異世界転移? 雑役船《マイムーナ》 (ないしのかみ)
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〈1〉

 

 ポワン河は大河である。

 幅数キロにも達する水面はグラン王国の東部地域を護る実質的な国境であり、東部から西部へ緩やかに曲がり、幾つもの都市を経由して西北部へ至る水運の要である。

 指定の箇所を通れば、外航大型船すら河の上流に遡航可能に川幅を持っているが、それは運が良い時だけである。

 

 その河上を行く雑役船(マイムーナ)は船体を揺らしながら、雪解け水で増水したポワン河を遡航していた。

 海軍所属だが、余り立派な船ではない。

 長さこそ25メートルクラスで河川用としてはやや大型であるが、中古の曳き船を改造したくたびれた船体を持つおんぼろ艦だ。

 

「あたしら、海軍だよね」

 

 ヤシクネーのギネス軍曹は今日、何回目かも判らぬ呟きを漏らしたが、皆、そのぼやきに慣れてしまっていたので返事はない。

 ギネスの上半身はちんちくりんの幼児体型。胸は膨らみが足りない。

 下半身ヤシガニの異様な姿の魔族であるが、南部、特に沿岸地方と呼ばれるここらでは珍しくない。

 河の左右に広がる農園では、同じヤシクネー達がせっせと働いているのも見える。

 右舷の農園が椰子畑。左舷の農園が果樹園なのは河の左右の環境が違うからである。椰子の木には同族のヤシクネー達がせっせと登って、椰子を整備している。

 

「まだ拘ってんの」

 

 紫色した蛇体の鱗を煌めかしながら、豊かな金髪を揺らして呆れた口調でフェリサ伍長が問うて来た。

 

「だって……」

「雑役ばかりなのは凹むけどね」

 

 蛇娘(ラミア)の彼女はくすくすと笑う。

 この船は河川航行に適した平底船の上、海の物とも山の物とも判らない蒸気機関を備えた他、乗組員にまともなヒト族が存在しない人員構成だ。

 ヤシクネー、ラミア、スキュラ等、多彩な人物が集まっている。海軍としては異様な組み合わせだが、雑役船が特殊任務な為にこう言う構成なのだろう。

 

「でも、河ばっかりなのは嫌だなぁ」

「工兵に回されたからには、こうなると思っていたわよ」

 

 工兵は海軍技術部の実践部隊である。

 造船所に回される普通の技術兵と違い、工兵は戦闘工兵とも呼ばれる兵科で、戦場では最前線に投入される部隊である。

 要は前線で構築物を作るのが仕事だ。弓や弩が飛んでこようと、魔法が炸裂しようが、最前線で陣地を構築し、進撃路を設置する。

 

「待機任務の方が良いのに……」

 

 ラミアのフェリサは「やれやれ」とばかりに肩をすくめ、当直である舵輪をからからと微調整しながら、河の進路に合わせる。

 

「戦争なんて過去の話だけど、工兵は常に実作業だからね。

 あたしは楽しいなぁ」

「フェリサは前向きね。あたしは海へ行きたかったわよ」

 

 海軍に入ったからには、ギネスは大海腹で航海するのが希望だった。

 しかし、配属後の配置は工作艦とは名ばかりのくたびれた雑役船。結果、彼女は一度も任務で航海した事が無いのである。

 

「そんなに海が好き?」

「その為に海軍に入ったんだもん。それが、来る日も来る日も河の上ばっかり」

「海の上での任務がないからでしょ」

 

 海上では技術職は確かに仕事が無い。

 海底の調査なんてのもあるが、長年の測量で未知の海域なんてほぼ無いし、天候測量は必須だが、船個々の担当士官の仕事で、チームを組んで測量する必要も無い。

 

「仕事は確かに無いけどぉ……」

「河の上は仕事だらけでしょ。機関長殿」

「その言い方、止めて」

 

 ギネスは耳を塞いで、いやいやと首を振る。

 その時、艦長のヤノ大尉が号令を発した。

 

「機関停止」

 

 幾つかのレバーを操作して、蒸気機関の伝達装置を停止させる。

 ゴトン、ゴトンと上下動していたビームが動きを止めるが、ボイラーその物の蒸気圧は落ちないのは、一旦停止させると再始動に時間が掛かるせいだ。

 

「機関停止。大尉、碇は投げ込みますか?」

 

 復唱と同時に尋ねるフェリサに艦長は頷き、「ん、一応、投げ込んでおけ」と追加する。

 河の上は常に上流から下流に流れがあるし、この時期は水量が増えて急流になっているから、、停船には碇を投げ込んだ方が確実なのだ。

 

 「水深に注意だ」とヤノ艦長は続け、吹きさらしのブリッジから前方を睥睨する。

 水かさが増して普段よりも急な流れが、済んだ闇色の瞳に映っている。

 

「流木もあるな」

「山から流れてきたのでしょう」

 

 春先の雪解け水には良くある光景だ。

 雪解け共に枝とかが流されているのだが、流石に幹の様な大物が見当たらないが、生えたばかりの青々とした葉が目に飛び込んでく来る。

 木造船体の、安普請なこの船にとって 衝突は避けたい所である。

 

「キーラ曹長、済まないが尋を測ってくれ」

 

 艦長命令が伝達され、下半身に生えた触手をにゅるにゅると動かしながら、潜水要員のキーラ兵曹が甲板中央に開いた穴へ向かう。

 蓋を開けられ。一見、プールみたいに見えるが、それは船底まで通じている穴だ。

 普段は人魚族(マーメイド)や、キーラみたいなスキュラ族の様な水棲種族の水中出入り口だが、時には搭載潜水艇の出撃口にもなる。

 

「じゃ、飛び込みまーす」

 

 水着姿のスキュラが片手を挙げて甲板の穴へ飛び込んだ。

 何故、紺色したこの服がキュースクと呼ばれるのは、古代語関係なので判然としないが、少なくとも彼女には似合っているし、仄かな色気も醸し出されている。

 

「漂流物に気を付けろよ。増水してるからな!」

 

 まだ頭を見せているキーラ曹長へ、艦長の大尉は声を掛ける。

 曹長は片手を挙げると、水音を立てて無言で潜水へ入った。

 

「今年も流れてくる土砂が多いな」

「だから、平底船が大活躍ですよ」

「言うな、機関長。我々の仕事が減る」

「仕事……ですか」

 

 毎年春先は雪解け水で川が増水する。

 水が増えるだけなら問題ないが、水流に流されて礫や岩が転がってくるのが問題なのだ。

 船底が深い外洋船は、川底にある岩にぶつかって座礁してしまう危険が有り、座礁せずとも孔が開いて沈没しかねない。

 そんな訳で、大型の外洋船が乗り入れられるポワン河でも喫水の浅い平底船が大活躍なのだが、それでも輸送効率を考えると海から直接河を遡航するメリットは大きい。

 河用に荷を積み替える時間を考慮すれば、大型船で直接、目的地へ到着させる方が経費も時間もお得なのである。

 

「そんな河の状態を把握するのが、我々の仕事でしょ」

「地味だからぁ」

 

 ラミアの言葉に同意はするが、ギネスの不満はそこにあった。

 海洋任務みたいな胸躍る展開は期待出来ず、城壁を作ったり造船に精を出す人々から注目される行為も無く、誰からも省みられない測量と土砂相手の現場工事。

 ひたすら地味なのである。

 

「河の安全は大切だよ」

「う……だけどさぁ」

 

 そんな時、河面にざばりと何かが浮かび上がる音がした。

 先程、飛び込んだキーラ曹長だが、片手に何かを抱えている。

 

「艦長、ヤノ大尉!」

「何かあったのか、曹長」

 

 悲鳴の様な叫び声に、思わず艦長以下が舷側に駆け寄る。

 ざばざばと波を立てて、彼女が近付いて来る。

 

「し、死体を拾ってしまいましたぁ」

「は?」

 

             ◆       ◆       ◆

 

 キーラ曹長が発見したのは人間だった。

 いや、性格に言うならば〝生きた〟ヒト種の少年だ。死体と思ったのは勘違いで、その人物は水中で息もしていたし、キーラ曹長が抱き抱えた部分以外は濡れている箇所も無く、服装も装備も乾いていた。

 しかし、意識はなく、昏々と眠り続けていた。

 

「何処の人間なのでしょう?」

「東方の皇国人に似ているが、服装は西方風だな」

 

 黒い瞳に黒い髪をした容貌を見詰め、同じ風貌のヤノ大尉は自分の和服に目を走らせながら、ギネスの問いを返す。

 《マイムーナ》の医務室。ヤノの艦長としての私室でも有り、非常時には負傷者が入室し、彼女が聖句魔法を発動する狭い船室には、例の少年が担ぎ込まれている。

 

「武装は?」

「らしき物は見当たりませんが、かなり高度な持ち物を持ってます}

 

 ギネスは彼の両手に填まったブレスレットを指摘し、その加工技術を指摘した。

 ガラスと思われる表面の裏側に、何やら文字盤と動く針が見えている。最近開発された懐中時計にも似ているが、サイズはかなり小さい。

 

「ふむ、面妖な」

 

 仮にも王国海軍の工兵なのだ。技術面での蓄積はあってそれが高いテクノロジーで製作された品なのは、一目瞭然であった。

 

「で、如何しましょう?」

 

 艦長は東方皇国人の血を引く生まれで、西方で生活していても公家であった両親から皇国の姫として育てられた過去を持つ。だから立ち振る舞いも、服装もなるべく東方風にしているが、やはり生まれも育ちも現地生まれなので、両親に言わせると〝西方のお転婆娘に育ってしまった〟らしく、成人すると海軍士官学校に入り、士族位を得てこうして大尉まで出世しているのだ。

 

「東方人の特徴を持つ西方人か。私と同じ様な類いなのか……」

「このまま昏睡しててくれれば助かるのですが……」

「誰か監視に付けたい所だが、本艦に余ってる人員なんか無いからな」

 

 いつまでも躊躇している暇はない。

 とにかく河川での仕事がある。海軍として作業は待ってくれないのだ。

 

「キーラ曹長による探査は続いているな?」

「はっ、大物の岩を発見したそうです」

 

 大尉は「そうか。日が暮れる前に作業は終わらせたいな」とごちると、小袖と朱袴を翻して船室を出る。

 慌てて後を追うギネスだが、船の中は狭いので中々大変だ。

 特に彼女の様なヤシクネー族はヒトから見ると幅を取るので一苦労で、これは大航海時代になって船が改良されて数世紀を経ても、余り変わっていない。

 ヒト種よりは亜人、魔族向きになって個々のサイズも大きくなったのだが、やはり船は船で通行不可能な狭い空間が、〝何とか異種族でも通れそうになっている〟程度の違いでしか無い。

 

「機関長。デリックの方の操作を頼む」

「はっ」

「夕方までに何とか終わらせて、港に入りたいな」

「同感です」

 

 上甲板に出ると艦尾へ向かう。

 

「その頃までに眠っててくれれば、手間要らずなのだがな」

「放っておくのですか」

「仕事が優先だ」

 

 艦尾は広い作業場で、例の甲板の穴は板で蓋をされている。そして中央にそそり立つのが、この雑役船の象徴とも言える起重機(デリック)である。

 蒸気機関で動くこの無骨な機械こそこの船の肝とも呼べる存在で、艦首に申し訳みたいに付いている軍艦としての弩砲(バリスタ)は、飾りにも等しい。

 

「ギネス軍曹」

「デリックを動かす。バケットの準備を頼むわよ」

 

 ヤシクネーの何名かの部下が近づいて来るが、ギネスは指示を出してデリックに駆け寄ってロックを外した。

 左右に旋回可能な状態を確認すると、今まで推進器に直結されていた機関部に近付いて、貯めていたボイラーの蒸気をこちらへと切り替える。

 その間、部下たちはデリックの先に括り付けるロープと(パケット)を後甲板に広げ、作業が次の段階に入るのを準備している。

 

「右舷だったわね」

 

 蒸気を上げて動力を得たデリックが右舷側に突き出した。

 水面に顔を出しているキーラ曹長が、手を振って「この下」と位置を知らせてくれるから、河面へバケット一式が投げ込まれる。

 キーラ曹長はそれを受けて、再び水面下に潜る。

 

「彼女独りで大変よね」

「もうちょい、水中作業員を回して欲しい所ね」

 

 いつの間にか、ギネスの側にフェリサがやって来ていた。

 

「それは贅沢な悩みね。同じ魔族でもキーラなんかは特殊よ」

「水の中で息が続き、自在に泳げるスキュラ族は海軍でも希少な存在……かぁ」

「あたしらとは違うって」

 

 ギネスは呟く。

 ヤシクネーは水中生活に適応していない。下半身がヤシガニでも鰓室を開けて泳ぐと溺れてしまうからである。

 

人魚(マーメイド)は……」

「海軍なんかに来ないよ。民間で仕事していた方が遥かに儲かるから」

 

 海獣使いの知り合いを思い出す。

 他に船を誘導する水先案内人(パイロット)も高給取りな仕事だ。貧乏人の出で何とか海軍職にありついたギネスにとって、彼らは羨望の的だった。

 

「あ、準備出来たかな」

 

 再び浮上したスキュラを見て、軍曹はそう判断する。

 ご丁寧に両手に掲げた手旗信号で今の状態も知らせてくれるので、作業が楽だ。

 

「では初仕事行きますか」

 

 動力源をギアに繋ぎ、轟音を立てながらデリックがゆっくりとローブを巻き取り始める。

 緊張の一瞬だ。

 南国産のジュートで織られたロープは強いが、ワイヤーほどの強度は無く、水に濡れると耐久性もやや怪しくなるから、急激に引っ張ると切断事故になりかねない。

 では何でワイヤーに代えないかと言えば、単に値段の問題であるのだが、単純に十倍差はあるので文句は言えない。

 

「慎重にね」

「分かってるって」

 

 ボイラーから発生する蒸気が激しく噴き出す。

 ぎ、ぎ、ぎと音を立てて、マストからゆっくりと旋回するデリックの様子を見ながら、『油を塗らなきゃなぁ』と考える。今朝方も含め雨の日が続いたから、デリックに錆が発生しているのかも知れない。

 まぁ、技術科の連中なんて道具が好きで海軍に入ったみたいなものだから、例に漏れず、ギネス軍曹も機械の整備は好きな方だ。

 やがて旋回は終了し、巻き取りの動作に移る。

 

「どんだけ大きな岩があるんだろ」

 

 デリックに掛かる負荷に、ロープの先に吊された荷物の重量に顔をしかめる。

 抵抗感からするとサイズはかなり大きめである。慎重にロープをドラムでたぐり、格闘する事、約二十分。

 水面上に直径五メートルはありそうな、巨大な岩塊が姿を現した。

 

「ぐわっ、でかいねー」

「こんな物まで流れてくるんだ。堪らないな」

 

 再びアームを旋回させ、船上へと位置を戻して荷物を降ろす。

 全てが完了するまで約一時間。

 バケットに包まれた褐色の岩塊は、見上げる様な巨体で水に濡れてぽたぽたと雫を堕としている。ずんと船の喫水が下がった様な気がした。

 

「これが最大の大物だよ。前後、河の二キロの範囲には後は小岩だけね」

 

 にゅるにゅると触手を動かしながら、船上に上がったキーラ曹長が近づいてきた。

 フェリサが河の地図を取り出すと、キーラは何カ所かの地点を指さして水深を書き込んで行く。

 

「ふぅん、大体、水かさはこの程度の増水か」

「今は大型船が通っても何の問題も無いけど、あれが転がってたら通常時は危ないでしょ」

「このクラスの土砂が、後どの程度あるんだか」

 

 フェリサは操船科らしく、安全な航路を見当しているみたいだ。

 岩の周囲には既に作業員がわらわら取り付いて、船が揺れても岩が転げ落ちない様に固定を開始している。

 その舷側をひっきりなしに航行するのは商船だ。ポワン河は交通の要衝なのである。

 

「デリックの出番はここまでだね」

「そうだね。もう陽も落ちるから、寄港準備した方がいい。軍曹は艦長に具申を」

「そう言うのは操船科の仕事でしょ。あたしはデリックの点検」

 

 フェリサは「違いない」とぺろりと舌を出す。

 そんな中、「そろそろ烹水科の仕事に戻るよ」と告げてキーラが船内へ消えて行く。

 キーラ曹長の専門は烹水員。つまり艦の台所を預かる料理人で、水中作業員として仕事は、単にスキュラであるから任された臨時職に過ぎない。

 もっとも、この《マイムーナ》みたいな小艦艇は、人員不足から全員が兼職するのが当たり前みたいになっている。艦長ですら艦医との兼任だから、その人材事情は推して知るべしと言う所である。

 

「そっか、午後五時だからねぇ」

 

 船内時計をチラリと見ると、既に日没が近いのが分かる。

 そろそろ食事の仕込みに入らないと、夕食時間に間に合わなくなるのだろう。

 

「ここからは操帆で遡航するよ」

「え、蒸気は使わないの?」

「デリックの点検に時間取られるでしょう。それなら早めに入港したいよ」

 

 確かに蒸気機関を動かして船を航行するのと、デリックの点検を同時にこなすのは難しそうだ。

 

「幸い、途中に橋も無いからね」

「ん、任せた」

 

 艦長命令が来る前に、操船科の連中が集まって起倒式にマストを立てると、立派な横帆がダラリと垂れ下がった。

 

「艦長から伝言。〝直ちにゴルカへ向かえ〟だそうです」

「ん、碇を上げろ」

 

 フェリサは命令すると、そのまま艦橋へ移動する。

 艦橋と言っても吹きさらしのお立ち台に、ぼつんと舵輪他の機器が並んでいるだけだ。

 

「我が前に風を巻き起こせ、【送風】!」

 

 呪文と共に、フェリサの得意な風魔法が発動する。

 一応、彼女は風属性魔道師だ。だから操船科に籍を置いているとも言えるが、動力船が発明されたとは言うものの、まだまだ帆船は現役バリバリで、特に運行に経費が掛からない点が高評価である。

 帆が膨らみ、碇を抜錨した《マイムーナ》が徐々に動き出す。

 

「軍曹。ボイラーを落としますが」

「手順通りにやってね。マチュア」

 

 マチュアは同族で、この前に入ったばかり一年兵だ。

 瑠璃色の外骨格を持つ可愛い見た目で、まだ成人に達したばかりの幼い新兵だが、部下として配属されて来たから、ボイラーの操作をこうして手取り足取り教えている。

 

「難しいですね」

「その内、慣れるわよ。あたしだって専門家じゃ無かったんだし」

 

 たまたまボイラー操作の免許を持っていたから、いきなり機関長に抜擢されたのはほんの一年前だ。

 海軍に入る前は工場で据え付け型の搾油機を扱ってたからと言う理由だ。確かにアブラヤシを蒸して、油を絞るボイラーを操作はしていたが、海軍でこんな蒸気機関を扱えと言うのは畑違いである。

 しかし、海軍にも蒸気機関なる新技術を使いこなす専門家は少なく、〝ボイラー操作の扱える奴なら、まぁ、似た様な者だろう〟とばかりに配属されて、ギネスは今や《マイムーナ》の機関長である。

 

「貴女にボイラー技士の資格を取って貰わなきゃ、引退出来ないわよ」

「うぇぇぇぇぇ」

「ま、免許を取れば、来年には下士官になれるわよ」

 

 マチュアの顔がぱっと明るくなるが、これは本当だ。

 ボイラー資格は特殊技能だから海軍としても専門家が欲しいので、普通の兵よりも昇進が早くなる。

 二等兵から一発で上等兵に、上から「その階級じゃ、機関長を名乗るのに困るだろう」とあれよあれよと伍長に任じられた去年のスピード出世は、ギネスから見ても嘘だと思った程である。

 

「わぁ、お給料が増えますね」

「頑張りなさい」

 

 とにかく回路を切り、蒸気の発生を停める。

 缶水が使った分だけ減っているのを確認して、水タンクに河の水を補充する。海水を使うと缶の内部が塩だらけになるので、真水しか使えないのが欠点だが、幸いここはポワン河の真上だ。幾らでも真水が取れるので安心だった。

 

「とは言え、重労働ですね」

「陸さんみたいに重装備背負って行軍するのに比べたら、天国よ」

 

 手動ポンプを何回も押しながら、夕闇迫る中、ボイラーの停止を確認し、デリックの各部にグリースを塗る作業を完了する。

 右の鋏脚を振り上げて、鋳鉄製のデリックを叩きながら打音計測を済ませると、船が港へ入る位置に来たらしく、河港の堤防を越えて行く場面であった。

 

「こっちは点検完了した。マチュアは?」

「了解。軍曹は最終確認を」

 

 ここはマチュアに任せてはいるが、ボイラーの管理責任者はギネス軍曹である。

 軍曹はコンソールへ駆け寄って、どうなっているか最終確認をする。遠くから操船科の怒声が響いて来る。

 

「接岸急げ」

「縮帆、マストを倒せ」

 

 やがて小さな雑役船は停船し、碇によって船体を固定した状態で立ちすくむ。

 接岸の衝撃で船が揺れ、無事に河港へと入港出来た模様であるのを感じ、ギネスは作業から頭を上げた。

 夕闇が迫り、舷側には渡り板が掛けるべく、何人もの水兵が走り回っている。

 

「着いたのか」

「みたいですね」

 

 埠頭のポラードに舫いが繋がれるのを見て、ギネスはやれやれとばかりに肩の荷を降ろす。ここは小さな町だが、少なくとも生鮮食料には事欠くまい。

 

「少し早いが、当直じゃないから本日は仕事納めだ」

「夕食、何でしょうね」

「案外、良い物が食べられるかも知れないな」

 

 寄港すれば新しい食料が調達出来る。と言う事は今まで食べて来た古い在庫の方は使い切る必要があるので、寄港直後は量が増えたり、メニューが多彩な豪華版の食事が提供される可能性が高いのだ。

 

「楽しみですね」

 

 右と左の鋏脚を擦り合わせながら、マチュアが嬉しそうに微笑んだ。

 ヤシクネー一般が大好物の椰子の実が出るかも知れない。

 出航後、三日、工作艦《マイムーナ》は下流の町ゴルカへ入港した。

 

 

〈続く〉



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〈2〉

勇者は中二病かも知れない。


             ◆       ◆       ◆

 

 船上にはでかい岩がゴロリと転がっていた。

 ヤシクネーの水兵が脚を鳴らしながら、カタカタと歩き回っているのは船倉に移すか否かを調べているのである。

 

「質は悪いな」

「城壁には使えませんね。朝一で港へ降ろしましょうか」

 

 兵達の会話から、どうやら結論は出ている様だ。 

 小艦艇に属する《マイムーナ》は、やはり船体積載量に限りがある為、搭載量を圧迫する様な荷物は余り載せられない。

 まして船倉は手狭の上、領都エロエロンナから歩いて数時間な距離であるにも関わらず、隣町のゴルカまで三日も掛けた理由が、途中の随所随所で測量し、更に危険地帯の土砂を浚渫(しゅんせつ)していた為である。

 当然、途中で掬い取った土砂は土はともかく、小石混じりの砂利は本船へと収納してある。まだ少し余裕があるが、これからの事を考えると余裕は一切無い。

 

「砂利回収業者への連絡は?」

「済んでます。あ、副長」

 

 やって来たのは脚部が鳥脚の海軍士官。魔鳥族(セイレーン)のエトナ中尉である。

 若くて階級も高くないが《マイムーナ》の艦長は大尉だし、船の乗組員総員で三十名も居ないから副長の座に納まっているのだろう。

 古代風のシェンティを身に付け、長い金髪をストレートに降ろしているが、光の具合によっては銀緑色に見える不思議な色彩だ。ちなみに脚部の羽毛は若草色である

 

「ご苦労。作業は早めに切り上げて夕飯を取るのじゃ」

「はっ」

 

 敬礼に返答しつつ、手元にカンテラを掲げながら中尉は鎮座している岩を観察する。

 既に日没してから時間が経ち、周囲は次第に闇が濃くなりつつあった。セイレーンである副長は〝鳥目〟と思われがちだが、別に夜間は見えにくくなるだけでヒトとの差は無く、逆に鷹などの猛禽類並みに視力が良く、本艦では望遠鏡要らずの監視員としての名を馳せている。

 だが「いや、それでも夜間飛行は苦手だ。御免被る」と本人は謙遜するが。

 

「砂岩だのぅ」

 

 茶色で乾きつつある岩を一瞥すると、その表面を触った感触で副長は断言する。

 触った箇所からぼろぽろと崩れるのは、硬くない砂岩質の特徴だ。この柔らかさから城壁は無論、建物の土台にも使えない。

 

「これでは売り物になりませんから、砕いて捨てるしかありません」

「砕くのも手間じゃな。港に降ろして引き取って貰うしかあるまい」

 

 建材として使える岩ならば、そこそこの値段で売買するのも可能だろう。

 しかし、それ以外だと何の価値も無い。河の中へ放置するのも砕かない限りは航行を妨害する単なる邪魔者で、脆いと言っても船底に穴を開けるだけの硬さもあるから、厄介な代物だ。

 かと言って砕くにも労力が掛かる。それまで船上に置いておくのも船のキャパシティから無理だから、この港へ陸揚げして処分して貰うのが最善の方法だった。

 

「朝一番で、川砂利と一緒に降ろす予定です」

「ん、機関長には私が言っておくのじゃ」

 

 鮮やかな緑色の羽毛を棚引かせながら、エトナ中尉は船室へと引き上げる。

 吹きさらしのブリッジの下が一段高くなっており、そこにトップデッキが設けられているが、内部は数室ある士官室と航海室、厨房で占められている。

 士官は二人切りなので、多くの部屋は別の目的に転用されている。例えば、倉庫や娼妓室とかだが、幸か不幸か《マイムーナ》には女性兵しかいないので、余り利用される事は無い。

 

「あ、艦長」

「副長か、今、どうしようか考えていた」

 

 航海室。海図(今は河川図)が広げられたテーブルの向こうに、和装も美しい艦長のヤノ大尉が座ってた。東方人の血を引く人形的な異国的な情緒に思わず我を忘れてしまう。

 小型艦の狭い私室より、ある程度の広さがあるので航海室は使われる頻度も少なく、士官の溜まり場として使われる事が多い。当然、艦長も副長も任務が無い時にはここにたむろしていた。

 

「拾った少年の話かや」

「うむ。本来であれば母港へ帰るべきなのだろうが……」

「出港してから、僅か三日じゃからの」

 

 任務も途中だし、まだ舳先を翻して領都へ戻るのは早すぎる。憲兵か何かに引き渡せれば良いのだが、当分、この先に軍事施設はないし、同じエロエロンナ領でも配下の子爵家や男爵家の封土であるのが多く、現地の治安組織に引き渡すのも躊躇われた。

 

「只の遭難者では無さそうだが、ずっと寝ているのでは手出しも出来ん」

「所持品じゃな」

 

 ヤノ大尉は頷いた。

 少年が所持していた工芸品の数々。それは技術者集団である彼女らの目から見ても、異様な代物だった。

 まだ掌の大きさにしか小型化の出来ていない携帯用の時計。だが、少年の手首に填まった時計らしき物、腕時計とでも呼ぶべきだろうかは、今までずっと作動している。

 

「発見したのは水中だぞ」

「水が入って、浸水するのに動いてるのぉ」

「信じられんが、完璧な防水機能を持っているのか。まさかな」

 

 今の懐中時計では不可能である。

 元々、時計の小型化はかのビッチ・ビッチン提督のお声掛かりで、半世紀以上掛けて置き時計から進化した物で、まだ防水機能は不完全だ。

 一応、海水に濡れた程度では問題なく作動するが、長時間水に浸ければ壊れてしまうのが、このエルダ世界では普通であった。

 

「最近はパッキンが進化しておるが……。流石にあれだけ小型化するのはの」

 

 副長の疑問に艦長は、「とすると、超古代文明の遺失技術か」と顎を撫でて考え込んだ。

 超古代文明は、魔族がこの世に現れる前、ざっと今から一万年もの昔に突如、滅びた謎の高度技術文明だ。

 魔法を利用しない超技術で星船(エトロワ)さえ建造し、遙か彼方の星界をも支配していたと言うが、時折見付かる、遺された遺産がその存在を伝えるだけで、その全体像は判らず、大抵はお伽話として各地に伝承が残るのみだ。

 

「盗人である可能性もあるが……」

「盗掘者が新たな遺跡を発見したのか。有り得るが、しかし、皇国人が?」

「そこなのだよな」

 

 彼ら互いには顔を見合わせた。

 未知の不可解な事実が多すぎる。この艦の最高責任者と言っても、二十歳そこそこの若い軍人で、経験も多くない下級士官に過ぎないから、こんな時、どう対処しようか迷ってしまうのだ。

 気楽に測量と、事故を未然する防止だけの清掃作業を行うだけの航海かと思っていたが、どうもイレギュラーな闖入者のお陰で、一波乱有りそうである。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 物を焦がす、気持ちの良い爆ぜる音が鍋から響いて来る。

 気合いの入った「ほいっ」との号令と共に、食材が丸い炒め鍋から宙を飛んで再び着地する。

 

「ここで酒ほひと垂らし」

 

 キーラ曹長が酒瓶を掴んで振りかけると、途端にアルコールに引火して鍋が燃える。

 しかし慌てず騒がず、お玉が何往復かすると炎は消えて今夜のおかずの出来上がりだ。

 

「よし、こんな物だろう」

 

 大炒め鍋から手早く、さっさと大皿に炒め料理が盛り付けられる。

 ドライトマトが絡んだザケと称する紅肉の干し魚。彩り用に豆が散らされた中、紫色のナスが良い味を出している。辛みに放り込まれた唐辛子が南国風味と言うか、エロエロンナ風である。

 烹水科の職場である厨房は、狭い艦内の中でもそこそこの広さが与えられている。ここでスタッフの五人は他の職場と兼任しつつも、食事時はこの聖域で必ず集まっていた。

 

「曹長、相変わらず凄い腕ですね」

「実家じゃ、それ程褒められなかったぞ。と、パンは焼き終わったのか」

「良い具合ですよーっ」

 

 バン焼き窯が開けられ、二度焼きされた平形の皿パンを目にして、「ふむふむ」とばかりに曹長は頷く。ライ麦粉が粗くて低価格の品で兵食なんてこんな物だが、これでも河川部隊だから一般の航洋部隊に対して食糧事情が優れているのが大きな強みだ。

 乾パンに干し肉なんて当たり前で、何ヶ月も窮乏生活を覚悟する洋上生活を過ごす彼らに対して、水も食料も寄港すれば手に入り放題だから、陸上生活に近い食生活を送れる。

 代わりに予算の関係から安物しかないが、虫の湧いた食料を食べるよりは圧倒的に恵まれていると言えるから、それが河川部隊の自慢だった。

 

「何とか間に合ったな。椰子の実は全員に用意しておけ」

「了解」

 

 ヤシクネーにとって椰子の実は主食だ。普段はこれ一つで食事を賄う事もある。

 中の水を飲み、内側のコブラを削って食べるだけでもヤシクネーにとっては最高の食事なのだ。これに肉や魚の副食が付き、ついでにパンなどが加わると彼らにとって大変なご馳走である。

 椰子の実は今度、この港で新しいのを補充するので古いのを使い切るから今夜は大盤振る舞いだ。豪華版の夕飯になるだろう。

 

「暖かい内に食堂に運べ」

「はーい」

 

 カンカンとお玉で鍋を叩きつつ、部下に急く曹長。

 階下の食堂に昇降機(エレベーター)で大皿とパンが降ろされる。人力で転把をぐるぐる回し、階下に届けられる中、温度が関係ない椰子の実は厨房から烹水員の手で運ばれる。

 

「そう言えば、曹長が拾ったあの少年。何を食べるのかなぁ?」

「ヒト種でしょ。あのナスのトマト炒め、絶品だと思うけど……。東方人って辛いのに大丈夫なのかしら」

 

 運ぶ最中、まだ意識不明で昏倒している人間に対し、何を食べるのか推測する部下達も二十歳前で年頃の女の子だ。軍人と言えど世間話に花が咲くと無駄口が多くなる。

 キーラ曹長はスキュラの触手を振り回しながら、素早く料理の後片付けを行っているが、仕事を行っている限り、軍規違反だとは咎めたりはしない。

 

「あの少年まだ目覚めないのか。今、誰か付き添いは?」

「ラタ上等兵。えっと、機関長の班で見ています」

 

 部下のネコ耳族の従兵からの返事に、曹長は脱ぎかけのエプロンを元に正した。

 あの少年用の食事がすっかり抜け落ちていたからである。

 

「そうか。今から東方料理でも作るか……」

 

 一応、実家で一連の異国料理は叩き込まれたが、『東方の皇国料理は白い白米ご飯が基本だったかな』と思い出す。白米は変な風に炊くとおこわになったり、生煮えになるので中々難しいし、米の種類も西方米と違うから、ちょっと出来映えが違うらしい。

 

「ま、無いよりゃマシだろ」

 

 覚悟を決めて、キーラは用意した陸稲を手早く洗い出した。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 機関長に言われ、たまたま手空きと言う立ち位置で少年の看護に当たっていたのはラタ・サリヴァン上等兵だった。

 未成年の頃は貧しい鶏農家で鶏の世話をしていたらしいが、一念発起して海軍に志願して水兵になった良くある口である。大人になってから数年を過ごし、功労賞も貰って兵士としては最上級の上等兵となったが、これ以上は下士官を目指すしか道は無い。

 更に下士官から叩き上げで士官になる道も道もあるが、下士官試験に失敗し続けているので前途は長そうだ。

 

「よく眠るなぁ」

 

 医務室で相変わらず、寝息を立てている東方風の人影を一瞥する。

 年の頃はティーンエイジャー。しかもミドルティーンに見える。だから実年齢は自分と同じ位である。黒髪に筋肉質では無い均斉の取れた身体が異国風だ。 

 

「ご苦労さん。これから、当直だろう」

「あ、機関長」

 

 医務室に顔を出したのはギネス軍曹であった。直属上司を前にばっと敬礼するラタ。

 軍曹は両鋏脚を左右に振って『敬礼は不要』とゼスチャーしつつ、室内へと入る。ヤシクネーの身体は大きく、狭い医務室が圧迫されて息苦しさを感じる。

 左右に突き出ている六本の脚部が、ヒトの三倍は幅を取ってしまう為である。

 

「夕飯も食べたし、あたしが代わろう」

「すいません。では機関室に向かいます」

「夜食はあっちで用意してあるって、烹水員が言ってた。あ、それとこれ」

脇に抱えている椰子の実を渡す。ヤシクネーの好物だが、勿論、他種族だって大人気の食材だ。特に内部に詰まっている爽やかな風味のココナッツ水は人気のある食材である。

 

「全員に一個配られたよ。はい」

「ありがとうございます。あれ?」

 

 受け取った後、ラタは横を見てある事に気付く。ぴくりとも動かなかった少年の身体に異変が起こっているのをだ。

 寝台に横になっていた身体全体が、青白い燐光に包まれている。オーラ光か魔力を帯びた光なのかは、ラタが魔術師ではないので判別が付かない。

 

「きっ、機関長」

「騒ぐな。今、艦長に報告する!」

 

 慌てかけるラタ上等兵のパニックを抑えるべく怒声を発するギネス軍曹。

 ラタと違い、魔族として魔術の才能を持っていたギネスは光が魔力を帯びた物に見えたが、やはり錬金術師の様な専門家では無い為、 それがどの様な性質の光なのかの分析は不可能で、大雑把に魔力を帯びた物としてか分からなかった。

 

「どうすれば良いんですかっ?」

「監視だ。直ぐ戻る!」

 

 言うなり、脱兎で医務室から廊下へ消える軍曹。

 椰子の実を抱えたラタはおろおろして見守るしかないが、その間にも事態は進行していた。

 青い光は少年の身体全体を包み込んだのみならず、いつの間にやら、その身体を寝台から数センチ浮かび上がらせていた。無論、少年の身体と寝台の間には何も無い。

 

「な、何」

 

 すうっと医務室の室温が低くなる。ラタは思わず腰に吊ってある船刀(カトラス)の柄に手を伸ばすが、魔剣でも無い武器が何の役に立とう。

 硬質な音が耳朶を打つ。良く見ると寝台のシーツの上に霜が覆っている。室温が低くなったのは気のせいでは無く、奴の周囲が温度を下げていたのだ。

 霜が成長し、うっすらと表面に氷が覆う様になった時に少年を包む青い燐光に変化が生じた。びきっと表面に亀裂が生じ、ガラスが割れるが如くそれが細かい破片となって飛び散ったのだ。

 

「うわっ」

 

 思わず声を発して顔を背ける。

 破裂する際、一瞬強めの閃光を放った為に視界を奪われたが、飛び散った破片が身体に当たった感触は無い。目を開けると青白い破片がどろりと融ける様に形を変え、更に大気中に消え去りつつあった。

 

『消えて行く?』

 

 良く見ると彼女の身体にも幾つもの青白い残骸が纏わり付いているが、それは気化して消えて行く。はっとして目を移すと、霜と氷が一面を覆った寝台から少年が身を起こしつつあった。

 

「う、魔族の奴らめ……時間凍結の魔法を掛けやがったな」

 

 少年の第一声がそれである。呆気に取られて見詰めているとゆっくりと彼は身を起こし、二、三度激しく、黒髪の頭部を振る。

 

「ここは……おい、前は何者だ!」

 

 こちらに気が付いたのであろう。カトラスの柄を握ったままのヒト族の軍人に、東方風の少年は鋭い問いをかけて来た。

 

「ラタだ。ラタ・サリヴァン上等兵」

 

 睨み付けられると反抗心が起こり、ラタはしっかりと彼の顔を見て返答する。

 少年は黒髪に漆黒の瞳と、こちらで言う所の東方人の様な姿である。ただし東方人が纏う〝キモノ〟と称される直線裁ちの服装では無く、身に纏う姿はチョッキにズボンと言う西方風のスタイルをしている。

 

「上等兵? 軍人なのか」

「ここはグラン王国海軍、工作艦《マイムーナ》の艦内だ」

 

 少年は首を傾げ、「上等兵って軍に階級制度があるのか。木造船だから中世程度のレベルだと思った」とかぶつぶつ呟いている。

 

「艦長を連れて来たぞ!」

 

 廊下側の扉が開いて、急にギネス軍曹が飛び込んで来た。

 少年は彼女を見て顔色を変え、身を起こして立ち上がるとラタの前に出た。

 

「魔物っ」

「は?」

「アラクネーの亜種だな!」

 

 アラクネーとはギネスと同じく胸部に人間の上半身が生えていて、糸を吐いて相手を絡め取る巨大蜘蛛である。それとヤシクネーは同じ節足類なので似ているが、人間を捕食する魔物と呼ばれる様な種族では無い。魔族であるが普通に人類である。

 

「何を言ってんの」

 

 当惑気味の機関長を置いて、ラタを庇う形で前に出た少年は「ラ・ブームっ」とか叫んで両手を前に突き出した。

 が、何も起きない。沈黙が流れる。

 

「? な、何」

 

 暫しの沈黙後、思い切ってギネスは尋ねると、少年は「馬鹿な、なぜ発動しない」と呟きながら左右を見回し、後で様子をうかがっているラタ上等兵の腰に手を伸ばした。

 ラタの手を撥ね除けて、カトラスの刀身を一機に引き抜く。

 

「危ない。ちょっ、洒落にならないよ」

「魔物め、成敗っ!」

 

 鈍い鋼鉄の光が瞳を射貫く。

 こちらに向けられた真剣に身構える機関長は、自分が丸腰であるのに気が付いた。普段なら軍人として帯剣しているのだが、非番で仕事も終了してしまったので、自分の部屋に外して置いて来てしまったのだ。

 自己防衛として咄嗟に鋏脚を全面に翳したのと、少年が一撃を放ったのがほぼ同時だった。

 

「くうっ」

 

 当たり前だが鋏が痺れる。ヤシクネーはヤシガニと同じく、前脚が二肢の巨大な鋏となっているものの、鋼鉄の武器を受け止められる強度を持っているかと問われれば疑問である。

 カルシウム分の殻は硬いが鋼鉄程の硬度は無いからで、メイスとかピックなんかの打撃や貫通武器なんかが相手だと、鋏は割合簡単に割れてしまうからだ。

 

「少年、武器を収めよ」

 

 そこへ鋭い声が飛ぶ。戸口に建つのは艦長のヤノ大尉だった。 

 

「機関長。怪我はどうか?」

「痺れただけです。いや、殻に亀裂が入ったかな」

 

 数打ちで、短くて軽量な船刀(カトラス)でも叩き付ければヤシクネーの鋏脚の殻を破損させる力ある。腐っても鋼鉄の威力だ。

 勿論、硬い外骨格に覆われていない上半身に命中したら、致命傷を負いかねないから、カトラスは船上戦闘では花形である。突く事でヤシクネーにも致命傷を与えられるから、海軍では携帯の容易さから、ずっと使い続けられている。

