コミュ障TS転生少女の千夜物語 (テチス)
しおりを挟む

1章
キャラクリエイト


 ははーん、さては夢だな?

 

 目の前に浮かぶ半透明のディスプレイを前に俺はそう考えた。

 六畳一間の安アパートである俺の部屋は狭い。その中央に陣取ったちゃぶ台の上にはビールがおかれ、肴にはするめを用意した。そしてその更に上、空中に浮かぶ謎の半透明ディスプレイ。

 

 なんだこれ? 

 突っついてみれば、ポヨンと弾んで逃げた。

 

 ……ははーん、さては夢だな。

今日は飲むペースが早かったかなぁ。仕事終わりで疲れているからか、酔ったつもりはないのだけど幻覚が見える。

 

「えー、っと……キャラクリ?」

 

 年のせいか視力が悪くなってきたから、顔を近づけて半透明のディスプレイを流し見する

 

 一番上には目も口も無いマネキンっぽい奴が映っていて、その下には文字の羅列。

 

 細かい字になんだと思ってディスプレイを摘まんで引き寄せる。その時、画面上で新たなウィンドウが立ち上がった。

 

 警告みたいなマークと注意文が出てる。

 どうやら同意書とキャラクリの説明を兼ねているようだ。なんか長い……注意書き長い。

 

 馬鹿め。酔っぱらいはこういうのは読まないのだ!

 それにこういうキャラメイクは大体ユーザーインターフェースが優れていて、感覚的に操作できる物なのだー!

 同意書だってまともに読む奴は存在しないのだー!

 

 流し見でも時間が掛かりそうな長ったるい説明書を次々スキップしていく。

 

 んで適当にボタンが現れたのでポチポチ押してみる。なんか数値増えた。減ってるのもある。

 キャラ画像の下にある数本の青いバーが微妙に伸びていた。

 筋力とか魔力とか書いてあるしたぶんこれがステータスだろうか? 減ったのは配分可能ポイント?

「そんなことより、キャラ画像がマネキンから変わらない件について」

 

 ええい! ステータスは良い! 俺にかわいい子をメイクさせろォ!

 よく分からないから、ボタンを全部一回ずつ押していく。

 もう一度キャラ画像に目を戻すとマネキンは大人の女性に変わっていた。

 

「あ! おー…変わった」

 

 ここからはキャラ画像を触ることでも変更できるらしい。

 髪、目、口、胸、手足を触れると長さや色、形の変更欄が出てくる。他にも色々変更できるようだ。

 

 ふーむ……これはつまり、マイ・フェイバリット・キャラクターを作れと申すか幻覚よ。よかろう!

 ビールを一口。気合いを入れる。

 

「まず身長は小さ目。胸も控えめ。だけど女性と分かるぐらいは膨らんでる。ちなみに本人は小さいのがコンプレックス」

 

 貧乳はステータスだ! 希少価値だ! なんて開き直りは駄目でーす。ちょっと恥じらっているのがいいのです。

 そして好きな人に「小さくてもきれいな胸だよ」とか褒められて赤面してください。

 ほんと?とか呟いて頬を染める、はいかわいいー。

 

 髪型はロングもいいけど、今回は肩にかかる程度。ただし前髪は少し長めで片目が隠れるように。髪質はくせっ毛よりも、サラサラよねぇ。

 ここで隠れてる目をオッドアイにしてもいいんだけど……さすがに中二病が過ぎるのでそれは無しー。

 

 口や歯はどうしようか。ギザ歯も良い物だけど、この少女キャラにはあまり似合わない。無難に小さめで纏めておく。

 肌は褐色よりも不健康そうなくらい白い方が個人的には好きなのです。

 

「そして仕上げは髪の色となる。ファンタジー系統の青髪か、それとも和風の黒髪か」

 

 むむむ……。

 これは悩ましい。

 髪の長さは肩にかかるぐらいで片目が隠れてる。顔つきはまだあどけなさの残る少女。ただ肌の色素が薄い程度で人外のような特徴は無し。

 良い所のお嬢様と言われれば素直に頷いてしまう様な可憐さと儚さがある。

 

「……黒だな。ただし漆黒じゃなく、夜を閉じ込めた綺麗な黒」

 

 どっちも同じ黒じゃないかと思わなくも無いが、こういうのはイメージが大事なんだ。

 ただ暗く重いだけの常闇では無く、晦冥たる夜闇の中にも光る星があるように黒く輝く夜の色。

 

 なんなら本当にそういう設定も良き。

 夜という概念が人型を取った姿……みたいな?

 

 人間が昼の世界の覇者なら、夜は怪物の世界。生命や繁栄が『日』なら、『夜』は死や破滅を司る。

 この少女はそんな夜の化身てきな、てきな?

 だけど冷徹なだけじゃない。星明りが夜を照らす様に、あるいは闇夜に月虹が掛かるように冷たいながら救いもある存在。それがこの子なのだ。

 

 酒が回って来たのか昂る妄想。

 ……ちょっと中二が過ぎるが可愛いければ万事おーけー。

 

 さて、ついにキャラ作成完了。

 モニターには15才ほどの黒髪少女が映っている。はいカワイイ。

 

「でもちょっと無表情なのがこわい……」

 

 ビールを一口。

 たぶん俺、現実世界でこの子と対面したら、目を合わせられんわ……。

 

 ここまでの設定と矛盾するが、なんというか瞳に優しさが無い。

 生物が持っているはずの心や情など温かみが一切無い表情をしている。ただ無機質でガラス玉みたいな透き通った目。

 

「んー、まあいいか」

 

 それもそれで、キャラとしてありだ。

 夜のバケモノとして生まれたため愛も情も知らず凍ったままの美少女。

 

 だがそれは愛を知らなかっただけ。

 周囲を欠片も信用せず一人で生きていく覚悟を持っていた子が、主人公に絆され溶かされていく。少しずつ仲良くなって、そして恋仲へ。

 

 すごい! ありきたりな設定! でもカワイイやったー!

 

 この物語の主題は夜の化身を絆すか、それとも人類の破滅かってとこだろう。

 迫りくる夜の脅威から人間種を守るのは主人公(キミ)の手に掛かっている! 人類存亡をかけた勇者君の全力アプローチがいま始まる!

 

 ……なんで俺はヒロインを作成してるん?

 まあ野郎なんか作りたくないから仕方ないね。

 

「んで、終了ボタンはどこ……?」

 

 ビールを一口。するめが旨い。

 

 その瞬間なにか声が聞こえた。

 

 

 ――キャラメイク終了の意志を確認。同意書確認、資格適合クリア。

 ――サブ設定、「夜を閉じ込めた黒」と「凍った人格」を適用します。

 

 ――残ポイント判定。失敗。ポイントが不足しています。

 ――凍った人格によるデメリット補正を加味し再計算……成功。

 

 ――それでは、良い世界を

 

 

「へぁ?」

 

 

 




【夜を閉じ込めた黒】
世界の半分を押し固めた存在。それは強さ弱さの範疇でなく概念の存在。
明けない夜は無いが、暮れぬ日もまた存在しない。夜は必ずやってくる。

【凍った人格】
コミュニケーション能力および感情表出、人間関係に多大なマイナス補正
キャラメイクは肉体影響が大きいので、懐疑心や疑心暗鬼などの精神補正はあんまりない。つまり凄いコミュ障と化す。




▼ファンアート紹介。

三次たま様より
ポプテピ風ファンアート
【挿絵表示】

ヨルンちゃん!
【挿絵表示】

聖女さん!
【挿絵表示】

現場猫風のネタ絵
【挿絵表示】

マーシャ
【挿絵表示】

サン
【挿絵表示】


垢を得たお茶っぱ様より
ヨルン

【挿絵表示】

表紙風味!

【挿絵表示】

第二話挿絵「兵士vs」
https://img.syosetu.org/img/user/346637/81981.png
動くヨルンちゃん!(リンク切れ?)
https://img.syosetu.org/img/user/346637/82605.gif
完結祝い!
https://img.syosetu.org/img/user/346637/85047.png

えのき茸様より
ヨルン

【挿絵表示】

初めて村に来たヨルン

【挿絵表示】

リボンヨルン

【挿絵表示】

リボンもらえた勢とヤト

【挿絵表示】


リフ様より
シティ派ヨルンちゃん!
【挿絵表示】

【挿絵表示】
(アップ版)
61話のあのシーン
昼バージョン
【挿絵表示】

夜バージョン
【挿絵表示】

お昼寝
【挿絵表示】


マカロニサラ・ブリッグス様より
ヨルちゃん!
【挿絵表示】


Polar様より
ヨルンシリーズ!
https://img.syosetu.org/img/user/359545/81947.jpg

しらー様より
特に意味の無いイチャイチャ2のアレ
https://img.syosetu.org/img/user/359910/82099.png


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ファーストコンタクトは失敗するもの

 ははーん……これさては夢じゃないな?

 

「こまった」

 

 俺は今、洞窟の中にいた。

 一切光源が無い入り組んだ洞窟。

 それなのに視界はクリアなのが不思議な夢のようだが、足の裏から感じる地面の冷たさが意識を刺激する。

 

 先ほどまでアルコールでふわふわしていた頭が覚醒してくる。

 右見て左見て何も無い。岩肌ばかり。

 ええぇ……。俺の安い部屋は? 開けたばっかのビールは!?

 

 てか、この洞窟すごいゴツゴツしてる、歩きにくいんですけどー!

 

「どー」

 

 そしてすごい口が回らないですけどー!?

 

 自分の体を見れば、仕事終わりで着ていたワイシャツとスーツのズボン姿だった。

 手足が縮んだのかワイシャツは萌え袖みたいな状態。そして僅かに膨らんでいる胸部。室内に居たせいで素足。

 

 長くなった前髪がウザったい。

 手でどかしてみるがサラサラで戻ってきてしまう。片目が髪でふさがった。

 

「……はぁ」

 

 ここまでくると察しの悪い俺でも理解した。

 

 あのキャラメイクは自分を作っていたのだ。

 こんなことなら説明書をじっくり読み込んで、よく考えるべきだった。

 

 こんな常識外れのこと、理解したくないがそうであるとしか思えない。

 胸の奥がスッと冷えていき背中に嫌な汗が流れる。だがこの年にもなると、泣き叫んだところで現実は変わらない事を理解してしまっている。

 

 メイク画面は殆ど読み流したが、筋力とか魔力とかそういうステータスもあった気がする。つまり魔法があるという事だろう。

 この洞窟が、地球上のどこかなのか、それともファンタジー世界に来ているのかは知らない。

「……はぁ」

 

 一度大きく深呼吸。

 不思議な事に、それだけで気持ちの整理ができた。

 

 まずは安全の確保と自分の能力確認、それと今後の衣食住の確保だろう。

 

「ごはん……ん?」

 

 まずは安全の確保、そう言ったつもりなのに口からは全然言葉が出てこなかった。

 何度か咳払いしてもう一度。

 

「まずはごはんだ」

 

 んーー? なにかおかしいぞぉ?

 口から出てきた言葉はまさかの「ごはん」

 

「???」

 

 もう一度冷静に考える。

 俺の現状――黒髪美少女になって萌え袖やってる。かわいい

 俺の場所――光の射しこまない洞窟。くらい

 

 そして妙に頭は冷静だった。怒りや混乱は驚くほど少なく、まずやるべきことが浮かんでくる。

 つまりこれからすべきことは自分の能力確認、それと今後の衣食住の確保だ。

 

「ごはんだ」

 

 お前なー! お前なー!

 ごはんなんて一言もいってないでしょうがー!

 

「がー」

 

 ……あらーまあ。

 ちょっとこの子、ダメ過ぎない?

 口の回らなさがコミュ障ってレベルに収まらんよコレ。呪いの域よコレ。

 

 

 

 まずは自分の確認だと色々してみた。

 分かった事が二つ。

 まず俺は弱い! びっくりするほど弱い!

 

 そこらに落ちている小ぶりな石を拾い上げて砕こうと力を入れるが、できることは腕をプルプルふるわせるだけ。

 体力検査気分で洞窟内を走ってみれば、一瞬で息が上がる。というか転ぶ。道が悪いだけじゃなく、バランス能力も悪い。擦りむいた膝が痛い。

 

 肉体がダメなら魔法に期待だと考えても、まずどうやって使うのやら。

 力んでみても、思いついた詠唱してみてもうんともすんとも何も無い。

 

 ステータスオープン! 鑑定!

 小さい声が洞窟に溶けていく。

 

 はいはい終わり終わり。

 ステータス配分ミスってますねこれ。

 異世界転生チートなんて所詮は夢なんだよ!くそ死ね!

 

「これは早くもゲーム終了ですね」

 

 そんな事は言ってない!

 

 ……もう一つ分かった事はこれだ。

 この体は無口なのか、考えた通りの言葉が口から出ないのだ。

 

 言葉が省略されるのは当たり前、なんなら全く違うセリフになることも多い。あと口調に抑揚がほぼ無い。

 まあこれは命にかかわらないから別にいいけども……。

 

 恐らく先ほどメイクした【凍った人格】のせいだろう。だが、そのおかげか冷静で頭が回るのもこれのおかげと予想が付いた。

 あと夜を閉じ込めた黒というのはどういう効果なのか気になるが、まださっぱりわからなかった。

 

「とりあえず、ごはん」

 

 違いますー。

 安全の確保と衣食住の用意ですー。腹ペコ少女か貴様。

 

 のっそのっそと洞窟内を歩いていく。

 長ったるいワイシャツの袖とズボンの裾を切り落としたいけど、そんな道具は無い。

 ベルトを一番きつく締めて、捲れるだけまくってなんとかしているが煩わしくてしょうがない。

 

「邪魔くさい」

 

 懸念事項は4つ。

 周囲に人間の街はあるのだろうか? 言葉は通じるのだろうか?

 この体になった原因は? もとの世界に戻れるのだろうか?

 

 いろいろ思う事は有るけどやっぱり心はどこか冷静だった。

 なんとなく焦心が沸いてこない。なんだか現状をどこか他人事のように感じていたのかもしれない。

 例えるなら、夏休み初日に宿題しなきゃなー、んー後でいっかーって感覚に近い。

 違う? 違うか。俺も分からん。

 

「んー……森」

 

 洞窟は思ったよりも短かった。

 しかし外には深い森が広がっており、遠くは見通せない。

 

 人里はどっちかなー?

 とても困った気がしたが、まあいっかーてなる。うーむ困った。

 

 

 

 神は見捨ててなかった!

 

 森をあっちへこっちへ迷っていた俺は運よく道らしき場所へ出た。

 土むき出しで雑草もちょっと生えてるけど、車が通ることもできそうなわだちのある道だ。それほど長い間放置されているとは思えない。

 そんな道を辿って数時間くらいだろうか。村が見えたのだー!

 

 入っても大丈夫なのかな?

 

 周囲を見れば、村を囲むように柵がある。どうやら門を通らずには村には入れないらしい。

 門の前には槍を地面について周囲に目を凝らす門番さん。

 

 でも既に日も沈みかけている。もうすぐ夜だし、森で野宿はちょっとできそうにない。

 人生初ってくらい歩いて疲労感もあるしもう寝たいのが本音だ。当然お腹も減った。

 

 ……なんとかなるさー!

 村の入り口に向かってゆっくり堂々と歩いて行く。

 こんなちっせー村どっしり構えて行けば門も素通りできる物ヨ!

 

「止まりなさい。君は旅人か?」

 

 ひぇええ。なんで話しかけるのぉ……。

 こんな小さな村にも門番いるんだし、やっぱり入っちゃダメなの?

 

 しょうがない。作戦Bだ!

 

 ――すみませんここはどこですか? おれ起きたら洞窟にいて、それでやっとここまで歩いてきたんですよ。旅人なんかじゃないんです、遭難者なんですよ!

 

 作戦B、そう全力ヘルプ作戦だ!

 

 俺の可哀想な境遇を5割増ぐらいで説明する!

 無口少女フィルター作動!

 

「……違う。旅人じゃない」

「む、そうなのか。行商にしては荷物も無いしシーカーにしては年若い……」

 

 作戦Bなんてなかった!!

 無口おめー! なんで俺の長文がそこまで圧縮されるんだ! くらぁ!

 

「すまないが、身分を証明するものは無いか? なんでもいいぞ納税書でも、あー…もしあるならシーカー登録書でもいい」

 

 これは思いっきり疑われているやつー?

 門番さんは俺の足先から頭のてっぺんまで、遠慮することなくジロジロと見てくる。

 

 ダボダボのズボンとワイシャツを着た美少女ちゃん!

 夕暮れ時に森から歩いてきた荷物も無い少女ちゃん!

 なお無口無表情な様子。

 ごめんさい、見紛う事なき不審者でした。

 

「なにもない。街には入れない?」

「……難しいな」

 

 なんでー! どうしてー!

 

「なぜ?」

「基本的に村への出入りは自由だ。だがそれは安全が確認されている人物モノに限る。君は申し訳ないが……あー」

 

 俺に村の外で野宿しろとぉ!?

 怪しくてもいいじゃん、美少女ちゃんだぞー! 黒髪サラサラ美少女ちゃんだぞー! 中身俺のまがい物だけども!

 

「野宿は困る。あと……日が暮れる」

 

 ほら見てよぉ……。

 門番さんがグダグダしてるから、もう太陽が地平線に隠れたじゃないかー。

 夜だよー、どうすんだよー。俺の寝る時間が短くなるでしょー!

 

 

 

 

 アルマロス王国の最南端【深淵の森】の入り口、森の外縁から僅かに距離を置いた平原にこの村はあった。

 この村は比較的新しい開拓村であり、また森からあふれる魔物を監視する駐屯地としての役割を担ったものだ。

 村人の数は1000にも満たず吹けば飛ぶような寒村地帯だが王国の防衛上なくてはならない地点であり、熟練の常備兵が待機している場所でもある。

 

 そこで門番の担当についている男はイヤな予感が抑えられなかった。

 

「野宿は困る。あと……日が暮れる」

 

 深淵の森方向から歩いてきた少女。名前も知らない少女の話は要領を得ないものだった。

 普通の旅人であれば背負っている荷物は無く、行商のように馬車を持つでもない。

 身軽な旅をするのはシーカーと呼ばれる特殊職業に就く者ぐらいだが、彼らは身分証明の道具を持ち歩いているはず。

 

 誰何しても返答は無く、無言でこちらを窺うばかり。

 

 門番は職業柄、人を見る目が養われる。

 この男が見る限り少女は何者にも興味が無さそうな目をしていた。先ほどまで話をしていた男すら路傍の存在のように見ている。

 死んでもいても生きていても少女には関係ない。なんなら邪魔するなら殺すといっているようで、それが男には怖かった。

 

 そしてなにより――

 

(沈む太陽を見る目まで冷たいな……)

 

 この周辺諸国は太陽信仰を主とした一神教が主教となっている。ゆえに人間を守り慈しむ太陽は敬う存在であり、あんな目で見ていいモノではない。

 

 無論、それ以外の宗教も数多く存在してるのは門番の知識にも存在する。それでも太陽を敵視する宗教など男は寡聞にして知るものでは無かった。

 

「君はここまで旅をしてきたんだろう? ならば、入村に関して上司と協議するから、申し訳ないがもう一晩、街の外で野宿を――」

 

 門番の言葉は最後まで続かなかった。

 少女が手のひらを向けて止めたのだ。

 

「待った……ちょっと待った」

「ど、どうした!? 具合でも悪いのか!?」

 

 少女は表情を変えぬまま、もう片手で自分の胸を押さえていた。

 そして一回身震いすると何でもないように門番に向き直る。その背後に黒い巨漢を伴って。

 

「……っ!?」

「日が暮れた。もう夜が来た」

 

 少女が何かを言っているが、門番の耳には届かない。

 夢幻の如く。察する事すらできなかった異形の存在がいつの間にか数メートルの間合いに現れていた。

 

(なんだこの化け物は……! いつからいた!? なんで少女の後ろに!?)

 

 槍を持つ手が僅かに震える。

 無口な少女の背後には、2mを超す巨大な何かがいた。

 

 目も口も無く、まるで全身を墨で塗りたくったかのような風貌。モヤモヤ輪郭が曖昧で風に吹かれている様に揺れて向こう側の景色が見える事すらある。

 存在感が限りなく薄い。まるで周囲に溶け込んでいるかのような、目を離すと消えてしまいそうな存在。

 それでいて指先は鋭利な槍先のように伸びており、獣のように太い腕周りと相まって人を容易く殺傷することができそうだ。

 

 門番はバケモノを視界に入れた途端、脳裏に小さな嗤い声が聞こえた気がした。

 

「村に入れてもらいたい。大丈夫。あやしくない」

 

 怪しさ一杯だぞ!!?

 少女の命令に門番は叫びたかったが、体は震えるばかりで声にならない。

 

 ゆっくりと近づこうとする少女に思わず槍を向けてしまう。止まれと。

 

「――」

 

 瞬間、闇が蠢いた。

 少女の背後にいたはずの黒い塊が目前に居た。

 

 闇は手をかざして槍の先端に手のひらを当てると、そのまま門番に歩み寄ってきた。

 手に突き刺さる筈の刃は闇の中に溶ける様に消えていった。

 

「な……な!?」

 

 闇は少女に武器を向けた事の真意を問い、戒めるように門番の目をのぞき込んでくる

 

 人とバケモノ。顔同士の距離わずか数センチ。

 相手の冷たい息遣いすら感じるようで、門番は逃げる様に後ずさった。

 

 手に持つ軽くなった槍が敵の出現を教えてくれた。

 

「て――」

 

 少女が不思議そうに首を傾げた。

 

「――敵襲だぁあああ!!!」

 

 




垢を得たお茶っぱ様より
挿絵頂きました!
「兵士vs」

【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

未知との遭遇

 村に入ろうとしたら、敵扱いされた……。

 

 いやいや門番さん厳しすぎやしない?

 こんなあどけない少女がやってきたら村にホイホイ入れちゃうでしょ普通。

 家に招いちゃってゲヘへ可愛いのうとか言っちゃって、お酒を出しちゃって。歓待しちゃってよ。

 

 目の前で始まった戦闘をぼけーっと眺めながら思いにふける。

 

 門番の叫びに呼応して村の奥から出てきたのは、統一された防具を身につける10人程の兵士。

 対峙するのは子供が黒いクレヨンで塗りたくって作ったような人型の何か。

 

 いやー見るからにバケモンだわアイツ。モヤモヤした黒い体を上手に使って兵士の武器を往なして意にも介してない。

 腕を振るえば人が吹き飛び、攻撃されても体に突き刺さった剣の鉄部分が消滅している。

 そしてまた人が空を飛ぶ。

 余裕過ぎて甚振るように遊んでる様にすら見える。

 

 たぶんアイツ、俺が生み出したっぽい。

 

 門番と話していて日が暮れた瞬間からなんだか体がむずむずして来たのだ。なんというか、くしゃみが出る時のような感じ。

 

 思わず胸元を押さえて我慢しようとしたけど無理だった。

 そんで、くしゅんと体を震わせたらいつの間にか背後にいた。

 いやもうびっくりした。無口少女になってなかったら、飛び跳ねて叫びあげてた。

 

 今ではそんな闇――仮称――と兵士が無事に乱闘騒ぎしてます。なんでや。

 

 生まれてから一度も見た事ない命のやり取りに俺は動けなかった。

 剣の鋭さや槍の長さなんか知りとうねかった。一般人の俺にどないせーっちゅんじゃー。

 

 悲しくて眉が下がった気がした。表情変わんないから気がしただけ……。

 

 ところで、また胸がむずむずしてきたんだけど?

 いい? くしゃみしていい?

 

 

 

 

「バケモノに触られるな! こいつ武器を溶かすぞ! 距離を取れ、回避を優先しろ!」

 

 闇の人型を囲む部下に向かって激を飛ばす。

 

 ここは深淵の森に一番近い開拓村であり、あふれ出す魔物に備えて実戦慣れした兵士が常駐していた。

 難敵と言われる深淵の森の魔物であっても問題なく処理できる能力を持っていた。はずだった。

 

(門番の叫び声に何事かと思えば……! なんだコイツは!!)

 

 たしかに俺も部下達も一流の兵士という自負があった。森の魔物や他国の精鋭にだって劣らない。

 それでもこのバケモノ相手では力不足と言わざるを得ない。

 

「オオオォォォおおお!!」

 

 槍で囲まれていた闇が腕を振るだけで包囲に穴が開く。

 部下の一人が半分消滅して使えなくなった槍を投げ捨てて、腰から剣を抜くがダメだろう。及び腰だ。

 バケモノの咆哮は歴戦の魂まで震わせる。あれ程頼もしかった腰の剣が玩具の剣と同じに見えてくる。

 

「な、なんだよコイツ! こんな魔物見た事ないぞ! 獣種でも亜人種でもないのか!?」

「隊長!! どうすれば!? 精霊種なんて俺等じゃ手に負えませんよ!? そもそも、こいつが精霊か知らないですけどね! 隊長しってますか!?」

 

 知るか! そんなこと俺が聞きたい! そもそも俺たちの仮想敵は森の魔獣種であり、こんな未知のバケモノは専門外だ!

 

 叫び出したい弱音を呑み込んで、隊列を崩すなと指示を出す。

 

「包囲に留意しろ! 突出するなよ、動きをよく見て合わせていけ! 喜べよ相手は人型だ。腕はたったの二本しかないぞ!」

 

 一度崩れたらもう立ち直れない。

 次の行動に対処するために、全員が固唾をのんで動きを待つ。

 

 しかしそんな俺たちの対応を嘲笑うかのように闇は動かなかった。

 バケモノは俺たちの存在を無視して主人である少女に向き直っている。指示を仰いだのだろうか。

 

 俺たちから目を離す余裕。敵扱いもされていない。

 その様子から舐められているなと感じ思わず唇をかんだ。

 

「……」

 

 少女は自分の胸を押さえてわずかに視線を下げていた。

 一切答えないが、こちらを見る目はずっと冷たいままだ。それが答えなのだ。闇は一回大きく頷いた。

 

「来るぞ……総員防御用意ッ!!」

 

 バケモノが僅かに重心を下げると、瞬く間にトップスピードで駆け出した。ドウッと音と共に土埃が舞い上がる。

 

 ――疾いが対応できないほどじゃない!

 剣が振るわれ、槍が突き出される。だがそんな事は化物に関係なかった。

 

 バケモノは全てを呑み込むように腕を広げると、体中に武器を受け入れながら俺へと真っすぐ突っ込こんできた。部下が妨害に入るが一瞥すらしない。

 

 どうやら指揮という概念を理解してやがるようだ。そしてこいつ等の隊長が俺だという事も……!

 

 一歩で3m。2歩で10m。

 あれほど有った距離がいつの間にか0となり――

 

「隊長さん伏せて! 【sparkle/生命の煌めき】!!」

「っ助かる!!」

 

 後方から援護射撃。詠唱と共に飛来する光球が周囲を照らす。

 

 辛うじて回避は間に合った。

 横へと飛ぶように伏せる俺の上を光が走り抜けて、バケモノに衝突する。

 

「――ォォオ!」

 

 魔法の光は奴の突進のエネルギーを全て奪い去り、逆方向に吹き飛ばす。

 

 戦闘開始から初めてバケモノはよろめいた。だが、倒れない。

 バケモノは魔法がぶつかった腹部から黒い粒子を零しながら、依然と詠唱者をにらみつけていた。

 

「まさか闇の眷属……? いや、違うのでしょうか」

 

 待望の援軍は村の礼拝所で勤めるエリシア聖教の女性司祭だった。

 

 

 

 

 すごいね人類。

 ゾンビでハザードなゲームに出てくる強敵クリーチャーさながらの筋力と生命力、俊敏性を持つ闇を相手に対等に渡り合っている。

 

 最初は終わったね人類と思ったけど、金髪で白い祭服を着た聖女っぽい存在が介入してから一気に持ち直した。

 

 なんか兵士の剣が光っている。ついでに体も光ってる。及び腰だった姿勢が前傾になって、バケモノとぶつかり合う。

 聖女さんは後方でブツブツなんか唱えてる。

 

 あれは何だろう? なんか聖なるエネルギーだろうか? 浄化されそうなパワーをびしびし感じる。

 じゃあそれに祓われる俺と闇は悪役……うん、間違いねーわ。いきなり街を強襲した俺は間違いなく悪役。

 

 違うんだよー…そんな考えなかったんだよー…。

 俺はただ村に入れて欲しかっただけ。くしゃみしたら変なのが生まれてただけで……

 これは互いの不幸なすれ違いでね、うん。

 

 弁明したり、あの闇に向かって戦闘を止めるように指示できればいいのだが、俺だっていま一杯一杯なのだ。

 

 もうね、さっきからクシャミしたくてしかたない!

 いまにも胸から何か漏れ出しそう! くしゅんとしたら胸から絶対なにか出る! いや、エロい意味ではない。どうせ出てくるのはあの闇の化物だ。

 

 それを頑張って耐えてる俺。誰か褒めて。

 

「っく……! まだ倒れないの!?」

 

 聖女さんが苦し気に汗をかいている。兵士達も気合を込めるため咆哮を上げている。

 俺も冷や汗出てきた。口を開いたらくしゃみ出る。やばーい……! 胸元をぎゅっと握りしめて耐える。

 

 この中で闇だけが元気いっぱいだ。

 包囲されても半回転して周囲を薙ぎ払う。その直後、飛び上がって上から急降下。ストンピングだー! おっと、兵士さん吹き飛ばされたー!

 

「救護班! アイツを下げろ! 踏みつぶされるぞぉお!」

 

 倒れた兵士に向かって闇が追撃に掛かるが、そのまえに隊長の指示で周囲からカバーが入る。

 兵士の連携がいいのだろう。

 前から横から槍が突き出され、剣が振るわれ闇の足が止まる。

 

「オォオオ!!」

 

 それも数秒の事。闇はこともなげに打ち払った。

 負傷者はもう後方へ下げられている様子。

 

 再び状況は膠着状態。

 兵士たちは一定の距離を取って光る武器で闇を牽制している。

 

 どうやら闇は光っている剣は嫌いらしい。

 初対面時のように、モヤモヤの体で武器を飲み込むことはしなかった。

 

「兵士さんまた支援を入れますよ! 【Enchanting:wish sparkle/光り輝く強き意志】!」

 

 あ、聖女さんが何か詠唱終わったらしい。

 

 一陣の風が吹いて俺の前髪を揺らす。

 兵士さんの剣の輝きがまた一段と強くなり、もう周囲は昼間のように明るかった。

 

「オォオオオ!!」

 

 そこからは一方的な展開だった。

 これまで攻め一辺倒だった闇が防御に回る。だがそれも既に意味をなさない。

 

 剣が振るわれバケモノの腕が落ちる。

 槍に突かれた場所がボロボロと崩壊を始めた。負けじと隻腕で殴りかかるが後ろからまた斬られた。

 

 闇が苦し気に呻いているが……あれ? これまずくない?

 

 だって俺にそのつもりは無くとも、傍から見れば俺は街を襲った不審者。

 もし闇が打ち払われれば……よくて拘束? 悪ければそのまま俺も殺される?

 

「……ひぇ」

 

 がんばれ! 超がんばれ闇!

 聖女なんかに負けるなー!

 

 

 

 

 

 聖女には勝てなかったよ…。

 

 ズシンと重い音を立てて闇が崩れ落ちる。

 全身からなんか不気味な粒子をまき散らして薄くなっていく。

 おまえ……消え方まで悪役っぽいなー……。

 

「それではあなたが誰なのか、聞いてもいいでしょうか?」

 

 疲労困憊の様子の聖女がゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 肩で息をしている兵士たちもジリジリと俺を囲むように動き始めた。すぐ手荒な事をしないのは、聖女が対応してるからか、警戒してるからか……。

 

「先ほどの黒い怪物はいったい? あなたの目的は……?」

「……」

 

 そりゃもう宿ですよ、寝る事ですよ! 美味しいご飯もあれば最高ですね! とはいえ今更そんな事は言えない。

 

 どうすればいいんだろう、何が悪かったんだろう。

 目線が自然と下がる。

 うーむ……ファーストコンタクト大失敗だ。おもに俺の責任で。

 

 ちょっと悲しくなってくる。

 思わずムズムズの我慢がきかなくなった。

 

「く、しゅん。……ぁ」

「あ」

 

 はい、闇の追加入りまーす。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一歩進んで二歩戻る

 

 

「全員距離を取れェェえッ!! 支援部隊は今すぐ倉庫から予備武器を持って来い!ありったけだ!!」

 

 隊長さんの大声が村中に響き渡り、それと共に止まっていた空気が動き始めた。

 

「おいおいおい! 化け物あれ一匹じゃねぇのかよ!」

「うるせぇ! いいから動け! ぼさっとするな死ぬ気か!?」

 

 ガチャガチャと兵士さんたちが慌ただしく陣形を変える。

 これまでの包囲陣から、村を守るように横陣へ。

 

「……そんな、うそ」

 

 なんとか敵を一体倒した私たちは絶望を前にしていた。

 聖魔法での補助を受けた一流の兵士が10人以上――無論、直接斬り合うのは瞬間的なら3人にも満たなかったが――で戦い、なんとか打倒した黒い怪物。それが僅か数秒で復活を果たしのだから。

 

「ん……! は、くっ…ん!」

 

 いやまた増えた。

 黒髪の少女が僅かに苦しそうに身じろぎすると、次々に怪物が生み落とされていく。

 

 数秒前まで1体だったのが瞬く間に5体を超えた。まるで堰を切ったかのように誕生が止まらない。

 

「……司祭さん。いけるかい?」

「いいえ……できてあと数回、簡単な補助魔法程度です。隊長さん達は?」

「加護無しなら1分。過ぎれば全滅だ。あの数は想定外……そもそも精霊種との戦闘自体が想定外だがな」

 

 隊長さんと小声で相談するが互いに絶望的な報告しかできない。

 

 ようやく怪物の増加は止まったようだ。彼等は少女を守るように立ってこちらを睨みつけていた。

 目の前に己の死を突き付けられたようで思わず視線が厳しくなる。どうやら最初から私達に勝ち目は無かったようだ。

 

「なあ……大霊地とかダンジョン深部にいる精霊種が一杯だぜ。おれ達、夢でもみてるのかな。昼に食った森のキノコが悪かったかな?」

「そりゃいいな。なら見てろよ、俺はこれから無双するぜ。あのバケモン共相手に大立ち回り。はは、明日から村の英雄だ」

 

 武装を半分以下まで削られ、聖魔法の補助はもう無い。

 兵士さんたちも気力が尽きたようで諦観交じりに剣先を下げてしまう人すらいた。隊長さんが活を入れる。

 

「お前ら無駄口を叩くな!! 作戦変更! 裏口から村人を逃がせ! 有事の際のルートを使え! 作戦開始!」

「っ――応!」 

 

 跳ねるように数人の兵士が村に向かって全力で駆けた。その背を守るように残りの兵士さんが道をふさぐ。

 村人の避難はまだまだ時間が掛かるだろう。だけど、それまで少女は襲撃を待ってくれるだろうか?

 

(そんなわけ無い……じゃあ、ここに残るのは死兵。覚悟を決めた人たちだけ)

 

 右を見ても、左を見ても決意に満ちた顔が有った。先ほどまでの諦観とは異なった顔つきだ。

 

 きっと隊長さんの命令のおかげだろう。

 今この戦場では死が意味を持った。

 村人を逃がすという意義を死に見出してここで散華する。一歩も引くまいと命の限り使命を全うする。

 やはり兵士さんは凄いなと思う。命を捨てる覚悟が良いか悪いかは一概に言えないけど、誰かを護るために命を燃やせるのは生半可な信条ではできない。

 

 だからだろう、少女のつぶやきが耳に付いた。

 

「大したことない」

 

 少女は無感動にそんな事を言っていた。

 とても小さく冷たい声なのに、いやに戦場に通る声だった。

 

「っ! なにを!?」

「強そうな見た目してるけど勝手に戦って、勝手に負けた。正直……いや」

「ぐっ……正直、なんだって? この戦闘を見た感想がそれか! 貴様が言うか!!」

 

 隊長さんの怒声が響く。

 お腹の奥まで響くような一喝でも少女は顔色一つ変えず目線だけ隊長に向けて言い放った。

 

「……結果からの評価に偽りはない。戦士としての価値は勝利にこそある。感情を挟んだ評定なんか欺瞞と一緒で負けた時の言い訳に過ぎない」

 

 ――だから敗者であるお前等は価値が無い。

 

 少女はそこまで口には出さなかった。でも、その声色や表情、眼差しなど全身を使って言外に語っていた。とても雄弁な程。

 

「……っ!」

 

 いっそ清々しいまでの言葉を浴びて、隊長さんは悔しそうに拳を握りこむしかなかった。

 

 彼や兵士さん達は敵から無価値と断じられても言い返すことができずにいた。

 兵士としての存在意義を侮蔑されても、決死の士魂を馬鹿にされても、村の守護者として少女の言葉こそ事実だったから。

 

「――違う!!」

 

 だから私は思わず声を上げた。

 

「それは違います! 結果ばかりに目を向けて、努力や信念に敬意を払わないのは、いくらなんでも冷たすぎる!」

 

 私がこの村に赴任してまだ半年。

 まだまだ余所者として村に馴染んでいない私だけど分かる事がある。

 

「兵士さんはみんな全力だ! いつだって剣を振るって己を追い詰め、獣を払い、街を守ってきた!」

 

 少女が目を瞬かせた。

 

「戦って負傷して、手足を失っても最期は笑っていた! 被害が少なくてよかったって自分を顧みなかった! 多くの人が紡いできた命の営みとその軌跡、その心象! 分かりますか貴方に!?」

 

 兵士として正しいとか、間違っているとかそんな事は知らない。女子供には分からない世界だから引っ込んでろなんてよく言われることだ。

 だけど、護られる方だって感じるものがある。

 

「敗者は無価値ですか! たった一度の失敗で悪ですか!? そんなことはない! きっと誰かが信じて支えてくれる! だから人は人を護るんだ!」

 

「……」

 

 叫ぶように声を荒らげてしまうのは私の弱さだ。

 逃げだしたくて泣き出したくて……でも兵士さん達が馬鹿にされたのが悔しくて、震える体を意地で押さえつけて彼女を問いただした。

 

 もはや魔力は尽きている。これ以上の戦闘は不可能だ。だけど私だってやるしかないのだ。

 この冷淡な襲撃者を前にせめて村のみんなが逃げる時間を稼がなくてはならない。それが私にできる精一杯。

 

「私はこの村に配属されたエリシア聖教の司祭ディアナ! 貴方の名前と目的を教えてください! そんなに沢山の仲間を従えて目的はなんですか! 貴方は何を為しますか!」

 

 制止する隊長さんを押しのけて前に出る。

 兵士さん達は驚いたような目で見てくるが、いいから自分の役割を果たして欲しい。

 

 バケモノたちが警戒するように私の周囲に集まってくる。少女との距離はもはや手を伸ばせば届きそうな距離。

 

 返答は期待してなかった。

 ただの時間稼ぎだった。名乗りの途中で殺されると思っていたし、その覚悟はしていた。少女の目はそれほど冷め切っていた。

 

 だけど、どうやら私の予感は当てにならないらしい。

 

「いい……もう、いい。帰る」

 

 少女は私の顔をじっと見つめた後、表情を変えることなくそう言うと背を向けて歩き出した。闇の怪物達もこちらを一瞥して少女に倣い去って行く。

 

 それが私にはすごく意外で……なんとなく少女の後ろ姿は悲しげに見えた。

 

 

 

 

「……なんか綺麗な人に叱られた。かなしい」

 

 たしかに俺が悪かった。

 村を襲撃したのもそうだけど、あの聖女さんが怒りだしたのは俺が失言した時からだった。

 ――闇さんって見た目に反してちょっと弱いね。普通に負けるんだ……。

 最初の闇が殺されたときに、ふとそう思ったのだ。

 

 なんで自分から突撃して返り討ちにあってるのアンタ?

 俺まで死を覚悟したじゃん! 捕まって牢屋行きかと思ったじゃん! 勘弁してよ……と。ちょっと八つ当たりもあったと思う。

 

 だからだろうか。俺の思考が少女フィルターを通って出てきた言葉は「(闇のバケモノも実は)大したことない」だった。

 この仲間を悪く言う暴言が聖女的にアウトだったのだろう。

 

「すごい熱意だった……」

 

 聖女さんは結果だけじゃなくて過程も大事だよって村の兵士さんを実例に挙げて、俺に教えてくれた。

 負けた闇も頑張ったんだから責めてはいけませんって。褒めてあげなさいって。

 

 なんかすごかった。

 ああ、これが本当に他人を尊重できる人なんだなぁって。聖女は伊達じゃ無いんだなぁって。凄かった。

 語彙が崩壊するぐらい凄かった。尊敬。

 

「でもあれは兵士自慢しすぎ。考え無しの闇しか仲間に居ない私への当てつけか?」

 

 あの村はいいものだ。

 規律正しい兵士さんや、正道を照らす聖女さんがいる。きっと苦難を幾度も乗り越えて来たし、これからも乗り越えていくのだろう。

 

 でも俺の方はどうしよっか……。

 

「一歩進んで二歩戻った」

 

 俺は村での出来事を無かった事にして、最初に目が覚めた洞窟に戻ってきていた。

 

 断じて聖女さんに申し訳なくて自分を恥じて逃げ帰ってきた訳では無い。

 前髪を弄っていると目線がさ迷ったが、嘘ではない……! これは戦略的撤退と呼ぶのだ。

 

 村から洞窟への帰り道は闇が運んでくれたからだいぶ早かった。

 ただ力持ちなだけでなく動きは早いし、走行の衝撃を俺に伝えないような細かい配慮もできるらしい。闇に背負われて木々の隙間を縫って走る光景はジェットコースターだった。

 

「ただ……すごい増えたね」

 

 チラッと後ろを見れば、闇がおよそ30体。

 彼らは帰還した洞窟内で思い思いの場所に腰かけていたが、俺が振り向いたのに気付いて全員が注目してくる。

 

「ひえ」

 

 威圧感が凄かったので前に向き直る。

 背中に視線がビシビシ当たってる……!

 

 村では5体だったけど、帰路でもくしゃみが我慢できなかったからまた増えた。というか我慢しても後で揺り戻しが来るようだ。

 村の戦闘中にムズムズを我慢しすぎたら限界突破したのか一回のくしゃみで一杯生まれたし、我慢は一時的なものでしかないようだ。

 

 コイツ等こわいよ……。

 なんで無言で俺の事見つめて来るの? なんで誰もアクションおこさないの? こわいよ?

 

「どうしようか」

 

 もう闇達は放っておく。

 

 村にはしばらく行けないだろう。

 幸い死者は出していないと思うが、そんな事は関係ない。俺はすでに襲撃者なのだ。

 いやたぶん、襲撃者じゃなくても人のいる所で生活できた気がしない。

 

「っ、くしゅん」

 

 ぽん、と闇の追加。

 これのせいだけど、これなにー……?

 なんで俺がくしゃみをすると化物が生まれる訳?

 

 正確にはクシャミが生んでいるのではなく、胸がむずむずしたら生まれる訳だが……。

 昼間はそんなこと無かった。この謎現象は日が沈んだ直後から始まったのだ。

 

「……夜かな」

 

 思いつくのはキャラメイクした時の記憶。

 俺が無口キャラになったのは、その時に考えていたことが再現されたのではないのかという仮説が最初から有った。

 

 なら【夜を閉じ込めた黒】という中二設定。あれも生きているのだろう。

 だから夜になったらむずむずしてきた……?

 

「く、しゅん!」

 

 闇、という呼び名は安直すぎて可哀想だろうか?

 こいつ等はもう30体を超えているから、個別に名前を付けるのは厳しいがもうちょっと捻った名前が欲しい。

 

「名前ないの? 種族名とか」

 

 近くにいた闇に尋ねる。

 無言で頷き、手を振ってきた。なにジェスチャーゲーム?

 

「ふーん……」

 

 何言ってるか分かんねぇわ。

 身振り手振りでなんとか俺に伝えようとしてくれているみたいだが、分かんねーね。

 どこぞのファンタジー小説みたいに「鑑定」できれば楽なんだけど、そんな事は出来なかった。

 

 あ、シュンとした。

 うーむ、しっかり知能と感情があるらしい。

 なら最初に産んだ闇には悲しいすれ違いとはいえ、事故の戦闘で殺してしまったから申し訳ない事をした。

 

「ん…? なに?」

 

 闇達の中でなにやら自分を指さしておれ、おれって感じでアピールしてくる奴が一人。

 

「お前が死んだ奴? 最初の犠牲者?」

 

 あ、頷いた。生きてたのか。良かったね。

 なんだろう再誕したのかな? よく分かんないけど、一安心。

 

 ふと聖女さんに言われた事を思い出す。……褒めてあげるべきなのだろうか?

  えーでも俺は戦えなんて言ってないしー、こんな事態に陥った原因の一端はコイツにもあるしー。

 ……けど、死ぬまで俺を守ってくれたのは事実だ。

 

「ん」

 

 闇の体を労わるように撫でてみる。すごく冷たい。

 

「がんばった」

 

 ――ありがとね。

 その一言は省略された。

 

 伝わっただろうか? 顔を上げて様子を伺えば、闇は俺が撫でた所をゆっくり撫で直してる。

 ……なんだよ。汚いってか?

 

「くしゅん」

 

 はい。追加

 

 とりあえずおなか減った。靴無いし足痛い……。

 だれか切実に俺を助けて。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

検証と想定

 

 

 村での悲しい事件から3日が経った。

 いま俺は洞窟に引き籠っている。

 

 こんなに長い時間誰とも会話しなかったのは初めてで人恋しい気もするが、それ以上に逮捕されるのがイヤだった。

 なんでこんな事した!と村を襲った事を責められるのが怖かったから、洞窟の一番奥に隠れていた。

 

 幸いだったのは夜人(ヨルビト)――俺がくしゃみと共に生み出す闇の人型のこと。名前つけた――が俺の言う事を素直に聞いてくれることだ。

 走れと言えば全力で走るし、お腹空いたと言えば野生動物を狩ってきてくれる。器用に火も起こす。物理で。

 

 彼らに助けられながら俺はこの3日間を生きてきた。

 野生動物の肉だけじゃ飽きると言ったら、どこからかパンと野菜を持ってきてくれたからそれで食いつなぐ。他にも丈夫な衣類、靴も彼らが持ってきてくれた。外にいる獣も追い払ってくれているようだ。

 やっぱり彼らがいなければ俺は3日も生きていけなかっただろう。

 

 ところで、この衣類は森で亡くなった人の遺品だろうか? それにしては状態がいい気がする。新鮮なパンはどこから持って来た……?

 意外とこの森は色々なものが落ちてるのかな?

 

「……深く考えてはいけない。森には色々落ちている」

 

  萌え袖と裸足はイヤだったからすごく助かった。

 ズボンとワイシャツは数少ない礼服だからしっかり保存しておいてとお願いして夜人へ預けた。いつ使うか知らんけど……。

 というわけで今俺は美少女ちゃん村娘スタイル。ごわごわした服が安っぽい作りです。

 

「夜人……名前安直だと思う? ヤト」

 

 フルフルと首を振り俺を肯定してくれたのは一番最初に生み出した奴。

 今ではなんとなく愛着がわいてしまったから俺の付き人扱いしてる。名前もこいつだけ【ヤト】と付けた。夜人の読み方を変えただけと言ってはいけない。

 

 さて力持ちで耐久力もある夜人だが、意外に弱点が多かった。

 

 まず日の光が大の苦手。

 ここが洞窟だからいいが、外で直射日光を浴びると黒い粒子をまき散らしながら一瞬で蒸発していく。もって10秒といった所。

 数人の夜人は尊い犠牲だった……なむー。その夜には復活して元気にしてたけど。

 あ、あと日光以外に聖なるパワーも苦手だと思う。これは村での戦闘を考えて想像だ。

 

 そして日中という時間帯も苦手らしい。

 たとえ洞窟の暗闇の中に居ても、夜の間に比べると格段に力が落ちて動きも鈍くなる。

 昼間では精々、普通の大人くらいの力しか出ないようだ。十分と言えば十分だけど、夜の性能を知っている俺からすれば物足りない。

 

 次に俺の真意を理解してくれない問題。

 なんで村で戦闘に入ったのか問いかけたけどヤトは「え、なんで?」と首をかしげるばかりだった。

 いやいや荒事は駄目でしょと言っても「またまたー」って感じ。俺は本音を分かってるぞと肩をポンポン叩いてくる。たまに頭を撫でてくる。

 あんだてめぇ、戦闘種族かぁ……?

 

 4つ目の弱点は、近接戦闘しかできないということ。

 夜人は黒いモヤモヤでできてるから物理攻撃は一切を無効化するし、力もかなり強い。そのくせ触りたい物には触れられるのが不思議だが……まあそういう生態なのだろう。

 そんな物理無効と触れたモノを消滅させる【闇送り】と名付けた技は強力だ。

 

 だけど逆に言えばそれしかできない。

 村で出会った兵士と聖女がしっかり準備してきて、弓矢なんかをピカピカさせてきたら、たぶんすぐ全滅する。それが日中なら言わずもがな。

 夜人は強いが決して無敵の存在ではない。それがこの3日間で至った俺の結論だ。

 

「ただし夜になるとすっごい増える模様」

 

 この世界に来て3日。

 既に洞窟は夜人でパンパンです。100体を超えたあたりからもう数えてない。

 

 くしゃみが止まらない夜。増え続ける夜人。

 俺は今のところ安眠できておりません。

 

 さてどうしたものか……。

 とりあえず俺の直近目標は生活が安定して、かつ安眠できること。

 いやほんとにねキツイのよ。寝ている時もくしゃみで目が覚めるの。それからまた寝ようにも、十分経たない内にクシャミが出るせいでうまく寝付けない。

 一回ストレス溜まりまくって、生まれたばかりの夜人をペチンと叩いたが効果なし。なんか首傾げられた。俺は日中にふて寝した。

 

 この夜人生産クシャミ現象も一種の魔法だと思うから、魔法書かなんかで勉強すれば制御もできるようになるだろうか?

 

 夜の化身と言っても夜は眠いのだ。だからなんとか俺に平穏を……夜睡眠という安穏をください……!

 まあ昼夜逆転でもいいんだけどさー、クシャミが止まらないのはヤダよ。せっかく美少女なのに、なんか格好つかないじゃん。

 

「ああ……あと、こっちも。これ……無口」

 

 コミュ障の呪いを解くことが第二目標だろう。

 

 夜人に鏡を持ってきてもらったけど、やっぱだめだわこの子。怖い目してる。

 「既に3人埋めました」みたいな目してる。ちょっと怒らせたら、貴方は足から切り刻みますとか言いだしそう。

 一切他人を信用しないような顔してるから村入れてもらえないんだよぉ。

 

 それに加えて、村人とのファーストコンタクトを振り返ってみたけど、どうもあの時の口調は固かったのではないかと思ってしまう。

 だってあの時の自分のセリフを思い返しても、評定だの欺瞞だの偽りだの……使った事ねぇよ! そんな言葉!

 

 この3日間で独り言を呟いたり、ヤトに話しかけた事もあったけどもそこまで堅苦しい言葉じゃ無かった。

 だから村での戦闘時とこの3日で何か条件の違いがあるんだろうけど……いくつか仮定がある。

 

 凍った人格は常時発動だからきっと無関係で、どちらかと言えば【夜の化身】の影響が大きいだろう。

 夜が司るものは死とか破滅とか、キャラメイクの時に考えたからだろう……生者を前にして口調が厳しくなってた可能性が思い浮かんだ。

 

 そしてもう一つ、加えて夜の時間帯だったから体も興奮しちゃったのだろうか?

 ……言い方が変態っぽいな。よくない、訂正。

 ハイテンションで口調が中二っぽくなったと言おう。どちらも仮説でしかなく想像の範疇を出ないが。

 とにかくこのコミュニケーション障害を何とかしないと、色々とやり難そうだ。

 

「うぼぁー」

 

 こんな声出してみても、可愛いよりも怖いが先に来る。

 儀式かな? 邪神でも呼んでるのかな?

 

 あーもう、どんな体だよ少女ボディー……。

 俺という精神が肉体のスペックにまるで追いついていない。口調や能力を制御できないのはそのせいでもありそう。

 

「ぐすん」

 

 膝を抱えて落ち込んでいたらなんか夜人がワラワラ寄ってきた。

 あいつら基本的に見た目怖いから、用が無い時はあんまり近づかないでと言ってあるけど、たまにこうやって俺の様子を見に来るのだ。忠犬かよ。

 

 ちょっと俺も優しくしたくなるだろ。

 てか彼らに見捨てられたら俺は死ぬから優しくしなきゃなんだけどさ……。ホラー苦手の俺からすればマジで怖い。

 虫とおんなじで一匹ならまだ耐えられても集まってくるともうダメ。

 

 そう思っていたら、集まってきた夜人にヤトが「散れ散れ」と手で追い払ってくれた。

 

「おー……さすが」

 

 こらヤト、さりげなく俺の頭を撫でるな。

 俺は男であるぞ。

 そこまで褒めてないし認めてない。調子に乗るな。

 

 いいから俺のご飯と水、服その他もろもろ拾ってこーい。

 

 

 

 ……よし、行ったな。

 静かになった洞窟の最奥で一人考える。

 

 現在時刻は夜。この世界に来て3回目の夜だ。

 初日は村での戦闘とふて寝、二日目は夜人の性能確認に使った。そして今日が3日目。

 日中は夜人の護衛が使えず怖くて洞窟から出れないし、そろそろ動き出した方がいいだろう。

 

 初日の戦闘は俺の中でもう終わった事になっているが、現実問題としてそんな気楽な考えは出来ない。

 

 現実世界で例えよう。

 街で見た事も無いバケモノを引き連れた少女が兵士――警官あるいは自衛隊を襲撃した。負傷者多数、武器破損山ほど。

 

「いや……もうアウト確実」

 

 当日中に夜のワイドショーを席捲すること間違いなし。小学校は臨時休校になって警邏は爆増。警察は犯人を逃すまいと躍起になっていることだろう。

 

「うぼぁー」

 

 俺は門番と聖女にばっちり顔を見られている。戦闘中は薄暗かったのと、夜人が注目を浴びていたからそれ程注目されていなかったと信じたいが……。

 顔写真か似顔絵か知らないが少なくとも主犯である俺はお尋ね者間違い無しだろう。

 

 困った……。凄く困った気がする。

 それに対して俺の取れる対応は何だろう……?

 

 案その1。

 村に謝罪に行って弁明する事。

 奇跡が起これば俺は無罪放免、でも十中八九檻の中。

 見た所、文明は中世から近代には入っていない感じだった。魔女裁判とか打ち首獄門とか野蛮なこと普通にしてそう。

 もしかして火炙り? ……ひえ、俺は絶対謝らない!

 

 案その2。

 このまま洞窟に引き籠る事。

 あんまり現実的ではない気がする。相手だって犯人捜ししてるだろうし、歩いて数時間の距離にある洞窟じゃあ見つかるのも時間の問題だろう。

 それにこの先長い人生ずっと洞窟の中というのはちょっと……やだ。3日でもう寂しい。

 

 案その3。

 大量の夜人を動員して村を支配。事件を無かった事に……アホか。考えるまでも無く却下。

 

 案その4。

 遠い町で全てやりなおす。これが一番まともな案かもしれん。

 ただし俺がクソ雑魚少女なのに日中は夜人の護衛が付けられず、夜には夜でバケモノ製造機となることは考えないモノとする。

 

「……八方ふさがり。どっちみちこの体質じゃ町で暮らせなっ…くしゅん」

 

 ポンと新しい夜人生誕。

 はいはい、向こうに行っててね。あっち、人の多い所。

 

 そして向こう側では多数の夜人に歓迎される新人の図が展開された。

 なんか和むけど見た目まっ黒お化けなんすよ、あれ。

 

「やっぱり、能力制御が急務……」

 

 俺はこの世界の事も魔法の事も何一つ知らない。

 どんな選択を取るにしても、最低限のことを知る必要があるだろう。情報を持たずして作戦は立てられない。

 

 岩に腰かけたままトントンと膝を叩いて思案。

 ……やるしかない。

 

「ヤト、いる?」

 

 声を掛ければ物陰からゆっくりと一人の夜人が姿を見せた。

 

「いま夜人は何人いる?」

 

 ヤトが指を一本立て、手のひらを広げて、また一に戻す。151人ということか。

 

「……そろそろ、ここも収容人数ギリギリ。洞窟が手狭になってきたし、拡張が必要」

 

 ここは自然洞窟だ。

 入り口から最奥まで湾曲しながら100m程度の長さがあり、途中には綺麗な湧き水もあったりする。だけど通路は狭く入り組んでおり、大人が2人並ぶとやっと通れる程度の細さしかないから大人数は収容できない。

 

「この先どんなことが起こるか分からない。作戦が上手くいくかもしれない、失敗するかもしれない。けど、セーフティーゾーンはどちらにせよ必要。わかる?」

 

 分かるらしい。ヤトは重々しく頷いている。

 ほんとに知能は悪くないんだよな……ただ会話できないからスッゴイ不便というだけで。

 ヤトの考えを聞ければもっと助かるのだけど、それは駄目だった。なんと言葉は理解してるくせに日本語を知らないようだ。発話は口が無いからできない。

 

「部隊を二つに分ける。まず、洞窟を拡張する班」

 

 これに51人。

 崩落が怖いから絶対に無理しないように言い含めて、通路の拡張と深部の採掘を命ずる。昼間は無理でも夜ならそのハイパワーを用いて何とか出来るだろう。

 採掘班長の任命はヤトに任せる。ぶっちゃけ俺はヤト以外の見分けがつかん……。好きな奴選んで班長にしてくれい。

 

「そして第二班、夜人100人。そして私」

 

 一度会話を止めて一呼吸。決断を下す。

 

「……私達は村へ行く」

 

 リーダーはお前だぞヤト。しっかり俺を守ってくれよ。

 あ、ちがう! 略奪じゃないから!

