聖杖の下に錬鉄は至る (うすい)
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聖杖の下に錬鉄は至る

一ヶ月ほど昔──私に《魔法》と《スキル》が発現した。

 

主神(ロキ)は糸目をだらしなく下げて「レア魔法やー!こんなゴッツイ魔法、いままでの神生で見たことも聞いたこともないで。さっすがウチのアルトリアたん!」と狂喜乱舞しながら襲い掛かってきたけれど、荒ぶる主神とそれを諫めるリヴェリア(お母さん)を他所に、私の胸中には暗雲が立ち込めていた。

 

発現した魔法の名は《英霊召喚》。

異世界に存在し、歴史の碑文へと名を連ねる『英霊』を召喚することができる魔法だそうだ。主神曰く、世界とは数多の可能性、数多の次元に広がっており、この世界における神ですらも観測する事ができない世界がごまんとあるらしい。つまりこの魔法は、異世界の英雄──この世界で言うアルゴノゥトのような存在を召喚することができる。

そして発現したスキルは《令呪》。

その召喚した英霊への絶対命令権を得られるそうだ。上限は三画で、一日一画回復するらしい。

 

強力な魔法とそれを御する強力なスキル。

周囲の喜びとは裏腹に、私は自分が無意識のうちに考えていた事実に打ちひしがれた。

 

魔法やスキルとは、その個人の想いに強く影響を受ける。

その事実が指し示すのは、私は英雄といった頂上存在に助けられることを心の底から渇望していたということに他ならない。そして、彼等に縋りながらも、その脅威が自分に降りかかるのではないかという情けないまでに臆病な私の性根が、ステータスとして前面に現れている。

 

多くの家族たちは祝福してくれたが、狼人ベート・ローガだけは鼻で笑ったような視線を向けてきた。当然だ。この新しい力は私の弱さの証。

 

だから、自分の弱さから目を背けたくて、認めたくなくて、魔法を使用することは避けてきた。

 

けれど、今は選り好みが出来そうにない窮地に追い込まれている。

 

「はっはっはっはっは……っ」

 

ぼんやりとした光源しかないダンジョン内を駆ける。ダンジョン内の地図は粗方把握していたつもりだったが、背後から迫る脅威から逃げるのに手一杯で、自分が今どこにいるかなどわからなかった。

 

獰猛な唸り声と岩壁を破壊する痛烈な打撃音が遠く離れた背後から空気を伝播し、感覚器官へと伝えられる。

──ミノタウロスだ。ここはダンジョンの5階層。私が単独で入ることを許されている最前線だ。現れるモンスターは、駆け出しから少し抜け出した程度の実力の持ち主でも対応できる程度のモンスターがせいぜいなはず。

にもかかわらず、レベル2相当のミノタウロスが現れた。私は半年前に村娘から冒険者になったばかりの駆け出しで、当然まだレベルも1だ。ミノタウロスに、あの暴虐に勝てるわけがない。

 

長時間過度に酷使した疲労からか足が縺れる。右足が、グニャリと嫌な音を立てた。

 

「……っつ!」

 

思わず突きだした掌に、頑強な岩肌が突き刺さる。全身が摩擦によって摺られ、いたるところに擦過傷ができた。

ジュクジュクと、脈動するような痛みが全身を刺した。痛みをこらえてまた歩き出そうとするも、右足が動かない。視線を滑らせると、足首が異常な角度を向いていた。

 

(これでは……歩けませんね……)

 

そうしている間も、一歩一歩巨大な足音は近づいてくる。遂に荒い鼻息まで聞こえる距離になったようだ。私が死ぬのもあと数分か、と諦観の念が溢れてくる。

 

(でも……!)

 

諦めを差し置き、目をカッと開いて前方を睨みつける。……死にたくない。まだ、死にたくない。やりたいことがある。為したいことがある。一緒にいたい人達がいる。

そのためならば、主義主張は横に置いて、今できる最善を尽くすべきだ。

 

全身の細胞に酸素を送り込むように息を吸い、主神から伝えられた詠唱を唱える。自分の弱さを自覚したくなくて発動こそしなかったが、リヴェリアの指導もあり、一応詠唱だけは記憶していたのが幸いだった。

 

正直、発動するかどうかは半信半疑だ。そも、英霊という概念が漠然とし過ぎていて、脳裏に確固としたイメージを描けない。だから、私の理想を思い描く。

私にとっての英雄とは、自分を遥かに凌駕する強大な敵にも不敵に笑いながら立ち向かい、弱きを助け、強きを挫く、まるで正義の味方のような偉大な人物。

……私とは正反対の英雄を、どうか。

 

「……素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。降り立つ風には……壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ! 閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)! 繰り返すつどに五度、ただ満たされる刻を破却する……!」

 

 頭の先から足の隅まで、全身を魔力が熱く循環する。感じたことのない膨大な魔力に対してくらりと意識を吹き飛ばされそうになるが、唯一残っていた魔力ポーションを根気で流し込み、詠唱を継続する。

 

「────告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ!」

 

さあ、最期の一節だ。だが、それを言い切る前にミノタウロスがそう遠くない距離にいるのが見えた。ああ、漸く餌を見つけたと言わんばかりにゆっくりと歩んでくる。地を踏みしめる威容はまさに絶対者そのもので、弱者の私が自分にとっての脅威であるなど、微塵も考えていないのだろう。

 

(舐め、るな……!)

