できそこないの竜の騎士 (Hotgoo)
しおりを挟む
魔界編 第一節 雷竜の後継者
1 しんでしまうとは なにごとだ!
お詫びと言ってはなんですが、大筋は変わらなくとも、内容は結構変わっているのでまた一から読んでいただければ幸いです。
旧作の分までは書き上がっているのでペースを止めずにいきます。
――ひどく頭痛がする。
そう思いながら目を開くと、そこに広がっているのは一面の闇。何事かと思いつつ、辺りを見渡そうとして、そこで初めて己が仰向けに横たわっていることに気がついた。
立ち上がり、自分が横たわっていた場所に目を向けると、ここは大理石で造られたバルコニーのようだ。
全く身に覚えが無い場所に放り込まれ、思わず独白が零れた。
「ここは……?」
「……魔界だ……」
ふと零した独白に、まさか返事を返すものがいようとは。そう思いながら振り返ると、そこにいたのは得体の知れない者達だった。
そして同時に感じたのは警戒。この場にいる誰もが、己を脅かすほどの強者だと本能が警鐘を鳴らしていた。
独白を返したのは、影が衣を纏ったような謎の存在。その寡黙さと強く光る対の眼光からは、えもいわれぬ威圧感が漂う。
「正確にはバーン様が魔界に持つ宮廷の3つ目、その展望室だね」
そこに補足の言葉を飛ばしたのは、黒い道化師のような装束を纏い、死神を思わせる鎌を持った男。
おどけた調子と、その裏から垣間見える氷のような酷薄さの二面性は、道化師と死神の二つの顔を如実に表しているように思えた。
「どういうことだ」
この場がなんなのか、ということだけではない。自身がこれまで何をしていたか、何処にいたのかさえも分からない。とどのつまり、分からないということしか分からない、ということだ。
そして、その疑問に答える声を聞いた瞬間、思わず身体が硬直した。
「ふふ……気になるか? 己がなぜ蘇ったのか……」
影と死神の両名を従わせ、彼らの間を割って出てきたのは一人の老爺。
凄まじいほどの年月を思わせる深い皺と、枯れ枝のようにか細い手と首。そして長きに渡って蓄えられた白髭。
しかしその老爺は既に朽ちた枯れ木ではなく、老いて尚未だ生命力を滾らせている大樹であるということは、誰もが理解するだろう。
その自然かつ優雅な所作と、言葉一つから滲み出す迫力。二人の猛者を当然のように従える器の大きさ。
そして――何よりも力。
その老爺から感じるのは、先程の二人すらも大きく上回る埒外の魔力。それら全てを考慮して、彼の者を何と呼称するのが相応しいか――
「お前は誰だ」
無作法にも問うてみれば、老人はそれに眉一つ潜めることもなく、実に堂々とした所作で己の名を告げて見せた。
この寛大さも、頂点に立つ者の器の一つなのだろうかと、ふとした考えが頭をよぎる。
「余はバーン……大魔王バーンなり」
その考えの通りに、老人――バーンは余こそが大魔王であると名乗る。大魔王が何なのかは知らないが、魔王の上――言ってみれば、全ての魔の頂点である存在と言った所だろうか。
そう思ってみてみれば確かに、この男よりも大魔王という肩書きが似合う者はいないように思える。
王としての器、その佇まいから立ち昇る魔力。どれひとつとしてこの男に比肩できる者はいない。
目覚めてから眼前の三人しか知らない自分がそう思うのも変な話だが、実際そうとしか思えないのだから仕方ない。
「細かい事は省くが……死んでいたそなたを余が蘇らせてやったのだ。そなたの力に敬意を表してな」
力――そうだ。確かに自分の頭の中には、使える呪文、修めた剣技、戦の方法、その全てがそのままそっくり保存されていた。
だがそれに反して、それらを覚えた経緯、記憶といったものが一切無い。そのことを自覚した瞬間、じくじくと頭を蝕んでいた痛みが勢いを増す。
何故――? 都合の悪い記憶を消し、力だけを残した自分を戦う駒として使いたい?それをしたのは誰だ?今考えられるとしたら――やはり目の前の大魔王だろうか。
それら全ての考えを、一切合財破棄する。何もかもがどうでもよかった。
「そうか」
長々と考えを巡らせて搾り出したのは、この淡白な一言のみ。これが今の自分の率直な気持ちだった。
「貴様……!バーン様を前に、あまりにも無礼な……!」
影が動いた。鋼のごとき両指を剣のように伸ばし、こちらの鼻先へと突きつける。強く輝く対の眼光から向けられた、刺し貫くような殺気がひしひしと感じられた。
それでも尚、微塵も動かないこちらに対し、向けられる――いや、もはや叩きつけられると称しても不足ではないほどに殺気が増した。
だがそこにバーンが待ったをかけるかのように手を横に伸ばし、影の動きを制止する。
「よせ、ミストバーン。余はかの魔王を斃したこやつの力に敬意を表しているのだ……その力に免じて多少の無礼は許容してやろうではないか」
「は……! 出すぎた真似でした……お許しを……!!」
「かまわん。それで……何故そなたを蘇らせたのかというと――そなたを余の配下に加えるためだ」
そんなことだろうとは思っていた。そんな乾ききった感想を余所に、バーンはバルコニーの端まで歩みを進め、口を開く。
「この景色を見てみろ」
眼下に広がるのは、ひたすらに広がる不毛な荒野と、時折地を走る溶岩の河。そこに緑や青といった生命を感じる色は存在せず、空にも星一つない暗闇が広がるのみ。
これを何と呼ぶかは諸説あるかもしれないが、凡そ
「この様を言い表すに相応しい言葉があるとすれば、その一つは――地獄、だろうな」
「その通り。この地は文字通り、地の底に押し込めた者達を封じ込める牢獄よ……そして仄暗い地の底には、空に輝いているはずのものがない」
す、とバーンが指を振る仕草をすると、放たれた高密度の闘気が空の暗雲を切り開く。だが、暗雲を切り開いた先にあるのもまた闇。果てぬ暗闇が、この魔界の空を覆っていた。
そう――この空には、生命に必要な何かが決定的に欠けている。
「太陽だ――魔界には太陽がない。地上の全てを幾星霜と照らし、生命に恵みを与える陰りを知らぬ光を……神々は魔族と竜から奪い、魔界に追いやった……!!」
そしてバーンは告げる。己の掲げる途方も無い大望を。
「故に余が魔界に太陽をもたらす……!! 地上を脆弱な人間もろとも跡形なく消し去ることでな……! そのために力はいくらあっても困らん……特に余の後ろに控える二人や、そなたのような三界でも有数の強者となればな……」
だが、いくら熱意をもって語り掛けられようとも響かないものは響かない。ここまで一切表情を動かさなかった自分を見たバーンが、少し考えるそぶりをしたあと、こう言った。
「ふむ……そなたは憤りを感じんのか……? そなたを戦うだけ戦わせ、用が済めばいらぬとばかりにそなたを捨てた人間共や天界の者どもに……」
「……覚えていない。オレが今まで何をしてきたのかさえも……やったのはお前じゃないのか?」
「フフ……さてな。だが、そんなことは重要ではない。重要なのは――」
――余の下に付くか否かだ。
その言葉が放たれたと同時に空気が変わったのを感じる。
三人が放っていた強者のプレッシャーと言うべきものが一斉に自分に向けられており、それはもはや物理的な圧力を伴っているのではないかというほど。
だが事ここに至って、自分はそれらを含む全てを、他人事のようにしか受け止められなかった。
故に、その回答は。
「悪いが――」
「――断る、と言った瞬間。どうなるかはわかっておろう?」
死――大魔王の手の内に胎動する赤き不死鳥を見て、否応無くそれを想起させられる。
だがそれでもなお、回答は変わらない。
「ことわ……ッ!」
頭痛が最高潮へと達する。脳髄を直接突き刺したような凄まじい痛みに、思わず言葉が途切れた。
それと同時に、脳裏から一つの言葉が浮上してくる。
――あなたは、生きて。
この言葉を思い出したと同時に、頭痛が消えてゆく。
目覚めてからの出来事全てに何も感じることも出来なかったというのに、この言葉だけは守らねばならないという衝動が、自らの奥底から湧き上がる。
そして――
「わかり……ました。今このときより、オレはあなたの忠実なる配下となります」
「ふむ……気が変わってくれたようで何よりだ。では……この杯を飲み干すがよい」
そういってバーンは、いつの間にやら手に持っていた杯を手渡してくる。
底の見えない暗黒が渦巻く杯を、一息に飲み干した。
「ぐっ……がああ……!!」
体内を暗黒が駆け巡る。先程の頭痛とは趣が違う、全身が張り裂けそうな苦痛。
暗黒闘気は負の感情を原動力とするという。今頃空っぽの心の中からその感情を探そうと、必死に駆けずり回っているのだろうか。
やがて五感も暗黒に飲まれていく。何にも触れず、聞こえず、見えず、感じず。痛みだけが迸る中、意識すらも闇に落ちようとしたその時。
――光……?
視界一杯に光が輝く。
その光が晴れたときには、既に現実へと帰還していた。
手を開いたり握ったりして、失われた五感が戻ったことを確かめる。
改めて己の内を見直してみれば、確かに暗黒闘気が宿っているという感触はある。
だが、その量はあまりにも少なく、到底あの杯に込められた量とは釣り合わぬほどだ。凡庸と言ってもいい。
当然といえば当然だろう。自らの心情に変化はないし、何かに負の感情を抱いているわけでもない。
「ふむ……なるほどな」
だが、なにやらバーンは合点がいった様子だった。気にする様子もなく、こちらに話しかけてくる。
「フフ……これでそなたは余の配下となったわけだ……歓迎するぞ」
「ウフフッ……ボクにも後輩ができたってわけだね」
「よろしくね~!!」
死神の肩の上にひょっこりと現れた使い魔――ピロロが言う。どうやらこの場にいたのは3人でなく4人だったらしい。
「そなたにやってもらう仕事は後日伝える……今日の所は下がってよいぞ。キルバーン、適当な部屋をあてがってやれ」
「了解しました……行くよ、新入りクン」
「わかった」
そういって死神に追従し、部屋を後にしようとしたそのとき、バーンが失念していたと言わんばかりに問いかけてきた。
「そういえば名を聞いていなかったな……己の名は覚えているのか?」
記憶を消した何者かも、名前くらいは遠慮してくれたのか、消えないほどに己の名が記憶に染み付いていたのか。
確かなことは、己の名であれば、確信を持って唱えられるということだ。
「アトリア……オレの名はアトリアです、大魔王バーン様」
「フフ……そうか、では今度こそ下がってよいぞ、アトリアよ」
「御意」
今度こそ終わりらしい。一礼する死神を横目に、自らも同じ所作をして、部屋を出て行った。
二人が退出して、しばらくした後。
大魔王とその影の主従は未だ部屋に留まっていた。どうやらミストバーンは男――アトリアの処遇に思うところがあるようだった。
「よろしいのですか? バーン様……」
「アトリアのことか……それがどうしたというのだ?申してみよ」
ミストバーンは己の抱いている懸念を口にする。
「恐れながらバーン様……奴には心がありません……いくら強くても感情も意志もないただの抜け殻にすぎない……そのような者はいざというときに信を置けないのではないかと」
「ふむ……ミストバーンよ、その懸念は正しい」
「では……」
「ただしそれは、やつに本当に心がないならば……の話だ」
バーンはワインの入ったグラスを口元に傾けながら愉快気に語る。
「奴が暗黒闘気のグラスを飲み干した時……奴から発せられる暗黒闘気を見ただろう」
「は……バーン様が直々に闘気を込めたにも関わらず、微弱にもほどがある闘気量……憎しみを原動力とする暗黒闘気の少なさこそが奴に心がないことの証左かと思いましたが……」
「フフフ……あれは微弱なのではない……溜め込んだ物が滲み出ているにすぎん」
そういってバーンは飲み干して空になったグラスを宙に放り出して、指を鳴らす。大魔王の魔力を受けたグラスは瞬く間に塵と化した。そうした後、バーンは説明を再開する。
「余の暗黒闘気を受け入れて生き残る方法は二つ……適応するか、別種の闘気で打ち勝つこと……もっとも後者のほうはありえぬが、適応できずとも生き残れるほど余の暗黒闘気は生半可なものではない……!!」
「つまり……奴の底には確かに憎悪が宿っている……ということですか……」
「その通り……そして余は心の底で燻っている憎しみに餌を与えた……奴が心を閉ざしているのは失われた記憶の何かが起因しているのだろうが……憎悪の炎が心を閉ざしている氷を溶かすほどに大きくなった時……面白いことになると思わんか……?」
大魔王が嗤う。ただの王ではなく大魔王。魔を統べる者に相応しい邪悪な笑みを、バーンは湛えていた。
「クックック……そういえばミストバーンよ、今日はやけに饒舌だな……?」
「それは……」
「皆まで言わずともよい、奴を好かんのだろう? それゆえに余に進言までしたわけだ」
「は……ご明察の通りです……お許しを……」
「よい。奴には精神の強さが伴っていない……そなたが嫌う手合いのひとつであろう……ましてやそれに真の姿を晒したとあってはな……」
静謐な雰囲気を漂わせる豪著な宮廷の一室。だが、それに見合わぬ亀裂や傷が部屋中に点在し、床が抉れ、中央には強大な何かが激突したと思われる衝突痕。ここで戦闘が行われた、ということは一目瞭然といえる状態であった。――それも凄まじい強者同士のものが。
「それに関しては申し開きのしようもなく……なんなりと処罰をお下しください」
「余が許すと言ったのだ、何も気にすることは無い。それに……愉快ではないか? 神々の手駒、三界の調停者……元とは言え竜の騎士が我が配下に加わるとはな……!!」
バーンは展望室の端まで歩み寄り、魔界の空を見上げる。彼の瞳に映っているものは果てしなく広がる闇か、もしくは――闇を切り裂く魔界の夜明けか。それは大魔王のみぞ知る事だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
荘厳な空気が支配する白亜の廊下を、死神と並んで歩く。おしゃべりの絶えない道化師が、ずっとこちらに話しかけ続けていた。
適当に聞き流しつつ、ひとり思案する。
「ボクの仕事は暗殺でね……大魔王サマに仇なす者を始末するのがボクの役目なのさ」
「ああ」
何故大魔王の誘いを断れなかったのだろうか。彼の野望に共感したわけでもないし、ましてや命が惜しかったわけでもない。というより未だに全てに興味が無い。
「といってもこのなりを見ればすぐにわかっちゃうかな?」
「ああ」
そんな、色を無くした世界とでも表現できるその中で、あの言葉だけが色を――感情を伴っていた。
全ての物事に意欲を持てない中で、あの言葉だけは守らなければならないと思わせられた。
「……話聞いてる?」
「ああ」
見る人によれば呪縛にも見えるかもしれないそれは、やはり失われた記憶からのものだろうか。
だが、記憶を取り戻すたび、この無味乾燥な世界に色が戻っていくというのなら――
「つれないねぇ……君もミストと同じクチかぁ……」
「ああ――悪くない」
「……いきなり何言ってるのさ?」
「…………すまん、聞いてなかった」
「…………」
しかしまだ、自分の立場は不安定だ。
今の立場を選んだ以上、自分は魔界において、戦いの中に晒され続けることになるだろう。
ならばまずは、戦い抜こう。大魔王の信頼を得るために。
そしてあるいは――生きるために。
あとがきにキャラ情報を載せることにしました。
原作と同じドラクエ風のアレにしようかと思ったんですが、直感的にわかりずらいので簡素化した奴にします。
各パラメータは1から10までで表します。
記念すべき第一回はバーン様です。
キャラクタープロフィール① バーン(老人)
【年齢】不明(四桁以上なのは確か)
【種族】魔族
【出身地】かつて一つだったときの世界
【体力(最大HPやスタミナ)】7(杖使用時の継戦時間が短いため)
【力(単純な筋力ではなく闘気の強さなども考慮)】8.5(光魔の杖使用時は12)
【魔力(そのまま)】12
【技量(技術や戦闘経験)】8
【得意技】カラミティウォール カイザーフェニックス
【特筆事項】二回行動 鬼眼 三つの心臓
言わずと知れた魔界の王者。1から10と書いておいて初っ端から魔力が限界を超えているが、他から一人だけぶっ飛んでいるための特別措置である。
死んでいたアトリアを生き返らせた
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
2 盤上遊戯
与えられた私室で過ごし一週間が経ったころ、ようやくお呼びがかかったらしい。
「アトリア様、バーン様がお呼びです」
「すぐに行く」
魔族の給仕の言葉にそう返し、速やかに仕度をして部屋を出る。
長い廊下を通り抜け、玉座の間へと続く扉を開くと、
「来たか」
「…………」
「ただいま参りました、バーン様」
そこにいたのは二人。大魔王とその影の主従だ。とりあえず、跪き一礼しようとしたところ、大魔王の言葉に遮られた。
バーンはチェス盤が置かれたテーブルの対面に座り、こちらに手招きをしている。
「そう畏まらなくともよい……元より心からの忠誠など期待しておらぬ。――今のおまえにはな。
それより、こっちへ来て座れ……一局どうだ?」
「お恥ずかしながら……チェスのルールが分かりません。何分記憶がないもので」
「構わぬ。……ミストバーン、出してやれ」
「……は」
そういって影――ミストバーンは、懐の暗闇から、一枚の羊皮紙をテーブルに置く。その紙には、チェスのルールが詳細に書いてあった。
それにしても、あの闇の衣には何でも入っているのだろうか。それとも、主の無茶振りに応えるため、いろいろと無理して持ち歩いているのだろうか。
「分かりました……未熟ながら、お相手
まあそれはそれとして、チェスのやり方は大体把握した。
幸い、どう戦えばよいのかだけは、この頭に叩き込まれている。それに則れば、多少は打てるだろう。
「フフ……では、始めるか。先手は頂こう」
大魔王との対局が始まる。その最初の一手は、己の考えるこの戦いでの定石から、到底かけ離れたものだった。
「では……ここに」
中央で前線を務める
「ほう……今しがたルールを知った男の打ち筋とは到底思えんな、んん?」
それは自分でも感じていた。駒を打つ度に湧き出てくる可笑しな感覚。チェスをどう打つべきか、体だけが分かっていると言うべきだろうか。
例によって、その記憶は全く思い出せないが。
――『くっそー!勝てねぇ! アトリア、お前チェス強すぎだろ!』
「……お褒めに預かり光栄です」
「そなたの打ち筋には、無駄が無い……実に効率的だ。そして同時に、機械的でもある」
バーンもそれに呼応して、己の駒を前に進める。最後の総力戦だ。
――『おそらく……普通の人間よりずっと効率的に打っているんじゃろう。その場その場での最適解を機械的に算出しているんじゃろうな』
「さて……そなたを何故呼んだのかと言うと、もちろんチェスを打つためだけではない。……そなたにやってもらう仕事が決まった」
駒を前に進めることで、固められていた陣形に隙ができる。その隙間へと
「そなたには、冥竜王ヴェルザーの元へ客将として赴いてもらうことにした」
だが、攻めて来るのは相手とて同じこと。こちらのポーンを切り伏せて、
「奴には死神を送ってもらった借りがあるからな……交換というわけだ」
ここまでナイトに切り込まれるのはあまりよろしくない。すかさず他の駒で仕留めるが、バーンも同じことを考えていたようだ。
これで、ビショップとナイトを交換したような形になる。
「何故ですか? わざわざ……同じようにしてやる義理があるようには思えませんが」
いまいちわからなかった。戦力をくれたのだから、そのまま儲け物として貰っておけばいいだろう。
わざわざ返す必要があるとは思えない、非合理的だ。
――『なるほどね……だから―――だけがたまに勝てるわけだ。俺らの中では勝率最下位ダントツなのに』
「クックック……まだそなたにはわからんか。アトリアよ――そなたには『遊び』が足りておらん」
――『あいつの打ち方滅茶苦茶だからなぁ。それが逆に判断を乱す要因になるってことか』
――『ちょっとぉ!?聞こえてるんですけど!???』
更に盤面はエスカレートし、どちらの
どちらが一手先に王に辿り着くかの勝負。これまでの読みの深さが物を言う盤面。
「ともかく、これは命令だ――そうそう、奴が殺せそうなら殺しても構わんぞ……といっても、奴は殺しても死なぬがな」
読み通りに行けば、このまま
「わかりました。その任務――謹んで、拝命致します」
いや――待てよ。
「…………!」
「やっと気付いたか」
バーンが最初に打った意図不明の初手。完全に計算の外にあったそれが、自らの詰みへの道の途中に立ち塞がっていた。
計算が、崩れる。
「それ――チェックメイトだ」
気付けば、自陣は総崩れ。敵の思うがままに蹂躙され、敢え無く詰みとなった。
「全て……計算していたのですか?」
「違うな……余は最初の一手を、何も考えず無作為に打った」
「……は?」
そんなことをして何の意味がある?
「闘い……特に互角以上の者とのそれが、一から十まで計算通りに行くことはない。互いに最善手を打ち続ければ、ただ強いほうが勝つのみだ……だが、現実としてそうはなっていない。何故か分かるか?」
「相手の読みを乱せる者が勝利すると……そういうことですか?」
「そうだな……近いと言えるだろう。そしてその想定外を生み出せるのが――不合理や無作為、偶然と言われるものだ」
話の要領が掴めてきた。
「余は最初の一手を打った後、その手が活きるようにさりげなく盤面の流れを誘導した。このように、それらの不確定要素を上手く操り、利用し、制すること……それが戦の要訣なのだ」
「つまり……その不合理や無作為のことを、『遊び』と呼ぶと?」
遊びというのは楽しむものだ。そういった、感情に端を発するもの――それがオレには欠けているということだろうか。
「いかにも。……そなたにはそれを奴の下で学んでもらう。……そうだな、学ぶと言うのなら形から入るのも一興か……アトリアよ、試しに笑ってみよ」
無理やりにでも顔を歪ませ、笑顔の形を作る。
「ククク……目が笑っておらんぞ。とはいえ無表情よりかはいくらか上等か……表情くらいは取り繕うようにしておけ。……さて、話は終わりだ。準備が出来次第ここを発て。冥竜王の所在は死神に聞けばよい」
「仰せのままに」
大魔王の元に仕えること一週間。たった一週間で命じられたのは、冥竜王の下への出向だった。
アトリアが退室し、完全に扉が閉ざされた後、影が口を開いた。
「……奴の力を見定める、ということですか……」
「その通り……余の領土は些か平和過ぎるのでな……雷竜ボリクス配下の残党殲滅に精を出しているあやつの元であれば戦に困ることはあるまい…………ミストバーンよ、奴にシャドーはつけたな?」
「は……既に奴の影に潜ませております……」
「それでよい……さて、拾い物が吉と出るか凶と出るか……面白いな」
――余は奴より強欲な者を魔界では知らぬ。恐らく奴はアトリアを欲しがるようになるだろうが……それもまた良し。奴があいつに心を取り戻させようとする試みも、いい刺激になるやもしれん。
バーンはアトリアが出て行った扉の方に目をやり、思いを馳せる。思ったよりも使えるならば生かし、使えないならば……
「奴はおまえの衣の下を見ているからな……奴が使えぬとわかったときは……わかっておるな?」
「……」
影は何も答えず、沈黙を保つ。しかし、強く輝いた対の眼光がその答えを雄弁に語っていた。
――――――――――
男は物憂げな表情を浮かべ、自室への道を歩んでいた。その不規則な歩調は、そのまま男の心情を表しているようにも思える。
では、何故男は憂鬱に浸っているのだろうか。
――危険なブツだとはいえ、護送するだけの簡単な任務のはずだったのに……!まずいまずいまずい、これで三度目の失態だ、バーン様に何と言われるか……!!
そう、彼は任務中に失態を犯してしまったのだ。それも黒魔晶――黒の核晶の原材料である――の護送中に、それを何者かに奪われるという、特級の失態を。
どうしよう……素直に認めるか、言い訳を考えるか……いっそのこと逃げてしまおうか……
そんなことを考えながら、自室のドアを開き、中へと入る。
すると、脈絡もなくぼとりと何かが地面に落ちた音がした。その音の源に目を向けてみると、そこに落ちていたのは自らの左腕――そう、いつの間にか自分の腕が切断されていたのだ。
「……え?」
一拍遅れて事の次第を把握した男が取った行動は、痛みを堪えられず叫ぶことだった。
その悲鳴に合わせ、何処からともなく笛の音が鳴り響く。最も、常人には聞くことのできない音だが。
「ぎゃあああああああああ!」
「いい声で鳴くじゃないか。普段のお仕事もその調子で頑張ってくれれば、ボクが動くこともなかったのにね?」
その言葉と共に壁からぬるりと現れたのは、いつもの黒い装束を纏った死神――キルバーンだ。
――死神……!
それを見て、男は自らの運命を悟る。死神が自らの下へ現れるということは、大魔王に自らが穀潰しであると宣言されたようなもの。事実上の死刑宣告といってもいい。
「くそ……!」
「あれ? 健気だねぇ……もしかして、向かってくるつもりかい?」
笛の音が強まる。
男は未だ諦めてはいなかった。キルバーンを倒し、ここを去るという唯一の生存への活路を勝ち取るため、立ち上がり、向かっていく――が。
「うあああ……!?」
すぐに転けた。無論彼が躓いたとかそういうものではない。生者には聴くことのできない死神の音色が、彼の身体の自由を奪っていた。
「ウフフフッ……! さしずめ、これはキミへと手向ける葬送曲、ってところかな……?」
前後も、左右も分からない。正しく身体を動かすことが出来ないし、そもそも今見ている世界が正常かも分からない。
もがいてはその度に、不可視の刃に身体を切り裂かれていく。やけくそで放った魔法も、あらぬ方向へと飛んで行き、壁に焦げ痕を作るだけの結果に終わった。
その様を例えるならば、蜘蛛の巣に囚われた哀れな獲物、といったところか。
「あーあ、ボクは何もしてないのになぁ……キミの絶望する顔にも飽きたし、そろそろ終わらせてあげようかな……ピロロはどう思う?」
そういってキルバーンは、己の背後へ語りかける。そうすると、死神の肩の後ろからひょっこりと、使い魔である一つ目ピエロ――ピロロが出てきた。
「なっさけないヤツだなぁ~! さっさと殺しちゃおうよ!」
「そうだねピロロ……そうしようか……!」
ようやっと死神が動き出し、男の首に鎌を当てる。それを一思いに引こうとしたその時――
「キルバーン、いるか?」
ドアが開く。そこから入ってきた男――アトリアは、歪な笑みをその顔に貼り付けていた。
死神の笛の音は鳴り止み、不可視の刃は知らぬ間に主の所へ帰還する。もう必要ではないし、味方を巻き込まないためだ。
「あぁ、後輩クンか……ってなんだいその顔、無表情よりそっちのが怖いよ」
「ヘンなの~!」
「表情くらい取り繕えとバーン様に言われた。……それより、冥竜王の居場所を教えてくれ」
記憶が無いからなのか、元からなのかは分からないが、アトリアにはこういった天然じみた所が少しあった。
「そういうことじゃないと思うんだけどなぁ……まぁ、いいよ。ボクの仕事が終わるまで待ってくれるかな」
「構わん」
そういうと、キルバーンは男の首元に鎌を掛け直す。手玉に取った命を弄ぶ様に、愉悦に満ちた表情でこの男がどうしてこんな状況に陥ってしまったのかを愉快そうに話していく。
「最初はね……どこかのはぐれ魔族に負けて、逃げ帰ってきたんだっけ?その次は、脱走兵を取り逃がしちゃったんだよねェ……最後はどうだったっけ?ピロロは覚えてる?」
「ボク知ってるよ~! 黒魔晶を護送してたのにまんまと奪われちゃったんでしょ~? いーけないんだいけないんだ!」
「よく覚えてるじゃないかピロロ……まあそういうわけでね、度重なる失態に業を煮やしたバーン様がボクにこの男の粛清を命じたってワケさ」
「……そうか」
興味なさげなアトリアを余所に、キルバーンは仕事を終わらせようと、その手に持った死神のごとき大鎌を振りかぶり、
「キミは最後まで役立たずだったけど……この瞬間だけはボクの役に立てるってワケだね――さぁ! その絶望に染まった顔を見せておくれよ……!!」
振り下ろす。男の絶望に染まった顔と胴が泣き別れになると思われた、その瞬間――男の目に意志の光が宿る。
ボロボロの体を突き動かし、なけなしの気力を振り絞る。なんとか鎌を躱し、呪文を詠唱した。
――狙いはアトリア。彼を行動不能にし、人質として使うことでこの場を乗り切ろうというわけだ。
しかし、ここを出たとしてもこの満身創痍の身でどうするのか、大魔王を敵に回して魔界で生きていけるのか、などという思考は男の中にはない。男はただ、目の前に現れたか細い蜘蛛の糸を掴むことだけを考えていた。
「
男とアトリアの対角線上にいた死神が「おっと」と言って身をそらす。なかなかの威力をもって打ち出される吹雪がアトリアに向かって吹き付ける。責任ある仕事を持たされている以上、この男もそれなりの実力者だったようだ。……あくまでもそれなり止まりであるが。
「……
アトリアの翳した手から猛火が吹き上がり、球の形を成す。前方に射出されたそれは、呪文の格が下であるにも関わらず、悠々と吹雪を突き破り、霧散させた。
男は恐怖した。何ら陰りを見せない炎と、揺らめくその炎の向こうに写るアトリアの空虚な笑顔に。
「あっ……」
一度は見えた希望が、眼前で燃え尽きていく。奪われた希望による落差が、男の絶望をより深いものにしていた。
それから数瞬もしないうちに、炎球が男を燃やし尽くす。男は断末魔もあげられぬまま、絶望を浮かべた顔のまま、人の形をした炭へと成り果てた。
「へぇ……」
「わぁ~!黒コゲだぁ~!」
呪文の威力を見た死神が感嘆したように呟く。それを放った本人は、申し訳なさを取り繕った表情で言い放つ。
「……オレが殺してよかったものなのか?」
「構わないさ……面白いモノも見せて貰ったしね。……それで、ヴェルザー様の居場所だったかな?」
「ああ」
「そうだねェ……この宮を出て、北東にまっすぐ進めばいいよ……丸一日もすればあのお方の城が見えてくるハズさ」
「わかった……感謝する」
「ウフフッ……後輩クン、キミ意外と死神の才能あるんじゃない? それじゃあね――シー・ユー・アゲイン!」
そういってキルバーンは、どうやってかは知らないが、壁に溶け込むようにして消えていった。
アトリアも、凶行が行われた部屋から出て歩き出す。宮殿から出て、
――――――――――
――ああ、退屈だ。
今日も今日とて、居城の最奥にてただ座す日々が続く。
戦そのものが無いわけではない。あいつの残党がこの大陸全体に散らばり、騒ぎを起こしているが……雑魚どもでは相手にならないだろう。
行ってただ叩き潰しましたというだけでは、それはもう戦いとは呼べないし、退屈を煽るだけだ。
「む……?」
何かが近づいてくるのを感じる。力の気配……一端の強者のもの。誰だ?
その気配はちょうどこの部屋――竜王の間の真上へと辿り着いた。
ごとり、という音がしてそこに目を向けると、円形にくり抜かれた天井の石材がある。
そこから一拍遅れて、何者かが天蓋に空いた穴から、ふわりと降り立った。
誰からの刺客だろうか。大魔王?天界?それとも――?
とはいえ、いきなり襲い掛かったのでは、雰囲気も糞もない。久方ぶりの戦いだ、楽しまなくては――
「何者だ?」
「冥竜王ヴェルザーとお見受けしますが」
「その通り――オレこそが冥竜王ヴェルザー。……オレの首でも取りに来たか?」
むしろそうだと言って欲しい位だ。それほどまでに、今のオレは退屈に蝕まれていた。
「いえ。……私の名はアトリア。大魔王様から、あなたのお力になれと仰せつかった者です」
そう言われて、一気に頭から戦いの熱が引いていく。
拍子抜けだ。冷えた頭で改めて見返すと、そいつは恭しく一礼してみせた。
――何だ、こいつは?
その大げさなまでの振る舞いとは反して、こいつからは何も感じられない。
こいつの行動には熱も、実感も伴っていない。言われるがままに動くだけの、生物の振りをした木偶。
その象徴である空虚な瞳は、人形の目に嵌められているような硝子玉を彷彿とさせる。
オレの最も嫌いな手合い――こいつには、『欲』がない。
「フン、そうか……では宣言通り、早速働いてもらうとしよう」
バーンの奴め……こんな奴を送りつけて何のつもりだ?死神を送ったことへのあてつけか?
「貴様には我が領内の敵対勢力……主にボリクスめの残党を殲滅してもらおうか。丁度隠れ処が判明している奴が一人いてな……貴様にはそこに行ってもらう――ただし、一人でだ」
はっきり言って無茶苦茶な命令だ。少なくとも知らぬ者に一人でやらせる類のものではない。
そいつは竜の大群を引き連れていたという報告も上がっている。一人で行かせるなど、捨て駒にするようなものだ。
「承知しました」
それでもこいつは引き受けた。戸惑いも、怯えもせず。それこそがこいつが人形である証左だった。
キルバーンの正体がばれて、嫌味で送ってきたのではないかと一瞬思ってしまうほど。
「チッ……さっさと行け」
それとも大魔王がわざわざ送ってくるくらいなのだ、何かあるのだろうか?
何れにせよ、今回の戦いが試金石となる。帰ってこなければただのゴミ、もし勝って帰ってくれば――その時はその時に考えよう。
退屈は削がれたが、その分の嫌悪が心を満たす。
気に食わない。人形のような有様の男も、忌々しいボリクスの残党どもも。
精々、潰し合うといい。
キャラ情報に関しては、当分見せ場がないキャラをとりあえず記載しています。
近頃見せ場があるキャラはその話で記載することにしています。
というわけで、第二弾はキルバーンです。
キャラクタープロフィール② キルバーン
【年齢】不明(人形の方は三桁)
【種族】なし(一つ目ピエロ)
【出身地】魔界・ヴェルザー領
【体力】7
【力】7
【魔力】5
【技量】8
【得意技】
【特筆事項】人形の身体 死神の笛 黒の核晶
数値に強さが現れにくいキャラです。策さえ嵌れば格上狩りも夢じゃない。
後輩が出来たことに喜んでいますが、ミストと同じくらいの無口なのでおしゃべり出来ず意気消沈している模様……まあ全部ピロロが操作してるだけなんですけどね!!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
3 初陣へ
さーせん
数日後。
岩山の連なる山脈に囲まれた盆地にて、男が一人立っていた、男は20代前半の青年といった風貌で、長い黒髪を後ろにまとめ、魔族のような尖った耳が目立つ。
純白のローブと軽鎧を合わせたような装備を身に纏い、腰には二刀を携えている。そして、その身からは膨大な魔力が漂っていた。
だが、この場に居るのは男――アトリアだけではなかった。男と相対するは、竜の一団。グレイトドラゴンに騎乗したカメレオンの獣人族の男を筆頭に、ドラゴンソルジャーが前線を張り、後方にガメゴンロードやキースドラゴンが控える、総勢400匹ほどの軍勢。
地上の小国であれば一晩で滅ぼすことすらできるであろうこの軍勢の威容を前にしても、アトリアの表情には一つの翳りもない。それを見て、獣人の男が口を開く。
「正気じゃねえよ……お前」
「…………」
押し黙っているアトリアを前に、獣人の男は信じられないといった様子で続ける。
「この隠れ処を知っているってことはおおかたヴェルザーあたりの使い走りだろうが……この戦力差で勝てるとでも思ってんのか?」
「問答は無用だ」
沈黙を貫いていたアトリアが、口を開いた。
「冥竜王の命により貴様らを討滅する。――降伏か死か選べ」
「舐めやがって……!! そんなに死にたいなら殺してやるよ……かかれ!」
この軍勢は獣人の男にとっての誇りだった。力が全てを司る魔界において、雷竜ボリクスに己の力を認められ授けられた竜の精鋭たち――これこそが自らの力の証明であり、プライドの象徴でもあった。
しかし、この男――アトリアはそれを見ても眉一つ動かさなかった。それは自らが取るに足らない存在だと思われているようで、ひどく癇に障ったのだ。
故に――男は自らの力を証明するため、攻撃命令を出した。
「グオオォォォォォ!!」
竜の雄叫びが辺りに響き、灼熱の吐息が放たれる。凡そ100に上るであろうドラゴンの吐息。それらが収束した地点――アトリアが居た場所に炎が途絶えることはなく、1分間にわたって代わる代わるに炎が吹き付けられた。自分であれば間違いなく骨も残らないであろう火炎地獄。男は勝利を確信した。
――馬鹿め。俺を舐めるような真似をしなければ、もっと楽に死ねたものを。
そう心のなかでひとりごちて、男はアトリアが居たであろう場所を見やる。煙が晴れ、男はそこに焼け跡のみがあり、何もない有様を幻視したが――
「なッ……!!」
未だにアトリアは健在だった。
――まさか……ヤツのあの態度は虚勢でも気狂いだったのでもなく……俺たちを歯牙にも掛けない力を持っているからなのか……!?
男がその思考に至ると同時、アトリアを包む光波のドームが消えていく。そしてそのアトリアの両手には――膨大な魔力が、アーチを描いて火花を散らしていた。
「……
「散開しろ!」
男からの指示が飛ぶが、時すでに遅し。放射された爆裂光は、竜たちの築く陣形の中央に直撃した。大爆発の後、そこにあったのは、巨大なクレーターと、千千になった竜たちの屍のみだった。
そして、爆煙が晴れた後、アトリアは忽然と消えていた。竜たちの脳裏に、『ブレスを防ぐのと今の極大呪文だけで精一杯だったのではないか』という希望的観測がよぎる。彼らが安堵しかけたそのとき――
――一番前に立っていたドラゴンソルジャーの首が落ちた。
それを皮切りに次々と竜たちが両断されていく。その滑らかな断面から、それが極めて鋭い斬撃によって為されたことがわかる。この攻撃がいずこかへ潜んでいるアトリアからのものであることは明らかだった。
困惑と警戒が竜たちの間に広がる。しかし、だからといってどうすることもできない。見えない敵と見えない攻撃、かすかに鳴る風切り音のたびに減っていく味方の数。勘を頼りに吐息や爪を振るうも、闇雲に放ったそれが命中するわけもなく、次第に竜の群れは恐慌状態へと陥っていく――かに思われた。
突如竜たちの動きが変わる。今まで目のみに頼って索敵をしていたのだが、一斉に耳を済ませたり、匂いを嗅いだり……視覚以外の方法で敵を探すようになったのだ。まるで誰かに指示されているかのように――
ついに一匹のキースドラゴンが敵の位置を捉えた。姿は見えないが確信を持った力強さで、爪をそこに振るう。
爪と透明な何かが激突し、甲高い金属音が鳴り響く。それを切欠に、そこにいた何者かの透明化が解けていく。
そこにいたのはやはりアトリアだった。腰に提げていた二刀を両手に持ち、十字に構え爪をガードしている。
「ソコダ!」
「コロセ!」
アトリアの姿を発見したドラゴンソルジャーたちが斧を振り上げて駆け寄ってくる。このまま鍔迫り合いを続けると苦しい状況に追い込まれるのは明白。
あえて力を抜くことで相手のバランスを崩し、拮抗を打破する。右の剣で爪を打ち払い、返す左で心臓を一突き。くずおれるドラゴンを尻目に、後方に飛ぶ。
距離をとったアトリアは、何言かを呟くと、虚空に向けて二刀を振るう。すると、また竜の首が飛んだ。その剣先には、風が渦を巻いている。
そう――アトリアは剣に
放たれた幾ばくかの剣閃が周囲の敵を切り裂いたのち、アトリアは遠くの敵の群れに狙いを定め、両手を大きく振り上げ、交差させる。荒れ狂う真空の魔法力が、腕から剣へと伝っていく。
そして、剣に込められた魔法力が最大まで高まった時に、それは振り下ろされた。
「……真空・かまいたち」
すべてを切り裂く極大の剣閃が解き放たれる。真空を纏うことによって速度と威力、そして範囲も拡大されたそれは、竜たちの一群を襲う。あまりの速度と切れ味に、彼らは己が両断されたと気付くこともなく事切れた。
主だった敵は片付けた。残るは散り散りになった雑兵のみ。周囲は山に囲まれていて、逃げ場は皆無。一匹ずつ確実に仕留め、アトリアが最後に残ったガメゴンロードの息の根を止めるまでに、五分とかからなかった。そうしてそこに残ったのは、屍と破壊跡、そして静寂のみとなる……はずだった。
全ての敵の掃討を終え、アトリアが警戒を解くそぶりを見せたとき――それは現れた。
最初の
――殺った……!!
完全に不意を突いた一撃。その剣はアトリアの首に放たれる――当たれば間違いなく絶命に至らしめるであろう鋭い剣筋。しかしアトリアは、それを事前に察知していたかのように、少し動くだけで躱して見せた。
絶対の自信を持った奇襲。それを全て読まれていたという事実に、獣人の男は驚愕を隠せないようだった。
「馬鹿なッ……!! 魔法使いが、どうやってこの奇襲を察知したと……!」
獣人の男の種族は
それは体表の状態を変化させ、
故に、一流の戦士である彼が気配と姿を消し奇襲することで、相手は己に何が起きたか知る事すら出来ずに死ぬ。
実際、彼はその方法で何人もの強者を屠ってきた。だが、その不可避の一撃が防がれたのは何故か。
「……オレの戦士としての力量がお前を上回っていたが故に、気配と殺気を感知できた。ただそれだけの事だ」
そういってアトリアは、獣人の男に斬りかかる。男もそれを受け、驚愕から脱し、剣をもってそれを受ける。そうして幾合かの剣戟を交わしたのち、男はアトリアの言葉が嘘ではないと悟る。
「クソッ!! 魔法と剣を両方極めてるだと……!?」
――そんなの、勇者か魔王しか……
だが、奇襲が防がれた以上、男に残されているのは戦士としての力のみ。
距離をとった瞬間、呪文で殺されるであろう事は明白。
剣戟でアトリアを打倒する以外、男が生き残る道はない。男は覚悟を決め、アトリアに飛びかかる。
「はぁっ!」
踏み込んだ大地が砕けるほどの力強い踏み込み。疾風の如き疾さで突進し、心臓を狙い、突く。だが、右の剣に打ち払われ、防がれる。
手首をしならせ放つ、隼の如き2連撃。これも難なく防がれる。
続けて繰り出したのは、五月雨を思わせる剣閃の豪雨。
だが、アトリアはこれすらも、額に汗一つ浮かべること無く受けきった。
今まで身に着けてきた剣技の粋が、ただ無機質に、受け止められていく。もはや壁に切りかかっているような無力感を男は感じていた。
そして、アトリアが攻勢に移る。二刀のアドバンテージを活かした絶え間ない連撃。機械の様に正確無比なそれに対し、男は致命傷を防ぐので精一杯で、その身に裂傷が次々と刻まれていく。
――このままじゃマズい……! ジリ貧だ……!
そして気付く。自身もまた卓越した戦士だからこそ分かる。このままだと――あと12合で詰み。
「クソッ!」
焦りを込めて剣を振るうも結果は変わらず。アトリアが淡々と繰り出す攻撃を前に、男はその読み通りに追い詰められていく。
――あと、5合。
ゆっくりと、だが着実に迫ってくる己の死を実感した男の脳裏に、走馬灯が走る。
まず男の頭に浮かんだのは、自分が幼い頃、故郷で暮らしていた時のことだった。ドラゴンから身を隠すことでやり過ごし、その狩りの獲物の死肉を漁りながら母に言われた言葉。
――私達は弱いのよ。だからこうやって隠れ潜んで、強者のおこぼれにあずかって生きるしかないのよ……
惨めだった。弱さを正当化して強者にへりくだる一族のやつらも、何よりそれに甘んじるしかない、弱かった俺も。
だから鍛えた。自分の種族は確かに隠れることに向いた特性を持っているが、関係ない。そんなことより、隠れ怯える惨めな人生を送るほうが嫌だった。
幸い俺には剣の才があった。そのおかげで故郷では自分に勝てるものはいないといえる程強くなれた。
自分が強くなってまずしたことは――一族のやつらを皆殺しにすることだった。奴らだけが俺の弱かったころ……惨めだった自分を知っているから。その後、魔界を彷徨っていた俺をあの方が拾ってくれた。
――貴様、オレの下でその剣を振るう気はないか?
純粋に嬉しかった。他者に自分の力を正しく評価されたのは初めてだった。幹部としての座と竜の軍団も与えられ――自分もその期待に応えるために戦果を挙げた。紛れもなく俺はあの方に忠誠を捧げていた。だからあの方が冥竜王に敗れたときも、奴の下には付かなかった。
そうだ。まだ俺にはやるべきことが残っている。ボリクス様の仇を討たなければ。ここで死ぬわけにはいかない。そして何よりも――目の前の奴に舐められたまま死ぬのは我慢ならない!
――5。
アトリアが右の剣で男の心臓を目掛け突く。剣で弾いて逸らす。
――4。
間髪入れず左の剣が首を狙う。かろうじて剣を間に入れるが、そのせいで不安定な体勢に押し込まれる。
――3。
二刀を振り終えた後の僅かな間隙に打ち込み。しかし体勢が悪いため、力が入らず片手間に受け流される。
――2。
男が体勢を立て直す間に、アトリアがより深く踏み込む。二刀を交差させ、渾身の二刀同時の振り下ろし。男はどうにか受け切るが、僅かながら腕が痺れる。この刹那の剣戟においては、致命的な隙。
――1。
アトリアがその隙を逃すはずもなく、剣を振り上げる。昇り竜のごとき2撃を受け、耐え切れなかったのか、遂に男の手から剣が上方に弾き飛ばされる。男の予測通り、この一合が最後の一手となるはずだが――男の目は、未だ生気と決意の色を宿していた。
「来いッ!!」
男は首に全闘気と意識を集中させる。そう、男はこの瞬間に全てを賭けていた。このままでは敗北は避けられない。ならば狙われる急所にヤマを張り、全力をもって耐え、返す刃で敵を討つ。弾かれた剣も意図して手放したもの。アトリアの一太刀を受けると同時に手元に戻る様上に放った。死をも覚悟した諸刃斬り。それが男の最後の策だった。
男の読みは正しい。アトリアの狙いは確かに首に向かっていた。しかし――
「――
「……はっ?」
この間合いでは呪文は悪手。ましてや極大呪文など、剣を手放さねば使えないはず――そう思って、男はアトリアの手元を見遣る。アトリアの双手に握られた双剣。その柄に嵌められた宝玉に光が灯る。事ここに至って男は理解する――あの双剣は杖としての性質も有する道具である、ということを。だが、それだけではない。
その爆裂光は放たれることなく、剣へと纏われていく。魔法と剣の融合。これぞまさしく、竜の騎士にのみ許された秘儀――
「魔法……剣……!? 竜の騎士だと……!?」
「爆裂・魔神斬り」
――――0。
破壊の光を宿した二刀が振るわれる。先ほどのかまいたちが速さの技ならば、これは力の技。
ましてやそれに極大呪文の破壊力が掛け合わされるとなれば、その威力は絶大。その一太刀は紙を破るよりも容易く、男の全力を掛けた守りを貫く。男が悔しげに呟いた一瞬後に、
「ちくしょう……」
魔法剣の威力が炸裂する。男を中心に爆発が巻き起こり――その威力を一身に受けた男は、首から上を残して、跡形もなく消し飛んだ。
この戦場に最後に立っていた者はアトリアのみ。定められた結末は覆る事なく――ここに闘いは決着した。
――竜の騎士……?
最後に奴が呟いたその言葉。恐らく自分のことを指しているのだろうか。
もしそうだとすれば、それが何かを確かめてみる価値はある。
自分が何者であるかを解き明かすことは、それすなわち失われた記憶を取り戻すことにも繋がるかもしれない。
己が何であるかを知りたい。それが今の自分に残された最後の『欲』なのだろう。
「
冥竜王はあまりオレの事を好きではないらしいが、力を示していけば少しはマシになるだろう。
何せ――魔界では力が全て、なのだから。
――――――――――
「予想以上だな……」
第三魔宮、玉座の間にて、玉座に座った老爺――バーンは顎をさすりながら、感心の声を漏らす。その目線の先には、壁にあつらえられた巨大な水晶、そこに映し出されたアトリアがいた。
どうやら彼の影に潜ませたシャドーを媒介して、戦場の風景を水晶に投影しているらしい。
「死神よ、その方はどう見る?」
バーンが左右に控えていた側近の一人――キルバーンに問いかける。
「いいんじゃァないですか?極大呪文の魔法剣とは中々面白いモノを見せてくれるじゃないですか……それに、戦士としても魔法使いとしても一流以上……ボクは合格だと思いますよ」
「ミストバーンよ……そなたはどうだ?」
「……我らを除けば大魔王軍の中にも敵う者はいないかと……」
「フフ……そうか」
大魔王は愉快気に笑い、目の前にあるテーブルに置かれていたチェス盤の上に、新しい駒を一つ置く。
「では……アトリアを正式に大魔王軍の幹部として迎え入れる。それでよいな?」
「異議な~し!」
死神の代わりにその肩に乗っている一つ目ピエロが答える。ミストバーンも、
「大魔王様のお言葉とあらば……」
敬愛する己の主の言葉に否を唱えるはずもなく。
「とはいえ、奴もあと何百年かは帰ってくるまい……我らの計画を本格的に進行するとき、奴を呼び戻す。そのときに、改めて迎えてやろうではないか……」
魔界では時間が緩やかに流れる。無論これは比喩であり、長命種が多いこの地においては、皆の時間に対する感覚が希薄であるというだけだが。ともあれ魔界では、一つの物事に数百年を掛けるというのもそこまで珍しい話ではないのだ。
「新たなる強者を迎え、計画も至極順調。目障りな天蓋を取り払い、この地に光が降り注ぐ日も、そう遠くはないやもしれぬな……」
大魔王が顔に喜色を浮かばせ、笑う。今日は酒が進みそうだと心の中で呟き、葡萄酒の入った杯を傾けた。
初戦闘です。というわけでキャラ情報3人目はアトリアくんとなります。
バーン、キルバーンときてミストバーンを紹介しないのも変だし次話に入れておきます。
キャラクタープロフィール③ アトリア
【年齢】21歳(原作開始時に466歳)
【種族】竜の騎士(人間ベースの三種族混血)→???
【出身地】地上 奇跡の泉付近の村
【体力】7
【力】7
【魔力】9
【技量】8.5
【得意技】各種極大呪文及びその魔法剣 ???
【特筆事項】魔法剣 電撃呪文使用可能
本作の主人公。何故かは知らないが記憶がない。ついでに心もない。
現在は生きるためと自分の正体を知るために、バーンの命令に従っている模様。忠誠心とかは特にない。
一回死んでいるので紋章はもうない。やたらと魔法に長けているのには理由がある。
幹部登用試験も兼ねて、冥竜王の元へ出向中。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
4 雷竜の後継者
全身返り血塗れではあるが……まあ、仕方ないだろう。
出発して一日足らずで帰還した自分の姿を見て、漆黒の巨竜――冥竜王がほう、と感嘆の息を漏らす。
「早いな……しかも無傷か」
「任務完了いたしました、証拠としてこちらを」
証拠代わりに持ってきた獣人の男の首を放り出す。冥竜王はそれを一瞥し、軽く炎を吐いた。
一見、ちろちろとした残り火のようなそれは、目標としていた首に到達するや否や、対象を舐め回し、焼き尽くす業火へと変じる。
着火した数瞬後、その首は灰となり、形を保てなくなり崩れて消えた。
「貴様の力はもう分かった。いちいちこのような真似はしなくてもよい」
「は……それで、一つお聞きしたいことがあるのですが」
それを聞いた冥竜王は、意外だと言わんばかりの表情を見せる。
「ほう……貴様がそんなことを言うとはな。それで……聞きたいことは何だ?」
逆にオレを何だと思っているのだろうか。そんなことはさて置いて、本題の質問をぶつける。
古代から生き続けている知恵ある竜ならば、これくらいは知っているだろう。
「竜の騎士とは何ですか?」
「ふむ…………なるほどな」
その質問を受け冥竜王はオレの方を見やり、じっくりと睥睨する。
そのうち何かに合点がいったのか、一人納得した様子を見せた。
「竜の騎士は、竜の力と魔族の魔力、そして人の身体と心を持つ――平和、とやらを保つために、神々共に作られた傀儡の事だ。何故そんなことを聞きたがる?」
そう聞きながらも、冥竜王の中では既に見当はついているようだった。
「……今回始末した男が、オレの事を竜の騎士だと言っていました。……オレは、自分が何者であるかを知りたい。それだけです」
「フン……己が何者であるか知りたい、と来たか。ありきたりで陳腐な欲望だが――悪くない」
今自分の中で燻っている、唯一の欲求。どうやらそれは冥竜王にもお気に召したらしい。
「自分が竜の騎士がどうか知りたいなら、簡単な方法がある」
「それは……?」
「竜の騎士にのみ与えられた特別な力――魔法剣や電撃呪文。これらを使いこなせるならば、竜の騎士である証明にもなるだろう。最も、竜の紋章は貴様には扱えんだろうが、な」
冥竜王の言の通り、剣と魔法の同時使用――魔法剣も先の戦いで使ったし、電撃呪文も、確かに使えるという感触が頭の中にある。
…………試してみるか。
「わかりました――
雷鳴が轟いた。魔界の空を覆う暗雲が蠢き、雷を呼ぶ。闇を切り裂き降り注いだ一条の稲妻は、天井に開いた穴を増設しながらも、冥竜王へと向かっていく。だが、
「――フンッ!」
雷光の速さにこともなげに反応して見せたヴェルザーは、右腕を振る。凝縮された暗黒闘気が込められたそれを受けた稲妻は、より強い力を受けたことで一瞬の拮抗ののち、あっさりと霧散した。
「おい……何のつもりだ」
……強い。大魔王と比肩する実力と謳われるだけのことはある。
呆れ顔で問いかけてくるヴェルザーに、悪びれもせず言葉を返す。
「バーン様より、機会があれば殺すよう承っていますので」
「そんなところだろうと思ったわ……これで分かっただろう、生半可なちょっかいはやめろ、面倒くさくて敵わん。……オレの首を獲りたいならば命を捨てる覚悟で来い」
自分はともかく、
なんと言うか、バーンを初めて対面した時と同じものを感じる。力を持つ者特有の寛容さ、王の器とでも言うのだろうか。
「オレはお前の事はあまり好かん。が……そんなものはどうでもよい。魔界においては力こそが正義。
なればこそ、お前が力を示した今ならば――歓迎してやろう、大魔王の使者よ」
「ええ――これからしばらく、お世話になります」
アトリアが出て行った扉を見やりながら、思案に耽る。
あいつが竜の騎士
魔界ではほぼ有り得ない人間の風貌、それに釣り合わぬ強さ、首に提げていた竜の牙……推測できる要素はいくらでもあった。
最初はつまらん奴だと思っていたが、あながち完全に空っぽというわけではないらしい。
力を持つ者は、己に忠実に生きるべきだと常々思っている。
魔界の猛者達は、各々が己がままに振舞っているし、天界のカスどもも、正義とやらに従って生きている。
魔界でも並び立つものが両指で数えられるかどうか、それほどの力を持っているにも関わらず、人形のような有様を晒しているアトリアの事が不思議でしょうがなかったが、なるほど己が分からないときた。
バーンの奴が生き返らせる際に記憶でも消したのだろうか?
恐らくバーンは、こいつに欲望の何たるかを教えるために送り込んだのだろう。
いいだろう、存分に学ばせてやる。奴の心がまだ育っていないということは、大魔王には心からの忠誠を誓っていないということ。
オレこそが奴に心を得させ、真の忠誠を誓わせてやる。
いいものを見ると、全て欲しくなるのはオレの悪い癖だ。全く直す気は無いが。
大魔王との競争にも勝つ。アトリアも手に入れる。
二兎を追い、二兎を手に入れるのがオレの信念。
このオレが全てを手に入れる。遍く強者も、魔界も、地上も、天界も。
――そして、神の座さえも。
――――――――――
アトリアが冥竜王の元へと参じてから250年が経つが、その間も、冥竜王の領地では絶え間ない争いが続いていた。
冥竜王ヴェルザーが雷竜ボリクスを討ち取ってからも、雷竜の膨大な勢力の内、冥竜王の傘下に入らなかった者たちがその領土へと散らばり、ゲリラ的な抵抗活動を続けているからである。
当然、アトリアもその戦いの日々に身を投じることとなる。長い年月の間幾度もの戦を経て、その力は更に強大なものになっていたが、その反面での正体を探る試みでは、余り芳しい成果を挙げられているとはいえなかった。
だが、そんな戦と停滞の日々にも、転機が訪れる。
魔界のとある山中。奥まった洞窟の中で、惨状が繰り広げられていた。目に入るあらゆる所に血が飛散し、竜や魔族の屍が折り重なっている死屍累々の有様。死臭が充満しているこの場所で、息をしているのは二人のみ。
二刀を振り、血糊を払い飛ばしている男――アトリアと、逃げ場をなくし、壁際に追い詰められた怯えた様子の魔族の男。
「……お前で最後だ」
血糊を払い終えたアトリアが、男に向き直る。これから確実に訪れる自らの死を前に、男は諦めたように笑う。
「こんな所でヴェルザーの使い走りをやっているとは……天下の竜の騎士様も落ちたもんだな」
男はアトリアが何者であるかを察知していた。鬼神のごとき戦いぶりに電撃呪文、そして魔法剣。これらの要素から、アトリアの正体を推察することは容易。
しかし、アトリアは男の挑発に眉を顰めることもなく、淡々と男の心臓に剣を突き刺した。
「がっ……!」
己の胸を貫いた剣を見やる男。その刀身は確実に心臓を貫いており、男の命の灯火が後数秒もせずに尽きるということは誰の目から見ても明らかだ。
にもかかわらず、男の顔には、笑みが浮かんだままであった。
「俺はここで死ぬが……お前らも近々後を追うことになるさ……あの方の手によってな……!