 違うから興奮するなって! 止めろファイティングポーズをとるなって!

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

それぞれの思惑

日間ランキング1位ありがとうございます。
誤字修正も助かりました。


 夜の化身というのは、やはりすごい存在なのだろう。

 

 月明りも無い曇天の夜。

 ヤトに背負われながら村へ駆ける道中、俺の視界は非常に良好だった。

 木陰で休んでいた子狐が俺等の行軍に驚いて逃げたのが見て取れた。

 

「……周囲に展開している夜人104人。配置もわかる」

 

 【夜】は俺の領域ということだろうか?

 一人ひとりの布陣だけでなく、何となく周囲の気配というのも感じ取れる。

 

 ちなみに100人部隊で洞窟を出たけど現在104人。はい、増えました。

 新人君も先達も、それぞれ見分けつかないんだけど……。なんとかならない?

 

「ヤト……見分ける方法」

 

 おんぶされているから一番近くにあったヤトの頭をポンポン叩く。諦めろと言わんばかりに首を振られた。

 ……おまえら外見の違い無いんか? 可愛い色リボン付けるぞおい。

 

「狼、熊、後あれは……なんだろ。でっかいの」

 

 この森は思ったよりも危険な場所だったらしい。あちこちに生命の気配を感じる。

 初日に何事も無く街に行けたのは運が良かったのか、それとも野生動物の勘が俺から何か感じ取っていたのか?

 

 そんな命溢れる森の中で異彩を放つ気配が右前方斜め方向に点在していた。

 身長3m程の人型。こっちの物音に気付いたのかゆっくり近寄ってくる。夜人に比べて遥かに鈍い動き。

 

「ヤト……あっち」

 

 熊じゃない。ゴリラじゃない。二足歩行でしっかり歩いてる。

 なんだろうと思って聞いてみると、ヤトは分かったと言う風に周囲に指示を飛ばし始めた。

 警戒にあたっていた遊撃班の夜人がその気配に向かって進んでいく。

 そして接敵――気になっていた気配が消えた。

 

「……?」

 

 ん? なに、なにしたの?

 

 ヤトがゆっくり速度を落として立ち止まった。

 遊撃班の夜人も戻ってきて手を振っている。こっち来いって感じ?

 

 俺も小さく手を振り返した後にヤトの背中から降りて近寄っていく。

 そして気付く。あれ、あいつらなんか真っ赤じゃね? なんか腕に抱えてね?

 

「待って待って」

 

 こいつら、なんか変な生き物の首抱えて帰って来やがったんだけど。

 赤色の肌。額から伸びる角。そして見開かれた瞳。

 そんな御首をどう?どう?って感じで俺に見せつけて夜人達。

 

「……それはおかしい」

 

 お前ら猫じゃねぇんだから獲物自慢すんなよ! 捨てて来いよ!

 って、アイツらそのまま近づいてきやがった! ほ、褒めて欲しいってかぁ!?

 

「うん……すごいよ」

 

 近距離で鬼?の首を見ても嬉しいとは思えない。けれど不思議と嫌悪感も思ったよりも少な……いや、血とか生首とかグロイからやっぱりやだよ。

 

 血まみれの夜人は触りたくないから撫でてあげない。言葉だけで褒める。

 それでも嬉しいのか夜人達が身じろぎした。血が飛んで来た。

 

「ひょあ」

 

 ひょぁあああ!!?

 ヤダー! お前等、それ捨ててこいー!

 

 慌てて俺は後ろに下がる。その瞬間、足がもつれた。

 

「あ……」

 

 素早く動こうとして運動機能が付いてこなかったようだ。少女がクソ雑魚ボディだったことを忘れていた。

 徐々に後ろに傾いていく体と近づいてくる地面。あと迫りくる夜人。

 

 ガシッっと。

 音を付けるならそんな感じ。

 転びかけた俺の体は、鬼の首を放り捨てた夜人が抱え上げていた。

 赤くベットリした温かい液体が首筋を伝う。

 

「にゃ」

 

 ニャ゛ぁあああああ!! 血まみれ止めろってーー!!

 

 

 

 

「ストップ。ここまで」

 

 色々あったが忘れてしまい、森を出る寸前で部隊を止める。

 数日振りに見る村はそれはもう厳重な警戒網を敷いていた。

 村全体を囲う木柵、かがり火。そして何人もの歩哨。

 

「この前まで歩哨はいなかったはず……やられた」

 

 あちゃー……。

 俺が襲撃したから警戒がきつくなったのだろう。

 ひっそり村へ忍び込んで一般家庭から周辺地図、お金、魔導書――あるのか知らないけど勉強用に欲しい――を頂く計画が破綻しそうだ。

 

 それを使って準備して遠くに逃げる作戦だったのに!

 初日の無計画行動が裏目に出ている。もっと慎重に動くべきだった。

 

「ヤトあれは困る。どうにかならないか?」

 

 違う。だからファイティングポーズをとるな。どうやって解決するつもりだお前。

 

 俺はこの村と敵対したくない。

 できる限り穏便に、可能なら友好関係を築く方法を取るようにしていきたい。

 潜入がダメならもう堂々と正面からお願いに行くべきだろうか? 村との交渉もいいかもしれない。

 

 それをしっかり伝えて、なにか他に妙案が無いかヤトに尋ねる。

 

「……? ヤト?」

 

 なんで視線をそらした?

 顔を覆うのはなに。え? なに、なにかした……?

 

 あ……もしかしてこれか、俺の服の惨状。

 

「誰のせいだと思ってる」

 

 ヤトは目をそらしている。

 

 現在の俺は「美少女ちゃん村娘スタイル」改め、美少女ちゃん血塗れスタイルだ。

 たしかにこれで行ったら、ちょっと大変かもしれない。

 どうしようと悩んでいたら誰かが肩を叩いてきた。

 

「ん? おー、替え服」

 

 なんだろと思ってたらワイシャツとスーツのズボンが差し出された。

 そうだ一人の夜人に預けてたんだ。すばらしい、替えよっと。

 

 俺は脱いだ村服で体に付いた血糊をふき取って、今度は血まみれの服を夜人に預ける。

 下着はちょっと血がついたままだけど……裸ワイシャツはしないよ。

 

 

 

 

「今朝は6家庭が姿を消していた。周囲には前日から恐怖を漏らしていたらしいし……まあ、十中八九、夜逃げだろうな」

 

 村に建てられた集会場の中に4人の男女が居た。

 イナル村近郊――この村のことだ――の領主かつ村長のプスオフさん、駐屯兵隊長のレイトさん、その部下で少女に初接触した門番オーエンさん、そしてエリシア聖教の代表として私。

 4人が円座に並んで座っていた。

 

「旅の食料にするつもりか、いくつかの畑からも作物が無くなっている。止めなくていいのですか? 村長」

「出ていくなら出て行かせればよい。だが着の身着のままで村をでて、どこへ行くというのか……。他の農村に行けば余所者でしかなく、よくて小作人扱い――奴隷のような扱いだ。たとえ無事に大都市に行っても仕事なんか有りはしないぞ」

「死ぬよりスラムで生きる事を選んだのでしょう」

「ですが、この三日で治安の悪化が出ています。うちの礼拝所にも窃盗被害の相談が……」

 

 私達は何度もあの襲撃に関する協議会を行っていた。

 ずっと少女の正体やバケモノの能力、存在を討論してきたが答えはでていない。

 そして今日はあの日から続く、村人の流出と治安の悪化についてから話が始まった。

 

「はぁ……混乱に乗じた窃盗かのぉ。これだけ夜間警備が増えたのに。軽犯罪は減る方が普通じゃろうて」

 

 村の中で被害届が出たのは3件の家族からだった。

 畑の野菜が盗まれたのはいい。だけど娘の衣類や靴が無くなっている、果てには下着まで。なんだろうかこれは?

 

「……性犯罪は勘弁してほしいな。この慌ただしい時に」

 

 隊長さんが嫌そうにつぶやいた。

 

「村長さん司祭さん、下着盗難被害の娘さんの年齢は? やっぱり若い子ですか。部位は? 色や数は?」

「……え、門番さん、まさか」

 

 真面目な表情でグイグイ質問する門番さん。

 私の視線が気になったのか、彼は慌てて手を振った。

 

「ち、違う! 俺の興味本位じゃないぞ!? たしかに言い方は悪かったかもだけど犯人を捜すにも特徴が必要で……ねえ!?」

 

 彼は助けを求める様に他の男性二人に視線を送る。

 

「門番のキミに、そんな趣味が有ったのか……まさか入村の検分でも若い子がいたら検めてるのか? 服とか」

「いつもお世話になってる兵団の君に言うのも失礼じゃが、村の評判に傷をつけるのはその……いやぁ、分かるけどのぉ、ははは」

「味方がいない!? ちょっとディアナさん!! どうするんですか、この空気!」

 

 まさか門番さんの性癖を本気で受け取っている人はいない。彼もそれは分かっているだろうし、乗っただけだろう。

 だけど門番さんが立ち上がってしまうほどの慌てっぷりに笑ってしまった。

 

「ごめんなさい。ちょっと門番さんの下着への食いつきっぷりが面白くて」

「まったく……人前では止めてくださいね」

「ええ。分かってますよ。外面は大切ですもんね?」

 

 門番さんは私を見るとダメだこりゃとつぶやいて腰を下した。

 私は悪戯っぽい笑みになっていないだろうか? ちょっとムニムニほっぺを触ってみる。

 隊長さんがゴホンと咳払い。

 

「しかしディアナさん、貴方も随分と長い事猫を被っていたようで」

「然り然り。儂も先日の戦闘風景を遠めに見させていただきましたが、まさかあんなに熱い方だったとは……。もっとはやく言ってくれればいいモノを」

「……え? そうでしょうか?」

 

 突然、矛先が私に向いた。

 隊長さんの言う猫がいまいち理解できず首をかしげる。

 

「俺もディアナさんの敬語抜けた口調、あの時はじめて聞いたな。村に来て半年、なんか堅苦しい司祭さんが来たというのが村中の評判だったよ」

「えぇ……? 堅苦しいって……敬語ぐらい業務上普通でしょう」

 

 ましてや私は聖職者。

 今では常に他人を尊重し、模範的な生活を送るように気を付けているのだ。それを堅苦しいと言うのは違う気がする。

 さっきの悪戯は……ちょっとした気の迷いだ。ここ数日一切笑ってなかったから、つい昔の癖が出た。よくないよくない。

 

「男は綺麗な女性に一線を引かれるとそれ以上立ち入り難い物なんだ。どうしても遠慮が出てきてしまう。高嶺の花というやつだな。あー、まあ一線を越えた奴は関係ないが……下着に興味津々の奴とか」

「隊長、もしかしてそれは俺ですか。ん? 喧嘩ですか? ん?」

 

 そういうものなのだろうか……?

 

「聖都から赴任してきた堅物司祭だと思ってた人が、あの戦闘中に兵士たちを想って敵に啖呵をきる。あの言葉に心惹かれた兵士も多い様だぞ。かくいう俺もその一人だがな」

「い、いや……」

 

 隊長さんに優しく笑みを向けられて、気恥ずかしさと相まって視線が下がる。

 たしかにあの日以来、兵士さん達と世間話をする時間が増えた気がする。そんなことを……。

 

「は、話を戻します! いいですか、ここは村の存亡をかけた協議の場ですよ! ふざけないでください!」

「一番ふざけてた人が何か言いだしたぞ……」

 

 門番さん黙って!

 

「では窃盗被害は作物と衣類ですね。目録を作成して警邏の者に回覧して頂きましょう。それ以外の情報はありますか村長さん」

「やはり、村の中で黒い塊を見たという者は少しずつ増えてきておる……。やはり夜の時間じゃな」

「それも3日前からか。無関係とは思えない、というか……アイツだろ」

 

 黒い塊と聞いてこの場にいる者は共通の存在を思い浮かべた。

 三日前に襲撃して来た少女とその仲間……なのだろう。いまいち情報が足りないので何とも言えないが、あの時交戦した存在をどうしても想像する。

 

「……少女が門に来たあの時、俺がもう少し穏便に対応できれば」

「死んでいた。状況を考えればその可能性が一番高い。何を言っている」

 

 門番さんは少女と初対面した時の事を後悔しているようだった。

 あまりに怪しい少女の出現から始まった戦闘開始までの経緯は報告されて全員が知っている。そして妥当な対応だったと結論は出ていた。

 

「今思い出しても手が震えるよ。あの子は俺を見ていなかった。ただ邪魔だから退けって言っていた。だけど、決して彼女から手は出さなかった。先に武器を取ったのは俺なんだ」

 

「お前は熊が間合いに入っても歓迎するのか? 少女だけが居て武器を向けたなら、一時間でも二時間でも叱責してやるが、バケモノ相手に門番が諸手を挙げて歓迎してみろ。俺はお前を殴る以外にどうすればいい?」

 

 もしも、あの戦闘で死者が出ていたなら門番さんの苦悩はなかっただろう。

 ああやっぱり敵だったで終わる話。

 

 だけど現実は大きな怪我は誰も負う事なく戦いは終わり、最後には少女が圧倒的優位に立ちながら帰って行った。

 村を襲う考えがあったなら、あまりに不自然な行動。

 

「だけど、隊長やディアナさんは気付きましたか? あの子、裸足だったんだ。長い距離を歩いたのか、足首は草で擦った出血の痕もあった。加えて服はダボダボで彼女の物じゃないのは丸分かり」

「……何が言いたい?」

「俺は彼女には彼女の事情があったんじゃないかと思ってる。例えば急いでどこかから逃げて来たとか、抜け出してきたとか。じゃなきゃどうして裸足なんだ?」

 

 門番さんは考え込むように腕を組んだ。

 

 その考察を聞いてなる程と頷いてしまった。

 私が現場に着いた時には戦闘が始まった後だったし、裸足にもぜんぜん気付かなかった。

 逃げてきた可能性か……でもどこから? そもそもアレだけ強力な仲間がいて逃げる理由なんてあるのだろうか?

 

「と、すみません。ただの想像です。バケモノの事はまるで分かりませんし、そうだったらいいなっていうか……」

「いいや、大丈夫だ。貴重な意見だ。そうだな、化け物が一番分からない」

 

 4人で色々と意見を言ってみるが、この仮説には答えが出なかった。結局情報が足りなすぎるし門番さんの想像でしかない可能も高いと保留になる。

 その後にいくつかの現状報告や周辺探索の結果を隊長さんが説明した後、村長が重苦しく口を開いた。

 

「それで隊長さんや……援軍の方は? あの化け物に関して王都への伝達はどうなったろうか」

「早馬は出したが、王都まで行こうと思ったら半月は掛かるでしょうな……イナル村が国境ギリギリの場所なのが災いした。あの化け物を想定するなら、大規模な増援が必要だがそうすると他国を刺激する。外交を通じて調整もしないとだろうし、援軍は来ても来月といったころでしょう」

「はぁ……こんな事なら、連絡魔具を用意しておくべきだったかの」

 

 つまり来月まで、現状の兵力で少なくとも5体のバケモノと対峙しなければならない。

 隊長は努めて淡々と報告したが私は村長の顔を見る事が出来なかった。ただ村長の苦しそうな呻き声が聞こえてくる。

 

「隊長さんや何とかならんか。厳しい事を言ってるのは分かってる。だけどこの村は儂の夢なのだ! 長年かけて築いた希望なんだ! なんとかイナル村を守って欲しい!」

「……私たちは全力で職務に当たります」

 

 村長は縋りつくように懇願するが、隊長は一言も守り切るとは言わず言葉を濁した。

 この三日間で幾たびも繰り返された光景だ。誰も救いの言葉をかけられない。

 

 ……無理なのだ。

 意地悪や資金不足で援軍が来ない訳では無い。ただ無理なのだ。南端に存在するイナル村は王都から距離的に遠すぎた。

 

 周辺に正義を貴ぶ騎士修道会が存在する大都市は無く、アルマロス王国軍は仲の悪い東方諸国に対抗するために待機中。

 村の存亡をかけた事件でも、誰も来てくれない。期待が出来ない。

 

 ――なら村を捨てるしかない。

 誰からともなく、そんな話が村中でにわかに持ち上がったのは仕方が無い事だろう。村長はそんな話を耳にしてしまってから、ずっとこの調子だ。

 

「ここは儂が作った開拓村なんだ。30年間をこの村に捧げてきた! 儂の全てをつぎ込んだ! なのに、なのに……最後は結局これか」

 

 一通り慟哭すると最後に村長は意気消沈して静かになった。

 

 齢80を超える老人が、更に老け込んだように見える。

 枯れ木のようになった腕は今にも折れそうで、しわの刻まれた顔がもっとクシャクシャになっていた。

 

「村長さん……」

 

 彼には悪いが、村を捨てる選択肢は十分ありだ。

 このまま村に残っても襲われれば死ぬしかない。ならば貧困層に身を落としても別の街を目指すべきなのだ。

 

 しかしその決断は村長や多くの村人にとって重すぎた。

 みんなで持てるものを持って近場の都市を目指すのも最悪ではない。最悪では無いが……その次に悪い。

 一回目の襲撃で少女が死者を出さなかったから。圧倒的優位でも少女は帰っていったから。色々と正当性を探して村に残っている人が多い。

 けどそれは危険な賭けであり、推奨していいものか判断が付かない。

 

(正解はどこにあるんだろう……)

 

 私は有りもしない道を探して悩んでいる。

 誰も不幸にならずに、誰も悲しまないそんな道。

 

 誰も喋らない集会場で沈黙だけが流れていく。

 

「と、ところでバケモノについてだけど!」

 

 そして数分経った頃だろうか、門番さんが話題を変えようと声を上げた。

 村長さんは魂が抜けたかのように床板を見つめたままだ。……今日も慰めに掛ける言葉が見つからない。

 

「村にある書物ではバケモノの正体は分かりませんでした。少なくとも周辺の魔物として扱われてはいないようだ」

 

「だろうな。そんな簡単に分かるなら俺が知っている。ぱっと見は精霊種に近かったが……宗教関係はどうだい?」

「聖都の大図書館なら分かりませんが、村の礼拝堂にそれらしい記載は無かったですね」

「そうか。ならばやはり精霊種と考えるのが妥当か? 本来は大規模霊地やダンジョン深部にしか居ないと言われるモノたちだが……」

 

 納得できないような表情で隊長さんが考え込んだ。

 

「……」

 

 私も再度あの姿を思い出す。

 兵士さん達を凌駕する長躯と剛腕。顔にはパーツ1つも無く、唯一ある特徴は指先が鋭利になっていること。

 生物的にあり得ない容貌で、人を殺すためだけに作られた存在にすら見える。

 しかも精霊種とは異なって明らかな敵意を感じた。能動的にこちらを殺してきそうな濃い殺意、人間を恨んでいるような気配だ。

 

 聖書の一文が私の頭をかすめる。

 

「……闇の眷属」

 

 永い永い神話の一節だ。

 世界の始まりで太陽の化身たるエリシア様と争った神様のお話。

 

 かつて世界は平らで一つだった。

 太陽はずっと輝きを失わず、一年を通して常に世界を祝福してくれていた。

 大地の中心から湧き出る巨大な滝と神様の光は植物を育んで、邪悪を払っていた。人間は働かずともよく、食べずとも死なず、栄華の絶頂を極めていた。

 

 だけど、それを嫌がった神がいた。

 小さな口論は激しさを増し、諍いとなり、殺し合いへと発展していく。

 神の全力を以って行われた戦いは百年とも千年ともいわれる果てに、エリシア様が勝者となった。

 

 だけど無傷とはいかなかった。

 世界は一度崩壊して宇宙と丸い星々に再構築された。

 エリシア様も多くの力を堕とし、太陽はずっと輝くことができなくなり、昼と夜という概念が生まれた。

 

 そんな世界の始まりのお話。

 

「……って、みなさんどうしました?」

 

 ぼそぼそと思い出しながら話していた私は周囲の空気を無視していた。

 なんだか重苦しい空気になっている。

 

「いや初めて聞く話だと思ってな。聖職者には有名な話なのか?」

「はい聖学校で習う基本的な歴史です。まあ、熱心な信者さん以外はここまで興味無いから知らない方は多いですけど」

 

 そんな話の中に出てくる、夜の神とそれに付き従う闇の眷属。

 

「詳しい記述は失われているので分かりません。ですが、なんとなく【闇の眷属】が実在したなら、あんな姿だったのかなって」

「それは……凄い話だな。つまり俺たちは主神に近しい存在と争ったと」

 

 はははと困ったように隊長さんは首をかいた。

 たしかに私の話を真に受けるならバケモノは闇の眷属であり、それを従える黒髪の少女は【夜の神】ということになる。

 

「ないんじゃないですかね……」

「ないですね」

 

 それはなかった。

 黒髪少女は人間だ。とても冷たい目をしていたけど、外見やその気迫、存在感はたしかに少女のものだったと思う。

 だからあの子は神様じゃない。なにか色々抱えた、ただの女の子なのだ。

 

 ……脆弱な人間でしかない私たちは、そう思い込みたかったのかもしれない。

 神と敵対など絶望的だし、なにより絶対にまた会うことになるだろう予感がする少女に神様であって欲しくない。

 

 そして、その予感はすぐに現実となった。

 慌ただしく集会場の扉が開かれ、哨戒に出ていた兵士が息を殺して駆け込んできた。

 

「隊長ッ! 村長さん、司祭さんも大変だ! む、村の入り口に! あの化け物が……! 女の子と一緒にまた!」

 

 四人が同時に息をのんだ。慌てて入り口に駆けていく。

 

 とりあえず今話したことは憶測中の憶測。とんでもない暴論にすぎない。

 現世に神様が顕現されるわけがない。ましてや世界を滅ぼす夜の神など……。

 

 だけど、彼女が本当の神様かもしれないという思いは私の頭の片隅に残り続けた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

交渉という名のナニカ

ストックが尽きたので明日はお休みです。
感想返し滞っていますが、大変意欲につながっております。ありがとうございます。


「練習する」

 

 森の中で再びダボダボの萌え袖に戻った俺は待機するヤト達に言い放った。

 

 最初の計画では村に潜入して、誰にもバレずに必要物資を頂いてくる作戦だったが警備が厳重なので撤回。交渉に入ることにした。

 

 俺はこの世界の事を何も知らない。

 ここがどこなのか、魔法の制御はできないのか、知りたい事は山ほどある。だけど洞窟に引き籠っていては何も進まない。だから今回の交渉はそれを手に入れる切っ掛けにする。

 

 そしてあわよくば交渉を介して襲撃の件をうやむやにしたい。

 小さな取引から始めて、交流を続けることで俺が村に敵対の意志が無い事を分かってもらうのだ。

 ……それでも罪を償えとか問答無用で捕縛に来るなら俺は逃げる。

 生憎と俺はこんな訳分からん状況で牢屋に入る程、人間出来ていない。

 

 でも穏便な手段を選択したいのは本音だ。村人とも仲良く成れるならそれが一番平和でいい。

 

(だけど、このコミュ障少女がまともに交渉できるのかどうか……俺は今から不安です)

 

 なにせ口下手なんてレベルじゃないからなぁ。この体のコミュ障は呪いとほぼ一緒だからなぁ……。

 ちょいちょいと手招きしてヤトを正面に立たせる。他の奴は待機。

 

「話し合いの練習する」

 

 首を傾げられた。

 ヤトは村人役やってね、と強引にスタート。

 

 状況は俺が村の門に出向いたところから想定。

 きっと兵士たちがワラワラ集まってくる。ここで矢が射掛けられるようなら即座に撤退。

 

 今回は代表者が出てきました、と。

 はいヤト出てきて。そうそこ、そこに立ってて。

 

 交渉のテーブルに入る前に、まずは挨拶と最初の戦闘の謝罪が必要だろう。

 

(こんばんは。この前はすみませんでした、はい)

「……謝罪する」

 

 うむ、まあよし!

 俺の言いたい事が少女フィルターを通って出てきた。

 ちょっと違うが、基本的に意味は一緒!

 

 ヤトはうんうんと頷いている。村人的にオーケーという解釈だろうか?

 

 次はあの戦いが事故だったことの説明と物資の供給のお願いを言ってみる。

 

(あれは事故で、俺は戦う気は無かったんです。いま困ってるので助けてください。ご飯とか地図とか、必要なものが一杯あるんです。お願いします。はい)

 

「助けを求める。ごはん欲しい」

 

 ……うむ?

 なんかすごい勢いで省略された。

 ヤトも会話の内容に理解が及ばなかったのか首をかしげている。

 

 長文はだめ? なんかすごい不安になってきた。

 

 この体は夜の化身であり、コミュ障だ。

 俺の考えた仮説ではきっと夜人でなく、人間を相手にするともっと口調が固くなる気がする。

 

 あー分からん! このまま交渉に行っても大丈夫なのだろう!?

 俺にはもう失敗する未来しか見えないが、ここで引き返したら村に来た意味すらなくなる。

 

 木々の隙間から見える村を伺う。

 この前よりも兵士は一杯いる。みんな武器を携えている。

 

「出たとこ勝負」

 

 ……失敗を前提で動くべきだろう。

 最悪、もう一度戦闘に入る事すら想定する。

 

「全員、合図まで戦闘は禁止。ただし攻撃を受けた場合の反撃は許可する。即座に撤退行動へ移る」

 

 撤退と言った辺りで夜人達が困惑するように互いの顔を見合った。

 ……撤退すんだよ。いいね、間違っても殲滅すんなよ? 振りじゃないぞ?

 

「交渉中の威圧的行動も許可しない。これは恫喝では無く、取引だから」

 

 夜人達は「分からん……」というように腕を組んで首をかしげた。だからその戦闘種族的思考やめーや。

 

 もしも交渉決裂したら諦めて遠くへ逃げる。

 そして今度こそファーストコンタクトを成功させるのだ! では、れっつごー。

 

 

 

 夜人達を伴って、ゆっくり歩みを進める。

 

 向こうの兵士達が慌てている様子が見えるまま、俺は村の手前で歩みを止めた。門を挟んで俺は兵士たちと相対する。

 村を囲う柵に付けられた篝火(かがりび)が爛々と輝き、周囲は夕暮れのような明るさだ。

 

 だけど昼間じゃ無い。

 俺の知覚は優れたままで、夜人達も気合が入っているのか全身に黒い瘴気を纏わせて待機中。

 

 門に柵と言えば恰好は付くが、ほとんどが木枠で作ったスカスカの囲いだった。

 向こう側など丸見えで大型の獣であれば時間稼ぎ程度には成るかといった作りの壁。でも俺のような少女ボディにとっては絶対防御壁。

 

「……たわい無い。これは夜人を舐めている」

 

 でもヤト達ならいけそうだねーの意。

 なんだろう、この少女ボディはやっぱり人前になると緊張するのだろうか?

 たわい無いって何だよ、いつ使うんだよ。練習の時はそんな言葉使いじゃなかったじゃんか……。

 

 そうこうしているうちに門の奥では兵士たちが静かに集まってきていた。その数実に50人。

 この前の10人は即応部隊だったのだろう。

 三日目に比べて遥かに防衛網が強固になっている。俺も相手も緊張した表情で違いを伺っていた。

 

「まだ……まだ」

 

 俺の待ち人はまだこない。

 目を瞑って精神統一すれば村の全域なら辛うじて把握できる。当然、こちらに向かって駆けているいくつかの気配も読み取れた。

 

 あれがたぶん聖女さんかなぁ……。

 村の中央付近から移動している4つの気配。

 他と比べて凄い輝いてるのは聖女さんで、一緒に来てる一際強い気配は隊長さん?

 彼らが門にたどり着いたのを感じ、集中するために瞑っていた目を開く。

 

「来た」

 

 門の向こう側には凛とした聖女さんが居た。

 木枠越しに十数メートルの距離で見つめ合う。

 

 俺は彼女を待っていた。

 これからするのは一世一代の大交渉。互いに口約束でしか交わせない俺の命綱。

 ならば交渉相手は俺が一番信頼できる彼女を抜いて他にいない。

 

 聖女さんは村を襲ってきた他人にも、ダメな事はダメとしっかり叱れる人だった。

 頭ごなしに否定するのではなく、自分の考えをしっかり語ってくれた彼女だからこそ信頼できる気がする。

 

 あれ、だけど一歩前に出てきたのは隊長さん……?

 なんだろう彼が村の代表なのだろうか。ちょっと困る。

 

「……」

「……」

 

 あの……何か言ってくれませんか?

 無言で睨まれてもその……困る。

 

「君は――」

「お前じゃない」

 

 あ……やばい。隊長さんと喋り出し被った! お互いにイヤな奴だー!

 しかも俺は対人用少女フィルターONだから、かなり言い方きつくなってる。

 

「……」

「……」

 

 そして互いに譲って無言になる悲しいやつ。

 くそ、突っ込め! 貴方じゃなくて、聖女さんに代わってくださいと言う、言うぞー! 優しく言う!

 

「お前じゃない。お前(ごと)き用はない」

 

 あ、ダメだ!

 隊長さんごめんね。言い方きつかったね。

 だからそんな悲しそうな顔しないで。

 

「……来て」

 

 もうこれ以上喋るとダメだ!

 俺は出来るだけ単語だけ述べる様に意識して聖女を指さす。

 

「わ、私ですか!?」

「そう」

 

 聖女さんは何度か視線をさ迷わせてから、大きく息を吸い込んだ。

 

「何の用でしょうか……今日は随分と沢山の方と一緒にお越しになったようで」

 

 一歩前に出た聖女さんと門を挟んで向かい合う。

 

 彼女の後ろには50人の屈強な兵士。

 だけど俺の背後にはおよそ100人の夜人がいる。最悪を想定して、いつでも逃げられるように戦力は遊ばせてられない。

 ちょっと相手を威圧するかもしれないけど、許して欲しい。俺だって怖いのだ。

 

(こ、こんばんは)

「……良い夜だ」

 

 え、待って。なんか思っていたセリフじゃない。

 ちょっと昔の心がざわついたから少し待って。一回落ち着く。

 

 大きく息を吸って吐く。それと同時に聖女さんの様子を確認。

 相手は純白の祭服を着ていた。首から提げた球形のロザリオは太陽を模したモノだろうか。

 対して俺は再びスーツのズボンとワイシャツ仕様。靴も血が付いていたから、いま足元はなにも履いてない。

 

 ダボダボ服装に裸足と格好付かないが……しょうがない!

 チラッと夜人が抱えていた血まみれの村服を見つめる。あれを着てたら大変だもんね。

 

「――ッ!?」

「?」

 

 その瞬間、聖女さんの顔つきが変わった。

 まるで信じられないモノを見たように、夜人――正確にはその腕の中にある血まみれの服――を見ている。

 

「そ……その、服はどうしたのでしょうか? なぜあなた方が?」

 

 聖女さんの声は震えていた。

 ……そうじゃん。俺等、明らかにヤバイ物を持ってるじゃん。

 

 夜人おまえなー! なんで血まみれの服もって来てんだよー!

 置いてこいと言ってないけど、常識的に考えて持ってきたらヤバいの分かるでしょ!? 普通置いてくるでしょ! ……コラ! 首かしげるな!

 

(せ、聖女さんや! それは森での拾い物ですよ! 気にしないでください!)

「それは戦利品。こんな些末な物、今はどうでもいい」

 

「どうでもよくありません!! それはこの国の人がよく着る服じゃないですか!? なのに、どうして血まみれなんですか! 戦利品とは一体何ですか、まさか貴方!?」

 

 ひぇ……ヤバイよこれ。

 交渉に入る前から終わるー!

 

「そんな事は(あずか)り知らない。想像が飛躍している。これは森で拾った、それ以上でも以下でもない」

 

 俺の焦りが夜人にも伝わったのか、それとも聖女の大声に反応したのか、俺の後ろで夜人達もにわかに動き出した。

 肩越しに後ろを見れば、夜人達が一歩距離を詰めていた。

 

「どうして戦闘を希望する?」

 

 夜人さんはどうしてそんなに好戦的なんですか?の意。

 俺が睨みを利かせて制止したから、夜人はどうやら理解してくれたらしい。ヤトはしゅんとして後ろに下がった。

 

「っ――! そうですか」

 

 聖女さんも一歩下がった。

 ……なんで!?

 

 迫る夜人達が有無を言わせない気迫でもあったのだろうか? 聖女さんが悔しそうに黙り込んでる。

 

 無言の空間にパチリと薪が撥ねる音が響いた。互いの白い上着に篝火が映える。

 

 ……交渉決裂の気配!! 夜人キサマー!

 でもここまで来たら突き進むしかない。もっと働いてくれよぉ少女の体ぁ!

 

「先日の出来事はお互いに不幸なモノだった。申し訳ないと感じている」

「……はい。こちらも当時の門番から入村に関して不手際が有った可能性を聞いています。なにかしらの行き違いが有ったかもしれませんね」

「そう。あの程度で済んでよかった。死者を出さなかった事に感謝して欲しい」

 

 ここで初めてピクリと隊長の眉が動いた。

 

 ――この前はお互い不幸なすれ違いがあって申し訳ない。でも、戦闘もあの程度ですんでよかったですね! 結果的に死者をどちらも出さなかったですし、お互いの幸運に感謝しましょうの意。

 

 ……なんか凄く泣きたい。

 やっぱり、この少女ボディは人間になんか恨みあんのか? どうして俺の思考や言葉尻を捕らえて悪意マシマシで説明するの?

 ほんとに人格凍ってる? 違うよね、悪意あるよね!?

 

「ええ、そうですね。多分な配慮に感謝します」

 

 村に攻めてきておいて、死者を出さないでやったから感謝しろって……うん、聖女さんもブチ切れ案件だ。

 血まみれの村服の事すら呑み込んだあの聖女さんもこれには無表情。

 

 ぬおーーー!! やっぱり俺に長文は駄目だァ!

 短く! 簡潔に!

 でもちょっと思った事でもついポロって喋ってしまうのだ。この少女ボディ操縦不能すぎるー!

 

「契約を申し出る。拒否すれば困窮することになる」

「……契約、ですか?」

 

 違う! お願いと言え!

 困窮――困るのは俺だ!

 

「困窮とは具体的には?」

「死ぬ」

「なるほど殺すと。それは分かりやすいですね」

 

 (この村周辺で)生きていけないのも俺だ。

 どう引っかかった? 死ぬのお前かよーって突っ込み待ちね。少女ボディの小粋なジョークねコレ。

 あ、聖女さんも笑ってる。まさか少女ジョーク伝わった?

 

「契約内容を言う前に脅迫……ふふ、面白い人ですね。白紙委任状を差し出させるつもりですか? 私達に命から何まで全てを寄越せと」

 

 はい、伝わってない!

 というかこれで伝われば奇跡か、聖女さんがさとり妖怪だったかのどっちかだ。

 そして聖女さんは妖怪じゃない。QED

 

 なんか、どうにもならない気がして来た。

 もう致命的な事が起きるまで突き進むわ……。

 

「私が欲しい物はたった3つ。それを差し出させる」

「……どうぞ」

 

 俺は一度言葉を区切って大丈夫かなと相手の反応を待った。

 聖女さんは不機嫌な様子で続きを促してくれた。どうやらまだ対話は可能!

 

「まずは食料。指定時刻までに指定場所へ……毎日夜の9時にこの村の出入口に人一人が苦労なく食事できる量を置くように」

「……どうぞ」

 

 あれ奇跡起きたわ。

 なに少女フィルターやればできるじゃん。ちょっと高圧的だけど、普通の内容じゃん!

 

「次の要求は魔導書。……魔導書は存知?」

「ええ、知っていますよ。ですが種類は豊富です。貴方の求める物はなんですか?」

「できるだけ醜悪で残虐で、邪悪なものが欲しい。有名なモノは幼子の皮を生きたまま剥がして作られたともいわれる人皮装丁本」

「に、人皮!? なぜ、そんな物を!?」

 

 う……裏切ったなぁ少女ボディ!

 なぜ貴様は俺の期待と信頼をすぐ裏切る!?

 

 たしかに夜人は邪悪そうだから、それ系統の魔導書が役に立ちそうで欲しいよねぇと言ったつもりだ。

 たしかに邪悪な魔導書ってフィクションだと人の皮で作られてるよねぇとも思ってしまった。だけどそれを欲しいとは言っていな……少女も欲しいと言ってねぇや。引っ掛けか貴様!

 

「魔導書は私の目的のために必要。それ以外に他意は無い」

「そんな人皮なんて……とても私に用意できるとは思えませんが、そんな呪われた本が必要な目的、理由を教えてください。もしも邪悪な目的があるなら、拒否せざるを得ない」

「私は安眠が欲しい、ただ、それだけ」

「え? あん…みん? 誰かへの害意とかじゃなくて……安眠」

 

 聖女さんは訝し気に眉をひそめた。

 考えていた理由とは全く違うものだったからだろう。

 

 まあおどろおどろしい魔導書寄越せって言われて、その理由が安眠なんて思わんわな。でも聖女さんも一晩中のクシャミ地獄に悩まされればわかるよ。絶対。

 

 てかこの理由は素直に言うのね少女。

 なんだろお願いを契約に言い換えたり、思っただけの人皮装丁本を話題に出したり、普通の話ならまだいいけど邪悪系統の話になると途端に饒舌になってねぇかなこの少女ボディ。

 

 やっぱり夜の化身だからそっち系の話に興奮してる? ないか。……ないかな?

 でも考えてたように人前だと余計に口調固くなるし、悪意に満ちた言葉の取捨選択するし……。

 あーもー! 【夜の化身】って一体なんなの!?

 

「どうしてそんな魔導書が、貴方のような少女の安眠に繋がるのですか? むしろ逆、下手に呪いの品を手に入れたら寝れなくなるような気がします」

「力が必要。私が誰にも脅かされることなく生活するにはもっと力が必要」

「脅かされる? だから力、ですか? それはそんな曰く付きの魔導書じゃなければならないモノですか?」

「安寧が手に入るならなんでもいい。力が手っ取り早いと感じ、魔導書が有れば力が手に入ると考えた」

 

「……なる程。では、3つ目をお願いします」

 

 これはセーフか? アウトなのか? 分かんねぇなぁ。

 もう俺の精神はボロボロよ……。

 

「最後の要求は知識」

 

 早く終わってくれぇと思いながら最後のお願い。

 

「私にはこの世界の一切が未知。だからその知識が必要。以上」

「知識が無い? この世界の知識……。そんなことあり得るのですか?」

 

 うん?

 うーむ、なんか今日最高に聖女さんが困っている。

 

「すみませんが、貴方の言う知識が欲しいというものが漠然としています。具体的にはどんな知識ですか?」

「分からない所も分からない。必要なのは世間一般常識」

 

 聖女さんは頭が痛いのか眉間を指で押さえてブツブツとなにか考えこみ始めた。

 

 そんなの普通じゃないとか、本当に裸足なんだとか呟いてチラッとある兵士の方をみた。

 あれは……たしか門番をやっていた男だろうか。

 聖女さんの視線に気付いたのか、頷いて何やら深刻そうな表情。なにアイコンタクト? どういう事?

 

「では、その知識をどうやって教えれば良いのですか? ……まさか人の脳を開いてとか、そんなことは言いませんよね? もしくは魂を啜って、とか」

「……???」

 

 ……え? 怖っっっわ!!

 突然この聖女さん何言いだしたの!? どういう思考してんの?

 なに、え……なに!? この世界ってそう言う魔法あんの!? 怖いわ!

 

「そんな事はしない。私を何だと思ってる」

「はは、失礼しました、それはそうですよね良かった。……良かった。聖書に出てくる夜の神の邪法は使えないのかな。いや、しないって言ったから、できるけどしないだけ?」

「そんな魔法あるの?」

「え? え、ええ。はい、ありますよ。え、と……知りませんでした?」

 

 うわーお、まじか。

 もしかしてこの世界ヤバい奴?

 

 そういえばさっきサラッと流しちゃったけど、人皮魔導書とか実在するように言ってたし、ヤバい片鱗はあったのか。

 なんとなくここ数日何も起きなかったから、ほんわか異世界ファンタジーを想像してたけど……だめだ! ダークファンタジーの世界だココ!

 

「狂人が魂を弄り回して肉人形作ってたり、人と犬を合成してたりしそう……」

 

 勘のいいガキは嫌いだよって言われないように気を付けなきゃ。

 いや待てよ。ダークファンタジーというとそれだけに済まされないぞ……まさかと思って聞いてみる。

 

「邪神とかもいる?」

「ええ。いますよ? ……今一番邪神っぽいのは貴方ですけど」

 

 うぐぐ……神様実在する系かぁ。こうなると途端にエログロが増すダクファン作品は多い。

 人間では逆立ちしても敵わないのが邪神だったり、その使徒だったりするのだ。そんでそれと契約した人間が村人を追い詰めたり、醜悪な疾病を流行させたり。

 転移する前の世界で読んだダクファン漫画が思い起こされる。やだー、グロいよぉ。

 

 この世界がそんなフィクションと同じとまではいわないけど、聖女さんまで魂を啜るとか脳を開くとか言ってるんだ。ヤバいのは変わらない。

 きっと処女の生き胆を贄に悪魔召喚とかあるのだ。闇のサバトとかあって夜な夜な怪しい儀式するのだ。

 

 うーん、まずいな。

 やっぱり知識は必須だ。下手に行動すれば俺もグチャエロに巻き込まれる。TS女でエロ展開とか俺やだよ。

 

「……知識が最重要。次いで魔導書。食料は最悪なくてもいい」

 

 うん。もうこれだけで今日の収穫は上々だ。

 悩みを解決しに来たら、別の悩みが増えてしまったが……。

 じゃあ締めに入ろう。

 

「それでは契約を結ぶか。否か」

 

 ボールを村人に投げ渡す。

 

 

 

 

 




聖女「エリシア様は居るし(聖書に載っている)邪神もまあいるよね」 ← 聖職者的思考
TS少女「うごご、ダークファンタジーやめてくれぇ……」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

課題は山積するもの

書けたので投稿。
明日からも不定期です


 黒く蠢く闇たちが森の中に融けていく様子を眺めながら、私達は去って行く少女を静かに見送った。

 兵士さんたちは誰も声を上げる事無く、篝火(かがりび)の弾ける音だけが闇夜に消えていく。

 

「……生き残った。いや、生かされたか」

 

 隊長さんが複雑そうな表情で安堵の息を吐いた。

 

「増えているだろうとは思ったが、まさか化け物が100体以上も出てくるとはな……んなの俺達にどうしろってんだ」

「どうしようもないですね。でも私たちは生き残った。たとえ利用するために残したんだとしても機会が生まれたんです」

 

 あの少女を知る機会。あるいは討つチャンス。ならばこれを活かす事が大切だ。

 私は震える指先を抑えようと両手を胸の前で握り込んだ。

 

「……できると思うか?」

「さあ、どうでしょうか。できるかもしれないし、できないかもしれません」

 

 今日も少女はピクリとも表情を変えなかった。

 淡々と不気味な事を言って、自分の要求を押し通してきた。

 

「作り物めいていた様にすら思えて、彼女が人でないように感じてしまう。でも話は通じてました。だから……きっとここからです」

 

 話し合えないから人は争い合う。

 なら逆。争い合えないなら?

 

「彼女と話し合うより道は無い。殴られて(けな)されて、その果て傷つけられても私達は生きるために争えない。であれば任せておいてください、そういう仕事は得意なんです」

 

 安心させるようにニッコリ笑ってみせる。

 

 兵士さんの武器が剣なら、私の戦場はテーブルだ。

 彼女を知ることから全ては始まる。彼女がどんな思想をもっているのか、能力は、目的は? 果てにはその弱点まで。

 

 私達は水面下の闘争で敵の情報を得る必要が有る。

 このまま勝てないならば、勝てる様に情報を掴んで立ち回る。やって見せる。

 

「はは、ディアナさん顔が引き攣ってるぞ。怖いんだろう?」

「そりゃそうですよ。隊長さんだって冷や汗でびっしょりじゃないですか。まさか……怖いんですかぁ?」

「そりゃそうだ。当たり前だろぉ?」

 

 二人で笑い合う。

 とりあえず喫緊の懸念は去った。

 生き残った。それだけで儲けもの。

 

「契約という名の脅迫をしてくる相手に搦め手か……頼もしい。だけど見ただろうディアナさん、あの服」

 

 隊長が言う服――血まみれの服の事だ。

 あれだけの出血、きっと服の持ち主はもう生きてはいまい。

 私は瞑目して祈りをささげる。

 

「殺したんだな。奴等は恐らく夜逃げした村人を殺してる。しかも、それを咎めたらバケモノをけし掛けようとした。これ以上ないほど真っ黒だ。アイツ等、俺たちを村から逃がす気がねぇぞ……」

 

 隊長は困ったように天を仰いだ。今日は星も見えない夜。

 

「あいつ俺たち全員に見せつけて来やがった。逃げるならこうする、抗うなら潰す……最悪だよ。あー最悪だ」

 

 隊長さんはぶつくさと文句を言いながら、近くにいた門番さんに歩み寄る。

 

「なーにが少女にも事情があるだ、この馬鹿」

「いて!」

 

 そしてポコンと門番さんの頭を手のひらで叩いた。

 

「事情があろうがなかろうが……アイツは敵だ。全員覚悟しておけよ。いつ戦闘に入るか分からんぞ。もちろん可能な限り戦闘は回避して援軍を待つが……で、どうするんだディアナさん、人皮装丁本なんか用意できるのか?」

 

 うっ、と言葉に詰まった。

 

 彼女の要求は3つ。

 食料、魔導書、そして知識。

 

「一つ考えがあります。人皮装丁本なんか用意できませんし、まあ任せておいてください。もしも私が死んだら、その時は……隊長さんに任せますね」

 

 私がこれからすることは、少女の意に反する事だ。

 

 怒らせれば殺される可能性が高いのはさっきの交渉でよくわかった。

 きっと私の真意がバレれば楽には死ねまい。でも戦場に立つ者が命を懸けないなんて在り得ない。

 それは兵士さんの話では無い。私のことだ。……がんばろう。

 

 

 

 

「お願い成功。いえーい」

 

 なんとか村との交渉は終了した。

 村から離れたところでヤトとハイタッチ。夜人達も祝ってくれるのか拍手してくれた。

 

「いえぃ、いえぃ」

 

 俺の要求は全部通り、可能な限り対応してくれるとのことだった!

 これで食料は安定供給されるし、この世界の知識も得られるだろう!

 

 なによりクシャミに苦労しなくてよくなるのが嬉しい。

 交渉途中にも、どれだけ出そうになったことか……。交渉のが大事だから気合で我慢したけど辛かったー。

 

「……改めて考えると、だいぶ方向性変わった」

 

 楽観的になりたくて努めて浮かれた気分を演出していたが、頭が冷めてくる。

 今なお拍手を続ける夜人にもういいと手を振って止めさせた。

 

 俺は底抜けのバカじゃない。

 さっきの交渉が成功した理由には気付いている。

 

 まさかこの美少女顔に村人が憐れんだとか、慈悲の結果とかそんな事はあり得ないのは分かってる。

 言語機能も壊滅してるから、俺の言葉が相手に良い印象を与えて無いのは知っている。

 

 お願いする名目で俺は100人の夜人(バケモノ)を連れてやって来た。

 対する村側は兵士50人で完全防衛体制。彼らの引き攣った顔はずっと見ていた。

 

 ……脅しだ。

 俺は軍事力を使った脅迫で物資を勝ち取ったのだ。ぬー。

 

「ぜんぜん予定と違った」

 

 交渉中はずっと緊張してたとはいえ、どうしてこうなっちゃったのか。原因は思いつくけども。

 

「まあ、仕方ない。全てはここから」

 

 後悔してても仕方ないから前向きに考える。切っ掛けは作ったのだ。

 村にとって俺はいまや危険人物扱いだろうが、本当は無害の存在である事もここから伝えていける。

 本当に大事なのは明日からなのだ。いろいろ考えて接していこう。

 

 とりあえず食料は奪うのではなく、俺の方で対価を用意してみればどうだろう?

 金は無い、文字は知らない、お礼も言えない。そんな俺に何か用意できるとは思えないけど何かしら準備しなくちゃいけない。

 そして今後の敵対行動は絶対禁忌だ。不安だから護衛は付けるけど、それだけはきつく言いつける。

 

 そうすればきっと少しずつ分かり合える……といいな。

 

 それでもダメな場合――その可能性が非常に高いが――は、本格的に高飛びを考えよう。

 現代世界ですら国交の無い他国に逃げたら追跡なんかほぼ不可能なのだ。

 対してこの世界は中世っぽい感じ。世界の広さは知らんけど、まだ世界は一つとなっていないだろうし、逃げる場所なんか山ほどある。

 

「じゃあ帰る」

 

 よいしょとヤトの背中によじ登る。

 彼からもしっかりと押さえる様に腕が回され、ジェットコースター開始。

 

 村から森の奥に続く林道を凄い速度で駆けていく。

 たぶん車が砂利道走るより速い。そんでもってカーブも速度落とさないから、結構スリリング。

 夜人式ジェットコースター。

 村人に料金とって遊ばせたら流行らないかな? それで私達の印象を……だめか。拷問と間違えられそう。

 

「到着……うん? うん」

 

 ヤトの背中にしがみつくこと十数分。

 俺は洞窟に戻ってきた……のだろうか?

 

 村に向かう時には採掘班が働き始めたばかりだった。洞窟の外見も岩場に亀裂があるような感じだった。

 

 俺が村に出張に行ってた時間は3時間程だろう。

 その短期間で現在、洞窟はどこかの神殿を思い起こさせる入り口になっていた。

 

「うん……?」

 

 四角くくり抜かれた入り口を囲むように、神殿で見かける石柱っぽいのが立っている。

 わざわざ紋様を入れたのか縦線まで入ってまぁ……。

 

「どうやって作ったし」

 

 俺の帰りに気づいた夜人が手を振ってくれた。

 何やら作業していたようなので、近づいて見させてもらう。

 

 ……抱える程の岩にモヤモヤの手を当てると、その部分だけシュンと消滅させた。

 まるで、岩の中に埋まっているものを発掘するかのようにドンドンと装飾品を作り出していく。

 お前、闇送り(それ)戦闘技じゃないんかい。てか器用だな、おい。

 

 洞窟の入り口から少し入れば両面に壁画があり、なにやら文字らしきものが並んでいる。

 

「うーん……心がざわつく」

 

 外国の文字ってなんでこう気持ち悪いんだろう? 読んでも意味がわからないのに、なにやら不思議な気分になってくる。

 

 ヤトはそれを一通り確認するとうんうん頷いていた。そして、気に食わないところが有ったのか作業者を呼び止め修正させている。

 お前それ一体どういう気持ちなんですかねぇ……。洞窟だし何でもよくない?

 

「ヤト……やりすぎじゃない? もう十分」

 

 え?マジで言ってます?と言わんばかりに、二度見された。ここダメじゃない?と指さされた。知らんよ。だれが洞窟を神殿に改造しろと命令した。

 

 通路なんか最初の5倍は広い。

 曲がりくねっていた悪路は綺麗な石畳に変わって、直線と化している。

 

「崩落しない?」

 

 コンコンと夜人が壁を叩いて検査。そしてぐっと親指立てる。はい。

 お前らなにこの超技術。いや、いっすけど。

 

 さすがに時間が無かったのか入り口周辺は凝っていたが、少し入るとまた普通の洞窟のままだった。

 

 足を踏み外して転びそうになる度にヤトに支えて貰いながら一番奥へ行く。

 そこに置いてあるものを見て、ちょっと頭が痛くなっていた。

 

「……それはなに?」

 

 天然洞窟の一番奥には巨大な玉座が鎮座していた。

 一つの岩から削りだしたのか継ぎ目は一切なく、滑るような感触をしている。そして手すりの先に飾られている未知の頭蓋骨を模した装飾品。

 

「これと、これ。後それも外して」

 

 座る座らないじゃない。骨は要らない。

 いやいやと首を振る夜人。うるせぇ外せ。

 まあ外しても座らないけどね。

 

 

 

 

 夜が明けた。

 夜人の総数が200を超えた。

 対する俺は岩肌を背にして、グロッキー状態だった。

 

「だるぅ~」

 

 やっぱり今日も熟睡できなかった。

 早く魔導書が欲しい。クシャミはもうイヤだ……。

 

 洞窟に差し込む日光を嫌がるように夜人が集まってきた。

 それを洞窟奥に行くように指示しながら俺は洞窟の外へ。太陽の光を浴びて、思案。

 

「仲良くなるなら、どうしようか……」

 

 眠れなかった時間を使って一杯考えた。

 この体で人間と会話できないことは昨日の交渉でよく分かった。

 

 なにせ、()()()()()()()()()()()

 

 【凍った人格】による抑制の上から機能する嫌悪だ。生半可なモノではないだろう。

 仮説通り【夜の化身】による影響か、それとも肉体に意志があるのか、はたまた別の要因なのか。

 

 その嫌悪の正体は分からないが、ソレは明らかに人間を軽視し蔑視(べっし)している。俺が人間と仲良くなることに不満を抱いている。だから邪魔をする。

 

「……気がするぅ~」

 

 そう考えなければ、昨晩の交渉中に行われた俺の言葉の取捨選択が不自然すぎる。

 

 ああ…朝日がだるぅ~。

 ……。……。

 

 ッハ、寝かけてた。

 まあとにかく【夜の化身】が強まる夜間はまともに会話できないと思った方がいい。肉体意志による影響だった場合は昼間も変わらず会話は不可能だろう。

 

「……で、肉体意志ってなに?」

 

 自分で言ってても意味がわからない。

 俺は俺だ。この体は少女の(なり)だが、指先から眼球の細かい動きまでキッチリ動かせている。ただ会話が不十分なだけで、俺という意志は男の頃から変わりなく在り続けているつもりだ。

 

 でもやはり、この体は【キャラクリエイト】で作られたもの。

 そこに何かしらのギミックや引っ掛け、罠が潜んでいないとは言い切れない。そもそも何者がどんな目的で俺を呼んだのか分からない。何があっても不思議じゃない。

 

 昨晩はイヤになったら高飛びすればいいと思ったけど、この調子じゃ絶対また失敗する。

 それどころか会話以外で人間と仲良くなろうとしたら、今度は別の手段で妨害してくる可能性すらある。能力の暴走とかで人間に夜人を(けしか)けるかもしれない。

 

 人間に対する嫌悪の原因究明と制御方法を確立しなきゃいけない。できなけりゃぼっち犯罪者ルート一直線だ。

 

 ……さて色々また仮説が立ってしまったが、どうしたものか。

 

 食べ物を回収に行くのは夜9時。

 それまでに対策を考えて、それから対価を……あ、時間指定したけど、時計ねぇし俺が時間分らんわ。あーもうグダグダかよぉ……。

 

「とりあえず……ねる」

 

 寝不足で上手く頭が回らない。

 難しい話はまた今度。おやすみー。

 

 

 

 そしてその日の夜。

 村まで食べ物を回収に来た俺は、聖女さんと相対していた。

 

「昨日ぶりですね。では、今日は1日よろしくお願いしますね?」

 

 ……はい?

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あざとい少女

 半月が中天に掛かるころ世界は闇に包まれた。

 ……ありていに言えば夜です。

 

 昼間にぐっすり寝た俺はいま、村までお願いした食べ物の回収に来ていた。

 村人を怖がらせないように護衛はヤト一人……と思わせておいて近くの森に20人程待機してる。ごめんね、道中で増えたわ。

 確かに洞窟を出た時は1人だったんだけど、不思議な事もあるものだ。

 

 服はまたまた萌え袖スタイル。

 不思議な事にこの体はどれだけ飲み食いしても汗は出ないし排泄も不要となっていた。

 それでもワイシャツは洗濯せずに何度も着ているし、俺もお風呂に入れていないから土埃等で少しずつ汚れてきている。これも早めに何とかしたい所だ。

 

 昼間の間に村に行って見ようかとも思ったが、昨日の今日で俺一人ホイホイ出向く訳にはいかない。

 傍から見ても、俺から見ても少女ボディはか弱く御しやすい存在だ。もし兵士が闇討ち――昼間に闇討ちとはこれ如何に――してきたら命が危ない。

 いくら村人と友好を築きたいと言っても、自分の安全と天秤にかけるなら俺は俺の安全を取るのだ。

 

 門のところで兵士さんから食べ物が詰まった木箱を受け取る。

 

「確かに。契約は為された」

 

 ……なにか世間話でもしようか?

 箱をくれた兵士をチラッと見ると、びくりと肩を揺らされた。

 

 口を開きかけて、すぐに閉じた。

 思考しただけで声になる事も有るし、心の内も可能な限り無心にする。

 

「……」

「ひ、ひぃ……」

 

 うーん、喋らなくても駄目ですねぇ、これは。

 俺の方が背が低いから見上げるような姿勢なのに、見下しているような目をしているせいか相手は完全にすくみ上ってた。

 

「……ヤト。あれ」

 

 事前の予定通り、単語のみの発話を意識してヤトに合図を送る。

 分かったと言うようにヤトが一歩前進、兵士に向かって手のひらを差し出した。

 

「え、え、なに? なんです、か?」

 

 差し出した手のひらが沸き立つように泡立って、小さな箱がヤトの体内から浮かび上がってきた。中身は黒くて淀んだ指輪。

 プレゼントだ。俺が夜人達と相談して、食べ物の対価となるものを作って貰ったのだ。もちろん変な効果は絶対付けるなと念を押した上で。

 

 素材は洞窟に落ちていた石。

 それを指輪の形に加工しただけの言ってしまえば何の価値も無い玩具だが、これが今の俺にできる限界だった。

 ちょこっと俺も手伝ったが、そこだけ変な形に歪んでしまった。許して欲しい。

 

「契約の対価(食べ物の代金です)」

 

 喜んでくれるだろうか?