 

「えーと、まだやります?」

 

 ひりひりする鋏脚を前に構えながら、ギネス軍曹はそう質問する。

 殻に僅かながら傷が付いていた。少しだが割れていて割れ目からじわっと赤い血が染み出している。ヤシクネーの血は甲殻類系の青では無く、赤いのである。

 

「魔物に屈しないぞ。俺は勇者だ」

「勇者?」

「ああ、勇者カスガ、腐っても魔物になんか屈しないぞ!」

 

 軍曹は『格闘術は苦手なんだけどな』と内心思う。軍隊に入ってからの訓練で素手戦闘は教えられているが、余り得意では無いのである。

 鋏脚は確かに強力な武器にもなるが、相手が素手ならともかく、鋼鉄の武器、特に鈍器とかの重量武器に対しては大したアドバンテージは無い。打ち込まれ続ければ下手すると鋏がぽろりと取れてしまうので、武装している相手に戦いを挑むのは正直悪手だと考えているし、現にカトラスで殻を割られてしまっている。

 

「魔物、魔物って言うけど、それはギネス軍曹の事か?」

「節足類のアラクネーだろう。俺はこの子を護る」

「カスガと言うのかな。君は、ふーん、勇者か……勇者ねぇ」

「悪いか!」

 

 半ば呆れ気味の艦長の言葉にむきになって反論する自称、勇者カスガ。

 護られている形になっいるラタは、おずおずと「あのー、彼女は上官なので剣を向けては困ります。と言うか、あたしのカトラス返して下さい」と抗議する、 

 

「上司だと。魔物がお前の上司とは貴様は魔王軍の手下なのか?」

「何? 魔王軍って」

「抜かった。ここは敵地だったな!」

 

 ラタの言を聞いたカスガは、寝台まで飛び退いて剣を正眼に構える。

 医務室は狭いのでその姿は滑稽だ。すぐ後は壁であり、皆に追い詰められた形で剣を向けている。

 

「だが、それなら容赦はしないぞ。ドパピプペっ!」

「へ?」

 

 謎の言葉を発したカスガに、相対したギネスから間抜けな声が出る。

 一方、何も起こらない状況に勇者は顔色を変え、もう一度「ドパビブペっ!」と大声で叫んだが、当然、何の変化も無い。

 

「ば、馬鹿な。そうだステータス、オープン」

 

 突然、勇者カスガの目の前に何やら板状の物体が浮かび上がった。

 手に填めたブレスレットから投射された光が宙に浮かび、色々と文字らしき物が点滅しているが、昔、似た様な魔的遺物(アーティファクト)を艦長は見た覚えがあってはっとした。

 超古代文明期の立体モニターとやらにそっくりだ。するとカスガが勇者を名乗っているのもあながち嘘でもあるまい。

 

「な、なんだこの数値は、

 俺のステータスが、爆裂魔法ドパピプペが」

 

 困惑する勇者。当たり前なのだが、流れる文字に見覚えは無い。

 古代語、東方語の知識すらあるヤノ大尉ですら知らぬ、未知の文字群である。

 

「目の前の魔物の種類すら識別しないのか、HPやMPは不明だと、何、こいつ糸を吐くのか」

「あー、そう言えば粘液が貯まってるから、

 そろそろ吐いてすっきりしたいなー。近くに製糸工場あったかな」

 

 ギネスが糸を吐くに反応する。

 ヤシクネーはお尻から糸を吐くが、これは主に木登り用で、アラクネみたいな武器としては操糸能力が低いので上手く使いこなせない。

 製糸工場では細長く、強靱なヤシクネ糸を生産する〝糸吐き〟にでもなれば、糸姫として花形になれるのだけど、大抵のヤシクネーの糸は不揃いで弾かれてしまう。しかし、糸の原材料である粘液は使い道が有り、古くなって来たら売って小金にするのである。

 

「機関長は魔物じゃありませんよ」

「とにかく剣を降ろせ、勇者カスガとやらよ」

 

 頃合いは良しと判断したのか、ラタに続いてヤノ大尉がギネスの前に出て説得に入る。

 カスガは剣を下ろし、だが警戒しながらこちらを覗っている。

 

「自己紹介がまだだったな。私はカレン・ヤノ大尉。この船の艦長だ」

「勇者、カスガ・ユウ! 地球から呼ばれた剣士だ」

 

 胸を張って名乗りを上げるカスガに、「あの、ラタ上等兵ですが……」とおずおずと手を挙げる。艦長が「発言を許す」と許可を与えると、ラタは不思議そうな表情で、少年の姿を見詰めた。

 

「あのカスガさんは、何で勇者を名乗るんでしょう」

「勇者が勇者を名乗るのは、変じゃ無いだろう」

「いえ、その勇者と言うのは功績を挙げたとか、偉業を成し遂げたとかに対した人に奉るに称号であって、自らが名乗る物じゃ無いですよね?」

 

 無論、エルダ世界にも勇者は存在する。好例が伝説の勇者、墜ちて来た英雄テラ・アキツシマなんかが有名だ。

 一万年以上昔の古代王国期に現れ、魔族に対する幾つもの絶大な戦果を遺し、更に現代文明にも影響を与えた数々の発明と、新たな観念を表すテラ語と言われる言語体系に多大な影響を遺した人物だが、そのテラでさえ自らを勇者とは呼ばなかったのだ。

 しかし、目の前の少年は何の疑問も持たずに名乗っている。

 

「ゆ、勇者がクラスなんだから。ほら、王女とか賢者や、聖女と同じだよ」

「クラス。何の事ですか?」

「クラスはクラスだろ。職業を表す」

「賢者や王女は有り得るけど、自分の事を聖女だって名乗る奴っているかなぁ」

 

 聖女だって、他者が聖女らしい偉業や能力を持っていると認めて讃えられる尊称である。普通は自らを聖女でございとは宣伝しない。

 

「どうしたって言うんだ。今まで、こんな事はなかったぞ」

 

 少年は混乱している様子で頭を振る。

 機関長は隙を見てカトラスを彼の手からもぎ取るが、最早、勇者を名乗る少年をそれに拘らなかった。無手になった所で気にもなっていないらしい。

 

「どうして魔物が人間と一緒に生活してるんだ。

 どうして魔法が発動しない。

 そも、敵キャラであるNPCが話しかけてくるんだ。このステージは一体……」

 

 ぶつぶつと訳の分からぬ言葉を紡ぐ少年に対し、艦長は「まず、君の事を話してくれ」と述べると側にあった丸椅子を見付け、どかっと腰を下ろした。

 

 

〈続く〉




時代は新暦1100年代。
色々新しいです。でも一応、ファンタジー世界です。


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〈3〉

             ◆       ◆       ◆

 

 朝日が水面に反射して輝いている。

 機関長のギネス軍曹は欠伸を押し殺しながら、まだ夜が明けたばかりの艦外へ出た。

 

「機関長、おはようございます」

「おはよう、烹水科は朝が早いな」

 

 市場へ出かける準備を整える部下達と会話を重ねる。

 威嚇用の長槍を立てた当直に敬礼し、階段を昇って露天艦橋へと上がると艦長と副長が既に到着していた。

 

「おはようございます」

「やぁ、早いな機関長」

 

 艦長の表情には疲労の色が浮かんでいた。

 あの〝勇者〟の事で困っているのだろうかと考えを巡らす。副長も此処に居るのは、その対策に関して話し合っていたのかも知れない。

 

「で、どうなりますか。勇者」

 

 思わず口にする。ギネス自身もその後の処置が聞きたいのである。

 あれから勇者の少年とヤノ大尉は余人を医務室から閉め出して、様々な事を話し合っていたらしいが、ギネスはその内容を知らないのだ。

 

「この《マイムーナ》で処理出来る問題ではないと判断したが、今朝、朝一で海軍司令部に報告する予定だ。もっとも返答が来るまではこちら預かりだろうがな」

「はぁ。捕虜と言う扱いですか」

 

 独房は空いているが、大人しくぶち込まれてはくれないだろう。

 

「艦内の自由は保障した。捕虜監視にはやたら人員は割けんし、まだ言動の怪しい民間人だからな」

「寛容ですね」

「無論、行き先は制限したぞ。守らねば罰則付きでな」

 

 ヤノ大尉は大口を開けて欠伸して、片手を口に当てたまま、腕を上げて背を伸ばす

 

「済まん。昨日から一睡もしてないんだ。領都に報告書を書く為にな。

 監視には当直の当番兵を当てているが、今後の方針を副長とも相談していた所だ」

「しかし、世迷い言を聞いている気分であったの」

 

 ここで副長のエトナ中尉が口を開く。

 艦長とは情報を交換して多少の事情を耳にしたそうだが、少年の言っている事が浮き世離れし過ぎていて、にわかに信じがたい話ばかりなのだそうだ。

 

「勇者と言うのも胡散臭い。まぁ、テラ・アキツシマの前例はあれど、あれは伝説の類いじゃ」

 

 年寄りじみた「なのじゃ」口調は副長の癖である。

 艦長は苦笑して「私も同意見だが、どう処理するか」と続ける。

 

「異世界から来たと言う話までは聞いてますが……」

「うむ、機関長はどう思う?」

「しかも、二度の異世界転移です。にわかに信じられませんが」

 

 二大美人、しかも東方と西方のオリエンタル漂う雰囲気だ。チビで未成熟な自分が艦橋にいて同じ空気を吸ってて構わないのだろうかと、気後れするもののギネスは意見を述べる。

 彼女が指摘したのが、別世界〝地球〟の産物だと述べていたブレスレットだ。

 明らかに高度な技術を駆使したアーティファクトである。この世界の物とは思えない。加工精度から言っても、エルダの技術力とは隔絶しており、大体、動力源が分からない。

 

「魔力反応もありませんでした」

「と言う事は、錬金術とは違うな。純粋に物理学だけで成り立っているのか?」

 

 このエルダ世界の主流技術は錬金術だ。

 機械式の時計。魔法灯みたいな魔導。これら物理と魔導を融合した技術だ。

 遥か昔から存在するが、盛んになったのはこのエロエロンナ地方が成立してからである。領主であるエロコ提督が一般的に広め、爆発的に広く使われる様になったのがほんの一世紀前。

 

「機械時計だとしても部品の形成に魔導が使われる筈ですから、何等かの形で魔力反応は残る筈なのですが」

「むう、詳しく調査がしたい物じゃのう」

「だが、素直にこちらに渡してはくれまい」

 

 少年の態度は未だに懐疑的だった。それをヤノ大尉が指摘しつつ、「エトナ中尉は領都へ報告書の伝言を頼みたい。この町は通信線がないからな」と伝える。

 

 領都から通信線が通じているのは東西方面だけだ。腕木通信は情報を送る時間は早いが、視覚通信ゆえに16Kmごとに中継基地が必要で、保守点検が大変な上、駐在員のコストも掛かるから、北部方面のこの田舎町には設置されていないのだ。

 

「そうか、田舎町だからのぉ」

 

 となると代わりに人馬族(セントール)の飛脚を雇うか、更に高額な魔鳥族(セイレーン)の伝令で報告書を運ばざる得ないが、機密文書だけに民間に委ねるのはリスクがある。だから、軍人が直接運ぶべきなのだ。

 しかし、そもそもセイレーンは世間では少数派である。《マイムーナ》みたい小艦艇に乗り組んでいる方が珍しいのだが、幸い、この船には副長が乗り組んでいた。

 

「本艦でセイレーンはエトナだけだからな」

「行って帰って来るだけなら、日帰りなんじゃがのう。

 だが、返事を貰うのに時間が掛かると思うぞよ」

 

 報告書を渡して「はい、任務完了」とは行くまいとの考えだ。

 それに向こうからの返事も同時に持って帰らねば、こちらとしても対応が固まらない。

 

「やむを得まい。数日はこの港に寄港する事にする」

「辛い所じゃの」

 

 数日滞在は任務から行けば、かなり痛いロスである。

 増水時の測量任務が水量の減少によって、駄目になる可能性もあるからである。

 普段は航行不能のの水路もこの増水なら乗り入れられるが、水が減ってしまって小川になってしまったら、この図体では無理になる。

 

「魔法学園の方にも領主館にも話が回りますね。返答は1週間はかかりそうですね」

「その前に帰還命令が出ると助かるな」

 

 甲板から買い出し部隊が出発するのを横目にギネスが述べると、艦長は通信筒を取り出して文書を丸めて封入する所だった。

 銅製の筒は雨や霧などの湿気から文書を保護すると同時に、蝋封でシールされて密書となり、厳重に到着時まで管理される。印璽を押してスタンプを付ける艦長。

 

「では領都へ行ってくるのじゃ」

 

 通信塔を渡された中尉は目を閉じて精神集中する。広げた副長の腕が一面の羽毛を覆われる変化(メタモール)は一寸した見物である。

 鮮やかなグリーンの羽が一面を覆い、腕の筋肉が太く数倍のボリュームに増量する。セイレーンの生体魔法による飛行体型への変身だ。

 ぐっと鳥脚に力を込め、腰を落とすと一機に大地を蹴る。羽ばたきの音が激しく何度かすると、エトナ中尉の姿は既にその場には居らず、空にあった。

 

「さて、少年の事だが、機関長に頼めないか」

「あの勇者をですか?」

 

 副長が艦外へ去るのを見届けた艦長は、唐突にそう言い放った。

 散々、ギネスの事を魔物呼ばわりするカスガの相手が出来るのか、彼女は疑問であったので、正直にそれを告げる。

 

「カスガはこのエルダの常識が無いらしい」

「はぁ」

「だから、軍曹がそいつを教育してくれると助かる。無論、他の下士官にも頼むつもりだが」

 

 穏やかに語りかけてくるが、ここは娑婆では無く軍。そしてヤノ大尉は上官だ。

 懇願と言うより、これは命令であるとギネス軍曹は理解する。自分に剣を向けて殺す気満々だった相手に関わりたくは無いのだが、まだ自分が退役するのは早すぎる。

 予備役になり、年金が貰える歳までは海軍の軍人でいたいのだ。

 

「了解しました」

「助かる」

 

 折角勝ち取った下士官の地位を捨てる訳にもいかぬ。

 そう答えるしかないではないか。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 勇者カスガは混乱していた。

 

「ここは今、勝手に使って良い……か」

 

 医務室と言う名の粗末な部屋を一瞥し、寝台に身体を横たえる。

 若干の薬品が棚に有り、カルテらしき書類が作り付けの机に放置してあるだけで、この寝台の他は先程まで艦長を名乗っていた女が座っていた丸椅子があるだけの小部屋だ。

 

「窓もねーのかよ」

 

 身を起こして周囲を探る。

 人工の照明は壁に掛けてあるランプらしき物が光っているが、その光は水銀灯の様に青白い物で油を使用した炎では無く、仄かに熱を持つだけの代物であった。

 

魔力灯(マジカルライト)とか言っていたな。パンドーラの技術とも違うのか」

 

 カスガは転移前の異世界の名を出した。

 正確にはカスガはそのパンドーラ界の出身では無い。パンドーラ界に召喚された勇者であるが、彼が生まれ育ったのは地球と言う世界である。

 魔法の代わりに科学が発展し、パンドーラ界とは比較にならぬ便利な世の中であり、その中で彼は平凡な高校生であった。

 

「よおっ、起きているか」

 

 扉がノックされると同時に、昨日の魔物女の声がした。

 確か〝ヤシクネー族〟とか名乗っていた蜘蛛女(アラクネー)もどきだ。名前はギネス軍曹とか言ったか、魔物のくせに下士官とは生意気だ。「ああ」と返事をしてやる。

 

「食事だ。お前の口に合うのか知らないが」

「親切だな」

「食堂で、お前の存在を全乗組員の前に晒す事もあるまい」

 

 部屋に入って来たのは大きな鋏脚を持った異様な魔族だった。金属製のトレイに食事らしき物が載っている。

 

「何だ。口に合いそうもないか」

「いや、食器も金属製なんだな。しかも、これは米か」

 

 アルミ製みたいな軽い金属食器に驚くが、それ以上にショックを受けたのがこんもり盛り上がった握り飯の存在だ。漬け物に焼き魚、しかも粗末だが箸まで付いている。

 

「こいつは皇国料理だ。米が陸稲なのは勘弁な。西方では水稲は普及しとらんのだ」

「箸があるのか」

「東方では一般的だろ。艦長も使っている」

 

 答えずに箸を口へと運ぶ勇者。それを見て、ギネスは散々世迷い言を述べていたこの少年が、東方の皇国人である可能性を増々強くする。

 こんな二本の棒を上手く使いこなせる者は、ヤノ大尉みたいな東方の関係者では無い限り、西方一般では見る事が出来ないからだ。もっとも、東方の皇国もルーツは〝墜ちて来た者〟テラの文花の末裔なのだが。

 

「さっさと食べてくれ。あたしは機関長としての仕事があるんだ」

「変だ」

「何か言ったか?」

 

 ザケの塩焼きを咥えたままのカスガが、ゆっくりと顔を上げた。

 顔に困惑の色が浮かんでいるとギネスは感じ、今回は帯剣している刀の柄にそっと指を掛ける。何をしでかすのか判らないから独房に放り込むべきだとの彼女の主張は、艦長の一言で却下されたが、ここで飛びかかられては堪らない。

 

「魔物が社会に出ているのはおかしいぞ」

「魔物じゃ無いって、魔族だぞ」

「モンスターは倒されるべき存在なんだ!」

 

 少なくともパンドーラではそうだった。

 人間に危害を加え、社会を破壊して混沌に染める存在。魔王の手先で残虐、無慈悲。勇者はこれら魔物を容赦なく滅する存在であった。

 斬り捨て、叩き潰し、そうすると経験値と宝石を出すクリーチャーであった。勇者自体も何十、何百の魔物を倒して来た。

 

「魔物と言うのはこのエルダにも存在するけど、それは魔族の中でも反社会的な連中の蔑称だよ。仕事にも就いてない。

 いや、窃盗や掠奪をやってるのは強盗(ローグ)だから、悪党だけど仕事には就いてるのかな?」

 

 そこで彼女は思い出した様に「あ、戸籍を持ってない奴が魔物かもな」と付け加える。

 益々、カスガは混乱する。

 そう言えば、魔物は機械的に反応するNPCみたいな連中で、こんな風に会話が成立しなかったのをカスガは思い出した、

 

「大体、あたしらは人間だぞ。モンスターとは失礼な!」

「人間?」

「大雑把にヒト族、妖精、亜人、獣人、魔族に分かれているけど、人間として生きているんだ」

 

 このエルダで社会的な生活をしている種族は、獣人だろうが魔族だろうが人間に分類されるらしい。聞けば、ヤシクネー族はその中でもかなり多い。

 

「そんな恐ろしい武器持ってるのかが」

「え、この鋏脚の事かい」

「人間を挟んで切断できそうだぞ」

 

 言われてギネスは自分の鋏脚をしげしげと見る。

 ヤシガニ同様の巨大な鋏脚は確かに武器にはなる。実際、魔王軍所属のヤシクネーはこれを武器として、古代王国民と戦っていたそうだ。

 

「あのさぁ、これは作業肢だよ」

「なに……」

 

 重量物を引っ張ったり、木登りする時に使う方が多いのを説明する。

 確かに戦闘にも使えるが、前述した通り、鋼製の武器と打ち合えば簡単に破損してしまうので、鋏がぽろっと取れてしまう危険は犯せない。

 この前の非常時の自衛とかでもないと、積極的に振るう事は無いのだ。

 

「えーと、お前……」

「春日 勇だ」

「勇が名か、やっぱり東方人みたいだな。私はギネス・スタウトだ」

 

 自己紹介を終えると、機関長は手を参考例にかみ砕きながら説明する。

 

「勇にも手があるだろう」

「それが?」

「それを使えば、例えばあたしの首をへし折る事も出来るし、首を絞めて殺す事だって出来る」

 

 ヒトはそんな恐ろしい武器を持ち、歩き回っているのだ。

 だが、それが可能だとしても「殺人をやれる」のと、「殺人をやる」のは違う。獣人の持つ恐ろしい顎や爪も、蛇女(ラミア)の絞殺可能な長い胴体もそうだ。

 

「この鋏脚も同じ。滅多に武器はしないよ」

「そんなモンか」

「もし取れちまったら、生え替わるまで時間が掛かるし、生えても鋏が貧弱になる」

 

 再生したての鋏は小さい。数度、脱皮を重ねなければ元のサイズに戻れない。

 

「脱皮するのかよ」

「領都で市警(シティガード)やってる姉さんがやっばり片鋏を失って、元に戻るまでに苦労したって話を聞いた事がある。左右の大きさが違って、シオマネキみたいだって落ち込んでいたらしい」

 

 昔話でしか知らぬ、姉の例を出す。

 同じ領都に住んでいても、互いに休みが合わないと面会もなかなか難しいし、今の姉は昇進してお偉いさんになっていて、何となく会い辛い。

 

「食べたぞ。で、これからどうするんだ?」

「勝手に出歩かないなら、自由にしてて構わないとヤノ大尉は仰ってた」

「ここに閉じこもれと」

「誰かの監視があれば、艦内なら出歩けるぞ。武器庫とか、立ち入り禁止区域はあるがな」

 

 一瞬、考えるそぶりを見せるカスガ。

 

「じゃ、監視よろしく、だな」

「え」

「監視役と言っても、俺の前にはお前しか居ないだろう。魔物」

 

 

〈続く〉



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〈4〉

デリックは工作艦らしい装備。



             ◆       ◆       ◆

 

 

 船室から出て、上甲板に出た勇者は目を(みは)った。

 河港に横付けされ、片舷を水面に映しながら停船する《マイムーナ》を初めて目にしたのである。

 

「本当に船だったんだ」

「何だと思ってたんだ」

「いや、あの部屋って窓が無かったし、船にしちゃ揺れなかったからな」

「河港に入っていると言ったろ」

 

 ギネスが呆れるが、河港は防波堤に囲まれているから波は基本的に立たない。

 無論、船舶関係者はそれが常識と思うが、それ以外にとって『それは通じないのか』とも痛感する。先入観から、船は揺れる物と思ってしまうらしい。

 

「あれは、何だ」

 

 指摘された方を見ると、後甲板に載っていた大きな岩をコロの原理で転がす所であった。

 既に岩の下には何本もの丸太が敷かれていて、力強そうな人馬族(セントール)が牽引体勢を準備していた。

 

「ああ、岩を港へ降ろす準備だろう。

 起重機(デリック)が使えれば楽なんだが……」

 

 しかし、デリックは蒸気動力で作動する為、ボイラーの火を落としてしまった現在、残念ながら動かない。

 セントール達は腹帯を巻いて、岩にロープを引っかけると力を込めて曳く。

 

「ん、ギネズ軍曹か」

「ああ、航海長。おはよう」

 

 こちらに気が付いた航海長のフェリサが、ラミアの特徴である長い胴体を引き摺って近づく。

 勇者カスガの顔が引きつるのは、蛇な姿の異形の接近からだろう。実際、紫色の蛇体の長さは迫力がある。

 

「当分、出港しないから、操船科も野良仕事だよ」

「ベルサ一等兵か……。まぁ、本艦唯一のセントールだからな」

 

 セントールもヤシクネーに比べれば希少種族では無いが、馬の下半身から来る身体の構造から海軍の将兵としては少数派で、艦隊任務よりも陸戦隊に属する者が殆どだ。

 

「荷駄としては優秀だぞ。お、こちらは例の少年か。

 私はフェリサ伍長だ。航海長をしている」

 

 機関長側のカスガに気付いて、自己紹介するラミアの航海長。

 うねる紫色の鱗にやや怖気づきながら、「勇者、カスガだ」と返す勇者。それを見て、くすりと微笑みを浮かべるフェリサ。

 

「ラミアは初めてか?」

「前の世界、パンドーラでも出会ってるが」

 

 パンドーラのラミアはサイズがフェリサに比べて、遥かに巨大なモンスターであった。いや、蛇体の側面にヤツメウナギ風に人の顔が幾つも埋め込まれて、ついでに先端に蛇頭が付いていて、馬をも丸呑みする様な小山の様なキメラ的な化け物だった。

 完璧にエルダのラミアとは別物である。

 

「やっつけると経験値が高かったな。宝石も多かった」

「経験値?」

 

 初めて聞いた単語にフェリサは興味を覚えた。宝石が何の事だか判らず、問い質す。

 カスガは魔物は倒すべき存在で、退治すると自分を強化する為の経験値と言う物を排出し、その身体は宝石と化して財産になるのを説明した。

 

「たまにドロップアイテムも落とすけどな。宝石は拾うのが大変だったけど、アイテムでイベントリに自動収納される機能を追加したら、勝手に収集されて大助かりだった」

「うーん、良く理解出来ないな」

 

 航海長との会話に、艦長が言っていた〝勇者カスガはエルダの常識に疎いらしい〟とはこの事かと実感する。ギネス軍曹は異世界という物は、全く違う常識が横行しているのに口をあんぐりと開ける。

 

「倒すと経験値が宙空に表示されて、モンスターは宝石に石化されて砕け散るんだぜ。パパラパーとファンファーレが鳴ってね」

「ファンファーレって、誰が鳴らしているのさ」

 

 フェリサの突っ込みに、「知らん。どっからとも無く勝手に鳴るモンだろ」としれっと口にする勇者。いや、それエルダでは怪奇現象なんだけど。

 

「済まないが、カスガを見てくれるなら置いて行くぞ。あたしは機関室に行く」

 

 会話が弾んでいるので、機関室に急ぎたかったギネスがフェリサに提案する。

 監視役は下士官以上であれば誰でも良いので、彼女が専任で面倒を見てやる必要は無いのである。

 

「機関室。どんな物なんだ」

 

 意外にも食い付いたのはカスガだった。

 

「蒸気機関を据え付けてる所だよ。本艦の主要な動力源で心臓部だ」

「えーっ、蒸気機関。この世界にはエンジンが存在するのか!」

 

 行きたいとせがむ勇者に、せっかくこいつのお守りから解放されると思っていたのが目論見が外れ、頭と胃が痛くなる機関長だった。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 グラン王国東部にあるエロエロンナ地方。

 古妖精語(エルフィン)で〝波瀾万丈の光(エロエロンナ)〟との意味を持つ、エロエロンナなる名と男爵位を授かったエロコ・エロエロンナ嬢が、この土地を授かって約一世紀。

 何も無い不毛で、ただ広大だった土地に海軍基地を誘致し、国一番の大河、ポワン河の河口に姓と同じエロエロンナと言う名の街を建設して、爵位も成り上がって辺境伯領ともなった今日は、既に押しも押されぬ大貴族となっている。

 そこが領都となっている港湾都市、エロエロンナは当然、領都である。

 

「久しぶりね」

 

 ぼっぼっぼっ、ぼっ、とバルスジェットエンジンが豪快な騒音を立てている。

 王都との間に設けられている飛行便の客となっていた女領主は、眼下の領都を見下ろした。マッチ箱みたいな建物群が幾つも建ち、広場では市が開かれてごま粒みたいに人が蠢いている。

 

「ここまで来るのに一世紀もかかっちゃったわ。まぁ、あたしは半妖精(ハーフエルフ)みたいだから、まだまだ先は長そうだけど」

 

 この飛行船は錬金術が造り上げた奇跡である。

 浮遊石によって宙を浮かび、科学で造り上げた噴射機関推進する最新型だ、東部域の辺境と呼ばれるエロエロンナ地方と中央の王都との所要時間が僅か数時間にまでなっているのも、この新型エンジンのお陰である。

 まぁ、代償として恐ろしく燃費が掛かり、商業的にペイせずにこうした軍事用に限られてしまうのだけど。

 

「降下開始。提督、間もなく到着致します」

 

 太り気味の魔鳥族(セイレーン)の護衛士官の言葉にはっとなる。

 一応、今でも海軍軍人だから〝提督〟と呼ばれているが、予備役で名誉職みたいな物だが、セイレーンは現役軍人だから、エロコの事を提督扱いしてくれる様だ。

 海軍ではセイレーンは珍しいのだが、墜落した時に備えて主に空中勤務に集められている。

 窓の外に雲が流れ、やがて視界一面が白くなるのは高度を下げて雲海に突入したからだろう。

 

「ありがとう。もうすぐミキとも再会ね」

 

 半年近く離れていた領主代行の宰相の姿を浮かべる。

 辺境伯ともなると、自領より中央での政治活動や社交が中心となるのが悩みであった。

 もっとも、西部や北部では「今は自領を離れられぬ」と中央に滅多に顔を出さない辺境伯も居るのだが、帝国国境線に接してない分、東部のエロエロンナ領は軍事的な圧力が少ないので、これは仕方の無い事だろう。

 

『はぁ、本当はずっと自領に引きこもりたいのだけど』

 

 内心ごちる。元々、技術士官だから物作りが専門だし、田舎者だから、社交に夜会とかは苦手なのだ。必要だからこなしてはいるが、ドレスなんぞは着慣れないので、夜会は軍服専門である。

 夜会に費やす暇があれば、図面を描くか、新たな技術の勉強をしたいと思う。まぁ、社交は政治的な意味も含まれるので、出席をせぬ訳には行かないのだが。

 

「! 揺れた?」

 

 鈍い衝突音が耳朶を打つ。ややあって船体が不自然に揺れる感覚が身体を襲う。

 先程の士官が伝声管に駆け寄り、「何があった」と慌てて艦橋に問い質し、暫く、そのやり取りに時間が過ぎた。

 

「何があったの」

「事故です。雲中でセイレーンと本船が接触したらそうです」

 

 セイレーンにしてはぽっちゃりした士官が、片手で伝声管の送話口を押さえて返事をする。

 

「まぁ。その方は怪我しなかったのかしら」

「何とも……収容はされていますが、あ、どちらへ」

 

 エロコは好奇心が出てしまう。

 収容された衝突相手。一応、この船には一流の魔法医が乗ってるから、命に別状はないだろうが、久々に面白いアクシデントである。

 会って会話したい。彼女は船室を出ると、部下に「案内しなさい」と命令した。

 

「しっかしセイレーンが衝突か。これが騎竜だったら、大惨事ね」

 

 ちらりと今度の閣僚会議に、航空法の制定を提案しようと思ってしまう。

 飛行船《ファルグレン》との接触事故、それはエトナ中尉にとって不幸ではあったが、エロコ辺境伯にとっては勇者の存在をいち早く知るきっかけとなる。

 

 

             ◆       ◆       ◆

 

 気が付くとそこは見知らぬ場所であった。

 天蓋付きの上質なベッドの上に寝かされ、フカフカな寝具が周りを囲んでいる。

 

「妾は確か……そうだ雲の中で何かと衝突して」

 

 シェンティ姿の美女セイレーンは身を起こし、身体の何処にも異常が無いのを確認する。

 そして自分がまだ飛行形態のままな事に気が付き、魔力を集中して地上形態へと変化を遂げる。双翼が二本の腕に変化し、太い筋肉が解かれて幻苦如く、羽毛が消えて行く。

 

「気が付きましたか。エトナ・パトラス中尉」

「貴女は……みっ、ミキ宰相閣下?!」

 

 声に気が付いて振り向いたエトナは、思わず我が目を疑った。

 辺境伯領の宰相。つまり領主代行である女傑、ミキ・ラートリィ女史がそこに立っていたからだ。たかが下級士官の彼女からすれば、雲の上の人物である。

 

「ええ、ミキ・ラートリィよ。覚えてますか、貴女は雲中で飛行船と衝突したのですよ」

 

 白の宰相との異名を取るハーフエルフは今まで読んでいたらしい文書を丸めると、トレードマークの白いドレスを翻してエトナへと近づく。

 

「船に優秀な聖句使いが乗り込んでいたから助かりましたが、普通ならお陀仏ですよ。

 もっと周囲を確認すべきでしたね」

「は、はい。これからは気を付けるのじゃ、じゃなくて気を付けます」

 

 慌てて言葉遣いを直すエトナ。宰相は美しい金髪に映える微笑みを浮かべると、エトナの髪を触ると「同じ金髪なのに、不思議な色ね」と手櫛でそれを漉く。

 お互いストレートな髪の長さは同程度なのだが、比べるとややエトナの方が濃色である。宰相の金髪は色が薄い。

 

「ところで報告書にあった勇者なのだけど……。

 ああ、済まないけど報告書は読ませて頂きました」

 

 彼女は先程の文書を通信塔に入れて、すっとエトナへ差し出した。

 

「あの、ここは?」

 

 当惑気味で通信筒を受け取るエトナだが、肝心なこの場所の事を聞きそびれていたのを思い出して口に出す。

 

「領都のお城ですよ」

「え、エロエロンナ城ですか」

 

 領都の城と言うならそうなる。河口の先に設けられた領都でも、海に向かって最先端にある城で海からの攻撃から都市を守る無骨な要塞であった。

 領主自らが設計し、優美さの欠片も無い城塞として有名だったが、内部にはこんな素敵な部屋があったんだと感心する。

 

「貴女の接触した《ファルグレン》には辺境伯が搭乗していましてね。

 軍本部への報告書は、いずれここにも回って来るから先に読ませて頂きました」

 

 まぁ、回って来ると言っても軍の意向で握り潰される事もあるし、取るに足りない、上層部を患わせる必要無しと判断された事柄は上げられない場合もある。

 特に今回の様に世迷い言に近い報告は、領主や宰相の所まで上げられる可能性は少ないだろう。

 

「はぁ」

「内容は知っていますね」

 

 彼女は真顔で確認する。確認したのはエトナが単なる伝令で、報告書の内容を知らないと困るからである。

 

「勇者の事ですね。はい、直接、出会っております」

「良かった。エロコ、いえ辺境伯が貴女と面会したいそうです」

「え、御領主様がですか」

 

 宰相が頷くと「今、辺境伯は別のお仕事でこちらへは来られませんが、貴女との会見を予定しております。それと、報告書の内容は他言無用ですよ」と続けた。

 自分みたいな海軍中尉が辺境伯、しかも提督であるお方と直接謁見が可能なのかと驚くエトナ。しかし、内容が他言無用とは理由は何だろう。

 

「返答には時間が掛かるのでしょうか?」

 

 長く拘留されそうな気配を感じ、エトナが心配そうに問う。

 工作艦の副長であるから、いつまでも領都に留まる事は出来ない。なるべく早く帰還するつもりであるが、一週間(エルダの一週間は六日。一ヶ月は五週である)は予定を立てていた物の、それ以上の時間を取られそうな予感があったからだ。

 

「《マイムーナ》には騎竜を出しました。今日中に返答が届くと思うけど間に合うかな」

「きっ、騎竜ですか」

 

 海軍にだって騎竜は居るが、殆ど偵察部隊に所属するか、伝令として使われるだけで貴重な騎獣である事は変わりない。そんな騎竜を《マイムーナ》みたいな雑役船に出してくれるのか。

 

「異世界から来た者ですからね。防疫が心配です」

「はい?」

 

 防疫って、何の事だろう。

 

「つまり、未知の病気とか持ち込まれると困るのですよ。

 貴女も異世界人と接触してますから、ここへ来る前までに徹底洗浄していますし」

 

 

〈続く〉




辺境伯は王家との血縁無しの最上位。
大体、公爵級の偉さです。


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〈5〉

テラ・アキツシマ。
エルダ世界に地球由来の単語や文花、概念が普及しているのは概ねこの人のせい。
古代文明期の伝統とかになっちゃってる。スク水も昔からある由緒高い水着(笑)。
いや、独自の単位とかを設定すると、読者が混乱するでしょ。


             ◆       ◆       ◆

 

 凶報な魔物が目の前に現れた。

 見た目はでっかい蚊の化け物〝カウォーク〟だ。低位の魔物ではあるが、頭身大の蚊と言うだけでも一般人や家畜には脅威の存在である。

 血を吸われたら、あっと言う間にミイラになってしまうだろう。

 

「へっ」

 

 人々が逃げ惑う中、勇者カスガは愛剣〝ツヨイケン〟を鞘から抜くと、鼻を鳴らしてカウォークの前に立ち塞がる。

 刀身にプラズマ光が宿り、青白く発光するとカスガは事も無げにそれを振り下ろした。

 

「クァァァァ」

 

 耳障りの悲鳴を遺してカウォークが斬り裂かれる。同時にどこからか「パパパパパパー」とファンファーレが鳴り、カウォークが宝石に変化すると、EXP200とか150Gなんかの数字が光るロゴで空中に踊る。

 

「雑魚が、おっ」

 

 注意警報と共に「エネミー接近」の文字が浮かぶ。

 上空から出現したのは黒と黄色の縞模様と、女性の上半身を持った蜘蛛女(アラクネー)だった。

 額には人間の双眼に加えて、小さな六個の赤い瞳が輝いている。アラクネーは「お前をコロス」と無表情で呟くが、機械的で感情の伴わないただの台詞に過ぎない。

 

「中級魔物か。いい稼ぎになってくれよ」

 

 八本の蜘蛛脚が横移動して回り込もうとする。

 勇者は間断なく、剣を構えて対峙した。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「てな感じだったな。パンドーラの日々は」

 

 日本人、春日 勇はパンドーラを思い出しながら説明する。

 《マイムーナ》の上甲板。ギネス軍曹に付き添われた勇者はそこで駄弁っている。

 

「敵を倒すと宝石になるのか。信じられんな」

「俺はこの世界の方が信じられん。モンスターは勇者のレベルアップの餌だろう」

 

 パンドーラとは勇者カスガが素遺書に召喚されたい世界で、このエルダが二度目に飛ばされた異世界なのだそうだ。

 何でも魔王とか言うラスボスに挑んで返り討ちに遭い、パンドーラからエルダに転移させられたが、ギネスはラスボスとか言う存在を今ひとつ理解出来なかった。

 

「俺の生まれた世界は地球と言う。ここともパンドーラとも違う世界で、魔法って奴が存在しない」

「魔法が無い? じゃあ、物理と言うか科学だけなのか」

「ああ」

 

 それじゃ不便だろうと思うがさに非ず、物凄く発展しているとの話だ。

 飛行船に匹敵する大型航空機や、星界へ行ける船が存在するそうだし、地平線をも越える射程の爆裂兵器が生産されているらしい。

 

「航空機はエルダでも研究途中だがなぁ」

「え、あるの?」

「この船には無いよ」

 

 錬金術の最新鋭技術だから、こんな雑役船には当然搭載されていない。しかし、彼女らは少なくとも技術局所属だから、概要は知り、実物を目にした事はある。

 

「お、帰って来たみたいだな」

「買い出し組か」

 

 港の路上に数名の買い出し小隊が現れた。

 岩を下ろして何やら業者と取引していた別の班が、彼らに合流する。

 

「機関長、烹水班と臨時上陸部隊、帰還しました」

「ご苦労」

 

 艦上に戻って来たベルサ一等兵が報告して来る。

 彼女は操船科なのだが、人馬族(セントール)なので背中に朝市で買い入れた荷物が目立つ。生臭い匂いが鼻を突く。

 

「魚貝だな」

「魚市場を回ってましたから。今夜、食前に並ぶと思いますよ」

「鰻かぁ。ゼリー寄せは勘弁なんだけど……」

 

 以前食べた鰻料理を思い出す。ぶつ切りにされた鰻を煮こごりに包まれたそれは、あまり見た目もも食感も機関長の好みでは無い。

 鰻の串焼きなどと同じく、屋台なんかに供される安い庶民向けの料理である。だから予算の少ない兵食に採用される食材なのであろう。

 

「市場でも売れ残りだったんで、安く仕入れました」

「今夜は余り期待出来ないな」

「どうでしょう、烹水長の腕は一流ですよ」

 

 後から現れたヤシクネーは烹水科の一員だった。

 おばさん……失礼、大人びた顔立ちだが、まだ二十歳前だと言う。鮮やかなピンクのロングヘアが印象的である。

 烹水科は艦内配備なので、咄嗟に名前は出て来ない。腕に付けた徽章からかろうじて上等兵だと識別は出来たものの、それが誰なのかはギネスは判らなかった。

 

「キーラ曹長の実家は旅籠だっけ?」

「はい、老舗のホテルですよ」

 

 嬉しそうに微笑む上等兵。

 椰子油の陶器瓶に小麦粉と彼女も背中に調達済みの物資を括り付け、さながら沖仲仕の様だ。酒瓶が目立つのは酒保用だろうか。

 

「なぁ、なぁ、ギネス軍曹と、そっちのお姉ちゃん」

「ラム・ラム上等兵です」

 

 突然、勇者に指名された娘はラム・ラムと自ら名乗る。

 ロングのピンク髪が鮮やかなヤシクネーだが、身体の色は灰色がかり、(かど)とかは光を反射して紫色に輝いている。

 

「変な名前だな。とにかくそろそろ昼に近いかだけど、、昼飯はまだか」

「ありませんよ」

 

 昼御飯を要求するカスガに対し、不機嫌にないと平然と答えるラム・ラム。

 変な名と言われたの意趣返しもあるが、ある意味、当然だ。エルダの食事は基本二食で、貴族様か裕福な階級でも無い限り、三食は提供されない。

 一般的に朝か夜。又は昼か夜に食べるのが普通である。

 

「農村は労働でぶっ倒れない為、朝と昼パターンが多いな。

 都市部は灯りが使えるから、朝と夜が食事タイムだ」

 

 上等兵に代わってギネス軍曹が答える。

 

「何でだよ。三食食えば良いじゃないか」

「貴族様なら……な」

 

 不満を漏らすカスガに「お前、庶民がそんな贅沢出来るとでも?」」と、問う機関長。

 遡る事数百年。古代王国が滅んだ暗黒時代、人々は生き延びる為に必死だった。常に飢餓状態に置かれ、魔獣や怪物の襲撃に加えも少ない食料を巡って人間同士の争いも耐えなかった。

 

「今だって二食、豊かに食べられる人々だって少ない。

 孤児とか貧民は喰うや、喰わずだからな」

 

 貧乏人だった自分の実家もそうだった。ひもじい思いをしてようやく一食にありついたのは、苦い思い出である。

 

「…………」

「それだけ、エルダはまだ貧しい。冬期には餓死者も出る」

 

 冬期でも極寒にならぬ東部域はまだマシな方なのだが、それでも冬場は食料の入手が難しいので餓死する者は皆無では無い。

 食うや食わずの食糧事情は改善され、さっきの朝市の状況から見ても判るが(そも食料が足りなければ、市など立たない)、都市部では豊かになり三食制が出来つつあるが、それでも三食食べるのは贅沢だと思われている。

 

「間食するなら昼に酒保が開きますよ。今日は私の担当です」

 

 と、ラム・ラム。お昼からAM20:00までは酒保の開店時間だ。これも烹水科が仕切っている。

 お金さえあればお菓子や煙草とかも入手可能だ。味気ない軍隊生活わ彩る一種の清涼剤である。

 

「魔物が店頭に立ってるのかよ」

「モンスターじゃ無くて人間ですってば。この時期なら果実水。食べるなら干し肉が良いわよ」

 

 干し肉きと言ってもドライサラミでは無く、鯨肉のジャキーだ。

 果実水は季節によってりんご水やみかん水など種類がある。年中流通しているのはココナッツジュースくらいだろう。飴も売ってるが、勇者は飴を舐めるのだろうか?