俺は地獄でお前やヴェルザーの野郎が来るのをのんびり待っているとするかな……精々足掻くんだな」
そう言い残して、男は息絶える。この場で息をしているのはアトリアのみとなった――はずだったが。
「誰だ……!」
「……ッ!」
背後に何者かの気配。アトリアが振り向けば、そこに見えたのは小柄な後姿。
それはフードを被っており、外見から何かを推定することはできない。
だが、重要なのはそれが何者なのかではなく――そのまま帰してはいけないということ。
――見られたか。
こんな山中の奥まった場所に迷い込む者があろうはずもない。十中八九敵であると断定し、即刻仕留めなければならないと、アトリアは何者かを追って走り出した。
洞窟の外に出ると、
「ルー……」
「
咄嗟に放った熱線が何者かの肩を掠る。思わず詠唱を中断した何者かに、剣を抜き襲い掛かろうとするアトリアだったが――
「
「くっ……」
想定の埒外の呪文。アトリアとて、相手が何かしてくることは予測していたが、まさか電撃呪文とは。
打ち付けられた雷光の光に眩しんだ一瞬の隙に、何者かは
――逃げられたか……
そうなってしまったものは仕方がないと、アトリアは意識を切り替え、逃げていった何者かに思いを馳せる。
電撃呪文を使ったこともそうだが、アトリアはそれ以外にも彼の者から何かを感じ取っていた。
何かとしか形容できない微細で曖昧な感覚。久しぶりにズキズキと痛む頭を抑えながら、彼も
いつも通り、竜王の間で報告を行う見慣れた風景。だが、一つ違うのは、アトリアが敵を仕留め損ねた事。250年を戦い続けてきて初めての異例の事態ともいえた。
「これでオレに反旗を翻したボリクスめの配下は、粗方潰したことになるが……貴様の言っていた謎の存在、そして『あの方』とやら……どうやらまだ終わっていないという事か」
――バーンのやつが大魔宮なるものの建造を開始したとの死神からの情報もある……早急に地上侵攻の準備進めねばならんというのに、つくづく忌々しい奴らだ。
決着を付けてなお、200年以上に渡って絡み付いてくる宿敵との因縁。そのしつこさに、ヴェルザーは苦々しげに表情を歪める。
「フン……あの方とやらが誰かは知らんが、オレの邪魔をするならば排除するまでよ……その事については部下に調べさせておく、お前はもう下がれ」
「……御意」
確証があるわけではないので黙ってはいたが、なにかもやもやしたものを抱えながら部屋を出て行く。
一週間後。調査の結果を待つまでもなく、とあるメッセージが冥竜王に届けられた。
不遜にも竜王の名を名乗る愚か者へ告ぐ。
我は雷竜を継ぐものなり。
貴様が真に竜王の名を得んとするならば、この我と雌雄を決するがいい。
期日はこれより一週間。もし貴様が我と対決する勇気なき臆病者であるならば――
――黒の核晶を用いて、この大陸を消し飛ばす。
場所は大陸北方の荒野。
心して来るがいい。
「ヴェルザー様!通信用の鏡にこのような文章が……」
鏡の中に血文字で示されたメッセージ。それを受けたヴェルザーは、
「フン、こいつが件の奴か……」
素気なく答えながらも、数秒間押し黙り、熟考する。
――間違いなく罠。問題はこいつが黒の核晶を持っているというのが真かどうか。
魔界の超爆弾――黒の核晶。無尽蔵に魔力を吸収する性質をもつ黒魔晶という希少な鉱物を原材料として作成される。
その威力の凄まじさから、いらぬ混乱を防ぐため、原料である黒魔晶が採れる地は、魔界の主たち――バーンやヴェルザー――に厳重に管理されている。
故に、何処の者ともしれぬ者たちの手に黒の核晶が渡ることはまずない。はずであったが……
――まさか……!
ヴェルザーは万年にもわたる長大な記憶の中から、この謎に繋がる情報を掬い出す。
――大魔王領下から、黒魔晶が奪われたらしいですよ。下手人は未だ不明だとか。一応報告しておかないとと思いましてねェ。
冥竜王の脳裏に、死神の言葉がよぎる。250年ほど前に報告された、黒魔晶が奪われたとの情報。
自らの領地とは関係ないだろうと思い、さして気にしていなかったが、もし黒魔晶が手に入る経路があるとすればそこしかない。
――ブラフではない可能性は十分、か……ならば。
「――五日後だ」
「……?」
未だに飲み込めていない様子の給仕。
「それまでに兵どもに準備をさせておけ。――オレが直々に出る」
――――――――――
竜王の間へと続く階段を上るアトリアの装いは普段通りのもの。二刀を提げ、軽鎧を纏った出で立ち。
しかし現在この城には、普段通りの静謐な空気ではなく、戦の熱気を帯びた空気に満ちている。
階段を上り終え、竜王の間に続く大扉に手を掛ける。軋むような音を立て、大扉が大きく開いた。
「……来たか」
戦気に満ちているのは冥竜王も例外ではない。普段は内に秘めている力……闘気や魔法力、そして竜としての純粋な力。
それらのエネルギーが熱として滲み出し、周囲に発せられている。ただの弱者であれば近づいただけで灼かれるほどの熱量をその身に纏っていた。
――戦場に出るのは奴との決戦以来か……奴の後継を名乗るからには楽しませてほしいものだ。
「只今参りました」
久方ぶりの闘いと、宿敵との因縁の決着に戦意を滾らせるヴェルザー。
さしものアトリアも、この戦を前にして、何やら思うことがあるような顔つきをしていた。
「――アトリア、お前には第四軍を任せる。実力で行けば適任はお前しかおらん」
「御意」
ヴェルザー軍の強み……それは質と量が伴った竜の軍団にある。怪物の中でも最強クラスといわれる竜――魔界において、その7割が冥竜王の下に従っている。
さらに、その上に冥竜王の血を引く一際精強な竜たちのエリートというべき者らも控え、それらが冥竜王の強烈な統率のもとに動く。互いの頭目を除いて、軍という観点で見れば、冥竜王は大魔王のそれを上回っているといっても過言ではない。
冥竜王の軍隊は1から10に組み分けられている。ヴェルザーの一族などの冥竜王の配下の中でも選りすぐりの精鋭の竜のみで構成された第一軍や、領下の治安維持のために用いられる、第二軍・第三軍。大魔王領との睨み合いや、過去では雷竜との戦争にも用いられた、魔族・竜・モンスターの混成部隊である第四から九軍。悪魔の目玉や魔族を主とした諜報部隊である第十軍。
総勢十万の軍のうち、今回戦場に出るのは冥竜王が自ら率いる第一軍と、アトリアに任された第四軍。二万の兵をもって、確実に勝利をものにする磐石の構えだった。
「敵の頭目はオレがやる。お前は後方で指揮を――」
冥竜王の言葉を途中で切ってまで、アトリアは言う。
「いえ――オレは
「……ほう?」
「この二百年間余り――力と働きを示してきた。ならば、少しくらいの我儘は許されたっていいでしょう」
以前のアトリアからは考えられない言動。好ましい変化だと、ヴェルザーは口元を歪めた。
「クク……道理だな。いいだろう、オレと共に最前線に来い、軍の指揮は適当な奴にやらせておく」
アトリアからすれば敵のボスや戦の勝敗などどうでもいい。任務である以上取り組みはするが。
それよりも重要なのは、あの時逃げられた何者かにもう一度会う事。そのために前線に出たほうが、都合が良いというだけだ。
「……ありがとうございます」
ヴェルザーはさて、と一息ついて、
「では――行くか」
その言葉のあと、大きく息を吸う。そして天を向き、力強く咆哮した。
――グオォォォォォォォッッ!
まるで大地から響いているような咆哮は大気を震わせるのみにとどまらず、物理的な破壊力すら伴う。それは竜王の間の天蓋を貫き、魔界の空にまで至り直上の暗雲を晴らしてみせた。もっとも、暗雲が晴れようが、そこにあるのは闇のみであったが。
「オレに続け!」
冥竜王は巨翼をはためかせ、空へと飛び上がる。アトリアも
魔界の中天に躍り出た二人が目にしたものは――地を埋め尽くさんほどの竜たちの大群。先ほどの咆哮は天井を破壊するためのものではなく、配下を召集するための号令だったのだ。
その大群の中から、何体かの竜が飛びあがり、冥竜王のもとに馳せ参じる。それらの漆黒の体躯と、感じ取れる他の竜と一線を画す力量。
彼らは冥竜王が血を分けた一族の中でもとりわけ優れた者たちだけで構成された、いわばヴェルザーの親衛隊ともいえる存在だった。
黒竜たちを引き連れ、冥竜王が羽ばたく。眼下の竜たちも、一糸乱れぬ精密さと流麗なる速やかさで隊列を整え、それに追従する。その一連の姿はまるで、冥竜王を頭として動く、一個の生命のようなありさまであった。
その生命が目指すは北の荒野――約束の地。
――冥竜王ヴェルザー、出陣す。
予告どおりキャラ情報第四弾はミストバーンとなります。
キャラクタープロフィール④ ミストバーン
【年齢】不明(四桁以上)
【種族】暗黒闘気の集合体(幽霊とガス生命体の中間)
【出身地】魔界
【体力】8(∞)[2]
【力】8(12)[0]
【魔力】5
【技量】7
【得意技】ビュートデストリンガー 闘魔傀儡掌・滅砕陣・最終掌 (フェニックスウイング) [乗っ取り]
【特筆事項】闇の衣 (凍れる時の秘法)
()内は衣解除時 []内はミスト本体
大魔王の影。こいつもいまいち数字では表しづらい特性ではある。闘気以外無効だったり、メドローア以外無効だったり、数値外の攻撃耐性がえげつない奴。
強い精神性を重んじるため、アトリアの事は余り好きではない。それに加えて何か理由があるようだが……?
現在アトリアの影にシャドーを付けて監視中。時折三人で観戦してたりする。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
5 開戦
万を超える竜の軍勢が動き出す光景は圧巻の一言。魔界では物資の乏しさや、治安の悪さから山賊や追いはぎの類、モンスターの群に襲われることが度々ある。だが、この威容を前にそのような行為に出るものがいるはずもなく――いや、それ以前に、魔界で名を知らぬものなど居らぬ冥竜王ヴェルザーに相対する命知らずなど居ないと表現するのが正しいのか。
ともあれ、行軍中には何のトラブルも起こることはなく、冥竜王率いる軍勢は、目的の地――北の荒野に辿り着いた。だが、
「死臭……?」
何かがおかしい。ドラゴンに騎乗していた魔族が呟く。死臭が漂っているのにも関わらず、周囲にはただ荒野が広がるばかり。そもそも雷竜の残党たちの主力は、アンデット系の怪物ではなく竜族。死臭が漂っていることからして異常極まりないのだ。ヴェルザーが、兵士たちに警戒を促そうとしたところで――
「貴様ら、周囲をっ――」
大地がぴしり、と裂けた音がした。一拍置いたあと、大地の鳴動とともに、冥竜王の軍勢を大きく囲むように、六本の柱が隆起する。それらの柱は、巨大な骨が折り重なって構成されているように見えた。
その六本の柱を見て、冥竜王の軍の中でも聡い者たちはそれが何を意味しているのかを察する。
――六芒星魔法陣。
「あの柱を破壊しろ!」
誰が言ったか、その柱が意味することを理解したものからの指令が飛ぶ。だが、彼らの中でも群を抜いた強者たちは、それに先んじて動いていた。
ヴェルザーが、アトリアが、親衛隊の面々が。弾かれたように飛び出し、一番近くにある柱へと攻撃を放つ。極大呪文と、炎の吐息の威力が柱を隈なく舐め回し、柱を粉々に破壊せしめた――だが、時すでに遅し。
消失した一本の柱の跡から、新たな柱が再生するように隆起する。そして、六つの柱から放たれた真紅の光が繋がり、円となり、六芒星の軌跡を描く。光が軌跡を描くと同時に、紅い血で描かれた六芒星の魔法陣が浮かび上がってきた。
おそらくは幻惑呪文や透明呪文などで隠されていたもの。これが相手方の用意してきた罠であることは明らかだった。
六芒星の外周を囲む円状の光が、直上へと立ち昇る。真紅の光の幕が竜たちを閉じ込める様は、まるで檻のようにも見えた――いや、ような、ではない。実際に檻の役割を果たしていた。
一匹の竜が敵の術中から逃れんとし、魔法円の外に駆け出そうとするも光の幕がまるで壁のように作用し、弾かれてしまう。しかし彼らを襲う罠はこれだけではない。
大地の裂け目から這い出るは、独りでに動く竜骨のアンデット。大群を為したドラゴンゾンビやスカルゴンが続々と現れ、冥竜王の軍に対峙する。
「まんまと嵌められたな」
冥竜王が不快げに呟く。
まったく、厄介なことをしてくれたものだ。
「だが、小賢しい罠など正面から打ち破るまで」
どちらかが死に絶えるまでのデスマッチ。上等じゃないか――受けて立ってやる。
己に向かってきたスカルゴンを片手間に叩き潰しながら、号令を下した。
「真の竜王とは何たるかをその身に刻んでやろう――突撃せよ!」
万にも及ぶ竜たちの大群が、主の敵を殲滅せんと雄叫びをあげる。冥竜王の第一軍と骨の竜たちの大群の合戦が、今まさに始まった。
まずは小手調べだと言わんばかりに、冥竜王の竜たちが炎の吐息を一斉に放つ。それに呼応するように骨の竜たちも凍える吹雪を吐く。炎と冷気、生者と死者。対立する二つの概念が今衝突し――拮抗する。やがて2つのエネルギーはスパークし、露と消えた。
前哨戦を終え、2つの軍は示し合わせたかのように前進する。当然のごとくその二つは衝突し、互いを喰らい合う。
炎が、冷気が、爪が、牙が。互いのそれが交差し、火花を散らす。見たところ、戦況は互角といったところか。だが、ヴェルザーはその戦況を不快さと怪訝さが入り混じったような表情で睥睨する。
――おかしい。オレの見立てでは高位のドラゴンたちで構成された此方のほうが質では勝っているはず。
ヴェルザーは雷竜を下した際、その軍勢を自らの傘下に組み込み、自軍として再編した。そのため、冥竜王は、自分に下った元雷竜の部下の数から逆算し、今回の敵の数をおおよそ予測できていた。
その数――おおよそ一万。この数字に基づき、二倍の数を用意し、自らが率いる精鋭揃いの第一軍を動かす必勝の布陣を敷いたのだが――
その予測に反し、戦況は互角。戦場の広さの問題から、2万の軍隊を全て前に出すことは出来ないため、数の上ではおおよそ同じ。
だが、現在交戦している第一軍と骨竜たちの間には、質の面で大きな差が開いている。これを考えると、冥竜王の眼前には蹂躙劇が繰り広げられられていたはずであるが、それを覆したからくりとは何か。
魔法陣から黒い靄のようなものが立ち昇り、冥竜王の軍勢に纏わりつく。否、軍ではない。上空より戦場を俯瞰していた冥竜王の目には克明に写っていた。
黒い靄は竜のみを狙っている。そしてそれは――天空に座する冥竜王とて例外ではない。
「ぬぅっ……」
その瞬間、冥竜王はからくりの正体を悟る。己の力が押さえつけられるような感覚。冥竜王すらも縛る極めて強力な呪法。
そもそも血の魔法陣の色が赤というのがおかしいのだ。魔族の血の色は蒼であるし、雷竜の残党に怪物はほぼいない。であれば、あの魔法陣に用いられていたのは竜の血で間違いない。
そして、その魔法陣の6つの星に立つ柱は竜骨でできたものだろう。そしてあの黒い靄は――贄となった竜たちの怨念。生きている竜たちが羨ましい、妬ましい、怨めしいと――ヴェルザー率いる竜の大群に纏わりつき、その戦力を低下させているのだ。
そう、これは何千もの竜を生贄に捧げ発動する結界呪法――竜のみを狙い、竜のみを逃がさない。竜を殺すためだけの術。死臭がしたのも納得がいく。恐らく、雷竜の後継を名乗る何某かは配下の悉くを殺し尽し、この結界を築いたのだ。そしてこの骨竜たちは、その副産物とでも言うべき存在だろう。
だが、血は魔法陣に、骨は柱と骨竜になった。では――肉はどこへ行った?
そのような考えを巡らせた冥竜王だが、段々と戦況が劣勢に傾いている様を見て、まずはこれをどうにかせねばと思考を切り替え、第一軍を後ろに下げるべく、命令を下す。
「第一軍は後方へ下がれ!」
「……第四軍、前進しろ。怪物たちで前線を張り、竜どもは後方で
どうやら横に控えていたアトリアも同じ結論に達したようだ。当然といえば当然か、今は失われたとはいえ脈々と受け継がれてきた戦いの遺伝子をその身に宿していた竜の騎士。記憶はなくとも、闘いの経験値というべきものはその身体に刻まれていた。
下された命令を受けた冥竜王の軍勢は、滑らかな動きで後方に控えていた第四軍と入れ替わる。一個の生命のようとも評されるほどの円滑かつ有機的な連携。たとえ呪法による弱体化を受けていても、その軍としての錬度は健在だった。
立て直されていく前線を見て、ヴェルザーは己が役目を思い返す。それは――
「フン……行くぞアトリア。敵陣に突入する」
「御意」
と、言うや否やに飛び出すヴェルザー。超少数精鋭の迅速な特攻により、敵の頭を討ち取り、軍を瓦解させる目論見だった。敵陣の奥深くまで飛翔したヴェルザーは、更なる上空へ舞い上がり――全速力で降下した。
高高度より飛来する漆黒の巨竜。常軌を逸した速度で地表に衝突した圧倒的な質量が、そこに存在していた全てを悉く粉砕した。そうして敵陣の真っ只中に降り立った冥竜王と、その後を追うアトリア。当然、全方位から敵が押し寄せてくることとなるが――
「邪魔だッ!」
暗黒闘気を纏った爪牙が骨竜たちを蹴散らし、
「どけ」
磨きぬかれた一対の剣閃が敵を両断する。
そんなものは弩級の強者には関係がない。多勢に無勢?全方位からの襲撃?そんなものではダメだ。数や小細工で、真の強者は殺せない。
そして、敵中で暴れるこの二人を止めねば敗北は必須。それならば、これを止める為に、弩級の強者が現れることもまた必然だった。
魔界の空が震え、暗雲から剛雷が二人に降り注ぐ。アトリアは横に跳ぶことで、ヴェルザーは腕を振るい打ち払うことで対処するが――ヴェルザーの腕に残る焦げ跡と、アトリアが居た地点の抉れた大地が、その攻撃の威力を証明していた。
アトリア以外に
「そこか!」
魔力の発生源を見抜き、そこに向けて凝縮された暗黒闘気が放たれる。それは雑兵たちを吹き飛ばしながら目標の地点へと進み、大きく爆ぜた。
爆発によって大きく舞い上がった土煙の向こうに見えた影は――巨竜のものではなく、人影だった。
「いやぁ……呪法の縛りを受けて尚ここまでの強さとはね。……流石は我が父を葬った男と言うべきかな?」
やがて煙が晴れたとき、そこにいたのは白衣を身に纏った一人の男。その男は、魔族とも竜ともとれぬ奇異な風貌をしていた。
魔族の特徴である長く尖った耳に、竜のような二つの短角。あえてこの容姿を形容するならば――鬼のようだ、とでも表現するべきだろうか。
それを裏付けるかのごとく、その瞳が湛えている知性の裏に覆い隠されている尋常ならざる狂気を、ヴェルザーは見抜いていた。
男は、大げさな仕草で腕を振ってお辞儀をしてみせた。
「私の名はオラージュ。雷竜を継ぐ者……ああ、覚えておく必要はないよ。……君達は全員ここで死ぬんだから」
「貴様のような混じり物風情が奴の後継だと……?だが、貴様ごときを覚えておく必要がないというのは同感だな」
「言ってくれるじゃないか。さあ――」
そういって男――オラージュは掌を開き、握る仕草をする。その瞬間、周囲の骨竜たちが一斉にヴェルザーに飛びかかってきた。
「――来なよ」
数多の骨竜が折り重なり、まるで山の様な様相を呈している。その山に向けてオラージュが指を指した瞬間、空が轟き、再び稲妻が山の中心にいるヴェルザーへと降り注ぐ。
だが、今度は一度のみではない。二度三度と幾つもの稲光が、束をなすように次々と襲い来る。
それらが降り注ぎ終わったあと、訪れたのは一瞬の沈黙。そして、
「ん?まさかこれで終わりってわけじゃ――」
骨の山が、赤く輝いた。
「オオオオオオオオオオッ!!」
大地に響くような咆哮と共に放たれたのは、一条の火炎の吐息。折り重なった骨の塊を焼き尽くして尚、一分の陰りすら見せないそれが、半魔半竜の男へと向けられる。男は
「……死ね」
「危ないなぁ……っ!」
その瞬間、後方で沈黙を保っていたアトリアが動き出す。静止した状態から一瞬でトップスピードまで加速する、神速の踏み込み。難を逃れた安堵から来る数刻の緩みを見逃さず、敵の命を刈り取らんとして、双剣を振るう。
寸での所で上体を逸らして回避するオラージュ。しかし、避け切れなかった一閃がその頬を掠め、一筋の傷を刻む。そのまま後方に跳び、一回転して着地するも、体勢が崩れた所をアトリアが追撃の構えを見せるが、
「やめろ」
ヴェルザーからの命令。今が相手に有効打を与える機会にも関わらず不可解なものではあるが、アトリアとしては命令に従うのみ。追撃をとりやめ、ヴェルザーの元へと戻る。
「ヤツはオレの獲物だ」
「四の五のいってないで二人で来なよ……それぐらいがちょうどいいからさ」
この期に及んで挑発を繰り返すオラージュ。その裏に隠された何かをヴェルザーは薄らと感じ取る。
――二人で掛かれば時間はかかるやもしれんが確実に勝てる。だがヤツにそれがわからないとも思えん……何か企んでいるな。
そして、己の考えを口にする。答え合わせと言わんばかりに。
「貴様の目論見はオレ達をここに引き留めておくこと……そして貴様はこの結界の術者ではない。最も危険に晒される貴様がもし死ねばすべてが無為に帰すからだ」
「へぇ……今度は探偵ごっこかい?」
意にも介さず続けるヴェルザー。彼の考えが正しければ、無駄なことにかかずらっている時間はない。
「本当の術者はこの結界内の安全な場所で、時間が経過することによって結実する何かを目論んでいる……違うか?」
「…………」
沈黙を保つオラージュ。だがその沈黙は、先ほどの推測を肯定しているといっても差し支えのないものだった。
「だんまりか?自慢の良く回る舌も今はお休みのようだな……さしずめ術者の隠れ場所は地下……そしてその入口は結界の外にあると見た。そうでなければ意味がないからな」
僅かな糸口から敵の計画を暴きだしていくその様は、かつて三種族の内最も智慧に長けていると云われていた、『知恵ある竜』の名に相応しいものだった。
「そういうことだ……行け、アトリア。この結界は純然たる竜にしか害を齎さない。お前がこの結界の術者を始末するのだ」
「……御意」
命令を受けたアトリアは即座に飛翔呪文を使い、その場を後にしようとする。
当然、それをオラージュが看過するはずもなく、魔法で打ち落とそうとするが――迫り来る巨爪を目前にし、回避行動を強いられる。
「行かせると――っ!」
「言った筈だ。貴様は俺の獲物だとな」
完全に敵を引き留める機を逸したオラージュは、覚悟を決め冥竜王と対峙する。真の竜王に相応しい者を決める戦いが、今始まろうとしていた。
「まあいいさ。どちらにせよ君を殺せばこちらの勝ちなんだ」
「抜かせ……竜王に対する数々の無礼の代価、その命で贖え」
「――
「ゴアアアアアッッ!」
極大の爆裂光と、冥府の獄炎が真っ向からぶつかりあう。巻き起こる大爆発を尻目に、アトリアは飛び去っていった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
6 とある男の手記
ただひたすらに、魔界の中天を飛ぶ。
相対する二人の下を飛び去り、三分ほどか。戦場を覆う真紅の光幕にぶつかったが、冥竜王の推察通り、抵抗なく抜けることが出来た。
恐らく、地下への入口も魔法陣と同じく隠されているだろう。だが、同じような手法を用いていると分かれば、見つけることは難しくない。
眼下を見下ろしてみれば、何も無い不毛な荒野が広がるばかり。だがそのある一点に、なんとはなしに違和感を感じた。
注視すると、やはり他の場所とは違う。地面の皹の入り方や僅かな起伏によって織り成される模様――それらが規則的になっている、といえば分かるだろうか。
これらが自然に出来ることはほぼ有り得ないと言っていい。つまり、人為的に魔法か何かで隠されている、ということ。
「……ここか」
強く地面を叩いてみれば、帰ってきたのは金属音。掛けられていた隠蔽が解け、合金らしきもので作られた地下への扉が現れた。
表面に帯びている魔法的な封印は、恐らく
ここは力ずくでお邪魔するとしよう。
ふぅ、と息を吐く。一息ついてから、剣に纏わせた
「爆裂斬りッ!」
爆裂・魔神斬りのダウングレード版といったところか。扉を壊すためだけに極大魔法を使っていては体が持たないし、非効率的だ。
大穴が開き、歪にひしゃげた扉の先に広がるのは、先ほどまで来た方向――戦場がある方だ――に広がる、先の見えぬほど長い階段だった。
階段を下りながら思案を巡らせる。
この先にいるであろう結界の術者は恐らく、あの時に会った何者かだろう。
そもそも会ったところでどうするというのだ?対面したとき、今度こそ戦いは避けられないだろう。
……会ったときに考えればいいか。思考を放棄して、ひたすらに続く階段を下っていく。
ようやっと平らな地面に足が着いたと思った途端、真っ暗闇に警報のような音が鳴り響く。
『侵入者ヲ検知。侵入者ヲ検知。コレヨリ迎撃システムヲ起動』
そのような音声とともに、ガチャガチャとした機械音が聞こえてくる。暗闇の中に現れた赤い対の眼光が、自分を取り囲むようにして現れた。
これが迎撃システムとやらだろう。何にせよ、邪魔をするなら蹴散らすだけだ。
ゆっくりと瞼を閉じる。この暗闇の中ならば視覚に囚われる必要はない。鞘に収められたままの剣に右手を置き、その場に佇み、相手の動作音、空気の流れを感じ取る――視覚以外の感覚を研ぎ澄まし、その時をただ待つのみ。
複数の音が、空を切りこちらへと向かってくる。その全てが己の間合いに入ったことを認識し、そして――抜刀一閃。
金属がずれて落ちる音のあと、もうそこには音を発するものはいなくなった。
さて、当面の邪魔は払ったものの、この暗闇では色々と不都合だ。まずは明かりを灯すとしよう。
「
その呪文を唱えた瞬間、己の背後に不可視の光源が現れ、辺りを照らす。範囲はおおよそ半径10メートルといったところか。なんにせよ、普通に行動する分には十分な範囲だ。
周りを見渡すと、真っ二つに両断された鉄くずがそこらに転がっていた。
先に続く道は、左右に分かれていた。一見してみても特に手がかりになるものはない。迷っているくらいなら、どちらかの道をさっさと選んでしまうほうが合理的だろう。
右の道を選んで道なりに進んでゆくと、この施設が何なのか、多少なりともわかってきた。
まず、ここが何らかの研究施設であること。通りがけに適当に入った部屋にあった実験器具などから分かったことだ。
そして、自らが通ってきた通路が弧を描いていること。おそらく、それは反対側の通路も同じで、円を描くような形で繋がっているのだろう。先ほどの考えは間違いではなかったらしい。
そしてここまでその円の内側に繋がる道がないことから、そこに何かがあるであろうことは推察できる。
壁を破壊して内側に入ることも考えたが、何らかの呪法が掛けられているのか、かなりの硬さを誇る上に、その壁の尋常ではない分厚さから、それなりのリソースを割かねば破壊できないと判断。
これからも戦闘が予測されるのに、それは得策ではないといえるだろう。
時折現れる迎撃システムや罠を斬り捨てながら、何の飾り気もない白亜の道を駆け抜けてゆく。それから少ししてから、他のものとは一風変わった扉を見つけた。他の鋼鉄の扉とは違い、青い合金でできた扉に貼り付けられているプレートには『主任専用実験室:警備レベル5』と記されている。
いかにも重要な何かがありそうな部屋ではある。恐らく上で出会った敵の頭目――オラージュが使っていた部屋だろう。
おそらく彼以外は入れないようになっているのだろうが、どうせ壊して入るので関係ない。今までもそうしてきたし、これもそうだ。適当な魔法剣で扉を真っ二つにした。
扉を開けてまず感じ取ったのは、むせ返るほどの血の匂い――死臭。警戒しながらも部屋の中に入るが、周囲に動く物の気配はない。辺りを見回すと、その死臭の原因はすぐに分かった。大部屋の中心に配置されている巨大な手術台から、血溜りが広がっている。
一番奥にある人が入りそうなサイズをしているカプセルや、雑多に置かれている機械や実験器具を見るに、ここは実験室だったのだろう。それも人や魔族などを使った生体実験が行われていたことが推測できる。
ともかく、一々細かく調べている暇はない。
奥のテーブルに無造作に置かれていたノートと、壁に提げられていた鍵束を掴んで、部屋を出る。再び純白の一本道を進みながら、持ち出したノートに目を向けた。
どうやらここで行われていた研究についての日誌が記されているようだ――
1
究極の生物とは何か。魔界において少しでも長生きしている者たちならば、こう答えるだろう。神々が創りたもうた最高傑作――竜の騎士であると。
無論、究極=最強という意味ではない。単純な強さと言う点では、魔界を統べる大魔王や知恵持つ竜など、神代から生きてきたものたちに軍配が上がるだろうと思われる。
だが、竜の騎士は20年かそこらでそいつらと同じ土俵に上がれるほどに強くなる。これを異常と言わずして何と言う?
現に、古代からの実力者や知恵ある竜たちが竜の騎士に粛清された、なんていうのは魔界の歴史を紐解けばちらほら出てくる話だ。
しかし、その竜の騎士にも決定的な欠陥がある。
人間をベースにしているが故に、短命であるという点だ。
この欠陥を克服するため、魔族の体をベースに竜の騎士を人為的に産み出せないかと私は考えた。
そうして真なる究極の生物を創り、己の手駒とすれば、奴を討ち取ることも不可能ではないはずだ。
早速研究に取り掛かるとしよう。幸い、検体には困らないのだから。
2
実験体一号は失敗だ。
もとより竜の騎士を構成する要素の一つである人間の体と心。これらは力に何ら影響しない、むしろ邪魔なのではないかと思っていたが、一概にそういえるものではないらしい。
人間の要素を抜き、竜と魔族の遺伝子のみを使用した生命体を産み出そうとした結果、その二種族の力が体の中で衝突したのか、目も当てられないドロドロの何かとなってしまった。
当然生きているはずも無く、こうなってしまってはただの生ゴミにしかならない。
廃棄処分としておく。
3
実に不快だ。
前回の失敗を鑑みて、使用するサンプルや配合の割合を調整した結果、実験体二号は魔族としての形を保ったまま生を受けることに成功した。
だが、相変わらず二つの力が反発しているせいか、竜の力を持たない、外見に竜の特徴を残すだけの出来損ないが産まれてしまった。
こいつを見ていると、昔の自分を見ているようで非常に苛々させられる。
即刻廃棄処分。
10
奴が死んだ。冥竜王との決戦に敗北したとの情報が入ったそうだ。
自らの手で引導を渡したかったが……仕方ない。
その代わりに奴を殺した冥竜王――ヴェルザーを殺すこととする。
そうすることで私は奴を――ボリクスを超えることができるだろう。
そのためにも研究を迅速に進めていかなくてはならない。そのうち冥竜王による残党狩りも始まるだろう。
雷竜の子という立場を利用すれば、戦力を集められるかもしれない。ちょうど検体やサンプルも不足してきたところだ。要検討だな。
23
地上に侵攻する魔王が現れた。魔界の猛者が地上を求めて侵攻し、そのたびに竜の騎士に粛清される。
幾度と繰り返されてきた光景だ。だが、今回に限ってはその光景が繰り返されるかはわからない。
大所帯を引き連れ1000年もの間生き続けていた大物だ。もっとも、そいつが闘った光景を見た奴は未だにいないと言われているが。
ともあれ、そこまでの大物が地上に出るとなれば竜の騎士が出張ってくるのは必至だろう。
うまくやれば、実物のサンプルを取れる可能性もある。
その軍勢に間諜を紛れ込ませておこう。奴は魔界でも極めて珍しい博愛主義だというから簡単だろう。戦いのドサクサにまぎれて竜の騎士の血でも採取できれば最高だ。
36
研究の方は芳しくない結果が続いているが、進捗は見られる。
研究を重ねた結果、竜の力と魔族の魔力を持つ個体を創ることには成功した。
だが、どうやら竜の力は相当な影響力を持つらしい。魔族をベースにしたはずなのに、知性も持たない、竜を人型に押し込めたような歪な怪物が産まれてしまったのだ。蜥蜴人が一番近いだろうか。
この現象は知恵もつ竜たちが後世に知性を引き継いだ個体を全く残せなかった現象に相似点が見られる。
力を保ったまま魔族を姿を取った者を創ったり、知性を持たせる試みは全て失敗した。
一応強力な怪物程度の戦力は期待できるだろう。一応魔法も使える。戦略を考える頭などは無いが。
研究の過程で産まれた10体程度の個体は、使う時が来るまで牢に閉じ込めておくとしよう。
42
結局、件の魔王も竜の騎士に敗れ去ったようだ。
だが、その配下に送り込んでいた間諜が、決戦が行われた場所から血のサンプルを回収できたようだ。
しかし、その血を解析した所、竜の騎士でもなんでもないただの人間の血であることがわかった。
その役立たずは後で処分するとして、このサンプルもこれはこれで使いでがある。
要するに、この血はおそらく竜の騎士の仲間、つまり人間の中でも最高峰の強さを持つ者のものだろう。
今後なんらかの用途で必要になる場面が出てくることは十分にありうる。
丁重に保存しておこう。
48
予想通り、雷竜の名を使ってボリクスの配下だった者たちに呼びかけた所、それなりの数が集まってきた。竜の姿を持たない私が気に食わない奴もいたようだが、力を見せ付ければすぐに黙った。
冥竜王の残党狩りも苛烈さを増してきた。集まってきた奴らによると強力な刺客を送ってきているらしく、多くの仲間が殺されていたという。未だそいつと戦い生還した者はおらず、奴らはそいつのことを「処刑人」と呼んでいた。
この調子では思ったよりも時間は稼げないかもしれない。この拠点を知るものはもはや外部にいないとはいえ、丹念に調査されれば見つかる可能性はある。
残党狩りの最後のターゲットは自分になるだろう。たが、策はある。
大量の竜の血を捧げて描く古の結界呪法。これで奴を封じ込め叩き、最後にこの施設を砲身に一切合財を消し飛ばす。部下に手に入れさせた黒魔晶を使えば可能になるだろう。
なんにせよ決戦に備え研究を急がねばなるまい。
67
実験体は43号までを数えるようになったが、未だ成功の兆しは見られない。
魔族と竜の血だけでは限界があると判断し、人間の要素も取り入れた実験体を作成した。
これが中和剤のように作用したのか、力と魔力を両立した個体を創ることには成功したが、問題点も多い。
最大の問題は魂が宿っていないことだ。これではいくら強かろうと、ただの動かない肉人形に過ぎない。
もうひとつは力の割合が魔力に偏っていることだ。単体で全てをこなせるからこその竜の騎士であって、弱点が生まれてしまうのはよろしくない。
これらに関しては新たに取り入れた人間の血が影響していると予測される。
元より人間と魔族は子を為せるほど親和性が高く、魔族の力が強く出たのもそのせいだろう。
魂に関しては、肉体の強さに反して精神が追いついていないためだと思われる。この研究によって完成するのは竜の力と魔族の体と魔力、そして人の心を持った究極の戦士。
その器の強大さに只人の心では耐え切れないのだろう。
早速、例のサンプルの出番が訪れたかもしれん。
だが、あれはごく少量しかなく、使用できるのは一回のみ。ここから実験を重ね、それ以外の課題を解決していくことが先決だ。
この個体は数体作成し、魔力タンクとして運用する。これで黒の核晶に込める魔力を賄えるだろう。
77
ついに完成した。
研究に研究を重ね、実験を繰り返し、ついに我が最高傑作は完成した。
完璧なる力の調和にして究極の生物。人造竜の騎士――実験体百号が。
魔族の身のままでありながら、身体能力・魔力・知性が平均のそれを軽く凌駕している。
精神と身体ともに何の異常も見られず、至って健康だ。
自分でもこれ以上のものは創れないといえるほどの出来である。
唯一にして最大の懸念点を挙げるならば、竜の紋章だろう。
通常の竜の騎士の紋章は成年への成長とともに発現するため、幼体の現在ではその存否を確かめる方法はない。
訓練と教育を施しつつ、経過観察を行っていくこととしよう。
82
経過は極めて順調だ。
能力の成長にも陰りは無く、異様とも言える速度を見せている。
その上、電撃呪文の習得も確認された。最も、サンプルに雷竜の血を引いたドラゴンを使っているのだから、元より使える可能性はあった。
だが、今までの失敗作どもはそれすらも出来なかったのだ。
ともかく、研究のほうは最早年月が経つのを待つのみ。
しかし、各地に散らした雷竜の犬どもも連絡が取れない者が半分を超えた。
残された時間は思ったよりも少ないようだ。
91
何故だ?何故竜の紋章が発現しない?
実験体百号の完成より50年。魔族が成人するには十分すぎる時間だ。
確かにこの肉体は究極の生物と呼ぶに相応しいものだった。現に僅か50年で配下の幹部に匹敵、あるいは凌駕するほどの強さを身に着けている。電撃呪文も不自由なく使用できる。
それなのに何故だ?竜の紋章だけは発現しない。
完成間近のパズルの最後のピースをどこかに隠されたような……そんな歯痒さと憤りを感じる。
99
認めざるを得ない。実験体百号すらも失敗作であるという事を。
結局、あらゆる手段を用いても竜の紋章の発現は確認できなかった。
極限状態に発現するという文献を読み、徹底的に追い詰めた。強い感情の発露とともに現れると聞いて、あらゆる苦痛を与えた。戦いの中で覚醒することを期待し、100日間休む間もなく戦わせることもした。
だが、どのような試みも私の望む結果をもたらすことは無かった。
なぜだ?竜の紋章は神による賜物で、下界の者たちには触れ得ぬ領域にあるとでも?
それとも、まさか……人間であるからこそ発現するのか?魔族や竜に比べればちっぽけな、火花のような一瞬を生きる人間にのみ許された、一抹の輝きこそが、あの紋章なのか?
だが、いくら考えてももう遅い。目ぼしい幹部どもは全て始末され、残るは私と竜の雑兵が一万と少しだけ。
私に『次』を考える時間はもう無い。
100
全てを併せ持つ者を天は許さない。
三界の均衡を崩すものは竜の騎士に粛清され、その竜の騎士も定命に縛られる。神々は弱き人間に太陽を与え、魔族と竜から地上を奪った。そして神代の竜たちからも、その強さ故に、その血脈から知恵を剥奪しようとしている。
神々が持ちすぎた者の誕生を許さないというならば。
遍く産まれる全ての生命は欠けていなければならないと言うのであれば。
欠けている所は、埋めればいい。
足りないならば、足せばいい。
はじめからこうしていればよかった。
記述はここで終わっている。
日誌を読み終わり、進んだ距離はちょうど半分といったところか。恐らくここは入口の正反対の場所にあるということになる。
日誌を懐に仕舞い、目線を元に戻す。そこには、円の内側へと続く重厚な大扉が鎮座していた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
7 継ぎ接ぎの怪物
――その頃、地上では。
「ギガデイン!」
宙を舞うオラージュが腕を振るう。
その度に荒野に雷鳴が轟き、何条もの雷霆が雨のように降り注ぐ。
「この程度でオレを退けられると思うなよ」
だが、その暴威に晒された漆黒の巨竜――ヴェルザーは、まるでひらりと舞う一枚の羽のように死の豪雨を潜り抜けてみせる。お返しとばかりに炎の吐息をお見舞いするが、それも
数多の雷が降り注ぎ、業火が大地を嘗め、爪牙が巨岩を抉る。
地形が変わるほどの闘いを繰り広げた結果、周囲はもはやどちらの兵もおらず、二人だけの竜王を決める決戦場となっていた。
いつまでも続くようにも見える二人の決闘。だが、その均衡が崩れ、趨勢が傾く時は確かに近づいていた。
オラージュが再びヴェルザーとの距離を離すために呪文を放つ。
「しつこいなぁ……! イオナズン!」
撃ち出された多大な爆裂エネルギーは、それを迎撃せんとし、爪を構えるヴェルザーの前方で炸裂する。
この
間髪入れず巨大な白煙に向かって
――かに、思われた。
「……っ!?」
白煙の中に撃ち込まれた
と、同時に煙の中から暴風が吹き荒れ、全ての煙を吹き飛ばす。その中にいたヴェルザーは、鏡のような光沢を湛えた、薄紫の幕に包まれていた。
「
かつてはあらゆる種族の中でも最も慧知に長けたとも言われる知恵ある竜。その古代からの生き残りであるヴェルザーにとって、現存する呪文など容易く使いこなすことができる。
最も、普段は竜としての力で叩き潰すほうが強いし効率もよいのだが……このような闘いであれば、手札の数が活きてくる。
そのまま翼をはためかせ、凄まじい速度でオラージュに肉薄するヴェルザー。跳ね返された
「ようやくご対面だな」
その言葉と同時に振り下ろされる右腕に対し、オラージュは腰に提げていた剣を抜き受けとめるほかに選択肢は残されていなかった。だが、冥竜王の剛力に対し、その細腕ではあまりにも無力。その力の差は、オラージュが吹き飛ばされ、地面に叩き付けられるという結果となって現れた。
当然、追撃に向かうヴェルザーに対しまたもや剣を盾にするも、それは前回と同じ結果に終わる。
そのまま攻勢を重ねるヴェルザーと、ダメージを受けつつも耐え凌ぐのが精一杯なオラージュ。闘いの趨勢は冥竜王に傾きつつあった。
「弱い……! この程度の力でヤツの後継を名乗るなどおこがましいわ!」
「ぐうっ……!」
ヴェルザーが縦に一回りし、遠心力を乗せた己の尾を叩きつける。ミシミシと骨が軋む音と共に、あまりの衝撃にオラージュの周囲の地面が陥没し、小さいクレーターが作られた。
拮抗というのは一度崩れ始めたら脆いものだ。先程までの互角だった戦況と違い、一手を経るごとに目に見えてオラージュが追い込まれていく。
しかし、明らかに追い詰められているにもかかわらず、オラージュは顔に貼り付けた笑みを崩してはいなかった。だが――
「クク……それにしても合点がいったわ」
「なんだって?」
ヴェルザーは愉快だと言わんばかりに肩を揺らして笑いを堪えていた。
「ボリクスを討ち取る際にオレは討ち漏らした血族が居ないか念入りに確認した」
「……何が言いたいんだい?」
冥竜王の間合いから逃れるため、後方へと下がろうとするオラージュだが、ヴェルザーも即座に追いすがる。ヴェルザーの攻撃を捌きながら、闘いの最中に始まった問答に怪訝そうな態度を見せるオラージュ。
「当然だが、捕えた側近に拷問もしたし、寝返ったヤツからも話を聞いた……集められる情報は粗方集めたのにだ。何故貴様の存在が今の今まで判明しなかったのだ?仮にも雷竜の息子を名乗るお前の存在が」
「それはっ……」
言葉に詰まるオラージュ。ヴェルザーはそのまま言葉を続けた。
「その非力さ……お前は雷竜の息子として生を受けながらも、竜の姿と力を受け継ぐことが出来なかった」
「…………」
ヴェルザーの言葉にオラージュは押し黙る。その顔からは、いつの間にやら貼り付けた笑みは消えていた。
「故にその存在は秘匿された……竜の姿と力すら持たないお前の存在は、味方にも敵にも知られてはいけない恥晒しに他ならないからだ」
「誰からもその生を祝福されることのない――出来損ない。竜の力も持たぬお前が、雷竜の名を騙るなッ!」
その言葉と同時に放たれた火炎が、オラージュの上半身を焼き払う。
肉体は非力なオラージュにとって、この攻撃の直撃は決定打になりうる――はずだった。
「黙れ」
業火の中から確かな足取りで現れたのは、焼け焦げながらも未だ健在なオラージュ。焼け落ちた白衣の下に見えるのは、色鮮やかな竜の鱗に覆われた胴体だった。
「俺を……出来損ないと呼ぶな」
オラージュの脳裏に、忌まわしき過去の記憶が蘇る。
培養液に満たされた巨大なカプセルの中に浮かぶ小さな人型――おおよそ5歳くらいの体形だろうか。それを見つめているのは一匹の巨竜だった。
「……失敗か」
やがて辺りで鳴っていた機械の駆動音が止まり、カプセルの中から液が抜けていく。音を立てて開いた試験管の中に手を突っ込み、己の子を汚いものをつまむように取り出す巨竜――ボリクス。
つまんだそれを適当なテーブルの上に放り出し、侮蔑の視線を向ける。少なくともそれは、我が子に向けるものとしてはとうてい適切なものとはいえなかった。
「あ……」
意識してのことか、本能で感じ取ったのか。取り出された子供は、言葉にならない言葉を発し、己の親に縋る様に手を伸ばす。
しかしボリクスはもうそれには興味を失ったのか、その方向を向く事すらせず、独りごちる。
「どうも竜と竜との交配ではどうしても知能は引き継げんようだから、魔族の血を混ぜた上でオレの血が強く出ればとも思ったが……やはり駄目だったか」
そう。これはオラージュの原初の記憶。
「さて……こいつをどうするか……例の牢獄で看守ごっこでもさせておくか」
フン、と鼻を鳴らし、ボリクスは苛立ちと失望の入り混じった表情で、己が息子にその言葉を言った。
「オレの手を煩わせよって――この出来損ないが」
場面は戻り、再び現在へ。
「ようやくその気色悪い笑みをやめたな」
「お前の言うとおり……俺は雷竜の血を引いて産まれながら竜の力を持たなかった」
そう語り始めたオラージュの瞳には、秘められていた狂気が隠されることなく顕わになっていた。
「俺が受け継いだものは……知恵持つ竜の慧知と、魔族の血から齎された魔力だけ……産まれてすぐに俺はここに追いやられた……
「ヤツも知恵持つ竜の血脈を残すため、色々と足掻いていたわけか」
「だから俺はあいつを殺すことに決めた……そうすることであいつを超え、自分が出来損ないでないことを証明するために……お前はその代替に過ぎないのさ」
「そいつは結構だが……これから死ぬお前には到底不可能な話だと思わんか?」
そういってヴェルザーは、ボロボロのオラージュの元へ歩みだす。
「いいや」
だが――
「確かに俺は産まれ持った力だけではあいつやお前のような知恵持つ竜には敵わなかった……それは悔しいが認めざるを得ない」
オラージュに近づいたヴェルザーはあるものを目にし、その歩みを止めた。
「生まれ持った力じゃ届かない……足りないと言うのなら。竜の力を生まれ持たぬが故に勝てないと言うのなら……!」
オラージュの胸の竜鱗の下には継ぎはぎの手術痕があった――その異様な様相を目にして、ヴェルザーは歩みを止めたのだ。
「持たぬならば奪えばいい。欠けているなら補えばいい……! 足りぬのならば足せばいい……! たとえ継ぎはぎで不恰好と言われようとも、届くのならばそれでいい……!!」
そうして彼は、その呪文を唱えた。
「この身に取り込んだ幾千の竜の因子、竜の力を見せてやる――
「オオオッ……!?」
一瞬、その場に光が満ちる。それは解放された膨大なエネルギーの発露だった。
「グオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
光が収まったあと、そこに有ったのは――怪物だった。
幾つもの竜のそれを継ぎはぎしたと一目で分かるような、場所によって色も大きさも違う鱗。
一つ一つが別種のもので構成されている九つの頭。
左に3本、右に5本生えている不揃いな竜翼。
複数本が捩れて絡まっている歪な尾。
6本だったり4本だったりする爪の先からは、毒が滴り、雷が迸り、冷気が漂い、火花が散っている。
とても素直に竜とは呼べないような、悍ましい継ぎはぎの怪物。
それに名をつけて呼称するならば――
「フン……醜悪だが、その貴様の執念だけは認めてやろう」
「抜かせ……! その余裕面を剥ぎ取ってやる……!」
竜王と化物が相対する。次の瞬間、2つの巨体が凄まじい速度で激突した。力と力の衝突が衝撃波を辺りに撒き散らし、周囲の地形が平らになる。
がっぷり四つに組み合った二人の力は、拮抗しているようだったが、オラージュが即座にそれを崩しにかかる。
なんと、背中からもう一本腕が生えてきて、冥竜王に爪で斬りかかったのだ。両腕を押さえられているヴェルザーは、それに対応する術はない。そのまま、胸に3本の傷を刻みつけられた。すかさず絡められた腕を振り払い、距離を取る。
「チッ……化物が」
「何とでも言え、お前を殺し俺は竜王の座を奪って見せる……!」
距離を離したヴェルザーに対する追撃の一手は、魔法。だが、ただの魔法ではない。
6つの頭が同時に、異なる呪文を唱え始める。
「メラゾーマ」「バギクロス」「ライデイン」「ヒャダイン」「べギラマ」「イオラ」
それぞれの頭から唱えられた呪文を実行するには、手の数が到底足りないが――即座に体から生えてきた幾つもの触腕が、腕の役割を果たす。
放たれた六つの呪文が、完璧なタイミングで放たれる。防ぎきれないように意図して時間差をつけた呪文が、ヴェルザーの元に殺到した。
まるで熟練の魔法使いを6人同時に相手しているような錯覚を覚えるほどの攻撃。ヴェルザーはそれを迎撃するために動く。
放たれた吐息が冷気を相殺し、爪を振るい閃熱を撃ち落とす。巨竜の羽ばたきが真空を打ち破り、爆発球をその牙で噛み砕いて見せた――だが、それだけ。
火炎と稲妻が冥竜王に直撃し、その体を焦がす。だが、ダメージを受けたのにも関わらず、その顔には暗い笑みが浮かんでいた。
「クッ……フフフ……ハハ……フハハハハハハハハ!!」
「……何がおかしい」
ひとしきり笑い終えた後、嘲るような口調でヴェルザーは言った。
「ふぅ……いやなに、何をしようが出来損ないは出来損ないのままなのだと思ってな……おかしくてたまらんわ」
その言葉を聴いて、九つの頭のうち、真ん中に位置する頭――雷竜に酷似している――の瞳に、一層強い殺意が宿る。
「一度ならず二度までも……貴様、楽に死ねると思うなよ……!!」
「……貴様は竜王になると言っていたな……これがか? この醜悪な怪物が竜王に相応しいとでも?」
「それがどうした、容貌などどうでもいい、竜の力さえ備わっていれば――」
そして。冥竜王はオラージュが目を逸らしていた事実を口にする。
「この結界――竜のみを閉じ込め、力を押さえつけるモノだったか。ではなぜお前はこの結界の縛りを受けないのだろうな?」
「……黙れ」
「所詮お前はどこまでいっても紛い物……真の竜王には程遠い。いくらお前が竜の力を欲し、その身に取り込もうとも……その核にお前という贋物がいる限り竜にはなれない。何度でも言ってやる――お前は出来損ないだとな」
「黙れえええッ!!」
耐えかねてヴェルザーに跳びかかるオラージュ。無数の腕と触腕でその巨体を押さえ込み、そのまま持ち上げて力任せに地面に叩きつける。
その後、すかさず不揃いな翼をはためかせ空中に飛び上がり、地に寝転がる格好となっている冥竜王を見やる。
「おしゃべりは終わりだ……この一撃でさっさと死ね……!」
「くだらんおしゃべりを始めたのはお前ではないか……それに、簡単には死なせないと言っていたが、あれは虚言か?」
窮地に陥っても尚余裕を崩さないヴェルザーに、オラージュの怒りは遂に振り切れた。
「消えろ……!」
オラージュの九つの口に、膨大な力が収束されていく。やがて溜まり切ったそれは、ヴェルザーという一つの標的に向かって、一斉に放出された。
炎が。冷気が。雷が。腐毒が。水流が。酸が。闇が。真空が。光が。
あらゆるエネルギーが絡まりあい、濁流となって殺到する。
「ヌウウッ……グアアアッ……!!」
混沌の濁流とでも言うべきそれは、大地を抉り取り、ヴェルザーの居た地点に大穴を開けて見せた。
どうやら攻撃の威力が強すぎて、地下の空間まで繋がってしまったようだ。
しかし、それほどの攻撃を受けて尚、冥竜王は絶命していないということを、オラージュは感じ取っていた。
「クソッ……! しぶといやつめが……!」
オラージュも冥竜王を追い、大穴に飛び込む。戦いは次の局面に移り変わろうとしていた。
キャラクタープロフィール⑤ オラージュ
【年齢】637歳
【種族】知恵ある竜と魔族のハーフ
【出身地】魔界 ボリクス領(現ヴェルザー領)
【体力】6(10)
【力】5(9.5)
【魔力】9(9)
【技量】7(5)
【得意技】ギガデイン (混沌の濁流)
【特筆事項】電撃呪文使用可能 (多重行動)(超再生)
()内は変身後
変身後は耐久極振りで手数と筋力で殴ってくる。竜5000体分の命のストックを削りきるか、広範囲高火力ぶっぱで消さないと延々再生するクソゲー押し付けマン。
多重行動と二回行動の違いを例えると、二回行動は常人より二倍早く動いて二回行動する感じですが、多重行動は手が4本あって一回に二手分の攻撃ができるとかそういう感じです。
ボリクスさんが科学的にアレコレして生まれた魔族ハーフの息子。
出生と親からの扱いのせいでコンプレックスの塊になってしまった模様。
600年くらい生きているが、ずっとこの施設に押し込められていたので外のことはあまり知らないようだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
8 二人の人形
円の内側へと続く大扉。
部屋から持ち出した鍵束の中で、一番巨大で豪奢なそれを、鍵穴に差し込み、回す。
大扉がゆっくりと、石が擦れるような音を立てながら開いた。
扉と重なるように展開されていた、真紅の光幕を再び通り抜ける。やはりこの円状の壁に沿うように結界は展開されていた。
そして、その扉の先に広がっていたものは――監獄だった。
円の外郭に隙間無く配置されている牢屋に、中心へと伸びてゆく無数の渡り廊下。
その道の先に聳え立つは、この牢獄の全てを見通す
これを見ておぼろげだったパズルのピースが頭の中で噛み合う。ここは雷竜の敵や、都合の悪い者を押し込んでおく牢獄。
あの
そしてこの円筒は砲身。黒の核晶の爆発を圧縮し、指向性を持って炸裂させるための。外壁が異様な硬さを誇るのはそのためか。
確かにこれを利用して
自分が入ってきた位置は高さにして中くらいほど。下を見下ろしてみれば、地上で見たものと同じ六芒星の魔法陣が、最下層の地面に刻まれていた。
そして。
監視塔に備え付けられていた螺旋階段から、足音がする。
「……はい。……はい。……わかりました」
コツリ、コツリと、怯えの混じった聞き覚えのある声色とともに、それは近づいてくる。魔法か何かで連絡を取っているようだ。
……頭痛がする。
「はい。……ここに来た者を殺せばいいんですね」
それは階段を上り終え、足音を止める。小柄な黒いローブについたフードの中から、何の模様もない白の仮面越しに向けられた視線と、目が合った。
その瞬間、己があの者に何を感じていたのかを、一つ悟る。
人形なのだ。自分と同じ――人形のような有様。それが空虚によるものなのか、恐怖によって抑圧されたものであるかという違いはあるが。
そしてこいつは恐らくあの日誌に記されていた、人造竜の騎士だろう。
何から何まで、鏡写しにされた自分を見せ付けられているような気分だった。
「…………」
「…………」
人形と人形が相対すれば、こうなることは自明だった。
相手が敵であるならば、そこに言葉は必要ない。
互いに同時に剣を抜き、同じ呪文を唱える。有様も、行動も全て同じ。
鏡写しの戦いが、今始まる。
「……メラゾーマ」
「メラゾーマ」
両者より出ずる灼熱の火炎は、敵に放たれることはなく、その剣を嘗める様に纏わりつく。
そして、またもやほぼ同時に前に踏み込んだ二人の灼熱の剣が、通路の中心で激突した。
そう。これは――
――魔法剣。
相手にとってはこちらも魔法剣を使ってきたことは、とんだ想定外らしい。
微かな動揺が見て取れた隙に、火勢を強める。拮抗していた鍔迫り合いが崩れ、こちらに傾こうとした時。
二つの魔法剣の衝突が生んだ超高熱が足元の通路を融解する。当然、二人は空中へと投げ出された。
空中での剣戟が始まる。二刀の連撃に対して、一本の剣でいなし続ける相手も相当な腕。
だが、攻めに転じられない時点でその程度。僅かな呼吸の隙を見つけ、それを広げるように只管に打ち込み続ける。
「フンッ!」
「くっ……イオ!」
相手が剣の腕では不利と悟るや、開いた片手で
そして、一連の攻防を終えて、一つの確信に至る。
剣の腕でも、魔法の強さでもオレの方が優っているということ。
同じ様な存在ならば、より戦いに多く身を投じ、経験を積んだほうが強いという、ある種当たり前のことだ。
それと同時に、大魔王の言葉を思い出す。
――互いに最善手を打ち続ければ、ただ強い方が勝つのみだ。
そして今の現状は、それと全く同じもの。実力差を覆す手段がなければ、そのままじりじりとこちらが勝つだろう。
と、考えていれば、背後で鉄格子の開く音がした。複数の動く気配。
「……やれ」
質で駄目なら数で来たか。だが何も問題はない。
そのまま動かずにいたアトリアに、気配の主が続々と迫り来る。
それは人型をした竜。既存の種で例えるならば
そして――蜥蜴でなく竜であること。ただの蜥蜴とは一線を画す力強さとスピードで、その無防備な背を襲わんとして、3匹の竜人が飛びかかる。
心臓、首、鳩尾。図らずも、人体の急所を的確に狙ったのは獣としての本能か。剛力が込められた拳と研ぎ澄まされた鋭爪、そして獣性の滲み出る
いち早く状況を把握した仮面の者が、命令を飛ばす。だが、既にアトリアは行動を終えていた。
「そこから離れ――ッ!」
何も無いように見えた空間が歪み、そこから姿を現したアトリア。完全に虚を突かれた竜人たちは、皮肉にも各々が狙った急所にそのまま剣を突き入れられ、声を上げる間もなくその命を刈り取られた。
そう、アトリアは
とはいえまだ竜人たちの半分以上は健在で、仮面の者も未だ無傷。だがそんなものは障害にはならないといったふうに、アトリアは握っている
「……かかれ!」
号令が飛ぶ。アトリアの周囲に未だ蠢く気配と共に、仮面の者も剣を携えて飛び出した。
身をよじり拳を躱し、剣を受けるアトリア。途切れる気配の無い攻勢に、守勢から転じる手立てを講じるため、思案を巡らせる。
――さながら獣の狩りか。
攻撃は絶やさず、しかして慎重に。決して必要以上に踏み込まず、代わる代わる攻撃を仕掛け体力を削る。その統率の取れた様はまるで、狼の群の狩りを彷彿とさせる。
――ならば……一瞬でもいい、隙を作り頭を叩く。
正面より振るわれた爪に対し、自ら進んでいくアトリア。そのままアトリアの肉を裂くように思われたそれは、そのまますり抜けた――ように見えた。
「グァ?」
そう、あれは魔法ではない。ただ、極限まで敵の攻撃を引き付け、触れているように見える程の僅かな間合いで攻撃を躱しているだけ。
無論、こんなことをする意味はほとんど無い。余裕を持って避けたほうが安全に決まっているし、実際これはアトリアにとっても一種の賭けであった。だが、刹那の見切りとでも言うようなこの絶技は、確かに一瞬の間隙をもたらした。
竜人の間の抜けたような声をよそに、すり抜けるようにして突き出されたその腕に、後方からも襲い掛かろうとしていた別の竜人の剛腕がぶつかり合う。対処すべき一手を省略することにより、アトリアに行動する時間が僅かながらにも与えられた。
「……ッ!?」
アトリアは、空のように見えた左手から、仮面の者に向け、何かを投げるような動作をとる。
怪訝そうにしていた仮面の者も、直感とも言うべき何かを感じると共に、その少し後に聞こえた風切り音を聞き、咄嗟に左腕を前に出しガードするような体勢を取り――
――超高速で飛来した何かが左腕に突き刺さり、そのまま吹き飛ばされ中央の監視塔に磔にされた。
「これは……ッ!」
左腕に突き刺された不可視の楔、その輪郭が持ち主の手を離れ明らかになる。
それは剣――アトリアの持つ双剣の片割れだった。その鍔の中心にある宝玉に込められた魔法の輝きが失せられて行くにつれ、仮面の者は事の次第を理解した。
――
攻撃呪文以外を魔法剣に用いるという理外の発想。この思考の外からの一撃に完全に遅れをとった結果が、無様にも磔にされているという現状だった。
そして、統率者を欠いた獣の群れの末路はひとつ。
「
「グ――ガアアァァァァ!!」
群れのリーダーを失ったことで産まれた空白と混乱につけこみ、狂気の光が煌いた。
瞬く間に竜人たちの目が血走り、錯乱の渦に飲み込まれる。
先程までさながら軍隊のような統率を誇っていた集団が、狂気と血に塗れた蟲毒の如き様相を呈していた。
やがて一匹一匹と、互いを喰い合い、その数を減らしてゆく。最後に立っていた一人の心臓に剣を突き入れると、そこに立っているものは一人を除いていなくなった――
まだだ。
「ぐっ……ああぁ!」
竜人どもの始末を終え、前に向き直ると、中央に磔にした筈の奴がいた。息も絶え絶えといった様子で、左腕の肌が露出している。
青みがかった肌色と血の飛び散ったローブから察するに、自らの右腕を切り落とし、拘束から抜け出したのだろう。その後は魔族の再生能力で元通りというわけだ。
だが、純血の魔族ではないためか、再生にはそれなりに体力を使うようだ。あとは体力を無くした相手を仕留めて終わり――だと思ったが。
「――
ゆらゆらと、まるで幽鬼のごとくこちらに歩み寄ってきた仮面の者の剣先が、僅かにぶれる。
そのまま振り下ろされたその剣を受ける直前に――
剣先を避けたにも関わらず、頬に一筋の傷が走る。そうだ、これは魔法剣。
受けた攻撃の手法を即座に割り出し、戦法を模倣するとは。竜の騎士に備わった類稀なる戦闘センス。それが奴にも齎されているということだろう。
「はあああぁっ!」
今こそが好機といわんばかりに、攻勢を強める仮面の者。
なるほど確かに厄介だ。一流の戦士ならば、空気の動きや相手の気配を読み取り、見えぬ攻撃に対処することは可能だろう。しかし奴のそれは、見えるが故に惑わされる。そこに実体があるのだけは確かな故に、その本当の太刀筋を見切ることが出来ないのだ。
虚実を交えたまやかしの剣閃が、身体に傷を次々と刻んでゆく。凌ぐことに徹していれば致命傷を受けることはないが、こちらとしては先を急ぎたい所。
黒の核晶がいつ炸裂するとも知れない状況だ。時折感じる揺れと、心臓の鼓動にも似た大きな魔力のうねりが、残された時間が少ないことを否が応にも感じさせる。
こちらの手札にはまだ最後の
「……メラミ」
「ヒャダルコッ!」
牽制に打ち出した
火炎と冷気の衝突で産み出された水蒸気。その中で奴は再び幻影の剣を振るうが、本当の太刀筋は水蒸気の動きによって、はっきりとその目に見えるよう、映し出されていた。
一瞬のうちに見切った剣筋に、渾身の一振り。込められた力の違いに、奴は後ろに弾き飛ばされる――今だ。
「闘魔……傀儡掌」
「ハアッ!」
この身に宿す暗黒闘気はごく僅か。当然のごとくその貧弱な傀儡掌は、奴には跳ね除けられる。
だが、狙いはそこではない。狙いはその遥か奥――中央塔に突き刺さるオレの剣。
通常であれば到底そこまでは届かない。だが、あの剣には少しではあるが、暗黒闘気を込めてある。
その僅かな闘気を標に、か細い暗黒の糸が剣へと絡みつく。――そしてそれを、思い切り引き寄せた。
「なっ……ッ!?」
「……甘いな」
不可視の次は、背後から。二度目の魔弾が奴に襲い来る。完全なる死角を突いたそれは、剣を持った右手を斬り飛ばして見せた。
引き寄せられた剣を手に掴み、二刀を鞘に収める。そのまま飛翔し、両手に魔力を集中する。
これで終わりだ。
「――
焦熱の光条が解放され、眼下にある悉くを焼き尽くす。その被害を被った通路は融解し、同じく直撃を受けた奴も、足場を失い最下層まで落下し、叩きつけられる。
殺さない程度には抑えたが、もはや精魂尽き果てたという状態だ。もう戦闘の継続は不可能だろう。
とりあえずは黒の核晶の捜索・封印が先決だ。自分も最下層へ降り立ち、魔力の波動の大本を辿り、中央塔に繋がる扉の前に立つ。
鍵束からその扉の鍵穴に合いそうな物を探して、差し込む。どうやら当たりだったようで、ゆっくりとその扉は開いていった。
部屋の中に入ってまず聞こえてきたのは、駆動音。中央の台座に備え付けられた黒の核晶に伸びている幾つもの管が、そこに魔力を運び込むたびに脈動する。
その管の根元には、魔族と思わしき人物が納められたカプセルが、壁際に何個か鎮座されていた。
とりあえず軽く剣を振るってカプセルを破壊し、管を切り落とす。凍結処理を行うにあたって魔力供給を断ち、不測の事態を防ぐためだ。
そうしてから、黒の核晶を封じるべく力一杯に氷系呪文を放った。
「
両の手からあふれ出す極寒の冷気が黒の核晶を包みこむ。瞬く間に対象は凍りつき、その魔力の鼓動も鳴りを潜めた。
次は結界だ。
頭痛は未だに治まらない。むしろ、倒れている仮面の者に近づくたびに、それは強まっていく。
「あ……うう……」
自分がどうしたいかはまだ分からない。ただ、胸の内に燻る何かは未だ健在だった。
こいつの何がそれを齎しているのか確かめるために、まずは顔でも拝んでやろうと、焼け焦げてボロボロに崩れそうな仮面を取り払うと――
その手が、止まった。
仮面の下に現れた素顔は、流麗な黄金の長髪と、空をそのまま映し出したような碧眼をそなえた少女だった。
死への恐怖と覚悟、さらにはそれに相反する安堵すら孕んだその貌を前に、自分が抱いていたものが何なのかを悟る。
あの時と同じだ。大魔王の居城で目覚めたあの日、あの言葉。
この色のない世界において、あの言葉とこの少女だけが色を持っていたからだ。
思い出したのだ。この顔を、この瞳をオレは知っている。失われた記憶の断片として。
一度自覚してみれば、胸の底から様々な感情が溢れ出す。
少女への憐憫。このような目にあわせた存在への怒り。そして――守りたいという気持ち。
「……すまん」
傷つけてしまった事に対しての償いの言葉を口にすると同時に、施設を襲う揺れが、轟音と共に響く。
黒の核晶の爆発寸前の予兆かと思っていたが、地上での闘いも影響していたらしい。
殺さないようにはしたが、危険な状態であることに変わりはない。
今ほど回復呪文の才能があればとも思ったが、無いものは仕方がない。その代わりに、携帯していた上薬草を少女に差し出した。
「食え」
「……なんで…………」
「……今は何も言うな」
ゆっくりと薬草を咀嚼する少女を尻目に、地上からの轟音が増し、それに伴った揺れも激しくなる。
いや……これはもうそんなものではない。地上の岩盤を掘り砕き、何かがここまで突き進んできている。
そして、衝撃と轟音が最高潮に達したとき――混沌の濁流が天蓋を打ち砕き、冥竜王と共に流れ込んできた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
9 真の竜王
天蓋を突き破り、雪崩れ込んできた混沌の濁流。
それに押し流されるようにして落ちてきたのは、ぼろぼろになった冥竜王だった。
なかなかに手酷くやられたようだ。
そのまま周囲を見渡した冥竜王は目聡くこちらを見つけ、声を掛けてきた。
「チッ、やってくれたな……アトリアよ、結界の解除はまだか?」
結界……今後ろで休んでいる少女が、恐らくその術者なのだろう。
だが、それを知れば冥竜王は少女を始末するよう言うに違いない。
「いいえ、ですが黒の核晶のほうは既に処理しました」
「そうか……で、その女は何だ?」
「……結界の術者かと思われます」
だが、それに従うつもりもない。ただただ命令に従って生きるより、己の欲望に従って生きたほうが遥かに良いと、冥竜王自身だって言っていた。
「は?何故生かして――」
その言葉が続くことは無かった。天蓋に空いた大穴から降り立った、一匹の化物の咆哮に掻き消されたからだ。
「ヴェルザァァァァァ!!!!!!」
なんだ、あの化物は?竜を不器用に継ぎ接ぎしたような醜悪な姿――あれが先程見たオラージュの真の姿なのか?