 兵士の震えが増した。

 

「……」

 

 無言で右手を差し出すヤトとバイブレーション機能を搭載した兵士さん。そんな悲惨な光景を前に棒立ちの俺。……これ以上どないしろっちゅーんじゃ。誰か助けて。

 

「まあまあ、そんなに脅かさないであげてください。ほら行って、ここから私が相手しますから」

「あ、ありがとうございます! ごめんなさい!」

 

 仲裁するように聖女さんが現れた!

 彼女は震えあがっている兵士さんの背中を押して村へと戻すと、俺にニッコリ微笑んで挨拶をくれた。

 

「こんばんは。今日はよい夜ですね」

「……分かってる」

 

 そうですね、と同意を示したら拗ねたような口調になった。

 

 へいへい知ってたぜー。

 これが独り言だったなら「そう」とか「うん」とかになっただろうけど、対人相手ならこんなもんよ。

 それでも聖女さんは笑みを絶やさない。おいおいおい聖女かよ。

 

「昨日ぶりですね。では、今日は1日よろしくお願いしますね?」

 

 ……はい?

 

「理解できない」

「ほら言ったでしょう? 貴方は知識が欲しいって。だから私がそれを教えようと思って、一緒に行こうかなって思ったんです」

「……それはいい。知識は必須。でもどこに行く気?」

「当然、貴方の行くところに?」

 

 指一本立てて可愛らしく小首をかしげた聖女。すべての仕草が自然体で様になっている。

 

 うわ、あざとい。あざといぞこの人。たぶん自分が可愛いと知ってやっていやがる!

 もしかしたら何人もの男心を弄んだ手練れだろうか。熟練の小悪魔感を放って――その瞬間、俺に電流が奔った。

 

 ヤバイ! 俺いま変な事考えた!くるぞ少女の暴言だ!!

 

「黙れ、淫――!」

 

 慌てて自分の口を押さえつける。

 

「あれ? どうしたんですか」

「……」

 

 口を押さえたまま、ふるふると首を振る。

 淫……なんだろうか? 淫乱とか言おうとしたのだろうか?

 バカヤロー、あざといは褒め言葉だ。ビッチとは違うのだ。

 

「え~っと、あー名前も知らなかった……えっと、黒髪ちゃんはなんていう名前なんですか? それとどうして口を塞いでいるんですか?」

 

 おいおいおい。

 頑張って口をふさいでる俺に質問するとか、鬼かよこの聖女。

 

 答えると暴言で好感度減少。

 答えないと無視扱いで好感度減少。

 ……なんちゅう二択じゃ。 クソゲーやってる気分になるわい。

 

 聖女さんの問いを聞かなかったことにしてヤトに合図。指輪で誤魔化そう作戦だ。

 

 ヤトによって丁重に差し出された指輪だが、聖女さんは胡乱げな目で見るに留まり受け取ってくれなかった。なんとか少女の暴言も落ち着いたのでゆっくり説明する。

 

「契約の対価」

「対価って……この指輪がですか? なんだか、いえ……あ、ありがとうございます?」

 

 聖女さんは木箱にぽつんと入れられた指輪を手に取ると難しい顔を浮かべた。

 

「互いの価値が釣り合うとは――むん」

「ま、また口塞ぐのですか?」

 

 はいはい少女ちゃんは黙っててー。

 再び誤解を招くことを言いそうになったので、ここで強制ストップ。

 

「もごもご……もご……ふぅ、止まった」

「えー??」

 

 傍から見せれば不審者だろうが、何でもないと首を振ってアピール。

 

 しかし困ってしまう。言葉を封じた意思疎通がここまで難しいとは思わなかった。

 なまじ少女ちゃんが勝手に俺の思考を口にしちゃうから、完全無口作戦が使えない。あのやさしさの塊である聖女さんですら、俺とまともに会話できず混乱ばかりさせてしまっている。

 

「……」

 

 こんな状態で俺は村人と仲良くなれるのだろうか?

 

 不安になって周囲を見回せば、剣を腰に差した兵士たちが怖い目でこっちを見ていた。その後ろでは村の大人たちが様子を伺いに来て、兵士に押し返されている光景が見えた。村人たちの目は恐怖と憎悪に染まってた。

「おい、あいつが……夜逃げした爺さんを……」

「なんか思ったより小さいぞ……だけどあの顔見ろよ。ひぇー、人殺してるぜありゃ」

 

 ……そりゃそうだ。俺は平穏だった村に襲撃かけて、その上誰かを殺した人物とまで思われている可能性まである。

 土台無理だったのだ。一度壊れた関係は戻らない。

 俺は頭で分かっていたつもりだったけど、何とかなる可能性も残ってると思った。でもそれは現代社会に生きる俺の生温い感性による勘違いだったのだろうか。

 

「うら、なんだよ兵士さん。大丈夫だって、ここなら離れてるから見えないだろうし……!」

「下がりなさい! いいから、家に戻りなさい! もし聞かれたらどうするんだ!」

 

 兵士さんが慌てて村人を押し戻すがもう遅い。生憎と夜の俺は感覚も鋭いから、村人の話は聞き取れてしまった。

 針の筵とはこのことだ。自然と視線が下がる。

 やはりこの体で人と仲良くなるなんて無理なのではないだろうか?

 

 生きるだけなら夜人がいる。

 彼らは俺に良くしてくれるし懐いてくれている。ご飯を取ってきてくれるし、外敵から守ってくれる。洞窟での生活も慣れて来たし……もう、いいんじゃないだろうか?

 

 この世界に来てから失敗ばかりの俺はちょっと気弱になっていたのだろう。理不尽にも思える状況に諦めが一瞬頭をよぎったその瞬間、誰かの声が聞こえた。

 

  ―― そう。所詮、人間なんか…… ――

 

 それはとても冷たい声だった。

 だけどなんだか泣きそうな声で、寂しそうな気配で――

 

「えい」

「…ふぁ?」

 

 ()()に引っ張られて深い闇に沈みこんでいた精神が急浮上する。

 気が付けば、俺は聖女さんに頬っぺたを抓まれていた。ぐにぃっと上に引き上げられる。

 

「…………。なにしてる」

「ふふ、ごめんなさい。なんだか辛そうな顔してたから」

「そんな顔しない。私は表情変わらない」

「そうなんですか? でも今の黒髪ちゃん、迷子になって寂しくて泣きそうな子と雰囲気が似てたから、つい。……くす、その顔の方がいいですよ。可愛いです」

 

 聖女さんは俺の顔を優しく触って笑顔に変えさせた。

 なんだろう、この絵面。

 無理やり頬を上げられた少女の顔はさほど可愛いと呼べるものではない。でも、聖女さんは心からそう思っているように頷いた。

 

「私は孤児院の出身なんです。経営母体のエリシア聖教会に入る15歳までいたかな? そこでは親を亡くした子がくるのも珍しくなかったんです。だからよくこんな感じで……くに~~!」

「……動かさないで。ほっぺ伸びる」

「伸びませんよ。痛くないでしょ? それにちょっと伸びた方が、もっと軟らかくなりますよ」

 

 聖女さんは俺と目線を合わせながらぷにっと口角を引っ張った。彼女も同じように口を大きく開けて笑ってみせた。

 その手はとても優しくて暖かくて、彼女の想いが言葉と共に俺の心に沁み込んでいく。

 

「悲しい時は泣きましょう。嫌な時は怒りましょう。それでもまた笑える時は来る……聖書の言葉の一つです。よくある臭い言葉ですよね。でも私はこれ好きなんです」

 

 ……なんだろう。

 

「あは、ごめんね。黒髪ちゃんくらいの年の子が一番傷付きやすいの。だから、もし泣きつかれた時はこうやって笑ってみて? 重荷はずっと軽くなる」

 

 なんだろう。

 どうして……どうして、この人はこんなにも、あざといんだ。

 

「あざとい聖女。その技で一体何人の男を堕としてきた」

「何人って……えぇえ!? それはどういう意味ですか!?」

「なんでもない。気にするな、あざとい聖女。……で、何人落とした」

「いやいやいや! 私の呼び名はそれで固定ですか!? ちが、違います! 私の純潔はエリシア様に捧げるから何もしないですよ! 男の子は落としません!」

 

 え? エリシア様? 男の子は落とさない?

 それって……

 

「……同性愛者だったか」

「ちーがーうー! そういう事じゃない! 聖職者たるもの常に清廉でいなきゃなの! それに女の子同士なんて良くないです! そうでしょう!?」

「私は一向にかまわん」

「!!?」

 

 なんか面白いぞこの聖女さん。

 思わず俺の顔も笑顔になる……無論、気のせいだ。

 

 てか、いつの間にか普通に喋れてる?

 俺が聖女さんと会話している途中から、いつもの対人用口調が鳴りを潜めて、昼間の口調になっていた。なんで?

 聖女さんの首元でキラリと何かが光ったのが目に入る。

 

「あ、これですか? これは私のお守りみたいなものです。今日は、これを付けて行こうと思って」

 

 手に取って見せてくれたのは、交渉の時に見かけた球形のロザリオだった。それが放つ光が俺を照らしていた。

 

 あの時より近くで見ると精巧な造りをしているのがよく分かる。

 黄色く透き通っている素材はクリスタルだろうか?

 内側から淡く光っているのは太陽を模したからだろう。見る角度によって中の結晶がキラキラと輝く。丸くすべすべした外周は中央に小さく紋様が刻まれていた。

 

「んー……しまって。それしまって」

「え? あ、はい」

 

 聖女さんが襟をちょっと引っ張って服の中にロザリオを片付けた。

 ……んー、何か変わった?

 ロザリオが太陽っぽいから、その不思議パワーが【夜の化身】に影響したと思ったんだがあんまり変わった気がしない。

 

「……くしゅん」

「うわ!?」

 

 ポンと夜人誕生。……森にお帰り。

 夜人を見送って振り返ると聖女さんがビクッとしてた。目を真ん丸にして俺と夜人を見比べる。ごめんね、そう言う体質なのよ。

 

 うーん気になるなぁ、あのロザリオ。

 まあとりあえず後回し。それより聖女さんが来た理由何だっけ?

 ……ああ、知識教えてくれるんだった。

 

「不要。私は人間なんか呼んでいない。お前とこれ以上会話する気も無い」

「そう……ですか」

 

 そしてしょぼくれる聖女さん。

 

 ……あー。これ絶対ロザリオ影響してますわ。

 あれ仕舞ったら急激にお口悪くなったぞ、この少女。

 

 よし! 光明見つけたり! 聖女さんロザリオだして!

 

「……」

 

 そして何故か動かなくなった俺の口。

 

 ……おい! 喋れよ我が肉体!

 なに黙秘権行使してんだ! 無ぇよ、んなもん!

 

 ぐぬぬ、こいつ俺が肉体意志(?)の存在に気づいてからあからさまじゃねぇか! 無言とは恐れ入った! だが舐めるなよ! この体は俺が操ってんじゃい!

 聖女さんの服の下、胸元を指さしてなんとか言葉をひねり出す。

 

「……出せ」

 

 聖女さんは意味がわからないような表情を浮かべた。しかし俺の視線と指先を辿り、胸元へと至る。

 

「出せ、淫乱聖女」

 

 そして加えられる淫乱というセリフ。

 

「……」

「……」

 

 聖女さんは少しだけ困った子を見るような表情を浮かべた。

 ……そっちを出してもいいのよ?

 

 なお、無事ロザリオだけ出して貰えました。

 

 

 

 

 大きく手を振り去って行く少女を見送りながら、食料のお礼に渡してきた指輪を手のひらの上で転がしてみる。

 黒くて淀んだ石作りの指輪。古代の遺跡にありそうで手にした者が呪われそうな一品だが、その指輪に籠められた魔力は意外にも澄んでいた。

 非常に強力な闇属性の加護が得られる指輪だろう。もし売ろうと思えば……値段が付かない。

 

「はぁ……まだまだ理解できないですね」

 

 私はまるで雲のように掴めない少女の事に頭を悩ませた。

 最初はすごく冷たい人だと思ってた。交渉の時は血まみれの服を見て最低の人だと感じた。だから私は彼女を倒すために近づこうと考えた。死ぬ気は無いが、見て見ぬふりもしたくなかった。

 

 ――罪は真実の光に晒されなければならず、罰は違えず与えなければならない。

 先生が教えてくれた一節だ。

 

 私は知りたかった。

 なぜ村人が殺されなければならなかったのか、どうして彼女はそんな事をしたのか。

 

 私には真実を明かす義務がある。そしてエリシア聖教の司祭として罰を与える責任がある。

 納得できなければ、知識を教えるふりして隙を探す。黒いバケモノの弱点を晒して隊長に託す。いっそのこと私が彼女を暗殺するという手すら考えていた。でも……。

 

「本当の貴方はどこにいるのですか? ねえ……」

 

 空に浮かぶ半月へと受け取った指輪を(かざ)す。

 

 実際に話してみると彼女はまるで想像と異なる人だった。

 凄く冷徹で残酷なだけの人だと思っていた。口答えすれば腕の一本でも落とされるかと思ってた。でも、そんな事は無かった。

 

「意外と冗談も言うのですね」

 

 彼女とのやり取りを思い出してまなじりが僅かに下がる。

 あざといなんて言われたのは初めてだし、同性愛者扱いされるとは思いもしなかった。

 

 村を襲った犯人相手に馴れ合うなんて怒られて然るべき不義だろう。

 でも……泣きそうな少女を前にしたら思わず行動していた。何か目的が有ったという事も無く、私はただ彼女に泣き止んで欲しかっただけ。そして、それはちょっと成功したように思える。

 

「ね、太陽神エリシア様。さすが太陽ですね、どんな道でも照らし出す」

 

 どうやら彼女はこのロザリオがお気に入りらしい。

 主神エリシア様たる太陽を(かたど)った先生からの贈り物。エリシア聖教の枢機卿団しか持てない本物の【天日聖具】の一つだ。

 

「見つかると、先生にも迷惑掛かるからあんまり外に出したくないんだけど……仕方ないですね」

 

 彼女は自分でこの聖具を片付けろと言っておきながら、見えなくなったら不機嫌になるんだから笑ってしまう。今日の収穫、黒髪ちゃんとっても口が悪い。

 

「ふふ、なんだか変な情報を得ちゃいました」

 

 でも彼女にだって可愛らしい所もあるのだ。

 ロザリオを仕舞ったり出したりした後、知識を与えると言った私の提案を彼女は悩んだ末に断った。

 この後いろいろ考えたい事があるらしく、とりあえず今日は本を貸してくれという事だった。

 

 想定していた展開の一つだ。予め用意しておいた教科書を渡してみると彼女は本を開いて一旦停止。うんうん頷いてすぐに閉じた。たぶん、あれ読めてない。

 

「くす……」

 

 なんとなくそんな予感は有った。

 一般常識を求める人が文字を読める可能性は低い。知ってた。だから本を閉じた彼女に言ってみたのだ。

 ――すごいですね! もう理解したんですか!?

 彼女の目は泳いだ。本当に小さくだがさ迷って、そして呟いたのだ。「……うん」と。

 

「ふ、ふふ……よくない……よくないって、私」

 

 見栄を張ってしまう幼い少女の可愛らしさを見て、にやつきそうになる頬をぐにぐに動かして誤魔化した。

 こんな事件の最中でも湧いて出た悪戯心が抑えられなかった。反省。

 

「ま、意趣返しだと思ってくださいな。明日は連れて行ってくれるかなあ? あ、魔導書の件伝えるの忘れてた。名前も教えてくれてないし……もー」

 

 まだまだ私には彼女が分からない。真実も一向に闇の中。

 

 きっと彼女は悪だろう。

 確信に近い思いを抱きながら、首に提げた聖具をぎゅっと握り込む。

 

 どんな理由が有ったにせよ殺人は忌避されなければいけない。罪には罰を。それは人が人として生きるための道理であり、失ってはいけない摂理。

 ……こんなの果てしない理想に染まった極論であり、暴論だ。現実はもっと醜悪に人が利己の為に人を殺す仕組みで出来ている。世界のどこにも実現できた場所は無い。

 

 分かっているが、辛い世界だからこそ私は馬鹿のように空論を並び立てる。だって聖職者(私達)が言わなければ誰が優しい世界を謳ってくれるのか。

 だから私はこれからも彼女を倒すために動き続けるだろう。

 

 でも、もしも門番さんのいうような「彼女の事情」が有ってくれたなら――

 

「――明日もきっと晴れますように」

 

 

 

 

「本が読めない件について」

 

 聖女さんから貰った本が読めないです。

 ヤトに渡してみると、パラパラ読んで返された。

 

「……読めた?」

 

 ふるふると首を振られた。お前もダメなんかい。

 壁画の文字とは違う種類なのか?

 

「くそー」

 

 本を投げ捨てて横になる。……これは明日返そう。

 

 聖女さんのキラキラしたお目々が悪い。

 あんな尊敬してます私、みたいな目で見られたから思わず頷いてしまった。読めないなんて言えないですよ男は!

 

「……ねえ」

 

 天井を見上げたまま、胸に手を当てて呟く。語り掛ける相手は自分自身。

 

 俺がなぜこの洞窟――今はもう神殿と化したが――にいて、この体になっていたのか。この力は何なのか、夜人とは何なのか。

 全然分からないけど、今ではそんなに気にならなくなっていた。

 

 ヤトはええ格好しいで俺の役に立ちたがるくせに空回りする馬鹿だ。夜人は動物っぽい仕草してたり褒められたがる奴等だ。

 俺が欲しがることを変に解釈して行動を起こす事も多いけど、それもまた面白い。彼らも慣れれば意外とかわいい所がある。

 俺はいつの間にか意外とこの生活も悪くないんじゃないかと思い始めていた。

 

「ねえ【夜の化身】」

 

 言霊という概念がある。

 古来より言葉には霊が宿るとされ、力を持つと言われてきた。

 

 だがこうも考えられないだろうか?

 言葉に力が宿るのは力が言葉を紡ぐから。

 なら【夜の化身】から力を得ている俺は……言霊を自由に操れるとは限らない。そういうことなのだ。

 

 キャラメイクというモノがどういう原理で、なにを目的に行われた物なのか。今となっては知る(よし)もないけれど、きっと全てはあれから始まった。

 夜の化身の事を意識してその声を聞いた瞬間、俺はなんとなく()()と繋がった気がした。

 

 俺をここに呼んだのはお前なのだ。

 きっとお前は敵じゃない。たぶんお前は寂しがり。

 

「だから、私は行くよ」

 

 どうして【夜の化身】が人間嫌いなのかまでは分からないけど信じて欲しい。

 

 そうやって、傷つかないようにと自分から人を遠ざけないで欲しい。

 あの聖女さんは良い人だから諦めないで見てて欲しい。人間は思ったより悪いものじゃないって、それを見て感じて、期待して欲しい。

 そうすればきっと人は仲良くなれるから。

 

「……ね?」

 

 その日、くしゃみはいつもより少なかった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

勝手に動き始める物語

 

 【深淵の森】に一番近い大都市、南都アリュマージュ。

 街の外周を15km以上に渡って囲む強固な城壁を持ち、かつては森を抜けてきた帝国軍を相手取って防衛線として活躍した城郭都市だ。現在のアルマロス王国最大都市の一つにも数えられ、王国南方の防衛を一手に引き受ける主要都市でもある。もっとも現在は動きの活発化している東方諸国に呼応して、南都に拠点を置く数千人規模の王国正規軍が出払っているため活気は減っていた。

 

 そんな南都の一画には貧民窟(スラム)と呼ばれる場所が存在した。小さなあばら屋を寄せ合って作られた人口過密地帯の事で、住人は他所からやって来た移住者や金の無い貧困層がほとんどだ。犯罪発生率も非常に高く、南都を統治する領主にとって頭痛の種となっている。

 

 そんな入り組んだ地帯を走り抜ける小さな影があった。

 

「はぁ! はぁ! っあ……ご、ごめんなさい!」

「な!? ふざけんなガキ! おい!?」

 

 十代前半だろう男の子は通行人にぶつかっても速度を緩めることなく全力疾走する。時折後ろを振り返りながら、勘に従って曲がり角に飛び込んでまた駆ける。

 彼の名前はリュエール。イナル村――主人公の襲撃した村――から夜逃げしてきた家族の一人だった。

 

 少年は後悔していた。

 両親が突然村を出ると言い出したことにもっと反対するべきだったのだ。理由も何も教えてくれないし、旅はきつかったし、村を出てよかった事なんか一つもない。

 

「いたぞ! こっちだ、残り一人はこっちに逃げてる! 追い込めるぞ!」

 

 後ろでドタドタと荒っぽい足音が聞こえてきた。ヤバイと思ったのもつかの間、人影が現れたからリュエールは再び足を速める。

 両親が二人がかりで稼いでくれた時間だったが何の意味も無かった。入り組んだスラムは来たばかりのリュエールにとって迷宮と変わりない。

 無我夢中で逃げ続けたつもりが、いつの間にか袋小路に追い込まれていた。目の前を壁に囲まれてついにリュエールは立ち止まった。

 

「はぁ……苦労かけさせやがって、そろそろ諦めな」

 

 野蛮な男達だった。身に着けた服は汚れ切っており、無精ひげは伸びっ放し。ガリガリとかきむしる頭からは大量のフケが散っていた。スラムの先住者だ。

 

「な、なんだよお前ら! なんで僕達を追いかけるんだよ! 何もしてないだろ!」

「うるせぇうるせぇ。コレだからガキは嫌なんだ……まあ諦めな。テメェの父ちゃんも母ちゃんも既に押さえた頃だろうし、三人仲良く引き取られてくれや。一人当たり10000シエル。安い商売だよ」

 

 人買――。

 そんな言葉がリュエールの頭をよぎった。

 王国で禁止されている完全違法行為。それを当然のように行う男たちが信じられなかった。

 

「ば、バレたらどうすんだよ! そんなの重罪だぞ! 一生檻から出られないんだぞ!」

「あぁ? 知ってるっつーの、んなこと。……バレる訳ねぇよ。テメェ等、今日ここに来たんだろ? しかもスラムに来るような連中だ。この街に知り合いは居ねぇ、居てもスラムにいる野郎だろ。なら自警団だって気付かねぇよ」

 

 人の出入りが完全に把握されている訳では無いこの世界。

 移住してきた一家が消えた程度では本格的な捜査はされない。それはする気が無いほど倫理観の落ちぶれた世界という訳ではなく、徒労に終わることが多いから積極的に行われないのだ。

 

 この世界、街の外は管理外のダンジョンから溢れる魔種や、害獣たる獣種を筆頭に亜種族で溢れている。

 夜逃げや職を探した貧困者の移住者が旅路で殺されてしまうことなど日常茶飯事。遺品の残らない事も多いし、人知れず息絶えている者も多い。

 男はそれをつまらなそうにリュエールに説明してくれた。

 

「だから、まあ諦めてくれや。俺も生きるためなんでね」

「くそっ! お前ら全員クソだ! クソクソ! 僕等をどうする気だよ!」

「あー? あー……まあ冥途の土産だし、いいか。まあなんだ、こわーい秘密結社さんが人を欲しがってんだよ。何でも供物だとか、研究材料だとか用途は一杯だそうだぜ」

「ふざけんな! なんだそのクソ結社! だったら自分の体使えよ! ばーか!」

 

 罵倒するしかない子供の抵抗に、男たちは感慨を抱かない。そんなものはとうの昔に捨て去ったのだろう。

 お前も明日には実験台になるんだろうなぁと僅かばかりの憐憫の情が湧いた目で見る程度で、しかしそれも明日には忘れている事に違いない。

 リュエールは精一杯の抵抗で口汚く罵り続ける。しかし男たちはそんな抵抗は、聞き飽きた言葉とばかり手で振って取り合わない。

 男の右手首では、石造りの腕輪が黒く光っていた。

 

 ――オォォ……

 

 人買の手がリュエールに届く。その前に、地の底から響くような声が聞こえた。

 

「あ? おい、誰かなんか言ったか?」

「いえ?」

「そうか……っシ! なんだ、やっぱり何か音が」

 

 ――オォオオオ!

 今度はもっとはっきりと。獣のうなり声のような声が男の耳に確かに聞こえた。

 

「やっぱり聞こえる! なんだ、誰だ! 出てこい!」

 

 人買が周囲を見回す。

 僅かな月明りと、数少ない魔力灯が照らす路地裏には何者も居ない。

 

「ひ……!」

 

 だがリュエールには見えてた。灯りによって生じた自分の影が蠢いている。声にならない悲鳴が漏れた。

 影はボコボコと泡立って少しずつ、少しずつ何かを産み出してしている。何か不吉な事が起きている。

 

「ああ?お、おい! なんだよそれ! 地面から手が生えている? まさかこいつの影に何かが潜んでる!?」

 

 人買が気付いた頃には、リュエールの影から黒い腕が生えていた。

 

 

 【黒燐教団(ブラック・ポースポロス)】の末端も末端。ただの人さらいでしかない男は不運の真っただ中にいた。

 

 いつもの様にスラムに来たばかりの新入りを何人か回収しようと思っていた。何か月も続けてきた仕事であり順調そのものだった仕事だが、しかし、その状況は今一変した。

 

「か、影が……影が何かを隠してやがった!」

 

 目標としたガキの影から体の一部――腕が飛び出していた。それは何かを探し求める様にふらふらと揺れている。

 目の前で展開される超常現象に男は心当たりが有った。

 一度だけ見た事が有る。男にこの仕事を持ち掛けた黒燐教団の幹部――名前は名乗らなかった――が使っていた魔法だ。

 王国どころか、近隣諸国一帯で禁呪指定される闇属性の魔法。人を堕落させしめ、世界を破滅に導くと言われる【夜の神】が与え賜った闇魔法。それが今、目の前で使われている。

 しかも黒燐教団の幹部が使うような人間用に調整された簡易的なモノではない。本当の邪法……これがそれなのだ。男は心では無く、魂で理解させられた。

 

「なっ!? あぎ…!?」

「が…ひゅ!?」

 

 現実離れした光景を前に人買達は動きを止めていた。しかし黒い腕は止まらない。

 更に伸びあがった腕はリュエールを捕らえるために近づいていた男二人の体をまとめて横に切り裂いた。

 

「ひやぁあ!? な、なに……なにこれ、なにこれ!?」

 

 リュエールは溢れる血潮を全身に浴びて、自分の影から生える腕を茫然自失と見つめる。思わず後ずさったが袋小路の壁に当たってそれ以上逃げられない。というか、腕はリュエールの影と共に付いてくる。

 

 影から腕が出て、次に肩が出て、頭部が姿を見せる。そのまま穴から這い出るように黒い巨体が全貌を現した。

 

 指先は鋭く尖っていて頭部はのっぺりと目も口も無い、生物として在り得ない容貌。

 風に煽られるようにユラユラと揺れる黒い(もや)が寄り集まって作られた凶悪な闇人形――夜人(ヨルビト)だ。

 

「な、なんだコイツ……バケモノだ!!」

 

 人買たちは見た事も無い異形に仲間を斬られたことで狼狽した。辛うじて息は残っているが、あふれ出ている血液量を見る限りもう長くはないだろう。

 残された人たちに武器は無く、武道の心得も無い。だがバケモノにとって人の事情なんて知った事ではない。

 夜人は「轟ッ!」と石畳を蹴りぬいて人買に肉薄する。

 

「き、来たぞ!! だれか迎え撃て!」

 

 リーダーである男が叫ぶが瞬時に動ける人は誰もいなかった。

 夜人の屈強な五体にとってやせ細った男たちなど何の障害にもならない。ただ走るだけで数人が瞬く間に轢殺され――なかった。その直前で夜人は慌てたように急停止した。

 

「な、なんだ……? 止まったぞ?」

 

 まさか見逃されるのか? 思わぬ幸運に人買は希望を抱くが、それは幻想だ。

 

 最後の一線を越える前に夜人は自分達に課された命令を反芻していた。

 小さく、脆く、それでいて優しい母の言葉。すなわち――

 

『あそこの村人は絶対怪我させちゃダメ。彼らの命も大切に』

 

 ――村人(護衛対象)を狙う人買()は殺していい。

 

 その日。

 南都アルマージュでは10人を超すスラムの住民がひっそりと姿を消した。

 

 

 

 

 

 

「……なにそれ」

 

 なんか夜人が変なモノ持って来た。

 すっげー汚い男物の服と黒い変な輪っか。コンコンと叩いてみれば石製だろうか? へんな紋様が付いている。

 他にも刃こぼれしたナイフや、踵のすり減った廃品同然の靴。何に使うのかよく分からない物体、ねとねとした液体と続く。

 

「いらない」

 

 とくに服が要らない。なんか凄い臭いんだけど?

 カビの生えた雑巾の臭いが部屋中に……どこから拾ってきたの、ねえ。

 マジで森に落ちてたやつだろソレ。勘弁して。

 

 え? 他にも一杯あるの?

 夜人が神殿――もう洞窟とは呼べない――の出口を指さして、わんさか有るぞとアピールしてきた。……見たくない。

 念のためヤトに重要そうなものは有ったか聞いてみるが、無いらしい。鼻で笑うような仕草で教えてくれた。

 

「そう。……ならそこらに、捨てておいて」

 

 夜人は頷いた。

 せっかく一杯色々なモノを拾ってきてくれたみたいだが、ごめん、それは要らない。

 

 ただの洞窟だった頃ならともかく、ここも今では立派な神殿だ。いっそ素晴らしいまで神聖な場所に変わったここに変なモノを置くと景観が崩れてしまう。それは頑張った夜人に対して申し訳ない。

 

 現在の神殿は3層造りとなっている。

 一層は入り口から真っすぐ100m程続く曲道も無い緩やかな上り坂。通路は完全に古代遺跡風で両脇は壁画のようになっている。絵画の下は碑文に載っていそうな複雑な文字でびっしり埋まってる。

 俺が視た限りでは神話のお話とその歴史……って感じに見えたが、確証はない。

 

 上り坂の突き当りは玉座が鎮座している。頭蓋骨は外して貰ったけど、その代わりと言って気が付いたら何か変な液体を塗りたくってた。おかげで玉座は石造りのはずなのに赤黒く変色している。

 

 玉座の後ろには下への階段が隠されており、そこを進むと第二層へと至る。

 第二層は夜人達の部屋とか物置が一杯あるから、一層と打って変わって通路が枝分かれして入り組んだ階層となってしまった。

 通路の外見がシンプルな造りで有ることも相まって、初めてきたら迷ってしまいそうになる。どうやら洞窟拡張を優先したようで夜人は悔しそうにしてた。きっと時間ができたらここも装飾する気だろう。

 

 そんで更に地下へ入って第三層。俺の寝室。

 床が石で寝辛いって言ったら寝室が増設されて、ベッドまで搬入してくれた。木製のフレームで、敷布団はよく分からない羽毛を材料とした質の良いものだ。なんか常にぼんやり青白く光っているがなんの羽だろう?

 次は浴槽を作ると張り切っていた。湧き水はあるものの、どうやって沸かす気だろう? 分からないけど、それは応援する。頑張って俺にお風呂をください。

 

 ここまで思い返したが……うん、ゴミ置くとこ無いわ。

 物置になら置けなくもないけど、臭いが漏れ出てきたら困る。やっぱり捨てて貰おう。

 

「ん……ゴミ捨て場」

 

 あー……どうしようか。

 一瞬、【闇送り】で消せばいいんじゃんと思ったけどそれはちょっと可哀想だ。

 あれどうやら原理は夜人の体内に取り込んだ後で、闇により浸食するものらしい。だから神聖パワーがある物は闇での侵食ができず消滅させられない。

 つまり夜人にとって【闇送り】とは食べているという表現が一番近い。ならゴミを食べさせるのは、ちょっとねぇ。

 

「神殿から離れた所に大きい穴掘って。それが一杯になったら埋めよう」

 

 雨ざらしになるし臭いも酷そうだ。でも俺もゴミ捨てに行くこともあるだろうし、離れすぎてると不便。

 神殿と村の間に作ろう。林道脇に作ると通行人が可哀想だからちょこっとずらす。

 

「ん。そろそろ夜?」

 

 玉座の間で昨夜の報告を聞いていた――言葉は交わしていない――が、そろそろ日暮れだとヤトに指摘されたから様子を見に外へ向う。

 森に出れば、僅かに見える太陽が徐々に地平線に沈んでいく所だった。眩しいけれど、あったかくて気持ちいい。

 

「うん、じゃあ今日もお願い」

 

 俺は【夜の化身(彼女)】と約束したのだ。

 人間のすばらしさを見せてあげると勝手に約束したのだ。

 

 今は一分一秒が惜しい。

 ダークファンタジーの世界を生き抜く知識が必要で、クシャミの制御に力が必要で、そして村人と仲良くなって人間賛歌を彼女に聞かせてあげる。やることは一杯ある。

 

 日が落ちると同時に神殿を出発。

 今日も護衛はヤト一人だ。昨夜からクシャミの回数がだいぶ減ったから、村に着くまでに増えても10人ぐらいで済むだろう。

 

 クシャミの頻度も昨日からだいぶ減った。

 この変化は彼女の何かしらの主張なのだろう。人間と仲良くなるなら力を貸さないというアピールなのか、それとも別か。良い反応ならいいんだけど……。

 

 

 

 見慣れた林道を爆走して村に到着。

 食料回収の予告時間よりもはるかに早かったから、門番の人が驚いていた。

 

「きょ、今日は早いんだな。なにか用事があったかい?」

「……」

 

 思わず門番さんの顔をまじまじ見つめる。

 

 この人、俺が最初にあった人だ……。

 初日は俺に槍を向けてきた人が今日は笑顔で対応してくれている。

 やっぱり怖いのか少しだけ声が震えているが、それでも彼は努力して俺と仲良くなろうとしてくれている。

 

「……」

 

 自分の喉をトントン指さして、口の前でバツ印。

 せっかく相手が仲良くなろうとしてくれているのに、俺がぶち壊すのは嫌だ。聖女さんが来るまで待ってほしい。

 

「なんだ? 喋れない訳じゃ無いよな。……喋りたくないのか?」

 

 少し悩んだがちょっと違う。

 これに頷いたら門番さんが嫌いで喋らないみたいな意味になってしまう。フルフルと首を振って否定。

 

 声が出なくなった。否定

 のどの調子が悪い。否定。

 今日は無口な気分。なんだそれは、否定。

 

「わ、わからん……」

 

 門番さんが頭を抱えた。

 まあ伝わらないよね。

 

 ぽんぽんと相手の肩を叩いてアピール。

 こっちを見てくれたので俺が昨日聖女さんにされたように、門番さんの頬っぺたを引っ張り上げる。

 

 俺は昨日の聖女さんから学んだのだ。女の子はあざとい方が可愛らしい!

 

 俺も男としてのプライドを持っていたが、そんなものは捨ててしまえ。

 少女ボディとなった以上これを生かすしか手はない! 見えた、仲良くなる最短ルート!

 

「ど、どうしたんだ?」

 

 うお、思ったより門番さんの頬は固いなぁ。やはり鍛えている男ということか。

 力加減がわからん、こうだろうか? もっとか!

 

「ぐ、ぅ……ぬぬ……! 痛っ、いた……!」

 

 引っ張り過ぎた。

 門番さんが俺の手をパンパンとタップアウトしたから慌てて手を離す。彼は涙目になっていた。

 ギリギリまで我慢していたのか真っ赤になった頬をさすっている。

 

 俺はあたふたと手を動かした。ご……ごめ、ごめん!

 

「なにやってるんですか? 兵士さんに呼ばれたから来てみれば……?」

「……!」

 

 そんな事していたら奥から聖女さんがやって来てくれた。彼女は門番さんの赤くなった頬に手を当てて呪文を呟いた。白い光がほんのりと輝くのが見える。

 聖女さんに抱き着く位近づいて、昨日のロザリオ見せてくれるように懇願。

 

「し、失敗! 失敗した!」

「……ああ! なるほど」

 

 納得してくれたのか聖女さんは一回手を叩くと、自分のほっぺを引っ張って俺に問いかけた。

 

「気に入ってくれたの? これ」

 

 はい、あざとい。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

これはいっそ恋であったのかもしれない

感想返し滞っておりました。
多分に意欲につながっておりますので、前話分からまた可能な限り返信します。ありがとうございます。


 村の中は何というか田舎だった。

 木製の家屋が密集するように建てられているが、その多くが平屋で二階なんか存在しない。

 道はむき出しの土のままで雨が降れば最悪な状況になるだろう。

 街灯は無い、信号は無い、あるわけない。まるで観光地の映画村に迷い込んだ錯覚を覚えて、キョロキョロしてしまう。

 俺にとって村を囲む柵の先は近くて果てしなく遠い場所だった。それが今や手の届く距離にある。

 

「めずらしいですか?」

「うん」

 

 夕暮れ時にやって来た俺は聖女さんに案内されて村の中にいた。

 最初は彼女が俺の住処に連れて行って欲しいと言ったのだが、歩いて数時間かかる距離だし夜人式ジェットコースターさせるのは申し訳ないから遠慮願った。

 

 辛うじてうすぼんやりと明るさの残った空の下、聖女さんと手をつなぎながら村を行く。

 知らない人が見れば、一緒に家に帰る途中の姉妹のように見えるのだろうか。

 

 迷わないように……そう説明されたが、たぶん嘘。というかこんな道で迷えない。

 きっと聖女さんは村人を安心させたかったのだろう。

 村を襲った俺が聖女さんと手をつなぐことで、今は安全だということを周囲に知らしめる。または俺が暴れても押さえ込みやすいためか。

 

「……どっちでもいい」

 

 つないだ右手から流れ込む暖かい波動。

 今日も聖女さんはロザリオを付けていた。その光と共に彼女の体温が俺に伝わってくる。それを確かめる様につないだ手をニギニギと握り返してみた。

 

「ん? どうしたの、黒髪ちゃん」

「いや……初めて。手をつなぐの、初めて」

「そ、そうなんですか?」

 

 信じられないと言わんばかりの目で見られた。

 

「嘘じゃない。私と手を繋いでくれる人なんかいなかった。そう……これが手」

 

 初めて女性とつないだ手をマジマジ見つめる。

 男だったとき女性とお付き合いしたことないから初体験。

 さすがに両親とやった事はあるけれど、そこは少女フィルターで見事に省略された。まあ悪意あってのカットじゃないっぽいし、たぶんこれは【凍った人格】による無口の影響だろう。不要な情報だし別にいい。

 

「そんな寂しい事を言わないでください。私でよければいつでも一緒にやりましょう?」

「……ん」

 

 聖女さんはちょっと悲しそうな表情を浮かべて、反対の手で俺の頭を撫でてきた。

 慈しむような触り方。手から頭から彼女のやさしさを受け止める。

 

「あ、ごめんね、突然女の子の頭を撫でるのは失礼だったかな。頬っぺたは……あはは」

 

 スっと戻っていく手を捕まえて再び俺の頭の上に戻す。

 

「……黒髪ちゃん?」

「いい。撫でても、いい」

 

 きっとこれは【夜の化身()】に必要な事。

 ちょっとずつ、ちょっとずつ胸の内がポカポカと暖かくなる。

 人間愛に溢れた彼女をもっと感じたいと俺も頭を押し当てた。

 

「よしよし」

「……ん」

 

 羞恥心はある。こんな通りで何やっているんだという、思いもあった。

 目の前にいる祭服を着た少女はかつての世界ならばまだまだ学生のような年齢だ。いい大人の自分がなにしてるんだろう、犯罪じゃないかな……? そんな風に考える冷静な自分もいたが、すぐに溶けて消えた。

 体が無意識に彼女を求め始めている。そんな気がした。

 

 ――ふざけるな。お前がやりたいだけ

 

 なんか聞こえた。

 

 

 

 

「じゃあ、そこに座ってくださいね」

 

 俺はあの後、村の中に建てられた小さな教会に連れられてやって来た。

 ヤトは神聖な場所を嫌がったから表で待機。教会に入れないって、やっぱり邪悪な奴やんお前?

 

 中はTHE 教会って感じだ。

 語彙が無いから俺では説明できないけど、長椅子があったり説法するための机が置かれていたりする。

 さすがにキリスト教とは違うから十字架は無かったけど、代わりに黄色い太陽が描かれた掛け軸が垂れ下がっていた。

 机を挟んで聖女さんと向かい合って座る。俺はおもむろに本を取り出して差し出した。

 

「これ……」

「あ、昨日お貸しした本ですね。もう読んじゃいました?」

「え? あ……うん」

 

 そうだ。彼女の中で俺は文字を読める設定だった。

 なんと説明するべきか……。前髪を弄りながら考える。

 

「……くす」

「?」

 

 聖女さんが突然ふき出した。

 たまらずといった風に口に手を当ててクスクスと声を漏らす。

 

「ごめんね。文字読めなかったでしょ? ちょっとからかっちゃいました」

「……」

「ほらほら怒らないで笑顔笑顔」

「……私は表情変わらない。怒ってない」

 

 ただ、気が抜けただけだ。

 手本だと言いながらニコニコ笑顔を浮かべる聖女さんを見て考える。なんとも人間臭い聖女が居たものだ。それがいい。

 

「それで、ここでなにするの?」

「えっと、まず黒髪ちゃんの要求は食料、知識、魔導書でしたね。食料は簡単だし、知識は私が教えられます」

 

 でも、と彼女は続けた。

 どうやら魔導書は駄目らしい。

 

「貴方が求める邪悪な魔導書となると、その、禁書指定とか焚書されていたりで手に入らないんですよ」

「むむ?」

「でも魔導書を求めるのは、安眠のため……身を護るための『力』が欲しかったから。そうだよね?」

 

 身を護るため? クシャミを止めたいからだけど……そう思ってかつての交渉を振り返る。

 ――「力が必要。私が誰にも脅かされることなく生活するにはもっと力が必要」

 うむ……たしかに誤解招きそうな言い回しだった。今更訂正するのも怪しいし、そのまま認める。

 

「……そう。力が制御できれば何でもいい」

「よかった。それなら、その力についても私が教えましょうか。これでも知識はかなり持っている自信がありますよ!」

「そうなの? 魔導書にも勝てる?」

「ええ! ええ! 楽勝ですとも!」

 

 腕を組んでふんすと胸を張る自信満々な聖女さん。

 もう貴方はどこを目指してるの? 世界カワイイ選手権にでも出るの?

 

「でも、その前に。黒髪ちゃんの名前教えて貰ってもいいですか? そろそろ、この『黒髪ちゃん』って呼び方もよそよそしいかなって。あ、私はディアナですよ。家名もあるけど……まあまあ。初対面の時に教えた気がするけど覚えててくれました?」

「……名前」

 

 きた。俺がずっと見て見ぬふりしていた難問だ。

 俺にだって名前は有る。夜人相手だと使う必要が無かったから表に出さなかったが、聖女さん――ディアナさん相手にはそうはいかない。

 

 けどねぇ……すごい、言いたくない。

 だってこの美少女ボディで「オッス、おら太田和(おおたわ)重吾(じゅうご)! よろしくな!」なんて言ってみろ。似合わねぇってレベルじゃない。かといって適当な偽名も告げたくない。

 

「……」

「言いたくないの?」

 

 しょんぼりと目線を落とした俺に気づいたらしい。

 聖女さんは困ったような顔で固まってしまった。

 

「まだ、秘密。好きに呼んでいい」

「……そっか」

 

 俺は結局、先延ばしを選択した。

 他にも俺の生まれた所とか、どうやって暮らしてきたのかとか、夜人の事をポツリポツリと聞かれた。同じように黙り込んでしまう。

 気まずくて手持無沙汰となり片目を隠す前髪を弄って時間を潰す。

 

 彼女に嘘をつきたくない。でも本当のことを言って信じてもらえるかは不安だった。

 生まれはこの世界じゃない。気が付いたらこの体で、変な力が与えられていた。……でも彼女なら信じてくれるかもしれない。

 

(いや違う、俺が言いたくないんだ。もうちょっと……もうちょっとだけ、この関係のままで)

 

 きっと名前を明かせば俺は彼女に救いを求めてしまう。

 たった数日の付き合いでしかない関係だけど、この世界に来た俺は彼女に助けられ続けている。夜人を抜けば、彼女だけが俺の支えだった。

 

「貴方はどうして、私に優しくする?」

「んー……人はきっと分かり合えるものだと私は思ってます。でも争ってしまう事も有る。現に私達と貴方も争ってしまった」

 

 言葉を選ぶようにしながら、ゆっくりと聖女さんは続けた。

 

「なら知りたいじゃないですか。どうして、私達は仲良くできなかったのか。どうすれば仲良くできたのか。そのためには貴方を知って、私を知って貰わなきゃ、結局何も見えないままなんです」

「……本当の私を知ったら幻滅するかもしれない」

「それはどうでしょう。私が見る限り、貴方はとてもやさしい子です。だけど村を襲ったのは事実で……何か理由があったのなら教えて欲しいんです。無いなら無いで、愉快犯ならそれでもいい。幻滅はそれを知ってからで遅くない」

 

 悪い事をした子供を優しく諭すような雰囲気を感じて、俺は気まずくなってしまう。

 もしも俺がここで全てを打ち明ければ分かり合えるのだろうか。何か変わるだろうか? ……きっと変わるのだろう。

 俺が話せばこの中途半端な関係は終わりを告げて新しい繋がりを得る。より良い結果になるかもしれないし、悪化するかもしれない。だけど、どう転がるかは神で無い身として知る術がない。

 

 秘密に包まれた俺でさえも彼女は優しくしてくれる。なら危険は冒さず現状のままでいいんじゃないか? そう囁く悪い自分が居て、けど、本当の意味でこの人と仲良くなるには避けて通れない道と知る自分もいる。

 そんな簡単な方程式は分かってるのに俺はその選択を前に慄いていた。もし彼女に否定されたら、俺はどうすればいいのだろう。

 

「……もう少し。もう少しだけ、このままで」

 

 最悪な未来を予想してしまい、思わず聖女さんの手をとって両手でかき抱く。彼女は黙って為すがままにされてくれた。

 

 心は温かい。けど体は震えていないだろうか。

 臆病になったものだ。最初は村を捨てるだの、遠くに逃げるだの言っていたのがこのザマだ。やっと手が届いた光を失いたくないと変化を嫌って立ち止まってしまう。

 

 人のぬくもりが欲しかったのは【夜の化身】だけじゃない。

 結局、俺も聖女(ディアナ)さんに救われていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 月明りが街を照らす蒼く冷え込んだ寒空の中、南都アリュマージュの貧民窟(スラム)に一つの影が有った。

 

 影は足元まで伸びるフード付きのロングコートを身にまとい、顔には黒を基調とした仮面(マスク)を付けている

 仮面の下半分を埋めるような巨大な口が印象的な仮面だ。

 マスクには目や鼻は無く、幾重にも描かれた白く鋭い牙しか模様がない。どうやって周囲を見ているのか、眼窩に当たる場所にも覗き穴すら存在しなかった。

 

 仮面の男は身を屈めると、石畳にわずかに残った血痕を指で触れて拭いとった。

 乾いた血を確かめる様に指同士をこすり合わせて魔力を通す。

 

「陽性。なるほど……皆さんお亡くなりになったようで」

 

 昨日は検体を回収する日だった。

 だが、期限から昼夜待ってみても一向に送られてくることは無かった。さらに気になる事が有り確認に来てみれば、まさかの結果。

 男は困ったように仮面に指をあてた。

 

「石輪は回収されている。発信機や自壊機能は掌握された。相手は手練れだ」

 

 人身売買の契約を結んだ者に渡した石輪――石製の腕輪――はただのアクセサリーではない。丸に三つの黒い瞳で構成される【黒燐教団(ブラック・ポースポロス)】の紋様が内側に刻まれており、様々な効果を持つ闇属性の装飾品だった。

 

 教団に対する忠誠心を与えるような思考誘導や秘密保持のための自白防止機能を持つ。装備者の死亡で10分以内に自壊して粉塵に変わる機密保持機能もあるし、逃走防止用や紛失時の確保用に現在地を製作者に知らせる機能もついている。

 思い返してみても、ただの石によくここまでの機能を盛り込めたものだと自賛できる傑作品だ。だが思わず教団の刻印を刻んでしまったのは失敗だった。

 

 その腕輪がいま男の手の内から完全にロストしていた。

 表社会で忘れられて久しい闇魔法で作られた失伝魔具を、製作者である自分を差し置いて掌握した。

 それはつまり闇魔法の領域に於いて男よりも精通している事の証左だ。生意気な騎士修道会や聖教会の人間では絶対できない事。

 

「……帝国支部の狂人か、それとも聖教国支部の背信者か」

 

 仮面の男は己の所属する【黒燐教団(ブラック・ポースポロス)】に裏切り者がいる可能性を否定しきれなかった。

 本当の闇魔法を扱える者は教団の人間を抜いて他にいない。その自負がある。

 ならば腕輪を掌握できる闇魔法の使い手は味方を抜いて他にない。

 

 男は右手を地面に向けて大仰に広げた。小声でいくつもの言葉を紡ぎ呪文を構築する。

 

「……第1節【漆桶(しっつう)幽かな虚之影(うろのかげ)】」

 

 地面に(かざ)した手の肘から先が黒い光となって周囲に溶け込んでいく。

 

「第3節【怨嗟陰惨黄泉返り】」

 

 黒い光は地面に沁み込んだ後、ゆっくりと人型となって現れた。

 それは昨日この場で殺された人間と同じ顔をしていた。ただ、苦悶の表情と怨みに満ちた目をしていた。

 

「さて……では、聞かせて貰おうか。こんな面白い事をしてくれた犯人の正体は?」

 

 仮面の男の問いに死者は呻き声をあげた。

 

 これは死者蘇生の奇跡ではない。魂の一部を黄泉の国から引っ張ってきて、それに代わりの体を与えて依り代に縫い留める闇の魔法だ。

 対象となった者がその際に感じる苦痛は文字通り魂を引き裂く灼熱痛で、どんな拷問でも味わえない地獄の責苦。だが与えられた体は自分の意思で動かせるものではなく、ただ苦痛に堪えるしか道はなかった。

 

「それでは失礼」

 

 痛みに喘ぎ喋る事すら叶わない死者に近づくと、仮面の男は死者の頭に指を差し込んだ。

 別の闇魔法が発動され、ビクリビクリと影が痙攣を起こす。そして風に吹かれて散って逝った。

 

 再び仮面の男一人に戻った静閑な路地裏に男の笑い声が小さく消えていく。

 

「クク……なるほど、黒い化け物。影に溶ける邪法」

 

 死者の魂を解体することで、内にため込まれた知識を奪い取った。

 その際に見えた光景を何度も思い返しながら仮面の男は面白げに首を振った。

 

 やはり仲間か。

 これならば焦って証拠隠滅に取り掛かる必要は無い。そこは安心だった。

 

「素晴らしい。素晴らしい……が、いくら私達の仲間意識は有ってないモノとはいえ、それは酷いでしょう」

 

 だけど気持ちはわかる。他人の作った魔具は気になるものだし、闇魔法を研究する同輩は希少だから魔具が欲しくなるのも分かる。

 恐らく仮面の男も見た事ない闇魔法の魔具を付けた人間を見かけたら多少強引にでも欲しがってしまうだろう。

 自分と同格の幹部相手ならともかく、こんなスラムにいる使い捨ての道具が身に付けていたら、絶対奪い取ってしまう。

 

「少し、探してみますか」

 

 現場に残る魔力残滓を辿っていく。方角はここから更に南。【深淵の森】に至る。

 

「ほお……趣味がいい。私、貴方の事好きかもしれません」

 

 50年前に先代【黒燐教団(ブラック・ポースポロス)】が本拠地を置いていた場所。

 その特性から魔種が発生しやすくなり、王国や帝国の監視の目も強まった場所。だが始まりの場所でもある。

 

「そこを拠点とする研究者は王国支部にいないはず。他国の方でしょうか? 会ったら共同研究するのも悪くない。っと、こうしてはいられない。私も自慢の一品を準備して挨拶に行かなくては!」

 

 最初の懸念であった石輪は最早どうでもよかった。

 今では記憶で見た素晴らしい闇の存在が仮面の男の心を占めている。

 

 男は自分の胸が高鳴るのを感じた。これはいっそ恋であったのかもしれない。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

集束する勘違い

「なんだ……なんなんだ、これは」

 

 イナル村駐屯兵団隊長のレイトは訳が分からないと頭を悩ませていた。

 太陽が真上に昇った穏やかな昼下がり、あと数時間もすればまた少女がやってくる頃だ。それを前に村の集会場でプスオフ村長、ディアナ司祭、レイトの三人が本日の協議をしていた。

 

 あの怪しい少女と契約を交わして早5日。意外な事にイナル村は平和そのものだった。

 

 少女が気まぐれに人を傷つける事は無いし、夜人――少女がそう呼んでいた――が暴れ回る事もない。

 彼女が求めたのは「一般常識」というどこにでもある物とディアナ司祭の魔法知識、そして僅かばかりの食料だけだった。

 前者二つは誰かに教えて無くなるものでは無いし、食料だってたった一人分のパンや野菜程度。村の財政は全く痛くない。しかもそのお礼にと少女が毎日森の恵みを置いていくおかげで、むしろ村の方が貰い過ぎている程だ。

 

 ディアナ司祭の話でも少女は非常に大人しいらしい。

 毎晩、日が暮れてから礼拝所で色々な知識を教えているそうだが、その授業態度は真面目の一言。

 護衛のヤトも礼拝所の表で静かに待機していて、頭に蝶々が止まっても気にしない。かつて軍人10人を相手に大立ち回りした暴力の体現者があそこまで長閑(のどか)な表情を見せるとは誰にも予想できなかった。

 

 晩に来る少女が帰るのは決まって日が変わる頃。

 ディアナ司祭は少女に泊って行かないかと聞いたこともあったそうだが村に迷惑だと遠慮したらしい。

 しかも、果てには行きかえりで周囲の危険生物を追い払っているそうだ。他でもなく、村の為に。

 

 彼女により村が危険に晒される?

 とんでもない。むしろ村はかつてより平和になっていた。

 

「なんだ、なんなんだ。これは一体なんなんだ……。普通に考えれば彼女は敵か? それとも味方か? 村長はどう考えますか」

「普通に考えられんから困っておるんだろう? はぁ~、全く嬉しいやら困るやら。とにかく、すぐにどうこうする気が無さそうなのが幸いだの」

 

 村存亡の危機を前にして死ぬんじゃないかと思うほど焦燥していた村長も以前の調子に戻っていた。長く生えたひげを撫でつけながら、安堵したような声を上げている。

 

「ディアナさんの方は進展有ったかい? こっちはなんやかんやと見た目可憐な少女に、気を許し始めている馬鹿が出ているな。門番とか、門番とか。まあ他にもいるが……」

「あはは……まあ、あんなに可愛い子が毎日、手を振って挨拶してくれるんですからね。無表情なのは表情が動かないせいだって言ってましたよ?」

 

 それに、意外と内心は情緒豊かなのですよとディアナは続ける。

 

「ここ数日、彼女も気を許してくれたのかスキンシップが多くなってきました。首筋や頭を撫でて欲しそうに近寄ってきたり、それに気付かない振りしたら彼女、私の手を取って自分の頭に乗せるんです!」

 

 その光景を思い出しつつ語るディアナ司祭の表情はゆるく崩れていた。

 にっこ、にっこ! そんな擬音が似合うとはこの事だろう。村の存亡に命を賭けると燃えていた彼女はもういない。

 

「なんでも、彼女はロザリオ…あ、えっと……私の持つ聖具が好きなんですけど、その光を浴びながら私と触れあうのがもっと好きみたいです。よく分からないけど、その方が『効果的』って言っていましたね」

「効果的……何かされてるのか?」

「いいえ? 私も最初は心配したんですけど異常は何もなし。彼女は暖かくなるって言ってました」

 

 暖かい? エリシア聖教は太陽を讃えるものだし、その司祭さんに触れると暖かいのだろうかと隊長は疑問を抱いた。

 なんとなく彼女のやわらかそうな手へと目が向かう。

 その視線に気づいたのか、ディアナは口角を僅かに上げた。にまにましている。

 

「……違う。卑しい意味は無い。その悪戯っぽい顔を止めてくれ。俺はディアナさんと触れあわんぞ」

「あはは、私はいいですよ。隊長さんが気になるなら握手くらいならやってみます? 彼女曰く、私は暖かいらしいですからね」

「やらん」

「……なら儂がしようかな」

 

 目の前で行われる司祭と村長による突然の握手。

 

「ほぉお暖かいのぉ。それにすべすべだのお~。若い子の手だ」

「あはは。ありがとうございます」

 

 何やってる、このエロジジイが……!

 こめかみに血液が集まるのを自覚しながら隊長は口に出かかった罵倒を呑み込んだ。

 

「村長は黙っててください。会議が止まった……!」

 

 話を戻すために一回咳ばらい。

 ディアナにもからかうのは程々にしてくださいと皮肉を籠めて睨みつける。

 

「それで、ディアナ司祭。他には?」

「はい。えっと……昨日は一生懸命覚えた文字で手紙をくれたんですよ。最初の時はごめんなさいって、脅しちゃってごめんなさい。でも、ああするしか手は無かったって」

「そうか……ごめんなさい、か」

 

 ならばやはり、あの門番(バカ)の言うように何かしらの事情が有って、やむに已まれず村を襲ったということか。

 信じられないような話だが、レイトにはそれ以外に考え付く理由が無かった。

 

(あれか? 俺たちは彼女に篭絡されているのか?)