 

「ビールとかエールは?」

「アルコールは18時からね」

 

 就業時間に飲酒されては困るからと説明が入る。ちなみにエルダでは成人は十三歳からなので、高校生のカスガが酒を飲んでも合法である。もっとも前の世界、パンドーラでも「勇者妻」とおだてられて勝手に呑んでいたのだが。

 

「ちぇっ」

「もうすぐ、開くわよ」

 

 酒保の開店を告げるラム・ラムに、勇者が舌打ちする。

 中世の欧州でも水の代わりにワインが飲まれていたが、これは世界に水が乏しいというか、生水が危険だからと言う理由だからと言う。硬水だから腹にも悪いしね。

 エルダでも基本そうなのだが、この世界には水魔法なる技術があったから、貧困層は別にして魔法を使える層にはこれを使って、軟水で安全な水を確保するのが可能だった。

 だから、中世欧州並みにあちこちに酔っ払いがふらついている状況は無い。

 

「来るなら早めにね。じゃ」

「おいっ」

「忙しいの、私」

 

 ラム・ラムは「はいはい」と半ば勇者の言葉を無視してよいしょと荷物を背負い直し、ピンクの髪をした灰色ヤシクネーが甲板下に消えて行く。

 ややフラフラしてるのが気になったが、彼女、結構強気な性格なのかも知れない。

 

「さて、機械を点検するか」

「何で普通なんだよ……」

 

 昇降口を見ていたカスガがそう口走る。

 ギネスは機関科が現在暇なので、こうして勇者の監視役として連れ回されている。操船科のフェリサ伍長もそうだから、代わってくれないかと頼んでいたが、どうも操船科は雑用に駆り出されている様で、「お断り」との非情な答えが返って来た。

 

『キーラ曹長はいつも忙しいからなぁ』

 

 先輩だが仲が良いキーラは烹水科だから、普段の調理から酒保の管理に至るまで毎日忙しい。作業科の連中だってそうだろう。あと暇してるのは陸戦科だが、仲が悪いので頼みたくない。

 小所帯の小型艦でも、人間関係は結構、頭を悩ませるものなのだ。

 

「おかしいだろ!」

 

 突然、勇者が叫んだ。

 上甲板で訓練をしていた将兵が動きを止め、体操の手を止めて勇者の方を凝視した。

 当直の兵はさすがに不動の体勢で、槍を構えながら保証を続けている。

 

「魔物って言うのは反社会的で、気ままに生きてるモンだろう!

 それが仕事だって、労働してるのかよ」

「いや、軍人だからな」

 

 軍曹は〝何を言い出すんだ?〟と言った表情で首を傾げる。

 

「前の世界ではそうだったぞ。うようよしてて、突然現れて、人々に悪事を成すんだ」

「酷い世界だな。つーか、そいつらどうやって生活してるんだ?」

 

 うようよってエルダ並みに人口があるなら、どうやって食べてるのだろうとの疑問が浮かぶ。

 人々を襲っているなら襲撃者は少数になる筈だ。野生動物を食べてる? 獲物があっと言う間になくなるぞ。農業か何かしてないと食い扶持が無いんじゃないか。

 

「で、魔王軍とかって昔口にしていたけど」

「パンドーラでは、殆どの魔物は魔王軍の配下だ」

 

 軍の指揮下なら、何となく理解は出来る。こっちも海軍の所属だから。

 どっかに補給部隊があって、後方で調達した物資を前線に届けてくれるんだろうと思ったら、そんな物は何処にも存在せず、盗賊団みたいに群れた連中が、勝手気ままに襲撃を繰り返しているだけらしい。指揮系統ってどうなってるんだ。

 

「補給段列が無きゃ、軍なんて直ぐ崩壊しちまうぞ。

 しっかりした後方体制が無いと、安心して戦えないよ」

「知らねぇよ」

 

 思わぬ突っ込みが入り、勇者が困惑する。

 

「大体、絶滅戦って嘘だろ」

「蹂躙だ。手当たり次第人を殺して、突き進んで来るんだ」

「虜囚が居ないなんて……」

 

 敵を皆殺しにするのは悪手だ。

 遥か昔、魔界の軍勢がエルダに攻めて来た時代でも、こちらの魔王軍は勇者が語る魔王軍よりもギネスが理解可能な戦法を駆使してきた。

 戦闘部隊と支援部隊が存在、補給段列を整備して組織的に攻め、捉えた虜囚は後方へ送って農奴として生産に寄与させた。ある意味、捕らえた民とは財産なのだ。

 

「エルダでも昔、魔王と戦った時代があったけど……サッキュバスなんかは人間牧場を作って、自分の力として利用していたよ」

「卑劣な」

「うちらの種族は生きた食料だったけどね」

 

 カスガの瞳が見開いたのを見て、「やっぱり知らないか」と異世界出身者にギネスは苦笑した。

 

「食料?」

「そう。ヤシクネー族は魔族の中でも最底辺だったのよ」

 

 古代王国期、魔界から現れた魔族の軍勢はエルダにの世界に襲いかかった。当時のエルダは混乱期で魔族はたちまち中央大陸の半分を制圧した。

 

「当時は各地の勢力が小規模だったから、大勢力だった魔軍に次々と蹂躙されたらしい。それだけではなく、魔軍は補給体制もしっかりしていたんだ」

 

 特に食料は大群が行軍しても全く問題なく、牛や羊を連れ歩く様に、生きた魔族を食料として帯同する事で、常に飢える事無く機動した。

 

「まさか……」

「そうさ、それがヤシクネーだったんだよ」

 

 士官昇進用テキストの内容を丸暗記しているから、ギネス軍曹はすらすらと口を滑らせていた。

 エルダ史の古代王国部分からの引用だが、ここら辺は色々と独自に研究している。同族のそんな歴史を知ると俄然、興味が湧いて来る。

 

「奴隷だったのか」

「奴隷以下だね。無慈悲に殺され、ただ食べられるだけの存在。だから、魔王の影響下に無い個体は反逆した」

「魔王の影響下だと?」

「そっちの魔王は違うのか?」

 

 エルダに於いて魔王とは魔族に対して絶対支配力を持った個体なのを説明する。

 つまり、影響下にあるならば、魔王が「死ぬ」と命令すれば、有無を言わさず必ず死なねばならないのだ。魔王とは魔族にとってそんな強制力を持った絶対的な存在なのである。

 

「ヤシクネーの脚肉は美味しかったらしい。胴体もカニミツもね。

 今から考えれば、完璧な人肉食(カニバリズム)だけどな」

 

 無論、ヤシクネーを喰う所業は、現在では単なる殺人である。

 古代王国期に強大な魔王が倒され、混乱した魔軍を決死隊が魔界の門を封じて退けた。その後も魔王を標榜する魔族が現れたが、いずれも真の魔王に比較して支配力は弱く、その間にヤシクネー族は魔軍から離脱してエルダ側に味方した。

 ヤシクネーだけでは無く、現在、魔族として人間扱いされている種族の多くが、この時期にエルダの軍門に下った者達である。

 

「これが古代王国期の話。ああ、ヤシクネーって名も、この時、命名されたって聞いた。テラ・アキツシマが『アラクネーに似ていて、椰子が好物だからヤシクネー』って、いい加減だよな」

 

 確か、元々の魔族としての種族名はあった筈なのだが思い出せない。ちなみにアラクネーもテラが名付けた、いわゆるテラ語であり、こっちにも今や死語となってしまった魔族語の別の名前がある。

 

「テラ・アキツシマ?」

「墜ちて来た英雄。伝説の人だよ。ユウと同じ異世界人だな」

 

 伝承では「異世界から来た」と自称していたとされる。が、それもあくまで記録に遺された伝聞に過ぎず、実際はどうなのかは不明だ。

 ただ、彼女がエルダ、当時は古代王国に遺した実績は余りにも多い為、実在が疑われている。だが中には現在ですら再現不可能な技術もあり、天才であったのは間違いない。

 

「ふーん」

「一部、間違ってるかも知れない。教本からの孫引きだからな」

 

 そしてギネスは士官への昇級試験を受ける事を話した。

 軍曹にもなれば、現場からの叩き上げで士官への道が開けているのがグラン王国海軍だ。無論、門戸は狭いが、士官に一旦なってしまえば、給料も上がるし、準貴族として〝士族〟身分へと昇格して社会的なステータスも上がる。

 

「準貴族?」

「うん、世襲貴族じゃなくって、自分ー代限りだけどな」

 

 勿論、男爵以上の世襲貴族に与えられる権限は行使出来ない。が、それでも平民と身分は天と地の違いがある。

 

「普通、平民が士族になる為には多額の金が必要だけど、軍の士官になってしまえば、何とただで士族になれるんだ」

 

 爵位持ちからの任命によって誕生する事もある。

 例えば優秀な冒険者(クエスター)が、多大な功績を挙げたから下賜されたとかだが、これは宝くじ並みの幸運なので除外する。

 

「おかしいな。軍曹の言を聞いているとまるで普通の人間みたいだ」

「普通の人間だぞ。士官を夢見る……な」

 

 小市民的な所もあるが、それなりの夢はある。

 エルダに生きる者ならば、何等かの希望や野心を持って生きているのが普通だと思う。王や領主じゃ無いから、天下統一とか勢力拡大なんかは夢物語にせよ、明日のより良い生活に向かって、努力をするのが当たり前だと思う。

 

「パンドーラじゃ、そうじゃなかった」

「ん?」

「お前らみたいな魔物は、ただ人を襲うだけの化物で、勇者に倒されるべき存在だった」

 

 話によると画一的な定番の台詞を喋るが、どれもこれも「勇者覚悟」や「殺す」とかの画一的な物で無味乾燥な反応だったと言う。

 それを聞いて軍曹は『生物と言うより、人工物(クリーチャー)だな』と感じてしまった。エルダ世界でのゴーレムみたいな物だろうか。

 

「人間、誰でも個性を持つし、夢や希望を叶えるべく努力する。小さな事に悩んだりする。前の世界ではどうだか知らんが、少なくともここではそうだ」

「……」

「ユウの世界、地球ではどうだったんだ?」

 

 いつの間にかギネスが勇者を呼ぶ時の名詞が、「カスガ」から「ユウ」に変わっていたのに、今更ながら軍曹が気付く。

 

「魔物は居なかったな。猛獣はいたらしいけど」

 

 下半身が蛇や魚に、翼を持った種族はおらず、猛獣にしても直接目にした事は無かったらしい。

 近くに居るのは「熊がせいぜいだけど、山奥でなかったから会った事は無い」と話す勇者。

 

「ではヒトや亜人の他に、妖精族しか居なかったのか」

「いや、妖精族って長命なアレだろ。知的種族は人だけだ

 獣人ってのも伝説の中だ」

 

 どうやら、地球とはかなり特殊な世界らしい。

 それにしてもヒト族以外に知的種族が存在しないとは驚きだ。

 

 

             ◆       ◆       ◆

 

「あ、干し肉一束ね」

「はーい」

「こっちはハッカ飴と鉛筆をくれ」

 

 厨房の近所にある酒保は開店直後から騒がしい。

 非番だった者が三々五々集まって来て、商品を漁って行くからである。店頭に立つラム・ラム上等兵も両腕だけで無く、灰色の鋏脚まで駆使して接客に忙しそうだ。

 

「ありゃ、勇者くん。何か買うの?」

 

 それが一段落付いた時に、ラム・ラムは勇者カスガの姿を見付けた。

 気難しそうな表情を浮かべ、じっとこちらを凝視している。

 

「お腹空いてるなら士官用の特別食もあるよ。有料だけどね」

「いや、俺は……」

「遠慮すんなって」

 

 酒保注文すれば士官用に調理された質の高い食事をオーダー可能で、そのまま食堂で食べるなり、個室にデリバリーしてくれる。

 但し、これは兵食ではないので有料で、士官は自腹を切るのを嫌って我慢して兵食を摂ったりするし、長期航海なんかで食糧事情が乏しいと、艦長命令で士官食の供給を停止される事態もある。

 今の《マイムーナ》は幸い食糧事情が豊かだから、お金さえあれば兵にも供給可能な余裕がある。もっとも、これは規律の緩い本艦だけなのかも知れない。

 

「え」

「身分差って奴。うちのヤノ艦長は余り気にしないけどさ。

 中には士官と兵には越えられない壁があって、幾ら金を持ってても士官と兵が同じ料理を口にするのは我慢ならんって奴も居るのさ」

 

 ラム・ラムは「じゃ、食事代けちって兵食喰ってる士官様はどうなるんだろ?」って馬鹿にした様に述べると、クスクス笑う。

 

「注文があれば作るよ。うちの士官様はたった二名で、しかも艦長は士官食を食べないし、今、副長は不在だろ。キーラ曹長は腕が振るえないのが不満だしね」

「じゃあ、頼む。メニューは……」

「基本はお任せだけど、何か、食べられない食材やお好みの料理とかある?」

 

 彼女は壁にある伝声管の蓋をぱかっと開けて、好みとかを確認する。

 特に指摘が無さそうだったので、手に持ったハンドベルを振って先方に伝声管を使用するを伝え、次に受話用のそれに耳を当てる。

 

「士官食一つ、注文が入ります。えーと届け先は医務室だったよな」

「だと思った。何分後かな」

「今日のメニューは牡蠣フライ定食だってさ、15分もあれば届くんじゃないかな」

 

 ここでカスガは不思議な事に気が付いた。

 

「おい、分って」

「時間の単位よ。エルダの時間の計り方を機関長にでも教わったでしょ」

「いや、そうじゃなく、何で……」

 

 こいつらは、分なる単位を理解してるのか。

 それまで後ろで黙って会話を聞いていたギネス軍曹が、「1分間は60秒。1時間は60分」と口を挟んできた、

 

「何故、それを知っている?」

 

 疑惑の目を向けて尋ねる軍曹。

 

「まさか、一日は24時間じゃないだろうな」

「そうだ。テラ時間と呼ばれている。古代王国期に広まった単位だな」

「それ、地球の時間単位じゃねぇか!」

 

             ◆       ◆       ◆

 

 午後二時。

 仮眠を取っていた艦長は既に目を覚ましていた。

 

「ご苦労、機関長」

「勇者のお守りは疲れますね」

「ははっ、勇者は今?」

 

 ギネスは烹水科に監視を引き継いだ事を伝える。烹水科は忙しいので、この報告が済むまでの臨時だが、その後は航海科に引き継ぐ段取りを付けている。

 

「ほぅ、勇者は混乱していたか」

「テラ時間と単位についてですが、地球との類似点があったみたいです」

「ふむ、テラ単位に関しては我々も謎が多い」

 

 英雄、テラ・アキツシマが広めたとされる各種単位が何処から来たのか、いつも当たり前みたいに使ってるメトル、リットなどの単位が、勇者の出身地である地球にも存在するのにギネスらも驚いている。

 もしかしたら、カスガはテラがやって来た世界から来たのかも知れない。

 

「結論は上層部が下すだろう。我々だけの判断だけでは何ともな」

「はっ、これから《マイムーナ》はどうするのですか、何時までもゴルカに寄港しっ放し言う訳にも行きますまい」

 

 ヤノ艦長は東方風の単衣姿で顎を撫でた。船の運航に関しては艦長の指揮下であるが、このまま寄港を続けると経済的にまずい。国税で動く軍艦と言えど、ここらも考慮しなけれぱならない。

 

「測量はやるべきだな」

 

 艦が寄港していても可能な仕事だ。ただ、増量中で流れも急な河に小艇を出すのは危険であった。漂流物にでもぶつかったら転覆しかねない。

 

「水に潜っても平気な連中がもっと欲しいな。水中に行ける人員が足りん」

「キーラ曹長だけですからね」

 

 スキュラとかマーメイドならば、ボートが転覆しようが人死には出ない。

 が、それは現状叶わぬ夢である。

 

「潜水艇を出しますか」

「工作部のあれか、使い物になるのか?」

 

 艦長が顔をしかめる。ギネスは「何でも試してみるべきですよ」と言う。

 工作艦だけあって、変な装備は色々と積まれているのだ。

 

 

〈続く〉




エルダの魔王軍は侵攻時は組織的でした。
少なくとも後方と前線の区別は付いてました。乱暴だけどちゃんと統治もしてたんだよ。ただ破壊・蹂躙するだけの軍ではありません。
魔王が討たれてから、崩壊しちゃったけどね。


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〈6〉

「勇者のユウちゃん」
どっかの武器屋のお姉さんですな。
まぁ、典型的なギャグ名なんだけど。


             ◆       ◆       ◆

 

 食べるだけなら、わざわざデリバリーの必要は無いとして、カスガは酒保から食堂へ移った。

 食堂は厨房より階下にあって、デッキを降りなければならないが、歩く距離はラッタル一つ分なので移動は比較的楽だった。

 食堂は簡素な長卓と丸椅子が並び、比較的広い容積を持った場所だった。天井には硝子が填まっており、明るい陽光が室内を照らし出している。

 

「お、エレベーターか」

 

 壁にある食事運搬用のエレベーターの姿を見て、日本の給食時間の事を思い出す勇者。

 小学校に設置した奴と大きさはほぼ同じで、食事用のワゴンを収納する狭い造りだ。無論、人間が乗るのにはサイズが過少すぎる。

 側面の手動ハンドルを回して上下させるらしいが、今は上の階で操作しているらしく、無人で転把がくるくる回っている。

 

「人力なんだな」

「この船は古いんだよ。大型艦じゃ動力付きも実用化されてるぞ」

 

 ちーんと鐘の音が鳴ると同時に扉を開け、エレベーターに乗せられたワゴンを引っ張りだし、中の牡蠣フライ定食のトレーを手に取るのはラム・ラム。

 

「士官向けだけあるな。美味そうだ」

「お茶は後から来る。先にメインを食べてくれ」

 

 卓上に移されたトレーには湯気を立てている幾つかの牡蠣フライと、サイドにトマトにボテトサラダが盛られている。

 だが、それを目にした勇者が眉を釣り上げる。

 

「何故、ここにジャガイモとトマトが!」

「ん?」

「おかしいじゃないか、アメリカ大陸が何処にある!」

 

 と言われても、ラム・ラムには何の事かさっぱり判らない。大体、アメリカなる単語が何なのか、地球人なら地名だと一発で理解出来るだろうが、エルダの住人には謎の名詞なのである。

 勇者は更に「ジャガトマ警察が激怒するぞ」などと、謎の文句を言っている。

 

「アメリカって、何?」

「新大陸だよ」

「ああ、あんたの世界の大陸か……」

 

 カスガは中世欧州にそんな作物は存在せず、新大陸から輸入された代物であると説明するが、ラム・ラムは「ふーん」程度の態度である。

 

「で、ジャガトマ警察?」

「そうだ」

「馬鹿馬鹿しい。このエルダじゃ、世界の成り立ちが違うからね。

 そんな大陸は存在しないし、警備隊か、みたいな奴が文句を付ける訳も無い」

 

 だいたい中世欧州的な世界と一括りに紹介されているファンタジー世界だが、本当の意味では中世欧州その物では無い。現に今のエルダの状況は中世よりも近世だ。蒸気機関が存在するから産業革命期に近いし、更にアルマイトらしき食器なんかも実在している。

 そして作物だって同じ様に分布はしていないだろう。ここは中世欧州って土地では無いのだ。

 

「まぁ、折角だから食べなよ。下らない話をしてる内に冷めちまうから」

「う、分かった」

 

 料理が冷たくなると聞いて、勇者はまず食べる事を優先する。

 幸い牡蠣フライはまだ暖かかった。出来たてで舌が火傷する程熱くは無く、丁度よい温度になっていた。三つあったそれが胃袋に消えたのはそう時間が掛からない。

 サイドの野菜も平らげられた後、食後のお茶が茶器(サモワール)ごと提供される。それはミルクを混ぜた塩味で、バター茶風だった。

 

「美味いな」

「だろ」

 

 感想に輿に両手を当ててどや顔で応えるラム・ラム。しかし、本当に美味い。ソースの類も不必要で、ほんのり柑橘系の爽やかな酸味がある。

 

「キーラ曹長の腕は絶品だからね。安い素材でここまでの味を出せるなんて、天才よ」

「安いのか」

「官給品の食費よ。予算だって潤沢じゃ無いもの」

 

 士官食は別途料金が掛かっている分、兵食よりは高級品だが、それでも一般の食堂に比べれば食費を抑制しなきゃらならないらしい。

 朝市へ行って大量に購入する事で値引きさせたり、売れ残り品を安く買い叩いたりと烹水科の調達部隊は苦労しているのを告げる。無論、賞味期限切れを掴まない様に気を付けているから、今まで食中毒には当たっていないのが密かな自慢だ。

 

「中毒か」

「軍だから戦闘以外で、戦力を失うのは問題よ。

 戦闘前に腹を壊して死者でも出たら、泣くに泣けないわよ」

 

 茶器をテーブルの端に置くと、彼女はピンクの髪を翻してふぅとため息を付いた。下半身の灰色なヤシガニ体が揺れて、ブルーの瞳がゆっくりと閉じられる。やや疲れが見えている。

 

「体調が悪いのか」

 

 先刻から疲れが出ていたのを案じ、勇者が尋ねる。

 

「お客さん。女の子の……あれよ。参ったなぁ」

 

 魔物にも生理が来るのかと驚く勇者。もじもじして「今回は軽いと思ったら、途端にこれよ」と急な身体の変調に悪態を付いて、壁の伝声管に向かった。

 ベルを鳴らし何者かと会話している。

 

「軍曹にあんたを頼まれたけど、今のあたしじゃ監視は無理っぽいからね」

「別に居なくたって良いんだぞ」

 

 別に監視の紐付きは望んでいない。

 だが、彼女は首を振り辛そうに輿に手を当てながら宣言する。

 

「ご冗談。あたしの代わりの交代要員が間もなく来るから、お茶でも飲んでるんだぞ」

 

 時々、「いててて」と呟きながらラム・ラムの六本脚は力を失い、べたんとヤシガニの身体が床に着いてしまう。痛みで動けなくなってしまったらしい。

 

「参ったなぁ。力が入らない……いてて」

「無理すんなよ」

「肩を貸して」

 

 硬質の六本脚に力を込めようとしているが、かちゃかちゃと微かに動くだけで、ちっとも立ち上がれない様子である。諦めてラム・ラムは手を伸ばす。

 

「壁に掛かっているハンモックを広げてよ。そこの片隅の奴がいい」

「ベッドの方がいいんじゃないのか」

「あたしは兵よ。下士官や士官じゃないもん」

 

 寝台は上官達専用の物なのだそうだ。食堂に寝具があるので不思議に思ったが、軍艦では廊下や砲甲板でも夜は就寝スペースであり、食堂なんかも絶好の場所だと言う。

 もちろん、夜間以外は広げられないから、夜食時間が来る頃には畳まねばならないが、数時間は休めるだろうとの話だ。

 

「それまでに治れば良いな」

「軽いと思ったんだけど、薬を飲んでおくかな」

 

 身体に力を入れると激痛が走るらしく、しきりに呻きながら脚を動かして腹を床に擦ったまま移動すると、設置されたハンモックに身体を預け、リラックスした形で六本の脚をだらんと下げる。

 上半身の人間体は自分の胸部にもたれる形で倒れ込み、仰向けになって天井を見詰めている。

 

「ヤシクネーってそんな感じに寝るんだ」

「こうしないと自分の身体で潰されちゃうからね。自分の身体の上で寝るのよ」

 

 同じ節足型だから、多分、アラクネーも同じだろうと語る彼女に指示され、ロッカーの中から薬瓶を取り出し、手渡すと数錠の丸薬を飲み込むラム・ラム。

 鈍痛を耐えて目を瞑っている。

 

「なぁ、あんたは別の世界から来たんだよね」

「? そうだけど」

「そこって、どんな生活なの」

 

 目を瞑ったまま彼女は勇者に問うた。

 

「きっと世知辛いエルダと違って、もっと自由で沢山食べられる世界なんだろうね。

 少しでも楽になろうと下士官昇格試験を頑張って、故郷に残した妹達へ仕送りに頭を悩ませる事なんかない様な」

 

 理想郷の様に語るラム・ラムの言を聞きながら、カスガはパンドーラ世界と共に地球の出来事を思い出していた。

 彼女は現在の状況にやや不満がある様子で、自分の悩みをカスガに直接ぶつけていた。

 海軍に入って給料は過不足はないものの、貧困に喘ぐ妹達へ仕送りしてしまうと手元に残る額は僅かしか無い。給料を上げるべく下士官に任官しようと試験に臨むが、その勉強が上手く行かないので悩んでいる事。と現在の近況を語ってくれた。

 

「魔物が悩んでる……」

「あたしだって普通の人間だぞ」

 

 パンドーラ界の魔物は悩まなかった。突然、登場のBGMと同時に出現し、人々に襲いかかって来るだけの敵であった。

 上級ボスと思わしき個体が台詞を喋るが、その内容は「魔王様の命で貴様を殺す」や「ここで会ったが百年目」的な一方的な物でこちらの言葉に受け応えたり、自分で考えて喋ってはいなかった。

 あ、時々、「くくく、人殺しは楽しい」や「あーははは」と嘲笑するのも居たな。あと斬り殺されて悲鳴も上げたり、「魔王様ーっ」と口にして経験値と宝石になるんだった。

 

「それ、本当に生き物なの?」

 

 黙って話を聞いていた彼女が呟く。

 反応がゴーレムかホムンクルスみたいで、頭の悪い人工知能を載せた人造物にしか思えなかったからだ。

 エルダでも人間に近い反応を求めて、この手の研究が行われているし、実際、海軍の研究棟でも試作されているが、頭の悪さはそれにそっくりだ。

 

「いや、魔物なんてそんな物だろうと思ってた」

「魔物がそうだとしたら、その世界に住む人々は?」

 

 カスガは口に手を当てて考えると「どいつもこいつも俺を〝勇者様〟と持ち上げてくれたな」と伝える。異世界から為政者、つまり王国の魔術団に召喚魔法で呼び出され、「この世界は魔王の暴虐に苦しめられております」と懇願されて……。

 

「俺に使命を語ってくれたのは姫様だったな。で、成り行きで勇者になった」

「為政者がそれか……それで、一般の奴らは?」

「俺を慕ってくれたぞ。敵を倒せば大歓迎で、涙を流して喜んでたな」

 

 話を聞くと「勇者様」「勇者様」と持ち上げられ、衣食住の全ては無料で与えられ、代わりに魔王軍を退治する役目を担わされたそうだ。

 全ての反応は、姫から一般の民衆に至るまで同じだったらしい。

 

「ふーん」

「やろうと思えば、酒池肉林って奴も可能だった。俺の趣味じゃ無いけどな」

「救世主扱い……だったのね。あっちは豊か……だったのか」

 

 目を閉じながら世間話みたいに語る彼女は、真剣と言うよりは半ば寝言の様に会話を楽しむ。実際、身体の痛みを会話で紛らわしている様で、同じ質問を何回か繰り返した。

 

「待たせたな。やっと仕込みが終わった」

 

 元気な女声が入口から響いた。

 勇者は咄嗟に身構えるが、それは視線の先にある姿が異形だったからだ。

 

「おいおい、スキュラを見た事ないのか?」

 

 警戒するカスガを見て呆れていたのは、下半身がタコの足になっている女性だった。

 正確には両足の膝の下が四本ずつの触手と化しており、数匹の蛇頭が触手の間から生えている。それを除けば上半身はごく普通の美人だが、着ている服が地球のエロゲで見掛けた様な、紺色の旧スクール水着そっくりな衣装なのが気になる。

 

「参ったな。ラム・ラム上等兵は、睡眠薬で爆睡中か。

 酒保は別の誰かにやって貰うしかないか」

 

 緑色の髪を持った美女は睡眠モードに入ってしまった部下を眺めて、改めて「烹水長のキーラ・ランマン曹長だ」と述べた。

 

「カスガ・ユウだ」

「勇者のユウちゃんだな。以後、暫く私と同行して貰うぞ」

 

 警戒しつつも自己紹介をする勇者に、苦笑する曹長。

 曹長と名乗るから、ギネス軍曹よりも上位の階級なのだろう。下士官では最上位だ。これ以上になると士官職に分類されるのが、軍の階級制度だとおぼろげにカスガの知識が訴えている。

 

「今、気が付いたんだけど、どうして言葉が通じるんだろう?」

「知らん。もしかして魔法か何かで自動翻訳されているのかもな。何か喋ってみろよ」

「目の前にスキュラって魔物がいる」

 

 曹長は勇者の口元を観察すると、その動きを見て「スキュラって単語だけが、我々と同じ発音だな」と結論付ける。他は恐らく別の言葉を発しているのだが、キーラ達にはエルダの言葉に聞こえているのだ。

 

「逆も又然り。多分、エルダの一般語がユウの耳には地球語だかに翻訳されている。

 地球とパンドーラだかの言語も同じだろう。多分、本来は全く別の発音が出されている」

「へーっ」

 

 魔法的な何かの作用なのだろうと推測を述べる。

 恐らく、パンドーラ世界で施術された物では無いかと勇者は思う。地球には魔法と言う物が存在しないからだ。

 

「我々だって別の言語って観念はあるぞ。古妖精語(エルフィン)なんかは文法もまるで違うし、別の大陸の住人には各々、別の言語があるから知らなきゃ話が通じない」

 

 もっとも、エルダには【言語翻訳】の魔法も存在する。

 かつての古代王国期に開発された遺失魔法で、現在では翻訳機の遺物が残るのみなのだが、全く言語が異なる対魔族用に使われたらしい。

 

「魔族はエルダの言葉を使ってなかったからな。でも、今の魔族はエルダ生まれの世代だから、逆に魔族語が喋れない。普段の会話はエルダ一般語の方が便利だから」

 

 スキュラやヤシクネーとかもエルダの単語で、本来は魔族語で別の名前で呼ばれていたらしい。中には名がそのまま直輸入されて、エルダ語になった魔族も当然あるが。

 

「思い出したら腹が立ってきた。言語が厄介なんだよ。

 古妖精語(エルフィン)なんて上流階級が気取って使ってるだけなのに」

「何の話だ」

「士官昇格の試験だよ。こいつに合格すれば士族様になれるかも知れん」

 

 試験に合格しても士官学校に入学可能なだけで、更に一年の教育期間があってエリミネートされるから、必ずしも士族に任官されぬ場合もあるのだ。

 因みに士官学校で失敗したら准尉の階級を貰って現役復帰だが、士官ではあるが士族では無い微妙な立場に置かれてしまう。

 しかし下士官の親分みたいな立場なので、兵の中では威張ってる古参兵が多いそうだ。

 

「兵は下士官に、下士官は士官に昇格するのを目論んでるんだな」

「当たり前だろ。軍は階級が物を言う世界だ。

 階級が上がればそれだけ給与が増える。皆、しゃかりきになって上を目指すさ」

 

 魔物が出世欲を持っている事が驚きだったたが、社会全体に上昇志向なのが新鮮だった。

 カスガの世界では世の中に停滞ムードが漂っており、明日の事を今日より良い暮らしをする為に努力する雰囲気があった。話には聞いている高度経済成長期の日本の様な感じがした。

 

「さて、行こうか」

「え」

「何時までも身構えていても仕方ないだろ。それに食堂でたむろしていてもつまらないさ」

 

 くるっとキーラは後ろを向き、「ラム・ラムは当分起きないから、寝かしときな」と呟く。

 カスガが「何処へ行くのか」尋ねると、手を広げたスキュラはやれやれのポーズで、「まだ仕事が残ってるんだよ。食料庫に付き合いな」と返す。

 

「食料庫?」

「あたしは烹水科だからな。今日の仕込みとは別に、明日の食料を確認しなきゃいけない」

 

 

〈続く〉




ジャガトマ警察。
ライトノベル界隈にはそんな物があるらしい。
で、新大陸(アメリカ大陸)にあって旧世界(中世欧州?)に存在しないって決めつけるのは地球では正しいけど、ここ異世界だよね? しかも、現実には居ない筈のエルフだのが住んでる世界なんだから、植物だって無い筈の物が生えてたって構わないと思う。
あのトールキンだって、堂々と住人に煙草を吸わせてるからなぁ。無論、煙草は南米原産だぜ(笑)。


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〈7〉

一部、最新の投稿が入っています。


             ◆       ◆       ◆

 

 上甲板に来ると大量の人員と共に機関長らが、大袈裟な機器を引っ張り出していた。

 筒の先から、沢山の蒸気が噴き出るホースである。

 

「大変だぞ」

「面倒くせぇ」

 

 と述べながら船体に当てて清掃しているのは機関員では無く、そこらから徴集した連中らしい。

 機関員であるラタとマチュアはギネス軍曹に傍らで、露天艦橋の上でボイラーの操作をしている。と言うか直属の機関科部員は彼女ら二人だけなので、専門知識の必要な仕事を任せるのが困難なのである。

 

「圧力を落とすな」

「缶水を予備に切り替えます」

「予備の予備が必要だな。第二缶室に注水を急げ!」

 

 如何にもにも忙しそうで、次々とボイラーのコンソールに取り付いたり、下へ降りて手動ポンプで河の水を何処かへ送り込んでいる。

 

「何で今日に蒸気清掃なんかするんですか?」

 

 怒鳴るラタ。軍曹はレバーを操作しながら、

 

「上からの命令らしい。マチュア、缶水の補充は済んだのか!」

「まだでーす。誰か追加して下さい」

 

 キーラ曹長がギネス軍曹に近づき、ブリッジの下から「軍曹。うちの若い奴を回そうか?」と声を掛ける。ギネスは振り向くと、「助かる。ラム・ラムは?」と尋ねる。

 

「ダウンしてる。無理したんだろうな」

「いいけど、勇者の世話はちゃんとしろよ」

 

 曹長は「チェナ・チェナ、カルーアはマチュアの補助に回れ」と伝える。艦長の前で列に並んでいた二人が「はい」と返事をする。

 丁度、魔法で全身に霧状の液体を振りかけている所であるから、それが済んだ後になるが。

 

「消毒か?」

 

 不意にカスガが口に出す。

 艦長(兼艦医)が兵達に行っているのが、そうとしか見えない魔法であったからだ。

 

「らしいぞ。最近導入された魔法だけど、雑菌を殺す魔法らしい」

「エルダにも細菌って概念があるのか」

 

 勇者は意外に感じていた。地球ならまだしも、パンドーラでは細菌なる概念は無かった。

 軍曹は計器を眺めたまま、こちらも見ずに「最近出来た概念だがな。発酵食品の研究から産まれた錬金術の副産物だ」と続ける。

 聞くと発酵とか醸造なんかも、エルダでは錬金術の一環として考えられているそうだ。だからチーズ作りの牧場やワインの醸造所にも錬金術師が就職しているらしい。

 

「知り合いはキノコ農場に就職したぞ」

「確かに菌だな」

 

 納得である。

 雑菌は害をなす様々な菌で、最近の研究では身体に感染すると色々と悪化するらしいから、まず菌を滅殺しようとの試みが行われているらしい。

 

「まだ軍だけの試みだがね」

 

 艦長が声を掛けると同時に「霧で身体を包め【殺菌】」と、勇者に魔法を掛ける。

 全身に僅かなアルコール臭が身を包む。

 

「ヤノ艦長だっけ」

 

 勇者が尋ねる。

 

「ヤノで結構。これでも艦医だからな。

 で、本艦のこれからの予定が決まった。一旦、領都へ引き返す」

 

 艦の消毒だろう燻蒸は着々と行われている。甲板を始めとして、舷側までホースを伸ばして蒸気を吹き付けている。

 

「領都へ? 行くのですか」

 

 意外に思った曹長が尋ね返す。予算から考えて不都合だと判断したからだ。

 

「勇者だけを伴って、艦は任務に戻るのが最善だと思うのだが……」

 

 ヤノ大尉は苦笑する。《マイムーナ》と別れて、それぞれ別々に行動した方が合理的な筈だった。予算的にも引き返すのは大損害だろう。

 

「俺に会いたい奴が居るんだな?」

「御領主様だ。多分な」

「多分?」

 

 大尉はカスガへ「命令書には取って返せって命令だけだが、御領主様、エロコ辺境伯はそう言うのに興味がありそうだからな」と告げる。

 多分、普通に海軍本部へ連絡しても〝不明者は港へ下ろせ。後は現地の官憲に任せろ〟とかの当たり障り無い命令が帰って来るだけだろう。

 海軍だって面倒臭い事にはなるべく関わりたくないのである。不可思議な現象に興味を持った何者かが、この件に絡んでるのは確かだった。

 

「まぁ、いきなり異異界から来た勇者を信じる奴は少なそうだけどな」

「そう言う事だ。それと通信文のサインが御領主様の直筆だった」

 

 ヤノ大尉は笑いながらカスガへ通信文を見せるが、書いてあるのはエルダ文字なので当然、勇者はそれを理解不可能だ。

 何等かの方法で会話は不自由ないが、文字までは自動で翻訳してくれる訳では無さそうである。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 ボイラーに連結されたビームが動いていた。

 往復蒸気機関という奴でボイラーで発生した蒸気をシリンダーに送り込み、その上下運動をビームに伝達。上下動するビームはそれを回転運動に変えて、艦尾の外車(スクリュー)に伝達する。

 まぁ、それが船が推進する原理だが、部品の精度が悪いせいか、物凄い轟音を立てていた。

 

「圧力が低いな」

「少し前まで、蒸気を消費してましたからね」

 

 ラタ上等兵が機関に取り付いて計器を読む。

 マチュアはその補助だ。瑠璃色のボディを輝かせながら、先輩の動作を確認しつつ魔力の調整を急ぐ。第一缶室に投入された熱源が盛んに蒸気を生産するが、第二缶室のそれにはまだ及ばない。

 

「烹水科が消費してくれたからねぇ」

「デッキの掃除分もありますよ」

 

 デッキの掃除は無駄に蒸気を放出するので、その分圧力の低下は激しい。

 元々、航行用の機関設定をしていなかった分、仕方なかったとは言うものの、出力は五割程度に低下してしまっている。

 今は何とか回復させたが、出港時は出力が足らず、帆装を併用して何とか港を出た程だ。

 

「そう言えば、勇者は何処に?」

 

 機関室を興味深そうに探索していた少年を思い浮かべて、マチュアがラタに尋ねる。

 ラタは熱で噴き出た汗を拭い、オレンジ色の派手な髪に水をぶっかけると「ふうっ」と一息を付いた。機関室は運転時はボイラーからの熱で高温になるのである。

 