漂わせる荒々しいまでの力とは裏腹に、その瞳には未だ深い知性が伺えた。最も、理性の方は完全にかなぐり捨てているように見えるが。
いや、姿形自体はどうでもいい。問題は――明確に分かるほど、奴がオレより強い、と言うことだ。
その化物は、座り込んでいる少女を見やって、こう吐き捨てた。
「奴は……敗れたか。
失敗作に向けるような、侮蔑と失望に塗れた視線――それを向けられた少女は、激しい怯えを露にする。
身が震え、額には脂汗が浮かぶ。余程の恐怖を刻み付けられていなければ、こんな形相は見せないだろうと思えるほどに。
その視線を遮るように、少女の前に立つ。
「はっ……! その出来損ないに情でも沸いたか?」
しかし彼女に敵意の視線を向ける存在は、眼前にそびえるオラージュだけではなかった。
「その女が結界の術者なのだろう、さっさとどうにかしろ」
どうにかしろとは言うが、一番手っ取り早い方法は術者を殺すこと。暗に少女を殺せといっているのと同じようなものだ。
だがまあ――
「……結界の解除は出来るか?」
こくりと小さく頷いて、やってみると言わんばかりに結界の中心に両手をかざす少女。
小さく震えるその手に、魔力が収束しかけるが――
「やってみろ。またこの世のあらゆる苦痛を味あわせてやるぞ……!!」
「あ……ああ……!!」
少女の脳裏に
その様子を見ていた冥竜王が、遂に痺れを切らした。
「もうよい。――その女を殺せ」
以前までの自分であれば、戸惑いも無く実行したであろう。だが、今の己は粛々と主の命令に従うのみの人形ではない。
断固たる口調で、毅然と否定してみせた。
「――拒否します」
そこには心残りも、後悔もない。今の自分を鏡で見れば、きっと見たことの無い面構えをしていることだろう。
だがしかし、それを見た冥竜王は命令拒否に対する憤怒ではなく、喜悦に口元を歪ませていた。
「……ほう。では……どうする?」
決まっている。
「無論――オレが奴を仕留めます」
高らかと宣言する。眼前に立ち塞がるは偽りの竜王。
はっきり言って、戦いになれば負ける公算の方が高い。それでも、決して言葉を覆したりはしない。
「クク……クハハハ……! いいだろう、やってみろ。オレは手を出さんぞ」
――あなたは、生きて。
大魔王の居城で目覚めた時から、ずっとこの言葉が己を縛り、突き動かし続けていた。
今やっていることは半分自殺行為のようなものだ。大人しく命令に従い少女を殺せば、結界から解き放たれた冥竜王が全てを終わらせてくれるだろう。そのほうが賢いに決まっている。
それでも、死ぬかもしれないと分かっていても。あの言葉を破ってまでも、守りたいという覚悟が、今胸の中で燃えていた。
飛んできた火炎弾を一刀で切り捨てる。
「黙っていればぺちゃくちゃと……! そのサルにも劣る低次元な感情のせいで貴様は死ぬのだ!」
「ずっと黙っていた方が身のためじゃないのか? ……出来損ないはお前の方だろう」
「貴様……ッ!!」
「何故お前は執拗に出来損ないという言葉を使う? ……お前は自分が出来損ないだと認めたくなくて、それを他者に投影して目を逸らしているだけだろう……違うか?」
その言葉に、オラージュの目が怒りに染まっていく。
「前座風情が減らず口を……! そんなに死にたいなら、さっさと殺してやるッ!!」
戦いが始まった。
オラージュの背より出ずる、先端に竜の顎をそなえた触手が幾つも飛来する。
矢のような速度でこちらへ来るそれを、二刀を振って悉く弾き落とす。だが――
「馬鹿が! 喰らえ……!」
オラージュの狙いはそこではなかった。周囲に散った触手の顎から、雷が弾ける。一つ一つが
「がぁっ……!」
避けようの無い様に放たれた雷が身を貫く。熱い――肉が焦げて燻る匂いが鼻を突く。
痛みに耐え、歯を食いしばってでも道を切り開く。剣先に圧縮した真空を、一気に解き放った。
「真空・かまいたち!」
真空の刃を乗せた剣圧が触手たちを切り裂いてゆく。勢いもそのままにいざ行かんと走り出した歩みを止めたのは、お返しといわんばかりの剛風だった。
八つの竜翼の羽ばたきが生み出した風圧が圧し掛かり、動きが止まる。
「ハッハッハ……こいつは凌げるか!?」
動きを止めたその一瞬、襲い掛かるのは呪文の絨毯爆撃。九つの頭と幾つもの触腕が生み出す、いっそ暴力的なまでの数。
怪物にしかできない芸当だ。
「べギラマ」 「メラゾーマ」 「ライデイン」 「イオラ」 「バギクロス」
迫り来る集中砲火。受ければ敗北は必至。――ならば、当たる前に全てを吹き飛ばす!
「吹き飛べッ――! 爆裂・魔神斬り!!」
大爆発が巻き起こり、その破壊力が全ての呪文を掻き消した。巻き上げられた爆煙の中で、少し思案する。
やはり――このままでは負ける。
これまでの戦いで、既に魔力は限界に近い。ダメージの蓄積もある。一手動くごとに極大魔法剣など使っていれば、すぐにガス欠になるだろう。
どこからどう見ても、長期戦は圧倒的に不利――だが。
脳裏に、大魔王の言葉が浮かぶ。
――アトリアよ、そなたには『遊び』が足りておらぬ。
……策は決まった。後は実行するのみだ。
白煙を切り裂いて飛び出すと、オラージュもこちらへと近づいてきている。
どうやらこれまでの攻防で、遠距離攻撃では埒が明かないと判断したのか。
接近するオラージュを見て尚、進むのをやめない自分に対し、オラージュが言う。
「接近戦で勝てるの思っているのなら……それは大きな間違いだ!」
「……どうかな。やってみないと分からんぞ」
接敵。右腕を振り上げ、爪で切り裂かんとする動き。
当然躱す。爪だけではなく、そこから飛び散る毒液や炎も勘定に入れて。
「死ねィ!」
縦と来たら、次は横。先程振り下ろした右足に次いで、左手で薙ぎ払って来た。
双剣で受ける。力負けはするが、抗わず勢いに乗り後方へと飛ぶ。
だが。
「ぐ――」
「甘いわぁ!」
相手もその勢いのまま横に一回転。速度を乗せた歪な尻尾が、高速で襲い来る。
――間に合わない。
「
小規模な竜巻を起こし、強制的に身体を上に持ち上げる。代償として足に裂傷が刻まれるが、この程度なら仕方ない。
何とか凌ぎきり、一息を――つけない。槍のように尖った触手が、空中で動けないこちらに向かってくる。
気合で剣を動かし、軌道を逸らす。それは左の肩口を掠め、小さくない傷を刻んだ。
「チィッ……しぶとい奴め……!」
やはりだ。避けに徹すれば、時間を稼ぐことは可能。
遠距離からの飽和的な攻撃よりも、でかい図体での小回りの利かない動きであれば、何とか耐えられる。
まあ、そこまで長くは持たないが、それでも十分だ。
そう――長期戦を好まないのは、こちらだけの話ではない。オレが時間を稼ぐたびに、冥竜王の体力は回復していく。
相手としては、冥竜王を万全な状態に近づけた上での連戦は避けたい。故の接近戦の仕掛け。
それは何故か。遠距離戦ではオレが極大魔法剣などでいなし続け、埒が明かないと踏んだため。
そう――オラージュはオレの魔力に底が見えかけていることに気付いていない。オレの魔力量など知る由もないのだから。
実際には魔法は後打てて3、4発と言ったところか。だが――勘付かれなければ、何も問題は無い。
「どうした? かかって来い――出来損ないが」
「貴様ァァッ!! 殺すッ!!!」
重ね重ねの挑発で、相手の理性を更に削ぐ。そら見ろ、また襲いかかってきた。
躱す。逃れる。免れる。避ける。ただひたすらに。
その過程で大小問わず傷が増えてゆくが、致命傷で無いなら問題ない。
「ちょこまかとッ……! ……そうか」
オラージュは何か思いついたのか、暗い笑みに顔を歪める。
そして――その九つの顔を、座り込んでいる少女へと向けた。
「ひっ――!」
「ククク……こいつを守りたいのだろ? じゃあ次の攻撃はかわせないよなぁ!」
九つの頭に、それぞれのエネルギーが高まってゆく。
それに対応して、震える少女を守るように、その前へと立つ。
やはりといったふうな風情で、オラージュは更に笑みを深めた。
「言ったよなぁ……そのサルにも劣る低次元な――不合理な感情のせいで、貴様は死ぬと!」
再び、バーンの言葉を思い出す。
――その想定外を生み出せるのが――不合理や無作為、偶然と言われるものだ。
全くもって不合理だ。オレが誰かを庇うなど、以前なら考えもしなかった。
だが――その不合理こそが、有り得ぬ筈の勝利を引き寄せる。これから奴は、自身の持つ最大火力の一撃――天蓋を打ち破った、あの
そう、絶対に回避することの出来ないこの状況なら。ここまで全て――計算通りだ。
ヴェルザーは常日頃言っていた。欲望を持つ者こそが強くなれると。今こそがその時だ。
守りたいという感情、覚悟――欲望を高め、その剣に乗せろ。
「――――」
己の手にある二つの剣が、薄青の光を纏う。
「前座風情が手こずらせおって……! これで終わりだッ!消えうせろォォ!!」
九つの口に集められたエネルギーが更に高まる。紫電が奔り、暴風が吹き荒れ、闇が広がる。火炎が迸り、冷気が漂い、腐毒が沸く。
放たれ、一つとなったそれは、絵の具を全て混ぜたときのような、濁った黒色の奔流となって押し寄せる。
「安心しろ、オレが守る――守ってみせる」
少女を背に、眼前にまで迫り来る黒の奔流を前にして、オレは――
小さく、笑ってみせた。
「おおおおおおおおおッ!」
叫ぶ。
押し寄せる絶望。尋常ではない重圧。全てを呑み込む混沌。だがそんなもの、なんてことはない――守れなかったときの怖ろしさと比べれば。
「フ……フハハハハ! さあ、次は貴様だ、冥竜お……!?」
ゆっくりと、しかし確実に。混沌の濁流を切り裂いてゆく。完全にそれを切り開き、突破したとき。
オラージュの形相は、有り得ない、信じられない、そんな馬鹿なー―そんな表情に染まっていた。
さあ行こう。次はこちらが反撃する番だ。
闇を切り裂き、飛翔する。
「
「なんだ……これはッ……! ……まさか!?」
オレが剣に纏わせたもの――それは圧縮された
元来この呪文の用途は
それを圧縮し剣に纏う魔法剣ならば、如何な威力であろうが突破できると踏んだのだ。
――不確定要素を上手く操り、利用し、制すること……それが戦の要訣なのだ。
天蓋を突き破ったあの一撃を見たときから、こうすると決めていた。後は如何にそれを撃たせるか。
そのために誘導した。利用した。少女を守りたいという気持ち――その不合理を。
相手が絶対の自信を持つ最強の一撃。それを破ったときに生まれる想定外。
全ては――この一瞬のために。
「ギガデイン!」
記憶はなくとも刻まれている戦の技――その中の最強。
二振りを天に掲げ、大穴より降り注ぐ剛雷を受け入れる。眩いばかりの光を放つ二刀を、大上段に構えてみせた。
狙うはその首、九つの頭の中心。雷竜に酷似したそれが、この化物の司令塔だと確信している。
竜の騎士は三界の調停者だという。なればきっとこの技は、均衡を保ち、あらゆる邪悪の命運を絶ってきたのだろう――その秘剣の名は。
――ギガブレイク。
「まだだッ!」
最後の抵抗を試みんとして、オラージュが動いた。
硬質化した触腕を挟み込んでくるが、全て両断される。――無駄だ。
首筋の筋骨が盛り上がり、刀身に纏わりつくように阻害するが、剣に纏う紫電が、その全てを焼き尽くす。――無意味だ。
身体中の闘気を総動員し、首を守ってくる。さしもの秘剣も勢いが弱まり、首の半ばを断ったところで、その動きを止めた――が。
「神代に謳われる真魔剛竜剣ならばまだしも、凡俗な剣ではオレの首は断てん!」
まだだ。
「勝った――ああ?」
勢いを止めた剣をあっさりと抜き去り、その勢いのままに一回転。
未だに雷光を纏うもう一本の剣が遠心力をも加え、先程切り込んだ位置に再び到来する――!
「ギガブレイク――――W!」
全く同じ箇所への二重の斬撃が、その首を今度こそ落とす。
切り落とされた首が唖然とした表情のまま固まって、ごとりと地面に落ちる。
そこから少し遅れて、怪物の巨体が大きく音を立ててくずおれた――
「終わった……か……」
闘いが一段落し、昂ぶっていた精神が静まる。抑えられていた痛みが表出し、アトリアが膝を突く。
ゆっくりと立ち上がり、よろよろとおぼつかない足取りでヴェルザーの元に戻った。
それと同時に、地面に刻まれた六芒星が薄れ、消えていく。少女のほうに目をやれば、その震えは完全に収まっていた。
アトリアと少女の視線が交差する。先程の邂逅のときの無機質なそれと違い、互いの瞳には確かな色が宿っている。
創造主の呪縛から抜け出した少女が、恐る恐る疑問を口にする。
「なんで……わたしを殺さなかったの?」
「さあ……な。強いて言うなら……思い出したからだ」
「それはどういう――」
アトリアがピタリと動きを止める。その後ろで物音がした。大きな何かが蠢くようなそれの後に間をおかず、狂気と苦痛に満ちた咆哮が響き渡る。
「ガアアああぁアアァあ゛あ゛ぁァァ――!!!!」
振り向くと、倒れていた異形の怪物が暴れだす。切り落とされた首の断面から、泡立つ様に肉が盛り上がる。
その箇所だけではない。怪物の身体の様々な場所から、爪や牙、腕や翼、終いには頭が飛び出す。
「なっ……こいつ、まだ――!」
今のオラージュの状態を例えるなら、頭の取れたぬいぐるみ。
頭が取れたのをきっかけに緩んだ縫い目から、綿が溢れ出しているような。
制御を失い、内側に秘めていた竜の因子が暴走している。最早それは無秩序に暴れまわる肉塊とでも表現できそうな醜悪さ。
これが高みに焦がれ、届かぬ領域に手を伸ばした代償か。
はたまた、多くの命を弄んだ悪辣な男の末路か。
それは誰にも知れないが、現実としてあるのは、力の限りを尽くして斃した怪物が、再び起き上がった。
ただそれだけのことだ。
「くっ……!」
無造作に振るわれた怪腕を前にして、二人はただ立ち尽くす。最早二人に闘う力は残されておらず、眼前に突如現れた死に、何をすることも出来なかった。
だが。
頭上より振り下ろされた前足に、巨腕は為すすべも無く潰される。見るからに格が違うと分かるほどのあっけなさ。束縛から開放され、戦意を滾らせたその者は、立つ次元そのものが違うと思わせるほどの覇気を纏っていた。
「大儀であったぞ、アトリア――後はオレがやる」
竜を縛る結界は消え、休んだことである程度体力も回復したヴェルザー。彼は王者の風格をもって、暴れ狂う肉塊へと歩みを進めていく。
「ヴぇェルザぁアあア゛ァァ!!」
当然それは看過されるはずもなく、肉塊から突き出した数本の腕が、冥竜王を貫き、切り裂かんと襲い掛かる。
流石と言うべきか、呆れたものだと言うべきか。このような有様になっても、辛うじて竜王への執念をオラージュの成れの果ては保っていた。
「くだらん」
向かってきた腕を事も無げに掴みとり、束ねるヴェルザー。そしてそれを、力任せに、無造作に引き千切って見せた。
「グぎィャア゛アァアア!!」
呆れるほどの膂力。小賢しい能力を抜きに、全ての竜の中で一番強い。故に竜王。
その間も、ヴェルザーはペースを崩さずに、ただ歩む。規則正しいその音は、まるで死刑を宣告するカウントダウンのようで。
心なしか怯えたようにも見える怪物は、胸に生えた五つの頭から、炎の吐息を放つ。
「煩わしい」
ヴェルザーが腕を振る。たったそれだけのことで、放たれた業火は霧散した。
そして遂に、その歩みは止まる。肉塊の前に立ったヴェルザーは大きく息を吸い――
「
そこに秘められた火炎を開放した。
先程のオラージュのそれを業火と評するならば、
太古から語り継がれるかの大魔王の不死鳥にも比肩するその熱量が遺憾なく発揮され、オラージュの全てを焼き尽くす。
「ア゛ア゛ア゛アッッ!」
魂すらも灼かれていきそうな程の火勢に包まれ、悲痛な叫び声を挙げながら肉塊は炭の塊となった。
しかし。
「――まだ生きているのか……」
黒焦げの塊が蠢き、表面の炭がぱりぱりと割れていく。そこから現れた新しい竜鱗を見て、ヴェルザーは溜息をついた。
「馬鹿げた不死性だな……よかろう、貴様のその執念に敬意を表し、塵の一つも残らんほどに消してやる……!」
そう言うとヴェルザーは振り返り、忠告の言葉をかけた。
「黒の核晶を持ってここから離れろ。死にたくなければな」
「……御意」
そういうとアトリアは、黒の核晶を回収するために中央塔へと向かおうとするが、やはりその足取りはおぼつかない。
穏やかな表情で、隣の少女へ手助けを求めた。
「肩を……貸してくれるか」
「……うん」
二人は互いに支えあい、中央塔へと歩いてゆく。
少し経ってから、
これから放つのは必殺の一撃。方向性は違えども、大魔王の天地魔闘と同じく、くり出すからには相手は確実にこの世を去る。
そしてそれは――今回も例外ではない。
「教えてやろう――これが力というものだ」
翼をはためかせ上へと舞い上がるヴェルザー。大穴を抜け、さらに上へと。程なくして、ヴェルザーは魔界の天蓋へと辿り着く。
地上と魔界を分ける無慈悲なる壁と、怨念と暗黒闘気が渦巻く暗雲。魔界の空にあるのはそれのみだ。
「オオオオォォ……!!」
ヴェルザーの闘気に呼応し、周囲の暗雲が集ってゆく。その様は引力を発する恒星のようで。
自身に集ってくる怨念と暗黒闘気を全て取り込み、己が物とする。暗雲を晴らし、黒く輝くその姿はさながら魔界の太陽か。
そして――魔界の落日が始まる。
一直線に降下を始めるヴェルザーのあまりの速度に、表面が赤熱し、炎を纏う。
それは槍。ひたすらに研ぎ澄まし続けた、天にすらも届き貫く、神殺しの槍。
それは星。
それは災い。万人が逃れることも、抗うこともできぬ厄災。
幕引きを告げる赤黒の彗星が、地に堕ちる。
「ディザスターエンド!」
「――――ァ……!!」
眼も口も耳も焼かれた
見えず、聞こえず、感じず。自我すらも漠然と漂っていた意識は、突如として訪れた終幕を前に、声を発することもなくただ呑まれていった。
そうして全てが終わった後に残ったのは、ひたすらに広がった破壊痕のみ。塵の一つも残さないという宣言の通り、そのクレーターの中心には元から何もなかったかのような虚無のみがあった。
冥竜王の奥義の余波は凄まじく、黒の核晶の砲身となるべくして造られた外壁全体へと亀裂が伝播してゆく。中央で施設を支えていた中央塔は真中から折れ、無惨な姿を晒していた。
「興が乗りすぎたか。ここはもう長くは持たんな……
――さらばだ、オラージュよ。その強き執念だけは、ボリクスの血脈にふさわしいものであったぞ」
竜王の威厳を示し、勝鬨を上げるため。
ヴェルザーは羽ばたき、大穴から外へと脱出していく。
程なくして施設の崩壊が始まる。瓦礫の山に突き刺さる半ばから折れた中央塔が、地中に埋もれたオラージュの墓標となっていた。
――――――――――
「第4軍3番隊隊長よ――100の首級を挙げたその戦果に報いて、貴様を1番隊隊長に昇格とする」
「はっ!ありがたき幸せでございます……!」
戦が終わり、束の間の平穏が訪れる。現在ヴェルザーの城では、幹部級を集め論功行賞の場が開かれている。冥竜王軍きってのつわもの達が、竜王の間に軒並みを揃え、並んでいた。
「では最後に――第4軍団長代行、アトリアよ」
「ここに」
「単身で敵の本拠に乗り込み、黒の核晶の起爆を阻止し、敵の首魁に痛打を与えたその力と働き――賞賛に値する。その褒章として、禁書庫への立ち入り、及びその蔵書の閲覧を許可する――精々その力を磨き、励むがよい」
告げられた褒美に竜王の間がざわめく。魔界において最も価値あるものは金でも地位でもなく、力。
ましてやこれまで誰も見ることを許されなかった、雷竜の秘儀が収められた書庫への立ち入り許可。
その異例の報酬が、アトリアの示した力の大きさを表していた。
「ありがたく」
そういって頭を下げるアトリアの目は、いつもどおりの空虚なもの。しかしその顔は、何かを懸念するように少し眉をひそめていた。
「――以上だ。今回ばかりではなく、その力を持って働きを示したならば、オレは分け隔てなく栄光を与えると約束しよう。――ただし、その逆もな。ゆめゆめそれを忘れぬことだ……下がってよいぞ」
その言葉を受け、統率の取れた動きで次々と竜王の間を出て行く幹部たち。少しの時間が経ち、やがてそこに残ったのは、冥竜王とアトリア、そしてその横に小さく控える少女のみ。その顔に少しの怯えが伺えるのは、自らの処遇が不定なためか。
先程とはうって変わった静寂のあと、ヴェルザーが口を開いた。
「それで……被害のほうはどうなっている?」
「前線に立たされた第4軍の死者が1600ほどで……最初の混乱でやられた第一軍の損耗が500ほど。合わせておおよそ2100の戦死者が出ました。やられた部隊長以上の者は蘇生液で回復中です」
その報告を聞き、フンと鼻を鳴らすヴェルザー。不服ではあるが仕方ないといった風情。
「まだ地上侵攻を控えているというのに不甲斐ない――まだ何か用か?」
「は……彼女の処遇について伺いたく……」
意を決し話を切り出すアトリア。先程の論功行賞の中では、その隣にいる少女の処遇については一切語られていなかった。
「クク……そうだな、もし殺せといったらどうする……?」
僅かに口元を歪ませながら告げられたその言葉に、アトリアは鋭い視線をヴェルザーに向け、こう言い放った。
「――無論、逆らってでも止めさせて頂きます」
「絶対に勝てないとわかっていてもか?」
「当然」
ヴェルザーが笑う。その圧倒的な覇気を叩きつけられて尚、オラージュに立ち向かった時と同じ光を宿す瞳を見て。
しかし一瞬で張り詰められた緊張と沈黙は、冥竜王の高笑いで霧散した。
「フ……フハハハハ! 何がお前をそこまで突き動かすかわからんが……その面構えのほうが俄然オレの好みだぞ、アトリアよ」
「……試したということですか」
「いかにも。それで、その女についてだが……好きにすればよいではないか」
予想外の言葉をかけられ、かすかに瞠目するアトリア。
「それは……」
「お前が自分の力で勝ち取ったものだろうが。そもそもオレが下賜するまでもなく、全てお前が決めることだ――それが力を持つ者にのみ許される振る舞いよ、己がしたいようにすればよい」
「……ありがとうございます――行くぞ」
アトリアが少女の手を引き退室していく。その背中を見つつ、ようやく戦の終わりを実感するヴェルザーは、宿敵との因縁の終わりを感じ、暫し物思いに耽っていた――
冥竜王の居城の廊下に、コツリコツリと足音のみが響く。
手を繋ぎ、横並びに二人で歩くアトリアと少女。その二人の間に流れていた沈黙を破ったのは、少女の口からぽつりと呟かれた言葉。
「…………ありがとう……」
「気にするな……やりたいようにやったまでだ」
「私だって、言いたいから言っただけよ」
それを聞き、いつもの無表情が崩れ、ふっと小さく微笑むアトリア。そのあとに、そういえばという様子で、一つ問いを投げかけた。
「そうか……ところで、名を聞いていなかったな」
「…………ないの」
「なに?」
「名前さえ付けられなかったの……!
過去に受けた仕打ちを思い出してか、少女の顔が曇る。それを払拭するように、アトリアは少女の頭に手を乗せ、優しく撫でた。
「名前……か。もしよければ――オレに決めさせてくれないか」
「…………うん」
少しの逡巡のあと、少女は頷いた。一度は殺されかけたとはいえ、あの地獄から命を賭して救ってくれた男なら――といった様子。
アトリアも、問いかける形は取ったものの、付ける名は既に頭の中に浮かんでいた。
しかしそれは、偶々思いついたというものではない。思い出したというべきか、封じられた記憶から浮かび上がってきた形。
その名は地上の空を彩る星のひとつ――
「スピカ――今日からお前の名はスピカだ」
本気を出した所で満を持して、キャラ情報第6弾はヴェルザーです。
バーンの技名がカラミティなので、ヴェルザーはディザスターにしました。
ディザスターエンドとかそれっぽい名前つけても要するに超強化版すてみタックルなんだよなぁ……
キャラクタープロフィール⑥ ヴェルザー
【年齢】不明(四桁以上)
【種族】知恵ある竜
【出身地】かつて一つだったときの世界
【体力】13
【力】12
【魔力】8.5
【技量】7
【得意技】炎の吐息 ディザスターエンド ???
【特筆事項】転生能力 ???
フィジカルモンスター。頭もいい脳筋。レベルを上げて物理で殴るを実行している男。
力と欲を重んじる強欲な壷より強欲な男。なんなら人間より欲深い。
なんであんなに余裕ぶっこいてたかというとどうせ死んでも生き返るから。
最近のお気に入りはアトリアくん。
バラン単独に倒されたってのもなんか変なので盛りに盛りました。
杖もった老バーンとタメ張る位には強いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
0-1 旅立ち
後にアルキードと呼ばれる国の国境近く、近隣の村からは奇跡の泉と呼ばれる泉の
人らしからぬ、魔族が持つような長く尖った耳を持ったその男は、しかしそれ以外は全くもって人間であった。その肌は血色の良い肌色であるし、身に流れる血は紛れもなく赤いものだ。
無造作に伸びた長い黒髪を後ろにまとめ、布の服を纏ったその出で立ちには、もう一つ普通とはかけ離れた所があった。
目だ。
何も映らないその空虚な瞳は、それを通して、男の虚無しか広がっていない心を容易に推察することが出来た。
その瞳が向かう先は、何も気付かず泉の水を啜る、一匹の小鹿。これが男の今晩の獲物だった。
「
男の足元より氷が走る。静かに進むそれは小鹿の足元に辿り着いた瞬間、弾ける様にその規模を拡大し、小鹿の足を完璧に封殺して見せた。
事ここに至ってようやく現状を理解した小鹿は、寒さに震えながらも後ろへ振り向く。
そこで最後に目にしたものは、凍て付くような視線を向けながら、短剣を手に此方へ歩み寄ってくる男の姿だった。
血抜きを終えた獲物を肩に担ぎながら、粗末な掘っ立て小屋の扉に手を掛ける男。森の奥にひっそりと建てられたそれの他に家屋はなく、また彼を出迎える人間も小屋の中にはいなかった。
何故、男はこれほどまでに社会から隔絶された生活を送っているのか――
その泉の水を一度飲めば傷が癒え、二度飲めば病が治る――そのように言われていた泉の近くにある村には、大昔から言い伝えられてきた伝承が一つあった。
天に白き竜現れるとき、奇跡の泉に打ち捨てられる赤子あり。その者は神の落とし子である――
過去数百年のうちにおいて、その言い伝えの通りに泉の畔で見つけられた捨て子は数人しかいなかった。
だがその子らのどれもが比類なき才覚を有し、例外なく齢二十となる日に村を出て、前人未到の偉業を成し遂げたとされている。
そしてこの男もその伝承をなぞり、
しかし、彼の人里での生活は、お世辞にもいいものであるとは言えなかった。
赤子なのに泣き声一つあげない異質さ。魔族のように尖った耳。言い伝えがあるとはいえ、前回のそれから150年以上の時が経ち、実際にそれを知る者が誰も居ないという現状。
これら全てが相まって、男に好意的な感情を向ける者はほぼいなかった。神の落とし子ではなく、悪魔の落とし子ではないかと言われるほどに。
物心つく頃までに成長しても、相変わらずの無表情に無感情。名前すらも付けられず、男に対する腫れ物扱いは加速していく。
決定打となったのは、男が十歳のときに起きた出来事だった。
その日、村で魔法使いを志す若者は、近くの森の中で呪文の契約を行っていた。
呪文の名は
若者が契約を終え立ち去った暫し後、その場所に偶然訪れた男は、そのままにされていた契約の魔法陣に何を思ったのか近づき、呪文の契約を行ってしまったのだ。
それだけならまだいい。何か言われる筋合いもないし、そもそもこの事は誰にも知られていなかったのだから。
だが――それだけではなかったのだ。
その夜、寝静まる村人たちの静寂を破ったのは、村に迷い込んだ
普段は見かけないような強大な怪物。何が原因で村に下りてきたのかは不明だが、明らかなのはこの怪物に対抗できる者がいない、という事実のみだった。
当然、村はパニック状態に陥り、住民達は逃げ惑う。しかし、親しくしているものがいない男は、ぽつりとその場に取り残される形になってしまった。
一人残され、子供の身でライオンヘッドと対峙することとなった男。誰もが男が無惨に殺される様を幻視せざるを得なかったが――そうはならなかった。
眼前に迫るライオンヘッドの
「――
放たれた爆裂は閃熱を飲み込み、ライオンヘッドを後ろの木ごと吹き飛ばす。当然だ、呪文の格が違うのだから。
しかし、村人たちは、怪物が居なくなっても、恐怖の視線を向けることをやめなかった。
生命の危機に瀕しても、怪物とはいえ初めて生き物を殺しても目の色一つ変えず、齢10にして何処で覚えたのかも分からない極大呪文を使いこなす――その少年のほうが、村人たちにとっては怪物よりも遥かに恐ろしかった。
ただ、それだけの話だ。
かくして男は村を追放された。それだけ強いなら外でも生きていけるだろう、という大義名分を添えられて。
あてもなく彷徨い続け、男は村から見て泉の反対側の森の中へと辿り着く。そこにあったのは、寂れて今は使われていない狩猟小屋――男の現在の家である――だった。
最低限の生活設備を整え、そこに暮らし始めた男。幸いだったのは、その小屋に初級魔法の契約方法が記された本が置いてあったこと。
極大魔法の件でもそうだったが、この男は、欠いて産まれた人の心を補うように、魔――魔力や呪文に対する才覚が抜群に抜きん出ていた。
そうして彼は、生きる目的もなく、おおよそ10年の間、ただこの森で生きてきていた――
今日も男はいつも通り、何もない生活を送る。
腹を満たし、備え付けられていた粗雑なベッドに横たわる。
もう彼が知る由もないが、今日と言う日が終わるとき、彼は齢20を数える。
窓から見えるはずの月は雲に覆われ、曇天の空模様。それを尻目に目を閉じる男の人生は、この日を境に大きく変わることとなった。
眠りの中に漠然と浮遊していた男の意識が、徐々に覚醒する。
しかし目覚めたそこに広がる風景は、見慣れた小屋の天井ではなく、雲の上のような場所が、際限なく広がっている、不可思議な空間だった。
流石に事態が掴めずに、数秒固まり思案に耽る男。そうしていると突然、透き通ったような声が男の脳内に直接語りかけてきた。
――ここはあなたの夢の中です。精霊の力を借り、天界の秘術を用いてあなたの夢に精神体として入り込んだのですよ。
「……誰だ?」
――私は聖母竜マザードラゴン。神の使いにして……あなたの生みの親です。
「……そうですか」
顔を上げると、そこにいたのは純白の巨竜。男の生みの親を謳うその姿と、男の人間的な風貌からは血縁を感じ取ることは出来ないが、それでも男は目の前の竜が自分の親である、ということを本能で確信していた。
――いつもならこの役割は精霊の方々にやって貰っていたのですが……これは私の不始末。不完全に産んでしまった我が子に酷な使命を告げるため、せめてもの償いとして来たのです。
「使命とは?」
いまいち事の要領が掴めない男に、聖母竜はいつの間にやら男の額に輝く紋章を指差し、告げる。
――あなたは世の均衡を保つ使命を帯びて産まれた粛清者……竜の騎士なのです。あなたの額に輝く紋章こそが何よりの印。
それを聞き、男は己の身体の状態を確かめる。全身から吹き上がるような、極めて強力かつ異質な闘気。そして覚えのない呪文を使えるという感覚。確かにこれは世を平定することもできる力といっても差し支えないものだろう。
そう考えた後、男は逆説的な結論に辿り着く。
「なるほど、つまりこの力をもって粛清しなければならないほどに、世を乱す存在がいると?」
――その通りです。あなたは人心には疎いですが、とても頭がよいのですね。……地上のどこかに潜んでいる魔王。それをあなたには討ってもらいたいのです。
「わかりました」
即答。その重い使命に反比例するような回答の早さに、逆に困惑する聖母竜。
――本当に、いいのですか?私はあなたに恨み言をぶつけられても仕方ないような……そんな仕打ちをしているのですよ?
「構いませんよ、だって――」
――人形は造物主の命令に従うものでしょう?
臆面もなく言い放たれたその言葉からは、人間的な感情というものが一切合切欠落していた。
その瞬間、聖母竜は、自らが息子に与えられなかったものを、明確に悟ってしまった。
そのまま、やりきれないといった様子で、言葉を紡ぐ。
――わかり……ました。あなたの元に必要な物を送ります……最後に、これだけは言わせてください。
――あなたの旅路に、幸福があらんことを。
その言葉を皮切りに、男の視界が光に包まれていく。それが最高潮に達したとき、雷鳴の轟きと共に男は現実へと帰還した。
家の外に出てみれば、少し焼け焦げた地面に突き刺さっている剣――真魔剛竜剣と、その柄に引っ掛けてある
不思議と身に馴染むそれらを手に、男は歩み出す。
男の旅出を祝福するように、先程の雷が切り裂いた雲の裂け目から、朝日が顔を覗かせる。
しかし。
その天の計らいに反するように、男の旅は無情にして凄惨な終わりを迎えることになる。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
0-2 あなたの名前は
旧版の分すべて投稿し終わりましたので、あらすじのリメイク表記は頃合を見て消します。
過去編一旦終わり、次からまたほんへ入ります。
地上は戦火と混乱の中に包まれていた。
乱立した国々が各々の覇権を賭けて争い、血と悲鳴の絶えぬ毎日。
しかし、皮肉にもその戦火を止めて見せたのは、魔王の存在だった。
ある日突然、地上に存在するすべての国に届けられたメッセージ。
『地上を頂く 魔王より』
鏡を用い、魔界文字で描かれたそれは短く、淡白であろうとも、宣戦布告の証であることは間違いなかった。
それを受けた各国は、速やかに
だが、いつまで経っても魔王軍は侵攻を行わず。
その結果、実在するかも分からない魔王によって齎された奇妙な平和は、一年半にも及んでいた。
しかし――国民感情などを諸々無視して行われた半ば強引な停戦。一年半に渡って何も起きなかった事への慢心。
再び戦への機運は高まり、国々の間の緊張はまるで限界まで大きくした風船の如く膨れ上がっていた。
そして、それはここ、マルノーラ大陸*1でも例外ではなかった。宗教国家である北オーザムと、そこから離反する形で産まれた南オーザム。両国の関係は当然ではあるが最悪で、停戦した今でも、国境を挟んで両軍が睨み合う始末。
そんな北オーザムの森の中、馬車に揺られる少女が一人。彼女は18歳程度に見え、望遠鏡と厚い装丁がされた本を抱えており、星を見に行く途中であることが伺える。
元より北オーザムは山間部に囲まれた土地。そういった用途に適した場所は多くあった。
路面が粗くなったのか、馬車を襲う揺れが増す。それに伴って、少女の金色の長髪が大きく揺れた。
そうやってしばらく続く揺れを楽しみながら、少女の精神はまどろみに誘われようとしていた。
しかし、眠りに落ちかけた彼女の目を覚ますように、前で馬を操っていた御者の悲鳴が響く。
「うわあ――っ!」
がたんという音の後に、馬車がより一層大きく揺れる。その数瞬後、馬の悲鳴が響き、馬車の動きは完全に停止した。
「なんなの……!?」
驚愕と困惑、そして強い警戒を露に、少女は立ち上がる。壁に立てかけておいたメイスを手に、馬車の外へと足を踏み出した。
外へと出てみれば、そこはしんしんと雪が降り積もる森の中。それ自体はどこもおかしくはないが、問題は馬車を囲む大量の怪物たちにあった。
「はあ……!?」
その他に辺りにあるものといえば、血溜りの中に倒れる御者の死体。しかしよく見ると違和感がある。周囲にいる怪物たちは獣系モンスターやブリザードといった、この地域では普通に出没する種だ。……到底普通じゃない数を除けば。
だが、御者は凍傷の痕があるわけでもなく、爪や牙による裂傷を刻まれたわけでもない。
死因は心臓にある刺し傷。それも滑らかなもの――剣やナイフによる。
そして極めつけは死体の傍に落ちていた一本の魔法の筒。これを見て、少女は事態の概要を察した。
暗殺だ。それもそれなりに手の込んだ。
要するに、下手人は少女に死んで欲しいのだ。それも、『馬車で移動中に怪物に食い殺された』という、誰にも疑念が向けられない『穏便』な形で。
冗談じゃないと少女は思った。
「心当たりはあるけどさ……普通そこまでするかってのよ……!」
詳細な説明はここでは控えるが、彼女は政治的に複雑な立場にあった。簡潔に言えば、彼女は北オーザムの上層部の多数の人間から『邪魔』だと思われているわけだ。
彼女とて自分が面倒くさい立ち位置にあるという自覚はあったが、暗殺を狙われるほどとは流石に思っていなかった。
そして彼女は辺りを見渡し、退路はない事を悟る。
「やるしかないか……! かかってきなさいよっ!」
そういって少女は鉄のメイスを構え、戦闘態勢を取る。
だが――彼女は僧侶。一人での闘いははっきり言って向いていない。
そして、この怪物たちを差し向けたのは恐らく彼女を良く知っているもの。星を見る趣味を知っていて、その道すがらに襲撃してきたのだ。もちろん大まかな
それでも――やるしかないのだ。生きるために。
「こん……のぉ!」
飛び掛ってきたアルミラージをメイスで殴り飛ばす。かなりの力が込められたそれは対象を一撃で昏倒させてみせた。
だが、高々一体を殴り倒したところで、戦況は変わりはしない。
この戦いは一対多。もちろん、少女が一動作を行う間に十数もの攻撃が飛んでくる。
「カカカカ~~ッ!」
四方八方からの、ブリザードの凍て付く息。まともに喰らえば氷像が出来上がるであろうそれを、
その隙にホワイトランサーが駆けた。すれ違い様の一閃。何とか反応するも、完全回避には至らない。
掠めた槍が着込んでいた毛皮のコートを裂き、高貴な身分を思わせるドレスがその下から顔を覗かせた。
「お気に入りだったのに……もうっ! ――
悪態を突く少女。その背後に襲い掛かるブリザードの存在に、彼女はとっくに気付いていた。
巻き起こる旋風がブリザードたちを吹き散らし、霧散させる。
息を突く間もなく、イエティの巨体が彼女の視界を覆う。僧侶の力では、厚い脂肪に覆われたその身体に痛打を与えることは難しい。
緩慢な動きで、大降りに腕を振り下ろすイエティの一撃に対し、少女は逆にその懐に入り込むことによって躱してみせる。
そのまま、メイスを持たず空いている左手を、イエティの心臓に当たる部分に当て、静かに何かを呟いた。
「――――」
その瞬間、イエティの動きが止まった。そのまま後ろに倒れた巨体の質量に、雪煙が舞い上がる。 既にイエティの瞳に、生命の灯火は宿っていなかった。
だが、ついに彼女の意識に綻びが生じる。
「どーよ……ッ!?」
戦いに気を取られ、足元に目がいっていなかった。異様な冷たさを感じ足元に目をやれば、そこには彼女の右足を掴むひょうがまじんの姿。
即座にメイスを振るい、その脳天を叩き割るも、その足は既に重度の凍傷に侵されていた。
思わずふらつく少女。その姿を見て、上空で機を伺っていたキメラたちが飛び出す。
「クエエーーッ!」
「……ええい、邪魔だっつーの!!」
キメラが集るようにして、その長く鋭い嘴で少女を啄ばむ。その様は、まるで餌に群がる鳩のような。
少女の身体に大小問わず、裂傷が次々と刻まれていく。それに耐えかねて、鉄のメイスを思い切り振り回し、キメラたちを追い払った。
流れ出した血も凍りそうな寒さの中、息を荒げながらも少女は戦う。
例え敵の数がまだ半分も減っていなくても、足の感覚が既にほぼ無くとも、全身に傷が刻まれていても。
それでもまだ、戦える。
「
自らに向けた淡い光が、少女の全身に走った傷を塞いでいく。
しかし、回復呪文では傷は塞げても体力は回復しない。これはじきに訪れる終わりを延ばす悪足掻きに過ぎない。
それでも。
訪れる終わりが今ではなくなった、ということだけは確かだった。
そうして、30分ほどが経っただろうか。
「はぁ……はぁ……きっついわね……!」
少女は未だ立っていた。辺りの雪を血で濡らし、肩で息をしながらも。
戦い、傷つき、治す。ただがむしゃらにそれを繰り返す、先の見えぬ持久走。
敵の数は大分減ったが、それでも死に掛けの僧侶を一人殺すには十分な数がいる。
一度は遠ざけた終わりが、再び迫り来る。
体力が底を尽きた、精神的疲労が限界に達した、血を流しすぎた。
その理由はいくらでもある。血反吐を吐いてでも、限界を超えてでも立ち続けて来たツケが今、訪れただけ。
少女の意識が、一瞬飛んだ。
「あっ……」
再び気を持ち直したとき、眼前に迫るはホワイトパンサーの牙。
死力を振り絞って、必死に足掻いて来ても、辿り着く結末は変わらないのが常だ。
だが――終わりが見えても尚足掻き続けるその強さが、幸運を引き寄せるときだってある。
「
雷鳴が、轟いた。
避け得ないはずの死が一向に訪れず、恐る恐る目を開ける少女。
そこにあったのは、黒焦げになったホワイトパンサーの死体、そしてその向こうにいる、得体の知れない男だった。
だが、その得体の知れない男が発した第一声は、到底場違いというか、戦闘の真っ只中で言うことではなかった。
「……南オーザムへの道を聞きたい」
「……え?」
少女がまず感じたのは困惑。それは今聞くことか?と言う感情。
「いや、そんな事言ってる場合じゃ……」
「知らないならいい」
そういって立ち去ろうとする男。この状況でそれを平然と言い放つのは到底まともではないが、それはそれとして少女にとってはこの男の存在は命綱に等しい。
当然、焦って止めに入る。
「ちょっ……わかったわ、じゃあ取引しましょう。このモンスターたちを倒して私を助けてくれたら、道を教えてあげる。……それでどう?」
少女は男に取引を持ちかける。到底釣り合うものではないようには見えるが、この男から感じる力を見るに、怪物を蹴散らすだけなら容易いことだ、と思ってのこと。
それに、男の目を見て感じ取ったのだ。あの男は良心や正義に従って動くような者ではない、と。
そしてその目論見はうまくいった。
「了解した」
男が背に提げていた長剣を抜く。竜を模したその剣は、ただの鉄とは一線を画する神々しい光沢を湛えている。
そしてその使い手も、剣に見合った馬鹿げた強さを身に着けていた。
「ふん」
突然の闖入者に色めきだつ怪物たちを、力強い一閃が両断する。
イエティを三体まとめて撫で斬りにしたその切れ味と力を前に、怪物たちは怯えとともに我に帰った。
男がこの場における最大の脅威であり、早急に排除せねば自らが危うい。そう理解した怪物たちは一斉に男に襲いかかる。
その考えは間違ってはいない。
ただ、死力を尽くしても訪れる結末は変わらない――その対象が、少女から怪物たちへと変わっていたというだけ。
男が剣を向けた時点で、その運命は決まっていたのだ。
「……
轟音。そして衝撃。
何かが爆ぜたような錯覚すら覚えるそれに、男の周囲にいた怪物たちは悉く吹き飛ばされた。
少女は見る。爆心地である男の額に、竜のような紋章が光り輝いていることを。
そして悟る。男が人間ではないなにかであることを。
ホワイトランサーが駆ける。速度を乗せ、顔面を狙う渾身の一突き。
それを瞬き一つせず受け入れる男。その直後、ばきりと何かが折れる音が響いた。
「グワッ……!?」
無防備な顔面に突き入れたはずの槍が、真っ二つに折れるという理不尽。
そのまま淡々と踏み込んだ男が、剣を振りぬく。
その刃はバターを切るかのように、ホワイトランサーを両断して見せた。
先の攻防を見た怪物たちの心が恐怖に蝕まれていく。
もはや彼我の力量差は明らか。ただただ怪物が殺されていくだけの消化試合を、少女は呆然と眺めていた。
最後の一体を男が切り捨てる。刃についた血糊を掃いながら、剣を鞘に収めるその姿は、戦いが始まる前から見ても、一切動じていない様が伺えた。
「ありがと……助かったわ」
「いい、それより道を教えろ」
「つれないわねぇ、ちょっとくらい話をしていってもいいじゃないの」
少女は男が人間でない――ベースは人間ではあるが――と分かっても、普段の態度を崩さずにいた。
もともと彼女がそういう人間だった、というのもあるが、同じ人間から暗殺者を差し向けられたせいで、種族の違いで云々、というのが馬鹿らしくなったのだ。
「いい、道を――」
「こっから歩いても一日以上は掛かるわよ、これから夜になるし、吹雪で視界もなくなる。
やめといたほうがいいんじゃないの?」
「…………」
「うまく寒さを凌げる洞窟があるのよ、そこに行きましょ。道なら明日私が案内してあげるわよ」
「……わかった」
少女の押しの強さに負け、並んで歩き出す二人。いつもは無言を貫く男も、会話が弾むというわけにはいかないが、少女の口数に呼応するように、少しは口が回っていた。
「ついでに焚き木も集めていきましょ。その良く切れる剣なら枝くらいばっさりいけるでしょ」
神剣を高枝切りばさみのように扱う、神々が見ていたら神罰間違いなしの光景だが、ここに突っ込みを入れる人間は皆無だった。
「ああ。……オレが怖くないのか?」
「なんで?」
本気で意味が分からないとばかりに首をかしげる少女。
「オレが近づくと、大体の奴が怯えたり逃げたりで、ろくに話もできなかった……だからだ」
無理もない。魔族を思わせる尖った耳と、その冷徹な目。更に見るからに強そうな装いとくれば、ただの人間が怯えるのも仕方ないとも言えた。
「ふ~ん……私は別にって感じ。それに命の恩人にそんな失礼なこと言わないわよ。
それより、何でこんなとこで旅してるのさ。そのかっこ、オーザムの人じゃないでしょ?」
男の装いは、布の服の上に軽鎧を着込んだような装備。
一年中雪に覆われるオーザムでは、外出するときは毛皮を用いた外套を着込むのが一般的であることから、そうでない男はオーザムに慣れていない、という推測だった。
「……魔王を討つ為だ」
それを聞いて、少女が目を輝かせる。
「魔王!? ……へえ、面白そうじゃない! 私も連れてってよ! ……どうせ故郷に戻ったってしょーがないし」
一応魔王を倒す旅だというのに、あまりの軽さ。だが、それには理由があった。
もはや少女は北オーザムに帰るつもりはない。……暗殺者を仕向けたのが誰なのか、大体の見当がついているからだ。
「足手纏いは要らん」
その言葉に、闘いに巻き込むまいといった気遣いなどは一切ない、直球の物言い。そこに少女が傷つくかもといった配慮は存在せず、ただ思ったことを言っただけだった。
「むっ……言ってくれるじゃない。私は僧侶だからそういう戦いは苦手なだけでね――」
突如、木々の間を掻き分けて、青い竜――スノードラゴンが現れる。恐らく先の戦いに気付き、山から下りてきたといったところか。
素知らぬ顔で歩く二人を今晩の獲物と見定め、背後から襲いかかる。
だが――
「――こういうこともできるのよっ!」
二人ともが、その気配を既に察知していた。ちょうど左右にばらけるように、二人が避ける。
そして、少女が左手をスノードラゴンに当て、こう唱えた。
「
「グワアアアッ!?」
手が当てられた箇所から、スノードラゴンの体組織がボロボロと崩れていく。やがてそれは全身へと伝播していき、青い竜は息絶えた。
過剰な回復エネルギーを送ることで、対象の生体機能を異常促進させ、破壊する。
この呪文を扱えるのは、北オーザムで少女一人。それほどまでに、危険かつ高位の呪文なのだ。
「へへ~ん! どうよ!?」
胸を張って、思い切りドヤ顔を決める少女。態度はともかく、僧侶としての実力が一流であることは確かだった。
「……足手纏いと言ったことは訂正する」
「じゃあいいじゃない!私も同行していいでしょ?」
「勝手にしろ」
「やったぁ!」
少女がガッツポーズを取る反面、男は依然無表情を貫く。邪魔にならないならどうでもいい、といった風情。少女はその様子に頬を膨らませ、文句を垂れる。
「新しい仲間が出来たんだからちょっとは喜びなさいよ……旅は道連れ世は情けって言うじゃない」
「楽しさなど求めていない」
「ノリが悪いわねぇ……ま、いいわ。それより、これから長い付き合いになるんだから、名前くらい教えなさいよ。私の名前はセレネ、あなたは?」
少女の名はセレネ――母親が彼女を産んだ晩の満月を見て、その名前をつけられたという。
本人の気性は月のようなお淑やかなものではなかったが、空の色をした瞳や、満月を思わせる金色の髪など、その美しい容姿は月の名を冠するに相応しいものといえた。
「竜の騎士だ」
「は……? いや、それは役職とか職業の名前じゃないの。あなた自身の名前は?」
「ない」
唖然とするセレネ。
「いやいやいやいや……普通あるでしょ? 親とかから与えられたあなただけの名前が」
「必要ない。……わざわざ道具に名前をつける奴はいないだろう」
臆面も無く自分を道具と言い切るその精神性に驚愕すると共に、少女はその空虚な瞳の向こうには何も広がってないことを悟る。
心というものが欠落している男を見て、セレネは何かを決意したようなまなざしを向けた。
「……誰にも名前が貰えなかったって言うのなら、私がつけてあげるわよ」
「何故だ」
「だって……誰にも名前を貰えなかったってことは、誰にも愛されなかった、ってことでしょう?そんなの……あまりにも可哀想じゃない。ほっとけないわよ」
男が誰にも愛されなかったというのなら、私が与えてやろうと。そう言い切るセレネの瞳には、慈愛と呼ばれるものが満ちていた。
「……勝手にしろ」
そう言い放つ男の目は、相変わらずの空っぽであったが。ほんの、ほんの僅かに、何かが宿っていたように思えた。
その後、歩き続けて45分ほど。二人は山の麓にある、小ぢんまりとした洞窟に足を踏み入れた。
男が、脇に抱えてきた木の枝の束を下ろす。そのまま、
炎の暖かな灯りが、真っ暗だった洞窟内を照らす。
二人が焚き火を囲み、どっかと腰を下ろす。そういえばと少女が口を開いた。
「そういえば、人間に怖がられるって言ってたわよね……その仏頂面もそうだけど、あんた威圧的なのよ。特にその目、こんなごっつい目飾りつけてるからじゃないの?」
「む……」
「ちょっとそれ貸しなさいよ、私がいい感じに直しといてあげるわ」
「……ああ」
またもや押しの強さに流される男。使うこともないし別にいいかといったところか。
本来、その目飾り――
それを使わないと称したのはなぜか。そう、竜魔人になるには、人の心を一度捨て去らねばならない。しかし――男には捨てるべき人の心が最初から無いのだ。
故になれない、故に必要ない。そういった理由から男は竜の牙を易々と手渡したのだ。
その後、暫く沈黙が続く。外で完全に日が落ち、夜の帳が辺りを覆ったところで、セレネがぽつりぽつりと話し始めた。
「私の……暗殺命令を出した人ね、多分父親なのよ……」
「そうか」
「北オーザムで枢機卿をやっててね……あ、枢機卿っていうのは国のナンバー2みたいなものでね」
男はあまり興味がなさげだったが、聞いてくれるだけありがたいと、話を続ける。
「愛人の娘である私がよっぽど疎かったんでしょうね……馬鹿らしいわねほんとに」
それだけではない。厳格な宗教国家である北オーザムにて、愛人の存在が露見することは権力闘争から転げ落ちる事に等しい。
貪欲な権力欲を持つセレネの父にとって、その生き証人である母と娘は弱みそのものだったのだ。
「なまじ私に僧侶としての才能があるからって教皇にも睨まれて……本国では針の筵みたいな生活だったわ」
国一番の実力を持つセレネの存在は、父に追われる存在である教皇にとっても目の上のたんこぶだった。
戦乱の時代である今、彼女が戦場で功を挙げ続ければ、教皇の座を追い落とされる可能性もあったからだ。
「星空を見てるときだけは、そんな下らないしがらみを忘れられたのに……」
「…………」
セレネは語り続けるも、その相手は既に寝入っていた。重い話を聞きながら、無視して平然と眠れるのも、一種の才能だろうか。
「……って、あんた人の話聞きながら寝てんじゃないわよ……はぁ、馬鹿みたい。……こんなものに縋っても、何も救われなかったのに」
そういって、セレネは首につけていた十字架のペンダントを外す。真ん中の十字架を外して、外に放り投げた。
彼女は馬車の中から持ち出してきた星の辞典を開き、読み始める。
その場には焚き火が爆ぜる音と、本のページをめくる音だけが静かに響く。
そのままゆっくりと、夜は更けていった――
日が昇る。
洞窟の入口から差し込んだ光が、男の目を覚ました。
「おはよ」
「ああ……出発するぞ」
「その前に……あんたの名前、決まったわよ」
そういった少女の目には、夜通し起きていたのか、隈が出来ていた。
「この前孤児院の人に捨て子の名付けを頼まれててね……私が好きな星の名前にしたの」
「……そうか」
「あっ、その前にこれ返すわよ。ペンダントにしてみたら結構かっこいいじゃない」
竜の牙に、昨日のペンダントの鎖を通したものを男の首にかけながら、セレネは言う。
「どうせもう戻ることはないしね……女の子ならスピカ、男の子なら――」
それは夜空を彩る三角形で、一際強い輝きを放つ星。
「アトリア――あんたの名前は今日からアトリアよ」
キャラクタープロフィール⑥ セレネ
【年齢】18歳
【種族】人間
【出身地】北オーザム
【体力】5
【力】5
【魔力】9(僧侶系呪文のみ)
【技量】6
【得意技】マホイミ ベホマ ???