 

 最初は暴力でもって支配してから、優しく接することで村人の感情をかき乱す。

 誘拐事件や監禁事件などの被害者は犯人と仲良くなってしまうという現象を提唱した学者がいた事をレイトは思い浮かべた。

 それの応用で村全体を彼女に好意を抱くように誘導して……? そこまで考えて馬鹿馬鹿しいと切り捨てた。

 

(いやいや、なんの意味があるんだ。村長には悪いがイナル村は大したことない村だ。ここは【深淵の森】の魔種抑制、その先にある帝国の監視ぐらいしか意味がない)

 

 森を挟んで国境を接する帝国と王国の仲は現在の所そう悪いものではない。だが戦争はふとした拍子に起こるもの。

 実は少女は帝国の尖兵であり、村を篭絡することで戦争の緒戦を有利に進めようと……レイトはまた頭を振った。

 もし仮にそうならば、その作戦を提唱した軍師様は天下のバカに違いない。

 あの数の夜人を従える少女は軍に匹敵する大戦力だ。なんなら一つの戦線を彼女だけで突破できる程の戦略級の存在。こんなお遊びをさせる意味がわからない。

 

「ディアナさんは彼女の事情をどこまで聞けた? 夜人の存在とか、彼女の出生とか本質的な所だ」

「ほとんど何も。まだ黒髪ちゃんは名前すら教えてくれないんですよ。時間が足りません、私が彼女に信頼されるには、もっともっと時間が必要です」

 

 この5日。ディアナは勉強を教える傍ら、何度も黒髪の少女に名前を聞いていたらしい。

 だがその度にはぐらかされたり首を振って教えてくれなかったようだ。そのせいでいまだに黒髪ちゃん呼びとなっていた。

 

「……これは相当根が深そうだ」

 

 異常なまで一切変わらない表情。喋るのが苦手という対人コミュニケーション能力の低さ。そして抜け落ちた社会常識。

 彼女の抱える問題がドンドン浮彫になるにつれて、最初の人を寄せ付けない雰囲気が一つの事情を想起させた。

 

「人間不信か……? 生まれながら普通じゃない環境にいた。だから他人を信用できず、常識も欠如している」

 

 生まれたてで警戒心の強い猫なんて生易しいものではない。

 人間の手で虐待され続けたペットが抱くような、人間に対する恐怖と敵意に満ちた感情を彼女から感じ取ってしまう。

 

 いまでこそディアナに懐き始めたようだが、それでも深い所への立ち入りを一切許さず、自分の名前すら明かさない徹底ぶり。

 加えてディアナが貰ったという呪われた指輪。あの猛烈な効果と夜人という闇の組み合わせが、考えたくもない結社(そんざい)の名をレイトの脳裏にちらつかせた。

 

 違法薬物や人体実験、邪神召喚。

 人として超えてはならない一線を容易く踏み越えるクズ共の集まり。だが遥か昔に滅んだはずのモノ。

 

(……可能性はゼロじゃない。まさか奴等復活していたのか? 誰にも気づかれず?)

 

 王都の高官が聞けばきっと卒倒する情報だ。もしくは恐怖のあまり信じたくないと耳をふさいで聞く気を持たないだろう。

 だが、それを裏付ける証拠が森から出てきた。

 警戒に出ていた兵士が森で大きな穴を発見したのだ。その中にはいくつもの死体と日用雑貨、そして闇の魔具がゴミのように放り投げられていた。

 隊長は重苦しい表情でその情報を二人に共有する。

 

「石の腕輪に【三ツ目印】が付いていた……?」

 

 二人はまるで時が止まったように静かになった。絶句。その言葉がよく似合う。

 隊長の言葉を何度もかみ砕き消化して再び動き出す。

 

「ほ……本当に森に廃棄されていた魔具に三つ目が刻まれていたんですか!? 悪戯とかでは無く!?」

「悪戯で死体を用意する奴がいるものか。スラムの住民らしき死体だった。おそらく……」

「被験体かの。忌々しい邪法の犠牲者たち。昔からあそこはそういう奴等の集まりじゃった」

 

 村長が言葉を繋ぐ。

 まるで実際に見てきたかのような、嫌悪の含まれた言葉だ。

 

「ディアナさん。例の指輪は?」

「……礼拝所の倉庫の奥底に置いています。三重結界で包んでみましたが、それでもまだ微かに闇の魔力が漏れ出ています」

「それは凄い一品だな。はぁ……ここまで状況が揃っちまうとはな。やはりこの一連の事件には、あそこが関わっているのか」

 

 あそこ――。

 かつて存在し世界を恐怖に陥れた、あまりに有名で最悪な非人道的組織【黒燐教団(ブラック・ポースポロス)】。

 レイトがその名前を上げようとした直前、集会所の扉が開け放たれた。ドタドタと数人の村人が駆け込んできて歓喜の声をあげた。

 

「村長! 嬉しい知らせだ! アイツ等が戻って来たぞ。夜逃げした連中だ! みんな生きていた!」

 

 

 

 

「――つまり、魔力とは人間が神様より授かった力であり、人のために使うものと教会は説明しています」

「ふーん……すごい非科学的。うさんくさい」

「こら」

 

 村に作られたエリシア聖教の教会はこじんまりとしたものだ。

 二階建てとなっているが、二階は住み込みで働く聖職者用の生活スペースで、一階が公共の礼拝堂となっている。

 両開きの扉を開ければ、中央に通路が通り左右に分かれていくつもの長椅子が設置される。その通路の先は放射状に丸く広がった祭室となっていて、床の一段高くなっている所が祭壇だ。

 祭壇の壁には黄色く描かれた太陽の掛け軸が垂れ下がっている。

 私達はその掛け軸の下に机を置いて勉強していた。

 

「魔力の総量は15歳まで増加していき、それ以降は止まると言われているのが通説です。だから15歳が成人と考えられるわけですね」

「……私は成人?」

「うーん……パッと見た限り、まだまだ子供ですね」

「そう」

 

 ちょっとショックだったのだろうか? 黒髪ちゃんはガクリと首を落としてしまった。

 実年齢は幾つなんですかと聞くと無言で前髪を弄り始めた。常に隠れている片目をチラッと出してみたり、手を放して戻したり。

 これは彼女の癖だ。困った事態になると、すぐにこうやって誤魔化す。

 

「ふふ……」

「なに?」

「いいえ、なんでもないですよ」

 

 黒髪ちゃんは不思議そうな顔で首を傾げたけど教えてあげない。

 気付いていないのだろうか? こんな分かりやすいのに。

 

 髪弄りに飽きたのか、彼女は自分で作ったメモを片手にパラパラ教科書をめくり始めた。

 それをぼうっと眺めながら昼頃に行われた一連の出来事を思い返す。

 

 兵士さんが森で血濡れの死体を見つけたという話と、街から戻ってきた村人の話。

 その話を聞いて今日、私はこれまで立ち入れなかった領域に踏み込む覚悟を決めていた。

 

「……黒髪ちゃん。ちょっと大事なお話しようか」

 

 教科書を弄る手を止めさせるために私は彼女の前髪を耳の方へ掻きあげた。

 その際に手が頬に触れて、黒髪ちゃんは気持ちよさそうに目を細める。

 

「今日、村人が帰ってきました。黒髪ちゃんがこの村に襲撃をかけた事で怖くなって村を出た人たちの内の数人。元気に戻ってきた。傷一つない」

 

 夜逃げしたのは8世帯25人。全員が戻って来たわけではないけど、その人たちから話を聞いて全員の安否と所在が確認できた。できてしまった。

 黒髪ちゃんが現れる前と後で村人の総数に差異が無い。思っていたような行方不明者なんて、どこにも存在しなかった。

 それは運がいいとか無事で良かったでは済まされないことだ。

 だって私達は少なくとも一人、黒髪ちゃんが村人を殺したと思っていたから。

 

「……教えてください。貴方が持っていた血濡れの服はどこで手に入れたんですか? 貴方は一体どこから来たんですか?」

 

 戻ってきた村人の何人かはこう言った。

 ――危ない時に黒い化け物が現れて命を助けてくれた。

 人買に襲われた時、猛獣に出くわした時、化け物が何処からともなく現れて救ってくれたのだと。

 

 彼等は黒い化け物から逃げるために村を出た。

 しかしまるで化け物も一緒に付いてきたかのような状況と、なぜか守ってくれたことが怖くなった。

 同じように夜逃げした仲間と確認しても、街の守護兵に相談しても解決しないから村に戻ってきてしまったのだという。

 

「約束する。私は貴方を傷つけないし、事情があるなら力になる。だから、どうか教えて欲しい……貴方の事を」

 

 露になった黒髪ちゃんの両目を見つめる。

 ずっと踏み込みたかったけど強く立ち入れなかった領域。彼女が逃げるから、私も無理に聞き出して嫌われたくなかった。だけど、もうそんな事は言っていられない。

 昼に隊長さんの話を聞いてから嫌な予感が止まらない。

 

「闇魔法を使うのは決まって悪い人というのが常識だった。村を襲ったから、罪なき村人を殺めたから、私は貴方を悪だと断じた。でも違う……貴方に関わるたびに、私はそれが信じられなくなっていった」

 

 貴方は一体どこの誰なんだ。

 どうして村を襲ったの? なのにどうして私達を守ってくれるの? どうして貴方はそんなに寂しそうなの?

 もう私にはわからない。これ以上、優しい貴方を疑いたくない。

 

「だから、どうか教えて欲しい。貴方の名前を」

「うぅ……」

 

 一分、二分と無言の時間が流れていく。何時もなら私が先に折れるが、今回はじっと待つ。

 そして長い沈黙の後、ついに黒髪ちゃんは私と向き合ってくれた。ゆっくりと不安そうな声色で尋ねてくる。

 

「……笑わない? 怒らない?」

「当然」

 

 人の名前に笑うも何も無い。

 全ての名前は両親が子供の為に付けてくれたものであり、大切な物だ。どんな名前だって私は気にしない。

 

「…………重吾」

 

 彼女は消え入るような声でつぶやいた。

 

「じゅうご?」

 

 黒髪ちゃん――いや、ジュウゴちゃんが、明かした本名はあまり聞いたことない名前だった。

 このあたりの人ではなかったのだろうか?

 珍しいとは思うが、笑う要素が無かった事に安堵する。

 

「うん。いい名前だと思うよ」

「……ほんと?」

 

 私の反応をなんども伺って、ジュウゴちゃんはホっとしたように息を吐いた。

 なにか不安になる要素でもあったのだろうか……? 分からない。

 

「あんまり聞いたことない名前なので分からないけど、どんな意味があるの?」

「……さあ。私も生まれた時から重吾だから……知らない」

 

 ジュウゴちゃんはまた長い前髪をかき分けた。

 嘘だ。彼女は名前の意味を誤魔化した。

 

 でもそんなの気にならないほど、私は彼女の名前を教えて貰えた事に浮かれていた。

 名前の由来を深く考えずに良い名前だの、似合ってるだの、そんな事を言い放ってしまった。だが色々な質問を重ねるにつれて私はその名前が真に意味する所を知ることとなる。

 

「それで、ジュウゴちゃんは今までどこにいたの?」

「知らない。気付いた時には森にいて、この体になってた」

「……この体?」

「変な力を付けられた。無意識に夜人を産んじゃう力。夜は寝れないし、血まみれにされる」

 

 彼女は堪えていた弱音を吐き出すように言葉をとめどなく溢れさせた。

 

「私もどうすればいいか分かんなくて、でも誰とも仲良くできなくて……誰も助けてくれなくて! それに……!」

 

 徐々に語句が強まり、口調が早くなる。

 名前を明かしたことが切っ掛けで、独り孤独に耐えていた最後の線が切れたのかもしれない。ジュウゴちゃんが助けを求める様に手を伸ばしてくれたから握りかえす。

 

 だけど、その言葉の中にいくつもの聞き捨てならない情報があった。私はあわてて彼女の言葉を押しとどめて聞き返した。

 

「ッまって! まって! 血まみれにされる!? まさか、あの服って、ジュウゴちゃんが着てたの!?」

「うん」

「うそ……だって前は森で拾ったって!」

「ごめん。それは誤魔化しただけ。ほんとは拾ってない。あれは、私が血まみれにされた時に着てた服」

 

 彼女はしっかりと見つめ返してきた。そこには一つの嘘も無い。

 私は信じたくない現実を突き付けられて、気付かぬうちに浅くなった呼吸を繰り返す。

 

「そんな……!」

 

 ――夜は寝れず、血まみれにされる。

 ――気付いたら夜人を生み出す変な力を与えられていた。

 

 なんだ、なんだそれは!

 それではまるで、忌まわしき人体実験が彼女に行われたかのような話ではないか!

 

「そんな……。じゃ、じゃあ服の血の正体は……! でも、あんな量普通は死んじゃう!」

 

 いや死ねなかったから、彼女はここにいるのだ。普通じゃないことがあったのだ。

 本当に『アレ』が事件に関わっていて、人体実験されていたならジュウゴちゃんは死ぬことすら許されず、体中を弄り回されたことになる。

 いつも冷静なジュウゴちゃんが、ここにいない誰かを憎らし気に睨みつけた。

 

「あれは嫌だった。来ないでって叫んだのに、無理やりされた」

 

 私の予想をはるかに上回る証言の連続に考えが纏まらなくなる。

 彼女は村にとって襲撃者だったはずだ。可愛いながらも私にとって倒すべき存在だったはずだ。

 なのにジュウゴちゃんこそ被害者だった? これまでの想定が一変した。

 

(いや、違う。予兆は初めからあったんだ。私達がそれをしっかり見ていなかっただけ。彼女の声なき叫びを聞き逃していただけ……!)

 

 門番さんが言ったような「着の身着のまま逃げてきた」という説や、私が感じた「夜の神」という説。そして隊長さんが言ったような「生まれながら普通じゃない場所にいた」説。

 いくつもの独立した点と点でしかなかった情報が徐々に真実味を帯びて繋がり始める。点は線となって少女の全貌を描き出していく。

 そんな訳がないと思いたかった最後の説がにわかに顔を上げた。

 

「――ッ! 違う!」

 

 私は焦りから机の上の教科書を払い落して、代わりに白紙を広げた。

 震える指先でなんとか描いたものは円の中に三個の黒い瞳が描かれた【三ツ目印】。

 夜の神を崇拝し悪逆非道の研究を押し進めたために50年前に滅ぼされた、深淵の森を本拠地としていた黒燐教団の刻印だ。

 

「ジュウゴちゃん! こ、これ知らないよね! 」

 

 隊長が森で見つけたという魔具は無関係だ。

 きっと50年前に捨てられていたものが、何かの拍子で今になって現れた。ただそれだけの事。

 

 だからこの子は無関係。

 そのはず。頼むからそうであってほしい――そんな私の甘い考えは切って捨てられた。

 

「知ってる。それ、石の腕輪についてた」

「っ! そ、そう……知ってるんだ」

 

 常識すら持っていなかった少女が教団の刻印だけ知っている。

 

 ここまでくれば、もう誰でもわかる。

 黒燐教団は滅んでいなかった。そしてジュウゴちゃんの名前の由来。

 

 ジュウゴ――その名が真に意味する所は数字の【15】。被験体15番。

 

 彼女は生まれながらにして教団の被害者であり、夜の神を顕現させるための実験台だった。あるいは力を宿す兵器として作られた。

 だから常識を知らないし、他人を信用するはずがない。表情は辛い事に耐え兼ねていつの間にか失ってしまったのかもしれない。そんな推測が立ってしまった。

 

(ふざけ、ないで……ふざけないで! 教団はこの子の命を何だと思ってる!!)

 

 教科書に載っていた闇の歴史がいま再誕の産声を上げていた。

 自分で描いた紋章が途端に醜悪なものに感じられて、たまらず紙をグシャグシャに丸めて捨てた。気分は晴れない。

 

「聖女さん?」

「……ぁ。ち、違うの。これは……!」

 

 ジュウゴちゃんは怒りと恐怖の入り混じった感情に打ち震える私を不思議そうに見ていた。

 責めるでもなく、ただ無表情な目に射抜かれて私の激情は急激に冷めていく。

 想い起されるのは互いにとって最悪な出会い。

 

(教団から一人逃げてきた彼女に私は何をした? ……何も、してない。それどころか村から追いだした)

 

 たった一人、村に逃げてきた女の子相手に大人数十掛かりだ。私達は彼女の事情すら聞かず、恐怖に駆られて武器で以って打ち払った。

 世間はきっと仕方ないと言って私達を非難しない。

 でも彼女からすればその言葉には何の意味もない。最悪な教団から逃げた先は最低な村だった。ただそれだけの事。

 

「ごめん。私、そんなつもりじゃなかった。だけど、ううん。ごめん……ごめんなさい」

 

 まともに彼女の顔を見れず机へ視線を落とした。

 彼女の境遇を思うと切なくて、気付いてあげられなかった事が申し訳なくて勝手に視界が霞んでいく。

 

「ジュウゴちゃん……ううん、黒髪ちゃんも、名前教えたくないはずだよね。似合わないよね、そんな名前」

「突然の手のひら返し?」

 

 ただの番号の何が良いものか。どこが似合っているものか。

 嫌がる彼女に無理やり名前を聞きだして浮かれていた自分は何様か。

 

(私なにしてるんだろう……)

 

 村を守るんだと勝手に盛り上がって、その実やっていた事は被害者を犯人に仕立てあげること。

 聖職者としての教義だとか義務だとかそんな曖昧な物に囚われて、簡単な事実を優先し真実を見失っていた。

 

 ――私のやっていたことは全部、身勝手な正義に浸ることだった。

 

 それは未熟な私には重すぎる間違いだった。

 これまでの培ってきた信念や信条、誓いまでも全てが偽りの物に思えて「私」というアイデンティティが崩れ去っていく。

 光の視えない暗闇に何処までも堕ちていく。

 

 きっと、このまま一人だったら私は立ち直れなかった。

 でも――

 

「……だいじょうぶ」

 

 うつむいたまま纏まらない思考に嵌る私を小さな手が支えてくれた。

 私の横に立って、頭をゆっくり撫でてくれる存在。黒髪ちゃんは何でもないと(かぶり)を振って答えた。

 

「分かってる」

 

 凪いだ泉のように穏やかな顔と声。

 

「大丈夫、分かってる。私も重吾は似合わないと思ってる。……少しだけ、男っぽい」

「……ふ、ふふ。そうなの?」

 

 15番を男っぽいと言い切る黒髪ちゃんの無表情のはずの顔が、ほんのわずかに笑顔に見えたのは私の錯覚だろうか。

 

 彼女は一切怒っていなかった。彼女は私たちの事を許してくれていた。

 ……後悔するのは止めよう。

 私も立ち上がって黒髪ちゃんを抱きしめた。

 

「わぷ」

 

 ありがとう。

 私はもう、間違えない。

 

「急いで準備しないとね。きっと忙しくなっちゃうから」

 

 実験台――腹立たしいが彼等にとってはそうだろう――を失った黒燐教団がどう出るかなんて、考えるまでもない。

 奪還だ。黒髪ちゃんを取り戻すために、奴等は必ずこの村にやってくる。

 

「急いで隊長さんに連絡して、聖教会にも教団の残党について知らせて、それから……そうだ。一緒に新しい名前考えようね、男っぽいジュウゴじゃない、もっと女の子らしい名前。ね?」

「ぬぐぐ、着やせか。思ってたよりすごい……え? おー」

 

 ぐいっと腕の中の黒髪ちゃんが身じろぎした。

 

 腕の中に感じる確かな温もりと小さな鼓動。ぱちぱちと瞬く瞳。

 ……生きている。そうだ彼女は今を生きている。

 表情こそ変わらないが、それは感情が無いという訳じゃない。この子は決して好き勝手に(もてあそ)んでいい子じゃない。

 

 ならば、どうするか。

 この子は私達が守るのだ。絶対に!

 

 私の覚悟はいま方向を変えて、この子を護り抜く事だけに向いていた。

 

 




黒燐教団「ちょっと待って知らない。そんなの知らない」




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

変態と部屋、変態と壁画

 

 聖女さんに俺の名前と過去を明かした数時間後、俺はまだ礼拝所にいた。

 ただし説法する部屋ではなく2階にある聖女さん個人の部屋だ。

 

 ベッドとクローゼット、そして小さな勉強机が置かれたこじんまりとした場所。

 無駄なモノは殆ど無くなんというか清廉な聖職者の部屋を想起させる。生活感が希薄で現実味の薄い部屋だが、やっぱりここは彼女の部屋らしい。ベッドの上に小さなぬいぐるみが数個だけ置いてあった。

 いっそ絵画に出てくる修道女のように高潔な彼女の素顔。いつも祭服に包まれて凛としている聖女さんのラフな私服姿を見てしまったような謎のドキドキが俺を襲った。

 

「お、女の子の部屋……」

 

 ここで深呼吸したら変態かな?

 変態だな。止めておこう

 

「ベッド使ったら変態かな?」

 

 変態だな。止めておこう。

 

「なら、椅子に腰かけよう」

 

 いや待て。女の子の椅子を借りるなんて変態だ。

 止めて…止め……じゃあ何すればいいのさ!

 俺は諦めて床にちょこんと正座した。

 

 

 今日の勉強は途中で打ち切りとなった。

 聖女さんはこれから大事な話をするとかで、急いで隊長さんの所に行ってしまった。

 そして、今日から暫く村に泊まっていきなさいと強い意志で説得された。迷惑だし、住んでる洞窟に帰ると言ったらもっと強弁された。

 

「……朝になるのは困る」

 

 聖女さんは信頼している。

 彼女は俺を受け入れてくれたし、護ると言ってくれた。だから俺はもう何が有っても彼女を疑わない。

 

 だけど村の人はまだ怖い。

 門番さんや、数人の兵士さんとは少しずつ仲良くなれているのではないかと思っているが、絶対ではない。

 もしも昼間に襲われたら、夜人の護衛無しの俺なんて一切抵抗できない。一発逮捕だ。

 

 でも、これからは聖女さんが守ってくれるから大丈夫なのだろうか?

 中世時代の教会勢力ってやばい権力の塊だし、意外と俺は聖女さん――延いては教会の庇護下に入ったのかもしれない。村で暮らせるのかもしれない。

 

「……ヤト、どうおもう?」

 

 部屋の窓を挟んで外にいるヤトに相談する。

 コンコンと窓を叩いて「入れてくれ」ってアピールされた。

 やめて。窓越しで黒い化け物にそんな事されると怖いよ。というかここ2階だよ……ホラーか。

 

 それで、どっかを指さすヤト。

 ……?

 

「……なに?」

 

 あっち、あっちとアピールが続く。

 俺の索敵範囲には村人以外の気配がない。もっと遠くなのだろうか?

 

「わかんない」

 

 ヤトはしょぼんとした。

 いままで彼がこんなに何かを主張することはあんまりなかった。そう思うと無視していいものではない気がする。

 

「……ヤト、一人でやれる? 全て任せる」

 

 言いたい事が分からないし、俺は聖女さんに「ここで待ってて」と言われたから動けない。ならヤトに任せる。

 それは彼らも信じているからだ。

 彼なら俺を絶対に裏切らない。可能な限り不利益とならないように行動してくれる。それだけ俺は彼らも信頼している。

 

 ヤトは俺の言葉を受けて数秒間ポカンと呆けた後、何度も強く頷いた。

 どうやら彼のやる気メーターが爆上がりしたらしい。数人の夜人を連れ立って突撃していった。

 

「じゃあ行ってらしゃ――くしゅん!」

 

 ポンと夜人誕生。

 ただし教会内だったからか、同時にしゅわーって蒸発していく。教会パワーつよい。

 生まれた瞬間これは可哀そう。でもその内復活するし、また明日ね。

 

 しかし久しぶりにクシャミした気がする。

 

「聖女さんの隣は暖かいから、くしゃみも出ない」

 

 最初はそんな事なかった。

 勉強中でもたまにくしゃみは出たし、その度にびっくりする聖女さんの顔は面白かった。

 でもそれも日を追うごとに減ってきて今日はついに一回も出なかった。

 

「もしかして貴方も聖女さんに惚れ、っしゅん! ……怒られた」

 

 【夜の化身】はひねくれものだと思う。

 寂しがり屋のくせに人嫌いだし、こうやって図星を指摘されるとすぐ怒る。

 

 クシャミケーションではなく、そろそろ普通のコミュニケーションとってくれてもいいのでは?

 たまに脳内に声が聞こえるとき有るし会話もできるはずだ。もしかして俺と会話するのも怖いのだろうか? 一心同体なのに?

 

「へたれ――っくしゅん!!くしゅん! ……怒られた」

 

 シュワシュワシュワ~~って夜人達が消えてく。

 お前、夜人の命を大切にしなさいよ。

 まあ彼らも彼らで、またねと手を振ってるから問題無いんだろうけど。

 

 

 そうやって夜の化身とじゃれ合っている内に聖女さんは帰って来た。

 ガチャリと扉を開けて、一仕事終えたような顔で聖女さんが戻ってくる。でも正座してる俺を見て何とも言えない表情に変わった。

 

「ただいま。寂しくなかったですか?」

「大丈夫。一人は慣れてる」

 

 だてに長年社畜やってなかったからね。

 家に帰るのは夜遅くで、だれも居ない部屋へ戻るのだ。

 俺の友はビールとつまみです。そういえば、最近飲んでない。

 

「そうやって貴方は強がって……。大丈夫、もう甘えてもいいんですよ」

「???」

 

 なんか聖女さんが正座してる俺を抱きしめた。今日の聖女さんはすぐ泣くし、どこか情緒不安定。

 でも抱きしめられて気持ちいいから文句はない。ぎゅっと抱きしめ返す。

 

 そうしていて、俺はハッと気付いた。

 そういえばこのワイシャツしばらく洗濯してない!

 いい加減よれよれだし土埃だらけ。水洗いは何度かしたけど、土は存外くさいのだ。

 

「く、黒髪ちゃん?」

 

 ぐいぃっと聖女さんを押しのけて、拘束から抜け出す。

 

「汚れる。貴方も汚れちゃう」

「……そんな事ない。貴方はずっと綺麗なままですよ。でも、それが信じられないなら……私も一緒に汚れたい。貴方と同じ場所まで堕ちれたら、きっと、もっと仲良くなれるから」

 

 まじで!?

 ―― まじで!? ――

 

 聖女さん……汚されたいって一体どんな性癖してるんです?

 エロゲーとダークファンタジーの聖女とか、もはや穢されるだけの存在みたいなところあるから止めてよ。変な事が起こらないように俺が守らなきゃだよ。

 

 あと、しっかり聞こえてたからな【夜の化身】。

 お前なんで嬉しそうな声だしてんの?

 

 

 

 

 あれから二人で月を見て喋ったり、一緒のお風呂に入ったり色々な事が有った。

 汚いワイシャツとズボンは聖女さんがお風呂に入る時に水魔法で洗浄してくれた。乾燥中。

 

 そういえば、お風呂であちこち肌を見られたのはなんだろう?

 傷跡とか無いか聞かれたけど、この体凄いんですよ。怪我はするけど夜になると消えるの。不思議ぱわー。

 自慢げにそう言ったら、聖女さんにまた抱きしめられた。いや、あの……なんで?

 そろそろ俺は聖女さんに抱き着き癖が有るのではないかと疑っている。

 

 湯上り現在、俺は聖女さんの予備のパジャマを身にまとっていた。体格差もあるし、やっぱり萌え袖は卒業できない。

 

 腕を持ち上げてプラプラしている袖を眺める。

 もしこれ着てる今、匂い嗅いだら変態かな……? やっぱり変態だな。止めておこう。

 ただでさえ俺は彼女の服と布団に包まれて、あちこちから聖女さんの匂いを感じているのにこれ以上はヤバイ。

 

 そう。

 いま、俺は、聖女さんと同じベッドに入って、添い寝していた。

 横を見ればまだ起きていた聖女さんと至近距離で目が合った。ニコリと微笑まれる。

 

(あ゛あ゛ぁぁあ~~~! ごめんなさい、変態でゴメンナサイ! 浄化されるぅ!)

 

 向かい合う姿勢はよろしくない!

 ごろりと寝返って壁とベッドの隙間に挟まり込む。

 近くに置いてあったぬいぐるみに手を伸ばして二つほど抱きかかえて悶えた。

 

「それは、ぬいぐるみって言うんですよ」

 

 知っとるわ!

 そうじゃない、俺が気にしてるのはそうじゃない。

 

「クマと犬です。あ、クマって言うのは森にいて、穴を掘ってて、えっと……毛皮がもふもふしてるんです。可愛いんですよ」

 

 なんか聖女さんの動物解説はじまった。でも説明はふわふわしてる。

 

 たぶんこの世界においてクマは猛獣に分類されないんじゃないだろうか。だって魔物もいるし、犬と同列のレベルのペット扱いなのだろう。

 俺はこの五日間で色々な事を勉強したから知ってるのだ。

 人間の基本性能もあっちの世界と比べてかなり高く、皆トップアスリート並みで……ってそうじゃない。

 どうやら俺はこの状況に混乱しているらしい。思考があっちこっちに飛んでいく。

 

 聖女さんは俺と添い寝っておかしいと思わないのだろうか?

 女の子同士だし、若い者同士だしいいってことか? それは聖女として貞操観念ゆるゆるだろ。

 彼女は悶々しないのだろうかと思ってちらりと聖女さんを伺う。

 

「それで犬っていうのはもふもふしてて、舌だしてて、可愛くて――」

 

 動物解説まだ続いてた。

 ……好きなの?

 

 

 

 

 深淵の森、浅層部。

 ヤトは木々の隙間を縫うように猛進していた。3人の夜人を付き従えて、林道ではなく生い茂った森の中を最短距離で突き進む。

 たまに避け損ねて木に衝突するが、闇の体を霧散させてすぐに結合。木の幹を文字通り擦り抜けて急ぐ。

 

 後ろへと流れていく景色は徐々に深緑を増していき、そして突然黒色へと変化する。木々が生気を失い枯死変色して瘴気を放っているのだ。

 母はこの景色を見て「なんか怖い」と褒めてくれた。この風景を頑張って作った甲斐が有るというもの。

 母の絶賛を思い出して浮かれたヤトは、次は【領域支配】に手を出そうと思案する。

 かつての姿に戻らず夜人のままではできる事も限られる。だが、事象変革もギリギリ可能な――今はそれどころでは無い。ヤトはすぐ思考を打ち切った。

 

 森の浅層から中層を経て、深層部にたどり着く。

 

 ――見えた。母の神殿だ。

 同時に入口で立ちすくむ男が一人視界に映り込む。人間だ。

 

 神殿内部には500を超す同胞が待機していた。

 しかし彼等はみな一様に新しい命令を受けていたから、人間に気づかれないように息をひそめて隠れている。

 

『可能なら人を怖がらせちゃダメ。問題はできるだけ起こさないように、穏便に』

 

 我等は人間など意にも介さない。

 邪魔なら殺すし、目障りなら消し去る。母の神殿を穢すものなど絶対に生かして帰さない。だけど愛すべき母がそう言ったならばそれが正解。

 

 ゆえに今回、神殿に待機していた夜人から応援要請がきたのだ。

 何やら不審人物が神殿に出現。対応苦慮。母の意見求む、と。その結果ヤトが母から全権委任を受けてやってきた。

 

「これは神秘の結晶だ! 神話の再現、いや、この神殿が神話そのものだ!」

 

 ヤトが神殿の入口にたどり着いた時、男は両手を広げて壁画に抱き着いていた。

 

「第三晴天カルド・ソラーレと黒死疫【佳宵(かしょう)】の激闘がこれか! この線はなんだ……神力の流れ? そうか! 当時の疾病流行と生物の死滅を放射線で表現して、その彫の深さと荒さで力強さを示しているのか!!」

 

 なんか騒いでいた。

 

「形式は原始美術に近いが、王国のゴシック様式も一部に使われている。いや待て、逆だ。流行したタッデオ期はたしか神話研究が盛んな時代だったはず。ならばゴシック様式こそ神代の模倣品だったのか!」

 

 やかましい。

 壁画に仮面を擦り付けるのをやめろ。

 

「おおお、これは龍!? まさかッ神よ! 私が死ぬ前に氷崩龍ハボクックの完全な姿を見せて頂けるとはッ! おォオおお……神よ! 夜の神よ!!」

 

 男は感動にむせび泣き、地面へと突っ伏した。

 

「……」

 

 一人勝手に泣いてないで、そろそろこっちに気づいて欲しい。

 神殿汚れるしもう殺していいかな? ヤトは腕を組んで考え始めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

純潔たる想い

 

 

 神殿にたどり着いた夜人――かつての種族名は【忌むべき暗翳(あんえい)】――のヤトは混乱の極致にいた。

 彼にとって人間とは母に抗い、怨敵たるエリシアに組して我等と殺し合った存在だ。大した力もないくせに数だけは多い腹立たしい生物だ。

 

 どれだけ殺しても、粉微塵に変えても、超常と呼ばれる龍や使徒が暴れまわる死地で太陽を背に我等に歯向かってきた。

 中にはエリシアに寵愛を貰い、神話生物に並んだ者もいたがそれはごく一部の例外。多くは戦場に立ちながら戦わずして余波で死ぬ脆弱な奴等。

 そのくせ夜の神たる我が母に敵意を抱き、殺し合いを止めなかった生意気な存在。

 

 人間と我等は到底分かり合える存在では無く、見たら殺し合う仲だった。

 村にいる聖女――と母が呼ぶ雌個体――だってどうせ、母の真なる偉大さを理解していないから戯れていられるに違いない。

 この威光溢れる神殿や母の本当の力を見れば聖女だろうと絶対に手の平を返すだろう。ヒトとは昔からそういうものだったし、ヤトは今もそう思っている。

 

 だから、ヤトは今まで彼のような人種を見た事は無かった。

 

「おや、お恥ずかしい所をお見せしました。私、【黒燐教団】王国支部所属、支部長のアルシナシオン・アタッシュマンと申します。どうぞ気軽にアルさんでも、シオンさんとでもお呼びください」

 

 ロングコートを羽織り仮面を付けた男、アルシナシオンは片足を一歩後ろに下げて恭しく礼をした。

 完全に瘴気に染まった神殿を目にしても狂うことなく――いや別の意味で狂ってるのかもしれないが――落ち着き払っている。

 あろうことか闇そのものであるヤトを見ても、臆することなく挨拶してくる。そんな人種をヤトはいまだかつて見た事が無かった。

 

 ……いや、礼儀正しく挨拶されてもさっきの行動は無かったことにならないぞ。

 そこと、そこ。床に貴様のよだれが落ちている。拭け!

 

「本日は突然の来訪失礼しました。ですが、大切なお話が有って参ったのです……!」

 

 目も鼻もない、牙の生えた口だけが大きく描かれた黒い仮面。

 足元まで覆い尽くすロングコート。そして肌が一切見えないように漆黒の手袋までしている。唯一見える生身は男の首元と頭髪程度だった。

 髪は鈍い灰色。乱雑に切り整えられたそれは肩までかかる程の長さだ。邪魔にならないようにうなじの辺りで適当に縛ってあった。

 

「でも、それは置いといて……今はこの壁画に描かれた神話のお話をしましょう! 私が特に気になるのは、創成期から夜の神が勢力を伸ばし始める闇の胎動期! ……ここです! 夜の神、第一使徒たる狂い幽天【初魄(しょはく)】が描かれた一枚!」

 

 シオン――名前が長いのでヤトはこの部分以外忘れた――はカツカツとブーツを鳴らして石畳を歩く。

 灯り一つない神殿第一層であるが、彼には全てが見えているような悠然とした歩みだ。

 一枚の絵の前で立ち止まってシオンは両手を広げる。

 

「初魄は最初の戦いを前に夜の神によって生み出された……と言われていた。しかし、この絵画と碑文を読み解く限りそうではないように思える!」

 

 シオンは地面に片膝をついて、碑文をなぞるように指を這わせた。

 まるで最愛の女性の肌を触るように愛おしそうに撫でつける。

 

「『汝…夜天を彩り護るもの……が、統べる刻……』いや、違う。統べるなら……」

 

 ヤトの存在に気づいて挨拶を交わしても、結局、男は変わらず自分一人の世界に居た。

 

「教示に従い……これも違う。今までのどの解釈とも文法が合わない。なら研究中の独自解釈(もの)を使うと、ふむ?」

 

 なんどもなんども碑文の解読を試みる男にヤトは侮蔑の眼差しを向けた。

 

 人間風情が無駄な事を。

 ここに作った壁画は全て古代神字で作ってある。

 世界の創世神話――あれから幾星霜、もはやその文字は歴史から姿を消し、解読できるものなど誰も居ない。

 ちなみに仮面の男が読んでいる部分は正しくはこうなる。

 

 汝、夜天を彩り護るもの。

 太陽が世界を率ていきければ、闇はまたかごかなり。

 かけまくも主のため侍り、祓い、介添えするならば――

 

「『汝またその身を変えて、夜天の剣とならんことを』……どうです? あってます?」

「……」

 

 挑発的な視線……ではない。

 シオンはただ好奇心にあふれた純粋な子供のように声を輝かせて、自分の解釈の正誤を尋ねていた。

 ヤトは少し時間をおいて、しぶしぶと頷いた。

 

「おお……!! ならば、これは新発見ですね! 【初魄(しょはく)】は神により斯く在れと生み出されたのではない! 戦いの最中で忌むべき暗翳(あんえい)が主の剣にならんと姿を変えた存在だったのだ!」

「……」

 

 では、他の使徒は!? 次のこれは!?

 シオンの興味は留まるところを知らなかった。むしろ絵画を見るたびドンドン増していく。

 

 100mは有ろうかという第一層の通路を勝手に歩き始めた。その足は徐々に小走りとなって、何時しか駆け足となっていく。

 

「は……ははははハッハア!! ここは天の国か! 未知の世界がこんなにも私の周りに広がっている! 解いても解いても終わらない歴史の山、神の奇跡が今ここに!」

 

 両手を大きく広げて踊るように一回転。

 そして地面に転がって、レリーフが敷き詰められた通路の天蓋に手を伸ばして握り込む。

 シオンはまるで眩しいものを浴びたように仮面を両手で押さえてようやく動きを止めた。ただブツブツと何かつぶやいている。

 

「……」

 

 よし。殺そう。

 母の所有物たるこの神殿への無断侵入、壁画への直接接触、そしてあろうことか通路を駆け回るという礼を失する暴挙。

 どれをとっても彼を生かしておく理由が無かった。

 

 一撃のもとにシオンを葬り去るため右手の指を伸ばして関節を固定する。ゆっくりとヤトは近づいていった。

 

「すばらしい、最高だ……。この神殿の主はきっと世界最高の御方なのだ」

 

 よし、もう少し生かしてやろう。

 中々分かってる人間じゃないかとヤトは感心した。

 

「……おや? 貴方は一体?」

 

 シオンの横にヤトが立った時、彼は初めて気が付いたと言わんばかりに声を上げた。

 

「……」

 

 こいつ……まさかこれまで全部、無意識だったのか。

 知識の宝庫に興奮しすぎてヤトに挨拶したのも、壁画の答え合わせをしたのも、全部無意識下だったのか。

 

「おお! これは失礼、挨拶遅れました。私、【黒燐教団(ブラック・ポースポロス)】王国支部所属、支部長のアルシナシオン・アタッシュマンと申します。どうぞ気軽にアルさんでも、シオンさんとでもお呼びください」

 

 それはさっき聞いた。潰すぞ人間……!

 ヤトは自分の堪忍袋の緒がぶちぶち音を立てているのを自覚した。

 

「いやぁ、それにしてもこの神殿は最高だ……可能ならば、ぜひ主様にお目通りを願いたいものです。ここに御座す方はきっと神に違いない。そして、許可して頂けるなら、どうか私の崇拝を奉りたく存じます」

 

 うむ。こいつはやはり分かってる。多少頭が弱いようだがその心根は悪くないらしい。

 両膝を突いて祈りをささげるシオンを見てヤトは満足げに頷いた。

 

 それにどうやら面白い邪法を収めているようだ。

 人間は嫌いだが夜の神寄りの存在であるならばと、ヤトは少しだけシオンへの配慮も考え始めていた。

 

「それで、この神殿の主様はどちらへ?」

 

 ヤトはどうしたものかと考える。

 個人的にはこの男、殺すほど嫌いじゃない。

 

 同じく夜の神を崇拝するモノとして、最下級の尖兵として迎え入れるのも悪くない。だが自分の判断だけで自陣営に迎え入れる訳にはいかない。

 ならば、母に再び判断を仰ぐ必要が有りそうだ。

 

 ヤトはなんとかそれをシオンへ伝えようとするが……やっぱりヤトは喋れない。

 どうしたもの。ヤトは頭を悩ませた。

 

 

 

 

 神殿の入り口に戻ってきた二人。

 ヤトは巨大な石材から手早く石板を削りだすと、そこに文字を書き綴って差し出した。

 

「おや……うーむ、しばしお待ちを。『汝、人間として道を歩む者……』? いや、歩むなら……違うか」

 

 違う。

 「お前、人間を止める気は無いか?」と書いたのだ。

 その程度わかれ! ヤトは怒った様子で石版をバンバンと叩いた。

 

「や、や! 申し訳ない! もう一回いきますね……汝、人間を止めろ。さすれば……ううむ、文章が終わった。意味も中途半端だし、なんか違う気がしますね」

 

 石板に古代神字を刻み、意思疎通を図ろうと挑戦中。

 すごい。この男さっきの超人的翻訳能力を失っていやがる。どうやら壁画の翻訳は一種のトランス状態だったからできたのかもしれない。

 ヤトは頭を抱えた。

 

「ぁ…あ゛……お゛」

「おや、貴方喋れるので?」

 

 なんとか言葉をひり出そうと無理をする。

 でも夜人の体に声帯が無いから、無理なモノは無理だった。

 

「……」

「おっと諦めた様子」

 

 ヤトは考える。少し頑張って【変化】するべきか。それなら会話も自由だ。

 もう再誕直後では無いし、力も少しだけ戻ってきた今なら短時間ぐらい……。

 

 そして即座に却下。

 なんでコイツの為に俺が変化しなきゃならんのだ。

 そもそも、自分の変化を最初に見せるのは母相手じゃなきゃイヤだ。ふざけんな馬鹿! ヤトは怒って石版をばしばし叩いた。

 

「も、申し訳ないです!」

 

 シオンは理由もわからず、困ったように頭をぺこぺこと下げる。

 

 こうなれば最終手段。失敗すればこの男が廃人になるが……まあいっか。

 ヤトは自分の指をシオンの頭に突き入れた。仮面の男が反射的にその腕を掴んで抵抗するが、無理やり押し込んで脳まで到達させる。

 

「が……!」

 

 そして自分の知識、感情、意志を流し込む。

 知識の全てを流すことはしない。数千年以上に渡って蓄積されたそれをただの人間に押し込めば、物理的に頭が破裂する事も多いのだ。

 

「ひ、ぎぃ……あぁ!!」

 

 激痛に継ぐ激痛。視界が真っ赤に染まって、世界の上下も分からなくなっているだろう。

 無理やり刷り込まれた知識は脳に焼き付くことで意味を成す。肉体的に最大級の痛みが発生するため、無理に耐えようとすれば魂にも罅が入る。大の大人だって数秒も耐えられない苦行のはず。

 ところがシオンは全身を震わせながら嬉しそうに悶えていた。

 

「あぁあ! これが、これが神代の時代! 世界はこんなにも澄んでいた! 夜空に浮かんでいるのが神の姿、ぁ……ぁ? 少女……少女だこれ!」

 

 なんだコイツ、気持ち悪。

 どうして激痛に喜んでるんだ? 理解できん。

 

 ヤトはもういいかなと指を引き抜こうとした。

 しかしそれをシオンが止めた。

 最初は抵抗するために掴んだ腕で、ヤトの指を無理やりもっと奥深くまで押し込もうとしている。

 

「も、もう少し! もう少しだけやりましょう! ハボクックの氷鱗が美しいぃいい、【佳宵(かしょう)】の疾病は、あ゛あ゛ァアアア!!! ぃぃ゛い゛【初魄(しょはく)】様゛ぁあああ!!!」

 

 ……キモイ!! 凄いキモイ! 名前を呼ぶな!

 ヤトはもう我慢できんとばかりに、慌てて指を引き抜いた。

 

「あギャぃ!?」

 

 邪法を強引に中断したから、ちょっと脳髄液も飛び出た気がした。

 ……まあ大きな影響はないだろう。

 シオンは地面で元気にビクビクしてるし、たぶん大丈夫。生きてる生きてる。

 

 ヤトが彼に送り込んだ情報は三点。

 

 一つ、これから村で朝を迎えるだろう母を明夜までしっかり護る事。

 一つ、きちんと自己紹介して母に気に入られること。

 一つ、それ等を試練として、こちらは仲間に迎え入れる事を検討すること。

 

 なんと簡単な試練か。

 たったこれだけの事をこなせば栄えある闇の陣営に迎え入れられる……かもしれない。少しサービスが過ぎたかもしれないとヤトはちょっと反省。

 

「ひ、ひひ……ひゃ」

 

 地面に寝そべって悶えているシオン。

 ……なんだか他にも知識や感情を覗き見された気がする。

 あと術式を強制終了したから伝達に齟齬が起きた可能性もあるが……まあいいか。

 

 ヤトにとってまだ仲間でもない人間の安否なんか知った事ではない。

 たとえこいつが驚くほど無能でも、母の護衛は自分たちも裏でキッチリ行う予定だ。無論、試練にならないので、可能な限り手は出さないが護衛失敗はあり得ない。

 

 さて、明日になれば新しい同胞は増えるだろうか?

 ヤトは死体のような男を見下ろして楽し気に嗤っていた。

 

 

 

 

 

 

 翌日。イナル村は昼間から喧噪に包まれた。

 ディアナ司祭やレイト隊長、村の駐屯兵が囲むなか仮面をつけた男が高らかに宣言する。

 

「みなさん初めまして。黒燐教団評議会の一人【純潔】と申します。今日は神の使徒たるジュウゴ様をお迎えに参りました。これから死ぬ皆様にもぜひ、お見知り置きを……!」

 

 恭しく一礼した仮面の男――アルシナシオン・アタッシュマンは村人への殺意に全身を昂らせていた。

 一方話題の中心たる重吾はポカンとしている!

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

凄惨な拷問

 

 朝である。

 

 昨夜は結局、聖女さんのふわふわ動物解説を聞いている内に眠ってしまった。

 寝る時にくしゃみが出なかったのは初めてで、この世界に来てからやっと熟睡できた。

 

「でも、ちょっと勿体なかった」

 

 可愛い女の子との添い寝なんて、男として生まれたならば一回は夢見るものだ。もっと堪能するべきだっただろうか? いま女だけど、それはそれ。

 

 そんなこんなで夜も明け、俺はいま聖女さんに連れ立って村を歩いていた。

 どうやら駐屯兵団の所へ向かっているらしい。

 

「これから森の一斉捜査をしますから、それに向けて黒髪ちゃんには教えて貰いたい事が有るんです」

 

 森のどこに何が有って、教団の研究所はどこに隠されているのか。彼女はそういう事を聞きたいらしかった。

 

「……教団?」

 

 なんじゃいそりゃぁ。

 首をかしげて知らんぞとアピール。

 

「えっと……たぶん、今まで黒髪ちゃんが暮らしていた場所の事です。そこには他にも誰かいましたか?」

「うん。いたよ」

 

 そりゃもう夜人が一杯いた。てか、今なお増えてる。

 でも教団……??

 

 そして聖女さんが教えてくれたことは驚愕の事実だった。

 なんでもあの森は【深淵の森】といって、名付けられたのは今から50年前、そこを本拠地とした黒燐教団なる邪悪な組織があった事が由来らしい。

 度重なる人体実験や闇の儀式を繰り返し、ついに各国連合軍により殲滅されたとか。

 

 えぇえ……。

 あの森ってそんな組織の跡地だったの?

 もろダークファンタジーに出てくる悪役組織じゃん。

 

 いまでは夜人が跡形もなく改造してしまったけど、そう言われれば俺が使ってた洞窟も当初から不気味なものだった気がして来た。

 道が狭いし、ごつごつしてるし、よく転ぶし……。やばい怖くなってきた。

 

「だから教団の調査……?」

 

 なるほど、50年経って変化は無いか調査したいのか。

 それなら協力しましょう。

 

 

 

 聖女さんの後について兵士の詰所にやってきた。

 駐屯兵団の詰所は兵舎も兼ねているから、建物も煉瓦造りの3階建てとなっていて村で一番大きなものだ。

 重厚な扉をくぐり中に入って応接室のテーブルへと案内される。

 

「……よく来てくれた。協力に感謝する」

 

 向かいの席に兵士達の隊長さんが座った。何度か見た事は有るけど、名前は知らない。

 村の警察役みたいな兵士を前にして、俺大丈夫かなと固くなっていたら聖女さんが耳打ちしてくれた。

 

「駐屯兵団のレイト隊長です。大丈夫、もう皆さんに説明しましたから、みんな貴方の味方ですよ」

 

 おおー、よく分からないけど俺は許されたらしい!

 村を襲った犯罪者も「説明」するだけで無罪にできるとは聖女さんの威光をさすがと言わざるを得ない。

 だけどそれは司法の存在意義を揺るがすあり得ない行為だ。悔しいのか、隊長さんは苦々しく俺の事を見ていた。

 いや、ごめん……。協力はするから許して欲しい。

 

 俺が提供できる情報なんか森のおおよその構造と、洞窟の場所程度に限られている。

 洞窟は林道から少し離れているので目印となるものを教える。あと、最近ヤトが森を黒く塗り出したのでそれも教えておく。

 

「黒い森……? まさか【死誘う黒き森】か? また、不吉なモノを作ったものだ」

「神代の激動期で登場する霊地ですね。近づく者の命を吸い尽くしてしまうとか……教団がどこまで再現できたか分かりませんが、不用意に近づくのは危険でしょう。援軍を待ちますか?」

「そうだな。だが既に少女の脱走は教団にもバレているだろう。時間の勝負でもある。安全を取れば、捜査の成果は無くなるだろうな……」

 

 俺の話せることはそれ位が全て。

 二人でなんだか難しい話を始めたから、俺は手持無沙汰になって足をプラプラさせる。

 ファンタジーRPGに出て来そうな兵士の詰め所も興味深くてキョロキョロと見回す。数人の兵士が俺達を見ている事に気が付いた。

 

「なあ……よく見ればやっぱり可愛いよな。あの子」

「ああ。15番だってよ……悪い奴じゃなくて被害者だったらしい。こっちに危害を加える気も無いし、優しい子だぞ」

 

 柱の陰で兵士さんたちがざわざわ騒いでるが、残念ながら昼間の俺では遠くて聞き取れなかった。

 その集団から誰か一人が抜け出た。

 あれは門番さんだろうか?

 手に何か袋を持って、こっちにゆっくり歩いてくる。

 

「久しぶりだな……朝飯は食べたかい?」

 

 ふるふると首を振る。

 朝ごはんはこの後食べに行くと聖女さんが言ってた。

 

「そうか、なら食べるか?」

 

 門番さんが焼き菓子っぽい物を俺の鼻先に差し出してきた。

 甘くて美味しそうな匂いを感じてくぅとお腹が鳴る。受け取ろうと手を伸ばすと、お菓子はひっこめられた。

 

「……食うか?」

「くう」

 

 両手を伸ばす。逃げられる。

 またお菓子を突き出された。甘い匂い。

 

 ……なんだろう、これは。

 門番さんを見上げる。

 

「食べないのか?」

 

 ……。

 

「おお、食べた……! 食べたぞ!」

「凄いなあの門番(ばか)。隊長が凄い目で睨んでるぞ……気付け!」

 

 お菓子を口で迎えに行ったら食べさせて貰えた。

 ほんのり甘い。おいしい。

 

「それは魔法菓子という。製作者が味を籠めて一個一個手作りするから、世界に同じものが二個と無いものになる」

「そう……おいしい」

「もう一個食うか? これも少し違った味だぞ」

「くう」

 

 手を伸ばす。逃げられる。

 ……。

 

「おお、食べた! また食べた! 凄いなあいつ、女の子を餌付けしてるぞ」

「あれ魔法菓子かよ! そりゃお前、金掛けすぎだろ。……てか一口ちっちゃいな!」

「うっわ隊長、いよいよ怒りを超えて笑み浮かべてら。すっげー顔」

 

 門番さんは穏やかな表情でお菓子を食べる俺を見ていた。

 なぜ男の手で食べさせられなきゃいけないのか分からんが……美味しそうで我慢できなかった。

 

 なにせこの世界に来てから初めての嗜好品。

 生きるためではない、楽しむための食はとても優しい味だった。

 

 ―― ……おいし ――

 

 夜の化身も気に入ってる様子。なら、いいか。

 

 

 

 

 

 

 村の通りを聖女さん、隊長さんと共に3人で歩く。

 すれ違う村人はこれから農作業なのだろうか、荷物を持って村の外へ向かう人が多くいた。

 

「おなかいっぱい……」

「もう、あんなに沢山お菓子食べるからですよ。朝ごはんは抜きですね」

 

 健康に悪いよと聖女さんは苦笑い。

 いや、まさか焼き菓子3個で満腹になるとは思わなかった。

 この体になってから食が細くなったのは知っていたが、お菓子でもこの程度しか受け入れられないとは……。

 

「さて、じゃあ今日はどうしましょうか。昼からゆっくりできるの初めてだから村を案内してもいいし、一緒に遊んでもいいしなぁ……あ、そうだ! 黒髪ちゃんの名前考えませんか?」

「ん? 森の調査は……また明日?」

「ああ、結局それは危険過ぎるという事で援軍待ちになりました。まずは貴方の安全を最優先、ということですね」

 

 村の広場に到着。遊具の無いだだっ広い公園といった所を数人の子供たちが走り回っている。

 その波を避けながら木陰に聖女さんは腰を下ろしてちょいちょいと手招きした。

 聖女さんの隣に座ろうとして、土で汚れますよと膝の上に移動させられる。

 

「あ、ありがと」

「うーん……軽い。食べる量も少ないみたいだし、黒髪ちゃんもっと太った方がいいですね。お昼はどうしよっか」

 

 聖女さん意外と力持ち。俺の脇に手を入れて楽々と持ち上げられた。

 まあ本当に俺が軽いという事もあるんだけど……。

 

「名前を考えるのか。なら、俺もいいかい? なに口は出さん」

「あ、隊長さんもこの子の名前気になるんですか。黒髪ちゃん、大丈夫?」

 

 どうやら隊長さんも同席したいらしかった。

 まあ襲わないなら別にいいけど。そういう意味で頷いたら、隊長は聖女さんのすぐ隣に腰かけた。

 

 ……え、そこ座る? 普通もうちょっと遠慮して距離取らない?

 木を背もたれにしてすぐ近くで座る聖女さんと隊長さん、そして膝の上にいる俺。

 

 え? なに……なんだこれ、子持ちの夫婦?

 なんとなくそんな家族っぽい絵面が出来上がった。

 

「家族」

「え……?」

「私達、家族みたい」

「 ……ふふ、そうですね。はい。私と黒髪ちゃんはもう家族ですよ」

 

 嬉しそうな声で聖女さんは言った。

 

「私はお姉さんかな。それともお母さん? なら、こっちのレイトさんは……お父さん?」

「冗談を」

 

 隊長さんはそれを戯言と一顧だにせず切って捨てた。だから彼は気付けなかった。

 クスクスと笑う聖女さんの、嬉しさと感動が合わさって瞳を潤ませた表情。そして彼女の声が本当に僅かだが震えていた事を彼は見過ごした。

 

(聖女さん、嬉しいのかな……? もし、そうなら俺も嬉しい)

 

 ちょうど膝の上にいる俺の頬が触りやすい位置なのだろう。聖女さんは後ろからムニムニと俺の頬っぺたを弄っている。

 それがまるで彼女の照れ隠しのようで余計に愛おしく感じる。

 ならば、これ以上の言葉は不要。俺は背中に感じる体温に身を預けて全身の力を抜いた。木漏れ日が俺たちを照らす。

 

「でもレイトさんだっていい年でしょう? そろそろ、身を固めた方がいいのでは」

「生憎、国と結婚してるのでな」

「あらら。どうしましょう黒髪ちゃん、私フラれちゃいました」

 

 聖女さんはこのやり取りを途中から分かりやすく冗談ぶって言っていた。まるで何かを誤魔化すように本心が全く籠っていないのが丸わかりだったが……それでも隊長さん凄いな。そんな事言われたら、たとえ冗談と分かってても俺はドキドキしちゃう。

 

「隊長は……」

 

 もしかしてホモの人ですか? ……いや、言うのは止めよう。

 怪しい人にそれと聞くのは野暮なモノ。もし頷かれても怖いし……。

 隊長はそんな俺の様子を見て、何を思ったのか頭をポンポンと叩いてきた。

 

「……そうだな。そうかもしれないな」

 

 え、なにが? ホモ?