「航海長の側じゃない。艦橋辺りに居ると見たわ」

「炎熱地獄のここよりゃ、マシだわね」

 

 春の気配がする季節柄、気候はやや寒さを感じるが、この機関室よりは少なくともマシだろう。ヒト族のラタもそうだが、ヤシクネーのマチュアだって上半身はびっちりと汗まれみなのだ。

 ちなみにヤシクネーの下半身は外骨格に包まれているので汗は出ないから、温度調節はもっぱら人間体の役目であり、二人共に胸部分をブラで覆っただけの半裸姿だ。

 

「第一缶室の圧力安定」

「第二缶室から第一缶室に出力を切り替えよ」

 

 最初に消耗していた第一缶室の蒸気が復活したので、ラタの命令が飛ぶ。

 今まで酷使していた予備の第二缶室からメインの第一缶室に出力が切り替えられ、第二缶室は再び冷たい水が注水されて沸騰からぬるま湯状態になる。

 

「注水レベルは正常」

「缶水が空になるな。タイミングを見て水タンクを満杯にしてくれ」

 

 蒸気機関がまだまだ普及しないのも、この水消費量の多さからである。

 河川用としては活躍しているが、真水を容易に確保出来ない海上艦艇ではまだまだ帆装中心なのもこのせいだと言える。

 蒸気を放出するのでは無く、一旦、放出した蒸気を真水に戻す復水器(コンデンサー)なる装置が試作されつつあるが、装置の設置代と運行費用がネックとなって、なかなか普及しないのだ。

 それと、職を失いかねない風属性の魔道師が強硬に反対している事情もある。

 

「もう少し機関員を増やしてくれませんかね」

 

 外へ行くついでにマチュアがぼやく。《マイムーナ》の機関員は小型艦だけあって、ギネス軍曹を含めてたったの三人である。

 

「この船じゃこれが限界じゃない。あと一人は欲しいけど」

「あたしオーバーワークですよ。そろそろ寝たいです」

 

 二人は交替で不寝番である当直に立つが、マチュアの場合は掃除と緊急出港との非常事態で寝入り端を叩き起こされていた。

 

「缶水を補充したら寝てて構わないわ。

 あ、過剰労働分はちゃんと申告しとけ。手当が付くぞ」

 

 マチュアは了解とでも言う風に手を振って、よたよたと機関室を後にした。

 傍らに置かれている薬罐に手を伸ばしたラタは、直接、口を付けてぐいと水を飲み込んだ。数リットは入る筈の中身は半分以下に減っており、彼女は顔をしかめるのだった

 

             ◆       ◆       ◆

 

「進路正常」

 

 舵を握るフェリサが呼称する。

 後ろにあるビームが激しく動いて、リズミカルな轟音を立てている。

 増水しているポワン河を航行する工作艦。往路は色々停泊して測量やら、浚渫などを作業を色々行っていたから三日もかかったが、基本的にはゴルカの町は隣町に過ぎない。

 何もしない復路では川下りの船足の速さもあり、領都まで一日と掛からない筈だった。

 

「艦速は16Kmです」

「今日中には着けるかな?」

「さすがに夜間は速度を落とすべきかと。入るのは明日の朝になりましょう」

 

 陽が陰ってきた空を一瞥し、機関長が艦長に答える。あまり夜遅く着いても、港が機能しない場合が多いからだ。

 夜間を夜通し航行するのも可能だが、事故を防ぐ為には速度を落とす必要がある。何しろ、川には行き来する商船がちらほら見えるのだ。

 

「どっかに停泊した方が……」

 

 両岸には対比可能な白地も存在するが、ヤノ艦長は突っ走る気の様である。吹きさらしのブリッジで寒風が頬を擽るが、南国気質のここらでは心地よい。

 

「どの道、入港手続きは明朝になると思いますよ」

 

 舵輪を握るフェリサ伍長が口を添える。

 軍港では無く、民港へ入港する手続き上、このまま進めば真夜中に到着してしまうからだ。

 領都を通過して河口から外洋に出るなら構わないが、領都に入るなら役人の勤務の関係で数時間は手持ち無沙汰になってしまう。

 

「そうか。面倒な。どうも、軍には関わらせない気だな」

 

 上層部の意図を見抜いた艦長がごちる。

 東部艦隊はエロエロンナ海軍との別名もあり、辺境伯の私軍みたいなものであろが、一応はグラン王国海軍である。

 国に知られてはいけないと考えた情報が今回の勇者事件にあって、それを秘密裏に回収するのが目的だと目星を付ける。

 

「役所が最初に開くのが、05:00(ひとごうまるまる)だったか」

「はい」

「一晩過ごすのだったら、停泊しても同じか」

 

 暫く考えを巡らせていた艦長は、右手、東部域に小さな泊地があるのを発見し、「あそこに停泊する」とギネスとフェリサに告げる。

 それは三角湖の出来損ないの小さな物で、成長中のそれはまだ一部がポワン河に接続したままであった。

 無論、時期が来れば完全に湖となってしまう代物であるが、幸い《マイムーナ》程度の小型艦なら停泊出来る広さがあり、出入りも大丈夫に見えた。

 

「機関微速!」

「了解。速度5km」

 

 三日月湖もどきに入り込む《マイムーナ》。

 普通、三日月湖は元は河の流路であるが、河が短絡した時に旧水路に土や砂が堆積されて遺された痕跡である。

 上流に当たる入口の方は完全に閉塞しているが、下流にある出口の方はまだ開いている。このまま放っておけば、下流域も堆積物で埋まってしまい完璧な三日月湖になってしまうのだが、丁度、水の流れの無い泊地になっている。

 

「停船」

「停船良し。碇を下げろ」

 

 艦長の命令一下、機関が停止して碇が投げ入れられる。

 泊地の中央近くで工作艦は停まった。しかし、ボイラーはアイドリング状態で停止はしていない。ビームを停止しても盛んに蒸気を生産している。

 

「何も無いな」

 

 単なる無人地帯なのだろう。この辺りにはこんな感じの三日月湖やもどきが多く、工兵部隊も時々駆り出されて、こうした三日月湖を埋めて平地にならす作業が行われる事もある。

 しかし、ここら辺はまだ人里から遠いせいか、自然の状態だあった。

 

「墓が見えます」

 

 周りを観察していたギネスが指摘する。三日月湖の岸に立つのは幾つかのは墓石の群れ。

 艦長は振り向くと、首に下げていた望遠鏡でそいつを確認する。夜間なので視界は暗い筈なのだが、何とかそれを確認出来た様だ。

 

「古いな……」

「忘れられた廃墓地かも知れません」

 

 巫女の資格を持つヤノ大尉は墓の形態にも知識があるらしく、石積みのかなり古いタイプの墓だと断言した。しかし、ギネス軍曹もヤノ艦長もそいつの存在を無視した。

 不気味だが、今の任務には直接関係ないからである。

 

「当直を残し、本日の航行は終了だな」

「墓の隣に停泊するのは、落ち着きません」

 

 艦長の言にフェリサ伍長が反発する。「意外と迷信深いのだな」と応じると、紫鱗のラミアは身をよじって、「気持ち悪いんです」と訴える。

 

「岸からは離れているし、墓から骸骨(スケルトン)が出て来るとも思えないぞ」

 

 少なくとも墓の形式は暗黒期の様だ。古代王国期よりも新しいから、少なくとも火葬はされているとヤノ大尉は説明し、埋められた骨が原型を保ってないと解説する。

 

「大体、何でこんな所に墓が……」

「ここは領都とゴルカの中間で集落はないが、昔は村でもあったのかもな」

 

 記録は無い。と言うか東部域は長年未開拓で、ここ1世紀ばかりのは記録を除けば、不毛の地として記録なんかはほぼ無いのである。

 ここは幾つもある泊地の一つで、誰からも省みられない地であるのも原因だろう。三日月湖もどきは河口に近付くにつれ、無数に現れるのだ。

 

「気にするな」

 

 フェリサの肩を駆る叩くと、ヤノ大尉は船室に退出した。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 勇者は驚愕していた。

 今回は隠していても仕方ないので(と言うか、噂で〝勇者が本艦に堕ちて来た〟と兵間で広まってしまっている)、今回からは食堂で皆と共に食事している。

 

「蒲焼きじゃないか!」

 

 異世界に転移してから一生食べられないと覚悟していた醤油の味。それが目の前の丼リから、ほかほかの御飯の上で鎮座している。

 

「皇国風のアレンジだよ」

 

 エプロン姿のキーラ曹長はどや顔をする。実家の旅籠で東方の料理人ら教わった醤油とみりんをアレンジしたレシピにご満悦である。

 

「皇国にはこんな料理法もある。テラが伝えたらしいけどね」

「美味い。これは美味い」

 

 がつがつと喰いまくる勇者。中身はふんわと柔らかく、真に日本で喰った蒲焼きその物であった。重箱ならぬ丼飯で、飯が陸稲で山椒は胡椒に変更だが、仲々の再現度である。

 

「一度、身を蒸気でふやかして脂を落としてから焼くんだよ。

 うちの実家では秘蔵の名物料理さ」

 

 胡椒はノーサンキューとばかりに、鰻丼にがっついている勇者が顔を上げる。

 西方での鰻はぶつ切りにして串に刺すか、ゼリー寄せみたいな調理法が一般的なのだそうで、鰻は安くて大量に獲れる食材なれど、貧者の食い物らしい。

 

「テラか。この調理が発明されたのは……。

 醤油も濃口だな。と言う事は銚子や野田が出来た頃の江戸中期か」

「どうした?」

「いや、何でも無い」

 

 鰻丼を平らげ、喰った喰ったとばかりに満足そうにカスガは大の字になる。そしてキーラ曹長に醤油の入手先を訪ねると「地元産だよ。領都で生産している」と返って来た。

 

「大豆があるんだな」

「緑豆か。若い頃に塩茹ですると美味いんだが、これは硬くなった老いた豆を使うらしい。

 製法は良く知らん、東方譲りって話だが」

 

 勇者は『枝豆も知られている様だな』と納得する。

 聞くと大豆は連作時に畑で生産する植物で、特に大豆専用の畑がある訳ではないらしく、量もそれ程大量に提供されるのは無いそうだが、毎年、供給はされるらしい。主に若い豆を茹でて食べる物で、夏の風物詩らしく、残った硬い豆が醤油の醸造に回される仕組みだ。

 豆腐も生産されているのかは聞かなかったが、多分、皇国とか言う所では生産されているのだと目星を付けた。

 

『ヤノ艦長の格好が、皇国風ならな』

 

 供給されるバター茶を茶碗に入れて飲みながら、ヤノ大尉が神道の巫女装束そっくりな服装をしていたのを思い出す。

 このエロエロンナ領は西方の最東端にある辺境らしい。

 ここから先の東部は砂漠が続き、中原なる荒野の向こうに東方があり、そこに皇国が存在する。艦長のあれも皇国由来なら、恐らく皇国とは日本文花その物が展開されている地なのだろう。

 

「よう」

「ギネス軍曹か、と言う事は操船が終了したのか」

 

 曹長が振り返る。そこにはギネス軍曹とフェリサ伍長か並んでいた。

 彼女らは席をどかすと卓に就く。ヤシクネーは身体の構造上、席に座れず、ラミアは丸椅子に座れるが、身体が不安定になるので使用は控える傾向にある。

 

「艦長は?」

「自分の部屋だろ。あの人は食堂で食べないから」

 

 ギネス軍曹の答えにキーラ曹長は頷くと、配下の兵を呼び寄せて食事を用意させ、煙草を取り出してパイプに詰める。

 

「勇者の監視は引き継ぐよ」

「助かる。あ、豚肉は明日な」

「ははっ」

 

 下士官達の会話を聞き流しながら、カスガは考え込んでいた。

 テラ・アキツシマの正体。彼の予想だと……。その時、突然、船体に強烈な衝撃が生じた

 

「何ごとっ!」

 

 多数の兵士が放り出される中、下士官三人は何とか倒れずに留まっている。

 特に叫びを上げたギネスは六本脚で踏ん張っている。直前、丸椅子に着席せずに腹で座り込んでいたのが項を成したらしい。

 

「何かがぶつかったのかな」

 

 蛇の腹と長い胴体で留まっていたのはフェリサ。カスガは顔を上げ、「敵襲か?」と呟く。

 

「敵襲? 誰が」

 

 スキュラの触手は手にもなる様で、卓をがっしりと掴んで料理と食器を守り抜いた曹長が疑問符を浮かべる。最後の戦争は既に70年も前だ。仮想敵国としてマーダー帝国があるが、こんな田舎の小型艦を襲う価値が思いつかない、その内、鐘の音が聞こえてくる。

 軍艦に限らず、艦船には乗組員に意志を伝える為に船鐘が備えられている。しかし、その鳴り具合は激しい。尋常ではない。

 

「総員戦闘配置だって」

「上甲板に出るぞ」

 

 周りは騒がしい。

 おっとり刀で上に駆け付けようとする者達の中、カスガも押されて廊下に出てしまう。ギネスが止める暇も無い。

 

「このまま上に行くぞ!」

 

 やけくそになったのか、廊下にあった棒を手に取った。本来は船が損傷した際に補修材として用意されていた円材として積んであった物で、武器としては心許ないが選んでいる暇は無い。

 武蔵が巌流島で用いた櫂の様な物を手に、上甲板に出た勇者は絶句した。

 

「な、何だ」

 

 辺りは暗いが、船の照明に入った所で巨大な何かが大口を上げて唸りを上げている。

 身体は茶色で鱗は無く、長さは10mばかり。棘が生えたうねった胴体が長い。頭と思しき場所の左右に小さな赤い瞳がずらっと並んでおり、こちらを睨んでいる。

 

「近づくな!」

 

 命令が飛ぶ。咄嗟に声のした方を振り向くと、昇降口から身を乗り出したキーラ曹長が仁王立ちになっている。

 

「魔物だ。何か力を持ってるぞ」

「何だって」

「見た事ない奴だ」

 

 スキュラであるキーラ曹長は領都育ちとは言うものの、近隣の河川や沿岸での経験はそれなりにある。領都近辺の水中生物には詳しい。

 魚介類、亀や甲殻類に水鳥、危険とされる鰐やリザードマンに至るまで、一通りの相手は頭の中に叩き込んである。スキュラだからこいつらと戦って捕食だって可能な魔族なのだが、目の前のこれは初見参であった。

 

「ラミアの亜種だな」

 

 しかし、カスガ・ユウは事も無げに言う。何かを知っている様子で櫂を構えるが、怪物は背中の棘に閃光を発する。危険を感じた勇者は口から予想可能な射線から身を逸らす。

 

「ぼあっ」

「おっ、やっぱり」

 

 二つの声が交差する。最初は怪物。もう一つはカスガだ。

 口が発光しプラズマ状の射弾が甲板を直撃する。カスガの予想した進路その物に青白い光が放射され、周囲を舐め尽くす。

 

「何か吐くんじゃないかと思ってたたぞ」

 

 棘が光ったのは、転移前に地球で見た有名怪獣映画の予備動作にそっくりな描写だった。確か放射能か何かを火焔にして撃ってたが、幸い、こっちの方は威力その物は低いらしく、エリアも狭かったし、船体が燃える様な事も無い。

 

「こいつが体当たりしてきたのか」

 

 叫ぶのはやっと昇降口に辿り着いたギネス軍曹の小柄な姿だ。既にカトラスを抜いて戦闘体勢だが、巨大な怪物に対するに短めの刀では明らかに力不足である。

 

「とにかく殴る!」

 

 勇者の得物が一閃した。櫂は充分な重さがあったらしく、甲板に乗りかかって上陸しようとしていた怪物の胴をしたたかに打った。短い悲鳴を上げて怪物が河に落ちる。

 誰かが探照灯(サーチライト)を作動させたらしく、艦の照明から外れた怪物の姿を追尾する。真っ暗な中に浮かび上がる奇怪な姿。

 

「こいつ、バンドーラのラミアだ……」

 

 カスガの呟きと共に、怪物の頭に爛々と輝いていた紅い瞳が変化し、一つ一つの瞳が人間の顔、それる鬼女そっくりの醜悪な物にとなる。

 どっかの特撮番組のボスクラスキャラに似ている。

 

「前にも思ったけど……十面鬼かよ」

 

 勇者は「ステータスオープン」と唱える。手首に填まったリング、腕時計が空中にモニターを投影して各種データを表示する。

 敵の名前、スタータスなどが表示される。地球とパンドーラの技術が融合した装備で、空中モニターは地球側の代物である。中に入っている太陽光バッテリーは魔電池なる物の補助を受けているらしいが、詳しい原理は高校生の春日 勇には判らず、また理解する気も無かった。

 

「やっぱりラミアか」

 

 ステータスの表示を読んでカスガは相手を理解する。名称が〝エレキ・ラミア〟となっていたからである。エレキと言うから先程吐いたブレスは電気だったのだろう。それから高電圧による衝撃はあるが、パワーは無いと判断する。

 焦げただけで木製の船体が燃えなかったのも威力的に大した力が無いのだろう。無論、生き物がそいつを受けたらイチコロだろうけど。

 

「出港準備っ! とにかく、奴から離れろ」

「艦長」

 

 ブリッジ直下の側面扉から、艦長が飛び出して命令を下す。

 ここに停泊する不利を悟ったのか緊急出港を要求しているが、三日月湖もどき内では満足に旋回は出来ず、このまま後進をかけて本流に抜けるしか無い。

 

「碇を斬り落とせ!」

 

 ギネスはそう判断し、傍らに居るセントールのベルサ一等兵に手元に在る碇の切断と伝えると、艦長に続いて露天艦橋への階段を駆け登った。

 

「切断ですかっ?」

「巻き上げる暇はない」

 

 ベルサに答えつつ、軍曹は機関室に繋がる伝声管を開ける。

 手元にある装置に触れる。これは相手に伝声管の使用を伝える為の為で、スイッチを入れると自転車のハンドルに付いている形のベルを鳴らせる装置だ。

 艦橋に伝声管は数本付いていて、連絡先に気が付いて貰う為に、使う際には必ず使うのが規定になっている。

 ややあって機関室から返事があった。

 

「ラタか、緊急出港用意」

「どうしたんですか、さっきの振動は?」

「後で説明する。ボイラー圧力通常。後進5km用意」

 

 伝声管は発声と聞き取りが別になっている複線だ。返事を待たず、軍曹は発声側の伝声管の蓋を荒々しく閉じる。余計な音を拾わぬ為の音声遮断用だ。

 視線を艦首に移し、ベルサの方を見ると碇の鎖を外して落とす所だった。

 これが綱だったら斧か何かで切断可能だったかも知れないが、最近の錨鎖は耐久に優れた鉄製である。時間的に遅いのが気になるが仕方ない。水音が響く。

 

「碇を切り離しました」

 

 ベルサの言葉に頷くと、ギネス軍曹は艦橋の直後にあるボイラーを注視する。

 艦体から飛び出した形で安置されている機関はと蒸気を吐いていたが、その勢いが急激に増した。ゆっくり上下していたビームの往復運動が激しくなる。

 スタンバイのアイドリングから、いつでも運転可能な様に蒸気圧が高まっている様だ。

 

「どうだ?」

「機関は行けます。指揮を執って下さい」

「了解した」

 

 ヤノ大尉とフェリサ伍長がブリッジに登って来た。怪物の方に視界を向けると、カスガが間断なく櫂を構えているのが見えた。

 相手が甲板からずり落ちたので、得物のリーチが足りないみたいである。艦長が叫ぶ。

 

「次のブレスに気を付けろ!

「当直が見当たれりませんが……」

 

 舵を握るるフェリサが補佐する。艦長は黙って足元に転がるウサ耳兵を示す。

 

「うわぁ」

「ブレスを受けたのだろう。無事ならば良いが」

 

 最初に戦勝を鳴らしていた当直の一人だ。大きな火傷とか焦げている部分は見当たらず、大電圧で感電して麻痺しているのだ。

 

『当直に立った者もこいつで薙ぎ払われたんだな』

 

 ギネスは甲板に当直兵がいないのに気が付く。生死を心配するが、艦長と共に艦橋を動けない。隣のヤノ大尉も艦医だから、犠牲者を観たいに違いない。

 だが、彼女は艦長だ。指揮を放り出して任務を放棄をする事は無かった。大の前の小。ここで指揮を捨ててしまうと艦自体が危機に陥りかねないのだ。

 

「圧力は正常値。逆転器に接続可能」

「艦長っ」

「後進開始。フェリサ、ぶつけるなよ」

 

 チン、と手元の伝声管からベルが鳴り、機関室から報告が届く。ヤノ艦長は後方を振り向きながら命令する。舵を持つフェリサ伍長が汗を浮かべて舵輪を握り直す。

 ギネスが伝声管に「後進」を伝えると、逆転器が外車(スクリュー)に繋がってガクンと船体が振動する。ゆるゆると《マイムーナ》が後進を開始した。

 

「勇者は……」

「今は後回しだ。怪物にやられてなければ、だが」

 

 一応、カスガ・ユウの事は心配している様子を聞いてギネスは胸をなで下ろす。

 後方の視界ははっきりしている。ちなみに機関は薪や石炭を燃やしている訳では無いので、もくもくと黒煙が出る描写が無いのがエルダの蒸気エンジンである。

 だから煙突も存在しないし、視界を妨げるのは白い蒸気だけだ。

 

 

〈続く〉




細菌の発見。ファンタジー世界でも醸造があり、発酵食品があって光学技術が発展していたなら、いずれ原因に辿り着く筈ですよね。

まぁ、エルダにはレンズが早くから実用化してて、顕微鏡なんかも開発済みだったからこそですが、望遠鏡も眼鏡もある世界だから、高価ですが板ガラスなんかもあったりします。
ガラスのニセ宝石なんかも盛んに売ってるし、階層問わずに流行してます。老若問わずキラキラって人を惹き付けるんだなぁ。


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〈8〉

弩砲は主要兵器です。
対艦用ですが対空砲として仰角も上げられて、騎竜を退治します。
鋼鉄の弓を最大に張れば、有効射高四百メートルはあります(最大射高はそれ以上ですが、弾道が弓なりになります)。
但し、爆弾が実用化されたので性能が不足気味になりつつあるとか。


             ◆       ◆       ◆

 

 船が怪物(ラミア)から離れて行く中、カスガは間断なく櫂を構えていた。武器が不適切な事を悟っていたが、周りには変わりになる武器も無く、仕方なく櫂を持ち続けている。

 当直の衛兵が構えていた槍が使えるかと思って近寄ってみだが、その槍は投擲型ではなく、離れている的に対抗可能な物では無かった。

 

「大丈夫だよな」

 

 倒れている兵達に目を走らせる。

 胸は上下しているから生きてはいるのだろう。服や髪の末端には少し焦げがあるが、目立たない。やはりあのブレスはパワー的には低い様だ。言わば、でかいスタンガンと言った所か。

 

「くわぁぁぁ」

「喋らねぇ」

 

 茶色の身体をうねらせながら叫び続ける敵。浅い三日月湖の湖底から首を伸ばし、大口を開けている。既に十数メートルは離れており、白兵武器ではリーチ不足だ。

 以前、パンドーラの〝ラミア〟は目の部分の顔が、各々呪文らしき物を唱えていたが、今回のこいつはただ叫んでいるだけだ。

 

「呪文を連発しないのは助かるが、何か喋れよ」

 

 まるで動物である。エルダのラミアと同じだと分類されるとフェリサ辺りが怒り出すだろう。ステータスを表示している空中データを確認すると、地球の日本語で正体はラミアとあり、HP・MPが表示されている。但し、その数値は:「Unknown」とある。

 

「狂っている? 症状は深刻だと」

 

 続いて状態ステータスを読むと驚愕するカスガ。どうやら目の前の敵は何等かの手段によって状態異常であるらしい。呪文を連発しないのも狂っているせいなのだろう。

 

弩砲(バリスタ)でトドメを刺せ」

 

 ブリッジから艦長の命令が飛んだ。艦内から数名の兵が飛びだして来て、艦首に一門だけある弩砲に取り付く。

 艦が旋回すると弩砲が怪物の方へ向く。一応、旋回砲座だが取り付け位置の関係で後方には指向出来ないのだ。

 

「長距離攻撃でトドメか。妥当だな」

「ユウは下がれ」

 

 指揮に関係ないキーラ曹長が勇者の肩を掴んで引き戻す。

 ちらりと視界の隅に白い人影が映る。怪物の後方、あの古びた墓群の中に立っている。

 

「何だ?」

「えっ」

 

 同時に弩砲が放たれた。鋼鉄製の弓が巨大な太矢を打ち出す。

 やや弧を描いた軌道を描きつつ怪物に命中したのは、古くて老朽化で弦のテンションが低いのか、装填の際に最大限まで弓を引き絞るのを怠ったのかのどちらかだろう。

 

「装填急げ!」

「えっさえっさ、ついでにえっさ」

 

 成る程と納得する。弩砲は対空砲でもある為に弧を描いては困るのだが、次弾を連射するにはこっちの方が優れているからだ。

 装填手はクレイクイン役の転把(ハンドル)を賢明にぐるぐる回して、ほんの二十秒余りで弓が引き絞られる。多分、最大限に引き絞ってはおるまいと思うと同時に、間断なく照準を付けていた射手が引き金を引く。

 

「見事だな。串刺しだ」

 

 一分もしないうちに次々と弩砲が命中し、身をくねらせて悲鳴を上げるラミアを眺めつつ、勇者はステータスウインドを覗く。櫂を構えていた体勢はもう無く、リラックスモードである。

 

「バーが減ってやがる」

 

 具体的な数値は表示されないが、HPの情報に提示されていたラミアのHPバーは弩砲が命中する度に明らかに減少していた。半分近く減った時に、敵は三日月湖の底へと沈んで行く。

 

「逃がしたか」

「本艦の装備では、水中の敵に打撃を与えられません」

 

 艦橋から悔しそうな会話が、カスガの耳朶を打つ。

 ふと、後方を確認すると墓石の中に立つ白い人影が笑った様に見えたが、すうっと発光して消えてしまっていた。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「人影か……」

 

 患者の連れ込まれた医務室でヤノ艦長は呟いた。

 電撃ブレスを受けた者は全部で六名。取りあえず緊急に治療を行い、応急処置を済ませた所であった。重体の者も多かったが、薬と医術、聖句魔法を駆使して何とか診終わったのである。

 今、医務室の廊下はハンモックが吊され、患者達の休憩場所になっている。

 

「白い影だったな」

 

 勇者カスガは続ける。こんな事態となっては彼一人に医務室を占拠させるのはまずいので、士官室の空き部屋に移る予定だ。

 

不死怪物(アンデッド)の可能性はあるな。墓地の中に居たのだろう?」

「ああ」

 

 そして発光してかき消えた事を告げる。ヤノ大尉はカルテを記す手を止めると、「気が付かなかったな」と呟く。巫女と言う聖職者の心得もあるのに死霊に気が付かないのは不覚である。

 

「しかし、何故、パンドーラのラミアが出たんだ」

「ラミアってのがプライドを傷付けると思うな。フェリサには言うなよ」

 

 現在、艦長に代わって航行の指揮を執っている伍長には「その名は厳禁だ」と勇者に釘を刺す。カスガも心得ているらしく、「ああ」と生返事を返す。

 

「では単に怪物(モンスター)又は、(エネミー)と呼ぼう」

「新種の魔物かも知れんが、少なくとも私の知る知識には無い奴だった」

「あれはパンドーラに居る時に見た事がある。ブレスは吐かなかったが」

 

 勇者の情報に考え込む艦長。最近の領都近辺であの手の危険生物は確認されていない。河には船が常に行き交っている大動脈だから、居ても駆逐されるか、魔物の方も居心地が悪くてもっと上流、人気の無い所に移動する筈だからだ。

 スキュラ族が人間として魔族入りしたのもこの為である。人界の拡大によって活動不可能になり、駆逐される前に元の生活を捨てたのである。

 かつては気ままに水中生活し、人間を捕らえて食べる人喰いだったのが、今はそんな面影は微塵も無い。数は少ないが街中で見掛ける事もある。

 

「お前と同じく、異世界転移か?」

「考えられる。が、何の為だ?」

 

 そう問われると目的が判らない。すると脇の寝台で寝ていたラム・ラムが身を起こした。

 ブレスで運び込まれた患者よりも先に運び込まれていたのだろう。まだ調子は悪そうだが、意識はしっかりしているらしい。

 

「魔王って奴に飛ばされたのよね。じゃ、魔王の追っ手じゃないの」

「追っ手?」

「送り狼って奴よ」

 

 詳しく話を聞いてみると、異次元に勇者を飛ばしたついでに二度と戻ってこない様に追跡者を送り込んだのでは無いか、との話だ。

 可能性はあると感じて、カスガは考え込んでしまった。

 

「そう言えば、現在の《マイムーナ》は」

「ああ、現在、領都へ向かっている」

 

 停泊予定だったのを変更し、夜通し航行する事になった様である。一応、被弾箇所の点検と修復は行ったが、数時間の調査で軽微と言う事が判明し、予定通り目的地へと出発したのだ。

 

「速度はかなり抑えているが、まぁ、夜明けには到着するだろう」

「怪物の再出現は?」

「点検中には現れなかったから、くたばって死んだかどっから逃走したのだろう。

 一応、警戒態勢は敷いている」

 

 艦長は「駄目元だが」と苦笑する。

 弩砲あくまで対水上兵器。潜っている奴には無力である。探照灯(サーチライト)と当直を増やして警戒しているが、水面下で襲撃をかけられたら対抗手段は無い。

 対水中用の爆雷なる兵器があれば対抗可能だが、あれはこんな雑役船には装備されていないし、河船には不必要の装備だ。広大な海上で人魚(マーメイド)に対する物だからだ。

 

「白い人影、だっけ?」

 

 不意にラム・ラムの言がカスガに向いた。

 

「見間違いではないよ」

「嘘だとは思ってないよ。そいつの顔を確認したのかい」

 

 問われてカスガは首を捻る。墓石の中に立つ白い人影は確認したが、その顔は確認していなかった。ただ顔が歪み、笑いの表情を浮かべていたのははっきりと判った。

 

「どんな服装だったのかとも問われると、はっきりしないな」

「でも、表情だけは覚えているか…。幽霊に良くあるバターンだな」

 

 言いつつ艦長が席を立つ。僅かでも仮眠しないと後日の指揮に差し支えるからだ。

 

「私はそいつを確認しなかったが、悪霊では無さそうだ。

 いや、ただの巫女の勘だけどな」

「何故、そう思うんだ?」

「今のユウに何かが取り付いては居ないからだ」

 

 にやりと笑いながら、ヤノ大尉は艦長室へ退出する。聖句使いとして東方聖教会での巫女の経験もある彼女であるが、怨霊とかの不死怪物(アンデッド)と対峙する経験もあった。そこから来る経験なのだろう。

 

「ふーん。艦長の言う通りなら、勇者の背後には霊的な影響は何も無いと言う事になるなぁ」

「え」

「大抵、呪われたとか憑いているとかの場合には、何等かのヤバイ背景が確かめられるのだけど、それが無いって事は……」

 

 ラム・ラムは言い淀んだ。ピンクの髪を掻き上げて、かりかりと自分のボディをひっかく。寝台にだらりと下がったヤシガニの脚がぴくぴくと痙攣する。 

 

「そいつ、味方なのかも知れないよ」

 

 意外な一言に春日 勇は絶句した。身に覚えが無いのだから当たり前なのだが。

 ラム・ラムは「この世には悪い物の怪も、いい物の怪も存在するんだから、カスガを追って来た刺客を妨害したいって奴だって存在するのかも知れないだろ」と続けた。

 

『この世界で、自分を援護する存在だって?』

 

 自問自答を繰り返す内に、彼は押し黙ってしまった。

 暗闇の中、微速で雑役船は河の中を進んで行く。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 仮眠から目が覚めると新しい部屋から、勇者は外へ出た。

 寝たのはわずかに一時間。しかし、目は異様に覚めている。与えられた士官室の一つは荷物だらけであったが、寝台上を荒々しく片付け、身を置いていたのだ。

 ハンモックの上で眠りこけているラム・ラムを起こさない様に、そっと室外へ出る。

 

「おはよう」

「おはよう。えーと、フェリサ伍長だったか」

 

 露天艦橋に登ると昨夜から指揮を執っていたラミアが挨拶してくる。空は既に明けつつあった。艦橋周りには他に数名の兵が居るだけで、彼らは天幕を張る準備をしている。

 

「ん、うん。フェリサ・ミナト伍長だよ」

「天幕ですか?」

「今日は降るみたいだからね」

 

 この船の艦橋は単なる台で吹き曝しなので、天気が悪いと雨がもろに被ってしまう。好天でも直射日光を浴び続けるから、天幕を張る必要があるのだろう。

 フェリサの部下、操船科の兵が設置をしているらしい。

 

「そーいや、ラム・ラム上等兵は?」

 

 前をしっかり見ながら、フェリサはキーラ曹長の部下を訪ねた。

 一応、今回の監視役は就寝した総長の代行で彼女の筈だった。

 

「疲れて寝てます」

「病み明けだからな。無理も無いか。そろそろ着くよ」

 

 前方に河を圧倒する大きな島が見えて来る。

 

「領都ですか」

「《エロエロンナ》。辺境伯領の首都だよ」

 

 カスガは前を見る。

 すれ違う船の数が増えた様な気がしたし、同方向に走る船も増えている。殆どが小型の河船であり、大型の外航船は見当たらない。

 衝突を避ける為にフェリサの舵操作が激しくなる。下からギネス軍曹が上がって来る。

 

「よっ、おはよう」

「でかいな……」

 

 その挨拶に返事せず、勇者は目の前に現れた都市に圧倒されていた。

 東京とかを知っている身には大きさはそれ程でも無い。しかし、都市を舐める様に近付くと沿岸全体に施された石造りの構造物が目立つ。

 つまり、固められた地面は人工地盤なのだ。但し、構造は各種が入り交じっており、煉瓦積みの物から自然石を積んだ素朴な物まで統一感は無い。時代に併せて増築していった形なのだろう。

 

「パンドーラでもここまで大規模な人工物は無かったな」

 

 河口にある島。元は三角州だった場所に建設された都市は水路が幾つも貫通している。

 大きめの水路は外洋船みたいな大型船専用で、都市で一番外側の二本がそいつに当たる。軍艦はその内、東部域の水路を使っている様だ。

 

「まぁ、この地方領で最大の都市だからね」

「中央へ入るって事は、行く先は民港か」

 

 都市の一番中央も大型の水路だが、これは河の本流に当たるメインの水路で、ここでこの都市に用のある船舶は利用するのだろう。外側の二本は基本的に通過用でこの街に寄港する大型船はこの水路を利用するみたいだ。

 《マイムーナ》みたいな小型船が利用するのは場違いだが、中央の島に用があるのだろう。

 

「建ってる建物もオランダみたいだ」

「オランダ? ユウの世界の都市か、いやパンドーラの何処かか」

「うん。水上都市だった」

 

 実際、日本では平凡な高校生だし、金満家でも無かったので本物のオランダの都市を見た事は無いが、外国は好きだったので映像作品なんかではネットも含めて画像は見ていた為に上がる感想である。

 

「イタリアのベネチアもそうだけど、港湾都市って感じだなぁ」

「港湾都市か、領都の別名だな」

 

 また不可思議な単語が登場するが、『ユウの世界か何かの名だろう』とギネスは無視した。だが、領都の別名だけに反応する。

 海洋と大河を結び付ける王国最大の交易路。それが港湾都市たる《エロエロンナ》だからだ。海から届いた荷はここで河船に乗せ替えられ、ポワン河と運河によって内陸へと運ばれるからだ。

 港湾都市として交易都市としも、ここは東部、いや王国の中心(ハブ)なのである。

 

「領主様がいるのもここだよ。まぁ、年の半分以上は首都だけど」

 

 エロエロンナ伯が首都に出るのは政治的な理由である。

 辺境伯ともなると領地の広さから権限も多く、国政に関わる事が多くなる為だ。辺境を守護するのに国防や、交易による経済・外交など色々と重要なのである。国の重鎮として国王の側近になる事もある。

 

「で、何処まで行くんだ?」

「指定があったのよ。お城の専用船着き場だって」

「城か。徹底的に秘密主義にするのかよ」

 

 カスガは呆れ、頭の後ろに両手を組んで背を艦橋の胸壁(ブルワーク)に預けた。

 船は中央の水路を進み、左右の港湾地区を無視しながらずんずん上流へ進む。港湾では大型船が岸壁に停泊し、朝早くから盛んに荷を揚げたり下ろしたりしているが、この雑役船はそれに構わずに河口の方へ向かう。

 

「ほら、見えてきた。城だよ」

「成る程、港のの一番先にあるのか」

 

 軍曹が指す中央水路を抜けた先には、陸から一本の長い橋と繋がった先に水塞が建っていた。

 都市からやや離れた人工の島で、幾何学的な姿の稜堡式だった。北海道の五稜郭の様な形とでも言えば判るだろうか、但し、全体はずっと複雑で大きさも桁違いだった。

 

「中世の城郭じゃねーな」

「何?」

「これもテラ・アキツシマの影響なのか」

 

 単なる稜堡ではなく、側面に多数の角堡(ラヴェラン)が付属している。城壁はあるが高くないし、目立つ背の高い建造物は一つしか見当たらない。城庭内部は単なる平地の様だ。

 

「あれは」

主塔(メインタワー)だな。灯台だね」

「道理で無骨な感じだ。つーか、骨材だけのただの塔じゃん」

「うん、木造だからな」

 

 どうも予算の関係で、戦争すれば高い塔はすぐに目標となって破壊されるから、じゃ〝仮の灯台でも置いときゃ良い〟との考えでああなっているらしい。

 材木もこの辺りの特産品、椰子の丸太で組んでいて数年毎に建て替えるのが、経済を回すのに丁度良いとされている。つまりは失業対策の結果なのだ。

 

「……普通、領主ってのは自分に見栄を張るモンだけど」

 

 権力者は建物の装飾にやたら凝ったり、外見を取り繕うもので、それは前の世界パンドーラでも変わらなかった。だが、目の前の水塞は規模はともかく、贅を尽くしたと言う感じはしない。むしろ、実用一点張りである。

 

「辺境伯は規格外なんだよ。多分。

 その分、街は発展してるだろ。そっちの方が重要らしいね」

 

 城付属の港が見えて来た。大型船でも横付け可能な規模だが当然、一隻でも入港すると一杯になってしまう程、キャパシティは低い。

 まぁ、軍艦は正規の軍港に入るのだから、この港はあくまで補助的な物なのだろう。幸い、今は空で利用者は《マイムーナ》だけの様だ。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 入港の済んだ《マイムーナ》は岸壁に横付けされた。

 渡り板が渡され、艦長が先頭に降りると待っていたのはエトナ副長だった。彼女は艦長と互いに答礼すると「ご苦労様じゃ」と労いの言葉を述べる。

 

「勇者の件は……」

「うむ。少し込み入っておってな」

 

 艦長の言葉を遮り、彼女は機関長と航海長に挟まれて立っているカスガに目を移す。

 彼の表情に萎縮している感じは無く、〝果たしてこれからどうなるのか〟に好奇心が旺盛だ。にやにや笑っている。何と言うか不遜な態度だ。

 

「で、俺に会いたいって奴は誰?」

 

 自信たっぷりな口調であった。これから自分がどうなるのか全く不安視していない。

 エトナ中尉は少し顔を歪めると、「では、案内するのじゃ」と答えて背を向ける。雑役船の方では停泊用の各種作業が行われていたが、ユウに同行する者は艦長以下、ギネスとフェリサのみで会った。

 

「キーラ曹長は?」

「烹水長だからな、朝飯の準備に忙しい」

「成る程」

 

 ヤノ大尉の回答にユウは納得する。接舷後に不必要な機関長と航海長を選んでいるらしい。にしても出迎えはエトナ副長一人だけて、城には他にも人員が居るらしいのだが、誰も出て来ない。

 

『極力、関係者以外の接触を断ってやがるな』

 

 ユウの内心がそう告げた。これから辺境伯とやらに面会するんだろうが。相手は慎重に物事を運ぶつもりなのだろう。

 その態度から、多分、自分の存在価値を高く買ってくれると確信している。

 

「さて、どう出て来るかな」

「煩いぞ。黙っているのじゃ」

 

 前を歩いている副長の叱責に、ユウは頭に後ろ手を組みながら、「勇者の力を取り込みたいんだろうな」とうそぶく。

 それも他者に存在を知られる前にだ。何しろ、勇者の力はパンドーラでは圧倒的であったからだ。殆ど戦略兵器並みに。

 

「ここからは上じゃ」

 

 要塞内部に入る。無骨な外観に相応しく、内部も如何にも軍用施設といった風で洗練されていないが、魔法灯による照明は点いていたので視界は開けている。

 石を削っただけの階段を上がり、数階層登った所で雰囲気が変わる。

 