【特筆事項】なし
パーティーメンバーその1。どっかの人造竜の騎士と瓜二つ。
回復特化なので単独ではあまり強くないが、マホイミがいいところに決まれば一撃。
でも燃費激悪なのでやっぱりあまり強くない。
親父に暗殺未遂くらってぐれて家出した。アトリアの名付け親。
バランがアルデバランから取ったと聞いたので、同じく星座のα星から取りました。
北オーザムNo2の愛人から生まれた不義の子。人々には普通に正妻が産んだ子だと思われているが、親からしたら愛情を抱けないうえに素性がばれたら自分が終わりなので忌々しく思っている。
魔王討伐の旅に加わった理由は、面白半分同情半分くらいの比率。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
魔界編 第二節 竜の騎士・バラン襲来
10 魔界の名工(予定)
ここから新規分です。お楽しみください。
懐かしい、夢を見ていた気がする。
生温い泥の中から浮上するような感覚を感じつつ、意識を取り戻す。どうやら身体の方はあらかた回復したようだ。
目を開けるとそこには、心配そうにこちらを覗き込む少女――スピカがいた。
「……大丈夫?」
「…………ああ、大丈夫だ」
万全とはいえないが、まあ概ね問題ない。返事を返すと、ゆっくりとベッドから半身を起こす。
周りを見渡せば、そこは殺風景な広い部屋。私物の一つも置いていない、何時も通りの己の私室だ。
闘いから帰ったときの装束のまま故、シーツが血と汚れに塗れているが、自分が知ったことではない。
本来眠る必要はない身体なのだが、今そこに寝ていた――厳密には寝ているわけではないが――のには理由があった。
時は少し遡り、戦いと論功行賞が終わり自室に戻ったとき。自分は自室に着くなり、倒れるように寝台に入った。
端的に言えば限界だったのだ。この身体は回復呪文が効かず、暗黒闘気によって損傷を回復する。
魔力を限界まで使い切り、身体も最早ぼろくずのような有様。それに比べて己の微小な闘気では、到底回復が追いつかなかった。
故に意識を放棄し身体を休め、回復に専念する必要があった。いわば先程までは休眠状態にあったのだ。
「今……いつだ?」
「あの戦いから二日。丸二日ピクリとも動かずにいたのよ」
結構な間自分は眠りこけていたらしい。よくよく見てみれば、その目の辺りには泣き腫らした様な痕が見えた。
「すまん……随分と、心配をかけた」
「ホントに……あまりにも動かないもんだから、死んだかと思ったのよ!? でも……生きていてくれたんだから、許してあげる」
「それは重畳。……少し歩くか、身体が凝り固まっていていかん」
寝台から立ち上がり、軽く身体を捻る。乾いた血がぱりぱりと剥がれ落ちる音と、二日間で凝り固まった身体がばきばきと音を立てるのが重なる。
しかし何というか、やはり不思議だ。この少女を前にすると、自然と感情が沸いて出て来る。
他の者にとってはそんなことは当然の事なのかもしれないが、少なくとも自分はそうではなかったのに。
「では行くか、スピカ……自分で付けておいてなんだが、馴染みが無いからか呼び慣れんな」
「あら、いい名前じゃない。付けられた本人が言ってるんだから間違いないわよ」
二人して部屋を出る。
広大な白亜の廊下を並んで歩きながら、言葉を交わす。
「あの時は聞きそびれちゃったけど……なんで見ず知らずの私を助けたの?」
それを聞かれると結局、上手く言葉には出来ない。確かに彼女の風貌には何かの面影を感じる。
知らないのに知っているという感覚。失われた記憶に起因しているのだろうが――それだけではない。
「正直に言うと何故かは分からん、が……守りたいという気持ちは本物だ。それに、お前と居れば――自分が人形じゃないと実感できる。だから、命を懸けることになっても後悔はしていない」
「……そう」
一拍置いて彼女は、明るい顔で話し出す。その顔はオラージュの下に居た時のものとは違い、ある種活き活きとしているようにも見えた。
「私もあいつの下に居たときは、恐怖に縛られて只言うことを聞くだけの人形だった……けど、あなたが助けてくれたお陰で、今はとても開放された気分。……今後はあなたの下で動くことになるんでしょ?」
「まあ、そうだな……ここはあそことは違う、力さえ示せば――自由に振舞える。そしてお前にはその力がある」
それを聞いたスピカは、一層眩しい笑顔を浮かべて、こう言った。
「自由……いい響きね。――それじゃあ、これからよろしくね、お父様?」
告げられた聞き覚えの無い語句に、一瞬思考が固まる。
「……オレはお前の父親になった覚えは無いが」
「名付け親なんだし実質親ってことでいいじゃない! それに、
「……好きにしろ」
そう言いながらも、不思議と悪い気分はしなかった。自然と受け入れられるほどに。
そしてふと思う。自分がスピカの言うとおり、『父親』として振舞うとしても、彼女に教え、残すものが何一つない事を。
250年余りを生きてきて、その生き様は余りにも空虚。目覚めたときから戦いしか知らず、それからも戦いのみに生きてきた。
「演習場に行くぞ」
「え?」
「父親なんだろ? じゃあそれらしく……稽古の一つでもつけてやる」
「ええ~!?」
ならばせめて、それだけは伝えよう。戦いを、力を――この
――――――――――
誰の領下でもない、魔界の外れにある荒野にて、そこに集うは3人の強者。
軽鎧とローブを合わせたような戦装束を纏う、戦士と魔法使いを折衷したような男――アトリア。
背にある直剣に手を掛け、油断ならぬとばかりの表情で対面を睨む金髪の少女――スピカ。
そして、その視線の先にいる、瞳に求道の炎を滾らせ、精悍な雰囲気を漂わせる魔族の若者――
「ロン・ベルク――冥竜王の下へと付く気はあるか?」
「フン……お断りだな」
あの戦いから三年ほどが経ち、アトリアとスピカには新しい任務――スピカにとっては初めてでもある――が申し付けられた。
その内容は、
「近頃名を上げている剣客――ロン・ベルクとか言ったか。そいつが今この大陸にいるとの情報が入った。……そいつをオレの軍へと勧誘して来い」
というものだった。
だが、分かっているのはロン・ベルクなるものがこの大陸にいる、という情報だけ。
二人はそれだけを頼りに、手探りで情報を集めていくこととなった。
「ひいっ! わ、分かった、言う、言うから! だから命だけは――」
「冥竜王の領外に行くって言ってたのを聞いたんだ! 修行に来たって!」
時には足を棒にして
「ロン・ベルクという男を知って――」
「生贄だ! 我らが神に捧げる生贄が来たぞ!」
「話にならないわね……サクッとやっちゃってから調べない?」
「……そうするか」
またある時には
「二日前に団員が何者かに斬り殺されてるって書いてあるわよ!多分これじゃない?」
「……だろうな。よくやったぞ」
そんなこんなで紆余曲折。
アトリアとスピカの二人は2週間をかけて、ロン・ベルクの居場所を突き止めた。
『悪霊の神々』とやらを信奉する邪教の集団が仕切る土地――もっともほとんどの構成員は二人に皆殺しにされたが――を彷徨っているらしいということが判明し、二人して飛び回って捜索した結果、見事発見。
そこから一言二言言葉を交わしたあと、冒頭の場面に至っていた。
「断る、と来たか……何故だ?」
非常に面倒だ。二重の意味で。
最も、大魔王の勧誘を最初は断ろうとした男が言える言葉でもないかもしれないが。
とにかく、この手の輩はそう簡単には考えを変えない。そして何より、この男は強い。
だから二重に面倒なのだ。説得するにも骨が折れるし、力づくでいこうにも相手は強い。
「今オレが興味のあることは、剣の道を究めることのみ……いかな冥竜王といえども、その自由は奪わせんぞ」
そもそも他人に共感できないのだから、説得という行為自体が致命的なまでに向いていないのだ。
人選ミスなのではないか――?という思いが頭をよぎりかけたとき。
「でも、いくら鍛えたってそれをぶつける相手がいなきゃ意味がないんじゃない? 私達ならそれを提供できるわよ?」
思わぬ助け舟。こういった事はスピカの方が遥かに向いている。60年間閉じ込められていた箱入り娘に交渉能力が劣るというのも変な話だが。
「フン、いい線行ってるが……小娘に言われてもな」
「はぁ~!? あんただって10歳くらいしか変わんないじゃない! 私が小娘ならあんたは若造だっつーの!」
「ハッ! 親子連れでピクニックに興じてるお子ちゃまが何を言う」
「あぁ? なに、喧嘩売ってるわけ? 力づくで連れてってあげてもいいのよ?」
……訂正しよう。ベクトルは違うが、自分と同じく致命的に交渉に向いていない。沸点が低すぎる。
頭が痛くなってきた。何かを思い出せそうとかそんなものではなく、単純に呆れからくるそれだ。
「……やめろ。こいつは力づくで捻じ伏せても言う事を聞かん。そういう類の奴だ」
「ほう……話が分かるヤツだな。じゃあ――いや、待てよ」
ロン・ベルクは獰猛な笑みを浮かべ、こちらに鋭い視線を向ける。その形相は、飢えた猛獣を彷彿とさせた。
「……オレは剣の腕においては、魔界の中でも右に出るものは居ないと自負している。
――剣だ。剣だけでオレを倒せれば、オレはそいつに従ってやる」
そう来たか。まあ、慣れない説得をするより力で語った方が手っ取り早い。
一筋縄では行かないだろうが……分かりやすくていいことだ。
「いいだろう、相手をしてやる」
「ちょっと! 私が……」
「お前では勝てん。奴は――強い」
手を横に出して制止する。剣で右に出るものはいない、と言ったのは世迷言ではない。
体つきや構え、佇まい。それらを見れば分かる。奴が超一流の剣客であることが。
「それが分かるってことは……ちょっとは期待できそうだ」
「抜かせ――」
剣を抜き、正眼に構える相手に対し、こちらも呼応するように剣を抜き、交差させるように構える。
既に戦いは始まっている。互いにじりじりとにじり寄り、機を伺う流れ。
気の起こりを読み切った者こそが、この戦いの初手を制す。
筋肉の動き、呼吸のペース、視線の先……あらゆる情報を総動員して、相手を探る――そしてそれは、相手も同様だ。
試しに足元の小石を蹴飛ばしてみれば、一顧だにもせず切り払われる。その動作が行われる最中でも、奴の様子には一切の変化は無かった。
「ふ……小細工はやめろ、無駄だ」
「……それはどうかな?」
次は剣圧を飛ばす。それにも相手は動じず対応するが、まだ終わらせない。
間髪入れず次を仕掛ける。持っていた双剣の片割れを――力一杯放り投げた。
「――!」
さしもの奴も目を見開く。投げた剣は弾かれたが、対応に一瞬の遅れが生じる。
その隙を狙って、全力で踏み込んだ。
ここからが――本当の戦いだ。
二人の激突を見ているものはスピカだけではない。
誰も気に留めていなかった、小ぢんまりと荒野に鎮座する祭壇。それに取り付けられた悪魔を象った象の眼が紅く光り、二人の戦いをその眼に焼き付けていた。
キャラクタープロフィール⑦ スピカ
【年齢】67歳(原作開始時266歳)
【種族】人造竜の騎士(魔族ベースの三種族混血)
【出身地】魔界 ヴェルザー領(旧ボリクス領)ボリクスの牢獄
【体力】7
【力】6
【魔力】7
【技量】6.5
【得意技】各種魔法剣 ???
【特筆事項】魔法剣 電撃呪文使用可能
数多の実験の末生まれた人造・竜の騎士。同じ被造物ということでオラージュくんのコンプレックスを刺激したらしく、碌な扱いは受けられなかった模様。
まだ戦闘者としては未熟。それなりには強いがそれなり止まり。
決戦の折にアトリアが救出したことで配下として加わるが、父と呼ぶほどに懐いているようだ。
抑圧されていたが本来の気性は活発。容姿も性格もどっかの僧侶に酷似している。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
11 それぞれの十字
産まれて十年で最強の剣術を極めるのもかなりやばいですけど、腕ぶっ壊して70年くらい腕使えないのに後ろ盾無しで魔界で生き残ってるのも中々いかれてると思います。
高速で踏み込んだアトリアと、それを待ち構えるロン・ベルク。
両者の剣がぶつかりあい火花を散らす。そのまま鍔迫り合いへと移行し、両者の顔が触れ合いそうなほどに肉薄する。
「いい剣だな」
「いつまでも余裕面でいられると思うなよ」
薄笑いを浮かべ、冷や汗一つかかないその面を崩すべく、アトリアが動く。
前もやったように、空いた手から暗黒の糸を飛ばし、弾かれた剣を呼び寄せる。
風切り音を立て、高速で回転しながら背後から迫る片割れの剣。
喰らわないにしても、何らかの効果は期待できるだろう――その期待を裏切るように、ロンはいっそ鮮やかなまでの自然な動きで、背後から迫る剣を直前で躱してみせた。
「小細工は――無駄だといったろ?」
減速もせず突っ込んでくる己の剣を逆に利用され、受け取りはしたものの、勢いをそのままに受けたアトリアの体勢が少し乱れる。
その僅かな乱れでさえ、二人の剣豪の対決では大きな隙となる。
「そらそらそらッ!」
「ちぃッ……!」
烈火の如き猛攻。力強くありながらも、焔のように変幻自在に姿を変えるその剣筋はもはや芸術的。
防戦一方――それがアトリアの現状を表す言葉に最も相応しいといえた。
――強い……!
事ここに至って悟る。ロン・ベルクは剣技においてアトリアよりも――強い。
「まだ終わらんぞッ!」
空が裂け、地が砕ける。二人の剣戟の応酬は更に加速し、傍で見ているスピカにも捉えきれないほどのものとなっていた。
時折チカチカと光が各所で瞬く。それは二人の剣の激突で散る火花であり、そしてその戦いにおいて唯一観測できるものだった。
アトリアの身体に、浅くはあるものの裂傷が刻まれてゆく。このままでは押し切られるのも時間の問題であるようにみえた。
――戦い方を変えるか。
「む……?」
アトリアの剣筋が、色を変える。先程までは力に対し力で対抗する剣だったのに対し、今はその逆。
掴もうとしてもふわりと手の内から出て行く、一枚の羽毛のような。あるいは、自在にその形を変える水のような。
力の流れを操作し、受け流す――受けの剣術。
相反する二つの剣術を巧みに使い分けるアトリアを前に、ロンは違和感を感じていた。
普通であれば、技を練り上げ、戦闘者として完成する過程で、その者だけのスタイルを確立することとなる。
受けにしても攻めにしても、それをするのが一人である以上、根底に共通のものが流れている筈だ。
だがアトリアにはそれがない。受けと攻めに使われている技術の根底に流れているものが違うのだ。
流派が違うと置き換えてもいい。
だが。
「面白い――戦いはこうでなくてはなぁ!」
違和感を感じたのも束の間。ロンにとって大事なのは、目の前に立つ男が自分の力をぶつけるに値する強敵だということだ。
喜びを噛み締めながら、剣を振るう。
アトリアが仕掛ける。空中戦の様相を呈していたところ、鍔迫り合いになっていたロンの剣を踏み台に、更に上へと飛び上がる。
相手に目掛けて、磨きぬかれた剣圧が次々に飛来した。
「喰らえッ……かまいたち!」
「ふっ……!」
切り払い、あるいは避けられて、その剣風はロンを傷つけるには至らない。
だが、間髪入れずに落下の勢いを加算した双剣の一撃が襲う。剣で受けるも勢いは殺せず、その身体は地面に向かって加速していく。
巧妙な身体捌きで体勢を立て直し、着地するロン。しかし――
「……なっ!?」
その地面が崩れた。先程のかまいたちはロンを狙ったものではなく、足元の地盤を崩すためのもの。
思惑通り、ロンの体勢が崩れる。
「……もらった!」
「うおおおおっ!?」
胴体を真っ二つにする勢いで切りかかる。殺してはいけないが――殺す気で行かねば傷の一つもつけられない、と踏んでのこと。
現に、脅威的なまでの反応速度で剣を逸らされ、脇腹に傷を刻まれるだけに留まる。
だが、その傷は魔族の再生能力を計算に入れて尚、深手といえるものだった。
ロンが腹から血を垂れ流しながらも嗤う。
その様相は、修羅の如く。
「いい……いいぞ! ふはっ、ふはははは!」
「こいつっ……!」
両者が再び激突した。
二人から流れ出た血液が戦いの熱気で蒸発し、赤い霧となって周囲を漂う。
霧中の剣戟の最中、ロンが足元を踏み砕き岩を巻き上げる。一瞬だけ視界が途切れたその後、ロンの姿は見えなくなっていた。
――どこだ……? 横か? いや……!
「後ろだッ!!」
即座に振り向き、アトリアが剣を振り下ろす。
そこに立っていたロンに剣が食い込み――そのまますり抜けた。
「惜しいな」
――残像!
「――その後ろだ」
銀閃が二つ、煌く。
アトリアの手にある双剣が、叩き落とされた。
「……ッ!?」
ロンは確かに背後に回っていた。
だがその直後、極限まで身体を下げた前傾姿勢を取り、アトリアの視界から外れ、再び元の位置に戻ってきていたのだ。
残像が発生するほどの鋭い踏み込み。勝負を賭けた一撃。
「こいつで……終わりだ!」
大上段からの、全力の唐竹割り。轟音を伴いながら振り下ろされるそれに対して、無手のアトリア。
その対峙の結末が死であることは、火を見るよりも明らかだ。
死の刃を目前にしたその脳裏に、覚えの無い記憶が蘇る。
――『どうにもこうにもならなくなって、絶体絶命の時……破れかぶれでこいつをやってみるといい。どうせやらなきゃ死ぬんじゃ。それならやったほうがお得じゃろう?』
アトリアの瞳に、意思の炎が宿る。
――まだ、死ねない。生きるために……娘を守るために!
「――ッあああああああ!」
「馬鹿なッ!?」
振り下ろされたその刃を、両手で挟み込むようにして止める。
それは極限の神業、死を避ける唯一の活路。
――真剣白刃取り。
そのまま、挟み込んだ手を動かし、剣ごとロンを持ち上げる。死が目前に迫った極限状態が、アトリアに平時を大きく超えた膂力をもたらしていた。
持ち上げたそれを大きく振り回し、そのまま投げる。
空中で一回転し、そのまま着地するロン。その間に剣を拾い上げ、再び距離を開け対峙する形となるアトリア。
仕切り直しの形。始まりのときと違うのは、両者共に肩で息をして、満身創痍のありさまであるということだけ。
互いに確信する。
きっとこれが、最後の一合となることを。
「あれを凌ぐとは……ふふ、ははは……! いいだろう、お前にならば相応しい! このオレの、最強の剣技の粋を試すのに……!!」
ロンが、ずっと腰に提げていたもう一本の剣を抜いた。構えられた二本の剣に、光り輝くほどの闘気が伝わっていく。
その佇まいから伝わってくる圧力は未曾有。まさに必殺の気迫。
それに対するアトリアは、力を抜いた無形の構え。自然体で、ただ剣を持って立っているだけにみえる。
その様は、凪いだ海の如し。
――未完成だが、やらなければ死ぬだけだ。
静と動、攻めと受け、二つの極地。それが激突しようとした寸前――
「受けろッ!! 星皇――」
大きく大地が揺れる。
「なんだ……!?」
「あぁ……?」
それと同時に、動きを止めた両者の前に姿を現したのは、新たなる闖入者。
「素晴らしい……! 一回の戦いで、祭壇を満たすほどのエネルギーが溜まるとは……!!」
それは
その単眼に狂気の光を滾らせ、狂信者は言葉を続ける。
「これで我々の悲願が達成できる! いしにえにこの地に封ぜられた悪霊の神々よ! 今こそ顕現し、この世を――」
「うっさい!」
両断。あくましんかんの身体が二つに割れ、血を吹き出しながらゆっくりと倒れる。
その後ろにいるのはスピカ。不埒な闖入者を断罪すべくこの場に割り入ってきたのだ。
だが、狂信者が倒れても地の揺れは収まらない。
その震源を探してみれば、そこにあったのは悪魔を象った像が取り付けてある祭壇。
巨大な岩山の傍に小ぢんまりと設置されていたそれは、今まで誰も気に留めていなかった。
祭壇に備え付けられていた杯には、血のような赤い液体が揺れている。
満ちるまで、あと一寸という所だったそれは、あくましんかんの両断された身体が地に落ちると同時に、完全に満たされた。
悪魔像の目が赤く光り、揺れが更に増した。次第に祭壇に皹が入ってゆき、それは背後の岩山へと伝播する。
「これは……」
「ちょっ……なにあれ!?」
岩山が砕ける。そこから出てきたのは、強大な力を漂わせる
金と青に彩られ、三又の槍を携えた巨大な悪魔――ベリアル。
毛皮のぼろきれを身に纏う、赤茶の一つ目巨人――アトラス。
その風貌は、色や細部こそ異なれど、現存している怪物――アークデーモンやギガンテスなどと同じもの。
しかし彼らから滲み出る力は、それらとは一線を画す。
彼らは神々に創られた――それらのモンスターの始祖にして雛形。
その強すぎる力を疎まれ、用済みとして地の底に封ぜられた古代の遺物――悪霊の神々が、今現世に蘇ったのだ。
「グオオオオオオオオォッ!!!!」
彼らに知性はない。あるのはただ力のみ。
それでも、その雄叫びからは怨嗟の感情がありありと伝わってくる。
我らを地の底に封じた奴らが許せぬ。封じられていた地の上で、のうのうと生きるこの世の全てが憎い。
生きとし生ける全ての命を呪うその様は、正に悪霊。
だが――その怨嗟を全面に受けて尚、二人の男は平静を保っていた。
「とんだ邪魔が入ったな――ここは一時休戦といくか?」
「……いいだろう」
「グワアアアアッ!」
アトラスの棍棒が、ロンのいた地点に叩きつけられる。最早その威力は地面が爆発したように見えるほど。地を抉るその一撃はしかし、何者をも捉えることはなかった。
なぜなら――ロンは既に、アトラスの後ろへ移動していたのだから。
「お前には不相応だが――
ロンが走り出す。その手に二つの剣を携えたまま。
魔界最強の剣豪を自負する男が、その剣技の粋をもって辿り着いた奥義は。
「受けろッ! 星皇十字剣!!」
傍目には、ロンが剣を十字に振りぬいたように見えただけ。アトラスの様子には何の翳りもないように見えたが――そんなわけはない。
「グ――アァ?」
アトラスが動き出そうとした瞬間、十字の線がその身体に走る。
静かに、巨神の身体が分かたれていく。アトラスは、自らの終わりを知る事すらできず、肉片となって地面に散らばった。
万物を十字に断つ予想以上の奥義の威力に、ロンは笑う。
「ハハハハッ! 次はお前――ッ!?」
ぴしり、ぴしり。二つの剣が粉々に砕ける様を見る。そして――その崩壊は自らの腕までも。
腕の骨が砕ける音が、ロンの体内に響く。
そう、奥義の余りの威力に耐え切れず、剣と腕が自壊したのだ。
「がっ……!? ぐっ、ああぁ……!!」
余りの痛みに、前のめりに倒れ伏すロン。自らの身体が、内から粉々に自壊していく痛みなど、終ぞ味わった事はなかった。
そして、敵はまだ一人残っている。鈍色に光る槍を構え、苦痛に悶える獲物を舌なめずりして見ているベリアル。
「こんなッ……! こんなことでっ……!!」
己の力が足りぬのではなく、武器が不甲斐ないせいで敗死する。そんな理不尽で、下らなく、呆気ない終わりなど、ロンには到底受け入れがたいものだった。
苦痛と悔しさに歯軋りをするロンに、三又の槍が迫るが――
「いい物を見せてもらった礼だ」
「ありがたく思いなさいよ~?」
絶死の刺突は、その前に立つ二人の剣に阻まれていた。
いつまでも訪れない死を怪訝に思い、ロンが顔を上げた。
信じられないという表情で、二人を見やる。
「お前ら……」
「次はオレ達の番だ――行くぞ!」
「りょーかいっ!」
「ギガデインッ!」
アトリアの掲げる二刀に、剛雷が降り注ぐ。
――星皇十字剣とやらは、確かに強かった。大魔王の不死鳥よりも、雷竜の息子の混沌の濁流よりも、そしてあるいは、オレのギガブレイクWよりも。
紫電を纏う二刀のうち一本を、スピカに投げ渡した。
――一人では抱えきれないほどの威力。であれば、二人なら。二人の力を掛け合わせれば、それすらも超えて見せよう。
二人が、全く同じ構えを見せる。八相の構え。
――三年の間、ずっと二人で練り上げてきた。一人では超えられない壁を越えるために。
息をするように連携ができる二人。魔法剣を扱える二人。二重の意味で、この二人にしか出来ない技。
もっとも、
「怪物程度に見せるには勿体無い技だが――特別だ」
「感謝しながら死になさいっ!」
「ア――アアアッ!?」
二人が雷が迸る切っ先を向けると、そこに込められた凄まじいまでの暴威に怯え、ベリアルが背を向ける。
その瞬間、どちらかが合図をするでもなく同時に、二人が弾かれたように飛び出した。
「ギガ――」
鏡写しの二人の動線は、交差するように描かれている。
「クロス――」
二つのギガブレイクが交わるという、この世には存在しえぬはずの出来事。
これが竜の
「「――ブレイク!!」」
有り得ぬはずの一撃が、戦いの幕切れを告げた。
両者の決め技を喰らって即退場したアトラスとベリアルですが、それぞれ初期ハドラーくらいには強いです。噛ませなので仕方ない。
キャラクタープロフィール⑧ ロン・ベルク(若い頃)
【年齢】74歳(原作開始時275歳)
【種族】魔族
【出身地】魔界
【体力】7
【力】8.5
【魔力】1
【技量】9
【得意技】星皇十字剣
【特筆事項】なし
若かりし頃の魔界の名工は昔は尖った男でした。魔界一を名乗るのは伊達ではなく、剣技だけで並び立てる者は魔界に一人のみ。
剣だけに限らなければ自分より強い奴が何人かいることは流石に理解していますが、今のロンが興味あるのは強敵で己の腕を試すことと、自らの剣を高めることのみなので、例えばバーン様に魔法でぶちのめされても従いません。
剣だけで倒せばそいつから学ぶ的なアレで従ってくれます。
腕ぶっ壊して二百年たったら、少しは丸くなります。丸くなるというより擦り切れた感じあるけど。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
12 娘と息子
強化フラグ回
二振りの稲妻を纏いし剣の交叉点。そこに収束したエネルギーは凄まじく、それを起点として稲妻がベリアルの全身へと走っていく。
灼ける、などという生易しい威力ではない。そのエネルギーに耐え切れなくなった全身が膨張し――弾ける。
「グ――アアアアアアアアッ!!!」
千千になった肉片でさえ、残っていた雷に焼かれていく。やがてそれらは黒焦げて、灰となり、空に散っていった。
最早そこには何も無い。文字通り跡形も無くなったのだ。そこに巨大な何かがいた、と言われても信じられないほどに。
「……終わったな」
先程の喧騒とはうって変わって、訪れたのは戦いの後の静寂。
全てを出し尽くした者たちには、もはや戦いを続ける余力は残っていなかった。
暫しの休息のあと、ようやっと痛みに慣れたロンが、立ち上がる。
「さて……行くか」
「……え? どこに?」
「冥竜王のところに行くんだろ? ……お前らに命を救われたんだ、オレでもそれくらいの義理は通す」
この言葉を聞き、図らずも任務を達成できたとスピカが顔に喜色を浮かべるが――
「ほんと!? 人助けもやってみるもんねぇ」
「いや、その話はもういい」
それは敢え無くアトリアに遮られた。ロンが自嘲するように呟く。
「ふっ……そう言うだろうとは思っていたさ。腕の使えない剣士なんて何の役にも立たないんだからな」
「いいや、そうじゃない」
それも多少あるがと、アトリアが心の中で呟く。それを口にしない程度には、空気を読めるようになっていたようだ。
「あの……星皇十字剣といったか。あれを受けていれば……オレは負けていた。だから、お前がオレに従う道理はない」
その言葉は半ば正しい。アトリアが使おうとしていた未完成の技――それを以ってすれば、星皇十字剣に対抗できる可能性はあった。
だが、どうもアトリアには、その技を使うには何か足りないものがあると感じていた。あのままぶつかっていれば、負けたのは自分だろうという確信があった。
「……ふ」
「?」
「フハハハハハ! そこまで言うなら仕方ない! オレとてあの未完成な技で勝ったといわれても実感がない! この場は痛み分けということにするか!」
「……ということは」
「ああ! オレの腕が癒え……この技を真に極めた時! その時こそ雌雄を決するとしよう!!」
そういったロンの顔には、再び猛獣の如き笑みが戻っていた。完全に調子を取り戻したらしい。
「しかし魔法剣を使うとはお前ら、竜の騎士なのか……? だがなぜ二人いる?」
「元、というのが正しいがな。……あまり詮索はしてくれるな」
「悪いな。しかし、竜の騎士だったということは、真魔剛竜剣を握ったことがあるということか? そいつは羨ましいな」
「覚えていない。生憎記憶がないものでな……羨ましいとは?」
怪訝そうな様子を見て、ロンが説明する。
「元々オレは自らに相応しい剣を求めて放浪していた。……オレが握った剣は、その力に耐え切れず、すぐに壊れちまう」
そういうと、ほれ、とそこらへんに散らばっていた、ロンの剣だったものを指差す。確かにそれは込められた力に耐え切れず、粉々になっていた。
「オレの力――星皇十字剣にすら耐えられるような、究極の剣。神々の与えた超金属、オリハルコンでできた剣なら、その願いを叶えてくれると思った。例えば真魔剛竜剣のような」
「で……心当たりはあるのか?」
「ああ。魔界に伝わる伝説の剣豪ヒュンケルの剣――その名も、王者の剣だ」
呆れ顔でスピカが口を挟む。
「でもあれっておとぎ話でしょう?私だって知ってるわよ」
「フフ……さてな」
そういって笑うロンには、どうやら心当たりがあるようだった。
だが、そこまで詳細な情報を与えるつもりも無いようだ。
「さて……そろそろおしゃべりも終わりにするか」
「そうだな」
両者が歩き出す。反対の方向へ。
「再び相見えたときが、お前らの最後だ。それまでせいぜい死ぬなよ?」
「おまえこそ、腕が使えないからといってそこらで野垂れ死ぬようなことはするなよ」
「ふはははは……また会おう! さらばだ、竜の
アトリアとロン・ベルク。両者の道は一度交差し、そして別れ、また異なる道を歩んでゆく。
その道が再び出会うのは200年後。地上にて、その二人の人生は、再び交わることとなる――
少し時が経ち、互いの姿が見えなくなった頃。
「なんでわざわざ来てくれるっていうのに断ったのよ?」
娘の問いかけに対し、明確な答えは持ち合わせていない。だからだろうか、
「……なんとなくだ」
そうとしか答えられなかった。いつになく自分らしからぬ回答。
「なんとなく? ……気まぐれなんて父さんらしくないわね」
「まあな。だが別に冥竜王に忠誠を誓っている訳でもなし……別にこれくらいはいいだろう」
抽象的すぎて口に出すことは出来ないが、ロンと切り結んでいる時に、どこか懐かしい感覚を覚えていた。懐かしさを覚える記憶はないはずなのに。
生死の境のギリギリで踏みとどまっていたせいか、記憶の
ちょうど、オラージュとの戦いが終わり、ぼろぼろの状態で休眠していた時のように。
「冥竜王には、ロン・ベルクは既にどこかへ出立した――とでも報告しておけばいいさ」
「にしても強かったわね。魔界一の剣豪を名乗るだけはあったわ。後のほうなんか目が全然追いつかなかったし」
「……帰るか。回復したらみっちり鍛えなおしだ」
「げぇ……」
全ては終わったこと。失われた記憶に思いを馳せるのも結構だが、それよりも娘のことだ。
それなりに鍛えたつもりだったが、あれを目で追うことすら出来ないならば本当の強敵と戦っても死ぬだけだろう。
自分が常時付いて守れるわけでもない。自分の身は自分で守れるようになって貰わねば。
時間だけはたっぷりあるのだ、みっちりと鍛え直すとしよう。
ロンが壊れた腕をぶら下げながら、無人の荒野をただ歩く。
先程の剣戟を思い返しながら、その余韻に浸り、ひとりごちる。
――本来なら剣を奪うついでに
そう思いながらも、その顔は満面の笑み。彼の思考は、既に『次』に向けられていた。
――強い武器が欲しいなら……自分で作るのもいいな。どうせ当分の間剣は振れんからな、鍛冶の勉強でもするか。あるいは――
戦いの終わりを飾った、竜の父娘の奥義を思い出す。
――一人ではなく、二人なら、か……
「オレには縁のないことだな」
そう苦笑し、ロンは帰路を歩んでいく。
だがその言葉は、脳裏のどこかに残り続けていた。
――――――――――
ロン・ベルクとアトリアの邂逅から100年程が経つ。
ここ最近、冥竜王軍は忙しい。先の250年で領内の内乱を収め、現在は地上侵攻に向けての準備を着々と進行している途中。
地上、及びその後の天界侵攻のための軍の再編、練兵。同様に軍備を進めている大魔王軍への諜報・妨害工作。
やるべきことは色々とあったが、その反面、竜の父娘は平常運行。
この二人は地上侵攻においては、特に重要なポストを任されている訳ではない。
当然と言えば当然だろう。元々アトリアは大魔王軍所属であるし、その直属の部下であるスピカも冥竜王というよりアトリアに従順な様子。
悲願を前にして要らん邪魔をされても敵わん、という冥竜王の一言により、この二人は地上侵攻軍より外され、魔界でお留守番の予定であった。
さてそんな二人は現在、別行動の最中であった。アトリアは何やら大魔王に呼ばれ、暇なのをいいことに城から抜け出し大魔王領へ。
スピカも暇を持て余し、自ら雑用のような任務に赴いていた。雑用と言ってもそれなりの難易度ではあるが、彼女も一端の強者。アトリアも一人にしても大丈夫だろうと太鼓判を押し、送り出した。
「暑いわねー……」
その任務はお使いのようなもの。魔界の外れにあるとある活火山の一部に生息する植物。その在庫が不足してきたため補充してこいとのお達し。
その植物は火山に埋蔵されているガスや鉱物の毒素を吸収し育つ。当然成育したそれは強い毒素を持ち、熟達した使い手の
正式な名前はあるにはあるが、殆どその名では呼ばれない。もっぱら魔界では、その植物の名前は猛毒草と呼ばれていた。
で、何故その任務の難易度が高いかというと、この火山の環境が魔界でも輪をかけて劣悪だからである。
四六時中溶岩や毒ガスが噴き出し、傾斜も急だし足場も悪い。そして、そんな劣悪な環境に適応し、生まれた
とはいえ、空を飛べてかなりの戦闘力を有するスピカにとっては、この任務はそこまで難しいものではなかった。
「こんなだったら城の中で管巻いてたほうがよかったかも……」
氷系呪文の要領で周囲に冷気を漂わせることで、涼をとる。そのまま浮遊呪文で飛び上がり、目的地へと向かっていくと、獲物を見つけたといわんばかりに二体のスターキメラが、その前に立ち塞がった。
「クエエェーーッ!!」
二つの口から吐き出される炎に対し、スピカが取った行動は、目の前に両手を振りかざすことだけだった。
「邪魔だっつーの!
荒れ狂う竜巻が炎を霧散させ、そのままの勢いでキメラ達へと襲い掛かる。掻き乱された気流の中、二枚の羽根では姿勢を保つことが出来ず、キメラ達は錐揉みしながら墜落していった。
飛び続け、やがて着いたのは洞窟の入口。ここからは浮遊呪文は使えない。
洞窟に入ると、奥へと続く一本道が崩落によって塞がっているのが見える。そして、その前で立ち往生している何者かも。
近くに寄るとその姿が明らかになる。短く整えた銀髪に額当てをつけ、魔法使いのローブのような装いの魔族の青年。
彼も歩み寄るスピカに気付いたようで、口元を歪ませ声をかけてきた。
「キヒヒ……お前も猛毒草を採りに来たクチか。ちょうどいい、この場は協力してあの岩をぶち抜こうではないか」
正直言うと、一人でもこの程度の岩なら破壊できるとスピカは心の中で思ったが、態々他人に魔法剣を見せびらかすこともないと、その声に応えた。
「いいわよ。じゃあ、1,2の3で行きましょ」
「ああ。1,2,3……」
「「
二人の手から放たれた閃熱が岩を溶かし崩す。その穴の先に広がっていたのは、切り立った岩の足場と、その下でぐつぐつと滾るマグマ溜り。そしてそこらに点在する怪物達だった。
「ちょっと面倒くさそうね……この先も一緒に行かない? 二人のほうが楽でしょ」
「フン、いいだろう。足だけは引っ張るなよ」
奇しくも同じ帰結に辿り着いた二人だが、そのプロセスには大きな違いがあった。
スピカはただ単純な善意から。二人のほうが何かと楽というのと、岩も壊せなかったこの男がここを突破できるか分からなかったからだ。
帰り着くまでは仲間としても扱うし、もし危なそうだったら無論助ける。
対して男のほうは、スピカを道具としてしか見ていない扱い。自分が危なくなれば囮にも盾にもするし、死にそうになっても助けない。むしろ取り分が増えて幸運だという考え。
彼にとって、他人は道具でしかない。何故なら、他ならぬ父親がそうしてきたのを見て育ったから。
なんなら彼の父親ならば、むしろ崖際に立っているときにこっそり背中を押したり、目的地寸前で不意打ちを仕掛けたりするかもしれないが――男は、流石にそこまでは卑劣になれなかった。
ともあれ、彼らは二人で洞窟を進む。時折怪物を蹴散らしながら。
口数の多いスピカが、道中を無言で行くはずもなく、隣の男に話しかける。
「何であんた一人で来たの? 危ないじゃない」
「お前だって一人だろ」
「私はいいのよ……強いんだからねっ!」
現れたヘルバトラーに
自分と同程度だとなんとなく思っていた少女の強さに、男が目を剥く。
「別にオレだって……」
「立ち往生してた男が言っても説得力ないわよ」
「うっ……」
それを言われると痛いと、男が口を噤む。返しに困窮した男は、仕方ないといった風情に理由を語り出す。
「親父に命令されたからだ」
「ふーん……ろくな奴じゃないわね」
魔界ってそんなものなのかと、スピカが疑問に思う。だがその数瞬後、自分の実の父親はもっと碌なもんじゃなかったと思い至り、これ以上の言及は避けた。
実際の所、単に命令されたからというだけでもない。男の胸中には、父に認めてもらいたいという思いが未だ、未練のように残り続けていたからだ。
もっとも、他人に言うのも恥ずかしいので、その場では言わなかったが。
そうこうしているうちに、目的地の前へと辿り着く。猛毒草が群生しているその場所の前には、か細い岩の一本道が長く伸びていた。
迷い無くスピカが前へと立つ。もし背中から押されればマグマへと一直線だというのに。男からすれば先頭を行くなど到底考えられなかった。
とはいえ男もわざわざ背中を押すほどの卑劣漢ではないのも事実。ゆっくりと進み、後一歩で到達というところ――
――赤い手が、男の足首を掴んだ。
「しまっ……!?」
背後から湧き出たブラッディハンドが、後列にいた男を溶岩の中に引き摺り下ろさんと思い切り引っ張る。
それだけで、バランスを崩した男は足場の外へと放り出され、溶岩の中へと落ちる――
「世話焼かせてんじゃないわよっ!」
――とはならなかった。それに気付いたスピカが、男が無意識に延ばしていた手を掴み取り、その体躯に見合わぬ力で引っ張り上げたからだ。
あわやという所で命を救われた男。呆然とした風情で、その手を掴み取った少女に問いかける。
「なんで……助けた?」
男ならば見捨てていただろう、という思いが胸にあった。だってもうゴールは直前、見捨てても何の支障は無いし、猛毒草も一人で独占できる。利益しかないじゃないか。何故――?
「別に……これが終わるまでは仲間みたいなものでしょ? 仲間を助けるのに理由はいらないわよ」
「仲間……?」
仲間。少なくとも男の脳内には、今まで存在しなかった概念だ。他人は須らく道具、モルモット。そう教わって育ってきた。
自分の父親だって、オレのことを道具としか見ていない――そんな思いが、目を逸らしてはいたが存在していた。
「それにあんただって手を伸ばしたじゃない。助けてくれる――仲間だと思ってなければ、咄嗟にその手は出ないわよ」
男の頭を衝撃が叩く。確かに、例えば父親ならば、絶対に手を差し伸べてはくれないだろうという確信があった。
そしてオレも、それを確信しているから手を伸ばさない。それならば心のどこかで、オレは少女を仲間だと思っていたのかもしれない――考えが脳裏をよぎる。
その後は、二人とも黙々と草を採取していた。来た時と同じように、入口へ戻る。
洞窟の外へ出て、別れの時が来た。
スピカが、一仕事終えたといった様子で、一息つく。
「終わった終わった……それじゃ、帰ろうかしら」
「…………ザムザだ」
「?」
言葉の意図が掴めず、首を傾げるスピカ。
ザムザといった男が、これ以上言わせるなとばかりに言葉を続ける。
「名前だ! お前が言うには……仲間なんだろ? 名前ぐらい知らないとおかしいだろうが!」
それを聞き、スピカが微笑する。
飛び立とうとしていた寸前に振り向き、にっこりと笑い己の名を告げ、飛び去っていった。
「ふふっ、確かにね……私の名前はスピカよ。――またね、ザムザ」
その言葉通り、この二人は偶然にも再び出会うことになる――また違った立場で。
キャラクタープロフィール⑨ ザムザ(若い頃)
【年齢】82歳(原作開始時182歳)
【種族】魔族
【出身地】魔界
【体力】4
【力】4
【魔力】6
【技量】4
【得意技】各種呪文(極大系は未修得)
【特筆事項】なし
本作の成長株候補その1。今は研究者としてではなく、ただの雑用係として動いている。だが、親父譲りで地頭はかなりいい。
魔王軍に入った頃あたりから研究者としても頭角を現すことになる。
親父の刷り込み教育がなんとなく解け始めた。
スピカが使える極大呪文はバギクロスだけです。
なんで僧侶系の攻撃呪文だけ得意なんやろなぁ……
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
13 二つの親子
時を同じくして、第五魔宮の玉座の間。
久方ぶりに帰還したアトリアと、魔界を統べる老爺が、二人で向かい合っていた。
もっともそれは対等ではなく、圧倒的な上位者とその臣下、という関係性ではあるが。
いつも主の傍についている影は今日は居らず、死神も仕事中だ。大魔王の今までの話によれば、影の男は
「ふむ……冥竜王の下での報告、しかと受け取ったぞ。よくやっているようだな」
「は……」
とはいっても、アトリアの影に付けたシャドーでその動向は定期的に監視されているし、本人もそのことは気付いている。
これは実際に起きた出来事と映像の間に齟齬が無いかを確認する、通過儀礼のようなものだ。
「さて、今日はそのような些事でそなたを呼んだわけではない。本題に入るとしようか」
「如何なご用向きでしょうか」
「100年前の、雷竜の後継者を名乗る輩との決戦……忘れたわけが無かろう?」
「無論ですが……」
当然だろう。死闘にして、アトリアという人間の転機となったあの戦いを、その本人が忘れよう筈も無い。
しかしてその話を出してくるということは、それに関係した案件だということであることは明らかだった。
果たしてその内容とは。
「人造竜の騎士を初めとした、数々の研究……それらを手中に収めるために、余は秘密裏に調査隊をあの牢獄の跡地に送った」
なるほど確かに、あの牢獄を兼ねた実験場で行われていた研究は、見る者が見れば垂涎の宝であろう。
シャドーを通して事の次第を知っていた大魔王ならば、それを掘り起こさんとするのも不自然ではない。
「だが……それらの研究結果は既に掘り起こされた挙句に、隠滅までもが行われていた」
「……!」
それはつまり、どこぞでスピカのような存在がまた無秩序に生み出されかねないということ。
アトリアからすれば、それは容認しがたい話であった。
「大方の事情は把握しました。……どこまで分かっているのですか?」
「そなたは冥竜王の所から抜け出してきている身。長居が出来ない事は分かっておる――その名と居場所、その全ては既に調査済み。後はそなたの処遇に任せるのみよ」
流石は魔界を二分する男と言うべきか、その者の運命は既に大魔王の掌中だった。
全てを丸裸にされ、弄ぶかのようなその手腕は、盤上遊戯の名手の名に恥じぬもの。
「して、その者の名は何でしょう」
「魔界の外れに研究所を構えている男だ。その名は――ザボエラ」
――――――――――
魔界の外れ、腐毒の沼地の片隅にひっそりと建ててある掘っ立て小屋。
それが彼と息子の研究所への入口だった。
論理的パズルを解くことによって開く隠された地下への階段。そこに広がる迷宮兼研究所。
三層に分かれたそれは実に堅牢かつ複雑で、幾重にも張り巡らされた無数の罠が侵入者を襲う。
悪辣にして狡猾な迷宮の奥で繰り広げられている研究。
現在専ら行われているのは、冥竜王の領地から持ち帰ったとある研究の解読と発展だ。
それはかなりの部分が逸失していたが、それでも実に有用なものだった。
人、魔族、竜の血脈の調和、配合。その内容は、超魔なるものを研究していたその親子にとっても親和性が高い。
実に面白いと、その魔族の老人は研究に励んでいた。――それが今日で終わると知らずに。
「キィ~ッヒッヒッヒッ! こいつは面白いのぉ~。人と魔族と竜族の最適な血の配分か……これは超魔の研究にも応用できそうじゃわい。怪物にも種類があるからのぉ……ここからは実験で確かめていくとしようかの」
背丈が低く、垂れ下げている薄い銀の長髭以外に毛髪がない魔族の老人――ザボエラは、自分の最も役に立つ『道具』を呼び寄せる。
「ザムザよっ! 次はこの紙に書かれたモンスターの血を採取してくるがよい!」
「父上……オレは先日猛毒草を採りに行ったばかりです……このペースで働かされていたら身体が持ちませんよ」
「あぁ~ん? ザムザよ、ワシの言葉の言葉を覚えておるか?」
――よいかザムザよ、お前は道具なのだ。
「役にも立てない道具……そんなものはゴミと呼ぶしかあるまいが……おまえもゴミになりたいか?」
「…………」
ザムザの胸中で、昨日一時を共にした少女の言葉が反響する。
――仲間を助けるのに理由はいらないわよ。
仲間……それが具体的に何を指すのか、まだザムザには分からない。だが、一般的に家族と呼ばれる者は、仲間と同等、あるいはそれ以上のものであるはずであるとは思っていた。
――家族でも仲間でもない……道具、か。
ザムザが言葉を返そうとしたその時――部屋一杯に、大音量で警報が鳴り響いた。
「むうっ! 侵入者か!?」
部屋に備え付けられていたモニター代わりの水晶に、映像が写る。各所に配置された悪魔の目玉を中継するためのものだ。
水晶の中に映し出されたのは二人。そのうち一人は、ザムザにとって物凄く見覚えのある姿だった。
――スピカ……!?
