼かれ、苦痛の声を漏らしている。

そしてそれは使い魔であるミノタウロスにも伝わる。離れた場所にいるはずの彼にも同時に陽の光が燃え移った。

 

「あぁああああああぁあああああ!」

 

絶叫がこだまする。

壁は揺らぎ、彼は土俵際まで追い詰められた。

人々は涙する。

もういい、もう十分だと。

誰もが、彼の痛みに雫を零した。

 

不可能なのか。

ヒトは神には、無力なのか。

自由なる『翼』など、存在しないのだろうか。

 

「あぁ、また屈するのか、僕は…………」

 

ダイダロスは目を閉じた。

そして炎が、彼の肉体を包み込む。

もはや身体の痛みはない。痛いのは心だけだ。

彼の創造の限界点、もう、その先はどこにもない。

 

本当にそうか?

 

誰かが問いかける。

 

まだ死ぬなと問いかける。

 

彼の突き出した手に、何者かの手が重ねられた。

 

特別な力のない、平凡な手。

 

だがそこには何か特別なものが在る。

 

「父上」

 

ダイダロスの手の甲に、青年の手が重ねられた。

 

「イカロス、僕はまた」

 

ダイダロスは未だに迷い続け、ただ一人、幽閉された塔に縮こまっている。

彼の創造の先、未来がないことを恐れている。

 

「すまない、イカロス、僕の所為で、お前は死んだ。僕が、お前を殺した。」

 

最期の贖罪。

一番愚かだったのは、自分だったと、そう涙する。

千年の時を超えても、彼は変わらなかった。

ダイダロスはそう自らを卑下する。

 

「父上、見て」

 

イカロスが指さす方。

人々が、ダイダロスを信じ、祈りを捧げていた。

彼らは第四区から逃げることを辞めたのだ。

彼らは、災害のキャスターと共に戦う選択をした。

余りにもか弱い、価値の無い愚か者、その全てが、一人の愚か者を信じ続けている。

縋ることなら、逃げた先でも出来た筈だ。

だが人々は敢えて、第四区へ残った。

ダイダロスの死が、自らの死と言わんばかりに。

 

「ねぇ、父上。皆が父上を信じています。だって。」

 

塔を離れ、飛び立つ瞬間。イカロスは満面の笑みを浮かべた。

あの時と同じ顔だ。

 

「父上は、神様をビックリさせる、世紀の天才、ですから!」

 

イカロスは消失する。

ダイダロスの手に握られたのは、一枚の羽根だった。

災害からすれば、それは余りにも小さいもの。

 

彼はその『勇気』を背負い、目を開いた。

 

「ったく、馬鹿どもが。僕に期待するってことが、どういうことか分かっているんだろうな?」

 

手が燃え尽きたなら、足を使え。

足が消えたなら、工具を咥えて創り上げろ。

持てる全てを使って、最高の創造を行え!

 

そしてミノタウロスの宝具、その力の全てを、自らの迷宮に注ぎ込む。

一秒にも満たない時間。彼はその一瞬を決して逃さない。

 

完全なる同調。今、二つの迷宮が一つになる。

 

『迷え、彷徨え、顕現するは驚天動地の大迷宮。我らは空にて輝き、星々を超克する者』

 

空に浮かぶ複雑怪奇な紋様は、その全てが形成された迷宮である。

壁としての機能を超え、彼は太陽すらも迷いの中に封じ込める。

陽の輝きが失われるまで永劫、彼の絶技からは逃れられない。

 

「行くぞ!アステリオス!」

「応さ!」

 

彼らの呼吸が一つになった時、その『災具』は起動する。

刹那の奇跡はまるで流星の煌めきのよう。彼らはそれに名前を付けた。

 

 

『神韻縹緲の大迷宮(アステリオス・ラビュリントス)』

 

 

その瞬間、彼らは、ヒトは、『神』を超える。

第四区全域にその衝撃が伝わった。

太陽が空の上で消失し、宙に描かれた巨大な回廊が虹の如く光を放っていた。

人々の祈りに応えた男は、孤独に、落ちていく。

終ぞ翼が燃えることは無かった。全てを絞り出した抜け殻だけが、この地に残ったのだ。

そして地上からその様子を眺めていた怪物も、彼の雄姿を見届け、オアシスから退去する。

 

そして地上に転がった抜け殻は、何者かによって抱きかかえられた。

 

「ブリュンヒルデ……なのか?」

「はい。」

 

二人の男女がこの場に駆け付けた。

災害のランサー『焔毒のブリュンヒルデ』

そして災害のライダーだ。

 

「すまない、オレはアンタを……」

「構わない。元より僕には王なんてものは柄じゃなかった。」

 

災害のキャスター、その肉体が朽ちていく。

何かを言い残さなければならない。だが、思考が上手く纏まらない。

 

「ブリュンヒルデ……君は必ず、内なる毒に勝って、本当の君を取り戻すことが出来る。だから、災害会議の決定は、仕方の無いことだった。君が悔やむ必要は無い。」

「…………っ」

「ライダー、これから先、君は孤独の戦いとなるだろう。アサシンは君の理想に興味がない。サハラのセイバーのことだって、眼中にないだろうさ。もしかしたら、敵意を向けてくるかもしれない。」

「あぁ、そうかもな。全てはオレの責任だ。」

「僕のことは別にいい。最高の芸術を示すことが出来た。それで、僕には十分だ。……あと、もう会えないと思っていた息子にも会えた。もう父親なんて名乗れないだろうが、それでも。」

 

ダイダロスから漏れ出た光は、空へ登り、シャボンのように消えていく。

最期に彼に見えたのは、ライダーの船の上、共に旅立つ瞬間だった。

 

「海なんて、見飽きた筈なんだけどなぁ。」

 

ダイダロスはブリュンヒルデの胸の中で、静かに、消滅した。

二人の災害は、友との別れに涙する。

千年の時を超えた関係、そしてその先の結末。今の彼らに、それを受け止めることは出来ないだろう。

 

 

「…………い」

「………らい」

「みらい」

「美頼」

 

少女の名を呼ぶ声が聞こえた。

彼女はその声に目を覚ます。

眠たい目を擦りながら、声の主の方を確認した。

彼女のサーヴァントであるロウヒが、小さなパイプ椅子に座っていた。

 

「あれ、バーサーカー?」

 

美頼は寝違えた首元を擦りながら、これまでのことを思い出してみる。

確か、巧一朗たちと共に、迷宮の入口へ向かって走っていた筈だ。

 

「あれ?それから、どうしたっけ?……コーイチローは!?」

 

美頼が辺りを見回すと、そこは灰色の狭い空間だった。

中には彼女とロウヒがいて、目の前には黒色の鉄格子が存在する。

美頼には理解できた。今の自分の状況が。

 

「これって、檻の中?」

「そうだな。」

「え、ってことは…………?」

「有体に言えば、捕縛され、収監されたということだな。」

「え」

「逮捕だ。タイホ。」

「えええええええええええ!?」

 

美頼は自らが捕まることをしてきただろうか?

犯した罪などあっただろうか?

 

「思い当たるフシしかないんだけど!?」

 

暴行、脅迫、放火、不法侵入、器物損壊、詐欺、殺人、さて、どれが漏れたのだろう?

美頼はがっくりと項垂れる。

ロウヒはその様子をけらけらと嗤っていた。

 

「というか、ここはどこなの?」

「第六区だ。」

 

返答したのはロウヒでは無い。

牢屋の外側、一人の男が現れた。

どこか不衛生さを感じる、貧乏そうな男は、彼女の牢の前にて椅子を組み立てた。

 

「誰?」

「俺の名前か。『衛宮禮士』という者だ。まぁ俺のことなんてどうでも良いだろう。まずは話をしようじゃないか。北方の女王様と、そして、『ミヤビ・カンナギ・アインツベルン』?」

 

「…………多分それ、人違いです。」

 

                                              

【To Be Continued】

 

 

 

どこかの国

夜に近付き、人々の帰宅の足も速くなる。

そしてここにも、自宅へ帰る親子の姿があった。

 

「お母さん、今日の校外マラソン、俺が一位だった。」

「え、凄いじゃん。でも無理はしちゃだめよ?」

「勿論。」

「あと、ボールを使った運動も」

「分かってる!胸の手術跡に響くから駄目なんだろ!」

「……ごめんね、口うるさくて。」

「いいよいいよ、それよりさ、今日はアレ食べたい!祝杯ってヤツ」

「うん、そうしよっか。じゃあスーパー寄るから、荷物ちゃんと持ってね。」

「任せとけって。」

 

母は息子の手を握り締める。

すると息子は、もう片方の手も上にあげた。

 

「何してるの?」

「ほら、いるじゃん。」

「…………本当ね。いるね、お父さん。」

 

風が吹くと、彼の父は現れる。

そして少年の頭を撫でまわしながら、最高の笑顔を向けるのだ。

 

「気ままな人だなぁ。」

「そうね、きっと世界中を回って、楽しんで」

「そして、沢山冒険したら、また会いに来る。」

 

二人と、一人は、手を取り合い歩き出した。

小さな物語は、まだ始まったばかりなのだ。

 

少年の旅は、どこまでも続いていく。これはそんな一ページに過ぎない。

だからこそ、締めくくるのに相応しい、この言葉で物語を終えよう。

 

 

『今宵は、ここまで。』

 

                                                       【神韻縹緲編 完】

 

 

【挿絵表示】

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マリシャスナイト:『おにいちゃんの館』

マスターアイデア募集第一弾!
IALVさん、ありがとうございました!

皆さまを、不思議な三つの夜へご招待いたします。

誤字、感想等ございましたら、ご連絡お願いします!


「誰か……っ」

 

二十代半ばの男が、真夜中の路地裏で息を切らしていた。

格闘家の風貌だが、その顔は青ざめ、酷く何かに怯えている。

噴き出した汗と目元を伝う涙が、アスファルトに溶け落ちた。

男は『誰か』に追われている。

これまでの人生、恨まれるようなことをしたつもりは一度もない。

憧れの対象であったことは、少なからずある。

だが殺意を向けられたことは、無かった筈だ。

ならば、彼を追い詰める『誰か』とは誰だろう。彼にはその見当もつかない。

 

「誰か、助けて……」

 

男は震える足に鞭を撃ち、再び逃亡を開始する。

このまま追い付かれれば、自らがどうなるか、想像に難くない。

きっと、彼は殺される。

『誰か』は闇夜に光る刃を握り締めていた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

長距離走は慣れたものの筈だった。

だが絶体絶命の状況下では、学生時代の体育の成績など塵ほどの役にも立たない。

呼吸の乱れを戻す方法を忘れている。脳に血液が行っていない。

だから、彼は救いの手を求めている。

この状況を変えてくれる、神の手を。

 

「あっ」

 

男は開けた通りに、巡回中の警察官を発見する。

男の人生に縁も所縁も無い、街のヒーロー。

今の彼には、真の英雄にも映るだろう。

 

「お巡りさん!助けて下さい!」

 

男は叫んだ。

目の前の光へ向かって、手を振りながら。

そして、警官の目線が、彼のいる方角へ―

 

「…………」

 

向かうことは、無かった。

彼の声は、どこへも響きはしなかった。

首に突き刺さった何かが、彼から音を奪ったのだ。

男は路地の外へ出る直前、汚れた地面へ崩れ落ちる。

 

「………」

 

粗雑に抜かれたのは、一本の果物ナイフ。

赤黒い液体がまき散らされ、傷口から冷たい空気が漏れ出した。

男は空に輝く星々を眺めながら、意識を失っていく。

自らの命が、無くなることを悟ったのだ。

 

彼の上に、軽いものが跨った。

腰まで伸びた美しい髪、透き通るような眼、艶やかな唇。

男は、その少女を見たことが無い。

—殺される、謂れも無い。

 

少女は男の冷たい唇にそっと口づけをする。

そして頬を赤らめながら、男の胸板をなぞった。

男が死んだ理由は単純明快だ。

男は、惚れられたのだ。

愛故の狂気だ。防ぎようも無い。

少女にとって男は二十番目の片想いだ。

 

「えと、深井……游斗さん……だっけ。」

 

少女は死体と、手元の資料を見比べながら、男の所在を明らかにする。

その手に握られたナイフを、頬骨に当てながら。

 

「うーん、まぁいいか。君は僕の『おにいちゃん』だ。」

 

少女は慣れた手つきで、手に持つナイフを滑らせる。

鼻根に刃を当てながら、鋸を引く様に切り刻む。

水溝穴まで達すると、鼻の先端を摘まみながら、勢いよくナイフを卸した。

結果、美しく、人間の鼻だけが分かたれる。

少女はそれを愛おしそうに抱え込み、頬ずりする。血液が付着しようとお構いなしだ。

 

「欲しかったんだァ、これ。ありがとう、おにいちゃん」

 

少女はスカートの土埃を払い、立ち上がると、男の胴体に一瞥をくれることも無く、歩き去った。

宝物は彼女の手の中にある。

自宅へ戻り、じっくりと観賞しよう。

彼女からは、不思議と鼻歌が漏れていた。

 

翌朝

開発都市第六区にて、治安組織として機能する『遠坂組』は事件現場へと急行する。

そこで幹部たちが目撃したのは、余りにも無残な、残酷な、男の遺体だった。

だが、担当の者たちは、吐き気を催すことも無く、手を合わせ、ブルーシートで現場を保管する。

そう、今月に入って既に、似たような事件を三度目撃している。

目、耳、口ときて、今回は、鼻、だ。

彼らは『第六区連続猟奇殺人事件』と評し、今日もまた、見えざる悪意を追い続ける。

 

 

【マリシャスナイト:『おにいちゃんの館』】

 

 

船坂優樹(ふなさかゆうき)は、平凡な青年である。

 

富裕層の住まう開発都市第六区に生まれるが、彼の家は庶民そのものであった。

区立中学校にて義務教育を受け、中の下の成績を以て、無事、中流の高等学校へ進学。なお所属クラスにおいても、彼は中の下の成績を維持している。勉強も、スポーツも、芸術も、全てが現代高校生の並の基準値であり、特別な趣味嗜好も持ち合わせていなかった。

そんな総じて『普通』の青年には、ただ一つだけ、誇るべきものが在る。

 

「で、キミの従えている専属従者(サーヴァント)、それがキミの先祖、『舩坂弘(ふなさかひろし)』だね。」

「はい、僕のご先祖様、です。」

 

舩坂弘

第二次世界大戦における、日本陸軍の英雄。

命を懸けて祖国の為に戦い続け、大日本帝国の最期を看取った人物でもある。

その豪胆さ、屈強さは、まさに男の中の男。サーヴァントとしてオアシスに現界してなお、その鍛え抜かれた身体は全盛のままである。

気弱で、軟弱な優樹とは、正反対の人物であった。

 

「成程、ありがとう。とりあえず、知りたい情報は以上だ。では、キミの依頼を整理させてもらう。」

 

優樹は皮の破れたソファーに座り、話し相手の男を眺めている。細い目から時折覗く蛇のような瞳に、彼はすっかり怖気づいていた。

優樹は手に持った名刺へ目を落とした。そこには『第四区・霧峰探偵事務所』と書かれている。優樹は、彼に会うために、態々第四区へ足を運んだ。

ネットで噂の探偵、『霧峰龍二(きりみねりゅうじ)』ならば、彼の抱える問題を解決してくれるだろうという期待だ。

 

「まず、船坂優樹クン、キミの依頼は実にシンプル、とても『探偵的』だ。ずばり、人探し、だね。一年前に突如失踪した中学時代の友人である『板垣充』クンを見つけて欲しい、ということだね。」

「はい、ミッツは僕の幼馴染で、親友なんです。」

 

板垣充(いたがきみつる)は優樹にとって、無二の親友と呼べる存在であった。

彼もまた、優樹と同じ、自らの家系に英雄を持つ青年だった。そして、優樹の家に比べ、先祖への信仰が深い家柄であったのだ。

偉大なる先祖を持つ者同士、彼らは意気投合する。どちらも活発な性格では無い為、その思考も限りなく似通ったものだった。

優樹は偶に、充から家の厳格さについて相談されることがあった。充には兄がいて、その兄が板垣の名を背負うために努力をしているのだと。

そして、充自身はあてにされていないのだと。

だが充にとって、それは心地いいものだったようだ。兄が矢面に立ち、弟である自らを守り、その逞しい背を見せてくれることが、何より誇らしかった。充ははにかみながら、そのことを優樹に話していた。

―だが、その兄が、不運な事故に巻き込まれ、命を落としてしまった。

 

「ミッツが失踪する、半年前のことです。彼のお兄さんが建設中のビルの崩落に巻き込まれて…………ミッツはお兄さんのことが本当に好きだったから、失踪したのも、きっと……」

「……私は探偵として、ありのままを伝えなければならない。嫌な想像はしたくないが、キミの親友がどうなっていようとも、だ。」

「お願いします、霧峰さん。頼れるのは、貴方だけだ。」

「……にしても、第六区市民の何でも屋である『遠坂組』にも相談して、何も動いてくれないなんて、有り得ない話だ。まぁ遠坂の連中は都市開発がメイン業だけど、六区のお悩み相談所としても機能していた筈なんだけどなぁ。まぁこちらとしては、仕事させてもらえるだけ、有難い話なんだけどね。」

 

龍二の言う通りだ。

優樹はまず、遠坂組へ人探しを持ち掛けた。

が、あっさり門前払い。管轄外だと突っぱねられる。

無論、遠坂組の意見は正しい。そもそも建設業が、地区の役所を兼任しているのがおかしな話。

だが、高校生の無垢なる願いをこうもあっさり追い返すとは、優樹自身も想定外のことだった。

だからこそ、第四区まで出てきて、フリーの探偵に依頼しているのだ。

 

「では、依頼を引き受けよう。キミにも何か進展があれば、遠慮なく連絡してきてくれ。なに、私の探偵事務所にはとても優秀な探偵サーヴァントがいるから、そう時間はかからないだろうさ。」

「優秀な探偵?霧峰さんがそうでは無いのですか?」

「私は探偵だが、まだ見習いのようなものさ。だからこうして、広く、学生にも利用できるような看板を掲げている。」

 

龍二は事務所の奥の扉から、探偵たる人物を呼び寄せた。

初老の紳士といった佇まいである。龍二よりも貫禄があるように見えた。

 

「紹介しよう。私の召喚したアルターエゴ『ジム・バーネット』だ。」

 

ジム・バーネットは白い口髭を指でなぞりながら、優樹の方を見つめている。心の内を見透かす様な視線に、青年は思わず目を逸らした。

 

「おや、龍二、儂は嫌われてしまったようだぞ?」

「貴方が舐めるような視線で彼を見つめたからでしょうが。依頼人が委縮してしまっていますよ。」

 

マスターと専属従者、基本的には今を生きる人間が上の上下関係である。

だが彼らは、探偵とその助手といったようで、立場が逆転していた。

きっとそれは、今の優樹と弘にも言えることだ。弘の前で偉ぶるような真似は絶対にしない。

 

「ところで霧峰さん、『ジム、バーネット』と言えば、ですけど。」

「なんだい、優樹クン。」

「その名は仮の名で、その正体は世紀の大怪盗『アルセーヌ・ルパン』では無いですか?あの、こんなことを言っては申し訳ないのですが、その、大丈夫、なのでしょうか?」

 

探偵ジム・バーネットと言えば、バーネット探偵社の主人公。

だがその正体は、浮世を騒がせる大悪党『アルセーヌ・ルパン』である。

もはや彼の名は有名過ぎて、世を忍ぶことも無いが、何故今なおジムの名を語っているのだろうか?

優樹は依頼料を払う以上、そこを追求せずにはいられなかった。

 

「キミの心配は最もだ。だが、私のサーヴァントはクラスがアルターエゴ、今の彼は探偵としての側面が全ての英雄なのさ。犯罪心理に詳しい、只の謎解きオタクに過ぎない。依頼料を増額することは一切ないし、私がそれを許さないから、安心してくれ。いざとなれば、キミのサーヴァントがジムをとっちめてくれるだろう?」

「おい龍二、物騒なことを言うのは辞めろ。」

 

ジムはその細い腕で龍二を小突き、抗議する。その様子がどこか漫才のようで、優樹は苦笑しつつ頬を掻いた。

優樹は一先ず、彼らを信じ、託してみることにした。そもそも、優樹にはその他の選択肢がない。

充の所在を掴むためなら、彼は犯罪者であろうと手を組むつもりなのだ。

 

依頼が正式に受理された後、優樹は事務所を後にする。

折角休みの日に第四区へ出てきたのだ。観光してから帰宅しても問題は無いだろう。

彼は腹の虫に従うように、近場の飲食店へ向かって行く。

崩した文字で男らしく書かれた看板、お好み焼きの『昇陽』。ネット評価は星五つの内の三だった。

青年は弘を奥の席へ案内すると、自らも椅子に腰かけ、二人分の注文をする。

 

「おい優樹、俺はサーヴァントだから飯は要らねぇ。」

「そう言わずに、ご先祖様も現代の料理に興味があるでしょう?」

「俺は近代の英霊だ。俺の時代にも粉物はあった。……オアシスでは千年が経っているのか、近代……では無いな、ややこしい。」

「ご先祖様の時代にもあったのですか、お好み焼き。」

「あぁ。オアシスの飯は日本国の飯とさほど変わらんからな。」

 

談笑する彼らの元に、武骨な男がお好み焼きを運んで来る。

優樹は家の方針で、精進料理しか口に出来ない。その為、濃いソースの香りを鼻から堪能するのは、実に久々のことだった。

 

「優樹、顔が蕩けているぞ。」

「それは仕方の無いことなのです、ご先祖様。久々に舌を喜ばせる料理と相対したのですから。」

「……お前の親も、祖父母も、俺を神格化し過ぎている。俺が精進料理しか口にしなかったと、盲目的に信じているからな。俺のことを語り継いでくれていることに悪い気はしないが、間違った伝言ゲームをされると、噂の主も溜まったものでは無い。」

「そうです、本当にそうです。うちの母さんに同じように言ってください。ご先祖様の意向には従う筈ですから!」

「……そうお前も思うだろう?ところがどっこい、お前は舩坂弘では無いと、否定されてしまった。舩坂弘は専属従者の器に収まる英雄では無いと。……信仰というのは時に厄介なものだな。」

 

優樹が弘と出会ったのは、中学に入った時のこと。

入学祝に、アインツベルン製オートマタを祖父母に買って貰い、彼はお年玉でサーヴァントデータメモリーを購入した。

そこに記録されていたのは、中世の騎士か何かのデータだった筈だ。

だが優樹は、英霊召喚の手順を間違えてしまった。

データのロードに失敗しているにも関わらず、強行的に、召喚行為に走ってしまう。

結果、船坂屋敷に格納された数々の聖遺物に影響され、舩坂弘が呼ばれてしまった。

だがその事実を、誰一人として信じない。推していたアイドルが突如家に訪ねてくるようなものだ。船坂一族にとって、弘とは神そのものである。見上げることはあっても、決して見下ろすことはしない。

 

「優樹、お前は俺を舩坂弘だと信じてくれるんだな。」

「それは……実際に召喚したのは僕ですし、それに……」

「それに?」

「親友のミッツも言っていました。家柄が何であっても関係ない、自分は自分、ペースを乱さないようにって。」

「良い友達だな。」

 

弘はまだ口内を焦がす程に熱いお好み焼きを飲むように食べた。

優樹が口を付ける前に、先に完食してしまったのである。

 

「ご先祖様、豪快ですね。」

「食事は手早く済ませてきたからな。優樹は自分のペースで食べると良い。……充の失踪について、現在の状況を改めようか。俺が一方的に話すから、お前は聞いておいてくれ。」

 

弘の真似をし、お好み焼きをのどに詰まらせた優樹は、必死に水を飲んでいる。常人には危険すぎる食べ方だ、優樹は言われた通り、ゆっくり口に運ぶことにした。

 

「まず、一年と、半年前だ。充の兄が事故に巻き込まれて命を落とした。そして半年が経過し、充が突如失踪する。優樹が充の家を訪れても、廃人と化した父母は何も答えなかったそうだな。板垣の名を充の兄に継がせることが、彼らにとって重要だったのだろう。充には何の期待も寄せていなかったということか。」

「充は、生まれてずっと、目が悪いのです。その代わり、耳がすごく良いのですけど。」

「優樹、とりあえずお前は一旦口のものを空にしてから話せ。リスのようになっているぞ。」

「ふぁい。」

「耳が良い、というのは、もしかすると聞きたくなかったことも入ってきてしまうのかもな。とにかく、充については両親からの失踪届も出されることは無かった。優樹も含め、最初は只の家出だと勘違いしていたのだろう。だが一か月、二か月と過ぎれば、流石に事件性を疑うものだ。優樹は充の行きそうな場所を徹底的に探索した、そうだな?」

「はい。」

「だがそれでも見つからず、一年の歳月が経った。通常、近親者が失踪届を出せば、治安部隊を有する遠坂組も動くだろうが、充の父母はまるで彼が元々いないかのように、一切触れないようにしている。優樹を除き、誰もが充へ関心を持っていない。富裕層の住まう第六区としては、どう考えても異常だな。」

「と、言いますと?」

「遠坂組は遠坂組で、何か隠していることがあるか、もしくは、区民のお悩み相談にかまけていられない程忙しいのだろうな。そうなると、思い浮かぶのは、最近巷を騒がせているあの事件だ。」

 

優樹はごくりと喉を鳴らした。

彼の学校でも、集団下校が推奨されるようになったから知っている。

開発都市第六区を恐怖に陥れる事件。

闇夜に現れるシリアルキラーのミステリーだ。

 

「第六区連続猟奇殺人事件……ですね。」

「ああ。犯行の被害者は皆、青年だ。共通しているのは、専属従者サービスの利用者では無かったこと。守ってくれるサーヴァントがいなかったのだろうな。」

「犯人は背丈の小さなロリータ服の少女、と言われているそうですが、所在は一切不明、ですよね。」

「派手に着飾っているなら、目撃者がいても何らおかしくは無いだろう。だがそれでも、誰もその少女を見ていない。ならば答えは一つだろう。」

「犯人は、『気配遮断』のスキルを有するサーヴァント、ですね。」

「その線が濃厚だ。……っと、謎解きをしている場合では無かった。言いたいのは、遠坂組がこの事件の解決に人員を割いていること、そして最悪のケースだが……」

「……充が巻き込まれた可能性があるということですね。」

 

優樹はようやく食事を終える。口元に付着したソースの汚れを拭うと、弘を真っ直ぐに捉えた。

 

「ご先祖様、充がまだどこかにいるなら、それを探せるのは僕だけです。霧峰さんへ依頼はしましたが、僕もまた捜索を続けます。危険な香りのするものであっても。」

「そうか。」

「両親には止められましたが、ご先祖様は止めないんですね。」

「『男』の下した決断だからな。俺はマスターであるお前の意向に従うまでだ。」

 

弘は腕を組み、笑みを浮かべる。彼が味方で良かったと優樹は深く思った。

彼らはお会計を済ませ、店を後にする。第六区へ向かう列車に乗り込み、自宅へと向かった。

もう陽は落ちている。会社帰りのサラリーマンも多い。明日から、再び本腰を入れて調査しようと優樹は思った。

 

「優樹、充には関係の無い話になってしまうが、いいか?」

「え、はい。」

「事件の話だ。開発都市第六区では、土地管理権を有する遠坂組の認可が無ければ、そもそも六区内に立ち入ることは出来ない、だろう?」

「そうですね。他区に比べて、その辺りは厳しいですよね。」

「当然、専属従者である英霊は認可を与えられない。マスターがいて、初めて第六区に入ることが出来る。優樹がいまパスを持っているから、俺は第六区へ戻ることが出来るんだ。」

「そうですね。でも、それが何か?」

「つまりだ。この事件は他区のものには出来ない犯行という事だ。遠坂組のデータベースに登録されている『誰か』がこの犯罪を手引きしている。『気配遮断』スキルを持つとしたら、恐らくはアサシンのサーヴァントだろうが、遠坂がそれを絞り込めない、なんてこと、有り得ると思うか?」

「確かに、そうですね。富裕層の街だから、召喚されるサーヴァントも、所謂三騎士、が多い筈だ。金持ちにとってボディガードの役割なのだから、扱いづらい暗殺者のクラスは誰もが避ける筈。なら、かなり絞り込める……」

「だが、遠坂組は未だに犯人へ辿り着いていない。人員を割いて捜査に乗り出しても、なお、だ。何か大きな落とし穴があるのだろう。」

 

弘は顎を擦りながら、列車の窓の外を眺め続けた。

優樹は弘のクラスが狂戦士バーサーカーであることを思い出しながら、狂化されているとも思えない彼を不思議に思っていた。

さておき、優樹もまた、充の失踪と関係があるかもしれない連続殺人について考察してみる。

弘の言うことは最もだ。遠坂が事件解決に手をこまねいているのは些か不可解である。遠坂組中央組織は、弘も驚きの精鋭揃いだと聞く。

彼らを欺き、何度も殺しをやってのけるのは、相当の手練れか、はたまた。

優樹が何気なく混み合う列車内を眺めていたとき、彼の脳内に一筋の光が走る。

それは断片的な記憶。

充と共に汗を流した、柳生剣道場からの帰路。田園風景に突如現れる、寂れた一軒家。

 

「ここ、前に住んでいた人が、亡くなって、幽霊屋敷になっているそうだよ。」

 

充は怪しげな家を指差した。殆ど目の見えない筈の彼が、正確に指を差したものだから、優樹は驚いた。

 

「剣道場の子が言っていたんだ。」

「ミッツ、何か見えるの?」

「いや。でも、ずっと声が聞こえる。多分、幽霊の声。」

「えぇ」

 

優樹は充の手を引き、強引に離れようとする。だが、充は岩のように動じなかった。

充は誰かの声に耳を澄ませる。当然、優樹には何も聞こえない。

 

「可愛い洋服が好きな女の子だ。お人形さんみたいな女の子。地下室に監禁されて、衰弱死。犯人は彼女の歪んだおにいちゃん。親も殺して、妹も殺して、最後は自分で首を吊った。」

「ミッツ……っ」

 

優樹は充を引っ張っていく。だが、彼の顔は、屋敷の方を向いたままだ。

 

「充!」

「うーらーめーしーやー!」

「わ!?」

 

突如、屋敷を見つめていた充が、優樹の方へ首を回転させた。

その鬼の形相に、優樹は手を離し、尻餅をつく。

 

「ぷっ、はは、あはははは!優樹ってば、涙目になっているじゃんか。ビビり過ぎ!」

「え、あ、あの」

「冗談だよ、ジョーダン!今僕が適当に作った物語さ!結構スリリングだっただろう!」

「じょう、だん?」

「確かにこの一軒家は無人だけど、フツーに引っ越していなくなっただけだよ。」

「そ、そんなぁ」

 

怖がりの優樹を試す、充のジョークであったようだ。

優樹はそんな親友とのくだらないエピソードを、何気なく思い出す。

彼は幼い頃から、両親と親戚のいざこざに巻き込まれてきた。結果、彼は自分にとって『危険』と判断する事案を、事前に回避することが出来るようになっていた。

正常、正確なシックスセンス、とはまた違うだろう。所謂『虫の知らせ』に近いものだ。

彼の脳内に突如想起されたビジョンこそ、今の彼の足枷となる。

これ以上、充を思い出してはいけない。危機回避能力が、彼に訴えかける。

 

「どうした?優樹」

 

弘が心配そうに覗き込む。

優樹はぐっしょりと汗をかいていた。

鉄道のアナウンスで、次が降車駅だと知らされる。

青年は鞄に仕舞っていたメガネ拭きで、自らの顔に付いた『焦り』を拭った。

 

「何か、嫌なことでも思い出したか?」

「いや、大丈夫。」

 

何故、幼い頃に見た、あの一軒家を今思い出したのだろう。

優樹の中で、恐怖心と好奇心が喧嘩をしている。

本来ならば、彼は駅を降り、自宅へと真っ直ぐに向かうだろう。

それが船坂優樹の在り方だ。君子危うきに近寄らず、彼の座右の銘でもある。

だが、今の彼は少し違っていた。

僅かばかり、好奇心が上回ったのだ。

 

「ご先祖様、これから向かいたい場所があります。」

「あ、あぁ、だがもう外は暗いぞ。」

「両親には、今日第四区で遊んでくると伝えています。多分。大丈夫。」

「そうか。ならば俺も共に行こう。」

 

列車を降りた彼らは、自宅とは反対方向の、石舟斎が指南を勤める柳生剣道場の方角へ向かって行った。

 

 

優樹と弘は、田舎道を進んでいく。

この辺りは、外套も少なく、月と星を光だけが道を指し示してくれる。

ここが第六区でなければ、例えば狂乱の都市である第二区ならば、危険すぎる薄暗さだ。

遠坂組が安全安心を保証しているからこそ、幼子でも一人で歩くことが出来る。

だが、そんな第六区を恐怖に陥れる連続殺人事件があってからは、習い事もお休みになるだろう。

どうやら柳生剣道場も一か月戸を締めているらしい。

優樹は一度剣道場の目の前に行き、記憶を頼りに、充との帰路を再現していった。

 

「取り壊し予定の一軒家、か。優樹の話を聞く限り、充にすら関係ない場所のように思えるが。」

「僕もそう思います。けど、ミッツのジョークにしては、なんというか、薄気味悪いくらい話が出来過ぎている気がして。」

「少女の霊、か。そいつがアサシンに?」

「まぁ有り得ないのですが、一応、家の確認だけ。胸のモヤモヤを取り払う程度の冒険です。」

 

優樹はデバイスのライトを頼りに、砂利道を歩く。人が誰も通らないことに、徐々に危機感を抱いていた。

隣を歩く弘がなんと心強いものか。彼がいるからこそ、優樹はこの場所に来られたのだ。

 

「こ、ここ、か、ここです。」

 

優樹がライトで照らす先、樹木に覆われた、幽霊屋敷がある。この場所だけ余りにも異質なため、逆に目立っているようにも見える。

何故、ずっと取り壊されないまま放置されているのか。都市開発の遠坂組が、放置するなど有り得ない筈だ。

 

「…………優樹、ここは、マズイな。」

「ご先祖様?」

「魔術の心得なんて一ミリも無い俺でも分かる。ここは、異様だ。」

 

弘は、第六区の一般人には認知すらされない程度の結界が張られていることを説明する。

優樹がこの場所を幼い頃に知覚できたのは、自身の霊感が強かったためだと。

 

「や、やっぱり僕にはあったんだ、シックスセンス。」

「恐らく、充にも、な。彼は視覚ではなく、聴覚で感じていたみたいだが。」

 

優樹の足腰はダンスしているように大きく震え始めた。弘もまた緊張した面持ちである。

彼らにこの場所へ立ち入る気概は無い。あくまで第六区に住まう、一般人に過ぎないのだから。

この場所を発見し、それまで。後は遠坂組へ報告して、任せるべきだろう。

弘は立てなくなった優樹の手を取り、踵を返した。長居する必要は無いと、判断した為だ。

だが、その時。

屋敷の窓に映る、人影を、優樹は目撃した。

その目にハッキリと映り込んだのは、人形のような少女の姿だ。

 

「あれ……は……」

「どうした、優樹。」

 

優樹は弘の手を振り解き、屋敷へ向かって駆けて行く。

驚く弘も、優樹の背中を追いかけた。

弘の脚力に優樹が敵うはずも無く、あっさりと彼に捕まえられたが。

既にそこは屋敷の敷地内、結界の内部だ。

植物が蠢き、彼らを帰さないとばかりに入り口を塞いだ。

彼らはこの場所で、囚われの身となってしまう。

 

「優樹、どうしたんだ。」

「ご先祖様、行きましょう。ここに、答えがある。」

 

彼らを歓迎するように、一軒家の扉が音を立てて開かれた。

ならばもう、罠であろうと進むしかない。優樹は大きく深呼吸した後、家の玄関に上がり込んでいった。

 

外で確認した家のサイズからは考えられない程に、その場所は広く感じられた。

富裕層の住まう家、にしては、どちらかというとオンボロである。船坂家のような、中流階級の家柄なのだろうか。

だが、この場所は取り壊しが決まってから数年は経過している筈、にも関わらず、清掃が行き届いていた。

今も、誰かが居住地にしていることが窺い知れる。

二階建てではあるが、特に怪しげなものに相対することも無く、彼らは進めども収穫を得ることは無かった。

お化け屋敷で、お化けが出てこないと、逆に不安になるだろう。優樹の顔は青ざめている。もはやパープルに近い色の焦り具合だ。

弘は、外で感じた異様な雰囲気の出所を見失っていた。中に入ってみれば、驚く程にこの場所は『平凡』だ。只のオアシス家屋の一つに過ぎない。返ってそれが不気味でもある。

 

「キッチンも、何も、無いですね。」

「そうだな。あらかた調べ尽くしたか?」

「おかしいな、確かに僕には見えたんですけど。気の所為だった、とか?」

「結界の外に出られなくなった時点で、気のせいである筈は無かろうよ。誰かが潜んでいることは間違いない。」

「でも、どこにも、何も……」

 

優樹はふと、キッチンの電源プラグが目に入った。

コードは全て抜かれており、電子レンジや冷蔵庫は、機能しないものになっている。

だが、ここで違和感に気付く。

冷蔵庫は少しばかり開かれており、そこから少しの光が漏れ出ていた。

電気が通っていないのに、冷蔵庫のライトが点灯する訳もない。

 

「もしかして」

 

優樹は冷蔵庫を徐に開ける。

すると、食材や飲料が入っていることは無く、代わりに、有り得ざる光景が広がっていた。

 

「これは」

「ファンタジーとかで良くあるんです。冷蔵庫の中は、地下室へ続く階段になっている、なんてこと。」

「地下、だと?」

「さっき見た人影は、ここに隠れて行ったのかも。……行ってみましょう、ご先祖様。」

 

優樹と弘は意を決して、地下階段を下っていく。

先程漏れ出ていた光は、壁面に施された蠟燭型ライトだったようだ。ほの暗さが、優樹の恐怖心を加速させる。

だが彼には、この先進まなければならない理由があった。

弘も、優樹の決意の目から、何かを察したようである。

 

地下階段を降りた先、開けた部屋へ降り立った。

特に何かのオブジェクトがある訳でもなく、ただ単に広い空間である。

宝物を隠すには、些か広すぎる気もしそうな場所だ。

 

「この先は、何も無い……か?」

「いえ、もしかすると、まだ。」

 

弘はこの空間に、かつての防空壕を想起する。

小さな共同空間の中で培われた恐怖と、そして大きな絆。

生きる為に必死だったからこそ、誰もが誰かを必要とした。

彼もまた、日の丸の元で、失われていく命の灯を、胸に刻みつけてきた。

 

「ご先祖様?」

「何でも無い。それより、何か見つけたか?」

「えっと、壁面に何かラインのようなものが。配線を格納するスペースなのか、何なのか。」

「もしかすると、そこに手を引っかけて開く式の、扉かもな。」

 

弘が何気なく言った一言で、優樹は手を動かした。

 

「待て優樹、何か罠かもしれな……」

 

優樹は指をかけると、左方向へ大きく引っ張ってみる。するとそこは引き戸になっており、弘の言う通り、新たな部屋が見つかった。

だが優樹が開けた瞬間、飛び込んできた光景は、余りにも悍ましいものだった。

優樹は声を上げることなく、その場でへたり込む。腰を抜かし、暫く立てなくなった。

弘が様子のおかしい優樹の傍に駆け寄ると、そこで部屋の様子を目の当たりにした。

 

「何だ、これは………………」

 

そこに在ったモノは

 

『人』だ。

 

英霊召喚用のアインツベルン製オートマタに

人間の、目や、鼻、口、耳、髪、皮膚まで、取り付けている。

機械部分を抉り出し、無理に眼球をはめ込んでいる。

鼻や口は、周囲の皮膚ごと縫い付けてあるが、どこか歪んでいるようにも見える。

それぞれが独立したパーツとして、『人形』に合体させられている。

まるで子どものブロック遊びのように。

 

「おえええええええええ」

 

優樹はその場で、今日食べたものを吐き出した。

弘は彼の背に手を当てながら、状況を確認する。

部屋には刃物が多数、無造作に置かれており、隅々に血液の跡が付着している。

この『人』は豪華な椅子に座らされており、ビジネススーツを着せられていた。

それは余りに無残な『人形遊び』に思える。

だが誰がこのようなことをしたのだろう。この家には、シリアルキラーは確認できなかった筈だ。

そして弘はハッとする。

忘れていた訳では無い。だが、間違いなく油断はしていた。

もしこの場所が連続殺人鬼の城ならば。

少女は『気配遮断』のスキルを有している!

 

「優樹、悪い!」

 

弘は優樹の首根っこを捕まえ、悍ましい部屋の中へ投げた。

そして戸を閉め、自らの武器である手榴弾を放り投げる。

開けた空間に爆発音が轟き、辺りに煙が立ち込める。

 

「ご先祖様!?」

「成程、この地下空間は言わば、闘技場、だ。サーヴァントが暴れようとびくともしないだろう。敵が来る、優樹はそこに隠れていろ。」

「えぇ!?ここで!?嫌ですよ!?今にもまた吐きそ……」

 

戸の隙間から弘の様子を窺う優樹。

いつになく、弘は怖い顔を浮かべている。

彼らが戦闘を行うのはこれが初めてだ。そもそも、平和な第六区において戦うことなど人生で一度も無いのが常である。

部屋には煙が立ち上り、誰もいない空間に、人影が見えた。

人形のような服を纏った、髪の長い少女。

弘が察するに、彼女こそが噂のシリアルキラーだろう。

だが、彼女を目撃した優樹の反応は異なっていた。

優樹は隙間から顔を出し、少女へ向かって声を張り上げる。

 

「やっぱりだ、やっぱり屋敷の外で見たときに、思ったんだよ。」

「どうした、優樹。」

「なぁ!」

 

優樹は少女の顔を確認する。そして確信する。

 

「どうして、女の子の格好をしているんだ?『充』!」

 

幼い顔立ちは、益荒男とはとても思えない。

が、しかし、優樹は、誰よりもその顔を知っている。

化粧をしていたって、ドレスで着飾っていたって、彼のことは見つけられる。

優樹にとって、充は間違いなく親友だったから。

 

「その声は、優樹か?」

「やっぱり、ミッツなのか。お前、どうして……」

「世の中の『おにいちゃん』たちが喜ぶからさ。僕が男だと気付かずに近付いてきて、本当に困ったさんだからね。僕はずっと板垣の名を背負う、真のおにいちゃんを探していた。でも僕を守ってくれる優しいおにいちゃんはいない、どこにもいなかったんだ。」

「このオートマタは……」

「そう、いないなら『作る』ことにした。旅立った僕のおにいちゃんに似たパーツを集めて、その人形を起動させる。」

「いや、何でそうなるんだよ!」

 

優樹のツッコミは正しいだろう。だが充に届くことは無い。

充は独特の価値観で動いている。かつての優しい親友は、もうそこにはいなかった。

 

「優樹のことは好きだけど、でも見られたなら、仕方ないよね。僕は君を殺す。君は僕のおにいちゃんには成り得ないけど、君の身体は永久に宝物にする。僕の大好きな、親友。」

「ミッツ、おい、充!」

「あと、もうその名前で呼ばないで。僕には災害のアサシン様から頂いた名前がある。板垣の名はもう捨てた。僕の名は『モゴイ』だ。またの名を、『ヴェノムアサシン』!」

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムアサシン』:『ギボンズ・シスターズ』現界します。〉

 

充、もとい、モゴイと名乗る彼は、取り出した注射針を右肩に縫われたコネクタに差し込んだ。鮮やかな緑の液体が、彼の肉体を満たしていく。彼は涎を垂れ流しながら、昇天している。その様はあまりにも異質だ。薬物中毒者が同じ表情を浮かべている気がする。

そして彼女の肉体は、二つに分裂した。

優樹は有り得ざる光景に、開いた口が塞がらない様子だ。

 

「優樹、人間が、サーヴァントになる、なんて話は聞いたことがあるか?」

「いや、無い、ある訳無い、しかも、充が二人に増えた、意味が分からない。」

 

モゴイは空になったアンプルを見て、溜息をつく。本来であれば、強力な毒を持つ『ハサン・サッバーハ』を用いて殺しに行けた筈だが、おにいちゃんのパーツ探索で幾度となく使用した結果、空になってしまったのだ。開発都市第五区へ戻り、補填する必要があるだろう。

彼が所持しているヴェノムアンプルは三種類。今回はその一つ、『ギボンズ姉妹』の毒素を肉体に取り込んだ。

 

「さて、優樹を守っているのはサーヴァントかな?まずはそちらから処理しよう。」

 

ギボンズ・シスターズのスキル『サイレントツインズ』は、異なる肉体を召喚し、マリオネットのように操る。互いに音波を飛ばすことでコミュニケーションを行い、連携して敵を追い詰めていくのだ。

弘の目前で、二人は火炎瓶を連投した。弘は巧みに避けてみせるが、室内の至る所で火の手が上がる。

室内は頑丈な造りとは言え、崩壊しない保証はない。弘にとって、自らの死はともかくとして、優樹が生き埋めになれば敗北である。

だからこそ、彼は倒すことより、優樹を連れ出して逃げることを選択する。

煙幕は、視覚を捨てたモゴイには通用しない。音と匂いを知られている以上、逃げ出すのは困難を極めるだろう。

そして殺人鬼とはいえ、モゴイは優樹にとって大切な親友である。もう一度、ちゃんと言葉を交えるまでは、なるべく傷を負わせたくはない。

だが、そのような甘い考えは、モゴイに見透かされている。

弘が出口への道を確保していることを察したモゴイは、あらかじめ地下空間内部に仕掛けていたトラップを起動する。それは格子状のレーザービーム、当たれば即御陀仏の代物だ。

 

「肉片になっちゃえ!」

「……っ」

 

弘は取り出した銃のスコープを覗き込み、装置の射出部位を正確に射抜いた。レーザートラップは停止する。

そして即座にその目標を、モゴイに見定めると、彼の右足首を撃ち抜く。

 

「……っ!ぐぃあ!」

「(これで止まってくれ、充!)」

 

弘は倒れ込むモゴイを尻目に、いつの間にか姿を隠した分裂先、もう一人の彼を探した。

優樹のいる部屋の付近には確認されない。どこかに隠れ潜んでいるが、目視では捉えきれなかった。

 

「…………」

 

弘はここで、両目を閉じた。

戦時中、どこから鉛玉が飛んで来るかも分からない。自然の色合いを取り込んだ迷彩服のカモフラージュは、視覚情報を奪うのに最適解だった。

ならば必要なのは、敵の発する『音』だ。

人間の動作には、必ず何らかの音が生じる。気配を消していようとも、例外は無い。

薬莢の転がる音、銃弾が空を切る音、耳が与えてくれる情報は決して侮れない。

現に、目の前の敵がそれを頼りに刃を向けてきたのだ。

 

「そこか」

 

弘は背を向けたまま、その手に持った小刀を、後ろへ向けて突き刺した。

それは見事、モゴイの太腿に突き刺さる。コンバットナイフを振り下ろそうとしていた彼は、よろめきながら倒れ込んだ。

 

「な……」

「偶然だな、俺も、耳には自信があるんだ。とっくの昔に駄目になったと思っていたが、全盛期の俺はそれなりに良い耳を持っていたようだ。」

「気配を、遮断していた、はずなのに……」

「こればかりは実地経験の差だ。俺の肉体が、戦い方を覚えている。」

 

モゴイの身体から英霊の力が消失し、二人は一人へ戻った。

弘は蹲るモゴイを放置し、優樹を連れて地下室を出ようと試みる。

だが、彼が部屋に視線を向けた瞬間、背後に強烈な殺気を感じ取った。

それはモゴイの放つものでは無い。

彼の殺戮行為には、無邪気さと残忍さがありつつも、素人感が混在していた。

だが、それとは異なる、強烈なプロの殺し屋の殺気。

戦時中、弘が米軍に感じた、生きる為に人を殺す、生存競争の果てのオーラ。

 

「まさか、共犯者が!?」

「あら、わたくしはモゴイくんのおままごとには不干渉よ?教祖様のお導きに従っただけ。」

 

焦げ茶色の肌をした、虹色のサングラスの大男。彼は女性的な話し方をしながらも、その雄々しい肉体を惜しげなく見せつけている。

男の隊服は、どこかの国のもの。弘と同じく彼も、『本物の殺し合い』を経験している。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムキャスター』:『アスクレピオス』現界します。〉

 

謎の男は、左手首のコネクタに注射針を打ち込んだ。結果、モゴイと同様に、彼も英霊へと進化する。

黒いフードにペストマスクの奇怪な姿へ変貌し、弘の前へ躍り出た。

 

「お前も、人間から、英霊に……っ」

「それがヴェノムサーヴァント。第六区の遠坂組の監視なんて、いとも容易く抜けられる。だって、元は人間ですものね。」

 

ギリシア神話の医神『アスクレピオス』の力を纏った男は、弘のレンジに素早く入り込むと、その拳を腹部に叩きつけた。キャスタークラスであるものの、その威力は計り知れない。弘は後方の壁面に叩き付けられる。

 

「パンクラチオン、中々のものでしょ?」

 

男は崩れ落ちた弘を背に、モゴイを叩き起こす。アスクレピオスのスキルを以て、モゴイの傷は次々と塞がれていった。

弘はモゴイの回復を止められない。それだけ、男の放った一撃は重いものだったのだ。

 

「邪魔を……するな、ショーン。」

「あら、邪魔なんてしないわよ。彼らが貴方の得物なら、わたくしは横取りなんて無粋なマネはしないわ。」

「なら、いい。」

「でもあのバーサーカーは、貴方には少し荷が重いわね。だから少しばかり協力してあげる。」

 

ショーンと呼ばれた男は、続いてコネクタに新たな注射針を突き刺した。

それによりアスクレピオスの権能は消え去り、新たな英霊が彼の肉体に宿る。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムキャスター』:『ダユー』現界します。〉

 

その雄々しい肉体は、幾ばくか、女性的なフォルムになる。

彼は神秘的なドレスを纏い、ブルターニュ地方の海賊公女へと進化した。

彼もまた、モゴイと同じく三本のアンプルを所持している。これは彼の持つ二人目の英雄の権能だ。

 

「何をする気だ、ショーン。」

「モゴイくんは戦闘中何も気づかなかった訳?彼の武器の殆どが火器よ。なら火が立たなくなれば、無力化したも同然じゃない?」

 

ショーンの両手が淡く光り始める。

それは彼が絶技を放つ合図に他ならない。

弘と、部屋の中で震えていた優樹はそれに気付く。だが、距離を含めても、ショーンの『宝具』を止める術は無かった。

 

『水門を開く時、渇望は満たされる(ヴェネミス・イノンダシオン)』

 

そして地下空間に、多量の『水』が湧きだした。

その集中砲撃を受けたのは、弘である。消防車の放水など比べ物にならない程の、圧倒的な噴水に、弘は宙まで投げ出された。

そして水の球体に閉じ込められ、再び壁面に飛ばされる。

 

「この場所はこれから水で満たされる。モゴイくん、あのバーサーカーのマスターを獲るなら、今がチャンスなんじゃない?」

「余計なお節介ありがとう。さて、親友との、感動の再会だ。」

 

モゴイは、水の中を走って来た。

優樹と、モゴイの愛するおにいちゃん人形が隠れる部屋へ。

 

「(まずい、まずい、どうしよう)」

 

優樹は狭い個室の中で、必死に考える。

弘が水の中に囚われた今、優樹を助ける者はいない。

彼は落ちていた刃物を拾い上げるが、こんな物騒なものの使い方など習ったことは無かった。

優樹は自身のことを正しく理解している。船坂の家に生まれつつも、平凡な、才の無い人間だと。

虫の知らせで、危機を回避しながら、それなりの人生をそれなりに生きてきた。

彼は自らが物語の主人公になれないことを知っている。

そんなドラマティックなものを欲しいとも思わない。

だから、戦う意思もない。何とか懇願して、許しを請うて、生き延びたいと思う。

それは、目の前のご先祖様を見捨ててでも、だ。

 

「(嫌だ、死にたくない、死にたくない)」

 

きっと、親友は、親友だからといって、許してはくれないだろう。

何が充をここまで追い詰めてしまったのだろう。

何が充を変えてしまったんだろう。

サーヴァントになってまで、充は何を願うのだろう。

優樹の脳内で、様々なことが浮かんでは消えて行った。

 

「(家に帰れば良かった、こんな場所、来なければ良かった)」

 

優樹の心臓は破裂する程に激しく脈打った。

もう、モゴイはすぐそこまで来ている。

更に、部屋の外には弘を痛い目に遭わせたモゴイの仲間がいる。

どう考えても、助かる道はない。

 

―助けて、誰か助けて

 

優樹の目から大粒の涙が零れ落ちた。

そしてそれに呼応するように、部屋の外から微かな声が届いた。

それは水の牢獄へ囚われた弘の声だった。

弘が、何かを伝えようとしてくれている。

 

「ご先祖様、何を……」

 

心臓の音が五月蠅くて聞こえない。

だから、一度落ち着かせる。深い深呼吸を、繰り返す、そして繰り返す。

充のことを一度忘れる。ただ弘のことを思い、弘の声に耳を傾ける。

 

『ゆうき』

 

聞こえる。

優樹の耳に、確かに、弘の声が届いた。

だが、その後の声がどうしても伝わらない。

優樹は神経を集中させる。

 

『ゆうきだ、ゆうき』

 

弘は何度も、彼の名を口にする。

だが、そこには、別の意味も含まれていた。

優樹は、以前、弘と何気なく話したことを思い出す。

それは、舩坂弘の生き様についてのことだった。

 

「ご先祖様は、日本の為に、命懸けで戦ったと聞きます。数々の伝説は、船坂の家に記録として残っています。」

「それはまぁ、恥ずかしいが、有難い話だな。」

「それで、疑問なのですが、ご先祖様は死ぬことが怖くなかったのですか?」

「最初はな、怖かったさ。だけど不思議なもので、戦争は人の心まで変えてしまう。死んでいく仲間を見て、俺もまた、誇りある死を選びたいと思うようになった。一人でも、米兵を殺して死んでやる、というな?」

「死ぬのが怖くない、くうーー!痺れるカッコよさですね!」

 

興奮する優樹だが、その頭を弘は小突いた。

 

「いて!」

「いいか優樹、死ぬのが怖いのが当たり前だ。死んでもいいなんてのは、麻痺した人間の腐った思考だ。カッコいい訳が無いだろう。……優樹、泥臭くてもな、生きている人間の方が数倍カッコつけられるんだぜ。そもそも俺たち日本軍は、負けちまったんだからな。」

「それは……」

「俺を救ってくれた医者がいた。そいつは鬼畜なアメリカ人、だったが、俺に『生きろ』と言った。アメリカ人が、だぞ?こんな恥みたいなことあるかよって、俺は騒いださ。あの時の俺は、カッコつけて死ぬことが、カッコいいと思っていたからな。」

「ご先祖様…………」

「でも、それは違っていた。天寿を全うし、俺は日本帝国の最期を看取った。あぁ、日本は負けた。何も得られなかった。でも、俺は違った。俺には、手に入れたものが一つある。」

「それは、何でしょうか?」

「それはな」

 

弘は、今度は優樹の頭をわしゃわしゃと撫でまわした。

優樹はくすぐったそうにしている。

 

「それはな、お前だ、優樹。」

「僕?」

「あぁ、俺は生きた。そして次の世代へ繋いだ。だからお前が、こうして生きている。あぁ、俺は勝ったんだ。あの馬鹿医者が一番正しかった。俺は、失わずに済んだんだ。それに、お前の名は『優樹』。なんて良い名前だ。優しい勇気、俺が生きたおかげで、こんな優しい男が今を生きている。俺は幸せ者だ。」

「優しい勇気……」

「優樹、男ならば、戦わなきゃいけない時が来る。でも、死ぬために命を張ることだけはするな。ちっぽけでいい、その優しい心で、大きく胸を張って、生きる為に戦え。それが『船坂流』だ。」

 

弘の笑顔を、優樹は覚えている。

だから、彼の言葉の意味が分かる。

 

『勇気だ、優樹』

 

きっともう、優樹に迷いはない。

モゴイが扉に手をかけた瞬間、優樹は前へ飛び出した。

その勢いで、モゴイは後方へ倒れ込む。

 

「…っ!優樹!?」

「充!僕はお前になんか臆さない!」

 

呆気に取られているショーンの横を通り過ぎ、優樹は地下の階段へ一直線に走っていく。

そして彼の拳に浮かび上がる、マキリ社製の令呪、その三画全てに祈りを込めた。

 

『令呪を以て願う!僕の英雄、舩坂弘に最高の力を与えて!めっちゃ強いパワー!弘を留める枷なんて無い!』

 

優樹の三画の痣は消失し、弘へ絶大な力を与える。

地下階段を駆け上がり、屋敷の外へ走り出た。

そしてその瞬間、一軒家周辺で轟音と共に地盤沈下が起こり、屋敷は地面に飲み込まれていく。

壁面がひび割れ、何者かの拳で破壊される。優樹は、弘を信じていた。

 

「良い激励だ、マスター優樹!」

「ご先祖様!」

 

屋敷そのものへの攻撃的アプローチにより、地下空間から這い出た弘。

閉じ込められたショーンは『うっそー』と奇怪な断末魔を発しながら、奈落へ落ちて行った。

優樹と弘は巻き込まれる前に敷地から出ようとする。だが、追いかけてきたモゴイがそれを制した。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムアサシン』:『ヤ=テ=ベオ』現界します。〉

 

彼は屋敷一帯を囲っていた植物結界と同化する。そしてそのツタを伸ばして、優樹の足を絡めとった。今のモゴイは英霊ですらない、只の怪物と化した。暴走しているらしく、奇声を発し続けている。

 

「優樹!」

「ご先祖様!」

 

沈みゆく屋敷の方角へ引き摺られていく優樹。

弘は、彼の宝具の使用に躊躇が無かった。

優樹は弘の絶技を知っている。それは彼ら日本帝国軍が皆、一同に所持している秘技。

だがそれは、彼との決別を表している。

弘の宝具、それは『自爆特攻』だ。自らの肉体を爆発させ、周辺の敵を葬り去る。

 

「駄目です!ご先祖様!」

「大丈夫だ、優樹。俺は死なない。」

「え?」

「生きることの素晴らしさを、俺は知っているからな。」

 

弘は宙へ高く飛ぶと、植物人間の本体部分へ跨った。

そして握り締めた手榴弾のピンを抜く。それがこの宝具発動のスイッチだ。

 

「悪いな、充。優樹を救うためだ、許せ。」

 

そしてその瞬間、光が輪となって広がった。オレンジ色の輪に、優樹は美しさを感じたのだ。

 

『爆式神風(ばくしきかみかぜ)』

 

弘がそう呟いた瞬間。

弘の肉体共々、植物人間は吹き飛んだ。

優樹もまた、屋敷の外へ放り出される。

結界内部は膨張し、その全てが焼き切られた。

 

「ご先祖様……………っ!?」

 

そして遂に、結界は壊れる。

中にあった筈のモノが、ようやく、一般人の目にも見える形で露出した。

だがもう屋敷は見る影もない。あるのは巨大なクレーターと、焼け焦げた物体のみだ。

 

「ご先祖様、ご先祖様、……っ、弘さん!」

 

優樹は弘がいた筈の場所へ駆けた。

土砂を腕で掻き分け、必死に彼を探す。

 

「弘さん!弘さん!弘さん!」

 

ガラス片で手の甲を切る。

それでも優樹の手は止まらない。

汚くなろうと、怪我をしようと、素手で必死に掘り進める。

 

「生きていてください!弘さん!」

 

空へ昇る煙を見た第六区市民が、遠坂組へと連絡を入れる。

駆けつけた者達が、涙を流しながら掘り続ける優樹を発見した。

救急隊が現れた際も、優樹は泣き喚きながら、その場を離れようとはしなかった。

 

だが、結局、弘が見つかることは、無かったのだ。

 

 

数日が経過した。

救急隊員に運ばれていった優樹は、本人が思っている以上に、身体中に傷を負っていた。

そのため、緊急で入院することが決まったが、驚異的な回復を見せ、今日には退院することになる。

彼はまた、弘が消えたあの場所へ向かうつもりだ。遠坂組が立ち入り禁止にしていようとも関係ない。

 

「あー、くそ、ミッツも心配だし、あーもう、早く退院したい!」

 

病室の天井へ向かって気持ちを吐露する。

両親は終日看病することも無く、仕事に向かっている。冷たいものだが、気にしない。

きっと彼らは『舩坂弘の血を継いでいるならば、回復して当たり前』とでも思っているのだろう。

だが、そんな弘は、生きると嘘を付いて消え去った。

 

「うぅ」

 

優樹の目からまた、大粒の涙が零れ落ちた。

男の中の男は、涙を流さず、背中で語る。

きっと優樹は、いつまでもそんな男にはなれないのだろう。

 

「駄目だな、僕は。ご先祖様みたいな男にならなきゃいけないのに。」

「泣いていいだろ、別に。」

 

優樹は、声の主の方へ飛び起きた。

 

そこには、傷一つない『舩坂弘』が立っている。

 

「ごせんぞ…さま……?」

「約束しただろう、俺は死なない。」

「ひ…っ…………ひろしさん~~~~~~~~」

 

優樹は彼に飛びついた。

弘は、優しく、優樹を抱き留める。

 

「どうして、生きて…………」

「『爆式神風』は自爆特攻宝具だ。普通なら、当然死ぬ。だが、俺には『アンガウルの灰』というスキルが備わっていてな。」

 

舩坂弘の持つスキル『アンガウルの灰』。

それは共に戦い、戦地で果てた戦友の骨を拾い終えるまで死ねないという、弘の決意を表すスキル。

これにより、彼は戦闘続行スキルを超える、驚異的な生存力を手に入れた。

具体的に言えば、舩坂弘は、マスターである船坂優樹が死なない限り、決して消滅しない。

優樹の死こそ、弘の死であると言わんばかりの、強烈かつ強力なスキルだ。

 

「ただ、肉体の再生に時間を要してしまった。オートマタの自動回復機能はあてにならないからな。ははは!」

「ははは、じゃないですよ!本当に心配しましたからね!」

「えー、でもあの部屋にいた時、俺を見捨てて一人で脱出しようかとちょっと思っていただろ?本当に心配してくれていたのか、疑問だなー」

「ぎくり」

 

目を必死に逸らす優樹の頭を小突く弘。

図星の優樹は、何とか話題を逸らそうと試みる。

 

「ところで充は……やっぱり……」

「いや、生きているぞ。」

「え!?」

「俺の宝具発動時に、また何者かが介入しやがった。ギリギリのところで、充は救われたよ。まぁとんでもない男だったが、お前の親友なら、とりあえず生きていて良かった、と、思うべきか?」

「うん、そうですね、でも……」

 

優樹は入院中に、ある決意をした。

船坂優樹としての、大きな決断だ。

 

「僕は、充を止める。」

 

モゴイと名乗る、かつての親友。

彼は開発都市第五区の、災害のアサシンを信仰していた。

彼を変えたのは、間違いなく災害だ。

きっと彼が帰る場所も、今は第五区なのだろう。

 

「親友として、充の暴走を止める。それは僕にしか出来ないことだから。」

 

優樹は窓の外を見つめた。

高校生の彼に出来ることは少ないかもしれない。

でも、弘が傍にいるならば。

 

「充を、止める、か。」

 

弘はかつてのように再び、優樹の頭を撫でまわした。

 

「優しい勇気、期待しているぞ!」

 

これは船坂優樹の第一歩にして、始まりの物語。

彼は病室にて、弘と共に、大いに笑い合ったのだった。

 

 

「はぁ、まったくもう、わたくしの大事な衣服が汚れちゃったじゃない!モゴイくんったら!」

「…………」

「意識失っているし」

「…………」

「はぁ、また教祖様に怒られちゃうわ。ごめんね、『信華ちゃん』。貴女の手を煩わせるつもりは無かったの、本当よ。」

「…………任務ですから。」

 

小柄な女が、モゴイの身体を抱え、歩く。

開発都市第六区からの逃走経路は確保済み。災害のアサシンの城へ戻り、報告を上げるだけだ。

 

「信華ちゃん、やっぱり怒ってる?いま貴女、休暇中だったわよね。」

「…………任務ですから。」

「やっぱり怒っているじゃん、もー!」

 

身体をくねらせる気持ちの悪いショーンを捨て置き、『都信華(みやこしんか)』は砂利道を歩いて行く。

アインツベルンカンパニーにて働く彼女が、災害のアサシンのいる第五区へ戻るのは、実に久々のことだ。

だからだろう、彼女の口元には、僅かばかりの笑みが浮かんでいる。

 

彼女もまた、災害のアサシン(ファム・ファタール)に魅入られた一人なのだから。

 

 

 

【マリシャスナイト:『おにいちゃんの館』 完】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マリシャスナイト:『探偵vs怪盗』

時系列の説明が出来ておりませんでした。

マリシャスナイト第一夜『おにいちゃんの館』は観測者編より前の出来事

今回の話は、神韻縹緲編の直前となります。

ご迷惑をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます。

誤字、感想等ございましたら、ご連絡ください。


「っ……つう」

「どうした、頭を抱えて。痛むのか?」

「……また、ヤな未来が見えました。」

「不完全な未来予測、たった十秒の先読み能力か。どんな未来が見えたんだ?」

 

男が指さす方向、霧峰探偵事務所の看板が、派手な音を立てて地面に落ちた。事務所内にいる老紳士は、窓からその光景を目の当たりにする。

そして口髭を弄りながら、「ほう」とだけ呟いた。

 

「ウチの老朽化している看板が、落ちました。幸い通行人はいません。」

「あれ、結構重いだろう。また設置するには骨が折れるな。」

「……手伝ってください、『ジム』。サーヴァントなら、軽々運べる筈でしょう。」

 

頭を抱える男、『霧峰 龍二』は、相棒のサーヴァント『ジム・バーネット』と共に、事務所の階段を降りていく。

老舗の小料理屋を彷彿とさせる味深い木製看板を、二人で担ぎ、再び上階へ。

その間も、龍二は頭痛に顔を顰めていた。

 

「……たった十秒の未来視、なんの意味もありはしない、私にとってこの能力は、悩みの種でもあるのです。」

「以前、龍二の能力はその歳になって、次のステージへ飛躍している、と言っていたな。」

「より鮮明なビジョンと、その事態のもたらす影響、視野が広くなったというべきでしょうか。今までは視力の悪い人間の視界のように、靄がかかっている感覚でしたが、まるでコンタクトレンズを付けたかのようになっています。でも結局、十秒では、何も変わらない。現実は厳しいものですよ。」

 

ジム・バーネットの正体は世紀の大怪盗『アルセーヌ・ルパン』。彼にとって十秒先の未来予測も、怪盗業務で考えれば、有用なスキルであった。だが龍二は、戦闘とも犯罪とも無縁の小市民である。鬼気迫る状況に陥ることは皆無に等しい。

 

「なぁ、龍二。」

 

一度事務所の中にて重量感のある看板を下ろすと、ジムは龍二と向き合った。

 

「どうしましたか、ジム。」

「猫探しやら、人探しやら、浮気調査やら、君のその能力が活用された試しはない。」

「ええ、そうですね。」

「それは君が平和な街の『探偵』であるからだ。……だがもし、君がより刺激的な人生を望んだならば、その不完全な未来視は花開くことになるだろう。君が頭を痛める理由も、見つけるかもしれない。」

「何が言いたいのですか、ジム。」

「忘れたかな?儂は歴史上最も有名な『怪盗』だ。君が望むなら、よりドラマティックな物語の主人公にさせてあげられる。美しいものを手にする喜び、それは退廃的な君の人生を変える筈だ。」

 

ジムは懐から、ヒビの入ったモノクルを取り出し、龍二の目に押し当てる。それはアルセーヌ・ルパンの愛用していた代物であり、龍二が彼を呼び出した際に使用した聖遺物でもあった。

 

「龍二は、何故、儂を召喚した?君の奥底に眠る野心、その片眼鏡から覗き込んでみるといい。」

「……馬鹿な話は辞めて下さい。私を犯罪者にしたいのですか、貴方は。」

 

龍二はモノクルをジムへ返却すると、彼から背を向け、窓の外を見つめた。

ジムは龍二の背を眺めつつ、不敵な笑みを浮かべていたのだった。

 

【マリシャスナイト:『探偵ⅴs怪盗』】

 

開発都市第二区に本社を構える『マキリコーポレーション』から、第四区博物館へ、指定文化財の寄贈が成された。

それは鑑識官である鬼頭 充幸あての贈答品である。中身は何と、裏取引されていた、アンティークアクセサリーであった。

金色のバングルは、古代エジプトの掘り出し物。これを触媒とする英霊召喚が万が一成された場合、歴代のファラオたる何者かが呼び出されること間違いなしだろう。

エラルは予めマスコミへ情報公開しつつ、博物館へ引き渡した。観衆は当然、その現物をその目で見ることを熱望し、急遽ではあるが、一般客向けの博覧会が開催されることとなる。

そしてそのイベントが滞りなく開催されて四日目のことだった。

第四区博物館へ、一枚の手紙が寄越される。

その差出人は、世紀の大怪盗『アルセーヌ・ルパン』であった。

 

〈明日の零時 金色の秘密を 頂きに参上します 怪盗アルセーヌ・ルパン〉

 

それは、かの怪盗紳士からの予告状であった。

第四区博物館が内々での解決を目指そうと図る中、マスコミにも同様の手紙が送付され、第四区全域に情報が拡散されることとなる。

結果、いま第四区博物館は警備部隊と協力することとなり、裏のスタッフたちは肩身の狭さを感じている。

巧一朗とキャスターは、表の女性スタッフである梶と脇、二人と共に警備部隊隊長とコンタクトを取り、連携を確認していた。

 

「当日ですが、スタッフの皆さまはモニタールームにて我々と待機していてください。部隊Åがバングル周辺を監視し、部隊Bが外の車両にて指示を待ちます。厳戒態勢を敷き、区民の立ち入りも禁止します。……敵はサーヴァントです。此方の部隊も三騎士のクラスを多数配備する予定です。」

「なんだか、大変なことになりましたね~」

 

呑気そうに煎餅を頬張る梶と、それを制するクールな脇。表の展示解説員である二人は、親友と呼べる間柄だった。

鉄心は彼女らと特に仲良く話しているが、巧一朗は仕事仲間といえど、殆ど会話をしたことが無い。その為か、巧一朗は普段に比べ、より無口であった。

代わりに、怪盗アルセーヌ・ルパンに興味を示したキャスターが、食い入るように部隊長と話している。

 

「そういえば、巧一朗君。鉄心や、倉谷さんはいないの?鬼頭鑑識官は今、仕事が立て込んでいるって聞いたけど。」

「脇さん、ええ、彼らは非番です。元々博物館側の人手は必要ないですし、俺がいれば問題は無いだろうという、館長の判断です。そう鬼頭教官から連絡を受けました。」

「館長の、ね。ここの館長、何故か私たちにすら姿を見せないのよね。こんな緊急事態だっていうのに。」

「そうですね。俺も会ったことがありませんから。」

 

頑なに姿を隠している第四区博物館館長、その正体は充幸しか知らない。

怪盗の予告状が届こうと、館長は動じないらしい。スタッフの判断に全てを委ねている。

 

「ちなみに、災害のキャスターはこの件について何か言っているのかい?」

 

キャスターは博物館として気になっていた部分を直球でぶつけてみる。警備隊長は災害の城の出入りを許されている数少ない人物だ。

 

「災害のキャスター様は我々に委ねる、と。あくまでバングルを使用した不正召喚があった場合のみ、自ら対応されるそうです。」

「それは、まぁ、そうだろうね。」

「怪盗アルセーヌ・ルパンは、ジム・バーネットの名で、探偵業をやっています。第四区の中心街にある、霧峰探偵事務所です。所長の霧峰龍二氏には、私自らが話を聞きに行きました。どうやらここ一週間、ジム・バーネットは消息を絶っていたそうです。」

 

警備隊長は、霧峰龍二とジム・バーネット、両者の写真を提示する。三十台前半の、キツネ目の男が霧峰で、髭を生やした紳士風の男がジムである。脇はジムの渋い風貌に顔を赤らめていた。

 

「ジム・バーネットは召喚されてから数年、真面目に探偵として仕事をしていたそうです。霧峰氏が所長ではありますが、立場的には逆転していたようで、霧峰氏はジムを師と仰いでいたそうです。ですが、突如、探偵事務所に顔を見せなくなり、そして……」

「今回の予告状が、こうして届いたわけだ。」

 

キャスターは証拠品である、ルパンの予告状を提示する。

筆跡鑑定から、書かれた文字はジムのものと見て間違いないようだ。

 

「霧峰氏の元には、マスコミ関係者や、テレビの取材が相次いだそうで、心身ともに疲れ切っていた様子でした。今回の件で無関係と断定することは出来ませんが、警備部隊は、ジムの単独的犯行だと睨んでいます。」

「まぁ霧峰龍二の名が既にマスコミに割れた以上、何をしたって足がつくからね。第四区の先鋭たる警備部隊に、最悪、災害も出張って来るんだから、一般人に出来ることは少ないだろう。」

「ねぇ、部隊長さん、第四区博物館には取材が入らないけれど、それはどうして?」

 

脇の質問に、煎餅を貪る梶も反応した。ミーハーな彼女らは、むしろ進んでテレビに出演したいと考えているようだ。裏のスタッフである巧一朗からすれば迷惑な話ではあるが。

 

「無用な混乱を避ける為、警備部隊がシャットアウトしています。既にテレビ局に断りの電話を入れて八件目。皆、怪盗ルパンの話題に興味津々なのでしょう。」

 

部隊長は溜息を零す。龍二同様、彼もこの件で色々と苦労しているようだ。

実際、第四区の民衆は、怪盗ルパンの登場に胸を躍らせている者だらけだ。それだけ、義賊としての側面を持つ彼の見事な手際に関心を寄せている者が多いという事だろう。華麗なるルパンの活躍を願う人間もいる程だ。

———そして、白銀の探偵ことキャスターも、その一人だったりする。

 

彼らが打ち合わせをしていると、突然、正面ゲートから来訪者が現れた。

四人の年若い男女が、警備の目を掻い潜り、巧一朗たちの前に現れる。

 

「何だ!君たちは!」

 

立ち上がり、その進行を食い止めようとする部隊長。だが。中央にいた女が、それをするりと躱してみせた。

 

「博物館スタッフの皆さん、ですよね!私はネットニュース番組『ドラマツルギー』の司会を務めております、西田薫子(にしだかおるこ)と申します。コメンテーターでおなじみ、かおるきゅんです!」

 

彼女は謎のポーズを披露するが、巧一朗とキャスターは茫然としたままである。

彼らとは異なり、梶と脇は、薫子の登場に目を輝かせていた。

 

「かおるきゅんって、あの、かおるきゅんだよね!かおるんポーズでお馴染みの!」

「そうよ、梶。朝から番組見てきたよ!すご、生だとめちゃくちゃ可愛い!」

 

普段はクールな脇ですら、薫子に羨望の眼差しを向けている。巧一朗が知らないだけで、どうやら有名人らしい。

 

薫子は後ろにいた残りの三人も手招きで呼び寄せる。

カメラを構える男が一人、あとは洒落た服を着た、美男美女のセットだ。

 

「こちらは、来月放送開始の『怪盗紳士の許嫁』にて主演女優を努めます、新谷美月(しんたにみつき)。」

「よろしくお願いします。」

「そのお隣が、同じく『怪盗紳士の許嫁』にて、ルパン役を演じる、森本俊平(もりもとしゅんぺい)。」

「よろしくどーぞ。」

「最後に、『ドラマツルギー』カメラマンの大久保雅也(おおくぼまさや)。」

「どうも、よろしくね。」

「是非、怪盗ルパンのこと、沢山取材させてくださいね!」

 

薫子は手短に、メンバーを紹介した。

巧一朗とキャスターは誰一人認知していなかった。

だが、梶と脇がキャーキャーと騒ぎ立てる様子から、芸能人が来訪しているということは窺い知れた。

薫子の説明によると、『ドラマツルギー』とは、ネット配信の番組で、注目の新作ドラマを紹介し、出演している俳優と共に、街ロケを実施したり、舞台となった場所を突撃取材する内容らしい。

『怪盗紳士の許嫁』という、ルパンをモチーフにしたゴールデンタイムのドラマが来月公開されるようで、タイムリーにも怪盗ルパンの予告状が博物館に届いたことから、『ドラマツルギー』は強行取材に赴いたようだ。

 

「待ちなさい、君達。ネット番組だか何か知らないが、第四区博物館への取材は一切禁じている筈だ。そもそも、今ここは立ち入り禁止になっている。外のイエローテープを潜って来たのか?とにかく、帰りなさい。」

 

部隊長は雅也の持つカメラを手で塞ぎながら、彼らを追い返そうとする。だが薫子は、正式な取材の許可書を自慢げに見せつけた。そこには、災害の認印もばっちりと押されている。

彼女らは何らかのルートを利用して、警備部隊を黙らせる手段を手に入れていたのだ。

 

「なっ……まさかそんな、災害のキャスター様がお認めになるとは……」

「流石に警備部隊隊長殿も、頷かざるを得ない、ですよねぇ。ふふ、独占取材ゲット!再生数うなぎのぼりだわ!」

 

『ドラマツルギー』スタッフと、俳優二人が部隊長とやり取りする間に、巧一朗とキャスターは気付かれないようにその場を去っていく。

裏スタッフが全区ネットに顔を晒すわけにはいかない。後は、梶と脇がそれなりに対処してくれるだろう。

彼らは裏口からスタッフルームへと戻り、二人して、大きな溜息をついた。

鉄心や美頼がいれば、などと珍しくも思ってしまっている。

 

「成程、鬼頭教官はこういう事態を見越して、皆を非番にさせたのかもな。」

「というと?」

「美頼も、鶯谷も、流行には敏感だろうから、多分奴らの取材に堂々と応じるだろ。」

「……確かにね。」

 

巧一朗はインスタントコーヒーをキャスターへ差し出した。彼自身は、朝に自動販売機で購入したメイプルレモネードを摂取し、落ち着きを取り戻している。

 

「それにしてもキャスター、予告状を見たか?」

「ああ、無論だとも。」

 

〈明日の零時 金色の秘密を 頂きに参上します 怪盗アルセーヌ・ルパン〉

 

今一度彼らは、コピーした予告状を眺める。

巧一朗は疑問に思っていた内容を、探偵であるキャスターに吐露した。

 

「この、金色(こんじき)の秘密(ひみつ)って、どういうことだ?金色はまぁ、バングルのことを指しているんだろうけど、何で態々、秘密、なんて表現をしたのか。怪盗ってのは洒落た文面が好きなんだろうか。」

「あぁ、それは、ルパンの下らないトリックというか、ジョークみたいなものだろう。」

「どういうことだ?」

「……もしかして巧一朗、分からないのかい?」

 

キャスターは彼のキョトンとした表情を嘲り、煽ってみせる。

いつものことではあるが、探偵は推理の答えを教えてくれないらしい。

巧一朗は再び深く溜息をつくと、謎多き予告状を眺め続けたのだった。

 

 

来たる、怪盗ルパン襲撃の当日。

第四区博物館周辺は、警備隊による厳戒態勢が敷かれていた。

部隊長と共に、梶と脇はモニタールームへ足を運ぶ。

一方、巧一朗とキャスターは館内を巡回し、異常が無いかをチェックしていた。

予告時間まであと三十分。巧一朗は警備部隊の囲うバングルを改めてその目で確認する。

 

「古代エジプトのアクセサリーね……そんなに欲しいのか、こんなものが。」

 

巧一朗にはその価値は理解できない。触媒として、ならば当然理解できるが、指定文化財を用いた違法な英霊召喚は、その区を管理する災害によって罰せられる。リスクを冒してまでのこととは思えない。

 

「目的は、何なんだろうな。」

 

巧一朗は後ろに立っていたキャスターへ語り掛ける。彼女から解答が返ってくることは無かった。

彼女はどうやら、怪盗ルパンの襲撃を心待ちにしているように思える。

巧一朗は警備部隊の人間、そしてサーヴァント達へ一礼すると、自らも、警備部隊の用意するモニタールームへ向かった。

正面玄関を出た所で、昨日の来訪者である『ドラマツルギー』スタッフたちに鉢合わせる。薫子は目を輝かせながら、巧一朗の元へ駆けてきた。

 

「アンタら、まだここにいたのかよ。流石に今日は部隊長の指示に従ってもらうぞ。」

「勿論そのつもりです。十分前には、我々もイエローテープの外へ戻ります。ところで、昨日あなた、取材する時にはいなかったわよね。」

「あぁ、今アンタらのカメラに映る気も無い。そういうのは苦手なんだよ。」

「大丈夫、まだカメラは回していないわ。でも、話だけは聞かせて頂戴な。怪盗ルパンの話。」

「俺と、彼女は何も知らない。知りたけりゃルパンの奴に聞いてくれ。……色々嗅ぎまわっているみたいだけど、アンタらの番組は盛り上がりそうか?」

「ええ、おかげさまで。怪盗ルパンのマスターである霧峰龍二にも取材して、より濃密な特ダネ放送へ昇華されました。是非私としては、貴方のことも教えてもらえると嬉しいのだけれど。」

 

薫子はわざとらしく、電源の入っていないマイクを巧一朗へ向ける。

だが彼は、それを右手で下ろさせた。

 

「ところで、『怪盗紳士の許嫁』という番組だったな。史実が元になったストーリーなのか?」

「いえ、かなり独自路線のストーリーになっていて、怪盗ルパンの正体も、本家とは一切関連しないものとなっているわ。」

「……なら、本物のルパンが見たら、怒るんじゃないか?」

「ふふ、そうかもね。でも『ドラマツルギー』の再生数は今までで一番のものとなっているわ。『怪盗紳士の許嫁』も高視聴率が約束されたようなものね。勿論、美月ちゃんと俊平君の人気のお陰もあるだろうけど。」

「二人は、そんなに有名なのか?」

「知らない方がおかしいわよ。今をときめく、大型新人の二大巨頭と言えば、彼らのこと。忙しい身だから、こうしてネット番組に出てもらえるだけでも本当に有難い話ね。でも二人がドラマにかける情熱は本物よ。『怪盗紳士の許嫁』を盛り上げる為に、スケジュールを調整して、自らPRの為に『ドラマツルギー』に出てくれたんですもの。」

「そうか。真摯な人達なんだな。」

 

巧一朗は薫子と話しつつ、その後ろでカメラの調整をしている雅也の姿を眺めた。彼は機材を収納した巨大な鞄を背負いながら、レンズのピントを合わせている。だが、どうにも何かしっくり来ていない様子だった。

 

「カメラマンの人、どうされたんですか?」

「あぁ、ねぇちょっと大久保、どうしたの?」

「あ、あぁ、薫子さん。いやね、倍率調整が上手くいかないというか……」

「何言っているのよ。普段使用しているものと違うレンズじゃない。しっかりしてよ、カバンの中に入っているでしょう。」

「あぁ、すみません。怪盗ルパンが来るという事で、緊張してしまって。」

 

雅也は急ぎ、カバンの中の機材を漁った。コードやらが乱雑に入っており、どこかいい加減さを覚える。果ては、カバンの中のものをぶちまけてしまい、円形のレンズが俳優の二人が休憩しているベンチの方まで転がっていく始末だ。

 

「もう、何をやっているのよ、大久保!」

「すみません!薫子さん!すみません!」

「大丈夫ですか、大久保さん、はい、これ。」

「あ、あぁ、美月さん、態々拾ってくれて有難う。」

 

薫子は頭を抱えている。雅也の風貌は新入社員のようには思えない、ベテランの風格だが、どうにも本番には弱いタイプのように思えた。

 

そして話している内に、予告時間の十分前となる。

巧一朗とキャスターは部隊の用意したモニタートラックへ乗り込み、博物館内の監視カメラを捉えた。

まだ、怪しい影は無い。

 

「部隊長、本当にルパンは来るのでしょうか。」

 

脇はどこか不安そうな顔で中央に座る部隊長へ話しかける。やはりいざとなると、ヒトは緊張してしまうのだろう。だが、脇とは異なり、梶は相変わらず呑気そうにチョコレートを頬張っていた。

 

「我々もこのような事態は初めてですから、未だ悪戯の線も大いにあると考えています。でも、霧峰氏の元から消えたジム・バーネットは、やはり偶然とは思えません。我々は第四区の守り人として、我々の責務を果たすのみです。」

 

部隊長は誰よりも、噛り付くようにモニターを見つめている。正義感の強い人だと、巧一朗は感じた。

そして時刻は0時、ついに予告時間となる。

警備部隊、博物館スタッフ、イエローテープの外側の民衆、皆に緊張が走った。

モニターの監視カメラ映像に釘付けとなる部隊長、そして梶と脇。彼らの目を盗み、巧一朗とキャスターはその場を離れる。

そのことに気付いていない部隊長は、各部隊に通信を入れ、怪盗の出現を待つ。

怪しい人物がいないかどうか、入念にチェックを怠らない。

 

「もしかしてルパン、既に忍び込んでいたりして。」

「それは無いわよ、梶。これだけの警備隊員とサーヴァントがいる中で、盗みになんて入れるはずが……」

 

脇がそう言いかけた、その時だった。

外にいる警備隊から緊急の連絡が通達される。

何やら民衆たちが騒ぎ始めている。

その理由は一つ、怪盗ルパンが、余りにも堂々と、第四区博物館に現れたのだ。

 

「ルパンはどこだ!?どこにいる!?」

「それが、第四区博物館の時計台の頂上にっ!」

 

部隊長はすぐさまモニター車を降り、その姿を確認した。

黒のシルクハットにマントをたなびかせる、演劇で見たようなシルエット。

夜闇にいても異彩を放つ、大怪盗ルパンが、優雅に立っていた。

 

「あれが……ルパン……」

 

梶と脇もその姿を確認する。

梶は所持していた菓子袋を力なく落としてしまう程に、彼に魅入られていた。

 

「ハハハハハハハ!諸君、今宵一夜限りのショータイム!儂は大怪盗ルパンの名のもとに、かの宝を盗みだす!」

「そうはさせないぞルパン!警備のアーチャー部隊は、奴に狙いを定めろ!必ず確保するんだ!」

「おや、いいのか?得物をこちらに向けてしまって。諸君らの『宝』が傷ついてしまうぞ?」

 

ルパンはその手に、金色のバングルを取り出し、ちらつかせた。

宝は既に彼の手に渡っていたのである。

 

「なんだと!?何故、バングルが……?」

「ハハハハハハハ!ぬるいぞ!ぬるすぎる!儂を止めたくば、ガニマールでも連れてくるんだな!」

 

ルパンは高笑いしながら、煙幕と共に、夜闇に姿を晦ました。

部隊長は歯を食いしばりながらも、部隊へ通達し、彼の行方を追わせる。

梶と峰は呆気にとられながらも、警備部隊が怪盗紳士を追いかける姿を見届けたのだった。

 

 

博物館から離れた、とある路地裏にて、一人の男が息を切らしている。

事件現場の博物館からここまで、休まず走り続けてきたのだ。

彼は背負っていた大きな鞄を地面に置くと、その中から金色のバングルを取り出した。

 

「はぁ……はぁ……」

 

彼はそれを見つめながらほくそ笑む。

全ては計画通りだ、と。

彼は気が緩んでいたのか、背後に立つ人物に気付くのに数秒要した。

もしかすると宝そのものに目を奪われていたかもしれない。

 

「ここまで、全力疾走、おつかれさん。」

 

男は急に声をかけられたことに驚き、数歩後ずさる。

そこにいたのは、巧一朗とキャスターだ。彼らは、男を追って、ここまで辿り着いた。

 

「……っ」

 

そしてその後に続き、なんと『ドラマツルギー』の薫子と、俳優の美月、俊平までもが、男を追いかけてきた。

彼らもまた、息を切らし、肩を上下させている。

 

「あれ、あなた、博物館スタッフの……」

「そういうアンタは、たしか、西田さん、だっけ。俳優さんたちもいるし、どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもないわよ!そこの、大久保!アンタがルパンの華々しい登場の際に、勝手に居なくなるから、探したのよ!」

 

薫子は、男を指さした。

相当怒っていることが窺い知れ、巧一朗は立ち竦んだ。

 

「大久保さん、どうしたんですか?顔色も悪いですし……」

 

俳優の美月が大久保を覗き込むと、彼は焦ったのか、手に持っていた金色のバングルを落としてしまった。

そしてそれを慌てて拾い上げ。隠すように両手で包み込む。

 

「大久保さん、それ……」

「大久保、アンタ、どういうこと……何でアンタがそんなものを……」

「まさか、怪盗ルパンの変装、なのか!?」

 

俊平は薫子と美月を下がらせ、男として前に出た。

大久保は沈黙を貫いている。

だが、この状況で、嘘を貫き通すのは、流石に無理があるだろう。

大久保は、バングルをポケットに仕舞い込み、そして

変装用のマスクを、首元から引き剥がした。

 

「……っ!」

 

薫子、美月、俊平は驚愕している。

それもその筈、変装していたのは、彼らの知る人物だったからだ。

 

 

「霧峰龍二…………!?」

 

 

マスクの下から現れたのは、彼らが取材した、怪盗ルパンことジム・バーネットのマスター、霧峰龍二だったのだ。

 

「霧峰さん、どうして……」

 

ショックを受けている薫子とは対照的に、俊平はこの事態を独自に推理してみせる。

 

「もしかして、最初からルパンと霧峰はグルだったんだろ。皆がルパンに気を取られている間に、お前はこっそり忍び込んで、バングルを盗みだしたんだ。大久保の姿に化けて、逃げ切ろうとした。」

「そんな…………」

 

薫子は、龍二と特段仲が良いわけではない。ただ取材に協力してくれた一般人という認識に過ぎない筈だ。

だがそれでも少なからず傷付いているのは、彼女が龍二のことを『善良な一市民』と信じ込んでいたからだろう。

 

「霧峰さん……ルパンに、唆されたんですか!答えて下さい!」

「…………私は……」

「探偵として頑張っていたのに、今ドロボーなんかやっちゃったら、犯罪者に落ちてしまう。そのバングルは素直に返しましょう、まだ間に合いますから……」

 

美月は龍二に手を伸ばした。

 

「そんなに、ソレが欲しいか?新谷美月。」

 

彼女の伸ばしたか細い腕を掴んだのは、傍で見守っていた巧一朗だった。

 

「え、な、なんのこと?というか離して!」

 

美月はその手を振り解き、数歩後退する。その姿に、薫子は理解が及んでいない様子だった。

 

「だが、生憎、本物のバングルはルパンも、そして霧峰も、所持していないぞ。そりゃあ、博物館に寄贈されたものだからな、当然、俺たち博物館が持っている。」

 

巧一朗はスーツの袖を捲った。するとそこには、煌びやかな黄金のバングルが装着されている。

最初から、誰も盗んではいなかった。怪盗ルパンも、そして龍二も。

 

「どういうこと…………」

「最初から計画されていたのさ。第五区の宗教組織の末端であるお前の犯行を食い止めるための、な?」

 

龍二の背後に、シルクハットの老紳士が現れ出る。

龍二はその姿を確認し、彼と共に口角を上げた。

博物館と結託した大捕り物、その始まりは、数日前に遡る。

 

 

霧峰探偵事務所にて

 

「龍二は、何故、儂を召喚した?君の奥底に眠る野心、その片眼鏡から覗き込んでみるといい。」

「……馬鹿な話は辞めて下さい。私を犯罪者にしたいのですか、貴方は。」

 

龍二はジムに渡されたモノクルを彼に返し、窓の外を眺めながら溜息をついた。

 

「私は大のホームズ愛好家ですよ。盗みに興味はありません。貴方を召喚したのも、ホームズのライバルとして彼を翻弄してみせた、怪盗ルパンへの興味からです。」

「そ、そうか。」

「それに、まず、大前提として、忘れないでください。」

「何をだ?」

「貴方は『探偵ジム・バーネット』です。私が召喚したから、貴方は探偵になったのです。今の貴方は探偵として一流だが、怪盗としてはスキルダウンしていること、知っておいてくださいね。」

「で、でもなぁ、龍二、君の不完全な未来視は、現状、君の足枷にしかなっていない筈だぞ。儂はその有用性を述べたまでで……」

「いいのです、足枷で。」

 

龍二は、落ちてきた木製看板の、『探偵』と書かれた部分に、そっと手を置いた。

 

「猫探しも、人探しも、浮気調査も、立派な探偵業でしょう。依頼者は皆、モヤモヤした気持ちを抱えながら、その解決を求めて、この事務所にやって来る。私が…………僕が、一所懸命走り回ったその十秒先で、依頼者が笑顔になっているならば、それが一番の『宝』なのです。」

 

龍二がそう格好つけた瞬間、窓の外で霧峰探偵事務所の広告ポスターが風に流され飛んで行った。

どうにも締まらない龍二に、ジムは思わず噴き出した。

 

「ちょ、笑わないでくださいよ、ジム。」

「ククク、確かに龍二には怪盗は不向きだな。見た目とは裏腹に、愛嬌があり過ぎる。」

「ちょっともー」

「————すみません、霧峰探偵事務所ってここであっていますよね?」

 

突然の来訪者に彼らは慌てるが、その顔を見て、彼らは手を止めた。

来訪者の青年は一度、ここへ足を運んだことがあった。それは数年前の話だ。

互いに懐かしさを覚えながら、見つめ合う。

 

「ようこそ、霧峰探偵事務所へ。今回はどんな依頼だろうか。『船坂優樹』クン。」

「お久しぶりです、霧峰さん。また貴方を頼りに来ましたよ。」

 

船坂優樹は、高校を卒業し、『遠坂組』へと就職を果たした。

現在は対宗教組織アヘル支部を立ち上げ、彼の親友であるモゴイこと、板垣充を追いかけている。

 

「へぇ、出世したのね。あの時は、あまり協力できなくてすまなかったよ。」

「いえ、霧峰さんに相談した結果、頭の整理が出来ましたし。でも今回は、かなり霧峰さんにご迷惑をおかけするかもしれない。」

「教えてくれ。」

 

優樹は資料を提示する。

それは近日中に、マキリコーポレーションから内密に、指定文化財が第四区博物館へ寄贈される旨を示したものだった。

だが、第五区の宗教組織が、この文化財を虎視眈々と狙っているらしい。

 

「元々、マキリが所持しているときから、奴らは目を付けていました。でも流石のセキュリティですから、アヘルと言えども手を出すことは叶いません。だからこそ、寄贈される今が彼らにとって千載一遇のチャンスなのです。当然彼らは、その情報を掴んでいます。」

「遠坂組は動けないのか?」

「はい、マキリの邪魔立てをするようなものですから。当主の龍寿様は、マキリ社CEOのエラルドヴォールと仲が良いわけではありません。遠坂がこの情報を掴んでいることでさえ、エラルドヴォールを怒らせる材料となるでしょう。」

「そうか。じゃあ依頼内容というのは?」

「アヘルの横暴を止めて下さい。彼らはこのバングルを不正に用い、絶大な力を手に入れる気です。」

「そうか、分かった、分かったが、私に何が出来るだろうか。マキリが隠している事実をそのままに、どうやって防げばいい?」

「龍二、儂と君にしか出来ないことがあるだろう?」

 

ジムは腕を組んで、得意げに笑った。

龍二はジムの思考を感じ取った。

 

「まさか、ジム……」

「エラルドヴォールは派手好きと聞く。ならば、ド派手に、陰に潜むコソ泥どもを、炙り出してやろうじゃないか。『大怪盗アルセーヌ・ルパン』の名を用いて、な?」

「指定文化財の寄贈を、一大イベントにするのか。そして、怪盗ルパンという第三者が、盗みを大々的に告知する。結果、警備部隊は厳戒態勢を敷き、宝は守られ、奴らは宝を盗みだすルパンを狙うようになる。」

「イグザクトリー!第四区博物館と連携が取れれば、難しい話では無いだろう。」

「待ってください、それだと霧峰さんとジムさん、二人が失うものが大きすぎる!」

 

優樹は自ら依頼したにも関わらず、その案を却下しようとしたが、龍二によって制される。

 

「霧峰さん……」

「私たちにしか出来ない仕事だ。怪盗であり、探偵である、私たちにしか。依頼を解決したその十秒後に、キミが笑顔になっていることを信じて。」

「依頼は受理されたぞ少年。霧峰探偵事務所、いざ、出動だ!」

 

そして龍二とジムは動き出した。

第四区博物館と緊密に連携を取り、作戦を立てていく。

ジムとキャスター、二人の探偵が手を取り合ったのだった。

 

 

そして時は戻り、路地裏にて。

巧一朗は美月を睨みつけ、その推理を披露する。

 

「お前らの組織はルパンの出現を知った時、焦った筈だ。影から掠め取るつもりが、人々の注目の的になってしまったからな。だから、ルパンの関係者たる霧峰と、事件の舞台となる第四区博物館、両方と接触し、強奪する計画を立てる必要に迫られた。」

「そう、つまりはこの巧一朗クンたち博物館、そして私、その両方に話を持ち掛ける人物こそ、犯人である可能性が高い。」

「第四区博物館は予め、全ての取材を禁止にしている。災害のキャスターの印付きの許可証も当然偽造だろう。警備部隊に一任している災害のキャスターが、態々こんなものを押す筈が無いからな。霧峰と情報共有し、アンタらの内の誰かがコソ泥だという事は簡単に判明したよ。」

「そ、そうなの!?」

 

薫子だけが、状況を飲み込めていなかった。

巧一朗の予想通り、彼女はシロだ。

 

「まぁ西田さん、アンタは利用されていただけだよ。でなきゃ、俺の質問に、あんなにべらべら喋る筈も無い。」

「そ、そんな……」

「俳優の新谷美月と森本俊平は超売れっ子だ。ネット番組の為にスケジュールを抑えて、というのも少しばかり違和感があった。どこかで本物の二人と入れ替わり、変装しているんだろうな。まぁ、そこのジムは犯人に目星を付けていたみたいだが。」

「どういうこと?」

 

薫子に、例の予告状を見せる。

改めて、ルパンの出した、その文面を確認した。

 

〈明日の零時 金色の秘密を 頂きに参上します 怪盗アルセーヌ・ルパン〉

 

「金色のバングルを、敢えて『秘密』なんて洒落た文言で言い換えたのには理由がある。これはアナグラムになっていたんだ。並び替えてみるといい。」

「えっと、こんじきのひみつ、だから、ひき、じん、みつこ、の、……言葉にならないわよ?」

「そう、ついつい、金色を『こんじき』と呼んでしまうよな。だが普通に『きんいろ』とも読める筈だ。きんいろのひみつ、これを並び替えると……」

「『ひろいんのみつき』……っ!ヒロインの美月!?」

「そう。俺たちはこのメッセージを受け取り、彼女を必ず視界に入れていた。」

「あと、私は大久保さんに頼んで、彼に扮していたが、新谷美月さんに私がルパンだと、変装していると、そう思わせる為に、一芝居打った。その道の匠である筈のカメラマンが、まるで素人のようなミスをする、その瞬間を、キミは目撃した筈さ。」

「……っ、貴様、騙していたのか!?」

 

美月は変装を解き、黒のローブを被った。

そして彼らから離れ、右手の甲の三画の令呪を見せびらかした。

 

「新谷美月、いや、コソ泥!逃げる気か!」

「ふん、まさか、私は偉大なるアヘル教団の『室伏ネム』!コソ泥呼ばわりは辞めて頂戴!」

 

ネムはまだ、自らの名を晒す程、余裕があるようだ。

彼女は目配りをし、森本俊平に合図を送る。

 

「いけ、キャスター『メスメル〔オルタナティブ〕』!全員潰してしまえ!」

「やはり、森本俊平も変装だったか!」

 

巧一朗は脳内データベースで、『メスメル』の名を検索する。

動物磁気説の第一人者で、後にそれは『催眠術』として昇華されることとなる。メスメルは医師として、特異な力で人々を治療したとされているが、現代において動物磁気の存在は否定されている。

本人は患者に寄り添い、癒しを与える立派な医師であるが、俊平を模していた彼は、そうではないらしい。

ネムは彼をオルタナティブと呼んだ。それは英霊の本来の姿とは、別側面の存在である。メスメルとしては有り得ない、イフの顔だ。

現在、彼らの前に立ち塞がるメスメルは、動物磁気概念が、催眠術という括りに変換されたことに怒りを覚える、奇人である。

故に、本来ならば蛇の者たちに手を貸す筈の無いメスメルが、こうして犯罪行為に手を染めているのだ。

メスメルオルタは両手の指先に『気』を集中させると、それを巧一朗に向けて発射した。

空気弾が彼の腹部に直撃する。そしてその瞬間、巧一朗の中で、何か、大きな流れのようなものが乱された。

結果、彼はその場で蹲り、意識を保てなくなる。

 

「巧一朗!」

 

キャスターが彼に駆け寄り、その症状を観察する。だが、彼の肉体に一切の異常は見られない。

存在しない筈の動物磁気が、存在するものとメスメルオルタに定義され、そしてそれを破壊された。

これは言わば幻肢痛に近い症状である。血が流れているならば、それを防げばいい、だが、巧一朗を今苦しめるのは、存在しない臓器の、存在しない痛みだ。キャスターとて、手の施しようがない。

 

「くそ、思い込みこそが敵か!」

「動物磁気を乱されたものは、嘔吐、失禁、意識の混濁、様々な賞状に襲われた後、血液の流れすら、そのやり方を失ってしまう。つまり死だ、死が待っている。」

「厄介だな、実に、厄介だ。」

 

ネムとメスメルオルタが、巧一朗のバングルを奪い取ろうと近付いて来る。

そんな二人を、ジムと龍二は押し留めた。

 

「キャスターさんでしたっけ?巧一朗クンを抱えて、ここから逃げて下さい。彼女らは私たちが相手します!」

「霧峰……龍二……あぁ、任せた。」

 

キャスターは意識を失った巧一朗を背負い、走り去った。

龍二は生まれて初めての戦いに緊張しつつも、事件解決の為、ネムを足止めする。

 

「メスメル、君はその独特の医術で人の心を変えてきた。儂も同じ、儂は財宝を盗みだすことで、人を惹きつけてきた。どちらが人を魅了させられるか、勝負と行こうじゃないか。」

「お前のような犯罪者と一緒にするなぁぁああああ!」

 

メスメルオルタは先程と同じ構えで、その両手に『気』を溜め込もうとする。だがジムがどこからか持ち出した縄でその両手を拘束した。

 

「掌が合わさって、ニホン流の祈りのポーズだ。今の君は神や仏に悔い改めた方が良さそうだね。」

「くそっ!」

 

メスメルオルタが拘束具を取り払おうと躍起になる隙をついて、ジムは彼の顔に飛び膝蹴りを食らわせた。クリーンヒットしたのか、メスメルオルタは地面に崩れ落ちる。

一方、ネムと龍二は、互いに拳をぶつけ合っていた。

小柄ながら、素早さで翻弄するネムは、龍二の顔や腕、みぞおちに、次々と拳を叩きつけていく。彼女は何か武道の心得があるようだ。その拳の重さは、彼女の見た目にそぐわない。

 

「信華様に習ったワザよ!只の一般人には重く突き刺さるでしょう?」

「(信華……誰だソレ。というか一発が滅茶苦茶痛い)」

 

龍二の拳は何度も彼女に当たっている筈、だが、彼女は怯むどころか嗤いながら襲い掛かってくる。まさに狂気そのものだ。

バングルを盗み取ろうとする彼女、何がネムという少女をここまでおかしくさせてしまったのだろう。

 

「龍二、大丈夫か!」

「ジム!」

「よそ見してんじゃねぇよ!」

 

地面に転がっていたメスメルオルタは、いつの間にか素足になっており、両足で『気』の流れを作り込んでいた。

そしてそれがジムへ向かって射出される。

 

「危ない!ジム!」

 

龍二は、当然、ジムの方がサーヴァントだから、強いことを知っている。

でも、自分の尊敬する探偵に怪我をさせることは、彼の意志が許さなかった。

ネムの追撃を躱した龍二は、ジムの前に躍り出、メスメルオルタの足技をその身体に受けてしまった。

そして先程の巧一朗と同じように、動物磁気が狂わされる。

 

「はは、ははは!終わりだよ!霧峰龍二!」

「おい!龍二!」

 

龍二はその場で膝をついた。

意識が朦朧とし、呼吸すらままならない。

 

———くそ、これは、マズイな。

 

全身の血液が沸騰し、破裂する感覚。

手足から、指の先まで、その動かし方を忘れてしまう。

冷静になろうとも、脳の中が濁流に荒らされ、まともに思考することも出来ない。

 

「龍二、しっかりしろ!龍二!」

 

ジムの声が段々と遠くなる。

そもそも、ジムとは誰だろうか。

龍二は、自分自身のことすら、失いつつあった。

どうして今、彼はここにいるのだろう。

何故、痛い思いをしてまで、戦っているのだろう。

 

頭が痛んだ。

激しい痛みだ。

龍二は、この痛みを知っている。

そして彼の脳裏に焼き付くのは、師と崇めるジム・バーネットの消滅だ。

メスメルオルタに暴力的に壊される、大切な相棒の姿だ。

 

龍二が見たものは、これから起こる未来。

全てを忘れようと、何もかもを認識できなくなろうとも、この未来だけは必ず起こる、その確信がある。

龍二は息を整えた。

色々と考えるから駄目なのだ。

やることは一つで良い筈だ。

それは十秒先の未来を変えること。

彼はカウントダウンを始める。

 

十、九、八、七、六………

 

頭が空になる。

数字のことだけを意識する。

 

五、四、三、二、一…………

 

「今だ!」

 

龍二は目を瞑り、立ち上がり、その拳を目の前の敵に叩きつけた。

それはメスメルオルタの顎の部位に見事突き刺さる。

不意を突かれたメスメルオルタは、只の一般人である龍二の行動を予測できなかった。

それ故の失態だ。彼は焦り、後方へ飛び移る。

 

「龍二……」

「はぁ……はぁ…………大丈夫ですよ、もう、大丈夫です。……足枷をぶん回せば、意外と攻撃にも使用できるものなんですね。」

「不完全なる十秒の未来視、か……」

「未来のビジョンが私の脳内をジャックする。偶には、役に立つものですね。」

 

ジムは龍二の肩に手を置いた。もう、龍二が惑うことは無い。

ネムはメスメルオルタを叱責する。たかが一般人に後れを取ったことが気に入らないようだ。

 

「すみません、ネムお嬢、次こそは俺の『気』で奴らを……」

「もう無理だ。メスメル。人の心を無理矢理動かしても、それは一時的なものだ。不協和音では、人間の心は響かない。儂が、アルセーヌ・ルパンが、華麗なる技で君たち二人を魅了してやろう。」

 

ルパンが指をパチンと鳴らすと、夜の空に金の財宝や煌びやかな宝石が打ちあがった。それら全ては、彼が大怪盗としてコレクションしてきたものだ。

そして聳え立つビルの壁を走り、黒のシルクハットのファントムシーフは、月をバックに両手を広げる。

華麗なる怪盗のショータイム。それは一大エンターテインメントであり、誰もが期待に胸を躍らせるのだ。

この耽美な空間は固有結界にも思えるが、その実、幻を見せているだけに過ぎない。怪盗のショーの観客は、今はネムだけだ。

 

「曲芸師の真似事をして、何を変えられる!?私を救うのはいつだって、災害のアサシン様だけなの!」

 

室伏ネムは叫ぶ。叫ばずにはいられない。

ネムの心の空白を埋めてくれたのは、災害のアサシンの寵愛だ。生きる意味を失った彼女が、唯一生きていていいと思える居場所なのだ。

怪盗紳士はそんなネムの心の闇を解きほぐすように、彼女を空へと連れて行く。

翼を持たない筈の少女は、ルパンに手を引かれながら、宝石の天の川を自由に羽ばたいた。

 

「こんな子ども騙しで!私を!」

「ネム、君が本当に欲しいものはなんだ?儂が、奪ってきてやろう。」

「欲しいのは!災害のアサシン様の笑顔だ!私はあの人の為ならば幾らでも手を汚せる!」

 

ネムは涙を流していた。

彼女の涙が夜の闇に溶け落ちていく。

彼女の『嘘』に、ルパンが気付かない筈が無い。

 

「本当に、欲しいものは、それかい?」

「あぁ、そうよ!」

 

ネムが手を握るルパンを再び見た時、そこには災害のアサシンがいた。

優しい微笑みで、ネムの手を柔らかく包んでいる。

 

「アサシン様……」

「ネム、有難う。任務を果たし、聖遺物を持ち帰ってきてくれて。」

「はい、私、頑張りました!アサシン様に喜んでいただきたくて!私!」

 

災害のアサシンの胸に抱かれ、その温もりを手に入れたネム。

だが彼女の頬を伝う雫は、増えていくばかりだ。

 

「違う……違う……違う違う違う違う違う!全然違う!」

「ネム?」

「アサシン様はっ……私の名前なんか覚えてくれない!私が誰かも知らないの!」

 

ネムは大粒の涙を零す。

災害のアサシンに扮していたルパンは、元の姿に戻った。

 

「アサシン様はヴェノムの幹部や、近い人たちのことしか覚えてないの!私のこと、知らない!」

「でも、君は、室伏ネムだ。ちゃんと名前がある。」

「そうよ、私はネム、ネムなの。誰か、覚えてよ。私のこと、教団の末端だの、コソ泥だの、言わないでよ。ちゃんと、私を私って思ってよ。ネムって、呼んでよ。」

「それが、君の欲しいものかい?」

「欲しい!私の本当に欲しいモノ!それは……」

 

大怪盗アルセーヌ・ルパンの宝具

それは幻の中で、この世界のありとあらゆる全ての事象を盗み取る。

財宝、情報、概念でさえ、全ては彼の手の中にある。

 

『怪盗紳士は今宵も空に舞う(ヴリル・エスポワール)』

 

「儂がネムの願いを、叶えてやろう。」

 

怪盗ルパンは天高く駆け上がり、彼女と共に消え去っていく。

そして、彼らは現実世界へと帰って来た。

 

「ジム、何がどうなっているんですか?急に敵が戦意喪失しましたけど!」

「龍二、怪盗に殺しはご法度だ。怪盗ルパンは何処までも華麗に優雅に、宝を奪うものだからね。」

 

メスメルオルタは、小柄なネムを抱きかかえる。

メスメルもまた、龍二の知らないところで、戦う意思を失っていた。

 

「これは…何だ、事件解決、なんでしょうか?」

「さぁてな。とりあえず、博物館の彼らに合流しよう。巧一朗君の治療もせねばなるまい。」

 

龍二とジムは、路地を走り抜け、巧一朗たちを追う。

だが二人が戦闘をする最中、キャスターと巧一朗もまた、新たなる脅威に相対していたのだ。

 

 

意識を取り戻さない巧一朗を抱え、キャスターは夜の街を走っていく。

だが驚く程に、人の気配がない。イエローテープの外にいた民衆は皆、散り散りになっていた。

これもメスメルオルタの動物磁気によるものだ。教団側が鼠を追い込むために、人払いをした。

 

「ここまで大規模に動くとなると、それなりに時間は掛かったはず。そう考えると、協力者がいてもおかしくはない、か。」

「当たり、かも。」

 

キャスターは背後の声に即座に反応を示した。

軍服を着たクールな女が一人、道の真ん中に佇んでいる。

その姿を一目見た時点で、彼女の中にある三つの魂が猛烈騒ぎ始めた。

災害と相対するような感覚だ。余りにも強烈なプレッシャーが彼女を押し潰す。

 

「そのバングル、頂戴。」

「知らない人間にプレゼントする訳無いだろう?」

「そう。」

 

女は残念そうな顔を浮かべている。口数は少ないが、意外にも、表情は豊かだ。

———だがその目から、異常なほどの殺気が消えることは無い。

 

「その人、危ないから、遠くに座らせて。傷付いたら、危険。」

「敵ながら、此方のマスターを心配してくれるとは。」

「私は、人間は、殺さないから。私が矢を放つのは、サーヴァント、だけ。」

「ほう、殊勝な心掛けだな。名は?」

「ウラルン」

「聞いたことが無いな。」

「別に覚える必要も、皆無。」

 

ウラルンは胸部のコネクタに、液体の入った注射針を打ち込んだ。

そしてその肉体は、サーヴァントへと進化していく。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムアーチャー』:『ケイローン』現界します。〉

 

ウラルンの主張の激しい胸部や臀部が、より強調されるフォルムとなる。

彼女の手には、年季の入った弓が召喚された。

キャスターは彼女の主張通り、巧一朗を離れた場所で休ませる。

そして彼女もまた、その手に一本の剣を呼び出した。

 

「アロンダイト……円卓の騎士?」

「さぁてね!」

 

キャスターは白銀の探偵から、犯罪界のナポレオンへと精神を入れ替える。

どちらも戦闘が特別得意という訳では無いが、状況が状況だ。そうも言っていられない。

 

「やぁああ!」

 

キャスターはアロンダイトを構えたまま、ウラルンに急接近する。白銀の探偵では人間すら戦闘負けするが、『モリアーティ』であれば、通常のサーヴァントと同じように戦える。

ウラルンは手に持った弓で応戦する。剣と弓の鍔迫り合い、押し勝つのは当然、剣だ。

キャスターが強く弾き飛ばした結果、ウラルンは後方に吹き飛ばされる。近距離ならば、現状キャスターの方が有利であるらしい。

だから、彼女から距離を置く訳にはいかない。キャスターはすぐさま走って、追撃の一手に出る。

ウラルンは矢を番え、キャスターへ向けて連射した。光弾が彼女の頬を掠めたが、何とか避けきり、再びウラルンのレンジに入り込む。

 

「さぁああ!」

「っ」

 

キャスターが剣を下から上に振り切ると、対応に遅れたウラルンは、その肉体に傷を負った。彼女の身体から血が零れ落ちる。

そしてもう一度、キャスターはアロンダイトを振り被る。ウラルンを無力化するための一手だ。これで終わらせる、そう息巻いた一撃。

だが当然、それは許されない。ウラルンが予め空に放った光弾が、追尾弾となって、キャスターに襲い掛かる。

 

「くそっ」

「空に輝く星座が見える?」

 

キャスターが距離をとった瞬間、ウラルンは再び矢を放った。

空からの攻撃に精一杯だったキャスターは、ウラルンの新たに放った矢に対応できない。

胸から足にかけて、数本の矢が、彼女の体に風穴を開ける。

 

「かはっ……っ」

 

そしてキャスターはアロンダイトを手放した。

彼女は円卓の騎士ランスロット本人では無い。これは言わばレプリカだ。意識を保っていなければ、この武器は霧散する。

キャスターの目の前には、矢を番えるウラルン。どうやら窮地に立たされたらしい。

彼女はウラルンと遭遇した瞬間、デバイスにて美頼と鉄心に救援要請を送っていた。

彼らの力を借りれば、ウラルンを退けられるだろうと信じている。

 

「(早く来てくれ、具体的に言うならばロウヒ!)」

「じゃあ、おしまい。」

 

ウラルンは弓を引き絞る。

キャスターは走馬灯のように、この一瞬であらゆることを思い浮かべた。

 

「あの、あのだな、ウラルン女史。君は何故教団に入信したのかな?」

「なに、突然」

「その、私も災害のアサシンには興味があって、ほら、凄いカリスマ性だろう?私も惹かれるものがあるんだよね、うん。」

「そう」

 

キャスターは必死に話を振って、時間稼ぎをすることに決めた。弁論こそが探偵、敷いてはモリアーティの武器だろう。

ウラルンは弓を下げ、キャスターの顔をまじまじと見つめた。

 

「(お、乗ってくれるか?)」

「———私は、アサシンのこと、嫌いだから。」

「え?」

「貴女の気持ちには寄り添えない。ごめんね。」

 

ウラルンは天高く指さした。

それはケイローンの権能を用いた一撃必殺宝具。空に浮かぶ星座からの急転直下の一射。

 

『星を蝕む災いこそが、救済の毒となる。—我が矢はもはや、放たれた』

 

夜空から降り注ぐ、一筋の光。

それはキャスターの霊核を砕くには、十分すぎる一手だ。

 

『天蠍惨毒一射(アンタレス・ヴェノムスナイプ)』

 

その光は、キャスターのいる地点へ降り注いだ。

もはや、キャスターに逃げ切る術はない。

閃光は、確実に、彼女の霊基を焼き尽くす。

 

ウラルンはその腕を下ろし、サーヴァントの消滅を確認する。

だが。彼女の中で大きな、違和感があった。

キャスターを確かに狙い、そして射抜いたはずだ、だが、手応えが全く無い。

ウラルンの疑念は、確信へと変わる。砂埃の立ち込める中で、確かに、キャスターは生きていた。

 

「……すごいね」

 

その一射を防いだのは、彼女の周りを飛び交う、無数の剣や槍である。

アロンダイトを呼び出したように、キャスターは招霊転化の記録媒体へアクセスし、その武器を、力を、模倣した。

 

「これ、本当に奥の手だから、マジで。」

 

それはキャスターの、モリアーティの最終奥義、否、最終定理と呼ぶのが相応しいだろう。

これは彼女が誰にも見せなかった、モリアーティとしての宝具だ。

全てを計算し、隣人であったはずの力の一端を、現代に再構築する。巧一朗が『糸』で縛りつけるならば、モリアーティは『数』で証明してみせる。

 

「我が最終式、終局的犯罪をここに証明する。世界は破滅で満ちているからネ。」

「それが、貴女の、力。」

 

キャスターが拳を突き出すと、無数の刃がウラルンを捉え、一斉掃射される。その数は、今まで巧一朗が酷使してきた疑似英霊の数に等しい。

 

「証明完了—————『終局的犯罪(カタストロフ・クライム)』」

 

無数の刃は一匹の大鯨のように、ウラルンの元へ降り注いだ。

力を出し尽くしたキャスターは、ぐったりとその場で倒れ込む。

これ以上の戦闘は、モリアーティそのものの霊基消失へ繋がるだろう。ウラルンを殺して、逃亡するしかない。

 

「巧一朗、まだ眠りこけているのか。」

 

キャスターはヨロヨロと立ち上がり、彼の元へ歩いて行く。

ウラルンがどうなったかは分からない。今は逃げることが最優先だ。

 

「くそ、君は何故だか重いから、背負いたくないんだよ。」

 

文句を言いつつも、巧一朗を抱え、二人で逃亡を開始した。

何とかバングルは守り通せただろう。

 

だが、現実は非情であるものだ。

 

女性の無機質な音声が鳴り、ウラルンは新たな姿へと変貌した。

そして、その刃の悉くを、手に持つ『盾』で防ぎ落した。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムシールダー』:『アキレウス』現界します。〉

 

「ヴェノム………………シールダー…………?」

 

ウラルンは先程と打って変わり、黄金の鎧を身に纏っている。

そしてその手には、巨大な盾が握られていた。

 

「嘘だろう…………?」

 

キャスターは絶句する。

だがもう、彼女にはウラルンから逃げ延びる術は一切残されていない。

真なる絶望が彼女を襲う。

もう、彼女が生き残る未来は消え去っていた。

 

「はぁ…………ここまでか。すまないね、巧一朗。」

 

白銀の探偵が死に、モリアーティが死に、そうすれば

 

彼女が、目を覚ます。

 

そして、オアシスは美しい終焉を迎えるだろう。

 

「これが本当の、終局的犯罪、かもね。」

 

キャスターは空を仰いだ。ここまで内なる怪物をよく押さえつけられたなと自分に感心する。

間桐桜の選択は正しかった。

 

 

———『偽証のアルテラ』。君の出番だ。

 

 

「おーい、キャスター!巧一朗!大丈夫か!」

 

キャスターは声の主の方を振り向く。そこには全力疾走で駆けつけた、鉄心の姿があった。

 

「鉄心、呼んでおいてなんだが、ここは余りにも危険だ。彼女は只者じゃない!」

「彼女?」

「そこにいるだろう?」

「いないけど……?」

 

キャスターがウラルンのいた場所を確認すると、既に彼女はどこかに消え失せていた。

何か用事があったのか、要請があったのか、兎に角キャスターは命拾いしたようだ。

 

「は……はぁ~~~~~~~~」

「大丈夫か?」

「だいじょばない。本当に、一年分くらいは仕事をした気分だよ。」

「お、おう、とりあえず、巧一朗を救護センターへ連れて行かないとな。ナイチン先生のクリニック、あそこなら夜間も対応しているだろう。」

「あれ小児科じゃなかったか、まぁいいや、ナイチン先生の優しさに触れれば、巧一朗も戻って来るだろう。」

 

こうして、霧峰探偵事務所の協力もあり、第四区博物館は、金色のバングルを守り通した。

誰一人欠けることが無かったのは、不幸中の幸いだろう。

 

 

後日。

霧峰探偵事務所の戸を叩いたのは、菓子折りを持った優樹であった。

龍二とジムの奮闘もあって、金色のバングルは無事、第四区博物館へ保管された。

第五区の介入も、それ以上は無かったようである。

 

「霧峰さん、お疲れ様でした。依頼料と、これ、つまらないものです……が……」

 

探偵事務所の扉の先に仁王立ちで構えていたのは、彼の知らない人物だ。

 

「あ、あの、どちらさまで?」

「バイトです。」

「バイト?ここで?」

「あー、優樹クン、ごめんね、態々。紹介するよ、探偵事務所の雑務を担ってくれている……」

 

「室伏ネムです!」

 

「そして俺がネムお嬢の執事であります、メスメル〔オルタナティブ〕です。」

 

「お、おう、はい。」

 

事務所の奥で、ジム・バーネットが満面の笑みでサムズアップする。

優樹は頭を掻きながら、片付いた探偵事務所の中に入って行ったのだった。

 

 

第四区博物館、地下施設にて。

キャスターは、桜館長と相対していた。

 

「かなり今回はまずかったよ。危ないところだった。」

「そうみたいですね。」

「そうみたいですねって、他人事みたく言わないでくれ、『元マスター』。」

「災害以外に、此方を脅かしてくる存在がいようとは、私としても想定外でした。こうなると、対災害用の手札は増やしておくべきでしょうね。」

 

桜館長は優雅にインスタントコーヒーを飲んでいる。

キャスターとしては、呆れる他ない。

 

「モリアーティ、貴方の召喚者は私です。だからこそ、私は貴方の多くを知っている。でも、貴方の主人格は貴方では無い。六人のマスターを看取りながら、オアシスに浮遊していたか細い霊基、それが貴方と、セイバーの端末に取り付いている。そこまで私には考慮できませんから。」

「白銀の探偵か。私が彼を捕まえ、取り込んだ。私だけではセイバーの制御は不可能だった。私という存在の全てをかの化物に悟られた時、主人格は乗っ取られるからね。『破綻者(コラプスエゴ)』とはそういうものなのだよ。」

「セイバーの端末にモリアーティそのものを支配される前に、主人格を探偵へ入れ替えた、ということですか。」

「そう。セイバーが目覚めるには、膨大な魔力で一時的に我々を黙らせるか、白銀の探偵を掌握する必要がある。化物は、探偵の名ですら未だ推理できていない。」

「名が知れたら、バッドエンドですか。それは余りにも危険な賭けではありませんか?いつか必ず、その名に辿り着く者が現れるでしょう?というかこういう話も、今はマズいのでは?」

「大丈夫、今は私の中で眠っているよ。起きている方が珍しいくらいだ。」

「それなら安心ですが……で、どうなんでしょう?そのやり方ではいつか綻びが生まれると私は思うのですが。」

「くくく」

「何が可笑しいんです?」

「桜、君は正しい。正しいが、モリアーティという人間を君はよく知らないようだ。」

「どういうことですか?」

「犯罪界のナポレオンと呼ばれた私が、そのような抜け穴を用意すると思うかね。完全犯罪メーカーだよ、私は。」

「つまり?」

 

「白銀の探偵には、元々『名前』なんてものは存在しない。」

 

「名前が、無い?」

「そう、実体が無い、と言い換えてもいい。どこにでもいるように見えて、どこにも存在しない。彼を証明することは、私にも難しいだろう。」

「ふーむ、良く分かりません。」

「せっかくだ、クイズ形式で話そう。まず『破綻者(コラプスエゴ)』という霊基についてだ。これは歴史において人間のカテゴリーにいながら、存在が認められない者や、複数の人格が入り混じる者に、当て嵌められるクラスだ。」

「オアシスという特殊環境が生み出したエクストラクラスですね。」

「では問題だ。例えば、探偵と犯罪者、アカイアとトロイア、水と油の存在が『破綻者』に成り得るだろうか?」

「それは、なるんじゃないですか?破綻していますし。」

「答えは『ノー』だ。いくら破綻しているといっても、自我の強すぎるものが駆け合わさることは無い。霊基として成立する以前の段階で、対衝突し、退却するだろう。混ざるには、混ざるだけの根拠が必要なんだ。……まぁ、最近私も認識したことだがね。」

「え、でもその説明だと……」

「そう、モリアーティなんて存在は、油の頂点みたいなものだ。水に決して混ざり合うことは無い。探偵と、同居する可能性など、万に一つも有り得ないのだよ。」

「いやいや、でも現状そうじゃないですか。」

「つまりだ。白銀の探偵は『探偵』でありつつも、モリアーティと混ざり合うだけの、根拠、を有していると考えるのが自然な筈だ。」

「探偵、なのに、まさか、『犯罪者』なのですか!?」

「そう。霧峰探偵事務所の『ジム・バーネット』のような存在であれば、モリアーティの霊基と溶けあうことが出来るのだよ。」

「なる……ほど……」

「では次だ。桜は当然、巧一朗の『招霊転化』を知っているな?」

「ええ、オートマタの電源を落とし、そこへ虚数海の『隣人』を召喚する魔術ですね。」

「あぁ。でもこれ、良く考えてみると、おかしな話なんだ。オートマタの電源は、アインツベルンの用意した安全装置(セーフティー)であり、本来の用途は、サーヴァントが万が一暴走したり、災害に反旗を翻したりしない為の、強制霊基消失システムである筈。では何故、毎回、キャスターとしての私はオートマタに宿るのだろう。それも、記憶を引き継いで、だ。」

「確かに、そうですね。」

「これには私も驚いたが、これは実は白銀の探偵の持つスキルが関係しているのだよ。巧一朗が虚数海に『糸』を垂らすのと同じように、探偵は『糸』よりも頑丈な『紐』を括りつけて、霊基の消滅を防いでいる。」

「どういうことです?」

「探偵は、オアシス式召喚では無く、通常の聖杯戦争と同じように召喚されているという事だ。それも巧一朗の意志では無く、オアシスそのものの意志として。探偵の持つスキルは『単独顕現』。探偵は気ままに、オートマタに宿ったり、別行動をしたり、自由気ままに生きているのさ。」

「…………貴方の説明だと、モリアーティよりも『恐るべき』存在と言いたいようですが。」

「あぁ、そう言っている。だがどういう訳か、白銀の探偵は興味のあることにしか行動を起こさない。巧一朗のことは割と、気に入っているようだがね。」

「……結局、どなたなんです?その白銀の探偵は。」

 

「整理しよう。

まず、第一に、探偵には『名前』が無い。

第二に、探偵は『探偵』であり『犯罪者』である。

第三に、探偵は気ままに『単独』で生きている。消滅しない、とも言えるかな。」

 

「…………………………まさか。」

 

桜が辿り着いた答えは、口にせずともモリアーティには理解できた。

幻のごとく存在し、推理を披露しては、どこかへ消えていく『名探偵』。

探偵には、最期まで、『名前』が与えられなかった。

 

もし彼を呼ぶならば

 

ヒトは彼をこう呼称するだろう。

 

 

『隅の老人』と。

 

 

 

【マリシャスナイト:『探偵vs怪盗』 完】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マリシャスナイト:『淡路抗争』

マリシャスナイトシリーズ最終章!
今回は観測者編の内容ともリンクいたしますので、ぜひそちらからご一読ください!
誤字、感想等ございましたら、ご連絡ください!


「では教科書の六ページを開いてください。」

 

開発都市第一区の名門校にて、教鞭を振るう女が一人。

背まで伸びた黒髪を束ね、ポニーテールにし、牛乳瓶の底のような丸眼鏡を身に着けている。

所々に煤のような汚れが付着した白衣を纏っている為、彼女の講義を受けていない者は、彼女を理系科目担当だと誤認するだろう。

だがその実、彼女は文系学科、それも心理学の教師である。

彼女はふと、教室の隅々を見渡した。

今日も、生徒は疎らだ。

彼女の講義は出席していなくとも、最終試験で答案に名前さえ書けば単位が取れることで有名だ。だからこそ、登録者は他の講義の倍以上である。しかし、つまりやる気のある生徒でない限り、彼女の講義を聞く必要は何処にも存在しない、ということでもある。申し訳程度に講義に現れた学生も、その殆どが寝静まっていた。

彼女は最前列に座っている、やる気に満ち溢れた生徒数名を対象に授業を押し進める。

 

「ここには、一つの円が描かれているかと思いますが、実際は球状です。三次元的なものを二次元的に図解したもので、これがこの図の真実ではありません。ですので、前のスクリーンを確認してください。」

 

女はデバイスを操作して、スクリーンに半透明の球体を映し出した。

学生たちは、その三次元的な映像に釘付けになる。

 

「これは『宮子曼荼羅(みやこまんだら)』と呼ばれる宗教画の一種です。中心に鎮座するのが『大いなる者(オウバ)』、宗教的に言えば、神か、それに近しい者が該当します。無宗教の方は、力の源と認識してください。そして外周に数多く存在する点こそが『解き放たれし者(パンバ)』、これは我々人類と捉えるべきでしょう。オウバが内包していた力の一端を受け継ぎしパンバが、球体のあらゆる場所に存在しています。」

「ねー先生!『宮子曼荼羅』の『みやこ』って、都先生の『みやこ』?」

「それは違います。偶然です。私、都信華(みやこしんか)は都市の都という字ですが、宮子曼荼羅は、宮仕えの子ども、と書きます。宮を神の住まう家と考えた際に、その玄関の戸を開く者を、子と表記しているのでしょう。」

 

生徒の質問にも、淡々とした口調で返答する。

都信華、彼女は若人との交流をどこか避けているようにも見えた。

生徒は、弄られ甲斐の無い信華に、つまらなさを覚えている。

 

「説明を続けます。元はオウバの一部として機能していたパンバが、球の最端へ至ることを、イラストレーターは『進化』と称しています。神と共に在った時代から解き放たれ、神への責任転嫁を辞めたパンバたちが、親元を離れることで成長しているのだと解釈しているのです。」

「神への責任転嫁って?」

「我々人類は様々な自然現象を、神の怒り、神の導きと独自解釈してきました。ですが、科学の発展と共に、その事象のルーツは次々と解き明かされています。何故雷が落ちるのか、皆さんは正しく理解しているでしょう?それはパンバの発展による恩恵です。まだ近代的な教養が花開いていない時代に置いては、雷は神の威光だと認識されていました。それが神への責任転嫁です。」

「なるほど、だから『進化』しているんだね。」

「その通りです。では問題。オウバからパンバが離れて行くことを『進化』と定義したならば、逆にオウバへと向かっていく行為は、何と称されるでしょうか?」

「『進化』の逆……だから、『退化』かな?」

「現代の国語教育においてはそうでしょう。ですが、オウバへと近付く行為を、我々は『退化』と評して良いのでしょうか?」

「それは……」

 

生徒たちは言葉に詰まる。

無宗教の者たちも、この問題に頭を悩ませた。

信華は手を挙げる者がいないことを確認すると、左手の中指で眼鏡のブリッジを調整し、押し当てた。その後、ホワイトボードにマーカーを滑らせる。

 

「『進化』と同等級でありながら、ベクトルは反対向き、ならば、こう称するのが妥当でしょう。」

 

信華は書道の講師も驚きの達筆で、『深化』と記した。

生徒たちはその美しい文字におぉと驚きの声を漏らす。

 

「『深化』、つまり母体であるオウバを良く知り、回帰することを表します。進む、進化と、深める、深化。どちらも学術的に言えば正しいと定義付けされます。それを視覚情報から学び取れるのが、この『宮子曼荼羅』という訳です。」

 

信華はマーカーを教卓へ置いた、が、それは滑っていき、地面に転がり落ちる。

彼女はそれを拾おうとするが、手を滑らせ、教室の隅まで弾いてしまった。

生徒は信華の不器用さを笑わない。彼女がモノを落とすことは良くあることなのだ。

何故ならば、信華には右腕が存在しない。

白衣の右袖は常にぷらぷらとぶら下がっている。彼女は左手で全ての物事を手際よく行っていた。

生徒は誰一人として信華の腕の事情を知らない。聞くこともしない。何となく、そういうものだと認識している。

事故か、生まれついてのものか、特段珍しいことでは無い。ハンディを背負う人間は、オアシスにてそれなりに存在する。

だから生徒の一人は、信華の代わりにマーカーを拾いに走った。当然そうするものだと察知して。

 

「すみません、ありがとうございます。」

 

生徒が信華の左手にマーカーを手渡すと、彼女はぎこちなく笑いながら、それを受け取った。そしてそこで授業終了のチャイムが鳴り響く。

信華はデバイスを収納し、書物を脇に抱え込むと、静かに教室を後にした。その左手にはマーカーペンが握り締められている。

生徒たちは彼女を見届けながら、グループで各々『都信華』の噂に花を咲かせる。

着崩した金髪の少年たちは、信華が実は美人であると騒ぎ。

真面目な優等生風の学生たちは、授業内容の見直しをして。

噂好きの少女たちは、信華の失われた右腕について好き勝手に話し始めた。

 

「これいちおー嘘かほんとか分からないんだけど……」

「都せんせーの腕のこと?」

「うん、なんか先生って元々第五区の人らしくて、ディザストロアサシン様の前で、ジブンで腕を切り落とした、とか言われてて。」

「なにそれ、こわ」

「無いっしょ。ナイナイ。そんなの痛さで死ぬわ。それにそんなことして意味無くね?」

「たしかに」

「真夏のホラー話だわ。」

 

少女たちが噂しているとは露にも思わない信華は、研究室の前でデバイスが振動していることを確認すると、マーカーをポケットに仕舞い込み、着信に応答する。表示された名前を見て、彼女は顔色を変えた。

 

〈信華か。余だ。〉

 

「………………任務でしょうか?」

 

〈その通りだ。貴様の力が必要だ。『淡路島』へ向かえ。内容は追って連絡する。〉

 

「はい、畏まりました。我が主。」

 

信華は電話の主、災害のアサシンが切るのを待ち、デバイスを胸ポケットに収納する。

通常、余程のことが無い限り、災害自ら連絡を寄越すことは無い。これは緊急の招集だ。

彼女は『淡路島』という単語で、これから自らのすべきことに、凡その検討をつけていた。

研究室の戸を開き、誰もいないその場所で、彼女は書物の山を掻き分けた。

その下には古びた木箱が隠されており、その蓋を取り去ると、目的のものが出土する。

 

それはかつて彼女が身に着けていた、銀色の『義手』である。

 

それを起動することで、ひとりでに動き出した義手が彼女の右腕に装着され、複数のボルトとチューブで接続される。

信華は、久々に右手を動かす感覚に、心地よさを感じていた。

 

『余の為に、貴様のその腕を差し出せ。自ら、切り落とすのだ。』

 

かつての、蛇王ザッハークの言の葉を思い出す。

もう何年も前の話、信華は災害のアサシンの命ずるままに、その腕を捧げた。

痛みは、誉だ。彼女はその疼きに『生』を実感する。

 

「明日は、教員会議……ならば、今日中には、事を済ませなければ。」

 

彼女は自宅の冷蔵庫に、消費期限が本日までのプリンが保管されていることを思い出す。

仕事が無事終わったならば、果実酒と共にその甘味を堪能しようと決意した信華であった。

 

【マリシャスナイト:『淡路抗争』】

 

それは一年前の事件である。

第一区、第五区、第六区の丁度中間地点に存在する孤島、『淡路島』。

そこは第一区の巨大企業アインツベルンカンパニーの所有する土地であり、かつ秘密の実験施設でもあった。

行われていたのは、当主ミヤビ・カンナギ・アインツベルンが災害のアサシンから受け取った最重要機密書類『英霊統合計画』に基づく、反人道的な英霊召喚実験だ。二人の英霊を一つのオートマタに召喚し、内部から合成するという、不可能に近い研究である。

その指揮を執っていたのは、若き三十歳にして、開発部長の肩書を持つ『榎田智樹(えのきだともき)』という男だ。榎田はこの日、本部からの視察と、最新の実験の為に、島内を駆け回っていた。

 

「榎田部長、本部からの来客って、誰なんですか?」

「どうやら三狂官の一角、『武蔵坊弁慶』様らしい。何でも、直接触媒のデータを届けてくださる、とか。」

「えぇ?あのいつも歌っている、気持ちの悪いサーヴァントが、ですか?」

「お前、絶対にミヤビ様の前で言うなよ。二秒で首が宙を舞うぞ。」

 

榎田はこれまで、アインツベルンの為に身を粉にして働いてきた。

就職浪人も片手で数え切れぬ年数になった頃、彼はミヤビに拾われる形で入社した。

どうやら、カンパニーの代表が次代へ変わり、幹部候補も総出で退職したらしい。中々聞かない話ではあるが、貧困層の榎田にはどうでもいい話だった。

何故、榎田に光が当たったのか。それは彼はオアシスでは実に珍しい魔術師の家系であったからだ。と言っても、継承されることも無く、既に御家は廃れている。

だが書物などを通して、ある程度その心得は学び取っていた。それが功を奏したのだろう。彼はカンパニーの研究室へ入り、オートマタの開発部に抜擢されたのだった。

そして今はミヤビのご機嫌取りも上手くいき、開発部長を任されている。アインツベルンでは一番の出世頭であるだろう。

 

「今の俺があるのは、ミヤビ様のお陰だ。」

 

榎田は心の底からそう感じている。

しかし、彼が昇進すればするほど、ミヤビの黒い噂を耳にするようになる。

彼女は、第五区の宗教団体『アヘル』と深い関わりを持っているらしい。

そして先代と、幹部たちは、皆ミヤビによって闇に葬られた、とも聞く。

榎田を含め、社員全員がミヤビの手駒に過ぎないとも。

 

「有り得ないな。まだミヤビ様は若い。若すぎるといっていい。あんな小さな子がこの大企業を守る為に戦っているんだ。俺もしっかりしないと。」

 

榎田は自らに喝を入れ、武蔵坊弁慶の到着を待つ。あと数分で、目的の時間だ。

ヘリの近付く音で、開発部の人間たちが総出で歓迎の態勢を整える。

榎田もまたセンターに立ち、降りてくる者へ深々とお辞儀をした。

武蔵坊弁慶は榎田を遥かに上回る体躯で、研究員たちは圧倒される。だが榎田だけは決して姿勢を崩さない。

弁慶は一言も話さず、手にしたデバイスの電源を入れた。通信画面が映し出され、豪華な部屋に佇むミヤビの姿が披露される。

 

「ミヤビ……っ様!」

 

〈おお、久しぶりじゃな、智樹。画面越しだと少し瘦せたように思えるが、ちゃんと食事は取っておるか?〉

 

「はい、無論です。島内への配給食は美味で、かつ栄養満点ですので。いつも有難うございます。」

 

〈すまんの、島内の生活は飽きたじゃろう。お主だけが有休消化できとらんから、二週間、こちらに戻ってくるといい。統合計画もかなりの進捗じゃ。智樹がおらずとも、暫くは大丈夫じゃろうて。〉

 

「有難うございます。チームの皆が一丸となり、研究は更なる飛躍を遂げています。そう遠くない未来、ミヤビ様に良い結果がご報告できるかと。」

 

映像に写るミヤビはからからと笑った。ブロンドの髪が左右に揺れ、とても愛らしさがある。

ミヤビは榎田たち研究チームの活躍を、心より望んでいた。オートマタ企業として大成することこそ、ミヤビの願いそのものだ。

榎田はミヤビの純朴さに、先程まで邪推していた自分を恥じる。この少女に闇を感じる筈も無い。愛社精神の強い、若手ワンマン社長そのものだ。

彼らは暫く通信越しに会話を楽しむと、弁慶を仲介して、目的の聖遺物データの受け渡しが行われた。

榎田が受け取ったメモリーには、大英雄『ヘラクレス』と『アキレウス』の名が刻まれている。これが実験の最終段階だ。彼は唾をごくりと飲み込んだ。

 

〈名は『ヘラレウス』。災害に勝るとも劣らない戦闘力を誇る、決戦兵器となるじゃろう。災害のいない世界を目指すのは先代の意志でもある。必ず成功させよ。よいな?〉

 

「はい、必ずや『英霊統合計画』を最終ステージに持っていきます。」

 

この時、榎田は知る由も無かった。

ミヤビには災害打倒の意志はさらさら無く、それどころか、災害のバーサーカー『后羿』を味方に添えていることなど。

そして、災害のアサシンと密接な関わりを持っていることなど。

榎田は嬉々として、使命の為に動き始める。弁慶は結局口を開くことなく、ヘリで第一区まで飛び立っていった。

 

榎田の未来。

アインツベルンカンパニーで認められ、昇進し、ミヤビの近くで働くという夢物語。

研究チームを率いて、『ヘラレウス』の誕生を見届ける、淡路島実験施設におけるラストミッション。

何もかもが、水泡に帰すとは、誰も予想しなかっただろう。

 

「やった!やったぞ!ヘラレウスの召喚術式は成功した!」

 

その圧倒的フォルムを存分に晒しながら、ヘラレウスは歩き、武器を取り出し、仮想敵であるオートマタを難なく撃破する。

大英雄の咆哮に、榎田は感涙する。それは恐らく研究員たちも。

災害を超える、このオアシスで初めての偉業を達成する、間近であったのだが。

 

空から飛来する炎。

仲間たちを巻き込み、創造の産物を跡形もなく消し炭にする。

榎田が握り締めるビデオカメラに写っているのは、彼らが敵対すべき『災害』の姿。

赤い髪をたなびかせ、氷の槍であらゆるものを穿つ。

 

顕現したのは、災害のランサー『焔毒のブリュンヒルデ』。

 

「災害の…ランサー…?」

 

榎田はヘラレウスを捨て、逃げ出した。

燃える炎を必死で掻き分け、島の外側、連絡船のある堤防を目指す。

途中、彼は不意に足を取られる。黒く焦げた塊が、榎田の足を掴んでいた。

 

「開発部長……助けて…………ください……」

 

それは榎田の部下の研究員だった。

研究室で一番の美人だったが、その顔は焼き爛れて、原型を留めていない。

恐らく現状の生存者は榎田と彼女だけだ。

彼は部下の手を取り、共に脱出を図ろうとする。

が、悪意の炎はすぐ傍まで押し寄せていた。

 

「すまない!本当に、すまない!」

 

榎田は部下の手を振り解く。

そして彼は彼女を背に走り出した。

 

「榎田さん!いや!お願い!行かないで!助けて!助けてぇぇええ!」

 

榎田は彼女の必死の叫びに、見て見ぬふりをした。

自らが救われることを第一優先に。カンパニーに戻れば、ミヤビが救ってくれるかもしれない。

 

「いやあぁああああああああああああああ」

 

榎田は彼女の断末魔に、ついぞ振り返った。

研究員の女は胴体が二つに分かたれ、絶命した。

氷の槍に夥しい程の血液が付着している。

 

「は……あぁ…………」

 

榎田は腰を抜かし、尻餅をついた。

もし彼が彼女の手を取り逃げられたならば、まだ彼女の熱はそこに存在したかもしれない。

だが、遅い。彼が彼女を見捨てた結果、彼女は氷のように冷たくなった。

 

「貴方も、愛を、捨てるのですか?」

 

災害のランサーは静かに問いかける。

その焔は、榎田を逃がさんばかりに囲い尽くした。

 

「愛……?愛って?」

「あぁ、酷く熱い(さむい)」

 

災害のランサーは一歩一歩、榎田へ近付いて来る。

炎に包まれ、逃げ場所を失った榎田は、絶望の刻を待つ他ない。

 

「待って、仕方なかったんだ。俺は上に命じられて、実験に参加させられただけで、俺は言ってみれば被害者で、それで」

「…………」

 

災害のランサーは榎田の頭蓋を槍で叩き割った。

一瞬のことで、榎田も声を上げる間もない。そして叩き割られた部位が中身から漏れ出し、静かに命を落とした。

災害のランサーは槍を振り払うと、最期に、島の全域に炎を放つ。

跡形もなく、淡路島の全域が燃やし尽くされたのだった。

 

この事件は直ぐにミヤビにも伝達された。

ミヤビは顔面蒼白で、その事実に耳を傾けている。

そしてすぐさま、とある人物に連絡を入れた。

 

「話が…………違います、ザッハーク様。あの土地で『英霊統合計画』を押し進めることを、貴方様も了承していた筈……」

 

〈おお、貴様か。普段の老婆めいた話し口調はどうした?〉

 

「揶揄わないでください。ミヤビは……貴方様の為に……」

 

〈余のヴェノムアンプルを勝手に持ち出したのは貴様の業だ。『ヘラクレス』はシュランツァのもの、『アキレウス』はアダラスとウラルンの共同触媒だ。貴様如きが好き勝手して良いものでは無い。弁えろよ?ヴェノムバーサーカー『スネラク』。〉

 

「……っ……」

 

〈淡路島も元は余の部下たちのリゾート地だった。焔毒を放ったのは、調子に乗っている貴様への制裁だ。以後勝手な行動は慎むように。スネラク、いや、ミヤビ・カンナギ・アインツベルン?〉

 

「…………はい…………申し訳ございません。」

 

電話の相手、災害のアサシンは接続を切った。

虚しくツーツーと音がこだまする。ミヤビは固まったまま、動けない。

 

「私の所為で……智樹が…………」

 

ミヤビはデバイスをテーブルに置き、頭を抱えた。

彼女一人しかいない和室で、彼女は声にならない声で叫び続けたのだった。

 

 

そして現在。

都信華は、アヘル教団の所持する軍事用ヘリに乗り込み、かつて『英霊統合計画』の実験が行われていた淡路島へ向かっている。

彼女は戦闘用のスーツを着用し、任務の要項が記された資料に目を通していた。

余りにも彼女が寡黙である為、隣に座る仲間たちが不安になる程である。

 

「でも、信華が任務に抜擢されるって相当じゃねぇか?いま淡路島ってそんなにヤバいのかよ?」

 

白と黒の混ざった髪を掻き回しながら、チームメイトの『シュランツァ』が言葉を漏らした。ヴェノムサーヴァントのような適正者で無いにも関わらず、信華は彼女らの間で一目置かれている。それもその筈、信華はかつて災害のアサシン直属部隊にて『左大臣』の位を与えられていた程だ。現役を退いた今も、彼女を英雄視する者は多い。

 

「恐らくヴェノムたちで何とか出来るとは思いますが、ウラルン先輩もショーン先輩も、モゴイ君も出払っているとなると、流石に骨が折れるといいますか……災害先生が私たちだけだと頼りないと、思われているのかも。」

「はぁ?走るしか脳の無いアダラスは兎も角、アタシは最強だろ。」

「走るしか脳が無いって……実際私はアキレウス先輩の力しか使えないけど……」

「だろ?まぁとりあえず、アタシ、アダラス、信華の三人でカチコミに行く訳な?」

「そういうこと。では、作戦の概要について改めて私の口から説明させて頂きます。」

 

アダラスはオレンジがかったショートヘアを耳にかけると、コホンと咳払いをし、話し始めた。

 

淡路島、そこはかつて商業施設などの立ち並ぶ臨海都市であった。

その土地の管理権を所持していたのは開発都市第五区のアヘル教団である。災害のアサシンの意向により、観光産業の活性化を狙った、リゾートアイランド計画が立てられていた。

だがヴェノムバーサーカー『スネラク』ことアインツベルンカンパニー当主ミヤビの台頭により、計画は中断する。

というのも、災害のアサシンの唐突な方針転換により、淡路島の管理権はアインツベルンカンパニーに委託されたのだ。

その理由は様々考えられるが、その最たるものは、開発都市第六区に本社を構える『遠坂組』を暴力により吸収すること。陸からの侵略ルートと海からの侵略ルート、両方を確保する際、淡路島は都合の良い立地であったのだ。

だが、ミヤビは災害のアサシンの思惑とは別の方向へ動き始める。『英霊統合計画』をアヘル教団から借り受けた彼女は、淡路島を実験都市として活用したのだ。それこそが、榎田たち研究員の悲劇、ヘラレウスが抹殺された事件の始まりである。

ミヤビの身勝手極まる行動の末、災害のアサシンの指示で、災害のランサーが動いた。彼女の放つ炎は毒のように残り続け、今なお淡路島全域を蝕み続けている、筈だった。

 

「しかし、この一か月で、淡路島を取り巻く状況は変化しました。まず何者かによって島の毒は鎮火させられ、全域が乗っ取られたのです。」

「災害の炎を消し去ってみせ、アインツベルンの所有地を武装占拠した。一体何者だ?」

「資料の次のページを捲ってください。そこに顔写真が記載されています。」

 

シュランツァと信華は同時に資料を捲る。

するとシュランツァの方は、どこか不穏な顔つきとなった。

 

「第三区の革命軍『ハンドスペード』の連中か。」

 

開発都市第三区を根城とし、各区にて人々を扇動、災害のいない世界を提唱する、過激派武装組織。

そのリーダーの男は、シュランツァのよく知る人物であった。

 

「はは、見たことある顔がいたよ。『欠地王ジョン』か。」

「そうです。ライダークラスのサーヴァント。イングランドで最も愚かと嗤われた王様です。そして、元は開発都市第五区にて、災害先生の下働きをしていた人物でもある。」

「あの馬鹿、よりにもよってザー様を裏切りやがったのか!」

 

シュランツァは怒りのあまりテーブルを叩き壊した。作りが軟弱であった訳では無いようだが、彼女の怪力さが窺い知れる。

 

「シュランツァ、落ち着いて下さい。ハンドスペードは人間とサーヴァントの混在した過激派組織、構成員三百あまりが、この淡路島に募っています。彼らの要求は一つ、淡路島を『開発都市第七区』として独立させることです。」

「独立だぁ?」

「はい。ジョンを区の代表に据え、災害の統治から独立するようです。」

「待て待て、んなもん、ザー様然り、災害のサーヴァントが許す筈ねぇだろ。」

「無論です。我々はその為に派遣される部隊なのですから。第一区の災害のライダーに動かれる前に、元の所有者である第五区が暴徒鎮圧に乗り出そうと、そういう話なのですよ。」

「アタシら部隊って訳じゃ無くね?三人しかいないし。」

「ヴェノムセイバーであるシュランツァ、ヴェノムライダーである私、そして都先輩。このメンバーなら三百余りを殺し尽くせると、災害先生は判断したのでしょう。実際、ウラルン先輩なんかは強いけど、ヒトは殺せませんから。」

「まぁ期待されるのは悪い気分じゃねぇけどよ。独立を宣言するぐらいだ、『ハンドスペード』の連中にも隠し玉は存在するんだろう?」

「そうですね。それは資料の三ページに記載されています。今回の我々のラスボスです。」

 

ページには画質の悪い写真が大きく掲載されている。

それは本来であれば存在しない筈のサーヴァントだ。

信華は無言のままだが、ここで初めて眉をひそめた。

 

「統合英霊『ヘラレウス』だと?」

「はい。アインツベルンの研究成果をハンドスペードの連中は入手、そして利用したようです。ヴェノムアンプルの劣化コピーまでお手の物。つまりクラスタイプは『ヴェノムアーチャー』と言えるでしょうね。」

「これって、一年前の、アインツベルンの……」

「そう。対災害戦闘兵器、それが我々の敵です。」

 

シュランツァは目を見開いた。かつてこれより危険なミッションがあっただろうか?これまではウラルンやショーンなど、ヴェノムサーヴァントでも心強い味方が傍にいた。だが、今回は同期のアダラスと、実力を良く知らない信華のみがここにいる。決して失敗は許されない。

彼女は舌なめずりする。上等だ、と言わんばかりだ。修羅場ほど、彼女を熱く燃え滾らせる。

アダラスもまた、自らの主の期待に応えようと、意志を固める。

彼女らが心配なのは、コミュニケーションすらまともに取ろうとしない信華だ。

かつて左大臣として戦い抜いた、非適正者の女。ヴェノムの二人は、言葉に詰まっている様子だ。

 

「あの、都先輩。作戦なのですが……」

「…………シュランツァ様、アダラス様は『ヘラレウス』討伐をお願い致します。雑兵は私が……」

「!あぁ、了解だぜ信華!アタシらに任せとけ!」

「でも、『ハンドスペード』には強力な英霊が何人もいると聞きます。都先輩にその全てをお任せするのは……」

「おいおいアダラス、この人はザー様の傍にいたエリート中のエリートだろ?心配する方が野暮ってものだ。」

「そう……ですね。すみません、都先輩。お願いします。」

 

信華は目を伏せ、静かに笑った。

アダラス主導の元、島を降りた後の制圧計画が練られていく。航空写真から得た情報を頼りに、各自の突入ルートが完成した。

無論、ハンドスペードも生半可な相手では無いだろう。『ヘラレウス』の他に、何か強力な援護があるかもしれない。

 

「……臨機応変に、連携しながら戦いましょう。こちらは三人しかいませんから……」

「んだよ、アダラス、緊張しているのか?」

「それはそう!短距離の公式戦のときぐらい緊張していますとも!」

「そっか、お前、陸上部だったな。」

 

シュランツァはアダラスの両足を見る。

彼女の関節より下、両足共に義足が装着されていた。

シュランツァは知っている。アダラスがオアシスでも一、二を争う程に、陸上選手として期待されていたこと、そして、事故でその両足を失ってしまったこと。

彼女はヴェノムアンプルを打ち込まなければ、まともに走ることも叶わない。

災害のアサシンが、アダラスに再び走る喜びを与えたのだ。

 

「都先輩は、クールで落ち着いていて、凄いです。」

「いや、私も緊張しています。」

「そうか?そうは見えねぇけど。」

「緊張した時は、家の冷蔵庫の中を思い浮かべるのです。」

「冷蔵庫の中……ですか?」

「……私の家の冷蔵庫にはプリンが入っています。無事に帰宅できれば、食べるつもりです。」

 

表情を崩さず、淡々とした口調で述べる信華に、シュランツァとアダラスは思わず吹き出してしまった。

信華がプリンを食べている姿はとても想像できない。彼女らはそのギャップに笑いが込み上げてきたのだろう。

 

「信華がプリンって言ってるの、何故かは分からんが面白いな!」

「ええ、都先輩すごく可愛いです!」

 

信華は目に涙を浮かべ笑う二人に安堵する。

彼女らから緊張は取れたようだった。

ヘリの操縦者が到着の合図をする。

各々が覚悟を決め、いま、淡路島へと降り立った。

 

 

淡路島中心部、欠地王ジョンの所有する簡易城塞にて。

彼は第五区からの使者の来訪を報告され、直ちに第一の部隊を向かわせた。

豪華絢爛な玉座にふんぞり返り、側近かつ、側室の美女と楽しげに話している。

 

「ねぇ、ジョン。ザッハークの使者とやら、三人で乗り込んできたようだわ。まずは話し合いでの解決を求めて、かしら?」

「いいや違うよパール。吾輩はあの醜い娼婦の元で働いていたから分かる。その三人はヴェノムサーヴァントか何かだろう。此方の三百の軍勢を本気で攻略しに来ている。」

「あら、スパルタ兵士か何かかしら?」

「どちらにせよ、第五区が最初の敵ならば何の問題も無い。ヴェノムアンプルに頼り切った戦術では、吾輩の軍略を崩すことは叶わないのだよ。あれは、消耗品だ。ヴェノムの連中は短期決戦で来るだろうさ。なら相性のいいカードを切っていけば良い。」

「と、言うと?」

「第一陣に『ヘラレウス』を出した。此方も短期決戦だと悟らせる為にな?だが、吾輩の切り札はヘラレウスでは無い。」

 

ジョンが指を鳴らすと、室内隅で待機していたサーヴァントが玉座の前へ現れ出た。氷のように冷たい顔をした、戦乙女である。

 

「あら、誰かしら?」

「吾輩が『ハンドスペード』の技術を全て使い、生み出した、真の統合英霊、真の決戦兵器。あの災害のランサーこと『焔毒のブリュンヒルデ』をモデルに想像した人造サーヴァント、名は『氷解のヴァルトラウテ』。美しいだろう?」

「災害のランサーをモデルに?」

「あぁそうさ。淡路島の残り火を消し去ったのは彼女の力だ。まだ災害には及ばないだろうが、ヴェノム程度なら簡単に駆逐するだろう。焔毒の奴と同じ、ヴァルトラウテには魔力そのものが通用しない。彼女の前では、魔力そのものが凍り付く。」

「魔力が、凍る?」

「あぁ。対ヴェノム、いや、それ以上。サーヴァントの攻撃は一切響かない。立ち塞がる者は霊核から全てを氷に変えてしまうのさ。どうだいパール。開発都市第七区、その新たな災害として、これ以上のカードは無いだろう?」

「流石はジョンね。逞しいことこの上無いわ!」

「くく、吾輩は今度こそ、このオアシスを吾輩のエルドラードにしてみせる。」

 

ジョンはヴァルトラウテを玉座に呼び寄せ、抵抗しない彼女の身体を弄びつつ、氷のような冷たい唇を奪った。左手に戦乙女、右手には側室のパール、まさにジョンは両手に花である。

だがジョンの幸せも、部下の男の焦った叫びに邪魔される。彼は不快感を表しながら、部下の男の報告を待った。

 

「ジョン王、報告です。現在、ヘラレウスを除く第一部隊が壊滅、第二部隊が向かいましたが、こちらも……」

「流石はヴェノムサーヴァントといった所か。」

「い、いえ、その、ヘラレウスと交戦中なのは二騎のヴェノムサーヴァントで間違いないのですが、それ以外の全戦力を相手取り、その悉くを殺して回っているのは、ただの『人間』でして……」

「はぁ?」

 

ジョンは第三部隊を即座に向かわせる。万が一、第四部隊まで使うことになれば、後の戦力は『氷解のヴァルトラウテ』のみとなる。

 

「ただの『人間』って、どういうことよ、ジョン。」

「何だ、誰だ?そんなことは有り得ない筈だが、人間が、人間…………にんげん?」

 

ジョンの脳裏に光が突き抜けた。それは災害のアサシンの元で働いていた時の記憶。

彼は炎の中で佇む一人の『化物』を思い出す。

 

「警戒レベルを最大に上げろ!……ミヤコだ、ミヤコが来る。」

「警戒レベル最大って……災害と同じじゃない!」

「パールは吾輩と共に待機だ。『氷解のヴァルトラウテ』、ミヤコの討伐へ向かえ!」

 

ジョンの顔は真っ青だった。まるで凍り付いた戦乙女のように。

 

 

淡路島かつての玄関口、現在は地面が未だ氷に満ちた広大な平野。

その場所で、巨大なサーヴァントが一人、暴れ回っている。

その巨躯の隙を掻い潜りながら、二騎のヴェノムが各々の得物を振るっている。

ヴェノムライダーアダラス、彼女が宿す英霊は『アキレウス』。

ヴェノムセイバーシュランツァ、彼女が宿す英霊は『ヘラクレス』。

奇しくも、彼女らが相手にする『ヘラレウス』の統合元となったサーヴァントである。

だがハンドスペード産の統合英霊は、榎田たち研究チームが生み出した個体より遥か上の性能を有していた。

研究データを革命軍に横流しにした人物こそ、アインツベルンカンパニーでは無く、彼らに資金提供、令呪のバックアップを施していたマキリコーポレーションであったが、それはまた別の話だ。

 

「おらぁぁぁぁぁあああああ!」

 

シュランツァは巨大な剣を振り回し、ヘラレウスの肉体を切り裂く。

だが、元は大英雄アキレウスの肉体だ。一切の攻撃が致命傷にならない。

加えてヘラクレスの『十二の試練』を併せ持つ、驚異的な生存能力。とても彼女らが敵う相手では無い筈である。

 

「アダラス、どうする?」

「どうするって、頑張るしか、無い!」

「根性論かよ。まだ一回もヘラレウスを殺せていないのにな!」

「災害先生も鬼ですよ!」

 

アダラスはアキレウスのヴェノムアンプルの力で駆けまわり、踵を中心に槍でダメージを与えていく。

だがヘラレウスは巨体でも意外に素早い。大地を蹴りながら、アダラスの攻撃を避け、彼女を軽く蹴飛ばした。

その威力は抜群で、彼女は遠く離れた場所まで吹き飛んでいく。

 

「アダラス!」

「■■■■■■■―――!」

 

ヘラレウスは雄たけびをあげながら、続いてシュランツァに目標を定める。その手に持つ斧剣で大地を叩き、氷を穿つ。

その衝撃は凄まじく、シュランツァの全身に氷片が棘のように突き刺さった。

 

「クソったれが!」

 

シュランツァは全身から血を噴き出しながらも、ヘラレウスの追撃に備えた。痛みを覚える程に、彼女は高揚感に揉まれていく。アダラスが遠くへ飛ばされた今、彼女がタガを外すのに、そう時間はかからなかった。

シュランツァはヘラクレスのアンプルを再度、自らに注入する。濃縮された大英雄の記録が、彼女の全身を駆け巡った。

だが、それだけに留まらない。彼女は続いて、新たなるアンプルを注射器にセットする。

 

「アタシの中で混ざり合う、馬鹿どもの成功体験(サクセスストーリー)。最高に生きているって感じがするなぁ!」

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムセイバー』:『スパルタクス』現界します。〉

 

シュランツァの肉体に二騎の英霊が宿らしめる。無論、彼女の肉体がこれに耐えられる筈も無い。

この状態での活動は数十秒が限界。忽ち、内臓から全て腐り始め、最終的には死に至る。

だが彼女は死を恐れない。むしろそれを楽しんでいるように思えた。

彼女の記憶、病室で死を待つ少女の元に、美しいヒトが現れる。

 

『畦道(あぜみち)るる子、いや、これから貴様はシュランツァと名乗るがいい。死を超えた先、生きる喜びを貴様に与えてやろう。』

 

退屈な毎日が壊された瞬間、シュランツァは『生』を手に入れた。だからこそ、最期の時を迎えるまで、その救いを信じることにしたのだ。

シュランツァは二騎の英霊の力で踊り狂う。ギリシアの大英雄と、誇り高き剣闘士、二人の英雄(かいぶつ)の力を際限なく搾り取る。

 

「駄目だ、駄目駄目、快感が、止まらないっ!あははははははははははははは」

 

シュランツァはヘラレウスの顔に飛び移ると、その腕で眼球を抉り取る。鼻に剣を突き刺し、口元にかけて切り裂いた。ヘラレウスは無論抵抗するが、彼女は爪を立てしがみつく。返り血を一身に浴びながら、狂ったように嗤い続けていた。

そして彼らの元へ走り、駆けつけたのはアダラス。彼女はシュランツァの状態を悟り、短期決戦へ乗り出した。

 

「アダラス、行きます!」

 

ヘラレウスがシュランツァに気を取られている間に、アダラスはかの英霊の大盾を手にした。そしてヘラレウスの胴を裂き、地に倒れ込む瞬間に、彼の肉体へ盾を側面から埋め込んだ。

 

『蒼天囲みし毒世界(ヴェネミウス・コスモス)』

 

アダラスの発動する宝具こそ、アキレウス至高の防御宝具、だが、彼女はそれを攻撃に転用する。

盾に刻まれし極小世界を顕現させ、世界そのもので攻撃を防ぐ絶技。それをアダラスは、ヘラレウスの肉体へ打ち込んだ。

ヘラレウスの身体が淡く緑に光り出す。彼の肉体の中で一つの世界が誕生し、内側から臓器を押し潰していく。

そしてヘラレウスの全身は世界そのものに引き裂かれ、夥しい量の血液を噴射しながら絶命した。

 

「これで、一回目……もし蘇るならば、何回も……」

 

シュランツァは舌に取り付けられたコネクタから英霊の力を消失させ、無力な人間へと姿を戻した。

活動限界まであと三秒だったようだ。アダラスの協力が無ければ、彼女は命を落としていただろう。

 

「邪魔するんじゃねーよタコ。」

「は?いやいや、死ぬ所だったでしょーが!私に感謝してください!」

「アタシ一人でも殺せていた。」

「いや、それは無いです。私のお陰です。」

「ちっ……」

 

ヘラレウスが『十二の試練』の恩恵を宿していたならば、肉体を蘇生させ、蘇るだろう。だが観察するに、それは時間を要するらしい。

崩壊した肉片の上に座り、シュランツァは伸びをする。アダラスもまた、人間体へ戻ると、大きく欠伸をした。

彼女らは信華の身を案じたが、互いに戦う力は殆ど残されていなかったのだった。

 

一方、その信華は、現在、ハンドスペード本拠地、ジョンの城塞前で第四の部隊と交戦中であった。

強力なサーヴァントが束になって襲い掛かるが、彼女は眉一つ動かさず、冷静に、冷徹に、処理していく。

彼女の戦闘スタイルは八極拳に似せた、我流の拳法。四つの型に使い分け、相手によって戦い方を変えている。それ故、ハンドスペードは情報から彼女の戦闘スタイルを特定できない。

立ち塞がる者達を、右手の義手で殴り飛ばしていく。特殊なことは何も行っていない。

 

「何だ、この女……」

 

第四部隊の隊長格の目前、セイバー、ランサーのサーヴァントが信華の拳に沈んでいった。

彼は中国拳法の使い手として、信華の前に躍り出る。

 

「女、俺はお前の戦闘をこの目で見てきた。三つの型を使い分けているな?」

「…………はい。『叛喜』『焦怒』『博哀』と私は呼んでいます。対象の身長、体重、拳の重さによって、これらは即座に切り替わる。」

「俺を、どの型で殺すつもりだ?」

「貴方は『焦怒』です。この拳が届くことを祈ります。」

 

信華は男と向き合うと、メカニカルな義手を構えた。

一切の隙が無い。男は踏み込むことに躊躇する。

だから、信華は先制攻撃に出る。一歩踏み込んだ瞬間、男のレンジ内に彼女は存在した。

 

「(早すぎる)」

 

信華の拳が男の心臓を抉る。しかし、男はその寸前、半歩後退してその衝撃を和らげることに成功した。

だが間違いなく致命傷だ。男は吐血しながら、眩暈に似た症状に悩まされる。

既に勝負はついているように思えた。だが男の意志は折れていない。

 

「怒りを、焦がすと書いて『焦怒』か。良い拳だ。」

「分かるのですか?」

「さぁてね、感覚だ。一発で敵を仕留めるのがポリシーのようだが、どうやら俺はまだ生きているらしい。」

「ポリシー、そのようなつもりはありませんでしたが、確かに、今までは一撃でした。」

「あぁそうだな。まともに受けては生きていられんよ。宝具でも止められる気がしない。」

 

男は血を拭うと、信華と向き合い、あくまで拳を構えた。

『人間』に負けるなど、許されない。男は英雄として、一人の戦士を殺すために走った。

ハンドスペードという肩書はどうでもいい。目の前の強き相手に敬意を評する為、全力で駆ける。

そして男の拳は、信華の脳天に突き刺さった。

だがそれは親が子を優しく撫でるような、甘い小突き。男には振り絞るべき力が残されていない。

それもその筈、今、男の胸部は信華の左腕によって貫かれている。

彼女が腕を引っこ抜くと、男の内側から鮮血と、光の粒子が漏れ出した。

 

「あぁ、マジかよ。」

「二の打ち知らず、とはよく言ったものですが、私もまだまだです。教師をやっている間に、腕が鈍ったようで。」

「化物が」

 

男は崩れ落ち、光と共に消滅した。これにより、二百九十余りの軍隊をその拳で殺し尽くしたこととなる。

彼女は汗一つかかず、ジョンの城へ向け歩みを進める。

そんな彼女の元へ、一つの氷塊が隕石となって降り注いだ。信華は後方へ飛び退くと、その塊をまじまじと観察する。

中から割って出てきたのは、一目で分かる、災害と同じ絶対性を有したサーヴァント。

間違いなく、ハンドスペードの切り札。最終兵器と言った所だろう。

 

「…………」

「ほんと、に、ひと、だわ」

「…………」

「すごい、すごい、ひと、が、えいれい、を、ころしてまわる、すごい」

「…………あなたは?」

「ひょうかい、の、わるとらうて、とか、いう、なまえ、わるきゅーれ、わたし、は、わるきゅーれ」

「『氷解のヴァルトラウテ』。戦乙女なのですね。それはきっと、とても強い。」

「そう、わたし、は、けっこう、つよい、よ?」

 

ヴァルトラウテは槍を振り下ろし、広範囲に氷の結界を張った。これにより、信華は閉じ込められ、身動きが取れない。そして結界内で、鋭利な刃物と化した氷柱が、信華へ向けて降り注ぐ。

信華はその一つ一つを丁寧に叩き壊しながら、ヴァルトラウテの背を追った。結界内を飛び回り、彼女を殺すための得物を多数創造している。そして弾丸のごとく射出され、その間にまた鋳造された。

無限に、殺し尽くすまで、弾の射出は止まらない。信華は叩き壊すことに精一杯だ。

 

「モード『博哀』。多人数の敵を想定し、対処する。」

 

信華は拳のみならず、足技も用いて、氷の連鎖へ迎撃する。弾き返した氷柱はヴァルトラウテの足元まで吹き飛んだ。

ヴァルトラウテは顔を顰め、次なる一手に出る。氷柱弾幕と共に、直接信華を氷塊に閉じ込めた。マイナス二十度から始まる凍結牢は、ヒトのみならず、サーヴァントすら生命活動を停止させる。信華は自らの義手に仕込んだヴェノムアンプルを起動させ、内側から破壊した。

だが適正者でない彼女はヴェノムサーヴァントへ進化することは出来ない。あくまで緊急回避用の暗殺者アンプルだ。

しかし魔力を少なからず使用した時点で、彼女の義手はヴァルトラウテの呪いにより凍り、そして朽ちた。接続されていたチューブごと、地面にボトリと落ちていく。彼女は右腕を失ったも同然だ。

 

「…………モード『叛喜』。左腕のみにて対象を沈黙させる。」

 

信華は飛び回る目標を捉えると、音速で近付き、その顔面を左手で掴んだ。

そしてヴァルトラウテを凍り付いた地面に叩き付ける。

只の人間ならば、この時点で、頭蓋骨は粉々に砕かれていただろう。だが流石の戦乙女、血を噴き出すのみで、一切怯むことが無い。

それどころか、狂戦士の如く信華に掴みかかり、彼女を力の限り投げた。

信華は結界上部に叩きつけられ、そしてそのまま地面に落ちていく。

 

「あはは、たのしい、ね?たのしい、よ、ころしあい」

 

地に伏した信華を嘲笑うヴァルトラウテ。どこまでも余裕そうな笑みを崩そうとはしなかった。

信華は頭から血を流しながらも立ち上がる。右腕が無い以上、姿勢を保つことにも力が要る。

 

「つぎは、これ、こわせる?」

 

ヴァルトラウテが槍を地に突き刺すと、地の底より氷の竜が召喚された。

結界内を自在に動き回り、目に見える全てをその口で飲み干していく。無論、信華も例外ではない。

さらに氷柱を使った波状攻撃も合わさり、信華は次第に追い詰められていく。

彼女は竜の首によじ登ると、左腕でその脈を切り裂いた。しかし、血の一滴も流れ落ちることは無く、彼女の左腕は次第に凍り付いて行く。

 

「…………」

「おそいよ」

 

そして竜に振り落とされた信華の脇腹を、氷柱の一本が穿つ。透明な結晶にどろりとした赤黒い液体が付着し、やけに綺麗に見える。

信華はなおも腹部を抑えながら逃げ、結界端まで走り切った。

 

「これは痛い。プリンを食べられる痛さではありませんね。」

 

信華は自ら応急処置をするが、彼女の身体から零れ落ちていく赤色は留まる気配を知らない。

戦乙女の名に恥じぬ、強力な英霊である。

信華は勝利のプランを幾つか講じてみるが、一つを除いて、どれも確実性に欠けた。

絶対的な勝利の計画、それは彼女にとってあまり使用したいものでは無かった。

 

「さて」

 

信華は体育座りで、ヴァルトラウテから逃げ去る方へ頭を切り替える。

結果、ジョン王を殺せば任務は完了だ。ならば、敢えて氷解のヴァルトラウテと戦闘をする意味は無い。

結界を壊し抜け、城塞へ殴り込むのが手っ取り早い、気もする。当然彼女は追いかけてくるだろうが、振り切れるだけの余力はある。

 

そんな信華の思考をジャミングするように、耳に取り付いた通信機器が着信を知らせた。

 

「都先輩!大丈夫ですか!とりあえずこちらはヘラレウスを一度殺すことが出来たので、そちらに合流するつもりです。」

「待ってろよ、信華!」

「あ……今は来ない方が…」

 

信華の返答を待たずして、通信は切れてしまった。

このまま彼女らがこちらに来れば、間違いなくヴァルトラウテに殺される。

それは絶対に避けなければいけない。

普段から生徒とコミュニケーションを取っておくべきだったと後悔する信華であった。

 

「はぁ、戦うしか、無いか。」

「みつけた」

 

信華が溜息をつき、立ち上がったその時、氷の竜に乗ったヴァルトラウテが、彼女を発見し、追撃に出る。

氷柱の連続攻撃が信華を襲うが、既に彼女はその場から消えていた。

 

「どこ、に、いった?」

 

竜の後方へ瞬時に回り込んだ信華は再び大きな溜息をつく。

そして彼女の持つ、第四の型を、この瞬間、披露する。

 

「モード『崩楽』。リミッターを解除した後に、対象を完全に殲滅する。」

「うしろ、か!」

 

ヴァルトラウテが声のする方角を振り向くと、彼女は体勢を崩し、落ちていく。

彼女は今、何が起きたか理解するのに数秒かかった。

振り向くと同時に、騎乗していた筈の竜が、信華によって粉々に破壊されたのだ。

故に土台を失った彼女は落ちる他なかった。

 

「あれ、れ?」

 

ヴァルトラウテは転がりながら、氷塊を無数に射出する。しかしどの攻撃も信華には届かない。

結界内に仕込んだ罠が次々と起動し、信華へ襲い掛かる、が、それも彼女の左腕によって壊し尽くされた。

 

「確かに、楽しいですね、殺し合い。」

「えっと」

 

へたり込んだヴァルトラウテの目前に、信華が現れた。もはや戦乙女は戦意消失している。

先程までの、壊し甲斐のある人間から一転、彼女は捕食者そのものへ変わった。

ヴァルトラウテは察している。凡そ、自らが敵う相手では無いという事を。

 

「一つ、独り言です。私は只の人間なのです。凡庸な、非適正者の一般人。それが都信華。」

「うそ、そんな、はず、は、ない」

「本当です。私はただ、人間の成長を学ぶ哲学者として、誰よりも知識を欲していた。人よりも少しばかり研究熱心だっただけ。」

「うそ」

「でも、私は知らなくていいことまで知ってしまった。私の魂のありか。私の原型、私という存在を、定義付けるものを。」

 

彼女の起源、それは『進化』。

彼女は人間の枠内で、究極の『ヒト』へと、際限なく成長し続ける。

そのことを、ただ、知ってしまったのだ。

 

「私は『進化』に不要だったため、恋人を殺害しました。家族も殺害しました。感情も不要なので切り取りました。一度は『解き放たれし者(パンバ)』の臨界地点に達し、『ヒト』の究極へと至りました。でも、それは都信華の到達点としては不十分だった。だから、私は主に救いを求めました。『大いなる者(オウバ)』を災害のアサシンと定義し、進化のベクトルを逆方向へ作り替えた。彼女は私の力をセーブする為に、慈悲で、私に利き腕を落とさせた。オウバへ回帰する運動において、オウバの指示は絶対ですから。」

「なに、を、いっている、の?」

「『崩楽』は進化ベクトルを元に戻すというモード。これをしてしまうと、また主の寵愛こそ必要になりますので。暫くは第五区に残らなければならない。プリンはお預けですね。」

 

信華はヴァルトラウテの目前に拳を突き立てた。

触れることはない、が、戦乙女の首は千切れ、氷の地面を転がっていく。

首元から下が、切なくも座り込んだ状態で保存されていた。

 

「では、ジョン王の元へ向かいましょうか。」

 

信華は氷の結界を破壊し、外へ出る。

丁度そのタイミングで、シュランツァとアダラスも彼女に合流した。残された敵はジョン王のみ。

 

 

城塞にて、ジョン王を発見した三人は彼に詰め寄った。

 

「ひ、ひぃいい!すみません!すみません!つい出来心で!吾輩は災害のアサシン様を裏切るつもりは無く、彼女の為の兵を用意しようと!」

 

慌てふためくジョンの頭上を、シュランツァの所持する剣が通り抜けた。ジョンの金髪がはらはらと玉座に落ちていく。

 

「まず、そこを降りろやタコ」

「……はい」

 

正座したジョン王は、ハンドスペードのこと、統合英霊のこと、その全てを洗いざらい吐き出した。マキリコーポレーションがハンドスペードに資金提供していた事実から、彼女らはマキリを敵視するようになった。

 

「あの、マグナカルタでも、何でも結びます、いや、すみません、調子に乗りました。でも殺さないでくなさい。」

「いや、死ぬだろ、フツー」

「謀反なんて馬鹿な真似は二度と致しません!ザッハーク様への忠誠を誓います!」

「流石の私でも、災害先生を裏切る人が生きていられるとは思いませんよ。というか死んでください。」

 

シュランツァとアダラスの目は冷え切っている。

ジョンは愛するパールへと助けを求めた。

 

「パール、どうにか、ならないか?死にたくないよぉ!」

「ふふ、くふふふふふ」

「え、ぱ、パール?!」

「ジョン、貴様も落ちたものだな。最前列で喜劇を見られて、余は満足したぞ?」

 

パールはその変装を解いた。

皆が驚愕する人物がそこにいる。本来であれば、このような場所に出向く筈の無い女だ。

 

「ざ…っざざざざざ」

「ザー様!?」

「災害先生!?」

 

なんと、側室パールとしてジョンの傍にいたのは、変装した災害のアサシン『蛇王ザッハーク』であったのだ。

彼女はシュランツァ、アダラス、そして信華の戦いを淡路島の中で見守っていた。

 

「ザッハーク……さま……ばかな……そんな……」

「ジョン、誰が『醜い娼婦』だって?」

「あ、あぁ、ああああ! 申し訳ございません!申し訳ございません!」

 

ジョンは玉座に座る災害のアサシンへ繰り返し土下座する。

この場にいる誰もが、ジョンの極刑を信じ疑わなかっただろう。

だが結論から言えば、ジョンはその生存を許された。

統合英霊計画を押し進め、『氷解のヴァルトラウテ』を生み出したジョンの手腕に期待を寄せ、第五区にて幽閉されることとなる。

 

「シュランツァ、アダラス共に良い働きぶりだった。ヘラレウス復活の前に、彼奴の体内からヴェノムドレッドを回収しておけ。それで彼奴は只の肉塊へ戻る。」

「有難うございます、災害先生!」

「サンキューザー様!」

 

シュランツァとアダラスはジョンの首根っこを捕まえ、共にヘラレウスの元へ向かった。

災害のアサシンと信華のみが、簡易城塞へ残される。

 

「そして信華、変わらず腕は鈍っていないようだな?左手も切り落とすか?」

「……今は教職もありますので」

「そうか。余と共に第五区へ戻り、一週間余の部屋で過ごせ。身体を重ねれば、貴様の痛みも幾ばくか解れよう。」

 

ザッハークは信華を呼び寄せると、豊満な胸で彼女を抱き締めた。信華は安らぎを取り戻したかのように、ザッハークの熱を堪能している。

 

「また貴様の力が必要な時が来る。そのときは……」

「はい。私は貴方の為だけに、戦います、ナ……」

 

信華の言葉を遮るように、ザッハークは彼女の唇を奪った。

 

「その名で、呼ばないで、信華。」

「…………はい。我が主よ。」

 

淡路島の中心、城塞の中に夕日の光が差し込んだ。

災害の太腿で眠る一人の女戦士、それは余りにも芸術的で。

それでいて、どこか悲哀に満ちていたのだった。

 

                                                       【マリシャスナイト:『淡路抗争』 完】

 

 

第四区博物館の戦いの裏、ヴェノムの暗躍の物語は一度ここで幕引きとなり

時は、災害のキャスター『ダイダロス』が命を落とした後へと戻る。

 

開発都市第六区にて

 

一人の男が、何者かに追われ、廃工場の中で隠れ潜んでいた。

男は腕を銃弾で狙撃された手負いの状態だ。助けを呼ぼうにも、デバイスを何処かに落としてしまったらしい。

 

「はぁ……くそ」

 

男は息を整えていた。煙を吸って落ち着きたいが、火を付けると敵に察知される恐れがある。

そんな彼の元へ、正面から走り近付く女がいた。

 

「禮士さま!」

 

女は着物姿であるにも関わらず、傷ついた彼の元へ急いだ。

髪飾りの鈴が、チロリと音を鳴らしている。

 

「あまたん、やっと合流できたか……良かった、無事で……」

「此方も、禮士さまが無事で、本当に嬉しいです。さぁ、早くその傷を見せて下さい。此方の水ならば、簡易的ではありますが、溢れる血を止めることが叶いましょう。」

「あぁ、頼むよ。」

 

男、衛宮禮士はその袖を捲り、か細い腕を露出させた。

女は全身から搾り取るようにして、水球を生み出し、それを禮士に近付ける。

 

「禮士さま……」

「ありがとう、あまた……」

 

禮士はその瞬間、何か強烈な違和感を感じ取った。

 

「固有時制御(タイムアルター)―神経拘束(アルファホールド)」

 

禮士は後方へ退き、女と距離を取る。

女は驚きに満ちた表情を浮かべていた。

 

「あまたん、では無いな。彼女の『水』はここまで濁り腐っていない。」

「あら、失礼ね。まるでわらわが汚いみたいじゃない。」

「何者だ?お前も、アインツベルンカンパニーか?」

「違うわよ。個人的な理由で遊びに来ただけ。禮士さまとお話がしたくてね。」

 

女は禮士に近付くと、その顎を撫でまわした。

舌なめずりをする女は肉食動物だ。禮士の首元に爪を立て、キリキリと肉を引っ搔く。

刹那、工場を破壊して現れ出たのは、禮士のサーヴァント『海御前』だ。彼女は怒りのあまり機械ごとその手に持つ槍で切断し、女に一撃を食らわせる。そして禮士を守るように前へ出た。

 

「貴様、此方の禮士さまに何をした。切り刻むぞ、下郎。」

「あ、あまたん。」

「あら、野蛮な女は嫌いよ。禮士さまもそう思うわよね?」

 

禮士から見て、海御前と女は双子と言えるほどに瓜二つだ。一番彼女の傍にいるはずの禮士が、危うく人違いをするところだった。

海御前は怒りの炎に燃えている。武蔵坊弁慶のときの比では無い。

 

「君は、何者だ?」

「あら、わらわが気になるの?禮士さまったら大胆!」

「貴様が禮士さまの名を呼ぶな。」

「え、なんなの、滅茶苦茶に怒っているじゃん……」

 

女は海御前に引きつつも、コホンと咳払いをし、改める。

 

「わらわは開発都市第五区、アヘル教団にて右大臣の位にあるランサーのサーヴァント。真名は、禮士さまには特別に教えてあげる!わらわの名は『沼御前』。これからは気軽に、ぬまたん、って呼んでね!」

「沼御前…………」

「わらわは禮士さまだけに大切な話をしに来たの。でも横に粗暴なゴリラがいるから残念、また今度ね。」

 

沼御前はスキップで廃工場を去っていく。海御前はそれを追いかけるが、既にその姿は消失していた。

 

禮士は最後に沼御前が残した言葉を反芻する。

去る直前、独り言のように呟いた言葉。

 

「『蹂躙』が始まる…………」

 

禮士も、海御前も、その言葉の意味を理解することが出来なかった。

 

                                               【To Be Continued】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蹂躙編 プロローグ『サハラの生還者』

約一か月、大変長らくお待たせしました!
ついに蹂躙編開始です!
感想、誤字等ありましたらご連絡ください!


【蹂躙編 プロローグ『サハラの生還者』】

 

災害のキャスター消滅から十日が経過した。

開発都市オアシス千年の歴史が塗り替わり、新たな時代が始まろうとしている。

そして、富裕層の住まう開発都市第六区もまた、激動の日々を迎えていた。

人々にとってこの一週間は、地獄そのものであったろう。

そして今なお、彼らは悲劇の真っただ中にいる。

 

柳生石舟斎宗厳が師範を努める柳生剣道場にて、彼は真剣を杖代わりに膝をつき、息を切らしていた。

彼の後ろには、習い事に精を出していた筈の、無力な少年たち。

彼の前には、少年たちのボディガードを担っていたサーヴァント。

少年たちを守るべき彼らは皆、戦闘不能に陥り、倒れ込んでいた。

石舟斎の必死の立ち回りにより、彼らは消滅を免れている。だがそれも、時間の問題と言える。

ものの数分でこの惨状。彼らの敵は、その圧倒的な力を遺憾なく発揮した。

石舟斎は全身汗と血に塗れながら、道場の壁を壊して回る敵を睨みつけていた。

二足歩行の雪男のような見た目であるが、齧歯類のような鋭い牙を有している、サーヴァントならざる悪獣。

 

古代中国神話にて英雄『后羿』に退治された怪物『鑿歯(さくし)』である。

 

この悪獣は突如、この剣道場の目前に召喚され、暴れ回っている。

神話の獣であるが故に、並のサーヴァントでは到底及ばない。三騎士のサーヴァント達がいとも容易く殴り倒されていった。

唯一善戦したのは石舟斎。一切動じることなく、鑿歯とのプロレスに応じたのだ。だが、神獣が如き存在は最初から一対一の戦闘を好まない。決闘では無く、殺戮。鑿歯は剣道場内にいた戦闘不能のサーヴァントを蹴り、投げ飛ばし、石舟斎を翻弄する。

結局彼はこの獣を前に、守る為の戦いを強制され、ついに膝から崩れ落ちたのだ。鑿歯の興味が子ども達へ向けば、もはや惨劇は逃れられない。無論、石舟斎はその前に、食らいついてでも止めるつもりだ。自らの命を賭してでも、少年たちを守ることを覚悟している。

 

「先生……」

「案ずるな。この石舟斎、肉体は老いようと、心までは朽ちておらん。柳生剣道場で習ったことを、覚えているかな?」

「まろばし、です。どんな時でも、落ち着いて。」

「左様。貴殿らがそれを忘れぬ限り、柳生の教えは末代へ継がれる。ならば我が第二の生に悔いは残らず。」

 

石舟斎はゆっくりと立ち上がる。その両手に一本の剣を携えて。

鑿歯は破壊活動に準じながら、無力な人間、無力なサーヴァント達を嘲り嗤っている。

自由気ままな殺戮こそ、鑿歯の生きる喜びだ。

怪しく光る瞳は、未だ戦う意思を有する石舟斎を捉えた。

鑿歯は一リットル余りの唾液をまき散らしながら、老体へと飛び掛かった。

 

「破っ!」

 

石舟斎は目にも留まらぬ早業で、鑿歯の四肢を切り落とす。

それは匠の剣技。たとえ平教経であっても、辿り着けない境地だ。

切断された肉塊は道場の四方へ転がっていく。

だが、鑿歯は止まらない。

この悪獣は、災害のバーサーカーの手によって蘇りし存在、よって神話級の恩恵が与えられている。

切断した断面から瞬時に手足が再生する。そして何事も無かったかのように、石舟斎をその両腕で絞め落した。

 

「蜥蜴の尾……か」

 

鑿歯は老体に馬乗りになると、力の限り、石舟斎の顔面を殴り続ける。

その慈悲なき暴力に、生徒たちは嗚咽する。

もはや彼の消滅は逃れられないだろう。

 

「よもや…………」

 

鑿歯は悪魔のように嗤い、殴打を繰り返す。

石舟斎はあらゆる箇所から血を噴き出しながら、それでも悪獣を睨み続けた。

そして鑿歯が渾身の一撃を振り下ろす瞬間、彼は目を見開いた。

 

「遅いぞ、英雄殿。」

 

石舟斎は、鑿歯の最後の攻撃が、自らに届かないことを知っていた。

そう、彼はギリギリのところで救われたのだ。

待ち望んでいた、増援がそこに。

鑿歯の胴体は天井を突き破り、道場外まで吹き飛んでいく。

この悪獣も、何が起きたかを理解していなかった。

 

「遅れてすまない。後は拙者たちに任せろ。」

 

血に飢えた獣を切り裂く一閃。それは開発都市第六区において最強と名高い男の一振りだ。

遠坂組最高戦力『平教経』が駆けつけたのである。

教経は遠坂組のサーヴァント部隊を引き連れ、この場に現れた。

彼はバーサーカー『舩坂弘』を含めた全部隊サーヴァントに、子ども達やそのボディガードの救護を任せる。

鑿歯のような物の怪の類を相手取るのは、教経以外には厳しいだろう。それ故の判断であった。

剣道場からの避難経路を確保した後、鑿歯が吹き飛んだ先へ、単身向かって行く。

彼の耳元に装着された通信ユニットから、参謀である衛宮禮士のオペレートが届く。既に教経は禮士のお陰で、鑿歯の回復速度を計り知っていた。

 

「拙者だ。救護対象は全て回収した。ぱーくおぶえるどらーどの開門を頼む。」

〈あぁ。既に受け入れる体制は整っているよ。鑿歯は?〉

「禮士の見立て通り、数十秒の内に全ての傷は癒えるだろう。宝具を用いて、一撃のもとに消滅させねばなるまい。」

〈あまたん……海御前も急ぎそちらへ向かっている。念には念を込めて、ね。〉

「それは心強いな。」

 

教経は道場の外で鑿歯が再生するのを確認すると、通信ユニットの電源を落とした。

そして愛刀『桜丸』を携え、鑿歯の元へにじり寄る。

悪獣は完全復活を遂げると、壊れかけのスピーカーのような声で空に吠えた。

 

「参る。」

 

教経は大きな一歩を踏み込むと、鑿歯へ急接近する。

暗殺者のような身軽さで巨躯の教経が近付いて来ることに、鑿歯はただ驚くことしか出来なかった。

この軽やかさは、以前、石舟斎の元で学んだ『無刀取り』の型に近い。素早く敵のレンジに入り込み、一瞬のうちに決着を付ける。

手の持つ刀を十文字に振り、鑿歯の肉を切り裂いた。

だがそれは掠り傷で終わる。

鑿歯はその類まれなる動物的直観で、刀の軌道を読み切っていた。レンジから退くことは出来ないにせよ、最小限のダメージで抑え込む。

そしてすかさず反撃に出た。剣のような硬度を持つその前歯で、教経の腕にかぶり付く。

 

「くっ……!」

 

教経の腕に突き刺さる二本のナイフの如き牙。

貫通し、穴の隙間から血液が漏れ出す。

鑿歯はそのまま腕を食い千切るつもりで教経を押し倒そうとする。この悪獣の怪力を以てすれば、人間の腕力に劣る筈も無い。

だがどうにも、この鑿歯という怪物は大きな勘違いをしているようだ。

教経は神霊級のサーヴァントでは無い。鑿歯の思考範囲における人間のカテゴリーで間違いないだろう。

しかしながら、この男は『平家一門』である。海の藻屑になろうとも、源氏への怨念のみで化け蟹や河童に生まれ変わった猛者たちだ。

平教経はその生前に悔いは残していないが、それでもこの男の執念深さは平家随一と言っても過言では無いだろう。

鑿歯の牙が突き刺さる箇所、その筋肉を極限まで引き絞る。結果、鉄のような彼の肉を嚙み砕くことは叶わなかった。

それどころか、鑿歯の前歯を抜くことすら許さない。鑿歯はここで初めて、自らが追い詰められていることに気付いた。

教経の対人宝具『抜刀白魔』はその刀で捉えたもの全てを一撃で切り捨てる必殺技。だが鑿歯の速度と強固な前歯に阻まれる可能性は大いにあった。だからこそ、肉を切らせて骨を断つ、そんな選択をしたのだ。

この悪獣を切り捨てるには、片腕もあれば充分である。

 

「刃を満たすは空蝉の朱

 友成の鉄、並べて腐らず」

 

古備前友成の打ちし愛刀に光が宿る。何人切り捨てようと、その切先が折れることは無い。

鑿歯は必死の抵抗を試みる、が、無念。

前歯が抜けるより先に、教経がその刀を抜いていた。

 

「此れ称するに『抜刀白魔』」

 

下から上へ、彼の刃は弧を描く。

その絶技はえらく静かに、それでいて確実に成された。

鑿歯は断末魔を轟かせることも無く、ただ砂となり、風に流されていった。

大英雄『后羿』の倒した六の悪獣、その一匹を完全に消滅させたのだった。

 

「………っ」

 

鑿歯が塵になるのと同時に、前歯が抜けた腕の穴から大量の血液が漏れ出した。

教経は布を巻きつけ、ふらふらと歩き出す。遠坂組総本山にて治癒を施さなければならない。

彼は通信ユニットを起動し、禮士の指示を仰いだ。

 

「禮士、『鑿歯』の討伐に成功した。一週間前、我々が取り逃がした個体と同一だ。」

〈ご苦労様。流石、遠坂組最高戦力、だな。〉

「悠長にはしていられない。后羿の伝説ではあと五体、似たような獣がいるのだろう?対策を練らねば……」

〈そうだな。まずはこちらに戻ってきてく…………〉

 

禮士の声が止まる。

教経はどうしたと呼びかけるが、数秒間反応が無かった。

緊急事態の発生が考えられる。

 

〈教経、君のいる場所の近くに高濃度の魔力反応を確認した。鑿歯と同じものだ。そちらへ急激に近付いている!〉

「やれやれ、休む暇など与えてはくれまいか!」

 

教経を強敵と認識して、なお襲い掛かる第二の悪獣。

獰猛な双頭の大型猪、魔猪のカテゴリーに含まれるだろう。

 

その名は『封豨(ほうき)』。剣道場を前足で押し潰し、堂々と教経の前に現れ出た。

 

教経の口から自然と漏れ出た言葉は、大きい、という一言。

それもその筈、歴史文献における封豨はこのように全長二十メートルも無かった筈だ。

否、記載が無かっただけかもしれないが、それでもこれは規格外である。

妖の類と戦った記憶のある教経でも、ここまでの巨大さは初だろう。

もし猪の速度で体当たりされようものなら、即座に教経の肉体は霧散するだろう。

現に、封豨の鼻息だけで、彼は数歩後退させられている。

 

「禮士、通信を切るぞ。」

〈いや、この戦い、俺も参戦したい。もうまもなく、あまたんが到着する。通信越しで悪いが、俺の指示通りに動いてくれないか?〉

「何か策があるのか?」

〈あぁ。これでも元軍隊の参謀だからね。作戦立案には慣れているのさ!〉

「なら任せよう。龍寿(マスター)も認めたその手腕。拙者にとくと見せるがいい。」

 

そして到着した海御前を交え、彼らの戦闘は開始した。

教経と海御前は高速で封豨の周りを走り回り、その刀で、槍で、肉を裂く。

が、しかし、封豨の体表は硬く、安易な攻撃では傷一つ付かない。

この悪獣にとっては蚊に刺される程度のものだ。動じることなく、それどころか欠伸をしている始末。

鑿歯とはまた異なるタイプの害悪獣だが、防御面に関しては封豨の方が数段上だろう。

 

〈生らかな攻撃は屁でも無い、か〉

「禮士さま、どうしましょうか?」

〈目や鼻といった、通常ならば弱点になるだろう部位への攻撃はどうか?〉

「鼻は不可能だ。息をするだけで軽々と吹き飛ばされる。目を刃で抉るか。」

 

教経が跳躍し、その眼球目がけて刀を突き入れると、流石の封豨も覚醒したのか、暴れ始める。

前足をばたつかせ、首を左右に振り回し、二人を払いのけた。

そしてその瞬間、後ろ脚に力を籠め、突進攻撃に転じる。

海御前の機転で、巨大な水球を生み出し、これを阻止。クッションとなって弾き返そうとするが、水のボールはいとも容易く割られてしまった。結果、彼らは封豨の顔面タックルを直に受け、後方に飛ばされていく。

もし水球のバリアすら無い状態で攻撃されていれば、一撃で戦闘不能に陥っただろう。

 

「此方の水が、割られた……」

「元来、封豨は雨降らしの神と祀られた獣だからな。水は彼奴の専売特許でもあるのだろう。」

「なに?此方は役立たずと言いたい訳?」

「言っていない。現に水の盾が無ければ拙者たちは敗北していた。戦い方次第、ということだ。」

 

教経は体毛を濡らした封豨を見て、その特性に勘付いた。

そしてそれを禮士へと伝える。

 

「禮士、封豨は水を皮膚から取り込む性質があるようだ。雨に纏わる獣ということは……」

〈鯨の潮吹きのような器官が存在し、体内の液体を一度に噴出しているのか。それが封豨の雨降らしの正体……〉

「海御前の水を用いた戦術は通用しない。本来ならば戦闘スタイルを変えるべきであるが、拙者はむしろこれを利用できると考えている。」

〈そうだな。俺もそう思うよ。今から俺が伝えた通りに動いてみてくれるか?〉

「ああ。やってみよう。」

 

禮士は教経と海御前両名に作戦の概要を伝える。

その間にも、封豨は暴れ続けている。次なる突進を間一髪で避けた彼らは、禮士の指示を受け、各々準備に入った。

まずは教経から。

封豨の後ろに回り込み、宝具を発動する。タイムラグを最小限に抑える為、海御前が封豨の前に立ち、囮になっている。

教経の絶技は、強力な対人宝具『抜刀白魔』のみならず。

彼が過去に経験した戦場を部分的に切り取り、現代において再構築する。

それは平家一門にとって有利な海上戦の再現であり、この幻想は平家の者に絶大なステータス増強の恩恵を与える。

第六区の田園に突如、大量の水が注ぎこまれ、そして無数の舟が浮かび上がった。

海御前は当然、その光景を知っていた。平家最後の輝きにして、彼らの嘆きが残る場所。

即ち、それは、壇之浦。

 

『壇之浦・艘舞台(だんのうら ふなぶたい)』

 

突如、田園を飲み込んだ水流に、封豨は圧倒される。

教経と海御前は流れてくる木造の舟に飛び乗ると、封豨の様子を見守った。

この悪獣もまた船の上にその足を乗せる、が、その体躯で乗船出来る筈も無く、壊れた木片と共に、教経の海へ沈んでいった。

そして直後、轟音と共に、彼らの舟が暴れ出す。

沈んだ封豨が海水を急速に飲み始めたのだ。無類の吸水率を誇る封豨により、数秒の内に教経の幻想は打ち破られる。

海を飲み込む魔物。それは彼らも相手にしたことの無い、破格の存在である。

教経の敷いた壇ノ浦の景色の一部分は消滅し、彼らはぬかるむ田の中へ舞い降りた。

ここまでは、禮士の思い通り。

 

「禮士さま」

「さて、ここからが勝負だ、あまたん!」

「はい!」

 

封豨は強烈な曖気と共に、両足を大きく広げた。

この怪物が飲み込んだのは幻なりとも、海そのもの。その重さは身体を鈍らせる。当然、吐き出さなければまともに戦闘など行えない。

双頭の中央、首の根本から、庭園の噴水のように水が噴射される。

そしてその瞬間を、海御前が逃す筈も無かった。

 

「やああああ!」

 

海御前は手に持つ長槍を振り被り、全身の力をバネに、封豨へ向かって投げつけた。

そしてそれは見事、封豨の噴出口へ突き刺さる。

槍が栓となることで、封豨はその気持ち悪さを体外に出すことが出来なくなる。

 

「今だ!あまたん!」

 

海御前は右の掌を頭の上に乗せ、左手で祈りを捧げる姿勢を取った。

彼女は水を操る大妖怪。槍の先端から封豨の体内の水へとアクセスする。

 

『骨を撫でれば時雨来りて

 皿を砕けば雷走る

 此れ称するに』

 

封豨の体内で、水が龍のように暴れ回る。この怪物の内側から食い破り、全身の穴が裂け始めた。

 

『天河破(あまがっぱ)』

 

海御前、第二の絶技。

水中に落ちる人間を容赦なく喰らい尽くす為に編み出された技。

槍の先、水の流れを変化させることで、水面に上がる希望を絶たせる。

今回は、封豨が海を飲み込んだために、体内で発現させることが出来たのだ。

次々と内側から外へ水が溢れ出し、封豨の固い皮膚は崩れていく。

そして露出した心臓を、教経の刀が二つに切り落とした。

見事、彼らは二体目の悪獣『封豨』の討伐に成功したのだった。

 

〈今度こそ、お疲れ様。流石に三匹目の来襲は無いようだ。〉

「そうでなくては困る。こちらもそれなりに消耗している。」

「ですが、まだこのような悪獣が少なくとも四匹はいるということですか……。神秘渦巻く時代の者でなければ対応できないというのも、難易度に拍車をかけているような……」

〈そうだね。俺たちに残されている時間はあまりない。出来ることをやっていくしかないよ。〉

教経と海御前は同時に頷くと、通信を落とした。

そして禮士もまた、オペレーションルームで通信を切った後、椅子にもたれ掛かり、大きく伸びをした。

本来この広い部屋には遠坂組のメンバー十数名が揃っている筈である、が、今は禮士を含めても二人しかいない。

禮士は現在のオペレーションの相方であるリカリーへと声をかけた。

 

「リカリー、『鑿歯』と『封豨』の戦闘データは?」

「バッチリです……と言いたい所ですが、まだ解析できていない箇所もありまして、本日中にはまとめて提出いたします。」

「やはり、こうもスタッフがいないと、一人当たりの仕事量が半端じゃないな。」

「仕方がありません。災害のバーサーカー『后羿』並びに、ミヤビ・カンナギ・アインツベルンの宣戦布告が一週間前に行われてからというもの、第六区は変わってしまいましたからね。」

 

ミヤビの独立部隊『三狂官』の一角、松の席、それがまさか災害のバーサーカーであるとは全ての人間が予想していなかったことだろう。彼女は災害を自らのコントロール下に置き、遠坂組のある第六区へと攻め込んできた。

后羿自身はまだ戦闘を行っていないものの、その使い魔である中国神話に名高き六の悪獣が解き放たれ、あちこちで暴れ回った。遠坂組の先鋭達は悉く敗北を喫し、残されたサーヴァントは教経、海御前、アマゾニアを含めた、あと僅かである。

開発都市第四区から来訪した、鬼頭充幸。そしてまさか生存していたマキリ・エラルドヴォールらの協力もあり、悪獣たちを一度は逃亡させることに成功した。だがこうして再び姿を現し、殺戮を開始したのである。

そして、第六区の区民は皆、パークオブエルドラードに一時避難をした。

当然、シェルターへ逃げることを拒否する者もいる。彼らは奇跡的に生き延びている者もあるが、その大半は獣に食い殺された。

親の命令で、普通の日常を過ごすことになってしまった子らもいる。それが先程、剣道場にいた少年たちだ。

教経が間に合わなければ、石舟斎共々、鑿歯に殺されてしまっていただろう。

シェルターに逃げた富裕層もまた、遠坂組への不信感を抱いている現状だ。

災害との共存を謳っていたにも関わらず、このような事態になったのだ。そして第六区の災害こと、焔毒のブリュンヒルデは何処か別の区に姿を晦ませたらしく、龍寿の災害融和政策は水の泡と化した。

龍寿を含めた遠坂組幹部たちは毎日、区民会議と第三者説明会に明け暮れ、身動きが取れなくなっている。

結果、禮士が教経に指示を出すマスター役に抜擢され、今日も戦い続けていたのだ。

 

「ここ最近、休めない日々が続いている。リカリーもあまり無理はせず、眠れるときは眠っておきなよ。」

「そういう禮士殿は休まないのでしょう?」

「…………俺はリラクゼーションルームへ行くよ。俺も少し休みながら、昔のことを思い出してみる。后羿とは浅い関係じゃないからな。」

 

リカリーは禮士の背中を見送り、溜息をついた。

これからのこと、不安に思っているのは何も区民だけでは無い。きっと第六区の誰もが、来るか分からない明日を思っているのだ。

だから禮士はきっと、リラクゼーションルームにおいても休息しないだろう。

だが、災害のバーサーカーのことを誰よりも知っているのは禮士だ。

無理をしないで欲しいと、声をかけられればどれ程良かったか。だが、それは出来ない。今は禮士だけが頼りなのだから。

 

 

禮士はリラクゼーションルームの休眠用ソファーに深々と座り、自らの魔術を行使する。

彼の魔術は自らの脳へ訴えかけるもの。

例えば、「固有時制御(タイムアルター)―神経拘束(アルファホールド)」という技がある。これは自らの脳神経へ直接アクセスし、無理に刺激を与えるもの。臨死体験を強制的に起こし、自らを走馬灯状態にする。結果、通常の時間軸において彼だけが誰よりも多く、深く、物事を考えられるようになる。こうして彼は様々な戦場で、参謀の役目を果たし、作戦立案に貢献してきた。

現在の彼は、サハラの地で自らのサーヴァントに『薬』を飲まされた結果、肉体の不老が無くなった。いつか来る生命の終了を先延ばしにされた状態である。回復力も若い年代の青少年とさほど変わらない。こうしてオアシスで数百年間、のらりくらりと生きてきた。

だが彼の脳だけは違う。脳は決して若返らない。彼が自らの魔術を行使する程に、ゆっくりと時間をかけて機能不全に近付いている。

短時間であれば問題は無いだろう。だが、彼が今からやることは、きっと長い時間をかけなければならない。

そう、彼はサハラの聖杯戦争の参加者であり、その記憶の殆どを、脳内の宝箱へ隠し、鍵を閉めた。

いつか后羿と相対するその時まで、絶対に忘れていまわないように。

禮士はこれから、その箱を開けるつもりだ。今こそ、サハラの記憶に向き合わなければならない。

 

「固有時制御(タイムアルター)―神経新生(ニューロジェネシス)」

 

禮士は思考空間へダイブした。

線と線が複雑に交わる海の中で、彼は四つのキューブを手にする。

それは彼が隠しておいた自身の記憶である。砂漠にいた頃は二十近くに分散し、保管していたが、気付けば、その欠損は甚だしく、保全されているのは残り四個のみであった。

彼は早速、その一つを取り込み、その記憶を追体験する。当時の感覚そのものを、今の禮士自身に移植したのだ。

 

時は遥か昔に遡る。それはサハラの聖杯戦争が巻き起こる前の話だ。

 

禮士はヌアクショット空港の玄関口で待機している。

待機命令は慣れたものだが、こうも乾燥していると、用意した水分の減りが早い。

彼にとってここ、モーリタニアは初の来国である。

前提知識としてあるのは、世界最大のサハラ砂漠があること。だがそれ以上は知り得ない。

そもそもこの国は、魔術とは縁も所縁も無い筈なのだ。

禮士は薄汚れたコートに付着した砂汚れを適度に払いながら、物思いに耽っていた。

日中気温がヒトの体温を超えることもあるこの地において、禮士の身に着けている衣服は異常そのものだ。

半袖のカジュアルな衣服や、民族の伝統衣装ブーブやメラファが当たり前の中で、彼は冬物のロングコートを羽織っている。

通行人は誰しも、見るからに暑そうな禮士に視線を集めたのだった。

 

「ちょっとそこの男!」

 

甲高い少女の声がこだまする。

なお禮士は考え事をしている為、この声に気付いていない。

 

「そこの場違いなロングコートの男性!貴方よ!貴方!」

「…………」

「こっちを向きなさいな!」

 

禮士は自らより遥かに背丈の低い少女に、コートの裾を引っ張られる。

そしてようやく、自分が呼ばれているのだと気が付いた。

 

「貴方が衛宮禮士、ですか?」

「え、あ、あぁ、そうだが……」

「場違いな服装だからパフォーマーかと思ったわよ!というか、不潔だし、臭い!何日洗っていないのよ、この服!」

「えーっと、最後に洗濯したのは……」

「とにかく着替えなさい!このマーシャスフィール・フォン・アインツベルンの隣を歩くのです!気品に満ちた格好を心掛けること!いいかしら!?」

「君が、マーシャ…………?」

 

その背格好は凡そ小学生高学年。禮士が取引の際に相対した初老の男とは明確に異なり、どういう訳か、小さな子どもが禮士の待ち人の名を名乗っていた。

 

「マーシャさんは、君のお父さんかな?それともお母さん?」

「キィイイイイイイイ!違います!私がマーシャ!年齢は十二だけど、立派な貴方の取引相手です!これから聖杯戦争を共に戦うバディなのよ!」

「君が?」

「いいから子ども扱いは辞めなさい!貴方がこれまで取引していたのは、私の代理人です。現地集合にしたのも、ここまで来たら貴方は逃げ帰らないだろうと思ってのこと!どうせ子どもだと舐めてかかってくるだろうと思っていたわ!」

 

マーシャはその場で駄々をこねるように暴れ回る。禮士は何とか彼女の怒りを収めた。

 

「悪かったよマーシャ。君が俺の相棒だという事は分かった。これからよろしくな。」

 

禮士は彼女の目線まで屈み、握手の為の右手を伸ばした。しかしそれは叩かれ、拒絶されてしまう。

 

「衛宮禮士。私は貴方のことを良く知っています。当然、アインツベルンは貴方のことを調べ尽くしている。フリーの魔術使いで、各国の情報機関や軍隊を行き来しながら、何故かスパイとして捕まることの無い男。悪知恵と逃げ足が一級品だということもね。言わば今の貴方はアインツベルンの人質です。私が某国に突き出せば、貴方はデッドエンド。ですが大丈夫、私に協力する限りにおいて、貴方の無事は保証するわ。」

「それはどうも。」

「余裕そうな顔が癪に障るわね。私たちは、貴方に妻と子がいることを知っている。場所は、まだ見つけられていないけれど、それも時間の問題だから。立場を弁えなさいよ!」

「大丈夫だ、君たちでは俺の妻や子をどうにかできないだろう。」

「はぁ?どうして」

「…………五年前に二人とも亡くなったからね。妻は病気で、そして娘は事故で。娘は丁度、君と同じくらいの年齢だった。このコートは、娘が誕生日のプレゼントにくれたものなんだ。」

「あ……えっと、その、ごめんなさい。……イライラして、少し言い過ぎたかもしれません。」

 

マーシャは失言に対し、深々と頭を下げた。きっと根は良い子なのだろうと禮士は思う。

禮士はどことなく、マーシャの姿に懐かしい娘を見ていた。妻に似て、天真爛漫な少女だった。

 

「ところでマーシャ、俺は君のことを何となくしか知らない。代理人こそが真の取引相手だと疑っていなかったからね。今回、俺たちは聖杯戦争に参加し、六人のマスター、そして六騎のサーヴァント達と殺し合うんだろう?こちらが召喚するサーヴァントと、具体的にどう戦っていくか、そこを話したい。」

「私たちは二人でマスターです。サーヴァントへの絶対命令権である令呪は、二人で共有します。ですが、私の許可なく令呪を使用することは認めませんからね!……サーヴァントの維持コストである魔力は、アインツベルン家の私が負担します。禮士には不可能でしょうから。」

「俺には不可能?」

「それは、私が召喚したサーヴァントは非常に強力だという事なの。それだけ維持するのにもコストがかかる。その点は私、マーシャスフィール・フォン・アインツベルンを信じてくれて構いません。」

「その、召喚するサーヴァントは?」

「ふふふ、聞いて驚きなさい!中国神話最強と名高き、英雄の中の英雄です!その名は『后羿』!九つの太陽を撃ち落とした偉業を持つ、神に近しき存在です!」

「そ、それは凄いな。」

 

慎重な禮士でも、思わず勝ち誇りガッツポーズをしてしまいたくなる、それ程の存在だ。

まず以て、並のサーヴァントで后羿を超えることなど出来ない。戦う土俵にすら立てないだろう。

正直な話、参謀の禮士などいなくとも、あらゆる方向に矢を飛ばせば、無理に押し通して勝てそうな気もする。

 

「勿論、后羿の逸話は知っていますよね?『裏切り』だけはしないように。彼は裏切られることが大嫌いだから。」

「分かっている。」

「なら、よろしい。」

 

禮士はどこか得意げなマーシャを見て、疑問符を浮かべていた。

裏切らない保証はどこにも無いというのに、まさか后羿という強力なストッパーがいるから大丈夫だと能天気にも考えているのだろうか。

禮士自身、これまで数々の修羅場から逃げ延びてきた。策を弄すれば、たとえサーヴァントに狙われようと生還できる自信がある。

 

「邪推、かもしれませんが、この小娘は簡単に裏切れるだろうと思っていません?」

「え、いや、まぁ、そうだね。正直に、君が俺と組むメリット、デメリットを考えたらば、マイナスの方が大きく感じるのは俺だけかな?」

「貴方だけよ。……私には叶えたい夢がある。貴方の力が必要なの。」

「聖杯に託す望みか。」

「ええ。貴方は無欲な人だろうけど、きっと叶えたい夢があるでしょう?そう、それは私の夢と同じもの。」

 

魔術師らしく、根源に至ること、だろうか。

それならば禮士とは異なる。禮士は魔術使いに過ぎない。

マーシャの返答は、禮士の想像を超えるものであった。

 

「世界を救う、正義の味方になること。」

 

マーシャは自信満々にそう言い除けた。

それは実に子どもらしい純粋さに満ちていて、大人が皆忘れてしまったこと。

具体性の欠片も無い、滑稽な夢。だが禮士は、どこか納得してしまった。

 

「正義のヒーローになりたくない男子はいないわよ。」

「…………あぁ、そうだな。」

「だから、よろしく。禮士。」

 

今度はマーシャの方から手を伸ばした。

そしてそれを禮士はしっかりと握り締める。

 

「よろしく、マーシャ。」

 

傍から見れば親子にしか見えない彼と彼女の戦いはこれより始まったのだ。

 

そして、彼らが歩き出した所で、第一のキューブは消滅する。

禮士は忘れていた少女の名を思い出し、深く噛み締めた。

 

「マーシャ」

 

十二歳の、好奇心旺盛な少女。

彼女の自信満々な笑顔が、禮士の救いでもあった。

後ろに逃げることじゃなく、前に進み壁に立ち向かうこと、それを教えてくれた女の子だ。

禮士は次のキューブへと手を伸ばす。

第二の解錠。彼は目を閉じ、海の底へゆっくりと沈んでいった。

 

次なる記憶。それは聖杯戦争が始まってすぐのことだ。

 

禮士はマーシャと霊体化した后羿を引き連れ、テルジットへと訪れた。

テルジットはオアシスの中でも比較的過ごしやすいという事で、聖杯戦争の監督役が巨大テントの宿泊施設にて過ごしている。戦争に介入することは殆ど無く、こうして態々マスター側が出向く他ない。

死体の処理があったとしても、砂がそれを消し去ってくれる。

禮士はテントの外から監督役へ呼びかける。すると可愛らしい返答と共に、その入り口から躍り出た。

禮士は咄嗟に、マーシャの目を両手で隠した。

そう、この監督役は何ともエロティックな格好をしている。扇情的、蠱惑的な顔立ちと美しい肢体。来ている水着のような布地から今にも零れそうな胸。どれをとっても、子どもには目に毒だ。

 

「何をする、禮士!」

 

マーシャはバタバタと手足を動かし抗議する。だが彼女に監督役の姿を見せる訳にもいかない。

 

「あ、あの、暑いのは分かるが、何か羽織ってくれないか。子どもに見せるには、ちょっと。」

「暑くないわよ?だって私サーヴァントだし。」

「じゃあ猶更頼む。」

 

禮士の必死の懇願に口を尖らせながら、監督役はローブを羽織った。

マーシャはようやく解放されるが、禮士の足をポカポカと叩いている。

 

「で、今回はどういったご用件でしょう?」

「あぁ。監督役として召喚された、『ルーラー』、君に聞きたいことがある。」

 

このモーリタニアを舞台とする聖杯戦争には聖堂教会は関与していない。

そもそもサハラ砂漠という地で戦争が開始されるなど、誰もが認識外のことなのだった。

招かれた者だけが、この地で殺し合い、血で血を洗い、願望を叶えることが出来る。

戦争の立役者『テスタクバル=インヴェルディア』も秘匿という一点のみにおいて神がかりであったのだ。

 

「聞きたいこと?」

「聞きたいことは一つだ。この戦争を仕掛けたのは、ダーニックを師事していた男、テスタクバルで間違いないよな?その彼に、一体何があったんだ?」

「ええ、テスタクバルは実際にアサシンのマスターとして戦争に参加しているわ。」

 

「そのテスタクバルとアサシンが、昨日突如消滅したって、君から伝令があった。どういうことだ!?」

 

禮士の研究により、テスタクバルのサーヴァントは暗殺者のクラスであり、その真名が『蛇王ザッハーク』だと判明した。

その翌日に、彼らの死亡が伝えられたのだ。

 

「どうもこうも。最初の脱落者になった、というだけ。」

「誰に、殺された?」

「それは言えないわよ、というか知らないし。アサシンの霊基は消滅。そのマスターの遺体も現地の人間が発見。まぁアサシンに反逆されて殺されたんじゃないかしら。それで霊基を保てなくなり、アサシンは退却した。」

「戦争の立役者が、そんなヘマをするのか?」

「したから、こうなったんじゃない?もしくはマスター自身が何者かに殺された、はありそうね。貴方たちではなにのかしら?」

「俺たちは…………違う。」

「そう。聞きたいことはそれだけ?それなら、簡単な使い魔のやり取りで済んだだろうに。」

「ルーラーの口から、事実を聞きたかったんだ。それだけだ。」

「ふうん。そっか。ま、生き残れるように頑張ってねー。」

 

気の抜けた声で、ルーラーはテントへ戻って行く。

背を向けた禮士はふと足を止め、彼女に意味の無い質問を投げた。

 

「なぁ、ルーラー。貴方の正体は誰だ?」

 

禮士が振り返ると、彼女はその端麗な赤髪を指で弄びながら、彼をまじまじと見つめる。

禮士はその吸い込まれそうな瞳に見惚れてしまっていた。マーシャに袖を引かれ、ハッとして目線を逸らす。

 

 

「私の名前ね。いいよ。私は『ナナ』。エミール・ゾラの名作の主人公ってことになっているかな。」

 

 

エミール・ゾラの名作『ナナ』は、あるファムファタールの物語。

主人公であるナナは、その美貌を武器に、踊り子として、数々の男と夜を共にしていく。

高級娼婦として、自由気ままに生き、多くの人間を破滅させた。

彼女はただ一人で、男を、社会を、経済を、世界そのものを崩壊させたのだ。

武力では無い。ただ人を『魅了』し、『消費』した。

凡そ裁定者とは成り得ない傾国美女だが、彼女はこうして第二の生を謳歌している。

 

その名を聞き、禮士は彼女と関わらない選択をする。

彼女は容易く心の内側に入り込み、ドロドロと溶かし始めるだろう。

そして取り込まれ、骨までしゃぶり尽くされる。

禮士は手を振る彼女に警戒心を露わにしつつ、その場を去って行ったのだった。

 

そして彼らはレンタルした小型車両で、別のオアシスへと向かう。

宿を転々と移動することで、敵に悟らせないようにする。

これだけ広大ならば、長期戦となるのは必至だろう。

禮士が運転し、マーシャが助手席に座る。いつも通り。

ある程度道を進むと、マーシャが静かな寝息を立て始める。これもいつも通りだ。

だが今日は珍しく、もう一人の同乗者が禮士に声をかけた。

 

「禮士。お前は先程の女をどう思う。」

「后羿か…………あのルーラーは、かなり危険だとは思う。ただ気ままにサーヴァントとして楽しむ分には、大丈夫だと思うぞ。」

「あぁ。私としては伴侶に迎えたいところだ。否、側室か。あれは抱き心地のよい肢体だろう。」

「おい」

「冗談だ。やはりザッハークは消え去っていたか。肩の蛇を見れば、誰であろうともその名が分かるだろう。一度しか戦闘しなかったが、あの男は良き王だと私は思った。」

「悪王として有名だけどな。でも確かに、気持ちのいい性格はしていたな。」

「私の遠距離射撃にも真っ向から立ち向かってきた。本当に暗殺者かと疑う程にな。」

「敵ながら、惜しいか?」

「惜しいさ。血の滾る戦闘は嫌いじゃない。」

 

后羿は英雄らしい英雄だ。

より強い者をリスペクトし、それでいて、弱者は必ず保護しようとする。

だが狂戦士のクラスで召喚された后羿は戦闘発生時のみ、バーサーカーらしさを見せる。

つまり、戦い始めたら決して止まらない。相手が退くか、死ぬか、それまで得物を振るい続ける。

ザッハークとの戦闘も、暴走する后羿を止めることにのみ心血は注がれた。危うく、手の内全てを晒す所であった。

無論、彼が負ける姿は未だ想像がつかない、が、まだまだ強力な英霊が隠れているかもしれない以上、カードは慎重に切っていきたい禮士である。

 

ふと、小さな声で、マーシャが寝言を言い始めた。

禮士と后羿は会話を止め、少女の言の葉に耳を澄ませてみる。

 

「パパ……ママ……」

 

それは、既に他界している彼女の父母への愛くるしい呼びかけだった。

禮士も大切な人を失っているから、彼女の痛みが理解できる。きっと彼以上に、少女は苦しんでいる筈だ。

マーシャの父母は、何者かに殺害された。

彼らは知る由も無いが、それは遠坂輪廻がテスタクバルに拉致された日と同じ。

そしてその犯人もまた。

幼過ぎたマーシャは愛を知らないままに屋敷のメイドたちに育てられた。

きっと、父母を殺した犯人を恨んでいるに違いない。

そんな少女が『正義の味方』を目指して、今なお戦っている。

悪を許してはならないと。自分のような境遇の子どもを二度と生み出さない為に。

 

「禮士」

 

后羿はただ彼の名を呼びかけた。

言いたいことは、理解できている。

 

「あぁ。マーシャの為にも、頑張らないとな。」

 

禮士は静かな運転を心掛ける。マーシャの優しい眠りを妨げない為に。

 

そして第二の記憶のキューブは霧散した。禮士は広大な海に取り残される。

 

記憶の中で見た光景、そして開発都市オアシスにおける矛盾点。

禮士に中で浮き彫りになる疑念。

 

「ザッハークは消滅した、筈だ。」

 

何かが強烈に脳内をジャミングしている。

整合性が取れず、気持ち悪さを覚える。

だが荒い呼吸を整え、深く、より深く思考する。

 

開発都市第五区の災害はアサシンでは無い、かもしれない。

アサシンを冠する少女の、暴力的なまでの魅力を、禮士は覚えていた。

決して彼女に取り込まれてはならない。禮士はマーシャと、そして海御前を思いながら、謎を解明していく。

キューブに眠っていたのはルーラー『ナナ』のメモリー。

そして同じ顔をした災害のアサシン。

もし同一存在であるならば、災害のアサシンは『蛇王ザッハーク』などでは無い。

 

「ナナが、災害。」

 

禮士は次なるキューブに手を伸ばす。

そして第三の記憶が、彼の脳内に溢れ出した。

 

山岳地帯にて、后羿が何者かと交戦している。

彼の剣と敵の剣が激しい音を立て、ぶつかり合った。

禮士はそれを観察しながら、敵の正体を探っていた。

 

「あれは、セイバーか?」

 

その剣技はさることながら、重要なのは手に有した剣そのものである。

禮士どころか、誰もがあの大剣の名を知っているだろう。それ程にまで著名な聖剣だ。

 

その剣の名は『バルムンク』。邪竜を葬った呪いの聖剣である。

 

そして禮士は双眼鏡で、彼らの打ち合いを確認する。

目にも留まらぬ速さ、であるが、禮士ならばこれを追うことが出来るだろう。

ようは自らの脳の処理速度を早めればいい、というだけ。

彼は剣士の背中に集中した。

その場所が敵の弱点であれば、その名は恐らく大英雄『ジークフリート』であろう。

后羿に指示を出し、執拗なまでに背中を狙わせる。

だが以外にも、守る素振りは見せなかった。その手に持つ大剣を振り回すだけである。

 

「ジークフリート、では無いのか?」

 

后羿もまたその違和感に気付き、戦闘中ながらも躊躇わず声をかけた。

 

「その見事な剣裁き、流石は大英雄といったところか。」

 

禮士の指示通りの言葉を発する。

これにどう反応するかで、その真名が分かるかもしれない。そう禮士は考えていた。

 

「大英雄……だと?」

「あぁ。」

「俺は、俺は英雄なんて腐った奴らじゃねぇ!俺は『人間』だ!」

 

禮士にも、后羿にも分かる筈は無かった。

英雄という言葉は、この男にとって、特大の地雷であったのだと。

彼らの敵はバルムンクを携えたまま、大きく飛翔した。

そしてあろうことか、彼は何処からともなく『弓』を取り出し、バルムンクを矢のように番えたのだ。

 

「魔力急上昇!まずいぞ!宝具が来る!」

「く……」

 

后羿は防御の態勢を整える。

そしてセイバー、否、アーチャーの絶技は発動した。

 

『投射式幻想大剣・天魔失墜(シューティング・バルムンク)』

 

目を焼き尽くす様な閃光と共に、聖剣は射出される。

后羿の立つ大地目がけて、一筋の光線が貫いていった。

大地は二つに割れ、僅かばかりの植物は悉く燃え尽きる。

辺り一面がクレーターとなり、巨大な落とし穴のように陥没した。

そして燃えるものなど少ない筈の砂漠に火が立ち昇る。

 

「これが……宝具」

 

禮士のいる場所までその衝撃が伝わった。

直下に佇む后羿が無事でいる保証はどこにも無い。

 

「バーサーカー!!」

 

禮士は思わず叫んだ。

まだ彼の右手に浮かぶ共用令呪は消滅していない。

生存している、筈だ。

彼は双眼鏡で必死に后羿の位置を探す。

 

するとそこに写ったのは、華やかな武装をした、新たなるサーヴァントであった。

黄金の柄から伸びているのは虹色の剣。

彼女こそが真のセイバーであると禮士は悟る。

 

后羿は自らの前に、可憐な銀の髪の少女が立っていることに気付いた。

彼は守られた訳では無い。この少女に見覚えも無ければ、守られる所以も無い。

少女はにこりと口角を上げ、空に浮かぶアーチャーに向けて叫んだ。

 

「やぁやぁやぁ!聞いて驚け!見て驚け!我はセイバーのクラスを以て現界した、大大大英雄、英雄の中の大英雄!」

 

「その名を『ディートリヒ・フォン・ベルン』!」

 

「我は我が親愛なる友、アルテラの剣を振るい、英雄たちと勝負しに来た!」

 

セイバーはあろうことか、真名を高々と言い放つ。

ディートリヒは『シドレクス・サガ』の主人公。ドイツにおける伝説の大英雄である。

アルテラを友とし、巨人族などと戦い抜き、大王として大国を平和に導いた。

彼女は本来『エッケザックス』と呼ばれる巨人の魔剣を有している筈だが、今回は軍神の剣の模造品を武器に戦うらしい。

 

「どいつもこいつも英雄、英雄などと……」

「天にいるのは我が友『ジークフリート』だな!クリームヒルトの取り付けた薔薇園での熱き勝負、この胸に刻まれているぞ!花は無くとも、血は踊る!いざいざ勝負!」

 

セイバーはロケットのように急速に飛び上がり、アーチャーを剣で叩き落とす。地に落ちた二人は、互いの魔剣で激しく打ち合った。

耳を割る鍔迫り合いの音。禮士から見て、アーチャーは剣技を得意としないように見受けられた。というより、ディートリヒが剣の戦いにおいて強すぎる、というのもある。徐々にアーチャーは追い詰められていく。

 

「聞いても良いか、アーチャー。」

「何だ、よ!」

「汝、『ジークフリート』では無いな。」

「っ……!」

 

セイバーは虹彩の剣をしならせ、アーチャーを大きく後退させると、大きく溜息をついた。

 

「つまらん。汝は酷くつまらん。」

「な……」

「汝に我の相手は務まらない。」

 

セイバーは衝撃的にも、アーチャーに背を向け去っていく。

その隙だらけの背に、アーチャーは切り掛かることをしなかった。

どうやら彼のマスターから帰還命令が下ったらしく、指示通り、彼はこの場を後にする。

血が滲むほどに唇を噛みながら。

 

そしてセイバーは茫然と佇む后羿の元へと現れた。

彼女は切先を彼に向ける。次はお前だと言わんばかりに。

 

「バーサーカー、今セイバーと戦うのは危険だ。」

「…………」

「バーサーカー?」

 

禮士の呼びかけに彼は反応しない。

后羿の中で、戦闘のスイッチが入ってしまったようだ。

 

「■■■■■ーーーーーーーーー!」

 

后羿は声にならない声で雄叫びを上げた。

禮士は頭を抱える他ない。

 

「いいぞ、いざ!勝負!」

「行くぞ!セイバァァァァァアアアアアア!!」

 

后羿は自らが持つ武器の全てでセイバーに襲い掛かる。

彼女もまた、悪い笑みを浮かべながら、真っ直ぐに受け止めに行った。

彼と彼女の殺し合いは、結局、宝具の発動までは至らなかった。

しかしその戦闘時間は三時間にも及んだ。

結果はドロー。いや、禮士側が勝っていたかもしれない。

敵のマスターより、マーシャの持久力が上だった。ただそれだけのこと。

禮士の隣で、マーシャは酷く疲れた顔を浮かべている。

維持だけでも大変な后羿が、三時間も戦い続けたのだ。

禮士には、彼女の汗を拭う事しか出来なかった。

 

そして第三のキューブは塵となり、消え去った。

 

「次が最後、俺のサハラの記憶、最後の……」

 

禮士は一瞬、手を伸ばすことに躊躇する。

この記憶を思い出してはいけないと。

彼は震えていた。

その手が、足が、鼓動が、覚えているのだ。

 

「……ここで悩んでいても、仕方ないのにな。」

 

禮士は意を決し、最後のキューブを優しく掌で包み込んだ。

 

そして流れ込む。サハラの聖杯戦争、最期の日。

 

禮士の目の前で、二騎の英霊が戦っている。

禮士とマーシャ、その二人を背にしているのは、虫の息となった后羿。

そしてその敵は、以前とはまるで別人となった、セイバーである。

 

「はぁ、もう、死んじゃえば?」

 

セイバーは勝利の聖剣、失墜の魔剣、軍神の剣を次々と取り出しては、后羿の肉体を貫いていく。

もはや勝利は絶望的だと、禮士はそう結論付けた。

このセイバーは自らを『ディートリヒ・ヴェルバー』と名乗った。

元のディートリヒだった少女は何か大いなるモノに飲み込まれ、消滅した。

彼女の目的は、彼女自身が公言している。

 

『愛する者と、二人だけの世界を造り上げること』

 

即ちそれは、人類の滅亡を意味している。

ここで、サハラで彼女を止めなければ、文字通り世界が滅ぶ。

 

「セイバー、お前は誇り高き剣士であった筈……巨悪に負けてはならない」

「悪?どうして?愛する人と一緒にいたいというのは、悪いことなの?」

 

セイバーは后羿の腹部にエッケザックスを突き刺し、肉を抉り出した。

 

「■■■■ーーーー」

「あら、もう降参?」

 

もはや、立ち上がることは不可能。

禮士は、多大なる魔力消費により倒れたマーシャを抱き締めた。

 

「(この子だけでも……)」

 

それは決して叶わぬ望み。

理解している。セイバーは、本当に殺す。誰であろうと平等に殺す。

たとえ十二歳の小さな命であっても。

だが、分かっていても、懇願する。

もう誰も失いたくないと。

 

「助けて……ください…………」

 

セイバーは禮士を蔑み、剣を振り上げた。

慈悲など無かった。

あぁ、当然だ。これは『戦争』なのだから。

分かっているだろう?