「ここからは来客施設じゃ」

「ほほう、赤絨毯にシャンデリアかぁ」

「わらわも初めて知った時は驚いたがの」

 

 床には分厚い赤絨毯。天井に吊り下げられているのも華麗なシャンでリア。きらきらと輝いて美術工芸品としても高そうな風情がある。

 無論、今まで石材丸出しの打ちっ放し壁と違い、壁や天井も漆喰や木材できちんと処理されている。来客用と言うのは間違いなさそうだ。

 

「まぁ、勇者に目通りするのだからな」

 

 この程度は礼儀として当然だろう。

 ユウが納得していると、大きな扉の前に到着する。

 

「宰相殿。カスガ・ユウをお連れしました」

 

 こんこんと数回、控えめにノックすると口調を変えたエトナ中尉が内部に告げる。

 音も無く観音開き式の扉が開き、同時に勇者一行は内部に進んだ。扉にはドレスを着た侍女らしき者が各一人おり、人力で開閉を司っている様だ。

 

「ようこそ。私は宰相、ミキ・ラートリィ」

 

 奥に佇んでいた白いドレスの美女が振り返った。

 腰まであるストレートの金髪。涼しげな目鼻立ちの顔には碧眼が光り、長い耳が白い髪飾りの下から飛び出している。身長は長身で胸の部分とスカートに入ったスリットから、素肌が露出していてセクシーであった。

 

 

〈続く〉




領都到着。
次回はエロエロンナ城が舞台となります。
稜堡式ですが、目立つ高い建物が無く、主な施設は全て地下に……。実はマジノ線かジークフリート線に近い構造です。
もっとも外見的に損をしてしまってます。民衆は見栄えの良い。立派な城郭を望んでますから、格好悪くて野暮なんですな。


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〈9〉

宰相と辺境伯に面会編です。
エロコは裏方に回って観察していますが、異世界より来た事だけに興味があって、あまり〝勇者〟の持つ力には関心は無さそうです。



「宰相? 辺境伯とやらじゃないのか」

 

 ユウは不審の顔を向けるが、ミキの方は澄ました者で「エロコ様に得体の知れぬ輩を、何の保証も無いのに会わせられるとでも?」と述べる。

 

「俺が会うに値しないと!」

「そも宰相たる私が直接会っているのが、特例なのですよ」

 

 白いドレスを翻しながら彼女は席に付いた。位置は最上位の卓端である。同時に侍女達がテーブル席の椅子を引いて、勇者達一行に座る様に薦めて来る。

 

「こいつ……」

「よせ、ユウ。ミキ閣下の言う事は本当だ」

 

 隣に位置するギネスが、怒りで顔を真っ赤にする勇者を諫める。

 艦長や副長は既に彼を無視して着席していた。相手が滅多に面会出来ない大物だと言うのを悟っており、宰相と勇者の諍いに口を挟む事は見送っている。

 

「さて、ヤノ大尉だったか、彼が報告にあった勇者とやらで相違ないのですか?」

「はっ」

 

 卓に付いた艦長に質問が飛ぶ。場所は宰相に最も近い次席だが、ミキと艦長の間は数席離れている。どうやら席の位置によって、はっきり身分が示されているらしい。

 まぁ、当然だ。宰相と言えば辺境伯領のNo2である。貴族としての身分も持っており、単なる士族階級の下級士官が同席する等、普通は考えられない。

 

「詳細は報告書にあった通りであります」

「それは読んだし、エトナ中尉からも話は伺った」

 

 宰相の言葉に頷くエトナ。宰相は「ふむ」とまだふて腐れた表情のユウに顔を向ける。

 何とか着席はさせたが、やはり不満そうに顔を背けている。

 

「異次元からの訪問者か、本当だとしたら興味深いわね」

「そうだよ」

 

 ぶっきら棒に答える勇者。しかし、宰相は涼しい顔で無視しながら「途中で襲撃があったそうね」と手元の資料を確認して尋ねる。最新の報告書は今、艦長から渡されたばかりである。

 

「襲撃じゃと?」

 

 思わず腰を浮かべたエトナ中尉を宰相の白い長手袋から伸びる指が、はっきりとした意志を持って制した。「静かに」と言葉は一言であるが、辺りを圧倒する動きであった。

 

『成る程、こいつは』

 

 それを見てユウは評価を変えた。

 単なる偉いさんかなと思っていたがこの迫力だ。余程実力があるか。自分に自信を持っている人間だけが持つ何かを伴っている。

 

『魔法なのか、それとも剣か。政治的な力なのか』

 

 種類は判らないが、少なくとも《勇者》なるブランドにへこへこする様なパンドーラでの偉いさんとは違うみたいである。向こうでも、姫がこんな感じであったなと回想する。

 

「怪物は撃退はしましたが、完全に滅してはいません」

「領都近くに出没は困るわね。河川警備隊に警告を指示しましょう」

 

 自信があるか、度胸があるから自分の前に姿を見せるのだ。でなければ蔭に隠れているか、手の届かない所でふんぞり返っているだけだろう。

 

「さて、《マイムーナ》は私の指揮下に入って頂きます」

「宰相閣下のですか?」

「当分の間ですけどね。ああ、業務は変わりませんよ。

 ただ指揮系統が王国海軍から、宰相府の直下になるだけです」

「しかし……」

「海軍の許可は取っています」

 

 その間にも何か話は進んでいるらしく、途切れ途切れだが会話はユウの耳に入ってくる。だが、彼はそれに注意を払っていなかった。

 

「これにあった白い影ですが……」

 

 自分に対しての質問に、勇者ははっとして宰相の方を向いた。

 柔和な笑みを浮かべている若い女である。しかし、宰相と言うのだから何百才も(よわい)を重ねて若作りしているだけのロリ婆ァかも知れない。

 いや、耳が長いからヒト族では無く、妖精(エルフ)半妖精(ハーフエルフ)の可能性もある。或いはこの世界独特の種族か。

 

「君は何だと思いますか?」

「正体か。巷では不死怪物(アンデッド)の幽霊だと推測されているが……」

 

 報告書を手にした宰相は碧眼をこちらへ向けて答えを待つ。光の加減によっては翠にも見える吸い込まれそうな瞳だ。

 

「正直、俺はまだエルダなるこの世界の事が判らない。先の推論もここの住人達が出した答えに過ぎない。まぁ、見たのは俺だけだから、その推論も間違ってるかも知れない」

「もっともね。君は異世界人なのだから」

 

 宰相、長いストレートの金髪女は同意した。エルダの基準での判断として幽霊という線はあるが、正体不明なのは認めざる得ない様子である。

 

「ただ、パンドーラでの経験から言えば精霊とかに近そうな感じだった」

「精霊か。霊的存在。神やその眷属の可能性もあるのね」

 

 霊的存在はエルダにも存在する。と言うか、土地の性質その物が精霊に頼る部分が多いのが真実であった。砂漠が暑いのも、高地が寒いのも精霊のせいである。

 

 

「単刀直入に聞きたい。俺をどうする気だ」

「せっかちですね」

 

 なかなか本題に入っていかないので、しびれを切らしたユウは宰相に質問した。

 彼女は机の上に指を組んで、面白そうにユウの方を眺めると「どうして欲しいのですか?」と逆に尋ねる。

 

「俺の力が必要なのか」

「あら、何の為に?」

 

 くすくすと笑う。どんな力を持っているのかも未知数なのに、それを当てにする程、グラン王国は困っていないし、エロエロンナ領だって同じある。

 

「貴方が転移者であると言うのは本当でしょう。テクノロジー面からの予想ですが」

「俺は勇者だよ」

「ああ、前の世界ではね」

 

 ミキはそれを強調した。ついでに「では貴方の出身地では?」と続ける。

 今度は勇者の方が面食らう。地球では高校生に過ぎないのであるからだ。しかも取り立てて優秀でも無く、少し武道をやっていただけの体育会系が特徴だが、成績は中の下といった所の平凡な学生だ。

 

「貴方の様に、かつてこのエルダにも外の世界からやって来た者達が、数多く発見されています。異世界という点では、テラ・アキツシマが良い例ですね」

「そのテラだ。そいつは俺と同じ日本人なのだろう」

「さて、判りません。古文書によると〝チキュウ〟から来たと記されてますが、君の世界である〝地球〟と同一なのかは……」

 

 正教会の聖書にも確かそう書かれていたはずだ。しかし、皇国語と違いエルダ西方語は表意文字なので、発音は同じでもそれが同一の物であるかは確かめられない。

 

「パンドーラでは俺に期待してたぜ」

「君と言うより勇者を、ですね」

 

 ミキはパンドーラ人はカスガ・ユウ本人では無く、その名称の付いた職業を羨望していたのではないかと指摘する。

 

「う……」

「つまり、勇者としての力があれば、誰でも良かったのです。

 召喚と言われましたね。それが別の世界に住んでいる一般人を、自分の都合だけで呼びつけるのが許されるのでしょうか?

 私には信じられないわ」

 

 一気に喋って喉が渇いたのか、宰相は机の上にある杯を飲み干した。優雅に長手袋が伸ばされ、目を瞑って喉がコクコクと鳴る。

 空になったガラスの杯に、隣に控えていた侍女が水差しから中身を注ぐ。

 宰相の「ありがとう」との礼の言葉に。侍女は無言で会釈して後方へと控える。

 

「さて、君は今、魔法が使えないそうね」

「んな事まで、報告されてんのかよ」

 

 勇者はばつが悪そうな顔をする。宰相は頷いて「元の世界には魔法はなかった。これは間違いありませんね?」と改めて尋ねる。

 

「ああ、地球は科学文明の土地だ」

「よって貴方が得た魔法は、パンドーラからの借り物であったとも言えます。

 世界を移動したので魔法の法則が変化したのでしょう」

 

 宰相はエルダの魔法との違いを挙げ、余りにもシステマチックな面を取り上げる。

 

HP(ヒットポイント)MP(メンタルポイント)と言うのも判りません。個人の持っている素質を数値化した物だと解釈しますけど、その基準は何処から来るのか……」

「パンドーラの数値だからな。地球でもそんな数値は無かった思う」

 

 病院に担ぎ込まれた場合でも、「いかん、今、この患者の数値はHP×だ」とかの会話が発せられない事にユウは気付いた。あれはあくまでパンドーラの基準なのだ。

 

「経験値とかの話を聞く限り、パンドーラとはエルダとは異なった世界に思えます」

「それは……」

「数値化、規格化され過ぎてるのです。

 人間って、数値で割りきれる様な物ではありません」

 

 一息付くと、宰相は「これは正教会の秘伝に書かれていた文句ですが……」と呟く。

 その場に居たエルダ勢は驚く、正教会とは西方で、いやエルダ最大の宗派である。西方系と東方系に分かれているが、元は同じ宗教だ。

 英雄かつ聖女、テラ・アキツシマを主神と奉じる宗派だが、西方系が彼女しか神を認めないのに対して、東方系は様々な副神を神として祀っている違いがある。

 だが、秘伝と言うと西方正教会にに存在する文書なのだろう。無論、一般の神官風情では近付く事も許されない物である。

 

「例えば短剣があるとします」

 

 懐から小振りの短剣を取り出すミキ。シンプルな片刃造りで凝った感じである。「さて、短剣の出せるダメージは?」とユウに尋ねる。

 

「大したダメージ出たせないだろうな」

「そうですね。一般的には」

 

 その短剣を彼女は勇者の方に滑らせる。周りながらもそれは勇者の手に止められる。

 困惑する勇者に「見ての通りの剣です。魔剣でも無ければ、名工が打った業物でもありません。手紙の開封とかに使う、普段遣いの品です」と告げて、「かつてこの剣のダメージを数値化しようとした者が居ました。その者も、異世界から来た転移者だったと言います」と続ける。

 

「え」

(いにしえ)の記録です。彼が当て嵌めた数値は〝怪我〟から〝軽傷〟でした」

 

 だからその数値を絶対視して、ある日、五体満足のまま敵に背後を取られて人質になってしまったと言う。そうして「この男を殺すぞ」と脅迫されたらしい。

 

「彼は〝構うな。短剣の威力では俺は十数回耐えられる〟とその時、叫んだそうです」

「まさか」

「急所を一発で、その男は死にました。

 そうそう、彼は勇者を自称していたそうですよ」

 

 勇者は無言だった。

 自分以外に勇者、テラ・アキツシマ以外が存在した事に絶句していた。

 

「貴方は私が勇者の力に頼ろうとでも思ってるのでしょうが、はっきり言って興味がありません」

「何だって」

 

 パンドーラでは召還後、その力を賞賛されて何から何まで頼られ、魔物退治に引っ張り出された物であったが、宰相は要らないと言う。

 

「興味があるのは異世界からのテクノロジーですね」

「時計か?」

 

 散々話題になっている立体モニターに対し、「それは研究対象にはなるでしょうね」と肯定したが、「けど技術レベルが違いすぎて、直ぐには役には立ちません」と呟いて席を立つ。

 

「何を……」

「貴方のそれですね」

 

 ミキはそのまま勇者に歩み寄る。護衛らしき侍女達がはっとして身構えるが、彼女は意を介さずに前まで来ると、そっと勇者の腰に手を伸ばす。

 地球時代から愛用しているポーチに目を移す。他の衣類は擦り切れて破棄されてしまい、形だけを範に取ったパンドーラ製の服に替わっていたが、これだけはオリジナルだ。

 

「わい・けい・けー。古門書に記録があります」

 

 商品名が一般名詞になってしまったのか、ファスナーの事を宰相がそう告げた。

 

「ファスナーかよ」

「そう。テラ・アキツシマはそう言っていましたね。その金具です」

 

 じーっ、と音がした。宰相がポーチの蓋を開けたのだ。

 興味深そうに開閉を繰り返す宰相。『確か、ディスカウントショップで二千円とかだったな』と思い出すやユウ。

 

「わい・けい・けーは正教会の本部に、テラが残した遺物が保存されています」」

 

 単なるファスナー。しかし、エルダでは聖女の遺した聖遺物扱いだ。

 一万年も昔の代物だから、付いていた筈の布地はとっくに崩れ去り、金属部分は錆が浮いて崩壊寸前である。途中で状態を憂いた神官が魔法によって経年劣化を防いだが、それまでにボロボロになってしまっている。

 

「まぁ、聖遺物としてなら、その方が威厳があるのでしょうが」

「宝物殿のお宝ならな」

 

 ファスナーは巧遅に秀でた金属加工技術が必要で、エルダの通常技術力では古代王国時代からずっと再現不能であったのだ。

 錬金術に頼って、やっと似た様な物が出没しは始めるたが規模が大きく、とてもこのポーチの様な短小軽薄な物にはなってないらしい。

 

「こいつを実用化したいのかよ」

「聖遺物が正教会より出る事はありませんからね」

 

 つまり、現物をお手本にしたくても出来ないと言う事だ。

 外から観察すればある程度の構造は理解出来るが、聖遺物は滅多に開示されないから、目にする機会も当然限られる。

 

「……しかし、量産は難しそうですね」

土小人(ドワーフ)の技術力でもですか?」

 

 それまで沈黙していたヤノ艦長が口を挟む。

 宰相は「ええ」と答えて、ポーチから手を離した。細密で繊細な加工技術で、大雑把で豪快な技能で金属加工を主とするドワーフには似合わない。

 むしろ、細工なんかを得意とする錬金術師達の領域だ。にしても、量産に辿り着くまでは手作業による一品製作になるだろう。

 

「カスガ・ユウ。わい・けい・けーを譲って頂きたい」

「ポーチを?」

「そうです。無論、無償とは申しません」

 

 ミキが傍らの侍女に目をやると、侍女は心得ているらしく小さな木箱を抱えてユウの前に置く。開けてみると中身は貨幣であった。

 

「金二十枚。金貨ばかりだと使い辛そうなので、少額貨幣も混ぜました」

「うわぁ、あたしの給料の何年分だ」

 

 絶句するギネス軍曹は思わず声を発してしまっていた。それ程。目の前に展開した金額は高額だったのである

 

             ◆       ◆       ◆

 

 勇者一行が退出した部屋。宰相は外へ出て行く彼らを窓から見下ろしていた。

 カスガ・ユウに関しては「当分は身柄は拘束するが、異次元からの尖兵と認めらられなくなれば、何処へなりとも行きなさい」と放置の形を取っている。

 

「結局、どうだったの?」

 

 エプロンドレス姿のメイド服を着た眼鏡を掛けた侍女の一人が、宰相ミキ・ラートリィに問うた。白いカチューシャを外しながらである。

 

「ご苦労様です。エロコ辺境伯」

「いいって、私も観察したかったからね」

 

 ミキの答えにエロコ・エロエロンナ辺境伯は笑いながら答えた。会見直前、得体の知れぬ勇者に身を晒すのが危険と判断して、宰相が急遽、女領主を侍女に変奏させる変更を申し出て、この様な形になったのである。

 

「事実を知ったら、悪趣味とでも思われたのかももね」

「は」

 

 無論、侍女の一人としてずっと会談を見守っていたのだ。杯に飲み物を注いだのも彼女であるが、まさか、辺境伯本人だと見抜いた者は皆無だったろう。

 

「報告書。私にも貸してね」

「どうぞ」

 

 薄緑の髪をした辺境伯が鋭い眼光を光らせてそれに目を通す。艦長から直前に渡された最新の報告なので、今は宰相しか内容を把握していないのだ。

 あの場で侍女が読む訳には行かない。

 

「ふうん。怪物か……。異世界の魔物である可能性、大。成る程」

「これには警戒を出しました」

「どれだけ脅威は低くなるかよね。爆雷が無いと対抗は無理そうだし」

 

 読んでいる間にも正規の侍女達が辺境伯を取り囲み、立っている彼女の着替えを粛々と行っている。侍女達が離れると、そこには若草色の短ケープとベレー帽をまとった半妖精(ハーフエルフ)の姿があった。靴さえもブーツに変えられており、若い士族の少女と言う風情だ。

 

「爆雷は警備隊に配属しましょう。《マイムーナ》にも渡して」

「数が足りませんが……」

「最大で四発ずつ。増産を工廠に指示して」

「予算が……ああ、頭が痛い」

 

 宰相は頭を抱える。辺境伯領だってお金は無限に湧いて来ない。どうやって予算をやり繰りするかは宰相の役目なのだが、軍隊は基本的に金食い虫で財源に寄与しないのだ。

 

「勇者か。確かに異世界から来に匂いはしたわね」

「本物でしょう」

 

 エロコの言葉をミキは肯定する。

 テクノロジー面を見てもそうたが、考え方がエルダの者と相違がある。見掛けは東方の皇国人にしか見えないが、確かに異世界から来た感じがする。

 

「彼の考え、いえ、前の世界〝パンドーラ〟でしたか、それが引っかかりました」

「システマチックすぎる事ね」

 

 エルダとは異なる異世界。彼はここを含めて〝ファンタジー世界〟と呼んでいたが、大雑把に言えば、化学や物理のみの〝地球〟と違い、魔法が存在する世界らしい。

 

「まぁ、理解は出来るわ」

「エロコ……」

私の世界(リグノーゼ)から見ても、ここは魔法があるからね」

 

 かつて魔法が無い世界を知っている辺境伯は、窓の外にある青空を眺める。

 この空の上に空気の存在しない天空があり、数万の戦闘艦が数万光年の単位で戦いを繰り広げている世界があるとか、誰が想像しよう。

 

「要は法則が違うのよ。魔法なる技術と物理・科学が共存可能な世界。

 時が経てば、勇者の時計も再現出来る様になる世界だからね」

 

 今は技術力が低すぎて、追いつけはしないが数百年の時間を掛ければ或いは。

 次元反動エンジンを持った星船(エトロワ)すら、実用化して普及させられるかも知れない。

 が、まずは電気、この世界では魔力の一種と思われているエネルギーを普及させねばならない。停滞した世界で百年掛けて蒸気機関まで来て、飛行船も実用化したのだ。

 

「私が危惧したのは、バンドーラの考えが異質すぎるからです」

 

 続けてミキは「人間を物の様に扱う世界。私は嫌悪しますね」と続けた。実際、エルダだって理想郷では無い。貧富の差はあるし、戦争や災害もあって社会的にも不安定だ。

 だが。ミキにはそれでもパンドーラなる世界に非人間的な、不気味な物を感じていたのだ。

 

「多分、彼は勇者として召喚された事を利点だと考えているわね」

「向こうからしたら、彼は道具です」

 

 言葉を切り、ミキは豊かな胸を揺らして言い淀んだ。偶然転移する者だったら判るが、強制的に自分の意志も無関係で召喚されて働けという生活、そんなのが許される物なのだろうか?

 

「召喚され、いい生活を与えられて賞賛されるもそれは餌に過ぎません。

 恐らく勇者と言う名の、換えの効く道具なのです」

「昔のゲームなんだけど」

 

 エロコが思い出した。

 ゲーム、と言ってもこの世界ではまだ作成されていない遊びだ。個人端末の一人用のシステムで運用されるごっこ遊び。

 

「物事が単純化されて表現されてたのよね」

 

 ステータスや魔法、システムなどだ。中にはクリティカルなどの特殊事例を盛り込んだ物もあったが、少数派だ。

 

「過去の遺物だけど」

「遺物ですか?」

「基本、共通項は同じだけどね。仮想現実とか多人数対応とか、後に付加要素が加わるけどね。

 熱中しちゃうと仮想空間に入り浸って現実に戻らないから、何世紀か前に私の世界じゃ禁止されたけどね」

 

 辺境伯はこれから開発されるかも知れない遊びと、勇者が話していた世界の類似性を比較してくすりと笑った。

 

 

〈続く〉




実は辺境伯も異世界の人なのですが、心はすっかりエルダの人間です。
ただ、何かの目的があって技術を進歩させたがってるのですが、手を加えるのは最低限で、どっかのハゲ親父みたいに一世代で千年近くも知識や社会を進ませて、機甲界や超空間転移を再現したりしません。
むしろ、この世界特有の魔法と異世界の理の術、科学を融合させる錬金術を発展させたいみたいです。


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〈10〉

主に城でのお話。
〝勇者〟の肩書きに疑問を持った准尉が勝負に挑みます。
古参中のベテランです。旧日本軍の善行章持ちみたいな艦内のボス的存在。
相当、胡散臭く思われてますね。まぁ、当たり前ですが。



             ◆       ◆       ◆

 

「結局、《マイムーナ》預かりか」

 

 艦長室でヤノ大尉はため息を付いた。

 ぽんぽんと慰める様に肩を叩くのはエトナ中尉。

 

「お荷物を降ろしたかったのは判るのじゃ」

「海の者とも山の者とも、まして軍人でも部下でも無い一般人だからな」

「オマケに勇者じゃ」

 

 副長の言に艦長は再び肩を下ろした。託されたのはお荷物である。

 再び監視を言い渡され、加えて保護もせねばならないからだ。勇者の手前、露骨に言い渡される事は無かったが、エトナ中尉には別口で命令があったらしく、宰相の直筆で立派な書類が艦長宛てに届いていた。

 

「高級紙だったぞ。和紙で金の縁取りの入った。

 私も任官書以来、初めて見た」

「宰相府からの奴か。他者に〝勇者の存在を秘匿せよ〟と記しておったな」

 

 エルダでは紙は発明されている。しかし、東方渡りの和紙は高級紙で滅多に使われる事は無い。陰陽術の呪符にもなる魔紙なので西方では造り方が判らず、高価なのである。

 普段使われている紙はわら半紙みたいな粗雑な品で、ようやくすべすべで丈夫な白い紙がお目見えを開始している程度の発展である。

 ただ魔紙ではないので生産量は多く、一般的に普及はしており、雑誌とかも刊行されている。

 

「幸い、次の任務までは時間がありそうじゃ」

「勇者をいつまでもここに監禁するのは、不味そうだな」

 

 二人のは頭を捻る。しかし、勇者をどう扱うかの結論が出ない。

 独房にでもぶち込めば楽なのだが、相手は罪人では無いし、反発して貰っても困るが、ここで勇者が如何なる力を持っているのか、把握していない事に大尉は気が付いた。

 

「では、その能力の一端を披露して貰えば良いのじゃ」

「実験か」

「うむ。城の敷地を使うから、宰相府の許可が要るがの」

 

 てな訳で、勇者のテストが行われる事となる。

 勇者カスガは宰相の言葉に何か落ち込んでいたが、あっさりと「そうか」と了承し、次の日、エロエロンナ城の広場に姿を現した。

 

『向こうでは持てはやされたかも知れません。でも、先方は勇者のブランドだけ欲しかったのでは無いですか?』

 

 勇者の頭に宰相の言葉が響く。それはユウが「勇者様。勇者様と大歓迎されて、何処でも引っ張りだこだった」事に対して、疑問を投げかけた言葉だった。

 

「まず魔法だな。幾種類かがあるらしいが、威力の低い奴から試してくれ」

「了解した」

 

 ヤノ艦長が伝える。広い野っ原の前には藁人形の様な人型が立っている、

 昨日、工作科の連中が夜なべしてせっせと作った代物である。数体、ヤシクネーやラミアみたいな物が混じっているのはエルダらしい。

 

「ラ・ブームっ!」

 

 息を整えて、普段通りに魔法を繰り出したつもりであった。が、藁人形を薙ぎ倒す筈の衝撃波は発生しない。

 数度繰り返すも、結果は全て同じであった。しびれを切らしたらしい彼は、別の種類ららしき名を連発するが、どれもこれも発動しない。。

 

「やっばり、ミキの言ってた事は正しかったのね」

 

 ギャラリーとして《マイムーナ》以外のエルダ陣が見ている一角で、メイドに変奏したエロコ・エロエロンナは呟いた。

 エルダとは魔法の法則が、システムが違うと宰相は指摘したが、その通りらしい。

 

「エルダの魔法は心の状態が重要だけど、あっちは違うみたいね」

 

 ざわざわと騒ぐ物見遊山の見物人達に囲まれて、辺境伯は肩で息をする勇者の方を見詰めめ直した。《マイムーナ》側の反応を見ると向こうは予め予想していたらしく、〝やっぱり〟と言った風情で眺めている。

 

『貴方は勇者以外の瞳で捉えられていましたか?』

 

 勇者の脳裏に唐突に響く、宰相の声。

 彼女が言いたかった事は、『パンドーラでは貴方は春日 勇なる個人として扱われましたか?』との話であった。

 すなわち、『勇者様とおだてられ、その道具として都合良く使われていませんでしたか?』』である。

 

「もういい。一寸休憩しよう」

 

 来も絶え絶えの彼を見て、艦長が休憩を宣言する。

 席が用意され、給仕役の兵が勇者の好みを尋ねる。ただの水、ココナッツジュース、お茶など数種類が用意されているらしい。

 勇者は茶を選んだ。これから作成するらしく、茶器(サモワール)にバターを入れ塩をまぶす、そとて攪拌。やはり重労働である。

 

「ゼンマイ式の新型が欲しいわね」

「放って置いても攪拌するからね。あれ、温度保つ魔導式の奴も良いわね」

 

 会話するのは烹水科のラム・ラムとチェナ・チェナだ。最近売り出された茶器をああでもない、こうでもないと論評しながら作業を行っている。

 茶器は金属製で大きく、炭で内部を暖めるのは共通なのでサモワールと称しているものの、バター茶を作る為の攪拌機(ドンモ)を備えており、ロシアのそれとは構造が違う様である。西方では中原の侵攻から茶が伝わるが、飲み方は人馬(セントール)族が嗜むバター茶なのだ。

 

「魔法は駄目じゃな」

 

 黒茶を飲み干したユウにエレナ副長が伝える。結果として予想は出来ていた。

 スロットがあって機械的に選択するだけで覚えられ、一言発するだけで放てる魔法とかエルダの魔法常識ではあり得ないからだ。

 敢えて言えば東方の陰陽師が使う術に近い。呪符に予め魔力をを込めて解き放つ道具的な。これは西方でも呪符があれば作用したが、パンドーラのそれは作用出来ないらしい。恐らく、別の魔法法則なのだろう。

 

「次は実技じゃ、武装は複数用意した」

 

 続けて宣言すると、今度は武器を並べた台車が引っ張り出されて来た。

 短剣、剣。槍、大袈裟な長柄武器もあり、西方で一般的な武器は概ね揃っている。

 

「実体剣ばかりか……」

 

 ユウは武器を一瞥してそう言った。槍や斧には見向きもしない。

 ダーク、サクス、ジャンビアみたいな短剣から、ロングソード、カトラス、シミダーの様な長剣、グレートソード、シャムシール級の両手剣まで揃っていたが、彼がパンドーラで使っていた〝ツヨイケン〟みたいな非実体剣は見付からなかったのである。

 

「仕方ないか」

 

 その中からユウの選んだのはレイピアだった。

 見た目でカッコイイと言う理由の他に、彼が非力で重量剣を振り回すのがしんどいのも理由である。

 昔、勇者の装備として渡された〝ツヨイケン〟は魔法剣で、重さは約600グラム。使う時にビームソードの如く非実体のエネルギー刃が伸びる代物で、斬れ味は当然ながら抜群だった。

 

「では、先の標的をが相手だ」

 

 勇者が武器を選んだのを確認したヤノ大尉が告げる。興味津々で皆が見守る中、脱兎の如く勇者が走った。

 

「ほぅ、素早いのじゃ」

「居合いか」

 

 ヤノ大尉が指摘した通り、走りながら鯉口を切ってそのまま人形の中に飛び込む勇者。

 巻き藁状の人形から藁が飛び散る。全て人形に万遍なく当て、一航過した時に静かに剣を鞘に収めた。

 

「うむ、なかなか。動きは合格点じゃ」

「が、あれは」

「ああ」

 

 エトナ中尉に続いて、ギネス軍曹とフェリサ伍長が口を挟む。

 はぁはぁと荒い息をするユウを見て、勇者の剣技の欠点を見抜いたのだ。

 

「一撃が軽い」

「加えてスタミナも無さそうだね。ラム・ラム、お前はどう見る?」

「あたしですか?」

 

 突然、話を振られた上等兵はフェリサ伍長に「私見ですが……」と切り出す。

 

「多分、持久戦には向かないでしょう。人形も絶ち切られてない所から、威力も不足してます」

「相対したら勝てるか?」

「押されると思いますよ。但し、上半身の守りに徹せられれば……」

 

 ヤシクネーは遠慮がちに答えた。彼女達の弱点は生身である人間体の上半身だが、他の部分は外骨格、すなわちカルシウムの装甲で防御している。突かれれば割られるかもだが、あのレイピア程度の斬撃なら多少、戦闘力は失っても致命傷にはならずに防御は可能だろう。

 

「持久戦に持ち込めば、恐らく勝てます」

「陸戦隊員なら更に有利か」

 

 ラム・ラムは軍人だが白兵要員では無い。無論、移乗戦闘に備えて正規の白兵訓練は行っているが、あくまで本職はおさんどんを司る烹水員なのだ。

 

『成る程、モニーク准尉がどや顔するだけはあるか』

 

 ギネス軍曹は傍らの陸戦隊長を見た。雑役船たる《マイムーナ》では冷や飯組だが、一応は配置されてはいる陸戦隊の長である。

 滅多に起こらないだろう移乗戦闘。上陸戦の他に艦内の治安維持とかも担当するので、あまり乗組員達から評判は良くない。

 

『勝てると踏んでいるのだろうな』

 

 憮然とした姿で勇者を睨んでいる女性はモニーク・アマネ。

 この艦には珍しいヒト族の一員で、長い黒髪できつい目つきをした紅い瞳が特徴だ。身体はそれ程がっちりしていないが、常に長刀(サラワー)を腰に差していた。

 海軍で一般な船刀(カトラス)よりも長く、柳刃包丁みたいな刀身を持った特徴的な刀で、中原起源らしくて砂漠方面出身者は良く所持しているが、西方では東部域以外では見掛けない。

 

「勇者だか何だ知らないけど、役立たずは本艦から追い出すべきです」

 

 准尉がそう言っていたのを思い出す。彼女はカスガ・ユウ否定派だった。

 陸戦隊長だから、当然、剣技は艦一番で規律にも煩い。ここで初めて彼の力量を知って、ますますその思いを強くした様だ。

 

「では、模擬戦はここまで……」

「勝負しろ」

 

 艦長がテスト終了を告げようとする矢先、すっと前に出るモニーク准尉。

 つかつかと台車に近付くと、その中から木刀を二本取り出す。

 

「所詮は傀儡相手。戦士同士が戦ったらどうなるか」

 

 放り投げられた木刀を勇者が掴み、突然、挑戦して来た相手を一瞥した。

 さすがに模擬戦だから真剣は控える様だが、准尉からは殺気が湧き上がっていた。

 

「本気か?」

 

 いぶかる勇者。しかし、准尉の様子を見て本気だと感じたのだろう。木刀を降って感触を確かめると、すっと構えた。

 

「一応。名前を訊いておこう。俺は……」

「カスガ・ユウだな。我が名はモニーク・アマネ准尉」

 

 准尉は言い終えると木刀を片手に駆け出した。艦長は止めるつもりであったが、それを止める暇も無い。モニークの木刀が一閃し、ユウが受け流す。

 

「やるな」

 

 にやっと笑みを浮かべ、漆黒のポニーテールをゆれ動かしながら連打を打ち込む准尉。それを悉く撥ね除けながら、ユウの手元が攻撃に変化した。攻守逆転。准尉からの打ち込みを受けで躱した一瞬、少し隙があるのを突いてユウの攻撃が始まった。

 

「今度はこっちだ」

 

 両者の木刀は片手の長剣を模した物で、一般的なノーマルソード形態であるから、突きには向いてはいないのだが、モニーク准尉の斬撃に対してユウの剣技はレイピア風であった。

 

「それっ、キンキンキンキンキンキンキンっ!」

「何だ、その擬音は?」

「いや、今の状況ってそんな感じだったから、な」

 

 無数に突きを入れる勇者の攻撃を、やはり全て木刀で打ち払うのは准尉も一緒である。凄い光景に皆が呆気に取られて見ていると、勇者が軽口を叩いて剣を引いた。

 

「止めいっ」

 

 そこでヤノ艦長の命令が響く。肩で息をする勇者はほっとして木刀を下ろす。

 

「准尉も剣を引け。大体、勝負なんか認めておらんぞ」

「大尉の言う通りじゃ」

 

 副長のエトナも口を出す。

 上官達の言動に准尉は渋々ながら剣を下ろすが、不満そうな顔付きである。

 

「あのまま戦っていたら勝てました」

「おいっ」

「失礼します」

 

 一礼するとモニーク准尉はそのまま去って行ってしまった。呆気に取られて見送る一行の中、はっとしてギネス軍曹がユウに駆け寄る。

 

「平気か」

「何とか、な」

 

 肩で息を整えてる様子を見て、大分やばいなと感じた軍曹は声を掛ける。

 

「持久戦に持ち込まれたら、やばかったな」

「ああ……にしても、何で彼女は俺を目の敵にするんだ?」

 

 艦へ引きこもってしまった准尉の後ろ姿を目で追いかけながら、ユウは呟いた。ギネスは「陸戦科はあまり親しくは無いけど、身内じゃない者を嫌う傾向があるなぁ」と呟く。

 彼女は准尉だけあってベテランの古参兵で、多分、《マイムーナ》でも一番の古株である。

 

「この船が曳船だった頃から乗ってるって噂だ。ヤノ大尉の話ではな」

「ふぅん」

「あたしも嫌われたぞ。にわか下士官だってな」

 

 この船に乗り組んでから二年と経っていない軍曹も、最初の頃は胡散臭く思われていたらしい。軍の命令だから口煩くは無かったが、ユウは軍の埒外って事情もあるから、目の敵にされている可能性もあった。

 

 

             ◆       ◆       ◆

 

 ぽつぽつと雨が降っていた。

 傘を差しながら、勇者とギネス軍曹は城塞の広大な中庭を歩いていた。地面は土と芝で覆われ、本来は石造である床がまるで荒れ地の様だ。

 

「わざわざ土を盛ったんだな」

「爆弾対策みたいだ」

 

 石畳のそのままでは、炸裂弾が破裂する際に被害が大きくなってしまうらしい。近年では鉄のダーツを投擲するよりも、騎竜部隊は接地したら爆発する爆弾を用いるらしいので、その防衛策として土を盛っているのだろう。

 

「軍事技術が発展してるからなぁ。飛行船も見ただろう」

「ああ、地球の物とは大分違うけど」

 

 エルダの飛行船は気嚢にガスが詰まっておらず、まるで軍艦みたいに金属製だった。

 金属と言っても鉄では無く、あの食器みたいなアルマイトか何かの軽金属製だ。骨組みに薄くて丈夫な金属板を張り、内部に浮遊石と呼ばれる特殊な石塊を据え付け、それを制御する形で浮遊する仕組みである。

 

「浮遊石の入手が大変なんだよ。西大陸じゃゴロゴロ転がってるらしいけど……」

「石さえあれば、量産可能なのか?」

 

 軍曹はしかめっ面しつつも頷く。「昔の戦争では飛行船は切り札だった。だけど、運航費が高くてね」とぼやく。

 軍艦の何十倍もの経費。それは制御に多数の魔導師が必要な人件費だ。余りに高い経費に王国は音を上げ、大戦中に整備された大型艦は削減されてしまった。

 

「一隻に十名以上の魔導師が、しかも四級以上の奴が必要だからな」

「お高い?」

「一流で国に五百人居るかどうかだぞ。高給取りに決まってる」

 

 一応、ギネスも魔導師だが市井にゴロゴロしてる六級である。五級になると職業、魔導師を名乗っても恥ずかしくないレベルになるが、それ以上はエリートだ。

 まぁ、かつての第四次大戦では飛行船は新兵器として活躍し、空挺部隊を参加させるなどの新戦法でマーダー帝国を屈服させたらしい。

 

「商業利用とかも考えられた時期も有ったらしいよ。もっとも水運には叶わなかったけどね」

「運航費か」

「夢が無いけど、それが現実さ」

 

 貨物を安価に運ぶと言う点で、一人の風魔法使いか蒸気技師があるだけでいい河船の方が圧倒的に安く物を運搬可能だ。内陸になると話は変わってくるかも知れないが、それでも馬車か何かで輸送した方が安く付くだろう。

 

「もっと安価な交通機関がないか、空の方では研究が盛んだよ」

「航空機?」

「正解」

 

 雨に曇る中庭を歩きながら、ギネス軍曹は塔に係留されている《ファルグレン》号を眺めた。領主の専用機で副長が衝突したそうだが、船体に空いた大穴がその跡なのだろうかと考える。

 

「で、俺の監視役を受けた軍曹は良いのかよ?」

「お前の好きな所に行けば良い。もっとも領内限定だが」

「まぁ、この世界を物見遊山したいけどな」

 

 最初に艦長が許可を下ろした時はビックリしたが、「お前の金貨二十枚分までは、好きにほっつき歩いてても良いぞ」と言ったのだ。完璧な放置である。

 もっとも監視役にギネスが付けられたが、にしても無責任である。

 

「艦はドック入りするからな。艦が出港するまではユウを管理出来ないんだろ」

「あの部屋に閉じ込められるのは御免だな」

 

 悪い部屋では無いが、工作艦の士官室は狭っ苦しいし、毎日過ごすには向きそうに無い。それでも航行していれば、窓の外の光景も変化するので楽しめるが、ドック入りしている間は造船所で停船しているだけだ。

 金貨二十枚はギネス軍曹の年俸より高いから、民間の宿に泊まっても懐は厳しくないだろう。

 

「私の宿代も負担してくれるんだな」

「いいよ。だが、案内をしてくれ」

「やった。《スキュラ亭》に泊まろう」

 

 聞くとその宿はキーラ曹長の実家だそうだ。

 

「烹水長の?」

「名店だぞ。領都一の老舗だ」

 

 領都の元となった寒村にあった宿だそうで、格式も高い一流ホテルらしい。

 無論、宿泊費は高いらしいが、ギネス軍曹はちゃっかりと宿代は勇者持ちにする気である。現金だなと感心している時に城塞の末端部、城の正面だがこちら側からは裏面に到着する。

 

「役所も兼ねているから大きいぞ」

「成る程、ごった返して客で一杯だ」

 

 裏口の目立たない専用扉から、正面ロビーに抜けると数階層が重なった役所エリアに出る。ロビーには人、と言っても蛇の身体を持ったラミアとか。下半身がヤシガニのヤシクネーとかが沢山混じっているが、でごった返している。

 

「税務窓口は5番です」

「商工会議は3階なんだな」

「ああ、その案件は……」

 

 客と職員の間に役所らしい会話が飛び交っている。と、ギネス軍曹が立ち止まった。視線の先を見ていると一人のヤシクネーが傍ら部下らしき者と雑談していた。部下らしきなのは両人共に制服を着ていたからだ。

 