「フン、侵入者など、この迷宮が誇る罠が――!?」
額に冷や汗が垂れる。一体何をしに来たのか、恐らく穏便な目的では無いように思えた。
だがザボエラもそんなことを察している余裕は無い。今彼は気が気でなかった。
「あ……あわわ……!」
設置されている数々の罠が発動するも、それらは即座に突破されていっているからだ。
高濃度の酸で満たされた落とし穴。全て凍らされた。
幻惑呪文を用いて永久に同じ所を巡らせる仕掛け。一瞬で看破された。
吊り天井が徐々に下り、押しつぶされる部屋。天井ごと破壊された。
獰猛な超魔の実験体たちを解放。一刀で切り伏せられた。
四方から放たれる鋼鉄の矢。全てご丁寧に避けられた。
迷宮そのものが形を変え、惑わせる仕組み――「もういい」
「いいっ!?」
爆音。崩落。フロアの床をぶち抜いて、直接こちらへ降りてきたのだ。
相手が自分より遥かに強いと見るや、ザボエラは即座に媚びモードに入った。
「こ……これはこれは! どなた様か知りませぬが、何用でお越しくださったのですかな?」
揉み手に腰を低くして――元々低いが――ご機嫌を伺うような声色で露骨に媚びる。
その変わり身の早さだけは、魔界でも右に出る者はいない。誰も見習いたくはないが。
そしてその裏で、何とかして敵の寝首を掻こうと画策していた。
ザボエラの体内に流れる数百もの毒素。それらを調合し、相手を意のままにする毒を爪先から滲ませる。
少しでも掠れば勝ち。僅かな隙も見逃さまいと、しかとその目でアトリアを見上げる。
「お前がザボエラだな?」
「は、はいっ……! 何を――」
「そうか」
唐突に、自然な動きで。ザボエラの手首から先が切り落とされた。
「ぐぎゃあああぁぁぁ!?」
あまりの痛みに、脂汗が額からたらたらと垂れる。驚愕、呆然、苦痛。その三つが入り混じった表情で、ザボエラは無くなった手首から先を見つめる。
「な、なぜ……」
ザボエラを見下ろすアトリアの空虚な瞳が、今はただ恐ろしい。
何故自分がこんな無体な仕打ちをされなければいけないのか。そのような気持ちで問いかけるも、帰ってきたのは一つの答え。
「お前は知ってはいけないことを知った。だから死ぬ。それだけだ」
何のことを言っているのかと頭の中を浚うと、思い当たったのは一つの知識。冥竜王領から持ち出したそれだ。
確かにあの研究は相当に禁忌に迫った、危険性の高いもの。しかしまさか、自分のこの研究所が調べ上げられるなど、相当の組織力を以って行わねばできないはずだ。
大魔王か、冥竜王か――どちらだろうが関係ない。問題なのは自分が今、限りなく詰んでいるということだと、ザボエラは思う。
「ま、待ってくれ! 研究は全て取りやめる! 記録も消す! だから――」
「駄目だ。死ね」
いくら記録を消そうとも、本人の内に残る記憶を狙って消すことはできない。結局命ごと消すのが一番早いのだ。
その剣が振り下ろされる寸前。天井に開いた穴から降り立ったもう一人の声が、それを遮った。
「あれ? ザムザじゃない! 二日ぶりね!」
「あ、ああ……」
迷宮を踏破したもう一人――スピカは、ザボエラの傍らで震えていたザムザを見つけるや、声をかけてきた。
ザムザは未だ混乱から立ち直れておらず、困惑した様子。
命拾いしたザボエラは、降りてきた少女を見るアトリアの瞳に感情が宿るのを見る。
完全に終わったと思ったが、まだ目があるやもしれんと、気を持ち直した。
「……スピカ、オレが安全を確認した後に来いといったろ」
「知ってる顔がいたからついね。……で、これどういう状況?」
「あの老人を殺せば任務は終わりだ」
「ふーん……」
「ザ、ザムザ!」
縋るように息子を見る。何やらあの少女と繋がりがあるらしい。
今の状況ではただそれだけが希望。天上から垂らされた蜘蛛の糸に縋るような心境だった。
「……あの男とどういう関係なんだ?」
アトリアが聞く。スピカは数秒間考え込んで、
「んー……知り合い……いや、友達? 出来れば殺さないで欲しいんだけど……」
との言葉。自分は助からなさそうな話の流れに、ザボエラが再び縮こまる。
「まあ、知らないのなら助けてやってもいい……おい、こいつが研究していたものの内容を知っているか?」
「い、いえ……オレはまだ雑用しか任されていなかったので……」
とはいえ、見聞く端々からその内容は薄らと察していたものの、そんなことをこの場で言う愚を犯すほどザムザは馬鹿ではなかった。
「……それならばいいか。こいつを殺して、それで終わりだ」
再び剣を突きつけられたザボエラは、今までの生涯の中でこれ以上ないほどに、目を潤ませてザムザを見る。
人生を賭けた渾身の演技で、親子の情に訴える。今年の魔界主演男優賞は間違いなしだろう。
「ザムザ……! ワシが悪かった! 今までのことも謝る! もうワシには何もない……おまえしかいないんじゃ! この老いぼれをなんとか生かしてくれるように頼んでくれんか……!!」
全身全霊を賭けた命乞いを前にして、ザムザは何も語らず、少しの間瞑目する。その胸中には、様々な思いが渦巻いていることだろうが、それを決して表に出すことはしなかった。
瞑目が終わり、静かに一つ問う。
「……一つだけ聞きたい。――父上にとって、オレは何ですか?」
「決まっておるじゃろう。ワシの……大切な息子じゃ」
目に涙を滲ませながら、悔恨極まった様子で答える。
少なくともそれは、傍目から見れば本心からの言葉に
それを聞いたザムザは、再びの沈黙。その顔は未だ表情を変えず、何を思っているのかは分からない。
そして、前に少し歩み出てスピカに頭を下げた。
「頼む……! 父上を、生かしてやってはくれないか……! こんな奴でも、オレの唯一の――父親なんだ」
「…………」
暫しの間、考える。父親という言葉に彼女も思うところがあったようで、その助命の嘆願を、受け入れた。
「父さん、私からもお願いするわ。……一回だけ、チャンスをあげてくれない?」
「……分かった」
アトリアが頷く。先程までは冷めた目を向けていたのだが、娘が絡んだ瞬間の掌返し。この男も大概であった。
ザボエラが跳ねるように頭を上げる。その顔には、生を掴んだ事への喜びが、ありありと表れている。
その感情だけは、疑いようもなく本心だった。
「ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
と、ザボエラが何度も頭を下げる。ひとまずの生存が確定しても、演技に余念がない狸爺。
条件がある、と先程の言に付け加えるアトリア。
「お前らには大魔王の下で働いてもらおう……特にザボエラ、お前にな」
「ははぁーっ……! この老爺、粉骨砕身で大魔王様にお仕え致します!」
元来大魔王が掘り起こそうとした技術。その管理の下で振るうのならば問題はないとアトリアは言う。
「しかし……寝返ったり、その研究を外部に漏らしたりしてみろ。――必ず殺す。地の果てまで追いかけてもな」
「滅相もございませぬ! ワシが裏切るなどと……」
「話は終わりだ……一週間やる、それまでに準備をしておけ。別の者が迎えに来るだろう」
帰るぞ、とアトリアが娘に手で指し示す。ザムザが手招きしていることに気付いたスピカは、それに対し少し待ってくれるよう言い、そちらの方に寄って来た。
「また借りが出来てしまったな」
「気にしなくていいわよ。父親なんでしょ? ……大事にしなさいよ」
どうだかなと、自嘲気味に笑う。そんなことより言いたい事がザムザにはあった。
「それよりもだ、二日前にも言い忘れていたことを言いたくてな」
「?」
「あー、その、なんだ……――助けてくれてありがとう」
「いいって言ったのに……まあでも、言われて悪い気はしないわね。――どうもいたしまして」
その優しげに綻んだ顔を見て、ザムザは思わず一瞬固まる。
そんな様子も素知らぬ風に、スピカは言葉を続ける。
「そういえば、今度から同じ所で働くんだから正真正銘の仲間じゃない! これからよろしくね、ザムザ」
まあ私は当分帰ってこれないけどと笑い、アトリアの下に戻っていく。
彼らが飛び去ってからも、ザムザは暫し彼らがいた地点をぼうっと眺めていた。
彼らが去り、少し経った後。
「それでは……オレは荷物を纏めてきます」
「うむ……行ってくるがよい、ワシの最高の息子よ」
ザムザが出て行って数十秒。部屋に一人残ったザボエラが唐突に笑い出す。
「クヒャ~ッハッハッハ! まんまとお涙頂戴の名演技に騙されよって! 全く笑わせてくれるわい! キィ~ヒッヒッヒ!」
そこには先程見せた息子思いの改心した老爺の姿はもうなく、完全に被った皮が剥がれ落ちていた。
「子を産ませたら母体はもういらないと始末したが……存外に上手くいってくれたのぉ! ありもしない親子の情などというものに惑わされよって……! 全く、お前は最高の『道具』じゃよ……ザムザ!」
甲高い嘲笑のみが部屋の中に響き渡る。しかしその様子の全てを、ひっそりと部屋の片隅に置かれていた悪魔の目玉がその目に収めていた。
手に持った水晶玉から、その様子を眺めていたザムザが溜息をつく。あの時どさくさに紛れて悪魔の目玉を召還し、部屋の片隅に配置していたのだ。
指を鳴らすと、その悪魔の目玉がぼろぼろと崩れていく。それと同時に水晶玉に写っていた映像も途絶した。
「こんなことだろうとは思っていたさ」
再度、溜息をつく。
今この瞬間ザムザは、胸の内にこびりついていた未練、親に愛して欲しいという気持ち――
――それら一切を、完全に捨て去った。一筋だけ流れ出た涙と共に。
――こんなものはもういらない。
――だって、欲しいものが他に出来たのだから。
キャラクタープロフィール⑩ ザボエラ(昔)
【年齢】790歳(原作開始時890歳)
【種族】魔族
【出身地】魔界
【体力】3
【力】2
【魔力】8
【技量】6
【得意技】マホプラウス
【特筆事項】数百の毒素
知ってはいけないことを知り、消されそうになった人。
オラージュくんの変身はまあ竜だけしこたま詰め込んだ超魔生物もどきみたいなものなので研究として近しいところはある。
そして早々に息子に完全に愛想を尽かされた人でもある。
ザボエラの明日はどっちだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
14 歴史
これからはぼちぼちいつものペースで行きます。
結局、ザボエラの研究所での出来事は、二人が大魔王軍の所属で働いてもらうという顛末に収まった。
彼ら親子が大魔王の所に下ったのを確認し、竜の父娘もヴェルザーの下へ戻り、またいつも通りの日々を過ごしていた――ひとつの違いを除いては。
その違いとは、ザムザとスピカが文通を始めたことだ。 鏡に映った血文字でやりとりする禍々しい光景は、文通という字面通りの微笑ましい見た目では全く無かったが、そんなことは魔界ではよくあることだ。
その事を聞いたアトリアが内容を見せて貰えるように頼んだが、娘の「なんか恥ずかしいからやだ」との言葉に断念。
冥竜王や大魔王にも物怖じせず接する元竜の騎士様も、娘にだけは弱かったらしい。
やっぱりあの時二人とも殺しておけばよかったと思ったとか思ってないとか。
とまあ、そのような感じで年月は再び刻み、85年の年月が経つ。その間に
そうなれば地上も手中に収めたい冥竜王としては、地上侵攻計画を急いで進めざるを得ない。
どこか急造の粗を残しながらも、現在になり冥竜王の軍勢は地上侵攻の準備を整える。
遂に一週間後に地上侵攻の開始を控え、現在この城塞内は戦の前の慌しさと喧騒に包まれていた。
――が、地上侵攻から外されている二人にとっては、そんなことは微塵も関係なかった。
「父上、なにやってるんですか?」
そういった魔族の女性――スピカも長い時を経て、その活発な気性も多少は落ち着きを見せたようだ。あくまで多少は、だが。
その風貌ももはや少女ではなく女性と呼称するくらいにまでは成長し、一端の魔界を生きる者としての風格を漂わせている。
その視線の先には、地面に描かれた六芒星魔法陣の中で胡坐を組んでいる男――アトリアの姿があった。
「見て分かるだろう、呪文の契約だ」
魔法陣の中に座すアトリアの横には、黒く、厳重な装丁がなされた本が置いてある。
彼は今、ヴェルザーの城――この城はボリクスから奪い取った物らしいが――の禁書庫から持ち出した魔導書を使って、新たな呪文の契約に取り組んでいた。
「流石にそれくらいは分かりますよ。何の呪文の契約をしてるのかってことです」
「雷竜しか扱えなかった、古に伝わる電撃呪文らしい。……契約は出来たが、オレの
雷竜がこの禁書庫に残していた蔵書には、魔法と呪法の深淵とでも言うべきものがこれでもかと詰まっていた。
例えばとある呪法。185年前の戦いで使われた、その種族の生き血と魂を捧げ描くことで、中にいる生者を縛るもの。
例えばとある秘法。皆既日食の時にのみ使える、時すらも凍て付かせてみせる秘術。
例えばとある知識。極めて限られた者にしか発現しない、額に現れる第三の瞳についての考察。
その力や特異性について、神代からの叡智をもって記してある。
先の呪文にしてもそうだ。契約ができるということは扱える素養があるということ。
だというのに、相当の力量を誇り、魔法に長じているアトリアが、単純な力量不足で扱えないというのはそれ相応の呪文であるということだ。
最も、雷竜の系譜が途切れた今、この呪文の素養があるのはアトリアやスピカ、当代の竜の騎士くらいに限られるが。
「父上でも使えないってどんだけやばいんですかその呪文……私だってつい去年にギガデイン覚えたばっかりなのに……」
「こればかりは気長にやるしかあるまい」
そういってアトリアは立ち上がり、新しい本を持ってくる。その古ぼけた本の表紙にはただ『記録』とだけ。
内容を見てみれば、それはボリクスが記した太古からの記録――最も古い歴史書と言っても差し支えないものだった。
「これを見てみろ。……ロン・ベルクの言っていたことは嘘じゃなかったらしい」
その本に記されていたのは、魔界が生まれる以前。地上にて三つの種族が覇を競っていた神話の時代の出来事。
その時代、人間は二人の指導者の下で生きていた。
野心を抱き、戦いに心奪われた比類なき強さを誇る王。
非力ながらも人望に厚く、弱き人間を庇護していた心優しき王。
そしてその弱き王に協力し国を守っていたのが、魔族の中で、その剣の腕では右に出るもの無しと謳われた最強の剣豪――ヒュンケルであった。
彼は魔族であったが情に篤く、弱者を救わんとする王の理念に共感し、その側に付いたのだ。
その有様は力を重んじる覇王とは真逆。故に彼らは度々戦場で顔を突き合わせ、その度に戦っていた。
その時彼等が纏っていた戦装束。それは王たちに神々から与えられた伝説の武具。
覇王が纏っていたのは覇者の冠、覇者の鎧、そして――覇者の剣。
ヒュンケルが纏っていたのは王者の兜、王者の鎧、そして――王者の剣。
対となるその二つの武具は、どれもが
種族としては脆弱な人間を、有り方は違えどもこの二人が守っていたといっても過言ではなかった。
だが、それも長くは続かない。
知恵ある竜たちの群れに敗れた覇王軍。覇王本人も劣勢の中で疲弊し、最後は冥竜ヴェルザーに討ち取られる。その鎧は遺失し、剣と冠も散り散りに。
三種族のパワーバランスが崩れたことを懸念し、長きに渡る争いを見かねた神々も重い腰を上げる。
その結果、竜と魔族は魔界に押し込められ、地上には人間だけが残った。
そしてそれは――ヒュンケルも例外ではない。
人の世に残すには余りに突出しすぎた力を持つヒュンケルを地上に置いておくことをよしとしなかった神々は、その身に纏う武具もろとも彼を魔界に落とす。
そして今までの世の反省を踏まえ、三種族の調停者――竜の騎士が生まれたのであった。
その後は魔界に伝わる御伽噺の通り。その気性を利用され、少女に化けた魔族に心臓を貫かれ討ち取られたヒュンケル。
その武具は討ち取った魔族に奪われたというが、その魔族もまた殺され。今やその所在は、誰も知らないと言われていた。
「へぇ……すっかり忘れてましたけど、あれって本当だったんですね」
「だから何だってわけでもないがな。知っておくに越したことはないだろう」
難しい話は結構とばかりに、スピカが大きく伸びをする。
「しっかし暇ねぇ……最近みんな地上侵攻の準備で手一杯だから、私たちやることないし……そんな大層な準備しなくても、うちの戦力でパパッと攻めれば終わるんじゃないですか?」
「案外そうすんなり行かんかも知れんぞ。大魔王や天界が手をこまねいて見ているとも思えんしな」
「そんなもんですかねー……」
「そんなに暇だと言うなら、手合わせの一つでもするか」
そういってアトリアは、ばんと音を立てて本を閉じる。元あった場所に本を戻して、スピカの首筋をひっつかんで連行していった。
「い……! そ、それだけはご勘弁を……」
「問答無用。さっさと行くぞ」
禁書庫を出ると、相変わらず廊下では忙しなく往来する兵士たち。連れ立って歩いていると、今までの者とは違う空気を纏った者が、二人のほうに駆けて来ていた。
他の者たちが、期待や興奮に満ちていたとするなら、この者が表情に浮かべているのは、焦燥や恐怖。
その恐怖の源とは――
「アトリア様! 竜の騎士が……竜の騎士が前線基地に!!」
――――――――――
いつもの二人を付き従え、大魔王の間にて酒を嗜むバーン。
その視線の先には、アトリアと、竜の騎士の襲撃を報告する伝令役の姿が映された大水晶。
彼はいつになく上機嫌な顔で、葡萄酒を舌の上で転がしていた。
「……どうやら目論見通りに行ったようだな。意趣返しは成功といったところか」
「そのようですねぇ……酷いなァ、ボクにも何をするか教えてくれればよかったのに」
「ふ……教えればそなたは必ず邪魔に入るだろうが……」
「ウフフッ……それじゃあ仕方ないですね」
曲がりなりにも主の計画に水を刺されたというのに、笑って済ませるキルバーン。
最終的には主が勝つと信じているのか、主の失態を茶化しているのか……彼ならばどちらも当てはまっていそうっではある。
「なに、簡単なことだ……ギルドメイン山脈の山中にヴェルザーが開いた、魔界への門――その場所を天界の奴らにちょっと教えてやっただけのこと」
「そうすれば、門の向こうに展開している大軍団を見て竜の騎士が慌てて攻め込んでくるっていう寸法ですか……バーン様もタチの悪いことしますねェ」
「ちょうど竜の騎士が成人する時期だからな。その使命を伝えに地上に降りて来ると踏んだ……その結果があの、精霊どもも伴ったあの大軍勢と言うわけだ」
バーンが手元にあるチェス盤から、ナイトとキングの駒を弄びながら嗤う。
「賽を振ったのは余だが……出目がどうなるかは誰にも分からん。騎士が王を討って見せるか……王が貫禄を見せ付けるか。どちらに転ぼうが損はせぬ」
とはいえ、冥竜王も大魔王と対等と呼ばれているのは伊達ではない。竜の騎士と冥竜王がそのままぶつかれば、十中八九勝つのはヴェルザーだと、バーンは予想していた。
「ボクは無論、王が勝つほうに賭けさせていただきますよ」
「クク……両者が同じ所に賭けたのでは賭けにならんではないか……では、余は敢えて騎士が勝つほうに賭けてみようか――ミストバーンよ、お主はどうだ?」
その問いに今まで沈黙を保っていた影が、水晶の向こうに写るアトリアを見て、こう言った。
「……わかりませぬ」
「ほう……その真意は?」
「アトリアはバーン様の思惑通り……この400年余りの間、冥竜王の下で成長を見せてきました。そして冥竜王は強欲……一度手の内に納めたものは、そうそう捨てられません。……それがお気に入りならば尚更」
「フフ……それ当たってるよ、ミスト」
「竜の騎士も一筋縄では行きませぬ……勝利の為に何かを捨てねばならなくなった時……その強欲から生まれる躊躇いが、勝利を遠ざけるやも……そう考えると、一概にどちらが勝つとは言えないかと」
影の男らしからぬ長大な物言いに、大魔王は髭を摩りながらも考える。
「成程……的確な分析だな。その逆もまた言える訳だ――アトリアの存在が上手く作用し、勝利へと導く可能性もあると」
「は……」
「じゃあここは一つ、ボクが後輩クンの今後を占ってあげましょうか……ボクのトランプ占いがハズれた事はない……」
死神の手からカードが舞う。円を描いて廻るそれを一枚だけ取り出すと――
「スペードの9……ですか。あんまり良いカードじゃありませんねェ」
スペードの
「ククク……災難だな、アトリアのやつも」
――死や苦痛、最悪の状況。
ヴェルザーも完全にタイマンで勝ったわけではないと言っておきます。
他の知恵ある竜たちとかとも戦って消耗した所を、死んで生き返って強くなった時にぶっ殺したというような感じの顛末になっております。
というか知恵ある竜がごろごろいて魔族にもバーン様みたいのがいる時代に同じ土地で覇を競ってた人間やばすぎないか?一応今作では理由付けはしたけども、世界が一つだった時の人間って種の限界易々と超えてきてる気がします。
まあ世界を分けた所から見て多分劣勢だったんでしょうけども。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
15 我等竜騎衆なり
ここは冥竜王の居城、上位幹部専用の食堂。華美な装飾が施されたこの一室にいるのは、ヴェルザーとアトリア、スピカの三名のみだった。
「忌々しい竜の騎士め……!!」
冥竜王が苛立たしげに、右腕を地面に叩きつける。
美しい石造りの床が粉々に砕け、見るも無惨な姿になるが、お構いなし。
どうやら相当におかんむりのようだ。
魔界に竜の騎士が君臨してから一年。たった一年で、冥竜王軍は多大な被害を受けていた。
突如現れ、鬼神の如く暴れに暴れ、嵐のように去る。後を追おうにも現地の戦力は全滅、天界の精霊たちがご丁寧に足取りも隠蔽していく。
挙句の果てに、いつの間にか増えている敵戦力。竜に乗って好き勝手暴れる三人の猛者――竜騎衆。
それに比べて目減りしていくこちらの戦力。既に二万もの兵がその刃の錆となっていた。
「私達を地上侵攻メンバーに入れないから、罰が当たったんじゃないですかぁ?」
そのせいで暇でしょうがないと、パンを齧りながらスピカが言う。上位者に平然と嫌味を述べるその胆力は流石というべきか。
「……お望みならお前一人で竜の騎士と対峙させてもよいのだぞ」
「流石にそれは御免被りますわ、冥竜王様。わたくしは所用があるので失礼しますね~」
おほほと手を振りながら、逃げるようにその場を後にしたスピカを見て、アトリアが溜息をつく。やはり抑えられたと言っても、そのやんちゃな性分は未だ健在だった。
「……申し訳ありません、ここ一年城に篭りきりなもので鬱憤が溜まっているのかと」
「本気で言ったわけがなかろう。……地上攻略など、竜が一万残っていれば容易い。この城で待ち受け、最大戦力を以って迎え撃てばよい。じきに奴らはここへ来る」
そういってヴェルザーが指差したのは、壁に掛けられている魔界の地図。そこには、竜の騎士に襲撃を受けたポイントが×印で記されていた。
冥竜王が所有する二つの大陸の内一つ。地上への門があった場所を始点にそれは動き始め、この城を中心に円を描くよう基地や砦を撃滅していく様が読み取れる。それが示すことはつまり――
「奴らはここにオレがいると当たりをつけ、まずは増援を断つように周囲の戦力を削ぎにかかっているということだ。だがオレはそれに備え、あらかじめ周囲の拠点から少しずつ此処へ戦力を集めている……奴らに悟られず迎え撃てるようにな」
ヴェルザーがす、と爪を振る。各地にある拠点から城に向かう矢印が、その圧によって地図に刻まれた。
「奴らは容易にここまで来れるだろうな、だが――」
暗い笑みを浮かべ、持っていた骨付き肉を骨ごと噛み砕く冥竜王。
「その時が奴らの最期だ」
――――――――――
魔界の山中、仄暗い洞窟の中。
現在この洞窟には5人の者がいた。
聖なる衣を身に纏い、蛇のように目を細めている精霊のリーダー格の優男。
全身に鎧兜を装着し、その眼に鋼の如き鈍い光を湛えた魔族の偉丈夫――空戦騎。
深い紫色の鱗が全身を覆い、鋭く光る銛を持った
鎖帷子を着用し、巨大な
そして、軽鎧を身に纏い、真魔剛竜剣を背に提げた精悍な男――竜の騎士、バラン。
「今日も楽勝でしたな、バラン殿!」
気さくな様子で、オークキングの陸戦騎ががははと笑う。
彼ら――竜の騎士一行は、今日も冥竜王軍の拠点を襲撃し、その戦力を壊滅せしめてこの隠れ場所に帰ってきていた。
「当然でしょう。バラン様と私達が揃えば、敗北などありえない」
陸戦騎の言に同調する海戦騎。その言葉を証明するように、彼らの装いには傷の一つもなく、完勝であったことが伺える。
だが当のバランは、
「うむ……」
と、何やら考え込んでいる様子。それを余所に、沈黙を保っていた空戦騎が口を開いた。
「貴様ら、気付いていないのか? 明らかに最初の頃とは違い、敵が戦力を絞ってきていることに」
「それは杞憂では? 単純に敵戦力が底を着いたというだけの話ではないのですか」
彼は口を挟んできた精霊の男を見やり、呆れたような表情を見せる。
「……やはり長年天界に引き篭もっていただけある。精霊の方々はてんで戦いには疎いようだ。……分からぬなら分からぬなりに口を出さないで頂くとありがたいがね」
その言葉に精霊はむっとした表情を見せ、言葉を返そうとするが――
「何を――」
「やめろ」
若き竜の騎士が一言を放つだけで、その場を鎮めてみせる。その威厳と貫禄は既に一廉のもの。
「その違和感は私も感じていた。明らかに冥竜王は戦力を温存しにきているが……それでも取れる選択肢は他にない。むしろこれ以上戦力を集められる前に、ヴェルザーの居所――旧ボリクスの城塞へと攻め込むべきだと私は思う」
「策はあるのか?」
空戦騎の鋭い声色を持った問いかけに、バランは自信を持って頷く。
「ああ。――精霊たちの準備は出来ているか?」
「旅の扉を用いれば、大量の精霊たちを動員することも容易い。……三日ですね、それだけあれば仕込みは終わります」
「いいだろう……決戦は四日後だ」
そう言ってから、バランは皆を見渡す。意を決した表情で、話を切り出す。
「竜騎衆の皆……ここまで本当によくここまで付き合ってくれた。だが、次の戦場は生半可なものではない――冥竜王との決戦だ。ここに居る誰か、いや全員が死んでいてもおかしくないほどの戦いになるだろう」
そして長い沈黙の後、沈痛な様相で三人に覚悟を問いかけた。
「命が惜しいならば、ここで抜けても私は構わんし軽蔑もしない、が……それでも、恥を忍んで頼む。どうか私に、その命を預けて着いてきてはくれないか」
バランが漂わせる真剣な雰囲気に三人は息を呑んでいたが、その言葉を聞いた瞬間、どっと場に笑いが満ちた。
「な……何がおかしいというのだ」
「フフ……これはまた異なことを仰いますね、バラン様。とうに私の命など、あなた様に預けた身。どうぞお好きなようにお使いくださって構いませんよ」
海戦騎が恭しく礼をする。
「応ともよ! これだと思える男に一生を以って仕えることこそが我輩の夢! 我輩の命など、仕えると決めた時にとうに捧げたわい!」
陸戦騎が豪快に笑う。
「ここまで来て逃げる腰抜けだとでも思っているのか? 勘違いするなよ……お前のために命を捨てるんじゃない、そんなチャチな戦いで死ぬつもりがないだけだ」
空戦騎も、素直でないながらも戦意を示す。
バランはそれを聞き、感極まった様子。
「お前らの気持ち、確かに受け取った。……このような誇らしい部下を持った私は果報者だな」
どこか暖かい空気に包まれながらも、魔界の夜は更けていく――
そして、四日後。
「バラン様、魔法陣の敷設が完了致しました。我々は旅の扉で後に合流します」
「うむ……では、往くとしよう」
バランの前に傅き、準備完了の旨を告げる精霊の言を聞いたバランは頷き、口笛を鳴らす。
他の竜騎衆がそれに倣うと同時に、彼らの前に各々が従える竜たちが現れた。
陸戦騎の下には、橙色の皮膚に身を包む、雄雄しき竜――ダースドラゴンが。
海戦騎の下には、赤き体躯と堅牢な甲羅を備えた亀竜――ガメゴンロードが。
そして、空戦騎の下に空より舞い降りたのは、先程の二体とは一際違った力を漂わせる黒竜――ブラックドラゴン。
それに並び立つようにして、黒竜と同等の力を持った金色の竜――グレイトドラゴンが、バランに傅くように頭を垂れた。
「作戦は全て事前の打ち合わせ通りに行う! 皆、抜かるなよ」
四人ともが、己が従える竜の背に騎乗する。それぞれの竜たちが、目指す戦地へと向けて走り出した。
「――出陣だ!!」
その号令に、後ろから応と気勢のいい返答が飛ぶ。暫し無人の荒野を駆け続けていれば、バランの横に空戦騎が駆る竜が並走してきた。
「……分かっているな?」
「……ああ。この戦いが終われば――改めて決着をつけよう」
何やら因縁のある様子。バランが申し訳なさげな顔をして言う。
「お前たちにはすまないと思っている。こんな囮のような役割を押し付けてしまって――」
その言葉を、空戦騎が憤りを浮かべた顔で遮った。
「くどいぞバラン! お前に情けをかけられる謂れなどない、忘れたか? 俺とお前は――」
忘れるはずもないと、バランはその顔に薄い笑みを浮かべた。
「対等、だったな。……決着のためにも、生きて帰って来い――ヒュンケル」
そうこなくてはと言わんばかりの声色で、御伽噺の英雄の名を冠する剣士は、こう告げた。
「フン、無論だ。今度こそお前に勝って、その剣――真魔剛竜剣を頂いてやる。それまで負けるなよ」
そうしているうちに、目的地が見えてくる。切り立った崖の上にある孤城――冥竜王の居城だ。
やはりと言うべきか、その周りには数多の竜たちが空を舞い、厳戒態勢といった風情。
「そろそろだな……行くぞ! 我ら竜騎衆の武威を存分に見せ付けてくれん!!」
空戦騎――ヒュンケルの騎竜がバランから離れてゆき、他の二騎と合流し突出していく。
バランを――竜の騎士を無傷で冥竜王の下へと辿り着かせるための、囮同然の陽動作戦。
それが彼ら竜騎衆の役目だった。
やがて、空を占める竜たちが三人に気付き、向かってくる。
視界を覆うような竜の大群に対峙して、竜騎衆が吼えた。
「我輩たちの前に立ち塞がるならば、この槍斧の錆になる覚悟は出来ておろうな!!
陸を制す暴君――陸戦騎アルベルト、いざ参るッ!!」
頭上で槍斧を回す度に、風を切る轟音が鳴り響く。その音の大きさは、そのまま彼の力強さを現していた。
「私の邪魔をする者は、誰であろうと例外なく……その心臓、貫いてあげましょう!
海を統べる覇者――海戦騎シブリーム、見参!」
その射抜くような視線は、例え海の底でも見通すような鋭さをもって、敵対者を貫く。
「どかぬならば切り捨てるッ! 真っ二つになりたい者からかかってくるがいいッ!!
空を司る王者――空戦騎ヒュンケル、行くぞッ!」
堂々と啖呵を切るヒュンケルの手に握られた直剣も、その身に纏う鎧兜も。それらは全て、真魔剛竜剣と同じ神々しい光を放っていた。
彼らこそは三界の覇者。陸海空を制する者。その戦場に敗北なしと謳われたその三人衆は――
「刮目せよッ! 我等こそが――竜騎衆なりッ!!」
戦いの火蓋が、切って落とされた。
――――――――――
当然、外の騒乱は冥竜王たちの元にも伝わっていた。
最上階から見下ろせば、そこには一騎当千という言葉をその身で体現する猛者が三人。
雑兵が群がるも、相手が腕を振るだけで蹴散らされ、あるいは切り裂かれる。
「ついに来たわね」
「ああ。だが……一人足りないな」
そう、この戦場には肝心の主役――竜の騎士がいない。
となれば、これが陽動作戦であることは明らかだが、この破竹の勢いは放置するには危険すぎた。
「下の対処にはオレの血族に当たらせる。お前らはオレと共に来るであろう竜の騎士を叩け」
「御意」
「りょ~か~い」
ヴェルザーの言の通り、黒き竜たちが城から続々と飛び立ち、群れを成して竜騎衆へと向かっていく。
その様は壮観ではあったが、対する三人の英傑を討てると確信できるほどのものではない。
精々よくて互角、出来て時間稼ぎといったところだろうか。
それほどまでに、相手は強い。最早異常といえるほど。
「あの強さ……何かからくりがあるのでは? あれは常軌を逸しているでしょう」
「む……確かに。天界の奴らが何かして――」
それは突然のことだった。天より精霊の透き通った声色が響く。
――欲深き竜の王よ。今日があなたの最期の時となりましょう。
その声と同時に、地面が聖なる光に満たされる。その範囲は戦場と城を悠々と覆いつくし、目に付く範囲全てを占めていた。
「まさか……ッ!」
――邪なる威力よ退け!
破邪呪文。それも魔法円が確認できないほどの広範囲。しかしただの破邪呪文では、魔界の猛者たちの力を抑えることはできないが――
「ギッ!?」
「力が……出ない!?」
雑兵たちは、しっかりとその力を押さえつけられた様子。冥竜王には預かり知らぬことだが、この破邪呪文は、魔法陣の五つの点に、精霊の聖なる身体を媒体とした破邪の秘法――呪文の破邪力を最大限に増幅する――が用いられていた。
そのせいもあって、魔法陣は弱い者の力ならば完全に押さえつけられるほどの威力を発揮する。もはや雑兵では弾除けにすらならないほどに。
「もしや、大陸全土を覆うように魔法円を描いたのか……!?そのために周囲の拠点を念入りに殲滅したとでも……!!」
冥竜王の推察は的を射ていた。まあ、的中させた所で、全ては手遅れなのだが。
そして、ある程度以上の強者しか機能しなくなったということは、前線を保つ兵が足りなくなるということ。
それは、今も自らの傍らに控える二人の強者を前に出さなくてはならない、ということを意味していた。
「おのれ……!! 天界のゴミどもめがァ……ッ!!」
張り裂けんほどの怒気が辺りに漂う。最早物理的な熱気すら伴って。
「あっつ! ちょっと落ち着いてくださいよ!」
わなわなと拳を震わせる冥竜王に尚も軽口を叩けるのはもはや才能といえる領域かもしれない。だが当のヴェルザーは、そんなことすら気にしないほどに怒りに燃えていた。
「……アトリア、スピカ。お前らは前線に出て、竜騎衆どもを始末してこい。竜の騎士など、オレ一人で十分よ……!!」
「……いいんですね?」
「二言はない。……さっさと行け!」
「御意。行くぞスピカ」
「は~い」
窓を開け、そこから二人して飛び降りる。自由落下に身を任せ、地面までの高さが半分ほどになったころ、
見たところ、陸戦騎は冥竜王の親衛隊たちが抑えているようだった。ならば残る二人の相手は――
「やんちゃが過ぎたな。そろそろ死んでおけ」
「悪いが――この後に用事があるんでな。貴様程度に俺の命はやれん」
空戦騎ヒュンケルと、アトリアが空で向かい合う。
「また新しい自殺志願者ですか? そうならそうと言って欲しいものですね」
「その台詞、そのままあんたにそっくり返すわ」
海戦騎とスピカが、その顔に互いに武器を向ける。
冥竜王軍と竜の騎士
詳細に書くほどじゃない脇役紹介コーナー①
陸戦騎アルベルト
ガチで出番ない。二人しか宛がえる奴がいないのであぶれたかわいそうな奴。
素の能力的にはクロコダインの体力をちょっと攻撃力に振り替えた感じ。
名前の由来はハルバードを適当にもじっただけ。
海戦騎シブリーム
一応出番はあるが一話の後書き使って書くほどではないって感じの奴。
伝説の武具である銛と、めっちゃ硬い鱗が特徴。
見た目的にはドラクエのマーマンの下半身が人型になってるような感じに近い。
名前の由来は魚の名前を適当に引っ張ってきただけ。
名乗りシーンを書く際に名前を付けたが、オリキャラが増えまくっても何か分かりにくくて読みづらそうなんで、海戦騎と陸戦騎表記で基本的に進みます。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
16 不死身の剣豪
眼前に対する剣士を見やる。右の人差し指に嵌められた指輪が輝き、この男に浮遊力をもたらしているようだ。その佇まいに一切の隙は無く、放たれるは抜き身の刃のような鋭い殺気。
こいつが強いということは、一目見れば分かること。ロン・ベルクと同等か、あるいは――
「かかってこないなら、こちらから行こうか……!」
「……ッ!」
相手が、ただ剣を振る。それだけで、
こんなものが牽制の感覚で飛んでくるのだから、たまったものではない。その常軌を逸した力には、やはり何かからくりがあると見るべきだ。
「
剣では勝てない。ならば一日の長がある魔法で攻めるべきだと、雷を呼ぶ。
天を裂いて飛来した剛雷に対し、相手は何もしない。そのままそれは着弾し――霧散した。
「効かんな」
有り得ない。切り払われたり、防御されるならまだしも、無防備で喰らって全くの無傷など。
そこから導き出される答えは一つ。奴の全身を覆う装備は――
剣では勝てない、魔法も効かない。ならばどうする?
「そぉらッ――!」
相手が尋常じゃない速度で、こちらへと飛んでくる。早――すぎる!
視界に捉えきれないほどの速さ。だが、早いだけならまだ付け入る隙がある。
空気が軋むほどの圧力をもって、こちらに剣が振るわれる。だが、その剣は虚像を吹き散らすだけの結末に終わった。
攻撃呪文が効かずとも、相手に直接作用しない呪文を使えばよい。
剣も魔法も通じなければ、両方を組み合わせればよい。オレにならばそれができる。
「むっ……」
だが。
「爆裂・魔神斬り――!」
渾身の破壊力を込めた一撃は。
「少し、痛かったぞ」
ただ、鎧に傷を付けただけで、弾かれた。
「……は?」
極大魔法剣すらも、通じない。馬鹿げた――いや、最早理不尽なまでに硬い。
今の一撃であれば、ただのオリハルコン程度容易く切り裂けるという自負があった。
ただし、それは今粉々に砕かれる。
「お返しだ」
「がぁッ……!」
袈裟斬り一閃。反応することすら出来ない。肩から斜めにかけて、深い裂傷が刻まれた。
攻撃力、防御力、素早さ――その全てが、異常。純粋に強すぎる。
勝利への光明は、未だ見えなかった。
「父さん!」
「やめろ――来るな!」
血相を変えてこちらへ寄ろうとしていた娘を止める。今の奴を相手にすれば、容易く斬り捨てられかねない。それだけは止めなければ。
斬り付けられ落下していた体勢を立て直し、向き直る。重傷ではあるが、その程度でうだうだ言っている場合ではない。
「涙ぐましいことだが……俺は負けるわけにはいかんのだ。ヤツとの約束にかけて――そして、魔界最強の剣豪の名に恥じぬように」
「……なるほどな。お前の正体が分かってきたぞ」
全身を覆う超金属の武具に、魔界最強の剣豪の名……それらが意味することは。
「そう……俺の名はヒュンケル。かの伝説の剣豪の名を継ぐ者だッ!!」
そう言って、男――ヒュンケルは、神々しい輝きを放つ剣――王者の剣を高々と掲げ、宣言した。
王者の気風を漂わせ、破邪魔法の聖なる光を反射し輝くその姿は、まさしく伝説の体現。
あの男が着ているのが、王者の鎧ならば……一つだけ、突破口があるかもしれない。
「お前、竜の騎士だな? 何故そこにいるかは知らん、どうでもいい……だが! バランとの決着の前哨戦にはちょうどいい!」
王者の剣が纏う闘気の光。その強さを見て直感的に気付いた。
ヒュンケルは闘気の扱いが異様に巧い。爆裂魔神斬りを防いだからくりの一端もそこにある。
奴は武器だけでなく、防具にも闘気を伝えることが出来るのだ。通常ならば闘気は、己の身体と武器くらいにしか応用はできない。普段は金属以下の肉体でも、闘気を纏うことにより鋼鉄をも上回る硬度を手にすることが出来る。
だが、所詮鋼鉄程度止まり。それならば、超金属に同様に闘気を伝えればどうなるか?武器ならば比類なき破壊力を、そして防具なら――何物をも通さない鉄壁の守りを得られるに違いない。
「新たなる伝説の礎となれ――はやぶさ斬り!」
ボリクス残党の
一つ一つに絶対の破壊力が込められたそれは、回避不可能な配置で確実に肉を削ぐ。
「ッ!」
「なかなかいい剣じゃないか! お前を斬り捨てたあと、コレクションに加えておいてやるよ!」
神速の踏み込みののちの一撃に辛うじて反応する。いや、反応ではなく予測。事前に目星を付けていなければ対応不可能。
予想を外せば死ぬが、致し方なし。
だが、鍔迫り合いは好ましくない。力では到底勝負にならないからだ。
「それは無理な相談だな――お前はここで死ぬからだ!」
「減らず口は勝ってからほざくんだなぁ!」
力を受け流す技を以ってしてもなお、受け流しきれない力の暴威を前に、身体が次第にぼろくずのようになっていく。
頭か身体の大部分を消し飛ばされでもしないと死なない身体ではあるが、それでも厳しいものは厳しい。
身体の損傷が限界に近い。動きが目に見えて鈍くなってきた――このままではまずい。
「そろそろ限界か? いや、実際流石だよ。精霊の加護がなければどっちが勝っていたかもわからんが――ここは戦場、二度目は無い」
精霊の加護とやらが、あの理外の強さを支える二つ目のからくりか。だが、対処法が分からなければ意味は無い。
「終わりにしよう。……伝説の剣豪の奥義、その身に受けて眠るがいい」
王者の剣に、一層強く闘気が集まる。これを喰らってはいけないという本能からの警鐘が、頭の中で全力で鳴り響いていた。
必勝の気迫。己の技が敗れることなど、微塵にも思っていない自信に溢れた顔つき。それだけでも、この必殺技の威力の程がわかろうというものだ。
余りの圧力に、戦っていたスピカもヒュンケルの方を見やる。その剣に込められた力を見て、心配そうにこちらを向くが――
「余所見している場合ですかぁ!?」
「ちっ……!」
突き出される銛に、意識を引き戻される。こちらに気を割く余裕は到底無さそうだ。
何とか回避しなければ。最早迎撃するという選択肢は、頭の中にはない。
剣から溢れ出る闘気が臨界点に達する。その王者の剣に重なるように――巨大な、剣の幻影を見た。
「――覇王斬ッ!!」
その幻影――極限の密度で圧縮された闘気の集合体で、もはや実体に近い――が降り注ぐ。
地面へと着弾、そして轟音。幻の剣が弾け、光の柱が昇る。
数秒に渡り立ち昇る闘気の奔流が明けた後、そこにはクレーターと、巨大な剣が突き刺さったような底の見えぬ切れ目があった。
「……その死に体で呪文が使えたとはな」
「悪いな……二度目はあったらしい」
そしてオレは――寸前で辛うじて
しかし、同じ手段は二度と通用しないだろう。一切の慢心を捨てた目で、ヒュンケルがこちらを見ていた。
「だが、三度目は無いぞ」
そんなことは自分が一番分かっている。さてどうするかと、頭を回していると――
「ギャアアアアッ!!」
雷鳴と、悲鳴が木霊した。
少しだけ時は遡り、スピカと海戦騎の戦いの最中。
「さっさと死んでくださいよっ!」
「お断りよ!」
例によってこちらの戦いでも、冥竜王の側――スピカは劣勢に立たされていた。
その要因はやはり、相手の基礎能力の異様な高さ。
早い、硬い、力強い。
だが、それらは空戦騎のものほどではない。
十分、戦いが成立する領域にあるものだといえた。
「撃ち抜けッ!!」
海戦騎が銛を投擲する。弾丸のように空を切り裂き直進するそれを、剣で何とか切り払う。
ぎぎぎと金属が軋み、剣が
「尋常じゃない馬鹿力ねっ……!」
「失礼ですね……銛よ! 我が手に戻れ!」
その言葉と同時に、海戦騎の手の内から光の粒子が溢れ出す。やがてそれらは先程投げた銛の形を取り、そしてそのものとなった。
「はぁ!? インチキも甚だしいわねあんた!」
この銛に込められた力は、持ち主の手元に帰るというもの。
「魚なら魚らしく……陸に上がったら干からびてなさいッ!
火焔がうねる。相当の火勢をもって吹き付けられた炎の中を、海戦騎は悠々と抜けてきた。
その姿には、煤一つ付いていない。耐えたのではなく、完全に無効化していた。
「効きませんよっ!」
「かは……ッ!?」
流石に無傷で一直線に突っ切ってくるというのは、スピカの想像の埒外だった。驚きのあまり、一瞬思考が雑になる。
突き出された銛を何も考えずに受けようとして、その剣は空を切る。単純なフェイントだった。
合わせに来た剣から逃げるように、銛をくるりと一回転させる。その時間分タイミングがずれ、空いた無防備の胸に、石突が思い切り突き込まれた。
「甘いですね! 私の鱗は魔界のマグマの中すらも悠々と泳げる特別製! 並みの呪文など通用しない!」
海戦騎は魔界の海――つまりマグマの海である――から産まれた
環境に適応した彼の鱗の耐久性は随一で、世界で二番目に硬い金属にも匹敵するほど。そしてその金属と同じように、呪文を弾く性質すらも身に着けていた。
「次は避けられますかねぇっ!」
肺を強打されて咳込むスピカに、再び魔弾が放たれる。何もリスクを冒す必要はない。ただ安全圏から、当たるまで何度でも投げ続ければよいだけの話。それだけで相手は消耗していくのだから。
だがそれを見た彼女は、そんなものは脅威にならないと、鼻で笑って見せた。
似たような攻撃を喰らったことがあったなと、心の中で思い出す。今は父と慕う男との邂逅の時、互いに人形のような無様を晒していたあの時だ。
――あの時は、消える魔弾に加えて、背後から戻ってくるのも喰らったわね……それに比べればなんて優しいんでしょう。ただ持ち主の手に戻るだけだなんて。
高速で迫り来る魔弾を、首を動かすだけで躱す。その後、余裕をもった動作で手招きするように挑発してみせた。
「――もう、見切ったわ」
竜の騎士の戦闘センスが、その弾道を完璧に見切ってみせる。先程の無駄のない避け方は、それを言葉ではなく行動で表していた。
「貴様ぁぁ!!」
飛来する銛を、避ける、避ける、避ける。最早余所見をする余裕さえ、今のスピカには出来ていた。
「……伝説の剣豪の奥義、その身に受けて眠るがいい」
そうしていれば、ふと耳に入った言葉。そちらを見やると、剣に込められた尋常ではない闘気。何か手助けをするべきかと、心配そうにアトリアを見やるが――
「余所見している場合ですかぁ!?」
業を煮やした海戦騎が、銛を手に突っ込んでくる。流石に身体能力で相手に軍配が上がる接近戦で他の事に気を割くわけにはいかず、その意識は眼前の敵に引き戻された。
「ちっ……!」
「あははははっ! 先程までの威勢はどうしました?」
機銃の如く繰り返し突き出される銛をいなし続けるスピカ。一度でも捉えられたら蜂の巣になるのは必至の刺突の雨の中をひらりひらりと舞い続けるその姿には、余裕というものは一切ない。
だが、その死の舞踏はすぐに終わりを告げる。尋常ではない衝撃波が地を走ることで、両者が吹き飛ばされたからだ。図らずも、二人の距離が離れる。
「うわっ……!?」
思わず再度そちらを見やれば、その衝撃波の発生源と思わしき巨大な剣の幻影が地面に突き刺さっていた。
そして気付く。手元の剣がいつの間にか消えていることに。
「ふふ……貴女の剣は頂きましたよ……!!」
視線を戻せば、銛に絡め取られた剣を勝ち誇りながら掲げる海戦騎。先程吹き飛ばされる間際に、抜け目無く銛を剣に絡め持ち去っていたようだ。
「呪文が効かない私を相手に、剣を取り上げられた気分はどうです? さぞかし絶望的――」
「ああ、そうそう、その位置よ! そのまま動かないでね!」
突然投げかけられた意図不明の言葉を聞き、海戦騎が首を傾げる。その意図を問いただそうとしたその時――
「は?何を――」
「
「あがッ……!?」
降り注ぐ雷が、避雷針代わりとなった剣を伝い魚人の身体を焼く。
そう、殆どの攻撃を弾くその鱗を唯一貫ける呪文がこの雷。そしてそれは、彼がバランの軍門に下る切欠となった呪文でもあった。
何故という思いが、海戦騎の頭を巡る。
「お、効いたわね。魚にはやっぱり雷が効くのかしら?これはまだ覚えたてで狙いがおぼつかなくてね……バカみたいに剣を掲げてくれたお陰で助かったわ」
「何故貴方がその呪文をっ……! それはバラン様にのみ許された特別な……!」
「うるさいわね――ギガデイン」
再び、雷が落ちる。二度の剛雷が降り注いで尚、身を焦がしながらも海戦騎はスピカへと飛び掛らんとする。その身体を支えているのは矜持か、それとも忠誠か。
しかしその動きは明らかに鈍く、精彩を欠いていた。
「あんたタフねぇ……ギガデイン!」
「うぅっ……!」
三度目の雷。それでも歩みは止めない。
「しつこい! ギガデイン!」
「…………っ!」
四度。最早その歩みは亀の如き鈍重さ。だが前に進むことは止めない。
「あーもう! とっとと死になさい! ギガデイン!!」
「ぐはっ……!」
五度。ついにその足が膝を着き、崩れ落ちる。
しかしその眼は死なず、手は確かに銛を握り締めている。全ての活力を削がれても、敵を仕留める気概だけは、胸に離さず秘めていた。
動かぬ体に内心で喝を入れ、逆転の一刺を狙う。
例え死ぬことになろうとも、この一撃だけは心臓に届かせる決死の覚悟だ。
「やっと止まったわね……折角だから、直接止めを刺してあげましょうか」
スピカが倒れる海戦騎の方へと歩み寄る。その言葉を聞いた彼が、最後の勝負をせんと腕に力を込め始める。
が、しかし。
「――とでも、言うと思った?」
静かに指を指す。その先は、倒れ伏す海の覇者。
平坦な口調で、同じ呪文を唱えた。
「ギガデイン」
六度目の雷光が降り注ぐ。
それと同時に、悲鳴が木霊した。
「ギャアアアアッ!!」
「駄目押しよ。……悪いわね、あんた強かったから念のため」
残された僅かな余力をも失い、途切れゆく意識の中で海戦騎が思ったことは、竜騎衆という名に泥を塗ったことへの悔恨と、主への謝意。
――ああ、バラン様。すいません……負けて、しまいました……
そして最後に視界に写った空戦騎を見て、どこか安堵したような様子でその目を閉じた。
――私は負けてしまいましたが……
その悲鳴が鳴り響くと同時に、そこで行われていた二つ目の戦いの決着を悟る。
悲鳴の主は娘ではない。つまり……スピカは勝ったということだ。
父親として、娘に情けない姿は見せられない。
「なにっ……!?」
仲間が敗北したことに対する動揺の表情が、兜の隙間から垣間見えた。
相手は自分より強い。この一瞬の隙にしか勝機は無い。
剣の片割れを鞘に収め、魔力を振り絞り呪文を唱える。
「
凝縮された閃熱が一本の剣に集まり、あまりの高熱に剣が白熱化する。
これより放つ技は、貫通力においては随一のもの。収束した閃熱の力を剣に乗せ、一点を貫く技。
残された全ての力を足に集め、己の身を弾丸として飛び出した。
「――閃熱・一閃突きッ!!」
魔界の剣豪ヒュンケルの伝説。その最後に彼は己の剣に貫かれ命を落とした。
その原典ともいえる古代からの記録。そこには克明にその様が記されていた。
彼がその剣で貫かれた箇所は――心臓。
「知っておくに越したことは無かったな……!!」
「おおおっ……!!?」
剣が心臓の上を覆う鎧と激突すると、激しい金属音が鳴り響く。それは螺旋を描く閃熱の破壊力が、敵の牙城を食い破らんと吼える音だ。
少しの拮抗の後、鎧の心臓部に皹が入り始める。
それと同時に超高熱により塗装が融解していく。剥がされたメッキのその下はオリハルコンではなく、ただの金属。開けられた心臓部の穴を補うように、苦し紛れの補強の跡が見て取れた。
それではこの必殺剣の威力を防げるわけもない。伝えられた闘気の力によって即座に貫通することは免れたが、それで稼げたのは高々一瞬のみ。
だが、その一瞬。切っ先が鎧を貫き、心臓に剣を突き入れんとするその一瞬に、ヒュンケルは行動を起こしていた。
「ぐ……あああああああああッ!!!」
何たることか、胸に突き刺さろうとしている白熱した剣を、彼は左手で掴んだ。
当然、剣を握り締めた拳は裂け、触れた箇所から閃熱に灼かれ、炭化していく。
それでも微塵も衰えない万力の如き力が、剣の動きを止めようと懸命に締め付ける。
「俺はまだ負けん! 奴と、バランと決着を付けるまでは……!!」
決死と決死、二つの覚悟を宿した視線が交差する。
左手がほぼ炭になろうとも、その力は衰えるどころか強さを増す。
そう、力比べなら――相手に軍配が上がる。
剣の動きが完全に止まる――いや、引き抜かれた。
「どけぇッ!!」
「ごふっ……!」
渾身の前蹴りを喰らい、至近距離から引き剥がされる。今ので折れた肋骨が肺に突き刺さったか、息が苦しい。
いや、それよりも問題なのは、動けないということ。さっきのが正真正銘最後の一撃だ。
身体の損傷が限界で、最早地に這い蹲ることしかできない。体のどこを浚っても、活力の欠片も残っていなかった。
「はぁっ……! はあっ……! ……勝った!」
無理やりに剣を止めた左手は炭化し、手首から先が砕けてなくなっている有様。
それでも戦意は十分で、まだ動けるし戦える。
その眼下で一歩たりとも動けずに、無様に這い蹲る自分と比べれば、その勝敗は明らかだった。
「終わりだ……!」
右手に握る王者の剣の切っ先が、眼下に見下ろす自分に向けられたその時、それを遮るように立ち塞がる者が一人。
「どけ」
「嫌よ」
「お前は……シブリームを倒した奴か。退かぬならばいいだろう――仲間の仇を討たせてもらおうか」
ヒュンケルが剣を向ける。隻腕といえどその姿から伝わってくる威圧感は未だ強大。
まず勝てない。それが二人の戦力を客観的に比較した結論。
だが、オレが引けといっても引かないだろう。
あの時と同じだ。幾ら相手が強くても、勝ち目がどんなに薄くても。
退けない戦いというものが、時にはあるものだ。
後ろに、護るべきものを背負っているのなら。
「父さんは絶対にやらせない――かかってきなさい!!」
キャラクタープロフィール⑪ ヒュンケル(アバンの使徒じゃないほう)
【年齢】286歳
【種族】魔族
【出身地】魔界
【体力】9(10.5)
【力】9(10.5)
【魔力】3
【技量】9
【得意技】覇王斬 はやぶさ斬りなど各種剣技
【特筆事項】全身オリハルコン装備
()内はバフかかった状態
ロン・ベルクに並ぶ二人目の剣豪。ロンが純粋な剣術に秀でていればこいつは闘気の扱いに卓越している。ちなみに初代ヒュンケルはもっと強い。
刀剣コレクターで、バランの真魔剛竜剣を狙い挑みかかった結果色々あって仲間になった。
竜騎衆の中で群を抜いて強い。
精霊の加護とは要するに補助呪文のこと。バイキルト、スカラ、ピオリムの三種。
普通に強すぎる呪文なので、一人では戦えない精霊にしか使えない呪文という設定。
他の竜騎衆もこれがかかっているのであそこまで戦えた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
17 頂上決戦、そして炸裂
ヴェルザー「オリハルコン食ったら爪からオリハルコン生えてきたw」
バランは一人、眼下の戦場を眺めながら魔界の中天を飛ぶ。
自らを敵将の下まで送り届けるために囮となった三人に思いを巡らせながら。
陸戦騎アルベルト。
一目見ただけでバランという男の器を見定め、忠誠を誓ってくれた。
海戦騎シブリーム。
海賊行為を行っていた所にお灸を据えてやったら、その力に心酔したと言われ、旅に同行してきた。
そして、空戦騎ヒュンケル。
魔界に来て間もない頃、互いの剣を賭けて決闘を申し込まれた。
その結果は引き分け。以後、冥竜王との決着が着くまでとの条件付きで一行の一員となった、最初の仲間。
皆――バランのために命を賭した旅路に着いて来てくれた、掛け替えの無い仲間だ。
――過ぎた願いかも知れんが……三人とも欠けず、無事に帰ってきてくれ。
やがて、目的の地に辿り着く。居城の最上階、竜王の間。中心に位置するその場所に、濃厚な力の気配。
その天井に降り立ったバランは、切り取られたのを補修したような跡が見えるその場所を剣でくりぬく。
ごとりと石材が床に落ちる音に数瞬遅れて、バラン本人もその部屋に降り立った。
「クク……400年前を思い出すな」
懐かしむような声色の主に目を向ければ、そこにいたのは漆黒の巨竜。今まで見てきた者達とは一線を画すその威圧感と、流暢に言葉を話してみせる竜といえば、これはもう魔界に当てはまる者は一人しかいない。
「冥竜王ヴェルザー……だな」
「その通り――オレこそが冥竜王ヴェルザー。……オレの首でも取りに来たか?」
いつかと同じやりとり。訪れたのも同じ竜の騎士。しかしその後に放たれた言葉は、あの時とは決定的に違うもの。
「いかにも……私の名はバラン。貴様を討つ、竜の騎士の名だ……!!」
「良く来たな、歓迎しよう。竜の騎士バランよ……もしオレの味方になれば、世界の半分をくれてやる」
冗談めいた口調で、試すように言う。むろんヴェルザーにその気はない。欲深き冥竜王が己の物を分け与えるなどということは有り得ないからだ。
「見くびるなよヴェルザー……! 私は欲望に呑まれるような俗物ではないッ!」
「違うな。欲望に従うことこそが生きる者の正しい姿よ、汝の欲することを為せ――そのための力だ」
冥竜王の瞳に宿るものは、輝きでもあり暗闇でもあった。爛々と光る欲望の輝きはまた同時に、底の見えない深淵の如く。
この無限の欲望こそが、冥竜王の根幹を成していた。
「いいえ」
バランの背後に、青白い光の奔流が渦巻く。そこから現れたのは4人の精霊。バランを補助する腹積もりで、天界から派遣された腕利きたちだ。
蛇蝎のごとく嫌う天界の精霊たちを見て、ヴェルザーが嫌悪に顔を歪めた。
「力とは正義を為すためのもの! 暴虐を振るうためのものではありません!」
「フン……精霊か」
「只今参りました、バラン様。微力ながらもお助け致します」
「
バランの体を三色の光が覆う。それらが完全に体内に入り込んでいったとき、バランから感じられる力が飛躍的に上昇した。
竜騎衆が尋常ならざる強さを発揮していた理由がこの呪文。その効果はかけられた者の攻撃力と防御力、そして速さをそのまま5割増しにするというもの。
その呪文の特性上、強い者にかけるほどその上昇値は大きくなる。では、元より尋常ではない強さの者にかければどうなるか――それは最早、この世の理を逸脱するほどの強さを得ることになるだろう。
「精霊たちよ、感謝する。――冥竜王ヴェルザー……覚悟ッ!」
だが問題は、相手も理を超える程の力を持っているということだ。
「面白い――少し遊んでやろう」
裂昂の気合を以って飛び出したバランの踏み込みは、踏み抜いた床が粉々になるほどの力を込めて行われていた。
その力に比例して速度を増すバランの動きは、誰にも捉えることはできない――ただ一人を除いては。
「かあぁッ!!」
「その程度か?」
目もくらむ様なスピードで、バランの振るう剣と、ヴェルザーの爪が激突する。その地点の空間が歪むほどのエネルギーの衝突が火花を散らすとともに、嫌な金属音が響き渡る。
真魔剛竜剣が、軋んだ。
「ヌウッ!?」
今の一合は、互いに闘気を込めなかった小手調べの一撃。つまりは素材の強度差が顕著に出るということだ。
ただの爪など、オリハルコンならば鎧袖一触で切り裂けても不思議ではない。
「正義とは何だ? 貴様らの神が定めたものか? 魔界に我等を押し込めて、臭い物に蓋をすることがか? 貴様らはいつもそうだ――我等を魔界に押し込めたときも、そして今も! 結局は力を用いて事を為す分際で、細々と理屈を垂れて目を逸らす!」
冥竜王が怒りと憎悪に塗れた暗黒闘気を爪に纏わせ振り下ろす。その爪は、真魔剛竜剣と同じ輝きを放っていた。
竜闘気と暗黒闘気が交じり合い、反発作用を起こし弾ける。大気が震えるほどの衝撃が辺りに撒き散らされ、周囲のものをあたりかまわず破壊していく。
「オリハルコンだと……!?」
「その通り……かつて世界が一つだったとき、人間の王を貪り喰らったときの名残よ。その覇王も言っていたぞ――大義などでは人は守れないと、力こそが正義だとな!!」
かつて失われたと言われている覇者の鎧――その行方は冥竜王の腹の中。噛み砕かれ、消化されたオリハルコンは体内を巡り巡って爪へと転じ、今では冥竜王の力の一端となっていた。
「今度はこちらから行くぞ!」
巨竜が跳んだ。静止した状態からの一瞬での最高速への加速。そのあまりの速度差に、バランの視界からヴェルザーが消える。
「早……っ!?」
「上だ」
その言葉に上方を見上げると、そこには大口を開けた冥竜王。かつて覇王を喰らったその顎が、今度はバランを噛み砕かんと牙を剥いていた。
「バラン様!」
咄嗟に精霊たちが手を翳す。バランを囲うように球状の結界が、彼を守らんと展開された。
それに加えてバラン本人も竜闘気によって全身を覆い、閉じゆく顎を止めようと必死で抵抗する。
だがそれも虚しく、ゆっくりとその牙は守りを貫き、閉じてゆく。
「ぬうぅっ……!! カアアアァッ!!!」
結界が破れるまでの少しの間、自らの内に溜め込んだ竜闘気を爆発させる。
ヴェルザーからすれば、口の中で爆弾が爆発したようなもの。思わず口を開いてしまい、その隙にバランは脱出した。
万能の守りであるはずの竜闘気が、今は酷く頼りない。強化された能力をその上から悠々と上回ってくるその強さに、バランは早々に様子見をやめることを決意する。
「クク……必死だな。だが毎度その調子だと、すぐに闘気が底をついてしまうのではないか?」
「要らぬお世話だ……と言いたい所だが、その通りだと言わざるを得んな」
「それで? いい加減にお遊びはやめたらどうだ? 知っているぞ……竜の騎士には、もう一つ上があることを」
静かに、バランが目元に付けている装飾品――竜の牙を取る。
それを手の内に握りこむ。血が出るほどに力強く。
「何が正義かなど、私には分からん……だが! 私は世界のためなら、喜んで人の心を捨てよう……!! 純然たる力をもって、お前を討つ!」
心臓が、他の者にも聞こえるほどに強く鼓動を打つ。
その律動に呼応するように、バランから流れていた赤い血が、魔族を示す蒼へと変わっていった。
稲妻が、落ちる。
「グウオオオオッ!!」
それを皮切りに、バランの体が目まぐるしく変化していく。
肥大した竜の紋章に合わせるように髪が大きく逆立ち、彼の全身から溢れんばかりの竜闘気が身に纏う鎧を内から砕いていく。
その鎧の下から現れた肉体はまるで、竜を髣髴とさせるもの。
両の手は竜の顎を模した形状へと変わっていき、その様は獲物を求めて大口を開く獣。
終いにはその背から巨大な竜翼が展開されてゆく。
この姿こそが、竜の騎士の
「これが竜の騎士の真の姿――竜魔人!」
敵対する遍く全てを滅ぼす破壊の化身が今、降臨した。
「いいだろう」
だが、その暴威の化身の如き姿を見ても、冥竜王が気圧される様子は一切なく。
むしろ相手にとって不足なしと、その口が歓喜に歪んだ。
「お前は、オレの本気を受け止めるのに相応しい」
あれでまだ本気でなかったというのだから恐ろしい。
冥竜王が瞠目する。静かに、ただ確かに、その気血が全身へと巡り、充足していく。
「ふうぅぅぅ……」
ただ極限まで高められた闘気と膂力が、そこにあるというだけでこれまでにないほどに存在を主張し、それは滲み出る熱気という形で現れる。
そしてそれは、久方ぶりの全力での戦いに対しての、期待の高まりを示しているようにも思えた。
静かに高まっていた熱量が、遂に臨界点を迎える。
「ゴアアアアアッ!!!」
ただの咆哮が大気を震わせ、威力すら伴って竜王の間を覆う天蓋を吹き飛ばす。
その上に広がるは、ただ闇があるのみの魔界の空。
「ここは少し、狭すぎる」
「同感だな」
示し合わせるでもなく、両者がその翼を使って空へと舞い上がる。
通常の竜魔人が神の創った生命の到達点だというのなら、その強さはすなわちこの世の理の限界。
だが現在相対する二人は、その範疇をとうに逸脱していた。
それを示すように、ただ二人が存在すると言うだけで空間が苦しげに軋む。
まるでこの世界には収まりきらぬ存在だとでも言うように。
二人の逸脱者が、激突する。
「行くぞッ! ヴェルザァァッ!!」
竜魔人が掲げし神剣に、天より降りし稲妻が宿る。
敵の戦力を測るためには、自らの必殺を最初にぶつけるのが最適。
大胆かつ合理的。野獣と成り果てた身と言えども、敵を殺すための術だけは冷徹に最適化されている。
竜の騎士の最大奥義が、初手より解放された。
「ギガブレイク!」
「カアアッ!」
それに対するヴェルザーは、己の光り輝く鋭爪に、煉獄の炎を吹き付ける。オリハルコンすら赤熱するほどの火焔を纏ったその爪は、竜の騎士の一撃にすら劣らない。
轟音。いや、最早異音。
このような絶技が二つ衝突する衝撃に耐え切れぬと、世界が悲鳴を上げる音だ。
最初の邂逅は、互角。
ならば、次なる一手は――
「紋章閃!」
額の紋章が強く輝き、山すらも砕く閃光が迸る。
その狙いは目。文字通り目に焼き付けんとして、紋章の光が放たれるが――
「しゃらくさいわぁっ!!」
冥竜王はただ目を閉じただけ。回避しようという気もない。
山を砕く?だからどうした?そう言わんばかりに、その光線は薄く焼痕を残すだけの結果に終わる。
――この冥竜王の身を、山と同じように砕けると?