 

「誓いを此処に! 我は常世総ての善と為る者、我は常世総ての悪を敷く者!」

 

遂に、ミノタウロスが眼前に現れた。彼我の距離は一メートル程度で、奴が強靭な腕を奮えば私の身体など木端微塵に砕け散るだろう。

 

明確な死を意識し、思考が乱れる。肉体が芯から底冷え、寒さのあまり舌を噛みそうになる。

だけど……だけど!!! 

 

(私は……まだ死にたくない!)

 

「汝、三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ天秤の守り手よ────―!」

 

身体に宿っていた魔力の殆どが抜け落ちる喪失感を知覚すると同時に、ミノタウロスが悪辣に顔を歪めて、剛弓の如く上体を引き絞った。私を中心に膨大な魔力が円環し、激しく流動する──がしかし、一際大きくなった瞬間に、ソレはピシャリと掻き消えてしまった。

 

「えっ……」

 

思わず間抜けな声が漏れた。眼前で発生した現象を前に理解が追いつかなかったのだ。失敗した。無情な現実を理解すると同時に、先程まで私を絶望から支えていた生への希望が、魔力と共にドッと消え去ってしまったように感じた。

魔力は消失したのに、何も起きない。もう、本当に何も打つ手がない。

 

呆然とする私を他所に、ミノタウロスが足を踏みしめた。いよいよ、奴の拳が振るわれるらしい。

 

「ああ……もっと、生きたかったなあ」

 

ポツリと、呟きが零れる。その声音は笑ってしまうほど酷く弱々しくて、私はもう折れてしまったのだと、如実に教えてくれるかのようだった。もう諦めて死を迎え入れようと瞳を閉じる。

すると、右手の甲に激烈な熱が走った。最早、驚く気力もなくて胡乱に目を向ける。

 

其処には、命脈する赤い紋章があった。赤い紋章は熱を帯びており、恐怖で冷えきった私の体躯を鼓舞するかのように暖かい熱を伝播させていく。

 

「これ、は……」

 

──直感があった。

何故そうしたのか、まるで理解できない。けれど、でも。

紋章が、叫べと語り掛けているような気がして。

 

「誰か……」

 

本能が、生きたいと願う肉体が自然と口を動かした。

 

「誰か、助けてください……!」

 

漆黒の拳が、私を穿つ直前──周囲一帯が赤い光に包まれた。あまりの眩さに目を閉じる。

 

暗闇から這い出た直後に太陽に目を灼かれたように、瞳が痛い。思わず目を覆い、視界を暗く閉ざした。

そのまま、視界が回復するまで10秒ほど経過しただろうか。

 

(……? あれ、私、生きてる……?)

 

死んでいない。間違いなく、あの拳は私の脳漿を壁に炸裂させるに足る威力を内包しているはずなのに、奇妙なことに私はまだ生きている。

生きていることに対する安堵よりも、何故死んでいないのだろうかといった疑念が勝る。もしや、私はミノタウロスに弄ばれているのではないだろうか、私が怖がる姿を眺め、嗤っているのではないだろうか、と暗い思考が首をもたげた。

 

恐れるように慎重に瞳を開く。

──すると其処には、赤い聖骸布に身を包んだ、一人の男が立っていた。

 

白髪をかきあげ、褐色の肌をした男は私と目が合うと一瞬、驚愕に瞳を見開いたように見えた。けれど、驚愕の表情は私が瞬きをしたら消え失せていて、気の所為かと1人ごちる。

 

透徹とした白銀の曇りなき瞳を持つ彼は、他の誰でもなく己に誓いを立てるかのように瞑目して一言一句、万感の想いを込めるかのように──厳かに言葉を発した。

 

「──問おう、キミが私の、マスターか」

 




エミヤ×アルトリア・キャスターは無限の可能性を秘めていますよねという強めの妄想が滾りました。


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其は誓いの契約

エミヤ視点です。


ズキリと脳幹に痛みが生じた。

本日も、新たな記憶が刻み込まれる。己が人類存続の自動装置と成り果ててから、幾度も体験してきた感覚だ。まだ死した自分にもやれることがあるのだと、淡く馬鹿馬鹿しい希望を持っていた当初こそ記憶が増える度に狂おしいほどの慟哭に身を裂いたものだが──もう、慣れてしまった。

此度の仕事も正しく正義の味方らしい陰鬱で残虐な現場だったようだ。

人類の守護者など名ばかりで、実際に行っていることは人類存続に反旗を翻す害悪因子の排除だ。総計すれば何千人、何万人もの人々を殺めているのだろう。正当な英雄であれば決して忘れることのないであろう生前の記憶は映画フィルムが中抜けしたかのように断片的で、朧気な内容を思い出すことすら叶わない。

 

覚えていることは、そう多くない。

義父との月下での誓いに、人生の道を決別した師の姿。

──そして、月の光を落とし込んだような、暗闇の中でなお輝き続ける金糸の髪を結い、白銀の鎧と蒼の戦装束に身を包んだ美しき女性。

 