「エクシー姉……」

「軍人か?」

市警(シティガード)だよ。治安維持と民兵さ。行くよ」

 

 幸い、雑談中でこっちには気が付いていないのをいい事に、ギネスは足早にロビーを突っ切った。ちらりと彼女がこちらを見た気がしたが、声を掛ける前に軍曹はロビーの外へ歩を進め、バタンと重厚な扉を閉めてしまった。

 

「知り合いなんだろ。仲が悪いのか」

「姉だよ。五十も年は離れてるけど」

「そーいや、エルダの暦ってどうなってるんだ。

 時計の読み方と一日がどの程度なりは、前に教えて貰ったけど」

 

 テラ時間とか言って、地球と同じく一時間が六十秒、一日が二四時間なのは知っている。

 軍曹は「そうだな」と天空の一角を見て、曇り空で昼間には判りにくい白い物体を指さした。

 

「あれは〝月〟と呼ばれている。

 そいつが東から西に沈むまでの時間、我々はそいつをひと月と呼称して目安にしている。」

「地球のそれと同じだな。具体的な時間は?」

「五週間。三十日だ」

 

 エルダの一週間は六日。一ヶ月は五週間。休息日が週一あり、年末年始は五日程特別日が加わって一年となるらしい。休みが多いのは楽で良いなと思ったが、軍人とかは休息日も働くてはならないそうだ。

 

「月々、火、水、木、金々。てのを思い出した」

「何だ。それ」

 

 長い橋に足を踏み入れたユウの台詞に、軍曹は聞き慣れない単語に突っ込みを入れた。

 雨は晴れつつあった。

 

 

〈続く〉




キンキン事件は何かのパロ。向こうでも書きましたが、擬音だけで物事を表現するって真似出来ない。自分も擬音使うけどね(笑)。

飛行船は灯台に船体を係留してます。エンパイヤステートビルもかつては飛行船係留塔だったとか、まぁ、こっちの機体はガス式では無いんだけど。
昔、飛行船全盛時代がありました。でも、経済的な理由で廃れてしまいました。エルダって、わりかし世知辛い世の中なんです。


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〈11〉

物見遊山は続きます。
今回の舞台は居酒屋か、大衆食堂になるのかな。スペインの小料理屋(バル)風なのは趣味。夜はもっと賑わいますよ。


 長い橋を抜けるとそこからは市街地だ。

 橋の正面に正門が設置され、大きな広場と幾つかの立派な道が延びている。道沿いに建てられた物も立派で大きな建物も多い。

 

「お役所の入口だからね」

「あっちは?」

 

 広場の横に賑わっている大きな建造物があった。どっしりとした石造で三階建て。最下層はぽっかりと口を開けており、様々な車両がそのまま出入りしていた。

 

「商工会議所だな」

「経済の中心か」

「王国経済の半分は、あそこで動いてるぞ」

 

 正確には四割程度だが、まぁ、これに匹敵する経済組織は王都にある奴だけである。昔は一階が市場になっていて、そのまま販売取引が行われていたそうだが、規模の拡大によって販売部門は分離して、あそこは事務のみになった。

 領都(エロエロンナ)初の公共建造物で、城なんかはこれに比べると遥かに後になって建設されたと言う。建設当時は無人の掘っ立て小屋の中に、場違いな立派な建物が鎮座していた模様で、人々から〝エロ御殿〟と揶揄されていたらしい。

 

「何処へ行く?」

「取りあえずは飯が食べたいな。おっと」

 

 りんりーんとベルを鳴らして三輪車(トライク)が通過して行く。人混みの中だから大分危険だが、運転手も通行人も慣れているらしく、ぶつかりもせずに上手く走って行く。

 

「あぶねーな」

「昼飯か。贅沢だな」

 

 周りの民衆が〝どこのお上りだ〟とユウを見ている中、ギネス軍曹が呆れる。

 今朝、きちんと朝食を摂ったばかりで、夜までにはかなりの時間がある。一日、二食が基本のエルダでは三食食べるのは贅沢で少数派なのだが、勇者は早くも腹の虫が騒ぎ出しているみたいだ。

 

「近年では、三食食べる奴も珍しくないんだろ」

「都会はな。それだけ社会が豊かになって来てる。金があればだが」

 

 生産拡大で飢える者は少なくなっている。が、それは物資が集まる都市圏に限られており、人々はやはり二食制が基本である。食べるのにもお金が要るから、富裕層はまだしも、多くの庶民は三食にありつけられぬのが多い。

 

「しっかし、トライクが多いな」

 

 ファンタジーでは自転車が出る作品が少ないのだが、エルダではごく普通に普及している。但し、二輪車では無く、前か後に荷台を載せた三輪車が基本である。

 

「貨物用として普及してるぞ」

「二輪車がないな」

「ヒト族専用車だし、荷物も運べないからだろ」

「専用?」

 

 成る程、道の脇に停車して客待ちしてるトライクを観察すると、運転手はヤシクネーであった。運転台は彼女専用にフラットになっており、底面からフットペダルが飛び出している。長さは3mちょい、幅も2m程。後ろに荷台がある。

 

「こいつを交互に踏んで動力にするのか」

 

 回転式にギアを回すのではなく、ヤシクネーの六本脚でペダルを踏んで前に進む機構である。

 成る程、サドル装備の通常の自転車じゃ、異種族に対応してなく、ついでに荷台も無いから貨物輸送にも適してない。

 

「お客さん。うちも客商売なんだ。乗らないならあっち行っとくれ」

「おっ、タクシーだったのか」

 

 客待ちしていた運転手が不愉快そうに述べた。良く見ると荷台にはシートが架装されており、乗り合い自転車だと言うのが判る。ラミアやセントールなら一人で定員一杯だが、ヒトなら四人掛け、ヤシクネーなら二人が対面式に座るのだろう。

 ただ商売道具を眺めるだけの勇者に、とうとう切れて腹が立ったのだろうか。

 

「ごめん、ごめん。近くの飯屋に頼むわ」

「おい、ユウ」

「運転手なら、安くて旨い店を知ってそうだぜ」

 

 軽口を叩くと、ひょいと荷台に滑り込むユウ。運転手のヤシクネーはギネスを見て「お連れさんかい」と質問してくるので、勇者が頷くと、向かいの座席から上板を外した。

 ヤシクネーは席に座れないから、床に腹を着ける必要があるが、これはそうした措置なのだろう。軍曹も乗り込むと運転手は席に戻って出発した。

 

「《ルヴェル広場》で構わないかい?」

「遠いな」

「安くて旨い店なら、《海賊亭》が一番だ」

 

 笑いながら「あたしはベクター。お客さんは?」と訊いて来る。それぞれ名を名乗ると、「海軍さんか、こりゃ、割増運賃は取れないなぁ」と呟く。

 どうやら、ユウをお上りさんとして幾らか余計に金をふんだくろうと考えていたが、ギネス軍曹を見て考えを改めたらしい。官吏、特に海軍は怖いのだと印象を持っている様だ。

 

「《海賊亭》か」

「名前からしてやばそうだな」

 

 かなりの快速で石畳を滑る三輪車。真向かいの軍曹の呟きに素直な感想を述べると、ほどなく「下町の店だ。確かに旨いが、治安は悪いぞ」との答えが返って来た。

 

「知ってるのか?」

「私は無いが、部下が利用してた事がある」

 

 出身地では無いから利用はしないとの話だった。が、ギネス軍曹も似た様な店なら何度も入店した事はある。

 

「あー言う店は、地元民じゃないと利用しずらい」

「治安か」

「まぁ、海軍軍人に喧嘩を吹っかける奴も居るまい」

 

 車は運河沿いを走る。領都は港湾都市の別名通り、街中に大小様々な運河が走り、多くは船着き場として利用されている。

 陸上を走るより、水上を行く方が効率的とも言われているが、地元民しか知らぬ細かい水路が網の目の様に広がっているので、慣れていないと直ぐに迷ってしまうとも言われている。

 雲助みたいに、それを利用した犯罪も多いので注意が喚起されているそうだ。

 

「わっ、雰囲気変わったな」

「ここらは貧民街だ」

 

 表側から脇に入ると下町とも呼ばれる地区になる。表通りと違ってすえた匂いが立ちこめ、数層建ての汚い集合住宅がびっちり並んでいる。

 子供が泣いていたり、大人の怒声が聞こえてきたりする。ただ、暗いと言うイメージが無いのが救いと言えば救いだ。ホームレスや泥酔者は見掛けなかった。

 路地では子供が集まって石墨で絵を描いていた。ケンケンパみたいな遊びをするのだろう。

 

「ゴム跳びかよ」

「ボール遊びよりゃメジャーだな」

 

 やっている遊びを見て指摘するユウ。因みにゴムはエルダに存在する。ボールも存在するが、ゴム紐に比べて高価なので、普及度は低い。

 他に人馬(セントール)族が道で追いかけっこをしてたり、ヤシクネーが壁に糸を発射してたりと異形の子供達が遊んでいる。

 ベクターが警戒のベルを鳴らしながら高速で通り抜けると、道にたむろしていた子供達は慌てて進路を開けながら、蜘蛛の子を散らすみたいにぱっと散ってしまう。

 

「凄い所を通るな」

「近道なんでさ。表だと色々五月蠅いからねぇ」

 

 ベクター曰く、警備隊が無謀運転を取り締まるのだそうだ。時間を短縮するのには表では無く、こうした裏道を利用した方が早いらしい。それを聞いたギネスが複雑な表情を浮かべる。

 

「おっ、広場か」

「ほい、着いたよ」

 

 いつの間にか三輪車は表に出て、広場の一角にて停車した。

 広場と言っても先の王城前とは違い、教会を中心にこじんまりとした広場である。露店が並び、商売が行われている様だ。

 

「美味しいよーっ」

 

 露天で声を張り上げるのは男性の妖精(エルフ)である。この種族が街の中で商売してるのは珍しいから、ユウは思わず見とれてしまう。

 

「へぇ、食べ物売ってるんだ」

「あたしのお勧めは《海賊亭》だぞ」

 

 軌道修正しようとベクターが声を掛けて来る。しかし、勇者の方は好奇心がアリアリで、荷台から降りると真っ直ぐに屋台へと近づく。

 どうやら中身はコンロで、熱せられた食材から旨そうな匂いが多々寄って来る。

 

「毎度。お兄さん、うちの村特製の串焼きは如何かな?」

「バーベキューか」

 

 まさにそうで、肉と野菜が串に貫通されて程良い加減に熱せられている。

 味付けは醤油ベースらしく、何処かで嗅いだ様な懐かしい匂いがする。「一番人気は肉団子だよ」と、エルフのお兄さんがミートボールを指さして自慢する。

 

「つくねか」

「つくね? ああ、東方語だな」

 

 ユウの姿歩見て勝手に皇国人だと解釈する店員。なる程、見た目はつくねにそっくりである。しかし、ふと勇者にある疑問が浮かんだ。

 

「エルフって肉を食べるのか?」

 

 日本でのイメージとしてはエルフとは森に生きる種族で、中には動物性の物が乳に至るまで全く駄目って存在だってあったと思う。植物や菌類しか口に出来ない種族。

 

「おいおい、肉を食べないベジタリアンなんて何処の貧乏人だよ」

 

 いつの間にか降りたギネスが口を挟む。自分だって貧しかったが、週に一度は肉か魚にありついていたからである。無論、それらはご馳走だったが。

 麦主体で雑草塗れのポリッジ(おかゆ)とか、雑穀米のスープに浮かんでいる肉片を思い出す。椰子の実が出ると大歓声を上げた幼少期の出来事だ。

 

「で、どれがいい?」

「あ、そのつくねをくれ、二本」

「肉団子ね。毎度」

 

 笑いながら串を手渡すエルフ。じゅうじゅう焼けて旨そうな匂いがする。更に「俺の村の鶏なんですよ」と説明してくれる。

 どうやら彼は領都では無く、近隣の農村から串焼きを売りに来た農民である様だ。

 

「へぇ、出稼ぎか」

「一応、辺境伯領の住民ですよ。二本で銅貨四枚っす」

 

 領都郊外の周辺に士族が経営してる村があり、ここで生産した農作物を領都に運び入れているそうだ。その士族は辺境伯の部下なのだろう。

 

「一本銅貨二枚か、二十円程度なのかな」

 

 日本のファンタジーでは銅貨は十円玉換算されるのが多い。それを念頭に入れてユウは貨幣価値を考える。が、こいつが安いのは材料の問題だとギネスが指摘する。

 

「くず肉を使ってるからだ」

 

 つくね状になっているのは、〝ミンチになった鶏肉の余計な部分を再利用している〟と指摘する軍曹。大方、骨に付いた肉片を集めて固めた物だろう。

 

「庶民に人気のダル・ダルステーキなんかもそうだが、こうしたくず肉を加工した貧乏飯だよ。

 ダル・ダルステーキはくず肉を固めて焼いた肉料理だ。中原のダル・ダルが伝えたからこの名がある」

 

 何でも正肉を摂った骨から、スプーンで身掻きして残った肉をこそげ取るらしい。肉は食べたいが高いので躊躇する民には人気のメニューである。

 ハンバーグみたいな物だろう。どうもエルダでは、ミンチ肉を作る人件費よりも、材料費の方を重視するみたいだ。

 

「ダル・ダル?」

「中原から来た遊牧民の名だよ。セントールだったかな。そいつの好物だった」

「名を連呼するのは、そっから来てるのかな」

 

 肉団子串を食べつつ、《マイムーナ》のラム・ラムやチェナ・チェナを思い出す。

 変な名前だと思っていたが、エルダでは中原に起因する正統派の名なのか。

 

「どうだろうな。ゴーダーカーンの大遠征の影響は、確かにあるけど……」

「歯切れが悪いな」

「いや、肉に関してだが」

 

 この話題を打ち切って、ギネス軍曹はエルフの兄ちゃんに視線を向けた。

 エルフが菜食な事は無いと彼女は断言した。一応、「取り替え児ではないな」と確認し、純粋なエルフなら森での作業や狩猟でカロリーが必要だから、普通に肉を食べると述べる。

 

「中央大陸に移り住んでるエルフは本流(フォレストエルフ)から外れた支族だからな。特に西大陸に住む竹林妖精(バンブーエルフ)なんか凶悪だぞ。」

「バンブーエルフ!?」

 

 竹林に生息する妖精族だそうだ。若竹を食べ、竹馬なる道具で長距離を移動し、竹で作った武器を用いて攻撃して来る。しかも竹を喰らう猛獣に騎乗して神出鬼没だそうである。

 緑の体毛に手足と目の周りか紅い、熊の様な猛獣〝大熊猫(バンダ)〟を操る恐るべき密林の民。西大陸へ渡った者達の記録にも、散々、凶暴性が記録されている。

 

「当然、奴らも肉を食べてる。もし活動的な生活するなら、南の森妖精(フォレストエルフ)みたいな食生活は営むのは不可能だからな」

「エルダのエルフって……」

「南大陸に住む森妖精がユウのイメージに近いが、生憎、ここら住んでるのは海妖精(シーエルフ)闇妖精(ダークエルフ)ばっかりだぞ。だから中央大陸のエルフと言い直そうか」

 

 全てのエルフは南大陸出身だと言う。

 が、エルフは分化して幾つもの種族に分かれたが、活動的な一族が革命を起こして失敗し、南大陸から亡命して全世界へと広がった。これが神話だ。

 

「シーエルフは海を生活圏に選んだ妖精で、ダークエルフは肌の黒い亜書だ。

 彼らは停滞している歴史を動かそうと、南大陸で騒動を起こした。何故なら、若い彼らと違って森妖精が余りにも保守的、前任主義だったからだ」

 

 その時、ユウの肩をちょいちょいと突く手があった。振り向くとトライクの運転手であるベクターだった。不満げに頬を膨らましている。

 

「バンブーエルフもフォレストエルフも良いけどさ、あたしおすすめの店には入ろうや」

 

 指さす先には《海賊亭》なる居酒屋風の店がある。スペインの小料理屋(バル)って感じの小さな建物で、道に数個のテーブルが出ている。

 当然、席には赤ら顔のおっさんが、でっかいジョッキを傾けていた。。

 

「あ、悪ぃ」

「案内した手前、入ってくれないと落ち着かないのさ」

 

 時間は昼過ぎだ。雨雲がまだ付近を覆っているが、天気は快晴へ向かっていて陽光も差し始めている。

 

「まぁ、話は中でも出来るだろう」

 

 軍曹も納得し、買ったばかりの串を口に押し込むと三人は《海賊亭》ヘ足を踏み入れる。中は込んでおり、なかなかの盛況ぶりを見せていた。人気店らしい。

 

「店主、新しく三人だ」

 

 カウンターに経っているひげ面の男に軍曹は声を掛けた。

 同時に左腕に巻いた海軍の青い徽章を見せる。これでぼったくりや喧嘩の予防にはなると計算しての行動だ。余程の事では無い限り、王国海軍と喧嘩したいって奴は少ないからである。

 

「機関長?」

 

 すっとんきょうな声がした。

 

「と、勇者かよ」

 

 人混みを掻き分けて、その声の主が現れた。ピンク色のロングヘアと灰色の身体の組み合わせ、ヤシクネーのラム・ラム上等兵だ。

 思わぬ再会に、軍曹も「ラム・ラム・ストローメア。奇遇だな」と目をしばたたかせる。ラム・ラムは後ろの方に手招きすとすると、「この店に野暮用がありまして……」と続ける。

 

「おや、その娘は?」

「機関長だ。挨拶しなさい」

 

 後から現れたのはエプロンを身に着け、小さなラム・ラムと言う風情の女の子だった。無論、ヤシクネーで下半身は巨大なヤシガニである。

 

「ラナ・ラナ・ハーストです。機関長さん、初めまして」

「偉いね」

「いつも言ってた妹さんだね」

「取りあえず、ダル・ダルステーキを三つ。飲み物は海賊ドリンクで」

 

 四者四様の声が交差する。ちょこんと頭を下げたのがラム・ラムの妹で、それを褒めたのが勇者のユウ。質問を投げたのがギネス軍曹。構わず品を注文したのがベクターである。

 

「はい、妹のラナ・ラナです。って、あんた誰よ」

「ベクター・バーリンデン。運転手さ」

 

 ラム・ラムはベクターの事を知らないみたいだった。彼女は「あたしを知らないとは余所者だね」と上等兵をにらみ返す。

 

「……ストローメア。ああ、農家の養女か」

「悪かったわね。あそこで収穫してたわよ」

「注文聞いてたー? 早めにね、お嬢ちゃん」

 

 ベクターはラム・ラムの言葉を受け流すと、立っていた妹に向かって言葉を投げかける。びくんと一瞬硬直したが、女給の役目を思い出した彼女は一礼して奥へと下がる。

 

「どう言う意味だ?」

 

 会話を理解していなかったユウが隣のギネスに尋ねる。ギネスは「ヤシクネーには養女が多いんだよ」と説明してくれる。

 大量に産み落とされた子供が一人前に育つのは困難だ。途中で命を落としたり、親が経済的に子供を養えない場合もある。

 

「で、だ。世の中には子供を引き取ってくれるケースがある。児童労働者として人手が要る場合に農園やら工場やらが、養女って形で雇ってくれる訳だ」

「児童労働だって」

 

 日本では無論違法だが、エルダ世界では合法だ。少ない賃金の貴重な労働力として成人前の子供は働かされている。

 

「中には産んだ途端に、雇い主の所に行く母親も居るらしいが……」

「自分で子育てする気が無いのかよ」

「多すぎるんだよ。産まれる数が」

 

 魔族の中でもヤシクネー族は多産である。一度に数十人が誕生する事もあり、だからこそ魔軍で生きた食料扱いされ喰われたのだが、この性質は現代でも改まってない。

 

「だからラム・ラムもそうした一人なんだろうな。農家から頑張って海軍に入ったんだ」

「農家の跡取りじゃ」

「継げるのは、よっぽど優秀な奴さ」

 

 ギネスは首を振る。法律で成人には最低基本給が与えられるが、児童労働費に比べて高給取りになってしまう。だから職場から解雇されるのだ。

 

「法では成人は十三歳。だから成人になる前に養女達は職を見付けないといけない。

 ある者は魔法を必死に覚えたり、ある者はいっぱしの冒険者(クエスター)になろうと努力する。無論、海軍に入って軍人になるのも手だよ。あたしやラム・ラムみたいにね」

 

 社会制度が遅れているのか、エルダはシビアな世界である。

 いや、最低基本給が設定されているのだから、何も保証がない普通のファンタジー世界よりも優遇されているかもだが、十三歳になる前に生活手段を準備しないと行けないのは辛すぎる。

 

「ストローメア家は領都からやや離れた村の名主だね。良い家じゃ無いか」

「ずっと野菜を育ててたわよ」

「あたしん所とは大違い。あたしは領都で愚連隊さ」

 

 気が付いた時には極貧生活を送ってて、同じ様な浮浪児たちとつるんでスリ、強盗、かっぱらいと悪行三昧を行う身からすれば、児童就労でも寝床と食事が保証されるラム・ラムの境遇は羨ましかったに違いない。

 何せ、きちんと教育も受けさせて貰えないのだ。

 

「お待たせしました」

「おっ、来た来た。まぁ、不幸自慢しても仕方ないよ。ま、そこで愚連隊として名を上げて、ちょいとこの地区では名が知られてるのが、私って訳さ」

 

 《トライクのベクター》って通り名だそうだ。

 ラナ・ラナが運んで来た料理の前に、彼女はにんまりと笑ってグラスを手に取った。

 

「うんっ、旨い。旨い」

 

 ダル・ダルステーキにかぶりついたユウが叫ぶ。ラム・ラムとベクターが火花を散らす会話の中、我関せずで食事にありついたのである。

 

「この肉汁が旨いよなぁ。ハンバーグ的な旨さだ」

 

 二股のフォークで、口周りが汚れるのも構わずに肉界を口へと運ぶ。

 挽肉は荒く、内臓や何か生肉とは思えない種類も感じられる。安く仕上げる為、昔のソーセージと同じ様に色々な部位を混ぜて焼いているのだろう。

 ダル・ダルステーキはハンバーグ的な、と言うかソールズベリーステーキ風の食感がある料理だが、無論、エルダにはハンブルグなる都市は存在しない。

 

「周りの空気を読め」

 

 かぶりついているユウに軍曹が突っ込みを入れる。しかし、そんな勇者の毒気に当てられたのか、当のラム・ラムもベクターも呆気に取られてユウを凝視していたが、ここで二人は破顔一笑。

 

「良かったな」

「な、ここは名店だろ」

 

 乾杯の音頭が取られる。「まぁ、過去は過去だ。今は旨い飯と旨い酒さ」とベクターが宣言してぐびりと杯を傾ける。金属製のゴブレットで薄汚いが、彼所は気にしてはいない。

 

「上等兵は彼女が目的か?」

「はい、このラナ・ラナの所に訪れたんです。機関長」

 

 ちょこまかと給仕に勤しむ妹に、ラム・ラムが目歩細める。

 

「血が繋がってるのか」

「さぁ、恐らく……。見ての通り、ラナは別の家の養女になってます」

 

 ユウは彼女達は名前がラ行で同じだが、姓が別称だったのを思い出す。

 ラムが「同じ孤児院で育ったんです」と続ける。孤児院から士族のハースト家の養女になって、農園で働いてから《海賊亭》の女給になったそうだ。経緯はラム・ラムと似ている。

 産まれたら直ぐに孤児院に置き去りにされた為に、本当の母を見た事は無いと語るラム・ラム。だが、これはまだ良い方で、ベクターみたいに産んだら産みっぱなしで放置なんて例もある。貧困社会の闇だ。

 幼児の死亡率は、当然高い。

 

「私と同期の者は生き残りませんでした。殆どが五歳になる前に倒れていきました。

 妹達は私の数年後に入所した組です。多分、母も同じでしょう」

 

 ラム・ラム曰く、ピンクの髪と灰色の下半身と言う、身体的な特徴から身内と判断しただけで、本当の血縁なのかは未確認だと言う。

 

「赤子が門前に捨てられたのを、引き取っただけでから」

「あたしも孤児院行きは免れたけど、似た様な環境だ。

 さっきの貧民街みたいな下町育ち。五歳の頃に奉公に出された」

 

 ギネス軍曹が遠い目をする。親はそれでも五つまで面倒は見てくれた。

 姉妹が多いのはヤシクネーの特徴だ。最近では数は減る傾向にはあるが。ギネスと同時に産まれた姉妹は七人もおり、前後の姉妹と合わせると二十人を越える。但し、今、生き残っているのは半分以下だ。

 

「何で?」

「幼年期に死亡率が高いんだよ。ユウの世界じゃ違うのか」

 

 子供が怪我や病気で呆気なく死ぬのは、エルダの常識だ。

 何も知らぬ幼少期に、驚いて水路に飛び込んで溺れる奴。車に轢かれて昇天する奴。

 

「轢かれるって」

「産まれた時は掌サイズだからな。部屋を脱走して馬車に轢かれたら一発だよ」

 

 貴族の子弟でも無い限り、子供ヤシクネーが出産時に厳重に保護される事は無い。

 無論、産んだ側から保護はされるが、気を付けていないと数人は外へ脱走してしまう。そこで命を落とす子供が増える訳だ。

 

「鳥や野犬に襲われて食べられた子供も珍しくないぞ。何しろ格好の餌に見えるからな」

「あ、私、その頃に海ザリガニ(ロブスター)と戦いましたよ」

 

 ラム・ラムが懐かしそうに述べた。孤児院の食事量が足りず、腹を空かせて時に食料調達を企て、海ザリガニが生息する湾へ出かけて、真っ向勝負を挑んだらしい。

 

「こっちの犠牲者は八人。死亡が二名でしたけど、やっやけたザリは美味しかった。

 まぁ、サイズは向こうもこっちも三十cm位ですから、やられる奴はやられちゃいましたけどね。

 頭が良い分、こっちの方に分があったのかも」

 

 しかし、それでも人死にが出てしまったので、大人にぱれ、以後、これは真っ向勝負は禁止になってしまったらしい。

 外から見て判る。戦って鋏や足を喪失した奴らのせいだと、ラム・ラムは分析したが。

 

「孤児院に入ってたんだろ」

 

 入所すれば、食が提供される筈と勇者は言った。

 

「孤児院だって、教会が食事と寝床を提供する程度だからな。

 食事だって少量。寝床も煎餅布団だ」

 

 ギネスの説明にユウは絶句する。

 孤児院は毎年開放されているが、入所者が多くて世話も殆どで出来ず仕舞いになってしまう。手厚く保護されている日本の施設とは違い、単に浮浪児を収監している施設に近い。

 なお、そんな環境に加え、年長者が年少の世話をするのが当たり前なのだが、ラム・ラムの場合、人手が足りずに毎年、死者を出してしまったらしい。

 

「酷ぇ」

「昔は奴隷に落とされたらしい」

 

 現在、王国では制度的な奴隷制度は廃止されている。が、これは中央大陸全体では無く、帝国や中原の国々ではまだ残っているそうだ。

 

「帝国があるのか」

「マーダー帝国。北方の大国だよ。ま、その内、出て来るだろう」

「?」

「ユウが、本当に勇者ならばな」

 

 ラム・ラムが妹と話をているのを横目に軍曹が笑った。

 二人は「ララ・ララが変なの」「変?」と話し合っている。どうも、まだ会ってない姉妹に関する情報の様だ。

 

「勇者ー? あんた勇者なのかい」

「あ、うん。そう呼ばれていた」

 

 さっきの会話を小耳に挟んだベクターが、ほろ酔い気分で尋ねて来る。

 

「勇者ってのは何だい?」

「え」

「魔王か何かと戦うとかして、偉大な成果を遺した奴じゃなかったっけ?」

 

 普通はそうである。

 他者に行為が知れて、自然に湧き上がる尊称であり、いつの間にか呼ばれる名だ。

 

「異世界では俺の尊称だったよ」

「へーっ、何かしてか?」

 

 いや、到着早々、「勇者様」と呼ばれていた様な気がする。

 場面を変えようと彼女が頼んだ海賊ドリンクに口を付けると、強いアルコールの刺激が口一杯に広がる。

 ユウはむせた。どうも何種類かの強い酒を混ぜたドリンクであるらしい。

 

「げほっ、げほっ」

「おや、酒は初めてかい」

 

 にやにや笑みを浮かべるベクター。「ふむ。お前の世界じゃ、酒は未解禁だったっけ」と軍曹。日本ではユウは未成年で、当然、飲酒も御法度である。

 軍曹も杯を口に含んで、「椰子酒の他に色々増ざってるな」と呟き、「売れ残りの酒を混ぜたドリンクだな。悪酔いしそうだ」と続けてベクターの方を見る。

 

「こいつを酔わそうと画策するなよ」

「ん」

「あたしの方はザルだから、無駄だぞ」

 

 バレたかとばかりに舌を出す運転手を無視して、卓上を見て、勇者に「喰ったなら行くぞ」と声を掛ける軍曹。雰囲気から、どうも悪い予感がするからだ。

 ステーキは悪くなかったが、もしかして何かヤクが混ぜられている可能性もある。

 

『カモにする気だな』

 

 こいつはここらの顔役だと名乗った。だから飯屋の客達がベクターにつるんでいる気がした。良い所のボンボンに見えるユウから、金を搾り上げる気がありそうな傾向が感じられる。

 ベクターが入店した際、所持していた物を思い出す。

 夜間用のトーチランプみたいな重要部品は盗まれぬ様に外して手元に置いとく物だが、こいつは所持していたか? 商売道具(トライク)に鍵は掛けたか、考えると怪しかった。

 なら何かが起こる前に、とっとと退散するに限る。

 

「ラナ・ラナ」

「はいっ、軍曹さん」

 

 ラム・ラムの妹を呼んで、数枚の銀貨を握らせる。

 多少、多い気がしたがチップとしての値段だったら適当だろう。やや、赤ら顔のユウを担ぐと「お愛想だ」と言い捨てて、出口へと向かう。

 

「機関長。同行します」

「助かる」

 

 ラム・ラムが同行を申し出た。妹に「これからララの方を見てくる」と言い残すと、機関長の後方を守る形でぴったりと付いて来た。

 広場に出るのに時間は掛からなかったが、生きた心地はしない。

 

 

〈続く〉




三輪自転車(トライク)がエルダに発展した理由は、拙作「カオスの館」を参照。
他のファンタジー小説じゃ、自転車ってあっても二輪、しかもスポーツタイプばっかりなんだよね。貨物輸送に特化した三輪が皆無(笑)。こっちの方が早く大衆に広まると思うんだけどな。

ギネス軍曹がベクターを疑った理由。商売道具を放置の上、大切な付属品を手元に管理していなかったからです。治安が悪い地区じゃ、それらは泥棒の格好の獲物ですから、「放置しても平気なら、何処かに仲間が居る」と感じた訳ですね。



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〈12〉

暫く、勇者はエルダ世界を回ります。
と言うか、どう扱って良いのやら《マイムーナ》でも当惑気味なのでしょう。とにかく、宰相から厄介物を押しつけられ、暫く様子見って感じなのかも知れません。

〝姫騎士部隊〟はファンタジーの華、ビキニアーマーな女の子騎士の集団です。無論、あの鎧はマジックアーマーです。貴族の他に成功した冒険者(クエスター)が独力で入手するか、マジックアイテム屋で購入して着る様な高価な代物。強者、またはお金持ちのステータスシンボルですね。
でも魔法技術が盛んだった古代では、この手の鎧がメジャーだったみたいです、無論、製造手段はとうに失われましたが、う、羨ましい。


「大丈夫かねぇ」

「妹ですか、多分、平気でしょう」

 

 一人《海賊亭》に妹を遺してしまったラム・ラムに、ギネス軍曹が声を掛ける。

 だが、ハースト家は有力な士族であり、彼女に何かがあれば本家の方が容赦しないと聞き、胸をなで下ろす。

 女給なのだから、「先にあたしと話してましたし、うちらの仲間と一緒にされて、酷い目に遭う事もなかろうと思います」と上等兵が述べる。

 

「それよりどうします」

「勇者か、べろべろだな」

 

 酒を口にしたユウが酔い潰れていた。

 あの海賊ドリンクは見た目とは裏腹に酒精度が高く、ついでにもしかしたら何等かの混ぜ物か薬が仕込んであったのかも知れない。

 

「《ヴェルデ広場》か」

「ここらに宛ては?」

 

 見知らぬ土地だ。軍曹は首を振り「教会へでも連れ込むか」と近所の教会を見あげた。東方聖教会の社で、トリィと呼ばれる社の前に立っている三角形の柱(ホーリィシンボル)が目印だ。

 

「ラナの下宿が近くにあると思いますが」

「妹さんのだろ。多分、ユウ向きじゃ無いぞ」

 

 それに今出て来たばかりの店に、引き返すのもまずいだろう。

 軍曹はラム・ラムに「手伝ってくれ」と言うと、一旦、腹を地面へ着けて着座する。そしてラムの手伝いを受けながら、自分の背にぐったりした勇者を乗せて、落ちない様に布で固定する。

 

「うんしょ」

「慣れてますね」

「色々を背負ってたからな」

 

 ヤシクネーの広い背中は重量物の運搬には慣れている。

 ギネスも作物の収穫期になると背中に背負子を背負って大根やら運んでいた物である。港で沖仲仕として臨時に働いていた頃は背にコンテナを積み上げていた。

 それら比べると固定具の欠如から不安定だが、目と鼻の先にある教会だから平気だろうと目星を付ける。 

 

「ようこそ、神の社に」

 

 入ると神棚に祈っていた数人の巫女が挨拶して来る。

 軍曹は腰を下ろしてユウを下ろすと。近くの長椅子にそれを横たえた。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 白い空間だった。

 右を見ても左を見ても白い。全体に霧みたいな物が漂っており、足元の踝が確認出来ない。

 

「春日 勇」

 

 誰かが自分の名を呼んだ気がした。そんな馬鹿な、俺は異世界に……。

 

『聞き覚えがある声だ』

 

「授業が始まるぞ。席に付け」

「きりーつ。礼!」

 

 あ、こいつは高校の担任教諭の声とクラスメイトの……あれ、名前は何だっけ。

 思い出せないが、ざわざわと人の気配がする。目には見えないが周りには誰か大勢の存在があるみたいだ。

 

『幽霊か?』

 

 ユウは少しぞっとしながら辺りを見回す。すると次第ら視界は張れ、彼が良く知っている自分の教室の光景が目に飛び込んできた。

地球だ。しかし、だとしても不自然な所も多い。巨大なゴミ箱があったり、壁に貼られているポスターや書き初め類が、明らかに小さかったりと、スケール感が適当なのだ。

 

「夢なのか」

 

 思わず口に出してしまう。が、しかし「夢なのかよ」と非難めいた口ぶりの文句がはっきりと聞こえて来る。この声は誰だ?