「舐めるなよ、神々の犬がァッ!!」
冥竜王の竜翼が大きく羽ばたき、ただそれだけで
これら全てに魔法は使用されていない。ただ己の力のみによって為された神業は、呪文をほぼ無効化する竜闘気の守りを容易に貫くだろう。
「ディザスターウィンドッ!」
死の旋風を前にして、バランの脳内に刻み付けられた闘いの遺伝子が全力で稼動する。
回避することは出来なくもない。だが、あれはヴェルザーの羽ばたきによって自在にその進路を変える。
接近戦に移行した際、それに気を取られるようなことは即座に敗北に繋がるだろう。
ならば正面突破か?ギガブレイクを用いればこの竜巻を散らすことはできるが、悠長に魔法剣を使っている暇はない。
では、どうする?
正着は――敢えて竜巻の中へ突っ込むこと。竜巻の外側に接触する瞬間に竜闘気を全開。少々身体が焦げるが、必要経費だと割り切る。
突っ切ってみれば、予想通りその中心は空白地帯だった。力を溜め続け、いつか来る機を伺う。
竜巻の風勢が弱まったタイミングで、その中から飛び出してくるのはほぼ無傷のバラン。
その剣には充分に蓄えられた竜闘気がはち切れんばかりに輝いていた。
「ヌウウッ!?」
「ウオオオッ!!」
ただ飛んでいるだけのバランから、爆音が響く。それは衝撃波であり、音の壁を突破した証でもあった。
音よりも早く、バランの剣が突き立てたのは――冥竜王の右目。先程紋章閃が直撃した場所だ。
「グワアアッ!!!」
「――精霊たちよ、今だ!」
精霊たちがバランに追従するように空へと舞い上がる。今までは二人の闘いに巻き込まれぬように隠れていたのだ。
冥竜王が怯んだ今こそが好機と、追い討ちの妨害呪文を放つ。
「承りました、バラン様――
先程の補助呪文と対極にある三色の光がヴェルザーへと纏わりつく。その動きが、目に見えて鈍くなった。
「貴様らァァッ!」
ヴェルザーが右目を潰された怒りを込めて、暗黒闘気の滾る爪を振るう。それを迎え撃つ真魔剛竜剣。
二度目の激突。しかしその結果は、バランの剣が爪を弾き飛ばすという結果に終わる。
「バカなッ!?」
「ぬぅん!」
返す刀で大振りの袈裟斬り。ヴェルザーの腹を大きく切り裂いた。飛散する血潮に、冥竜王が苦痛のうめき声を上げる。
――負ける?このオレが?
一瞬、ヴェルザーの脳裏に不安がよぎる。そしてこの野獣同士の戦いは、心だろうが一歩でも引けばすぐにでも呑まれる、極限の戦い。
バランが斬る。ただひたすらに冥竜王の身体を切り裂く。
平時ならばこうもすんなりと刃が通ったりはしないだろう。
精霊達の補助と妨害の二重の干渉が、この光景を現実のものとしていた。
「ガアアアアァッ!!」
放たれた炎の吐息も、いつになく火勢が弱い。それでもその火力は大抵のものを焼き尽くせるはずのものではあったが、今回は相手が悪かった。
光り輝く竜闘気の奔流が全身を覆う。更に精霊達の
「――バラン様! 合わせてください!」
「ああ……!」
精霊達が分かれて飛び、各々の位置関係が十字を描くような場所へ収まる。彼らから放たれた神聖なる気は対極にいるもののそれと繋がり、白く輝く十字となった。
「グランド――」
そしてその中心を、稲妻を纏う神剣を携え超速で貫くバラン。増幅されたその威力は、
「――ネビュラ!!」
小宇宙が、弾けた。
「グアアアアアアアアアァッ――!!!」
その絶大なる威力と神聖さが、二重にヴェルザーを蹂躙してゆく。光に呑まれていく視界の中で、どこか冷静さを保ちながら冥竜王は思案を巡らせていた。
――何かを得るためには、何かを捨てなければならない、か。
怒りが臨界点に達し、一周回って逆に心が冷え切るほどの心境に到達したというのもあるが、冥竜王にはもう一枚、鬼札を手の内に残していた。
自分は死しても転生できるという保険と、今だ明かしていない手の内という余裕。
――それが嫌で、力をつけてきた。欲したものは全て手に入れる。オレが築き上げてきたものを捨てることなどありえない……そう思っていたが。
その最後の手の内を使えば、今までに築いてきたものの大半を捨てることになるだろう。だが、このままでは敗北へ至る事は明らか。
「オレは……負けん! 神々の手先なぞには……ッ!」
神聖なる光が晴れた後にも、冥竜王は未だ健在。だがその姿は、これ以上無いまでにぼろぼろの有様。
雷竜との決戦でも、こうまではならなかった。まさに冥竜王最大の苦境。
「……年貢の納め時だな、冥竜王。その名の通り……冥府に送り返してくれる」
「……ならんか」
ぼそりと、ヴェルザーが呟く。
「なに?」
「捨てねば、ならんか……」
冥竜王が積み上げてきたものが、走馬灯のように脳内を巡ってゆく。
配下の軍勢――これまでの数百、数千年間、ずっと営々と積み上げ、強大なる軍隊を編成してきた。
この大陸と城塞――宿敵のボリクスを討ち果たし、竜王となった暁に手に入れた、いわば象徴。
アトリアとスピカ――魔界でも有数の強者。手の内に収めたいお気に入り。
そして何よりも――矜持。
魔界を制する者として、己の力で無いものに頼るのも。
魔界で最も強欲な者として、積み上げたものを捨て去るのも。
到底、許容しがたい。
それでも。
「残念だ」
勝利――この二文字のためならば。
冥竜王が静かに眼下に手を翳し、魔力を放つ。その対象はバランでも精霊たちでもない。
「何を……!?」
大地が鳴動する。その様を例えるならば、まるで噴火する直前の活火山のように。
バラン達には知る由もないが、それは魔界の超爆弾――黒の核晶が爆発する直前の、魔力の鼓動だった。
しかし途方も無い何かが起きていることだけは、誰にだって分かる。
結局何が起きているか分からなければ、どうしようもないのだが。
「何のつもりだッ!!」
「本当に、残念だ」
ヴェルザーは斬りかかってくるバランを
今まで力任せに戦ってきたからこそ、このような搦め手が最後に活きる。二度は通じないだろうが、二度目は無いと確信していた。
「さらばだ、竜の騎士――バランよ。貴様の名は、オレの中に生涯残り続ける事だろうよ」
叩きつけたバランを残し、一人飛び去るヴェルザー。
彼は当然、この地に残された者達の運命がどうなるかは理解していた。
バランだけではなく、ここに残された味方――配下や親衛隊、そしてアトリアとスピカも。
それでも彼は、その決断を選んだ。
積み上げたものを、捨ててでも。
矜持すらも、捨て去っても。
その少し後。
破壊の極光が、この大陸を覆った。
キャラクタープロフィール⑫ バラン
【年齢】21歳(原作開始時35歳)
【種族】竜の騎士(人間ベースの三種混血)
【出身地】地上
【体力】9(10)《11.5》
【力】9(10)《11.5》
【魔力】8(9)
【技量】8.5
【得意技】ギガブレイク ギガデイン 紋章閃 (ドルオーラ)
【特筆事項】正統なる竜の騎士(竜の紋章 戦いの遺伝子 電撃呪文、魔法剣使用可能)
()内は竜魔人変身時 《》内は竜魔人とバフ盛り状態
現役の竜の騎士。とりあえずバカほど強い。補正なしの数字は竜の紋章を計算に入れているが、それは完璧に紋章を使いこなしているため。
最初のキャラ紹介時に1から10で表すと書いたのは、竜魔人の肉体能力を基準にしているため。(原作前までは普通の竜の騎士で何とかなってきたので、多分冥竜王や大魔王を除いて世界最高峰のはず)ちなみに技量10は老師。
魔力についてはドルオーラが撃てるための数字ですが、多分通常の呪文ならアトリアの方が威力が上だと思います。
精霊たちは一人では戦えない分、サポート役に徹するときはガチです。
ちなみに最後に炸裂した黒の核晶は、前章でアトリアが接収してきたやつ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
18 生命の輝き
今後は書きあがり次第の投稿なので、ペースは不定期になります。
この章が終わったら、ある程度書き溜める予定です。
こうなったのに深い理由はない。ただ子供の頃の憧れを持ち続け、それを叶えたという――ありふれたお話だ。だが、現実にそれを達成できるものは少ない。
産まれた時に与えられた名前はヒュンケル。御伽噺の剣豪にあやかって付けられた、よくある名前だ。
そしてそれに違わず、幼い頃は平凡な子供だった。
御伽噺の英雄に憧れ、闇雲に剣を振るう日々。己の剣の才の片鱗はそこで養われたのだろうが、今となっては知る由も無い。
やがてそれなりの仕事が出来るほどに成長したとき、父親の鍛冶屋の手伝いをさせられるようになった。
鋼を打つ音、飛び散る火花、充満する熱気。これが己の原風景。
そして初めて剣が打ちあがった時――その刃の煌きに心奪われた。
じきに一つの思いが胸の内を占めるようになった。その煌きをもっと集めたいと、そしてそれを自らの手で振るいたいと。
本格的に力を高め始めたのはその頃からだったが、はっきり言って誰かに負けたことは無かった。
剣を振るう才に加え、闘気を扱うことに関してはもはや右に出るものはいないほどの天稟。
そう、強き武器に恥じぬよう、使い手はそれに相応しい強さを身に着けなくてはならない。
あの日王者の鎧を直せと持ち込んできたあいつも、その武器の強さに見合わぬボンクラだった。
だから殺した。だから奪った。手に入れた王者の剣の神々しい輝きを見て、それに恥じぬよう誰よりも強くなることを誓った。
あの――
後はただひたすらに、戦いの日々が続く。誰かの剣を奪い、またある時は奪いに来た者を殺し。
そんな日々の中だった。あの男――バランと出会ったのは。
その手に握る真魔剛竜剣の美しさたるや、己の手の内に握る王者の剣にも負けず劣らず。
一目それを見るや否や、どうしようもなく欲してしまった。
そうなれば後はいつものように、戦いを挑みにいったが――
その結果は、引き分け。幾度にも渡る剣戟の末、互いの首に剣を突きつけ合う結末。
だが剣を交わして、気付いたことが一つだけあった。それは、バランが全力を出していないということ。
本気であったことは間違いない。矛盾しているような物言いではあるが、そうとしか言いようがなかったのだ。
おそらく――バランにはもう一つ上の何かをまだ、手の内に持っていた。
己を殺めるのをよしとしなかったのか、その理由は何なのかわからないが――情けをかけられたという事実は、自分の心を酷く抉った。
奴の下についたのも、本当は心の中で敗北を認めていたからだ。対等だと口では
負け知らずだった自分に付けられた唯一の黒星。何故負けると分かっていて再戦の約束を取り付けたのか。
悟ったのだ。御伽噺の英雄に憧れて、そうならんと己を練り上げてきてきたが、英雄になるために必要なものがどうしようもなく己に欠けていることを。
真の英雄に相応しい男は――バランであることを。
力のみを追い求めてきた自分では、決して真の英雄にはなれない。強さでも、心でも。
強き武具は、相応しき主の下へ。そしてそれは、自分も例外ではない。
だから決意した。全てが終わった後の再戦で、バランの全力を以って殺されることを。
相応しき英雄の下にあるべき武具を渡すために。
その様は、他人から見たらきっと滑稽に映るだろう。まるで太陽に焦がれ、空から堕ちた者のように。
それでも後悔はない。太陽のないこの地で、太陽に焦がれ死ねるならば上等な死に方だろう。
故に、まだ死ねない。
だから――まだ負けられないのだ。己が敗北を許していいのは、ただ一人のみなのだから。
「俺はまだ負けられんのだ……!!」
「あら、お互い様じゃない。こっちにも負けられない理由ってもんがあるのよ」
相対する二人、実力差は明白。されど、勝利に懸ける想いは負けず。
六発の
隻腕で剣を向けるヒュンケルに対し、しっかと両手で正眼に構えるスピカ。
当然、両手で剣を持つほうが力が強いのが道理。しかし――
「行くぞッ!」
「んな……ッ!?」
当然のように弾かれるスピカの剣。歴然たる力の違いを前にして息を呑むが、すぐに思い直す。
力量差があることなんて、最初から分かっていたこと。これぐらいでいちいち動揺していれば勝負にならない。
叫びを上げて自らを鼓舞する。気概で負ければ一瞬で呑まれる故に。
「おおおおッ!」
「フン、威勢だけは一丁前だな」
幾ら切りかかろうが、弾かれ、逸らされ、躱される。半ば遊ばれているといっても差し支えない状況。
その現状を打破するために、スピカが動く。
「ギラッ!」
残り魔力を考えると、牽制には下級呪文が関の山。狙いは頭部、兜の
攻撃と視野を塞ぐ妨害の一挙両得の手。だがその目論見は、とうに見切られていた。
「俺と戦った奴は、皆そこを攻めてきた……わかるか? その対策は腐るほどしてきたってことだ」
そこに攻撃が来ると分かっていたような空中機動で、その熱閃はあっさりと避けられる。
その直後。
「……!」
刹那の出来事だった。脳裏に走る電撃のような直感に突き動かされ、スピカは横へと転がる。
その一瞬後、闘気が込められた剣圧がスピカの居た地点を完膚なきまでに破壊した。
「今のを避けたか」
――何で避けれたか分かんないけど……当たったら間違いなく死んでた……!
半ば呆然としているスピカ。自分でも何故反応できたのか分かりかねている様子。
「ふむ……まぐれか?」
再度ヒュンケルが剣を振り、風を切る音と共に衝撃波が飛来する。
高速で襲い来るそれを、再び回避するスピカ。しかも今度はより無駄のない動きで。
「お前には反応できない速度で斬っているはずだが……妙だな」
「……なんとなく分かってきたわ」
今度は四振り。はやぶさ斬りとの併用で、同時に四つの斬撃を避けられないように飛ばす。
だがそれも、僅かな隙間をくぐるようにギリギリで回避されてしまった。
「なに……!?」
――悔しいけど、普通に戦ったら私は父さんの下位互換に過ぎない……だけど。
アトリアとスピカは、戦闘スタイルからして似通っている。お互いに魔法と剣を用いるオールラウンダーだが、その完成度には大きな違いがある。
だがしかし、その未完成ゆえの柔軟さと、彼女が持つ生来の戦闘センスが今の動きを実現していた。
元より彼女は各種族の最上級の血を使って生まれた、いわば戦いのサラブレッド。
アトリアが以前持っていた闘いの遺伝子と、今までの戦闘経験の蓄積で戦う積み重ねによって為された努力型ならば、スピカは持って産まれたセンスと才能によって戦う天才型。
アトリアから戦いの教えも乞うてはいるが、それで戦えば先程言ったとおり下位互換にしかならない。
そう、彼女は今、敢えて思考を最小限にし、直感に身を委ねる戦いを行っている。
自分を遥か超える強敵との死線をくぐる戦いが、今彼女の直感を最大限に刺激していた。
今思えばそうだ。アトリアとの最初の邂逅のときも、受けた魔法剣を即座に模倣した。海戦騎との戦いでも、弾丸の如く飛来する銛の弾道を一回で見切ってみせた。
スピカは今――戦いの中で急速に成長している!
「
「ほざけッ!」
埒が明かないと見たか、ヒュンケルがこちらへと踏み込み直接斬りかかって来る。
一足一刀の間合い。一手間違えれば死への道を行くことになる道筋を、スピカは軽々と踏破する。
――考えないのが戦略っていうのも何か変だけど、これが案外うまくいったわね。
相手の動きは早すぎて捉えられないが、そうならば相手が動く前に動けばいい。視線の向き、筋肉の収縮、僅かな機敏。その全てを観測し、身体が勝手に動きを予測する。
当然ヒュンケルも一流の剣客。それら全ての情報に
「ぬおおおおッ!」
そうなれば、後は冒頭の繰り返し。演者の役割は逆だが。
幾らヒュンケルが攻勢を強めても、その全てはいなされる。
「一回当たれば終わりってのも中々のスリルね」
「当たらんだと……!?」
だが、一見してスピカが優位に戦いを進めているように見えても実際にはそうではない。
圧倒的な基礎能力の違いによって生み出される格差。相手に攻撃がほぼ通用しないのに対し、こちらは一撃でも喰らえば終わり。
薄氷の上を歩いているような不安定さの上に、この攻防は成り立っていた。
「こんの……っ!」
その薄氷に皹が入る。さっきまでなら完璧に避けられていたはずの剣閃がスピカの頬を掠めた。
ついにその本能的な動きに、ヒュンケルが対応し始めたのだ。
「ようやっとその動きに慣れてきたぞ……お前はよくやったが、次で終わりだ!」
「冗談ッ!」
そして、基礎能力以外の両者のもうひとつの差。それは武具の差だ。
神々が打ったオリハルコンの武具に対し、業物ではあるがただの金属で打たれたスピカの剣。
その二つの差は歴然。
「ツバメ返し!」
「……ッ!」
鋭く打ち込まれた一閃を、剣の腹に打ち込む形で軌道を逸らす。
だが、その剣筋は直角に反転し、すぐさま追い討ちをかけるような二撃目を放ってきた。
反応は間に合ったものの、とても力を受け流せるような体勢は作れず。
まともに王者の剣と激突したスピカの剣が、遂に半ばからぽきりと折れた。
「やはりな……!!」
予測通り。鍛冶を学んでいたヒュンケルはスピカの剣の状態を把握し、次の一合で折れるであろうことを確信していた。
幾度もオリハルコンと打ち合っていた剣が、遂に限界を迎えたのだ。
だが。
剣が折れたという絶望的状況にも関わらず、その顔は笑っていた。
「……父さんが言ってたわね」
――『敵が勝利を確信したときこそが、最大の好機だ』
今こそがその時。起死回生の一手を打つにふさわしいタイミング。
殆ど作戦を決めていなかったスピカだが、一つだけ事前から決めていたことがあった。
じきに追い詰められることを予想し、それが決定的となった瞬間に反攻をかけること。
この状況において、スピカの本能が選んだ一手とは。
折れた剣もそのままに、中空に放り出された剥き出しの刃を握りこむ。当然血が噴き出すが、お構いなしだ。
「折れた剣で何を……!」
アトリアとスピカの相違点。もう一つの決定的な違いとは、スピカのみが闘気を扱えること。
「二刀流の手ほどきだって、父さんから教わったのよ……!」
右手に握る、半ばから折れた剣から闘気の刃が噴き出す――
左手に握る、剥き出しの刃を握る手から溢れた生命エネルギーが、刃の形を成す――
生命の輝きが形作る、命削りの二刀流。それがスピカの切り札。
――どうせ魔族の人生は長いのよ。ちょっと位削れたって構いやしないわ。
「くっ……! 見えん!」
眩く溢れる輝きが、ヒュンケルの視界を一瞬塞ぐ。その隙を突き、狙うは穴の開いた心臓部――
「だがお前の狙う場所は自明!それさえ分かれば防御など――」
ではない。
生命の二刀の切っ先が向けられたその先は、アトリアの爆裂魔神斬りが炸裂した部分。その攻撃は守りを貫けずとも、確かな爪痕をそこに残していた。
「行け――!」
「喰らいなさい! 私の――いや、私達の全てを!」
その構えはかのロン・ベルクの必殺剣と酷似する。今まで見てきた中で単体での最大威力を誇るその技を、無意識に体が模倣しようとしていた。
「これは……ッ!」
父から娘へ受け継がれた思いが、その鉄壁の守りを貫かんと牙を剥く。
「――輝光十字剣ッ!!」
アトリアが鎧に残した爪痕に、左に握る生命の剣が喰らいつく。
生命の神秘的な輝きと、オリハルコンの神々しい輝きがぶつかりあい――
「――ッあああああああ!!!」
スピカの裂昂の叫びと共に、鎧へと残した傷が罅になる。やがてそれは蜘蛛の巣のように全体に広がり、終いには弾け飛ぶように砕け散った。
「馬鹿なッ!? 王者の鎧が……!!」
「これでっ、終わりよッ!!」
そして右。ヒュンケルが咄嗟に腕を挟み込んででも止めようとするが、その腕は既に無く。
荒々しい闘志を体現するかのような闘気剣が、完全に無防備な胴を両断しようとして――
「間一髪で間に合いましたか」
「……お前に助けられるとはな」
不可視の結界に、阻まれる。
ヒュンケルの背後に、
そこから出てきたのは、上質な薄衣を身に纏い目を細めた、精霊の指揮官の男だった。
「貴方の事はあまり好きませんが……正義のためです」
「フン、その物言いが気に食わんのだ……だがまあ、感謝する」
呑気に会話を繰り広げる二人。だが、それもそうだろう。
止められた切り札。完全に逸した勝機。アトリアとスピカを襲う苦境は、まだ終わらないようだった。
そして――現れた精霊の男を見て、地面に伏すアトリアの目が見開いた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
19 できそこないの竜の騎士
気が向いたら評価感想お気に入りお願いします。
私のご先祖はかつて争いの耐えぬ魔界の有様を嘆き、自ら魔界に堕天していったと聞かされていた。
魔界などという血気盛んな獣共が住む地など放っておけばいいというのに、そのせいで私は裏切り者の末裔として、天界では爪弾きにされていたのだ。
露骨な冷遇などがあったわけではない。ただ例えば、全く同じ功績をあげた二人がいるとしよう。
その二人を序列付けるとき。『どちらか』を選ぶ時の判断基準など、そんな見えない所にそれは確かにあったと断言できる。
だから、皆に認められるために私は人一倍努力した。結界術、封印術、呪文、秘法……近い歳の者で、私の右に出る者はいなかった。
多数のために少数を犠牲にするのも仕方ないことだ。『正義のために』その御旗のもとに、世界のためならば多少のことは許容される。あの時のことだってそうだ。
そうして私は続々と功績をあげていった。精霊たちの隊長格まで昇格することもできた。――ただし、その上には決して上がることはできなかった。
見えない何かに阻まれているかのように。
それでも。かの冥竜王ヴェルザーを討って歴史に残る大金星を挙げれば、私のことを見てみぬふりをすることもできなくなるだろう。
そのためならば、薄汚い魔界の者どもと手を組むことだってして見せよう。
そう、全ては――正義のために。
頭痛がする。
最も今は、全身がずたぼろなせいでそちらの痛みの方が酷いが。
頭痛の根源は、娘の剣を止めたあの精霊。その顔に、どうしようもなく既視感を感じたからだ。
久しぶりに訪れたそれは、やはり失われた記憶に起因しているものだろう。己はあの男を知っていたはずで、あの男も己を知っている。
「……!!」
その証拠にほら、あの男もこちらを見るなり目を見開いた。
「ヒュンケル、あそこで倒れている男……必ず仕留めて下さい」
記憶が揺さぶられる感覚。とめどなく喚起される感情。もっとも今沸いてきているのは、前回とは違って悪感情ではあるが。
「その男がどうした? 既に半死半生だろう、もう戦いは終わりだ」
「ちょっと、私のことを忘れてもらっちゃ困るわ……よ……ッ!?」
二人の前に立ち塞がろうとするスピカの歩みは、一歩目にして膝をついたことで中断された。
星皇十字剣を模倣したあの技も同じく、その威力に相応の代償が伴う危険な技のようだ。
本家よりは威力が低いお陰か致命的な負傷などはないが、生命の剣での消耗と相まって戦闘の継続は困難だ。
片腕を失い、鎧を砕かれ満身創痍の有様ながらも、ヒュンケルがこちらの方へ歩み寄ってくる。
非常にまずい。二人ともが戦闘不能の今、その凶刃に抗う術は無く。
ここで死ぬわけにはいかない。あの言葉を守らなければならない。娘も守らなければ。それに加え、あの精霊を見るたびに頭痛が増してゆく。
三重の要因による、今までに無いほどの想像を絶する痛み。
「確かにあの男は魔法剣や電撃呪文を使っていたが……それと何か関係があるのか?」
「ええ、大いに関係がありますよ……あの男は天界の意に背き、神々の定めた理に反してまで生にしがみついた裏切り者――」
似たような言葉を何処かで聞いたような気がする。果たして何処だったろうか。
光に包まれた、雲の上のような場所だった気がする。
そうだ、そこで投げかけられた言葉が――
「――できそこないの竜の騎士です」
この精霊の男を黙らせたい。その口から紡がれる言霊を耳に入れる度に苛々が募る。
いや、そんなものではない。今胸の内を占める感情。
それは――憎悪だ。
高まる憎悪と殺意に比して、指先一つ動かない身体。ただただ発散されぬ感情のみが胸の底から積もっていく。
しかしこの場において、その瞳を憎しみに染める者は一人ではなかった。
「取り消せ」
精霊の男に、稲妻が落ちる。それはヒュンケルに庇うようにして切り払われたが、その呪文を唱えたのはスピカ。
限界を超えて立ち上がるその顔は、怒り一色に染め上げられていた。
「父さんは出来損ないじゃない……!!」
「そのライデイン……貴女もですか。神に命を授からずして生まれた、存在してはならない生物。
挙句の果てに神の使いである竜の騎士を模倣した失敗作とは――父が出来損ないなら娘も出来損ないというわけだ」
奥歯が砕けるほどに歯を食いしばる。蓄積されていく負の感情に比例して頭痛も強まっていき、いよいよ意識も危うくなってきた。
霞みゆく視界の中の端に映るのは、怒りのままに立ち向かう娘の姿。
直線的な動き。読みやすいことこの上ない。
「黙れぇぇぇ!!!」
「駄目……だ……逃げろ……!!」
薄まる意識で最後に放った言葉。
駄目なのだ。既に勝機は逸した。怒りのままに剣を振るっても勝てず、その先には死があるのみ。
せめてスピカにだけは生きてもらわなければ。だが、その言葉は届かず。
ヒュンケルがふうと溜息をつき、剣を構える。
「怒りで目が曇ったな」
「……あっ…………」
袈裟斬り一閃。それだけで終わった。
肩から腰にまで刻まれた裂け目から、蒼い血の華が咲く。
血潮を噴き出しながら墜落し倒れていく娘の姿が、やけに遅く見えた。
風船のように膨張していた憎悪が限界を迎え、弾ける様な錯覚を覚える。
その感覚を最後に視界が黒に染まっていき、己の意識は闇に落ちた。
それは発露だった。アトリアに与えられた暗黒の杯の中身――暗黒闘気が、記憶の中の憎悪を糧に築き上げた膨大な氷山の一角の。
それは兆しだった。大魔王が意図した、氷に覆われた心より発芽する憎しみの芽が、やがて全てを燃やす炎となることの。
精霊の男と会った事による記憶の封印の揺らぎ。内より芽吹かんとする暗黒と、外部から与えられた憎悪の混ざり合い。
それら全てが作用し合い、ついにその心の容量は限界へと達する。
この状態は一時的なものに過ぎない。例えるならば水がなみなみと入っているグラスに、更に水を注いでいるような状態。
限界容量から溢れた暗黒が漏れ出しているだけであり、それが終われば元通りの蓋がされた状態へと戻る。
それでも。
今この場において戦いぬくには、十分だ。
アトリアの体内から、暗黒闘気が溢れ出す。
「……終わりましたか」
「ああ…………
――いや、まだだ」
ぞわり。ヒュンケルの背筋に、怖気が走る。
本能的な恐怖。生命の危機に対し、身体が警鐘を鳴らしている。
その原因は何か。それを探ろうとする前に、暗黒がこの場に吹き荒れた。
「まだ、終わってない」
ヒュンケルほどの猛者に、生命の危機を感じさせる暗黒闘気。
その発生源は――倒れ伏していたはずのアトリアだった。
幾多にも刻まれていたはずの傷から、底なしとも思える暗黒闘気が湧き出てその傷を塞いでゆく。
ほんの僅かな、少しだけの間。既にアトリアの体は万全の状態へと回帰していた。
「不浄な……!」
体の修復へと充てられていた暗黒闘気が外へと漏れ出し、溢れ出す暗黒は勢いを増した。
アトリアがゆらりと立ち上がる。我を失い、憎悪に支配されたその様はまるで幽鬼のような。
刺し貫くような殺気が、二人を貫く。
「…………」
そこに言葉は介在せず、ただその殺意を行動で示すのみ。
ごう、と爆発したような音が鳴る。それは地面を踏み砕いた音であり、その力強さはそのまま速度に変換される。
一度瞬きをすれば、既にヒュンケルの眼前にはアトリアがいた。
「な……ッ!?」
その速度は補助魔法を受けたヒュンケルのそれにも比肩する。いや、戦いの中で消耗しきった今のヒュンケルと、万全な状態までに回帰した状態のそれでは――アトリアの方が早い。
無造作にその兜を掴み、ヒュンケルごと持ち上げた。
「がぁぁ……!!」
「素手でオリハルコンを……!?」
みしみしと、金属が軋む嫌な音がする。暗黒闘気を集中させた右手が、王者の兜ごとヒュンケルの頭部を握りつぶそうとしていた。
このままだと頭が潰れた柘榴より酷い有様になるのは明らか。どうにか拘束から逃れようと、ヒュンケルがもがく。
だが、その凄まじい締め付けはちょっとやそっとのことでは外れず。
今まで闘気による身体強化を全く用いず戦ってきたアトリア。膨大な暗黒闘気によって後押しされたその膂力は、以前とは一線を画する。
頭が潰されるまでのタイムリミットは、刻一刻と迫っていた。
「この……っ! 叩き切ってくれる!!」
宙に吊られた状態での腰の入らぬ斬撃は、しかし左の手刀により弾かれる。
軽い切り傷が左の掌に滲むが、逆に言えばその程度。すぐさま暗黒闘気が滲み出て修復される。
だが、気が逸れた一瞬、ヒュンケルは己を掴んでいる右腕を思い切り蹴り上げることで、逆上がりのような形で兜から頭を抜き、脱出してみせた。
その一瞬後、兜が音を立てて
こうなっては神代の装備も形無し、ただのスクラップと成り果てる。
アトリアが後方に跳んだヒュンケルを追撃せんと動くが、それは精霊の男が張った結界により阻まれる。
両者共に、距離を取る形。
「出来損ない風情が……正義の邪魔をするなッ!」
精霊が叫ぶと同時に、三色の光が煌き、敵対者へと向かっていく。相手の身体能力を下げる妨害呪文だ。
その光に対し、アトリアが取った行動は回避ではなく――
アトリアの双手から出ずる濃厚な暗黒。黒い靄のようなそれが光を絡め取り――跳ね返した。
「おおおっ!?」
余りの事態に、対処が遅れるヒュンケル。跳ね返された光が直撃し、かけられていた補助呪文の効果と相殺し合い、その効果が消える。
身体能力が急落する。無論そんなものが無くても卓越した肉体を誇るヒュンケルではあるが、元の能力が高いほど効果を上げるのが補助呪文の特徴。
その落差は大きく、彼が想定する動きと現実の間にズレが生じた。
再び踏み込んだアトリアの速度に、次こそはと目を凝らす。
初見のときのそれとは違い、この速度は既に知っている。来る場所さえ分かれば対応できると、アトリアの視線の先を読んだ。
その視線の先は――ヒュンケルの背後。
「貰ったッ!」
剣を振る。斬るというよりは、置く。飛び込んでくるスピードを利用することにより、斬撃の威力を高める魂胆。
しかし、その剣が実際に何かを斬る事は無く。
剣を振っている半ば。既にアトリアは背後へと回っていた。
――早……!?いや、そうではない!俺が想定よりも遅くなっていたのだ!
「ごはぁッ!?」
暗黒の掌撃。ヒュンケルの身体がくの字に曲がり、血反吐を吐きながら吹き飛ばされてゆく。
吹き飛ばされるその先は、マグマの河の中。
「まずいですね……!
光の皮膜がヒュンケルを包み、マグマに落ちるその体を保護する。
使い手により効力の程度は異なるが、魔界の溶岩をも無力化するほどの使い手はそうはいない。
もっとも、魔界の溶岩は長時間無効化できるほどの生易しいものでもないが。
「早く出てください! 長くは持ちません!」
その叫びは届かず、ヒュンケルの体はマグマへと沈んでいく。先程のダメージを切欠に蓄積されたダメージが表出し、彼は失神していた。
――早く! ――長くは――せん!
――何か、いけ好かない奴の声がした気がする。俺は何をしていたのだったか……
沈んだ意識の中で、手に持った王者の剣を見やる。意識を手放しても、その剣だけはしっかと握って放ささず持っていた。
――この輝き……真魔剛竜剣と同じ。真魔剛竜剣……?何だ、それは?
無色だった風景が切り替わる。そこは鍛冶場、ヒュンケルの原風景。
初めて己が打った剣を見る。それが王者の剣へと変わり、真魔剛竜剣へと変わる。
そして、その真魔剛竜剣を握る男の姿が現れる。竜鱗であしらった鎧を纏い、尋常ではない強さを漂わせる男。
――バラン……そうだ、バラン! 真の英雄に相応しい男……!
再び、風景が切り替わる。それは水中。頭上にかすかに見える光が、己の意識が浮上しかけていることを示唆していた。
――まだだ、まだ死ねない……!
どんどんと水面が近づいてゆく。
――ああ、そうか。今は戦いの最中だった。そうと分かれば、こんな所で油を売っているわけには行かないな。
そして遂に、浮上する。その頭上に燦然と輝くは、太陽の光。
――己に誓ったのだから。あいつと再びまみえるまでは、もう絶対に負けないと。
意識が、覚醒する。
マグマの河が真っ二つに割れ、闘気の奔流が光の柱となり立ち昇る。
そこから飛び出してきたのは、今までに無いほどに闘気を滾らせたヒュンケルだった。
「おおおおおおおッ!」
中空から、闘気を込めた剣圧が放たれる。アトリアもそれに倣い剣を抜き、同じく暗黒闘気の剣圧で応戦。
それは両者の中間点で衝突し、炸裂する。
燦然と輝く、生命の息吹を連想させる若々しいヒュンケルの闘気。
堰を切ったように溢れ出した、底の見えぬ深淵を思わせるアトリアの暗黒闘気。
両者の性質は違えども、その勢いは――互角!
そして互いに悟る。この状態は、長くは続かないことを。
アトリアの暗黒闘気は溢れたものを利用しているだけであって、それが尽きれば元通り。
ヒュンケルの闘気は生命力を闘気に転化し限界以上を引き出しているだけであり、その先は長くない。
そうなればすべきことは一つ。
己の全ての力を一撃に込めて繰り出す、短期決戦だ。
「合わせろッ!」
「ええ!」
精霊の男が祈りを込めて十字を切ると、空中に光の十字が投影される。
ヒュンケルは両手で剣を握り、闘気を収束させてゆく。覇王斬の構え。
やがて巨大な剣の幻影が、魔界の中天に映し出される。その幻の刀身が湛えるは、生命の輝き。
それは儚くも鮮明で。ともすれば、オリハルコンの神々しい光沢よりも美しく。
対するアトリアは、両手から放つ暗黒の糸で、やられた兵が持っていた落ちている剣を二本見繕う。
そうすれば次は、手に入れた二本の剣を地面に突き刺した。
剣が突き刺さった地点を中心に、黒い魔法陣が周囲へと広がる。
何故の二刀か。ギガブレイクWのように、威力を高めるためではない。
その答えは、剣を守るため。今から放つ剣の威力は、まさしく未曾有。二本の剣に威力を分けなければ、放つ前に剣が耐え切れないと予測したためだ。
当然、放てば剣は砕けるし、腕も砕けるだろう。腕は修復できるので問題は無い。だからこそ、壊していい剣を見繕ったのだ。
本来アトリアが持つ二刀は、大切な物であるが故に。
その未曾有の破壊力の秘訣とは。地面に広がる黒い魔法陣がその答えだった。
魔法陣の中心に、黒い穴のようなものが開く。そこから伝わる黒い稲妻が、突き刺さる二刀に這った。
「……
天の力は借りない。地の底から出ずるそれは地獄の雷。最強の電撃呪文にして、かの雷竜の切り札。
暗黒闘気に一時的に目覚め、
黒雷を纏う二刀を引き抜き、その刀身に暗黒闘気を送れば、それを貪るようにして地獄の雷が更に強さを増す。
準備は整った。
両者の必殺剣の威力が極限にまで高まった時こそが。
それぞれの究極を、ぶつけ合う時だ。
「――いざ、勝負ッ!!」
幻の巨剣が、アトリアへと向けて放たれる。それは光の十字架を貫通し、聖なる光をも帯びた。
太陽のような輝きを放つ幻の剣の周りを、星々を思わせる光が廻る。
バランの竜闘気によってなされるそれが小宇宙ならば、これはさながら太陽系。
アトリアがその身を弾丸に、弾かれたように飛び出す。双手に携えるは、純黒の稲妻を纏いし二刀。
聖なる幻影の剣を前にして、体を捻り、回転させる。円運動の遠心力を技の破壊力に加える、ギガブレイクWと同じ構え。
図らずもその高速回転により、二刀の残影が黒い円を描く。ひたすらに深い闇を湛えたそれは、まるで
二人の距離が縮まっていく。白と黒、闇と光。相反する二つが雌雄を決するのに小細工は要らない。
その決着に必要な要素は――どちらが強いか。ただそれのみだ。
「グランド――ネビュラッ!!」
「――ジゴブレイクW……!」
二つの極致が、衝突した。
「これは……! 何も……っ!」
壮絶な爆音と、視界を覆う白光。そして衝突の余波。辛うじて精霊の男は結界を張ることで難を逃れたが、どうなったかを知る術は無く。
おそらく、相当の土砂が巻き上げられたのだろう。土煙が辺りを覆い、それが晴れるのには少しの時間が要りそうだった。
果たして、激突の勝者は――
「ぁ…………」
煙を掻き分けて、一本の手が精霊の男の首元へと向かう。その腕は見た事も無いような傷がびっしりと刻まれていて、それはまるで内側から粉々に砕けたような。
しかしその傷は少しずつ、滲み出る暗黒闘気により修復されている。
「あぁ……っ!」
がしりと、その手が精霊の細首を鷲掴みにする。込められたその力に気管が圧迫され、呼吸すらもままならない。
「…………ッ! ……ッ!」
声無き声を必死にあげようとしながらも、精霊の男が己を掴む腕の先を見れば。
そこに一人で立っていたのは、アトリアだった。
煙が晴れた。アトリアの背後、少し離れた所に倒れているのはヒュンケル。上半身と下半身が分かたれて、更には己の生命力を根こそぎ使い果たし、
辛うじて、ただ本当に辛うじて、その命脈を保ってはいるが、それも三十秒もすれば尽きるだろう。
もう、精霊の男を守るものは誰もいない。
――なんで私がこんな目に。
苦しみの中、逃避するように思考を巡らせる。
――誰よりも努力し、誰よりも正義のために働いてきたのに、周囲の私を見る目は冷たかった。
思い浮かべるのは、これまでの生涯。
――私だけが我慢して魔界の者たちの付き添いに行けば、裏切り者の末裔にはお似合いだと陰口を叩かれて。
ひたすらに正義のために奔走してきた人生。その先に待つのがこれかと、自嘲する。
――正義のために行ったことなのに、何故私がこんな仕打ちを受けなければならない? あいつは正義のための犠牲、仕方の無いことだったというのに。――いや。
細められていた目が見開く。ようやく気がついたのだ。正義のためにと犠牲にしてきた者たち。その順番が――自分に回って来たというだけのことだったということに。
自分がなって、初めて分かる。犠牲にされたものたちの気持ちが。
――これが正義か? こんなものが――?
それは天界にいるものとして、絶対に抱いてはならない考えだった。
精霊の瞳に、正義への失望の色が宿る。そして、そんなものに生涯を捧げてきた己への絶望も。
それを見て、憎しみに満ちていたアトリアの顔が嗤う。
――その顔が見たかった。
自分の一番大切なものを踏みにじられた。ならばその報復としてすべきことは。
相手の一番
もう十分だと、首にかけた手の力を強める。
「死ね……!!」
それは単純にして陳腐な言葉だった。だが、そこに込められた憎悪は計り知れず。
戦闘を行えないように出来ている精霊の体は脆い。生々しい音を立てて、その細首はあっさりと潰れた。
生命の灯火が消え失せたその身体を、興味を失ったアトリアが適当に放り投げた。
その数瞬後、地面に鳴動が走る。
それを切欠に、アトリアは正気を取り戻した。
正直に言おう。何が起きたのか全く分からない。
いつの間にか死んでいる精霊の男。真っ二つになって倒れているヒュンケル。全快している身体。
そして飛んでいる記憶。少なくとも周囲の凄まじい荒れ具合から、戦闘が行われていたのは確かなようだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。いやよくはないが、この場で優先すべきことではない。
それは何故か――黒の核晶が爆発する寸前の魔力の鼓動が、今この場に伝わってきているからだ。
以前自分が手ずから封印したもの。この律動は間違いなく黒の核晶。しかももうすぐ爆発する。
非常にまずい。なんと言っても時間がない。娘はどこへ――
「……うぅ…………」
周囲を見渡せば、遠くに倒れている姿。意識を失っている時に起こったと見られる大爆発の余波で吹き飛ばされたのだろう。その衝撃で目覚めてもいるようだ。まずは生きていたことに対する安堵が胸を占める。
しかし、魔族は死んでいなければ再生できるとはいえ、それを目算してもかなり危険な状態だ。迅速に治療を施す必要がある。
そして距離。最早爆発まで十秒とない。走って届く距離でもないし、二度
なら、自分の命と娘の命、どちらを取るか――?
考えるまでもない。
「ルーラ」
二刀の片割れを抜く。呪文を付与し、娘に向けて思い切り放り投げた。
「……父さ――!?」
矢のように飛来したそれは狙い通り、右肩へと突き刺さる。付与された呪文が発動し、剣と娘は指定された場所へと光となって飛んでいった。
後は賭けだ。自分の魔力で黒の核晶の威力に耐えられるか――
呪文を唱えようとした所で、一際大きな衝撃が走る。
「……ッ!」
足元の大地が大きく割れ、突然に空中へと放り出される。
地割れの底に煮えたぎるのは溶岩。空中であの呪文は唱えられない。飛翔呪文で対応しなければ。
だが、そんなことをしている時間はない。一つの呪文を唱える時間しか爆発までの余暇はない。
どうする、どうすれば――焦りが胸中を渦巻く。だが、その焦りは杞憂となった。
「受け取れ……!!」
飛来した剣が己の腹を突き刺し、身体ごと吹き飛ばす。それにより地割れに呑まれる事は免れたが、今オレを助けたのは――?
「お前は……何故――」
視線を辿れば、剣を投げたのはヒュンケル。文字通り最後の死力を尽くし、剣を投げた後に死んでいたがその死に顔はどこか穏やかで。
敗北への悔恨はありながらも、満足気な表情を浮かべ逝っていた。
ともあれ、思わぬ助け舟により窮地は免れた。
感慨に浸っている暇はなく、やるべきことをやらなければ。
高まる魔力の鼓動、迫る爆発の時。終幕への秒読みを背後に、呪文を唱える。
「
腹に突き刺さった王者の剣ごと、足からその身体が鋼鉄――厳密には鋼鉄ではなく、使い手の魔力によってその硬度を変える魔法金属だが――に覆われていく。
頭の頂点までが鋼鉄に覆われたその瞬間。
白い光が弾ける。
破壊の極光に包まれながら、再び意識は闇へと落ちた。
――負けた。
生命の全てを振り絞り、死力を尽くしても尚、あの黒き雷に打ち勝つことは敵わず。
最初は勝っていた筈だった。圧倒し、致命傷を負わせた筈なのに。襷を渡すように、あの二人はか細い勝利への道を繋いできた。
爆裂の二刀、閃熱の一閃。 生命の十字、地獄の黒雷。
彼らが脈々と繋いできた勝利への布石。
認めよう。その積み重ねの前に――俺が負けたということを。
――すまないな、バラン。……約束、守れそうにない。
もう自分はどうなっても助からない。身体を両断され、生命力を一片も残らぬほどに使い切った。
耳は聞こえず、感触もない。視界も霞がかり、後僅かな間で永遠の暗闇へと誘われるだろう。
死にゆく自分の最後の心残り。それは――
――強き武具は、相応しき主の下へ。
最早バランに王者の剣を渡すことは敵わず。ならば、この剣を託すに相応しい者は。
俺を打ち負かしたこの男――アトリアしかいない。
あの精霊は出来損ないと言っていたが、とんでもない。俺を倒したその力、その絆。
それは確かに、本物の煌きを放っていたのだから。
「受け取れ……!!」
お前は死ぬな。お前は負けるな。
願わくば、俺の代わりにその誓いを守ってくれと、身勝手な期待を剣に込め、投げる。
それでお終い。正真正銘全ての活力は尽き――俺は息絶えた。
精霊の男くんは精霊の中ではガチ強いほうです。
具体的にはバランについていった四人と一人で拮抗するくらい。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
20 生還者たち
既に読んでくれた方には申し訳ありませんが内容は殆ど変わりません。
全てを滅却する、魔界の超爆弾――黒の核晶。
その余りの恐ろしさの程は、血に飢えた獣達が跋扈する魔界においても、手を出す者たちがそういないというだけで、ある程度は計れるというものだろう。
その凄まじい破壊力からか、その超爆弾が実際に炸裂することになった事態は殆どなく、しかしそれでもその恐ろしさは風化することなく語り継がれていた。
そして今、その恐ろしさを再び目の当たりにする者が現れようとは。
今、魔界の血塗られた歴史に新たな一ページが刻まれたのだ。
そう。冥竜王ヴェルザーが――黒の核晶を起爆した。
黒の核晶という名とは対照的に、全てを白に塗り替えるその光は、分け隔てなくあらゆるものを破壊する。
その威力、その範囲。どれもが規格外。
実際にそれが弾ける様を目にしたら、過去にその記録を語り継ぐ者がいただけでも奇跡であると思うかもしれない。なぜなら――
冥竜王が炸裂させた核晶は、大陸一つを丸ごと消し飛ばしたのだから。
さしもの冥竜王も、爆弾一つで大陸一つが消えるなどとは流石に思っていなかった。
だが。
その威力をまともに受けて生還した者が居た事なんて、もっと想定していなかっただろう。
「う……ぐぅ…………はっ!?」
見渡す限りの溶岩の海。そこに浮かぶ一欠の瓦礫。その上にバランは横たわっていた。
いつの間にか竜魔人化は解け、全身は傷だらけ。ボロ雑巾よりも酷い有様だ。
目覚めて彼が感じた感情はまず困惑。それも当然だろう。突然に白い爆光に包まれた挙句意識を失い、目を覚ませば一面の溶岩の海。
彼の頭脳が、己の浮かぶ溶岩の海が大陸ごと消し飛んで出来たものだということに思い至るには、いま少しの時間が必要なようだった。
「ここは……? ヴェルザーと戦っている最中、叩き落されたことは覚えているが……」
まず思い返したのは、意識を失う直前の光景。
下へと叩き落された自分。飛び去る冥竜王。そして直後に訪れた、凄まじい震動。
何なのかは分からないが、未曾有の何かが起ころうとしていることだけは本能で理解できた。
訪れる何かから身を守ろうと竜闘気を全開にする自分と、爆轟の直撃を受けるにもかかわらず、自分のほうに結界を張ってくれた精霊たち。
その直後、白い光が視界の全てを覆い、余りの衝撃に意識を失ったのだった。
「そうだ、私は精霊達に守られて……お前も、私を守ってくれたのか」
傍らに突き刺さっていたのは真魔剛竜剣。この剣が未だ砕けていない瓦礫へとバランを導き、彼が溶岩へと滑落することから守ったのだ。
如何な竜の騎士といえど、意識を失った状態で魔界のマグマへと落下すれば死あるのみ。
神剣の意志と、死した精霊たちの献身が、彼を今生かしていた。
「しかし……ここはどこだ?」
鮮明になってきた頭脳で、状況の整理を行うバラン。しばしの黙考の後……彼は恐ろしい事実へと辿り着く。
――まさか……!!
自分は爆発が起きる前から動いていなかったこと。ここは変わらず雷竜の城塞跡だったこと。
見渡す限りの全てが――いや、この大陸全てが。爆発により吹き飛んだことを。
そして次に思い至るのは仲間。だが、バランはその末路を薄々と察していた。
この大陸全てが吹き飛ぶほどの爆発。天地がひっくり返ろうと助かるはずもなく。
自らに命を預けてくれた三人の竜騎衆。命を捨て自分を生かしてくれた精霊たち。
全員が、その命を散らしたということを。
バランの胸中に、煮え滾る様な怒りがふつふつと沸いて来る。
仲間を殺された。それだけならばまだ耐えられる。憤りはあるが、それは戦いの結果でもある。
元より死することは承知の上で、皆付いて来てくれたのだ。
「冥竜王……!!」
だが、ヴェルザーを信じてその配下となった者たちは?領下の無辜の民たちは?
何も知らされることなく、その命、その全てが一瞬の内に消し飛ばされたのだ。己の主の裏切りを知る事もなく。
このような外道の振る舞いが、力さえあれば許されるのか?彼らは力こそ正義というが、こんなものが正義だと?
――そんなものは断じて正義ではない!
バランの意志に火が着いた。動かぬ身体を精神が凌駕し、無理やりにでも突き動かす。
それは揺るがぬ決意。例え首だけになろうとも喰らい付き、絶対にお前を殺すと言わんばかりの狂獣の如き気迫。
底知れぬ殺気が、バランの瞳に宿る。
「貴様は私が殺す……! 地の果てまで追い縋ることになろうと、必ず! 絶対に! その首を叩き落してくれる!! 首を洗って待っていろ、ヴェルザァァァッ!!」
一瞬の内に塵と消えた仲間達の。無辜の民草の。そして、冥竜王を信じていた者達の無念を。
その全てを背負い、不退転の覚悟を抱いて。
バランは今、真の竜の騎士として完成した。
立ち上がったバランの前に、青白い光の渦が現れる。
それは旅の扉。天界の者達のみが使用を許された転移術の一つで、その力は三界を隔てる壁をも軽々と通り抜けることが出来るものだ。
そこから現れるのは、当然ながら精霊たち。三人の精霊の顔ぶれは、破邪呪文を使用しにいった者やバランに同行していた者たちとは、どれも違うものだった。
「通信が途絶したゆえ、竜の騎士様のお迎えに上がらせていただきました」
「……精霊か」
バランの顔は、どこか少し落胆したような。
旅の扉を見た一瞬、精霊達は生きていたのかと淡い期待をよぎらせたが、それが裏切られた故のこと。
「はい。……この地を襲った爆発の正体は、魔界の超爆弾――黒の核晶によるものです。その被害範囲は――この大陸の全土でした」
何となく分かっていたとはいえ、他者から言葉にして伝えられればそれは相応の重みを持ってバランへとのしかかる。
改めて、仲間達が生存している可能性は欠片も無いという事を突きつけられたような心境だった。
「そうか。……念のために聞くが、生存者は――」
「一人としておりません。――バラン様以外は。貴方様に同行した者達はともかく、大陸全土に配置した者たち諸共吹き飛ばされたのは全くの想定外でした。……竜の騎士様の戦いに着いていけるような者は少ないのです。我々が最後の増援だと思ってください」
生存者は居ない。ただしそれは、天界の知る範囲でのことだが。だが、彼らにはそれを知る由はなく。
そしてその生存者も、今後の彼らの冥竜王との戦いに関与することはなかった。
「分かった。では往こう……冥竜王を、ヴェルザーを殺しに」
彼らの目指す次なる地は、冥竜王が治めるもうひとつの大陸。
竜の騎士と冥竜王の戦争は、最終局面へと移行する。
その二人が再び邂逅するとき。それはどちらかが死ぬときであり、完全なる決着を意味することになるだろう。
沈みかけていた自らの乗る瓦礫を蹴り、飛び上がるバラン。
踏み込む力を受け、瓦礫は完全に溶岩へと沈む。
そしてそれを最後に、この大陸が存在していた証は完全に消え去った。
――――――――――
バラン達が飛び去ったのと、同じか少し後ほど。
大魔王が治める大陸が一つ、とある地に鎮座する白亜の大宮殿に、一人の女が降り立った。
その肩口には、アトリアが持つはずの二刀の片割れが突き刺さっていた。
「うぅ……父さんが助けてくれたのかしら……?」
肩口に突き刺さっていた剣を抜く。それを杖によろよろと立ち上がり、ここはどこかと、辺りを見回す。
前に訪れた大魔王の魔宮と似たような建築様式。だが細部が違うその趣から、前に訪れた場所ではないと判断するスピカ。
あくまでここへ彼女を飛ばしたのはアトリアの瞬間移動呪文であるため、知らない場所――アトリアの知っている場所にも飛べるという寸法だ。
そう、ここは大魔王が魔界に持つ本城。大魔王宮の一つ――第一魔宮。
ともあれ、それは彼女にとってそこまで重要な情報ではなかった。
それより頭によぎるのは、自分を逃がしたアトリアがどうなったか。
瞬間移動呪文で飛び去る途中、白い爆発光に包まれた大陸を見た。あれをまともに受けて生きていると考えるのは普通ではない。
その事実に思い至った時、彼女は気が気でなかった。
顔面が血の気を失い蒼白へと染まっていく。もともと魔族はそういう血色ではあるが。
「嫌……! 父さん……!!」
そうだ、父親を助けなければ。その一心が限界を迎えた身体を突き動かすが。
――戻らなきゃ。早くルーラを――
「うっ……!?」
再び、倒れ伏す。元より限界を超えて動いていた状態。それを更に超えるなど、幾らなんでも不可能だった。
それでも、這ってでも前に進もうとするスピカ。その道程には蒼い血の標が出来ていた。
だが、その向かう先から。がしゃり、がしゃりと足音が聞こえてくる。
それは金属と大理石がぶつかる音。鎧を着ている者の足音、というのが一番近いだろうか。
だが、この音はそれとも一風違ったもの。もっと重厚な、重量のあるもののそれだ。
「ふぅ~む……侵入者の気配がしたから来てみれば、そこにいるのは死にかけの小娘一人ときたか……」
そこに現れたのは金属の塊だった。恰幅の良い老爺を模したようなその人型は、顎に少々蓄えた髭を撫でる。
もっとも、その髭も金属で出来ているので小揺るぎもしないのだが。
「これは幸運だな! 労せずして侵入者を倒した功績を得られ、我輩の立場はより磐石となるわけだ! これも普段の行いの良さのおかげかな? ガ~ッハッハッハ!!」
そしてその老爺の最も特筆すべき特徴。
彼の身体、その全身からは満遍なく、
「……あんた……誰…………?」
誰何するスピカに、超金属の老爺が力一杯ふんぞり返って答える。
全身超金属という出鱈目な身体とは対照に、その言動からは隠し切れない小物臭さが滲み出ていた。
「グハハハハッ! 良くぞ聞いてくれたな! 我輩こそは大魔王バーン様が信頼をお寄せになる最大最強の守護神! その名は――」
にやりと、老爺の口が笑う。例によって超金属で出来た歯が、照明の光を反射してきらりと光った。
「――
大層な名乗りの割には、スピカはそこに興味を持つことはなく。それよりも気を引いたのは、彼が大魔王バーンに仕えているということだった。
「そう……じゃあ……私は、敵じゃない。同じ……大魔王様に仕える同僚よ」
「ちっちっち……嘘はいかんなぁ、侵入者くんよ。我輩はそれなりに長いことバーン様に仕えてきたが、お前のような小娘など見たことがない。……大方、苦し紛れの嘘というところだろうが、我輩の頭脳の前には通じんぞ?」
結論から言うとマキシマムの推理は完全に的を外しているわけだが、一応それには理由があった。
アトリアとスピカ。その存在は登用するか検討中というのもあり、大魔王とその最側近、及び一部の実際に接していた給仕しか知らされていない。
彼らは大魔王軍に下ってすぐに冥竜王の下で動いていると言うのもあり、面識を持つ者もいなかったのだ。
……だが、その情報を最も信頼を寄せられていると自負しているマキシマムが知らないというのは、実に皮肉なことだった。
「話にならないわね……もっと上の人を呼んできてちょうだい」
そして、もう一つの要因。
「ふん! 時間稼ぎをしようという魂胆か?だがもう無駄よ、我輩はもう結論を出した! お前の言葉は聞く耳持たん!」
それは、マキシマムのおつむが――致命的に弱いということ。
自信過剰の卑劣千万。その大きな頭部に収められているデータも、彼の頭脳にかかれば無用の長物と化す。
根拠なく自説を信じ込む、味方には一番いて欲しくないタイプの馬鹿だ。
「こんなことしてる場合じゃないっていうのに……!」
「さっさと死んで我輩の手柄になるがいい! ひしゃげてつぶれろ――」
マキシマムが、その両の剛腕を振り上げる。大質量を持ったそれは、振り下ろされれば確実に瀕死のスピカの命脈を絶つだろう。
だが――
「……どけ、掃除屋……!!」
背後から現れた影の男の一声が、その腕を止めた。
マキシマムが何故魔界の方にいるのかというと、冥竜王とバランの決着を見たうえで今後の戦略を練るために、幹部たちが第一魔宮に集められているからです。
なのでオリハルコンの兵たちは連れず、一人で来ています。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
21 その衣の下
現れた影の男――ミストバーンの一声が、今にも振り下ろされんとしていたマキシマムの剛腕を止める。
しかし、実際に抑止力を発揮していたのはその言葉ではなく、それよりも雄弁に物を語る強く輝く双眸だといえよう。
「むぅっ、ミストバーンか……今更何をしに来たというのだ、侵入者は我輩が――」
「黙れ……この女は侵入者ではない。お前如きには知らされていない情報だがな」
「なにぃ!? 我輩が知らぬ情報だとぉ!? そんなものがあるわけなかろう、さてはお前は偽者で、そこの小娘とグルだな?」
その言葉を受け、影の衣の中の双眸が一層輝きを増す。軽く殺気すら感じるほどの重圧がマキシマムに襲い掛かり、思わず彼は一瞬身を竦めた。
そしてその重圧は、強者にしか出せぬもの。図らずもそれはミストバーンが偽者ではないということを暗に証明していた。
「――くどい!これはバーン様直々の勅令……!! 忘れたか? 大魔王様のお言葉は――」
「ぅぐっ…………すべてに優先する……」
それを言われるとぐうの音も出ないと、マキシマムが悔しげに呟く。
軽く見ているのを隠そうともせずに、ミストバーンがしっしと手を振った。
「……そういうことだ……ここはお前の居るべき場所ではない……さっさと失せろ、掃除屋風情が……!」
「ぐぬぅ……! 覚えておれよ、ミストバーン……!!」
捨て台詞を吐き捨てて、廊下の向こうに去っていくマキシマム。
スピカからすれば何がなんだか分からないが、この影の男――ミストバーンが味方だというのは、今の会話でなんとなく察していた。
それならば言うべきことは一つ。
「父さんを助けて……!!」
些か説明不足な台詞だが、シャドーを通してアトリアを見ていたミストバーンにとっては、その一言で十分に伝わる。
もとよりそのつもりだと、影の男は鷹揚に頷いた。
「……承知した。だが……生きているという保障はあるのか?」
突然にシャドーとの通信が断たれた為、直前の状況は把握していなかったが、何が起きたかは大まかには分かっている。
何せ黒の核晶の直撃に巻き込まれたのだ。生きていると考える方がおかしい。
「……私の持っている……剣。もし片割れが消えたなら……この宝玉も輝きを失うはず」
それはつまり、何らかの方法でアトリアの持っている片方が砕けずに、現在もそこにあるということ。
その情報はアトリアの生存可能性を示唆するに十分な根拠を持っていた。
「分かった……お前は――」
休んでいろ、と言おうとしたところで。
「私も行く……! この目で見届けないと安心できないわ……!」
血まみれで、臓物が零れ出そうな傷を負いながらも、その覚悟は揺るがず。
思わずミストバーンも瞠目したような様子を見せた。
「足手纏いだ……と言いたい所だが……その覚悟、気に入った。気休め程度だが応急処置をしてやる――闘魔傀儡掌!」
暗黒の糸が飛ぶ。それは骸や敵対者を縛る人形の繰り糸だが、今回の使用用途は少し変わったものだ。
スピカの傷口の両端へと二本の糸は向かい、それを結び合わせるように交差していく。
そう、傷口を縫合するための手段としての使用方法。普段の、対象が壊れることも厭わない使い方とは反対の。
誰よりも暗黒闘気に卓越しているミストバーンにしかできない、世にも珍しい優しい暗黒闘気の利用法だった。
「少し楽になったわ……あんた、優しいのね」
恐らく、ミストバーンに優しいなどという評価を下すものは魔界を探してもそうはいないだろう。
終ぞかけられることが無いような言葉をかけられ、少しばかり気恥ずかしいような様子。
「私は強靭な肉体と精神を持つ者を尊敬する。お前がそうであっただけのことだ――お前らのことはずっと見ていたからな」
「えっ……それはちょっとキモいかも……」
「……………………行くぞ」
瞬間移動呪文で飛ぶ。幾千の時を過ごしてきたミストバーンにとって、魔界で踏んだことのない地はほとんどない。それがたとえ、ヴェルザー領下だろうとも。
だが、辿り着いたそこは余りにも凄惨で。
「こっ……これは……っ!!?」
大陸が、無い。
そこには何も無く。ただ溶岩の海が広がるのみ。空はいつも以上に荒れ、雷鳴が時折鳴り響く。
気流も乱れ、滅茶苦茶な暴風が所構わず吹き荒れる。世界の終わりのような光景が、今眼前に広がっていた。
さしものミストバーンといえども、この惨状に動揺を隠せない。
ましてや父親がこんな光景を作り出した元凶をもろに喰らったと分かっているスピカからすれば、殊更に不安が増すばかり。
それでも自分が動揺すれば、悪い方向にしか物事は進まない。それを自分に言い聞かせ、スピカは辛うじて平静を保っていた。
「この剣は二刀一対の双子の剣。互いに引き合う性質を持っている……この導きに従えば、父さんに近づけるはずよ」
作り手が魂を込めて打った伝説の武具には、意志のようなものが宿ると言う。例えば真魔剛竜剣は使い手を守り、担い手たる竜の騎士の下へ呼び寄せられる。
これも同じだ。双子の片割れと引き合い、二対揃えば主の所まで導いてくれる。片割れを担い手が持っていれば、そちらのほうへと。
剣が震え、動き出そうとする。抑えながらもその方角を認知し、そちらへと向かえばやがて振動は小さくなってゆく。
それが完全に収まった。つまり、この地点の真下にアトリアが居るということ。
だが、眼下に広がるのは相も変わらず溶岩のみ。が、それを掻き分ける術は、今の二人には無い。
「どうすれば……!」
「……一つだけ、方法がある」
「それは!?」
一も二も無く飛びつくスピカ。その方法とは。
「……だが、それはお前に見られてはいけない方法だ。お前が私の暗黒闘気に身を委ね、絶対に何も出来ない状態であるという保障が出来るならば、その手段を使えるだろうが……」
「なんだ、そんなことなの」
「何……? 生殺与奪の権利を他人に握らせるのだぞ? そう易々と……」
迷いも何も無い。覚悟を決める必要もなく、そんなことは当たり前のことだという顔で、スピカが言ってのけた。
「父さんを助けられるなら、私の命なんて軽いもんよ。……それに、あんたが私に何かするとも思えないしね! なんたって――仲間、でしょ?」
仲間。魔界ではそう聞くことの無い言葉に、思わず影が目を見開くような仕草を見せた。
その少し後、愉快そうな笑い声が響く。
「……フッ……フフフ……フハハハハ! 仲間か! まるで正義の使徒の金看板のような言葉を……だが、面白い! やはり私はお前を尊敬するぞ……! アトリアのことは私に任せておけ……!」
父のためなら命すらも躊躇無く危険に晒せるというその心持ち。自分もそうだ。バーン様のためなら何だって出来るだろう。
似たような心境を抱く者同士として、影の男はどこかにスピカへの共感を感じていた。
それに、自分に信頼を寄せるその無垢さ。その生涯で殆ど信用と言うものを受けてこなかったミストにとって、それは稀有で得がたいものだった。
「ええ……後は、任せたわ」
それを最後に、暗黒の糸がスピカへと向かう。瞼を閉ざされ、耳を塞がれ、身体が糸で巻かれてゆく。
優しく、緩やかに、スピカの感覚が閉ざされていく。全身が暗黒の糸で包まれ、その様はまるで黒い繭。
深い、深い闇へと落ちていく感覚のみがある。やがて五感の全てが感じられなくなり、スピカの意識は現実と想像の狭間をただ彷徨っていた。
「さて……」
――アトリア……お前の戦いぶり、その生き様。この400年間、しかとこの目に焼き付けた。
ミストバーンが、己の纏う衣に手を掛ける。
――初めはお前のことを軽蔑していた。人形のようで、自分の意志が感じられない奴だと。
その衣の中からは、今まで闇に覆い隠され見えなかった人影が。
――だが、その評価は段々と覆されていった。雷竜の息子、魔界の剣豪、英雄の名を継ぐ者……決死の戦いの中、確固たる意志の力で、お前は生を掴み取ってきた。
やがて凄まじい鳴動と、影の中から光が湧き出てくる。それは影に隠された衣の中身から湧き出てくる力の波動の一端だった。
それが今、取り払われようとしている。
――バーン様……よろしいですね……!