 

「私と巧一朗の楽園に、お前達はいらないよ?」

 

そして剣は振り下ろされる

筈だった。

子を抱く禮士の前に、誰かが、立ち塞がったのだ。

 

「オレは好きだぜ。藻搔いてでも、生きるべきだ。やっぱりオレ、ナイスタイミングだな。」

 

それは禮士の知らないサーヴァント。

船乗りの格好をした好青年だ。このサハラの地で、生存しているサーヴァントがいたのだ。

彼は驚くセイバーの剣を弾き返し、彼の同胞を呼ぶ。

 

「頼むぜ!『ダイダロス』!」

「ライダー!名で呼ぶな!キャスターと言え!」

 

禮士の後ろから現れたフルアーマーの男は、宝具を起動する。

 

『万古不易の迷宮牢(ディミュルギア・ラビュリントス)』

 

それは固有結界宝具、だが、世界は塗り変わらない。

キャスターはその世界そのものを右腕に内包したままに、セイバーを殴り飛ばした。

ギリシアの堅固な大迷宮を物理的に使用し、世界そのものでセイバーへ拳を振るったのだ。

結果、セイバーはその霊基に深い傷を負いながら、地面に転がっていく。

 

「おー、流石だな。ここまで暴力的なキャスターは世界を探しても、そうはいないだろう。」

「五月蠅い。反撃が来るぞ!」

 

セイバーは恨み言をぶつぶつと口にする。

蠅に集られたことが、彼女には我慢ならないようだ。

 

「死ね!有象無象が!」

 

セイバーが黄金の柄を天に掲げると、虹彩が彼らの元に降り注いだ。

その一つ一つが霊基を消滅させる威力を持つ。キャスターの迷宮宝具により、それらは何とか防がれている。

 

「くそ、あと一撃、早くしなければ回復されるぞ!」

「え?今アンタが殴ってダメージを負わせたのに?」

「知らんのかライダー!ディートリヒは『いつか蘇る王』だ。彼女に死という概念は無い!」

 

ライダーとキャスターは身動きが取れない。

セイバーは彼らへの攻撃に集中している。

禮士に抱かれたマーシャが、荒い呼吸を必死に整えながら、その手の甲の痣に願いを込めた。

彼らはこの瞬間、初めて令呪を行使する。

 

『令呪を以て命ずる。悪い敵を倒して、正義の味方になって』

 

使用されたのは二画。

その瞬間、赤い糸で繋がれたように、后羿の元に残された魔力が注がれる。

虫の息だった英雄は、この瞬間、立ち上がった。

助けを叫ぶ声があるならば、戦うのが英雄だ。

后羿はまごうことなき英雄なのだ。

 

「行くぞ、セイバー、我が全てをこの矢に乗せる。これが最期だ。」

 

后羿は淡いオレンジ色に包まれながら、最期の矢を番えた。

そして余りにも静かに、彼はその絶技を口にする。

 

『后羿射日(こうげいしゃひ)』

 

その矢は太陽を射抜き、落としたもの。

即ち、神を撃ち落とす一射。

セイバーを殺すには、相応しい一撃だ。

 

「射抜け。」

 

矢を放った后羿は、その行方を見守った。

一直線に飛んでいく矢は、見事、セイバーの霊核を砕く。

 

「あぁ……あぁぁあああああ」

 

セイバーの体内は太陽の火で燃え尽くされる。

 

「巧一朗!巧一朗!あああああああああああああ!」

 

そしてセイバーはその場で倒れた。

もはや消滅は時間の問題である。

 

「やった……のか……」

 

禮士はマーシャを抱いたまま、ふらふらと立ち上がった。

ライダーとキャスターも、セイバーの死を確認し、安堵の溜息を漏らす。

 

「だが、まだだ。ここで消滅しても、彼女は必ず蘇り、世界を破滅に導くだろう。」

「ならキャスター。やはり理想郷は必須だ。オレ達の舟を出向させる為に。」

「多大な犠牲を伴うぞ。」

「……………それでも」

「やるしか無いか。世界を救うために。」

「…………あぁ。」

 

ライダーとキャスターの話し声は、禮士らには届かない。

禮士はゆっくりと、后羿の元へ歩いて行く。

 

「后羿、俺たちの戦いはここが終点だ。」

「■■■■」

「后羿……」

 

分かっている。

禮士はこうなることを予想できていた。

后羿の心に灯った火が消えるまで、彼の戦いは終わらない。

彼は、あくまでも狂戦士なのだ。

どこまでも、狂っていたのだ。

 

「■■■■■■■■■■■■■ーーーーーーーー!!!!」

 

后羿は全身から血を噴き出しながら、ライダーとキャスターのいる方角へ駆けて行く。

最期まで、彼はマーシャの願いを遂行するだろう。

だからこそ。

禮士は最期の令呪を使用する。

もうマーシャが苦しまない為に。

后羿を『裏切る』覚悟を決めたのだ。

 

『令呪を以て命じる』

 

禮士は深く深呼吸をし、最期の命令を下した。

 

『自害しろ。バーサーカー。』

 

そして禮士は、マーシャを抱え走り去った。

逃げ足だけが取り柄の彼が出来ることは、逃げることだけだった。

どこまでも砂漠を走り抜ける。

暑さも、苦しさも、捨て置いて。

彼らが生きられる場所まで、駆けて行く。

 

ところが、気付く。

 

この場所はどこまでも砂の世界で。

帰ることの出来る場所など、無いという事に。

 

「あ……」

 

禮士は胸に抱いたマーシャに、頬を撫でられた。

彼女は度重なる戦闘の末、その全てを后羿に捧げてしまった。

だから、もう何も残されていない。

何も、無い。

 

「マーシャ……」

「禮士、不細工な顔」

 

マーシャは頬に力が入らないまま、笑ってみせる。

痛々しくも健気なその様子に、禮士の目から大粒の雫が零れた。

どうして、どうして、どうして

不幸な目に遭った彼女が

英雄に憧れた彼女が

 

どうして砂漠の真ん中で、寂しく死んでいかなければならない!

 

「マーシャ」

「禮士、勝てなかったね。」

「いいんだよ、どうでもいい。生きよう。生きていよう。お願いだよ、マーシャ。」

「禮士」

「生きたいって、そう願ってくれ。お願いだから、お願い…………だから…………」

 

禮士が零した涙が、マーシャの顔を濡らした。

 

「ねぇ、禮士、あのね。」

「マーシャ?」

「そのコート、本当はね。」

 

 

「凄く、禮士に似合ってる」

 

 

マーシャは最期まで笑顔で

禮士も釣られて、笑顔を見せた。

そして彼女は息を引き取り、彼はその場で気を失った。

 

禮士の記憶はここで途切れるが、この後、彼の元へにじり寄る影があった。

ふわふわと踊り子のように舞いながら、赤髪を風にたなびかせている。

 

「あら、こんな場所で寝ていたら干乾びちゃうわよ?」

 

反応の無い二人。

踊り子の少女は、マーシャを抱き上げる。

 

「魔術師の死体か。オアシスでも有効活用できそうじゃない?」

 

少女は嬉しそうにマーシャの亡骸を弄ぶ。そして連れ去ろうとする。

 

「あ、でも、これだと只の盗人か。モーリタニアの現地人に倣って、ちゃんと公平な取引にしないとね!」

 

踊り子の少女、ルーラーは禮士に三画の令呪を受け渡した。

彼女の中ではマーシャの亡骸は、令呪三画分の価値であるらしい。

 

そしてルーラーは舞い踊りながら去っていく。

彼女もまた、開発都市オアシスを目指して。

 

 

禮士はリラクゼーションルームのソファーで目を覚ました。

彼の手を握り、彼の帰りを待つ者が一人。

 

「あまたん……」

「禮士さま、大丈夫、ですか?」

 

禮士は泣いていた。

海御前はそんな彼を心配し、手を握り続けていた。

 

「ずっと、傍にいてくれたのか。」

「当たり前です。此方は禮士さまのサーヴァントです。」

「そうか、うん。そうだ。」

 

禮士は海御前を抱き締める。

海御前は最初戸惑ったものの、彼の身体の震えを感じると、彼女もまた彼の背に手を回した。

 

「禮士さま。此方はここにいます。」

「あぁ。あぁ。」

 

禮士は何度も、何度も涙を零した。

今日一日くらいは、これでいい。

きっとこれから、何度も辛い目に遭うのだから。

その分の涙も、ここで流していけば良い。

 

后羿を止められるのは、きっと、禮士だけなのだから。

 

 

                                                             【蹂躙編 プロローグ『サハラの生還者』】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蹂躙編1『雅』

今回は過去の物語です。
前後編となっておりますので、是非次回もお楽しみに。

感想、誤字等ありましたらご連絡ください。


「召喚に応じ、降臨した。我が名は『ロウヒ』。大魔女と謳われた、ポホヨラの偉大なる皇帝である。」

 

楼閣の最奥の間にて、彼女は召喚された。

恐怖の悪王ロウヒを手懐けようとする愚か者の末路を、他ならぬ彼女自身が見届けたかったが故、その声に応えたのである。

彼女はマスターたる人物の姿を一瞥する。厚い着物に薄い胸板を隠した、餓鬼のような細身の女だ。

 

「名を名乗れ、愚者よ。臣下として受け入れるかは、貴様の態度次第だ。」

「ミヤビの名は、ミヤビ・カンナギ・アインツベルン。バーサーカーであるロウヒのマスターじゃ。」

「主従を強調するか。我を王と崇める者以外は、我にとって敵であるが?」

「ふむ、そうじゃな。ミヤビもまた、自らがこの開発都市オアシスの王と自認しているが、他国の王同士は相容れぬものか?」

「ふ、ならば貴様は我の敵だ。」

 

ロウヒはすぐさまに、無限鋳造機サンポを起動させる。

彼女の固有結界『我が願望は絶えず駆動する(イクイネン・ルオミネン)』に取り込まれたミヤビは、様変わりする景色に感嘆の声を漏らしつつも、決して動じることは無かった。

そしてサンポという名の巨大コンピュータ塔からミヤビを殺し得る武器が鋳造され、ミヤビに向けて射出される。

だがその切先は、彼女を守護する戦士により阻まれた。

長槍を巧みに扱いながら、ロウヒの攻撃一つ一つに対処していく。

 

「ミヤビ、貴様を守護するサーヴァントか。」

「あぁ。名を『武蔵坊弁慶』と言う。天下の皇帝ロウヒも、そう容易くいく相手ではなかろう。」

「それはどうかな?」

 

ロウヒはサンポの出力を上げた。

対象は武蔵坊弁慶。立往生の伝説を有する彼を跪かせる、高火力電磁砲を十台配備。それを一斉掃射する。

弁慶は現出したポホヨラの大地を素足で走り回りながら回避していく。掠り傷一つ、彼には与えられない。

 

「……」

「どうしたロウヒ。もう終わりかの?」

「着弾予測地点を十か所、先に演算していなければ、不可能な動きだ。だが一介の武士にここまで精密な先読みの技術があると思えん。ミヤビ、貴様の仕業か。」

「ふ、ミヤビの目は、ほんの少し未来を見定めているだけじゃよ。」

「ならば、貴様らを同時に撃ち落とすのみ。」

 

ロウヒの電磁砲のうち、三台がミヤビの姿を捉えた。

弁慶以外に、彼女を守るサーヴァントは現れない。

そして彼は、ミヤビを守る為に、彼女の前に立つしか道はない。

だがミヤビは座ったまま、一歩たりとも動こうとしなかった。

それどころか、弁慶に指示を出し、ロウヒへ向かって走らせたのだ。

これでは電磁砲が先にミヤビを焼き尽くしてしまう。

 

「どういうつもりだ?」

「弁慶には既に七台の着弾予測を伝えてある。先程より三台少ない分、ロウヒの元へ辿り着き、その首を刎ねる確率は上がったのじゃ。否、必ず、弁慶は殺してみせるだろう。」

「だがそれでは、貴様は命を落とすだろう?」

「あぁ。ミヤビは死ぬじゃろうな。自ら召喚した貴様を道連れに、な?」

「…………正気か?」

「その覚悟無しで、大魔女ロウヒを呼び出したとも思われたくないのでな。よいか、ミヤビがマスターであり王じゃ。貴様はミヤビのサーヴァントであり、ミヤビの臣下である。それは覆らん。」

「王を屈服させるのが、貴様の趣味か?」

「違う。弁慶を見てみよ、王では無いじゃろうに。貴様が、大魔女ロウヒが『必要』だから、ミヤビはそなたを召喚したのじゃ。それ以外の理由は無い。ミヤビが呼び出したからには、ミヤビの法に従ってもらう。」

 

ロウヒはサンポの稼働を停止させる。

その瞬間、彼女の固有結界は空から崩れ、消え去った。

元の和風の小部屋へと様変わりする。

 

「…………マスター、貴様の欲するのは我の無限鋳造機サンポか?我からこの願望を刈り取る意味、無論理解しているな?」

「早とちりをするでない。ミヤビはサンポなど必要とせん。必要なのは、ロウヒ、そなたじゃ。」

「我自身が、必要だと?」

「そうじゃ。貴様にはミヤビの専属従者として、やってもらいたいことがある。」

 

武力増強か、軍事交渉か、はたまた世界征服か。

ロウヒはミヤビの思考を容易く予想したが、それは大きく外れることとなる。

 

「ロウヒ、そなたには『子育て』をして欲しいのじゃ。」

「は?」

 

 

【蹂躙編①『雅』】

 

 

「子育て……だと?」

「そうじゃ」

「正気か?」

「正気じゃ。」

 

ミヤビはカラカラと笑うが、ロウヒには彼女の意図がまるで理解できなかった。

専属従者サービスというのは、知識として知り得ている。実際に、この開発都市オアシスではサーヴァントが使用人の如く働かされていることも。

だがロウヒは『皇帝』である。彼女には娘がいたが、それを育てた記憶は無い。全て彼女の臣下にさせてきた。

つまりミヤビの発言は支離滅裂。態々リスクを冒してまで大魔女を呼び、それに子を預けようというのだ。これ程馬鹿げた話は無い。

 

「帝王学でも、学ばせるのか?」

「ふむ、それならばミヤビが育てたかて、教えることは出来よう。ミヤビはな、ロウヒという存在に、子を任せたいと思おておるのじゃ。」

「何故だ……我には貴様の意志が分からない。」

「まぁ、戸惑うとは思う。でも慣れれば、そう難しいことでも無い。おむつを替えろとは言うておらん。その子は中学生ほどの年齢じゃからな。」

「誰なのだ、それは。」

「ついこの前、第二区の歓楽街で拾ってきた、迷い子じゃ。ミヤビと血が繋がっている訳ではない。」

「それって犯罪……」

「ミヤビが第一区のルールそのものじゃからな。第一区に足を踏み入れた子は、ミヤビの法に従う。カカカ!」

「我が言うのもなんだが、貴様は無茶苦茶だな。」

 

ロウヒは頭を抱えた。まさか召喚者が愚者を通り越した道化であったとは。

だがロウヒは既に、ミヤビの殺害を諦めていた。彼女の命を奪うことはいつでも出来る、が、少しばかりの好奇心がこれを上回ったのだ。

王を自称する道化は、何を思い、何に焦がれているのか。無限鋳造機サンポに囚われることに無いミヤビの願望を、知りたいと思った。

 

「おうい!おいで!おいで!そなたの母となるものが来たぞ!」

「誰が母親だ。」

 

ミヤビが襖を開けると、そこから金色の髪をした少女が顔を見せた。

彼女は何故か、両手を縛られている。そしてミヤビに対し、明確な殺意を向けていた。

 

「は?この娘が?」

「紹介しよう。この娘の名は『倉谷未来』。かつて父母を殺害し、失踪。先日風俗街にて倒れているのをミヤビが見つけてきた。」

「マジか」

 

ロウヒは思わず当世風のリアクションを取ってしまう。

未来という名の少女はぶつぶつと念仏のように独り言を唱えていた。

内容は概ね、『殺す』だの『壊す』だの、物騒極まりないものだ。

未来は手首を縛られたまま、ミヤビに飛び掛かり、その腕に噛みついた。

 

「おっと、元気じゃな、未来!よしよし」

「待て!ちょっと待て!ミヤビよ、その小娘は貴様を殺そうとしているぞ!」

「元気が何よりじゃからな!こら未来、ミヤビの骨と皮だけの腕を食べても、美味しくはないぞ!」

 

ミヤビと未来の戯れ?を茫然と眺めつつ、ロウヒは冷静になり、ミヤビの思考を読み取ろうとする。

殺人衝動に駆られた未来を態々掬い上げ、それを真人間に育てようとしている?

ならば猶更、ロウヒが召喚される謂れは無い。

そもそも未来はその齢にして二人も人を殺している。そのような娘に救う価値はあるのだろうか?

 

「ミヤビ、その未来という少女は、何故親を殺したのだ?」

「ふむ、正確には彼女は殺していない。父親に襲われたところを返り討ちにしただけじゃ。それも、他人の手を借りて、な?」

「他人の手?」

「そう。開発都市オアシスには、人間を英霊と同化させる特殊なアンプルがある。ヴェノムアンプル、と言うそうじゃが、特別な細胞を有する『適正者』に注射することで、サーヴァントの人格と同期することが可能なのじゃ。未来は、適正者じゃった。」

「サーヴァントと同化して、……乗っ取られたのか?」

「概ねそうじゃな。注射針を打ち込んだのは彼女自身では無いじゃろう。何者かが、未来を適正者だと判断し、彼女に英霊の力を流し込んだ。だが幼子の肉体に英霊が無理矢理召喚される訳じゃから、当然、無理は生じる。」

「今、貴様を殺そうとしているのは、その英霊の意志か。」

「あぁ、未来は海の底に沈み、浮上できないままでいる。彼女から毒を抜き、元の姿に戻してあげるのが、そなたに託すべきことじゃ。」

「我に?」

「あぁ。彼女に打ち込まれたのは『ヴェノムバーサーカー』のアンプル。その英霊は、悪逆の限りを尽くし、世界を混沌の闇に落とし込んだ、最悪の女皇帝。」

「…………」

 

「未来の心を封じたのは、他でもない、『ロウヒ』なのじゃ。」

「成程、魔女(ロウヒ)を以て、魔女(ロウヒ)を制す、か。」

 

ロウヒはここで、ミヤビの意図を完全に理解した。

未来に取りつくヴェノムバーサーカー『ロウヒ』を野放しにしては、カレワラの悲劇が繰り返される。

だから、ロウヒを最も知る存在、ロウヒ自身を召喚し、未来を救おうとしているのだ。

ミヤビは愚かにも、召喚したロウヒが裏切ることを全く想定に入れていない。

 

「やはり愚者は愚者だな。ミヤビよ。貴様はその手の甲の令呪で、いざとならば我を殺すつもりだろうが、そうはいかないぞ。」

「殺す?それは無理じゃろう。ミヤビのこれは、マキリの初期型番じゃからな。魔力増強程度にしか使用は出来ん。」

「ならば我が貴様を裏切り、世界を地獄に陥れようとしたならば、どうするつもりだ?」

「どうするもなにも、ロウヒは『裏切らない』じゃろう。ミヤビはこの目で『未来』を視ている。」

「何だと?」

「きっとロウヒは、ミヤビを好きになるからな。ミヤビという王を、そなたは愛するに決まっている。」

 

ミヤビは未来の頭を抑えながら、またもカラカラと笑った。

ロウヒはその様子を見て、唇を噛んだ。

 

「(貴様に、我の何が分かる?)」

 

笑顔のミヤビとは対照的に、ロウヒは冷徹な表情を浮かべていたのだった。

 

 

ロウヒの召喚から一か月が経過した。

今日は、ミヤビの指示で第四区博物館の館長に当たる人物に取引を持ち掛けている。

仕事の邪魔になる為、未来のお守りはミヤビへと託した。ロウヒとしては肩の荷が下りた気分だ。

手のかかる子、では無いが、自分自身の魂を宿した存在と向き合うのは、どうにも疲れてしまうものだ。

ロウヒは立派な建造物のすぐ傍、華やかな庭園の外で相手を待つ。ポホヨラの大地に芽吹く生命とは異なり、どこか切なさと愛くるしさのある花々。ロウヒは生命力という言葉とは真逆の位置にある植物を愛でたい衝動に駆られた。

 

「これは、私が管理している庭なのですよ。」

 

取引相手と思しき少女がロウヒの前に姿を見せた。

銀色の髪に、左右異なる色をした目を持つ少女。落ち着いていて大人びているが、その柔和な表情にはあどけなさが残る。

彼女は自らを『鬼頭 充幸』と名乗った。第四区博物館館長に代わり、彼女が取引に応じるようだ。

王自らが交渉の席に立つことは滅多にない。だがロウヒは人を転がすことに長けている。相手が小娘であれば猶更だ。

 

「そうか。この広大な庭園を、一人で……」

「はい。花は心を豊かにしてくれます。来場客の誰しもが、安らかな気持ちになれるようにと。」

「良き心がけだ。それがこの博物館の『建前』か?」

 

ロウヒは早速、話題へ切り込んでいく。

彼女は第四区博物館の思想を知り得ている。それは彼女の統治した凍土と同じ程に冷徹な、思想。

災害のサーヴァントを倒す。

彼らへの信仰を廃し、開発都市オアシスに大きな変革をもたらす。

言わば彼女らはテロリスト。通常ならば見ることの出来ない裏の顔である。

だが、対災害思想を持つミヤビはこれに共感した。

 

「ミヤビ・カンナギ・アインツベルンは貴様らに技術提供を申し出ている。具体的には、ミヤビの有する力『未来視』の転用だ。先天的、超常的なものだとしても、それを解析し、技術転用するのが十八番のようだからな。無論、完全なる未来分析などは不可能。やることは結局、『ラプラスの悪魔』だ。」

「現代科学においては否定された思想領域ですが、アインツベルンの協力があれば、大いなる発展を見せるでしょう。実際、ミヤビ様のご親戚、エラルドヴォール様の魔眼は、ミヤビ様の因果観測の技術の応用であると、聞き及んでいます。」

「そうだ。だが無論、タダ、という訳では無い。分かっているとは思うが、アインツベルンカンパニーは災害との融和を表向きに謳っている。ならば、災害との敵対行動を表立ってする訳にはいかないのだ。我々は災害に格好つける名目の仕事も、こなしていかなければならない。」

「と、言いますと。」

「和平松彦、この名を出せば、自ずと分かるだろう。」

「…………」

 

充幸はロウヒを連れ、冷房の効いた館内へと戻る。

立ち話で終わる内容でも無いだろう。

休館日の博物館は広いが故に、孤独感を感じさせる。

ロウヒは事務所と思しき部屋に通された。

 

「どうぞソファーにかけてお待ちください。いまお茶を入れます。」

「我はサーヴァントだ。のどを潤す必要は無い。先程の話の続きをしよう」

 

ロウヒはまだ新品同然のソファーに腰を掛けると、まるで玉座に座っているかのように、堂々と振舞い始めた。

企業間の取引とは思えない態度であるが、充幸は気にも留めない。

 

「災害のライダー、彼奴の意向で、仮受肉用肉体の制限が設けられた。具体的に言えば、首元に電源が備え付けられた個体のみを専属従者サービス可能個体とし、スイッチの無いものは徐々に廃棄処分としていく、だそうだ。これに全面同意し、災害のご機嫌伺をしているのがアインツベルンカンパニー。和平松彦の手腕により、オートマタ生産企業がほぼ全て廃業に追い込まれたのは記憶に新しいだろう。」

「はい。ニュースにはなっていませんが。」

「この件、ミヤビ・カンナギ・アインツベルンの差し金だろうと、誰もが考えているだろうが、少し違う。確かに数々の企業を廃業に追い込み、その従事者たちを路頭に迷わせたのは、ミヤビの責任である。だが、和平はスパイ活動に留まらず、違法な召喚により夢魔のアサシン『マールト』を呼び、倒産企業の社長、会長たちを廃人、果ては死に至らしめている。ミヤビにはここまでのことをする理由がない。何故ならば、アインツベルン独占状態になれば、その時点でミヤビの獲得する利益は担保されるからだ。」

「何か別の意志が働いている、ということですか?」

「そうだ。中小の経営者であろうとも、根絶やしにしなければならない理由があったのだろう。この開発都市オアシスで英雄の召喚をするには、オートマタは必要不可欠だ。もしアインツベルンが何者かに乗っ取られた場合、それはこのオアシスを牛耳ったことと同義である。サーヴァントという武器を一手に担う軍事工場になる訳だからな。ミヤビという王の座を狙えるポテンシャルを有する者、それらを根絶やしにすべく暗躍したのだろう。」

「ミヤビ様が石橋を叩きすぎるタイプであれば、ミヤビ様が和平松彦を操る犯人だと推理することも可能でしょうが……すみません、大事な商談相手を侮辱するような発言でしたね。」

「よい。我はミヤビに呼ばれた者だが、奴を信用していない。だが、個人的に言うならば、ミヤビの指示では無いだろう、と思う。」

「それは何故でしょう?」

「ミヤビは今、路頭に迷いし、倉谷重工の令嬢を保護し、世話している。恨まれてもおかしくない立場であるにも関わらず、だ。災害の意向に同意したこと、あの女は悔いているのだろう。」

「そうですか。」

 

無論、充幸には確認しようも無いことだ。だが、彼女はロウヒの言を信じることにした。

相手を信用しなければ、対等な取引など成立しようも無い。ミヤビ・カンナギ・アインツベルンがどのような人間であろうと、博物館にとっては利用できるか、できないかの二択である。

 

「話が逸れてしまったな。我々の技術支援の条件だが、第四区博物館が所有している倉谷重工製オートマタの三割をこちらに譲り渡して欲しい。我らは貴様らが和平に交渉し、倉谷のオートマタを不正に買い取っていることを知っている。」

「渡した後は……どうするおつもりで?」

「無論、廃棄だ。災害のライダーの目前で、完膚なきまでに破壊し尽くす。そうしてアインツベルンが『仕事』をしていることをアピールせねばなるまい。当然、第四区博物館の名を割るような真似はしないさ。あくまで、『偶然見つけた』体を取らせてもらう。」

「災害に媚びを売りつつ、寝首を掻く準備をしている訳ですね。」

 

充幸は顎に指をあて、熟考する。

既に館長の指示は受けている。あとは充幸の交渉術次第だ。

 

「二割、は如何でしょう?和平の件を知り得ているならば、こちらのオートマタ総台数も理解されている筈。仕事のアピールをするだけなら、二割でも十分の数でしょう?」

「ふ、そちらの落としどころがそれならば、二割で良い。こちらの指示する廃墟ビルに二割のオートマタを運搬せよ。日取りはそちらに任せよう。こちらはあくまで、調査の末に偶然見つけただけだからな。」

 

ロウヒは満足そうな表情を浮かべ、立ち上がった。

彼女が持参したトランクを、その場において立ち去る。その中には、未来観測の機密資料が入っている。博物館が災害を攻略する上で、必要となる書類だ。

充幸は博物館を後にするロウヒを慌てて追いかけるが、玄関口の時点で、既にその姿は見えなくなっていた。

 

「はや……」

 

充幸は大きく溜息をつく。

ポホヨラの女帝のオーラは凄まじいもので、彼女は終始滝のような汗をかいていた。

これから先もアインツベルンとは友好的な関係を結ばねばならない。つまり、今後も充幸はあのロウヒと、会談をしなければならないのだ。

そういった意味での溜息である。

 

「お疲れ様です、鬼頭鑑識官。」

 

不意に後ろから、若い男が彼女に声をかけた。

本来ならば充幸では無く、彼が交渉の場に立つべきである。が、館長の指示で、彼は席を外された。

 

「貴方ですか。私は鑑識官なのですよ。本来であれば、『副館長』の貴方が表に出るべきでしょう。」

「すみません。ですが、私は暫く出張でして、これからの他企業とのお付き合いは、鬼頭鑑識官に任せます。」

「は?出張?どこに?いつまで?」

「数年は戻らないでしょう。開発都市第三区です。桜館長の指示ですので、悪しからず。」

 

彼はスーツケースを引きながら、笑顔で立ち去ろうとする。

充幸は事態を上手く呑み込めないままに、それでも彼の腕を掴み、引き止めた。

 

「ちょっと、困ります。本当に。館長が表に出てこれない以上、私が全部の仕事をやらなきゃいけなくなるでしょう?スーパーブラックですよ!」

「そうですね。新しく裏スタッフ何名かを採用予定ですので、彼らに仕事を振ってください。では!」

 

爽やかに去ろうとする青年と、力づくで引き止める充幸。博物館の正面ゲート前で数分間に渡り問答が繰り返された。

 

「というか、何故私にはその話が聞かされていないのですか!仲間でしょう!」

「そこは反省しています。ですが、鬼頭鑑識官にそのことを告げると、貴方は私を鎖で縛りあげてでも止めているでしょう?」

「それはそうです!副館長がいなければ仕事は回りませんから!」

「大丈夫です。私、言う程仕事をしていなかった立場ですし、元々幽霊みたいなものでしたし。では!」

 

「さっきから話の途中で去ろうとするな!『言峰 クロノ』!」

 

充幸は思わずフルネームで副館長を怒鳴りつけた。

クロノはやれやれと頭を掻きながら、涙目の充幸へと振り返る。

そして彼女の頭をゆっくりと撫でた。

 

「大丈夫ですよ、充幸。私は大丈夫。」

「何が、ですか!」

「充幸のことだから、自分の仕事のことでは無いのでしょう?私が開発都市第三区へ行くことを、心配してくれているのですね。私は大丈夫です。ほら、『アサシン』もいますし。」

「……子ども扱いは辞めて下さい。あのアサシンだから、逆に不安にもなりますよ。」

「はは、確かにそうですね。でも、仕事を終えれば、私はまたここに戻ってきますから。ちゃんと定時報告も忘れません。」

「…………第三区は危険な場所です。」

「理解しています。だから私が向かうのです。充幸には怪我をして欲しくない。これは私の本心です。」

 

クロノはそう言い残し、第四区博物館を去る。そして現在に至るまで、彼は一度も第四区に帰ることは無かったのだった。

 

 

ロウヒがアインツベルンの楼閣に戻ると、ミヤビは未来と共に、外出する準備を整えていた。

普段の未来は大人しくなり言葉を発さなくなるか、攻撃的になりミヤビに噛みつくかの二択である。今は前者の状態であるようだ。

 

「マスター、その老体でどこへ行く。」

「おぉ、ロウヒ。良かった、間に合って。これから未来と共に遊園地へ行くつもりじゃった。そなたも共に行かんか?」

「はぁ?遊園地?」

「今日はのびのびと休暇を楽しむぞ!ほれ、行こう。」

 

ミヤビは右手を未来と繋ぎつつ、左の手をロウヒに差し出した。

彼女はそれを取ることはしないが、サーヴァントとして付き従うのは決定していた。

 

「楽しみじゃの、未来。」

「…………コロス」

「ほほ、そうか、未来も楽しみか!」

「おい、ミヤビ、耳が遠くなったか?」

 

もはやツッコミ役となったロウヒを交え、彼女らは高級車に乗り込み、第一区のテーマパークへ向かう。なんと今日、第一区市民の遊び場足るレジャーランドは、ミヤビが貸し切りにしたらしい。こういう所は富豪そのものである。

 

「ほれ、着いたぞ!未来!」

 

ミヤビが未来を連れ立って入場ゲートへ向かうと、未来の目が徐々に輝き始めた。

華やかなアトラクションに、可愛いマスコットキャラクター。それは未来の知らなかった夢の国である。

 

「嬉しそうだな、未来。」

「この娘は、風俗街で倒れておった。何でも、ネオンのキラキラに惹かれて、彷徨い歩いていたらしい。虐待を受けていたこの子には、そんなものでも美しく、輝いて見えるのだろう。」

「だが、未来には『ロウヒ』、我の人格が宿っているのだろう?遊園地程度で心が躍るものでもないと思うが。」

「ヴェノムはあくまで、人間に宿る、という点が重要じゃ。この娘の年齢からして、否、学業的にはもっと幼いだろう、宿る魂が英霊のそれであろうとも、元の脳が幼ければ引き摺られる。殺意はあれど、殺す方法などいくつも思い浮かばない。言語能力も乏しい故、今まで特定のワードしか口にしなかった。未来が成長すれば、それに伴い、ロウヒも成長する。だから今、彼女を救わなければならないのじゃよ。」

 

ミヤビは未来を抱き締めると、絶叫マシンに向かってはしゃぎながら駆けて行く。

 

「マスター、貴様が一番目を輝かせているではないか。」

 

ロウヒは溜息をつきつつも、ミヤビの背を追いかけた。

この広い遊園地で、たった三人が、幸せな一日を謳歌する。そういう日があっても良いだろう。

 

「未来、ジェットコースターは乗れるか?身長は、問題ないようじゃが。」

「サツガイ……ミヤビをサツガイ」

「うん、大丈夫じゃな!」

「おいババア、貴様の方が大丈夫じゃなかろう!血圧上昇で死ぬぞ!」

 

開発都市オアシス最大級の直立落下型ジェットコースター。

彼女らはそれに乗り込み、心を躍らせている。

 

「未来、上まで行ったら手を万歳するのじゃよ。風がいっぱい感じられるからの!」

「バンザイ?」

「そうじゃ、高く高く、万歳じゃ。」

「待て、待て待て待て、手を離したら死ぬ、死ぬぞこれは!」

「何じゃロウヒ、そなた王じゃろうに。というか、鳥になって羽ばたいたこともあるじゃろ?」

「翼があれば話は別だ!今の我は無限鋳造機サンポを有する我であって鳥の我はサンポを奪われた後の我だからあぁぁあああああ」

 

一気に下るコースター。

ミヤビと未来は両手を挙げ、風を目いっぱい身体に吸い込んだ。

一方ロウヒは安全バーにしがみつきながら、目に涙を浮かべている。

 

「きゃあああああああああああ」

「バンザイ!バンザイ!」

「未来!楽しいか!?」

「バンザイ!」

「死ぬうううううううううううう」

 

その乗り物は、下り、上り、うねり、曲がり、彼女らの絶叫を運ぶ。

そしてあっという間に、スタート地点へと戻って来た。僅かばかりの時間に、様々な感情を乗せて。

 

「未来、どうじゃった?」

「…………んー……」

「楽しいか?」

「タノシイ?」

「まだまだ、これから楽しくなるぞ!」

 

ミヤビは未来の金色の髪をくしゃくしゃと撫でまわす。

未来はくすぐったそうながらも、どこか嬉しそうだ。

 

「ちょっと待て、こんなのに、また乗るのか?」

 

自慢の黒髪が大きく乱れたロウヒは肩で息をしている。

サーヴァントには珍しい反応かもしれない。

ミヤビは悪い笑みを浮かべながら、ロウヒの手を取った。

普段は払いのける筈だが、足の震えるロウヒにはミヤビの手を掴む他無かったのだった。

 

続いて彼女らが向かったのは、室内型エンターテイメント。

恐怖を煽られながら出口へと進んでいくアトラクション、お化け屋敷だ。

流石のロウヒもこれには一切臆する様子はない。

悪鬼、悪獣の類ならばポホヨラの大地で嫌という程目の当たりにしている。それどころか、彼女はそういった類を使役している側だ。

 

「では行こうか。」

 

ミヤビの腕に張り付きながら、彼女の進行を何とか妨げようとする未来。

彼女は初めて、自らの感情を大きく出した。

 

「怖いか、未来。」

「……コロス」

「そうか。怖いか。なら、もう二度と『殺す』だの物騒な言葉を使わないと約束するなら、辞めておこう。ミヤビもそこまで鬼ではないからの。」

「……!コロス!」

「はい残念。今また言ったじゃろ。アウトじゃ、アウト!」

「ぎゃーーーーコロスーーーー」

 

ミヤビは未来を抱きかかえ、暗がりへと進んでいく。

未来はこれでもかと言うほどに泣き叫んでいた。

一方ロウヒだが、作り物の大蜘蛛が目の前に垂れてきた瞬間、驚きのあまりそれを焼き払ってしまう。

勿論、ミヤビの財布から弁償費が飛んでいくこととなった。

 

「さて、出口を抜けてきた訳じゃが……」

「うぅ、ころす、ころす」

「すまんの、未来。怖かったな、よしよし。」

「~♪(備品を壊してしまったことを誤魔化しているロウヒ)」

「そなた、悪の皇帝じゃろうに。蜘蛛に驚くなど、乙女か!」

「だって仕方ないし!急に落ちてきたんだし!」

 

ロウヒはもはや威厳ある言葉遣いすら砕けてしまっている。

ミヤビは感情溢れる二人に思わず吹き出しながら、次なるアトラクションへ向かった。

 

続いては中央ステージにて、ヒーローショーの観覧である。

実際にサーヴァントがヒーロー役を担っており、子ども向けながら、迫力満点の活劇が期待できた。

そして彼女らが中央の座席に到着すると、そこには先客がいた。

ミヤビの指示で遊園地に訪れた、彼女の近親者である。

 

「おぉ、龍寿。もう来ていたのか。」

「ミヤビ祖母さんに呼ばれたからね。大学の授業を放り出して来たよ。」

「それはすまんかったな。」

「いいって。僕もこのショーは見たかったから。なんてったって仮面セイバーが駆けつけるからね。」

 

遠坂龍寿はミヤビの後ろで縮こまった少女を発見する。ミヤビは彼に未来の存在を話していなかった。

 

「祖母さん、この子は?」

「ミヤビの娘じゃ。挨拶せよ、未来。」

「……サツガイ、する」

「ど、独特な挨拶だね。」

 

未来の対応に困惑しつつも、龍寿は共にヒーローショーを見ることにした。

二人は席に座り、仮面セイバーの熱い戦いに興奮している。

ミヤビとロウヒは彼らの後ろから、二人を温かく見守っていた。

 

「なぁ、マスター」

「何じゃ、ロウヒ。」

「貴様の性格は、何となく分かった。貴様は本当に、未来を娘として守っていくつもりなのだな。」

「そうじゃよ。」

「何故だ。貴様も分かっているだろう?」

 

ロウヒは大きく深呼吸し、その事実を、告げる。

 

「未来はいつか、ミヤビを殺すぞ。」

 

それはヴェノムアンプルに支配されし、未来の絶望的な『未来』。

現状、ヴェノムの対処法を見つけられていないアインツベルンでは、未来を真の意味で救うことは叶わないだろう。

気持ちを変えれば、どうにかなる話でも無い。未来に取りついた『ロウヒ』は必ず、ミヤビに手をかけ、オアシスを絶望の色で染め上げるだろう。

ロウヒはそれを理解している。他ならぬ、自分自身がやることなのだから。

ロウヒが出来ることは、芽吹く前に、未来を殺してしまうことだけだ。

だがそれを、ミヤビは決して許さない。

 

「ミヤビはもう長くない。殺されるのも一興、じゃろう。」

「一興だと?」

 

ロウヒはミヤビの胸倉に掴みかかった。

何に怒りを覚えているのか、ロウヒ自身が理解していない。

それでも、今の彼女はそうした。そうせざるを得なかった。

 

「ロウヒ……」

「貴様が王を名乗るならば、我はその臣下だ。王が狙われるならば、守るのが臣下の務めだろう。」

「そうじゃな。」

 

ミヤビは慈しむような、柔らかな笑みを浮かべていた。

 

「ヒトはいつか死ぬ。不死とは神の特権じゃろうて。ミヤビは王であり、神を目指してはおらん。ヒトの臨界を極めたものは〈王〉となる。じゃが、ヒトは神にだけは成れん。成ってはならぬ。人が鳥には成れぬように、鳥もまた人には成らないのじゃ。」

「だから、災害を許さないのか、貴様は。」

「あぁ。誰かが彼らを止めなければ、いつか彼らは壊れてしまう。否、とうの昔に、壊れてしまっているかもな。ミヤビには、オアシスを変える力が無い。でも、未来は違う。」

「未来?」

「あの娘には特別な力がある。世界を俯瞰する目、ミヤビと似た、特別な目じゃ。人一倍、人間の悪を見て、人一倍、人間の善を見る。ミヤビはな、人間に絶望したまま、彼女に死んで欲しくない。この世界は辛く険しい、それでも、未来という名で生まれてきた一人の少女に、美しい『未来』を歩んで欲しいのじゃよ。」

「ミヤビ……」

「例えば、ロウヒ、未来に『恋』を教えてあげて欲しい。ネオンの輝きより、もっと心躍るものを。ミヤビの代わりにそなたが、沢山、沢山教えてやってくれ。」

「どうして、我に…………」

 

ロウヒの疑問は妥当だ。

彼女は悪しき皇帝。多くの人間を悲しみの中に閉じ込めた。

だがミヤビはそんなロウヒに、ハッキリと告げる。

 

「ロウヒは、奪われることの辛さを、誰よりも分かっているじゃろうに。」

 

無限鋳造機サンポを失ったロウヒは、精神を狂わせ、深淵へと落ちていく。

彼女は最も大切にしていたものを失った。そして、悪逆の限りを尽くした。

 

「未来には、未来の人生を歩んで欲しい。ヴェノムに奪われては、可哀想じゃ。よいか、ロウヒ。これから言う事は、ミヤビの願いじゃ。存在しない令呪に託す、たった一つの願いじゃよ。」

 

ミヤビはロウヒの胸に、その拳を押し付けた。そしてその祈りを口にする。

 

『未来を守れ』

 

どんな手段でも構わない。

誰を敵に回しても構わない。

その命尽きるまで『未来』を守ること。

それがロウヒにとって、ミヤビと交わした最初で最後の約束だったのだ。

 

 

この後も様々なアトラクションを回り、辺りはすっかり暗くなっていた。

そして彼女らの最後のお楽しみ、花火が夜空に煌めく、華やかなパレードが開幕する。

四人は特等席でそれを鑑賞する。未来は、誰よりもその空間に惹かれていた。

数名のパフォーマーが彼らの前で華やかに踊り始める。技巧に凝らされていつつも、小さな子が真似しやすいダンスで、未来もその場で思わず踊り出した。ぎこちなくも、必死に、彼女なりの表現をしようとしている。

 

「未来、可愛いぞ!」

「未来ちゃん、流石!」

 

ミヤビや龍寿にも褒められ、未来は鼻息を荒くした。

そして彼女は、パフォーマーのいる場所へと駆け出してしまう。

 

「未来!」

 

ミヤビも龍寿も、ロウヒでさえも、反応に遅れてしまった。

未来は暗い夜を明るく照らすフロート車に向けて走っていく。

 

「おっと。」

 

危険を察知したパフォーマーの一人が、未来を制止させた。虹色のスーツを身に纏う少女は、未来をそっと抱き締めると、観覧席の方に彼女を送り届ける。

ミヤビと龍寿はテーマパークの心優しきスタッフに感謝し、安堵の表情を浮かべた。

 

だが

もし未来がこのとき飛び出していなければ。

もし『彼女』が未来を抱き留めていなければ。

運命は、変わっていたかもしれない。

 

パフォーマーは抱きかかえた未来に、耳打ちする。

誰にも聞こえぬ声で。

 

「わらわの名前は『沼御前』。あなたを助けに来たわ、『スネラク』。」

「すね……?」

「もっとキラキラしたもの、見に行きましょう?」

「きらきら?」

「今は待っていて。わらわが必ずあなたを牢獄から救い出してあげるから。」

 

パフォーマーは未来をミヤビたちに託すと、手を振り、笑顔で持ち場へと戻った。

その笑顔に隠された、余りにも罪深い『沼』に、気付く者は誰一人いなかった。

 

 

                                                 【蹂躙編①『雅』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蹂躙編2『穢』

今回もまた過去の物語です。
前後編の後編となっております。蹂躙編1章から是非ご一読ください。

感想、誤字等ありましたらご連絡ください。


愛をください。

愛してください。

抱き締めて、胸の鼓動を感じてください。

生きているのだと、認めてください。

 

「そんな、どうして……私は教祖様の為に!」

 

誰か私を満たしてください。

隙間を埋めてください。

大丈夫だと、言ってください。

 

「何故だ、私も、妻も!貴方様の導きを信じて!」

 

助けてください。

救ってください。

この手を、握っていてください。

 

「余が傍にいるぞ、スネラク。」

 

ああ

ああ

あぁ、いた。

いたんだ、本当に。

 

「震えているな、スネラク。大丈夫、余は貴様の味方だ。手を取ってみろ、余の体温が分かるか?」

 

あぁ、とても。

とても、とても。

貴方はとても暖かい。

人の温もりとはこうも……

 

「刃物を持ったな。後は、それを振りかぶり、振り下ろせ。それで貴様は救われる。」

「ひとを、ころしたら」

「人じゃない。貴様を害する『虫』だ。血を吸う蚊を叩き落すことと何ら変わらん。ここで逃げれば、貴様は一生『未来』を変えられまい。さぁ、刺せ。」

「わたし、は」

「貴様は今日から『スネラク』だ。余の友達、余の家族、余の恋人。もう辛い思いをする必要はない。どうして貴様ばかりが涙を流さなければならないのだ。可笑しいだろう?余はそんな理不尽を、心から憎んでいる。」

「りふじん」

「そうだ。貴様は幸せになれる。必ず余が、幸せにしてみせる。」

 

私の愛する人は、私の震えを止めてくれた。

幸せというのは分からないけど。

何かが変わるなら、とても良いことだと思う。

 

「悪かった、未来……父さんが全部悪かった」

「あぁ、貴様が全て悪い。ここで死んでおけ。」

「未来、遅くなったが、ようやく気付いた。私も妻も、騙されていた。最初から、全部仕組まれていた!お前の目こそがこの女の狙いだ!未来!」

 

あー

五月蠅いなぁ。

散々愛してくれたのに

私の愛は拒むんだ。

 

「あ」

 

私は虫を叩き潰す。

羽音が五月蠅いので、根から切り落とし。

その目が不快なので、ぐちゃぐちゃにかき混ぜた。

そして、血だまりだけが広がって行った。

 

「スネラク、良い子だ。」

「うん」

 

お姉さんは私を抱き締め、いい子いい子、してくれる。

私はきっと、助かったのだ。

これから、楽しい人生が待っているのだ。

私は零れ落ちる血と涙を彼女に拭われながら、幸せな妄想で心を躍らせた。

 

【蹂躙編②『穢』】

 

開発都市第一区、大型ショッピングモールにて。

派手に着飾った金髪の少女が、デバイスを弄りながら、誰かの到着を待っていた。

細身ではあるものの、類まれなる美貌の少女に、思わず言い寄る男も少なくない。

現に、大学生ほどの年齢と思しき二人組が、柱の前に立つ少女を囲っている。

 

「ね、君さ、何見てるの?」

「暇なんだけどさ、俺たちとここのゲーセンで遊ばない?」

 

少女は彼らを無視し、デバイスに映し出されたショッピングサイトを眺めている。

商品を購入するつもりは無いが、ただ何となくカートに次々と衣服を投げ入れて行った。

どうやら彼女は今、少々お怒りの様だ。

 

「ねぇ、聞いてる?」

「これから待ち合わせしているの。邪魔だから消えて。」

「何?デート?」

「そう、これからデートなの。」

 

執拗な男たちに溜息を零していると。

彼女の立つ場所から数メートル先、手を振り、近付いて来る者がいた。

その人物こそが彼女の待ち人だった。少女は虚無の表情から一転、花が開いたように微笑む。

 

「え、君の待ち人って……」

 

男たちは唖然とした。

無理もない。開発都市第一区でその人物を知らぬものなどいなかった。

少女は目を丸くしている男たちを見て、優越感に浸りつつ、待ち人の方へ駆けて行く。

 

「おうい!待たせたな、未来!」

「もう、遅いよミヤビ!ずっと待っていたんだから!」

 

今日はミヤビが未来を拾ってきて、丁度二年目の記念日だ。

高校生程の年齢になった未来は、ロウヒとミヤビに育てられ、大きく成長した。

ミヤビや他の者達と普通に会話が出来るようになり、そして、

未来はヴェノムの意志に乗っ取られることも無いまま、今を懸命に生きている。

 

「すまん、会談が長引いての。エラルが会社の部下と揉めに揉めていて。」

「マキリ・エラルドヴォールさん、だよね?何だかんだお会いしたことないなぁ。」

「今度未来も三企業会談に出席するといい。ミヤビの娘だと高らかに宣言するんじゃよ。」

「えー、娘って年齢じゃ無くない?ミヤビの孫だよ、孫。」

「それもそうか!」

 

未来はミヤビと腕を組んだ。その折れてしまいそうな腕で、今なお企業の代表を立派に努めている。

アインツベルンはミヤビが存命の限り、安泰だろう。そう未来は強く思った。

 

「して、今日は何処へ行くつもりじゃ?」

「今日は私にとってとても大切な日だから、久々にミヤビと遊びたいの。駄目?」

「ほほ、駄目な筈が無かろう。ゲームセンターか?」

「うん!ミヤビがやりたがっていたメダルゲームとか、あと、あとね、プリクラ撮りたい!」

「デバイスのカメラとは違うのか?」

「全然違うよ!ミヤビの顔のシワも全部無くなっちゃうんだから。」

 

道行く人々は誰もが彼女らを二度見する。

一大企業の長たるミヤビ・カンナギ・アインツベルンが若い娘と共にゲームセンターで遊んでいる。

思わずカメラを向ける者もいたが、周りの人物がそれを制する。

二人の幸せそうな表情を見れば、そっとしておくのが賢明だろう。

未来とミヤビはそんな野次馬にすら目がいかない程に謳歌しているようだが。

 

「この機械でお金をメダルに交換するんだよ。」

「ほう、成程……」

「って!いきなり万札!?駄目だってミヤビ!使い切れないよ!」

「ほ、ほう、そうかの?」

「とりあえずは、五百円くらいでいいの。ここから増やしていくから!」

 

未来はミヤビと腕を組み、中央のプッシャー機へ足を運ぶ。

小型のデジタルゲーム機やスロットと異なり、ハイリスクだが高リターンのギャンブルマシーンだ。

当然、素人の未来とミヤビが、五百円の支出で長時間遊べる代物では無い。上手くいって一時間、早ければ五分で手元の硬貨は羽ばたいていくだろう。

だが未来はそこも計算済みである。そもそもメダルゲームを遊ぶ素人は、空になるまで遊びつくして暇をつぶす為にゲームセンターに来店する者が多い。勝ちに拘る者は、大型プッシャー機を後に回し、先にスロットで細かく稼いでいく。それがセオリー。

一方未来はミヤビにメダルゲームを体験させたいだけ。ならチマチマとコインを投入するより、大きくベッドして大きく負ける方が、短時間で大いに楽しめる筈だ。

 

「じゃあミヤビ、ここの投下部分にメダルを装填して、ボタンを押したら発射してね。前後に動いているから、タイミングよく押すんだよ。」

「うむ、了解じゃ。」

 

五百円分のメダルは、精々数十枚程度。初心者のミヤビはコツを掴む前に使い切るかもしれない。

 

「未来も、右から発射するんじゃよ。」

「え、でも私がやったらあっという間に……」

「二人で遊ばなければ意味が無いじゃろう。ほれ、行くぞ。」

 

二人はボタンを押し込み、メダルを射出し始めた。

未来の想定していた二倍のスピードでメダルが昇華されていく。

そして互いに息が合うことも、狙いが定まることもなく、無意味に打ち出されていく。

 

「む、難しいな。」

「ミヤビ、真ん中に青い的のような模様があるの、分かる?」

「あぁ、見えるぞ。」

「あそこに上手くメダルが当たれば、中央の画面でミニゲームが始まるの。運が良ければ、大量にメダルが払い出されるかも。」

「そ、そうか。やってみるかの。」

 

単純に的に当てるといっても、これが非常に難易度は高い。

狙いを定めてボタンを押したとしても、メダルが軌道に沿って転がってくれるとは限らない。大抵の場合は、途中で力尽きて、その場に落ちてしまう。店側も、そう簡単に獲得メダルを増やされても困るのだ。

ミヤビも十数枚を投入し、連続で射出するが、全く的に当たることが無い。トライアンドエラーを繰り返し、コツを掴む他ないのだ。

未来は手元のメダル枚数を数えてみる。この五分足らずで、あっという間に指で数えられる枚数となった。

これからは一枚一枚が勝負となる。彼女は自らの投下スロットから離れ、ミヤビと密着する距離に寄った。

 

「未来?」

「一緒にやろ。」

「ったく、甘えん坊じゃな、未来は。」

 

未来はミヤビの手に自らの手を重ね、共に一枚ずつメダルを投下していく。

五、四、三、二…………少しずつ、着実に消失していく銀の弾。

そしてラストの一枚、二人は顔を見合わせ、そして一緒に投下した。

 

「いっけーー!」

 

結果。

それが奇跡的に青い的に的中。

ミニゲームが始まり、ゲーム中央モニターで動物たちが踊り始める。

配当は、最小だと十枚、最大だと二百枚だ。

大当たりを引ける可能性は一パーセント。期待するだけ無駄だが、それでも期待してしまうのが人間の性。

 

「ほほ、馬と子羊が踊っておるわ。よく出来ておるのぉ。」

「ここにライオンや象が加われば、激熱だよ。」

「でもダンスはもう終わりそうじゃな。」

「今回は、残念ながら難しいかもね。」

 

そして演出は終了し、配当は最下賞の十枚となった。

払い出しが行われるものの、これでは既に敗北が決まったようなものである。

が、遊びとしては満足のいくものであったようだ。

その証拠に、ミヤビは演出の間、目をキラキラとさせていたのだから。

 

二人はメダルゲームを終え、プライズゲームをいくつか楽しんだ後に、プリクラの撮影をする。

デバイスの機能拡張と共に、写真シール機体の需要も少なくなる、かと思いきや、形として残すことに価値を見出した女子高生たちが今なおプリクラ文化に火を付けているらしい。

映った顔に美容効果をもたらす、宙に自在に文字や絵を落書きできる、更にデバイスと同期すれば、背景すら自らの好みの場所に切り替えられる。何でもありだが、逆にそれが少女達に人気を博している理由だ。

未来とミヤビは壁紙を夜空に浮かぶ花火に設定すると、各々ポージングを始める。

ピースサインや、手や腕を絡め合ったり、挙句は抱き合ったり。ミヤビは少々照れ顔だ。

そして撮影が終わると、外のモニターで写真のフレームや文字入れを行う。

先程の花火も、気に入らなければ、別のものに変更可能だ。

未来は目を輝かせながら一枚一枚丁寧にデコレーションしていく。その様子をミヤビは温かく見守っていた。

 

「ミヤビも、何か描きなよ。」

「ミヤビもか?うーむ、ミヤビは絵心がないからのう。」

「絵じゃなくて言葉でもいいよ。『らぶ』とか『ずっとも』とか。……ずっともは変か。ほら、例えば今日の日付を書いてもいいし。」

「ふむ、そうか……では」

 

ミヤビはタッチペンを持ち、まるで筆を走らせるが如く、文章を記入する。

だが余りにも長文だったからか、小さい写真の枠には収まり切らない。

 

「未来、機械側に駄目と言われてしもうた。」

「えー、なになに、『未来が元気に健やかに育ち、皆から愛される優しい子に育ちますように』って、何この恥ずかしい文章!七夕の短冊かよ!しかも超達筆!」

「駄目か?」

「やーめーてー!一言でいいよ、もう!」

「ふむ……ならば」

 

ミヤビは再びタッチペンを取る。

未来も今度は恥ずかしいことを書かないかどうか、彼女を監視した。

 

「えっと、『未来&サンスイ』って…………なに?」

「未来は、勿論未来のことじゃ。サンスイは、ミヤビの本当の名前じゃよ。」

「え!ミヤビって偽名だったの!?」

「言ってなかったか?ミヤビの名は『サンスイ=インヴェルディア』。ミヤビ・カンナギ・アインツベルンは言わば芸名のようなものじゃよ。」

「言ってないよ!」

 

未来は明かされる衝撃の真実に、頬を膨らませている。

二年ともに過ごしてきたのだ。無理もない。

 

「悪い悪い。じゃが、この名は他の誰にも明かしておらん。皆、ミヤビという名で通しておる。何かと便利じゃし、何よりミヤビはミヤビの名を気に入っとる。」

「自分で付けたの?」

「あぁ。『神薙雅』。神を薙ぎ倒し、それでいて優雅な存在。ミヤビは災害のサーヴァントが幅を利かせるこの世があまり好きではない。だから、そう名付けた。もっとも存命中に災害を超えうる何かを手に入れることは叶わないがの。」

「存命中って、ミヤビはまだまだ元気でしょ!元気でいてもらわなきゃ困るんだから!」

 

未来はミヤビの右手を両手で包み込んだ。

ミヤビが長くないことを未来は知っている。だが、それでも、生きて欲しいと願うのは子の宿命か。

未来は彼女に何も恩を返せていない。これから少しずつ、少しずつ、感謝を伝えていくのだ。

 

「未来……」

「これからはサンスイって呼べばいい?」

「否、ミヤビでよい。ミヤビでよいのじゃ。」

 

デコレーション、そして印刷を終え、二人は同じシートを手に、ゲームセンターを後にした。

腕を組み、歩く様子は仲良しな祖母と孫の微笑ましい姿そのもの。ミヤビが有名人であろうと、邪魔するものは誰もいない。

彼女らはそのまま同じ階層の洒落た喫茶店へ向かう。丁度小腹が空いたところらしい。

窓際の席に座ると、二人は早速注文する。

ミヤビはホットコーヒー一杯、対して未来はこの店舗最大級のジャンボパフェ、加えてココアフロートまで頼んでいた。甘味のオンパレードだが、目が星空のような未来を見るに、ミヤビは何でも許せてしまう。

二人が喫茶店に入ったのは、単に遊んで疲れたからだけでは無い。

各々が、相手に伝えたい話があったのだ。

未来はポーチに忍ばせていた、第一区の一流ホテルのディナー券を確認する。

今日という特別な日の最後を、小遣いを貯めて手に入れた豪華な夕食で盛大に祝いたい。

ミヤビにとって高級な食事など食べ慣れているに違いないが、それでも。

二人で、祝いたいのだと、心の底より思っていた。

そして未来は確信している。きっとミヤビは誰よりも喜んでくれると。

未来はポーチの中を覗きながら、一人ほくそ笑んでいた。

 

「あの」

 

偶然にも二人の声が重なった。

互いに譲り合った結果、ミヤビから先に話をすることになった。

 

「どうしたの?ミヤビ」

「この二年間、ミヤビと、ロウヒの力もあって、そなたの言語能力、学習力は飛躍的に向上した。今の未来ならば、一般的な高等学校に通学したとしても、やっていけるだろうと思うておる。」

「高校?」

 

ミヤビは第四区南高校のパンフレットを取り出した。これは以前、未来がその指定制服に憧れていた学校である。第一区の高校は街のイメージに合った着物風のデザインが主流。対して第四区はシンプルかつ可愛らしいデザインのものが多い。

 

「ここの学校長はミヤビの知り合いでな。話してみたところ、喜んで、と快い返事が貰えたのでな。勿論、未来が行きたければ、で構わないんじゃ。どうかの?」

「でも、高校って入学料とか、色々かかるよね……」

「金か?それは一切心配するな。どうせ有り余っておる。ミヤビには夫も子もおらん故な、残せるものは全て、未来に託すつもりじゃ。どうかの?」

 

未来には憧れがある。

可愛い制服を着こなし、仲のいい友人たちと青春を謳歌するという、漫画のような夢。

だがそれは叶わない筈だった。彼女の両親はそんな下らないことの為に大事なお金を割いてはくれない人達だったから。

 

「いい……のかな?学校に通っても」

「ああ。その代わり、今以上に沢山勉強する必要があるぞ。」

「…………うん、大丈夫。頑張る。私、勉強も頑張る!」

 

未来はパンフレットを受け取り、再び目を輝かせた。

夢にまで見た学生生活がそこにある。

体育祭、文化祭、修学旅行

友達と過ごす放課後、部活動

そして

漫画ではお決まりの、かっこいい男の子との『恋』

未来にもそんな王子様が現れるかもしれない。

 

「ありがとう、ありがとう……ミヤビ…………」

 

未来は目に大粒の涙を浮かべながら、何度も頭を下げた。

ミヤビはそんな彼女の頭を、ゆっくりと撫でまわしていた。

どこまでも温かく、優しい時間。

 

「あ、わ、私もね、ミヤビにプレゼントがあって……っ!」

 

未来はポーチからディナーチケットを取り出そうとする。

その時、不意にミヤビの所持していた業務用のデバイスが鳴った。

 

「あ、すまんの、未来、ちょっと待っておれ。もしもし————」

 

ミヤビは恐らくアインツベルンカンパニー社員からの緊急連絡に対応している。

その顔が朗らかなものから、徐々に緊張した面持ちになるのを、未来は見逃さなかった。

そして未来は察した。ミヤビとのデートはここまでなのだと。

電話を切った後、ミヤビはとても申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「未来……」

「お仕事?」

「うむ。第一区に第五区の暴徒の一部が乗り込み、暴れているとのことでな。それがただの民衆ならば良かったのじゃが、アインツベルン製オートマタらしくての。災害が対処に当たるが、説明責任を求められてのぅ。困った話じゃよ……」

「これからすぐに行かなきゃいけない感じ?」

「あぁ。戻れるのは、正直何時になるかは分からんのじゃ……すまん、すまんの、未来。」

「大丈夫!また空いた日に遊ぼう!私は先にお城に戻っているから!」

「未来……」

「ほら、早く行かないと!災害のライダーに怒られちゃいますよ!」

 

未来は喫茶店の代金を自ら支払い、ミヤビを無理矢理外へ出した。

そして精一杯の笑顔で彼女を送り出す。大きく手を振って、自らの悲しみを掻き消すように。

 

「待っておれ、すぐに、すぐに終わらせるからの!すぐ戻るから!」

「はいはい!いってらっしゃい!気を付けてね!」

 

未来は手の中にあったチケットをぐしゃりと潰した。

そして自らも喫茶店を後にする。

 

 

未来は一人、アインツベルンカンパニー本社、楼閣へと帰って来た。

最奥の間の襖を開けると、普段ならば弁慶かロウヒがいるはずが、今日は誰の姿も見えなかった。

 

「皆、出掛けているのかな?」

 

彼女は畳の部屋でごろんとうつ伏せになる。大広間たるが故の孤独感。いつもなら寂しさなど感じようも無い筈だが、今日だけは少し違う。

 

「ミヤビ……」

 

未来はポーチの底に仕舞い込んだ、チケットを取り出し、しわを伸ばしながら眺める。アインツベルンの名を出さずに予約するのは至難の業だった。ミヤビにサプライズする為に、それなりに努力したつもりだった。

 

「早く帰ってこーい。」

 

未来の声が部屋の中でこだまする。当然、返答する者などいようとは思うまい。ただの独り言だ。

だが、未来のすぐ傍に、『誰か』がいた。

 

「お・ま・た・せ♡」

 

「……っ!?……っ誰!?」

 

未来はすぐさま飛び起きると、傍に着物姿の白髪美女が座っていた。

座敷童の類でも無い。独特の雰囲気と、そして強烈な悪意に満ちている。

 

「貴方は、誰なの?」

「わらわは『沼御前』。あなたに会うのは二回目よ。」

「ぬま……ごぜん……」

「二年前に、あなたに会いに来たのだけれど、覚えてないかしら?」

 

未来は首を横に振る。着物姿が生える白髪の美少女など、一度見たら痛烈に残る筈だ。

 

「そう、残念。わらわは今日、約束を果たしに来たの。あなたをこの牢獄から救い出してあげる。」

「牢獄……?何のこと?」

「このアインツベルンカンパニー当主のミヤビ・カンナギ・アインツベルンに飼い慣らされていると聞いてね。可哀想に、首輪を付けられちゃ、外には出られないわよね。わらわはミヤビからあなたを救いに来たの。」

 

未来の頬をそっと撫でる沼御前。未来は肌から伝わる悍ましい何かに、強烈な嫌悪感を示す。

 

「触らないで!私は、倉谷未来は、ミヤビに救われた!お前なんて知らない!私はミヤビの家族だ!」

「えー、何よ、もう。」

 

沼御前は払いのけられた手で、再び未来の肩を掴み、押し倒した。額が触れる十数センチまで近付き、くすくすと嗤う。

 

「というか、『倉谷未来』って誰?」

「え?」

「わらわはずーっと、『スネラク』と話しているのだけれど。」

 

沼御前は胸元に隠し持っていたヴェノムアンプルを注射器にセットすると、コネクタを介さず、直に未来の首元へ針を突き刺した。

その強烈な痛みに未来は苦しみ喘ぐ。が、沼御前はそんなことを気にも留めない。

 

〈データローディングを開始します。サーヴァントタイプ『ヴェノムバーサーカー』:『ロウヒ』対象のインストール完了まであと五分。〉

 

「あれぇ?五分?長くない?そんな待てないっての!」

 

沼御前は注射針を抜き、再度別の個所にそれを突き刺した。

未来は絶叫する。

 

〈データローディングを開始します。サーヴァントタイプ『ヴェノムバーサーカー』:『ロウヒ』対象のインストール完了まであと五分。〉

 

「あれー、おかしいな」

「い……たい……です………………やめ……て……」

「ここならどうかしら」

「ひぐぅうううう」

 

〈データローディングを開始します。サーヴァントタイプ『ヴェノムバーサーカー』:『ロウヒ』対象のインストール完了まであと五分。〉

 

「ここも駄目か……じゃあ次は」

「おねが………たすけ…………」

 

〈データローディングを開始します。サーヴァントタイプ『ヴェノムバーサーカー』:『ロウヒ』対象のインストール完了まであと五分。〉

〈データローディングを開始します。サーヴァントタイプ『ヴェノムバーサーカー』:『ロウヒ』対象のインストール完了まであと五分。〉

〈データローディングを開始します。サーヴァントタイプ『ヴェノムバーサーカー』:『ロウヒ』対象のインストール完了まであと五分。〉

〈データローディングを開始します。サーヴァントタイプ『ヴェノムバーサーカー』:『ロウヒ』対象のインストール完了まであと五分。〉

〈データローディングを開始します。サーヴァントタイプ『ヴェノムバーサーカー』:『ロウヒ』対象のインストール完了まであと五分。〉

〈データローディングを開始します。サーヴァントタイプ『ヴェノムバーサーカー』:『ロウヒ』対象のインストール完了まであと五分。〉

〈データローディングを開始します。サーヴァントタイプ『ヴェノムバーサーカー』:『ロウヒ』対象のインストール完了まであと五分。〉

 

無限とも思える時間。

覆い被さる悪意が、何度も何度も肉を抉る。

そして身体中に、醜悪な液体が流れ込む。

未来は壊れる寸前だった。

 

「うーん、あとは、どこだろう。目?耳?舌?それとも女性器かしら?やっぱりコネクタが無いとダメなのかしらね?」

 

沼御前はそう言いつつも、未来の口内を無理矢理に開かせ、指で舌を引っ張り出した。

そして再度、その鋭利な先端を向ける。

 

その時だった。

未来が待ち焦がれていた、救いの声に応える者が現れる。

 

『我が願望は絶えず駆動する(イクイネン・ルオミネン)』

 

突如、和室の大広間は姿を変え、果てなき凍土が現出する。

そして天に向かって高く聳え立つは、超古代の巨大コンピュータ塔。ヒトの求めし願望器。

未来を空間から切り離し、この世界の主は沼御前を孤独へと追いやる。

塔の前で仁王立ちし、目に深紅の炎を浮かばせる。

ミヤビの守護神、ロウヒがいま、駆けつけたのだ。

 

「やられたよ、まさか二か所で陽動作戦を行い、マスターと弁慶、そして我を未来から引き離すとはな。」

「あら、早い到着ね。そんなに心配だったかしら。」

「来てみればこのザマだった故な。心配して得をした。」

 

ロウヒは優雅に話しつつも、怒りを隠すことはしない。

無限鋳造機サンポを駆動させ、次々と製造した近接武器を沼御前に発射していく。

絶対的な殺意の元、加減を知らない一斉掃射が行われた。

それでも、沼御前は一切表情を変えない。不敵に、不気味に、ただ嗤う。

 

「未来のヴェノムサーヴァントを蘇らせるつもりか?」

「蘇らせる?いいえ、違うわ。元の状態に戻す、というだけ。」

「この二年間、未来はミヤビと過ごし、その性質を抑え込んできた。」

「分かってないわねぇ。二年前、わらわはスネラクの脳にわらわの身体の一部分を移植させた。あなたのアンプルが引き寄せる負の感情を自由に吐き出せる『沼』をね。そのおかげで、スネラクは憎悪や嫉妬などの感情を沼の中へと沈め、人間として生きていたの。わらわは今、その沼を逆流させた!どういうことか分かる?」

「……今まで溜め込んできた負の感情が一同に脳を侵食する……」

「そう!ポホヨラの醜き女皇帝ロウヒが、世界を揺るがす『悪意』となって君臨するのよ!」

 

沼御前は取り出した長槍で、次々とロウヒの弾丸を叩き落していく。

ロウヒは更にサンポを加速させ、百に近い剣を鋳造、そして射出した。

その一つ一つが明確に沼御前を殺すもの。ただの一射、これが当たればロウヒの勝利である。

沼御前は目を細め、歪んだ笑みを浮かべる。ロウヒの手を見透かしているように。

数十の剣が彼女に突き刺さる直前、それは泥沼の穴へと吸い込まれていった。沼御前の開けた胸元から零れ落ちたものである。

 

「く……」

「あなたの国、土が可哀想ね。サンポが無ければ、こんなに瘦せ細った大地になるのね?」

「黙れ」

「こんな貧乏くじを引いたような土地に、守る価値はあるのかしら。」

「黙れと言っている。」

 

沼御前は地に伏せ、身体から零れ落ちるヘドロをポホヨラの大地に侵食させていく。

ロウヒの固有結界、彼女の世界そのものを侵し尽くす悪魔の一手。

 

『鎮守の沼にも蛇は棲む、

現世は奈落と相変わらじ』

 

沼御前は宝具の詠唱を開始していた。

ロウヒの砲撃を沼の中へ閉じ込め、その絶技は解き放たれる。

 

「わらわは嘆く『叫喚地獄(きょうかんじごく)』!」

 

沼御前の宝具『叫喚地獄』は瞬く間にロウヒの固有結界内を飲み込んでいく。

それは余りにも巨大な底なし沼だ。

大地を走り、草花を枯らし、そしてサンポを引き摺り下ろす。

どこまでも落ちていく。ロウヒはもはや成す術がない。

 

「サンポを無力化した……だと!?」

「ええ、ええ、底なし沼に落ちちゃったみたいね!」

 

ロウヒはサンポの消失を定義し、『無限の手を持つ海魔(イクトゥルソ)』の顕現に踏み切る。が、それも叶わない。

それもその筈、ロウヒはサンポをまだ失った訳ではない。ただ沼の中へ落としてしまっただけ。何者かに奪われたわけでも無く、まだロウヒの目前にしっかりと存在が確立している。

沼御前は、ロウヒの性質を気持ち悪い程に理解し、それを逆手に取ったのだ。

 

「く……」

「さて、わらわの番よ。」

 

沼御前は長槍でロウヒの肩を、腕を、太腿を貫いた。

逃げようにも、大地がヘドロでぬかるみ、足を取られてしまう。その隙に、沼御前は何度も槍を突き立てた。

ロウヒの白い肌から赤い血液が零れ落ちる。沼御前は返り血を舌で舐め取りながら、卑しく嘲笑っていた。

 

「趣味が悪いな、貴様は」

「あら、そうかしら?血を流す女の子は綺麗だと思わない?正直羨ましいわぁ。」

「貴様の構成材料は泥沼そのもの、ヒトの嫌悪する全てが貴様自身だ。」

「そうよ。わらわは乙女であり、龍であり、蛇であり、そして塵芥でもある。だからわらわは決して崩れない。ヒトが放棄したもの全てがわらわなの。必要悪ってヤツかしらね?」

「貴様の飼い主は、とんだ物好きだな。」

「ええ。災害のアサシンは慈悲深いお方ですもの。スネラクも早く、あのお方の寵愛を受けるべきだわ。そして彼女は初めて正しく生きていける。誰にも縛られない、自由を手に入れるの。」

「残念だな。未来はもうとっくの昔に『自由』を手にしている。災害に与えてもらうまでも無くな!」

 

ロウヒは沼御前の槍撃を腹部に受けながら、それを力技でへし折った。

その先端部分を引き抜き、沼御前の首を掻き切る。

 

「なに!?」

「自慢の槍はもう無いぞ」

「怪力でも持っているのコイツ!?」

 

沼御前は数歩後退しつつ、次の手に出る。

ロウヒはもはや虫の息。殺す手段はいくらでもある。

だが、大魔女は苦境に立たされて尚、悪い笑みを浮かべていた。

何故これほどまでに余裕綽々な態度を醸し出しているのだろうか。

その答えを、彼女は三秒後に知る。

 

「■■■■■―――!!」

「何!?」

 

半壊した結界内に突如現れた戦士に、沼御前は切り裂かれた。

それも生らかな武器では無い。妖怪には毒となる、切れ味抜群の『妖刀』だ。

彼女は身体から穢れた液体を噴出しながら地面を転がっていく。

ロウヒの前に立つ大男は、ミヤビのボディガードとして彼女と行動を共にしていた人物。

即ち、武蔵坊弁慶である。

妖の者との縁も深い平安僧兵であれば、沼御前の対処も難しくはない。現に弁慶は妖刀だけでなく、彼らへの特攻武具を数種に渡り所持している。

弁慶は狂化により言葉を失いつつも、ロウヒに肩を貸すなど、理性的な行動に出た。

 

「弁慶、マスターが到着したのか?」

「■■■」

「ならば、今未来とミヤビを引き合わせるのは危険だ。嫌な予感がする。貴様はこの世界の外に出て、ミヤビを守れ。」

「■■■■」

「我か?……サーヴァントがサーヴァントの心配をするな。貴様はマスターであるミヤビのことだけを思えばいい。たとえミヤビの指示だとしても、我のことまで守る必要は無い。なに、先程の一撃で随分助けられたさ。」

 

ロウヒは口元の血を拭いながら、弁慶の背中を押した。

弁慶はゆっくりと頷くと、世界の割れ目へ向かって走り出す。

深手を負った沼御前を相手取るならば、ロウヒ一人でも大丈夫だろうという判断。未来とミヤビの元へ走っていく大男。

しかし、弁慶は小さな沼に足を取られ、地に転がる。

 

「弁慶!」

「あぁ、怖い怖い。無敵の僧兵、武蔵坊弁慶、わらわを殺すことが出来る人。日ノ本の戦士たちは妖怪にとって天敵なのよ。」

「沼御前……」

「でも今のわらわは違う。ふふ、わらわのとっておき、魅せてあげる。」

 

沼御前は袖口から緑色のアンプルを取り出した。

それは人間をヴェノムサーヴァントへと進化させる劇薬。

だがそれを、沼御前はあろうことか、自らの胸元に向け注射する。

 

「何だと?」

 

『大妖変化(たいようへんげ)』

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムバーサーカー』:『餓者髑髏(がしゃどくろ)』現界します。〉

 

その瞬間。

沼御前の身体に、新たな怪異が宿らしめる。

ロウヒは情報の処理が追い付かない。

沼御前の肉体に巨大な人骨が纏わりつき、巨人の身体を形成する。

そして人を丸々握り潰すその巨大な手で、弁慶を掴んだ。

 

「■■■■―――――」

「ちっぽけね、武蔵坊弁慶。」

 

沼御前は巨大な人骨同士で弁慶をプレスする。僧兵は全身から血を噴き出しながら、二刀の刀で何とかこれを切り裂いた。

そして地に落ちた彼はまたも沼に足を捉えられる。戦うことも、逃げることも出来ない。

 

『大妖変化』

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムライダー』:『化鯨(ばけくじら)』現界します。〉

 

更なるアンプルを打ち込んだ沼御前は、弁慶の立つ地面、その沼の奥から浮上した。足が鯨となり、人魚のようなフォルムとなった彼女は、そのまま鋭く変化した腕で弁慶を切り裂く。

弁慶の反応速度が速く、彼が鉈を振り下ろした際は、沼から沼へと移動し、更なる連撃に出た。

もはや沼御前を止められるものは何処にもいない。

 

「そして、これが今日持ってきた最後のアンプル」

 

沼御前は惜しげなくそれを注射した。

 

『大妖変化』

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムセイバー』:『阿久良王(あくらおう)』現界します。〉

 

沼御前は三つのヴェノムアンプルを使用した。どれもかつての日本国に存在したとされる妖怪たち。中でもこのセイバークラスを司る『阿久良王』は非常に強力なサーヴァントだ。鬼の一人であるが、悪鬼の大将を努め、悪事という悪事を働いた文字通りの大妖怪である。

沼御前の頭に日本の角が現れ、露出の多い背格好となり、その手には大剣が握られた。

満身創痍の弁慶を嘲笑い、そしてその肉体を大剣で二つに切り裂いた。既に決着が付いている筈、にも関わらず、泥で閉じ込め、磔にし、殴り、蹴り、叩き、斬り、弄び続ける。何度も何度も、何度でも。

アインツベルン製オートマタは耐久性に優れているが、そんなことは、この『蹂躙』において意味を為さない。

生死の境を何度も彷徨わせながら、それでも起こし、そして痛めつける。

 

そしてついに、弁慶の魂は力尽きる。

 

ロウヒは眺めていることしか出来なかった。

実に長い時間、弁慶はいたぶられていたように思う。

まさに拷問だ。それもただ快楽の為に行われる拷問。

だが、もし弁慶がオートマタでは無く、通常の聖杯戦争のように魔力を以てして現界していたならば、きっと彼はどんな苦痛にも耐えただろう。

先に負けたのは、仮受肉用肉体の方だ。

弁慶の意志より先に、そちらが崩壊してしまった。

その場に崩れ落ちた、弁慶を構成していたモノを見れば分かる。配線があらゆる方向に千切れ、元の材質が分からぬほどに焼け焦げ、原形を失っている。

ロウヒは沼御前を見た。

アンプルの効力が切れ、元の着物姿に戻った彼女は、幸せそうに笑っていた。

彼の返り血を全身に浴びながら、恍惚そうな表情を浮かべて。

 

「我と同じくらいには、化物じゃないか」

 

ロウヒの額に冷たい汗が流れる。沼御前の次なる標的は、ロウヒに他ならない。

ロウヒはサンポの波長を地の底から感じつつ、沼御前を激しく睨んだ。

 

「ごめんね。残念だけどタイムアップ。わらわの目的は達成されたわ。」

 

ロウヒの覚悟と裏腹に、あっけらかんと言い放った沼御前は、世界の外側へと歩き去っていく。

 

「タイムアップ……だと?」

「そ。わらわのミッションは、スネラクの解放、この一点だけなの。遊びすぎると災害のアサシンに怒られてしまうわ。」

「……っ!」

 

ロウヒは急ぎ、ポホヨラの大地を消し去り、ミヤビの元へと駆けつける。

その間際、沼御前は言葉を残して去って行った。

 

「アヘルは災害のライダーと一区そのものが監視できる仲間の存在を欲していた。災害に敵対心を持つアインツベルン家当主を殺し、そしてそのトップにアヘルの息がかかった者を据える。全ては災害のアサシンの計画通り。あなた達の家族ごっこも、わらわの掌の上だったのよ。嗤える。」

 

ロウヒは背中を見せた沼御前に何もすることが出来なかった。

 

 

ロウヒは最奥の広間の襖を開ける。

上段の間、その中央で横たわる影が二人。赤黒い液体が、下の畳にまで零れ落ち、雅さを打ち消している。

 

「ミヤビ…………」

 

未来がミヤビに跨り、その心臓を鋭利なナイフで貫いていた。

ミヤビはぐったりと倒れ込んでいる。とても息があるとは思えなかった。

ロウヒは血が出る程に唇を噛み締めながら、一本の剣を取り出した。

ミヤビの言の葉には背いてしまうが、それでも今、ここで未来を止めなければならない。

 

「っ……」

 

ロウヒの中に芽生える、気持ちの悪い感情。

二年間の思い出。そしてミヤビと、未来の笑顔。

それは本来の彼女には不必要なものだ。

冷徹なる悪王ロウヒには、どこまでも邪魔なもの。

 

ただ、それを捨て去りたいとは思わなかった。

 

楽しかったのだ。

僅かばかりの時間でも

ロウヒは、楽しかった。

だから今なお惑う。迷い続ける。

 

「…………」

 

声がした。

虫の囁きのような、か細い声だ。

でも強い気持ちが宿っているように思える。

ロウヒには声の主が誰か、すぐに理解できた。

 

「ミヤビ、生きているのか?」

 

ロウヒはゆっくりと近付いていく。

未来はナイフを引き抜き、ロウヒの前に立ち塞がった。

 

「ミヤビ、まだ生きているのか?」

「……………みらいを……………」

「え?」

「…………みらいを…………まもれ」

「っ!貴様はまだそのようなことを!」

 

ロウヒはグリップを強く握りしめ、未来と対峙する。

が、二人が戦うことは無い。

ゆっくりと起き上がったミヤビが、血と涙を零しながら、未来をそっと抱き締める。

 

「この!死に損ないがぁあああ!」

 

スネラクに魂を明け渡した未来は、ミヤビの肩にナイフを振り下ろした。

それでもミヤビは、決して抱き締める手を緩めない。

 

「…………こわかったなぁ…………みらい…………おくれてごめんなぁ」

「クソ!離せ!」

「……だいじょうぶ、みやびが、まもる……から」

 

ミヤビは未来を押さえつけるように、下段の畳へ転がった。

そしてその金色の髪をゆっくりと撫でる。

 

「みらい…………かわいい、みらい…………みやびの……」

「我はスネラクだ!我は二年前にこの地で生まれ、ようやくこの肉体を得た!貴様らの茶番劇はもうコリゴリだ!」

「みらい……未来……明日をみる…………未来……」

「スネラクだ!我はスネラク!大魔女ロウヒの力を以て、この第一区を乗っ取り、我が物にする!」

「ちがう、おぬしは未来じゃ……その名を決して忘れてはならぬ……」

 

スネラクは発狂しながら、何度もミヤビの背にナイフを突き立てる。

それでも、ロウヒが止めに入ることを、ミヤビは決して許さない。

 

「クソ!クソ!クソ!クソ!」

「みらい…………学校にいって、友達とあそんで……好きな男の子とデートして…………たくさんやりたいことがあるじゃろう?ミヤビもまだあそびたりないぞ?みらいと、もっとな、もっとあそんでいたい」

「クソが!クソクソクソクソ!」

「楽しいことがたくさん、たくさん待っておるぞ……」

「あああああああああああああああ」

 

スネラクは何度もナイフでミヤビを貫いた。

きっともう、ミヤビは死んでいる。

だが、それでも、その想いは言の葉を紡ぎ続ける。

 

「未来……みやびは…………優しいみらいのことがだいすきじゃ」

 

「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 

そしてミヤビは、ついにその口を閉じた。

身体中を穴だらけにされて、それでも安らかに眠っている。

氷のように冷たくなった身体で、未来を抱き締め続けた。

ロウヒは、動かなかった。

ミヤビの強い信念を、彼女は守り通した。

 

「あは、あはははははははは!あはははははははははははは!やっと死んだ!死に晒した!ざまあみろ!これで我を止める者などどこにも……」

 

そしてスネラクは気付く。

彼女の瞳から、一筋の線が流れていることに。

スネラクには決して理解できない。それは内なる未来の訴え。未来の心である。

最後の最後で、未来はほんの少しだけ、己の心を取り戻した。

スネラクに全て支配されたはずの心、そのほんの一部分。たった一割の行動を未来が司ることに成功したのだ。

 

「未来……」

 

ロウヒは血塗られた彼女へと手を伸ばす。

しかしそれははたき落される。

 

「ふふ、ロウヒ。我自身でありながら、悪逆非道を捨てた者。我の下に付くがよい。これからは、この我こそがアインツベルンカンパニー当主、ミヤビ・カンナギ・アインツベルンだ。喋り方も変えないとなぁ。」

「…………そうか。」

「弁慶の奴も再召喚してやろう。あぁ、あとこのミヤビの手で甘い汁を啜るくだらない幹部どもも抹殺せねば。ふふふ、大忙しじゃ。」

 

ミヤビはクツクツと笑うと、広間を後にする。

ロウヒは彼女に付いて行くことはなく、ミヤビの亡骸の傍へ寄った。

 

「ミヤビ、貴様はどうせ、今日が命日だと知っていたのだろう?未来が見えるのだからな。」

 

ロウヒは彼女の頬に手を当て、主の健闘を称える。

王であるロウヒが、初めてサーヴァントとして尽くしたいと思えた女。

哀しくも、誇らしい最期だったと思いたい。

 

ふとロウヒは、ミヤビの手に何かが握られていることに気付いた。

それは真っ赤に染め上げられた、ただのごみ。

だが、彼女にとってかけがえのないもの。

 

ロウヒはその握られた手をそのまま、ミヤビの胸元へ持っていく。

貫かれた心臓と同じくらいに大事なものを、胸に仕舞い込むかのように。

 

 

【誰かの夢】

 

 

ミヤビは光の中に佇んでいた。

彼女はそれまでのことを思い出してみる。

未来と出会ったこと、

そしてその未来に殺されたこと。

だが、一切の悔いはない。

それどころか、ミヤビにとっては計画通りだったとも言える。

未来を視ることの出来るミヤビは、この結末を知っていた。

知っていたうえで、敢えてそれを変えようとしなかった。

無数にある因果、無数の将来、それを自らの死によって確定させたのだ。

彼女の予知はこれで完全たるものとなる。

全ては未来という一人の少女を救う為。

作戦は成功した。

 

ふと彼女は、右手に何かが握られていることに気付く。

それは血塗られた塵芥、もはやその価値を失ったもの。

だがもし、これが美しい夢の世界であるならば、忽ち元通りになるだろう。

ミヤビはその手に祈りを込めた。

 

「あ」

 

そしてそれは叶えられる。

握られていたのはチケットだ。大切な彼女からの贈り物。

ミヤビは光の中を歩いて行く。

どこまでも歩いて行く。

 

その先で、ブロンドの少女が笑っていた。

今日は記念すべき日だ。

二人にとって、特別な日。

ミヤビも釣られて笑う。

 

二人は手を取り、歩き出した。

温かい夢の中で、このときばかりは、醒めないでと願ってみる。

今宵は二人だけの祝賀会。

————パーティーの夜は、終わらない。

 

                                                【蹂躙編②『穢』 終わり】




新型コロナウイルス陽性となり、一週間ほど熱に浮かされる日々が続きました。
全快とまではいきませんが、ほぼ本調子ではございますので、投稿頑張っていきます。応援よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蹂躙編3『緊急バカンス』

現代に戻ってきました。
バカンス回です。幻視急行編を先に読まれているとより楽しめます。

感想、誤字等ありましたらご連絡ください。


『緊急放送、緊急放送、災害のバーサーカーの使役獣『巴蛇(はだ)』の出現を確認。警戒レベル5。開発都市第六区市民の皆さん、直ちにパークオブエルドラードへ避難を開始してください。繰り返し通達。開発都市第六区市民の皆さん、直ちにパークオブエルドラードへ避難を開始してください。』

 

昨日、開発都市第六区ではシェルターからの外出許可が下りたばかりである。しかし、鑿歯、封豨に続き三体目の召喚ともなると、シェルターに戻る者達も溜息をつかざるを得ない。

もはや開発都市第六区における安全地帯は、ここパークオブエルドラードを除いて他に存在しない。シェルター生活二週間余りで住民の不満は爆発していた。

だが、彼らも慣れたもので、緊急放送の通達から十分余りで、外出していた者の九割近くがシェルターへと戻って来ていた。遠坂組実働部隊は、逃げ遅れた者の救助と、巴蛇討伐の為に、シェルター前で点呼を取っている。

巴蛇の出現場所は、のどかな田園風景よりもう少し先、巨大な湖のほとりである。この時期に湖水浴や釣りに出かける馬鹿はいない筈、と実働部隊も高をくくっていた。

が、禮士の元に直接入ったヘルプコールで判明する。

あろうことか水着姿で湖へ出ている連中が、身近過ぎる人間たちだった。マキリ・エラルドヴォールをはじめとした、第四区博物館の面々である。

 

「何をやっているんだ、彼女らは」

「禮士さま、いかが致しましょうか。」

「急いで救出に向かうに決まっているだろう!行こう、教経、あまたん!」

 

無駄な所で、胃痛を抱えることになる禮士。

怒り狂う住民を抑える為に異を痛めている龍寿の気持ちが、少し理解できた気がした。

 

一方、その頃。

緊急放送を受け、田園とは逆の、都心部から逃げようとするものが一人。

車椅子の片方の車輪が溝に落ち、バランスを崩してしまっていた。

彼女こそは、第六区にとって招かれざる客、アヘル教団員、アダラスである。

災害のアサシンの命令で、第六区に現れたミヤビ・カンナギ・アインツベルンの回収にやって来た。

 

「うぅ、ウラルン先輩たち、どこにいったのですかぁ……」

 

アダラスには同行者がいた筈である。が、どこかではぐれてしまった。

彼女は当然、区民のようにシェルターへ避難することは出来ない。今現在、パークオブエルドラードは区民以外にも一部解放されているらしいが、無論許可制であり、かつアヘル教団員はマークされているに違いないのだ。

もし巴蛇が彼女の近くに現れていたならば、彼女一人で相手取らなければならない。アキレウスのアンプルが強力だからと言って、災害の使い魔に一人で対抗できるとは思えなかった。

車椅子を巧みに扱い、猛スピードで区民たちと逃げていたが、車輪が引っかかるとこの始末である。焦る富裕層たちが彼女を助けてくれる筈も無く、見てみぬ振りをされながら、今は孤独に陥っている。

アキレウスのアンプルを使えば、走ることは出来るが、敵もいない中で自らの私利私欲で使うことは憚られた。何より、彼女の崇める災害先生が何と言うか分からない。

 

「でも仕方ないですよね。みんな自分の命が大事なのは当たり前だし。」

 

特に第六区の富裕層は、他区民に比べ、生存本能が高いだろう。自らの財産を守る為に、六区へ越して来た連中である。築き上げてきたものを手放す選択を、快く受け入れる者はいない。アダラスが同じ状況ならば、目の前で苦しむ障がい者に手を差し伸べることはしなかっただろう。歩けない、走れない少女など、お荷物なのだから。

 

「自分で考えて、泣きそうです。」

 

アダラスの両目には大粒の涙が溜まっていた。

彼女はぶんぶんと首を横に振り、自分に喝を入れる。

そして壁を杖代わりに義足で立ち上がり、車椅子にもたれ掛かった。

その時である。彼女は不意に二人の親子に声をかけられた。

 

「大丈夫ですか?」

「おねーちゃん、だいじょうぶ?」

 

まだ若いパパと、小学生ほどの息子が、虫取り網と籠を片手に、アダラスへ話しかける。

 

「え!あ、えっと」

「おねーちゃん、足が悪いの?」

「うん、そうなのです。車椅子の車輪が溝に……」

「おっと、本当だな。僕に任せて下さいよっと!」

 

成人男性は車椅子を持ち上げ、道の真ん中に移動させた。そして少年の肩を借りながら、アダラスは再び車椅子に座ることが出来た。

 

「あ、えっと、ありがとうございます、助けて頂いて。」

「ううん、ぜんぜんおっけー」

「緊急放送がありまして、呑気に虫取りに出かけていた我々も、逃げている最中だったのです。貴方もそうですよね。」

「あ、えーっと、はい。」

「でもこれでは大変だ。僕が後ろから押していきます。一緒にパークオブエルドラードへ行きましょう!」

「さんせー!」

「え、えぇ!そんな、悪いですよ!それに!」

 

アダラスはシェルターに向かうと不都合なことがある。

とてもじゃないが、言い出せる雰囲気ではない。

 

「もしかして、第四区から先日避難されてきた方々のおひとり、ですか?でしたら、許可証があれば入ることは出来ますけど……」

「きょ、許可証を、お落としてしまって!はい!」

 

アダラスは焦って嘘を付く。が、途轍もなく下手くそな嘘だ。

そもそも再発行をしろと一蹴されるような話だが。

 

「そーなの?じゃあ、ぼくのかぞくのへやにとまってく?」

「え!?」

「あぁ、それは良い考えですね。僕は敷山敦という名前ですが、敷山家として入れば大丈夫そうです。妻と娘がいるので、手狭かもしれませんが。」

 

急な提案にアダラスは状況を飲み込めていない。様々な問題が山積みとなった状態で、上手くいく筈も無いが、返答する前に車椅子は動き出していた。

 

「ちなみに、貴方のお名前は?」

「あ、え、私?私は、アダラ……アダ子ですわ、おほほ」

「では、俊平!アダ子さん!行きますよ!」

「ごーごー!」

「えぇええええええ!」

 

車椅子を押しながら、敷山家族は坂道を降りていく。

アダラスは他のアヘル教団員を置いて一人、パークオブエルドラードへの入場を果たすのであった。

 

【蹂躙編③『緊急バカンス』】

 

三時間前。

監獄に捕らえられた美頼は、ぶつぶつと念仏のように独り言を唱えている。

巡回を担当する男も、彼女が異様かつ不気味だったと後に発言している。

美頼はここ数日間の監獄生活に心を病んでしまっていた。

第六区を襲った災害のバーサーカーの手綱を握るミヤビという少女に顔が瓜二つなだけで無実の罪を着せられ、ここにいる。

当然美頼は、ミヤビ・カンナギ・アインツベルンについて一切の知識を有さない。会ったことも無い。

どうやらミヤビの召喚したサーヴァントにロウヒがいるようで、そんなところも全く同じであった。

だが美頼には無罪を主張する為の証拠が無い。

 

「美頼」

 

ロウヒが少女の名を呼ぼうとも、もはや聞く耳を持たなかった。

美頼はしきりに巧一朗の名を呼び続けている。これで恋愛感情がないとはお笑い草だ。

ロウヒが彼女の肩を叩くと、ようやく彼女は顔を上げた。

 

「客が来ているぞ。」

「客?」

 

美頼が鉄格子の外を見やると、そこには頼もしい存在が立っていた。

パリッとスーツを着こなした、大人な雰囲気の女性と、物腰柔らかな好青年。

マキリ・エラルドヴォールと彼女のサーヴァントであるロイプケが、面会に現れたのである。

 

「エラルさん!?」

「大変お待たせしたわね。助けに来たわ。」

 

ロイプケは古風な鍵で監獄を解錠する。美頼は開かれた鉄格子から飛び出ると、エラルに向かってダイブした。

彼女とはつい先日仲間になったばかりであるが、人懐っこい性格の美頼は、既にエラルをかけがえのない存在と認識していた。

そしてそれはエラルにとっても同じ。彼女とロイプケはロウヒによって命を救われている。目を失ったエラルにとって、博物館は真に拠り所となっていた。

 

「というか、エラルさん、その赤色の目は……」

「あぁ。これはね、義眼よ。いつまでも包帯を巻いている訳にはいかないしね。残念ながら視力を取り戻した訳じゃないから、彼のサポートは必須だけど。」

「僕がエラル様の目となります。それはこれからも、変わりません。」

 

ロイプケは監獄の中に鎮座していた、ロウヒに手を差し伸べる。

彼女はその手を払いのけると、エラルに一瞥をくれることも無く、監獄の外で出て行った。

 

「あ、ロウヒ……」

「彼女は美頼さんと違い、全てを把握しているのでしょう。第六区の現状も、そして、ミヤビのことも。ポホヨラの女帝なら、全てがお見通しという訳。とりあえず、今の状況を説明していくわね。」

「はい、よろしくお願いします。」

 

エラルはこの二週間ほどの出来事を順に解説していく。

まず、ダイダロスの迷宮内で、美頼とロウヒは、巧一朗らと離れ離れになってしまった。

無事入口に辿り着いたのは美頼のチーム。充幸とエラルは彼女らの救出に成功したが、第六区へ逃げ込んで間もなく、美頼とロウヒは収監されてしまう。

充幸の粘り強い交渉と、そして第六区へ来訪したミヤビ・カンナギ・アインツベルンの発見により、ようやく美頼への疑いが晴れたのだった。なお、巧一朗、キャスター、桜館長の行方は未だに掴めていない。

そして開発都市第六区の現状である。

第四区に太陽が降り注いだのと同時に、第三区の守護者たる災害のバーサーカー『后羿』が、ミヤビと共に第六区へ攻め込んだ。

后羿はミヤビと繋がっており、彼女が災害へと指示を出しているのだと言う。

そしてこの二週間で、后羿の使役する悪獣が二体、『鑿歯』と『封豨』が解き放たれた。

市民は中央巨大シェルター、パークオブエルドラードへの避難を余儀なくされた。八割は第六区に留まり、二割は他区へと逃げ込んだのだった。そして、第四区からの避難民も受け入れた結果、シェルター内はパンク状態で、第六区の治安維持に携わっていた遠坂組は非難の的となっている。代表取締役の遠坂龍寿は、富裕層への説明会の日々だ。

充幸とエラルは美頼の解放を条件に、遠坂組への全面協力を約束している。充幸は昨夜から衛宮禮士と共に、オペレータールームに入った。

 

「とりあえず、現状はこんな感じよ。今の博物館の目的は、巧一朗さん達を全力で探すこと、だけれど、完全に疑いが晴れるまでは、美頼さんとロウヒは第六区から出られない。そして多分だけど、第六区に留まるのが最善だと思うわ。危険地帯ではあるけれど、ミヤビの狙いは遠坂と私、そして恐らく博物館。」

「どうして、そんな」

「災害と結託しているからね。ダイダロスは第四区にて、太陽へと立ち向かった結果、消滅したらしいわ。ダイダロスと戦い、勝利とまではいかないけれど、彼の心を動かしたかもしれない博物館を、災害が敵視するのは当たり前よ。桜館長と合流が難しい以上、我々は遠坂組と協力関係にあるべきだわ。」

「そう、ですね。コーイチローが心配です。」

「きっと大丈夫、そう信じているわ。今は私たちが生き残るために、頑張りましょう。」

 

エラルは美頼の方へゆっくりと手を伸ばした。美頼はその意図を把握すると、彼女の両手をとり、ぎゅっと握り締める。

 

「ちなみに、エラルさん。私とよく似ているっていう、ミヤビ?は何処にいるの?私、冤罪で捕まったから、ちょっと腹の虫が収まらないというか……」

「ミヤビの潜伏している場所は既に把握済みよ。ただ流石はアインツベルン、オートマタ兵士をかなりの数、配備しているみたい。遠坂組が突入を検討しているのが、三日後ね。悪獣が出てくれば話は変わるけれど。」

「私も同行したいです!ぎゃふんと言わせてやるんだから!」

 

美頼は鼻息を荒くする。第六区を混乱させ、彼女自身とロウヒを監獄へと誘ったミヤビが許せないらしい。

エラルは美頼の手を握り締めながら、暫し考え事をした。充幸から聞かされていた、美頼の正体、そしてミヤビとの関係性。その全てを踏まえ、自らが取るべき選択を慎重に選んでいる。

 

「エラル様……」

「『波蝕の魔眼』があれば、因果の選択は容易だった。でも、今は違う。私の行動で、これからが大きく変わってしまう。それでも……」

「エラル……さん?」

 

エラルは美頼を握り締める手にぐっと力を込めた。

 

「痛いですよ、エラルさん」

「美頼さん、我々がまずこれからすべきこと、それをお話しします。」

 

エラルは改まって、美頼と向き合った。

美頼も雰囲気を感じ取り、姿勢を正す。

 

「私たちの、やるべきこと……」

「そう。」

「それは、何ですか?」

 

「湖水浴」

 

「はい?」

「水着を着て、泳ぎましょう!」

「はい?????」

 

 

開発都市第六区南西にある湖畔にて

区民の避難が終わり、閉鎖地域となったこの場所に、黒ビキニの成人女性が現れた。

温かい日差しで肌を温めつつ、同行者の登場を待つ。

最初に現れたのは、小麦色の肌をした白髪の青年だ。

 

「エラル様」

「ユリウス、着替え終わったの?」

「はい、お待たせしました。皆さんは?」

「まだね。どうして目の見えない私が最初なのかしら。」

「エラル様は今日既に下に水着を着ていらっしゃいましたから……」

 

頬を膨らませるエラルに対して、ロイプケは彼女の水着に見惚れていた。

実のところ、彼と彼女の関係は、他の者の与り知らぬところで飛躍的に発展していた。

パークオブエルドラードの部屋は二人で共同のもの。

そして水着、その上のスーツ、彼女の着替えを手伝ったのは他ならぬロイプケ。

初心な恋仲だった二人は、もはや互いの身体を知り合う関係となった。

ロイプケを蝕んでいた、悪魔に魅入られし才能。破綻者としての葛藤。それらがロウヒによって解きほぐされた所以だろうか。

彼はようやく、真の意味で、エラルの夫として傍に立つことが出来るようになったのだ。

 

「……」

「ユリウス?」

「あ、いえ、すみません。押し黙ってしまい。」

「何?見惚れていたのかしら?」

「え、えっと、そうです、はい。」

「ふふふ、今朝私のありのままの姿をまじまじ見つめていたのに?」

「……っ!あの、あれは、そのですね。いや、どちらも僕にとっては非常に魅力的と言いますか。どちらのエラル様も僕の創作意欲を刺激すると言いますか。何と申し上げたらよろしいか……」

「慌てないで。皆が来たら、赤面したロイプケを変に思うでしょう?」

「どうして、僕の顔が赤いと分かったのですか?」

「ほら、こんなに顔が熱い。」

 

エラルはロイプケの頬に手を当てる。

そして静かに、唇を近付けた。

彼もまた、鼓動を高鳴らせながら、彼女へと吸い寄せられていく。

そして

 

「あの、イチャイチャは二人きりのときにお願いできますか?」

 

現れた充幸によって制止させられた。

 

「み、充幸様!いつから!?」

「今です。今来ました。というか、私まで来る必要はあったのでしょうかね?」

「あら充幸、つれないじゃないの。一緒に水遊びしましょう?」

「はぁ、昨日オペレータールームの設備に関する説明を受けたばかりなのに、翌日仕事を放りだすなんて、禮士さんに怒られてしまいますね。許可を出してくれたリカリーさんが怒られてなければいいけど。」

「こっちに来てから休む暇も無かったし、今日ぐらいはいいじゃないの。」

 

充幸はやれやれと言った表情だが、その割に、しっかりと水着を用意していた。

白を基調とした落ち着いた雰囲気の水着に、向日葵を模したシュシュでサイドポニーテールにしている。

ロイプケから見て、彼女の毛先の桃色がより拡がっているように感じた。

エサルハドンの髪色に、近付いている。

 

「ところで充幸、あとの二人は?」

「みらいちゃ……倉谷さんですね。彼女はロウヒさんを着せ替え人形にして楽しんでいます。もうじき来るとは思いますが……」

 

ポホヨラの女帝に様々な水着を着せて楽しんでいる。不敬、不遜の極みであるが、意外にもロウヒはノリノリである。

 

「ところで、エラル。どうして博物館メンバーで湖水浴などと言い出したのですか?」

「ほら、この前、美頼さんの話を聞いたから。彼女には記憶が無いのでしょう?」

「それは、彼女がミヤビ・カンナギ・アインツベルンの専属従者、ドッペルゲンガーであることですか?」

「ええ。博物館はそれを知っていて、彼女を抱き込んだのよね。マキリのこと言えないぐらい、狡猾じゃないの。」

「元々、生前のミヤビさんとロウヒさんは、我々の取引相手でした。共に災害を倒すために立ち上がってくれたのがアインツベルンです。でもそれはミヤビさんの死によって変わった。倉谷未来。彼女は災害を支配下に置き、世界を恐怖と混沌に陥れようとしている。そもそも美頼ちゃんは未来に送り込まれたスパイです。博物館を監視するために、ロウヒさんと共に現れた。それはラプラスで結論付けられた事象に他なりません。」

「本当にそうかしら?」

「……こうなることは既定路線でした。しかしとある急行列車にて、歯車は狂い始めました。私たちにとっては『良い方向に』ですが。偶然、監視機能を有する無垢なる少女、美頼ちゃんは巧一朗さんと出会い、恋に落ちた。ただ博物館にスパイしにきたのとは訳が違います。彼女は真の意味でスパイでも、裏切り者でも無い。たとえその為の存在であったとしても。」

「倉谷美頼は、倉谷未来のドッペルゲンガー、彼女の現身であり、偽物。でも、貴方はそれを認めない。」

「はい。美頼ちゃんの恋心は、本物ですから。恋心こそが、我々の切り札。ミヤビを名乗る未来を止める、唯一の手段です。」

「恋心……」

 

エラルは松坂行急行列車にて、幻霊マールトと出会ったことを思い出した。

あの幻霊が何者であったのか、今となっては分からずじまい。

だが彼女の最期の言葉を覚えている。

 

『恋を止めないで、下さい。そして、恋を知る貴方達が、恋叶わぬ誰かを、助けてあげてください。』

 

それは美頼を心配する声だった。

エラルはそのことをずっと心に留めてきた。

どうして、恋叶わぬ誰か、と彼女は表現したのだろう。

どうして、エラルに託して消滅したのだろう。

 

「エラル様?」

「ユリウス。恋って、芸術的ね。女の子も、男の子も、心を震わせ、そして躍らせる。」

「ええ。」

「どうして、私とユリウスは生き残れたのか。これから何をすべきなのか。きっと答えはここにあるわ。」

 

エラルは口角を上げた。ロイプケはエラルの頼もしい顔を見て、どこか安堵の表情を浮かべる。

 

そしてようやく、着替え終わった美頼とロウヒが合流した。

美頼は淡いピンク色の花柄模様、加えてパレオを巻いている。

ロウヒは鮮やかかつシンプルな赤一色のビキニ、彼女のクールなイメージに適していると言えよう。

美頼が無理矢理ロウヒと腕を絡ませながら、エラルの元へ走り寄った。

 

「お待たせしました~!」

「倉谷さんもロウヒさんもとてもお似合いですね。とっても可愛いです。」

「そういうみさっちゃんもイメージに合っていて超可愛いよ!」

「ふうむ、可愛い女の子の可愛い姿を見られないのは残念……」

 

互いの水着を褒め合うターンは終了し、彼女らは早速、湖に足をつけた。

ここは六区の中でも有名な湖水浴場。近隣にはキャンプ場も併設されており、休日のレジャーにはもってこいの場所だ。

当然現在は無人であり、オーナーがいないキャンプ施設は利用禁止である。

富裕層の遊び場である為か、他区の湖水浴場に比べ、外観が美しく保たれている。水も澄んでいて、美しい。最初は付き添い気分の充幸も、湖に入った途端、笑顔ではしゃぎ始める。

 

「凄く気持ちいいですね!暑さが嘘のように無くなって。」

「みさっちゃん入るのが早いよ!まず準備運動しなきゃ!」

「確かに、心臓に負担がかかると言いますからね。ですがもう既に入ってしまいました。あがりたくありません!」

 

美頼と充幸は水の掛け合いを始め、息止め競争や、遠泳対決を始めた。

一方、エラルとロイプケはレジャーシートを広げ、パラソルを立て、砂浜で寛いだ。優雅に過ごすのもまた、湖水浴の楽しみ方の一つである。

そしてロウヒはその場で立ち尽くし、美頼と充幸の方を眺めていた。その表情はどこか暗く見える。

 

「貴方は、入らないの?ロウヒ」

「…………」

「折角の白いツルスベ肌が、焦げ焦げになっちゃうわよ。」

「……サーヴァントは日焼けしない。」

「確かにね。」

「目が見えていないのに流石なものだな。気配を感じ取っているのか。」

「貴方は特にオーラが凄まじいからね。何となく、そこにいるのが分かるのよ。」

「そうか」

 

ロウヒは美頼と充幸が楽しむ様子に、過去のビジョンを重ね合わせていた。

それは未来と、ミヤビの二人である。

年相応な未来、年甲斐の無いミヤビ、二人は暗くなるまで遊び惚け、満天の笑顔を浮かべていた。

ロウヒには眩しくもあり、それでいて、温かなものだった。

今はもう、遠くなってしまった幸せの形である。

 

「ロウヒ、私は貴方のことがよく分からないわ。貴方はミヤビのサーヴァントであり、そして美頼のサーヴァントでもある。あの急行列車で私と戦ったと思えば、災害のアーチャーから私を救ってくれた。」

「自惚れるなよ。我は貴様の生死に興味はない。間桐桜が貴様を必要としたから、助けた。そうすれば、災害の連中を打倒するのに近道だと告げられてな。」

「でも貴方のマスターであるミヤビは、災害を殺すことを望んでいない。ミヤビは災害をコントロールし、オアシスの完全なる支配を目論んでいる。」

「そうさな。」

 

ロウヒはそれ以上を話す気にはならなかった。

そしてエラルも、彼女が固く口を閉ざしたことを察知する。

龍寿から知り得た情報を踏まえ、エラルが辿り着いた答えが正しければ、凡そロウヒの意思は推測できる。

ロウヒが真に主人と認めているのは、未来でも、美頼でもない。既に命を落としたサンスイなのだろう。

だからあくまでロウヒは、サンスイの願いを継いでいる。災害を殺す、その為に博物館へと協力している。

サンスイと未来の関係性、サンスイは未来によって殺された、だからこそエラルはミヤビの名を語る未来を恨んでいる。

が、もしそこに秘匿された真実があるならば、ロウヒはそれを元に行動している可能性が高いのだ。

 

「ねぇ、バーサーカーも一緒に入ろうよ!」

 

美頼は湖から上がり、ロウヒの手を引いた。

ロウヒは渋々彼女に付いて行く。が、その表情は先程より明るく見えた。

そしてロウヒは湖の中に身体を沈める。

 

「気持ちいいでしょう?」

「あぁ、これは中々、心地いい。」

「エラルさんも、ロイプケさんと一緒に水浴びしたらいいのに。」

「エラル、実は泳げないんじゃないでしょうか。」

「えー、湖水浴を言い出したのはエラルさんなのに?」

「コラ、充幸、聞こえているわよ!私は泳げまーすー!行くわよ、ユリウス!」

「ちょ、エラル様!僕が先導しますから!」

 

五人は冷たさを身体で味わいながら、湖水浴を大いに楽しんだ。

エラルが深い場所まで行けない分、浅瀬や砂浜で遊び。

そして疲れたらレジャーシートでアイスを食べつつ休憩する。

博物館の面々が湖に到着してはや一時間。バカンスは大いに盛り上がりを見せたのだった。

 

いま、美頼とロウヒが深い場所まで泳いでいき、充幸とエラル、ロイプケが砂浜から彼女らを見守っている。

ロイプケはスキルで宙に空想のオルガンを出現させ、皆の為に演奏を始めた。

穏やかな旋律が、疲れた充幸とエラルに安らぎを与える。

そしてその音は、水浴びをするロウヒと、美頼にも届いた。

 

「ロイプケさん、素敵な曲……」

「あぁ。アムドゥスキアスは激情的な音に焦がれていたからな。今のロイプケには、遁走曲よりこちらが似つかわしいだろう。」

「アムドゥス……?」

「こっちの話だ。」

 

ロウヒはエラルを失った悲しみに囚われるロイプケと対峙した。そして神の才能に魅入られた悪魔をその手で排除した。

だがロイプケの才能が枯れた訳では無い。彼は悪魔と契約したから天才だった訳では無いのだ。天才が故に、悪魔に好まれた。

二度目の生において、彼は芸術と同価値、否、それ以上の存在に出会えた。

だからロイプケはそのままでいい。たとえ破綻者(コラプスエゴ)であったとしても、ユリウス・ロイプケが崩壊することはもう無いだろう。

 

「あぁ、楽しいなぁ。博物館の皆と遊ぶの、本当に好きだな。」

「美頼」

「…………巧一朗がいたら、もっと楽しいだろうなぁ。」

 

美頼は空を眺めた。

迷宮の中ではぐれてしまった、彼のことを思う。

桜館長やキャスターが傍にいるから、心配はそこまでしていない。

でも、それでも彼のことが気になってしまう。

 

「美頼、貴様にとって巧一朗はどういう存在だ?」

「どういうって、仲間、かな。友達?親友?」

「恋愛的な意味で、好き、という訳では無いのか。」

「うーーーーん、分からない。レンアイって何なのかなぁ。」

 

恋を知ったドッペルゲンガーは、ミヤビにより処分された。

今の美頼は、決して恋に落ちないよう調整されたオートマタ。

だが、今の彼女の赤く染まった頬を見て、誰が『恋を知らない』などと言えようか。

ロウヒは、頭を悩ませる美頼を見て、静かに笑った。

 

「バーサーカーってば、何で笑っているの!」

「いや、別に。もしも、巧一朗が貴様のことを愛していたならば、貴様はどう応える?」

「巧一朗が私を?ナイナイ!」

「仮定の話だ。」

「もしも、だね。どうしようかな。」

 

美頼の中で答えは決まっている。

勿論、二つ返事で『イエス』だ。

美頼が恋を知らなくても、巧一朗がきっと教えてくれる。

彼といれば、何をしたって楽しいのだ。ならばそういう意味での憂いや迷いはない。

 

「美頼、お前はやっぱり、恋をしているよ。」

「私が?うーん……」

 

美頼はもやもやした気持ちを振り払うように、ロウヒに背を向け泳ぎ始めた。

身体を動かしていれば、この気持ちも晴れるかもしれない、そう信じて。

その背中を目で追いながら、ロウヒは小さく呟いた。

 

「機能として削除しても、無理なのだな。それはそうだ。何故ならば、恋をしているのは美頼であって、美頼では無いのだから。巧一朗のことを真に愛しているのは———」

 

美頼はこれまでの様々な出来事を振り返りながら、泳ぎ続ける。

急行列車にて、巧一朗に救われた日。

博物館に配属され、和平松彦を暗殺した日。

聖遺物奪取の任務をこなす日々。

そして

 

「あれ?」

 

松坂行急行列車に再び乗った後、何かが起こった。

だが彼女はその記憶を失っている。

思い出そうとすればするほど、深淵へと落ちていく感覚。

美頼はその感覚に引き摺られるまま、湖の中へ沈んでいった。

 

そして彼女はふと目覚めた。

そこは夕陽が差し込む電車の中。

車両には美頼が一人。振動に合わせ左右に揺られている。

彼女は立ち上がり、辺りを見回した。

そこは思い出深い、初めて来る場所。

得も言われぬ孤独感が彼女を襲い、焦りを与える。

何かに導かれるように、美頼は先頭車両へ向け歩き出した。

 

「ここは」

 

歩けども、歩けども、車両は何処までも続いていく。

窓の外は赤とオレンジで構成された世界。

美頼はただ前に向かって歩き続ける。

 

〈次は終点『松坂』です。〉

 

男性の声でアナウンスされる。

この列車は終着駅に到達するらしい。

美頼の焦りは大きくなる。

彼女は何も分からぬまま、走り出した。

車両を跨ぎ、その先へと、がむしゃらに駆ける。

松坂駅に着く前に、彼女は全てを知らなければならない。

 

「その先には、何もありませんよ。」

 

美頼の後ろに立っていた少女が声を発した。

振り返ると、血のような赤色に染まった長い髪の女が、美頼を見つめている。

 

「何もない……?」

「そう。ドッペルゲンガーだから、貴方は空っぽ。全部借り物。作り話です。」

「何の話?」

「知っているでしょう?貴方は、未来の生み出した、未来の影法師。本当は、気付いていた筈です。」

「だから、何の話をしているの?」

「忘れてはいけない。貴方が成すべきことを。」

 

少女は、美頼の傍に寄り、

そして彼女の唇を奪った。

困惑する美頼の脳に、忘れていた全てが流れ込む。

彼女の存在。生きる意味。成すべきこと。

少女はゆっくりと唇を離した。唾液の線が二人を繋げている。

 

「私は……」

 

倉谷美頼。

彼女の正体は、ミヤビの召喚した『ドッペルゲンガー』。

宿主を模倣し、最終的にはそれを殺害するサーヴァント。

彼女は『スネラク』の人格が呼び出した、情報収集用の専属従者。

彼女が模倣したのは、『倉谷未来』の心である。

 

「貴方は未来の願いそのもの。夜の街のネオンに導かれた未来の願いを、風俗で働くことで叶え、学校に通い、友達と青春を謳歌したいという願いも叶え、恋をしたいという願いも叶えてみせた。」

「私が…………」

「そして未来の恋が成就する前に、貴方はスネラクとロウヒに抹殺された。そして、恋を失った機体として蘇った。」

 

美頼は、スネラクの精神の奥底で眠る『未来』そのものだ。

幼少期、父を手にかけ、サンスイとロウヒに大切にされた、未来なのだ。

 

「紛い物の貴方が成すべきことは一つ、ミヤビを殺し、楽にしてあげること。それだけです。それが『ドッペルゲンガー』である貴方の宿命なのです。」

「そんな……」

 

少女は背を向け、歩き出す。

列車はついに終着駅へと到着した。

彼女は扉の前に立った。別れの時間が来たのである。

 

「待ってよ、ねぇ、待って!突然そんな、私、分からないよ……どうしていいのか……」

 

美頼は少女の手を掴む。

その手は、ヒトの温もりを一切感じられない程に冷たかった。

 

「あ……」

「私の手を取っても、どうにもならないでしょう?」

「貴方は……何者なの?」

 

美頼は彼女の名を知っている。

彼女はあの急行列車で命を落とした、幻霊『マールト』。

だが、正しくはない。

本物のマールト、和平のサーヴァントだった彼女は既に消滅していた。

あの急行列車は、美頼が真実に辿り着かぬように作られた作り話。

美頼を守ろうとした、一人のサーヴァントの形作る世界。

 

「私は、マールト。貴方が思い出す必要のない、ありふれた存在の一人。」

「違う、違うよ。」

「違わない。」

「貴方は、未来を守りたかった人。未来の恋を応援する為に、幻を創り上げた人。」

 

美頼はその冷たい手を強く握り締めた。

その冷たさを、彼女は知っている。

ずっと傍にいたからこそ、知っているのだ。

 

「貴方の名前は『ロウヒ』。未来の、そして私、美頼のサーヴァント。」

 

少女は俯き、唇を噛み締める。

幻視急行と名付けるべき、一連の事件。

その黒幕である美頼を、最期まで守ろうとした。

自らの影奉仕を生み出し、自演で、それを抹消し、事件を有耶無耶にしようとした。

それが、他ならぬロウヒである。

美頼が最後に気付かなければ、彼女の恋心は守られていたのだ。

 

「だったら、何だと言うのですか。私がロウヒだとしても、貴方がすべきことは変わりません。」

「うん。分かってる。助けに行かなきゃね。もう一人の私を。」

「未来を、助ける……」

「それが貴方の望みでしょう?私は未来のサーヴァント、なら、ちゃんと責務は果たさなきゃ、ね。」

 

扉は開かれた。

ここが終着駅。美頼は彼女から手を離す。

 

「ここで、お別れかな?」

「ええ。そうですね。私は、もう暫く列車に揺られていたいと思います。」

「ここが終着駅なのに?」

「ええ。でも、列車の旅はまだ続きます。回送電車になって、車庫に戻り、そして、また明日には動き出します。」

「そうだね。じゃあ……」

 

美頼は駅に降り立ち、列車の中に立つ少女と向かい合う。

 

「ねぇ、聞いてもいいかな?」

「何でしょう?」

「どうして、ヒトはヒトを殺しちゃいけないんだと思う?」

 

美頼はその問いを、少女に問いかけた。

少女は暫く考えた後、口を開く。

 

「誰にでも『未来』へ進む権利があるからです。英霊には無い、人間の特権、ですから。」

「道徳的だね。」

「でも、未来がある誰かを殺してしまうのは『勿体ない』。幻だからこそ、私はそう思います。」

 

ポホヨラの凍土で、全てを手に入れた女主人。

彼女はその全てを失い、ここにいる。

失うことの悲しみを誰よりも知っている彼女が、もう二度と失わない為に。

 

「勿体ないか。そうだね。確かに、勿体ない。英霊だからこそ、繋いでいかなきゃね。」

「ええ。とても時間のかかることです。」

「壊すのは一瞬だけど、積み上げるのは大変だから。」

 

扉が閉まり、美頼は手を振った。

分からないことだらけ、でも、彼女がすべきことは理解できた。

紛い物ならば、紛い物の矜持で、本物を救いに行く。

そして美頼は目を覚ました。

 

 

「……っあえ!?」

「美頼ちゃん!」

「美頼さん、大丈夫!?」

 

レジャーシートの上で眠っていた美頼。

彼女は湖で溺れていたようだ。

ロウヒによって救出されたが、暫くの間、意識を失っていたらしい。

彼女は冷えないように充幸によって着替えも済まされており、全員帰り支度を済ませていた。

 

「あ、えっと、私……」

「良かった、良かったです、美頼ちゃん。」

「疲れちゃっていたのね。ユリウスの車でシェルターに戻りましょう。」

 

美頼はゆっくりと起き上がると、辺りを見回した。

そして離れた場所で見守っていたロウヒの元へ駆けだす。

 

「あ、美頼ちゃん!そんな急に動いたら!」

「ごめんね、みさっちゃん、私、行かなきゃ……!」

 

美頼はロウヒの手を取る。

相変わらず、ひんやりとした手をしていた。

 

「何だ、美頼」

「全部、思い出した。貴方が私を殺したこと。」

「………………だったら、何だ。」

「勿論、貴方に守られていたことも、思い出した。私がやらなきゃいけないこと、助けに行かなきゃならない人」

「っ……」

 

美頼はロウヒの手を引く。

 

「行こう、バーサーカー。一緒に。」

「美頼」

「答えを見つけに行くんだ。私と、あの子と、そしてロウヒの、答えを。いま、決着を付けないと、取り返しのつかないことになる!」

 

美頼はロウヒと共に、湖水場の外へ走っていく。

充幸はそれを黙って見送る他無かった。

 

「どうしたの、美頼さんは……」

「思い出したって、彼女は……」

「止めなくていいの?ロウヒと一緒に、ミヤビに会いに行くつもりよ。」

「止めなきゃ、だけど……」

 

ロイプケが離れている今、エラルを一人にしていいものかと充幸は考えた。

が、それを見透かしたように、エラルが充幸の背中を押す。

 

「ミヤビの潜伏場所、ロウヒは知っているだろうけど、あの場所はいま、アインツベルンの要塞と化している。きっとそこに災害のバーサーカーもいるわ。美頼さん、殺されるわよ!早く止めなさい、充幸!」

「エラルは……」

「ユリウスが戻って来てくれるわよ。貴方は急ぎなさい!」

「っ……分かりました!」

 

だが充幸が砂浜から走り出す、その瞬間。

巨大な地震が発生し、湖が大きく荒れ狂う。

揺れは数分間に及び続いた。その間、彼女らは身動きが取れなくなる。

湖の底より、大いなる何かがせり上がる。充幸はエラルを庇うように立ち、事態の把握に努めた。

一体、何が起ころうと言うのか。彼女らには知る由も無かった。

 

そして突如、この場所に后羿の使役獣『巴蛇』が召喚された。

 

湖の中から顔と尾を突き出し、砂浜を囲うように動いている。

巨体を大きくくねらせ、湖水場の出口を塞いだ。

充幸とエラルは巨大な大蛇によって、砂浜に囚われてしまう。

 

「何が、起こって……!」

「エラル!巨大な、へ、へびが現れました!突然、唐突に、何で!?」

「知らないわよ!もう美頼さんとロウヒは行っちゃったのかしら!?」

「そのようです!私達、閉じ込められたみたいです!」

「なんでぇ!?」

 

象すら飲み込むとされる巴蛇の出現に、只々慌てふためく二人。

美頼とロウヒがこの場から走り去った今、戦闘を行える者はいない。

互いに震える手を握り合いながら、急接近する大蛇から逃げ続ける。

 

「ユリウスが戻って来てくれたら、マキリの新兵器があるのだけれど!」

「マキリの新兵器!?」

「ええ、この状況を突破できると思うわ。ただ、ユリウスが戻れれば、だけど。出口を塞がれてしまっているし!」

「そんな…………」

 

巴蛇はその尻尾を振り回し、岩壁を削り取る。

そして砕かれた岩が充幸とエラルに向けて降り注いだ。

 

「あ」

 

充幸は巨大な岩を目前に、死を覚悟する。

そして本能的にそれを感じ取ったエラルもまた、充幸を握る手に力を込めた。

逃げ場を失った彼女らの元に隕石が如き凶器が落ちてきた。

砂埃が立ち込め、辺りに僅かばかりの静寂が訪れる。

巴蛇は彼女らを殺す目的のままに、岩を砕いた。そしてそれは見事的中した。

悪なる獣はほくそ笑む。顕現した直後に女を二人も刈り取ることが出来たのだから。

 

だが、それは巴蛇の思い込みに過ぎなかった。

彼女らは傷一つ付かず生き残っていた。岩は粉々に砕かれ、地面に転がっている。

 

『爆ぜろ(イシャータム)』

 

蒼炎に包まれた杖の先で、巴蛇の肉体を抉る。

水晶の杖を掲げる一人のサーヴァント。それは、この場にいた少女が覚醒した姿。

 

「充幸……?」

 

エラルはその姿を決して見ることは出来ない。

鬼頭充幸の銀色の髪は、淡い桃色に染まり、衣装も神々しいものへ変化している。

尊大、暴虐、悲哀に満ちた一国の王が、この場に現界したのだ。

 

「ふん、我の力に頼るとは。情けないな、充幸。」

 

このオアシスに、再び顕現したるは、アッシリアの王『エサルハドン』。

彼女は充幸の生命の危機に現れ、彼女を救ったのだ。

 

「エサルハドン……なのね。」

「エラルドヴォール、貴様は下がっているがいい。我の宝具を使用する。」

 

エサルハドンは杖を地面に突き立て、詠唱を開始する。

彼女の統治した世界。それをこの地に再構築する大魔術。

中国神話の悪獣を相手にしても、動じることは無い。

彼女は、彼女のセカイで立ち向かう。

 

『カサーダム。

其の道は我が選び、我が進む。

ナダ―ナム。

この生は占卜と共に在り、指し示すは悠久の果てたる神の庭。

これは遥かなる大地に現出する久遠の理なり。』

 

エサルハドンの領域より、光り輝く魔法陣が広がり、大地から星屑の粒子が空へと昇っていく。

湖は消え、この場所にアッシリアの景色が現界する。

 

『連綿たりし我の国(ダ―リウム・マートゥム)』

 

「さて、我の戦いを見せるとしよう。」

 

エサルハドンは杖を掲げると、巴蛇に対し、不敵に笑ってみせた。

 

 

充幸のエサルハドンへの覚醒を、外側から観察していた者がいた。

名は『ウラルン』。アヘル教団セントラル支部の幹部である。

彼女はかつて充幸と戦闘し、そして勝利している。

その際、充幸に英雄殺しの毒を打ち込んだ。

 

「英霊の力を使った。あと一回使うと死んじゃうのに。」

 

ウラルンはエサルハドンの顕現する瞬間を確認した後、その場から離れる。

彼女のミッションはあくまで、『スネラク』の暴走を止めることだ。

だが、スリーマンセルでのミッションだった筈が、他の二人とは離れ離れになってしまう。

ウラルンは深い溜息をついた。

 

「遠坂の人たちも駆けつけるし、ミッションの達成は高難易度。」

 

ザッハークはスネラクと后羿を止める指令を出したが、事態は予想以上に悪化していた。

既に悪獣は三匹放たれている。后羿本人が動き出す日も近いだろう。

新たな太陽が放たれてしまえば、第六区はジエンドである。

 

「撤収、する?」

 

不運なことにデバイスをどこかで落としてしまった彼女は、仲間たちを探して歩き出した。

勿論、まさかアダラスがシェルターにいようなど、彼女が気付く筈も無い。

ウラルンはさんさんと照り付ける太陽に目を向け、そして再び大きな溜息をついたのだった。

 

 

 

【蹂躙編③『緊急バカンス』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蹂躙編4『義経参る』

繁忙期を抜けました。ようやく投稿できます。
大変長らくお待たせしました。すみません。

感想、誤字等ありましたらご連絡ください。


【蹂躙編④『義経参る』】

 

災害のバーサーカー『后羿』の使役する第三の悪獣『巴蛇』が湖水浴場に出現して半時間が経過した。

教経率いる遠坂組先鋭部隊はその討伐に急ぐが、途中、アインツベルンのオートマタ軍に行く手を阻まれてしまう。

無論、意思の宿らぬ人形如きに彼らが苦戦する筈も無いが、その数に圧倒され、思わぬ時間を割いてしまった。

その為、禮士は別動隊に指示を出し、巴蛇の討伐では無く、人民の救助を急がせた。

現在、別動隊の先陣を切るのは、勇敢なる剣闘士『アマゾニア』である。

この部隊は足の速い者でのみ構成されており、いち早く現場に駆け付けることが出来た。

湖に到着した一行は、現場の異常性をいち早くキャッチする。

 

「おい、禮士、アレはなんだよ?」

〈オペレートルームからも観測しているよ。ドーム状の結界、こちらの空間からは遮断されているようだ。〉

「巴蛇の力か?」

〈いや、あの場にいる者から推測するに、エラルが何かをしでかしたか、もしくはロウヒの『固有結界』だ。〉

「固有結界……アタシらはアレに近付いていいのか?」

〈リカリー、どう思う?〉

 

禮士はもう一人のオペレーターであるリカリーの意見を求めた。

遠坂組幹部としてサーヴァントのデータと誰よりも向き合ってきた彼だからこそ、判断できるものがある。

 

〈そうですね。現状は待機で良いかと。彼女らが何か策を講じているならば、それは生存の為、でしょうし。我々は結界が解除された後に突入すべきかと。〉

〈だそうだ。アマゾニア、暫くはそこで待っていてくれ。〉

 

禮士とリカリーの判断に、顔を顰めるアマゾニア。

戦闘を好む性質故、待機命令はどうにも慣れない。

 

「何だ?別動隊全員でポーカーでもしてろってか?」

〈まぁまぁ、サーバールームの守護任務も、基本的には待機と変わらないでしょう?〉

「あの時はアキリアがいたから暇じゃなかったんだっつーの。リカリー、お前、アタシを舐めてやがるな?」

〈そんな訳ありませんよ。貴方は遠坂組の、そして僕の希望ですから!〉

「希望、ねぇ」

〈フレー!フレー!アマゾニア!ですよ!〉

「何だソレ。」

 

アマゾニアは騒がしいリカリーに苦笑しつつ、通信ユニットの電源を一度落とした。

そして目の前に生じた大魔術をその目で捉え、溜息を零す。

彼女には宝具が無い。正確に言えばあるかもしれないが、今の彼女には使用できない。

英霊を英霊たらしめる絶技、それを持たない彼女は、真に英霊と呼べるのだろうか。

 

「……ったく、アタシじゃなくて、アキリアが生きていれば良かったのにな。」

「どうされましたか、アマゾニア殿。」

「っ、何でもねぇよ。いいから、アタシたちは待機だ。あの結界を見張り続ける。」

 

別動隊のサーヴァントは次々にラジャーと唱えた。

そんな彼らを見て、アマゾニアは再び苦笑するのであった。

 

一方、『連綿たりし我の国(ダ―リウム・マートゥム)』結界内部。

アッシリアの女帝エサルハドンと、巴蛇が絶賛戦闘中である。

本来、彼女の固有結界は発動した時点で彼女の勝利を約束するものだ。

彼女の統治したその土地において、エサルハドンは絶対の覇者である。彼女を超える者は、そこに存在し得ない。

ステータスの向上、結界内部にて発生した攻撃の無力化等、与えられる恩恵は数知れない。

だが、それでも、彼女は苦戦を強いられていた。

従来であれば、半時間も大魔術の行使は出来ない。エラルが結界内においてその権限を行使し、垓令呪を起動させたからこそ成り立っている。にも拘わらず、悪獣『巴蛇』は王の猛攻に怯むことが無い。

 

「神獣の類か?それにしても、固いな。」

 

光、炎、毒霧、ありとあらゆる攻撃を跳ね除け、その巨大な牙と口でエサルハドンを狙い続ける。

いかにこの空間において無敵と言えど、丸呑みされれば彼女は死ぬ。油断は禁物だ。

未来占いを逐一行い、巴蛇の行動の予測をし続ける。だが、どれだけ占卜を重ねようと、勝利のビジョンは全くと言っていい程見えてこない。近距離、遠距離攻撃、全てが悪獣に対策されていく。

彼女の統治した時代にも、人に害をなす獣の類は存在した。彼女の優秀な部下たちがそれらを排除してきたが、ここまで苛烈かつ凶悪な害獣は存在しただろうか。象をも丸呑みする図体を大きく揺らしながら、アッシリアの大地を崩壊させていく。

エラルは遠く離れた石造りの城塞に隠れ、エサルハドンの戦いを音で感じ取っていた。

所持するデバイスから消費された令呪総数がアナウンスされる。状況からして、エサルハドンの優位は保証されていない。

彼女は禮士の注意喚起を思い出していた。彼曰く、悪獣との戦闘は極力避け、兎にも角にも逃げることを最優先にすべき、と。その理由は悪獣の性質にあるらしい。この悪獣たちは、妖怪の類のように、それを斬ることに特化した武器で無ければ倒せないのだ。

教経には古備前友成の鍛えし刀がある。そして彼の妻だった海御前は大妖怪『河童』の将軍、同じ物の怪を狩るのには長けている。

が、このエサルハドンはどうだろう。彼女はあくまで国を治めた王であり、ハンターでは無い。

あらゆる局面にて多様な手を選択できるが、それは彼女の臣下が傍にいてこそのもの。この結界には彼女を支える部下はいないのだ。

 

「エサルハドンにはまだ他にも宝具がある、と聞いているけれど、彼女はそれを使わないのよね。」

 

この場に現れたエサルハドンが何者であるか、定かではない。

だが、彼女は頑なに、第二宝具である『アシュールの息子達(カタム・クァラーダム)』を否定する。泥人形としてかつての臣下を召喚する絶技であるが、かつての盟友が泥に塗れるのを、王は良しとしないのだ。これはあくまでエサルハドンの分身たる『身代わり王』のみが使用できる宝具である。

今この場で杖を振るい続ける彼女は第二宝具を発動しなかった。たとえそれが自らに勝利を齎すものであったとしても。

エラルはエサルハドンの勝利を願いつつ、万が一のプランへ移行する。この結界が壊れるその時、ロイプケが運んで来るマキリの新兵器を使用する為に。

 

巴蛇はエサルハドンの放つ業火で燃やされながら、気味の悪い声で嘆き始めた。

その絶叫はまるでマンドラゴラ。一般人がそれを耳にすれば、全身を震わせながら命を落とすことだろう。幸い遠く離れたエラルは耳を塞ぐことで事なきを得た。

巴蛇の悲鳴は、洪水を呼ぶ、とされる。その伝説は確かなようで、結界内に突如、どこからともなく津波が押し寄せた。

そして空を、大地を、その質量で押し潰し行く。硝子が砕けていくように、世界そのものがひび割れ始めた。

 

「くっ……!」

 

エサルハドンは宙へ浮かび上がり、結界内の保全に注力する。この世界が破壊されればそこでゲームオーバー。ウラルンの言が正しければ、次の降臨でエサルハドンの魂は死に絶える。身代わり王もそれに巻き込まれるかもしれない。

いま、押し留める必要がある。この巴蛇を外に出すわけにはいかない。

それは正義感によるものではないだろう。エサルハドンにとって、第六区も、そこに住まう区民も、等しく価値の無いものなのだ。

ならば彼女は何の為に?

その答えは、エラルも、身代わり王も、誰一人も理解し得ないだろう。

今を生きる者たちのその先を占う彼女だからこそ、決断したことだ。

 

「我が国をこれ以上侵すことは許されぬ。」

 

エサルハドンの両目が光り、大地より獣を縛る鎖が現れる。

まずはこの悪獣の動きを封じる。蛇の鱗を砕く程に締め付けられた鎖を、空に浮かせつつ、固定した。

当然、悪獣の動きは過敏になる。捕食者自らが捕食されまいと足掻き続けた。

彼女は空の上からこの蛇を見下ろしながら、その杖に祈りを込めた。

先端に取りついた水晶が青白く光り輝く。そして徐々にそれは姿かたちを変えていった。

 

「これよりは、占卜の杖に非ず。汝を裁く槍となりて」

 

エサルハドンの杖は光り輝くランスへと変貌する。

彼女の軍隊のメインウェポン、その模倣に過ぎないが、王が持つことでその意味は変わる。

占いにより導き出された人の業、それを王自らが断罪する、その為の切先。

彼女の秘匿された第三の絶技。それはこの固有結界においてのみ発動できる荒業である。

マキリの令呪がものの数秒で千近く消費される。単純な魔力増強だが、今のエサルハドンに必要なものだ。

エラルの所持するデバイスから警告音が鳴る。令呪使用先の登録に不具合が生じているのか、供給が間に合わない。

システムのアップデートにはまだまだ時間を要する。これが恐らく最後のバックアップ。

エサルハドンの固有結界はあと一分足らずで崩壊する。

 

「ここで決めて!エサルハドン!もう保たないわ!」

「分かっている。」

 

割れる天空、割れる大地。彼女の最後の一振りはまごうことなき最終奥義。

 

『ベルセムエルセティム。

 久遠の大地にて我は乞う、我は嘆く、我は心臓を焦がす。

 我は声を聞く者、そして稲妻を預かりし者。

 故にエンリルは嵐となりて、父なる海を両断する。』

 

エサルハドンは詠唱し、その槍を巴蛇へ向けた。

彼女の持てる全ての力を振り絞り、荒れ狂う悪獣に投擲する。

 

『我が放つ裁きの光(ダ―リウム・アルナム)』

 

彼女の腕から放たれた光は、直線を描きながら巴蛇の肉体を貫いた。

これこそは、罪を永遠のものとする、断罪の宝具。

巴蛇の悪意を殺し尽くし、全身に穴を開けた。

悪獣の絶叫がこだまする。

鎖から解き放たれた巴蛇は地に落ちつつ、痛みに悶え苦しんでいる。

徐々に体表から崩れ落ち、赤黒い内臓が露出した。

致命傷、ながらも、まだその心臓は動いている。

 

「ふ、我が宝具に対して、その強度。関心関心。」

「エサルハドン!」

「エラルドヴォール、悪いが時間切れだ。あとは貴様が決着を付けろ。」

 

令呪の供給はタイムオーバー。

半時間と数分後、ついにアッシリアは崩壊する。

結界の消失と共に、エサルハドンの力は霧散し、充幸は地に落ちて行った。

 

「エサルハドン!エサルハドン!」

 

エラルは彼女を呼ぶが、反応が無い。

令呪の供給先がエラーとなり、そこで初めて彼女が消えたのだと知った。

そしてエラルのいた城塞も崩落する。

目の見えない彼女は成すすべなく、巻き込まれ、落ちて行った。

地に頭を打ち付ける直前、彼女を抱きかかえる者が現れる。

それは、固有結界の外で待機していた彼女の恋人だった。

 

「エラル様」

「ユリウス、ありがとう。」

「充幸様は?」

「湖の中に落ちて行ったわ、助けに行かなきゃ!」

 

アッシリアの大地の崩壊。

外で待機していた遠坂組部隊は、この瞬間、湖水場へ乗り込んだ。

アマゾニアは湖に浮かぶ少女を発見し、救出する。

そして部隊のサーヴァント達はエラルとロイプケを保護した。

 

「おい、どうなってやがる!巴蛇は!?」

「瀕死、だけど、まだ……」

 

充幸は何とか意識を保っていた。

自らの中から現れた、かの王。彼女が憎むべき相手が、彼女を助けた。

意識を共有することは出来ない。エサルハドンが何のために現れたのか、充幸には知る由も無かった。

 

「巴蛇……徐々に回復しているな。まずいぞ……」

「私は大丈夫、です。今のうちに巴蛇にトドメを……」

「それは私に任せて!」

 

アマゾニアと充幸の会話に割って入るのは、自信満々な表情を浮かべるエラル。

その手には、ロイプケが持ってきた謎のトランクがある。

マキリの開発した新兵器、お披露目の機会がやって来たのだ。

 

「何だソレ?」

「さぁ充幸も遠坂の兵士たちも、刮目なさい!これが試運転よ!」

 

エラルはトランクを勢いよく開いた。

すると中に保管されていた複数の鉄製パーツが、瞬く間に空中で組み上げられていく。

その兵器が完成するにつれ、見ていた彼女らにはそれが何なのか、理解できるようになった。

エラルの、マキリの生み出した兵器とは即ち———

 

「仮受肉用肉体(オートマタ)!?」

 

声を上げたのはアマゾニアだ。

彼女の驚く声色に、エラルは不敵な笑みを浮かべる。

 

「そう、開発に随分時間がかかったわ。これこそは、『マキリ製オートマタ』!その試作機第一号よ!」

 

腕を組み、鼻を伸ばすエラル。そして隣で紙吹雪を散らすロイプケ。

充幸とアマゾニアはポカンとした表情でそれを見つめていた。

 

「いや、待て。オートマタなら高性能のアインツベルン製があるだろ。というか、触媒データは?」

「ふっふっふ!そんじょそこらの人形と比べてもらっては困るわね!触媒?そんなものは必要ないわ!さぁ、今こそ召喚の時よ!」

 

エラルは起動スイッチを入れる。するとオートマタの胸部に備え付けられた球体が淡く光り輝いた。

 

「この光、どこかで……」

 

充幸はその輝きを目にしたことがあった。遠い昔のようにも、最近のことにも感じられる。

青い光、どこまでも澄んだ、空の色。充幸はようやく、その答えに辿り着く。

 

「まさか……『波蝕の魔眼』!?」

「ザッツライトよ、充幸。と言っても、これは模造品、レプリカだけどね。令呪の力により、波蝕の魔眼は因果に介入する力を持つ。マキリ製オートマタは触媒を使わない英霊召喚。召喚者の『縁』のみを依り代とし、あらゆる時空、あらゆる可能性から、最も縁深きサーヴァントを呼び出す!」

「あらゆる、可能性?」

「開発都市オアシス、災害の手によって消滅した数々の英霊たち、それにすら、接続できるのがこのオートマタ、という訳。」

 

それはマキリが災害に出したアンサーでもある。

歴史が修正されたとしても、この自動人形には関係が無い。

これは巧一朗の『招霊転化』を参考に生み出された力だ。リアル、フィクション、あらゆる垣根を超え、最適な回答を導き出す力。

マキリの辿り着いた最終地点だ。

 

「でもよ、エラルドヴォールに縁のある英霊って、何だ?」

「ふふ、アマゾニア、違うわよ。起動キーを押したのは私だけど、このオートマタに登録してあるマスターは私じゃない。この湖水場に来る前、認証に応じてくれた人がいるの。」

「それは?」

「遠坂組最高戦力、平教経よ!いま、彼と最も縁のある戦士が、オートマタに呼び出されようとしている!」

 

巴蛇を真に殺し尽くす為には、妖に精通した者でなければならない。

遠坂組において后羿の悪獣を相手取ることの出来る戦士は、教経と海御前のみ。

だがもし、マキリ製オートマタが実戦で活躍できたなら、その証明が成されたなら、戦局は大いに変わる。

彼女らが見守る中、ついにオートマタに魂が宿った。

 

「これは…………」

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『セイバー』:『源義経』現界します。〉

 

「義経……!?」

「あの、義経様が!」

 

充幸とロイプケは同時に声を上げた。

アマゾニアは頭に疑問符を浮かべているが、この場にいる誰もがその名に歓喜したことだろう。

源義経。

平安時代で、最も有名な武将の一人。源氏の戦士の一人として、数々の合戦で平家を打ち破った伝説の英雄。

彼ならば、災害を打破できるかもしれない。そんな期待すら持ててしまう。

 

しかし、この場に現れ出た青年は、黒い霧に覆われた影だ。

 

「あれ、どうしてかしら」

「いかがしました、エラル様。」

「通常であれば生前の姿のままに呼び出されるはずだけど、デバイスから警告音が鳴っているわ。シャドウ状態ですって。」

「エラル様、確かに僕も視認できない程、黒いです。エラル様が初めて料理された時に出てきた品にそっくりです。」

「そ、それは、ええ、暗黒物質ね。うん、でも、召喚はされているみたいだし、大丈夫か、大丈夫よね?」

「大丈夫です、エラル様。」

「なら、こほん!行きなさい!セイバー義経!」

 

エラルとロイプケの焦る表情を見て、溜息を零す充幸。

試運転と言っていたが、本当に大丈夫なのだろうか。

が、充幸の心配とは裏腹に、義経はその刀で巴蛇をばっさりと切り捨てて行った。

目にも留まらぬ早業で、強力無慈悲な悪獣を完膚なきまでに切り裂いていく。

 

「おお、すげぇじゃねぇか!」

「確かに、目にも留まらぬ早業とは、このことでしょうね。」

 

義経という名を聞けば、牛若丸の五条大橋、壇之浦の八艘跳びを連想する者が多い。

戦略、知略に長けた武将であると同時に、その身のこなし、身軽さは源平の戦いにおいても大いに役立った。

平教経を前にして、敵前逃亡した彼を、教経はついに捕まえることが出来なかったのだ。

そしてこの巴蛇を前にして、その才能は遺憾なく発揮される。

巴蛇の図体からすれば、義経など一寸法師ほど。だが、消滅を間近にした悪獣には、この小柄な身体をどうにかすることも出来なかった。

 

「GAAAAA」

 

巴蛇の断末魔は、余りにもか細く、まさに弱者のそれだ。

その巨体からは淡い光の粒子が零れだした。

湖水場に出現して一時間、その命を終えようとしている。

 

「后羿の悪獣、三体目の撃破か。あと何体いやがんだ。」

「記録に残っているのは、あと三匹、ですが、今は何とも……」

 

充幸たちが見守る中、巴蛇は消滅した。

刀にべったりとついた血を、義経は払ってみせる。

 

「どうかしら、マキリの実力。遠坂組ではこの領域には辿り着けないでしょうけど。」

「エラル、これから先も源義経は貴方の専属従者ということですか。」

「いや、その時その時に応じたサーヴァントを召喚したいから、データはトランクに仕舞っておくわ。じゃあ、義経、お疲れ様。ありがとう、もう戻って良いわよ。」

 

エラルはデバイスを操作し、義経を記録媒体へ格納しようとする。

が、しかし、それは正常に作動しなかった。

 

「あれ?」

「いかがしましたか、エラル様。」

「あれ、おかしいな、あれ?」

 

音声認識でデバイスを操作するエラルだが、その声は次第に焦りを帯び始める。

何度入力しようとも、オートマタが一切の反応を見せない。

 

「エラル、英霊をまるで道具のように扱ったから、義経も怒っていらっしゃるんじゃないですか?」

 

充幸は冗談めかしく呟き、エラルのデバイスを覗き込んだ。

そこには、エラー、という単語と、垓令呪が義経に過剰供給されている表示がある。

充幸の額にも汗が滲んだ。

 

「エラル?」

「え、えーっと、んー?おかしいな?」

「エラル?」

「充幸、ヤバいかも」

「えぇ?!」

 

マキリ製オートマタに注がれ続ける令呪。

そして桁違いの魔力量に、暴走を始める義経。

彼女らの目の前で、その剣は研ぎ澄まされる。

 

「おい、お前ら、どうしたよ?」

「え、えっと、これは、その」

「んだよ、ハッキリ言いやがれ。」

 

エラルに詰め寄るアマゾニアとその部隊。

彼女らの後ろから、一歩一歩、義経が近付いて来る。

 

「逃げて!」

 

叫ぶエラル。

エラルの手を引くロイプケ。

走り出す充幸。

そして、義経の剣を受け止めるアマゾニア。

 

「お、おいおい、マジかよ!」

「アマゾニア!」

「聞いてねぇよ!てか力つよっ!」

 

義経の刀とアマゾニアの短剣の鍔迫り合い。

その軍配は当然、義経に上がる。

アマゾニアはとてつもない勢いで湖水場外へはじき出された。

 

「これは本格的にやばい、かも」

「エラル!何してくれちゃっているんですか!」

 

義経の影は揺らめきながら、ゆっくりと彼女らの元へ歩いて来る。

それはサイコホラー映画の怪人さながら。たとえ英雄と言えど、恐怖しない訳もない。

部隊が先導し、彼女らは湖水場の出口へと走り出た。

その間も、木々を切り落としながら、義経は襲いに来ている。

 

「エラル、電源を落とす方法は無いのですか?」

「遠隔は全部パー。あとは直接落とすしかないけれど、よりによって装甲の厚い胸部に付けちゃったのよね、これが。アインツベルンが首元に備え付けたの、あれ賢いわ。」

「感心している場合ですか!今も令呪は止めどなく注ぎ込まれているんでしょう!?」

「そ、そうね、どうにかしないとね」

 

と言っても、現在、彼女らに義経を倒す術はない。

アマゾニアの部隊も、速度に特化したサーヴァントばかりだ。それも、義経の足に追い付ける者はいないと言っていい。

即ち、既に詰みの状態である。

この場に駆け付けるヒーローがいれば話は変わるが。

湖水場の外に出た義経は、充幸らに標的を定めると、その刃を抜いた。

そして先程とは打って変わり、超高速で彼女らのレンジに入る。

殺される、という意識だけが追い付き、身体は動かない。

その刀が充幸の首元に迫る、その時だ。

 

「何を、している」

 

義経の刀を払い、充幸の前に立つ男が一人。

充幸、エラル、この場にいる者全員が、彼の登場を心待ちにしていただろう。

義経を倒すのは、彼しかいない。満場一致だった。

アマゾニアに遅れ、現れたのは『平教経』。遠坂組最高戦力が、ようやく、この場に駆け付けた。

 

「教経……さん」

「早くこの場を去れ。巻き込まれるぞ。」

「は、はい!」

 

教経は義経と睨み合いながら、その場にいた全員を離れさせる。

たとえ影となろうとも、教経が彼を見間違える筈も無い。

 

〈教経、異常すぎる魔力量だが、君の前に立っているのは災害の悪獣なのか?〉

 

通信越しの禮士の焦りに、教経は冷静に答える。

 

「否、我が敵だ。悪獣より、骨が折れる。」

〈かたき……って、まさか源氏が、そこに!?〉

「あぁ。拙者が終ぞ追い付けなかった男だ。相手にとって不足はない。」

 

教経は一歩踏み込んだ。

それと同時に、義経も動き出す。

瞬間、彼らの刀は交じり合う。金属が破裂する音と共に、鍔迫り合いが始まった。

当然力量だけならば教経が上。だが今は条件が異なっている。

義経にはマキリの垓令呪が注ぎ込まれている。一秒ごとに、彼は強化されていくのだ。

 

「生前より強いのでは無いか?」

〈源義経、マキリ製オートマタの暴走か。なんて人騒がせな。マキリは遠坂組の敵なんじゃないか?〉

 

教経は桜丸に全身全霊を込める。

古備前友成ならば、易々と壊れる筈も無い。たとえ同じ時代の名刀が相手でも。

体重をかけ、義経を押していく。

彼らの体重の差は二桁異なっている。近接戦ならば、俄然教経が有利だ。

だが、義経は両足で粘り、これを押し返した。

生前の義経には出来ぬ芸当。これは魔力量が異常な数値を叩きだしているからこそ。

速度重視の義経が、瞬間的に、パワーで教経を押し戻した。

 

「く……」

 

ただの一言も言葉を発さない義経に奇怪さを覚える。

敵に欠ける言葉などある筈も無いが、それでも、声が無いと言うのは気味が悪い。

力む声、零れ出る汗、はちきれる程膨らむ血管、教経にあって、義経には無い。

正しく人形だ。天空から何者かに糸を引かれていたとしても、おかしくはない。

 

「拙者の家族が、仲間が呼び出されていたならば、こんなことにはならなかったろうに。もっとも縁深き存在が、よりによって汝とはな。」

 

教経には、何故かそれが少し嬉しく思われた。

高揚する心を禮士に悟られぬよう、眉間に皺を寄せた。

義経への殺意、ただそれだけを高めていく。

無機質な影もまた、彼の殺意に対し笑っているように見えた。

彼らの鍔迫り合いは暫く続く。どちらも、決して後退しない。

このままでは、刃が折れるのが先だ。

もしそうなれば、教経の桜丸が砕ける。

禮士は固唾を飲んで見守った。教経ならば、きっと。

 

「拙者が、上を行くぞ。」

 

教経は再び、その刀に力を籠める。

義経の溢れ出る魔力をも凌駕する気迫。平氏としてのプライド。

源氏には決して負けないという執念が、彼を奮い立たせる。

そして遂に。

義経の刀は折れた。

粉々に砕け散った鉄に皮膚を切り裂かれながら、教経は桜丸を納刀する。

その速度は一秒にも満たない。彼はその背に鬼神を宿らせながら、咆哮と共に、刀を抜いた。

 

『抜刀白魔』

 

剣が弧を描き、義経の首に光を散らす。

黒い液体がほとばしり、影は数歩後退した。

この一閃に込められたのは、教経の思いの丈である。

壇ノ浦で、追い付けなかった悔しさを、この瞬間形にした。

 

〈やった…………教経、やった!〉

 

禮士は教経の勝利を確信する。

もしこの戦いを観戦する者がいたならば、誰もが彼の勝利を疑わないだろう。

だが、教経だけは異なっていた。

刃から伝わる感触。

彼の必殺剣はすんでのところで躱された。

教経の限界を超えた一撃、それすら、義経には間に合わない。

 

「タイムアップ、だな。」

 

教経は義経の影に背を向ける。

そう、既にこの影は死に絶えていた。

抜刀白魔、その直後に、このオートマタの心臓は巨大な槍の投擲により砕かれた。

胸部に突き刺さった長槍には、平家家紋が印されている。

教経が間に合わないことを見越した、暗殺。

それが出来るのは、彼のことをよく知っている人物だけだ。

 

「源氏……死に候え。」

 

怒りの一撃。

それを放った女は、肩で呼吸を繰り返している。

教経よりも遥かに、源氏を恨み続けている女だ。

 

「海御前」

「ハァ…………ハァ…………源氏…………死に候え…………」

「海御前、心を落ち着かせよ。」

「五月蠅い、五月蠅い、五月蠅い、源氏め……源氏源氏源氏源氏源氏源氏源氏!」

「全く……」

 

教経は溜息をつきながら、禮士にコンタクトを図る。

海御前が復讐鬼に成り果てるとき、どうすべきか。禮士は教経から常々聞かされていた。

 

〈あまたん……〉

「禮士、あの言葉を言え。」

〈え、えぇ?!教経はあまたんの旦那だろう?旦那に任せた方がいいのでは?!〉

「拙者は無理だ。早くしろ。海御前が狂い果てるぞ。」

〈……く、どういうプレイだよ、全く!〉

 

禮士は顔を赤くしながら、通信先を海御前に切り替えた。

そして教経に言われた通りの言葉を、若干恥ずかしがりながら、口にする。

 

〈あまたん〉

「………れいじ……さま」

〈あまたんだけを『愛している』〉

「はう!」

 

海御前はその場で転げた。

目が血走っていた彼女はどこへやら、今の彼女の瞳にはハートマークが浮かんでいる。

 

〈これで、いいのだろうか〉

「それでいい。今の海御前には衛宮禮士が必要だ。」

〈……責任重大だな。兎に角、第三の悪獣の討伐は成功したようだし、マキリ製オートマタだけ回収しておいてくれ。〉

「遠坂組で管理するのか?」

〈危険物だからそうしたいのは山々だが、彼女が何をしでかすか分からないからね。とりあえず彼女の上官で、彼女より理性的な鬼頭充幸さんに預けておくとするよ。〉

「本当に、信頼してもいいのだろうかな?」

〈さてね。でも、災害を倒すなら、今は共闘するしか無いんだ。俺たちに選択肢は無いよ。〉

 

教経は溜息交じりの笑みを見せながら、通信を切った。

そして先程まで義経だった残骸を拾い上げる。

このような形で、かつての宿敵に相対するとは思いもよらなかった。

彼にとって、義経との戦闘は、楽しくもあり、悔しいものでもあった。

 

——まだ、あの速さには追い付けない。

 

教経はオートマタの左腕部位を握り締めながら、空を仰ぐ。

災害のサーヴァント、后羿。

その脅威が、もはや喉元まで迫ってきている。そんな予感がしたのだった。

 

 

パークオブエルドラード内。

敷山一家の部屋の一部を借りたアダラスは、早速シェルター内部の偵察を始めた。

第六区の富裕層たちが暮らしている為か、優雅な雰囲気がある。

何やら、このような危機的状況にも関わらず、週に一度はダンスパーティーが開かれているのだとか。

 

「(緊張感のない人達)」

 

アダラスが思うに、彼らは災害の恐ろしさを知らない。

このオアシスを千年に渡り統治してきた、言うなれば神様のような存在。それが牙を剥いているのに、気付いていないのだ。

もしくは、気付いていても、自分のことじゃないと、現実逃避している。

それは遠坂龍寿の区民説明会にもよく表れていた。

アダラスは会議室の奥から、遠坂龍寿の演説を見届ける。

デバイスの情報サイトで彼の顔を見たことがあるが、この数日間でかなり痩せ細っていた。

 

「我々、遠坂組はようやく、主犯ミヤビ・カンナギ・アインツベルンの潜伏場所を発見致しました。明日には部隊を募り、乗り込む予定です。皆さまはこのパークオブエルドラードで我々の勝利を見届けて頂ければな、と」

「遅すぎるわよ、龍寿さん!二週間もこんな手狭な場所に閉じ込めて、ねぇ。」

「災害がいたら、どうするつもりだ!説明しろ!」

「我々は常々、災害との共存を謳い、目指してきました。今回も、バーサーカー『后羿』にとって有利な条件となるよう、交渉に望む所存です。戦いを避け、誰も傷つかない第六区を今度こそ作ります!」

「そうやって第六区の災害のランサーには見限られているだろ!遠坂組の戦力でどうにかしてみせろよ!」

「そうね。安心して暮らせないわよ、ねぇ。」

 

龍寿に向かって、紙コップや資料が投げつけられる。

龍寿はへらへらと作り笑いを浮かべながら、住民への説明を続けた。

 

「(はー、馬鹿らしい)」

 

アダラスは会議室を後にする。

災害との融和、そんなものは有り得ない。

蛇王ザッハークが世界の中心である以上、この富裕層にもはや救いは無い。

彼女が彼らを切り捨てたから、災害は暴れ回っているのだ。

真に救われるのはアヘル教団のみ。愚か者はそんな自明の理にまだ気付かない。

このダンボールハウスのようなシェルターにいて、まだ安全だと信じているようだ。

 

「(でも、おかげでスネラク先輩の場所は分かった。)」

 

アダラスは車椅子のまま廊下に出ると、デバイスを立ち上げ、連絡を取る。

その先は、アヘル教団本部。右大臣の席。

 

「お疲れ様です、アダラスです。」

 

通話に出る筈の沼御前はいなかった。その電話を取ったのは意外な人物だ。

 

〈ほう、アダラス。任務は順調か?〉

「さ……災害先生!?」

 

アダラスは今、直接、災害のアサシンたる蛇王ザッハークと連絡を取っている。

 

「はい!スネラク先輩の位置は特定できました。これから回収に向かいます!」

〈そうか、上出来だ。だが、回収はしなくていい。〉

「回収をしなくていい、とは……?」

〈見つけ次第、その場で『殺せ』。余にとって奴はもはや用済みだ。それどころか、第五区を、アヘルを蝕む存在になり兼ねん。〉

「こ、ころす、のですか?仲間を?」

〈仲間ではない、敵だ。どんな犠牲を払っても構わん。邪魔する者は全て殺し尽くせ。〉

 

アダラスの額を汗が伝った。

デバイスを握る手が震え始める。

 

「さ……災害先生、私は……」

〈ん、待て、アダラス、貴様は今どこにいる?クラシック音楽、オルゴールが流れているな。〉

「あ、えっと、パークオブエルドラード、です。敷山さんというご家族、のご厚意で、奇跡的に潜入できまして。」

〈そうか。まだ貴様がヴェノムサーヴァントであることは悟られていないな?〉

「はい。勿論です!まだ、誰にも……」

 

〈そうか、ならばその敷山、という家族も皆殺しにせよ。〉

 

「え?」

〈遠坂組はアヘルを疑っておる。アヘル対策支部が用意されるほどだ。貴様が万が一にでも捕らえられ、こちらの情報が洩れる訳にはいかぬ。証拠は残すなよ、ではな。〉

「あ、えっと、先生!」

 

電話を切ろうとするザッハークを、アダラスは慌てて止める。

だが次の言葉が出てこない。

彼女の命令に逆らうことが何を意味するか、アダラスは嫌という程理解している。

だが、それでも、アダラスは唾を飲み込み、口を開いた。

 

「敷山さんは、本当に、関係ありません。我々が殺す価値もない、人間です。」

 

そう言いながら、彼女は目に涙を浮かべる。

だが、現実は非情であった。

 

〈貴様がどういう感情を持っているかは知らんが、これは『神の決定』だ。余の言葉に逆らう気か?〉

「……っ…………滅相もございません」

 

そして通話が切られた。

彼女はデバイスを耳に当てたまま、数秒間固まっていた。

彼女に、再び走る力をくれた、神様のような人。

彼女が『先生』と呼称するのは、災害のアサシンただ一人。

災害先生が望むならば、それを叶えるのが、アダラスの役目である。

 

「私が…………彼らを殺す……」

 

アダラスの目から光が消える。

どす黒い何かが、彼女の心を徐々に飲み込んでいく。

彼女はポケットに仕舞い込んだヴェノムアンプルに手をかけた。

 

「あ!ここにいた!アダ子おねーちゃん!」

「っ!」

 

車椅子の後ろから、彼女を呼ぶ幼き声。

敷山家長男の、敷山俊平である。

彼は手にしたヘラクレスオオカブトの虫籠を自慢げに見せつけながら、アダラスの目の前に躍り出た。

 

「おねーちゃん、外に出たらアブないらしいから、一緒に部屋で遊ぼ!」

 

俊平はアダラスの手をその小さな手で握り締める。

彼は両親と妹の四人家族。いきなり年上の、姉のような存在が出来たことに喜びを隠せないようだ。

アダラスの目に少しばかりの光が戻った。

そして元気いっぱいの声で、俊平とはしゃいでみせる。

もしかすると、彼と遊ぶのはこれが最期になるかもしれないから。

 

アダラスは満天の笑みを浮かべながら、この少年を殺すことに決めた。

 

【蹂躙編④『義経参る』 おわり】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蹂躙編5『幻視吸光』

真の幻視急行編最終回。

少女の進む先は……?

感想、誤字等ありましたらコメントにお願いします。


「お前は誰だ」

 

「君は誰だ」

 

「あなたは誰?」

 

「誰だ?」

 

「誰だ?」

 

「誰なの?」

 

「誰」

 

「誰なのだ?」

 

「誰よ?」

 

「私は誰?」

 

滴る血液(オイル)

乱れた髪と服

露出した肌

そして零れ落ちる光

 

がらんとした広い空間で

私の物語は終わりを告げる。

 

長いようで、とても短い、不幸でいて、とても幸せな———

 

「さよなら、みんな」

 

私は胸に両手を当て、目を瞑る。

 

どうか、この思い出だけは、遠くへ行かないで。

 

壊れていても、穢れていても、偽物であっても、本物でなくとも、

忘れたくない想いがあった。

 

「さよなら、コーイチロー」

 

どうか、私のこの祈りが、彼へと届きますように。

 

私は最期に、もう一度立ち上がったのだ。

 

【蹂躙編⑤『幻視吸光』】

 

充幸がエサルハドンへと変身し、悪獣『巴蛇』と交戦するその時、湖水場を離れた美頼とロウヒは、目的の場所へ到達していた。

それは第六区の中でも特に敷地面積が広い中学校。お嬢様学校と言われるだけあり、優美さと歴史をどことなく感じられる。

無論、その場所には誰も立ち入らない。いま、この学校の生徒たちはパークオブエルドラードの一室で授業を受けている。

だが、無人である筈の校庭に、数機のドローンと兵隊型オートマタが確認される。伝統ある校舎にはとても似つかわしくない光景だ。

 

「ここに、ミヤビが……?」

「ああ。」

 

美頼は唾を飲み込むと、監視の目に晒されぬよう、息を殺して侵入する。アサシンのサーヴァントならば気配遮断もお手の物だが、ドッペルゲンガーである美頼やロウヒにそのようなスキルは存在しなかった。

ロウヒに至っては、自らを隠すことさえしない。堂々と門を潜り、草木に隠れる美頼を放置して、グラウンドの中央へ向け闊歩する。

 

「バーサーカーっ!」

「襲い掛かるのであれば、返り討ちにすればよかろう。」

「そういう訳にもいかな……あ」

 

当然、監視役のドローン、オートマタに発見されてしまうが、ロウヒが手を翳すと、それらは地面に溶けるように砕け散った。

敵がサーヴァントで無いとはいえ、僅か一秒で粉微塵に吹き飛ばしたのである。

創造した疫病で多くの人間を苦しめた女帝の実力が垣間見える一瞬であった。

 

「行くぞ、美頼。ミヤビは体育館にいる。」

「……我がサーヴァントながら、とてつもない恐ろしさだね、バーサーカー。」

 

美頼はロウヒの頼もしさに、苦笑する外なかった。

 

そしてその後も、次々と登場したオートマタ部隊を機能停止に追い込んでいく。

ロウヒは良い意味でも悪い意味でも、容赦がない。物語の悪役だけあって、性格がどうにも豪快であった。

それは単純に狂化されているから、では無いだろう。

カレワラにおいて、無限鋳造機サンポを失った彼女は、あらゆる手で主人公一行を追い詰めていく。翼を生やした鳥の化物に姿を変えて、執拗に襲い続けた。

欲望に塗れ、外道に落ちた女帝、それがカレワラにおける彼女の評価だ。

だが美頼の目には、悪魔のようには映っていない。

自らを殺した筈の女、だが、それでも美頼は彼女を信頼する。それはきっと、彼女の未来に対する忠誠心が本物であるからだろう。

どうして、未来の為にそこまでするのか、疑問は尽きない。

———その疑問を口にするのは憚られたが。

 

「体育館、着いたぞ、美頼。」

「……うん、これからミヤビに会うんだよね。」

「ミヤビは人間の中にサーヴァントの魂が交じり合った『ヴェノムサーヴァント』。そしてそのサーヴァントは我、つまりロウヒだ。ポホヨラの暴虐の王こそが倒すべき明確な敵である。それを忘れるな。」

「うん、じゃあ一緒に、行こう!」

 

美頼がロウヒの手を引くと、ロウヒはその場で立ち止まり、振り解いた。

目を丸くする美頼に対し、ロウヒは背を向ける。

 

「此処から先は、貴様一人で行け。」

「はぇ?」

「この校舎内にもアインツベルンの兵士が隠れ潜んでいる。我はそれらを纏めて退治する故な。」

「え、いやいや、待って。私一人!?」

 

美頼が動揺するのも無理はない。

丁度今しがた、敵がロウヒの因子を持つと説明を受けたばかりである。

ドッペルゲンガーであることを思い出した美頼だが、女帝ロウヒの攻略法など思い付く筈も無い。

ロウヒが傍にいるから、ミヤビを止められるのだ。彼女一人では、何も叶わないだろう。

 

「無理だよ、私はサーヴァント……なのだろうけど、正直戦い向きって訳じゃないし、湖水場で溺れるまでは、サーヴァントだってことも忘れてたし!」

「ふむ、だが専属従者の役割は、主の幸せを願う為にこそあるのではないか?貴様の主はミヤビだろう?貴様が止めなければ、誰が未来を救うと言うのだ?」

「それは、救いたい、というのは山々だけど、私にはその力が……」

 

狼狽える美頼に対し、ロウヒはポケットからあるものを取り出し、それを渡した。

それは古びた鍵のように見える。文字が刻まれているが、美頼にはそれを解読する術がない。

 

「これは?」

「お守りだ。貴様が願うならば、これは応えてくれるだろう。」

「え、えっと……」

 

ロウヒはそう言い残し、踵を返す。

口を開けたままの美頼を放置し、校庭を去ったのだった。

 

「お守りって……えぇ……」

 

美頼は深く溜息をつく。

何となく、ロウヒの意図が分かった気がした。

つまり彼女は、未来の心を映し取る美頼に、全てを託したのだ。

未来を守るも、殺すも、他ならぬ未来の心次第。

最後の戦いに、彼女は介入しないと決意した。未来は、きっと未来自身の力で戦い、立ち上がるしかない。

 

「バーサーカー、ロウヒ」

 

未来が変質しようと、彼女の願いを聴き続け、支え続けたサーヴァント。

災害と結託し、落ちるところまで落ちてしまった未来を、それでも救おうとした。

だが、全てを決するのはロウヒの役割ではない。

未来としての記憶がそう告げている。

美頼は両手で頬を叩き、気合を入れた。

 

「頑張るか、私!」

 

彼女は恐る恐る体育館の扉を開いた。いま、彼女の戦いが始まろうとしている。

 

 

バスケットボールのゴールが四か所に取り付けられた、広い空間。

その最奥、黒いカーテンの垂れ下がるステージ上に、少女が座っていた。

美頼と同じ顔をした、着物姿の可憐な少女。目を伏せ、来訪者が名乗り上げるのを待っている。

 

「貴方が、ミヤビ。」

 

美頼は護身用に所持していたナイフを取り出し、ゆっくりと舞台上へ近付いていく。

ミヤビはなおも目を開くことはせず、美頼の緊張をその耳で感じ取っていた。

 

「私は、貴方のサーヴァント、真名は『ドッペルゲンガー』。未来を助ける為にここに来た。」

 

美頼は自らが未来の写し鏡であることを認める。

その上で、助ける、と言い放った。

それは救済でもあり、かつ、解放でもある。

もし未来が望むなら、その命を刈り取ることも視野に入れた。

ドッペルゲンガーだから出来ること。美頼は全てを承諾している。

 

「未来を、助ける、だと?」

「そうだ。」

「くく、ククク、そうか。未来を助けるか。成程、ミヤビの専属従者たる貴様が。」

「私の主は、お前であって、お前じゃない。ロウヒから聞いた、『スネラク』というコードネーム。私はお前から未来を解き放つ!」

 

美頼はその手に持つ刃に、己の覚悟を乗せた。

そしてステージへ向けて、一直線に走り出す。

敵がロウヒであるならば、ある意味好都合。彼女の戦い方は、傍で見続けてきた。

 

「あああああああ!」

 

美頼は叫びながら、飛び上がった。

その手の得物を振り被り、ミヤビへ向けて振り下ろす。

その間、ミヤビは微動だにせず、美頼の様子をただ茫然と見つめていた。

それは絶対的な自信。たかが小娘には負けないという、強い意志の表れである。

そしてミヤビにその刃が届く刹那、美頼は無数の生え出た手に阻まれた。

人間ならざる、青々とした触手。この形状を、彼女は知っている。

それはロウヒの持つ宝具だ。迷宮の怪物を討伐した際に用いた力。

 

「くっ!?」

 

『水の主は陸へ、我は水へ。水の主は鉄より重く、我は落ち葉より軽い。』

 

巨大な目と口を有する深海の怪物。無数の触手で敵を捕らえ、その口で捕食する。

 

「この能力は、『無限の手を持つ海魔(イクトゥルソ)』ね!」

「よく知っているではないか。」

「ロウヒは私のサーヴァントだからね、知っていて当然、よ!」

 

美頼は体操選手のように身体をくねらせ、何とか触手から解放される。

ミヤビの背後から姿を現したイクトゥルソは、六本の手を美頼に向かって射出した。

それは追尾弾の如く、屈折しながら、どこまでも逃げる美頼を追いかける。

ミヤビはカラカラと嗤いながら、美頼という名のネズミ捕りに興じていた。

 

「やっぱり一人だと、きっつい!」

 

一瞬、ロウヒの思惑と勘ぐってしまう。

急行列車の一件、美頼はほぼ騙し討ちのようにロウヒの手で殺された。

今回もまた、ミヤビの指示通りに動いたロウヒが、美頼に死を齎す存在になるのではないか。

美頼の邪推は止まらない。

今も、必死で逃げ回る美頼を監視し、嘲笑っているに違いない。

 

「(……違う)」

 

美頼は頭を振り、雑念を捨てた。

ロウヒは悪魔の如き感性の持ち主だ。

でも、それでも、未来を守りたい、救いたいという気持ちは本物だった筈である。

美頼に残っていた未来の思い出。ロウヒは、サンスイと共に未来へ向けて笑いかけていた。

もしも全てが嘘であったなら、余りにも回りくどい。彼女が正しく王ならば、偽装工作に神経をとがらせる必要は皆無だろう。

美頼はこの瞬間、ロウヒを信じてみることにした。

美頼に託したあの背に、偽りは無かったと。

 

「きついけど、やらなきゃね!」

 

美頼は体育館入口付近に設置された肋木に目を付けた。

授業中のトレーニングにも使われるそれは、梯子のような形状であり、昇り降りを繰り返せば、必然的に足が鍛えられる。

今回はそれを使用して、イクトゥルソの手の襲来を見事に避けてみせた。美頼を追尾する触手に対し、複雑な動きをすることで、触手同士を肋木の中で結びつける。意外にも計算高い美頼の行動によって、六本の触手を封じることに成功した。

 

「やった!」

 

だが決して油断してはならない。

何故ならば、イクトゥルソはその名の通り、無限に触手を生やし、襲い掛かって来る。

それはミノタウロスとの交戦で、彼女が学んだことだ。

美頼は蛇のような軟体で、それでいて鋼鉄のような触手を切り落とす術を持たない。

一度目は不意を突く形で逃げられた。だが美頼の行動を学習した怪物に二度目は無い。

海魔の攻撃を読みつつ、ミヤビを引き釣り下ろす。難易度はハードを超えていても、やるしかない。

 

「行くよ!ミヤビ!」

 

美頼は再び、走り出す。

イクトゥルソから新たに四本の触手が生成され、射出される。

だがその攻撃パターンは既に読み切れていた。

美頼は左右に移動しながら、一本一本の追尾を振り切っていく。

かつてない程の全力疾走。きっとただの人間ならば、ここまで振り切ることは出来なかっただろう。

彼女は間違いなく英雄、歴史に名を遺したサーヴァントである。

 

「(でもどうして、ドッペルゲンガーなんだろう?)」

 

不意に、彼女は考えてしまった。

同じ顔をした者を殺す怪物。ミヤビは、何故彼女を召喚したのだろうか。

そして何故未来と同じ存在として擁立したのだろうか。

博物館のスパイなら、人間の模倣が出来るスキル持ちのサーヴァントでも良かった筈だ。

何故、自身をコピーするようなことを、行ったのだろうか。

 

美頼は階段を駆け上がり、舞台へ立った。

そしてその切先をミヤビへと向ける。

ミヤビはそのような脅しにも屈することなく、逆に手を叩いて喜んだ。

美頼の向ける殺意が、ミヤビには心地良いようだ。

 

「なにが、可笑しい!」

「ミヤビに立ち向かう貴様の全てが、滑稽で、愛おしいのじゃ。」

「愛おしい、ですって?」

「嗚呼、強く抱き締めて、そのあばらを折ってしまいたい程に、な?」

 

ミヤビは不意に立ち上がり、美頼のナイフを握る手を掴んだ。

するとその瞬間、美頼の手はいとも容易く腐り落ちる。

ロウヒの『疫病』。先程目の前でその威力を確認したばかりである。

 

「あ、あああああああ!」

「ロウヒの毒、貴様はそれをよく理解しているじゃろう?」

 

たった数秒。

いとも容易く、美頼の右腕は消失した。

紫色に変色し、腐り落ちた右手。

美頼は目を見開きながら、気持ち悪さに、胃の中の全てを吐き出した。

止まらぬ嗚咽、止まらぬ痛み。

彼女は、ロウヒに殺されたあの日をフラッシュバックする。

 

「あ、ああ、ああああ」

 

真実に辿り着いた、あの日。

味方となる友人も、家族も、恋人もいない回廊で

手足を捥がれ、髪を千切られ、頭を裂かれた。

痛み、痛み、痛み

信じていたものに、裏切られた痛み。

 

「ああ、ああああああああああああああ」

 

彼女は何とかミヤビから距離を取ろうとするが、イクトゥルソの触手がそれを阻んだ。

両足を縛り上げ、宙に浮かすと、舞台上に叩き落す。

彼女を構成するパーツが、砕ける音がした。

全身から血を噴き出し、悶絶する。

 

「貴様は『スネラク』から未来を救う、と言ったな?カカカ、嗤わせてくれる。」

 

ミヤビは美頼の髪を引っ張り起こす。

まだ闘志の消えていないその目を見て、不快そうな表情を浮かべた。

 

「ヴェノム……バーサーカー……ロウヒに…………乗っ取られて……いるのでしょう……?」

「ほう。そのような都合の良い解釈をしてくれたんじゃな。ロウヒも、貴様も、優しいのう。」

 

ミヤビは血塗られた美頼を眺めながら、舌なめずりする。

都合の良い解釈、そう言った意味。

美頼とロウヒはミヤビという存在を計りかねていたのかもしれない。

 

「教えてやろう。ミヤビのこと、そして、美頼のことを。倉谷の真実を。」

 

それは、美頼の知らない未来の話。

倉谷重工というオートマタ企業が隠して来た事実。そして、倉谷未来が崩壊した物語。

彼女の口から語られたのは、背を向けたい真実であった。

 

「倉谷は、和平と組み、男を悦ばせる為の、専属娼婦(ダッチワイフ)を製造していたのじゃよ。」

 

アインツベルンカンパニーがトップシェアを誇る、オートマタ企業界隈。

災害の命令で独占が始まる前も、栄枯盛衰が激しい業種であった。

町工場である倉谷重工が生き残るためには、裏稼業にも手を染める必要があった。

そこで未来の父は、和平松彦と手を組み、大企業社長や、富裕層向けの性的サービス従事型オートマタの開発に踏み切った。

英雄をモノとして扱い、令呪で従わせ、女体を蹂躙する。

倉谷製は、かつての英霊の再現にのみ多くのリソースを割いた。

ホンモノを求める、顧客たちの為に。

 

「お父さんは、家族に内緒で、性娼婦を生み出し続けた。違法触媒すら利用して、英雄の尊厳を踏みにじり続けた。そして」

 

ミヤビは天井を仰ぐ。涙を、堪えるかのように。

 

「ミヤビ、いや、未来は、この世を見渡す『目』の力で、そのことを知ってしまった。」

 

ミヤビの生まれ持つ、世界を見通す特殊な目。

幼い彼女は、父の愚行の意味を知らぬままに、母へ詳らかに話してしまった。

倉谷の為。家族を守る為。そのような建前は、意味を為さない。

母は、その時、狂った。愛情という柱で生きてきた母から、光が消え去ったのだ。

 

「お母さんは、救いを求めた。そして、女の強さを謳う、第五区のアヘル教団へ辿り着いたのじゃ。」

 

災害のアサシン、蛇王ザッハーク。

彼女は間違いなく、母にとって神様のような人だった。

後にオリシアの運営を許可した災害のライダーなどとは明確に異なる。

男も女も関係なく、人間が人間らしく生きる、その社会を創造する、アサシンは真のカリスマだった。

父と母の軋轢。そしてそれに巻き込まれた未来。

歪んだ父に、犯される未来。

救われた母に、殴られる未来。

それでも、彼女の居場所はそこにある。

 

「未来は、そうやって生きてきたのじゃ。呵々、歪んでおるのは未来もまた、そうじゃろう。」

 

ザッハークの策略で、ヴェノムバーサーカーとして生まれ変わった未来。

その狂化のスキルにより、彼女の怒りと復讐心は駆り立てられた。

悪の権化たるロウヒの意思はそこに介在しない。

 

未来は、未来の意思で、修羅と化した。

 

「そんな…………」

「未来を救う、と言ったな?『スネラク』こそが悪だと、それを取り除けば、未来は帰ってくると。都合の良い物語じゃな。」

「でも、未来は、ミヤビに出会って……それで!」

「何も、変わらなかった。変われなかったのじゃよ。」

 

サンスイが懸命に注いだ愛情。

それを上回る、未来の復讐心。

彼女は、狂い果てることを容認した。

あの日、サンスイを殺したことが、トリガーとなったのだ。

 

「何故、開発都市第六区を攻め込むか、分かるか?」

「遠坂組が、嫌いだから……?」

「カカカ、違う。ここに、性奴隷の飼い主が山ほど存在するからじゃよ。未来は、王となり、専属従者サービスそのものを破壊し尽くす。」

 

英霊の地位を貶める、専属従者サービスの破壊。

それこそが、ミヤビの到達点。

災害と手を組み、あらゆる英霊を殺し、解放する。

それが、彼女にとって、『愛する』ことなのだ。

 

「だから、美頼。貴様も未来に付け。未来のサーヴァントとして、共に在れ。」

「なにを……言っているの?」

「貴様は、倉谷重工の、和平の、一番の被害者じゃろう、『ドッペルゲンガー』。」

「私が……?」

 

ミヤビは美頼の額に、人差し指を立てる。

その瞬間、美頼に流れ込む、閉ざされていた全ての記憶。

それは、彼女という存在の真実。

 

「ダッチワイフ、その第一号こそが、英霊『ドッペルゲンガー』。この世のどんな女にも姿を変えられる貴様は、あらゆる男の手に渡り、その肢体を弄ばれてきた。貴様の本質は、性奴隷、そのものじゃ。」

 

流れ込む、記録。

 

女優の姿で、貴公子風の男に舐め回された。

 

アイドルの姿で、オタクの男に揉みしだかれた。

 

幼馴染の姿で、学生に犯された。

 

清楚な姿で、暴力的な男に首を絞められた。

 

数えきれない、営みの記憶。

欲望の海。

飽くなき『蹂躙』。

終わらぬ悪夢。終わらぬ絶望。

 

「わたし…………わたしは……………………」

 

壊れていく。

壊れていく。

壊れていく。

 

「美頼、貴様もまた被害者の一人。この未来が、貴様を救おう。共に、この世界を終わらせよう。」

 

ドッペルゲンガーはどこにでもいて。

何度も召喚され。

その記録を共有してきた。

その全て、余すところなくその全てが彼女の脳を支配する。

 

「いやぁあああああああああああああああああああああああああ」

 

止めてと叫ぶ、泣き叫ぶ。

腕の痛みも、身体の痛みも、もはやどこかに消えてしまった。

心の底から湧き出る気持ちの悪さ。

美頼が風俗業を続けていたのも、この本質所以である。

 

美頼は自分の千切れた腕を見た。

配線が剥き出しになり、ギアが散乱している。

汚れた身体、穢れた身体、人ならざる身体。

 

こんなもので、誰を愛せると言うのだろう。

 

ミヤビは、恋を知る美頼を殺害した。

今思えば、それは、ミヤビの救いだったのかもしれない。

美頼は恋を知ってはいけない。

彼女を愛してくれる男が、現れる筈も無い。

美頼は光を失いながら、自らそう結論付けた。

 

「美頼」

 

ミヤビは、美頼の血で汚れた身体を抱き締める。

委ねてしまおう。そう思った。

サンスイも、ロウヒも、未来の生存を願っていた。ならば、美頼が頑張る必要はもう無い筈だ。

未来の心は、最初から決まっていた。

ドッペルゲンガーだから、分かる。

理解者はここにしかいない。

 

「美頼。こんな世界、全部破壊しよう。」

 

尊大な話し方の消えた、一人の少女は、同じ顔の少女に優しく語り掛ける。

未来と美頼。同じ存在。その意思は、向かう先は、きっと同じ。

 

ああ、救われた。美頼はそう、思った。

 

思った、筈だ。

 

脳の九割を占める悪夢を掻き分け、一つの記憶が蘇る。

それは余りにも小さな、些細な、でも、

彼女が守ってきた、宝物の記憶。

 

急行列車の中。

彼は彼女に笑いかけた。

 

「ねぇ、コーイチロー。」

「何だ。」

「もし私が任務中に殺されたら、どうする?」

「どうするって。」

「泣く?怒る?復讐する?」

「……そうだな。復讐できる相手なら、復讐するんじゃないか?」

「何それ、相手を選んで報復するわけ?」

「例えば災害なら、俺は復讐する。」

「なんだ、ちゃんと強い奴でも復讐してくれるじゃん。」

「相手を選ぶってのは、強い弱いじゃない。例えばお前がお前を殺したら、俺は誰に復讐すればいい。」

「あ、そういう話?」

「そうなったら、どうしようもない。仕方なく、俺は死んだお前に対して怒る。怒っても意味は無いけど、ちゃんと怒る。」

「意味がないのに、怒るの?」

「あぁ、今を生きる人間だからこそ、感情はしっかり吐き出しておくべきだ。」

「ふぅん。」

「だから怒る。お前を殺したお前に対して、何してくれているんだってな。」

「なんか、想像したらシュールで笑えるかも。」

 

巧一朗。

痴漢の被害にあった彼女を、救ってくれた人。

偶々、そこにいた。何でもない、ただの青年。

でも。

美頼は、彼に助けられた。

身体を差し出したわけでも無く、無償で、彼は救いの手を差し伸べた。

そして、博物館の仲間として、共に戦い、共に傷付き、共に笑った。

 

もし、彼に恋をしていたとして。

それは、偽物だったのだろうか。

美頼の目を通して、見つめていた未来は、彼をどう思ったのだろうか。

 

「ふふ」

 

美頼は静かに笑いながら、ゆっくりと、ミヤビから身体を離していく。

答えなんて、分かりきっている。

同じだから。

同じ心の持ち主だから。

きっと未来が美頼を殺したのは、救いでもあるけれど、嫉妬心でもある。

この想いは、きっと

———きっと、嘘じゃない。

 

「私が、私を殺したら、コーイチローは怒ってくれる。」

「美頼、貴様……」

「それが分かっているから、私はもう、大丈夫。」

 

ミヤビはイクトゥルソの触手で美頼を突き飛ばした。

ステージ上から転げ落ちる美頼。

 

「貴様は穢れた愛玩人形!巧一朗は貴様など愛さない!分かっているだろう!」

「……そうかも、しれない。」

「貴様は己が誰かも理解していない!未来の救いを、無下にして、貴様はどこへ向かう気だ!」

 

滴る血液(オイル)

乱れた髪と服

露出した肌

そして零れ落ちる光

 

がらんとした広い空間で

美頼はサーヴァントとして覚悟を決めた。

 

「さよなら、コーイチロー」

 

美頼はロウヒのお守りを握り締める。すると体育館全体に淡い光が宿り、宙に漏れ出した。

 

「この、光は……?」

「私のバーサーカーが託してくれた、貴方を救う力。」

「未来を救う、だと!貴様はまだそのようなことを!」

「全部やり直すんだ!これからは、貴方一人で!」

 

ミヤビは狼狽えた。

貴方一人、その言葉には、美頼が含まれていない。

そしてこの力は、ミヤビが幾度となく目にしてきたもの。

 

刹那、世界は塗り替わる。

 

ポホヨラの凍土。天まで伸びた巨大コンピュータ塔。

それは彼女の、そして彼女の、最強宝具。

無限鋳造機サンポの具現。

 

「行くぞ!「『我が願望は絶えず駆動する(イクイネン・ルオミネン)』!」

 

美頼の髪の一部が黒く変色する。

ロウヒから託されたのは、他ならぬサンポであったのだ。

ドッペルゲンガーの力の一部を使用し、彼女は今、ロウヒの心をも宿している。

ただ一人の、目の前にいる少女の為に。

 

「馬鹿な、有り得ない!有り得ない!有り得ない!欲望に塗れたロウヒ(あの女)が無限鋳造機サンポを手放す筈が無い!この世界にたった一つしか存在できないそれを、あの暴君が……!」

 

美頼はロウヒの想いを引き継いだ。

それはロウヒが最も大切なものを手放してでも、叶えたかった願望。

未来に幸せに生きてもらう。

殺戮者でも、救世主でも無く、ただ一人の、女の子として。

 

「とても短いけれど、少し寂しいけれど、それで充分。」

 

美頼はサンポにて無限の剣を生成する。

そしてイクトゥルソの触手の悉くを、その刃で叩き切っていく。

ミヤビの手から放たれる疫病という名の毒すらも、サンポで創造したワクチンで消し去った。

ヴェノムバーサーカー『ロウヒ』の力を全て、サンポで否定していく。

ゆっくりと、ゆっくりと、ミヤビのいるステージへ。

 

「何故、未来を否定する!ようやく、力を手に出来たのだ!ヒトを愛し、殺し、救う力!災害のバーサーカーが未来を肯定する!」

「それが本当の願い、なのかな?」

「…………っ」

「知ってる?ドッペルゲンガーは、同じ顔をしたヒトを殺すんだって。私が、貴方の偽りの仮面を殺してあげる!」

 

ミヤビは凍土へ向け、炎を放つ。

氷を解かす灼熱に、美頼の身体は焼かれていく。

だが、それでも止まらない。

一歩一歩、ミヤビへと歩み寄る。

 

「貴様の恋は叶わない!叶わない恋など、捨ててしまえば……!」

「人生は失恋したって終わらないよ。そこから始まる物語もある。」

 

美頼は炎を振り払い、ついに、ミヤビの元へ辿り着いた。

そして彼女を優しく抱き留める。

か細い腕、浮き出たあばら、脂肪の削ぎ落ちた腹。

彼女が自らを醜いと言おうと、美頼はそれを否定する。

 

「未来は、女の子だよ。」

「女の子」

「お洒落して、素敵な恋をする、女の子。世界なんてどうでもいい。そんなことは誰かに任せてしまえばいい。それこそ、専属従者、サーヴァントに託してしまえばいい。」

「……っ」

 

「貴方は、美しく、優雅に、未来を生きていく女の子、だから。」

 

美頼の、ドッペルゲンガーの持つ、宝具。

アイデンティティの共有。通常ならば、同一存在として恐怖を植え付ける力だが、自己像幻視には幸せを共有する物語も存在する。

美頼の恋心。巧一朗への想いの全て。

それらを未来へ託し、名も知らぬ『誰か』へと戻る。

 

美頼の選択した、未来。

それは恋を諦めないこと。

未来の心の中で生きること。

そして、美頼としての生命は終了する。

誰でもない誰かは、オアシスにて誰にも気付かれぬまま、空を彷徨い続けるだろう。

犠牲とは思わない。

献身とも、思わない。

これはきっと我儘だ。

美頼は、未来も、ロウヒも、サンスイも、博物館も、そして、巧一朗も諦めたくないから。

今を生きるヒトである未来に、全部を押し付けていく。

 

『私は貴方の視た幻(ホートスコピー)』

 

美頼の肉体から、光の泡が零れだした。

止めどなく、空に浮かび上がって、消えていく。

そして彼女の想いは、心は、未来へと引き継がれる。

偽物から、本物へ。

これが、ドッペルゲンガー最期の戦い。

未来の中に、吸い寄せられていく、美頼だったもの。

 

「美頼、何故だ。何故、あなたは」

 

未来はふと、昔のことを思い出した。

小さい頃、遊園地に連れて行ってもらった。

その手を引くのは、お父さんでも、お母さんでもない。

頼りなくて、でも、頼もしい、そんな手の平。

 

「楽しいか?未来。」

 

笑顔で語り掛けるその人は、

最期まで、未来の幸せを願い続けた人。

たとえ、彼女の刃で貫かれようと、恨みもせず、恐れもせず、向き合ってくれた人。

大好きだと、言ってくれた人。

未来が憧れたその人は、もうこの世にはいない。

遠く離れた場所に行ってしまった。

 

「サンスイ……未来は、どうすれば良かったのかな。」

 

その答えを知る者はいない。

彼女が自ら、見つけていくしかないのだ。

 

固有結界は崩壊し、それに伴って、体育館はひび割れ、天井が落ちた。

舞台にいた少女は、壊れ去る瞬間を、その目に焼き付けた。

そして彼女を抱き締めていた手は、蛍光色の光を放ち、空へと還っていく。

 

ミヤビは舞台中央に座り込み、ただ崩落を眺めていたのだった。

 

 

かつての記憶。

 

博物館スタッフ、吉岡の起こした第四区連続殺人事件。

その捜査中、お好み焼き屋『昇陽』からの帰り道。

酔いつぶれた美頼を、巧一朗が背負っている。

巧一朗の温かい背は眠るのにちょうど良い。

 

「ったく。」

 

彼はやれやれといった様子で、彼女を運ぶ。

起こさないように配慮しながら、ゆっくりと。

 

ふと、秋風が彼女の顔を撫でた。

目を開けると、淡い外套の光がぼんやりと輝いた。

巧一朗は近くのホテルを探しているらしい。

酔って眠る美少女に何をするつもりだろう。彼女は期待感を高ぶらせる。

勿論、彼は何もしない。

彼女をベッドに寝かせたら、自分は退室するだろう。そういう男なのだ。

でも、彼のそういう所が、彼女は嫌いじゃなかった。

 

かつて話したことがある。

彼には、好きな人がいた。

でも、その人は亡くなってしまった。

彼は今も、その人を追いかけている。

 

勝てないなと思った。

たとえ彼女が劇的な死に方をしても、彼の心には傷がつかない。

十年もすれば、秋風と共に、彼の記憶から消えてしまうだろう。

 

ならせめて

この時ばかりは、彼のことを独占したい。

心が向かなくてもいい。

いつか忘れてしまってもいい。

未来を生きる若者として、彼の傍に立ち続けたい。

そう思う。そう思ってしまう。

 

彼女はとっくに目が覚めている。

でも寝ているふりを止めない。

起きたと知ったら、彼は彼女を下ろしてしまうだろうから。

少しでも、この熱を感じていたい。

きっと、彼は気付いているだろうけど。

彼女の嘘を、優しく受け止めるだろう。

 

 

温かい背中の上で

少女はふと、目を覚ます。

 

「………あ…………」

 

目を擦り。辺りを見回してみる。

瓦礫の中を、亀のような足で、進んでいる。

重たい彼女を背負い、懸命に。

 

「ここは…………」

 

崩壊した体育館。

天井が落ち、日差しが差し込んでいる。

砂埃に、思わず咳を零した。

バランスを崩し、上に乗っていた少女は転げ落ちる。

両手をついて、青い空を眺めた。

 

「私は…………」

「やっと目が覚めたのね。」

「えっと…………」

 

少女は視線をスライドさせる。

高級そうな着物を砂と泥で汚しながら、か細い指で頬を掻いていた。

彼女の名は、倉谷未来。

 

「えっと…………私は…………」

「美頼、あなた、オートマタだから重いのよ。」

「お、女の子に重いなんて、言っちゃ駄目だか…………ら……」

 

少女は、倉谷美頼は、目を丸くした。

片手を失い、そして宝具によって消滅した筈の彼女は、生きていた。

何故、どうして、そういった疑問ばかりが脳を支配する。

 

「私は、アインツベルンカンパニーの当主よ。壊れた腕くらい、パーツの付け替えでどうにでもなるわよ。」

「ちが……そんなことはどうでも……」

「良くない。片手だけだとメイクするのも大変でしょうに。」

 

未来は溜息をつき、困惑する美頼へ語り掛ける。

 

「私の宝具で、同一存在である未来に全てを託して、その、消滅した筈……」

「でも、そうはならなかった。私が貴方を拒んだから。」

「こ、拒んだ!?」

「そう。貴方の下らない恋愛模様なんて、私には興味ないわ。というか、私は貴方の目を通して、ずっと巧一朗に恋してきたんだもの。今更、記憶の譲渡をされても困るわね。」

「そ、そんな…………」

 

美頼は分かりやすく落ち込んだ。

未来はそんな美頼を見て、思わず噴き出した。

 

「ちょ、笑わなくてもいいじゃない!」

「ふふ、ごめんね。本当、貴方はそのおっぱいぐらいしか価値が無いんだから。」

「お、おっぱいだけじゃないもん!」

「でも、胸が大きいのは好感が高いよ、きっと。」

 

未来は笑う。

そして、美頼も釣られて笑い始める。

ひとしきり笑い合った後、未来は優しい口調で話し始めた。

これからのこと。二人のことを。

 

「美頼、私は罪を償うわ。遠坂組に、出頭する。」

「え……」

「災害を連れて来て、悪獣を解き放った罪。貴方が犯してきた犯罪も大概だけれど、私のはもっと重い。多くの罪なき人を悲しませた。」

「で、でも、それじゃ……」

「貴方もいつか、災害を倒したら、ちゃんとその罪を償ってね。でもそれまでは、貴方の恋を目いっぱい頑張るの。負けると分かっていても、居ても立っても居られないのが、恋愛というものじゃない。」

「私の恋は、借り物の恋で……始めたのは未来、貴方だよ!?」

「始めたのは私、でも、続けるのは貴方。私は、まだ巧一朗に会ったことすらない。たとえ同じ顔でも、巧一朗はそんなことすぐに気付いちゃう。私は傍観者であり、観測者。この恋の当事者になれるのは、美頼だけ。」

 

未来はその場でしゃがみ込み、美頼の目を見ながら、彼女の覚悟を問い詰める。

 

「ねぇ、美頼。私はね、傍観者だから、貴方よりも巧一朗をよく知っている。きっと、知らなくていいことまで。彼の闇は、他の男の子たちよりも深い。」

「うん」

 

「もし巧一朗が『人間』じゃなくても、貴方は彼を好きでいられる?」

 

未来の真剣な目に、美頼もまた応えた。

同じ気持ちを共有したもの同士、その想いの答えを知っている。

 

「そんなこと言い出したら、私なんて、オートマタだから子どもを産めないからね。コーイチローは、コーイチローだよ。私は、彼が好き。これから先も、ずっと。」

「そっか」

 

未来はやんわりとした笑顔に戻る。

そして、彼女の額にデコピンした。

 

「いたっ!?」

「ほら、早くこの外に出て。きっとロウヒも待っているわ。」

「未来は……?」

「貴方の体重が重すぎて、疲れちゃったのよ。暫く休んでから行くわ。大丈夫、心配しないで、死ぬつもりとか毛頭ないから。」

 

未来は美頼の背中を押した。

美頼は扉の外へ走っていく。

未来はその背を見届けた。

 

瓦礫の山に背を預け、彼女は懐から一枚の紙を取り出す。

それはサンスイが最期まで握り締めていた、二人で行く筈のディナーチケット。

彼女の血で真っ赤になった、本当の宝物。

サンスイの願いは、いつまでも、未来の胸に残り続ける。

 

「ごめんね。馬鹿な娘で。ちゃんと、ただの女の子として、頑張っていくから。」

 

そう呟いた後、彼女は気付く。

チケットが、血とは別の何かで濡れていた。

それは、彼女の瞳から零れ落ちる大粒の雫。

 

——ああ、馬鹿だ、本当に馬鹿だ。今になってやっと気付いた。

 

あの急行列車で美頼が彼に助けられたとき。

未来もまた、その瞳を通じて、助けられていた。

美頼の、第四区博物館の思い出全てが、未来にも与えられていた。

それでも、彼らとは違う道を進もうとした。

分かっていた筈なのに。

既に未来は、孤独では無かったのに。

 

「そっか、私」

 

零れ落ちる涙は、止まることを知らない。

チケットがくしゃくしゃになるまで、哀哭は続く。

 

——私も、コーイチローが好きだったんだ。

 

この涙は、恋に敗れた女の子の涙。

だから枯れるまで泣いていいんだ。

美頼という、自分と同じで、自分と異なる可憐な少女。

未来は、彼女を応援する道を選んだ。

だから、泣き叫ぶ。

沢山、沢山、泣き叫ぶ。

 

これから、彼女はアインツベルンカンパニーの代表を退き、

一人冷たい牢獄へ向かう。

でも、それでいい。

そうやって、生きてやる。

足掻いて、足掻いて、生きてやるんだ。

 

そしていつか、新しい恋を見つけてやる。

 

だから彼女はこの戦いの終幕に、呟いた。

これまでの倉谷未来との別れ、再出発へ向けて。

 

立ち上がって

 

胸を張って

 

 

「ありがとう、コーイチロー」

 

 

彼女は清々しい、晴れやかな顔で、空の先を見つめていた。

 

 

 

【蹂躙編⑤『幻視吸光』 終わり】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蹂躙編6『カレワラより愛を込めて』

ここからが、後半戦。
ついに后羿が動き出します!