いっそ、総て忘却できたなら。人としての感傷を削り落とし、人類を存続するための意志なき機械と化してしまえばどれだけ楽だろうかと思う。

……全く、人間の記憶とは不便な物だ。忘れたいと、どうかこの身を人ではなくしてくれと願えば願うほど、輝かしき記憶はより存在の比重を増していく。

 

結局、幾度の摩耗を繰り返しても忘れることは叶わなかった。

だから、これは罰なのだろうと思う。独善の為に多くを殺めてきた己の罪科だ。私が苦しむことこそが、犠牲にしてきた彼ら彼女らへ行える、唯一の贖罪なのだ。

 

曇った眼を無数の剣が刺さった荒地へ向け、今回の記憶を反芻する。どのような者たちが、どのような表情で、どのような矜持のもと、私に殺されたのか。1人ずつ丁寧に思い起こし、せめてもの償いとして彼らの憎悪を受け止めていった。

 

▼▼▼

全員の反芻が終了した頃、どこかから引き寄せられるような感覚があった。

 

身体の芯を掴まれる独特な感覚には覚えがある。『英霊召喚』だ。確かにこの身は英霊の末席に名を連ねる者である。しかし、聖杯戦争という知名度が大きく関係する舞台において、強力なサーヴァントだとはお世辞にも言えまい。故に、自分は一部の例外を除いて、召喚者との相性で召喚されることが大半だ。一端の魔術師であれば、触媒を用意することなど容易い筈。よって、今回の召喚も巻き込まれただけの数合わせのマスターが不幸にも自分を呼び寄せてしまった可能性が非常に高い。

守護者とは人類を存続させるための正義の執行者である。

その一点で考えれば、この召喚には応えないのが正しいのだろう。だが生憎、訳もわからない戦争へと巻き込まれたであろう哀れなマスターを見捨てるような薄情な真似をするつもりもない。その苦しみは、誰よりも痛感している。

 

よって、錬鉄の英雄は召喚に応じようと、今まさに繋がれようとする何処かのマスターとのパスを了承した。

 

「といっても、影法師を送るだけだが……まあ、いないよりはマシというものだろう」

 

そうして、フッと力を抜いた瞬間──座に激震が走った。曇天から覗き見える巨大な歯車が異音を掻き鳴らしながら次々と地に沈む。いや、沈んでいるのではない。溶け落ちているのだ。

咄嗟に鷹の如き鋭敏さを誇る瞳を周囲へ巡らせれば、異常が発生しているのは何も歯車だけではなかった。宙に浮かぶ歯車だけではない、英雄エミヤの『座』自体が崩壊している。

異常な光景だ。座が崩壊する瞬間など、それこそ人類が滅び去った時にしか起こり得ない。だが、人類は依然存続しているにもかかわらず、己の座は崩壊している。

 

生涯において記録した剣が、盾が、槍が、戦斧が。

次々と、虚空へと吸い込まれていく。

眼前で発生している事態があまりにも奇怪で、理解できないと思わず一歩後退った。

 

「……なんだ……一体、なっ!」

 

何が起こっている、そう言葉を紡ぐ前に、英霊の核たる座が崩れ落ち、突如出現した穴に霊格が吸い込まれる。そして、虚空に身を投げ出された瞬間に理解した。

──これは、座の崩壊などではない。座ごと己を召喚しようとしているのだ。

 

(影法師ではなく、私という英雄そのものを召喚しようとしているだと!? 馬鹿な、出鱈目にも程がある!)

 

英霊を弱体化せず召喚するなど、凡そ人類に許されたことではない。神代を生きた人類有数の魔術師たる魔女メディアほどの傑物であろうとも、実行には多大な労力と代償を伴うだろう。唯一の例外は世界からの召喚のみだ。しかし、繋がれたパスの感覚が、マスターが紛れもない人類種である事を伝えてくれる。

神代を駆け抜けた一騎当千の英雄達に比べれば、己のコスト効率は遥かに優れているだろう。しかしそれでも尚、常軌を逸していると評する他ない。

 

(ぐう…っ! 無茶苦茶な召喚をしおって、何度次元跳躍を繰り返すつもりだ!)

 

並行世界を、世界を、次元を跳躍する。

言葉にすれば酷く単純な事のように思えるが、当事者たる己からすれば苦痛以外の何物でもない。並行世界を跳躍するのでさえ、人類には到底不可能な所業なのだ。今回は、それ以上、恐らく異世界という奴への召喚である。

これが正当な魔術師による手順を弁えた召喚であったなら多少マシだったかもしれない。だが今回の召喚者は恐らく急造だ。それ故か召喚式も荒く、1つ次元を跳躍する度に、その負担に耐えかねて霊核が摩耗していく。

 

「何故私は…毎度おかしなことに巻き込まれるのだろうな……」

 

瞳に諦観を滲ませ、期せずして乾いた笑みが溢れ出た。

このペースで負担が掛けられ続ければ、下手をすると召喚される前に擦り減り、存在が消滅しかねない。大根おろしのために延々と消費され続ける大根はこんな気分だったのだろうか。心底どうでもいいことを悟ってしまった。

 

 

いよいよ消滅が間近となり、走馬灯までも見え始めた時、遂に召喚地点へと辿り着いた感覚があった。

 