思念を用いて、己が主に問いかける。
これは予定調和。元より決まっていたこと。故にその回答も決まりきっていたことで。
――許す……! ミストバーン……!
影の衣を繋ぎとめていた首掛けが、真っ二つに割れる。
溢れ出る光が最高潮に達し。
「見直したぞ……! アトリア……!!」
今――衣の中身が露となった。
露になったのは、額に黒い靄のような何かが憑いていて、光を受け眩く輝く残雪のような銀の長髪をそなえた魔族の美丈夫。しかしそこから感じられる力は常軌を逸していた。
あわや冥竜王にも届き、凌駕しかねないほどの。それほどの力が、その細面の青年には備わっていた。
そしてその出で立ちには、見るものが見れば分かる既視感がある。最も、今この姿を見ているものは誰もいないが。
「この姿を長きに渡って晒すほど罪深いことは無い……手早く終わらせよう」
――今なら、アトリア……お前のことも尊敬できる。その強靭な身体、命に代えてでも娘を守り抜く強き信念……賞賛に値する。
一面に広がるマグマを前にして、ミストバーンは右手を翳すのみ。
そしてその手を振り上げ、ただ、振った。
しかしその動きはあまりにも早く、力強く――そして、美しかった。
「フェニックスウイング!」
不死鳥の羽ばたきが、魔界の海を割る。
全力で腕を振る。ただそれだけで生じた風圧が、溶岩を押しのけ、その海底を晒させる。
早すぎるその掌撃は、空気との摩擦で炎を纏う。一種の優雅さすらもって振るわれるそれは、不死鳥の如し。
世界の終わりに舞い降りる不死鳥の羽ばたきは、新たなる魔界の神話の一節を想起させるような美しさを誇っていた。
「ここか……!」
――今のお前ならば、諸手を挙げて歓迎しよう。だから……!
そして海底に鎮座していたのは、アトリアの形をした鋼の像。それには大小様々な亀裂が走り、ともすれば砕けてしまいそうな様子。
それをそっと持ち上げ、右肩に担ぐ。相当な重量を誇るはずであるが、ミストバーンにとっては羽根を持ち上げるのと変わらないようだった。
押しのけられていた溶岩が戻ってくる。手早く事を終えたミストバーンは空中へと戻り、暗黒の繭に包まれたスピカを左肩へと担ぐ。
――生きろ、アトリア。その強き意志で、今回も生を掴み取れ。
「戻ったか……ご苦労だったな、ミストバーン」
「…………」
第一魔宮、玉座の間。死神を脇に従え、葡萄酒を嗜んでいた大魔王の前に、二人を担いだミストバーンの姿が空間から滲み出るように現れた。
大魔王がミストバーンの割れた首飾りに指を指し、魔力を放つ。そうすれば時間が戻る様にその首飾りは繋がり、その下の素顔も衣の下へと隠された。
「あらら、男前だったのにもったいないなぁ」
「あれはむやみに晒しておくものではない……。当分の間はしまっておけ」
「……仰せの通りです」
ミストバーンが暗黒闘気の供給を切ると、スピカを纏っていた黒い繭が消える。
いきなり戻った五感に少し困惑しながらも、周りの様子を見て事が終わったことを察したようだ。
「何度か映像で見たけど、実物を見れば中々のかわい子ちゃんじゃないか。彼女が後輩クンの娘かぁ」
「父さんは……?」
「…………」
寡黙を貫く影に戻ったミストバーンが、無言でその横を指差す。
そこには、
その惨状を見たスピカが、目を見開く。
「……ッ!」
大小と刻まれていた亀裂や傷は、生身に戻った時にそのまま裂傷となる。血も流れ尽くしたのか最早大して流れず、その目は未だ生気を取り戻さない。
瀕死というよりかは、もう半分死んでいる状態。人間や魔族なら既に死んでいるのが普通の状態だ。
未だ死んでいないのは、頭部が原形を保っている故。だがそれでも、アトリアの現状は非常に厳しいものだといえる。
「ふむ……生還する確立は三割といった所かな」
「うーん……折角娘を助けたのに、自分が死んだら形無しだなぁ。ピロロもそう思うでしょ?」
「そうそう! 馬鹿だよねー!」
「あんたねぇ……!」
その言葉を聞き、スピカがキルバーンを睨む。視線を向けられた当の本人は怖い怖いとおどけた様子を見せ、大げさに手を振って見せた。
スピカの苛立ちが更に募る。が、それを見かねた大魔王が仲裁の言葉を飛ばした。
「そういきり立つな……キルバーン、お前も下らん挑発は程々にしておけ」
「はぁ~い……」
場を収めた大魔王が、改めて切り出す。
「さて、竜の娘よ……前に一度会ったが、余の下で働いてくれる意志は変わらぬと見てよいかな……?」
「……ええ。父さんがそこにいる限りは、私もここで働きますよ」
「ふむ、今はそれでよかろう……冥竜王と竜の騎士の決着を見届けたのち、我等は地上の
「……了解しました、大魔王様」
忠誠を誓っている様子はないが、別に構わんかと大魔王は許容する。
元より父も忠誠を誓ってはいないのだ、ある意味親子で似たもの同士といったところだろうかと、そんな取りとめもないことが思考の端をよぎった。
「次はそなたらの戦いを労う番だな……今までの間、アトリアを通してそなたらの動向は監視させて貰っていた。まずは実に見事な戦いぶりだったと褒めておこう」
その賞賛は、心底からのものだった。節目ごとに訪れる、格上との戦い……その全てから生還したアトリアたちの実力を、邪心なしに評価してのもの。
またそれをスピカも感じ取ったのか、素直に受け取る。
「……光栄ですわ」
「その力と功を讃え、正式にそなたらを大魔王軍に登用しよう。アトリアは余直属の幹部として、そなたはその部下としてだ」
「ありがとうございます」
大魔王がゆっくりと立ち上がり、両手を広げる。一々全ての動作に自然と優雅さが伴うバーンであったが、これは歓迎の意を示す仕草だ。
「ようこそ――大魔王軍へ。余はそなたらを歓迎しよう」
これが後に大魔王軍の三羽烏と語り継がれる三人の最後の一人――アトリアが、正式に大魔王軍へと加わった瞬間であった。
次は冥竜王とバランの二度目の決戦を書いて、過去編をまた少し挿入します。
その次にちょっと断章と幕間を挟んで原作入りの予定です。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
22 想いを継いで
黒の核晶の炸裂から一週間。
完全にバランを始末したものだと思い込んでいた冥竜王の思惑は、またもや竜の騎士が兵営を壊滅させたとの一報によって、完全に覆された。
矜持さえも捨てて始末したはずの宿敵が、再び蘇りこちらへと刃を向けてくる姿を想起して、冥竜王は怒りの余り歯噛みする。
「おのれ……! あの爆発の中から生還するとは……!!」
バランに貫かれた右目が疼く。それだけでなく、グランドネビュラにより刻まれた数々の傷もその神聖さがヴェルザーの身体を蝕み、治癒を著しく遅らせていた。
到底万全とはいえない状況。しかし、最早冥竜王に余裕は無く、早急にバランを討ち取らなければならない状況に追い込まれていた。
地上侵攻とバラン討伐のために戦力を集めていた大陸を丸ごと吹き飛ばしたために、現在冥竜王の軍勢の戦力は大きく削がれている。
おおよそ六割ほどが消し飛んだだろうか。それに領下の治安維持などに駐在させなければならない戦力なども引けば、地上侵攻のために残しておかなければならない戦力はギリギリだ。
そう、ヴェルザーにとってバランに敗北することの他にも、絶対に避けなければならないことがある。
大魔王バーンに先を越されることだ。
両者の戦略の性質上、ヴェルザーは大魔王に先んじて行動を起こさなければならない。
地上が消えれば地上侵攻も何もないからだ。故に地上侵攻の戦力にも影響が出る前に、この地で暴れている竜の騎士バランを討伐しなければならないのだ。
冥竜王は考える。
――業腹だが、あの時そのまま戦っていれば、オレは敗北しただろう。
雪辱を晴らすための策略を。
――やはり精霊が厄介だ。味方の能力を引き上げるだけでなく、こちらの能力を引き下げてくるときた。奴らに準備させて、先手を打たれれば先の戦いの再演となりかねん。
やがて巡っていた思考が、一つの結論へと向けて収束しだす。
――奇襲で精霊どもを迅速に無力化する。烏合の衆どもを連れても戦いの役には立たんし、動きを察知されては意味がない――ならば、オレが一人で行くしかあるまい。
「忌々しい神々の遺産ども……次こそが貴様らの最期だ」
作戦は決まった。後は何時実行するか――決まっている。
冥竜王は欲望を抑えることを知らない。今その胸の内を占める最大の欲望は――バランを殺すこと。
すなわち、今だ。
――余計な邪魔さえ入らなければ、オレは絶対に負けん。
そして同時に、これは竜王としての矜持を取り戻すための戦いでもある。
二度目の敗北は絶対に許されない。そう誓ったのだ、あの日下した雷竜に、不戦を結んだ大魔王に、そして何より己自身に。
竜王の名は、それほどまでに重い。
「バラン……! 貴様はオレが潰す! 冥竜王の名にかけて!!」
雑念の一切を捨てて。
唯一つの執念を果たすため、冥竜王が動き出した。
――――――――――
「今日は異常なし……か」
魔界の山間部を一人歩くバラン。彼は現在仮拠点の周囲を見回っているところだった。
敵の兵営を襲撃すれば、自分達を追っている者が居ないかを見張り、見つけたら消す。
その後は速やかに拠点を移動する。前の大陸でもやっていたバラン達の基本的な行動方針だった。
前までは竜騎衆の二人一組で持ち回りでやっていたことだが、現在ではそれができるのはバランのみ。
毎晩のように一人で見回りを続けるうちに、バランはどこか郷愁のような、以前を懐かしむ思いを感じていた。
そうやって失った仲間達を想えば、底を知らぬ怒りがふつふつと沸いて来る。バランの心の奥底には怒りの炎が絶えず燃え続けていた。
周囲を一通り見た後に、バランが家路へとつく。現在彼らが身を寄せているのは山中に広がった大洞窟。
その端のほうを少し間借りして、誰にも見られぬように隠れ潜んでいた。
洞窟の中へ足を踏み入れたところで。
「戻ったぞ……っ!?」
そこに広がっていた光景は。
「ああ、良く来たな――」
血反吐を吐き傷だらけで倒れている精霊達と。
「待ちわびたぞ」
精霊の一人を足蹴にして、笑みを浮かべる冥竜王の姿だった。
「バラン……様……」
「――っ! 離れろッ!」
その姿を見るや否やに斬りかかるバラン。冥竜王はあっさりと身を翻し、後方へと飛ぶ。
「これからゆっくりと嬲り殺す予定だったが……貴様の方が先だ。貴様を見ていると右目が疼いてしょうがない」
「貴様に踏みにじられた者達の痛みに比べれば、そんなもの塵屑も同然だ……!!」
今にも睨み殺しそうなバランの視線を、なんとはなしに受け流すヴェルザー。向けられた言葉に悪びれもせず、平然とした表情で返した。
「んん? ……ああ、黒の核晶に巻き込まれた奴らの事を言っているのか。確かに大勢の者が死んだ。あれは失敗だったな……だが、貴様には関係の無いことだろう」
「……は?」
唖然。信じられないという表情。
「弱きものが強者の都合に振り回されるのは世の習い。とどのつまり弱いのが悪いのだ……それが嫌ならば強くなればいいだけのこと」
「貴様という奴はッ!!」
放たれる紋章閃。それを難なく弾いたヴェルザーは、大上段から挑発するように手を招く仕草をする。
「くだらんな――早く竜魔人になれ」
「何を……!」
「貴様の全力を潰さねば意味がないのだ。先の敗北の雪辱を濯ぐには――竜王の矜持を取り戻すにはな……!」
冥竜王の余裕のあるように見える仕草の奥には、やはり隠しきれない憎悪と怒りが滲み出て。
しかしその殺意の熱量は、バランとて劣ってはいなかった。
「そんなに見たいならば見せてやる……! 貴様が目にする最期の姿だ! よく目に焼き付けておけッ!!」
バランの怒りに呼応するように、轟雷が天より山中を貫き、洞窟内へと降り注ぐ。
崩れ落ちた岩盤と土煙がバランを覆い、少しの間その姿は見えなくなるが――
「ウオオオオオッ!!」
竜闘気が爆発的に膨れ上がり、その衝撃でバランを覆う全てのベールは吹き飛ばされる。
煙が晴れたそこには、竜の騎士の真の姿――竜魔人が立っていた。
その研ぎ澄まされた有様は、冥竜王を討つ為だけに存在する一振りの刃のごとし。
前回の邂逅よりも尖った、剥き出しの殺意がヴェルザーを襲う。
「そうこなくてはな……来い!」
「貴様が与えてきた痛み……今こそその身に受けろ! 冥竜王ッ!!」
翼をはためかせ、バランが空中を突貫する。金色の竜闘気を纏い、大気を切り裂くほどの速さで突撃してくるそれに対し、冥竜王の応手は炎の吐息だった。
煉獄の炎と、金色の一矢が激突し――その火中を、バランが突っ切ってきた。
「おおおおッ!!」
無論その業火の中を無傷で突破できるはずもなく、その身からは焦げた煙が上がっている。
だがそのダメージに怯む様子も無く、バランが見据えているのは冥竜王の首一つのみだった。
必ずヴェルザーを殺すという極まった覚悟が、限界を超えた力と多少の損傷には怯まぬ心持ちをバランにもたらす。
ことこの戦いにおいては、バランという男の強さは先よりも一段上の強さに至っていた。
無論補助呪文は抜きにしての話ではあるが。
「ぐぬぅ……っ!」
対して爪をクロスさせ、その突貫から身を守る冥竜王。苦し紛れの防御では全身全霊をこめたそれを受けきれず、どんどんと奥へと押し込まれていく。
幾重もの洞窟の壁を突き破り、最終的には一番広い空洞――洞窟の中央までに追いやられる。
これで精霊達に流れ弾が飛んでいくことは無いだろうとの、バランの気遣いだった。
冥竜王に刻まれた傷痕は未だ癒え切らず、神聖な気が身体を蝕み思うとおりに動かせぬ現状。
本来、如何に竜魔人であろうと万全の冥竜王には敵わぬはずであったが、両者の状態の違いが戦いを成立させていた。
「地獄へ送ってやるぞ……ヴェルザァァッ!!」
「地獄だと……? そんなもの飽きるほど見てきておるわ……! 我らが魔界に押し込められた日から――今日という日までなあッ!!」
冥竜王が足を踏み鳴らす。そうすれば大きな衝撃音と共に洞窟全体が揺れ、バランの頭上に尖った岩欠が落ちてきた。
が、そんなものに本人は意を介さず。溢れ出る竜闘気に触れるとともに、自ずとそれは砕けて消えた。
しかし何の影響も及ぼさなかったそれは――丁度いい開戦の合図でもあった。
「
冥竜王の双手から生み出されるは爆裂球。その威力は大魔王のものに及ばずともかなりのものだが、竜闘気の前には通じぬはず。
呪文を弾くため、身体を覆う竜闘気を強めるバラン。
しかし――
「む……!? これは……!?」
爆発、しない。その間に爆裂球は生み出され続け、バランの周りを舞う。
なぜ――?ヴェルザーの姿を見て、その疑問は氷解する。
翼だ。その翼で気流を操り、爆裂球同士や、バランに激突しないよう軌道を操っている。
そして次に感じたのは直感。ここにいては危ないという。しかし、もう遅い。
「カアアッ!!」
舐めるように襲い掛かる炎の吐息。それは周囲を埋め尽くすほどに増殖した爆裂球に触れ――
起爆する。すべての爆裂球が同時に。
「ぐおおおおおおっ!!!?」
その様を端的に表すなら、大爆発。全ての爆裂が同時に炸裂することで、極大爆裂呪文をも遥かに超える威力を実現する。
塵も積もれば山となるを地で行くような絶技は、竜闘気の守りを容易く貫いた。
バランもただでは終わらない。大爆発の爆煙を切り裂いて、真魔剛竜剣の輝きが冥竜王へと迫る。
「甘いわァッ!」
容易くも受け止められるその斬撃の重みを怪訝に思えば、剣を握っているはずの者はおらず。
弾かれ中空を舞い、地面に突き刺さる神剣を余所に――冥竜王の身体が不意に動かされる。
「な――!?」
「ふんっ――ぬうおおおおおおおおおッ!!」
後ろ。そこには冥竜王の尾を掴むバランが、漆黒の巨体を持ち上げ、振り回す。
回る、回る、回る。散々振り回された巨体は、存分に遠心力を身に付け眼下へと叩きつけられた。
すかさず突き刺さった剣を拾い、天に掲げるバラン。再び山を貫き落ちた稲妻の威力が、剣へと充足される。
「ギガ、ブレイクッ!!」
「竜王を……この冥竜王を舐めるなああッ!!」
即座に冥竜王が起き上がる。
突き出される超金属の爪。超圧縮された暗黒闘気を纏うそれと稲妻の神剣は激突し――バランの剣が、ぬるりとその軌道を変える。
力の流れを操る剣術。
「――!? それはアトリアの……!?」
戦いの遺伝子。歴代の竜の騎士が積んで来た戦の経験は、この紋章に全て集約されている。
無論、アトリアが竜の騎士として活動していた時期のものも。
本格的に使うには習熟しないといけないが、さわりの部分ならばバランにも十分使える。
二度は通じない奇手だが、一度通じれば上等だ。
「う、おおおおおおおおッ!!!」
その剣が向かう先。それは冥竜王の尾。
獣のような叫びをあげて。振り下ろされしその剣は、尾を半ばから断ち切った。
「貴様あああぁぁぁッ!」
先立つのは痛みよりも怒り。その一刀は確かにヴェルザーに痛手を与えたが――今バランは、冥竜王の逆鱗に触れた。
「がっ……!」
「殺す! 塵の一つも残さずに!」
腕の一振り。早すぎるそれに反応できず、バランの身体は毬のように吹き飛ばされる。
間を空けず追撃。衝撃の後の一瞬の暗転から空けたバランが目にしたものは、視界を追いつくす冥竜王の足。
転がり避けようとするも、左腕が逃れきれずその踵の下に。当然のように守りを貫き、骨の砕ける音が響いた。
「がああっ……!!」
まだ止まらない。左右の爪を止め処なく振るい、バランの身体を千千に裂こうと襲い来る。
動作だけで言えば、猫が何かを引っ掻くような。だがこれは、当然ながらそんな生易しいものではない。
次々に来るそれを、真魔剛竜剣で受け止め、或いは躱し。しかし到底受けきれるものではなく、裂傷がどんどんと刻まれてゆく。
傷口から蒼い血が流れ出し、意識も朦朧としてきた。
ただ、怒りに任せ本能のままに戦う。
それだけで、バランは勝てない。
純粋な力、単純なる強さ。これが――
――竜王。
度重なる激突の衝撃に、洞窟の天蓋が崩れていく。
そこにあるのは相も変わらず闇のみで。しかしその闇をも突き破り、天を掴み取らんとする勢いで、冥竜王が空へと昇っていく。
「黒の核晶でも死なぬならば、この一撃を食らわせてくれる……!!」
周囲の暗雲が晴れゆく。中央に居る冥竜王へと収束していくことによって。
黒く輝く凶星が、魔界の空に強烈に存在を主張する。見る者全てを惹きつける黒き太陽が魔界の空に昇った。
「――死ね、バラン」
誰にも聞こえない空中で、小さく呟く。
短くも確かな声色のそれは、竜王の告げる絶対の死刑宣告。
バランが負ければ、地上、そして太陽はヴェルザーの手に落ちるだろう。いわばこれは、魔界の夜明けを告げる一撃。
魔界の黒き太陽が、本物の燦然と輝く太陽になることの。あるいは、天を掴む覇道の第一歩としての。
夜明けを告げる開闢の黒星が、天より降り注ごうとしていた。
「――まだだ」
自分はまだ何一つ無念を晴らしてはいないではないかと、バランは黒い彗星を見やる。
その双肩に背負うものは今までの何よりも重く。散っていった仲間達の命。無為に消えた無辜の民達の想い。主に裏切られた者達の無念。
そして――世界の命運。
それらを思えば、こんなところで寝ている場合じゃない。骨が折れ、血が流れ、満身創痍だったとしても。
約束もある。今は亡き
「バラン様……! 負けないで……ください……!!」
背に受ける期待と懇願の視線。開かれた大穴から、動けぬ精霊達の祈りが背中を押す。
「まだ、負けられん――!」
二つの掌を、重ね合わせる。
そこに作り出された竜の顎へと、バランの全てが収束していく。
魔力。竜闘気。そして生命力も。一回分に込めるそれでは足りないと判断し、限界を超えて。
竜の顎がぎちぎちと震え、両腕に罅が入っていくような感覚を覚える。もっとも、片方は既に折れているが。
この一射に全てを込める。そうしないと、拮抗すら出来ないと戦いの遺伝子が警鐘を鳴らしている。
これこそが、竜魔人の切り札。竜の力を魔力で包み打ち出す最強呪文。
それが今、発射された。
「
地より放たれる金の極光。
「ディザスターエンドッ!!」
天より堕ちる黒の彗星。
その二つは衝突し――
天地が、交わる。
「オオオオオオオッ!!」
「ガアアアアアアアッ!!」
魂が張り裂けそうなほどに叫ぶ。
己を鼓舞しないと、瞬く間に呑まれてしまうから。
一瞬の、しかし互いにとっては永遠に感じられるほどの時間が経ち。
拮抗を破った黒が金色の奔流に逆らい、その中を泳ぐように突き進む。
地から天へ、天から地への違いはあるが、その様は滝を登る昇り竜の如き力強さで。
「バ……バカなぁッ!?」
遂に冥竜王は黄金を泳ぎきり、その源――バランへと辿り着く。
地に触れた黒き彗星が、その威力を遺憾なく発揮させ――破壊の爆風が、その場に吹き荒れた。
天地のぶつかり合いは山を半ばから消滅させ、消えない爪痕をそこに残した。
そしてその中心。かつてない惨禍が起きたことを予感させる破壊痕に横たわるのは――
力尽き斃れ、ぴくりとも動かないバランの姿だった。
「勝った……! フ、フフ……フハハハハハハッ!!」
勝ち誇り、嗤笑するヴェルザー。その視線は、倒れ伏すバランへと向けられて。
「だが、万が一ということもある……天界や神々が絡むと特にな。奇蹟など起こらぬように、その身体を喰らってやろう」
それは冥竜王なりの、最大限の敬意の表し方だった。
太古の時代での覇王との戦いでもそうだった。彼は己を苦しめた敵手を喰らい、その身に取り込む。
弱肉強食、力こそ正義の自然の摂理に則り、血の一滴まで残さず、一つとなることで敬意を示すのだ。
しかし――
戦いはまだ、決着していなかった。
「貴様の全てを喰らってくれる……! 腹の中でオレの覇道を見届けるがいい……っ!?」
冥竜王が膝をつく。
全てを振り絞った
暫しの間、動けない。だがそれだけでは、戦いの勝者は変わることはないが――
「なんだ、これは……!!」
ぽつり、ぽつりと。水滴が天より降り落ちる。
雨――魔界では殆どありえるはずのない現象。ましてや頭上の雲は晴れている状況で、自然現象でないのは明らか。
冥竜王が辺りを見回す。周囲を探れば、
幾重もの疑問が、冥竜王の胸中へと積もっていく。
――確実に動けないほどに痛めつけたはず。何故全回復している?何故一人減っている?
「……まさかッ!?」
これはただの雨ではない。天界の秘術のひとつ――いやしの雨。
生ける者を癒す恵みの雫が、倒れたバランへと染み込み、暖かな光に包まれていく。
「バラン様の勇姿……しかと目に焼き付けました。私達も応えましょう――この命を以って!」
自らの命を
バランが命を賭して戦う姿に奮起され、彼らは覚悟を決めた――命を捨てる覚悟を。
後の世での大魔王との戦いに際して、北の勇者と呼ばれた英雄の一人が、こう言ったという。
真の勇者とは、皆の勇気を奮い起こす者である、と。
今、この瞬間。仲間を奮い立たせるバランのその様は。
紛れもなく、真の勇者だった。
そして。
勇者は――何度でも立ち上がる。
「ば……馬鹿なッ! 立ち上がれるはずは……!!」
ふらり、と。倒れていたはずのバランが立ち上がる。
「ありがとう……精霊たちよ。そして――」
暗黒闘気の影響で治癒の力は大幅に減ぜられていて、竜魔人を維持する余裕もない。
それでも。
「貴様を殺しに地獄から舞い戻ってきたぞ――ヴェルザー!!」
一太刀。一度剣を振るう余力さえあれば、それで十分だ。
「うっ、動けん……!!」
「
高々と、堂々と。剣を天へと掲げる。
今日で三度目の雷鳴が鳴り響き、神剣に雷光の輝きが備わった。
やはり竜の騎士の戦の最後を飾る技には、この技が相応しい。
最も多くの邪悪の命運を断ち、世界を守ってきた必殺剣。
そして今、断ち切ってきた邪悪に、新たなる名がまた一つ加わる。
「終わりだ、冥竜王。――ギガブレイク!!」
稲妻を纏いし神剣が、漆黒の巨竜の首を断ち切った。
バランが力が抜けたように座り込む。持っていた力を全て使い果たした故に。
だがその顔は、成し遂げた達成感に満ちていて。
「皆……終わったぞ……!」
だが――まだ冥竜王は、死んでいない。
――このオレが神々の犬どもにやられるなど……!……だが!
「なっ!? 貴様、まだ――!!」
声――ただし肉声ではない。魂に直接語りかけてくるような。
それも当然だろう、冥竜王は現在、肉体を失い魂だけの状態で話している。
不滅の存在である彼は死しても転生し、より強靭な肉体を備え現世へと還るのだ。
――覚えておけよバラン……! オレは不滅!再び蘇りしとき、必ず貴様を殺し、今度こそ世界を手中に収めてみせる!
魂となった冥竜王が死した肉体から飛び出し、空へ昇ろうとしたところで――
――いいえ、させません。
二つの霊体が同じく飛び出し、冥竜王の魂を押さえつける。
その根源は――倒れている二人の精霊の死体。彼らは転がっていた岩片で自らの首を裂き、命を絶っていた。
彼らは自ら命を捨てることで魂だけとなり、冥竜王へと干渉できる存在になったのだ。
先に命を捨て自分達を癒した精霊の、そしてバランの命懸けの死闘を、無駄にしないために。
――貴様らああッ! 自ら命を捨ててでもこのオレを封じようというのか!
――ええ……正義に、そして仲間たちの死に殉じるために!
魂だけの存在には最早肉体の強度は関係ない。二人がかりで押さえ込まれた冥竜王は、その魂を岩塊へと押し込まれてゆく。
――やめろ! オレに……オレの魂に触るなッ!!
――貴方にはこの岩の肉体がお似合いですよ!
岩塊へと封印された冥竜王。その岩の形は魂に見合ったものへと変じていく。
そして二人の精霊の魂が、その周囲へとなにやら結界を敷いていく。冥竜王の魂をここに完全に封じ込めるために。
――やめろォォォォォッ!!!!
その断末魔の叫びとともに。冥竜王ヴェルザーの魂は完全に封じられた。
今度こそ、戦いは終わったのだ。
役目を終えた精霊達の魂が、天へと昇っていく。彼らは成仏し、魂は漂白され輪廻の環へと戻っていくだろう。
最後の置き土産として、バランの足元が青白い光の渦に包まれていく。地上への旅の扉だ。
「お前達にはずっと助けられてばかりだったな……本当に感謝する」
――私達には過ぎた言葉ですよ、バラン様。労いの言葉を頂けるだけで十分です。
光に包まれ地上へと送還される直前。最後の言葉を残し、精霊達は成仏していった。
――最後の力で地上へと送ります。貴方の旅路に、幸運があらんことを。
そこに残されたのは石像と化した冥竜王のみ。やがて天界から後続の者達が訪れ、封印が開放される日が訪れぬよう厳重に管理されることだろう。
バランは地上へと帰り、そこで生涯の伴侶を見つけることとなる。ただし精霊の祈ったように、その生が幸運に祝福されるかどうかは、別として。
ともあれ、全ては終わった。
冥竜王と竜の騎士の戦争は決着し、魔界に新たなる歴史が刻まれることとなる。
だが。
「地上侵攻の兆しはない……ヴェルザーは恐らく敗れた」
「あらら……負けちゃったのかぁ、ボクのご主人サマは」
「では……」
「ああ……次は我等の番だ。計画の実行は15年後……地上破滅の刻に備えよ」
闇に潜む者達の蠢動は、まだ終わってはいない。
第二章終わりです。
次はまた過去編いきます。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
0-3 予感
1週間前、ギルドメイン大陸北方、国境を挟んで睨み合っていたリンガイア軍とルビア軍が遂に軍事衝突に至った。
原因は定かではないが、現地の調査員によればこれといったものはなく、とりとめもない諍いが切欠となり膨れ上がっていた両国間の緊張が爆発したという見方が有力とのことだ。
城塞の堅牢さに定評のあるリンガイアと、山岳地帯に居を構えるルビア*1は互いに守りは堅く、攻め手に欠ける両者の戦況は泥沼の状態だ。
両軍の死者数を合計すればその総数はなんと二万にも及ぶ見通しで、今後も増え続けていくことが予測される。
そして何よりもこの開戦が意味することは、魔王のもたらしたまやかしの平和が消えてしまったということだ。
現在は停戦中においても国民の敵対感情が激しく、同じく極度の緊張状態にあった国々は他にも多々あった。
南北オーザムやホルキア三国など、ギリギリの所で開戦を免れていた国々は列挙に暇がない。
そうした国々も今回の開戦に端を発し、次々と後に続いていくことは容易に予測できることだ。
またベンガーナといった、戦乱の時代に軍需による貿易によって台頭してきた国にとっては、今回の開戦は喜ばしいものとなるだろう。
どうなるにせよ、この戦を発端として世界情勢は再び大きく動き出すことになるだろう。
しかし筆者はこの大動乱の予感を前に、一抹の不安を感じずにはいられない。
主要国家は、存在するかも疑わしい魔王など恐るるに足らずとの論陣を張っているが、果たして本当にそうなのだろうか。
再び起こる大戦を経て、世界は元の形を保っていられるのだろうか。
いずれにせよそれは、時が経った後歴史が判断することだ。
それまでは私がその顛末を、最後まで目を背けることなく記録していく所存である。
それが唯一戦に巻き込まれなかった国、テランに属する私の責務だと信じて――
「いつかはこうなると思ってたけど……遂に始まったわね」
南オーザム、とある町の高級宿の一階にて。
テーブルを挟んで向かい合う一対の男女――アトリアとセレネは朝食のサンドイッチを齧りながら、羊皮紙に書かれた記事に目を通していた。
「……どうでもいい」
その内容は、遠く離れた地――この世界の中央、ギルドメイン大陸での戦争の始まりを告げるものだった。
とはいえ、アトリアにとっては魔王を倒すことだけが至上命題。人間達が争おうがとんと興味がないという態度だったが――
「そうでもないかもしれないわよ」
異論の言を差し挟んだセレネは、そのまま言葉を続ける。
「皆は魔王の存在に懐疑的だけど……私達は知っている」
あの後、南オーザムへ無事辿り着いた彼らは互いに情報交換をした。
アトリアが三界の調停者の竜の騎士であることも、天界から啓示を受けて魔王を討ちに来たこと――つまり、魔王が実在していることも、二人は把握している。
「世界が混乱に呑まれようとしている今、魔王はこの機を逃さず動くんじゃない? そしてそれはどこか――戦乱の渦中にあるリンガイアかルビアでしょ」
「一理あるな……いいだろう、次の目的地はギルドメイン大陸北部だな」
もとよりアトリアがオーザムを訪れたのも深い理由はなく、地図の上の方から虱潰しに探していこうという程度のもの。
ある程度目星が付けられたなら、その地へ飛ぶことには否やはない。
「決まりね! それじゃあ長~い船旅と洒落込みましょうか」
そんなわけで、新たなる大陸を目指し旅立つこととなった二人。
セレネは長旅に備え食料や水、地図その他諸々などの買出しへ。
主に人相が原因でついていくことを憚られたアトリアは、約束の時間まであてもなく町の中をうろついていた。
「今日は大漁だ! 今なら安くしとくよ!」
「手袋、帽子、コート、なんでもあるよ! 暖かい毛皮で誂えた一級品さ!」
「新鮮な野菜はいらないかい? 雪の下から掘り起こしたばかりの品だよ!」
大通りに満ちる喧騒。しかしその賑やかさの中でも、アトリアの纏う威圧的な雰囲気が周囲の人を黙らせ、その周りには小さな空白ができていた。
それを煩わしく思ったのか、静かな路地のほうへと歩を進めるアトリア。
その喧噪がうっすらと聞こえる程度の距離、石造りの家が立ち並ぶ住宅街と商店街の中間といったところへ足を踏み入れたその背に、透き通るような声がかけられた。
「もし……そこの方。よければ占いでもしていきませんか?お代はもちろん頂きません」
振り返ったアトリアが目にしたその者の姿は、粗末なローブで身を包み、深くフードをかぶった占い師らしき男だった。
「…………結構だ」
しかしアトリアにとってはそんなものに興味は微塵もない。
故に、その男を一瞥するだけで向き直り、そのまま立ち去ろうとするが、
「まあまあそう言わずに……私の占いはよく当たると評判なんですよ」
そういったその男は、諦めずに肩に手をかけ、引き留めようとしてくる。
アトリアに声をかけたこともそうだが、取りつく島もなく断られたのに臆面もなく食い下がるその男の肝は相当据わっていた。
しつこく食い下がる男に対し、ついにアトリアが業を切らしたか、少し力を入れて振り払おうとするが――
「邪魔だ――!?」
「ふふ……受けてくれる気になりましたか?大丈夫、すぐ終わりますよ」
少し力を入れたといっても、竜の騎士の基準でのそれだ。
怪我をさせないように最低限配慮したといえど、非戦闘者の常人には反応も抵抗もできない程度の力で振り払ったはずだが――その手が当たる前に、男はアトリアの前へと回っていた。
根負けしたアトリアは渋々立ち止まる。
「さっさと終わらせろ」
「ええ。……その場に立っていてもらえますか?」
言われたとおりに立ち尽くすと、男がアトリアの目をじっと見つめてきた。
正面に相対することで、深いフードに隠されていた占い師らしき男の顔立ちが明らかとなる。
美しく輝く銀髪に、白磁を思わせる少し病的なまでの白い肌。中央に据えた大きな宝石を彩るような額飾り。
その端正な顔立ちには活力に満ちた若々しさと、その陰に隠れるように長い年月が刻んだ皺が散見される。
しかし今、その壮年の男に対しアトリアが意識を向けているのはそれらではなく、その目だった。
閉じているように見えるほどに細められた双眸からは、矛盾しているようだが力強い視線を感じる。
そしてその視線がアトリアを貫いて少し経ったとき――全てを見透かされているような錯覚に陥った。
それと同時に、男が驚いたような様子を見せる。
「…………! 素晴らしい……!!」
しかしそれは悲観的なものではなく、どちらかといえば喜びに近いもの。
例えるならば望外の僥倖、嬉しい誤算――方向性でいえばそんなところだろうか。
だがその感情の大きさは並大抵のものではなく、平静を装っていた男の顔から喜色が漏れているのが伺えるほど。
少なくともそれは見知らぬ者へと向ける感情として適当なものだとは言えなかった。
「終わったか?」
アトリアの問いかけに応じ、男は感極まった様子で話し出す。
「あなたは闇を晴らしてくれる者であると――そう出ました。将来あなたは我々の世界を覆う暗雲を切り拓く勇者になると……!」
「ふん……」
素っ気ない反応を返しながらも、黙考する。
――確かに魔王を倒すことが、闇を払うということであるならば――あながち間違ってはいないかもしれん。
とはいっても、アトリアからすれば占いなどという不確定なものなど参考には値しない。
抽象的なことを言ってたまたま当たっただけだろうと、今度こそこの場を立ち去ろうとする。
「気は済んだか? もう纏わりついて――」
だがそれは、背後から現れた少女の声によって遮られる。
「ああ、ここにいたの! 探したわよ……あれ?あなたは――」
アトリアに声をかけたのはセレネだった。膨れ上がった荷物袋を背負ったその姿に驚きを見せたのは、しかしアトリアではなくむしろ男のほうだった。その反応を見るに、どうやら顔見知りのようだ。
「……ばれてしまったなら仕方ないか」
男がフードを外す。露になったその顔に、やはりセレネは見覚えがあるようだった。
「やっぱり……フェティア様!? なんでこんなところに?」
「それはこちらの台詞だよ……よく生きていてくれたね」
「こいつを知っているのか?」
アトリアの問いかけに、セレネは当然といった顔で返す。
「知ってるなんてもんじゃないわよ……この人は北オーザムの三番目に偉い大司教で――唯一、あの国で私に良くしてくれた人よ」
なるほどと、アトリアの中の違和感が少し氷解する。
場末の占い師にしては整った顔立ちと纏う神秘的な雰囲気。粗雑な格好に対するそれの説明はつくことになる。
「君は今本国では行方不明扱いだ……まあ、何が起きたのか大体想像はつくよ――枢機卿か教皇、どちらにやられたんだい?」
「多分父上ですよ。……随分と用意周到でしたからね」
「……君と会ったことは口外しないよ」
「ありがとうございます。ところで、こんなところで何を?」
しかし当然だが、そのような者がこんな場所にいる理由がわからない。ましてやここはほぼ敵国と言っていい南オーザムの街中である。セレネの問いは至極当然といえた。
「私は南オーザムへの交渉役で、大使として訪れたのだけど……はっきりいって現状は芳しくない。このまま進めば十中八九戦争になるだろうね」
「そんな……! 魔王がいるというのに人間同士で争うなんて……!」
「驚くことではないさ……君たちはこれからどうするんだい?」
その言葉を聞いて、興味なさげに沈黙を貫いていたアトリアが会話へ割り込んでくる。その声色は冷たく、一切の感情が籠もっていなかった。
「――魔王を殺す」
「そうかい、どうりで……占いは当たっていたってことかな?」
「占い?」
「私の趣味さ……国というものを知るためには上だけではなく、下――市井の人々のことも知らなければいけないと思ってね。それでお忍びで来ていたところ、たまたまそこの彼と会ったというわけさ」
「へぇ……なんて言われたの?ちょっと気になるかも」
「……周りをよく見てみるといい」
一見、何の変哲もない住宅街に見えるような辺りの風景。しかし目を凝らせば、そこには一年半前の戦争の爪痕がちらほらと散見された。
整備されず放棄された廃屋が所々に目立つ家々。どこか全体に漂う陰鬱な雰囲気。路地裏には親を亡くし凍死した子供の亡骸がそのまま打ち捨てられていた。
「資源の少ない常冬の大地に加え、得るものなく停戦された戦争――この国の貧困は深刻なものとなり、その裏で麻薬も流通する始末。
私が言えたことではないが、北オーザムも酷いものだ。聖職者は腐敗しきり、上は未だ権力闘争に明け暮れている。果ては父親が娘を暗殺するように仕向けるときた。おそらく他の国々も、同じような問題を抱えているだろう」
だから、とフェティアと呼ばれた男は続ける。
「魔王だけじゃない――この世界を覆う暗雲を、彼は晴らしてくれる。そんな勇者になってくれる存在だと、私は思っているよ」
アトリアとしてはそんなことをする気はないし、態度からもそれは容易に伺えたが――フェティアはそれを理解して尚、並々ならぬ期待を彼に向けているようだった。
「……お前に言われたとおりにするつもりは毛頭ない。オレは魔王を殺すだけだ」
「それでいいんです、あなたはあなたの思うままの道を行ってください。……そしてセレネ、あなたは彼を支えてあげてくださいね」
「最初からそのつもりよ。どうせ帰る場所もないしね」
その言葉を聞き、満面の笑みを浮かべフェティアは言い放つ。
「では――あなたたちの旅路に神々のご加護があらんことを」
――――――――――
時と所変わって、ルビアのとある酒場にて。
ここは今、戦の匂いを嗅ぎつけた傭兵たちが集い、荒っぽい喧騒を作り出していた。
そしてその端で、場に似合わぬ杖を突いた老人がちびちびと酒を嗜んでいる。
「聞いたか? 今日入ってきた新人の話」
「ああ……可愛こちゃんと、おっそろしく強面で、おっそろしく強い戦士の二人組だってな」
しかしその老人は、飛び交う喧騒の中からとある言葉を耳に挟むや否や、目の色を変えて立ち上がる。
そしてその言葉を発した傭兵の男のほうへと、杖を突いて歩いて行った。
「恐ろしく強い戦士……そのことについてもっと詳しく聞かせてくれんかの?」
「なんだジジイ、勝手に割って入ってきてんじゃ――」
老人の杖から、ちん、と音がした。それは誰にも捉えられなかったが、仕込み杖に納めた剣を振りぬき、一瞬のうちにそれを鞘に戻した音であった。
傭兵の男が着込んでいた鎖帷子が、真っ二つに裂けた。
「な……!?」
「三度は言わんよ……その恐ろしく強い戦士について教えてくれんか?」
男は一瞬のうちに悟る。自分の首元に、既に刃が添えられていることを。
「わ、わかったよ……そいつは竜を模した長剣を持ってるって話だ……俺が知ってるのはそれだけだ……!」
「竜を模した長剣……?」
暫しの沈黙の後、老人の口元が喜悦に歪む。長きに渡り待っていた瞬間が訪れたといった風情だ。
「遂に……遂にこの時が来た……!」
活力に満ちた足取りで、老人が店を出ていく。枯れ木のような有様だったその様子は、一瞬にして生命力に溢れたものとなっていた。
「待っていろ……! 竜の騎士よ……!!」
めちゃくちゃ遅れて申し訳ありません。一生シレン5の原始やってました。
真面目な話すると次に書くのがアバンが動いてた時代なので、今やってるスピンオフの漫画の展開見ながら書こうか悩んでたので遅れました。
とりあえず切りのいいとこまで過去編書いて、それでその時点になったらどうするか決めます。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
0-4 極み
モチベはまだ全然あるんでぼちぼち書いていきます。
一面が雪化粧に彩られていたオーザムと違い、眼前に広がるのは石畳の道に木造の街並み。そしてその背後に聳える、雄大な山々。
二週間に及ぶ船旅の末に、ようやくたどり着いた新たなる大陸。彼らは今、ルビア唯一の港町へと足を踏み入れた。
「あぁー! やっと着いたー! 他の大陸なんて行ったことなかったけど、壮観なもんねぇ」
地に足をつけるなり、窮屈な船内に押し込められていた鬱憤を晴らすように大きく伸びをするセレネ。
後に続くように、アトリアも船を降りた。
船を降りた足で町の大通りを歩く二人。その往来にはどこか、平時と違った物騒な雰囲気が漂っていた。
そこに行き交う人々の装いの多くは、明らかに戦闘を生業とするもののそれ。それも画一された兵士のものではない、もっと何か荒くれた気配を纏った者たちだ。
「で、目的地までどうやって行くの?戦時中だし、旅人だなんて言っても入れてもらえないわよ?」
「問題ない。方法は考えてある――これだ」
その時、一陣の風が吹き、地面に落ちていた一枚の紙が巻き上げられる。
アトリアがそれを掴み取り、セレネへと見せる。それは、彼らがこの町を訪れてから幾度となく目にした貼り紙と同じものだった。
リンガイアとの戦争に際し、今後更なる戦況の激化が予想されるマラッカ砦周辺への兵力増員のため有志を募集する。
我こそはと思わんものは下記の詳細を読んだ上で、指定の駐屯地にて申請すること。
契約内容:マラッカ砦防衛など戦闘を含む作戦への従事
契約期間:二年間(戦況などに応じて短縮や延期もありうる)
報酬:日給150ゴールド。戦闘に参加した人員は500ゴールド、その他活躍に応じた歩合給あり
募集人数:無制限
「へぇ……傭兵に紛れて砦に入るってわけね」
「ああ、だが戦争に関与するつもりはない。目的を達成したらさっさと立ち去るぞ」
新たなる大陸へ辿り着いた彼らの目的地は、激戦の渦中にある城塞。
何故そこを目指すに至ったのか、その答えとは――
「それでね……君たちに耳寄りな話があるんだ」
時は遡り二週間前、南オーザム。
あの後二人は、フェティア大司教からとある情報を得ていた。
「上の立場に居ると色々な情報が入ってくるものでね……ルビアとリンガイアが開戦したというのは知っているだろう?」
「ええ、今朝の記事でちょうど」
「開戦の切欠を厳密に言えば、国境を挟んだ睨み合いの緊張に耐えかねたルビア兵が恐慌状態に陥り、砲撃を放ってしまった……ということになっているんだけどね。詳しく話を聞くとおかしな点があったんだ」
「……それは?」
その日は新たに、国境を守る部隊が交代で配備される日だったという。新たに編成された部隊のため、誰もその開戦の切欠を作った男と知己である人間はいなかったため、当時は発覚しなかったことだが――
「その彼は、一年半前の戦で戦死していたはずの兵士だった――つまり存在しないはずの人間が、この戦争を引き起こす切欠を作ったのさ」
「……!」
「……なるほどな」
それが意味することは――何者かが死んだはずの人間に化け、意図的に戦争を引き起こしたということだ。
そしてそんなことをする意味がある陣営など、今この地上には一つだけ。
「この戦争は……魔王が裏で糸を引いてるってわけ!? だったら事情を説明すれば……!」
戦争を止められる、と発言しようとしたセレネの言葉は、しかし冷酷な現実に遮られる。
「止まらない、だろうね。既に二万人が死んでいるんだ……それにその何者かが作ったのは切欠に過ぎない。この二国を覆う憎悪は、他でもない国民たちが育て、培ったものだ。それが消えるまで、根本的な解決にはならないよ」
「…………」
黙りこくるセレネを尻目に、今度はアトリアが口を開く。
「……それだけじゃない。それだけ詳細な情報を掴んでいるお前なら、もっと深いところまで知っている筈だ」
「その通り。ルビアには信用できる部下を一人潜ませていてね……権力に取りつかれた魑魅魍魎たちの中でのし上がるには、これくらいのことが出来ないとやってられないのさ――話を戻そうか」
戦火の発端にして、アトリアたちが目指すべき場所。その地の名は――
「死んだはずの兵士が最後に在籍していた場所。リンガイアとの国境近くに居を構える、ルビアの国防の要にして堅牢なる砦――マラッカ砦に、謎の答えが秘められていると、私は睨んでいる」
そんなわけで場面は戻り、再び現在へ。
「二名での登録だな……確かに承った」
「ああ」
顎髭を生やした、ベテランの兵士といった風情の男――今回の傭兵募集に際しての責任者である――と会話し、二人は手続きを終える。
本来こういった戦に、傭兵として参加するためにはある程度の実力の担保が求められる。
当然国としては即戦力を求めているためだ。
それは所属している傭兵団のお墨付きであったり、軽いデモンストレーションを行ったり――例えば魔法使いならば、使用できる呪文を見せたりだ――が必要とされるのだ。
この場合の二人は後者だ。
詳細は割愛するが、実力を見定めるための兵士との模擬試合で勝利することでアトリアは実力を示した。
刃を潰した鉄の剣で相手の剣を力任せに圧し折ったその様子は、兵士たちだけでなくそれを見ていた他の傭兵たちの今晩の語り草となったという。
「出発は明日、日が沈み始めた頃に出立する。それまでにこの場所に集合しておくように――お前の働きには期待しているぞ」
最も、本人には傭兵として働く気は全くないが。
「明日ね……分かったわ、それじゃ宿に帰りましょ!」
ちなみにこの少女も、模擬戦で鉄の兜をメイスで叩き潰し、密かに戦慄されていたことを記しておく。
翌日、指定の時刻。
日が落ち始め、夕暮れに染まっていた空が夜の闇へと塗り替えられようとしているとき。
森へと続く街道に、何台かの馬車が列を作り並んでいた。
「これよりマラッカ砦への出立を開始する! 各員は指定された番号の馬車に乗り込め!」
一台に乗り込める人員は10名。それに加え御者役の兵士が各馬車に一人ずつ。割り振られた番号の都合上、アトリアとセレネは一つ違う馬車へと乗り込むこととなった。
しかし――その背をじっと見つめる何者かの視線に、アトリアは終ぞ気付くことは出来なかった。
「よし……出発だ! 先頭の馬車に追従せよ!」
馬車が進む。石造りの路面を車輪が踏みしめる音を響かせながら。
ルビアの国土を多くを占める山脈地帯。その麓には、
そしてその森林の中には先人たちが命を賭して敷設した街道が複雑に張り巡らされている。その道を外れれば、闇の中に潜む獣系モンスターたちの餌食となることは想像に難くない。
そうして森の中を進み、山脈の中腹に聳える難攻不落の要塞、それこそがマラッカ砦だ。
……が、その難攻不落の要塞を覆う現状は、余り良いものとは言えない。国境はすでに突破され、砦の周辺のどこに敵兵が潜んでいるかも分からない状態。端的に言えば、緩やかに包囲されている状態だ。
それでも陥落しないあたりは、さすがの防御力ともいえるが。
ともかく、その辺の事情を考慮し、戦力増員のための傭兵の募集が行われたわけだが、先ほど言及したようにどこで敵に出くわすかも分からない現状だ。
そのため、あえて視界の利かない夜間に出立し、進む経路も砦を取り仕切る将軍と、今回の責任者である隊長にしか知らされていない。
情報漏洩を抑え、会敵のリスクを極限まで減らすためだ。
そしてその狙い通り、彼らが搭乗する馬車は敵に出会うことなく、順調に経路を進んでいた。
――今の今までは。
「――――うぁぁぁ……!!」
遠間から聞こえてくる悲鳴。次いで響くのは馬の甲高い叫び声。そして勢い良く回転していた車輪が急に止まったことに引き起こされる不協和音が、セレネの耳に入る。
「……馬車に乗ると碌でもないことになる星の下にでも生まれたのかしらね、私は」
どこか感じる既視感。雪山でアトリアと出会った時と同じだ。つまりこれは――
「敵襲だ!!」
色めき立つ車内。その中でセレネは静かに、武器を取り立ち上がる。二度目となれば慣れたものだ。
――とはいえ、私が直接戦争に関与するのもね……
そう考えながらも外へ出ると、そこは微かな月明かりに照らされた仄暗い森の中。
そしてそこに広がっていた惨状を見て、思わず息を吞む。
そこらから聞こえる呻き声。火矢か魔法でも受けたか、炎上し横転している先頭の馬車。
「おおおおおっ!!」
「死ねぇっ!」
そして、互いが武器を交わす音。剝き出しの殺意がぶつかり合う、戦場の音だ。
僧侶として傷ついた人々を数多く見てきて、こういうものには耐性があったつもりのセレネでも、この光景には堪えるものがあるようだ。
そして、横転した馬車の下から隊長の男が息も絶え絶えに這い出てくる。その顔は信じられないものを見たというような表情に彩られていた。
「馬鹿な……ありえん……!」
それは二重の意味を含んだ言葉だった。待ち伏せからの奇襲など、本来起こりうるはずのないこと。
夜の森に大勢で、灯りも付けずに潜むなど正気の沙汰ではない。たちまち飢えた獣系怪物たちに蹂躙されるのがオチだ。
それに経路だって、彼と将軍の二人しか知り得ない情報の筈だ。複雑に交差する街道の内、どれを通るかなど事前に知っていないと分かるわけがない。
と、いうことは――
「まさか――」
しかし、その推測は続けられることはなかった。
今まさに、その頭脳に飛来した矢が突き刺さったためだ。そのまま彼の命の灯は潰え、地へとその体は倒れ伏す。
「……見ててあんまり気持ちいいもんじゃないわね」
それだけではない。奇襲を受けた今、戦のペースは完全に相手側にある。このまま状況が進めば、壊滅は避けられないだろう。
それを見過ごすのも寝覚めが悪いし、何より砦に辿り着けないのは困る。
「仕方ないか……」
右を見れば屍、左を見れば内臓をやられたのか、吐血しながら膝をつく兵士。上空には矢が飛び交い、死んではいないが倒れ伏す者たちも見渡せばごまんといる。
死屍累々の現状を前に、セレネは一つの手を打つことを決めた。
持っていたメイスを地面に突き立て、両の手を眼前で合わせる。
その体からは、膨大な魔力が滲み出し始めていた。
「行くわよ――!」
時に、なぜ回復呪文は対象に接触して使用されるのだろうか?