感想、誤字等ありましたらコメントにお願いします。


【蹂躙編⑥『カレワラより愛を込めて』】

 

美頼とミヤビが交戦した中学校敷地に、遠坂組の機動隊が突入していく。

本来であれば突入は明日を予定していたが、彼らにも予想できないことが起こってしまった。

ミヤビ・カンナギ・アインツベルン本人が、遠坂組に自首を申し出たのだ。

体育館前で両手を挙げる少女を、三騎士のクラスが囲む。

ミヤビに抵抗の意思は無い。彼女は大人しくお縄についた。

 

「十六時二十分、首謀者ミヤビ・カンナギ・アインツベルンを確保!」

 

サーヴァント達が盾を構える間を縫って、衛宮禮士と遠坂龍寿が彼女の前に立った。

龍寿は憎しみを込めた目でミヤビを捉えている。

 

「ミヤビ、何故君は今更出頭した?」

 

この場で唯一冷静さを保っていた禮士が、彼女に問いただす。

ミヤビは疲れた表情を浮かべながら、からからと笑った。

 

「ミヤビの復讐、これを止めるべく立ち上がった者がいてな。その愚かさを目の当たりにするにつれ、ミヤビ自身も、自らの行いの馬鹿さ加減に気付いてしまってのう。罪を多く重ねたが、まだ、災害自身が動いていない今ならば、ミヤビの価値も約束されるじゃろう?」

「……災害のバーサーカーを止められるのは、君だけだ。いま、彼はどこにいる?」

 

ミヤビは天に向かって指を突き出した。皆がその瞬間、空を仰ぐ。

 

「青天に、后羿は立つ。」

「空に、いるのか!?」

 

この二週間あまり、災害のバーサーカー『后羿』は、第六区の空に浮かび続けていた。

三体の悪獣を召喚しつつ、彼らを上から見下ろしていたのだ。

 

「君が呼びかければ、彼は降りてくるのか?」

「……ミヤビの復讐劇は終幕じゃ。令呪を用いて、后羿にアクセスしよう。戦いは、終わったのだと。」

 

ミヤビの言葉を信用する訳にはいかない。

だがそれでも、胃痛に悩まされ続けた龍寿は、胸を撫で下ろした。

パークオブエルドラードにいる区民たちに、ようやく成果報告が出来るのだから。

だが、禮士は龍寿と異なり、嫌な汗をかいている。

虫の知らせだろうか、それとも、彼が后羿を正しく理解している為だろうか。

アインツベルンの名を背負う少女が戦いを諦める。これが意味すること。

禮士はマーシャの死を思い出し、頭を抱える。

 

『災害のバーサーカー、もはや戦いは終わりを告げた。汝が統治する第三区へと帰るがいい。』

 

ミヤビの声が、天空へと届く。

目を伏せ、腕を組み、空に留まる災害へ、その想いは確かに伝わった。

彼はゆっくりとその重たい腰を上げる。

 

「これで、終わるのか……」

 

龍寿がホッとした表情を浮かべたのと同時に、隣で禮士が悶え苦しんだ。

彼の手の甲に浮かぶ令呪が激しく痛み始める。味わったことの無い激痛に、彼はその場で蹲った。

 

「禮士!?」

「ぐぅうううあああああああああ」

 

そして同時に、ミヤビの額に汗が滲んだ。

おかしい、何かが、おかしい。

これまでのミヤビは、スネラクは、災害のバーサーカーと繋がり、彼の意思と同調してきた。

アインツベルンを守る、后羿のその精神性に変化が現れることは無い。

だが、その糸は、この瞬間切り落とされる。

災害をコントロール下に置く。スネラクの成し得た奇跡は、嘲笑われる。

人類最後の道化師、それがこの倉谷未来であったと、后羿が告げているように思えた。

 

『后羿、ミヤビの声を聞け!』

 

ミヤビは再度、その声を轟かせる。

が、帰ってきた答えは、彼女にとって心地いいものでは無かった。

彼女の災害用特製令呪が、突如燃え上がる。身体に灯る炎を払い除ける内に、彼女はそれをいとも容易く失った。

后羿は、解き放たれた。空の上で、彼はついに動き始める。

 

「どういうことだ、どうなっている!?」

 

狼狽える龍寿の元に、本部オペレーションルームから通信が入る。声の主、リカリーは酷く焦っていた。

 

〈龍寿様、報告!報告です!〉

「何だ、リカリー!」

〈災害のバーサーカーの使役獣が、山岳地帯に出現!まだデータ解析が住んでいない為、悪獣の正体は特定できませんが、このエリアは現在、侵入不可区域に指定されています。念のため、ドローンを飛ばして人がいないか捜索致します!〉

「あぁ、頼んだ。くそ、どうなっている?后羿は止まったんじゃないのか?」

〈あ、あああ、あああああああ〉

「何だリカリー!」

〈田園地帯にも、新たな悪獣が、こ、湖水場付近にも、と、ととと都心部にも、あぁ、ああああ、ああああ〉

「おい、リカリー!」

 

〈『鏨歯』に、『巴蛇』、『封豨』も!?何故、倒された筈じゃ!?龍寿様、后羿の悪獣、全六体が、第六区の各地点にて召喚されました!ど、どうすれば、こんなの…………〉

 

「落ち着け、リカリー。教経はまだ湖水場付近にいる筈だ。一体ずつ、的確に対処していくしかない!」

〈で、ですが、っ……高濃度かつ強力な魔力反応っ…………空から、火の雨が、降って来る…………〉

「リカリー!」

 

〈逃げて下さい龍寿様!皆さんがいる地帯に、炎の矢が、降り注ぎます!〉

 

それは、龍寿の肉眼でも確認できた。

空に浮かぶ、小さな火の玉、確認できるだけで百以上。それらが、徐々に彼らのいる場所へ落ちてくる。

 

「おい、どうなって、いるんだ!ミヤビ貴様ァアアアアア!」

 

龍寿はミヤビの胸倉を掴む。

が、彼女もまた大きく目を開きながら、震えていた。

焼け焦げた令呪の跡だけが、くっきりと残っている。

彼女は目に涙を浮かべながら、小さな声で、謝罪を口にした。

それは龍寿だけに告げられたものでは無いだろう。

この第六区に住まう全ての人間への謝罪。

もう、どうにもならないという諦め。

 

「しっかりしろよ、ミヤビ!貴様が始めた戦いだろう!」

「…………ごめんなさい」

「おい、クソ!クソが!クソ野郎!」

「龍寿様、禮士さまと共に車にお乗りください!急ぎ、この一体から離れます!」

 

遠坂組サーヴァント達が主導となり、皆の避難が開始される。

ミヤビも手錠をかけられたまま、護送車に乗せられた。

龍寿は急ぎ、アーチャー部隊に指示を出す。空の上の対象を撃ち落とせば、この事態は収束に向かうかもしれない。

 

「アーチャー、そしてガンナー、全戦力を投下し、集中攻撃だ。リカリーとオペレーション室は、これのバックアップを頼む。エラルドヴォールに垓令呪の支援を要請してくれ。ここで決めるぞ!」

〈畏まりました。直ぐにアーチャー部隊に指示を出します。〉

 

龍寿は苛立ちを露わにしながらも、隣にいる禮士を気遣い続けた。

熱に浮かされたように苦しむ禮士、彼の身に何が起きているか、龍寿には想像できない。

 

「(僕が、しっかりしなければ……でも、どうすれば……)」

 

龍寿は唇を噛んだ。

遠坂組代表、その重い肩書が今更ながら彼にのしかかる。

彼の判断が、その後の全てを大きく左右する。

災害との融和を目指し続けた結果がこれだ。

彼は頭を掻き毟り、一人で震え続けていた。

 

 

遠坂組総本山、オペレーションルーム。

その場に集ったのは、リカリーを始めとする、遠坂組幹部たち。そして、第四区博物館の面々である。

美頼、ロウヒもまた、この場所にいた。ミヤビに背中を押され、美頼は遠坂組と共に戦う道を選択したのだ。

エラルは垓令呪を起動、遠坂組アーチャー部隊への接続を開始する。

充幸はリカリーと共にドローンを飛ばし、外に出た区民がいないか捜索していた。

教経と海御前は湖水場付近に現れた悪獣と交戦中である。データ解析の末、この悪獣は『九嬰(きゅうえい)』だと認められた。

九つの首を持つ蛇、または竜と捉えられる悪獣であり、巴蛇が洪水の魔物ならば、こちらは火炎の魔物である。もし山岳地帯に現れていたならば、山火事となり壊滅的な被害をもたらしていただろう。

巴蛇と異なり、首が複数ある分、攻撃のパターンを読み切ることが難しい。妖怪退治に秀でた二人であっても、苦戦を強いられている。

 

そしてそれとは別に暴れ回る五体の悪獣。

都心部に出現した封豨が、パークオブエルドラードへと接近していた。

 

「セイバー、ランサー部隊を封豨討伐に回す。あとの悪獣は一旦放置、悪獣が災害の魔力で生み出されたものならば、アーチャー、ガンナー部隊が后羿を仕留めればそれでミッションクリアです。今は耐えるしかありません!」

「リカリーさん、遠坂のセイバー、ランサー部隊は封豨を止められるのですか?」

「鬼頭さん……正直、難しいでしょうね……教経様は今、完全に九嬰に足止めされています。彼らの力を信じるしか……」

「エラル、義経はもう使えないのですか?」

「再調整はしているけれど、こちらに牙を剥くかもしれない以上、今は使えないわ。垓令呪とリンクしていないオートマタは、活動時間も一分弱。申し訳ないわね。」

「……館長がいれば……巧一朗さんも……」

 

充幸は爪を噛んだ。后羿には『后羿射日』という災具がある。これを使用されれば、第四区同様、この地区にも太陽が降り注ぐこととなる。

そうなればもはやゲームオーバー。勝利の兆しはない。

 

「もし太陽が放たれた場合、どうなりますか?」

「以前、第四区に落ちたのが第四等太陽、ですよね。第六区からも観測していましたが、規模を考えるに、第一から第五まで、放たれたら滅亡が確定。第六から第八ならば、半壊、で済むかと。ただ都市機能はいずれにせよ止まるので、どれが落ちても、第六区は滅びます。」

「その前に、后羿を倒し切らなければならない、そうですね。」

「はい。我々遠坂組、そして第四区博物館の明日の為にも。」

 

リカリーと充幸は頷き合った。

たとえ博物館がテロ組織であろうと、関係ない。

この瞬間においては、災害と戦うための仲間である。

リカリーはドローンによる捜索を充幸と他の幹部へ託し、現地に到着したアーチャー部隊へオペレートを切り替えた。

それは第六区の有名観光地、全域を見渡すことの出来るタワーの最上階だ。この地区において、最も天に近い場所である。

部隊長の益荒男は、その目ではっきりと后羿を確認していた。

この災害は衣服を纏うことも無く、ありのままの姿で、空に浮いている。

そして、第六区そのものを俯瞰していた。

 

「見下してやがる。」

〈部隊長、そちらから確認できましたか?〉

「あぁ。顔までばっちりよ。野郎、口を閉じていると思いきや、自ら縫い付けてやがった。俺たちに語るべきことはもう無いと言わんばかりだぜ。」

〈言語による意思疎通は、不可能と。〉

「そっちがその気なら、俺たちもやるだけだっつーな。おい、リカリー、こっちは準備万端だ。」

 

部隊長はそう高らかに叫んだ。

アーチャー部隊は皆、弓や銃を各々構えている。

エラルのバックアップも既に完了した。あとは目標目がけて、全弾打ち込むのみである。

 

「龍寿様、行きます、ここで后羿を仕留める!」

 

リカリーは彼らに向け、声を張り上げた。

 

〈宝具起動!標的への攻撃、開始!〉

 

部隊は矢を番え、弾を込め、各々の宝具を起動する。

それらは全て、空に浮遊する災害へ向けて放たれた。

マキリの垓令呪が一度に数万と使用される。

システムが熱を持ち、壊れてしまう程に、魔力は彼らを満たし続けた。

 

〈いけえええええ!〉

 

オペレーションルームの皆が、固唾を飲み、見守った。

部隊長も、虹色に輝く矢を后羿に向け、発射する。

彼らの宝具は見事、全弾命中した。

 

「よし!」

 

部隊長はガッツポーズをする。

無論、それは見事命中できたことに対する喜びだ、

まだ、この災害を倒し切れたとは思っていない。

彼らは次弾を装填する。一度目の掃射で負わせた傷目がけて、二度目を放つつもりだ。

徐々に、后羿の肉体を削いでいく。リカリーの発案に、彼らは乗り、戦っている。

 

〈部隊長、そちらから后羿の様子は確認できますか?〉

「煙が立ち上っていてな。もうすぐ晴れる…………はず…………」

 

部隊長は通信ユニットをその場に落とした。

彼らは絶句する。

后羿は、動いていない。

その指先すら動かしていない。

だが、一切の傷は無い。

蚊に刺される程度、では無く、蚊にすら刺されることも無く、ただそこに毅然と浮かんでいる。

 

〈部隊長!部隊長!〉

「ああ、マジかよ。流石は災害、だな!」

 

アーチャー、ガンナー部隊は再び、宝具を起動した。

だがそれらもまた、后羿に届くことは無い。

何をしても無駄。そういう絶望に打ちひしがれてしまう。

 

「おいおい、仮にでも俺たちはサーヴァントだぜ。こんなことがあってたまるかよ!」

 

部隊長は何度も矢を番えた。

何度でも、何度でも、腕が千切れようとも、宝具を放ち続ける。

マキリの垓令呪はこの男の思いに応え続けた。

 

〈アーチャー部隊、応答せよ!一度撤退です!これ以上、その場所に留まるのは危険です!〉

 

リカリーの声は、届かなかった。

彼らの最期、渾身の一撃すら、掠り傷ともならず。

后羿が、彼らの方向を向くことも無く。

 

反射した彼らの宝具が、彼らに直撃した。

 

后羿は無敵だ。

あらゆる攻撃を阻み、無かったことにする。

同じ土俵で戦うなどという考えは早々に捨て去るべきだったのだ。

彼らは彼らの切り札により、焼き尽くされた。

アーチャー、ガンナー部隊はタワーの頂上で、全軍消滅する。

天に留まる后羿を倒す手段は、もはや残されていない。

 

「アーチャー部隊、応答せよ!応答せよ!」

 

枯れた声でなおも叫び続けるリカリー。

返答はない。

ただのオートマタに戻ることなく、粉々に吹き飛ばされた。

后羿は何もしていない。

彼らは、彼らの力に沈んだ。

災害に攻撃が通じる等、考えることそのものが愚かであったのだ。

リカリーは絶句する。

遠距離から攻撃を行えるサーヴァントは、海御前などを含め、あと数騎に限られた。

打つ手はない。

 

「リカリーさん!」

「…………」

「リカリーさん!」

「……っ」

 

充幸の声に、リカリーは意識を取り戻した。

彼は放心状態だった。それは幹部たちも同じだろう。

リカリーは急ぎ、別モニターで現状を観測する。

 

教経と海御前は九嬰と交戦中。そこに鏨歯までも現れ、危機的状況に陥っている。

都心部から現れた封豨はセイバー、ランサー部隊と戦闘中。遠坂組戦力の七割強がこの悪獣に殺された。パークオブエルドラードはもはや目の前である。

そして后羿は再び、矢の雨を降らせようとしている。目標は恐らく、龍寿と禮士が乗るトラック。彼らの命が危ない。

 

「あ、ああ」

 

どうすればいい?

リカリーも、充幸も、この場にいる全員が、何も出来ぬままに茫然とモニターを眺めていた。

 

「龍寿様に、連絡を…………」

 

リカリーは通信ユニットの連絡先を龍寿へと設定する。

だが、何度コールしても、彼には繋がらない。

何かがあったのか。リカリーの心拍数は最高潮に達した。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

運動している訳でもないのに、呼吸が荒い。

汗も止めどなく流れ落ちる。

眩暈がする。吐き気もする。

どうして自分がこんな目に、とも考えてしまう。

 

「リカリーさん!?」

 

リカリーは極度の緊張から、その場に倒れ込んだ。

そんな彼に、真っ先に駆け寄ったのが、アマゾニアだ。

彼女はその屈強な身体で、小柄なリカリーを抱き留める。

 

「アマゾニア……すみません。」

「まだ、現実逃避するには、早いぞ。……アタシが、封豨を止める。」

 

リカリーは唇を噛む。

分かっている。アマゾニアでは、后羿の悪獣には勝てない。

彼女の提案は、ただの時間稼ぎだ。

ここで彼女を行かせてしまったら、彼女はもう……

 

「リカリー、龍寿が答えねぇなら、今は幹部のお前が、遠坂組の長だ。」

「…………っ」

「お前は、知恵の無い筋肉女を、作戦会議室に放置するつもりか?」

「アマ……ゾニア……」

 

リカリーは彼女の手から離れ、決断する。

アマゾニア率いる部隊を、封豨討伐へ向かわせる。

それが意味することを、理解した上で。

 

「お願いします、アマゾニア。パークオブエルドラードを、区民の皆を、守ってください。」

「了解だ!」

 

アマゾニアは高速で駆け下りていく。

そしてその背を、ロウヒは眺め続けていた。

 

「バーサーカー?」

「美頼、我も行こう。」

 

ロウヒは充幸にアイコンタクトした。

それは、美頼を任せた、というもの。

彼女もアマゾニアの後を追う。

 

「バーサーカー、大丈夫だよね。」

「危険ではない、とは言えません。ですがロウヒさんには無限鋳造機サンポがあります。魔獣を切り裂く剣すらも生み出せる固有結界があれば、きっと。」

「そうだね、バーサーカーにはサンポが…………あれ?」

 

美頼はそこで気付く。

彼女の手に握られている、古びた鍵、それは先のミヤビとの戦いで、無限鋳造機サンポへと変化した。

そしてヴェノムの力でロウヒの力を宿したミヤビは、サンポを持っていなかった。かの無限鋳造機は世界に一つしか存在できない。

ならば、今、サンポを所持しているのは美頼である。

 

「どうしましたか、倉谷さん?」

「たたたたたたいへんだ!私も行きます!」

「えぇ!?」

「バーサーカーは今、サンポを持っていない!」

 

美頼は充幸の静止を振り切り、階段を駆け下りた。

ロウヒがそのことを忘れてしまっているのか。

否、欲望の化身たるロウヒがサンポの在処を見失うはずなど無い。

彼女は、自らの意思で、サンポを手放したのだ。

 

「バーサーカー、どうするつもりなの!?」

 

美頼は嫌な予感がしていた。

迷宮でのミノタウロスとの戦いを思い出す。

 

「……ポーランドの詩人が残した、『三つの不思議な言葉』という概念。三つの矛盾を知っているか?」

「え、急にどうしたの?知らないけど…」

「一つ目が『静寂』、二つ目が『無』、そして三つめが『未来』だ。静寂を口にした時点で、その場に静けさは無くなる。無を口にした時点で、それは有となり、未来を口にした時点で、それは過去のものとなる。」

「えっと……なるほど?」

「言の葉は生き物だ。流動し、成長し、時代と文化で形状変化を起こす。だが、変わらぬものがあるのもまた事実だ。これから多くを経験し、誰かの為に走り抜けるだろうお前は、そのことを決して忘れるな。貴様の願望もまた、絶えず駆動するのだから。」

 

ロウヒの言葉。

その意味が、彼女にはまだ理解できない。

だが、もしも、彼女が彼女の物語『カレワラ』を準えて、そう告げたのであれば……

変わらないものとは、つまり。

 

「バーサーカーっ!」

 

美頼は全速力で駆けて行く。不安を掻き消す勢いこそが、今は必要なのかもしれない。

 

 

時間は、十七時をまわった。

 

龍寿の車両一向に向けて放たれた火の矢の雨は、内の一つを焼き尽くした。

乗っていたのは、遠坂組機動隊の面々だった。四騎のサーヴァントが、奇跡的にも龍寿たちを守る形で消滅した。

そして残りの車両は回避できたのも束の間、道路を瓦礫で塞がれ、立ち往生していた。

いま、サーヴァント達が瓦礫の撤去に努めている。

 

禮士は痛みに苦しみながら、何とか意識を保ち続けていた。

この痛みの正体が何か、彼には想像がつかない。

后羿と今なお繋がっているから、そんな世迷言こそが真実なのかもしれない。

ならば、彼の手に宿る三画は、意味のあるものなのだろうか。

 

「大丈夫かい、禮士。」

 

龍寿は心配そうに彼を覗き込んだ。

だが禮士は、彼に対し怒りを露わにする。

 

「龍寿、先程のことだ。何度も、何度も、リカリーから通信コールが鳴っていただろう?何故、出なかった。」

「……后羿が、我々へ向け攻撃を仕掛けてきたから。」

「違うな。火の矢が降り注ぐまで、時間はあった。運転していたのも君じゃない。君は、その時、リカリーに応答することが出来た筈だ。遠坂組代表として、最前線で戦う彼らに、かける言葉があった筈だ、違うか?」

「…………」

「龍寿。遠坂龍寿だろう、君は。第六区のヒーロー『遠坂組』の指揮官、それが君だ。」

「っ…………」

 

龍寿は禮士の胸倉を掴んだ。

 

「五月蠅い!五月蠅いんだよ!僕は、僕は、遠坂家に生まれて、人生を全部決められて、勝手にそうなっただけに過ぎない!でも、それでも一所懸命やってきたさ!災害に逆らわず、共存を目指して、誰も傷つかない社会を作ってきた、作ろうとしてきた!でも、でもそれは、無駄なことだった。区民どもも、遠坂組を信頼していると言いながら、その実、汚れ仕事を押し付けて来ていただけに過ぎなかった!僕は、鉄心でも、禮士でもない!僕はヒーローじゃない!」

「龍寿……」

 

テレビの中のヒーロー『仮面セイバー』は慈愛の戦士。

誰にでも手を差し伸べ、感謝される訳でもないのに、孤独に戦い続ける。

でもそれは只の御伽噺。

見返り無くして、慈愛は成り立たない、それこそが現実。

褒められもせず、当然のように求められ続けた龍寿には、現実が余りにも過酷だった。

そして、遂にそこから逃げ出した。この瞬間、彼は戦うことを辞めた。

 

「僕は、第六区から逃げるよ。」

「…………龍寿」

「勝てる筈が無いんだ。当たり前のことじゃないか。自分の身は自分で守る、それがこの世界の鉄則だ。」

「それで、本当にいいのか?」

「……いいさ。……おい、早く瓦礫を撤去してくれ。第一区へ亡命だ。急いでくれよ。」

 

禮士はこれ以上、何も言わなかった。

龍寿の立場も、その辛さも、彼は知っていたから。

彼が逃亡という選択をしたならば、禮士はそれを受け入れるつもりだ。

無論、衛宮禮士はそれでも第六区に残る。

まだ、この場所には、今も戦い続ける大切な人がいるからだ。

 

一方、パークオブエルドラードの目と鼻の先まで侵攻する封豨を、アマゾニアは果敢に留めていた。

既に部隊は全滅した。残るは剣闘士のアマゾニア一人。だが彼女も、もはや死に体と言って差支えが無い程だった。

 

「あぁ、畜生。アタシは弱いな。」

 

耐久力には自信があった筈だが、こうも蹴りや突進を繰り返されると、自慢の筋肉もまるで機能しない。

それでも彼女は何度でも立ち上がる。猪の足に飛び掛かり、その肉を歯で嚙み千切る。コロセウムでの、彼女の戦いそのものだ。

生きる為ならば、何だってやる。

醜さが晒されても構わない。意地汚くても構わない。そうやって生きてきたのだ。

 

「行かせる訳にはいかねぇえええ!」

 

アマゾニアは命懸けで侵攻を食い止める。

だが封豨は、手で虫を払い除けるように、アマゾニアを突き放した。

彼女の身は軽々しく飛ばされる。

 

「うぐぁああああああああ」

 

地面に転がり落ちる肉体。

そしてその上から、巨大な足が覆い被さる。

超重量による踏み潰し。これによって数多のサーヴァントが命を落とした。

 

「っツ」

 

アマゾニアは両手を突き出し反抗するが、力の差は歴然。

いとも容易く、彼女の両腕は折られた。

だが、心臓までも潰されることは無かった。

封豨の足を押し返す、無数の手が地面から生え出た為だ。

 

「っく、んだよ……何が……」

「貴様では役不足だ。下がれ。」

 

どこからともなく生えた触手が、封豨の身体を絡めとる。

そして後方へ投げつけた。

これはイクトゥルソの能力である。アマゾニアが朽ちるその直前に、ロウヒは間に合ったのだ。

 

「てめぇ、博物館の……」

「ポホヨラの帝『ロウヒ』だ。貴様の恩人の名をその頭に刻んでおけ。」

 

ロウヒはイクトゥルソの頭に乗り、現れる。

封豨とイクトゥルソの二体の獣が対峙した。互いが歴史に名を刻んだ怪物である。

封豨はその肉体に水を取り込むことが出来る。海の魔物たるイクトゥルソには分が悪い戦いだ。

だがロウヒは余裕そうな表情を浮かべている。彼女の中で明確な勝算があるようだ。

 

「カレワラの悪女か。一体、どう切り抜けるつもりだ?」

 

封豨の突進を、無限の触手で留めるロウヒ。

そして、首元の噴出口に目を付け、一本の触手をそこへ突き刺した。

暴れ回る封豨は、手足の触手を千切り、ロウヒに目がけて駆けてくる。

だが鎖のように伸びた手は何度も、何度も、これを阻み続ける。

封豨にとってこの繰り返される動作は、苛立たしいものだった。

だが、触手の数に制限はない。文字通り、無限。

何度でも縛り上げ、何度でも吊るし上げる。

 

「さて、これは効くか?」

 

ロウヒは噴出口に刺さる触手を使い、イクトゥルソが取り込んだ海水を体内に送り込んだ。

その時、ロウヒはカレワラの物語で使用した、病原菌という毒をそこへ注入する。

掌に編み出した毒を、触手に流し込む。

それはイクトゥルソにとっても耐えがたい激痛だ。これはロウヒにとって捨て身の戦法に近い。

そして、同時に封豨の体内に流れ込む毒は、この怪物を内側から腐らせていく。

 

「すげぇ」

 

教経と海御前の戦術と同じ。

体表が恐ろしく硬ければ、内側から攻撃を加える他無いのだ。

だが、教経と海御前が二人がかりで成し遂げた技を、たった一人で行使している。

アマゾニアから見て、ロウヒはまるでゲームの最終ボスの立ち振る舞いだった。

 

「腐れ。内臓から全て、腐ってしまえ。」

 

イクトゥルソと封豨は同時に悲鳴を上げた。

ロウヒは自らの使役する獣にも容赦がない。

勝利の為に、持てる武器は使い潰す。イクトゥルソは、彼女を勝利へ導くための道具に他ならない。

その容赦のなさこそがロウヒを悪女たらしめている。

 

「封豨が、溶けていく……」

 

アマゾニアが命を懸けても倒せなかった相手を、ロウヒはいとも容易く黙らせた。

サーヴァントとしての格の違いを見せつけられた気分である。

封豨はロウヒの手によって消滅した。

彼女は、アマゾニアの元に歩み寄る。

 

「ありがとう、第四区博物館のサーヴァント。」

 

アマゾニアは立ち上がり、その手を伸ばした。

が、ロウヒが握手に応じることは無かった。

 

「……獣臭い女の手は汚らわしいか?」

「いや?……我には、貴様の手を取る資格は無い、そう思っただけだ。」

「資格?」

「我は、過去に貴様の友を殺している。」

「は?」

 

ロウヒはアマゾニアに背を向け、立ち去ろうとする。

当然アマゾニアは彼女を引き止めた。

 

「どういう、ことだよ。」

「アキリアを殺害した相手こそ、我だ。そう言った。」

「アキリアを、てめぇが?」

「あぁ。弁慶が暴れている間にな。我はそれを謝るつもりもない。いま貴様とは共闘する気も無い。助けた、つもりも無い。」

「んだと?」

「貴様は貴様の仕事をする。我は我として戦う。ただそれだけだ。」

 

アマゾニアはロウヒに殴り掛かろうとする。

だが、その直前で拳を収めた。

 

「致命傷の貴様の弱った打撃ならば受けてやっても構わんぞ?」

「…………何故、いまその話をした?てめぇにはメリットが無い筈だ。」

「メリットもデメリットも無い。貴様では我には勝てん。加えて、仲間にしても足手まといだ。」

「なら、猶更だ。話す意味なんてねぇ。アタシの手を取るのが嫌なら、ただ無言で弾けば良かった筈だろ。」

「…………そうさな。」

「好意も、敵意も、てめぇにとって同じものならば、無関心であれば、それでいいだろ。」

「最もだ。ならば告げよう。偉大なる剣闘士である貴様に。」

 

ロウヒは振り返り、アマゾニアの手を振り解いた。

 

「アキリアは、最期まで泥臭くも、勇敢だった。王が、認めてやる。」

 

ロウヒの目に偽りは無い。

真っ直ぐに、アマゾニアに告げた。

 

「そうかよ、なら、良い。てめぇを許すことはねぇが、それならば、良い。」

「許される必要も無い。貴様も剣闘士ならば、最期まで運命に抗い続けるといいさ。」

 

互いに互いを睨み続ける。

遠坂組の戦士と、アインツベルンの女主人。

彼女らは相容れない存在。それでも、拳を振り上げることは無かった。

 

そしてようやく、ロウヒの元に、美頼が到着する。

アマゾニアとロウヒのスピードに追い付くことが出来ぬまま、美頼は走り続けて来た。

彼女は肩で息をしながら、ロウヒに古びた鍵を押し付ける。

 

「忘れものだよ、バーサーカー。」

 

無限鋳造機サンポは、いま、ロウヒが所有すべき力である。

それはきっと、この地に集う彼女を知る全ての者が思う筈だ。

だがロウヒは、これを拒んだ。

 

「バーサーカー?」

「お守り、と言ったろう。今は美頼を守護するものだ。」

「でも」

「サンポの所有者は変わった。我は真に、無限を手放したのだ。」

 

でも、それは———

美頼は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

口にしてしまうと、手遅れになりそうだったから。

 

「確かに、サンポが無い方が、バーサーカーはずっと、ずうっと強いもんね。」

「……美頼」

「なに?」

「空を、見てみろ。」

 

美頼はロウヒの言うままに、空を見上げた。

時刻は十七時、もう、太陽は西の方角へ落ちている。

だが、昼のように眩しい。少し暑すぎる程だ。

無我夢中で走っているときは気付かなかった。

いま、一つの太陽が真上に上っている。

 

「え……」

 

后羿の災具、『后羿射日』。

太陽を落とした伝説の再現が、成されようとしている。

災害のキャスター『ダイダロス』が命を賭して止めたもの。

同じ災害すら殺してみせた必殺災具が、またも、繰り出されようとしていた。

 

「あ……」

 

美頼と同じように。

第六区にいる全ての人間が、英霊が、こぞって空を眺めた。

ただポカンと口を開けたままで。

誰もが、事態の深刻さを認識出来ぬままに。

 

后羿がそれを放つとき。

伝承通り、暴れ回る悪獣は消滅する。

きっとそれすらもエネルギーに変えて、その絶技は放たれるのだ。

得てして、世界の終わりというのは静かなものだ。

人間は、それを認識することが出来ない。

どこか物語のように、目の前の事象を捉えてしまう。

英霊は別だが、それでも、いまこの太陽に立ち向かえるものは誰一人存在しない。

誰もが、ただ茫然と、その終幕を受け入れた。

 

「第五等太陽。ダイダロスが止めたものよりはマシだが、第六区は全滅だろうな。」

「バーサーカー……」

「美頼、后羿はもはやその弓を引いている。手遅れだ。」

「あ……あぁ……」

 

この地に立つ人間の中で、

美頼が最初に、自らの『死』を認識した。

至って冷静なロウヒの言葉のお陰かもしれない。

彼女の唇は、身体は、徐々に震え始める。吹き出る汗と涙。それを抑える為に、ロウヒにしがみつく。

 

「どう、しよ。どうすれば……」

「手遅れだ。」

「逃げなきゃ……そうだ、逃げないと!」

「間に合わん。隕石が降ってくるのと同じだ。」

「じゃあ、どうしよう……」

「潔く死ね。人類にはどうすることも出来ん。」

 

ロウヒは冷たく、そう切り捨てた。

美頼はそれでもロウヒに抱き着いたまま、離れない。

深刻さを認識し、泣きじゃくりながら助けを乞う。

 

「嫌だよ、死にたくない、死にたくない、死にたくないよ、コーイチローに告白とかしてないし、デートもしてないし、キスとかも、まだだし」

 

巧一朗とデートがしたい。

鉄心や充幸と遊びに出掛けたい。

ロウヒと馬鹿みたいに笑っていたい。

 

やりたいことが、まだ沢山ある。

こんな呆気なく、終わって良い筈が無い。

だから泣き叫ぶ。泣いたってどうにもならないが、それでも叫び続けた。

 

「バーサーカー、私は……まだ、死にたくないよ」

「それは、人間が抱く当たり前の感情だ。未来の心そのものである貴様もまた、当たり前に生存を願う。」

 

ならば、とロウヒは美頼に向き合った。

そしてその肩に手を置いた。

 

「どうして、ヒトを殺してはいけないのだと思う?」

 

美頼は、目を見開いた。

ロウヒの吸い込まれそうな赤い瞳が、真剣に、美頼を見つめ続けている。

 

「道徳的な解は不要と、貴様は言ったな。だが、人間は他の動物と異なり、脳が高度に発達している。己の感情を、言語化できる。言の葉を紡ぐことが出来る。ならば貴様自身がその答えを言ってみせろ。」

「…………っ」

「出来ないだろう、出来なくて当たり前だ。人間はその解を見つけていないから、未だに争い続けているのだ。」

「…………私は……」

「この議論は果てしなく無駄だ。これを言っている今も、世界は終末へと向かっている。貴様の教師はいない。貴様がこれから生きていく中で、自らの答えを探していく他無いのだ。」

「生きていくって、もう、私たちは死んじゃうのに?」

「死にはしない。貴様もとうの昔に気付いていた筈だ。まだ人類には、この太陽を止める術があると。全てはこの時の為に、あったと。」

 

美頼はハッとする。

そうだ。気付いていた。気付いていながら、逃避していた。

それは美頼にとって、心地いい解答では無かったから。

『カレワラ』の物語で、ロウヒはサンポを奪われ、そして狂う。

彼女は様々な手で主人公を、世界を、混乱に陥れた。

暴れ回る熊や猟犬、まき散らされる病気、海魔イクトゥルソ。

そして、彼女の最大の罪。大魔女ロウヒの成し得た、最大の悪行。

 

「月と太陽を、隠した。」

 

大魔女ロウヒは、『カレワラ』の物語の中で、月と太陽を奪い去り、暗黒を齎した。

それこそが、ロウヒの言う『術』なのだとしたら、彼女はオアシスで、その奇跡を起こそうとしている。

 

「私は、生きていける?」

「ああ。誰も死なない。この瞬間だけ、第六区は、守られる。無論、また后羿射日が行われたらバッドエンドだがな。そこは貴様らが考え、立ち向かっていくしかない。逃げるのも一興だがな、いつまでも逃げ続けられるとは思うなよ。」

「この瞬間だけって……」

 

月と太陽を消した悪戯。

これを行ったからといって、ロウヒは死ぬわけでは無いだろう。

美頼はそう思い、そして、それを否定する。

先程、気付いたばかりでは無いか。

無限鋳造機サンポに囚われ、欲のままに生きてきたロウヒ。

ロウヒの願望が永久に駆動する限り、その存在証明が成される。

もしならば、

彼女の願望が叶ってしまったなら。

それは彼女の『カレワラ』の終幕に他ならない。

月と太陽を奪うから、では無い。

もうこの場に立つロウヒには、オアシスに残る意味が無かったのだ。

それがサンポを手放すという選択。

彼女は、己の欲を、望みを、全て捨て去り、ただ一人で災害に挑む。

 

「おかしいよ、バーサーカー、貴方の望みが叶ってしまったなんて。」

「気付いたか?」

「おかしいよ。どんな英霊よりも欲望のままに生きていた貴方が、こんなことで満足する筈がないもの。何が、願いだったの?ポホヨラの女帝ロウヒが、本当に望んでいたものは何?」

 

美頼の問いかけに、ロウヒは答えなかった。

彼女の中にある羞恥の感情が、これを邪魔したからだ。

サンスイの望み、未来という一人の少女を守ること。

それはきっと成された。

もう大丈夫だ。そうロウヒは判断した。

終身介護にまで、駆り出されるのは御免だ。ロウヒは王であり、従者では無い。

この気ままさこそが、ロウヒを王たらしめている、かもしれない。

 

「さて、以前我は、ヒトを殺しては駄目な理由に、貴様が王では無いから、と答えたな。」

「そう、だね。」

「我は王だ。我は自らの気の向くままにヒトを殺す。我が法であり、我が正義だからな。」

「無茶苦茶……」

「だが美頼、王は殺すばかりでは駄目だ。それは暴君であり、そういう王は大抵、革命家に反逆される。王も死にたくは無いからな。」

「…………」

 

ロウヒは美頼の頭に手を置き、

初めて、満面の笑みを見せた。

 

「殺すのが王ならば、守るのもまた、王なのだ。」

 

ロウヒはそう言い残し、美頼の前から立ち去る。

美頼はもう、涙を流さなかった。

自らのサーヴァントが、英雄として、戦うのだ。

誇らしく、胸を張るべきだ。ロウヒが、それを求めている。

だから美頼は最後に、声を枯らして叫んだ。

 

「いってらっしゃい!ロウヒ!」

「あぁ、行ってきます、マスター」

 

 

ロウヒはアーチャー部隊が死んでいった塔を登る。

この屋上は既に潰れている為、今の実質的な最上階は三階である。

空を見上げながら、彼女は変化のスキルを用いた。

彼女の背からは大きな翼が生え、その身体は怪鳥と化す。

人々が彼女を見たならば、后羿の悪獣と誤認識するだろう。

この鳥の姿でサンポを追いかけ続け、そして海の藻屑となった。

自由なる翼など、そこには無かったろう。

あったのは醜い執念。

この穢れた翼にはお似合いだ。

 

だが、今は何故だろうか。少し誇らしくも感じる。

 

ロウヒは骸骨のような顔を、手でゴシゴシと掻いた。

人間の時のようにはいかない。全身が凶器のように尖っていれば、自らも傷つけてしまうものだ。

 

「未来、そして美頼よ、達者でな。」

 

ロウヒは未来に会わない選択をした。

彼女の存在が、未来の覚悟に水を差すと思ったからだ。

きっともう大丈夫だ。未来の物語は、きっともう間違えない。

彼女を支える者がいる限り、彼女はもう迷わない。

 

「さて、飛ぶか。」

 

ロウヒはその翼を広げ、飛び立つ。

目標は、接近する太陽。

ダイダロスが太陽を止めたのに対し、彼女はそのまま突っ込んでいく。

そして悪行通り、太陽をどこかへ隠してしまう。

彼女が消滅すれば、その隠し場所は永遠に明かされない。

 

人々は、太陽に向けて真っ直ぐに飛んでいく鳥を見た。

それがロウヒだと、誰もが気付かない。気付く筈も無い。

それでいい。

物語の悪役は、それぐらいが丁度良いのだ。

 

『我が願望は凍土に眠る(ラコーデラ・カレヴァラスタ)』

 

彼女の翼も、彼女の献身も、彼女が元来持つ宝具では無い。

これは今、彼女がその場で名付けたもの。

己を鼓舞するための言の葉。

未来へ、美頼へ、伝えたかった想い。

 

太陽に衝突しながら、ロウヒは奇跡を体現する。

その圧倒的質量に潰されながら、彼女の伝承は具現化した。

 

消失する太陽。

そして消えゆくロウヒの魂。

 

燃え滾る怪鳥は、人々の目に、不死鳥の如く映った。

ただ一人、美頼だけは、彼女が決して蘇らないことを知っている。

ロウヒは空の上で、孤独に死ぬのだ。

だが、それでも、美頼と、そして未来には届いていた。

ロウヒの最期の言葉。

 

『カレワラより愛を込めて』

 

これから、また世界は后羿の力にひれ伏すだろう。

后羿の悪獣は何度も蘇り、召喚される。落としていない太陽は、あと六つも存在している。

だが、このときばかりは、誰もが希望を抱いただろう。

まだ、諦めては、いけないと。

終末には、まだ早いのだと。

 

それはきっと、この男にも。

 

瓦礫が撤去され、第一区に逃げる準備の整った龍寿は、不死鳥の煌きを見届けていた。

そして、それに涙した。

諦めていない者が、そこにいた。

遠坂組が守ってきた第六区を、なおも守ろうとする者がいた。

ただそれだけのことが、龍寿の心を奮い立たせる。

 

「龍寿。」

「禮士、パークオブエルドラードへ向かう。区民の皆さんの安全を確認するんだ。」

「龍寿……っ」

「まだ、終わっていない。僕たちは、まだ、出来ることがある。」

「なら、急ごう。」

 

明日には世界が終わっているかもしれない。

それでも。

第六区のヒーローは、このとき、立ち上がったのだ。

 

 

 

【蹂躙編⑥『カレワラより愛を込めて』】

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蹂躙編7『彼女は何故走るのか』

蹂躙編完結まで、あと5話!

感想、誤字等ありましたらコメントにお願いします。


濁る。

 

〈オンユアマークス〉

 

濁る。

 

〈セット〉

 

空が濁る。

 

大地が濁る。

 

音が濁る。

 

駆け出す。駆け出す。駆け出す。

 

「あ」

 

私は口を開けたまま、固まった。

手も、足も、動かない。

氷の塊のように、硬い。

 

「雷前?」

 

先生が私に歩み寄る。

私は酷く怯えていたように、思う。

 

「どうした、雷前。」

 

先に走り出した皆が止まり、一同に振り返った。

クラウチングの姿勢で固まる私を、見下しているように思える。

 

「どうしてだ、雷前。」

「先生」

「どうして、お前は『そう』なのだ。雷前。」

 

ホイッスルが、鳴った。

防犯ブザーのような警笛が、鳴り響いた。

 

走らなきゃ。

何の為に?

分からない、でも、走らなきゃ。

 

誰かが、そうしろと、告げている。

 

私は駆け出した。

腕を振り、足を振り、前へ、前へ。

 

ホイッスルの音が五月蠅い。

耳を突き抜ける不快感。

ならば、音より速く、速く。

もっと先へ。

 

しがらみのない場所へ、私を運んでいけ。

 

軋む、軋む、軋む。

揺れる、揺れる、揺れる。

 

音が私に追い付いた。

纏わりついて、離れない。

おばけのように、身体を乗っ取ろうとする。

 

ゴールテープは目の前だ。

私はそこへ手を伸ばす。

誰かが、そこで、待っていた。

それは、私のたった一つの希望。

今はもういない、あの人の影。

 

「先輩……っ!」

 

だが、私はその手を掴めない。

音の幽霊に足を取られる。

 

「あ」

 

そして、ようやく気付く。

私を追いかけていた音は、ホイッスルじゃなく、

クラクションと、サイレンだった。

 

歪んだ視界の先で、確実だったもの。

それは、私の足が潰れていたこと。

 

先輩がくれた時間は、もう二度と手に入らない、ということ。

 

あの日は終日、大雨だった。

横断歩道を渡っていた私は。

居眠り運転のトラックに轢かれ、

両足を切断した。

 

私の夢は、呆気なく散って行った。

 

 

パークオブエルドラード

敷山家に与えられたルームにて。

 

遠坂組幹部による、何度とも分からない区民説明会へ出席する父母と幼き妹、そして留守番として部屋に残された長男の俊平。

彼らの好意により居候するアダラスは、この機会を狙っていた。

彼女は自らの鞄に隠し持っていたカプセルを取り出すと、それを俊平のドリンクに混ぜる。

これを口にしたとき、幼き命はいとも容易く刈り取られるだろう。

アヘル教団のセントラル支部に属する人間にとって、暗殺などお手の物。

で、ある筈だ。

ショーンやモゴイは手慣れているが、アダラスにはまだその経験がない。

ウラルン同様、彼女もまた、英霊を殺せても、人間は殺せない。

ウラルンは確固たる意志で、ヒトを害そうとしない。あくまで英霊と、それに分類される存在のみにヴェノムの力を振るう。

アダラスはただの臆病だ。強き者に挑む気概はあっても、弱き者には手を出せない。

ヴェノムには必要のない、彼女の良心が、それを邪魔する。

 

「やらなきゃ」

 

彼女にとって絶対なる存在、ザッハークがやれと命じたのだ。

彼女にもう一度、走る力を与えた、神様のようなヒト。

先生の期待に、生徒は答えるべきなのだ。

そう考えると、アヘルはどことなく部活動に似ている。

名門校陸上部のエースだったアダラスには、アヘルの方がむしろ心地の良い場所だ。

 

「ごめんね」

 

アダラスはキッチンで二人分のオレンジジュースを用意し、子ども部屋へ車椅子を転がした。

敷山家に与えられた部屋は手狭な印象を受ける。遠坂組に幾ら出資したかで、部屋の大きさが変わるらしい。

この場にいる富裕層たちには寒気を覚えるが、敷山家は彼女にとってどこまでも温かい存在だった。

だからこそ、別れは、静かに済ませたい。

眠るような、安らかな死を、彼らに。

アダラスは決意のもとに、部屋の戸を叩いた。

俊平はアダラスがジュースを持ってきたことに大喜びする。

その場で手に取り、飲み干すかに思えた。

 

「ありがとう、アダ子おねーちゃん!そこに置いといて!」

「あ、うん。俊平君は今何をしているの?」

「部屋の片づけだよ。さっきお母さんに怒られてさ。帰ってくるまでに片付けなさいって。」

 

確かに、俊平母の怒りはもっともだ。

彼は自宅であるかのように部屋を物置小屋にしている。

玩具の数々は、踏めば激痛を伴う事必至だろう。車椅子のアダラスは一歩も部屋に入れない。

彼女はやれやれといった表情見守りつつ、部屋の様相を改めて確認する。

散らばった玩具や漫画雑誌の下に埋もれた、金の輝きに彼女の目は吸い寄せられた。

 

「これ」

 

アダラスが手にしたのは、黄金のトロフィーだ。

そこには、全国小学生陸上大会優勝の文字が刻まれている。

彼女は幼い頃から短距離の選手として名を馳せていた、故に、このトロフィーが如何に入手困難なものかを知っている。

全ての地区から集められた選りすぐりのエリートが種目別に戦い、優勝者を決める、年に一度の大運動会。

かつて彼女も、同じものを手に入れた。

 

「俊平君、これ」

「あー。昔のやつ」

「こんなところに置いちゃダメでしょう?」

 

アダラスはそれを取り出し、俊平へ差し出した。

栄誉ある称号を、粗雑に扱うべきではない。

彼女は笑みを浮かべながらも、心の内にドロドロとしたものを抱えている。

 

「いや、いいよ。捨てる。」

「え?」

「僕はもう走るの、辞めたから。」

 

俊平はそれを拒んだ。

それはアダラスにとっては全く想定外な答え。

彼女は眉を潜めつつ、俊平の真意を問うた。

 

「どうして?」

「どうして、って言われてもなぁ。うーん。」

「優勝したんでしょう?凄いじゃん。どうして続けないの?」

 

彼女の口調に怒気が含まれた。

彼女が無念にも諦めた全てを、この少年は有している。

恵まれた環境にいながら、力を持っていながら、いとも容易く投げ捨てる。

この金杯は、ガラクタに埋もれて良いものでは無いのだ。

 

「走る理由が、分からない。」

「え?」

「沢山期待されて、同じ数だけガッカリされて、それでも頑張って、頑張って、頑張って、一位になったら、なんで走ることが好きだったか忘れちゃった。家がお金持ちなら、練習の機材とかもいっぱいあるんでしょって言われたりするしね。なんかもう、どーでもいい。」

 

俊平は終始笑顔だった。

その小さな身体には、余りにそぐわない、希望と絶望が乗りかかっていた。

求められたことに応じ続けて、彼は壊れた。

そして諦めた。

 

「あ」

 

アダラスはハッとした。

彼女もまた、同じように、期待され続けていたから。

走ることはきっと好きだ。でも、何故それが好きかは分からない。

彼女はたまたま、ある日その道が絶たれ、悲劇のヒロインになった。

誰もが、彼女に期待しない。被害者を哀れみ、笑顔で寄り添ってくれる。

だが俊平は

これから先も、言われ続けるのだ。

恵まれた環境にいながら、諦めた臆病者と。

アダラスは、俊平の気持ちが誰よりも理解できる、筈だった。

だが、彼女もまた、オーディエンスとして俊平に問うてしまった。

『どうして』と。

 

「俊平君」

「ん?」

「いま捨てちゃおっか、このトロフィー。」

「え、いま?」

「良くないけど、この窓の外へ、ポイって。」

「えぇ、いいのかなぁ?」

 

アダラスは壁を支えに、何とか立ち上がる。

そして玩具の山に転がりながら、匍匐前進の要領で窓際へと向かった。

俊平はその行動に驚き、彼女を小さな身体で支えようとする。

 

「おねーちゃん?」

「一緒に行こ?窓の近く。」

 

俊平の身体に寄り掛かるアダラス。

少年にとって、五歳は違う筈の彼女は、えらく軽かった。

ゆっくりと、窓際へと歩いて行く。

そして、アダラスは大きな窓に手をかけた。

 

「捨てて、いいのかな?」

 

俊平は怖気づく。

父母に怒られることよりも、もっと深いもの。

彼の努力の全てが、この瞬間消えてしまいそうで。

取り返しのつかないことに、なってしまうのかもしれない。

アダラスはそんな俊平に微笑みかけた。

 

「走りたくなったら、走ればいい。こんなものが無くたって、俊平君は走れるでしょう?」

 

俊平は幼いながら、彼女の気持ちに気付いた。

きっと彼女も、同じなのだ。

でも、彼女はもう、走りたくても、走れない。

 

「分かった。投げ捨ててみる。」

 

ここから投げ捨てても、誰かがまた拾ってくるかもしれない。

それでもいい。

今必要なのは、俊平に取りついた、期待と失望のお化けを取り除いてあげること。

少年は大きく振りかぶった。

 

そして、金の杯が窓の外へ飛んでいく。

丁度その時、明るい空に、大きな鳥が飛んでいくのが見えた。

 

「わあ」

 

飛んでいく金色と

真っ赤に燃える炎の鳥。

不死鳥の如き様は、俊平の心に火を灯す。

 

「おねーちゃん、鳥が」

「見えてるよ。」

 

后羿の放ちし、第二の太陽。

その余りにも巨大なものへ、果敢に挑む一人の英霊。

その美しさは自由そのもの。

だからだろう。アダラスは目に涙を浮かべ、それに見惚れていた。

 

「きっと、また走れるよ。理由なんて、何でも良いんだから。」

「何でも?」

 

アダラスはドラッグの溶けたオレンジジュースのグラスを掴み、

トロフィー同様、窓の外へ放り投げた。

 

「えぇ!?おねーちゃん!?」

「結構高価なグラスだったから、割れたらママに怒られちゃうかもね。」

「そりゃそうだよ!何やってるの!」

 

焦る俊平を見て、涙を浮かべ笑うアダラス。

これでいい。

きっと、これで。

彼が再び走り出すまで、彼女は彼を殺さない。

そう決めた。

災害先生に怒られるとしても。

 

「怒ったママから、必死に走って逃げないとね!」

 

ザッハークを裏切る意思は無い。

でも、ほんの少しだけ、思春期のように反抗してみる。

アダラスと俊平は、先程より少しだけ、晴れやかな顔をしていた。

 

 

【蹂躙編⑦『彼女は何故走るのか』】

 

 

遠坂組総本山前に数台の車が停まる。

リカリーや遠坂組幹部たちは、戸の表へ出て、深々とお辞儀をした。

降りてきたのは、不死鳥の輝きに魅入られ、再び立ち上がる決心をした男、遠坂龍寿。

今なお熱に浮かされたような症状を見せる禮士と共に、この場所へと帰って来たのだ。

 

「ご無事で何よりです、龍寿様。」

「危機的状況にも関わらず、遅れてしまったことを詫びる。ここからは僕に任せてくれ。……后羿の第二の太陽は消滅したようだな。」

「はい、それが何故なのか分からず……」

「アインツベルンカンパニー、梅の席、北方の魔女ロウヒの力じゃよ。」

 

彼らの会話に割って入るように現れたのは、手錠をかけられた着物姿の女、ミヤビ。

幹部たちは巨悪の権化が堂々と姿を見せたことに目を丸くしている。

 

「ミヤビ・カンナギ・アインツベルン!?」

「そう驚かなくてもよいわ。ミヤビはもうお縄についておる。大人しく捕まるつもりじゃが、后羿に関してはミヤビもどうすることも出来ぬ故。」

「どうすることもできないって、お前!」

「落ち着け、リカリー。苛立つのは仕方ないが、彼女の話は事実だ。彼女も后羿を止める為に協力してくれる。今は争う時ではない。」

「協力って、元はと言えばこの女が……」

「ああ。許すつもりは無いよ。でも、今は抑えてくれ。彼女も、大切な相棒を、サーヴァントを失っている。」

 

ミヤビは車中から、ロウヒの最期の輝きを見ていた。

幼い頃から共にいた、最高の友人であり、相棒。その散り様は刹那的で、儚く、それでいて誇らしいものだった。

最期まで、美頼と未来を愛してくれた。だからこそ、そういう選択をしたのだろう。

無限鋳造機サンポを手放してでも、叶えたい願い。その意味を知る未来は、彼女の輝きに涙した。

だが、もう泣かない。その弱さは不必要だ。彼女はミヤビとして、后羿と戦う決意をした。

 

「ミヤビはある程度、后羿の能力を知っておる。利用する手は無いと思うがの?」

「煽るな、ミヤビ。分かっているさ、僕がお前を最後まで利用してやる。舐めた口がきけなくなるまでな。」

 

ミヤビはからからと笑った。

龍寿はそんな彼女を不気味に思いつつ、二人を連れてオペレーションルームへと向かった。

 

いま、この第六区に残り、戦う決意をした者達、一同にこのオペレーションルームに集う。

遠坂組から、龍寿、禮士、リカリー、幹部たち、教経、海御前、アマゾニア、そして極少数のサーヴァント部隊。

第四区博物館から、美頼、充幸、エラル、ロイプケ。

アインツベルンカンパニーから、ミヤビ。

それは、とてもでは無いが、災害と戦うには力不足が過ぎる面々であった。

遠坂組部隊はほぼ壊滅した。残された者たちも、負傷が酷い。遠坂組に協力を打診した石舟斎も、さきの鏨歯との戦闘でかなりの重傷を負っている。再び戦うには、相当な時間がかかるだろう。

 

そして敵は、災害のサーヴァント『后羿』。

ミヤビにより、その力が説明される。

彼は、六のスキルを有する。それが、『鏨歯』『封豨』『巴蛇』『九嬰』『窫窳(あつゆ)』『大風』、計六体の悪獣を呼び出す力。

そして彼の災具『后羿射日』は、第一等から第八等まで、大小様々な太陽を地上に向けて落とすことが出来る。

その説明を聞くにつけ、皆の顔は徐々に強張っていく。

分かっていたことだが、ただの人間が、ただの英霊が、叶う相手ではない。

そんな皆の様子を眺め、ミヤビは嘲笑した。

 

「加えて、遠坂組アーチャー部隊の攻撃が跳ね除けられたそうじゃな。それは后羿の特性なるもの。数値上で判断するのも馬鹿げた話ではあるがの、分かりやすく言えば、あの災害にはランクB以下の攻撃は一切通じない。」

「ランクB?」

「まぁ英霊のステータス値に関心を抱かず、ただ強い弱いで認識してきただろう遠坂には分からぬ話よの。エラル、分かるか?」

「ええ。つまり、この場にいるサーヴァントでは無理、と言いたいのでしょう?」

「そうじゃ。開発都市オアシスはオートマタを媒介とした英霊召喚じゃ。魔力そのものとは異なり、半受肉状態として顕現する。それは生存という観点からはプラス、と言えるがの。」

「英霊のステータスは、そのオートマタの強度に左右されてしまう、という訳ね。」

「そうじゃ。そしてエラル、龍寿、皆に朗報がある。エラルは、この中に后羿へ攻撃が通る者はいない、と判断したが、ただ一人だけ存在する。敵が強ければ強い分だけ、己を鼓舞し、無限に力を蓄えられるサーヴァントがな。」

 

ミヤビが指さす先、皆が注目した。

そして全員が納得する。

 

「平教経、この第六区で唯一、后羿に攻撃を加えられるサーヴァントじゃ。」

「教経が……僕のサーヴァントだけが……」

 

彼は常に開発都市第六区の希望、ヒーローだった男。

その彼だけが、いま、魔王と戦うことの出来る勇者と成り得た。

 

「あぁ、でも期待はせぬようにな。后羿と教経では親と赤子のようなものじゃ。攻撃が通る前に、一秒で殺されるじゃろう。后羿が接近戦で敗北する筈も無い。」

「接近戦は駄目、遠距離も無理。更には悪獣の群れ。……思っていたよりも、どうしようもないな、これ。」

 

龍寿は頭を抱える。成す術無し、誰もがそう確信しただろう。

そしてミヤビも、これ以上后羿を知らない。彼女もまた、この災害の弱点が分からなかった。

だが、彼らの中で唯一、モニター映像を隅々確認していた充幸が、あることに気付いた。

 

「リカリーさん、后羿は、確か、アーチャー部隊の登ったタワーから見える位置に浮かんでいましたよね。」

「はい。そこから狙い、結果、全滅となってしまった訳です。」

「これ、皆さんも、見て欲しいんですけど……」

 

充幸はある映像を大画面に映し出した。

それは逃げ遅れた区民を探すための、観測ドローンの記録である。

充幸がコントロールしていた機体のうち、山岳地帯へ飛ばしたものだけが、異常な魔力量を検知していた。

そしてドローンのカメラに映し出されたのは、突如現れた后羿である。

彼は、姿勢そのものは変えぬままに、激しく消耗しているように思われた。

 

「記録映像の時間を鑑みるに、第五等太陽消滅後と考えられます。リカリーさん。」

「B2から、D3に移動、している?何故だ……」

「リカリー、遠坂組以外の皆さんにも状況を説明するんだ。」

「龍寿様、はい。えっと、我々は開発都市第六区の全域をAからD.1から4、全十六のマス目で捉えています。救護の任務に当たる時、山岳地帯ならばD3に向かえ、と言った風な指示を出すのです。そして、今回后羿が発見されたのはB2地点でした。この付近には警戒態勢を敷いておりましたが、鬼頭さんのドローン映像から判断するに、太陽の射出後、山岳地帯まで瞬間的に移動しているのです。」

「成程な、それがどういう意味を持つか、だが……」

 

龍寿たちが考えあぐねる中、教経が顎に手を添えながら零した。

 

「覇気がない。」

「覇気?どういうことだい、教経。」

「拙者も、九嬰との戦闘時、后羿のいる空を見た。まさしく神の如く鎮座していたが、この映像の彼には覇気も、威厳も、感じられない。戦場に立つ武将ならざる姿だ。」

「ふむ。エラルよ、映像越しではあるが、数値の計測が出来るかの?」

「流石にドローンカメラじゃ難しいし、私には映像が見えていないわよ、なに?嫌味?」

「やれやれ仕方ない、どれ、ミヤビに任せてみよ。」

 

ミヤビはリカリーを押しのけると、映像を確認しながらデバイスを取り出した。

その入力速度には目を見張るものがる。美頼から見ても、未来は遥かに頭がよく思えた。

昔は、本当にただの馬鹿だったのに。

 

「出たぞ、呵々、中々に面白いことに気付いたな。これは、凄いぞ。」

「何だ、ミヤビ。」

「太陽を放ちし後の、僅か三分にも満たない時間、后羿の全てのステータスがただの英霊の格まで落とされている。この状態ならば、教経の刃も届くだろう!」

 

ロウヒは、きっとこれを指し示したかったのだ。そうミヤビは納得した。

彼女の死は決して無駄ではない。生存の未来を照らし出したのだ。

 

しかし、おお、と感性の声が上がる、と同時に、再び全員が頭を抱えた。

 

「なんじゃ、そなたら。」

「馬鹿か!三分にも満たない時間に、空に浮かぶ后羿を殺せって、無理に決まっているだろう!僕らにはいま遠距離攻撃が出来ないんだぞ。」

「というか、太陽を放って消耗しているなら、今はもう回復しているという事よね。つまりもう一度、太陽を射出させる必要がある。第六区を犠牲にしてね。」

 

エラルはやれやれと溜息をついた。

不可能、その文字だけが頭に浮かび続ける。

 

「でも、やるしか無いんですよね。」

 

充幸はそう告げた。

そう、やるしかない。

誰もがそのことを理解しつつ、現実逃避している。

他の災害への協力の打診は不可能。他区へ逃げるのも、悪獣が解き放たれれば不可能。

戦うしかないのだ。

 

「第八等太陽の規模ならば、上手く湖水方面に落ちれば、人的被害は最小限に留められるだろう。パークオブエルドラードがC3地点に対して、A1に落ちてくれれば、何とかなる……」

「龍寿様、后羿が、敵が恩情をかけることをする筈がありません。次は、きっと第三等太陽で来ます。それもきっと、遠坂組とシェルターを狙って…………」

「それは、その通りだ。」

 

目の前に、どうにもならない現実がある。

逃げ出したい、自分だけは助かりたい、そう思う。

だが、思うだけ。

龍寿は遠坂の誇りを忘れなかった。区民を守る組織として、これまでの努力を自ら否定したくない。

 

「それでも、僕は……」

 

力が無いことを知っている。

ヒーローに成れないことも知っている。

それでも、それらしく振舞うのは、罪だろうか。

もしここで命を落とすとしたら、彼は最後まで誰かの為に立ち上がれる男でいたかった。

 

「龍寿」

 

彼の肩に乗る、細い指先。

龍寿にとっての英雄は、教経と、鉄心と、もう一人存在する。

 

「禮士?」

「出来るかも、しれない。」

 

禮士は煌々と輝き続ける、手の甲の痣を見せつけた。

彼がサハラの地で失った筈の力。それが今、存在感を見せ始めている。

禮士だけが、自らの内に起こる変化に気付いていた。

ミヤビと后羿の契約が消滅したとき、何かが、懐かしい何かが、彼の身に戻って来たように感じていた。

 

「俺は、后羿のマスターだ。」

「……それは、昔の話だろう。君のことは、僕が一番理解している。君が封印していた、君自身の過去ですらも。」

「いや、分かるんだ。俺には、后羿の言葉が分かる。彼が何故、人類に牙を向けているのかも。」

 

禮士は皆に告げた。

自らが何者であるか。そしてどういう過去を歩んできたか。

それは到底信じられない話だが、状況故に、無理にでも飲み込むべき物語だった。

そして、后羿の真の意図も。

 

「あいつは、アインツベルンを守る戦士だ。だから、ミヤビの元についた。たとえ君が、本物のアインツベルンでは無かったとしても、アイツにとっては充分だったんだ。」

 

マーシャと同じ背丈をした、か弱きアインツベルンの少女。今までも沢山のアインツベルンがいたが、マーシャによく似ているのは彼女だけだ。

后羿が守るには、十分すぎる理由だった。

 

「だから、この第六区に攻め込んだ彼は、当初、太陽を放たず、ただ空から君を見守っていた。」

「なら、どうしてミヤビの命令を聞かず、動き出したのじゃ?」

「それはきっと、君が自らの殻を破り、アインツベルンから解き放たれたからだ。君のサーヴァント、ロウヒもそうだろう。今の后羿は、もうこのオアシスに残る意味を失ったんだよ。」

「ミヤビが、救われたから?」

「そうだ。后羿は今、俺たちに語り掛けている。災害のキャスター『ダイダロス』が人類の守護者ならば、后羿は人類の乗り越えるべき壁として立ち塞がっているんだ。龍寿のように、災害との融和は、いつか壊れると。災害はあくまで『災害』なのだと、そう言っている。ここで后羿を倒せなければ、どのみち、俺たちに未来はないと言う事だ。」

「乗り越えるべき、壁」

「そうだ龍寿。その証拠に、彼は史実通り不死になる霊薬を所持しているが、自らの口を縫い付け、それを飲むことを拒絶した。如何に最強と言えど、死ぬときは、死ぬということ。人類に倒す手段を残したんだよ。」

 

禮士の過去。

サハラの地で、再び相まみえた時、后羿は言った。

 

「次にお前が目を覚ました時、私はお前という存在を認識できなくなっているだろう。だからそのときは、お前が私を止めて欲しい。」

「無茶を言うなよ。」

「否、達成できる目標だ。絵空事では無い。私を良く知るお前であれば、必ず出来る。他力本願だと呆れたか?」

「いや、君がそうなったのは俺の責任だからね。約束は果たすさ。」

 

約束。

后羿を止めるという、約束。

今こそ、それを果たすべきだと、禮士は固く誓う。

彼の手の甲の令呪が輝く意味は、ここにある。

令呪に託す祈りで、后羿を殺すことは不可能。

英霊の意思に反する願いは、禮士といえども弾かれてしまう。

だが、もしも、后羿の意思に沿う願いであるならば?

 

「太陽を放つ、その意志を変えることは出来ない。でも、俺のこの絶対命令権を行使すれば、その『種類』と『行先』は選べるんじゃないかと思うんだ。」

「そんなことが、可能なのか?」

「分からない。でも、出来るという確信はある。俺は彼の主人だからね。」

 

禮士は寂しく笑ってみせる。

海御前は彼を心配し、傍に寄り添った。

 

「だ、そうだが、龍寿よ、どうする?可能性であれども、賭けるしか道はないじゃろう?」

「お前に言われなくても分かっているよ。禮士がここまで、言ってくれたんだ。僕たちは太陽が落ちた後の三分間を考えよう。」

 

奇跡の三分間。

后羿は太陽を放ちし後、第六区のどこか上空へテレポートする。

それを即座に察知した後、遥か上空へ教経を運ばなければならない。

これまた難易度の高い話である。

だが意外にも、この問題については早々に解決した。

 

「ミヤビに任せよ。」

「ミヤビに?どういうことだ?」

「龍寿、貴様は知っていよう。ミヤビの力を。」

「ちから……って、あああ!」

 

ミヤビの能力。

それは、世界を俯瞰する目、である。

第一区にて、禮士が悩まされていた厄介な力が、彼らの切り札となる。

障害物の無い空において、彼女の目は真価を発揮する。

彼女が見通すことで、即座に后羿の出現する地点を絞り込める。

 

「凄いな」

「そして、教経を空に運ぶのも、ミヤビに任せよ。龍寿とエラルを散々弄んだ彼奴の登場じゃ。」

 

ミヤビが指を鳴らすと、彼女の背後に突如、サーヴァントが現れ出た。

喪服を着た梟人間。その不気味な風体は忘れたくても忘れられない。

 

「『モスマン』か!?」

「そうじゃ。モスマンの宝具は自らの影法師を無数に生み出す力。カモフラージュしつつ、后羿を空に運ぶことが出来る。」

「あの高速道路の戦いを顧みるに、時速百二十キロは有に出せそうだな。凄いぞ、これなら……」

「まだじゃよ、龍寿。后羿には六の悪獣がいるじゃろう?教経は悪獣討伐に駆り出せない、とならば、現状悪獣を殺し得るのは海御前しかおるまいよ。足止め、だけでも大丈夫じゃが、それが出来るサーヴァントが果たして何人おるかいの?」

 

アマゾニアは唇を噛み締めた。

さきの戦いで、封豨一体に、仲間たちの殆どが殺されてしまった。もしロウヒがいなければ、彼女も命を落としていたのだ。

 

「……これから、区民説明会を開き、僕が皆さんに全て説明する。もしかしたら、サーヴァントを助力願えるかもしれない。」

「無理ですよ龍寿様、ただでさえ、遠坂組への不信感は最高潮だというのに!」

「でも、それでも、僕は訴える。きっと、きっと力を貸して下さる方はいるはずだ。」

 

龍寿はそう確信していた。

もしこれが特撮番組ならば、ヒーローに力を貸して、共に戦ってくれる。

どこか、そんな美しい物語を期待していた。

 

そして二時間後、開かれた区民説明会。

 

龍寿の願いは、通じる筈も無かった。

怒号の嵐と、嘆きの嵐。あらゆるものを投げつけられ、龍寿は額に傷を負う。

とっさに庇う教経やアマゾニアに向かっても、彼らは唾を吐きかけた。

 

「遠坂には失望したよ。いくら出資してきたと思っているんだ!」

 

「そうよ。こんな狭い牢屋みたいな場所に閉じ込めて、さっさと災害なんか倒してしまいなさいな!」

 

「どうして僕たちのサーヴァントを君らに貸さなきゃならんのだね!」

 

「失脚しろ!遠坂龍寿!親の七光が威張りやがって!」

 

「もう第六区はおしまいね!こんな場所、出て行ってやるわ!」

 

声が重なる。

ナイフのように、龍寿へと突き刺さっていく。

 

「お前らなぁ!」

「よせ、アマゾニア。」

「教経、離せよ、クソが!遠坂組がどんな思いでお前らを守ってきたと!」

 

「まぁ野蛮、こんなのが遠坂組の戦力なのかしら!?」

 

「アマゾニアって、剣闘士の……男どもに良いように遊ばれた敗者じゃないか。」

 

「此方の友人を笑ったな、殺す」

「お前も辞めろ、海御前。」

 

荒れる。荒れる。荒れ続ける。

博物館の面々と、顔を隠したミヤビは、部屋の外から見守っていた。

だが、どう考えても、話し合うような場ではない。

誰もが、死にたくないと喚いている。自分は関係ないと、そう信じ続けている。

こんなもので、后羿の試練を乗り越えられる筈も無い。

 

龍寿はマイク越しに、ただひたすら、謝り続けた。

きっと彼は今までも、こうして来たのだろう。

誰も彼を救おうとはしない。

彼は全てを背負って、頭を下げ続ける。

 

そして、遠坂組は見限られ、誰もいなくなった。

ゴミの散乱した会場で、龍寿はただ俯いている。

 

「呵々、まぁこのようなものだろうな。道楽で生きてきたクズ共じゃからの。」

「ミヤビは、彼らを……」

「そうじゃ美頼。何もかもを殺してやりたかった。今はもう、どうでも良いがの。」

 

禮士は静かに、龍寿へと寄り添った。

あの時、逃げ出そうとしていた彼の気持ちが、痛い程に分かる。

 

「行こう、龍寿。」

「龍寿様、会議室の後片付けはこちらでやっておきますので。」

 

リカリーと、船坂優樹が手を挙げる。

禮士は彼らとアイコンタクトすると、龍寿の肩に手を回し、会場を後にする。

 

その時だった。

 

か細い声が、会場奥から響いた。静かな、少女の声だ。

 

「あのー~」

 

全員が一斉に、その方向へ目を向けた。

声の主の少女はその状況に圧倒されつつも、ゆっくりと時間をかけて立ち上がった。

少女は最奥で車椅子に座っていた。だから、皆の目に留まらなかったのだろう。

 

「あの、私で良ければ、一緒に戦います。」

「え?」

 

龍寿はポカンとしている。

少女はサーヴァントでは無い。加えて、両足共に義足である。

戦場において、彼女ほどの負傷兵はそういまい。

 

「え、あ、あー、あの。」

「あ、すみません。えっと、私のこの姿を見たら、何言ってんだって話ですよね。その、大丈夫です。戦うときは、ちゃんと戦えますので。」

「君の、その、サーヴァントが、かな?」

「いえ、私です。私が、戦います。」

 

呆気にとられる龍寿に対し、傍にいた優樹が声を上げた。

彼は遠坂組の、対宗教組織アヘル支部の所属長を担っている。だから、彼が見間違える筈も無かった。

 

「まさか、第五区アヘル教団セントラルの幹部『アダラス』か!?」

「あ、はい、そう災害先生に呼ばれていたりします。」

「駄目です、龍寿様!確かに彼女はヴェノムライダー『アキレウス』の力を内包した、とてつもない戦力です!でも、あの悪名高きアヘル教団の幹部です。災害に対して信仰心を抱いている輩ですよ!」

「そ、そうか、そうなのか。」

「貴様、どうやってパークオブエルドラードへ侵入した!?許可証が無ければ、ここには入れない筈だ!」

「あ、えっと、敷山さんという優しいご家族が、私を助けてくれたんです。」

 

アダラスは嘘偽りなく話す。

何故、自分が第六区へ来たのか。

ミヤビの前で、スネラク暗殺の話を包み隠さない。

 

「お主、さては阿呆じゃな。ミヤビを殺す旨を、ミヤビに話してどうする?」

「最初はその予定だったけど、辞めました。災害先生の命令ではあるけど、私にはスネラク先輩を殺す理由がない。」

「それで、助けてくれた敷山家も殺せずに、何なら守ってみせる、と?災害のアサシンにバレたら処刑モノじゃぞ?」

「構いません。私は今、走る理由を見つけましたから。」

 

ミヤビは頭に疑問符を浮かべる。理解出来ぬのも無理はない。

アダラスは、俊平の為にこそ、走ると決めた。それが正しい選択だと信じている。

 

「どうするんじゃ、龍寿?」

「今は、猫の手も借りたい状況だ。僕は、名乗り出てくれた彼女を信じるよ。」

 

龍寿は自ら、彼女の立つ場所まで赴いた。そして彼女にその手を差し出す。

 

「よろしく、お願いします、アダラスさん。」

 

「今は、アダラスという名前を捨てます。

私の本当の名前は『雷前巴(らいぜんともえ)』と言います。雷前でも、トモエでも。」

 

「よろしく、雷前さん。」

「こちらこそ、遠坂龍寿さん!」

 

戦力に加わったのは只一人。

されどかけがえのない力。

龍寿は、それが何よりも嬉しかったのだった。

 

「さて、では役者も揃ったことだし、ミヤビらのチーム名を決めるかの。」

「チーム名!?」

「何じゃ龍寿、不満か?こういうのは一丸となった方が良いじゃろう。」

「いや、こういうの、何だかワクワクしないか?」

「そうか、ならば貴様が考えるがいい。」

「なら、『仮面セイバーズ』というのは、どうだろうか!?」

「却下」

「何でぇ!?」

 

ショックを受ける龍寿はさておき、ミヤビはエラルに話を振る。

 

「エラルが決めよ。」

「私はパス。こういうのセンスがないから。充幸、貴女が決めなさい。」

「へ?私!?」

「遠坂、マキリ、アインツベルン、何処が決めても顰蹙を買うでしょう?なら、第四区博物館の貴女が決めるべきだわ。」

「今のエラルも博物館の人間でしょうが!」

「ほら、早くなさいな。」

「そんな、急に言われても……私たちの歪な関係を表す一言なんて…………あ」

 

充幸は何かを思いつき、ホワイトボードに文字を書き殴った。

それは、一つの単語である。

真っ先に声を上げたのは美頼だ。

 

「『relation』、リレーション?」

「そうです。フランス語読みでかっこよく、『ルラシオン』。我々の『契約』という意味です。複雑な関係を表すにはピッタリじゃないですか?」

 

「ルラシオンか、かっこいい」

「良いのでは無いか?」

「ふふ。充幸にしては良いセンスじゃない。」

 

このとき。

 

第四区博物館が。

 

遠坂組が。

 

マキリコーポレーションが。

 

アインツベルンカンパニーが。

 

アヘル教団が。

 

ただ一人の巨悪を打ち砕くため、手を重ね合った。

 

 

対災害共同戦線『ルラシオン』、ここに誕生せり。

 

 

 

【蹂躙編⑦『彼女は何故走るのか』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蹂躙編8『灰の慟哭』

大変長らくお待たせしました。
蹂躙編完結まで、あと4話!

感想、誤字等ありましたらコメントにお願いします。


【蹂躙編⑧『灰の慟哭』】

 

『緊急放送、緊急放送、災害のバーサーカーの使役獣『鑿歯』『封豨』『九嬰』の出現を確認。警戒レベル5。開発都市第六区市民の皆さん、直ちにパークオブエルドラードへ避難を開始してください。繰り返し通達。開発都市第六区市民の皆さん、直ちにパークオブエルドラードへ避難を開始してください。』

 

対災害共同戦線ルラシオン、彼らの初陣は想定よりも早くにやって来た。

結束から約二時間、暗闇の中で后羿という焔が空で輝き続けている。

彼は人間の最期の抵抗、その準備を待つ余裕を見せた。

さぁ、魅せてみろ、と言わんばかりに、悪獣を次々と解き放つ。

 

「てかよ、アナウンスしたところで金持ち連中はシェルターに引き籠っているだろうし、意味あんのか、コレ?」

「先程の会議で、第六区を見限った方々もいらっしゃるそうですよ。后羿が動き出す前に、避難しようと車を出しているのです。」

「かー!どこまでもクソな連中だな!」

「アマゾニア、貴方は足が速いのだから、そういった方々の保護に回って頂きますよ。」

「は?なんでアタシが連中の子守りまでしなきゃならねぇんだよ。」

 

遠坂組の戦力が並び立つ。

教経と海御前は前線へ。アマゾニアを含めた他サーヴァント達は、救助班へ配属される。

本作戦において重要な役割を担うのは、衛宮禮士とミヤビの二人。彼らは充幸や龍寿、エラルと共に、オペレーションルームへ残る。

そしてもう一人、シェルターの外へ現れたのは、雷前巴。彼女はアキレウスの速度を以て、人命救助と悪獣の進行を食い止める役に買って出た。今の彼女の弱弱しい姿からは想像できないが、アンプルが彼女を大英雄へと進化させる。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムライダー』:『アキレウス』現界します。〉

 

注射針が打ち込まれた瞬間、巴の身体に黄金の鎧が装着され、神々しいフォルムへと変身した。

彼女は神速の足を手に入れ、仁王立ちのまま夜闇を見渡す。既に彼女の目には、排除すべき対象が映っているようだ。

メンバー全員へ一同に与えられた小型通信ユニットから、司令塔である龍寿の声が届く。作戦の概要は把握済みだが、改めて、面々に通達したかったのだろう。

 

〈悪獣が次々と呼び出されている。ÅとD地点出現の個体については一度スルー。シェルターのあるC及び被害の大きいB地点に現れた悪獣のみの対処に当たってくれ。教経はこちらの指示で、途中離脱。タイミングによって、マキリ製オートマタの解放も視野に入れる。海御前と雷前さんは悪獣の弱点を踏まえたデータから、上手く立ち回ってくれ。不味いと思ったなら、即離脱だ。無茶だけはしないように。炎の雨については、モスマンの宝具で対処する。……運任せだし、場当たり的だが、これが最善策だ。気張ってくれ!〉

「やるしか、無いわね。」

「あぁ。拙者たちが死ねば、それで全てが終わるという事だ。」

「責任重大……ですね!私も頑張ります。」

 

そして少数先鋭部隊はこの瞬間、走り出した。

上空を舞う数十体のモスマンが、炎の雨をその身に浴びては溶け落ちていく。

C1地点に現れた悪獣は『窫窳』。神々しい毛並みを有する、人面の馬である。

悪獣の中で最も速いそれは、大地を蹴り、シェルターへ一直線に向かう。

数ある英霊でも、この悪獣へ追い付き、追い越すことの出来る者はそう多くないだろう。

現に、教経や海御前、アマゾニアでは、窫窳の進行を阻むことは出来ない。目の前に現れた頃には、胴を食い千切られているだろう。

だが、この場においてただ一人、この悪獣と対等、否、超える速度を出せる者がいた。

 

「ここは私に任せて、皆さんは先へ!」

 

神速の英雄『アキレウス』ならば、この悪獣を止められる。

巴は、その澄んだ緑の眼で、最初に窫窳を捉えていた。

そして己の役割を認識し、一人で相手取ることを決意した。

 

「すまん、頼む!」

「お願いします!」

 

教経と海御前は先へ行く。

雷前巴が只者では無いことは、一目で分かる。

武に通ずるものであるならば、彼女を足手まといだとは露にも思わないだろう。

むしろ彼女は、ルラシオンの戦力化において、一、二を争うほどに、強い。

だからこそ、信じて、託す。いまは四の五の言っていられる状況では無いのだ。

 

「さて、お馬さん。追いかけっこですよ。」

 

窫窳は人間の顔でケタケタと嗤い始める。それが巴には酷く奇妙に思えた。

この悪獣は、アキレウスの力を前にしても、怯むどころか、勝てると考えている。

己の速度への絶対的な信頼がある。対面する互いがそうだ。

ならば、後は比べ合うだけ。競い、勝者を決める。敗北は『死』のレースだ。

巴の目は血走り、緑の線を散らす。彼女は今、明確に笑っていた。

 

さぁ、開幕のピストルは放たれた。

窫窳は音の速さでシェルターへ突進する。

そしてその背を、巴は全速力で追いかける。

悪獣は黄色、巴は緑の光を残しながら、追い付かれまいと、追い付こうと、第六区の大地を踏み荒らした。

オペレーションルームのモニターでも、彼女らを捉えることは不可能。0・1秒の世界でどのようなやり取りが成されているのか、誰も観測することは出来ない。

彼女が手にした青銅の長槍は、アキレウスの武器であるが、彼女はクラスの性質上、その力の全てを解放することが出来ない。この槍には敵との一騎打ちに持ち込める絶技が内包されており、ヴェノムランサーの適性を持ち、かつアキレウスの成分がこれに呼応すれば発動も可能である。

巴の知る限り、ヴェノムランサーは現在空席である。そしてウラルンはアキレウスの力を引き出せるものの、あくまで盾の力しか振るえない。アキレウスの全力に応えられる人間は現状存在しないという事である。

巴がヴェノムサーヴァントとしてより強ければ、叶うかもしれない。

だが今の彼女は、他の者より劣っている。

キャスターのショーン、アサシンのモゴイは、三つのアンプルを使いこなせる。

セイバーのシュランツァは二人の英霊のアンプルを短時間とはいえ、同時に行使できる。

ウラルンは、アーチャー、シールダーの二つのクラスのアンプルを巧みに使い分かることが出来る。

そして

 

「くっああぁ!」

 

巴は悪獣の後ろ脚に蹴飛ばされ、宙を舞った。

アダラスが、巴が、使えるのはただ一人だけ。それこそが大英雄アキレウス。

ならば、この力を極めてやる。彼女はそう誓った。

だが、どれだけ練習を重ねても、実戦経験を積んでも、アキレウスの全力を引き出すことは叶わない。

ヒトを殺したことが無いから?

答えのない問題の自問自答は止まらない。

考えるだけ無駄だと、自分自身に言い聞かせる。

彼女が迷う間、窫窳が待ってくれる訳では無いのだから。

 

「しっかりしろ、雷前巴!ここは戦場だ!災害先生の教えを忘れるな!」

 

自身に言い聞かせる言葉。蛇王ザッハークは『常に首元にナイフが当たっていると思え』と告げた。

競争社会において、呆然と立ち尽くす暇はないのだ。寝首を搔かれる前に、他者を騙し、蹴落とさなければならない。

セントラル支部もそう。ヴェノムサーヴァントは友人でも無ければ、家族でも無い。皆が、ザッハークの傍に登り詰めたいと願っている。

今の彼女は災害のアサシンの意思に背く行動をした。だが先生と崇める者の精神性、信念までかなぐり捨てるつもりは無い。

巴は悪獣の背を再び追い始める。

パークオブエルドラードへ到達されたら負け。この場を託してくれた遠坂組の武士たちに感謝を込め、彼女は走り続けるのであった。

 

 

第六区のB2地点へ現れた悪獣『九嬰』の討伐に当たるのは、海御前。

火炎を齎す獣には、水を操る河童こそ相応しい。

数少ないデータを元に、龍寿に指示を仰ぎながら、海御前は槍を振るう。

 

『皿を満たすは源の朱、怨の積もらば覆水返らず』

 

開幕速攻をかける海御前。

悪獣は何度でも復活する。消耗する前に、高火力で払い除けるのが最適解だ。

悪獣の数が一時的にでも減れば、后羿が脅威の排除のために、災具を起動する可能性が高い。

禮士が己の令呪で道を切り開こうとしているのだ。サーヴァントである海御前は絶対的信頼の元に今、力の全てを出し切る。

 

『此れ称するに『弾丸雨注』!』

 

海水で形作られた青龍が、針となり、剣となり、九の首をしならせる獣へ降り注ぐ。

この悪獣を包む炎の壁が崩れ去り、肉を、骨を、刺し穿つ。

 

〈海御前、体内の水分はあとどれぐらいだ?〉

「セクハラですか?」

〈…………真面目な質問だ。〉

「まだ半分は残しています。絞り尽くすのは得策ではありませんから。回復には禮士さまへのハグが、最低十分は必要かと。」

〈それで回復するなら効率が良いな。……本音は?〉

「そうですね。ハグ一時間ですね。世界が滅んでそうですが!」

 

海御前と龍寿が通信を交わす最中、突如、凶悪な蛇の顔面が突き抜け、彼女の頬を掠める。

九嬰の邪悪な微笑みが垣間見える。悪獣はまだ生きていた。

その体表は炎から、水の膜に包まれる。この怪物は火炎だけを操る獣では無かったのだ。

 

「まさかの水属性もあり、ですか。」

〈なんだって?封豨と同じか!?〉

「歴史に名を残した獣は大抵、災害と呼ばれていますからね。九嬰も漏れなく、その一柱なのでしょう。」

〈『九嬰』の魔力の変動を感知した。これは……ゲームで例えるならば、第二形態、という奴だ。〉

「成程、先の戦いの、此方と元夫に見せていたのは、遊びの姿という訳ですか。」

 

九嬰の肉体が赤から青に変化し、取り巻く渦も炎から水へと変化する。

この悪獣は焔を吐く竜の性質を備えつつ、巴蛇や封豨のような洪水を巻き起こす神獣らしき権能を有した。

教経が首を即座に落としたことで一度は倒すことが出来た。が、しかし、こうなってはもはや、切り落としても切り落としても、何度でも首が付け変わる。海河童のような執念深さを持った、文字通り怪獣が誕生してしまった。

水害が、襲い来る。

河童の川流れとはまさにこのことか。

水流の主たる海御前が、九嬰の吐き出す嵐にいとも容易く呑み込まれた。

九つの首がうねり、海御前を食らおうと襲い掛かる。

彼女は巧みにそれを避けつつも、反撃の機会を失っていた。

九嬰は間違いなく、六の悪獣の中でも秀でて強い。

教経と海御前、二人がかりで無ければ、倒し得ぬ敵。

 

〈教経は現在『巴蛇』と交戦中だ。呼び戻すか?〉

「いや、大丈夫です。」

〈だが〉

「大丈夫と言ったら、大丈夫なのです。平家の女が、この程度の危機に怯む筈が無いでしょう?」

 

海御前の蒼き眼が怪しく光る。

巴同様、彼女も笑っていた。

逆境は跳ね返してこそである。相手が容易く人を食い殺す悪魔でも、源氏に比べたらどれ程マシか、という話だ。

源頼朝の方が、義経の方が、余程悪魔であっただろう。

海御前は名を残さずに消えた平家の女の生まれ変わり。ならば、壇之浦以外での敗北は許されない。

 

『皿を満たすは源の朱、怨の積もらば覆水返らず』

 

〈待て、海御前!宝具を使用する気か!無茶だ!いま数分前に行使したばかりで、更に九嬰はもはや水そのものだ!君の生み出す針千本は発泡スチロールより軽い!〉

「黙ってみていなさい。これが河童の戦です。」

 

海御前は槍の先端を九嬰の首へと突き刺した。

そして彼女の全身から水を搾り出し、槍の先へ込める。

 

『此れ称するに『弾丸雨注』!その二!』

 

弾丸雨注は、水の龍を呼び起こし、無数の針へと変換する宝具。

ただ単純に水の量、流れを変換する『天河破』のワンランク上の絶技だ。

だが、『天河破』はどんな水であろうとも発動できるが、『弾丸雨注』は彼女の体内の水を元にして生成しなければならない。

彼女はいま、九嬰の存在そのものを水へ置換し、自らの使役する青龍へと進化させようとしている。

針を打ち込み、敵を倒すのでは無く、河童の力で対象を海の底へ引き釣り下ろし、同じ怪異にさせようと画策する。

 

〈后羿の使役獣を、味方に付ける……出来るのか!?〉

「やるしかないなら、やるまでです!此方の水を全て、ここへ注ぎ込む!」

 

海御前の胸部から溢れ出した彼女を構成する液体全てが、九嬰の体内へ。

血液から洗浄され、体組織を急速に変換する。

九つの首を地面に、海御前に叩きつけ、暴れ回る悪獣。

だが彼女は頭を、肩を、背中を抉られようと、決してその場から退かない。

 

〈海御前!〉

「此方が、禮士さまへ、繋ぐ!」

 

槍の先端が光り輝き、九嬰の存在そのものを作り替えた。

これより悪獣は、海御前の水であり、河童であり、青龍となる。

使役できるのは一刻に満たない時間。九嬰が水を内包した怪物であるからこその奇跡。自己矛盾を孕んだ悪獣は、直ぐに海御前の水の排出に注力するだろう。

そうなる前に、海御前にはすべきことがあった。

彼女は空の先を見つめる。

そこにいるであろう存在へ、最大の敬意と敵意を向けて。

 

「禮士さまのサーヴァントは、此方ただ一人です!」

 

九嬰の素体を間借りした九頭水龍を、ロケットのように噴射した。

 

花火のように打ち上がれ。そして届け。

今の后羿には傷の一つも付かない、それでいい。

神に抗う人間が、そこにいることを、ただ覚えておくがいい。

九つの首が跳ねる、跳ねる、跳ね回る。踊る、踊る、踊り狂う。

海と同じどこまでも広がる青色に、水の龍は飛び込んでいった。

 

そして后羿の放つ赤い炎によって蒸発し、消滅する。

水は炎よりも強い、など太陽の前ではフィクションだ。

海御前の体内で生成された水、そして九嬰は同時に、跡形もなく消え去った。

力を使い果たした海御前は、その場で倒れ込む。

 

〈海御前!応答しろ!海御前!〉

 

オペレーションルームでリカリー並びに龍寿は、急ぎ彼女の霊基状態を確認する。

彼女をオアシスから退去させる訳にはいかない。

室内に緊張が走る。

禮士は只一人、彼女の元へ走ろうとする。それを察したエラルは、ロイプケに指示し、禮士の腕を繋ぎとめた。

禮士の肌は水のように常に冷たいが、この時ばかりは、氷のようだった。

 

「我を失わないで。衛宮禮士。」

「……っ、だが……」

「大丈夫。貴方を残して消えるような、柔な女では無いわ。天下の大妖怪『海御前』でしょう?」

「…………っ」

「水龍の滝登りは、災害にとって無傷だった。でも、無意味では無い、そう思うわ。悪獣の命が一つ消え、人間の意地を見せつけた。『后羿』がこれに応えない訳ないわ。彼はこれから、必ず災具を起動する。そのときが、貴方の出番。」

「俺の……」

「海御前の繋いだ想い、無駄にしないで。」

 

禮士は深く帽子を被り直す。

そして歯を食いしばり、耐えた。

マーシャが彼に期待したこと、そして届かなかった願い。

彼がこれ以上穢すわけにはいかない。

暴走する后羿を止める。それが禮士の、最期の戦いなのだから。

 

「取り乱した、すまない。」

「ええ、大丈夫よ。彼女が救護室に運ばれてきたら、ユリウス、貴方の音楽を彼女に聞かせてあげて。精神状態を落ち着かせれば、回復も早まる筈だわ。」

「畏まりました。エラル様。」

 

龍寿とリカリーとは別のモニターから、残り五体の悪獣の動向を窺う充幸。

強力な悪獣を即時復活させられるリソースは、災害には備わっていないらしい。

ならば今が好機と見るべきか。

后羿が太陽を放つ判断を下すべく、次なる一手を打たねばならない。

顎に手を当て、ドローンの監視映像を睨み続ける彼女は、ある異変に気付いた。

それはシェルター付近へ配置していたドローンの何機か、映像が少し乱れているのである。

磁場の揺らぎか。はたまた、災いの兆しか。

念のため、シェルター付近へ配置した遠坂組の現存サーヴァント達へ通達する。

しかし、彼女の『気付き』は遅すぎた。

通信を立ち上げた瞬間、益荒男たちの悲痛な断末魔が轟く。

オペレーションルームに響く悲鳴、骨が、肉が、抉れる音。

そこに何かがいる。得体の知れない何かが。

 

「充幸、五体の悪獣は!?」

 

エラルは急ぎ、充幸へ確認を促した。

すると、遠く離れた山岳地帯へ呼び出された筈の悪獣『鑿歯』が、その場から消え去っていることが分かった。

そしてドローンに映し出されるのは、残虐なる殺戮。

勇士たちが、その肉を剥され、しゃぶられ、食い千切られている。

悍ましい、光景。シェルター内部の人間は、窓の外、その阿鼻叫喚な様に絶句する。

そして悟る、次は、私達だと。

鑿歯は嗤いながら、パークオブエルドラードの外壁を削り始めた。

 

「何故、鑿歯がここにいるんだ?距離的に、この短時間で辿り着くのは不可能なはずだ!」

「龍寿、鑿歯は自らの足で移動しておらぬぞ。」

「ミヤビ……?」

「后羿と同じじゃ。ほれ、太陽を放ちし災害は瞬間移動し、僅かばかりの時間休息する。同じ原理で、后羿は悪獣を地点間で移動させたのじゃろう。まるでチェスの駒を動かすように、な。」

「そんな馬鹿な……」

「だが無論、全ての悪獣を同時に移動は出来まい。それが出来たら最初にそうしておる。恐らく九嬰の死亡と同時に、九嬰の存在した場所に鑿歯を再召喚したのじゃ。ならば納得できよう?」

「……まるで、軍略ゲームだな。教経を呼び戻す、シェルターの方々を守るのが最優先だ!」

 

龍寿は教経にコンタクトを取る。現在彼は悪獣『巴蛇』と交戦中。首と尾を用いた多段攻撃から逃れ、C3地点に戻るには全速力でも十数分はかかる。

海御前の状況を鑑みても、鑿歯を何とか出来る者はもはやいない。

シェルターの強度が勝らぬ限り、第六区の全区民が命の危機に晒されるだろう。

 

「くそ、どうする!?」

「龍寿、マキリのオートマタを使うわ。四の五の言っていられる状況では無いでしょう?」

「暴走の危険性がある。シェルターの近くで使用するのは許可できない。」

「でも、ここままじゃ皆死ぬわよ!?」

「分かっている、だが。それでも、認められない。教経到着まで、あとのサーヴァント達で耐えてみせよう。……僕もルーム外に出て部隊の指揮を執る。」

 

龍寿の発言に、一同は目を丸くする。

ルラシオンの司令塔たる彼が、生身のまま死地に赴くなど、愚行も愚行だ。

何を馬鹿な、と呆れかえる者が多数。その中で禮士だけは、彼の気持ちを理解することが出来た。

教経の傍にいて、彼の戦いを見てきた龍寿。英雄へ強い憧れを抱く少年の眼差しは、きっと今も変わらない。

力が無い。当たり前だ。でも命尽きるその時は、傍にいて力尽きたい。

だが、当然龍寿の考えは認められない。エラルが、ミヤビが、否定する。

 

「責任から逃れるために死ぬならお好みの場所でどうぞ。でもね、生きる為の戦いをするなら、命の無駄遣いは認められない。遠坂を牽引できるのは貴方だけなのよ、龍寿。」

「そうじゃな。第一、お主が出た所で犬死にするだけじゃろう。確かに限られた部隊を統率するならば、通信だけじゃと心許ない。戦場の空気、流れはその場にいる者にしか分からぬ故な。サーヴァントを率いて戦った経験があり、かつ、己自身もそれなりに耐久性がある者。今のルラシオンに、そのような将校は存在しない。」

 

そう、ミヤビは結論付ける。

アインツベルンのオートマタ部隊は僅かばかり。マキリ製は一騎のみ。第四区博物館も、戦力の管理は桜館長に一任している。

そして遠坂の部隊はその殆どが悪獣に殺された。

圧倒的な人員不足。限られたメンバーで、事の収拾に図る他ない。

そこで、我こそはと手を挙げる者がいた。先のミヤビの条件にはあと一歩届かないものの、将としてフィールドに立つことの出来る者が一人いる。

そしてその挙手に驚いたのは、彼女をよく知る者たちだ。

 

「私が、行きます。戦場へ。」

「……みさっちゃん……!?」

 

鬼頭充幸は、惨劇の中へ飛び込む決意をした。

エサルハドンの力を宿している彼女は、王としての気質を有する。おどおどしているようだが、その実、カリスマ的手腕で、戦い抜いてきた過去がある。ダイダロスの迷宮において、桜館長に代わり、四騎のサーヴァントを使役し、戦いに挑んだ。

美頼は充幸のことを案じ、反対するが、充幸がこれを制した。

なにより充幸が、そうしたいと思っていたからだ。

その理由は、美頼には分からない。充幸が何故、そうまでして戦おうとするのか。

充幸は外様の人間だと聞いたことがある。オアシス外からやってきて、博物館の戦いに巻き込まれた、と。

ならば、彼女はどうして命を懸けられるのか?

もし、彼女の真の家に帰りたいだけならば、きっとチャンスは幾らでもあった筈だ。

 

「美頼ちゃん。後は頼みます。モニターで、私の戦いを見守っていてください。」

「みさっちゃん…………」

 

倉谷さん、というどこか突き放した呼び名から、美頼ちゃんへと変わった。

美頼はそのことが、嬉しくも、不安で仕方ない。

充幸はマキリ製オートマタのトランクを預かり、階段を降りていく。

エサルハドンの権能を使用すれば、毒素に身体を壊されてしまう。

だが、それでも、やるべき時は来たのだ。

 

賽は投げられた、そう彼女は心の中で呟いたのだった。

 

 

パークオブエルドラード周囲を飛び回るドローン全てをその巨大な牙で叩き落した鑿歯。

英霊の攻撃をも防ぎきるとされる外壁を削り取りながら、中に住む人間の絶望の声色を楽しんでいた。

もうすぐ、もう間もなく、鑿歯は数多の食料を確保できる。

若い女の肉は好みだ。甘い香りと弾力が堪らない。

悪獣は涎を振りまきながら、破壊活動に勤しんでいた。

 

だが鑿歯にとって、予想だにしない出来事が起こる。

 

鑿歯のいるその場所へ、何か得体の知れないものが急接近する。それはこの悪獣にとって不快な存在だ。立ち込める悪臭が鑿歯の食欲を失せさせる。

飛び込んできたのは、同族。同じ悪獣の窫窳である。

走りだけが取り柄の窫窳は、身体中に傷を負っていた。手酷くやられた跡が残されている。

鑿歯はその様に驚き呆れた。事もあろうに、窫窳は何者かから逃げてきたのだ。

伝説の悪獣が、人間如きに追われている。その事実に、鑿歯は軽蔑の眼差しを向ける。

彼らは后羿の使役獣であるが、主と認識していない。圧倒的な力の前に仕方なく頭を垂れているだけ。

そして后羿が許す限りにおいて、彼らは勝手気ままに生きている。殺戮も、蹂躙も、認可の上で行っている。

だが后羿以外の存在に平伏することなど、絶対に有り得ない。あってはならない。

鑿歯は窫窳の恐怖する対象を捉えた。

人間の女だ。神速の力をその身に宿した、強き女そのものだ。

 

「シェルターまで、逃げ切られるとは、流石です。でも、その傷では……って、もう一体の悪獣!?」

 

巴は窫窳との一対一の戦闘で、常に優位を保ち切った。

フェイントを付かれ、逃げられることはあったが、もはや心臓部位は穿ったも同然。窫窳は虫の息である。

だがまさか、新たな悪獣と邂逅するとは思いもよらなかった。

アキレウスの権能は疲れ知らずである。巴の持ち前の体力も相まって、まだまだ連続で戦闘することが出来た。

 

「鑿歯、ですね。データで見ました。窫窳より速度が遅いならば、アキレウスの敵では無い。」

 

彼女は槍を構え、鑿歯と窫窳の両者を睨んだ。

先に窫窳を仕留め、続いて鑿歯の牙を叩き折る。脳内で戦闘のシュミレートを行う。

対して鑿歯はまたも奇妙な嗤い声を轟かせた。それは高潔な女という美味に出会えたことへの喜びである。

 

そして、鑿歯はあろうことか、隣にいた窫窳の肉を食らい始めた。

 

「な……」

 

巴は呆気にとられる。

同族殺し。これはそのような単純なものでは無い。

鑿歯は心底不味そうな顔で窫窳を貪り喰う。窫窳はその痛みに絶叫した。

そして起こり得ぬことが、起こってしまう。

鑿歯の肉体は見る見るうちに変化し、馬の四足足へと変化した。

それはアキレウスの師、ケイローンを彷彿とさせるフォルム。鑿歯の胴体に窫窳の足が生えたのだ。

 

「進化……した?」

 

名付けるならば『嵌合体鑿歯(かんごうたいさくし)』。后羿すらその進化の可能性を知り得なかった。

 

鑿歯の凶暴性、残忍性、鉄をも切り裂く爪と牙に、窫窳の神速が加わる。もはやこの悪獣を止められるものはいない。

呆気にとられる巴の前、彼女のレンジに一秒で侵入した嵌合体鑿歯は、その拳で彼女の頬を殴り飛ばす。

アキレウスの防御機能が無ければ、只の一英霊であれば、この時点で霊基が消滅している、そんな一撃。

巴は悟る。嵌合体鑿歯の振るう一撃、その全てが宝具級である。アキレウスで何処まで耐久出来るかは不明。だが間違いなく、今の彼女ではこの嵌合体鑿歯に太刀打ちできない。

数十メートル弾き飛ばされた先に、既に嵌合体鑿歯は待ち構えていた。巴は次の攻撃をぎりぎりの所で躱し切ると、新体操のような軽やかな宙返りで距離を取ってみせた。

 

「マズイな……」

 

巴は殴られた後の頬を擦りながら、悪獣の動きを見届ける。

アキレウスの目を以てしても、捉えきれない。

否、これは巴の力不足だ。彼女がアキレウスそのものであれば、このような逆境、屁でも無い筈。

だが事実として、現在の実力では到底敵わない敵だ。

アンプルを複数使いこなせない彼女には、もはや手はない。

何とか逃げ切り、第五区へ戻るか?

そんな邪な考えが突き抜ける。

 

「馬鹿か、私。もう帰る場所なんて無いでしょうに。」

 

敷山一家を、守ると決めた。

彼女が退けば、それは即ち、シェルターの内部の人間全ての死である。

ならば、ここで悪獣を止めなければ。

この速さに付いて行けるのは、彼女ただ一人なのだから。

 

嵌合体鑿歯の身体に、魔力の渦が巻き起こる。

后羿から与えられし、悪獣の発動できる絶技、『獣具』の波動。

瞬足の牙。これに触れた者は、たとえ神霊と言えど、ひとたまりもない。

キメラと化した悪獣から逃れる術はない。

巴はアキレウスの盾を生成し、防御態勢を取る。

宝具『蒼天囲みし毒世界(ヴェネミウス・コスモス)』を顕現させ、極小世界で嵌合体鑿歯の獣具を防ぎきる。

どこまで通用するかは分からない。最悪の場合は即死である。

巴は覚悟を決めた。彼女の背には守るべき場所。退くことは許されない。

 

そして獣具『血涙寿華(けつるいじゅか)』が起動する。

 

走り出した嵌合体鑿歯。そして盾を構えた巴。

戦いは秒速の世界へ突入する。

走馬灯のような時間。巴は体内に流れる毒を放出し、その腕に纏わせた。

巨大な牙がゆっくりと迫りくる。大地を、海を、空を、切り裂いてしまう程の、凶器、そして狂気。

后羿という英霊は、このような災厄と幾度となく戦ってきたのだろう。

何故そんな彼が、人類の敵として立ち塞がったのか。

災害の庇護下にいれば、人間は幸せになれるというのに。

人間はそれでも、武器を取り、戦う決意をする。

 

「私は」

 

何の為に?

決まっている。

昨日より、ほんの少しで良い。速く走れるようになる為だ。

走ることが気持ちいいと、思える環境で無ければ、意味がない。

昨日の自分に、勝ちたいだけ。

今の自分の、誇りたいだけ。

もしここで、死んだとしても、悔いはないと叫びたいだけ。

 

「アキレウス先輩、力を、貸してください……」

 

アキレウスは応えない。

分かっている。英霊そのものが共に戦ってくれる訳では無い。ヴェノムはその力のみを抽出する合理的なシステム。

人間が協力し合うとき、そこには何らかの不合理が交じり合う。

感情を宿した生き物が手を取り合う以上、仕方の無いことだ。

だが、どこか機械的なのも、今の彼女には寂しく感じられた。

共に戦う仲間が、傍にいたなら、どれ程、どれ程に頼もしかっただろう。

裏切者にその居場所は無い。それが事実だ。

彼女は唇を噛み締め、盾を大地に突き立てた。そして、その絶技の解放を口にする。

 

その時だった。

 

嵌合体鑿歯の上空から、雷撃の矢が降り注ぐ。

悪獣の必殺獣具はこれにより掻き消され、世界は元の時間に戻った。

第三者の介入。何者かが、巴の味方をしたのだ。

そして巴の背後に現れた人物。

それは彼女も良く知る相手である。

 

「ウラルン…………せんぱい?」

 

ヴェノムアーチャー『ケイローン』の力を宿した少女、ウラルンがそこに立っている。

後輩であるアダラス、巴を守る為に、その権能を振るったのだ。

巴はウラルンが助けてくれたことに、驚きを隠せなかった。

巴は教団を裏切った。まだそのことを、ウラルンは知らないのかもしれない。

だから、もし真実が明らかになれば、巴の命はない。

 

「ウラルン先輩…………私は……」

 

それでも、巴は真実を告げようとする。

大好きな先輩を裏切ってしまったこと。

それを嘘で塗り固めて無かったことにすることは出来ない。

悪い意味で、彼女は素直だ。

 

「雪匣」

「……え?」

「入谷雪匣。私の名前。今は、ね。」

 

違う。

違った。

ウラルンは、巴の裏切りを知っていた。

その上で、彼女を守った。

先輩として、巴を救ったのだ。

それが、巴にとってどれほど嬉しかったか、頼もしかったか。

彼女は目に涙を浮かべる。

そして雪匣は、その頭をゆっくりと撫でた。

 

「雪匣先輩っ……」

「いくよ、巴。一緒に。」

「っっっはい!」

 

嵌合体鑿歯の前に、アキレウスとケイローン、二人のヴェノムが揃い立つ。

もはや、巴にとって悪獣など脅威では無かった。

傍にいて、戦ってくれる余りにも頼もしい存在がいる。

いざ尋常に、勝負開始。これからが本当の戦いだ。

 

走り迫る嵌合体鑿歯。

再び獣具『血涙寿華』を起動し、纏めて始末しようと画策する。

巴はこの悪獣に対し、一直線に走り出した。

取り出したるは長槍一本、一見、無謀な突撃のようにも思える。

雷前巴の思考は、何処までも続く青い天の如く、空虚であった。つまり、無策、である。

策を弄したのは雪匣だ。巴は彼女をただ信じ、真っ直ぐに突き進む。

嵌合体鑿歯はその鋭利な刀剣の牙で、巴に襲い掛かった。

獣具の波動が巴の肌を熱量で焦がす。

 

「(凄まじい覇気、だけど!)」

 

巴は知っている。

『血涙寿華』は、巴の心臓には決して届かない。

目の前に迫る牙。

そして、彼女の右頬のすぐ傍を、光の矢が通り抜ける。

宙に一本の光線が描かれた。彼女の背後から放たれる、正確すぎる射撃。

雪匣の几帳面さを表す様な一撃だ。

嵌合体鑿歯の切り札、堅牢なる牙はこの瞬間、砕かれた。

そして巴は、追い打ちをかけるように、長槍を刺し穿つ。

鑿歯の折れた切先を尻目に、巴の槍は十メートル単位で悪獣を吹き飛ばした。

 

「いまだよ、巴。」

「はい、雪匣先輩!」

 

走り出した雪匣の掌に、野球選手ばりの投球でアンプルを投げ渡した巴。

そして雪匣は、自らの胸部にそのアンプルを注射した。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムシールダー』:『アキレウス』現界します。〉

 

そして雪匣は、アキレウスの力を宿した。

ここに、二人のアキレウスの権能が現れる。

雪匣は注意力を失った嵌合体鑿歯の背後に回り込み、所持した盾を押し付けた。

そして前方には、巴が盾を有し、走り込む。二つの巨大な盾によるサンドイッチ。プレスされるのは悪獣の凶悪な肉体である。

 

「ダブルアキレウス!宝具起動です!」

 

巴の掛け声で、二人は同時に宝具を起動する。

極小世界の顕現。敵の肉体に打ち込み、世界そのもので内臓全てを押し潰す。

そして今回は前後から起動される。悪獣にもはや逃げ場は無い。

 

『蒼天囲みし毒世界(ヴェネミウス・コスモス)』

 

二人の声は重なり合う。

巴は緑色の閃光、雪匣は白の閃光が迸った。

嵌合体鑿歯の肉体は内側から破裂し、肉片になるまで解体される。

飛び散った血液は天に届く程の勢いだ。

この悪獣がこれまで食らい尽くして来た悲しみの全てが、この大地に還っていく。

二人は全身に赤色を浴びながら、達成感に酔いしれた。

 

「巴」

「何ですか、雪匣先輩」

「臭い。」

「お、女の子に言っちゃだめですよ!そ、それを言うなら雪匣先輩も、血の匂いが凄いです!」

「お互い、臭うね。」

「…………ええ、シャワーに入りたいです。」

 

雪匣は再び、巴の頭を撫でまわした。

巴はくすぐったそうに笑う。

 

「(ああ、雪匣先輩は、本当に優しい)」

 

巴はその温かさに嬉しさと、感謝を覚える。

が、それと同時に、少しだけ冷たいものが流れ込んだ。

 

かつての記憶。

彼女がゴールテープの先で手を伸ばした相手。

走る喜びを与えてくれた、陸上部の先輩。

巴の、今なお褪せることの無い初恋。

 

「(鉄心先輩…………私は……)」

 

鉄心と雪匣、理想のカップルの噂を聞き、彼女は只一人、絶望の淵に叩き落された。

彼女が走る目的を失った、本当の理由。

巴の頭を優しく撫でてくれる、かつての先輩はもう……

 

「巴?」

「……っ!何でしょう?雪匣先輩!」

「ここは少し危険、だから離れた場所へ行こう。」

「そ、そうですね!行きましょう!」

 

いけない、いけない。

鍵をかけておかなくちゃ。

巴は想いの全てを箱に閉じ込める。

このタイムカプセルは、開いてはいけないパンドラの箱。

彼の温もりが、巴を包み込むことは決して無いのだから。

 

 

『九嬰』『窫窳』『鑿歯』、そして教経の手によって『巴蛇』が討伐された。

残すは『封豨』そして『大風』のみである。

だがそれらが討伐される前に、災害である后羿は動き出した。

空を飛び回るモスマンが全て焼き尽くされ、后羿は再び弓を手にする。

放たれるのは、第三の太陽。

 

災具『后羿射日』は三度為されるのだ。

 

そして彼のいる空を仰ぐものが一人。

彼を止める為に立ち上がった男。

彼の思いを受け入れ、止めてみせると誓った男。

 

衛宮禮士は、その手の甲に宿る三画の痣に、祈りを込めた。

 

身体が焼き尽くされるような感覚。

だがそれは幻だ。太陽を落とす神への畏怖そのものでしかない。

恐れる必要は無い。頭を垂れる必要も無い。

倒すべきはかつての相棒。禮士の全てを賭け、この任務を遂行する。

 

『令呪を用いて、我が友へ命ずる。第八等太陽を射出せよ。』

 

サハラの戦争で失われたはずの三画、何故彼の身に宿っているのか。

もしこれが天の恵みであるならば、この場における選択は意味のあるものの筈だ。

 

「マーシャ、俺はもう、逃げないよ。」

 

一画目の令呪が消失する。

后羿とのパスを通して、その意思の変化を読み取る。

今の禮士ならば分かる。友の考え、友の選択、友の成すこと全て。

そして后羿の放つ太陽の格を正確に捉えた。

 

放たれるのは第八等。

即ち、第一の関門は突破である。

 

「よし……っ!」

 

禮士の読みとは裏腹に、いとも容易く願いは通じた。

後は残りの二画を用いて、着弾場所を指定するのみだ。

 

『令呪を用いて、我が友へ再び命ずる。開発都市第六区湖水場方面へその力を振るい落とせ!』

 

その場所はÅ1地点。もっとも被害の少ない場所だ。

ここならば、逆転の可能性は大いにある。

放ったと同時にモスマン部隊を再投入。后羿の位置を捉えた後に、教経を空へ向かわせる。

大丈夫だ、上手くいく。そう何度も心の中で呟いた。

不安を掻き消せ。決して絶望するな。友への餞は、泥臭くも美しいものでなければなるまい。

禮士は再び、后羿の意思を確認する。

后羿の弓が向く場所、それこそが、太陽の着弾地点。

Å地点であれと祈る。令呪の命令であるならば、災害と言えど従わざるを得ない。

そう信じていた。信じていたかった。

 

「……っ」

 

弓の向く先。

それはよりにもよって、最悪の場所。

C3地点、パークオブエルドラードと遠坂組総本山が聳えるその場所だ。

第八等と言えど、中核に落ちればジエンド。彼らは皆死亡することとなる。

 

「クソ!何故だ!」

 

禮士は最期の一画を注視した。

これが本当の最期。ここで后羿が命令に背けば、彼らの戦いは終わりを告げる。

 

「頼むぞ、この世界が、終わって良い筈が無い!」

 

禮士は重ねて、その願いを口にする。

その刹那。

彼の手の甲はオレンジの火に包まれた。

 

「なっ!?」

 

傍にあった水道で、その手の炎を洗い流す。

火傷は負ったものの、酷い外傷にはならずに済んだ。

だが、彼は絶望する。

三画目の令呪は、后羿の焔に焼かれ消失した。彼から、頼みの綱のパスをねじ切られたのだ。

 

「馬鹿な……」

 

禮士の元へ駆けつける龍寿、ミヤビは、その状況を見て絶句する。

悟ったのだ。禮士が失敗したことを。もう、第六区に未来が無いことを。

 

第八等太陽の射出。

夜の黒き空が消え、真昼のような明るさに切り替わる。

太陽が、出現した。

ゆっくりと、着実に、赤いメテオは落ちてくる。

 

「禮士」

「すまない、すまない、龍寿、俺は……」

「悪いな。全部君に背負わせてしまった。」

 

龍寿は禮士を背後から抱き締めた。

男から抱擁される君の悪さは感じない。そこにあるのは慰めと、ヒトの持つ温かさ。

これから失われる全てがそこには詰まっている。

 

「車を回せ、龍寿。我々ルラシオンだけでもA地点まで逃げ切るのじゃ。」

「ああ。直ぐに手配する。だが、逃げ切るのは君たちだ。」

「何?」

「僕はここに残るよ。シェルターの皆様が逃げ切るその時まで、ね。」

「お主……」

「さぁ、皆さん。直ぐに僕が遠坂組の車両を用意します。まず先に逃げて、次の手を打ってください。大丈夫、皆さんの団結があれば、必ず、必ず生き残ることが出来ます。僕もすぐに追いかけます。」

「龍寿様!僕も!僕も残ります!」

「駄目だよ、リカリー。君の役目は、后羿が弱体化したその時だ。遠坂組がみんなで残ったら、士気も乱れるだろう?」

 

龍寿は終始笑顔だった。

誰もが、彼の運命を悟った。

もう、彼は助からないのだと。

死ぬつもり、なのだと。

だから誰も声を上げることは出来ない。龍寿がそれを許さない。

龍寿は通信を立ち上げると、外へいる者たちへ呼びかけた。

 

「アマゾニア、聞いていたかい?君は、海御前を連れて、先にA地点へ向かってくれ。君の足なら問題ないだろう?」

〈てめぇ、死ぬつもりじゃないだろうな。〉

「勿論、生きるつもりだ。でも、遠坂組当主としての責務は果たすよ。」

〈馬鹿が!あんな腐った連中を守って何になる?シェルターのゴミ共なんざ捨て置いて、お前は〉

「アマゾニア」

〈…………お前は、生きなきゃ駄目だろうが。〉

「……そうだね、頑張るよ。」

 

龍寿は続いて、大切な相棒へと呼びかける。

 

「教経」

〈……〉

「頼んだよ、ヒーローは君だ。」

〈…………龍寿、英雄になる条件は、決して自己犠牲では無い。努々忘れるな。〉

「はは、仮面セイバーは手厳しいな。」

 

外にいる充幸と、部隊の者たちへ通達した龍寿は、通信を落とした。

この場所そのものが炎に焼き尽くされる。

彼は名残惜しそうに、モニターの先を見つめていた。

 

退避命令を受けたアマゾニアは、海御前のいる場所へ急いだ。

九嬰との戦闘の末、己の水を使い果たした彼女。

アマゾニアは彼女のか細い身体をゆっくりと起こした。

 

「救護は必要か?」

「だいじょうぶ、です。河童の生命力を舐めないで。あと数十分もすれば、大地の恵みを受け取って、ある程度は元通りになります。『弾丸雨注』は、もう使えないですが。」

「残念だな。数十分後には、世界の命運は決してるってよ。」

「そうですか。役立たずですみません。」

「ちげぇよ、本当の役立たずはアタシさ。すまねぇな、何もしてやれねぇ。筋肉じゃ解決できないことも、あるもんだな。」

 

アマゾニアは寂しそうに笑ってみせた。

海御前は彼女の瞳の中に宿る、渦巻いた何かに吸い寄せられる。

 

「ねぇ、アマゾニア。もしかして、貴方。」

「海御前」

 

アマゾニアはその場にしゃがみ、力なく笑う。大妖怪には、きっと全てがお見通しなのだろう。

 

「悪いな。アタシは、もう、無理だ。」

 

アマゾニアの手は、震えていた。

凡そ英霊とは思えない、人間らしい反応。彼女を、大いなる恐怖が支配している。

 

「アタシの前で、沢山の仲間たちが死んでいった。みんな、みんな死んじまった。そして龍寿もきっと、死んじまう。震えが止まらないんだよ。太陽が落ちてくるなんてさ、本当馬鹿げているよ。どんな敵よりも恐ろしい。あぁ、怖い。アタシは、死にたくないんだよ。生きる為に恥と外聞を捨て戦ってきたアタシには、英雄の誉なんざ存在しねぇ。なんで、アタシなんかが召喚されたんだ。なぁ、どうしてだ?」

「その答えは、自分で見つけるしか無い筈よ。」

「分かっているさ。ああ、分かっている。だから、すまねぇ。」

 

アマゾニアは海御前を突き放した。

そして彼女に背を向ける。

 

「アマゾニア」

「許してくれ、アタシを。どこまでも遠くに逃げるアタシを、どうか、許して。ごめんなさい、ごめんなさい。」

「アマゾニア!」

 

アマゾニアは駆け出した。

彼女のスピードを以て、どこまでも遠くへ走り抜けていく。

彼女を止める者はいない。

彼女の心の闇を、受け取る者は、いない。

 

そして少しばかりの時間が経過した。

太陽が迫る中、遠坂組の車は手配される。

次々と乗り込んでいくルラシオンメンバー、龍寿だけが、その場に残る。

否、もう一人、彼の隣にいる者は、彼と心中する覚悟を持った男。

衛宮禮士もまた、この場に残ることを選択した。

これこそが彼の贖罪。龍寿を一人で逝かせる訳にはいかない。

友として、最期の決意を固める。

無論、その事実を海御前は知らない。

 

「禮士、本当に、決めたんだね。」

「ああ。でも、生きるつもりで戦うんだ。それは龍寿も同じだろう?」

「勿論だ。足掻いてやるさ。最期の瞬間までね。」

 

リカリーは龍寿の指示で、居残りを禁じられる。

だがそれでも駄々をこね、最期までオペレーションルームから離れようとはしない。

今も他の者たちの指示を無視し、モニターを噛り付くように見つめている。

 

「リカリー、出発の時間だ。」

「いや、動きません。僕も、龍寿様と共に!」

「だから、何度も言っているだろう?幹部たちまでいなくなったら、遠坂組は崩壊するじゃないか。」

「分かっています、分かってはいますとも。ですが、これは僕の折り合いが付けられない感情の所為です。離れてはいけないと、心が叫んでいるのです!」

「いいから、行くぞ、ほら。」

 

龍寿はリカリーの腕を取り、無理矢理歩かせる。

だがリカリーは抵抗する。お菓子売り場から離れまいとする小学生のように、足をばたつかせた。

 

「ガキか!」

「ガキです!」

 

そんな微笑ましい(?)やり取りが続く中、オペレーションルームに異常を知らせるアラートが響き渡った。

残り二体の悪獣に動きがあったのか、はたまた、后羿が何かをしでかしたのか。

答えはどちらもノーである。

二人は急ぎ、モニターを確認した。

そこに移されていたビジョンは、余りにも信じ難いものだった。

 

第八等太陽の進路が、大きく逸れたのである。

 

「は?」

「何で、ですか?どうして、この、方向って、A地点!?僕らが当初目指していた着弾地点ですよ!」

「何が起こったんだ?まさか、禮士の令呪が今になって効いたのか?」

「いや、違う。」

 

二人の背後から現れた禮士が答える。彼のパスはズタズタに引き裂かれた。后羿が恩情で彼らを救うような真似をする筈が無い。

何か外的要因が作用した筈だ。彼らはA地点を飛ぶドローンへと映像を切り替える。

 

湖水場のほとりで、大木に寄り掛かる人の影が見て取れる。

それは、彼らのよく知る顔であった。

 

「アマゾニア……」

 

アマゾニアは海御前を連れ、一足先にA地点へ向かっている。

即ち、この場所へ太陽が進路を変更した以上、彼女らの身が危ない。

リカリーは直ちに通信を立ち上げ、アマゾニアへと呼びかける。

 

「アマゾニア!聞こえますか!直ちに、その場所から避難してください!理由は不明ですが、太陽がその場所へ進路を変えました!落ちてきます!」

〈ふっ、いいのかよ?アタシがそっちへ向かったら、太陽も追っかけてくるぜ?〉

「は?」

〈あぁ、海御前なら心配ない。アイツには、生きててもらわなきゃな。その場に置き去りにしてきたよ。〉

「どういうことだ、説明をしてくれ、アマゾニア。」

 

龍寿もリカリーも状況を飲み込めない。

禮士ただ一人が、アマゾニアが『為した事』を理解した。

 

〈武蔵坊弁慶との戦いを忘れたか?〉

「弁慶、と言えば、アマゾニアが彼の武器を受け止め、その間に海御前が宝具で止めを刺した……」

「そうだ龍寿。アマゾニアには、強力なスキルがある。剣闘士としての、スキルだ。」

「グラディアトリクスの……まさか……」

 

〈そうだよ、やっと気付いたか間抜け。一対一の勝負へ持ち込むスキルだ。これにより、太陽を好敵手とし、アタシのコロセウムに放り込んだ。アタシが立つ場所が、太陽の落ちる場所だ。〉

 

三人は言葉を失った。

その無茶苦茶なターゲット絞り込みスキルもそう。

だが何より、これによって彼女の死が確定してしまったのだ。

 

アマゾニアは、孤独に、死にゆくのだ。

 

「何を、何をしているのですか!アマゾニア!避難を!避難を!」

〈馬鹿が、リカリー、いい加減理解しろ。太陽はアタシがいる場所に落ちてくる。もう、この未来は変わらない。〉

「そんな……」

〈じゃあな。後は、任せた!〉

 

アマゾニアは通信を落としたのち、所持していた短刀をドローンに投げつけた。

オペレーションルームの映像はロストし、彼女の最期を見届ける者は、もはや誰もいない。

そしてルラシオンのメンバーにも、その事実は伝えられた。

悲しむ者、憤る者、悔しさを吐露する者、反応は様々である。

皆が、アマゾニアを案じ、彼女の死に絶望した。

そして救助された海御前が、誰よりも、深い悲しみを負っていた。

気付いていた。アマゾニアの真意に。彼女だけが気付いていた。

アマゾニアは心の底より、生存を願っていた。

だが、自ら死を受け入れた。

それがどれだけの覚悟を持ったものだったか。

アマゾニアの最期の言葉。

 

「許してくれ、アタシを。どこまでも遠くに逃げるアタシを、どうか、許して。ごめんなさい、ごめんなさい。」

 

狼狽した彼女の、最初で最後の優しい嘘。

海御前を救う為の、余りにも下手くそな虚言。

 

「アマゾニア、貴方が逃げる訳無いじゃない、馬鹿ね。」

 

海御前は涙を流した。

太陽がもう間もなく落ちる、その時。

絶望する彼らへ、アマゾニアの声が届いた。

 

 

湖水場にて、アマゾニアは一人汗を流している。

水はもうとっくに蒸発した。

やがてその身体に火が灯り、跡形もなく消し炭になるだろう。

そして遺灰は風に流され、旅立っていく。

否、太陽の熱は灰すらも残してくれないだろうか。

 

「海御前、気付いてやがったな。」

 

少し悔しい。

でもそんな友人が少し誇らしい。

 

「さて、まぼろし、じゃない、まろばし、だったな。落ち着いて、冷静に。」

 

アマゾニアは最期までクールに生きるのだ!

龍寿のいうヒーローとはきっと、このような者を指すのだろう。

彼女は大きく胸を張ってみる。

じりじりと肉が焦がされる感覚、あぁ、それすらも誇らしい。

 

「そんな訳無いだろ、アタシ」

 

嗚呼、何をやっているんだ。

どうして、このような馬鹿な真似をした。

逃げればよかった。もう遅いが、逃げてしまえば良かった。

英霊らしい?ヒーロー?クソくらえだ。

喉はとっくに乾き切った。熱さで思考が鈍ってゆく。

何故、アタシがこんな目に。

いつもそうだ、アタシは何も残さない、残せない。

あぁ、怖い、目を開けると眼球が燃え尽きてしまう。

 

「あ……」

 

近い。

太陽が、近い。

もしかして、アタシは死ぬのだろうか?

また、独りで死ぬのだろうか?

水が欲しい。

水が、欲しい!

海御前はどこだ?

海御前は、いま、どこで何を?

アタシを置いて逃げるなんてマネはしないよなぁ?

あれ、アタシが置いてきたんだっけ?

アキリアは、

アキリアはどうした?

あぁ、お前も同じスキルを持っているだろう?

アタシと変わってくれ。この場所を代わってくれ。

暑いんだ。

すごく、暑いんだ。

 

「あぁ…………ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ

死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない

 

「あ」

 

身体が燃えていた。

アタシの身体は、燃え始めていた。

地獄のような時間が始まる。

それは生前よりももっと酷い、あまりにもな拷問時間。

アタシが何をしたって言うんだ?

男に嬲られ、コロセウムに立たされ、見世物にされ、挙句殺されたアタシに、

神様って奴は、何を求めているんだ?

 

あぁ、どうしてアタシは戦っていたんだっけ?

 

第六区の金持ち共は腹立たしい奴ばかりで。

遠坂組の連中も、アタシとアキリアに暇な仕事を押し付けて。

じゃあ、いつの間にかアキリアが死んでいて。

アタシは何故か、太陽に焼かれて死ぬ。

 

本当、意味わかんねぇよ。

アタシ、何でこんな頑張ったんだっけか。

 

頭に浮かんできたのは、下らねぇ男の、下らない世迷言だ。

 

「何だ?別動隊全員でポーカーでもしてろってか?」

〈まぁまぁ、サーバールームの守護任務も、基本的には待機と変わらないでしょう?〉

「あの時はアキリアがいたから暇じゃなかったんだっつーの。リカリー、お前、アタシを舐めてやがるな?」

〈そんな訳ありませんよ。貴方は遠坂組の、そして僕の希望ですから!〉

「希望、ねぇ」

〈フレー!フレー!アマゾニア!ですよ!〉

「何だソレ。」

 

「遠坂組の、アイツの、希望、か。」

 

あー、忘れてたな。

アタシ、結構アイツらのこと気に入ってたんだ。

ヒーローに憧れているけど、空回りがちな龍寿。

泣き虫で弱虫なくせに、龍寿と命を共にしようとするリカリー。

何考えてるか分からないけど、指揮官としてセンスのある禮士。

馬鹿でけぇ乳の割に、俊敏な友達、海御前。

何から何までかっけぇ教経。

 

アタシ、意外とあいつらのこと、好きだった。

だから、アタシの死は、孤独なんかじゃない。

身体が灰になろうと構わない、そう思えたんだ。

 

さぁ、最期の仕事だ。

気合を入れろ、アマゾニア。

お前の取り得は、足が速いこと、そして声がでかいこと。

なら、今できることは何だ?

アイツらのことだから、アタシが死ぬことに負い目を感じてやがるだろう。

絶望なんてされちゃたまんねぇ。

辛気臭い顔は似合わねぇだろ。

アイツらは明日も明後日も、生きていくんだ。

なら、アタシは景気よく、見送ってやらなきゃな。

 

 

アマゾニアは焼き尽くされながら

大切な者たちの為に、叫んだ。

彼女の声は、第六区の全ての者たちへと届く。

彼女の、最期の絶叫、最期の祈り

 

 

「 フ レ ー ! フ レ ー ! ト オ サ カ ! 」

 

 

それは応援だった。

彼女の最期の声が、絶望であってはいけない。

だから、彼女は希望を口にする。

何度も、何度でも、

 

 

「 フ レ ー ! フ レ ー ! ト オ サ カ ! 」

 

 

「 フ レ ー ! フ レ ー ! ト オ サ カ ! 」

 

 

「 フ レ ー ! フ レ ー ! ト オ サ カ ! 」

 

 

それは遠坂組として戦った者たちへの讃歌。

灰の慟哭。

命を燃やして、希望を繋ぐ。

 

アマゾニアは消滅するそのときまで、声を枯らし続けた。

 

「ああ、アキリア、やったぞ、アタシは」

 

もはやそこに、彼女の姿は残されていない。

あるのは、巨大なクレーターと、僅かばかりの灰である。

遠坂組戦力の一角、剣闘士アマゾニア、ここに散る。

 

 

 

【蹂躙編⑧『灰の慟哭』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蹂躙編9『幸せの充ちる時』

いよいよクライマックスに近付いてきました。
エピローグ含め、蹂躙編完結まであと三話!
今回の話は少し難しいかもです。フィーリングで読んでください。

感想、誤字等ありましたらコメントにお願いします。


過去

遥か遠きフランスの地。

 

青い目の男は、宝具を起動する。

それは私という醜い存在を白日に晒す絶技であった。

 

「これが奴の真実、正体だ。本当の名なぞ存在しない。奴はエサルハドンであったはずの名もなき民の集合だ。そうだな、王の代替品……即ち『身代わり王』だ。」

 

失われていく。

全てが、失われていく。

私は、アッシリアの女帝、エサルハドン。

栄華も尊厳も、数多の憎しみも、『彼』に徴収される。

 

「……私と、戦う選択をするか、娘。」

「どうして、あの時、エサルハドンが召喚に応じてくれたか、今なら分かる気がするから。彼女も私と同じ、奪われた者であるなら、もうこれ以上貴方に徴収される訳にはいかない。」

 

指の一本すら満足に動かせない、役立たずなサーヴァント。

その目前に立ち、優しい鬼は力を解き放つ。

それが彼女の寿命をすり減らす選択だとしても。

 

私の目の前で、戦い始める二人。

一匹の悪鬼と、悪逆の皇帝『アウラングセーブ』。

驚くことに、私のマスターは、サーヴァントを相手に互角だった。

命を削って、戦っているんだ。

どうして、そこまで。

どうして、彼女は……

どうして。

 

「コロス……オマエヲ…………」

「『身代わり王』を守り、何になる。もはや勝利は無いというのに。」

 

そうだ。

人食らいの鬼には、聖杯に託す願いがあったのだ。

呪いに打ち勝ち、生きていく。

普通の女の子になる、そんな夢が。

 

僕は、私は、立ち上がる。

驚く程すんなりと、その身に力が入った。

我らに願いなどは存在しない。エサルハドンの夢は、この身体を構成する全ての『身代わり王』たちが棄却する。

為すべきことは一つだ。

為すべきことは、ただ一つだ。

 

「充幸!」

 

鬼頭充幸を存続させる。

鬼頭充幸を生存させる。

幸せな、一人の女の子にする。

 

俺たちは、僕たちは、私たちは、我らは、その為だけに戦うのだ。

そして走り出す。貴方を救う為に、走り出した。

 

聖杯戦争は続き、その果てへと至る。

 

「充幸、大丈夫ですか、充幸!」

「アサシン……傍にいてくれたんだ。」

 

アウラングセーブと、そのマスター、そして聖杯は消失。

充幸と『身代わり王』は彼らに勝利した。だが、失うものは大きかった。

全てが、遅すぎた。間に合わなかった。

充幸の体内で暴れ出す悪鬼。彼女という人間の死は近い。

充幸の夢は潰えた。彼女の運命は、変えられない。

 

「アサシン、お願いがあります。これは私の余りにも身勝手な願いです。それを聞き入れてくれるかどうか、全て貴方に委ねます。」

 

充幸の願いはただ一つ。

『身代わり王』に、鬼頭充幸の人生を請け負わせること。

これから悪鬼へと生まれ変わる少女の、幸せな日々の代理人となること。

幸せが充ちるその時を、迎える、ただそれだけの為に。

 

『身代わり王』は受肉する。

人間となり、仮初の身体を捨て去った。

 

「アサシン、いや、貴女は充幸。私と同じ名前。ねぇ、充幸、『生きて』。きっともう、誰にも奪われないよ。貴方の幸せは、貴方だけの……」

「はい、充幸。私は生きていきます。貴方の分まで、末永く、生きていきます。」

 

涙の決別、そして、『身代わり王』の第二の人生が始まる。

鬼頭充幸として、彼女はこれから先も生きていく。

物語は、どこまでも、続いていくのだ。

 

本当に?

 

「あぁ、なんて悍ましい笑い話だ」

 

エサルハドンは嗤う。

そうだ。これはそんな美しい『献身』の物語ではない。

エサルハドンだけが知っている。

 

『身代わり王』は取り返しのつかない間違いをした。

 

幸せが充ちる時、それは決して手に入らないというのに。

 

【蹂躙編⑨『幸せの充ちる時』】

 

アマゾニアの勇姿を見届けた共同戦線は、空に浮かぶ災害を一同に睨みつける。

彼らに許された逆転劇は、僅か三分にも満たない時間。

ここで決めなければ、二度とチャンスは訪れない。

火の玉に包まれた后羿は、その瞬間、空間を超越する。

開発都市第六区の上空、その何処かの地点へ再召喚されるのだ。

 

「ミヤビ!」

 

龍寿の声を聞き、ミヤビは能力を行使する。

目を瞑り、遥か遠い先の先へと神経を集中させた。

猛禽類が上空から得物を狙いすませるように、地区そのものを俯瞰する。

そして

 

「見つけた。かなり近いぞ。C2ポイントじゃ。燃える炎が消え去り、消耗しておる。今が絶好の機会じゃよ!」

「よし、モスマン部隊、出動だ!」

 

空を往く、巨鳥の群れ。

その一体に教経はライドする。

同じく、残された遠坂組部隊メンバーも跨り、一斉に飛び立った。

充幸は禮士の運転する車へと乗り込み、モスマンの群れを追いかける。

龍寿、リカリー、ミヤビはオペレーションルームで作戦指示。

エラルはマキリ製令呪のバックアップを開始する。

そして美頼は、ロイプケと共に負傷者の受け入れと、看護の応援へ向かった。

 

禮士の運転する車にて、充幸は助手席へと座る。

彼とは事務的な話しかしてこなかった為か、ここでは互いに沈黙が続いた。

だが耐えきれなくなったのか、充幸がそれを破り、口を開いた。

 

「禮士さんは、このオアシスのことを、どこまで知っているのですか?」

「というと?」

「災害のサーヴァント『后羿』の元マスター、なのですよね?」

「ああ。かつて俺はモーリタニアの地で聖杯戦争に参加した。そのとき、バーサーカーのマスターだったよ。」

「モーリタニアから、このオアシスへ?」

「……到達するまでは、そう時間はかからなかったよ。人間なんとかなるものさ。だが、ここに着いてからが長かった。……もう、何年生きたか覚えていないよ。不老不死、では無いが、それに近い霊薬を飲まされたからね。」

「薬を、誰に?」

「后羿さ。アイツは俺に倒されることを望んでいた。勝手な奴だよ。俺はアイツに恨まれていたし、愛されていた。だから『生存』という呪いをかけたんだ。」

「生きる、呪い」

「あぁ。死ぬ方が幾分かマシだった。でも俺は生きるしか無かった。託されたからね。」

 

禮士はブレーキを踏み、車を停車させる。

最高速度で飛ばして来たからか、まだ一分しか経過していない。

否、もう一分経ってしまったと考えるべきだろう。

 

彼らは車を降り、空を見上げた。

既にモスマン部隊による攻撃が開始されている。

空に浮かぶ后羿へ向け、人をゆうに超える巨体で特攻するモスマン。

その中には、教経や部隊メンバーもいた。

 

「……これは…………」

 

充幸は空で起こる一瞬一瞬の出来事に唖然とする。

そして禮士は、悔しそうに毒づくしかなかった。

通常の英霊級までその格を落とした后羿。

だが、それでさえ、果てしなく強い。

モスマンの全身全霊の攻撃が、まるで一切効いていないのだ。

考えてみれば、当たり前の話。

災害へと至る以前の后羿、英霊として召し上げられるその前から、かの六の悪獣を滅ぼしている男だ。

彼は災害としての権威を失ったとしても、単純な英霊として最強である。

教経だけが、戦えるかもしれない、その可能性にかけてきたが、それすらも危ういという事実に、言葉を失うのみだ。

 

〈……禮士、遠坂組の生き残った部隊メンバーは医務室に運ばれた者を除き、ほぼ、全滅だ。〉

 

龍寿の絶望が通信越しに分かる。

無限に分身するモスマンと、最期の希望、平教経。

残されたのは、ただ、それだけだ。

 

〈悪獣は『封豨』が、C2へ向けて進行中。これを雷前さんが阻んでくれている。『大風』は、すまない、ロストした。現在投入できる戦力は、もう……〉

「そうか、分かった。」

 

禮士は通信を落とし、ポケットに手を入れ、空を仰いだ。

王として鎮座する后羿へ、空から果敢に教経が勝負を挑む。

だが、刀ごと弾き返され、傷を与える隙も無い。

一分半が経過。もはや、これまで、と言った所か。

 

「……っ」

 

禮士の隣に立っていた充幸は、全力で駆け出した。

考えなしな行動。でも、いてもたってもいられない。

あと一分弱で出来ること、なんてたかが知れている。

だが命乞いの時間には使いたくない。

今、彼女に出来ることは一つだ。

 

「エサルハドンの力で、私は!」

 

禮士は充幸の背中をただ眺めることしか出来ない。

彼はこの場においてはただの役立たずだ。

特別な力を有する者を、送り出すことのみ。

傍観者しかない事実は、彼の胸をきつく締めあげる。

 

「后羿を止める、か。俺に何が出来るって言うんだ。」

 

その時。

彼の運転してきた車両の、後部座席から物音がした。

誰かが、隠れ潜み、同乗したのだ。そのことに禮士は気付かなかった。

 

「誰だ!?」

 

禮士が駆け寄ると、そこには、ぐったりと疲れた表情をした、はだけた着物の女がいる。

彼にとって、もっとも大切な存在がいた。

 

「あまたん」

 

医務室へ運ばれた筈だ。

早く治療を受けなければ、もし彼女が干上がってしまえば、本当に死んでしまうかもしれない。

禮士はパニック状態になる。

混乱する彼に、海御前はそっと手を伸ばした。

冷たい手が、彼の痩せた頬をゆっくりと撫でる。

 

「禮士さま。すみません。此方は、戦うためにここへ来ました。」

「な…………」

「此方は、貴方を本当に、愛しています。貴方の願いを、叶えたい。貴方に尽くしたい。貴方とこれから先もずっと、永劫に、生きていきたい。」

「あ……あぁ、なら、早く水を……」

「だからこそ、謝らなければ、なりません。此方は浮気者なのです。…………空で戦うあの人を、放ってはおけない。平家の女が、夫を立てぬわけにはいかない。それは恋愛感情とはまた違うもの。此方が筋を通すべきこと。それは海河童であろうとなかろうと、関係ありません。」

 

海御前はゆっくりと立ち上がる。

そして、禮士の身体を抱き締める。

 

「十秒で構いません。此方に力をください。此方を抱き締めて、離さないで。それで此方は戦えます。貴方と、元夫、二人の願いの為に、再び槍を振るいます。」

 

海御前の身体は、氷のように冷たかった。

彼女に残された水は、もはや無いも同然だ。

それでも、まだ、諦めていない。

ならば、禮士が出来ることはただ一つ。

禮士はゆっくりとその両手を背中に回した。

 

「ありがとう、ございます。」

「………あまたん」

 

海御前は静かに、カウントダウンを始める。

十秒間の抱擁。彼女が最後に力を使い切る為の、仮初の補給。

そして残り五秒に差し掛かった時、禮士は口を開いた。

 

「……俺には、この世で愛する女が三人いる。亡き妻と娘、そして」

 

禮士はその瞬間、海御前の唇を奪った。

一秒足らずの短い時間、されどそれは永遠のようにも感じられる。

ゆっくりと名残惜しそうに繋がりが消えた時、二人の頬は真っ赤に染め上げられていた。

 

「すまない。こんなときに、教経へ嫉妬してしまった。恥ずかしい感情だし、行動だ。」

「ふふ、……次は顎髭を整えてからにしましょう?少し、こそばゆいです。」

 

海御前は禮士から離れ、最高の笑顔を見せる。

禮士にはこれくらいしか出来ないけれど、だからこそ、この場に来た意味があった。

海御前は頬を赤らめた後、大妖怪の冷徹さを以て、空の先へ眼差しを向ける。

 

「さぁ、これで元気は百倍です。いざ、いざや勝負の時!」

 

海御前もまた、走り出す。

残された一分間で、世界を変える為に。

 

 

暗闇の中、教経はモスマンを巧みに操り、后羿の周囲を飛び続ける。

そして接近しては刀を振るう、繰り返し、何度も、何度も。

だが古備前友成の刃ですら、無敗の災害には及ばない。

 

「あっぱれ」

 

他のモスマン軍団が后羿に撃墜される中で、教経の乗る個体だけは、傷つきながらも翼を広げ続ける。

鋼の如き羽根一枚一枚が血で汚れ、既に片目は潰れているというのに。

 

「そなたが、本物、なのだな。」

 

教経は確信する。

彼が跨るモスマンこそ、分身たちを生み出し続ける大本である。

このモスマンの霊基が消滅した時、彼らは同時に失墜するだろう。

 

「お気づき、でしたか。」

「スーツの姿の時の、顔に深く残った傷跡、高速道路での戦闘で、拙者が放った刃だ。貴殿はあのあと、生き残ったのだな。」

「はい。お陰様で。肉体の殆どが崩壊しましたが、分身体で上手くあしらえましたとも。」

「ふっ…………まだ、飛べるな?」

「はい。ミヤビ様の為に、この翼はあります故。」

 

これで七度目の急接近。

后羿は鈍くなった身体を動かしながら、炎の宿った矢を番える。

狙いは教経、では無く、彼の乗るモスマン。

戦場において馬を撃ち抜かれた者に齎されるのは死のみである。

この翼が敗れた時、もう二度と教経は空からの強襲が出来ない。

教経は巨鳥の背中に仁王立ち、桜丸を納刀する。

そして静かに目を瞑った。

研ぎ澄ませるのは『転』の心。

明鏡止水、それでいて自由奔放。

この刃こそ、その極意の果て。

 

「刃を満たすは空蝉の朱

 友成の鉄、並べて腐らず」

 

教経が目を見開いたと同時に、后羿の矢は発射される。

そしてそれは正確無比に、モスマンの霊核を貫いた。

 

「アアアアアアアアアアアアア!」

 

モスマンの悲痛な叫びがこだまする。

彼は、教経に最大の一撃を放ってもらうが為に、敢えて真正面から切り込んだ。

自らの命を賭した飛行である。

 

「モスマン!」

「行け!跳び上がれ!決めろ!教経!」

 

教経はモスマンの最期の想いを受け継ぎ、彼の背を土台に跳躍した。

そしてその瞬間、モスマンの身体は崩壊する。

分身体共々、淡い光の粒子となり、天へと還っていく。

 

「あぁ、ミヤビ様に栄光あれ!アインツベルン万歳!アインツベルン万歳!」

 

オペレーションルームから、ミヤビはモスマンの消失を見届ける。

そして唇を噛んだ。

アインツベルンは、弁慶、ロウヒ、そして先兵モスマン、全ての英霊を失った。

だがそれでも、止まってはいられない。

 

天空にて、后羿の元へ急降下する教経。

愛刀『桜丸』の抜刀、居合切り。モスマンの急加速を利用した、高速の一閃。

マキリ製令呪の最大バックアップを受けながら、放たれる。

災害に二度は矢を引かせない。

 

「此れ称するに『抜刀白魔』!」

 

桜吹雪と共に、重い一撃が后羿の肩に突き刺さる。

そして心臓へ向けて降下する。桜丸が鋼の肉体を切り裂いていった。

遂に、彼の刀が災害の霊核に到達する、その時。

后羿は、刀をその手で掴んだ。

 

「っ!?」

 

巨大な掌に血が滲む。

だが后羿は苦痛すら感じていない。

むしろその顔は笑っていた。

彼の場所まで辿り着く英霊がいた。その事をこの上なく喜んでいる。

だが、勝負は非情である。

后羿は右手で胴を切り裂く刀を掴み、そして、左手でその刀身を叩き折った。

 

「桜丸……」

 

教経の手に残されたのは剣の柄。

その切先は、后羿の胸に埋まったまま。

ついに、古備前友成の名刀は、砕けた。

 

そして、教経は落ちていく。

乾いた土の方へ、ただ落ちていく。

雲の上は、もう目指せない。

遥か天空の先で、后羿が笑っていた。

 

オペレーションルームから、パークオブエルドラードから、全ての民が彼の墜落を目の当たりにした。

平教経は第六区の希望。区民誰もが信じるヒーロー。

その彼が『負けた』。

この事実が、きっと誰にも受け入れられない。

后羿完全回復まで、残り僅か一分弱。

 

天に駆け上がる翼は、もはやこの地に残されていない。

 

 

教経の敗北の一部始終を、地上から見届けた少女。

鬼頭充幸は、このとき、覚悟を決める。

彼女の内に宿るエサルハドンの力。

これが最期、彼女は再び、その権能を手にする。

―たとえ命を燃やし尽くしたとしても。

 

「私は死んだって構わない。」

 

充幸は胸に手を当て、祈る。

身体を蝕む毒に耐えながら、必死に。

アッシリアの女帝エサルハドンへのアクセス。

彼女の行動を阻む者はいない筈だった。

 

「充幸の願いを無下にする気か?」

 

声が聞こえた。

充幸が目を開けると、そこはいつの間にか、砂嵐の中。

視界がぼやけ、立っていられなくなる。

誰かが、充幸へと語り掛けた。

 

「充幸は貴様に『生きて』と命じた筈だが?」

「……充幸は自分が生き残るために、逃げる選択をする子じゃない。戦う時が来たなら、矢面に出るのが鬼頭充幸という人間だ。」

「ふ、そうやって充幸の行動を真似て、英雄の如く死ぬつもりか?」

「五月蠅い。貴方は誰なの。邪魔しないで。」

 

充幸はそこにいる『誰か』の首を掴む。

そして強く、絞め上げる。

これ以上、喋らせる訳にはいかない。

 

「エサルハドンが憎い割には、力に溺れているな?女帝の権能に酔いしれているのか?」

「私は彼女を許さない。でも力がそこにあるなら、使ってやるまでだ。」

「力が、そこにあるなら、ねぇ。」

 

強く、強く、息の根を止めるまで、強く。

真実を、露呈させる訳にはいかない。

 

「ところで、充幸。貴様の髪は随分と長くなったな。毛先から徐々に、桃色へと変化しているでは無いか。」

「エサルハドンの力を使うたびに、桃色は呪いのように広がっていく。でもみんなを守る為なら、仕方の無いこと。」

「本当か?本当にそうか?」

 

充幸を煽る影。

次第にその姿が明らかになる。

淡い桃色の髪に、金の装飾の煌びやかな、美しき女。

充幸を侮蔑し、嘲笑する者は、彼女をよく知る一人。

 

「エサルハドン……」

「我はその『身代わり』だ。フランスの地にも、オアシスにも、エサルハドンはいまいよ。全てが代替品だ。」

「私自身の心の闇……なんてね。」

「何を言っている、闇は貴様の方だろう?」

 

エサルハドンは充幸の腹部を蹴り飛ばした。

そしてその勢いで、充幸から零れ落ちたもの。

充幸はそれを隠すために、両手を伸ばす。

 

「無駄だ。」

 

だがエサルハドンがそれを阻んだ。

先に『それ』を握り、充幸へ侮蔑を孕んだ表情を見せる。

 

「こんなものを、お前は。」

「返せ!」

「おっと、これは戦闘には不必要なものだろう?むしろ、『視界が良くなった』のではないか?」

 

エサルハドンの掌。

握られたのは、赤と緑、二色のカラーコンタクト。

充幸の、桃色の目を隠していたアイテムだった。

 

「さて、そろそろ、頃合いだろう?我は貴様、貴様は我。フランスの地の真実を語る時が来た。」

 

充幸の化けの皮が剥がれる。

必死でシルバーに染め上げた髪も、色が落ち、元の桃色へと戻って行く。

 

「鬼頭充幸、否、『身代わり王』。貴様の罪をここで告白しよう。」

 

遠い昔、フランスの地。

充幸の令呪によって受肉したアサシン『身代わり王』。

死の間際で、その名と同じ宝具『身代わり王』を発動し、充幸を王として、彼女そのものへ成り代わる。

そして、鬼頭充幸として第二の生を歩み始める。

それが充幸の、そして、身代わり王の『献身』である筈だった。

 

だが、それは果たされなかった。

 

「身代わり王は、宝具を使用しなかった。」

 

存在そのものを王と同質のものとする宝具、それを使用しなかった。

つまり、身代わり王は充幸の願いを受け入れなかった。

 

「拒んだのだ、貴様は。」

 

そしてフランスの地に残った身代わり王は、髪を充幸と同じシルバーに染め、充幸のオッドアイを真似るように、二色のカラーコンタクトを付けた。

エサルハドンの権能が使用できたのは、アウラングセーブに奪われた力が、彼の消滅後、返却された為。

エサルハドンの身代わり王として、そのまま、外見だけを充幸と同じにして、ここまで生きてきた。

サハラの地で巻き込まれ、結果オアシスに辿り着いたが、彼女は最期まで残る選択をした。

もしフランスへ帰りたければ、ナイチンゲールやアーチャーと共に出口を探した筈だ。

彼女がそれを拒む理由。エンゾやナリエなど、充幸をよく知る者に、この真実が露呈するのが嫌だったから。

今は上手く騙せていても、いつかは気付かれてしまう。

それを身代わり王は恐れたのだ。

 

「半ば自暴自棄に戦場に出たのも、充幸を真似た行動では無いのだろう?お前は罪の意識から逃げる為に、死に場所を探していたのだ。少女のたった一つ抱いた夢を、踏みにじったのだからな。」

「………………」

 

身代わり王。

彼女は、アッシリアの女帝エサルハドンの身代わりとして、偽りの王政を敷いたものたち。その人格の統合体。

それはアッシリアの地に生まれた無数の子ども達。

病弱なエサルハドンに代わり、暴走した彼女の母ナキアが貧民街から連れ去り、偽りの王として消費し続けた存在。

彼女ら、彼らには、名は与えられない。エサルハドンという絶対覇者の一側面として座に登録された。

そのことを恨み続ける彼女らは、エサルハドンの権能をアウラングセーブに奪われたのち、マスターであった鬼頭充幸のために命を賭して戦うのである。

ならば、聖杯に託す望みは、無かったのか。

否、無かった筈だが、充幸の死に間際、身代わり王の胸に願いが生じてしまった。

それこそが、献身を拒む理由。

 

「エサルハドンを憎み、充幸を愛し、それでも、貴様は充幸を捨てた。エサルハドンの権能は捨てなかった。それは何故だ。」

「それは…………」

 

鬼頭充幸。

鬼の呪いに蝕まれし少女。

人間の肉を食らい、全てを失った少女。

本当は年相応のオシャレが好きで、甘いスイーツに目がない、少女。

 

「それは、瞬く間の、出会いでした。」

 

尊大なエサルハドンと、内気な女の子。

二人は出会い、共に戦い、そして別れた。

全てが奪われ、エサルハドンでなくなった身代わり王を、アサシンと呼び続け、その心を救ってくれた。

だからこそ、身代わり王には、宝具は使用できなかった。

 

「充幸を、忘れたくない」

 

身代わり王が、エサルハドンである限り、充幸のことを記憶して生きていける。

でも、もし充幸になってしまったら?

本当に充幸の身代わりになってしまったら?

身代わり王はアウラングセーブの宝具を受けるまで、自らの存在を忘れていた。

自らが真のエサルハドンだと、思い込んでいた。

きっと、身代わりとは『決別』なのだと。

そう、気付いてしまったのだ。

 

「充幸を忘れたく、ないのです。私が彼女を忘れてしまったら、本当に、何もかもが終わってしまう。」

 

私は彼女を愛してしまった。

本物の、家族のように、思ってしまった。

でも、彼女の強さを受け止めることが出来なかった。

誰かの身代わりだった筈の身代わり王が、個を、感情を、有してしまった。

 

それが、身代わり王の贖罪。

 

「そして、充幸ではない私が、充幸を名乗り続け、ここまで生きてきた。オアシスでの、博物館での戦いは、辛かったけど、楽しかった。」

「…………」

「でも、もう手遅れ。あと数十秒もすれば、世界は滅んでしまう。なら、私は最期、エサルハドンとして死ぬ。鬼頭充幸は、フランスで命を落とした。それが、私の罪、そして与えられる罰。サーヴァントなんだから、最期はサーヴァントらしく死んでも、良いよね。」

 

身代わり王は、砂嵐の先へと歩き出す。

だがそれを、もう一人の彼女が阻んだ。

 

「どいて。貴方もまた私なら、私の選択を受け入れられる筈よ。」

「偽物の貴様が宝具を使用したところで、災害には届かない。分かっているだろう?それは無駄死というものだ。」

「何もしないよりはマシよ。第六区が滅び去るまで、もうあと僅かなの。生き恥を晒すつもり?」

「そうは言っていないだろう。我も貴様も足掻くべきだ。でもそれは、中途半端な我々の成すべきことでは無い。」

「じゃあ、何をしろと言うの?」

「エサルハドンの力ではない。我らの、身代わり王の力を使うのだ。」

 

身代わり王の力。

それは王への忠誠を元に、王本人へと成り代わる宝具。

 

「ここには、王様はいないじゃない。」

「違う。今こそ、我らは充幸へなる時だ。」

 

身代わり王は目を丸くする。

目の前に立つ自分自身がそう言い放つ意味を、彼女は理解できない。

 

「充幸へ、なって、どうするの?サーヴァントじゃなくなって、人間になって、何をするの?」

「ふふ、さてな。我にも分からん。」

 

おどける自分に、腹を立てる自分。

心の闇と光が、取っ組み合いの喧嘩を始める。

 

「鬼頭充幸は、人間だ。過去の遺物であるサーヴァントとは違う。鬼頭充幸ならば、何かを切り開けるかもしれない。」

「充幸は……あのフランスの地で死んだんだ!これ以上、あの死を汚すな!」

「死に美しいも汚いも無い!物語を勝手に終わらせるな。貴様こそ、充幸の願いを汚すな!」

「何だと!?」

「かかってこい!」

 

身代わり王二人が砂嵐の中で殴り合う。

頬を、腕を、血に染めながら、自らの正義を通そうとする。

だが、当然、これは自分同士のタイマンだ。どちらが勝っても、傷つくのは自分自身。不毛な争いである。

 

「っ、こんな殴り合っている場合じゃないわね。」

「そりゃそうだ。世界が終わるってのに、これほど虚しいことはない。」

 

身代わり王は互いに息を整え、向き合った。

二人の想いは同じ、だがそれゆえに、重ならない。

 

「充幸を愛している。」

「我も、同じだ。」

「私は充幸を失いたくない。」

「だから、決して忘れるな。充幸の身代わりとなっても、決して充幸を忘れるな。どれだけ貧弱であっても、それくらい、サーヴァントならやってみせろ。人間なら、やってみせろ。」

「……っ」

「死ぬためじゃない。充幸として、人間として、私は生きていくんだ。充幸の願いは、『生きること』だ。いい加減、向き合う時だ。」

「生きる。」

「そうだ。罪を背負って生きていく。それが私達への罰。都合よく命を落とすことは許されない。私たちは鬼頭充幸として生き、そして死ぬ。」

「幸せが充ちる、その時まで。」

 

砂嵐が消える。

開発都市第六区の、燃え尽きた大地へと戻って来る。

平教経が空から落ちてくる。それを海御前が支える為に走った。

まだ時間は残されていた。

 

『身代わり王』

 

宝具は静かに起動した。

身代わり王の全ての意識が統合され、フランスの地で出会った尊き少女へと変化する。

銀色の髪、そして二色の眼。

彼女は、充幸そのものへと進化する。

 

絶対に忘れない。

大切な思い出を、繋ぎとめたまま、前に進む。

 

そして、一人の少女がこの地に取り残される。

 

「あ」

 

充幸は、ぽかんと口を開けたまま、空を見上げていた。

 

「やらなきゃ」

 

充幸はゆっくりと腰を上げた。

何もかもが分からない。

けど、世界を救う必要があることは確かだ。

 

彼女の手に握られていたのは、アタッシュケース。

その解除キーを入力する。

充幸が触れることで初期化したデータに、鬼頭充幸の情報が登録される。

そして、ケースは開かれ、自動でマキリ製オートマタが組み上がった。

 

起動スイッチが押される。

 

波蝕の魔眼により、光り輝くオートマタ。

マキリ製オートマタは一切の触媒を使用しない。登録者の『縁』のみで、サーヴァントが呼び出される。

あらゆる可能性、あらゆる因果を超え、赤い糸の先へと繋がった。

 

世界終末の日。

誰もが人事を尽くした。

だが、それでも届かない。

王として君臨する者を、跪かせるカリスマが足りない。

 

充幸は祈った。

人間として、その手を伸ばした。

充幸であったからこそ、その奇跡は必然となる。

 

光に吸い込まれながら

その二色の目に写り込んだのは

淡い桃色と、煌びやかな装飾。

そして、未来を占う水晶の杖。

 

この出会いは、運命だった。

 

「待たせたな。」

 

悪逆非道、傲慢不遜、本物の『王』が、その縁に導かれる。

 

 

「サーヴァント、真名を『エサルハドン』。召喚に応じ降臨した。さぁ、勝ちに行くぞ。」

 

 

 

 

【蹂躙編⑨『幸せの充ちる時』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蹂躙編10『盛者必衰』

蹂躙編の物語はついにクライマックス!
次回はエピローグとなります。
熱くなってもらえると嬉しいです。

感想、誤字などありましたらコメントにお願いします。


「召喚に応じ参上した。サーヴァント、セイバー。真名を『平教経』。よろしく頼む。」

 

遠坂組総本山最奥の間にて、その奇跡は成された。

 

「平教経、だと?最強のカードでは無いか!」

「やりましたね、お坊ちゃま!」

 

幹部たちは皆喜びを共有し、少年の功績を称える。

だが、少年にはどうにも、それが上辺だけのものに感じられた。

それはこの侍もそう。媚び諂い、偽りの笑みで歓迎する。仮面の下を覗かせないように、必死だ。

だが、上辺を取り繕う男たちは、まだ幾分かマシというものである。

中には、思っていたことが口に出る者もいる。

 

「平家、か。負け組の一族だろ。」

 

そう呟いた男は、舌打ちと共にその場を去った。

なにも、歴史に対し不勉強であった訳では無い。無論、悪態をついた男も、平家の築き上げた栄華を知っている。だが、遠坂家の跡取りたる少年と、自らの出世にしか興味のない幹部たちをよく思わないあまり、そう口走ったのだ。

教経は彼の言葉で気付く。自分はお呼びで無かったということに。

 

「教経殿、申し訳ない。あの者は態度が悪いことで有名な社員でして。きつく叱っておきます。」

「我々遠坂組一同は、貴方様の召喚を心より歓迎いたします。」

 

教経は何も言わなかった。

サーヴァントの職務は、ただ主人の思うままに刀を振るう事である。

我欲は宿らず。ただ、少年の願いの為に力の限りを尽くす。それが武士の本懐である。

そんな寡黙な教経に対し、少年は目を輝かせた。

そして、小走りで教経の前に躍り出る。

 

「たいらの、のりつね?」

「左様。貴殿が拙者の主か?」

「そう。りゅうじゅ、ねんれい、は、ななさい。」

「まだ幼子ではないか。」

 

教経は幹部たちを睨む。この少年を戦いに参加させるなど、言語道断である。

 

「教経殿、違うのです。あくまだこの度の召喚の目的は、次期遠坂家主人となる、龍寿様の護衛、ボディガードでございます。わが社もそれなりに地位のある企業ですので、いつ命の危険にさらされるか、分かりませんから。」

「そうか。」

 

教経は納得すると、龍寿の手に握られていた、あるものに目が移った。

それは赤色のソフトビニール人形であり、半透明な身体に「りゅうじゅ」と持ち主の名が刻まれていた。

 

「主よ、それは?」

「これ、あげる。」

「拙者に?」

「うん。『仮面セイバー』。」

「かめんせいばー?」

「ひーろーだよ。あかいかみの、ひーろー。しらない?」

「すまぬな。拙者が浅学であった。主の好むものとあらば、是非見てみよう。」

「これ、ぼくのいちばんたからものなやつ。のりつねにあげる。ともだちのしるし。」

 

教経はその人形を受け取った。

それは遊び尽くされ、腕が取れてしまった人形。

とても大切にしてきたのだろう。

 

「主よ。有難き幸せだ。この御恩には必ず報いよう。」

「あるじ、じゃなくて、りゅうじゅ」

「龍寿か。良き名だ。拙者が龍寿の『仮面セイバー』となれるよう、精一杯頑張ってみよう。」

「むりだよ、ひゃくねんはやい。」

「そうか。手厳しいな。」

 

教経は豪快に笑ってみせる。

それに釣られて、龍寿も笑顔を見せた。

これが彼らの出会い。

そして十数年に渡り、彼らは共に歩んだ。

第六区のヒーローとなる為に、戦い続けた。

 

だからこそ、今、龍寿はオペレーションルームから飛び出す勢いで、心を乱している。

 

古備前友成の桜丸が折れ、

開発都市第六区の英雄が、空から落ちてくる。

希望の象徴たる彼が、力尽きた。

その事実が、全ての人間に絶望を与える。

 

「教経ぇえええええええええ!」

 

龍寿は声を枯らし、泣き叫んだ。

リカリーもまた、握り拳を震わせている。

エラルも、ミヤビも、美頼も、ロイプケも、言葉を失った。

 

后羿がその力を取り戻すまで、あと三十秒足らず。

世界の命運は、決したのかもしれない。

 

【蹂躙編⑩『盛者必衰』】

 

「待たせたな。」

 

悪逆非道、傲慢不遜、本物の『王』が、その縁に導かれる。

 

「サーヴァント、真名を『エサルハドン』。召喚に応じ降臨した。さぁ、勝ちに行くぞ。」

 

エサルハドン

新アッシリア帝国の王として、エジプトを征服し、帝国を最大規模とした。

だがその実、病に苦しめられ、数多の『身代わり王』を擁立させた罪深き王でもある。

英霊の座に登録されているのは、彼女と、彼女の身代わりを演じた無数の子ども達。

此度の召喚において、呼び出されたのはその全員。全てのエサルハドンが統合された、奇跡の降臨である。

 

「エサル……ハドン?」

「貴様、まさか我を偶然に呼んだとでも言うのか?」

 

フランスの地で出会った二人の、最初に交わした言の葉。

だがあの時とは違う。悪逆の王は、殺意とは真逆の、温かい笑みであった。

 

「偶然なんかじゃない。お願い、力を貸して。世界を救う為に!」

 

この巡り合いは必然だった。そう二人は頷き合う。

充幸は王の手を握り、力を込めた。

充幸の祈りに応えるのが、この王である。

エサルハドンは、空に毅然と佇む災害の様を捉えた。

 

「気に食わぬな。王は我だ。まずは格の違いを見せてやろう。」

 

世界の理を覆す絶技、水晶の杖を地に突き刺し、巨大な魔法陣が第六区全てに拡がってゆく。

 

『カサーダム。

其の道は我が選び、我が進む。

ナダ―ナム。

この生は占卜と共に在り、指し示すは悠久の果てたる神の庭。

これは遥かなる大地に現出する久遠の理なり。』

 

絶対王者が生み出す領域。バビロンはいま、復権する。この地区そのものが、エサルハドンの国と化した。

充幸は世界の変容を見届ける。枯れた大地に草花が生い茂り、彼女の目前に石造りの城が聳え立った。

 

『連綿たりし我の国(ダ―リウム・マートゥム)』

 

エサルハドンが立つその大地こそ、アッシリア帝国そのものだ。

固有結界『連綿たりし我の国』。彼女の部下たちに絶大な恩恵を与え、侵攻する敵を弱体化させる。

これより、開発都市第六区に存在するもの全ての生殺与奪は、彼女に委ねられた。

 

オペレーションルームから事態を観測していた者たちは、驚愕の声を上げる。

教経、海御前、その他ルラシオンサーヴァント達の、大幅なステータス強化。

そして悪獣及び后羿に、強力なマイナス補正が入る。

天空と言えど、彼女の固有結界領域内。后羿を包む炎の魔力は徐々に消失し、二流英霊の格まで落とされていく。

この場において、エサルハドンに太刀打ちできる者は存在しない。

たとえそれが悪獣であろうと、后羿であろうと。

 

「凄い、凄いよ、エサルハドン……っ!」

「我の結界にいて、なお、空から落ちてこぬとは。見上げた忍耐力よ。」

 

エサルハドンの『連綿たりし我の国』の範囲内にいてなお、同じ大地へは降りてこない災害。

あくまで彼はオアシスの神として、人々を、英霊たちを見下ろし続ける。

人間を超えた精神性が、彼を災害たらしめているのだ。

エサルハドンは心からその在り方に敬意を評した。伊達に千年の治世を築いてはいないだろう。

 

「彼奴は文字通り『神』だ。一時代の王に留まるつもりはないらしい。」

 

エサルハドンと充幸が立つ大地へ向けて、后羿は悪獣を解き放つ。

空からの強襲、巨大な翼を広げた、鷲の怪物が飛来する。

モスマンの二倍はあるであろう巨躯で、エサルハドンへと突進する。

 

第六の悪獣『大風』が暴れ出した。

 

無論、この悪獣も固有結界の弱体効果を被っている。だがこの場面において、この悪獣の介入が意味する所は大きい。

残り三十秒。たとえエサルハドンが大風を難なく突破できたとしても、その間に后羿は完全復活を遂げてしまう。

もし后羿が三度太陽を放てば、たとえアッシリアの心象風景と言えど、開発都市の陸上ごと根こそぎ刈り取られるだろう。

つまり世界を救う三十秒を、この大風に邪魔されれば、その時点でルラシオンの敗北である。

 

「くっ」

「エサルハドン!」

 

大風の巻き起こす嵐が石の城を飲み込んだ。

二人の立つ大地へと接近する竜巻。

エサルハドンは水晶の杖を身長の二倍はある長槍に形状変化させる。

嵐を切り裂き、そのまま大風ごと消滅に追い込めれば、チャンスはある。

だが、その時、崩落した城の瓦礫が、充幸の元へ降り注いだ。

王がまず先に取るべき行動は、充幸の救出である。

 

間に合わない。

 

エサルハドンはそう思った。

充幸をたとえ助けられても、竜巻を退け、后羿へその槍を届かせることは出来ない、そう認識する。

そう、もしこの場にいるのが二人ならば、ここでゲームオーバーだった。

 

充幸を庇うように立ち、彼女を守る者がいた。

嵐の進行を食い止めるべく、立ち向かう者がいた。

大風の足や翼にしがみつき、悪獣の自由を奪う者がいた。

 

彼らはサーヴァント、だが、遠坂でも、マキリでも、アインツベルンでも、博物館でも、アヘルでも無い。

 

彼らはパークオブエルドラードから駆けつけた、富裕層の専属従者たちだ。

 

「大風は我々が引き受けます、だから、后羿を!」

「どうして、そんなことをしたら、シェルターの皆さんが……」

「我々はシェルターの主人たちの命令でここに立っています。失うことを恐れていた皆さまが、教経様の戦いを見て、いてもたってもいられなくなったと。遠坂組は、今まで、第六区の守護者として戦ってくれましたから。」

 

彼らは『連綿たりし我の国』の恩恵を受けてなお、虚弱。

現に、嵐に飲まれる者、大風に食われる者も多数存在する。

だが、それでもと食い下がった。遠坂組も、富裕層も、意思は違えど、同様に第六区を想っている。

開発都市第六区。緑豊かな田園都市。それはこのような所で滅んでいい理想郷では無いのだ。

 

大風の元へ駆けたのは、何も富裕層の専属従者だけでは無い。

先の戦闘で負傷した『石舟斎』や、遠坂組の『舩坂弘』が戦闘の指揮をとっている。

これは第六区の総力戦。最期の三十秒に、全てのサーヴァントが命を懸けた。

 

「ゆくぞ、若いの。」

「ええ、石舟斎殿、貴方と共に戦えること、誇りに思います。」

 

柳生石舟斎宗厳、そして舩坂弘は、共に宝具を発動する。

まずは石舟斎が素早く大風のレンジに入り込み、その翼を叩き切る。

彼は此度の召喚において、初めて己の太刀を抜いた。

 

『天下五剣・大典太光世(おおでんたみつよ)』

 

普段、無刀の境地を極めた石舟斎が隠し持っていた絶技。

彼が生前有したとされる、天下五剣の一刀。その切れ味は言うまでも無い。

鑿歯に対しては、子ども達を守ることに注力し、苦戦を強いられたが、戦場となれば話は別だ。

柳生の名を背負うこの男に、斬れぬものは存在しない。

一度の斬撃で、二つの翼が刈り取られる。大風はその痛みに苦しんだ。

 

続いて、専属従者たちが、切り落とされた二翼に駆け寄り、再生不能となるまで、細かく壊していく。

大風はその名の通り、『台風』が獣の姿に進化したもの。

その驚異的な再生能力は他の悪獣をゆうに超える。既にルラシオンはデータにて検証済みだ。

まずは風起こしの翼を捥ぐ。そして次に胴体と頭だ。

弘は優樹に願い、その宝具の使用の許可を得た。過去に、板垣充を救うべく、怪植物を焼き払った絶技である。

命を賭して、未来へ繋ぐ。

悪獣に滅法してやられた、日ノ本男児の足掻きだ。

 

『爆式神風』

 

弘は大風の胴体目がけて、ダイブし、自身自らを着火剤に、爆散する。

スキル『アンガウルの灰』が無ければ、彼はこの地に再び帰ってくることは出来なかっただろう。

だが、そのスキルがあろうとなかろうと、弘は命を燃やす覚悟で挑んでいった。

遠坂の未来、そして第六区の未来を守る為に。

光の粒子となり、消え去る弘の肉体。そして弾け飛んだ大風の五体。

力を合わせ、彼らは大風に一矢報いたのだ。

 

「貴様ら。よくぞ我の道を切り開いた。ならば、その奉公に応えるのが王たるものの務めである。」

 

エサルハドンは彼らの勇姿を褒め称えつつ、その槍を天空に掲げた。

これより放つは神への断罪奥義。

この世界を侵す災害へ永遠の罰を与える。

 

『ベルセムエルセティム。

 久遠の大地にて我は乞う、我は嘆く、我は心臓を焦がす。

 我は声を聞く者、そして稲妻を預かりし者。

 故にエンリルは嵐となりて、父なる海を両断する。』

 

槍の先端が光り輝き、見る者全てを魅了する。

さぁ、空を、太陽を、砕く時が来た。

 

『我が放つ裁きの光(ダ―リウム・アルナム)』

 

神を砕く閃光。直線距離で、后羿へと発射される。

大風も、巻き起こされた嵐も消滅した。この槍を阻むものはもうどこにもない。

ならばこの絶技は必中となる。空へ浮かぶ災害の胸部を、見事、穿つことに成功した。

 

「UUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU」

 

ついに、決して声を出さぬ災害が、唸り声をあげた。

その心臓に突き刺さった槍は、后羿の肉体を徐々に崩壊させていく。

黄金の肉体はひび割れ、全身のあらゆる箇所から彼の血が溢れ出した。

后羿の鋼の皮膚は剥がれ落ち、肉が、臓器が、露出する。

完全復活まであと二十秒のその時、人類は奇跡を成し遂げたのだ。

 

「や……やった…………」

 

充幸の口から漏れ出た言葉に、駆けつけたサーヴァント達も反応する。

そして口々に、喜びの声をあげた。

オペレーションルームから、パークオブエルドラードから、歓声が湧き起こる。

エサルハドンは渾身の一撃を放ち、その疲れからか膝をついていた。彼女もまた、手ごたえを感じている。

 

〈やった、やったぞ。ついに僕らは〉

 

龍寿は通信越しに喜びを分かち合った。

美頼とエラルは抱き合い、リカリーとロイプケは万歳している。

充幸と駆けつけたサーヴァント達は手を取り、はしゃぎ合った。

教経が大地に落ちるその瞬間、彼を抱き留めた海御前も、安堵の溜息をつく。

 

誰もが、開発都市第六区の勝利を確信した。

 

ただ一人を除いて。

 

衛宮禮士だけは、緊張した面持ちであった。

動物的な直感か、はたまた、后羿のことを良く知っていた為か。

まだ終わりじゃないと、小型通信ユニットで呼びかける。

既に災害のバーサーカーの霊核は砕け散った筈なのに。

 

「禮士」

 

禮士の脳内に語りかける男。

自ら口を閉じた男の、最期の言葉だ。

既にその糸は切られていた筈だ。にも拘わらず、彼はかつての主人にメッセージを残す。

 

「后羿……」

「禮士、さらば、さらば」

「后羿!?」

 

それは、かつての友への、遺言。

 

では無く。

 

「禮士よ、さらば。『私の勝ちだ』」

「后…………羿………………?」

 

その瞬間。

開発都市第六区の全員が、信じられない光景を目の当たりにする。

 

水晶の槍が、内なる太陽の火で掻き消された。

そして崩壊した身体を炎が包み込み、急激な回復を見せる。

傷が癒える。命懸けで与えてきた全ての傷が、綺麗に、元通りになってゆく。

災害のキャスター『ダイダロス』同様、彼も霊核を砕かれた程度で死ぬ筈もない。

彼は彼自身の災具、太陽そのものを自らの動力とし、驚愕の復活を遂げてゆく。

后羿そのものが、熱く滾る『太陽』だ。

あと十五秒で、完全体へと返り咲く。もはや人類に一刻の猶予も残されていない。

 

「そんな馬鹿な……」

 

空を見上げる者たちは、ついに、神へひれ伏した。

オペレーションルーム、パークオブエルドラード、そして外にいる者たち。

その全てが、神の威光に膝をついた。

 

諦めた。

生きることを、諦めた。

間違いだった。抗う事そのものが間違いだった。

后羿の再生は止まらない。少しづつ、それでいて、確実に。

希望は終ぞ潰えたのだ。

 

「ああ、あああああああああああ」

 

遠坂龍寿は叫んだ。

言葉にならない声で叫び続けた。

築き上げてきた全てが、全てが無に還る。

これが真の『絶望』なのだ。

遠坂組も、ルラシオンも、第六区も、全て消し炭になる。

分かっていたことだ。最初から、理解できていただろう。

 

もし、あの時。

空を舞う不死鳥を見て、なお、逃げる選択をしていたならば。

彼だけは生き残ることが出来ただろう。

だが、英雄になりたくて、仮面セイバーになりたくて、彼は残る選択をしてしまった。

死ぬのは怖くない、筈だ。

だが、身体の震えが止まらない。

何も分からず、叫び続ける。気が狂ったように、吠え続ける。

 

残りはあと十秒。世界崩壊のカウントダウンが始まった。

 

 

唯我独尊、世界の中心の如く君臨した、后羿。

太陽のように眩しく、夜闇を照らし出す。

その温かさを全身で浴びながら、平教経は立ち上がる。

世界があと十秒で終わるというのに、誰もが、酷く穏やかな表情を浮かべていた。

きっとそれは諦めだ。隣にいる海御前でさえ、落ち着きを取り戻している様子である。

 

「教経様?」

 

教経は空を見つめた。

この場にいる彼だけは、まだ諦めていなかった。

戦場において十秒は、雌雄を決するに十分すぎる時間。

彼には、彼だけの最期の切り札が残されている。

海御前は気付いた。

教経がやろうとしていること。

 

『死出の山の供をせよ』

 

生前の彼の、最期の武勇。

諦めていく平家一門、次々と家族や仲間たちが入水し、命を絶つ中で、

彼だけは、最期まで諦めなかった。

その命が終わる時、彼は源氏側の英雄たち三人を道連れに、泡となった。

誰よりも強く、誰よりも負けず嫌いで、誰よりも主を想っていた男だ。

彼の最期の絶技は、敵と共に海へ落ちる自死宝具。

相手が強ければ強い程に、その技は決まりやすくなる。

だが、それはあくまで、敵の目の前に現れることが出来れば、だ。

目と鼻の先まで接近しなければ、力を振るう事すら出来ない。

モスマンという翼を失い、今更、何が出来るというのか。

 

「龍寿」

 

教経は通信越しに、龍寿へと呼びかける。

パニック状態の龍寿も、彼の声に落ち着きを取り戻した。

 

「のり……つね……」

 

教経は懐から、薄汚れた人形を取り出す。

ソフトビニールの仮面セイバー人形。彼は今まで、それを大切に持っていた。

 

「拙者は、龍寿の、この人形のような、『仮面セイバー』に成れただろうか?」

 

もはや掠れて見えなくなった人形の黒墨をなぞる。

りゅうじゅ、と書かれていた筈のそれは、誰のものでも無くなっていた。

 

〈まだ持っていたのか、それ。〉

 

龍寿の震えは、いつの間にか止まっていた。

教経の慈愛に満ちた声を聞いた為だろうか。

 

「拙者の主の宝物、だからな。」

〈あぁ。そうかい。君は、僕だけじゃなくて、この第六区の『仮面セイバー』だよ。これからも、ずっと。〉

「そうか。ならば良い。」

 

教経は再び、お守りを懐に仕舞い込む。

そして静かに目を閉じた。

時間にして数秒のやり取りである。

だが、彼には充分だ。

オアシスに召喚されて、遠坂組の最高戦力として駆け抜けた。

様々な国の、様々な仲間たちと共に戦った。

そして、姿かたちは違えど、かつての愛すべき妻にも出会えた。

命を捧げたいと思える、主にも恵まれた。

 

さぁ、今こそ恩を返す時だ。

 

第六区の大地、アッシリアの固有結界に突如、大量の水が流れ始める。

平家最後の輝き、そして嘆きが残る場所。

固有結界では無いが、これもまた、心象の一部具現である。

 

『壇之浦・艘舞台』

 

それは封豨との戦闘で使用した、海上戦を嗾ける為の宝具。

本来、平家が最も得意とするのは海上戦である。それはこの教経も同じ。

バビロンの大地を青く染め、彼は天空の蒼を睨みつけた。

 

そして、海御前はここで気付く。

夫であった者の考え。彼の為すべきこと。彼の起こす奇跡を。

教経らしい、と言えばそう。

 

「やっぱり、馬鹿ですね、貴方様は」

 

なら最期までこれを支えるのが妻の支え。

海御前は残された力の全てで彼女の絶技を発動する。

『弾丸雨注』はもう使えない。だが、あの宝具ならば。

 

「骨を撫でれば時雨来りて

 皿を砕け雷走る」

 

大妖怪、河童の得意技は、水の流れを変え、人々を海に引き摺り落すこと。

これは水の流れる方向を大きく変える為の宝具。同じく先の封豨戦で、悪獣の体内の液体を操作することで、勝利の決定打となった技だ。

 

「此れ称するに『天河破』!」

 

彼女は槍の先端を天空に掲げ、教経の宝具、その海を空へ向けて放出する。

そしてそれは后羿の居場所へ昇って行った。

それは人々の目に、滝のようにも、河のようにも映る。

だが水の向かう先、そのベクトルは真逆。下流から上流へ向かって流水はせり上がる。

 

海水に塗れる災害。

それ時点では、何のダメージにもならない。彼の戦いはここから始まるのだ。

 

いま、ここに、天空へと続く一本の河の道が出来た。

 

浮かび上がるは八艘の舟。

 

そして教経は駆け出した。

 

「まさか」

 

人々は息を呑む。

その光景を見れば、誰もが教経の意図に気付く。

彼が成し遂げようとしていること。

ドローンの映像に映し出されたのは、神秘的な翼で空を往く姿では無い。

人間の足で、泥臭く、真っ直ぐに、走っていく姿だ。

 

残り五秒。

もう時間は無い。

だが、それでも教経は走る。

 

『壇之浦・八艘跳(はっそうとび)』

 

それは平教経の手からすり抜け、瞬く間に八つの舟を飛び超えてみせた、源義経の絶技。

彼は生前、そして、マキリ製オートマタによる召喚、どちらにおいても、義経の速度に追い付くことは出来なかった。

それでも、過去の自分を超え、いまこの瞬間、義経を上回ろうとしている。

不安定な足場に、重い体重、不可能の要素が詰め合わさりながら、それでも。

 

大いなる空を目指し、駆ける。

 

「無理だ。」

 

誰かがそう呟いた。

この地区にいる、誰か。

既に戦い疲れ、諦めたものが、そう言葉を漏らした。

 

事実、教経はまだ一艘目に飛び移った状態。

そこからどのような奇跡を起こすつもりなのか。

絶大な力を振るったアッシリアの帝王でさえ、あと少し届かなかった災害に。

一介の武士が、出来ることなどある筈も無い。

 

だが、この場において、教経を信じる二人は、それを否定する。

一人は生前、彼に寄り添った者。

もう一人は、今日まで、共に歩んだ者。

 

海御前は叫ぶ。在りし日の壇之浦を思い出しながら。

 

「教経様が!」

 

龍寿は叫ぶ。遠坂組として第六区を守り抜いたこれまでを思い出しながら。

 

「教経が!」

 

そして彼らは同時に叫ぶ。

平教経という英霊を知る彼らが、勝利を疑う筈も無かった。

 

「出来ない筈、ないだろうが!!!!」

 

その声は空の先を目指す者の耳にも届いていた。

八つの舟は、これまで第六区の為に命を使ってきたものの精神、そのものである。

 

一人、ロウヒは、翼を広げ、太陽をどこかに隠してみせた。

 

一人、海御前は悪獣を刈り取り、后羿に一泡吹かせてみせた。

 

一人、雷前巴は最速の悪獣を倒してみせた。

 

一人、禮士は令呪で第六区への被害を最小限に留めてみせた。

 

一人、アマゾニアはその身で太陽を受け止めてみせた。

 

一人、ミヤビはその目で后羿の場所を捉え、モスマン部隊で強襲してみせた。

 

一人、エサルハドンは王として、世界の命運を変えてみせた。

 

そして一人、龍寿は指揮官として、このとき、教経を信じてみせた。

 

一艘一艘が、積み上げてきたみんなの想い。

それを踏み越え、それを糧とし、教経は跳び続ける。

 

人々には、時が止まったように感じられた。

彼らは喉が焼き尽くされるほどの大声で、カウントダウンを始める。

それは滅亡までの時間、では無く。

教経が乗り越えた、木舟の数だ。

 

 

「 五! 四! 三! 二! 」

 

 

残り三秒、残すはあと一艘。

全てを飛び越えていけ。

 

第六区の民の声が重なり合う。

それは教経への感謝と、希望。

全てが合わさった声援が、この第六区を包み込む。

 

 

「いけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええ!!!!!!」

 

 

そして教経は

幻を見た。

それは影だ。黒く染まった影法師。

なれども、何者であるか正しく理解できる。

彼がその背を見間違える筈も無い。

華奢な少女のような背に、かつては、手が届かなかった。

だが今は

 

『届く』

 

「追い付いたぞ、義経」

 

彼はその肩を叩く様に手を伸ばした。

そしてその手は、后羿の胸元に伸びる。

露出した心臓、炎に包まれたその身体に、拳を突き立てた。

 

「災害のバーサーカー『后羿』。いざ尋常に!勝負!」

 

そして約束の十秒が経過した。

后羿の身体は先程よりも格段の速度で回復していく。

だが、教経が貫かれた胸部に腕を伸ばし、掴んだ心臓、それは決して離さない。

ドクドクと脈打つそれを握力で押し潰す。

しかし后羿も負けてはいない。

教経の首をその手で掴むと、一気に力を籠め、その首をへし折った。

互いが互いを殺すために手を伸ばし合う。そこには刀も銃も無い。素手による抗争。己の怪力に任せた力比べだ。

そして『天河破』で押し上げた海の柱が、効力を失い、大地へ零れていく。

教経は半ば無理矢理、后羿に覆い被さると、共に海の底へ向かって落ちていく。

初めて、災害の格を、権威を、その腕で力任せに挫いてみせた。

 

「UUUUUU」

 

教経は后羿の唇に手を伸ばし、縫い付けた糸を無理矢理剥してみせる。

教経は后羿の命を奪いながら、それでいて、最期の言葉が聞きたかった。

災害として、人類の前に立ち塞がった男の真意を。

血液の泡を空に残していきながら、彼らはどこまでも落ちて行く。

 

「后羿、感謝する。拙者は貴殿のような強き男と戦いたかった。」

「そうか、奇遇だな。私もだ。」

 

后羿はここで、教経の様子がおかしいことに気付いた。

この男はとても楽しげに笑いながら、后羿の心臓を握り締め続けている。そして絶対に両手を離さない。

だが、その目は、既に光を失っている。

凡そ、生きている者のそれではない。

 

「英雄よ、死んだのか?」

「分からん。どちらでも良い。貴殿を殺すまでは、己の役目を全うするのみだ。」

「そうか。」

 

后羿がここで、落下中に、教経を突き放せば、それで終わる。

災害は改めて空へ昇り、太陽として輝き始める。

だが、どうにもそれは難しいらしい。

平教経は、決して、その両手を離さない。

決して、決して、決して。

 

「后羿よ。貴殿に問う。貴殿にとって、人間は、どうだったか?」

「素晴らしき敵だ。」

 

后羿は何度も、教経の目を潰し、鼻と頬の骨を折り、心臓をその拳で貫いた。

だが無意味。既に死んでいる男を、これ以上殺すことが出来ないのだ。

 

そして、ついに、后羿は諦めた。

 

教経の精神が、僅かに、この災害を上回ったのだ。

 

「英雄よ。貴様に問う。貴様にとって、人間は、どうだったか?」

「共に戦う仲間だ、そして」

 

教経の鎧が、衣服が、炎に包まれる。

彼の懐に仕舞い込んだ『宝物』に焔が宿った。

さぁ、これにて、真の終幕だ。

 

「拙者の宝だ!」

 

平家の物語は、冷たい海の底で終わる。

彼の炎を掻き消すには、丁度いい。

 

「其れ『春の夜の夢』の如し」

 

遠坂組として戦い抜いた日々。

その思い出と共に、彼は壇之浦の海へと入水する。

深い海へどこまでも、どこまでも落ちていく。

泡と消える瞬間まで、教経は災害を離さなかった。

全てを諦めた后羿と、最期まで諦めなかった教経は、海の底で共に朽ちた。

 

オペレーションルーム、パークオブエルドラード、全ての人間がその美しき最期を見届けた。

第六区を救う戦い、その物語の終わり。

 

 

「拙者は謳う、『盛者必衰(しなばもろとも)』」

 

 

平教経、死す。

 

そして、ついに人類は、災害のバーサーカー『后羿』に勝利したのであった。

 

                                               【蹂躙編⑩『盛者必衰』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蹂躙編 エピローグ『鉄心』

半年間連載いたしました『蹂躙編』シリーズもいよいよ最終話となります。
応援いただき有難うございました。

感想、誤字等ありましたらコメントにお願い致します


第四区博物館。

因果の観測、そして可能性世界の算出を行う未来測定器。

間桐桜が『ラプラスの悪魔』に準えたその機械は、ダイダロスとの決戦より少し前、不穏な未来を観測した。

第四区博物館のスタッフ、その一人が裏切り行為を働くと。

 

「まさか『彼』が。」

 

桜が見たのは、信じ難い事実である。

災害のキャスターに勝利できた先に、二つの道が出来ていた。

 

彼のサーヴァントが自らの意思を曲げ、彼の為に生きたならば、暗黒に染まることは無い。

だがもし、彼のサーヴァントが己の欲望のために、その命を放棄したならば、孤独な彼に付け入る者が現れる。

 

そして桜は、作戦会議において、彼に退出を促した。

今はまだ純粋な彼に、これ以上、関わらせる訳にはいかない。

非情さを兼ね備えた彼女の、彼に対する最期の恩情であった。

 

だが、未来はどこまでも残酷な方へ、確定してしまったようだ。

 

この二週間で、第六区が災害の手に落ちたように、そしてその後の数日間で世界が救われたように。

彼の人生は、大きな節目を迎えることとなる。

たかが数日間、なれど、『彼』の全てを変えるには十分すぎる時間だった。

そんな『彼』がついに動き出す。

 

【蹂躙編 エピローグ『鉄心』】

 

『盛者必衰(しなばもろとも)』

 

平教経の生み出した壇之浦の海と、エサルハドンの固有結界『連綿たりし我の国(ダ―リウム・マートゥム)』は消滅した。

そして第六区に暫しの静寂が訪れる。

海御前の宝具で押し上げた水の柱が効力を失った結果、地上にいる者たちへ涙雨のように降り注いだ。

これは災害を止めんとし、命を燃やした者たちの涙なのか。

その答えは誰にも分からない。

ただ一つ、第六区の地に立つ全ての人間が理解したこと。

それは、余りにも多くの犠牲を払いつつ、ついに災害を倒したということだ。

 

「教経」

 

龍寿は彼の泥臭くも、美しい最期を見届けた。

彼だけの仮面セイバーは、かくして世界を救ったのだ。

悲しみと同時に押し寄せた感情はきっと、誇らしい気持ち、そのもの。

ならば、龍寿が取るべき行動は一つ。

教経の勇姿に、敬礼する。

命を落とした者たちに、敬礼する。

 

「龍寿様」

「終わったんだ。ようやく、遠坂組の戦いは。」

 

龍寿の傍にいたリカリーは、目に涙を浮かべながら、龍寿と握手を交わす。

エラルとロイプケも互いに手を取り合った。

そしてミヤビは一人、屋上へ上がり、夜空の先を眺め続けた。

鳥の怪物となり、太陽をどこかへ隠してしまった相棒は、あの空の彼方にいる。

―そんな、気がする。

 

「ロウヒ、サンスイ、終わったよ。」

 

アインツベルンは此度の戦いで全てを失った。

ミヤビは自らの罪を認め、その先へと進んでいく。

遠坂と違い、幹部のいないこの企業は、衰退の一途を辿るだろう。

その事実を、彼女は涙を呑んで受け入れる。サンスイが築き上げたもの、そして彼女の命すらもミヤビが台無しにしてしまったのだから。

 

「ミヤビ!」

 

ふと、彼女を呼ぶ声が聞こえた。

屋上への階段を上って来たのは彼女だけでは無かった。

ミヤビと同じ顔の少女、美頼もその姿を見せる。

 

「足、大丈夫なの?」

「なんじゃ今更」

「痩せすぎで筋肉が無いように思えたから。普段は杖を使っているのでしょう?」

「そうじゃな。お主を背負った辺りで足腰を痛めてしまってのう。」

「でも、階段の昇り降りができる程度には大丈夫ってコトね。」

 

ミヤビが皮肉めいたことを告げても、美頼はそれに悪い笑みで返答してみせる。

同じ自分自身であるが故に、互いの思考は手に取るように理解できた。

 

「美頼、ロウヒの無限鋳造機サンポはどうした?」

「世界を解放するための鍵は、まだ確かにあるけれど、私にはもう使えない気がする。バーサーカーだから、これを駆使することが出来た。でも私にはとてもじゃないけど、使いこなせない。私そのものがポホヨラの大地に取り込まれてしまうでしょう。」

「そうか、ならば鍵はただのお守りじゃな。」

「うん、ただの、とても大切な、お守り。」

 

美頼はミヤビと共に、美しい星空に思いを馳せた。

一秒を争う戦いの先にあったものは、長い静寂の夜であったのだ。

 

 

第六区の荒れ果てた地で、一人の少女が旅立とうとしている。

赤い糸で結ばれ、あらゆる次元、因果を超えた本物の王。

いま、淡い桃色の髪が光の粒子に包まれた。

 

「エサルハドン」

「……充幸」

 

エサルハドンは、只一人のマスターである充幸の頬に手を伸ばした。

掠り傷から滲み出た血と、伝う涙を拭う。

初めて出会った、とても懐かしい彼女。

暴虐の王は、これまでにない、温かな笑みで少女の悲しみを受け止めた。

 

「お別れだ、充幸。」

 

充幸は、確かに、鬼頭充幸となった。

もはやこれまでの身代わり王はそこにはいない。

彼女は人間だ。

ならば、英霊として、その背を押す必要がある。

 

「頑張れ、充幸。頑張れ。頑張って、生きていけ。」

「エサルハドン……」

「また必ず会えるさ。貴様が我を求める時、我はその声に応えよう。」

「うん。」

 

エサルハドンの存在が、このオアシスから消滅してゆく。

ただ一度きりの奇跡、二度とは起こらない夢物語。

それでも、二人は指切りした。

また必ず会おうと、誓い合ったのだ。

 

「鬼でも、英雄でもない、ただの女の子、それが鬼頭充幸。いつか、貴様が幸せに生きていけるその日まで、我はずっと見守っている。」

 

そしてエサルハドンは退却した。

残されたのは、空っぽになったオートマタ人形。

波蝕の魔眼のレプリカが、暗闇の中、ひときわ輝いているように感じられた。

 

充幸は小指を突き出したまま、空の人形を見つめ続ける。

たった一分足らずの邂逅。だが、満たされるものはあったのだ。

エサルハドンの起こした奇跡は、きっと只の奇跡では無い。

時空も、因果も超えた『献身』。

充幸と、ついでに世界も救ってしまうような、破天荒極まる『献身』なのだ。

 

「ありがとう『アサシン』。」

 

きっと本物が暗殺者のクラスで呼び出されることは無いけれど

それでも、彼女は充幸の『アサシン』なのだ。

それはどれだけ時が流れようと、変わらない筈だから。

 

オペレーションルームにいた者たち、パークオブエルドラードに避難していた区民たち、皆がこぞって第六区の焼け野原に足を踏み出した。

元の美しき田園都市に戻るには、どれだけの歳月がかかるのだろう。

遠坂組当主、遠坂龍寿は誓う。

都市開発を一手に担ってきた大企業として、その人生を尽くして、開発都市第六区を復興させる。

教経が救ったこの世界を、今度は龍寿が守っていく。

ヒーローはバトンタッチした。英霊に代わり、これからは人間自らが、命を懸けて繋いでいくのだ。

 

「行こう、皆。」

 

龍寿を先頭に、皆が歩き出した。

屋上にいた美頼や、手錠をかけられたミヤビもそこにいる。

世界を救ったのは、教経だけでは無い。

彼の進む水の道を生み出した者、最期の功労者に会いに行くために。

 

 

「あの愚かな元夫は、やり遂げたのですね。」

 

海御前は地に這いつくばりながら、静かな笑みを浮かべた。

もう立ち上がることもままならない。

文字通り、全てを使い尽くした。

回復には相当な時間がかかるだろう。

もしかすると、完全な回復は、出来ないかもしれない。

瞼を閉じれば、気を抜けば、消滅してしまいそうである。

だがまだ、退却する訳にはいかない。

 

「禮士さまに、会いたい。」

 

愛すべきあの人の元へ

彼女はなんとか立ち上がろうとして、しかし、失敗する。

もはやその右手は溶け落ちていた。

左手も、時間の問題であろう。

水を失った河童は、怪異でも何でもない。

弱小生物そのもの、放っておけば、自然そのものに食われてしまうだろう。

 

「駄目、ね、此方は、本当に、駄目、なんだから」

 

海御前は泣いていた。

まだ体内に水が残されていたのが不思議なほどである。

最期まで、悲しみの涙は残っていた。

 

「此方の、身体は、本当に、意地悪ですね」

 

海御前は手を無くした腕で、ごしごしと両目を擦ってみせる。

この涙はなんだ。

教経を失った涙か、独りで死にゆく寂しさか。

どちらも、この先生きていくためには不必要なものの筈だろう。

それでも、自然と流れ落ちるのは、彼女が怪物となり切れない証拠でもある。

 

「……たん!」

 

ふと、遠くから、声が聞こえた。

その声は、いま彼女が、最も求めていたものだ。

荒れた野原を駆ける足音。

彼女を呼ぶ声が、だんだんと近付いて来る。

 

「あまたん!」

 

海御前は声のする方を向いた。

焼けたクタクタのコート、整えられていない髪と髭、不愛想で、とても優しいヒト。

彼女の、心の底より愛する者が、そこにいた。

衛宮禮士。

彼の為に、彼女は命を砕いて走ったのだ。

 

「禮士……さま……」

「あまたん!大丈夫か!あまたん!」

 

彼と交わした口づけの味を思い出す。

ブラックコーヒーの苦み。

それは決して不快なものでは無かった。

妻と子を、そして相棒を失い、感情を捨てた彼が見せた恋心。

それは海御前にとって何よりも嬉しいもので

彼女が生きる希望になったのだ。

 

走る禮士。

そんな彼を見て、もう一度奮い立った海御前。

その再開は、何よりも美しく。そして

 

 

何よりも残酷であった。

 

 

「禮士さ…………」

 

海御前の目の前で、異常は起こった。

彼女の体にまで、飛び散った生暖かい液体。

それは、彼の体内に流れていたものだ。

 

「え」

 

海御前は状況を理解することが出来なかった。

世界を救う奇跡のあとで、このようなことは有り得てはならない。

物語は、得てしてハッピーエンドで終わるべきものなのだ。

だが、目の前に広がる現実は、違っていた。

 

衛宮禮士の心臓は、何者かに貫かれた。

 

ぽっかりと空いた穴から、巨大な刃物が覗いている。

禮士もまた、何が起きたのか理解できていない。

 

「あら、『油断大敵』、『勝って兜の緒を締めよ』ってヤツじゃない?」

 

彼の背後に立つ着物姿の女は、禮士の胸を貫いた大剣を引き抜いた。

そしてその身体に多量の血液を浴びながら、恍惚とした表情を見せる。

禮士は何とか振り返り、敵の姿を確認した。

それは以前、彼を襲撃した、アヘル教団のサーヴァントである。

 

「わらわ、言わなかったかな?『蹂躙が始まる』って。」

「沼御前……っ!?」

「以前、禮士さまだけに大切な話をしに来たと、そう言ったでしょう?」

 

禮士は崩れ落ちる直前、彼女の身体に浮かび上がる、光の線を見た。

美しい幾何学模様は、彼にとって酷く懐かしいものだ。

だが、決して、このオアシスに存在してはならないもの。

何故、どうして、身体の痛みより先に、その疑問が口に出る。

 

「マーシャ………………?」

 

彼の若き相棒、サハラの地で命を落とした少女、マーシャスフィール・フォン・アインツベルン。

その魔術回路が、この沼御前に埋め込まれている。

 

「わらわの話って言うのは。そういうこと。サハラの地で、災害のアサシンがマーシャちゃんの肉体と引き換えに、貴方に三画の令呪を渡したでしょう?そのおかげで、貴方と后羿の繋がりは消えなかった。貴方はその三画で、見事、世界を救った。わらわはそのおかげで、人間用に調整されたヴェノムアンプルを使用できる。まさにウィンウィンな取引だったということ!なんて素敵!」

 

災害のアサシンがサハラから持ち帰った少女の遺体。

その魔術回路は摘出され、あろうことか、妖怪である沼御前に移植される。

アインツベルンの魔術回路を宿した彼女は、七つのクラスのアンプルを自在に使用できるようになったのだ。

 

「俺の……失われた筈の令呪は……まさか、ルーラーが……」

 

「そ!おめでとう禮士さま!大切な、とても大切な、実の子のような存在を犠牲にして、世界を救えたのね!さいっこうの気分じゃない!?ねぇ?ねぇ?世界を救えた感想は?ねぇ?」

 

沼御前は嘲笑う。

彼女は以前禮士と出会った時、彼の身体に彼女の肉体を構成する微量の汚水を付着させていた。

それを媒介に、第六区の戦いを見届け、海御前が戦闘不能になり、教経の死した今、こうして姿を現したのだ。

もっとも警戒が緩むその瞬間、彼女はヴェノムセイバーの力をその身に宿し、禮士を貫いた。

 

「わらわは、禮士さまのことが大好き。その絶望した表情をずっと見ていたいと思うけれど、でも駄目。知っちゃったんだよね、災害のアサシンの真名。なら生かしてはおけないの。」

「……っ!」

 

海御前はその目に炎を燃やし、何とか立ち上がる。

だが、海御前の大剣はこの瞬間、加速した。

禮士は、海御前の顔を見る。

そして、恐怖と絶望に染まりながら、それでも、最期まで彼女の身を案じた。

海御前は、禮士は、愛する者へと手を伸ばす。

 

「あまたん逃げろ!」

 

そして

沼御前の大剣は、線を描いた。

右から左へ、『阿久良王』の刃は振るわれる。

后羿の霊薬を口にした禮士は、心臓を貫かれただけならば、死なない。

だが、沼御前がそれを知らない筈も無い。

その瞬間、彼の首が宙に舞った。

 

沼御前の刃が、禮士の首を切り落した。

 

「れい…………」

 

胸を貫くよりも激しい血液の雨が、二人の女に降り注ぐ。

海御前の伸ばした左手が、彼に届くことは無かった。

斬られた胴体はその場に崩れ落ち、そして落ちてきた禮士の頭を、沼御前はキャッチする。

彼女はこの上なく幸せそうな表情で、海御前の絶望を眺めていた。

 

「禮士さまの魔術は、脳に関するものだったわよね。ならちゃあんと、この頭も有効活用しないとね。貴方には残りの胴体をあげる!独り占めは、よくないからねぇ?」

 

沼御前は背を向け、去ってゆく。

海御前は唇を、舌を、嚙み切る程に食いしばり、執念と怨念で再起した。

もはや燃え尽きたような肉体で、沼御前を殺さんと走り出す。

 

だが、今の彼女では追い付けない。

もはや足も溶けだした彼女には、沼御前の背はあまりにも遠すぎた。

そして倒れ込む海御前。

彼女が覆い被さったのは、禮士の香りがまだ残った、氷のような胴体。

温もりも、柔らかさも、温かい笑みも、そこには無かった。

彼女はその身体に縋りつき、零れ落ちる血液をその頬になすり付けながら、

 

叫んだ。

ただ、叫んだ。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

龍寿が、皆がその場に駆け付ける。

そして、その惨状を目の当たりにする。

泣き崩れる者、固まる者、暴れ出す者、絶望する者。

衛宮禮士を知る全ての者が、彼の死を嘆き、そして苦しんだ。

 

海御前の慟哭は終わらない。

最愛の者が、そこにいない。その事実を受け入れることは、きっと彼女には出来ないだろう。

 

災害のバーサーカー『后羿』との戦いは、第六区に甚大な被害をもたらした。

シェルターへ入らず逃げたものの中には、悪獣に食い散らかされた人間もいる。

此度の戦いで、ロウヒが、モスマンが、アマゾニアが、教経が、様々なサーヴァントが犠牲となった。

 

そして衛宮禮士の死によって、この戦いは幕を閉じる。

 

なれども、彼らは『災害』に打ち勝った。その事実は変わらない。

人間の意地と根性で、第六区は守られたのだ。

無論、彼らが勝利の美酒に酔いしれることは無いだろう。

 

だが絶望の先に、一筋の希望があることを信じて、進んでいくしかないのだ。

それが失われた者たちへの弔いとなる筈だから。

 

これより、開発都市第五区、アヘル教団の『蹂躙』が始まる。

対災害共同戦線『ルラシオン』の戦いは続く。

 

荒廃した開発都市第六区。

その地に、足を踏み入れる者が一人。

彼女はここで起きた一連の事件を、知ってか、もしくは、知らずに、来訪した。

彼女の知る懐かしき故郷は、そこには存在しない。

 

「今更何しに帰って来た!って、怒られそうだよネ。」

 

彼女の問いかけに、隣の鎧武者は答えない。

常に寡黙である。だが、それが良い部分でもあるのだ。

 

「龍寿兄ちゃん、生きてるかナー」

 

彼女は後頭部を掻き毟りながら、遠坂組総本山へ向けて歩き出した。

 

彼女の名は『遠坂 杏寿(あんじゅ)』。

 

龍寿の実の妹にして、オアシスの冒険家である。

彼女の帰還が、ルラシオンに波乱を齎すこととなる。

 

 

【To Be Continued】

 

 

后羿が死したその時、焦土と化した都心部で、戦っていた者がいた。

最期の悪獣『封豨』の進行を食い止めるべく、巴と雪匣は果敢に立ち向かう。

嵌合体鑿歯との戦闘でアンプルを過剰投入した巴は、今にも力尽きる一歩手前であった。

雪匣はまだ余裕であったが、巴を保護しつつの戦闘で消耗を強いられている。

 

「すみません、雪匣先輩」

「大丈夫?巴」

 

そしてついに、巴はアキレウスのアンプルを使い果たした。

彼女の身体から抜け落ちる英霊の力。

両足が義足の彼女は、その場に立っていることもままならない。

雪匣が彼女を支えようとするが、封豨の突進により、不意を突かれた雪匣は場外に投げ飛ばされた。

 

「雪匣先輩!?」

 

そして人間の姿に戻った巴の前で、封豨が舌なめずりする。

鼻息は荒く、彼女の軽い体重はそれだけで飛んで行ってしまいそうだ。

后羿の消滅により、封豨も消滅しようとしている。だが、最後に、この怪物は女の肢体を補給しようと暴れ出したのだ。

まさに絶体絶命の危機である。雪匣は体勢を崩しながらも、すぐさま矢を番える。

だが、あと一秒が間に合わない。

封豨はその巨大な口で巴へと襲い掛かった。

そして雪匣の矢が届く、そのとき、封豨の前に立ち塞がり、これを食い止める者が現れた。

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムイーター』:『八岐大蛇(やまたのおろち)』現界します。〉

 

帯刀した刃を抜き、高速の一閃で、封豨の肉を叩き切る。

そして背後から現れた八の蛇が、悪獣の身体に喰らい付き、これを解体した。

雪匣の矢は対象を射抜くことなく、はるか遠くへと飛んでいく。

后羿の悪獣は、僅か一秒で消滅した。

 

「大丈夫か、雷前。」

 

巴の前に立っていたのは、八の蛇を従えた、剣士である。

その長い青い髪をばっさりと切り落とし、爽やかな風貌となった。

だがその目は、以前のものとは異なり、蛇の眼となっている。

巴が見間違える筈も無い。彼女を助けた存在は、彼女にとってもっとも大切な……

 

「オピス先輩」

 

彼女はそう呼んだ。

『オピス』、それが彼に与えられたコードである。

彼は巴の方を振り返り、あどけない笑みを見せた。

 

「おいおい、俺の方が雷前の後輩だろう?」

 

彼は一週間前、その力を手にした。

適正者の中でも、群を抜いて才能が開花した彼は、早くも実践投入されることとなる。

開発都市第六区で二人とはぐれてしまった彼は、陰で悪獣と戦いながら、彼女らを探し求めていた。

 

「いえ、先輩は、私にとって、ずっと先輩ですから。」

 

巴はここで力尽き、意識を失った。

オピスは彼女を抱き留め、そして背負った。元は、スネラクの抹殺任務を与えられていた彼だが、雪匣同様、サーヴァントでない存在を殺すことは出来ない。だから、スネラクを説得するつもりでこの地に足を踏み入れたのだ。

彼は雪匣の元へと歩いて行く。

何故か雪匣は、彼の行動に憤慨していた。

 

「何だよ。」

「いま、巴のこと、抱き締めた。」

「あぁ。倒れそうだったからな。」

「むーーーー……」

 

雪匣は分かりやすいくらいに、嫉妬心を剝きだしている。

オピスはそんな彼女に呆れつつも、愛らしく感じていた。

 

「ったく、任務は失敗だ。俺たちの『楽園』に帰るぞ。あの人が待っている。」

「うん、そうだね。」

 

オピスと、ウラルンは歩き出した。

二人は互いに見つめ合い、そして笑い合った。

ようやく、再会できたのだ。この幸せな瞬間をいつまでも噛み締めていよう。

 

「行くぞ、雪匣。」

「うん、鉄心。」

 

ヴェノムイーター『オピス』、またの名を『鶯谷 鉄心』。

彼は彼の正義のために、第四区博物館へ牙を剥く。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

   【蹂躙編 完】




ついに、起承転結の「承」が終了しました。
次回、クロノスアンサー前後編へ話は移行します。
お楽しみに!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

クロノスアンサー 前編

ついに起承転結の「転」の部分へ来ました!
新たなる戦い『キングビー編』へと繋がる物語!
感想、誤字等ありましたらコメントにお願い致します!