 

「ふふ、良かったですね。隊長さんも家族になりたいそうですよ。私はその、ごめんなさい……隊長さんとは良いお友達で」

「知っていた。だから言いたくなかった」

 

 ぶすっとした表情を浮かべるおっさん。

 前の世界では見た事ない、命を掛けた戦士という渋さが有って意外とカッコいい。

 そしてみんなで笑い合った。……俺は表情変わらないけど。

 

 

 

「それじゃあ、三人で黒髪ちゃんの名前考えましょっか! はい! 私は『アウラ』ちゃんがいいと思いました!」

 

 彼女は一番に名乗りを上げて俺の名前を発表した。

 アウラ……なんでも、昔から王都で有り触れている女の子の名前らしい。意味はそよ風とか輝きとかそんな感じ。

 

「流行りに乗って名付けるのはどうかと思うんですけど、『普通』というのも大切です。黒髪ちゃんにはこれから当たり前に生きて、普通に成長してほしい。そんな想いを名前に籠めました」

 

 どうですか? と緊張と期待を含んだ声で俺の評価を待つ聖女さん。

 なんだろう……すごい、恥ずかしい。

 自分の名前を自分で考えるのって、こんなに悶えるのか。それに……。

 

「女の子っぽい……恥ずかしい」

「何を言ってるんだお前は」

 

 考えてもみろ。

 俺が「おっす、私アウラよろしくね!」なんて自己紹介してみろ、元気っ娘かよ。俺には似合わないって。

 

「じゃあじゃあ……えーっと、アイシャはどうですか? さっきより落ち着いた名前でしょう?」

 

 他にもケイティとか、セオドーラとか聖女さんは色々な案を上げてくれた。しかもその全てに名前の由来とか、俺のことを思って考えてくれた理由があった。

 そんな名前発表会を俺達はひたすら聞いていく。

 10個ぐらい聞いたところで聖女さんはガクリと力尽きた。

 

「むむむ……全部黒髪ちゃんの琴線に触れられなかった。隊長さんは何か案ないんですか!?」

「俺か? そうだな……たしか、去年村で一番付けられた名前はリーフデだったし、それでいいんじゃないか」

「なげやりに感じます。0点」

「ディアナさんも最初の候補そんな理由だったよな!?」

 

 中々名前が決まらない。なんだろう……ピンとこないのだ。

 業を煮やしたのか、俺の影からヤトが腕を伸ばした。日の光に削られながら何かを地面に書いていく。

 ミミズがのたくった様な文字。神殿でよく見るやつだ。

 

「……読めん。ディアナさんこれは?」

「あー、これは誰にも読めませんよ。古代神字ですね。ほぼ解読されてないモノですし、辛うじて意味を推察できるぐらいです」

「そうなの? 夜人が好んで使う奴だよ」

「ええ……夜人さんってほんとに神話生物みたい……。神字の意味を推察できるのは聖教会では枢機卿達か教皇様、あるいは聖女様ぐらいですよ」

 

 お、聖女様なら読めるの? じゃあディアナさん読めるやん。

 ……冗談である。

 

「えっと……たぶんヤトさんが書いたのは夜の神の事でしょうか。古代神字の読み方や音は分かりませんから、この文字列で表記される部分を私達は【夜の神】を意味する物として扱っています」

「読めるやん」

「あはは、基本的な部分だけですよ」

 

 ヤトの腕が嬉しそうにコレコレとアピール。

 そして時間切れで日に焼かれて消えて行った。黒い靄が風に吹かれて散っていく。

 

「これ、だって」

「いやぁ……読めないです」

「うん。なんて発音するんだろうね、これ」

 

 名前は結局、最後まで決まらなかった。

 聖女さんは明日にはまた10個考えてくると張り切っているが……たぶんそれでも決まらないだろう。

 とりあえず、今日はこのままみんなでお昼までのんびりすることになった。

 ポカポカ陽気に眠くなる……。

 

 

 

 

 

 私が目を覚ました時、すでに太陽は昇っていた。

 ヤト様が村近くまで運んでくれていたようで、ここは森と平原の境界線だ。森を抜ければすぐに村に着く。

 

 昨夜、私はヤト様を通して啓示を受けた。

 あの神殿を作ったのは忌むべき暗翳(あんえい)――いまは夜人と名乗っているらしい――の皆様だった。

 そして神殿の所有者であり彼らの主でもある存在は今、イルナ村にいると伝えられた。

 

 私に命じられたことはその主様の護衛。

 だがその命令の多くが虫食い状態だった。主の名前や外見、経歴は何もわからず、ただ「主を今夜まで護れ」という命令だけが私の脳に刻まれていた。

 

 情報が足りず、さっぱり状況が理解できない。

 主を誰から守るのか、どう守るのか? 私はどうするべきか分からなかった。ゆえにまず情報を得る事にした。

 

「……そうか、そうだったのですか」

 

 森の巡回に出ていた兵士を森で捕らえて利用させてもらった。

 情報さえ貰えればもう用はない。ドサリと投げ捨てると、開かれた頭部から中身が漏れ出し地面に染み込んでいく。

 

 兵士が持つ記憶は私に全てを教えてくれた。

 新たに手に入った情報はヤト様の主人、実験体15番――ジュウゴ様なる存在の情報だ。

 

 ジュウゴ様は黒燐教団の何者かによって作り出された実験体であり、夜の神の奉仕種族たる夜人を召喚する能力を手に入れた成功品。

 そういう意味では、あの神殿の主は私の信じる神では無かった。

 少しだけ残念なことだが問題はない。闇に連なる系譜にとってジュウゴ様は変わらず信仰対象足りえる存在だ。

 

 だが、あろうことかその製作者は愚か過ぎた。

 

 ジュウゴ様を信仰対象として見なかったのだろう。実験体15番であったジュウゴ様のことをずっと不当に扱っていたのだろう。

 故に彼女は教団から逃げだした……と予想される。

 

「愚かな……彼女こそ、次期教祖に相応しい御方。いや神の再臨、あるいは使徒と言っても過言ではない」

 

 実験開始当初ならばそれも仕方ないが、力を得た後のジュウゴ様の待遇改善すらその者は怠った。

 彼女は夜の神そのものではない。だが、それに限りなく近しい者と言い切れる。

 不死者たるヤト様が従っている事といい、あの神殿といい、まず間違いなく彼女は人の枠を超えた超越者だ。

 

「認めねばならぬ事はあるのです。研究者でありたいならば、たとえ自分の功績を捨て去ることになろうとも、事実を事実と受け入れる度量は必要なのですよ」

 

 中途半端な研究者というのは得てしてプライドの塊だ。

 彼女を神と認めなかったのはお前を作ったのは俺なんだという製作者としての矜持だろうか?

 かつての立場に固執し、彼女の方が上位者になった事実を認識できなかった。……情けない。

 

「認めましょう。貴方は私の遥か上を行く智者だったのでしょう。神の再臨を起こしたのは褒めましょう。ですが……貴方は所詮俗物だった」

 

 彼女を生み出した目的は、その力を利用する事だったのか?

 ――興味無い。

 

「貴様のせいで……」

 

 それとも神の存在を研究したかったのか?

 ――不敬である。

 

「貴様のせいで……! いま、ジュウゴ様が危険に晒されている!!」

 

 教団から逃げだした彼女は、しかし逃げた先で聖教会に囚われた。

 

 昨夜の啓示と共に私は一つの感情を受け取っていた。

 ヤト様は聖女を名乗る聖職者に主を奪われたと認識していた。それを悔し気に感じていたが取り戻せない切なさと寂しさも感じていた。

 

「ヤト様のお気持ちは確かに受け取った。夜人様だけでは囚われたジュウゴ様を奪還できなかったのでしょう。なにせ、村にはエクリプスがいる」

 

 ディアナ・フォンセ・エクリプス司祭。

 弱冠19歳にして司教への昇進まで内定している、教会の期待を一身に背負う次世代のホープだ。

 しかも私が知る限り、彼女は恩師から天日聖具を与えられている。

 与えられた聖具の名はたしか――

 

「聖具【ミトラス】……常に自分と味方の周囲に太陽同等の破邪を纏わせ、無限の魔力を供給するという攻防に優れた最優神器」

 

 いわばアレは太陽神エリシアの力の一端を身に宿すような物だ。なるほど、夜人様では近づくだけで存在を許されないのだから太刀打ちできないはずだ。

 つまり昨夜の指令――ジュウゴ様を護れとは、彼女から守れという意味だったのだ!

 

「聖教会……絶対に闇を認めない頑固者のお遊戯会。ほんのわずかに闇を研究するだけで、拷問にかけ、嘘の自白を引き出し、処刑するゴミ共の集まり。闇に関わった者を全て葬り去る壮絶な殺戮集団。いやはや、私はこの日の為に生きてきたというやつでしょうか」

 

 村の中には確かに、うっすらと闇の気配を感じる。これがジュウゴ様だろう。

 そしてそれを抱きしめている光の気配……エクリプスだ。

 

「っ忌々しい! それは拷問ですか、エクリプスッ!」

 

 神話ではかの神――夜の神でさえ太陽の光に身を焼いたという。

 ならば闇の存在を日の下に連れ出して、あまつさえ聖具の光に曝す行為は甚振っているという他ない。

 ジュウゴ様の闇の気配はそれはもう弱弱しいもので、まるで力を感じなかった。あれでは恐らく力は一切発揮できないだろう。……拷問のせいか!

 

「時間がない……! 夜人様にも、ジュウゴ様にも。そして私にも!」

 

 状況を確認すればするほど、最悪が近い事を知る。

 私に許された時間は今日の日暮れまで。理由は分からないがヤト様がそう言うのだから、今日の夜に何かあるのだろう。

 

 考えられるとすれば、捕らえた闇の存在であるジュウゴ様を聖都に移送する事。

 あの無知蒙昧な宗教家どもは大衆へのアピールに余念がない。闇の存在を捕らえたならば聖都で公開処刑に処する可能性が一番考えられた。

 

 その実行日が今日の夕方なのだろう。だから部外者であった私に助けを求めた! 南都アルマージュで魔具を奪うという手段で私を呼び出したのだ!

 

「ならば……私も全身全霊を以て事に当たる。それが神に示す誠意となる」

 

 ……守護(まも)らねばならぬ。

 たとえ日中という最悪の状況下でも、相手がジュウゴ様を聖都へ移送する前に行くしかない。今しかないのだ。

 状況は分かった。使命も理解した。ならば後は神告に殉ずるのみ。

 

「この命に代えて、私はジュウゴ様をお救いせねばなりません。それが私の産まれた意味だった」

 

 意を決して村に入り込んでいく。肩で風を切り堂々と日光に身をさらす。

 私は見るからに怪しい風貌だ。ましてや日中の今、太陽光に焼かれて体中から黒い瘴気を発している事だろう。……それは怪しい。自覚はある。

 

 誰かが悲鳴を上げて兵士共がワラワラ集まってきたが、そんな雑兵に興味は無い。

 往く手を遮る兵士を押しのけ、攻撃に晒されても無視して村を堂々と縦断する。

 

 たどり着いた村の広場でジュウゴ様を拷問していたエクリプスの前に立つ。

 のうのうとした表情で闇の者(ジュウゴ様)に莫大な光の波動を流し込む最低最悪の加虐性愛者が。

 奴の顔を見るだけではらわたが煮えくり返る。

 

「みなさん初めまして。黒燐教団評議会の一人【純潔】と申します。今日は神の使徒たるジュウゴ様をお迎えに参りました。これから死ぬ皆様にもぜひ、お見知り置きを……!」

 

 嫌味を籠めて慇懃に挨拶を送る。

 

 さあ、始めましょう。

 夜の導き手を再び我等の下に――!

 

 




聖女「ぎゅー」
黒髪「やわらかい、あったか……ねむ……」 ← 凄惨な拷問!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

主人公不在はドシリアスなんですけど!?

 

 太陽が空高く上がり大地を照らす快晴の下、ディアナの前に闇が現れた。

 

 黒く染まった口しかない仮面。全身を覆うロングコートと黒手袋。

 【純潔】と名乗った男は鈍く軋む魔力を周囲に漏らしながら、一歩一歩とディアナ達に近づいてくる。

 男の踏み締めた大地の草が染み出す瘴気に冒されて枯れていく。

 

「ちょっと待っててね黒髪ちゃん。すぐ終わるから」

「う、うん……」

 

 ディアナは膝の上にいた少女を横に下ろして、立ち上がる。

 

「なるほど……随分と早いお出ましですね教団員さん。ですが聞き間違いですかね、この子を返せとかなんとか? 無理ですね。この子は物じゃないから返せない」

「いいや奪ったのは貴方が先のはずだ。我等は大切な使徒を返して頂きに参った次第。今ならば誰の命も取りません。私、無用な殺生はしない質なのです……さあ返しなさい」

「殺傷をしない? ……その崇高な意志で実験体を長く苦しめてきたのですね。素晴らしすぎて、眩しくて、私は貴方を直視したくない。吐きそうですよ……!」

 

 全く話が通じない。言葉は通じているのに論理が破綻している。

 嘘で塗り固められた男の言葉にディアナは嫌悪感しか感じなかった。だが、それは相手も同じだったのだろう。

 シオンはディアナとの話を打ち切って少女に目を向けた。

 

「ジュウゴ様……さあ神殿に帰りましょう。私は貴方を助けに来た」

 

 宗教画に出てくる騎士のように、卑しいことなど何もないとシオンは手を差し伸べた。まるで受け入れられて当然と言わんばかりの男の態度。

 何を馬鹿な事をとディアナは思ったが、黒髪の少女はびくりと体を震わせた。

 

「神殿……呼んでるの?」

「ええ。私は彼らに願われてここに来た。村に長居は危険です。さぁ、さぁ」

 

 少女は視線を落として考え込んだ。同時にチラチラとこちらを伺っている事にディアナは気が付いた。

 様子がおかしい。

 なぜ考える必要が有る? すぐ拒否して欲しいのに、なぜ申し訳なさそうな顔を浮かべるのだ。

 悩む少女を追い込む様に男が嫌らしく語る。

 

「いいですか……このままでは、大変なことになりますよ? 上層部の判断はなかなか苛烈でしてね。敵とみなした者、関わっただけの者ですら凌辱と軽蔑、拷問の果てに処刑する」

「……!」

 

 男の意味深な言葉をディアナはすぐに理解した。

 

 これは村を人質にとった脅迫だ。

 お前が帰ってこないなら教団上層部の判断で村ごと潰す。残虐の限りを尽くして、村人全員殺す……仮面の男はそう言っていたのだ。

 

「下種な! やるならやってみなさい、私達はそんなに弱くない!」

 

 守れるとは言い切れない。本当に教団が動いたら必ず死者が出るだろう。しかしそれは少女を差し出す理由とは成りえない。

 

「うん……」

 

 ディアナが強気に立ち向かうが、しかし少女はまるで自分の影を見る様に視線を落として考え込んだ。

 そして確認が取れたかのように頷くとゆっくりとシオンに向かって歩き出す。

 

「ッ黒髪ちゃん!?」

「……ごめん、帰る。ばいばい」

 

 名残惜しそうにディアナに別れを告げた少女はシオンの姿に怯えながら近寄っていく。

 

「そんな、どうして……!?」

 

 慌ててディアナが理由を尋ねるが彼女は振り返らなかった。

 本当は仮面の男となど一緒に行きたくないのだろう。少女の体は震えているし、警戒するように男を見つめている。

 だが、彼女は教団の下に戻る事を決めた。再び実験動物として使いつぶされることを自ら選んでいた。

 

「大丈夫! 黒髪ちゃん、私達なら大丈夫! かならず守る、みんな護る! だから待って!」

「でも……何かあると悪い。私は行かなきゃ」

 

 恐怖に縛られていたのかもしれない。

 あるいは優しい子だから脅しを聞いて、この村に掛かる迷惑を考えたのだろう。自分が犠牲になれば誰も苦しまなくて済む……そう考えてしまったのだ。

 彼女の悲壮な決意を尊重する事は、このまま見送る事なのかもしれない。だけど……見過ごせば、きっと自分は後悔する。

 

 ディアナは無理やり少女の手をつかんで止めた。

 

「……駄目だよ」

 

 驚いたように少女は振り返った。だがその心は既に男に囚われていた。

 少女は困ったように眉を下げて、ディアナに手を放して欲しいと目で訴えてくる。

 

「だめ。そんなのダメ。お願い、行かないで」

「呼ばれたから。ごめん、また来るから」

「また来るって、そんな男について行って次はいつ来れるって言うんですか!?」

「……今晩?」

 

 どれだけ言っても彼女はディアナの言葉に頷かない。

 その先にどんな苦痛があると知っても彼女は自分を顧みない。誰のためでもなく村のために彼女は地獄へ堕ちる覚悟を決めた。その決意は止まらない。

 

(なんで、なんでそんな風に生きれるの? ずっと苦しんできて、この子はあんなにも安寧を求めていたのに! やっと手に入れた自由なのに……! )

 

 怒りと悔しさと、悲しみの織り交ざったグチャグチャの感情が心で荒れ狂う。掴んでいる少女の手を握り込む。

 どんなに生きて欲しいと願えども、心配するだけの感情は彼女に響かない。

 己よりも他者を優先してしまう優しい子だから、彼女は自らを追い詰める。

 ――彼女はこの世界で生きるには酷く優しすぎた。

 

「……じゃない」

 

 ならばディアナは彼女の優しさを利用する。

 

「迷惑なんかじゃない! 貴方が可哀そうだからじゃない! 私が貴方と一緒にいたいから、私の為にここにいて欲しい!」

「ぇ……?」

 

 彼女のための言葉が無意味なら、自分のために残って欲しいと(こいねが)う。

 卑怯な手だと自覚する。だけど彼女と共に居たいという、この想いは胸を張って言える事実。

 

「私は孤児だから、ずっと家族が欲しかった! 貴方に家族って言って貰えてうれしかった!」

 

 彼女と一緒に学ぶことは楽しかった。

 

「私は不安だったんだ。同じ孤児院の子たちとも家族になれるって思ってたけど、相手もそう思ってくれているのか分からなかった」

 

 一緒にお風呂に入った。ベッドで眠りについた。

 彼女と共に過ごす時間は輝いていた。

 

「家族が欲しかったのは、ほんとは自分だけじゃないのかってずっと怖かった。だからみんなに精一杯優しくしたし沢山構った。『良い人』であろうと人一倍注意した。でも不安は残り続けた」

 

 知っているか。

 彼女は陽だまりが好きなのだ。

 

「貴方がその恐怖を打ち砕いてくれた。家族として求めてくれた言葉に私がどれだけ救われたか。私が貴方の感情を理解しきれないように、この想いはきっと誰にも理解される事はない」

 

 実は少女は怖がりで寂しがりで、ずっと誰かに甘えたがっていた。

 

「それでもいい。私は貴方と居るだけで救われる」

 

 お菓子が大好きで甘いものに目を輝かせる。

 この子はずっとずっと子供らしい。

 

「貴方だけが居ない日常なんて欲しくない。どんな地獄でも私は貴方と一緒に歩みたい」

 

 知っているかお前たち。

 

「だって、それが家族というものだから」

 

 知っているか仮面野郎。

 私の家族に手を出すその意味を。

 

「知ってるか黒燐教団。私はお前が大っ嫌い……!」

 

 

 

 

 

 

「『光よ 悪を祓う飛輪 蒼天に御座す主の寂光よ!』」

「総員、司祭を護れ! 少女を護れ! 命を懸けろよここが俺等の正念場だ!」

 

 聖女が詠唱を始めた。隊長が周囲の兵士に叱咤を飛ばす。

 

「まるで予想通り。交渉決裂。ならば相済むまで鏖殺(おうさつ)致し方なし……!」

 

 仮面の男が両手を広げた。

 前後左右から剣で突き刺され、首が捻じ曲がる。

 血の代わりに黒い靄が体から噴き出した。仮面の口は瘴気を吐き出しながら哂っている。

 

「『虚空に舞え 真理 争乱 滲み出す冥漠』」

「『迎え入れろ落暉 打ち砕け暁光 未来を掴み取れ人の子よ』」

 

 

 なんか戦いが始まった件について。

 

 見た事も無い仮面の男が現れて神殿に帰ろうって言われた。

 なんじゃい我、不気味な格好で怪しい事言っとるな。この世界流の誘拐か?……と思ったけど俺は頭の良い人。

 昨日そう言えばヤトが騒いでたのを思い出した。もしかしたらそっちの関係でなにか色々あったのかもしれない。

 そんで「この人、迎えに来たって言ってるけどマジ?」と俺の影に潜むヤトに確認したら、どうもマジらしい。

 

 マジかよ……絶対不審者じゃんこの人。お前なに思ってこの人に俺の迎え頼んだ?

 とはいえヤトも大丈夫と言ってるし、じゃあ帰ろうかーってビクビクと歩き出したら、まさかの聖女さんストップくらった。

 そんで始まる聖女さんの熱い告白。呆然としてたら、いつの間にか皆戦ってます。

 …………なんで? この人が不審者だから?

 

 

 両者の詠唱が進む。なんだか二人の周囲が歪んで見えた。

 

「離れろ! 戦略魔法がくるぞ……伏せッ!」

 

 兵士たちが全員伏せる。俺も混乱したままそれに続いた。

 

 その次の瞬間――

 

「完全詠唱、第9節【尽未来際(じんみらいさい)・落日】」

「完全詠唱、Patriarch【parhelion to illuminate/幻日の灯火】」

 

 ――音が消し飛んだ。

 

 

 

 

 

 五感を塗りつぶすホワイトアウトと轟音が落ち着いた時、周囲の地面は融解して表面が溶岩のようにぐつぐつと煮立っていた。

 広場周りの家屋は壁が半分ほど吹き飛んでいたが何とか形を保っている。

 互いの大魔法が相殺し合ったとはいえ、村の広場の消失程度で済んだのはいっそ奇跡だった。

 

「いや、手間ですね。お互いに大魔法を使っていながら、その実、手加減せざるを得ない」

 

 もしも全力だったらこんな村は呑み込んで当たり前。しかしそれは出来ない理由が有る。

 

 シオンの目的は少女を護る事。エリシア聖教から救うため。

 ディアナの目的は少女を護る事。宗教裁判で処刑するため。

 

 アルシナシオンは予想外に面倒だと嘆息した。

 

「どうです? ここは、お互いに使う呪文を制限して――ッ!」

 

 突如、シオンの胸から剣が生えた。

 振り返ると同時に詠唱破棄で魔法を飛ばす。後ろにいた兵士が横に転がって避けた。

 

「随分と余裕そうだな!」

「手加減してくれるなら、勝手にどうぞ」

 

 まさかこの熱量の中で瞬時に動ける兵士がいたとは。

 

 見回せば地面に転がっているのは守るべき少女のみ。

 最初の魔法は互いに手加減していたことと、相殺した事も有って実害は無かったはずだが、大きな音にビックリしたのか少女は目を回して倒れている。

 

「おっと! なるほど、それは手厳しい!」

 

 シオンは溶岩と化した地面に大きく踏み込んだ。

 足首までが融けた大地に浸かり、捲きあがるマグマと蒸気が視界を制限する。

 

 右から一人。左から三人。

 唐竹、袈裟、右薙、逆風。シオンは身をよじってギリギリで回避する。

 地面は何処までも沈み込んでいくようで、まるで灼熱の泥沼で戦っているような錯覚を覚える。

 

「――第1節【血肉に染まる小忌衣(おみごろも)】」

「deacon【Enchanting:wish sparkle/光り輝く強き意志】」

 

 溶岩の上を歩ける人間などいない。

 シオンもそれは変わらず、魔法の防御が無ければ瞬く間に燃え尽きる。

 

 対する兵士たちには加護が有った。

 ディアナ司祭の胸元で輝く聖具【ミトラス】によるものだろう。体の周囲を薄い膜が覆っている。光と熱、そして闇属性に対する完全耐性だ。

 

「ミトラスの展開持続、出力維持! 隊長さん、お願いします!」

「ああ。ここまでお膳立てされたら、負けてはいられない!」

 

 村の兵士は戦闘開始から一人たりとも減っていない。全員が猿叫を上げてシオンに向かってきていた。

 

「せぃぃぃいや!」

 

 振り下ろされるのは破邪の剣。

 籠められた加護はこの身を断ち切って余りあるもの。

 

 シオンは身を屈めて上段の太刀筋をやり過ごす。直後、膝のバネを全開に無防備となった敵の懐に飛び込んだ。

 仮面と兵士の顔が触れる程近くなる。そっと兵士の胸元へ鎧越しに触れた。

 

「第1節【貪り狂――」

「援護! 直後、転回!」

 

 後方から迫りくる凶刃に気づき、横にステップ。

 今度は光線が飛んで来た。続けて二歩三歩と跳び退る。

 

「bishop【Grilled drought/旱魃の日照り】!」

「押せ押せ! ディアナ司祭の援護は気にするな! 俺たちが当たっても死にはしない!」

 

 溶岩に足を取られて少しだけ立ち止まる。そのわずかな時間で左右前後から兵士が雪崩のように突っ込んできた。

 まるで死を恐れない果敢な攻撃。

 なるほどこれは一流だ。シオンは自分の読みが浅かった事を理解した。

 

 注意すべきはエクリプス司祭だけではなかった。この村の兵士をもっと警戒するべきだった。

 

 王都の精鋭兵であろうと加護を受けても融ける地面の上は臆するもの。

 しかしここでは誰一人臆することなく溶岩上の戦闘に飛び込んでくる。さすがはレイト駐屯兵団とシオンは賞賛を送った。

 

(状況が悪い。一度仕切り直すべきか!)

 

 包囲されたなら上へ逃げる。

 シオンはふわりと浮き上がると上昇気流を噴き上げて急上昇。村を見下ろす高さでふっと一息ついた。

 

「いいんですか? 晴天の空はエリシア聖教の領域ですよ」

 

 突如、前兆なくシオンの右腕が断ち切られた。

 落ちていく腕を拾い損ねて、切断面から瘴気が噴出していく。

 

「ッ、日光を媒介とした攻撃ですか? さてさて、回避は……!」

「させません。空の果てが続く限り、私は貴方を逃がさない!」

 

 太陽が煌めく。

 全身を焼かれる。

 

(……くっ、やはり日中は厄介過ぎる! これならば兵士に囲まれても溶岩の上がマシだ!)

 

 焦りがシオンの判断を誤らせた。

 回避不能の直射日光に晒されるよりも、マグマの蒸気がある地上の方が幾分戦いやすい。

 

「戻って来るぞ! 爆撃に注意しながら迎撃、構えぃい!」

 

 シオンは幾つもの魔法球を地面に撃ち込みながら急降下。

 溶岩の飛沫と蒸気を巻き上げて直射日光を遮る壁とする。

 

「そこだ! せぇえェえァアア!!」

「――ッ煩わしい!」

 

 着地と同時に2人飛びかかってきた。劣悪な視界の中で完全に狙いすまされたタイミング。

 右腕が無いだけ対応は杜撰となる。

 腹部を斬られた。大腿を裂かれた。シオンの動きは鈍くなり、生傷が増えていく。

 

「おやおや、これは!」

 

 続く兵士を蹴り飛ばし、飛んでくる聖魔法を打ち弾く。

 後方からの一閃は前方に飛んで転がり逃げる。

 

「袋のネズミ……ってやつですかねぇ!?」

 

 逃げた先は槍衾だった。一斉に突き出された穂先は、自分の体を紐状に長く伸ばすことで緊急回避する。

 シオンの人間として在り得ない変化に兵士が僅かに慄いたが、それも一瞬の事。すぐに指示が飛んで兵士は再起動を果たした。

 

「気持ち悪い野郎だ! 断ち切ってしまえ!」

 

 それは勘弁してほしい。

 シオンは縦5mに長く伸びた体を頂点位置で再構成。落下と共に周囲の兵士を魔法で弾き飛ばす。

 兵士の相手だけならば昼間でもなんとかなる。

 

「【sparkle/生命の煌めき】!」

 

 だが聖女の魔法が少しずつ、少しずつ、シオンの体力を削っていく。

 

 昼間は使える邪法が限られる。多人数相手に押し込まれ、大規模魔法は制約が有って使えない。しかも、これは護る戦いであり逃げる事すら出来ない。そもそも自分は研究者であって、戦闘者ではない。

 

 ……そんなことは言い訳だ。言い訳などいくらでもできる。

 シオンはいま神のための聖戦に挑んでいるのだ。ならこの釈明は意味のない自己弁護。

 

「おおおぉおおお!!」

 

 シオンは柄に無く大声をあげた。

 なんとか魔力放出で兵士を吹き飛ばす。だがそれもディアナの聖魔法で回復されてすぐに戦線に戻ってきた。

 

 背中を裂かれる。瘴気が噴き出る。闇の魔素が足りない。

 回復しようとする。太陽と聖具に邪魔される。

 

「さあ、さあ……まだだ! 腕の一本を失っても私は生きている! 次は足か! 首か!? それでも私は戦える!」

 

 一歩、一歩。

 死に体となった体で、護るべき少女へと歩みを進める。

 残った手を伸ばして彼女を光の下から救い出す手立てを考える。

 

「そろそろ諦めませんか? 貴方はもう動くのがやっとのはずだ」

 

 少女の横に立つディアナは憐れんだ視線を向けていた。その余裕に歯噛みする。

 

「……ええ、ええ。分かりますかエクリプス司祭。そう……そうなんですよ、そろそろ体にガタが来た。貴方の聖具のせいで治療もできず、歩くのがやっとです」

 

 研究と実験を己に繰り返してきたシオンの体は、今や生身の部分の方が少なかった。

 血は瘴気に置き換わり、肉は流動汚泥の擬態でしかない。骨は色々な魔種のモノを組み合わせた。唯一自分のものと言えるのは脳しかなかったが、それも昨夜ついに壊れた。

 

 もはや自分は人間という脆弱な存在ではない。だが、それでも太陽に手は届かなかった。

 

「天敵としか言えませんね。私の魔法は大きな意味をなさず、貴方達は自由に力を奮う」

 

 左右後方には破邪の剣を構えた多数の精鋭兵。前方には未来の枢機卿と呼び声高いエクリプス司祭。

 絶対不利の状況で満身創痍。このままではシオンの勝ち目は限りなく低い。

 

「――ですが、それは諦める理由になりますか?」

「なりませんね」

「奴を取り押さえろッ!!」

 

 左右から二人の兵士が飛び込んできた。

 突き出された破邪の剣を手袋越しに掴んで止める。もう一人は頭を蹴り抜いて地面にたたきつけた。

 蹴り動作は思ったよりもバランス能力を要求される。シオンは動かなくなってきた足ではバランスをとれず、もつれて転んだ。

 

(に、肉体労働は私の仕事じゃない……)

 

 だが明らかな隙に追撃が来なかった。

 シオンは好機が訪れたと仮面の奥で凄惨な笑みを浮かべる。

 

「……そろそろ効いてきた頃でしょうか」

 

 肩で息をしながらなんとか立ち上がる。

 掴んだ剣先は震えていた。持ち手の荒い呼吸が剣越しに伝わってくるようで、シオンは小さく笑い声をあげる。

 

「ははは……くハハ! なにが『そろそろ諦めませんか?』なのでしょうねぇ! 貴様の感じた勝利はまやかしだ!」

 

 シオンは勝利を確信している愚か者に告げた。

 

「最終警告です。貴方がたはまだ誰も死んでない、日常への切符を持っている。ですがその有効期限はあと1分!」

「一体何を……?」

「嘘ではない! そこの兵士を御覧じろ……!」

 

 シオンはさきほど蹴飛ばした兵士を顎でしゃくる。

 兜が衝撃で脱げて露になった顔は死人と言えるほど白く変わっていた。血走った眼と震える唇。吐息は荒く浅い。

 異常事態にしか見えない顔色にディアナが戸惑いの声を上げた。

 

「なっ!? 何をしたのですか! 呪詛……いや、毒ですか!?」

「ご明察……と言いたいがハズレですねぇ! いつもより効果が表れるまで気を揉む程遅かった! やはり聖職者相手は嫌ですねぇ!」

 

 シオンは掴んでいた剣を容易く奪い取った。

 もはや兵士に抵抗するだけの力は残っていない。軽く突き飛ばせば、たたらを踏んで地面に倒れ込んだ。

 

「初期症状。悪寒、喘鳴、動悸」

 

 周囲の兵士たちも少しずつ崩れ落ちていく。

 

「進行に伴い幻覚、手足の振戦を発症。神経伝達の阻害と脳内分泌物質の著しい減少をきたし、ホメオスタシスは崩壊。全身臓器への負荷が増していく」

 

 シオンが舞台演者のように首を大きくかしげて謳うように解説を進める。

 

「中期症状。重度の呼吸困難、喀血を伴う咳嗽、平衡感覚障害」

 

 あちこちから酷い咳が聞こえる。

 もはや立っているのはディアナだけになっていた。

 

「末期症状。心機能低下、肝、腎機能不全……いわゆる多臓器不全。重度の昏迷、そして苦しみの果てに死へ至る」

 

 これはシオンの瘴気に含まれるウイルスにより発症する病気だ。

 この戦いでシオンがどれだけ兵士により傷つけられ、どれだけの感染源をまき散らす破目になったか。しかしついに、そのウイルスに曝露され続けた兵士はその病を発症した。

 

 普通の病気としてあり得ない進行速度・症状だが、それもそのはず。

 このウイルスは黒死疫【佳宵(かしょう)】の研究の果てにアルシナシオン・アタッシュマンが辿り着いた一つの極致だった。

 これこそ神話の病の再現であり、シオンと戦う者が逃れられぬ死の運命。

 

「貴方達の命の切符はあと30秒……今なら引き返せましょう。さあ、賢明な判断を」

 

 延命治療は意味をなさず特効薬は存在しない。仮にここでシオンを殺したとしても病は宿主を殺すまで決して止まらない。

 仮に生き残れるとすれば、それはウイルスの支配者たるシオンに認められることだけ。

 

 ディアナは荒くなり始めた呼吸と動悸を感じながら男を睨みつけた。

 

 

 

 

 何人もの苦しげな吐息だけが聞こえてくる。

 熱線と爆風により崩れ落ちた広場でディアナは倒れ伏す周りの兵士に謝罪した。

 

「ごめんなさい……圧倒的有利なはずだったのに、私は相手の抵抗を防ぎきれなかった」

 

 ディアナは何度も聖魔法で治療を試みていた。しかし病はまるで完治せず、戻した体力もすぐに落ちていく。病が治らぬ限り回復魔法に意味など無かった。

 

 ディアナの指先が恐怖とは違ったもので震えてくる。

 気付かぬ内に自分の呼吸が荒くなっていた事に気が付く。視界がグルグル回り始めて、いまでは立っているのもやっとになった。

 

「ご安心ください。これは病とは言え【神秘の病】。ウイルスを含んだ瘴気を感染源とした、魔力経路のヒト-ヒト感染を起こす致死率100%の奇病ですが、諸君はまだ引き返せる」

 

 仮面の男は愉しげに末期病棟さながらの光景を見回した。

 

「感染から発症、劇症化まで通常3分。この時点で意識は朦朧としてきますが、私が許せばまだ生き残れる。そもそもコレは使徒【佳宵】が用いたと言われる神話の病の再現であり、私もその制御は心得ております」

 

 やれこの病が初めて登場した戦いはなんだとか、やれ帝国領ドルマニス山地に残された古代の遺跡がどうだとか。

 仮面の男が嬉々として解説したが、熱に浮かされたようなディアナの頭には全く入ってこなかった。

 

「ごほっ……ごほ! な、なにが言いたい……ですか!」

「つまりですね、取引ですよ。ギブアンドテイク、貴方達の命を助けましょう。ですが、被験体15番……ジュウゴ様の身柄をお返し願う」

 

 予想通り過ぎる提案にディアナはいっそ笑ってしまった。

 そしてその話が嘘でしかないという確信を得る。

 

 人の命を命と思わないこの邪悪の権化がそんな約束を守るはずがない。

 百歩譲って守ったとしてもどうせ、病に罹患した被験体扱いだ。「命だけは助ける」と言って死ぬまで実験台にされるに決まっている。

 

 だから、ディアナは再び謝罪する。

 勝手に兵士たちの命の選択をさせてもらう。

 

「ごめんなさい、皆さん」

 

 ――私のために死んでくれますか?

 ディアナがその言葉を紡ぐより早くレイトが笑い飛ばした。

 

「っハ! 兵士に戦死は付きものだ。遺書は既に書いてある」

 

 倒れ伏すレイトの目はまだ生きていた。

 ディアナならば俺たちの死を有効活用してくれる、彼にはその確信があった。

 

「ありがとう……では、皆で死にましょうか」

 

 もうこの村は助からない。

 なんの病か知らないが、既に死病は風に乗って周辺一帯に広がっている。ディアナにはそれが何となく分かってしまった。

 村人はきっと一人残さず死に絶える。

 生き残るとするならば、教団が求めるため病に冒されなかった黒髪の少女だけだろう。

 

「ごめんね……私は貴方と一緒に生きられなかった」

 

 地面で丸くなる少女を見つめる。

 最期にもう一度だけ撫でてあげたかったが、屈んだらもう立ち上がれない。

 

 もっと沢山伝えたい事があった。もっと一緒に遊んであげたかった。

 色んな場所を旅行して、美味しいものを食べて、この世界は思ったより悪くないと知って欲しかった。

 だけど、それはもう叶わぬ夢と散る。

 

「黒髪ちゃんが起きたら、もうここに誰も居ないけど……お願い泣かないで」

 

 零れる涙が少女の体を濡らす。

 悲しい時の涙は自分で拭えない。でも笑う。彼女にそうしたように、ディアナは自分の頬を引っ張って精一杯の笑顔を贈る。

 

「大丈夫、もう一度笑える日はやって来る。そのために貴方は必ず守るから……!」

 

 胸の聖具【ミトラス】を強く握り込んで、その全てを解放する。

 

解放(リリース)――長夜を明かせ朝日影」

「な、本気ですか!? そんなバカな! なぜお前が命を捨てる!?」

 

 仮面の男が慌てて動き始めたがもう遅い。

 ミトラスが放ち始めた目を焼くような光で世界が塗りつぶされていく。

 

 予想外か。

 自分の命を投げうって、誰か助けるのは非合理か。

 

(バカにするな。誰かの為に生きる、それが人というものなんだ――!)

 

 家も空も、時の流れさえも遮る極光が全てを覆い尽くした純白の世界。

 誰も動けない空間でミトラスから小さな光球が飛び出した。

 

 光球は周囲の人間を見て回るように飛び舞う。倒れ伏す兵士の前を通り、シオンを威嚇するようにジグザグと動く。

 ディアナの周りをグルグル飛び回って……黒髪少女の上で驚いたように急停止。

 光は信じられないモノを見たようにフラフラと彷徨いはじめた。そして少女のすぐ隣でゆっくりと慈しむように舞い踊り始め――握り潰された。

 

「……」

「く、黒髪ちゃん……!?」

 

 世界が色を取り戻す。

 

 村の広場では目を回していた筈の少女がいつのまにか立ち上がっていた。

 少女は光の球を握りつぶした手をニギニギと動かして確かめる。

 

 そして顔を上げて言った。

 戦いはだめ――と。

 

 





 ドシリアス先輩「いや……戦う理由が双方勘違いとか、シリアス舐めてますの?」

 この物語(もしかしたら第一部?)は次話とエピローグで完結となります。
 投稿は明日21時予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

美しい光景

 ―― ……! ……ろ!

 

 声が聞こえる。

 

 ―― ……きろ!

 

 俺を呼ぶ誰かの声が聞こえる。

 

「……んぅ?」

 

 深い底に落ちていた意識がゆっくりと浮上した。

 気付けば俺は何処までも続く闇の世界に居た。上も下も分からず、水面に浮かぶように漂っている。

 てか夢の世界でも俺は少女ボディなのか……。

 

「なに、ここ?」

 

 目覚めても、いや起きていないんだろうけど……とにかく今もやっぱり、すごく眠くて半覚醒で心地よさに包まれていた。

 そのままフヨフヨ身を任せていると、目の前に黒い玉が現れた。そこだけポッカリ穴が開いたような陰り一つない黒。

 

 ―― ……起きろ。無能。

 

 黒い玉にいきなり罵倒された。

 えぇ……悲しい。寝るか。

 

 ―― 寝てもいいよ。死ぬけど。

 

 不吉な言葉だった。

 誰が死ぬっていうんだろう?

 

 ―― みんな。聖女も兵士も、仮面野郎も。村人もみんなみんな死ぬ。

 

 え!? やばいじゃん……! 起きなきゃじゃん!

 

 ていうか、なんで全員死ぬん? ……なんかの災害?

 聖女さん達には夜人の護衛付けた気がするんだけど……あ、昼だしなぁ。いや、そういえば聖女さん仮面の人と戦い始めてたっけ?

 ……んん? そういえばなんで仮面の人と聖女さん戦ってるの?

 

 ―― うるさい。

 

 纏まらない思考を続けていたら、黒い玉が頭に突っ込んできた。

 ドガっと衝突。うわ、夢なのに痛い……。

 

 ―― 疑問だらけで要領を得ない。無能を晒すな。質問は一つずつしろ。

 

 あ、はい。ごめんなさい。

 でも、まだ微妙に夢心地で頭働かないんですけど……。

 

 ぼやいたらまた頭を叩かれた。はい、ごめんなさい。

 

 じゃあ、まずなんで仮面の人と聖女さんは戦っているんですか?

 

 ―― そんなの私が知るはず無い。人間の機微なんか興味無い。どうして体の主導権を持つお前が把握してない事を私が承知すると考えた。

 

 そりゃそうだ……。

 まあ俺を迎えに来た人、見るからに怪しい風貌だったもんね。

 聖女さんも勘違いで襲っちゃうのも仕方ない、のかな……? とりあえず、早く起きて勘違いを正さないとだ。

 んじゃ死人が出る理由は戦いの結果か。……勘違いで殺し合いとかホント止めて欲しい、なんでそうなった。

 

 聖女さんが悪いはず無いから、仮面の人が原因だろう。

 

 きっと職務質問しようとしたら抵抗されて戦闘になったんだろう。うん……俺と一緒やね!

 ……かなしい。ちょっとだけ仮面の人にも同情。でも聖女さん傷つけたら絶対許さない。

 

 ―― 長考が過ぎる。何故簡潔にできない?

 

 あ、はい。ごめんなさい。

 じゃあ次の質問。

 夜人に聖女さんも守ってって言った気がするけど……やっぱり夜人護衛は昼間だからダメですか?

 

 ―― ……。

 

 黒い玉さん、黙る。

 

 ―― まさか自分の命令すら把握できない馬鹿だった。お前の命令は矛盾している

 

 溜息が聞こえた気がするが、黒い玉はそう言って教えてくれた。

 現在夜人に下されている命令は3つ。

 

 一つ、俺を含む自分たちの命を大切に

 一つ、村人全員の命を大切に

 一つ、できるだけ人間を脅かさないように

 

 ―― 現在時刻は昼。村人の護衛は可能だが、夜人が護衛に動けば自分の命を捨てることになる。よって昼の夜人は二つの命令に挟まれて動けない。……もう、森で兵士一人死んでる馬鹿。

 

 どうやら、やろうと思えば自分の命を捨てて夜人護衛は発動できるらしかった。

 だけど、それをすれば俺の命令違反になる。

 

 ……なるほど。それなら確かに俺が悪かった。なんとかしないと。

 あと森の兵士とは一体……?

 

 ―― 分かったらさっさと起きろ。救え。

 

 黒い玉がビュンビュンと飛び回り、また俺の頭を叩いてきた。

 ゴンゴン叩かれながら俺は顔をにやけさせる。

 

「夜の化身……やさしい」

 

 ぴたりと黒い玉が動きを止めた。でも少しずつプルプル震え始める。

 

 何となく俺はこの黒い玉の正体がわかっていた。

 

 こいつが【夜の化身】だ。

 そしてこいつは聖女さん達を心配して、俺のことを起こそうとしているのだ。

 

 ―― 違う。私は人間の生死なんか興味無い。聖女もどうでもいい。

 

 ……え~? ほんとでござるかぁ?

 じゃあ何で俺を起こしてくれるんですかぁ?

 

 ―― ……うるさい! はやく起きろ!

 

 ゴンゴンから、ドガンドガンになった。

 痛い。痛い!

 

「でも、事実じゃん! 事実じゃん!」

 

 ―― いいから起きろ! 起きろ起きろ!

 

 なんとか黒い玉から逃げ回ってる内に、意識がドンドンはっきりして来た。

 覚醒という事だろう。周囲の景色が明るくなっていく。

 

 ―― あ……そういえば、なんか嫌な奴の気配がする。それは私が潰しておく

 

 そんな声を最後に俺は目が覚めた。

 

 

 

 

 

 起きると同時に、無意識に光を握りつぶしていた。

 手がジュッって言ったからニギニギしてみる。痛みは無かった。

 

「……戦いはだめ」

 

 俺が気付いた時には、なにが有ったか分からないが周囲は悲惨な状態だった。

 地面なんてどろどろに溶けてるし、その中に何人もの兵士さんが倒れている。聖女さんも凄い顔色が悪い。

 

「だ、大丈夫?」

「う、うん……なんとか、ごほっ……だいじょう、ぶ」

 

 声を掛けると聖女さんは咳込んだ。そして血を吐く。

 

「……ぇ」

 

 どこに大丈夫の要素あるの!? 

 な、何か分かんないけど大変な様子。

 

 兵士さんも地面でげほげほしてるし、思ってたよりみんな死にそう! やばいって!

 

 あの世界のような夢心地だった時とは違い、俺をマジの焦りが包み込む。

 こんな緊急事態、俺にはどうすればいいか分からない。

 

「や……ヤト! ヤト!」

 

 なんでもいいから助けて欲しいとヤトを呼ぶ。声を聞いたヤトは俺の影から姿を現した。

 しかし昼間だ。全身から蒸気をふき出してあっという間に浄化されていく。

 

 もって10秒。それが昼の夜人の限界。

 

「ヤト助けて! な、なんか……大変!」

 

 白い祭服を汚す聖女さんの鮮血、地に伏す兵士たち。

 彼は辺りを見回してこりゃダメだと首を振った。

 

「……え?」

 

 なにがダメ?

 

「だめ……」

 

 ……もう……だめなの?

 

 聖女さんが死んでしまうという最悪が頭をよぎる。

 おなかの奥底がきゅっと締め上げられた感覚がこみ上げてくる。それは喉までせり上がり、吐き気へと変わった。

 

「でも……! でもヤト!」

 

 ヤトに縋るように抱き着いて見上げる。……頭を撫でられた。

 

 俺に向かって、まあ待てとジェスチャー。

 彼がトントンと俺の影を踏んで誰かに合図を送ると、時間切れでヤトは消え去った。

 

 入れ替わるようにヤトではない夜人の一人が現れる。

 

 特徴もなく、外見は他の夜人と一切変わらない本当に普通の夜人。

 なぜヤトがこの夜人を呼んだのか分からない。けど、助けてもらえるなら何でもいい。

 

「あの……っん!」

 

 事情を説明するのに声を上げたら、また頭を撫でられた。

 心配するな分かっているという事だろうか?

 

 そして時間がないと夜人は俺から離れると、手早く両手を叩いた。

 

 パンッ――かしわ手の音色が風に乗って村中に鳴り渡る。

 

 仮面の男が叫びをあげた。

 

「なッ!? 私の秘奥がこんなにも簡単に!? あぁ……ウィルスが次々に自壊して……?」

 

 夜人が仮面の男に向かって一本指を差し出しす。そしてゆっくりと左右に振った。

 

 ――お前のそれは、まだまだ甘いな。

 消えていく夜人のそんな言葉が聞こえた気がした。

 

 仮面の男は衝撃を受けたように膝をつく。そして歓喜の声を上げた。

 

「お、おぉお……なんと鮮やかな手腕、見た事ない闇の奇跡! ま、まさか貴方が黒死疫【佳宵(かしょう)】様!?」

「たす……かった?」

 

 俺もなんとか危機を乗り越えたかと安堵に崩れ落ち……寸前で聖女さんが抱えてくれた。

 

「黒髪ちゃん!」

「……聖女さん」

 

 聖女さんはもう咳をしていなかった。

 周囲一帯に治療魔法を施しながら、不思議そうな顔で喉を触っている。

 

「ソイツを捕らえろ! だが絶対傷つけるなよ! また変な毒を撒かれたらたまらん!」

 

 兵士たちも体を触りながら立ち上がった。

 ドタドタと慌ただしく兵士が動くが、シオンは一切抵抗をしなくなっていた。力いっぱい地面に引き倒され、抑え込まれている。

 

 その光景をみて聖女さんは、ほっと息を吐いた。

 

「……疲れちゃったね。ありがとう黒髪ちゃん」

「ん!」

 

 怖かった。

 聖女さんが血を吐いた時、ほんとに死が見えたようで頭が真っ白になった。

 

「……ぐす」

 

 落ち着いた途端に涙が込み上げてくる。

 漏れ出る嗚咽を堪えて聖女さんのお腹に顔を埋める。

 

 服をぎゅっと握り込んで俺は後悔を吐き出した。

 

「怖かった……! 私のせいで、みんなが死んじゃうと思って、だから! だから!」

「うん……うん、大丈夫。大丈夫だよ。貴方はここに居てもいい。いや……私がそうして欲しいの」

 

 子供あやす様に聖女さんが俺の背中をぽんぽんと軽く叩いた。

 まるで泣き出した子供をあやす様な扱いだが、外聞なんてどうでもいい。恥なんて放り捨てる。俺はただ、彼女達が生きていてくれたことが嬉しくて涙した。

 

 黒い玉が言っていた。

 このまま寝ていると、全員死ぬぞと。

 

 つまり本当に間一髪だったのだ。

 

(この世界は危ないダークファンタジー世界って知ってたはずなのに……! 俺はもっと気を付けるべきだったのに!)

 

 これは考え無しの俺が招いた事故だ。

 もっと夜人へのお願いを綿密にしておくべきだった。そうすれば聖女さんは傷つかなかった。

 仮面の人は大丈夫、敵じゃないと言い切っておくべきだった。それなら戦いは起こらなかった。

 

 ここは"小さな勘違い"一つという、些細な出来事で村を滅ぼす世界なんだ。

 

 俺は自戒の念を噛み締めた。

 

 

 

 

 

 

「……仮面の人」

 

 随分と長い時間、聖女さんの胸を堪能した気がするが、ようやく俺の混乱も落ち着いた。

 ゆっくりと聖女さんから離れて、しなくてはいけない事をする。

 

 今回の事件の原因は俺と、そしてもう一人の男だ。

 彼はどうして戦ったのだ。なんで人を殺そうとしたのだ。俺は仮面の人をにらみつけた。

 

「なんで?」

「……」

 

 仮面の人は溶けて固まり始めた地面にうつ伏せで抑え込まれていた。

 彼は俺の言葉足らずの問いに悩んだ末、小さく声を絞り出す。

 

「……私は、ただ光に囚われた貴方を救い出したかったのです。なにせ闇と光が相容れる筈がない。そう思っていた……ですが」

 

 仮面の男は後悔するように顔を伏せてそう言葉をつづける。

 

「色眼鏡で見ていました。前提条件が間違っていました。どうやら私は酷い勘違いをしていたようです」

 

 懺悔を始めた男の言葉を黙って聞く。

 

「貴方とエクリプス司祭は敵対していたのではない。この光景を見ただけで、それはもう仲良き姉妹に感じられた。つまり私の認識は初めから間違っていたのです」

「……ふざけたことを。それは命乞いか?」

 

 隊長が聞く価値もないと嫌そうに眉をひそめる。

 兵士に指示して力尽くで黙らせようとしたが、俺がそれに待ったをかけた。

 

「ちょっと待って、私は知りたい。もう少しだけ聞きたい……いや、聞かなきゃいけない。この人の真実を」

「……貴方がそう言うなら」

 

 聖女さん兵士さん達も嫌そうな顔だ。

 危険人物と思われている彼を早く遠ざけたかったのだろう。

 

 でも、これは俺の責任でもある。逃げる事は許されない。

 

「仮面の人は、私を助けたかったの?」

「ええ。闇の歴史に心惹かれた者にとって、憎き光は打ち倒すものと考えていました」

 

 確固たる意志でお願いしたら、聖女さんは俺の横で一緒に聞いてくれるようだった。俺は彼の一言も聞き逃すまいと集中する。

 

「だが……実験体15番。この村は良い場所か? その聖女が好きか?」

「うん。……うん?」

「そうか――ならば私は、繰り返す過ちに魅入られていたことになる」

 

 ちょっと待って。

 15番ってなに……実験体とは一体? お前なんの話してんの?

 

「長い歴史に埋もれた神話の秘密……。ヤト様が私に示してくれた【夜】の真実。彼女はずっと迫害されていた。一人きりの孤独に苛まれ、ずっと誰かと仲良くなりたがっていた」

 

 なんか仮面の男が喋ってるけど何も頭に入ってこない。

 

「だが彼女は夜の神。暖かい光には決して立ち入れず、誰も闇を受け入れない。陽だまりは凍える夜にとって憧れで、しかし決して手の届かない場所だった」

 

 15番……15番……なんだろう。俺は重吾。

 似てるけど人違いでは……?

 

「寒くて凍えて震えていても誰も暖めてくれない。寂しくて寂しくて堪らないのに、光に近づき誰かを求める度に敵意に晒される。そして、いつしか彼女は諦めてしまった」

 

 ましてや実験体? ん~~?

 

「打ち砕かれた小さな心は零れ堕ちて夜人へと姿を変えた。積み重なった愛憎は裏返り、光への憎悪で溢れかえった」

 

 聖女さんを見ても、兵士さんをみても訳が分からないと言った顔だ。

 

 まあそうだよね。意味不明だよね。

 よかった俺だけなんか置いてけぼりくらってたのかと思った……。

 

「しかしこの村では今、神話から続く原初の祈りが花を咲かせようとしている! 光と闇が互いを求め合っている!」

 

(ねえねえ、この人何なの? なんか変なこと言ってるけど……?)

 

 なんかもうよく分からないので、事情を知っていそうな夜人に聞く。

 

 この仮面の人大丈夫? なんかおかしくない?

 

 一人の夜人が影の中で自分の頭を指さしてクルクル、パーっとしてみせた。

 ……あ、狂人なの? あ~~……なるほど。納得。

 

「ならば――やはり私が守るべきものはここにあったのだ! いま世界の理が変わるのだ!」

 

 なんか頭のおかしい人が騒ぎ始めてる。

 

「光は敵ではない! 闇が味方とは限らない! 敵はこの美しき光景を邪魔するものであり、闇も光も分け隔てなく味方足りえるのだ! そうだったのですね神よ! 貴方はそれを私に、そして世に知らしめたくてこの戦いを演出した! そうですね!?」

 

 突然、仮面の男は声量を上げて発狂した。

 兵士が更に強く抑え込こもうとするが、それでも立ち上がらんとばかりに手足に力をいれている。

 

「――――愛だ! 男とか女とか、光が正義で闇が悪だなんてどうでもいいッ! 貴方達二人の白く咲き誇った花こそが、原初の愛にして護るべき真実の愛(アガペー)だ!」

 

 あの……そろそろ結構です。

 なんか怖いので兵士さん、この人連れてって。

 

「神よ! 待っていてください! 私は必ずや……! 必ずや貴方様とエクリプス司祭様の愛を護りましょう! そして我等がこの世にあまねく愛を(もたら)すのです! 神よ! おお! 神よぉぉ…ぉ……ぉ」

 

 ズリズリとうつ伏せのまま引っ張って行かれる仮面の男。

 たぶん、もう二度と会う事は有るまい……。というか会いたくない。

 

 隊長さんも聖女さんも、気の抜けたようにポカンとした表情を浮かべている。

 

「黒髪ちゃん、とりあえず……帰ろっか」

「……うん」

 

 聖女さんと手を繋いで礼拝所に帰る。

 なんだかとても疲れた。

 

 また、今日はゆっくり眠るとしよう。彼女と共に。

 

 





……おや!? 仮面の男の ようすが……!

仮面の男「この美しい光景(百合)こそ護るべき真実の愛!」

おめでとう! 仮面の男は 百合好きに しんかした!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ

同時投稿2話目です。ご注意ください。


 

 

 あれから一週間以上たった朗らかな昼下がり。重吾はまだ村に居た。

 ディアナと共に村の広場で座っていた。

 

「じゃあ、じゃあ! これなんてどうです!? 3世代前の聖女様の名前! たぶん黒髪ちゃんに似合うと思うんです!」

「……うーん、女の子っぽい」

「えぇえええ!!」

 

 ディアナが重吾の名前を提案し、重吾はピンとこないとお断り。

 

「……! …!」

「だからそれは読めない。ダメ」

 

 ヤトが影から【夜の神】の名を猛プッシュ。

 またバッサリ切り捨てられる。

 

「ごめんなさい、私達もその文字を読めたらいいんだけど……」

「こらヤト。暴れない」

 

 落ち込んだ黒い腕を慰める様にディアナが撫でるが、ヤトは触るなと手を振って抗議した。

 どうやらヤトは最近ディアナをライバル視している様子だ。しかし、すぐに日光に焼かれて消えていく。

 

「でも、よかった……。またこうやって貴方とのんびりできますね」

「……ん。私も、聖女さんの腕の中に慣れてきた」

 

 戦闘で崩壊した広場や家屋はいつの間にか復旧していた。

 前日まで確かにボロボロだったのに、朝、目覚めた時には直っていたのだ。なぜ一夜にして直ってるのか、誰が直したかは誰も分からなかった。

 

 ディアナや村人は不気味がったが、それ以外に何かが起きたという訳でもない。

 だが、ここ最近は不思議な事ばかりが起こっている事もあってすぐに気にされなくなった。

 

 

 重吾はディアナの腕の中で木にもたれ掛る。

 その時、遠くから多くの足音と掛け声が聞こえてきた。

 

「おらぁ! 走れ走れ! 不甲斐ないぞ、お前たち!」

 

 広場の中を何十人もの兵士がフル装備で走り抜けていく。最後尾でレイト隊長が怒声を飛ばしながら追いかけていた。

 

「特にお前だ! 肝心な戦いの時に、森で敵にやられて寝こけていただと!? 一日の不始末は十日の鍛錬で返せ! あと10周!」

「はいっ! 申し訳ありません!」

「いい返事だ! ……そこ! お前は何をしている! 余裕があるな! 貴様も後10週!」

「痛ってええ!! はーい!」

 

 重吾に気づいた門番のオーエンが手を振って隊長に蹴り飛ばされていた。よくやるなぁと重吾は欠伸しながら兵士を見送った。

 

「でもあの戦いで犠牲者がだれも出なくてよかったです。黒髪ちゃんのおかげですね」

「うん。私の『力』のおかげ」

 

 幸い、シオンの襲撃で怪我人こそ出たものの死者はゼロだった。

 

 黒燐教団の復活を聞いて急行して来た騎士修道会がシオンを聖都に移送して行ったから、襲撃犯も既にいない。

 

 激戦を終えて大きな被害がなく、日常を取り戻せたのはまるで神の奇跡だと村人は噂しているが、あながち間違っていないんだろうなぁと重吾は思っていた。

 

(なあ夜の化身……いや【夜の神】。お前が何かしたんだろう?)