接触していたほうが魔力の伝達効率が良い、というのは当然ある。
しかし実は、回復呪文を離れた場所へと飛ばすことは可能なのだ。接触して行われたそれとの対費用効果は段違いではあるが。
そこに目をつけて、一度に多人数の仲間を癒す回復呪文を使うことは出来ないか、と考えた古の僧侶がいた。
だが、その試みによって生まれた呪文は後世に広まることは無かった。余りにもハードルが高すぎるのだ。
まず第一に膨大な魔力。接触していないうえに複数人を回復しようというのだから、それはもう莫大な魔力が求められる。
その次に繊細な集中力が必要だ。一定範囲内を回復するといっても、仲間と戦っている敵も回復しては意味がないのだ。戦場の中で冷静に対象を選り分ける集中力がなければ、それは実用に値しない。
最後に、僧侶としての非常に高い
当時でさえ、この呪文を扱える人間は片指で数えても余るほどだった。
そして現在、この呪文を扱えるのは地上においてただ一人のみ。
僧侶大国とも呼ばれる北オーザムの秘奥を修め、聖女とも謳われた一人の少女だけが。
彼女の持てる呪文の中で最大にして、回復呪文の到達点。
その呪文は――
「――
暖かな緑色の光が弾け、夜の帳が落ちていた森を一時照らす。
「お……?」
「傷が……塞がっていく……!」
「よくわかんねぇが……すげぇぞ! これでまだ戦える!」
地面に倒れていた者。戦いの最中にある者。死んでさえいなければその一切を問わず、大小あった彼らの傷が全て塞がっていく。
奇蹟のような事態に沸き立つ自軍に、理不尽を前にして動揺する敵軍。その一手によって、戦場の空気は完全に逆転した。
「……っ! これでこっちは大丈夫でしょ……」
セレネといえども、
味方を回復しただけといえば聞こえはいいが、あの後彼らは敵を殺すだろう。そして自分はそれに加担した。
間接的に人を殺したといっても過言ではない。流石に
やらなければやられていた、というのも一つの正論ではあるが、彼女にとってそれは自分を慰めるための言い訳に過ぎない。
彼女の精神性は、その責任から逃げることを良しとしない。心の底の何処かに溜まる重いものを受け止めながら、それでも尚前を見て進むのだ。
頬を両手で張り、心持ちを入れ替える。今はそれどころではないのだから。
「よしっ! 次はアトリアと合流しないとね……あいつどこ行ったのかしら…………ん?」
アトリアが乗っていた馬車は後方にある。ひっそりと彼女もその場を離れそちらへと行こうとしている途中、あるものが目に留まる。
倒れ伏す敵兵が、腰に掲げていた瓶。少し凝った意匠が用いられたそれは――
「聖水……? これでモンスター達を退けたのかしら……?」
ほぼ同時刻、アトリアの方はというと。
「…………」
当然、アトリアも同じような状況に陥っていたが――一つ違う点を挙げるとするならば、アトリアには殺人を躊躇う倫理観も、敵に加える情けも一切持ち合わせていないということ。ついでに言うなら、友軍を助ける優しい心もだ。
最初は参戦せず、不動を貫いていたアトリアであるが、手出しをしなかった結果周囲の友軍は全滅。
当然アトリアが動かなかろうと、相手からすればお構いなし。怯えて動くこともできないのだろうと襲い掛かれば――当然のように真っ二つにされた。
結果、アトリアの周りにはただひたすらに屍の山が積み重なるのみ。混沌とした戦場の中で、誰も寄り付かない奇妙な無風地帯が出来上がる結果となった。
「……とりあえず、あいつを探すか――っ!」
セレネを探して移動しようとするアトリアの背筋に、静かに怖気が走る。
鋭くありながら、どこか緩やかな殺気の源に目をやれば、そこにはもう一つの無風地帯が出来上がっていた。
音が聞こえる。ちっ、ちっ、ちっ、と、舌打ちをするような。
「カッカッカ……その強さ、やはりか……」
連なる屍たちの中で、ただ一人立っている男――それはこの場には似つかわしいとは到底言えない、白髪の老人であった。
その老人は奇異な装いをしていた。上質な布であしらわれた見たことのない服装――端的に言えば羽織と袴である――で身を包み、腰には一対の二刀を差している。
そしてその閉じられた双眸には、一文字の大きな傷跡が刻まれていた。
ともあれ、アトリアからすれば一応友軍の筈だ。襲い掛かってくる道理もないはずだろうと、何事かを呟いた老人の横を通り過ぎようと歩みを進めるが――
「竜の騎士よ……一つ、お手合わせ願えぬか?」
「……は?」
掛けられた言葉に足が止まり、様々な思考がアトリアの中で通り過ぎていく。
味方ではないのか?気狂いか?なぜ自分が竜の騎士だと知っている?それとも魔王の手先か、はたまた――?
それらの思考を簡潔に纏めれば、意味が分からない、という帰結に至る。いや、言っている言葉の意味は理解できるが、どういう意図のもとでの発言か全く分からない。
とりあえず、拒絶の言葉を返そうとしたところで。
「――まあ、選択の余地はないんじゃがの」
既にその老人は、アトリアの眼前に迫っていた。
何が何だか分からない……が、アトリアにとってあの老人は敵であるらしい。それならば斬るだけだと、アトリアは決意を固める。
「何のつもりだ……!」
ぎりぎりではあるが、獣じみた反応速度で何とか剣を抜き、老人の剣を受け止めることに成功するアトリア。
止めてしまえばなんてことのない、年相応の力しか籠もっていない剣だ。
そのまま押し切ろうとして――その剣は空を切る。力が望まぬ方向へと操作されている感覚。
老人はアトリアの剣を、受け流して見せたのだ。
「なに、老い先短い老人のささやかな望みよ……今は思う存分、ただ仕合おうではないか」
軽やかな身のこなしで老人は後方に飛び、一回転し着地する。
そこにアトリアが間髪入れず追い打ちをかけた。直線的な踏み込みではあるが、並外れた身体能力によりその一合は尋常ならざる破壊力を備える。
剣術を修めていないアトリアではあるが、その戦闘センスにより本能的に自らの力を効率よく運用する術を会得していた。
「ふむ、これではまるで獣ではないか。そんな剣では儂は斬れぬよ……ほれ、横からちょいと力を加えてやれば……」
しかし、如何な破壊力を持つ攻撃であろうと、対象に届かなければ意味はない。
先ほどの再演のように、再びその力の流れは曲げて逸らされ、空を切る。
「……!?」
「剛の剣はそこそこだが、柔の技がなっておらんな?ただただ押すばかりというのは、稚拙に過ぎるの――今度はこちらから行くぞい」
ぐ、と老人の足に力が入る。その刹那、アトリアの紋章の内に眠る戦いの遺伝子が、直感として警鐘を届ける。
右から来る。仕草、表情、筋肉の動き、気配。幾星霜もの戦いの経験の蓄積がそれらの要素から動きを読み、弾き出した結論だ。が、しかし。
「そっちではないんじゃよ、残念ながら」
「な……!?」
実際に攻撃が来たのは、左。寸前で咄嗟に身を引くも、脇腹に浅くはあるが一筋の傷が刻まれる。
まさか、幾千年もの戦いの歴史の蓄積が、たった一人の只人に上を行かれたというのか。
「そら、次じゃ」
「ちょこまかと……!」
今度こそ見間違えるまいとその目を凝らすも、やはりその動きを見切ることは出来ず。
それどころか、アトリアは恐ろしいことに気付く。先程から断続的に聞こえる舌打ちのような音。あれはやはり、老人が舌打ちをしている音に相違ない。
もしかして、老人はその音の反響を聞き、周囲の状況を把握しているのではないかということ。
そして、常に閉じられている目にあの傷跡――老人は、盲目のままあの極まった技を身に着け、行使しているということを。
「離れろ!」
剣を大降りに振り回す。これは最初から当たることは期待しておらず、距離を取らせ仕切りなおすためのもの。
剣が生んだ風威に逆らわず後ろに飛んだ老人は、その剛力に舌を巻く。
「ほっほ……流石の力じゃな、儂にこのような真似はとてもとても…………
じゃがのう――人を殺すのに、大層な力はいらんのよ」
そう宣った老人は、二刀を持った腕を後ろに
「――かまいたち」
それは剣が放つ風圧という点では、先ほどのアトリアのそれと同じものだ。
だがそれは、一緒にするにはあまりにも烏滸がましいほどの違いがあった。
極限まで、薄く鋭く鍛え上げ、高められたそれは最早刃と言っても過言ではない。
しかしその刃が抉るのはアトリアではなく、その直前の地面。土煙が上がり、目前の視界を遮った所に、もう片方の風刃が飛ぶ。
すんでの所で反応し、斬り払うが――
「その程度――なっ!?」
それすらも計算内。風刃と共に土煙に隠れ、踏み込んできた老人は剣を振り下ろすアトリアの手首を掴む。
「足りない力は補えばいいのじゃ――例えば、相手の力を利用したり、自然の力を使ったり」
その刹那、アトリアの天地が逆転する。投げられたことに彼が気付いたのは、既に地面に叩きつけられ地に伏した後だった。
そして、老人は既に次の行動に移っていた。軽業師のように木へと登り、空へと飛び上がる。
充分に勢いと重力を乗せて、一つの剣の切っ先に全てを乗せて落下する。狙うはアトリアの首ひとつ。
貫通力に特化したその技の名は。
「落葉・一閃突き!」
仰向けで、ろくに抵抗出来ないアトリアに迫る凶刃。そのままの勢いで刃はその顔を貫くように思われたが――
がきり、という音がした。それは生肌と剣が触れ合った音として生じる筈のものでは到底ないが、事実としてそうなのだから仕方ない。
剣を弾かれた老人は、動揺する素振りも見せず、むしろそうでなくてはつまらないといった表情で飛退いた。
「カカカ……失敬失敬、忘れておったわ、お主は人じゃなく――」
その刹那、アトリアの周囲で何かが爆発したような衝撃が走る。
注視すると、その全身からは光る気流のようなものが見受けられた。
それこそが老人の刃を防いだ力の要訣。竜の騎士を最強の断罪者たらしめる要素の一つ。
最強の矛にして最強の盾――竜闘気。
「化け物、じゃったな」
ゆっくりと立ち上がるアトリアの額に、竜を模した紋章が力強く輝く。
その輝きに陰りはなく、その瞳にも未だ陰りはない。
「覚悟しろ」
前座は終わった。
本当の戦いは、ここから始まる。
とりあえず次か次の次くらいで今回の過去編は終わりです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
0-5 道の先
あれは今から60年、いや70年ほど前の事だったろうか。
ラインリバー大陸の北西に、一つの国が
その国は他の国々との関わりを絶ち、独自の文化を築いていたというが、正確な資料はどこにも残されていない。
外部の者たちが知っている情報は、その国から逃げてきたと称する少数の者たちの伝聞のみ。
それも世間に流布した何も知らない者たちの噂話と混じり、何が本当の事なのか分からなくなってしまった。
曰く、財宝に溢れる黄金の国であると。
曰く、未開の小国ではあるが、その国の刀匠は伝説の武具をも鍛え上げる一流の腕前揃いであると。
曰く、大蛇に若い女性を生贄として捧げる、忌まわしき風習が蔓延っていると。
曰く――その国を治める女王の正体は、怪物であると。
そんな与太話が幾つも世の中に溢れたが、その真偽を知る方法は最早ない。
真実を知る、ただ一人を除いて。
かつて黄金の国と称され、歴史の闇に埋もれて消えていったその国の名は――ジパング。
その日は、燦燦と太陽が輝く快晴だったような気がする。
気がする、と称したのは、もう空の色がどんなものだったかも忘れてしまったからだ。
国が貧困にあえぐ中、無駄に豪奢に誂えられた宮殿の中で、俺は今日も今日とて自分の仕事に勤めていた。
色々と黒い噂がある女王サマの近衛隊長に任命されて少しの月日が経つが、その噂は本当の事だったらしい。
ここまで近い位置まで来ると、そちらさんも隠すつもりがあまりないのだろうか。
若い娘が部屋に入って行ってそのまま出てこなかったり、時たま口の端に拭い切れなかった血がついていたり。
要するに女王サマは人食いのバケモンだってことだ。
それもそうだろう。今やこの国に残っている奴らは、恐怖で逃げ出すこともできない小心者か、化物に仕えることになろうが気にしないイカレの二択くらい。
当然、俺は後者だ。主君が化物だろうが人間だろうが、強くなる邪魔さえしなければどうでもいい。
こんな化物の近くに居れば、強い奴とも戦えるだろうって目論見もあるし、国宝だという一対の双剣も頂くことが出来た。
杖としても使えて、柄に嵌った宝玉に呪文を込められるという能力が備わった伝説の武具らしいのだが、俺としては斬れさえすれば何でもいい。
その点を見ればこの剣は素晴らしい。伝説というだけはあって、今まで見てきたどんな剣よりも業物だ。
後は自分の力を試せる強敵でも現れてくれれば、不満はないのだが。
そういえば扉の外に漏れ出た会話を耳にしたことがあるが、世界征服がどうのだと。
中々面白い発想だ。そうすれば自分も各国の強者たちと戦うこともできるし、早く乗り出してくれないものか。
「なんだ貴様――」
突如、剣が轟音と共に扉を突き破る。その直後、扉の向こうを守っていた兵士の亡骸も吹き飛んできた。
突然の事態に思考が一瞬硬直するが、即座に意識を切り替える。これは――敵襲だ。
自分の守る扉は女王の間へと続くものにしてこの宮殿の最奥。気取られることなくここまで進んできたということは、出会った敵全てを声を上げさせる暇もなく、一撃で屠ってきたということだ。
成程それは凄まじい。間違いなくそいつは強者だろう。その証拠にほら、突き破られた扉の向こうに立つ男の威圧感はまるで桁違い。まるで人の形に竜を押し込めたような、そんな底知れなさを感じさせた。
だが自分はそれこそを求めていたのだ。比類なき強者との、血沸き肉躍る戦いを。
しかし――
「来い……!」
その日、俺は思い知ることになった。
求めてきた強さも、積み上げてきた力も。その全てが儚く崩れ去り、自分は目指す頂の末端にすらも到達していなかったことを。
決着は一瞬だった。
この国一番の戦士と呼ばれたその剣は、たったの一振りで拮抗することもなく弾き飛ばされ。
己が最後に見た光景は――視界一杯を埋め尽くすほどの距離に迫った、白刃の煌めきだった。
今まで屠られた者たちと、自分との違い。それはただ、寸前で反射的に半歩下がれたかどうか。
その僅かな違いが、彼我の生死を分ける。しかし、辛うじて拾った命の代償は――あまりにも大きかった。
「あ――あああああっ!?」
痛い!目が、目が見えない!ただ只管に広がる暗闇が、視界を覆う。そして淡々と迫る足音を前に、避け得ない死を直感した俺は、情けない声を上げてその場にへたりこんだ。
「ひっ!?」
戦いに身を投じるものとして、戦の中で死ぬことへの覚悟は出来ていた筈だった。
だがこれは、戦いですらない。力の桁が違う。圧倒的上位者に捕食される恐怖など、考えたこともない。
しかしその死を宣告する足音は――自分の横を通り過ぎ、奥の扉へと歩いていった。
余りにも無様な姿を哀れんだのか、眼中にさえ入っていなかったのか――きっと後者だろう。
程なくして、数体のものが重なったような竜の咆哮と、裂帛の気合を込めた叫び声が聞こえてきた。
女王サマの正体は、幾つも頭が生えた竜の化物だった、というわけだ。
そしてその両者の衝突により生じる衝撃は、この無駄に広い宮殿でも到底受け止めきれるものではないようで。
稲妻が降り注ぎ、業火が所構わずそこらを舐める。途方もない規模の戦いの音をバックに、宮殿が崩落していく。
そうしていくうちに戦いの余波を受け、俺は吹き飛ばされた。当たり所が悪かったのか、そのまま意識までもが暗闇へ誘われていった。
そして俺は目覚めた。いや、目覚めてしまった。
打って変わって訪れた静寂。近くに落ちていた二刀を手探りで拾い、立ち上がるもそこに動くものの気配は無く。
「誰か……誰か、いないのか……?」
後に聞く話によれば、そこには人どころか、建物一つすらも残っていなかった。ただ瓦礫のみが折り重なり、そしてそこに自分だけが立っていたと。
神話に描かれるような戦いの爪痕は、国一つを塗り潰し、消して見せたのだ。
全てが終わった後、かつて国だった瓦礫の山の中心で、俺は泣いた。
故郷を失ったことにではない。そんなことはどうでもいい。
自惚れていた自分の不甲斐なさ、そして弱さに泣いたのだ。
何もかもを出し切った後、その心の底に残ったのは己の原点。俺は、ただ強くなりたかった。何の為でも、誰が為でもない。
だが、その前にあいつを――竜の騎士を打ち倒さなくては。そうしなければ、俺は前へと進めない。
その心は、求道においての不純物であったが、しかし強力な原動力でもあった。
目が見えない?だからどうした。相手は自分よりはるかに強大?それが何だ。
武とは、己より強い相手を制するために存在する。人の技――その神髄を極めれば、きっと化物だろうが打倒できるはずだ。
それからは、ひたすらにその時に備えた。常に戦に身を投じ、竜の騎士についても少ない文献を漁り調べあげた。狂気染みた鍛錬に身を浸し、技を身に着け、目が見えなかろうと戦う術を備えた。
そして――長い長い年月の果て、遂にその時は来た。
只人が生涯を捧げた末に見える、頂の片鱗を。神々の最高傑作へとぶつける時が。
俺、いや――儂の名はノルン。黄金の国ジパングの、最後の生き残りだ。
相対する男から感じる威圧感は、やはりあの時のそれと同じ。
視覚を持たぬからこそ克明に分かる、その太陽と見まごうかのような圧倒的熱量の闘気。人の領域を遥かに超えた所に存在する力。
だからこそ――越える価値がある。
「……ふんッ!」
その剣が振るわれるたびに、大地が抉れ空が裂ける。掠るだけでも一撃で持って行かれるという確信。
怖い。そんなことは当然だ。歩く災害のような化物と対峙して、恐怖しないものはどれだけいるだろう。
しかしその恐怖を受け入れ、見据えることこそが生還への正着なのだ。
確かに威力は飛躍的に増した。だが、積み上げてきた技術は一朝一夕では変わらない。
先程までと大差ないその剣筋を見切ることは容易。少しでもしくじれば死ぬという点を除いては。
「これは……難儀じゃの」
大上段からの振り下ろしを避け、その隙に一閃。しかし男は小揺るぎもせず、一切の損傷はない様子。
どうやら儂の力では、あの闘気を抜いてダメージを与えるのは難しいようだ。だが、それがどうした?
人の道理を超えた化物を打ち倒そうというのだ、無理くらい押し通さんで何とする。
死の舞踏を踊り続けること三分。未だに突破口は見えず。
足、腕、腹、胸、背中、顔面。あらゆる部位へと攻撃したが、竜闘気を破るには至らず。
どうしたものかと思案しながらも、神経を張り巡らせた攻防を続ける。
この老体ではこれ以上剣戟を続けるのも難しくなってきた。集中力の限界も近い。
一度離れる前に、一撃をお見舞いしようと剣を振るうと――
「…………!」
男が纏う闘気が膨張している――まずい。咄嗟に男の体を蹴って距離を取ろうとするが。
「カアアッ!」
「ぐぅ…………がはっ!」
爆発。成す術もなく木へと叩きつけられた。あばらがやられたか、衝撃で口から血が漏れ出る。
溜めていた竜闘気を全身から放出することで、全方位への攻撃を行ったのか。
成程、周囲でちょこまかと動き回る敵を捉えるには最適の技だ。技術的には素人でも、戦いのセンスは一級品ということか。
直前で後方へ跳んだからこの程度で済んだものの、直撃していれば終わりだった。
「面白いのぉ……」
それに、発見もあった。
「ほほほ……最後の一撃は弾かれる前に少し食い込んだの? もしかして、その闘気を出し続けるにも限界があるんじゃあないかのう……」
「……何なんだ貴様は」
考えてみれば道理だ。あれほどの闘気、常に全開にしていれば底を突くのも当然。分かっていれば抑えたり、一点に集中して節約したりするものだが――このような弱点、対等な相手と長時間戦わねば分かるまい。
壁にぶつかったり、窮地に陥らねば発見や成長は無い。
常に強者で居続けたこと――それこそが奴の死角。
「ちっ……メラ!」
肌を刺すような熱気。闘気の消費を抑えるため魔法で攻めてきたか。
「――ふうぅぅ……」
深く息を吸い、一閃。それだけで炎は両断され、霧散する。
形なきものも切れずして何が剣士か。形あるもの、形なきもの、そして目に見えぬもの。
それら全てを切ってして、初めて一端の剣士を名乗れるのだ。
「ヒャド!バギ!イオ――」
「無駄じゃよ」
次々と襲い来る初級呪文を切って捨てる。この程度ならばどれだけ続こうが問題はない。
だが、これが牽制に過ぎないということもまた分かっていた。ならば本命は――
「ライデイン!」
「無駄じゃと――言ったであろう?」
これだ。選ばれた竜の騎士にしか使えない電撃呪文。雷の速度ならば躱せないとでも思ったか?
伏せていた奇手のつもりであろうが、竜の騎士を調べ上げていた儂が知らない筈はない。
ならば後は簡単だ。早すぎて反応できないならば、撃たれる前に退けばいい。
稲妻が落ちるタイミング――気の起こりさえ読めれば、当たる道理はない。
「魔法も……剣も…………ならば……」
俯きながらも何かを呟く男。
次は何だ?何を見せてくれる?
「はああああぁぁ――ッ!!」
猪突の如き踏み込みで此方へと突っ込んできた。破れかぶれの特攻か?余り賢い手とは言えないが。
「イオ……!」
唱えられた呪文。爆光を纏う剣。
まさか、これは――受け流すのは困難と判断し、咄嗟に身を引く。吹きすさぶ爆風に飛ばされぬよう、剣を地面に突き立て踏ん張った。
「ぐ…………!」
剣と魔法の融合――常人には不可能なその絶技。奴もまた、窮地の中において殻を破り、成長したというのか。
化物のような強さを持ち、さらなる進化をも併せ持つ。これこそが神の作りし最高傑作……!
「まだだッ!」
今の爆音で聴覚がやられた。少しの間使い物にはならないだろう。最初からこれが狙いだったというわけだ。
長年の修練の末身に着けた、反響により周囲の地形を探知する技術。それによって築かれた
何も見えない。ああ、これは――あの時と同じだ。
なればこそ、今が証明する時だ。あの時の『俺』とは、何もかもが違うということを。
考えろ。奴の決め手は何だ?どう攻めて来る?恐らくは受け流しを警戒して魔法剣で来るだろう。
ならば組み合わせる呪文は?奴の中で現在最強の呪文――電撃呪文に違いない。
感じろ。目も耳もなかろうと、闘気だけは感じられる。
闘気とは生命エネルギーそのもの。心の動きはそのまま闘気に現れる。攻撃する際に殺気を抑えても、必ずその兆候は闘気に現れる。
だが奴は、これまで不気味なほどにその揺らぎが見られなかった。まるで心がないかのように。
それでも、奴にも心はあるはずだ。それが小さく、欠片ほどのものだったとしても。そうでなければ、少女を連れ立って、守るような真似はしないはず。
集中しろ。見極めろ。見逃すな――奴の攻撃の起こりを。ほんの微かな心の揺らぎを。
――――今!
「ライデイン……っ!?」
アトリアの頭上に投げられた剣。完璧なタイミングで放られたそれは、掲げていた神剣に降り注ぐはずだった稲妻を吸収する。
耳も目も使えない筈。それなのに何故だと、アトリアを困惑が包む。
「きえええぇぇいっ! …………なんちゃっての」
その刹那に飛び掛かってきたノルンに対し、咄嗟に剣を横に構え、防御態勢を取るアトリアを襲ったのは更なる予想外だった。
ノルンはその構えた剣に足を下ろし――再び跳んだ。
そして、頭上に投げた剣を掴み取る。とうに霧散している筈の、剣に落ちた稲妻は――柄に嵌った宝玉を黄金に輝かせ、未だ衰えぬ紫電が剣を覆っていた。
『杖としても使えて、柄に嵌った宝玉に呪文を込められるという能力が備わった伝説の武具らしい――』
もう誰も知らぬことだが、この一対の双剣は遥か昔、ジパング一の刀鍛冶が伝説の英雄の御業を再現するために打ち上げた逸品だという。
その英雄とは古の竜の騎士。その御業の名は魔法剣。本物には到底及ばぬが――
今、その御業は図らずも再現される。皮肉にも、本当の竜の騎士を相手に。
「擬似魔法剣――」
剣を掴んだノルンは、落下の勢いに加え体を捻り回転させる。
それによる遠心力を加え、二重の斬撃を全く同じ箇所に見舞うことにより破壊力は倍増する。
その奥義の狙いは――無防備な背中。
そして最も恐るべきところは、耳も目も機能しない状態で、これらの神業を――己の読みに全てを委ねて、その通りに実行したことにある。
「黄金・
最初の一刀が背中を守る竜闘気の鎧に食い込み、間を開けず訪れた金色の二刀目はその守りを貫き、背中の肉を深く抉る。大きく血が噴き出し、アトリアがたたらを踏んだ。
只人が一生を捧げ磨き上げたその切っ先が、神々の傑作を遂に貫いたその一瞬。
「ぐっ……あっ……!」
感慨をおくびにも出さず、既にノルンは次の行動へと移っていた。
噴き出した血潮を背中に浴びながら、感無量の思いが胸中を占める。
だが、戦いはまだ終わってはいない。体力も限界だ。再び竜闘気を貫けるかは定かではないが、それでも。
奴が振り返った瞬間、首を狩る――!
最後の一合が始まる。振り向きざまに振るわれたその剣を上へと逸らそうとして――思うように力の流れを変えられない。
何故だ?極限の状況で腕が鈍ったか?いや、そうではない。あいつも対抗して力の流れを操ろうとしているのだ!
それは
即ち、大いなる力に逆らわず、利用するという。
しかしだからこそ、その大いなる力を持つ者がこの術理を極めれば、儂が修めてきた道の、その先を見られるのではないか――そんな考えが、儂の心の底に浮かんだ。浮かんでしまった。
先の魔法剣のような、出鱈目な成長速度ではない。儂のような只人が、一つ一つ積み重ねていくようなそれ。
この戦いを通して、
まるで『人間』のように。
――見たい。
これをどうにかすることは簡単だ。敢えてあいつが操作したがっている方向へ更に力を入れてやる。
そうするだけで、その拙く未熟な剣は行き場を失い空を切る。
そして残るのは、剣を振り終えて隙だらけのあいつの姿。
――その先を。
やるべきことは一つだけ。がら空きになったその首に剣を振るい――
「……何故止めた」
その剣を、寸前で止めた。
「最初に手合わせだと言ったはずじゃがのう?何も互いが死ぬまで続ける必要はあるまい」
見え見えの嘘だ。儂は手を止める寸前まで本気で奴を殺しにかかっていたし、奴もそれを分かっていない筈がない。
奴にとっては建前などどうでもいいのであろう。ただ目の前の儂から殺意が消えたという事実のみを理解して、そこに至る道程は気にしていない。
それは余りにも機械的というか、人間が抱くべき感情と乖離しすぎているとも言えた。
「そうか、ならば――」
とはいえ、儂も人のことは言えないだろう。手前の都合しか考えず、到底先程まで殺し合いを繰り広げていた相手に言うものではない言葉をかけようとしているのだから。
「ところで、お主――」
だが、さすがにこれは読めなかった。異常者同士といえど――
「オレに剣術を教えろ」
「儂の弟子になる気はないか?」
奇しくも同じ帰結に辿り着くとは。儂は少しの驚きと、奇妙な親近感を覚えていた。
キャラクタープロフィール⑬ ノルン
【年齢】91歳
【種族】人間
【出身地】地上
【体力】4
【力】4
【魔力】1
【技量】9.9
【得意技】大体アトリアの使う剣技と同じ
【特筆事項】盲目 第六感
パーティメンバーその2。
簡潔に言えばプロキーナ老師の戦士バージョンです。
若かりし頃に竜の騎士に国ごとぶっ潰され、目も失いましたがそこについては大して恨んでません。どっちかというと弱くて自惚れていた自分に嫌気が差して鍛えなおした感じ。
第六感というのは、敵の気を精密に探知する能力です。ダイがフレイザード戦で空裂斬覚えた時のアレをもっと正確にした感じ。なのでガス生命体等も切れるし禁呪法生命体の核も分かります。
双剣の能力の擬似魔法剣ですが、本家のものより威力は劣るうえに、一度使うと30分ほど間を開けないと使えないようになっています。
現代でもアトリアが握っていますが、自前で魔法剣が使えるので全く使っていません。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
0-6 将軍
今日の夜に続き投稿するのでゆるして。
「――そういうわけで、こいつも旅に同行することになった」
「ノルンと申す。以後よろしく頼むぞい」
「あ、そうなの。こちらこそよろしく……っていやどういうわけよ!? 二人ともなんか死にかけだし!」
セレネは困惑していた。アトリアを見つけたと思ったら、何故かボロボロになっているうえに同じくボロボロのお爺さんがいきなり旅に同行するときた。
困惑しきりのセレネに、アトリアがさらりと爆弾発言を投げ込んだ。
「殺し合ったからな。そんなことより回復呪文を頼む」
「はぁぁ!? 殺し合ったって何!? ますます訳分かんないんですけど!」
「まぁ、色々あっての。端的に言えば需要の一致というやつじゃな」
ぶつくさ言いながらもアトリアの背に触れ、治療を始めるセレネ。
暖かな光がその体を走り、傷を癒していく。
「この体たらくでは魔王に勝てん……だからこいつから剣術を学ぼうと思っただけだ」
「だからって殺し合いからいきなりそうなる? ふつー……あんたが大概なのは知ってたけど、そっちのお爺さんも相当なもんね」
「ほっほ……魔王を倒す旅、のう。それじゃあ彼は一応勇者ってことになるのかの」
「勇者って柄じゃ全然ないけどね……ていうか旅の目的も知らないでついてきたの!?」
「儂はアトリアに剣を教えられさえすれば構わんよ。それに、魔王を斬るというのも中々面白そうじゃ」
好々爺然とした雰囲気を漂わせていたノルンの顔に一瞬、獰猛な笑みが宿る。だがそれを気にする様子もなく、セレネもそれに呼応するように微笑んだ。
「面白い、ね……いいじゃない、意外と気が合いそうね」
「それに――
「ふふ……違いないわね」
三人が治療を終え立ち上がる。馬は駄目になってしまったが、徒歩でも到達可能な距離までには近づくことが出来たようだ。
半分ほどに減った兵士や傭兵達に帯同し、要塞のある方向へと三人も動き出していった。
――――――――――
ギルドメイン山脈に連なる山々の中腹、リンガイアとの国境付近にその要塞はあった。
切り立った崖の上に居を構え、堅牢な正門に続く細い一本道は招かれざる客の訪問を頑なに拒む。
そして山中に広がった城壁の上からは、高所から常に弓兵たちがあらゆる方角――特に国境方面や、首都へと続く街道の方面である――へと睨みを利かす。
しかしその鉄壁の防備も完璧というわけではない。壁に散見される焦げ跡や亀裂、突き刺さっている弓矢、飛び散っている血痕。
それらの名残を見れば、ここで激しい争いが幾度となく繰り返されてきたことは容易に推察できた。
ここはルビア国防の要、マラッカ砦。
日も登りきらぬ薄暗い時分、見張りに勤しんでいた兵士の目に映ったのは暗がりに浮かぶ十個と少しほどの灯りだった。
「ん? あれは……」
「門を開けてくれ!」
よく見るとその灯りは兵士の掲げる松明で、後ろには見知らぬ者たち――恐らく傭兵だろう――の姿。
傭兵を募集しに行った者たちは今夜中に帰ると聞いていたが、未だ姿を見せない。そしてこのボロボロになって帰ってきた兵士たち。
彼の中で、二つの情報の断片が繋がった。
「……よし! 大丈夫だ、開けていいぞ!」
ぎぎぎ、と重苦しい音と共に、重厚な門が開いていく。
波乱の道中を越え、彼らは第一の目的地――マラッカ砦へと辿り着いたのだった。
「はぁ~、疲れた! とりあえず一段落ってところかしらね?」
あの後、砦の内部へと招かれた一同は各々の部屋で休息をとっていた。
傷つき負傷したものは医務室へ、目立った傷がないものは三人一組の寝室へ。
本来なら一度この砦を統括する将軍に面を通したのち、仕事を割り振られることになるのだが、将軍からの計らいで一日の休みが与えられたらしい――と、兵士が言っていた。
「油断はするなよ」
「そうじゃのう、ぬしらの話が本当なら、ここは敵中も同然。寝込みを襲われたりしても不思議ではない」
「分かってるわよ。……ところでこれ、何だと思う?」
回復呪文により、負傷がなかった彼らはそのまま部屋に通され、くつろいでいた。
そこでセレネが懐に手を入れ、戦場で拾ってきた瓶を取り出す。
「聖水じゃないのか」
「やっぱり分からないのね……これ、実はただの水なの。僧侶じゃないと違いは分からないみたいね」
聖水は清めた水を汲み取り、満月の夜に僧侶が祝福を込めることによって生成される。
その効能は、
しかしその見た目は、素人が見ても水とは区別がつかない。元が水なのだから当然ではあるが。
「聖水は偽物だった……にもかかわらず、奴らは怪物達に襲われることなく森に潜むことが出来ていた――やはり魔王の手の者が絡んでいるという事か」
「そーゆーこと」
「分からんな……初めに戦争を誘発させた下手人はルビア側に潜んでいる。だというのに何故リンガイアに利するようなことをする?」
二人が首を傾げる中、ノルンが静かに口を開く。
「これは儂の推測じゃが……」
「?」
「以前小耳に挟んだことがあるのじゃ。この砦を巡る二国の攻防では、現在ルビアが優勢らしいと」
「それがどうしたってのよ」
「だからこそリンガイア側に今回は肩入れした……恐らく魔王はどちらかの国に勝ってほしいのではない。戦争を長引かせること――それ自体が目的なんじゃないかと、ふと今頭に浮かんだのじゃ」
根拠のない推測ではあるが、二人はどこか腑に落ちたような感覚を覚える。
両国の疲弊を狙っているのか、それとも別の目的があるのか――それはいまだ不明だが。
変身能力を持つ者がいるならば、戦況をある程度操作することも不可能ではない。
「……まあ、いくら憶測を立てた所で仕方ない。敵を捕まえて直接聞きだせば、全て分かることだ」
「そうねぇ……とりあえず今日は休みましょ。回復呪文じゃ体力は戻らないし、あんたら疲れてるでしょ。一応私が起きて見張っておくから寝なさいよ」
「それじゃ、お言葉に甘えるとするかの」
結局誰かが襲いに来るということもなく、彼らは無事に明日を迎えた。
翌朝。
将軍への面通しのため、練兵場へと集められた傭兵一同。その数は町を出発した当時から、二十と数人――半分ほどにまで、人数を減らしていた。
そんな彼らの前に姿を現したのは、豪著な軍服を纏い、恰幅の良い隻腕の壮年だった。
その男は残された腕で杖を突きながら、二階のバルコニーから彼らを睥睨するように見下ろしていた。
「――傭兵諸君。よくぞ来てくれた……ようこそ、マラッカ砦へ。道中は災難だったな」
一瞬だけ見せた、品定めをするような冷えた視線。それもすぐに鳴りを潜め、彼は平坦な表情で言葉を続ける。
「さて、君たちに長ったらしい話……そうだな、国のためだとか、誇りだとかの話をしても仕方ない。諸君らに重要なのは――己の働きに見合った報酬を得られるか。それだけだろう?」
かつん、と杖を鳴らす。粗野な傭兵達が、この時に限っては不思議と、静かに将軍の話を拝聴していた。
それは目の前の隻腕の男から感じる雰囲気が、自分たちよりも多く死線を潜ってきている人物のそれだということを、肌で悟っていたからであった。
「かくいう私のこの腕も、戦場で失ったものでね。命を懸けて戦うという行為の重みは、それなりに分かっているつもりだ。想定外の襲撃を退けた君たちの働きに敬意を表し、全員に二千ゴールドの特別手当を出そうじゃないか」
その言葉を聞き、傭兵達がにわかにざわめきだす。二千ゴールドといえば結構な大金だ。三か月くらいならば余裕を持って暮らせるほどの。
それを全員にぽんとくれるというのだ。沸き立つのも無理はあるまい。
「どう受け取るかは自由だが、これが私がその働きに対し与える報酬である、とだけ言っておく。諸君らも、それに見合うよう力を存分に奮ってくれることを期待する――以上だ。各々が当たる業務の仔細は担当の者に追って説明させよう」
言い切るや否や、将軍は背を向けて要塞の中へと戻っていく。それを区切りに、傭兵達のざわめきが喧騒へと変わり――
「太っ腹じゃねえか! 死ぬような思いをした甲斐があるってもんだ!」
「こんだけもらえりゃ当分の間は贅沢できるな!」
「結構な額を出すもんねぇ。まあでも、私たちも路銀が尽きかけてたし丁度いい――ん? どうかしたの?」
「……分からんかったか?」
その中で、将軍が立っていた場所を静かに見つめているものがただ一人。
「何のこと――」
「お主らの探し人じゃよ……あの将軍、恐らく人間ではないようじゃ」
目の見えぬはずのノルンだけが、そこをじっと見つめていた。
その夜。
「間違いないんだな?」
「うむ……このノルン、目は見えずとも相手の気を見紛うことはない。あ奴からは奇妙な――何かを被っているような違和感と、その中に魔の気配を感じた。何かあることは間違いないじゃろうな」
「にしてもその夜に押し掛けるとはねぇ。ま、善は急げっていうし早いに越したことは無いか」
殆どの者が寝静まったころ、三人は将軍の執務室を目指して移動していた。
目的は将軍に化けていると思わしき何者かの討伐。
事の成り行き次第では騒ぎになりかねないため、深夜に行動を起こしたのだが……当然、全員が寝こけているわけではない。
「こんな夜更けに何の用だ?」
将軍の執務室、その扉の前には護衛の兵士が立っていた。
「将軍にお目通りしたい。通してくれんか?」
「通すわけがないだろうが! 話を通してから出直してこい」
当たり前と言えば当たり前の対応である。こんな非常識な時間に、新入りで得体の知れない者をはいそうですかと通すわけはない。
だが、アトリア達も引く気は毛頭なかった。
「あー……詳しくは言えないんだけどね、あなたのとこの将軍が何者かに成り代わられてる可能性があるのよ。私たちはそれを止めに――」
こんな話を聞いても、常人ならば与太話としか思わないだろう。いいとこ執務室に入るための出来の悪い作り話という受け取られ方が関の山だ。
だが、兵士の反応はそのどちらでもなく――
「そんなこと知ってるよ」
「え?」
「将軍が誰かと入れ替わったことなんて、とうの昔に知っているって言ったんだ」
「なんで……」
それを知っていて従っているのか、といった表情。その理由は至極単純明快だった。
「あの人がいなければ俺たちは死んでいた……二年前のあの日にな」
兵士が思い返すのは二年前、この砦を巡っての攻囲戦が最も激しかった時期だ。
「変わっちまう前の将軍は大貴族のボンボンでよ……戦のいの字も知らないボンクラだったのさ。大方戦功を挙げたくて、コネかなんかでぶち込んだんだろうな。幾らここが難攻不落だっつっても、そんなヤツを頭に据えてりゃガタが来るもんだ」
見渡す限りの敵、敵、敵。常に飛び交う矢と呪文。補給を絶たれ、逼迫していく戦況。あの戦場はまさに地獄だったという。
「それでいよいよやばいって時に、将軍自らが指揮を執って少数精鋭で包囲を突破し、補給に向かうだとか言いだした。けどそんなことが出来るわけがないって、ただの逃げ口上だって誰もが分かってた。その時思ったよ。ああ、俺たちは見捨てられたんだなって」
「…………」
「だけどあの人は戻ってきた。どこでやったかは知らんが失った右腕も気にせずに前線に立って指示を出し続けてたよ。ありゃ凄かった――まるで未来が分かっているような的確さだった。まるで別人だよ。俺みたいに護衛として長いこと近くにいれば分かる……口調や装いを真似て見せても、何処か以前と違うところが見えちまう」
ノルンが分からんでもないというふうな顔をする。彼も以前同じようなこと――王に化けていた怪物を見過ごしていた――をしていたことがあったからだ。
まあ彼の場合、その王は元から怪物だったのだが。
「でもそれが何だ? あの人がいなければ俺は死んでいた。今だってそうだ。あのボンクラが将軍のままだったら、今頃ここはリンガイアの領土になってるに違いない。
そうだ、言葉にしてみりゃ単純なことだ――俺は死にたくないからお前らを通さない」
が。この冷血漢にとって、そんな事情など一切関係のないことだった。
「そうか、お前の考えはよくわかった……だがオレがやることに変わりはない」
「っ! 誰か―――ぅぐっ」
大声を出そうとした兵士に対し、アトリアがその鳩尾に拳を叩きこむ。胸当てがへこむほどの衝撃を受け、肺の中の空気が一気に抜ける。
結果、零れ出るようなかすれた声を残し、兵士はくずおれた。
「……殺してないでしょ?」
「オレを何だと思っているんだ…………手加減はした。たぶん殺してない」
「たぶん!?」
「大丈夫、息はしておるよ――さて、行こうかの」
執務室の扉に手をかける。ぎぃと音を立てて開いた扉の先には、今朝見た姿と同じ将軍が立っていた。
今度の今度こそ次で一区切りです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
0-7 共に行く
将軍は悠々と腕組みをして、私たちを待ち構えるようにして立っていた。
「ふむ……見張りの兵士が扉の前にいた筈だが。何用でここに来たのかね?」
白々しいことを。扉の前での騒ぎは、恐らくこの人にも聞こえていた筈でしょうに。
「とぼでないでちょうだい! アンタが将軍じゃない誰かってのはもう分かってんのよ」
それを聞き、将軍――本当は違うのだが、便宜上ここではそう呼ぶ――は感嘆するようにため息を吐く。
そして一拍置いてから、観念したように話し出した。
「いつかはこうなると思っていたが、早いな……参考までに聞きたいのだが、どうやって見破った?」
「儂は盲目の代わりに相手の気を感じ取れるでな……人の皮を被ったような奇妙な気配、一目でわかったぞ」
「成程成程、それは盲点だったな。次はもっと気を付けなければ」
穏やかに笑う。いやに落ち着いた振る舞い。もしや奥の手がある? それとも――既に死を受け入れているとでも言うの?
「悪いけど、アンタに次は無いわよ」
「そうだな、そして死ぬ前に全てを話して貰う」
アトリアが感情の籠っていない声で告げる。その無機質さからは、喋らせるためなら何でもするという凄みを感じさせた。
……時折、その無機質さに少し恐怖を感じることもある。そしてそれ以上の慈しみも。
だが相対する将軍の目には、それとは正反対の強い意志の光が宿っていた。
「拷問でもしてみるかね? もしそうするつもりならば無意味だと言っておこう。私も無駄に痛い思いをするのは御免被るのでね」
それを見て確信する。こいつは何をされたって喋らないだろう。
「やめましょう、時間の無駄よ。こいつは何も喋らない」
「ああ、そうだ。一つだけ教えてやろう……本物がどうなっているか、知りたくないかね?」
「……あんたが殺したんじゃないの」
本物の将軍。兵士の話を聞くに入れ替わったのは二年前。だとすれば用済みになった彼が生きているとは考えずらいが――
「まさか! ほら、そこの棚の下に置いてある宝箱があるだろう? ――それが本物の将軍さ」
「……は?」
思わずノルンの方を振り向く。見た目に惑わされない彼ならばその言が本当か判別できるはずだからだ。
そして彼は、宝箱の方を見たのち、数秒置いてから静かに頷いた。
「この儂が気付かなんだ……! 人の形をしておらん上にあまりにも気が微弱だったので言われるまで判らんかったが、確かにこの宝箱からは人の気配がする」
「闘う力はない私だが、
奇術師が己の仕組みの種明かしをするような、そんな気軽さで話が続いてゆく。
「箱の形というのはいい。四肢がないので自力では動けないし、
「……外道ね」
「私が? 心外だな。私は彼を含め、ただの一人も人間をこの手にかけたことは無い」
それが屁理屈だというのは、私でさえもすぐに分かった。本当は『この手』の前に『直接は』という接頭辞がついて然るべきなのだ。
こいつのせいで人が何人死んだのか。それを思うと、自然と腹の底から憤怒が沸き上がってきた。
「あの襲撃だってあんたが仕組んだことでしょうが! それをいけしゃあしゃあと……!」
「大したことはしていない。密偵と思わしきものに運送の日程と経路を記した書類をうっかり見せてしまったのと、リンガイアの商人に化けて上質な聖水を格安で軍に売ってあげただけだ。まあ、本当はただの水なのだがね」
それを聞いて合点がいった。こいつは弱いのだ。聖水に触れないほどに。だからあれこれ策を練り、人間同士で潰し合わせていたわけだ。
だが、それが分かったところでやるべきことに変わりはない。
「もういいわ。……楽にしてあげる」
腰に下げていたメイスを手に取る。脳天を一撃、それで終わりだ。
「私を殺すか。いいだろう……私が死ねば呪文は自然と解ける。当然将軍も元に戻り、表向きは明日からも変わりのない日常が続くだろうな、中身が変わったことを除いては」
「それが何だって……あ」
やっと、気付く。
元に戻る。あの兵士によればとんでもない無能の、本物に。
それが意味することは――
「彼が言っていただろう? 私がいなければここはリンガイアの領土になっていたとね。そしてそれは今でも変わらない。国防の要が落ちればルビアはどうなる? 元々地の利を生かした防衛戦が強みだったのだ、その最たるもののここが落ちたら――滅亡すらも現実的な可能性を帯びる」
手が止まる。暫しの間、逡巡する――自分のやっていることは正しい。
元々こいつの存在そのものがイレギュラーなのだ。それを排除すればあるべき姿に戻るのは当然の事。
それが例え、国一つが滅びる引き金を引くことになったとしても。
「手が止まったな。それが正しいと理解していても、一国の命運を絶つのは辛いか? なに、心配するな。これが自然の摂理、弱肉強食というものだ。弱い者は強い者に食われるのみ。私と君や、ルビアとリンガイアの関係のように」
その手を振り下ろせ。何も気負うことはない。それが正義の行いだ。
頭では理解しているのに。武器を持った手はぴくりとも動かせない。断ち切ることになるものの重みが、腕に纏わりつくようで。
「それでも嫌ならルビアに味方してリンガイアを滅ぼすか? 君たちの人知を超えた力なら不可能ではないだろう」
だから何だ。その結果国が一つ滅びたとしても、その重みすらも受け止めて見せる。
逃げはしない。先送りにもしない。私がこの手を振り下ろせば、私が背負えば全て済むというのなら。
やってやる。今度こそあいつを――殺す。
凍り付いていた腕が、再び動き出した。
「それとも、どちらも滅びぬように戦況を操るか? それなら助かるな。私の仕事を引き継いでくれる訳だ――ッ!」
だが、その手が振り下ろされる前に。
ぽん、と、肩に手が置かれる。どこか優しさを帯びた手つき。
そして――突き出された神剣が、将軍の心臓を貫いた。
「アトリア……!」
「これ以上
将軍の口から血が零れると同時に、全身から白煙が上がってゆく。変身呪文が切れる予兆だ。
その今際の顔は恐怖でも諦観でもない、どこか遠くを見ているような。
今まで見たことのないそれを言葉にするならば、理想に殉じた者の死に顔だった。
「そうだ、それでいい……! 私の屍を踏み越えて行け、勇者よ! そして、世界に光を……!」
それを最後の言葉として、彼は事切れた。
完全に変身が解ける。その下に表れた本当の姿は、
左手に盾を持ち、そして剣を握るはずの右手は――最初から存在していなかった。
戦う力を初めから欠いて産まれた、持たざる者。鍛え上げた変身の力は、主に捧げるもう一つの剣だったのだろうか。
「行くぞ。見られたら面倒だ」
「そうじゃな。ここらの壁の向こうに空洞がある。近くに隠し通路の入り口が――荒っぽいのう」
ノルンが壁に指をさすや否や、アトリアがそこを蹴り砕く。果たして彼の言葉通り、そこには外へ繋がる隠し通路が伸びていた。
見れば、宝箱――変身させられた将軍である――からも白煙が上がる。じきに元の姿へと戻るだろう。
黒い影は段々と周囲の空気に希釈され、薄まり消えていく。その存在の痕跡を残すことなく。
「……ええ、行きましょうか」
部屋を出る間際、最後に振り返り消えていく影に十字を切ろうとして――やめた。
彼は神の救いなど求めていない。その望みが叶う事を願うこともできない。
ただ一人の人間として、安らかに眠れたことを祈るだけに留めておいた。
その通路の先は砦が建つ断崖の下の森に続いていた。
木々の間から漏れる月明かりが、地面を微かに照らしている。
暫くの間、誰が何を言うでもなくただ歩く。ようやっと、気持ちが落ち着いてきたところで口を開いた。
「ねえ。何であの時、私を止めたの?」
そう、アトリアからすれば別に傍観していても結末は変わらなかった。敵が死にさえすれば事の次第は気にしないような人間のはずなのに。
私が迷い、苦しんでいたことを見抜いたと言うのだろうか。
「……別に、国一つが滅んだところで何とも思わないし、それで苦しむこともない。だから、代わりにオレが背負ってやろうと――そう、思っただけだ」
「え……」
「勘違いするなよ、別にお前の為じゃない。その方が合理的だからそうしたまでだ」
嘘だ。
私はアトリアとそれなりに長く接してきた。だからこそ分かる。いつもの平坦で無機質なそれとは少し違う、微かな気恥ずかしさを含んだ声。
「ふふっ、そう…………ありがとね、アトリア」
だがその下手くそな嘘が、疲れた心を何よりも温めてくれた。
「ま、お主のその優しい心は美徳じゃよ。儂やアトリアのような異常者はそんなもの持ち合わせておらんからのう。いつか役に立つときも来るかも知れんしな」
「一緒にするな。……だがまあ、否定はしない」
思えば、今までの人生は与えてばかりだった。
生まれ持った僧侶の才能。折角だからと傷ついた者達を癒したいと思い、力を奮ってきた。それが持つ者の責務だと信じて。
しかし帰って来たのは空虚に響く聖女の称号と、羨望と信仰の目。上からはやっかみを向けられ、果ては殺されかける始末。
見返りを求めたわけではない。それでも、ただ見てほしかった。立場や肩書に縛られない、ありのままの自分を。
「新参者の儂が言う事でもないが、この旅が終わるまで儂らは運命共同体。辛いことの一つや二つ、分かち合えんで何とする」
あのままでは決して得られなかった、本当に求めていたもの。
今、この旅を始めて良かったと心の底から思った。
「……お前に辛気臭い顔は似合わん。さっさと元の調子に戻れ」
そうか。
「そうね……さぁ! 続けましょう……私たちの旅を!」
これが――仲間か。
後日意識を取り戻した将軍は、自らが成り代わられていたことを伏せ、それらに関する言説に緘口令を出した。
二年もの間誰とも知らぬものに将軍の座をいいように使われていたという大失態が明らかになれば、彼の失墜は明らかだからだ。
おとなしくこれを報告し、まともな指揮官が代わりに派遣されていれば別の道もあったのだが。
影の騎士が言ったように、表面上は変わり映えのない日常がマラッカ砦では続くことになる――だが、二年前と同じような状況に戻るならば、結末もまた同じ。
これより三年後、マラッカ砦は陥落することになる。そして国防の要が奪われたルビアという国もまた、砂上の楼閣が崩れるが如く滅びへの道を歩んでいった。
十年後にはルビアという国は消え、リンガイアに完全に併呑されることとなる。
だが、山中という利便性の悪い土地柄からか、時代を経るにつれ旧ルビア領土からは人が流出していき、二百年後には一部の町を除いて人の立ち入らない地域となる。
結局のところそれを持て余したリンガイアは無人の地域の統治を放置、旧ルビア領土の大半を手放すことと相成った。
話を戻そう。緘口令が敷かれたとはいえ、人の口に戸は立てられぬものだ。
同僚との他愛もない会話、あるいは酒の席で。
勇者と魔王の伝説が、いま世界に産声を上げたのだ。
――――――――――
同日、北オーザム首都の中心に建つ大聖堂。
その会議室の中で、円卓を囲む高位聖職者たちの会議は紛糾していた。
「農民たちの不満は限界です。このままでは遠からず暴動が起こりますよ」
「私の領土も作物の不作でこれ以上税が払えぬと泣きついてきております」
一年の殆どを雪原が大地を覆う常冬の国。食糧問題は彼らが常に直面している問題だった。
加えて南北オーザムの分裂が起きてからはその問題は顕著となる。南オーザムの離反の理由の大半が、聖職者の腐敗と余りにも高い税への反発。
当然、南オーザムへと行くのは農民などの労働者層が多くを占めることとなる。
その反面、彼らをごっそりと持って行かれた北オーザムが人手不足により、食糧危機を加速させてしまうのは当然の理路であった。
「神の代弁者である我らに逆らうなど言語道断! そのような者どもは即刻打ち首の刑に処し、見せしめとすべきだ!」
強硬策に打って出ることを提案したのは枢機卿。この国で二番目の権力者であり、多くの土地を治める領主でもあった。そしてセレネの父親でもある。
「娘さんにあのようなことがあったばかりで気が立つのも分かりますが……それは流石に早計では?
ここは今年の納税量が最も多かったフェティア殿の意見を聞きたいところですな」
この国には三つの派閥がある。教皇派に、先程言った枢機卿派。そして、大司教フェティアの派閥だ。
元来は教皇と枢機卿、二つの派閥しか存在していなかった。だが、優秀な領土経営で頭角を現していたフェティアが先の戦に際し破格の戦功を挙げ続け、異例の速さで出世を重ねることにより第三勢力として台頭してきたのだ。
「いえいえ、私などまだまだですよ。この地よりひどい荒れ地の場所に駐留していたことがありましてね、そこで少し土地の扱い方を学んだだけです」
「ふん、運に恵まれただけの分際で生意気な……で? 結局のところそなたはどうすればよいと考えておるのだ」
だが、高位聖職者たちは基本的にフェティアの派閥以外のどちらかに属している。彼の台頭以前から着任している者たちばかりであり、利権などの関係で堅く結びついているからだ。
その代わり彼は、下位の聖職者や商人や農民などの労働者から絶大な支持を得ていた。
「では、僭越ながら……この際、各々方が貯蔵している穀物を出し、大々的に振舞ってしまいましょう」
「馬鹿な! 全員の腹を満たせるような貯えなど出せば、我々聖職者の分まで危うくなるではないか」
「何も正直に全て吐き出す必要はありません。我々が民衆のために身を切っているというパフォーマンスが大事なのです、そうすれば絆される者も出てきます。暴動を起こすためには民衆が一致団結していることが前提。そこを崩してしまえば、大それた行動を起こすことは出来ません」
「むぅ……」
整然とした回答に思わず唸り声が漏れる。上層部では爪弾きにされているフェティアだが、その有能さは皆が認めるところだった。
ぱん、と手を叩く音が響く。その源である教皇の方へと皆が振り向いた。
「それについては各々の領地の問題。そなたらが個別に対応すればよかろう……それより、本題に入るぞ――南オーザムと開戦すべきか、否か」
「この逼迫した状況では兵站が十全に機能するか怪しい。慎重に臨むべきでは――」
「しかしそれで手をこまねいている内に向こうから仕掛けてくれば何の意味もない。やはりここは機先を制して――」
再び、会議は喧々諤々の有様へと戻る。そうして彼らがひとしきり話し終えた後、会議の中心は南オーザムへと大使として派遣されていたフェティアへと移った。
「やはり実際の様子を聞かねば何も始まらん。現地に赴いていたフェティア殿の目にはどう映ったのかね?」
とても一枚岩とは言えない北オーザムだが、それでもほぼ全員の共通認識として存在するものがある。
それは南オーザムに対する激しい敵愾心。まあそれは、向こうも同じではあるが。
「……一言で言えば、取りつく島もありませんね。向こうには和平を結ぶ気など毛頭ないようです。それに、ここ最近になって急に軍備を拡大するような動きも見られました」
多分に盛り込まれた誇張と嘘。有能さと誠実な人柄ゆえに疎まれる彼だからこそ、嘘をついているなど思いもしないし、交渉を仕損じたとも思わない。
故に。
大義名分を与えてやれば、その敵愾心は容易に燃え上がる。
「南の裏切り者どもめが……やってやろうじゃないか! こちらも軍備を整え、先制攻撃を仕掛けるべきでしょう!」
「神の教えを捨てた大逆者に裁きを与える時が来たようですな」
「それに相手の蓄えを奪えば、食糧難も解決できるやもしれん。一石二鳥ではないか」
一気に開戦ムードへと傾く会議場。その虚ろな熱狂を止めようとするものは、ここには誰一人として存在しなかった。
「皆の意見、しかと聞かせてもらった。……開戦は二月後、宣戦布告と同時に奇襲攻撃を仕掛ける。各々、戦に向け準備を怠らぬように」
会議も終わり、各々が帰路へと向かおうとしているとき。
大聖堂の荘厳な廊下を一人歩く枢機卿の背後に声が掛かる。
「どうも、枢機卿殿」
「フェティアか……何の用だ、手短に言え。貴様の顔を見ていると虫唾が走る」
苦々しげに、枢機卿が吐き捨てた。今や大司教の派閥の勢力は、枢機卿のそれを追い抜かんとする破竹の勢いで拡大し続けている。
それを思えば、この苦虫を噛み潰したような顔も当然だといえよう。
「これは手厳しいですね。ではお望み通り本題に入りましょうか……あなたの娘さんを南オーザムで見かけましたよ」
「っ! それは……本当か? 本当なら……喜ばしいことだ。娘が消息を絶って早三週間。望みを捨てかけていたが……娘はなんと言っていた?」
言葉とは裏腹に、隠しきれぬ険しさが枢機卿の顔からは滲み出ていた。
それを知ってか知らずか、フェティアは更に言葉を続ける。
「私も驚きましたよ、
「…………普通に考えるならば、対抗派閥の誰かだろう。その線でいけば、一番疑わしいのは貴様だろうが」
「まさか。彼女が幼少の頃からよく面倒を見ていたのは貴方もご存じでしょうに、今になってそんなことをする意味がない。それに彼女、まだ誰とは分かっていませんが心当たりがあるようでしたよ?」
「…………」
「おや? 何か思い当たることでもありましたか?」
「……いいや」
知る者が聞けば白々しく思えるような問いを前に、だが真実を知らぬ枢機卿は絞り出すような返答を返すことしかできない。
「彼女は魔王を倒す旅に同行すると言っていました。まだここに帰るつもりもないとも」
「魔王だと……? そんな存在するかも分からないものを……いや、生きているならいい。暗殺されかけた故に戻るのが怖いのだろう」
「魔王が存在するかどうかについてここで論じる気はありません、が……別れる際に彼女は言い残しました。――旅が終われば、私の知る全てを公表する、と。無論私には何のことかわかりませんでしたが」
「な……!?」
私の知る全て――枢機卿にとってそれは、彼女が愛人の娘であったという事実、そしてもしかすれば暗殺者を仕向けたものの正体……すなわち己だ。
これが露見すれば権力闘争から外れるどころではない。一転して犯罪者へと転げ落ち、権力も財産も領地も、全て失うことになるだろう。
最もセレネはそんなことを一言も言ってはいないが、その場にいなかった枢機卿にそれを知る術は無かった。
「しかしもし彼女が魔王を倒して凱旋すれば大殊勲ではないですか。勇者御一行の一人を輩出したとなれば貴方の権威も一層高まる。そうなれば教皇の座も夢ではない」
教皇、勇者、魔王、没落、真実。色々な単語が枢機卿の頭を巡っては消えていく。
やがて彼は、一つの結論へと辿り着いた。
「……情報提供、感謝する。フェティア大司教よ」
「私に礼を言うだなんて珍しいですね」
「ああ……今の私は機嫌がいい。やりたいことが、出来たのでな」
勇者に関する噂が北オーザムにまで届いたのは、その一週間後の事だった。
脇役紹介コーナー
将軍(偽物):魔王軍(軍というほど敵出てきてないけど)の幹部。生まれた時から片腕がないモシャスナイトで、魔界で野垂れ死にそうになっているところを魔王に拾われた。他人にモシャスがかけられる。
枢機卿:セレネの父親で強烈なタカ派。50歳強くらいのおじさん。北オーザムで二番目に偉い人で、自分の座を脅かすフェティアのことを嫌っている。
教皇:北オーザムで一番偉い人。枢機卿と比べれば一応保守的だが、教皇の椅子を脅かかされればその限りではない。
目次 感想へのリンク しおりを挟む