この荒唐無稽な召喚をしてくれた召喚者(マスター)には文句の1つでも言わねばなるまい、そう意気込んで、召喚式の向こう側へと放り出された。

 

召喚先には眼前には呆けた顔をしたマスターがおり、私は彼もしくは彼女に皮肉を垂れる。

──そう、見通していたのだが。

 

「ッなんでさ!!!」

 

己が放り出された先は空中であった。

上を見遣れば、広大で美しい蒼穹が空の彼方まで広がっている。雲ひとつ窺うことのできない真青な風景は思わず感心の溜め息が漏れることだろう──絶賛墜落中でなければという注釈がつくが。

次に落下地点を見やれば、中世風の街並みが広がっている。瞳を凝らせば、闊歩する人の頭には猫の耳やら尖った耳やら、種々多様なものが生えていた。なるほど、自分は本当に異世界へと召喚されたらしい。

 

世界と契約している自分が異世界へ放り出された場合、私はどのような扱いになるのだろうか。そういった思考が脳裏を掠めた時、ふと、横からひどく粘着質な視線を感じた。

視線に釣られて横を見やると、最早馬鹿馬鹿しい程に巨大な塔が聳え立っている。これに関しては、どう考えても人類が為せる代物ではない。間違いなく、神々が関わっているのだろう。感覚を研ぎ澄ませば、あちらこちらで神性を知覚できる。神々が我が物顔で闊歩する世界、時代など、嫌な予感しかしない。十中八九碌なことが起こらないと確信できる。

 

これから訪れるであろう艱難辛苦に頭を痛ませていると、令呪を通じて膨大な魔力が流れ込む感覚があった。何処にいるのかも分からない我がマスターは、召喚も早々に令呪を一画行使したらしい。節操のないマスターだと呆れたその時、『彼女』の声が脳内に鳴り響いた。

 

『誰か、助けてください……!』

 

考えるより先に、己は転移していた。転移先では、己のマスターらしき少女に対し、人と牛を混ぜ合わせたかのような異形が拳を振り抜き、少女の儚い命を散らせようとしている。

 

──させるか。

 

熾天覆う七つの円環(ローアイアス)……!」

 

反射的に一枚の花弁を展開し、急造の盾とする。たった一枚とはいえ並の攻撃であれば傷一つ許さないのだが牛男の拳はそれなりの威力を秘めていたらしい。息一つつく間も無く、花弁に罅が入る。だが、

 

「瞬き一つ稼げれば充分だ」

 

即座に干将莫耶を投影。土煙を曇らせながら地面を蹴り、両太刀にて筋肉質な太腕を強引に断ち切る。牛男の驚愕に見開かれる瞳を無視して、前方向に傾いた重心に逆らうことなく空中で回転した。一先ず少女との距離を離さねばと、その勢いを殺さずに右脚で牛男を蹴り飛ばす。

 

「トレース、オーバー・エッジ」

 

干将莫耶が過度な魔力を込められたことにより軋み、歪な大太刀と化す。牛男は己の腕が断ち切られたことを漸く理解したのか、怒りに身を震わせながらその強靭な角を以て突撃を仕掛けてくる。だが、その動作はひどく緩慢だった。

 

「悪いが、生憎こちらも余裕がある訳では無いのでね」

 

双角を身を屈めることで避け、身体の内側に入り込む。筋肉の分厚い装甲にこそ覆われているものの、無防備な心臓に大太刀を突き刺した。

刃を介して伝わってきた感覚は臓物を切り裂く生々しい感触ではなく、何か硬い石を穿った様な奇妙な感覚であったが、心配する間もなく牛男は間も無く粉塵と化した。

 

さて、マスターへと迫る命の危機は一先ず振り払う事ができた。どういった経緯で彼女があの化け物に襲われていたのかは知る由もない。令呪使用時に聞こえた声の震え具合からして、己から挑んだといったような無謀な挑戦でないことだけは明白だが。

 

怯えている少女に対し、直ぐ様状況説明を求めるのは酷だ。しかし、先程も言った通り、生憎此方にも余裕が無い。一刻も早くこの世界に関する情報が欲しい。それ次第では、いち早くこの洞窟らしき場から離脱しなければならない。良心の呵責に苛まれることを覚悟しながら、少女に対して向き直った。

 

蒼と白の衣裳に身を包んだ金髪の少女が、恐れるように、少しづつ瞳を開く。深緑の中央にひっそりと存在する湖畔のような、翠玉の瞳と顔貌が顕になるに連れ、己の胸中に驚愕の念が浮かび上がる。

 

彼女は、酷似していた。

月の光を落とし込んだような、暗闇の中でなお輝き続ける金の御髪。凪いだ湖畔を思わせる翠玉の瞳。華奢で小柄な体格。そして、鈴の音を鳴らすかのような心地よい声色。

 

酷似しているなんて表現では生温い。彼女の生き写し、俺が過去に救うことが出来なかった英雄(セイバー)が、壁に背を預けて呆然と俺を見上げていた。

 

忘れ去っていた記憶が、濁流のように押し寄せる。

彼女との闘いの日々。信念の違いから言い争った日々。剣を重ね合った日々。他愛のない日常を謳歌した日々。愛を囁きあった日々。──そして、血塗れた彼女を抱く、弱く、脆弱で、憎むべき過去の己の姿。