【シェイクハンズの悪夢】

 

人間は常に『生』の立場から物事を判別する。

彼らが『死』の側に立つのは、その境界線を彷徨う瞬間に他ならない。

世界終末の日が来たとして、どれ程の人間が境界線で揺らぐのか。

自らの寿命を受け入れるのか、はたまた、抗うのか。

『生』に立つか、『死』に立つか。

それは個々の人間性に委ねられる、と言えよう。

 

十年前、世界の均衡は崩壊した。

何事もなく、平穏に終わる筈の、余りにも長い一夜。

人々の希望が霧散したその日。

開発都市第三区は悲鳴を上げる。

 

『万古不易の迷宮牢(ディミョルギア・ラビュリントス)』

 

災害のキャスター『ダイダロス』の最高傑作。かの怪物ミノタウロスを幽閉した大迷宮。

堅牢な壁が、開発都市第三区を守るように出現した。

ダイダロスは片翼で宙へ浮かびながら、仄かに光る月を眺めた。

クレーターに被さる様に、『彼女』は佇んでいる。

この空の支配者は、もはや災害では無い。

 

「抑止力(カウンターガーディアン)、か。」

 

オアシスの大地が悲鳴を上げた時、彼女は生まれ落ちた。

英霊の肉体を以て誕生する、終末装置。桃源郷のリセッター。

天女の舞にて、災害すらも魅了する彼女は、人々からして『神』そのものであった。

 

「災害のサーヴァント、なんてものは、彼女にとって生温い存在だ。彼女こそが真の『災害』だ。」

「くだらねぇ」

 

ダイダロスの慎重かつ冷静な判断を鼻で笑う者。

彼の隣に浮かび上がったのは、古傷の輝きし大英雄である。

その手には黄昏の大剣『バルムンク』が握られていた。

災害のアーチャーが、彼女の討伐に名乗りを上げたのである。

 

「カカカ!俺の剣が、負ける筈ねぇだろ。お前はそこで黙って見ていろ、ダイダロス」

「待て、アーチャー。援軍で后羿が来るはずだ。」

「はっ!それは過剰投入って奴だぜ。太陽をあの月の方へぶん投げるつもりかよ!」

 

災害のアーチャーはダイダロスの制止を無視し、大剣という名の矢を番えた。

彼の絶大なる宝具は、失墜剣を射出し、その圧倒的な破壊力で全てを焼き尽くす。

空に浮かぶ小娘の一人や二人、殺せぬ筈も無かった。

 

『投射式幻想大剣・天魔失墜(シューティング・バルムンク)』

 

一筋の光線。

闇夜を切り裂き、天高く駆け上がる。

そして彼女の元へ。

 

「…………」

 

彼女の胴を突き破り、血液の雨を降らせる。

見事命中した。彼女は避けることも、防ぐこともしなかった。

大剣はブーメランのように反転し、アーチャーの手に戻る。

二人の災害の中には拭い切れぬ違和感があった。

 

「クソアマが。俺の宝具を真正面から受け入れやがった。聖母を気取りやがって。」

「タフだな、回復や戦闘続行のスキルは有していないように見えるが、あれでは格好の的だ。」

「的なら結構。もう一発顔面に叩き込むだけだぜ。」

 

アーチャーは再びその手に弓を握り締めた。

この災害に魔力の枯渇は無い。輪廻という聖杯からの供給のみならず、彼はこの地で度重なる『栄養補給』を行っている。

それは他の災害にとって醜い行為である筈だが、人間を気取るアーチャーにとって当たり前の行動だった。

彼が全力を出すまでも無い敵だ。そう結論付け、慢心する。

 

『投射式幻想大剣(シューティング)───』

 

宝具の二連射が成されるその時だった。

月を背景に君臨した彼女は、その掌から『何か』を零した。

ダイダロスが目視で確認するに、それは凡そ戦闘中とは思えないものであった。

 

「飴玉(キャンディー)、か!?」

 

その口内に甘露を届けるカラフルな球体。

ポップな紙に包まれたそれは、ハロウィンさながら、第三区の子ども達へ、大人達へ、ばら撒かれる。

アーチャーは気が抜けてしまったが、ダイダロスは虫の知らせで、飴玉への砲撃を開始した。

迷宮の防衛システムを稼働させ、宙から落ちてくる飴を一つ一つ丁寧に撃ち落としていく。

だがその数は留まるところを知らない。雨の如き飴が、第三区へと降り注ぐ。

 

「ダイダロス、何を焦っている。たかがガキの菓子じゃねぇか。」

 

アーチャーは落ちてきた一粒を、その右手で掴んだ。

そしてそれを口に放り込む、その刹那。

何かが、起きた。

それは予想だにしない出来事だ。

アーチャーの右腕は『何か』に切り落とされ、第三区へと落ちていく。

彼が掴んでいた筈の甘い菓子はどこかへ消え、痛みだけがそこに残された。

ダイダロスはその一部始終を確認していた。

アーチャーがキャンディーを手にした瞬間、その形状が変化し、飴玉は巨大な剣と化した。

否、これは幻想だ。

災害二人は、幻を見ていた。

落ちてくるのは、可愛らしい菓子などでは、毛頭ない。

目を見開き、覚ます。すると景色は早変わりする。

ダイダロスは、そしてアーチャーは、ことの異常さを、危機的状況を終ぞ認識した。

 

降り注いでいるのは、無数の『バルムンク』だ。

 

アーチャーの放ちし宝具が、何十倍にも、何百倍にもなって、反射した。

開発都市第三区へ、『投射式幻想大剣・天魔失墜(シューティング・バルムンク)』が無数の光線となって落ちてくる。

ダイダロスの迷宮を貫き、徐々に、確実に、崩壊させていく。

 

「まずい!」

 

ダイダロスは降り注ぐ雨の一つ一つに対処していくが、無論、間に合わない。

アーチャーは自らの絶技を真似られたことに心底腹が立ち、光線の間を縫って、彼女の元へと跳び上がる。

模造、偽造、『偽』という概念そのものが、彼にとって度し難いものだ。

アーチャーは災具の発動に躊躇しない。

 

「アーチャー!第三区を滅亡させる気か!」

「知ったことかよ!クソアマ!お前だけは許さねぇ!」

 

そしてアーチャーは〇〇〇を取り出し、彼女の心臓目がけて発射した。

決して避けることをしない彼女は、その身に災具の光を浴び、失墜する。

そしてアーチャーの災具は、彼女だけでなく、ダイダロスの迷宮と、第三区の多くを焼き尽くした。

ダイダロスは何とか、避難区域の一部を守れたが、それでも、余りにも多くの犠牲を出してしまった。

半壊した第三区。一夜にして荒廃した世界へと様変わりしたのだ。

災害二人の手によって、抑止の存在は排除された。

しかし、結果、開発都市第三区は滅んだ。

 

生存した人間たちは、この一夜を『シェイクハンズの悪夢』と名付け、語り継ぐ。

革命の狼煙があがる、その日まで。

 

 

開発都市第四区。

夜闇に包まれる自然公園で、一人の少女が目を覚ました。

彼女は誰かの太腿の上で、ぐっすりと眠っていた。

白髪に、光の灯らない漆黒の目をした青年の顔が覗き込む。

 

「お目覚めですか?」

「…………」

「太陽は出ていません。でも、今日は満月です。闇夜に目を慣らす必要も無いでしょう。」

「…………ここは?」

「開発都市第四区です。貴方は森の中で倒れていたのですよ?」

「…………倒れていた、私が」

「とりあえず、腹部の損傷は治療しておきました。これだけ傷付いているのに、まだまだ元気とは、とてもタフなのですね。」

「…………貴方は、誰だ。」

「私は、しがない聖職者です。人を助けるのに理由のいらない仕事柄です。」

「神父か。」

 

少女はゆっくりと身体を起こした。

そして辺りをキョロキョロと見回す。

つい先程まで、戦いの渦中にいた筈だ。

 

「それにしても、珍しいクラスでの現界なのですね。クラス『偶像(アイドル)』とは。エクストラクラスでも、確認したことがありません。」

「何故わかる?」

「貴方は仮受肉用肉体を用いての召喚ですので、その内部データをデバイスに流せば一目瞭然……って、聖職者が人様のプライバシーを侵害するのは冒涜ですね。申し訳ございません。」

「構わない。私は、私だ。」

「そうですか。でも貴方の本当の名は見えませんでした。聖遺物のデータがありませんからね。召喚者の名も不明。場所も不明、時期も不明。分からないことばかりです。」

「そんな一級のお尋ね者を、貴方は助けるのか。」

「司祭ですから。そして、個人的な興味、というのもあります。」

「興味?」

「貴方ですよね。開発都市第三区を火の海に変えたのは。」

「そうだ、と言ったら?」

「災害に匹敵するその力を、放置しておくわけにはいかないでしょう?」

 

司祭は立ち上がり、少女と向かい合った。

その視線が交わる。冷たい空気が流れ込んだ。

少女は手負いであるが、目の前のたかだか人間一人に後れを取るつもりは無い。

だが、司祭が彼女を排除する目的ならば、治療など行う筈も無いだろう。

 

「私の力を求めるか?」

「ええ。世界を救う為に。」

「救う?」

「災害を根絶やしにする為に、貴方が必要なのです。」

「人間風情が、私をコントロールできるとでも?」

「いえ。主従では無く、共闘、であるならば。私は貴方が万全に戦える舞台を整えます。貴方はそのとき、好きに暴れていい。暴れ回るその時期だけを、私に選ばせて欲しいのですよ。」

「世界を救う為に?」

「ええ、世界を救う為に。」

 

司祭はその手を差し出した。

彼女は一瞬戸惑うが、彼の漆黒の瞳に吸い寄せられるように、その手を握り締めた。

 

「改めまして、私の名前は『言峰クロノ』。ここ第四区の、とある博物館で副館長をしている者です。街外れの教会で司祭業も営んでいます。これからよろしくお願いしますね、アイドル。」

「私の名は─────だ。アイドル、と呼ぶのは辞めろ。」

「……それが貴方の真名なのですね。でも、その名は隠した方が良さそうです。では仮に『アサシン』と呼ぶことに致しましょうか。」

「アサシン?」

「ええ。同じ、アから始まる四文字です。どちらかというとアーチャーの方が貴方らしいですが、そこはそれとして。」

「……良いだろう。貴方がもし私を利用するというならば、私も貴方を存分に利用させてもらう。英霊というものには、マスターがいてこそ、だろうからな。」

 

第四区の地で

言峰クロノと、アサシンは出会った。

この出会いが、やがて世界に混沌を齎すことになるとは、まだ誰も知らない。

 

【クロノスアンサー 前編】

 

革命軍過激派組織『ハンドスペード』領地。

シンボルとして高く聳え立つ天守閣。組織の構成員たちは、その鮮やかな赤色を『竜宮城』と呼んでいた。

建築に携わったのは、何を隠そう『浦島太郎』その人である。ハンドスペードの奪取したアインツベルン製オートマタから呼び出された伝説の英雄は、己が宝具をモチーフに、煌びやかな竜宮(ユートピア)を造り上げたのだ。そこは海の底に在らずとも、まるで別世界のような領地と化す。

だがしかし、城主は『浦島太郎』では無い。そして彼の恋焦がれる『乙姫』ですら無い。

物語の英雄は、度重なる戦いの中で消息不明となった。死んだのか、はたまた、愛すべき乙姫を探す旅に出たのか、真相は謎である。

浦島太郎が去りし後、この城を我が物として占拠したのは、一人の姫君であった。

 

名を『細川ガラシャ』。本能寺の変にて織田信長を討った明智光秀の三女であり、細川忠興の本妻である。日ノ本生まれでありながら、キリシタンに改宗したことで知れる。

忠興の異常な愛故に幽閉された彼女には、英霊となった後も、忠興の亡霊が付きまとっている。彼女が存在する場所に、忠興の病的な愛が宿りしめ、彼女をその場から出さまいとする。竜宮の中で召喚されてしまった彼女は、城塞の外へ一歩も出ることの叶わない呪いに苛まれてしまった。

故に、あれよあれよという間に、天守閣の守り人、ハンドスペードの希望の星として祭り上げられてしまった。

この悲運の姫君に謁見が許されるのは三人。

 

ハンドスペードの将軍、リーダーを務めるライダー『欠地王ジョン』。

細川ガラシャと共に呼び出されたキャスター『果心居士』。

形意拳の使い手にしてその普及に尽力したセイバー『李存義』。

 

それぞれが組織の政治、経済、武力を担い、ガラシャを象徴とする国家として成立していた。

このとき、間違いなくハンドスペードは、革命軍の中で最大規模であっただろう。

 

そもそも、革命軍のルーツはどこにあるのか。

元々、開発都市第三区は工業都市として栄えており、二大有限会社が、切磋琢磨しつつこの区を盛り上げていた。

道路建設を専門に行う『有限会社グローブ』、そして橋の建設を専門に行う『有限会社ダイヤモンドダスト』。

人間が組織し、サーヴァントと共にライフラインを築き上げてきた二大企業は、ある日を境に、運命を狂わされることとなる。

人々はその日を『シェイクハンズの悪夢』と呼んだ。

 

グローブとダイヤモンドダストが共同建築設計した、新たなるライフライン『シェイクハンズ』は開発都市第三区から第四区にかけての、一本の巨大な産業道路である。二社の壮大な夢を賭けた一大プロジェクトは、守り神『后羿』不在ゆえに財政難に陥っていた第三区と、『ダイダロス』の運営により経済成長を見せていた第四区を繋ぐ、希望の架け橋となる筈だった。

第三区で生まれた子らに、新たなる選択肢を与えられるかもしれない、資金を投じ、人を投じ、未来を切り開く誇り高き仕事。

 

それは一夜にして、崩壊することとなる。

 

運命の日、第三区に突如、謎の暴走サーヴァントが出現する。

開発都市オアシスを排除すべく呼び出された『カウンターガーディアン』。

そしてそれを迎え撃つ、災害のキャスターと災害のアーチャー。

三騎の激闘の末、開発都市第三区の都市機能は停止し、その半分以上が焼け野原になった。

加えて、大橋シェイクハンズもまた、崩れ去った。

第三区民の多くが怪我を負い、心を失い、そして、命を落とした。

夢と希望に溢れた一大プロジェクトは霧散したのである。

 

そこから数年、生存した人間たちは、街の復興に努めた。

彼らは失われた二大企業の名を借り、甚大な被害をもたらした災害へ反旗を翻す組織を構成する。

区を守ることを怠ったキャスターを恨む者は、『革命軍ダイヤモンドダスト』へ。

区を自ら破壊したアーチャーを恨む者は『革命軍グローブ』へ。

後に、これらの意味は失われ、過激派、穏健派、と区切られていくこととなる。

二大革命軍は、当初、互いに手を取り合い、災害の打倒を目論んでいた。

が、しかし、互いが別の災害を恨んでいる以上、そこに抗争が生まれる。

グローブが隠し持っていた、災害を打破できるかもしれない聖遺物、これを巡って内紛が勃発した。

 

その聖遺物とは『雷上動(らいしょうどう)』、その一部だ。

 

雷上動とは、春秋時代、楚の国の『養由基』が有した伝説の弓であり、悪獣『鵺』を撃ち殺したことで知れる。

その一部を入手したグローブは、災害のアーチャーを同じアーチャークラスの『養由基』を以て、討伐せんと動き出した。

だが、災害を殺し得る武器を前に、ダイヤモンドダストが黙っている訳にもいかない。

ダイヤモンドダストの人間と、属する英霊たちは、グローブと協定を結びつつ、それを破り、夜襲に打って出た。

結果、グローブの戦力の一部が血祭りに遭い、聖遺物はダイヤモンドダストの手に渡ることとなる。

ここで、グローブは二つの派閥に別れた。

同じ革命軍同士で争うことを好まない穏健派は、そのままグローブの名を名乗り、

ダイヤモンドダストを許さない派閥は、自らを『ハンドスペード』と名乗った。

シェイクハンズの名を借りつつ、手と手を取り合うことを辞め、その手には剣を握り締めるべきだという信念が、ハンドスペードの名の由来である。

そして、ハンドスペードとダイヤモンドダストの戦争が勃発する。

数年に渡る抗争の末、ハンドスペードは巨大な組織となり、ダイヤモンドダストは滅び去った。

その戦いの最期、ダイヤモンドダスト側は最終手段として、雷上動を用いた『養由基』の英霊召喚を試みたが、あえなく失敗。

呼び出されたのは、彼の娘である『枡花女(しょうかじょ)』、それもセイバークラスでの現界であった。

枡花女には、雷上動は扱えない。彼女自身は、その弓を引くことが出来ない。

そして聖遺物自体も戦いの中で燃え尽きた。災害への対抗手段は、容易く、愚かにも、失われてしまったのだ。

 

開発都市第三区に残されたのは、過激派組織ハンドスペード、穏健派組織グローブ、そして元過激派組織ダイヤモンドダストの残党である。

ハンドスペードは勢力を拡大し、次第に、独立を謳うようになり、暴走し始めるのであった。

 

そして、運命の日が訪れる。

ガラシャの内殿に訪れたジョンは、どこか彼女を見下した態度である。

ここ数年、政治を司るジョンの態度は肥大化し、象徴たるガラシャを軽視するようになっていた。

ガラシャ自身も当然そのことに気付いてはいたが、城の外へと出歩けない彼女には、どうすることも出来なかった。

 

「ガラシャ様、吾輩は本日を以て、この国の大臣を退き、淡路の地へと向かう所存であります。無論、理由はお分かりですね?」

「ジョン…………」

「統合英霊『ヘラレウス』も、人造災害『氷解のヴァルトラウテ』も、吾輩とその部下が生み出した傑作です。そう、貴方のものでは無い!断じて無い!貴方はこの最奥の間にておままごとに勤しんでいたに過ぎなぁいのですから!」

「分かっていますわ、わたくしが、力不足であることは。」

「分かっているなら、よろしい。吾輩のことをよぉぉぉおおおく知っているガラシャ様ならば、理解して頂けますね?」

「…………」

 

ジョンは高笑いしつつ、部屋を後にする。

ガラシャの傍に立つ、二人の男は、ジョンに軽蔑の眼差しを向けていた。

 

「爺、わたくしはどうすれば、どうすれば良かったのでしょうか?」

「ガラシャ様は悪うございません。この果心居士はガラシャ様と共に在ります故。」

「爺……」

 

作務衣を着た、仮面の男、果心居士は、ガラシャの手を握り締めた。

だが、もう一人、李存義は、ガラシャに背を向ける。

 

「李存義、お主もガラシャ様を裏切るか?」

「否、俺の信念はガラシャと共に在る。だが、俺の指揮する部隊の多くが、ジョンに付いてしまった。俺の育てた子ども達だ。俺が情けなかったばかりに、ジョンの口車に乗せられたのだ。」

「お主……」

「そして俺も、また。」

 

李存義はガラシャの方へ振り向いた。

その表情は、苦悩で満ちている。

忠義か、それとも、血の繋がらない愛弟子たちか。

彼は揺れていた。

 

「お行きなさい、李存義。わたくしのことは構いませんわ。」

 

だからこそ、ガラシャは彼の背を押した。

ジョンの暴走を止められるならば、彼だけだ。

ハンドスペードの全部隊の父である彼が、第三区を離れるのは、大きな損失である。

だがそれでも、細川ガラシャは望むままにさせるのだ。

──彼は、この城の外へ羽ばたくことが出来るのだから。

 

「ガラシャ、すまない。必ず、あの大馬鹿者を捉えて、俺の家族と共に帰還する。必ずだ。」

 

李存義は髪をかき上げ、笑ってみせた。寡黙かつ冷徹な彼の、最初で最後の温和な笑みである。

彼はジョンの配下として、第四部隊の隊長格に任命され、淡路島へと旅立った。

 

そして来たるその日、『淡路抗争』は勃発する。

ジョン王率いる三百余りの軍隊が、淡路列島へ集い、独立を掲げた。

『ヘラレウス』『氷解のヴァルトラウテ』『李存義』、強力なサーヴァント達がジョンの決起を支える。

彼らの前に現れたのは第五区アヘル教団の戦士、その数なんと、たった三人。

ガラシャは李存義の身に着けた小型カメラから、一部始終を目撃した。

 

「ガラシャ様!」

「ガラシャさま。」

「ガラシャ殿!」

 

城の外側にいて、会ったことも無いのに、彼女を信頼してくれた人々、英霊たち。

彼女が真なる象徴として機能しなかったばかりに、彼らは揺らいでしまった。

ジョンの弁舌は彼らを勇気づけるものであったに違いない。

だから彼らは悪くない。ガラシャが自ら、彼らの手を離してしまったのだ。

 

そして惨劇は起こる。

 

ガラシャはモニターを通して、想像を絶する悪夢を目撃した。

ただの人間が、ガラシャの家族を、ガラシャの子らを、殺して回っている。

血しぶきが画面を何度も汚した。

悲鳴が、ガラシャの耳にこだました。

無限とも思える地獄が、そこには広がっていた。

 

「あああ」

 

そして李存義は、ただの人間、都信華と向かい合う。

彼が後れを取るはずなど、有り得ない。有り得ない筈だ。

彼はハンドスペード部隊の父なのだ。彼の敗北は、革命軍の敗北と同義である。

そして彼はガラシャに約束した。必ず帰ると、約束したのだ。

 

「女、俺はお前の戦闘をこの目で見てきた。三つの型を使い分けているな?」

「…………はい。『叛喜』『焦怒』『博哀』と私は呼んでいます。対象の身長、体重、拳の重さによって、これらは即座に切り替わる。」

「俺を、どの型で殺すつもりだ?」

「貴方は『焦怒』です。この拳が届くことを祈ります。」

 

それは瞬く間の決着。

信華の拳が李存義の心臓を抉る。

拳法の使い手同士であるが故に、一瞬のうちに、数々の読み合いがあったに違いない。

だがガラシャにはその過程など知りようも無い。

残された現実は、李存義の敗北だけだ。

 

「あぁ、マジかよ。」

「二の打ち知らず、とはよく言ったものですが、私もまだまだです。教師をやっている間に、腕が鈍ったようで。」

「化物が」

 

ガラシャの目前で、李存義は崩れ落ちる。

都信華は背を向け、歩き出した。敵に背を向けるというのは、戦場において死を意味する。だが彼女は李存義がもはや死んでいることを知っていた。警戒するだけ時間の無駄であったのだ。

 

「ガラシャ…………」

 

李存義にガラシャの叫びは届かない。

彼の身体から光の粒子が零れだした。

泣き叫ぼうと変わらない。李存義は己の役目を終えたのだから。

 

「ガラシャ…………すまない…………」

 

李存義は謝罪を口にする。

既に彼の愛弟子は皆死んだ。誰一人残らず駆逐された。

ハンドスペードは崩壊した。もし李存義がガラシャの元に残れば、次なる後継たちを育てていけたかもしれない。

だが、彼にはそれが出来なかった。ジョンの口車に乗せられた馬鹿な息子達を、見捨てる選択は出来なかったのだ。

だからこそ、彼は最期に、通信ユニットを立ち上げ、ガラシャに向けてメッセージを残す。

正真正銘、最期の忠義。細川ガラシャを生存させる為の、遺言だ。

 

『太郎を仲間に──』

 

李存義は言の葉を紡ぐ最中に、息を引き取った。

ガラシャは御殿で叫び続ける。

手を伸ばしても、変わらない非情なる現実。

悲しみと、怨念が、竜宮を包み込む。

李存義の遺した言葉は、いつの間にか、ガラシャの中から消え去って行った。

 

 

淡路抗争より一年後。

軍の九割を失ったハンドスペードは急速に衰退し、元いたメンバーたちもグローブの軍門へと下って行った。

そして遂にグローブは革命軍をまとめ上げる為に、ハンドスペードへと挑戦状を送り付ける。

それは和平協定であり、グローブとダイヤモンドダスト、両組織をグローブの傘下にすべき強行策でもあった。

穏健派でい続けたグローブも、当主が変わり、いよいよもって動き出したという事である。

無論、ガラシャには和平は受け入れ難きものだった。

ダイヤモンドダストを許すことは無い。そして、それを許したグローブもまた同じ。

手を取り合うことはあってはならない。ハンドスペードが握るのは、手では無く、剣である。

 

「ガラシャ様、ここは一度グローブと協定を結ぶべきで……」

「五月蠅いですわ、爺。わたくしは決して引き下がりません。」

「ですがガラシャ様。もはや戦える者はここには……」

「誇りを失ったのかしら、果心居士ともあろうものが。わたくしの決定は絶対ですわ。逆らうものはグローブにでも行ってしまいなさいな。」

「ガラシャ様…………」

 

ガラシャは最奥の間を勢いよく飛び出し、場内にある礼拝堂へ向かった。竜宮城内を無理矢理改造し、ガラシャが建造したものである。

その聖域に立ち入る者は極僅か。

ガラシャは巨大な十字架を前に首を垂れる。

そして両手を合わせ、祈りを捧げる。彼女が欠かすことの無い日課であり、誰にも邪魔されることなき時間だった。

 

「主よ、わたくしは強く在ります。李存義のときのような、弱さはもういらない。」

 

大切なものを、もう二度と失わない為に。

弱さは罪だ。それを認め、外へ漏らさない。

ガラシャは懸命に、神聖なるその場所で祈り続けた。

無宗派の人間にとっては酷く退屈になってしまう程の、長い時間が経過する。

顔を上げたガラシャは、そこで初めて、近くにヒトが座っているのを発見した。

 

「誰だ!?」

 

ガラシャは距離をとり、身構える。

男は頬を掻きながら、判断に困る顔をしていた。

彼のコールタールの如き眼は、見ている者を不安にさせる。

英霊のガラシャからして、この人間は異様であった。

 

「えっと、すみません。邪魔をするつもりは無かったのですが、余りにも美しい姿だったので。」

「誰だと、聞いています。」

「申し遅れました。私は『言峰クロノ』と申します。第四区にて小さな教会の司祭を努めている者です。今回は、ハンドスペードの方から依頼があり、足を運んだのですが……?」

「依頼?」

「はい。第三区の司祭たちに代わって、子ども達のために季節的なイベント、パーティーを催して欲しいと。ご高齢の神父様が多いので、昨年は数人が腰を痛めてしまったらしく、私のような若者が呼ばれた訳ですよ。」

「ハンドスペードにそのような依頼はありません。どこか別の革命軍と勘違いしていらっしゃるのでは?というか、どうやって城内へ立ち入ったのかしら。セキリティーは甘くは無い筈ですわよ。」

「門番の方に名刺を渡したら、そのまま入城出来ました。城主の方にお目にかかれるならば、と散策しておりました末に、立派な礼拝堂を発見したものですから。そこに美しい花が咲いているならば、見ていたいと思うでしょう?」

「神父様にも、俗世に染まり切った思考をしていらっしゃる方がいるのですね。」

「はは、これは手厳しい。」

 

クロノは白髪を搔き乱しながら、照れ笑いを浮かべてみせる。

ガラシャにはどうにもこの男が胡散臭く見えた。

 

「えっと、どうやら私は来る場所を間違えたようですね。では、私はこの辺りで。」

 

クロノは手を挙げ、ガラシャに別れを告げる。えらく重そうなビジネスバックを手に、礼拝堂を後にしようとした。

が、自らの領域に土足で入り込んできたこの男を、ガラシャが許す筈も無い。

彼がその扉の先へ足を踏み出した刹那、竜宮を支配する忠興の呪いが、クロノを殺さんと動き出した。

触手のように伸びた赤色の手が、無数に絡み合い、クロノの足を掬う。そして城の壁の中へと、取り込んでいく。

 

「これは」

「ここはわたくしのフィールド、逃げる場所など無くてよ?」

「麗しの貴方が城主様でしたか。これは失敬。」

 

クロノはビジネスバッグを何度も赤く染まる手に叩き付ける。が、実態を持たないそれは一切の反応を見せない。

彼の両足は確かに絡めとられている。だが彼自身はそれに触れることすら出来ない。

細川忠興の怨念は、ガラシャの美しさに囚われる男に対して必中である。その威力は通常の防衛時の二倍。城自体が醜悪な化物となり、攻め入る全てを食らい尽くす。

ならばこそ、ガラシャは召喚されてからここまで無事生き永らえてきた。ハンドスペードの本丸にして、最終兵器がこの竜宮である。

 

「うーん、参りましたね、どうするか。」

 

クロノはどこか余裕そうな雰囲気である。

ガラシャは彼の態度に苛立ちを覚えていた。

彼はこれまで数々の『呪い』に邂逅してきた。

中でも男と女の間に生じる呪いは、凄まじいと頷ける。

 

「(でも、災害のライダーが一番だったかな?)」

 

クロノは身に着けていた十字を握り締めると、目を瞑り、詠唱を始める。

それはガラシャには聞き覚えのない洗礼であった。

 

『私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうる者は一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない。』

 

クロノの身体、そしてその周囲に光が充ちた。

美しく、儚く、温かみのある光。それがガラシャの怒りと怨念の化身を断ち切っていく。

 

『抑制、弾圧、暴力、服従、恐怖に苛まれる全ての者に、解放の力が与えられる、故に傾聴せよ、そして私に従え。』

 

そして細川忠興の呪いは閃光と共に消失する。

長い詠唱の果てに、クロノは解放された。

額の汗を拭いながら、床に崩れ落ちる。

 

『神よ、憐れみたまえ(キリエ・エレイソン)』

 

ガラシャは目を丸くした。

彼の洗礼により、ガラシャを取り込む忠興の愛、その一部は消滅した。

今まで、彼女の力の通用しない者など、現れたことが無かった。

この城を攻め落とすべく現れた者は、皆解体され、城の壁の一部となった。

言峰クロノがいれば、ガラシャはこの城の外に一歩踏み出せるのかもしれない。

 

「おっと、疲れて寝込む場合ではありませんね。逃亡しなければ……」

 

クロノは額の汗を拭いつつ立ち上がると、そそくさとその場から離れようとする。

が、その腕をガラシャは掴んだ。そして彼に懇願する。

 

「傷つけようとしたことを謝罪します。お願いがありますの。クロノ神父。」

「え、あ、はい?」

「わたくしを、この城の外に出してはくれませんこと?貴方なら、きっと出来ますわ。わたくしが探し求めていた人こそ、貴方です!」

「え、えぇ?」

 

クロノはガラシャに両手を掴まれる。

聖職者である彼は、ガラシャの大きな瞳、可憐な指先、そして豊満な胸部に目を吸い寄せられ、煩悩に塗れていた。

美しい女の願いを無下にすることは出来ない。クロノのモットーは、『男は無視し、女を救う』である。

凡そ司祭とは思えない彼は、ガラシャの願いを受け入れることにする。

革命軍ハンドスペードは、ここから大きく変わり始める。

 

 

革命軍グローブの領地内。

王の鎮座する間にて、少女は臆せず正面からやって来た。

赤い絨毯の上を、華麗なステップで駆けまわる。派手な衣装を着飾る少女は、この厳格な雰囲気には全くもってそぐわなかった。

 

「我は忙しいのだが?用件は?」

 

王は偉そうに肘をつき、足を組む。

臣下の男たちは王の苛立ちに身体を震わせていた。

 

「アポイントを取る時、デバイスにメールを送った筈だけど、もしかして王サマ、内容読んでない感じ?」

「我が現代の精密機器に精通していると思うなたわけが!というか超不敬!誰が貴様の絵文字だらけの文章なんぞ読むか!」

「(え、何気にメール確認してんじゃん、王サマ)」

 

少女は心の中でツッコミを入れつつ、コホンと咳払いをし、本題に入る。

最奥の間にぶらりと現れた金色の髪の女も、興味深そうに少女を見つめた。

 

「この第三区で、私のコンサートをやりたいの!」

「はぁ?」

 

王は溜息をついた。

心底、この頓珍漢な女の言葉が理解できるものでは無いからだ。

 

「グローブの天下統一!のお祭りに、私を出演させてってお願いだよ!あ、ギャラは弾んでもらうけど。」

「不敬を通り越して図々しいまであるわ!というか、貴様は一体どこの誰なのだ!」

「えぇ?動画配信サービスでこの前オアシス一位を取ったんだけどなぁ。」

 

少女はやれやれといった表情で、王の目前でポーズを取ってみせる。

天に指先を掲げ、堂々と、その名を名乗りあげた。

 

『理想郷(ゆーとぴあ)からどこまでも!魔女っ娘アイドル『ツキ』ちゃん参上!みんなのハートにきらりんめてお!』

 

「…………」

「………………」

 

「あれ?無反応?」

「…………反応にすっごく困るぞ、我。微妙に古臭くない?」

「ひ、酷い!日ノ本臭いって言った!」

「言っとらんわ!」

 

魔女っ娘アイドル『ツキ』は目に毒なカラーリングの髪を揺らしつつ、可愛さをアピールし続ける。

王はそんな彼女に呆れつつも、追い返すことはしなかった。

ツキから送られてきた営業メールには、災害のサーヴァントへの怒りが綴られていた。

同じ災害を恨む者を阻むことはしない。グローブの当主は、願いを共有する全ての者を受け入れる。

だから、彼はハンドスペードも、ダイヤモンドダストも、仲間にしたい。

シェイクハンズ、手を取り合った先に、希望が待っていると信じて。

 

ツキは王の心を知っている。

だから、この場所に足を運んだ。

それこそが、世界を救う為に、必要なことであるからだ。

 

 

 

【クロノスアンサー 前編 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

クロノスアンサー 後編

新たなる戦い『キングビー編』の前日譚!
少々難しい内容ではございますが、読んで頂けると嬉しいです。
感想、誤字等ありましたらご連絡ください!


【クロノスアンサー 後編】

 

『絡繰幻法・錦手裏剣(にしきしゅりけん)』

 

ハンドスペード領地、竜宮城の門前にて、二人の男が鎬を削っている。

仮面の翁『果心居士』は素早い身のこなしで城壁を駆けながら、遠距離投擲で敵を翻弄する。

四方八方からの飛び道具の嵐。人間ならばひとたまりもない、英霊であっても負傷は避けられない。

だが来訪者は腕を組み、一切動じない。全ての攻撃が無駄であると言わんばかりだ。

 

「無駄である。」

 

来訪者の男が両手を突き出すと、大地より黄金の柱が出現し、全ての飛び道具を防ぎ落した。

太陽光で一層の眩しさを放つゴールドは、来訪者の男を英霊たらしめるもの。男の価値はこの無限に湧き出る『黄金』と共に在る。

果心居士は堂々たる来訪者に不信感を募らせつつ、正門の前に降り立った。そして身に着けていた仮面を取り、その素顔を見せる。

 

「暗殺者の如き戦いっぷり、だが、貴様はキャスター『果心居士』だな?」

「そういう貴殿は、グローブの王か。自らが敵陣に乗り込むなど、愚の骨頂ではありませぬか?」

「和平交渉だ。我が直接出向く方が、話が早いだろう。今のハンドスペードでは、我一人殺すことも出来ぬ。」

「お戯れを」

 

果心居士は予め仕掛けておいた罠を起動する。

侵入者を撃退すべく用意していた絡繰トラップ。領域内から呼び起こされた無数のオートマタが起動し、一人の王を取り囲む。

彼らの一体一体が果心礼装である重火器を所持しており、一部の個体は近現代的な戦車、戦闘機に乗り込んだ。

全てが果心居士お手製の代物。ハンドスペードの技術は、このキャスターの力により武力のみ突出していた。

何を隠そう、人造英霊『氷解のヴァルトラウテ』の設計案を生み出したのはこの男である。

実際に製作にあたったのは彼の部下たちであったが、もし彼が何十年とかけて戦乙女を生み出していたならば、淡路の悲劇は起こり得なかったかもしれない。

 

「ほう」

「お帰り下さい。そう我らが領主は告げています。」

「断る、と言ったら?」

 

果心居士の絡繰たちが、一斉に重火器のトリガーを引いた。

無限とも思える十数秒、火花を散らしながら殺戮の弾丸が放たれ続ける。ガトリング砲の無制限射撃が王の周辺を更地にした。

煙が立ち込める中、王は無傷で佇んでいた。黄金の盾が彼を囲うように配置され、鉛玉を金流で飲み込んだのだ。

当然、果心居士は王を殺せるとは思っていない。これは挨拶程度のお遊び。だが、果心礼装はその頬を掠めることすら叶わない。彼は悔しさを噛み締めた。

対して王は、果心礼装の精度、練度の高さに感心していた。もし彼がグローブ側に付いたならば、唯一無二の戦力となろう。災害に一泡吹かせてやることも叶うかもしれない。

 

「果心礼装の神髄、我に見せてみよ。」

 

グローブの王は身に着けていた黄金の短剣を抜くと、それを天空へと投げつけた。

果心居士は何らかの術式の起動を察知し、全オートマタを防御体制へ切り替える。

彼が考えるに、王は魔術に精通し大成した者では無い。妖術を極めたる男には小細工の種など丸わかりである。

ならば王の短剣が描く天空の魔法陣は演出の一環に過ぎない。王を王たらしめる絢爛さを民に見せつけるパフォーマンス、エンターテイメントだ。魔法陣の内側から現れるのは魔物でも、天使でも、神でもない。

 

「黄金でございますか。芸がありませぬな。」

「ああ、我は黄金色と共に在る。」

 

果心礼装を模倣した、純金の兵士たちが扉の先から現れ出た。

オートマタとしての性能は、果心居士はおろか、アインツベルンにも劣るが、その硬度は折り紙付きである。

血液の役割を果たすオイルを除き、その全てが黄金。煌びやかなその様は太陽光も相まって、果心居士の目を焦がした。

日本庭園の落ち着いた空間に派手かつ趣味の悪い黄金色の軍隊が揃い踏みする。竜宮の赤色も大概目に毒であるが、王の生みし黄金部隊はそれを上回る品の無さ。思わず果心居士も引きつった笑みを浮かべる。

 

「侘び寂びとは縁がないようで。」

「陽の光の如き輝きこそ我の威光を示すに相応しいのだ。」

 

王の家臣として召喚された黄金兵士たちは、各々純金の剣、槍、弓、斧、火器を以て、果心居士に襲い掛かる。

シールドを展開していた彼のオートマタがこれを迎撃、期せずして、王と果心居士、二人の将校としての実力比べが始まった。

基本、天下の果心礼装が敗北することは有り得ない。精度の高さで言えば、黄金兵たちを遥かに凌駕している。

だが質で上回ろうとも、王の軍勢は量でこれを上回る。魔法陣から無限に現れる金流と金塊、そして生成される兵士たちは、果心オートマタに傷をつけては消滅してバトンタッチを繰り返す。対して果心居士のオートマタ軍は、元々用意された数でこれに対抗するしかない。

この軍略戦は、王の力を読み切れなかった果心居士の敗北となる。

だが、彼の敗北は彼の想定内でもある。

如何に偉大なる王とて、所詮はサーヴァント。与えられるリソースには限りがある。

果心居士は王に悟られる前に、ハンドスペードの限られた勇者たちに通達、伝令を行った。

ガラシャの耳に入らぬうちに、王を仕留めるべく包囲網を築く指令。

元来、彼の戦いはいつだって敵を驚かせるものだ。他人を驚かせるには、それなりに準備を必要とする。

そして手品の種が分からぬ間に、勝利をもぎ取る。李存義とは真逆の戦闘スタイルだ。

 

「(この王の正体も、察しはついた)」

 

黄金を愛し、愛された王。

財に飢えつつも、生きとし生ける民全てに施しを与えた王。

彼の武勇は愚かしくも、誇らしくも、後世に語り継がれている。

もしグローブの王がその人物なら、本格的に侵攻される前にけりをつけたい。

果心居士が新たな術式を展開するその時、予期せぬことが起こる。

 

「っ!?」

 

空から雷が落ちた。

それは不安定な天気によるものでは無い。

いま、この場にて何者かによる宝具が放たれたのだ。

果心居士、そして王の部隊の半数近くがこの稲妻に焼き切られた。

想像を絶する破壊力。並の英霊で無いことは確かである。

砂埃立ち込める中、金色の長い髪と、黒い特攻服が風に激しく揺れていた。

 

「アタシをいま呼んだか?呼んだよな?ああ、呼んだともさ!」

 

彼女は巨大な斧を肩に担ぎ、仁王立ちで、二人の間に割って入る。

そして高らかに、痛快に、笑ってみせた。

 

「アタシの黄金街道、まっしぐらだぜ!」

 

彼女の特攻服には大きく、『黄金街道』の刺繡が施されている。

田舎のヤンチャガールといった風貌だが、彼女はまごうことなき英霊だ。

王は彼女の登場に、やれやれといった表情を浮かべている。

果心居士はすぐさま事態の深刻さを察知した。彼が連絡を取った筈の勇者たち、その応答が途絶えてしまった。

ものの数分の内に、壊滅させられたのだろう。

そして彼女は、王を守る様に立っている。グローブ側のサーヴァントなのだ。

 

「おい、ややこしくなるから来るなと言っただろう?」

「王サマだけじゃ不安だろって。アタシがいれば百人力、いや、一万人力だぜ。」

「こんな状況で言うのもなんだが、我は戦いに来た訳じゃないからね!?」

 

おどけた二人による漫才が始まる前に、果心居士は次の手を打つべく動き出した。

出来れば彼はその手を使いたく無かったが、これも致し方なし。

忍びのようにその場から隠れ消えると、瞬く間に竜宮天守閣の頂点まで登り詰めた。

そして新たなる果心礼装を起動する。彼の編み出した現状の最高傑作、戦う為では無く、ガラシャを守る為の一手。

 

『絡繰幻法・紅兜(くれないかぶと)』

 

それは彼による疑似固有結界宝具。

魔術による壁では無く、果心オートマタがパズルのように組み上がり城壁を覆い尽くす、物理的な防御結界。

果心、ガラシャ、そしてガラシャの認めた者のみが、門を潜ることを許される。

ハンドスペード最後の砦、籠城戦の為の最終奥義だ。

その圧倒的なまでの技術力には、王も度肝を抜かされる。

王の意思の否定、対話の絶対的な拒否。果心居士は自らの命を削る勢いで、王の差し出す手をはたき落したのだ。

 

「王サマ、アタシならあの壁を壊せる。どうだ?」

「…………強行突破は最後の手段だ。また来たる日に、扉を叩くとしよう。今日は果心居士の力の一端が覗けたことが大きな収穫だ。是非とも我らがグローブに、彼が欲しい。」

「ったく、甘いぜ、王サマ。」

 

グローブの二大戦力は撤退する。

壁の内側からその様子を捉えていた彼は、ホッと溜息をついた。

もしここからグローブとハンドスペードの全面戦争が勃発していた場合、負けるのはハンドスペードの方だった。

 

「ガラシャ様。」

 

生前の彼が明智光秀の元へ赴いた際に出会った幼子。

笑顔のない静かな少女に、果心居士は一芸を魅せた。

色とりどりの紙が舞い、千の紙鶴が空を舞う。誰もかれもが彼の虜になった。

でもガラシャだけは、笑わせることが出来なかった。

 

「ガラシャ様はこのような老いぼれのことなど、お忘れでしょうなぁ。」

 

だが、それでいい。

老齢な道化師など、今の彼女には不要なのだ。

孤独な彼女を癒すのは、彼女を命懸けで救おうとする王子様。

だからこそ、果心居士は今日も、人知れず彼女を守り続ける。

誰に感謝されることもない。なくとも。

細川ガラシャの第二の生は、幸福に満ちたものでなければならないのだから。

 

 

竜宮城、ガラシャの教会にて。

言峰クロノはデバイスのスクリーン機能で、白く澄んだ壁に球体図を映し出した。

細川ガラシャは宙に浮かぶ青き球体と点在する白点を眺めながら、クロノの言葉を待った。

 

「クロノ神父、それは?」

「宮古曼荼羅(みやこまんだら)、宗教画です。」

「曼荼羅図ですか。わたくしは見たことがありませんわ。」

「それはそう。輪廻の与えるべき知識にこの曼荼羅は含まれません。これは開発都市オアシスで生み出された、学問ですらない『何か』なのですから。」

「その図の意味を、教えて下さるかしら。」

 

クロノはかつての尊敬すべき偉人に対し教鞭を振るう。

宮古曼荼羅、これを地球に見立てた際、そのマントルに位置するのが『大いなる者(オウバ)』、地底に埋まった化石の如く点在する白点が『解き放たれし者(パンバ)』である。クロノはこのオウバを『我らが主』と称し、パンバを『人間』であると説明した。主たるオウバの母体から離れ、地表に出るように突き進むパンバ、これは人類の『進化』であり、神への責任転嫁を辞めた『成長』だと説く。

 

「主の導きが、人間の成長と共に明確化したのです。雷も嵐も洪水も、オウバの為すことに非ず。海の怒り、大地の怒り、これは人間が思考領域に自然を同化させ、感情論で捉えているに過ぎなかった。だが私たちは既に、現象のルーツ、起こりが何たるかを理解し、心得ている。何故雷は落ちる?何故嵐は起こる?それを学ぶことこそ成長そのものであり、オウバの物理介入では無いことが人類に認められるのです。そして」

「そして?」

「真なるオウバとは、ヒトの心の到達点だと、私は考えます。深層領域はプラトン哲学における『イデア』の概念であると。」

「心の到達点?」

「人間の成長とは、即ち脳の成長です。家族を学び、友を学び、環境を学び、世界を学ぶ。先史から現代、ヒトと呼ばれる生物は霊長類の究極として、極めて独自に、極めて速く進化を遂げてきた。だが我々は最も身近にあるモノの正体を未だに理解していない。宇宙を知る人類が、己の内の火、その揺らめきを理解できない。」

「心、感情。」

「そう。感情とは、ヒトの進化において最も非合理的なものだ。人類の発達を阻害するものと断言してもいい。オートマタが普及した現代において、まだ英霊という不完全なシステムに頼ろうとしているのも、人間が感情を切っても切り離せないものだと断言しているからでしょう。ああ、失敬。麗しの城主様に言う事ではありませんでしたね。」

「構いませんわ。あと、ガラシャでよくってよ。」

「有難うございます、ガラシャ姫。続けましょう。先の説明から矛盾して申し訳ございませんが、この宮古曼荼羅図から読み解ける内容は一つ、オウバを主とし、パンバをヒトとするならば、結果齟齬が生まれる、ということです。」

「齟齬?」

「我らが主とは、ヒトであり、神であり、究極的に言うならば『他人』であります。私はイエスではない、無論、ガラシャ姫もイエスでは無い。イエスが偉大なる父であったとしても、二親等。私を私と定義する焔の揺らめきは、神の預かりしモノでは無いでしょう。パンバの外向きのベクトルがヒトの成長であるならば、進化という行為の本質は『心を捨て置くこと』です。信仰、そして崇拝、主への告白、導きとは心の救済。オウバとは即ち、己が感情のルーツであると私は考えます。オウバの母体から離れ、パンバが成長する様を『進化』と称するならば、逆は『退化』に非ず、私はこう説きましょう。」

 

「『心化』と。」

 

進化とは、心を捨て置くこと。

心化とは、主の導くままに心を取り戻すこと。

オウバとパンバの前後進運動をクロノはそう定義した。

ガラシャは胸元に垂れた銀の十字を握り締め、クロノの言の葉に耳を傾けた。

 

「さて話は変わりますが、ガラシャ姫、貴方はパンバの成長の先、その到達点とは何だと思いますか?」

「ヒトの極点、あらゆるヒト機能を百パーセント引き出すことの出来る存在、ただ心を失っているのであれば、それはオートマタと遜色ないように思えます。」

「そうですね。ヒトの臨界を超えた存在はもはやヒトを超え、神的な格に押し上げられるかもしれません。預言者がそうであるように、元来『神』の存在を認知するのは、ヒトの役割でしょう。」

「神モデルの定義付け、の言説ですね。」

「強大な力を持つ何者かが現れた時、ヒトはそれを『自らと同価値の原生生物』『神』『悪魔』に分類します。共存か、崇拝か、排斥か。ヒトは先人の知恵を用いて、自らのコミュニティに受け入れられるべき存在であるか決定するのです。」

「ヒトの進化の到達点は、神ないし悪魔であると?」

「それが一般論、でしょうね。私はここでそれを否定します。」

 

クロノは宮古曼荼羅のヴィジョンに手を翳した。

すると、本の次ページを捲る様に、宙に浮かんだ球体曼荼羅はその様相を変化させる。

 

「パンバの白点が、地表に出た……」

「これが極点です。内部からその様子をご覧ください。ただ一つの、一人のパンバが曼荼羅の最端へ移動した、本当にそれだけでしょうか。」

「うーん、難しいですわね。」

「ガラシャ姫、貴方がこのオアシスの大地に呼び出された時、様変わりした世界に、少しでも驚いたはずです。この小型デバイスですら、英霊にとっては神秘の宝箱だ。でも我々現代に生まれし人類には当たり前の環境。私たちが歴史を学ぶ際に、成長前も、成長後も、想像の枠内から飛び出せない。我々は過去も、未来も、進化も、心化も、理解できないのです。ヒトの到達点を『神』と称したならば、それは神への責任転嫁に他ならず、我々は過去から何も学んでいないという事になる。ニーチェが『神の死』を定義したその時点で、人間は神モデルを脱している。過去を知る筈のない我々が、過去を学んだと言い張るならば、神代は潰えていなければならない。」

「つまり?」

「ヒトの究極点は『ヒト』です。もし創造主がいるならば、我らがヒトモデルの極地へと到達させまいと、安全装置をかけたのでしょう。それこそがオウバであり、イデアであり、神の言葉なのだ。」

 

クロノはそう言い放ち、デバイスの電源を落とした。

ガラシャは彼の言葉を咀嚼し、味わいつつも、違和感を覚えていた。

 

「でも、貴方は神父となったのですか?」

「ええ、まぁ、思考と仕事は別物なので。」

「昨今は仕事とプライベートを分けるとも言いますが……」

 

ガラシャは納得いっていないようで、頬を膨らませた。

クロノは彼女を含め、祈りを捧げる者たちを馬鹿にする意図はない。何も成長だけが人間の本懐では無いと信じているからだ。

オウバから解き放たれ進化したパンバの行く末に、彼は思いを馳せている。

彼が災害を嫌悪し、第四区博物館副館長となった経緯はそこにある。

神のような立ち振る舞いで君臨し、ヒトの進化の可能性を摘み取る彼らは、オアシスを、人類を停滞させる癌そのもの。

パンバが成長するもよし、オウバに回帰するもよし、だが選択はヒトの手に委ねられるべきだ。

クロノは桃源郷という箱庭からの解放の為、独自に動き始めたのであった。

 

「クロノ神父は……」

 

ガラシャは再び胸の十字架を強く握り締めた。強く、強く、出血してしまいそうな程に。

 

「主の加護を、否定しますか?」

 

恐る恐る、彼女は司祭に問いかける。

この質問は無意味なものだ。クロノは先程からその答えを提示している。

だがそれでもガラシャは問うしかない。彼女が彼女である為に。

 

「——私には、見えないものがあります。ですが、きっと、ガラシャ姫の目に映るもの、聞こえてくるもの、伝わるものがあるのでしょう。貴方はそれを大事にしていくべきだ。救済は信じる者にしか訪れませんからね。」

「神父には、見えないもの?」

「ええ。私には、まるで」

 

クロノはデバイスを乱雑にアタッシュケースに仕舞うと、ガラシャの教会を後にする。

彼は特別待遇として六畳一間の一室を与えられた。ガラシャが呪いを解き、この城から脱するために。

細川忠興の呪縛はクロノからしても非常に厄介な代物だ。洗礼詠唱を以てして、その一部を消滅させられたのは奇跡に等しい。

この愛と束縛の牢獄は日々その怨念を実らせている。ガラシャの教会の外で彼女と密会などしようものなら、忽ち嫉妬の炎で彼は焼き尽くされてしまうだろう。

だがそんな危険と隣り合わせの空間であっても、彼にとっては住めば都。博物館で桜館長の隣にいる方が余程デンジャラスだ。

彼女に彼の計画を気付かせてはならない。間桐桜は彼のロジックを崩し得るカードを握っている。

 

「さて、彼に進捗のほどを訊ねるとしましょうか。」

 

クロノは自室に戻ると、デバイスからある連絡先へとコールを入れた。

数秒と待たず、お目当ての人物が応答する。

 

〈はい〉

 

野太い声の持ち主が気怠そうに返事をする。相手が言峰クロノであると理解しての反応だ。

 

「革命聖杯『ROAD』の製作に時間がかかっているようだな。」

〈僕の専門外だからね。〉

「魔術師なのにか?」

〈君は魔術師というものを何だと思っているんだ。だが、驚いたよ。アヘル教団にも、ましてや博物館にも無かった記録媒体だ。どこで入手を?〉

「第一区だ。」

〈一区、まさか災害のライダーのお膝元で、か?〉

「ああ。カウンターガーディアンの出現は、彼をも焦らせたようだ。彼の理想郷を滅亡させる可能性があったからな。」

〈抑止力、ただの英霊では無いんだろう?何者だ?〉

「……いまは只のアイドルだよ。君のコラプスエゴとは違う。」

〈本気で災害を殺す気なんだな。……だが焦るのは君らしくない。〉

「焦っているように見えたか?なら、それはライダーの思惑に気付いたからだ。彼を止めなければ、僕の理想は叶わない。」

〈災害のライダーの思惑?〉

「災害のキャスターが造ったのは、海賊船じゃない。『箱舟』だったという話さ。」

〈へぇ〉

「革命聖杯の鋳造、そして運転、これにはそれなりに時間がかかるだろう。その間に私はこの第三区で革命軍全てに接触し、終わらぬ戦いへと昇華させる。災害を殺すための殺し合い、『キングビー』への餞さ。」

〈キングビー?〉

「愚かな女を『女王蜂(クインビー)』と馬鹿にするスラングがあるだろう?それの男版だ。とにかく頼んだぞ。」

 

クロノは男の返事を待たず電話を切る。

その連絡先に表示されていたのは、博物館の同僚の名。

 

『吉岡』

 

後に、コラプスエゴのサーヴァントを用いて第四区を恐怖に陥れる男の名である。

 

 

開発都市第一区、地下。

そこは天空城塞と同じ、災害しか、否、『彼』しか立ち入れぬ場所。

 

「…………また、来たの?」

 

毎日のように訪れる彼に、彼女は辟易する。求婚にしても、しつこすぎるというものだ。

彼の愛は、異性としてのものでは無い。とても難しいが、どちらかというと『家族』に対するものだろう。

年頃の女子ならば、無償の愛を鬱陶しく感じるのも無理はない。

 

「また来たよ。リンネ。」

「〇〇〇、貴方は暇人?」

「こう見えて、意外と暇ではなのさ。災害としての職務を全うするのも、終わりが近いようだ。」

 

彼は、災害のライダーは、麗しき輪廻に花束を贈る。

彼女はそれを拒否した。彼女にはそれを受け取る機能が備わっていない。

彼は残念そうな顔を浮かべると、洞窟の脇にそれを供える。

 

「終わりが、近いのね。永い間、お疲れ様と言えばいいかしら。」

「そうだね。君に労われるのがオレにとって救いだ。」

 

災害のライダーは帽子を深く被り直す。

彼がその所作をするときは決まって、心に不安を覚えている。

 

「なぁリンネ、来たるエックスデイを前に、オレは皆を救えるのだろうか。」

「世界終末の日……ね。桃源郷はその日を以て、理想郷となる。」

「ああ。」

 

Ⅹ―DAY

世界は破滅し、世界は救済される。

ダイダロスの創造せし『ノアズアーク』出航の日。

 

「たとえ貴方に牙を剥くテロリストであっても、貴方は救いたいと言うのでしょう?」

「…………」

「それは別の意味で『呪い』よ。〇〇〇。でも、きっと貴方らしいわ。」

「っ……」

 

白き水夫は、輪廻の言葉に対し、決意を改めた。

呪われた過去を乗り越え、彼は輪廻を、オアシスを守る、そう何度でも誓った。

 

「さて、オレは戻るよ。ナナが、また悪巧みをしているらしいからな。」

「……全員救うとは言うけれど、彼女は殺しておいた方が良いんじゃないかしら?」

「ハハハ、でもそれもナナの個性、ナナの良いところだ。」

 

災害のライダーは地下の階段を登っていく。

また明日も、輪廻に会いにやって来る。

オアシスの柱である彼女を、決して孤独にはさせない。彼の仕事など、彼女の苦労に比べれば屁でもない。

 

「じゃあな。明日また来るぜ、『マスター』。」

 

サハラの地における、懐かしき呼び名。

彼は今や動けなくなった彫像(スタチュー)にそう呼びかけた。

 

 

時はダイダロス消滅時に戻る。

開発都市第五区アヘル教団セントラル支部。

災害のアサシン『蛇王ザッハーク』の招集に応じたのは、五人のヴェノムサーヴァント達だ。

彼らはスリーマンセルで任務へとあたる。本来であればこの場には六名集うはずである。

シュランツァは怪訝な表情で彼女の仲間たちを見渡した。馴染み深い顔ぶれの中に、異質な者が一人。

ウラルンと同世代と思われる青い髪の言葉少ない男。彼はヴェノムの中でも稀有な『過食者(イーター)』の能力を秘めていた。

彼がセントラル支部に配属され、まだ数日。それでいてアサシンに気に入られ、彼女たちと肩を並べる地位へと登り詰めた。

シュランツァはどうにもそのことが気に食わない。

 

「おい、お前。」

 

彼女は青年、オピスに話しかける。ネックウォーマーで口元を隠した彼からは、感情の機微が窺えない。それがシュランツァには、お高く留まっているように感じられた。

 

「何だ、畦道。」

「お、お前!名前で呼ぶんじゃねぇよ馬鹿が!アタシには『シュランツァ』ってコードが与えられているんだっつーの!」

「悪いな、横文字は覚えられない。苦手だ。」

「ふざけてんな?コラ」

 

シュランツァは右拳でオピスの顔に殴り掛かる。だが彼はそれを易々と受け止め、払い除けた。

彼女の方がアヘルにおいての実務経験は当然豊富であるが、その実力差は歴然である。オピスもまた、第四区博物館の裏スタッフとしてこれまで修羅場を潜り抜けてきている。

 

「やめなさいよ、シュランツァ。オピス先輩が困っていますよ。」

「アダラス、てめぇは黙っていろ。というか、コイツはお前の後輩だろうが。」

「いえ、先輩は先輩なのですよ。」

 

オピスを庇うように前に出たアダラスとシュランツァの口喧嘩が開始される。

この場にいるショーン、ウラルン、そしてオピスは呆れるしか無かった。

だが、二人の醜い口論は、王の登場により一瞬にして静まり返る。

水着のような、踊り子のような女が、豪華絢爛な玉座に君臨した。彼女らの王であり、神、災害のアサシンのお出ましである。

シュランツァやショーン、ウラルンにとっては久々の邂逅であった。

 

「先に伝えた通りだ。ウラルン、アダラス、そしてオピス、貴様らは開発都市第六区へと赴き、スネラク、もといミヤビ・カンナギ・アインツベルンの回収任務に当たれ。シュランツァ、ショーンは開発都市第三区だ。革命軍の連中が奇妙な動きをしているのでな。必要とあれば抹殺だ。」

「はっ!」

 

跪くヴェノムたちの声が揃う。

シュランツァは事前に秘書から得た任務のデータに目を通していたが、二点ほど気になることがあった。

彼女は相手が上官であれ、恐れず質問する。その度胸を、アサシンも買っているのだ。

 

「ザー様、アタシらは二人で任務に出るのか?」

「いや、もう一人、今回の任務に駆け付ける予定だ。革命軍を抹殺するとすれば、彼女を置いて他あるまい。」

 

シュランツァ、ショーンはその時点で、援軍が誰かを理解する。

開発都市第五区の外にいて、かつ、アヘルの中枢を担う人物。

セントラル支部左大臣にして最高戦力『都信華』。彼女がその右手を振るうとき、虐殺が始まるのだ。

 

「そして今回は鎖付きのジョンにも働いてもらう。奴はハンドスペードを率いていた男だ。『弱点』も知り尽くしているが故な。」

 

淡路抗争後、冷たい牢獄に閉じ込められた欠地王ジョン。彼は自らの生存のために、かつての仲間を売る選択をした。

ザッハークへの服従。今回彼が役に立てば、再びセントラルで働くことが出来る。革命軍が殺されたとしても、今の彼にはどうという事も無い。

第一の質問に納得したシュランツァは、再び手を挙げる。

 

「任務について、アタシらで革命軍に接触するのは分かるけど、最後のところにあった、暗殺任務ってのは?」

 

開発都市第三区にいる筈の人物の暗殺命令。

シュランツァを含め、この場にいる多くの者たちがその暗殺対象を知り得なかった。

オピスだけが、眉を顰めている。

 

「『間桐桜』の暗殺だ。開発都市第四区博物館、その館長の女は、革命軍と接触し、災害を殺し得る何かを生み出そうとしている。アヘルは革命軍のみならず、第四区博物館も最大脅威とし、これを完膚なきまでに抹殺する。」

「ただの、博物館じゃねぇのか……」

「沼御前が独自に動いた結果、違法触媒を抱え込んでいるのが判明した。……災害のキャスター、彼奴を殺したのも、博物館だ。」

「な…………」

 

ヴェノムたちにどよめきが起こる。

二千年君臨し続けた神を、殺す。

災害の絶対性が崩れることなど、ある筈が無い。

ありえない、そう誰もが認識していた。

オピスもまた、巧一朗たちの活躍までは知らなかった。彼はあの大迷宮に立ち入ることが無かったのだから。

ならばこそ、アサシンの言葉に、口角を上げた。数えきれない苦労、命懸けの死闘を経て、ついに博物館は神殺しを成したのだ。

 

「(巧一朗、やっぱすげぇな、お前は)」

 

彼のアーチャーは夢を叶えたのだろうか。それすらも、今の彼は知らない。知りようも無い。

 

「あぁ、だが間桐桜の暗殺は二人には難易度が高いように思える。信華に任せよう。貴様らはジョンと共に、革命軍へ取り入り、アヘルに入信させるよう動け。余を認めぬ者は全員殺してしまって構わん。」

「承知しました。」

 

災害のアサシンの号令と共に、彼らの任務はスタートする。

 

ショーン、シュランツァは早速、開発都市第三区へと向かった。

アダラスも与えられた自室へと戻る。

そしてオピスとウラルンだけは、ザッハークに呼び止められ、彼女の寝室へと招かれた。

 

財を尽くした優美なる一室に、カーテンの吊るされた桃色の巨大なベッドが配置されている。

ザッハークはそこに横たわると、扇情的なポーズで彼らを誘惑した。

ウラルンはそんな彼女を睨みつけ、動こうとしない。だが一方、彼女の隣にいた筈の青年は、吸い寄せられるように彼女の傍へと歩いて行った。

 

「ウラルンはつれないな。」

「私、貴方の思い通りになる気は無いから。」

「そうか。だが貴様の愛する男は、そうでも無いようだぞ?」

 

ザッハークの前に立ったオピスは、彼女と激しい口づけを交わす。

愛すべきウラルン、入谷雪匣の前で、まるで見せつけるように。

舌と舌が絡み合い、肌と肌が重なり合う。互いを貪り、肉欲に溺れてゆく。

ザッハークは胸元に吸い寄せられたオピスを抱き、ウラルンを見て嘲笑った。

 

「オピスは、貴様が悪の道へと堕ちた、そう信じ、正義感でアヘルの門を叩いた。お前だけを愛している男だった。だが今は、どうだろうな?余の肢体にむしゃぶりつく姿を、貴様は見て見ぬ振りできまいて。」

「…………っ」

 

彼女の薄着は剥ぎ取られ、オピスは快楽という蜜壺へ落ちていく。ウラルンが経験したことの無い世界が、そこには広がっていた。

 

「オピス、否、鉄心、余の躰は心地良いか?」

「………………ああ」

「貴方が、鉄心の名を呼ぶな!」

 

ウラルンはこのとき、泣いていただろう。

彼女の初恋、彼女に彩りをくれた人、彼女が全てを犠牲に守ろうとしたたった一人。

その彼が、醜悪なモノに飲まれていく。

だが、彼女は見ているしか無かった。

彼女には力がない。誰も彼女を救わない。彼女はどこまでも孤独だ。

 

そして求愛の末、果てる。

力尽きた二人は、共に同じ寝床に伏した。

 

「雪匣、貴様も余と共に在れ。そうすれば貴様は救われる。」

「…………私は」

「アヘルは、家族だ。皆が余の子にして、余の恋人。貴様はそうはなれないか?」

 

ウラルンは血が滲むほどに唇を噛み締めた。

理解している。もしザッハークに『魅了』されたなら、どれ程幸せになれるか。

鉄心をもし救えるならば、彼女も堕ちてしまえば良い。

そうすれば、また、鉄心は雪匣を見てくれる。

 

——ああ、堕ちてしまえばいいのだ。

 

雪匣がその一歩を踏み出した時、無口な青年が声を上げた。

 

「雪匣、お前は帰れ。」

「鉄…………」

「俺とアサシンの邪魔をするな。気が散る。」

 

オピスはそう彼女を突き放した。

彼の目には、もはやザッハークしか映っていない。

雪匣は只の同僚、仲間、たとえ恋人の所作をしても、彼の心は永遠に雪匣へ向かないだろう。

彼女は胸の苦しみを押さえつけながら、小走りで寝室を後にした。

かつての優しかった彼はもういない。その事実に向き合う為には、どれ程の時間を要するだろうか。

そして残された二人は生まれたままの姿で見つめ合う。アサシンは嬉しそうな笑みから一転、口を尖らせた。

彼女には、彼の意図が理解できる。マリオネットの小さな抵抗だ。

 

「鉄心、貴様が愛しているのは、余か?それとも」

「さて、再戦といこうぜ、ナナ。俺は体力だけが取り柄だからな。」

「その名で呼ぶなと……」

 

鉄心は抗議する彼女の唇を奪う。そして再び交わった。

彼と彼女の夜はまだまだ終わらない。

 

                                               【クロノスアンサー 後編 完】

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編 プロローグ『エピソード:サハラ』

お待たせしました。
ついにキングビー編、開幕です!
プロローグはサハラの聖杯戦争の物語。
次回章は現代に戻ってきます。
感想、誤字等ありましたら、ご連絡ください!


【キングビー編 プロローグ『エピソード:サハラ』】

 

「『解き放たれし者(パンバ)』たちは神と共にあった。ヒトはヒトの臨界へと至った。我らは幸福に満ちていたのだ。『白き巨人』が現れるまでは。」

 

「嗚呼、テスタクバル、貴殿の祈りは一族の祈り。鍵を託そう、鍵を託そう、理想郷はここに蘇る。」

 

「幸福の満ちた世界へと、進化する為に。」

 

テスタクバル=インヴェルディアこそは、アトランティス文明の末裔、孤独なる開拓者。

彼はその目で嘆きを見た、悲しみを見た、滅びを目の当たりにした。

愛の神々がひび割れ、崩れ去る。黄金の線が張り巡らされ、大地を、海を、空を、殺し尽くした。

止まらない蹂躙、止まらない滅亡。彼の緑の眼は、その場に立っているかのように、地獄のビジョンを映し続ける。

 

「ヒトの創りし『凍結機体』を起動させよ。コードネーム『ディートリヒ・フォン・ベルン』。神の加護を受けた彼女ならば、巨人を葬る聖剣を手に出来る。」

 

誰かがそう叫ぶ。だが、混沌とした状況で、その声は誰の耳にも届かない。

テスタクバルは知っていた。白き巨人の滅びと、それに付随したもう一つの物語を。

白き巨人は、星の祈りを一身に込めた一振りの聖剣に敗れ去り、サハラに埋没する。

だが、ヒトの臨界へと至る者達は、妖精の剣とは異なる所で、一つの可能性を造り上げていた。

ヒトの手により生まれし兵器にして、世界を救済すべく誕生したデウス・エクス・マキナ。その名は『ディートリヒ』。あらゆる神造兵器を使いこなし、星の成長を促す存在を受け入れ、外敵となる要因を根こそぎ排除する、地球そのもののファイアウォール。

母なる神々が万が一にでも、敗れ去った時の為の、『ネクストプラン』であった。

 

———だが、白き巨人を前にして、彼女が解凍されることは無かった。

 

白き巨人が死したことで、彼女という兵器は表舞台に立つことなく、その生涯を終えた。

それを不憫に思ったのか、大陸の生き残り達は、彼女を主役とした物語を後世に語り継ぐ。

『シドレクス・サガ』は、彼女への餞として誕生したストーリー。巨人が有し、巨人を殺す魔剣『エッケザックス』は、白き巨人をモチーフに書かれたものだ。

即ち、ディートリヒ・フォン・ベルンは虚構の物語。彼女という存在はフィクションでしかない。

凍結機体は、一度も目を開くことなく、その役目を降りたのだから。

 

テスタクバルは静かに目を閉じる。

これ以上の干渉は、彼自身を滅ぼす。彼がいまここで死に絶える訳にはいかない。

彼はワダンにて建立された『王』の城の中で、椅子に腰かけ、呼吸を整える。ユネスコ世界遺産のこの土地に堂々と己の我欲に任せて城塞を築いたのだから、何とも自由気ままな王である。

彼の王にして、アサシンのサーヴァントは『蛇王ザッハーク』。ペルシアの叙事詩『シャー・ナーメ』に登場する、悪逆の王だ。悪霊の呪いで両肩に巨大な蛇を宿してしまった彼は、国の青少年の脳髄を食らいながら、勇者フェリドゥーンが現れるまで恐怖政治を続けたのである。

アラビアの過酷な土地で生まれ育った彼は、知名度補正こそ得られないものの、こと戦いにおいては土地勘を生かした戦術を組み込める、軍略に長けた将校だった。テスタクバルは彼というカードを引き当てたことに、勝利を確信した程である。

だが、今のテスタクバルの彼に対する期待、評価は、少しばかり異なっている。

 

テスタクバルは王の間へと足を運び、その戸に耳を押し当てた。

中から聞こえてくるのは、女の喘ぐ声、男女の営みが、毎日のように繰り返されている。

蛇王ザッハークと身体を貪り合っているのは、此度の戦争の監督役、ルーラーである。

男を惑わす色気を放つファムファタールは、ザッハークのお眼鏡に適い、第二の生にて妻として迎えられた。

邪悪と威厳に満ちた一国の王は、汚れた女の肢体に骨抜きにされたのである。

戦争などそっちのけ。城の外へ目を向けることもなく、彼女の乳房に溺れている。

テスタクバルは英雄を敬うことなど無かったが、この件で心底嫌悪した。アジダハーカと呼ばれる毒龍に生まれ変わると言い伝えられる反英雄も、女を前にこの体たらく。理想に準ずるテスタクバルには到底理解できない。

 

「英霊なんてものは、どいつもこいつも」

 

理想郷にて、世界の全ての民を解き放つ。ヒトは、必ずアトランティスへと帰って来る。

サハラの目は既に開かれている。テスタクバルの祈りは、必ず届く筈なのに。

 

「男と女、互いが互いを求めるのは、動物的本能に依るものだ。英雄であろうと変わらないし、むしろ、英雄色を好む、だろう?」

 

テスタクバルの背後に突如現れた男は、ズボンのポケットに両手を隠しながら、不敵な笑みを浮かべている。

水夫のような、海賊船の船長のような、不思議な見た目の青年は、その軽い口調とは裏腹に、れっきとしたサーヴァントである。

当然本陣に敵サーヴァントが乗り込んでこようものなら、即座に臨戦態勢を取るべきだが、幸い、彼らは共闘関係にあった。

 

「ライダーか。君に用事は無い。」

「ツレないことを言わないでくれ。オレはアンタを買っているんだぜ。」

 

テスタクバルが日本から連れ去り『改造』した少女、『遠坂輪廻』。彼女が召喚したサーヴァントこそ、このライダーである。

輪廻という聖杯が呼び出したのは、史上最悪の『呪い』であった。その真名をテスタクバルが知った時、その運命を悔やんだものである。

だがライダーは不思議にも、『呪い』らしからぬ好青年であった。海をこよなく愛し、船旅こそ望む冒険家。過去に捕われることなく、常に己の明日の為に生きている。

 

「知っての通り、オレは情欲に塗れている。男も女も、オレの愛する者は全て、一夜を共にしたいと思っているよ。勿論、テスタクバル、アンタも例外じゃないさ。」

「辞めてくれ、気持ちの悪い。」

「愛とは自由そのものだ。元来、『死』の逆は『生』でなく『性』であるとオレは説いているけどもね。愛を語り、紡ぎ、子孫を反映させることこそ戦争の対義語になる。ヒトが争いを止めることは無い。なら、全滅しないように増やしていくことこそ生物としては正しいのさ。まー残念ながら、オレの舟には定員という概念があってね、数には決まりがあるのだけど。」

「ライダー、輪廻を抱いたのか?」

「あぁ。四六時中抱いたさ。オレが最も愛する女だからこそ、無限に物語を語ることが出来る。」

 

テスタクバルは爪を噛んだ。

輪廻という純粋なる聖杯に、呪いの染みが付くことはいただけない。

聖杯としての機能に支障をきたすならば、ライダーを殺してでも止めなければならない。

無論、テスタクバルにライダーを殺す術は無いのだが。

 

「アサシンは、王であることを捨ててしまったようだな。オレはあの男のことも嫌いじゃないが、アンタに見向きもしないのは、サーヴァントとしてどうかと思うぜ。」

「……必要とあらば、令呪を使用するつもりだ。立場を分からせる為に、な。」

 

テスタクバルの手の甲に浮かび上がる三つの痣。左右対称の紋様は、彼の生き様をよく表せている。

ライダーが輪廻の手を握り締めた時、彼女の令呪は悍ましい形をしていた。左右バランスの崩れた、まるで獣のような印。遠坂輪廻という少女の歪さを示す。

テスタクバルに従事する輪廻、だが二人の願いは決して相容れない。いつかは、互いに敵同士として立ち塞がるのだろう。

 

「ライダー、油を売っていないで、使命を果たせ。聖杯戦争は始まったばかりだ。この広大なサハラの地で、幾日もかけて殺し合う訳にはいかないだろう。長期戦で消耗するのは誰もが同じだ。」

「そうだな。オレは名もなきオアシスへ戻るとするよ。リンネもそこで待っている。」

 

ライダーはそう言い残し、踵を返した。

 

冷ややかな城の外は、焼けるような砂世界。サーヴァントならば暑さも感じないが、視界に飛び込む全ての情報が、彼の肌に汗を滲ませるよう。

ワダン要塞遺跡、そして旧市街の外へと歩き進むと、目元以外を布で隠した武装集団が彼の前に姿を現す。

サブマシンガンの銃口を彼に向けると、両手を挙げるように指示を下した。

余りにも突然の、現代人との邂逅に、ライダーは驚きつつも口角を上げている。

この武装集団は紛争地帯からサハラを車で渡って来た。ワダンに築かれた堅牢な城についての情報を独自で入手し、偵察、挙句は占領を目的に出撃したようだ。

彼らの母語は特殊なものではあるが、聖杯から与えられる知識により解読は可能であった。

民族衣装を纏わない水夫を不審に思っているようで、殺害も止む無しと報告を行っている。

ライダーは困った様子で、頬を掻いていた。

 

「お前は、どこの国の者だ。」

 

武装集団の一人がそう問うた。彼らはとある宗教組織に属する者達。集団としての意識が強く、所属を明かせない者には手厳しく当たるのだろう。ライダーは少し考えた後、『海の中』とはぐらかす。

無論、彼らが嘘ですらない煽りを許す筈も無く、合図と共に一斉射撃に転じた。

近代兵器などではライダーを傷つけることは叶わない。何よりライダーがそのことを知っている。

だから彼は敢えてそれを避けることをしない。飛んでくる鉛玉を指でキャッチしては、それをかなぐり捨てていく。

目にも留まらぬ速さで百の弾丸をはじき落した。

 

「お前は、何者だ」

 

武装集団はライダーの超人的な様に怖気づく。自分たちがいま殺そうとしていたのは、彼らの信じる大きな者に近い人物であるかもしれない。ならば彼らの聖戦に意味など無く、尻尾を巻いて逃げるのが最善手である。

そしてライダーもまた、戦闘の意思を見せていない。彼にとって敵も味方も、等しく彼の舟の船員だ。現代を生きる若者たちというのは、それだけで価値ある存在である。ライダーの身勝手で殺すのは、余りに快楽的かつ短絡的だ。

 

「アンタらは、神様って奴を信じているのか?」

 

ライダーは問いかける。彼らは一大宗教組織の過激派集団であるとみた。己が、家族が、親友が、生き残るために聖戦を繰り返す。神の前で生きる為に血を流すことを誉とする。そして、死にゆくこともまた、誇りである。

ライダーは今を生きる者たちへ、聞かなければならない。

神とは、彼らにとってどれ程の存在であるかを。

 

「俺たちは…………」

 

武装集団の一人が銃を捨てた。

そしてライダーの真剣な瞳に吸い寄せられるように、顔に纏う布を引き剥がし、口を開いた。

仲間たちもまた続く。彼らには、ライダーが大いなる者の様に見えたのだろう。

止まぬ銃声、壊れ続ける街、彼らは命を賭して戦いつつも、どこかで生き残る道を探していたのだろう。

ライダーは一人一人の顔を見つめた。そしてニッコリと微笑みかける。感情を見せぬ為に口元から額を覆った布切れが取り払われると、これほどまでに溢れてくるものがあるのかと。

充分だ、彼らの神は実在し、彼らを守っている。故に今、彼らは生きているのだ。

 

「俺たちは、ズエラットから…………うぐぇああああ!」

 

それは刹那の出来事であった。

ライダーの目の前で、武装集団のうちの二人の青年が、空から現れた二頭の巨大な黒蛇に噛みつかれたのだ。

空へと引かれるように宙へ浮かび上がりながら、青年たちの脳髄は蛇に啜られる。

後のメンバーたちも同様、巨大な怪物の手にかかり、瞬く間に殺害された。

ものの数秒の出来事だ。今を生きる若人の命が、いとも容易く刈り取られたのだ。

 

「…………蛇」

「ワダンの地は、余の領土となった。ならばこそ、侵略者は排除する。」

 

ライダーは威厳ある男の声に振り向いた。

建立された城塞の頂上、一人の巨漢の両肩から、人体をゆうに超える巨蛇が生え、うねうねと動き回っている。

先程まで、聖杯戦争のことなど忘れ、女の肢体に虜になっていた男だ。ライダーにとっては、共闘関係にあるサーヴァント。

黒い髪をオールバックにし、上半身が裸のまま、二頭を意のままに操っている。そのフォルムを見れば、誰であろうが真名の察しはつくだろう。

蛇王ザッハーク、その人が、自ら侵入者を排除した。

 

「彼らは確かにアンタの城に無断で立ち入ろうとした。だがオレがそれを止め、触れないように説得するところだった。……只の人間を殺す必要は無かったように思えるが?」

「ライダー、余にとって今の行いは只の『食事』だ。蛇は常に腹を空かせている。若い男の脳を求めている。」

「ああ。それこそがザッハークだったな。だが、今のアンタはその呪われた運命の外側にいる筈だ。『補給』をせずとも、死ぬことは無い。」

「そうさな。サーヴァントにとって食事は不要だ。ならば貴様は余の行いをどう捉える?」

「軽蔑すべき快楽殺人だ。偉大なる王が手ずからするものじゃない。」

「偉大なる王ときたか。心にも無いことを!」

 

アサシン、ザッハークは神殿から跳躍すると、ライダーの元まで瞬く間に舞い降りた。

そして目と鼻の先で彼らは睨み合う。アサシンの肩から伸びた蛇が、ライダーの頭上に涎を零した。

 

「ライダー、余は貴様を知っている。テスタクバルは貴様を災厄のごとく扱うが、余は異なる。貴様は哀れな被害者だ。それも、不届き者の類さ。ザッハークこそが虐げてきた臣民どもと何ら変わらん。貴様は勇者では無い。」

「それはそうさ。オレは一般人だからな。」

「余と共闘などと、笑わせる。そも、貴様がいなければ、ペイヴァルアスプと呼ばれた余こそがライダーの霊基を以て召喚される筈だったのだ。乗る馬も、戦車も、舟も持たぬ貴様が、余の顔に泥を塗っているのだと未だ気付けぬか?」

「あぁ、全くその通りだ。かの邪知暴虐の王様が、暗殺者の位とは、思わず吹き出してしまう。」

 

アサシンはライダーの態度に、怒りを爆発させる。

共闘関係にある二人のサーヴァントはこの瞬間、ワダンにて戦闘を始めた。

ライダーは輪廻とテスタクバルの反応が無いことを気がかりに思いつつ、目の前の強力な英霊への対抗札を思案する。

アサシンは両肩の蛇を軸に、バネのように伸縮、後方へと飛び去ると、何らかの詠唱を始めた。

蛇王ザッハークは、間違いなく、このサハラにおいて最強の名を冠している。

 

『苦痛とは熱より来りて(アジ・タルウィ)』

 

ザッハークの詠唱と共に、ワダンの枯れた大地に緑豊かな植物が生い茂る。それは水を与えずとも、ものの数秒で開花し、毒牙持つ食虫植物へと進化する。ライダーの足元にもツタが伸び、彼の肉を解体すべく、美しい花園に投げ入れた。

この植物の花弁一つ一つに、霊基を溶かす毒牙がびっしりと備え付けられている。その一本にでも触れれば、徐々に霊基を蝕み、霊核をも溶かし切るだろう。

 

「っ!」

 

ライダーは空中で足を掬うツタを振り解き、大きく回転しながら着地する。まだ苗が成長過程の範囲に足をつけ、そして再び大きく後退した。彼の着用していた雲の色をしたジャケットも、回転した際に脱げ落ち、植物の肥やしとなってしまった。

ザッハークの恐ろしき対軍宝具に、ライダーも冷や汗をかく。無論、これはアサシンにとって挨拶程度のものだろう。序の口も序の口、彼の真価はこれだけで留まらない。

 

「やがてワダンの地、全てを余の宝具が埋め尽くすぞ。足の踏み場も無かろう。」

「アンタのお気に入りの女も巻き込んで、か?」

「くく、ナナには余の力の一部を譲渡した。余の発する毒がその体内に流れておる。あの女は死なんよ。」

「そうかい。じゃあテスタクバルを巻き込まないよう気を付けるんだな。」

 

ライダーの足元から毒花が繁殖する。

彼は急ぎ、隣の岩場に飛び移るが、その場所も既に芽が出始めていた。

彼は両手をズボンのポケットに仕舞い込み、思案する。

大地ある所に花は芽吹く。取れる選択肢は三つ。

空に浮かぶか、焼き払うか、アサシンを殺すか。

ライダーはこの聖杯戦争で最も弱いサーヴァントだと自負している。未だ出会ったことの無い強者たちを前に、彼が出来ることは少ない。

名もなき英霊であろうとも、ライダーは容易く敗北するだろう。

現に、ザッハークの肩慣らし程度のお遊びに、涼しい顔をしているが、内心慌てふためいている。

愛すべきマスターを、輪廻を、守ることが果たして出来るだろうか。

 

「…………」

「何を固まっている。余は次の遊戯を始めているぞ?」

 

ハッとしたライダーが声の主の方へ顔を上げると、アサシンは新たなる魔法陣を築いていた。

アジダハーカにやがて生まれ変わるとされた王は、キャスターさながら、次々と強力な術式を展開する。

ワダンの大地に生い茂る緑が、徐々に赤黒く変質する。そして数百のツタは蛇へと生まれ変わり、うねり、動き始めた。

 

『苦痛とは渇きより来りて(アジ・ザリチュ)』

 

タルウィとザリチュ、二柱の怪魔が揃いし時、失楽の箱庭が完成する。

ザッハークはワダンそのものを固有結界の如く、己の魔術で塗り替えた。毒草と毒花、毒蛇が狂い咲く、赤一色の世界。

もはやライダーに逃げ場は無い。ワダンにいる者は、ザッハークの認める者を除き、全てが加齢と老衰で死に絶える。

酷く、楽に、安らかに、死んでいく。ライダーの肉体から生気が吸い取られ、大地に飲み込まれていくのだ。

こうなると宙に浮かぼうが関係ない。ワダンそのものから脱出しなければ、ものの数分で霊基は消滅する。

無論、これは結界では無い。土着した魔術であるからこそ、サハラ砂漠という出口がある。

だが、アサシンは愚かでは無かった。逃走するライダーの道を阻むように、草木の壁を築き上げる。

飛び去ろうとも、壁を走ろうとも、抜け出ることは叶わない。一人の水夫を殺すために、アサシンはいとも容易く大魔術を行使した。

これこそがザッハーク。サハラの地で、彼を殺す者は誰もいない。

 

「ライダー、貴様の負けだ。」

 

アサシンにはまだ、第六までの悪魔降臨術式がある。

そしてそれらもまた、余興。己の限界を超えるその時、終末術式は花開く。

毒が世界を満たし、三つ首の邪竜が顕現する。アトランティスのマナがそれすらも可能にした。

この地に勇者はいない。蛇王の天下であるが故に。

 

「何だ?」

 

ライダーは植物の壁にぶら下がり、毒牙に苛まれながら、あるものを取り出した。

それはザッハークの思考の外にあるものだ。何故、今ライダーが『ソレ』を有しているのか理解が出来ない。

歴史上、彼がそれを所持したという記録は無い。それどころか、全くもって関係の無いものだ。中国神話に十字軍が登場するようなもの、整合性が取れず、物語は破綻する。

 

「ライダー、貴様…………まさか」

 

嗚呼、間違えていた。

蛇王ザッハークは認識不足であった。

ライダーの霊基を以て召喚されたサーヴァント。

彼の名は〇〇〇、物語の被害者にして、読者を笑わせる道化師に過ぎない。

だから履き違えていた。

『呪い』の意味を、理解していなかった。

有り得るのか、と自問する。アトランティスに通じたからこそ、サハラに奇跡が宿り締めたのか?

否、否、否

必然だ。〇〇〇の呪いは、この現代にも残り続けている。

彼を、彼たらしめるのは、全ての人間が心の内に有するもの。

 

『信仰』なのだ。

『信仰』あるところに、〇〇〇は蘇る。

 

「アサシン、オレの宝具を、見て行けよ。」

 

ライダーが取り出したのは『箱』だ。

それこそは契約宝具。その中身はモーセの十戒が刻まれた石板である。

これをワダンの大地に落としたことで、その効果を発揮する。

 

『契約の箱(アーク)』

 

箱が開かれることはない。

ただそこに在るだけで、宝具は起動する。

二柱の悪魔宿りし失楽園は、瞬く間に消滅する。

この箱は、『魔力そのものを焼き尽くす』。

ザッハークの異常な魔力は、この箱にとって格好の標的だ。

アサシン自らも、意識を強く保たなければ、箱に肉体諸共吸い寄せられてしまう。

触れれば即死、極めて小さなレンジに入れば、肉体の半分は砕け散るだろう。

 

「貴様の正体は…………!」

「オレの名は〇〇〇だ。何度だって教えてやる。只の一般人だよ。」

 

ザッハークは六の悪魔を武器にするのは辞め、直ちに終末の刻へと至るカウントダウンを開始する。

邪竜アジダハーカの毒を以て、ライダーの呪いを制する。

やらねばならない。気を抜けば、ザッハークは喰われる。

無論、ザッハークは易々と邪竜転身術式を発動できない。これは真に最終手段なのだ。これを行使する時、彼の自我は消滅する。それでも、そうだとしても、王ならば、立ち上がる必要がある。

 

「余が、この世界を救う。」

 

悪逆の王にそう言わせてしまう程の緊急事態、彼は最終進化を遂げる覚悟を見せた。

ライダーには世界をどうこうするつもりは全くない。彼のただ一つの望みは、仲間たちと、輪廻と共に、船旅に出ることだ。だがもしアジダハーカが目覚めるならば、英霊として、これを止めなければならない。

 

「アサシン、アンタ……」

「ライダー、勝負だ。余が貴様という呪いを払ってやろう。」

 

二人は睨み合う。その覇気が、ワダンの地を震い上がらせる。

あと数秒後、サハラは悲鳴を上げる。そのときだった。

 

「…………………………は」

 

アサシン、蛇王ザッハークは肩の蛇で、自らの心臓を貫いた。

飛び散る血液と、砕け散る霊核。

彼は己の手で、己の心臓をもぎ取った。

 

「アサシン!?」

「…………これは」

 

それは絶対命令権、三つの赤い痣を重ねて放たれた、マスターからの祈りであった。

ザッハークの自害命令。アサシンは、テスタクバルの願いを聞き届けてしまった。

 

「な…………テスタ…………クバル…………な……ぜ?」

 

アサシンがその場に崩れ落ちるその瞬間、彼の下敷きとなった人物がいた。

何を隠そう、アサシンのマスター、聖杯戦争の立役者となったテスタクバルである。

ザッハークは薄れた視界で、テスタクバルを捉えた。

彼もまた、自分同様に胸から血を流している。

令呪を用いた命令を下した後に、彼もまた命を絶とうとしたのだ。

アジダハーカを使わせない為か?

テスタクバルの意図が見えない。

既に彼は息絶えている。ザッハークを大地に着かせない為に、己が下敷きになって、息を引き取った。

テスタクバルは悪態をつきつつも、この王を信頼していた。だからこその配慮と言える。

で、あれば、何故?

その答えを知らぬまま、ザッハークは消滅した。

サハラの聖杯戦争、最初の脱落者はあろうことか優勝候補の二人。

ライダーは呆気にとられつつも、彼らの背後から現れた影を見逃さなかった。

 

「ルーラー、アンタがやったのか?」

 

赤髪の踊り子は血に塗れながら笑顔で頷いた。

ザッハークがライダーと戦闘する最中、テスタクバルもまた、彼女の寝室に誘われた。

そして、堕ちてしまった。

テスタクバルに令呪を使わせたのは彼女だ。そして、ザッハークの死を確定させたのちに、彼を殺害した。

 

「裁定者が聖杯戦争を搔き乱すことは、許されているのか?」

「うーん、私はただ彼に、令呪を使うようにお願いしただけだし、実際に使用した後、魅了が解けちゃったから、彼は私を殺そうとしたの。だから自分の身を守る為に、ナイフを突き刺した。正当防衛なの。」

 

ルーラー、ナナはライダーの元へスキップで駆け寄った。

そして笑顔のまま、彼の前でくるくるとターンしてみせる。

 

「ねぇ、見て。肩と背中から蛇が生えてくるの!凄いでしょ?」

「ザッハークの力、か」

「うん、そうなの。私が蛇王ザッハークを名乗っても良いのかしら。ふふふ、私ってのも変よね、余、って一人称に変えるべきかしら。」

「アンタの目的は何だ?」

 

ライダーはナナの顎に指を這わせる。すると彼女は撫でられた猫のようにくすぐったそうに照れていた。

 

「私、貴方が好きなの。」

「オレが?」

「うん、でも私には力が無い。貴方の隣に立つ資格も、無いから。だからアサシンに力を借りた。きっと貴方の役に立つわ。」

 

ナナはライダーの胸元に飛び込み、彼の温もりに体を預けた。

ファムファタール故のスキル、宝具の使用は認められない。嘘か真か、それはライダーの判断に委ねられる。

無論、彼は信じないが、それでも、拒む気にはならなかった。

輪廻という牙城さえ崩れなければ、ライダーがナナに心を奪われることは無い。

 

「オレから言えることは一つだ。もしオレを愛するというなら、オレの為すことを見ていてくれ。船旅に出ることが叶うならば、アンタは船員としてオレの舟に乗ることになるだろう。」

「そう。」

 

ナナはライダーの胸から離れ、儚い笑みを零す。

ライダーは不意に、こういう顔も出来るのだ、とナナへの認識を改めた。

 

「ところで、ライダー。ザッハークの宝具だけれど、一度消し去ったからと言っても、全てを抹消したことにはならないわ。彼の悪魔はひとたび顕現したなら、何度でも芽吹く。ワダンという領地は、やがて滅び去るでしょう。」

 

ナナの立つ大地に、再び草木が生え始める。大地そのものを蝕む毒は、アサシン死すれども止まらない。ワダン一帯を侵食し、そしてやっと役目を終える。この場所に留まり続けるのは危険であると諭した。

ナナはザッハークの力の一端を譲り受けている。が、ライダーは違う。

彼女は彼の背を押し、ワダンの外へと出るよう促した。

 

「ルーラー……っ!」

「絶対生きてまた会えるって、信じてる。ライダー、今度はテルジットで会いましょう。」

 

ナナはライダーをワダンの外へ追い出した。そして植物の壁はどこまでも空へと伸びていく。

彼は彼女を置いたまま、サハラ砂漠へと一人歩いて行った。

そしてナナは、『自分が発動したザッハークの宝具』を解除した。

アサシンが死んだその時、彼の悪魔もまた消滅していた。ライダーに嘘を付き、彼をワダンの地から追い出したのだ。

彼女の目的はただ一つ、先の戦いでライダーが使用した宝具である。

この箱に近付けば、ナナはひとたまりも無い。ならば、彼女が魅了した数十の現地民を呼び寄せ、魔力を持たぬ人間たちの手で、箱の置かれた土地ごとくり抜き、運び出した。

この箱はライダーが生きている限り存在し続ける。ナナが彼を生かし、ザッハークを消滅に追いやったのは、この箱の為。

 

「ふふふ、ダビデ王の有した『魔力ごと焼き尽くす箱』かぁ。凄く、凄く、面白そうね。」

 

彼女は大型トラックの荷台に乗せられる箱を見つめながら、不敵な笑みを浮かべていたのであった。

 

 

薄汚れたローブに身を包んだ青年、間桐巧一朗が、一人砂漠を歩いている。

視界の先、どこまでも続く砂の世界に溜息を貰いつつ、それでも、安息の地を求め進む。

ある日、冬木の自宅に届いた、聖杯戦争への招待状。

それは彼の母、間桐桜に当てられたものだった。遠坂輪廻の身柄を拘束している旨が記載された手紙と、一枚の航空チケット、モーリタニアへ向かう便のみで、帰りのものは用意されていない。

見え見えの罠に、桜は一切動こうとはしなかった。祖父が死に、親族が死に、ようやく手に入れた幸福を手放す気にはなれなかったのだ。

だが、彼女とは対称に、巧一朗はチケットを喜んで手にした。蟲蔵の饐えた匂いから、ようやく脱出することが出来るのだ。

正義のために魔術を行使する、臓硯や桜のようには生きたくない。

彼の一世一代の家出は、彼の願いを叶える為のもの。

桜の、本当の息子となる為に。生まれてきて良かったと、言って貰う為に。

 

彼は『人間になること』を望んでいた。

 

彼は桜の胎内で培養された虚行虫。桜の虚数魔術をその小さな身体に宿した、最優秀個体。

臓硯の生み出した数百の個体のうち、生存したのはたった一匹であった。

死んでいった虫たちに、兄弟や家族の認識は無い。桜をモデルケースに、ヒトを学んだのは生まれて数か月のことである。

後にダイダロスの迷宮でオリハルコンを取り込むまで、ヒトモデルの人形と数十の虫を吐き出した糸で繋ぎ止め、仮初の肉体としていた。

だが小さな身体であろうとも、彼は間違いなく魔術師である。

虚数魔術、縫合魔術、その特異性は冬木の魔術師でも群を抜いている。無論、彼が他の魔術師と交流を持つことなど無かったが。

不可視の糸で、あらゆる存在、あらゆる概念を無理矢理に結びつける。開発都市オアシスに至る前は、己で製作した不出来な人形に英霊の記憶を当てはめ、マリオネットの如く行使していた。到底、他の魔術師に及ぶ才能では無かったが、叶えたい望みの為に、出来ることをするしか無かったのだ。

三日前、モーリタニアの地で、彼は初めての英霊召喚を試みた。

触媒は間桐の家に保管されていた一本の剣の折れた先端。セイバークラスが呼び出されるかもしれない。その可能性に賭けてみた。

 

「召喚に応じ参上した。我が名はセイバー『ディートリヒ・フォン・ベルン』!貴殿が私のマスターか?」

 

結果は成功、の筈だ。

確かに彼は歴史に名を残す、最高のカードを引き当てた。が、しかし、冒険者で勇者の彼女はヒトの手本となる快活さを有している。

強者との勝負に拘り、第二の生を気ままに生きていた。

巧一朗がコントロール出来ぬほどに、自由だ。

いま彼が砂漠の中を一人歩き続けているのは、どこかへ旅立ち、他サーヴァントと小競り合いするセイバーを探してのものだった。

圧倒的なまでの魔力消費に、巧一朗の身体は限界を迎えている。彼の抱える器は他の魔術師に比べ明らかに小さい、そのことも拍車をかけていた。

 

「くそ……セイバー……」

 

このサハラは余りにも広い。

自分がいまどこにいるのかさえも理解できない。

水を、蜂蜜を、求め彷徨う。

陽の光に身体を焼かれながら、一歩一歩、前へと進み続けた。

 

「あ」

 

ぼやけた視界に映り込んだのは、太陽光から身を護る安地、小さな暗がりの洞窟である。

休憩するには丁度いい。猛獣の住処であろうとも、気にしている余裕は無い。

彼は洞窟へ向け駆け出した。酷く近く、それでいて遠くに感じられる距離であった。

懐中電灯が無ければ何も見えないような暗闇だが、徐々に彼の目も慣らされていく。

そして奥へ進めば進むほど、空間は開かれていく。

誰かが、ここに住んでいるのだろうか。

警戒しつつ、巧一朗は歩いて行った。

そして、彼は人の気配を察知した。

洞窟内にまさかの溜池が存在し、何者かがそこで水浴びをしている。

それも只の人間では無い。恐らくはサーヴァントだ。

神々しいまでのフォルム、そして透き通るような白き肌。

ヒトの二分の一程度の生殖本能を持つ彼も、瞬く間に恋に落ちてしまう程だ。

だが、神話とは決まって、女神の肌を覗いた者に神罰が下る。

彼は恐る恐る後退し、外の世界へ出ようと試みた。

が、時すでに遅し。艶めかしい身体を露わにした美少女は、通りすがった巧一朗の影を捉えていた。

 

「誰?」

 

優しい声色で問われる。

巧一朗は足を震わせた。己の令呪の使用も検討に入れる。ディートリヒであれば、この状況を打破できるだろう。

 

「(元はと言えば、セイバーの所為、なんだけどな)」

 

巧一朗は声を絞り出せずにいた。英雄への憧れと、畏怖、両方が彼を緊張させる。

 

「シグルド、なのかしら?」

 

英雄シグルドの名を、彼女は口にした。

無論大英雄はここにいない。在るのは一匹の虫。穢れた虫風情。

だが否定することすら、今の巧一朗には出来なかった。

そして遂に、少女は一枚の布を纏い、彼の前に姿を見せる。

その手には、ヒトの背を超える長槍が握られていた。

ランサーのクラスで現界したサーヴァントだ。巧一朗の腰は抜ける。

ディートリヒを呼ばなければ、待っているのは『死』。

だが身体の震えが止まらない。どうしていいかも分からない。

子ネズミのように震え固まる巧一朗に、ランサーは一歩一歩近付いて来る。

 

「貴方は……」

「え…………っと、あの…………」

 

ランサーは紫の眼で彼を見つめ、そして、腰の抜けた彼に飛びついた。

そして抱き締める。

巧一朗は状況を理解できぬまま、数十秒固まった。

 

「やっと会えました、私の、私のマスター」

「へ…………?」

 

一体どういう因果か。

巧一朗が思わず一目惚れしてしまった少女は、彼をマスターと認め、抱き留めた。

彼女の召喚者は、何処かに消えてしまった。

サハラの地で孤独だった彼女は、ようやく、己の主人に迎えられたのだ。

そして、彼女にとって彼はこの瞬間、唯一無二の愛すべき男に代わる。

彼女へ一度も振り向くことなく、迎えに来ることも無かった、シグルドとは真逆の存在であると。

 

「えっと」

「すみません。嬉しくて、つい。」

 

この出会いから、物語は始まったのだ。

彼女こそ、巧一朗と世界そのものを狂わせる張本人。

 

 

「私はランサーの霊基を以て、貴方の召喚に応じたサーヴァント、その名を『グズルーン』。」

 

 

———きっとこれは、世界を滅ぼす『恋』なのだ、と。

 

閑話休題

物語は、再び現代へと巻き戻る。

 

 

 

【キングビー編 プロローグ『エピソード:サハラ』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編1『エピソード:ビギニング』

感想、誤字等ありましたらご連絡ください!


【キングビー編①『エピソード:ビギニング』】

 

〈革命聖杯戦争もついに四日目を迎えたぞ!革命聖杯『ROAD』を手にするのは、一体どこのどいつなんだァ!?モニターを、デバイスを見ているお前らは、いま最も激熱なサーヴァントに投票してくれ!MCは今日もこの俺、リンベルが担当するぜ!〉

 

「おぉ、今日も投票タイムが来たな。お前、誰に入れるよ?」

「決まっているだろう、アーチャーの『ドン・フゴウ』だよ。この三日間で毎回一位を取っているじゃんか。」

「やっぱりフゴウだよなぁ。でも俺はライダー『黄金街道』に入れるぜ。グローブの鉄砲玉、姉御肌だからな。チビは誰にするんだ?」

「えと、僕は、その、バーサーカーの『ロンリーガール』……」

「馬鹿、ハンドスペードなんかに入れるんじゃねぇよ。周りの奴らに虐められるぞ。」

「え、えぇ、だって」

 

〈さて、お前ら投票は済んだかな?それじゃあ中間発表だぜ、カモン!得票率、アーチャー『ドン・フゴウ』が脅威の五十パーセント、ライダー『黄金街道』が三十パーセント、続いてキャスター『芸達者』が十パーセント、バーサーカー『ロンリーガール』が七パーセント、ランサー『リケジョ』が二パーセント、そして最後にセイバー『ダスト』が一パーセントだ!やはり革命軍『ダイヤモンドダスト』には厳しい結果になっちまいそうだぜ!またも『令呪』を手にするのは『ドン・フゴウ』なのか!?〉

 

「やっぱりフゴウだよな!これでまさかの四画目の令呪、獲得だ!」

「ロンリーガール……」

「まだ言ってるのかチビ、ハンドスペードの連中は無理だよ。でもまぁ、ゴミクズのダイヤモンドダストよりはマシだけどな!」

 

〈おっと、お前らにビッグニュースだ!モニターに噛り付け!グローブの特攻隊長、黄金街道が、ハンドスペード領地、竜宮に殴り込みだァ!エンスト寸前の馬鹿みたいな排気音が俺たちの鼓膜をぶち破っていくぜ!ゴールデンベアー号と名付けられたモンスターマシンが、城壁を削り取っていくぞ!〉

「馬鹿みたいって何だよリンベル!アタシをコケにしてるなら、お前の髪もゴールデンにカットしてやるぜ?」

〈おっとそいつは勘弁だ、不肖リンベル、このテクノカットが俺のアイデンティティなものでね!さて、黄金街道のベアー号、そのタイヤはまるでチェーンソーの如き切れ味だ、だが芸達者監修の、スーパー防衛要塞『竜宮』は、こんなものじゃ傷付かねぇ!どうするベアー号!どうする黄金街道!〉

「門がぶち破れねぇなら、壁を走って天守閣へ登るさ!」

 

Ms.黄金街道。

ライダーの霊基を以て召喚された、革命軍グローブの主戦力サーヴァント。

彼女が命名したゴールデンベアー号と呼ばれる大型バイクを乗りこなしながら、近接武器である巨大なアックスで戦う、女戦士。

開発都市第三区において彼女の真名を知らぬものなどいなかった。

彼女が自ら、名乗り上げるからである。

 

「勝負だ、細川ガラシャ!アタシは『坂田金時』!またの名を鉞担いだ『金太郎』!アタシの黄金街道、まっしぐらだぜ!」

 

〈黄金街道さぁ~ん?ここでは敵も味方も自分さえも、真名を明かすことはご法度ですよ~?〉

「知るかリンベル!日ノ本生まれの英霊はなぁ、互いの身分を名乗って初めて、対等な勝負が出来るんだよ!というかロンリーガールって何だよ!ガラシャで良いだろ別に!」

 

黄金街道は痛快に笑ってみせ、エンジンを吹かせた。轟音が辺りに響き渡るが、彼女の高揚感を示しているかのようである。

最も、城内に潜伏する者は彼女に侮蔑の眼差しを向けていたが。

ゴールデンベアー号は発進し、堅牢な城壁を器用に上っていく。さながら鯉の滝登り。圧巻の映像に視聴者も釘付けとなる。

が、天守閣の最上、瓦の屋根に佇んでいた仮面の男が指を鳴らすと、城壁から無数の棘が飛び出、黄金街道の行く手を阻んだ。

仕掛けられたトラップにいち早く気付いた彼女は、急ブレーキをかけ、事なきを得る。

だがそれこそがこの男の目論見だった。直角に上って来るバイクが急にストップした衝撃で、彼女はバランスを崩す。そしてその瞬間、男は屋上から逆さまに飛び降りた。

 

「な!?」

 

黄金街道が空を仰ぐと、目前に男の五体がある。

すぐさま金色輝く巨大アックスで応戦しようとするが、平衡感覚を失った彼女は一秒遅れてしまった。

男は右手拳で黄金街道の頬を殴りつける。全体重を乗せた一撃に、彼女は受け身すら取れず、そのまま地に落ちていった。

 

〈キターーーー!竜宮から現れたのは、革命軍ハンドスペードの絡繰術師!キャスター『芸達者』だぁぁぁあああああ!って、キャスターなのに物理攻撃かよ!?筋力数値はどうなっているんだぁああ!?〉

「くっ、キャスター『果心居士』!?」

「黄金街道、貴殿はこと戦いにおいて素直過ぎる。敵陣に乗り込むには、ちと用意が足らん。」

 

芸達者と黄金街道は、共に地面に落ちる。

彼は彼女の首を掴みながら、その頭蓋を大地に叩きつけた。

仮面から表情を窺うことは叶わないが、芸達者は暗殺者のように冷徹であったことだろう。

彼は城主の為ならば、どれだけ血を流しても構わないと思っていた。

 

〈ここで芸達者の得票率が十五パーセントまで上昇!逆に黄金街道は二十五パーセントにダウンだ!令呪を得られるのは只一人、だが、ハンドスペード陣営、まさかの巻き返しとなるか!?〉

 

Mr.芸達者。

キャスターの霊基を以て召喚された、革命軍ハンドスペードの絡繰術師。

彼の真名は『果心居士』。室町時代にかの織田信長や豊臣秀吉、明智光秀らに幻術を披露したとされる、世紀の奇術師である。その実態は未だ謎に包まれているが、此度のオアシスにける召喚に際して、彼の主である細川ガラシャに付き従い、様々な果心礼装を創造し続けている。キャスターのクラスでありながら、肉体言語で語り合うこともやぶさかでは無い、ある種、戦闘狂のような一面も見せる男だ。

 

「芸達者さんよぉ、ガラシャに会わせてはくれねぇか?」

「有り得ぬな。貴殿の相手はこの爺で事足りる。」

「抜かせ」

 

黄金街道は脳への衝撃で一時眩暈に似た症状に覆われたが、地に背をつけている間に回復し、芸達者の胸部をロングブーツで蹴り飛ばした。

そして立ち上がると、雷を宿した鉞を全力で大地に振り下ろす。その瞬間、雨雲もない晴れ渡った空から、芸達者を射抜く雷撃が降り注いだ。雷神武装は文字通り雷様からの恩恵である。故に、その威力は絶大。宝具では無い、通常攻撃すら必殺級であった。

芸達者は以前の小競り合いで、黄金街道の攻撃パターンを予測済みであった。天空からの一撃と、正面からの稲妻砲弾、どちらも厄介な代物であるが、その方向さえ知り得ていれば、避けることは可能。幸い雷撃は追尾弾で無い、ならばその目標座標から瞬時に飛び去ればいい。

 

「ん?」

 

芸達者はここで違和感を抱いた。空から降り注ぐ雷の軌道が少しばかり左右に散ったのである。一本の線のように落ちてくる以前までの攻撃とは異なる。威力を抑え、拡散するよう働きかけたのか。

芸達者の位置から、どの方角に逃げようとも、直撃は免れない。英霊の核を焼き尽くすまででは無いが、腕の一本や二本なら容易く消し炭にするだろう。芸達者に出来ることは、避けることでは無く、防ぐことだ。彼はすぐさまハンドスペード領地に点々と埋め込んでいた果心礼装を起動する。泥より出でたるは果心居士特製のオートマタ。彼と知識や知恵を共有する何百の機体の一個体だ。

これは言わば避雷針、芸達者の元に降り注ぐ雷ならば、同一個体を用意し、的にすれば良いだけのこと。

黄金街道の稲妻に焼き切られる果心オートマタ。その傍らから飛び出した芸達者は、黄金街道のレンジに突入する。

 

「なっ!?」

 

驚く黄金街道の顎部位に張り手を食らわせる芸達者。思わず舌を噛んだ彼女の口元から血が飛び散った。

そしてすぐさま彼女の胸部に拳を突き立てる。そして絡繰仕掛けの右腕のランプに光が灯り、果心礼装が起動した。

これは彼の創りし加藤段蔵の両腕に仕込んだ技術に同じ。腕を丸ごと右回転させ、生じたエアカッターで、対象を吸い寄せ、肉体をねじ切り、粉砕する。ヒトの二倍の体格を持つ、牛を食らう妖術『呑牛(どんぎゅう)』である。

黄金街道の豊満な胸部に、大量の切り傷が出来上がる。そこから傷口が無理矢理こじ開けられ、果ては内臓ごと解体されるのだ。

無論、歴史に名を残す平安武将、坂田金時が、この程度で死にゆく筈も無い。

彼女は悪い笑みを浮かべながら、芸達者の回転する右腕をその手で掴んで見せた。

 

「何!?」

「いてぇのは熊とのバトルで慣れっこさ。」

 

黄金街道の指先はあらぬ方向に捻じ曲がる。だが、切り裂かれる前に、芸達者を掴んだまま、柔道の技よろしく投げ飛ばした。

腕の礼装を固定するために、回転中は足腰で踏ん張り立つ必要がある。だが黄金街道はそれをいち早く理解し、脛を蹴り、バランスを崩させた。芸達者の軽い体重は易々と宙を舞い、砂の地面に転がり落ちる。

黄金街道は折れた指を、無理矢理逆方向へ捻じ曲げ、正常に戻した。痛みは伴っているが、戦う分には全くと言っていい程支障がない。

額と胸と手先から赤い液体を放出しつつ、それすらも戦いの誉であるかのように振舞う。戦場において彼女はバーサーカークラスのようだ。

 

「やりますな、黄金街道殿」

「アタシの黄金街道は道半ばだからな、手の内の半分も見せていない爺さんに負けるわけにはいかねぇよ。」

 

芸達者は跳躍し、城壁の上に飛び乗った。並のジャンプ力では無いが、これも両足に仕込んだ果心礼装の賜物であろう。

彼と彼女は互いに見つめ合いながら、次なる一手を考えていた。

ロンリーガールこと細川ガラシャに相対するには、この巧みな幻術師をどうにかして攻略せねばならない。

黄金街道が思考を巡らせている中、天守の破風の間から、一人の大和撫子が顔を覗かせる。

彼女こそ、この竜宮の城主にして、芸達者の上司、ハンドスペードの長だ。

モニターに釘付けになっている者たちが、彼女の素顔に目を輝かせ、胸をときめかせる。

 

「ち……チビ、ロンリーガールも、良いものだな。」

「う、うん。凄く綺麗な人だから……」

 

彼女の姿を知る区民は少ない。

決してメディア露出しない、かつ、外を出歩かない、幻の聖女。

その凛とした佇まいと、愛くるしい顔立ちは、世の男たちのハートを鷲づかみにする。

 

〈ば……っ……バーサーカーこと『ロンリーガール』が俺たちの前に姿を現したぞ!MCリンベルも初顔合わせに胸の高鳴りが抑えきれないぜ!得票率もぐんぐん上昇!あり得ねぇ!お前ら欲望に忠実過ぎるだろう!〉

「やっとお目見えかよ、細川ガラシャ!」

 

黄金街道は満面の笑みを浮かべる。強敵と出会った時のような、それでいて、救うべき姫君の前に立ったかのような。

心の円舞曲、きらきらと輝く眼がロンリーガールへと向けられた。

 

「芸達者」

「はい、我が主よ。」

「何をやっているのです。即刻グローブの連中を排除なさい。」

「……っ」

 

芸達者を見下す、血も涙もない冷めた眼差し。

この一言に、第三区の視聴者たちの熱狂は静まり返る。

氷の女王と呼ぶべき姿がそこにはあった。

 

「細川ガラシャ、アタシはお前に話したいことがある。ウチの王サマはお前と敵対するつもりなんて無いんだ!それどころか……」

 

黄金街道は鉞を地に捨て、両手を広げ無害のアピールをする。

だがそれは無駄な行動だ。ガラシャは芸達者と同じく、黄金街道を見下し、その声に決して答えない。唾を吐きかけるような態度だ。

そして芸達者は、得物を自ら手放した黄金街道へ向けて、果心特製魔弾を込めたガトリングを放射した。

霊核には届かなくとも、黄金街道をハチの巣に出来る。油断した彼女へ送る、鉛玉の雨。戦場の冷酷さを身に染みて理解させる。

ガラシャは黄金街道の力尽きる瞬間を眺めるべく、窓の外を一人眺めていた。緑色に染色された毛先を指で弄びながら、鼻歌を歌う。

芸達者の砲撃は、黄金街道へと直撃した。砂埃立ち込める中、血塗られた死に体の彼女が膝を付いている姿を期待する。

が、風を切り裂き現れたのは、鉛の玉を諸共しない、無傷の彼女であった。芸達者の隙をついた暗殺行動は失敗に終わったのである。

彼はこのときばかりは驚愕した。油断する黄金街道には、咄嗟に身を護る判断が出来なかった筈。

芸達者は急ぎ、考えを巡らせた。そして一つの可能性に辿り着く。黄金街道の肉体から鑑みて、何らかの外部による魔力増強術式が付与されたのだと。

そしてそれはこの革命聖杯戦争ならではの事象。もし『あの男』の仕業ならば、非常に厄介なこととなる。

芸達者の推理は正しい。黄金街道は自らを守る術を持たなかった。彼女を救ったのは、彼女の仲間だ。

 

『令呪を以て命ずる。黄金街道に鋼が如き肉体を与えよ。』

 

その声に、黄金街道含め、全視聴者が沸き上がった。彼らのヒーローが、ようやくこの場に現れたのである。

 

〈革命聖杯戦争、ついに一画目の配給令呪の使用が認められたぞ!当然、令呪を使用したのはこの男!第三区の人気ナンバーワンサーヴァント!我らの父にして、偉大なる黄金王!『ドン・フゴウ』の登場だぁぁぁあああああああ!〉

「ったく、遅いぜ王サマ!」

「あれは…………黄金王『マンサ・ムーサ』ですわね。」

 

熱狂するオーディエンス、彼らが番組を視聴する理由とは、この男にあると言っても過言では無い。

革命軍グローブの当主であり、王。アーチャーのクラスを以て召喚された男『ドン・フゴウ』。その真名は、世界一の大富豪と名高き、マリ帝国の覇王『マンサ・ムーサ』。メッカ巡礼の際、エジプトにて黄金をばら撒き、その価値を暴落させた逸話が有名である。財の限りを尽くし、マリ帝国に新時代を齎した黄金王だ。

 

「サーヴァントの腕に令呪が宿る、というのも、可笑しな話だ。だが臣民たちが求めるならば、それに応えるのも王のパフォーマンスである!」

「アタシの身体を守ったのは令呪による魔力ブースト、そして王サマの黄金だった訳だな。流石だぜ!」

 

黄金街道は鉞を担ぎ上げると、竜宮城の頂上を見据えた。目指すはロンリーガールが隠れ潜む最奥の間、改めて彼女の愛馬、ゴールデンベアー号に跨り、轟音を響かせる。

そして黄金街道を止めるべく構えた芸達者の前には、ドン・フゴウが立ち塞がった。

いつかの戦いの再来。今度ばかりは、隠す手札も無い。最初から全力の勝負である。

 

〈空前絶後!ここに四騎のサーヴァントが集う!今日という日が聖杯戦争のクライマックスなのか!お前ら、見逃すんじゃねぇぞ!最高視聴率獲得だぜ!ヒャッハアァーーー!〉

 

聖杯戦争を生中継するドキュメンタリー兼エンタメ番組司会者も、興奮のあまり語彙力を失っている。

革命聖杯戦争、三大革命軍組織が鎬を削る、デスゲームエンターテインメント。

アサシンの役を担うアイドルを除き、各組織二騎ずつ選出された計六騎のサーヴァントが殺し合う。

勝利を収めたサーヴァントが革命聖杯『ROAD』に祈りを捧げることで、只一人、災害と呼ばれるサーヴァントを殺害する願いを受領する。ハンドスペードは災害のアサシンを、グローブは災害のアーチャーを殺すべく、戦いに打って出た。

主な特殊ルールは二つ。

第一のルール。一日経過ごとに区民による参戦者の人気投票が行われ、一位に輝いた者に特製令呪が付与される。これはマキリ製を研究して作られた配当令呪で、自らか、同じ革命軍の仲間にのみ命令を下すことが出来る。なお、下せる命令は少なく、通常は魔力増強のみが有効手段である。

第二のルール。革命組織ごとに、その組織の持つ最大武装、切り札となる『兵器』を戦争に持ち込むことが出来る。ハンドスペードにとってそれは不落の城塞『竜宮』であり、グローブもまた披露していない大型兵器を隠し持っている。

以上を除けば、後はただの殺し合い。勝利した革命軍組織が第三区の覇権を取り、残った組織はその軍門に下る。

組織の代表サーヴァントが集い、己と、己の家族たちの為に、剣を振るう。

まだ戦いは四日目に突入したばかりだが、ここでついにハンドスペードとグローブの直接対決が実現した。

戦力、そしてこれまでの配当令呪を全て手に入れたドン・フゴウがいる革命軍グローブが優勝候補であるが、過激派と謳われたハンドスペードも、芸達者のお陰でまだまだ余裕を見せている。視聴者たちは、この二大組織の戦いに注目し、胸を躍らせた。

 

そしてその陰で、二人の参戦者が『その時』を待ち続けていた。

 

「私が陽動し、彼らの注意を引き付ける。その隙に、貴方はドン・フゴウの首を獲る。良いわね、『枡花女(しょうかじょ)』。」

「吾には、そんな」

「無理、とは言わせないわよ。ダイヤモンドダストにはワイルドカードとなる兵器は存在しない。残念ながら仲間もいない。私たちが生きる為には、戦わなければいけないの。分かるでしょう?」

「…………っ」

「グローブさえ落とせば、私達にも勝機はある。さぁ、行くわよ!」

 

「ま…………待って、待ってください!『ペルディクス』!」

 

竜宮、そしてハンドスペードの領空に、突如彼女は出現する。

金髪のスレンダーな少女が、オリハルコンの翼をはためかせ、二メートルはある巨大コンパスを構えていた。

その姿を見たものは、彼女を天使と思うだろう。現に、視聴者たちは彼女の姿に言葉を失い、見惚れていた。

彼女はコンパスを黄金街道と芸達者のいる中間地点に放り投げると、そのまま大地に円を描き、術式を発動させた。

 

「まずい、アイツは!」

「ダイヤモンドダスト、まさか貴殿らもここに!」

 

〈ま……まさかの展開、誰がこうなると予想したァ?!空に浮かんでいるのはダイヤモンドダストの伏兵、ランサー『リケジョ』だぁああ!鋭い針と筆が、大地を抉りながらミステリーサークルを形成するぞ!〉

 

『リケジョ』という呼び名が与えられたのは、ランサークラスで顕現した『ペルディクス』である。

かの災害のキャスターこと『ダイダロス』を超えるギリシアの発明家。そして彼によってアクロポリスから突き落とされ、殺された。彼女はダイダロスの手によって、歴史から存在を抹消された筈であるが、いま第三区にて、ダイダロスの翼を有して召喚されたのだった。

 

「てめぇ、一体何を!?」

「黄金街道殿、死にたくなければ全力で身を守れ。儂らはいま、宝具を受けようとしている!」

「何!?」

 

ペルディクスはにやりと笑みを浮かべた。

コンパスの描く円内部が光り輝き、空へと伸びる一本の柱となる。

そして捕われた二騎のサーヴァントは、重力に逆らい、空の彼方へと押し上げられた。

 

「宝具起動!『其れ聖域と呼ぶ勿れ(オルギ・アクロポリス)』!」

 

彼らの浮かび上がる頭上に待ち構えていたペルディクスは、その拳で二騎のサーヴァントを叩き落す。

その瞬間、鉛のように重くなった二人の肉体は地面に向けて墜落する。

彼らはいま、サーヴァントの対人宝具をその身で受けた。故に、受け身を取ることも叶わず、大地に転がったその時点で、霊核は粉々に砕け散る。これはペルディクスの復讐劇の一部始終の再現、アクロポリスから落ちた者は、その因果により確実な消滅が与えられる。

つまり、彼らが生き残る為には、落下中にサークルの中から抜け出、その理から脱却せねばならない。

 

「くそ!やべぇ!」

「っ……」

 

芸達者は両手の指をクロスさせ、果心礼装を起動させる。

宝具に対抗するには、宝具を使用する外ない。

ペルディクスの両翼から着想を得、彼は新たな折り紙を折る。

 

『絡繰幻法・葭原雀(よしはらすずめ)』

 

それは折り鶴の亜種、巨大なオオヨシキリと四羽のコヨシキリから成る、十枚の翼である。

光の柱の熱量に親鳥の翼が焼かれようとも、生じた小さな穴を通り抜けて、雛鳥が外の世界へ飛び立つ。

芸達者はライダークラスであるかのように絡繰の獣を巧みに操り、ペルディクスの呪縛から解放される。

彼はそのまま大地に落下するが、当然無傷である。宝具の範囲外であれば、その墜落による代償は起動しない。

 

「な……狡いぞ!果心居士!」

 

黄金街道は歯を食いしばり、怒りを露わにする。

だが感情に振り回されている時間は無い。あとものの数秒で、彼女は墜落死してしまう。

ゴールデンベアー号はこの柱の外に置き去りにされている。彼女の手元に呼び寄せることは不可。

そして彼女には空を飛ぶような宝具は存在しない。

 

「クソ!どうする!?」

 

黄金街道は力任せに柱を破る策へ打って出る。

だが落下中であり、下へ向かうベクトル運動外の行動には、中々力が振り絞れない。

空へ浮かぶリケジョへとアックスを投げつける、その考えも却下。彼女にクリーンヒットしようとも、宝具が解除されるとは限らない。

 

「黄金街道よ、我が再び令呪を使う!」

「王サマ!?」

「お前は、地面に向かって宝具を解き放て!」

「な、なに!?」

「いいからやれ!」

 

ドン・フゴウの腕に宿る令呪が再び使用される。

黄金街道の身体は熱く燃え滾り、彼女を魔力の渦が満たした。

そして黄金街道は鉞を大地に力いっぱい振り投げた。

巨大稲妻の一閃、破壊力満点の対軍宝具が、あろうことか何もない地面に向かって放たれた。

 

「吹き飛べ、必殺!『黄金衝撃(ゴールデンスパーク)』!」

 

アクセルを吹かせたときとは比べ物にならない怪音が周囲一帯に轟いた。

ハンドスペード領地はその瞬間、大爆発により抉り取られる。

ドン・フゴウが腕を組み、見つめる中、力尽きた黄金街道が地面に落下した。

彼女の宝具により出来上がった巨大クレーターの中心に転げ落ちる。

 

「いって……ぇぇ、あれ、ん?アタシ、死んでない??」

「フン、やりおるな、グローブの王よ。」

「え、あれ、どういうことだ?」

 

黄金街道は自らが助かったことに疑問を抱く。

既に芸達者は、ドン・フゴウの目論見に気付いていた。

ペルディクスの宝具は、過去の再演。彼女の転落死した場所は後に『聖域』と呼ばれるようになる。

つまり、彼女の宝具により落下死する地点は、起動前に彼女自身が定義しなければならない。

コンパスで描く円の内部でこそ、伝説は再現される。なら、墜落死する大地を、彼女の死した『聖域』でなくすればよい。

黄金街道の宝具により、彼女のアクロポリスは完膚なきまでに破壊された。そこに残ったのは只のクレーターのみ。

つまり概念上の『死』は与えられず、黄金街道は九死に一生を得たのである。

ドン・フゴウは即座にペルディクスの宝具の理を暴き出し、適切に令呪というカードを切った。彼の王であり、かつ将校としての力が遺憾なく発揮されたのである。

 

そして今、ドン・フゴウは自らの首元に振り下ろされた刀を手で掴み取った。

 

「っ!?」

「漁夫の利は頂けぬぞ、『ダスト』。」

 

ペルディクスの作戦。

彼女は発明家であり、世紀の天才である。

故に、ドン・フゴウが黄金街道を救う為に令呪を切ることは『想定済み』だった。

そして令呪を使い、隙が生まれたその時、隠れ潜んでいたダイヤモンドダストのもう一人が、その首を落とす手筈だった。

だがフゴウもまた、戦闘におけるプロフェッショナル。気配遮断を持たぬサーヴァントの襲撃など、お見通しである。

ペルディクスが巨大な翼を広げ、彼らの前に姿を現すのは、どう考えても陽動作戦。宝具が失敗することを織り込んでの動きで無ければ説明が付かない。

フゴウは血で塗れた手で刀を握り潰し、無作法な暗殺者へと振り返った。

 

「ダイヤモンドダスト首領、『Ms.ダスト』。出来損ないの二流と呼ばれた貴様にしては、良く出来た作戦だった。」

「吾は…………」

「だがグローブは貴様らを決して許さない。民が、そう言っている。革命軍が分かたれたのも、ダイヤモンドダストの責任だ。」

 

〈ランサー『リケジョ』に続き、セイバー『ダスト』も登場だ!って、お前ら一斉に低評価を押すのを辞めろ!コメントでの暴言も禁止!あぁもう!アンチ多すぎだろ!今日の番組は大荒れだぜ!〉

 

「ダストだ!おい、ダストが現れたぞ!」

「どの面下げて来やがった!テロリスト!」

「ダイヤモンドダスト、絶対に許さねぇ!」

「消えろ!出来損ないの塵芥!」

「ダイヤモンドダストじゃねぇ、お前はただのゴミクズだ!塵芥(ダスト)だろうが!」

「死ね!さっさと消滅しろ!塵芥(ダスト)!」

 

罵詈雑言が飛び交う異様な空間。

第三区民誰もが、コメントで、ネットワークサービスで、彼女の登場に嫌悪を示す。

彼女は誰一人からも望まれない存在。

『Ms.ダスト』、彼女の真名は『枡花女』。

伝説の弓『雷上動』を触媒に召喚された、弓を扱えぬもの。

嫌われ者のテロリスト集団ダイヤモンドダストに、ただ一人残された者である。

リケジョは真の意味で仲間では無い。ダイヤモンドダストは、今なお彼女独りだ。

 

このオアシスで最も望まれなかった召喚。

伝説の弓の名手『養由基』であれば、災害を殺し得たかもしれない。

雷上動が失われた今、彼女は第三区の負の感情を一手に押し付けられる存在となった。

 

「暗殺任務失敗、これは私の命まで危ないわね。」

 

翼を広げ飛ぶリケジョは、ダストの失敗を悟り、その場を後にし、飛び去った。

同じダイヤモンドダストの名を背負いながら、彼女らは互いに助け合う関係では無い。

もしどちらかが敗北すれば、その時点でダイヤモンドダストに勝機は無い。もしダストがヘマをすれば、リケジョはダストとした契約を打ち切るつもりである。

こうして、ダストは敵陣の中に一人取り残された。

 

「あ……」

「見捨てられたか、仲間に。我が察するに、願いを共有する友という訳でも無さそうだが。」

「…………っ」

 

ダストは戦場で俯いた。

敵を目の前にそのような行為は失態、それどころか、神聖な決闘への愚弄でもある。

フゴウはどこでまでも甘い考えで生きているであろうダストに、鉄拳制裁する。

彼の編み出した黄金の槍が、彼女の脇腹を真っ直ぐに貫いた。

 

「くはっッッッ」

 

ダストはその場で吐血し、倒れ込む。

彼女の唯一の武装である刀を折られてしまっては、成す術がない。

フゴウが自ら手を下すまでも無い。この聖杯戦争において彼女は既に『終わっている』。

ダイヤモンドダストが殺すべき災害のキャスターは、既に消滅しているのだから。

彼女は只の、『ROAD』に養分を与えるだけの存在。オーディエンスもそれを望んでいる。

 

「悲しいな、ダスト」

 

フゴウは彼女の境遇を哀れんだ。

ダストも、望んで今の地位に就いたのではない。ダイヤモンドダストが革命軍として暴れていたのは、彼女が召喚される前だ。

そして真にヘイトを向けられるべき人々は、既に命を落としてしまった。

グローブ、ハンドスペード、どちらの区民も、呪われた召喚を憎む他無かった。

どうして彼女は、テロリストの呼ぶ声に応えてしまったのだろうか。

 

「っ」

 

ダストはその右手で腹を抑えて止血しつつ、逃走した。

フゴウがその影を追うことは無い。これは王である彼の恩情である。

だが彼とは異なり、黄金街道はここでダストを仕留めるべく、走り出した。

リンベルも実況するのを思わず忘れてしまう一幕である。彼は自らの顔を叩いて喝を入れると、再びフゴウと芸達者の対戦を熱く語り始めた。区民の関心も、フゴウへと向けられていく。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

ダストは血を多量に零しながら、無人工業地帯まで逃げおおせた。

これから己の腕で手当をすれば、消滅まですることは無いだろう。

外まで伸びたガスパイプにもたれ掛かりながら、彼女は落ち着きを取り戻した。

 

先程まで晴れ渡っていた空が、茜色に染まり出す。

太陽が落ちていく。見え無くなれば、そこからは暗い夜。隠れるには丁度いい。

 

「吾は、どうして」

 

自問自答。

枡花女というサーヴァントの、存在意義。

並のサーヴァントよりスキルも、宝具も威力不足。特別な力も無く、ただそこにいるだけのサーヴァント。

主となる人物も、友達と呼べる存在も、恋焦がれる男性も、いない。

独りぼっち、嫌われ者の塵芥。

 

「吾はどうして、生きているのかな?」

 

答えは出ない。

大義も無く、誇りも無く、希望も無く。

英雄ですらないような彼女に、世界は何を期待するのか。

 

「見つけたぞ、ダスト!」

「!?」

 

工業地帯に、人影が一人。

彼女を追って走って来た、黄金街道がそこにいた。

彼女は鉞を肩で担ぎながら、倒れ込んだダストの元へ近付いていく。

もはやここまで。ダストは覚悟を決めた。

 

「てめぇ、聖杯にかける願いはあったのか?」

 

黄金街道は問いかける。

『ROAD』が成せるのは、災害を殺すことだけ。

でももし、それが真に願望器ならば、そう彼女はダストに問うた。

 

「会いたい人が、います。ダイダロスを殺した人。正確には、彼を救った人。」

「災害を、救った?」

「第四区に落ちる筈の太陽から人々を救う為に、ダイダロスは全てを投げうちました。通常の彼ならば、きっとそんなことはしない。ダイダロスと、神としてじゃなく、一人のヒトとして向き合った方がいるのです。吾はその方に、会いたいのです。」

「そうか。テロリストの遺言にしては、心に響くぜ。」

 

黄金街道は鉞を振り上げた。

ダストは静かに目を瞑る。その瞬間、走馬灯のようにオアシスでの記憶が溢れ出した。

でもそこには幸せな経験など一つもない。

出会った人々に嫌われ、詰られ、罵倒される日々。

誰かに必要とされたことなど一度も無い。

彼女を形作るのは、ヒトの悪意そのものだったのだ。

最後の最後で、彼女が思い出した言葉は、一つ。

それは彼女がオアシスにてずっと投げかけられ続けた言の葉。

 

『お前なんか、生まれてこなければ良かったのに』

 

———あぁ、本当にそうだ。

 

「吾なんて、生まれてこなければ、良かった」

 

枡花女は、ダストと呼ばれた女は、自嘲気味に笑ってみせた。

自らの生を諦めた、その瞬間。

聞き捨てならないとばかりに、『誰か』がその場に現れた。

この『誰か』もまた、自らの生を否定された者。

そして後に恋を知り、その生を肯定された者だ。

 

「『招霊継承』、隣人への部分接続。エクストラクラス『継承者(サクセサー)』へ転身。」

 

それは一人の青年であった。

彼の魔術師としての証、右手に残された令呪の一つが消滅する。

現れたのは只の人間、なれども、サーヴァントとしての性質も併せ持つ。

彼の身体に、英霊の座から消滅した筈の男が宿り、膨大な魔力でその身を満たした。

 

「お前…………あれ、アタシ、何だ、コレ?」

 

黄金街道は青年の姿を見て慌てふためく。

彼女は青年の肉体に宿る存在を知っていた。

ダイダロスがイカロスを覚えていたように、坂田金時という少女もまた、自らに縁深き存在を記憶の奥底に留めていた。

たとえ災害がその英霊の生き様を『無かったこと』にしようとも、過去がどれ程書き換えられようとも。

金時は、彼の名を思い出せた。

そしてそれは、この枡花女も同じ。

夢というフィクションの世界に介入できる彼女だからこそ、失わないものがあった。

枡花女が死に間際になって、やっと雷上動を託すに足る人物を見つけたときの記憶。

二人の少女は腕を下ろし、目を丸くしながら呟いた。

青年の肉体に同化した英霊の名を、同時に発したのである。

 

『源頼光(みなもとのらいこう)』

 

「ああ。久しぶりだな、馬鹿娘。そして枡花女ちゃん。今こそ、源氏進軍のときが来たってもんだ。」

 

頼光は青年、間桐巧一朗の身体を借り、二人との再会を喜んだ。

隣人と呼ばれる虚構記憶媒体概念から抽出された、サーヴァント、ならぬ『ダイモニオン』。

巧一朗はダイダロス戦同様に、令呪を消費することで、隣人に部分接続することが叶ったのである。

無頼漢の大男、源頼光は引っ込み、巧一朗へと意識は明け渡される。

そして彼は塵芥を冠した少女に手を伸ばした。

 

「生まれてこなければ良かったなんて、悲しいことを言わないでくれ。」

「……あなたは」

「俺は間桐巧一朗。しがないテロリストさ。」

 

ダストは彼の手を取った。

MCリンベルが、フゴウが、ハンドスペード陣営が、第三区民が知り得ぬ新たな出会い、新たな物語が今ここに、始まろうとしていた。

 

 

開発都市第三区、革命軍グローブ領地内。

大型スタジアム『サンコレアマル』にて。

 

舞台に立った桃色の髪の少女がアイドル衣装とマイクを身に着け、パフォーマンスを繰り出している。

彼女の歌とダンスに熱狂するのは、延べ二百人あまりの区民たち。

ここには過激派も穏健派も無い。皆が手を取り、肩を組み、想いを共有する。

 

「じゃ、ラス曲イっちゃうよ!最後は私のデビュー曲!『恋は雨のように』だよ!」

「おおおおおおお!ツキちゃんサイコ――――!」

 

観客は一斉にペンライトを青色に変える。

このペンライトは特殊な構造で出来ており、ライブが終了すると同時に折り畳み式の傘となり、一斉に空へ向かって打ち上げる。

革命聖杯戦争のアサシンを担う『魔女っ娘アイドルツキちゃん』独自の盛り上げ方であり、それがルールでもあった。

七色の光が会場を満たす中、舞台袖の関係者入口の前に一人の女が現れた。

誰もがライブ限定シャツを着用する中で、彼女は普段通りの白衣姿である。

 

彼女の名は『間桐桜』。またの名を『メアリー・セレスト』。第四区博物館の館長を勤めているサーヴァントだ。

逸れてしまった巧一朗とキャスターを探しつつ、革命聖杯戦争の調査に乗り出していた。

もし、この戦争の立役者が副館長である『言峰クロノ』であるならば、最悪の事態を想定して動かねばならない。

そう、彼女はクロノの相棒、ツキと名乗る抑止力の正体を知っていた。

災害を滅ぼす、それだけで済めばいい、だがそうはならないという確信がある。

 

「いえーい!皆、最後は一緒に傘を打ち上げてね!いくよ!」

 

ライブは終わりを迎えようとしている。

ツキのシンボルが『傘』であることに桜は苦笑しつつ、扉のドアノブに手をかけた。

その瞬間、彼女に悪寒が走る。

クロノやツキ、革命軍とは全く異なる殺気を感じ取る。

後ろから桜の心臓を貫こうとする明確な殺意。

彼女は恐る恐るドアから手を離し、背後を振り向いた。

そこには、誰もいなかった。

 

「何、今のは」

 

桜は周囲を見渡すが、ライブを終え、汗を拭い談笑する人々しか映らない。

気のせいかと息を漏らすが、彼女を射抜くような視線は、同じフロアからのものでは無かった。

二階アリーナ席、何処か力の抜けた桜を熱心に見守る影がある。

黒髪をヘアゴムで纏め、眼鏡をかけたボーイッシュな服装の女。片腕がどこかへ消えてしまった彼女が、桜の様子を窺っている。

 

「会場内、纏めて始末してもよろしいでしょうか。」

〈信華ちゃん、駄目よ。わたくしとシュランツァちゃんの仕事が終わるまでは動かないで。殺戮の夜は三日後よ。〉

「畏まりました、ショーン様。三日後『間桐桜』の暗殺任務を決行します。」

 

革命軍、第四区博物館、アヘル教団、三大勢力が第三区へ集う。

舞台上から雨傘をさしたツキが、桜と信華の存在を確認し、ほくそ笑んだ。

 

殺戮の夜まで、あと三日——————

 

 

 

   【キングビー編①『エピソード:ビギニング』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編2『エピソード:ムーブ』

お待たせしました。
感想、誤字等ありましたらコメントにお願いします。


【キングビー編②『エピソード:ムーブ』】

 

「讃歌を終える。我は終末にて円筒を渡されし者。」

 

虚数海。

深淵の底にて、巧一朗は『ある男』の物語に接続する。

 

「アンタの名は」

 

身長は二メートルをゆうに超える、大男。

四人の男たちと共に、豪快に笑う。

彼は魔性を斬り、ヒトを救う英雄だ。

巧一朗は、彼の物語を受け止める器たり得るだろうか。

 

「俺の名は頼光。『源頼光』だ。お前さんは誰だ?」

「間桐巧一朗。」

 

緑の海を越えた先は、何処かも分からぬ畳の一室であった。

大男が樽そのままに酒を流し込んでいる。

髭だるまの小汚い親爺という印象があった。

 

「おう、巧一朗。お前も飲め。」

「俺もか?」

「ああ。俺の物語を受け継ぐなら、お前も酒に強くてはな。」

「では遠慮なく。」

 

巧一朗は頼光から手渡された升に酒を注ぎ、それに口を付ける。

冷えた酒が、じんわりと巧一朗の身体を温かくする。苦みが美味だと言う者もいるが、生憎彼は子ども舌だ。

苦みに耐えかねた彼は、どこからともなく取り出したメイプルを、升の中に注ぎ入れる。

 

「あ!お前!」

「良いだろ別に。俺は甘い方が好きなんだよ。」

 

巧一朗はメイプルボトルの全てを注ぎ込み、再び酒を飲んだ。

うむ、これならば幾らでも飲める。美味。

 

「うげぇ、気持ち悪。」

「なんだよ、甘味は苦手か?」

「お前さんは度を超してやがるってんだ!蜂蜜ばかり飲んでいると歯が黒ずんで痛くなるぞ。」

「お生憎様、俺の身体はオリハルコン製だ。歯並びもばっちりだよ。」

 

巧一朗は白い歯を覗かせながら笑ってみせる。

頼光はやれやれといった表情で、再び酒樽を傾けた。

 

「……頼光、貴方の武勇を以てすれば、災害を下すことも叶うだろう。だが、何故だ。」

「何故?」

「貴方は異形、妖の類を斬り、人々を救った英雄だ。貴方は人間を守るヒーローであるべきだ。」

「あぁ、そうさな。」

「ならば何故、俺の声に応えた?俺の正体は、もう知り得ているんだろう?」

「無論だ。ヒトならざる者、間桐巧一朗とは即ち『虫』だ。そして遠くない未来、人類の脅威となる可能性を孕んだ存在でもある。」

「なんだ、詳しいじゃないか。」

 

巧一朗は酒を飲み干すと、升を二人の間に置いた。

そして真剣な眼差しで頼光を捉える。正義の味方はどんなくだらない妄言で説き伏せるだろうか。

英雄としての歴史を失った男が、第二の生を得る為に、彼の手を取ったのだとしたら───

 

「巧一朗、お前さんは『ヒト』と『妖怪』の違いが分かるか?」

 

頼光は問うた。

巧一朗は熟考し、種別という当たり障りのない答えに辿り着く。

頼光は対して豪快に笑うだけだ。

 

「人を殺すと、ヒトは化物になる、なんてのはよくある話だが。」

「なら英霊なんざ九割が妖だ。この俺もまた例外なく妖となってしまう。」

「じゃあ何だ。源頼光はどう定義する?」

 

頼光はにんまりと笑みを浮かべると、巧一朗に渡したものと同じ、升を十数個用意した。

そして彼らの中央、存在感を放つ巧一朗の升の上に、ひとつひとつ重ねていく。

 

「お、おい!?」

「見てな、巧一朗。」

 

正四面体という構造上、最初の数個は安定して積み上げられていく。

だが十を超えた辺りで、置き方の問題か、それはぐらぐらと左右に揺れ始めた。

 

「なにを……」

「箱の形状であっても、数が増えればバランスを失う。」

「それ以上重ねると……」

 

巧一朗の危惧は現実となり、全ての升が積み切る前に、タワーは崩れ落ちた。

畳に転がっていく四角を、彼は茫然と眺めている。

頼光は笑いながら、全ての升を回収した。

 

「分かるか、巧一朗。」

「さっぱりだ。」

「なら次は、こうしよう。」

 

頼光は全ての升に酒を注いだ。

そして再度、それらを重ねていく。

酒を注いだことで何かが変わることは無い。積み重ねれば重ねる程に、崩壊の時は近付いていく。

 

「おっと、危ない危ない」

「頼光、貴方の思考が理解できない。」

「そうか?」

 

そして最後、升は再び崩れ去る。

巧一朗は手を伸ばし、その二つを掴んだが、それ以外は畳へ散らかり、藺草を濡らした。

そして彼の手もまた、アルコールに塗れる。

酷く虚しいものだ。だがなお、頼光はケラケラと笑っている。

 

「虚数の海のモノだ。『勿体ない』なぞ思うべくも無い。」

「……貴方は何がしたいんだ。」

「逆に聞こう。巧一朗よ、お前さんはその両手にある升を以て、何をする?」

 

頼光は一転、口を結び、巧一朗を睨みつけた。

試されているのか、それすらも分からない。

万物を慈しむ心こそがヒトの構成材料だとでも言いたいのか。

巧一朗は訝しげにも、二個の升を重ね、再び中央に積んでみせた。

 

「ほう?」

「あとの升は貴方が拾ってくれ。酒臭くてかなわない。」

「くくく、そうか、お前さんはそうなのだな。」

 

頼光は巧一朗の肩を叩くと、口角を上げた。

巧一朗も理解できぬままに、彼は伝説の英雄に認められたらしい。

彼の体内に流れ込んでくるのは、源頼光の物語、そして彼の矜持。

頼光の拳が巧一朗の肩に乗せられ、『継承』は為される。

 

「何だったんだ、今の茶番は。」

「俺がお前さんを相棒と認める為に必要だった、それだけだ。お前さんは間違いなく『ヒト』だろうよ。この源頼光が保証する。」

「………………そいつはどうも」

「あと、こいつも渡しておくぜ。」

 

頼光が明け渡したのは、一本の大弓と、二本の矢。

伝説の弓『雷上動』と、鏑矢『水破』『兵破』が明け渡される。

 

「いいか、巧一朗。雷上動は鵺をも撃ち落とす切り札だ。だが真の力はそんなものじゃない。この弓は、二つの矢を放ちし時にこそ意味を持つ。」

「二つの矢?」

「ああ。災害は命の焔を吹き消してなお立ち上がる。ならばこその『二』だ。一度では足りない、二つの矢が貫くその時、お前さんは必ず災害を止めることが出来る。外せば終わり、ということだ。」

「だが、当てれば、勝ち。」

「そういうことだ。」

 

『継承者』ダイモニオンの身体に光が灯る。そして畳の部屋と共に、虚数の海へと溶けてゆく。

巧一朗へ力は受け継がれた。後は、彼次第ということ。

 

「大丈夫だよ、俺はお前さんが矢を放つその時まで、共に戦ってやる。隣人とは、隣に立ち、勇気をくれるもの、だろう?」

「ああ。ありがとう、源頼光。」

「それとな、答え合わせだ。ヒトと妖の違い、それは—————」

 

巧一朗は頼光の声を聞き届ける。

ヒトと妖、その境界線は酷く曖昧で、生まれは違えど、いとも容易く交わり、互いへと進化/退化する。

だが、確かなものはある。

もしヒトであるならば—————

 

「じゃあ、暫くの間だが、よろしくな、巧一朗。」

「よろしくお願いする、頼光。」

 

そして巧一朗は目覚める。

開発都市第三区、何処とも知らぬその場所で、再び彼の戦いは始まるのだ。

 

 

巧一朗は、二人の少女に出会った。

セイバークラスのサーヴァント、ダストと呼ばれる少女『枡花女』。

ライダークラスのサーヴァント、黄金街道と呼ばれる少女『坂田金時』。

運命的にも、その二人は源頼光に縁のある者たちだった。

彼は今にも殺されそうなダストの手を引き、その胸に抱き寄せる。

そして頼光の刀を抜き、黄金街道へその刃を向けた。

 

「悪いが、その鉞を置いてくれ。俺もそのようにする。殺し合いたい訳じゃない。」

「てめぇ、パパの力を宿して、何者だよ。」

「パパ?」

「あぁ、源頼光はアタシの育て親(パパ)だ。どうしてか頭の中からすとんと消え落ちていたが、いま思い出した。」

「あ、いや、暴走族の形で、パパ呼びなのが少し意外でな……?」

「悪いかよ!」

 

黄金街道は鉞をブンブンと振り回す。その顔は茹蛸のように赤く染まっていた。

 

「すまない。とにかく、話し合いが出来るなら、そうしたい。第三区に来て、俺が分かっていることは少ない。『革命聖杯戦争』で災害を殺そうとしている、それが革命軍の切り開いた災害踏破の道なんだな?」

「そうだ。だが一言で表せるほど簡単な話じゃない。革命軍は三つに分かれ、ずっと争っている。これは災害を殺すための殺し合い。だがそれと同時に、革命軍を統一する為の小競り合いでもあるのさ。聖杯戦争の勝者が属するチームこそが、第三区を背負って立つ革命組織となる。」

「あんたが黄金街道、グローブのサーヴァント。そして……」

「てめえが抱いている女は悪名高きダイヤモンドダストのリーダーだ。この第三区にいる全ての人間が、この女の死を願っている。」

 

巧一朗の胸に顔を埋めながら、ダストは小刻みに震えていた。

彼の知る歴戦の猛者たちとは程遠い、か弱き少女がそこにいる。

 

「そもそもダイヤモンドダストが戦う意味なんてねぇんだよ。グローブは優勝した暁には、災害のアーチャーを、過激派組織ハンドスペードは災害のアサシンを、殺そうと戦っている。だがダイヤモンドダストの狙いは、シェイクハンズの悪夢で人々を守り切れなかった災害のキャスターだ。でも、奴はもうこの世にはいない。第四区を守る為に死んだ。お門違いなんだよ。」

 

黄金街道の意見は最もだ。

既に崩壊した組織、ダストがその名を冠して戦う理由など存在しない。

それでも彼女は、汚名を掲げ、罵声を浴びながら、旗印を立てた。

 

「どうして、君は」

「吾は、災害のキャスター『ダイダロス』と戦い、その果てに、彼の心を動かしてみせた、一人のヒトに会いたいがために、戦っています。人間に興味を示さないダイダロスが、人間を守り朽ちた。そこには、沢山の葛藤と、大きな変化があった筈。迷宮で、ダイダロスを止めた誰か、吾はそのヒトに会いたい、それだけなのです。」

「くだらない。会ってどうする。そいつなら、他の災害も倒せるかもしれないってか。アタシらに指をくわえて見てろって?ふざけるな!」

 

黄金街道は鉞を担ぎ、怒りを露わにする。

空に浮かぶ雨雲から、彼女の元へ雷光が降り注いだ。

 

「きゃっ!?」

「いいか、ダスト。これは『復讐』だ。アタシらは、災害に全てを奪われたんだ。シェイクハンズという希望を、根絶やしにされた、多くの仲間たちが犠牲になった。アタシは災害にこの怨念を叩きつける。それが革命軍だ、そうだろ!?」

「復讐、か」

 

巧一朗と同じだ。

彼の恋する少女、セイバーは災害たちに殺された。

だからこそ、巧一朗はこの桃源郷でテロリストとして立ち上がったのだ。

きっと革命軍も同じ。

彼は、黄金街道を否定しない。むしろ、共に戦う仲間であるとさえ認識できる。

 

「巧一朗、お前は結局何者だ?パパの力を宿している以上、戦いたくは無いが、てめえが災害側なら容赦はしねぇ。」

「違う。俺は第四区博物館のスタッフだ。どちらかというと、あんたたち側というか」

「第四区博物館!?ってことは、クロノの仲間か!なら大歓迎さ!」

「クロノ……?」

「言峰クロノだよ。第四区博物館の副館長だろ?革命聖杯戦争の監督役でもある。」

 

言峰クロノ。

巧一朗はその名を聞いたことがある。

直接的な関わりがないままに、クロノは博物館を後にした。

消息不明とされていたが、まさか第三区に滞在しているとは。

 

「クロノは、どこにいる?彼に会って話が聞きたい。」

「あー、今はグローブの領地まで来ているらしい。魔女っ娘アイドル『ツキ』のマネージャーだからな。サンコレアマルというスタジアムに滞在している筈だ。監督役が自由に動き回るのも良くない話だがな。」

「そうか。黄金街道、あんたを見込んで、俺を案内して欲しい。革命軍同士の争いには興味は無いが、災害と戦うならば俺も役に立てるはずだ。」

「お、そうか!パパが力を貸してくれるなら百人力だ。」

 

 

黄金街道は豪快に笑う。その姿は、隣人の中で会った頼光そっくりだ。

巧一朗が思うに、黄金街道は裏表のない少女なのだろう。喜怒哀楽がここまではっきりしているのも珍しい。

 

「早速案内、といきたいところだが、ダストはここでおさらばだ。アタシはいま少しだけ気分がいいから、今日の所は見逃してやる。」

「…………っ」

 

ダストは黄金街道の言葉通り、その場からの逃走を図る。

だが彼女の背に手を回した巧一朗が、それを止めた。

 

「あ、えっと」

「悪いな、黄金街道。彼女も一緒に頼む。」

「は?」

「え、えええええ!?」

「ダスト、君は『生まれてこなければ良かった』と言ったが、生まれてきた意味を見つけるのは、いつだって己自身か、傍にいる誰かだ。俺も、そして頼光も、ここで君の手を離すべきでは無いと認識している。もし君がその意味を見つけられないなら、俺が代わりに見つけてやる。」

「え、あ、えっと、まとう……」

「巧一朗。俺の名前は巧一朗だ。」

「えっと、巧一朗様…………」

 

黄金街道は眉間に皺を寄せている。巧一朗ならまだしも、敵であるダストを迎え入れることは、軍の指揮を乱す行為であり、決して許容できない。区民が暴動を起こす可能性もある。

 

「巧一朗、その女は駄目だ。細川ガラシャならまだしも、ダイヤモンドダストは招けない。」

「彼女は大丈夫だ。お前達が思っているような英霊じゃない。それに……」

「それに?」

「災害のキャスターと最後に戦ったのは俺だ。結局、勝てはしなかったが、人間の底意地を見せつけることは出来た。ダストの会いたい人は、勘違いで無ければ、恐らく俺だ。だから大丈夫だ。」

「へ?」

「は?」

 

ダストと黄金街道は開いた口が塞がらなかった。

千年の時を経て、ついに災害を下したその存在が、目の前に現れたのだから。

そしてそれが、頼光の力を宿しているとはいえ、余りにも平凡そうな青年であるからだ。

 

「巧一朗様が、災害のキャスターを……?」

「俺一人では無理だ。博物館の仲間が力を貸してくれた。だから、革命軍同士で争うべきじゃないと俺は思う。身勝手な意見だけどな。」

「巧一朗、お前……」

「もしそれでも戦うことになるなら、仕方が無い。だけど、それはきっと今じゃない。ダストが生まれた意味を見つけた時だ。それまでは俺の傍にいろ。君がサーヴァントなら、今日から俺が君のマスターだ。」

 

セイバーが恋を教えてくれたから、今の巧一朗が在る。

ダストにも、何か召喚された意味がある筈だ。それが分からぬままに退去するのは、酷く悲しいことだと彼は思った。

頼光も、彼女に手を伸ばしている。

 

「吾のマスター、ですか?」

「ああ。俺に付いて来てくれ。」

 

ダストは改めて、巧一朗の手を取った。この出会いが運命であると信じたのだ。

 

「黄金街道、頼む。クロノの元まで、俺と彼女を連れて行ってくれ。」

「んんん~~~~くううううう~~~~」

「頼む!」

「くっ、今回だけだぞ。時間は三十分だ。そこから先は敵同士、良いな!」

「ありがとう、恩に着るよ。」

 

何だかんだ人の良い黄金街道に、巧一朗は深々と頭を下げた。

彼がいま為すべきことは、クロノに会って、革命聖杯戦争を知ること。

そして、離れ離れとなった仲間たちと再会することである。

第三区に桜館長やキャスター、美頼がいるならば、恐らく革命軍最大手のグローブに身を置いている筈だ。

まずはグローブに接触することから始まる。

 

 

革命軍穏健派『グローブ』の領地は、第三区の南西に位置する。

この地区において最も繫栄した都市であり、フゴウの城と巨大商業施設『サンコレアマル』が象徴として聳えている。

フゴウことマンサ・ムーサが君臨してから、グローブは繁栄し、一躍巨大組織と化した。

無論、他区との交易がままならない現状、彼らの栄華はあくまで、第三区の中では、という前提があっての話だ。第四区や第五区に対して、彼らが貧困層であるのは現実問題として存在する。

だが災害に迎合せぬ彼らには、神の導きは存在しない。たとえマンサ・ムーサと言えど、災害の前では数ある英霊の一人に過ぎないのだ。

英雄の座から消し去る価値も無いと後回しにされた王。それがフゴウである。

フゴウの黄金も、価値が担保されなければ只の重しである。

だが、王は屈しなかった。農業と都市開発に力を入れ、雇用の安定を図った。ハンドスペードに属していた者も、差別なく全て受け入れ、一大組織へと生まれ変わらせた。フゴウを敬わぬ者など、この場所には存在しない。

黄金街道は領域の正門へと辿り着くと、渋々ながら、ダストに顔隠しのローブを被せた。自動人形に霊体化という概念は無く、気配遮断や擬態のスキルを持つわけでも無い。見破る者は確実にいるだろう。気休めに過ぎないのだ。

 

「じゃあ、行くぞ。三十分な。」

「分かっている。話し終わったら、すぐに出ていくよ。」

 

門の内側には、黄金街道の帰還を待ち侘びる人々が駆けつけていた。

彼らは黄金街道の生還を喜び、そして祝福する。巧一朗から見て、温かな光景である。

だがもしダストの存在が晒されれば、彼らの顔は忽ち凍り付くだろう。それを知っているからこそ、ダストは巧一朗の背に張り付き、震えているのだ。

 

「(ダスト、あんた一体何をしでかしたんだ?)」

「(吾にも分かりかねますが、とにかく吾はあらゆる正誤問題を間違え続けたのでしょう。)」

「(生き方が下手くそなんだな。俺と一緒だ。)」

 

小声で会話する二人を連れ、黄金街道は周りを気にせず突き進んでいく。

中央通りを抜けた先、ベースボールスタジアムを彷彿とさせる巨大施設が顔を表した。

サンコレアマル、闘技場としての性質を有した娯楽施設であり、今はアイドルのライブ会場として機能している。

巧一朗はサンコレアマルの外側、巨大なモニターに映し出された桃色の髪のアイドルに目を奪われた。

派手な衣装で着飾り、愉快に歌い踊っているが、彼女は紛れもなくサーヴァントである。

 

「あれが、魔女っ娘アイドル『ツキ』?」

「そうだ。中々にゴールデンな女の子さ。革命聖杯戦争の参加者でもあるんだぜ。」

「彼女も、なのか?」

「ああ。聖杯戦争ってのは七騎のサーヴァントで行われるらしい。各組織から二騎ずつ選出されたが、あと一騎だけが足りなくてな。彼女は『アサシン』として参戦しているが、あくまで傍観者だ。六騎の殺し合いの果てに選ばれた一人に対し、ツキが命を捧げることで革命聖杯『ROAD』は完成する。それまではアイドル活動に勤しむんだとさ。」

「へぇ」

 

巧一朗は暫くモニターに釘付けとなる。

熱烈なファンがサイリウムを懸命に振る中、サービス旺盛なツキが、パフォーマンスを連続で決め、場を熱狂させる。

だが何故か、ツキの目には光が灯っていないように見えた。度重なるライブで疲れてしまっているのだろうか。

 

「(同じツインテールなら、ぶっちゃけ美頼の方が可愛いな)」

 

巧一朗がそんなことを考えている間に、黄金街道はサンコレアマル内に入って行った。

 

そして増設された巨大な舞台へと辿り着いた時、三人は注目の人物と相対する。

つい先ほどモニターの中で輝きを放っていた少女、『ツキ』がトレーニングシャツ姿で中央に立っていた。

黄金街道は気さくにも声をかける。グローブの参戦者にとっては、彼女は特別な存在では無いようだ。

巧一朗は言わずもがな、ダストもまた、ツキとは初対面である。

 

「わーーーー~~~!黄金街道じゃん!会いたかったよ~~」

「アタシもだよ、ツキ。どうだ、ライブは上々か?」

「うん!今までで動員数ナンバーワンだったよ!これも王サマと黄金街道のおかげだね!ベリベリーセンキュウ!」

「おい、引っ付くなよ、まったく!」

 

二人のじゃれ合いを見つめながら、巧一朗とダストは呆然と立ち尽くしていた。

ツキは巧一朗の存在に気付くと、頭に疑問符を浮かべた。グローブ領地内で見たことの無いニューフェイスであったからだろう。

 

「こいつ、第四区博物館スタッフの巧一朗。クロノに会いたいってことで連れてきた。」

「あ、えっと、よろしくお願いします。」

 

巧一朗はたどたどしく挨拶をする。ツキはなおも不思議そうな顔を浮かべている。

 

「ツキ?」

「え、あ、ごめんね!よろしく、巧一朗くん!クロノは右扉の中にいるよ。多分本とか読んで時間を潰していると思う!」

「ありがとうございます。」

 

巧一朗はツキを観察する。

言峰クロノが連れているアサシンのサーヴァントが彼女であるならば、それが只の暗殺者であるとは思えない。

第四区博物館が召喚する英霊ならば、何か災害へ大きなアプローチの出来る存在である筈だ。

もしそうであるならば、革命聖杯戦争でみすみす命を落とす選択を取るだろうか。

巧一朗は脳内データベースでツキに類似したサーヴァントを検索する。

が、当然の如くヒットはしない。アイドル衣装に身を包んだ英雄など、聞いたことが無いからだ。

桜館長に再会できれば、何かが判明するかもしれない。

 

「でも惜しいな~、さっきまで桜ちゃんがここに遊びに来ていたのに。」

「桜……館長が?」

「うん、王サマに話があるから~って出て行った。グローブの領地内にはいるかもね?」

「そうか、良かった、桜館長は無事なんだな。」

 

巧一朗は取り合えず安堵する。

クールぶってはいるが、仲間たちの安否は気になっていた。

ダイダロスが迷宮に仕掛けた罠に次々かかり、皆が離れ離れになってしまったが所以である。

そしてツキの言の葉で確信する。

彼女は第四区博物館に関わりを持つサーヴァントの一人だ。

巧一朗は咳払いをすると、ツキの言う通り右扉からその奥へと歩いて行った。

ダストもローブを被ったまま、彼のあとを追いかけた。

 

恐らくこのような部屋のことを世間一般では『楽屋』と呼ぶのだろう。

手狭な室内にはメイクルームが完備しており、中央テーブルにはファンからの贈り物が乱雑に置かれている。

そして橋のパイプ椅子に腰かけ、一人の男が小難しい本を漆黒の目で眺めていた。

 

「あの」

 

巧一朗の存在に気付いたクロノは本を閉じ、立ち上がる。

そしてゆっくりとした足取りで、彼の前に歩み出た。

 

「間桐巧一朗、だな。館長から話は聞いている。」

「そういうあんたは、副館長の言峰クロノ。」

「初めまして、でいいか?」

「初めまして。少なくとも俺にとっては、だけど。俺のことは流石に知っているだろう?」

 

クロノの瞳は、コールタールのように黒く渦巻いている。

その瞳に恐怖心を抱く者も少なくは無い。現にダストは、巧一朗の陰に隠れていた。

桜館長、そしてクロノ副館長、両者は基本的に人前に姿を現さなかった。表のスタッフにおいても、二人を見たことない者がザラである。

巧一朗はクロノとの面識がない。そして彼のことを調べようともしなかった。どこで何をしていようとも、今の巧一朗には関係が無かった。

 

「知っているとも。君がコールドスリープしている頃からね。」

「まさか生きていたとは。しかも革命軍の戦争の監督役を担うなんて。」

「成り行きだよ。これでも私は司祭なのでね。」

「そうか、なら教えて頂きたい。革命聖杯戦争の概要と、目的をね。勿論、あんたの災害に対する考えについてもだ。」

「ああ。構わないさ。君は私の部下に当たる人物だ。知る権利はあるだろう。」

 

そしてクロノは語り始める。

革命聖杯『ROAD』は、このオアシスの何処かに存在している『始まりの聖杯』をモデルに作成されたものだ。製作に携わったのはクロノと、今は亡き博物館スタッフ『吉岡』だった。災害のライダーと面識のあるクロノ、そして第五区アヘル教団と深い関わりを持っていた吉岡は互いに情報を共有しつつ、聖杯戦争の準備を整えた。吉岡はROADの完成後、コラプスエゴのサーヴァントを以て、殺戮を繰り返すこととなる。

そしてクロノは第三区にて三大組織に接触、彼らの災害への憎悪を利用し、聖杯戦争を画策した。願いを叶える願望器、とまではいかないまでも、七騎の英霊を以てして、災害ただ一人を殺害する『兵器』こそがこのROADである。

革命聖杯戦争において、クロノは二種の特別ルールを制定した。それが投票による令呪の配布と、各組織の兵器持ち込みである。

 

「この戦争は実質、二対二対二だからね。マスターとなる人物がいない以上、戦いは自ずと長引くことになる。それを防ぐ目的の令呪と、決戦兵器の導入だ。そこにいるMs.ダストは兵器を持ち込めなかったようですが。」

「この革命軍の現状を鑑みるに、投票による令呪配布は、グローブにとって有利過ぎるルールだ。恣意的なものを感じざるを得ない程にな。」

「それはそうだろう。私としては、グローブに勝って貰いたい。それが一番平和だからね。」

「成程、公平性もへったくれも無いという訳か。確かに、博物館というテロ組織から考えれば、一刻も早く災害を殺しておきたいからな。クロノ、あんたにとって革命軍は道具でしかない。実に博物館らしい、合理的な思考だと言える。」

「巧一朗、まさか君はダストに同情しているのか?災害を殺す為ならば、どれだけ手を汚しても構わない、それが博物館だろうに。巧一朗、———君だろう?」

 

「—————『吉岡』を、殺したのは。」

 

クロノは煽っている訳でも、怒りをぶつけているわけでも無い。終始無表情、そして無感情だ。

第四区博物館副館長として、真っ当に生きているだけ。

彼はきっと、この桃源郷において真面目過ぎる程にテロリストだ。優等生、と言っていい。

他者を利用し、時には使い捨て、神たる者を引き摺り下ろす為に動き続けている。

 

「ああ。俺だ。俺があの人を殺した。」

「仕方が無い。吉岡は己の願いに忠実だった。彼は災害と直接戦う道を選ばなかった。既にその姿勢が、博物館の教義に反している。こういう言い方をすると、どこかの宗教組織みたいだけれどね。」

「だが、吉岡さんは確かに勝った。天還で子ども達が犠牲になる未来を変えたんだ。その手を血に染めながら。」

「そうだな。子どもに対してだけは、誠実だった。」

 

吉岡を放置すれば、博物館の全てが災害に掌握されていた。彼を殺害するのは正しい判断であった。

その筈だ……だが、もしも、それでも、と巧一朗は思考する。

迷いがあった。その迷いに、クロノも気付いているだろう。

 

「巧一朗、君はテロリストに向いていないな。君には失うものが多すぎる、ように見える。」

「馬鹿な。俺は災害への復讐心のみで生きている。全ての災害をこの手で葬る、その為に……」

 

「ふ、ならば革命聖杯戦争へ君もエントリーするがいい。」

 

クロノはあっけらかんと言い放つ。六騎のサーヴァントによる神聖な儀式に、紛い物を混ぜ込もうと提案したのだ。

 

「何?」

「いやね、君はどうやらMs.ダストを見捨てられないらしい。無論、この戦争におけるルールは、サーヴァントによる殺し合いであり、マスターという概念すら関わらないもの。だが幸いにも、ダイヤモンドダストならば、巧一朗にも付け入る隙があるだろう?」

「というと?」

「この戦争の特殊ルール、各組織が戦争に持ち込むことの出来る『兵器』だよ。間桐巧一朗、虚数魔術に精通した君が、ダイヤモンドダストの『兵器』となり、革命聖杯戦争に参戦すればいい。」

「だ、だが、俺が万に一つでも勝利をおさめたら、どうなる?」

「君が殺したい災害の名を叫べばいい。ROADはその声に応えるだろう。君の手で、災害を一人殺したことになるだろう?」

「そんなことが……出来るのか?」

「出来るさ。願望器とはかくあるべしだ。」

 

クロノが一体何を考えているかは分からない。眉一つ動かさず、淡々と物事を動かしていく。

だがもし、クロノが巧一朗を利用すべく動いていたとしても、この提案は巧一朗にとって好都合だ。災害への復讐という願いもさることながら、彼がモニターに中継されることで、第三区で逸れてしまっただろう仲間たちに居場所を示すことが出来る。あらゆる通信機器が迷宮に置き去りにされている今、彼が再会を果たすためには、これが最善策に思えた。

 

「意志は固まったようだな。」

「ああ。あんたの口車に乗せられてみようじゃないか。」

 

巧一朗はクロノを睨みつける。彼の隣でダストは震えながら、その手を握り締めていた。

ダストはサーヴァントとして、人間である巧一朗の参戦を止めるべきであった。だが、救いの手を求めていたのは、他ならぬ彼女だ。

だから言えない。彼女は正しく己の弱さを自覚した。

 

「クロノ副館長、あんたは何故、聖杯を生み出してまで、災害を殺そうとする?」

「ヒトの為、そして世界の救済の為だ。」

「救済、とは何だ。」

「自由を手に入れることだ。ヒトの可能性を上から抑えつけるような上位存在は必要ない。『統率』ではなく、『競争』こそがヒトをヒトたらしめる。」

「あんたのサーヴァントは、その為ならば死んでも構わないと?」

「無論だ。この桃源郷において、英霊とは駒そのものだろう?君だってそうするさ。」

 

巧一朗はダストの手を引き、部屋を後にする。

クロノの言葉には、嘘が含まれている、そう彼は感じた。確証はない。

災害を殺すという目的だけならば、第四区博物館、ないし桜館長の元にいた方が、効率は良かった。

敢えて袂を分かち、クロノはクロノなりのやり方を貫いた、ならば、目指す方向性が彼と彼女で異なるということ。

巧一朗が桜館長の元にいる限りにおいて、即ち、クロノはもしかすると博物館にとって障害となり得る、ということだ。

だが、今の彼には桜とクロノ、どちらが正しいかなど分かるべくも無い。どちらも災害を憎むという点では正義だ。

彼はクロノと同じくらいには桜のことを知らない。テロ組織の親玉が、何を到達点として走り抜けているのか。

———今は、考えるだけ無駄だろう。

 

「こ、巧一朗様」

 

部屋を出てすぐに、ダストが巧一朗に声をかけた。

余りにも弱弱しい声だ。この戦いに巻き込んでしまったことに対して彼女は自責の念を持っている。

だが巧一朗は逆に、彼女の立場を利用してしまった、そう考えていた。二人は互いに謝り合う。

迷っていても話は進まない。二人に必要なのは、聖杯戦争に勝ち抜くプランニングだ。

 

「巧一朗様、吾々は一体どうすれば……」

「俺はまだまだ第三区を、革命聖杯戦争を知らない。そして戦うべき相手のことも。和解できるのが一番だが、皆災害に対しての憎しみは同じだろう。まずはダイヤモンドダストの領地へと戻ろう。君のことを知りたいし、そしてもう一人の仲間にも会っておきたい。」

「あ、えっと、あの」

「これからの戦いだが、恐らくは配布令呪の存在が鍵になるだろうとは思っている。詳しくは無いが、ダイヤモンドダストの二騎、どちらかがこれを勝ち取れれば、勝機を見出せるだろう。頼りないかもしれないが、俺も全力でサポートしよう。」

「あ、あの!」

 

ダストは声を張り上げた。

物静かな彼女だからこそ、これには巧一朗も驚いた。

 

「領地は、ありません!」

「え?」

「昨日、ハンドスペード派の方々に、奪われました!」

「まじか」

「あと、もう一人についても、私からはコンタクトが取れません!彼女は本当につい数日前に召喚されたばかりの英霊でして、半ば騙すような形でダイヤモンドダスト側に付いて頂きました!」

「ま?」

 

巧一朗は開いた口が塞がらない。

絶望的な状況で、まずは今宵の宿探しから動き始めることとなる。

 

 

二人は黄金街道とツキ、両者に合流した。

約束の時間だ。彼と彼女はグローブの領地から出て行かなければならない。

そしてここまで連れて来てくれた御礼と称して、黄金街道には、巧一朗参戦の事実を隠さず伝えた。

真っ直ぐな性格の黄金街道には、伝えていいと判断したのである。

 

「パパとアタシが、いずれ戦うことになるかもしれないのか。」

「あぁ。出来れば命の奪い合いなんてしたくは無いが。」

「それはアタシもその通りだ。だがこれは『戦争』だからな。容赦はしねぇよ。アタシはダストを狩りに行き、お前はアタシからダストを守る。全力の雷で、グローブに付かなかったこと、後悔させてやる。」

「それは怖いな。だが、俺も負ける気は無いぞ。俺には頼光が傍にいてくれるからな。」

 

黄金街道は拳を突き出した。巧一朗もまた、拳を突き出し合わせてみせる。

ツキはその光景に感動したように、拍手で二人の健闘を称えた。

 

「ところで、ダストったら凄く綺麗、絶対アイドルとして売り出したら人気出ると思う!」

「遠慮しておきます、ツキちゃん」

「え~~~、ここにいる人達みんな良いヒトなんだけどなぁ?気が向いたらユニット組みましょうね!」

「け……検討します、後ろ向きに」

 

困惑するダストを連れ、巧一朗はサンコレアマルを出た。

改めて、街行く人々に存在を悟られぬよう、ダストはローブを身に纏った。

巧一朗はグローブの繁栄した街並みを見ながら、敵勢力の偵察を行う。無論、それを悟らせるフゴウでは無いが、目に見えるものから情報を得るだけでも、今の巧一朗にとっては立派な収穫だ。

そしてそれと同時に、グローブにいるであろう桜館長の姿も探してみるが、こちらは全くと言っていい程に手掛かりがない。

 

「(桜館長、一体貴方は何をしているんだ?)」

 

結局、グローブ敷地内にて博物館メンバーは誰一人として見つけられなかった。

もしかすると桜館長以外のメンバーは第三区外へと至ったのかもしれない。

二人はグローブの敷地を出て、宿となる場所を探して歩き出した。

 

「そもそも、ホテルや旅館といった類はありません。観光客などいませんので。」

「どうするんだ?」

「なるべくハンドスペード、そしてグローブが夜襲を仕掛けにくい場所が好まれます。ならば、答えは一つです。」

 

そう言って、ダストと共に向かった場所は、今にも崩れ落ちそうな、巨大産業道路、その高架下であった。

『シェイクハンズ』と呼ばれる希望のブリッジ。それは今や第三区民にとって呪われた場所だ。

この橋の近くで、これを守ろうとした何人もの人々が命を落とした。

 

「これが、シェイクハンズ……第四区博物館に資料として残されていたのを見たことがある。」

「誰もこの場所には近付きません。悪夢の象徴ですから。」

「オアシスに召喚された抑止力、そして災害のアーチャーやキャスターとの戦い、まさしく悪夢だな。」

 

ダストは不法投棄されたごみの中から、ブルーのレジャーシートを取り出した。砂や泥を払い、影となる場所に敷く。

 

「あとダンボールをいくつか持ってきましょう。」

「お、おう。」

 

手慣れている。ダストは何度も追われ、逃げてきた経験があるのだろう。

彼女の場合は眠る場所の確保、というよりは、隠れ場所の設置、が正しいか。

巧一朗は柱に寄り掛かり、物思いに耽る。

災害のキャスター、ダイダロス。彼は太陽から第四区を守り、朽ちた。

 

「本当にあんたは、災害だったのか?」

 

千年、途方も無い年月をかけ、人々を守り抜いてきた。

人間に興味を持つはずの無い、あの男が、誰よりも人間らしかった。

憎しみを抱くべき相手に、巧一朗はどこか羨望の眼差しを向けている。

心の内に渦巻く矛盾した感情が、この上なく気持ち悪かった。

 

「うわあああああああああああ!ダストぉぉぉぉぉぉぉ!?」

 

突如、子どもの叫び声がこだました。

巧一朗は声のした方向へ急ぐ。

場所は橋の入り口付近、瓦礫が積み重なったその場所に、ダストは立っていた。

その傍には、固まって怯える三人の子ども達。

ダストは口をパクパクさせながら慌てている。

これは恐らく出会い頭の事故だ。巧一朗は溜息をついた。

 

「ダスト、何があった。」

「こ、巧一朗様、申し訳ございません、シェイクハンズの近場なら誰もいないだろうと……」

「ひぃ、チビ、モグラ、逃げるぞ!」

「無理だよマッチ!サーヴァントは人間よりも足が速いんだぞ!殺される!」

「うぇえええええええ」

「泣くなよチビ!あぁもう!」

 

三人の子ども達は『マッチ』『モグラ』『チビ』と呼び合っていた。マッチとモグラは中学生くらい、チビは小学校低学年ほどに見えた。

着用している服はブランド物のように見えるが、お世辞にも綺麗とは言えない。しかし彼らの手には服の汚れとは不釣り合いな、高価格デバイスが握られていた。

 

「巧一朗様、どうしましょう……?」

「うーん」

 

腰が抜けた三人を放置する訳にもいかないが、ダストの存在が彼らを恐怖で包み込んでいる。

巧一朗が頭を悩ませているその時、新たな人物がこの場に現れた。

子ども達とは異なり、何十年と着込んでいるだろうボロボロの服装で、髪と髭は胸元まで伸びきっている。男の第一印象は誰にとっても『最悪』の一言だろう。

 

「おい、お前ら、何をしている。」

「あ!麦造爺ちゃん!」

 

『麦造(むぎぞう)』と呼ばれた齢七十から八十あまりに見える男は、三人の子ども達も前に走り出た。そして巧一朗とダストを交互に睨みつける。

この子ども達の保護者だろうか。だが、顔が余りにも似ていないことから、血縁者で無いことは窺える。

 

「麦造爺ちゃん、ダストだよ。あの、ダイヤモンドダストの悪の大魔王!」

「麦造爺ちゃん!ダストをやっつけて!」

 

子ども達は思い思いに叫び続ける。だが、麦造はただ静かにダストを眺めていた。そして暫しの沈黙の後、口を開く。

 

「聖杯戦争の、参加者だな。」

「あぁ。そうだ。俺も、ダイヤモンドダストの一員だ。」

「そうか。」

 

麦造は何か考えた後、子どもたち三人を肩と腕で担ぎ上げた。

そしてただ一言「ついて来い」と言い放つ。

ダストと巧一朗は訳も分からぬままに、麦造のあとを追いかけた。

そしてシェイクハンズ高架下に建築された木造家屋へと辿り着いた。

家屋と言っても、広さは六畳も無い程である。

引き戸を開けると、巧一朗たちの他に先客がいた。

凡そ有り得ざる光景である。

 

「おや、奇遇だな、『ダスト』」

 

焦げたあとのような茶色の畳に、ぶら下がる豆電球、そして蜘蛛の巣がトラップのように張り巡らされている中で、先客の男は余りにも優雅で、上品で、高貴さに満ち溢れていた。

ダストは何とか絞り出した声で、男の名を叫ぶ。

 

「ふ…………『フゴウ』!?な……なぜ、ここに?!」

 

ドン・フゴウこと黄金王マンサ・ムーサが六畳一間に君臨している。

ダスト、そして巧一朗もまた、目を丸くしている。

 

「フゴウ!遊びに来たのか!」

「そうだ。おい、マッチよ、我が与えた服がもうこんなにドロンコでは無いか。新しいものを持って来よう!」

「そうだ、フゴウ!聞いてくれよ、モグラのヤツ、黄金街道に投票したんだぜ、しかもチビに関してはロンリーガールに入れやがったんだ!」

「おい、マッチ、言わないでくれよ!」

「ハハハ、良い良い!結局我が勝つのだからな!お前達が好む者に投票するがいいさ!」

「黄金街道が好きだけど、フゴウも大好きなんだよ、俺は!」

「ぼ、僕も!」

 

フゴウはどういう訳か、三人の子ども達とは知り合いのようだ。

微笑ましい光景だが、麦造だけは顔を顰めている。

彼らの関係性が、巧一朗にはなかなか見えてこない。

 

「ちなみにダストよ、隣の男は何者だ?人間のようだが、英霊の力が混在しているように思えるな。」

「あ、えっと」

「俺は間桐巧一朗。ダイヤモンドダストの『兵器』だ。きっとあんたとも戦うこととなる。」

 

巧一朗は包み隠さず告げた。黄金街道同様、この王には小細工は通用しないだろう。

 

「そうか。ダイヤモンドダストの戦力強化となるならば、良きことだ。」

「敵なのに、か?」

「革命軍は敵では無い。真の敵は災害だ。我は必ず三組織が手を取り合えると思っている。……その為に戦っていると言っていい。」

 

フゴウにはダストに対する戦意が無い。暗殺未遂の彼女を許し、協力し合えると信じている。

そしてフゴウのその姿勢に、麦造は深く頷いた。

 

「組織の抗争、くだらねぇ。このガキどもの親は、くだらねぇ戦いでくだらなく死んだ。こいつらは自分の名前すら覚えちゃいねぇ。だから俺が名前を付けた。綺麗な石ころ集めて売り捌いていたマッチ売りの少女ごとき『マッチ』、子ども一人で他の区へと逃げる為に、地面に穴を掘り続けていた『モグラ』、あとは背が低い『チビ』だ。」

「チビだけ辛辣じゃありません?」

「うるせぇガキが。お前も、フゴウも、ダストも、全部がくだらねぇ。何が戦争だ。何が革命だ。宝箱を追い求めて、開けたら血みどろ、中身は空っぽ、気付けば全てを失っている。それがお前らの末路だよ。」

 

麦造はそう吐き捨てた。

そしてその場で寝転がり、いびきを立て始める。

 

「麦造はこういう男だ。だから我がグローブ領地に新しい家を用意しようと、テコでも動かない。」

「俺たちは、麦造爺ちゃんの傍にいるもんね。」

「そう、だからこうして定期的に会いに来ているのだ。こういう状況ならなおさらに心配だ。」

 

フゴウは麦造の丸くなった背を見て静かに笑うと、その場で立ち上がった。

そして子ども達を連れ、家の外へ出る。

 

「今日は三人をグローブで預かろう。貴様らはここを宿とするがいい。」

「え、でも」

「麦造が招き入れたという事は、泊まって良いという事だ。三人ならばまぁ、手狭だが眠ることは出来るだろう。ダスト、貴様も眠る必要は無いだろうが、英気を養っておけ。革命聖杯戦争は始まったばかりなのだから。」

「フゴウ……」

 

ドン・フゴウは高らかに笑いながら、子ども達と共にこの場を去る。

その背は、他の第三区の英霊たちより英雄足り得るものだった。

 

「俺たちは、あの男と戦って勝たなければいけないのか。」

「はい。」

 

手を取り合える道。

それは、災害を殺すことが叶う道では無い。

弱小英霊が揃っても、災害には決して及ばない。

だからクロノはROADという選択肢を用意した。

七騎の命で、災害を殺すことが出来るならば、それは革新的なモノ。

だが、本当にそれは正しい選択なのだろうか。

フゴウをどこまでも見送り、立ち尽くす二人。

戦いは既に始まっている。もう、振り返ることなど許されない。

 

 

 

  【キングビー編②『エピソード:ムーブ』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編3『エピソード:ラビリンス』

お待たせしました。
感想、誤字等ありましたら、ご連絡ください。


【キングビー編③『エピソード:ラビリンス』】

 

開発都市第三区、とある研究施設にて。

巧一朗のサーヴァントを自称し、彼に付きまとう女『キャスター』が、仲間との合流を放棄し、単独行動をとっていた。

彼女は第三区で目覚めた後、あらゆる連絡手段を絶ち、革命軍戦闘跡地を見て回りつつ、この場所に辿り着いた。

ここは三組織の領地でない、北部エリアの辺境。革命聖杯戦争とは関わりのない、荒廃した区域。

雑草生い茂るダンジョンに、彼女の求める答えは存在した。

研究施設は地下に存在しており、表向きは町の心療内科、こころのクリニックである。本棚の裏側に下へと降りていく階段が隠されており、キャスターは子どものような冒険心で魔境へと足を踏み込んだのである。

革命軍の内乱が発生した理由は、ダイヤモンドダストの、『雷上動』奪取事件から起こるものだが、何故ダイヤモンドダストは苛烈な行動をとったのか、彼女にとってみれば想像に難くない。

 

「ダイヤモンドダストを裏で操っていた黒幕がいるとして、その人間は恐らく親災害派閥だった。」

 

ダイヤモンドダスト構成メンバーの全てが、とは言い難いが、組織の中枢にいた人間であれば、事件発生に合点がいく。

目的は雷上動の奪取、そして『隠滅』。万に一つでも、災害を殺す術が存在してはならないという判断の元での強硬策。

キャスターは革命軍のことなど微塵も興味が無いが、愚かな人間の、誤った人生選択の末路を閲覧する愉悦を求めていたのだ。

彼女は研究室内にて乱雑に置かれた資料に目を通す。

 

資料内容

DDよりアンヘル研究所への資材搬入リスト。指定文化財に該当しない聖遺物が三十種。特殊薬剤も同封。独自開発した縫合液についてはアンプルに注入した後、別トラックにて後日郵送。

 

「DD(ダイヤモンドダスト)と、アンヘル、というと天使(アンヘル)か。開発都市第五区を牛耳る教団の名に酷似している。これが彼らのルーツ、という訳だ。」

 

キャスターは二大組織の研究内容、そして共同開発の書類に目を移した。

それはサハラの聖杯戦争での記録の一部。ある青年の研究データが記載されている。糸を紡ぎ、物質と物質、ときには概念を結びつける虚数魔術、間桐巧一朗の『縫合魔術』の独自研究。そしてヒトの体内に移植された蛇回路に聖遺物データを蓄積した縫合液を流し込むことで、人間の内部から英霊を召喚する新技術についても。

彼らはそれを『ヴェノム』と呼んでいる。

いち建設業がこれだけ膨大な研究開発を行っていたとは考えにくいが、アンヘル研究所と、加えてフィクサーたる人物がいるならば話は変わる。DDに資金提供していた存在については、どの資料にも書かれていない。

サハラの事実を知っている者、巧一朗が事故的に『繋いだ』モノの正体を知り、縫合魔術に手を染めた者、そして二つの区を跨ぎ、莫大な金を動かせる者。

 

「決めつけるのは時期早々だが、恐らくは『災害のアサシン』なのだろうな。」

 

蛇王ザッハークならば、可能である。キャスターは一度、そう結論付けた。

また別の資料を手に取り、確認する。それはヴェノム実験の被験者リストと、適合者の詳細であった。

殆どが死亡、ないし意識不明。適合者がなぜ適合できたのかについては、未判明という事である。

 

「畦道るる子、セイバー適正あり、二騎のヴェノムアンプルに適合。雷前巴、ライダー適正あり、一騎のヴェノムアンプルに適合。櫻庭咲菜、死亡。なお召喚サーヴァント『ナイチンゲール』については正常に稼働、経過観察中。あとは……セバスチャン・ディロマレンガー、キャスター適正あり、三騎のヴェノムアンプルに適合、うち極秘アンプルについては実戦での投入がSランク以上の脅威に対処する場合のみとする……あれ?この名前、いまさっき見たな。」

 

キャスターは読み捨てた書類をいくつか漁り、答えに辿り着いた。セバスチャン・ディロマレンガーはアンヘル研究所にて副所長に任命されていた男である。若き天才と持て囃され、縫合液についても、その開発に最大貢献したと述べられている。

写真には、何ともアメリカンな大男が満面の笑みで写されており、キャスターは思わず吹き出してしまった。

気を取り直して全てのデータに目を通すが、過去の遺物であるが故に、得られる情報は限られている。

だが、大きな前進があったとするならば、DDとアンヘル研究所の共通理念についての記載。彼らは『救済されるべき民の選出と、エックスデイを乗り越えた先の人類発展の為』研究開発を行っていた。

 

「ノアの方舟、その定員数は想定千五百名、オアシスから理想郷(ユートピア)へ至る為には、適合者を増やす必要がある、とはね。」

 

天還という儀式により英霊という枠組みに介入し、歴史を荒らしつつ、オアシスにおいて新たなる神話を築こうとしている。

災害のライダーの舟とは即ち、この桃源郷そのもの。一面の砂世界に突如現れる楽園と称した世界。

加速する時間、そしてノアの方舟。

キャスターことモリアーティ教授、またの名を『隅の老人』、彼女はある結論に辿り着く。

災害のサーヴァント達が志すもの。成し遂げようとしていること。

——ああ、愉快な結論だ。

キャスターはほくそ笑む。この地で足掻き苦しむ者は、人間たちだけでは無かったという事だ。

 

彼女が書類漁りに夢中になっていた頃、彼女と同様に研究施設へ足を運ぶ者がいた。

この場所に来るものは当然、ただの一般人では無い。来訪者は周囲を警戒しながら、地下への階段を下っていく。

そして白髪の美女が待つ部屋へと辿り着き、彼女へ向けて差出人不明の手紙を投げつけた。

 

「私をここへ招いたのは貴方ね。一体何者なのかしら。」

 

金色の髪に、スレンダーな体系の美女が、巨大な針を携え現れた。

彼女の名は『ペルディクス』。第三区にて召喚され、革命聖杯戦争の参加者となったランサーのサーヴァント。

リンベルや民衆からは『リケジョ』というニックネームで呼ばれている、謎多きサーヴァントだ。

彼女はダストこと枡花女と同チームを謳いながら、あくまで一時的な協力体制を敷いているに過ぎなかった。ペルディクスが求めるものは災害の討伐に非ず、己の存在意義、存在価値の解明である。

生前、ダイダロスに命を奪われた彼女は、アテナからシャコの翼を譲り受けた。だが今は有り得ざることに、ダイダロスの創造したイカロスの翼を背に生やしている。

 

「我が名は、そうだな、白銀の探偵、とでも言っておこうか。どうしても君と話をしたくてね。」

「白銀の探偵、灰色の脳細胞と言えばポアロだろうけど、貴方は銀箔が付いているようね。」

「ふむ、召喚時に与えられる知識についても問題なさそうだ。なら、君の抱える謎を解き明かしたい。その先に、私が求めるものがあるからね。」

「有意義な時間にして頂戴。生憎、私には時間がありませんので。」

 

ペルディクスは革命聖杯戦争の参加者。いつ敵が襲って来るかも分からない。

彼女はこの一室に辿り着いたとき、即座にこの場所の機密性と重要性を理解した。この場を保全するためには、外で探偵を名乗る不審者と会話すべきであることは明白である。が、リンベルらに嗅ぎつけられるのも良い判断とは言えない。

ならば手早く話を済ませるべきだ。探偵というからには、ペルディクス自身の解き明かせない存在理由を見出せるかもしれない。

 

「まずペルディクス、君が召喚された理由は明白だ。単純に災害のキャスターこと『ダイダロス』へのカウンターだろう。」

「まぁ、彼とは因縁があるからね。ダイダロスに勝てる者は、この私ただ一人。だから彼は嫉妬の末に私を突き落としたの。」

「抑止力、という安全装置を知っているかな。オアシスの成立と、内部で行われている所業の数々は、星のルールから大きく逸脱したものだ。君はヒトか、自然か、知るべくも無いが、何かに導かれるように、オアシスへと招かれた。それが私の考察だったが、ふふ、これは間違っていた。」

「間違い?」

「ああ。災害への対抗札ならば、あまりにも『遅すぎる』。一介の英霊では太刀打ちできない領域にまで災害は至ってしまった。外の世界が基準であるならばまだ納得できなくも無いが(それにしても遅すぎるが)、オアシスでは既に千年の時が経ってしまっている。私はかつてダイダロスの言葉を聞いたが、彼は真っ先に君という存在を世界から抹消したと言っていた。『ペルディクス』という英霊は世界から消え去った筈なんだ。」

「でも、こうして呼び出されているけどね。召喚者も不明、目的も不明。冬眠していたら無理矢理叩き起こされた感じ。」

「ああ。君はオアシスにとって必要だから呼び出された。君の召喚時期は、もしかしてつい最近、そうだね、数日前なんじゃないか?」

「ええ。当たりよ。私はまだ第二の生を受けて三日、四日あまり。自分のすべきことは分かっていたけどね。」

「というと?」

「革命聖杯戦争に参加すること。何かに動かされるように、私はエントリーした。大いなる脅威を取り除くことが求められていた。」

 

キャスターは悪の笑みを浮かべた。

彼女なりの真実に辿り着いたのである。

 

「なに?君の悪い笑顔ね。」

「ああ、すまない。君が召喚された時期は、ある者の死亡時期と重なっている。それは本来であるならば、君が殺すべき相手だった。」

「災害のキャスターこと『ダイダロス』ね。」

「君はダイダロスが死んだ、その直後に召喚されたんだ。私の仮説通りならば、ここには大きな意味があるだろう。」

「ダイダロスが死んだことで、座に再度、消し去られた筈の私の物語が登録された、とでも?」

「いや、そんな簡単に元通りになるものではないだろう。消し去ったのはダイダロスだが、それは実際に過去世界に介入し、ペルディクスの偉業を亡きものとした『ヒト』が直接の原因であるからね。ダイダロスの言葉通りならば、君の記録はブラックホールの中だよ。」

 

ペルディクスという天才は熟考する。

キャスターの言葉を反芻し、己の思考で真相へと手を伸ばした。

 

「言葉通り、ならば、ね。ダイダロスが嘘を付いていた、と?」

「そうだ。ダイダロスは『臭い物に蓋をする』性格だと聞いた。臭い物に、無理矢理蓋を乗せたけれど、捨て去ることはしなかった。」

「ダイダロスは私を消滅させなかった。でも、私が呼び出される可能性を孕むものは全て抹消していたのね。例えば聖遺物とか。いや、違うな、きっと彼ならば自らの手で管理する。利用できるものは利用しようとするからだわ。」

「そして、ダイダロスの死の直後に君は何者かに呼び出された。シャコの翼では無く、イカロスの翼を有して。この意味が分かるかい?」

 

ペルディクスは大きく溜息をついた。その結論は、彼女だけでは至れなかった領域。有り得ないと吐き捨てていた真実である。

 

「私は、災害のキャスター『ダイダロス』、あの男によって呼び出されたのね。」

 

ダイダロスは死の直前、自らの生み出した未知なる工房に電源を入れた。

ペルディクスの鋸を媒介に、ダイダロス特製のオリハルコン式オートマタに彼女を宿らしめる召喚術式。

強大なる敵に対抗すべく、己が千年の時を経て生み出した翼を自動人形に備え付けた。

これがキャスターの考察である。だが、当然大きな疑問は残る。

 

「でも何故?災害である筈のダイダロスが、カウンターを用意するはずないじゃない。私はこの翼を通じて、皮肉にもあの男の発明品を知り得ている。このオアシスそのものが舟の構造をしているのでしょう?ダイダロスの仕事は、災害のライダーの舟を創造すること。ライダーの計画を破綻に導く存在を自ら用意するとは思えないのだけれど。」

「ああ。そうだ。そこは疑問だ。博物館と対等に殴り合うことを受け入れた彼だが、ペルディクス召喚の為の工房は、もっと以前から用意していた筈だしね。」

 

二人はこぞって頭を悩ませる。だが意外にも、その答えは手早く導き出された。

 

〈勘違いをするな。ペルディクス如きが我ら災害を殺し得る筈が無いだろう。〉

「何ですって?貴方は私の何を知っているというの、探偵!」

「いや、今のは私の声じゃない。君の傍から聞こえたが?」

「へ?」

 

ペルディクスの翼がはためいた。

彼女は目を丸くしながら、慎重に、己の背後へと目を向ける。

音が鳴っているのは、この翼からだ。耳をすませば、声の主など一目瞭然である。

 

〈大体、僕が君に劣っているつもりは無い。桃源郷における僕の研究成果の数々を見てみるがいい。君なんて精々、鋸とコンパスぐらいだろう。〉

「ま、まさか……?」

〈安心しろ。僕は既に死んでいる。意思が宿っている訳では無い。君の入力に対して、ダイダロスが答えるべき言葉を適当に用意しているだけだ。戦闘における敵性自動認識プログラム、大型コンピュータが内蔵された翼、それが僕の声に乗せて君に返答している。〉

「しゃ…………しゃべったぁぁぁぁぁああああああああああ!?!?」

 

ペルディクスとキャスターは同時に発狂した。

無理もない。ペルディクスの背から勝手に生えた両翼が、美青年の魅惑的ボイスで語り掛けてきたのだから。

ペルディクスはコンパスの針で、翼を引き千切ろうとする。

 

〈痛いぞ、辞めろ〉

「き、キモチワルイ!私の身体の一部があの男に乗っ取られたみたいだわ!最悪!」

〈君だって僕の身体にシャコの呪いを刻んだだろう?似たようなものさ。〉

「似てないわよ!というか刻んだのはアテナ様だし!というか私を殺したの、アンタでしょうが!」

「ヘイ!ダイダロス!今日の天気を教えてくれるかい?」

〈本日の開発都市第三区は晴れのち曇り、降水確率は二十パーセントです。〉

「アンタも遊ぶな探偵!」

 

キャスターとペルディクス、WITHダイダロスの漫才は続いた。

ツッコミに疲れたペルディクスは息を切らしながら、己の翼との対話を試みる。

 

「じゃあ、災害を止める以外の目的で私を呼び出す意味が分からないのだけれど。そもそも私は、ダイダロス特攻?みたいなサーヴァントだし。」

〈そうだ。君の役割はまさにそこにある。『ダイダロス』を止める為に、僕は君を呼び出した。〉

「はい?意味が分からないのだけれど!貴方は既に死んでいるのでしょう?ならダイダロスはいないじゃない!どういうこと?」

「そうか、そういうことか……」

「何よ探偵。」

「君が召喚された理由は確かに、ダイダロスを止める為だ。どういうことか説明すると……」

 

〈すまないな、歓談中だが、君達にとっての『敵』が接近している。すぐに逃げ出すか、戦闘態勢を取れ。〉

 

「何ですって?!」

「あ、私は戦闘能力が無いから、出来れば守ってもらえると助かる。」

「さらに何ですって?!」

 

ペルディクスは自棄になったように立ち上がり、持ち前の巨大コンパスを構えた。

恐らく彼女の跡を追ってきた聖杯戦争のライバルであろう。彼女の必殺宝具は前回の戦闘で攻略されてしまったが、補って余りある発明品の数々、そして戦闘スキルがある。果心居士やマンサ・ムーサとの戦闘は出来れば避けたいところであるが、それ以外ならば彼女の知恵が一歩先を行く筈だ。

キャスターもまた、敵襲に備える。と言っても、何らかの武器を手にすることは無い。アインツベルン製オートマタに刻まれてきた隣人の力、その武器を手に取ることが出来るものの、それを操るには非力過ぎるステータスであった。ぎりぎりまで力を振るわず温存したいと願っている。

そして彼女らのいる地下に突如、大量の水が流れ込んだ。

入口が一つしかないその空間に洪水が押し寄せ、彼女らの衣服を、身体を濡らす。床下から急速にせり上がる液体に溺れそうになりながら、ペルディクスは天井へコンパスを投げた。

 

「FIRE!」

 

空中で自動展開し、天井に円を描く。そして彼女の発声後、円の内部は爆発により吹き飛んだ。

地下階段を上った先に敵が待ち構えているならば、翼を広げ宙を舞い、無理矢理に一階へ跳び上がる。

そして確実に先手を取る。

コンパスを回収したペルディクスは、キャスターを抱えて、一階のクリニックへと飛び上がった。

 

「!?」

 

ペルディクスの目に飛び込んできたのは、見知らぬ長身の男である。

二人が即座に判断するに、この男は人間だ。だが、サーヴァントの力を内包している。

男はサングラスを傾け、青い目を覗かせた。得物を見定めるように睨みつける。

ペルディクスに悪寒が走る。決して屈強な男が華やかな女物ドレスに身を包んでいるからでは無い。男はヒトでありながら、明確な殺意を以て、彼女に視線を飛ばしている。

 

「まさか……セバスチャン・ディロマレンガー!?」

「あら、わたくしのことを知っているの?うふふ、嬉しいけれど、今は『ショーン』って名前だから、そっちで呼んで頂戴ね?」

 

革命軍を監視、果ては抹殺するために派遣された、アヘル教団セントラル支部のヴェノムサーヴァント。

セバスチャン・ディロマレンガー、コードネームは『ショーン』。

アンヘル研究所に関する記録の完全焼却に加え、

いま、ペルディクスを亡き者にせんと、この場に赴いた。

男の殺意は歴戦の軍人が放つもの。怒りも、憂いも、幸も無い。ただ命令のままに、ただ殺す。

ショーンはアヘルにおいて、信華に次ぐほどに殺戮を繰り返してきた。

 

「ヴェノムキャスター『ショーン』か。たった今、君の資料を拝見したところだよ。それは海賊公女『ダユー』の力だね。」

「あら、乙女の秘密を覗き込むなんて!温厚なわたくしでも怒っちゃうんだからね!」

「君は三つのアンプルを使いこなす。医療の神と謳われたもの、大いなる水を味方につけたもの、これだけでも十分に強力だが、きっと君の切り札はより凶悪だ。データが一切記録されていないという事は、実戦での投入が危ぶまれてきたのだろうね。」

「ふぅん、よく調べているじゃない。」

 

ペルディクスはコンパスを回転させ、ショーンの周り、半径二メートルに包囲結界を敷いた。彼女は相手を円の中に閉じ込めた後、その中を炎や光で焼き尽くす技を得意としている。宝具ほどの絶対性は保証されないものの、高確率で敵をダウンさせる強力無慈悲な攻撃である。

だが、例えば対魔力数値が高い者に加え、単純な筋力が高ステータスな者には、物理で結界を破られてしまう。弱点があることを加味し、隙をついて封じ込めなければならない。

このときペルディクスは、本人も気付かぬうちに油断していた。何故ならば、サーヴァントの力を使うとはいえ、敵は人間であったから。革命軍の他サーヴァントとの戦闘経験から、人間と英霊では赤子と大人の力量の差があると知っていた。何事においても計算を用いる彼女には、肌感覚での脅威測定能力が欠如していたと言えよう。

空に浮かぶペルディクスは、突如、自らの翼により、後方へ大きく引っ張られた。ダイダロスの両翼が、ひとりでに羽ばたき、ショーンから距離を取ったのである。

キャスターはイカロスの翼のシステムに依る自動回避だと即座に見抜き、自身も同様に、ショーンから距離を取る。

そしてそれは読み通りだった。ショーンは、革命軍にとって、災厄の象徴となり得る存在だ。

彼を人間と侮るなかれ。英霊ですら生温い。セバスチャン・ディロマレンガーは怪物だ。

 

「革命軍サーヴァント『ペルディクス』は、S以上の敵と認識して良いわよねぇ。三つ目のアンプル、貴方達にトクベツに見せてあげるわ。」

 

ショーンが取り出したアンプルは、紫色に濁っていた。

ヴェノムアンプルを見たことが無いペルディクス、そして資料の参考写真で確認しただけのキャスター、どちらともに、それを薄気味悪く感じていた。深淵を覗いてしまったかのような奇怪な感覚、二人の身体に同時に悪寒が走った。

 

「わたくしがサンプルケースで、かつ、コレに耐えられるかもしれない唯一の存在だから、持つことを許されている。でも、わたくし自身もこれが齎す副作用を理解できていない訳。これは来たる楽園創世の為のお試し(モックバトル)なの。さぁ、遊びましょう?」

 

ショーンは左手首に取り付けられたコネクタにアンプルを装着した注射針を打ち込んだ。海賊公女の姿から一転、肉体は膨張し、背から天使のような翼が生え出る。

 

〈データローディングは———でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムキャスター』:『ダイダロス』現界します。〉

 

ショーンが有する、ただ一つの、災害から抽出したヴェノムアンプル。

彼だけがそれを行使し、リスクを受け入れ、肉体に飼い慣らすことが出来る。

ペルディクスはようやく、自らの召喚された意味を知った。

ダイダロスが消滅するその時、彼が危惧したのは、災害のアサシンの暴走である。

シェイクハンズの悪夢においてダメージを負った彼は、第三区の焼け焦げた大地に力の残滓を零していった。

それを回収、そして実用レベルにまで引き上げたのが、アンヘル研究所、後のアヘル教団である。

人間がダイダロスの力に溺れ、内部崩壊を起こそうが、彼にとってはどうでもいいことだ。だが、狡猾なアサシン側に利用されることだけは許可してはいけなかった。災害のライダーの舟そのものが冒涜される恐れがある。

彼はアヘルと革命軍の対立構造を理解した上で、革命軍側に、ダイダロスへ対抗できる戦力を用意した。それこそが彼の生涯の好敵手『ペルディクス』である。

もしダイダロスの発明を超える者がいるとすれば、それは彼女において他ならない。

当然それを理解したショーン、そしてザッハークは、革命聖杯戦争に関与してまで、ペルディクスを殺害しに来た。

 

「そうか、私の存在理由、私の価値、それは貴方(ダイダロス)を止める為、なのね!」

「そうよ。ダイダロスを超える創造主の貴方は、アヘルの崇高な目的にそぐわない者。ハッキリ言ってお邪魔虫。だからここで殺す。災害の力を受け継いだわたくしが、引導を渡してくれるわ!」

 

ショーンは両手を天に翳すと、特殊言語による詠唱を開始する。災害の力へのアクセスコード、ダイダロスの創造せし、巨大迷宮の再構築である。

 

「ペルディクス、ショーンを止めろ!」

「言われなくとも!」

 

ペルディクスは円の内部を爆発させる。通常の英霊との戦闘ではこれにて決着と言わんばかりの奥義だが、無論、災害の衣をまとう男には通用しない。彼女はそれを悟り、巨大コンパスをショーンへ投擲した。

だがそのとき、地下から溢れ出た水が上階へと昇り、槍の軌道を大きく変えた。ダユーとしての権能が消滅する手前、残された水がショーンを守る様に作用したのである。

 

「くそ!」

 

「さぁ、御覧なさい。これがわたくしの創造した、わたくしの固有結界!『有為転変の触毒迷宮(ファルマキア・ラビュリントス)』!」

 

刹那、世界は形を変えた。

キャスターはダイダロスによる宝具の洗礼を受けた過去がある。だが、これは彼の芸術とは似て非なるものだ。

先ずもって、ショーンの固有結界は出口も分からぬ迷いの道では無い。驚くべきことに、彼女らが誘われたのは、壁一面が白で統一されたワンルームである。迷いといっても、戸惑い、の方が大きい。心象風景の具現とは言うが、これは誰の心の在り方でも無い。一文字で表現するならば『無』だ。

一歩歩けば罠に引っかかる、ある種の『遊び心』が用いられることも無い。これを芸術と宣うならば、余りにも前衛的だ。

だからこそ、不気味である。

術者本人はその場から消滅し、二人は虚無の空間に取り残される。ペルディクスはコンパスを使い、壁の破壊を試みた。

 

「どうだい、ペルディクス。」

「ふ、ダイダロス以上に悪趣味だわ。壁は一面オリハルコン製、ちょっとやそっとじゃ壊せない。どうすれば脱出できるか見当もつかないのが、気味の悪さを助長しているわね。」

「一体ショーンはどこにいるんだ。」

 

キャスターは顎に手を当て、思考する。

この空間の外にも結界は広がっており、ここは一つの心象に過ぎないならば、幾重にも用意された虚無の『箱』こそが、彼の力なのだろう。ヴェノムサーヴァントの性質から、これは対象をじわじわと追い詰めていくものだと理解できる。オリハルコンに直接触れるのは避けるべきだ。空間そのものに飲み込まれる恐れがある。

 

「まずは、何としてでも、壁を壊して進むしかないかな。」

「あら、力技は嫌いじゃないわよ。」

「探偵としては、あまりやりたくないんだけどね。ペルディクス、君の力を借りるとしよう。」

 

キャスターは、ダイダロスとの戦い、ペルディクスへの招霊転化の記録へアクセスする。

災害戦で復讐者として呼び出された彼女の武器は、今の彼女が持つものとほぼ同等の形状、性能、である。

キャスター、とりわけモリアーティの記録、数値分析能力と、サハラのセイバーのスキルを同時に使用し、彼女はペルディクスのコンパスをその手に生成してみせた。

これにはギリシアの発明女帝も驚愕である。

 

「それが、探偵の力?」

「私自身、使いこなせるかは微妙だけどね。だが、単純に君の力が二倍になったと良いように解釈してみせるさ。」

 

キャスター、そしてペルディクスは同時にコンパスを構え、走り出す。

目の前の白一面へ、全身全霊で針を突き立てた。

ランサーらしく、刺し穿つ。二人の天才が揃って、計算を放棄した。

だが思い切りの良さが功を奏し、叩き壊された壁の外側へ、進むべき道が出来た。

 

「やった!」

「まだだよ。その先もまた、ホワイトルームだ。ショーンの存在は確認できない。一体どうなっているんだ。」

 

進めども、進めども、彼女たちは出口へ辿り着かない。

ダイダロスの宝具とは似て非なるもの、だが結界のもつ意思は同じ。

閉じ込めた者を迷わせ、二度と外の空気を吸わせない。ダイダロスが幽閉したのが怪物(ミノタウロス)であるならば、ショーンが牢に入れたのはキャスターという怪物。無論彼女が彼の得物であった訳では無いが、期せずしてテロ組織のエージェントは捕縛されたのだった。

ショーンは九つの部屋の外から、彼女らを洞察する。

この迷宮は二重構造であり、マトリョーシカのように、結界内部に更なる結界が存在する。

二人が進む道、九つの部屋は第一結界。ショーンのいる銀河のような広がりを持つ空間が第二結界。二人が迷宮を踏破する為には、この多重構造に気付かなければならない。だがそれは三次元から四次元へ思考を移動させることのように、不可能なものであった。いま彼女らが立つ世界こそが思考領域の限界であり、『第四の壁』と称するべきそれを知覚しなければ、ショーンのいる空間には辿り着けない。

有為転変とは即ち、結界内部が激しく動き回ることを指す。キャスターとペルディクスはトライアンドエラーを繰り返しながら、一生をかけて、部屋を巡り続けるのだ。彼女らが答えに辿り着くことは永遠に無い。

強力な宝具であるが、弱点はある。それは第一結界が強固な分、第二結界は薄く脆いという事。外部からの攻撃によって結界そのものが崩される可能性はある。ショーン自身の心の在り様を写し取った風景では無いことが起因するのだ。

 

「さて、ダイヤモンドダストのお仲間は、ここまで助けに来るでしょうかね?うふふ」

 

この迷宮には罠もモンスターもいない。

ただオアシスからの魔力供給が途絶え、衰弱死するのを待つための場所。

即ち、これぞ『触毒迷宮』。

アヘル教団のような、固い結びつきがある訳でもない彼女らに、虚無なる世界は踏破出来まい。

ショーンは不敵な笑みを浮かべたのであった。

 

 

 

朝。

巧一朗とダストは麦造の家から外へ出る。

朝日の眩しさを感じながら、今日も今日とて、開発都市第三区を見て回る予定である。

昨日はグローブの壮大なる領地を観察した。今日はハンドスペードの偵察に向かう。

博物館の仲間たちがグローブにいなかった以上、ハンドスペードに匿われているとしか考えられない。

 

「やぁ、お早う。」

 

二人の目の前に姿を現したのは、まさかのドン・フゴウであった。

ダストは剣を抜き、戦闘体制に移行する。だが巧一朗はフゴウと戦闘する意思を見せなかった。

そしてフゴウもまた、戦うつもりで来たのでは無い。彼の元には昨夜出会った三人の子ども達がいた。

 

「おい、ダスト。子どもが怖がっているぞ。剣を仕舞え。」

「は、はい、すみません、巧一朗様!」

 

マスター?とサーヴァントのやり取りに、微笑ましさすら感じるフゴウ。

この男、器の大きさが尋常では無いのだ。

フゴウはただ子ども達を麦造の元へ返しに来ただけである。巧一朗がフゴウを殺すつもりがなければ、フゴウもまた、戦うつもりは無い。

カリスマ性に惹かれた区民がこぞって彼に投票しているのだ。毎度令呪を獲得できる者は流石に格が違う、というものである。

 

「ハンドスペードの領地へ行くのか?」

「ああ。敵情視察パート2だ。」

「芸達者の仕掛けた罠の数々と竜宮兵器が非常に厄介だぞ。我もこれまで何度も撤退を余儀なくされている。外から見るのが精一杯だと思うがな。」

「それに、その、巧一朗様、ハンドスペード当主『ロンリーガール』は、『細川ガラシャ』です。あの城は彼女が持ちこんだ呪いで充ち溢れています。謁見が許されているのはハンドスペードの三大臣。うち二人はもういませんが……あ、あと一人は芸達者こと『果心居士』です。」

「じゃあ、実質不可能ということだな。果心居士の術を超えた先に、堅牢無慈悲な城が待っていると。」

「そうだ。我や黄金街道すら突破は難しい。巧一朗、貴様はダイヤモンドダストの兵器として、どう戦うつもりだ?」

「さてね。だが、小難しい手段を取るつもりは無いさ。正々堂々、殴り込む。それが一番手っ取り早い。」

 

巧一朗は胸の内側にいる源頼光の意思と同調している。平安武将もまた、小細工なしで戦に望むべきと告げていた。

対してダストは不安げな表情である。戦闘において役に立たないと卑下している為か、元々争いを好まぬ為か。

 

「巧一朗、英霊を肉体に宿しているようだが、貴様は生身の人間だ。戦争となれば、サーヴァント達は容赦なく貴様を殺しに来る。精々気を付けることだ。」

「フゴウ……」

 

巧一朗は敵意を見せないフゴウに、拳を握り締めた。

余りにも邪悪かつ歪な思考がよぎってしまう。

今ならば、彼を殺せるのでは無いかと。

これは聖杯戦争、災害を殺すためには、手段を選んでいる場合では無い。

それが戦争における最大の敵であれば猶更。

ダイヤモンドダストはフゴウと正面から争っても勝算が無い。

それはきっと、ハンドスペードも同じ。

フゴウのカリスマと、黄金生成能力、そして勝ち取った令呪。

革命聖杯戦争の参加者は、誰一人としてフゴウには敵わないだろう。

 

「巧一朗様」

 

巧一朗はハッとする。

ダストの臆病ながらも、芯の通った声に、目覚めさせられた。

きっと今の彼女は、それを望んでいない。

フゴウの言うように、三組織が手を取り合う未来がある筈だ。そう願っている。

彼女の生きる意味がそこにあるならば、巧一朗はフゴウに刃を向けずに済む。

甘い考えかもしれないが、それでも……

 

「あ、麦造爺ちゃん」

 

家に引きこもっていた麦造が玄関先へ歩き出た。

そして怪訝な表情を浮かべながら、巧一朗とダストの元へ近寄って行った。

 

「麦造さん?」

「お前、『竜宮』に行くのか?」

「はい。ハンドスペードの城へ、偵察に。」

「ならこれを持っていけ。」

 

麦造は着用していた作務衣の内側から、薄汚れた鳥の羽根を取り出した。

巧一朗の掌に乗せると、再び家の中へと帰っていく。

 

「何だこれは」

「鶴の羽根、ですかね?」

 

巧一朗とダストが困惑する最中、フゴウだけが、麦造の背を物憂げに見つめていた。

フゴウはその羽根の用途を知っている。それはフゴウが麦造にどれだけ頼み込んでも、渡さなかったものだ。

否、渡せなかった、が正しいか。

 

「それがあれば、竜宮内へと侵入することが出来るだろう。芸達者の目を掻い潜り、細川ガラシャに会うことが出来る。」

「え?」

「何故そんなものを、麦造さんが……?」

「変わった男なのだよ。麦蔵はな。」

 

フゴウは呆れつつも、どこか誇らしい様子であった。

そして彼はグローブ領地へ戻るべく、踵を返す。

当然の話だが、彼は巧一朗たちには同行しない。グローブとダイヤモンドダストは敵同士なのだから。

巧一朗は暫く鶴の羽根を眺めつつ、その場で立ち尽くしていたのであった。

 

 

陽が真上に差し掛かる頃。

ハンドスペード領地、竜宮城に一人の男が現れた。

部相応な派手過ぎる衣装に、あろうことか金の王冠を被っている男。

果心オートマタは男を阻まない。その権利がない。

何故ならば、男はかつてハンドスペードにて政治部門の大臣を務めており、人を、英霊を、オートマタを従えていた。

彼の名は『ジョン』。人呼んで欠地王ジョン。

開発都市第七区の王を自称し、決起した革命軍過激派のサーヴァント。そして今はアヘル教団の足軽である。

彼は今、この地に訪れたヴェノムセイバー『シュランツァ』の言うがままに、細川ガラシャを訊ねてきた。

彼は城門を容易く開け放つと、スキップしながら天守閣を目指した。

不幸だったことに、果心居士はこのとき、城から離れていた。彼がいなくとも、オートマタが侵入者を完膚なきまでに撃退するシステムであったのだ。だが、謁見が許されている者には、オートマタも動くことが出来ない。

ジョンはアヘルへと寝返り、奴隷のような日々を過ごして来た。

死にたくないからと、全てを受け入れ、屈辱のままに生きた。だが、ハンドスペードを壊滅出来た暁に、彼は災害のアサシンに許しを与えられる。

自らが救われるためならば、かつての仲間が惨たらしく死のうとも構わない。全くもって無問題である。

そもそも開発都市第七区への夢が絶たれたのは、果心居士の発案である『氷解のヴァルトラウテ』と、李存義の率いる軍隊が弱過ぎた為だ。

彼は何も間違えていないし、彼はむしろ被害者であるとさえ感じている。

鎖で縛り付けられる生活が終わったそのとき、第五区の外でまた新しい国を作ろう、そう彼は息まいた。

細川ガラシャ、囚われの哀れな姫君は、ジョンを憎んでいるだろうか。

酷く、くだらない、そうジョンは思った。さっさとジョンへハンドスペードの王の座を明け渡せば、こんなことにはならなかったのだ。

ジョンはガラシャの醜く死に絶える様を妄想しながら、最奥の間に辿り着く。

 

「ガラシャ様、お久しぶりでございます。この国の大臣である吾輩、ジョンがいま帰還いたしましたぞ。」

 

どの面下げて、という言葉が的確な場面。

ガラシャはジョンの傲慢な笑みを見た。

 

怒るだろうか、憎むだろうか、殺意を露わにするだろうか。

ジョンはガラシャの感情を勝手に読み解く。

が、それらはすべて違っていた。

 

「ジョン」

 

ジョンは固まった。

ガラシャの見つめ、動けない。彼は戸惑いを隠せなかった。

 

何故ならば、ガラシャは涙を浮かべ、笑っていた。

 

大切な者の帰りを、いまかと待ち侘びていたように。

 

「ガラシャ…………」

「無事だったのですね、ジョン。」

「あ、え、あぁ、はい」

「アヘル教団に捕われたと聞いたときは、不安で胸が潰れてしまいそうでしたわ。本当に、良かった。貴方が生きていて、良かった。」

「あ……あぁ」

 

ジョンは拍子抜けした。

まさかこれ程にまで、細川ガラシャが愚かであったとは。

これならばシュランツァたちによって、いとも容易くハンドスペードは壊滅するだろう。

あとはジョンが、竜宮への侵入経路を指し示すだけだ。

 

「ご、ご機嫌麗しゅう、ガラシャ様。吾輩は何とか教団の追手を振り切り逃げてまいりました。ここは果心居士の作りし要塞、ならばここへ匿って頂きたい。これほどまでに堅牢な城であれば、追手が来ようとも安心でしょうなぁ。」

 

そう言って、ジョンはシュランツァたちをこの場に招き入れる。

ガラシャは馬鹿な女だ。ジョンのこの提案にも乗って来るだろう。

だが、ジョンはどうしてか、胸のざわめきを抑えることが出来なかった。

 

「ええ。ここに居て下さい、ジョン。大丈夫です、わたくしと、そして『彼』が、アヘル教団の連中を一人残らず殺し尽くします。貴方は、わたくしが守ります。ハンドスペードはみな、わたくしの子ども同然なのですから。」

「彼?彼とは、果心居士ですかな?そう言えば、席を外しているようですが。」

「爺には何も期待していません。爺には雑兵の露払いをしてもらいます。ヴェノムサーヴァントに、都信華は、『彼』が相手してくれますので。」

 

そう言い、ガラシャは奥のカーテンを開いた。

 

「な」

 

ジョンはこの瞬間、言葉を失った。

細川ガラシャは愚かな女だ。だが、ジョンの想像を遥かに超える、愚者であったのだ。

彼女はアヘルを抹殺するが為に、己の財を、名誉を、誇りを、夢を、心を、肢体を、差し出した。

想像を絶する絶望の果てに、彼女は人類史上最悪の愚者へと成り代わったのだ。

 

ジョンの目の前に現れたのは、『災害』。

 

災害のアーチャー、革命軍にとって最大の脅威。

 

「何だこの薄汚れたデブ?ガラシャ、てめぇのツレか?」

「違うわ、〇〇〇〇〇。わたくしの愛する人はこの世でただ、貴方一人だけですわ。」

「そうか、かか!従順な女は嫌いじゃねぇよ!」

 

ジョンは淡路抗争と同じ、深い絶望を味わった。

革命軍ハンドスペードは、あろうことか、『災害』と手を組んだのだ。

 

 

 

 【キングビー編③『エピソード:ラビリンス』 おわり】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編4『エピソード:ドラゴン』

お待たせしました。
感想、誤字等ありましたらご連絡ください。


「やるな、芸達者よ。だが貴様の実力はこの程度ではあるまい?」

「それは此方の台詞なり。見事ですぞ、グローブの王よ。」

 

キャスターとリケジョの二人がショーンと交戦、そして巧一朗とダストが竜宮へと向かう中、ハンドスペードとグローブの小競り合いは今日も勃発する。

フゴウ暗殺部隊がグローブへ到着する直前に、黄金の津波が彼らの悉くを飲み込み、破壊し尽くした。芸達者仕込みの果心オートマタ、量産性能に優れているが、ハンドスペードの劣勢状況からその出来は日に日に悪化している。それもその筈、此度の聖杯戦争において果心居士の果心礼装は魔力のコストカットの為、現代のパーツを用いて製造されているのだ。だがフゴウは、果心居士が、自らの叡智の全てを用いて創造した真の『果心人形』を隠し持っていると推測している。それこそが竜宮の砦を守る『兵器』そのものなのでは無いか、と。

そしてその読みは凡そ当たっている。果心居士はハンドスペードを守る為の切り札として、一騎のオートマタを竜宮に隠し持った。だがそれはあくまで対災害用の決戦兵器。出来れば、グローブやダイヤモンドダスト相手に開放したくないものだ。

そしてこのタイミングで、空に浮かぶ観測艇から、MCリンベルの実況が轟いた。戦いは五日目、今日の配当令呪もまた、第三区民の投票によって付与される。

動きを見せないロンリーガールや黄金街道と異なり、芸達者に得票が集まり始めた。だがそれはあくまで微々たるものだ。

結局のところ、ドン・フゴウがこの場にいる限り、彼の勝利は揺るがない。此度もまた、彼の腕に新たな令呪が刻まれる。

 

「これで五画、ですが先の戦闘で二画使用し、今は三画。フゴウ殿は令呪コレクターにでもなられるおつもりか?」

「何が言いたい?」

「二画は黄金街道殿に託された。だが一向に貴殿は己の肉体強化にそれを使用しない。この革命聖杯戦争において貴殿こそが最も優れたサーヴァントだと認めよう。それでいて、何故貴殿は『出し渋る』のだ。竜宮攻略は兎も角、この老いぼれだけならば、この瞬間にでも葬り去ることが出来ように。」

 

芸達者の意見はもっともだ。この令呪は単純な魔力強化など、使用用途が限られている。芸達者のように罠を工作し、戦闘に備えるタイプには短期決戦こそ望ましい。何度も小競り合いをし、手の内を晒しながら、なお勝ちを急がない姿勢は、舐めていると捉えられてもおかしくない話だった。慢心こそが王の本懐、なれども、フゴウのそれはあまりに隙が多いだろう。

 

「魔力強化や、対象を移動させる、この令呪。効用は極めて限られているが、こと戦いにおいてこれ程可能性を秘めたものは無い。貴様らが兵器を隠し持っていると知りながら、安易に切って良いカードでは無いだろう。」

「それもそうでしょうな。ですが、爺にはちと、腑に落ちない。」

「ああ、そうともさ。ならばその心の靄を晴らしてやるのも王の務め。我の望みは、常に一つ。革命軍三組織が手を取り合う未来だ。……我はそなたらと殺し合いをしたい訳では無い。」