 

 村の広場が直ったのはなんでだ。夢で言っていた「森で兵士が死んだ」とは一体何だったのだ。

 重吾には訳が分からない事ばかりだが、ぜんぶ寂しがり屋の神様が関わっていると確信していた。

 

 返事はない。

 あの時の夢で会ったっきり、再び黙り込んでしまった夜の神に重吾は仕方が無い奴だと笑みを零す。

 

「うん? どうしたの? 黒髪ちゃん」

「んーん……なんでもない」

 

 ディアナの手をつかんで重吾は自分の頭に乗せた。さあ撫でろという無言のアピールにディアナは笑いながら黒髪を梳いて応える。

 動作を通して感じる絆や親愛を一身に受けながら、重吾は気持ちよくて目を細めた。

 

(感じるかな。これが人の暖かさだ。……なあ夜の神、俺は約束を守れたかな?)

 

 この世界に来てもう半月。

 重吾は新しい生活に馴染み始めていた。

 

 村はいい所だ。

 夜人は面白い人たちだ。

 兵士さん達は気さくで、隊長はしかめっ面が怖い厳格な男だ。

 

 そして聖女さんは優しくて暖かくて――大好きだ。

 

 

 空を見上げる。

 あの戦いの後から続く、澄み渡る晴天が綺麗な大空。

 

「いい心地ですね。じゃあ、今日はこのままお昼寝しましょうか!」

「うん。このまま……一緒に」

 

 まるで祝福するように肌を撫ぜる風が周囲を包み込む。

 太陽は今日も明るく二人を照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 - end -

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い部屋。円卓が置かれている。

 一つの空席を残して、6人の男女が腰かけている。

 老人、青年そして少女など老若男女様々な人たちだった。

 

「なあ、【純潔】の奴が捕まったんだって?」

「え、そうなの?」

「ああ、先週な。評議会の一員として情けない……と言いたいが、まあ仕方あるまい。相手はエクリプス司祭だ」

 

 ざわと、どよめきが沸いた。

 それはエクリプスが戦ったという事と、黒燐教団の存在が表に出てしまった事への動揺。

 誰も純潔の安否を憂いていなかった。

 

「ほぉ……未来の枢機卿か。それならば【忍耐】や【勤勉】も危ないかもしれんな」

「あぁ? ふざけないで貰いたいもんだ。教皇が相手だろうと、俺が負けるものか。これは純潔が弱かったから――」

 

 その時、部屋の扉が静かに開かれた。

 

「誰が弱かった、ですか?」

 

 カツカツと踵を鳴らして入室する一つの影。

 特徴的な仮面とロングコート。【純潔】と名乗るアルシナシオンだ。

 

「おや? お前さん、騎士団によって移送されていた筈では……? それにもう処刑時刻のはず」

「なに逃げる程度、大したことはないものですよ。それより本日は大切なお話を持ってまいりました」

「へえ……話と来たか。なんだ期待できそうだな。黒燐教団の存在を明るみに出した事への謝罪か? それともエクリプス司祭の力についてか? はたまたお前の新しい研究結果――」

 

 全員の注目が集まる中、シオンは相手の言葉を遮って――

 

「愛です」

 

 ――そう断言した。

 部屋中の人たちが静まり返る。

 

 あい……。何だろうか、何かの隠語か、はたまたキーワード?

 

「愛! それは世界を包む優しさ! 私達は間違っていた! 歴史の解明、闇の研究おおいに結構! ですが、そこには確固たる愛が必要だったのです!」

 

 シオンは大げさな喜劇役者のように大仰に全身を動かして、ようやく気付けた真理を語る。

 周囲の同僚がポカンと呆けた。

 

「貴方ならわかるでしょう【感謝】。日ごろから全てに感謝している貴方なら理解できるはずだ。この世は愛によって支えられている!」

 

「え? ごめん……ちょっと……え?」

 

「ならば今日から意識すればよい! 生きとし生けるもの全てに贈る、(あまね)く愛と融和が世界を救うのです!」

 

 なんという悲劇! 私達は全て間違っていた!

 

 そう叫ぶシオンを除く6人の評議員の心が一つになった。

 

 ――――お前、頭おかしいんじゃねぇの……?

 

 

 









 これにて拙作は完結となります。
 キャラメイクの秘密とか、太陽神と夜の神の秘密とか、神話とか教団とか聖教会とか、いろんな伏線をまき散らしたままな部分は有りますがまあいいでしょう。自由に妄想できる範囲という事でいきましょう。
 
 恐らく、黒髪ちゃんと聖女さんはこのままのんびりとくらして行くことになります。
 重吾が反省を生かし夜人をしっかり活用しはじめたら、普通の人間では抵抗不能なので山も谷も(あんまり)無く穏やかな生活を過ごせることでしょう。

 あ、完結と言いましたが、第二部書けそうなら書くかもです。昔から書くの好きなので。
 でもストーリー全然考えてないのでしばらくはお休み。

 ここまでお付き合い頂きありがとうございました!
 多くの誤字報告、ご感想大変感謝です! ではまた!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 ヤトの一日

完結と言ったな、あれは嘘だ


 深夜2時。

 

 ヤトの朝は早い。

 

 かつて世界を相手に暴れ回っていた時から睡眠時間は非常に少なかったが、主たる母が幼い人間の姿になってから更に減っていた。

 

「……」

 

 ヤトは無念そうに礼拝堂のガラスに手を付けた。

 

 ガラスを挟んだ視線の先にある寝台では小さな母が聖女と呼ぶ雌個体に抱かれている。穏やかで安心しきった表情だ。

 かつての時代では決して見る事が出来なかったもの。

 

 その横にいるのが自分で無いのが腹立たしいが、母の穏やかな顔を見ると自然と頬が緩んでいく――まあ表情は無いのだが――のを自覚した。

 

「ォオ……!」

 

 このままずっと見ていても飽きないなと5分、10分と見続けていたら足元から声が聞こえた。

 

 ヤトの下では足場代わりに夜人が積み重なっていた。

 その全員が恨めしそうな声を上げている。

 

 母が寝ているのは村の礼拝堂の二階だ。

 

 その窓からヤトは見ているのだが、残念ながらヤトは空を飛ぶことができない。

 なら、どうやって就寝中の母の安全を確認――決して覗き見ではない――しているのか。

 

 簡単だ。

 夜人が集まって四つん這いになり、タワーを作ればいい。

 そうやって築かれたタワーの頂点にヤトが仁王立ちすることにより、二階の寝室をのぞき込んでいた。

 

 何度も言うが、これは決して覗き見ではない。

 ヤトが見守ることで母の安全は守られているのだ。

 

「オォオ!」

  

 しかし足場たちはそれが不満らしい。

 抗議の声は大きくなった。

 

「……!」

「…!?」

 

 ヤトは母が起きるから声を上げるなと足場を叱責する。

 

 足場たちは静かな猛抗議で反発した。

 片手を振り上げて、その場所を代われと一斉に主張。四つん這いタワーが右へ左へ大きく揺れた。

 

「……!!」

 

 ヤトが動くな止めろと制止するが足場は言う事を聞かない。

 夜人達は器用にバランスをとって全身で不満を表す。そうしている内に声が掛かった。

 

「な、なんだこれ!? おい! そこ何やってる!?」

 

 松明の明かりが照らされた。

 どうやら揺れているうちに人間に見つかったようだ。

 

 仮面男の襲撃から見回りが厳しくなったことだし、彼は村の巡回中の兵士だろう。

 兵士は顔を引きつらせながら、夜人タワーに近寄ってきた。

 

「――!」

 

 ヤバイ。変な場面を見られた!

 もしかしたら覗きと勘違いされたかもしれない。不名誉だ!

 

 ヤトは慌てて足場の土台役の夜人に命令を下す。このまま逃げろ。

 

「うわ、気持ち悪! ……っあ、崩れ!?」

 

 駄目だった。

 数歩進んだが四つん這いタワーはあっという間に崩壊、上から夜人達が一斉に落下する。

 

 夜人達は落ちていく視界の中で一瞬の判断を下した。

 

 このまま行けば地面に激突して騒音が出る。

 しかし母が起きる可能性が有るため、落下音を出すわけにはいかない。

 

 合図したわけでもないのに一様に、夜人達は着地の瞬間、松明によって生まれた自分の影に沈み込んでいった。

 ポチャン、ポチャン――そんな擬音が聞こえてきそうな異様な光景。黒い巨体が次々と地中に飛び込んでいく。

 

 瞬く間に夜人達は消え去えった。

 

 一人残された兵士は静まり返った空間にぽつんと立ち尽くす。

 

「え、え? 報告するのか? 今のをか?」

 

 なんだったんだ今のと言わんばかりの兵士の表情。 

 化物達の意味不明な行動を隊長にどう報告するべきか、兵士は頭を悩ませた。

 

 

 

 

 

 

 朝8時。

 母は聖女によっていじめられていた。

 

「ほら、黒髪ちゃん。野菜も食べてください」

「……うぅ」

 

 常に無表情の顔をほんのわずかに歪ませて、差し出された異物を見つめている。

 

 緑で歪んだ楕円形の切り口。苦味と青臭さに溢れた草の一種。ピーマンだ。

 母は、そんな雑草を無理やり食わされていた。

 

「はい、よくできました」

「うぇえ……にがぃ」

 

 ヤトはこの歯痒い光景に飛び出したい気持ちを懸命に抑える。

 

 二人は礼拝堂の寝室で食事中。

 礼拝堂内に入り込めば聖なる神気に闇の体が持たない。いや、朝ではそもそも日光に耐えられない。

 ヤトは窓越しに部屋の内部が見える位置の影に潜んでいた。隣家の屋根にできた小さな影だ。そこから二人の食事風景を眺める。

 

「じゃあ次はこれですね。はい、あーんして」

「……なぜこの村は野菜が豊富なのか」

 

 また草かッッ!

 

 この村はどうやら、まともな食べ物が無いほど貧乏なようだ。

 母に出される朝食はその辺に生えているだろう雑草ばかり。

 

 もし母にだけそうならば嫌がらせかと思うが、聖女までそれをもしゃもしゃ食べているのだから、怒りを通り越して悲しくなってくる。

 

 ヤトは村に対して行われている日々の下賜品――森で取れた動物の肉や、森の果物――を少しだけ増やしてやるかと憐れみを抱いた。

 

 

 朝食が終われば、次は着替えだ。

 

 母はいま聖女の予備のパジャマを着ている。

 綿を平編みにした薄手の長袖で、落ち着いた藍色のパジャマだ。

 それを脱いで露になる母の薄肌色の――

 

「!!」

 

 ヤトの視界を何かが遮った。

 まるで大きな物体が自分の前を陣取った様な感覚。

 

 影から窓まで邪魔な物体は何も無いのは感覚で分かる。なのに見えない。

 つまり影の中に己以外の何かが居る。

 

 影に潜んだ存在に関与できる手段は限られる。

 この村の兵士ではまず間違いなく不可能だ。昼間の母でも恐らく難しい。

 唯一聖女ならば可能だろうが、今は母の着替えの手伝いでこちらに気づいていた様子はない。

 

 ならば、これはなんだ。

 ヤトは影の中で眼前に陣取った存在を手で触れる。

 

「…………」

「…………」

 

 それは仲間の夜人だった。

 しかも、かなり長い付き合いの奴。

 

 どけ、と押してみる。

 触るな、と手を払い落された。

 

「…………」

「…………」

 

 彼女――たしかこの夜人の変化後は有性個体で、雌だったはずとヤトは思い出す――は、母の着替えに背を向けてヤトをじっと見つめている。

 

 まるで此方を責めるような視線にヤトはため息をついて頭を振った。

 

 勘違いされては困る。これは覗きではない。

 私は母を護っているのだ。

 

「…………」

「…………」

 

 退いてくれなかった。

 むしろより蔑んだ気配を感じる。

 

 何故だとヤトは憤慨した。

 

 

 

 

 

 

 午前9時。

 母、勉強中。礼拝堂一階で観測不可能。

 

 

 午前10時。

 母、勉強中。気配は有れど姿を確認できず。

 

 そろそろ不安になってきた。

 

 礼拝堂の周囲の影を渡りまわる。

 なんとか内部に入り込めないか模索。やはり教会の聖気が邪魔になる。

 

 コイツが邪魔なのだとヤトは少しだけ結界に闇の邪気を送ってみた。

 ……なんかいい感じかもしれない。礼拝堂の結界が弱まったのを感じた。

 

 

 午前11時。

 母、勉強中。異常無し。……いや、無しなのだろうか?

 この目で確認しなければ安心できない。

 

 礼拝堂の結界は依然として健在。

 

 壊そうと思えばできるが、夜人の姿のままでは厳しい。時間がかかる。

 ヤトは下手な偽装工作を行いつつ、徐々に徐々に礼拝堂の結界を邪気で冒していく。

 

 結界破り――。

 こういう搦め手が得意なのは、神殿の拡張・維持管理班の班長を任せた彼だ。あるいはさっきヤトの邪魔をした彼女も苦手ではない。

 

 恐らくヤトが個体名を持つ夜人の中で一番、こういう補助能力が低いだろう。

 

 でもがんばる。

 母を護るために、早く結界壊れろとヤトはがんばるのだ。

 

 

 

 

 午後0時。お昼

 

 ようやく母が礼拝堂から出てきた。今日のお勉強会は終わりだそうだ。

 

 みんなで村の食堂に向かう。

 建物の中は直射日光が当たらないから、気を付ければ影から出る事が可能だった。

 

「ヤト、ヤト。あげる」

 

 母に草を貰った。うれしい。

 どうやら食べ物らしい。貰った草をもしゃもしゃ()む。

 

「おいしい?」

 

 不味い。でもうれしい。

 首を振って、直後に頷く。

 

「……どっち?」

 

 草不味い。でも母からのプレゼントは欲しい。

 もう一度首を振って、やっぱり頷く。

 

「普通って事じゃないでしょうか?」

「おー、なるほど」

「ふふん! 聖職者たるもの、喋れない人の意志ぐらい察することは簡単なんですよ!」

「おー!」

 

 ドヤと胸を張る聖女にぱちぱちと母が賞賛を送るが……違うぞ聖女。全然違うぞ。

 でも母に恥をかかせる訳にも行かない。

 

 ヤトも拍手を送る。そして草一杯貰った。

 

 

 

 午後2時。

 

 村の広場で日向ぼっこ。

 聖女は仕事という事で、母だけが木にもたれ掛ってのんびりとしている。

 

「……さびしいね」

 

 ヤトは母の影に潜んでいた。

 洞窟や屋内の食堂と比べて屋外は太陽の破邪が強い。

 影の内部にいれば大丈夫だが、屋外の日陰程度では存在が削られる。

 

「あんなずっと一緒にいても、離れてる時間は変わらず寂しい」

 

 母の世界は夜人達と聖女、そして僅かな兵士で構成されている。

 

 母にするべき仕事や義務は何も無い。

 仲の良い人達以外に拠り所は無く、目的ない人生はつまらない。

 

 人のぬくもりを知ったばかりに一人の時間が余計に辛くなる。

 寂しそうにしている母を慰めたくてヤトは影から上半身を出して母の頭を抱きしめた。

 

「……ふふ、ありがと」

 

 たった10秒の抱擁でも想いは伝わるものだ。

 ヤトは消滅していく中で護衛の交代を夜人の【共有感覚】に依頼する。

 

 元々、夜人は母の心から零れ落ちた同一の存在だ。

 【変化】するほど個性を得た夜人以外、多少個人差は有れどその本質は群体と言って差し支えない。

 故に夜人同士は遠く離れていても無言で意思疎通が出来たりする。

 

 ヤトはその共有感覚に護衛を要請したのだが……。

 

「……?」

 

 なぜか神殿拡張・維持管理班の班長がいの一番に反応した。

 彼は簡単に言えば、神殿の守護を担っている奴だ。なのに村に来るという。

 

 お前仕事放棄して来る気か……?

 そう伝えたら、ここ数日、母に会えていないから我慢の限界だったそうだ。

 

 それでいいのかと文句を言いたかったが、その前にヤトは消滅した。

 

 

 

 

 

 

 午後7時。

 

「くしゅん」

 

 母のくしゃみと同時に、ヤトの意識が再浮上した。

 

 場所は村の広場。既に日が落ちている。

 母はあのまま寝入ってしまったのだろうか? そしてどうやら、寝たままヤトを再召喚したらしい。

 

 周囲を見れば村人がポツポツと歩いている。

 

 だが日が落ちても誰も母を起こしてくれていなかった。

 幼い子供が一人、薄暗くなった広場で寝こけていても村人は僅かに目線を寄越すだけで、すぐに逸らす。

 

「……」

 

 人間の感情なんてわかりやすい。

 

 忌避されていた。母はあからさまに村人から畏れられていた。

 

 昔からそうだ。

 人間が自分たちに向ける感情なんて畏れか恐怖か嫌悪。

 

 ヤトは今更人間に抱く感慨や失望なんてないが、文句の一つくらいは言いたい。

 無言で村人を見つめたら、どもった謝罪を口にしながら早足に遠ざかって行った。

 

「ぅん……夜? ヤト?」

 

 このまま広場に居ても仕方ない。

 ヤトは母を抱き上げると帰路に就いた。バレないように足を神殿へ向ける。

 

「あ、そっちじゃない。礼拝堂」

 

 駄目だった。

 目覚めた母の指摘と同時に、バチンと後頭部を叩かれる。

 

 振り返れば午前中にヤトの護衛を邪魔してきた夜人が居た。

 恐らく、真面目にやれっていう事だろう。

 

「!?」

 

 ヤトは彼女の姿を確認して驚愕した。

 震える指で同僚の首元を指さす。

 

「ん? うん。目印。彼が仮面男との戦いで助けてくれた夜人だから」

 

 母がなにか言っていたがヤトの頭では処理しきれなかった。

 

 目の前にいる夜人が自慢げに首元を見せてくる。いや……首にしっかり巻かれた赤いリボンを見せつけている。

 

「聖女さんにリボン貰った。私も付けられた……」

 

 よく見れば母も、かき分けるように長い前髪が白いリボンで止められていた。

 母の両目が恥ずかしそうに伏せる。

 

 どうやらヤトが消滅している間に何かがあったようだ。

 

「~♪」

 

 雌個体の夜人が機嫌良さそうに鼻歌を口ずさんでいる。

 しかしヤトに自慢するのは忘れないようだ。

 数歩進んだら止まって首元ちらり。また歩いて、ちらり。

 

 ヤトは静かに激怒した。

 母に向かって、自分の分もせがむ。

 

「これは目印。ヤトは要らないよ」

「!?」

 

 まさか断られるとは思わんかったヤトはショックを受けた。

 

 その時、母の足元から一人の夜人が頭を覗かせる。

 顎から頭頂部までを大きく巻かれた青いリボン。……どうやらコイツも見せつけに来たらしい。

 

「彼は神殿の管理班長らしい。目印付けた」

「お♪ お♪」

 

「!?!!?」

 

 ヤトは崩れ落ちる。

 その瞬間、赤リボンの夜人がヤトから母を奪い取った。

 

「うん。これで分かりやすい。三人見分けつく」

「――!!」

 

 ヤトの慟哭は声にならず、誰にも気付かれなかった。

 

 

 

 

 深夜1時。ヤトの夜は遅い。

 

 ヤトは集めた夜人を四つん這いにさせて重ねて、その頂点に立っていた。夜人タワーである。

 足元からの不満が凄いが努めて無視する。

 

 手を当てた窓ガラスの先には眠りにつく愛しい母の姿。

 

 今日は色々な事が有った。

 赤夜人――赤いリボンを付けた雌個体の夜人――は、事あるごとに首元を見せてくるし、青夜人は嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながら神殿へ帰って行った。

 

 思い出すだけで羨ましくて歯噛みする。

 その悔しさをバネにまた礼拝堂を汚染する。

 

「……!」

 

 ――この結界が邪魔なのだ! 母と私の間に壁を作るとは何事だ!

 ヤトは沸きあがる怒りを結界にぶつけた。

 

「おやおや? これはヤト様、奇遇ですね」

 

 その時、夜人タワーの頂点に立つヤトの横に変態が現れた。

 

「ようやく一息ついて村に戻ってこれましたよ。仲間にはグチグチと責められるから、誤魔化すのは大変だ。いやぁ、しかしいい……癒される」

 

 ヤトの隣で宙に浮かぶのはシオンだった。

 闇陣営への入団テストで無事に不合格となった、ただの変態だ。

 

 彼もまたガラス越しに母と聖女の寝顔を堪能していた。

 夜風に吹かれてなびくロングコートが煩わしい。

 

「ああ……この光景を見るだけで荒んだ心が癒されるようです。貴方もそうなのでしょう? ええ、分かりますとも。しかし邪魔するのは許されない。だから私達はこうやって覗きに留めるのです」

「……」

 

 なんだこいつ……覗きとか言ってる。

 やっぱり変態か。

 

 ヤトは気持ち悪くて寒気がした。

 同時に不合格を出した自分を褒め称える。こんな奴の同僚は可哀想だ。

 

「それでヤト様は先ほど何をされていたのですか? 結界に邪気を流していたようですが……壊れますよ?」

 

 壊したいんだよ。

 ヤトは変態に関わるのも嫌だったから、適当に結界を指さしてアピールする。

 特に意図はない。無視しても付き纏われそうだったから、適当に行動しただけだ。

 

「ふむ……なるほど、それもまた光と闇の融和……そういうことですか。協力いたしましょう。いえ、ぜひ協力させてください!」

 

 なんか、察したらしい。

 

「光と闇のハーモニー、新たな研究課題だ! ああ……興奮しますねぇ!」

 

 なんか、気持ち悪い。

 

「成功すれば、闇を受け入れる光の結界の完成だ!」

「!!」

 

 がしっと握手した。

 こいつは使える男だ。

 

 しかし光の結界とは闇を祓う事に意味がある。

 その役割を放棄した結界を作って何の意味が有るのかヤトには分からないが……。どうもシオンはただ単に光と闇が融合することに興奮しているらしかった。

 

「光闇が融け合い混ざり、一つになっていく。まさにジュウゴ様と聖女様のように……愛なのですよ」

「……?」

 

 ちょっと意味分かんないですね。

 

 ヤトは変態の思考を推察するのを放棄した。

 今はただ母の穏やかな睡眠を護るのだ。ヤトは決意を燃やす。

 

 こうしてヤトの一日は更けていく。

 

 




第二章はただいま準備中です。
もうしばらくお待ちください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 黒髪という少女

 

 

「そろそろ、名前を決めたいと思います」

 

 夕飯時。

 気付かれないように野菜だけ別の皿に別けていたら突然、聖女さんが言いだした。

 

「名前?」

「そうですよ。黒髪ちゃん、まだ名前決まって無かったでしょう」

「うん……でも、いる?」

「いりますよ!? 貴方もずっと『黒髪ちゃん』のままじゃ困っちゃうでしょ?」

 

 困っちゃうのだろうか……?

 現状、俺はまるで困った感じがしないのだが聖女さんがそう言うのだから、そうなのだろう。

 

 聖女さんと目を合わせたまま、野菜の入った皿をスっとテーブルの隅に送る。

 

「名前。大事だよね」

「はいそうですよ。野菜も大事です」

 

 聖女さんの手によって野菜の皿が一瞬で手元へ戻された。

 悲しい目をしつつフォークで苦手な野菜を突っつきまわす。

 

「許されなかった……」

 

 男だった時は別に普通に食べれたのだが、この体になってから野菜が凄い不味いのだ。

 門番さんに貰った甘いお菓子は驚くほど美味しかったから、たぶん味覚が変わってるのだろう。いわゆる子供舌というやつだ。

 

「黒髪ちゃんというのもあだ名みたいなものですし、『あれ』は使いづらい……。新しい名前そろそろ決めましょう?」

「あれ? あ、名前……うん」

 

 聖女さんがいい辛そうに口をつぐんだアレとは「重吾」の事だろう。

 

 元の世界では有り触れたとは言わないが、普通の名前だった。

 しかしこの世界ではあまり聞かない名前らしい。なによりこの体に似合わない。

 

「というわけで、じゃーん! また10個考えましたよ!」

 

 静かになった空気を払拭するように聖女さんは嬉しそうな顔で紙を広げた。

 書かれている文字は、どうやら全て俺の名前の案らしかった。

 

 この国の文字は勉強中だから、すぐに読むことはできない。

 ゆっくり読み上げるが、どうしてもたどたどしくなってしまう。

 

「クラ、うリーナ……? れベッカ。アンてぃーネ」

「はい! どうでしょう? どれかピンときます?」

 

 聖女さんの考える名前はいつも女の子らしいのが多い。

 いやそれが正しいのだろうが……そのせいで俺は気後れしていた。

 

 女の子風の名前を付ければ当然、その名前で呼ばれることになる。

 

 ふと、街中で呼ばれたときを想定する。

 人通りのある街――この世界の街を知らないので、かつての日本の街を想像――を歩いていたら、後ろから「おーい! クラウリーナ(仮)!」と呼ばれるわけだ。

 

 ……いやぁ、呼ばれても振り返れる気がしない。

 クラウリーナ? 誰それって話だ。

 

「ピンとこない。それは私じゃない」

 

 俺はこの感覚をピンとこないと表現していた。

 

 重吾と呼ばれて、ウン十年。

 新しい名前が必要なのは分かるが、いまさらそれに慣れるとも思えない。なら少しでも馴染みある名前がよかった。

 人に名前を考えてもらっておいて贅沢な話だ。

 

「そんなぁ……今回の名前はいいものが多かったと思ったんです……」

「うん、ごめんね」

「クラウリーナ……良くないですか? だめ、ほんとに?」

「ダメ」

 

 黒髪ちゃんと呼ばれ始めて早2週間。

 

 これで聖女さんが提案してくれた名前を断るのは5回目くらいだろう。

 名前が無い事に不便は感じないが、聖女さんが落ち込む姿を見るのは嫌だ。

 

 落ち込む聖女さんを見てると申し訳なくなってくる。

 まあ、だったら早く名前を決めろって話で……。

 

「……決めるよ。今日」

 

 少し沈黙して、静かに宣言する。

 どんな名前だろうと次に聖女さんが考えてくれたものを俺の名前とする。

 

 結局俺は、ここで生きる覚悟が不十分だったのかもしれない。

 だからこの世界に根ざした標たる名をずっと拒否して……はい、格好つけですゴメンナサイ。ただ女の子っぽい名前が嫌だったんです……。

 

 せめてキラキラした名前は止めてくれと聖女さんに懇願する。

 

「聖女さんの名前は……なんというか、願いが一杯だよね」

「願い……ですか?」

「そう。こうなって欲しい、こんな風に成長してほしいって名前につける願い」

 

 それはとてもありがたい事だ。

 だけど、それが名前の案を女の子っぽくしている原因の気がするのだ。

 

「自分で言うのはあれだけど、私は女の子っぽくない」

 

「…………そうでしょうか?」

「ん?」

 

 聖女さんは心底不思議そうに首を傾げた。

 

「……ん?」

 

 俺はもう一度、客観的に自分を考えてみる。

 

 この少女の体は色白で傷一つない柔肌だ。

 自分で二の腕を触ってみると子供特有の弾むような感触で驚かされる。しかし、ぎゅっと押し込めばどこまでも沈み込んでいきそうなモッチリした柔らかさを併せ持つ。

 

 首周りとか腰回りは、力いっぱい握り込めば折れるんじゃないかという程細いし、指も爪も同様にすらっとしている。

 髪は手入れしなくても絹糸のようにサラサラな光沢のある黒色。

 

 基本的に無表情のせいで目つきは少し悪いが、それも不機嫌そうな幼子という可愛らしさが見え隠れする。

 

 総評――俺めっちゃ女の子だった。

 

「……私かわいい?」

「あはは、そうですよ。黒髪ちゃんくらい可愛い子なんて、他に見た事ないかなぁ」

「そう…………聖女さんは鏡って知ってる?」

「え? う、うん。知ってるけど……突然だね、欲しい?」

 

「え、要らないけど?」

「え?」

 

 なんというか、キャラクリエイトって凄いんだなぁって改めて思い知らされた。

 

「わ、分からない……たまに黒髪ちゃんが分からない」

 

 聖女さんが困ったように顔に手を当てた。

 今のうちに俺の野菜を聖女さんの皿にシュート。……バレて怒られた。

 

 

 

 

 

 

 夕飯が終わる頃には日は完全に暮れていた。

 

 この世界の『夜』は危険溢れる時間帯だ。

 わざわざ夜に人間の管理が行き届いていない場所に外出する人は滅多にいない。

 

 同じ領域に棲む魔種同士の縄張り争いや、獲物を求めた魔種が蠢き出すのは決まって夜の時間。

 人間の領域は広くない。

 生存圏のすぐ隣は命を脅かす存在で溢れているからこそ、村人は日が落ちる前に防備の整った村に必ず帰ってくる。

 

 だが逆に言えば、安全な村の居住区外にある畑は、夜の間は危険な場所ということになる。

 村人が日中に懸命に働いても、夜寝ている間に喰い漁る魔種によってその苦労が無に帰することも多いのだ。

 

 そういう夜の危険も合わさって、開拓村の生活はストレスが多い。

 だから村には数少ない娯楽として酒類や食事を提供する『食堂』があったりする。

 

 夜になれば疲れた体で美味しいものを食べたり、明日の英気を養うために酒を浴びたりして夜中まで賑やかな所だった。

 ……ついこの間までは。

 

「今日も通りにぜんぜん人が居ない。やっぱり黒髪ちゃんの影響かな……」

 

 村の大通りには灯りとして篝火が点在する。

 安全を守るための兵士さんだって巡回している。安全な場所なのだ。

 

 なのに、通りを歩く村人の数は非常にまばらだ。

 

「…………」

「ひぃ、あ、すみません」

 

 視線の先、約20m。

 黒髪ちゃんはすぐ後ろにヤトさんを伴って村をあてもなく散歩していた。

 

 それだけなのだが……黒髪ちゃん――正確にはその隣に立つヤトさん――は、すれ違う村人に謝罪を受けていた。

 

 これだ。これが夜の通りに人影が少ない原因。

 黒髪ちゃん――正確にはその隣に立つヤトさん――は、非常に村人に畏れられていた。

 

 私達の信仰するエリシア聖教は夜と言うのは畏ろしい時間であり、闇とは忌避するものと教えている。

 人間を襲い喰らい、そうでなくとも堕落せしめる存在が闇。

 

 知らない人が見れば彼女たちこそ夜であり闇そのもので、恐怖の対象なのだ。

 

「…………」

 

 黒髪ちゃんは、何か言いたそうに村人の背中を見送っていた。しかしすぐヤトさんに促されて歩き始める。

 

「こうやって、彼女を遠目から見るのは交渉の時以来でしょうか……?」

 

 夕食が終わった時、黒髪ちゃんは私に提案した。

 

 ――私の名前を一つだけ考えて欲しい。

 

 どうやら彼女は遠慮しているらしかった。

 何時まで経ってもピンとくる名前を考えられない私の為に、次の名前を絶対に受け入れるというのだ。

 それはやっと名前を付けてあげられるという喜び以上に、申し訳なさを感じてしまう話だった。

 

 最近、私は自分に名づけの才能が無い事を自覚した。

 様々な本で名づけの方法を調べた。名前の由来も色々考えたりした。

 でも黒髪ちゃんが『ピンとくる』名前は提供できていなかった。

 

「……ちょっと、自信なくなってきましたよ」

 

 ぽてぽてとゆっくり散策する黒髪ちゃんの後をこっそり付いて回る。

 

 これは私がお願いしたことだ。

 私は私から見た黒髪ちゃんしか知らない。

 表面上いつも物静かで表情の疎い女の子だが、内心はとても子供らしくて可愛い女の子。それが黒髪ちゃん。

 

 だけどそれは私の視点でしかない。彼女は自分が可憐な事をあまり認めたがらない。

 

 ならばと、名づける上でもっと正確に黒髪ちゃんを知りたかった。

 だからこうやって普段の様子を見させてもらうことにしたのだ。

 

「……カワイイ名前が似合うと思うんだけどなぁ」

 

 黒髪ちゃんは、また謝罪を受けながら村人をすれ違っていた。

 

 ほのかに赤い顔と千鳥足を見れば食堂帰りの人だとすぐにわかる。

 気が大きくなる酔っ払いでさえ、簡単に道を譲る。

 

(……そんな、謝らなくていいのに)

 

 だけど村人の気持ちも理解できる。

 

 ヤトさんは兵士10人を同時に相手できるほど強く、ただの村人なんて数秒で容易く命を奪う事が出来る存在。

 そんなバケモノが我が物顔で村の中を練り歩いている。

 

 村人が卑屈に頭を下げるのは防衛のためだ。

 夜という猛威が振るわれないように、姿勢を低くしてて脅威をやり過ごすためだ。

 

 ……違う。その子は危なくない。

 本当はとても穏やかで優しい子供なのだ。

 

 いくら私が伝えても村人は表面上は受け入れてくれるが、納得まで至らなかった。

 人々に刷り込まれた常識と聖教の太陽信仰という壁が大きく立ちはだかる。

 

(私も聖教の一員なんですけどね。はぁ……どうしましょうか)

 

 黒髪ちゃんは村の出口にたどり着いた。

 

 既に閉門しているのを見ると兵士の詰所に向かっていく。

 門のすぐ近くにある建物を叩いた。

 

「はーい、って。黒髪ちゃんか」

「…………」

 

 黒髪ちゃんは無言で門を指さした。

 もう片方の手は口を押さえている。

 

「……なんだ? 開けて欲しいのか?」

 

 こくりと頷いた。

 兵士さんは困ったように隊長を呼びに戻っていく。

 

(あれ? なんで喋らないの?)

 

 初めてみる黒髪ちゃんの行動。

 そいえば、ここまでの道中でも一切喋っていなかった。

 

 私は不思議に思っていたが、あっというまに事態は進む。

 

「お前か。門を開けて欲しいという事だが……こんな時間にどこに行きたいんだ?」

「……」

 

 あっちあっち。

 そんな感じで訴える黒髪ちゃんに、レイトさんが頭を掻いて困っている。

 

「この時間の外は色々あるが、きっと危険は無いんだろうな……だけど、ちゃんと許可は取ったか? ディアナさんに怒られるのは勘弁だぞ」

「…………」

 

 黒髪ちゃんが振り返った。

 薄暗い灯りしかない中で距離を取っているのに、彼女は確実に私と目を合わせている。

 

 隊長さんもその視線を辿って私の姿を確認した。

 手で大丈夫と挨拶を送る。

 

「そうか。なら用意する。ちょっと待っててくれ」

 

 詰所に戻っていく隊長さんと入れ替わるように、よく門番をしている兵士さんが姿を現した。

 

「うん? こんな時間にどうしたんだい黒髪ちゃん。……あ、分かったお菓子だな? 今日も欲しくなったのか?」

「…………」

 

 ふるふると首で意思表示する黒髪ちゃんだったが、門番さんは笑って流す。すぐに詰所からお菓子を取って戻ってきた。

 ぞろぞろと兵士さんが集まってくる。

 

「ほら、魔法菓子の新作だぞ。南都からわざわざ取り寄せたんだ」

「!」

 

 黒髪ちゃんの目がお菓子にくぎ付けになった。

 

「生クリーム……分かるかな? えぇっと牛の乳から成分を抽出して……っていうと凄い不味そうだな」

「ばか。そこは適当でいいんだよ。甘い牛乳を固めて作った奴とかでいいんだ」

 

「これはそういうクリームをサクサクの薄パン生地で包んで焼いたお菓子だってさ」

「普通はその日のうちに食べないと悪くなるから南都限定のお菓子なんだけど、これはなんと! あ、ギャグじゃないぞ?」

「つまんねぇよバカ。あー……これは保存魔法が掛かってる高級品だ!」

 

 門番さんを筆頭に、集まってきた兵士さんが次々に説明していく。

 だけど黒髪ちゃんは終始お菓子から視線を外さない。

 

 右にずらせば右を向き、左にずらせば左を向く。

 一歩下がれば寄ってきて、前に出れば黒髪ちゃんが更に詰めてくる。

 

 門番さんはお菓子の袋を持ったまま詰所から黒髪ちゃんを連れ出した。

 

(ゆ、誘拐でしょうか? 隊長を呼んだ方がいいかな……それとも奇襲を?)

 

 なんでも、あんな感じでお菓子をあげると言って小さい子を攫う犯罪が今流行っているらしい。

 無防備にトコトコと男の背中を追う黒髪ちゃんが危なっかしくて冷や冷やした。

 

 

 

 詰所の訓練場にたどり着いた兵士さん達と相対するように黒髪ちゃんは立っていた。

 どうやらこれから戦うらしい。

 

 数の上では5対1。

 しかし黒髪ちゃんはふてぶてしく宣言する。

 

「お前らが習練で辿り着ける境地にこれは居ない。勝ち目は無い」

「それでもやるんだ。だって、やってみなきゃ分かんねぇだろ?」

 

「無謀な事……だが、例の献上品があるなら此方に文句はない。精々、足掻けばいい」

「ああ。じゃあ今日も頼む」

 

 黒髪ちゃんが合図を送るとヤトさんが一歩前に出た。

 

「――来たぞ!! 迎え討つな、散開!」

 

 そして始まる模擬戦。

 

 兵士さん達が大きく距離を取って広がった。

 ヤトさんはそれを気にすることなく、真っすぐ正面の門番さんへ突っ込んでいく。

 

「つッ……重って!!」

 

 キィイン――。

 そんな空気を裂くような高音が響いた。

 

 ヤトさんの手にはいつの間にか、黒い剣が握られていた。

 黒い靄たる夜人が握りしめた明らかな物質。

 

 逃げる門番さんと追撃するヤトさん。

 

 演武とはまるで違う。下手な舞踏を思わせる泥臭い動きだ。

 

 門番さんは地面に転がり逃げる。

 蹴りや砂かけさえ使って相手の隙を作る。果てには背を向けて全力で走る事さえあった。

 

 二人の激しい立ち回り。

 近接戦闘が苦手な私から見ても、門番さんはすごく不格好な戦い方だ。でも仕方ないと思う。

 だって彼の相手は闇の眷属。その力は人智を超える。

 

 これは勝つためでは無く、時間を稼ぐための戦い方。

 

「せっぃぃいや!!」

 

 それでも瞬く間の攻防で門番さんは息が上がり切った。

 追い詰められる寸前という所で援護が入り、少しだけ与えられた猶予に息を吐く。

 

「ヤト――いつまでかかる?」

「オォオオ!!」

 

 しかし無情にも少女の言葉が掛かった。

 

「そりゃぁ、勘弁……!」

 

 そこからヤトさんは更にギアを一段上げた。

 振るわれる剣戟はもはや荒れ狂う嵐のよう。

 

 一振り、地を裂き。

 二振り、風を薙ぐ。

 

 人にも剣にも当てない一閃。

 たったそれだけで数人が吹き飛ばされた。

 

(風圧? いや、違うか。振るうことで剣圧を飛ばして……? なんだろう)

 

 兵士さん達が全員倒れるまでそう長い時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

「おいしー……!」

 

 黒髪ちゃんが戦利品の魔法菓子を頬張りながら歩いていく。

 

 どうやらさっきの模擬戦は兵士さん達との訓練だったようだ。

 黒髪ちゃんは偶にそれに手伝いとして参加している。

 勝てばお菓子を貰えるという事だが、負けたら兵士さんたちに可愛がられる約束だとか。

 

 ちなみにこれまで10戦10勝。もちろん負けなしだ。

 毎回高級な魔法菓子を差し出す兵士さんたちの懐が少し心配……。

 

 でも、兵士さんのように、黒髪ちゃんを受け入れてくれている人も居る事に私は安堵した。

 

 村人たちと異なり、兵士さんは黒髪ちゃんに対する理解が深い。

 それは村人よりも彼女と多分に関わっている事が理由でもあるし、仮面の男との戦いで助けられた事も要因だろう。

 しかし一番は村人と違い、彼女の生まれを知っている事が理由だろう。

 

 確かに彼女は『夜』の存在だ。だけど決して敵と同義ではない。

 彼女には彼女の正義があって生きる権利がある。それは普通の人間と何ら変わりない。

 

 

「……おー。やっぱり今夜はよく見える」

 

 黒髪ちゃんは村から出て暫くすると立ち止まった。

 

 空を見上げた彼女につられて私も上を向く。

 すでに村の明かりは見えなくなる距離。周囲は漆黒の闇が包んでいる。

 

 だが――

 

(わぁ……)

 

 ――空は驚くほど明るかった。

 

 私は初めて見る光景に息をのむ。

 

「ね、聖女さん。もう近づいてもいい?」

「ええ……」

 

 夜空は真っ暗なものとずっと思っていた。

 今日の空だって村から見た時は真っ暗だった。

 

 だが、今見ているこれは何だろう……。

 

 点々と光る星づく夜。

 

 知識として持っていた星の概念とはまるで異なる光に照らされる。

 視界の端で光芒を放つ一筋の光が煌めいた。

 

「村は、明るいから」

 

 黒髪ちゃんがゆっくりと、もたれ掛る様に寄り添ってきた。

 まるで自慢げな彼女。どうやらこの子は私にこの空を見て欲しかったようだ。そのためにここまで連れてきてくれた。

 

「やっぱり……黒髪ちゃんには夜がよく似合う」

 

 知らない人には怖い時間だけど、知れば知る程ひき込まれる。

 

 私はとっくに夜に魅了されていたのかもしれない。

 だって夜が統ばる星の瞬きは、こんなにも綺麗なんだから。

 

「……決めたよ。黒髪ちゃんの名前」

「ん」

 

 ここに来るまでに何度も考えた事が有る。

 やっぱり彼女を示す名は『夜』をおいて他に無い。

 

 夜とは今は人々に畏れられているが決して敵ではない。

 

 世界を包む、物静かに優しく照らす星月夜。

 それに気付かせてくれた貴方の名前は――

 

 

「ヨルン・ノーティス」

 

 意味は『夜を案内する者』。

 貴方はこの暗い世界を安全に導き、その奇麗さに気づかせてくれる存在。

 

 だけど、そのままヨルでは不吉だと言いがかりを付けてくる人が居ないとは限らないから、少しだけ変える。

 

「だから愛称でヨルちゃん。……どうかな?」

 

 ―― 決まり ――

 

 その時、空が輝いた。

 まるで祝福するように流星群が降り注ぐ。

 

「……うん、ピンとくるいい名前。それじゃあ今から私はヨルン。よろしくね」

 

 満天の星空を背に立つヨルちゃんは小さな笑みを浮かべていた。

 こうして、彼女はこの世界への一歩目を踏み出した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2章
プロローグ


 

 

 この世界には三つの系統魔法が存在するらしい。

 

 一つは言わずと知れた、太陽信仰を教義とするエリシア聖教が得意な聖魔法。

 二つ目は、それに対を成す闇を崇拝する黒燐教団が愛用する闇魔法だ。

 

 その二つは術式の構造はもちろん、理論の根本から異なる全くの別の魔法技術だ。

 太陽神エリシアが人間にもたらした力が聖魔法であるのに対して、邪神【夜の神】が撒き散らしたものが闇魔法だという。

 

「ここでポイントなのが、夜の神は人間に魔法を与えた訳では無いという事ですね」

 

 聖女さんが壁に掛けた黒板を指示棒でぺしぺしと叩いた。

 

「闇魔法は大神戦争で世界を汚染しつくしました。清浄だった泉は腐臭漂う毒の池と化し、生命溢れた森は死の砂漠になった。その跡地から教団が欠片を拾い集め再現したものが闇魔法なのです」

 

 大神(おおがみ)戦争――神話の終末戦争と呼ばれるこれは、元々は太陽神エリシアの眷属と、夜の神の眷属同士のいざこざが発端だった。

 それがドンドンとエスカレートして争いは止められず、いよいよ大神(主神)同士がぶつかる。

 

「聖書の第8節から太陽神と夜の神の戦いが示されています。人知を超えた存在の衝突。空は燃え上がり、大地は消滅したといいます。そして最後の聖書第10節で世界の崩壊と再構築が描かれます」

 

 手にした聖書をパラパラと捲って聖女さんは厳かに説明していく。

 

 太陽神エリシアの使徒、第一蒼天:サナティオ・アウローラをはじめとする強力な神々。それをまとめる太陽神エリシア。

 この世界の歴史や神の眷属など、現時点で判明している事を説明していく。

 

 神同士の戦いが人の妄想では無く、確かな史実と言うのだから異世界の歴史には驚かされる。

 しかし今回の本題だった魔法学からズレていく内容に生徒の一人、リュエールが挙手した。

 

「なあせんせー! その知識は魔法を勉強するのに必要なのかー!?」

「え……? え、えぇっと……そんなに必要、ない……かな?」

「ならいいよ歴史なんて! はやく実技しようよー!」

 

 子供にとって、座学はつまらないのだろう。

 黒板にずらずらと使徒の名前が書かれるが誰も真面目に見ていなかった。

 リュエールの声に賛同するように何人もの生徒が賛同の声を上げる。

 

「俺、聖魔法とか闇魔法より属性魔法つかいたいー!」

「私も! 水魔法が生活に便利って聞いたから早くー! 水汲みも疲れるんだからね!」

「え、え……あはは」

 

 自由過ぎる子供達に聖女さんは苦笑を抑えきれなかった。

 先生は慣れないなぁなんて呟いている。

 

(やっぱり世界は変われど、子供は子供だなー。まあ俺も早く実技したいけど)

 

 今日は聖女さんが村の子供たちに魔法を教える日だった。

 

 この世界の生活と魔法は切っても切り離せない関係にある。

 ほぼすべての人が魔法を使えるし、使えないと生活も大変になる。だから大人になるまでに基本的な魔法は使えるように勉強するらしい。

 

 普通は各家庭で親から子に伝達される魔法技術だが、その伝達が一律にみんな行われるとは限らない。

 孤児や何らかの理由で魔法を学べない子供は一定数存在する。

 

 だから、基本的な事は村で勉強会を開いて教えることになっていた。

 

 何処の村でも、その先生役をするのは赴任している司祭さん――この村で言えば聖女さん――である事が多いらしい。

 だから今日は朝から礼拝所を教室代わりにして使っていたのだ。

 

 俺も部屋の隅っこで見学している。

 

「え、えっと……! じゃあみんなで実技しましょうか!」

 

 子供たちの実技コールに根負けした聖女さんが、困った顔で手を叩いた。

 

「えっと、でも説明の途中でしたから、もう少し聞いてね。聖魔法と闇魔法、そして最後の一つが属性魔法といいます」

「知っている知ってる! あれだろ、火とか水とか風とか……そういうのだろ! 大丈夫だよせんせー!」

 

 リュエールはそう言って机から飛びおりて広場へ走っていく。それに何人もの子供が付いて行った。

 

「あ、こら! リュエール君! まって、まだ説明が終わってな、あ! ……行っちゃった」

 

 聖女さんは大きくため息を吐いた。

 

「むりです……私に先生は無理。みんな、ヨルちゃんみたいに大人しければいいんだけど……」

「ん。みんな子供だからね」

「ふふ……そういう貴方がたぶん一番年下ですよ? 」

 

 ――ヨルちゃん。

 いい加減、黒髪ちゃんと呼ばれるのはどうかと思った聖女さんが提案した名前である。

 

 正式名称、ヨルン・ノーティス。

 由来はもちろん夜から。

 

 直訳は【夜を案内するもの】。

 どんな畏れられている夜でも、俺が導くことで夜の静かな優しさに気づく事が出来るという意味が込められているらしいが……照れる。

 

「ほら、ヨルちゃんもやりますよー!」

 

 ゆっくり歩いて広場に向かっていたら、先にたどり着いた聖女さんが子供達に囲まれた。

 俺も慌てて駆け寄っていく。

 

 その際に子供たちから少し距離を取られた。……知ってた。

 

 俺はそもそも外部の人間だし、親から話を聞いているのだろう。

 子供も聡いから異質な存在として俺を避けているらしい。

 

 でも聖女さんは子供たち同士仲良くして欲しいとのことだ。

 だから今回は俺も勉強会に参加していた。

 座学では知ってるけど、実際に魔法使った事ないしね。丁度いい機会という事でもあった。

 

「じゃあまずは詠唱ね。詠唱と言うのは――」

 

 そして始まる魔法の実技演習。

 

「安全な水属性の最下級呪文からやりますね。詠唱は『水よ』だけ、簡単でしょ」

 

 言葉と共に聖女さんの指先に小さな雫が浮かび上がった。

 綺麗に透き通った真球の水。なんでも飲めるらしい。

 

 俺たちも同じように詠唱を繰り返す。

 だけどそれで魔法が使えたのは誰もいなかった。

 

「聖女さん……できない」

「うーん、ヨルちゃんはまず魔力を操る事かな」

 

 詠唱とは、言葉に魔力を籠める事で魔法陣と同じ要領の術式構造を簡易的に周囲へと展開するものらしい。

 超専門的な知識、技術が要求される魔法陣構築と比べて、対応する言葉を紡ぐだけだから、呪文さえ知っていれば村人でも簡単に魔法が使える……らしい。

 

 はい。意味不明である。

 まず魔力が分からない。

 

(うーん……こうかな?)

 

 詠唱する、発動しない。

 魔力を探す。分からない。

 

 それでも詠唱する。やっぱり駄目。

 

「……困った」

 

 他の生徒にはポツポツと魔法が発動した者が出始めていた。

 

 この世界の人間は魔力を標準装備してる。

 貴族の方が魔力が多いとは言われているけど、絶対ではない。ただの村人から宮廷魔導士長になった人だっているそうだ。

 だから村人が簡単に魔法を使えるのは当然な事で、俺が無能な訳じゃない。じゃないのだ。

 

 ……いや、そんな事はどうでもいい。

 まずは俺が魔力を感じる事が大切だ。

 

「魔力の精製は人体の水月にある視えない内臓といわれる造魔器官で行われます。ここですよ。こーこ」

「ひゃ……!」

 

 つんつんと聖女さんが俺のお腹のちょっと上、みぞおちを突っついた。

 くすぐったくて身をよじって逃げる。聖女さんが笑い声をあげた。

 

「うー」

「ごめんね、魔力通してみたんです。どうかな?」

 

 今の感覚が魔力だと聖女さんが言うが俺にはくすぐったさしか感じなかった。

 聖女さんと触れ合う時に感じるような、包み込まれるような温かさではない。体内を何かが突き抜けていくゾクッとした感じ。

 

 本当にこれでいいのかという疑問を感じながら、もう一度詠唱。

 

「水よ」

 

 何も起きず。

 

「……出ない」

「うーん、ヨルちゃんは詠唱に魔力が通ってないなぁ。たぶん魔力を認識できてない……のかな?」

「ヨルンできないのか? こうやるんだぞー!」

 

 突然、元気な声で話しかけられたことにびっくりする。

 

 声の方を向けば、子供たちのリーダー格であるリュエールが嬉しそうに魔法を見せてきた。

 初めての経験。彼は俺が怖くないのだろうか?

 

「……すごい」

「へへ! だろ!?」

 

 彼が唱えた魔法は、指先を包み込む水球を生み出していた。

 

 かなりの大きさだ。

 だいぶ歪んではいるし手から離れていないが、とても初心者の魔法とは思えない。

 というか村人はもう全員できていた。

 

「まず、魔力を感じるだろ? そしたらフンって感じで動かして、喉に集めるんだ。そうすれば詠唱できるよ!」

 

 これが悪ガキだったりしたら、避けられてる俺に魔法をぶつけたりするんだろうが……。

 彼は自分なりのコツややり方を教えようとしてくれていた。

 リュエール良い奴かよぉ……。

 

 なお、それでも俺は出来なかった。

 

「ふ……これが才能の差か」

「じゃあ、もっと分かりやすくしよっか。よっと……ヨルちゃんごめんね、ちょっとくすぐったいよ」

「わ……!」

 

 子供達に負けた遣る瀬無さでしょんぼりしていた俺を、聖女さんが後ろから抱きかかえて持ち上げた

 おなかに手を回して再び魔力を通す。

 

「ひゃ! な、なに……!?」

「あ、こら。暴れないの!」

 

 お腹の奧から頭の先まで突き抜けていくようなゾクゾクした感じに悶える。

 

「で…でも! これ……だめ、止め! ぃ…っく!」

「ヨルちゃんはしっかり魔力持ってるから、あとは意識するだけですよ。魔力はお腹の奥から、湧き出す感覚で……こう! 分かる!?」

 

「わかん、ない……! わか…ぁ、ないよ! っ、く!」

 

 聖女さんは体で感じ取れとばかりに魔力を俺に流し続ける。

 

 まるで全身をくすぐられたような感覚に思わず声が出た。

 手足をバタつかせて逃れようとするが、生憎と昼間の俺は無力な女の子。

 

「分かるかな、この感覚だよ! いい? もうちょっと造魔器官を刺激するよ!」

「ひゃーー……!」

 

 さらに強く魔力が流れ込んできた。

 大きく叫びたいほど奇妙な感覚が俺を襲う。

 

 しかし【凍った人格】による弊害か、まるで何かを堪えるような小さな呻き声しか口から漏れ出なかった。

 

 だから聖女さんは俺の事情に気づかなかったのだろう。

 彼女によるくすぐり責め(?)が延々と続く。

 

「ぁ……ひ」

「あ、あれ? 大丈夫?」

 

 数分後の俺は聖女さんの手の中でビクビク震えるだけの存在となっていた。

 

 ようやく終わった……。

 息も絶え絶えなまま、涙目で聖女さんをにらみつける。

 

「ゃ……止めてって……いった。私言った」

 

 魔力の捉え方は人それぞれであり、これが一般的な魔力学習らしい。が、なんか変な扉開きかけた気がする。

 

「あ、あはは……ごめんね。ちょっとやり過ぎちゃったかな?」

「……半分わざとか」

 

 聖女さんは悪戯好き。

 隊長とか門番さんをからかってる姿をよく見かけるし、どうやら今日のターゲットは俺だったらしい。

 

 どうやらこの練習方法が結構くすぐったいのを知ったうえで、聖女さんは思う存分に俺をいじめてくれたらしい。

 ……まあ、俺が悲鳴を上げなかったってのもあるんだろうけど。

 

 ぺいっと聖女さんの腕から逃げだす。

 

「今日は一度帰る!」

「あー! ごめん、ごめんねヨルちゃん。待って、帰るってどこにー!?」

 

 この調子だと、魔法が使えるまで悪戯がてら魔力流されそう……。

 そうなればもう足腰立たなくなる。今日は終わり! 逃げる訳じゃ無い!

 

 

 ここ半月ほど、俺はずっと聖女さんの家で暮らしてから神殿にしばらく帰っていない。

 様子も気になるし、丁度いい機会だし一度帰ろう。

 

 今の俺には"やりたいこと"ができていた。 

 

(ヤト……行くよ!)

 

 聖女さんから逃げつつ、自分の影に目で合図。

 その途端、影から飛び出たヤトが俺を抱きかかえて再び影に潜りこんだ。

 

「えぇそれ、なんですかー!? ヨルちゃん!?」

「夜には戻る。またね」

 

 その間実に1秒未満。

 

 たったそれだけの時間で俺は村から姿を消し去った。

 

 




村の子供たち、二人の戯れを見てドキドキ。
第二部スタートです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

成長する夜人's

 どうやら夜人は日に日に成長しているようだ。

 

 この世界に来たばかりの頃は【闇送り】しかできなかった夜人だが、その内影に潜むようになった。

 今では影の世界を通ることで実質的な瞬間移動――【影渡り】と適当に名付けておいた――なんかも出来る様になっている。

 

 俺は聖女さんから逃げるため、ヤトに連れられて影にもぐりこんだ。

 その後、不気味な影の世界を抜けて気が付けば神殿の寝室にいた。

 

 森深くにある夜人が創った大神殿の最奥、第3層にある俺の寝室。

 青白く光るベッドと大きなクローゼットが目立つ部屋だ。

 

(……うん? クローゼットなんかあったっけ?)

 

 どうやら、この寝室も気付かぬ内に少しずつアップグレードされているようだ。

 

 重厚な木材で作られたクローゼットの中には、どうやって用意したのか黒いドレスと、俺の私物を模したワイシャツとスーツ一式が用意してあった。

 

 あと、女の子向けのかわいい下着まであった。

 手に取って広げてみる。くまさん柄。

 

 ……この下着はちょっと着たくない。

 これ着たら心まで少女と化しそう。

 

 聖女さんとじゃれてると、たまに「あれ? 実は俺って少女だったっけ?」て思う事あるし……。

 

(いやいや! 違うから。俺は俺だから、独身童貞の男。思い出せ、あの孤独な日々を!)

 

 パンツは見なかったことにしてクローゼットを閉じる。

 

「……瞬間移動、便利だね。どこでも行ける」

 

 ヤトの腕をなでなでと褒めてみる。

 しかし彼は困ったように手を振って違うとアピールしてきた。

 

「ん? そうでもないの……?」

 

 影が有るならどこにでも一瞬で行けるのかと思ったが、そうでもないのだろうか?

 

「何か条件ある? それとも回数制限?」

 

 ヤトはこの部屋と俺の影を指さして、その後なんか動いているが……いまいち要領を得ない。

 やっぱりボディランゲージだけでは意思疎通に難がある。

 

(喋れればいいんだけど……そこは成長しないんだよね)

 

 その時、寝室の扉が開いて何人もの夜人が顔を覗かせた。

 

 どうやら突然現れた俺たちの様子を見に来たようだ。

 最初の頃は不気味に思えた夜人の習性だが、いまでは主人の帰りを見に来た犬猫といった感じで愛着がわいてきた。

 

「おいで」

 

 ちょいちょいと手招き。

 許可が出た途端、嬉々と寄ってくる所作は飼い主に懐ききった大型犬といった表現が一番近い。

 まあ見た目不気味だし、威圧感は強いのだが。

 

「ん……赤と青」

 

 近寄ってきた夜人の中には、首にしっかり赤いリボンを巻いた者と、頭に可愛く青いリボンを巻いた者が交じっていた。

 

 仮面の男と戦った時に助けてくれたのが赤リボンの夜人だ。

 青リボンはこの神殿の拡張・維持管理チームの班長さん。

 

 夜人の識別が難しいので付けてみた。

 

 ちなみに赤青リボンは聖女さんに頂戴と言ったらくれたモノだ。

 その時、俺も頭に可愛いくリボンを巻かれたが……そんな記憶は忘れた。

 

「青。屈んで」

「……!」

 

 ちょっと頭のリボンがズレていたので直してみる。

 

 キュッと結んで位置も整えて……うむ。似合わない。

 でも本人は喜んでいたのでよし!