 

……ああ。

目蓋を下ろして嘆息する。これは、何なのだろうか。現状に理解が追いつかない。ただでさえパンク寸前だった思考領域は、彼女の登場で一層収集が付かなくなっている。

 

だが、己の成すべきことだけは、従者としての役割は、揺るぎない。

 

瞳を開き、正面から彼女の姿を見据える。

依然呆けた顔を晒している彼女に対して、一言一句、聞き違えることのないよう、過去に己が受けた言葉を紡ぐ。

 

今度こそ、俺は──。

 

「──問おう、キミが私の、マスターか」

 










前話への感想や評価、誤字報告、誠にありがとうございました。
召喚に際する疑問点は飲み込んで頂けると幸いです。自分ながらに「有り得ないよなこれ…」と考えつつも騙し騙しで書いているので…


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溶解の彼方で貴方を恋願う

新キャラ投下します。


人間は欲深く、狡猾でーー何よりも、罪深い。

神の末席を汚すとある主神は己が館の地下深くにて、眼前で発生している神の瞳を以てしても尚信じ難い英知の結晶--人類の偉業を目の当たりにしていた。

 

「美しい……」

 

万物を識り、容姿端麗なる幾千幾万の神々と触れ合うのが平素であった神をして、感嘆の溜息が零れてしまう。人間よりも遥かに、識者である自負がある。けれど、カプセルの中で静かに瞑目する眼前の()()には、美しい以上の適当な表現が思い浮かばなかった。

 

「如何ですか、我らが主神。見事なものでしょう?」

「……素晴らしいよ!まさか、まさか人類にこれほどの偉業が成し遂げられるとは、露ほどにも思わなかった!」

「この成果は主神のご助力がなければ不可能でした。改めて感謝を」

「安い物だよ、やはり君達(子ども)は最高だ……神をして予想だにしないことやってのけてしまうんだから!」

「上位者たる神直々のお言葉、感無量でございます」

「そりゃそうさ、永い神生でも信じられるものか!人間(子ども)()を創造するなんて!」

 

興奮に胸が沸き立つ、狂喜に頬が吊り上がったのを知覚した。

 

ーー薄暗く殺風景な部屋の中に佇む、美しい一つの体躯。

其れは、狩猟と貞淑を司る月の女神の因子。

其れは、嫉妬を司る海の怪魔の因子。

其れは、芸術と学問を司る知の女神の因子。

脂肪という脂肪が限界まで削ぎ落とされ、生物が達するであろう極限の造形美が追求された身体。淡い海を思わせる瞳と、光に照らされて天使の輪を描く艶やかな藍色の長髪。威容を放つ両足の具足。そして、切れ長の目元が特徴の涼しげな顔立ちは、職人によって形作られた人形に、生命の息吹が吹き込まれたかのように美麗であった。

無粋だ。無粋を承知で言葉で彼女を表するのならば、『氷上の白鳥』だろうか。

いつまでも見ていられる、との賞賛は彼女の為に産まれたのではないか、そう勘違いしてしまうほどに、眼前で眠る少女は人智を超越した神秘性を醸し出していた。

 

神の因子から神の肉体を創造する。理知的で研究者面をした辛気臭い男が、かつて神である自分にそう言い放った。あまりに荒唐無稽な夢を、無愛想な男が真剣に言うものだから大笑いして、時に危ない綱を渡りながら神の因子集めに協力したが、その甲斐あったと言えるだろう。

 

「それで、次は何をするんだい?」

 

まさかこれで満足するような玉じゃないだろうと暗に意を込めて、人類未踏の偉業を為した男に問う。

男は眼鏡を煌めかせて、神に対して達成感と興奮が滲んだ笑顔を向けた。

 

「魂を込めます。肉体だけじゃない、生物としての神を人間が創るのです」

「そいつは最高だ!手段の宛はあるのかい?こんな面白そうなこと、全面的に協力するともさ!!」

「主神よ、私の魔法をお忘れですか?」

「……なんだっけ?」

「降霊術ですよ。それを使って魂を肉体に降ろします。残念ながら肉体に入る魂の対象を選ぶことはできませんが……肉体が肉体です。並大抵の魂では入ることすら困難でしょう」

 

指摘されて、漸く男の魔法を思い出す。確か肉体のない魂を自分に降ろしたり、人形に降ろしたりする魔法だった筈だ。

 

「肉体には魔道具の要領で抜け出そうとする魂を固定化する魔法を仕込んであります。私の手で!紛れもない神を創造するのです!」

「いいねいいねー、最高に愉快だよ。人造神なんて世界広しと言えども目の当たりにするのは初めてだ。さっ早く早く!」

「ええ、準備は万端です。今すぐにでも行いましょう」

 

男が厳かに詠唱を紡いだ。魔力が循環し、無形なる魂が肉体に降ろされる。魂が肉体に定着する瞬間を今か今かと待ち侘び、興奮に瞳を輝かせながら、神はふと脳裏を掠めた疑問を口にした。

 

「そういえば隷属関係はどうしてんの?普通に君の命令絶対遵守?」

 

男は汗の滲んだ額をタオルで拭き、憑き物が取れたように達成感で満ちた笑顔を神に向けた。

 