 

「おいおい、俺の声も忘れたのか。苦情な奴たな」

「と言う事は、私の事も覚えてないのかしら??」

 

 奴の声に突き、先程とは別の女声がした。

 ユウには訳か判らない。しかし、確かに聞き覚えがある。そんな声の響きに囲まれて、そしてその数は圧倒的に増えてきて。最早、誰が何を言っているのかも判らなくなる。

 

「やめろっ!」

 

 ユウは耳を抑えて膝を着く。声は大きくなり、周囲から襲いかかる圧力が身体を押す、暴力的な物に変じている。

 

「お前は自分の世界を忘れたんだ」

 

 最後に響いた声の内容で、聞き取れたのがこれであった様な気がする。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「起きたのか」

 

 夕日がステンドグラスを輝かせている。勇者が身を起こすと周りには魔物が佇んでいた。

 椰子蟹女(ヤシクネー)、下半身が蜘蛛ならぬヤシガニのクリーチャーだ。ちんちくりんの方はギネス軍曹とか言う、生意気にも海軍の下士官だ。

 まるで巫女装束そっくりな衣装を着た女性と話しているのは。ラム・ラムと言ったか。長いピンクの髪を持った女だ。

 

「ここは……?」

「聖教会の礼拝堂だ。アルコールは。うん、抜けたみたいだな」

 

 ユウが周囲を見回すとギネスが説明する。

 西洋式の教会と言った風情なのだが、正面に配されている祭壇がどう見ても神棚で、シスターみたいな職員は全て日本の巫女さん風だ。

 首から提げている聖印と白衣(はくえ)が西洋風の白ブラウスなのが違うだけで、緋色の袴なんかは巫女その物である。

 

「礼拝堂ねぇ」

 

 やって来る参拝客も賽銭箱風の容器に賽銭を入れ、おまけに柏手みたいのを打って天井に鎮座している大きな鈴を鳴らしている。

 

「東方聖教会だからな。西方では鈴じゃ無くて銅鑼を鳴らす」

「女ばっかりだな」

「【聖句】呪文は女性にしか使えない。だから聖職者は全て女性だぞ。ああ、男で僧兵って言うのも居るか」

 

 僧兵は教会の軍事部門である。自衛や時に紛争にも出張るが、普通は裏に隠れていて表には出て来ない。だから、教会では若い巫女が目立つ。

 

「シスターってのも居るが、これは通と言うか、年増好みだな」

「通?」

「行き遅れの年増だらけさ。もっとも、シスターは適齢期を過ぎても聖職者やってる巫女の姿だけどな」

 

 元々、西方聖教会の役職だったらしいが、最近では東西両教会の融和が進み、東方にも取り入れられたらしい。歳を取っても神に一生を捧げ、婚姻しないのが基本だと言う。

 

「以前は袴の色で区別してたんだが……あそこに立っているのがそうだ」

「ふぅん」

 

 傍らでシスター風の装束を着た女性が魔法を操っていた。蝋燭に点火しているらしい。

 しかし、どことなく巫女に似ている雰囲気なのは、やきり巫女から昇格した為であろうか。いや、服の構造が巫女装束に似ているせいなのか。

 

「年増だぞ。ライバルは神様だからハードル高いぞ。還俗させるのも一苦労だぞ」

 

 ラム・ラムまでからかって来る。ユウは「シスターには興味が無い」とばっさりと言って、すくっと立ち上がって身体の調子を確かめる。

 

「大分時間を食ってしまったが、身体の調子はどうだ」

「ああ、もう平気」

 

 ぐるぐる振り回して腕の調子を確かめる。少し頭か重い気もしたが、概ね身体の方は大丈夫みたいである。首を前後に傾げて様子を見る。

 

「上等兵。あたしらはこれから東部へ行くが、お前はどうする?」

 

 軍曹が尋ねるとラム・ラムはため息を付いて、「本当は予定があったんですが、付き合いますよ」と答える。ドック入りしてる間は他の乗組員も開店休業状態だから、暇と言えば暇らしいが、明日には海軍基地へ戻るらしい。

 

「兵舎へ行けば寝床も食事もありますしね」

「しかし、門限には……」

 

 教会にある子時計を見ると時間は午後四時を回っている。

 時計は錬金術の産物だ。勿論高価で一般人に手の届く様な物では無く、貴族か富豪がステータスの為に飾る様な高級品だが、教会や艦船みたいな公共施設にも設置され、こうし民に時間を教えてくれる。親である大時計と幾つかの子時計が接続されているのが多い。

 東岸には確かに軍港があって、兵舎もそっちに存在するが、今から門限に到着するにはかなりきつい。

 

「機関長達が何かしてくれるんでしょう」

「始めからこっち持ちか」

 

 ラム・ラムは「えへへ」と舌を出した。ちゃっかりご相伴に与る気である。

 まぁ、『どうせお代は勇者持ちだ』と割り切ったギネスは、「ラッキーだな、烹水長の実家に泊まるぞ」と伝えると、ピンク髪のヤシクネーはびっくり仰天。

 

「え、《スキュラ亭》? あ、あたし、最高に運が良いかも……」

「行くぞ」

 

 感動している彼女を尻目に、ギネスは側に居た巫女の一人を捕まえて礼を述べる。同時に幾らかのお布施を渡している様だ。

 勇者はと言うと、既に扉の向こうに出てしまっていた。

 広場は夕日が赤く照らしており、露天も店仕舞いして昼間とは違って賑やかさは消えていた。

 ユウはそのままトリィをくぐる。平面形は三つの柱で組まれた正三角形で、三方へ通れる様になって居るみたいである。

 日本の鳥居の様な物なのだろう。聖教会のシンボル的な物で、神界と俗界の境目に建てられていると聞く。

 

「急ぐな」

 

 軍曹の鋭い声。やや送れてラム・ラムも神殿から出て来る。

 ちらと教会からやや離れた《海賊亭》に目をやると、人々でごった返していた。店内ではラナ・ラナらしき給仕が忙しく働いているのが小さく見えた。店外のテーブル席にもウサ耳の給仕が居たが、こちらは見覚えは無い。

 

「盛況みたいだな」

「良い事だ。こっちに構う程、暇じぉあるまい」

 

 ふと目でベクターの商売道具を探していた。

 が、大型の三輪車(トライク)は見当たらず、駐車していたと思われる場所にも姿は無かった。諦めて引き上げのだろうか。

 

「海軍とやり合うのを恐れたのさ」

 

 軍曹が察したらしく、ユウの肩を叩いた。

 何と言っても相手が軍隊である。生半可な悪党なら敵には回したくないだろう。

 

「特に陸戦意の奴らはなぁ」

「俺に挑んできた姉ちゃんも陸戦隊だったな」

 

 ボニーテールのおっかない顔が浮かぶ。

 

「モニーク准尉はマシな方よ」

 

 ラナ・ラナが呟く。まだ海軍准尉としての儀礼とか守ってる態度は評価出来る。

 が、一般的に陸戦隊と言うのは無茶苦茶な奴が多いらしい。敵前に上陸して陸戦を戦う連中なので粗暴で荒々しく、腕っ節も強い喧嘩っ早い奴らが多い。

 

「今は伝説だけど。昔の強制徴募部隊はヤクザなんか顔負けよ」

「強制?」

「昔は兵が足りないから、そこらに目の付く兵隊になれそうな奴らを片っ端から捕まえるんだ。で、有無を言わさず海軍に強制入隊させる」

 

 軍曹は言う。創世記の王国海軍では良く起こった事である。

 今は志願制で入隊希望者には困らないが、漕走船が主力だった時代の艦船では人員不足が酷く、漕ぎ手も人気が無かった為に良く行われていたと言う。

 まぁ、普通はガレー船の漕ぎ手なんかにはなりたくはない。賃金も今に比べりゃ、遥かに低いし、戦い以外でも命の危険も多い。

 

「奴隷かよ」

「近いな」

 

 募集しても来ないなら、〝そこらで一般人を捕まえて充足してしまえ〟が昔のやり方であったのだ。もっとも、陸軍が兵隊を集める際も同じだが。

 で、その強制徴募部隊の中心が陸戦隊である。今で言う憲兵も兼ねており、傍若無人で横暴であった。移乗戦槍(ボーディング・ランス)を振り回し、街中を闊歩する彼らは悪魔に見えたと言う。

 帆船になり、待遇も改善されて志願者が増えた今では強制徴募は消えたが、ほんの二百年前までは横行しており、港町で海軍は今でも恐れられているのだ。

 

「その青いの……」

「徽章か」

 

 ユウは歩きながら、軍曹達の腕に撒かれた青い布を指さす。

 スカーフか何かの様な鮮やかな青い布だ。空色に近い色調でよく目立つ。青地の真ん中には紋章が縫い付けられていて、幾何学的な模様が配されている。

 

「海軍の兵隊に授与される支給品さ。ほら、名前が入ってるでしょ」

 

 ラム・ラムが見せてくれるが、書かれているのがエルダの文字なので何が書かれているのか判らない。「これはラム・ラム・ストローメア。私の名ね。この紋章は上等兵を現してるわ」と解説してくれる。

 

「階級章みたいな物か」

「階級もそうだけど、国軍の身分もこれで証明するんだ。

 ちなみに下士官は徽章の地がピンクだぞ」

 

 青布は変わらないが、ギネスが刺繍されている紋章の地は灰色では無く、ピンクだった。士官はこれがひと目で判る様に尉官、佐官、将官ごとに色が変わると説明される。

 

「元々は移乗白兵戦になると敵味方が判らなくなるから、どっちが味方なのか識別用に腕に青い布を巻いたのが始まりなのよ。

 敵も偽造したから、偽装防止に階級章を刺繍で入れて更に最近ではもっと進化しているみたいよ」

 

 敵味方識別用の魔石が組み込まれているけど、どんな仕組みでそれが作用しているのかはラム・ラムにも判らないと言う。

 

「知ってても教えないぞ。軍事機密だ」

「ケチだな、軍曹」

「ユウは軍人じゃないからな。我が国の人間でも無い」

 

 下士官にはある程度は公開されているらしい。いや、彼女が技術畑だから理解出来る可能性はある。一般の下士官クラスなら判らないのかも知れない。

 ともあれ、地球で言う所の敵味方識別装置(IFF)的な何かがあるのは理解した。軍人かつ国民では無いのを理由に情報を秘匿する。

 

「紛失したら……」

「死刑に近い重罪だ」

 

 無論、悪用される可能性も高いからだ。

 米軍のドッグタグ的な扱いも兼ねていて、戦死したらこの徽章を持ち帰る習わしまであるそうだ。重要度の高いアイテムだと言える。

 

「軍服で判断しないのか」

「軍服?」

 

 礼装用には存在するし、士官学校の生徒用にもあるが、それ以外は制服は制定されて居ない。エルダの軍隊は陸軍も含め、皆てんでんばらばらな格好をするから、むしろ、海軍が徽章を制定した事の方が革新的なのだそうだ。

 

「各地の領主が独自の軍装を持つからなぁ」

「ああ、〝赤備え〟とかですね」

 

 これが絶対王制なら、統一した軍服を設定可能なのだろうが、軍と言うのは王国の直轄軍の他、地方の領主から派遣してくる私兵や、金で雇われた傭兵なので導入はなかなか難しい。

 

「武田か井伊でも居るのかよ」

「何の話だ。軍装を真っ赤に染めた連中の話だぞ」

 

 地方領主の軍勢には独特な出で立ちも珍しくない。独自性を出し、他の軍勢と差別化する為に軍装を目立たせる連中も多いのだ。

 ビキニアーマーに身を包んだの女騎兵が先陣を切る〝姫騎士部隊〟なんてのも有名だ。無論、アーマーはマジックアイテムで、領主が持っている財力を誇示する為の看板部隊であり、その地方軍の主力は一般歩兵なんだけど、〝見せ金〟と言う奴だ。

 そんな風潮から統一に反対する輩が多い。傭兵はそれ以上に自分の格好に拘る、我が儘な連中である。

 

「地球にもランツクネヒトなんてのもあったからな」

 

 海軍はエロエロンナ海軍が王国軍の中核なので、その影響から強い統制力があって。徽章の配備に結び付けた経緯がある。

 そも船乗りは元々ゴロツキの集まりで、独立独歩を胸にした統制が取りにくい者達なのである。海の傭兵と言って良い。それをここまて組織化したエロエロンナ辺境伯や、それ以前の者達が偉いと言えるのかも知れない。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 話してる内に《ルヴェル広場》から遠ざかる。

 貧民街はどうやら表通りから隔絶してるらしく、背の高い建物によって隔離されて、裏側に閉じ込められているみたいで、こちらからは見当たらない。

 建っている建物は庶民の物だが、極端な貧しさは感じられなかった。

 

「都市は表側だけは綺麗に見せようとするからな」

 

 が、本当の貧民街はこんな物じゃ無いと軍曹は告げた。

 これでも都市の外にある〝市民では無い民〟が住む門前町のスラム街よりは、遥かにマシなほうなのだと言う。

 

「一応、ここにも街灯があるだろう」

「ああ」

「こんな所でも、都市のサービスが施されてる証拠さ」

 

 先程の広場もそうだが、表通りにはガス灯が点々と設置されている。

セントールの少年が鍵で街灯の胴部を開け、中に入っている燃料石と水を交姦・補充をする。鍵付きなのは悪戯防止と盗難対策だ。

 ガスが反応して噴出する軽い音を確かめると、長い棒でガラス製の前面ドアを開き、裸火で火口に点火する。小さな灯が灯る。

 

「電灯じゃ無いのか」

「あ、お前の世界じゃ電気が普及してるのか」

 

 軍曹が驚く。まだ電気はエルダでは最新技術なのだ。電撃を放つ魔法から、魔力の一種として研究がなされていて、ギネスだって実験室で何度か見ただけだった。

 

「凄いな、異世界。でも魔法はないって聞いたぞ」

「電気は科学だよ。直流と交流があって、俺も良く知らないけど」

 

 ユウは口籠もる。電気は良く知っているが、じゃあ原理はどうなんだと問われても上手く説明は出来ない。一般人で工業系の学校にも通ってないから、こんな物だろう。

 

「科学か。では錬金術的なアプローチは正解だな。直ぐ切れるフィラメントを何にすれば……」

 

 とギネスはぶつぶつと何か呟いている。ユウが思い付いた様に「あ、竹がいいって聞いた事があるぞ」とアドバイスを入れる。発明王トーマス・エジソンが京都の竹をフィラメントにして成功したエピソードを思い出したからだ。

 加えて竹林妖精(バンブーエルフ)が居るなら、竹だってエルダに存在するだろうと言う単純な発想だ。

 

「機関長」

「あ、うん、フィラメントは開発部に伝えておこう」

 

 自分の世界に入り込みかけたギネスを見かねたラム・ラムが、ギネスの肩に手を掛けて注意する。幾つか目の運河を渡り、ポワン河の本流に突き当たる。

 今は三本に分かれているポワン河の内、東岸に渡る為の東の河と呼ばれている流れである。主に軍艦が利用するので、ギネス達にはお馴染みである。

 

「おうっ、開閉橋」

 

 目の前には跳ね上げ式の橋梁が掛かっていた。道板はハの字型に開いている。大型船、特に背の高い帆装を持つタイプには、橋もこうした機構が必要になるのだ。

 

「詳しいな」

「鉄道マニアだったんだ」

 

 その単語は軍曹達には分からない。

 蒸気機関の性能がもっと向上し、高圧かつ小型化が成立すれば鉄道は恐らく登場するのだろうが、エルダでは鉄道はまだ研究中だからだ。まずは水管式ボイラが発明されるまで待たねばなるまい。

 

「可動橋には幾つかタイプはあるけど、実物を見るのは初めてだよ」

 

 ユウは目を輝かせる。

 子供っぽいかも知れぬが、男の子はこの手のギミックが大好きなのだ。

 

「中央には昇降橋が、西の河には旋回橋があるぞ」

「うわぁ、見たい」

 

 ギネスの説明に益々盛り上がるユウ。ポワン河を横切るこれらの橋は領都の背骨とでも言える存在であった。大河を渡る大動脈であり、国内にある三箇所の街道の一つでもある。

 

「でかいなぁ」

 

 馬車なら四車線はありそうな幅の広さである。橋が跳ね上がっているので通行止めになっている為、手前で通行人や車が停まっており、人混みが目立つ。

 

「火夫は大変だなぁ」

 

 勇者は呟く。橋の欄干に設置された街灯群に火を入れる為、火夫の少年が斜めになった橋の上に取り付いて、道具を手に点火作業を行っていた。

 橋が上がっていても、街灯は点火する必要がある。まだ夕陽が照っている時間ではあるが、陽が暮れてから点火したのでは間に合わないから、夕刻に火を入れる必要があるのだ。

 その後ろを轟音を立てて、大型の帆船が微速で横切って行く。

 

「《バヤデール》だな。帰還したのか」

 

 軍艦の名らしき言葉を刻む軍曹。甲板には綺麗どころの美女ばかりが目立ち、縦帆の後で呪文を詠唱している魔導士らしき女性もびっくりする程の美女だ。

 ユウが見とれていると「あれは娼妓艦」とラム・ラムが教えてくれる。

 

「つまり、海上で性行為をする為の艦よ」

「えっち出来るの!」

「当然、だって乗組員は淫魔(サッキュバス)だらけだし」

 

 艦長から何から、エロくてセクシーな魔族である。

 これで艦隊の性欲を発散させ、現地での性的問題を解消してるとの事である。

 

「元々、海軍にはこの手の問題が多かったのよ。何せ、何ヶ月も船に閉じ込められ放しで、港に寄るまで女っ気無しで……」

 

 そして寄港する度に問題も起こしたらしい。

 

「で、サッキュバスを領民にした辺境伯が考えたんだけどね。これからは女性も海軍軍人になる時代だから、婦女子の貞操を護る手を使うべきだって、おかげで浮かぶ娼館がこうして走り回ってるって訳」

「憧れるなぁ」

「ユウは自分で買えるでしょ、お金はあるから。あれは軍人専用」

 

 勿論、エルダ的にユウは成人なので娼婦を買っても問題は無い。さっきのサッキュバスとのむふふを想像して、股間が勃起するのを認めたラム・ラムが冷や水を浴びせる。

 

「ちぇっ」

「娼館に行けば、サッキュバスも買えるわよ」

 

 ま、サッキュバスが居る様な店は目の玉が飛び出るとんでもない高級店か、安くても月給が消える高位のクラスの娼館に限られるのだが(笑)。

 〝海軍に入れば、サッキュバスを抱ける〟と言うのも、海軍が人気就職先の理由の一つだとの噂も、王国海軍の士気が高いのもそのせいだと言う説もある。

 

「今のお前は、お大尽でしょ」

「規制が解除されたか」

 

 橋が元に戻り、サイレンが鳴って入口のゲートが上がる。溜まっていた車両や人が動き出した。

 荷車、三輪車、そして歩行者が一斉に走り出す。元々、防衛上の理由でポワン河に架橋は禁止され、渡し船を使っていたのだが、領都は初めてそれを解禁したのだ。

 

「うーん、明日靴を買うわ」

「ん?」

「石畳だらけで、足の負担が大きいんのよ」

 

 硬質の脚をさするラム・ラム。良く見ると周囲のヤシクネーの殆どが、その六本足に靴下の様な形のカバーを付けている。中には編み上げブーツみたいなお洒落な靴を履いている。

 

「都会は舗装されているんだった。いてて」

 

 ラム・ラムの育った村の舗装は主な通りだけで、土や砂利道だったそうだ。当然、脚には優しい。ヤシガニでも固い地面には勝てないのかと意外な面を見たユウが不思議がる。

 

「無理するなよ。もう直ぐ宿だ」

「はい、機関長」

 

 軍曹が顔をしかめる部下を叱咤する。田舎育ちの為、素足で行動してしまったのを反省してるが、軍曹の方は素足である。それを指摘すると「鍛え方が違う」と呟く。

 

「野生児なんだな」

「領都に慣れてるだけだ。靴は買って貰えなかったからな」

 

 

〈続く〉




エルダと言うより、現在の中央大陸の政治は絶対王制と封建制の中間です。
王国って観念はあるけど、まだまだ地方の勢力が力を持ってる状態なので、かなり不安定です。江戸の幕藩体制に近いかも。外に〝帝国〟が存在するから、取りあえずグラン王家を頭に一致団結してるみたいな感じかな。
ここも独立してエロエロンナ公国と名乗ってももおかしくないんだけど、何故か、グラン王国の一員として従属してます。つーか、この辺境伯領他が睨みを効かせてるから、かろうじて王国が存続してる形ですね。国内が乱れては困るからですが、
そんな訳で、陸軍は軍装の装備統一が未だに出来ません。海軍は辺境伯軍中心だから、ここまで来れたのですが……。


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〈13〉

エルダ世界はそれなりに広いです。
まだ中央大陸の一国、一地方が舞台で他の大陸を含めると世界は広大です。
今は西大陸へ行くのがブームですが、開拓民は凶暴な竹林妖精(バンブーエルフ)と戦ってるみたいですね。怖いぞ、バンダ!


             ◆       ◆       ◆

 

 工作艦《マイムーナ》は海軍工廠に回されていた。

 機関長が任を離れたので、移動は操船科による帆装を使った。帆柱に帆を広げて風魔法で推進する昔ながらのやり方である。

 効率は良く、運航費も風魔導士一人分なので低価格だが、万が一にも担当が病気か何か、或いは敵からの攻撃で倒れた場合、にっちもさっちも行かなくなる弱点がある。予備の魔導士が居れば大丈夫なのだが、そんなに沢山の交替要員を雇うのは軍ならともかく、民間では経済的に不可能だし、推進効率の問題もある。

 個人の技量に頼るので、どうしても能力に上下が出来てしまう。

 特に曳船みたいな船は、前進や後退を繰り返すので風での推進が向かず、一定の馬力が必要なので、遂に海軍は蒸気機関を採用したのだが、初期型なので充分な力を発揮しているとは言い難かった。

 

「頭が痛いな」

 

 艦長室でヤノ大尉は頭を抱えた。

 

「今回の修繕は大規模じゃのう」

「缶も取り替えるらしい」

 

 副長のセイレーンは「ほぅ」と目をつり上げる。船が船渠(ドック)入りして〝陸に上がった河童〟と化しても、艦長と副長は責任者として乗艦を離れる事は無い。他の乗組員には休暇が出ているのに居残りである。

 

「前に電撃を浴びたのが、ここまで影響するとはのぅ」

「あの怪物にお仕置きしてやりたい気分だ」

 

 せいぜい塗装の塗り直しと失った碇の補充程度だと、高をくくっていたが、まず高価な時計が電磁波なる物を帯びて正常に機能しないのが調査で判明した。

 更にいい加減、使い込まれた機関に老朽化が報告された。艦内の計器類も異常が見られたので、こいつを一新する方向に決定したのだ。

 

「磁器コンパスが明後日の方向を向いたぞ」

「この船が河船で良かったのぅ」

「洒落になってないぞ」

 

 大海原で沿岸航行していなかったら遭難確実である。陸も見えない長距離航海をするケースは増えつつあり、海軍も長距離護衛に力を入れている。

 最近は昔の大航海時代みたいに、西大陸へ向けて新天地へ船出する連中が増えた。貧しさから脱出を計るべく、旧大陸から開拓に乗り出しているのだろう。

 

「しかし、爆雷が設置されるのは朗報じゃ」

「要らん装備かと思ってたが、これであの怪物に対抗出来る」

 

 水圧で爆発する新兵器だ。今まで人魚みたいな水棲種族かクラーケンの様な対化物用で、河船には縁の遠い存在であったのだが、あの〝ラミア〟のせいで一変した。

 自爆せぬ様にと細心の注意は祓う必要はあるが、これで水中に潜まれてもどうにかなる。

 

「改装が済むまでに勇者、戻って来るかのぅ」

「機関長に任せてある。最悪、戻って来なくとも宰相閣下は〝気にしない〟そうだ」

 

 今の《マイムーナ》は宰相府の指揮下にある。当然、勇者カスガも宰相府の管理下だが、その最高責任者がそう断言しているのだ。

 

「ほぅ、してその理由は?」

「世界に対する影響度が低いからだそうだ」

 

 宰相曰く、「技術者でも特殊能力者でもない」ので社会に影響を与える要素が余り認められないのだそうである。無論、「監視は必要ですが」とも付け加えたが。

 

「何か我々の知らぬ技術を持ってるなら、使い出はあるのぅ」

「昔のテラだな」

 

 数千年前、魔法しか持たぬエルダに技術をもたらしたのがかの英雄。先進すぎて。今では遺失になってしまった物も多いが、これが錬金術の基礎となる。

 

「製鉄転炉の技術や、電気の知識を持っていれば助かったのにのぅ」

 

 どちらもエルダで研究中の最先端技術である。鋼鉄の生産効率を上げ、魔力の一種と考えられる新たな動力源の利用法は、工廠でも多くの技術者が知恵を絞っている。

 

「転移者が、皆、テクノクラートではない証明だな。

 だが、わい・けい・けーの実物が手に入ったのは大きい」

 

 すくなくとも構造が解析出来れば、コピーも可能になろう。

 問題は精度だ。恐ろしく緻密すぎて手が出そうもない。規格を数桁単位で厳格化して造れる様に進化させないとならない。

 ようやく部品の規格化なる概念が浸透して、部材、そして捻子やナットを規格化した〝エロエロンナ規格〟略してエロ規格を導入した矢先、突き付けられた厳密化だ。

 これで隣の弩砲が壊れても、唐突にポンプの柄が破損したり投石で窓ガラスが割れても、予備部品交換で直ちに修理出来る体制を造り上げ、隣国より優位に立てると自負していたのだが。

 

「監視か。我々の他に誰かが勇者を見張って居るのか」

 

 エトナ中尉の声が下がる。

 艦長は頷き、「注目点はそこだな」と彼女に合わせて声のトーンを落とす。機関長は監視役だが、スパイみたいな能力は期待していない。穏当にお目付役に過ぎない。

 

「海軍諜報部か、宰相府の誰かか」

 

 うわさでは辺境伯はかなり優秀な間者網を持っているらしいが、

 

「災難じゃのう」

「勇者がか、それとも宰相か」

「どっちもじゃ。転移なるイレギュラーが起こらなかったら、誰もが平穏無事だったろうに」

 

 転移者がこの世界に現れるのは天災だと言い切る副長。

 

「もし、神様が実存するなら皮肉じゃのう」

「神?」

「そんじゅそこらの社に顕現する、地方神とは違うぞよ。世界を司る主神クラスじゃ」

 

 無論、地方の社に祀られているのも神だ。豊穣を祈願したり、厄災を避ける様に祈りを捧げる存在であるが、主神とは神の持つレベルで格が違う。会社で言うなら、代表取締役とか会長と部長・課長を比べる様な物だ。

 

「ああ、そう言えばエトナの家系は神職だったな」

「お主もそうであろう?」

 

 巫女装束に身を包んだヤノへ、皮肉っぽくエトナが指摘する。

 カレン・ヤノ。エトナ・パトラス。どちらも神職の家系である。東方系のヤノの家は皇国の正当なる社の血筋を引いており、砂漠の部族に育ったエトナは、オアシスを護る鎮護の一族で出であった。だから両者共に【聖句】呪文を操れる。

 違うのが艦長が艦医クラスまで魔法を進化させたのに対し、副長のそれは素人に毛の生えた程度しか、【聖句】を使いこなせない事だ。

 

「神か。介入があったのかと見るのか、副長」

 

 極彩色のセイレーンを見詰める艦長。腕を広げ、エトナはやれやれと首を振って天を仰ぐと、「気になってる事があるのぅ」と切り出した。

 

「神という奴は、人智の常識を越えた存在じゃ。これはお主も体験していよう」

「うむ」

 

 同意するヤノ大尉。実家やその他で神が顕現する現場に立ち会ってるから、それは判る。

 圧倒的な何かを持った存在なのだ。現世のどの様な力とも異なるソースを持った未知の何か。特に【聖句】を有した女性は敏感に察知するらしく、それが神が現れた際に素肌にびりびりと感じられるのだ。

 

「まやかしだ。気のせいだと一蹴する連中も多いがな」

「一般大衆は殆ど感じられぬからのぉ」

 

 気の一種だ。だが、皇国的な思想であり、唯物論が広まってる西方世界では受け入れにくいのであろう。もっとも、この二人も錬金術を嗜む海軍工兵なのだが。

 

「報告書にあった〝ラミア〟との遭遇じゃが、お主は何も感じなかったのかや?」

 

 この時、エトナ中尉は《マイムーナ》に乗り込んでは居ない。

 

「いや、特には……指揮を執るのに精一杯だった」

「気になるのは白い人影じゃ」

 

 勇者が見たとされるそれを指摘する。

 距離が遠かったのか、それとも角度が悪くて視界に入らなかったのか、艦長以下はそれを目にしてはおらず、付け足しの様に勇者の目撃例が記されているだけだ。

 

「まさか……」

 

             ◆       ◆       ◆

 

 大勢の通行者と共に開閉橋を渡りきると、夕闇の空は帳が降りて来ていた。

 ユウは魔物二人と並んで歩いていた。ヤシガニの身体は低いが、その頭部に立つ女性の上半身は大人の女性程度の身長がある。ピンク髪の方が笑いながら、「《スキュラ亭》かぁ、楽しみー」と話しかけてきた。

 

「老舗だっけ」

「領都が出来る前からのね。お食事が美味しいんだ」

「俺は魔物と行動してる方が信じられないよ」

 

 軍曹は「人間だ」と訂正するが、ヤシガニを下半身にしたアラクネーもどきが大きな鋏が付いた腕をひょいひいと動かしているのを見ると、違和感が半端ない。

 妖精(エルフ)とか土小人(ドワーフ)だのヒューマンタイプの異種族ならともかく、モンスター娘っぽい連中だと少し怖い。

 他に頭に獣の耳が生えた連中とか、下半身が馬だの蛇だのの連中が談笑しながら歩いている。両手が翼になった人間も立ち話をしている。夜になったから、飛行を止めた魔鳥(セイレーン)族だと言う。

 

「領都は四割近くがヒト以外だからな」

「それって多いのかい」

「ああ、普通は二割以下だぞ」

 

 辺境伯領が有力貴族になったのも、この亜人勢力のせいだった。

 ヒトに全く不人気の移住先であった東部域に、異種族が殺到して王国内での影響力が増大したのだ。人間が大量に要る生産でも軍事でも、これは大きい。

 

「辺鄙な田舎だったのが、増大する力を受けて一気に変わった」

「江戸だな」

 

 西から移封させられた徳川家が、関東の未開拓の江戸に居城を移した後、百万都市と化したのに似ているとユウは感じていた。

 確かに海軍と水運を把握し、巨大な生産量を駆使して経済を成長させたエロエロンナ地方は江戸に通じる所はある。だが、何でこう人外が多いのか。

 

「新しい地方だからよ。旧来のしがらみや偏見がなかった」

 

 ラム・ラムが補足する。王都に当たる西部域は人外も住んでいたが、確かに偏見や差別が大きい歴史があった。過去の騎馬民族の襲来から、人馬(セントール)族なんかは明らかに蔑視されていたし、獣人も数は少なく、現世に関わらない層が多い妖精族は自分達だけ独立して、ヒトとま交わるのは少なかった。

 

「ユウが述べる江戸は知らないけどね。それも新興地区なんだろ」

「確かに歴史は浅いな」

 

 江戸は近畿や東海に比べれば、歴史は浅い。住民も大半は地方からの移住者であって現地民は少数派である。まぁ、それから数百年も経ってしまったから、強固な地元意識は育ってしまっているが、建設当時の江戸は新参者ばかりだろう。

 

「住人に偏見が少なかったし、自由な雰囲気があったからじゃないか。

 あたしは今でも別の土地に行くと、居心地の悪さを感じるんだよね」

 

 海軍の軍人だから、時々、地方にも赴く必要があるが、雰囲気的に何か偏見を感じるらしい。住人がフレンドリーな東部域とは全く別の。

 

「沿岸地方はそうでもないけど、内陸は特にね」

 

 沿岸域は温暖な気候も相まって、南洋事件からヤシクネーが大量に移住している。彼の地の綿花畑の労働者として、大勢の者が従事しているせいもある。

 出産率のせいで子供が多く、低賃金労働者として綿花産業に重宝されているのだ。

 

「寒いと死んじゃうから、ヤシクネーって北方に殆ど居ないしね」

「北方か、あの山脈がある辺りか」

 

 グラン王国とマーダー帝国の境界にもなっている暗闇連山の麓辺りだ。春になると雪が解けて、ポワン河に氷塊混じりの雪解け水を流してくれる元凶だ。

 

「行った事ないけどね」

 

 ヤシクネー族は元々、熱帯か亜熱帯を住み家にしている為、極端に気温が低いと活動が鈍り、零下になると命の危険がある種族だから、北方には殆ど縁が無いのである。

 

「あたしさ、世界の色々な所を回ってみたくて海軍に入ったんだよね」

 

 遠い目をして彼女は語る。勿論「お給料と仕事の安定さでもこの職を選んだのたけど」とも呟くと、笑顔をユウに向けた。

 しかし、体質のせいで北方へ行った事はない。もし氷点下に遭遇すると死んでしまうから仕方ないが、北の風景を描いた絵画集は持っていると言う。

 雪という奴を本格的に感じてみたい。一応。エロエロンでも雪は見た事はあるが、直ぐに融けて本格的に積もったのを見た事は無い。

 

「脚は大丈夫なのか」

「あは、女の子の日の時よりは軽いよ。あたし、何か怪我ばっかりだね。」

 

 自嘲する。そして……。

 

「北へユウなら行けるんじゃないか。観て来てごらんよ。 

 お、到着だ」

 

 東岸の繁華街が見えて来た。領都の一番古く、歴史のある地区である。

 その中でひときわ大きな立派な建物。宮殿かと見間違えそうな門構えがある。軍曹が感嘆してごちる。

 

「《スキュラ亭》、入るのは初めてだな」

「でけぇ」

 

 無論、大きさだけではなく、内装も豪華である。

 玄関にはボーイが立っていて、一礼しつつ扉を開けてくれたし、この暗闇の中、あちこちに照明が輝いている。しかもシャンデリアみたいな豪華絢爛な奴で、青白い色調から魔力灯らしい。

 

「いらっしゃいませ」

「予約は入れていないが、三名泊まれるか」

「はい、お名前を」

 

 軍曹が正面のフロントで交渉を開始する。相手は人馬族の執事と言った感じの初老の男だ。

 

「工作艦《マイムーナ》機関長のギネス・スタウト軍曹だ。連れはラム・ラムとユウの二人」

「何と《マイムーナ》、キーラお嬢の艦ですな」

「一番安い部屋でいい。ん、キーラ曹長はうちの烹水長だが……」

 

 ここは確か曹長の実家であった。最高級宿の一つであり、曹長から「安い部屋でも豪華だぞ。お金の取り過ぎだって思うけどな」と、普段から冗談混じりに語られていた。

 交渉は済み、三人は部屋に通される。何か、一番安い部屋の筈なのに、見晴らしが良いのは気のせいだろうか。

 

「三級クラスの部屋で済みません」

「いやいや、充分に贅沢だよ」

 

 家具など調度も立派で、何と便所と浴室まで完備である。さっき、皆で浸かる大衆浴場の前を通ったから、この部屋が最下級の物では無いのは確かだ。

 

「キーラお嬢の知り合いに出来るのはこの程度です」

「烹水長、お嬢様なんだな」

 

 ユウの言葉に案内してくれたメイドは苦笑して、「はい、お嬢ですから」と述べると一礼して退出した。荷物を放り出して、一同は各々休憩に入った。

 

「伝声管がありますよ。機関長」

「ルームサービス用だな」

 

 軍艦でお馴染みの装備を壁に見付けてはしゃぐラム・ラム。ただ、軍艦と違って複線タイプでは無く、送受信一体型みたいである。ちなみに呼び出しベルはちゃんと付いている。

 

「ふかふかだーっ」

 

 寝台を飛び跳ねるユウ。軍曹は「お前は子供か」と呆れるとベッドを確かめる。

 大丈夫だろうが、敵の間諜が変な細工を仕掛けてないかである。最高級とは行かないが、反発性の効いた高級品だ。

 

「スプリングを使ってるな。やるな《スキュラ亭》」

 

 普通はこれらに気を遣わぬ固定式か、あっても竹素材で編まれた構造だが、スプリングを使ってるとは驚いた。

 鋼の量産は開始されているが、民間でこうした高張力鋼の針金を使うのは贅沢品だからだ。せいぜい、車両の撥条(サスペンション)に使われているのを見掛ける程度だろう。

 

「さすがは老舗」

「だけじゃないぞ。上等兵」

 

 寝台から顔を上げると、ギネスは「多分、この部屋も我々が烹水長絡みなのでスイッチされた筈だ。何故なら、最下級の部屋なら、もう一回上に昇らにゃならんからな」と上を指さす。

 

「天井裏?」

「であっても立派な宿だ。もっと酷いのは地下だが、こっちは従業員用だろう」

 

 従業員の生活空間はこうした地下だ。屋敷で雇われる使用人も同様だが、地下は大勢の人間を人々の目から隠すのに最適なのである。

 環境が良いとは言い難い、上階からの靴音は響くし、夏は暑く冬は寒い。

 

「ここなら天井裏も立派だろうが、気が付いたか」

 

 軍曹によるとこの部屋は西向きなので陽射しが照るのには難があるが、それでも最初にオーダーした部屋よりは遥かに上等らしい。日中は日陰になって暗いだろうが、そもそも一泊の予定なら支障は生じる事も無い。

 

「心遣いに感謝しよう」

 

 

             ◆       ◆       ◆

 

 翌朝、ユウ達は道を歩いていた。

 目の前に市壁がある。東岸と市街地との境界でこれを過ぎると領都の郊外となる。二重になっており、外壁は遺跡並みに古く、内側の奴が領都になった時に新設された壁だ。

 

「お食事良かったなぁ」

 

 夢見心地で語るのはラム・ラム。昨日の晩飯は素晴らしい食事だった。ローストした鴨のステーキがメインで、すっぽんのスープに高そうな赤葡萄酒が添えられる。

 付け合わせの白パンがフカフカで旨い。ラム・ラムは「旨い、旨い」とパンだけで何皿もお替わりしていたが、確かに一流の腕が感じられる素晴らしい夕食だった。

 

「凄く取られたけどな」

「そうなの?」

 

 未だエルダの金銭感覚が無いからか、ユウは首を傾げた。

 ギネスは自分の財布からではないので懐は痛まないが、それでも宿泊費込みで大銀貨3枚なのはびっくりだ。それだけあれば、頑張れば半年は暮らせる。

 最下級部屋の料金で据え置いてくれてもあの値段だ。もう二度と、あの宿に泊まる事はないだろう。老舗、恐るべし。

 

「ごちになりました~」

「調子良いな、上等兵」

 

 にこやかに笑う彼女に突っ込みを入れると、「これからどうする?」と軍曹は尋ねる。ユウの方にも振り返り、「行きたい所でもあるか」と聞いてみる。

 

「あー、特に無いな」

「あたし、妹の所に寄って行きます」

 

 双方の返事がハモる。ハースト家に行ったラナ・ラナ以外に、まだ数人の妹が領都に居るのだろう。ギネスはピンク髪のヤシクネーを見る。

 

「東岸に居るのか」

「昨日話題になったララ・ララです。塩田の人夫ですが、経済的にかなり苦しいらしくて……」

 

 少しばかり寄り道しても構うまい。勇者があの有様なら、社会見学の一端としても無駄にはなるまい。軍曹は予定を決めた。

 

「良し、付き合おう」

「その前に靴屋に寄っていいですか」

 

 昨日言っていた事か。

 

「早くしろよ」

 

 返事と共に幾つか開いてる露店へ駆け込んで行く。

 雑貨は店舗を構えている店より、こうした露店の方が安い場合が多いからである。店舗には税金が掛かるから、商品は高めになるが信頼度が高い。

 露店は逆だ。直ぐに畳めるから、粗服品を売り抜けてトンズラする様な危険がある。だが、そこはリスクを天秤に掛けての選択だ。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「んーっ、負担が減った」

 

 六本の脚に履いた靴を誇らしげに見せびらかしながら、ラム・ラムは履き心地を確かめている。靴はゴム引きの底部はショックを和らげてくれる。

 

「靴って靴下みたいな物か」

「失礼な」

 

 六本の脚に装着しているヤシクネー用の靴は、ユウの言う通り、靴下みたいな構造だったが良く見ると地下足袋風でちゃんと靴底がある。

 外は革製のブーツみたいな外見たが、ゴム引きで濡れた所も大丈夫そうに見える。これなら反発力で固い地面の衝撃を防いでくれそうだ。

 

「靴を買ったのは子供以来だなぁ。もう少しシックな色合いが欲しかったれど……」

「楽しいのか」

「うんっ」

 

 形と機能は満足だが、真っ赤な色が気に食わない。だが、この派手な色のせいでずっと売れ残っていたバーゲン品なで、結果的に安く買えたので文句も言えない。

 舗装の多い都会のヤシクネーなら履いてる者は皆履いてる靴だが、貧乏な彼女にとって久々のお洒落なのだ。色の点は気になるが、形はファッショナブルなので満足度は高い。

 

「女の子なんだなぁ」

 

 楽しそうに浮かれる姿を見てユウは呟く。

 魔物であっても普通の女の子とおなじく、身に纏う靴みたいなファッションに敏感だ。二十歳をとうに超えている筈だが、反応は若い女の子その物だった。新しい靴に心を躍らせている。

 

「で、塩田だから街の外だな」

 

 市壁の向こうを指さすギネス。

 早朝の陽射しを浴びて、広場でくるくる踊ってるラム・ラムの様子を無視して、事務的に用件を進める。東岸も河からこれだけ離れると空気が乾燥している。

 

「今の時間は仕事に行ってますね」

「じゃあ、塩田の方へ行くか」

 

 城門を抜ける。海軍の二人は徽章を見せればフリーパスだが、ユウだけは呼び止められて質問を受けるのは、市民でも軍人でもない〝余所者〟な為である。

 

市警(シティガード)に税金で小銀貨1/4も取られた」

「高いな。街道税分取られたか」

 

 小銀貨は銅貨千枚に当たり、半小銅貨はその半分、銅貨五百枚相当の大金で、1/4は二百五十枚に当たる。エロ銀貨とも呼ばれる鋳造貨幣を1/14に割っただけで半銀貨はこれが1/2になっただけだが、通貨として通用する。

 銅貨二百五十枚、或いは五百枚相当のコインを設定しないだけなのかも知れないが、ちゃんと流通しているらしい。切り口は意図的にギザギザになっており、コイン同士を合わせるとぴったり一致している為、意図して加工しているのが明白である。

 ローマ時代の貨幣にも似た物があるが、歴史に疎いユウは知らない。

 

「街道税って?」

「西岸から河を横断したって判断されたんだ。ポワン河を越えるのは税金が掛かる」

 

 大河を横断させるには金が掛かる。渡し船を整備するにせよ、橋を架けるにもだ。だから収入として市税を取るのは大切な仕事になる。

 現代人はついつい忘れがちだが、無造作に置いてあるインフラだって只じゃないのだ。

 

「小銀貨1/4は高いなぁ」

 

 小銀貨の価値は銅貨千枚。1/4なら銅貨二百五十枚分、《ヴェルデ広場》で食べたつくねなら百ニ十五本分、ダルダル・ステーキなら五十皿は食べられるのを思い浮かべて、ようやく金銭価値がユウにも理解出来た。

 

「払えただけでもラッキーだぞ。払えられなきゃ、下手すると豚箱行きだ」

 

 市警は都市の治安とかを司っている民兵だ。市民生活に密着してる分、水道局やら火消しとかにも顔が効くから、ある意味、軍なんかより敵に回したくない相手である、

 

「酷ぇ」

「だから貧民は河を渡らない。渡っても市壁から外に出ない。

 まぁ、ユウは我々が説明してやるから、豚箱行きは免れそうだがな。宰相の名を出せば何とかなりそうだし」

 

 渡っても領都内で全てを済ますと言う意味だ。西岸、又は東岸から領都に入っても中州で全ての用事を済ませて、決して対岸には渡らない。だから同じ領都民でも、対岸の街を見た事が無い住人だって存在する。

 

「金はあるんだ。けちけちするな」

「確かにまだ金貨はあるけどさ」

 

 軍曹の指摘通り、彼の腰に下げた革袋には金貨が充分に残っている。しかも、消費金はまだ金一枚未満だ。宰相の渡した額はそれだけ膨大と言う訳だ。

 

「砂漠だ」

 

 ふと気が付くと目の前に真っ白な砂が広がっていた。

 

 

〈続く〉




跳ね橋は船を通行させる為の物。ポワン河は大河で昔から、東の防衛線でした。大井川みたいに昔は架橋が禁止されていました。でも架橋に当たって船を通す必要が出たのです。
無論、渡し船も可能でしたが陸に対して輸送効率が落ちます。街道は全市を貫いて東西両岸を縦断する必要がありました。で、解決法が開閉橋でした。旋回橋など色々あります。動力付きもあるみたいです。


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〈14〉

いよいよ市外です。
東岸は砂漠地帯。本来領都はこっちが先に開発されたのですが、主な取引先は全て西岸なので、市場は西岸に移っています。
造船所が多く、工業地帯か下町の趣きもあります。


「嘘だろ……」

 

 市壁を越えたらそこは砂漠だった。

 しかも見事な砂砂漠である。白い砂は太陽を浴びてきらきらと輝き、砂の中に雲母か何かの硅素質が混ざっている様だ。遠目には幾つかの建物も見えるが、蜃気楼が作用しているのかゆらゆらと揺れて、明確な形が確認が出来ない。

 

「ポワン河から東は、海岸から内陸までずっと砂漠だ」

「西は普通の土地だろ」

 

 確か小麦とか野菜畑が広がっていた気がする。でも、こっちは見事に砂漠である。見渡す限り、ずっと砂砂漠だ。

 

「精霊力の違いだな。ここらは炎と風の精霊力が強い」

「精霊王でも居るのかよ!」

 

 無茶苦茶な説明に、ユウが叫ぶと軍曹はあっさりと「居るぞ、精霊王」と答えを返す。土地には精霊の力を持った存在が普通に住んでいるらしい。

 

「ここら出身の副長が方が詳しいんだけどな。精霊王。

 砂漠の部族の巫女一族だから」

 

 エトナ中尉は砂漠のオアシスを守護していた有力部族の出であるそうだ。あくまで話であるが、ここの精霊王は具現化すると、ばかでかい炎の巨鳥みたいな姿になるらしい。

 

「塩田は海岸寄りにある。砂に海水を撒いて塩を作る施設だ」

「知ってるよ」

 