 

「ところで青。身長縮んだ?」

「?」

 

 夜人は基本的に見た目が一緒だ。

 ヤトだけ周囲より頭一つ大きいのが特徴だったが、逆に青リボンの夜人は最近、頭一つ小さくなった気がする。

 

「なんか理由ある?」

「……?」

 

 俺と青は互いに首を傾げ合う。

 どうやらこの夜人も身長の事に気付いていなかったようだ。

 

 だけどすぐに「あ、あれかな?」と手を叩いて何かに気づいた様子。

 

 ただしその説明は出来ない。

 俺に何かを伝えようとワタワタしているが、その動作では意味不明である。

 

「やっぱり……そろそろ会話できない?」

 

 こういう細かい所が不便なのもあるが、会話できないとそれ以上に重要な案件に関わるのだ。

 

 

 

 俺は仮面男との戦いで学んでいた。

 漫然と過ごすだけでは、この世界を生き残れない。 

 

 ここは小さな勘違いが村を滅ぼす死と隣り合わせの世界なのだ。

 いまこうやってのんびりと生活していても、明日にはそれがあっけなく崩壊する可能性だってある。

 

 俺の身近には【闇】が多い。

 夜人もそうだが、俺自身が夜の神を宿した【夜の化身】だ。

 

 そしてこの世界の主教は太陽信仰ときたもんだから最悪だ。

 世間一般では闇というのは絶対悪と考えられており、忌避される存在と勉強したから知っている。

 

 なぜ聖女さんがその司祭という立場でありながら、闇派閥の俺を大事にしてくれているのかは、いまいち分からない。

 だが、それも聖女さん故という奴だろう。

 

 村人たちだって、聖女さんの説得や仮面男との戦いが有ったから、畏れながらでも俺を受け入れてくれた。

 

 だけど教会上層部が同じ考えとは思えない。

 

「……最悪、戦争になる。闇と光。神話の再現」

 

 ある程度は妥協するつもりだ。

 俺の生存権が認められるなら監視ぐらい受け入れるし、力の制限だって問題ない。

 

 だけど問答無用で死ねと言われれば、俺は全力で抗うつもりだ。

 ましてや俺を庇って聖女さんが傷つくなら……。

 

 俺は全てを守り通さなければいけない。

 

「だから、そろそろ会話……できないと不便」

 

 神殿の更なる要塞化や周辺国家の情報収集、なんならエリシア聖教の動向も知りたい。

 あと聖女さんが言ってた闇の組織【黒燐教団】の存在も気にかかる。もう消滅してるらしいが、なにか参考になる情報が有るかもしれない。

 

 もう俺は立ち止まらない。

 

 自ら動いてこの世界のパワーゲームに参加するより生きる道はない。

 夜人にはそれを可能とするだけの力があると俺は確信している。

 

 だけど、それは意思疎通が上手くできたらの話。

 会話でも筆談でもいい。そろそろ意思疎通をしたい。

 

 集まった夜人達にそう言うと、彼らは一様にヤトのことを見つめた。

 彼がオロオロしだす。

 

「……ヤト? もしかして喋れる?」

「!??」

 

 ヤトはビクリと体を震わせた。

 ジっと見つめると観念したのか、彼はゆっくり頷いた。

 

「……なら喋って」

 

 なんで今まで黙ってたんだよと、ジト目で見つめたらヤトは慌てて手を振った。

 なんだろうか? ……やだやだと言ってる風に見える。

 

 その様子に赤リボンの夜人が詰め寄っていく。

 ずんずんと歩み寄って、突き刺すんじゃないかという程勢いよくヤトの顔面を指さした。

 

 ―― お前観念しろよ! いいから喋れ!

 ―― やだやだ! 喋らない! 俺はまだ喋らない!

 

 そんな会話だろうか? 

 顔の口の辺りを押さえるヤトとその手をはぎ取ろうとする赤夜人。

 無言ながら、彼らの間で何かやり取りが行われているように感じられる。

 

 怒り心頭といった赤夜人とあたふたするヤト。

 

「!!」

 

 しかしヤトは開き直った。

 赤と、なぜか青にも言い返す。

 

 ――お前らだって喋れるだろ! なら、お前が話せ!

 

 二人は「うっ」と言葉に詰まって後ずさる。

 その光景はまさに図星といった感じ。

 

 なんだろう……責任の押し付け合いという訳では無いだろうが、みんな俺とお喋りしたくないのだろうか?

 そんな光景を呆れたように眺める夜人達に交じって、俺も3人の言い合いを見届ける。

 

「……!」

「!! ……!」

 

 ヤトが責められたり、言い返したり。

 たまに二対一で他を責めたり。

 

 特に青い夜人が劣勢のようだ。

 身長が低いせいもあるのか、ヤトと赤に責められると逃げてばかりいる。

 

「……誰も、私と喋りたくないの?」

 

 終わりの見えない言い争いを見てたら、なんだか悲しくなってきた。

 よく分からないけど、喋るという事は彼らにとって重要な事なのだろう。

 

 だけどそこまで嫌がられると俺だって辛いのだ。

 

 ただでさえ村人に避けられてるのに……夜人にまで避けられたら泣きそうだ。

 

「……!」

 

 三人が慌てて、俺を宥めてきたが――

 

「じゃあ喋れ」

 

 みんな目線をそらした。

 なんだ、てめぇ等!?

 

「はぁ……分かった。じゃあこうする。喋れる夜人に今後、私の付き人任せる」

「!?」

 

 電流が走るとはこの事だろう。

 ヤトがぷるぷると自分を指さしているが、すまんね。側近チェンジだ。

 

「私は、それだけ本気」

 

 彼らの希望は叶えたい。喋りたくないなら、それも仕方ない。

 だけど、こっちは俺の命や聖女さんの安全が掛かっているのだ。

 

 飴と鞭を提示したことで数秒ほど彼らは沈黙したが、覚悟を決めたヤトが一歩前へでた。

 

「……喋る?」

 

 頷いてくれた。

 

 よかった。

 俺だってずっとヤトに頼ってきたから、できれば付き人は彼のままが良かったのだ。

 

 だけどそれに待ったがかかる。赤と青だ。

 赤夜人がヤトの肩をつかんで、引っ張り込んだ。

 

「……!」

「!! ……!」

 

 そしてまた喧嘩が始まった。

 今度はなんだろう……?

 

 ――なんだよ、俺が喋るんだよ! お前ら黙ってろ!

 ――うるさい! ヤトは付き人一杯やっただろ、俺が喋るから代われ!

 

 そんな感じ。

 

「えぇ……」

 

 どうして、逆は別の意味で喧嘩する……?

 

 

 

 

 

 

 ところ変わって神殿の正面入り口。

 結局、あの言い争いは三人全員で喋るという決着になったようだった。

 

 まだ真昼間なので、日光に晒されると浄化される夜人は通路の影に避難している。 

 

 俺は神殿から出ると手で影を作って太陽を見上げた。いい日差しだ。

 

「ここで、なにするの?」

 

 振り返って入り口を見ると、ヤトが堂々と通路から歩き出して来るのが見えた。

 そのすぐ後ろに赤と青。二人の夜人が続く。

 

 当然、三人とも光を浴びて全身から黒い蒸気を噴き上げる。

 

「あ――」

 

 危ない、と言うよりも早くその蒸気が爆発的に広がった。

 黒い煙が周囲を覆い尽くして辺りが急激に暗くなる。

 

「……え?」

 

 日光を遮る程、一帯を覆い尽くす漆黒の蒸気……かと思えたが違う。

 

 黒い蒸気は吹き抜けた一瞬で消えていった。

 だが煙が明けた視界でも辺りは薄暗い。

 

 なんだと思って周囲を見回し、そして空を見上げる。

 そして俺は息をのんだ。

 

「――太陽が」

 

 空に浮かんでいる太陽が、まるで日食が始まったかのように削られ始めていた。

 だが、覆いかぶさっていくのは月ではない。

 

 不定形の黒いナニカが横から侵食するように太陽を食べ始めていた。

 

「なに……あれ……?」

 

 眩しくも美しかった太陽は瞬く間に不気味な核に変わってしまった。

 

 太陽に成り代わった「黒い太陽」が闇の光を放っているんじゃないかと思う程、周囲には闇が広がる。正常の摂理とは思えない異様な光景だ。

 

 周りの木々が重苦しくざわめく中、静かな声が届いた。

 

「――主」

 

 男とも女とも判断できない程度に低く、しかし澄んだ声。

 

 太陽に気を取られていた俺は慌てて目を移す。

 

「ヤト……?」

 

 それは重厚な騎士だった。

 

 全身を包む鉄黒色の甲冑。

 手足に伸びる赤い縁取りは血のように赤く、脈動しているかのように仄かに光っている。

 

身共(みども)を御呼びとのこと」

 

 推定ヤトは目の前まで歩いてくると、片膝を地に突いてそう言った。

 

 角張ったフォルムの黒い鎧は何処かのゲームに出てくるような暗黒騎士らしい風貌。

 全身から黒い粒子が立ち昇り、オーラの様に纏っている。

 

「此度の遅れ馳せた事、恐懼(きょうく)の至り」

「きょ、え? ……きょ?」

 

 ヤトがなんか難しい言葉を使ってる。

 

(え? 誰これ? ……え? ヤトってそんな頭良かったの?)

 

 ぶっちゃけ俺はヤトが喋った内容の半分も理解していない。

 

 なんか変身してない? とか。

 めっちゃ流暢に喋れるじゃん、とか。

 なんか日食起きてますけど? とか。

 

(いろいろ言いたい事あるけど……なんかショックなんですけど!?)

 

 騎士然に頭を下げるヤトを前に俺は茫然と立ち尽くした。

 お前そんな頭いいキャラだったかって突っ込みたかったが、なんかそんな雰囲気でもないので静かに息をのむ。

 

 しかしその配慮をぶち壊す言葉がヤトの背後から投げかけられた。

 

「おら、主が驚いてるぞ。いまさら格好つけたって遅っせんだよ」

「……ね」

 

 ヤトの後ろから歩いてくる、一人と一匹。

 状況的に考えればあれが赤夜人と青夜人だろう。

 

「主の御前である。汚らしい言葉を慎め、佳宵(かしょう)

「だから素を出せっつってんだ。その似合わねぇ言葉遣い、どこの騎士様だテメェ。気持ち悪りぃな、今すぐ止めろ」

 

 ヤトに喧嘩腰で話しかけた人は女性……だと思う。

 

 まるで神職の人が着てそうな黒い袴に白い羽織を付けた服装。

 着ている服は袖が大きくゆったりした着物――千早という服に近い――だが、色合いはよく見る赤と白ではなく、黒と白。

 長い黒髪を頭の上で結ってポニーテールっぽく纏めている。

 

 首にきつく縛った赤いリボン。そして顔には狐面。表情は見えない。

 

「……ね」

 

 そんな佳宵と呼ばれた女性の言葉に同意するように、一匹の子犬が頷いた。

 

 ……うん。子犬としか言いようがない。

 光り輝くような白銀の毛色をした、抱えるサイズの子犬。

 耳元に青いリボンが括り付けられている。

 

銀鉤(ぎんこう)……だよ」

「……うん」

 

 自己紹介された。犬に。

 

怯懦(きょうだ)女童(めわらべ)であるまいに、まだそんな狐面をつけていたか。面ぐらい取ったらどうだ?」

「あ~? なんで私がテメェに命令されなきゃならねんだ。知らねぇな……付けとく」

「っふ……主の前では素を晒せと言ったのは誰だったか。貴様は素顔すら晒せぬとみえる」

「……あ゛?」

 

 鼻で笑うヤトの態度に佳宵がイラついたような声を出した。

 

「だったらテメェも兜とれや。いいぜ、じゃあ互いにとるか? あぁ!?」

 

 佳宵はそう言って勢いよく狐面をはぎ取ると、側頭部に付け直した。

 

 お面の下から現れたのは普通の女性だった。

 二十代半ばだろう見た目と、ちょっと気の強そうな吊り目が特徴の色白美人さん。

 

 うん。なぜお面を外すのを渋ったのか分かんないほど綺麗な人。だが口が悪い。

 

「おら私は取ったぞ! お前も兜取れやオラ! オラ!」

「ぬっ!? ぁ、や、やめ……ばか! やめろばかー!」

 

 俺の目の前でわちゃわちゃと騒ぎ始める二人。

 片膝突いていたのが悪かったのか、ヤトの兜は簡単にはぎとられてしまった。

 

「わ、からっぽ」

 

 あるはずの場所に無いヤトの頭部。

 

 見えたのは伽藍洞な鎧の内部だった。

 なんという事だ。ヤトは彷徨う鎧だった。

 

 佳宵は奪い取った兜を手でポンポン投げて弄びながら勝ち誇った。

 なぜかヤトは身もだえている。

 

「ほれほれ。これで満足ですかぁ、脳無しさぁん? よかったなぁ、テメェは全身晒したぞ。体の内部まで恥ずかしい所が丸見えだ!」

「……ぁ、相変わらずの野蛮さだな……人間モドキ」

 

 ヤトと佳宵が睨み合うだけで空気が震えているようだ。

 二人から闇の瘴気と魔力が立ち上がる。

 

(あの、これ大丈夫なの? 日食起きちゃったし……なんかいきなり喧嘩してるし……ん?)

 

 二人を止めるに止められないでいたら、違和を感じて足元を見る。

 そこに俺のズボンを引っ張る犬がいた。

 

「ヨル、ヨル」

「ん、どうしたの……えっと、銀鉤?」

 

「……抱っこ」

「……うん」

 

 子犬を拾い上げて抱きかかえる。

 毛並みに逆らわないように撫でると、銀鉤も気持ちいのか喉がクルルと鳴った。

 

 どうしたもんかなぁと喧嘩する二人をみて考えたが、間に入って止めるのも怖いからなり行きに任せる他ない。

 

 うん……。

 とりあえず、子犬がカワイイ。

 

「おい銀鉤テメェ、こっそり抜け駆けか!? 潰すぞ陰湿野郎!」

「主に抱かれるとは不敬である。おい腹黒犬、そこを代われ」

 

 腕の中で子犬がプルプル震えた。

 

「……二人とも、そろそろ黙って」

 

 なんだか自由過ぎる二人に話が進まないとストップをかける。

 

 見た目がかなり変わったせいで、俺の言う事を聞いてくれるのか不安だったが……それは無用な心配だったようだ。

 

 声を掛けたら、佳宵はヤトに倣って片膝を突いて礼を正した。

 銀鉤も腕の中から静かに見つめてくる。

 

 三人は黙って俺の言葉を待っていた。

 

「うん。喋れるのはいい事」

 

 ただし悪い事も一杯あったのは予想外……。

 聞きたい事は山ほどあるが、その中で一番気になる事を確認する。

 

「まず日食。これ……大丈夫?」

 

 空に浮かぶ暗黒太陽を指さす。

 

「この世界、文明レベルがいまいち不明。日食周期の予測ができるレベルなら、これ……たぶん突発的な日食扱い。問題にならない?」

 

 そもそもコレは本当に日食なのか?

 俺はあの暗黒物質を見てもなんとも思わないが、普通の人間が見たら正気を削り取られそうな見た目してるのだが……。

 

 そういう意味で問いかけたのだが、ヤト達は心底不思議そうに悩んだ後、事も無げに言った。

 

「問題になるか、ならぬかと問われれば……なりませぬ。一切些事かと」

「私も初魄(しょはく)の奴に同意だ。多いときゃ日食なんざ1日3回位あった。それに今のアレは見た目だけで特に効果はないはずだ」

 

「佳宵。ちがうぞ、今の私はヤトと呼べ」

「うっせ」

 

 初魄……ヤトの事だろうか?

 

 みんなしっかり名前有ったんだ。

 ちょっと気になるが本人がヤトと呼べと言っているから、今はあまり突っ込まない。

 

「そう。問題にならないんだ……日食」

 

 内心本当かよと信じられなかったが、ここまで自信満々に言われると疑うのも申し訳ない。

 だけど念のため銀鉤にも聞いてみる。

 

「日食……ボクは好きだよ?」

「うん」

 

 どうやらワンコロは日食が好きらしい。

 尻尾を振り振り、目をキラキラさせて訴えてくる。

 

 でも残念。それ質問の答えじゃないよ?

 所詮、犬は犬並みの知能だった。

 

 

「まあ、それも含めて今後の話をする」

 

 ちょっと夜人の価値観が疑わしくなってくる今日この頃。

 俺たちは色々な確認事項について話を進めた。

 

 仮面男の正体は結局何だったのか。

 聖女さんや村の護衛について。

 また周辺国家の情報収集と、俺たちの安全の確保について。

 それにその姿は何なのか? この日食はなんだ?

 

 色々な情報と認識を共有する。

 

 

 その結果分かったことは――

 

「分からないことが分かった」

 

 ――ほぼ無いと言ってよかった。

 

 

 周辺国家の情報など皆無。国名すら知らないし技術レベルもほぼ不明。

 仮面の男は"その辺にいた歴史好きの変態"とのこと。村の護衛は頑張るそうだ。

 

(……よくそれで日食を問題ないと即答できたなー、おい)

 

 日食が起きたのは、強力な闇の3柱の出現の影響だとか。

 一体どういう原理なのか疑問だが、まあ不思議ぱわーという奴だろう。

 

 つまりこの日食は決してヤト達三人が意図して起こしたわけじゃない。

 らしいが……本当か? 

 

 ちょっと疑わしい目で見つめる。

 

「主よ。よもや私を疑っておいでか。違う、これは私の望みではない」

「え、いや。……ごめん」

 

「私はもっと格好いい演出を望む。暗黒太陽が破滅の光を巻き散らすとか、そのまま地上に墜としてしまうとか……いいよね」

 

「ごめん。やっぱヤト疑わしい」

「え!?」

 

 ちなみに三人の姿が変わったのは夜人の【変化】というやつで、喋れるようになるが今は1分ぐらいしか持たないらしい。

 長時間維持するために力を抑えた状態でも3分が限界。ウルトラマンかな?

 

 そして最初に誰も喋りたがらなかった――――変化したがらなかったのは、もっと大事な場面で恰好よく登場したかったから……らしい。

 

 ……お前らのんきかよ。

 

 




夜人's「\٩( 'ω' )و ///」 パワワワ
太陽「ぐわあああーーっ!!」

聖教会「やばい(絶望)」
黒燐教団「やばい(喜悦)」

ヨルン「やべぇ……(絶望)」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

動き出す前哨戦

 

 漆黒の闇に染まった(あかり)なき神殿で俺は宣言する。

 

「……そろそろ、動き出す」

 

 ここは神殿第2層。

 夜人の居住区に設置された巨大な大広間だ。

 俺の眼前には、神殿に待機する500の夜人がそろい踏み。その数と異様に圧巻される。

 

 ヤト達と会話した後、俺は再び神殿に戻ってきていた。

 これからする事は俺の決意表明だ。

 

「この世界は危険極まりない。何時なにが起こっても不思議じゃないからこそ、安全を確保する必要が有る」

 

 このまま聖女さんとのんびり村で生活するのはとても魅力的だ。

 

 だが手をこまねいていたら、状況が最悪な所まで追い込まれていました、なんてこともありうるだろう。

 

 聖教の態度が分からない。

 闇の立場が不明瞭で、先ほどの日食による影響も大きい。

 

 分からないことだらけの中、俺は安全を得るためには勝ち取るしかないと思ってる。

 

 結局、さっきの対談は情報の確認程度で終わり、今後の事はぜんぜん相談できなかった。

 いくら会話できると言っても制限時間が短すぎて結局、意思疎通が上手くいかない。やっぱり不便だ。

 

「とりあえず、お願いの改定をする」

 

 まずは、夜人に命令(おねがい)をしておく。

 仮面男との戦闘では、俺の命令が交錯して夜人が機能不全に陥ってしまったからその修正。

 

 最優先事項は『俺と聖女さんの命および身体的、精神的問わない自由の確保』。

 

 気を付けなければいけないのは、コイツ等意外と倫理観ガバガバな所があることだ。

 すぐ武力に訴えようとするし、さっきの日食すら悪いと思ってない。

 

 変化したヤト達の言動を見て理解したが、夜人達は隠れるとか、策を弄するとか知らない。

 来る者は拒まず全て殺すというスタンスだ。……いや、こわいわ。

 

 ちなみにそんな会敵即必殺たる夜人の中で異端なのが子犬の銀鉤(ぎんこう)だった。

 彼は器用だから補助技とか、小技とかが好きで直接戦闘は嫌いらしい。

 でもそのせいで、みんなに腹黒とか、陰湿とか呼ばれると銀鉤が嘆いてた。

 

 まあそれはともかく、つまり……なんだ。

 

 基本的に夜人は「秩序」という言葉を知らない。

 もしかしたら俺が歩くだけで夜人の采配により、護衛という名目の大量虐殺が起きないとは限らない。

 

 だから加えて命ずる。

 

「次点の優勢事項は『人命の保全』とする。なお最優先事項と競合しない限り、これは保持される。つまり私達の安全が保証されるならば、相手を殺す必要はない」

 

 夜人は決して馬鹿ではない。

 恐らく俺の言いたい事は伝わっているだろう。

 

 ここに集まった500人の夜人は周囲の同僚と確かめるように頷き合った。

 

「この危険か否かの判断は護衛たる夜人の判断に一任される。ただし私が転倒しそうになったとか、ちょっとすれ違いざまに人と肩がぶつかった程度なら護衛の必要は無い。当然、報復も不要」

 

 これぐらい念を押しておけば、夜人も暴走しないだろう。

 他にも村人達の護衛継続、人間にはできる限り危害を加えないという事を確認する。

 

 そんな前提条件を設けたら本題に入る。

 

「……それでは、これからの行動指針について。まずこの神殿」

 

 深淵の森の最奥、黒き森に囲まれた三層作りの大神殿。

 

 これをもっと強固に。

 より頑強で、より堅牢な要塞にする必要が有る。

 

「ここは住居であり、要塞でもある場所とする。最低目標はこの施設だけで完結したもの。自給自足が行えて籠城戦すら可能とする、持続的かつ循環可能な……ん、なにか?」

 

 一人の夜人が挙手した。

 頭に青いリボンを巻いた夜人――この神殿の管理者たる銀鉤(ぎんこう)だ。

 変化後は小さな子犬姿だったはずだが、今は時間切れでちょっと小柄な夜人の姿に戻っている。

 

 彼は数か所、どこかを指さして俺の許しを求めていた。

 

「??」

「……??」

 

 互いに首をかしげる。

 

「……許可する」

「!」

 

 よく分かんないけど、要塞化に必要ならやってしまえ!

 

 わざわざ変身してもらって説明を受けても、魔法知識の無い俺じゃ判断できない可能性が高い。

 それなら口出しせず専門家に任せるのだ。

 

 了承された銀鉤は嬉しそうにぴょんぴょんしていた。頭のリボンが大きく揺れる。

 ただし村に迷惑をかけない事、この施設の存在は可能な限り隠蔽することを約束してもらう。

 

「では次。防衛拠点があれば安全は十分? そんな事はない」

 

 戦いとは守っていれば勝てるものではない。

 戦争とは相手が折れなければ終わらない。

 

 ……攻撃手段も必要だ。

 使わないに越したことはないが、用意していると、いないでは取れる手段には雲泥の差が出る。

 いざという時に備えがありませんなんて訳にはいかない。不要な今だからこそ準備して意味がある。

 

 そう言ったら、今度は赤夜人の佳宵(かしょう)が手を挙げた。

 

「なに?」

「? ……??」

 

 そして再び始まる意味不明なジェスチャーゲーム。

 身振り手振り、何かを主張する赤夜人。

 

 さっぱり理解できない。

 が――

 

「……許可する!」

「!」

 

 必要ならやってしまえ! 佳宵!

 ただし無用な攻撃は勘弁な!

 

 佳宵は俺の支持を得られたのが嬉しいのか、ヤトに向かって一本指を振った。

 

 それに対抗心を燃やしたヤトが騒ぎ出す。

 俺にも俺にもと、何か仕事をせがんでいるようだ。

 

 いや、もう別に仕事無いけど……。

 

 しかしふと思い出す。

 彼らがイヤイヤながら変化を見せてくれたのは、俺が付き人を変えると言ったからだ。

 ……ならヤトの仕事は決まってる。

 

「護衛やってて。ヤトはずっと私の横でいい」

「!!」

 

 ヤトは感極まったように片膝をついて礼を正した。

 

 その瞬間、静まり返った会場が沸いた。

 おおーと拍手を送る者や歓声を送る者で溢れ、ビリビリと会場の空気が震える。

 

(そ、そんな大仕事なの……?)

 

 思ったよりも凄い反応に困惑する。

 

 しかし中には凄いブーイングをヤトに飛ばす者もいた。というか佳宵だった。

 ピョンピョン跳ねて俺にやらせてと自己アピールが凄い奴もいる。というか銀鉤だった。

 

 ……なんやお前ら。

 二人にはもう仕事任せたでしょ。

 

「賽は投げられている。村の一画が消滅する程の大規模戦闘、村の注目は集まった」

 

 思い出すのは仮面男の力。

 いくら危ないこの世界でも、村の広場を溶かす程の凄まじい戦闘痕は有り触れた物ではないだろう……と思った所で疑問が生じる。

 

(いや、まてよ……でも確か、ヤトが言ってた。あの仮面男はそこらにいた、『ただの歴史好きな変態』だったって……)

 

 つまりあの時は、そこらを歩いてたおっさんを俺の迎えに連れて来ただけ。

 なのに結果は村の半壊だ。

 

 ……どうやら、この世界ではあの規模の戦いが普通らしい。

 

(ひぇ!? やっぱりもっと防衛力が必要じゃん!?)

 

 ただのおっさんでアレなのだ。

 もし相手が軍隊だったら一体どうなってしまうのか。

 この森諸共、全部吹き飛ばされるかもしれない!

 

(それに、さっきの日食の件もある。これから絶対いろいろ起きるでしょ!)

 

 夜人達にもっと力を蓄える様に指示。

 銀鉤や佳宵にも全力で事に当たって貰う。

 

「世界情勢、エリシア聖教および各国の動き、周辺都市の反応……! 情報収集も急務。必要事項は多い!」

 

 聖女さんは優しいから何も言わないが、この太陽信仰の世界で(おれ)を匿うという意味は分かってるはずだ。

 下手すれば裏切りと取られて、彼女は聖教を追われるだろう。

 傷つく可能性だって高い。命を狙われることも考えられる。

 

 なのに、その上で彼女は黙って俺を受け入れてくれた。

 

 ……なら俺はやってやる。

 

「自分は護る。でも聖女さんも護る。ならば各自、"その時"に備えて行動すること……以上!」

「――ォオオ!!」

 

 既に俺たちの存在はバレているか、バレる寸前。

 だったらリスクを背負ってでも思い切って行動する。

 

 相手はこの危険な世界(ダークファンタジー)

 守りたいものを護れるだけの力と情報を得るために、さあ水面下の前哨戦を始めよう……!

 

 

 

 

 

 

 と、動き出す覚悟を決めた俺だったのだが……そのためには、大きな問題が存在した。

 この難題どうにかしない限り、俺は一切動くことができないのだ。

 

 俺を雁字搦めに捕らえて動きを封じるもの。

 

 それは――

 

「ぎゅー。ヨルちゃん、ぎゅー!」

「うぬぬ……!」

 

 ――それは聖女さんだった。

 

 聖女さんは日が暮れてから帰ってきた俺を捕まえて家に引きずり込んだ。

 どうも魔法の授業中にいきなり消えた事をかなり心配していたらしい。

 

 ましてやその後に突然起きた日食だ。

 聖女さんや兵士たちも不安を募らせ、わざわざ森まで捜索に出たらしい。

 

 そして、今。

 その反動か、彼女は俺を抱きしめたまま寝台で横になっていた。

 もう離さないと言わんばかりに抱え込まれて身動きが取れない状態だ。

 

 体格差でという理由もあるが、もう一つの理由で動けない。

 

「あ、当たってる……! 聖女さん、当たってる!」

「え? あ、ごめんね、痛かった? 外すね」

「ち、違う。それも当たってたけど、そっちじゃない……!」

 

 聖女さんは何を勘違いしたのか、胸元に下げているロザリオを枕元に投げ捨てた。

 ロザリオが悲しそうに明滅した。

 

 てか、あのロザリオ、昨日までと比べると凄く光が弱い。

 まるでなにか弱っているような印象があるが……?

 

「あ、これ? まあ、ちょっとね……うん! ヨルちゃんは体温あったかいし、柔らかいから抱き心地がいいね!」

「そ、そう」

「……魔力ながしていい?」

「ダメ!」

 

 俺は決してやましい想いを抱いていない。

 自分から触りに行ったことなど一度もない。

 

 いまだって出来るだけ聖女さんの一部を意識しないように背を向けている。

 なのに彼女から抱き着いてくるのだ。

 

(また当たってる……! なんだろ、当ててんのよって言いたいのかな!?)

 

 しかも相手はうら若き19歳の少女。

 【凍った人格】という表情固定機能がなかったら、俺は顔から首まで真っ赤になっていことだろう。

 こんな体勢でもし身じろぎして、もしアレにぶつかってみろ。気を失うかもしれない。

 

 意識をそらす為に聖女さんに問いかける。

 

「そういえば……近くの大きな街って、なんていう名前だっけ?」

「え? うーん、南都アルマージュの事ですか?」

「そう。そこ行ってみたい」

 

「……うん、いいですよ。じゃあ今度一緒に行ってみますか? ヨルちゃん、兵士さんに貰うお菓子好きだしね。あれ、南都で売ってるんですよ。私も買いだめしちゃうね!」

 

 聖女さんの思ったよりいい反応に期待する。

 

「じゃあ、いつ行く? 明日……明後日?」

「うーん……再来週辺りでいいですか?」

「え、遠い……」

 

 それじゃあ、俺の目的が果たせない。

 南都に行きたいと言った理由は二つある。

 

 まずこの世界における都市圏の生活水準を知りたかったこと。

 可能ならこの世界固有の戦闘技術、戦略魔法を調べたい。これでおおよその技術レベルが予測できるだろう。

 

 次に村のことについて何か噂が広まってないか確かめる事。

 

 あの仮面の男との戦闘が起きて、何か情報が伝わってるかもしれない。

 それに日食の件もある。あれが事件になってないはずがない。

 

 交通機関が未発達なこの世界で何かが大規模に動くなら、絶対に兆候が見られる。それが起きて無いか知りたかったのだ。

 

 でも……。

 

「再来週……再来週かぁ。そんな先?」

「う……ごめんね。いまちょっと忙しくって……。書類業務の報告書とか、あ、いや。ヨルちゃんに言う事じゃないかな」

 

 どうやら、聖女さんは仕事をため込んでいたらしい。

 理由は……まあ俺だろう。

 

 朝から昼まで俺の勉強に付き合って、夕方からまた俺と一緒にゴロゴロしているのだ。

 仕事時間は半減しているだろう。

 

 それでは本来の業務が滞るはずだ。

 これ以上彼女に負担はかけられない。

 

「……たぶん、私一人でいけるよ?」

「ダメですよ!」

 

 聖女さんは思わずと言った風に声を荒らげた。

 

「いい? 貴方は狙われる可能性が高いんです。それなのに一人旅なんてさせられません」

「……うん。まあ狙われるよね」

 

 狙われるという危険な香りがする単語に身が引き締まる。

 

 ――俺の存在がバレれば聖教会に狙われる。

 だから聖女さんは俺にこの村に留まって欲しがっているのだろう。

 

 でも、それは分かっている事だ。

 正論中の正論に俺は言い返す。

 

 村以外の場所も見てみたい。

 お菓子屋さんに行ってみたい。

 見聞を広める旅に出る。

 

 そんな理由で負けじとごねてみる。

 

「うんうん。まあ、それはいいとして」

 

 聖女さんにすごい勢いで聞き流された。

 

「ここから南都までは徒歩で3日以上かかるんだよ。ヨルちゃんは一人で長い旅したことある?」

「ないけど……たぶん大丈夫。夜人もいる」

 

「だーめ。すごく危ないんだよ、野生の獣は出るし、道に迷うかもしれない。歩き始めて地平線しか見えなくなったら、不安で泣いちゃうかもね」

「……泣かないよ」

 

「でも、だーめ」

 

 なんとか理由を付けて、行っても良いか尋ねるがついに頷いてくれなかった。

 むしろ俺が行きたいとごねるたびに、彼女は少しずつ悲しそうな声になっていく。

 

「……ヨルちゃん」

 

 そして30分程説得を続けた頃だろうか。

 

 彼女はいよいよ『アレ』を話題に出した。

 不思議と互いが避ける様に口に出さなかったあれ。

 

「貴方も気付いたでしょ――昼間の日食」

 

 静かな声で問いただされて俺の体がビクリと震えた。

 まさか気付いていないとは言えない、でも詳しく話すことはできない。

 

「凄かったよね……私、日食見るの初めてだから、すごくびっくりした。あんな風になるんだね」

「わ、わ……私の所為じゃない……!」

「……大丈夫。分かってるよ、貴方は悪くない。でもきっと関係あるんだよね」

「ぇ!?」

 

 聖女さんの言葉に体の震えが強まった。

 まるで、お前関係者だろ誤魔化してんじゃねぇぞという言葉。

 

「貴方は詳しく教えてくれないけど……無理に聞き出すこともできないけど……。でも私だって馬鹿じゃない」

 

 聖女さんが静かな声で続ける。

 

「なんでかな……。私はあの日食を『宣言』だと思うんだ。世界に対する宣戦布告。これから動き出すぞって、覚悟しろって警告してるみたいで……」

 

 俺は壁を向いているのでその表情は見えない。

 だけど想像は出来た。

 

(ば、バレてらっしゃる? 全部お見通し、なんでぇ!?)

 

 きっと彼女はご立腹だ。

 その証拠に、逃がさんと言わんばかりに俺の体に回した腕がキツく締められた。震えているのは怒りからだろう。

 

 思わず謝罪する。

 

「ご、ごめんなさい」

 

 でも悪いのはヤト達なんです。

 喋れって言っただけで、あんな事になると想像して無かったんです。

 

 責任逃れしながら、想像してプルプル震える。

 聖女さんが優しく慰めてくれた。

 

「そんなに怯えないで、大丈夫。なにが来ても絶対私達が守るから」

「……うん」

 

 もはや南都に遠出したいとか言える雰囲気じゃなくなっていた。

 互いに何も言う事は無く、このまま二人でゆっくりした時間を過ごす。

 

 

 

 そして、しばらく経った頃。

 いつしか後ろから聖女さんの寝息が聞こえてきた。

 

 ……いつも朝早くから働いている聖女さんだ。疲れているのだろう。

 軽く揺さぶって聖女さんが起きないか確認。

 

「……ごめんね。それでも私は行ってくる」

 

 エリシア聖教の人たちも皆、聖女さんの様な人なら嬉しい。

 闇を一括りに滅するモノと考えるのではなく、俺という個人を見て考えてくれる、そんな本当の正義なら嬉しい。

 

 それならずっとこの村で聖女さんとのんびり暮らす未来も在り得たかもしれない。

 でも俺はそんな優しい世界は信じてない。

 

 かならず正義を騙る者はいるはずだ。

 闇と見るやどんな手段を用いても殲滅を図る、そんな過剰な潔癖主義者。

 それに見つかれば、一体どんなことが起きるのか……。

 

 あんなに引き留めくれた聖女さんを裏切るのは、すごく心苦しい。でも必要な事なのだ。

 

 静かに布団を抜けて、礼拝堂を出る。

 外ではヤトが出迎えてくれた。

 

「――行くよ」

 

 礼拝堂は振り返らない。そのまま建物の物陰に歩を進める。

 

 聖女さんの予備パジャマのままだと汚すと悪いので、服を受け取って着替える。

 

 と、思ったのだが……。

 ヤトが手渡して来たのは、昼間に神殿のクローゼットで見かけた黒いゴシックドレスだった。煌びやかで華々しくて、煽情的な服という名のナニカ。

 

「……これドレスなんだけど」

 

 ふざけんなと突き返す。

 

「スーツっぽい服あったよね。あれに代えて」

 

 いまの季節、夜はまだ冷える。

 この世界に来た時に着ていたようなワイシャツとスーツでは寒いだろうが、幸い俺が見た時は神殿のクローゼットに三つ揃えの一式が用意されていた。

 

 しょんぼり、という感じでヤトは代わりにそれ取ってきた。

 

「……これでよし」

 

 パンと、スーツのジャケットを羽織って着替え完了。ネクタイは無いラフな格好だ。

 

 ちんちくりんな子供にスーツ姿は微妙に似合わないが……まあ仕方ない。

 村服とかより遥かに材質がいいし、ちょっと冷たい落ち着いた魔力(?)を放ってる服で悪くない。

 

 初めて見るが、これが『魔法服』という奴だろう。

 服の内生地に魔法陣を描くことで、色々な能力を宿した高級服。

 俺は聖女さんから常識を勉強したから詳しいのだ。

 

「おぉ、素晴らしい服ですね。放つ禍々しい気配と言い……まさか、闇の眷属(夜人)様の手作りですか?」

 

 ふと後ろから声が掛かった。

 

「っと失礼。では参りましょうかジュウゴ様――いえ、ヨルン様」

「来たか仮面男。案内は仔細任せた……期待する」

 

 準備が終わったタイミングで、闇から生えてきたように仮面の男が現れた。

 

 この男は、前の戦いで聖女さんを傷つけた男だ。

 だが、その原因は勘違いとハッキリしていること、ヤト達も敵意は無かったと断言している事も有って、水に流すことにしたのだ。

 

 なにより、コイツは使える。

 

 この村の住民では無く、南都出身という有力な情報源であること。

 闇たる夜人を見ても恐れない胆力を持つこと。

 戦闘の時も最後は愛が大切だとか、人類の融和だとか叫んでたし、きっと悪い人じゃない。

 

 ……なお、見た目は考えないモノとする。

 

「改めまして自己紹介を。私はアルシナシオン・アタッシュマン。どうぞ、親愛を籠めてアルさん、もしくはシオンさんとお呼びください」

「……お前に親愛は感じない。冗談はその悪趣味な仮面だけにした方がいい」

 

 これから向かう先は南都アルマージュ。

 聖女さんに引き留められるのは何となく予想済みだったから、あらかじめ抜け出す準備は進めておいた。

 

 俺は色々な情報が欲しい。

 でも聖女さんに心配はかけたくない。

 

 だから、こうやって聖女さんが寝入った後に動き出すことにしたのだ。

 

 もちろん、戻る時間は聖女さんが目覚める前。

 徒歩三日以上の旅と言っていたが……【影渡り】で移動する夜人にそんなものは関係ない。

 

「お任せください。南都は私の庭のような物。ヨルン様には散歩のような心持で楽しめるよう――」

「っくしゅ」

 

 久しぶりのくしゃみだ。

 ポンと夜人誕生。

 

「む、謝罪する。お前の話を遮った」

「ッおお!? これが生命の誕生!? すばらしいぃ……さ、触っていいですね?」

 

 話の腰を折ったことに申し訳ないと思っていたら、シオンはなんか喜んでいた。

 体中を振るわせて、絡み着くような動きで夜人に手を這わせた。

 

「忌むべき暗翳……失礼、夜人様の体は気体ではないはず。だが手が通り抜ける。とてもなめらかな感触。うむむ素晴らしい。……す、少しだけ抱きしめても? だめ、だめですか?」

「――!?」

「そんな! いえいえ、そんな事はしませんとも! ほんのちょっと、ちょっとだけ千切ってみたいのです!」

 

「うわぁ……」

 

 纏わりつく男の存在に、夜人が嫌そうに助けを求めてきたが……がんばって!

 

 ところで、この夜人生誕くしゅみ現象は街に行っても収まらないだろう。

 魔力操作が出来れば制御できるのだろうが……朝の魔法勉強会を考えると、その時はまだ遠そうだ。

 

 可能な限り人前で生まないように我慢するつもりだが、絶対ではない。

 

「外見を隠す物を用意して。最悪、私は街で悪役と思われる可能性がある。でもそれが『ヨルン』であってはならない」

 

 初訪問時の村を思い出す。

 

 運悪く人前で夜人を生んでしまい、なし崩し的に戦闘に入ったあの出来事。

 あれが街で再現されたら面倒だ。

 情報収集は必要だがそのために犯罪者として手配されては本末転倒。

 

 ヨルンはこの村で睡眠中。

 街を訪れる俺は別人でなければならない。

 

「では、これを」

 

 シオンが、お揃いの仮面を差し出してきた。

 

「なにそれ」

 

「私の予備の仮面です」

 

「……なるほど」

 

 いや、その選択はおかしい。

 

 なんでそんな怪しい仮面を渡そうとする。

 俺は犯罪者になりに行くんじゃねぇんだよ。

 

 情報調べに行くだけなの。

 お前正気でやってる?

 

「…………」

 

 ヤトを見つめる。

 彼は、いつの間にか準備していた仮面を背中に隠した。……お前もか。

 

「もしかして、それ街で流行ってる?」

 

 首を振る二人。

 じゃあ要らねぇよ。

 

 困った。

 すごく困った。

 

 よく考えれば、仮面男に案内頼んだけど、こいつもヤバイ見た目してた。

 

「なんだこれ」

 

 仮面野郎(シオン)と、闇の化け物(ヤト)と、ついでに無表情女一人。

 たまに生まれる夜人多数。

 

 完全に怪しい集団だ。

 

 これでは街に情報収集に行くどころではない。

 まるで襲撃に来た不審者じゃないか。

 

 頭を抱えた。

 

「……だれか居ない? この状況打破できる夜人」

「ボク、手伝う?」

 

 その時、俺の影から子犬が顔を覗かせた。

 よいしょ、よいしょと言った声が聞こえてきそうな緩慢な動きで這い出てくる。

 

「銀鉤?」

 

 それは青いリボンを付けた銀鉤だった。

 珍しい事に既に変化している。

 

「容姿を誤魔化す……できるよ」

「優秀。この愚者共に見せつけて」

 

 尻尾を振り振りとアピールする銀鉤がゆっくり呪文を紡いでいく。

 すると犬の体が足先からほどける様に分解されていき、俺の全身に纏わりついてきた。

 

 

「……へぇ」

 

 まず変わったのは身長だ。

 

 前世の――と言っていいか不明だが――男の時の身長に近いほど、俺は縦に伸びていた。

 手足もそれ相応にスラっとしたモデル体型。服のサイズまで自動で変えてくれる親切仕様。

 

 ヤトが鏡を出したから、顔も確認。

 ……悪くない。

 

 ヨルンの時は幼さを残すあどけない無表情少女だったが、今の姿はこの世界を見限った冷徹な女性と言った雰囲気の容姿だ。

 

 顔つきは、ヨルンをそのまま成長させたと言った感じだが……まあ身長がまるで違うから問題ないだろう。

 聖女さんに会っても「あ、あの人ヨルンちゃんにそっくりだなぁ」と思われる位だろう。

 

「……さすが銀鉤。褒美を用意する。楽しみにして」

 

 ―― うん!

 

 嬉しそうな銀鉤の声と共に、脳内で飛び跳ねる犬の姿が映し出された。

 

 

 この魔法はどうやら銀鉤と一体化するものらしい。

 

 姿の変化はそのオマケ。

 術者たる銀鉤の意志で見た目を調整できるのだそう。

 

 試しに腕だけ夜人仕様にしてみたり、瞳の白黒を反転させたりもしてみた。

 うーむ……バケモノチック。綺麗なだけに怖さが際立つ。

 

 なお、彼の【変化】の持続時間は一分だが、既に発動した魔法は変化解除後も維持される。

 街に行って帰ってくる位は余裕で維持可能だそうだ。

 

 なるほど、完璧じゃないか。

 

「しかも脳内で犬が飛び回る光景……。メルヘン」

 

 俺と一体化した事が嬉しい様子で、銀鉤はさっきから俺の脳内―― なんとなく意識の中に映像が浮かび上がっている感じ――で走り回ってた。

 

 これはこれで癒されるし、悪くないなぁ。

 

 なんて思っていたら……ダメだった。

 突然、脳内の犬がポンという軽い音と共に夜人の姿に戻ってしまった。

 どうやら変化の時間切れらしい。

 

「……癒されないな」

 

 こら、夜人の姿で飛び跳ねるのは止めなさい。

 違う。四つん這いで走るな。

 

 すごく目障り。

 

 




三次たま様より
現場猫風のネタ絵
【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

止まらない教団の悪行

 

 南都アルマージュ。

 それは、王国南部における中心都市であり、王国唯一の【迷宮都市】でもある。

 

 迷宮――正式名称を、龍穴坑(レイライン)と呼ぶそれは、この都市の中心地に存在する。地下数キロに渡って伸びる長大な大迷路だ。

 

 かつてアルマージュは魔結晶採掘で栄えていた都市だった。

 龍脈という世界の魔力の巡りに合わせて地下を掘り進むことで、魔力エネルギーを多量に含んだ鉱石――魔結晶――が採掘できる。

 これは軍事や生活、様々な事に使われる必需品で、最盛期には王国の産出量の半分がこの南都から賄われていた。

 

 しかし、龍脈とは世界のエネルギーの流れだ。

 決して人の手で制御できるものではない。

 

 大きくなり過ぎた採掘坑は、穴を広げるにしたがって強く吹き上がる龍脈からの魔力に耐え切れず、ついに崩壊。

 龍脈に直接繋がる穴――龍穴坑(レイライン)となった。

 そして堰を切ったように湧きだした龍脈の莫大な魔力は次々と魔種を生み出しはじめる。

 

 アリの巣のように複雑過ぎる坑道の作りと、決して絶える事のない魔種の群れ。

 魔力という無限の富と、魔種という無限の怪物を生み出し続けるアルマージュ大龍穴。

 

 それはいつしか、まるで迷宮のようだと呼ばれるようになり、南都もまた迷宮都市として呼ばれるようになった。

 都市を囲む巨大な城壁は外敵から守るだけが目的じゃない。迷宮が制御不能になった時、あふれ出る魔物を押し込める役割を持っているのだ。

 

 

 

 

 ――なんて説明を受けても、俺にはさっぱりわからない。

 

 精々、城壁でけーとか、街の中心にある塔でけーとか思うだけ。

 その塔が龍穴から噴き出る魔力の採取塔だというが……へぇー。よく分からぬ。

 

 それよりも身近で分かりやすい物が目についた。

 

「この明るいのは、なに?」

「魔力灯ですね。魔灯ともいい、夜中でも周囲を明るく照らしてくれる魔具の一種です。確か魔力効率に問題があったはずですが、ここは魔力が使いきれないほど潤沢にありますからねぇ」

 

 大通りの両脇に等間隔で並ぶ魔力灯……ぶっちゃけ俺の印象で言うならただの街灯。

 石畳の通りと煉瓦造りの家と合わせって、中世世界というより現代の欧州ヨーロッパみたいな雰囲気に見える。

 道路も綺麗に掃除されてるし異臭もない。

 

 この世界の都市は思ったより棲みやすそうな街並みだった。

 

 ただ、なんとなく人通りが少ない気がする。

 

「日食の影響でしょう。昼は私もこの街にいましたが、それはもう凄いモノでしたよ」

 

 シオンが語る昼のアルマージュ。

 

 日食により突然訪れた夜は街に大混乱をもたらした。

 馬車は制御を失って暴れ出して事故が多発したり、恐怖でうずくまる人々など商店街は騒然となった。

 日食が収まっても、街から逃げようとする人や、逆に領主の館に詰めかける人で溢れたらしい。

 

 最悪なのは貧民窟(スラム)だ。

 元々、失うものがない人間たちだけに、日食の混乱に乗じた暴動や略奪が起きかけたという。

 それを押さえるはずの王国軍が現在は東諸国との武力衝突に備えて留守なのも影響したのだろう。

 領主軍と聖教会の人が説得することで、なんとか大事には至らなかったとか。

 

(あ……あわわわ!)

 

 思ったより日食が大事件を引き起こしそうになってた!

 でも暴動までは至らなかったみたいでホッと胸をなでおろす。

 

「ほかにも日食の影響は多いようですね。ほら、見えますか?」

「空?」

 

 シオンが指さすのは月明りがほんのりと照らす夜の帳。

 はるか遠く……村の方角の空でゴマ粒の様に何かが飛んでいるのが見えた。

 

 いくつもの個体が踊る様に空を駆けまわる。

 

 鳥のような体に人間の頭部がついたナニカ。

 目は飛び出したようなギョロギョロと忙しなく動き、細長く鋭利な舌が獲物を探す様に振り回される。

 

 なんだあれ。

 すごい。あれ。

 

 うわ、すごい。

 

 なんとうか……スッゲーキモい。

 

「……あんな生物がいる事に不愉快を覚える。死ねばいい」

「【啄ばみ大鳥】といいます。昔、黒燐教団が好んでメッセンジャーとして使っていた下位魔種の一匹ですね」

 

「あれを使う黒燐教団は悪趣味。死ねばいい」

「ハハハ、今は使っていませんよ。あれは日食の魔力で生まれたようですね。ところでヨルン様、日食の原因はご存知ですか?」

 

 キモい鳥とシオンから目を逸らして街を見る。

 

「そ……そんな事はどうでもいい。早く案内して」

 

 突然の質問に冷や汗をかいた。

 

 日食の周期がどうたらとか、深淵の森で発生した最高濃度の闇の魔力がどうたらとか。

 なんかすごい見てくるが無視する。

 

 日食の原因はトップシークレットである。

 ヤト達にも口止めしてるし、誰にも秘密なのだ。

 

「なるほど。では、大まかに街をご案内いたしましょう」

「……任せる」

 

 何がなる程なのか知らないが、俺のせいではない。

 

 だから早く案内して、早く。

 急かしたらシオンは怪しげな仮面を隠す様にロングコートに付けられたフードを深くかぶり込んだ。

 

 時間帯と日食の影響でほとんど人通りが無い通りを歩き、最初に案内されたのはこの都市の名物、魔力採取塔だった。

 一般人は立ち入り禁止だそうで敷地外から眺める。

 

「創立は今から200年前。丁度、探鉱が龍穴坑(レイライン)に変貌してから10年目ですね」

「200」

 

「最初は色々な難題にぶつかったそうです。今でこそ効率が悪いと廃れたような魔法技術ですら当時は最先端。苦労の果てに完成し、幾たびの改修を経て今に至ります」

 

「そう」

 

「総工費約35億シエル。当時の国家予算の2倍にもなる、一大プロジェクトだったと記録されています」

「シエル」

 

「アレが見えますか? 採取塔の4層部分。あの出っ張りが空気中の魔力濃度計になります。開発者はなんと、かのボルグル・ロッスル研究補助員!」

「だれ」

 

「現在の職員定数は550。しかしその多くの内訳は警備部で――」

「そう」

 

 この塔一つ見るのに20分以上。

 止まらないシオンの解説にそろそろ飽きてきた。

 

 最初は異世界の塔でけーと思ってわくわくした。

 だけど意味分かんない専門用語の羅列と、歴史の解説についていけなくなる。

 

 ……なんだろう。

 シオンはすごく丁寧に説明してくれているのだろう。

 だけど、なんというか……。

 

「……興味無い」

「はい?」

 

「お前の話はつまらない。私はいつまで、無駄な時間を過ごせばいい?」

「……はい」

 

 シオンが申し訳なさそうにシュンとした。

 久しぶりに聖女さんと離れたから俺の言葉もきついなぁ……。

 

「別に怒っていない。ただ、お前が期待外れだっただけ」

 

 悪意がたっぷり詰まった【夜の神】の言葉に頭が痛くなってくる。

 やはり聖女さんwithロザリオの光包囲網が無いと、夜の俺はお口が悪いらしい。

 

「……次に行く」

「そうですね! では、次こそ面白い解説をしてみせましょう!」

 

 俯いて落ち込んでいたシオンの背中を叩いて気にするなとアピール。

 するとシオンは顔を上げて、やる気に満ちた顔で駆け寄ってきた。

 

 どうやらまだまだ、へこたれていないらしい。

 

「では、次は領主の館に行きましょう! 攻め落とすにはここが大切なポイントですよ!」

「攻め落とさない」

 

「領主の得意魔法から弱点まで解説させていただきます! それを知れば百戦危うからずでしょう!」

「聞いて?」

 

 

 

 そして都合3時間程。

 シオンに連れられて街を散策してきた。

 

 夜半で人通りが少ないのと、彼も自分の怪しさに自覚があるのか時折隠れながら、目立つことなく何とかなっている。

 

 彼はどうやら、けっこう几帳面なようだ。

 俺が殆ど常識も無く、街の生活を知らないと言ったら事細かに教えてくれた。

 

 領主の政治的弱みから、町人のトイレ事情まで。

 また今街で流行りのお菓子、増えている犯罪、聖教会の動き等々。

 妙に何でも詳しい男だ。

 

 案内された場所は魔力採取塔から始まり、領主の館。

 迷宮の魔種討伐を仕事とする探索者(シーカー)のギルド。

 王国軍の兵舎、汚いスラム、美味しい酒場、自分たちの隠れ家、巨大劇場、使いやすい下水道の入り口、人気のスイーツ店、悪い噂の絶えない宿、闇の賭博場などなど。

 

 よくまあ一晩でここまで回ったなって程、あちこち行ってきた。

 

「なんか、変な所も一杯連れ回された」

「知っていると意外と便利ですよ? あと、ヨルン様の顔を売っておきました、いつでもご利用ください」

 

 いや勝手に顔を売るなよ……。

 まあシオンの仲間内ぐらいなら大丈夫だろうけど。

 

 でもシオンお前、仲間に嫌われてない?

 俺がお前の隠れ家に付いていった時、部下のみんな怖いぐらい静かになってたけど大丈夫?

 

「ちなみに、いまの聖教会の動きは?」

「昨日時点では特にありません。現在、南都に赴任しているムッシュ・マンカインド司教は正義が大好きで、秩序の安定にご執着の様子。無能ではないようですが……決して有能ともいえない人材と聞いています」

 

 シオンは何を聞いても、打てば響くような返しで返してくる。

 

 なんだろう。

 実際に街に来て分かったが、これ、俺が偵察にくる必要あったのか……?

 これなら情報収集はシオンから話を聞くだけで済んだのでは?

 

 今日の偵察は、そんな気がしてくる結果だった。

 

「これで終了? だったら私が来た意味はない」

「ふーむ、そうですねぇ……おおむねこれぐらいでしょうか。ヨルン様、他に何かご希望は?」

 

「じゃあ最後、日食の反応を聞きこんでおく。あと現地軍の能力も――」

 

 その時。

 突如、地響きにも近い轟音が響き渡った。

 

 俺たちの背中から微かな風と悲鳴が突き抜けていく。

 

「なに?」

 

 振り返れば、闇夜を赤く染める空が見えた。

 遠くで燦々と燃える火の手があがる。

 

 異常事態に気づいた周囲の家も次々と電気――正確には電気ではなく【魔灯】だが――が点き始めた。

 

「ヨルン様、ここは目立ちます。少し移動しましょう」

 

 シオンに促されて脇道に逸れながら考える。

 

 まず、先ほどの爆発は事故だろうか?

 

 この街では一般家庭にまで普及してる魔灯だが非常に熱に弱い特性を持つ。

 火事などで急激に熱せられると、ため込んでいた魔力を周囲に一気に吐き出してしまう特性があり――つまり爆発するのだ。

 

 先ほどの爆発がただの火事で起きた可能性はある。

 

 それなら俺は関係ない。

 下手な騒ぎが起こる前に村に帰りたい。

 

 だけど轟音が響いた方向は、先ほど案内されたばかりのスラムだった。

 

「……暴動?」

 

 嫌な予感が頭をよぎる。

 街に来た時シオンが言っていた、スラムで暴動や略奪が起きかけたという内容を思い出した。

 

 ここで俺には二つの選択肢が生まれた。

 今すぐ帰るか、確認するかだ。

 

 シオンを見れば興味無さそうに赤い空を見つめていた。

 

「私ですか? そうですねぇ……人の命は大切ですが、それよりも今はヨルン様の命令がありますので」

「……隠密行動か」

 

 聖教に自分の存在を隠したいのに、興味本位で出向くのは愚かな事だ。

 

 だが夜という時間帯が俺に教えてくれる。

 

 いまスラムで着実に人が集まっている。

 数百にも及ぶ数の人間が街の中心に向かって進み始めている。

 それに呼応するように、強い人間の気配が迎え撃とうとしていた。

 

 これは、暴動だ。

 

「……」

 

 会った事も無い人の命と自分の安全。

 天秤にかけるなら俺は自分を優先する人間だ。

 

 いまこの街で暴動が起きようが、弾圧されようがあまり興味ない。

 それを悪いとは思っていない。

 

 だけど、当事者となると話は別だ。

 

 この暴動のきっかけは恐らく日食だろう。

 俺の知らないところで人が死ぬのではなく、俺の引き金で人が死ぬ。

 きっと今帰れば、モヤモヤとした感情をずっと抱えて生きることになる。

 

 そんなのは嫌だった。

 結局、どこまでいっても俺は普通の人間なのだろう。

 

 そして何より――――人を殺めた手で聖女さんと触れ合うのがイヤだった。

 

「とりあえず、確認に行く……!」

 

 シオンにそれだけ言うと俺は駆け出した。

 地を蹴り、空の赤い方へ進む。

 

 だが路地裏は入り組んでいるせいで思った方向に進めないのがもどかしい。

 

 加えて俺の体は運動音痴。

 走っているつもりでも、傍から見れば駆け足程度にしか見えないだろう。何度も転びそうになる。

 

 ―― 手伝うよ

 

 そしたら銀鉤が肉体の操作を補助してくれた。

 手足の先まで力が張り、速度が急激に増加する。

 

「……速い」

 

 駆け足だったものは、全力疾走へ。

 入り組んだ路地裏では迂遠だと言わんばかりに、建物に上がって屋根を伝う。

 

 ―― 跳ぶ、もっと、早く。飛ぶ

 

 屋根に足を付いたと思ったら既に空中へ。

 夜の風を切る梟の様に滑らかに、音もたてず次々と家を経由して真っすぐ現場へと突き進む。

 夜人の力を表に出しているせいか、手足から湧きだした黒い粒子が軌跡のように残って散っていく。

 

 俺はもう殆ど銀鉤に体の操作をゆだねていた。

 こんなアクロバティックな映画スター並みの動き、俺には不可能だ。

 

 内心で銀鉤を褒めたたえる。

 脳内の夜人が照れた。

 

 かわいい……かわいい?