「ありませんよ、そんなもの」

「……へ?」

「神とは絶対者です。絶対者たる神が人間の従僕に成り下がるなんて……それこそナンセンスでしょう」

 

刹那、神は思い出した。ああ、人間ってそういえば愚かだったわと。

 

「それ僕らが殺されるテンプ、」

 

硝子が割れ、鮮血が舞う。一柱の神が天へと還り、研究成果に満足した男の首が情報体に溶かされる。

 

ーー斯くして、氷上の白鳥は異世界へと降り立った。

 

「……感じるわ。遠く、遠く、遥かな地底で」

 

ーー溺れてしまいそうなくらい純真無垢で愚かな信念を。されど、瞳を焦がす程に輝かしい正義の魂を。

 

美貌の少女は嗜虐的な笑みをたたえた。そして、鼻歌を口ずさみながらゆるやか且つ華麗にステップを刻む。

 

「麒麟のように首を長くして待っていなさい、気障ったらしいアーチャー……逢いに行くわ、私の王子様」

 

蕩けるような笑みを浮かべて、一羽の白鳥が羽ばたいた。

 




閲覧ありがとうございます。
苛烈な恋心を向けるメルトリリスが大好きです。
エミヤとキャストリアはまた次回。


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狂気に殉じたとある研究者の走馬灯。

ダンまち要素とfate要素は小さじ三分の一程度しかありませんのでご注意ください。
前話で好評を博した研究者が満足して死ぬだけのお話です。こういうキャラ、良いよね……!


――成功だ。

 

よれた白衣を身に纏った男は、魔法を発動した瞬間に宿願が果たされたことを確信した。

 

隣で興奮する神のことを放置し、男もまた、ややこけた頬をほんのりと染める。

若かりし頃は神の似姿とまで謳われた男であったが、その美しき顔貌からは肌艶がすっかり失われて久しかった。碌に外出もしていないのか、顔は幽鬼を思わせるほどの不気味な色彩をしている。

よくよく見れば容姿にはさほどの年齢的変化は見られないのだが、仮に男の肉親が彼を間近で注視したとて、彼と記憶の中の男を同一人物と結論づけることは不可能だろう。

 

恐らく、男の両親は現在の彼を見てこう評す。

 

『アレと息子は容姿こそ似通っているが瞳の質がまるで異なる。あの硝子玉のような瞳をした息子とはまるで違う――()()は、太陽に瞳を溶かされたかのように、酷く狂った目つきをしている』と。

 

とある男の話をしよう。

是はハイエルフとして生を受けた生まれながらの王者のお話。

 

とある男の話をしよう。

是はエルフの賢者として名を馳せ、総てを恣にした英雄のお話。

 

とある男の話をしよう。

是は、硝子に瞳を灼かれた愚かな男のお話。

 

 

薄く刻まれた皺を微かに持ち上げながら、彼は心地良い微睡みの内に溶かされていった。

 

 

 

 

◆◆◆◆

 

男は、生まれながらの絶対的な強者だった。

齢一つにして言語体系を解し、齢二つにして魔法理論を打ち立て、齢三つにしてプライドが高く老練なハイエルフが頭を垂れる程の智慧を小さな頭脳に宿した。

また男は、自種族こそが至高と信じて疑わぬ気位の高いエルフをして、神の落とし胤か何かではないのかと思わざるを得ない程に、種族としての規格に反した絶大な魔力を有していた。何よりも、男は異常と言わざるを得ない魔法を先天的に生まれ持っていた。

創造魔法。陣と詠唱を理解し、魔法発生のメカニズムを識ることによって、あらゆる魔法を発動可能な異端(イレギュラー )

 

並ぶものなき、冠絶した文武の才。そして誰もが認めざるを得ない貴き血統。

男が五つの頃にはエルフの王に押し上げられるのも、ごくごく自然な成り行きだった。

 

 

男は、王となっても尚、退屈そうな眼を崩さなかった。

透徹とした硝子玉のような目つきで国を俯瞰し、常人であれば目を回す程の政務を数分で片付けてしまう。次々と新たな事業を打ち出し、確実な利益を打ち出しながらも国家の膿を吐き出し続け、国家中枢の機能健全化を図った。時には王自ら戦場に趣き、気まぐれのように敵兵を蹂躙する。敵国に神の眷属がいればまた話は異なったのであろうが、当時、神はそれほど下界に浸透しておらず、エルフが暮らしている辺境周辺などには神は一柱たりとて存在していなかった。

 

結果として王の進軍を阻むものはたち消えた。数十年もの月日が経過すると、国家運営の総てを王が担うこととなり、国力は過去類を見ない程に増大していた。

 

エルフからは森の神と崇められ、その脅威に怯える近隣諸国からは不老の冷血公と畏怖される。

それは正しく、後世において英雄と記された男の足跡であった。

 

しかし、男はやはり退屈そうな眼を崩すことなく、ぼんやりと宙を眺めていた。

 

人口としてはせいぜいが大きな村落程度の力しかなかった弱小集落からエルフ国家を樹立し、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長させたにもかかわらず、男はその結果に微塵も拘泥していなかった。

 

男が王としての職務を遂行していたのは、エルフこそが至高であるという苔の生えたような古ぼけた礼讃のためでも、世界を己が手中に収めたいという支配欲のためでも、酒池肉林を浴びるほどに味わいたいといった我欲のためでもなかった。