 

フゴウの意志は変わらない。

革命軍が手を取り合い、共に災害へと挑むことを、いつだって夢見ている。

言峰クロノの否定、革命聖杯戦争の否定、マンサ・ムーサが望むのは、第三区の真なる復興である。

 

「甘いな。その甘さは、不要なり。」

「そうかな?我は折れぬぞ。果心居士も、細川ガラシャも、我が救うべき民だ。」

「…………っ」

「ふむ、先に宣言しておこう。我が革命戦争において必要な令呪の総数は四画だ。黄金街道を救う為に二画を消費したが、この戦いが終わるその時、我が四画を持っていれば、我の望みは遂行される。つまりあと一画、という訳だ。」

「四、だと?その数字に何の意味が?」

 

解説実況のリンベルも、フゴウの宣言に首を傾げた。モニター越しに観戦する区民たちは、誰一人としてフゴウの真意に気付かなかった。

この第三区にいる者の中で、その意味を知るのは彼自身と、そしてもう一人。

芸達者は一先ずそのことについて頭を悩ませることを放棄した。目の前の敵を殺すことへ集中する。

 

「貴殿が油断している内に儂も事を成そう。いまグローブの領域内に黄金街道殿は見当たるまい。今こそが好機と見た。」

 

果心居士が口笛で号令したその瞬間、十体の絡繰巨兵が地中深くより現れ出る。

グローブのサーヴァントが与り知らぬ間に、この男は彼らの領地にまで罠を巡らせていた。

通常、フゴウは果心居士の芸達者ぶりに拍手喝采を示すが、絡繰の内部構造を観察し、目を細める。

 

「天下の妖術師、にしては、仕事が粗いな。」

「何ですと?」

「図体はそれなりだが、今しがた我が消し飛ばしたオートマタと同構造だ。これでは雑兵のコピーに過ぎない。むしろ的が大きくなった分、先程より対処が容易くなったと言える。果心居士の仕事では無いな。」

「ほう、職人の如く威張るでは無いか。」

「何を焦る?芸達者。我を殺すならば、小細工を数千と用意するのが貴様だろうに。」

 

フゴウは芸達者の心の内を見透かした。

流石は王、人の見る目は一流である。動揺する芸達者を冷静に捉えていたのだ。

一方の果心居士は唇を震わせた。彼の脳裏には、娘のように愛するガラシャの姿がある。

だが、彼女は変わってしまった。この第三区を遊び場にすべく現れた『災害』によって。

果心居士では、細川ガラシャを救えない。ならば、もしも、マンサ・ムーサであるならば—————

 

否、それは出来ない。

ハンドスペードは、グローブと袂を分かったのだ。戦争は、止まらない。

 

「革命聖杯戦争はじき終わる。ハンドスペードが、グローブを下す。震えるがいい、フゴウよ。負け惜しみでは無く、それこそが未来なのだ。」

「……芸達者、貴様がそういうならば、そうなのだろう。」

 

フゴウは十の黄金剣で、絡繰巨兵たちを見事瞬殺した。

そしてその間に、芸達者は煙玉を用いてどこかへと消え去った。

只の時間稼ぎ、にしては次の一手は用意されていなかった。

視聴者たちは芸達者の不甲斐なさに呆れ、怒りを露わにする者もいた。

彼への支持は急激に低下し、またもやフゴウが人気をかっさらう事となる。

もはやフゴウの勝利は揺るぎない。その域に達した瞬間である。

 

【キングビー編④『エピソード:ドラゴン』】

 

第三区北東部へと向かった巧一朗とダスト。

彼らの目的は、革命軍過激派組織『ハンドスペード』の偵察である。

ダストが運転するバイクに乗せられた巧一朗は、彼女に摑まりながら、荒廃した区内を見渡していた。

 

「運転出来るんだな、ダスト。」

「騎乗スキルがある訳ではありませんが、人並みには。……巧一朗様から見て、この区はどうでしょうか?」

「やはり第二区や第四区に比べ、貧しく感じられるな。例えば第二区は貧富の差が目に見えて分かる構造だったが、この場所は全てが廃れているように思う。災害が管理、運営していないからこそ、だろうな。」

「はい。第三区の統括である災害のバーサーカーは他区と異なり、人間を見放しています。だからこそ革命軍は第三区を根城としているのですが……他区への移動も一苦労です。このバイクですら高価品ですし、他区を管理する各災害に目を付けられれば、その時点でアウト。最悪の場合は革命の意志を詳らかにされ、処刑されます。」

「ダストは何故このバイクを所持しているんだ?」

「実はジャンクパーツを用いて一から作成しました。やってみれば、何とかなるものですね。」

「おお、すげえな。」

 

巧一朗は素直に感心する。

道具作成スキルも、騎乗スキルもない彼女、否、それどころか、本来セイバークラスが持ちうるスキルの一切を持たない。

シェイクハンズの上で巧一朗と打ち合った際も、剣の腕は二流、三流だった。恐らくフゴウや黄金街道の方が、剣を巧みに振るえるだろう。

ハッキリと分かることがある。ダストは、枡花女というサーヴァントは、こと戦闘面において『最弱』と言っていい。劇作家ですらもう少しまともに聖杯戦争を戦えるだろうレベルだ。かと言って、戦闘を行う者へのサポートが出来るわけでも無い。

だから、リケジョとのタッグによるフゴウ暗殺は、一応理に適っていたと言えよう。だが当然のことで、彼女の作戦は失敗した。気配遮断を持つアサシンならば成し得ただろうか。

ダストの情報を得た巧一朗は、彼女の得意分野を探していた。もしかしたら手先が器用なことはこの先役立つかもしれない。

 

「そろそろ到着します。ここからは徒歩での移動です。キャスタークラス『芸達者』の罠が張り巡らされているでしょう。」

「ああ。革命軍ハンドスペード、か。」

 

過去に淡路島を起点に独立国家を築こうとした組織、という前情報がある。

エラルから見せられたアインツベルン製対災害兵器『ヘラレウス』の実用に成功したのが、このハンドスペード。

だが彼らの目論見は、第五区の宗教団体アヘルによって崩された。

三百余りのヒトが、英霊たちが、只一人の人間によって亡き者とされたのだ。この組織の長であるガラシャが纏う怨念は、底知れぬものであるだろう。

だから、彼女らはグローブの差し出す手を取らない。災害のアサシンを殺すことにのみ注力しているようだ。恐らくこの革命聖杯戦争において誰よりも願いを叶えることに必死である。

第四区博物館に属する巧一朗は、ある種の仲間意識を抱いていた。

彼のもっとも愛する女性は、災害によって無残に殺された。彼は復讐心のみで今も生き永らえている。

もし災害を殺す目的を失ったなら、彼はどのような人生を歩めばよいだろうか。彼自身、考えたこともないし、考える予定もない。

 

「見えてきました。竜宮城です。血のように赤く染まっていますね。」

「竜宮とは海の底の理想郷、はたまた冥界とも言われている。この色味だけを見ると、死者を招く閻魔邸だな。」

「元は浦島太郎の宝具により生み出された結界、ですが、細川ガラシャと細川忠興の呪いがこの領域を強奪しました。太郎はもう、何処へ消えたのかも分からないようです。」

 

ダストの言葉に、巧一朗は目を瞑り、微笑した。ダストは不思議そうな顔をしている。

 

「巧一朗様?」

「いや、意外と近くにいるかもしれないぞ。」

「はあ。」

「兎に角、潜入できるなら、そうしてみよう。忠興の怨霊がどれ程のものかを確認する必要がある。」

 

巧一朗は不用意にも城壁へ近付いていくと、麦蔵から貰った、鶴の羽根を押し当てる。

すると驚くべきことが起きた。巧一朗とダストの目の前に、突如、竜宮の隠し通路が現れる。

目を丸くするダストと、にやりと笑みを浮かべる巧一朗は、共に狭い通路を進んでいった。

 

「どうして、こんなことが……」

「浦島太郎の玉手箱に秘められていたのは、彼の残りの人生と、鶴の羽根だ。生まれ変わった彼は、愛する乙姫を求めて蓬莱へと旅立つのさ。竜宮と蓬莱山の関係性は不明だが、どちらも理想郷であり、太郎と乙姫が恋紡ぐ場所であるなら、これこそが鍵となる。たぶん、『歳を重ねない』英霊には扱えないんだろう。麦造さんが親しげだったフゴウに渡さなかった理由はその辺りだろうね。」

「麦造さん……」

「ここからは敵のテリトリーだ。慎重に行こう。」

 

慎重かつ大胆、裏スタッフの行動理念だ。

聖遺物回収に勤しんだ頃の巧一朗は、キャスターと共に危なげな罠に自ら飛び込んでいた。

好奇心がそうさせるのかもしれない。

そして二人の城内探索が始まろうとしたその時、源頼光が声を上げた。

 

「巧一朗、まずいぞ。」

「忠興の怨念か?確かに、進めば進むほどに皮膚がひりひりと痛み始めるが……」

「違う。もっと危険なものだ。魔力の量が限界を超えている。通常の英霊では有り得ない、何かが潜んでやがる。」

「…………まさか?」

「ああ、そのまさかだ。忠興の呪いが充満している所為で外部に漏れちゃいねぇが、間違いない。『災害』がいるぞ。」

「さっ……ささささ災害!?」

 

驚き、声を上げるダスト。その口元を巧一朗が手で覆った。

だが彼もまた動揺している。革命軍とは即ち、対災害組織だ。間違ってもその元凶と手を取り合うことは無い筈。

 

「災害が入り込んで、暴れているのか?それにしては静かだ。」

「いや、魔力反応は二つ。もし片側が細川ガラシャならば、彼女の部屋に災害がいる。……真意はどうあれ、敵対しているようには思えない。」

「革命軍の過激派が災害を匿っているというのか?大スキャンダルだぞ。一体どういう……」

「……巧一朗、こちらの存在が気付かれた……!」

 

巧一朗はダストの手を引き、城内を駆ける。

頼光の言葉が無くとも、彼自身、異変を察知した。ダイダロスを前にしたときの、心臓が掴まれる感覚に蝕まれる。

彼は赤黒い魔窟の中で見つけた、神聖なる教会部屋に、ダストを匿った。細川ガラシャの信仰心により違法建築されたと思われるその場所は、隠れるにはもってこいだ。何より、『誰かに見られているような』感覚が、この場には無い。

 

「ダスト、あとで必ず迎えに来る。それまでここにいてくれ。」

「巧一朗様!?」

「俺は大丈夫だ。俺は災害のキャスターを倒した男だからな。」

 

只の強がりだ。彼自身、そしてダストも、巧一朗の手の震えに気付いている。

だがダストは何も出来ない。彼女ではサポートどころか、足を引っ張ってしまう。

今は巧一朗の言葉を信じ、祈ること。ダストは扉の先へと離れて行く彼を信じた。

 

「巧一朗、いきなり敵のアジトに飛び込むのは、早計だったな。」

「だが、生き延びれば収穫だ。もし災害との繋がりが知れれば、グローブ側との和平を有利に進められるかもしれない。桜館長と再会できれば、博物館も災害討伐の準備に移行できる。」

「お前さんのポジティブシンキング、嫌いじゃないぜ。」

 

巧一朗は源頼光の力を解放させる。

彼の英霊外装を纏い、右手には天下五剣『童子切安綱』を装備した。

 

そして教会から離れた彼の前に、遂に『災害』が姿を現した。

黒い長髪の男は、胸元に大きな傷跡をもつ。彼の手には魔剣『バルムンク』が握られていた。

巧一朗が間違える筈も無い。

 

彼こそは『災害のアーチャー』その人である。

 

「おいおい、能天気な侵入者もいたもんだなぁ、おい。」

「…………」

 

災害のアーチャーはバルムンクを引きずりながら、欠伸交じりに現れる。

彼の只ならぬ魔力放出と殺気は、周囲のものを凍り付かせる。巧一朗は指先すら動かせない程に固まってしまった。

 

「てめぇ、どこぞの三流英霊かと思いきや、人間ですらねぇな。妖魔の類だ。その肉体は建築馬鹿のオリハルコンだろ。無理矢理、糸で縛りつけ、デコレーションした気になってやがる。」

「そういうアンタは、災害」

「ああ。災害のアーチャーとは俺のことだ。てめぇが何故、オリハルコンの肉体を手に入れてやがるか、気にはなるが、ま、どうでもいい。」

「どうでもいい?」

「今この瞬間、死ぬからな。」

 

災害のアーチャーは、大剣を振るう。

刹那、城内全てが飲み込まれるほどの爆風が巻き起こり、巧一朗は飲まれた。

彼の身体を無理矢理動かした頼光は、回転しながら、何とか局所的な嵐に耐えきってみせる。

だが、巧一朗の肉体は、ただの一振りで傷だらけだ。巻き起こる風が彼の肉体を縦横無尽に切り裂いた。まるで一万のナイフが飛んできたかのような錯覚を覚える。

そして城内の通路は、驚くべきことに無傷だ。ハンドスペードの兵器こそがこの竜宮ならば、武器はこの堅牢さにある。果心居士が発起して改築した城塞は、災害の遊び場として機能していた。

 

「っくぅ…………っ」

「今ので死なねぇのか、タフな野郎だ。別にスキルでも宝具でもねぇぜ。ただ剣を振っただけだ。でもそれだけで、大体の奴は死ぬ。」

「今の爆風波が、只の一振りだと?」

「あぁ、それが『災害』だ。おこぼれで生きている旧人類が粋がるんじゃねぇよ。俺が災害、俺が最強だ。」

 

巧一朗はふらつきながらも、足腰で踏ん張り立った。そして頼光の決戦宝具、災害殺しの『雷上動』を召喚する。

この男の前で出し惜しみしている暇はない。ダイダロスが『防御』の災害ならば、アーチャーは『破壊』の災害。彼の聖剣が輝くその前に、決着を付けなければならない。

 

『これより放つは、妖を屠る二閃なり。一に水破、二に兵破。大聖文殊菩薩よ御覧じろ。今ここに天下無双の名を顕す』

 

巧一朗は雷上動に、先ずは水破を番える。

災害のアーチャーはその弓を知らない。だが、その強大な力に危機感を覚えた。

そして災害のキャスターの死を連想する。オアシスの繭を形成する大迷宮で、ダイダロスを超えようとした存在がいた。

それが、このちっぽけな『虫』であるなどと、考えたくもない。

 

「うざってぇな、お前。」

 

アーチャーは溜息をつき、そして、己も弓を取り出した。

ジークフリート・シュパンネ、かつて竜殺しの大英雄が所持していたとされる弓。彼はそれに、矢では無く、己の聖剣を番えた。

災害のアーチャーの必殺宝具が、いま、放たれようとしている。

 

「死ね、虫が。」

「俺が勝つ」

 

巧一朗は解き放つ。

 

『雷上動・水破(らいしょうどうすいは)』

 

アーチャーが空に吠える。

『投射式幻想大剣・天魔失墜(シューティング・バルムンク)』

 

距離にして五メートル。二人の同時に放った矢は轟音と共にぶつかり合った。

そしてその衝撃により、堅牢な竜宮城塞の三分の一が消し飛んだ。これでもまだ城としての機能を有しているのが奇跡である。

眩い光に包まれ、周囲に存在する全てが消滅する。巧一朗もまた、その衝撃により場外へと飛ばされた。

全身から吹き出した血液が宙に線を描く。この一撃により、彼は戦闘不能に陥った。

 

「ぐぅぁあ」

 

巧一朗の口から漏れ出た、悲痛の声。

それもその筈、彼の右足はこの衝撃により千切れ去った。

縫合魔術により錬成したオリハルコンの肉体すら、この衝撃には耐えられなかったのだ。

仮初と言えども、虚行蟲を構成する筋肉そのものである。糸が解れれば、激痛が襲い掛かる。

頼光は巧一朗の意識を現世に留める役割を果たす。意識を失う前に、彼の名を呼び続けた。

幸運だったのは、ダストを匿った教会の方角へ衝撃が伝わらなかったことだ。彼女が死んでは本末転倒である。

 

「巧一朗、お前さん、タフだな。」

「今の状況を見て、そう思うか?」

「充分タフさ。生きていることが奇跡だよ。右足だけ、処置が必要だな。」

「あぁ。災害のアーチャーは?……まだ一度しか殺せていない。」

 

巧一朗には手ごたえがあった。

放った矢が、アーチャーを貫く瞬間をその目で捉えていたのだ。

頼光の雷上動が、災害の宝具を僅かながら上回ったのである。

そのことに、喜びを覚えていた。

 

「あとは兵破の一撃だ。まだ撃てるな?」

「あぁ。まだ、戦える。」

 

巧一朗は抉られた大地に残っていた果心居士の罠、果心礼装の一つに手を伸ばす。

鋳造されたオートマタは四肢を解体されながらも、新品のように艶がかっていた。

彼は指先から糸を出し、己の右太腿と果心オートマタを接続する。

ダイダロスの迷宮から採取したオリハルコンの身体には程遠いが、立って踏ん張るだけならば、これでも上出来だ。

巧一朗は糸を紡ぎ、果心礼装とドッキングする。絡繰は見る見るうちに、巧一朗の足そのものとなった。

 

「うげ、キモチワル」

「おい、気持ち悪いとか言うな。傷付くぞ。」

「悪い悪い。お前さんの立派な魔術だもんな。」

 

からからと笑う頼光に不信感を募らせつつも、数十メートル先の竜宮を捉え、立ち上がった。

彼の手には雷上動が握られる。

今こそ、二人目の災害との決着を付ける時だ。

 

だが、その時、異変は起こる。

竜宮に出来た巨大な穴から、人ならざる何かが飛び出した。

白い光沢のある鎧に身を包んだ、四本腕の、翼広げる竜。

機竜と名付けるべき存在は、バルムンクを片手に、空へと急上昇する。

 

「竜…………」

「アレは災害のアーチャーだ。お前さんの放った矢、掠り傷一つ付けられてねえ!」

「ば……馬鹿な……」

 

水破が貫くその瞬間、災害のアーチャーは第二形態へと姿を変えた。

人の形を捨て去り、竜種へと進化する。今の彼は異形そのものだ。

大剣バルムンクを所有する大英雄、それは仮初の姿に他ならない。

第三区の天高く君臨する一匹のドラゴン。

文字通りの災害、人の世に災いを齎す生命。

巧一朗は自らの脳内データベースから、この存在の真名を引き当てる。

かつてヒトだったもの。竜に生まれ変わったもの。そして、大英雄に狩られたもの。

 

「災害のアーチャーの名は……」

 

大英雄ジークフリートの天敵、邪竜『ファヴニール』

 

ジークフリートに、或いは、シグルドに、打ち倒された邪竜。

そしてかつては、『ヒト』だった命。強欲に塗れ、獣と化した人間だ。

 

「妖、どころじゃねぇな。あれは神域の魔竜だ。雷上動で葬れる相手じゃないかもしれねぇ。」

「二回殺すって、もう不可能だな。あんなの、どうしようもないだろ。」

 

巧一朗は諦めの溜息を零す。

空に浮かび上がった竜は、彼にとって『神』そのものに思えた。どのような対抗手段も通じない。唯我独尊とは、この竜の為にある言葉だ。

ダイダロスの迷宮で、消えて行った英霊たちを思い出す。英雄への憧れの強い青年には、一種のトラウマとして心に刻み込まれていた。

あぁ、これより人間が、英霊が、沢山死ぬ。トリガーを引いたのは巧一朗だ。

 

「……っ」

「おい、巧一朗!」

「分かっている。……やろう、俺とアンタで。ここで災害を食い止める!」

 

巧一朗には、失うものなど無かった。

何故ならば、もうすでに一番の宝物は消滅している。

生きて、復讐の道を選んだ彼には、他に選択肢など無い。

第三区を守護するなどと、高尚な気持ちで臨むつもりは甚だ無い。

只の憂さ晴らしに、全身全霊をかける。

 

「兵破を放ち、それでも届かなければ、天下五剣で近接戦闘へ持ち込むしかない。いけるな?巧一朗。」

「鬼を斬る刀は、竜種にも有効なのか?」

「ああ、無論だ。ヒトならざる者であれば、な!」

 

巧一朗は果心オートマタの右足で踏ん張り立つ。

手に握ったのは雷上動。黄金色の一撃をもう一度、叩き込む。

そして巧一朗には直感していることがある。二度の矢を放ったその時、隣に立つ大英雄との、別れが来てしまうのだと。

イカロスに接続したときと同じだ。命を懸けたその時、肉体の限界を超え、糸の結び目が解れだす。

だが、後のことは考えない。考えている暇はない。今己が出来ることを全力でやるのみ。

彼一人でも、邪竜殺しを成し遂げる。

 

「行くぞ、災害!」

 

巧一朗は空の先で無限の咆哮を続ける邪竜へ向け、矢を構えた。

ただの一度でも良い。この矢が届けば、勝利への可能性が生まれる。

第四区博物館には、災害への対抗札が用意されている。邪竜の翼を折れば、これから先戦っていけるはずだ。

 

『大聖文殊菩薩よ御覧じろ』

 

水破と同様の詠唱、彼の肉体に黄金の線が浮かび上がり、矢はエメラルドに輝きを放った。

だが先程とは何かが違う。水破より、兵破の方が重い。同じ矢である筈だというのに。

 

「巧一朗!?」

「くっ…………」

 

弓を引くことが出来ない。

巧一朗の身に何かが起きているのか。

力が入らない。命を燃やし尽くす覚悟が出来ない。

雷上動を使いこなすには、何かが決定的に不足している。

頼光を以てして、彼は為し得ることが出来なかった。

 

「なんでだ……」

「おい、巧一朗、まずい!来るぞ!」

 

空を見上げる。

邪竜は感情を剥き出しにしながら、再びジークフリート・シュパンネを携えた。

再び、大剣バルムンクを用いた対軍宝具が放たれようとしている。

ハンドスペード領域内にいた人々は、逃げることを忘れ、ただぽかんと空の輝きを見つめていた。

 

「あ……」

 

巧一朗は『逃げろ』と呼びかけようとする。

だが、喉の奥から出かかったその声が、どこかへ消え去ってしまった。

一瞬の迷い。

彼の心の中にある、己への蟠り。

 

第四区博物館スタッフとして、多くの人間を手にかけてきた。

災害への復讐のために、犠牲を伴わなかった。

その彼に、今更偽善者を演じる資格はあるのだろうか。

時間にして一秒にも満たない惑い、同じ博物館スタッフである、吉岡を殺した生々しい感覚が蘇る。

私利私欲に塗れた彼が、他者の生存を願う権利を有するだろうか。

 

ヒトですらない、ただの虫風情が。

 

そして巧一朗は彼らと同じように口を開けたまま、立ち尽くした。

空より降り注ぐ、滅殺の一撃。

彼は頼光の呼びかけにも答えられぬまま、固まる。

そして命を落とすであろう瞬間に、彼は飛び込んできた何者かに救われた。

轟音と共に、ハンドスペード領地は灰と化す。

巧一朗の目前で、少なくない数の人々が消えた。

跡形も残さず、命は霧散した。

 

「あ……あぁ…………」

 

彼は柔らかい身体に抱き留められていた。

ほのかな甘い香りは、つい先ほどまで彼の鼻腔をくすぐっていたもの。

教会に隠れていたダストが、巧一朗を救ったのだ。

 

「巧一朗様!」

「ダスト…………」

「今の貴方には、雷上動は使用できません。撤退しましょう!」

「今の俺には……?」

「はい。吾は生きる理由を失い、退去してもいいと、考えていました。でも、巧一朗様が召喚された意味を探して下さるならば、吾はまだサーヴァントとして戦える。だから生きてください!これは吾の我儘です!」

「ダスト……」

 

ダストは巧一朗と肩を組み、走り出す。

災害のアーチャーは暴れ回りながら、何度でも剣を振るうだろう。

革命聖杯戦争どころの騒ぎではない。リンベルが報道し、クロノが開催中止を宣言する。悪い意味で、三組織が手を組む日が来るかもしれない。

ダストは違法改造した中型二輪を探すが、竜宮大破と共に、衝撃で壊れ去ってしまっていた。

徒歩で移動するには厳しい距離だ。どうにかして生き延びる方法を模索する。

 

「ダスト……俺が戦う……から、アンタは」

「出来かねます。ここは共に生き延びる道を選ぶべきです。巧一朗様、必ず貴方は再び雷上動を握ることが出来る。そのとき、革命は起こる筈です。」

「だが、このままでは……」

 

逃げ切れない、そう言おうとしたときだった。

彼らの目の前に、豪快なエンジン音と共に、大型バイクが現れる。

金の髪をたなびかせた特攻服の女、当然、巧一朗たちが知らない相手では無かった。

革命軍グローブ特攻隊長、ライダークラスの黄金街道が、彼らを救出するためにやって来たのだ。

 

「黄金街道……っ!」

「話はあとだ、乗れ!グローブの領地まで走り抜ける!」

「わ……吾もいいのでしょうか?」

「良いに決まっているだろ!今は敵とか味方とか関係ねぇ!アタシの黄金街道まっしぐらだぜ!」

 

巧一朗とダストは黄金街道に密着しながら、飛ばされないように力を込めた。

そして黄金街道は怪音を轟かせ、ハンドスペード領地から猛スピードで離脱していった。

 

 

災害のアーチャーが天空を支配する、そのとき。

巧一朗たちとは逆に、現地へと足を運ぶ二人がいた。

革命聖杯戦争において監督役を務める男、言峰クロノ。

そしてそのサーヴァントであるクロノアサシン『ツキ』である。

クロノはアーチャーの降臨から、リンベルたちメディアへの情報統制、そして現地到達まで僅か半時間で事を成した。

想定外の事態であろうとも、彼には桜館長と共に聖遺物回収と博物館運営を行ってきたノウハウがある。

戦争にはトラブルやアクシデントはつきもの。発生してから迅速に行動し、事態の収拾に図るのは専売特許だ。今まで姿を現さない桜館長に代わって、彼があらゆる事柄に対処してきた。

 

「ハンドスペード支援者の損失は痛いが、元より彼らには一切期待していない。令呪システムをはじめとし、グローブの勝利の為に動いてきたからだ。竜宮もああなっては、兵器としての機能を剝奪されたも同義だろう。」

「クロノ的には、結果おーらいってこと?」

「そうですね。災害のアーチャーと繋がっていたのは想定外でしたが。細川ガラシャと接触した際、彼女はもう少しまともだと思っていましたよ。身も心も災害に捧げた愚者、我々でなくとも、救済するに値しない人物です。」

「そっか、可愛いから、アイドルとか向いていると思っていたけどなぁ。」

 

ツキの戯言を華麗にスルーしつつ、彼は天空を我が物とするアーチャーを睨みつけた。

 

「リンベルの観測艇は来ない。情報を仕入れる能力が恐ろしく低い貧困層には秘匿する。革命聖杯戦争を中断などさせる筈が無いだろう。私の救済は、ここで終わらない。」

 

クロノの『救済』。

ヒトが神と分かたれるために、ヒトがヒトとして生きていくために。

彼はクロノアサシンと契約した。

第四区博物館、並びに、桜館長ことメアリー・セレスト、彼女の思い通りにはさせない。

博物館が成そうとしていること、彼はそれを否定する。

 

「ねぇ、クロノ。今更だけど……」

「何でしょうか」

「いや、いいのかな~って思って。ほら、クロノの救済ってさ、『クロノも死んじゃうじゃん』。」

「ええ、構いませんよ。それが貴方との契約、大切な約束ですので。」

 

クロノは両手を心臓に当て、祈る。

彼の身体に、刺青のように刻まれた赤の紋様が輝き、ツキの肉体を満たしていく。

 

『令呪を以て命ずる。邪竜を、撃ち落としなさい。』 

 

クロノの命令は、ツキの身体を魔力で満たし、彼女の性質を活性化させる。

かつての力を取り戻すことは出来ないが、一時的に英霊としての戦闘能力を取り戻した。

ツキの赤髪ツインテールは翼の形状へと変化し、その両手は黄金に染まり、肥大化する。

シェイクハンズの悪夢、その空の上で降臨した抑止力と同じ姿へ進化した。

天空領域は、彼女のモノだ。たかが災害如きが、そこにいていい筈が無い。

 

「私の力を求めるか、司祭よ。」

「はい。世界救済の第一歩がこれより始まるのです。」

「ふ、くだらんが、愉快だ。相反する感情が同居する。実にヒトらしい思考に至ったぞ。」

 

ツキはゆっくりと、空へ昇っていく。

彼女の姿をその目で捉えた邪竜は、あの悪夢の日を思い出した。

彼が隠し持っていた〇〇〇が、戦局を大きく変えた。だが、今度はそれが通じるとは思えない。

だが、不思議と負けるつもりは無かった。抑止力は不完全である。

 

「貴様、あの日の」

「そうだ、災害よ。久しいな。」

「クソが、クソがクソクソクソクソ!お呼びじゃねぇよ大地の守護者!ここは俺の空だ。俺がこの第三区を牛耳る。」

「視野が狭いな、災害よ。私が見ているのは、このオアシスそのものだ。元より、貴様に興味はない。」

「んだと?コラ」

「戯言はいい。もう十分だ、堕ちるがいい。」

 

ツキは両手を空に翳し、舞い踊った。

情熱的な舞踊により、彼女の周囲に嵐が巻き起こる。

それこそが攻撃方法ではない。真骨頂はここからである。

舞い踊る彼女の両手に生成された球体が宙に飛んでいき、空と宇宙の境界線で破裂した。

そしてその刹那、ハンドスペード領地に、局所的な雨が降り注ぐ。

 

「傘の準備はいいか?」

「……っく!?」

 

ただの雨粒ならば、茶番劇。

だがその一つ一つが、鋭利な刃物であるならば、話は変わる。

そう。この瞬間、空を超えた先から降り注いだのは、無数の失墜剣『バルムンク』である。

 

「てめぇ!ふざけやがって!くそぉぉぉおおおお!」

 

災害のアーチャーは四本の腕とバルムンクで、その一つ一つに対処する。

だが不可能。文字通り、降り注ぐのは『無限』。防御機構を備えたダイダロスですら、耐えきることが出来なかった。攻撃に特化した災害、邪竜は防ぎようも無く、白亜の鎧に風穴を開けられる。

翼は千切れ、腕は捥げ、足は砕かれ、地に堕ちる。

ただの一撃、ツキは躊躇なく、災害を跪けた。

 

「さようなら、ドラゴン」

「くぅぅっ!?」

「貴方に、私は倒せない。もう、二度と。」

「ちくしょぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおお!」

 

そして、ものの数分で決着がつく。

災害のアーチャーは、ツキを目の前に、成すすべなく敗れ去った。

彼は自身が生み出したクレーターまで落ち、そして転がった。

彼の纏う鎧は既に消滅している。

 

「ご苦労様です、アサシン。」

「ふ、他愛無い。」

 

ツキは天空から帰還すると、元のアイドル衣装へと戻った。

災害のアーチャーはその攻撃性もさることながら、あらゆる攻撃を通さない無敵の肉体を持つ。

だから、この数分で殺せたとは露にも思っていない。

必要であったのは『無力化』である。彼らにとって災害のアーチャーの暴走は『些事』だ。

革命聖杯戦争が正しく行われるために、ただ邪魔となる存在を追い払っただけ。殺す価値も無いだろう。

鋼の肉体を削り、消滅させる、血で血を洗う必要も無い。時間の無駄なのだ。

 

「満身創痍の彼は放置し、聖杯戦争を続行しましょう。フゴウが心を改め、優勝してくれることを願いつつ。」

「うん、そうだね!それまでは魔女っ娘アイドル『ツキ』ちゃんも、みんなを笑顔にさせちゃうよん!」

 

彼らはゆっくりとした足取りで、領域から離れて行く。

もはや振り返ることもしなかった。

 

一方、バルムンクの飛来により、半壊した竜宮。

最奥の間に引き持っていたロンリーガールこと細川ガラシャが、空を仰ぐために瓦礫へと向かった。

彼女の見つめる先、巨大なクレーターの中央に、敗れた災害が横たわっている。

彼女は唇を噛み締めながら、その場所へと向かおうとした。

 

『ドコヘイク』

 

彼女の足は巨大な青白い手に摑まれる。

そして竜宮の内側へと、彼女を取り込んでいく。

この屋敷に巣食う怨念は、一畳でも残っている限り、ガラシャを囲い続ける。

この場所に呼び出された彼女は、二度と外へ踏み出すことが出来ない。

 

「旦那様……わたくしは………」

『ユルサヌ』

 

ガラシャは触手のように伸びた腕に纏われ、障子に叩きつけられた。

そして伸びた十数の腕が、彼女の着用する衣服の内側へと侵入し、肢体を貪ろうとする。

 

「旦那様……おやめください」

『ユルサヌ……オマエハオレノモノダ』

 

忠興の呪いは、ガラシャを弄び、彼女の心を折り続ける。

彼女にとって唯一の宝、家族だった、ハンドスペードの仲間も、皆死に絶えた。

忠興が、アヘルが、災害が、細川ガラシャを殺し続ける。

もう立つ気力がなくなる程に。

 

「クロノ神父、革命聖杯戦争に勝てば、わたくしは、家族は、救われるのでしょうか?」

 

返答はない。

騙されていようと、信じるしかない。

彼女を救う者はいない。囚われの少女は、深海の奥底に眠るのだ。

 

「わたくしは、どうすれば……」

 

細川ガラシャの目の前に、一本の矢が落ちていた。

これは巧一朗が放ち、アーチャーに防がれた対災害兵器、『水破』である。

もしガラシャが『間に合わなければ』アーチャーはこれに貫かれていたかもしれない。

無論、天空より堕ち、敗北した今となってはどうでもいい話だが。

ガラシャは地面を這いつくばりながら、水破に向けて手を伸ばす。

彼女にとって、それは天より降り注ぐ蜘蛛の糸のようにも思えた。

 

「っ……あと、すこし」

 

ガラシャは忠興の呪いに全身を傷だらけにされながら、それでも、と手を伸ばした。

だが、あと少しで届く、そのとき。

目前で、矢は回収される。

 

「え……」

 

彼女は目の前の人間を見上げ、絶句する。

彼女が決して忘れたくても忘れられない存在。

ガラシャの家族を皆殺しにした張本人が、そこにいた。

 

アヘル教団左大臣、バトルスーツに身を包んだ孤高なる戦士『都信華』。

ハンドスペードの大虐殺を決行した彼女が、よりにもよって、ハンドスペードの母、ガラシャの目前に現れたのだ。

 

「あ……あぁ…………」

 

目から光が失われていくガラシャ。信華は這いつくばる彼女を一切見ることも無く、水破のみを回収した。

 

「お前は……ミヤコ…………お前が、わたくしの家族を……」

 

ガラシャは信華の足を掴む。そして爪が折れる勢いで、皮膚に指を食い込ませた。

彼女の怨念が、アヘルへの憎しみが、彼女の心に火を灯す。

いま、ガラシャの宝具が発動すれば、信華を殺すことが叶うかもしれない。

 

「都信華……わたくしが……お前を……」

「辞めることをお勧めします。貴方では、私を機能停止させることは出来ません。」

「五月蠅い!殺す!絶対!いま殺す!」

「細川ガラシャ、データで閲覧済みです。貴方の宝具は言うなれば『自壊宝具』、ですが、その程度では私は死にません。無駄死です。」

 

信華はそう言い放つ。これは事実だ。細川ガラシャ程度では、何も為すことは出来ないだろう。

それでも、と食い下がるガラシャを、信華は跳ね除けた。

 

「災害のアーチャーの、邪竜装甲、あれは彼が本来持つものでは無い。あれは革命聖杯戦争という陳腐な儀式に、ハンドスペード側が持ち込んだ、果心居士手製の決戦兵器です。それをあろうことか貴方は、革命組織が憎むべき災害に託した。違いますか?」

「な…………」

「私は一部始終を観察していました。この場所に現れたテロリストの青年と、災害のアーチャーは同時に矢を番えた。確かに、水破は彼を貫いたかもしれない。貴方は果心居士の叡智を私的に利用し、水破を防いでみせた。ですが、災害のアーチャーはこれに貫かれても良かったのです。彼の無敵性は、その不死性そのものにあると言っていい。致命傷にはなりますが、抑止力にいたぶられる結末にはならなかったかと。貴方の介入が、結果として、災害のアーチャーの本来の戦闘能力、基本的な動きを阻害、制限してしまった。貴方にはタクティカルスキルは無い。只の守られているだけのお姫様に過ぎません。」

 

信華は淡々と、ありのままを告げた。

災害のアーチャーが邪竜の名を冠していないことを、彼女は知っていたのだ。

果心居士の礼装は、元より強大な力を有する災害にとって枷にしかならなかった。ガラシャは彼をサポートしたつもりで、その逆、力をセーブさせてしまったのだ。

 

「恐らく果心居士があの邪竜礼装を作った経緯は、この竜宮にある。竜宮は浦島太郎伝説において語られませんが、その名の通り、竜の住む神宮です。乙姫の正体が亀では無く竜種であったという文献も残されています。つまり、竜宮の主を最大限に貸す構想の下、鎧を製作したのでしょう、ドラゴンのパワードスーツは、元々、竜宮内部で戦闘を行うことを想定されていた、ということです。もしかして、果心居士は、呪いによって城の外に出られない貴方の為に、果心礼装を兵器として造り上げたのでは無いでしょうか?貴方が着ることを、想定して。腕が四本備わっていましたが、内二本は、貴方に取りつく悪霊、忠興のものでしょう。……憶測にすぎませんが。」

「…………貴方に、何が、分かるのですか……」

「いいえ、何も。」

 

腕に力の入らないガラシャを振り解き、信華は竜宮を後にする。

ガラシャは涙を流しながら、その背を睨みつけるしか出来なかった。

 

そして信華は巨大クレーターの内部へと足を運ぶ。

砂埃を払った先に、彼女の求める人物がいた。手痛くやられ、装甲を失った災害のアーチャーである。

彼は信華を一目見ると、手に取ったバルムンクを即座に振るった。

砂嵐が巻き起こる一閃、だが彼女はびくともしない。

 

「てめぇ、アヘル教団の……」

「知っておられるとは光栄です。セントラルにて左大臣を担っております。」

「よくアサシンの野郎が自慢げに話していたぜ。人間なのに、バケモノ、だってなぁ。」

「そうですか。私は普段通りですが。」

 

信華は義手の腕で矢を持ちながら、構える。

通常ならば有り得ない光景だ。ただの人間一人が、災害のサーヴァントに戦いを挑もうとしている。

 

「何だ?ザッハークの野郎、俺はもう用済みだってか?」

「ええ、はい。貴方は遊びのつもりであれ、革命軍側についた以上、アヘルの敵です。モード『焦怒』、この拳が貴方に届くことを願います。」

「カカカ!良いだろう、遊んでやるよ!」

 

細川ガラシャだけが見届ける中で、人間と災害の一騎打ちが開始する。

災害のアーチャーはバルムンクを縦横無尽に振り回しながら、信華を殺すレンジへと突入を試みる。

その人振りが、サーヴァントを一撃のもとに葬る程。だが、信華は剣の軌道を冷静に見極めながら、何度も攻撃を避け続けた。

肉弾戦を得意とする信華にとっても、接近戦が好ましい。だが、一瞬の油断で、彼女の首は胴を離れることになる。レンジに突入するには、一瞬の隙を突かねばならない。

アーチャーのように、驕り高ぶる者は、戦いにおいて転がしやすい。直情的であれば、猶更。

故に彼女は戦いの最中であっても、言の葉を紡いだ。感情を失った女が、相手の怒りの沸点を探している。

 

「私は貴方の真名を知りません。聖剣バルムンクを有する英霊など、ジークフリートしか考えられない。ですが、貴方がそれを否定していることを知っています。英雄はくだらないと、人間であると、主張し続けている。」

「……だったら何だ?」

「なら反英雄、というのが候補として上がります。例えば、邪竜ファヴニール、元々ヒトであった悪竜ならば、貴方の訴えの意味は理解できますし、シェイクハンズの悪夢において貴方が〇〇〇を持っていたことも納得は出来ませんが、理解はできます。英霊召喚という枠組みにおいて起こり得ることは想定できる。欲深い性格も、竜種であるならば納得できます。」

「そうか、良い考察じゃないか。」

「ですが、違う。ファヴニールは、強大な力を持つが、それを失う選択はしない。自ら邪竜の道を選んだ結果なのです。力を、翼を、財宝を、失ってまで人間に戻りたいとは思わない。だからこそ、ファヴニールは悪竜なのです。」

 

ならどう考察できるだろうか。

英霊の座から呼び出され、人間に戻りたいと願う。

それは与えられし今のロールに、不満、ないし負の感情があるからだ。

生前の行いを悔いているのであれば、むしろ英霊として世界に寄与しようとするだろう。

ならば、これは自己の理由では無く、他己の理由。

『生前、英霊でいることを強いられた、人間』では無いだろうか?

 

「そうか、貴方は」

 

信華はその答えに辿り着いた。

有り得ぬ解答では無いが、誰もが忌避していた考えだ。

災害が、彼女らと同じような『人間』である筈が無いと。

信仰という枠組みに置き、ヒトとしての地位を与えなかった。社会が彼に『神話性』を求めたのだ。

 

「貴方の名は〇〇〇〇〇、違いますか?」

「ああ、その通りだよクソ野郎!」

 

だが疑念が残る。

信華が知る〇〇〇〇〇の記録は、どれも輝かしい程の英雄譚だ。後世においてその歴史が歪められることなく、彼が真に英雄であったと語り継がれている。そして生前の彼もまた、そういう立ち振る舞いを望んで行っていた筈だ。

今の彼は、まるで彼の弟〇〇〇〇〇のようである。あらゆる意味で『人間臭い』英霊たり得ぬ人物。

 

「第二の生において、貴方を絶望させるに足る何かがあった。ならばこそ、弟のように自由気ままに生きる選択をした。それは〇〇〇〇〇という英霊の軸となるものを失わせるもの。」

「てめぇ、考察とやらはそこまでだぜ。そろそろ死にな!」

 

信華の言葉に苛立ちを覚えた彼は、一度距離を取ると、三度ジークフリート・シュパンネにバルムンクを番える。

ただの人間に対して、彼は対軍宝具を放つ。殺すことに関して、一切の躊躇は無かった。

だが信華は絶大なる魔力放出を前にして、未だ冷静だ。このような逆境で取り乱す程、修羅場を潜り抜けてきてはいない。

いま信華に必要なのは、氷塊のヴァルトラウテを制したときの、あの力。彼女自身の枷を外す必要がある。

 

「災害のアーチャー、貴方が何故アーチャーなのか、その答えは一つです。貴方はバルムンクの所持者では無い。貴方は、その剣の使い方を知らない、そうでしょう?」

「黙れぇぇぇぇぇええええ!」

 

そして放たれる宝具。

その瞬間、信華は第四のモードへと切り替える。

際限なく『進化』し続ける彼女のリミッターを外す形態。パンバの極地へと至る、ヒトを超えたヒト概念への超加速成長。

 

「モード『崩楽』。対象を抹殺します。」

 

そして『投射式幻想大剣・天魔失墜(シューティング・バルムンク)』の光線は、アーチャーも想定していない、あらぬ方向へと曲がって行った。

理由は単純明快だ。時を止めたかのように加速し動いた信華が、弓を引く右腕を叩き折った。

筋肉と骨のバランスが崩れ、力の抜けた一撃は、見知らぬ方角へ消えていく。

呆気にとられるアーチャー、彼が油断するその瞬間を待っていた。

 

信華は、手に持った水破を、災害の霊核へ突き刺した。

 

血を噴き出しながら倒れる災害。

雷上動にて放った際と同速度で叩きつけることで、水破の性能を完全に引き出したのだ。

災害のアーチャーはその場で崩れ落ちる。もし信華が兵破を所有していれば、再び蘇る災害を殺し尽くすことが出来ただろう。

彼女の任務はここまで。ザッハークの命じるままに、彼女は災害の一柱を殺害してみせた。

蘇ったとしても、今ほどの力は振るえない、霊核を一度は壊されている所以だ。

つまり、アヘルの敵では無い。彼女らは厄介者に邪魔だてされることなく、任務にあたることが出来る。

 

「ショーン様とシュランツァ様の前準備が終わり次第、私も本来の任務に戻らなくては。」

 

信華の目的は、第四区博物館館長、間桐桜の抹殺である。

彼女自身では『崩楽』の解除は出来ない。桜を即座に殺した後、第五区へと帰還する必要がある。

彼女は乱れた髪を整えると、災害のアーチャーの亡骸を放置し、踵を返した。

戦いの中で殺した相手など、覚えておく必要も無いのだ。

 

そして信華の戦いの一部始終を目撃したガラシャは、その場で固まっていた。

指一本と動かすことが叶わない。彼女の憎むべき存在は、人間ですらない、何か別の生き物だった。

クロノが説明していた、パンバの極地点こそが彼女ならば、それは存在してはいけない力である。

ガラシャは震えた声で、ただ一言、発する。

それは信華という人間を言い表す四文字。きっと、都信華は言われ飽きている蔑称であろう。

 

「バケモノ」

 

復讐は為されない。

ただ絶望に、歪むのみ。

 

 

【キングビー編④『エピソード:ドラゴン』 おわり】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編5『エピソード:レイヴ』

大変長らくお待たせしました!

災害のアーチャーの真名が出ます!

感想、誤字等あればご連絡ください!


「あぁ、クソ、いてえ、クソが」

 

崩壊した肉体を自動で回復させる災害のアーチャー。

だが彼の霊核は既に砕かれている。通常の英霊であれば、光の粒子となり世界から退去している頃だろう。

彼はサハラの地を離れ、千年の時をオアシスと共に過ごした、言わば神か、物の怪の類である。故に、ダイダロスや后羿同様、心臓を失った程度で息絶えることは無い。

無論、そう長くはもたないだろう。彼の死は決定付けられた。数日後には、数いる英霊たちと同じような、二度目の死を体験する。

英雄の名を捨て、人間のように自由に生きた彼は、哀れに野垂れ死ぬ。

 

「クソ、畜生、俺は……俺は……」

 

彼は崩壊した竜宮城へと歩き戻る。

そもそも第三区へと足を運んだことには理由がある。千年間、この桃源郷の王の一角として居座り続けた彼は、『死』と無縁の生活を送っていた。上位存在である彼を脅かす者など現れないと、信じ疑っていなかったのだ。

だがそれは、ダイダロスの死によって覆される。災害のアサシンこと蛇王ザッハークが災害会議の半ば決定権を有した状態で、真の英雄である后羿に太陽を落とさせた。ヒトの営みに興味を示さなかったダイダロスは、何故か、災害の意向に逆らい、太陽をその身で受け止め、この世を去ったのだ。

最強の災害を自称するアーチャーにとって、千年の時を超えた『死』は、到底受け入れられるものでは無い。

彼は自身が統治する第二区から急ぎ離れた。太陽が着弾すれば、尋常では無い被害が出る。第四区に隣接する第二区にも、火の手が伸びるかもしれない。

ならば、災害が統治を放棄した第三区へと向かおう、そう決心した。

そして彼は美しい女『細川ガラシャ』と出会い、篭絡した。力を欲する愚かな女に、王として恵みを与えてやったのだ。

だが、竜種の強化礼装を、よりにもよって災害に『与える』などという、愚行を侵したからには、生きて帰すつもりはない。

これまでアーチャーが犯し尽くし、そして殺して来た女同様に、細川ガラシャも裁く。

彼は瓦礫を蹴飛ばし、蹲るガラシャの髪を掴み、無理矢理に起こしてみせた。

 

「てめぇの所為だ。どう落とし前を付けやがる。命一つじゃ足りねぇぞボケ。」

「…………」

「答えろクソアマが」

 

災害はガラシャの黒髪を掴んだまま、木製の廊下に顔面を叩きつけた。

彼女は額や鼻、唇から血を流して俯いている。

光の灯らない眼を見た時、災害は気付いた。細川ガラシャは戦意も、信念も、夢も、希望も失っている。

あぁ、彼女を突き動かしていた復讐心でさえ、例外なく。

壊し甲斐の無いガラクタだ。殺すことは、彼女にとってある種の救済となっている。

彼女の腹部に蹴りを入れた災害の元に、細川忠興の怨念が押し寄せる。

この災害は死者の嘆きを受け入れない。忠興の怨霊が纏わり付こうとも、意に介せず、弱った女をいたぶり続ける。

 

「おい、死ぬぞ、ガラシャ。てめぇは災害を憎んでいる内に、潰れちまった復讐鬼。せめて最期は俺を恨みながら死んでみせろ。」

「…………」

「自壊宝具、だよな。俺を仕留めてみせろ、その目ん玉をかっぴらいて、執念を見せてみろ。」

「…………………………」

 

ガラシャは地面に転がりながら、傷だらけの両手を合わせ、目を瞑る。

主に、祈りを捧げた。誰に届く訳でもない声を乗せ、ただ真摯に祈り続けた。

 

「わたくしの…………………わたくしの、家族に、安寧を…………」

「は?」

「爺も、そして、ジョンにも……幸せに…………なってほしい…………わたくしなど、どうでもいいから…………」

 

災害のアーチャーは彼女の胸倉を掴む。

先程まで痛みに歪んでいた顔は、どこか誇らし気な表情に代わっていた。

 

「わたくしは馬鹿です。ようやく気付きました。たとえ貴方に蹂躙されようとかまわない。……わたくしには、命を賭して守りたいものがある。」

「なんだ、英雄としての矜持が舞い戻って来たか?」

「いえ…………きっと、貴方と同じ。わたくしは、『人間』になりたかった。でもそれは、己の仕事を投げうって……自由気ままにあるだけではない。…………逃げてはいけない、わたくしは英霊である前に、屋敷を、家庭を守る、一人の女だから。」

「全部失ったくせによく言うぜ、なら、潔く、死にな。」

 

ガラシャは己の宝具で、災害と共に死を選ぶ決意をした。

災害は散々彼女を煽り立てたが、いざ牙を剥かれると、さっさと彼女の脳を潰し、素直に逃げる選択をする。

そうすれば、彼が生きてさえいれば、『目を背けていられる』。

 

「災害のアーチャー……何を恐れているのです?わたくしを殺し、生き永らえなさい。人間ならばそうすると、声高に叫びたいのでしょう。女を侍らせ、兄である貴方を妬み、嫉み、人間らしくその生を全うした弟『キルペリク』のように!」

「く…………」

「貴方こそは、ジークフリートと、シグルドを形作るルーツ、言わばイデア。聖剣『バルムンク』と、シェイクハンズの悪夢で、抑止力を葬り去った聖剣『グラム』を有する大英雄。貴方は、あの『シグベルト』でしょうが……何を恐れているのですか?」

 

 

災害のアーチャー、真名を『シグベルト』。

 

 

メロヴィング朝フランク王国、偉大なるクロタールの三男坊として生を受けたシグベルト。

気ままに暴れ回る弟キルペリクを抑えながら、只一人の愛妻『ブルンヒルド』を愛し、数々の英雄譚を築き上げた。

そして暴君ネロの名を謳われたキルペリクによって、彼は暗殺され、非業の死を遂げる。

彼の波乱万丈な生涯は、物語として世界に刻まれ、二人の英雄をこの世に生み出した。

サーヴァントとしては珍しい、彼は一度死に、そしてジークフリート、シグルド、二人の男へと生まれ変わったのである。

千年前、虚無の砂漠にて、彼は召喚された。左手にバルムンク、右手にグラムを携えて。

 

そしてサハラの地で、彼は英雄であることを捨てた。

 

此れより先は、ガラシャの知らない物語。

 

彼はサハラの地で、一人の女マスターに呼び出された。

マスターの名は遠い彼方に忘却した。だが彼は、彼女を可憐な女だと称した。

麗しの主人を守る騎士、誉れある第二の生を、彼は駆け抜けるべく走り出した。

祖国に、愛する妻に恥じぬ戦いを誓う。

 

だが、いつの日だったか、彼は狂い始めた。

 

事の発端は、彼が蛇王ザッハークに敗北したことだった。

彼の領地内で、恐ろしき植物たちに絡めとられたシグベルトは、大幅な弱体化を受けた。

アジダハーカの毒が、彼の無敵の肉体を蝕んだのだ。

そして目が覚めた彼は、御殿の中で、壮絶な光景を目の当たりにする。

守ると誓いを立てたマスターが、蛇王ザッハークに凌辱されていた。

そして倒れて身動きの取れない彼の上には、この戦争の監督役であるルーラー『ナナ』が跨り、よがっていた。

彼はナナを退けようとするが、肉体は毒に犯され動かない。

否、認めたくないが、彼は極上の快楽に溺れ、肉体を洗脳されていた。

シグベルトが快楽を貪るそのときも、マスターは助けを求めていた。

大英雄シグベルトが、ヒーローの中のヒーローが、救ってくれると信じていたのだ。

だが、彼には成す術がない。

邪悪なる蛇はヒトに己の因子を残すべく、熱を求め続けた。

シグベルトはナナを睨みながらも、抗えない快楽の波に、いつしか心さえも奪われつつあった。

娼婦であり、社会に混沌を齎したファムファタールには、強力な宝具がある。

ヒトを、英雄を、魅了させ、服従させる力。思考を上書きし、『恋』を植え付ける精神操作系宝具。

ブルンヒルドの愛らしい笑みも、その肌も、指先も、砕け堕ちたパズルのように。

 

———ああ、壊れていく。

 

味を知ってしまった。極上を手にしてしまった。

もう戻れない、もう帰れない、全てが手遅れだ。

蛇王も同じだ。この王も同じように、一人の娼婦の掌の上。

抵抗できない。強制的に満たされる欲求は、もはや『他者では満足できない』。

 

そして彼らは同時に絶頂し、事を終える。

シグベルトの目の前で、マスターは薄ら笑いを浮かべていた。

 

「マスター…………俺は」

 

どんな言葉も、もう届かない。

英雄の偶像はいとも容易く砕かれた。

彼は只一人の『男』という格に堕ちて行った。

乱れは、穢れだ。清廉潔白であるからこそ、繋がり合う縁がある。

 

「アーチャー…………どうして」

 

マスターは乱れた呼吸で、言の葉を紡ぐ。

必死に絞り出したその一言は、誇り高き騎士への、侮蔑。

 

「どうして…………助けてくれなかったの?」

 

そして、アーチャーは誇りを失った。

蛇王の側室となった女マスターは、囚われの身となり、生かされた。

そしてナナと共に、毎晩、王の寵愛を受けた。

シグベルトは毒に蝕まれながら、無様に生き残り、領地から逃げた。

己の首を掻き切るべき醜態を晒し、それでも、生き永らえてしまった。

彼は砂漠を一人横断しながら、目的を失い彷徨った。

ナナへの恋心を植え付けられながら、残された最後の信念で、妻の影を追い求める。

もはや出会うはずの無い相手を、この砂の世界で探して。

 

そんな彼に訪れる、二度目の絶望、

奇跡か、はたまた、必然か、彼は愛する妻に出会う。

だが、彼女はブルンヒルドでは無く、よく似た誰か。

知っている筈なのに、決して思い出せない、愛していたのか、愛していなかったのか、定かでは無い。

ランサー『グズルーン』に、彼は出会った。

愛した女に似ている。酷く似ている。纏まらない侵食された思考で、愛を求め手を伸ばす。

だが、グズルーンがそれに答えることは無い。彼は『遅すぎた』。

狂気に塗れたグズルーンを、先に見つけた人物がいた。

只のか弱き人間、いや、それ以下の矮小生物。だが、シグベルトより先に、グズルーンと出会ったのだ。

青年は、グズルーンにとってのシグルドでは無い。だが、彼は彼女を必要とし、彼女は彼を受け入れた。

二人は恋していた。

恋を、していた。

あぁ、また手遅れだ。ヒーローはいつだって、駆けつけるのが遅かった。

彼はグズルーンにかける言葉すら無く、そのまま、ブルンヒルドを忘却した。

 

その後の彼は、サハラの地で闘争を求めるようになる。

振るう剣に志は無く、はじく弦に信念は宿らない。

ただ暴れ、ただ狂う。

ただ一人愛した女の笑顔を思い出せぬままに。

 

「その見事な剣裁き、流石は大英雄といったところか。」

 

后羿とのタイマン勝負。

シグベルトを認める太陽落としの英雄に、彼は苛立ちを募らせる。

英雄は、守りたいものを、守ることの出来る戦士のことだ。

決して、彼のことでは無い。

 

「大英雄……だと?」

「あぁ。」

「俺は、俺は英雄なんて腐った奴らじゃねぇ!俺は『人間』だ!」

 

彼は英雄を否定し、そして己を否定する。

全てを失ってなお、無様に生きる英雄崩れ、彼は彼を『人間』と呼称した。

ジークフリートもシグルドも、その名は今の彼には重すぎる。

 

そして、その後に、ディートリヒと剣を交えた。

 

「汝、『シークフリート』では無いな。」

「っ……!」

「つまらん、汝は酷くつまらん。」

「な……」

「汝に我の相手は務まらない。」

 

戦いの中で背を見せた彼女に、シグベルトは激高する。

当然、背後から斬り殺そうとするが、そこで、彼のマスターからの招集がかかった。

いつぶりの邂逅であろうか。

唇を血が流れる程に噛み締めながら、ザッハークの領域へと向かう。

彼はもう、死んでも良いと思っていた。

 

だが、彼は知らなかった。

あの邪知暴虐の王は既に死亡し、恋するナナの肉体に蛇が宿っていることに。

そして領地にて、彼はマスターに抱き締められる。

生きているのに、ヒトの温かさは失われていた。

 

「アーチャー、私はルーラーに救われた。ルーラーが、新しい世界に私たちを導いて下さるそうよ。」

「え…………」

 

いつか来る、世界崩壊の日。

ライダーは、キャスターは、そしてルーラーは、理想郷へと至る決断をした。

これは、英雄として生き、英雄として死んだ彼への招待状。

ナナはその桃源郷を、『楽園』と称した。

 

「ねぇ、アーチャー、『シグベルト』、貴方は楽園で、多くの恋をして、自由気ままに生きていくの。英雄を卒業し、『ヒト』としてね。」

「ルーラー…………」

「魅惑溢れる女の園、あの蛇王のように、暴虐の限りを尽くしてみない?キルペリクのように、自由奔放に。英雄という型にはめられた貴方には、その権利がある。」

「俺は……」

「ねぇ、行こうよ、アーチャー。誰もが救済される世界へ。」

 

女マスターは彼の手を引いた。

もはや彼には選択の余地は残されていなかった。

反英雄、己の欲にのみ忠実に生き、喉の渇きを血で潤し続ける。彼はこのとき、『堕天』した。

正義の心とは反する何かが、彼の心に同居したのだ。

そしてここに、オアシスに、醜い災害が誕生したのである。

 

ガラシャの透き通った緑の眼を見つめながら、遥か昔のことを思い出していた。

理性を捨て、本能のままに生きてきた彼には、かつて叶えたい望みがあった。

英雄として、一人の女を、世界そのものを、救う。

今の彼には、届かぬ奇跡。

 

———或いは、『彼』ならば。

 

シグベルトは口角を上げたと同時に、ガラシャの首を両手で掴んだ。

そして力の限り締め付ける。

 

「知ったような口を利くな、クズが。いいから、てめぇはここで死んでおけ。」

「ぐっ…………」

 

シグベルトは『災害』。

ヒトに厄災を齎す存在。

彼が英雄へと戻ることは無い。

その死ぬ寸前まで、暴虐の限りを尽くそう。

それが今のシグベルトなのだ。

 

「宝具なぞ、使わせねぇ。てめぇは孤独に死ね。この地に呼び出されたことを皆に懺悔しながら野垂れ死ね。生まれてきてごめんなさいってなぁ!」

 

災害の甲に血管が浮かび上がる。息の根を止めるべく、強く、指を食い込ませた。

ガラシャは失いそうになる意識をギリギリで保ちつつ、彼女の宝具を発動すべく両手で胸の十字架を握り締めた。

滴る血は贖罪と、家族への希望の証。

もしたとえ災害が死なずとも、残された爺が、彼を止めてくれる。

ガラシャはシグベルトを必死に睨みつけながら、走馬灯のように彼女の過ごした日々を思い返していた。

教会で、クロノと交わした言葉が反芻される。

 

「革命聖杯戦争、ですか?」

「ええ。ハンドスペードの代表として、ガラシャ姫と、果心居士に参戦して頂きたい。災害を葬るという願いを叶える為に。」

「この城塞へ籠りながら、そんなことを思案していたのですね。やはり貴方は危険なお方かもしれませんわ。」

「ええ、はい。何せ私はテロ組織の副リーダーなもので!」

 

クロノは珍妙に、カラカラと笑ってみせる。それなりの時を共に過ごしたが、彼はいつだって胡散臭い。

彼女は独自で、言峰クロノという人間を調査したが、第四区の教会にて、いつの間にか司祭となっていたことを除き、全てが空白であった。

開発都市第一区の災害、ライダーとも交流があったと本人は話していたが、アサシンならまだしも、容易に近づける相手では無いだろう。

彼は災害のライダーの力を傍で目の当たりにした結果、細川忠興の呪いを遥かに凌駕すると位置付けた。ガラシャは結局、クロノを以てして、外の世界へ一歩踏み出すことは出来なかったが、彼から多くを学び、知識を蓄えた。

クロノが竜宮城を後にし、再び孤独を味わうガラシャに、災害のアーチャーは付け入ったのである。

 

「クロノ神父、どうして貴方は、災害を殺したいのですか。革命軍とは違い、貴方にはその動機が無いように感じられる。失礼ではありますが、貴方は虐げられていないではありませんか。」

「そうですね。私はこれまで色々なものを失いましたが、でも、決してそれは災害の責任ではありません。彼らの元で安寧を受け入れる人生は、さぞや幸福であるでしょう。」

「では何故?」

「さて、何故でしょうね?私は神の如く存在する災害を酷く嫌悪していますので、大義名分は無いのでは、と我ながらに思います。生まれながらに、そうすべきだと認識していた、それがきっと私なのです。」

「生まれながらに?」

「ええ。私は『そういうもの』なのですよ、ガラシャ姫。」

 

クロノの言葉の真意は理解できなかった。

だが、邪悪を目の前にして、今ならば少し分かる気がする。

自らの愚かさと、そして、彼女が真に憎むべき相手が誰か。

ガラシャはハンドスペードの姫君。軍の母であり、軍の総意、最高決定権。

果心居士も、ジョン王も、李存義も、道は違えど、目標は同じだった筈だ。

最後の最後で、ガラシャだけが道を踏み外してしまった。

 

「シグ…………ベルト…………ともに…………果てよ…………」

 

ガラシャの肉体に赤い光が宿る。

これより彼女は、心臓を燃やして、爆ぜる。この竜宮城ごと、目の前の災厄を消し飛ばす。

アヘル教団に報復できないことだけは酷く残念であるけれど、それは彼女の意思を引き継いだ誰かが成すことだ。

ガラシャはシグベルトに掴みかかる。そして決して離さない。

 

「おい、てめぇ、死ぬのが怖くないのか!?何故だ!?」

「怖いですよ、とても。」

 

ガラシャは満面の笑みを浮かべた。

さらばオアシス、さらば第三区、さらばハンドスペード。

彼女は絶技の名を口にする。

 

その時、彼女の目前から敵が消えた。

 

西風と共に、虹色の河が宙を横切った。

波に攫われるように、災害は領域外へと飛ばされていく。

七色の光の粒が、流れを形成している。

ガラシャが目を凝らすと、その正体が判明する。

 

一つ一つが、とても小さな折り紙の『鶴』だ。

 

彼女が遠い昔に見た幻想。障子の外側に溢れた輝き。

壊れた竜宮の真横に伸び広がり、手の届くオーロラと化す。

ガラシャはこの虹を知っている。懐かしく、ほんのりと温かい光だ。

 

「爺…………」

 

果心居士の宝具『絡繰幻法・千羽鶴』。

虹色の道が形成され、彼の大切な仲間や家族に、力を与える補助宝具。

重ねられた思いが、肉体と精神を同時に癒し、見る者全てに勇気を与える。

 

「遅れてしまいましたな。ガラシャ様。この果心居士の失態にございまする。」

「爺…………」

「この果心居士は、ガラシャ様と共に在ります故。」

 

ジョンが去り、李存義は死に、クロノに魅入られ、シグベルトに堕ちた。

ガラシャが狂おうと、愚行に走ろうと、果心居士は彼女と共にいた。

革命聖杯戦争においても、彼は彼女の勝利だけを願い続けていた。

ガラシャに手を差し伸べる者は、こんなにもすぐ傍にいたのだ。

 

「爺……わたくしは、貴方の決戦兵器を……」

「構いませぬ。」

「今まで、酷い扱いを、してきて……」

「ガラシャ様が無事であるならば、それで。」

 

果心居士はガラシャの元へ向かうと、彼女をそっと抱き締める。

彼女の肢体に触れる全てに、忠興は憤慨し、霊化した腕を伸ばした。結果、果心居士の老体は忠興により蝕まれる。

 

「だ……っ駄目!爺!放しなさい!」

「いえ、もう離しませんぞ。これは爺の失態でありますからなぁ。」

「失態!?」

「はい。ガラシャ様を苦しめるこの城塞など、とうの昔に壊してしまえば良かった。姫として称え、崇め、ハンドスペードの象徴として牢に閉じ込めてしまったのだ。これは我らの過ちにて。……どう償えば良いでしょうな。」

「……違う、わたくしがそう望んだのです。領主となる覚悟をしたのはわたくしです。そして、全てを失ったのも…………」

「ではその罪、爺にも半分分けてはくださりませぬか?」

「爺……っ」

 

果心居士の腕に、足に、紫の紋様が宿らしめる。忠興の憎しみは、どこまでも広がっていく。

 

「忠興殿は頑固者ですからなぁ。この果心居士が説得してみせましょう。否、きっと忠興殿はガラシャ様の強さを認めていらっしゃる。貴方様が成すべきことを見つけたのなら、背中を押してくれる筈。」

「あの人が、わたくしを。」

「なに、男は別嬪さんにホの字なのですよ。儂ももう少し若ければ、ガラシャ様に見惚れていたは……ず……」

 

果心居士は、ガラシャを抱き締める腕を緩めた。

そして彼女を突き飛ばす。

虹の河を逆行するように飛んできた一本の剣。その刃はガラシャへと向けられていた。

吹き飛ばされたシグベルトが放った矢は、果心居士のオーロラを砕き、進む。

咄嗟の判断で果心居士は自らの肉体を盾とした。罠を、オートマタを、起動する時間は残されていなかった。

もはや死に体の災害のアーチャーはどこかへ消え去った。敵前逃亡を図り、生き永らえるつもりだろう。

 

「じ…………」

 

果心居士は大剣に貫かれた。

その痩せ細った身体に、巨大な穴が開く。

彼を構成するギアパーツが弾け飛び、配線が剥き出しとなった。

 

「爺!!」

 

ガラシャは必死に手を伸ばす。

だがそれは、後ろへと倒れ込む彼には届かない。

壊れた屋敷の外へ、一歩、踏み出すことが出来たなら。

 

「ガラシャ様」

「爺!爺!」

「お達者で。」

「爺!!」

 

ガラシャは腕が千切れるほどに、手を伸ばした。

歯を食いしばり、果心居士と、背後のオーロラへ向けて。

届かない、城の外側に、大切なものがある筈なのに。

 

「ああああああああああああ!!」

 

ガラシャは唇を噛み、血を滲ませる。

両手を伸ばし、目に見えぬ壁を越えようとし続ける。

これを阻むのが、忠興の執念。愛しい妻を幽閉し、自らの身体に閉じ込めようとする。

 

「爺、わたくしは、わたくしは!」

 

果心居士は地に伏した。その身体からは、光の粒子が溢れ出る。

千の鶴の輝きに同化するように、命の灯は溶けていく。

 

「わたくしは、ここで、召喚されて、生まれてきて!」

 

あと数秒もすれば、果心居士は退去するだろう。

伝えなければ、彼女の想いを、大切な家族へと。

 

「爺と共にいられて、幸せでした!!」

 

その時、ガラシャは転がり落ちた。

竜宮の城、砕けた廊下のその先へ。

抉れた泥まみれの大地に、膝をついた。

 

「あ」

 

咄嗟に、両手で地面を掴む。

彼女の綺麗な顔は、転倒した際に、砂に塗れた。

 

「ガラシャ様…………もう、貴方は大丈夫」

 

竜宮の外の世界へ、細川ガラシャは踏み出した。

 

「貴方は、青空だって、掴めますぞ。」

 

そして顔を上げたガラシャの目前で、彼女の家族は天へと帰った。

そこにはもはや、何も残されていない。

ただ虚しくぽっかり空いたクレーターだけが空を見つめている。

ガラシャは虹の河に手を翳した。

そしてそれが消える直前に、一羽の鶴を握り締める。

青色の折り鶴は、空の色にとてもよく似ている。

 

「これが、第三区」

 

ガラシャは青い鶴を胸に当て、静かにその景色を見渡していた。

 

 

【キングビー編⑤『エピソード:レイヴ』】

 

 

アヘル教団の刺客、セバスチャン・ディロマレンガーこと『ショーン』は、特殊アンプルを使用し、災害のキャスター、ダイダロスの力を手に入れた。

そして発動する固有結界『有為転変の触毒迷宮(ファルマキア・ラビュリントス)』は、ダイダロスの迷宮とは似ても似つかぬ代物。

キャスターとペルディクスが幽閉された九つの部屋からなる第一結界、そしてその外側、ショーンが浮かぶ銀河の広がりを持つ第二結界、多重構造となった心象は、内部にいる彼女らをじわじわと追い詰めていく。

怪物ミノタウロスや無数のトラップが存在しないにも関わらず、だ。『無』の空間は、たとえサーヴァントであろうと精神をすり減らせる。どこへ向かおうが辿り着けないという恐怖は、探偵と発明家を毒のように蝕んでいった。

 

「……また、第三の部屋に帰って来たわよ。これで十三回目、かしらね。」

「ある程度構造は理解できた。ルービックキューブのような正四面体だが、恐らく約一時間ごとに部屋は移動している。……そういう映画、巧一朗と一緒に見た記憶があるな。」

「巧一朗?」

「何を隠そう私のマスターだ。契約はしていないが。召喚もされていないし。」

「それは主人と呼んでいいのかしらね。」

 

ペルディクスは天井の穴に向かって飛び上がる。そこは彼女らの予見通り、第七の部屋であった。

彼女は溜息をつき、第三の部屋へと舞い戻る。移動し続けても無駄という事実に、肩を落とすしか無かった。

 

「術者であるショーンがいないのはおかしいと感じていたが、この九つの部屋の外にいるのだろうね。私たちが苦しむ様子を酒の肴にしているよ。」

「どうすれば外側へと至れるのか。物理的、精神的、多方面から攻めてみたけど、サッパリね。」

「恐らく第四の壁、だろう。三次元から思考を四次元に移行させられれば、と言ってみるものの、我々には不可能だ。……ペルディクス、ここいらで何か発明してみるかい?」

「オアシスからの魔力供給がか細い糸のよう。今の私には何も出来ないわ。ごめんなさいね。」

「とりあえず動き回るのは辞めようじゃないか。ほら、部屋の真ん中に座って、女子会でもやろう。お茶もお菓子も用意されていないけれどね。」

 

彼女らはホワイトルームの中央で座する。

そしてキャスターは先程確認した機密書類の関することを含め、徐に話し始めた。

 

「ペルディクス、君はどうしてダイヤモンドダストに協力したんだい?」

「……召喚されて間もなく、私は革命聖杯戦争の存在を知った。知覚できない、大いなる悪意が宿る戦いを止める為に。私はダイヤモンドダストの主将、ダストに取り入ったの。エントリーする枠は、そこしか残されていなかったからよ。」

「勝ち抜く意思はあるのかい?」

「あるには、ある。でも、私は監督役である司祭と交流が無い。災害を殺すことの出来る黄金杯なんて、存在するのか分からないじゃない?だから戦いの中で探りを入れているの。」

「なにか、分かったことはある?」

「さっぱりね。……強いて言うならば、革命聖杯戦争にエントリーしているにも関わらず、どこへも属さず、戦いにも出ない、司祭のサーヴァント、アサシンの存在が怪しいことかしら。アイドルの真似事をしているようだけど、彼女はそういう類の英霊では無い。そもそも暗殺者のアイドルなんて矛盾しているでしょう?」

「忍ぶことの無い職業だからね。私は彼女のことをよく知っている。そして、監督役の男が成そうとしていることも。ただ、彼の動機がまるで分からない。彼は世界を『救済』すると言っているが、どういう意味なんだろうか。ま、今はどうでもいいけど。」

「アサシンのことを知り得ているのね。……その口ぶりだと、司祭はまともに戦争をする気が無いと?」

「いや、逆さ。彼がもっとも革命聖杯戦争の完遂を目指している。だけど、彼の言葉には確実に嘘が混ざっている。」

 

キャスターを構成する一騎、モリアーティは言峰クロノを知っていた。間桐桜の元で働きつつ、博物館のデータベースや聖遺物の情報を知識として蓄え、いつの日だったか、博物館を後にした。

革命聖杯『ROAD』はオアシスに存在する始まりの聖杯をコピーした小聖杯だが、いくら博物館と言えど、聖杯鋳造は不可能である。アヘル教団に与していた魔術師、吉岡が開発に携わっていることは予想できるが、オリジナルのデータはどこで入手したものであるのか。

実は彼女の中である仮説が浮かび上がっていた。だがこれは余りに現実離れしていると言えよう。早々に排除すべき可能性であるが、どうも脳にこびり付いて離れなかった。

荒唐無稽、だが、情報を得れば得る程に、真実味を増していく。

この結論は、キャスターにとって、些かに不快なものである。

 

「ていうか、重要なこととか喋って大丈夫なワケ?敵の掌の上で作戦会議なんて馬鹿らしいわよ?」

「むしろ、ショーンにとって興味のある話をすれば、彼も女子会に混ざってくれるかもだ。」

「女子…………?」

 

ペルディクスは首を傾げる。

彼女らを観察するショーンは一人、「あらヤダ~」と奇怪な声を上げていた。

 

「先程確認した書類の中で、各組織に派遣された産業スパイのリストがあった。……こんな重要機密をあろうことか革命軍のある第三区に放置している意味が分からないが、恐らくは、アヘル教団から革命軍へ再び寝返った者がいて、これを保管していたのだろう。何らかの精神攻撃を解除したか、そもそも受けていないかは知りようも無いが。ダイヤモンドダストが雷上動を巡って争いを起こしたのは、アンヘル研究所の潜入工作員の仕業だとみている。アンヘルからアヘルへと組織拡大した後のデータだから、これを残したのはダイヤモンドダストで無いだろうけどね。」

「革命軍分裂の発端は、アヘル教団の仕業……ショーンも教団の構成員なのよね。」

「ああ。恐らく古株だ。相当な修羅場を潜ってきている難敵だよ。…………褒めれば、ここから出して貰えるかもしれない。」

「それだと良いわね。……で、他の地区にもスパイがいるってこと?」

「あぁ。例えば、アインツベルンカンパニー当主、ミヤビ・カンナギ・アインツベルン。彼女は先代に育てられる形で組織を乗っ取った。元の幹部も皆殺しにしているようだね。『スネラク』というコードネームで呼ばれているらしい。あと遠坂組には、現ヴェノムランサーの少女『ニョッカ』が派遣されている。驚いたよ、こちらは当主である遠坂龍寿の実妹だ。遠坂杏寿、というらしい。マキリは、まぁ、流石だね。エラルは怪しげな部下全員を辞職に追い込んでいる。あと、私が所属する第四区博物館にも、いるね。『鶯谷鉄心』、桜を警戒してか、記憶の大部分に封をした状態で、アルバイトとして潜入させている。ふむ、ヴェノムの力は有していないのか。……彼の裏切りは、俄かには信じられないけどね。」

「アヘル教団の目的は、何なの?」

「彼らはヴェノムアンプルを用いて、オアシスの発展のその先へ至れる人材を増やし続けている。サーヴァントを血流に宿すことで、何らかの人類の危機に耐えようとしているのかもしれない。サーヴァントだけ生き残って、人間が死んだら、元も子もないからね。ある意味、人類の『救済』と言えるだろう。」

「オアシスが、いつか、滅ぶ日がくるということ?」

「かもしれない。このオアシスは災害のライダーの方舟だ。ノアズアークと言えば、大洪水を行く、奇跡の体現だからね。オアシスは災害とはまた異なる、外的要因にて滅ぶという見解なのだろう。」

〈そうだ、この桃源郷は『ヴェルバー』によって滅び去る。それが災害と、アヘル教団の共通認識だ。〉

「うわぁ!急に喋るな!ダイダロス!」

 

キャスターの中に確かに存在する、恐るべき因子。

彼女の同位体は、サハラの地で蘇り、徐々に、確実に、オアシスへと歩みを進めている。

世界を混沌に陥れた大犯罪者、モリアーティすら危惧する一大事件だ。

 

「ヴェルバー……?」

「破滅を齎す白き巨人セファール、かつて外世界を蹂躙した人類史上最大の脅威。私もよく知らないけどね。」

〈核の部分で無く、その一部に過ぎないがね。人類は、神は、いとも容易くこれに刈り取られたのだ。聖剣により討伐され、死んだ。〉

「死んだ……のに、蘇るの?」

〈正確には異なる存在だ。我々は『彼女』をそう定義づけた。呼び名を与えた、と言っていい。〉

「ダイダロス、君はその正体を知っている口ぶりだね。」

〈ああ。知っているともさ。無論、敵の懐でこれを語るつもりは無い。〉

 

ダイダロスはそれ以上、口を開くことは無かった。

ペルディクスの隣に、元凶たる存在がいようなどと、口が裂けても言えぬだろう。

ダイダロスならば、臭い真実に蓋をするに違いない。翼はそう結論付けた。

 

「私はただのしがない発明家で、それに召喚されたばかりの新米英霊。探偵さんと喋るのは肩が凝って仕方ないわね。」

「すまないね。お喋りは好きなんだ。真面目な女警官に真実を語るときと同じくらい、君は実に良い聞き手だと思う。」

「?」

「すまない、こっちの話だ。……今度はこちらから話を聞いてもいいかい?私としてはあまり興味がないのだが、外にいるショーンが気になっているだろうと思ってね。革命聖杯戦争に参戦したサーヴァント達について、ペルディクスなりの見解を聞きたい。どの組織が有利だとか、誰が協力だ、とか。」

「それ、話して良い訳?」

「ああ。何せ暇だからね。」

「…………腑に落ちないわね。まぁいいか。まず優勝候補は何と言っても、革命軍穏健派『グローブ』よ。ドン・フゴウこと『マンサ・ムーサ』と黄金街道こと『坂田金時』、どちらも非常に強力なサーヴァントね。特にフゴウは、これまで毎日配布されている令呪の全てを手に入れているわ。単なる魔力増強や仲間を呼ぶことにしか使えないだろうけど、マスターのいない戦争では有利に働くわね。黄金街道は戦闘力だけならトップよ。知名度も、私に比べれば段違いじゃないかしら。」

「グローブの目的は、災害のアサシンと聞いた。」

「え、ええ。ショーンの前で言うのもなんだけれど、グローブの願いは、アサシン討伐ね。でも、恐らくそれ以上に、この戦争に不信感を抱き、止めようとしている印象があるわ。フゴウは、革命軍皆が手を取り合うことを切に願っている。」

「なるほど、アヘルにとっては最大脅威だね。」

「続いて、ハンドスペードだけど、芸達者こと『果心居士』は器用な立ち回りを得意とする、バックアップ型サーヴァントね。果心オートマタと呼ばれる軍勢を率いて、彼特製の武装で戦いに望んでいるわ。竜宮城自体が彼のカスタマイズした要塞よ。ロンリーガール『細川ガラシャ』は、何というか、手の内を晒していないわね。でも果心居士に守られている、か弱い姫君、といった印象よ。私も人のことは言えないけれど、劇的かつ過激な人生を送った訳じゃないから、地区を揺るがす絶技、なんてものは無いでしょうし。」

 

ペルディクスはキャスターに不信感を募らせつつ、語る。

対してキャスターはわざとらしく頷きながら、聞き手を全うしていた。

 

「えと、最後はダイヤモンドダスト、は、語る必要なくないかしら?ダストこと『枡花女』は、お世辞にも強いとは言えないし、私は、ほら、ショーンの前で弱点を晒すわけにもいかないし。」

「ダストは、皆が揃って語る程に、か弱きサーヴァントなんだね。」

「英雄として最低限持ちうるようなスキルを、一つも有していないのよ。彼女はセイバーだけれど、剣技はお子ちゃまレベル。ダイヤモンドダストの名を捨てて、グローブに亡命した方が良かったのではないかと思うのね。彼女、とてつもない美形だけど、嫌われ過ぎて誰もそのことを指摘してくれないじゃない?」

「成程、ちなみに各組織の決戦兵器については?」

「ハンドスペードは、まぁ、多分、果心居士の手製オートマタじゃないかしら。グローブは、正直分からない。無くても勝てそうだけどね。あと我らがダイヤモンドダストには兵器は存在しない。ほら、ペルディクスに勝ち目がないことは分かるでしょう?」

「そうだね。でもショーンは、君を最大警戒し、閉じ込めた。君が衰弱死するその時まで、この結界から出られない。」

「それは彼、いや、彼女か、彼女がダイダロスの力を有していて、私がそれを止める為に召喚されたから、さっきも話したじゃない。」

「でも私は、それだけじゃないと、そう思っている。ふふ、いいや、『あとは彼の口から聞こうじゃないか』。」

 

刹那、彼女らの頭上に、轟音が響き渡った。

 

空間がひび割れ、漆黒の触手が顔を出す。

第一結界の外側、宇宙空間のような第二結界が丸裸になる。

そして翼を広げ飛ぶショーンをついに捉えた。

 

「ペルディクス、宝具だ!」

「え、あ、はい!宝具起動!『其れ聖域と呼ぶ勿れ(オルギ・アクロポリス)』!」

 

ペルディクスのコンパスによって描かれた巨大サークル。

ショーンは光の柱の内部に捕われ、本人の意思に関わることなく、宙へと浮かび上がっていく。

焦り、戸惑う彼は、冷静に状況判断を試みた。

まず、彼の結界の崩壊は、外部からの干渉によるものである。

彼は多重構造の結界の維持に心血を注いでいた。それに加えて、探偵の話に、僅かながら耳を傾けてしまっていた。

つまり、外的要因に対し、思考のリソースが割けていなかったのだ。

モリアーティではなく、今のキャスターの主人格は『隅の老人』へと切り替わっていた。彼の口から紡がれる言の葉には、誰もが興味をそそられる。推理小説を読むかのような高揚感に心を奪われたのは、彼の最大の失態である。

そして結界を破壊した張本人は、キャスターの仲間、そして、派遣されたアヘル幹部たちにとっての最大脅威足り得る存在。

ショーンは『ヤダ~』と叫びながら、宝具の発動により、奈落の底へ転落していった。

 

「私に何らかの異変が確認された時、半時間以内に駆け付けるのが契約の内だったと思うのだけど、君は守る気がないのかい?」

「すみません、キャスター。色々と事情が込み入っておりまして。でも、こうして助けたのだからよしとしてください。」

 

クラーケンの触手が、二人を絡めとり、引き上げる。

固有結界は消失し、診療所の地下で、生身のショーンが鼻から血を吹きながらピクピクと悶えていた。

ペルディクスはようやく、キャスターの称する『女子会』が、時間稼ぎであったことを理解する。

絶大な信頼の元に手を取り合うキャスターと白衣の女は、彼女から見て、真の主従であった。

 

「ペルディクス、紹介するよ。我らが第四区博物館の間桐桜館長だ。」

 

間桐桜、またの名を『メアリー・セレスト』。

第三区にて暗躍する彼女が、ついに仲間の前に姿を現した。

 

 

 

 【キングビー編⑤『エピソード:レイヴ』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編6『エピソード:ビトレイアル』

皆さま、大変長らくお待たせしました。
キングビー編、連載再開です。
五月中は毎週投稿頑張ります。
誤字、感想等ありましたらコメントよろしくお願いします。


革命聖杯戦争が開幕したその当日の話。

 

崩壊したライフライン『シェイクハンズ』に、一人の老人が立っていた。

彼は毎日のようにここを訪れ、何時間もかけて橋の修復作業をしている。

亀の歩みのような速度で、けれど、懸命に、誰も通らない産業道路を守り続ける。

 

「麦造」

 

彼の背後から、優し気な声色の男が、彼の名を呼ぶ。

彼、麦蔵はいつも通り、振り返らない。挨拶を交わす様な間柄でも無い。

声の主は溜息をつきながら、麦蔵の仕事を観察していた。

 

「意味の無いことだ、麦造。」

「意味はある。少なくとも、てめぇの存在よりは、よほど価値のある物だ。そうだろ、フゴウ。」

 

フゴウは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。

麦蔵は彼の心中を察し、それでもなお、追い詰めるように言の葉を紡ぐ。

 

「ガキどもと触れ合うのは、革命聖杯戦争を止めようとするのは、幸せな未来を築き上げるのは、てめぇの『贖罪』か?フゴウ。てめぇが罪滅ぼしの為に王を気取るってなら、俺はくだらねぇと心底思っているぞ。」

「…………ああ、そうだな。本当にくだらない。」

 

ドン・フゴウこと『マンサ・ムーサ』は第三区民全ての幸せを願う理想の王。

誰もが彼を愛し、彼の存在が皆を勇気づける。

だが麦蔵は、本当の彼を知っている。彼が『道化』であるということも、また。

 

「我は予定通り、四画の令呪を手にする。そうすれば、我の願いは遂行される。……その後、全ての罪を民の前で明らかにするつもりだ。」

「それまでは詐欺師を貫き通すか?」

「あぁ、そうだ。」

「ガキどもの前で、尊大な王を語りながら、か?アイツらの親の命を奪ったのは、てめぇだっていうのにな。」

「あぁ。」

 

シェイクハンズの悪夢から生まれた、二つの革命組織。

当初は災害打破に向けて手を取り合う予定だった筈が、聖遺物『雷上動』を巡り、内乱へと発展する。

ダイヤモンドダストの幹部で、かつ、アンヘル研究所と繋がりを有していた親災害派閥の人物が、組織を動かし、結果、革命軍の分断を巻き起こした。そしてグローブは過激派ハンドスペードと分かたれることとなる。

 

全ての元凶たる者、それこそがこの『マンサ・ムーサ』であった。

 

彼は当時ダイヤモンドダストを立て直すために、アンヘルから大規模な資金援助を受けていた。

表向きには災害を憎む素振りを見せつつ、裏では蛇王ザッハークへの忠誠を誓っていた。

全ては第三区の活気を取り戻す為。彼一人が泥に塗れる覚悟で、スパイ活動に勤しんでいた。

だが、雷上動の存在が、全てを変えた。

秘密が暴かれるのを恐れ、かつ、災害打破の切り札が用意されることを容認できなかった彼は、誤った道を選択する。当時協力関係にあったセバスチャンに脅迫され、持ち前のカリスマ性で、ダイヤモンドダストを己の独断で導いてしまう。

結果、多くの仲間が死に、取り返しのつかぬほどに組織間は破局の道を辿り、彼だけが生き延びた。

 

「てめぇの黄金は、所詮サーヴァントの生み出す魔力に過ぎない。かつてのように取引に使用できるものじゃねぇ。あぁ、そうさ、マンサ・ムーサは『黄金』が無ければ、ただの一般人だ。このシェイクハンズよりも価値の無い、空っぽの王道よ。こうして毎日俺のところに来て、お叱りを受けることが『罪滅ぼし』だと思っている、そのおめでたい脳天もどうにかした方が良い。」

「思っていない。我の罪滅ぼしは、革命軍を一つにすることだ。……そのために、生きている。」

「言峰クロノと、従者の怪物を、てめぇで何とか出来るのか?」

「始まってしまった戦いを止めることもまた、我の責務だ。」

 

フゴウは己の罪も、無力さも、理解している。

だから毎日、シェイクハンズへと足を運ぶ。

この大橋こそが、第三区の希望の象徴だったからこそ。

 

「頼む、麦蔵よ。我に力を貸して欲しい。都合がいいのは承知の上だ。だが、第三区を救うには、貴方の力が必要だ。」

「断る。ピエロに嘲笑われるのは勘弁だ。それに、俺にはもう何の力も残されていない。」

 

彼はただの『麦造』だ。

童話の奇跡を体現できるような、若さはもうどこにもない。

老いることなきサーヴァントが、老いた。その意味を、フゴウは理解していない。

 

「フゴウ、俺は『浦島太郎』を辞めた。俺は自らの意思で『玉手箱』を開けたのだ。この桃源郷には、俺の愛する女はいない。」

「…………麦造」

「あぁ、くだらねぇ。もう、帰ってくれ。俺は忙しい。ひび割れの補修作業がまだたんまり残っているんだ。」

 

意味がない。

シェイクハンズは既に瓦解している。彼が一つ修繕する間に、橋には幾つもの傷跡が刻まれていく。そう遠くない未来、全てが崩れ去るだろう。

どうして麦蔵は、意味の無いことを懸命に続けているのか。

 

フゴウは、麦蔵の隣にしゃがみ込み、工具を手にした。

 

「…………てめぇ、何のつもりだ。」

「意味がないことだ。シェイクハンズは、壊れる。でも、貴方はそれに抗おうとする。我には理解できない。」

「あぁ、そうだろうな。」

「だから我はその意味を知らなければならない、そう感じたのだ。」

 

フゴウは煌びやかな衣装を砂と泥で汚しながら、麦蔵の隣で頭を垂れ、懸命に手を動かす。

 

「それが『罪滅ぼし』ならお門違いだ。てめぇが謝るべきは俺じゃねぇ。」

「違う、断じて違う。我は王として、知らなければならない。きっとそうしなければ、取り返しがつかない、そう思うのだ。」

「そうか。」

 

麦蔵に目をくれることも無く、没頭するフゴウ。

そこにはグローブの王としての威厳は無い。だが、麦蔵は初めて口角を上げた。

 

「いいか、マンサ・ムーサ。『毎日』だ。どれだけ忙しくとも、『毎日』ここに来い。そして必ず、たった一つでも、傷を修復して行け。俺が納得するまで欠かすこと無く。」

「あぁ。上等だ。」

 

黄金王マンサ・ムーサは人知れず、戦い始める。

滅びが確定したこの第三区で、最期まで抗い続ける。

 

【キングビー編⑥『エピソード:ビトレイアル』】

 

巧一朗が目を覚ました場所は一見の古民家であった。

彼の目の前には三つの顔が心配そうに覗き込んでいる。

三人の少年たちには見覚えがある。

麦造が我が子のように扱っていた貧民街の子ども達。

 

「お前ら……確か」

 

麦蔵から『マッチ』『モグラ』『チビ』と呼ばれていた筈だ。

彼らは巧一朗が不意に目覚めたことに驚き、部屋の隅へ逃げ込んだ。

 

「……ここは麦造さんの家じゃないな。お前らの家か?」

「…………フゴウが、ここにいていいって」

「そうか。小さい家だが、機能性に優れているように感じる。装飾品は豪華で、良い場所だな。」

「…………うん」

 

巧一朗は掛け布団を取り去り、その場で立ち上がる。

全身に負った傷跡には消毒が成され、不器用ながら包帯が巻かれていた。

消し飛んだはずの右足は、既に果心オートマタに馴染んでいる。

 

「お前らが手当てと看病をしてくれたんだな。ありがとう。」

「…………どういたしまして。」

 

三人が一人ずつ言葉を口にする。子どもが苦手な彼には、もはや誰が誰なのか分からない。テロリストである彼が庇護すべき対象ではない。

加えて、彼らは巧一朗に対し、酷く怯えている。ダイヤモンドダストの一員のように認識されているのだろう。彼らには、ダストの率いる孤高なる組織が、魔王城の如く映っているに違いない。

———麦蔵は、彼らの両親がくだらない戦いで死んだと言っていた。それはもしかすると革命軍の組織間抗争だったのかもしれない。

 

「世話になったな。ダストや黄金街道がどこにいるか分かるか?俺はこれからその場所へ向かう。」

「…………フゴウのお城、サンコレアマルの隣。」

「分かった、ありがとう。」

 

巧一朗はジャケットを羽織り、その場を後にしようとする。

が、三人が同時に待ったの声をかけた。

声の震えていた彼らが絞り出した叫びに、巧一朗は驚き、背後を向く。

 

「何だ?悪いが治療費を催促するならツケにしておいてくれ。生憎今は金が無い。」

「違う…………どうしてダストの仲間になったんだ?ダストは、悪い奴だろ。」

「どうしてそう思う?」

「ダイヤモンドダストが、俺たちの父さんや母さんを殺したらしいから。ダストは、ダイヤモンドダストの王様なんだろ。」

「やはり、お前達は戦争孤児か。」

「えと、巧一朗はなんで、ダストの仲間に…………」

「お前らには、俺が良い人に見えるのか?お前らが言うダストと同じ、悪い奴かもしれないだろう。」

「それは…………悪い奴は、俺らみたいな子どもに何かされても『ありがとう』なんて言わない。」

「単純だな。詐欺師の方が、物腰が柔らかい常識人風なんてのはよくある話だぞ。俺がお前らに、ダストは良い奴だと言って、それをお前らは安易に信じるか?」

「それは…………」

「なら革命聖杯戦争を通して、見極めろ。フゴウが、黄金街道が、俺が、ダストが、どんな決断を下し、どんな道を辿るのか。金が無かろうが、家が無かろうが、お前らにもその権利はある。」

「見極める…………」

「ああ。きっとその先に、生きる意味とか、守りたいものとか、抽象的なものが具体的になる瞬間が来る。まだ俺も、模索段階だけどな。」

 

巧一朗はそれだけ言い残し、家を出た。

彼自身、災害への『復讐』の為に毎日を過ごしているが、その先の未来がまるで見えてこない。

潔く死の未来を選択するか、地べたに這いずり回りながら図々しく生存を願うか。

そんなことを考えていた時に、浮かんできた顔は、今は亡き最愛のヒト、では無かった。

彼の脳内で微笑みかけてきたのは、博物館で共に戦う、美頼や鉄心の姿であったのだ。

彼自身何故なのか意味も分からず、頭をクシャクシャと掻き毟る。

仲間など、復讐には本来関係のないモノである筈だ。

群れ合う子ども達の純粋な眼差しの所為だろうか。

 

「あぁ、だから子どもは苦手なんだ。」

 

巧一朗はそう吐き捨て、ズボンのポケットに手を仕舞いつつ、フゴウの城へ向かって行った。

 

フゴウの城塞の門前で、彼のパートナーとなったサーヴァント、ダストこと『枡花女』と出会う。彼女は元気そうな巧一朗を見て、胸を撫で下ろした。雷上動を放った彼の肉体に負荷がかかったのは間違いないが、この様子ならば大丈夫そうだ。

革命聖杯戦争に巻き込んでしまったことさえ申し訳なさに埋もれてしまうのに、災害のアーチャーの強襲を受け、窮地に立たせてしまうなんて、そうダストは心を痛ませる。無論巧一朗は気にしていない。それどころか、彼は災害への復讐心でのみ存在しているが故に、アーチャーへ雷上動の水破を放てたのは幸運であったと認識している。

ダストの話によると、災害のアーチャーは何者かの介入により、翼を折られ、地に堕ちたらしい。戦略的撤退を強いられたということだが、災害を跪かせた者とは、一体誰なのだろうか。

そして彼の中に確固として顕現している源頼光の感覚により、彼の対災害武装『水破』は、その役目を終え、消失したことを知る。もし漁夫の利を狙うかのように現れた第三勢力が、巧一朗の水破を入手し、災害のアーチャーを穿つ決定打としていたならば、彼に出来ることは一つだ。

災害を殺すために、『兵破』を引き絞ること。

今は革命軍であろうと、宗教団体であろうと、同じ標的を持つものであるならば、利用しない手はない。

かつては雷上動という触媒を巡り、革命軍同士で争いが起きたほどだ。身内に感ける暇があるなら、災害を仕留めるという本来の目的の為に、さっさと消費してしまえばいい、と思う。

 

「革命聖杯戦争が始まって、今日で六日目となります。昨日、MCリンベルから電波通達がありました。この戦争で、初めての脱落者が出たと。」

「誰かが、消滅したのか?」

「はい。キャスターのサーヴァント、芸達者こと『果心居士』です。状況は不明ですが、彼を構成するオートマタごと、既にオアシスからは影も形も観測できないそうです。この地から退却したのは間違いありません。」

「そうか。グローブがやったのか?」

「ちげぇぜ、巧一朗。アタシらも知らねぇ。」

 

巧一朗の背後から近付いてきたのは、命の恩人となった黄金街道だ。

彼女がバイクに乗って駆けつけていなければ、災害の攻撃により死亡していたかもしれない。

黄金街道が伝えるには、どうやらフゴウもまた、グローブ領地内に留まっており、果心居士の最期には立ち会っていないのだ。

巧一朗が察するに、これは災害のアーチャーを撤退させた新たな勢力の仕業であるだろう。革命軍だけでなく、そちらにも注意を払わなければならない。

 

「早いうちに、桜館長に合流しないとな。」

「桜館長……博物館のトップだよな。連絡は取れないのか?」

「あぁ。独自に動き回っているみたいだが、一体何をしているんだか。」

「でも、明日の『パーティー』には来るんじゃねぇか?王サマのことだから、招待はしているだろうぜ。」

「パーティー?」

 

巧一朗は聞き慣れない単語に首を傾げた。

彼の隣でダストは苦笑いを浮かべている。

 

「なんだ、ダストから聞いてねぇのか?」

「いえ、えっと、どうせ吾は参加しないですし……」

「明日の夜、グローブ領地サンコレアマルで行われる、革命聖杯戦争の七日目記念祝祭だよ。全ての区民が招かれ、この時点で生存している参加者が集結し、この日に決着を付けるという催しだ。監督役のクロノが早期決着を望むが故に考案したイベントだよ。勿論、ハンドスペードやダイヤモンドダストが参加表明をするとは思えないがな?」

「それはそうだ。如何なるサーヴァントでも、戦うのがアウェーなら話は変わる。現時点で仲間が死亡、そして竜宮という兵器を失ったハンドスペードは忌避するだろうし。無論、それはダイヤモンドダストも同じだ。」

「だが、お前らは半ば強制だ。何故なら、出なければ、もう二度と勝利は得られないからな。」

「何故だ?」

「パーティーには特殊ルールが用意されている。サンコレアマル闘技場の施設上、仕方が無いことではあるが、戦うのは代表者一名だ。フィールドが乱戦向きでは無いんだよ。グローブは黄金街道こと、アタシ『坂田金時』と、『マンサ・ムーサ』が健在だ。アタシら二人を相手取り、勝利を収められる筈が無い。だけど、一人ならば、可能性はあるだろう?」

「一人でも厳しいですが………」

「なるほどな。加えて、利点がもう一つありそうだ。」

「利点、ですか?」

「あぁ。全ての区民が招かれる、なら、何とか皆にその場で認められれば、令呪の獲得も望めるかもしれない。フゴウがいる限り難しいかもしれないが、枡花女としての声を届けることだけでも出来たら。」

 

ダストは臆病だ。だが、芯の通った英霊ではある。

グローブに迎合せず、ダイヤモンドダストの名を背負い続ける理由があった。

 

「吾の声…………ダイヤモンドダストは確かに、様々な人間と英霊が恨まれるべき行いをした組織です。でも、それだけじゃない、この細氷の名に誇りを抱いて命を落としたものもいます。吾だけは、決してそれを手放してはいけない。そう思うのです。」

 

それが今のダストが戦う理由である。

生まれた意味を探し求めて、その先に何があるのか。きっと今はまだ蜃気楼の先だが、生きていれば、届く日が来るだろう。

黄金街道はダイヤモンドダストに良い感情を抱いてはいない。それでも、ダストの志は胸に染み入るものがあった。

 

「ですが巧一朗様、吾は御覧の通り、その、多くの方々に石を投げられる立場です。グローブどころか、ロンリーガールにも惨敗することが目に見えています。そもそもサンコレアマルに立ったとて、話を聞いてもらえるでしょうか。」

「そうだな。そこは確かに何か策を講じなければ……」

 

巧一朗とダストが顎に手を当て思案する中、その解決策を齎す存在が現れ出た。

可憐な少女がツインテールを揺らしながら、サンコレアマル入場ゲートから走り寄って来る。

最初に反応を示したのは黄金街道だ。

 

「あれ……ツキか。今日は明日の予行演習だよな。」

「予行演習って、その、パーティーとやらに彼女も関わるのか?」

「そうだぜ。革命聖杯戦争とは関係のないところで、明日のパーティーは選りすぐりのパフォーマーたちによる大演芸会という側面も兼ね備えているんだ。ツキは人気アイドルとして一曲歌うことになっているんだと。」

「そうか。アサシンだというのに大変だな。」

「あー、正確にはエクストラクラス『アイドル』だそうだ。偶像と呼ばれるクラスだが、どういう性質なんだろうな。」

 

巧一朗は走り辛いヒールでトテトテと駆けてくるツキを眺めながら、その正体を考察する。

第四区博物館に関わりのあるサーヴァントが、本当にただの芸能人である筈が無い。クラスに影響され、大衆の扇動を行っているのだろうか。毛色は違うが、将校としてのカリスマ性スキルを有するサーヴァントである可能性が高い。

そして『ツキ』という名前。初めに連想させるのはやはり、空に浮かぶ『月』である。

この土地そのものに土着した信仰で言うならば、月で餅つきをする兎こと『玉兎』か。だがこの閉鎖空間である桃源郷において、偽りの月に力が宿るとは思えない。強力な英霊とは言えないだろう。聖杯戦争の贄になるという点では、巫女としての性質が大きいか。

 

———うん、さっぱり分からん。

 

巧一朗は思考を放棄し、既に傍まで到着したツキに軽く頭を下げた。

ツキは黄金街道と抱き合ったのち、先程の話に聞き耳を立てていたが如く、ある提案をする。

 

「ダスト、明日私と一緒にステージに立とう!」

「はい!?」

 

それはあまりにも急すぎる勧誘だ。ダストを、アイドルデビューさせようと言うのだ。

 

「前にも言ったけど、ダストってば本当に綺麗なんだもん。絶対アイドルになったら、人気爆増だと思う。明日、私とユニットを組んでステージで躍ろ!ね!」

「いやいやいやいや無理無理無理無理です!吾が!アイドル!?などと!?」

「あー、でも、そりゃ良いな。ツキは多分、約二百人の客のことを言っているんだな。」

「どういうことだ、黄金街道。」

「ツキのライブに来る客たちは、第三区民でありながら、どこかの組織に属している訳じゃないんだ。彼らは、その、なんだ?オタ活?というのに勤しんでいる、平和主義者でな。彼らを味方に付けられたら、令呪の獲得もやぶさかじゃねぇ。ダイヤモンドダストが勝利できる唯一の道だと思うぜ。」

「そうか。ならダスト、やってみないか?」

「こ、巧一朗様まで!?無理です!嫌です!歌は、まぁそれなりに出来ますが、舞は、練習が必要と言いますか。一日二日で覚えられるものではないかと!」

「そうか、だがダストは器用だし、そもそも英霊だ。俺はきっと出来ると思うぞ。まぁ、本人の意思次第だな。」

 

巧一朗はかつて、鉄心に何度かアイドルのライブに連れ回された経験がある。

彼には刺さらなかったが、確かに少女が笑顔を振りまきつつ踊る姿は、皆を魅了するものであった。

ダストは控えめに言っても、美人だ。整った顔つきもそうだが、その体型もバランスが良く、何より足が細くて長い。俗にいう美脚の持ち主だろう。女性に関して乳派の鉄心も、アイドルに対しては足の筋肉の良さを語っていたものだ。

 

「巧一朗様、吾は…………吾にも、出来るでしょうか。吾を救おうとして下さる貴方様に応えたいのです。」

「ダイジョブだよ!ダストは立派なアイドルになれる!私がしてみせる!任せて頂戴な!」

 

ツキは決定とばかりに、ダストの手を引きサンコレアマルへと拉致する。

途中「やっぱ無理」との叫びがこだましたが、問答無用で連れ去られた。ツキ恐るべし。

一方の巧一朗は黄金街道に別れを告げ、同じサンコレアマルのステージ、楽屋に滞在している言峰クロノの元へ向かった。

先程の微笑ましいやり取りとは一転、巧一朗は神妙な顔つきのまま、楽屋の戸を叩く。彼には確かめるべきことがあったのだ。

 

「言峰副館長、一昨日ぶりではあるが、昨日は激動の一日だったよ。」

「そうだろうな。君は災害と一戦交えたのだ。それで生き残った。流石は博物館のエージェントだと褒めておこう。」

「やはり災害のアーチャーのことは知っているな。なら話は早い。革命軍ハンドスペードは、災害のアーチャーと手を組んだ。……もう、革命聖杯戦争をしている場合では無い筈だ。」

「そうかい?君の活躍と、そしてアヘル教団の暗躍によって、アーチャーは敗北した。生きていたとしても、もはや虫の息だ。懸念材料とはならないだろう。」

「やはり第五区の宗教組織が絡んできていたのか。なおさら、今は革命軍が争っている場合じゃないと思う。」

「それは君の一個人的な意見だろう。私はこう思う。なおさら、戦争の終結を急ぎ、ROADを用いて災害を殺すべき、とね。」

 

握り拳を震わせる巧一朗に対し、クロノは至って冷静、冷徹である。そのコールタールが如き漆黒の眼は、今日も光を灯さない。

 

「サンコレアマルのパーティーはグローブを勝利へと導くものだ。グローブは勝利した暁に災害のアーチャーへ矛先を向ける。なら、戦いを早期に終わらせ、過激派のハンドスペードを打ち砕くべきだ。私は間違ったことを言っていない。」

「ならどうして俺をダイヤモンドダストの兵器として参戦させる決断に至った?戦争の遅延要因だろう、俺は。」

「君がそう願ったからだろう。私にとって今の君は、只の賑やかしだ。」

 

クロノは興味なさげにそう言い放つ。巧一朗にはクロノの真意は読み取れない。人間のようには思えない瞬間がある。

 

「……一昨日の夜、宿泊した民家に置かれていた未使用の高価デバイスから、第四区博物館のデータベースへアクセスした。ダイダロスの奮闘もあって、第四区博物館は今なお無傷で健在だったんだ。俺は気になって、あんたやあんたのアサシンについて調査した。残念ながらアサシンについては何も残されていなかったがな。」

「私については、何か分かったのか?」

「街外れの教会に、突如現れた異邦の男。当時の神父は言峰という名で、男は神父の元で聖職者として働き始めた。名を持たぬ男は、神父の性を名乗り、そして名を『クロノ』とした。一切の出自は不明。それが桜館長の記載したデータだ。」

「良く調べているじゃないか。」

「そして、あんたは間違いなく、英霊でも、物の怪でも無く、『人間』だ。だが魔術の心得がある訳ではないようだ。だから吉岡さんの手を借りて、聖杯を鋳造したのだろう?」

「その通りだ。」

「だが一つ疑問が残る。災害のライダーと面識があるとあんたは言ったが、災害のアサシンならまだしも、只の一個人が関わることの出来る相手じゃない。そしてROADは始まりの聖杯をモチーフに生み出されたものだ。ただの人間如きが、到達できる領域じゃないことは明白だ。————あんた、何者だ?」

 

第四区博物館は幾つもの聖遺物を保管した、言わばパンドラの箱庭だ。採用される人材は多岐に渡るが、基本的には反災害思想を持つものが多い。時には吉岡のような無差別殺人者を囲ってしまう程に、ある種『自由』であると言える。

そんな組織の中枢にいて、災害のライダーと関わりがあった人物が、ただの人間である筈が無い。

 

「私がそれを君に明かすメリットはあるかな?君のサーヴァントならば、この第三区にいる。白銀の探偵の推理力を以て、解き明かしてみると良い。」

「キャスターが第三区にいるのか!?」

「あぁ。北部の荒廃区域にいる筈だ。これから向かうとすると数時間は要するだろう。なに、明日にはこのサンコレアマルで再会できるさ。何せ、明日は祭りだ。」

「……まるで、この地区すべてを管理、把握しているかのような口ぶりだな。」

「君も確認しているだろう?革命聖杯戦争を独占配信する為に、リンベル率いるメディア集団は観測艇を打ち上げている。誰がどこにいるのか、監督役である私は把握しているのさ。」

「あぁ、そうかよ。…………あんたの『救済』とやらは、一体何を目指しているんだ?ただの人間だとしたならば、救うなんて、烏滸がましいだろう。」

「この歴史において、世界を救ってきたのは、いつだってただの『人間』だと認識しているが。私はこの命を捧げて、桃源郷から災害を全て駆逐する。それが私に与えられた使命だ。」

 

クロノは巧一朗を見つめながら、彼の意思を伝えた。

対し、巧一朗は口角を上げる。言質を取ったと言わんばかりに。

 

「『災害を全て駆逐する』か。確か革命聖杯ROADの願いにより殺すことの出来る災害はただ一人だったな。成程、言峰副館長の狙いは聖杯戦争の遂行と願いの成就、では無いのか。もっと歪で強大な『何か』を、貴方は成し遂げようとしている。」

「ほう?」

「となると、第四区博物館のデータベースに一切の情報が残されていなかったアイドルのサーヴァントがあんたの『切り札』か?災害は違法触媒による英霊召喚を拒んでいるが、彼らの領域の外側から招かれる者であれば、監視の目は掻い潜れる。俺のキャスターにも、丁度その性質があった。」

 

桃源郷の抑止力。

全ての災害へ対抗するならば、答えはこれを除いて他にない。

未知なるエクストラクラスで呼び出された珍妙な英霊にこそ、答えがあったのだ。

 

「ツキが、抑止力と、君はそう考えるのだな。」

「あぁ。第三区を舞台に執り行う聖杯戦争、この土地こそがアイドルの呼ばれた場所であるならば、思い当たるのは、かつての『シェイクハンズの悪夢』か?果ての無い空から無数のバルムンクが降り注いだという。」

「ふっ、そうかな。君のストーリーは飛躍しすぎている気がしないでもないが。だが私が君の物語の読者なれば、実に面白い展開だ。非常に続きが気になるが……残念、今日はここまでだ。」

「何?」

「私も司祭として明日の祝祭へ参加するのだよ。これからその打ち合わせだ。君もフゴウが許す限り、この領地でゆっくりしていくがいい。また明日の夜にでも、話の続きをしようじゃないか。」

 

クロノはそう言い放ち、巧一朗の隣を通り過ぎて行った。

楽屋の戸を開くその直前、巧一朗は急ぎ振り返る。

 

「言峰副館長、何故貴方はアイドルのクラスのサーヴァントを『アサシン』と呼称したんだ?真逆じゃないか。」

「彼女がアイドルと呼ばれることを嫌っていてね。同じア行だからアサシンと呼んでいる、ただそれだけさ。」

 

クロノは部屋を後にする。

巧一朗は離れて行くその背を暫くの間眺め続けていた。

どこか貧弱にも見えるその背には、何かとてつもないものがのしかかっているような気がしてならない。

 

 

開発都市第三区北部エリア荒廃区域『こころのクリニック』にて。

ショーンの宝具『有為転変の触毒迷宮(ファルマキア・ラビュリントス)』により幽閉されていたキャスターとペルディクスは、外部から現れた間桐桜館長こと『メアリー・セレスト』に救出された。地下深くまで落ちて行ったショーンを尻目に、機密資料を抱え、クリニックを後にする。

だが彼女らが地上へと戻るその時、新たなる影が建造物そのものへの破壊工作を行った。彼女らは階段を駆け上がり、空の下へ脱出する。

そしてそこに仁王立ちで構えていたのは、ショーンの仲間であり、同じヴェノムサーヴァントの一人、セイバー『ヘラクレス』のアンプルを投与した『シュランツァ』であった。

 

「行かせる訳ねぇだろタコ。アタシが相手だよ!」

「セイバー『ヘラクレス』をその身に宿したヴェノムナイト……君は『畦道るる子』かい?」

「アァ?名前で呼ぶんじゃねぇぞクソアマが!アタシは『シュランツァ』だよ、死んでも覚えておけ!」

 

シュランツァはキャスターに向けて大剣を振り下ろす。

隣に立つペルディクスは即座にコンパスの槍でこれに応戦した。

小柄な体型からは想像できない程の圧力が押しかかる。ヘラクレスの筋力は、間違いなく小柄な少女に宿り締めているのだ。

そして鍔迫り合いに敗北したペルディクスは後方へと吹き飛ばされる。あわや剥き出しになった鉄パイプに腹部を切り裂かれそうになるが、ダイダロスの翼がはためき、これに対処した。

 

「ペルディクス!」

「問題ないわ!それより気を付けて!」

 

シュランツァの追撃、再びキャスターへ向けて刃が振り下ろされる。

今度はそれを桜館長が這いずるクラーケンの触手で絡めとり、防いだ。メアリー・セレスト号の消失の謎を形作る伝説上の海魔は、存在そのものが不確かなもの。故に、如何に大英雄の性質を有していようとも、対処するには時間と経験を要する。

キャスターは己も武器を用意しようとするが、迷宮内でのペルディクス装備の生成にリソースを割いてしまった為か、権能を発揮することが出来ない。

あくまでただの知識人、武士の立ち回りは不可能である。

今は桜館長とペルディクスの健闘を称えるのみだ。

 

「この触手のことをアタシはよく知っているぞ。繭の外側で、以前にも巻き取られた。人間の肉を腐敗させる危険物だ。」

「あの時はまだ幼兵でしたね。戦場を知るには、早すぎる年頃だった。」

「でも、アタシみたいなやつには理想郷だと言える。アタシは快感を得る為に剣を振るう。死の淵にこそ、生は現れるものだからな。病院のベッドよりは遥かに心地良いぜ。」

「病院の、ベッド?」

「ヴェノムは英霊の性質を啜れば啜る程に、人間の肉体にも急成長を促すのさ。年齢とは別に、肉体は大人へと発展する。誰よりも早く、クソ長え人生を終わらすことが出来る。あのときのような、ただ白い天井を眺めながら死を待つ絶望はねぇんだよ。」

 

シュランツァは独り追憶する。

彼女は開発都市第五区、では無く、この第三区の貧民街に生まれた。

難病持ちの彼女は、生まれたその時に、死の未来を悟っていた。己の命の灯が吹き切れる瞬間を、理解して生まれたのだ。

彼女の親は早々にシュランツァを見捨てたが、彼女の周りにいた大人たちは、必死に金を集め、第五区にある有数の大病院へ入院させた。

シュランツァに生きて欲しい、ただそのために。

だが彼女には、大人たちのこの行動が理解できなかった。

己の死のリミットを知り得ている彼女は、その先の未来を思い描けない。どれだけ手を尽くそうとも、死ぬのは変わらないのだから。

ならば今を懸命に生きるべきである。何故退屈な白い部屋に閉じ込められ、同じ景色のまま死に絶えなければならないのか。

意味が、分からない。

 

「ムー兄も、そう思うだろ?」

「ん?」

「アタシは今を楽しく過ごせればそれでいいんだ。だって十数年後には死ぬんだぜ?」

「そうとは限らないだろう?」

「限るんだよ。アタシには、見えている。この眼球はきっとトクベツなんだ。ほら、ソイツも、アイツも、死ぬ。みんな死ぬ。英霊のムー兄も、消滅する。アタシにはぼんやりと、その時計の針が指し示す時間が見えるんだ。」

「難儀なものだな。」

「でも不思議だ。ダイヤモンドダストの連中、みんな元気いっぱいなのに、みんな近々死んじまうんだ。このアタシより先に、だぜ。災害とかいう奴らに殺されるのか?」

「………………どうだろうな。」

「大丈夫だ、ムー兄はまだまだ生きていけるさ。アタシより長生きしろよ。てかさ、アタシをどこかへ連れ出してくれよ。第四区とか第二区へ行ってみてぇ。病院は、嫌だよ。」

「あぁ。考えておこう。」

 

だがシュランツァは翌日、第五区へと連れて行かれた。

そしてその後知ることになる。彼女が慕っていた英雄は、組織を裏切り、シュランツァにとってある意味恩人にあたる人物が死ぬ原因となってしまったことを。英霊は、シュランツァの死の未来が見える目を忌避し、裏切りが明るみに出る前に、彼女を第五区へと追いやったのだと。

 

「あぁ、クソみたいな話だな。」

 

やはり死んだ。みんな死んだ。シュランツァは正しかったのだ。

だからこそ、病室に救いの手が差し伸べられたそのとき、彼女は残りの人生をアヘル教団に捧げる覚悟を抱いた。

確定した未来に抗わない。今を精一杯生きる。彼女は真に救われたのだ。

 

———あぁ、いつだってそうさ。アタシが進む道は畦道だ。か細い道をただ進むだけなんだぜ。

 

シュランツァは過去に思いを馳せるのを中止する。そして腐敗し始める両手に力を籠め、無理矢理に触手を千切り取った。

ヘラクレスの怪力は止まることを知らない。触手を全て払い除けると、大剣を振り回し、暴れ始める。

桜館長はキャスターを抱え、回避行動に出るが、パターンを読むことが叶わない乱雑な攻撃に、戦闘ペースを狂わされる。

このままでは応戦するどころか、退避するのも難しいだろう。

ヘラクレスの所持する戦斧はセイバーという特性に引っ張られ、その形状が剣へと変化している。

レンジが広く、触れる全てを破壊し尽くした。

ただの人間と侮る勿れ。ショーンと同じく、シュランツァもまた、英霊と同格の戦闘能力を有する。

 

「さて、探偵。貴方はどうするつもりかしら。」

「今はとにかく退避すべきだ。ショーンの宝具の影響か、君も私も消耗しきっている。そして、桜、君もだ。キレが無さすぎないかい?」

「そうでしょうか?」

「恍けるな。君らしくない。まるで今の君は人間のようだぞ。どうしてそんな疲れ切っているのかは知らないが、君に死なれては困る。」

「そうですね。私も、まだこんなところで死ぬわけにはいきません。」

 

桜館長は額の汗を拭い、逃走経路の算出を行う。救出に来たはいいものの、今の彼女は足を引っ張る存在でしかない。

この第三区で彼女は今なお孤独に戦い続けている。そのことを知る者はここにはいない。

 

「ペルディクス、二人分抱えて飛び立てるか?」

「ええ。認めたくはないけれど、彼の翼は高性能よ。」

「なら、シュランツァの次なる攻撃を避けた後、直ぐに飛び去ろう。準備は良いか?」

 

シュランツァは大剣を振り被るその時、彼女らは行動を開始する。

一斉に右側へと走り、シュランツァの振り下ろすタイミングに合わせる。

そして唸る大地を蹴り、ペルディクスは跳び上がった。

ダイダロスの翼を広げ、天空へと舞う。

 

「よし、向かうは南西です!」

「待って、これはマズイわ!」

 

その刹那、崩れ去ったクリニック内部から、何か得体の知れないものが射出される。

それは白く透明な正四面体だ。シャボン玉のように浮かび上がり、三人を覆い囲った。

同時に、ヒトの身体をすり抜ける材質は変化し、鉄格子の牢へと形状変化する。ペルディクスは一瞬の判断で、桜館長とキャスターを手放した。

 

「ペルディクス!」

 

キャスターは叫ぶが、宙にて束縛された彼女には手が届かない。

ペルディクスは正四面体に捕縛されたまま、クリニック内部へと吸い寄せられていった。

 

「『CUBE』、わたくしの編み出した、ダイダロスの迷宮の応用よ。有為転変とはまさにこういうことかしらね。結界宝具を凝縮し、出口のない無の空間をミニマムサイズで錬成する。この小さな鉄格子には、『無』が広がっているのよ。」

「ショーン!」

 

入口のゲートから現れたのは、無傷のショーンであった。

否、彼は確かにペルディクスの宝具の洗礼を受けたが、アスクレピオスのアンプルを即座に注入し、自らを蘇生させた。

そして再び、災害の力をその身に宿したのである。

キャスターはペルディクスの元へと走ろうとするが、桜館長がそれを止めた。

彼女はキャスターの手を引き、全力疾走でその場を後にする。それがペルディクスの望んだことであるからだ。

 

「あら、貴方一人が犠牲になるつもり?」

「犠牲とは失礼な。私は貴方にとって相性の悪い女よ。この迷宮にも、大穴を開けてやるわ。」

「血気盛んなのね。嫌いじゃないけど、残念ね。」

 

ショーンは突如、CUBEを解除する。

宙に投げ出されたペルディクスは翼の機能を使用できぬまま落下。

そしてその下に、シュランツァが待ち構えていた。

 

「死ねやタコ」

 

シュランツァは大剣を掲げると、舌を出しながら嘲笑う。

彼女のか細い肉体に赤黒い光が灯り、その大剣は音速を超えた。

 

『蝕み殺す百頭(ナインマライブス)』

 

一秒も経たぬうちに、九つの斬撃が繰り出される。

宙に浮かんだペルディクスは為すすべなく、シュランツァの宝具の餌食となる。

咄嗟の防御もままならず、ペルディクスの身体は弾け飛んだ。

 

「く…………あ…………………」

「ペルディクス!?」

 

キャスターは叫んだ。もはや彼女の声はペルディクスの耳に届かない。

ダイダロスの翼型ユニットも、かの超人ヘラクレスを前に、無力。

時空を切り裂くが如き豪快な一手は、ただこの地に呼ばれただけの英霊には対処不能であった。

 

そしてショーンとシュランツァが見上げる空の上で、ペルディクスは光と共に消滅する。

 

虹彩に目を奪われるように、二人はその退却を見守った。

シュランツァの宝具は、ペルディクスを構成するオートマタの歯車一つ残さない必滅絶技。

 

「嘘…………そんな…………」

 

キャスターは遠い先から、ペルディクスの最期を看取ったのであった。

 

「さて、明日がついに『殺戮の夜』ね。シュランツァちゃんにとっては、復讐劇の舞台となるのかしら。」

「復讐とまではいかねぇ。だが、奴はこの手で殺す。それが餞だ。」

 

シュランツァの狙いは、ダイヤモンドダストの裏切り者。

彼女が『ムー兄』と慕っていた男、黄金王マンサ・ムーサ。

そしてショーンと、都信華もまた革命軍を根絶やしにする為に動き始める。

 

 

 

【キングビー編⑥『エピソード:ビトレイアル』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編7『エピソード:キングシップ』

誤字、感想等ありましたらご連絡ください。


淡路抗争後、開発都市第五区にて

人造災害『氷解のヴァルトラウテ』を打ち砕かれ、全ての民と仲間を殺された『欠地王』ことジョンは、鎖に繋がれ、痛めつけられていた。

彼の着飾った国王らしき衣装は破かれ、ふくよかな身体に、フードの男たちが拳を叩きつける。中には電流の走るバッドを振り被る者もいた。

 

「ぐ…………うぅ…………」

「愚かな男ね。生きていた頃と何も変わっちゃいないじゃない。」

 

彼が傷つき血を流す横で、着物の女は愉悦の表情を浮かべ、一人酒を呷る。

彼女こそはアヘル教団の頂点に君臨する災害の側近、右大臣の位に任命された魔妖の反英雄『沼御前』。

彼女の好みを言うならば、細身の体型の男だが、今日はこのジョンで我慢し、酒の肴にしている。

だらしない身体つきのジョンを眺めては、血が漏れ出る傷口に酒を打ち撒けた。ジョンはその痛みに震えるが、その際、脂肪がふるふると揺れ動くのが沼御前には笑いの種らしい。

ジョンを地下に連れて来てはや三時間。命乞いし、全てを詳らかにしたジョンへの制裁はまだ続く。拷問とは、秘匿された情報を喋らせるために行われるが、ジョンは既に余すところなく革命軍の素性や弱点を伝えている。己が助かる為に、他者を平気で差し出す男だ。

だがそれでは沼御前が面白くない。この男にはアヘルへの恐怖心を植え付ける必要がある。殺してしまっても構わないが、それは蛇王ザッハークの意思に反する。あくまで痛めつけるのみだ。

 

「ねぇ、開発都市第七区構想なんて、本当に罷り通ると思っていた訳?わらわには荒唐無稽の絵空事に聞こえてならないのだけれど。」

「吾輩の政治力と、新鋭たち、そして人造災害があれば出来ると……愚かにもそう思っておりましたな……」

「アハハ!切り札は左大臣ちゃんに壊されて、部下も皆殺し!確か統合英霊もヴェノム二人にやられたんだってね。国王としては見通しが甘すぎたんじゃないかしら?アヘルを、小さく見過ぎたわね!」

 

男たちはジョンの顔面に、腹部に、蹴りを入れる。

ジョンは吐血し、苦しみに悶えた。

この地獄はあとどれだけ続くのだろう。

だが、決して命を絶ちたいなどとは思わない。刻まれた傷の数だけ、闘争心を燃やしている。

ジョンは愚かな王と語り継がれているが、彼の諦めの悪さと意地汚さは、その愚かさに拍車をかけたと言える。ザッハークはジョンを『行動力のある馬鹿』と呼称した。

沼御前もジョンの眼に宿る静かなる炎に気付いていた。この道化は、何をしようとも心を折らない。ナルシスト、自信家、ポジティブシンキング、無能なだけに腹が立つ。

死に至ること以外、ジョンには何も効かないだろう。プライドを捨てて生き残り、再び己が王政を敷こうと躍起になる。それが欠地王ジョンなのだ。

 

「不快な目をしている。あぁ、面倒、殺そうかしら。」

「待ってください、沼御前様、それだけはお許しくださいませ、このジョン、アヘル教団の為ならば、どんなことでも致しましょうぞ!」

「じゃ、かつての仲間である『細川ガラシャ』含めたハンドスペード残党を抹殺してきて。」

「はい!畏まりましたぁ!」

 

ジョンが勢いよく返事すると共に、その肉体に電流が流された。

裸の王様となった彼の身体からは、焼け焦げた匂いが充満する。

沼御前は鼻を掴みながら、ケタケタと嘲笑った。

 

「じゃあジョン、貴方にわらわの兵隊を与えてあげるわ。今貴方と遊んでいる子たちは、わらわの忠実なる僕。五つの怪火に、わらわがヒト型を与えたもの。妖怪の名は『龍燈(りゅうとう)』。オアシスでは珍しい、精霊種よ。」

「龍燈……ですか」

 

男たちが一斉にフードを取ると、彼らには人間の首が存在しなかった。

代わりに、硝子のアルコールランプが顔面の役割を果たしており、赤や青と五種の炎を宿している。

スーツ姿をした灯篭人間、とても桃源郷にいていい見た目では無い。

その異様さに、ジョンは思わず声を上げた。

 

「ば……バケモノ!?」

「アハハ!わらわとお喋りしてきて、今更?本当、ヒトというのは見た目でしか物事を分別できないのね、面白!」

「吾輩に、この男たちを貸し付ける、と申しておられるか?」

「そう。欠地王ジョンの監視役としてもね。彼らは只の焔、ヒトの感情は有さない。お得意の人心掌握術は効かないわ。ジョン、貴方が裏切れば、龍燈は貴方の無駄な脂肪ごと焼き殺すでしょう。豚の丸焼きね。」

「吾輩の、監視役…………っ」

「愚かな王は、火刑に処され、火に炙られる。どう?わらわからのプレゼント、気に入って貰えたかしら?」

 

ジョンは苦笑いを浮かべる他なかった。

同時に、沼御前の恐ろしさを嫌という程に味わった。

もし彼が裏切れば、いや、只の一つのミスをするだけで、今度は完全に抹殺されるだろう。

ジョンを構成する部品一つも残さずに、葬り去る。

 

「ジョン、精々頑張りなさい。教団の為に身を粉にして働くの。貴方は『王』では無く、『奴隷』なのだから。」

 

ジョンは沼御前の深淵に飲まれ、恐怖により支配された。そして、いま、彼は生き延びるために開発都市第三区へ派遣されたのだった。

 

【キングビー編⑦『エピソード:キングシップ』】

 

革命聖杯戦争開始から六日後。

災害のアーチャーという悪魔に魂を売り渡した少女『細川ガラシャ』は、召喚されて初めて、竜宮城塞の外へ出た。

大地には巨大な穴が開き、点在する家屋は火災で燃え尽きた。過激派組織ハンドスペードの数少ない組員たちは皆、災害の憤怒に焼き切られた。もうこの領域には、ガラシャの他に人間はいない。

全てはこの領主、細川ガラシャの失態だ。

アヘル教団との戦いの末、絶望した少女は、悪魔に魂を売り渡した。

教団はおろか、グローブにも劣る過激派組織、その汚名を返上したかった。

災害に求められ、穢され、奪われてなお気付かなかった。

彼女の自責の念は、大切な民と、そして、大切な相棒の喪失。すぐ傍にいて、支え続けた家族のような彼を、蔑ろにしていたこと。

第三区最大の愚者は、空の先を見つめながら、ゆっくりと歩き出す。

 

「どなたか、いませんか」

 

か細い声で唱え続ける。

荒野を往くものは独り。涙を堪えて進んでいく。

途中、焼け焦げた古民家に立ち寄っては、生存者の有無を確かめた。

ある家屋において、背を向ける婦人がいた。ガラシャがそれに触れると、忽ち黒炭は崩れ落ち、六畳一間に転がるのだった。

 

「あぁ」

 

漏れ出たのは、溜息だ。

己の愚かさに対するものだ。額や腕を擦りながら、声にならない声で叫ぶ。

ガラシャはどうすればいいのだろう。

これから、何をすればいいのだろう。

きっと、ただ死ぬことは許されない。その身を以て、罪を償わなければならない。

だがその方法が分からない。

今の彼女では、アヘル教団も、災害のアーチャーも超えられない。

俯き涙を零す彼女に、更なる絶望が降り注ぐ。

 

『オマエハオレノモノダ』

 

彼女は背中を震わせた。

竜宮に取りついた魔物が、あろうことか、ガラシャの背後に佇んでいる。

英霊でも、幻霊でもない。ただの呪いだ。ガラシャが召喚されるに際して、自動的に付属したものだ。

細川忠興という英雄の枠を離れた只の思念体。説得は無意味。ガラシャの心の在り方に深く結びつき、彼女の前に立ち塞がるもの。

ぼんやりと白く濁る影が、背後からガラシャを抱き留める。

 

『コレデヨウヤクフタリキリダ』

 

愛し合う夫婦の抱擁ならばどれ程良かっただろう。だが、いまガラシャを抱き締めているのは忠興であって忠興ではない。

ガラシャの柔肌に食い込む爪と牙。もはや獣そのものがガラシャを捕食している。

美しい白い皮膚から赤い液体が数本と流れ落ちる。

 

「旦那様、わたくしはどうすれば良いでしょうか?」

 

このままいっそ愛する男の胸で死ぬことが出来たなら、とまで思う。

彼女の絶技は『煉獄純花(グレース・レイリリィ)』。石田三成により人質になる筈だったガラシャは、侍女たちを逃がし、家老の小笠原秀清にその心臓を突かせた。そして屋敷そのものを燃やし尽くしたのだ。この宝具は彼女の非業の最期を再現するもの。火薬と共に、彼女と周囲一帯は爆発四散する。

だが、この絶技には発動に際する条件がある。それは、キリスト教信徒である彼女は『自死』の選択が出来ないのだ。

彼女の意思であっても、彼女の命を奪う者は、他人でなければならない。彼女がその霊核に自ら刃を突き立てようと、権能は振るえないのである。

先の戦闘では、命を奪おうとする災害諸共に消し炭になるつもりだった。だが、果心居士により、『生き残る』という呪いを課せられた。

青空であろうとも、その手で掴めると、彼は笑って死んでいった。

これはきっと、美しい呪いだ。罪を償う為に、自らを受け入れ、歩き出さなければならない。

 

「散りぬべき、時知りてこそ、世の中の」

 

彼女は辞世の句を口にする。それは今の己を鼓舞する言の葉。

散るべき時に、花は散る。ならばこそ美しい。

キリシタンとしてのタブーを侵してまで、己の散り際を見極めたのは、きっと───

 

ガラシャは家の外に出た。

気付けば、その背に取り憑く忠興はどこかへと消え失せていた。

廃屋を離れたその先の景色を見やる。果てなき荒野が垣間見えるかと思いきや、前方数十メートル先より、六つの影が迫って来ている。

中心にいる人物はいち英霊、だが周りの五人はどう捉えても異形である。その首から上はデュラハンのように失われており、代わりに火煙が立ち昇っていた。

 

「ジョン…………」

 

彼女のよく知る人物が、炎人間を引き連れていた。彼らはあろうことか、その腕に果心礼装を有している。

かつての彼の快進撃を考えれば、随分と軍は縮小化したものである。並び立つものが李存義でも、ハンドスペード組員でも無いことに、彼女は不安を覚えた。

いまここで、こうして、ガラシャの元に足を運ぶ理由。きっとそんなものは考えなくても分かる。

ガラシャの救世主では無く、むしろ彼らは『粛清』のためにこそ足を運んだ。

彼女がジョンという英霊を知り尽くしているからこそだ。

 

「ジョン…………ですわね。」

「いかにも、吾輩はガラシャ様の側近、ジョンでございますぞ。」

 

ガラシャは数歩後ずさるが、ジョンと五体の龍燈は彼女を取り囲むように回り込んだ。

感情の一切見えぬ炎に、彼女はただ恐怖する。

ジョンは身体を震わせるガラシャを見て、舌なめずりをした。

かつての仲間、今はアヘル教団の敵。彼女はジョンを救う者だ。その清廉さを以て、では無く、その死を以て。

ジョンにとって弱い者虐めは嫌いじゃない。己の力を手軽に証明できる気がする。

 

「ジョン、彼らは?」

「龍燈と申しまして、吾輩の新たな近衛兵でありますぞ。笑顔も仏頂面も視認できませんが、まぁ、アインツベルンのオートマタ兵士と変わりませんな。命令通りに事を成す点においては、ハンドスペードの兵士たちより優秀と言えるでしょう。くふふ」

「かつての、ハンドスペードの仲間たちより?」

「ええ。李存義を含め、彼らは使えない駒でした。アヘル教団に手も足も出ないとは、形意拳とは軟弱な流派なのでしょうねぇ?」

「彼らを馬鹿にするのは止めなさい。」

「くふふふふ、失敬失敬!」

 

ジョンはガラシャの感情を逆撫でする。

傲慢で腐敗した精神の持ち主である彼だが、ガラシャを弄ぶ彼には真意があった。

彼が久々に竜宮へと舞い戻った時のガラシャの温かみのある表情を思い出したのだ。

ジョンは悔しいながらも、その時、その瞬間、ガラシャを美しいと感じてしまった。

聖母のような微笑みを汚しては、屈辱的だと思う。

もし殺すならば、醜く歪んだ顔でなければならない。

 

—————であれば、罪悪感も幾分か消え去るだろう。

 

「さてと、ガラシャ様、単刀直入に申し上げますと、吾輩は既に、アヘル教団の一員となりました。その意味がお分かりですね?」

「元の貴方も、ハンドスペードに入る前は、第五区にいましたものね。」

「ええ、はい。吾輩の王道を示すために第三区へと至りましたが、どうやらこのオアシスにおいては吾輩の理解者足り得るものはいなかったようです。イングランドの恥さらしと揶揄する馬鹿どもも現れましたが、悉く殺し尽くしました。さて、ここからは吾輩からの提案です。」

「提案?」

「吾輩にとってガラシャ様は、もしかすると、もぉぉぉぉおおしかすると、唯一の理解者となる存在かもしれません。吾輩と共にこの第三区を離れ、災害のアサシンの元へ行き、反旗を翻すその時を待ちましょうぞ。再び、ハンドスペードとして立ち上がり、開発都市第七区を造り上げるのです。」

「第五区へ?」

 

それは細川ガラシャにとって有り得ぬ提案だ。

彼女の仲間は、家族は、アヘルに全て奪われたのだ。

ならばこそ、彼女はその魂を災害に売り渡した。

亡命という選択肢は、有り得ない。それどころか、最大の侮辱であると言える。

ガラシャが怒りを口にするその直前、彼女はジョンの真剣な眼差しを捉えた。

ジョンは、ガラシャを不快にさせる為に言ったのではない。

 

「ジョン…………」

「欠地王、という言葉を知っていますかな?吾輩のことです。吾輩は、世界で最も愚かな王と評価されているのです。」

「…………」

「でも、こうして生きています。今も。生き恥を晒して、それでも、存在しています。日ノ本生まれの女子には分からないでしょうな。」

 

根本的な部分で、二人の考えは一致していない。

ガラシャは、誇りの為に命を投げうった。

ジョンは、全てを失っても生き延びる選択をした。

価値観の乖離がある。

 

「ガラシャ様、ヒトは生きてこそなのです。死に美しさはありません。生きているから、泣いて、怒って、笑うのです。死んでしまっては、何も残らないではありませんか。吾輩は、貴方を出来れば殺したくはない。かつての仲間だからではない。美しい花を枯らすのは王道ではないと、吾輩は認識しているのですぞ。」

「わたくしは、そうは思いません。命は限りがあって、それを知るからこそ、花は美しく咲き誇ります。」

「辞世の句ですか。吾輩にいま殺されても構わないと。それは果たして、果心居士が望む結末なのでしょうか。」

「爺が……?」

「果心居士が何のために、貴方様を生存させたのか、まるで理解していない。愚かな女だ。」

 

ジョンは溜息をつき、次の瞬間、殺意の籠った眼差しを向ける。

包囲していた龍燈がじりじりとガラシャに迫っていく。

絶体絶命、だが、ガラシャは不敵な笑みを浮かべていた。

 

「何故、笑っているのです?」

「いまわたくしは生きていますから、貴方の言う通り、笑いもします。……ジョン、一つだけ、窺いたいことがあります。」

「何でしょう?」

「どうして、爺が死んだことを知っているのです?つい先ほど、空へと旅立ったばかりだというのに。」

 

ジョンは『あっ』と情けない声を上げた。

彼は災害のアーチャーが暴れ出す一部始終を観測していた。

アヘル教団の都信華の介入があったその瞬間も、陰に隠れてこそこそと見守っていたのだ。

そして災害のアーチャーが宝具による一撃を放って、辺り一帯が灰になる瞬間も見届けていた。

 

「ジョン、貴方の狡猾さは知っています。恐らく貴方が隠れ見守っていたのは、竜宮のすぐ傍でしょう。領主であるわたくしが瓦礫の傍にいるそのとき、泥棒の如く押し入り、果心礼装の基盤を盗みだしたのでは?」

「な、何のことです?」

「龍燈の腕に取りついた装備、どこで入手したものなのですか?まさか貴方のことを嫌っていた爺が、貴方に渡すわけ無いでしょうし。」

「くっ」

「全く。その抜かりなさだけは評価に値しますね。王というより、奇術師の類ですが。」

 

ガラシャもまた、彼同様に溜息をつく。

そして汗をかく彼に、今度は彼女から提案を持ち掛けた。

 

「ジョン、災害のアーチャーがどこに逃亡したか、知っているのでしょう?」

「へ?」

「自らの生存を何より考える貴方が、不安材料となる災害の所在を確認しない訳がないものね。」

「ほほ、流石は、ガラシャ様ですなぁ。お見通しで。はは。」

「なら、今すぐ彼の元へわたくしを連れて行きなさい。これがわたくしの最期の戦いとなるでしょう。爺に貰ったこの命、無駄には終わらせません。」

 

細川ガラシャはかつての部下へ命じる。

彼女の遺された命は、彼女の罪を償うべく使用される。

せめてもの贖罪とは、自らが招いた厄災を、自らの手で葬り去ること。

一介の、武士ですらない女には、千年かかっても成し得ぬ奇跡。彼女はハンドスペードの領主として、それを成そうとしている。

ジョンはガラシャの背に、革命の狼煙を垣間見た。

 

「吾輩は、アヘル教団でありますぞ。吾輩が貴方様の我儘を聞くなどと……」

「いいえ、ジョン、貴方は聞いてくれます。———長い付き合いですものね。」

 

ジョンはガラシャの透き通った眼を捉えた。

真っ直ぐな目だ。ハンドスペードの姫君、象徴、その域を超えた、王としての器。王としての決断の眼差し。

彼は王であるが故に、彼女の王道を否定できない。

 

「全く。」

 

ジョンは俯き、そして笑った。

ハンドスペードとして残された者たちの、最後の戦いが始まろうとしている。

 

 

果心居士を葬り去った災害のアーチャーは、亀のような歩みで、第三区南東部へ向けて進んでいた。

誰にもその存在を悟られぬよう、ヒトのいる場所を避けながら。

酷く屈辱的ではあるが、仕方の無いことだ。

彼の鋼の肉体は、今にも朽ちる寸前である。

抑止力に空を奪われ、アヘルの強化人間に霊核を砕かれた。

災害であるが故に、彼は生き永らえている。だがそれも、あと数日保てば奇跡であろう。

 

「クソが……あぁ、畜生!それだけじゃねぇ、それだけじゃねぇんだ!」

 

彼は日に日に衰弱している。

他の災害とは異なり、彼はその絶対性を担保できない。

『人間』であることに自由を見出した彼は、ある意味で、その英雄神話を置き去りにしてしまった。

自らその格を、価値を、捨ててしまったのだ。

彼がいまシグベルトであることを証明するのは、手に持つバルムンクと、災具起動に必要なグラムだけ。

この剣を失ったが最期、彼はオアシスからの退去を余儀なくされるだろう。

無論、それ以前に、刻まれた傷が彼の生存を許すまいが。

 

「災具を使用できるのは、次でラストか。だが宝具すらままならねぇ。」

 

自身を顧みる男は、その愚かさに苦悩する。

こんなことならば、神であれば良かった。

災害という枠組みに窮屈さを覚え、その仕事を放棄した。

言わば、彼は残りカスだ。誰も彼には期待しない。

災害のライダーも、今のシグベルトは見捨てるだろう。

 

「マナ…………」

 

マナ・ガリアスタ

 

今は遠き、彼の女マスター。

特別な感情を抱いたことは無い。だが、主従関係として、彼女に尽くしてきたことは覚えている。

シグベルトはただ彼女の名だけを口ずさんだ。

もう顔も思い出せぬ少女の、せめて名前だけは忘却してはならない。

人間であるならば、故人に思いを馳せるのが筋であろう。

彼が細川ガラシャに力を貸した理由は、きっとそこにある。

きっと、そう、顔か、声か、何か分からぬが、とても似ていた。

大いなる者に奪われ、穢され、そして狂い果てたその様が、愚かなその様こそが。

 

「マナ…………だったのだろうか。」

 

シグベルトは女を愛する。

キルペリクのように生を全うすると決めたその時、高潔な精神は捨て、雄ライオンのように力を誇示し始めた。

他の男に奪われたくない。どれだけの英雄であろうが、それが例え同じ災害であろうが、彼は無視した。

そして蛇王のごとく、女を食らい続けた。ナナに歪められた本能はどこまでも変わらぬままに。

そんな彼はどこかで、マナのような女を探し求めていたのかもしれない。

細川ガラシャは、きっとマナ・ガリアスタそのものだ。

桃源郷一の愚か者。だから、彼が穢し、愛し、殺さねばならなかった。

 

「クソ……なぜ俺はあの女の前から逃げたのだ……」

 

これではあの時と、同じでは無いか。

殺してでも、救うべきだった。

エゴに塗れた正義は、今なお彼の中に渦巻いている。

惨たらしく生きるのと、高潔なまま死を迎えるのでは、天と地ほどの差がある。

シグベルトは正義に埋もれたままに死にたかった。でも、もうそれは不可能だ。

千年の時を生きた。とうの昔に狂っている。災害のままならまだしも、人間を目指した彼には重い。

死にたくない。惨めでも、生きていたい。

 

シグベルトは足を止め、空を見上げる。

災害のキャスターが造る空だ。偽物の空間に、美しい太陽と雲が浮かんでいる。

開発都市第六区では、災害のバーサーカーが人類と最期の戦闘を行っている。

我々はとうの昔に限界なのだ。

 

「ライダー、てめぇはどうして」

 

———どうして、救いの手を差し伸べ続ける?

 

愚かな人間、愚かな治世、人間と神はどちらも愚者だ。

それを一番に理解している筈だ。なのに、何故。

曲がりなりにも傍にいて、只の一度も理解できなかった。

ヒトの形をした呪いそのもの。ライダーの望みが虐殺であれば、理解に苦しむことは無かった。

少しはヒトを、神を、恨んでくれても良い筈だ。それが道理だ。

 

「ライダー、お前たちは、どれだけの苦しみを味わったのだ?」

 

災害のアーチャーは実に数百年ぶりに、仲間ですらない男に思いを馳せた。

そして彼の背後に人影を感じ、思考するのを停止した。

 

「ここまで、追いかけてくるとはな。」

 

シグベルトは振り返る。

やはり、マナとは違う。彼女は細川ガラシャ。激動の時代を生き抜いた、強き女である。

傍に立つのは欠地王ジョンと、その配下と思われる焔宿し人形たち。

まず災害が後れを取ることの無い、三流英霊たちだ。

 

「災害のアーチャー、わたくしの最期の命は、貴方と共に散る為のものですわ。」

「ジジイがくたばったことで恨んでいるのか?馬鹿言え、俺が殺そうとしたのはてめぇだよガラシャ。ジジイが邪魔だてしただけだ。俺がせっかく見逃してやった命、大事に使いやがれ。」

「見逃した?逃げたのは貴方の方でしょう?」

「俺が、てめぇ如き三流から逃げた、だと?笑わせる!」

 

アーチャーは聖剣バルムンクをガラシャへ振り下ろす。

だが、彼女はそれを避けようとはしない。ジョンが持ち出した果心礼装をその右腕に展開し、剣戟を止めてみせた。

決戦兵器はもうどこにも存在しない。だが、ガラシャにはまだ、果心居士が遺した神髄がある。

独りでは戦えなくとも、傍に『芸達者』がいるならば。

 

「果心礼装起動!」

 

ガラシャの右腕に装着された礼装から、三本の爪がせり出した。

細かく振動し、高速回転する。まるで肉を二分割するチェーンソーは、生前の彼が加藤段蔵に与えたものだ。

彼女にとっての刀が、シグベルトの聖剣に対抗する。

シグベルトは不快感に顔を歪ませた。

 

「舐めてんじゃねぇぞクソアマ!」

 

シグベルトは聖剣を握るその腕に力を籠める。

ガラシャの首を叩き落すまで、この場を離れることは無い。

バルムンクが徐々に青く光を輝かせ始める。彼の遺された魔力が、怒りに共鳴したのだ。

 

「く……う」

 

ガラシャの果心礼装、鍵爪の一本がへし折られた。

シグベルトの圧に対し、一歩、また一歩と後退を強いられる。

当然のことながら、圧倒的な力量の差がガラシャを追い詰めていく。

本来ならば、大英雄シグベルトと鍔迫り合いが出来ているだけで奇跡だ。いまの彼が死に体であるからこそ成り立つ戦闘である。

そしてスカイブルーの空に見合う色に剣が染まった時、彼女の果心礼装、その爪全てが砕かれた。

怪音と共に、ガラシャの肉体にバルムンクの一閃が下される。

彼女の胸部から腹部が切り裂かれ、夥しい量の血液が吹き上げた。

 

「ガラシャ様!」

 

思わずジョンは叫ぶ。叫んでしまう。

今はアヘルに身を置く彼は、ハンドスペードも、ガラシャも、己が生きる為の贄に過ぎない。

だが彼はどうやら嘘つきのようだ。己自身を縛る嘘で塗り固めている。

過激派組織を抜群の政治力でまとめ上げていた懐かしき日々が想起され、歯を食いしばった。

ガラシャは、果心居士は、李存義は、皆は、彼の道具でしかない。

夢の開発都市第七区、彼が災害と同様並び立つ為の土台、組体操のピラミッドで、頂点に立つのは彼の筈だ。

 

「ガラシャ様をお守りしろ!」

 

ジョンは無我夢中で、龍燈たちへ命ずる。

だが彼らは動かない。

それもその筈、龍燈はジョンの配下では無く、あくまで沼御前の従者たちだ。

沼御前はその焔を通じて、焦るジョンを見守っていた。

生前も、第二の生も、全てを失った彼に、珍妙な部下たちを貸し付ける。

その意図はただ一つ、最前席で、裸の王様の絶望を眺める為。

龍燈は機能停止したかのように、その場でモニュメントと化した。

 

「どうして……」

 

シグベルトの目の前で、膝から崩れ落ちるガラシャ。

彼女の肩から、淡い光の粒子が漏れ出した。

 

「あ…………」

 

ジョンはその光を知っている。

李存義、ヴァルトラウテ、そしてハンドスペードの仲間たち、皆、光と共に空へと旅立っていった。

同じようにガラシャも、このオアシスから消えようとしている。

儚げな輝きは、彼女が象徴として皆と共に生きた証だ。

白いシャボン玉が割れたその時、ガラシャは無意味に、無価値に死ぬ。

ジョンが最も恐れたことだ。彼は無価値に死ぬことを何よりも嫌っている。

だからその足は竦んだ。龍燈に動けと命じようとも、彼自身は動き出さない。

第五区よりその呆れた様を肴にして酒を飲む沼御前。安全圏からの観察、そして愉悦。

世界で最も愚かな王は、その場で立ち尽くした。

 

「ガラシャ、死ね。てめぇの役割は終わりだ。いや、てめぇのロールは元より無えか。」

「シグベルト…………」

 

シグベルトはガラシャの腕を、果心礼装諸共切り落とす。

痛みに喘ぐことは無く、ただ茫然と、その死の瞬間を待つ。

そして彼女が死を迎えるその時、彼女の宝具は花開く。

彼と共に果てるならば本望だ。

きっと細川ガラシャの一抹の輝きでは、何も変えられないだろう。

でも、もう、充分だった。

不意に思い出したのは、李存義が遺した言葉。

『太郎を仲間に———』

それは竜宮の建設者『浦島太郎』のことなのか、はたまた、グローブの黄金街道こと『金太郎』のことなのか。

今となっては分からない。

どちらにせよ、革命軍が手を取り合う様な未来を、彼は望んでいたのだろう。

いつかシェイクハンズの名のもとに、手を取り合える日が来るだろうか。

その未来に自分自身はいないことが、ガラシャには少し残念に思えた。

 

『散りぬべき、時知りてこそ、世の中の、花も花なれ、人も人なれ』

 

シグベルトが聖剣を再び振り上げた、その時。

彼女は辞世の句、もとい、宝具の発動詠唱を唱える。

彼女の足元に次々と白百合が咲き誇り、荒廃した空間を美しく染め上げる。

この花々は、ガラシャへの献花そのもの。彼女のお陰で生き延びた者たちの、感謝の印である。

彼女はそれを棺桶に閉じ込め、墓場へと持っていく。

シグベルトに逃亡の選択肢など、与えない。彼女の死を以て行われる、強力無比なカウンター宝具。

ガラシャは涙を零しながら、主への祈りを始めた。彼女の死は希望的自殺では無い。

シグベルトはその大剣を振り下ろした。そして、ガラシャの首が地に落ち、転がっていく。

その筈だった。

 

「え……」

 

祈るガラシャが見たのは、ふくよかな胸元、そして腹部である。

彼女を優しく抱き締め、守る様に立ち回っていた。

そしてガラシャの顔面に、自らとは別の、温かい血液が降り注ぐ。

彼女の代わりに、何者かが斬られたのだ。

ガラシャがその存在に気付くのに、一秒とかからなかった。

 

「ジョン……………………………………………………?」

 

シグベルトもまた、驚いた。

己の身可愛さに、あらゆる危険を避け、部下たちを顎で使い続けた悪王が

ただ一人の愚かな女を庇い、血を流したのだ。

つい先ほどまで、ガラシャの背後にいて、震えていた男だ。

シグベルトと同じ、惨めでも生きていくことを選んだはずの男なのだ。

 

「てめぇ……」

 

シグベルトは剣を地に突き刺し、ジョンの背を眺めた。

しっかりとついた脂肪は半分に千切られ、止めどない血だまりを生み出している。

ジョンはガラシャを心配させまいと、彼らしい高笑いをした。

無論、それが痛みを誤魔化すやせ我慢だと誰もが気付いている。

 

「ジョン…………なぜ……………わかるでしょう?わたくしはもう…………」

 

手遅れだ。もう、細川ガラシャは死ぬ。助からない。

彼女はそう伝えようとした、が。

ジョンにとってはその全てが些事だ。

単純な答えだった。気付くまでに長い時間がかかってしまった。

彼は数多の裏切りをした。彼を許す者も、彼を愛する者も、世界には存在しないのだ。

そう思っていた。

 

『貴方が生きていて、良かった。』 

 

ガラシャとジョンが再会した時、彼女はそう言った。

どんな罵詈雑言が飛んできてもおかしくない状況で、彼女はただそう言い放った。

聖母のような微笑みで、彼の帰還を喜んだ。

開発都市第七区は、彼の為の国であり、そして、ハンドスペードの国だ。

彼がその王を名乗るならば、その妃となる女を守るのは、当然のことだった。

 

「吾輩には、十分すぎたのかもしれませんなぁ。」

 

ジョンは立ち上がり、シグベルトと相対した。

いまこの災害の目前には、大切な女を見捨てなかった王がいる。

ここにも、死を誉とする愚者がいた。

だが、ジョンはそれを否定する。

 

「吾輩は死にたくありませんな。あぁ、死ぬのは本当に怖いのですから。でも…………どうせ死ぬなら、格好つけたいのが男の性だろう?シグベルト。」

「…………三流英霊が、くだらねぇマネしやがって。」

「命を賭して、我が国を守る。多くを間違えてきた吾輩ですが、それだけは、間違えたことがない。さぁ、勝負だ。」

 

欠地王ジョンは、血塗られた王冠とマントを羽織り、胸ポケットからあるものを取り出した。

ガラシャも、シグベルトも、それが何を表すものか分からない。が、この場にいない、龍燈を通して戦いを監視する沼御前だけが、そのものの正体を知っていた。

 

「あ、あれは!まさか!わらわの!」

 

沼御前が所有する七つのヴェノムアンプル、日ノ本の妖の力を宿すそれには、ただ一つだけ、桃源郷を滅ぼしかねない危険な聖遺物がある。

 

それは、大妖怪『空亡(くうぼう)』のアンプルだ。

 

空亡とは、百鬼夜行の最後に登場する、巨大な暗黒太陽である。全ての魑魅魍魎、全ての人間を滅ぼす災害と民間伝承で伝えられていた。

これは人類歴の観点からすると、遠くない過去のファンタジーとも言われているが、オアシス歴千年の歴史を経て、ここ桃源郷においては確固たる神話性を担保された存在である。無論、太陽とも同一視されし空亡そのものの聖遺物など、この世のどこを探しても存在し得ない。

が、しかし、ショーンが有する災害アンプルと同じ、同系統神話からの輸入、かつ改造であれば調合は可能となった。

そう、スネラクを通じ、ヴェノムたちは災害のバーサーカー『后羿』の残留成分を回収していたのである。

Sクラス級のアンプルで、それが『大妖変化』を行使する沼御前により使用されていた場合、災害以上の脅威となった筈だった。現に、沼御前は己が桃源郷を滅ぼすための切り札として、ザッハークにも知られぬまま、隠し持っていた。

だが、先の果心礼装と同様、ジョンによってこっそりと持ち出されていたのだ。

 

「欠地王ジョン!きさまぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああ!」

 

これには、常に余裕綽々かつ、非道を貫く沼御前も、驚愕し、怒り狂う。

ジョンは今頃悔しさで暴れ回っているだろう沼御前に対し、心の中でざまあみろと舌を出した。

妖怪アンプルは英霊である沼御前専用に調整されたものであり、人間用のものよりはサーヴァントに適合しているが、それでも、ジョンのような力なき英霊が服用すれば、十秒と持たずに死に絶える。

それが太陽そのものでさえある『空亡』であれば、なおのこと。

だがジョンは、一切の躊躇いなく、自らの腕にアンプルを注射した。

専用のコネクタを介さない、血中ダイレクトに暗黒太陽を流し込む。戦闘続行のスキルがあろうとも、即死が必至だ。

 

「ジョン…………!?」

「てめぇ、まさか!?」

 

ここで、ジョンの行動と、彼の覚悟に、二人は気付いた。

ただでさえ豊満な肉体が瞬く間に膨張し、そして筋肉繊維を黒い炎で燃やし尽くしている。

輝けし逸話の一つもないジョンは、第二の生においても、なにも成し得ず、ただ灰となる。

彼は精神力で堪えてみせるが、無駄な足掻きであった。ガラシャ同様、彼の肉体から無数の粒子が零れだす。

沼御前の切り札『空亡』のアンプルは、世界を滅ぼすことなく、ただ三流の英霊に無為に消費され、オアシスから消滅した。

そしてジョンは、自らが生きている内に、龍燈へ命令を下す。

百鬼夜行の最後を任される、ある種、妖怪の王ともいえる空亡の炎には、鬼火に過ぎない龍燈たちは従わざるを得ない。

沼御前の支配すら超え、真にジョンの配下となった龍燈は、腕に取りついた果心礼装で、呆気にとられるシグベルトへの攻撃を開始する。

 

「無駄な足掻きを!」

 

シグベルトは聖剣を以て、これに対応するが、刹那、彼の身体から魔力が急激に減少した。

ひび割れた霊核の異常では無い。外部からのプレッシャーが彼の肉体そのものを捕縛する。

ここで災害のアーチャーは、その真相に勘付いた。

いま、彼に向かって手を翳し、宝具を起動した相手がいる。

 

「吾輩の宝具を発動する。きわめて不本意だがな、竜殺しの英雄ならば効かぬが、貴様がシグベルトであるならば、吾輩は貴様に対する特効薬となり得よう。これが吾輩の『尊ぶべくも無き大憲章(マグナ・カルタ)』だ!」

 

絶対的な王権を挫く、法の洗礼。

イングランド史上最悪の王と名高きジョンの、ただ一つの功績とも謳われる、彼からしてみれば余りにも情けない絶技。

大憲章マグナ・カルタに署名したことで、彼は立憲君主制の礎を築いた。絶対王権を制限し、王の力そのものを簒奪する。

シグベルトは国王である。故に、彼の宝具は災害でさえ、従わざるを得ない。

災害は龍燈の同時攻撃により、多大なダメージを負った。

 

「クソ……ありえねぇ、俺が、俺が、俺がぁぁぁぁあああああああ!」

 

シグベルトはたまらず災具の起動に取り掛かる。

だがもはや間に合わない。彼の目の前に急速に近付いたのは、今も脂肪や臓器をまるごと燃やし続けるジョンである。

欠地王はシグベルトを抱擁した。その瞬間、シグベルトの肉体にも、空亡の絶望が降り注ぐ。

言わば、これはミニマムであるが后羿の災具そのものである。

既に霊核が砕かれ、無敵でなくなった災害にはひとたまりも無い。

そして、僅か数秒間でも、この悪夢のような時間に耐え抜き、あまつさえ己の宝具まで使用してみせたジョンに、疑問を抱かざるを得なかった。

 

「てめぇ、なんで、そこまで」

 

シグベルトはあの日、蛇王ザッハークの元から逃げた。

マナを見捨て、全てを忘れ、本能のまま外道へと堕ちて行った。

人々から大英雄と尊敬され、二人の竜殺しの英雄へと生まれ変わりを果たした彼でさえ、サハラの悪夢には、桃源郷の闇には、屈したのだ。

何故、ジョンはくだらないただ一人の愚かな女の為に、永遠の苦しみを味わえるのだろう。

死にたくないのは同じだ。惨めでも、生きていたいはずだ。当たり前だ。

どうして?どうして?どうして?どうして?どうして?

 

「なんで?簡単なことです。吾輩は生前から、これでもかという程に、己の無力さを知っていた。」

 

悪王ジョン、愚王ジョン、災王ジョン。

彼の名を語り継ぎ、そして、王たちは己の子に『ジョン』の名を継がせない。

第二の生において、彼は絶望を味わった。

それでも、ハンドスペードにて、再び指揮を執ることを選んだ。

もっとも王に向いていないと、自らが一番理解していて、それでもなお。

 

「吾輩は他の生き方を知らない。なら、恥ずかしげもなく、王冠を被るしかないではありませんか。」

「逃げても、良かった筈だ。」

「違います。吾輩はこれまで、何度も何度も何度も何度も逃げてきた。いつか勝つ為に、逃げてきた。」

「なら、何故?」

「ほぅら、分かってない。いま吾輩は、災害とも呼ばれた、かの大英雄(シグベルト)に勝ったではありませんか。なはははははははははははははは!」

 

—————王は孤独ではなれません。愚かでも、王と心中する民が、必要なのです。

 

「災害のアーチャーよ。これが革命軍『ハンドスペード』だ。」

 

そしてジョン諸共、大爆発を起こす。

ガラシャは爆風によって数メートル先まで飛ばされた。

二人の生死は確認できない。

ガラシャは飛びそうになる意識を必死で保ちながら、立ち昇る煙が消え去るのを只一人、待ち焦がれた。

 

 

辺りは既に夜闇に飲まれている。

外套一つとない、果てなき干ばつを歩く。

眠っていたガラシャは、誰かに背負われていることに気付いた。

 

「あれ…………?」

 

体格のいい、固い背中にしがみついている。

己がまだ生きていることに驚きつつ、じんわりと温かい肩に顔を押し付けた。

こうしている間にも、彼女の身体からは光の粒子が、蛍のように飛び去って行く。

もう彼女は長くはない。

 

「目が覚めましたな、ガラシャ様。」

 

彼女を背負っている男が声をかけた。

静かに笑いながら、ガラシャをしっかりと背負い直す。

 

「ジョン、あの爆発で、生き残ったのですね。」

「太めな体格が功を奏したようで。弾け飛んだ際に、吾輩の脂肪の半分は燃焼されましたが。」

「物理的に、ですね。」

 

二人は笑い合う。

まだガラシャには、その元気があった。

 

「災害のアーチャーは、死んだのですか?」

「ふはは、我が威光を示し、見事災害に勝利しました!痛快至極!…………と、言いたい所ですが」

「しぶといですね、彼は。」

「ええ。伊達に千年は生きておりません。最後の最後で取り逃がしました。」

「でも、ハンドスペードは、災害に一矢報いることが出来たのですね。」

「吾輩の大活躍、いかかでしたか?革命軍の王として、相応しいとは思いませんか?」

「そうですね。わたくしが推薦状を書きましょう。」

 

星の光だけでない。彼女らは、温かな光に包まれている。だからこそ、歩むべき道が分かる。

 

「…………どこへ、向かっているのでしょうか?」

「革命軍グローブの領地です。ガラシャ様の今の状態を、何とか治療して貰えるかもしれません。」

「もう遅いですよ。」

「いいえ、まだ元気ですよ。あぁ、アヘル教団にはオアシスきっての凄腕医師がいるのですが、治療しては貰えませんかね。まぁ、いつも一定の場所には留まらない、変わった女ですが。」

「第三区には、いないでしょう。こんな状態ですから。」

「ははは、そうですな。でも、そろそろグローブの領地に着きますよ。何やら、明日は催しがあるようで。準備段階から、楽しげな雰囲気が伝わって来るではありませんか。宴は良いものです。」

 

「ハンドスペードの皆で、パーティーを催したかったですね。」

「ああ、そうですな。きっとそれは楽しいでしょう。」

 

彼女らはサンコレアマルのすぐ傍に到着する。

そして、ガラシャはその場に転がり落ちた。

 

「ジョン…………?」

 

ガラシャが声の主を見やると、それは彼女の知る欠地王ジョンでは無かった。

彼女を背負っていたのは、ジョンの配下として戦った龍燈の一人。

アルコールランプの顔からは、既に炎が消え去っており、役目を終えたとばかりに、その場に崩れ去った。

思えば、ジョンは彼らのようにスマートな体型では無かったし、何よりシグベルトの剣で、背中に深い傷を負っていた。ガラシャが小柄であると言えど、背負うことは不可能だった。

ガラシャは現世と冥界の狭間で、鬼火をジョンと思い込み、話しかけていたのだ。

 

欠地王ジョンは、あの場で、死んだ。

何よりも死を恐れる王は、彼女の為に、命を絶ったのだ。

 

龍燈たちも消え、細川ガラシャはついに、独りとなった。

 

「お疲れ様、ジョン。」

 

ガラシャは最後の力を振り絞り、立ち上がる。

災害のアーチャーは、一日と経たぬうちに、死に絶える。

ハンドスペードは、革命軍として、災害のサーヴァントの討伐を成し遂げたのだ。

だが、結果として、ハンドスペードは細川ガラシャただ一人となった。

 

「爺、李存義、ジョン、みんな、———わたくしも、すぐにそちらへ向かいます。少しだけ、待っていてください。」

 

ガラシャはサンコレアマルを目指し、一歩踏み出した。

 

—————革命軍ハンドスペードよ、永遠であれ。

 

 

 

 【キングビー編⑦『エピソード:キングシップ』 おわり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編8『エピソード:パーティー』

毎週投稿継続中!
感想、誤字等あればご連絡ください!


【キングビー編⑧『エピソード:パーティー』】

 

目の前の景色が歪む。

煌々とした舞台の外側に、何百という怨念が集結している。

そう考えると、足が竦んだ。

眠ることもせず、持ち前の器用さで歌も舞も完璧に仕上げた。

でもそれは彼女の模倣でしか無く。

吾の存在は、ただ、彼女の影でしかなり得ない。

 

「ダスト」

 

桃色の髪を揺らしながら、彼女は隣で笑っている。

初めて袖を通した衣装は、吾がこれまで一度たりとも身に着けたことが無いものだ。

鏡の前をうろうろしながら、彼女の悠然たる様を眺め、溜息を零す。

枡花女も、この世界に名を刻んだ英雄、らしい。

だが吾にはそれが理解できない。吾はただ、父に誇りを託され、そして、日ノ本の英雄にそれを託した。

吾は猛きものの生き方も、優美なる女の生き方も、知らない。

隣にいて、笑顔を振りまく彼女は、そうやって生きてきたのだろうか。

 

「ツキ……さま」

「ツキちゃんでいいよ!」

「貴方は、生前もこのような生き方を?」

 

華やかなステージに立ち続けるアイドル。

魔女っ娘アイドル『ツキ』には、只者では無い風格がある。

 

「うーーーん。そうでもないよ?」

「違うのですか?」

「だって私はきっと、みんなに嫌われている筈だから!私たちは似た者同士なんだよ!」

 

そう言って、彼女は笑う。

嫌われ者のブルース。だが、ステージに流れるのはポップミュージック。

吾には、ツキのことが分からない。

彼女の為に金を、時間を、溶かし狂う者もいると聞く。

第三区を虜にした彼女は、それでもなお、人の好意を信じられない。

 

「似た者同士、なワケ、無いじゃないですか、だって貴方は…………」

 

俯き、言葉を吐きだした吾は、きっと何も知らなかった。

吾の心を見透かし、嘲笑うでも無く、同情するでも無く。

ふとツキの顔を見やると、彼女は『無』そのものであった。

 

「え」

 

吾はそこで気付いた、

彼女は人間でも、英雄でもない。

彼女は何者でもない。

夢が無い、希望が無い、情熱が無い、覚悟が無い、目的が無い、歴史が無い、果てが無い、心そのものが無い。

 

ツキは空虚そのものだ。

 

「ツキちゃん…………?」

 

吾は得体の知れない『何か』に恐怖する。

これは酷く悍ましいものだ。ヒトの皮を被った『絶望』そのものだ。

吾は何かに導かれるように、ツキに手を伸ばした。

吾には、唯一与えられた力がある。

雷上動を誰かに託すため、ヒトの夢に生き続けてきた。

何百万という夢へ現れ、観測し続けてきた。

吾はツキのことを知りたくなった。せめて、彼女が人間であると証明したかった。

 

そして閃光が走る。

 

ツキの手を取った刹那、彼女の記憶が流れ込んだ。

それは人間の容量を遥かに超えた、この星そのものの記憶。

『空の記憶』

命育まれる大地を、洗い流す神の怒り。

彼女は母なる大地の制御装置だ。

この星そのものを運営する為の終末機関。

 

あぁ、ヒトの形を取ることが、どれだけ、どれだけ、どれだけ、どれだけ、どれだけ、珍妙なことだろうか。

 

「どうしたの?ダスト」

 

ツキの優しい声色に、ハッと目を覚ました吾は、彼女から急ぎ手を離した。

これは吾が許容できる存在証明を遥かに超えている。

 

彼女は人間では無かった。彼女は『概念』だ。

世界が悲鳴を上げたその時に現れる、ラグナロクシステム。

災害によって管理運営されたこの箱庭のリセッター。

今なら分かる。彼女は確かに『嫌われ者』だ。

 

「私、先に行くね。ステージで待ってる!」

「え、あ……」

「ちゃんと来てね。来ないと、踏み潰しちゃうから!」

 

ツキはそう言い残し、背中を見せた。

その無防備な背後に刃を突き立てたとて、彼女は変わらず笑い続けるだろう。

 

 

「いえい!皆、『パーティー』楽しんでる?ここで、私ツキちゃんと一緒に歌ってくれる特別ゲストを紹介するよ!なんと、革命聖杯戦争にエントリーしている、皆も知ってる大物サーヴァントが来てくれたんだよ!知りたーい?」

「知りたい!!!」

「じゃあ教えてあげる!さぁ!ステージにカモン!ダストちゃん!」

 

ダストは緊張した面持ちでサンコレアマル舞台に立った。

彼女の存在が、隣にいるツキでさえ迷惑をかけてしまう、そう思い、委縮していたのだ。

だが、アイドル衣装を着込み、普段の陰気さが消え去った彼女は、意外にも、観客たちにすんなりと受け入れられる。

ここには争いが存在しない。ツキがその笑顔とパフォーマンスで支配する空間だ。

 

「ダストってば、私の見立て通り、チョーーーー可愛い!じゃあ一緒に行くよ。準備はいい?」

「あ、うん、はい!」

「『恋は雨のように』だよ!皆、傘を振り上げる準備は出来てる!?」

 

そして二人は歌い始める。

ダストの歌とダンスは拙いものの、一夜で仕上げたにしては十分すぎるものであった。

合間にミスを連発しようとも、ツキがさりげなくそれをカバーする。ダンス上級者でもない限り、観客にはベストパフォーマンスに映るだろう。

客席の隅で見守る巧一朗は、ダストの作られた微笑みを静かに眺めていた。

 

「巧一朗」

 

彼は突如、何者かに袖を引かれる。彼が振り向くと、そこには、彼が求める人物が立っていた。

 

「キャスター、それに、桜館長!?」

「ここならば君に再会できると思っていたよ。すまないが、少し外に出て話せないか?」

「ああ、勿論だ。」

 

久々の邂逅である。

災害のアーチャーが暗躍する今、桜館長の能力は必須。

加えて、巧一朗では解き明かせない謎も、探偵であるキャスターならば辿り着けるかもしれない。

ようやく博物館は、戦いの舞台に立てるのだ。

コロシアムの外側へと出た時、巧一朗は桜館長に対し、違和感を覚えた。

熱に浮かされたような表情である。余裕綽々と言ったいつもの彼女は見られない。何かに苦しんでいる様子であった。

 

「どうした?体調が悪そうだが。」

「いえ、大丈夫。ちょっと頑張り過ぎてしまって、ね。この肉体は人間そのものだから、大事にしないと。」

「そうだな。今日は早めに就寝することを推奨するよ。」

 

巧一朗は特に気にも留めなかった。

桜もまた、心配されることを望んでいないように見える。

 

「巧一朗、どうやら君は面白いことに巻き込まれているそうじゃないか。」

「巻き込まれた、というより、自分から飛び込んだ、が正しい。革命聖杯戦争の終着点で、どんな景色が広がっているか、当事者で無ければ分からないこともある。革命聖杯ROADが、本物かどうかもな。」

「その顔は、信じていないように見える。」

「ああ。監督役の司祭、そして第四区博物館副館長こと『言峰クロノ』が、陰でコソコソと怪しい動きを見せているからな。黒幕は彼と見て間違いないが、それが博物館の意向にそぐわなければ、俺は別に良いと思っている。元より俺たちはテロリストだ。」

「クロノに関しては、大方の思惑は把握できているよ。君にも、私の推理を伝えておこう。極めて下らない思考理念だ。」

 

キャスターは桜の話と巧一朗からの伝聞を統合し、クロノの目的を推理する。

彼が引き連れているサーヴァントに関する考察も交え、両手で赤い紐を弄びつつ語り始めた。

 

「まずは巧一朗の言う通り、アイドルのサーヴァントは十中八九、シェイクハンズの悪夢で暴れ回った天空の巫女であろう。そのときの彼女の戦闘スタイルは、天空から雨のように物体を降らせるものだった。これは世界で、永遠の謎と語られている、ある事象、ある現象に酷似している。」

「ある現象?」

「雨や雪など、通常空から降り注ぐものとは異なり、本来存在しない筈の物質が天空から落下する現象だ。嵐や竜巻などが理由として語られているが、個々の事象全てが解明された訳では無い。世界の神秘と呼ばれる概念だよ。」

「それは?」

 

「『ファフロツキーズ』さ。超常現象として定義された天空からの落下現象だよ。」

「ファフロツキーズ…………」

 

巧一朗は開いた口が塞がらない。

これまで多くの英霊と出会ったが、超常現象そのものが英霊として呼び出されるケースなど、聞いたことが無かった。

桜館長の正体『メアリー・セレスト』も、とある難破船の怪事件そのものが英霊化したものだが、これは人為的なものが見当たらない、より神秘性に満ち溢れたもの。もし彼女と敵対したならば、どのように戦えばいいのか見当もつかない。

 

「強力無比なサーヴァントだ。革命聖杯戦争により命を捧げるには惜しい人材、何故ならば、彼女は災害全員を葬り去る可能性を有しているからね。であれば、クロノの狙いはこのファフロツキーズであるだろう。吉岡が、自らのコラプスエゴである『アグネス・サンプソン』に英霊を食わせていたのと同じように、最後はROADそのものを取り込み、覚醒させる筈だ。」

「なら、クロノの救済というのは、何なんだ?」

「『オアシスを災害ごとまとめて滅ぼすこと』、吉岡が子ども達の未来を優先した結果成し得なかった、災害のコラプスエゴ誕生が狙いだ。」

「災害のコラプスエゴ…………」

 

だが、どうして?

オアシスで誕生した、只の人間が、そのような思考に至る筈も無い。

ましてや、破滅思考の持ち主だとして、それをあろうことか『救済』と呼ぶなどと。

 

「私、分かるわ。彼のこと。」

「桜館長?」

「彼はよく、博物館のデータベースで調べ物をしていたわ。ログは全て削除されているけれど、私は彼の行動を監視していた。彼はずっと、オアシスの外の世界を知ろうとしていたわ。」

「桃源郷の外側……?」

「ええ。災害の手により情報統制がされている現代で、彼は第四区博物館の資料に目を付けた。本来ならば、指定文化財に興味を示す様なものだけれど、聖遺物に対しては何も触れようとはしなかったの。彼が欲していたのは、『サハラ』の記録よ。」

「サハラ砂漠……」

 

巧一朗は欠落した記憶を掘り起こし、当時を振り返ってみる。

例えば、参戦したマスター達。巧一朗のように、生き延びた先に、オアシスに辿り着いた者がいるかもしれない。

有り得ないとは認識しつつも、もしクロノがマスターで、災害のライダーと関わりを持っていたら———

だがそれは直ぐにでも否定される。クロノは魔術師で無く、このオアシスにて突如現れた存在だ。

 

「彼が何者であるかは不明。でも、彼は恐らく、オアシスを滅ぼすことで、外の世界を救おうとしている。災害による外世界への侵略行為を止める為に。彼はそれを『救済』と呼んでいるの。」

「オアシスの切除、そして外世界の救済、それがクロノの目的……?」

 

キャスターは顎に指をあて考え込む。彼女なりの答えを導きだそうとしているのか。

巧一朗も頭を悩ませるが、その時、彼らの前にある人物が姿を見せた。

井戸端会議に参加するには、信用の足りない男である。

 

「おっと、ダイヤモンドダストの兵器くんか?まだ戦ってはいないが、俺はお前に期待しているんだぜ。」

「え、あ、誰?」

「あらら、俺のことを知らないのは、俺もまだまだってことかね。この革命聖杯戦争を独占配信しているネット番組の司会だ。皆からはMCリンベル、なんて呼ばれている。」

「リンベル……ああ、令呪の配当を行っている……」

「そうだ。実際、俺は人気投票をやっているだけで、令呪自体は自動的に配布されるシステムだがな。フゴウばかりが勝利して、視聴率も落ち気味なんだぜ。果心居士にペルディクスも死んじまったからな。グローブの勝利は確定さ。」

「ランサーも、死んだのか?!」

「ああ。参戦サーヴァントの現界情報は管理している。この第三区から、いや、オアシスそのものからロストしていた。最近は監督役からグチグチ言われて、おちおち配信もしてられねぇ。だから兵器くんには期待しているんだぜ。特大の視聴率、頼んだよ。」

 

リンベルは巧一朗の肩を叩き、手をひらひらと振りながら歩き去る。

キャスターは何かを思いついたように、リンベルを引き止め、ある質問を投げかけた。

 

「独占配信をやっていると言ったが、第三区はとても広いし、いつ、どの場所で戦いが起こるかは分からないだろう。メディアはどうやってそれを監視しているんだい?」

「あぁ、空に浮かぶ観測艇だよ。十数のドローンで各地を見回りながら、第三区のホットな情報を集めている。本艦と予備艦があるが、本艦で事足りる分、予備艦は車両倉庫の中だ。それがどうした?」

「いや、ありがとう、何でもない。」

「そうか。今やっているステージが終われば、いよいよパーティーの幕開けだ。期待しているからな、ダイヤモンドダスト。」

 

リンベルは再び踵を返した。彼は彼で、これから報道という戦いに臨むのであろう。

 

「キャスター、リンベルの今の話は……」

「あぁ。予備艦とは、良い話を聞いた。もしファフロツキーズが目覚めた時は、使えるかもしれない。私はこれから、その場所を探ってみるよ。」

「助かる。俺はダストの代わりに、フゴウへ戦いを申し込む。精々頑張って来るよ。」

 

巧一朗とキャスターは頷き合う。彼女は小走りでその場を離れて行った。そして彼は、桜館長へと視線を向ける。

だが、桜は遠い先を見つめているようだった。何者かがゆっくりとした足取りで、こちらへと向かって来る。

 

「誰だ?」

「…………」

「桜館長?」

「…………巧一朗、行きなさい。———————頑張ってね。」

「え、あぁ。」

 

腑に落ちない巧一朗だったが、サンコレアマル内の歓声が鳴りやむそのタイミングで、会場へと戻って行った。

そして桜は、接近する存在に、警戒心を露わにする。

長年の経験から、目前の相手の敵意をある程度推察できるようになった。

その上で判断するに、純度百パーセントの『殺意』が向けられている。

 

「あなたは、何者?」

 

数メートル先で、女は歩みを止めた。そして接続された義手で、己の髪を結び直す。

メカニカルなバトルスーツに身を包んだ、ただの人間。だが、英霊すら殺害する気迫を有している。

 

「私は、アヘル教団に所属しております『都信華』と申します。我が主の命により、第四区博物館館長『間桐桜』の暗殺に参りました。」

 

淡路抗争にて大量虐殺を行い、氷解のヴァルトラウテに、そして、災害のアーチャーすら一度殺してみせた、最強の人間。

先の戦いで『崩楽』と呼ばれるモードに移行した彼女は、現在、際限なく『進化』し続けている。

通常のヒトの領域を遥かに逸脱し、英雄と呼ばれる者たちすら、軽々と殺し尽くせるほどに。

 

「都信華……」

「私の任務は、貴方の殺害です。抵抗すれば、近くにいる人間も皆、殺します。拒否権はありません、直ちに死んでください。」

「それは……急な相談ですね。」

 

桜は信華の動きを見極めながら、数歩後ずさる。

だが信華もまた、それに合わせて三歩前へ出た。

サンコレアマルに響き渡る区民の熱狂。この都信華は、一切の戸惑い無く、彼らを嬲り殺すだろう。

桜に出来ることは一つ。

この場を離れつつ、何としてでも逃げ切ること。

疲労の蓄積した彼女では、一秒と経たずして、決着を付けられてしまう。

 

「災害のアサシン『蛇王ザッハーク』に仕えているのですか?」

「はい。それが何か?」

「貴方のような人がいれば、心強いでしょうね。見ただけで分かる、相当の修羅場を潜り抜けて来ているのでしょう。」

「主にとって私は、他の者と等しく、取るに足らない存在でしかありません。ですが、私にはそれで充分なのです。」

 

信華は一歩踏み込み、そして、加速した。

それはヒトでは認識出来ぬほどの、超速の世界。桜の目前に瞬間移動した彼女は、その右手で霊核を打ち抜こうとする。

だが桜の反射神経が僅かに上回り、クラーケンの触手を用いた、左方向への回避が叶う。あまりにも僅かな時間のやり取りを確認できた者はいまい。

そして信華の腕は、丁度その場にあった照明塔へと突き刺さる。

桜は抜けなくなることを祈ったが、信華は物理的に柱を大地から引き抜き、捨て去った。

サンコレアマル会場を眩く照らすナイター塔の一柱は、誰も知らぬ間に呆気なく壊された。

 

「待ってください、何トンあると思っているの?」

「……?」

 

桜はその場から走り出した。

信華はスプラッター映画の怪人よろしくゆっくりとした足取りで追いかける、ことはせず、再び加速し、一気に距離を詰めた。

殺すことに一切の躊躇が無い。あらゆる得物を使用せず、ただその拳で、心臓をもぎ取ろうとする。

既に信華は先程のやり取りで、桜の行動パターンを五通りまで絞り込んでいた。その上で、彼女の思考の先を読み解き、予測する。

桜は再び触手を発現させるが、刹那、それは信華の両腕で引き千切られた。

 

「く……あ………」

 

桜は苦しみ喘ぎつつ、自ら触手を切り離し、再び、信華の行動を制限すべく、五本の帯を伸ばしてみせた。

その間、彼女は必死で走り去る。少しでも人のいない場所へ逃亡する為に。

一方で、信華は手刀を酷使し、生臭いイカを捌いてみせた。

ナイフで切り落としたように、美しい断面が露わになりながら、地面に転がり落ちる。

クラーケンの血しぶきをその身で浴びながら、それを拭うこともせず、桜の影を追う。

彼女のモード『崩楽』は、際限なく彼女を進化の道へと誘う。そして、ある一定の時間を超えたその時、人間の器そのものが耐えられなくなり、破裂する。そのとき、彼女自身何者になっているか見当もつかない。

心を喪失した彼女にとって、死は恐れるべきものでは無い。だが、ナナが必要とする限りにおいて、身勝手に自死を選ぶことは許されない。

故に、生き、故に、殺す。

ナナの為に、誰であろうと殺害する。それこそが彼女の『生』そのものなのだ。

 

「間桐桜、災害に仇為す第一級の脅威、何故反撃に出ない?」

 

桜の持つ能力を知らぬ彼女は、先程まで出方を窺っていた。

本気で打ち込めば、恐らく桜は死んでいただろう。

ナナが警戒するレベルの敵であるとは考えにくいが、油断は禁物である。

グローブの領地を離れるべく走っていく桜に対し、十数秒で追いついた。

 

「早い……っ」

「私では相手にならないと、舐められているのでしょうか。ちょっと心外です。強いですよ、私。」

「それはもう嫌という程に分かっていますってば!」

 

信華は首元に飛び膝蹴りを与える。

通常、英霊であっても首が飛ばされる攻撃だが、それは第三者の介入によって奇跡的に防がれた。

桜の目前、汗を飛ばしながら、彼女を守る刀が振り下ろされる。

 

「っ」

「っと、危ないな」

 

信華は宙返りしながら後退した。

桜を守るべく立ち塞がるのは、先程彼女と別れ、サンコレアマルへと戻った筈の、巧一朗だった。

 

「巧一朗!?」

「引き返して正解だった。何なんだコイツは!?」

「アヘル教団の刺客よ。とてもじゃないけれど、私達では敵わないわ。」

「なら桜館長は逃げろ。きっと色々裏で動いてくれているんだろう?ここは俺が引き受ける!」

「無茶よ!」

「なに、親孝行ってヤツだ。いいから早く逃げろ。俺と、俺の中にいる頼光を信じてくれ!」

 

巧一朗の背中に頼もしさを覚えつつ、桜は彼の思いに応えることにした。

もしかすると、虚数海の桜が提唱する、巧一朗の可能性、彼はその先へ辿り着けるかもしれない。

今は彼を信じ、託す。そして桜は来たるべき瞬間に備えるために、この場を後にした。

信華は桜を追おうとするが、頼光の矢が頬を掠め、彼女を制止させる。

 

「私はアヘル教団左大臣『都信華』。貴方は?」

「第四区博物館裏エージェント『間桐巧一朗』。」

「そう、巧一朗。貴方に恨みはありませんが、ここで死んで頂きます。」

「やれるものなら、やってみろ!」

 

信華はゆっくりと拳を突き出し、無表情のまま彼を睨みつける。

対する巧一朗は天下五剣『童子切安綱』を構えた。

 

いざ尋常に、勝負の火蓋が切って落とされる。

 

二人は十数秒間、間合いを見計らった。刀と拳、互いに近接戦をいかに有利に進めるか、一手先を読み合う。

巧一朗を支えるのは、源氏武将の知略だ。ヒトを食い破る鬼に対し百戦錬磨の彼であるからこそ、この戦闘においても全幅の信頼を置いている。

信華は巧一朗の顔をじっくりと見つめた。そしてその内部構造まで洞察する。彼女は魔力や魔術師とは縁のない存在だが、経験と洞察力で、巧一朗がヒトならざる者だと察知していた。

いま彼の身体を満たしているのは、彼とは別の存在。恐らく、サーヴァントかそれに類する何かの精神が混ざり合っている。

ヴェノムサーヴァントのようで、全く異なる。力のみを抽出する合理的なシステムとは相容れない、心の同居である。在り得ざることに、二人の精神は完璧なまでに同調している。

ヴェノムより効率は悪い、が、英霊そのものへのアクセスは、力の行使に難が無いということでもある。自らの肉体を理解できるのは他ならぬ自分自身、であればこそ、まるで他人の身体を自分のものとして動かすことが、巧一朗には可能なのであった。

 

「(縫合魔術、ショーン様の言っていた青年とは、まさか彼なのでしょうか。)」

 

信華はそれを確かめるべく、右足で踏み込んだ。

彼女は大地を蹴り、前方へ向けて飛んだ。瞬く間に、巧一朗のレンジへと突入する。

早さには何よりの自信がある。たとえ英霊であろうと、彼女の速度には付いて行くことなど出来ない。

通常であれば一撃のもとに敵を葬り去る戦闘スタイル、だが、今回は彼の出方を窺う一手でもある。

この程度の打撃で死んでもらっては困る、そういった信華の願いも込められていた。

 

「っ!」

 

巧一朗は彼女の速度に驚愕しつつ、それでも捉えきっていた。

彼の戦闘経験に、頼光の魔妖狩りの性質が相乗効果を発揮している。

彼の目が赤く光を放つと同時に、弾丸の如く打ち出された右拳を刀で弾き返した。

信華の右腕は所々に錆が目立つオールドモデルであった。かなり使い込まれており、一部別パーツで改造されている。

旧式のものの方が丈夫というのは良くある話だが、開発者も人の心臓を貫く目的で幾度となく行使されているとは思いもよらないだろう。

彼女は反動で大きく仰け反るが、そのまま宙返りの要領でバランスを取り、彼の胸部をその両足で蹴り上げた。

巧一朗もまた、彼女の抜群の平衡感覚に感心しつつ、足裏の一撃に、大きく後退を強いられる。

再び彼と彼女の間に距離が生まれた。だが、二人が次の一手に出るまでに、そう時間はかからなかった。

仕掛けたのは巧一朗だ。天下五剣に紅の魔力を宿し、彼女へ向けて切り掛かる。

敵は人間であるにも関わらず、その心臓はえらく遠い。太刀筋を読まれ、何度も軌道を歪ませられる。

剣道で例えるところの、面、胴、籠手、どの方向から振り下ろしても、その全てが防がれる。

無秩序な攻撃、だが、人間には必ず癖というものがある。信華は既に巧一朗の行動をパターン化していた。

コインを投げた時、表が連続で出た際には、裏が出るものと信じてしまうように。隙を見つける為の一手一手の筈が、未来予測に役立てられてしまう。

巧一朗はその肌で頼光の熱を感じながら、刀を縦横無尽に振り続けた。

 

「…………」

「(ただの、一撃も、当たらない。全ての攻撃が読まれている……っ!)」

 

そして巧一朗の刀が何度目か、空を切ったその刹那、信華は頃合いを見計らい、抗戦に打って出た。

再び右腕を伸ばし、振り下ろされる天下五剣をその手で掴んだ。

掌は切り刻まれることなく、静止する。

目を見開く彼の頬に、信華の左ストレートが突き刺さった。

 

「ぐぅ!?」

 

そして吹き飛ばされるかと思われたが、信華は彼の腕を即座に引き上げ、その腹部に膝蹴りを加える。

更なる連撃。その場に崩れた彼の右肩目がけて、強烈な踵落としがお見舞いされる。

グローブの領域に、巨大なクレーターが出現した。巧一朗の肉体は、剥がれたコンクリートの地面に埋められた。

 

「かはっ!?」

 

彼は別方向へ転がりながら、次の攻撃を躱してみせる。

が、彼の右肩はぷらんと垂れ下がっていた。既に腕にかけて粉砕骨折している。

この腕で刀を持つことは叶うまい。

彼女はこの瞬間、勝利を確信した。

四肢を切断、ないし、破壊すれば、人間は二度と自由な足取りを取り戻すことが出来ないと知っている。

心臓へ至るにはまだ早い。巧一朗の唸るソレはメインディッシュだ。

だがそれは幼稚な思考であったと、後に反省する。

止めを刺そうと覆い被さる信華の腹部に、彼の刀が突き刺さった。

 

「ん…………?」

 

信華は痛みに悶えることなく、あくまで冷静に、この状況を理解する。

彼は地面に転がりながら、空へ向けて、愛刀を投げた。

左腕を使用したのか?それにしては、あまりにも正確な投擲だった。

信華は己のバランス感覚の良さを自負しているが、彼のまた同じように、己の肉体を熟知しているのだろうか。

否。

彼女は気付いた。彼の粉砕した腕は、正常だ。

内部で砕け切った骨は、見事なまでにくっついている。治癒では無く、時を巻き戻したかのように。

この僅か一秒で、巧一朗は何かをした。

時を操る能力、では無い。それならば、とうの昔に信華に止めを刺している。

ならば、修復と捉えるべきか。それにしては些か早すぎるが。

彼女は腹部から刀を抜き取り、握り締めたまま、彼から距離を取り、着地した。

無表情。その目からは、口元からは、どのような感情も漏れ出ない。巧一朗はそれを不気味だと感じている。

信華は刀に付着した己の血液を拭き取った。そして座り込む彼の方へ、ゆっくりと投げ返す。

彼女はエンタメを除き、得物を使用しない。拳に勝る凶器は無いと、そう信じている。

 

「返して、くれるのか?」

「…………逆行、治癒、修復、どれでもありません。貴方のソレは『代替』ですね。己の腕を引き千切り、別パーツへと挿げ替えた。流用したのは、転がった鉄くずでしょうか。」

「あぁ。俺の身体はそういう風に出来ている。」

「…………魔力の糸による代替、そして接着、成程、『縫合魔術』を行使する青年、貴方でしたか、巧一朗。」

 

もし彼がそうならば、アヘルにとって新たなる希望にも、絶望にもなり得る存在である。

蛇王ザッハークが生み出す理想郷には、彼という礎が必要だ。だが、彼が災害を憎む難敵であるならば、患部を切り落とす決断に迫られるだろう。

信華はヒトの形をした暴力だ。『崩楽』に至る彼女に、プラスマイナスを吟味する思考は残されていない。

ただ生きる為に、全てを食らい尽くす。弱肉強食の原理、そのものが都信華を構成する。

故に、彼女は拳を突き出す。

流れ出る血液を止めることはしない。その命が尽きるまで、彼女は『進化』を重ねていく。

 

「さぁ、刀を取ってください。戦いましょう。」

「ああ、言われなくとも、だ。」

 

巧一朗は己の吐き出す糸を強固なものにしつつ、頼光へと呼びかけた。

それは天下五剣を用いた、対人宝具の起動の提案である。

鬼すらも超えた、暴走機関。彼女を安らかにするには、瞬間火力が必要となる。頼光は彼の思いに応じた。

そして信華も、巧一朗の覚悟を察した。こと戦闘において、彼女は彼の最大の理解者だ。

あぁ、まるでこの殺し合いは深き愛のよう。

愛する者全てを殺し尽くした彼女は、喉を潤すために、新たなる敵を肉片残さず解体する。きっと彼女は苦痛にも、快楽にも歪まない。

ただ冷めた目で、死にゆく者を見届けるだけ。

 

「行くぞ…………!」

 

巧一朗は走り出す。

同時に、信華も一足踏み出した。

彼の紅の刀は血液のような軌跡を残す。

この一瞬に全身全霊を賭けて。でなければ、災害を殺す以前に、いま、命を落とすことになる。

彼女もまた、彼の必殺宝具から目を逸らさない。

愛すべき『ナナ』の為に、その右腕で彼の全てを受け切り、そして砕く。

残された左腕は、彼の胸部にて脈打つ臓物へとターゲットを定めていた。

そして刀は線を描いた。

 

『天網恢々(てんもうかいかい)』

 

鬼を滅殺する、一振り。

朱の雷光が走り、触れる全てを焼却する。

そしてその刃を、あろうことか、信華はその右腕の義手で受け止めた。

目を丸くする巧一朗に対し、信華はここで初めて、苦痛に顔を歪ませた。

ただの英霊の、ただの宝具。彼女はこれまで、どのような局面においても乗り越えてきた筈。

だが、この巧一朗は、何かが異なる。

具体的なことは何も理解できない。

確かなのは、彼女が真に殺したいと想う相手であるという事だ。

赤く、白く、黒く、歪なる雷が通り抜け去り、彼の刀、その切先はバラバラに零れ落ちた。

信念の一撃は、あえなくヒトの前に崩れたのだ。巧一朗は苦しげな表情を浮かべる。

だが、苦悶に満ちていたのは、信華も同じだ。

粉々に砕けた義手が大地に溶け落ちていく。

機械の腕ばかりではない、彼女の右肩そのものが、雷撃により吹き飛んだ。

対人宝具を受けて、腕一本の消失で済んだなら、それでもバケモノと呼称されるに相応しいだろう。

だがアヘル教団左大臣にとって、これは看過できない事態だ。

愛する災害のアサシンを守る為の手、その一つが無残にも消え去った。

それも災害が相手では無く、ヒトですらない『虫』。

だが、その事実を、信華は簡単に許容した。

仕方の無いことだ。彼女が認める程に、彼は逞しい敵だ。

 

「ふ………」

「ん?」

「ふふ、あはははははは!」

 

心が無い女が、狂ったように笑い始める。

それは彼女自身、到底理解できることでは無い。

奇妙で、痛快。感情が再び芽生えたならば、これはそういうことなのだろうか?

 

「今日は、私の負けです。『崩楽』もリミットが近い。任務完了とはいきませんでしたが、第五区へ一度引き上げましょう。」

「…………あんた」

 

だが、この戦い、もしも続けていれば、負けていたのは巧一朗だ。

頼光の宝具は、巧一朗が扱うには重すぎる一太刀だった。本物の彼であれば、スタミナが切れることは無かっただろう。

いま、巧一朗は余裕ぶった表情で何とか誤魔化している。演技で、手の内を隠し持っているかのように振舞っているのだ。

だが当然信華はそのことに気付いている。だが、それでも、彼女は己が敗北したと告げ、この場を後にした。

彼女は彼に生きていて欲しいと、そう願った。

出来るならば、『ナナ』のいる目の前で、彼を殺したいと思ったからだ。

次は万全の状態で、心ゆくまで暴力を振るいたい、そして振るわれたい。

憎しみでは無く、純粋なままの精神で。

今は、彼に宿る英霊が邪魔だ。彼が繋ぎとめる英雄の力は、『彼にとって枷でしかない』。

巧一朗には、進化のステージが用意されている。そこに至る時、彼女は命を懸けて応えようと思う。

 

「何だったんだ?」

「さぁな。お前さん、多分あの女に見逃されたぞ。運が良くてラッキーだったな。」

「とりあえず、桜館長への脅威は、一部無くなったと見ていいのか……分からないが、兎に角疲れた!」

 

巧一朗が改めて空を見上げると、日は落ち、辺りは暗闇に染まり始めていた。

 

「え、あれ、もうこんな時間……ってマズイ!」

 

そして、サンコレアマルにて行われるグローブとダイヤモンドダストの頂上決戦、そのステージに彼が立つ予定だったことを思い出す。

ダストとツキのステージが終わってから、かなりの時間が経過していた。信華とのやり取りは、刹那のやり取りに見えて、多くの時間を費やしていたのだ。

ダストを独りにさせたことを後悔する。だが、もうすでに、フゴウへと戦いを挑んでいるかもしれない。

もし、彼女が悔いを残したまま消滅してしまったら、そう考え、胸が締め付けられる。

だが急ぐ彼の心配とは裏腹に、サンコレアマルでは、想定外のことが起きていた。

巧一朗を探し求めるダストの代わりに、ある少女が、フゴウの鎮座する闘技場へ足を運んだ。

少女は自らの身体に『スパルタクス』のアンプルを投与し、肉体を変化させる。

そしてフゴウを前に、どよめく観客たちへ声を上げた。

 

「グローブ、ダイヤモンドダスト、そして、ハンドスペード。革命軍をバラバラにした全ての元凶こそ、このドン・フゴウこと『マンサ・ムーサ』だ!」

 

客席にいる彼女の仲間の大男は、備え付けられた電光掲示板に、フゴウの過去を映し出した。

ダストが、黄金街道が、ツキが、クロノが、そして、全ての民が、その事実に驚愕した。

 

『マンサ・ムーサは、ダイヤモンドダストの裏切り者』

 

阿鼻叫喚、彼を信じていた全ての者が、怒り、嘆き、悲しみ、憤る。

共に戦ってきた黄金街道もまた、絶句。

既に四画を手にした彼の、五画目の令呪の道は絶たれた。

 

「ムー兄、殺しに来てあげたよ?」

 

少女は悪しき笑みを浮かべながら、罵倒され続ける王を見据える。

憎しみの連鎖は止まらない。

 

「るる子…………」

「アタシをその名で呼ぶんじゃねぇ!アタシは『シュランツァ』だ!冥途の土産に覚えていきな!」

 

ヴェノムセイバー『シュランツァ』は闘技場から、ヴェノムキャスター『ショーン』は客席から、フゴウを嘲笑し続ける。

そしてフゴウは何も語らない。彼女らに暴露されたのは、まごうことなき真実なのだから。

 

「さぁて、公開処刑だよコラ!」

 

荒れ狂うヴェノムが立ちはだかる。

フゴウの傍に立つもの、彼を応援する者は、もはや誰一人としていない。

 

 

【キングビー編⑧『エピソード:パーティー』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編9『エピソード:キメラ』

毎週投稿継続中!
感想、誤字等ありましたら連絡お願いします!