 一応。概念は知っている。確か朝ドラとかで見た事もあるが、専門家ではないから良くは知らない。詰まる所、海水から水分を飛ばして塩を作る施設である。

 砂漠にあるから太陽熱を利用しているのだろう。ララ・ララと言う女の子はこの塩田で働く、塩田職人なのだろうが、何の仕事をしているのかはまだ説明がない。

 

「塩は領都の特産品よ」

 

 ラム・ラムが説明してくれる。

 今は他にも特産が多いけど、初期の頃は海塩を取引材料に|領都(てな名前ではなかった寒村だったけど)は貿易を行っていた。その昔、中原は岩塩を用いていたが、安価な海塩がこれに取って代わる原動力になった物だ。

 

「大量生産して値段を下げたら売れたのよね」

 

 海岸近くの村でも製塩は行っていたが、とにかく、これが大規模にやった事は無かったから価格破壊が起こったのだ。

 だって太陽光たっぷりの砂漠だから元手も要らぬ。だから安価だったのだ。

 塩は売れた。国外でも国内でも売れた。水運で大量に内陸に運ばれた海塩は大流行になった。売れすぎて、岩塩を産出する領地から工作員やら刺客が送られる程、売れた。

 

「もし第四次大戦がなかったら、危なかったかも知れんな」

 

 大戦と言う名の戦争は、隣国マーダー帝国との戦いだけに使われる。西方の二大大国が戦った戦争である。第一次から第三次までは一進一退の戦いで、一番は旧い戦いは数百年前の建国当初まで遡る。

 結果は大国同士だけあって一進一退でどっちかの本国を屈服させるまでの決着付いた事は無い。途中でどちらも力を使い果たし、手打ちになるのがパターンである。

 

「戦争中だから、お目こぼしがあったって事か?」

「普通なら、経済の構造を変える様な変革は嫌われる」

 

 そりゃそうである。流通革命なんぞ既存の組織にとっては敵その物だ。

 只でさえ商業ギルドが強い世界だから、それだけ保守勢力の既得権益が強いのだ。が、時期は戦争中、味方を攻撃するのは国家にとっての利敵行為になる。

 

「国が領主を擁護したのだろう。その頃、領都に軍港の建設をしていたし、天才技師として艦隊も整備していたし、彼女が没落して貰うと困ったんだろうな」

「タイミングが良かったんだな」

「まさか、水運の一大拠点になるとは思わなかったんだろうな」

 

 当時の輸送は陸上がメインで、東の辺境にあるここは誰も住まない田舎だった。

 だから住民を募集しても集まらず、やむを得ず、移民は亜人に頼る事となるが、それが逆に都市を発展させる原因となるのは皮肉である。河の根元を抑える事で積み替え港として勢力を伸ばし、石鹸や造船なんかの工業を興して今は国内の一級都市だ。

 

「ありゃ、道が途切れた……」

 

 市壁の門を出ても東へは直接進まない。大通り風の街道が一直線に続いているが、それが見えるのは門から暫く行った所までで、末端は砂の海に消えている。

 

「砂の下よ。

 幾ら整備しても砂中に埋没するから、今は門の入口だけ清掃しているそうよ」

 

 風が強いと一晩で幾つも砂丘が出来てしまうから、道は数キロ続いているにも関わらず、門の前以外は放置が基本である。この先は〝砂漠街道〟とも呼ばれている東西の交通路なのだが、舗装路を整備するのは挫折したらしい。

 中原を越えて、隊商はキャラバンを組んで砂を越えてくる。

 

「東岸は中原色が強い。隣国の帝国の影響もある」

 

 マーダー帝国も砂漠文化圏なので、文化的に中原の影響が高いそうだ。

 ぽつぽつと彼方からラクダを連れた人々がやって来る。砂漠地帯に暮らす遊牧民で首に付けた鈴をならしながら、羊みたいな動物の群れを連れている。

 

「《スキュラ亭》も砂漠越え商人の隊商宿(キャラバンサライ)だったそうだ」

 

 今は高級ホテルでございって顔をしているが、貧しい寒村だった頃はターゲットを隊商に定めないとやって行けなかったのだろう。

 めえめえ鳴く羊を横目に見ながら、ギネスの説明は続く。歩みは東ではなく、海岸寄りの南方向に変わっていた。塩田があるのはやはり海沿いらしい。

 

「あれ?」

 

 ユウは市壁沿いに歩いてて気が付いた。砂漠と市壁の間に何か建造物が建っている。モンゴルのゲルみたいなテントとか、バラック建ての貧相な小屋とか。

 

「話しただろう。スラムだよ」

 

 ラム・ラムの説明に、昨日、貧困地区を通った際に話題に出ていた物だった。

 

「市民じゃ無い奴が、市壁の外で生活してるんだ」

 

 言われて見れば身なりも何処と無く貧相だ。だが、活気はあって賑やかな感じはする。貧しいだけで決して停滞してるって訳ではないみたいだ。

 

「景気は良いからね。でも多くは市民権がない」

 

 都市の一員になるには戸籍が要る。でも都市は一定以上の人間を養えないから、都市で働きたくて職を求めて来た人間も拒絶するのだ。だから郊外にこうした溜まり場、非公認のスラムが誕生してしまう。

 

「西岸の方が規模はでかい。門前町として非公式な街が出来ちまってるからな。それに比較すれば東岸のこれなんて可愛いモンだ」

「千人は暮らして居そうだけど」

 

 ちょっとした街である。しかし、市民ではないから基本的な生活に保護はない。

 街灯や井戸みたいな生活インフラは用意されていないから、自力で何とかしなきゃならない。これが領都だったら、公式な公共事業として供給されるのだろうが、市民ではないから適用の範囲外だ。もっとも彼らも税金を支払ってないから当たり前だけど。

 

「市民には義務があるのよ」

 

 ラム・ラムが言った。市民権は審査が必要になると。

 

「単に都市に来ただけじゃ、何時までも〝余所者〟だわ。今のユウ、旅行者もそうね」

「俺は旅行者?」

「どっかの戸籍があって、身分が保証されてる者かな。

 宰相から身分証、貰ったでしょ?」

 

 金貨に二十枚でファスナーを譲った際、ミキ・ラートリィがくれたのを思い出す。金貨の革袋に突っ込んだままで、先程、市壁門の市警に見せたばっかりだったが。

 

「宰相府が身分を旅行者として保証してくれてるのよ。期間限定だけど」

「本当だ。一年限定になってる」

 

 身分証を確認して有効期限を認めるユウ。数日で簡単なエルダ文字なら少し勉強しているから、かろうじて数字なら理解出来る。一応、ユウだって努力家なのだ。

 しかし、証書に写真なんかは当然ないので、どうやって本人なのか確認するのかまでは判らない。

 

「一年で報酬が尽きると計算したのでしょうね」

「使い込めば、どんな財産だって一瞬だよ」

 

 反発を受け流しながら、ラムは「一年過ぎたら、再発行が必要になるよ」と教えてくれる。無論、今回みたいな只じゃない。〝それまでに身の振り方を何とかしろ〟とでも言外で言ってると言う意味なのかとユウは気が付いて青ざめる。

 

「スラムか。もしかして、ここに住む事になるのかな」

 

 周囲を見回してため息を付く。

 

「どうかした」

「い、いや」

 

 勇者なるブランドが通用するかと思っていたが、どうもエルダではこいつが無力な存在であると判って来たからだ。それを悟られない様に何とか誤魔化す。

 

「?」

 

 歩いていると地面の固さに違和感があった。

 砂地なのに足が沈まないし、しっかりした土台でもあるのか地面が固い。

 

「スラム地区を離れてご覧よ」

 

 それを指摘するとラム・ラムはそう言った。防風・防砂林になってるらしいヤシ林の外へ出ると、途端に足元が不安定になる。

 

「スラムを領都が黙認しているのはこの為だ。スラム街は土を作るのさ」

 

 軍曹が説明する。人々が生活すると廃棄物が生じる。それが腐って土が作られるのだそうだ。無論、ただ単に風化に任せるのではなく、土を形成してくれるミミズとか虫の力が必要となるのだが、人々が生活してくれる居住地には、彼らが共生し易い環境が作られルるからだ。

 

「オアシス近辺の村とか、砂漠に出来る居住地も同じだぞ。人々が集まって生活する内、だんだん土が形成される。やがて畑も耕作可能なる」

「もっとも、長い月日が必要になるけどね」

 

 ラム・ラムが補足し、辺りを見回しながら「ここまで土地が広がるのに、数十年は掛かっているだろうね」と告げる。砂漠を緑化する事業をスラム街は自然に進めてくれるからこそ、こうして移民者の不法対滞在地区を放置しているらしい。

 西岸は東岸とは違った自然環境なので別の理由があるが、こっちは正式な市街地として整備が進められているそうだ。もっとも、領都に編入されると公共サービスを受けられる反面、税も支払わねばならず、徴兵義務とか法にも従う必要が出るので反対運動も多い。

 

「あれは何?」

 

 市壁の周囲を取り囲むスラムの中に、ユウは面白い物体を目にした。

 土の山だ。丘みたいな形でこんもりと盛り上がり、表面には無数の穴が並んでいる。洞窟かと思ったが、粗末な扉みたいのが備え付けてある物件もある。

 

(ハイヴ)だ」

 

 軍曹は素っ気なく言うと目を逸らした。すると穴の中からヤシクネーの子供が這い出してくる。瞬時にこれは彼らの住居なんだと理解する。

 

「ヤシクネーでも最下層の貧民は土に穴を掘って巣を確保するんだ。土の壁が寒暖も防ぐし、ただ寝るだけなら問題は無いわよ。但し、狭くて私物は殆ど持ち込めないし、煮炊きも出来ないけどね」

 

 掘りつつ糸を吐いて土を固めるのだそうだ。無論、耐久性は低く、風化で一年と持たないが、壊れたら手直ししながら住み続けるのだそうだ。糸が凝固剤になるので雨とかは弾くが、

 

「巣も崩れれば土になる。だから巣の設営は顔役から奨励されている」

「顔役って」

「地主。土地を仕切る親分みたいな奴だ」

 

 幾ら領都外でも、お上からしたら不法の土地占拠である。エルダでは個人での土地所有は士族以上の階級でないと認可されない。一般人は土地所有者から借りる形で金を払う必要がある。

 

「で、ここらの土地を所有するのが顔役って連中だ」

「地回りか」

「うむ」

 

 暴力団の事を連想する。実際、地所代をそんな風に徴収している連中だって存在するだろう。

ちなみにヤドカリみたいに鋏で穴を塞ぐが、最近では不法侵入を防止する為に前面に扉を設置するのが流行ってるそうだ。

 

「小金を持ってるのも増えたせいかな。鍋釜もあるしね」

「鍋泥棒?」

「売ればお金になるわよ。銅製の奴なんか特に」

 

 現代では鍋釜の廃品なんか、誰も見向きはしないのだが、どうやらエルダでは金属資源はまだ高価みたいだ。江戸時代みたいに火事の焼け跡に釘拾いが殺到するのかも知れない。

 とにかく、最近は貧民でも私有財産が増え、巣に置きっ放しにする者が増えて泥棒も出没するとの話である。

 

「昔は身一つだったからね」

 

 手に入れた食料も生で食べてた。椰子の実は無論、野菜、魚や肉に至るまで、自前の鍋や釜を持たないから料理出来ないからだ。そして火を起こすにも金が掛かる。

 串焼き料理は器具が不要だから、貧乏飯の代表だと聞かされる。そこらの枝に具材を刺して、ただあぶれば完成だからだ。

 

「料理する様になって、病気になって死ぬ者も減った」

「行政は何してるんだよ!」

「スラム街だぞ」

 

 怒るユウに軍曹は「市民以外の奴に金が投下されるもんか」ときっぱりと答える。市壁の外、ここは行政の適用外なのである。

 現代日本だったら、不法滞在者でも何等かの措置が執られるだろう。。しかし、エルダ世界では市民権を持たない、或いは何処の領民でも無い人間は、〝無い者〟として処理されてしまうのだ。

 何処も領民以外を養う余剰の力が存在しない為だ。

 

「まぁ、疫病でも派生したら動くわね」

「え」

「スラム地区の撤去よ」

 

 人々を救済するのではなく、疫病の原因である不法居住者を追い払い、焼き払うなりを行って土地を整地してしまうのである。

 追い払われた難民の事は知らんぷりだ。不法に住んでるのが悪いのである。一応、聖教会が慈善で食料配布とかもしてくれるが、ただそれだけだ。公共の補償は一切無い。

 

「酷すぎる」

「では勇者よ。お前なら、こいつらを救えるのか」

 

 キネスは『意地の悪い質問だ』と内心思いながら問うた。色々試行錯誤して現状で最善の策、妥協案がこれなのだ。

 それは誰でも人間が死ぬのや、不幸になるのは防ぎたい。だが、全ての者を救うのは不可能だからだ。使える予算は限られているし、やろうと思えば、湯水の様に金を溶かす事も可能だから、何処かで誰かが手綱を取って制限を加えねば成立しないのだ。

 

「まず独裁政治、貴族政治を止めて民主的に皆が参加出来る政府を造って……」

 

 ユウは理想を語り出した。

 

「貴族を廃する?」

「偉そうにしている奴が、自分を特権階級だと思い民で富を集め、民を虐げて好き勝手してるんだろう。そんな物は要らないんだ」

 

 現代日本人の持つ貴族のイメージを語る。ベルサイユ宮で毎晩豪華に夜会を催し、市民に重税を課して塗炭の苦しみを与えながら、「パンが無いならお菓子を食べろ」と傲慢な言い草で発言する貴婦人。それが彼のイメージだった。

 

「全ての民衆が参加出来るしなきゃ」

「特権を剥奪された貴族はどうする?」

 

 黙ってる訳は無い。彼らは無力な民草では無く、その下には彼が庇護する領民が居る。

 

「大人しくして貰うさ」

「反乱が発生するな」

 

 内戦だ。それに乗じて外国が攻めてくるだろう。

 曲がりなりにも平和だった世界が、血で血を洗う地獄と化すのだ。

 

「皆で平等な社会を……」

「無理だな」

 

 皆が参加可能な政府っての無理だ。何故か、現代日本の政治が最新で他は時代遅れで間違っていると考える奴は多いが。それに必要な条件が全く整っていないのだ。

 

「どうやって? 富む者から財産を奪って貧者に与えるのは誰だ。リーダーは?」

 

 それを成すべき力はあるのか、旧ソ連にはボルシェビキなる暴力装置があったが、それに相当する力を持った存在が、今のエルダに存在するのか。

 運良くあったとしても、そいつが権力を奪取した後、単に後釜に座ろうとするだけではないか。旧ソ連みたいに。

 旧支配者を倒した後は、彼の国は一個人の独裁だった。

 

「俺が……」

「だいたい、投票とか無理だぞ」

 

王国は識字率は高い方だが、大量に存在する文盲は文字を読めないし、書けないから候補者へ投票も出来ない。それに下層の大衆が候補者の事を理解しているかも疑問である。農民が気にしているのは明日の作物の実りで、候補者の存在など頭を占めているとは思えないからだ。

 

「農家で大切なのは日々の生活。水やりだの、雑草取りだのの方に頭が一杯で、せいぜい貼られたポスターの似顔絵を見て〝こいつ顔がええなぁ〟程度の認識になるな」

 

 農民は農作業が機械化して、余暇が生まれない限り、他の事に気を遣う余裕が無いからだ。別の事にかまけていたら、たままち生活が破綻する。

 

「酷いかも知れん。だが。領主様が領民以外を放って置くに理由がある」

 

 軍曹は言い淀んだが、「これは知り合いの貴族様の言葉だが……。自分の領民、自分の為に力になってくれる味方を助けるのが領主の仕事だそうだ」

 

「それ以外は」

「味方とならぬ以外は斬り捨てる」

 

 当たり前と言えば、当たり前だ。仮に歩いていて、何処からか現れた乞食の大群が「金をくれー」と纏わり付いて来たら、貴方は素直に金を渡すのだろうか?

 乞食が手に手に武器を持って、「金を渡さねば殺すぞ」と脅迫でもして来たら、身の安全の為に金を出す事はあるだろうけど、それ以外は無視せざる得ないだろう。

 

「暴力装置を持たない集団には応じない。それが世の中の理だな。

 味方でもなく、力も持たない連中に金は出さない。その金を領民に使って少しでも生活を改善させる方が有意義で、回り回って自分の力になるからだ」

 

 何故か、スーパーのレジに並んでると自分の篭に勝手に商品を入れて、会計後にちゃっかりその商品をかっ攫って行く悪ガキを思い出した。当然、お代はそいつが払っていない。

 

「領主とて同じだよ。領民は救うべき味方だ。だから手を差し伸べるが、それ以外は救う義務はない。だから斬り捨てる」

「でも」

「誰が財源を用意するんだ。金は無限に出て来ないぞ」

 

 痛い所を突くギネス。

 下士官は艦の財政に関わる所がある。勿論、専任の主計は士官ほどの権限は無いが、兵と違ってここらの内実にも触れられるのが責任者の性質だろう。

 《マイムーナ》は小型艦だから主計士官は副長兼任だ。そして、彼女はいつも愚痴をこぼしていた。金庫から予算をだす時、「もっと予算が欲しいのぅ」といつもぼやいていた。

 給料日に乗組員に支給する時に見る姿だ。そうして取り出した金袋を各班長に配るのだ。

 

「公共の金は領地からの税金だ。税出す人間に還元するのは当然だ。

 役人は無論、軍隊や市警もその為にある」

 

 税も払わない人間は救う価値も無い。非情であるがそれがエルダ人の結論だった。

 

「そりゃ、助けられれば助けたいよ」

 

 ラム・ラムが口を開いた。

 

「でも、『そいつらの為にお前が犠牲になれ』と言われたら、あたしは綺麗事なんて撤回するね」

 

 そう、ぴしゃりと述べる。

 

「一番は結局、自分なのか」

「そうだよ。余裕があれば手を差し伸べるかも知れないけど、貧しいあたしらに他種を救済する余裕なんてありはしない」

 

 バイは一つ。両者に分け与える余裕は無い。どちらも貧しく、他者に利益を分けられない。自らを犠牲に? そんな自殺願望の輩が居るならビックリだ。

 領主は考える〝ならば役に立つ方を優先し、もう一方を無視する〟しか選択肢がないではないか。最善の道として。

 

             ◆       ◆       ◆

 

「俺は無力だ」

 

 勇者は力なく呟いた。勇者として別の世界に来たからには、大勢の民を救って英雄に相応しい葉働きをしなきゃなせなかったのではないか。

 

「パンドーラじゃ、そのつもりだった」

「役目が違うんだろ」

 

 あっけらかんと軍曹は言う。そして「元の世界での役割は何だったんだ」と問う。

 言われて見ればただの高校生だ。しかも、成績もヘ平均下の劣等生。到底〝勇者〟を名乗れるステータスは持っていなかった。

 

「世界によって与えられる役目が違うと思うぞ。

 もとの世界では単なる学生。パンドーラでは勇者。ではエルダでは?」

 

 そう言われると悩む。ファンタジーな世界へ来たのだから、前と同じく勇者のつもりだったが、ここでは肉体的にエルダの住人とはさほどの違いは無いみたいだし、特に強い装備なんかも入手していない。

 一応、バンドーラから引き継いだアイテムもあるが、ああっ、腕時計じゃ無くて魔剣〝ツヨイケン〟を所持してれば、この世界でも!

 

「あのな、人は全てを助けられないんだ」

「軍曹」

 

 ユウの肩を叩くと、ギネスは足早に彼を追い越して先に出る。もしかすると真面目に語る顔が見られたく無いのかも知れない。

 

「何かを成す為には、時には何かを選択する必要がある。

 あたしもそうだった。自分が生きる為には時には姉妹を見捨てる事もあった」

 

 そして「あたしは一度、姓が変わってる」と呟いた。この世界で姓が変わるのは結婚した後に、相手の家へ嫁入りするのが主だが、それ以外の原因も実は多い。

 

「貧しくも和気藹々な家族。でも、あたしは生家を捨てて、スタウト家に入った」

 

 養女。これが姓が変わる主な理由だ。養女となれば、姓が雇傭主の名になるのだ。

 

 

〈続く〉




市壁に沿ってスラム街がベルト状に広がっています。だから、市壁から100m前後は土が形成されています。難民キャンプみたいな感じ。
一応、暮らせるだけのインフラは自主的に整えてます。共同調理場とかね(有料)。
椰子の木は防砂林。無論、実は食料に、幹や葉は建材として利用されています。大体、十五年ほどで最盛期が過ぎて実を付ける効率が落ちるので、その頃に伐採するそうです。公共林ですが勝手に所有権を主張する奴も居るみたい。
ヤシクネハウスに住んでる者も居ますが、あれは背負って移動可能なので昼間は見当たりません。夕方になると出現します。


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〈15〉

身の上話はギネスやラム・ラムにとって黒歴史です。
本当は語りたくないのかも知れません。しかし、異世界人に語ったのはもしかすると現状を変えてくれるかも知れない希望を持っていたのでしょう。全てを選択出来ない世の中に、不満を抱きながらも生きるしか無いのですから。



「何故」

「何故って、生活が苦しく、いつも飢餓状態だったからだよ」

 

 苦笑する。『ああ、この男は本当の貧困を知らないんだ』とも思う。

 母さんは頑張ってくれたけど、毎日、ほんの少しの食事。姉妹で雑魚寝の毎日。路地でぼーっと空を眺めて『何か食べたいな』と空腹を抱える日々。

 

「そんな時、あたしは養女の話を耳にした」

 

 士族のスタウト家の物であった。農家で村を経営してい名主だった。

 待遇は普通だが、少なくとも明日の食事には困らず、住まいと寝床もある。しかし、募集人員は僅かに一人。元々、決まっていた人間が何かで欠員が出た臨時募集だった。

 

「その話があった時、あたしは誰よりも先にその地位を確保しようと売り込んだ。姉妹達に取られる前に助かりたかったからだ」

 

 毎年子供は何人も亡くなる。特に冬は一度に複数人が死ぬ。

 大半が栄養失調だ。姉妹が寝床に入ったら、翌朝、事切れていたのも珍しくない。

 

「身勝手だと思うだろ。

 でもな、温かい食事とフカフカの寝床。それが手に入るのなら、姉妹を出し抜くのも厭わなかった。あたしより幼い妹も多いのにさ」

 

 ギネスは自嘲した、姉妹達は可愛い。妹などは護ってやるべき存在であったが、食事の時にはライバルになる。おかずの取り合いなんかは日常茶飯事で、喧嘩になる事も珍しくない。

 だから、家の人減らしも兼ねるだろうその案に乗るのに躊躇は無く、むしろ、好条件の養女枠を他の誰かに取られるのをギネスは恐れた。

 

「無事に大人まで生きる為だ。そう決心して、家を捨てたあたしは養女に名乗りを上げた」

「なれたの」

「今の名がギネス・スタウトってんだから、察しろよ」

 

 だが、誤算はあった。てっきり郊外の誰も知らぬ農地で働くと思っていたが、配置された場所は領都の中であったのだ。そこの寮に住む事になった。

 スタウト家は工場も所有していたのである。ヤシ農園から獲れたアブラヤシをバーム油に加工する製油工場だった。しかも、自家の近く。

 

「姉妹からは冷たい視線を浴びたな」

 

 時々、嫌がおうでも姉妹と出会う。姉達に裏切り者として私刑(リンチ)にされかけた事もある。だが、その年の冬、同期で生まれた姉妹の何人かは死んだ。だからその一人にならずに済んだのを。殴られてもギネスは歯を食いしばって耐えた。

 

「そんなあたしから見たら、妹の面倒見てるラム・ラムは凄いと思う」

「ああ、今日も……」

 

 小声で呟くと後ろを歩くラム・ラムにちらりと渡船を移す。

 ユウは頷いて、『これから妹に会いに行くんだからな』と思う。塩田の作業員と言う職業は良く判らないが、もしかしたら海水を砂漠へ撒く仕事なのかも知れない。

 

「本当は全ての姉妹を助けたかったよ。でも、出来なかった。あの時、家族を捨てなかったら、あたしはこの世の者では無かったかも知れない。

 最善の方法を探って選択した結果がこれだったからだ」

 

 権利は姉妹の誰かに取られ、ギネスは凍死していたかも知れない。

 

「人は全てを助けられない」

 

 再び彼女はそれを繰り返した。大勢を助けられればそれに越した事は無い。だが、そんな余裕が無い場合、何を優先し、何を斬り捨てるのかを決断しなければならない。共倒れになるのを防ぐ為、時には大の虫を生かして小の虫を殺す決断が必要な時もあるからだ。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 市壁に沿って南下すると、うっすらと海岸線が見えて来た。

 既に市壁とスラム地区は途切れている。

 

「湿っぽい話になったな」

「そんな……」

「身の上話なんか、する物じゃ無いな。

 異世界人を試そうとする意地悪な質問だった。すまん」

 

 しかし、ユウには自分と異なる異界の人間の考えから、軍曹の考え以上の解を答えてくれる可能性を知りたい様にも見えた。

 もしかしたら、全てを叶えてくれる様な夢の解決法もあるのかも知れないと期待してだ。無論、凡人の自分には答えられなかったが。

 

「さて、どっちだ。上等兵」

 

 軍曹は話題を変えた。右手にはポワン河が緩やかに流れている。河口はまだ先だが、ここは海水と真水が混ざった汽水域なのだろう、潮の匂いが鼻に付く。

 

「軍曹、塩田は東になります」

「了解した」

 

 ラム・ラムの声に従って方向を変える。砂漠の真ん中にある砂と違い、ここらの砂は海からの水分を吸って重いのだろう。固まっている様な感じで、名入りのの砂と違って風でサラサラとは流れない。

 

「あ、見えて来ました」

「ん、あれか。初めて見る」

 

 始めは陽炎の揺らぎで良く見えてなかったが、近づくにつれて異様な構造物が目に入って来た。箒みたいな枝を束ね、それを立てかけた様に見える棚である。

 

「こいつは……」

枝条架(しじょうか)とか言う装置らしいわよ。ここに濃い塩水を撒いて、太陽と風の力で水分を飛ばして塩にするんだって妹から聞いたわ」

 

 何でも普通に砂の上に海水を撒いたり、蒸発させた濃い塩水を煮詰めるのに比べ。手間が掛からず効率の良い方法なのだそうだ。明治以後の日本も同様な方法で製塩していたが、昭和の中頃にイオン交換法に取って代わられた製法であるのだが、当然、ユウは知らない。

 塩田と言えば、砂の上に海水を撒くイメージしか無い。それはこれが普及前ののひと昔前の製法だ。ちなみに欧州でも同様な、グラディアヴェルクなる製塩法がある。

 

「向こうに見える池が濃縮池ね。あそこで海水を蒸発させて濃い塩水を造るのよ。おーい」

 

 説明途中で誰かを見付けたのか、ラム・ラムは手を振った。

 池の近くで塩水を掻き回していたネコ耳族のおばさんが、作業を止めてこちらへ振り返る。

 

「あんれ、ラムちゃんでねぇか」

「おばさん、あたしを知ってるの」

 

 見知らぬおばさんが掛けた言葉に驚愕する。

 ほっかむりを被った農夫スタイルで。勿論、初見である筈だった。顔の小皺が目立つ老女だ。

 

「顔立ちが、ララそっくりじゃからの」

 

 破顔して「自慢の姉さんじゃろ」と指摘されると、本人は「うーん」と苦笑する。ララは同僚に姉の事を自慢していたのだろうか。

 

「ラムさんじゃろ。私はニャコ。この塩田で働いてるニャ」

「ララを尋ねて来ました。ラム・ラムです」

 

 近付いてくる老女に彼女は挨拶する。バケツと攪拌棒を持ったまま、尻から尻尾がゆらゆら揺れている。典型的な作業員のおばさんと言った風情だ。

 

「海軍さんかね。ご苦労様」

「いえ、非番で。あの、妹は?」

「残念だねぇ」

 

 徽章を認めたらしい老女に非番で訪れたのを説明すると、おばさんは「ララちゃんは気分が悪いらしくて、帰ったよ」と伝えてくれた。ラム・ラムはお礼を言うとユウの方に開き直った。

 

「どうするんだ」

「自宅かな。でもどうしたんだろ」

 

 元来た道を振り返る。昔から病弱だったが、休む程に具合が悪くなったのだろうか。

 

「最近、何だか具合が悪そうだよ。独り言も多くなったし」

「独り言ですか?」

 

 

 礼を言うと、一行は塩田を後にしようとした。

 するとおばさんは「飲みなさるかね」と水痘を手渡して来た。暑くなって来から助かるが、何やら会話をしたい様子だ。

 

「何か?」

 

 ラム・ラムの代わりに上司が尋ねる。老女は「軍曹さん」と徽章を確認しながら口を開く。

 

「これは言うべきか迷ってたんだけど、ララちゃんの様子がおかしくてねぇ。あ、こいつ」

 

 唐突に近付く羊を追い払う。めえめえと悲鳴を上げて逃げる羊。

 遊牧民がすかさず寄って来て群れに回収する。どうやら、枝条架に付着した塩を舐めに来らしいが、塩は大切な収入源だから、只で舐めさせる訳には行かない。

 塩田の職員が、時々、見回りをしているのはその為である。ララ・ララもそんな警備員だったとの事。

 

「全く、池に溜まってる塩水を舐めればいいのに」

 

 老女がため息を付く。池とは濃縮池の事で海水を蒸発させて煮詰める施設だ。砂漠のあちこちに点在し、下には半結晶の赤い塩が溜まっている。

 昔は池に入れた海水だけで塩を造っていたが、今は池の濃い塩水を枝条架に流して、風と太陽の力で効率的に製塩する。水分の飛んだ塩は枝に結晶となって絡むので、こいつをプランター状の容器に搔き落とすのである。

 

「そうそう、ララの事だったね。変になりだしたのは半年前だったかな。

 突然、友達が出来たとか言ってね」

「ララ・ララは人見知りで、いつも引っ込み思案だったけど、就職してから仲間でも出来たのかな?」

 

 コミュ障気味だった筈なので、不思議そうにラムは呟く。

 しかし、おばさんは首を振った。職場では友人らしき人物を見た事がないらしい。大体、余り他人との会話を好まない様子なのだと言う。

 

「だけど、その頃からどんどん具合が悪くなってねぇ」

「今日も早退みたいですね」

 

 ラム・ラムは受け取った竹筒を返す。中身は冷水で、まだ涼しいがこれから上昇する砂漠の環境では有り難い物である。

 

「最近は出勤してきてもそうだね。ぶつぶつ、いつも独り言を言ってる」

 

 出勤しない日も増えているそうだ。彼女はまだ見習いなので、余り休むと職業的に不利になるのをおばさんは心配してる様だ。

 

             ◆       ◆       ◆

 

 一行は市壁付近まで引き返していた。ユウが尋ねる。

 

「妹はスラムに住んでるのか」

「市民権はあるけどね。生活費の問題よ」

 

 市民権は市税を払う他に、領都に三年連続で職を持った状態で無いと交付されない。元々、領都の生まれなら優遇措置はあるが、それでも成人になったら半年以内に職を得る必要がある。

 何故か? 無職の者は領都が養えないからである。

 ララ・ララは領都の生まれだから優遇措置で特別市民権は持っているし、成人になっても塩田で働いているから、普通市民権は所持している。

 

「でも失業したら大変だわ」

「失効するのか、市民権」

「ええ。ま、失業しても半年は市民権は失効しないけど」

 

 その半年の間に、新しい職に就けと言う話だ。だが、妹の性格だとなかなか職に就けなさそうな気がして、姉は心配なのだ。

 今のままなら、絶対に解雇される。

 

「今の職もあたしが見付けてきた物だし」

「そこまで世話してるんだ」

 

 ラム・ラムは「放って置いたら、無職のままだから」と呟く、かなり重度なコミュ障みたいである。空想癖が強く、自分から動く事が苦手で、姉妹の中でも育ってるのが不思議だったそうだ。

 

「ニートか」

「何、ニートって?」

「地球の単語」

 

 詳しい説明は避け、ユウは「今の妹さんの状態」とだけ説明する。ラム・ラムは嘆息して「でも独り言を喋る娘じゃなかったんだけど」と空を見上げる。

 雲一つ無い快晴。それが心に影を落とす。

 

「着いたな」

 

 軍曹の言葉にはっとなる。防砂林を越えてスラムの入口に到着したのだ。

 一応、露店が粗末な店舗を構えている。市壁の外なら税が掛からないので、市外にこの手の露店が広がっているのは珍しくない。

 内容も食料から贅沢品まで様々だ。しかし、偽物の割合が増え、商品の質は怪しくなる。

 

「ほぉ、賑やかだな。旅芸人か」

 

 見ると派手な天幕とその前に踊り娘的な女性が舞っている。ピエロの様な道化師もお手玉の様に、何本もの長い帽をジャグリングしていた。

 

「本番では、棒に火を点けるそうだよ」

「踊り娘が異形なのがねえ」

 

 それぞれが感想を述べるのを見てギネスはふっと笑う。派手な格好をした踊り娘は蛇娘(ラミア)である。長い胴をアクロバティックに動かして、豊満な胸を揺らしてセクシーさを強調する。

 隣の道化師は人馬(セントール)族で人を轢かない程度の速度で、ジャグリングを披露しつつ自在に駆け回っている。砂混じりの地面が不安定なのに見事だ。

 

「ああ言う輩も、スラムではしばしば訪れる」

 

 むしろ、税が掛かる市壁内より公演は多いのかも知れない。まぁ、公演主が金を支払う先が役所なのか、ここらを縄張りにする地回りなのかってだけの違いなのかも獲れないが。

 

「それと異形って言うなよ。どんな職にだって亜人は就いてる」

「でも、俺の目からしたら……」

「ヤシクネーの踊り娘(ダンサー)だっているぞ」

 

 ユウは絶句する。六本脚ででっかい鋏脚を振り回す踊り娘。想像も付かない。

 

「住所は判るのか」

「移動していなければ、(ハイヴ)の筈です。機関長」

 

 それを差し置いて、賑わっているその場を離れ、土の山と化している地域へと近づく。

 幾つもの土饅頭の中から、ラム・ラムは記憶を辿りながら幾つかの巣を見て回る。互いの巣は単に穴なので似てるから間違えない様にである。

 

「確か扉が……あった」

 

 ファンシーなピンク色の、ラムやララの髪色と同色の扉が目の前にあった。

 周囲と見分けを付ける為に設置した物であるらしい。これを塗る為に、ラムが《マイムーナ》から塗料をちょろまかしたのは秘密である。

 

「ララ・ララ、居る?」

 

 扉に近づいて、ラム・ラムは自分の鋏脚で軽く扉を叩く。洒落た家ならばノッカーみたいな装飾品でも就いているのだろうが、これは単なる板塀だ。返事はないが、『確か、鍵は付けたわよね』と扉の南京錠を確認する。

 

「ララ・ララっ!」

「留守じゃ無いのか」

 

 ギネスの言葉に彼女は首を振る。「中から閂が掛かっています」と告げ、「外出してるなら南京錠が外にぶら下がっている筈ですけど、見当たりません」と報告する。

 

「中に篭もってるのか」

「はい」

「天岩戸(あまのいわと)だな」

 

 日本神話のそれを例えたが、無論、エルダの二人には理解出来ない。

 どうもこうも八方塞がりで、遂に扉をぶち破ろうかとラムが決意した時、か細い声がして、かたりと閂が外れる音がした。

 

「はい」

 

 消え入りそうな声だ。声質はラム・ラムに酷似してたが、彼女の元気さは全く見当たらない。

 

「ララ、あたしよ」

「……あ、お姉ちゃん?」

 

 扉の一部がスライドして、のぞき穴みたいな形に開いた。緑じみた目がこちらを見る。

 目元だけの印象だが、どことなくおどおどしている。

 

「ララ、開けなさい」

「いやっ」

 

 姉の命令を拒否して、彼女はスライド式ののぞき穴をばたりと閉めてしまう。同時に一度外したと思われる閂が、再び掛けられたみたいで扉全体体が軽く振動する。

 

「どうしたのよ。仕事にも行かないで」

「放って置いて、あたしお姉ちゃんみたいに働き者じゃない」

 

 何度も扉越しに呼びかける姉。

 しかし、最初の頃は返事があったが、今はただ沈黙があるだけだ。

 

「鋏が痛くなっちゃったわよ」

 

 叩き疲れて鋏を下ろす。「顔色悪かったな」と呟き、殴打していた鋏脚を持ち上げて、自分の両手ですりすりと撫で回した。ふぅふう息も吹きかけている。

 

「痛いの?」

「そりゃね。殻に包まれても痛いわよ」

 

 甲殻類のヤシクネーの感覚は判らないが、神経は通ってる様だ。外殻を外から擦ってる所から触覚もあるのだろう。ユウは同類のアラクネー(蜘蛛女)の感覚はどうなのだろうかと考えてしまう。

 

「何か呟いているな」

「独り言ですか」

 

 扉に耳を付けていた軍曹が、耳を外してラム・ラムに言う。ラムは驚いて慌てて耳を扉に押しつけた。付いてユウも同じ様にすると、成る程、か細い声が響いてくる。

「どうしよう。ツリちゃん……」

 

 聞いた事の無い名である。そんな人物が居たか、ラム・ラムは素早く考えを巡らせるが、思い当たる人物はヒットしない。少なくとも実家で一緒に住んだ頃の者では無さそうだ。

 

「うん。このまま閉じ篭もろうね。知られたら……駄目だよ、まだ一緒に居て!」

「ララっ」

 

 大声を上げる。何故なら、その場に〝ツリちゃん〟なる人物が一緒に居る様な気がしたからだ。巣の大きさから、それは明らかに一人用である筈なのだが、得体の知れぬ何かを、姉は感じ取ってしまったのか知れない。

 

「お姉ちゃん。御免ね。ツリちゃん、やって!」

 

 ラムの大声にこのままでは駄目だと覚悟を決めたのか、ララの鋭い声が上がった。

 途端に「リンゴーン」と鐘の鳴る様な音、いや、音と言うよりテレパシーに近い脳に直接響く圧力が三人を襲った。

 

「うっ」

〔帰って、あたしらを邪魔しないで!〕

 

 そんな思惟が三人を襲う。ギネスとラム・ラムはへなへなとその場に崩れ落ちる。

 

「どうしたんだ。軍曹」

 

 だが、ユウにはさほどの衝撃は感じられない。思念派は〔え〕と驚愕したみたいに絶句した。そして「リンゴーン」「リンゴーン」と立て続けに鐘の音を鳴らす。

 軍曹がフラフラと立ち上がり、ユウに襲い掛かろうとする。鋏脚を使わず、上半身の腕だけを用いていたから、本気で襲いかかるつもりはなかったのだろう。

 

「軍曹」

 

 上半身の脇腹にパンチ。鳩尾に決まったらしく、ぐらりと傾いて気絶する。

 相変わらず、鐘の音は鳴り響いている。次に立ち上がったのはラム・ラムだ。頭を振って何かに耐えている。ぎゅっと口端を噛み、血が流れるのも構わずに扉の方を向く。

 赤い血が『甲殻類なのに銅系じゃ無いのか』と、ユウに変な感想を抱かせる。

 

「念波だ。強い」

 

 言いつつも、扉を壊す勢いで鋏脚を突き立てた。扉はあんまり頑丈ではなかったのだろう。ラム・ラムの攻撃で見事に貫通してしまった。

 続いて腰から船刀(カトラス)を抜くと、扉に差し込んで力を入れる。鋏脚を使わないのは無理に力を入れると鋏が破損するからで、扉はあっと言う間に破壊されてしまう。

 

「塗るのに手間が掛かったんだけどなぁ」

 

 入口の前で怯えている妹を前に、彼女は自分が造り、そして破壊した扉に向けてごちた。ばらばらに砕けたピンクの破片が散乱している。

 

「お、お姉ちゃん」

 

 ラム・ラムそっくりだが、一回り小さな姿が絶句していた。だが、その姿にラムは異常を見付けたのだった。

 

「その姿は……ララ、あんた寄生虫を」

 

 ララ・ララの腹部が異様に膨らみ、もぞもぞと脈打っている。そして尻尾みたいに寄生虫の一部が外に都び出してしていた、

 

「ツリガネムシ」

 

 彼女の呟きの通り、その末端には鐘状の器官が複数認められた。さっきから鳴っている鐘の音は、ここから発せられていたのかも知れない。

 

 

〈続く〉




塩田。太陽熱を利用して海水を蒸発させます。温帯ならこの後、塩水を煮詰めて乾かす作業が必要ですが、砂漠だから全て自然で製塩可能です。まだ、にがりとかを取り除く工程が必要で、製品になるまで掛かりますけど、かなり燃料費を節約出来ます。
塩の量産が元になって、エロエロンナでは石鹸やアイスの生産に結び付くのですが、それは別のお話になります。


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