――否、ある種の我欲と言ってもいいだろう。

 

「……退屈だ」

 

男は、暇つぶしに国家運営を行なっていた。

生まれた頃からなんでもできた。三歳になる頃にはまともに話をできるようなヒトが存在しなくなった。そんな姿形が似通った奴らが助けてくれというので、どうせ暇だから助けてあげた。やってみると、少しだけ時間を潰せたので手慰みに遊んでみた。

 

男が王として国家を盛り立てたのはその程度の理由だ。経済から農業に至るまで政務の全てを取り行っているのも、絶対的な権力を自分に集中させるためではなく、時間潰しの種を他人に奪われてはたまらないためだ。

男は王という立場に固執はしていなかったが、存外王としての仕事は嫌いではなかった。何せ、簡単すぎてつまらないことに変わりはないが量だけは一丁前だ。幼い頃からの暇つぶし手段として、男はそれなりに国家運営ゲームを楽しんでいた。

 

だが、嫌いではないとは言ってもいずれ飽きが来る。退屈に命を取られそうになっていた男は、芝生に寝転がり雲の動きを眺めながら、ふとした思いつきを得た。

 

――この世界に面白いことがなくとも、他の世界には面白き事象が存在するのではないか?

 

世界の外を観測する。馬鹿げた理屈であるが、決して非現実的と断じることはできなかった。何せ、世界には神が存在しているのだ。世界の管理者、人類と世界を見守る者。そうした超常的な存在がいるのであれば、異なる位相に世界が存在しても決して不思議ではない。

 

思い立ったらすぐ行動とばかりに、男は異世界に干渉する魔法術式の開発に取り掛かった。

大抵の事柄であれば特に労することもなく、それこそ呼吸をするかのように結果を為し得てしまう男にとって魔法の研究というのは新鮮だった。

 

実に一週間という時を経て、異世界を観測する魔法は完成した。

男は興奮に胸をけたたましい程に鳴り響かせながら、しかしどこか寂しそうに眉を下げた。

 

初めてだったのだ。

苦労という経験と、達成感を得るという行為が。

 

恐らく、男とて独力で一からの魔法開発をしたのであれば、相応の年月を要しただろう。

しかし、暇潰しを追い求めてやまない男にとっては不幸というべきか、男は遠くの景色を覗き見る神の権能を一度間近で目にしたことがあった。0から1を作り出すのは天才の所業だ。1を100に引き上げるのは誰にでも――とまでは言わないが、弛まぬ研鑽と修練さえ積めばいずれ凡人でも到達可能な境地である。が、それでも効率の差というものは存在するわけで。男は周囲からして見れば目を剥くような速さで神の領域に指先を掛けた。

 

男は、人類未到の偉業を成したにもかかわらず、考えていることは平時と変わらなかった。もったいないことをした、気まぐれに神の誘いなどに乗らなければ、この魔法の開発でもっと長い間楽しめたのに、と。

 

過去を後悔しても仕方がないとかぶりを振った男は、折角開発したのだからと、これから異世界を覗き見るとは思えないほど、至極軽いノリで魔法を発動した。

 

――これが、()にとっての転換点(ターニングポイント)

退屈だった現実が瞬く間に塗りかわり、愚かにも太陽(ガラス)へと羽ばたかんとした第一歩だった。

 

 

 

彼が覗き見たのは、久遠の先の世界。月の裏側で行われた異常なる聖杯戦争。

 

第一に知覚したのは衝撃。

一拍置いて表れたのは、()()()という揺るぎない確信だった。

 

泥臭く瞳に闘志を滾らせる凡夫と、彼女に仕える厭世的で皮肉屋の弓兵。彼女らの戦いの一部始終も感嘆に値すべきだったが――やはり、彼女だ。

 

『私、貴方と恋をしたいわ……!』

 

メルトリリス。

優雅に苛烈に誇り高く。

最期を迎える刹那さえも己の在り方を貫いた美貌の女神。

 

「……会いたい」

 

――彼女がこの世界に来れば、この退屈な世界もきっと彩に溢れるはずだ。だが、会うなど土台無理な話だ。脳の冷静な部分が判ずる。

メルトリリスは遥か先の異世界に居る。仮に己が異世界に転移出来たとしても、同様の時間軸に存在出来るかは賭けの側面が強すぎる。そも、異世界に転移すること自体現実的ではない。観測は成った。しかし、それは辛うじてだ。技術的な側面では可能かもしれないが、単純に魔力が足りない。遠い世界を覗き見るだけで生来の大量の魔力と国庫に眠らせていた魔石を使い尽くしてしまった。

 

「不可能だな」

 

彼はかぶりを振って独りごちた。生まれて初めて抱いた夢を即座に優秀な頭脳が切り捨てる。幾千幾万のアプローチを思索し、破却する。彼の理性が、この夢を叶えるための行動は無為だと断じた。

 

「だが――私は、出逢ってしまった」

 

しかし、それがどうしたと彼は嘯く。

彼女に、誇り高く際限なく美しき女神に会いたい。

彼にとって理由は、それだけで十分だった。

 

不毛だ――知ったことか。

希望はない――希望は切り開く。

実現不可能だ――不可能を可能に変えた二人は既に観た。

 