サンコレアマル闘技場への入場ゲート前で、立ち竦む影がある。

MCリンベルの声に先導される観客たち。反対ゲートからは、圧倒的な声援を受けて、堂々たる風格の男が現れ出た。

革命聖杯戦争の最有力優勝候補、グローブの王ことドン・フゴウである。

彼の第三区におけるカリスマっぷりは他の追随を許さない。緊張から息を切らした少女、ダストは、彼の美しいまでの佇まいに恐怖すら感じていた。

その場しのぎのアイドル稼業、ツキという共犯者がいたとて、覆せないものがある。

彼女はダイヤモンドダストの兵器こと、巧一朗を探し回っていたが、どこにも見当たらず、彼女自身が戦いに赴く決意をした。

元々、彼を巻き込むことに難色を示していたのは事実だ。サーヴァントである彼女が前線に立つのは極めて合理的である。

だが、決意とは裏腹に、その両足はまるで氷のように動かない。可愛らしいドレスに袖を通さない彼女自身を、認めてくれる人たちが果たしてどれだけの数いるだろうか。

あぁ、憂鬱だ、そう思う。

それでも、ダイヤモンドダストの名を守る為に死んでいった生命の為に、立ち向かうしか無い。

ダイヤモンドダストが果たすべき責務がある。たとえ聖杯戦争で敗北しようとも、彼女と同じか弱き人間、英霊たちの意思だけは、誰かの心に残していかなければならない。

 

「吾が、行かなきゃ。」

 

ダイヤモンドダスト、出陣。

ダストが、『枡花女』が、その一歩を踏み出す瞬間。

彼女の隣に、小柄な女が現れた。

ダストは驚き、数歩後退する。よく眺めてみると、病気的とも言えるほどに痩せ細った背の低い人間の少女だった。

通常、紛れ込んだ迷子のように捉えるだろう。だが、ダストは少女の放つ異様なプレッシャーを肌で感じていた。

 

「枡花女、雷上動を巡る争いの果てに呼び出された、生存する意味のない桃源郷の無駄リソース。」

 

いきなり現れた少女は、ダストを侮蔑し、嘲笑する。

だがダストは反論できなかった。己の歪さも、弱さも、己が一番理解できているから。

 

「貴方は?」

「アヘル教団セントラル支部のヴェノムサーヴァント、コードネームは『シュランツァ』。この第三区で生まれ、生きる意味を失い、開発都市第五区へと至った女だ。災害のアサシン、ザー様に救われた。」

「災害に?」

「アタシは残念ながら、生まれながらに生を諦めさせられた。そういう病気なんだ。早く死にてぇと思っていた最中に、ザー様は生きることの尊さを教えてくれた。ヴェノムは、みんなそうだ。アタシたちはいつかくる終末の日を乗り越え、新たな時代の担い手となることを約束されている。」

 

シュランツァは、畦道るる子は、過去を思い返す。

病院のベッドの上で、漠然と死を待ち続けていた少女。

生存に意義は無く、欲も、願望も生まれなかった。

彼女には、己の死も、他人の死も、視えている。生命の限界点を見極めるその眼は、ヒトの成長を否定する。

行き着く先は『無』そのもの。知ってなお頑張ろうとするのは愚の骨頂であろう。

だが、災害のアサシンは違った。

命ある限り、心臓を燃やし続けることの尊さを解いた。

高説を垂れることは無い。彼女はただ、己の人生を語った。男に媚び、男に諂い、男の為に踊り続けた、ファムファタールの生涯を。

 

「死を超えた先の、生きる喜び?」

「女の特権だ。貴様の美しさは、貴様だけのものだ。だが、誰にも与えられず、死にゆくのは惜しい。余のもとへと来い。」

「でも、蛇王ザッハーク、貴方の一生は、なんというか、アタシが知っているものとは些か異なるというか。そもそもザッハークって男だったような気もするけれど…………そして、貴方は多くの人間を愛し、狂わせながら、最期は孤独に死んでいった。その余りにも美しい顔は病により醜く爛れていた筈。それはファムファタールにとって悪夢の死だ。どうして、貴方は孤独を恐れない、死に恐怖しない?無気力にならない?同じことを、繰り返そうとする?それが死を超えた先にあるものなのか?」

「あぁ。いつか壊れるから、美しい。儚いから、その瞬間が輝ける。ヒトは、どうせ死ぬから、と生きてはいない。生きていたいと思うから、足掻き、苦しみ、のたうち回る。でもその姿は、晴れ晴れしい大団円よりも、何倍、何十倍と美しいのだ。」

 

災害のアサシンはるる子を抱擁した。

親子のように、姉妹のように、恋人のように。かけがえのない命の灯を、その胸で抱き留めた。

 

「生きよ、シュランツァ。余と共に、生きよ。余が貴様を救うのではない。貴様が余を救うのだ。」

「アタシが、アナタを?」

「そうだ。余を孤独にするな。余を愛せ。貴様のあまりにも尊いその命を、余に捧げてくれ。」

 

その日、るる子はシュランツァとなった。

彼女には、自分の死ぬ日、死ぬ時間がはっきりと見えている。

何度も何度も絶望し、それでも、災害のアサシンの為に生きている。

その日々は、きっと幸せだった、そう振り返ることが出来る。

 

「なぁ。アタシは今日、数時間と絶たない内に、死ぬらしい。」

「え?」

「アタシはフゴウに復讐する為に来た。だが、アタシはあの男には敵わない。だから、フゴウに殺されて死ぬんだと思う。さっき誇らしげに未来を語ったが、アタシは新時代の担い手とはなれねぇんだ。でも、それでいい。」

 

シュランツァはその骨ばった腕からは考えられない怪力で、ダストを突き飛ばした。

サンコレアマルの舞台に立つのは、自分だと言わんばかりに。

転倒したダストは、訳も分からぬまま、シュランツァの背中を見守った。

突き飛ばす直前、彼女の囁く言葉が、頭の中を巡って離れない。

 

『枡花女、てめぇも今日死ぬとしたら、残された時間、どう生きてみる?』

 

もし、今日死ぬとしたなら。

巧一朗の言う、生まれてきた意味を探す旅。

彼女なりの答えを出す時は、どうやら近いようだった。

 

【キングビー編⑨『エピソード:キメラ』】

 

〈なんてことだ!俺たちのドン・フゴウが、ダイヤモンドダストに所属していて、革命軍の分断を齎した元凶だって!?〉

 

MCリンベルは闘技場の上空から驚愕の声を張り上げた。

サンコレアマル舞台上に設置された巨大なモニターには、ショーンが予め電波ジャックを行い、フゴウの裏切りの証拠を映し出していた。

それは親災害派閥であるアヘル教団との密約、金銭の横流しが行われた証明書類である。フゴウは確かに、マンサ・ムーサの名のもとに、旧アンヘル研究所と裏取引に応じていた。そして決定打となったのは、雷上動強奪計画をまとめたファイルである。そこには事細かな侵入経路やグローブの当時の人員配置が図式化されていたのだった。

観客たちは開いた口が塞がらなかった。革命軍の和平を誰よりも押し進め、人を愛することを辞めなかった彼らの王が、最たる巨悪であったのだから。

フゴウは嘲笑うシュランツァを前に、不動を貫いていた。

全てが事実だ。反論の使用もないし、取り繕う気も無い。

既に手にした四画の令呪、そして彼の計画は既に最終段階へと至った。今日ではないにせよ、あと数日も経たないうちに、全てを詳らかにし、彼は自ら命を絶つつもりでいた。

彼が生き残る道はない。生き残って、何が果たせるというのだろう。

何も語らないフゴウに、仲間である黄金街道は叫んだ。

彼女は共犯者では無く、被害者だ。フゴウを立派な王だと信じ、付いてきただけ。彼女もまた、裏切られたのだ。

 

「おい、王サマ、何かの間違いなんだろ?天下のマンサ・ムーサがそんなこと、する筈無いだろ!?なぁ、何か言えよ!?」

 

黄金街道はベンチ席から身を乗り出した。だが、観客全員を保護するために敷かれた結界の所為で、彼女は闘技場に立ち入ることが出来なかった。

黄金街道の悲痛な叫びに、観客は静まり返る。フゴウを信じていた区民たちは、彼女と同様、フゴウが否定してくれるのを待っていた。

文書も画像も、アヘルに偽造されたものに違いない。このような荒唐無稽な話があってなるものか。

でなければ、彼女は、彼らは、何と為に戦ってきたのか分からない。

 

「事実だ。我は、アヘルとの繋がりを有していた。そして我が、ダイヤモンドダストを扇動し、革命軍の分断を招いた。ダストは、何も悪くない。我以外の誰も、悪くない。」

 

だが、彼は彼女の希望を摘み取った。

グローブとして、戦ってきた全てを、彼自身が否定した。

観客たちは嘆き、怒り、叫び狂う。そして黄金街道は、目を見開きながら、その場で立ち尽くした。

 

「認めるんだな、ムー兄」

「事実だからだ。我がいなければ、革命軍は分断も失墜もしていなかった、そうだろう。」

「開き直りか、てめぇ。多くの人間が死んだぞ。たくさんの人間が傷ついたぞ。」

「あぁ。知っている。」

 

シュランツァは『スパルタクス』のアンプルを自らに投与した。そして骨と皮しかないような腕は、瞬く間に筋骨隆々と化す。

アヘルに所属する今、革命軍のことなどどうでもいい。だが、何故か、シュランツァの中に怒りの感情が渦巻いていた。

フゴウは自らの威信を守る為に、アヘルを否定する立ち回りを見せる、そう考えていた。正直、ショーンは兎も角として、シュランツァよりフゴウは遥かに頭がいい。ペテン師さながらに、虚言に虚言を重ね、区民を無理矢理にでも納得させるものと信じていたのだ。

だが、彼はあっけらかんと、その罪を認めた。

まだ悪王なりの足掻きを見せてくれた方が、壊し甲斐がある。保身に走らないフゴウの目は、どこまでも真っ直ぐだ。

 

「淀みがねえ。あぁ、ムカつく。自分が死ねば、全部解決だと、そう思っている愚者の眼だ。死んで詫びろ、そう言われても、きっとその意味なんざ理解出来ねぇんだろうよ。」

 

スパルタクスのアンプルは、この場においては最適解だ。

コロセウムを彷彿とさせる闘技場、そして目の前には区民たちを苦しめた悪逆の王。

情けない革命軍たちに、本物の『革命』とやらを見せてやるには丁度いい、そうシュランツァは息まいた。

一方フゴウは、黄金の剣を取り出し、抗戦の意思を見せる。

彼は区民たちに全てを明かし、伝え、そして自ら死を選ぶ必要がある。アヘルに情けなく殺されては、革命軍が手を取り合う未来には進めない。親災害派閥を大いなる脅威として捉え、尻込みさせてはならない。手を取り合い、戦わなければ、革命軍の未来は無いだろう。

罪を認め、罰を受け入れる。簡単なことのようで、酷く難しい。

 

「さぁて、公開処刑だよコラ!」

 

シュランツァは短剣を片手に走り出した。その雄々しき筋肉を動員した瞬発力、そして速度は、並の英霊では再現不可能だ。

ヴェノムアンプルは適正者と呼ばれる人間たちに、古代の英雄たちの力量を、スキルを授ける。それは本人のメンタル及びフィジカルに合うものであればある程、最大限の力を与えるのだ。

彼女の使用アンプルは『ヘラクレス』と『スパルタクス』、それ以外のアンプルはシュランツァの肉体を内側から改造、崩壊させると研究所に診断されている。たとえ彼女が他のヴェノムと異なり、アンプルの同時併用が出来ると言えど、二個までしか投与は出来ない。そして長時間の使用で、彼女の肉体が打ち負け、死に至る。

淡路抗争においてヘラレウスを打ち倒したアンプル併用は、危険が伴う大技だ。故に、フゴウを前に使うことは無い。それで死んでしまっては、元も子もないのだ。

シュランツァの超加速に対応して、フゴウは黄金の壁を立ち上げる。そう易々と壊される硬度では無い筈だが、彼女の勢いと鋼の筋肉により根元から薙ぎ倒された。

フゴウは果心居士との戦闘で見せたような、黄金の武器鋳造をフル回転で行った。彼はアーチャークラスのサーヴァントであり、武器の投擲には苦労を要さない。剣や槍、矢、モーニングスターまでも黄金で生み出し、シュランツァへ一斉射出する。

サンコレアマル闘技場は、彼の銃撃により穴だらけになった。シュランツァはその全てを紙一重で避けきるが、距離を取らざるを得なかった。近接戦闘に持ち込みたいが、それを許さない厭らしさがある。

そしてシュランツァを苛立たせるのは、攻撃の一手一手が、彼女の致命傷とならないように放たれているという事だ。

フゴウに、彼女をどうにかする気は無い。あわよくば、助けようとしている。

かつて彼女を見放した王が、宗教に塗れた少女を、救済しようと。

彼女は血が出る勢いで、口内を噛んだ。嚙み千切った。歯ぎしりをし、舌打ちも何度も繰り返す。

許されない、決して、許されない。

ザッハークを悪しき存在だと思い、身勝手余りある正義感に浸っているその様が、許されない。

 

「マンサ・ムーサ。アタシはてめぇを許さない、絶対に殺す。四の五の言わず、本気で来やがれ!」

「るる子…………」

 

相反する意思、テーブルで語り合えぬなら、命を奪い合う。それが摂理だ。

血に塗れながら、己を誇示し、旗を掲げる。革命とは、きっとそういうものだろう。

シュランツァは既に和平のテーブルを蹴り転がした。あとは殺し合いこそが示された道である。

アヘルにその身を捧げぬ愚か者は全員処刑だ。信華も、ショーンも、その為にここに居る。

 

「さぁ、こっちはフルスロットルで殺すぜ」

 

シュランツァは再び、フゴウのレンジに入るべく、走り出した。

彼の甘えた攻撃など、避ける意味も無い。

銃弾の如き速度で飛んでくる得物の数々を、全てその身で浴びていく。

彼女の浮かび上がった血管が次々と傷を負い、破裂していく。

それでも、弾丸列車は止まらない。傷つけられることが快楽であるように、笑顔のまま追突した。

シュランツァには生の実感が無かった。

痛みは彼女に、生きているという事を思い出させてくれる。

傷付けるのも、傷つけられるのも、好きだ。

痛々しいまでのるる子の姿に、フゴウはやるせなさを感じていた。

彼が見捨てた少女だ。彼の目から見て、彼女はもはや壊れている。

ヴェノムアンプルがそうさせたのか、それとも災害がそうさせたのか。

死の運命を受け入れ、目先の生に溺れる少女は、見ていられるものでは無かった。

 

「行くぞ、ムー兄!てめぇのくれた傷は、アタシの切り札だ!」

 

『疵獣の呻吟(ポイゾナス・ウォーモンガー)』

 

受けた傷、そこから流れ出す血液と、そこに入り混じった血中ヴェノム成分を魔力の一部とし、己の両腕に纏わせる、常時発動する宝具。

スパルタクスの使用する宝具とは異なり、変換効率は悪く、シュランツァの虚弱な肉体の性質上、ある程度まで蓄積されるとセーフティーがかかり自動排出される。だが、この場においてそれは些事。瞬間的な爆発力を伴い、フゴウの黄金をその腕で破壊、爆発させた。

これにはフゴウも驚きを隠せない。自らの黄金に絶対的な信頼を置いていた彼は、幾重にも重ねた黄金層の防壁を簡単に突破されるとは思っていなかった。加えて、彼の武器の数々は、その刹那、彼女の手により粉々に砕かれる。

シュランツァは獣の咆哮で、フゴウを威圧した。そして有している短剣に魔力を集中させると、それをそのままフゴウの心臓目がけて突き刺した。

咄嗟の判断で、フゴウは胸部に黄金のアーマーを施す、が、無意味。怒涛の勢いの彼女に、小細工は通用しない。

彼は為されるがままに、彼女の剣に貫かれた。

 

「ぐ…………………」

 

その一手は、確実に彼を葬るもの、では無かった。

心臓を避けて、刺されている。治癒班を総動員すれば、修復はまだ可能であろう。

シュランツァはわざとそうしたのだ。フゴウが、彼女を殺そうとしなかったように。

 

「…………アタシの、ヴェノムとしての最初の任務は、親殺しだった。アタシを捨てた、両親の首を刎ねろ、とな。」

「…………っ」

「何も思わない。奴らは間違いなくアタシの敵だ。今でも、その感触は覚えている。」

「る……る子…………」

「でも、アタシは治療したところで絶対に助からない、意味のない命だ。親が手を尽くそうとしないのも、別に変な話じゃないさ。彼らには彼らの正義があり、人生がある。それがアタシにとって救いで無かっただけ。いつだって争いは、意見が合わない奴同士の喧嘩から始まるだろ?」

 

———だから、ムー兄にも考えがあったんだ、と思う。それはきっと、正しいことなんだという事も。

 

シュランツァには、彼女を救おうと藻搔いてくれた人たちがいたことを知っていた。

ダイヤモンドダストは、彼女の親同然だった。

死の未来を知り、無気力となって、それでも、畦道るる子を助けようと動いてくれた。

それはフゴウも同じ。

 

「あぁ、アヘルが、悪かったんだろう?知っているさ。でも、それでも、アタシは聞きたい。どうして彼らを見殺しにした。ダイヤモンドダストは、何も悪くなかった筈だ。どうして、彼らは死ななければならなかった?」

 

シュランツァは剣を突き刺したまま、囁くように独白した。

彼女の本当の気持ち。ザッハークに捧げたその身で、それでも、問い質したかった思い。

マンサ・ムーサが只の外道であれば、良かったのだ。

彼女は彼がそうでないことを知っている。

 

「アタシがてめぇの心臓へ向け、ナイフを滑らせたら、そこで終わりだ。」

「あぁ…………」

 

シュランツァの顔は血に塗れていた。目の奥には一切の光が灯っていない。

フゴウには実況するリンベルの声も、観客の怒号も、届かない。

ただ後悔の念に押しつぶされるだけだ。

 

「るる子…………すまなかった。」

「命乞いか?」

「そうかもしれない。我にはまだ、やるべきことがある。だから、恥を晒しながら、それでも、生きていたいと思うのだろう。」

 

フゴウは、開発都市第三区の未来を知っている。

千里眼でも、占いでもない。革命聖杯戦争のその先で、絶望の化身が蘇ることを察知している。

彼は最後の命で、これをどうにか回避しなければならない。

既に九割方の準備は整った。だが、革命軍が一致団結して、初めてこの危機は乗り越えられるだろう、そう認識している。

 

「なら朗報だ、アタシにはてめぇの死の未来が見えている。てめぇは『まだ』死なない。あと十数分で死に絶えるアタシと違って、な。」

「なに…………?」

 

シュランツァは腕に力を込め、短剣を胸部中央へ向け動かした。

フゴウは渾身の力でシュランツァを蹴り飛ばす。彼の胸からは短剣がすり落ち、シュランツァは転がった。

動物由来の回避行動に、フゴウ自身、手加減を忘れてしまった。焦る彼は、彼女の名を叫びながら駆け寄ろうとする。

だがシュランツァは右手を突き出し、これを制した。

彼女は狂ったように笑い始め、そして、あろうことか、二個目のアンプルをコネクタに注射した。

 

「るる子!?」

 

〈データローディングは正常でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムセイバー』:『ヘラクレス』現界します。〉

 

シュランツァの身体を侵し尽くす、二騎の英霊の力。

彼女はこの状態を『ツヴァイ』と呼んでいる。彼女の意識が保てるのは、十数秒。そして一分と経たぬ間に、死に至る。

シュランツァを殺す者は、きっとフゴウでは無い。なら、この権能を振るうのに問題はない。

彼女にはある勝算があった。死の運命すら乗り越える、ただ一つの方法がある。

 

「その名で呼ぶな、そう何度も告げただろう。アタシはヴェノムセイバーツヴァイ、またの名を『シュランツァ』!」

 

シュランツァの筋肉は更に増量し、巨大な剣を軽々と振り回せるようになった。

そして先程までの戦闘を遥かに超える、神話を超える速度と破壊力を手に入れた。

彼女にとって、命を削る数秒間など、あってないようなものだ。この瞬間にでも、フゴウを殺害できる。

だがシュランツァは敢えてフゴウを攻撃せず、二人を取り囲む結界へ波動砲を放った。

安全地帯だと認識していた観客は、恐怖の感情を抱く前に、その砲撃をその身に浴びた。

結界に穴が開き、その付近に座っていた区民の数名が、一瞬のうちに焼け焦げた。

 

「きゃあああああああああああああ!!」

 

観客たちはパニックに陥る。出口を探し、サンコレアマルの外側へと、一斉に走り出した。

この混乱にいち早く対応したのは、観測艇にいたリンベルだ。彼は出口の場所と、避難経路を、区民たちにアナウンスする。彼はあくまで冷静に、ジャーナリストとしての責務を全うした。

だが、出口に殺到した区民たちは、絶望する。

巨大な箱状の結界が敷かれ、逃げ道を封鎖されていたのだ。

必死にその先へ進もうとする者たちは、結界内部からの強力な電磁波に脳を焼かれ、死んでいく。

誰も、外へ脱出することは出来ない。

 

「開けて!誰か助けて!」

 

阿鼻叫喚の区民たちは、右へ左へ走り逃げていく。

彼らの焦躁、そして絶望を肴に、一人の男が悠々自適に酒を呷っていた。

彼の、ヴェノムキャスター『ショーン』の秘技『CUBE』による、サンコレアマルの完全封鎖。

革命軍全員が、いま、アヘルにより人質に取られた。

 

「さぁシュランツァちゃん、『殺戮の夜』の開始よ?」

 

ヴェノムたちの目論見は、逆らう革命軍の皆殺しだ。

フゴウという王の権威を失墜させたのちに、力なき人々をゆっくりと嬲り殺しにする。

革命聖杯戦争を直ちに中止させることが、ショーンの目論見であったのだ。

 

「黄金街道!」

「っ!?」

 

フゴウは後方ベンチにいる彼女へと声を張り上げた。

内部にいる彼はシュランツァを止める。そして、観客席へと戻ることの出来る彼女に、区民の安全を託した。

彼らは共に戦ってきた仲間だ。たとえフゴウが裏切り者だとしても、いまの彼の意思は、確かに彼女へと伝わった。

黄金街道は返事をする前に、客席へ走り戻った。そして『CUBE』を破壊すべく、向かって行く。

そして事態の深刻さに気付いたダストもまた、駆け出した。たとえ彼女が嫌われていようと、守るのが、英霊の務めであるからだ。

フゴウは黄金街道の頼もしさを誇らしく思うと同時に、自らも、区民を守る為に駆け出した。

まずはシュランツァを抑え込む。彼女が何故区民へ砲撃したのか、彼には理解できるから。

 

「復讐か!るる子よ!我が守りたいものを殺すことが、貴様の!」

「ああ、そうだ!てめぇも殺し、愚かな革命軍も抹殺する!一緒に踊り狂おうぜ!マンサ・ムーサ!」

 

フゴウはシュランツァの周囲を黄金球体で閉じ込めるが、それは彼女によって難なく突破される。

もしシュランツァの仲間が観客席にいるならば、時間が無い。

黄金街道とダストを信じながら、フゴウは全身全霊を以て、シュランツァへと挑む。

彼の肉体を変換する程の、圧倒的な黄金排出。

これにより築かれる大河は、彼の歴史の再演であるかのよう。

 

「黄金巡礼…………っ」

「我が貴様を止める、止めるぞ!るる子ぉぉおおお!!」

「あははははは!そうでなきゃつまらねえ!来いよ!」

 

その霊基すら黄金に費やし、全力のフゴウは走る。

もう二度と、大切な者を失わぬ為に。

 

 

サンコレアマル外にて

三人の子たちは駆けて行く。

『マッチ』『モグラ』『チビ』と呼ばれた少年たちは、ショーンの『CUBE』が起動する前、フゴウの悪行が明るみに出たタイミングで、闘技場を後にしていた。

彼らは子どもながらの無邪気さと無鉄砲さを兼ね備えている。故に、フゴウが何者かに嵌められていると、そう認識した。

もし真実であったとしても、親を失った原因がたとえフゴウにあったとしても、顔も形も知らない少年たちは、フゴウの傍にいたいと思った。彼らは今まで数えきれないほど、フゴウに助けられてきたのだ。

 

「どうしよう、マッチ。」

「とりあえず、シェイクハンズに行こう!麦造爺ちゃんがまだいると思う!」

「確かに、ゼッタイにパーティーには来ないもん!」

 

少年たちはシェイクハンズへ向けて走り出した。

そして彼らを尻目に、同じように会場を後にした一人の男が、とある場所へと向かって行く。

それはリンベルたちメディアの保有する大型パーキングだ。彼はそこで、目的の人物に相対した。

 

「モリアーティだな。」

 

そう呼ばれたキャスターは彼に振り返る。

彼女にとっても、会って話したい相手であった。

 

「言峰クロノ」

「ここで何をしている。」

「リンベルから予備の観測艇の話を聞いたが、どうやらここには無いようだ。もしくは、君が既に壊したか。」

「さて、どうだろうかな。」

「空に浮かぶ抑止力に向けて、攻撃を加えるなら、観測艇は大いに働いてくれるだろう。覚醒を促す君が、放置する訳がない。」

「ほう?」

「君のアサシン、真名は『ファフロツキーズ』だろう?この桃源郷そのものを壊す気か?」

 

キャスターは確信をもって、彼に問いただした。

言峰クロノは桃源郷の抑止力に、六騎の英霊の魔力が込められた『ROAD』を食わせ、強大な力を得ようとしている。

そしてその目論見は、桃源郷外の世界の救済。彼は外の世界との繋がりを有し、内側からオアシスを滅亡させようとしている。

 

「だったら何だ?」

「ふ、ちゃんと『テロリスト』をしているじゃないか、と感心している。だが、君の動機が不透明だ。只の人間である君が、恐らく自らも死ぬかもしれない賭けに出ることだって、可笑しな話だ。一体何が君をそう駆り立てているんだい?」

 

キャスターの質問に、クロノは暫く答えなかった。

彼は無言のまま、一歩一歩彼女へと近付いていく。

そしてその目前まで寄り、その美しい眼を捉えた。

クロノの目は、漆黒のペンキで塗りたくったようだ。何を考えているのかまるで理解が出来ない。

 

「美しいな、君は。」

「ほえ?」

 

クロノはキャスターの顎を指で摘まみ、少し上を向かせた。

まじまじと、彼は彼女の顔を見つめている。

キャスターは赤面しつつ、その身を引いた。何を言い出すのかと思えば、無表情で下らない世辞を述べただけである。

 

「言峰クロノ、何なんだい、君は。」

「……質問に答えてやろう。モリアーティ教授、君は自らの完全犯罪が名探偵に暴かれた時、どのように感じた?」

「は?」

「君がその叡智に全てを費やして、考えに考え抜いたトリックだ。それが、ホームズによりあえなく晒された。それも、君の下らないミスによって、だ。」

「……私は激しく後悔するだろうな。次は決して暴かれない、不落のミステリーを生み出してみせよう。」

「そういうことだ。」

「はい?」

「君は私の動機を聞いたのだろう?そういうことだ、と言っている。」

「なんだ、君は世界的な犯罪者なのか?それとも、逆に探偵?」

「そのどちらでも無い。」

 

クロノは両手をズボンのポケットに仕舞い込み、駐車場を後にしようとする。

キャスターは頭に疑問符を浮かべながら、彼の背を追いかけた。

だが、その時、サンコレアマル内部にいる筈の桜から連絡が入る。

彼女らが交戦した、ヴェノムキャスターの罠により、会場が完全に乗っ取られていると。

キャスターはクロノの背後を追いかけることを辞め、サンコレアマルへ駆け出した。

そしてクロノは振り返り、彼女の背を眺めている。

 

「フゴウには驚かされたが、概ね計画通りだ。さて。」

 

クロノはデバイスを立ち上げ、コールする。

数秒と待たずして、『開発都市第二区』にいた電話先の主は受話器を取った。

 

「時間だ。」

〈お、もうですか?早いですね。〉

「あぁ、想像以上に上手くいっている。」

〈ありがとうございます、クロノ神父。貴方にはなんとお礼を言っていいか……〉

「まだだ。全てが終わった後に、君らが生きて帰って来たその時、祝杯をあげよう。楽しみにしている。」

〈頑張りましょう、神父。我らの『革命』の為に!〉

 

クロノはデバイスの電源を落とし、目を閉じた。

オアシスに吹く風を、その身で浴びる。

あと数時間後には、彼の『救済』は完遂する。

 

 

サンコレアマル会場内。

闘技場観客席を離れたショーンは、呑気に自動販売機でコーヒーを購入していた。

シュランツァはツヴァイに突入したが、本気で戦うフゴウとは五分。攻めあぐねている状態だ。

加えて、黄金街道とダストが、区民の団結を促し、勇気づけている。

二人を殺せば更なる悲劇の幕開けとなるが、今のショーンにそれは出来ない。

彼は独自に入手した情報により、革命聖杯戦争の、戦局をしっかりと把握していた。

残されたサーヴァントはフゴウ、黄金街道、ダスト、そして今や死に体のロンリーガール。

もしショーンがここで二人を殺害し、ロンリーガールが消滅すれば、自動的にフゴウの勝利が確定する。

そうなれば、ROADを起動され、本来の目的が達成できなくなってしまう。

彼の役割は、殺戮の夜の真っただ中に、ROADを極秘入手すること。

持ち帰れば、アヘルの発展に大きく寄与してくれるだろう。

なら何故、今の彼が油を売っているのかというと、革命聖杯がどこにあるかを見つけられていないからだ。

監督役の司祭を探してはみたが、どうやらこのサンコレアマルにはいないよう。

ショーンは頭を掻きながら、次なる一手を思考していた。

 

「あれ、こんなところに人がいる、おーい!」

 

ショーンは廊下の先から、手を振り近付いて来る少女の影を感じ取った。

彼女は革命聖杯戦争の参加者でありながら、その実、敗北が約束されているらしいアサシン、こと『ツキ』であった。

彼女が桃源郷の抑止力であったことは既に把握しているが、力を失っているであろう今の状態に対して、警戒心をもっていない。

彼はいつでもダイダロスのアンプルを流し込める状態で、笑顔のツキに手を振り返した。

 

「あら、わたくし、中に入れなくて困っていたの。貴方も同じかしら?」

「ううん、私は中から外に出てきた。クロノとお喋りがしたくて。」

「中から、外に?」

 

ショーンは『有り得ない』と唇を噛む。

CUBEはその一つ一つが矮小化された彼の固有結界だ。出口の用意されていない永遠に続くホワイトルームに侵入し。更には上の次元の知覚により、外部へ抜け出したという事である。

通常の英霊ですら不可能である迷宮攻略を、何なくやってのけたのだとしたら。

 

「(わたくしのことがバレたら、ちょっと面倒かもね)」

 

ショーンは紛れ込んだ一般人を装うことにする。今の彼は軍服姿では無く、カジュアルな服装だ。言動は怪しまれても、アンプルを使わぬ限り、ただの人間を装えるだろう。

 

「中は危険だよ?いま大変なことになっているから。」

「大変なこと?」

「謎の組織が会場を乗っ取って、革命聖杯戦争の参加者と戦っているの!」

「それは大変ね!逃げた方がいいのかしら?」

「うん、避難した方がいいよ!」

 

ショーンはツキにありがとうと一言残し、立ち去ろうとする。

そして彼女に背を向けた刹那、彼は瞬間的に生命の危機を感じ取った。

その背を貫く刃のビジョンが浮かぶ。これは不可避の一撃だ。

ショーンは振り向きざまに、アンプルを投与、『ダイダロス』の力を宿し、その翼で大きく飛び退いた。

だが、ここで彼は気付く。

彼の命を刈り取る刃など、存在しない。彼はあまりにもリアルすぎる殺気を受け、誤認した。

ツキは後ろに腕を組んで、ニコニコと笑っている。

ショーンは汗を流した。これは想像を絶する緊急事態の前触れだろう。

 

「どうしたのか、避難しないの?」

「あぁ、そうさせてもらおうかしら。ちなみに、逃がしては貰える?」

「そうね、私としてはどっちでもいいけれど、その『翼』は気に入らないかなぁ?」

 

刹那。

彼は空に浮いていた。

何処かも分からない、空中。彼は翼があることも忘れ、降下している。

瞬間移動したのか?有り得ない。

抑止力にそのような能力があるなど……

 

「『ファフロツキーズ』、天空からの落下現象。それは雨や隕石など、想定されるものとは異なる、有り得ざる物体の落下現象。」

 

ショーンがいる天空のその先、一人の絶望が浮かんでいた。

翼を広げ、佇むその女は、『神』と呼称するのに相応しいとさえ感じる。

女は彼を見下している。

誰よりも高位にいるからこそ、彼女は支配者なのだ。

 

「空へ飛び立つのは、ヒトの願望。でも、それは未来永劫為されない。私がソラの管理者だ。」

 

ショーンは翼をはためかせ、バランスを維持しようとする。

だがそれは叶わない。ツキが放った、二本の魔槍『ゲイボルグ』に、両翼が穿たれる。

彼の翼は折られた。あとは、どこまでも落ちていくのみ。

ショーンはしぶとく、新たなアンプルの投与を試みる。だが、それは己の生存の為であり、反撃の為では無い。

彼は天空で、神に屈した。

決して敵わない相手だ。抗うことが間違いである。

 

「あら、認めたくないけれど、我が主よりも、世界の支配者らしいわね、うふふふふ」

 

そしてショーンは目を覚ました。

彼は数十秒間気絶していた。天空にいた筈の彼は、いつの間にか、自動販売機の前に転がっていた。

外傷はない。災害のキャスターのアンプルも無事である。

 

「なーんてね。今の私にそこまでの力はない。今のはクラススキルだよ。私ってば『アイドル』のクラスだから。貴方の目に映る、ステージ上の私は、どのように貴方を虜にしていたのかな?」

「ふふ、それはそれは、素敵なダンスだったわね。」

「もう貴方は、私のいる場所で空を飛ぶことは出来ない。そうなれば、別に私にとって貴方はどうでもいい。ヒトの営みに興味はありませんから。」

「あら、見逃してくれるのね。有難いことだわ。」

 

ショーンは小刻みに震える己のデバイスを手に取った。

彼の同僚から、アヘルへの緊急帰還の伝達が来ている。

暴徒の鎮圧、だそうだが、ヴェノムたちの多くは出払っており、沼御前も何故か開発都市第六区へ出払ったらしい。

彼はツキに敗北を認めつつ、撤収する決断をする。

 

「さてと、あとはツヴァイ?になったシュランツァちゃんだけど……まだ生きているかしら?」

 

ツキのいる前で、ショーンはサンコレアマル内部に戻って行った。

ツキは翼を折った満足感で、鼻歌を歌い、その場を去った。

 

 

そして闘技場。

ツヴァイへの進化が叶ってから、既に十分あまりが経過している。

彼女は奇跡的に生存していた。だが、全力を出すフゴウに、何故か押されている。

実際のところ、彼女は時間が経てば経つほどに、消耗している。既に彼女の一振り一振りは、三流英霊と同等の攻撃まで成り下がった。

フゴウは最初こそ圧倒的な戦闘力に押されていたものの、黄金を用いたトリッキーな戦術によりシュランツァを翻弄し、体力を極限まで消耗させた。

そして彼は、息を切らしながら、遂に武器を手放した。シュランツァを説得するなら、今が最後のチャンスなのだ。

もし彼女をこのまま放置すれば、彼女は本当に死んでしまう。

 

「るる子、もう、辞めよう。」

「あ…………?」

「頼む、るる子、我はそなたを失いたくない。」

「五月蠅ぇ、もう、何だっていい、アタシはてめぇを殺す、絶対に。」

 

シュランツァはそう言って、一歩踏み出そうとするが、ここで魂が抜けたかのように倒れ込んだ。

ツヴァイでい続ける代償が払われるのだ。もう立っていることすら、ままならないだろう。

 

「るる子!」

 

フゴウは走り近付いていく。

だが、シュランツァはそんな彼を嘲笑った。

確かに本気を出したフゴウは強敵だった。だが、彼女の作戦通り、物事は動いた。

彼女はヘラクレスの権能を発揮する。

 

『十二の試練(ゴッドハンド)』

 

それは英雄ヘラクレスの神話。

十二の試練に耐え抜き、不死になったとされる伝承の再現。

彼女の肉体は見る見るうちに回復する。

彼女の狙いは、自らの死のリミットを見極め、それをこの宝具で覆すこと。

そして、それまでに受け続けてきたダメージ全てをスパルタクスの権能で、魔力に変換すること。

これにより、シュランツァはヴェノムとして真に覚醒できる。

フゴウと互角に渡り合ったことには、意味があった。

強力な二騎の英霊の力を自在に使いこなす。

 

———ザー様、やったぜ、アタシ、強くなれた。

 

シュランツァの目には涙が浮かんでいた。

これまで受けた恩を、ようやく返すことが出来る。

だが、そのときだった。

彼女の身体に異変が起きる。

全身の血管という血管が破裂した。彼女は全身から血を噴き出しながら、その場に倒れ込む。

 

「るる子!?」

 

一体何が起きたのか。

一度は再生された筈の肉体が、言う事を聞かない。

徐々にひび割れ、崩壊していく。

フゴウが駆け寄ろうとしたその時、二人の間を割って入った男がいた。

つい先ほど、ツキにしてやられたショーンが、シュランツァの開けた結界穴から闘技場へ侵入した。

そしてシュランツァをそっと抱き締める。

 

「もう、シュランツァちゃん、言ったじゃない。それを使ったら、帰って来れなくなるって!」

「ショー……ン、アスクレ……ピオスの……力で……」

「十二の試練は無理よ。今のシュランツァちゃんはね、一度死んで、ゾンビになったようなものなの!身体は治療できても、いずれ心は消え去っちゃうわ!」

 

ショーンはシュランツァを抱き締める。

同じヴェノムサーヴァント、そして、アンプルの重ね掛けが出来る特異体質の女の子。その命がいま、消えようとしている。

 

「わたくし、寂しいって言ったわよね!大切な実験動物(シュランツァ)ちゃんが死んじゃうなんて!」

「え……?」

 

そのとき。

シュランツァにとって、信じられないことが起きた。

彼女を抱き留めるショーンが、その首元に、新しいアンプルを投与した。

それも一つでは無い。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、アンプルを注入する。

 

「ショ…………てめ……………」

「わたくしずっと気になっていたの。特異体質の貴方が、『どれだけのアンプルを同時併用できるのか』ってね。十二の試練なんてして、適当にくたばるのも、アレじゃない?なら、第三区民皆殺してから死になさい?」

「ふざ…………ける……………」

「大真面目よ。主も、それが気になるから、貴方というお荷物ちゃんを拾って来たんですもの、ねぇ?」

「え………………?」

 

そうして、ショーンはシュランツァを放置し、どこかへと消え去った。

彼はもう、第三区へは戻って来ないだろう。

そして唖然としたフゴウは、意識を取り戻し、シュランツァへ駆け寄ろうとする。

 

だが、時すでに遅し。

 

シュランツァは、膨張した。

 

〈データローディングは〇〇でした。サーヴァントタイプ『ヴェノムセイバー』:『ランスロット』『スカンデルベグ』『シュヴァリエ・デオン』『ラーマ』『李白』『水野勝成』『ラクシュミー・バーイー』『ローラン』『メアリー・リード』『マーハウス』現界します。〉

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

シュランツァの絶叫がこだました。

そして『疵獣の呻吟(ポイゾナス・ウォーモンガー)』と『十二の試練(ゴッドハンド)』により、死と再生、魔力が自動的に溜め込まれる彼女の肉体は瞬く間に破壊され、形容しがたき文字通りの『怪物』へと急成長する。

脳が潰されるその直前、シュランツァは、るる子は、か細い声を上げた。

その言葉はフゴウの耳に、確かに届いていた。

 

「助けて…………ムー兄………………」

 

だがそんな彼女の願いは虚しく。

彼女の目に映っていたのと同時刻に。

 

畦道るる子は絶命した。

 

「るる子ぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!」

 

フゴウの伸ばした手は何も掴むことは出来ない。

そして恐怖に震える区民の前に、身長三メートルを超える、バケモノが生誕した。

 

『EEEEEEEEEEAAAOOOOOOOOO』

 

怪物は十二の目で観客とフゴウを捉えながら、ケタケタと嗤い出す。

革命軍に、もはや成す術はない、のかもしれない。

 

 

新たなるヴェノム、その名は『タイプキメラ』。全てを殺す悪意が生誕する。

 

 

【キングビー編⑨『エピソード:キメラ』 おわり】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編10『エピソード:ファフロツキーズ』

五月中、毎週投稿達成!
読者の皆様のおかげです!ありがとうございました!
感想、誤字等ありましたら連絡お待ちしております!


開発都市第一区地下、『彼』以外の何者も立ち入れぬ場所。

災害のライダーは今日も今日とて、一人の少女に、否、彫像に会いに来る。

 

「リンネ」

「〇〇〇、貴方はとても暇人?」

「こう見えて、今は少し忙しいのさ。第三区にて、恐ろしい存在が目覚めようとしている。」

「あぁ、桃源郷に発現した、ガイアの抑止力『ファフロツキーズ』ね。来たるエックスデイとは、明日のことだったかしら?」

「いや、まだ猶予はある筈だ。サハラの『アレ』を地の災害と称するならば、ファフロツキーズとは即ち天の災害だ。」

「『アレ』は地というより、海、じゃないかしら?」

「現地民的に言うならば、そうだね。バーサーカーが第六区で暴れていなければ、止めようはあるんだけど。オレには制御不能だ。」

「焚きつけたのは何処の誰なのかしらね、全く。ダイダロスが消えてから、ろくでもないことばかりが起こるわ。」

「絶対的な存在が死んだんだ。世界の均衡が崩れるのは容易に想像できたさ。アサシンとバーサーカーは、暴走するだろうと思っていたよ。」

「アーチャーもね」

「そうかな?彼は意外と冷静だと思うが?」

「いやいや、災害の中では一番自由でしょう。少し遊び過ぎな気もするけれど。」

 

輪廻は溜息をついた。

〇〇〇はあらゆる物事に対する許容量が常軌を逸している。彼を殺し得るナナの存在ですら、受け入れ、自身の船に乗せようとする。

彼女は彼のマスターとして、少し心配している。

 

「それで、ファフロツキーズに対しては、どう対処をするつもり?」

「オレが行く。災害の中では最弱だろうが、人々を守ることには貢献できそうだ。」

「向かうのね、開発都市第三区へ。」

 

彼にとってはアウェー過ぎる土地。だが、人間を守る為に、躊躇なくその一歩を踏み出せる。

〇〇〇は人間の味方だ。そのことをリンネが一番に知っている。どれだけ恨まれようと、恐れられようと、彼は帽子を傾け、にこりと笑みを浮かべるのだ。

 

「気を付けてね、私のライダー。エックスデイを前に死ぬなんて、許しませんから。」

「あぁ、勿論さ。あ、今日の花束はアンタの下に置いておくから!」

「いつもいらないって言っているでしょう?薄暗い洞窟をお花畑にするつもり?」

 

輪廻の苦情を聞き入れず、ライダーは第三区を目指し、歩き出した。

彼女はまた深く溜息を零す。現在桃源郷で発生している異常事態に、ライダーはきっとまだ気付いていない。

オアシスそのものと一体化した輪廻だからこそ、知り得ることもある。

 

「さて、彼には申し訳ないけれど、私も動くことにするわね。」

 

彫像はひび割れ、瞬く間に砕け散る。

中から裸体の少女が飛び出し、その全身に彼の贈る花を纏った。

〇〇〇がファフロツキーズ討伐へと向かったならば、現場は彼に任せることにする。

輪廻が相対すべきは

 

「言峰クロノ、彼の正体に気付いている者は果たしているのかしらね?」

 

遠坂輪廻をコピーし、ROADを生み出した彼に、『世界を救済』させる訳にはいかない。

彼女はかつての、砂世界での悪夢を思い出しながら、洞窟の外側へと歩み出た。

いま、世界の命運をかけた戦いが始まろうとしていた。

 

【キングビー編⑩『エピソード:ファフロツキーズ』】

 

『EEEEEEEEOOOOOOOOO』

 

サンコレアマル闘技場に出現した『タイプキメラ』は、会場内にて派手に暴れ回る。

三メートルをゆうに超える巨人に相対するのは、グローブの棟梁であるフゴウ。彼は黄金により生成されたバリアで会場内から逃げられない人々を守り続ける。

だが、度重なる戦闘を経て、彼の身体は限界を迎えている。

彼を構成するオートマタが部分的に欠損し、機能が著しく制限されていた。

客席で人々を守るダストと黄金街道は、フゴウの異変に気付いている。

膨張を続けるタイプキメラに対し、持久戦などもっての外。シュランツァの血中ヴェノムが底をつきた時には活動停止に陥るが、スパルタクスの権能が起動し、サンコレアマルごと大爆発を起こすだろう。

導火線に火が灯っている今、この怪物を何とか処理しなければ、革命軍はゲームオーバーである。

黄金街道はダストにアイコンタクトを送る。シュランツァによりこじ開けられた穴から、彼女も闘技場内部に突撃し、フゴウと共に戦う選択をした。彼の行いを知ってなお、彼を放ってはおけなかった。

ダストは、出入り口を塞ぐ『CUBE』の破壊を試みるが、黄金街道の宝具でさえ通用しなかった結界に、どのようなアプローチも効くはずが無い。だがそれでも諦める訳にはいかないだろう。

 

「ダスト、ごめんなさい、私たちは貴方に何てひどいことを……」

「アイドルとしてステージに立つ姿に惚れちまった!」

「悪いのはフゴウだったのよ、騙されていたわ!」

 

人々は思い思いにダストへ贖罪の念を述べる。

ダイヤモンドダストの名を守り続けた彼女には有難い反面、今度はフゴウに対し迫害の意思を見せることに、どこか違和感を覚えていた。

確かに彼は全ての元凶だったかもしれない。でも、今はきっと、一人でも多くの命を救う為に戦っている。

だがダストにそれを口にする勇気は無かった。

 

「ダストに、何か力を与えられれば……」

「そうよ、アレがあるじゃない!投票による、配布令呪!」

「そうか、その手があった!」

 

区民たちはデバイスから接続し、革命聖杯戦争の投票を行う。

瞬く間にダストは一位に登り詰め、令呪一画を手にする権利を得た。

だが、それはその瞬間的に授けられるものでは無い。さらに言えば、単純な魔力増幅で、このCUBEを突破できるとも思えなかった。

 

——恐らくサンコレアマル外にいらっしゃる、巧一朗様を呼べば……

 

ダストは彼に託そうと考えたが、首を横に振り、邪念を取り去った。

革命軍では無い、彼をこれ以上巻き込むわけにはいかない。きっと彼は彼で、何かと戦い続けているに違いないのだから。

ダストはダストの力で、最期まで踏ん張らなければならないのだ。

 

一方、戦闘フィールド内に落ちて行った黄金街道は、フゴウと合流を果たす。

タイプキメラ体表から棘のように伸びた剣を叩き割りながら、彼のサポートを行った。

 

「黄金街道……すまな……」

「ここは生き延びて、後でしっかり土下座しやがれ!でも今はコイツの対処だ!」

 

黄金街道は自慢の鉞を豪快に振るい、タイプキメラへ攻撃を仕掛ける。

だが柔らかいと思われた皮膚は鋼のように厚く、そして硬い。形成された筋肉と、十二の英霊の刀が入り混じっているのだろう。

生半可の攻撃では、傷一つ付けることが出来ない。

 

「くそ!王サマ!令呪を頼む!四画はある筈だろ!」

「無い。」

「は?」

「無い。既に譲渡した。」

「はぁ!?ジョウト!?誰に!?」

「第四区博物館館長『間桐桜』だ。取引を持ちかけられて、な。」

「博物館ってーと、巧一朗の上司か!?てか何で!?」

「話せば長くなる。とりあえず、今は無いし、使えない。るる子は我らで止めなければならない!」

「マジかよ畜生!」

 

タイプキメラの体内から、四本の足が生え出た。

そして大きく跳躍したかと思うと、彼らを踏み潰すべく急降下を行う。

ギリギリのところで回避するが、サンコレアマルは大きく揺れ、人々は更なるパニックに陥った。

 

「この闘技場の外へ出して、ヒトのいない場所で自爆させるしかない。」

「王サマ、でもそれじゃ、アンタのダチは……」

「……一人では逝かせない、我も一緒だ。」

 

フゴウは自らの過ちを認めた。

そして彼が生み出してしまった新たな被害者、るる子を孤独にはしないと誓った。

もう彼女の魂がこの世には存在しないとしても。

その亡骸だけは美しいままに取り戻す。そして、共に心中する。

 

「てめぇ、まだ皆に、三人のガキどもに謝っていないだろう。勝手に死ぬのは許されないぞ。」

「すまない、金時。」

「アタシに謝ってどうなる!?アタシも、きっとてめぇの共犯者だ。何も知らなかったとはいえ、一緒にグローブって組織をまとめ上げてきたんだからな。てめぇが謝るのは第三区のみんなと、そして、ダストだ。アタシも一緒に謝る!」

「金時……」

「だから何かイイ感じに美しく最期を迎えようとしてるんじゃねぇよ!認められるか!その額を泥に擦り付けながら、謝って、謝って、そうやって償っていくんだろ!生きていくんだろ!アタシも傍にいる、アタシは仲間だから!」

 

黄金街道は目に涙を浮かべながら、必死に訴えた。

彼女は彼を、愛していた。それは恋愛感情からなるものではない。戦友として、家族として、彼を『信頼』していたのだ。

そして彼らが言葉を交わす間にも、タイプキメラは暴れ続ける。その巨大な手でドラミングしながら、怒りを、喜びを、悲しみを、叫び続けた。

サンコレアマル闘技場は上部が開かれたスタジアム形式だが、外に戦闘の余波が漏れ出ない為に、薄い膜のような保護バリアが施されていた。これがあるおかげで、タイプキメラは外に出たくても出られない状態だったのだ。

安全装置である筈が、今は人々を脅かすシステムとなっている。CUBEによって脱出が出来ない以上、システムダウンさせ、上空を解放させる手段はとれない。ならば、直接破壊し、怪物を誘導するのが最善手。

まずは黄金街道の宝具『黄金衝撃(ゴールデンスパーク)』を空に向かって発動し、その見えない壁を壊すしかない。

タイプキメラに邪魔される可能性が高い為、怪物を引き付ける役割はフゴウが担う。

グローブのエース二人による作戦が決行された。

客席からこれを見守っていたダストだが、ふと、反対側客席の出入り口、透明なCUBEの外側に、ヒトの影を見た。

外側にいる区民なのか、はたまた、この状況を生み出した悪しき者なのか。

彼女は客席側にいる芸術家サーヴァントなどに人々の保護を託し、影の元へ走り向かった。

 

「そこにいる方、聞こえますかしら」

 

結界を隔てているというのに、ダストの耳にはハッキリと声が届く。

彼女に話しかけているのは、虫のようにフワフワと飛ぶ、青白い光だ。

この光はひび割れた壁面の僅かな穴から内部へ侵入したもの。ダストはその正体を知るべくも無い。

 

「聞こえています、貴方は?」

「わたくしは革命軍ハンドスペードのサーヴァント、ロンリーガールこと『細川ガラシャ』。そこに飛んでいるのは細川忠興です。」

「え、あ、忠興、はい、ガラシャ姫、いま内部が大変なことに……」

「知っています。わたくしがここに辿り着いた時点では、もう出入口どころか壁一面に結界が張り巡らされていました。この僅かな隙間を利用し、わたくしに取りつく『呪い』の一部を飛ばしたのです。わたくしにこのような才能があったとは……!」

「はい?」

「コホン!内部の状況を伝えて頂けますか?ハンドスペードが力となりましょう。」

 

ガラシャの存在に心を救われたダストは、彼女にありのままを伝えた。

タイプキメラに留まらず、アヘル教団や、フゴウの裏切りについても。

 

「成程、わたくしはフゴウをどうにもきな臭いと感じていたのです。だから対話を拒否し続けた。でもきっと彼は、自らの罪を認めた上で、革命軍を一つにしようとしている。それは間違いないでしょう。」

「ガラシャ姫、吾はどうすれば……」

「まずは黄金街道とフゴウがやろうとしていることを見届ける必要があります。タイプキメラが会場外に出れば、人々のことを気にせず、戦いを挑むことが出来る。敵は力に溺れ、暴走しているようですが、まだ取り込んだ英霊の力を抽出できていないのだと思われます。己の力を制御されれば、そこまで。……とりあえず、貴方はスタジアム客席の皆様の安全を守るべく行動してください。」

「ガラシャ姫はどうするのですか?」

 

ガラシャは淡路抗争での戦いをモニタリングしていた。

大部分は都信華の虐殺ムービーだったが、ごく一部は、ヘラレウスと交戦するシュランツァ、アダラスのデータであった。

タイプキメラがヴェノムセイバーであるならば、その能力の一部は分かるかもしれない。

光の粒子が零れ続けるガラシャは、自らの胸に手を置いた。

果心居士が、ジョンが、繋いでくれたその命、無駄にするつもりは無い。

 

「わたくしはこのまま外へ出て、タイプキメラを待ち構えます。グローブと、ハンドスペードの共同作業です。勿論、ダイヤモンドダストも。そうでしょう、『枡花女』。」

「吾に気付いて……?」

「勇敢な方だもの。間違える筈がありませんわ。」

 

言の葉を交わす二人を尻目に、黄金街道は宝具を解き放つ。

サンコレアマル会場の上空に、稲妻が走った。

彼女の鉞による投擲は、見事バリアに直撃し、巨大な穴を生成する。

フゴウは自らその穴へと飛び上がり、タイプキメラを誘導した。

 

「我を殺したいのだろう、るる子!ならば来い!」

『EEEEEAAAAAAA』

 

タイプキメラは柱に摑まりながら、二本の手と四本の足でよじ登っていく。

その間も人々や戦士たちを嗤い続けていた。

そして新体操のような軽快な動きで、サンコレアマル外壁に辿り着き、カサカサと動き回る。

その巨体が爪を食い込ませるたびに、サンコレアマルは揺れ、悲鳴を上げた。

フゴウと黄金街道は共に外へ出、怪物を荒野へと誘い込んでいく。

だが当然、思い通りに動いてくれる訳では無い。

激しい流動を繰り返しながら、それでいて、サンコレアマルの楕円壁に張り付いて離れない。

まるで自らが時限爆弾であると認識しているかのようだ。

ヴェノムとして、仇為す革命軍を全滅させる。シュランツァの意識がそこにあるように思われる。

 

「黄金街道、雷撃宝具は打てるか?」

「クールタイムが必要だ!そもそも奴を引き剥がさないと!」

「下手な攻撃は悪手か。我では食事としては不足しているらしい。ならば……『アレ』の出番だ。」

「『アレ』か!任せろ!」

 

黄金街道は両手を掲げ、そして叫んだ。

彼女はライダークラスのサーヴァント。跨るのは愛用のバイク、そして。

グローブが総力を挙げて開発した『兵器』である。

 

『三区式大具足・鬼熊野(ゴールデン・トライ・ベアー)』

 

それは坂田金時が生前有していたとされる、超巨大兵器。

だがオアシス式召喚において、彼女はそれを持ち込むことが許されなかった。

そのため、彼女とフゴウはグローブの『兵器』として、黄金を用い、これを組み上げた。

継ぎ接ぎだらけの模造品、なれども、革命聖杯戦争において果心居士の技術に匹敵する力を秘めていたのは確実だ。

フゴウが『芸達者』を欲した理由も、この大具足にある。

統合英霊ヘラレウスや氷解のヴァルトラウテ同様、災害への解答札として存在していたのだ。

 

「アタシに任せろ!」

 

この決戦兵器は、坂田金時が乗り込むことで初めて起動する。

黄金のボディに彼女の瞳のような青いラインが浮かび上がり、機体はその場で立ち上がった。

両手を伸ばし、タイプキメラを引き剥がし、荒野へと投げ飛ばす。

 

「良し!」

 

黄金街道はコックピットにてガッツポーズを決める。

彼女の魔力を注ぎ込み動く機体。黄金街道自身が動力源となることから、長時間の使用は困難である。

故に、急ぎ決着を付けなければならない。

フゴウはタイプキメラへ向けて走り出した。

鬼熊野は転がるキメラにのしかかり、動きを封じる。

ダストや区民たちは、空の観測艇カメラに映し出された映像に、釘付けとなった。

 

『これが、これがグローブの隠し持っていた『兵器』だったのか!このリンベルも知り得なかった情報だぜ!』

 

リンベルの言葉に、人々はざわつく。

昨日までならば、グローブの派手さと強さに、心を躍らせていたことだろう。

だが今は、フゴウという裏切り者がトップを務める悪しき組織という印象しかない。希望である筈の大具足も、第三区に害をもたらす戦争兵器にしか捉えられない。

ダストは口を噤んでいた。

事実、彼らの内部抗争は、アヘルと、そしてフゴウの所為で発生したのだ。

彼を認められる筈が無い。たとえ罪を清算しようと動いていたとしても、だ。

そんな中、突如、リンベルの観測艇のカメラは切り替わる。

土埃が舞う外の景色に映り込んだのは、一人の可憐な少女だ。

少女はメディアの飛ばすドローンに気付き、カメラの向こう側にいる人々に話しかける。

 

「皆さま、ごきげんよう。ロンリーガールこと、細川ガラシャですわ。皆さまもご存じでしょうが、我々のチームのエース、芸達者こと『果心居士』は既に命を落としました。それどころか、ハンドスペードの領地は壊滅、仲間は皆、殺されました。わたくしも、もう永くは無いでしょうね。」

 

サンコレアマルの巨大モニターに映し出されたガラシャ、その身体から光が永続的に漏れ出ている。

英霊としての死を迎える前兆。専属従者の死に立ち会った者たちは、ガラシャの最期を悟る。

 

「皆様に謝らなければならないことがあります。わたくしは、アヘル教団に対し憎しみを抱くあまり、革命軍の敵である筈の『災害のアーチャー』と手を組みました。」

 

会場にどよめきが走る。ダストもまた、複雑な顔を浮かべていた。

 

「わたくしは災害の力を借りて、アヘルを壊滅させたかった。でも、不可能でした。災害は災害。招いたら、その大地が、海が、壊滅する。彼とわたくしの暴走の果てに、ハンドスペードの仲間たちはみな命を落としました。それは、果心居士も、同様に。全てはハンドスペードの王として存在したわたくしの独断が招いたこと。わたくしは償っても償い切れない罪を犯しました。」

 

ガラシャの独白は続く。

一羽の折り鶴を手にしたあと、災害のアーチャーを止める為に動いたこと。

そしてまたもや、大切な仲間を失ったこと。

それは区民にとって、フゴウが犯した罪と同じものであった。

愚かな王の判断により、多くの人間が命を落とし、時代は狂い始めるのだ。

 

「いま我々が戦っているのは、贖罪の為ではありません。そんなことを経ても、許してもらうことなど出来ぬでしょう。最初から、もし、最初から革命軍が一つになれていれば、変わっていてかもしれない、イフの話に過ぎませんが。……わたくしがいいたいのは、これから先のことです。マンサ・ムーサを、細川ガラシャを、悪しき王と語り継ぎ、皆さまは手を取り合って、助け合ってください。悪いのは、貴方の隣にいる方じゃない、悪いのは、愚かな王たち、なのですから。わたくしが言うのもなんですが、決して災害を認めてはなりません。革命の旗印を掲げ、決して屈しないでください。どうか、それだけ、それだけを伝えたかったのです。」

 

ガラシャは懸命に語る。己の愚かさを、そして、生存した者たちへの願いを。

間違いだらけの人生。もう二度と、間違える王が現れてはならない。

ガラシャは黒き獣を止め、彼らの尊い命を守る為に、ドローンから背を向け、歩き出した。

 

彼女が向かうその先で、フゴウと黄金街道はタイプキメラと交戦中である。

鬼熊野が怪物を抑え込み、フゴウが持ち前の黄金剣と鋳造兵士たちで僅かながらダメージを与えていく。

荒野へと投げ飛ばしたそのときは、圧倒的に鬼熊野が有利だったが、このタイプキメラは時間経過と共に、着実に成長していた。

そして遂に、ヘラクレスやスパルタクスに留まらず、取り込まれた新たなアンプルの力を行使し始める。

まずは円卓の騎士ランスロットの力が配合され、キメラは聖剣アロンダイトを手にした。

指定文化財の中でも特級レベルの聖遺物をアンプルに抽出していたのだ。他の災害が黙っていない筈だが、アヘル教団のバックには災害のアサシンが付いており、誰も踏み込めないでいた。

聖剣を手にしたキメラは上昇する魔力を込め、大具足を切り裂いた。怪音と共に、鬼熊野の右腕が消滅する。

巨躯の兵器は、格好の的である。タイプキメラはフゴウのことなど忘れ、鬼熊野を壊す快楽に酔いしれていた。

 

「くそ、どうすればいいんだ!?」

「黄金街道、損傷率五十パーセントで離脱しろ。急激な魔力消費に、オートマタ自体が耐えられない。」

「分かっているぜ!でも、たとえ壊れても、止めてやる!」

 

彼らは成長するキメラに対し、やがて手も足も出なくなる。

二人の英霊では、十二の英霊の力に太刀打ちできない。いやでもそれは証明された。

だが、フゴウに裏切られた革命軍が助っ人に来るとは思い難い。

彼らの額に止めどなく汗が流れる。ギリギリの攻防は、数分間続いた。

そして、キメラはついに宝具を起動する。詠唱は獣の慟哭。誰も理解することは出来ない。

 

『ÅOOOOOOOOOOOOO』

 

振り下ろされる巨大聖剣。

黄金街道は死を覚悟するが、彼らの間を縫って現れた存在に、彼女は救われた。

一瞬の出来事だった。キメラの振り下ろされる腕の間をすり抜け、一太刀。怪物の腕は只の一閃に砕け堕ちる。

大きく跳躍した青年は、天下五剣を握り締めていた。鬼を斬るに相応しい得物。彼はつい先ほどまで戦闘していたが、何とか駆けつけることが出来た。

 

「巧一朗!」

「巧一朗か!」

 

フゴウと黄金街道は同時に声を上げる。

源頼光と身体を共有する青年、間桐巧一朗が、この場に駆け付けた。

彼はフゴウの裏切りも、何もかもを知らない。もし知っていたとしても、彼の味方をしただろう。

それは彼が、頼光の言葉を信じたから。

 

虚数の海での出会いを思い出す。

 

「巧一朗、お前さんは『ヒト』と『妖怪』の違いが分かるか?」

 

頼光は問うた。

巧一朗は熟考し、種別という当たり障りのない答えに辿り着く。

頼光は対して豪快に笑うだけだ。

 

「人を殺すと、ヒトは化物になる、なんてのはよくある話だが。」

「なら英霊なんざ九割が妖だ。この俺もまた例外なく妖となってしまう。」

「じゃあ何だ。源頼光はどう定義する?」

 

頼光はにんまりと笑みを浮かべると、巧一朗に渡したものと同じ、升を十数個用意した。

そして彼らの中央、存在感を放つ巧一朗の升の上に、ひとつひとつ重ねていく。

 

「お、おい!?」

「見てな、巧一朗。」

 

正四面体という構造上、最初の数個は安定して積み上げられていく。

だが十を超えた辺りで、置き方の問題か、それはぐらぐらと左右に揺れ始めた。

 

「なにを……」

「箱の形状であっても、数が増えればバランスを失う。」

「それ以上重ねると……」

 

巧一朗の危惧は現実となり、全ての升が積み切る前に、タワーは崩れ落ちた。

畳に転がっていく四角を、彼は茫然と眺めている。

頼光は笑いながら、全ての升を回収した。

 

「分かるか、巧一朗。」

「さっぱりだ。」

「なら次は、こうしよう。」

 

頼光は全ての升に酒を注いだ。

そして再度、それらを重ねていく。

酒を注いだことで何かが変わることは無い。積み重ねれば重ねる程に、崩壊の時は近付いていく。

 

「おっと、危ない危ない」

「頼光、貴方の思考が理解できない。」

「そうか?」

 

そして最後、升は再び崩れ去る。

巧一朗は手を伸ばし、その二つを掴んだが、それ以外は畳へ散らかり、藺草を濡らした。

そして彼の手もまた、アルコールに塗れる。

酷く虚しいものだ。だがなお、頼光はケラケラと笑っている。

 

「虚数の海のモノだ。『勿体ない』なぞ思うべくも無い。」

「……貴方は何がしたいんだ。」

「逆に聞こう。巧一朗よ、お前さんはその両手にある升を以て、何をする?」

 

頼光は一転、口を結び、巧一朗を睨みつけた。

試されているのか、それすらも分からない。

万物を慈しむ心こそがヒトの構成材料だとでも言いたいのか。

巧一朗は訝しげにも、二個の升を重ね、再び中央に積んでみせた。

 

「ほう?」

「あとの升は貴方が拾ってくれ。酒臭くてかなわない。」

「くくく、そうか、お前さんはそうなのだな。」

 

頼光は巧一朗の肩を叩くと、口角を上げた。

 

「これが、『ヒト』と『妖』の違いだ。一言で言うならば、『積み重ね』さ。」

「『積み重ね』だと?」

「ヒトは、いつの世も、必ず罪を犯す。軽いものから、重いものまで。その時代のルールにより裁かれる。お前さんの時代では人殺しは重い。だが源頼光の生きた時代では、敵に摑まっておいおいと生き延びたりしちゃ、そいつは罪だろうな。己の不始末を己で清算できねぇ不届き者だ。価値観、環境、道徳、あらゆる物事によって、法は変わり、ヒトの生き方も変わる。中には、ルールを破って妖の道に落ちるものもいるだろうよ。」

「あぁ、そうだな。」

「だからこそ、なのさ。己が犯した間違いにどう向き合うかが重要なんだ。ヒトは生存において、家族を、友人を、恋人を、仕事を、趣味を、夢を、構築する。升のように一つ一つ積み上げていく。だが、ふとした瞬間にこれは簡単に崩れ去る。何十年と積み上げたものが、一夜にしてパァになることもあるんだ。じゃあ、その後どうするか。そこからが重要だ。」

「だから、『積み重ね』?」

「そうだ。ヒトは積み重ねられる生物だ。間違いを認め、失った全てを取り戻すために、或いは、新たなものを構築するために、また升を積み上げ始める。これが出来なくなっちまったら、長く険しい道のりに嫌気がさして、踏み外しちまったら、そいつは妖怪なんだ。壊すことに悦を覚えちまう奴もいる。」

「重ねる……」

「愚かでいいんだよ。だが、台無しにはしちゃいけねぇ。一つずつ、ただ、一つずつ、積み上げる。積み重ねる。それが出来る内は人間だ。巧一朗、お前さんもな。」

 

巧一朗は頼光と真に一体化した。

ヴェノムのような効率の良さは無くとも良い。世界を滅ぼす恋をした青年は、このオアシスで、成長し始めている。

彼には既に、失いたくない仲間が出来た。

キャスター、鉄心、充幸、桜館長、そして———

 

「美頼」

 

きっと彼女は、彼の知らない場所で、戦っている。

そう信じられる。そして、また、再会できることも。

 

巧一朗は空からタイプキメラを強襲。聖剣を握る腕をその刀で切り裂いた。

フゴウや黄金街道が地道に削り取っていた肉体を、圧倒的な一撃でねじ伏せる。

『招霊継承』は巧一朗の新たな境地、災害を殺すための切り札だ。

その性能が遺憾なく、この戦いに発揮される。

 

「すげぇぜ、パパ!巧一朗!」

「これがダイヤモンドダストの兵器か。」

 

そして巧一朗に続き、ガラシャもこの場に参戦した。

ガラシャは唯一、アヘル教団のヴェノムについて多く知識を有している。

彼女はフゴウ、黄金街道、巧一朗に、タイプキメラの対処法を伝えた。

 

「体内にある核の部分に、ヴェノムアンプル使用者の少女がいる筈です。アンプルは人間の血中に特殊成分を流すことで英霊の力と接続しますが、たとえ息を引き取っていたとしても、血は巡り続けています。もし彼女の肉体のみを救出できれば、キメラの膨張は止まり、徐々に息絶えるでしょう。オアシスにおいて英霊がオートマタを媒介にしなければ基本的に生存できないのと同じ原理です。」

「るる子を、取り戻せば……」

「そのために、タイプキメラの肉体に穴を開ける必要があります。内部と、外部、両方から、です。」

「何で両方から必要なんだ?」

「ヘラクレスの再生能力と、スパルタクスのダメージを魔力に変換する能力を、同時に止めなければならないからです。ただ腹部を蹴破れば良いというものではありません。見てください!」

 

ガラシャの指さす方、つい今、巧一朗が切り落とした腕が再生されていく。

ここにきて、他の英霊たちの戦線維持スキルも起動し始めた。

 

「外部は皆さまに託します。内部は、この細川ガラシャにお任せください。わたくしの宝具は自死宝具であり、周囲一帯を燃やし尽くすことが出来ます。そしてわたくしの過去の通り、守護すべきものには一切の傷は負わせられません。」

「ガラシャの最期、侍女たちを守り、己だけが果てて行った逸話か。」

「待て、それでは貴様が……」

「ふふ、見て分かりませんか、マンサ・ムーサ。わたくしはもう死ぬのです。最期は華々しく、行こうではありませんか!」

 

ガラシャは巧一朗に近付くと、彼の刀を持つ手を、ぐっと握り締めた。

そして呆気にとられる彼をよそに、その刀で、自身の胸を貫く。

 

「お、おい!あんた、何して!?」

「これがわたくしの宝具の発動条件ですから。」

 

ガラシャは女神のように微笑むと、血に塗れながら、キメラの元へと歩いて行く。

怪物は新たな餌を見つけたとばかりに、彼女へ喰らい付いた。

何の抵抗も無く、あっさりと飲む込まれるガラシャ。

三人は暫く茫然と佇んでいたが、やるべきことを思い出し、武器を構える。

 

タイプキメラの胃袋に飲まれたガラシャは、自らの消滅を悟りながら、必死に『核』である少女を探した。

動き回り、内部を食い千切り、探索する。やがて、欠損の無い肉体の保たれた少女を見つける。

だが、血液が搾り取られ続ける結果か、皮膚のハリが失われ、ミイラのような身体となっていた。

ガラシャは我が子のように抱き留める。そして、詠唱を開始した。

 

『散りぬべき、時知りてこそ、世の中の、花も花なれ、人も人なれ』

 

それは彼女の辞世の句。

彼女の覚悟が、彼女の身体に火を灯す。

 

『煉獄純花(グレース・レイリリィ)』

 

白百合が咲き誇る。

体内から、体外へ、キメラの肉体そのものから、芽吹く。

そして百合の花は炎を宿し、次々と枯れていく。

ガラシャはるる子の亡骸を抱き締めながら、涙を零した。

 

「美しい百合の花……」

 

黄金街道は思わず見惚れてしまう。細川ガラシャは、最期まで美しいままだった。

 

「今だぞ、巧一朗!」

「あぁ、行くぞ頼光!」

 

巧一朗は刀を構える。

自ら死を選び、少女の尊厳を守ろうとするガラシャに、応えなければならない。

だが、彼と黄金街道の前に、その瞬間、聳え立つ壁が出現した。

金色の、無機質な壁。それを生み出したものが誰か、容易に想像できる。

 

「貴様らを巻き込むことは出来ない。我がやる。」

「フゴウ…………?」

「おい、王サマ!どういうことだ!?」

「我が黄金の波が築くのは、メッカへの道だ。無限に溢れ出す潮流が、いつかの希望を掴み取るだろう。」

 

黄金螺旋。

フゴウの周りに、金塊の山が築かれる。

そしてそれらは溶け、交じり合い、蛇のような形を成す。

フゴウの宝具が、起動するのだ。

 

「おい、フゴウ!」

「馬鹿か、王サマ、待てよ!てめぇ死ぬつもりで!?」

「すまないな、約束を破ることになる。だが、黄金街道、そなたは当然、人々に謝らなくていい、悪いのは我一人なのだから。」

 

フゴウは囁くように宝具を詠唱した。

もはや巧一朗、黄金街道には、その声は届かない。

黄金色の大蛇、彼の通った道そのものがタイプキメラへとぶつかり、螺旋状にその肉体を削り落としていく。

 

「王サマ!?」

「フゴウ!」

 

二人の声を背後に感じながら、フゴウはタイプキメラの元へ近付いていく。

途中、彼女の体表から突き出した剣が、フゴウの肉体を貫いた。だがそれでも歩みを止める気はないらしい。

そしてガラシャの内部爆発、フゴウの外部からの攻撃により、キメラの肉体ははじけ飛んだ。

フゴウは自らの身体が消えていくのを感じる。

結局、彼は何も成し遂げることは出来なかった。

今回もそう。畦道るる子は、彼の所為で命を落とした。

己の罪の清算もろくに叶わぬまま、彼は白い空間に取り残される。

彼の元へ投げ捨てられるように飛んできたのは、るる子の血が抜かれた皴の肉体だった。

フゴウは彼女の遺体を抱き、そしてガラシャ同様、涙する。

溢れ出てくるのは、後悔の念。もうどうしようもない。

彼はこの桃源郷にて、何も果たせぬまま無為に死ぬ。

せめて、最期は大切な者を抱き留めていたい。

 

「るる子、すまなかったな。もう大丈夫だ。このマンサ・ムーサが助けに来たぞ。」

 

返事はない。もう取り返しはつかない。

黄金の壁は消え、弱体化したキメラが取り残される。

巧一朗が、黄金街道が、辺りを見回したときには、既にガラシャも、フゴウもいなかった。

彼らは桃源郷から退却した。

黄金街道は言葉にならない叫びを上げる。

そして巧一朗は、彼女の慟哭に胸を痛めた。

 

シュランツァという核を失ったキメラは、それでも生きていた。

じきに死ぬのは理解していたが、それでもこの場を離れ、生き延びる選択をする。

二人はこれを追うことが出来なかった。

絶句する巧一朗、嗚咽する黄金街道、二人の元に、スピーカーから声が響いた。

それはサンコレアマル会場内にいる、言峰クロノの声だ。

 

「いま、革命聖杯戦争は最終戦を迎える。既に、芸達者、リケジョ、ロンリーガール、フゴウが桃源郷から消滅した。残されたのは、ダイヤモンドダスト代表のダスト、そして、グローブの黄金街道二人だ。黄金街道、君が穴を開けた天井部位から、梯子代わりとなるロープを垂らしている。サンコレアマルに戻り、堂々の決着を付けるがいい。」

 

クロノの感情の籠らない声は、第三区に響き渡る。

黄金街道は俯き、声を出すことをしない。

巧一朗も同じく、反応を示すことも出来なかった。

 

「何をしている。ROADがあれば、君達が取り逃がした怪物も容易に殺すことが出来よう。区民の皆さまは、安全を欲しておられる。決着を付け、聖杯を潤せ。革命聖杯戦争の終結が、第三区の幸福そのものだ。生きたければ、ダストを殺害しろ。」

 

クロノの言葉に、黄金街道はついに叫んだ。叫ばずにはいられなかった。

 

「嫌だ!もう、嫌なんだよ!何だよコレ!何でアタシらは争っているんだよ!ダイヤモンドダストも、ハンドスペードも、王サマだって、たくさん間違いを犯して来たけれど、悪い奴らじゃねぇんだよ!必死に生きているだろ!何でだよ!」

「間違いを犯した者は、悪い人間だろう。何を言っている?」

「アタシは、ダストだって、きっと良いやつだって思った!アタシは殺したくない!アタシがこの兵器で、タイプキメラも、災害も倒してやる!それでいいだろ!」

 

黄金街道は泣き叫んだ。

巧一朗も同調の意思を見せる。頼光も同じ気持ちだ。

そもそも、ROADには裏がある。枡花女が、金時が、命を捧げた所で希望が達成されるとは限らない。

 

「そうか。その発泡スチロールのような鎧で、皆を救うと。」

 

クロノは溜息を零す。

フゴウの裏切り、そして黄金街道の駄々、予定外のことばかり起こる。

彼は『彼女』に合図する。

突如、サンコレアマル闘技場に、光り輝く『ソレ』は現れた。

人々はそれが革命聖杯であることを直ちに認知する。

そして浮かび上がった金の杯を手にしたのは、アイドル衣装に身を包む、ツキであった。

観客がどよめく中、ツキは聖杯を自らの胸部へ取り込む。

それは刹那の出来事だ。

第三区民も、ダストも、黄金街道も、巧一朗も、桜館長も、キャスターも気付かぬ一瞬の間に、ツキはサンコレアマルを飛び出した。

そして必死に逃げようとしていたタイプキメラを五十あまりのアロンダイトでめった刺しにする。

巧一朗がハッと気づいた時には、タイプキメラは無残に殺されていた。

ツキは広げた翼で空へ浮かび上がると、今度は空中に無限の鉞を創造する。

黄金街道が愛用する金刃の巨大アックスが、巧一朗と、黄金街道の元に降り注いだ。

 

「巧一朗!アブねぇ!」

 

黄金街道は鬼熊野のまま、巧一朗に覆い被さる様に、彼を守る。

彼女の決戦兵器に何度も叩きつけられる鉞。無限とも思えるような地獄の末、大具足は完膚なきまでに破壊された。

コックピットにいた黄金街道は、全身から血を噴き出しながら、巧一朗の元へ倒れ込む。

 

「な…………………………」

 

信じ難い状況だった。

グローブの決戦兵器として満を持して登場した大具足は、三秒と経たぬ間に分解された。

そしてタイプキメラも、弱体化していたとはいえ、こうもあっさりと死んだ。

彼は上空を見つめる。

一人の女が、人間を見下し、浮かんでいる。

 

「あれが『ファフロツキーズ』………………」

 

この桃源郷に存在する災害は六人である。

だが、何故だろうか。誰もが七人目の存在を空見した。

いま空にいる存在はヒトでも英霊でも無い。

『神』か『災害』のどちらかだ。

 

彼らはこのとき、シェイクハンズの悪夢を思い出した。

再び、あの悲劇が繰り返されようとしている。

 

悪夢のカウンターガーディアン、その名も『ファフロツキーズ』。

彼女は第三区の空に降臨した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

【キングビー編⑩『エピソード:ファフロツキーズ』 おわり】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編11『エピソード:ノア』

災害のライダー、ついに動き出します。
感想、誤字等あれば連絡お待ちしております。


それは、大昔の話さ。

むかしむかし、あるところに、それはそれは美しくも威厳ある二枚目の大英雄様がいらっしゃった。

絵本の導入にしては設定を盛り過ぎだって?仕方が無いだろう、事実なんだから。

彼はかつて世界を救ったんだ。神様の怒りによって、起こった大洪水を、建造した船一つで乗り越えた。

彼は家族と、そして多くの動物たちを新世界へと誘った。

もうお気づきかい?そう、彼の名は『ノア』。アダム同様、人類の父と言われてもいる。

ノアの方舟の逸話を知らないヒトはいないだろう。それこそ、絵本で語り継がれているくらいだ。

 

でも、こんな話を知っているかい?

ノアは寡黙な男だが、そんな彼が物語において初めて喋った言葉が『呪い』だったコト。

 

ノアには愚かな息子がいた。『ハム』だ。美味な料理のことじゃないぜ?

ハムは方舟の旅の途中にある『禁忌』を犯した。

それは、一緒に乗った嫁との間に、四人の子を成したのさ。

ノアの方舟には『定員』がある。ヒトも動物も、限られた人数を最大限乗せているが、内部で増えちまった。

まぁ生まれたばかりの赤子だ。ついでみたいなもので、その子らは無事にノアの家族と共に航海を終えた。

禁忌を犯したハムに対して、ノアはさぞ憤怒したろうな。だが彼らは家族だ。寛大な男は、愛する息子を許したのさ。

その場の情欲に流されるハムに、嫌悪感を抱きつつ、な?

だが時は経ち、事件は起こってしまった。

ある日、ぶどう酒に溺れ酔っ払い、裸のままに寝込んでいたノア。

ハムは自らの父の裸体に、性的興奮を覚えてしまった。

今の倫理観じゃアウトもアウトだが、そりゃ当時だって『禁忌』そのものさ。

ノアの他の息子達と異なり、ハムは、ノアを深く愛してしまった。男同士の禁断の恋…………って一方通行だけどな。

そしてハムは、あろうことか、実の父であるノアを犯したのさ。

あぁ、そうだ。それこそが始まりだったんだ。

ノアはその穢れに憤慨し、ハムでは無く、彼が最も愛していたその息子に、呪いをかけた。

 

「ハムの子、〇〇〇に呪いあれ」

 

何でハム自身じゃなくて、そいつにかけたんだって?

そりゃ、ハムにとって〇〇〇は、自らの命より大事な存在だったからさ。

はた迷惑な話だが、〇〇〇には、隷属の呪いが与えられた。

そう、それはオレだけじゃなく、オレの子孫にまで。

 

オレは、死した後も、オレの子を、孫を、民を、見届け続けた。

オレは彼らの土地そのものに取りつき、彼らをただ愛したんだ。

呪われた〇〇〇の民は、ただ生きているだけで、悪夢を見続ける。

 

そうだ。ヒトの平等を謳う愛の神は、〇〇〇の民を殺せと、イスラエル人に命じたのだ。

ヒトを温かく見守り、導く存在である筈の神が、オレ達を見捨てたのだ。

世界はこのとき矛盾した。

思えばノアは、神の言葉を聞き届けた男。

オレが『災害』そのものだと、理解していたのだろう。

だから、オレだけでなく、オレの家族を、オレの土地そのものを、凌辱したのだ。

 

そして途方も無く長い時を経て、オレは英霊として呼び出された。

オレはオレであり、オレの家族であり、オレの民であり、オレの土地でもあった。

今なお、人類はオレの土地を巡り、殺し合いをしているらしい。

そうだ。それこそがノアの呪いであり、同時に、〇〇〇の呪いなのだ。

 

なら、オレがサハラの地に呼び出された意味は、きっと。

悪しき神に、悪しき英雄に、虐げられ、歴史から消え去った全て。

オレがこの世のヒト全てを救うため、ここに立っているのだと気付いた。

 

「私は遠坂輪廻、貴方は───」

 

オレは目の前に立っている可憐な少女に声をかけられた。

彼女もまた、大いなる悪意に虐げられし者。

ならば、オレの『箱舟』で共に、旅立つ相方である。

 

「オレはライダーのクラスにて召喚された〇〇〇だ。ご存じない?」

 

オレは彼女に、マスターに、手を差し出した。

リンネは警戒心を露わにしているが、おずおずとオレの手を握ってくれた。

その温かみがオレの報酬だ。彼女の為に、命を懸けて戦うことが出来る。

 

───とまぁ、後に災害のライダーと呼ばれる、オレの回顧録に付き合って頂きどうも有難う。

多くは語れないが、今のくだらないストーリーで充分だろう?

さて、お気に入りの帽子が飛ばされないように注意しつつ、第三区へ向かうとしますかね。

 

【キングビー編⑪『エピソード:ノア』】

 

それはまさしく『悪夢』であった。

第六区にいる災害のバーサーカー『后羿』の存在により、深い夜の中にあっても、空の輝きは失われない。

だからこそ、人々は三区の空を支配する恐ろしき少女を視認できる。

彼女が翼を広げて半時間が経過した。

黄金街道の大具足を葬り去った後、再び第三区全体へ向けて、銃弾の雨を降らせた。

サンコレアマル外にいて、家屋などに隠れなかった人間たちは皆、その脳天を撃ち抜かれ、絶命した。

会場内はというと、闘技場そのものは焼き尽くされ、客席の一部分に人々は固まり、怯えるしか無かった。

ショーンの仕掛けた収縮固有結界『CUBE』は天空の支配者『ファフロツキーズ』により亡き者とされたが、人々は脱出する気力を失っている。新たなる災害を前に、過ぎ去るのを震えて待ち続ける。滑稽だが、彼らに出来る唯一の生存戦略だ。

一方、巧一朗は黄金街道を背負い、サンコレアマルとは別の、安全地帯を探し求めていた。

クロノがあの闘技場を離れた途端に、ツキは容赦なく殺戮を始めるかもしれない。

第三区民が蟻で、ツキは象。ただ一度権能を振るえば、皆が簡単に死に絶える。

 

「こういちろ……すまねぇ……アタシの黄金街道……斜め右だぜ…………」

「守ってくれてありがとう。血みどろだが、急所は外れている。治療を施せば間に合う筈だ。」

「くそ……なさけねぇ…………畜生………ちくしょぉお…………!」

「喋るな。後は俺に任せろ。何とかする。」

 

巧一朗はそう強がってみる。

だがこの現状を一番に理解しているのが彼であった。

天空に浮かぶ神の如きファフロツキーズ。桃源郷の終末装置こそが彼女である。

既に半壊した革命軍では足元にも及ばない。

もし、可能性があるとすれば、それは────

 

「雷上動か?巧一朗」

「頼光…………」

「無理だな。二つの矢をまだ有していたならまだしも、お前さんは水破をもう失っている。」

「では、諦めるか?大英雄」

「そうは言っちゃいねぇよ。だからこそ、お前さんに問いたい。死ぬ覚悟はあるか、と。」

「…………アレは、文字通りの災害だ。でも、俺の復讐相手ではない。それに、俺たちはテロリストだ。決して守護者では無い。」

 

巧一朗の唇は僅かに震えている。

頼光は彼の内部にいて、彼の本音が漏れ出るのを待ち続けた。

 

「俺は、この世に偶発的に誕生した、価値の無い虫風情だ。そんな俺は、招霊転化を通して、本物では無いにせよ、多くの英霊を見てきた。歴史データから再現された偽りであったとしても、彼らの心そのものは本物だったんだ。そして────」

 

有り得ないことだ。

彼の生き様を根本から否定するようなことだ。

だが、心のままに、それを口にした。

 

「災害のキャスター『ダイダロス』との戦いの末に、俺はアイツに『憧れ』てしまった。第四区を守る為に、命を投げうってまで救済を果たしたあの男に。恨む筈の災害に、羨望の眼差しを向けているんだ。虫風情も、あんな風に生きてみたいって───」

「なら、答えは出ているな。」

「あぁ。俺は、桃源郷のテロリスト。でも、美頼や、鉄心、皆を守りたい。これは俺の我儘だ。頼光、貴方の力を借りて、俺はファフロツキーズを倒す。」

「そう来なければな。無論、お前さんを死なせる気は毛頭ねぇ。お互い、生きて、この修羅場を潜り抜けようや!」

「あぁ!」

 

巧一朗は頼光との交信を終える。

覚悟を決めたは良いものの、果たして空を支配する神を如何にして失墜させるか。

イカロスのように翼があれば飛んでいけるが、圧倒的質量による鉄の雨に撃ち抜かれるのが定め。

いま地上から兵破を放ったところで、彼女に届くだろうか。

 

「巧一朗!」

 

彼は背後から自らを呼ぶ声に振り向いた。

瓦礫の山を抜け、彼のサーヴァントが姿を現した。その白いドレスは黒く汚れ切っている。

 

「キャスター、無事で何よりだ。」

「こちらの台詞さ。状況を確認したい。」

「あぁ。まずは黄金街道を匿える場所が最優先だ。一緒に行こう。」

 

巧一朗にとってキャスターは余りにも頼もしい存在に思えた。

世界を揺るがす大犯罪者、モリアーティ教授が味方となれば、新たな戦略が立てられるかもしれない。

だが、事態は想像よりも深刻であった。

彼らが、簡易的な駐在地点を発見した後、情報交換が行われた。

まず現状残された戦力である。

第四区博物館は、巧一朗とキャスター、そして桜館長が存命である。桜館長は一人、ある特定の場所へと向かったようだ。キャスターによると、桜は戦闘に参加できる状態ではないらしい。

そして革命軍、戦闘に参加できるような者は、みな空からの強襲を受けた。

ハンドスペード、グローブ共に、芸術肌の英雄を残し壊滅状態。聖杯戦争参加者の生き残りは、ダストこと『枡花女』と、隣で倒れている黄金街道『坂田金時』のみ。革命軍三組織がそれぞれ有する兵器は、もはや巧一朗という存在を残し、砕け散っている。

他地区からの救援は来ない。キャスターの調べにより、博物館と遠坂、マキリ、アインツベルンは第六区にて災害のバーサーカーと交戦中である。そして第五区の教団は、助けに来る筈も無いが、彼らは彼らで反乱分子の台頭に手を煩わせているようだ。

既にツキによって『王手』がかけられている状態。もしクロノが桃源郷全ての抹殺を目論むならば、巧一朗たちは既に『詰み』の状態であろう。

そうなれば、頼れるのは災害のサーヴァントくらいのものであるが、テロ組織に交流がある筈も無く。そもそも彼らの力を借りては、テロリストとして本末転倒も良いところである。

 

「私は宝具により、ただ一度だけ、過去に扱った武器を練り混ぜた、隕石を射出出来るだろう。でも、三流英霊のそれじゃ、傷一つ付けられないだろうね。やはり最後の希望は君のようだ、巧一朗。」

「だが水破はもう無い。天下五剣で斬ろうにも、天空に駆け上がる手段が…………そうだ、メディアの観測艇はどうなった?」

「まずリンベルの乗る本艦は、君も見たろ、撃墜されたよ。幸いリンベルたちは無事で、今はサンコレアマルの区民を勇気付ける為、奔走しているようだ。肝心の予備艦だが、クロノにより破壊されたか、どこかに持ち去られた。全て彼の計算済みだよ。」

「くそ、それがあれば戦えたんだけどな。」

「ツキはどうやら人類を虐殺するゲームを楽しんでいるようだ。ただ殺すだけなら、とっくに壊滅させている。今は、何かを待っているように思うよ。」

「何か、とは?」

「恐らく災害だ。革命軍を救う災害が立ち向かうことで、彼らはこれまでとは真逆に、災害への信仰を始めるだろう。だが、その希望すらもねじ伏せて、恐怖のままに命を刈り取る。そういうシナリオが見えてならない。兎に角、ファフロツキーズが動いていない今がチャンスかもしれない。」

「でも、どうすれば……桜館長の、メアリー・セレストの力で何とかできないものだろうか。」

「地上に降りてくれれば、ね。翼を折れば落下するとも思えないが。四画の令呪で、何をするつもりなのだろうか。」

「四画の令呪?」

「あぁ、革命聖杯戦争にてグローブの棟梁、フゴウが手に入れた配当令呪だ。契約により、全て桜に譲渡されているらしい。魔力増強や地点移動、簡易的なモノにしか利用できない筈だけど……」

「桜館長に譲渡…………四画…………」

 

巧一朗が知り得た情報。

今回配当令呪として使用されているのは、マキリ社製のものの改造。

同じ革命軍か自らにしか付与できない縛りがあるが、もしマキリのものであるならば、エラルと親交のある桜館長はその縛りを解除できるかもしれない。

だが、魔術師の有するそれとは異なり、マキリは効果が限られている。キャスターの言う性能以上のことは成し得ないだろう。

そして桜館長はいま、ある地点へと向かっている。

そういえば、彼が会った時、彼女は酷く疲れていた。この第三区で暗躍している桜が、何かをしようとしている……?

 

「そうか、そういうことか……」

「巧一朗?」

「鈍いな、キャスター。いつものお前なら気付きそうなものだが。桜館長は────」

 

彼はキャスターに桜館長の計略を伝える。

だが、キャスターはどこか納得のいかない表情であった。

 

「いや、そんなことは私だって気付いていたさ。もし桜が、言うなれば『奇跡』を成し得たとして、それでどうなる?残念ながらファフロツキーズには何の特効薬にもなりはしない。」

「え、でも、ファフロツキーズは空に顕現するその時、ROADを飲み込んだのだろう?」

「馬鹿か、巧一朗。馬鹿だったな。つまり、ROADは革命聖杯戦争と何ら関係なく、独立した魔力供給が可能で……それで……あれ?」

 

キャスターは頭を抱えた。

おかしい、不具合が発生している。

彼女は第三区にいる間、謎の不調に悩まされている。

モリアーティ教授は、かのホームズと対等に渡り合った天才数学者。ならば、解答が導き出せない筈は無い。

だが、彼女が真相に辿り着くその瞬間、脳にセーフティーがかかる。

何らかの外部攻撃、言わば呪いや毒の影響を受けているのだろうか。

 

「キャスター?」

「すまない、巧一朗。君の考えは正しい。だが、もう少し、その先に答えはある。私はどうやらその先に進む権利を有さないようだ。君自身が、君の仲間と共に、全てを解き明かす他ない。」

「どういうことだよ、キャスター。」

 

彼女は二人を放置し、立ち上がる。

巧一朗は背中を見せる彼女の手を握り、引き止めた。

 

「おい、キャスター!説明しろ!」

「私も今の状態を理解できるならば、そうしたい。全く、それこそ私がキャスターならば、分かりやすいだろうな。何せ私は破綻者、コラプスエゴの霊基だか…………ら…………」

「キャスター?」

「あ、あぁ、そうか、『そういうこと』か。なるほど、そうか、はは、はははは、ははははははは!」

 

キャスターは突如、笑い始める。

ようやく理解した。桜の作戦に、何故彼女が辿り着けなかったか。

天才である彼女が、何故、クロノに出し抜かれているのか。

 

「あぁ、そこに、いるじゃないか。」

 

巧一朗の仕事に付いて回っては、人間の醜さを観察する、気ままに第二の生を謳歌する存在が。

醜悪な正義の味方が、最大の裏切者が、そこにいるではないか。

ならば、彼女に出来ることはただ一つ、巧一朗に全てを託し、この開発都市第三区を後にする。

物語に『探偵』は二人も必要ないのだから。

 

「巧一朗、いつものように、一つだけヒントを出そう。これより大切なのは『時間』だ。君が戦う敵は、君が想像するより遥かに強大で、そして、狂っている。この第三区にて発生した全ての事柄に疑念を抱き、正しい解答を導き出せ。何せ敵は、物語の主役を味方に付けたのだから。」

「どういうことだ……?」

「暫くのお別れだ。すまないね。力を貸せなくて。健闘を祈っている。」

 

キャスターは巧一朗の手を振り解き、歩き去る。

彼は突然のことにパニックとなりつつも、追いかけることはしなかった。

彼の隣で倒れる黄金街道を独りにする訳にはいかないから。

そして、キャスターが最後に浮かべていた表情は、いつものような嘲る顔でも、ほくそ笑む顔でもなく、酷く寂しげなものだったから。

まるで、もう二度と出会えないかのような、そんな。

 

「キャスター……一体、何に気付いたんだ、どういうことなんだよ?」

 

巧一朗は頭に疑問符を浮かべながら、黄金街道を見つめ続ける。

桜館長がこれより成そうとしていること。そしてキャスターの残していった言葉。

彼には一分先の未来さえ想像できない。

 

「それでも、俺は託されちまったんだな。なら、頑張るしか無いか。」

 

巧一朗は崩壊していない古民家の中から、空を覗き込む。

いまなお輝き続ける絶望に、最大限の敵意を込めて。

彼は血が滲むほどに、唇を噛み締めたのであった。

 

 

サンコレアマル内にて、ダストはリンベルたちメディアと共に、傷病者の救護と、区民たちの心のケアに努めていた。

ダストが確認している限り、既にクロノは闘技場を後にしたようだ。

クロノを人質に、という考えは、実らない。そもそも、ダストでは人間相手に返り討ちに遭いそうなものである。

革命聖杯戦争参加者は、民にとって言えば、インフルエンサーであり、統率者でもある。それが不在ともなれば、荒れ狂い、嘆き悲しむのも無理のないことだ。

彼らにとっての最後の希望こそ、ダイヤモンドダストのリーダー、ダストである。皮肉にも、この土壇場において彼女の声は初めて区民に届いたのだ。

リンベルに多くを任せ、彼女はツキのファンたちのケアに努める。中には自暴自棄となり、外へと飛び出し、ツキの『雨』に撃ち抜かれた者もいた。血塗られた遺体が新たなパニックを生み、阿鼻叫喚の地獄絵図を生み出している。

ダストは練習を重ねたダンスを披露し、何とか場を取り押さえた。ただ彼らに希望を与える為に、美しい舞を披露する。

芸術肌のサーヴァント達も同様、絵や音楽で必死に区民たちを鼓舞した。嵐が去るのをただ待ち、生き延びる。

ダストには、これしか出来ない。彼女は、戦闘において、ただ無力だ。

 

「巧一朗様……どうか、どうか、ご無事で……」

 

ただ祈りを捧げる。祈る筈の神は、空に浮かんでいるように思えるけれど。

そして区民たちもまた、誰かに救いを求めた。

世界を『救済』する存在を、彼らは待ち続けている。

 

「Ms.ダスト、そっちはどうかい?」

「リンベルさん、吾の方は、比較的落ち着いてまいりました。」

「空にドローンを飛ばしているが、やべえアサシンは、指先一つ動かさず、浮かんでいる。今なら外にいる仲間と合流できるかもしれない。」

「巧一朗様と合流……」

「既にその手の甲に最後の令呪が宿っている筈だ。傍に居た方が、兵器も力を出せるってもんだろう。ここは任せて、行ってきな。」

「っ……はい!」

 

ダストはリンベルに見送られながら、サンコレアマルを飛び出していく。

各地に飛ばし、低空飛行を続けるドローンにて、巧一朗の場所はメディアにより発見済み。黄金街道も生存していることが確認された。

ダストは巧一朗に会いたかった。彼女には、自らの命と引き換えに叶える、願いという名の宝具が残されている。

この窮地、もし世界を救うならば、それは巧一朗を除いて他にない。

 

「巧一朗様……っ」

 

僅か一週間、一緒にいれた時間など、そう多くも無い筈だ。

それでも、彼を求めるこの心は、何なのだろう。

恋愛感情、では無い。家族の愛でも当然ない。

ならば、これは一体何だ。どう名付ければいいのだろう。

ダストにはまだそれが分からない。だが、分からなくともいいと、そう思った。

彼女はどこまでいっても、彼のサーヴァントにはなれないのだから。

 

 

一方その頃、朽ちた産業大橋『シェイクハンズ』に辿り着いた、三人の少年たち。

フゴウの秘密を知って、なお、彼を信じたいと願う若者たちだ。

彼らは真実を知るであろう、親代わりの麦蔵を探し求めた。

彼の家に籠っていると考えていたが、そこには誰もいない。

周囲を捜索するうち、最年少の『チビ』はシェイクハンズの上で、麦蔵を発見する。

この緊急事態にあって、この老人は有り得ざることに、橋の修繕を行っていた。

孤独に、黙々と、ひび割れた部分を復元していく。

 

「麦造爺ちゃん!何してるの!」

 

チビの驚く声に、『マッチ』と『モグラ』も反応を示した。

麦蔵もまた、少年たちの到着に驚愕している。グローブ領域内でフゴウが匿っていると思っていた為だ。

 

「おいガキ共、お前ら何でこんなところに!?」

「それはこっちの台詞!危ないから避難しないと!」

「どこにいたってアブねぇことには変わりない。おい、フゴウはどうした?」

「それが……」

 

三人は事情を説明した。そして、英霊の力を宿した少女の姿の怪物と戦ったことも。

だが、あの瞬間、サンコレアマルを離れていた彼らは、フゴウの結末を知らない。

麦蔵は三人の話に相槌を打ちながら、神の如く宙に鎮座するツキを眺めた。

フゴウが生きている確率は、極めて低いと思った。

もし生き延びていたなら、あの神に立ち向かっていただろうから。

第三区そのものを揺るがせた戦犯でありつつ、誰よりもこの区の繁栄と、民の幸せを願っていた男だ。

麦蔵は三人をそっと抱き締める。このくだらない戦いに巻き込まれた小さな命、親のいない彼らには、頼る者がいないのだ。

 

「爺ちゃん……」

「フゴウは、お前らの目から見て、悪い奴か?」

「ううん、違う!フゴウは俺たちの味方なんだ!これからも、ずっと!」

「そうだな。そうに決まっている。」

 

麦造はせめて、少年たちに自身の廃屋へ籠るよう促した。

このシェイクハンズがツキに標的にされればそこまで。だが、多少の時間稼ぎは叶うかもしれない。

だが、少年たちはそれを拒む。

彼らもまた、麦蔵のように工具を手に取った。

そして散り散りになり、シェイクハンズの補修を開始する。

麦蔵とフゴウに育てられた子たちには、確かに彼らの信念が、強さが継承されていた。

どんな絶望的な状態にあっても、いま自分が出来ることを精一杯やる。

シェイクハンズは決して、悪夢そのものでは無いと。第三区の希望の象徴であった筈と、そう祈った。

 

「お前ら、馬鹿野郎共め。」

「俺たちは、麦造爺ちゃんと一緒だ!戦えないけど、この橋だけはゼッタイに守る!」

「ったく、教育を誤ったな。やれやれだ。」

 

麦蔵もまた、工具を握り締めた。

彼に出来ることはただ一つ、『待つ』ことだ。

必ず奇跡が起こる。そのときに、己が築き上げた全てを用いて、バトンを繋ぐために。

彼はどこからともなく、黒光りする箱を取り出した。

『玉手箱』、それは浦島太郎の物語の終着点。彼の絶望であり、そして蓬莱へと旅立つ新たな物語の一ページ。

一度は開かれ、彼の肉体から生気を奪い去った代物。だが、いま彼が持つ玉手箱は固く閉じられている。

これを再び開くそのとき、麦蔵の物語はエピローグへと誘われるだろう。

 

「さて、ガキ共、しっかり手を動かせ。夢と希望の詰まったこの橋を守る為にな!」

 

麦蔵もまた、その場で屈み、か細い手で作業を始めた。

呑気にも思えるが、彼らにとっての戦いそのものなのだ。

 

 

だが、そのとき、ファフロツキーズは無情にも動き出す。

 

 

突如、空を眩い白で満たし、舞を始める彼女。

麦蔵と子ども達、巧一朗、黄金街道、ダスト、誰もが空に注目した。

ツキは優雅に踊り、人々を魅了する。サンコレアマルの人間たちは、恐怖の感情と共に、ある種の高揚感を得た。

神は、その僅かな信仰心を以て、彼らの希望を断絶する。

ファフロツキーズの周囲、半径三メートルに発生した光輪、その中から、隙間なく聖剣の切先が垣間見えた。

黄金街道の大具足を叩き割った時と同じ。ある地点、ある目標に対して、その銃口は向けられる。

狙われたのは、巧一朗と黄金街道が隠れ潜む駐在所。巧一朗の存在を確認したファフロツキーズは、虫けらを嘲笑う。

 

「まずい……ぞ、巧一朗…………」

「あぁ、ひりつく程に分かる殺意の波動だ。兵破を持つ俺を、あの女は狙い澄ましている。」

 

巧一朗は黄金街道を守る為に外へ出、走り出した。

もし彼がいる場所そのものに雨が降らされるならば、黄金街道だけでも守れるかもしれない。

 

「おい!巧一朗!」

「雷上動で迎撃する、任せておけ。」

 

巧一朗が頼光の力を借りて全力ダッシュした結果、駐在地点からはある程度距離を置くことが出来た。

そして空の上に生えた無数の聖剣は、巧一朗にターゲットを絞り込んでいる。

 

「頼光、あれが何か、分かるか?」

「エクスカリバーって知っている?」

「聞かなきゃよかったよ。兵破一本で迎撃できる可能性と、天下五剣でこの命を守れる確率は?」

「0だ。絶対に死ぬ。全体への範囲攻撃ならまだしも、ターゲットを絞られちゃ、な。お前さんに出来るのは、周りを巻き込まないことだ。」

「諦めるのが早いな。まぁでも、どうしようもないか。」

 

空に浮かぶ、千を超える聖剣。

その一つ一つが必殺宝具。一本すら対処に困る絶技のバーゲンセールだ。

人類など、彼女に容易く刈り取られるだろう。挑むという選択そのものが愚かであったかもしれない。

 

「絶望ってのは、こういうのを言うんだろうな!」

 

巧一朗は雷上動を手にし、兵破を引き絞る。

彼はそれでも、抗う。頼光の心と同調し、彼はいま己の持つ最大限の力を行使できる。

そしてこの矢が放たれた時、彼と頼光を繋ぐ糸は断ち切られる。

後のことを気にしていられる余裕は無い。ここで打てる可能性を全て試さなければ、一秒後には死んでいる。

 

「楽しかった、頼光、さん。」

「ああ。お前さんはそれなりに良い奴だったよ。」

 

そしてファフロツキーズの宝具『怪雨(フォールダウン)』が起動した。

 

巧一朗目がけて、無数の聖剣が落ちてくる。

巧一朗は全力で兵破を引き絞り、ファフロツキーズの心臓を狙った。

たとえ彼が死のうと、ツキに致命傷を負わせれば、勝ち。

桜館長が何とかしてくれると、信じてみる。

 

『これより放つは、妖を屠る一閃なり。大聖文殊菩薩よ御覧じろ────』

 

そのとき、だった。

巧一朗の力む右手に、そっと、女性の柔らかな手が重ねられた。

それは支援では無く、中止を促す手。

ゆっくりと、彼の手から力を失わせる。

 

「え」

 

巧一朗は隣に現れた、美しい女に魅入られた。

彼はこの桃源郷にて、この女と相対したことはない。

でも、知っている。知らない筈は無い。

彼が成す復讐の中で、唯一、彼が目を逸らし続けたもの。

彼を悩ませる、ただ一人の存在。

このオアシスで、彼と彼女は『再会』する。

 

「あ」

 

巧一朗は思わず、雷上動を地に落とした。

そして、目を焼き尽くす程の光を前にして、それでも、女に見惚れている。

 

「優しい人」

 

女は呟き、巧一朗に微笑んだ。

その笑顔は、彼を狂わせる。

中身のない、空っぽの器。されど、彼が恋した彼女は、こうしてここにいる。

彼が恨むべき『災害』の名を冠して。

 

「グズルーン…………」

 

開発都市第三区を救う為、駆けつけた災害。

ランサーのクラスにて顕現する彼女の名は『焔毒のブリュンヒルデ』。

彼女は天に向けて、手に有する槍を投擲した。

 

『されど災禍は愛故に(インフェルノ・ロマンシア)』

 

空に佇むファフロツキーズに向けて発射された宝具は、落ちてくる聖剣その全てを燃やし尽くす!

彼女の炎は魔力そのものを焼き、消滅させる。対サーヴァント殲滅機構。他の災害すら脅かす、最恐の決戦兵器だ。

ファフロツキーズの放つ全てが空中で霧散し、そして遂には、彼女の胴体をその長槍で傷つける。

そしてそれだけに留まらない。僅かな傷に火が灯り、ファフロツキーズのエーテルを侵食する。

まさに焔毒。これには世界を既に獲得していたかのような表情を見せていたツキも、焦りを覚えた。

彼女が取り込んだROADが、魔力の過剰供給により、何とか被害を食い止める。

だが、もし次に宝具が直撃すれば、たとえファフロツキーズと言えど、死に至る可能性はあった。

 

「す…………げえ……」

 

巧一朗は思わず言葉を失った。

彼が戦う相手の実力を思い知らされたのだ。ツキ以上に、絶望に染まらざるを得ない。

だが、災害のランサーは優し気な笑みを崩さず、しまいには巧一朗をその胸で抱き留めた。

彼はただ困惑している。

 

「もしかして……本当に……グズルーンなのか……?」

「…………」

 

彼女は答えない。

故に、彼の恋した彼女がそこにいるのか、判別がつかない。

 

「君が、『あの』グズルーンであるかは分からなけど、でも、俺は……」

「熱い(さむい)」

 

焔毒のブリュンヒルデは、巧一朗の頬にそっと口づけをした。

愛する男への求愛行動にも思えるが、そのとき、彼は確信した。

何故かは分からない。でも、理解できる。

彼の愛した女は、そこにはいないのだ。

彼女は、もう死んだのだ、と。

 

「ごめん……ありがとう、助けてくれて。」

 

巧一朗は彼女を拒絶し、距離を取った。

焔毒のブリュンヒルデは、どこか物寂しい顔である。

彼はこれでいい、と自らに言い聞かせた。

どうして彼女が『空っぽ』なのか。それは嫌という程に理解している。

 

「優しい人、貴方は…………私を殺してくれる?」

「っ…………」

 

愛を欲し、愛を殺す災害。彼女はこれまでも、これからも、己が炎を掻き消してくれる存在を探している。

もしそれを為し得る者がいるならば、きっとあの地に赴いた『優しいヒト』だけだろう。

 

「すみません、また、きっとどこかで会いましょうね。」

 

ファフロツキーズに傷を負わせた槍をその手に取り戻した彼女は、踵を返した。

痛みに喘ぎ、無差別砲撃を開始したツキに目標を定め、ゆっくりと歩き出す。

彼女は地に立ちながら、その力の届く範囲で、ファフロツキーズの雨を燃やし尽くした。

彼女がもし、第三区を守護してくれるならば、ツキの宝具から区民を守ることが叶うだろう。

巧一朗は最後に、災害へと願いをぶつけた。

 

「サンコレアマルの人たちを、守って欲しい!頼む!」

 

巧一朗の叫びに振り向いた彼女は、また小さく微笑んだ。

学習を重ねるファフロツキーズに、同じ手は通じない。そして焔毒のブリュンヒルデの宝具は再度放つ為に時間を有する。

このことから彼女は、優しい人の願いを叶える決断をした。

彼女の手の届く範囲にいる全ての区民を守る。ツキの放つ雨を霧散させることが、彼女の仕事となったのだ。

 

そしてそんな巧一朗の叫びに、反応を示す影が現れた。

誰かも分らぬ人間を守って欲しいと祈る巧一朗の男気に、興味を抱いた男だ。

彼は災害のランサーと共に、第三区に赴いた。かつて抑止力が誕生し、第三区を恐怖の奥底へ沈めた『シェイクハンズの悪夢』、そこではアーチャーとキャスター、二人の災害が彼女の相手を努めた。今回も同様、ランサーと共に開発都市第三区を救済すべく立ち上がる。

 

「そうか、アンタが巧一朗。ダイダロスから話は聞いているよ。」

「…………!?お前は!?」

「驚きすぎだ。空にあんな者が現れたら、そりゃ駆けつけるだろう。ダイダロスを倒したテロリストなんだってな。今回ばかりは共闘といこうぜ。」

 

帽子を傾け、愉快に笑う男。

彼こそ、第一区の守護者、災害のライダー。悪夢を屁とも思わない快闊な船乗りが、この第三区に駆け付けたのだ。

 

「災害……それも最強の……!」

「最強?そいつは噂だぜ。オレは災害の中じゃ弱過ぎてな。タイマンしても、秒殺されるのがオチだ。何なら、巧一朗、オレはお前にだって勝てないさ。試してみるか?」

 

軽い口調だが、彼の放つ圧は常軌を逸している。

触れれば即死と言わんばかり。巧一朗はかつてないほどの恐怖を、ライダーに抱いていた。

 

「何者なんだ…………」

「オレか?オレは別に名乗っても良いんだが、生憎ダイダロスに怒られてなぁ。ま、でもアイツもういないしな、別に良いか。」

 

災害のライダーは咳払いをし、改まる。彼は敵に塩を送ることをどうとも思っていないらしい。

そして巧一朗は息を飲んだ。後に、彼の名をここで知ったことを、後悔した。

 

 

「オレの名は『カナン』。伝説の船乗りノアの孫カナンであり、オレたち家族の総称であり、そして『約束の地(カナン)』だ。」

 

 

「カナン……………………」

「酷い沈黙だな。オレはノアのかけた呪いであり、神によって滅ぼされた家族(カナン)の呪いであり、土地(カナン)に土着した、二千年の亡骸たちの呪いでもある。」

「呪い…………だと…………」

「あぁ、今のオレにとっては、どうでもいいことだけどな。」

 

彼の名は『カナン』。

ノアに、そして、全能の神に呪われ、そしてイスラエルに与えられるべく存在した『約束の地』そのもの。

現代におけるまで争いの絶えないその地にて、命を落とした全ての人間の怨念が重なった存在である。

彼はテスタクバルが開いたサハラの目から、膨大なアトランティスのマナを以てして現界した。

本来であれば、彼が召喚されることは有り得ない。だが、輪廻という存在が、それを可能にした。

 

 

遠坂輪廻は、『輪廻』という己が起源に覚醒した、曼荼羅の外へと到達するパンバである。

 

 

何故、桃源郷は、この世界の理から離れ、再び千年の歴史を歩んだのか。

そして、彼らは一体何をしようとしているのか。

巧一朗には知る由も無い。

 

「カナン…………それが、お前の名前……」

「あぁ。」

「そんな大層な名前を背負って、いま、第三区をどうするつもりなんだ?」

「当然、守るさ。見てな。」

 

カナンはポケットに両手を収めつつ、ツキの方を睨んだ。

異形とも思える姿で、舞い踊る姫君。彼は彼女を見つめ、にやりと笑う。

 

「なぁ、巧一朗。あんな神々しい姿で、あんな凄い絶技を披露する女が、ただの人間、ただの英雄である筈が無いよな?そもそも、飛ぶことはあっても、あんな風に空に浮かんでいられるのは、神様の特権じゃないか?」

「あ、あぁ、そうだな。」

「そうだ。アレは『神』だ。オレはそう定義する。そして第三区民(かぞく)もそう思うだろう。定義としては充分だ。」

 

カナンは両手を空へと掲げた。掌いっぱいに星の光を集めるように、指先を広げる。

天女の舞は再び、光の輪を出現させる。あの中から集中豪雨が発生するのは、先程で確認済みだ。

彼は神の命で滅ぼされたカナンの想い、カナンの総意。故に、人民の祈りが神の否定であるからして、その絶技は花開く。

人と人を繋ぎ、時代と時代を繋ぐ、人間は己の足で立ち上がり、繁栄する。

そこに神の介入する余地などあってはならない。

 

愛ある神の矛盾、重箱の隅をつつくような真相究明により、信仰は失墜する。

この桃源郷こそ失楽園。但し、追放されるのは神そのものだ。

 

『我が宝物とは即ち約束された故郷(ハ・アレズ・シエル・カナン)』

 

災害のライダー『カナン』の災具が起動した。

神を縛る呪い。ファフロツキーズという概念に神性を与え、そして神であるが故に、その存在を否定する。

たとえ聖杯を飲み込んでいようとも、たとえそれが抑止力であろうとも、厭わない。

呪いの侵食、ヒトの心に巣食う負の流動物、二千年蓄積されたその全てが、終末装置の四肢に鎖を施した。

ファフロツキーズは大幅な弱体を受け、身動きが取れなくなる。

世界を恐怖に陥れる現象そのものに形を与え、役割を与え、そして結末を用意する。

カナンの力の一端を知った巧一朗は戦慄した。

 

「オレは、これからファフロツキーズへの神縛りを保持しなければならない。後はアンタらに任せるぞ。」

「俺たち……?」

「あぁ。災害のランサーも、オレも、好む人類を守りはする。でも、脅威と戦うのはアンタらだってことさ。オレたちは人類を庇護する神様ではなく、あくまで災害だ。そこまで過保護にはならないってことだよ。そもそもアンタはオレの敵だろ?」

「そうだな。人間が、道を切り開く……」

「ダイダロスはそれが出来た。でも、きっとアーチャーは無理だろうな。アイツは良くも悪くも、人間に近付きすぎている。」

「カナンは、お前は、文字通り災害なのか?」

「その方が、アンタにとっては都合が良さそうだ。」

 

巧一朗は災害のライダーに背を向けた。

今は、彼の言葉を信じよう。この男は、嘘を付いていないと思った。

グズルーンが雨を掻き消し、カナンがその権能を抑制する。

ここまでやって、初めて、巧一朗と革命軍は、スタートラインに立てるのだ。

 

「行こう、頼光。ファフロツキーズを倒すぞ。」

「ふ、任された。」

 

巧一朗が、ダストが、桜館長が、走り出す。

大切な誰かを救う為、桃源郷を滅ぼす邪悪を倒す為に。

 

 

【キングビー編⑪『エピソード:ノア』 おわり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編12『エピソード:メアリー』

感想、誤字等あればご連絡ください。


革命聖杯戦争が起こる、ずっと前の話。

 

革命軍ハンドスペード領地内に、家を失った物乞いのような貧民がいた。

出歩く人々は彼の存在など気にも留めない。関わるだけ、時間の無駄である。

そして貧しい男もまた、静かに地面の蟻を眺めながら座っている。

 

「太郎」

 

往来する人々はぎょっとした。ハンドスペード三大臣の一人、組織の武力を担うジェネラルサーヴァント『李存義』が老体の男に声をかけたのだ。

もしかすると公共の場からの立ち退きを要求されるのかもしれない。先程まで意識の範囲外だった老人を気にかける者もあらわれる。

だが人々の心配は杞憂。李存義は、この老人『浦島太郎』に会いに来たのだ。

 

「李存義か。何の用だ。」

「また貴方を勧誘しに来たぞ、太郎。俺たちの仲間になってはくれないか?」

「断る。あと、俺は『麦造』だ。」

「全く、釣れない男だ。少なくとも今よりは豊かな暮らしを提供できるぞ。」

 

李存義の伸ばした手を、麦蔵は叩き落した。

明確な拒絶。だが、李存義は不敵な笑みを浮かべている。

 

「もし我らの側につかなければ、この領地からは出て言って貰う事になるぞ。」

「構わねぇよ。幸い昨日、仮宿を見つけたばかりだ。シェイクハンズ高架下の優良物件だ。」

「悪夢の大橋か。物好きだな。亡霊がわんさか出てくるぞ。」

「俺たちサーヴァントも似たようなものじゃねぇか……ったく。」

 

麦蔵はその場で立ち上がり、砂埃を払う。

そしてだらしなく伸びた白髪を簡易的なゴムで取りまとめると、大きく溜息をついた。

 

「で、本当の用件は?」

 

これまでの会話は、彼と李存義の、言わばアイスブレイク。互いの思惑を隠したままに、簡単な探り合いをする。

だが麦蔵にはこの前振りが茶番に思えていた。初対面でも無ければ、敵でさえ無い相手だ。

李存義は右手で顎髭を弄びながら、軽く唸ってみせる。どこかもったいぶるような素振りだ。

 

「雑談がしてぇだけなら、俺はもう行くぞ。」

「おい、待て。分かった。こちらの要求を伝えたい。」

 

李存義は苦々しい顔を浮かべる。恐らく本人も納得していないといった表情だった。

麦蔵は彼の顔で、要求とやらの内容は容易に想像出来た。

 

「『玉手箱』が欲しい。」

「あ?」

「持っているんだろう、それを。」

 

麦蔵は肩をすくめる。どうせそんなことだろうとは思っていたけれど。

 

「知っているだろ、俺はアレを開けた。だから今老いている。見て分からねぇか?ボンクラ。」

「嘘では無いだろう。だが、話には続きがあるんじゃないか?『玉手箱』とは即ち、時間を保管する箱だ。対象を、現在の時間軸から切り離し、ゆるやかな時の流れに押し込める。万能のパンドラボックス。」

「んな、夢の代物じゃねぇよ馬鹿。時を押し込めたならば、いつかは誰かが開かなきゃいけねぇ。物語の理であり、世界の理なんだ。」

「お前は、ハンドスペードやグローブ、革命軍の傷病者に寄り添い、その箱の力を使っているそうだな。最期の時を、少しでも長く、与える為に。既に俺たちは情報を掴んでいるぞ。」

「…………それがどうした。」

「そいつは、『竜宮』にあるからこそ、意味のある箱だ。ハンドスペードの更なる発展には、多大な時間を要する。ラックランドジョンが、それを渡せと要求している、分かるな?」

「てめぇらは俺から竜宮を奪ったじゃねぇか。まだ、奪い取るのか?」

「あぁ、利用できるものならな。」

 

李存義は一歩、踏み出した。

麦造をその拳一つで殺せる距離に接近する。

だが麦蔵は怯まない。己の命など惜しくは無いからだ。

 

「李存義、てめぇが分からないはずがねぇ。玉手箱は、また争いを起こすぞ。」

「…………」

「もういいだろ、いつまで仲間同士で小競り合いやってるんだ。いつまでたっても革命なんざ起こせねぇぞ。」

「グローブも、ダイヤモンドダストも、排除すべき敵だ。」

「違う、仲間だ。仲間なんだよ、李存義。」

 

李存義は揺れている。

欠地王ジョンの手腕により、ハンドスペードは確実に成長している。

だがこのままでいいのだろうか。

彼は組織の未来と共に、城主である細川ガラシャの身を案じていた。

過激派組織の象徴、女神。だが、もし彼らが負ければ、真っ先に処刑されるのは彼女だ。

 

「太郎、何故お前は誰も恨まない、憎まない、手を取り合えると信じられる?」

「俺も別に信じちゃいねぇさ。でも、第三区の頭、あのデカい産業大橋は『シェイクハンズ』って名前だろ。」

「……?あぁ。」

「なら、手を取り合う未来へ進む方が、物語としちゃ美しいじゃねぇか。」

「くだらないな。現実と仮想を区別するべきだ。」

 

李存義は目を伏せる。

麦蔵の考えを一蹴しつつも、ハンドスペードの未来の為に、飲み込む努力をしてみた。

矛盾していると、そう思う。だが理想社会への構想は、彼に留まらず誰もが一度は胸に抱くものだ。

 

「太郎、お前はそのパンドラボックスをいつ、開くつもりだ?」

「さぁてね。俺にも分からねぇさ。開くのはきっと俺じゃない。」

「?」

「誰かが、世界を守る為に、開くのさ。」

 

麦蔵は踵を返す。

李存義が拳を振り上げることはもう無いだろう。

李存義は呆然と立ち尽くしている。武人の彼には見えざる何かが、麦蔵の無邪気な眼差しに宿っているように思えた。

 

「そうだ、李存義。俺は竜宮を明け渡す際、恨み辛みを込めて、城内にある仕掛けを施した。」

「何だと?」

「俺の中にあった、大昔のことのようで、昨日のことのような、断片的なメモリー。愉快なヤツの面白い魔術だ。」

 

麦蔵は袖口から小さな液瓶を取り出した。

 

「まさか、毒か?」

「あぁ。革命軍にいた弱小魔術師に、再現させたものだ。こいつを城内の壁に塗りたくってから、城を後にした。ハンドスペードに呪いあれ、ってな。」

「貴様!」

 

李存義は麦蔵に掴みかかる。

麦蔵は不敵な笑みを浮かべていたままだ。

 

「死に至るものか?」

「いや?逆さ。この毒は『対象の時間を遅らせる』ものだ。俺たちが調合したものはそれの劣化版、死ぬまでの時間を、ほんの少し引き延ばすことが出来る。メッセージを残したり、最期の力を振り絞って反逆したり、有効に使ってくれや。玉手箱と似たようなものだろう?」

「お前、なんで、そんなものを。」

「言っただろう、恨みを込めてってな。つまり、痛み喘ぐ時間も引き延ばされているということだ。まぁ、英霊にはそんなもの無いだろうがな。ハンドスペードの連中が残された最期の時間をどう過ごすのか。それはきっとお前達次第さ。」

「太郎…………」

 

李存義の両腕を払い除け、麦蔵は去っていく。

彼はこの毒を所持していた人間を、明確に記憶していない。

だが、性根の腐った女だったことは、何となく分かる。

 

〈あら、手を引いて下さるの?有難う、ムッシュー。〉

 

あぁ、そうだ。

心底くだらない、落ちぶれた女だが、その声がとても乙姫に似ていたんだった。

麦蔵は白髪を掻き毟りながら、静かに笑みを浮かべたのだった。

 

【キングビー編⑫『エピソード:メアリー』】

 

革命聖杯戦争初日。

革命軍グローブ領地に、一人の女が訪れた。

彼女は戦争参加者であるドン・フゴウとの謁見を希望する。

当然、敵襲を警戒すべき場面であるが、フゴウはこれを許した。

白衣の女は、己を第四区博物館館長と名乗った。クロノへ懐疑的な目を向けていたフゴウにとっても、彼女、『間桐桜』は話を聞くべき相手であったのだ。

そして彼女に会ったフゴウは、信じ難い事実を告げられる。

否、理解していた、が、脳がそれを拒んでいるように思えた。

 

「クロノの連れているサーヴァントは、シェイクハンズの悪夢の黒幕…………」

「そうです。そして、彼はこの革命聖杯戦争で、他の六騎の英霊の命を以て、覚醒させようとしている。このままでは、第三区どころか桃源郷そのものが滅亡します。」

「……あのアイドルが只者ではないことは、我も、坂田金時も、麦蔵も察してはいた。だが、こうして言われると……」

「麦造?」

「あ、あぁ、我の友……では無いか、知人の男だ。すまない、関係のない名であったな。で、館長、貴殿はこれを止める気でいるのか?」

「はい。求めるのは、革命聖杯戦争の中止です。このままでは大変なことになる。」

「我の一存ではどうにも……過激派のハンドスペードはこの戦争に意欲を示している。説得は……これまでもしてきたつもりだが、厳しいだろうな。」

「そうですか…………」

 

フゴウは桜に対し、革命聖杯戦争の概要を説明した。

一日ごとに有力候補へ令呪が配当されるシステム、そして各組織の兵器。

桜は頷き、熟考する。クロノの暗躍を止める方法は無いだろうか、と。

シェイクハンズの悪夢のデータから察するに、抑止力はダイダロス同様、天空を自在に駆け巡る。即ち、メアリー・セレスト号の宝具とは相性が悪い。アイドルを仕留めるのは難しいと判断した。

かと言って、クロノを暗殺したところで、事態は変わらない、と思われる。知略に長けた男が、そこを見誤る筈は無い。たとえ死んだとしても、桃源郷の破壊は止まらないだろう。

配当令呪はマキリ製の改造、ならば、可能な命令は限られても、使用対象の変更は叶うだろう。桜はエラルを通じて、マキリ社のものに造詣が深くなった。

ならば、答えは見えたも同然だ。

 

「トリックを、仕掛けましょう。」

「トリック?」

「ええ。我が真名は、明かしたその時点で効力の半分を失うもの。でもそれを敢えて貴方に明かすことで、私のことを信用して頂きたいのです。そして、私の作戦に協力して欲しい。」

「何だ、言ってみろ。」

 

「この第三区の大地そのものに、私こと『メアリー・セレスト号』を潜水させます。」

 

桜はメアリー・セレストの権能を説明した。

船上で起きた惨劇、乗組員たちの失踪事件。未解決であるが故に、謎は、美しくも成立している。

彼女は宝具により、自身に乗船した全てのものを大いなる謎として昇華させることが出来る。

これこそが、災害のサーヴァントへの解答札であった。

 

「成程、それでクロノのサーヴァントを……」

「違います。空を飛ぶものに対し、私の力は通用しない。さらに言えば、これから先、災害のサーヴァント達には通じないでしょう。何故ならば、災害のキャスターこと『ダイダロス』にこれを攻略されています。既に他の災害もこのことを知っていると考えた上で、行動すべきです。」

「では、災害たちには通じない、と?」

「そう。ある意味、それを逆手に取った策略と言えます。確かにこれまでメアリー・セレスト号の未解決事件は終焉を迎えませんでした、でも、このオアシスは千年のときを経て、新たな歴史を歩み、過去の事件に対しても、新たな知見を獲得できています。それは博物館のデータベースを見れば明らかです。そして私の傍には、優秀な探偵がいた。彼女が私という謎を解き明かした資料は、私の手元にあります。この未解決事件は、私がこの資料に目を通したその時、解決されるのです。」

「つ、つまり、どういうことだ……?」

「つまりはクロノと、抑止力を騙し、出し抜く『トリック』です。それは────」

 

フゴウは息を飲んだ。

そして桜の口から出た言葉に、驚愕し、全身を震わせる。

 

「革命聖杯戦争参加者の、敗北、消滅を、『偽装』します。」

 

革命聖杯ROADを満たす六人の灯を元よりゼロにしてしまえば、覚醒させたとしても意味を有さない、と告げた。

桜館長は概要を説明する。

まず、最有力候補たるフゴウが、毎日の配当令呪を獲得する。

その間に、桜館長は第三区のある地点で、宝具を起動。メアリー・セレスト号を地中深くに潜伏させる。

そして獲得した令呪は都度、彼女へと転移させる。元がマキリ製ならば、垓令呪同様、人間であろうが英霊であろうが移植にそう時間は要さない。戦争の犠牲者が出るその時、令呪を用いて、船上へと移動、そして大いなる謎として、この世界から追放する。

これを六騎繰り返し、最期には、桜館長自身が、己の未解決事件を解き明かす。

謎が紐解かれたその時、消滅した者たちはオアシスへ帰還を果たす、というものだ。

 

「いくつか、疑問点がる。まず、第三区で争い、消滅するその瞬間をどう把握する?」

「メアリー・セレスト号が埋まる半径数キロ圏内であれば、自動探知できます。それ以外は、そうですね、メディアを使いましょうか。」

「メディア……というと、監視用ドローンか!?」

「そうです。クロノがグローブに勝利を促すならば、マンサ・ムーサ王、貴方の要求には応じる可能性が高い。ハンドスペードやダイヤモンドダストの動向を確認したい、と言って、第三区全域にメディアのドローンを飛ばし、私がデバイスで逐一チェックします。」

「成程、理解した。ならば次だ。未解決事件の犠牲者は、たとえ真相が紐解かれたとて、息を吹き返さないだろう。館長の謎が明らかになり、彼らが帰還するという保証が無い。」

「……皆様は、これよりメアリー・セレスト号に乗船した後、旅を始めます。もし紐解かれる謎が、バミューダ海域の魔物であるならば、桃源郷にて存在証明がされていた彼らに自然災害は起こり得ないでしょう。海賊の台頭も同様です。ですが、もし、乗組員の暴動が事件の真相であるならば、革命軍同士争う顛末は好ましくありませんね。もしかすると、皆が死骸となって帰還するかもしれません、私の宝具により謎そのものとなり、それが解決されたそのとき、無事に航海を終えられるならば、それは皆様次第でしょうね。謎を解くとは即ち、当時の乗組員たちの死因を特定する、ということであり、そうなれば革命軍の皆様の身に起きる現象として『有り得ない』と定義することが可能なのです。」

「成程な。ふむ、では最後の質問だ。それを遂行した後、『間桐桜館長』はどうなる?」

 

フゴウは鋭い視線を向けた。彼は、きっとその答えに辿り着いている。

だから、問わねばならない。彼女にその『覚悟』があるのか。

 

「どうでしょうね。役割を終えれば、消滅する。それが英霊の性ですので。もし生き残れたとしても、私はもうメアリー・セレスト号では無い、何かに成り果てている。これまでのようには生きていけないでしょう。」

「それは、儚い結末だ。受け入れるというのか?」

「はい。博物館は災害を殺す機関です。でも、決して、世界を滅ぼす組織では無い。私の召喚者が命じた、ただ一つの願い、それは彼女のたった一人の家族を、幸せにすることですから。」

 

フゴウには理解できない感情だ。だが桜館長の目には揺るぎない信念が宿っていた。

彼は彼女に応じるしかない。

革命軍が手を取り合う未来は、彼の望む理想そのものだ。

桃源郷を奪わせる訳にはいかない。

 

「分かった。だが、作戦はなるべく急いだほうが良いだろう。恐らく館長は宝具を維持したまま、それを悟らせずに数日間過ごすことになる。ならば、必要な令呪は六画では無く、四画だ。」

「四画?」

「あぁ。革命軍ハンドスペードで二人、革命軍ダイヤモンドダストで二人だ。」

「でも、それだと意味が……」

「あぁ。まずは革命聖杯戦争で勝者となるのは、黄金街道こと坂田金時だ。彼女が敗北するビジョンは浮かばない。そして、彼女は必ず、最後には、ROADを否定する。災害を殺すための願いよりも、流れた血に涙する女だ。」

「でも、それでも、五画……」

「そして我は、良いんだ。蘇る気は無い。我は死んでいたままの方が、皆の結束も強まるだろう。貴殿が己の全てを曝け出した今、我のことも話しておくべきだ。」

 

そしてフゴウは告げた。

自分自身が、革命軍の分断の元凶その人であると。

アヘルに魂を売った彼が、内乱を招き、そして現在までのうのうと生き永らえてきた。

革命軍を一つにするべく奔走したが、未来の情景に己は存在できないことも当然、知っていたのだ。

桜の計らいで、革命軍が手を取り合うその時が来るかもしれない。

だがそこに、彼はいてはならない。

 

「すまない。我の最悪の我儘だ。もし六画を手に出来たならば、我のことも救って貰えると嬉しい。だが、それは難しいだろうな。ははは。」

 

乾いた笑みを浮かべる。

そして後の話とはなるが、彼は、四日目のその日、黄金街道のピンチに、貴重な令呪を行使した。

桜の想いとは裏腹に、彼自身は助けられる気など毛頭なかったのだった。

 

フゴウの思いと、桜館長の策略は合致し、前代未聞の、消滅偽装トリックが開始した。

クロノと、彼のサーヴァント『ファフロツキーズ』を止める為、ついに動き出す。

 

 

上空一万五千フィートにて君臨するファフロツキーズ。

彼女は焔毒のブリュンヒルデによって負わされた傷跡を抑えつつ、苦虫を食い潰したような表情を浮かべていた。

カナンにより神縛りを発動され、その権能の多くに鎖が施された彼女。

今なお毒に犯され燃え広がろうとする焔に激しい痛みを覚えながら、地上を見下した。

サンコレアマル付近に到達した災害のランサーへ向けて、刀剣の射出は意味を為さない。

第三区民の守り神になったような彼女に、きっとあらゆる攻撃は通用しないだろう。

ならば、災害のライダーを先に始末するか。

幸いにも、ブリュンヒルデの炎が届く範囲にはいない。彼へ集中攻撃すれば、少なくとも今も状態からは脱することだ出来るだろう。

否、彼女は首を横に振る。

今も、こちらへと矢の先端を向ける愚か者がいた。ダイヤモンドダストの兵器、雷上動を有する間桐巧一朗だ。

もし今、災害のライダーへ意識を集中させれば、その隙を突いて彼は矢を放つだろう。

いつもなら簡単に迎撃できたツキも、今の状態では一歩遅れる。矢に貫かれれば、致命傷となりかねない。

あらゆる攻撃に対しても『無』である筈のツキは、ライダーの所為で、一介の英霊の如く、己の命に気遣わなければならない。

なんと歯がゆいことか。

感情というものに理解が無かった彼女が、まるで人間のように憤る。

アイドルというクラスに引っ張られ過ぎている。

 

「ならば」

 

ツキは何度でも、光の輪を出現させる。

今回のものは、これまでの倍以上だ。

この輪の中から、ありとあらゆるものが落下する。たとえ銃であれ、爆弾であれ、聖剣であれ。

彼女が雨のように降らせたのは、かつてシェイクハンズを悪夢へと誘った、失墜の剣『バルムンク』。

当時同様に、対象を明確化しない、無差別攻撃へ打って出た。

彼女は攻撃を開始すると同時に、過去のことを不意に思い出す。

それはクロノとの出会いだ。

 

「私の力を求めるか?」

「ええ。世界を救う為に。」

「救う?」

「災害を根絶やしにする為に、貴方が必要なのです。」

「人間風情が、私をコントロールできるとでも?」

「いえ。主従では無く、共闘、であるならば。私は貴方が万全に戦える舞台を整えます。貴方はそのとき、好きに暴れていい。暴れ回るその時期だけを、私に選ばせて欲しいのですよ。」

「世界を救う為に?」

「ええ、世界を救う為に。」

 

ツキがクロノの手を取ったその時、彼女は彼に疑問をぶつけたのだ。

 

「それで、世界をどう救済する?私の権能はただ『滅ぼす』のみにあるが。」

「あぁ、それはですね────」

 

クロノはあっけらかんと、プランを言い放った。

それはツキには到底、理解できるものでは無かった。

 

「つまり、ファフロツキーズ、貴方の役割は──────です。」

「は?」

 

ツキは災害を殺す抑止力。世界の終末装置だ。

だがただ一瞬だけ、ほんの少しだけ、只の人間風情に『恐怖』した。

彼という存在、その信念は異常だ。明らかに狂っている。崩壊していると言っていい。

だが、それはまごうことなき『救済』だ。彼は間違いなく、世界を救おうとしている。

そしてそれも、非の打ち所の無い完璧なプランだ。予期せぬエラーが発生しない限り、完遂されるだろう。

 

ツキは自らの回想を止め、溜息をつく。

主従ではない彼の為に、彼女は桃源郷を滅亡させる。彼は己の野望の為に、抑止力すらも味方に付けたのだ。

 

ファフロツキーズによる無差別攻撃が始まる。

災害のランサーは彼女の手の届く距離で、これを霧散させていく。

だがサンコレアマルから遠く離れている者たちは、彼女の力を以てしても守ることは出来ない。

災害のライダーはどこかへと姿を晦ませた。

巧一朗は黄金街道の元へと戻り、天下五剣をその手に、防衛戦を開始する。

シェイクハンズにいた麦蔵は、三人の子どもを匿い、橋の下へと隠れた。

だがその途中、落下した刃からチビを守る為に、麦蔵が盾となる。

 

「爺ちゃん!?」

 

子ども達の目前で、多量の血を流す麦造。

だが痛みに何とか耐え、彼らに笑いかけた。

彼自身、懐に忍ばせた液瓶の毒を己に付与している。

たとえ出血が止まらなくても、まだもう少し、生きていられるはずだ。

そして先を急ぐダストもまた、空からの狙撃に見舞われる。

バルムンクの内、二本が彼女の肌を焼いた。

ぎりぎりで回避が間に合い、命に別状はないものの、その白い肌は焼け爛れていく。

 

「く……う……」

 

ダストはシュランツァの言葉を追想した。

 

『枡花女、てめぇも今日死ぬとしたら、残された時間、どう生きてみる?』

 

もし今日が彼女の命日であるならば───

生きる意味を求める旅は、それだけで価値のあるものだった。

僅か一週間、誰からも不要とされた彼女が、巧一朗と出会い、ほんの少しの日常を取り戻した。

そして皆の前で舞い踊ることにもなった。

そういう意味では、空の支配者たるツキにも感謝している。

でももしドラマティックな最期を迎えることが出来るならば、それは巧一朗の為にこそ、あって欲しい。

枡花女の逸話。夢世界で途方も無い時を彷徨い、そして、頼光に雷上動を託した伝説。

それこそが、彼女に残された、最初にして最後の対人宝具。

 

「巧一朗様…………吾は……」

 

ダストは地面に転がりながら、空を仰いだ。

彼女を輝かしいステージに立たせた張本人は、いま、空の上という最高の舞台で踊り狂う。

だが見る者全てに与えているのは、夢では無く、悪夢だ。

そして再度、新たなる砲撃が繰り出される。

酸性雨よりも凶悪な、大地すらも抉り取る邪剣の豪雨。

ダストは逃げることも出来ず、死を受け入れるかのように、己と世界の終わりを眺めていた。

 

 

弱り果てたその身体で、桜館長はようやく目的の場所に辿り着く。

それは第三区の中心部の空き地である。かつては開拓され、舗装されていた道も、雑草が生い茂り、荒廃した雰囲気を醸し出していた。

彼女は屈み、その両手を大地につけた。

そして祈る。きっと、上手くいくと。消滅したサーヴァント達は無事に帰還すると。

フゴウに取り入った時は自信満々であったが、実際は怯えていた。第四区博物館館長として歩んだ日々、その全てが無くなってしまう事への恐怖だ。

でも、止まってはいられない。

巧一朗の幸せのために、今は進まなければならない。

意を決し、彼女は詠唱を開始する。

魔法陣が広範囲に築かれ、彼女を中心に時計のように回り始める。

これはダイダロス戦で使用した宝具へのアンサー。キャスターがかつて用意したその答えに、彼女はついに手を伸ばした。

 

『漂流船は如何にして航海を終えるのか(ファントムシップ・コンクルージョン)』

 

そして彼女は目を見開く。

空を往く者は、大地の輝きに目を奪われた。

誰かを救うべく走る者も、逃げ惑うものも、同様に、目を輝かせる。

開発都市第三区の地上から、幻影の沈没船が浮上した。

 

「あ、あぁ」

 

桜館長は淡い光に包まれる。

そしてその身から、何かが消えていくのを感じた。

 

「ふふ、思えば長い道のりだったかも。」

 

音もたてずに、身体から白いシャボン玉が抜け落ちていく。

ふるりと空に跳び上がり、弾けて消えて行った。

だが桜はとても満足そうな顔をしていた。どうしてなのかは、彼女自身理解できない。

一つだけ分かることは、大いなる謎となり消えた『四人』は、まだ生きている、ということ。

 

「託しますよ、巧一朗。我が愛しき子。」

 

誰もが桜のその後を知らない。

低空飛行するドローンにも、その姿は映されなかった。

巧一朗は、何かを感じ取り、振り返る。

そこに誰かがいる訳でも無い筈なのに。

空に消えていくシャボン玉に、少しの思いを馳せて。

 

そして彼に、ダストに、再び血肉を食らう隕石が降り注ぐ。

ダストが見つめる空の上で、刃が次々と消え去って行った。

驚く彼女は、その原因を突き止める。

頭上に落ちてくるはずの聖剣は、右手より流れてきた『折り鶴』の濁流に揉まれて飛ばされた。

七色の折り鶴が成す河は、まるで虹彩のよう。

ダストの元へひたひらと落ちてくる紙は、その一つ一つが式神で、小型のコンピュータが仕込まれていた。

 

「あ」

 

ダストは、起き上がり、その一つを手に取る。

彼女は『彼』と深く関わっていた訳では無い。だが、とても、とても、懐かしいような気持ちになる。

敵であった筈の存在である。それでも、この高揚は何だろう?

それはきっと、彼女は、彼らと、いつか手を取り合えると信じていたから。

 

『絡繰幻法・千羽鶴』

 

第三区の民は、麦造たちは、巧一朗は、ダストは、黄金街道は、それを目撃し、その声を聞いた。

第三区を包む天の川は、ファフロツキーズの無差別破壊を一時的に食い止める。

飛び交う折り紙を見たリンベルは、サンコレアマル会場で、再びマイクを手にした。

 

〈芸達者だ!ハンドスペードの芸達者が、帰って来たぞぉぉぉおおおおお!!〉

 

人々は、この瞬間、希望を見た。

芸達者、その真名は『果心居士』。

死んだと思われた彼が、第三区を守る為に、帰って来た。

 

ダストは背後に立つ男へ振り返る。

そして思わず、涙を零した。

 

「いつの間にか知らない船の上にいたもので、やっとここへ戻って来れました。初めまして、お久しぶり、どちらがこの場では好ましいでしょうなぁ。」

 

男は装着していた仮面を取り、にっこりと笑う。

己の消滅の未来を受け入れながら、それでも、彼はこうしてこの大地に立っていた。

 

「芸達者、さま……」

「ドン・フゴウから船上で話を伺いました。もうすぐ、みな帰ってまいります。昨日の敵は今日の友、この時ばかりは手を取り合いましょう。革命軍ハンドスペード『果心居士』、第三区を守る為、この身全てを燃やし尽くす所存ですぞ。」

 

そして、彼だけに留まらない。

 

千羽鶴の幻が消えた後、何者かがこの空を割り、飛んできた。

金色の髪を靡かせ、彼女はシェイクハンズへと降り立つ。

 

「フゴウから話は聞いているわ。子ども達は私に任せて。今はサンコレアマルの方が安全だから。」

 

麦蔵の前に現れた女はそう言い放つ。

子ども達は警戒心を露わにするが、麦蔵は彼女を信じることにした。

そして彼女は三人もの子らを抱え、再び空を舞う。

 

「私の他に、翼を持つもの…………撃墜する。」

 

ファフロツキーズは空を駆け巡る女の存在を看過できなかった。

皆が言葉を失う中、彼女に向けて槍の集中豪雨が解き放たれる。

巧一朗の存在を無視した暴挙だ。だがそれ程までに、空の支配者たるツキには許されざる存在であった。

誰もが目を覆い、惨劇を目の当たりにしないようにする。が、女には傷一つ付いていない。

 

〈敵性自動認識プログラム起動。敵はシェイクハンズの悪夢の際、発生した桃源郷の抑止力『ファフロツキーズ』。彼女の攻撃パターンは全て解析済みだ。僕の翼は天空からのどのような攻撃も通さない。いけ、ペルディクス。〉

 

「あぁ、凄いのは分かったから、ちょっと黙ってなさい!ダイダロス!」

 

ダイダロスの遺した翼は、ファフロツキーズのあらゆる攻撃を想定し、その全てに対応する。

災害のキャスターは過去の事件を糧とし、抑止力の完全攻略を成し遂げた。

そしてそれを卓越した頭脳と技術で操るペルディクス。彼女が抱きかかえる子ども達に、傷一つ負わせることは出来ない!

 

〈なんということだ!ダイヤモンドダストのリケジョまでもが、第三区に舞い戻ったぞぉぉぉぉおおおおお!〉

 

リンベルのマイクを握る手は汗に塗れている。だがそんなことは彼も、そして誰も気にしない。

 

「くっ……!くそ!くそ!」

 

サンコレアマルに子ども達を届けたあとも、ペルディクスは煽る様にファフロツキーズの目前を飛び回る。

天空の支配者にとって屈辱そのものだ。どのように叩き落そうにも、あらゆる攻撃がこの女には効かないのだから。

そしてペルディクスはついに、ファフロツキーズより高位に飛び上がった。そして彼女は空の上から、己のコンパスで円を描き、自身の拳をツキに叩きつける。

 

「宝具起動!『其れ聖域と呼ぶ勿れ(オルギ・アクロポリス)』!」

 

ファフロツキーズに対して、まさかの対人墜落宝具を発動する。

通常ならば蚊に刺された程度の打撃も、ライダーの宝具を受けたツキには、真っ当な絶技として突き刺さる。

翼を有する筈の彼女が、ペルディクスの宝具により、大地へ向けて落下していく。

だが、当然、この程度で怯む神では無い。

 

「効かぬわ!」

 

ツキは何とか態勢を整え、宝具により形成された光の円柱から抜け出ようとする。

果心居士が攻略したように、この結界を壊せば、墜落による死は免れる。

だがそのとき、空の上にいるペルディクスが何かを叫んだ。

 

「今よ!ロンリーガール!」

 

瞬間、ファフロツキーズの頭上から何か得体の知れないものが覆い被さった。

これは対人宝具の影響を受けない、浮遊する亡霊だ。

愛を乞う悪意そのものが、ツキの肉体から生気を奪い取っていく。

彼女の身体からするりとその力が抜けて行った。

 

「たまには役に立て!というものですわね!行きますわよ、旦那様!」

 

ツキはそのスキルを発動した張本人を探し当てる。

彼女は、『細川ガラシャ』は、その身体から光の粒子を漏らしながらも、不敵な笑みを浮かべていた。

自死宝具によってタイプキメラと共に心中した筈の女だ。何故彼女が生きている?

ツキは理解できぬままに、忠興の怨念に力と思考を奪われていく。

ガラシャは確かに、死ぬことが確定した。

だが太郎がかつて竜宮に仕掛けた『毒』が作用し、まるで走馬灯を駆け巡る様にゆったりとした時間を生きている。

この戦いが終わるそのときまで、彼女は扇子を仰ぎ、女王を気取り続けるだろう。

だがその悠々とした様に、第三区民は失った希望を取り戻す。

 

〈ロンリーガールも登場だ!革命軍再結集だぜ!ヒャッハーーーーーー!!〉

 

リンベルの雄叫びに、第三区民は歓喜した。

ハンドスペードやダイヤモンドダストを忌み嫌っていた人々も、反省し、応援を開始する。

このときばかりは、自らを救ってくれる英雄の到来を祝福すべきだと。

 

ファフロツキーズは二騎のサーヴァントによる攻撃を受けつつも、まだ、余裕があった。

確かに忠興の怨念に身体をもっていかれている感覚はあったが、只の三流英霊に抑止力の侵攻が阻まれて良い筈が無い。

落下する中で、円柱結界に爪を伸ばし、不格好にもしがみついた。そして猫のように何度も、執拗に引き裂き、外へ出る空間を作り出す。

この間、僅か数秒。彼女は己の力に溺れ、慢心することは無い。ただ生き、ただ殺す。生存の為なら生き恥を晒す覚悟でもあった。

指先から徐々に、外部へと肉体をねじ込んでいく。僅かな隙間に身体を通しながら、結界を打ち破った。

 

だがそこまでは、ペルディクスと細川ガラシャの想定内だった。

 

元より、墜落宝具が真っ当に成立するなど思っていない。これはあくまで、敵の行動に制約を持たせ、注意力を散らすための策だ。

本命は別にある。結界に穴を開け、脱出を図るならば、当然、その穴に狙いを定めた一撃を、避けることは出来ない。

ファフロツキーズの身体が穴を通り抜けたその時、彼女はようやく気付いた。

失念していた。彼女をずっと狙い続けていた矢の存在を。

 

「あとは託しましたわよ!ダイヤモンドダストの兵器さん!」

 

そう。巧一朗は限界まで兵破を引き絞っている。

この矢を撃墜するには、余りにも準備が足りない。この瞬間、雷上動による一撃は必中の宝具となる。

 

『これより放つは、妖を屠る一閃なり。大聖文殊菩薩よ御覧じろ。今ここに天下無双の名を顕す』

 

巧一朗、そして頼光の思いが、声が、力が重なり合う。

招霊継承、最期のありったけが、この弓と矢に乗せられた。

 

『雷上動・兵破(らいしょうどうひょうは)』

 

そして放たれる必殺の対魔妖宝具。

光線は天高く伸び、対象の胸を的確に貫いた。

円形の穴が開き、ツキは洪水のような血を吐き出した。

焔毒のブリュンヒルデの燃え広がる傷、カナンの神縛りの呪い、ペルディクスの宝具、ガラシャに取りつく細川忠興の怨念。

全てが重なり、この一撃へと繋がった。

故にその威力は絶大である。ファフロツキーズは肉体の三分の一を失い、宙で苦しみ嘆く。

だが、まだ終わりでは無い。勝利の盃を交わすには、まだ倒し切っていない、彼らは気を引き締める。

 

空を割る一撃を目撃した黄金街道、そして、彼女の元に駆け付けたダストと芸達者。

彼らは巧一朗に希望を見出した。

ダストは急ぎ、黄金街道の手当てをする。坂田金時という女は、闘争心を失ってはいなかった。

果心居士は、彼女からグローブの兵器、大具足のことを伝えられる。

もし彼が生きていたら、より強大な力を有していた筈の決戦兵器だ。

 

「大丈夫、儂が何とかしてみせましょう。果心礼装を大具足に組み込めば、決戦兵器は蘇る筈だ。」

「出来るのか?」

「ええ、十数分もあれば。」

 

芸達者と黄金街道は拳を合わせる。

ようやく彼らは、手を取り合う未来を選択出来たのだ。

 

そして矢を放った巧一朗は、自らの手から雷上動が消え去るのを確認した。

もう、魔法の解ける時間がやってきたようだ。

頼光は、二つの矢を放ったその時、別れる約束である。

たとえ彼ら二人が祈っても、もうどうにもならない。

隣人から派生したダイモニオンは、定めを乗り越えたその時、繋がった糸を解く。

招霊継承、奇跡の体現は終わり、巧一朗は元の姿へと戻っていった。

 

「巧一朗、なんて顔だ。」

「…………慣れないんだ。どうしてもな。」

「こんな薄汚い古狸にも愛着を持ってくれるとはな。あぁ、お前さんとの一週間は、かなり劇的で、刺激に満ち溢れていたぜ。」

「あぁ、俺だってそうさ。」

 

頼光は光の中で、巧一朗に背を向ける。

もう二度と、彼に会うことは無い。だから、巧一朗はたまらず叫んだ。

 

「ありがとう!大英雄!ありがとう!」

 

人類の記録から消えたとしても、源頼光は、こうやって、誰かの記憶に刻まれる。

鮮烈に、豪快に。

今はただ感謝したい。巧一朗は、翼と勇気の持ち主であるイカロスと、力と不屈の精神の持ち主である頼光へ最大の敬意を込めた。

別れとは寂しくも、尊いものである。

感傷に浸りながら、自身の胸を強く叩いた。

ここから先は、彼だけの戦いだ。彼を救ってくれた英霊に最大限の敬意を込めて、戦い抜くことを誓う。

 

開発都市第三区は、后羿の存在を他所に、暗黒へと包まれていく。

暗い雲が空の眩しさを隠したためか。

それは区民たちにとって、不吉な予兆と感じられた。

 

穴の開いた胸部をその巨大な手で覆いながら、

ファフロツキーズは嗤っていた。

心なき抑止力の、怒りが、喜びが、世界を混沌へと陥れる。

 

 

【キングビー編⑫『エピソード:メアリー』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編13『エピソード:ゴールデン』

キングビー編も残す所、あと四話で完結です。
何卒応援の程宜しくお願いします!
感想、誤字等ありましたらご連絡ください!


水なき荒野に、小さな波が押し寄せる。

魔力の渦が導き手となり、彼は第三区に帰還した。

最も、彼には『蘇る』意味もそのつもりも無かったが。

彼、ドン・フゴウこと『マンサ・ムーサ』が立ち尽くすその場所は、産業大橋の近隣であった。

 

「間桐桜…………」

 

彼にはなんとなく分かる。桜館長こと『メアリー・セレスト』は、きっとまだ生きている。

彼女の謎が解き明かされてなお、その権能を失ってなお、息をしているに違いない。

フゴウが一度桃源郷から退却し、彼女の本体に乗船したとき、そう思った。

謎多き迷宮事件の現場であるメアリー・セレストは人の思いと夢を運ぶ乗り物だった。

だから船体が血に塗れていようと、その船自体に一切の罪は無かった。

不遇な運命から怪物のように持て囃された彼女は、どこまでも純粋に海を泳いでいたのだと思う。

なら、彼女は迷宮入りの惨劇現場、血で染まった幽霊船というロールを捨て去り、ただの航海船に戻っていく。

幸い、オートマタでは無く人間そのものを媒介とした英霊召喚だ。彼女が肉体を手放さない限り、きっと彼女は、きっと。

 

「そうだ、皆は大丈夫なのだろうか?」

 

フゴウは今なお戦闘を続ける者たち、そしてサンコレアマルの区民たちに思いを馳せる。

だがまずは、すぐ傍のシェイクハンズへと急ぐ。

こんな状況であっても、麦蔵は留まっているだろう。

彼の身に危険が及ぶ前に、避難させなければ。

 

「あ」

 

フゴウはシェイクハンズの上で屈む麦蔵を見つけた。

予想通り、彼は今日もシェイクハンズを修復している。

ファフロツキーズの無差別攻撃を受け、橋はまた崩壊する一歩手前という状況。

麦蔵がいましていることは、無意味、無価値である。

 

「麦造!」

 

フゴウは彼に駆け寄った。

声をかけても、彼は振り向きもしない。

ただひたむきに、修繕工事に没頭する。

フゴウは彼の身体から止めどない血が漏れ出しているのに気付いた。

それだけに留まらず、光の粒子が零れ、空に帰っていく様子に、ただ絶句した。

麦蔵は、『浦島太郎』は、子ども達を守る為に、刃の雨をその身で受け止めた。

代償に、彼は死ぬ。誰にも看取られぬまま、孤独に。

ある意味、フゴウがこの場所に戻って来れたのは奇跡だったかもしれない。

もし黄金街道の前に姿を見せていたならば、彼もこの瞬間、戦闘の渦中であった筈だから。

 

「おい、麦造!ここから早く避難しろ!意味の無いことだ!」

「意味はある。」

「麦造!」

 

フゴウは彼の背を揺さぶる。

そしてようやく、彼は振り向いた。

その皺だらけの顔からは生気が消えている。死の一歩手前、生きているのがおかしいと思える衰弱具合だ。

フゴウは唇を噛み、涙を零す。

もう麦蔵は救われない。フゴウが来た時にはもう、手遅れだったのだ。

 

「おい、フゴウ、てめぇ、何故泣いている?」

「どうして、麦造、貴方がこうなってまで……どうして…………」

「ふざけるなよ、マンサ・ムーサ!」

 

麦蔵は持てる力の全てを使って、彼を突き飛ばした。

そして老体の身体から煙のように魔力が消失し、その場で蹲る。

 

「麦造!」

「てめぇに、涙を流す権利はねぇ!そうだろ!フゴウ!」

「っ!?」

「革命軍の分断も、戦争も、この状況も、全部てめぇが招いた結果だ!てめぇが泣いて詫びる相手は、俺じゃねぇ!これまで命を落としていった全ての人間、英霊たちだ!」

 

フゴウは苦しむ麦蔵にそれでも駆け寄った。

身体全体が蛍のように淡く光り、浦島太郎は十数秒後、オアシスから退却する。

フゴウは涙を流しながら、それを止めようと躍起になる。

だが、彼は無力だ。成す術がない。

 

「これを、てめぇに、渡しておくぜ。」

「これは……?」

 

麦蔵が手渡したのは黒い『玉手箱』。

フゴウはその箱の中身を知っている。浦島太郎の物語におけるパンドラボックス。それを開けたが最期、絶望の未来が待っている。

 

「富や名声、人格、その身形まで、人間ってのは不平等だ。だがな、唯一、『時間』は平等に、過ぎ去っていく。この箱にはな、革命軍の争いで死んでいった者たちの、本当は生きている筈だった時間が込められている。てめぇが奪った命そのものと言っていい。」

「我が、奪った、命」

「そうだ。怨念なんざ籠ってねぇ。ただ、時間、そのものが込められている。てめぇにその重みが分かるか?フゴウ。」

 

受け取ったその箱は、空気のように軽い。

だがフゴウには、とてつもなく、重く、感じられた。

取り返しのつかないことをしてしまった、フゴウは改めて自責の念に駆られた。

 

「麦造、我は、どう詫びればいい?この箱を開け、老いて、死を以て償えばいいのか?」

「馬鹿野郎が。てめぇは何も分かっちゃいない。壊すのはほんの一瞬、でも、積み上げるのは途方も無い時間が必要だ。てめぇは壊すだけ壊したんだろ、なら、今日から積み上げろ。その生涯を以て、命を懸けて積み上げろ。だから今日も……」

「今日も?」

「夢のライフライン……その傷を一つでも直していけ…………」

 

麦蔵は骨と血管の浮き出た手で、フゴウに工具を託す。

そしてその直後、肉体は解け、光の泡は天へと帰っていった。

もうこの桃源郷に彼はいない。

フゴウはその両手で必死に掴もうとするが、光の粒子はその指の間からすり抜けて行った。

 

「麦造!麦造!むぎぞおおおおおおお!」

 

もう何も、掴めはしない。

フゴウの犯した罪から派生した様々な事柄で、また一人、命が消えていく。

彼は嗚咽する。そして何処までも後悔する。

何故、アヘルに救いを求めたのか。

何故、一番身近にいたダイヤモンドダストの仲間たちを信頼しなかったのか。

何故、革命軍を信じられなかったのか。

こうしている間にも、きっと、人は死んでいく。

彼は黄金街道たちの元に急がねばならない。

手で涙を拭った彼は立ち上がる。そして、この橋から離れようとする。

だが、何かに袖を引かれた。

誰でも無い。彼の思いそのものが踏み止まらせた。

 

「いいか、マンサ・ムーサ。『毎日』だ。どれだけ忙しくとも、『毎日』ここに来い。そして必ず、たった一つでも、傷を修復して行け。俺が納得するまで欠かすこと無く。」

 

麦造、戦争を目の当たりにし、人々の愚かさに辟易し、独り産業大橋の修繕を試みる男。

浦島太郎は、このシェイクハンズに何を見出したのだろう。

これはただの『橋』だ。

第三区と第四区を繋ぐことを想定された、ただの道だ。

既に崩壊したライフラインを守る意味とは何だったのか。

 

「毎日、一つ、直していく。」

 

ファフロツキーズの無差別砲撃はこれからも続く。

果たして意味はあるのか。

だが、フゴウは託された工具を握り締め、屈んだ。

そして戦闘を彼らに任せ、己は修繕作業に入る。

 

「意味なんて、無いのだ。無くたっていい!」

 

麦蔵の死は、ただの犠牲などでは無い。

この人々の希望、そのものへの『献身』なのだ。

ならば託されたフゴウは、継がなければならない。

ドン・フゴウが絶望する未来は、あってはならない。

誰に石を投げられようと、愚かに、愚直に、積み上げていく。

遺された者にはその義務があるのだから。

その豪華な衣服を泥と粉塵で汚しながら、彼はその腕を動かし続ける。

 

【キングビー編⑬『エピソード:ゴールデン』】

 

ガイアの抑止力『ファフロツキーズ』。

世界の終末装置として存在する彼女だが、ファフロツキーズ現象そのものが国を滅ぼした前例はない。

これまでの歴史から鑑みても、雨、雪、隕石の類による滅亡は数知れず、だが、通常落下しない筈の物体の降下現象こそツキの本懐であることから、人々に混沌を齎しつつも、大量殺戮とまでは発展しなかった。

だが、もし、とある『超常現象』が、彼女の能力と紐づけられていたならば。

鳥の大群、ウォータースパウト、ありとあらゆる点から現象の説明を行うが、例えば『ヨロの奇跡』のような、現代においても究明できていない事柄は見られる。

もし、『物体の落下現象』だけでなく、『物体の浮遊現象』もまた、ツキのスキルの一部と仮定したなら、そこには、ファフロツキーズとは無縁の、無縁である筈の、歴史的怪事件の数々が関連性を帯びる。

 

それは『テレポーテーション』。

 

空間の飛び越え、空間置換、高速移動、様々な要素が複雑に絡み合い発生する、物体の瞬間移動現象。

ある地点に存在する物体に、何らかの魔術的アプローチがかかり、それは光のような速さで空へと打ち上がる。

そして効力が消えた塊は、重力のかかる方向へベクトル移動を開始する。

この世界においては、それは地上への落下そのものである。

 

いま、第三区の空にて、多量の血液を噴射する彼女は、己の能力全てを行使できている訳では無い。

災害のライダーによる弱体化以前に、彼女は自身のことを全く理解できていない。

この千年という歴史を辿った桃源郷に比べ、シェイクハンズの悪夢で誕生した彼女は赤子のようなものだ。かつての戦いにおいては、防衛本能すら備わっていなかった。

逆説的に言えば、まだ成長の余地があるということでもある。

 

「私は…………」

 

身体を焼かれ、自由を奪われ、その胸を矢で射抜かれた彼女は、自問自答を繰り返す。

オアシスのリセッターとして誕生した彼女には、役割はあれど、理由が存在しなかった。

ただ不幸を齎す悪逆であれば良かった。彼女は奇跡の雨を降らせ、人々に崇められたこともある。

現象それ自体に、善も悪も無い。だが、大義が与えられると、半ば混乱する。

それはツキを縛る鎖だ。

何故、世界を滅ぼさなくてはならない?

『偶像』というクラスに当てはめられた彼女は、自己矛盾に陥っていた。

 

「アサシン、貴方は『アイドル』というクラスにて現界した抑止力。これは一見、矛盾しているように思えるが、そうではありません。」

 

クロノの言葉が想起される。

彼の立案した『救済』のプランは、彼女の存在を見事に組み込んだものであった。

 

「アイドルとは、人々を魅了する者。崇拝の対象となる者です。貴方はこれから、多くに好かれ、多くに憎まれ、多くの心を揺り動かします。でもそれで良い。通常の聖杯戦争は秘匿されていますが、この革命聖杯戦争は祭りそのものですから。舞台上で舞い踊るメインアクトレスは必要でしょう。」

 

彼の言の葉には、感情が籠っていないように思える。

そのコールタールのような黒い眼がどうしても好きになれない。

ツキはそのことを正直に伝えた。

 

「この目の色、ですか?あぁ、生まれつきです。私は、ほら、『セミの抜け殻』ですし。色彩が伴わないのは、当然のことですよ。」

 

彼はその指で、クリスタルのように輝く魔眼を転がしていた。これは彼には扱えないものだ。

ツキは彼から全てを聞いていた。彼が何者であるか、そして、何を成し遂げようとしているか。

彼女は、彼の為にその力を振るう訳では無い。生きる為だ。僅かばかりの時を、己の意思のままに。

それには彼も納得している。それどころか、彼が、そう強く願っていた。

どうして、そう口から漏れ出そうになる。

彼がどこまでも冷徹であれば良かった。でも違う。

言峰クロノは、人間だった。血も涙も、そこにはあったのだ。

彼の苦しみを理解できるものはオアシスにはいない。彼女もまた、それに寄り添うことは出来ない。

彼はよく、『救済』という言葉を用いるが、それは嘘だ。

彼はどのような結果になろうとも、救われない。

もしツキが、彼の行動そのものに名前を付けるのであれば、それは────

 

「『献身』」

 

そしてツキは走馬灯のような夢から覚める。

己の役割を思い出すのだ。

彼女は桃源郷の抑止力『ファフロツキーズ』。

そして第三区きっての人気アイドル。

ならば、彼女は胸を張って、その命を使い尽くそう。

その八割は己の生の為に、後の二割は、あの男の為に。

 

再び、空の高みへと昇っていくファフロツキーズ。

彼女は特殊言語で吠え続ける。誰もその言葉を理解できない。

そしてその黄金色の手を大きく開き、掌中央に備わったオーナメントから、青い粒子を放出した。

それらが第三区へと降り注ぐ。雪のようにしんしんと、静かに、儚げに。

サンコレアマル外から防衛ラインを張る災害のランサーは、危険を察知し、それを燃やし尽くした。

だが、外にいる巧一朗や革命軍たちは、何故かこの時、身動きを取ることが出来なかった。

魅了されているのか、ツキの美しさに目を奪われていたのだ。

そして作業に没頭し、奇跡的に粒子に当たらなかったフゴウや芸達者、負傷し屋内に留まっていた黄金街道を除き、皆がこの光に触れた。

宝石の輝きに心を奪われる少女のように、小さな蛍火に手を伸ばしたのだ。

 

その刹那、被弾した者たちは、肉体の自由を奪われる。

 

巧一朗、ガラシャ、ダスト、ダイダロスの忠告が耳を通り過ぎたペルディクス、そして闘技場の外へ逃げようとしていた一部区民たちが空へと急激に浮上する。ロケットエンジンを積んでいるかのように、空へと放り投げだされた。さながら遊園地のフリーウォール、ドロップタワー系アトラクションのようだ。

そして一度、空中に静止する。彼らはここで意識を取り戻し、自らの置かれた状況を把握した。

『瞬間移動(テレポーテーション)』

ツキに備わったその力が、限定的とは言えど、確かに発動したのだ。

 

「こ、巧一朗!ダストォォオ!」

「ガラシャ様!」

 

黄金街道と芸達者は、仲間たちの身に起きていることを理解する。

そして想定される事態もまた。

巧一朗は即座に敵の攻撃であると判断し、ペルディクスに声をかけた。

彼女の翼であれば、このあと『落下』したとしても、助けられるかもしれない。

だが、彼女は首を振る。いま、宙に投げ出されたのは総勢二十人余り。彼女が抱えて飛べるのは、精々大人二人分だ。

多くは、助からない。下で英霊たちが受け止める以外に方法は無かった。

ツキは口角を歪ませる。そしてその両手を振り下ろした。

時間差で、浮かんだ者たちは、次々と落下していく。それも通常の速度では無い。これもまた、加速装置が内蔵されているかのような、尋常では無いスピードである。

最初の犠牲者は、区民の男であった。専属従者のいない彼は、受け止めてくれる者がいない。

金縛りに遭ったように動けないペルディクスは、彼が落ちるのをただ見ているしかなかった。

 

「いやぁあああああああああああ!」

 

上空で固定された第三区民の女の絶叫がこだまする。

この空からも、ぎりぎり見ることが出来る。男が落ちて行ったその先で、赤の液体が広がっていた。

皆が思わず目を逸らす。

 

「ペルディクス!」

「く、くそ、どうにか、動ければ!」

〈無理だ。落下が始まるまでは、肉体は固定されている。奴め、『CUBE』を見て、学習したな。とりあえず巧一朗と革命軍の命を優先しろ。我々に第三区民を救う手立てはない。〉

 

ダイダロスの言葉通りである。

先程絶叫していた女は、悲痛な叫び声と共に落ちて行った。

彼女を救うサーヴァントが現れたのも束の間、その落下した先で、英霊共々潰されている。

必殺級宝具が降り注ぐように、射出された人々はツキの宝具『怪雨』の恩恵を受け、他者を殺戮する為の兵器と成り果てている。落下してくる人間そのものが心臓を射抜く弾丸なのだ。

着弾前に加速する性質から、下にいるサーヴァントに着地を任せるのは難しい。やはり空中で誰かが受け止めなければならない。

巧一朗の身体からは、既に源頼光が消滅している。一人で何とか生き延びる術は見当たらなかった。

そして彼が考えあぐねている間にも、人々は墜落した衝撃で肉塊となっていった。

 

「くそ!」

「巧一朗!」

 

ついに巧一朗の番がやって来た。

彼とダスト、そしてガラシャが同時に金縛り状態から解放される。

そしてどこまでも落ちていく。高所恐怖症では無い彼も、トラウマになり兼ねなかった。

最期に解放されたのはペルディクス。彼女は風を切り、戦闘機のスピードで彼と、ダストを拾い上げた。

二人はペルディクスの屈強な腕に抱かれ、何とか生還する。

だがあと一人、細川ガラシャだけが間に合わない。

実は、ガラシャは落ちる前に、ペルディクスへ合図を送っていた。

光の粒子が漏れ出る彼女は、もう長くはない。

ここでツキにより葬られたとしても、一度は失われた命、問題は無いと判断した。

彼女を構成するオートマタが例え砕け散ろうと、構わない。

果心居士はたまらず走り出すが、落下地点には間に合わないだろう。

 

「ガラシャ様!」

「ガラシャ!」

 

黄金街道も傷口を抑えながら、叫んだ。

ハンドスペードを引っ掻き回し、最期には全てを失った愚かなる王。

けれど、それでもここにいる者たちは彼女を憎むことが出来なかった。

タイプキメラを止める為に、命を差し出したからだろうか。

はたまた、彼女の美しさに心を震わせていたからだろうか。

人間も、英霊も、都合の良い生き物だと、ガラシャは思う。彼女は彼女自身で己の犯した罪を認めている。

 

「ここが、終着点」

 

彼女は結局のところ、この第三区に寄与できただろうか。

何かを成すことが、出来たのだろうか。

分からない。何も、分からない。

 

「ガラシャ様!ガラシャ様!」

 

果心居士は走る。

彼にとって誰の命よりも大事な、ある意味家族同然の少女。

老兵より先に、桃源郷より退却しようとしている。

爺と呼ばれた彼には、これが許容できない。同じ英霊であったとしても、だ。

 

『絡繰幻法────』

 

彼は両手で印を結ぶ。

彼の召喚する式神達であれば、彼より先に動き、ガラシャを受け止めることが出来るかもしれない。

だがそのとき、彼が宝具の名を叫ぶ、刹那。

彼の頭上を、巨大な影が横切った。

轟音と共に、『何か』が飛び去っていく。果心居士はその影を誰よりも詳しく知っていた。

だが何故?

彼の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。

もはやそれはこのオアシスに存在しない筈、それどころか、あの男が、いる理由が全くもって分からない。

果心居士同様に、黄金街道や、巧一朗たちも、巨大な機体のフライトをその目で捉えた。

ガラシャの落下する方向へ向けて、真っ直ぐ、ただ突き進む。

それは救いの手か、はたまた、彼女にとっての災いか。

 

「あ」

 

ガラシャもまた、自分の元へと飛んでくる機体を目の当たりにした。

そして次の瞬間には、彼女はその無機質な腕に抱きかかえられていた。

有り得ない程に優しく、鋭い腕と爪が少女の柔肌を保護している。

今にもパーツが零れ落ちそうな鎧を、がたがたと震わせながら、空を往く。

ここでファフロツキーズはようやく、その影を見た。

唇を噛み、眉間に皺をよせ、不快感を露わにする。

何故、何故、何故

可笑しい、有り得ない、生きている筈が無い。

否、たとえ生き延びていたとしても、その行動は有り得ない。

それはツキだけでなく、『彼』を知る全ての者達が、同様に感じたことだった。

 

第三区の空に、白き竜が飛んでいる。

 

それはハンドスペードが、果心居士が用意した決戦兵器。

白き竜の外装。後に、ガラシャの手で『彼』に渡されたもの。

当然、この竜の鎧を纏っているのは、紛れも無い本人だ。

 

「どうして…………?」

 

ガラシャは彼に尋ねた。

彼は、ガラシャを殺そうとしていた。だが、欠地王ジョンに阻まれ、どこかへと消え去った。

生に執着し、気ままに壊し、殺し、遊び尽くした『災害』は、いま一人の少女を救う為、空を飛んでいる。

全くもって理解できることでは無い。

 

「クソ、クソ、クソ!俺に聞くんじゃねぇよクソアマ!俺だって、理解出来ねぇよ!」

 

彼は死ぬ寸前だった。

ファフロツキーズが空を舞う姿を捉え、己の無力さを痛感していた。

だが人類がどうなったとて、彼には関係ない。彼が守るべき命など、この世には一つも存在しない。

だが、そんな彼は、メアリー・セレスト号の奇跡により帰還した、ガラシャを目撃した。

彼女はたしか、既に死んだはずだ。ゾンビのように舞い戻り、怨念を吐くわけでも無く、人類の為に戦おうとした。

全く意味が分からない。そこまでするメリットはどこにあるというのだ。

彼女は死ぬ。確実に死ぬ。無意味に、無価値に、死んでいくだけだ。

だが、それでもと、立ち上がる。これが彼には全く理解できない。

欠地王もそうだ。無意味、無価値な王政の末、ただの愚か者の女の為に、その命を投げうった。

くだらない、心底くだらない。

だが、彼は同時にこうも感じた。

もし、仮に、彼が最期の力を振り絞れば、その先にはどのような景色が広がっているのだろうか、と。

都合よく、ガラシャとの契約も思い出していた。

彼女の地位と、名誉と、性を捧げ、その代わりに、災害がハンドスペードを守護すると。未知なる脅威を排除すると。

守る価値の無い約束だったが、彼の中で気が変わった。

彼は『男は無視し、女を救う』を座右の銘としている。

女との約束を守る方が、実に人間らしいでは無いか。

 

「災害の…………アーチャー…………」

「ちげぇ、俺は災害として、てめぇを救った訳じゃねぇ。俺は『シグベルト』として、いま空を飛んでいるんだ、クソ間抜け。」

「ありがとう……ございます……」

「ちっ、飛ばすぞ、精々舌を噛まねぇように、気を付けやがれ!」

 

ファフロツキーズは怒りのあまり、バルムンクの雨を何度でも降らせる。

ダイダロスの翼のように、攻撃を回避する術を持たない。故に、彼の手により一度修復された果心礼装は、あっという間に鉄くずとなっていく。

だがシグベルトはガラシャを無事生還させるまで、決して堕ちない。どれだけ射抜かれようと、その腕は彼女を守り続ける。

 

「シグベルト!」

「やめろ、てめぇの声は癪に障る。余計な心配するんじゃねぇ!」

「ですが、もう!」

 

鎧はもう限界だ。

粉々に砕けたパーツと共に、彼は落ちていく。

だが何とか、ガラシャを地上へと送り届けることが出来た。

もし一秒でも遅れていれば、彼女は死んでいただろう。

シグベルトは自分でも理解できぬまま、満足げな表情を浮かべている。

 

「シグベルト!」

 

ガラシャは彼の名を叫んだ。

彼女の目にははっきりと映っている。

災害のアーチャー、シグベルトの肉体から漏れ出す臓器。彼の命の終わりが。

全身から血を噴き出しながら、彼は彼女に微笑みかけた。

そして彼は地面に頭を打ち付けるその直前、失墜剣『バルムンク』を握り締めた。

 

「見せてやるぜ、災害として生きた俺の、最期の切り札を。」

 

まるで時が止まったようだ。

彼は一秒の世界で、もう一つの剣を呼び起こす。

魔剣『グラム』、それはシグルドの愛用する竜殺しの聖剣。

二つの剣を有するのは、彼が彼らのルーツであるからだ。

いま、二本の刃が交じり合い、一つになる。

シグベルトにはドラゴンスレイヤーとしての逸話は存在しない。

だが、絶対的な王としての、邪悪を打ち倒す一撃ならば!

ディートリヒに剣士で無いと吐き捨てられた『王』の、奇跡にも等しい投擲。

桃源郷の千年の歴史を経て進化した、克己災具、または、対邪竜ないし対邪悪特攻災具。

区民を守るという決意のもとに放たれる、最終奥義が、いま、炸裂する。

 

 

『幻想大剣・災禍執行(シグベルト・グラムンク)』

 

 

幻想大剣『グラムンク』

二つの聖剣が交わる、奇跡の災具。

シグベルトはこれを己の持てる全てを用いて投げつけた。

赤と青の交差する、破天荒な一閃。

全てを失い、愛することを忘れた哀れな獣による、闘魂絶技が空を砕いた。

そしてそれが、外れる訳も無く。

既に満身創痍のファフロツキーズを、確実に、射抜く。

その霊核ごと、破壊し尽くした。

 

「ああああああああああああああああああああああああああ!」

 

彼女の、あまりにも悲痛な叫びが第三区中に轟いた。

シグベルトはその悲鳴を聞き届け、満足そうな表情を浮かべた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

───マナ、今度は逃げなかったよ。

 

もはや何も思い出せないが、彼は一言そう呟いた。

本能がそうさせたのだ。それはもう、彼にもどうしようもない。

 

ガラシャが彼の元に走って来るそのときにはもう、彼は絶命していた。

それも、笑顔のままで。

どこまでも痛烈に、自由に、気ままに、桃源郷を謳歌した災厄。

その最期は、酷く孤独なものである。

確かに彼は、悪逆非道であったかもしれない。

だが、シェイクハンズの悪夢において、多くの犠牲者を出しながら、それでも、抑止力に果敢に立ち向かった。

彼の全てを否定してはならないと、ガラシャは思った。

彼女は死んだ彼の手を取る。

冷たい肉体には、もう何も残されていない。

 

「シグベルト…………」

 

ガラシャはその場で彼に寄り添い続けた。

自分でも可笑しな感情だと認識していたが、それでも。

 

 

巧一朗、そして革命軍はようやく集結した。

サンコレアマルから駆けつけた医療チームにより手当てを受けた黄金街道とダスト。

果心居士はガラシャのことを思いつつ、大具足の補修作業を終えた。

ファフロツキーズは失墜したが、まだ油断はならない。

クロノが彼女の元に駆け付ける前に、その死を見届ける必要がある。

彼女が災具を受け、堕ちて行ったのは、産業大橋シェイクハンズの入口より三百メートル先の地点。

黄金街道とダストはファフロツキーズの元へと向かう。

 

「巧一朗」

「ペルディクス、空の上で会ったが、挨拶はまだだったな。第四区博物館の間桐巧一朗だ。」

「君のことは、同じ博物館のキャスターから聞いているわ。それで、彼女は?」

「今はいない。意味深なことだけ言い残してどこかに行ってしまった。事件の真相に辿り着いたようだが……」

「私が知っていることは全て話すわ。でも、今は私もダストに付いて行った方が良さそうね。」

「あぁ、頼む。」

 

頼光の力を失った巧一朗は、戦いには参加できない。

もしファフロツキーズがまだ生きていたなら、彼は人質にされるなど、足手まといになってしまうだろう。

悔しいが、今の彼は無力だ。

歯を食いしばる彼に、果心居士が肩を叩く。

巧一朗の気持ちを知ってか知らずか、ある提案を持ち掛けた。

 

「ダイヤモンドダストの兵器、人間の身体で、よくぞここまで戦い抜いた。老いぼれに労われても嬉しくはないでしょうが。」

「いや、貴方は素晴らしき英雄だ、果心居士。貴方のお陰で、俺はいまこうして戦えていると言っていい。」

 

巧一朗はその右足を見せる。

災害のアーチャーとの戦いで弾け飛んだ右足は、果心居士の礼装を縫合し、まるで元通りのようになっていた。

オリハルコンの肉体に違わぬ耐久性を持つ果心居士の技術力には度肝を抜かされる。

 

「まるで、本物の足のようですな。縫合魔術、これほどのものとは。」

「単純に、貴方の技術力のお陰だ。世界最高水準の金属と親和性があるとはな。」

「ふむ、成程。これならば、『託す』には相応しい。」

「託す?」

 

果心居士は先程まで修復していたグローブの決戦兵器『鬼熊野』を運び入れる。

だが巧一朗が知るそれとは異なり、かなり軽量化されている。

人が着る、鎧のサイズにまで縮小されていたのだ。

 

「グローブの兵器は、やはり、ファフロツキーズの攻撃で粉微塵になってしまっておりました。故に、パーツを流用し、儂がかつて造り上げたハンドスペードの兵器『竜鎧装』と同じ構造に仕立て直し、改めてその力を振るえるように致しました。」

 

巧一朗の男心がくすぐられるデザインである。

鬼夜叉のモチーフそのままに、竜の鎧に用いられた白亜の装甲も加えられ、強固な魔術礼装に作り替えられていた。

ハンドスペード、グローブ、二つの組織の二大決戦兵器、夢のコラボレーションである。

 

「果心礼装は並の人間、英霊には操れない。一癖も二癖もある絡繰ですからなぁ。ハンドスペードの者達ぐらいかと思ってはおりましたが、巧一朗殿、貴殿ならばこれを装着することが出来る。ダイヤモンドダストの決戦兵器、貴殿に託したい。」

「俺が、これを……」

「貴殿が革命軍ではないことは知っております。人間に背負わせていいことでも無いでしょう、それでも……」

「ありがとう、芸達者。そのコードネームはきっと貴方そのものだ。」

 

巧一朗は鬼熊野、改め、『鬼竜熊野』を装着する。

そして彼もまた、黄金街道たちに合流する決意を固めた。

彼はまだ戦える。第四区博物館の為に、そして、生きる意味を求める一人の少女の為に。

巧一朗は去り際に、果心居士の元へ振り返り、笑った。

 

「人間に背負わせていいことじゃない、けど、俺はただの『虫』だ。全て背負って重みに潰れても、きっと人類は幸せだ。」

 

果心居士の言葉はもう聞こえない。

どんな慰めもいらない。彼は彼の生を受け入れている。

過ちを重ねても、存在意味を失っても、

優しく抱き留めてくれるヒトがいた。その事実は変わらないのだから。

彼は飛んでいくペルディクスの後を追って、走り出した。

 

そして十数分後、彼らはツキの墜落したクレーターに達する。

腕があらぬ方向へと曲がり、その胸部より下は既に消失している。

霊核も破壊された彼女は虫の息だ。生きていることすら奇跡と言えるだろう。

 

「ファフロツキーズ……」

 

ダストはアイドルとして輝きを放っていた彼女を知っている。

だからこそ、醜く朽ち果てた彼女に、胸のざわめきが抑えられない。

本当の彼女はどちらなのだろうか。

世界の終末装置、その在り方は彼女の本心によるものなのか。

確かめたいと、そう思っていた。

だが、ダストが口を開く前に、それは否定される。

ツキは巧一朗たちを見て、嗤っていた。まるで己の勝利を確信しているように。

 

「革命聖杯戦争の参加者たちか。私の首を獲りに来たのだろう?一思いに殺すがいい。」

「クロノは、助けに来ないのか?あんたのマスターだろう?」

「助けに?アハハ!来る筈が無かろう!貴様らは何も気づいていない!揃いも揃って間抜け面だ!」

 

ファフロツキーズはひとしきり高笑いをした後、冷徹な表情へと戻る。

彼女に与えられた役割、もう全うしたつもりだが、癪に障るのは否めない。

最期、力を振り絞り、役割を果たそう。だが、同時にクロノへの嫌がらせも敢行しよう。

数多の妨害を経て、救済を成し遂げるならば、それもまた一興である。

 

「アタシらが何も気付いていないって、どういう?」

「言峰クロノは、ファフロツキーズを用いて、この桃源郷を滅ぼし、外の世界を守ろうとしていた、では無いのか?」

「ああ、全くの的外れだ。アタシに与えられた役割、それは」

 

ツキはシェイクハンズの悪夢、その当日の出来事を反芻する。

 

「人間風情が、私をコントロールできるとでも?」

「いえ。主従では無く、共闘、であるならば。私は貴方が万全に戦える舞台を整えます。貴方はそのとき、好きに暴れていい。暴れ回るその時期だけを、私に選ばせて欲しいのですよ。」

「暴れ回る、時期?」

「はい。第四区博物館が、『神殺し』を成した時に。恐らく、最初に命を落とす災害は『ダイダロス』でしょうから。私としては都合が良い。彼はこの箱舟の創造主ですから、目を付けられればゲームオーバーです。第四区博物館と彼の全面戦争が起こるその時を前に、私は博物館を離れます。」

「災害が少なくなれば、私を殺せる者が減る、と?」

「うん?」

「私の力を用いて、桃源郷を滅ぼすのだろう?」

「……勘違いをされているようですね。別にオアシスを滅ぼす気はありません。結果的に滅亡したとしても、変わらない。貴方の役割は…………」

 

ツキは驚き呆れる。

桃源郷の抑止力、災害へのカウンターそのものに、そのようなロールを与えてはならないだろう。

だが、あの男は、易々とそう言い放ったのだ。

ツキは閉じていた目を見開き、巧一朗に、革命軍に、クロノの言葉を語り聞かせた。

 

「ファフロツキーズに与えられた役割は『陽動』だ。クロノはもう、この第三区にはいない。」

 

巧一朗たちは絶句する。

彼女の言葉の意味が全く理解できない。

彼女は『陽動』と言った。一体何のために?

だが巧一朗には少しばかり、腑に落ちる点があった。

 

「クロノが何をしようとしているかは分からない、だけど、もし、革命聖杯戦争が、ファフロツキーズ顕現が、全て俺たちの目線を集中させるパフォーマンスであるならば、理解できることもある。そもそも、もし災害を打ち倒すためにROADを利用してツキを強化するならば、革命聖杯戦争なんて儀式はそもそも不要だ。何故なら、ダストも、黄金街道も、皆も、ROADによって呼び出されたサーヴァントでは無いのだから。必要な英霊を秘密裏に殺害し、器を満たせばいい。」

 

吉岡のときと同じだ。

コラプスエゴの霊基を育成するために残虐な事件を繰り広げていた、そのことはミスリードだった。

ただ強化する為ならば、殺害する相手を犯罪者に特定する理由はない。吉岡の目的は、犯罪者を裁くことにこそ、意味があった。

 

「俺を革命聖杯戦争に参加させたのも不可解だ。俺は仮にでもダイダロスを一度殺すに至った存在だ。ツキに対して、何らかの不利益を齎す方が大きいだろう。でも敢えて参戦させた。クロノへの注目を外すために……」

「どういうことだよ、巧一朗。」

「全てが『祭り』であり、『茶番劇』……なのか?一体、どういうことなんだ?」

 

混乱する巧一朗たちを見て、ツキはケラケラと笑う。

これはクロノへの明確な嫌がらせだ。彼が張り巡らせた完璧なプランを崩し得る情報を吐露する。

そして少しでも延命し、徐々に、肉体を回復させていく。

 

「加えて、もう一つ、ヒントを出してやろう。ほれ。」

 

ツキは巧一朗に向けて、あるものを投げつける。

それは通信用に特化したデバイスであった。

 

「クロノが使用していたものだ。懐からくすねてきた。通話履歴を見てみると良い。」

「クロノの……?」

 

彼は急ぎ、通話履歴を確認する。

そこには、何十件と、ある電話番号との通話履歴が残されていた。

最後の電話は、シュランツァがサンコレアマル闘技場で暴れ回っていた時刻。

巧一朗は急ぎ、電話の主を特定する。検索した結果、意外過ぎる名前が表示された。

 

「天還(あまつがえり)被害者の会」

 

黄金街道たちは頭に疑問符を浮かべている。そもそも、その組織を知らない、と言った顔だ。

巧一朗も詳しい訳では無い。天還祭とは、災害によって選ばれた老若男女数十名が、ヘヴンズゲートへ至るという、区民にとっての憧れの祭事。だが、博物館は彼らが過去に介入し、英霊と同じ所業を無名のままに代替することで、歴史そのものを変革している真相に辿り着いた。

 

「あ」

 

そういえば、と彼は思い出す。

マキリ・エラルドヴォールと初めて出会った日、天還の中止を訴える武装集団に襲われた。

エラルの魔眼により事なきを得たが、彼らが被害者の会の一員だったように思える。

何故かマキリに対しても強い怒りを抱いていた。災害との繋がりを陰謀論として唱えていた記憶がある。

 

「いや、待て、これが何だと言うんだ。」

「彼らは今、第五区にて、暴徒と化し、ヴェノムたちの手を煩わせているらしい。第三区に滞在していた者たちは、帰還しただろうな。当然、狙われているのは災害のアサシンの首だ。とてもでは無いが、動けまい。」

「第五区を……どうして……」

 

この瞬間、巧一朗の頭に、閃光が走った。

辿り着いてはいけない。でも、辿り着かなければならない。

 

災害のキャスターは死んだ。

災害のアーチャーもまた、死んだ。

災害のランサー、災害のライダーは抑止力を止める為に、第三区へ駆けつけた。

災害のバーサーカーは現在、第六区で暴れている。

災害のアサシンは第五区に留まっている。

 

ツキの言う、『陽動』という二文字。

キャスターが言い残した、『ROADが独立した魔力供給を可能とする』こと。

天還祭、過去への介入。

 

「まさか…………………………」

 

巧一朗は革命聖杯戦争、否、桃源郷同時多発テロ事件の真実を知った。

 

「まずいぞ、皆、ツキがROADを取り込んだのも、パフォーマンスの一環だ!彼女が飲み込んでいたのは偽物だった!」

 

抑止力は一切聖杯の力を頼ってはいなかった。それでいて、災害を凌駕する程に暴れ回っていたのだ。

多くの英霊たちにより、ようやくここまで至った。

だがツキは再び浮上する。絶望は何度でも、襲い来るのだ。

 

「隙を見せたな!革命軍!私は心臓を捥がれたぐらいで、死なない!あははははは!」

 

ツキの髪は二枚羽の翼へと変貌し、宙に飛び立つ。

このまま逃亡し、肉体の再生を行う。かつてのシェイクハンズの悪夢同様、生き延びる。

災害のいない第二区、または第四区へ向けて、飛行を開始した。

 

「く、ファフロツキーズ!」

「巧一朗様、いかが致しますか!?」

「クロノも止めなければまずいが、今はファフロツキーズだ!回復されたら、もう二度と彼女には勝てない!いまここで叩く!」

 

巧一朗はダスト、黄金街道、ペルディクスに拳を差し出す。

彼女らも彼の意思を汲み取り、拳を合わせた。

 

「巧一朗様。吾の最終奥義、吾の思いを全て、貴方様に託します。『雷上動』をお受け取り下さい。今の貴方ならば、引ける。」

「アタシには、暴れん坊なスーパーマシンがある。なんとビックリ、サイドカー付きだ。巧一朗、お前を射程距離まで連れて行くぜ。」

「私は、空からファフロツキーズの攻撃パターンを計算し、黄金街道に指示を出す。貴方達を彼女の雨から守るわ。」

 

各々が、自らの仕事をこなす。

巧一朗は、皆を信じ、そして、己を信じた。

既に頼光はいない。だが、果心居士の作り出した強化鎧装がある。

なら、雷上動を引ける。

 

「行こう、みんな!」

 

巧一朗の掛け声に、彼女らはおー!と口を揃えた。

ダストは己の宝具を起動する。枡花女として生きた証、夢世界にて伝説の弓を継承する絶技だ。

これを発動したが最期、彼女は桃源郷にてその役割を終える。だが、彼女はそれを誰にも伝えない。

巧一朗だけは、何となく、そのことを察していた。

だがその意志の強い眼を見て、止めることは出来なかった。

 

『文殊に捧ぐ、是は理を射抜く弓箭なれば、そのように放つべし』

 

「ダスト……」

 

巧一朗の目前に彼女は立った。

そしてその両手を優しく包み込む。

彼女自身が仄かな光に包まれ、継承の儀は執り行われる。

 

『多羅葉和合(もみじいろづく)』

 

ダストは目を瞑り、祈った。

この一週間あまりは、辛く、物悲しいことばかりだった。

でも、彼との出会いが、喜びや、楽しみを運んできてくれた。

多くの命が奪われた今、幸せだったなどと、口が裂けても言えない。

だが、もしこの瞬間の為にこれまでの人生があったならば────

 

「これ程、誇らしいことはありません。」

「ダスト…………」

 

巧一朗は確かに、雷上動と、水破、兵破を受け取った。

もうすでに、兵破は頼光と共に放ち、ツキを穿っている。

止めを刺すのは水破だ。彼はそれを強く握り締めた。

そしてダストは背中を見せる。彼に、消え去る瞬間を見られるわけにはいかない。

言い残す言葉を必死に思い浮かべるが、どうにもうまく纏まらなかった。

恋でも愛でもない、この感情は何なのだろう。彼に、どう感謝を伝えればいいだろう?

ストレートにありがとうと伝えるのは、少し憚られた。

 

「では、これにて、お別れです。巧一朗様、吾は────」

 

生きていて、良かった。

生まれてきて、良かった。

ただそれを伝えるだけなのに、唇は震えている。

だから、ダストはやはり振り返った。涙を目に溜めながら、彼の顔を見て、さよならをする為に。

 

「巧一朗様、吾は…………って」

 

彼女の前には、巨大モンスターマシン。黄金街道の愛用バイク『ゴールデンベアー号』。

そのサイドカーに巧一朗は乗り込んでいる。今にも出発する瞬間だった。

 

「あの、別れは……?」

「ダスト、お前も来い。まだ終わっていないぞ。」

「え、でも、吾は戦力不足というか足手まといというか!えっとえっと」

「行くぞ!」

 

巧一朗は彼女をサイドカーに乗せる。

黄金街道はにやりと笑みを浮かべると、エンジン音を吹かせた。

 

「黄金街道、ファフロツキーズは第二区、第四区の方角へと向かった。どう追いかける?」

「アタシらには、『切り札』があるだろう?夢のライフラインってやつが!」

「崩壊しているらしいが?」

「何とかなるって。ライダークラスのアタシに任せとけ。さぁ、行くぜ?」

 

そして暴走族のように轟音を伴いながら、ゴールデンベアー号は走り出す。

平行して、空を羽ばたくペルディクスは、敵の位置を捉えていた。

目標は既に数キロ先を往く、桃源郷の抑止力、ファフロツキーズ。

 

「さぁ行こうか、『シェイクハンズ』!」

 

ゴールデンベアー号は跳び上がり、産業大橋に無事着地した。

壁も障害物もない、一本道を大型二輪が前進する!

 

 

猛スピードで空を割るツキは、追跡者の存在に気付いた。

彼女は最後の宝具とばかりに、剣や槍、矢や爆弾、ありとあらゆる武器の豪雨を降らせる。

対象を破壊するに留まらず、産業大橋シェイクハンズ自体も、殲滅するつもりだ。

その魔の手は、ライフラインの入り口で作業するフゴウの元にも降り注ぐ。

彼は黄金の壁を乱立し、これを防ごうとするが、その圧倒的な物量に押しつぶされた。

つい今しがた修復していた箇所は、瓦礫の山と化した。

橋を支える支柱がひび割れ、シェイクハンズ自体が大きく傾き始める。

 

「あぁ」

 

フゴウは虚しさを感じていた。

麦蔵のやってきたことは、無駄だったのか。

革命軍として罪を償い、戦おうとしたフゴウは、やはり存在してはいけない英霊だったのか。

ナイフが全身に突き刺さり、痛み悶えながら、彼は「それでも」と食いしばる。

諦めたくなかった。

大いなる者に刈り取られ、無意味に、無価値に死んでいく。

フゴウはそれでも構わない。彼自身の罪であるから。

でも麦蔵は、巧一朗は、黄金街道は、ダストは、ガラシャは、果心居士は、ペルディクスは、マッチは、モグラは、チビは、違う筈だ。

藻搔いて、必死に藻搔いて、苦しんで、生きる意味を探している。

生きるその一瞬一瞬に、意味はあるのだ。

 

「我は……黄金王マンサ・ムーサだ!」

 

こんな所で、物語が終わって良い筈が無い。

黄金巡礼、彼らの黄金のような日々はこれからも続いていくのだ。

傾く橋に這いつくばりながら、その両手で、一歩、また一歩と進んでいく。

彼は麦蔵の言葉を思い出していた。

 

「いいか、マンサ・ムーサ。『毎日』だ。どれだけ忙しくとも、『毎日』ここに来い。そして必ず、たった一つでも、傷を修復して行け。俺が納得するまで欠かすこと無く。」

 

麦蔵はその命が尽きるまで、第三区の希望を守り続けた。

ならば、フゴウがやることはただ一つ。

 

「この開発都市第三区の為に、この夢の道を完成させる。」

 

彼はこれから、途方も無い時間を、この橋と過ごしていくだろう。

毎日訪れては、このライフラインを修復する。

時には一人で、時には仲間と。

そう、この決意は、未来の自分への『約束』だ。

もし、もしも、彼がその手を止めてしまったなら、奇跡は絶対に起こり得ない。

でも、その生涯をかけて、次世代に繋ぎ、ライフラインを築き上げたならば─────

 

「麦造、そなたは、この箱に絶望など残さなかった。我に希望を繋いでくれたのだな。」

 

フゴウは麦蔵から託された玉手箱を胸に抱き、そして、

 

それを開いた。

 

放たれたのは、白い煙。

この煙はフゴウと、そして、シェイクハンズ全体へと広がっていく。

この瞬間、フゴウは夢を見た。

 

彼は白い空間に佇んでいた。

手探りで前へと進む。

すると、走馬灯のように、思い出が駆け巡った。

だが、これは彼の知らない思い出だ。

その一つを手で掴む。

彼の手は筋肉が削げ落ち、骨と血管が浮かび上がった。

流れて来る記憶は、彼が明日、そのまた明日と、経験していく『時間』そのもの。

これを浴び、噛み締める中で、彼は次第に老いてゆく。

 

 

それはある春の出来事

 

 

〈フゴウ!今日もやってんなー!〉

〈お、マッチ、モグラ、チビか!丁度良かった!〉

〈丁度いい?〉

〈じゃじゃん!新しい工具だ!黄金製だぞ!〉

〈うーん、こういうのって、高い素材だと勿体なくないか?使い込んでこそ、だろうし。てか重いだろ、手が疲れる。〉

〈まじか〉

〈俺はいつものでいいよ、ほら、お前らも〉

〈僕は金色ので〉

〈まじかよチビ〉

〈そうかそうか、チビは黄金の良さが分かっているな!〉

〈おい、こいつ、フリマアプリに流してお小遣いを稼ごうとしているぞ!〉

〈したたか過ぎる!〉

 

 

それはある夏の出来事

 

 

〈────ということで、シェイクハンズ復興計画につきまして、皆様の協力を仰ぎたく……〉

〈馬鹿野郎!誰がてめぇみたいな裏切り者に金を出すかよ!〉

〈そうだ!この人殺し!〉

〈ちょ、みんな、アタシらは別に……〉

〈やめよ、金時。また、説明会を開きますので、何卒ご出席の程、宜しくお願いします!〉

〈おい、王サマ、そんな額を床に擦り付けて…………もう会議室に誰もいないぞ?〉

〈そうか、やはり難しいな。〉

〈ゆっくりやっていこうぜ!アタシも付いているからよ!〉

 

 

それはある秋の出来事

 

 

〈さて、今日もよろしく頼むぞ、お前達!〉

〈おーーー!〉

〈今日は金時も一緒だ、って、金時?〉

〈アタシの黄金改造まっしぐらだぜー!〉

〈おい馬鹿!黄金で塗装するな!いくら経費が掛かると!〉

〈あ、無くなった〉

〈ほら言わんこっちゃない〉

〈でも、ゴールデンな輝きが欲しいぜ!〉

〈金箔でも貼る?フゴウ〉

〈貼る訳無かろうが!〉

 

 

それはある冬の出来事

 

 

〈今日は流石に誰も来ないか……仕方あるまい、大雪の警報だからな。〉

〈うん?あれは、誰か来ているのか?〉

〈幼い出で立ちだが、身体つきはグラマラスな……もしや彼女は『細川ガラシャ』か?〉

〈はは、まさかな、彼女はもういまい。いたら亡霊だ。もしくは雪の精か……〉

〈え、違うよね?ね?〉

 

一つ一つ、記憶が彼の身体をすり抜けていく。

次第に時は流れ、彼の額に大きな皺が刻まれていった。

英霊は老いることがない。だが、玉手箱とは『そういうもの』だ。

また明日、そのまた明日、とても長い、あるいは一瞬の出来事が、向かい風のように彼の身体に吹き付け、通り過ぎる。

 

 

十年後

 

 

〈おい、モグラはどうした?〉

〈あー、あいつはいま俺たちにも手が負えなくてな。〉

〈反抗期、という奴か。〉

〈我が行こう。〉

〈あーダメダメ。あいつ、なんで自分には親がいねぇんだ、って拗ねてる。フゴウがいま行っても逆効果だよ。〉

〈そ、そうか…………〉

〈ま、暫くは橋に来れないけど、大丈夫だ。アイツ、フゴウのことは大好きだからよ。〉

〈それならば良いが……うーん。〉

 

 

二十年後

 

 

〈おい、フゴウ、何やってるんだよ!〉

〈モグラか?どうした?〉

〈どうしたもこうしたもねぇだろ!橋の修繕してる場合か!?今日はほら!〉

〈あ、〉

〈思い出したか!マッチの結婚式だよ!あんた父親なんだからしっかりしろよな!〉

〈そ、そうだな、すまん!〉

〈ほら、今日は区の復興会の皆さんに任せて、はやく着替えないと、それから、えっと〉

〈モグラ、そういえばそなたが友人代表スピーチを読むのであったな?〉

〈思い出させんな!緊張しているんだから!〉

 

 

三十年後

 

 

〈おぉ、来たか、チビ〉

〈やめてくださいよフゴウさん。僕にはもう……〉

〈あぁ、そうだったな。ようこそ、シェイクハンズへ。チビのチビさん!〉

〈うー〉

〈〇〇、この人が僕のお父さんだ。つまり君にとっては、おじいちゃんに当たる。〉

〈おじいちゃん、そうか、おじいちゃんか〉

〈どうしてショックを受けているんだ、フゴウさん?〉

 

 

六十年後

 

 

〈マッチ…………〉

〈フゴウ……か、今日は…………橋の……修復は……いいのか……?〉

〈あぁ、もう済ませてきた。完成間近だぞ?〉

〈そっか…………そりゃ……安心……〉

〈……っ、逝くな、マッチ。一緒に、完成を見届けよう、マッチ!〉

〈…………わるい……すまねぇな…………親父………………〉

〈おい、おいマッチ!おい!逝くな!おい!馬鹿野郎!マッチィィィイ!………………〉

 

 

八十年後

 

 

〈知ってる?〉

〈何が?〉

〈シェイクハンズの高架下にさ、ボロ家あるじゃん。〉

〈あー、誰も立ち入らない幽霊屋敷?〉

〈そこに、くたびれた服の男が住み着いているって噂!〉

〈今時第四区に出稼ぎに行けるんだから、好き好んでいるなんて、変わっているわね。〉

〈幽霊だって噂もあるよ。なんかボロボロだし。教科書に載ってた、大昔の事件の怨念かも!〉

〈まじ?こわっ!〉

 

 

多くの時を生きた。

その最期は、麦蔵の家で、油の刺されていない歯車が音を立てて止まり。

彼は孤独に、命を落とした。

 

「ああ、あああああ」

 

フゴウは思い出に手を伸ばし、泣いていた。

これから歩む、己の人生。

それは彼の目から見て

希望に、満ち溢れていたから。

 

「あああああああ!ああああああああああ!」

 

第三区の人々と異なり、彼だけは、彼の人生を歩む。

時の理から外れ、彼とシェイクハンズだけが別の世界線へと移行する。

 

いま公道を走る者たちに、そのことは悟られない。

故に、今もツキの攻撃に苦しめられる彼らは、シェイクハンズに起きた『奇跡』に、気付かなかった。

 

「何だ?」

 

巧一朗たち、そしてツキも、その異常に勘付いた。

今にも崩壊する筈のライフラインは、光を放ち、修復されていく。

 

「な、何故、どうして!?」

 

ツキは空の上からそれを確認し、慌てふためいた。

だが巧一朗や黄金街道は、『彼』の存在を悟った。

何故ならば、この橋はいま、黄金色に満ちているから。

ドン・フゴウの黄金巡礼。メッカへと至ったその軌跡が、いま、現実のものとなる。

 

「行けるな?黄金街道!」

「応さ、巧一朗、一気に行くぜ!」

 

シェイクハンズは黄金に輝きを放つ。

それはまさに『奇跡』だ。

空を飛ぶペルディクスも不敵な笑みを浮かべる。

そして、巧一朗とダスト、黄金街道は叫ばずにはいられない。

何度も口にした、もしくは、何度も耳にした、あの言葉を。

 

「吾らの」

 

「俺たちの」

 

「アタシらの」

 

彼らの呼吸が揃い、呼応するかのようにベアー号は最高速度を叩きだす!

 

 

「黄金街道、まっしぐらだ!!!」

 

 

【キングビー編⑬『エピソード:ゴールデン』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編14『エピソード:クロノス』

キングビー編完結まであと三話!
感想、誤字等あれば連絡お待ちしております。


開発都市第三区の希望、産業大橋『シェイクハンズ』。

フゴウの人生の全てを費やし、仲間たちと完成させた黄金の道。

彼は麦蔵のように老いた。そして崩壊するライフラインが生まれ変わる様を見届ける。

いまこの橋を全速力で駆ける者たちがいる。

ならばこの選択は間違っていないだろう。

 

「ありがとう」

 

誰に対しての言葉なのかは彼自身理解し得ない。

もしかすると、第三区そのものへの感謝なのかもしれない。

マンサ・ムーサの黄金巡礼は成された。

あとは、彼らに託す。

これからを歩み続ける若者たちへ、バトンは手渡されたのだ。

 

そしてゴールデンロードを全力で走り抜ける大型二輪。

黄金街道の魔力が注ぎ込まれ、ついに、射程距離へと到達する。

不安定なサイドカーにて立ち上がった巧一朗は、果心鎧装『鬼竜熊野』の力を解放した。

ダイモニオンたる頼光を継承したとき同様に、今の彼は、必殺武具『雷上動』を引くことが出来る。

───理論上ならば。

 

「っ……?!」

「どうした、巧一朗!」

 

巧一朗は腕に違和感を覚えた。

これは災害のアーチャーとの戦いで、兵破を引き絞った時と同じ。

頼光の権能を以てしても、巧一朗は二射目を放つことが叶わなかった。

雷上動を使いこなすには、何かが決定的に不足している。

 

「く……そ………」

 

巧一朗の腕の血管が断ち切れた。

鎧の中に生温かい液体が漏れ出し、不快さを感じる。

彼に足りないものを、彼自身が何となく理解できていた。

度重なる戦いの中で、嫌が応にも察せられた。

命を燃やし尽くすその瞬間、僅かばかり『生』に執着する。

注ぎ込まれるはずの魔力が塞き止められる感覚。

あと僅か、覚悟が足りない。

 

「巧一朗!」

 

黄金街道は焦る。

既にペルディクスは前方から消えていた。

彼女も空を必死に飛んでいるが、彼女とファフロツキーズのスピードには置いて行かれてしまった。

つまり、空からの『雨』に対応が出来ない。

彼女の愛馬は悲鳴を上げている。

射程圏内にい続けるのは、もってあと数秒だ。ここで決着を付けなければ、二度は有り得ない。

 

『大聖文殊菩薩よ……御覧じろ……今ここに……っ……天下無双の名を………っあああぁぁあああ!』

 

巧一朗の身体に走る激痛。

頼光が緩和してくれた重み。今の彼を支える者はいない。

水破を掴むその手は小刻みに震え始める。

ここでファフロツキーズに届かなければ、終わり。

理解し、飲み込めば飲み込むほどに、身体の振動は大きくなる。

 

「(俺は……なんて……情けない……)」

 

巧一朗の目には、涙が浮かんでいた。

ここまで多くの英霊が命を捧げてきた。

彼らはここでの決着を、巧一朗に託したのだ。

彼の責務はここにある。間違いなど許されない。

必死に歯を食いしばる彼だが、そのとき、彼の腕に手が添えられた。

優しく包み込むように、彼の緊張を解きほぐすように。

 

『天下無双の名を顕す!』

 

その言の葉を紡いだのは、巧一朗では無い。

彼と同じサイドカーに乗った、今にも枯れる寸前の花。

 

「ダスト……?」

「吾には、雷上動は扱えない。でも、きっと、二人なら。」

 

彼と彼女は、共に水破を引き絞る。

ダストの身体から光の粒子が一気に漏れ出した。

宝具を使用し、物語を終えた彼女が、それでもこの地に何とか留まっている。

そこには意味があった。

 

「生きていて、良かった。良かったのです、巧一朗様。」

「そうか。」

「吾も、そして、貴方様も。」

「俺も?」

「ええ。だって、こんなに辛いのに、こんなに痛いのに、苦しいのに!」

 

巧一朗が見た、ダストの顔は笑っていた。

精一杯の作り笑いかもしれない。でも、彼女はその命が尽きるとき、笑顔でいることを選択したのだ。

 

「嬉しいのです、巧一朗様!」

「ダスト……」

 

ダストの左手の甲が光り輝いた。

革命聖杯戦争の最後で、彼女がようやく手にした希望。

第三区民に曲がりなりにも授けられた、想いの結晶だ。

 

『令呪を以て、間桐巧一朗に命ずる。』

 

彼と、黄金街道は、ダストの祈りを聞き届けた。

それは、この戦いには似つかわしくない、巧一朗の安寧を願ったもの。

戦いに巻き込んだことを嘆いていた、彼女の唯一の願いだった。

そして巧一朗はついにその矢を放つ。

もはや彼の後方には、大切な仲間は立っていない。

でも、その想いは、いつまでも彼の背を支え続ける。

そのバックアップがあるからこそ、彼は必ずファフロツキーズを射抜く。

たとえ彼の目元に大粒の涙が溜まっていようと。

 

『雷上動・水破』

 

ロケットのように空を割るその矢がツキを破壊し尽くすまでに、一秒とかからなかった。

空の上でついに、抑止力は完敗する。

生きていたことが不思議な肉体は、跡形も無く弾け飛んだ。

その残骸が、雨のようにシェイクハンズへ降り注ぐ。

黄金街道はゆるやかに速度を落とし、停車した。

花火のように弾け飛び、落ちてくる輝きを、神妙な顔つきで見守っていた。

 

「巧一朗、終わったのか。」

「…………ああ。一旦な。」

 

果心居士の創り上げた鎧は、急造のものだったが故に、雷上動を放った直後に壊れてしまった。

巧一朗は鬼竜熊野を脱着すると、今は亡きダストの影を追った。

サイドカーにまだ彼女の座っていた温もりが残されていると思うのは、彼の勘違いだろうか。

そうであってほしいと彼は思う。

 

「巧一朗……」

「……彼女が宝具を使用した時、俺は彼女の死を悟った。だからその手を握った。一秒でも長く一緒にいたいと思った。」

「あぁ、それはダストも同じだったと思うぜ。」

「もし彼女もそうだったなら、嬉しい。」

 

巧一朗がもう涙を流すことは無かった。

彼は自らの頬を叩き、気合を入れ直す。

後に駆け付けたペルディクスを見据え、覚悟を決めた。

革命聖杯戦争、最期の仕事が残されている。

 

「巧一朗、黄金街道、終わったのね……」

「おせーよ、リケジョ」

「仕方が無いじゃない、ファフロツキーズと貴方達が速過ぎるのよ。あの男(ダイダロス)の翼も大したことがないわね。」

〈扱い熟せていない、君の落ち度だ、ペルディクス。〉

「五月蠅いわねー本当に!」

 

ペルディクスとダイダロスの翼の漫才?を聞きながら、黄金街道は物珍しそうな顔を浮かべていた。

だが巧一朗はダイダロスの『狙い』を理解し、己の推理を強固たるものにする。

 

「その翼は言葉を話すんだな。俺のことは知っているか、ダイダロス。」

〈ワタシハ敵性自動認識プログラムデス。ゴ用件ヲドウゾ。〉

「貴方、さっきまで普通に喋っていたじゃない。何で片言?」

「ったく、俺はまだあんたには敵わないってことか。何から何まで、あんたはお見通しだったんだろ。」

〈……………〉

「え、なに、どういうこと?」

 

ペルディクスと黄金街道は同時に首を傾げる。

巧一朗は後頭部を搔きながら、これからすべきことを説明した。

 

「いま、クロノは『天空城塞』にいる。災害たちが集まって会議する場所、ヘヴンズゲート、天還祭によって選ばれた区民が至る場所だ。」

「天空城塞!?何で?どうやって?」

「まずはその、どうやって、の方だ。彼はリンベルたちメディアが所有する観測艇を使用した。予備艦が備え付けられていた筈だが、キャスター曰く、破壊されたか、どこかに持ち出されていたようだ。空を行く飛行船で飛んで行ったんだろ。」

「目立ちそうなものなのにね。」

「そう、そこがポイントだ。クロノのこの行動は目立つし、災害に見つかった時点でアウトなんだよ。だからこそ『陽動』なんだ。第六区では災害のバーサーカーが、第三区ではツキが暴れ回った。災害を含め、誰もクロノの動きなんて追わないだろう。」

「そして、続いて、何で?の部分だが、革命聖杯ROADを用いて、一人で天還の儀を執り行うつもりだろう。皆は知らないだろうが、天還とは即ち、過去改変そのものだ。選民を歴史の狭間に送り込み、英雄の所業に介入、成り代わり、英霊の座そのもの根本から破壊し尽くす。桃源郷としての歴史を、確固たるものとし、災害という存在を確立するために。」

 

巧一朗の推理に耳を傾ける二人だが、反応は異なっている。

黄金街道は深く理解が及ばず、困惑といった顔つき。

ペルディクスはクリエイターの立場から、天還のシステムそのものに興味を示している。

 

「よくは分からねぇけど、じゃあクロノは、一体どんな歴史を変えようとしているんだ。」

「このオアシスの成立は、一つの聖杯戦争によるものだった。モーリタニア、巨大砂漠サハラでの殺人ゲームの末に、何故か、この地で、桃源郷は誕生したんだ。彼は、その聖杯戦争の結末を変えようとしている。」

「まさか」

「開発都市オアシスを『無かったことにする』。それが言峰クロノの『救済』の正体だ。」

 

巧一朗はそう結論付ける。

キャスターが非常に好むであろう結末だ。

桃源郷で誕生した全ての命を否定し、崩壊した日本と、外の世界を救う。

まさに終局的犯罪だろう。

 

「(でも、モリアーティでは無い。クロノに加担したのは、キャスターの中にいる別の英霊だ。)」

 

巧一朗は一度、彼らとの会話を休止する。

悠長に話している場合では無い。今にも、世界はリセットされようとしているのだ。

 

「巧一朗、どうした?」

「黄金街道、第三区にいる皆を頼む。ここからは俺の、俺だけの戦いだ。ペルディクスにも、手伝っては貰うけどな。」

「私……そうよね、天空城塞に向かうには『翼』が必要だものね。任せて!」

 

ペルディクスはその場で翼を広げた。

 

【挿絵表示】

 

そして巧一朗の身体を抱き、空へと羽ばたく。

 

「巧一朗!」

「何だ、黄金街道?」

「……任せたぞ。てめぇが幸せにならなきゃ、ダストの令呪は意味が無いからな。」

「っ……ああ、任せておけ。」

 

黄金街道は精一杯手を振った。

巧一朗ならば、出来ると、そう思った。そう信じた。

それはペルディクスも同じ。

天空城塞へ彼を届ける。彼女にとっての、革命聖杯戦争ラストミッションだ。

 

「言峰クロノ……」

 

巧一朗はその正体に気付いている。

だが、決して理解はできない。

桃源郷リセットまでのタイムリミットは、刻一刻と近付いていた。

 

【キングビー編⑭『エピソード:クロノス』】

 

ヒトも英雄も立ち入れぬ領域、災害の築き上げた城塞。

通常ならば、そこへ近付くことすら叶わないだろう。

だがペルディクスと巧一朗は、その門の前へと至った。

 

「…………」

「どうした、ペルディクス。」

「巧一朗、君はものすごく冷静ね。普通驚いたりするものでしょう。」

「いや、驚いてはいるさ。だが、焦らないように、心を落ち着かせている。」

「大事ね。」

 

巧一朗は扉へ手を翳す。

その材質はダイダロスの用いるオリハルコン。何らかの術式が重ね掛けされており、何人も侵入することは出来ない。

外部からの破壊も難しいだろう。ここは『彼』に賭ける他ないようだ。

 

「ダイダロス」

〈何だ、巧一朗。〉

「貴方はこの瞬間の為に、その翼を遺したのだろう?」

「この瞬間って、アヘル教団の刺客が、ダイダロスのアンプルを使用することへのカウンター、では無いの?」

「キャスターからその話は軽く聞いているが、答えはノーだ。人間を蟻のように認識しているダイダロスが、そんなものを警戒対象に入れている筈が無い。彼が翼を遺したのは、ファフロツキーズ再来と、そして」

〈災害しか入ることの出来ない城の扉を開くため。〉

「そうだ。むしろ後者の方が大事。桃源郷はライダーの『舟』であり、この城塞を含めた全てが、ダイダロスの『創作物』だ。これを汚される行為こそ最もダイダロスが忌み嫌う事案だろう。」

「なるほど……だから、革命聖杯戦争時に私を召喚して……って、あれ?」

 

ペルディクスはここで気付いた。

巧一朗の言葉が表すこと。それは彼女然り、桃源郷に住まう者全員が辿り着くことの出来ない答えである。

 

「待って、待ってよ、じゃあクロノはどうやって扉の先へ入ったの?」

 

彼女はもうすでに気付いている。だが、それを言葉にするのは憚られた。

言峰クロノのコールタールのような目に吸い込まれていきそうになる。

 

「ダイダロスが警戒していたのは、アヘル教団の刺客、なんかじゃない。『災害』だよ。」

「…………っ!」

 

巧一朗は一呼吸置き、真実を告げる。

そしてその真相は、ペルディクスも察していたことだった。

 

「言峰クロノは、六騎の災害のサーヴァントのうちの『誰か』だ。」

 

そしてその言葉を発した直後に、ダイダロスの権能により、扉は開かれた。

だがペルディクスは一歩踏み出すことが出来ない。

 

「クロノが、災害?テロ組織である第四区博物館に在籍していたのに、災害?」

「そう。恐らくは災害のサーヴァントの中での裏切者だ。」

 

巧一朗は歩き始める。ペルディクスも置いて行かれまいと、彼の後を追った。

城塞内は暗く、薄気味悪い。音の無い空間で、彼らの会話は静かに響いた。

 

「クロノの目的が桃源郷そのものの抹消であるならば、先ず邪魔になる存在がある。それはこの舟そのものを設計した存在、災害のキャスターことダイダロスだ。彼の目がある限り、クロノの行動は把握されてしまう。指定文化財を用いての英霊召喚に災害が即座対応できるのは、監視の目があったからだろう。何故革命聖杯戦争が今、このタイミングで行われたか。それはダイダロスが死んだからだ。第四区博物館に災害のキャスターが訪れたその時、この計画は始まっていたと言える。」

「確かに、タイミングが良すぎる、レベルだわ。」

「彼は様々なイレギュラーに見舞われながらも、計画を遂行した。恐らくキャスターと俺、桜館長が第三区へ来てしまったその時点で、それぞれの対処法を理解していたのだろう。もっとも厄介となる『頭脳』を懐柔し、俺と桜館長は抑止力をちらつかせ、そちらへと誘導した。だがもう一つのイレギュラーが恐らくあんただ。ペルディクス。」

「私?」

「あろうことかダイダロスの翼を有していたんだ。クロノは極力接触を抑え、代わりに、キャスターを用いてあんたを第三区の辺境、何人も助けに来ないだろう場所へと誘ったのさ。そしてそこに、アヘルの重要機密を撒いた。案の定、アヘルの連中は食いつき、そこでペルディクスは犠牲となった。」

「探偵が、私を?」

「説明が難しいが、彼女は破綻者だ。ペルディクスを思う彼女と、クロノの計画に加担する彼女が同時に存在している。彼女は全てを知り得ているし、反面、何も知らない。複雑怪奇なサーヴァントだよ。関わるだけ損だ。」

「そ、そうなのね。」

 

ペルディクスは分かりやすい程に肩を落とした。

何故召喚されたかも分からない彼女にとって、探偵であるキャスターは心の支えとなっていたのだろう。

 

「だが、クロノの誤算はここだ。彼は桜館長の決死の覚悟を見誤っていた。ペルディクスの死の偽装に騙されたんだ。でなければ、彼は何としてでもあんたを殺そうとしただろうからね。で、恐らくダイダロスは、桜館長の意思に勘付いていた、違うか?」

「何ですって?」

「シュランツァと呼ばれる少女の攻撃によってペルディクスは命を落としかけた、だったよな。ダイダロスの翼はファフロツキーズの雨全てを避けることが出来る程の性能を有しているのに、そんな簡単に破壊されるのは、不意打ちだとしてもおかしい。それこそ、『CUBE』?だったか?もともとダイダロスの迷宮の権能を利用したものだろう?クリエイターが自らの創作物に知識が及ばないなんてことあるかよ。」

「じゃ、じゃあ、わざと、攻撃を受けた?」

 

ペルディクスはわなわなと震える。

彼女にとってみれば、ヘラクレスの宝具は恐怖そのものだった。

それをわざと、彼女に浴びせたのだろうか。

 

〈その通りだ。〉

 

残念ながら答えはイエスであった。

ペルディクスは頭を抱える他ない。

 

〈この翼には、太陽と対峙した直後までのダイダロスの記憶や思考回路が注ぎ込まれている。メアリー・セレスト号の宝具を僕自身が受けたその時、僕の頭にはこれの運用方法が何通りにも浮かび上がった。その内の一つである、桃源郷からの消失偽装工作は『彼』にも効くだろうと思ってね。桜がその気であるならば、乗らない手はないと思ったのさ。そして桜の『謎』という名の、安全地帯へとペルディクスを匿うことが出来た。〉

「ふざけるな、くそやろー!」

〈痛い〉

 

ペルディクスは自らの背中に生えたソレを引き千切ろうとする。

だが、この翼は決して傷付かない。たとえ宿主が怒りをぶつけようとも。

 

「ダイダロス、あの時の戦いで、桜館長のことをそこまで理解できていたのか。」

〈彼女は正確には『メアリー・セレスト』では無いからね。彼女の真名は……と、この話はまた後でだ。話を戻そう。〉

「(え、メアリー・セレストじゃないの?)」

 

巧一朗はぽかりと口を開けたままだが、ダイダロスが桜館長についてこれ以上語ることは無かった。

だが気を取り直し、一本道を急ぎながら、彼は自らの推理を話し始める。

 

「クロノは概ね予定通り、計画を進め、いまここに辿り着いたのだろう。災害すら思うように操って、な。だが、一つ疑問が残る。天還の儀を執り行う為に人造聖杯ROADを用いるということは、器を満たす膨大な魔力が必要だということだ。革命聖杯戦争の参戦者たちは結果、死の偽装により生き残った。ツキが膨大な魔力を手に入れ、怪物として立ちはだかるというシナリオに仕上げたならば、本物のROADを満たす魔力はどこから引いてきたものなのか、ということだ。」

 

キャスターが彼の元を去る前、言い残した言葉を思い出す。

ROADは革命聖杯戦争と関係なく、独立した魔力供給が可能、という文言。

キャスターはそこに気付いたのちに、巧一朗を見捨てた。ならば、この絡繰を紐解いたその先に、クロノの正体は見えてくる、ということ。

それ以上喋れば、クロノに加担する人格から、明確なストップがかけられる、そのギリギリのラインだった。

 

「クロノは独自のルートで魔力を供給していた?」

「そうだ。ここに、ツキの言葉が重なって来る。クロノが何度も連絡をしていた『天還被害者の会』だ。」

「ただの人間と二、三流サーヴァントによる組織でしょう?陽動目的で第五区に攻め入り、災害のアサシンを煩わせた……」

「いや、きっとそれだけじゃない。もし陽動だけなら、第二区に集まる人々を利用する意味が無い。ここで重要なのは、天還被害者の会が、開発都市第二区に集う組織であるという点だ。」

「開発都市第二区と言えば、歓楽都市、無法地帯なのは有名だけれど、膨大な魔力を有する実験所などはあったかしら?」

「ある。一つだけな。さらに言えば、天還被害者の会はそれに対して怨恨の感情を抱いている。災害と密接な関わりがあるってな。」

「もしかして」

 

「マキリコーポレーションだ。膨大な魔力とはマキリの保有する『垓令呪』なんだよ。」

 

二人は光指す出口のような場所に辿り着く。

その先に、目的の人物はいるように感じられた。

 

「マキリの、垓令呪?」

「思えば、革命聖杯戦争において、毎日令呪が配られるのも奇妙な話だ。あれはマキリ社製の改造だったが、垓令呪から直接持ってきているならば話は分かる。俺が思うに、配当令呪はサンプルケースだ。ROADに魔力転用する為に生まれた実験用の余りものさ。垓令呪生成のマシンは秘匿されているが、被害者の会を使って、第二区を洗いざらい調べさせたんだろう。クロノが第二区を司る『災害』であるならば、そう時間はかからないだろうからな。」

「な……」

「つまり今回の事件の黒幕、言峰クロノの正体は、第四区博物館を災害のキャスターが襲撃したのと同タイミングで、第二区のマキリコーポレーションを襲い、彼女を殺害、ビルそのものを破壊し尽くした『災害』だ。」

 

巧一朗は光指す空間へと進む。

そこは異常なまでに白い、スタジアム程の専有面積のワンルームだった。

中央に謎のオブジェクトが鎮座し、一人の青年が傍で立ち尽くしている。

 

「行くぞ、ペルディクス……って……」

 

振り返ると、巧一朗の傍に彼女はいなかった。

クロノの仕掛けた罠により、彼女は天空城塞から落下した。

巧一朗の元に戻ってくるまで、少しばかり時間を要するだろう。

 

「……二人で話がしたい。そう思ったまでだ。話の続きをしようと言っていただろう?」

「あぁ。そうだな。丁度いい。」

 

青年、言峰クロノは振り返り、巧一朗と向き合った。

その黒く濁った目には光が灯らない。どこまでも深淵の中だ。

 

「ここまで辿り着いたか。副館長として誉めてやろう。給料アップも考えている所だ。」

「御託は良い。俺はあんたを止めなきゃならない。全力で行くぞ。」

 

巧一朗は構えた、が、クロノは両手をポケットに入れたまま、微動だにしない。

交戦の意思はないように思える。だが互いに、明確な殺意が渦巻いていた。

 

「以前、言峰副館長はこう言っていたな。ファフロツキーズを『アイドル』と呼ばず、『アサシン』と呼んでいると。彼女がアイドルという名を嫌っているから、同じア行のアサシンにしたと。」

「あぁ、言った。」

「だが、同じア行なら、『アーチャー』もある筈だ。ツキの雨降らしの宝具を見れば、誰だってアサシンでは無く、アーチャーと呼ぶものだが?」

「ああ、そうだな。だがアーチャーと呼ぶのは気恥ずかしい。」

 

クロノは目を瞑り、髪をかき上げた。

そして大きく溜息をつく。

 

「我が主(あるじ)に、そのように呼ばれていたからな。」

 

クロノは己の正体を告白する。

革命聖杯戦争を語る、開発都市同時多発テロ事件、その真犯人の名を。

 

 

「我が名は言峰クロノ、改め、災害のアーチャー『シグベルト』。この桃源郷を破壊し、新たな歴史を刻む、ただの『人間』だ。」

 

 

 

サハラの聖杯戦争、シグベルトは女マスター『マナ』により召喚された。

彼女は一族の誇りをかけ、この戦争に望んでいた。根源への到達こそが彼女の祈りそのものだった。

だが、マナの思いは叶わなかった。

崇高なる目的も、邪知暴虐の王ザッハークによって枯らされた。

『どうして、助けてくれなかったの?』

マナの絶望に歪む表情は彼の脳に焼き付いている。

ザッハークを、ナナを、よく知っていれば。

大英雄シグベルトが後れを取ることは無かった筈だ。

あのとき、何故逃亡してしまったのか。

騎士として、戦う選択が出来なかったのか。

彼の思いはくすぶり続け、桃源郷千年の歴史においても失われることは無かった。

マナはとうの昔に死んだ。

全てを忘れ、堕落した神の道を選び、『災害』の名に甘んじて生きていこう。

シグベルトはいつの日か、己の『理性』を捨て去った。

 

「シグベルトは二人いる。それは彼の逸話によるものだ。彼の伝説はやがて、二人の竜殺しの物語へと変貌を遂げた。シグルドと、ジークフリート、彼ら二人の『人間』へと分裂したのだ。災害のアーチャーは不安定な状態で、その逸話を桃源郷で実現した、全ての力を残し、本能のままに生きる人間と、全ての権能を失ったが、その記憶だけは保存したままの人間。私はその後者だ。」

 

彼は自らを『セミの抜け殻』と称した。

彼はある日、目を覚ますと、生まれたままの姿で路地裏に横たわっていた。

訳も分からぬままに、捨てられた布をその身に纏い、彷徨い歩く。

やがて彼は、街外れの教会で、とある神父に拾われた。

『言峰』という名の、心優しき神父だ。

神父はクロノの、色彩の灯らない眼を見て『クロ』と名付けた。

神への信仰心を持たぬ彼だが、生きていくために、言峰神父の元で生きていくことにする。

そして人間としての己の脆弱性に苦しみながら、それでも、必死に生きてきた。

第四区博物館と呼ばれる対災害テロ組織に潜入し、副館長の座まで登り詰めた。

サハラの聖杯戦争に関する資料を集め、マナを忘れまいと藻搔いた。

そして十年前。

 

「シェイクハンズの悪夢が起こった。ツキとの出会いは、私の全てを変えたのだ。」

 

桃源郷の抑止力ファフロツキーズ。

災害の築いたこの世界を崩壊へと導く存在。

ならば、これを利用しない手はない。

クロノの戦いは、彼女との出会いから始まった。

『救済』とは、神の導きによるものでは無い。

彼の発するその言葉の意味は、サハラの聖杯戦争そのものへ介入し、マナの運命を変えること。

同時に、開発都市オアシスを歴史から排除することだ。

 

「私は『クロ』と名付けられたが、どうにも犬の名前のようで気に入らなくてね。時間を司る神『クロノス』から拝借し、クロノと名乗り始めた。神への信仰心のない私からすると、精一杯の皮肉でもあるのさ。」

「あんた、災害のライダーと繋がりがあるとか言われてたな。ただの一般人が災害と親交を深めるなんて在りもしない話だ。でも、それがシグベルトならば話は別だ。災害のアーチャーは、あんたを知っているのか?」

「彼は私を知らない。というか、彼は全てを忘れている。ただ快楽のために生きるマシーンだ。私には何も残されていないと思っていたが、記憶の他に、私にはある『権利』が与えられていてね。」

「権利?」

「そう何度も使える力では無いのだが、まるでサーヴァントに令呪で命令を下すように、私は彼に行動を与えられる力があった。彼の意思による行動のように見えて、その実、私の意思も混在しているのだ。まるでゲームのキャラを操作するように、ね。」

「そうか。シグベルトがマキリ社を襲ったのは、あんた本人では無く、災害のアーチャーだったのか。」

「そうだ。私には剣もないからね。そして、災害のキャスターが死ぬきっかけとなった、バーサーカーの太陽着弾、その決定もまた、私の意思で彼に手を上げさせた。ダイダロスならば第四区を守って死ぬだろうと信じていたさ。だが、獣の如き、もう一人の私を制止させることは難しい。第三区で革命聖杯戦争の邪魔だてをするというならば、即刻排除の対象となった。ファフロツキーズに命じて、彼を叩き落した。直ぐに命尽きるだろうと思っていたが、案外しぶとく生き残ったようだね。私の誤算だ。」

「もう一つ誤算がある。マキリ・エラルドヴォールは死んでいない。博物館のロウヒが彼女を助けたからな。」

「そうだな。私も当然知っている。だが問題ない。垓令呪はその名の通り『垓』の令呪だ。その一部を拝借したところで、彼女のような人間は違和感を抱くことすらないだろう。被害者の会の連中はよくやってくれたよ。まるで墓荒らしだ。」

 

クロノは彼らの仲間、という訳ではないらしい。

あくまで利用する側だ。神父として、言葉巧みに彼らを扇動したのだろう。

 

「それで、あんたはどうやって歴史を修正する。ただの人間が、あの戦争で何を起こすつもりだ?」

「単純だ。私は私に、この未来を伝える。ただそれだけだ。そして、あらゆる元凶であるザッハークかそのマスターを殺し、最後には間桐巧一朗、君も殺す。サハラの怪物『ヴェルバー』が縫合により蘇る前に、全てを無かったことにする。シグベルトにはそれが出来る。」

「でも、未来が書き換わったら、アンタの存在も……」

「あぁ。無かったことになる。つまりは死ぬ。だが構わない。世界とマナが救われる未来を選択できるならば。」

 

クロノの覚悟は、十年前に決まっている。

巧一朗に出来ることは、彼を止めること一点。

幸い、始まりの聖杯と異なり、所詮は模造品。天還の儀には想定より時間を要しているようだ。

ならばここで彼を倒す。巧一朗は拳を握り締めた。

 

「君に私を止める権利はあるのか?」

「権利だと?」

「そうだ。オアシスという国家が何故、成立したのか。君はもう理解している筈だ。」

「何のことだ。俺はただ、俺の大切な人を奪った災害への復讐のために生きている、それだけ。あんたも災害なら、殺す。」

「大切な人を奪った、か。それはセイバーのことか?」

「あぁ、そうだ。彼女は俺に生きていていいと、そう言ってくれた。だから俺は───」

「セイバーは死んでいない。そして、やがてこの地球そのものを滅ぼす癌となる。」

 

巧一朗の額から汗が零れ落ちた。

『ディートリヒ・ヴェルバー』は、巧一朗を救ってくれるただ一人の存在。そう信じて疑わない。

世界を滅ぼす癌など、妄想だ。現に、彼女はただの虫けらに愛情を注いだのだから。

 

「かつて地球に飛来した侵食星舟、それはとある聖剣使いによって息の根を止められた。そしてサハラ砂漠に残された残骸は風化した。もう二度とは目覚めることはない。それを君が叩き起こしたんだろう?」

「何を……」

「ディートリヒ・フォン・ベルン。アトランティスの進化したパンバにより生み出された対ヴェルバー戦闘兵器。君が召喚したのは彼女だ。そしてあろうことか、君はその糸で、ヴェルバーとディートリヒを繋いでしまった。これにより『原初のコラプスエゴ』が誕生したのだ。」

「破綻者、は、オアシスで、キャスターが最初で……」

「ディートリヒは『いつか蘇る王』という性質を宿した英雄。その特性が残骸と混ざり、ヴェルバー復活の兆しを与えてしまった。ヴェルバーを殺す兵器が、ヴェルバーと融合し、破綻したサーヴァントとして現界したのだ。そして彼女は君を愛した。『蘇らせてくれてありがとう』とね。」

「違う、俺と彼女は愛し合っていた。だって、彼女は、彼女は!」

 

巧一朗は声を荒げる。

その焦りを、クロノはひどく冷めた目で捉えていた。

 

「彼女は『グズルーン』だと?」

「っ…………なんで、それを…………」

「サハラの聖杯戦争には謎が多く残されている。例えば、これがそうだ。ランサーの霊基で呼び出されたサーヴァント『グズルーン』、君は彼女を『セイバー』と呼称し、愛を謳っている。だが君を救う存在は『ディートリヒ・ヴェルバー』だ。一体どちらが君の恋人なんだい?」

「…………」

「それとも、まさか、君の『糸』は、それすらも繋げているのか?」

「っ!」

 

巧一朗は走り出した。

ある意味で、現実から目を背ける為に、クロノに殴り掛かろうとする。

だがクロノはそれでも、戦闘の意思を見せない。

口を閉じようとはしない。

 

「災害により殺された復讐か。まるで物語の主人公のような立ち振る舞いだ。生まれた意味のない君にとって、その役割は酷く心地いいものだろう。」

「黙れ!」

「でもその復讐に意味はあるのか?やがてディートリヒはこのオアシスも滅ぼす。君の仲間も、全員残らず殺される。君のせいでな。」

「彼女は、お前達に殺されたんだ。もう蘇りなんて……」

「目を背けるなよ。薄々気付いているだろう。『いるじゃないか』。」

 

巧一朗は足を止める。

そして自然と拳を下ろした。

 

「いる…………?」

「君の傍に、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、いただろう?」

「何を言って……」

「彼女が自分で言ったのだろう?自らが『原初のコラプスエゴ』だと。」

「彼女……………………?」

 

「君の傍にいて、ときに君を嘲笑い、ときに君を窘め、ときに君を救い、常に君と笑い合う、そんなサーヴァントが、いるじゃないか。ずっと、ずっと、ずっと、助けられてきただろう?君の相棒に。」

 

「俺の……」

 

 

「キャスターを名乗る、破綻者のサーヴァント。その中に『ディートリヒ・ヴェルバー』はいる。そんなことにも、君は気付いていない。」

 

 

「え………………………………………………………………?」

 

巧一朗は固まった。

理解が及ばない、追い付かない。

同じ顔をしているのは、性悪な探偵の粗悪な趣味で、決して本人である筈がない。

 

「キャスターが、セイバー?」

「そうだ、そしてやがてサハラから飛んでくる彼女の素体と融合し、完全なる復活を遂げる。そのとき、桃源郷は、世界は滅び去るのだ。全ては巧一朗、君の責任だ。」

「俺の……?」

「つくづく疑問に思うよ。博物館で君のことを調べれば調べる程にね。間桐桜の胎内から生まれ落ちた虫が、世界をここまで狂わせるとは。巧一朗、私は君にこの言葉を投げかけよう。」

 

クロノが口にした言葉は

巧一朗にはあまりにも重い一言だ。

それは『呪い』そのものだ。

彼の存在そのものの否定。

 

巧一朗は膝から崩れ落ちる。

そして小刻みに震え出した。

誰も彼を救わない。彼はこの世界において『害虫』そのものなのだから。

 

 

「巧一朗、君は『生まれてこなければ良かったのに』。」

 

 

 

 

【キングビー編⑭『エピソード:クロノス』 終わり】

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編15『エピソード:アンサー』

大変お待たせしました。
キングビー編は次回で最終回!
感想、誤字等ありましたらご連絡ください!