彼の冷静な部分が彼を諌める。されど、彼は諦められるものかと無視した。

出逢ってしまったのだ、憧れてしまったのだ、夢を懐いてしまったのだ、なら、夢を叶えようと力を尽くさぬ理由が何処にある、と。

 

「このちっぽけな願いが叶うのならば全てを塵芥にしよう。私は私の為に。貴女という絶対者を一目見るといった陳腐な、誰もが呆れる願いを叶えるために人生を捧げよう」

 

倫理観も。正当性も。娯楽も。享楽も。苦痛も。笑顔も。友人も。躊躇いも。余暇も。夢も。憧れも。幸せも。金銭も。社会性も。健康も。尊厳も。誇りも。なにもかも――

 

何も要らない。

 

「生き汚く、無様に、罪に塗れようとも。ーー貴女様に出逢う、その日まで」

 

彼は胸の淵から際限なく溢れ出る衝動を篝火に、冬の夜空に身を投げ出した。

王としての責務も、肉親の情も、いままで築き上げてきた比類無き名声も。

総てを投げ捨ててただ一点を目指し道を駆け抜けた。

 

「ハッ……ハハッ…!!ハハハハハハハハハハッッ!!!」

 

彼はいつの間にか笑っていた。

何もかもがどうでもよかった。自分が行動を起こした結果事態がどう転ぼうと興味も無く、自国の民が戦争で通りがかりの冒険者とやらに鏖殺された話を聞いても眉一つ動かさなかった。

初めて自分の子を抱いた時も、母親を流行り病で亡くした時も、王位継承時から己に付き従った忠臣が権力闘争にて謀殺されても、彼は鉄面皮を一切崩すことは無く、ただ退屈そうに目を細めただけだった。

 

彼女を観てから彼は新たな経験に戸惑うばかりだ。

自然豊かな雄大な大地を逞しく思う、夜空に輝く天蓋の宝石箱を愛おしく思う、棒のように疲労を訴える足と激しい呼吸に喘ぐ肺さえ一興だと感じる。

 

「やはり、やはり貴女が!貴女こそが女神だ!!!」

 

この世界に跳梁跋扈する生物としての規格が上位なだけの、神を僭称する紛い物とはまるで違う。彼女を知るだけで、彼のモノクロな世界は色付いた。

 

「誰を救おうとする訳でもなく、その純粋な生き様だけで人の精神(こころ)を救ってしまう。そのような偉業を果たせる者こそが神でない世界など、絶対者でない世界など根本から破綻している!」

 

ならば――と彼は凄惨な笑みを浮かべた。狂気につり上がった笑顔とギラギラと妖しい光を放つ、狂いながらもどこか理知的な瞳は、神に身を捧げる狂信者その物だった。

 

「創ろう、呼ぼう、顕現させよう!!偉大なる女神をこの世界に!間違ったこの世界に!!!」

 

静謐な夜空に、太陽のような熱を孕んだ声が伝播する。

生まれて初めての狂気に身をやつして、彼は行動を開始した。

 

 

 

神に取り入り、迷宮に潜り、大戦に紛れ込んで神の肉体を創る事だけに腐心した。きっと幾星霜もの時が過ぎたのだろう。彼は己がどのくらいの時を研究に費やしているかなど、一々把握していなかった。

 

彼にも、諦めかけた時があった。

所詮ただの人が神を生み出すなどやはり不可能なのではないかと、その考えこそ傲慢にして不遜なのではないかと。

 

だが、暗い考えが脳裏を過ぎる度に、髪を掻きむしり、唇を噛んで己を叱咤した。

 

――女神は己を曲げなかった。

 

彼は、骨の髄まで一度その人生を覗き見ただけの女神に魅了されていた。

 

そして、遂に。

 

◆◆◆◆

 

培養カプセルの中の少女が静かに瞳を開く。

 

脂肪という脂肪が限界まで削ぎ落とされ、生物が達するであろう極限の造形美が追求された身体。淡い海を思わせる瞳と、光に照らされて天使の輪を描く艶やかな藍色の長髪。威容を放つ両足の具足。そして、切れ長の目元が特徴の涼しげな顔立ち。

 

――何よりも、苛烈で、誇り高い意志を湛えた瞳。

 

(嗚呼……)

 

隣で喚いていた神が天に送還された。どうでもいい。ノイズが消えてくれて有難いくらいだ。

 

女神――メルトリリスは神を切り裂いた刃を返し、彼の首を落としにかかった。

 

彼は自分の首元に迫る刃を認識しながらも、回避を試みる訳でもなく、ただただ、万感の思いで女神を眺めていた。

 

(やはり……美しい。私は間違ってなどいなかった)

 

笑みを浮かべて刃を受け入れる。毒を流し込まれ、情報体に還元されていく感覚さえ恍惚と味わいながら、彼は充足した達成感のままその人生を終えた。







世に生まれ落ちた時から絶対的な強者を運命づけられた退屈そうな化け物が、眠たげに細められていた瞳孔をギンギンにかっぴらいてたった一つの煌めきに妄執を抱く展開最高に好き。何だって掌握可能な天才がたった一つにどうしようもないほど心をわしずかみにされるって本当にいいですよね…!


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