『メアリー・セレストに関する考察』

 

開発都市第三区。

ドロドロに溶けた残骸、または肉片。

桃色の髪を二つに束ねたかつての栄光(アイドル)は、矢を受けた衝撃により全身ねじ切れた。

 

『幽霊船と呼称されたこの船にて、突如消失した十名の乗組員たち。デッキは浸水状態、食料は残されたまま、乗組員のものと思われる血痕が残されていたが、船体には目立った損傷はなし、だが、説明が不能の損傷は発見された。そして重要な点が二つ』

 

奇跡とも呼べる可憐な顔は、地の底より這い出た捕食者により飲み込まれていく。

男を虜にする瞳も、豊満な胸も、艶やかな足も、こうなれば只の肉塊に過ぎない。

『生』の触感を味わい尽くしながら、捕食者は桃源郷の抑止力を食べ続けた。

 

『船室に取り付けられた掛け時計は機能しておらず、羅針盤が何者かによって故意に破壊されていた、ということ』

 

そしてひとしきり食い散らかした後に、己の頭を抱え、暴れ回った。

それはファフロツキーズという現象そのものを咀嚼したことによる副作用である。

捕食者は複数の『足』をせわしく地面に叩き付けながら、抑止力を身体の内側に吸収した。

口元に付着した液体を舌で舐め取り、両手の爪を立て、頬を掻き毟る。

 

『私が推察するに、状況証拠から見て、彼らは何らかの超常現象に巻き込まれた可能性が高い。メアリー・セレスト号が漂流していた海域から捉えると───』

 

捕食者はか細い声をあげ、目を擦った。

零れ落ちたのは、涙か、それとも、潮水か。

彼女の哀しみは、己の召喚者と、己の『息子』と呼べる存在に向けてのもの。

あまりにも長い人生を経て、彼女はついに、彼女自身を知る。

 

『以上が、メアリー・セレスト号の未解決事件の真相だ。故に、君という存在の意義はここで潰える。だが、もしも、ここからはもしもの話だが、君が難破船では無く、難破船を難破船たらしめた、そのもの、であったならば、話は大きく変わるだろう。私は君が未解決ミステリー以上の何かでは無いかと思っているよ』

 

虚数の海に沈んだ、彼女のマスター『間桐桜』。

その現実の肉体に宿る形で召喚された彼女は、メアリー・セレスト号として戦い続けてきた。

だがその偽装真名は、言わば安全装置(セーフティー)だ。主人がつけた首輪であり、博物館を守る為に生み出した仮の姿そのもの。

千年を生きる災害を殺し尽くすうえで、漂流船の結末だけでは足りない。

故の二段構え、と捕食者はにやけるが、誰も彼女の覚醒は望んでいない。

彼女がメアリー・セレストとして生きることが、どれ程求められていたか。

キャスターの推理力により紐解かれるパンドラの箱。

災害を殺すための『災害』が、生まれようとしている。

 

『君のこれまでの話、そして巧一朗の存在、そして虚数魔術と、虚数海に漂う【隣人】。これらから導き出される答えだ。間桐臓硯ないし桜、正義を志す間桐が辿り着いた答えこそが君だ。対ヴェルバー戦闘兵器とも呼べるだろう。無論、星舟そのものを想定して、では無い。外世界及び降臨者全てに対するアンチシステムだ。』

 

「私の名は」

 

『この星そのものに寄生し、かつてよりその特殊海域に迷い込んだあらゆる生命体を取り込み、虚数へと変換した。そしてそれは廃棄情報媒体【隣人】として縫合された。即ち、君は【隣人】の生みの親であり、まぁ、ある意味、巧一朗の母親、とも言えるだろう。第四区博物館は災害を暗殺する為の機関、では無く、人類創世の為の研究施設だ。君はそれをもう、知っている筈だ。』

 

捕食者はゆっくりと立ち上がる。

彼女は自らの首にかかった、第四区博物館館長としてのネームカードを握り締めた。

夥しい血液で赤黒く変色した白衣を翻し、亀の歩みで動き始める。

彼女の目標は一つ、この母体が産み落とした愛しき息子の元へ。

 

捕食者、間桐桜の名を語る英霊、否、怪物。

彼女の名は───

 

『君の真名は』

 

 

「『三角海域の魔物(ルスカ)』」

 

 

【キングビー編⑮『エピソード:アンサー』】

 

災害のみが立ち入ることを許された天空城塞。

サンコレアマルと同規模の空間、白色で統一された不可思議の場所で、二人の男が対峙する。

第四区博物館裏戦闘スタッフ、間桐巧一朗。

第四区博物館副館長、神父業を営む、言峰クロノ。

巧一朗は衝撃の事実を聞かされ、それでもなお、浅葱色の目で彼の敵を睨み続けた。

外側からクロノを観察し、分析する。

元は災害のアーチャー『シグベルト』であった男だが、今のクロノは人間そのもの。

あろうことか魔力すら有さない、搾りかすのような状態だ。

その戦闘能力は未知数だが、戦略の幅は巧一朗に比べ、狭い。

故に、ペルディクスをこの場から消し去った。今のクロノでは彼女に叶わないという判断だろう。

もし、計画をただ遂行する為ならば、巧一朗自身も追放してしまえば良かったが、クロノは敢えてそうしなかった。

慢心によるものか、はたまた。

どちらにせよ、巧一朗にとっては好機だ。

彼はクロノの『天還の儀』を阻止するべく、走り出した。

 

「言峰クロノ、俺が、あんたを止める!」

「巧一朗、君にはその権利はない。桃源郷の、否、この惑星そのものの害虫、それが君だ。」

「五月蠅い!」

 

巧一朗は全速力で駆け、クロノの顔面に殴り掛かる。

博物館でトレーニングしてきた日々、数々の任務をこなした経験、そして、招霊転化で繋がった二人の流霊の知識、戦闘センス。

全てが今の巧一朗を形作っている。

クロノは巧一朗の渾身の右ストレートを軽く往なし、空いた腹部に強烈なアッパーを叩き込んだ。

巧一朗はその反動で数メートル吹き飛ばされる。

 

「私は今、セミの抜け殻だ。だが、元は英雄シグベルトだ。舐めてもらっては困るな。」

「くそ!」

 

巧一朗はすぐさま立ち上がると、再度クロノに向け走り出した。

クロノは構えたまま、彼の攻撃を待つ。

どの位置から踏み込まれても対応できるよう、パターンを細分化し、想定する。

シグベルトはかつての偉大な王であり、また騎士でもある。

知略に長けた側面に加え、こと戦闘では他者の追随を許さぬ圧倒的な能力を発揮する。

巧一朗に対し、それは遺憾なく披露された。

一歩、レンジに到達した巧一朗は、両手による殴打に加え、足技を加えていく。

その一挙手一投足に着目し、クロノは着実に裁いていく。

どこか格闘技、とりわけ合気道にも似たスタイルだが、クロノのそれは我流によるもの。

受け止めるのではなく、受け流す。まるで先を読んでいるかのように、巧一朗の攻撃は悉く跳ね除けられる。

左拳、右拳、どれも空を切り、対象へは届かない。

一手に込められた魔力が分散する感覚。攻勢に出ているのは巧一朗の筈なのに、防御に徹するクロノに勝機がある様に見えた。

 

「脇が甘いぞ、巧一朗。博物館で積み上げてきたものはその程度か?」

「くっ!?」

 

クロノは巧一朗の足技をギリギリのところで躱し、バランスを崩させる。

そして彼の顔面ごと、地面に叩きつけた。

鼻の骨が砕けるような衝撃に、巧一朗は苦悶の表情を浮かべる。

クロノは一瞬ダウンした巧一朗に更なる追撃を与えようとするが、すんでのところでその拳を仕舞った。

そしてあろうことか戦闘中の相手を放置し、踵を返す。

ROADは満たされたのだろうか。もし天還の儀が成立したならば、巧一朗は、このオアシスはゲームオーバーだ。

無防備な背中に、巧一朗は飛び掛かろうとする。だが、クロノの発した言葉に、彼は足を止めた。

 

「巧一朗、君は何の為に戦う?」

 

クロノは振り返る。

その声色は、巧一朗を惑わせようとする巧みな話術から来るものでは無い。

純粋な疑問、子どもがあらゆることに興味を持つかのような、知的好奇心そのもの。

だから、巧一朗は動けなくなる。

何故、彼はいま、拳を振り上げているのだろうか。

 

「愛するセイバーを殺されたことへの復讐。それが君の価値そのものだ。だが、セイバーは君のコラプスエゴの中で生き続けている。そして放置すれば、やがてオアシスと世界そのものを殺し尽くすだろう。博物館で出会った仲間諸共ね。なら、君の復讐とは即ち、世界を滅ぼすことへの肯定、犯罪教唆だ。」

「俺は…………ただ彼女に会いたくて…………彼女は世界を滅ぼしたりなんか……」

「彼女は『ヴェルバー』だ。サハラに、アトランティスに眠る残骸を糸で結びつけ、再生させてしまった。我々も君らにとってみれば悪夢そのものかもしれないが、セイバーは真に『災害』だ。そこにヒトの意思は宿らない。とってつけた恋心で、ヒトの真似をして楽しんでいるに過ぎないのだ。」

「…………」

「気付いているのだろう、君は。何故なら、あのサハラの地で、君は見た筈だ。」

 

巧一朗はフラッシュバックする。

巧一朗と二人の楽園を築くために殺戮を繰り返すディートリヒ・ヴェルバー。

現地の人間は原型が残らぬレベルで解体され、砂漠は血の海と化していた。

災害のバーサーカーが命懸けでこれを止めたが、彼のマスターである少女は、命を燃やし尽くしてしまった。

ああ、知っている。

彼は見て見ぬふりをした。

『虫』である己を愛してくれる存在が、大罪人であろうと、災害そのものであろうと。

彼をただ肯定し、『生まれて来てくれてありがとう』と抱き締めてくれるなら。

どんな悪意であろうとも、彼には救いそのものだから。

 

「人類を滅ぼしても、災害(ヴェルバー)を抱く未来を選び取るか?」

「……っ、それは……」

「もしそうならば、朗報だ。君の所属する第四区博物館の目的と合致する。君は名誉テロリストとして称えられるだろう。」

「博物館の……目的?」

 

第四区博物館は、このオアシスの財産として、指定文化財である聖遺物を管理する組織。

だがその実態は、間桐家が創り上げた、災害を葬り去るテロ組織だ。偽りの歴史を否定し、正義の名目でオアシスを正すべく戦っている。

天還の仕組みにいち早く気付き、ついに災害のキャスターへと実質的な勝利をもぎ取った。ある種、革命軍のような働きである。

だが、クロノはこれを否定する。

第四区博物館副館長であった男が、ここを離れた理由でもあった。

 

「そもそも、この日本という国を滅ぼし、生まれた社会が『開発都市オアシス』というのは可笑しな話では無いか?」

「何が?」

「実質的に災害により千年は運営されている社会だ。これは国と銘打っても差し支えないだろう。だが、ここはあくまで『開発都市』だ。まだ発展途上であることが示唆されている。そして、オアシスという名。地獄の砂漠の中で現れる桃源郷だ。」

「この繭の外の世界から、時間軸だけが切り離されている。災害のライダー『カナン』の仕業、だと推測される、けど。」

「あぁ。ダイダロスが生み出した『舟』こそが、この開発都市だ。そして、カナンが持つ災具でもある。彼と、我々はこれを『カナンの箱舟(カナンズ・アーク)』と呼称している。」

 

「『カナンの箱舟(カナンズ・アーク)』……」

 

クロノは一呼吸置き、真実を告げる。

巧一朗には、それを知る権利があると、そう認識した。

 

「ノアの箱舟は知っているな?原理は同じさ。我々災害の目的は、この桃源郷をこの惑星そのものから切り離し、数千年先の未来へと旅立とうとしている。地球が積み上げてきた英霊の歴史を足蹴にし、新たなる地球へと帰還する船旅、それが『カナンの箱舟(カナンズ・アーク)』だ。」

「地球から、旅立つ?」

「結論から言えば、我々は『ヴェルバー』を放置する。桃源郷を除く世界を全て放置し、我らの民だけを救うのだ。」

 

クロノは告げる。

災害のライダーの立てた計画は、この惑星そのものが砂に帰すそのとき、この桃源郷だけは守り切るという事。

この惑星が築き上げた歴史から開発都市を切り離し、独自の世界、箱庭として存続させる。

ならばこそ、始まりの聖杯『リンネ』の故郷、日本が選ばれた。

島国であるからこそ、外界の干渉に遅れが生じるこの土地は、カナンにとって都合の良いものであったのだ。

来たるディートリヒ復活の日。箱舟はセイバーのみを世界に取り残し、途方も無い年月の旅に出る。

 

「そんなことが…………出来るのか……」

「カナンという現代まで残り続ける醜悪な呪いだからこそ、叶う。約束の地に土着したヒトの願いであるが故に、あの男はあの土地に関する全ての所有権を得る。かのダビデ王や、ソロモン王に至るまで、カナンは己の四肢のように力を引き出すことが出来る。もっとも、今のあの男には遠い話だがな。」

 

災害のライダーは彼すら所持しない奇跡の箱舟の維持に、己の全てを捧げた。

彼はいま、災害のサーヴァントの中で最弱と言って差し支えない程に消耗している。

抑止力ファフロツキーズに対抗するには、災害のランサーの存在は必要不可欠だった。

 

「そしてここからが本題。第四区博物館は、災害を排除する組織、そう君も認識しているだろう。」

「勿論、そうだ。」

「だが、それだけに留まらない。博物館の、というより、臓硯の意思、そして桜の意思があり、相反する目的のままに動いている。最終的に、ヴェルバーをどうするのか、という点だ。」

 

間桐臓硯は、既にこの世を去った。

だがデータベースにて、彼の絶対正義は遺されている。

魂の物質化を目指した男が、最後に辿り着いた結論は、巧一朗には到底許容できるものでは無かった。

 

「後者はヴェルバーの使役、いや、ここでは管理という言葉が相応しいか。巧一朗、君の恋の感情と共に、二人の為の楽園を創造しようとしている。そして前者は、ヴェルバーとの共生だ。」

「何が違う?」

「後者は人々も世界も保護する。そもそもディートリヒ・ヴェルバーは巧一朗の『縫合魔術』によって生かされている存在だ。この肉体を繋ぐ糸を管理できれば、マリオネットのように檻に閉じ込めて置ける、という思考。だが前者は違う。ヴェルバーにより世界をリセットし、新たなる人類を構築しようとしている。」

「新たなる……?」

「ディートリヒに身体を与え、巧一朗と番にさせる。そうして生み出される新たな人類、新たな秩序。更地と化した惑星に新人類が誕生する。博物館のデータベースには、こんなものも用意されていたぞ?」

 

クロノは自らのデバイスを放り投げた。

受け取った巧一朗は、その画面に表示されたモノに絶句する。

それは心臓部位がエネルギー結晶として露出した、蝶の翼を有する新人類のケースモデルだ。

巧一朗は画面に映るヒトを見て、思わず言葉を漏らした。

 

「蝶の羽を持つ異形」

 

【挿絵表示】

 

彼は自らも虫でありながら、異形という言葉を敢えて用いた。

それほどまでにおぞましく思われたのだ。

きっと桜が彼を産み落とした時、同じような感情を抱いたのだろう。

やはり何故彼はいま生きているのか、彼自身分からなくなってしまう。

クロノの話術に、乗せられている、そんなことには気付いている。

でも、彼は嘘を付いていない。これは災害が死に、巧一朗が幸せを得た未来なのだ。

 

「この開発都市は、航海を始める為にこれまで存続されてきた。災害は勿論のこと、輪廻の子孫たち、遠坂は都市開発に貢献し、マキリとアインツベルンは英霊の格を落としつつ、人々に寄り添わせる形で、区民を育て上げてきた。そしてアヘル教団はいま、旅の終わり、この惑星へ帰還したそのとき、異聞環境に身を置く際に適応できるよう、ヴェノム技術で適正者を進化させている。だからこそ、博物館はやはりテロ組織なのだ。君がこれまで救い、救われてきたものを犠牲にし、君だけの楽園を築こうとしている。間桐桜は真の意味で、君の味方だ。」

 

唖然とする巧一朗に、クロノは再び近付き、彼の頬に拳を突き入れた。

クロノ渾身の右ストレートに、巧一朗は倒れる。

まるで喝を入れたかのような一撃に、巧一朗は戸惑った。

 

「やはり、君など生まれてくるべきでは無かったのだ、巧一朗。私が過去へと至り、サハラの地で、君を『無かったこと』にしてやろう。」

 

巧一朗は立ち上がれない。

クロノの方が正しいと、認めてしまっている。

災害が壮大な計画を実行に移すのも、博物館が彼だけの為に世界をどうにかしようとしているのも、英雄の歴史が搔き乱されたのも、数々の人々の未来が失われようとしているのも。

全て、彼がいるからだ。

ならば、クロノが巧一朗を殺害すれば、全てが丸く収まるのでは無いか?

開発都市オアシスも消え、日本という国も復権し、サハラの物語は、あの地獄のような砂漠で完結する。

それでいい、それで。

向日葵のような彼女は、今も心の中に。

 

「準備は整った。さぁ、さらばだ巧一朗。この桃源郷と共に、沈め。」

 

何かが動き出す音がする。

歯車が回っているかのような音だ。

白い部屋に、何か得体の知れないものが現れた。

視界の中で、えらくそれは目立っている。

きっとそこにROADはあるのだ。

クロノの身体が光り始め、数センチ、地面から浮かび上がる。

巧一朗は不貞腐れたような表情でクロノの様を捉えていた。

何もかもがどうでもいいと、そう思った時、ふいに彼の脳にある言葉がよぎる。

ファフロツキーズとの戦いで、ダストはただ一画の令呪に祈りを込めた。

 

『令呪を以て、間桐巧一朗に命ずる。』

 

ダイヤモンドダストは、汚名だった。

ただそこに属するというだけで非難され、想いを踏みにじられた。

自らが生まれた意味を失う程に、追い詰められていた。

そんな彼女が最後に伝えた言葉は、彼を気遣うものだった。

だからこそ、彼は雷上動を放つことが出来た。

 

 

「『生きていて良かったと、心の底から言えるその日まで、貴方の旅を続けること』」

 

 

巧一朗は呟く。

ダストはきっと気付いていた。

ダストが生きる意味を探す手伝いに名乗りを上げた彼が、今なお迷い続けていることを。

彼女の言葉が、巧一朗の頭を駆け巡り、紡いでいく。

 

「コーイチローは、好きな人いる?」

「いる。」

「いるんだ、じゃあ私は失恋だ。」

 

倉谷美頼。

酷く危なっかしい博物館のおてんば娘。

巧一朗に恋し、彼の手を引いてくれる存在。

虚行蟲である真実を告げることは出来なかった。嫌われたくないと、そう思ってしまっていた。

 

「俺の役目はこれで終わりだよ。……信じているぜ、必ずミノタウロスを倒して、無事に帰って来い!」

 

鶯谷鉄心。

博物館のお調子者で、ムードメーカー。

巧一朗と馬鹿な話で笑い合う、心優しき友達。

 

「巧一朗さんはもっと強くならなければなりません。エラルに負けないくらい、エラルを圧倒するぐらいに。」

 

鬼頭充幸。

皆を取りまとめる冷静沈着な姉御肌。

巧一朗のことを信頼し、導いてくれる。

 

「君の名を教えてくれ。助手であり、相棒であり、我がマスターである君の名を。」

 

そして、キャスター。

彼を欺き、嘲笑い、時に助け、並び立って歩いてくれる少女。

契約関係に無い筈の彼女は、ずっと、ずっと彼の傍にいた。

 

糸が伸びて、繋がり、広がる。

災害の計画は、彼の愛する少女を捨て置くもの。それは許容できない。

博物館の考えは、たとえ恋が叶っても、大切な仲間は救えない。

クロノの旅立ちもまた同じ。

 

────全部、許容しない。

 

世界を救う正義も、ヒトを救う正義も、違う。

巧一朗はどこまでも害虫だ。幸せに巣食い、絶望をまき散らす。

だが、ずっと昔からそうだった。

間桐の想いは継がない。彼はどこまでも我儘に、自分勝手に、旅を続ける。

 

「巧一朗?」

 

クロノはゆっくりと立ち上がる巧一朗を眺めた。

先程までとは何かが異なる。

彼の肉体に纏いつくオーラに、彼は冷や汗を浮かべた。

 

「セイバーを愛している。それは本当だ。でも、もし道を踏み外したなら、容赦はしない。キャスターは性格の終わっている変人だけど、でも、己を抑え込んで、これまで生きてきた。」

「ヴェルバー復活は必ず起こる事象だ。」

「復活して、皆を脅かす存在になるなら、俺が全力で止める。俺は、キャスターと、美頼と、鶯谷と、倉谷教官と、みんなと、このオアシスで生きていく。俺が守りたいものは全部守り、彼らに仇為す存在は俺が根こそぎ蹴散らす。これは俺のエゴだ。」

「無茶苦茶だな。」

「あぁ。そうだ。でも生きていくってことはそういうことだろ。」

 

巧一朗の手の甲に宿る、最後の令呪が光り輝いた。

イカロスの翼、頼光の雷上動、それぞれの形を模した痣は消え去り、丸い形のものだけが残されている。

これは然るに、虫の卵だ。ひび割れ、ついに幼虫が現れる。

最後の一画は形状変化し、彼の腕まで広がる一つの紋様となった。

 

「令呪が……変化した?」

「これはまだ使用しない。使う必要が無いからな。あんたを止めるには、俺の力だけで十分だ。」

 

巧一朗はダイダロスとの決戦より前、虚数海で母と再会した時のことを思い出す。

 

「隣人を呼び起こす際にコード変更をする必要は無い。ただ巧一朗自身が、彼の力を身体の一部だと定義する。もし隣人にこれまで通り名を与えると言うならば、その名はずばり「巧一朗」。オートマタを媒介にするのではなく、貴方そのものを媒介に隣人を召喚する。一分しか保てないのも、再召喚が出来ないのも、結局は何度も手を加えてバランスが乱れた結果なの。人間の記憶も、想像力も、万能では無い。想像ならば何でもできると人は言うけれど、想像は常に知識を前提に行われることなのよ。」

 

招霊転化から、招霊継承へ。

オートマタを媒介とした召喚術式から、その身に英霊を宿す魔術へと発展させた。

だが、まだ足りない。

ダイモニオンとの同調よりその先、廃棄情報媒体『隣人』へのダイレクトアクセス。

間桐が指し示す到達点、巧一朗はそこへ一歩踏み込んだ。

 

『我の形を我が結ぶ(コギト・エルゴ・スム)』

 

虚数海潜航型淫蟲、通称『虚行虫』。

彼は虚数の海へとダイブし、0と1で示されたモノクロの巨人へ手を伸ばす。

五本の指から放たれた糸は引き千切られた。

純粋な魔力の奔流に、肉体の一部を破損しながら、それでも、と足掻いてみせる。

死ぬ方が楽で、生きることがこの上なく辛いのに。

それでも生きていたいと思ってしまう。

生物としての本能だ。

 

「なぁ、セイバー」

 

巧一朗は意識の深層で語り掛ける。

当然、誰にも届かない呟きだ。だが囁かずにはいられない。

己の耳を通しての、最終確認とも取れる。

 

「俺のこと、好きだったか?」

 

誰も答えない。

サハラで出会った日のことを懐かしみながら、巧一朗は言葉を紡ぎ続ける。

 

「俺は愛していたさ。でも過去は過去だ。いい加減、前を向かなきゃな。」

 

〈大切な仲間がいるから〉

 

巧一朗は胸を何度も叩いた。

己を鼓舞するかのように、胸のつかえを取るように。

そして再度、手を伸ばした。

彼の戦いを支え続けた、魔力の渦を、今、掴み取る。

 

『讃歌を伝う。我が我であるが為に。』

 

クロノは、何が起きているのか理解できなかった。

突如、巧一朗の肉体は赤い閃光に包まれた。

呼応するように彼の手の令呪はおぞましく形状を変える。

彼は独り言を呟いているように思える。否、それは次なるステージへ進むための詠唱なのかもしれない。

クロノは、ROADの覚醒を急ぐことはしなかった。

巧一朗へと真正面から向き合い、彼の進化を見届ける。

そして巧一朗は叫んだ。

彼の新たなる力、新たなる可能性。

彼のエゴイズムが生み出した、新たなるヒトのかたち。

 

 

『隣人召喚』

 

 

巧一朗の肉体に、虚数海の怪物が流れ込む。

実数界に存在する超巨大空洞、バミューダトライアングルから、虚数の海へと流れ込んだもの。

そして英霊であった筈の記録の全てが分解され、隣人を構成した。

その過多廃棄エネルギーを変換することなく、巧一朗そのものと同期させる。

これより隣人は巧一朗であり、巧一朗は隣人と一つとなった。

覚醒し、彼の髪は赤く染まる。

そしてその背には、巨大な蝶の翼のオーラが宿った。

 

【挿絵表示】

 

「隣人…………?」

「虚数の海へ、お前達が不法投棄したものだ。ゴミに害虫は集るもの、当たり前だろ。」

「私たちが?」

 

巧一朗は先程とは比べ物にならない速度でクロノへと接近し、彼の腹部に強力な蹴りを突き入れる。

油断していた彼はその衝撃で後方の壁まで弾き飛ばされ、轟音と共に巨大なクレーターが生成された。

瓦礫と塵を全身に浴びながら、クロノは腹部を抑え、立ち上がる。

咳をすると、口元から血液が噴き出した。

 

「このパワーは、そうか……」

 

クロノは隣人を理解する。

あれは実数界で不要と打ち捨てられたものだ。オアシスが船旅を決行する時に、重量オーバーとなってしまう概念だ。

海の底に捨てたものが、浮上し、彼らの航海の邪魔だてをしようとしている。

何もかもを無かったことにする。それがクロノの企みであるが、きっとそれは不可能なのだ。

生まれてしまった全てに意味がある。ゼロに戻しても、必ずどこかで破綻する。

だがクロノはそれを認めない。認めてしまっては、あの戦争で失われた全てが無為に帰す。

彼もまた、生きる意味を求めていた一人だからこそ、絶対に巧一朗に負けるわけにはいかない。

 

「私は、必ず歴史を修正する。巧一朗、ヴェルバー、災害、オアシス、全てを否定し、マナを救う。」

「そうはさせない。キャスターも、美頼も、鶯谷も、俺自身も、無かったことになんかさせてたまるかよ。」

 

クロノはファイティングポーズで応戦する。

二人は一歩、また一歩と互いに近付いていき、戦いの土俵に上がった。

 

「第四区博物館スタッフ、間桐巧一朗。」

「災害のアーチャー、シグベルト改め、言峰クロノ。」

 

互いに再び名乗り合い、そして、拳をぶつけ合った。

いざ尋常に、勝負。

再度開幕した戦いは、まず、互いの頬骨を抉ることから始まった。

全力の右拳が交差し、顔面に突き刺さる。

二人は鼻と口から血を放出しながら、距離を取る。

そして野獣のような咆哮をあげ、またもやぶつかり合った。

互いに防御の姿勢は取らない。クロノも、もう攻撃を避けることはしなかった。

巧一朗の能力は未発達だ。将来的には英霊にさえ引けを取らない開花を遂げるが、今はクロノと互角である。

頭髪や首を掴む容赦ない喧嘩に二人は興じている。

災害が見れば、人間同士の小競り合い、ままごとの感覚だろう。

だが今を生きる二人は、全力だ。

相手を殺すための一撃を、何度も、何度も、打ち続ける。

目元も胴体も痣だらけで血塗れだ。でも、決して折れない。拳を仕舞うことを知らない。

手足による暴力すらもままならなくなり、ついには頭突きでぶつかり合った。

 

「巧一朗、お前を殺す。」

「クロノ、あんたを殺す。」

 

全身全霊の殺意。

互いに血と汗と涙を垂らしながら、それでも、睨み合った。

もはや憎しみという段階はゆうに超えている。

痛みを伴っても、己の価値を証明したいだけ。

生の実感に酔いしれたいだけ。

全てを救う為に、己を犠牲にするもの。全てを害してでも、己と己の世界を救うもの。

エゴとエゴが殴り合い、もはや誰にも止められない。

もうとっくに天還の儀の準備は出来ている。

だが、クロノは旅立たない。不毛な戦闘に興じ続ける。

 

「俺は、災害を止める。適正者のみを救うアヘルも止める。そしてクロノ、あんたも止めてみせる。俺の居場所を、俺の巣穴を守り通す。」

「おれが君の戦う理由か!」

「そうだ!セイバーが人類の敵になるならば、俺が、この手で止めてみせる!」

 

不可能だ、と笑うことはしない。

クロノも、巧一朗の可能性に気付いている。

気付いていたから、こうして戦っている。

彼をこの城塞に一人残したのは、クロノの願いでもあった。

 

「巧一朗、君は……ヒトではない……だが!」

 

───パンバの進化の到達点、オウバから解き放たれしパンバのその先を、見てみたい!

 

クロノは渾身の一撃を彼の心臓に叩き込んだ。

これが本当に最後の握り拳だ。もう、一滴の力も搾り取れない。

死ぬ覚悟で戦った。もはや、死ぬつもりで戦った。

だが、その拳は、巧一朗に摑まれていた。

 

「くっ……あぁ。」

 

クロノは全身から力が抜け、倒れ込む。

最後まで立っていたのは、巧一朗だった。

ガッツポーズを取るような真似はしない。

だが、巧一朗は勝利を確信した。

掴んだクロノの手は、熱がこもっていないように感じられた。

彼同様、全力を出し尽くしたのだ。

 

「クロノ……」

「…………ROADを壊せ。それで全てが終わる。」

「あんた…………なんで……」

 

巧一朗からして、クロノの行動は不可解だった。

全てが一枚上手の計略家、もしもツキを止められていなければ、計画は障害なく為されていた。

だが、まるで止めて欲しいと言わんばかりに、人間味のある一面を晒した。

クロノは自身で、敗因を理解している。

即ち、彼は非情にはなれなかった。

言峰神父や、博物館、ガラシャ、ツキ、桃源郷での出会いに、彼は名残惜しさを感じていた。

全てを無に帰す、その覚悟があと少し、足りなかった。

思えば、巧一朗がこの場所に辿り着いた時点で、答えは決まっていたのかもしれない。

 

「私の敗北だ。私はもう、災害では無いが、二人目の災害討伐おめでとう、と言っておこう。」

「クロノ……」

「真の愚かな王(キングビー)は、私自身だった、ということだな。ははは!」

 

巧一朗とクロノの戦いは終わり、各区を巻き込んだ同時多発テロ事件は幕を閉じた。

 

かと、思われた。

 

刹那、クロノの第六感が働いた。

この天空城塞に、何者かが立ち入る。

災害ではない、何か強大な力を持つ存在。

もしクロノが想定する敵であれば、事態は最悪である。

桃源郷を司る、精霊の如き存在。

その実態を把握できていないが、それでも、場合によっては災害より遥かに凶悪であると言える。

 

「巧一朗、この部屋の奥に扉があり、そこに私が使用した観測艇がある。それに乗って、急ぎ天空城塞を離れろ。」

「…っえ?」

「緊急事態だ。敵が来る。ここは私に任せて、行け。」

「ま……待てよ、まだ話は……」

「第四区博物館副館長命令だ。任務を果たせ、間桐巧一朗!」

「っ!?」

 

クロノは叫んだ。

巧一朗を生存させる為、彼に逃げろと命じたのだ。

だが、彼の言う『敵』は待たずして現れる。

巧一朗が侵入した扉から、その姿を見せた。

 

「な…………」

 

巧一朗は絶句する。

白髪の少女は、初めて出会う相手だが、衝撃なことに、衣服を身に着けていない。

生まれたままの姿で、この天空城塞に現れた。

災害しか立ち入れぬこの場所に、素足で。

 

「言峰クロノ、いや、アーチャー、お久しぶり。私のことは覚えているかしらね。」

「あぁ、忘れる訳も無かろうさ。」

 

少女は無垢な笑みを浮かべた。

対するクロノは、金縛りに遭ったかのように、動けなくなっている。

もはや戦う力の残されていないクロノには、残虐無慈悲に殺される未来しか無かった。

 

「クロノ……!」

「巧一朗、逃げろ。急げ。」

 

巧一朗は一歩一歩後ずさる。

その音を聞き、クロノは安堵の表情を浮かべた。

ここで死ぬのは一人で良い。

彼まで犠牲になる必要はないのだから。

 

「何か、申し開きはあるかしら?アーチャー。」

「特にない。」

「そ。」

 

少女は、『遠坂輪廻』は、怪しい笑みを浮かべる。

 

この同時多発テロ事件は、意外な形で、幕を下ろそうとしていた。

 

 

 

【キングビー編⑮『エピソード:アンサー』 おわり】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キングビー編 エピローグ『エピソード:クインビー』

キングビー編、ついに完結。
長らく応援ありがとうございました!
感想、誤字等ありましたらご連絡お願いします!
8/12開催のコミックマーケット102で画集も頒布いたしますので、よろしくお願いします!


ファフロツキーズの消滅から半時間が経過した。

巧一朗と共に走り抜けた者、己の命を投げうって戦った者、サンコレアマル会場から見届けた者。

開発都市第三区にいる全ての人間が、英霊が、空の支配者の死を見届けた。

そしてこの男も同様に。

第三区が革命軍の溜まり場であることを知っていながら、それでも『乗組員』を守ることを選択した男だ。

彼は安堵の溜息を零し、闘技場の方角へ向かう。

 

「今日という日が、桃源郷の最期の日で無くて良かったよ。」

 

彼は災害のライダー『カナン』。

ディートリヒ復活の日、この地球から舟を出航し、脱出を図る船長。

彼と、彼の家族たちは、神の威光により、命を含めた全てを抹消された。

だからこそ、弁えている。絶大な力に抗うことは、勇者たらしめるものでは無い。

何よりも、己の家族と、己の庇護する対象を外敵から守ることが、英雄の条件なのだ。

『カナンの箱舟』はそのためにこそ在る。一人でも多くの民が救われる未来に至るために。

彼は帽子に付着した汚れを手で払うと、深々と被り直した。

いま、サンコレアマルへと向かうのは、彼の仲間を迎えに行くためだ。

 

「……あれ、もう帰ったのか?」

 

彼と共に第三区に駆け付けた災害のランサー『焔毒のブリュンヒルデ』の姿は既に見当たらなかった。

災害を敵視する者の傍にい続けることはデメリットでしか無いが、それにしても撤退するのが早い。

ステレオタイプな恋愛価値観の守護者である彼女自身、ヒトの営みを観察することを忌避している傾向がある。

 

「まぁ、今を生きる者たちの価値基準は、彼女には合わないだろうからな。」

 

彼女は過去に何度も、『偽りの愛』を断罪してきた。

男と女、愛し合い、守り合うその姿勢に反する、勇者足り得ぬ者。愛に飢える災害は、奮い立たぬ者を決して許さない。

カナンにとって、焔毒のブリュンヒルデは信頼できる仲間だ。だが、一歩、踏み込むことはこれまでも、そしてこれからも、出来ないだろう。空っぽの少女にとって、騎士物語の英傑は、たとえ誰であろうとも『シグルド』であり、『シグルド』となる。

もしかすると、彼女は今もなお、間桐巧一朗に好意を寄せているのかもしれない、そう感じたことがある。

だがライダーは『否』と結論付ける。災害のランサーは、恋も愛も知らない。心を持たない。ある麗しのワルキューレの物語をなぞりたいだけの人形だ。

 

「だが、それでも」

 

彼女もまた、船旅をする大切な仲間であるならば。

その幸せを願わぬ者はいない。

カナンは呪いであるが故に、空白の少女が織りなす見様見真似の恋物語を祝福し続ける。

 

ライダーは両手をズボンのポケットに仕舞うと、静かに空を仰いだ。

ダイダロスと、シグベルトは死んだ。

后羿は第六区で戦っているが、彼もまた、人間の可能性に敗北するだろう。

残されるのは、彼と、彼女と、ファムファタール。

誰に恨まれようと、誰に呪われようと、誰に殺されようと、彼だけは、その歩みを止めない。

それが、理想郷へ至る為の、約束だ。

 

災害のライダーはこの第三区から撤収した。

そして彼同様に、この地を後にしようとする者たちがいる。

ハンドスペードの姫君『細川ガラシャ』と、彼女の従者『果心居士』。

彼女らは肉体から光の粒子を漏らしながら、高台へ昇り、第三区を俯瞰していた。

もう領地も、彼女らにとっての居場所も存在しない。

革命軍過激派組織『ハンドスペード』は、彼女らの退却を以て、真に壊滅する。

愚か者が築き上げた栄華は瞬く間に崩れ去り、残ったのはまっさらな大地だけだった。

でも、細川ガラシャは前を向く。

己の罪に向き合い、最期の時まで、両手を合わせ、祈り続けた。

これまで失われた尊き命全てが、天国へと旅立てるように。

自身は地獄の業火に焼かれることを受け入れながら。

 

「爺、李存義、ジョン、シグベルト、ハンドスペードの家族たち、皆に救われた第二の生でした。わたくしは、本当に、本当に多くのモノを手放してしまった。そんなわたくしに出来るのは、これだけです。」

「ガラシャ様だからこそ、皆は戦えたのです。奮い立てたのです。ハンドスペードの象徴が、貴方のような女性で良かった。そう、切に思いますぞ。」

 

ガラシャの身体が、足先から徐々に霧散する。

光に包まれながら、己の死を実感する。

他の者たちには頭があがらないが、その最期は、彼女からして、とても幸せなものだった。

第三区を見つめながら、こうして旅立つことが出来る。

唯一の心残りは、果心居士だけでも生きていて欲しかった、ということだ。

 

「爺、貴方も、もう。」

「時間ですな。こうして最後に姫様と共に戦えて、爺は幸せでしたぞ。生きているのが不思議なくらいでしたが、ようやく、儂も仕事納めでございますな。」

「ええ。本当に素晴らしい作品の数々でした。」

 

ガラシャは噛み締めるように言った。

巧一朗の放つ、最期の矢。果心居士の最終兵器が無ければ、ファフロツキーズを倒すことは出来なかった。

だから、彼女はそれが誇らしい。ハンドスペードの一員が、世界を救う切り札の一つとなったのだから。

 

「あ……」

「いかが致しましたか?」

「虹」

 

ガラシャは空を指さした。

雨が降ったわけでも無いのに、第三区には大きな虹がかかっていた。

ファフロツキーズの降らすものは、血塗られた武器の数々であるというのに。

ガラシャは果心居士が魅せた、虹色の千羽鶴を思い出す。

彼女の背中を押した、美しい空。また、見られるなんて。

 

「あぁ、本当に綺麗ですわ。ねぇ、旦那様。」

 

ガラシャは己に取りつく怨念にも、見せたいと願う。

屈託なき笑顔の彼女を、果心居士は最期まで見守った。

そしてガラシャはついに、桃源郷から消滅する。

果心居士も当然、彼女の跡を追う。

もし煉獄に堕ちていくとしても、彼はずっと傍にいる。

娘のような、孫のような、家族のような、あどけなさの残る細川ガラシャに、

救われていたのは、他でもない彼なのだから。

 

「さて、次はどんな一芸を披露いたしましょうか。針の山をも気軽に乗り越える特製オートマタ、とか?」

 

果心居士は大きく伸びをして、晴れやかな笑顔を見せる。

彼も虹彩に目を奪われながら、オアシスの大地を孤独に去った。

ガラシャの知らぬ間に、彼はサンコレアマルに赴き、己の技術、財産を、若者たちへと継承した。

隠された不良品の果心礼装、それをどうか、第三区の復興の為に活かして欲しい、と。

現代の若い知恵に多くを託し、彼は満足げに旅立つ。

開発都市第三区の未来が明るいことを信じて。

 

革命聖杯戦争は、結局のところ、黄金街道が生き残り、彼女の勝利に終わった。

だがその美酒に酔いしれることは決して無い。勝利の対価など、どこにも存在しない。

戦争が生み出したのは、涙と、怒りと、虚無だけだったのだ。

巧一朗とペルディクスが飛び去った後、黄金街道はフゴウの元へと急いだ。

黄金に輝く産業大橋『シェイクハンズ』にて、元来た道をご自慢の愛車で爆走する。

そして橋のゴールにて、横たわる老人を発見した。

彼は間違いなく、彼女の相棒で、王でもあった、ドン・フゴウこと『マンサ・ムーサ』だ。

 

「王サマ……」

 

全身皺だらけの老人が、痛めた腰を労わりながら、それでもなお、工具に手を伸ばしている。

黄金街道が傍に近付いても、一瞥さえしない。

天の災厄を討伐したこの瞬間も、彼の戦いは続いているのだ、そう彼女は認識する。

麦蔵の玉手箱に込められた『時間』という煙は、彼と、シェイクハンズを満たし、第三区の中で時間の跳躍を果たした。

黄金街道を含めた全ての人間、英霊は玉手箱の力によって、ライフラインの完成が早められた世界線へと至る。

対して、煙を浴びたフゴウだけは、ライフラインを完成させる為の世界に取り残された。

故に、彼は英霊であるにもかかわらず、老い、加速する時間の中で、この奇跡を体現できたのだ。

 

「王サマ、やったんだよ、アタシたち。」

 

黄金街道はフゴウの肩に手を乗せた。

サーヴァントは老いも無ければ、成長も無い。だが、フゴウは玉手箱を開けた結果、ヒトのように年齢を重ねた。

時間という呪い、と彼女は解釈するが、フゴウは異なる。

彼は弱り果てたその手で、今なお工具を握り、固まっていた。

 

「王サマ、ありがとうな、王サマ。」

 

黄金街道はゆっくりと、彼を背中から抱き締めた。

フゴウは何も答えない。

彼女の中で、変わり果てた王への不安が募り始める。

 

「王サマ、帰ろう、グローブの領地へ。終わったんだ、全部。」

「………」

「王サマ?」

 

黄金街道は手を緩め、彼の表情を窺った。

フゴウはどこか遠くを見つめている。

金色に輝く道路の先に思いを馳せているのだろうか。

 

「………………君は」

 

長い沈黙を破り、フゴウはついに口を開く。

だが黄金街道にとって、それは望まぬ言葉であった。

 

「君は……………………誰だい?」

 

黄金街道は絶句する。

彼の前に回り込んで、その顔をまじまじと見せつけるが、フゴウの頭に浮かんだ疑問符は消えない。

フゴウはこの橋の為に、長い時を生きた。

古びたオートマタの記憶媒体が、焼き切れる程に、生きた。

彼はもう、何も覚えていない。

きっと、自身の名前でさえも。

 

「王サマ…………」

 

黄金街道の目からは、大粒の涙が零れ落ちた。

グローブのメンバーとして、共に駆け抜けた日々を思い出す。

もし、もしも、この戦争が勃発しなければ、このような結末にはならなかったのかもしれない。

彼女は自らを攻め続ける。

だが、フゴウはゆっくりと手を伸ばし、彼女の目元を拭った。

そして、白い歯を見せながら、穏やかに微笑む。

 

「おうさま……っ」

「橋を、見てくれないか?」

「シェイクハンズを?」

「あぁ、わたしたちが、みんなで、作ったんだ。黄金なんだ。自慢の、橋なんだ。」

「本当にすごいよ。この橋のお陰で、世界は救われたんだ。」

「そうかい。」

 

フゴウは幸せそうに笑っていた。

黄金街道は、自らの認識が誤っていたことに気付いた。

不幸なんかじゃない。

少なくともフゴウは、彼の物語の終わりを、受け入れていた。

そして心から、幸福だったと、そう思っていた。

だから、我が子のように、シェイクハンズを誇る。

彼と、彼の仲間たちが、共に作り上げた、夢の結晶であるから。

 

「王サマ、アタシはしがないバイク乗りだ。この橋の先まで、一緒にタンデムしないか?」

「乗せて、くれるのかい?」

「あぁ。見に行こうぜ。きっと凄い景色が広がっているんだ。」

「そうか、それは」

 

────それは、とても楽しみだ。

 

黄金街道はフゴウをサイドカーへ誘導する。

そして、彼女は愛馬に跨り、ゆっくりと、ゆっくりと走り始めた。

たまには、この速度も悪くない。

二人は、風をその身に感じながら、ゴールデンロードの先を目指す。

 

「アタシの黄金街道、まっしぐらだ!」

 

満面の笑みで叫ぶ黄金街道に、フゴウはただ微笑み返す。

この先、多くの苦難に見舞われるとしても、彼女はその合言葉を胸に、走り続けるだろう。

二人の、グローブの、黄金巡礼は、始まったばかりなのだから。

 

【キングビー編 エピローグ『エピソード:クインビー』】

 

開発都市第三区と開発都市第二区の境目。

そこには途方も無く巨大な壁が立ち塞がる。

この壁の先へ行くには、第二区の管理者の了承が必要不可欠。

だが、その壁を目の前にした少女は、所持していた剣で、強行突破を図った。

結果、壁は見事破壊されたものの、第二区の自警団を呼ぶ羽目になってしまう。

現れたのは四人の英霊、皆が揃って同じ顔をしている。

少女はその正体を心得ている。白髪で長身の美青年だが、その額には第三の目が開かれている。

彼らは同一個体の反英霊、その名は『塗壁』。

巧一朗がかつて交戦した、第二区の特殊部隊。百のオートマタが違法触媒による不正召喚や、第二区、その裏側に至るまで、侵入者を排除すべく存在している。

彼らは同時に刀を抜き去ると、少女の元へとにじり寄った。

少女は塗壁の台頭に対し、意にも介していない様子である。

 

「貴様は何者だ。」

「侵入者さ。第二区の『アリジゴク』に用事がある。」

 

塗壁の問いに、少女はあっけらかんと答える。

塗壁はこの第二区を隅々まで監視する存在だが、アリジゴクの意味が分からなかった。

それが人名であるのか、特定の場所を示すものなのか。

だが、それはそうとして、侵入者を名乗る者を、はいどうぞと通すわけも無く、彼らは一斉に切り掛かる。

 

「去ね」

「断るさ。」

 

四方からの剣戟を、座り込むことで回避した彼女は、彼らの股下から滑り込み、退避する。

華奢な身体で彼らの追撃をいなしつつ、勝つ為の策を考える。

少女は塗壁の攻撃パターン、そのスキルや宝具に至るまで、既に解析済みであった。

彼らの弱点は、妖怪であるという事。

なら、『以前と同じ方法』で、彼らを一網打尽に出来る。

 

「鼠が。」

 

痺れを切らした一体が、その手を彼女に向け、詠唱を開始した。

彼女の予測通りであるならば、塗壁の宝具が起動されるだろう。

彼らの絶技の名は『漆喰牢(しっくいろう)』。対人宝具で、人間、英霊、妖怪など対象を壁にて捕縛し、完全に拘束する。

四肢そのものが壁と一体化されるため、首を落とされるまで悪夢を見続けることになるだろう。

宝具が起動される際、塗壁の手から巨大な淡色のオーラが飛び出し、敵を捕らえる。

着弾までの時間は約二秒。行動を起こすにはゆとりある時間だ。

彼女は自らの頭をとんとんと叩き、不敵な笑みを浮かべた。

 

『漆喰牢』

 

塗壁の右手から光弾が発射される。

彼女は口角を上げたまま、自らの首元に手を伸ばし、

そして、その電源を切り落とした。

 

「何!?」

 

途端にガラクタとなる、仮受肉用肉体。

崩れ落ちるソレに、塗壁の宝具は着弾しない。

生きて、行動する者を対象に放たれる絶技への解答札は『命を絶つこと』だ。

これは彼女だから出来る、言わば反則技である。

そしてオートマタをすり抜けた宝具はそのまま、彼女の後方にいた塗壁に着弾する。

 

「おおおおお!?」

 

漆喰牢に捕縛される塗壁。

愚かなことに、彼らは自らの宝具で、自らの首を絞めることとなった。

地面に転がった自動人形は、ものの一秒で再起動される。

彼女はこのオアシスに何度でも召喚される。

 

「なぜ、だ。貴様は───」

「『単独顕現』。私はこの世界に必要とされているのだよ。」

 

少女はケタケタと嗤う。

桃源郷の抑止力。災害への対抗札として呼び出された存在。

彼女は世界的犯罪者、そして、破壊兵器の幼体と結びつき、存在が破綻した。

自由に生き、自由に楽しむ。

生に囚われた者たちが、無様に死ぬ様を眺める。それが彼女の愉悦だ。

 

 

「じゃ、お遊びはここまでだね。バイバイ。」

 

少女は何処からともなく、奇怪な酒樽を取り出し、それを漆喰牢に囚われた一体の頭に垂れ流した。

植物の根のように侵食する妖怪殺しの溺れ酒。かの有名な鬼の持ち物を、彼女は忠実に再現し、利用する。

 

「な、これは!?」

「『千紫万紅・神便鬼毒』だったね。蕩けて堕ちて肉塊となれ。」

 

連携する四騎が同時に、宝具の『酔い』に狂わされ、破滅した。

 

「あああああああああ!」

 

塗壁たちは幸福と苦痛の狭間で肉体を溶かされ、声にならない声を上げ続けた。

 

「あははは!あは!あはははは!」

 

少女の奇天烈な力により、彼らは瞬く間に消滅する。

残されたオートマタの残骸を踏みつけながら、彼女は歪な笑みを浮かべていた。

別動隊の塗壁たちが連携し、再度招集がかかるまでの短時間、彼女は目的の場所へと急ぐ。

第二区の災害、アーチャーが命尽きた今だからこそ、彼女は気ままに動くことが出来る。

それもこれも、巧一朗たち第四区博物館の奮闘のお陰だ。

 

「何をするつもりだネ。」

 

不意に彼女は自らそう言い放ち、立ち止まる。

周りの人間から見れば、様子の可笑しな行動だが、彼女は正常だ。

彼女の中で囚われた影が、彼女の肉体を制止させている。

三つの人格を有する破綻者、その主人格は、鬱陶しそうに、頭を掻き毟った。

 

「邪魔をしてくれるなよ、モリアーティ教授。」

「君は、言峰クロノと接触し、桃源郷をリセットするその考えに賛同した。内にいるディートリヒごと心中し、世界を救う為に。なら、君の今の行動は不可解だ。我々がかつて発見した『アリジゴク』は、サハラにいる彼女の端末に信号を送る場所。言うなれば、ヴェルバー復活を促進させる地点だ。」

「あぁ。私はヴェルバーを復活させる。そのつもりだ。クロノの作戦は必ず失敗する。クロノは巧一朗の秘めたる可能性を覚醒させる為の当て馬に過ぎないのさ。第四区博物館の世界創生の為に、彼らをアダムとイブにする必要がある。」

「クロノの作戦が、失敗する?」

「ああ。何故ならば、天還とは『ヒトを過去に送り込み、歴史を改変させる』儀式ではないからねぇ。そんな技術は、たとえ災害でも不可能さ。あくまで全てオアシスという『世界』のみの茶番劇だ。クロノはそれを知らない、いや、ライダーとキャスター以外は知らないのではないかな。」

「開発都市オアシスという新世界。この惑星から舟として切り離し、時間を加速させた。既にその時、オアシスにおける、世界暦が独自に築かれていた、か。」

「そう、言うなればもはや、オアシスは地球歴を模倣した、別惑星だ。そのアンカーチェーンが一本、また一本と外されていくうちに、地球歴の英霊たちは死ぬ。」

「舟の創造主であるキャスター、そして船長であるライダー、二人以外の災害がもし、知らされていないとすると、そうか、そういうことか。」

 

─────他の災害たちは、元より、見捨てられる算段だった。

 

「クロノの作戦は、『サハラの聖杯戦争に介入し、桃源郷そのものを無かったことにする』だった。だがそれは叶わない。天還は歴史改編では無く、『オアシスにおける歴史抹消』だ。その被害者となった人々がどうなったかは知る由も無いが、ライダーとキャスターはトリックを二段構えにし、他の災害すら欺いていた、と考えられる。何故そんなまどろっこしいことをするか、については、災害のアサシンやバーサーカーという不穏分子に対するものだと思えば納得がいく。」

 

彼女は、キャスターは、第二区の裏側に侵入した。

ここは、博物館がミッションで訪れた場所だ。キャスターはここで、謎の穴を発見していた。

開発都市第一区で、厳重に閉ざされている、サハラの目に通ずる巨大ホールと同質。

災害が最も切り離そうとしているモノだ。

 

「アリが通れる隙間のような穴、だから『アリジゴク』。もしこの穴が拡張されれば、このオアシスという舟に、未曾有の浸水被害が齎されるかもしれない。それこそ、転覆する程にネ。」

「サハラの目から落ちた先は、分岐する。第一区内部かもしれないし、充幸のようにオアシスの繭の外側に辿り着くかもしれない。だが、私はここにヴェルバーの端末を引き込みたい。邪魔が入らずに済む。」

「隅の老人、君は災害を止める為の存在かもしれないが、ヴェルバー復活の手引きをするのは、まるで本末転倒だ。」

「だから破綻者なのだよ。私は彼女と一体化し、彼女の意思を尊重した。君とは違ってね。」

「そうかい。私はそんな君が嫌いではないが、全力で止めさせてもらおう。」

 

モリアーティ教授は、確かに世界的な大犯罪者だ。だが、彼は第四区博物館によって召喚され、これまで巧一朗たちの戦いを支え、見守ってきた。

生前の自分や環境ほど、刺激的とも言えなかったが、それども、楽しい日々であったことは確かだ。

巧一朗にはそれなりに、幸せになってほしい。だが同時に、美頼も、博物館で知り合った仲間たちにも、同じように愉快に生きていて欲しいのだ。ヴェルバーを認めれば、本当に全てが霧散するかもしれない。

だから、守る、そう覚悟を決めた。

彼がストッパーとなれば、結びついた隅の老人も、止めることが出来る筈だ。

 

「教授、らしくないな。」

「あぁ。本当にらしくない。だが生憎と、私は『巧一朗』のサーヴァントでネ。彼の本当の幸せのために、命さえ張れるのだよ。」

 

召喚者は違う。でも、キャスターは、彼のサーヴァントだ。

隅の老人の動きを制限し、その場で蹲るように促した。

そして博物館から支給されたデバイスを操作し、信号を入れる。

こんなこともあろうかと、『仕込み』をしていたのが功を奏した。

 

「誰に、信号を届けた?」

「さて、誰でしょう?」

 

モリアーティ教授として出会い、共に白亜の迷宮を踏破した存在。

『天才』の彼女に頼むのが一番早い。

予めダイダロスの翼に、小型通信ユニットを仕込んでおいて正解だった。

モリアーティ教授が助けを求めたのはペルディクスだ。

 

「(彼女はあの翼のお陰で生きている筈だ。なら、大丈夫。)」

 

モリアーティは身体に力を入れ、隅の老人が暴れるのを必死で止めた。

ヴェルバーを目覚めさせるわけにはいかない。

圧倒的な決意のもとに、匍匐前進で、その場を少しずつ後にしようとする。

 

「困るなぁ、実に困るよ。博物館というテロ組織に何の未練がある?」

「未練だらけさ。まだまだ彼らとやりたいことはあるからネ。」

 

そしてついに、モリアーティは隅の老人を掌握した。

その主人格を乗っ取り、身体の自由を手にする。

これまで、彼が表に立つことが多かったが故に、成し得たことだ。

 

「よし、このまま───」

 

だが、刹那。

想定外の出来事が起こる。

これは隅の老人すら予見できていないことだった。

 

「っ!?」

 

彼女の背後に存在する『アリジゴク』が突如、奇怪な音を立て、大きく開かれる。

そしてブラックホールのように、キャスターの肉体を吸引した。

身体のバランスを崩した彼女は、穴の中へと吸い込まれていく。

 

「これは!?」

「何が、起きている!?」

 

二人は同時に驚愕し、成すすべなく、アリジゴクへと落ちていく。

必死に手を伸ばしながら、けれども、その掌は空を掴み。

奈落の底へ向けて、熱く暗い穴の中をどこまでもどこまでも落ちていくのだった。

 

「あぁ、きっと、これはマズイ」

 

───巧一朗、巧一朗、巧一朗。

 

キャスターは走馬灯のように博物館での思い出を味わいながら

 

───頼んだぞ。

 

孤独に消えて行った。

 

 

天空城塞にて。

巧一朗とクロノは、衣服纏わぬ少女、輪廻と邂逅する。

異様な空間で、クロノは自らの死を覚悟した。

遠坂輪廻は静かに笑いながら、彼の元に近付き、そして。

 

「っ」

 

クロノに、一枚の紙を手渡した。

そして輪廻は同様に、巧一朗にも同じ紙を配る。

彼らはその内容に目を通し、驚愕して固まった。

それは凡そ、この状況にはそぐわない、否、有り得ない内容の代物だった。

目を丸くする彼らに、輪廻は不思議そうな顔を浮かべている。

数秒後、やっと口を開いたのは巧一朗だった。

 

「これは何だ?」

「?書いてある通りだと思うけれど。」

「いや、内容のことじゃなくて、その、これを渡した動機を知りたい。」

 

巧一朗、クロノに手渡されたのは、『求人チラシ』だった。

その就職先は、『第一区博物館』。有名な聖遺物保管庫の第四区博物館に対して、全く聞き覚えの無い施設である。

 

「動機って、そんなのヘッドハンティングに決まっているじゃない。」

「ヘッド」

「ハンティング?」

 

巧一朗とクロノは顔を見合わせた。

互いに傷付き血を流しながら、間抜けな表情である。

無理もない。突如現れたのは、このオアシスを司る、始まりの聖杯。言わば土着神のようなもの。

その少女が二人に、第一区博物館への転職を促しているのだ。

 

「どうかしら、かなりの好条件だと思うけれど?」

「いや、確かにうちに比べれば断然ホワイトだけど、でも、え?」

「私を、殺しに来た訳ではないのか?」

 

クロノの至極真っ当な質問に、輪廻は首を縦に振った。

ライダーですら読めない彼女の独自行動、二人が輪廻を理解することは出来ない。

 

「言峰クロノ、災害すら騙してみせたその手腕を私は高く評価しています。殺すなんてもったいない。貴方にはまだまだ『利用価値』があるわ。」

「利用価値、ねぇ。」

「そして間桐巧一朗、貴方は桃源郷で三人目の『イディンバ』よ。ヒトとして生き、その境地へ至った貴方を、私は何より祝福するわ。」

 

輪廻は語る。

宮子曼荼羅、オウバから解き放たれしパンバ、その星の原理を逸脱し、地表の外へ芽吹いた者。

その手段は問われないが、ヒトを超えたヒトに辿り着いた者。

彼らは『イディンバ』と呼ばれ、その命は理想郷においても保証される。

最初の到達者は遠坂輪廻、そして次にアヘル教団の都信華。二人はどちらも、己の起源を知る者たち。

そして虚行虫である巧一朗は、隣人をその身に宿すことで、ヒトの範疇すら飛びぬけた。

イディンバは世界の構造が変化しようとも、次なる環境に適し、新世界を難なく生きていくことが出来る。

 

「宮子曼荼羅?イディンバ?」

 

巧一朗は何も理解できないといった様子だが、クロノは彼女の言葉を飲み込むことが出来た。

彼自身、パンバの進化の先を知りたいと考えていた一人だからだ。

 

「輪廻、宮古曼荼羅には、イディンバという記載は無かった。あれは古い書物だからだ。君は途方も無い時を生きてきたのだろうが、それを知っていたのか?」

「ええ、勿論。私が作ったものだから。」

 

遠坂輪廻はサハラからオアシスに至り、千年の時を生きた。

その魂そのものを彫像へと移し、時に人間として、常に石像として、この桃源郷を運営し続けた。

そしてついに、『エックスデイ』は訪れようとしている。

彼女が求めているのは、理想郷ユートピアを生きる新人類。災害のアサシンが提唱するヴェノムではまだ足りない。

必要なのは、彼女と同質のヒトだ。

 

「だから、貴方達の他に、都信華も第一区博物館へと勧誘するつもりです。もっとも、彼女は拒否するだろうけど。」

「いや、俺も無理だ。あんたが何者かも理解していないし、それに俺には……」

「第四区博物館の仲間がいる、と?」

「そうだ。」

 

巧一朗は真っ直ぐに輪廻を見つめる。

ようやく彼は自身の生き方を見つけたのだ。大切な者たちと共に、今を懸命に生きていくと。

輪廻は顎に手を当て、暫し考え込む。

 

「『輪廻』、『進化』、そして『縫合』。是非とも貴方が欲しいのだけれど、どう勧誘すればいいものかしらね。」

「そもそも、第一区博物館とはどのような組織なんだ?」

 

クロノはチラシに書かれていない、確信に迫った。

ロクでも無い団体であることは当然だろう。だが第四区博物館も似たようなものだ。

クロノは案外乗り気でいた。彼はこれより先、災害に命を狙われる身だ。もし輪廻が必要とするならば、彼女の元にいるのが安全だろう。

 

「第一区博物館は、災害のライダー一人が創り上げる理想都市にて生きていくための基盤を整える組織です。ヴェルバーを外世界に放置し、この舟で航海を開始します。ヴェルバーを止める手段を入手、もしくは、活動を停止するまで旅を続け、いつかの未来に、帰還します。」

 

クロノが語る内容と、概ね一致していた。

だが巧一朗の中で、彼女の言葉に些細な引っ掛かりを覚える。

 

「災害のライダー一人…………?」

「ええ。彼が理想郷の王となる。その為に、他の災害には死んでもらいます。」

 

輪廻はあっけらかんと、そう言い放った。

第四区博物館と同じ、遠坂輪廻は、ライダーを除き、全ての災害を殺そうとしている。

 

「間桐巧一朗、言峰クロノ、仲間になったのならば、都信華、貴方達はその実働部隊です。第一区博物館の裏スタッフとして、残された災害のバーサーカー、災害のランサー、災害のアサシンを暗殺します。」

 

「だから、この私も勧誘したのか。だが私は……」

「元、災害でしょう。知っているわ。安心して、誰にも言わないから。もはやシグベルトではない貴方は私の管理下から離れることは出来ないわ。指先を伸ばせば、いつでも死ぬんだもの。」

「そうか、それはもう、従わざるを得ないな。」

 

遠坂輪廻の要求に、巧一朗は答えるつもりはない。

だが易々とノーを訴えられる状況でもないだろう。逃げ出せば、即死。巧一朗は輪廻の恐ろしさを肌で理解した。

 

「とにかく、これから二人には是非、社会科見学に来て頂きたいわね。第一区博物館がどんな場所か、知ってもらいたいから。そこでゆっくりお茶でもしながら、昔話に浸りましょう?」

「昔話?」

「ええ、そう。私はライダーのマスター、巧一朗はセイバーのマスター、そしてクロノはアーチャー自身、みんなサハラの聖杯戦争の参加者だもの。千年前の顔なじみとの同窓会、とてもワクワクするじゃない?」

「俺はあんたを知らないんだが、まぁ、いいか。茶ぐらいなら付き合ってやる。」

「私には、断る権利は無いだろうね。」

 

輪廻は頷く二人に、満面の笑みを見せた。

これより巧一朗、クロノ、輪廻は第一区博物館へと向かう。

そして彼らの語らいが紡ぐ、過去の物語。

サハラの聖杯戦争、その全容が明らかになろうとしていた。

 

【キングビー編 エピローグ『エピソード:クインビー』 終わり】

 

【キングビー編 完】

 

【キングビー編 完】

 

【キングビー編 完?】

 

【■■■■■■ ■■】

 

【挿絵表示】

 

 

【■■■ ■■】

 

【深層編 開幕】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層編1『巧一朗Ⅰ』

皆様、大変お待たせしました。
『深層編』開幕です!
まずは巧一朗の物語から、お楽しみください。
感想、誤字等ありましたらコメントにお願いします。


固有結界『輪廻曼荼羅』内部。

二人がこの空間に閉じ込められてから既に十日が経過した。

 

「っ……ぐ…………」

 

巧一朗の腹部を貫く拳。

飛び散った赤の液体が女の黒髪から胸部にかけて飛び散った。

彼は既に何十、否、何百と彼女に殺されている。

だが彼はこの空間に用意された全てを用いて、彼自身を『縫合』し続けた。

彼の心臓部位である、虚行虫の核は、隣人の絶対的な魔力で保護され続けている。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 

超常的なまでの再生能力、死に至る寸前を何度も繰り返し、女の技能の完全把握に努めた。

しかしながら、高度な情報戦のその先で辿り着いた結論は、絶望そのものだった。

女はどこまでも、際限なく進化し続ける。もはやヒトの範疇に収まっているとは言えぬほどに。

 

「信華……」

 

巧一朗は女の名を呼んだ。

女は顔色一つ変えず、再生する巧一朗を眺めていた。

これまで親も、友人も、恋人さえも手にかけてきた彼女は、世界の貧弱さと、ヒトの虚弱さに、何もかもを諦めていた。

だから、初めてだ。壊しても、何度砕いても、この玩具は元通りになる。

 

「巧一朗、貴方はとても」

「あぁ。互いに、諦めが悪いな。」

「そうですね。実にその通りです。」

 

都信華はモード『叛喜』『焦怒』『博哀』を経て、最終形態の『崩楽』へと至った。

際限なく身体的強化が行われるこの型は、やがてヒトの臨界を超え、己の器に留まらなくなってしまう。

人間の肉体という枷から解き放たれ、花火のように昇天したのちに、朽ちる。

災害のアサシンへの愛が投与されなければ、彼女に待つのは『死』だ。

そして輪廻の策略に嵌った時点で、彼女の運命は既に決している。

それを理解し、それでも、彼女は拳を握り締める。

これまで手放してきた感情、唯一残された、戦いへの愉悦と興奮。

今はただ、それを愛し、抱擁し続けるのみ。

 

「巧一朗」

 

彼女は艶やかな黒髪から一転、白く染まったぼさぼさの髪を乱雑に纏めると、ゆっくり天を仰いだ。

そしてここにきて、掌を合わせ、祈り始める。

彼女の『神』がどこかで見守っているならば、否、たとえ見放されていたとしても。

ただ信じ、己の全てで華開く。

 

「私が死ぬ前に、貴方の話を聞かせてくれますか?」

「俺の話を?」

 

信華は温かな笑みで、巧一朗の右腕を取る。

それは友好的なものでは決してない。

彼はそれを振り解こうとするが、途端にミシミシと筋肉が引き延ばされる音がした。

そして信華は勢いに任せ、彼の右腕を千切り取る。

巧一朗は痛みに絶叫するが、彼女は首を傾げている。

信華は命尽きる前に、目の前の好敵手の物語に耳を傾けたくなっただけだ。

腰を落として話し合いする訳ではない。彼が一瞬でも油断すれば当然殺害するつもりでいる。

 

「……言っていることと行動が乖離しているぞ?」

「どうせ、貴方は潰れないでしょう?」

 

巧一朗の右腕を乱雑に放り投げ、彼女は穏やかな笑顔を浮かべている。

彼女自身、人と会話するのは好きだ。心理学の講師をしている手前、生徒のフレッシュな意見や、年相応の経験、心理状態は研究材料として学びを与えてくれる。

彼は激痛に顔を歪ませつつ、信華の真っ直ぐな目に感化され、彼の人生を語り始めた。

これは先日、第一区博物館で、輪廻とクロノに話した内容と同じもの。

 

サハラの聖杯戦争の、回顧録である。

 

【深層編①『巧一朗Ⅰ』】

 

「間桐君、ほら、起きてよ。間桐君!」

 

何者かの小さな手が、俺の肩を揺さぶる。

机に伏して寝ていた所為で、肩や首が少し痛い。

椅子が、ぎいと引かれる音が鳴る。

鞄に付けられたアクセサリーがじゃらじゃらと揺れる。

覚醒を促す合図が、そこかしこから鳴り響いた。

 

もう、終わりか。

 

「間桐君ってば、もう。」

「起きているぞ」

 

俺は赤くなり跡のついた額に手をやりながら、渋々と起き上がった。

ぼやけた眼を擦りながら、大きな欠伸で起床を知らせる。

すると、『亜弥(あや)』は手を腰に当て、眉間に皺を寄せた。

 

「授業、終わったからね。」

「あぁ、そうらしいな。」

「そうらしいって、明日はレポート提出期限日なんだよ?どうせ間桐君は手つかずなんでしょう?」

「あー、そうか、そういえば、そうだったな。」

 

俺はその場で二つ折りの携帯電話を開き、教授からのメールを確認する。

通常、教授から直接メールが送られてくることは珍しいが、俺の属する小規模ゼミでは、個人宛に送付されるのが通例だ。

ご丁寧に『間桐巧一朗くん』と、フルネームで記載されている。

教授(ジジイ)は性格が悪いことで有名だった。

 

「前回はちゃんと出したの?」

「いや、間に合わなかったよ。」

「なら、今回出さなければ落単ね。お疲れ様お疲れ様。」

「はぁ、ったく」

 

俺は頭を掻きながら、カバンの中を漁り、書類を取り出した。

環境対策がどうだとか、自然の保護だとか、どうでもいい内容で一万文字埋めなければならない。

とりあえず、カンペかな。

俺は亜弥の方を見る。出来る限り目を潤ませながら、救いの手を求めるように。

だが、亜弥は蜘蛛の糸を垂らすことはしなかった。

 

「無理。」

「どうして?」

「私はもう提出済みよ。正直自分が書いた内容だけど、一ページも覚えていないわ。」

「そうか、残念だ。」

 

俺は立ち上がり、教室を後にする。

この後も別室で講義はあるのだが、そんなものを受けている暇はない。

食堂に籠るか、家に帰るか。

いや、家には桜がいるか。帰る選択はしばらく無しだな。

顔を合わせるつもりは無い。

 

「間桐君」

 

俺は亜弥に呼び止められる。

亜弥は俺の服の袖を引いていた。

彼女の組んだカリキュラムでは、今日の講義はこれで終了の筈だ。

 

「写すのは無理だけど、手伝おうか?」

 

そこにはどうやら天使がいた。

分かりやすく溜息をついた俺に気遣ってくれたのだと思うと、申し訳なさが溢れてくる。

 

「…………いいの?」

「いいよ、仕方ない。この亜弥様は心優しき美少女なのです。救いを乞うものを見捨てたりはしない。」

「さっき無理って言われた気がするけど、まぁいいや、助かる。」

 

どうやら今日は中学受験?の家庭教師のバイトは休みのようだ。

これは幸運だ、と考えたのも束の間。

彼女によって残酷な真実が告げられる。

 

「そうだ、今日は食堂で外部講師の面接対策講演会があるらしいよ。食堂は使えないわね。」

「そんな場所でやるなよな。じゃあどこか空いた講義室で……」

「今日はどこもこれから授業よ。」

「そうか。」

 

四回生は当然のこと、三回生の意識高いヤツが参加する下らないフォーラムだ。

俺はまだ、あまり先の人生のことを考えたくはない。

 

「間桐君の家、行っていい?」

「やだ。」

「即答ね。」

「行きたい場所がある。この前言っていた場所だ。」

「あ、あそこね、りょーかい。」

 

答えは既に決まっていた。

新都に新しく出来た喫茶店、二人で今度一緒に行きたいと言っていた場所だ。

中でも看板メニューのメイプルサンドは、一度食べてみたいと思っていた。

亜弥も同じく、甘いものに目がない。

暇さえあれば、飴玉を口の中で転がしている女の子だ。

 

「それじゃあ、行こう。間桐君。」

 

亜弥は俺に手を差し出した。

俺はその意味を理解できず、暫く固まっていた。

 

「何?その手?」

「何って、恋人同士はデートに行く際に手を繋ぐものでしょう?」

「恋人?」

「うん?違うのかな?」

「いや、多分、違わない。」

 

恋人。

聞き慣れないワードだ。でも、心当たりはある。

俺と亜弥が、そうなのか?

何故だろう。そういうつもりは無かったのだが。

俺はおずおずと、亜弥の方に手を伸ばす。

すると彼女は半ば強引に、俺の手を掴み、引いた。

ひんやりと冷たい手をしている。だが、確かな温もりはあった。

 

「多分って、酷くない?」

「あぁ、いや、すまない。眠気にやられているみたいだ。」

「そうかいそうかい。では目覚ましに甘いものを摂取しにまいりましょう!」

 

亜弥は俺の手を引き、ずんずんと突き進む。

彼女の明るく社交的なリーダー気質に何度も助けられていた。

だから「やれやれ」と呟いてはみるものの、その実、こうして手を引かれるのは嬉しい。

 

新都にある大型ショッピングモール『ヴェルデ』は、我らが大学から徒歩十数分の位置である。

俺自身はあまり利用することは無いが、よく学生連中はここで半日遊んでいるようだ。

……大学に友達はいないので、正直この場所は居心地が悪い。

 

「間桐君?」

「なんか、キラキラした場所だな。」

「間桐君は苦手そうだね。」

「あぁ、いつもの喫茶店と違って、このテナントは利用し辛いかも。」

「あー、アーネン……」

「あそこは景観も踏まえ、落ち着いているからな。お、着いたぞ。」

 

俺と亜弥は『ユウガオ』と看板に書かれた店の戸を開けた。

小ぢんまりとした店内は、老若男女で賑わっている。

どの席を見渡しても、何らかのスイーツが頼まれている。珈琲のほろ苦さより、果実やクリームの甘味を求める客が多いらしい。

俺からすればこれは『アタリ』だ。大衆が好む味は、大体俺からしても美味である。

マイボトル(メイプル)を懐に忍ばせてはいるが、はてさて、俺の合格ラインを越えてくる逸品は出てくるだろうか。

俺たちは唯一空いた座席に腰かけると、ウェイターの用意した水で口を潤し、メニューを開いた。

 

「メイプルサンド?」

「俺はそうする。亜弥は?」

「同じのにしても、ね。私はリッチチョコレートケーキにするよ。一口頂戴ね。」

「応、勿論。」

 

亜弥がチョコレート系を食べるのは珍しい。

どんな心境の変化があったのだろうか。

俺はなんとなく亜弥を見つめていると、彼女と目が合った。

茶褐色の髪に、どこまでも澄んだ青い瞳。

彼女は誰が見ても美人にカテゴライズされる女の子、だが本人は自分自身に無頓着だ。

亜弥が、俺と、恋人。

俄かには信じ難い。否定材料は無いが、肯定するのも時間は掛かる。

 

「間桐君。」

 

ふと、亜弥は俺の頬に手を伸ばした。

そして指で輪郭をなぞり、満足そうな表情を浮かべる。

 

「何だよ。」

「別に。」

 

亜弥が何を考えているかは、俺には分からない。

楽しいのか、嬉しいのか、怒っているのか、悲しいのか。

所謂ポーカーフェイスとかいう。単に俺が察しの悪い男なのかもしれない。

でも俺にとって唯一ともいえる、一緒にいて楽しい存在。

 

「間桐君は、私のどこか好き?」

 

唐突な質問。

俺は顎に手を当て、熟考する。

 

「どこがって、うーん。」

「即答して欲しいかにゃー?」

「優しい、ところ、とか?」

「いやいや、それ目立つ長所が無いときに出てくるワードよ。もっとあるでしょう?面白い、とか。」

「面白くありたいのか?」

「いや、まぁ、別に。」

「スタイルが良いところ?」

「最低ね。」

 

亜弥はジトリとした目で俺を睨む。

仕方が無いのではないか?こういうのは理屈じゃないところもあるだろうに。

暫しの沈黙が俺に冷や汗をかかせたが、店員が注文の品を運んできたことで救われた。

目の前に置かれるメイプルサンドに心が躍る。

彼女も、早速フォークを握り締めていた。

 

「いただきます。」

 

俺たちは同時に発し、同時にお菓子を口に運んだ。

そして口内を広がる圧倒的な甘さ。お世辞にも上品とは言えない味だ。

あれ?と俺は顔を顰めるが、どうやら亜弥も同じらしい。

リッチ、とは何なのか。亜弥がそう目で訴えかけてくる。

俺たちは同時に飲み込み、茫然とする。

最初に口を開いたのは亜弥だった。

 

「まぁ、こんなものよね。」

 

それは半ば諦めに近い言葉。

彼女はどうやら新店に期待していなかったようだ。

確かに、ショッピングモールのテナントで入る喫茶チェーンなど、大体味の底は知れている。

俺は甘ければ何でも構わないが、亜弥はお気に召さなかったようだ。

そして俺は、というと、一口目はそうでもなかったものの、二口目には美味と感じていた。

メイプルが濃ければ濃い程に舌が喜ぶ男。多分、俗にいう馬鹿舌なのだろう。

そんな風に考えていると、俺の心を見透かしたように亜弥はツッコミを入れる。

 

「間桐君の舌は、馬鹿舌というより、サイコ舌。」

「サイコ?」

「常人とはかけ離れている、ということ。」

「亜弥も大概だろう。自分のことを棚に上げるな。」

 

亜弥は可愛らしく舌を見せた。

普段のクールなイメージから一転、お茶目な表情も愛らしい。

これは俺にだけ見せる顔だ。

だからこそ、特別感がある。

俺は見惚れていることを悟られないように、彼女から視線を外した。

ふと、喫茶店に備え付けられた巨大なモニターに流れるニュースに目が留まる。

地方番組に大きく取り上げられたのは、俺たちの住む冬木市で起きた怪事件だ。

 

〈昨夜、冬木市深山町で、男女三名の遺体が発見され───警察は事件と事故の両方で捜査を開始し────〉

 

「深山で、男女三名の変死体が発見された……」

 

深山は俺たちの暮らす町。

そこで何らかの事件が起こってしまうなんて。

亜弥もそのニュースに釘付けになっている。

 

「怖いね、殺人なんて。」

「あぁ。物騒な世の中になったものだな。」

 

亜弥は少し怯えているようにも見えた。

今日はなるべく早く帰宅した方が良いかもな。

俺はそう思いつつメイプルサンドを頬張った。

 

「間桐君、一口頂戴。」

「あぁ。」

 

俺は彼女に皿ごと受け渡すと、不満そうな顔を浮かべた。

どうやら、俺のフォークで直接食べさせてほしい、そうだ。

恥ずかしい行為に、俺は躊躇する。

周りはきっと誰も気にしたりはしないだろうけど、それでも。

 

「自分で切り分けて食べてくれ。」

「はーい。」

 

亜弥はメイプルが特に多くかかった部分を切り取り、口に運ぶ。

そして先程のケーキと同じ反応を見せた。

やはりお気に召さなかったようだ。

彼女はフランス産マカロンと表現したが、俺にはさっぱり理解できなかった。

そもそもパン生地とメレンゲを同じと評するのも可笑しな話ではあるが。

そして二人で互いのノルマを達成し、同時に腹を擦る。

意外と、量が多かったな。

俺はある程度味に満足していた為、本来の目的をすっかり忘れていた。

 

「てか、間桐君。レポートは?」

「あ、そうだ。すっかり忘れていた。」

 

亜弥は大きく溜息をつく。

先程のニュースから、帰宅を急いだ方が良いのは確かである。

成程、俺がいかに早く課題を仕上げられるかにかかっているらしい。

俺は鞄から皺のついたプリント紙を取り出し、ボールペンを握った。

亜弥はどこかだらしない俺を見て、微笑ましい顔を浮かべている。

愛玩動物を見るかのような目線だ。犬や猫のようにでも思っているのだろうか。

兎に角、今はレポートに集中しなければ。

 

「間桐君、ファイトだぞー!」

「応さ。」

 

正直筆は進まないが、やるしかないか……

 

 

そして帰宅を促す十七時のチャイムが鳴る頃。

俺はついにレポートを書き終えた。

大きく伸びをし、凝り固まった肩をほぐす。

亜弥が参考文献の数々を紹介してくれなければ、ここまで手際よく進まなかっただろう。

 

「お疲れ」

「ありがとう、亜弥。凄く助かったよ。」

「どういたしまして。それじゃ帰ろうか。」

 

亜弥はゆっくりと立ち上がり、改めて、俺の手を握った。

彼女は手を握ることが好きである。

他人にべたべたと引っ付く性格では無いが、俺に対しては、繋がりを求める。

男としてはそれが嬉しかったりする。

恋人?になる前からそうだった。

 

お会計を済ませ、喫茶店を後にした。

屋号の書かれた名刺を取り、俺はそれを鞄に仕舞った。

亜弥は「それ、いる?」と呆れている。

もう二度とは来ないかもしれない。そういう味、居心地、雰囲気。

だが俺は、亜弥となら、もう一度来たいと思う。

 

「真っ直ぐ帰宅した方がいいよね。」

「あぁ。送るよ。」

「えー、大丈夫だって。まだ明るいし。」

「いや、あんなニュースが流れた後だからな。」

 

どうせ深山町までは一緒だ。

それに、亜弥の住む所は俺の家よりそう遠くは無い筈。

山奥の方だからな。

一人にするのは気が引ける。

 

俺たちは談笑しながら帰路に着く。

いつの間にか、辺りは暗くなっていた。

時間が経つのは早いものだ。

先に、俺の家に到着してしまった。

薄暗い洋館。住んでいる俺でさえ不気味だと思う場所だ。

 

「じゃあね、間桐君。」

「いや、送るって。」

「いいよ、大丈夫だから、またね!」

 

亜弥は俺の手を振り解き、駆けて行く。

彼女は心の底から、俺に付いてこられるのを嫌がっている素振りだった。

俺にはどうしてもそれが引っかかる。

亜弥の住む場所まではまだ距離がある筈。

俺は彼女のことが気になって、追いかけた。

この冬木ではたまに、不思議な事件や事故が起こる。

胸騒ぎがした。

 

「はぁ……はぁ……」

 

俺は全速力で彼女の背を追いかけたが、その余りの速度に、見失ってしまう。

陸上選手並みの速さで亜弥は消えて行った。

急ぎの用事でもあったのだろうか。

俺は彼女の向かったであろう道を同じように進むしかない。

分からないが、『虫の知らせ』という奴だろう。

嫌な予感、こういうのは大抵悪い方向で当たるから質が悪い。

 

「何を……そんなに急いでいるんだ?」

 

俺は家々を通り過ぎた先、雑木林に差し掛かる。

外套の一つもない、暗闇。

不意に、そこで彼女が鞄に付けていたストラップが落ちているのを発見した。

所謂カプセルトイの一種で、それが亜弥の所有していたそのものとは限らない。

だが、何故か俺の中では確信があった。

これは亜弥のモノだ。

俺はそれを拾い上げ、ポケットに仕舞う。

 

暗闇の先、何かがかさかさと動く音がする。

この先に、亜弥はいるのだろうか?

 

「まじかよ……」

 

額に汗が滲む。

この暗闇の先、とてつもない圧力(プレッシャー)を感じる。

亜弥は、何かに巻き込まれているのだろうか?

くそ!

俺は己に喝を入れ、その一歩を踏み出した。

 

獣道を、落ち葉を鳴らし進んでいく。

携帯電話の光を頼りに、草木を掻き分けた。

どうして亜弥はこのような場所に?

俺は無自覚に歯ぎしりしながら、ゆっくりと歩く。

亜弥の帰る場所は、ここでは無い。

だから、焦る。

 

────枯れ木を踏みつける足音。

 

俺は、何やら人の気配を感じ、すぐさまそこでしゃがみ込んだ。

周囲を見渡し、音の出所を探る。

いた。

亜弥とは異なる、身長が百九十を超える大男。

夜闇に紛れている所為か、異邦の怪物のようにしか見えない。

俺の中の恐怖の感情は最高潮に達した。

ホラービデオならば、彼はフランケンか、ジェイソンだ。

黒いコートを羽織り、闇に溶け込んでいる。

 

「貴様が、悪なる殺し屋。」

 

大男はそう呟いた。

俺に対して、では無い。彼のすぐ傍に立つ、少女に対して、だ。

そして少女の顔を見て、俺は驚愕する。

彼女は、亜弥だ。亜弥が呆然と立ち尽くしていた。

俺は彼女の存在に気付くのに遅れてしまった。

男の言葉など耳には届かない。

助けなければ、一刻も早く、助けなければ。

 

「亜弥!」

 

俺は勇気を振り絞り、立ち上がる。

そして彼女を庇うように、前に出た。

亜弥と、大男は、俺の登場に驚いている。

俺はここで初めて、彼が怪人のマスクなど被らない、人間の表情を持つことに気付いた。

でも、恐怖心が減少することは無い。

 

「間桐君っ……!?」

「逃げろ、亜弥!」

 

俺はこのとき、この大男に亜弥が襲われているのだと信じ、疑わなかった。

彼は「ほう」と呟き、戦闘の構えを取る。

この巨体に殴られれば、骨の一本や二本は容易に砕かれそうだ。

俺はファイティングポーズを取るものの、足はがくがくと震えていた。

大男がその道の『プロ』ならば、俺は確実に殺される。

そしてその遺体を桜が見ることも、きっと無いだろう。

 

「何者だ!お前!」

「私、私はこの町の浄化作用だ。」

「は?」

「癌を切除する外科医のようなものだ。『エクスキューター』、そう呼ばれることもある。」

 

大男は意外なほどあっさりと、己が身分を詳らかにした。

『代行者(エクスキューター)』。

桜にその存在を聞いたことがある。

ある宗教組織から遣わされた、武装集団。なんとなく、そのような説明を受けた。

細かいことは覚えていないが、魔を刈り取る専門機関だとか、なんとか。

『間桐』が生涯関わらないような連中では決して無い。

ていうか、代行者って奴は、ヤバい魔術師や吸血手種なんかを暗殺する連中じゃなかったか?

亜弥は、どうして……?

 

「ただ道に迷った外国人って感じでも無さそうだな。」

「あぁ。だが私にとってこれはサイドクエストだ。未来(ムスタクバル)を名乗る愚か者がこんな辺境にいるとは俄かに信じ難いが、そちらがメインディッシュでな。あぁ、今は『テスタクバル』と名乗っているんだったか?」

「何の、話だ?」

「間桐巧一朗、貴様は関係ない。用事があるのはその『汚物』だ。」

 

何故、俺の名を知っている?

桜なら兎も角、俺を……

そしてこの男は亜弥を指差し、『汚物』と評した。

彼女は涙目になりながら、酷く怯えている。

俺の中にある恐怖心は、やがて怒りの感情へと切り替わった。

 

「そこをどけ、間桐巧一朗。貴様の飯事に付き合うのも一興だが、汚染された臓器そのものを摘出するのが先決だ。」

「意味が分からないが、彼女は俺の学友だ。手出しはさせねぇよ。」

 

俺は代行者に先手を取るべく、走り出していた。

少なくとも『間桐』以外は平穏だった俺の人生において、他者との戦闘経験は全くと言っていい程に無い。

だから距離の詰め方も、手札を切るタイミングも、理解不足。

今は亜弥を逃がすことだけに躍起だった。

 

「おらぁああ!」

 

ふくらはぎからつま先まで、葉脈のように回路が広がる。

両足に灯る緑の輝き、それが俺の運動能力を底上げした。

目にも留まらぬ速さ、と評して良いか悩むが、少なくとも陸上系サークルが見れば、即戦力としてスカウトするだろう。そんなスピード。

俺が駆け出した方向は、大男では無く、亜弥の立つ場所。

彼女を抱きかかえると、急ぎ、その場を離脱した。

 

「ちょ、間桐君!?」

「舌を噛むから喋るな!」

「うんっ!」

 

俗にいうお姫様抱っこという奴だろう。

亜弥は赤面しているが、それは俺も同じ。

こんなところ、誰にも見られたくは無いな。

俺は右も左も分からぬままに、林の中を走り続ける。

追手は…………

 

「まじかよ」

 

真後ろにいた。

俺を風よけに、尋常ならざる速度で追いかけてくる。

当たり前だが、一般人が出せるスピードでは無い。

あと十秒もすれば、男の手は俺の肩に届くだろう。

何とか距離を取らなければ!

 

「くそ!」

 

代行者と言ったか。

テスタクバル、という人?動物?何かを探しているようだが、俺にはさっぱり分からない。

何故いま亜弥を狙うのかも。

癌の切除……亜弥がこの町の大病と言っている。

 

「間桐君」

 

亜弥は口を開いた。

舌を噛むぞと忠告したにも関わらず。

こういう状況で、彼女が言葉を紡ぐとしたら、その内容は大いに想像がついた。

 

「もういいの、間桐君。目を付けられたら終わりなの。」

「っ……何が!?」

「間桐君が巻き込まれてしまう。だからもう、いい。」

 

俺が不意に彼女の顔を見つめた時。

彼女の目には涙が浮かんでいた。

そして俺は地面に右足を取られ、バランスを崩す。

亜弥をその場に残し、俺だけが、その場で転げ落ちた。

あと少しで、この木々の外側へ行けたというのに。

俺は…………

 

俺は勢いのままに、少し湿った落ち葉の山に身体ごと突っ込んでいく。

巨大な木に頭を打ち付け、数秒間意識を失った。

そして気付いた頃には、亜弥と大男は消えていた。

影も形も、見当たらない。

 

「お、おい、亜弥……亜弥?…………」

 

腕に突き刺さった枝を抜くと、そこから血液が溢れ出た。

それを手で必死に抑えながら、俺は彼女の跡を探す。

さっきまでそこにいた筈の彼女がいない。

その事実に、俺は激しい焦りを覚えた。

 

「一刻も早く、探さないと…………」

 

俺はそこから半時間、林の中を駆けずり回った。

亜弥は兎も角、大男は、あの身長だと大いに目立つはずだ。

どうして、という疑念は消えない。

だが今は探すことしか出来ない。

 

「亜弥っ……どこだ!亜弥!」

 

俺はついに林の外に出た。

車道を行き交う車を茫然と眺め、唇を噛み締める。

あの男の素早さは、例えるならば自動車と同じだった。

三十分あれば、どこまで遠くに行けるだろう。

この周辺をくまなく探したところで、徒労に終わるかもしれない。

俺は悔しさを地面に吐き捨てた。

 

「でも、諦める訳にはいかない。」

 

俺は自らの頬を叩く。

そして前屈みとなり、太腿を擦った。

正直癪ではあるが、桜のお陰で、俺は冬木を知り尽くしている。

言うなれば庭だ。

『影に潜む者』がどういう場所を好むかなんて、分かりきっていた。

なら順番に潰していくだけだ。

俺は自分自身に喝を入れ、捜索に乗り出す────

 

筈だったのだが。

 

不意に現れた存在に、俺は足を止める。

いや、全身が氷のように固まったとも言える。

抑えていた嫌悪感が噴水のように湧き出てきた。

いま最も会いたくない人がいる。

 

「巧一朗。何時だと思っているの?」

 

小学生の子どもを叱るような口調で、彼女はそう言った。

だがその目が慈愛に満ちたもので無いことは確かだった。

 

「大学生に門限があるのかよ。」

「ええ。貴方の場合は特にね。」

 

間桐桜。

俺の生みの親。

血の繋がった肉親と言えば、そう。

でも実際は、その種族さえ異なる。

彼女はヒトで、俺は虫。

だから、表情も、声色も、一切熱が無い。

酷く冷たい。極寒の中にいるような、冷たさだ。

 

「さぁ、帰りましょう。」

 

桜は俺の手を取った。

当然の如く、俺はそれを振り払う。

仲良く手を繋いで帰る間柄でも無いだろうに。

 

「悪いけど、まだ帰れない。代行者?とかいう奴が襲ってきて、亜弥が……」

「そう。」

「そう、って」

 

カラカラに乾いた口から出る状況説明は、自分でも思うくらい要領を得ない内容だった。

でも彼女は、一切興味ないように、突き放す。

桜だって、亜弥のことを知っている。なのに。

 

「……深山町で奇妙な事件が起こっていることを知っているかしら?」

「な、なんだよ、藪から棒に。」

「変死体が次々と発見された事件。こんな夜遅くに出歩いて、変な事件に巻き込まれでもしたら。親が子を心配するのは当然でしょう?」

 

そうだ、その通りだ。

親はいつだって、子どもの元気と安全を願うもの。

でも、アンタがそれを言うな。

俺を憎んでいる筈の、アンタが。

 

「さ、お屋敷に帰りましょう。」

「っ…………待てよ!亜弥は…………」

 

次の言葉が、出なかった。

桜の目は、血塗られた赤色だ。

俺はこの眼差しを知っている。

そして彼女に逆らえないことも。

これ以上は、無理だと悟る。

大人しく従うしかない。

 

冬木市の『正義の味方』。

それこそが間桐桜。

臓硯の歪んだ正義を受け継いだ、仕事人としての桜。

俺は何も発せぬまま、間桐邸へと帰宅した。

薄暗い廊下をただ、俯いたまま、歩く。

そして二人暮らしには不釣り合いなダイニングテーブルに、冷めた料理だけがぽつんと置かれたままだった。

 

翌日。

いつものだだっ広い教室には、亜弥の姿は無かった。

そして噂の怪事件は新たな展開を迎える。

四人目の身元不明の変死体が発見された。

事件の現場に居合わせたという学生の撮影した携帯写真を盗み見る。

映し出されていたのは、昨日俺が出会った『代行者』の男。

全裸となり、身体のあらゆる箇所が何者かによって食い破られていた。

 

「亜弥…………」

 

俺は彼女と、そして桜の酷く冷めた赤い目を思い出す。

提出するレポートのことなど忘れ、俺は講義室を飛び出していた。

 

思えば、これが、全ての始まりだったのかもしれない。

俺が、桜と決別し、サハラの地へと赴いたきっかけの事件だった。

 

 

 

【深層編①『巧一朗Ⅰ』 終わり】



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層編2『巧一朗Ⅱ』

ついにサハラ砂漠へ!
感想、誤字などありましたらコメントにお願いします。


「なに……あれ?」

「ハロウィンのコスプレ?って時期でも無いよね。」

 

人の往来が絶えない商店街を、亀の歩みで進む少女。

大人しい色合いの服装には、夥しい量の血液が付着している。

彼女を一目見て、怖気づく者、距離を取る者、噂する者、心配する者、救急車を呼ぶ者、多岐に渡る。

だが誰一人として、声をかけようとはしなかった。

人間が持つ動物的本能が、少女を危険存在だと認識したのだ。

少女はそんな人間たちを気にも留めずに、ふらふらと進み続ける。

会いたい人がいた。今すぐに、抱き締めたい相手がいたのだ。

 

「亜弥ちゃん」

 

少女に始めた声をかけたのは、見知った間柄の人物だった。

彼女、亜弥はゆっくりと振り返る。

そしてその顔を見るや否や、珍妙な声を上げ、逃亡を図った。

だが彼女の腕は既に掴まれている。潜在的な恐怖心によるもので、どこまでも力が抜けていくようだった。

 

「桜……さん…………」

「ちゃんと、名前、憶えてくれていたのね。」

 

第三者は異様な光景に釘付けとなっていた。

ある人は、母親による虐待現場だと捉え。

ある人は、おいたの過ぎる子を温かく迎える親だと捉える。

だが二人は親子というには余りにも似ていなかった。

 

「その血、また殺したのね。」

「…………っ」

「隠さなくていいわ。私は亜弥の仕業だと知っている。冬木は間桐の庭よ?」

「………………私は、ずっと……」

 

亜弥はぽろぽろと涙を零し始めた。

昨日も、そう。

代行者の男に捕らえられたものの、彼女はその支配を解き、殺害した。

意識はない。殺戮衝動も無い。

ただ生命活動を維持するために、彼を『喰った』。

ふと目を覚ました時、目の前に亡骸が転がっていた。

そして自身の口元には、嫌な感触だけ残されている。

 

「辛かったわね。」

「辛い?」

「だって、悪い人は、そんな風に涙は流さないもの。」

「…………っ」

 

亜弥は桜に抱き着いた。

先程まで恐怖の対象そのものだった桜に縋りつき、目鼻を擦り付けた。

桜は母親のように、彼女を抱き、背中を撫でる。

気付けば観衆は興味を失ったのか、はたまた暗示をかけられたのか、その場から消え去っていた。

 

「さぁ、亜弥、行きましょう。歩けるかしら?」

「…………っ…………巧一朗は?」

「会いたいの?」

「はい…………会いたいです。」

「大学が終われば、帰って来るわ。それまでは私の屋敷でゆっくりして、待っていましょう。」

 

亜弥の身体に付着した血液は、桜にも染みついた。

だが桜は眉の一つも掠めない。

亜弥が苦しんだ結果のものならば、享受できる。

冬木で起きた怪事件。亜弥が起こしたものであるならば、解決したも同然だ。

桜は亜弥をその場で背負い、自宅へ向けて歩き出した。

 

【深層編②『巧一朗Ⅱ』】

 

俺はその日、大学へ戻ることなく、冬木市のあらゆる場所を探し続けていた。

だがどこにも、彼女はいなかった。

 

「…………っ」

 

もし探していない場所があるとするならば……

正直、『そこ』にはいて欲しくない。

だがこういう時、悪い方向で予感は当たるもので。

俺が自宅に戻ると、彼女はそこにいた。

 

「亜弥……」

 

彼女はダイニングテーブルに座って、物思いに耽っていた。

あまり見ない服装だが、着替えたのだろうか。

 

「あ、間桐君……」

「心配した、亜弥、良かった!」

 

俺は思わず彼女に抱き着いていた。

亜弥は戸惑いつつも、俺をしっかりと受け止めた。

暫くの間の抱擁の後、俺は隣の席に腰かけ、状況を整理する。

昨夜、亜弥に何が起こったか。

 

「あの大男は、あれからどうなったんだ?何かされたか?」

 

俺は代行者の男が殺されたことを知っている。

だが敢えてそれは言わない。口に出さない。

 

「えっと、その、私もあまり覚えていなくて。気付いたら桜さんに助けられていたの。」

「桜に…………やっぱりそうか。」

 

俺はキョロキョロと辺りを見回した。

だが桜の姿は無い。

自室に引きこもっているのだろうか。

 

「間桐君は、あの後……」

「あぁ、亜弥を探そうとした。けど、桜に止められた。正義の味方の出番だと言われてな。」

「ふふ、桜さんはやっぱり優しいね。」

 

亜弥はくすくすと笑うが、俺にはさっぱり分からない。

間桐桜が優しい?何の冗談だ。

俺を育ててくれていることには感謝しているが、いつ彼女の実験材料になるかも分からないのに。

臓硯と同じ道に進むのはまっぴらごめんだ。

だが、こうして亜弥を助けてくれたことには感謝、しなきゃいけないかもしれない。

 

「そういえば間桐君は、レポートの提出間に合ったの?」

「あ」

「…………ごめん、私の所為、だよね。」

「いや、まぁ、ギリギリになった俺が一番駄目だろうし、ははは。」

 

落単、という奴。

でもこればかりは仕方の無いことだ、と納得させる。

他の講義で取り返していくしかない。

卒業は、まぁ、何とかなるだろう。

 

「もし留年とかしちゃったら、大変だからね。気を付けてくださいな。」

「あまり考えたくは無いな。留年、留年か。」

 

留年も、卒業もしたくない、というのは子どもの我儘だろうか。

俺が働いているビジョンが浮かんでこない。やりたいこととか皆無だし。

努力している人間は、公務員の講座を受けていたり、資格の勉強に励んでいるんだよな。

正義の味方、はごめんだけど、何者でもない自分というのはとても嫌だ。

 

「間桐君?」

「あ、あぁ、ごめん。何となく将来について考えてさ。」

「将来?」

「俺って、どんな仕事が向いているだろうか。」

 

何となくの質問。

でも亜弥は顎に手を当て、真剣に考えてくれた。

 

「博物館の、スタッフ、とか?」

 

その答えは意外過ぎるものだった。

 

「博物館のスタッフ?俺が?」

「うん、何となくだけど。歴史とか好きじゃん。」

「うーん、まぁ歴史的遺産は好きだけども、ああいうのって地域密着型で、子どもを集めて勉強会やイベントやっているイメージなんだよな。俺、子どもってのがどうにも苦手で。」

「そうなの?」

「前も、アルバイトで子どもに声をかけることがあったけど、死んだ魚の目だとか言われたし。」

「それはそうかも。」

 

俺が博物館のスタッフ、か。

資格、とか必要なんじゃないか?

地域コミュニティにも関わっていないと難しいだろうし。

俺は誰かと打ち解けるのに時間がかかるタイプだ。

流石に不向きと言わざるを得ないだろう。

 

「亜弥は……」

「わたし?」

「なりたいものとか、あるのか?」

「私は……そうだなぁ。」

 

亜弥は暫く考えた後、首を横に振った。

彼女も己の進む道に迷っているらしい。

 

「何かね、私さ、時々自分自身が分からなくなるの。ふつーの人生経験は思い出の中にあるんだけど、でも、実感がない。映画の主人公に感情移入しているような状態になるというか。私の人生を生きているのが、本当に私なのか。だから未来のことなんて何にも分からない。いま、間桐君といれたら、それでいいのかなって思っちゃう。」

 

亜弥は照れくさそうに頬を掻いた。

俺としては非常に嬉しい言葉だが、そうも言っていられない。

俺は意を決して、事件のことを聞こうとする。

大男が死んだ。その件に、亜弥が全く関係ないとは思えない。

いや、確信がある。俺は『亜弥』という人物を良く知っているから。

 

「亜弥、あのさ……」

「というか、間桐君の家、凄く久しぶりな気がする!間桐君全然呼んでくれないんだもん!せっかく豪華なお屋敷なのに!」

「え、あ、あぁ。」

「せっかくだし、また案内して欲しい。間桐家探索に出発、だよ!」

「お、おい!」

 

亜弥は突如立ち上がり、廊下の方へと駆け出た。

俺は後頭部を掻きながら、溜息を零す。

話を遮られた、気がする。

今までの世間話もそうだ。

隠し事なんて出来ないってのにな。

 

そうして俺たちは、我が家を一部屋ずつ見て回った。

薄暗い邸宅、他人から見れば豪華絢爛には映るらしい。

確かに、金持ちの家と言われれば、そうだ。

臓硯の遺産を継いだ桜と俺は、何不自由なく生活できている、と思う。

二人で住むには広すぎるくらいだ。

使用人もいない屋敷は、空き部屋だらけで物寂しい。

いっそのこと、海外の人間のホームステイ先に指定してみてもいいくらいだ。

───勿論、魔術的な観点で、それは不可能なのだが。

 

「改めて見ても、素敵な邸宅よね。」

 

亜弥は細かい装飾品に至るまで隅々見て回っている。

別に珍しいものでも無いだろうに。

 

「間桐君の部屋は?」

「あぁ、二階だよ。」

「行ってみても良い?」

「別に何もないが、いいぞ。」

 

事実、俺の部屋には何もない。

学習机と椅子、就寝ベッド、くらいなものか。

漫画本の一冊でもあれば盛り上がるだろうが、興味ないんだよなぁ。

小難しい歴史書物はあるが、亜弥は興味を示さないだろう。

そんな中、亜弥が手に取ったのは、俺の宝物が入った小箱だった。

中を開けると、そこには折れた剣先の一部分が布に巻かれ保管されている。

 

「あ、おい、それは開けるな。」

「間桐君、これって…………」

「ツテで入手した聖遺物だ。だから、触らないでくれ。その、高価、だからな。」

 

ドイツの英雄譚にて語られる伝説の剣。

巨人族が所持していた大剣の欠片。

こんなものが日本の、一般大学生の手元にあるなんて、誰も想像しないだろう。

無造作に置いていた俺が悪いだろう。

いつか、またこの冬木で聖杯を巡る殺し合いが始まった時、これは俺にとって切り札になる。

俺の願いを、叶える為の必需品なのだ。

 

「ごめんね、引き出しに仕舞っておけばいいかな?」

「ああ、頼む。」

 

亜弥はてへっと舌を出すと、小箱をデスクの引き出しに収納した。

彼女はその後、色々と手に取ることを辞め、大人しく見て回った。

俺はベッドに腰かけ、ここ数日の出来事を考える。

代行者、そして、テスタクバル。

もう少しあの男と話したかったが、状況が悪かった。

冬木に忍び寄る影、もしかすると、俺の望む展開になるのかもしれない。

だが、桜の監視の目を掻い潜ることは、果たして出来るだろうか。

冬木に現れる悪意を狩る、正義の味方。だが俺にとっては……

 

「亜弥、ちょっとこの部屋で待っていてくれるか?」

「え、あ、うん。」

 

俺は亜弥を部屋に残し、桜がいるであろう場所へと向かった。

彼女は自身の魔術工房に引きこもると、数時間は出てこない。

だが、それは客人がいなければ、の話だ。

亜弥を招き入れた彼女が、それを放置するとは思えない。

虫の知らせ、というものであろうか。少しばかり嫌な予感がした。

 

階段を下りて、一階。

彼女はここに身内ですら立ち入り禁止の自室を設置している。

その戸を叩いて良いのは、特別な理由があるときだけ。

俺は彼女に叱られることを理解し、それでもノックする。

俺が家に帰ってきたことは分かっている筈。

それでも半時間ばかり顔を見せないのは奇妙だと思った。

 

「桜、いるのか。」

 

返答はない。

 

「……母さん、入るぞ。」

 

俺は部屋の扉を開けた。

一歩でも部屋に入れば、罠が仕掛けられているかもしれない。

だからこそ、慎重に開け放つ。

たとえ俺であろうと、桜は容赦ない、そう思ったからだ。

 

「桜?」

 

俺はそこで、目を疑う光景を目の当たりにした。

探し求めていた人物はいた、のだが、想定とは異なる姿で見つけられた。

彼女は椅子に座り、ぐったりと頭を垂れている。

そしてその腹部からは、血液が漏れ出ていた。

鋭利な刃物で切り付けられたような傷跡。

赤い液体がぽたぽたと床を濡らしている。

額からは多量の汗が噴き出ている。

 

「かあさ…………」

「大丈夫よ、巧一朗。あと数分も経てば回復するわ。」

 

激しく動揺する俺に対し、彼女は至って冷静であった。

何故、どうして。

頭に浮かぶ疑問符は止まらない。

原因は既に分かっている。

亜弥が、やった。

 

「桜…………俺は…………『そんなつもりじゃ』……」

「分かっています。だから、落ち着きなさい。大丈夫だから、巧ちゃん。大丈夫、大丈夫。」

 

桜は俺を落ち着かせる言葉を吐き続ける。

だが、俺はこのとき、錯乱していた。

唯一の肉親がケガを負っている、その事実に耐えられない。

 

「巧一朗、亜弥は悪くない。だからゆっくり深呼吸して、ね。」

 

亜弥……?

亜弥、そうだ、亜弥だ。

アイツが、桜を…………母さんを…………

アイツが、アイツが、アイツが

俺は彼女を放置し、走り出していた。

動揺から、激しい怒りへシフトする。

桜は俺を止めようとしていた。だが、その声は右から左へと流れていく。

階段を駆け上がり、自室へ飛び込んだ。

能天気な表情で迎える亜弥へ近付き、その髪を引っ張る。

 

「ま、間桐君!?なに!?」

「桜を傷つけたな、お前。」

「痛い!痛いってば!」

 

俺は亜弥の腕を引き、部屋を飛び出す。

叫ぶ彼女を無理矢理攫い、屋敷の地下へと向かう。

深淵へと近付くにつれ、酷い悪臭が漂った。

だが、俺にとってみれば居心地のいい場所だ。

ここなら、何十年だって引き籠っていられる。

俺が、生まれた場所。

臓硯亡き後は、俺がここを管理していた。

 

「ここ…………」

「蟲蔵」

 

俺は一言、そう言い放つ。

階段の下には無数の幼虫が蠢き、蜘蛛や蝶の形をした異形が、壁を伝い、宙を舞っている。

キイキイ、キイキイ、彼らの鳴き声がこだまする。

軟体生物の濁流。縦横無尽に駆け回り、今日も餌を、そして、仲間を求めている。

亜弥を歓迎しているのか。きっと、そうだ。

 

「間桐……くん……?」

 

亜弥は目を最大限に開き、がくがくと震えていた。

腰が抜けているようで、俺が腕を取っていなければ、階段下へと転げ落ちそうだ。

彼女にも、この場所の異常さは当然理解できるらしい。

 

「ねぇ、何?何なの?ここ、どこ、何?」

 

取り乱した亜弥は、涙や鼻水を垂れ流していた。

そして底の方を目の焼き付けてしまったのか、今度はその場で激しく嘔吐する。

胃酸と共に零れた栄養に、地下の虫たちは群がり、這い上がろうとのたうち回る。

亜弥は恐怖、しているのだろうか。

 

「怖いのか?」

「そ、そんなの、決まってる、決まっているじゃない!?」

「そうか。」

 

あぁ、勿体ない。

俺は頭を抱えた。

喜怒哀楽、ここまで忠実に表せる『個体』は、初めてだったのに。

友達からスタートして、恋の感情を抱かせるまで至ったのに。

著しい進化、それ自体は喜ばしいことだが、人間を食料にしていたなら、理由にも納得できる。

脳を啜り、知恵を蓄えた。

植え付けられた恋愛観は、冬木に住まう誰かの所有していた感情だ。

 

「まったく、所詮は継ぎ接ぎだらけの『虫』かよ。」

 

俺は冷めた目をしていた。

何も分からない亜弥はただ、俺に縋りつく。

きっと彼女は、自らが犯した『食事』のことも、理解できていないだろう。

結局、欠陥品だ。

好みの性質、好みの肉体であったが故に、喪失感は大きい。

 

「ね、ねぇ、間桐君?ごめん、ごめんなさい、私、何かしたかな?あれ?わかんないや、ごめん、ごめんね、すみません」

 

亜弥は目や鼻や口から、液体を零しつつ、謝り続ける。

俺の身体にしがみつき、己の生を懇願する。

何に対して、謝罪しているのだろうか?さっぱり分からない。

だが、残念ながら、この場所においては『命乞い』も、ただの『羽音』だ。

欠伸が出る。

そして俺は彼女の腹部を、右足で蹴り飛ばす。

 

「え」

 

亜弥は茫然自失だった。

蹴られた勢いで、階段を踏み外し、そして落下する。

蛭の蠢く天国へ、どこまでも、堕ちていく。

俺の救済を、愚直にも信じ、彼女は手を伸ばしていた。

だが、無理だ。

俺の母親に傷を負わせた代償は払ってもらう。

 

「あ」

 

そして着地、いや、着弾、と言うべきか。

亜弥の肉体に群がる同胞たち。

彼女の服は忽ち破られ、穴という穴に、幼虫たちは侵入した。

白い肌に吸い付き、外部と、内部から、幸せを吟味し、咀嚼する。

俺が繋ぎとめていた『糸』は、虫たちに食い漁られ、徐々に、亜弥の肉体は崩壊する。

亜弥は必死に、俺の方へと手を伸ばしていた。

『助けて』だの『ごめんなさい』だの、言っている気がする。

あぁ、心底どうでもいい。

 

「喫茶店でデートしたのは、楽しかった。俺も本当に残念だよ。」

 

そして、亜弥という存在は、解体された。

元の幼虫の群れへと戻り、この地下を蠢き続ける。

俺は溜息を零し、その場に座り込む。

また失敗した。母親に迷惑をかけるつもりは無かったんだけどな。

 

「巧一朗」

 

階段の上から、声が聞こえた。

回復し、歩けるようになった桜が、そこにいる。

彼女はゆっくりと、俺の元へと降りてきた。

 

「大丈夫なのか、身体は……」

「ええ。それより貴方……」

「悪かった。俺がもっと上手く創れていたなら、ここまでの事態にはなっていなかったと思う。桜のことも、傷つけた。」

「私はどうでもいいの。それより、亜弥は?」

「あぁ、失敗作だから壊した。次はもっと精巧な友達を作るよ。」

 

知能指数は高めに、ちゃんと檻の中で餌を食らう女子ならばいい。

俺の縫合魔術は、更なるステージへと迎える。桜にも、研究成果を発表したいぐらいだ。

だが、桜は怒りを通り越して、呆れている、そんな表情だ。

やはり冬木の善良な市民の命を奪ってしまったことに、怒っているのだろう。

想定外、ではあったが、俺の責任には違いない。

住処を山奥にしたのは、問題だったな。

 

「何人も、死に追いやって、今度は亜弥まで殺したの?」

「悪かったよ。でも、殺したのは亜弥だ。俺じゃない。でも間接的に言えば俺も加害者だから、ちゃんとけじめをつけて、亜弥を処分した。」

「なんで、亜弥まで……貴方が『縫合』したとはいえ、命は、たった一つの命だった筈でしょう?」

「何を言っているんだ。亜弥は只の『虫』だ。俺と同じ、地下を蠢く害虫だよ。尊ぶべき命なんてのは柄じゃない。」

 

俺も、欲を言えば、人間らしく生きてみたい、

人間の女と、結ばれたい。恋に落ちたい。

だがそれは不可能だった。彼女らとは価値観が根本的に異なる。

俺の、『虚行虫』としての姿を受け入れる者はいないだろう。

なら、虫同士で番になるのが、自然界の摂理だろう。

桜は俺に、人間として生きて欲しいと願っているようだが、結局俺は人間にはなれない。

聖杯でも、無い限りは。

愛に飢えている。桜だけでは物足りない。

歪んでいても、構わない。

 

「俺が持っている小説の登場人物を真似したんだが、所詮はキャラクターの模倣だった。今度は大学の連中をモチーフに創ってみるかな。加害性のない個体にしないと……」

 

俺は携帯電話に保存された画像を見やる。

学内のミスコンで隠し撮りした、数多の美少女たちから、次の恋人のイメージを固めていく。

そんな俺へ、桜は軽蔑の眼差しを向けた。

その視線が酷く不快で、俺はその場を立ち去ろうとする。

だが、彼女とすれ違う、その瞬間、彼女は俺の頬を平手打ちした。

突然のことに、目を丸くする。蟲蔵の地下階段へ数歩後ずさった。

 

「な……」

「どうしてよ、巧一朗、どうして……」

 

桜の目じりには、涙が溜まっていた。

正義の味方には、やはり俺の行為が許されざるものとして映っているのだろう。

臓硯の気色の悪い救済観念も、桜の穢れたヒーロー観も、俺には無関係だ。

だが、大切な人を泣かせてしまっている現状には狼狽する。

 

「えっと、ごめんなさい。次はもっとちゃんと……」

「そうじゃない!何も分かっていない!」

 

分からない。

友達作りや、恋人探しの、何がいけないんだ?

俺は何か、間違えているのか?

狼狽える俺に対し、桜は階段下を見た。

そこには、亜弥だった筈のモノが、少しばかりまだ残されている。

俺へと、必死に伸ばした右手が、千切れて浮かんでいた。

それを見た桜は、俯き、そして静かに呟いた。

羽音が五月蠅いこの場所で、俺は、彼女の失望の音色を一言一句聞き逃さなかった。

 

 

「あなたなんて、生まれてこなければよかったのに」

 

 

桜は、俺に、そう言い放った。

生まれなければ、良かった?

俺が?

え、何で、何で?どうして?

 

「っ…………」

 

そして、彼女は俺を放置し、蟲蔵を離れて行った。

 

「さ……」

 

俺はその場に残される。

俺が亜弥に向けていた眼差し同様に、彼女も、俺を見下していた。

人間になれない俺を、どうしようもなく侮蔑していたのだ。

俺はこのとき、どのような感情を抱いていただろう。

怒りだったか、悲しみだったか。

眉間に皺を寄せていたのか、それとも、涙で頬を濡らしていたのか。

覚えていない。

だが、俺は理解できなかった。

桜が何に対し、憤怒していたのか。

 

「おれだって」

 

分からなかったからこそ、俺はこの屋敷を飛び出したのだ。

深山町をあても無く離れ、新都へと。

訳も分からず、どこまでも走っていく。

我武者羅に、何かを取り去る様に。

 

「生んでくれなんて、頼んでねぇよ!」

 

どうして俺は生まれたんだ。

どうして俺は人間じゃないんだ。

どうして俺は認められないんだ。

何が間違っていたのか、分からない。

全てが違っていたのかもしれない。

でも、俺はただ、友情とか、恋愛とか、そういうありふれたものが欲しかっただけなのだ。

桜が嫌い、でも、本心はそうではない。

好きだった。

でも、愛し方が分からない。

『人間』は、どうやって他者を敬い、愛している?

そんなことも、今の俺には分からない。

ただ、唯一の肉親。

唯一の、俺に愛を与えてくれるヒト。

そんな相手に、拒絶されてしまった。

そのことだけが、全身を燃やし尽くす程につらくて、悲しくて。

 

「はぁ……はぁ……ああ、クソ」

 

どこまで走って来ただろうか。

いつの間にやら、自分でも分からぬ土地まで来ていた。

でも、何故か見覚えがある気がした。

それも今日、この景色を見たような──

 

「あ、ここ、もしかして」

 

俺は大学で、クラスメイトの携帯電話に映っていた、大男の殺人現場写真。

何気なく見たその画像に映っていたビルが、近くに聳えている。

もしかすると、この付近に亜弥が『食事』した形跡が残っているかもしれない。

犯人は事件現場に帰って来ると言う。俺は誰かに疑われない様、恐る恐る現場を探した。

そしてそれは、思いのほか、早期に見つかった。

キープアウトのイエローテープとブルーシートが、暗闇の中でやけに目立っていた為だ。

だが、俺が立ち入ることは出来ない。

こんな時間にも関わらず、警察らしき集団が出入りしていた。

この近くにいると怪しまれるのは必至だ。早々に退散するのが得策である。

そうして俺がその場を離れる瞬間、背後に立つ男の影に気付いた。

 

「っ!」

 

色素の抜けた髪と痩せこけた肌をした、高身長の男。年齢は、三十代後半、だろうか。

雨が降っている訳でもないのに、黒のレインウエアを着用していた。

どこからどう見ても、犯人と言わんばかりの立ち姿である。

余りにも不気味、余りにも異質であった。

 

「君は、マキリの…………あぁ、息子か。」

 

俺を知っているのか?

益々不気味だ。代行者の男と何か関係があるのだろうか。

息子、という発言から察するに、桜のことを知っている。それでいて、間桐、ではなく、マキリと言った。

俺は一歩ずつ後退する。危険存在だとこの身が判断した。

 

「お前は、叶えたい願いがあるか?」

 

男は唐突に、そんなことを言ってきた。

ある、と心の中で即答する。

人間になりたい。

そうすれば俺は本当の意味で、母さんの息子になれる。

 

「命をかけても叶えたい願いだ。それがお前にはあるか?」

「聖杯か?」

「ほう。それを理解しているんだな。」

 

男は俺に、何かを差し出した。

それはチケット?のように見える。

 

「砂漠だ。砂漠で殺し合いを始める。遠坂と、アインツベルンも出る。お前も来い。」

 

俺は恐る恐る男の手の中にある紙を受け取った。

何語か分からないが、航空券のように思える。

 

「イスラム共和国、モーリタニアだ。モロッコを経由して来い。開催は一週間後だ。間桐桜は応じないだろうが、お前は来てくれると願っているよ。暑い国だ、水分だけは忘れるなよ。」

 

そう言い残し、男は踵を返した。

突然のことで、俺はポカンと立ち尽くしたままだった。

どこの誰なのか、何故ここにいたのか、何故俺を知っていたのか、何が目的なのか。

だが、この手に握られたモノの重みだけは理解できる。

これは、デスゲームへのチケットだ。

生き残り、己の欲望を叶えるための戦い。

俺はその『参加券』を手に入れることが出来たのだ。

 

 

そして、五日後。

 

俺は。

 

見知らぬ土地に立っていた。

 

「パスポート、まさか持っていたとはな。自分でも驚きだ。」

 

俺はヌアクショット・ウムトゥンシー空港の玄関口にいた。

思っていたよりも綺麗だし、清潔だ。

車が行き交う五月蠅いダウンタウンまで、タクシーで約一時間あまり。

だがそれは首都ヌアクショットのみで、そこから少し東へ離れれば、そこはサハラ砂漠。

確かフランス語ならば通じるようだが、大丈夫だろうか?

 

「それにしても、暑い。」

 

それはそうだ、と思うだろうが、少し意味合いが異なる。

今の気温自体は日本の夏とさほど変わらない。

だが、ここは酷く乾燥している。

風に乗って流れてくる砂を鼻や口から吸い込み、まず喉が潰れる。

そうなればもうまともに呼吸できない。

水分が無ければ、忽ち熱中症やら何やらで倒れるだろう。

何故、こんな場所で聖杯戦争が行われるのか。

俺と同様に、遠坂やアインツベルンがこの地に訪れているのだろうか。

敵ではあるものの、心寂しいので合流したいと考えてしまう。

 

「港の方面に行けば、とりあえず大丈夫だろうか。」

 

色々拗らせた結果、あの屋敷を離れてきた訳だが。

正直な所、少しワクワクしている。

桜がいないこの場所では、俺も少しは気軽に過ごせるというものだ。

家出、という奴なのだろうか。それにしてはえらく壮大である。

 

「えっと、先ずは、監督役のいる場所……」

 

確か、テルジットまでは……

俺は地図を見て、驚愕する。

その途方もない距離は、地図を見ても一目瞭然であった。

飛行機に二日も揺られてきた俺にとって、これは絶望そのものだった。

そもそも交通の便も、タクシーやバス、不定期の鉄道しかない。

 

「北海道から沖縄、いや、もっとか?どうしたらいいんだ?」

 

そもそも、これほどの広大な土地で、英霊同士が争い合うなど、不可能では?

冬木市ならまだしも、この土地に霊脈があるとも思えない。

俺はがっくりと肩を落とす。

先ずはとにかく、ヌアティブの町を目指すしかない。

そこからモーリタニア鉄道、通称『アイアントレイン』に乗ることが出来れば……

上手くいけば、二日で、辿り着けるはず……

 

頭を掻きながら、期待と不安を胸に、空港の外へと歩き出した。

だが、そんな俺を待っていたと言わんばかりに、一台の車両が目の前に現れる。

キャンピングカーのような見た目だ。乗り心地は快適だろう。

中から出てきたのは、現地の民族衣装に身を包んだ男。

少し焼けてはいるが、黄色人種か。

 

「間桐巧一朗様、お待ちしておりました。」

「え、あ」

 

見知らぬ日本人。

五十代くらいの物腰柔らかな男だ。

俺のことを知っている。つまり、戦争の参加者である。

俺は数歩後ずさり、拳を構えた。

 

「誰だ、アンタ。」

「名乗る程の者ではありません。これより開催されるサハラの聖杯戦争、その開催主に遣わされた、そうですな、執事のようなもの、とお考え下さい。」

「デスゲームの親玉の部下?」

「そう言われると、咎人のようですがね。私たちは、各参加者様に、ここモーリタニアで生活するための必要最低限物資、そして移動車両を手配しております。実は間桐様のパスポートも、こちらが用意したものだったのですよ。」

「そ、そうだったのか。至れり尽くせりだな。」

 

怪しげな男、だが、言っていることに嘘は無さそうだ。

そもそも俺を騙すメリットはない。

ただ聖杯を勝ち取りたいだけなら、マスターを飢え死にさせればいいだけのことだ。

つまり、主催者は、必ず勝者になれるという絶対的な自信を元に、聖杯の器を満たす条件を求めている。

俺がこれより召喚するサーヴァントは、こいつらにとって『贄』だ。

 

「先ずは、『サハラの目』へとお連れします。その後は、間桐様の指定する拠点へと向かいましょう。」

「サハラの目?」

「はい。この聖杯戦争における特殊霊脈です。サーヴァントの召喚を、執り行って頂きます。」

 

サハラの目。

モーリタニア中心部、サハラ砂漠内に存在する、環状構造体。

かつて哲学者プラトンが、これをアトランティス大陸の入り口と記した場所だ。

……と、このおじさんが教えてくれた。

何でも、プラトンの提唱したこの説は正しかったようで、この地には膨大な魔力が溢れているらしい。

俺はその説明を受けながら、車両に乗り込む。

 

「通常、ヌアクショットからサハラの目に向かうと、早くとも数日はかかるのですが、交通網を外れた時点で超加速します。今夜には、その場所に到着できるかと。」

「まじか。」

 

こちらとしては有難い話であるが。

ならば、英霊と邂逅する準備をしなければならない。

そう考えると、心臓が飛び跳ねるように脈打った。

もしも、サーヴァントが俺の正体を知ったら。

そして、桜のように俺を拒絶したら。

俺はきっと見捨てられるか、はたまた、殺されるだろう。

だが、それもまた、運命かもしれない。

俺はある意味で、死に場所を求めて、モーリタニアに辿り着いたのだから。

 

「なあ、名乗る名前はないって言ったけど、呼び名が無いのは不便だな。」

「そうですか。では『ガンマ』と名乗っておきましょう。」

「ふっ、あんたと同じような奴が六、七人いて、あんたはその三番目なのか。」

「質問には答えかねますな。」

 

俺は後部座席で寝転がると、不用心にも眠りについた。

ガンマは仕事を終えれば、さっさと退場するだろう。

今は、戦争開始のゴングが鳴るのに備え、しっかりと睡眠をとるべきだ。

この先、どんな困難が待ち受けているのか分からないのだから。

 

 

そして、その時は、呆気なくやって来た。

 

「抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ──────」

 

ガンマが停車した車から、十数分歩いた先。

ゴツゴツとした岩場の中で、俺は確かなマナの揺らぎを感じた。

冬木など比べ物にならない。

この場に留まれば、俺は呼吸困難に陥るだろう。それ程に、大気は輝きで汚染されている。

孤独感や疎外感を味わいながら、俺は小箱から聖遺物を取り出した。

『エッケザックス』の欠片。俺を勝利へと導くもの。

俺は砂場にガンマから渡された特殊な液体で魔法陣を描き、詠唱を開始する。

急な突風や砂風に見舞われようと、この瞬間は、消えない。

そしてここで初めて、自身の手の甲に刻まれた紋様に気が付く。

歪な赤い痣。三画の令呪だ。

英霊を従わせるにはこれが必要なのだ。

翼、弓、そして円、三種類の痣にはどのような意味が込められているのだろう。

 

詠唱を終えた刹那、魔法陣は青く光り輝く。

何かが、来る。

とてつもない力の奔流。

巻き起こる砂嵐に目を潰される。

 

「何だ!?」

 

そして光と共に現れる影法師。

俺は充血した目を何とか開き、目の前に立つ存在を確認した。

 

「やぁやぁやぁ!聞いて驚け!見て驚け!我は最優たるセイバークラスにて召喚に応じ君臨した!勇者の中の!勇者!英雄の中の!大英雄!」

 

シルバーの髪をした、空色の鎧の剣士、否、美少女が、大見得を切って登場した。

その手にはエッケザックス、では無く、虹色の剣が握られている。

俺は、『勝利』を引き当てたのかもしれない。

 

「我が名は『ディートリヒ・フォン・ベルン』!汝が我のマスターか!?」

 

ドイツにおける伝説の大英雄、ディートリヒ。

王であり、勇者であり、真の英雄である。

俺は彼女の問いかけに、返答することが出来なかった。

生まれて初めて、英雄に出会った感動に、打ちのめされていたのだ。

俺は唾を飲み込み、必死に頷く。

 

「ふふふ、そうか!ではこれより、我らが伝説をこの地に刻むとしよう!さぁ、『勝利』を開始するぞ!」

 

この瞬間。

俺の

俺たちの

サハラの聖杯戦争は、始まりを告げたのだ。

 

【深層編②『巧一朗Ⅱ』 終わり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層編3『巧一朗Ⅲ』

本日で、Fate/relationは3周年!

長らくお付き合いいただき有難うございます!

ひとえに、読者の皆様の応援のお陰です!

もし良ければ、祝福のメッセージなど頂けましたら嬉しいです!
感想や誤字等ありましたら、コメントお願い致します!


【深層編③『巧一朗Ⅲ』】

 

「なあ」

「はい?」

「酷く、つまらない。」

「………そう言われましても」

 

ガンマが運転を努めるオフロード改造車の座席で、気まずい空気が流れている。

俺の隣に堂々と足を組み、腰かける少女。

この地ではあまり見かけない白髪を指で弄びながら、時折舌打ちをする。

彼女はセイバークラスで現界した『ディートリヒ・フォン・ベルン』だ。

まだ乗車して三時間あまりだが、苛立ちを隠せないでいる。

一面が砂世界のこの場所に嫌気がさしているようだ。

そんなもの、俺だってそうだよ。

 

「貴殿の名は、巧一朗。遠い異国の地からやってきた魔術師。そうだな?」

「えっと、まぁ、そうですね。」

「汝の願いは何だ?何が目的だ?」

「俺の願いは……」

 

人間になりたい。

間桐桜の、本当の子どもになりたい。

そんな願いを、俺はサーヴァントに話すことが出来なかった。

 

「根源への到達……かな。」

「ふん、くだらないな。」

 

セイバーは鼻で笑った。

聖杯戦争に参加するマスターの九割は『根源への到達』を叶えたいと思っている。

彼女はきっとそんな彼らとも折り合いが付けられないだろう。

関係の破綻は目に見えている。

ならば、俺はどこまでこのサーヴァントを利用できるだろうか。

勝利をもぎ取れる圧倒的な力を有した大王。

俺が指示するまでも無く、勝鬨を上げるに違いない。

 

「もう間もなくテルジットに到着です。お疲れ様でした。」

 

ガンマは俺とセイバーの間に流れる沈黙を破り、アナウンスする。

外を見やると、これまでの景色から一変、ヤシの木の緑色が辺りを彩り始める。

テルジットはモーリタニアでも有数のオアシス兼、観光地だ。

十五世紀にホッジ家の者たちがメッカ巡礼の際にこのオアシスに途中滞在したところ、あまりの美しさから、巡礼を取りやめ、永住を決め込む一派と分かたれたらしい。その子孫は今なおテルジットの村長として、このオアシスを守り抜いているのだとか。

まぁ、ガンマの受け売りなんだけど。

他の場所と異なり、ここに流れる水は比較的清潔で、かつ美味だそうだ。

ヌアクショット市場で先に購入していたマンゴーやバナナを冷やすには丁度いいかもしれない。

 

「テルジットは、とても居心地のいい場所です。つまりは、同じ考えの元、集う敵もいるやもしれません。どうかお気をつけて。」

「監督役の元に尋ねるだけだよ。このキャンピングカーが、一番居心地がいい。」

 

そうして、俺とセイバーは森林地帯へと降り立った。

サハラの目とは違い、息苦しさは緩和されているようだ。

現地住民たちの逞しさを見るにつれ、己の肉体が如何に虚弱か思い知らされる。

隣の芝生は……なんて言葉もあるが、俺には青色どころが金色に輝いて見えるよ。

 

「行かないのか?」

「あ、あぁ。ごめん。」

 

セイバーはずかずかとオアシスに乗り込んでいく。

俺は彼女の背に張り付くように、密林地帯を歩いて行った。

聞いたことの無い羽音の虫たちが、俺を歓迎しているようだった。

だが、人間になると夢見る俺にとって、彼らから同胞と祝福されるのはあまり良い気がしない。

 

「よもや、このディートリヒの主人とあるべき男が、ヒトではないとはな。」

 

セイバーは溜息と共に声を漏らす。

俺はそれを聞き逃さなかった。

サーヴァントの召喚は初めてだが、彼女は俺の正体に気付いているのか。

聖杯から与えられる知識、とは違うだろう。きっとそうだ。

万物の理を見抜く眼、なんてものが備わっているかもしれない。

 

「知っているのか、俺のこと。」

「虫だ。どれだけ人の皮を被ろうと、その心臓部位に汝の『核』がある。まだ幼虫だ。空へ飛び立つ羽も無い。」

「……そっか、知られているのか。そりゃあそうだ。」

 

俺はがっくりと項垂れる。

彼女はこの地に呼び出された時、どれだけ残念がっただろう。

召喚者が虫風情。正直に、殺されてもおかしくはない。

 

「魔力の供給が安定していれば文句は無い。だが貴殿のお守りまでは勘弁願いたい。」

「え?」

「自分の身は自分で守れ、ということ。」

 

セイバーは振り向くと、俺の髪をクシャクシャと撫でまわした。

軽蔑されていない?

淡い期待が渦巻く。

 

「なんだ、その目は。捨てられた子犬のような目をして。」

「え、いや……その……」

「全く。まさか自らが人間でないことで我が絶望するとでも思ったか。たわけ。我にとって、人間も、動物も、植物も、雲も、月も、太陽も、当然、虫も、等しく同価値だ。我という絶対的な王を前に、ただ服従すればよい。」

「月?太陽?」

「いいか、我の願いはただ一つ。『我がこの人類史における最上の王であることの証明』だ。故に、我はこの地に呼び出されたサーヴァント六騎に宣戦布告する。心ゆくまで命を削り合い、そして最後には我だけが勝利に美酒に酔いしれている。その邪魔さえしなければ何でもいいのだ。」

 

ふむ、成程。

セイバーは絶対的な王。他の追随を許さない。

このサーヴァントにとって、自分自身以外の全てが無価値なのだ。

俺も、他の英霊も、このモーリタニアも、全てが同質存在。

究極のナルシスト、なのだろう。

ならば、こちらも思い悩む必要は無い。

人間になるという願いを叶える為に、ディートリヒの力を存分に使わせてもらう。

 

「ほら、着いたぞ。このテントに監督役がいる。」

「確か、監督役はルーラーのサーヴァント、だったよな。」

 

セイバーは先陣を切って、テントの中へ侵入した。

そしてその場で立ち止まる。

俺は彼女の後に続こうとするが、彼女はそれを制した。

 

「セイバー?」

「汝は、女性経験はあるか?」

「は?何だよ急に。」

「ふん、無さそうだな。ならばここで待っていろ。我が話をしてくる。」

「?俺も行くぞ?」

「辞めておけ。酷い雌の悪臭だ。貴殿の精神そのものが崩壊しかねん。」

 

俺は頭に浮かぶ疑問符を払うことが出来なかった。

まぁ、女の子に耐性が無いのは、その通りだけど。

亜弥を含め、俺が作って来たのは、俺の理想像であり、どこまでいっても人間そのものでは無い。

自分好みのキャラクターを作成するゲームに近い、と思う。

ルーラーのサーヴァントは、聖杯戦争の監視者であり、中立公平でなければならないが、どんなサーヴァントが呼ばれているのだろうか。

セイバーが中に入った隙に、俺はテント内部を覗き見、そして後悔する。

赤い髪の美しい女が、あられもない姿で、男の上に騎乗していた。

ふむ、宛らライダークラス、のようだ。

確かに、これは多分、見ちゃいけないんだろうな。

俺はそっと入口を閉め、外の爽やかな空気を吸い込んだ。

そして俺の知らぬところで、セイバーと女は会話をしている。

 

「汝は、何をしている?」

「何って、『ナニ』?」

「戯言は良い。汝がルーラーで間違いないな。」

「ええ。私がルーラーです。貴方はセイバーね。」

「そうだ。こんな陳腐な場所で行われる戦争で、裁定者が呼び出されるとはな。世界に歪みが出るほどのものなのか?」

「さぁてね。私はこの第二の生で気ままに現代を楽しむだけ。」

 

裁定者は願いを有さない者が選出される。

そして赤い髪の女は、日々を惰性のままに生きていた。

暴力とセックスに飢えるファムファタール。セイバーにとってみれば、至極どうでもいい存在に違いない。

 

「ディートリヒ、貴方も良ければ、ここで少し休んでいかないかしら?貴方なら歓迎よ。」

「我は女だが?」

「美しさと気高さに、男も女もありゃしないわよ。私、貴方になら全てを曝け出しても良いのかも。」

「ふむ、断る。我も女は好きだが、そこに転がっている『死肉』のようには成りたくないのでな。」

 

セイバーの視線の先、先程までルーラーと交わっていた男が寝ている。

その下半身に全身の血液が巡ってきているかのように、逞しささえ感じる。

だが彼女から見て、この男は半分死んでいる。

植物人間、というべきか。

文字通り、全てを搾り取られた後、のようだ。

高ランクの対魔力スキルを持ち合わせるセイバーからしても、ルーラーの『雌の香り』は異常だ。

人間であるならば、光源に吸い寄せられる蛾のように、彼女の胸元を目指して行くだろう。

サーヴァントも、もし異性であれば、容易に取り込まれたかもしれない。

生前から、この赤髪の女はどれだけの性を貪って来たのだろう。

計り知れない愛欲の蜜壺に、セイバーでさえむせてしまった。

 

「あらま、残念。」

「裁定者としての仕事を全うしろ。それが汝に与えられた使命だろう。それで、戦争はもう始まっているのだな。」

「ええ。貴方が最後のサーヴァントです。これより、戦いの火蓋は切って落とされる。」

「それが聞けたなら安心だ。悪いがさっさと勝たせてもらう。汝のお楽しみは、そう長くないだろうな。」

「えー、つまらないの。でも頑張ってね。サーヴァントだけが貴方達の敵では無いのだから。」

 

ルーラーは別れ際に意味深なことを告げた。

セイバーは気にする素振りも無く、テントを後にする。

俺は出てきた彼女に、洗いざらい確認した。

セイバーは心底うんざりした表情をしている。

ルーラーの女とは接触を控えた方がいい。そのニュアンスだけが確かに伝わった。

 

「では、これよりどこへ向かう?」

「そうだな。セイバーから見て、ここは危険か?」

「いや、そうでも無い。無論、気配遮断をした暗殺者には注意を払うべきであるが。」

「なら、せっかくだし一時間だけ滞在してみるか。この場所ならゆっくりできそうだ。」

 

俺は一度キャンピングカーへと戻り、各種フルーツを持ってきた。

そしてそれを川の上流付近に持っていき、一つずつ冷やす。

セイバーはその光景を不思議そうに眺めていた。

 

「車にも冷蔵機器が備わっていたと見受けられるが?」

「まぁな。でも、味わうだけじゃなく、見て楽しむ、ってのも醍醐味だ。みずみずしさが段違いだとは思わないか?」

「そうだな。悪くない。」

 

俺はバナナを一つ手に取り、口に含む。

やはり読み通り、車中で食したそれとは一味違うように思える。

あっという間に一本を食べ終えたが、セイバーはただその様子を眺めているだけだった。

 

「?食べないのか?」

「サーヴァントには不要なものだ。貴殿が平らげると良い。」

「いやいや、そんな寂しいこと言うなよ。こういうのは一緒に食べた方が、きっと、美味い。」

「そうか、そうさな。」

 

セイバーはおずおずとバナナへと手を伸ばし、小さな口でそれを齧った。

その姿は、恐ろしいサーヴァントとは到底思えない程、小動物みに溢れていた。

ゆっくりと咀嚼し、飲み込んでいく。

そして目を輝かせながら、次々と果実に手を伸ばしていく。

バナナも、ブドウも、マンゴーも、全てが彼女にとって初めて食べるもののようだった。

ディートリヒの時代にも果実はあると思うが……えらく新鮮な反応だな。

 

「どう?」

「ふむ、五感から得るデータも代えがたきものだ、と感じる。」

「生前食べたことないの?」

「…………」

 

押し黙ってしまった。

聞いちゃまずいことだっただろうか。

でも、財を尽くした王が、一つの果実も知らないなんてこと、あるだろうか?

俺はその疑問をとりあえず置いておき、着用していたトップスのポケットからボトルを取り出す。

黄金色に輝く神秘に、俺自身にやけが止まらない。

不審物として手荷物検査に引っかからなくて良かった、本当に。

 

「何だ、それは。」

「これは『メイプル』だ。ハチミツ。リンゴと相性がいいんだが、どれにかけても大体美味い。」

「ほう?」

 

セイバーは興味津々だった。

俺は彼女の手にある食べかけのスイーツに、適量振りかける。

そして自身のものには、零れ落ちる程の量を絞り出した。

 

「あ、狡いぞ。我にももっと寄越せ。」

「いや、あまりかけすぎると微妙だぞ。俺は、まぁ、何というか、舌が壊れているからな。」

「そういうものか。」

「そういうものなんだよ。」

 

セイバーはメイプルを零さないように、残った果実を丸々食べ干した。

そして目を大きく開き、その圧倒的甘さに驚愕していた。

サーヴァントは虫歯なんかとも無縁だろう。まぁ、俺もそうだが。

そんなことを思いながら、俺もしゃくしゃくと音を立てて食していく。

 

「どうだ?」

「ふむ、甘い。甘すぎると言っていい。だが、確かに適量だ。これぐらいならば美味だ。汝はかけすぎだな。」

「ごもっともで。」

 

俺たちは談笑しながら一時間あまりをテルジットにて過ごした。

密林地帯を抜け、ガンマの待つ車両へと戻る。

敵襲を警戒するが、どうやらこの地にはサーヴァントが誰もいないらしい。

まぁ、それもそうか。ルーラーが根城にしているからな。

 

「お帰りなさいませ、間桐様、そしてセイバー様。」

 

扉が自動で開かれ、ガンマが軽く会釈する。

セイバーは彼に返答することなく、先に乗り込み、足を組んだ。

 

「そういえば、ガンマはどこまで俺たちのサポートをしてくれるんだ?召喚して、陣地まで運んでくれたら終わりなのか?」

「それは間桐様次第かと。運転手が必要とあらば、今しばらくはお供させて頂きます。」

「甘えたいところだけど、俺たちの戦いに巻き込むわけにはいかないからなぁ。セイバーには騎乗スキルがあるだろ、それで運転とか、出来ない?」

「当然可能だが、我はやらん。」

「えぇ……」

 

俺はまだ、車両の運転は未経験だ。

ならば必然的に、ガンマに助けを乞う形となる。

それはいかがなものかと思うが。

 

「危険が伴うと思うけど、ガンマはいいのか?主催者の元へ帰るべきじゃないのか?」

「ふむ、もしや間桐様は、私が『人間』であるとお思いですか?」

「え、違うの?」

「ははは!そうでしたか!気付いておられませんでしたか!私は主人の手により生まれた、人間の姿を宿した『自動人形』でございます。割り当てられた職務と、想定される会話をシュミレートされただけの、マリオネットです。他のマスター達にも私と同じ形をした個体が送り込まれております。故に、お気になさらずとも結構でございます。」

「そ、そうだったのか……」

「気付いていなかったのか?」

「あ、あぁ、精巧すぎて……」

 

だからといって、じゃあお願いします、とは言い辛い。

俺も人間じゃない以上、似たようなものだ。

だが、セイバーは話に飽きたのか、窓の外を眺めている。

俺が運転して、事故を起こすよりは、ガンマに託す方がいいかもしれない。

 

「えっと、じゃあ、すみません、お願いします。」

「承知しました。貴方がたの美しき旅のお供をさせて頂きます。」

 

ガンマはそれが己の仕事とばかりに、誇らしい笑みを浮かべている。

なるべく、彼を守って戦うようにしよう、そうしよう。

俺はそう心に決めたのだった。

 

「ところで間桐様はどちらに陣地を構える予定でしょうか?お連れ致します。」

「え、あ、えっと、まだ決まってないや。」

「はぁ?」

 

セイバーは呆れている。

仕方ないじゃないか、モーリタニアなんて今まで聞いたことすら無かったんだから。

 

 

俺たちは一先ず、テルジットからシンゲッティの方角へと向かった。

道中、ガンマからシンゲッティの情報を与えられる。

十一世紀ごろに、イスラム貿易商の桃源郷として建設された集落で、今なお歴史的遺産が保存された場所である。

礼拝施設であるモスクなどもあるらしい。世界遺産に登録されていることを知った時には驚いた。

そんなオアシスで戦いが巻き起これば、この世界において俺とセイバーは汚点そのものになり兼ねない。

故に、留まるのはあくまで今日だけだ。そして明日の朝には北へと進み、ズエラットを目指す。

実は候補地として、ワダンも取り上げたのだが、セイバーが否定した。

ガンマも、口にはしないが、険しい表情を浮かべていた。

後に知ることだが、ワダンはこの戦争の立役者であるテスタクバルと、最強無慈悲の英霊『蛇王ザッハーク』が占拠していたのだった。

もしワダンの地に足を踏み入れようものなら、一日目にして残酷な殺し合いに発展していただろう。

 

「分からないけど、シンゲッティは大丈夫なのか?」

「それは不明だ。ワダンよりは幾ばくかマシだろう。」

「セイバーがそう言うなら、信じるよ。」

「シンゲッティまではもう二時間程かかります。間桐様は睡眠をとられた方がよろしいかと。」

「そう、だな。もう夜か。早いな。」

 

一日が、とても短く感じる。

外の景色はずっと砂漠なのに、俺にとっては全ての事柄が新鮮に感じられる。

なんだかんだで、このオフロードも居心地がいいしな。

食料にも、水分にも困っていない。これはガンマというか、主催者様様だろう。

俺は後部座席で横になろうとするが、ふと、セイバーの視線に気付いた。

彼女は俺をじっと見つめている。

 

「な、なに?」

「こうしてみると、貴殿は人間のように見える。」

「有難う……でいいのか。」

「作り物、とは思えない、綺麗な肌、そして綺麗な瞳だ。貴殿自らが用意したのか?」

「まぁ一応、そうだ。まず最初に『殻』を作って、俺が内部で縫合した。この皮膚や内臓は、人間を真似たものだ。でも炎に溶けたら、忽ち数百の虫が霧散するだろうな。まさに俺にとってみれば『虫の息』さ。」

「炎に溶けたら死ぬのは人間と変わりあるまい。」

 

俺にとって渾身のボケをつもりだったが、流されてしまった。

それはさておき、俺も彼女を見つめ返してみる。

白銀の髪に、赤色の眼、氷のように透き通る肌、奇跡と言っていい造形をしている。

俺が知るディートリヒとは真逆の姿をしていた。

彼女は本当にディートリヒ・フォン・ベルンなのだろうか。

まだその戦いを知らないが故に、俺は困惑する。

俺は彼女の完璧な美しさに、言葉を失っていた。

 

「美しい、そう感じているな?」

「え、えっと、うん。」

「良い。我は美の女神にも引けを取らん。地上あらゆる生物が我に見惚れ、我を崇める。そういうものさ。」

「そうか、そうだな、おう。」

 

俺は何故かどぎまぎしてしまう。

よく分からない感情だ。

確かに見惚れているが、あくまで美術館で目にする彫像のような美しさというか。

兎に角、一線を画した美に対して、俺はどう反応すればいいか分からない。

俺は人間になって、女の子と恋をしたい。そう考えているが、セイバーは全くもってその対象外だ。

まぁ俺がそう思う事さえも烏滸がましいことこの上ないのだけど。

 

「ガンマよ、この車両は天井の部分が簡易的な荷台になっているな?」

「はい。そうですね。間桐様は荷物が多くなかったので、トランクに収まりましたが。」

「今から彼と共に登る。構わないな?」

「ええ。勿論です。」

 

セイバーはガンマに了解を取ると、俺の手を引いた。

車両は道中でゆっくりと停止し、彼女は扉の外へと誘う。

そして簡易的な梯子を上った先、荷台に腰かけると、またゆっくりとオフロードは動き出した。

俺たちは振り落とされないスピードで、夜闇を突き進んでいく。

心なしか、先程よりヘッドライトの光量が抑えめになっている気がした。

 

「セイバー?」

 

俺は風に乗って飛んでくる砂を防ぐ為、顔に布を巻き、サングラスをかけた。

だが、セイバーは俺のかけたサングラスを取り払う。

 

「ちょ、何で?」

「そんなものを身に付けたら、登った意味があるまい?」

 

セイバーはそう言い、空の方を指さした。

俺は彼女の動きに合わせて、上を向く。

そして、彼女が俺の手を引いた理由をようやく理解した。

 

拡がっていたのは、余りにも美しい、満天の星空だ。

 

「すげ」

 

俺は心の声が漏れ出ていたように思える。

でも、それだけ、凄かった。素晴らしかった。

冬木でも同じ空を見上げていた筈なのに、こんなにも、違うものなのか。

 

「ビルなどの遮蔽物も、人工的な光の海も、ここには存在しない。砂の世界にある宝は、きっとこれだろう。」

「宝、か。セイバーの時代にもあったのか?」

 

俺が生きている現代よりもはるか昔の物語。

きっとこの星空より、もっと、もっと美しいものがそこに在った筈だ。

俺はそう思った。

だから彼女の返答には驚きを隠せなかった。

 

「我は星空を見たことが無い。」

 

そんなはずは、という言葉を押し留める。

そして彼女の口から何かが語られるのを待った。

ディートリヒとは、何者なんだろう。

何者であっても、俺ならば受け入れることが出来そうだ。

彼女は長い沈黙の末、口を開いた。

 

「かつて、文明を滅ぼす存在が、現れた。大昔の話だ。白き巨人『セファール』。彼は、否、彼女は、先史文明や、神々を滅ぼした。最期には、とある聖剣使いの放つ一撃に倒れたがな。どうやらセファールはこのサハラで死んだようだ。アルジェリアの方にはなるが、巨人を模した壁画も残されているのだぞ。」

「うん。」

「今では伝説と言われるアトランティス大陸の人間たちは、滅びゆくその前に、セファールを殺すためのプランを創造していた。それが凍結機体『ディートリヒ・フォン・ベルン』、つまり我だ。」

「え?」

「結局、別の聖剣使いが巨人を倒してしまったものだから、我は我としての人生を歩む前に、再び凍結された。そして我への弔いとして、彼らは『シズレクのサガ』という物語に乗せて、我を語り継いだ。巨人エッケのモデルは、きっとセファールだったろう。」

 

ドイツの叙事詩として残された物語に、そのようなルーツがあったとは、知らなかった。

だが、ここで俺は首を傾げる。

もしディートリヒが呼び出されるとしたら、それは語り継がれた大王としてのディートリヒである筈だ。

今のセイバーは忘れ去られた凍結機体、なのだとしたら、英霊の座に登録されている筈が無い。

彼女は『何もしていない』のだから。

だが、セイバーは俺の疑問を理解しつつも、解答を出すことはしなかった。

彼女もそれを不思議に思っているらしい。

ディートリヒとしてのドラマティックな人生は、記憶に存在するものの、他人事であるように思える。

そして自身がセファール打倒のネクストプランであることもまた、知っていたのだ。

二人の人間の人生を内包した、特異な英霊。

俺はかける言葉も見つからず、茫然と空を眺めていた。

 

「我は、多くの剣を持つ。」

「うん。」

「友であるアルテラの剣、勝利の聖剣、失墜の魔剣、何本も、何本も、輝く刃を持ち合わせている。」

「戦況に応じて変えられそうだな。」

「あぁ。だが、エッケザックスは、どうだろう。持っているし、使えもする、でも、巨人を屠る大剣を、我は満足に振るうことが出来るだろうか。我はそれで、幾人も斬ったことが無いというのに。」

 

セイバーは寂しげな顔をしていた。

啖呵を切って現れた大英雄の素顔は、酷く落ち着いた、物悲しさすら感じるものだった。

俺はそんな彼女に追い打ちをかけるかのような質問を投げかける。

聞いておかねば、ならないと思った。

 

「セイバーは、生まれてきて、良かったか?────そう、思うか?」

 

俺は真剣な表情をしていたと思う。

いつの間にか星々から目を外し、セイバーを捉えていた。

彼女は一瞬、目を丸くする。

俺が変なことを聞いたせいか。それとも、サーヴァントに対して偉そうだったか。

だが、彼女は予想に反し、柔らかな笑みを浮かべた。

 

「我は生まれていない。だから、良かったかどうかは、この旅の先で決まるだろうな。」

 

彼女はそれ以上、言葉を発しなかった。

俺も再び、この星空を眺めてみる。

確かに、サングラスをするのは勿体ない。

この戦争の果てで、命を落とすことになったら、その時、この星空を思い出すだろう。

どれがどの星で、やれ星座だ何だ、判別はつかないけれど。

ただただ、美しい、それだけが、虫である俺にも理解できた。

理解できたことが嬉しかった。

 

「綺麗だな。」

「あぁ。我と同程度には美しいと言えよう。」

 

それはきっと、彼女なりの、最大限の誉め言葉だ。

 

 

車に揺られること一時間。

俺はすっかり車体の固さに慣れ、眠りこけていたらしい。

セイバーに頬を叩かれ、覚醒する。

 

「あ痛っ!」

「起きろ。敵襲だ。」

「……何?」

 

俺は眼を擦るまでも無く、即座に起き上がり、セイバーの瞳の先を追った。

彼女は俺の肩に手を置き、屈ませる。

 

「聞こえるか、ガンマよ、一度停車しろ。敵の位置を図りたい。」

「承知しました。」

 

よく車の中から聞こえるな、と感心する。

だが、この遮蔽物の無い砂漠の真ん中ならば、敵の位置も容易く分かりそうなものだが。

実際、俺の視界に映る景色は、先程と何ら変化が無かった。

 

「セイバー?」

「静かにしていろ。我の傍から一歩も離れるな。」

「わ、分かった。」

 

セイバーは一体、何を見ているんだ。

俺もガンマも理解できない。

アサシンの気配遮断による攻撃?

俺はそんなことを能天気に考えていた。

 

「お二人とも、大丈夫でしょうか?」

 

ガンマは車の外に出、俺たちを気遣う。

一度外した梯子を、再度設置してくれるらしい。

敵が暗殺者ならば、俺やガンマは車中に潜んだ方が安全だろう。

そしてガンマがオフロードの後方へと向かう。

 

その時だった。

 

「え?」

 

一秒も無かった。

ほんのわずかなその瞬間に、俺たちを『風』が吹きつけた。

砂漠の風は、目鼻や喉を潰す。俺も当然、それは理解している。

だから俺は軽く目を閉じた。

そしてそんな俺を、何かが柔らかく包み込んだ。

次の瞬間には、風は止み、俺は瞬きを繰り返していた。

 

「あ、えっと」

 

俺を包み込んでいたのは、セイバーの豊満な胸部だった。

俺は恥ずかしくなり、彼女から距離を取る。

だがセイバーはそんな俺に見向きもせず、彼方を見つめ続けていた。

女性の温かみに触れるのは、母親以外で初めてだ。

緊急事態、ながら、どこか役得感を抱いている。

頬が赤らんでいる気がするので、両手で顔を揉み解した。

 

「マスター、先に謝っておく。」

「な、なにが?」

 

セイバーは星空を眺めていたときから一転して、神妙な顔つきだった。

淡々と、ありのままの事実を告げる。

 

「我としたことが、少々油断していた。貴殿は無論、保護したが、『ガンマは救えなかった』。」

 

え?

 

俺は彼女の発言の意味が理解できなかった。

ほんの少しの風が、通り抜けただけだろう?

ガンマは今、梯子を取り付けてくれている、その筈だ。

そう思い、俺は恐る恐る車の下へ視線を向けた。

 

「…………え……………………?」

 

オフロード車のすぐ隣。

ガンマ『だったもの』が、遺されていた。

顔の判別がつかない程に、全身が焼き尽くされ、黒い灰の塊と化している。

これは、冗談などでは無い。

さっきまで、俺たちと旅をしていた一人の男が、呆気なく命を落としたのだ。

 

「なん……で…………?」

 

俺は愕然とし、その場で項垂れた。

訳が分からない。

死んだ?

死んだって?

なんで、死んだ?

さっきまで、そこにいたじゃないか!

どうして死んだ?

俺に、サハラのうんちく話を教えてくれたガンマは、もうこの世には存在しないのだ。

その事実が、俺の呼吸を激しく乱す。

 

「は…………はぁっ……………あぁ……………っ…………」

 

目と鼻から液体が零れ落ちる。

これは悲しさに依るものか、それとも、恐怖か?

『死』があまりにも近くにある。そのことが、怖くて仕方が無い。

俺は嗚咽しながら、ほんの数日前のことを思い出す。

 

間桐家の蟲蔵。

俺が右足で蹴飛ばした亜弥の声が、何故か今、響いて来る。

あの時は、只の羽音にしか聞こえなかったのに。

 

『助けて』

『ごめんなさい』

『助けて』

『助けて』『助けて』『助けて』

 

亜弥が解体される音。

俺が、自身のお遊びで作り出した人形。

ただ虫だったものが、元の虫に戻っただけ。

桜の怒りの意味が、理解できなかった。

 

本当に、そうか?

もしかして俺は、とんでもないことをしてしまったのでは無いか?

亜弥は、間違いなく、生きていた。

罪なき命を奪う欠陥品、だとしても、俺の恋人になるべく、懸命に生きていた。

あの伸ばした手の意味。

俺は、それを理解していたか?

 

俺はついには、その場で嘔吐してしまう。

テルジットで行った食事、それらは全て体外へと排出される。

分からない、何故気分が悪いのか。

分からない、何故心が折れそうになっているのか。

 

「セイ…………バー」

 

俺は彼女の傍に駆け寄った。

いま俺にとって、この地球上で一番安全な場所。

俺は救いを求めるべく、彼女の衣服を摘まんだ。

だが俺の手は、彼女にはたき落される。

 

「傍に居ろ、と言ったが、触って良いとは一言も言っていない。」

「あ、……ごめん。」

「汝、泣いているのか。そろそろサングラスで目を覆った方が良さそうだな。その嘆きや悲しみは戦いに不要なものだ。」

「っ……」

「マスター、汝がいま立っているのは戦場だ。一秒後には命を落としているやもしれぬ場所。覚悟し、集中しろ。サーヴァントのバックアップが、マスターの務めであろう。」

「…………あぁ、悪かった。」

 

そうだ。

俺はモーリタニアに観光しに来た訳じゃない。

戦争で、勝ち残り、人間になる為にはるばるやって来たのだ。

どこか呆けていた自分がいた。情けないにも程がある。

命のやり取りというものを、理解できていなかったのだ。

 

「セイバー、敵は、誰なんだ……?」

「判別は不能だ。サーヴァントの攻撃に依るものか、それとも……」

 

セイバーは黄金の柄を取り出した。

そして彼女がそれを振るうと、瞬く間に剣先が伸びてくる。

鋼の煌びやかな聖剣。その研ぎ澄まされた切先に目を奪われる。

 

「かつて我が戦った……とされる、竜殺しの英雄、その失墜剣だ。」

「バルムンクか?」

「よく知っているじゃないか。我の個人的な感情として、これは扱いやすい。」

 

彼女はグリップを握り締め、剣を前に突き出した。

そして実体すら掴めない敵に足して、堂々と、自らの名を名乗った。

 

「我が名はディートリヒ・フォン・ベルン!セイバーのクラスを以て現界した、王の中の王だ!姑息な攻撃を辞めろ。誇り高き戦士ならば、姿を見せ、その名を我に名乗るがいい!」

 

こと聖杯戦争において、自らの真名を告知するのは自殺行為だ。

いかに完璧な英霊でも、弱点はある。

彼女も名を明かすことによって、大きなリスクを負うかもしれない。

そして、敵が彼女の声に応え、名乗りを上げる筈が無い。

 

でも、俺には彼女の堂々たる佇まいが、カッコよく思えた。

過去の英雄。生まれることさえ許されなかった凍結機体。

たとえ空想の物語だとしても、セイバーはそれを武勇として語り、その役割を全うする。

サーヴァントは、魔術師の使い魔に過ぎない、と誰かが言うだろう。

でも、本当にそうだろうか。

俺には彼女が、俺の進む道の先に佇む導に思えてならない。

 

「どうした!我が名に恐怖し、声も出ないか!」

 

セイバーの咆哮は、夜の砂風に掻き消えた。

まぁ、当然だ。暗殺者のクラスの不意打ちならば、今頃は撤退しているだろう。

俺はそう、思っていた。

だからこそ、俺は驚愕する。

キャンピングカーの数メートル先で、砂嵐が巻き起こり、そして。

 

「誰だ…………?」

 

何者かが、姿を現したのだから。

 

俺は対象の特徴を捉え、脳内データベースと照合する。

敵は、男、のように見える。

黒い髪に、茶色く焼けた肌、そして胸元から首筋にかけて描かれたタトゥー。

身長は百八十あまり、筋肉は程よくついているが、細身だ。

モーリタニアでよく見かけた『ブーブ』に酷似した衣装を纏っている。

静脈血のごとき黒ずんだ赤色の眼で、セイバーをギロリと睨みつけていた。

武器は所持しておらず、互いの手指の関節を鳴らしていた。

外見から判断できる情報は少ない。

 

「サーヴァント、だよな。」

「あぁ、そのようだ。」

 

セイバーもまた、男を睨み返す。

数秒間それが続いたうちに、男は両手を挙げ、豪快に笑いだした。

 

「アハハハハハ!お前、目力強すぎ!降参だよ!」

 

男はそのまま両手を後頭部に回し、不敵な笑みを浮かべる。

こいつが、ガンマを殺害したのか?

一秒にも満たない間に、彼の身体を焼き尽くした。

俄かには信じ難い事象だ。それがサーヴァントの力なのだろう。

 

「名乗る名は、持ち合わせているか?」

 

セイバーの問いに、男は頬を掻いた。

そして気まずそうに眉を顰め、口角を上げる。

 

「お前達に、俺はどう映る?男か、女か、若者か、老人か。」

「若い男だ。道化師の類にも見える。」

「なるほど!ピエロか!そりゃあ良い!気まぐれな風にはピッタリだ!」

 

男は不気味にも喜びを露わにした。

質問の意図が俺にはさっぱりだ。

セイバーは何か察しているのだろうか。

男はひとしきり笑った後、冷徹な表情に様変わりする。

人を殺す眼光、俺は心臓を撃ち抜かれたように錯覚した。

 

「俺はお前達の思うキャラクターでは無い。お前達の罪が導いた、この世界の自浄作用だ。」

「罪?自浄作用?」

「英霊、神霊、幻霊、精霊、俺はきっとどれでも無い。しいて言うならば『生霊』だ。俺は今も、このサハラで生きている。」

 

男は、今度は両手を大きく広げ、天に唾をかける勢いで嗤い始める。

一体、どういうことだ。

サーヴァントでは無いのか?

聖杯戦争にはイレギュラーがつきものだと言われている。

だが、最初に出会う敵が、サーヴァントですらない、何か、なのか。

サハラに今なお生きる霊魂。それが男の姿で現れた。

 

「成程、汝のことが理解できたかもしれない。」

「お、そうか?美しい女に見透かされるのは嫌いじゃないぜ。」

 

セイバーは車から飛び降り、そして、男を切り裂いた。

血液は飛び散らない。

男だった筈のものが、砂になって崩れ落ちる。

そして彼女の右方向数メートル先に、その肉体が再構築された。

死なないのか、こいつは……

 

「やはりな、貴様は実体が無い。只の『風』だ。」

「風?」

「おいおい、只の風がヒトを殺せるものかよ?」

「あぁ、只の風、ならばな。サハラには、大昔から原住民たちの命を奪ってきた自然現象がある。温度は五十度を超え、湿度は十パーセントを切る、突発的な殺人竜巻。それがこの戦争の所為で、何らかの形で実態を持ち、より凶悪に変貌を遂げた。」

 

俺はセイバーの言葉に、やっと理解が追い付いた。

ここまで言われれば、その正体は分かる。

モーリタニアに来る前も、来た後も、その話を調べていたし、聞かされていた。

 

「突発的殺人熱風、まさか『シムーン』か!?」

 

轟音と共に巻き起こり、飲み込んだ生物を窒息させ、殺し尽くす。

ヘロドトスが「赤い風」と称したことで認知された。

だが、有り得ない。ガンマはその肉体から何からを炎で燃やし尽くされたのだ。

シムーンにはそれ程の火力は無い。

そもそも熱砂であっても、焔では無いのだ。

 

「アトランティスの膨大なマナが、今このサハラの海を満たしてやがる。水夫たちは俺を『血の海』と称したが、文字通りの意味になりつつある。」

「アトランティスの魔力って……」

 

俺のまだ知らない事実。

戦争の立役者、テスタクバルはサハラの目を開き、沈んだアトランティス大陸へと接続した。

それによって現代へと噴き出した神話級のマナが、サハラ砂漠へと飛散。

そして、自然災害シムーンに、意思と身体を与え、簡易的な英霊召喚、否、生霊転生を果たしたのだ。

この個体はサーヴァントと同じように、クラスと、ステータスを与えられる。

当然ながら、シムーンもまた、セイバーたちと同様に、宝具を有する。

後に判明することだが、シムーンに与えられたクラスは『災害(ディザスター)』。

開発都市オアシスに至る六騎のサンプルケースとなった、この地における原初の災害である。

 

「さて、話はそこそこに、いざ一対一の決闘と行こうや。お前がそれを望んでいたんだろう?」

 

シムーンは一丁前にファイティングポーズを取ってみせた。

そしてセイバーも剣を構える。

意外な形でスタートした、サハラの聖杯戦争。

俺はただ、彼らの戦いを茫然と眺めることしか出来なかった。

 

【深層編③『巧一朗Ⅲ』 おわり】

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層編4『巧一朗Ⅳ』

感想、誤字等ありましたら連絡の程、宜しくお願いします。


【深層編④『巧一朗Ⅳ』】

 

「おらぁああ!」

 

シムーンが両手を振り下ろし、無風状態の砂漠に竜巻が発生する。

何度目かの熱砂の嵐に、セイバーは慣れを感じ始めていた。

対セファール戦闘兵器である彼女には、類まれなる学習機能が備わっている。

敵の攻撃がたとえ自然由来のものだとしても、想定を逸脱するものだったとしても、彼女は瞬時にパターン化し、解析、そして攻撃を先読みする。

最初は押していたシムーンだったが、徐々に、攻撃の多くが見切られていった。

焦りを感じながらも、嗤い続けるシムーン。意思を持つはずの無い自然災害が、英雄との力比べに心躍っている、ように見える。

 

「我にその攻撃が通用すると思ったか。」

 

セイバーは巨大なトルネードを真っ向から叩き切った。

もう手品は見飽きた、そう言いたげな表情である。

俺は、自らが引き当てた最強の英霊の戦いぶりに、興奮を隠せなかった。

シムーンが敵であると知った時は絶望したが、ディートリヒは諸共せず、一切の躊躇なく力でねじ伏せた。

その堂々たる英雄の眩しさに、俺は心を鷲づかみにされていたのだった。

だが、俺は気付いていなかった。

セイバーには、一つの弱点があった。

それは俺だ。

彼女は強力な英霊である。だがその分、消費される魔力の量は通常の英霊の何倍にもなる。

俺の身体から搾り取られていく魔力。彼女はそのことを気にし、なるべく魔力消費を抑えようとしていたのだ。

だから、宝具などもっての外だった。自らの剣技のみで、場を切り抜けようとしている。

セイバーの思慮深さに、このときの俺は何も気付いていなかったのだ。

そしてあらゆる手が封じられたシムーンは、彼女の弱点に気付いていた。

虫である俺は、熱に途方も無く弱い。

シムーンが近くにいる状況というだけでも、俺の肉体は疲弊し、徐々にか細い『糸』を溶かしていく。

俺が人間として振舞う為の身体が崩壊するまで猶予は残されていなかった。

 

「ケリを付けるぞ、シムーン。」

 

セイバーは瞬間的な加速で、シムーンのレンジに突入する。

そして彼の露出した肌に、所持していた剣を突き刺した。

当然、その皮膚や内臓が砂そのものである彼には通用しない攻撃。

シムーンは薄ら笑いを浮かべている。

だが。

セイバーは不敵な笑みを浮かべると、貫いた魔剣の形状を変化させる。

勝利の剣でも、失墜の剣でも、巨人族の剣でも無い。

俺も、現れた聖剣の種類が何かまでは理解できなかった。

シムーンも同様に。

 

「これは……!?」

「クラウソラスだ。模造剣ではあるがな。この剣は特殊な相手に対して、エレメントを用いた変幻技を及ぼすことが出来る。例えばこのように、な!」

 

ケルト神話の聖剣『クラウソラス』、そのコピー品。だが、セイバーの手にあれば、それはまるで本物であるかのように力を発揮する。

シムーンを貫いた箇所から全身に向かって、ボコボコと『岩』が侵食し、隆起した。

シムーンを構成する砂の一粒一粒が、巨大な重量の岩と化していく。

彼は自分の身に何が起こっているのか、ようやく理解したようだ。

セイバーがやろうとしていることは、質量の変換により、シムーンの構成材料そのものの重量をオーバーさせること。

吹き付ける熱風では、堅牢な岩はびくともしない。故に、シムーンという概念そのものを封じ込める。

当然、砂漠という性質上、シムーン側には無限のリソースが存在する。

だから再起動される前に、アトランティスのマナを大気中に霧散させるのが目的だ。

 

「流石は天下の大英雄様だ!ぎゃはははははは!良い戦いっぷりだったぜ!」

 

危機に瀕しても、彼は笑うことを辞めない。

俺にはそれが酷く不気味に映った。

だが、シムーンがそういう態度だったのには訳があった。

それを俺は直ぐに、思い知らされることとなる。

 

「セイバーちゃん、強い女の子。」

 

俺のすぐ耳元で、誰かが呟いた。

その気配に、俺は一切気付かなかった。

だが身体は即座に反応するもので、俺は腰を抜かしながらも、何とか飛び退いた。

視界の先には、アラビアンテイストの女が立っている。

黒髪に褐色の肌。そしてその露出した腹部には、シムーンと同様の刺青が施されていた。

一目で、その正体は判明する。

この女は敵で、そして、彼と同じ存在だ。

 

「シムーン……!?」

「貴方に、私はどう映る?男か、女か、若者か、老人か。」

「若い、女…………」

「なるほどね。それは良い。ロマンティックな風にはピッタリよ。」

 

男のシムーンと、女のシムーン。

他にも、彼らと同質の存在が複数存在しているのかもしれない。

ここはサハラ砂漠、奴らはこの砂漠を故郷とするつむじ風。

必然、彼らはどこにでも居て、どこででも笑みを放つ。

俺は彼女をどうにかする術を持っていなかった。

出来て、足止めが精々だ。

抜けた腰で、ゆっくりと後ずさりながら、様々なことを考えた。

まるで走馬灯のように、時間をかけて思考する。

俺を満たしているのは、死への恐怖だ。

そしてそれが、亜弥や、俺の遊びに巻き込まれ犠牲となった人々の呪いのように感じられる。

砂漠にはよくある、アリジゴクのような、半径数センチほどの穴、不意に俺はそこに支えにしていた指を捕られる。

すると、それはまるで砂から這い出た無数の手のように、俺を奈落へと誘う。

そんな錯覚、いや、幻覚。

ホラー映画のような演出が、俺の脳内をジャックし、離れない。

暑さによる思考の麻痺、そして絶対的な死への恐怖。

冷静さを失った俺は、錯乱し、救いの手を求め続けた。

 

「た……たすけ…………て……」

 

その姿は実に情けないものだ。

女シムーンの快楽愉悦の眼差しに、自分はこれより死ぬのだと悟ってしまう。

その悟りは、こと戦場において『諦め』に等しい。

何を差し出しても良い、だから命までは奪わないでほしい。

そういう類の、祈り。

状況が最悪であっても、戦う意思を損ねていなければ、と後に後悔する。

俺は醜く、弱い生物だったのだ。

 

「セイバー……助け……」

「あと十秒待てるか!?」

 

セイバーはクラウソラスの輝きに照らされていた。

男のシムーンはもう、今にも殺されようとしている。

十秒後には、消滅しているだろう。

だから、十秒。

セイバーは、俺に十秒間耐えろと言っている。

あぁ、出来る。

十秒ならば、出来る。

腰が抜けていようと、それぐらいならば稼ぐことは出来る。

仮にでも俺は魔術師だ。

戦局を読み切ったセイバーが俺に期待したならば、それは実現可能なことなのだ。

 

……本当に…………?

 

彼女は俺の弱さを見誤っていた。

俺は女シムーンに怖気づき、戦う気力を失っていた。

じりじりと近寄る死神の口角は徐々に上がり、歪んでいく。

怖い、ただ、怖い。

身体が溶け落ちていくような感覚。視界が揺らぎ、匂いは消え、口は乾き切っている。

あと十秒。

待てる、わけが、ない。

 

『令呪を以て命ずる』

 

そして俺は、己が救われたいと願うばかりに。

与えられた切り札の一つを、くだらないことに使用してしまった。

 

「おい!?」

 

セイバーの驚愕と怒号の混じった声が届いた。

その命令は、俺を助けろ、というもの。

あと三秒後には死んでいた筈の男シムーンから強制的に離される。

敵前逃亡とも取れる、セイバーの戦線離脱。

俺を抱え、シムーンたちから走り逃げるセイバーは

一体、どんな表情を浮かべていただろう。

 

「おうおう、逃げるか、剣士。」

「あらセイバーちゃん、つれないわね。」

 

どこまで彼女は走って来ただろうか。

二人のシムーンが、俺たちを追って来ることはしなかった。

オフロードと、ガンマの遺灰はそのままに、どこかへと辿り着いた。

ほんのりと緑の香りがあるその場所は、監督役の憩い場、テルジットのようにも思える。

姫のように担がれた俺は、その場で振り落とされる。

俺が彼女を見上げた時、彼女は、俺を冷たい目で見下していた。

侮蔑と呼ぶにふさわしい眼差し。

聖杯戦争が始まって、最初の戦いで、勇者の中の勇者、その人に、逃亡という選択肢を強制してしまった。

俺は彼女の願いを知っていた。

強者と戦い、己の価値を証明したい。

ただそれだけの祈りを、俺は易々と踏みにじったのだ。

 

「我は、言った筈だぞ。『自分の身は自分で守れ』と。」

 

それは無茶な要求では無い。

たった十秒、己が生き延びるために全力を出せば、少なくとも、生み出せた時間だ。

クラウソラスを抜いたセイバーは、その後、女シムーンすら殺してみせた筈だ。

彼女は俺を絶対に救ってみせた。

俺は究極の所で、彼女を信頼することが出来なかった。

そして、みすみす貴重な令呪一画を消費してしまった。

俺は、何も言うことが出来なかった。

 

「我は、これより汝とは別行動をする。我の戦いに干渉される訳にはいかない。」

 

サーヴァントは、マスターがいなければ成り立てない。

それを理解し、それでもセイバーは俺を捨てる判断をした。

己の消滅より、何より、敵に背中を見せたことが、許せない。

殺されないだけ、マシか。

 

「汝には、心底ガッカリだ。」

 

セイバーは踵を返した。

俺は砂のベッドに横たわりながら、彼女の背中を見届けることしかできない。

戦場というものを、俺は舐めていた。

死というものに、余りに無頓着だった。

亜弥は、どれほど恐怖しただろう。

どうして俺は、あんなことが平気で行えたのだろう。

 

「畜生……っ」

 

俺は泣いていた。

止めどなく、涙を零していた。

桜が、俺を突き放した理由も、今ならばわかる。

胸が痛い、張り裂けそうなほどに、痛い。

もしかしたら、この痛みは、人間特有のものなのか。

ほんの少しだけ、彼らに近付くことが出来たのかもしれない。

 

 

不意に、意識を取り戻す。

眠っていたかのようだが、そんなことは無い。

俺はテントの中で棒立ちになっていた。

目の前には、ほぼ裸同然の女が一人。

赤い髪に、怪しい瞳、グラマラスな身体つき。

妖艶という言葉を体現した女だった。

 

「え、えぇえ!?」

 

俺は思わず叫ぶ。

何がどうして女と同じテントに立っているのだろうか。

と、焦る俺に、彼女は優しく微笑みかける。

そしてそこで一度冷静になった。

彼女は、聖杯戦争の監督役、ルーラーだ。

ならば俺がここにいるのも、辻褄が合う。

 

「助けて、くれたのか?」

「ええ。テルジットの付近で倒れていた貴方を運んできたの。」

 

聖杯戦争の監督役は、サーヴァントを失ったマスターを保護するのだと聞いた。

正確には、セイバーが消滅した訳では無いのだけれど。

まぁでも、似たようなものか。俺はマスター失格なのだ。

 

「えっと、有難う、ございます。」

 

俺は取り合えずお辞儀する。

正直、意識を失っていたのか、何故俺がここにいるのかを何も覚えていない。

外は太陽が眩しく照り付けている。

俺はここで一晩過ごしたのか。

目を奪われる圧倒的な美少女が傍にいながら、眠りこけていたようだ。

……少し悔しい気持ち。

 

「あ、私は別のテントにいたから大丈夫。」

 

あぁ、成程。彼女が傍にいてくれた訳では無いのね。

ちょっとがっかり。

俺はこほんと咳払いし、雑念を取り払う。

やるべきことは分かっている。

俺はセイバーを追いかけなければならない。

彼女に見限られたのは事実。でも、俺はちゃんと謝らなければ。

もう一度マスターとして認められるつもりは無い。

俺はきっとこの砂漠で野垂れ死ぬ。

でも、それでも、今の俺はそうすべきだと思った。

俺は自身がマスターとなった証、三画の令呪を見つめる。

歪な紋様だが、きっとこれは俺自身を深く表しているのだろう。

…………ん?

あれ?三画?

俺の手の甲には、確かに令呪が三画宿っていた。

昨日、一画を使用した筈なのに。

 

「あれ?え?」

「あぁ、それ、私からのプレゼント。」

 

ルーラーはあっけらかんと言い放つ。

裁定者はマスターごとの令呪を有していると聞くが、そうホイホイと譲渡して良いものでは無い筈だ。

 

「今、聖杯戦争とは関係のないところで、シムーンが暴れ回っている。私はこれを緊急事態だと認識し、これの討伐に当たるマスター達に令呪の補填を行っているの。だから、その一画は私からのプレゼント。」

 

成程、そういうことか。

ならば他のマスターやサーヴァントも、シムーン討伐に駆り出されているのだろうか。

セイバーとの合流を安全に果たすチャンスかもしれない。

無論、俺がシムーンに殺されたら元も子もないが。

 

「有難う。色々と、助かったよ。」

 

俺はルーラーに礼を言い、テントの外へと出ようとする。

すると彼女は俺の背後に立ち、そして、俺の袖を摘まんだ。

俺はその行動の意味が理解できなかった。

振り返ると、至近距離に整った美しい顔がある。

何を考えているのか全く分からないその瞳に、訳も分からず吸い寄せられる感覚。

だが、何も言わず見つめていると、彼女はゆっくり目を閉じた。

 

「いえ、ごめんなさい。昔の知り合いによく似ていたものですから。」

「あ、あぁ。」

「セイバーを探すのね。彼女はシンゲッティの方面にいるみたい。」

「え、あぁ、有難う。向かってみるよ。」

 

俺はルーラーに背を向け、歩き出した。

テルジットからシンゲッティか。移動手段が無ければ、長い旅にはなるだろう。

セイバーだって長期滞在する訳では無い。

でも、ヒッチハイクしてでも、行くしかないよな。

オフロードもどこへ置いてきたかなんて分からないし。

俺は憂鬱とした気持ちのまま、オアシスを出た。

後ろ髪を引かれるような感覚だ。テルジットはそれだけ過ごしやすい場所なのだろう。

 

「さて、行くか。」

 

薄汚れたローブで身体を覆う。

古びた地図を広げ、方位磁針を手に取った。

そして過酷な砂の世界へ、孤独に、その一歩を踏み出す。

 

 

テルジットを離れてから一日。

セイバーの召喚から数えれば、もう三日が経過する。

長いようで、短い時間が、砂風と共に消え去っていく。

俺はシンゲッティの方角へ、一日中歩き続けていた。

今俺がこうして歩いている間にも、セイバーは何者かと戦闘を続けているようだ。

圧倒的なまでの魔力消費。

近くにいる気もするし、果てしなく遠い気もする。

通常の聖杯戦争がどうだかは分からないが、このサハラの戦争においては、俺がサハラにいる限り、彼女はその力を思う存分振るえるようだ。

ずっと変わらない景色の中で、自分が今どこにいるのか、セイバーがどこにいるのか、判断が付かない。

何処を見たって一面砂世界だ。サボテンなんて目印になる訳も無い。

そして一日歩き続けていると思考も移ろいやすいもので。

今は、俺を見捨てたセイバーに文句の一つでも言ってやろうという気分。

確かに俺の判断は彼女の逆鱗に触れるものだったが、命の危険があったのは事実だ。

サーヴァントは、マスターを守るものの筈だろう。

自由気ままに第二の生を謳歌している(かに見える)彼女に、段々と苛立ってくる。

暑さとはかくも思考を乱すものなのか。気持ちを揺るがすものなのか。

 

「くそ……セイバー……」

 

このサハラの広さは、異常と言っていい。

日本が何個収納できるんだ。

俺はどこまでの距離を一人で歩いているんだ。

というか本当にまだ三日目なのか、色々あり過ぎて脳がおかしくなる。

虫で構成された人形の身体。

もう水分は尽きている。水が飲みたい、水を浴びたい。

 

「あ」

 

俺は不意に、太陽光から身を護る安地、小さな暗がりの洞窟を見つけた。

動物の住処、のようにも見えなくはないが、今はなりふり構っていられない。

俺は残された最後の体力で走り出す。

そしてそこへ辿り着いたとき、俺は多幸感で溢れていた。

この陽射しから身を守ることが出来る、ただそれだけが有難い。

洞窟内部は入口よりも遥かに広がっていて、鍾乳洞のように見て取れる。

こんな場所に、自然発生するものとは思えない。

その証拠に、洞窟内部の大気は、外よりも濃密なマナで満ちている。

この空間にい続けると、思考だけでなく、肉体までもが徐々に蝕まれていきそうだ。

だが、毒を負ってでも、今は水を求めていた。

本当に作りが鍾乳洞と同じであれば、地下水が湧き出ている箇所がある筈なのだ。

警戒心を捨てることはしない。けれど、立ち止まることだってしない。

俺はただ真っ直ぐに、内部へと歩いて行った。

 

そしてそこで、人の気配を察知する。

 

しまった、と思う。

もしかするとこの場所は、魔術工房だったのか?

今最も警戒すべきは、敵マスターとそのサーヴァント。

シムーンから逃れることを最優先に考えてしまっていた。

俺の視線の先に、溜池のようなものがある。

そしてそこで、水浴びをする誰かがいた。

羨ましいという感情が先に出たが、無論、近付くことなどしない。

ゆっくりと、ゆっくりと、洞窟入口へ向かって引き返す。

その途中で、不意に、水浴びをする主の姿が目に入った。

透き通るような白い肌をした、余りにも美しい少女。

この神々しさは、今を生きる人類のそれではないだろう。

彼女は、サーヴァントだ。

俺は思わず見惚れてしまう。

セイバーやルーラーも、当世では表せない美しさ、魅力にあふれた人物たちだった。

目の前にいる少女はそれと同等であり、かつ、どこか儚さまで感じられたのだ。

俺は魅了されたように釘付けとなってしまう。

そして、徐々に心臓が高ぶるのを感じる。

虚行虫の核が、激しい脈動を繰り返し、ことの異常さを訴えていた。

なんだ、これは。

いつまでだって、その柔肌を見ていられる気がする。

だが、女神の水浴びを除く不届き者には、神罰が下る。物語とはそういうものだ。

 

「誰?」

 

優しい声色だった。

俺の心臓は飛び跳ね、瞬時に警戒態勢へ移行する。

相手がサーヴァントならば、死は逃れられない。

令呪三画の使用も検討しなければ。

でも、セイバーはこの声に応えるだろうか。

女の裸を覗いて、逆鱗に触れたから助けろ、とてもじゃないが言えないな。

くそ、セイバー、今ここにいてくれたら、どれ程頼もしいか。

やっぱり、俺の所為だよな。自業自得だ。

 

「シグルド、なのかしら?」

 

シグルド、と言えば、えっと。

竜殺しの英雄、だよな。

『ヴォルスンガ・サガ』の戦士で、魔剣グラムの所持者。戦乙女ブリュンヒルデとの悲恋が有名だっけ。

即座に脳内データベースにアクセスできるほどには、冷静さを取り戻していた。

でも、北欧神話の関係者、なら猶更まずいよな?

肌を見るという行為が、それこそ神罰となり得る。

死で償う、ならまだマシというものだ。

俺がただ死ぬだけで、止まるのか?

今の俺は、彼女の言の葉を否定することすらままならない。

 

ゆらりと、彼女はその姿を見せた。

 

一枚の布を纏っているが、むしろその方が先程より情欲が駆り立てられると言える。

その手には彼女の背丈を遥かに超える槍が構えられていた。

命の危機に瀕すると、生殖本能が活性化するらしいが、まさに今の俺がそうだ。

摩訶不思議な感覚だ。目の前の女に殺されそうなのに、その美肌に思考が吸い寄せられていく。

そういえば、臓硯が言っていた。

俺は人間の生殖本能の二分の一以下に設定されている。

でも、ひとたび活性化すれば、特殊なホルモンが分泌され、肉欲と快楽に支配されると。

なんてもんを作り出してるんだ、あのクソジジイ。

徐々に息が荒くなる。

セイバーを呼び戻さねば、死ぬ。

でも、今の俺には出来ない。

大人しく、首を刎ねられるしかないのか。

 

「貴方は……」

 

えっと、

何て言えばいい?

呑気に自己紹介している場合か?

ていうか、敵マスターが単身で本拠地に攻めてくるなんて有り得ないだろ!

迷い込んだ、が正解、だけど、みすみす逃すことはしてくれないよなぁ。

兎に角、誠実さこそ必要だ。

多分嘘を付くメリットはない。

正直に話して、駄目だったら、ゲームオーバー、そうだろう。

ディートリヒの名を出せば、共闘の申し出とか、そんなのも叶うかもしれない。

今は丁寧な説明が求められている。

俺はなんとか口を開いたが、その瞬間、想定外のことが起こった。

再び俺の思考は停止する。

目の前にいた麗しき英霊が、俺のすぐ目の前に来ていた。

そして、その頭を俺の胸元に擦り付ける。

 

「は……え?」

「やっと会えました、私の、私のマスター」

 

ん?

え?

多分今の俺の目はグルグルしている。

どういうことだ?

一体何が起きている?

私のマスター?

マスター?

マスターって何だっけ?

あ、俺が、マスター……マスター?

 

「えっと」

 

俺は彼女の肩に手を置いた。

冷たい。人間の体温では無い。

武器の形状からしてランサーのクラスのサーヴァント、だろう。

でもそれをかなぐり捨て、俺を抱き締めた。

何だろう、何かとんでもない勘違いが起きている気がする。

えっと、説明すべきだよな。

でも、説明したら、死ぬか?

敵マスターが一人で迷い込んだ、助けてください、とは言えないよ。

というか、己の主人を間違えるなんてこと、ある筈が無い。

 

「すみません。嬉しくて、つい。」

 

彼女の目尻には涙が滲んでいた。

この英霊には、マスターが存在しないのか?

それか、召喚して間もなく、主人が何らかの事故に巻き込まれた、とか。

でも彼女が消滅していない以上、健在、だよな。

それにしても、まじまじと見ると、本当に綺麗だ。

宝石のような目に、果実のような瑞々しさ溢れる唇。

群青の髪も、毛先の赤色も、彼女によく似合っていると思う。

肌はきめ細やかで、触れれば砕けてしまいそうだ。

でも、サーヴァント、なんだよな。

俺が何かを間違えれば、一秒と経たないうちに首が跳ね飛ばされる。

マスターとは猛獣使いそのもの。管理を間違えれば、忽ち喰われる。

そう考えると、指先が微かに震え始める。

召喚した英霊がセイバーで良かった。

彼女は勇者の中の勇者だ。その行動理念と真意が理解できるだけ、遥かにマシだろう。

狂戦士との意思疎通など、俺には出来そうもない。

 

「私はランサーの霊基を以て、貴方の召喚に応じたサーヴァント、その名を『グズルーン』。」

 

彼女は胸を張って、自らの真名を明かした。

グズルーン、って言ったか。言ったよな。

えっと、シグルドの奥さんで、ブリュンヒルデとの永劫の愛を引き裂いた張本人。

色々しでかしてるけど、シグルド一途な乙女って印象だ。

うん、周りの人間を殺しまわっていた気もするけど、あまり考えないようにしよう。

ていうか、それならこの状況は輪にかけてヤバくないか?

シグルド以外の男に肌を見られたこの状況、俺がサガの登場人物なら秒で死んでいる気がする。

これ、嘘ついた方が良いよな?

マスターだからギリギリ許されている、だろう。

 

「あの、俺は」

 

俺は乾き切った喉から声を絞り出した。

自分でもわかる程に、酷く震えている。

俺が君の召喚者だ、そう答える。

そして理由を色々つけて逃げる。

そうすべきだ。

でも。

 

「俺は、君の、マスターじゃない。」

 

そう、俺は告げた。

嘘偽りなく、正直に。

どうして真実を告げたのか、自分でも分からない。

でも俺は彼女を一目見て、ときめきを感じた。

彼女の前で、偽りたくないと、そう思ってしまった。

我ながら、とても馬鹿だなと感じる。

 

「え」

 

グズルーンは目を見開いた。

駄目だ、怖い、逃げ出したい。

だが、無論、五体満足で離脱することなど不可能だ。

ならばもう正直に話し、与えられる罰を待つしかない。南無三宝。

 

「俺はセイバーのマスターだ。戦いの最中、俺の判断ミスで彼女を怒らせてしまい、主従関係はそこで終わった。俺は彼女に一言謝る為に砂漠を練り歩いている。この場所には水分を求めて立ち寄っただけだ。戦闘を意思は無いが、敵陣地へ土足で踏み込んだことの非礼は詫びたいと思っている。」

 

驚く程、すらすらと言葉が紡がれた。

彼女の裸体を見てしまったことも謝らなければならないが、いま、その部分を言うのは憚られた。

さて、彼女はどうするだろう。

怒るだろうか。まぁ、当然だ。

令呪を切り、セイバーを呼び戻す、ことは辞めておこう。

そういう姿勢では、俺がサハラに残っている意味が無いだろう。

人間なら、誠実に対処する。

人になりたいと願うならば、まずは見様見真似でも、頑張るべきだ。

俺は自分自身にそう言い聞かせる。

 

「マスターでは、無い?」

「あぁ。君のマスターでは無い。すまないと思う。」

 

彼女のマスターはサーヴァントを放置して、どこへ旅立ってしまったのか。

グズルーンにも認識できないならば、敵に捕らわれて何らかの魔術で阻害されているか、将又……。

無事、とは間違っても言えないだろうな。

戦争はルール無用かもしれないが、鉛玉の飛び交う戦地で裸一貫というのは想定し辛いだろう。

サーヴァントには常に傍にいて欲しいと思う筈だ。

もしかすると、シムーンの存在も何か関与しているのだろうか。

 

「そう。」

「えっと、もう一つ、申し訳ない。俺は君の、その、肌を覗いてしまった。そこも、悪いと思っている。」

 

ついでに、謝っておく。

これで後悔は無い。精一杯の誠意だ。

せめて命尽きるその瞬間まで、この麗しさを堪能しよう。

美しい女に殺されて死ぬ、それはそれで良い人生だ。

……まぁ死んだら元も子もないけど。

俺は所持していた二枚目のローブを彼女にそっと被せた。

サーヴァントは熱さも寒さも感じないけれど、肌を外気に晒し続けるのは、何か違う気がする。

俺が着ていたものは臭いし汚いが、もう一枚は新品同様だ。

でも…………うん、全然似合わないな。

 

「お名前を聞かせてくださるかしら?」

「俺?俺は間桐巧一朗。」

「巧一朗様、そう、私は貴方の剣では無いのですね。」

 

彼女はがっくりと項垂れた。

えっと、どうしよう。

怒られると身構えていたから、悲しませるとは思っていなかった。

戦乙女ブリュンヒルデであれば、主従関係の意味を深く受け取るだろう。

でもグズルーンはそうじゃない。彼女は戦士では無い筈だ。

シグルドは愛しても、他の男に仕えて忠義を成す精神は持ち合わせない。

うん、多分、そう。

実は俺も詳しいとは言えない。北欧関係はさっぱりだ。

文献が正しいとも限らないしな。

そもそも彼女は本当にグズルーンなのか?

先程手にしていた槍は、むしろ戦乙女の武器のような。

 

「それで、巧一朗様はこれから、どうされるおつもりで?」

「え、どうするって、そんなの……」

 

殺されます、貴方に。

その方向でしか考えておりませんでした。

もしかして、生き残る道はまだあるのか?

どう返答するのがベストかも分からない。

 

「あの、もし良ければ、少しだけ水を分けては貰えないだろうか?」

「水を?」

「あぁ。喉もカラカラだし、身体も干乾びそうだ。」

 

一瞬、命の危機が去ったかと思い、気が緩む。

すると忘れていた渇きが舞い戻って来た。

声を出すのも厳しい状態で、よくもぺらぺらと喋れたものだ、と自分自身感心する。

俺の訴えに、彼女はくすりと笑う。

良かった、悪い反応では無さそうだ。

俺は彼女の汲んできた地下水で喉を潤し、ボトル満タンに注ぎ切った。

これでしばらくは保つだろう。

 

「身体の汚れも、洗い流されますか?」

「え、いいの?」

「はい。」

 

敵陣地、ここは敵陣地。

死と隣り合わせの場所。それは重々承知している。

だが、彼女の言葉に甘えた。

向こうから提案されたのだ。無下にするのはかえって良くない、かもしれない。

セイバーなら、遠慮なく水浴びするだろうな。

俺はグズルーンの言うがままに、彼女がいた場所で水に浸かる。

奥には噴水のように勢いよく流れる場所があり、汚れを落とすには最適だった。

悪くない。むしろ、心地いい。

テルジットも水が綺麗だが、ここはなお清潔に見えた。

やはり、自然に生み出された場所とは言い難い。

グズルーンが掘ったのか?

それとも、聖杯戦争の生み出した『弊害』だったりするのだろうか。

俺は気にするのを辞めた。

どうせ考えても分からない。

今にも命の灯が吹き消されるところだったのだ。こうして心身が清められる今を精一杯噛み締めよう。

俺が水を楽しむその間に、彼女は戦闘衣装を着用していた。

こう見ると、ますます戦乙女っぽいな。

俺は数分間、地下水と戯れた後、布で身体を拭き取り、元の服に着替えを済ませた。

洞窟に入った当初の目的は果たせたと言えよう。

だが、この後はどうすればいい?

 

「巧一朗様、いえ、マスター」

「え?」

「私と契約を交わしては頂けませんか?」

 

グズルーンは真剣な眼差しだ。

もし彼女の召喚者が命を落としているならば、いくらアトランティスのマナで充ち溢れていようとも、一日と命は持たないだろう。

ならば、逸れマスターと再契約するのが、ある意味で正しいと言える。

だが当然、俺はその想いに応えられない。

俺はセイバーを現界させるので精一杯だ。

二騎の英霊と契約しようものならミイラのように枯れて死ぬのが必定。

そして俺は、セイバーを諦めるつもりは無い。

 

「ごめん。それは出来ない。ここまで良くして貰ったけれど。」

「……」

「俺はセイバーを信じることが出来なかった。だから、彼女に謝って、今度こそは一緒に戦えるようになりたい。」

 

俺の本心。

包み隠すつもりは無い。

俺の正体を知りつつも、関係ないと言い張ってくれたセイバー。

俺は彼女にマスターだと認められたいのだ。

人間になる夢と同じくらい大事なこと。

俺は真剣な眼差しでグズルーンを見つめ続けた。

 

「そうですか。そうですね。私たちは相容れざる敵同士。」

 

グズルーンは再び得物を手にした。

ここで俺は、ある提案を持ち掛ける。

ここでゲームオーバーは勘弁だ。

 

「でも、『共闘』というのはどうだろう?」

「共闘?」

「これから俺はセイバーの元へと向かう。その間に、俺が出来る限り、君のマスターを探す。もし可能であれば、一緒に外へ出て、暫くの旅路に付き合ってほしい。サハラには今『シムーン』と呼ばれる脅威が迫っているみたいだし。」

 

俺の提案は共闘の申し出だ。

グズルーンのマスターが生存していると信じ、セイバー同様にこの広い砂漠を練り歩き、探し求める。

その間のボディガードになって欲しいという、なんとも不躾な願いではある。

無論、これは現状で口約束に過ぎない。

セイバーと先に出会ってしまったらどうなるか。彼女からすれば危険極まりない状況となる。

だから、グズルーンが乗ってこないことは承知の上。

それでも俺は無茶な考えを押し通そうとした。

 

「本気で、それを提案しているのですか?」

「あぁ。」

「今の状況から考えて、命が惜しい。ということですか?」

「うん、それもある。でも、それ以上に……」

 

俺はたった一日と言えど、この砂漠で孤独を味わった。

セイバーとガンマの顔が浮かぶ。彼らとの余りにも短い旅は、屋敷の地下から這い上がれない俺に夢のような時間を与えてくれた。

知らない景色、知らない食物、知らない人々。

新鮮さと疎外感が同時に顕在する感覚。

今の俺は、グズルーンに恐怖している、それは間違いない。

でも、それと同じくらいには、出会えたことに感謝している。

この鍾乳洞に籠り、誰かを待ち続ける日々というのは、俺の感覚では、とても寂しい。

もしマスターが命を落としたならば、彼女は第二の生を謳歌することも無く、孤独に消滅する。

 

「我儘だが、一緒に旅がしたい、と思う。」

 

敵は得体の知れぬサーヴァント。

分かっているさ。

でも、俺だって得体の知れない虫風情だ。

人間のガワを被っているのは一緒だ。

正直に、俺は彼女に一目惚れしている。

セイバーやルーラーには感じなかったものだ。

ただ美しい、その地点を遥かに超えている。

俺の心臓の鼓動が、普段のものとは比べ物にならない。

 

「身勝手なのはわかっているけど、でも」

 

必死に言葉を紡ごうとする俺の手を、優しく握り締めた。

彼女はゆっくりと跪いて、俺の手を自身の額に当てる。

 

「え、あ」

「優しい人。」

「っ……」

 

冷たい、けど、温かい。

不思議な感覚。

何故か、俺の身体は火照っていた。

何だ、これ?初めての感覚だぞ。

 

「承諾しました。短い間ですが、私、ランサーは貴方の剣とも盾ともなりましょう。」

「え、本当に?」

「巧一朗様、いや、マスターの提案ですよ?ふふ。」

 

彼女は敢えて、俺をマスターと呼んだ。

それがどこかむず痒く感じる。

でも、少し嬉しい。セイバーにはしこたま怒られそうだけど。

こうして俺とランサーは一時的に共闘関係を築いた。

俺たちはこの洞窟の外へと出て、探し人を求める旅を始めたのだった。

 

【深層編④『巧一朗Ⅳ』 おわり】

 

 

 

『ベルリンへ!ベルリンへ!ベルリンへ!』

 

あぁ、戦争が始まる。

がらんとした部屋の中で、死ぬ間際の私は窓の外を見つめていた。

光の反射で、時折、それは鏡のように私の顔を映し出す。

それはかつての栄光とは程遠い、醜く歪んだものだった。

天然痘。

私を殺すもの。

私が知らぬ間に殺して来たものの集合。

骨と血と膿と腐肉の塊となった、見るも悍ましい廃棄物。

あぁ、呪いだ。

死肉の河の呪いなのだ。

 

「可哀想に、あぁ、ナナ、麗しのナナ、ここを通しておくれ。ナナを蝕む病とは何なのだ?」

 

貴族が言う。

俳優が言う。

数多の男たちが言う。

そして誰かが答える。

天然痘。

すると、誰もがぎょっとしていなくなる。

私という価値は、美にしか存在しない。

美しいから、求められるのだ。

知っている、私はそれを知っている。

それが私の武器なのだから。

 

「ああ」

 

たくさんの恋をした。

千夜一夜、シェヘラザードが王に話を聞かせたように。

私は一夜ごとに、様々な恋に落ちた。

男もいた、女もいた、若者もいた、老人もいた。

私は『ヒト』に恋し、愛し、そして彼らに見放された。

楽しかった、悔いはない。

ナナの物語は、煌びやかでいて、儚い。

誰かが私を語り継ぐ。

誰かがまた、私に恋をする。

そうして、ナナは永遠となる。

ならば、私にはもう願いも祈りも無い。

嗚呼、戦争が始まる。

 

────戦争が、始まる。

 

私は死に、そして、唐突に蘇る。

見たことも無い土地、同じ地球上の国なのだろうか。

与えられた情報は多くない。

私はどうやら『戦争の裁定者』であり、血みどろの殺し合いの監視者、ということだ。

背中に浮かび上がったのは十四画の痣。

硝子に映るのは、余りにも美しい自身の顔。

あぁ良かった。あの時の私だ。

 

「ここは、モーリタニア。」

 

黒い肌の屈強な男たちが、私の前を通っては凝視する。

彼らの気持ちは手に取る様に理解できる。

一目惚れ。

私を見る者全て、『ナナ』に取り込まれていく。

この感覚は、とても久しい。

フロンティアラインのような場所で、私はまた、自由を手に入れたのだ。

聖杯への望みも、この世への未練もない。

私は、私を繰り返す。

ヒトを消費し、財をまき散らす。

舞台上に立った踊り子は、全てを魅了し、ココロを変える。

この二回目の命で、私は何を手に入れ、何を手放すだろう。

 

「先ずは、ヤシの木の生い茂る場所へと向かいましょう。」

 

こうしてナナ(わたし)の物語の続きは始まったのだ。

でも、それは楽園への片道切符、では無かった。

このときの私は何も知らなかったのだ。

 

『世界を滅ぼす恋』が、始まりを告げていたことを。

 

【深層編は続く】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層編5『ナナ』

大変お待たせしました。
今回はナナのお話です。
感想、誤字等ありましたら連絡お願いします!


【深層編⑤『ナナ』】

 

退屈。

私は何度目か分からない溜息を零す。

ここは煌びやかさと悍ましさが同居する、ヨーロッパの街並みでは無い。

ただ、一面に広がる砂世界。

厳しい環境を生き抜くために、他者が他者の手を取る国。

賊の類はあれど、金品目当ての低俗な悪。

社会を飲み込む巨悪も、それを挫く正義も存在しない。

生きるという行為に、余りにも必死な人々。

ヒトがヒトを喰らうような刺激とは無縁だ。

物語の登場人物にとっては、平凡すぎる日常であった。

 

「はぁ…………」

 

私だけが、ヒトを使い潰す。

今もこうして、快楽を満たす為だけに、一つの命を食い潰した。

ベッドのとなりに横たわる、大柄な男。

私を飼い慣らそうと息巻いていたが、こうもあっさりと死んでしまうとは。

植物人間、ならばまだ使い道はあるが、多分彼の魂は天に召し上げられている。

ならば腐肉に興味はない。

テルジットの現地住民に死体の処理をさせる。

その辺りの砂山に放置すればいい。三日も経てば土に溶けて消え去るだろう。

どうも、英霊というのは奇怪な存在だ。

初日、私は誤って人間の首をへし折ってしまった。

力は加えていない筈、でも、発泡スチロールのようにいとも容易く砕けたのだ。

生前の私は非力そのものだった。男に襲われても、抵抗など出来なかった。

だが今はどうだ。

人間との性交渉では、私に魅了された者全てが、肉壺に溺れ、命を使い果たした。

殺したくてそうしている訳じゃない。

ヒトが、私の為に、命を粗末に扱うのだ。

一秒先の極上の快楽を求め、一生を棒に振る。

ナナには、そういうスキルがあるらしい。

まるでこれでは床上手のアサシンだ。

私は今日も、明日も、明後日も、一夜限りの恋を続けていく。

 

「ルーラー」

 

テントの外から私を呼ぶ声が聞こえた。

この戦争の立役者、テスタクバルの使い魔人形。

老紳士の見た目だが、私の肌に動じる様子も無いので、人間では無いのだろう。

 

「ワダンにて、『王』がお待ちです。」

 

私はその正体を知っている。

聖杯戦争にて暗殺者のクラスで呼び出された絶対君主、暴虐のザッハーク。

別に謁見の道理はないが、敢えて逆らう意味も無いだろう。

尊大な王は、好みの外。

私のタイプは心優しい男性。一般女子のような下らない指向だ。

私は私の最期を知っている。醜さを許容しろとは言わないが、それでも、手を握ってくれる貴人を求めるのは間違っているだろうか。

 

「ではこちらへ。」

 

私は渋々、テルジット外のキャンピングカーへ乗り込んだ。

今のナナは憂鬱そのものだ。

英霊は暑さで汗もかかないし、体力も無尽蔵。

でも、今は少し下腹部がじんじんと痛む、気がする。

生前にもあった不快な感覚だ。

暴虐の王、屈強な男、老人、子ども、そこに何の違いがあるだろうか。

私にとって男は等しく『猿』だ。

肉欲を満たす為だけに存在する動物。

だから、平等にナナを与えるだけなのに。

どうして私は、選り好みしてしまうのだろうか。

 

テルジットとワダンは、幾ばくか距離がある筈、なのに、ものの数十分で到着してしまった。

私が知識として有していたワダンの地と余りにも乖離している。

そこは新たなるオアシスだった。

テルジットより遥かに、植物が実っている。

そして何より視界の多くを占めるのは、築かれた巨大神殿。

こんなもの、数日前には無かった。

現地住民はさぞ驚愕していることだろう。

戦争は秘匿事項である筈なのに、この体たらく。

私は頭を抱える。

モーリタニアの情報ネットワークは先進国に比べ劣っている。

イギリスまで風の噂が届かなければいいけれど…………。

 

「ルーラーが到着しました。」

 

神殿内部にある巨大な扉が音を立てて開かれる。

私は使い魔の導くままに、玉座へと歩みを進めた。

偉そうなオールバックの成金男が足を組み、ふんぞり返る。

彼が蛇王ザッハークなのは、言うまでもない。

かつて宮廷で舞い踊ったことを思い出し、私は覚悟を決めた。

彼は私を気に入り、愛人とするだろう。

ナナにはそれだけの魅力がある。これは自負すら通り抜けて、摂理なのだ。

ほら、私を見るや否や、表情筋が緩んでいるじゃない。

 

「貴様が、裁定者。」

「はい。」

「名は?」

 

当然、明かす義務はない。

でも彼は少しでも逆らえば、私を殺すだろう。

第二の生をこんなところで終わらせる訳にはいかない。

 

「ナナ、と申します。ゾラが、私という女に彩りを与えました。」

「エミール・ゾラか。余は当然知らんが、貴様がファムファタールであることは判るぞ。男を食い潰し、弄んできたのだろう?」

「失礼ながら、男、だけでは無く。」

「ははは!女も狂わせる美貌と来たか!それは良い!」

 

アサシンは豪快に笑う。

彼の傍に立っているのは、彼のマスター。

どうにも頼りなさそうだが、戦争の立役者というのは本当だろうか。

 

「余は退屈している。戦の渦中であるが、ワダンの地を攻め込む勇者はまだ訪れておらん。変わらぬ景色、変わらぬ風模様、暇を持て余し続けたのだ。故に、貴様の到来は余を滾らせる。」

「私は裁定者です。貴方様に対する戦意はございません。」

「知っておるわ。貴様の戦場は砂漠でも、野原でも、海でも無かろうが。」

 

そう言い、彼は指し示す。

小さな扉の向こう側、きっとその場所は寝室だ。

────余を楽しませてみよ。

彼はそう伝えている。

ザッハークの両肩から生え出た二匹の蛇が舌なめずりした。

異形との性行為。思えば、初めての経験かもしれない。

全くもって、心は踊らない。

でも、彼の期待に応えなければ、私は死ぬだろう。

それは嫌だ。

何の為に再度命を灯したのか、未だ理由は分からない。

でもきっと、その答えは何処かに転がっている。

私は私の戦場で、今日を生き延びなければならないのだ。

意を決して、彼の指し示す部屋に赴いた。

 

 

ザッハークと出会い、そして、一日を神殿で過ごした。

無尽蔵の体力を以て、彼は欲の限りを尽くした。

たぶん、十数時間は抱かれていたと思う。

流石の私も、経験したことの無いコトだ。

多人数はあっても、一人からこれほど求められたことは無い。

気付けば、窓の外は暗くなっていた。

当然、砂漠の中に外套は無い。星の光だけが頼りだ。

でも英霊の目は冴えている。私に覆い被さる彼は、何回戦目かも分からぬ行為に耽り始めた。

あぁ、痛い。

サーヴァントは疲れないのではないのか?

下腹部が私の脳に訴えている。

もう男を受け入れるのが辛い、と。

子を成すことが出来ないこの身体、だからこそ、責任も無い。

王にとって私は欲を満たすための道具だ。

今も無邪気に手に入れた玩具で遊んでいる。

私は彼の口を啄んだ。

どうやらナナは、口づけした相手の心を、記憶を読み解く力があるらしい。

生前の彼の武勇から葛藤まで、私は追体験し続ける。

愛おしさなど生まれない。蛇王は間違いなく、この世界の基準で言えば『邪悪』そのものだ。

私は無関心であるべきだ。ザッハークを許容すれば、自由なるナナは何処までも縛られる。

だからこそ、虚無。

ただエンドロールが流れるのを待つ。

 

「ナナッ!」

 

彼は私の名を呼んだ。

もうじき、果てるのだろう。

でも彼は人間のように朽ちない。

むしろ、若さを取り戻していくようだ。

これで終わるだろうか。

終わればいいのに。

私はゆっくりと瞼を閉じた。

 

「っ!?」

 

その刹那。

私は自身の首に強烈な痛みを覚えた。

柔肌に食い込む、鋭い牙。

目を開き、何が起きたのかを必死に理解する。

ザッハークの蛇に、噛まれたのだ。

微かに流れ出る血液以上に、首元から侵食する何かに強烈な違和感を覚える。

なに、これ。

肌を蠢く、小指ほどの小さな物体。

蛇にも、蜥蜴にも見えた。

 

「何を!?」

「いま貴様に、余の力の一端を授けた。貴様はザッハークの権能を振るうことが出来る。」

「なんで……」

「余は貴様を妻に迎える決定をした。故に、貴様は余と同じ存在になる。余の孤独を洗い流す女へと進化するのだ。」

 

私は目を白黒させる。

分からない、でも、吐き気を催す程の何かが起こったことは理解できた。

立ち上がり、彼から距離を取る。

そして自分の汗ばんだ手をじっくりと眺めた。

大丈夫、指は五本ずつあるな。

焦り過ぎて、そんな当たり前の確認すらしてしまう。

私は何度も指を折り曲げ、私が私であることの認識を続けた。

ナナは正常。

ナナは確かに顕在する。

だが、ふと、目に映ったのは……

背後から、蛇の頭が顏を覗かせていた。

 

「え……」

 

私は恐る恐る、蛇の尾を追ってみた。

ざらざらとした表面に手を滑らせながら、その全体像を把握する。

そして、知る。

この蛇は、私の背から『生えている』。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

息が荒くなる。

私の身体から、気味の悪い生き物が生え出てきた。

その事実に、震えが止まらない。

 

「なに……これ……?」

「蛇だ。」

 

ザッハークを蝕む呪い。

私はキスを通して、彼の身体と彼の歴史を知り得ている。

ならばこそ、その意味は理解できた。

孤独だから、お前もバケモノになれ。

それは違う。

彼は私の心を、深く理解していた。

十数時間に及ぶ行為の果てに、私が義務で、彼の愛を受け入れていることを。

暴虐の王の器を、愚かにも、見切った気でいたことを。

だから、これは彼なりの『嫌がらせ』だ。

ナナの最期を知ってか、それとも知らずか、彼は私の存在価値が美にしかないことを理解した。

だから、醜悪な種を植え付けた。

王の独占欲、王の支配欲、彼のモノであるという烙印。

私の背から生え出た蛇が、ケラケラと嗤っているように思えた。

ナナは、自由に生きる生物だ。

富を、人間を、世界を使い潰し、優雅に踊り続ける。

誰のものでもあり、誰のものでもない、それがナナなのだ。

蛇王ザッハークはそれを絶対に許さない。

彼は私の生き様を、完膚なきまでに否定した。

身体から蛇が無数に生えだすこの肉体に、誰が溺れてくれようか。

ザッハークが存在する限り、私はこの蛇を自由意思で操ることが出来ない。

まさしく手駒に、否、彼の娼婦に成り果てたのだ。

 

「馴染むか?余の蛇は。」

「っ…………」

 

彼が指を鳴らすと、私の背から三匹の蛇が出現した。

二匹が両手を縛り上げ、そして最後の一匹は────

 

「んく…………っ」

 

ここから先は言うまい。

何者も受け入れた私は、ついには異種生物も受け入れてしまったのだ。

悪王は私が悶え苦しむさまを見、手を叩いて笑っている。

あぁ、痛い。

これがナナの罪だというのか。

私は富も、人間も、世界も、必要なかった。

私が欲しかったのはもっと小さなものだ。

もっと、もっと、もっと、小さな────

 

「貴様は余のモノだ、ルーラー。」

 

あぁ、私はまた、肉塊へと戻るのか。

一人病室に取り残され、誰にも迎えられず、誰からも忘れられ。

悪臭漂う汚物になってしまう。

私は快楽か、それとも哀しみか、嗚咽の混じった喘ぎ声を漏らす。

あぁ、醜い。

私だけは、ナナを好きでいなければならないのに。

でなければ、誰からも…………

 

 

暗闇の砂漠を、一人彷徨っている。

テルジットまでまだ距離はあるだろう。

星の光だけが頼りだ。

風に乗った砂が鼻や口から入り込み、何故か咳き込んでしまう。

私は本当に英霊なのだろうか。

ザッハークは私に、テルジットへの帰還命令を出した。

常に私がいる環境は好ましくないようだ。

魅了スキルを有する私の存在が邪魔になることもあるだろう。

だから、必要な時に呼び出して、夜の相手をする。

そういう取り決めになった。

当然応じなければ、取りつく蛇の呪いが、私を殺すだろう。

他の英霊に救いを求めても無駄。

そもそも、ナナを救う力は彼らには無い。

絶対服従、そうすれば私は第二の生をまだ諦めずにいられる。

でも何のために?

そうまでして生きて、何を手に入れたいのか。

分からない。

もう、考えるのも億劫だ。

 

「あ」

 

私は何かに足を打ち付け、転びそうになる。

この砂漠に、得体の知れないものが転がっていた。

それはどうやら人間のようだった。

死体が転がっているなんて良くある話だ。気にすることでもない。

いずれ私もこうなるだろう。

あの時のように。

 

「ん…………?」

 

私はある違和感を抱き、死体の様子を確認してみる。

その顔に、見覚えがあるような気がした。

上体を起こしてみると、整った顔の青年だった。

確か、テルジットに訪れていたのを見た気がする。

話をしたわけでは無いから、印象が薄いのかもしれない。

そして私は彼がまだ息をしているのに気付いた。

この砂漠の真ん中で、生存者が発見されたのだ。

酷く面倒だが、もし聖杯戦争の参加者であるならば、監督役はこれを見過ごすわけにはいかない。

一応建前ではあるが、脱落者の保護をするのが監督役の責務である。

私は彼を背負い、テルジットのテントへと向かった。

流石は英霊の肉体、人間を一人持ち上げるくらい訳ないらしい。

 

星の導きを頼りに、ようやく自宅ともいえる場所に辿り着いた。

テントの中でランプを灯し、青年をベッドに寝かせる。

彼は意識を失っているようだ。砂風にあおられ、肺に異常が無いか心配である。

 

「えっと」

 

誰、だったかな。

私の元を訪れたアジア系の顔は、あまり心当たりがない。

男をただの肉食動物と捉えていた弊害だろうか。

どうにも今はあのアサシンの薄気味悪い表情が頭を離れなかった。

私は彼の顔を暫く観察していた。

ザッハークの蛇たちは彼を脅威と判定していない。私の体内で眠りこけているようだった。

そして途中で、彼の身元を判明させる為に、自らのスキルを使用した。

乾燥した唇に、私はそっと口づけをする。

 

「ん」

 

流れ込んでくる、記憶。

彼が生まれる瞬間、暗くて、強烈な異臭が漂う地下室の映像が想起される。

彼はキチキチと産声を上げていた。母と思われる女は絶望し、傍にいた老人は嗤っている。

彼は室内を元気に走り回り、己の存在を誇示し続けた。

だが、誰も彼の声に耳を傾けない。

悪臭に塗れた『虫』は、ただひたすらに孤独だったのだ。

 

「この、気持ち悪い虫が、この人間だというの?」

 

そしてそれから、彼は自らの『縫合魔術』でヒトの身体を形成し、人間として生きた。

ザッハークのように、自身がバケモノであると認識して、それでも、溶け込もうと足掻いていた。

だが、彼の行動はお世辞にも、人間『らしさ』があったと言えず。

彼は恋を知る為に、ヒトでは無く、虫でそれを成就させようとした。

彼が創り上げた恋人は数知れず。印象深いのは、最後に作成した『亜弥』という少女。

彼女は機能不全により、他者の血肉を啜る怪物へと成り果てた。

そして無情にも、彼は彼女を処分した。

その行動を見た彼の母は、人間として、彼を否定した。

生まれてこなければよかった。

彼は精神的苦痛の末に、サハラの地へと赴き、人間になる為の戦争を始めたのだ。

劇的で、悲哀に満ちた人生。

物語の登場人物のような彼が、過酷な地で息を引き取る寸前だった。

私がこの些細な願いを、救ったのだ。

そう思うと、どこか自分が誇らしく感じられた。

 

「んぐ」

 

随分と長時間、唇を合わせていたようだ。

彼は息が苦しくなり、激しく咳き込んだ。

それと同時に覚醒し、飛び起きる。状況が把握できないのか、頭に疑問符を浮かべている。

 

「こ、ここは?あんたは?」

「ここは私、ルーラーの住まうテントよ。倒れていた貴方を私がここまで運んだの。」

「ルーラー、あ、ありがとう!すまない、ありがとう!」

 

彼はまた激しく咳き込み始めたので、ペットボトルに入った水を手渡す。

その際、私の下着同然の胸に彼の手が当たったのか、彼は激しく狼狽えた。

そしてこちら側を見ないように、水分を口に含む。

初々しい反応だ。テルジットにも似たような反応をする人間たちがいた。

でも彼らは既に私が消費した。彼と同じように、この砂世界に埋もれ死んだのだ。

 

「はぁ……美味い。」

「夜は涼しいけれど、やっぱり砂漠の国は乾燥していて辛いわよね。」

「あぁ。日本が恋しくなってきた頃だ。」

「巧一朗の住んでいた国は、衛生的にも素晴らしいと聞くわね。」

「あぁ、蛇口をひねればきれいな水が出てくるからな……って、どうして俺の名前を?」

 

彼の名は『間桐巧一朗』。

セイバーのマスターで、冬木の地からはるばるモーリタニアまでやって来た。

人間の姿をしているが、実際は『虚行虫』と呼ばれる生物だ。

私はそれを知っているが、彼はそれが不思議でならないようだ。

 

「監督役は何でも知っているの。」

「そうなのか、凄いな。」

 

私は適当な嘘を付いたが、彼は単純で、まんまと騙されてしまった。

この様子で戦争の勝者になれるのだろうか。

まず間違いなく、蛇王ザッハークには殺されるだろう。

 

「ねぇ、貴方はどうしてあそこで倒れていたの?セイバーはまだ消滅していないわよね?」

「あぁ。俺が彼女の期待に沿えなくて、関係性が解消されたというかなんというか。」

 

巧一朗はシムーンとの邂逅を詳細に語った。

私からしてみれば、サーヴァントがマスターを守るのは当然だ。巧一朗に命の危険が迫っていたならば、令呪を切る判断をしたのも納得できる。セイバーは巧一朗の技量を信頼していたのだろうけど、その心の声には耳を傾けなかった。

 

「俺が悪い、俺が弱かったのさ。セイバーの信頼を裏切ってしまった。彼女の気持ちに、気付いていた筈なのに。」

 

巧一朗はそう俯いた。

だからこそ、彼はセイバーに謝罪する為に、一人で砂漠を歩き続けていた。

そして道中で疲労により意識を失い、今に至る。

確かに彼は命の危険にさらされ、一度は逃げる選択をした。

でもそれを恥じ、信頼を取り戻す為、戦場を駆けずり回っている。

非効率的だし、危険だし、大して意味もない行動だと思う。

でも誠意は感じられた。巧一朗は人間と違い、とてつもなく愚直なのだ。

 

「ありがとう、ルーラー。本当に感謝する。じゃあ、俺はこれで。」

 

彼はそう言い、立ち上がった。

この真夜中に、サーヴァントを探す旅を続けようとする。

私は自分でもよく分からないままに彼を引き止めた。

 

「今日はもう遅いわ。ここに泊まっていったら?」

「いや、そこまで世話になる義理は無い。見ず知らずの男と夜を共にするのは、その、あまり良くないだろう。」

「そうかしら?私はサーヴァントで、貴方は人間。力量の差は歴然でしょう?まさか襲われるなんてこちらは思っていないわ。」

「いや、まぁ、俺にそんな度胸は無いけれど、そうだな、今のあんたの姿は非情に蠱惑的だ。その、俺が落ち着かない。」

 

彼は赤面したまま、テントの外へと向かって行く。

私は彼の腕を掴み、そしてそのまま床に押し倒した。

何故このような行動に出たのか、私はおかしな感情に支配されていた。

ザッハークに隷属したことによる精神の淀みを、この『虫』で晴らそうとしているのだろうか?

私は彼に覆い被さり、そしてその綺麗な目を見つめ続ける。

彼の頬は茹蛸のように紅潮していた。

かすかに、魅了され始めていることに気付く。ヒトの数倍は遅い反応だけれど、この感覚は悪くない。

 

「ルーラー、すまない、どいてくれ。」

 

彼は私の肢体に、目を向けないようにしている。

その反応は可愛らしく思えるが、彼の要求に応えるつもりは無かった。

いつものことだ。私は男を前にし、襲うか、襲われるかの二択。

私は鬱憤を晴らすかのように、彼を肉欲のまま捕食する。

それがナナ。私は自由気ままに、その時にしたいことをするだけだ。

誰にも、支配されない。

誰にも言いなりにならない。

私が行動の指針であり、私が世界の中心なのだ。

 

「巧一朗、『こういうこと』は経験済みかしら?」

「えっと、いや、無い。」

「じゃあ私が貴方の『最初』になってもいい?」

 

潤んだ眼、火照る頬、汗ばむ身体。

一夜限りの恋物語、そのページは開かれる。

彼は私に魅了されている。

故に、ナナにより極上の快楽を与えられ、そして消費されるのだ。

 

「ねぇ、巧一朗、私を受け入れて。」

「えっと、いや、その。」

 

ふと、彼の視線を追った。

通常、男たちは私の目か、唇か、胸に釘付けになっている。

だが彼は違う。どこか遠くを見ているようだった。

私では無く、私の後ろ。

私は振り返り、そして、酷く狼狽した。

背中から生え出た蛇が、こちらを凝視している。

ナナを監視し、心と身体を束縛する邪悪。私は彼から飛び退き、必死に背中を隠そうとする。

見られてしまった。

見られたくなかった。

まるで、天然痘を患った時のよう。

私は美しいから価値ある存在なのだ。

ナナは圧倒的な美女であるから、自由を手に出来たのだ。

だから、顔面が気泡だらけで、全身から悪臭の漂うあの私は、ナナであって、ナナでは無い。

この蛇もそう。ナナを殺す存在。ナナから自由を奪う悪意だ。

一夜の恋はいとも容易く奪われる。

ナナは巧一朗によって否定される。

それは耐えられない。

私は愛されなければならないのだ。誰も私を否定してはならない。

汚らわしいと思われる前に、彼を処分しなければ。

殺さなきゃ、気味悪がられる前に、殺さなきゃ。

 

「よくも、見たな!」

 

彼からすれば、意味の分からない女だろう。

突然襲われたかと思えば、突然嫌悪され、それどころか殺意を向けられる。

我ながら彼に同情した。

可笑しな行動をしているのは分かっている。

それでも、ナナを否定される訳にはいかない。

 

「ルーラー…………?」

 

感情が高ぶると同時に、新たに二匹の蛇が姿を見せた。

そして巧一朗めがけて三匹は突進する。

その毒の牙は彼の肉体を容易く千切り取るだろう。

虫が蛇の捕食から逃げられる道理はないのだ。

 

「ルーラー、あんた……」

 

巧一朗は逃げる体制を取らない。

それどころか、私の顔を見つめ続けている。

今にも死ぬのに、何故、戦闘態勢に移行しない?

令呪を用いてセイバーを呼ぶような場面である筈なのに。

 

「泣いているのか……?」

 

巧一朗はそう呟いた。

彼にとってみれば、絶対的存在であるサーヴァントが激しい感情を見せたことが驚きそのものだったようだ。

私の目尻に浮かぶ小さな水滴に、彼は気付いた。

自分がこれから死ぬというのに、そんな些細なことを疑問視したのだ。

蛇の侵攻は止まる。

私の感情と連動しているみたいだ。

あぁ、何故私は泣いている。

自分で自分自身が分からない。

蛇王ザッハークは私を思うがままに貪っただけ。

そして王の独占欲で、私は管理されただけ。

生前も、そんなことはあったじゃないか。

私は『あの男』に毎日のように殴られていた。それと同じ。

ただの日常だ。私はそれをいつものように許容しただけ。

泣いて媚びるのはベッドの上だけ、気高さを失ってはいけないと誓った筈。

なら、どうして。

 

「ルーラー、ごめん、助けてくれた恩人に、俺は何か不義理なことをしてしまったようだ。俺に出来ることがあれば、何でも言ってほしい。出来れば、夜の営み以外で……」

「巧一朗…………」

「折角だから、もし可能なら今晩泊めてもらっても良いだろうか。正直に言うと、行く宛もない。」

 

彼は頭を掻きながら、笑った。

ザッハークのような嘲り嗤う笑みでは無い。こちらを最大限気遣う様な、優しい微笑み。

私は彼から更に距離を取る。

彼の優しさに触れてはいけない。

でも女の本能は真逆に働く。

矛盾した感情に踊らされ、私は俯くしか無かった。

どうすればいい。

何をすれば、私はナナを保っていられる?

頭がぐるぐると回り、その場で固まってしまう。

巧一朗は頬を掻き、そして、私へ向けて手を差し伸べた。

 

「大丈夫か?」

 

私は彼の手を取らない。

だが私の背から這い出た蛇の一匹は、彼の掌にその頭を乗せ、幸せそうに笑った。

巧一朗は戸惑うが、直ぐに懐く動物に愛おしい目を向ける。彼はゆっくりともう片方の手で蛇の頭を撫でまわした。

凄く変な感覚だが、私の頭が撫でられているように錯覚する。

異性から頭を優しく触れられるのは、いつ以来だろうか。

 

「おお、可愛いな、この子。名前は何て言うんだ?」

「名前?」

「あ、名前とか無い感じ?」

 

撫でられる一匹を羨ましく思ったのか、残りの二匹も巧一朗の腕に絡みついた。

彼は困惑しながら、一匹ずつ丁寧に撫でていく。

くすぐったさが三倍になった気がした。

彼は俯き、言葉を発しない私を気遣い、隣に腰を下ろした。

そして私の背から生えた三匹と戯れ、遊んでいる。

奇妙な光景だが、彼はこの状態の私を突き放すことはしなかった。

だから、次第にこの距離が心地よくなっていく。

私はようやく声を絞り出した。彼の求めていた言葉では無いのかもしれない。

 

「巧一朗、何でも良いから、話をして欲しい。貴方の話を。」

「俺の話、でいいの?分かった。」

 

彼は嫌な顔一つ浮かべず、自分のことを話し始めた。

それは私が口づけした際に見た記憶や感情と同じ。

彼の正体、そして縫合魔術、亜弥という少女のこと、そして、セイバーに対する思い。

彼は己の人生を空虚と自虐した。でも、そんなことは無い。

天然痘を患い、誰からも見放され、強烈な悪臭漂う肉塊となった私。

同じように、饐えた匂いの地下室で『虫』の身体を以て生まれ、それでも這い上がり、足掻き続ける彼。

私たちは同じで、でも、少し違う。

否定された後、それでも、立ち上がる勇気が私にはあっただろうか。

彼のように願いを叶える為に、命を賭して戦えただろうか。

彼が私を肉欲のままに抱かなかった最大の理由。

それは『虫』である彼との行為が、私の心を傷つけてしまうと、そう思ったから。

 

「愛する人と、とか、そんなことは思わない。きっと世間の男女は様々な理由をつけて、互いを確かめ合っているんだと思う。恋も愛も、そこら中に散らばっているものだろう。」

「うん。」

「でも、俺にはまだその資格がない。俺はエゴイズムで、亜弥を突き放してしまったのだから。今は傷つけることに臆病なのかもしれない。これもまた、俺のエゴだろうね。」

 

それでも。

彼は感情のままにその言葉を吐露した。

 

「それでも、ルーラー、貴方はとても綺麗だと思う。俺には手が届かない。」

 

彼はそう言って、笑っていた。

私はいつの間にか、彼の肩に自らの頭を乗せていた。

あぁ、ナナはきっと、このような弱さは見せないのだろうけど。

今だけは、せめて、この一夜だけは。

私だけの、時間。

 

「えっと、ルーラー、眠いのか?」

「ううん、サーヴァントは眠らないの。」

「そうか。俺は少しばかり眠いかも。」

「なら、一緒に寝て欲しいわ。大丈夫、この夜は貴方をどんな外敵からも守るから。」

「それは心強いな。」

 

巧一朗は眠った。

ベッドの上で、私の膝を枕にして、ゆっくりと瞼を閉じた。

相当疲れていただろう。初心な彼なら、膝枕さえ恥ずかしい行為の筈だ。

私は彼の頭をゆっくりと撫でる。

本当に美しい顔だ。作られたものと知っていながら、まじまじと見つめてしまう。

本当の彼はもっと小型で、もっと悍ましい。

でも恋する肉塊には、そのような事実は気にもならない。

恋する?

自分で言って、自分で納得する。

これまでも、毎晩私はいろんな人間に恋をしてきた。

今日はたまたま彼にその感情を向けただけ。

明日は別の誰かを好きになっているかもしれない。

ナナは自由気ままな生き物なのだ。

でも。

もし、明日も巧一朗に恋していたならば。

私はこれからどうして生きようか。

どんな第二の生を送っていこうか。

今の私は鼻歌交じりに、そんなことを考えていた。

 

 

そして翌朝。

旅立つ直前の彼に、私は令呪を授けた。

戸惑う彼に、シムーン討伐の話で無理矢理に納得してもらう。

加えて、私は少し背伸びして、彼と唇を合わせた。

これも、ナナの力。

ナナとの恋は、誰もが平等に一夜限り。故に、彼はこれより、昨夜の出来事を全て忘れ去る。

私との出会いや、語らいも、全て。

彼は暫く茫然とし、そして、傍に立つ私に驚愕した。

もう私のことを覚えていないようだ。

 

「え、えぇえ!?」

 

彼は私を一目見て、驚きながらも赤面する。

初々しさは変わらないのね。良かった。

 

「助けて、くれたのか?」

「ええ。テルジットの付近で倒れていた貴方を運んできたの。」

「えっと、有難う、ございます。」

 

たどたどしい雰囲気。

目を覚ました時の彼そのものだ。

私は思わず笑ってしまいそうになる。

そして案の定、令呪の話になり、私は再度シムーンの話をする。

彼は納得し、そして私に感謝した。

 

「有難う、色々と、助かったよ。」

 

彼は踵を返し、テントの外へと向かう。

私は条件反射的に、彼の袖を摘まんでいた。

不思議そうな巧一朗。

無理もない、彼にとって私は初対面みたいなものだから。

私は彼から手を離し、目を伏せる。

お別れの時間だ。

 

「いえ、ごめんなさい。昔の知り合いによく似ていたものですから。」

「あ、あぁ。」

「セイバーを探すのね。彼女はシンゲッティの方面にいるみたい。」

「え、あぁ、有難う。向かってみるよ。」

 

巧一朗は手を挙げ、感謝を口にする。

私は彼に手を振った。

これでいい。

彼の足音が遠ざかっていく。

これでいいの。

私は今日また、アサシンの宮殿へと向かう。

 

「私はナナ、富を、人間を、世界を消費するファムファタール。」

 

私はここに誓う。

この第二の生の使い方。

ナナの物語の続編が、始まったのだ。

 

「蛇王ザッハークを殺害する。」

 

巧一朗の旅を終わらせる存在、暴虐の王を殺す。

そして彼の力を手にした私が、その力で新たな世界を築き上げる。

虫である巧一朗が、幸せを手にする世界。

彼を決して孤独にはしない。

彼の為の『楽園』を創る。

そして、いつかの日に、彼と再会し、彼を全力で墜とす。

ナナの虜にしてみせる。

数多の女性を出し抜き、ナナが、彼と愛し合う。

彼の為の桃源郷、彼の為の『オアシス』。

私がその創造主となる。

 

こうして私は、一夜の恋を続け、千年の時を超えた。

歪んでいく精神、壊れていく世界。

でもその物語は、いつまでも、どこまでも、破綻しなかった。

 

巧一朗、貴方が好きよ。

さぁ、『世界を滅ぼす恋』を始めましょう?

 

 

 

 

【深層編⑤『ナナ』 おわり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層編6『巧一朗Ⅴ』

感想、誤字等あればご連絡お願いします。


【深層編⑥『巧一朗Ⅴ』】

 

「お迎えに上がりました。」

 

洞窟を抜け出た俺とランサーを待っていたのは、一人の紳士であった。

俺はその顔に見覚えがあった。

彼は、俺とセイバーの案内人を務め、そして、シムーンの熱に焼かれて死んだ。

 

「ガンマ…………なのか?」

「いえ、私はランサーのマスターの補佐を担当致します『デルタ』と申します。」

「あ、あぁ。」

 

そういえば、ガンマがそう話していた気がする。

彼らは自動人形であり、全てのマスターに同じ形をした個体が送り込まれているのだと。

分かってはいた。だが、余りにも同じ造形だった為、俺は困惑を隠せない。

 

「デルタ、か。えっと、ランサーとそのマスターの、サポートをする人、だよな。」

「ええ、その為に参りました。」

「俺はランサーのマスターじゃない。俺はセイバーの召喚者だ。色々あって、ランサーのマスターを探すことに決めた。場所は、分かるか?」

「そうなのですね。ふむ……」

 

デルタは小型のパソコンを開き、何かを調べ始める。

砂風に電子機器は相性が悪いと思うが、何も言うまい。

彼が歩いてきた方向には、俺が乗車したものと同じ、キャンピングカー形状の巨大オフロード車が鎮座している。

俺は部外者なのだが、相席することは叶うだろうか。

色々と考え込んでいる内に、ランサーが俺の手を優しく掴んできた。

彼女の行動の真意が読み取れず、俺はドギマギしてしまう。

 

「ランサー……?」

「…………」

 

彼女は終始無言だった。

正直、気まずい。

美少女に手を取られる嬉しさより、何が目的か分からない恐怖が打ち勝ってしまう。

俺は誤魔化し笑いを浮かべながら、頬を掻くしかない。

ランサーの手は氷のように冷たく感じられた。

 

「監督役や我々の同胞たちにも確認を取りましたが、それらしき人物はこの国では発見されていないようですね。召喚の後、ロストしている。何らかの事故に遭ったか、或いは……」

 

敵マスターによって既に殺されている、または、召喚したランサーの手で始末された。

想定されるのはこのあたりか。

バーサーカーならばありそうな話であるが、グズルーンはどうなのだろう。

彼女が主人を殺害し、しらばっくれている、というのは考えにくいが……。

恐らく、既に敵によって葬られていると考えるのが妥当だ。

ランサーが今も現界しているならば、少なくとも昨日から今日にかけての出来事だろう。

無論、戦いが怖くなって逃げた、というのもあり得るが。

 

「マスター、行きましょう。」

「えっ?」

 

突如、ランサーは俺の手を引き、その場を離れようとした。

まだデルタとの話は終わっていない。

もしかしたら、自らの主人の所在が分かるかもしれないというのに。

一体どういうつもりなのだろう。

 

「ちょ、ランサー、待ってくれ、まだ話は……」

 

俺は言いかけて、口を噤んだ。

俺の方を振り返る彼女の目から光が消えていたのだ。

それは静かなる圧のようにも感じる。

彼女は俺とデルタの接触を快く思っていないらしい。

何故?

それはきっと、そこに不都合な真実が隠されているから。

まさか、彼女の主人は、彼女の手によって……

在り得るのか?

真名『グズルーン』、彼女の逸話を踏まえ、可能性を吟味する。

シグルドとブリュンヒルデの愛を引き裂いた、己の独占欲のままに狂う魔性の女。

そのようには見えない、見えないのだが…………

 

「あぁ、えっと、すまない。マスター探しは二人でしよう。」

 

俺は自らの観察眼を当てにしなかった。

虫風情がヒトの心の内を読み解こうというのが烏滸がましい。

グズルーンの名を冠する少女の美しさに惑わされてはいけない。

俺は、彼女のマスターでは無い。

俺のサーヴァントはセイバー、只一人だ。

その事実を忘れず、あくまでもランサーとは『共闘関係』でい続ける。

信用しても、信頼してはいけないのだ。

サーヴァントは何処まで行っても『兵器』だ。造形は同じでも、人間とは乖離している。

俺だって人間に化けた虚行虫だ。忘れてはならない。

ほら、もしかするとどこかに彼女のマスターが隠れていて、俺を罠に嵌めているのかもしれない。

まぁ、そんな回りくどいコトをする理由は見当たらないが。

俺は頬を掻きながら彼女の気持ちを探ってみる。

デルタのサポートとあのオフロードは魅力的、だが、俺は敢えて『二人で』という所を強調した。

彼女の旅路にデルタの存在は不要であるらしい。ならば彼女の意向を尊重する。

というか逆らう勇気が俺には無い。

彼女の眼光は、間違いなくデルタを射抜く。

ガンマのような被害者にする訳にはいかないだろう。

俺はデルタの方へ振り返り、アイコンタクトをした。

主催者の助けは要らない、我々は二人で旅をする。

そういう旨のハンドジェスチャー。何となくだが彼にも意図は伝わった。

 

そして、デルタとオフロードを置き去りに、ランサーは何処かへ歩いて行く。

俺は彼女のゆったりとした足取りに歩幅を合わせながら、これからのことを考えていた。

セイバーはシンゲッティの方へいるらしい。でも、ずっとその場に留まっているとは考えにくいだろう。

やはり車ぐらいは借りておくべきだったかもしれない。

このただ広い砂漠を歩き続けるのは愚の骨頂。

ランサーはどこを目指して進んでいるのだろう。

 

「マスター、すみません。」

「え、なに?」

「私の我儘に付き合わせてしまって。あの車の中の方が快適でしょう。」

「あぁ、いや、大丈夫だよ。俺が出会ったガンマも、さっきのデルタも、主催者の使い魔だし、警戒するに越したことは無い。」

「いえ、あの老紳士には一切の悪意が見えませんでした。本当に、ただのサポーターなのでしょう。この戦争の主催は余程己のサーヴァントに自信を持っていると言えます。…………単純に、これは私のエゴです。出来れば、巧一朗様と一秒でも長く、二人きりの時間を過ごしたい、という。」

「俺で良ければ。こんな砂漠に居たら孤独に寂しくもなるよ。俺もそう。」

「(そういう意味ではないのですが)」

「(何だ?ランサーがジト目になった気がする。気のせいか。)」

 

俺たちは果てなき砂世界をただひたすらに歩き続けた。

喉の渇きも、足の疲れも、感じられなくなっている。これは俺の身体がおかしくなってしまった訳でなく、ランサーが傍にいるお陰だった。

彼女の隣にいるだけで、俺の周辺の気温は少し下がり、生成された氷は喉を癒してくれた。

肉体の疲労に関しても、彼女の魔術的なサポートと、そして時折挟まれた小休憩で、限りなくゼロに近い状態だ。永遠に歩き続けられる自信さえあるほど。

太陽が昇り、そして落ち、一日の経過が早く感じられる。

変わらぬ景色に退屈する俺だが、ランサーはそうでも無さそうだ。

俺との雑談を心底楽しんでいる節がある。俺が常に会話の主体であるが、彼女は相槌を必ずうち、気立てよく接してくれる。

途中、俺は彼女が『グズルーン』であると忘れていた程だった。

一日の終わり、立ち寄った小さな限界集落の寝屋で、俺はランサーに関して再度考えてみる。

彼女はいま、周囲の警戒にあたっている。考察するなら今が絶好の機会だ。

思えば、彼女は自らの話をしたがらない。俺の話を聞き、優しげな笑みを浮かべているのみだ。

そして長時間、彼女と歩いていたことで、分かったことがある。

彼女は真剣に、自身のマスターを探していない。

その素振りも無い。

ある程度、魔術にも精通している彼女が、高速移動や、探索にその力を振るわないのは、どうにも違和感がある。

そしてこの小さな村。

偶然、村民から地図を受け取ることが出来たが、北東にあるシンゲッティでは無く、むしろ北のアタールへと向かっている。

まるでシンゲッティやワダンを避けるような進み方だ。

そもそも歩行スピードからして、急ぐ気配もないし。

このまま同じように歩き続けたとしても、シンゲッティまでは軽く見積もって、一週間はかかる。

セイバーが長期間、シンゲッティに留まる筈も無い。

それどころか、一週間も経てば、いくらディートリヒと言えど、無事でいる保証はないだろう。

やはりデルタとあの場所で別れたのは失敗だっただろうか。

俺は外へ出て周囲を確認するランサーを尻目に、裏口から反対側へと歩き出た。

彼女の本心が分からない以上、共に行動するのはどうなのだろうか。

だが、セイバーと合流が叶わない以上、俺一人でいる方が当然危険だろう。

シムーンの存在が脳裏にちらつく。

俺は彼女に悟られないよう、集落の外へと向かった。

逃げるつもりは無い。だが、一人になり、考える時間が欲しい。

ランサーの美しさは俺の心を惑わせる。

人間的に言えば、タイプ、という奴なのだろう。

性格だけで言うならば、俺はセイバーのような、自らの想いのままに突き進む女性が好みだ。

ミステリアスというのは、どうにも理解しがたい。俺自身、コミュニケーションが得意なわけではないからだ。

おっと、今はそんなことを考えている場合では無かった。

 

俺は単身、夜のモーリタニアを少しばかり散歩する。

やはり空に輝く星々は、冬木より鮮明で、美しい。

この空をまた、セイバーと共に見上げたい。

そして彼女の、ディートリヒの武勇伝、英雄譚を聞きながら、旅をしたい、そう思う。

その場にランサーもいれば、と思うのは些か欲張りだろうか。

これは戦争で、セイバーとランサーは敵対関係にある。だから、交わることは決して無い。

分かっているさ。

願いの為に、命を賭して戦う、死と隣り合わせの世界。

シムーンを目の前に、嫌という程見せつけられた筈なのに、俺はどうにも甘い考えを捨て切れないみたいだ。

 

「ん?」

 

村から離れぬ距離を目的も無く歩いていると、遠くから車の走行音が聞こえた。

ヘッドライトが淡く光り、徐々に、こちら側へと近付いて来る。

夜闇に慣れた俺の目に映り込んだ車種は、まさかの主催者から支給されるオフロードだった。

俺は急ぎ、岩陰に隠れた。敵マスター及び、敵サーヴァントが来訪したのである。

ランサーの元に戻り、逃げなければ。

俺と彼女は主従では無い。だからこの場で戦闘するのは二人にとって不利以上の何物でも無いだろう。

村の手前で停車したキャンピングカー。そこから降りてきたのは、サーヴァントと思しき大男と、くたびれたアジア人、そして、年端も行かぬ女の子であった。

家族を連れての聖杯戦争にも見える、異常な組み合わせ。

親と子、にしては歳も人種も異なる。それに、何やら少女が男に命令し、アジア系の彼がペコペコしているようだった。

俺は彼らからかなりの距離を取って、後を追う。

気配遮断なんて無いし、敵サーヴァントには容易に悟られそうだな……

 

「おい禮士、マーシャ、我々は何者かに付けられているぞ。サーヴァントでは無いようだが。」

「あぁ。人間が一人、敵マスターにしては、余りにもお粗末な尾行だな。」

「(全然気づきませんでしたわ。)」

「どうする。殺しておくか?」

「いや、もし敵さんなら、協力を仰ごうじゃないか。俺たちがこの村に来た目的のためにね。」

 

ん、何か会話をして、俺の方を振り返ったな?

そう思った直後、俺の目の前に敵サーヴァントが瞬間移動していた。

筋骨隆々な上半身裸体のスキンヘッドが、俺の両手首を掴む。

俺はまんまと生け捕りにされてしまった。

 

「え」

 

俺は素っ頓狂な声を上げるしかない。

大男は片手で俺を抱きかかえると、マスターの元へと戻っていった。

もしかして、いや、もしかしなくても、最大級のピンチではないだろうか?

俺はどこか冷静に状況分析しながら、それでも、セイバーを呼ぶ令呪を切ることはしなかった。

 

 

そして俺は村一番の屋敷内に連れてこられた。

特に拘束される訳でも、拷問される訳でもない。

何なら、古き良き畳座敷に通され、茶を振舞われた。久々の味だ。

俺の目の前に傷んだコート姿の男が座り、煙草に火を付ける。

だが吸う直前に、隣にいた小学生あまりの少女に掠め取られ、あえなく捨てられた。

 

「子どものいる前で吸うなんてサイテーだわね。」

「普段子ども扱いをしたら怒るじゃないか。」

「それとこれとは話が別。健康に気遣いなさい。」

 

男は子どものような表情で拗ねている。

力関係が余りにも顕著だ。

俺は麦茶を啜りながら、彼らの言葉を待った。

選択を間違えれば死ぬ。セイバーと再び巡り合う為に、何としてでも生き延びなければ。

ランサーのことも心配だしな。

 

「さて。俺の名は『衛宮禮士』、日本人だ。君もか?」

「あぁ、俺の名前は『間桐巧一朗』だ。」

「げぇ!間桐!?」

 

顔を歪ませたのは隣の少女だ。

衛宮禮士という男は、ほう、と興味深そうに頷いた。

 

「あ、こっちは『マーシャスフィール・フォン・アインツベルン』だ。アインツベルンという名に心当たりはあるかい?」

「まぁ、それなりには。」

 

驚いた。

こちらの外国人の女の子は、あのアインツベルンなのか。

冬木の御三家の一角、ある意味我々はライバル同士、なのかもしれない。

 

「落ち着いているね。君のサーヴァントもこの村にいるようだ。ここは俺たちバーサーカー陣営のテリトリー、君は攻め込んできた、という訳だね。」

「いや、この場所に立ち寄ったのは偶々だ。なにせこのサハラは広い、オアシスがあれば一目散に駆け込むのが道理だ。」

「でも今は、聖杯戦争の最中だがね。オアシスを領地にしている陣営ばかりだ。君はそうじゃないのかな?」

「俺は未だにこの砂世界を迷い続けているよ。どこにも居場所が無い気がしてな。」

「違いない。俺はこの通り、話し相手が二人もいるが、君はそうじゃないみたいだ。サーヴァントは通常、マスターの元を離れないだろう?」

 

見透かしたように禮士は言う。

小汚い髭面の痩せ男、だけでは無いらしい。

まるでプロファイリングだ。俺の言葉一つ一つから情報を引き出そうとしている。

つまり彼らにとって俺は直ちに殺害する対象では無いという事だ。利用価値を精査し、俺の処遇を決めようとしている、気がする。

禮士とマーシャの二人から観察される。恐らくだがマーシャの方は何も考えていないだろう。

 

「それで、俺をここで殺さないのか?」

「戦争であるから、それはその通りだ。だが、今は……」

「共闘の申し出、ですわ!」

 

マーシャは立ち上がり、俺に指差した。

聖杯戦争において、巨大な存在を前に、参加者が手を取り合うこともある。

現に俺はセイバーのマスターでありながら、ランサーに声をかけた。

だがまさか、バーサーカー陣営が協力を仰ぐとは。

俺に出来ることは少なそうだ。でも、話に乗らなければ、見逃してはくれないだろう。

 

「巧一朗、君はこの戦争において発生している『災害』について心当たりはあるかい?」

「現地住民が既に何人も命を落としているわ。彼らは砂漠の至る所で黒炭となって発見された。」

 

当然、思い当たる節はある。

突発的熱風『シムーン』のことだろう。

俺はシムーンとの遭遇後の討伐を条件に、監督役から令呪を補填された。

 

「その顔は、知っているようだね。」

「シムーン、だな?」

「ああ。俺たちが世話になっているこの村の人間たちも、三名ほど行方不明になっている。俺独自の調査ではもう……」

 

帰らぬ人となっている、か。

霊脈の存在しないサハラ砂漠で、かつての伝説、アトランティス大陸の膨大な魔力を持ち込んだ。

そしてその結果生まれた生霊、それがシムーンだ。

本来、主催者側に責任はあるが、禮士の口ぶりからするに、モーリタニア、ひいてはサハラそのものがシムーンの被害に遭っているのだろう。

現地民を守る義務は無いが、参加者は言わば加害者側でもある。

手の届く範囲でどうにかしたいと願うのは、至極真っ当だ。

禮士とマーシャは、シムーンの魔の手からこの村を守りたいと決意した。

故に、偶然立ち寄った敵である筈の俺に、助力を求めている。

俺はシムーンに恐怖し、セイバーに見限られた男だ。

何の力にもなれないと思う、思ってしまう。

 

「今夜、この村周辺に現れるシムーンを迎撃する。数日間の観測で、その数は十八体と想定される。協力頂けないだろうか?」

「当然、報酬は弾みますわ!」

「いや、報酬では釣られないだろう。そうだな、我々が最後の二組になるまでは、巧一朗、全力で君と君のサーヴァントのバックアップを約束しよう。真に共闘関係だ。」

 

俺の答えは決まっていた。

共闘がどうとかは、正直まだ分からない。

でも、俺はもうシムーンから逃げない。戦う意思を貫くべきだ。

ここで逃げたら、何のためにセイバーへ謝罪するのか分からないじゃないか。

虫風情の必死の足掻き、見せてやる。

俺は禮士とマーシャに手を伸ばした。

彼は呆気なく決断した俺に驚きつつも、帽子を取り、深々と頭を下げた。

そして俺の手を握り締める。

 

「よろしくですわ、間桐!」

「巧一朗だ。そのように呼んでくれると助かる。」

「ええ、ではよろしく、巧一朗!」

 

俺は今夜、戦いの舞台に立つ。

ランサーはどうするか、分からないけれど。

もし俺だけだとしても、出来ることをしよう。

俺の魔術が、何か役に立てるかもしれない。

 

 

俺は自身の寝屋へと戻る。

するとランサーが俺の帰りを待ち続けていた。

俺は謝罪を口にするが、彼女は怒りも、悲しみもしなかった。

曰く、俺の行動は彼女に筒抜けだったようで、危険に遭った際は瞬時に駆け付けるつもりだったらしい。

有難い話だが、俺のサーヴァントでは無い以上、敵にしたら非常にまずくないか?と思う。

俺は真っ先に殺されるんだろうな…………。

 

「ランサー、俺はシムーンと戦うつもりだ。貴方はどうする?」

「当然、戦います。私は巧一朗様のサーヴァントですので。」

「それは違うけど……うん、よろしく頼む。一緒に戦おう。」

 

俺は彼女に対しても手を伸ばし、握手を求めた。

彼女は少し顔を赤らめながら、俺の手をおずおずと取る。

そして嬉しそうにはにかんだ。

本当の主従っぽいな。

クールな面持ちの彼女だが、笑った方が百倍良い。

早く本物のマスターが見つかってほしい。俺は本心からそう思った。

 

「巧一朗……っと、初めまして。君は……」

「ランサーだ。彼女もシムーンの討伐に一役買ってくれる。」

「そうか。有難う。村民は全て、俺の拠点に匿った。確認しているシムーンの数より、多い個体が出現する恐れもある。もし自らの危険が及ぶなら、君とランサーは早々に離脱してくれ。」

「禮士、あんた戦争に向いてないな。優しすぎないか?」

「仲間に対しては、な。君が敵になるなら容赦はしない。君こそ、戦争には不向きな性格をしていると思うよ。」

「余計なお世話だ。さぁ、行くぞ。」

 

俺たちはそれぞれ配置についた。

禮士の見立て通り、南東の風が吹きつけると同時に、シムーンは続々と現れ出る。

数の予測が出来ているという事は、出現数には限度があるのだろうか。

俺とランサーの目の前にも、老人や子どもといった、様々な個体のシムーンが召喚される。

その数は今の時点で四人。

中には、この場所には存在しない筈の人間まで紛れ込んでいた。

 

「さ……桜…………っ!?」

「シムーンはどのような姿にも『見える』。マスターの脳内が無理矢理に当て嵌めたビジョンに過ぎません。」

「あ、あぁ、分かっている。そもそも桜の肌は白色で、コイツみたいに日焼けしていないからな!」

 

俺が指示を出すと、ランサーは彼らに向かって走り出した。

その手に有する長槍で一度に二つの首を切り落す。

血液が流れ出る代わりに、彼らの首元からは砂が吹きこぼれた。

シムーンは不死身だ。サハラ砂漠では魔力が尽きない限り、永遠と復活する。

セイバーは模造剣クラウソラスの力で材質を変化させていた。

ヒトの身すら焼き尽くす熱砂、止める術はあるのだろうか。

俺は右方向で、こちらも戦闘態勢に移行するバーサーカー陣営を観察する。

マーシャと禮士は遠くからバーサーカーに指示を出している。

大男は巨大な弓を何度も弾き、光線状の矢を連射している。

当たれば一撃でシムーンの身体は吹き飛んだ。一撃一撃がまるで対人宝具のような威力を誇っている。

既に周辺の砂漠一体が、隕石でも落ちてきたかのように抉り取られた。

ごつごつとした岩場が隆起し、あの箇所ではシムーンが肉体を維持できなくなっている。

そうか、砂の回収が遅れるから、即時身体を復元することが出来ないのか。

バーサーカーがいる位置も、村周辺の生い茂ったヤシの木々の上である。あの位置であれば、熱砂も重力の影響を受け、多くは届くまい。

考えたな、禮士。

バーサーカーが遠距離武装しているからこその戦略。

でもランサーはそうはいかない。

そもそも指示を出そうにも、俺は彼女のことを何も知らない。

俺は俺で、戦うしかないようだ。

 

「虚数魔術、実戦では初めてだな。」

 

俺はランサーにより殺されたシムーンの遺体に駆け寄った。

構成材料は砂と風、自然由来が過ぎるな。

無理矢理に糸で補強し、俺の傀儡とする。

人形があれば簡単だが、生霊に対して縫合を行うのは至難の業。

でも、それでも、やるしかない。

俺は指先から細い光の糸を伸ばし、シムーンの遺体に繋ぎ合わせる。

筋肉を、骨を、臓器を、そして心を。

桜や臓硯は否定したけれど、俺の魔術は『ヒト』を造る魔術だ。

俺の肉体を構成する虫の一部を、この亡骸に移植する。

頼む、動いてくれ。

俺に力を貸してくれ。

 

「マスター!」

 

ランサーの声に、俺は肩を震わせた。

しまった、集中し過ぎていたか!?

俺の目の前には、桜に似た女のシムーンが一人。

先日と同じ状況だ。

だが俺は恐怖しない。

一秒で命が刈り取られるとしても、それでも、俺は敵から目を逸らさない。

俺がいま立っているのは戦場だ。

背中を見せるのは恥と知れ。

目の前にいるのが、俺の母親に似ている個体だからこそ、俺は前を向けた。

生まれてきて良かった。

俺は母さんにそう思って貰えるような『人間』になるのだ。

それが、俺の聖杯にかけるたった一つの願いだ。

 

「『招霊転化』!」

 

熱砂となったシムーンが襲い来る直前、俺は叫んだ。

桜から学んだ、新たなる縫合魔術にして虚数魔術の神髄。

俺の記憶を媒介とし、縫合した傀儡に英雄を呼び出す。

 

「くっ!」

 

だが目論見は失敗する。

シムーンに、俺の出来損ないの魔術は通用しない。

俺が糸で編み上げた亡骸は、俺の盾となり、崩れ去った。

そこに英雄が宿ることは無かったのだ。

でも、たった一度ではあるが、シムーンの熱砂から我が身を守ることが出来た。

全身に傷を負ったものの、俺は何とか生き永らえている。

『自分の身は自分で守れ』

セイバーの声に、ようやく応えることが出来たのだ。

ほんの少しだけ、それが嬉しく感じられた。

 

「マスター!」

 

ランサーは俺の傍に駆け寄った。

既にほとんどのシムーンが首を刎ねられている。

無論、復活はするだろうけど、今は小休止。

ここから新たに対策を練らなければ。

どうやらバーサーカーも、ある程度シムーンの駆除を終えたらしい。

禮士と合流できるかな。

俺はそんなことを呑気に考えていた。

だが、俺の傍にいた彼女は、肩を震わせていた。

 

「ランサー、どうした?」

「申し訳ございません、マスター。私が不出来であるが故に、こんなにケガを負ってしまって。」

「いや、でも生きているから大丈夫だよ。有難う、ランサー。」

 

俺は彼女の頬に手を当てる。

すると人肌とは思えぬほど、冷たく凍り付いていた。

まるで彼女の心情を表しているかのようで。

その目から、光が失われている。

 

「ランサー…………?」

「許せない。ただの『熱砂ごとき』が、私のマスターを、許せない。」

「お、おい、どうしたんだよ?」

 

ランサーは立ち上がり、俺の半径数メートルに結界を施した。

そしてゆっくりと空へ浮かび上がっていく。

彼女の手にした槍はいつの間にか、背丈を遥かに超える程の大きさまで膨張していた。

俺はこの瞬間になって、ようやく気付く。

彼女がしようとしていること。

まさか、この地帯全域ごと、シムーンを完膚なきまで滅ぼすつもりか?

 

「ランサー!止まれ!辞めろ!」

 

俺は右手を振りかざす、が、俺に宿っているのは、彼女の為の令呪では無い。

俺は令呪の使用を決心する。

いま、セイバーを呼び戻さなければ、大変なことになる。

だが、時すでに遅し。

俺の決断より一歩先に、ランサーは宝具を使用した。

 

『わたしだけの冥府への旅(ブリュンヒルデ・コメ―ディア)』

 

それは一瞬の出来事だった。

轟音と共に、視界は光で埋め尽くされる。

俺は一秒間目を伏せ、そして全てが終わると同時に開いた。

何が起きた?

俺は何も理解できぬまま、結界の外を茫然と眺めていた。

目の前に存在した筈の村が全焼し、保護されていた筈の村民たちは皆、死んだ。

巨大なクレーターはきっと宇宙からでも観測できる程であろう。

岩場の表面は凍り付き、この一帯だけ北極のような景色となっている。

俺のいる場所だけが、砂漠。

当然、この地帯に二度とシムーンは現れるまい。

でも、そんなことはどうでも良かった。

俺の目の前で、余りにも多くの命が消え去った。

それを受け止めることが出来ない。

 

「あ」

 

離れた空で、バーサーカーが二人を保護し、浮いている。

良かった、禮士とマーシャは生きていた。

聖杯戦争の敵である筈なのに、俺は彼らの無事に安堵してしまう。

だが、彼らは遠くから、俺の方を睨み続けていた。

絶対に許さないと、そう言いたげな目。

状況から見て、俺はランサーのマスターで、俺の指示で村を破壊し尽くしたように見える。

当然だ。

彼らは俺を、血も涙もない男だと軽蔑しているだろう。

悔しいが、状況が状況だ。

バーサーカーは彼らを連れ、戦線離脱した。

俺はその背中をただ見ていることしか出来なかった。

 

「マスター」

 

彼女の手により結界は解かれる。

濁り切った血の色の眼で微笑む少女。

彼女は俺に向け、微笑みながら、手を差し伸べた。

 

「もう大丈夫ですよ、マスター。」

 

彼女の笑顔はとても好きだ。

笑っていた方が百倍いいと思う。

でも

今は違う。

笑うな。

俺の前で笑うな。

俺は彼女の手をはたき落す。

あぁ、今はっきりと理解した。

彼女のマスターは、もうこの世にいないのだ。

きっと、この女が殺したのだ。

罪なき村民を大量虐殺したように。

そして、自分が消えたくないから、セイバーと逸れた俺をマスターにして、生き延びようとしている。

グズルーンは、邪悪なる魔女のような女。

もっと早く、気付くべきだった。

俺はどうしてこんな女に惹かれてしまったんだ。

自分が情けない。

 

「マスター?」

「俺は、お前の、マスターじゃない!」

 

俺は彼女に背を向けた。

一秒でも早く、彼女の元から離れたい。

うんざりだ。

共闘なんてまっぴらだ。

 

「どうして…………」

「どうしてもこうしても無いだろ!俺はお前のマスターじゃ…………な…………」

 

俺は振り返り、絶句する。

グズルーンの頬から流れ落ちた涙が氷を濡らし、亀裂を生む。

彼女の背後から湧き出る黒いオーラは、こんな俺でさえも危険だと理解できるものだった。

何だ、何なんだ?

そもそも、グズルーンが放った宝具、どうして戦乙女『ブリュンヒルデ』の名を冠しているんだ?

その身に纏っている装甲も、まるで漫画やアニメに登場するワルキューレのような。

何者なんだ、彼女は。

本当に『グズルーン』なのか?

彼女の背後から影が伸び、どこまでも広がっていく。

まずい、非常にまずい気がする。

これはきっと、俺を殺す何かだ。

美しい顔から流れ落ちる涙の量は次第に増えていく。

訳が分からない。

バーサーカーだと言われた方がまだ納得するだろう。

狂っているのか?そうに違いないが。

どうして彼女は俺に固執している?

 

「マスター、私の愛する、ただ一人の」

「違う、俺はセイバーのマスターだ!お前じゃない!」

「一緒に『オアシス』を救おうって、手を取ってくれた、私の……」

「オアシスってどこの!?」

 

俺はグズルーンの言葉が全く理解できない。

まさしくバーサーカーだ、意思疎通を図ろうというのがまず以て間違っている。

逃げなければ、死ぬ。

俺は一歩、また一歩と後退する。

だが彼女の心と連動するように、地面から無数の氷柱が隆起する。

その一本が、俺の右足に突き刺さった。

殺す意思はない、それは分かる。でも、逃げられないようにしようと……

血が流れ落ち、氷の上を赤色で濡らす。

苦しみ喘ぐ俺を見て、彼女は笑いもせず、怒りもせず、ただ悲しんだ。

本当はやりたくない、そう言わんばかりに。

俺は彼女によって捕らえられるのか?

無理矢理にでもセイバーを自害させ、彼女と主従を結ばされるのか?

そんな未来がよぎり、俺は歯を食いしばる。

今こそ、セイバーに助けを求める時。

俺は聖杯戦争に勝ちたい、だから、相棒はセイバーを除いて他にいない。

俺は右手で拳をつくる。

そして描かれた痣に祈りを込めた。

令呪を行使するその直前、俺の心の叫びに応えるかのように、何者かが駆けつけた。

俺の目前に立ち、ランサーを剣で追い払う。

白髪が風に揺れ、きらきらと光り輝いて見える。

その全ての所作が優雅で、それでいて、力強い。

 

「すまない、待たせたな。よく耐えたぞ。」

 

あぁ、カッコいいな。

俺を見て、はにかむのは、俺が心の底から求めていたサーヴァント。

セイバー『ディートリヒ・フォン・ベルン』だ。

俺の、真の英霊。

彼女は俺の足から氷柱を引き抜き、すぐさま回復術式を施す。

そしてランサーと睨み合った。

 

「貴様はランサーか。」

「貴方は、セイバー……」

「我がマスターが、世話になったようだな。礼を言う。だがお役御免だ。シムーンを前にして、この男は覚悟を見せたようだからな、これよりは我が隣に立ち、聖杯を勝ち取りに行く。」

「巧一朗様は、私の────」

「違うな。勇気あるものは、我の臣下だ。」

 

セイバーは俺の状態を察知し、今は撤退を選択する。

戦闘をこの上なく楽しむ彼女にしては、珍しい決断だろう。

どうやら、俺の元を去った後で、彼女も思う所があったようだ。

聖杯戦争は、マスターとサーヴァントがいて、初めて勝ち抜けるもの。

彼女はここ数日でそれを再確認させられ、俺と共に戦う意識を持ってくれたよう。

俺としては、これ以上に無い程に光栄だ。

 

「ランサー、貴様とはいつか決着を付けよう。」

「そう…………ですね。」

 

お互いから放たれる、明確な殺意。

俺は改めて、自らの甘い思考に鞭を入れる。

ランサーも、バーサーカーも、倒さなければ、願いを叶えることは出来ない。

俺は人間になりたい。

人間になるんだ。

その為に、彼らを殺して、前に進む。

ディートリヒと共に、最後の勝者になるんだ。

 

戦線離脱し、セイバーはその脚力で、途方もない距離を短時間で駆けて行く。

向かうのは、彼女が領地とした、シンゲッティ。

俺が確かに、目指していた場所だ。

彼女の背に乗った俺は、風の音に負けぬ声で、セイバーへの感謝を告げる。

だが、セイバーはそれを受け取らない。

あくまで、恩には行動で返す、それが彼女のモットーだ。

俺はここから、何が出来るだろうか。

不安と期待が入り混じった、不思議な感覚が続いた。

 

「あぁ、そうだ、巧一朗よ。汝に伝えなければならないことがある。」

 

そう切り出したセイバーは、誇張することなく、淡々と事実を語った。

俺は開いた口が塞がらなかった。

 

ワダンを領土にしていた、戦争の立役者『テスタクバル・インヴェルディア』。

そして彼が召喚した、聖杯戦争最強のサーヴァント『蛇王ザッハーク』。

 

その二人が、死亡した。

 

聖杯戦争初の脱落者である。

 

「この聖杯戦争、おかしなことばかりが起きている。巧一朗、決して気を緩めるなよ。」

 

俺は深く頷いた。

これから先、俺は何を手に入れ、何を手放していくんだろうか。

 

 

 

【深層編⑥『巧一朗Ⅴ』 おわり】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層編7『リンネ』

大変遅くなりました、申し訳ございません。
恐らく今年ラストの投稿です。深層編完結まであと3~4話ほど!
是非さいごまでお付き合いください!
誤字等ありましたら連絡お願いします!


「さぁ、キャスターよ。この私『ゼケル・ボロシス』の勝利の礎となってくれ!共に金杯の美酒に酔いしれようでは無いか!」

 

ゼケルと名乗ったその男は、両手を広げ、英雄との出会いに感謝を捧げる。

現地住民の亡骸から搾り取った血液を糧に、彼はギリシアの工匠『ダイダロス』の儀式的召喚に成功した。

キャスタークラスを以て現界した彼は、血の魔法陣の外側で数多の死体を目にする。

その多くが年端もいかぬ少女たち。服は取り払われ、内臓はくり抜かれ────尊厳すら凌辱された亡骸が散乱している。

ゼケルは鮮血を武器とする二流魔術師。底辺では無いが、いつまでもトップには躍り出ない男。

だがプライドだけは人一倍だった。ボロシス家の頂点に君臨すべく、願いを叶える酒杯を求めたのだ。

根源への到達はメインプランであれど、それ以上に己の存在誇示の為にこそ生きている。

類まれなる承認欲求。自身が大魔術師となり、見下して来た同胞たちを跪かせる。そしてあわよくば名声と女を手にする。

極めて小さな願いの為に、大義を掲げている。

 

ダイダロスは召喚されて間もないうちに、ゼケルの所持していた護身用のピストルを奪い、彼を殺害した。

 

マスターなどと呼ぶことすら憚られる、下種な男だ。

だがそれはきっとダイダロスも同じ。

天才を妬み、努力家を嫉み、己を誇大評価し、そうしているうちに気付けば奈落へ落ちていく。

彼はかつて、切磋琢磨できたはずの天才『ペルディクス』をその手で死に追いやった。

ゼケルの小ささを知り、憤ったダイダロス。

それはイカロスの命を結果的に奪ってしまった、あの時の彼自身のように見えたのだ。

故に彼もまた自死を選ぶ。

どうせサーヴァントはマスター無しでは存在できないのだ。

なら、もういい。

第二の生はいとも容易く終わりを告げる。でも、それでいい。そうするべきだ。そうあるべきだ。

ダイダロスはゼケルを殺害したのと同じ拳銃を口にあてがう。

英霊はこんなものでは死なない。だから、彼は自らを殺す武器へと瞬時に改造した。

走馬灯で後悔を重ねることなく命の火を掻き消せる。

彼が目を瞑るそのとき、背後から肩を叩く者が現れた。

 

「死ぬつもりなら、悪いけど、オレの話に付き合っては貰えないだろうか?」

 

軽快な口調の水夫。

彼は武器の一つも持たず、威風堂々の佇まい。

ライダーのクラスだと言い張るその男は、キャスターに生きろと告げた。

最高の冒険をする為に、船が欲しいのだと。

無論ダイダロスは聞く耳を持たない。

だが、ライダーの真名を告げられた途端に、拳銃はその手からすり落ちた。

 

「オレの名は『カナン』、大英雄ノアの孫で、カナン人の父で、かの『約束の地』そのものだ。」

 

ノアに呪われ、神に見放された民の総称であり、現代においても誰かの血が流れ続けている場所。

土着した二千年の呪いこそがカナン。

それは世界そのものを滅ぼしかねない悲しみと悪意の集合体である。

ダイダロスは彼に憤る。

ヒトと神を呪い殺す機関そのものである彼が、へらへらと自らの夢を、自由なる航海を語る。

それは余りにも悍ましい光景だ。

何故、何故、何故。

天才にも理解できない事象だった。

カナンという存在を形作る全てが憎しみである筈なのに、彼はそれを平気で捨て去った。

ダイダロスにとってそれは、彼自身が発明、創造を止めるのと同じ。

アイデンティティの喪失である。魂を捨て置くのと同意である。

 

「ありがとう、オレの代わりに怒ってくれて。」

 

カナンはそう言って、笑顔をつくる。

冠位の英雄に呪われ、神に滅ぼされた彼は、憎しみを抱くことすら出来なかった。

世界にとっての悪であり、それが全ての人間の共通認識である。

それはもう、どうしようもないことなのだ。

ヒトの未来を呪い続けることに意味は無い。

腐っても彼は英霊だ。ヒトの夢や希望にベッドして生きていたい。

たとえ誰一人彼を愛さなくとも、彼はヒトを愛し続ける。

 

「行こう、ダイダロス。」

 

孤独なる工匠は、カナンの手を取った。

人間の未来の為に創造を続けた英雄は、同じくヒトの想いを繋ぐ反英雄の味方をする。

それが第二の生の正しい使い方だ。

ライダーの望む自由なる航海へ、キャスターとして導こうとする。

ダイダロスはカナンの差し出す手を取った。

 

【深層編⑦『リンネ』】

 

〔ロード〕

 

「はじめまして、召喚に応じ参上した、オレの名は────」

「『カナン』、よろしく。私は貴方のマスターである遠坂輪廻。」

 

輪廻が彼の名を告げると、驚いた表情を浮かべていた。

彼は彼女に問いかける。

ノアを呼ぶために触媒を使用したのか。

それとも、カナンこそが望みであったのか。

その答えは両方。

当初はノアこそ人類の救世主だと信じて疑わなかった。

だが彼では足りない。

セファールを屠るには、正義も救済も必要ないのだ。

大いなる者は、ヒトの前に立ち、その力を余すことなく振るう。

そして祈りの元に勝利をおさめ、伝説となる。

それは今、不要。

同じ『災害』が発生した時、救世主が生きているとは限らない。再び剣を振るうとは限らない。赤の他人の為に命を張るとは限らない。

必要なのは、人類を次のステップへ進める為の先導者、または、巨大なる壁。

いつか復活する王(ディートリヒ)のような『変わらないもの』を排除する可能性(イディンバ)こそが求められているのだ。

カナンは、ヒトの憎しみ、嘆き、呪いそのものだ。

これと共存、ないし、これを乗り越える強さを身に着けるヒトを遠坂輪廻は信じている。

 

「何だ、物知り顔だな。というか、服は?」

「必要ないわ。さぁ、早く私を抱きなさい。」

「は?」

 

カナンの頭の上には無数の疑問符。

無理もない。召喚されたのも束の間、マスターである少女が生まれたままの姿で、夜の営みを強要してきたのだ。

十代の年端もいかぬ女を即座に抱く勇気はない。そもそも、ここは砂漠のど真ん中である。

流石のライダーも説明を求めた。

輪廻は灰色がかった髪を手櫛で整えながら、彼女の出生、魔術、目的を端的に説明する。

ライダーには到底受け入れられる話でも無い。そもそも彼が判断するに、彼女は人智を超えている。

豊富な語彙を以てしても、彼女を呼称する言葉が『神様』しか存在しなかった。

 

遠坂輪廻は、万能(アベレージワン)であり、そして極めて希少かつ異常な固有魔術を有している。

それは『魔法』と称すべきものだ。

 

「生まれた時から、私の傍には『博物館』があった。」

「博物館?」

「このセカイのあらゆる事象を標本とした展示施設、私はそれを『博物館』と呼んでいる。この星の誕生から、この星の終わりまでを記録した博覧会、私だけが招かれた場所。私はⅤⅠP席から、世界の観測をする立場にあった。」

「世界の観測者…………」

「でも私はいち観客に過ぎない。展示標本には触れられない、これを私は『変わらないもの』と呼んでいる。逆に言えば、『変えられるもの』と呼ぶ概念に対し、私は操作、介入することが出来る。」

「お……おう」

「まぁ、分からないわよね。それはそうだわ。」

 

ライダーは帽子を取り、頭を掻き毟った。

人間と対話しているつもりだが、どこか噛み合わなさがある。

輪廻という存在に対する拒否感を覚えたのだ。

 

「まず前提として、アンタはその、人間なのか?」

「さぁてね。」

「恍けられても困るぞ。」

「ヒトから生まれたことは確かよ。でもお父様とお母様が虐殺されたとき何の感情も生まれなかったわね。テスタクバルに聖杯の器として利用される今も。ヒトの子としては『感情不足』じゃないかしら?」

「自分とか周りのことがどうでもいいのか?」

「そんなことはないわ。喜怒哀楽は機能として有しているのですもの。でもね、私は両親が死ぬという事実を知っていた、妹が悪趣味なことに巻き込まれるのも知っていた、テスタクバルに訪れる悲惨な死も知っている、全部知っている。でもその全てが『変わらないもの』なの。だから私は諦め、外側から観察している。」

「変わらないもの?」

「ロマンチックに言い換えましょうか?『運命』よ。運命は輪廻の理を外れるの。」

「運命…………」

「だから貴方が女好きなのも、性にだらしないのも、私とのコミュニケーションをベッドの上で図ろうとするのも、純潔を奪う感覚も、痛みも、心地よさも、その全てが私によって掌握、管理されている。どうせ貴方は私を愛するのだから、手っ取り早く済ませてしまいたい訳。」

「それは恋とは言えないな。」

「立派な恋物語を完遂させられるほど、時間は無限じゃないの。この地球は白き巨人『セファール』によって滅ぼされるのだから。」

「何?」

 

白き巨人『セファール』

確かに輪廻はそう言った。

ライダーはただ聖杯戦争に勝つ為に呼び出された英霊、ではないらしい。

彼はその事実にほくそ笑む。

世界を揺るがす大事件ならば、力の振るい甲斐があるというものだ。

 

「まだまだ説明が足りないでしょうけど、兎に角、まずはキャスターを救って。貴方の、貴方だけの船をつくるヒトよ。」

「キャスターを……?」

「ええ。真名は『ダイダロス』。貴方と同じ、神に抗う男。」

「はは、そいつはオレのトモダチにぴったりだ。」

 

翌日、輪廻の指示する場所へ赴き、ライダーはキャスターの消滅を阻止する。

共に自由なる航海をする、その夢の為に手を取り合った。

ダイダロスは輪廻とも出会いを果たし、ライダー同様に彼女という存在の定義付けに頭を悩ませた。

そもそも、彼女こそ彼らの憎む『神』そのものではないか、と。

そう思わせる事象があったのだった。

 

「遠坂輪廻、と言ったな。君は信用に足る人物か?そもそも、僕という難儀な発明家を受け入れられる器量、才能を有しているのかい?」

「そうね、貴方はきっとそう言うわ。知っていたもの。だから猜疑心マシマシなキャスターには手っ取り早く、私の力を見せなきゃね。」

「君の力?」

「今日は、聖杯戦争が始まって、何日かしら?」

 

ダイダロスとカナンは、共に『二日目』と口を揃える。

召喚されてから夜を明かした次の日の出来事だ。時計やカレンダーなど無くとも、誰もが答えられるだろう。

だがそんな簡単なクイズは、二人の不正解に終わる。

輪廻の持ち出した携帯電話が、周辺機器が、モーリタニアの現地住民が、こぞって彼らの間違いを指摘した。

今日は聖杯戦争、その『初日』だ。

 

「どういうことだ?」

 

カナンは何らかの手品を疑うが、本能的に今日が自らの呼び出されたその日だと理解した。

そんな馬鹿な話はない。召喚されて間もなく、ダイダロスを救いに行ったのか?

夜は明けていないのか?太陽の位置は確かか?

カナンは頭を悩ませ掻き毟るが、ダイダロスはある仮説を立てていた。

 

「僕たち三人を置いて、時間が巻き戻されたのか?」

「タイムトラベル?でもリンネはオレに恋物語を楽しむ時間はないと言っていた。過去に戻れるなら、時間が足りないなんてことはないだろう?」

「何か制約があるのか?僕に力を見せつける為にしては手が込んでいるな。発動条件が厳しい、という訳でも無さそうだ。むしろ、時間逆行では無い、とか。」

「どういうことだ、キャスター。」

「輪廻、君は僕に先程、君の博物館の話をしてくれたね。運命は変えられない、でも『変えられるもの』には、操作や介入が出来ると。」

「ええ、そうね。」

「まさか、時間は、『変えられるもの』なのか?」

「ダイダロス、アンタ何か分かったのか?」

「運命線上にて発生する事象の変更は不可能、だが、運命そのものの発生を早める、ないし、遅らせることが出来る、というのが僕の考えだ。僕、キャスターが仲間になる、という事実はいつか発生するもの、それを初日の段階で起こるよう、因果へと介入した。『そういうこと』になるよう、世界の理そのものに働きかけた。」

 

ダイダロスの考察に、輪廻はクスリと笑う。

流石はギリシアの天才、少ない情報でここまで辿り着けるとは。

 

「私の力の凡そが掴まれたようね。端的に行ってしまえば、私の力は『軌道修正』よ。進むべき先をシミュレートし、より良い道を探す魔術。」

「もうそれは、神域だ。ヒトの範疇を遥かに逸脱している。」

 

キャスターは唖然とする。

彼が想像しているより遥かに、サハラの聖杯戦争は常軌を逸している。

ただ下らない願望を抱えたものの闘争、その域には留まらない。

カナンという英霊が存在を確立しているのも、遠坂輪廻がマスターであるからか。

一体、何が起ころうとしている────?

 

「(大気中に満ちたアトランティス文明の魔力、カナン、そして遠坂輪廻…………)」

 

彼は、輪廻と契約を交わしてもいいのか。

消滅の道を選び、死して見ないふりを続けることこそ必要なのではないか?

人間ならざる者の手を取る、それは即ち悪魔との契約。

ダイダロスは当然躊躇する。彼の頭脳は輪廻に酷使され、傀儡となる可能性がある。

それはあの日、太陽に焼かれ落ちたイカロスと同じ。

技術を以てしても、神の気まぐれに殺される。

ライダーを信じた彼は、同様に彼のマスターを信頼することが出来なかった。

 

「ダイダロス、貴方は仲間になるわ。きっとよ。」

「何でも知っているんだな。」

「ええ。貴方は絶望を重ねても、最後は人間の味方をする。そういう覚悟が出来るヒトよ。」

 

輪廻は聖女のような、柔らかな、静かな笑みを浮かべる。

全てを見透かされた。ダイダロスという英霊の器が見切られたのだ。

遠坂輪廻に従う、その心はまだ存在しない。

でも、ダイダロスは彼女の期待に応えるだろう。

究極的に言えば、三人は意見が合致している。

ヒトを超えた輪廻、呪いそのものであるカナン、神域に到達せんとするダイダロス。

皆が一様に、人間の可能性を信じ、いつかの日に、バトンを託そうとしている。

例えば、地球を終わらせる『災害』に見舞われた後、彼らが世界に立っている必要は無い。

彼らは『継承者』なのだ。

それが判断できるからこそ、キャスターに輪廻を拒む理由は無かったのだ。

利用できるなら、してやろう、その気概だけで、彼は彼女の手を取った。

サハラの地で、彼らは団結する。

輪廻はこの同盟を、自身の力に準えて『博物館』と名付けたのだった。

 

 

サハラの聖杯戦争終結の日。

それは輪廻の予想した日より、一日早くやってきた。

ライダーとキャスターには多くを伝えていない。

運命を確定させる前に、出来ることはやっておかねばならない。

 

「状況を整理しましょう。」

 

輪廻とカナン、ダイダロスは小さなテントの中で向かい合った。

これまで二騎のサーヴァントは、他の英霊との接触を極限まで避け、調査を行い続けた。

その内容とは、サハラで偶発的に生まれた『シムーン』の行動目的である。

彼らは気ままな風と自身らを称しているが、その行動には不可解な点が多い。

殺戮自体が目的ならば、他のサーヴァントや現地住民は何度も襲われていただろう。

だが、彼らは発生しては何かを探し求め、用事が済めば霊体化(または疑似的な消滅)を繰り返していた。

この砂漠で、何を追い求め生きているのだろう。

 

「オレが考えるに、これは『信仰』だ。」

「信仰、彼ら自然由来の存在に、か?」

「あぁ。アフリカ大陸はイスラム教とキリスト教の二大巨頭、だが、それは植民地化など外的要因があってのことだ。元々は名も無いような無数の伝統信仰が各地にあったらしい。」

「そもそも大陸だけでも百以上の部族が存在するわよね。シムーンが特定の宗派に帰属しているとは思えないけれど。」

「あぁ、それはオレも違うと思う。だが、彼らの宗教観は何故か、驚く程一致していると後の学者連中が語っている。ノアのような物語が各伝統信仰に存在するが、所謂『オチ』が全部一緒なんだ。」

 

それは『神との離別』だ、とカナンは語った。

神が怒り、ヒトを見捨てるストーリー、将又、神が命を落とす結末。

人間と神の共存は存在しない。

他宗教にも同様の物語は多数存在するが、大陸という余りに広い箱庭で、この物語のシンクロ具合は不気味とも思えるほどだ。

 

「在来信仰の一致、何らかの出来事が起因し、彼らの宗教観が合致した。えっと、もとは自然に神が宿る系の信仰よね。」

「宣教師がいなければ芽吹くことも無かっただろうぜ。そもそも研究結果として、太陽や海を至高神としたものの、儀礼の対象として関心を持たなかったと言われている。」

「太陽、海、月、生い茂る草木、その全てに何らかの信仰が存在した、『八百万の神々』…………日本に感覚が近いわね。儀礼の対象となり辛いのも同じ。」

「そうか、リンネの出身は日本だったな。」

 

太陽も、星々も、その全てが不変だ。

民族宗教において『神との離別』が描かれるならば、これらはその対象となり得ない。

ならば、とダイダロスは手を挙げる。

 

「『セファールの死』か?」

 

かつて西欧文明等を崩壊させ、神々を葬り去った災厄の巨人。

聖剣使いの一振りに敗北し、果てなき荒野を進み続けた内に、死亡した。

このサハラは巨人の墓地そのものである。

戦いに巻き込まれなかった人間たちは、死にゆく巨人の姿に何を見出したのだろう。

自ずとその答えは分かる。

 

「大いなる存在に、『神』を見出した。そして、彼らの『神』は死んだのだ。」

「伝統信仰を形作ったのは、セファールの死、だった。ダイダロスの言う通りだ、これなら分かりやすい。」

「でも民族宗教には儀式や儀礼は根付かなかったのでしょう?ならシムーンは『信仰』がベースの存在では無いでしょう?」

「そうだなぁ。そもそもシムーンとセファールに因果関係が見出せない。」

 

カナンと輪廻は頭を悩ませるが、再びダイダロスが何かに気付いた。

そもそもシムーンはヒトの形をして現界しているが、その思想がヒトに結びつくわけでは無いのだ。

 

「そもそも普通に考えれば、シムーンは民俗信仰上において『神』だろう。八百万の神々という思考概念が近しいならば、殺人熱風にも『神』が宿って然るべきだ。」

「そうか、そりゃそうだ。シムーンはそっち側か。」

「因果関係はある。シムーンもセファールも、太陽や草木、星々と異なり、ヒトを明確に害する存在だ。宗教には必ず何らかの物語が付随するが、人類の脅威に対しての『離別』を描く必要があったとすると…………」

「明言されてはいないけど、シムーンもセファールも、彼らにとって物語上の悪役、であった可能性は高いわね。」

 

どこまで、現地民の間で言語化できていたのか、キャラクターが割り振られていたのは不明。

だが多くの民族によって神々と人類は『離別』を決定付けられ、そして大型宗教の流入を受け入れ、伝統信仰は埋没した。

 

「シムーンの狙いは、民族宗教における神々の復権か?」

「物語上における悪役の復活、その儀式である可能性が高い。彼らが人間の姿を模っているのも頷けるわ。それがセファールの蘇生であるならば、世界の終焉も頷けるわね。」

 

輪廻は白き巨人の復活を知っている。

だがそれはあくまで結果論。その過程を踏まえ全てを把握できていた訳では無い。

今できることは、災害『シムーン』の排除だが、彼女の『軌道修正』で間に合うのだろうか。

そもそも運命は一日早くやって来た。

 

「変えられない、かどうかは、やってみるしかなさそうね。」

「リンネ?」

「世界を救う為に、力を貸して。ライダー、そしてキャスター。」

 

輪廻は両手を突き出し、二人の頬に手を当てた。

これは、世界のルールを逸脱してしまった彼女には、成し得ないことだ。

でももしかしたら、カナンとダイダロスならば、運命を変えられるかもしれない。

三人は、シムーンが集い蠢く、サハラの目へと向かった。

 

 

歪なる環状構造『サハラの目』。

この場所は理想郷アトランティスへの入り口だと、哲学者プラトンにより明言されている。

全てはテスタクバル・インヴェルディアがこの目を開眼させたことから始まった。

滅び去った大陸の大気、膨大な神代のマナがサハラへと流れ出し、殺人熱風シムーンが自我を有した。

そしてこの芳醇な魔力がかつてない強力な英霊たちを呼び出し、のちに災害と呼ばれるサーヴァントを構成したのだ。

テスタクバルは道半ばで、ルーラーであるナナに命を奪われた。これもサハラの聖杯戦争を根本から狂わせた遠因だったかもしれない。

『博物館』を名乗る三人がその環状構造に辿り着いた時、そこは無数のシムーンが溢れかえる地獄そのものと化していた。

そして彼女らはその中心部で囚われる存在を確認する。

サハラの聖杯戦争で召喚されたランサー、その真名は『ブリュンヒルデ』。

白銀の髪の幸薄そうな麗しき戦乙女。彼女はシムーンにより何らかの儀式の依り代とされた。

 

「戦乙女ブリュンヒルデはセファールの遺体を解析して創造された存在だと言われているわ。シムーンは今、彼女を媒介として白き巨人復活の儀式を行おうとしている。」

「じゃあ助けないとな!」

「ライダー、君はまともな戦闘が出来るのか?」

「まぁ任せておけって。オレは『カナン』だ。神への強烈な呪いとしては、一級品よ。」

 

ライダーは単独で走り出した。

キャスターもまた、自身が創り上げたアーマーを装着する。のちの桃源郷にて装着する千年ものに比べ、かなり練度は下がる。だが今はこれが彼の限界だ。

二騎の英霊の存在を察知し、シムーンも動き出した。

数百体のシムーンが風の速さで二人を襲う。

無限増殖する彼らを一人一人相手にする時間は無い。

故に、取れる戦法は一つだ。

 

「宝具起動!『万古不易の迷宮牢(ディミョルギア・ラビュリントス)』」

 

キャスター『ダイダロス』の発動する固有結界宝具がサハラの地にて炸裂する。

砂漠から隆起した壁が乱立し、次々と道を形成した。

そしてシムーンたちはこの迷宮に囚われる。

永遠に彷徨い続ける熱風を尻目に、結界の外側へと追い出されたライダーは、ブリュンヒルデの元へ走る。

サハラの目に存在したシムーンの三分の二あまりを、一度に捕縛することが出来た。

あとは迷宮の主、ミノタウロスがひたすらに耐久するのみである。

 

〈ダイダロス、やってくれたな。〉

「殺人熱風の数百と耐えてみせろよ、愚鈍な牛君(ミノタウロス)。」

〈俺は貴様の道具じゃない。〉

 

ミノタウロスは近付くシムーンをその剛腕のみで蹴散らしていく。

だが徐々に、肉体に火傷を負い、皮膚が爛れ落ちていった。

迷宮の構築、複雑化を行うダイダロスも、少しずつ限界を感じ始めている。

 

「(頼むぞ、ライダー。こちらはそう保たなそうだ)」

 

結界内で一秒を争う戦いにその身を捧げるダイダロス。

カナンはギリシアの工匠の最高技術を見届けながら、彼も自身の宝具を使用した。

約束の地カナン、その場所で起こる全ての事象、生まれた全ての子孫たちに、彼の呪いは付着する。

たとえカナンの民が神に見捨てられ、イスラエルによって聖絶されても、その『想い』は遺り続ける。

あぁ、そうだ、カナンは神を信じない。神を決して許さない。

女も子も、皆が虐殺された。そしてその行いは、今なお『正義』であり『必要だった』と語られている。

カナンの民はその結末を知っていた。神の寵愛が無いことを、本能的に悟っていた。

だから『壺』に蓄え、捧げたのだ。

 

『偉大なるバアルよ目覚めるがいい。黙示録の旅人が是を承認する。( ハッドゥ・アニイェコルバン)』

 

カナンの詠唱を輪廻も耳にする。

カナン人は神から慈悲や愛を与えられず、災害の神『バアル』を信仰した。

バアルは後の世で悪魔とも言われ、崇拝または拒絶されている存在。

カナンの民が生存するために、バアルへの生贄が必要だった。

青少年の身体を解体し、それを無数の壺に詰めたのだ。

彼女からして、この行為は悪逆非道である。

だが、愛の神の不在に、カナン人は狂う選択しか無かったのだとすると、やるせなさが残る。

カナンは間違っている。

だがその間違いを輪廻は指摘してはならない。

彼らは加害者であるが、その前に、被害者なのだ。

 

『いつか果たされる約束の地の物語(リオインティ・カナン・ベルゼブブ)』

 

宝具の発動と共に、巻き起こる局地的暴風、天空からの稲妻、そして赤黒い血の色の大津波。

天候神バアルの権能をカナンは一時的に借り受ける。

対軍宝具は、サハラの目に集合するシムーンたちに向けて放たれた。

広範囲では対象各々の座標軸がぶれ、攻撃は拡散されてしまう。

だがダイダロスの迷宮により大幅に戦力を削ぎ落した今、カナンの絶技はサハラの目一点に集中した。

熱風と神代の魔力の結びついた彼らだが、自らより高位の神の一撃には、成すすべなく滅ぼされる。

ただヒトを殺す風に、二千年の呪いが負ける筈は無い。

彼は阿鼻叫喚の地獄絵図の中、命を落としていく彼らを掻き分け、ブリュンヒルデの元へ辿り着いた。

既に消滅が確定した彼女を抱きかかえ、戦線離脱する。

 

「大丈夫か!?」

「…………」

 

ブリュンヒルデは言葉を発せないようだ。

無理もない、彼女はやがて命を落とすだろう。カナンにはもう、どうしようもない。

輪廻の元へ連れてきたが、彼女もまた成す術が無かった。

むしろよくここまで耐えたと言うべきだ。

 

「リンネ、成功か?」

「ええ。凄いわ、もしかすると私たちは運命を変えられたのかもしれない。」

 

かつて、遠坂輪廻が『変わらないもの』に干渉できたことは無い。

でも、今の彼女は一人じゃない。

ギリシアの天才発明家と、人類の遺した最悪の呪いが、仲間となって傍にいる。

ライダー、キャスター、この二人がいたからだ。

戦乙女を抱きかかえながら、カナンは安堵の溜息をついた。

さて、今なお結界内に留まるダイダロスを助けに行かなければ。

そう決意し、彼のいる方へ振り返る。

そこで輪廻は気付く。

まだシムーンの悪意は終わっていないことに。

 

「キャスター!」

 

キャスターが構築した固有結界が、刹那、崩壊し始める。

そして四肢の欠損したキャスターが残され、大量のシムーンたちが溢れ出した。

彼は迷宮の踏破が不可能である人数を収容した。

だがそれは誤算であった。

もともと砂と風の合成体であるシムーンは、魔力の満ちた迷宮で分裂、そして増殖する。

オリハルコンの壁を風化させ、その粒子レベルの欠片を無数に体内に取り込んだのだ。

彼らは迷宮の罠を風としてすり抜け、諸共せず侵攻した。

よって結界内部にて戦闘を繰り返していたミノタウロスは遂に敗北。

無限増殖を繰り返し、ついにダイダロスの構築が間に合わない内に内部構造を完全把握した。

そして結界の管理人たるダイダロスに殺人熱風の攻撃が集中し、彼の肉は瞬く間に削ぎ落された。

 

「クソ野郎どもが!」

 

カナンは再度、宝具の起動準備に入る。

輪廻とブリュンヒルデを巻き込まぬよう、シムーンのいる方向へと走り出した。

だが彼はここで絶望的な光景を目の当たりにする。

サハラの目の周辺、彼の宝具で焼き切られた筈のその場所で、数体のシムーンが生まれた。

彼らはこのサハラの地において不死身だ。

何度でも再生、増殖を繰り返す。

二方向からカナンは襲われた。

宝具の起動準備に移るが。とてもでは無いが間に合わない。

瞬く間にカナンの全身は彼らの熱で焼け落ちていく。

 

「ライダー!」

「リンネ…………すまん…………」

 

輪廻の目の前で崩壊する霊基。

ライダーはじきに消滅する。

そしてキャスターも、その心臓をシムーンに抉り取られた。

もう、彼らに未来はない。

輪廻に迫られる決断。

彼女は躊躇なく、『世界を終わらせた』。

 

 

「前回の『セーブポイント』から再開するわ。」

 

〔ロード〕

 

「はじめまして、召喚に応じ参上した、オレの名は────」

「『カナン』、よろしく。私は貴方のマスターである遠坂輪廻。」

 

輪廻が彼の名を告げると、驚いた表情を浮かべていた。

彼は彼女に問いかける。

ノアを呼ぶために触媒を使用したのか。

それとも、カナンこそが望みであったのか。

その答えは両方。

当初はノアこそ人類の救世主だと信じて疑わなかった。

だが彼では足りない。

セファールを屠るには、正義も救済も必要ないのだ。

大いなる者は、ヒトの前に立ち、その力を余すことなく振るう。

そして祈りの元に勝利をおさめ、伝説となる。

それは今、不要。

同じ『災害』が発生した時、救世主が生きているとは限らない。再び剣を振るうとは限らない。赤の他人の為に命を張るとは限らない。

必要なのは、人類を次のステップへ進める為の先導者、または、巨大なる壁。

いつか復活する王(ディートリヒ)のような『変わらないもの』を排除する可能性(イディンバ)こそが求められているのだ。

カナンは、ヒトの憎しみ、嘆き、呪いそのものだ。

これと共存、ないし、これを乗り越える強さを身に着けるヒトを遠坂輪廻は信じている。

 

「何だ、物知り顔だな。というか、服は?」

「必要ないわ。さぁ、早く私を抱きなさい。」

「は?」

 

カナンの頭の上には無数の疑問符。

無理もない。召喚されたのも束の間、マスターである少女が生まれたままの姿で、夜の営みを強要してきたのだ。

十代の年端もいかぬ女を即座に抱く勇気はない。そもそも、ここは砂漠のど真ん中である。

流石のライダーも説明を求めた。

 

そして輪廻は『いつも通り』彼女という存在を説明する。

 

そう、もう何度も経験した。

いつだって彼との出会いは、この特異な自己紹介から開始する。

いい加減、前に進みたいものだ、と彼女は溜息をつく。

前回の分岐は、キャスターの懐柔が一日早まったこと。

だがその分、エックスデイは一日早くやってきた。

定められた運命は『セファールの復活』そして、『ライダーとキャスターの死』である。

軌道修正を重ね、数多の選択をし、ここまで辿り着いた。

だが、まだ足りない。

今度はバーサーカー陣営に協力を求めるか?

それともテスタクバルが生存する道を探すか?

この余りにも短い時間で、出来ることは限られている。

 

「(シムーンの目的は絞り込めたけれど、その能力は未だ掌握できていない。本拠地もサハラの目とは限らないし。)」

 

輪廻はライダーに指示を出し、キャスターとの邂逅を果たした。

ここまではスピーディーにこなす。

シムーンに囚われる前にブリュンヒルデを確保したいが、未だに彼女の本拠地を絞り込めていない。

大抵、彼らに先を越され、消滅するまでその身体を弄ばれる。

マスターである存在も謎のまま。そもそも輪廻がこれを把握できないのが異常事態だ。

サハラの聖杯戦争に生じた歪み、それは彼女の『軌道修正』が原因であると言えなくもない。

繰り返すたびに、事態は重く、最悪の方向へと舵を取る。

だがそれでも諦めてはいけないのだ。

たとえ白き巨人が復活するとしても、まだ世界が滅ぶことが確定した訳じゃない。

なら何度でも、輪廻は世界暦を修正し続ける。

彼女の手が届く範囲で、ヒトの未来を救うのだ。

 

【深層編⑦『リンネ』 おわり】

 

〔セーブ〕

 

サハラの聖杯戦争。

その全ての軌道修正が完了した。

これより六騎の英霊『シグベルト』『ブリュンヒルデ』『カナン』『ナナ』『ダイダロス』『后羿』は新たなコードネーム『護国のサーヴァント』と改め、新天地へと向かう。

場所は始まりの聖杯、輪廻の故郷である日本。

国民の二分の一を回収し、新たなる都市国家『開発都市オアシス』へと誘致する。

この都市国家は通常の歴史から切り離された状態で運営される。

護国に与えられる任務は五つ。

 

一、 加速する時間と軌道修正の歴史において、『災具』を身につけること。

二、 最大で六に分配された各々の地区を統括すること。

三、 サハラの脅威を取り除くべく、各々の仕事を全うすること。

四、 天還の儀を執り行い、或いは、抑止力の速やかな排除を行い、英雄の権威を失墜させること。

五、 この桃源郷を拠点とし、いずれ世界を救うこと。

 

最適解を導き出した遠坂輪廻は、己の責務を終え、石像と化した

始まりの聖杯として世界の管理者となり、長い眠りにつく。

そして遠坂輪廻の当初の目的、英雄による救済では無く、ヒトの発展のために、布石を打った。

彼女は自らの『種』を三分割し、後継者を育成する。

 

一つは、『如何なる困難にも立ち向かう力』

一つは、『因果を超える力』

一つは、『世界を俯瞰する力』

 

これらは血統による相続では無く、世界終末の時代に、彼女の名付けた『遠坂』『マキリ』『アインツベルン』の名を冠するインヴェルディアの『正統後継者』へと手渡される。

これにより、遠坂輪廻はほぼ全ての機能を消失する。

 

「託したわよ、カナン」

 

第一区の地底奥底の大空洞にて、彼女は想いを馳せる。

何度も過ちを繰り返し、沢山の犠牲を払ってここまで来た。

彼女にはもう出来ることは少ない。

あとは、『護国』と名付けた彼らが、上手くやってくれることを祈る。

 

徐々に、輪廻の肉体は石となる。

この莫大な都市を担う永久機関と成り果てる。それは彼女にとってある意味、心地いい選択だった。

全ての事象に対し、冷淡な態度を取っていた彼女も、この時ばかりは安らかな笑みを浮かべている。

ゆっくりと、ゆっくりと、時間をかけて固まる肉体。

 

そのとき、彼女の脳内に、流れ込んできたビジョンがあった。

それはとても懐かしい姿、のように見える。

走馬灯なのだろう、輪廻にとって最も愛する存在がいたのだから。

だが、どうやら幸せな夢を見るのを、まだ彼女は許してくれないらしい。

 

深い海の底で、輪廻は再会を果たす。

自身より背丈の伸びた『妹』が、息継ぎもせずに悠々と佇んでいた。

 

「桜」

「姉さん、まだです、まだ終わっていない。」

「そうね、護国の彼らの成長はまだ……」

「違います、そうじゃないんです。このままだと、世界は本当に滅んでしまいます。」

 

この海には、実数界の法則は適用されない。

時間概念が存在しない、と言い換えて良いだろう。

だから、間桐桜には見えているものがあった。

輪廻へと託される情報、その多くはこのセカイのルール上、実数界に持ち帰れないもの。

だが断片的に記録されたのは、ある二人の名前だった。

 

遠坂輪廻の、時への干渉は、最悪の形となって修正される。

禁忌を犯した者への罰なのか、将又、全てが『変わらないもの』だったのか。

 

桜が頻りに呟いたその名は、『巧一朗』、そして、『グズルーン』。

 

輪廻の与り知らぬところで、サハラの聖杯戦争は新たな未来へと固定された。

 

 

 

【To Be Continued】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層編8『巧一朗Ⅵ』

次回がたぶん深層編最終回です。
感想誤字等あれば連絡お待ちしております。


セイバーに連れられ、ワダンの地に足を踏み入れた時、俺は絶句した。

焼き切れた草木、中心部には巨大なクレーター、英霊とそのマスターが拠点にしていたとは考えにくい惨状だった。

固まる俺を他所に、セイバーは抉れた大地へと踏み込んでいく。

そして彼女はミイラのように干乾びた遺体を持ち上げた。

 

「巧一朗、恐らく、アサシンのマスターだ。」

 

俺はなんとなく、その亡骸の正体を知っていた。

サハラの聖杯戦争、そのチケットを寄越した張本人。

黒のレインウエアの男。

 

『お前は、叶えたい願いがあるか?』

 

無機質な声の持ち主だったことは記憶している。

だがその目には確かに、燃え盛る闘志が宿っていた。

この戦争の管理者、裏で牛耳る存在だったのだろうが、道半ばで命を落とした。

俺は目を伏せ、祈りを捧げる。

敵同士であった、それでも、俺をここまで導いた男なのだ。

話す前に、殺し合う前に、男は散った。

これが戦争なのだ。

知らぬ間に、誰かが野垂れ死ぬ。死と隣り合わせの世界。

この砂漠にはひと時たりとも平穏が無い。

俺は改めて、それを自覚した。

 

「ワダンで、何が起きたんだ?」

「さぁな。我がこの地に訪れた時にはもう滅んでいた。アサシンはかの邪知暴虐の王『ザッハーク』、彼奴と刃を交えることが出来なかったのは悔やまれる。」

 

セイバーの願いは『最上の王であることの証明』だ。

単純な力比べもしたかったのだろう。

もしかしたら蛇王を挫く勇者足り得たかもしれない。

彼女は眉間に皺をつくりながら、俺と共に、遺体を埋葬した。

紛争渦中の行動としては正しいことでは無いかもしれない。

あぁ、敵なのに、複雑な気持ちだ。

 

「これからどうする?セイバー。」

「我に出来ることはただ一つだ。ディートリヒは目の前の敵をただその剣技で葬り去るのみ。」

「敵陣地を攻めるのか?」

「それが手早い。それとも、汝には策を弄する知将としての頭脳が備わっているのか?マスターよ。」

「そんなものある訳無い。馬鹿一直線だよ。」

 

単純明快だ、そう言って、セイバーはにんまり笑った。

彼女は少し背伸びをして、俺の髪をくしゃくしゃと撫でまわす。

まるで犬を手懐けるみたいだ。

案外これが心地良かったりもする。

やはり彼女こそ、俺のサーヴァントであり、俺の一歩先を歩いてくれるヒトだ。

 

『マスター、私の愛する、ただ一人の』

 

俺の胸がちくりと痛む。

僅かばかりの時を一緒に過ごしたランサーのサーヴァント。

グズルーン、彼女の真意が分からない。

彼女は俺の目の前で、数多くの命を滅ぼした。

だがそれは俺を救う為の行動だったともいえる。

シムーンという脅威を前に、俺の力を信じ、俺にも戦うよう告げたセイバー、そして、主人に傷をつける者を殲滅するランサー。

どちらが正しいかなど、俺には分からない。

それでも俺は、グズルーンを突き放した。

セイバーこそが俺のサーヴァントなのだから。

俺は彼女のマスターにはなれない。

だから、これでいいんだ。

 

「どうした?行くぞ、マスター。」

「あ、あぁ」

 

セイバーは俺に手を差し出した。

これは俺たちの和解の印なのかもしれない。

俺は迷いなく、その手を握り締める。

崩壊したワダンを背に、新たなる土地へと一歩踏み出したのだった。

 

【深層編⑧『巧一朗Ⅵ』】

 

「やぁやぁやぁ!聞いて驚け!見て驚け!我はセイバーのクラスを以て現界した、大大大英雄、英雄の中の大英雄!」

 

「その名を『ディートリヒ・フォン・ベルン』!」

 

「我は我が親愛なる友、アルテラの剣を振るい、英雄たちと勝負しに来た!」

 

それからの俺たちの行動は、というと。

壮絶な戦いを繰り広げる二大英雄の間に割って入り、セイバーは剣を振るい続けた。

漁夫の利なんて考えは無い。

彼女は真っ向から現れ、その名を高らかに叫び、アーチャーとバーサーカー、二人を圧倒する。

俺は双眼鏡を駆使し、遠くから彼女の戦いを見守っていた。

セイバーはこの時ばかりは一切の躊躇なく、俺の魔力を奪っていく。

だがそうしなければ勝てない相手とも言えるだろう。

アーチャーのサーヴァント、その壮絶な宝具も確認した。

聖剣バルムンクを有する騎士、といえば、『ジークフリート』に間違いない。

ザッハークといい、強力な英雄がこうも揃い踏みとは。

少年心に火が灯ってしまうのは不可抗力だと思いたい。

そして、俺はもう一人のサーヴァントを注視する。

彼はバーサーカーだ。俺が結果的に裏切ってしまった共闘相手…………

マーシャと禮士も、どこかでこの戦いを見ているのだろうか。

見ているに違いない。   

だが、今の俺にとって彼らは敵だ。

言い訳も、手を取り合う必要も無い。

これは戦争だ。どんな形であれ、生き残った者が正義なのだ。

俺は勝つ。人間になる為に、勝つ。

アーチャーは早期に撤退し、セイバーとバーサーカーの一騎打ちとなる。

通常、魔術師は身を隠すか、敵陣営のマスターを殺害する手筈を整える。

俺は前者だ。俺に出来ることは少ない。

セイバーのたった一つの願いを踏みにじるつもりもない。

彼女ならば必ず勝てると、そう信じている。

俺は呼吸を整えながら、二人の鍔迫り合いを見守り続けた。

 

「あら、奇遇ですわね、巧一朗。」

 

二人の命の削り合いも佳境、そのとき、背後から気品に満ちた幼子の声が響いた。

俺は彼女を知っている。だから驚きもしない。

振り返り、纏っていたローブを取り去った。

 

「マーシャ」

「あら、覚えていてくださったのね。貴方のサーヴァントは?また連れ歩いていないのですか?」

「俺の『セイバー』はあんたのサーヴァントと交戦中だよ。」

「ランサー、ではなくて?」

「彼女は俺のサーヴァントでは無い。そうだな、意気投合した、ようなものだ。今は喧嘩別れだな。」

「不思議なこともあるものね。」

 

マーシャが俺を信じることはない。

彼女が今ここにいる理由は、俺を殺しに来たからだろう。

戦闘を開始してはや二時間半あまり、俺はもう限界が近い。

だが彼女は汗一つかいている様子もない。

力の差は歴然だった。

 

「あのオアシスでの一件、巧一朗の指示で宝具を放った訳では無いのでしょう?」

 

暫くの沈黙の後、マーシャの口から想定されぬ言葉が漏れた。

俺は目を丸くする。

 

「さて、どうかな。」

「マスターであるならば、その目的は他陣営の殺害である筈。ならば、バーサーカーがシムーンの対処に乗り出しているその時に、彼かマスター側を殺しに行くのが筋だもの。ある程度片付いた後というのは不可解だわ。無論、貴方が『無能』だった可能性も否めないけれど。」

「ふ、確かにな。」

「別に許すつもりはないし、共闘もしませんわ。でも、ハッキリとさせたかったことではある。衛宮禮士も、そう認識していましてよ。元は彼が言い出したのです。間桐巧一朗には恐らく非情な決断が出来ないだろう、と。」

 

舐められたものだ。

だが、禮士は俺という存在を短時間で理解していた。

通常、敵に己の器を見切られるのは最悪の事態と言える。だが、今の俺は少しばかり嬉しかった。

この砂漠は、人を孤独にする。敵であっても理解者足りえる存在は心地いい。

 

「さて、では殺し合いましょう、巧一朗。互いの願いをかけて。」

「あんたも律儀だな。消耗した俺を背後から刺せば、それで終わりだったろうに。」

「闇討ちは『正義の味方』のすることではありませんことよ。」

 

マーシャの足先から浮かび上がる白い魔法陣。

彼女は一体、どのような力を行使するのだろう。

俺は出来損ないの三流魔術師だ。彼女のような一流には遠く及ばない。

招霊転化も、今は未完成だ。

やれることはただ一つ。

セイバーが必ず勝つと信じ、それまで生き残ること。

シムーンの時と同じだ。

彼女はディートリヒ、英雄の中の英雄、必ず勝利する。

今度は逃げない。俺さえ死ななければ、戦況はひっくり返せる。

 

「良い目、ですわね。どのような願いをお持ちなのですか?」

「人間になること、ただそれだけ。」

「あら、そうなのね。」

 

マーシャはそれ以上の言葉を紡がなかった。

彼女の右手が掲げられると同時に、円を描く様にサブマシンガンが鋳造される。

魔力の光弾が飛んでくるものかと安易に思っていたが、実銃とは遥かに近代的だ。

二、四、六、八、と数が増えていき、手を触れずとも実弾が装填されていく。

可愛げのない武骨な銃のオンパレード。

十歳くらいに見える少女が軽々と扱っていい代物では無い。

マーシャが手を振り下ろすと、トリガーが引かれ、弾丸の雨が降り注いだ。

俺は両足に魔力を集中させ、緊急退避する。

魔術回路が葉脈のように広がり、淡い緑色を放つ。

そしてすぐさま、右手の指先から糸を発射した。

縫合魔術、物体と物体を結びつける力。

彼女の背後に雷太鼓の要領で出現したサブマシンガンの数々を、まとめて捕縛する。

そして左手から同様に発射した糸で、砂の中へと埋もれさせた。

サブマシンガン、は分からないが、バレルとかマガジンは砂に弱いって言うしな……

だが俺の動きを見切っていたマーシャは、気付けば俺の傍へと駆け寄っていた。

そして両足で飛び蹴りをし、俺の胸部にクリーンヒットする。

彼女の足には、整った光のラインが灯っている。

俺の魔術回路とは大違いだ。

俺はそのまま後方へと吹き飛ばされ、崖の方へ衝突した。

あの小柄な体型で、この破壊力。

銃で風穴を開けられる方がマシだ。

骨だけでなく、臓器までもがかき混ぜられるように変形した。

通常ならば、ここで死亡。

だが、俺は所詮『虫』だ。虚行虫の核が破壊されない限り、縫合を繰り返すことが出来る。

 

「くそ……」

 

俺はすぐさま、肉体の代替となる物質を探した。

だが、無意味だった。

こんな砂漠に有用なものがある筈も無い。

手で掬った砂では、構成材質として物足りないにも程があった。

 

「せめて『骨』だけでも……」

 

俺は何とか呼吸を確保し、砂煙に身を隠す。

マーシャは再度、近代兵器を召喚し、砲撃を開始した。

岩場へと急ぎながら、糸を錬成する。

位置を何度も把握し、攻撃の当たらない距離まで後退した。

 

「かくれんぼはおしまいでしてよ。」

 

マーシャは悪い笑みを浮かべると、今度は指を鳴らし、浮かび上がるサブマシンガンに何らかの魔術を施した。

すると極めて奇怪なことが起こる。

バレルに鳥のような翼が生え、マガジン部位からは日本の足が生えだした。

無生物兵器が、瞬く間に使い魔へと変貌したのである。

銃口をこちらに向けたまま、翼を広げ飛んでくる使い魔たち。

どこへ隠れようと意味は無い。そう告げられたようだ。

再び銃弾の嵐に襲われた俺は、腕や足を打ち抜かれる。

損傷は軽微であるが、俺の動きを封じるには事足りた。

虫の核だけは守らなければ。

だが、蜂の巣になるのは時間の問題だ。

どうする、どうすれば?

消耗が激しい。呼吸すらままならなくなる。

 

「く…………」

 

俺は今出せる全力疾走で退避する。

酸素が圧倒的に足りない。だが上手く空気を取り込めない。

 

「巧一朗、これで終わ……ぐぅっ…………」

 

圧倒的に不利な状況、そう思われたが、マーシャも俺と同様に苦しんでいた。

バーサーカーという強力な英霊に規格外の魔力を吸い取られている。

きっと俺とは比べ物にならないくらい。

彼女は急に苦しみ喘ぎ、その場にへたり込んだ。

使い魔たちも動きを止める。

今が、絶好の機会なのかもしれない。

だが俺にはマーシャを襲撃する力が残されていなかった。

手足から血液が漏れ出し、右肺は潰れている。

むしろここまで耐えたのが奇跡と言えるほどだ。

マーシャとの戦闘が始まってはや十分。

もう限界なのかもしれない。

 

「すまん、セイバー、もう俺は……」

 

その場で倒れ込む俺を、誰かが抱きかかえた。

薄れゆく意識の中でそのたなびく白銀を目に焼き付けた。

 

「全く、汝は軟弱にも程がある。」

「セイバー」

「粘り勝ちだ。よくやった。」

 

バーサーカーは死んでいない。

だが彼の戦闘、スキル、そして真名に至るまで、セイバーは全ての器を見切った。

俺の限界がもう少し先であれば、彼女はバーサーカーに対し勝利を収めていた。

悔しさを噛み締めつつ、彼女の胸で意識を失う。

セイバーは次、バーサーカーとの戦闘で、必ずや勝利を収めるだろう。

彼女にはその確信があった。

そして俺の身体に治癒の術式を施し、安静にさせる。

離脱する直前、バーサーカーのマスターであるマーシャも、彼によって救護されているのを確認した。

マスターの性能の差による、引き分けという結果。

だが勝利の礎を築き上げたセイバーは、概ねこの戦いに満足しているようだった。

 

 

これは俺が意識を失っているときに行われた会話である。

 

「貴様は…………『ガンマ』か?」

「いえ、私はランサーのマスターの補佐を担当致します『デルタ』と申します。」

「あぁ、主人であるアサシンのマスターを失い、途方に暮れていると言った様子か。」

「我々は主の使い魔に過ぎません。おっしゃる通りです。」

「我々には『ガンマ』という、汝と同じ顔をした老紳士が付いた。もう命を落としたがな。貴様はランサー陣営の元へ向かえば良いだろう?」

「ええ、その話ですが……」

「何だ?」

「ランサーのマスター『シュバルティン』様と、そのサーヴァント『ブリュンヒルデ』様は既に、生死は不明ですが、この地を退去しております。」

「補佐すら出来ぬ故、我々の元を訊ねた、と?」

「その通りですが、正しくはそうではありません。」

「ふむ、含みのある言い方だな。確かに妙な話だ。ランサーが退去した、ならば、巧一朗と共に行動していたあの女は何者なのだ?」

「私はランサーのマスターの補佐であるが故に、彼女のことを深く明かすことは出来ません。ですが、このことはお伝えできるかと。」

「何だ?」

 

「『あの』ランサーのマスターは、『シュバルティン』様ではございません。彼女の召喚者は『間桐巧一朗』様です。」

 

「何だと?二重契約か?」

「俄かには信じ難いですが……」

「この弱小マスターに可能であるとは思えんな。貴様の言葉を信じる気にもならん。」

「それはその通りです。ただ不肖デルタ、ランサーのマスターである巧一朗様のサポートをさせて頂きたく思います。」

「ふ、貴様がスパイである可能性の方が高いと思うが?」

「その場合は、ディートリヒ様がすぐに判断できるでしょう。この首を叩き落すのに躊躇する方ではありますまい。」

「言うな、使い魔風情が。だが良いだろう、王は寛容だ。…………思えば巧一朗も、ガンマとの別れを悲しんでいた。」

「知っています。彼もまた、お二方と同じように星々を眺めていたのですから。」

 

俺の知らぬところで、デルタが仲間になった。

目が覚めた時には、俺はキャンピングカーに揺られていたのだった。

 

 

このサハラ砂漠での戦いは、ついに七日目を迎えた。

俺たちは今、サハラの目へと向かっている。

デルタが収集した情報により、このサハラの目の付近でシムーンが大量発生しているようだ。

何らかの不吉な予兆を感じ取る。

結局のところ、シムーンたちの行動理念は不明だ。

だが無限に増殖する彼らは、現地民を大量虐殺するわけでも無く、サーヴァントやマスターを狙い撃ちにすることもなく、サハラを自由気ままに楽しんでいる。

自然由来の英霊であるからか、それとも、他に何か目的があるのか。

ルーラーから託された令呪は、シムーン討伐の為、と考えていい。

そして戦争当事者として少しでも被害を抑えなければならない。

正義感というよりは、使命感を感じ、その地へと降り立った。

俺が遠方より確認するだけで、二十人以上のシムーンが集っている。

彼らは『何か』を中心に、儀式的な踊りを行っていた。

不協和音をベースに、民族的な舞を披露する老若男女。

音楽とは形容しがたきものだ。

何かが始まる。恐ろしい何かが。

 

「巧一朗、震えているな?」

「あ、あぁ、でも大丈夫だ。戦争の立役者がもういないなら、これは参加者の為すべき仕事だろう。とてつもなく嫌な予感がする。」

「『虫の知らせ』という奴か?」

「揶揄うなよ。……セイバー、頼む。貴方ならシムーンを殺せると信じている。」

「当然だ。」

 

セイバーはサハラの目へ向けて走り出した。

そしてそれを追うかのように、バーサーカーが飛来する。

彼はセイバーを闇討ちすることなく、彼女の速度に合わせ、共に走り出した。

 

「バーサーカー、どうして?」

「あら、こんな所に同じ愚か者がいるわよ、禮士。」

「あぁ、実に奇遇だね。」

 

俺の背後から現れたのは、バーサーカー陣営のマーシャと禮士だった。

彼らもまた、シムーンと戦う者だ。

俺は敵の登場であるにも関わらず、胸を熱くする。

 

「共闘関係、復活ですわね、巧一朗。」

「この時ばかりは、セイバーの力をお借りしたい。」

 

二人は俺の左右に立ち、禮士は肩を、マーシャは足を叩いた。

そして同時に笑う。

俺は涙が零れそうになった。

このサハラで、決して交わらない敵陣営と、こうして一時ばかりの共闘が出来る。

俺は彼らが嘘を付いているとは思えなかった。

きっと何度も、俺を殺す機会はあった筈だ。今だってそう。

でも、セイバーを信じ、こうして並び立ってくれている。

 

セイバーとバーサーカーは互いの顔を見つめ、意思を確認し合った。

彼らの存在を察知したシムーンたちのうち、十数体が風となり、二人を襲う。

だがバーサーカーの肉体は発光し、太陽の如き眩しさで迎え撃つ。

俺は驚くしかない。バーサーカーの真骨頂は、燃え盛る太陽を味方につけていることだった。

故に、彼には熱砂など効くはずも無い。シムーンの攻撃を受けようが、一切怯まないのだ。

ある意味で、シムーンという災害への解答札である。

目を丸くする俺に、二人はにやりと笑みを浮かべる。

行ける、そう俺は確信した。

セイバーは既に模造剣クラウソラスを握り締めている。

 

「行け、セイバー!」

 

バーサーカーが彼女の先を行き、シムーンの熱砂をその身で受け止め続ける。

そして残党をセイバーが材質変換により確実に仕留めて行った。

舞い踊るシムーンたちもその手を止め、二人を襲撃する。

その数は十単位から、百へと一気に膨れ上がった。

数の暴力となると、流石にセイバーは分が悪い。

俺は彼女に令呪による宝具発動を指示しようとするが、彼女は俺の意思を汲み取っていた。

魔力のブーストは必要ない。

彼女の手にする金の柄、そこから伸びる失墜の魔剣。

それはシムーンの命をすべからく霧散させる程の威力を持つ対軍宝具。

禮士とマーシャはセイバーの有する聖剣に驚きを隠せない様子だった。

彼女は天高く跳び上がり、両手で柄を握り締める。

そしてサハラ中に轟く声で、その宝具の名を放った。

 

『凍結幻想大剣・天魔失楽(ファルシュ・バルムンク)』

 

振り下ろした魔剣の斬撃は、サハラの目を取り囲むシムーンの肉体を根こそぎ奪い去る。

ただ一度きりの絶技、彼女では無く、俺がこれに二度耐えられない為だ。

俺はその場で蹲り、激しい身体の痛みに何とか耐える。

全身から血液を抜き取られたようだ。身体から温かさが消え、凍り付くのが分かる。

マーシャは俺へと駆け寄り、回復術式を施してくれた。

禮士に何か言う隙も与えずに、だ。中年男の呆れた声が耳に刺さる。

そういえばマーシャは、自身が正義の味方であると言っていた。

シムーンという現地住民を脅かす存在を許せなかったのだろう。慈愛と勇気に満ちた少女だ。

 

そして砂煙の中から、またも増殖したシムーンが現れる。

だがその数はまだ両手で数えられるほどだ。

今ならば、彼らの目論見を暴き、根絶やしに出来るかもしれない。

舞い降りるように着地したセイバーを尻目に、バーサーカーは単独でサハラの目へと辿り着く。

近付くシムーンをその筋力のままに砕きながら、ついに儀式の中心部へと至った。

そしてそこで、彼と、俺たちは信じがたいものを目の当たりにする。

最初に声を上げたのは俺だった。

 

「ランサー!?」

 

ランサーこと『グズルーン』は磔にされていた。

そしてその命は今にも失われようとしている。

セイバーの宝具の余波で、彼女自身も傷を負ったのか。

否、そうではない。

これはマスターが不在であるが故の『退去』だ。

彼女の白い肌には、傷の一つも見当たらなかった。

禮士はここで、ランサーを殺害する命令を下す。

当然だ。俺にとっても、禮士にとっても、ランサーは只の敵でしかない。

敵サーヴァントを救っても、意味は無い。

何なら、手を下す必要すら無く、光の粒子となるだろう。

でも、そこは衛宮禮士という男、確実に目の前で仕留めにかかる。

バーサーカーは右手を握り締めた。

彼女の胴体を打ち抜き、息の根を止める。

禮士にはランサーに対する恨みがあった。

彼の拠点は、ランサーにより消し炭とされたのだ。

親切にしてくれた現地民たちも皆、ランサーの宝具で殺された。

衛宮禮士の判断は絶対的に間違っていなかった。

だが、俺は駆け出していた。

間に合う筈も無いのに、必死に走り出していたのだ。

 

「辞めろぉぉぉおおおおおお!!」

 

どうして、俺は。

分からない、何故、俺は走っている。

俺のサーヴァントはセイバーだ。

セイバーただ一人が、俺の…………

 

「巧一朗!」

 

セイバーは俺の元へと駆ける。

俺の行動を制止させる為か?

違う。

俺は気付いていなかった。

俺はシムーンの繁殖地に、無防備にも足を踏み入れているのだ。

これは当然の結果だったともいえる。

俺の目の前。

突如現れた影が、にんまりと笑っていた。

肌は黒いが、その姿は俺の知る少女だ。

俺好みの、俺がデザインし、一緒の時を過ごし、そして、

俺が命を奪った女の子。

 

「亜弥」

 

俺は出現したシムーンに肉体を焼き尽くされる。

髪も、皮膚も、全てが黒墨になる。

唯一、何とか核である『虫』は守り通したが、間桐巧一朗という『人間を模した存在』は死亡した。

遺されたのは、うねうねと気味悪く動く虚行虫。

誰もが俺の姿にぎょっとする。

巧一朗としての俺が終わる前に、見えた光景は……

俺の血で塗れた嗤うシムーンと、そして、信じられないものを目にし固まる参加者たち。

あぁ、そうだ、思い出した。

何を思い上がっていたんだ、俺。

俺は人間じゃないんだ。

気持ち悪がられて排斥される、虫風情じゃないか。

最悪だ。

俺の戦いはこんな所で終わるのか。

あぁ、終わってしまう。

 

「マスター」

 

誰かが俺を呼んでいる。

誰だろう。

威厳に満ちた声と、そして、心優しい声。

二人の英霊。

俺を『マスター』と呼び、信じてくれたふたりだ。

俺は腕が無いにも関わらず、彼女らへと手を伸ばしたくなった。

だから、俺はこの時『糸』を伸ばしたんだ。

 

【深層編⑧『巧一朗Ⅵ おわり』】

 

【深層編⑧『ヴェルバー』】

 

サハラ内某所。

一人の青年が命を落とし、本来の姿へと戻った。

そして彼の伸ばした糸を、目の前にいたシムーンは掴み取る。

セイバーとバーサーカーは危険を察知し、このシムーンの抹殺の為に走り出した。

だが一陣の風となったシムーンは彼らの合間を縫い、『祭壇』へと向かう。

磔にされたランサーの霊核をその手で破壊し、謎のゲートを開いた。

テスタクバルが開いたアトランティスの門。

グズルーンの元の肉体であるブリュンヒルデを利用し、神代のアーティファクトへとアクセスする。

シムーンたちはこのサハラで、ヴェルバーの『亡骸』の破片を回収していた。

そしてアトランティス内部に残された戦いの残骸と、ブリュンヒルデ自身を頭脳体とし、かつての『災害』を組み上げる。

セイバーはシムーンの首をその剣で叩き落した。

だが時すでに遅し。

巧一朗の『糸』は、謎のゲートを通り、何か得体の知れぬものへと結びついた。

それはとある星舟に現在もなお備わっている尖兵。

かつてこの地球を侵略したものとは、似て非なる存在。

そしてその一部を、シムーンはこの世界へと『拝借』した。

 

「なに…………?」

 

異空間を通り、サハラの空へと現れる、蛍光色の立方体。

それは球体やピラミッド状に形状を変化させながら、この世界そのものを解析し始める。

そしてやがてそれに巨大な穴が生じ、セイバーはその中心部へと吸い上げられた。

まるでブラックホールへと飲み込まれるよう。

彼女には抗う術が無かった。

 

「く、くそ、くそ!」

 

セイバーは自らの死を悟る。

彼女はそれでも、と足掻き、磔にされたランサーを叩き起こす。

もう死んでいる筈の彼女に、最期の最期で、巧一朗を託すためだ。

 

「おい、起きろ、ポンコツ!貴様が巧一朗のサーヴァントだと言うならば、死んでも、彼奴を守れ!」

 

ランサーはその一言で、死にゆく身体に鞭を打った。

何とか現世に意識を保ち、踏み止まる。

セイバーはその剣で彼女の拘束を取り払い、そのまま宙へと引き寄せられていった。

巧一朗の小さな肉体へと手を伸ばすが、届きそうもない。

ディートリヒは敗北した。

訳も分からず、ただ世界を蹂躙する機体の養分と成り果てる。

だが、それでも、彼女は笑っていた。

ディートリヒの伝説は、このような結末にはならない。

いつか必ず、世界を救う勇者となる。

彼女にはその確信があった。

だから、例え今、どれだけの屈辱に塗れることになっても、大丈夫だ。

巧一朗は必ず、必ず『耐えて』くれる。

 

セイバーは痛快に笑ってみせた。

ディートリヒ大王は不滅であると、世界そのものに知らしめるために。

そして、彼女は立方体に捕食される。

内部でサイコロ状になるまで切り裂かれ、解体。そして、座へと帰ることも無く、立方体の血肉となった。

 

「何が、起きている!?」

 

禮士はマーシャを庇うように立っているが、彼も、后羿も、セイバーの如く取り込まれることは無い。

故に、すぐさま禮士はバーサーカーへと命令を下し、宝具の発動へと至る。

だが、后羿の番えた矢は、瞬く間に消滅する。

上空の未確認飛行物体は、儀式の完了まで一切の攻撃を受け付けない。

彼らにはどうすることも出来なかった。

 

「マスター!駄目です!早く『糸』を切断して!」

 

グズルーンは何とか、亀のような歩みで巧一朗の元へと辿り着いた。

意識を失っている虚行虫。

彼女は空から降り注いだセイバーの血液の雨に塗れ、足を滑らせる。

それでも何とか、一匹の虫を抱き締めることに成功した。

 

「この世界そのものが……崩壊してしまいます。」

 

やがて、立方体は『セイバーを模した身体』へと変化し、グズルーンを黄金の糸で支配する。

だからこそ、彼女は最後の手段に打って出た。

巧一朗という存在を決して忘れない為に、この心だけは、世界に刻みつけようと。

縫合魔術には概念を結びつける力がある。

この『恋心』を『災害』と結びつけようとした。

虚行虫である彼が、いつか仲間を手にし、新しい未来を掴めるように。

彼女は既に死んでいる。それでも、巧一朗を最後まで離さなかった。

 

『ランサー、俺はオアシスで出会う仲間たちを助けたい、力を貸してくれ』

 

サハラで出会った、間桐巧一朗という男は。

大切な、美頼、鉄心、充幸、沢山の仲間たちのことを語ってくれた。

その楽しそうな顔を、グズルーンは決して忘れない。

開発都市オアシスを、滅ぼさせたりしない。

 

「マスター、召喚してくれてありがとうございました。貴方のことが大好きです。」

 

そして血溜まりの中で、何者かが目を覚ます。

それはセイバーの姿をしており、ランサーの恋心を利用する

 

名を『ディートリヒ・ヴェルバー』。

 

「君が私のマスターなのかな?」

 

言語能力を失った巧一朗を、彼女は愛おしそうに抱き締める。

そして巧一朗の意思も、願いも、恋心も、彼女により操作される。

まるで彼は彼女を愛しているかのように、仮初の愛を植え付けた。

 

「こういちろう、私と出会うために『生まれてきてくれて、ありがとう』。」

 

繋がった血液の色の糸は、決して解かれない。

ここから、彼らの物語は始まりを告げたのだ。

 

【時は現代へと戻る】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深層編9『□□□Ⅶ』

深層編、ついに完結です。
誤字や感想等あればご連絡ください!


開発都市第一区。

日本の古都京都を模して造られた城下町に、巧一朗とクロノは招かれる。

天空城塞から遠坂輪廻は一足先に帰還した。

始まりの聖杯である彼女の存在を誰にも悟られない為である。

クロノに手渡された紙媒体の地図を頼りに、二人は平坦な道を進んでいった。

道行く人間たちは皆、着物を着用しているが、これは第一区では当たり前の光景らしい。

巧一朗は知らないが、アインツベルンカンパニー当主のミヤビも、骨ばった身体でありながら、重量感のある十二単に袖を通している。

かつて二人ともが、第一区へと足を運んだことがあった。

だが馴染み深い土地で無いことは確かである。

理由として、第六区同様に、この地へと足を踏み入れるには専用の許可証が必要だ。

カンパニーや災害のライダーによって絶対的な安全を保障された町であるから、だけでは無い。

ここには、輪廻が鎮座し、オアシス本土の維持と発展を担っているのだ。

侵入者どころか、好意的な来訪者に対しても警戒の態勢を取るのは、至極真っ当だと言える。

ライダーが動く以前に、アインツベルンのオートマタ兵団が敵意を決して見逃さない。

博物館は対災害テロ組織であり、その怪しげな行動を悟られてはならないのだ。

巧一朗は物珍しさから、きょろきょろと辺りを見回した。

だがその行動はクロノによって制止させられる。

彼らは異邦人だ。目立つ動きは控えるべき。

 

「もうすぐ着くぞ。」

「あ、あぁ。」

 

二人の間に会話は殆ど無い。

つい数時間前までは敵同士だった間柄だ。

革命聖杯戦争という大仰な儀式の末、多くの人間の命を奪い、悲しみを連鎖させたクロノを、巧一朗は許すつもりが無い。

無論、博物館のエージェントである自身のことを棚に上げていることは承知している。

だが同時に、巧一朗はクロノという一人の人間に対し、深い興味を抱いていた。

言峰クロノ、その正体は災害のアーチャーこと『シグベルト』。

似ても似つかない風貌だが、クロノからは戦いに対する高潔さや誇りのようなものを感じ取れる。

マスターであるマナを救う為に、自らの命と、オアシス全ての命を犠牲にしようとした。

異常なまでの騎士道精神と、忠義の心が招いた災いだ。

ある意味、クロノはバーサーカーである。その信念はあまりにも狂気を孕んでいた。

彼はマナを、一人の女性として愛していたのだろうか?

きっと答えはノーだ。

そういう単純な物差しで測るのは、失礼だと巧一朗は認識する。

大切なヒトの希望を取り戻したいと思うのは、間違いであっても、認めざるを得ないだろう。

だが、彼の中でクロノを理解しようとしている内に、ある疑問へと突き当たった。

それは、隣人召喚に成功し、クロノを倒した直後の話だ。

遠坂輪廻が天空城塞へと現れる、それを察知した彼は、あろうことか自らを犠牲に、巧一朗を逃がそうとした。

副館長の任を降りた筈の彼が、部下ですらないどころか、明確な敵である巧一朗を救った。

それはクロノという男を考察する上で、未解決問題となる。

巧一朗はサハラの戦争を終わらせた、ある意味で張本人である男。

クロノは実際に、天還の儀のタイムマシーンで過去時空へと戻り、巧一朗を殺害しようとしていた。

殴り合いの末、何かに満足したのか、クロノはその大いなる野望をあっさりと捨ててしまった。

遠坂輪廻というジョーカーが存在する以上、仕方の無い話だ。

だがそれでも、不可解。

長い準備期間の末、桃源郷同時多発テロを巻き起こし、あらゆる災害を欺いた男。

シグベルトであったその時も、マナという少女を忘れなかった彼が、諦めるには少し早い。

こうしている間にも、もしかすると次の大事件を計画しているのかもしれない。

色々と考えあぐねる巧一朗に対し、クロノは毛先を弄びながら溜息をつく。

 

「考え事をしながら歩くと、躓くぞ。」

 

クロノの言う通りに、足先を滑らせた巧一朗は慌ててバランスを取る。

道自体はずっと同じだが、敷き詰められたコンクリートタイルはでこぼこと隆起していた。

まるで園児の破天荒さを諫める保育士のようである。

クロノは再度溜息を漏らすと、その場で立ち止まり、巧一朗の方へ振り返った。

 

「私の詮索は無駄だ。君が思うよりずっと、私は弱い存在だ。」

「シグベルトとしての力を持たないからか?」

「それだけではない。精神的にも未熟なのだよ。心配しなくとも、マジシャンのトリックの種明かしは既に終わった。もう鳩もトランプも出ては来ないよ。」

 

そう言い、クロノは肩を竦める。

元々、彼の計画には少々無理があった。

災害を欺くだけでなく、博物館館長や遠坂輪廻等、計画の障害足り得る存在の排除にリソースを割くことが出来なかった。

そして彼の言う未熟さ。

第四区博物館の副館長として、部下となる人物たちへ多少なりとも愛着があった。

今もどこかで戦っている充幸の直属の部下を、その手で殺害するのを躊躇した。

そして、隣人召喚に成功し、新たなるステージに立った巧一朗に、僅かばかりの希望を見出してしまった。

マナが救われることは無い。

クロノはマナを救えない。

だが、ようやくそれを飲み込むことが出来そうだ。

クロノは自らを『愚かな王(キングビー)』と称した。

いつまでも取りこぼした者へ執着する訳にはいかない。

時を重ね、ヒトは成長し、そして忘却する。

クロノだけが、マナという少女を心に留め、生きていく。

人間に出来ることは『それっぽっち』で十分なのだ。

 

「クロノ?」

「すまない、先を急ぐぞ。」

 

巧一朗はクロノの顔を覗き込む。

その両目は相変わらず、コールタールのように黒く濁っているが、

何故だろう、感情の機微が読み取れるようになった気がする。

得体の知れぬ存在では無くなった。

巧一朗はようやく元副館長として、彼を見ることが出来る。

信頼はしない。だが、彼のことを理解することはしよう。

サハラの地のよしみ、なのだから。

 

二人が向かう先は、アインツベルン城塞、一際目立つ第一区シンボルの天守閣。

……では無く、その近隣にある区立公園。

遊具が所狭しと並ぶ小さな場所に、成人男性二名が辿り着く。

ブランコで子を遊ばせている親は、二人組の怪しげな男たちを訝しんだ。

 

「クロノ、場所が違うと思うぞ。」

「いや、地図上ではこの場所だ。」

「どう考えても、只の遊び場だろう。俺とあんたが連れ立って来る場所じゃない。」

 

クロノは顎に手を当て、考え込む。

巧一朗は公衆トイレを借りに来た素振りで無害なことをアピールする。

すると親たちは再び子に集中し、遊ばせ始めた。

これで一安心、かと思いきや、彼の目の前でクロノが突如、ジャングルジムに登り始める。

大人が椅子代わりにブランコへ腰かける光景は漫画やドラマにもよくある。

だが軽快にジャングルジムを登り、頂上で堂々居座るのは異様そのものだ。

親たちも無表情でジャングルジムの王となるクロノに、開いた口が塞がらない様子だ。

巧一朗は彼を放置することが出来ず、恥ずかしい思いをしながら、クロノの元へ向かう。

 

「おい、クロノ!」

「ふむ、図面ではこの場所の筈だが、Ⅹ軸ではなく、Y軸か?この遊具がどこかの入口へと繋がっているとは考えにくいが。」

「ちょっ、クロノ!降りてこい!」

 

クロノは巧一朗の声に聞く耳を持たない。

お山の大将が如く、頂上に腰を下ろし、腕を組む。

彼の目線の先は、ブランコから、鉄棒、雲梯、スプリング遊具へと移っていく。

そして砂場と滑り台の近く、ドーム型遊具に目が留まった。

テントウムシの形状であり、その紋様の部分がぽっかりと空いている。

七つの穴から出たり入ったりを繰り返す、子どもであれば秘密基地のような楽しみ方が出来る遊具だ。

クロノはそこに目星を付けると、ジャングルジムから勢いよく跳躍する。

空中で一回転し着地したものだから、ブランコ付近にいる子ども達も彼の身のこなしに称賛の声をあげる。

親たちでさえ、クロノに対し拍手を送った。

だが彼がそんなことを気に留める筈も無く、テントウムシの遊具へと身体を滑り込ませる。

一つ一つ穴を調べていき、ようやく何かに辿り着いた。

 

「おい、クロノ。」

「特殊な結界だ。ヒトも魔術師も英霊も、これを踏破することは出来ない。例外を除いて、な。」

 

クロノは遠坂輪廻から手渡された、謎の鍵を穴の外から放り投げる。

そして巧一朗へと振り向くことなく、遊具の中へと消えて行った。

 

「お、おい!」

 

慌てて巧一朗もドームへと駆け寄るが、テントウムシは内部から淡く発光していた。

異次元的な空間へ、意を決しダイブする。

ブランコで遊んでいた子ども達が駆け寄った際には、既に門は閉じられていた。

親たちは消えた二人の男を、都市伝説的に語り継ぐだろう。

かくして、巧一朗とクロノは『第一区博物館』へと到達した。

 

第四区博物館とは趣が異なるサイバネティックな空間に、遠坂輪廻の展示物は至る所に浮かんでいる。

クロノは一つの本に手を伸ばすが、彼はそれを読み解くことが出来なかった。

この人類上に存在するあらゆる言語で無い、極めて特殊な言葉で記載されている。

巧一朗が触れた地球儀も、彼の知る島国の存在しない歪な惑星だった。

骨格標本は空の上を走り回り、宝石で満たされた道が、白い海に浮かび上がっている、太陽に似た輝きが少なくとも三つは存在するが、むしろ外気は肌寒く感じられた。

二人の常識がこの場所では通用しない。

 

「先程ぶりね、私の博物館へようこそ」

 

二人の前に、白い布を纏った遠坂輪廻が顕現する。

神父を自称するクロノが定義の出来ない、彼女とセカイの異常性は、『神』と呼称する外なかった。

それはきっと巧一朗にとってもそう。

だが彼に関しては、虚数海に漂う『隣人』をその目に焼き付けていた分、輪廻への耐性はあった。

 

「あら、二人とも落ち着いているわね。」

「少なくとも私は、言葉を失っているだけだ。」

「俺もビックリしているよ。これは、えっと……」

「私の固有結界『深層界曼荼羅』よ。プラトン哲学におけるイデア界に近しいものと捉えて頂いて構わないわ。私が残した『宮子曼荼羅』におけるオウバ界が、この空間そのものよ。貴方達が生きるパンバ界に一方的なアクセスと介入が出来るわ。」

「?」

 

巧一朗はぽかんと口を開けたまま固まっている。

出てくるワード全てが彼の理解を超えていると言える。

対してクロノは、髪をかき上げながら、独り言を繰り返していた。

彼なりに、この世界の構造を紐解こうとしている。

 

「あらゆる物質の実相が存在するオウバ界、なるほど、大いなる者とはイデアと同等の概念であった、か。宮子曼荼羅は研究を重ねるうちに、セカイ概念からヒト概念を説明する教材へと変化した…………それはそうだな、深層界曼荼羅から桃源郷へとアプローチが可能であっても逆は叶わない。永遠に解き明かされぬものに対し接触を図る方法を思案し続けた結果、元よりズレが生じた、それが答えか。」

「ふふ、良い線かも。」

「この千年余りの時代変遷で、日本の歴史を修正するが如く、改善された桃源郷歴が押し進められた。その道中、『朝廷』というシステムが再導入されたその時に、宮子と名付けられた、その程度のオチだろう。災害の統治システムが全てにおいて万能であったとは言い難いからな。だが千年あっても、深層界曼荼羅へ至るものはいなかった。もしそれが現れるとすれば……」

 

「今」

 

クロノと輪廻の声が覆い被さる。

彼女の提唱するイディンバの概念、ヒトの臨界を極めし者。

それは各々別の道から、深層へと辿り着く存在達。

いまキョトンと間抜け面を晒している間桐巧一朗、そして、輪廻が言う、都信華。

クロノは元災害として、輪廻の企みをほぼ理解した。

カナンの箱舟で桃源郷を地球から切り離し、どこへ向かわせるのか。

確かに、この世界の『英霊』では成し得ぬことだ。

 

「立ち話もなんだから、お茶でもしながらお話ししましょう。巧一朗とクロノ、二人の口からサハラの話を聞きたいわ。」

 

輪廻は砂浜の上にテーブルと紅茶を用意した。

打ち寄せる波に靴が濡れるかと思いきや、海の方が彼らから避けていく。

不思議な空間だ、と巧一朗は思う。

美頼はこういうファンシーな異空間が好きかもしれない、とひとりでに思った。

そして、二人は同時に、席に着く。

所々抜け落ちた記憶、忘れたい悪夢、忘れられない想い。

いつかの戦いを経験した者たちが、砂漠の思い出を持ち寄った。

誰にとってもそう。

ついに、あの戦いに向き合う日が来た。

各々は覚悟を以て、語り出すのであった。

 

【深層編⑨『□□□Ⅶ』】

 

「……とまぁ、こうして俺とセイバーの恋と戦いは終わりを迎えた。俺はセイバーを殺した災害を許さない。だから、こうして今復讐の為に生きていて……って、あれ?」

 

巧一朗のターン。

彼が話し始めてはや三時間余り。

輪廻は顔を伏せて爆睡し、クロノは先程の本の言語解析に注力している。

つまり、彼の物語に誰も聞く耳を持っていない。

 

「お、おい、クロノ、あと輪廻……さん。」

「輪廻で良いわよ。」

「あ、起きた。」

 

輪廻はゆっくりと伸びをし、肩をこりこりと回した。

クロノもテーブルに書籍を置き、大きく欠伸をする。

巧一朗は二人の態度に対し、不満を露わにした。

 

「俺の話、聞いていたのか?」

「長い」

 

クロノと輪廻は口を揃えて言い放つ。

誰が亜弥のストーリーから鉄道天体観測の旅まで、事細かに語れと言ったのか。

そして二人にとって質の悪いことに、巧一朗の記憶の一部はヴェルバーにより改竄されている。

そもそも六騎の英霊がセイバーただ一人を追い詰めた、と確信しているが、少なくともランサーはその時点で命を落としている。

輪廻は彼女のその後、ナナに現世へ繋ぎ留められ、何らかの処置の果てに『焔毒のブリュンヒルデ』へ名を変えたことは知っているが。

正しい記憶と偽りの記憶が混在し、整合性が取れていないが、巧一朗の中では一本の筋書きとなっているようだ。

だが、そもそも植え付けられた恋心だと彼に説明して、何になるのか。

諦めた二人は、退屈も相まって、各々暇を持て余すことになったのだ。

だが、一筋の希望があるとすれば。

彼の中に、本物のヒトらしい感情が芽生えているという事だ。

第四区博物館というテロ組織で出会った仲間たち、それは今の彼にとってかけがえのない財産である。

守りたいものを守る、それが今の彼のポリシーで、戦う意味。

ならばきっと、彼はヴェルバーに対しても、拳を振るう覚悟が出来るだろう。

巧一朗は虚行虫でありながら、沢山の人間や英霊との出会いを経て、人らしく成長した。

ディートリヒ・フォン・ベルンがその最初の導き手になったのであれば、彼は幸運の持ち主なのだろう。

 

「長いって、酷いな、もう。」

「だが、君の話を聞き、やはりディートリヒ・ヴェルバーは倒さなければいけない敵だと確信したぞ。」

「え、だから、俺の恋人だから!」

「それはさておき、これでクロノと巧一朗の話が終わって、全員の経験した『サハラ』は共有できたわね。」

 

クロノことシグベルトの語るサハラの記憶も、ヴェルバー出現までは巧一朗と一致している。

シグベルトという一人の剣士、そして王が、屈辱に塗れる物語。

マスターであるマナを、彼は救うことが出来なかった。

そして聖杯戦争に勝ち切ることも、また。

彼はライダーとキャスターの提案に乗り、桃源郷へと至った。

やがてシグベルトは理性を捨て去り、言峰クロノはこの世界に生誕することとなる。

彼らに共通していたのは、ランサーのサーヴァントが『グズルーン』であり、災害のランサーこと焔毒のブリュンヒルデに酷似しているということ。(巧一朗は本人の身体であると確信している)

だが、輪廻の語る戦争において、グズルーンは登場しなかった。

巧一朗とクロノはこれを疑問視している。

グズルーンをブリュンヒルデと見誤った訳では無い。

何故ならば、輪廻の語ったサハラのランサーことブリュンヒルデは、焔毒とは全く異なる容姿をしていたからだ。

そして遠坂輪廻は当然、その謎を解明している。

それが彼女の石像として眠りにつく前、虚数の海で間桐桜が警告した事案である。

 

「そろそろ教えてもらおうか、サハラの真実を。」

 

クロノは輪廻にそう切り出した。

桃源郷のシステムそのものである輪廻は、この世界の観測者だ。

彼女は全てを知り得、その上で、二人を第一区博物館へとスカウトしたのだ。

それがこの世界を救う為に必要なことだったから。

 

「その前に、もう一人の仲間、もしくは敵、アヘル教団セントラル支部左大臣の『都信華』について語りましょうか。巧一朗は第三区で彼女と戦闘を行った筈よ。」

「あ、あぁ。俺は招霊継承で令呪を捧げ、かの大英雄『源頼光』の力を受け取った。そんな俺でも勝てないと思わせる相手だった。」

 

巧一朗はその時のことを回想する。

信華は己の身体を殺傷の武器とし、相手の力量を即座に分析、未来を予測するかのような攻撃を繰り出してくる非常に厄介な相手だった。

巧一朗の縫合魔術の原理を完全に掌握し、それを見据え己の武術スタイルを変化させた。

そして童子切安綱がその肉体に突き刺さろうとも無表情、宝具でさえも、彼女の義手を含めた右肩を切り落とすに留まった。

あれが、人間。

信じられる訳もない。

巧一朗は身震いする。災害を前にしたときと同様の感覚だ。

巧一朗は信華の圧倒的な強さを、身振り手振りをつけながら話した。決して大袈裟に話しているつもりは無い。

クロノはアヘル教団の内情に詳しくない為、二人の会話を黙って聞いていた。

 

「都信華、かつて開発都市第五区アンヘル研究所の研究員だった女、何らかの事件を契機に、セントラル支部左大臣に任命され、災害のアサシンの寵愛を受ける。現在は第一区で教師をやっているわね。」

「第一区って、ここじゃないか。スパイってことか?」

「いや、災害のライダーも、私も、なんならアインツベルンでさえも、彼女は調査対象にしていない。基本的には招集されればそれに応じるスタイルのようね。実際、スパイ行為は苦手なんじゃないかしら。」

 

輪廻から開示された信華の情報。

冴えない研究者で、ヴェノムアンプルへの適性は無し。

だがアヘル教団の最重要機密とされる、とある事件を経て、実働部隊に加入する。

その強大な力であらゆる任務を遂行する。タイミングは不明だが、彼女の実親や恋人は彼女の手により殺害されている。

だが、いつの日か彼女は右腕を自ら切り落とし、災害のアサシンに献上。

その後は、義手を以て戦闘を行うも、現在は一線を退いている。

 

「でも、彼女の力はそれでも、求められ続けるわ。」

 

淡路島における革命軍ハンドスペードの一大蜂起には招集されて参加、三百余りの人と英霊を殺害し、欠地王ジョンの配下である人造災害『氷解のヴァルトラウテ』もまんまと破壊した。

そして革命聖杯戦争にも関わり、災害のアーチャーを一度殺し切るに至っている。

都信華の強さは、己の起源『進化』の覚醒者であるという点だ。

ヒトの限界を超え、戦闘の中で成長し続ける。肉体は環境と状況に適応し、余分な感情、思考回路は抹消されていく。

究極の孤独、それを埋めるのが彼女の神であるのだろう。

 

「災害すら凌駕する絶対的な力、私はこの博物館に欲しいと感じているわ、どうかしら?」

 

巧一朗とクロノは当然、難色を示す。

クロノにとって、災害のアサシンは決して許せない敵だ。その幹部で、あろうことか神と崇めている女を味方にする訳にはいかないだろう。

巧一朗に至っては、選択権の無いクロノと違い、第一区博物館の仲間になるつもりは無い。

彼には彼の、帰るべき場所がある。

 

「でもね、決めるのは巧一朗、貴方よ。」

「え、俺?」

「そう、生きて仲間になるのも、貴方が彼女を殺害、彼女を乗り越え、新たなるステージに立つのも、結果としては同じだもの。私はどちらに転んでも良いと思っているわ。」

 

遠坂輪廻は巧一朗に信華の件を託そうとしている。

無論、彼は反対した。

そもそも、巧一朗には信華と戦う理由が無い。

彼が倒したいのはあくまで災害だ。道草を食っている暇など無いだろう。

だがここで、クロノが反応を示し、沈黙ののち、口を開いた。

 

「何故、巧一朗なんだ?より神としての存在証明が可能である遠坂輪廻こそ適任だと思うが?そして、殺してもいい、というのも謎だ。仲間にすることの対極にある思考だな。君は私がアヘルに良い感情を持っていないことは知っているだろう。私ならばどんな手を使っても、都信華を葬り去るプランニングをするが?」

 

クロノの発言は正しい。

この三人の中で、信華を仲間に引き入れるなら輪廻が適任であるし、もし殺すならばクロノが適任である。

そして只の人間であるクロノだが、彼ならば如何なる手を使っても信華を抹殺できるだろう。

それは輪廻も認めている。

だが、それでも敢えて、間桐巧一朗に託す。

輪廻はその意味を告げる為、あるモノを取り出した。

 

「それは?」

 

布で覆われた円柱の物体。

彼女はそれを大事そうに抱え込んでいる。

クロノは関心のある眼差しで見守っているが、巧一朗はそうではない。

分からない、分からないが、悪寒が走る。

虫の知らせが作用した。

見てはいけないと確信するが、それを見なければ、話は進まないだろう。

輪廻はそれが何であるかを語り始めた。

 

「これは『水槽』よ。」

「珍しい魚でも入っているのかな?」

「美しい深海魚なら理想的でしょうね。でも違う。これはアヘル教団が隠し持っていた『最重要機密事項』よ。第五区に潜伏する私の仲間が命懸けで回収したわ。クロノ、貴方が天還被害者の会を暴れさせてくれたお陰でね。」

 

アヘルが隠し持つ、最重要機密。

それが今、遠坂輪廻の手の内にある。

災害のアサシンが第一区諸共、輪廻を滅ぼしかねない宝物を、彼女は独自のルートで入手していた。

 

「ふ、火事場泥棒か。そもそも他にも仲間がいたのだな。」

「と言っても、第一区博物館や遠坂輪廻の存在は知らないわ。ネットワークを通じて従えた日雇いバイトのようなものよ。災害のアサシンが管理し、ヴェノムサーヴァントでさえも、これに触れることは禁じられていた。」

「それで、水槽の中には何が?」

 

軽口を叩くクロノに対し、巧一朗は無言で息を荒くする。

見てはいけない、見てはいけない、見てはいけない。

彼の心がひたすらに信号を放つ。

だが、彼の目線は布に覆われた『水槽』に見事奪われていた。

好奇心と恐怖心が同居する不思議な感覚。

巧一朗は胸に手を当て、徐々に早くなる鼓動を感じていた。

輪廻はそんな巧一朗に対し、意味ありげな笑みを見せると、ブラックボックスの答え合わせをする。

 

「これは都信華が、災害のアサシンに捧げた『右腕』よ。チューブに繋がれ、今なおそのままの状態で保存されている。」

「腕、だと?」

 

災害のアサシンに自ら差し出した腕。

それは異常なまでの忠誠心から行われた儀式では無い。

彼女が自ら右腕を切り落とすのは、意味のある行為だったのだ。

今更損壊したヒトの部位に驚く二人では無い。

数多くの死体の山の上に、テロリストは立っている。

だが、それでも二人は、言葉を失うこととなる。

 

輪廻は布をゆっくりと取り去った。

その刹那、巧一朗とクロノは凍り付く。

それは一目でわかる『異常事態』であった。

何故、最重要機密であるか、そこまでを考察できる判断材料は無いだろう。

だが、それが機密であることの定義は、何となくだが察せられた。

 

暫くの沈黙の内、ほぼ同時に、二人はある部位に目線を移動させた。

 

「そう、気付いたかしら。」

 

気付くもなにも。

巧一朗だけでなく、クロノも固まっている。無理もない。

彼らが目線を移したのは、

 

巧一朗の『右腕』だった。

 

都信華の切り落とされた右腕、そして、巧一朗の右腕。

 

隣人召喚を経て、形状変化した歪な紋様の令呪一画、『全く同じもの』が刻まれている。

 

「マキリ製、である訳も無いな。あり得るのか?」

「いえ、全く異なる人間に、同じ形状の令呪が刻まれることはあり得ないわ。」

「じゃあ、どういうことだよ!」

 

巧一朗はテーブルを叩き、立ち上がる。

都信華の腕は、女性らしい白く艶やかなものだ。

だが、全く同じ位置に、芋虫にも似た不気味な紋様の痣が刻まれている。

どこをどう見ても、同じだ。

 

「どういうこと、なんだよ…………」

 

巧一朗は都信華を知らない。

ただ一度、拳を交えただけの間柄。

見た目も、体格も、年齢も、そもそも言えば性別も異なる。

何より、信華は人間で、巧一朗は虫だ。

信華のものは、只のタトゥーで、偶然の一致、そうに違いない。

彼はサハラの記憶とその矛盾、辿り着くべき真実を隠し、そう自己暗示をかける。

だが輪廻はそれを許さない。

彼女はただ淡々と、事実を述べたのだった。

 

「理由なんて、明白でしょう?」

 

 

『都信華の正体が、間桐巧一朗だからよ。』

 

 

巧一朗とクロノは、一言も発することが出来なかった。

これより、輪廻の口から語られる物語。

それは、エックスデイの真実と、そして…………

 

 

────もう一人の、間桐巧一朗の物語だ。

 

 

【深層編⑨『□□□Ⅶ』 おわり】

 

アリジゴク

どこまでも、どこまでも、落ちていく。

途方もない時間が流れた。

肌を焦がす外気で彼女は目覚める。

そこは桃源郷の誰も知らない、異国のようだった。

 

「あぁ、私は」

 

彼女の送った信号は無事届いただろうか。

であれば、まだ間に合うかもしれない。

もしアリジゴクが、パーティー会場への入り口だとするならば。

オアシスが手遅れになる前に、何とか生き延びなければならない。

そう決心し、彼女は立ちあがる。

だが、時すでに遅し。

既に彼女の霊核は、何者かに壊されていた。

胸元に突き刺さった聖剣には、見覚えがある。

金色の柄から伸びる、虹色の切先。

もはや手遅れだったのだ。

じきに彼女の命は尽きるだろう。

 

「起きた、起きた、起きた、起きた、起きた、起きた、起きた」

 

あらゆる建造物、あらゆる自然の見えぬ、砂の海。

彼女は無数の影に囲まれていた。

彼女を円の中心とし、舞い踊る人々。

彼らの正体は知っている。

 

「シムーン」

「おはよう、おはよう、おはよう、おはよう、おはよう、そして、さようなら」

 

空に浮かぶモノリスに、彼女の命は吸い取られていく。

いよいよ、時は来た。

シムーンは希う。

ディートリヒ・ヴェルバーの完全復活を。

彼女は生を諦め、力なく笑ってみせた。

 

「ここで終わりか?」

 

誰かの声がする。

それは彼女の内側から発せられた声だ。

それは桃源郷の抑止力だ。

災害を殺すために顕現し、数多の戦いを経て、アリジゴクから端末を招き入れようとしたもの。

隅の老人だ。

彼は彼女を嘲笑っている、ように思える。

歯を食いしばり、悔しさを露わにするが、どうにもならない。

桃源郷で、巧一朗たちと過ごした日々。

それは嘘では無かった筈だ。

どうして、こんな簡単に壊れてしまう?

憎き名探偵ならば、その謎を解き明かせるだろうか?

セカイを転覆させる大犯罪者が、敗北に喫する瞬間であった。

正義も悪も、どうでも良かった。

ただ愉快な彼らを揶揄い、下らない日々を送れれば、それでよかったのだ。

 

「そうか、ならばもうひと踏ん張りしてみるか?『モリアーティ』」

 

彼女は目を見開く。

ディートリヒの残滓と、そして抑止力である隅の老人が混ざり合った姿。

魂だけが、彼女の目の前に抜け出、現れた。

コラプスエゴ、複数の英霊が混じり合った存在が、直ちに分裂する。

何が起きた?

彼女はそれを理解できない。

 

「簡単さ、紐を解いたのだ。これより君は、ただの幻霊(ウォッチャー)だ。宝具もスキルも無い、彷徨えるくだらない命。」

 

隅の老人は、結んでいた『紐』を解いた。

風が吹けば吹き飛ぶ命を残し、彼だけはヴェルバーに捕食される。

彼女は、何故、と疑問を呈する。

 

「未練だらけ、なのだろう?」

 

隅の老人の、たった一度の気の迷い。

それはモリアーティをこの世界に残すことだ。

再度、アリジゴクを通れば、彼らの元へと帰還できる。

猶予は残されていない。

ヴェルバーが全てを滅ぼす結末もきっと変わらないだろう。

 

それでも

隅の老人は、敢えて選択を間違えてみた。

究極的な所で、彼も巧一朗を気に入っていたからだ。

 

「終局的犯罪(カタストロフ・クライム)、オアシスとこの世界を、完全犯罪で救ってみせろ、モリアーティ!」

 

そして隅の老人は、ヴェルバーの元へと旅立った。

二人のディートリヒは適合し、ついにヴェルバーは復活する。

だが、遺された彼女は、拳を握り締めた。

 

────皆の元へと、帰ろう。

 

エックスデイの襲来。

誰一人、取りこぼさず、世界を守るパーフェクトクライム、最高難易度のミッションが幕を開ける。

 

 

 

【深層編 完】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

信奏編1『エックスデイの真実 前編』

ついに新シリーズスタートです!
誤字、感想等ありましたらご連絡お待ちしております!


もしも俺に、何かを変える力があれば────

このような結末には、ならなかった筈だ。

 

「わらわの、勝ち」

 

アヘル教団トップクラスの実力を有する『沼御前』は、ヴェノムアンプル『空亡』の服用により、新たな姿へと生まれ変わった。

名付けるならば『完全災禍ソラナキ』。

第七の護国の英霊として君臨した彼女は、開発都市第四区を滅ぼした。

そして招霊継承によって最期まで戦った俺自身も、もう限界が来てしまったようだ。

あぁ、これが死ぬということか。

戦場には、先に命を落としたものの残骸で溢れている。

俺は、頑張っただろう。

ここまで、よく耐えただろう。

自分を慰めることでしか、自我を保つことは出来ない。

いっそ狂ってしまいたい、狂い果て、暴れ、無意味に死んでしまいたい。

でも、仲間たちはそれを許さない。

だから、頑張ったんだ。

守りたいものは、守れなかったけれど。

 

俺は博物館の入口前で倒れた。

身体から継承した力が消失する。

馴染み深い肉体へと逆戻りした。

最期の希望、令呪一画を残して。

 

「じゃあね、巧一朗くん?」

 

美しい女の原型すら無くなった沼御前は、全身から足を生やしムカデのようにフォルムチェンジすると、高速移動し、俺のレンジへと接近した。

そして鬼の腕で持った二メートル超の刀で、俺に止めを刺そうとする。

だが、振り下ろされた筈の得物は、俺に届く前に、何者かに阻まれた。

俺の身体に飛び散る多量の血液。

誰かが、俺の身代わりとなったのだ。

俺は恐る恐る顔を上げる。

淡い桃色の毛先。

とても優しい声色。

あぁ、どうして。

どうして…………

 

「充幸さん…………」

 

俺の上官で、俺の正体を知りながら、ずっと支えてくれた人。

俺を庇った結果、背中に斬撃を受け、全身が血に塗れている。

震える手で、俺を抱き締めた。

恐怖していたのだろう。

ただの人間が、英霊の戦いに割って入ったのだから。

死ぬのは誰だって怖い。

でも彼女は、その勇気で俺を救ってくれた。

 

「巧一朗さん、大丈夫、大丈夫。」

 

彼女の腕や首筋が、徐々に冷たくなるのが分かる。

あぁ、死ぬのか。

また、俺の前で、大切なヒトが死ぬのか。

俺はまた守れないのか。

どうして、俺は無力なのだ。

 

「大丈夫、大丈夫だから」

 

俺は彼女の背中に手を回した。

温かいものがゆっくりと抜けていく。

身体の芯から、徐々に凍り付く。

嫌だ

もう嫌だ

嫌なんだよ

俺は慟哭した。

涙を流すのは何度目か。

もうとっくに枯れ果てたと思っていたのに。

彼女はそれでも俺を抱き締め続ける。

 

「みさちさん」

「ありがとう、巧一朗さん。よく頑張った、本当によく頑張った。」

「みさちさん、しなないでくれ」

「…………」

「みさちさん、おねがいだから、ひとりにしないでくれ」

「…………ごめんね」

「やだ、ちがう、ちがう、たのむ、たのむ、おねがい、おねがいだから生きて、たのむ、たのむよ」

 

彼女は俺を抱く手を緩め、俺を突き飛ばした。

そして沼御前の第二撃。

それは彼女の首を跳ね飛ばす角度。

本当に死んでしまう。

本当に、死んでしまう。

俺は必死に腕を伸ばした。

届かない

決して届かない

頼む、神様。

お願いだから、俺はどうなってもいいから、充幸さんを助けてくれ。

お願いだから。

 

「巧一朗さん、ありがとうね」

 

直後に、鈍い音が聞こえてきた。

俺は目の前の悪夢を直視する。

それはあまりにも一瞬で、それでいて残酷だ。

そこにあるはずのものが、消えた。

 

「ああ」

 

充幸さんの首は宙を舞った。

跳ね飛ばされた勢いで、空へと。

切断された淡い桃色が先に、はらはらと地面へ落ちる。

そのあと、血液のシャワーが俺と沼御前に降り注ぐ。

充幸さんは最期まで笑顔のままで────

俺はただ蹲り、泣き喚くしか出来なかった。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

また、俺は失ったのだ。

俺の手はどこにも届かない。

何の為の腕だ、何の為の足だ。

肝心な時に役立たないじゃないか。

あぁ、どうして

俺はまだ、『生』に執着しているんだ?

 

「あぁあ、壊れちゃった」

 

沼御前は充幸さんの身体を踏み潰しながら、俺の目前に現れる。

そして奇怪な肉体から、英霊だった頃の裸の上半身を露出させた。

彼女は俺の髪を掴んで、無理矢理叩き起こす。

 

─────ここまでか。

 

俺は目を瞑る。

もう全てを使い果たした。

俺に出来ることは、もう無い。

もし、皆のところに行けるなら、もう、それで…………

 

「まだだよ、巧一朗君」

 

男の声が聞こえた。

頼りがいのある男の声が、俺を覚醒させる。

そして沼御前と同等か、それ以上のスケールを誇る巨体が、彼女目がけて空から降って来た。

ガマガエルのような本体に、縛り付けられた女性が生えている。

苦しみ喘ぐ声では無い。巨悪を挫くべく勇敢な雄叫びを上げる。

俺はその巨体から伸びた手により掴みとられ、沼御前の魔の手から救われたのだった。

衝撃により投げ飛ばされた俺を、白衣の男がその腕で受けとめる。

 

あぁ、まだ、ここにはいたんだ。

俺たちの仲間、桃源郷オアシスを救う為に立ち上がった人間が。

彼は俺をそっと降ろすと、眼鏡の曇りをハンカチで拭き取った。

 

「待たせたね、巧一朗君。」

 

「吉岡さん」

 

吉岡はその手の甲に宿る令呪の三画を全て使用し、自らのサーヴァント『アグネス・サンプソン』の強化を図る。

数多の敵を喰らい、成長を続けたコラプスエゴ。

ついにそれは六人の『護国のサーヴァント』に届き得る力を手に入れた。

その身体を構成する英霊たちは、皆が人間か動物として生を全うしたもの。

妖怪も、異形も存在しない。故に、完全災禍ソラナキに対抗出来る。

 

「クロノ副館長が先で待っている。君は行くんだ、巧一朗君。鬼頭鑑識官の為にも。沼御前は僕と彼女で止めてみせる。」

「っ…………」

「早く行け!」

「っあ、あぁ!」

 

俺は吉岡さんを置いて、走り出した。

全身から血が噴き出そうとも、尋常ならざる痛みに襲われようとも。

俺はまだ、諦めてはいけないらしいから。

生きているから、まだ、無様に生き残ってしまっているから。

走り逃げる俺を尻目に、吉岡さんは笑っていた。

 

アグネスの宝具が炸裂してなお、沼御前はしぶとく生き永らえた。

ムカデの肉体をアグネスの巻き付け、両手の槍で何度も斬りつける。

彼女は蛙の肉を分断し、その血を啜った。

破綻者としての機能を徐々に失っていくアグネス。

悲痛な叫びに、吉岡も唇を噛んだ。

アグネスには辛い選択だが、沼御前諸共宝具の爆発に巻き込んで、殺すしかない。

吉岡は眼鏡を胸ポケットに仕舞い込み、覚悟を決める。

 

「死ぬときは一緒だ、アグネス。」

「AAAAAAAAAAAAAAAAA」

 

まだ、護国のサーヴァントは暴れ回っている。

遺された希望は、クロノとそして、巧一朗。

彼らが世界を変えると確信しているからこそ、吉岡は安心して逝ける。

 

「頼んだぞ、二人とも」

 

ここは桃源郷オアシス。

六人の『護国のサーヴァント』が管理する都市。

ある日、護国のライダーが命を落としたことで、セカイは一変した。

 

護国のアーチャー『シグベルト』

護国のランサー『ブリュンヒルデ』

護国のアサシン『蛇王ザッハーク』

護国のバーサーカー『后羿』

 

四騎の神が、好き放題暴れ、理想国家は失墜する。

ヴェルバーが到達する前に、彼らの内部抗争により滅び去った。

これは、もう一人の巧一朗の歩む歴史である。

 

【信奏編①『エックスデイの真実 前編』】

 

開発都市第一区。

既に焼け野原となったその場所で、俺は相棒に再会する。

彼は解放軍へと指示を出し、護国の襲来に備えていた。

 

「クロノ」

 

俺は途中で合流した解放軍の一人に支えられながら、クロノの傍に寄った。

彼は普段の聖職者スタイルから一転、ミリタリーな服装となっている。

それが妙に似合わなくて、俺は思わず吹き出した。

 

「元気そうだな、巧一朗。」

「そう見えるか?」

 

クロノは俺の右腕に取り付けられたバイタルチェッカーを確認する。

数値は重症患者のそれだが、『代替』を駆使する俺にしてみればなんてことは無い。

それはクロノも理解している。だが、彼は敢えて俺に休む指示を下した。

そんな暇は無いというのに。

俺の抗議虚しく、医務室へと連行された。

仮設テントの割には、設備がしっかりしている。

桃源郷一の名医が味方に付いたおかげだな。

布団も無く、段ボールの上に寝転がるのみだが、贅沢は言っていられない。

俺はテント内で作業に没頭する白衣の女性に声をかけた。

 

「レイン」

「あら、巧一朗くん。お久しぶり。」

「『パーツ』を見繕ってくれないか?この身体もガタが来ている。」

「採集したオリハルコンでいいかしら?」

「あぁ、頼む。」

 

梅沢レイン。

予防医学のスペシャリストで、アヘル教団被害者の会の次長を務める。

かつて彼女の友人はアヘル教団の適正者テストで犠牲となった。

それからは、桃源郷一の名医の弟子となり、アヘルと戦い続けている。

天然気質なところがチャーミングポイントだ。

 

「何だ、巧一朗、レインの尻がそんなに気になるか?」

「どわぁ!いたのか!クロノ!」

「死の間際は性欲が盛んになるとも言う。君が人間らしく生きている証拠だ。」

「そういうものかね。」

 

俺は彼に対し、ヘラヘラと笑ってみせる。

精一杯の作り笑いだ。

俺の心は折れていない、そのことを彼にアピールする。

だがクロノは、曲がりなりにも聖職者だ。心の機微に気付かぬ筈も無かった。

 

「鬼頭鑑識官、吉岡のバイタルチェッカーから生命活動の停止を示す信号があった。」

「っ……」

「代わりにアヘル教団の最終兵器『完全災禍ソラナキ』の死亡も確認された。止めを刺したのは、アグネス・サンプソンと、遠方から宝具を放った護国のアーチャーだ。」

「護国のアーチャー、まさか───」

 

俺はクロノの胸倉を掴む。

彼は俺が怒ると理解して、状況説明を行ったのだ。

 

「シグベルトを操作して、アグネスごと討ったのか?」

「あぁ、そうだ。そしてマキリから拝借した令呪の全てを以て、コントロールの限界を迎えていた護国のアーチャーを自害させた。」

「てめぇ、仲間を……!」

「なら、君ならば何かが出来たのか?巧一朗。」

 

俺は言葉を失う。

彼の胸元に伸びた手は、だらんと垂れ下がった。

そうだ、その通りだ。

俺は沼御前に負け、そして、充幸さんをも失った。

俺には何も言う資格が無いじゃないか。

 

「クソ、クソ、くそぉ…………」

 

俺は無力だ。

美頼や鉄心がいないと、何も出来ない。

みんな、死んだ。

全員、死んだ。

俺は生き残った。

何故か、どうしてか、生き残ってしまった。

 

「『隣人召喚』、俺はその域に至れない。何もかも不足している。」

「そうだ、君は弱い。私と同じだ。」

 

俯いていた俺は、彼の言葉に顔を上げる。

涙こそ流していないが、悲痛な面持ちだった。

 

「こういうやり方でしか、救済を成し得ない。私は無力だ。」

「クロノ」

「シグベルトがいない今、私は遂に何も持たぬ人間となった。だが、崇高なる目的のために、この命を捧げると誓おう。」

 

クロノが立てた計画。

護国の目を掻い潜り、彼らの縄張りである天空城塞へと向かう。

そして天還の儀式を発動し、サハラの聖杯戦争前までタイムスリップする。

そこでテスタクバルを暗殺すれば、ミッションは完了だ。

サハラの目の開眼を阻止できれば、シムーンが暴れ出すこともない。

桃源郷で生まれた命の数々は消えてしまうけれど、クロノ自身も『無かったこと』になるけれど。

でも日本は滅ばない、正常な歴史となるだろう。

護国を名乗る彼らは、史上最悪の敵だ。

彼らの治世は案の定、私利私欲により崩壊した。

きっとオアシスそのものが、存在からして間違っていたんだ。

俺はクロノの意志に同調した。

仲間たちの死は無駄にはしない。

 

「巧一朗くん、これで大丈夫かしら。」

「あ、ありがとうレイン……って、これ!?」

 

俺は受け取ったものを見て、驚愕する。

それは護国のキャスターが纏っていた鎧の一部だ。

彼がライダーの後を追うように命を落とした際に、オアシスに置き去りにしたものだ。

まさか解放軍が回収していたとは。

 

「それを発見したのは、遠坂組の連中だ。」

「禮士たちが?」

「あぁ。私が第六区に留まっているとき、託された。禮士は君のことを案じていたよ。」

「禮士……っそうだ!遠坂組はいまどうなったんだ!?」

「現在も護国のバーサーカーと交戦中だ。状況は最悪と言える。」

「助けにいかないと!」

 

咄嗟に立ち上がる俺を、クロノは制止させる。

第一区と第六区間はもっとも距離がある。

クロノは、行っても無駄であると切り捨てた。

護国のバーサーカー『后羿』は間違いなく最強の敵だ。

今更、俺やクロノが向かった所でどうにもならないだろう。

理屈では理解している。

 

「もって一日だ。君の仕事は彼らの想いを繋ぐこと。今は休んでおけ。」

「…………」

「これは副館長命令だ。」

「……分かったよ。」

 

縫合を行ったのち、俺は不貞寝する。

クロノの指示は正しい。だが、感情が納得しないこともある。

これ以上、誰が死んだ、なんて話は聞きたくない。

それはきっと、俺のエゴなのだ。

 

俺はあまり睡眠をとらないようにしている。

それは必ずと言っていい程、悪夢を見るからだ。

あの日。

第四区博物館に、護国のランサーが飛来した。

俺と充幸さんは、運よく別の場所にいた為、助かった。

だが、中にいた者は皆、ランサーの青い炎で焼き尽くされた。

俺がその場所へ帰って来た時の、あの絶望。

遺体の原型も分からぬ惨状。

何度も、何度も、思い出す。

クロノの指示が無ければ、俺は、眠ることは無いだろう。

彼女らの声を、思い出してしまうから。

 

そして、三時間後。

爆音のアラートが駐在基地に轟いた。

何らかの危険が迫っていることを示している。

俺はすぐさま、クロノの元へと走った。

 

「起きたか、すぐに動くぞ。」

「残念ながら眠れなかったよ。で、何があった?」

「第六区に向けて、護国のバーサーカーによる三等太陽が発射された。被害規模は計り知れないだろう。場合によってはこの列島そのものが沈む可能性もある。」

「何だと?」

 

クロノは専用の通信コードで、遠坂組にアクセスを取る。

デバイスを経由した3Dモニターに、禮士の姿が映し出された。

モニター越しにも理解できる、異常さ。

あまりにも眩しい光が、彼の表情すら掻き消している。

僅かに読み取れるのは、禮士の背後に遠坂組全部隊が揃い踏みしていること。

俺は彼らの覚悟を察し、唇を噛んだ。

 

〈クロノ、聞こえるか?こちら衛宮禮士〉

「あぁ、聞こえているともさ。」

〈すまないな、俺たちは護国のバーサーカーに敗北した。空に浮かんだ光が徐々に近づいてきている。着弾まであと十分も無いだろう〉

「急ぎ逃げろ。まだそれだけの猶予があるならば、叶う筈だ。」

〈いんや、俺たちは最期まで戦うよ。恐らく被害は六区を超えて、二、三、四区まで広がるだろう。だが、お前達のいる第一区には届かせない。全サーヴァントでこの太陽に抗ってみせる。〉

「そうか。」

「おい、禮士、待ってくれよ!死ぬつもりだなんて、そんな馬鹿な…………」

〈その声は巧一朗だな。悪いが、眩しすぎてそちらの映像はよく見えないんだ。……すまんな、俺たちにはこうするしか選択が無いんだ。〉

「そんな……」

「では禮士、健闘を祈る。」

 

そう言い残し、クロノは通信を切った。

血も涙もない男、俺が彼をそういう風に非難できれば、どれ程良かっただろう。

クロノの気持ちは、俺と同じ。

また託されてしまったのだ。

 

「時間が無い。戦力は整っていないが、行くぞ。」

「あぁ」

 

俺とクロノ、解放軍の面々は駐在地点を後にする。

クロノの向かう先は、天空城塞へと駆けあがる『モスマン』を有するアインツベルンカンパニーだ。

 

そしてその頃、開発都市第六区。

最高戦力である『平教経』を筆頭に、生き永らえた者たちが集結した。

そこには、マキリもアインツベルンも、アヘルもいない。

純粋な遠坂組の軍隊のみだ。

龍寿は早期の段階で、区民をパークオブエルドラードから他区へ避難させることに注力した。

おかげで第六区に残ったのは、彼の愛すべき仲間たちである。

もし、エラルやミヤビ、博物館、敵であるアヘル教団とも手を取り合えていたならば、勝利していたかも。

…………なんて、有り得ない妄想ばかりしている。

太陽が落ちてきているなんて、夢にしか思えない。

今でも、頬をつねれば、悪夢から帰って来れると本気で思っている。

情けないことに、龍寿は弱い生き物だ。

だが、そんな彼を支え続けた者たちを、置いて行く選択はしない。

彼のヒーロー『仮面セイバー』ならば、どんな苦境でも諦めないだろう。

彼は管制室から全部隊へ向けてアナウンスした。

 

「皆さん、ここまで良く戦ってくれた!おかげで、区民の皆様を誰一人欠けることなく救うことが出来た!本当にありがとう!着弾まであと三分、英霊の足ならば、全力疾走で主人共々逃げ延びられる!生きる者は、全力で生き残れ!それ以外のものは、ソラへ向けて、宝具の発動準備に移れ!」

 

龍寿の合図に、全員が武器を構えた。

逃げる者はいなかった。

遠坂組としての誇りを胸に、彼らは最期の輝きを見せる。

 

禮士は英霊たちと共に立ち、そのときを迎えていた。

戦いの中で全ての令呪は使い切られ、今の彼には何の価値も無いと言える。

だが、一人生き残る気力も無かった。

彼の隣に立つ、愛する者へと手を伸ばす。

 

「あまたん、最期まで一緒だ。」

「禮士さま」

 

禮士は肩を引き寄せ、海御前の額に口づけをした。

最期まで、唇にする勇気は無かった。

そこが禮士らしいと、彼女は微笑む。

 

「禮士さま、愛しています。此方は本当に幸せでした。」

「あぁ、あまたん、俺も幸せだった。」

 

彼女はそっと手を離し、槍を構える。

そして二人に、眩い光が降り注いだ。

 

 

俺たちはアインツベルン城塞へと急ぐ。

当主であるミヤビ・カンナギ・アインツベルンは『スネラク』というコードネームを与えられた、アヘル教団の手駒であった。

故に俺たちが出来ることは、彼女を人質に取ること。

モスマンの翼さえ手に入れられれば、後は用済みだ。

当然、城下町の段階で、オートマタ軍が襲い掛かって来る。

解放軍が率先して彼らを引き付けることで、俺とクロノは門前まで辿り着くことが出来た。

だが内部には、ヴェノムサーヴァントが一騎、待ち構えていた。

大英雄アキレウスの力が迸る、快活な少女。

 

「ヴェノムライダー『アダラス』!」

「よくご存じですね。ならば私の強さも理解できるでしょう。」

「あぁ、相手にとって不足はない!」

 

俺はクロノを先に行かせて、アダラスと対峙する。

彼女は武士道を重んじているのか、クロノを後ろから討つことをしなかった。

あくまで残された俺と向き合い、得物を構えている。

 

「(令呪はあと一画……ここで使い切るには惜しいが……)」

 

俺は指先から糸を垂らし、城内の大木や瓦屋根に結びつける。

勝つことは目的じゃない。俺の役目は時間稼ぎだ。

糸を断ち切られぬよう、幾重にも複雑に伸ばす。

俺の『代替』がどこまで通用するか。

 

「行きます!」

 

アダラスが意気込んだその瞬間、彼女は俺の視界から消えた。

そして一秒と経たぬ間に、俺の背後を取っている。

テレポーテーションかと思われるほどの、絶対的な速度。

俺の目では、彼女を捉えることは出来ない。

 

「しまっ」

「遅い!」

 

振り返る間も無く、俺は彼女の超人的な脚力で、空へと蹴り飛ばされていた。

繋がれた糸を手繰り寄せ、何とかリングアウトを阻止する。

護国のキャスターのオリハルコンが無ければ、胸椎から腰椎にかけ、粉砕骨折していただろう。

俺は冷や汗をかきながら、彼女の前へと舞い戻った。

 

「力を入れ過ぎて危うく殺してしまう所でしたが、貴方の身体はとても固いのですね。」

「危うく?殺すつもりじゃないのか?」

「私は、ヒトは殺せません。その度胸が無いから、護国先生に見放された。」

「そうか、アヘルも色々あるのな。」

 

殺されないなら好都合だ。

俺は瓦屋根へと飛び移り、彼女の次なる手を待つ。

どうせ動きは速すぎて見えない。なら、思考パターンを読み解くしかない。

砂利道へと糸を垂らし、根を張る様に伸ばしていく。

俺の動きを、彼女も見ているようだ。

魔力で編む糸、目視では確認できぬほど細く、より細く。

アキレウスならば、俺の動きは読まれているだろうか。

彼女は、俺をどう捉えている?

再び、俺の視界から彼女が消える。

目で追う必要はない。俺の背後は守るべき城、地上は俺の仕掛けた罠だらけ。

ならば必ず、上空から襲い掛かる!

俺は日本の大木に仕掛けた糸を手繰り寄せる。

そして魔力を壮大に使用したフルパワー砲丸投げを実行した。

日本の大木が宙を舞い、上空から高速で落ちてくるアダラスをプレスした。

彼女は両側から飛んでくる物体に気付き、即座に退避の姿勢を取る。

だが俺はそれを許さない。

 

「え?」

 

葉脈のように広がった回路が、両足を光で満たす。

俺は全力で瓦屋根を蹴り、空へと跳び上がった。

そして退避したアダラス目がけて、ジャンプキックをお見舞いする。

オリハルコンの圧倒的強度が、ここにきて役立つだろう。

彼女は腹部に激しい損傷を受け、地に落ちる。

そして俺はバランスを崩し、当然の如く落下。

砂利の中へ頭からダイブし、額が血に塗れる。

糸も解れている。アダラスが立ち上がる前に何とかしなければ。

顔を上げた俺は態勢を整えようとするが、目前に負傷した筈のアダラスが佇んでいた。

俺は咄嗟に距離を取ろうとするが、彼女の足で踏みつけられ、身動きが取れなくなる。

 

「な、何で!?」

「ごめんなさい、正々堂々の勝負を考えると、私の反則負けでしょうね。」

 

彼女は一切の傷を負っていない。

そこで俺は思い至る。

アキレウスの不死性、そして無敵性。

踵という唯一の弱点を除き、アダラスには一切の攻撃が通用しない。

これは彼女が激しい鍛錬の末、会得した力だ。

今の彼女はアキレウスの力を約七十パーセント引き出せている。

 

「命の奪い合いだからな、反則もクソも無い。あんたが殺さずの誓いを立てていなければ、俺は今死んでいるだろう。」

「そうですね。」

「殺さないなら、俺は致命傷を負うまで、ここで暴れてやる。元より俺の役目は、クロノを進ませることだ。」

「…………どうして」

 

アダラスは俺から足を離し、武器を置いた。

敵を前にして、隙だらけとなる。

アキレウスの不死性があるからか、それとも……

 

「世界はもう、滅びます。護国先生の願いは叶わない。」

 

ヴェノムは利用され、使い捨てられた。

そうして、彼女の愛する『先輩』も命を落とした。

遺された命は数少ない。生きろとも、死ねとも、命じる者がいない。

アダラスは、だからこそ第一区に来た。

ミヤビなら、何か答えを用意しているかもしれないと。

だがそれは過ちだった。

スネラクはとうの昔に狂い果てている。

ひとり城へと閉じこもり、世界最期のおままごとに興じているのだ。

アダラスには、かける言葉が思い付かなかった。

だから、せめて狂ったかつての仲間を保護することにしたのだ。

 

「世界は、滅びます。護国の英霊たち、そして『蛇王ザッハーク』によって。生き残る未来はない。だから足掻く必要なんて……」

「ある。諦めなければ必ず。あんたは徒競走で他の者がゴールした後、どうせ最下位だ、と言って走るのを辞めるか?」

「い、いや」

「全力で踏ん張れば、見える景色が変わることもある。応援してくれた人の気持ちも背負って、ゴールテープを切るんだ。やり切った後に俺は死ぬ。道半ばってのは悔しいからな。」

 

俺は報いなければいけない。

ここまで走って来れたのは、バトンを繋いでくれた皆がいたからだ。

なら、俺は俺の仕事を終わらせ、クロノにバトンを託す。

人間として生きるというのは、きっとそういうことなんだ。

 

「悪いが、俺は彼を追う。止めたければ、止めろ。」

 

俺はフラフラと立ち上がり、城内を目指した。

その間、アダラスが引き止めることも、攻撃してくることも無かった。

 

「向いてないよ、アダラス」

「…………そうでしょうね、本当に。」

 

 

俺は城内を駆け上り、天守閣最奥へと辿り着く。

そこで俺は傷だらけのクロノと相対した。

 

「クロノ!!」

「遅いじゃないか、巧一朗。」

「ミヤビにやられたのか?」

「あぁ、襖の先にいる。」

 

俺は頭に血が上ったまま、畳部屋へと押し入った。

そこにはモスマンの姿は無く、一人の少女が怪物と一体化していた。

見たことがある。

あれはたしか、ロウヒが召喚した最悪の魔物『イクトゥルソ』だ。

無限に伸びる触手が特徴的な、スライム上の海魔である。

その巨大な口に飲まれたら即死。

触手に絡めとられぬよう、距離を取りつつ戦わなければならない。

クロノの奴、良く生き延びたな。

俺は令呪の使用を視野に入れ、戦闘態勢を取った。

気になるのは、ミヤビ本体の生存の有無である。

金の長い髪が垂れ下がり、表情がくみ取れない。

そういえば俺、アインツベルン当主の顔を知らないな。

龍寿は禮士、エラルは充幸さんを通して知っているが、アインツベルンとは何ら関わりが無かった。

触手の胎動が始まり、捕食者としての顔を見せる。

イクトゥルソの巨大な口から、二リットルもの涎が零れ落ちた。

俺は奴に気付かれぬよう、部屋中に糸を伸ばし、罠を巡らせる。

アダラスの時と異なり、気休めにもならなさそうだな。

 

「あぁああぁああ」

 

苦しげな声を上げる少女。

ヴェノムアンプルは使用者によって『馴染むか』の度合いがあると聞く。

直感的に、肉体の主導権が少女で無く、海魔にあると悟った。

クロノが意図的に暴走させた?

いや、命の危険が大きすぎる。

少女は覚悟を以てアンプルを注射したのだ。

こうなると知ってか、知らずか。

 

「楽にしてやる。」

 

俺は触手の飛ぶ方向を予測し、蜘蛛の巣の要領で捕縛を試みる。

必要なのはモスマンの翼、彼女を説得する為には、まずイクトゥルソを止めなければ。

招霊継承、今必要な英霊は、少女を救う誇り高き騎士だ。

そう、まるでセイバーのような。

 

「あああああああああ!」

「っ……!?」

 

全方位からの攻撃。

あまりにも早い、そして正確に、俺の心臓に狙いを定めている。

予測通りだが、これでは糸が間に合わない。

アダラスといい、ヴェノムは厄介な輩の集合だな。

俺は素早く後退し、四本の触手を糸で縛り上げる。

だが、無限の手を有する魔物は、肉体から更に腕を生成した。

千手観音も驚きの、全身から生え出る手。

薄気味悪さは海御前と同じだ。

 

「あああ」

「キリが無さそうだ。」

 

俺は最後の令呪に祈りを込める。

虚数の海への三度目のアクセス。

必要なのは、悪を葬る絶対正義の剣。

全ての触手を焼き切る火力だ。

少女だけを都合よく救える力、物語の主人公ならば、それを為し得る資格がある。

救済の物語、ならば……

 

「あ…………れ?」

 

少女はここにきてようやく、その顔を上げた。

そして俺を見て固まる。

かく言う俺自身も、彼女と同じ反応をしていた。

呆気にとられ、継承の儀式を忘れてしまう程に。

 

「美頼……………………?」

 

長い髪の所為で気付かなかった。

そこには、既に命を落とした筈の友がいる。

俺は開いた口が塞がらなかった。

どうして、ここに?

生きて、いたのか?

 

「美頼なのか?美頼?」

 

俺はイクトゥルソの存在を忘れ、少女へと手を伸ばし、近付いていく。

ここで肉体の主導権は海魔から少女へと移ったのか、あらゆる攻撃が止んだ。

美頼らしき少女はなおも固まったままだ。

 

「どうして、生きて、美頼……」

「コーイチロー」

 

俺は彼女の目の前に立つ。

そして剥き出しとなった上半身をゆっくりと抱き締めた。

会いたかった。

俺の大切な友達。

こうして、生きてる、生きてる、生きてるんだ。

 

「…………っ」

 

待て

間桐巧一朗、待て。

辞めろ。

フィクションに踊らされるな。

違う

違う

違う

違う

美頼じゃない

この女の子は美頼じゃない

俺の知る美頼じゃない

いつも、じゃれついて、俺に抱き着いてきたから

分かる。分かってしまう

美頼のことを、きっと俺は誰よりも知っている。

だから、違う

 

「コーイチロー」

「……っ!違う!美頼じゃない!お前は誰だ!」

 

俺は知らなかった。

倉谷美頼は、アインツベルン当主である倉谷未来のドッペルゲンガーなのだと。

ホンモノは、こちらだったのだと。

でも、俺が博物館で知り合い、共に戦い、共に笑い合った彼女こそ、俺にとってのホンモノだ。

だから、俺は少女を拒絶する。

美頼は死んだ、死んでしまった。

もう二度と、俺は彼女に会えない。

 

「っ…………」

 

俺は、泣いていた。

知らぬ間に、頬を涙が伝っていたのだ。

何故だ。

俺はどうして、この少女を美頼と思い込んだ?

彼女はもう、いないのに。

生きていて欲しいと、心の底から願ってしまった。

 

「コーイチロー」

「っ、ごめん、すまない、昔の友人に似ていたもので」

「コーイチロー、ごめんね。」

 

未来は、巧一朗を知っていた。

美頼を通して、ずっと彼を追ってきたから。

急行列車で救われたあの日から、ずっと恋焦がれていたのだから。

でも、それは一方的なもの。

彼は倉谷未来を知らない。

彼の友は、美頼だ。

自分では無い。

そう認識した時、ミヤビはある決意を下す。

アダラス同様、護国のアサシンに見捨てられ、守るべきものを失い、共に戦う部下も消え去った。

でも、最期の最期に、巧一朗が会いに来てくれた。

イクトゥルソは再び、未来の意識を乗っ取り、彼に襲い掛かるだろう。

彼を傷つけ、果ては殺してしまうかもしれない。

それは、とても悲しい、とても辛い。

 

「コーイチロー、モスマンはもういない。協力できなくてごめん。」

「え……あぁ、でもどうしてそのことを?」

「ずっと見てたから。」

 

この最奥の間で、貴方に恋していたから。

 

「ごめんね、大好きだよ。」

 

ミヤビはイクトゥルソの触手で、自らの心臓を穿つ。

正確に、確実に。

 

「(これで、ちゃんと死ねた。)」

 

ヴェノム形態が解け、少女は崩れ落ちる。

俺は彼女の元へと駆け出した。

理由も分からぬまま、少女は命を絶った。

会ったことの無い少女、その筈なのに、俺の胸はこんなにも苦しく痛む。

俺は彼女を抱き留め、声をかけ続ける。

だが、もはや手遅れだった。

少女は、とても幸せそうな顔で永い眠りについた。

 

「なんだ、なんなんだよ、どうして…………」

 

どうして、こうなる?

何か得体の知れない理不尽さに苛まれ

多くの仲間が死に、世界は崩壊する。

何故だ。

なんで、なんで、なんで

全ては、護国のサーヴァント達の所為だ。

奴らが俺たちの暮らしや幸せを滅茶苦茶に荒らしたんだ。

 

「何が、護国だよ」

 

国を守る、と書いて、護国。

まるで正反対だ。

 

「護国、じゃない、奴らは『災害』だ。」

 

災害のサーヴァント。

俺は彼らに最大限の敵意を向ける。

セイバーも、美頼も、鉄心も、充幸さんも、みんなが死んだ、みんなが殺された。

 

「行くぞ、クロノ」

「…………あぁ、巧一朗。」

 

俺は必ず、歴史を変える。

俺の、間桐巧一朗の復讐劇だ。

 

【信奏編①『エックスデイの真実 前編』 おわり】

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

信奏編2『エックスデイの真実 後編』

大変長らくお待たせしました。
休載は終了しますが、転職先の忙しさから不定期更新となります、申し訳ございません。
誤字等ありましたらご連絡ください。


〈クロノくん!巧一朗くん!今すぐそこから離れて!護国のランサーが来る!〉

 

レインからの通信

俺とクロノはアインツベルン城塞を離脱し、途中で戦意喪失したアダラスを拾い上げる。

護国のランサー『ブリュンヒルデ』はミスリルの槍を扱う北欧神話の戦乙女だ。

彼女は護国のライダー、キャスターが死したのち、自らの意志で、桃源郷の敵となった。

それまでは日の当たる場所にすら現れなかった彼女が、開発都市第四区を憎悪の炎で焼き尽くしたのだ。

俺の仲間たちを殺した女。

絶対に許さない。

 

「巧一朗、今の私達には彼女と戦う力がない。理解しているな?」

「あぁ、勿論だ。」

「まずは逃げ延び、生き残ること。そうすれば自ずと希望は見えてくる。」

 

俺たちは複雑に入り組んだ城下町で、二手に別れた。

計画を遂行するのはクロノ、護衛としてアダラスが彼をサポートしてくれることになった。

そして俺は囮だ。護国のランサーを引きつけ、そして必死に逃げおおせる。

第一区から遠ざけることが出来ればベスト。だがそこまでは叶わないだろうな。

 

〈第一区上空から飛来!三、二、一!来る!〉

 

俺は木造家屋の瓦屋根へと飛び移り、降り注ぐ隕石を確認する。

本来、護国に対して、充分に距離を置く必要はあるが、陽動に徹する俺は敢えて接近する。

護国のランサーが舞い降りた周囲十メートル圏内は既に焦土と化した。

そこには第一区民の暮らしていた跡があった筈である。

こうも容易く、奪い去られるとは。

彼女の有する巨大な槍を目印に、俺は無防備にも近付いていった。

 

「ブリュンヒルデ……」

 

あまりにも整った顔の美少女。触れたら壊れてしまいそうな雰囲気を醸し出す。

でも、壊れるのはむしろ人間や世界の方だ。

第四区の仲間たちは、この女に燃やし尽くされた。

美頼は、どれだけの苦しみを味わったのだろう。

歯を食いしばり、護国のランサーを睨みつける。

 

「あら、ごきげんよう。」

 

俺の存在を察知した彼女は、あろうことか淑女の優雅な笑みを向けた。

敵意では無く、慈愛。

小動物を愛でるような柔らかさ。

俺の殺意など、彼女にとっては酷くちっぽけなものなのだろう。

怒りの沸点に到達するのは、時間の問題だった。

 

「何故、多くを殺した?護国のランサー。」

 

俺は問いを投げかける。

同じ護国でも、アサシンやバーサーカーの行動の方がまだ頷ける。

明確な人類の敵として立ち塞がったのだから。

だが彼女は、自身の力を誇示することはしなかった。

試練を与えることもしなかった。

ただ力なき者を虐殺した。

理由が知りたい。

英霊の手に余る程の力を有して、王にもならず、支配者にもならず、アリをひねりつぶす遊びに興じる心理。

俺には到底理解できぬものだ。

 

「恋をしていたから」

 

その答えは、俺の想像外のものだった。

 

「可愛らしい女の子も、素敵な男の子も、皆が誰かに恋をしていた。心からの花束を贈りたいと願っていた。」

 

鉄心は、学生時代からの恋人がいると言っていた。

美頼は、かつて俺を好きだと言ってくれた。

俺は彼女の気持ちに応えることが出来なかった。

俺には無い感情。ヒトがヒトを想う心。

 

「だから、燃やしました。実らざる愛で傷付かない為に、芽吹いた愛が枯れない為に。永遠に美しいままに。」

 

護国のランサーは愛を求め、愛を欲し、愛を燃やし、愛に飢える。

異常なまでの特殊な恋愛観により、恋する人間や英霊を青い炎で灰にする。

そうやって、希望ある若者を無為に殺し続けた。

どれだけの人間が犠牲になったのだろう。

 

「っ……」

 

俺は彼女の言葉を理解することが出来なかった。

ただ一つ言えること。

護国のランサーは絶対に許してはならない邪悪であるという事だ。

俺は美頼の笑顔を思い出し、血が滲むほどに唇を噛み締めた。

 

「絶対に殺す」

 

俺は自身の感情を抑えられぬままに、彼女へ向けて走り出した。

これまでに感じたことの無い限界を超えた憎しみ。

余りにも無謀な突進は、時間稼ぎの目的を果たせぬものだ。

俺は持てる全ての魔力を拳へと集中させる。

葉脈のように広がる線が光り輝き、彼女の頬へと突き刺さった。

だが、傷一つ与えることは出来ない。

英霊も傅く護国の絶対性、一介の魔術師で超えられるものでは無い。

むしろ、砕け散るのは俺の方だ。

彼女は鬱陶しそうに払い除け、俺の左腕を長槍で切り落とした。

衝撃で彼方へと吹き飛ぶ左腕。

俺は今、欠損したことを認識することすら出来なかった。

遅れて吹き出る血液によってようやく学ぶ。

俺が相対している敵の大きさ。

ただの虫風情では、何も変えられないという事を。

 

「ごめんなさいね。」

 

ブリュンヒルデは平謝りしたのち、俺の両足を切断した。

縫合魔術が間に合わない。

素材となる筈の全ての物質が、瞬く間に燃やし尽くされる。

俺の胴はクレーターに埋まる様に転がった。

僅か二秒。

僅か二秒で決着は付けられた。

 

「あぐ……ぅ…………」

 

想像を絶する痛み。

これは何も、切断されたことだけに留まらないだろう。

復讐を果たせないどころか、無様に弄ばれる痛み。

心の内側から闘志が凍り付いていく痛みだ。

何も出来ない。

俺は、相変わらず、弱者なのだ。

 

「さようなら、勇敢なヒト。」

 

ブリュンヒルデが左手を翳すと同時に、俺の身体に青い炎が灯る。

徐々に、徐々に、心臓へと燃え広がっていく。

肌は爛れ、臓器は腐り落ち、僅かな希望も塵となる。

あぁ、畜生。

チクショウ、チクショウ、チクショウ

どうして俺は弱い。

何故、俺はこんなに弱い。

誰も守れない。

何も救えない。

自分の、大切な居場所、俺の本当の帰る場所。

全部が、夢だったとでもいうのか。

俺は残された右手でブリュンヒルデの足を掴む。

彼女は、今度は払いのけることはしなかった。

死に損ないの、最期の執念。

白い肌に、指を食い込ませる。

この痛みを忘れるな。

蚊に刺された程度だとしても、この痛みを決して忘れるな。

護国のランサー、絶対に忘れるな。

俺は必ずお前に復讐する。

 

そして俺は死んだ。

そう、結論付けられる筈だった。

 

【信奏編②『エックスデイの真実 後編』】

 

「く……うん?」

 

俺が目覚めると、そこには安堵した表情のクロノが座っていた。

彼の隣には、心配そうに覗き込むアダラスがいる。

俺は状況を理解できず目を何度も擦った。

 

「黄泉の国?」

「残念ながら、ここは現世だ。地獄よりも地獄だよ。」

「どうして、俺は……」

 

俺はゆっくりと起き上がる。

護国のランサーとの戦いで消失した筈の四肢が、元通り。

傷も痛みも一切ないときた。

縫合魔術が間に合う状況では無かった筈だ。

クロノが救ってくれたのか?

俺の疑問に、クロノは首を横に振る。

 

「奇跡が起きた、と言えるだろうな。」

 

俺は彼の手を借り、ゆっくりと立ち上がる。

失われた筈の両足が存在する。

アダラスが所持していた義足が、縫合されたものだ。

無意識化で魔術が行使されていたのか。

まだ虚行虫の核は無事だ。左手は欠損しているが、まだまだ戦えるだろう。

俺はアダラスに支えられながら、クロノが指さす空の上を眺めた。

二つの小さな人影が、ぶつかり合い火花を散らしている。

その一人は、護国のランサー。

もう一人、俺たち人類側として、戦ってくれている。

俺はその『希望』を知っていた。

高揚するクロノの心が、誰よりも理解できる。

 

「生きて、いたのか?」

「あぁ。そのようだ。」

 

『彼女』は革命軍と、解放軍、両者の希望であり、象徴だった。

護国との戦いの最前線に立ち、そして道半ばで命を落とした。

どれだけの命が彼女によって救われたことだろう。

俺とクロノは同時に、彼女の名を叫んだ。

桃源郷の抑止力(ヒーロー)、その栄誉ある名を。

 

「ファフロツキーズ!!」

 

桃源郷の救世主『ファフロツキーズ』。

クロノのサーヴァントとしてオアシスの全ての区民を守り、護国の英霊二騎の災具を受け、消滅した。

極めて特殊なエクストラクラス『アイドル』の霊基により顕現し、ツキちゃんのあだ名で皆から親しまれていた。

懐かしいな。

俺の目頭は熱くなる。

俺もクロノも、大空を支配する彼女を希望に、これまで戦い続けてきたのだ。

 

「魔女っ娘アイドル『ツキ』?」

「良く知っているな、アダラス。第五区でも有名だったのか?」

「まぁ、動画サイトで見ない日はありませんでしたから。アヘルは彼女を激しく嫌っていました。」

「それはそうだ、今は無き革命軍、並びに俺たち解放軍の象徴たる人物だったからな。」

 

そして、クロノにとっては家族同然の存在。

故に、彼女の死は彼にとって未だ受け入れがたい事実だった。

だが、こうして再会した。

クロノの薄暗い目には、確かに光が宿っている。

 

俺とクロノの叫びは、天空にいるツキに届けられていた。

彼女はいつもながらの営業スマイルで俺たちに手を振る。

変わらない笑顔、あれは本物のツキ、間違いない。

俺たちの熱い視線に対し、彼女は照れ笑いを浮かべ頬を掻いた。

 

彼女は一度、確かに命を落とした。

だが、彼女を求める全ての声が、ファフロツキーズを修復した。

彼女自身、これは奇跡だと認識している。

ならばこそ、ファフロツキーズは決意した。

与えられたこの命は、今を生きる人間たちの為にある。

彼女は護国のランサーの宝具を軽く往なし、よりソラへと駆けあがる。

天空の支配者、それこそがファフロツキーズ。

護国のランサーでは届かない領域へ到達した。

 

「貴方は、何者?」

「理想郷(ゆーとぴあ)からどこまでも!魔女っ娘アイドル『ツキ』ちゃん参上!みんなのハートにきらりんめてお!」

 

ツキはポーズを決めるが、護国のランサーは無反応。

きっと古臭いと思っている。違いない。

ツキは咳払いをし、居直ると、不敵な笑みを浮かべた。

 

「くだらない、そう思っただろう?」

「そうですね。」

「ヒトを指先一つで殺せる私が、ヒトの領域まで堕ちたことを嘲笑う。神に等しき護国ならば、そうすればよい。」

 

ツキはヒトの可能性を知っている。

泥臭さも、意地汚さも、前進を続ける愚かさも知っている。

全てを踏まえて、彼女は彼らを愛した。

人間の心のサイリウムを、照らす道を選んだのだ。

同じ支配者の立場に居ながら、護国とは袂を分かつ。

ファフロツキーズは、言峰クロノと、全ての区民の笑顔を取り戻すためにこそ戦う。

 

「だが、今この桃源郷における『神(アイドル)』は私だ。いい加減、海の底へと落ちていけ。」

「…………っ!」

 

ファフロツキーズは両手を広げ、高らかに笑った。

天空から広がる虹彩の輪。彼方より出現する魔剣、聖剣の類が、護国へと狙い定める。

その数は人の目には観測できない。文字通りの無量大数。

一つ一つが絶対的な勝利を齎す宝具である。これは神さえ葬る圧倒的物量の一撃。

「天空よりの超常落下現象(ファフロツキーズ)」、彼女の真骨頂はここにある。

 

『怪雨(フォールダウン)』

 

ファフロツキーズがその絶技を放つと同時に、宙に浮かんだ護国のランサーに宝具の雨が降り注ぐ。

一点直下の物体落下現象。

止めどない殺戮の嵐に、ブリュンヒルデは宝具を以て対抗する。

『死がふたりを分断つまで(ブリュンヒルデ・ロマンシア)』

 

だが、無意味。

宝具を使用する彼女自身すら気付いていたことだ。

ブリュンヒルデの一撃に込められるのは『愛』という感情。

人々への心からの愛情が、槍へと込められ膨張する。

だが、ツキに対して、彼女は感情を抱くことが出来ない。

虚無。

何故ならば、ツキはただの『現象』だ。

そこにヒトの感情は宿らない。好む、好まざるの領域に存在する概念では無いのだ。

 

「(あぁ…………とても苦手)」

 

もって数秒の儚き抵抗だった。

彼女の巨大な槍をすり抜け、蒼い装甲に、白い肌に、刀剣が突き刺さる。

愛故に絶大な力を得るブリュンヒルデは、ツキという異形に感情を揺さぶられることが無い。

ならば敗北は免れられないだろう。

ランサーの肉体は瞬く間に削げ落ち、解体される。

燃えるような愛を象徴する護国は、皮肉なことに、愛を持たぬ拷問の末、灰になった。

上空で成すすべなく光の粒子となった彼女は、落ちるように消滅する。

 

俺とクロノは地上から、ツキの勝利を見届け、ガッツポーズを決める。

カウンターガーディアン、その名は伊達では無い。

俺が手も足も出なかった相手をこうもあっさりと倒してしまう。

やっと活路が見出せた。

 

「ツキがいれば、天空城塞へも行ける。良かった……」

「あぁ、行くぞ、巧一朗。」

 

俺とクロノが手を振ると、ツキはゆっくりと地上へ降りてくる。

そして彼女はその巨大な両腕で俺たちを抱き締めた。

空の色をした特殊な胸元に、俺たちは顔を埋める。

 

「久しぶり、お待たせ。」

 

ツキは優しく微笑んだ。

クロノは涙ぐんでいるように見える。

きっと俺も、人に見せられない顔になっているだろう。

大の大人の情けないさまを、ツキは静かに受け止めた。

抱擁は二十秒余り続き、三人は再会を噛み締めたのだった。

どうして生き残ったのだ。

今はその問いも不要である。

ただ、大切な仲間がここにいる。それだけが最上の幸福なのだから。

 

ツキの復活により、希望の道は指し示された。

天空城塞へ向かい、天還装置へとアクセスする。

サハラの戦争が勃発する前、テスタクバルを秘密裏に殺せば、ミッションは完了となる。

俺たちは早速、動き始めるが、アダラスがここで敵の存在を探知した。

猛スピードで接近する影。

アダラスは自らの意志で、その場に留まる宣言をする。

空へと旅立つのは、俺とクロノだけだ。

 

「私のやるべきことは、分かりましたから。」

「いいのか、本当に。」

「ええ。地上はお任せください。」

 

そしてツキに抱えられ、飛び去るそのとき。

俺は信じられないものを目の当たりにする。

それは五体の『獣』の登場だった。

猪に、蛇、猿、馬など、不気味な姿をした魔獣たち。

クロノはそれらに見覚えがあった。

彼は危機感を募らせる。

 

「后羿の『悪獣』?!」

 

護国のバーサーカーの使役する悪獣たち。

その一匹ずつが神霊クラスの実力を有する。

第六区を滅ぼした元凶と言って差し支えない。

アダラスはただ一人、五体の悪獣に取り囲まれた。

彼女はこうなることを予期して、敢えて残ったのだろうか。

地上で懸命に戦う彼女を見て、俺は唇を噛んだ。

 

 

アダラスは、自身の限界を悟っていた。

そもそも、ヴェノムライダーの権能をここまで持続させたことが奇跡だ。

あと数秒後には、血中ヴェノムの活性化も停止する。

そうなれば、元の雷前巴だ。

両足は全く動かない、役立たずの巴。

だから、自ら『餌』になる道を選択した。

彼らと一緒に空を目指していたら、きっと足手まといになっていたから。

 

「足手まといなのは、アヘルの頃から変わらない、けどね。」

 

結局彼女は、何の才能にも恵まれなかった。

でも、最期までしぶとく生き残ったのは、アキレウスという英霊のお陰である。

彼女は偉大なる先輩に感謝しつつ、槍を振るい続けた。

獣の生臭い血液を一身に浴びながら、暴れる。

巴蛇、九嬰の首を叩き切り、封豨を力任せに投げ飛ばした。

 

「はぁ…………駄目」

 

だがまるで効いていない。

ロストした悪獣は何度でも蘇る。

護国のバーサーカーそのものを叩かなければ意味が無い。

スキルも宝具も消失した。

残されたタイムリミットは僅か。

 

「まだ、きっと出来ることが……」

 

そこでアダラスは気付く。

悪獣の中で一匹だけ、大空を舞うものがいる。

名を『大風』、鳥の形をした悪獣である。

ツキが、巧一朗が、クロノが空を目指すならば、せめて大風だけでも仕留めなければならない。

アダラスは他の悪獣を一旦無視し、宙を舞う大風に狙いを定めた。

そしてポケットに忍ばせた、もう一つのアンプルに手を伸ばす。

それは大切なヒトの遺品だ。

戦場で拾い、お守り代わりに携帯していた。

 

「ウラルン先輩」

 

アンプルに宿る英霊は『ケイローン』。

アダラスの心から尊敬する先輩、ウラルンの所持品だ。

能無しの彼女と異なり、ウラルンは状況に応じて別クラスのアンプルを使用することが出来る。

アダラスには決して辿り着けない領域だった。

だが、もう命を惜しむ必要は無い。

ただ一撃、大風を射抜けば任務は完了となる。

そうすればようやく、彼女は愛する二人の先輩の元へと旅立てる。

迷いは無かった。

ヴェノムアーチャーの素質を有さない彼女は、決死の覚悟でコネクタに原液を注入する。

時間にして二秒。

アダラスの全身に不適合の液体が巡り麻痺させる。

血管は膨張し、手足の先から破裂していく。

彼女は十秒後の死を悟った。

ならば、やるべきことは一つだけ。

矢を番え、仕留めるべき対象を射抜く。

いや、ケイローンならば、既に事を終えている筈だ。

 

『星を蝕む災いこそが、進歩への毒となる。────我が矢はされど、放たれた』

 

それはウラルンとは異なる詠唱。

彼女だけの、彼女の為の、紡がれた言の葉。

一度きりの奇跡。

雷前巴が魅せた、泥臭い輝き。

 

『天蠍惨毒一射(アンタレス・ヴェノムスナイプ)』

 

その毒矢は、空の外側から降り落ちる。

桃源郷の崩壊を嘲笑うかの如く羽ばたいていた悪獣を、正確に射抜いた。

その一閃は、ウラルンのように美しくは無いけれど、目的は果たされた筈である。

大風が復活するまでに、巧一朗とクロノが天空城塞へと辿り着けるはずだ。

────あぁ、良かった。

アダラスは安堵する。

くだらない生涯に、何か大きな意味を見出せた気がした。

彼女は最期まで微笑みを崩さない。

両足を失い、愛する先輩二人を見送った彼女は絶望の渦中にいた。

だが、こうしてようやく、自身のゴールとも言うべき場所に辿り着けたのだ。

笑わずにいられようか。

否、豪快に笑ってやろう。

やっと死ねる。やっと眠れる。

そう、やっと。

 

巧一朗も、クロノも、空の先へと旅立った。

地上に残された死骸は、瞬く間に悪獣の餌になる。

柔肌を爪で引き裂かれ、臓物を晒され、丁寧に捕食された。

巴は髪の一本すら残らず、食い散らかされる。

見るも無残な光景が広がっていた。

だが、幸か不幸か。

毒を摂取した悪獣たちは食あたりを起こした。

悪獣たちの身体を徐々に蝕み、麻痺させていく。

彼女の血中ヴェノムは、彼らにとっても劇薬のようだ。

その場で苦しみだす獣たち。

丈夫な作りの彼らからすると痺れ薬の延長線でしか無いが、巧一朗とクロノへと狙いを定める未来は無くなった。

地上を離れた巧一朗も、クロノも、そして地上で死したアダラス本人も、知る由の無い事実だ。

 

 

天空城塞まであと僅か。

そのとき、ツキの翼は何者かに射抜かれた。

上空からのスナイプ。無情なる一撃。

だがツキは俺とクロノを抱き締める腕を緩めない。

折れた翼をはためかせ、ついに城塞へと辿り着く。

そもそもツキは鳥類でも天使でも無く、現象そのものだ。

あくまでその翼はモデリングに過ぎず、飛ぶという機能が集約されたものでは無い。

しかしながら、彼女はその身に重傷を負った。

エーテルそのものを分解する一射であることが理解できる。

俺とクロノは上空を見上げ、固まった。

アダラスを襲った悪獣がいるならば、当然『彼』もここにいる。

 

「護国のバーサーカー『后羿』!」

 

クロノは憎しみを込めてその名を叫んだ。

こと戦闘力において他の護国をはるかに凌ぐ存在。

絶望という二文字を体現した男である。

開発都市第六区の勇者たちは皆、護国のバーサーカーによって殺された。

そして今、最期の希望を消し去るべく君臨する。

俺とクロノを守る様に、ツキが矢面に立った。

先程のブリュンヒルデ戦とは打って変わり、ツキの額に汗が滲んでいる。

空域の絶対性を奪われたことへの焦り。

今の立ち位置を鑑み、ツキは自身が『挑戦者』であることを瞬時に悟った。

 

「二人とも、急ごうか。ここは私が何とかする。」

「ツキ…………?」

「彼は私達を的確に殺しに来た訳じゃない。追随する全ての希望をへし折りに来た。」

 

追随する希望。

レインを始めとする生存者のことを指しているのだろう。

俺たちだけでは無く、全て?

俺がその答えを出す前に、クロノは城内へと走り出していた。

 

「クロノ?」

「后羿はこれより、太陽を撃ち落とす。この護国城塞諸共、焼き尽くすつもりだ。」

「……何だと?」

 

歴史を変える、桃源郷を無に帰す。

その覚悟を、護国のバーサーカーは知っていた。

故に、希望を根絶やしにする。

間違った桃源郷の歴史を、過ちのままに保存する。そして次代へと語り継ぐ。

后羿には成すべきことがあった。

既に命を落とした護国のライダー『カナン』の、遺された呪い全てを灼熱と共に滅却する。

そして生き残った、呪われざる無垢な民を保護し、新たなオアシス歴を刻んでいくのだ。

后羿は自身に言い聞かせると、所持していた弓を引き絞った。

放たれるのは城塞を吹き飛ばすに相応しい第三等太陽。

アインツベルンへの想いと共に、第一区を滅亡させる一撃。

 

俺はツキに背中を向ける。

彼女への信頼が、俺の足を動かした。

きっとクロノもそう。

ツキならば、太陽にだって負けはしない。

いや、違うな。

理解している。正しく、理解していた。

ツキは自らの命と引き換えに、未来を託すのだ、と。

絶望を超え、希望を指し示すために行くのだ。

分かっているから、クロノは別れを惜しむことをしなかった。

もう少し、この場に残っていたら、きっとツキの手を引き止めてしまう。

だから、背を向けた。

俺もそうするべきだ。

これまで、そうしてきたように。

 

「ねぇ、巧一朗」

 

ツキは俺では無く、空の先をぼんやり眺めていた。

言葉が一つも出てこない。

ただ押し黙り、彼女の声を待つ。

 

「オアシスが消えたら、クロノはいなくなる。」

 

当たり前の話。

言峰クロノの正体は、護国のアーチャー『シグベルト』の片割れ。

その生い立ちからして奇跡のような存在だ。

桃源郷が歴史から消え去れば、言峰クロノという歴史もまた消える。

間桐巧一朗とは、違うのだ。

 

「それってさ、ちょっぴり寂しいね。」

 

「ツキ…………」

「私も人間の英霊じゃないから、特異な存在だけど、特別って意味ではクロノも同じ。」

 

彼女は俺に振り向いた。

その両目には、少しばかりの涙が滲んでいる。

こんな感情を示す女の子であっただろうか。

最期だから、そんな顔をするのだろうか。

 

「もし私とクロノが、どこかの世界に生まれ変わったら…………」

「また、会えると良いな。」

 

俺は彼女の言葉に被せた。

それはツキの想いであり、そして、俺の心でもあったからだ。

きっとまた会える、そんな保証はない。

でも、願わずにはいられない。

桃源郷で必死に藻搔き、苦しみ、足掻いた者たちがいたこと。

少なくとも今の俺は、最期の瞬間まで忘れるつもりは無い。

 

「勿論、巧一朗にも会いたいな!」

「あぁ。」

「でも次にあったら敵同士、なんてこともあり得るかも?」

「物騒な冗談はよしてくれ。ファフロツキーズなんて英霊、倒す方法が見つからないだろう?」

 

俺たちは冗談を言い合い、そして、別れた。

俺は全速力でクロノの元へと走る。

そしてツキは、太陽の元へと飛んで行った。

また、彼女を見送ることは出来なさそうだ。

あぁ、世界という奴はなんて不条理なんだろうな。

 

 

俺がクロノを追って辿り着いたのは、純白のワンルームであった。

中央に鎮座する謎のオブジェクトが起動し、緑の光を放出している。

天還祭と呼ばれる、英霊抹消の儀式に使用されていたものだ。

数々の区民たちが犠牲になった。

これよりクロノは過去へと跳び、サハラの聖杯戦争の立役者『テスタクバル』をその手で暗殺する。

そしてこの世界は、サハラの聖杯戦争の起こらなかった未来へと至る。

俺はきっと、あの蟲蔵の中で閉じこもったままだ。

だが、それでいい。

もう誰も失わずに済む。

戦争など、起こってはならないのだ。

哀しみの連鎖を、クロノが断ち切ってくれる。

 

「クロノ、行くのか。」

「あぁ、ここでさよならだ、巧一朗。」

 

これでいい。

俺は両手をズボンのポケットに入れ、その時を待った。

その間に、后羿の太陽が着弾することは無かった。

ツキが、命を賭して戦っている。

俺に出来るのは、クロノを見送る瞬間まで、外敵を見張ること。

もはや意味のない行為だと言えるが、それでも。

 

「巧一朗、言い忘れていたことがある。」

「……?」

「君は私にとって、最高の相棒だった。」

 

クロノは曇りなき眼でそう訴えた。

深淵を覗かせるような黒い目に、僅かな光が宿っているように思える。

こんな顔は初めてだ。

ツキといい、今日は色んな表情を知れる日だ。

世界終末の一日で無ければ、どれだけ幸福だったろう。

俺も彼の言葉に返さなければ。

俺にとっても、クロノは最高の相棒で……

 

「あ」

 

そのとき、俺の脳内に溢れ出したのは

これまで出会ってきた人々の笑顔だった。

美頼、鉄心、充幸さん、吉岡さん、禮士、龍寿さん、レイン、みんな……

桃源郷で出会った仲間たち、家族たち。

彼らが『生まれてこなかった未来』へ、舵を取ろうとしている。

クロノもまた、その一人だ。

みんな、いないのか。

そうか。

当たり前だ、俺はそれを乗り越えて、ここにいる。

 

「それってさ、ちょっぴり寂しいね。」

 

ツキの言の葉が蘇る。

ちょっぴり、どころじゃない。

人間ならざる俺を、虫風情の俺を、唯一受け入れてくれた場所。

開発都市オアシス。

俺の、本当の故郷と言える場所。

俺はようやく手に入れた全てを、いま手放そうとしている。

 

「巧一朗?」

「クロノ…………俺は………」

 

そのときだった。

大きな揺れと共に、城塞が崩壊し始める。

天井は崩落し、一人の少女が室内へと落ちてきた。

 

「ツキ!!!!」

 

クロノはその存在を察知すると、彼女の元へと急ぐ。

既に両手足は欠損し、心臓もポッカリと穴が開いていた。

后羿の太陽を止める為に、最期まで抵抗した。

彼女の亡骸が、それを物語っている。

 

「ツキ!ツキ!ツキィィイイイ!!」

 

クロノは顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫ぶ。

見せたくなかった、見たくなかった。

クロノは、ツキのことを一人の女性として愛していたのだ。

それは俺が一番よく知っている。

もう、迷いは無かった。

太陽が放たれる、その前に。

俺は起動した装置、そのゲートへと足を踏み入れる。

 

「こ、巧一朗!?」

「ごめんな、クロノ」

 

俺は

テスタクバルを、殺さない。

 

俺たちの桃源郷が誕生する未来へ、俺自身が導く。

そうして、美頼が、鉄心が、クロノが、ツキが、再会する世界を見届ける。

これが今の俺の望み、俺の信念。

もし聖杯があると言うならば、叶えてみせろ。

 

俺は、時を超え、『ヴェルバーの再来する未来』を選択したのだった。

 

【サハラ砂漠某所にて】

 

魔術工房として利用した鍾乳洞内部。

結構なお家柄の男が一人、スーツの下半身を小便で濡らしながら、必死に逃げていた。

入口から果てなき砂漠へと飛び出るも、彼を殺す影はどこまでも追いかけてくる。

腰が抜けているが、匍匐前進の要領で、必死に生き延びようとしていた。

男の名は『シュバルティン』。

根源を目指す由緒正しき時計塔の魔術師である。

彼はアトランティスのマナを正しく理解し、神代の英雄へとアクセス実験を行った。

結果は成功。

数人の『餌』を媒介とし、かの有名な戦乙女の召喚に成功したのだ。

だが

成功したのも束の間、という話である。

彼は今、何者かに追われている。

戦争は始まっている。当然彼は自身の魔術工房を盤石なものとし、ランサー『ブリュンヒルデ』の力を借りて、低ランクであればアサシンの気配遮断をも感知できるシステムを構築した。

驕りは無い。どこまでも勝ちに貪欲で、誰よりも計画性のある男。

だが、ただ運が無かった。

 

「助けてくれ、頼む、まだ僕の戦いは始まってすらないんだ!」

 

男の声はどこへも届かない。

得体の知れぬ影は、シュバルティンに跨り、拳で何度も痛めつける。

そして指先から作り出した自らの『分身』を彼の口や爪の間、目の隙間から内部へと侵入させ、臓器を食い破った。

飛び散る血液をその身で浴びても、影は言葉を発さない。

ただ目の前にいる敵を殺す、殺戮兵器であった。

マスターであるシュバルティンが命を落とした後、再度洞窟内部へと戻る。

そこには先程心臓を突き破った英霊が横たわっていた。

まだ生きている。

ならば、彼にとって問題は無いだろう。

 

「あなたは…………」

 

死を迎える直前のランサー『ブリュンヒルデ』は問いかける。

赤髪の、背中に蝶の翼の生えた青年、彼が一体何者であるか。

英霊を簡単に殺害する力を以て、何を果たそうとしているのか。

 

「俺は、お前を許さない。」

 

青年はブリュンヒルデを殺すに飽き足らない。

彼は彼女の霊基を用いて、新たなる英霊の召喚を試みる。

溢れんばかりの憎悪と、たった一つの願いを込めて。

 

「来い、俺の『ランサー』」

 

青年は理解していた。

途方もない時間の旅の先、遺されたのは変わり果てた醜い姿と、血反吐を催す様な執念。

彼は遂に『隣人召喚』の力に目覚めた。

圧倒的なまでの破壊衝動が、その到達点へと誘ったのだ。

故に、サーヴァントなどもはや敵では無い。

だが、同時に、彼はこのサハラにとってお邪魔虫だ。

間桐巧一朗がいよいよ、この世界に足を踏み入れる。

そのとき、運命で決められていたかのように、青年の存在は消滅する。

巧一朗はただ一人だ。

セイバーと出会い、美頼と出会い、鉄心と出会い、そんな経験を得るのは、巧一朗只一人であるべきだ。

 

だから彼は『間桐巧一朗』の名を捨てた。

 

これより出会う『グズルーン』に多くの物語を話して聞かせよう。

そして、桃源郷を必ず生み出せるよう願おう。

巧一朗が最高の運命に辿り着けるように。

たとえこのセカイで何人の犠牲者が出ようとも。

開発都市オアシスは、絶対に叶えられる。

 

彼らの理想郷(ユートピア)は、そこにしかないのだから。

 

そしてグズルーンと多くを交わした後、彼は彼女を残して、死に場所を探す旅に出た。

正直な話、何処でも良かった。

強いて言うなら、女の膝の上で眠る様に死にたい、というぐらい。

肉体の崩壊した虚行虫は、どこまでも進んでいく。

亀のような歩みで、どこまでも。

そして気付けばすっかり干乾びて死んでいた。

呆気ないものだ。

彼は結局、何も変えることは出来なかった。

 

果たして、本当にそうだろうか?

 

彼が最後に見た景色。

彼は願い通り、女の膝の上で眠っていた。

とても居心地のいい場所だ。

さぞ、心優しき聖女か、天使の類に違いない。

死にゆく巧一朗を、女は優しく抱き留める。

 

「やっと、会えたね、巧一朗。私がこれから先、永劫、貴方のことを守ってあげる。」

 

巧一朗だった何かに、赤髪の少女は語り掛けた。

彼女がこれより桃源郷にて築く楽園、彼はその象徴たる存在。

だから、カプセルに入れて永久に保管する。

大事な、大事な、巧一朗。

彼女はその豊満な胸で、亡骸を抱擁し続けた。

彼女の背に生えた蛇たちも、心なしか再会を喜んでいるように思える。

 

彼女は『蛇王ザッハーク』、またの名を『ナナ』。

サハラの地で再び巧一朗に出会い、ようやく恋人になれたのだ。

 

【信奏編②『エックスデイの真実 後編』 おわり】

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。