 いや、可愛くはないな。

 

「目立ちますよ。仮面をどうぞ」

「……お前、それ好きなのか。そんなに私に付けさせたいか?」

 

 走りながら、差し出された悪趣味な仮面を受け取る。

 

 偵察に来たのに暴徒の鎮圧なんて想定外だ。

 しぶしぶと顔に仮面を翳したら、なんかすごい勢いで張り付いてきた。

 

「……!」

 

 しかも取れない。

 なにこれ! 引っ張っても剥げない!?

 

「ご安心を。闇の秘術による呪いです。一度付けたらまず外れませんよ」

 

 ガチの呪われた装備じゃねぇかおい!?

 恨めしい目でシオンをにらむ。

 

「これで私達お揃いですね!」

「……お前、後で後悔させる」

 

 これで怪しい仮面人間が二人になった。

 まあ、大人姿とは言え、素顔が晒されるよりはマシだと思うことにする……。

 

 

 

 

 

 

 現場に着くと眼下に広がる人の群れが見えた。

 通りに立つ建物は放火されたのか、小規模の爆発を繰り返しながら燃え上がっている。

 

 ……よかった。まだ軍と暴動のぶつかり合いは起きてない。

 互いに距離をとって睨み合っている最中だ。

 

「暴動を終息させる。多少強引でもいい、案は?」

 

「あの爆発といい、いまさら説得では止まらないでしょう。手段を問わないのであれば……如何様にも」

 

「手段か。お前ならどんな方法を取る?」

 

「そうですね……まず一つ目、暴徒を全滅させます」

「却下」

 

 止まればいいって考えは、良くないと思うの。

 目的は失う人命を救う事だっての!

 

 シオンにそこのところを詳しく言って聞かせる。

 そしたら、なんか笑われた。

 

「おっと失礼。そうですよね、貴方はそういうお人だ。だから私は愛に目覚めたのだ」

 

 愛おしく仮面を撫でつけながら言う男の様は、それはもう怪しかった。

 

「ですがよろしいのですか? これを止めるという事は、どう足掻いても目立つことになります」

「……代償は許容する。これは私達の罪」

 

 事ここに至り、いまさら無責任に逃げるのは男じゃない。

 俺は聖女さんに顔向けできる人間でいたい。

 

 それに――

 

「そのための、仮面(コレ)でしょう?」

 

 コンコンと己の顔、仮面を叩いてみればシオンは嬉しそうに笑みを零す。

 

「ええ。ええ。その通り。では最終確認です。ヨルン様の目的は、この街の技術レベルの把握でしたね」

 

「……? そう。あとは軍事力、なにか行動は起きて無いか、日食に対する反応の確認」

「たしかに。そして可能なら目立ちたくない。人命も大切に……違いありますか?」

 

 何一つ間違ってない。

 シオンは何が言いたいのだろうと思いながら頷く。

 

「なるほど。ではここは一つ。わたくし、アルシナシオン・アタッシュマンにお申し付けください。必ずや、ご期待に沿って見せましょう」

 

 自信満々に言う彼の姿に期待を向ける。

 

 だが、なぜ彼がここまで俺に親切にしてくれるのだろうという疑問を浮かぶ。

 

 彼は夜人が見つけてきた、ただの歴史と仮面好きな一般人……と思われる。

 

 暴動を止める事なんかできるのだろうか?

 数百人の殺気だった人を止めるなんて、きっと命がけだろう。

 彼はどうしてそこまで俺に付き合ってくれるのか。

 

「命を懸ける理由ですか……? 簡単ですよ」

 

 そしてシオンはゆっくりと語り出した。

 

「愛なのですよ。貴方がディアナ司祭を愛するように、私も、私なりにこの世界を愛しているのです」

 

 慈しむような声で、胸に手を当てて祈るシオン。

 神聖さすら感じさせるその姿は敬虔な信徒を想像させた。

 

「世界中から嫌われ厭われても、私は信じるモノのためなら止まらない。ずっとそうやって生きてきた。そして今、目の前で多くの命が失われようとしている。ならば、それを救うのが私の定めという事です」

 

 なら、今更たった数百人相手に引けませんよと笑うシオンの姿に、俺は眩しいものを感じた。

 

「……そう」

 

 聖女さんに続いて、聖人さんかな?

 どうやらこの世界は善性が限界突破している人が一杯いるらしい。

 

 俺も応援するようにシオンの背に手を当てる。

 

「……何かあれば全力で協力する」

「それは頼もしい。では、行ってまいります! 朗報をご期待ください!」

 

 シオンはそれだけ言うと、屋根の上から飛び降りた。

 

 

 降り立つ場所は暴徒と領主軍がにらみ合う中間点。

 突然の乱入者に全員の視線が集まった。

 

「初めまして南都アルマージュの皆様! 私、黒燐教団(ブラック・ポールポロス)の【純潔】と申します」

 

 両軍の注目を一身に浴びながらシオンはそう名乗りを上げた。

 

「今回は我等、黒燐教団がこの暴動を扇動させて頂きました」

 

「……ぇ?」

 

 俺は聞き間違いかなと耳を凝らす。

 そしたらアイツ、とんでもない事を言い出しやがった。

 

「演出共演支援、黒燐教団! この一大イベント、楽しんで頂けておりますでしょうか!? 南都の皆々様にはぜひ、この死の舞踏を満喫して頂きたく存じます!」

 

「……え?」

 

 あいつ、え?

 

 

 




黒燐教団のひどい悪行リスト
・人体実験でヨルンを作り出す
・南都で暴動を扇動する  ← New!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

目と目が合う時

 

 

 元々、スラムの住民は不満をため込んでいた。

 

 何時になってもありつけない仕事と全く足りない領主の援助。

 どれだけ頑張っても一向に楽にならない生活は日々の食料にすら事欠く始末だ。

 

 先々代国王の時代に行われた奴隷解放により、王国は帝国とは違い自由である事を謳っていた。

 市民階級に限らず移住の制限はなく、就職の制限も、結婚の制限もない。

 

 平民にも開かれた明るいアルマロス王国。

 

 だが、その実態は昔となんら変わっていない。

 奴隷は特殊就業労働者と名前を変え存続し、学の無い農民が別の仕事に付ける事はまずない。

 

 夢想家が謳う自由に騙され、夢見て大都市にやってきた移住者の多くはスラムで雨風すらしのげないあばら家に住んで薄皮と骨だけとなって死んでいく。

 生と死の狭間で自然の脅威におびえながら生きていくのが嫌で村を出た男も、玉の輿に乗るんだと意気込んでやって来た女も変わらない。

 

 朝が来るたびに隣の誰かが命を零し落としゆく毎日に彼らは打ちひしがれていた。

 しかし、スラムの住民が請願しても行政に声が届くことはない。

 

 スラムとは領主にとって邪魔なだけの存在だった。

 納税することなく、犯罪の温床となり、悪臭すら放つスラム。しかも、何度排除しても貧困層はどこからか湧いて出てくる。

 

 平民が真に求める平等と自由など統治にとって邪魔でしかない。

 領主はスラムの存在を無い物として扱っていた。

 命の価値が低いこの世界で、公助の概念はあれど役に立たない者に費やすものは何もない。

 

 領主にとって領民とは税を納める人間を指す。

 街のキャパシティーを超えて流入するスラムの貧困層は何の役にも立たず、金を喰う害虫に等しい存在だった。

 

 唯一行政がスラムに対して行っていることと言えば死体を片付ける事だけ。

 それだけは疫病に繋がるため領主も気を使っていた。

 

 国是であるように街に来るのは自由だ。

 だが、自由には責任が付きまとうなどと嘯いて行政は何もしない。

 

 飢餓で死ぬなら死ねばいい。

 追い詰められて暴走するなら、それも構わない。

 その時は皆殺しにするだけだと領主は暗に態度で示していた。

 

 だから、今回の暴動は起こるべくして起こった事だった。

 

 彼等は虎視眈々と自分たちの地位向上を狙っていた。

 懇願で動かないなら、武力でもって自分たちを救わせる。

 

 スラムの住民だって生きるのに必死なのだ。

 これは暴動ではない。

 スラムの住民たった数百人の革命なのだ。

 

 別に日食でなくとも何かの切っ掛けが有れば、必ず暴発していただろう。

 今回は王国軍の留守と日食に混乱する市政でタイミングがよかったのだ。

 

 昼間は一度説得に応じた振りをしていたようだが……夜になって裏をかくように行動に出た。ただそれだけの事。

 だから、この革命の勃発自体になんら不思議な事はない。

 

 だが――

 

 

 

「こ、黒燐教団だと……!?」

 

 アルマージュ領主軍、総隊長たるイーバスは息をのんだ。

 

 スラムの暴徒数百人を前に布陣した領主軍の前に突如、降り立った男の言葉。

 黒燐教団を名乗り上げるという意味。

 それは、世界を敵に回すという事だ。

 

 ロングコートを羽織った仮面男の鈍い銀髪が炎に照らされて怪しく輝く。

 

「ええ、この間は王国にお世話になりました。今日はそのお礼に参った次第」

「この間……?」

 

 イーバスは先日起こったイナル村の事件を思い出す。

 

 たしか村から黒燐教団を名乗る者と戦闘があったと報告が上がっていた。

 

 だが、簡単な調査を行っても村に戦闘痕は無し。被害者なし、容疑者も既に逃走済み。

 何一つ証拠が存在しない事件に、王国上層部は黒燐教団の復活を眉唾物として扱っていた。

 

 たまに居るのだ。

 黒燐教団を騙り、悪事をなす馬鹿な輩が何時の時代も十数人は現れる。

 ネームバリューが強すぎることで脅し文句として使いやすいのだろう。だが、その実態は中途半端なチンピラが恐喝に用いたりする程度であることが多い。

 

 村から黒燐教団の復活に伴う深淵の森の調査も請願されていたが、真偽も定かでないことを戦争前夜にしている余裕は無かった。

 

 そんな後回し後回しとされていた一件だったが、仮面男の姿を見てイーバスは確信する。

 

「ほ、本当だったのか……! 黒燐教団の復活!」

 

 見る者の精神を蝕むような、牙の生えた巨大な口だけが描かれた黒い仮面。

 手袋で指先まで覆い尽くした肌の露出が一切ない怪しすぎる風貌。目の前の男から感じる異様な気配は、只者ではなかった。

 

 イーバスは緊張をあらわに声を張り上げる。

 

「その怪しすぎる身なり! お前が黒燐教団の【純潔】か。まさか、本当に存在したとはな!」

 

「おやおや、私も有名になったものですねぇ。無様に掌で転がってくれる南都の方々にも楽しませて頂き、いや、いい気分です」

 

 かつて王都の軍学校で習った歴史を思い出す。

 

 ――――黒燐教団(ブラック・ポースポロス)

 僅か千人に満たない人数で当時の最大国家を滅ぼした闇の組織。

 一人ひとりが熟達した魔法の使い手であり、エリシア聖教の高位聖職者でも手を焼いたという。

 

 教団を導くのは二つ名を持つ7人の大幹部だ。

 節制、慈善、忍耐、勤勉、感謝、謙虚。

 敢えて見栄えのいい言葉を並べるのは彼らなりの皮肉なのだろう。だがその力は当時の枢機卿にすら匹敵したという。

 

 そして幹部最後の一人が【純潔】。

 目の前に立つ仮面の男が名乗った、二つ名だった。

 

「イナル村の次は南都が目標か……? 狙いはなんだ? ここにいる教団幹部はお前だけか?」

 

 イーバスは薄汗をかきながら仮面男に問いかけた。

 バレないよう隣に立つ副長に目配せする。小さな頷きが返ってきた。

 

「ふーむ、質問ばかりですが――」

 

 問いに答えようとした仮面男の隙を突くように、イーバスは腕を振り上げた。

 

「ほざけ! わざわざ出てきたのが悪手だったな! 撃てぇ!」

 

 ここで逃がすわけにはいかない。相手のペースに巻き込まれるのは最悪だ。

 イーバスは無駄な論戦を打ち切り、副長に命令を飛ばす。

 

 イーバスは彼我の実力差を漠然と分かっていた。

 世界史に名を遺す存在を相手に立ち向かうのは、たかだか一地方都市の兵隊長だ。

 不意打ちでも奇襲でもなんでも使う。この奇襲はイーバスがコイツを殺しに行くという狼煙だった。

 

 それに応えるように副長が瞬時に弓を構え上げ、矢を放った。

 

 距離にしてわずか30m程度。

 こんな短距離、副長の腕前を以てすれば外す方が難しい。

 

 仮面の男【純潔】に向かって飛ぶ矢は甲高い風切り音を立てながら、一秒と掛からずその目前まで到達して――

 

「あぎぃ!?」

 

 仮面男を庇う暴徒を撃ち抜いた。

 

「おや、おやおや? ありがとうございます。これはどうも、助けて頂いたようで」

「な!? なぜそんな怪しい男を庇う!?」

 

 イーバスは暴徒の行動が信じられなかった。

 その男はこちらが弓を構えると同時に走り出して、仮面男を庇うように飛び出していた。

 

 スラムに住む貧民層の奴らなど、自分の利益を最優先に考えて行動するようなやつばかりだ。

 

 今回の革命だってこのまま過ごせば緩慢な死しかなかったから起こしただけ。

 決して国民の平等だの、富の再分配だの、そんな崇高な理由はない。すべて生きるための行動なのだ。

 だから自分の命を投げうって誰かを庇うなど、あり得ない。

 それこそ、脅しや洗脳などなければ……。

 

「貴様!? まさか!」

 

 イーバスは思い至る。

 教団が暴動を扇動したという言葉。

 あれはスラムの不満を煽ったという意味と受け取っていたが……文字通り、教団はスラムの住民を洗脳して暴動を起こさせたのだ。

 

「おや? 気付きましたか。そう……実はこの人々、反逆者じゃあないんですよ」

 

 ざわりと、領主軍と暴徒の両方からざわめきが上がった。

 

「いやはや便利なモノです。領主に嫌われ、領民に蔑まれる。居場所のない人間ほど脆いものはない」

 

 仮面男は己を庇った男から矢を引き抜いた。

 溢れ出す血を押しとどめる様に優し気な手つきで傷口を撫でつける。

 

「人の感情はコップのようなもの。周囲から好感情が注がれれば、とても美しい色を見せてくれるでしょう。だが、悪意がとめどなく注ぎ込まれれば、何時しかコップは汚れきる。もう何を注いでも穢れた悪意に変わり、いつしか溢れ出て周囲まで汚染するでしょう」

 

 仮面男が暴徒の矢傷から手を離すとそこには黒い靄が蠢いていた。

 黒い靄は意思があるように動き出すと男の口や耳、穴という穴から体内へと入り込んでいく。

 

 気を失っていた男の体がビクンと大きく跳ねあがった。

 男は機械仕掛けの人形の様に手足を震わせながら立ち上がる。

 

「私はそれをちょいと溢れ出すようにお手伝いしたに過ぎません。憎く憎くて殺意に至る。滅する事なき憎悪の連鎖。ああ、なんと悲しい人の性」

 

「な、なんだよあれ!? アイツなんか、やばいって!」

 

 立ち上がった男の目に光は無く、焦点が合っていない。

 重心が安定しない男の立ち姿は不気味な軟体生物を想像させる。

 

 常軌を逸した光景に嫌な予感を覚えた暴徒の幾人かが逃げだそうとしたが、それを仮面男は制止する。

 

「まあまあ、そんなに焦らずともいいでしょう? 第1節【漆桶(しっつう)幽かな虚之影(うろのかげ)】」

 

 あちこちの物陰から人型の小さな靄が湧き出てきた。

 炎の明かりに照らされて血のように赤黒く染まるバケモノたちは、悲鳴を上げる暴徒たちを逃がさないように戦場に閉じ込めた。

 無理やり突破しようとするものは殴り飛ばされて、無理やり列に戻される。

 

 仮面男はようやく落ち着いた――というよりも無理やり抑制した――暴徒たちの姿を見ると、道を譲る様に移動する。

 

「それでは続きと行きましょう。どうぞ始めてください暴徒の皆さん。楽しい革命のお時間です」

 

 だが、動く者はだれもいない。

 当然だ。今この場はたった一人の男に支配されていた。

 

 暴徒たちは戦意など既に消失し、恐怖で染まった瞳で兵士に助けを求めていた。

 

「……ふむ。覚悟が足りませんか? 自分で動けませんか? では、お手伝いしましょう」

 

 パチンッ――。

 そんな指の音が響く。

 

 同時に暴徒の幾人かに黒い靄が取り付いた。

 止めろと叫ぶ男たちに構わず、靄は口や鼻から体内に入り込んでいく。

 

 なんとか防ごうと指で掴むが靄は不定形で抗えない。

 ごぼごぼと溺死するんじゃないかと思うほど男たちはむせ込み……静かになった。

 

「第1節【惑乱せしめる夜の凶】」

 

 仮面男がなにか呪文を呟くと突如、暴徒たちが走り出した。

 イーバスたち兵士に向かって目を見開きながら向かってくる。

 

「な、なんだ!?」

 

 暴徒の手には石。

 向けられた明らかな殺意に兵士が体をこわばらせた。

 

 部下が慌てたように剣を振りかぶるが、イーバスは制する。

 

「ッ! 殺すな!」

 

 本来、暴動を起こした人間の末路は死刑しかない。その場で殺されても普通のことだ。

 

 イーバスは今回の事件では一人残らずその道を辿らせる予定だった……が、操られていたとなると話は別だ。

 スラムの人間といえども同じ王国民だ。

 反逆者でなく、黒燐教団に操られていた人々を殺せる程、イーバスは冷徹になれなかった。

 

「あぁ゛あ゛あ!!」

「っく! でも、こいつ等、なんか力まで強いですよ!?」

 

 突撃してきたのは僅か3人の洗脳者だ。

 それに倍以上で相対する兵士だが、上手く押さえつける事が出来ない。

 

 洗脳者は敵味方の区別なく、ただ乱雑に手足を振り乱す。

 

 自分を顧みず全力で暴れ回る人間は早々に抑えられるものではない。

 ましてや今の暴徒は闇の力が与えられているのだから、その力は相当のものだ。

 

 無論、制御できない力はその体を代償とする。

 洗脳者の拳は兵士の鎧に当たるたび骨の砕ける音と血潮が噴き出ていた。

 

 なんとか止めようと苦戦する兵士を見て、シオンはつまらなそうな声で言い放つ。

 

「殺せばいいのではないですか? だって貴方たち、最初からそれが目的だったのでしょう?」

「き、貴様……!」

 

「ふむ、では追加を贈りましょう。どうぞ、まだ舞踏は始まったばかりですよ!」

 

 仮面男はまるで指揮者のように腕を振り上げた。

 

 それに呼応して暴徒達が次々動き出す。

 

「ぁああああ!!」

 

 正気とは思えない血走った瞳だ。口元からは大量のよだれが垂れている。

 不器用に手足を振り回しながら走る姿はさながら、精巧なマリオネットのようだった。

 

 人を人と思わない悪鬼の所業。

 他者の尊厳や意志を闇で塗り潰して、己の手駒と変える悪魔の御業。

 

 イーバスは吼えた。

 

「仮面野郎、あいつを殺せぇええ!!」

 

 だが、その声は哀れな暴徒たちの呻き声に掻き消されていく。

 

 

 

 

 

 

 なんだぁ、これはぁ……。

 

 シオンが突然、黒燐教団を名乗り上げて兵士に喧嘩を売ったと思ったら、乱戦始めたんですがぁ……?

 しかも傍目に見る限り、暴徒もおかしくなってる。

 

 まさかシオンってヤバイやつ?

 

 ――――と、普通なら感じるんだろう。

 何も知らない現場の兵士とか、この光景だけ見ている人なら、そう思うのも不思議ではない。

 

 でも俺は分かってる。

 最初こそ驚いたが、すぐに彼の真意に気が付いた。

 

「あいつの本職は劇団員か何か? 悪役の演技が上手すぎる」

 

 黒燐教団とは既に滅んだ存在だ。

 しかし、全く関係ないシオンがそれを名乗り上げることで、この暴動の責任をそこに押し付けた。

 

 しかも暴動を起こした人の罪すらも、教団に洗脳されていた――というか現在、シオンがしている――という事でもみ消そうとしている。

 

 更に、暴動が起きた原因である日食も、きっと黒燐教団が責任を引き受けてくれる。

 

 更に更に、この街の兵士たちの能力も実戦でしっかり俺に見せてくる。

 

「……天才か」

 

 たった一つの作戦で俺の希望をすべて叶えるという偉業。

 シオンの愛と、自分を顧みない自己犠牲溢れる行動に感動する。

 

 そう――自己犠牲だ。

 

 この作戦には一つだけ穴がある。

 黒燐教団を騙ったシオンが最悪の犯罪者になるという大きすぎる穴。

 

 俺の我儘が、彼にこんな決断をさせてしまったのだ。

 

「……ヤト。命令の追加。優先守護対象にシオンも入れてあげて」

「!?」

 

 後ろに現れたヤトが驚愕している。

 え、まじ? なんで!? という感じで再確認されるが、マジだよ。

 

 俺は彼ほど他者愛に富んだ人を見た事ない。

 

 常々言っていた彼の【愛】に嘘は無かったのだ!

 やっぱり闇魔法を使う人にも良い人はいるのだ!

 

「なら、私も覚悟を決める……!」

 

 眼下の戦いは次のステージに移っていた。

 最初は優位に立っていた暴徒たちだったが、現在は劣勢となっている。

 

 兵士たちのほうに援軍が来たのだ。

 白地に黄色い装飾の入った祭服を着た、シルクハットとステッキ、細長いカイゼル髭が特徴の男。

 

「エクセレントォ! 覚悟したまえよ、黒燐教団! 吾輩が来たからにはもう安心だ!」

 

 お前どこの絵本から飛び出してきた紳士だと言いたい格好をしているが、おそらくアレが話に聞いていたこの都市におけるエリシア聖教の最高責任者ムッシュ・マンカインド司教だろう。

 

 正義を貴び、秩序を重んじる聖教会の人間。聖女さん直属の上司さん。

 

 彼と、彼の部下だろう人達が呪文を唱えるたびに、空からスポットライトのように淡い光が降り注ぐ。

 

 浄化の光だろうか。

 それを浴びた暴徒たちが次々と倒れていく。

 

「まずい……シオンが不利になるようなら、私達も参戦する」

 

 演技が得意な一般おっさんである――というには、兵士相手に無双気味だった気がするけど、聖職者が来た途端に瓦解したからやっぱ強くない――シオンに任せきりにはできない。

 

 事ここにきて、隠密行動だなんだと言っていられない。

 シオンを見捨てて逃げるなんて選択肢は存在しない。

 

 そんな決意を感じ取ったのか夜人達が次々と集まってきた。

 俺の影を出入り口に10人、30人と増加していく。

 

「ヤト、佳宵。戦闘準備。合図したら出る」

 

 敢えて身を晒す様に屋根の上で三人並び立つ。

 こちらに気を取られてくれるならシオンも逃げやすいだろう。

 

 俺は精一杯の気合を込めて敵司教を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

「剣を仕舞え! 決してスラムの人間を傷つけるな! 司教様が動くぞ!」

「アクチュアァァアル! 吾輩に任せ給え! Priest【Purification light/浄化の光】!」

 

 司教の呪文と共に暖かい光が幾筋も空から降り注いだ。

 洗脳された群衆に当たるたびに口から靄を吐き出して崩れ落ちていく。

 

「おぉお! さすが司教様だ! お前ら、今の内に被害者を後ろに下げろ!」

 

 隊長のイーバスが嬉しそうな声で、被害者たるスラムの住民を避難させ始めた。

 

 なんせ相手はどれだけ浄化させても、倒れた人間を乗り越える様に奥から奥から向かってくる津波のような群衆だ。

 浄化だけして放置すれば地に伏せた人の圧死は免れない。

 

 仮面の男がリズムを刻むように指揮を執るたびに、群衆が右から左から走り込んできた。

 

「急げ急げ! 1から3番隊、盾構え! 押し返せ! それ以外の隊は空いたところから要救助者を引っ張り上げろ!」

 

「吾輩たちは浄化継続! 総員、勇敢な戦士を補助したまえよ!」

 

 【純潔】の指揮する洗脳者にまともな知能は無いようだ。

 恐怖など感じず、違和感など覚えず、待ち構えている浄化光に自ら無謀な突撃を繰り返す。

 

 ムッシュ司教はその光景を見て不信感を抱いた。

 

(簡単すぎるのではないかね? これが歴史に残る黒燐教団の評議会だというのか?)

 

 仮面男に注視する。

 

 まさか、これで終わりではあるまい。

 拭いきれぬ不信感でムッシュは問いかける。

 

「それで、私も聞きたいのだがね、君の目的は何だったかな?」

 

 相手は歴史書でしか見た事ない闇の魔法を自在に操る教団幹部だ。

 どれだけ悪辣で醜悪な行動にでるか予測は一切立たない。

 

 ムッシュは内心の緊張を押し隠して、余裕を見せつける様に自慢のカイゼル髭を引っ張った。出来るだけ嫌らしく、高慢な態度で挑発する。

 

「どうやら、キミらの実力は所詮、歴史に誇張された虚栄であった様子。いいのかね、このままでは我等の完勝となりそうだ」

 

 夢中で暴徒を操っていた仮面男がハッとするように動きを止めた。

 考え込むように沈黙すると、突如全力で悔しがった。

 

「っく、まさかムッシュ司教の力がこれ程でしたとは……! 仕方ありません、ここは逃げの一手を打たせてもらいましょう!」

 

 挑発に乗って単調な攻撃思考になってくれれば良し。

 そう思って声を掛けたのに、なぜか相手は役目は終わったと言わんばかりに逃走を始めた。

 

 三文芝居を思わせる捨て台詞にムッシュ司教は呆気にとられた。

 

「ど、どこへ行くというのかね!?」

 

 思わず追撃の魔法を唱える。

 仮面男は背後からの攻撃をなんなく躱すと、なぜか恐れおののいた。

 

「あ、危ない! っく、なんという速さと威力の魔法だ。これに当たれば一撃で死んでしまう! 悔しいですが、逃げるしかありませんねぇ!」

 

「ま、待ちたまえ! ストォオオップ!」

 

 これはバカにされているのだろうか?

 【純潔】とは黒燐教団を操る最高幹部、評議会の一席の名前だ。

 

 ムッシュとて負けるつもりは無いが、易々と勝てる相手とは思っていない。

 

 恐らく相手はまだ実力の半分も出していない。

 ましてや夜間戦闘により弱まった聖魔法の一撃で死ぬはずがない。

 

 何かの作戦か?

 

 そう考えた時、ムッシュ司教は視線を感じ取った。

 

 夜の闇に紛れて、遠くの建物から戦場を伺っている存在。

 女だ。ぴっちりした黒衣に身を包んだ長身の女性が目に映る。

 

「――なッ!」

 

 ぶわっと、全身の汗が噴き出した。

 

 目に入ったのは、女だけではない。

 その周囲に展開するバケモノの存在も同時に把握する。

 一匹一匹が歴戦の強者に匹敵するような圧倒的闇の暴虐の気配だ。

 

 およそ30匹。

 都合数十の瞳に射抜かれたように見つめられ、ムッシュは【純潔】との戦闘すら忘れて全身が凍り付いた。

 

「な、なにもの……?」

 

 ムッシュは仮面越しに女と数秒見つめ合う。

 その時、純潔の感情を押し殺したような小さな声が聞こえた。

 

「だれを、見ているんですか?」

 

 首元に濃密な殺意を感じて慌てて回避する。

 その瞬間、つい先ほどまで自分の首があった場所を影の刃が通り抜けていった。

 

「――っく、避けられましたか! 私の精一杯の抵抗がー! うわー!」

 

 なにやら軽い言葉が聞こえてきたが、ムッシュ司教はそれどころではない。

 

 湧きあがる危惧と畏れで荒くなった呼吸を繰り返す。

 もはや暴徒や洗脳者、教団幹部すらも些細な存在に感じられた。

 

 女を見つけたあの瞬間、ムッシュは心臓を突き刺されたような衝撃と恐怖を覚えた。

 しかし魅入られたかのように目が離せなくなっていた。

 

 もう一度、確認しようと女が立っていた場所に目を移すが、そこにはもう誰も居なかった。

 

「み、見間違い……そんな筈はない!」

 

 見失った事に安堵してしまう自分がいる事をムッシュは感じた。

 

 絶対にアレと戦ってはいけない。

 もし逆らってしまえば、楽に死ねるとは思えない。永劫の責苦に魂が消滅するまで苦しまされ、死を願うことになるだろう。

 

 あの女は埒外の存在であり、神に連なる者なのだ。

 そんな根拠のない想像がムッシュの頭をよぎる。

 

「――ハァッ、はぁはぁ……!」

 

 神に連なるもの?

 冷静に考えればそんなもの在り得ない。

 

 だが、女の気配を思い出しただけで恐怖に足が震えた。

 今すぐ逃げろと叫ぶ生存本能に心臓が痛いほど拍動する。

 

 姿を消した【純潔】を追う事すら忘れて、無意識の内にムッシュは逃げる様に後ずさってしまう。

 

「吾輩が、逃げる……!? 悪を前に!?」

 

 あり得ない。

 この道の先に倒すべき悪がいる。

 

 罪無き人々洗脳して国家に反逆せしめた罪人だ。

 輝かしい光に逆らい、暗澹たる闇を使役する大罪人だ。

 

 それを倒すのが正義たる聖職者の役目なのだ。

 

「……ぐぅうう!」

 

 分かっている。分かっているのだ。

 目の前にある道を進まねば、もう自分は正義でいられない。

 悪を前に逃げるなんて許されない。進むしか道はない。

 

 しかし、その一歩が出てこない。

 

 唇を血が出るほど噛み締めて、自分の正義を思い出そうと頭を振る。

 だけどそのたびに脳裏に女の姿がちらついた。

 

 もしかしたら【純潔】を追えば、あの存在が目の前に現れるかもしれない。

 罠にかかった自分は塵芥の様に殺されて終わりかもしれない。

 

 吹き飛ぶ手足と光を失った自分の瞳を空想する。 

 

 そう思ってしまったらもう駄目だった。

 ムッシュは顔中から汗を吹き出しながら崩れ落ちた。

 

「正義……正義なのだ、吾輩が……」

 

 自分が正しい。

 聖教は常に救いを齎してきた。

 

 ならばきっと神も決して己を見捨てない。

 

「吾輩が……吾輩を……!」

 

 だから頼みます。

 神よどうか、私にもどうか救いの手を……! 

 

 もはやムッシュに立ち上がるだけの気概は無かった。

 この時、彼は聖職者として死んだのだ。

 

 神に縋るだけのか弱い存在が一人、路地裏に残されていた。

 

 

 





 ヨルンちゃん の 睨みつける!

 ムッシュ司教は めのまえ が まっくらになった!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

束の間の平穏

 

 

 あの悲しい「日食事件」から早3日。

 俺は事件前と変わらず、村でのんびりと過ごしていた。

 

 村の広場の端っこに陣取り、木の根元でぽかぽかと日光を浴びながら微睡む。

 

 思い返せばあの日は非常に濃い一日だったと思う。

 朝から聖女さんにくすぐりプレイ(?)されて、ヤト達の変身姿を見て、そんで夜には南都で暴動を治めた。

 

 ……なんだそれ。忙しすぎだろう。

 忘れかけてた社畜時代のストレスを思い出してしまった。

 その反動もあって、ここ数日は村でのんびりしている日なのだ。

 

「あ、ヨルンいた。ほら、お前の好きなお菓子だぞー、美味しいぞー」

 

 とりあえず南都での情報収集は立候補してくれた夜人に引き継いだ。

 あの時は最初だから俺も気合入れて街に行ったけど、そう毎日毎日行ける訳じゃない。

 

 なにせ夜のベッドで聖女さんの羽交い絞めから抜け出すのは至難の業なのだ。

 布団の吸引力に加えて、聖女さんのぬくもりという二重の誘惑が絶大だ。か弱い俺ではいつの間にか寝てしまう事が多い。

 

「甘いぞー、食べないか? 僕が食べちゃうぞ!」

 

 なんだかさっきからやかましいなぁと、チラッと目を開けて確認。

 

 いつの間にかやって来たガキんちょが俺の前で揺れ動く。 

 男の子の手に握り込まれているのはサトウキビに似た形の「日輪甘味草」という草だった。

 

 見た目はサトウキビにヒマワリがくっついた奴なんだけど、空気中の魔力と日光をため込んでいるから茎をかじって食べると甘いそうだ。

 この村でも少数栽培されていて、一般的な子供のおやつとして用いられているらしいが……いらね。

 俺は小さくフッと鼻で笑って目を閉じた。

 

 じゃあ、それはおいといて。

 夜中に聖女さんの腕から抜け出すのは難しいという以外にも、大きな問題がある。

 夜に何度も抜け出ていると、いつか俺が居ない事がバレる可能性が高い事だ。

 

 そうなると心配性の聖女さんの事だし、どこに行ったかと多大な不安を与えてしまう。もしかしたら何処かに探しに出てしまうかもしれない。

 もし聖女さん一人で夜の森なんかに行ったら危ないだろう。

 

 その事をヤトに相談したら、対策を用意するから待っててとの事で現在待機中。

 どんな手段を用意してくれるのかちょっと楽しみ。

 

 あ、あと、神殿の拡張依頼から三日たったし神殿の確認も行かないとだ。銀鉤と佳宵の仕事も確認して、それから――

 

「甘いのうめ! うめ! ……ヨルンは食べないのかー?」

「リュエールうるさい」

 

 なぜか最近、絡んでくるようになった男の子リュエールをにらみつける。

 最初は遠めに見られるくらいだったけど、聖女さんと子供達との合同魔法練習から、絡まれることが増えた。

 

 ウトウトしながら考え事をしていたのに、集中できないじゃないか。

 俺はそんな雑味の混じった甘い餌に釣られないのだ。

 サトウキビモドキの匂いが鼻孔をくすぐり、ちょっとよだれが出るけど、ガキンチョに頭を下げるのはイヤなのだ。

 

 それにわざわざリュエールに恵んでもらわなくたって、俺には村の兵団のみんながお菓子を献上してくれる。

 南都で流行りのお菓子だとか、妻が作った簡単なデザートだとか、そんな草より美味しいのはいっぱいあるのだ。

 

 今日もまたお菓子がもらえる日。

 そんなどこに生えてたか分からない物なんかいらないの。

 そういう意味でリュエールを追い払うように手を振る。

 

「え~、美味いのに」

「ふ……私は美食家だから、そんな草は欲しくない。……ほら。献上物が歩いてきた」

 

 ちょうど小走りでやってきた門番さんを指さしながら、リュエールに勝ち誇った顔を見せる――もちろん無表情だが――と、彼はちょっと悔しそうな顔でサトウキビをかじった。

 

 門番は俺のすぐ傍までやってくると「すまん」と言いながら勢いよく頭を下げた。

 

「今日お菓子やるって言ってたけど、準備出来てない! また今度にしてくれ!」

「え?」

 

「さ、最近忙しくってな! 今日も仲間が森に行ってるんだ! 俺も門から動けないし……また来週!」

「……え?」

 

 それを伝える為だけに来たのか、ばつが悪そうに逃げていく門番の背中を見つめる。

 お菓子を受け取ろうと差し出していた両手が風に吹かれて冷える。

 

「あ~、草うめぇ! うめぇ!」

「リュエール」

 

 知っているだろうか、サトウキビとはとても甘いのだ。

 一昔の日本でも数少ない甘味として重宝されていたのだ。

 

 そして奇遇な事に、今日の私はおやつを持っていない。

 

「リュエール。対価は、なにが欲しい……!?」

「え~お前まさか、この雑草が欲しいのかぁ? え~どうしよっかなぁ?」

 

 勝ち誇った目で俺を見下ろすリュエール様。

 

 ごめんなさい、俺に甘味をください。

 今日まだ甘いの食べてないの!

 

「仕方ないなー。……じゃあ、一つだけお願いしていいか?」

「なんでもする」

 

 俺が頷いたらリュエールはちょっと言いにくそうに、なぜか夜人への伝言を頼んできた。

 

 内容は「この前は南都で人攫いから助けてくれてありがとう」との事。

 彼の話を聞きながら俺は首をかしげるが、なんとなく言いたい事は理解できた。

 

 どうやら彼の一家は、俺の知らないところで夜人に命を助けられていたらしいのだ。

 

「それは本人に言うといい」

 

 俺は当事者である夜人を呼び出すことにした。

 夜人なら影渡りですぐ来れるし、リュエールも命の恩人に直接言いたいだろう。

 

 ヤトを通じて全体に連絡すると、反応はすぐに返ってきた。

 リュエールの影から一人の夜人が浮き上がってくる。

 

「うわ、え……?」

「あれから、まだ憑いてたんだって」

 

 夜人が日光に晒される光景は初めて見るのか、リュエールが目を瞬かせて驚いた。ちょっと顔を引きつらせながら彼はなんとかお礼を言う。

 

 夜人の方は、まさかお礼を言われるとは思っていなかったのだろう。

 随分反応に困っていたが、消える直前で数回リュエールの頭をポンポンしながら散って逝った。

 

「ぁ……消えちゃった」

 

「還っただけ。また、夜に来る」

「そ、そっか……?」

 

 リュエールは、あまり理解しえていない様子で撫でられたところを嬉しそうにさすった。

 

 彼もシオン同様に夜人という化物に忌避感は少なそうだ。

 夜人が手を伸ばした時は、ちょっとビクついてたから完全に受け入れている訳では無いだろうが、下地はありそう。

 

 やっぱり命を助けられると闇への印象も変わるのだろうか。

 

「ん」

 

 まあいいや、仕事は終わりだと手を差し出す。

 

「え? なにその手」

「約束の甘味草ちょうだい」

 

 早く早くと急かすが、リュエールは何故か草をくれない。

 それどころかとんでもない屁理屈を言い出した。

 

「僕は伝言を頼んだんだよ? ヨルンは何もしてないじゃん」

「なん……だと……?」

 

 そんなのありなのか!?

 たしかにお願いは聞いてないけど……呼び出した方が丁寧じゃないの!?

 

「だから、ほら! ヨルンも一緒に遊ぼうぜ! それが僕のお願い!」

「あ……」

 

 手を引くリュエールによって、広場の中心に引っ張られる。

 そこは俺がいる広場の隅とは異なり、村中の子供たちが賑やかに遊ぶ場所だ。

 

 リュエールに引っ張られながら、待ち構える子供たちを見やる。

 きっと俺が近づけばその分だけ距離を取るだろう。夜人を束ねるために畏れられている俺では、決して混じることが出来ない。

 

 そんなの慣れたモノだから別に何も思わない。

 いつもの事。そう思っていたのに……。

 

「ほら連れて来たぞー! 遊ぶぞ!」

「お、おー……本当に来た」

 

 子供たちはリュエールに連れてこられた俺を見てその場から動くことは無かった。

 まだ目は合わせてくれないが、彼等はいつもより少しだけ俺を受け入れてくれていた。

 

 俺はその光景に目を瞬かせた。同時に胸がちょっと熱くなる。

 

(……ああ、そっか)

 

 さっきのやり取りを見ていたのか、リュエールが手を回したのかは分からない。

 でも、いざ受け入れられると嬉しくなる。

 

(子供の遊びに興味はないけど……いいもんだな)

 

 どうして、この村はこんなに素晴らしいのか。

 

 ふと心の内の【夜の神】に語り掛ける。

 やっぱり、人間ってのは捨てたもんじゃない。とくに子供達は純粋で心優しいものなんだ。

 

 

 

 

 

 

 ごめん嘘。

 子供ってのはぜんぜん優しくない。

 純粋に残酷で、やべぇ鬼畜だったわ……。

 

 俺は膝に手をついてぜぇぜぇと呼吸しながら、日が暮れて帰っていく子供たちに手を振って見送った。

 彼等も俺に向かって大きく「また明日ね」と声を上げている。

 

 ……舐めていた。

 田舎の子供の体力と言うものを、俺は軽んじていた。

 というかよく考えればこの世界の人間のみんな身体能力クッソ高いのだった。

 

 あいつら、子供ながらに元の世界のオリンピック選手を凌駕するレベルだった……。

 なんで100m短距離走の速度で30分走り回れるんだよ。

 

「ヨルちゃんいたー。今日も広場にいたんだね」

「お、おー……」

 

 迎えに来てくれた聖女さんに「じゃあ帰ろう」と手を差し出されたが、俺は繋ぐだけで足が動かない。

 もはや歩いて帰るだけの気力さえ残っていなかった。

 

 そう言ったら、聖女さんは笑ってしゃがみこんだ。

 どうやらおんぶしてくれるようだ。背負われながら息を整える。

 

「あったかい……」

「私も背中があったかいよ。それにヨルちゃん軽すぎるって」

 

 機嫌がいいのか聖女さんは軽やかな足取りだった。

 リュエールに甘味草を貰った事、子供たちとの輪に交じった事など、今日あった事を聖女さんに話していく。

 そのたびに彼女は嬉しそうに相槌を打っていた。

 

「それじゃあ、お昼からずっと鬼ごっこしてたの?」

「……あれは遊びじゃない。どっちかというと、軍隊式の訓練だった……」

 

 彼等と遊ぶことになった結果、なぜか「鬼ごっこ」に近い運動が選択されていた。

 村で娯楽なんか無いから仕方ないのだけど、お前らと俺の性能差を考えろ。

 

 途中から俺がずっと鬼だったぞ。

 いくら走っても追いつかねぇし、だれか悪戯で魔力流してきやがるし、そのたびに変な声が出るし、やっぱり鬼変われねぇし。

 

「はぁ……私うんどう、きらい!」

「でも、明日も行くんでしょ?」

 

「う……」

 

 途中から打ち解けてきた子供たちの姿を思い出す。

 

 聖女さんとは違う、兵士さんたちとも違う。同じ子供という対等な立場が、いつからか畏れという壁を取り払い無邪気に遊ぶことができた。

 なんとなく夜の神も楽しんでいたような気がする。

 

 ―― ……否定する。

 

 などと申しているが、たぶん楽しんでた。

 その証拠にクシャミが出まくる。コイツ誤魔化し方が下手なのだ。

 

「それに約束させられた。くそぅ」 

 

 子供たちに最後、また明日ねって言われたのだ。

 夜の神の事も楽しんでるし、俺もしっかり対価を貰ってしまったのだから行かねばなるまいよ男なら。

 

 

 

 礼拝堂の寝室にもどったら、甘い香りを放つ茎を幾つもポケットから取り出して眺める。

 

 高給取りたる兵士さんたちですら甘いお菓子は高級品だという。

 ならば村の農民でしかない彼らにとって、コレは大切なものなのだろう。

 

 俺はドキドキしながら一つ抓んで口に放り込んだ。

 

「うぇぇ……固い。雑味が多いし青臭い」

 

 リュエールだけでなく、色んな子から受け取った甘味草はそれはもう不味い物だった。

 まるかじりの要領で奥歯で押しつぶすとたしかに甘い汁がでる。だけど、それ以上に不快な苦味が混じって舌が少し痺れる。

 

 ほ、本当にこの食べ方であってるのだろうか?

 子供たちに聞いた方法で食べても、凄く不味いのだが……。

 

「ふふ、違うよヨルちゃん。全部齧ったら味が混じっちゃうよ。こうやって前歯で茎の外側に傷を入れて、皮を剥いたら、中の白い所だけ奥歯で噛むの」

 

「……だまされた。あのやろー」

 

 器用に実演してくれた聖女さんを真似て俺も再挑戦する。

 

 ……ぜんぜん上手くいかない。

 皮剥ぐのが難しくって、切れ目をつけ過ぎれば中の髄――甘味部分を傷つけてしまう。でも固いから丁寧にしたら力が足りない。

 

「た、たべれない……? たべれない!?」

 

 甘い物体を前に俺はお預けを喰らった。

 一体、この半日の労働をなんのためにやったんだ!?

 

 甘味草を床にバラまいて、ショックに打ちひしがれる俺の姿を見かねたのだろうか。聖女さんが助け船をくれた。

 

「じゃあ、最初だけ手伝ってあげるね」

 

 カリッと聖女さんが前歯で茎に切れ目を入れると、手早く茎を剥いていく。

 それを俺に「はい、どうぞ」と差し出してきた。

 

「……?」

 

 甘味と聖女さんの顔を見比べる。

 震える手を伸ばして受け取ろうとしたが……いや、まて落ち着け。

 

 この甘味草は一瞬だけど、聖女さんの口に入っていたんだぞ。

 

 それを、なんだ? 

 なぜ聖女さんが差し出してくるんだ?

 

 俺が、中途半端な格好で受け取らないでいたら、本当に不思議そうな顔で聖女さんは小首をかしげた。

 

「食べないの?」

 

「なん……だと……?」

 

 これは、なんだ?

 わ、罠か……?

 

 これは童貞だけを殺す罠なのか!?

 

 

 

 

 

 

 ヨルちゃんは甘味草を食べたら、すぐベッドに潜りこんでしまった。

 

 小さな声で「罪悪感が」とか、「不純同性交遊だ」とか、「聖女さんをそんな目で見ちゃダメ」とか色々聞こえてきた。布団に包まってぷるぷる震えている。

 

 そんなヨルちゃんを布団越しに撫でて遊んでいたら、彼女はいつの間にか寝てしまったようだ。

 かすかな寝息が聞こえてくる。

 

「……寝ちゃったかぁ」

 

 夕飯もまだだというのに、遊び疲れていたのだろう。

 

 それに、ここ数日はヨルちゃんは夜更かしが酷かった。

 同じ布団で横になっていると、寝付けないのかゴロゴロ動いてばかりで寝付けていなかった。

 日食もあったし色々と不安を抱えていたのだろう。

 

「じゃあ行ってくるね」

 

 ヨルちゃんを一撫でしてから立ち上がる。

 

 この礼拝堂ならばヨルちゃんは一人でも安全だろう。

 悪しき者が入ってこれない結界が敷いてあるし、念のためヨルちゃんを残して外出する時はロザリオを原動力として結界に組み込んでおく。

 もし仮に教団幹部が来ても、易々と侵入は出来ないはずだ。

 

「協議する内容は沢山ある……急がなきゃね」

 

 目的地は村の集会場で、今日は村長と隊長さんと話し合う日だった。

 

 何時になっても援軍がこないから、森にあるだろう教団施設の調査が進んでいない事がまず懸念の一つ。

 ヨルちゃんの立場の確立も必要だ。

 教団の実験体だったということは後ろ盾が無いから、ヨルちゃんは教団だけでなく国や聖教にも利用されやすい。それだけは防がなきゃいけない。

 

 そして、最重要の喫緊課題は村の空を見上げればすぐにわかる。

 

「……また増えてる」

 

 ぎゃぁぎゃぁと、耳障りな鳴き声を上げるのは人を超えるサイズの大きな人面鳥――『(つい)ばみ大鳥』だ。

 数十を超す魔種の群れは村を獲物として見ているようで、村の上空を旋回しながら、こちらの隙を伺っていた。

 

 地上は夜人さん達が守ってくれているから大丈夫だが、空は難しい。

 対応するためにレイトさん達、駐屯兵団はここ数日大忙しだという。

 

 それにあの魔種は黒燐教団が好む種族だ。

 あの日食が起きた日から増え始めた森の魔種達に、私はイヤな予感を覚えていた。

 

 すべてが偶然とは思えない……。

 

 また新たな教団幹部がヨルちゃんを奪いに来るのではないか、そんな不安が集会所までの道のりでずっと残り続けた。

 

 




村の少年達は 魔力流し を使った!

ヨルンには効果抜群だ!

ヨルンを倒した! テッテレー!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二人の襲撃者

(・A・三・A・)書き溜めないのー!


 

 私が集会場に着いたのは会議が始まる30分前だった。

 今日はヨルちゃんが寝てしまったから早く着いた。いろいろ有って時間ギリギリか、少し遅刻してしまう事が多い私としては上出来だ。

 

 きっとまだ誰も来ていないだろうと思うと、心なしか一番に来た事が誇らしくなってくる。これをネタに隊長や村長さんを弄れないかなぁとワクワクしがら扉を開ける。

 

「よお、今日も遅かったなディアナさん」

 

 室内では機動力を優先した軽鎧に身を包んだ男性――レイト隊長が小さく手を挙げていた。

 

「……遅くないですよ。よしんば遅かったとしても、最後じゃないです」

 

 この人、暇人なんじゃ無かろうか?

 なんで30分以上も前から当然の様に待機してるんだろう?

 

「あれ? 今日の参加者は、たしか三人でしたよね?」

 

 なぜか予定よりも多い椅子を指摘する。

 

「ああこれか? 急な来客があってな。あの人も、そろそろ戻ってくると思うが」

「え、お客さんに会議に出てもらうんですか……?」

 

 村外に出せない情報が行き交うこの会議で、それは難しいのではないだろうか。

 そもそも村への来客など珍しい。一体誰が来たんだという疑問に応えるように後ろから知った声が掛った。

 

「可能なら出席させてもらえると嬉しいぞ。なにせ、今日来たのは吾輩であるからな」

 

 そう言いながら現れたのムッシュ司教だった。私の前まで来るとコツンと白いステッキを突いて、帽子を取ると挨拶する。

 いつ見ても貴族然として優雅な所作だ。こちらも慌てて返すが、田舎臭く見えるのは勘弁してほしい。

 

 ムッシュ・マンカインドさん。私の直属の上司であり、南都を任された司教さんだ。

 常に自信満々で胸を張って歩いている彼だったが、今日はなんだか力無げに見えた。心なしか彼のカイゼル髭までがしおれている。

 

「ムッシュ司教、今日はえ、っと……援軍ですか?」

 

 黒燐教団の復活もあり、私達は森の捜索を行いたいと南都に申請していた。

 彼が来たのはその理由だろうと思ったのだが……どうも違うらしい。ムッシュ司教はうつむいて首を左右に振った。

 

「援軍は近いうちに到着するだろう。だが吾輩は引退しようと思っていてな……今日は君への引継ぎに来たのだよ」

「……え、引退ですか!?」

 

 思わずレイトさんと顔を見合わせる。

 

 半年後、私は司教に昇進する事が内定していた。

 その際に私はムッシュ司教を引き継いで南都で司教位に就く予定だった。

 

 だから私に引継ぎに来たと言うのはまだ理解できるが、それは半年以上先の話だったはず。もちろん彼が引退するなんて話は欠片も無い。むしろ逆で、ムッシュ司教は栄転すると聞いている。

 

「た、たしかムッシュ司教の次の赴任先は王都では? しかも大司教へ推薦される話だってあったはずで……」

「ああ、そんな提案もあったね。同期の奴には、次は王国の首座司教だなとか、枢機卿昇進の話まで上がるんじゃないと、からかわれたものだ」

 

 だがね――。

 そう諦観を見せながら笑う男の顔は、私の知っている彼の表情では無かった。

 

「吾輩では無理なのだよ。所詮、吾輩は正義に憧れただけの中年男でしかなかった。夢は叶わないから夢と言うのだよ。この年にして、ようやくそれが身に染みて分かったよ」

 

 ムッシュ司教はいつも可笑しな身なりで、微笑み溢れる余裕を崩さずに正義を執行して来た。

 変人を思わせる見た目と言動までおかしな奇人だが、その実力だけは折り紙つきだ。それこそ首都に次ぐ最重要都市「南都アルマージュ」の守護を任される程に。

 

 悪しきを挫き、弱きを助ける彼の信念に私だって多少影響されていた……かもしれない。その服装だけは今でも理解できないが。

 とにかく、そんな愉快ながら正しき道を堂々歩いていた彼が、暫く見ない内に心折れていた。

 

「何が、有ったんですか?」

「色々あったよ。……まあ落ち着き給え。それも含めて今日、全てを君に引き継ぎに来たのだ」

 

 そう言って彼の口から語られた内容は私の不安を裏付けるものだった。

 

 日食のあった日、街で暴動が起きた。

 それを裏から扇動していた者の名前は黒燐教団の【純潔】――仮面のあいつだ。かつてヨルちゃんを狙って取り戻しにきた男。

 

 だが、敵は彼一人では無かった。

 何十という黒い化け物を引き連れた仮面女が仲間にいた。

 特徴は純潔に似た仮面をつけている長身で黒髪の女らしい。見た事も無い、黒尽くめの衣装に身を包み黒い靄を従える。

 

「一目でわかったよ。あれは恐ろしい程の実力者だ。身に纏う闇の気配は冷たく深い。きっと吾輩では1分と掛らず殺されてしまうだろう」

 

 私はその人物を聞いて、どうしてもヨルちゃんを思い浮かべてしまった。

 たしか彼女に初めて出会った時、黒いダボダボの服を着ていたはずだ。さらに黒髪で黒い靄を従えるという点も完全に一致している。

 

「偶然……? そうだといいんですが」

 

 消えない不安は私を追い立てる。

 紙とペンを渡してムッシュ司教の記憶を頼りにその姿を書き写してもらう。やはり予想に近い姿。

 

「似てるな……なんとなくだが、思い起こす」

「レイトさんもですか? ええ、まあ……そうですよね」

 

 仮面は【純潔】のものにそっくり。

 ズボンはヨルちゃんが着ていた「スーツ」という服に似ている。上着を羽織っているようだが、その下はワイシャツという奴か。

 身なりといい能力といい、ヨルちゃんとこの女性が無関係とはどうしても思えなかった。

 

「まさか親子か?」

「いえ……1から14かもしれません」

 

 私はいまだにヨルちゃんの全てを知っている訳では無い。

 ただ黒燐教団で生物実験用の被験体として生まれ、育てられてきたという事実のみしか知らない。

 扱いはとてもじゃないがまともなモノではない。しかし仲間がいたのか、育ててくれたのは誰なのか。そういう事は何もわからない。

 

 皆で似顔絵をのぞき込んで思い思いに予想を立てる中、驚くほど冷たい声が耳元で聞こえてきた。

 

「ほぉ、スーツとは珍しい。【慈善】のモノか?」

「――ッ!?」

 

 三人同時に飛びずさる。

 部屋に現れた"四人目"の男は、カラカラと嗤ってテーブルに置きっ放しだった似顔絵を奪い取った。

 

「何者ですか……と、聞けば教えてくれますか?」

「ふーむ、仮面は【純潔】。服は【慈善】。聞いた話では、能力は【忍耐】に似ているらしいが……まあいい」

 

 その男は筋骨隆々の大男だった。

 【純潔】のように顔を隠すことなく、堂々と姿を見せている。

 

 潰れたような鼻と分厚い唇。

 太い眉毛に刈り上げられた頭髪といい、見るからに力自慢の男という事を思わせる容姿をしている。服は全身を締め付けるようにベルトが沢山ついた拘束衣というもの。

 

「なんとなく想像できるが……お前、黒燐教団の人間か?」

「ムッシュ司教が街から出るから何かと思えば、イナル村に用があったのか」

 

 隊長が男の気を引くように次々問いかけるが、まるで会話にならない。彼は答える気が無いのかまるで見当違いの言葉を発する。

 その隙に私はムッシュ司教に近寄った。

 

「ムッシュ司教、これは最悪を想定して行動しましょう。戦いの準備は……ムッシュ司教?」

 

 明らかに普通の人間じゃない男の登場に、私の予感がついに現実となった事を認識する。いつ戦闘が始まってもおかしくない。

 

 だが敵の力は未知数。時間は夜。人数差も無いような物で、聖具は礼拝堂に置いてきた。

 

 かつて戦った【純潔】との戦闘とは比べ物にならない程こちらに不利な状況だ。しかし、その時と違い、こちらには私以外にも聖職者がいる。

 辛うじてある好材料を何とか生かそうと、縋るような気持ちでムッシュ司教に頼ったが――

 

「ひ、ひ……また黒燐、教団か! どうしてだ、どうしてお前らは吾輩をそんなに追い詰める!?」

「ムッシュ司教……」

 

 ――ダメだ。この人は、もう戦えない。

 足が震えている。指が言う事を聞いていない。目の焦点はブレていて呼吸すら忘れてしまったかのように止まっていた。

 

「しかしこの村は闇の気配が強いな。中でも森は最高だ。あの気配を浴びるだけで逝っちまいそうだ」

 

 大男は変わらず、こちらの存在を無視して振る舞っている。

 途中から森の方角を向くと自分を抱きしめて悶え始めた。……が、明らかに隙が無い。

 

 大男から立ち昇る濃い闇の波動。それを見るに、彼も教団幹部である可能性が高い事を私達は何となく察していた。

 

「……レイト隊長」

「分かっている。今すぐ村人の避難誘導が必要だ。ここで戦えばかなり死ぬぞ」

 

 仮面の女によってトラウマを植え付けられたムッシュ司教では、恐らく時間稼ぎも不可能だろう。

 ならばここは私と隊長で敵を引き付け、彼には遠ざかっていてもらった方がいい。

 

「ムッシュ司教、貴方は今すぐここを出て周囲に戦闘の事を知らせてください。避難の誘導をお願いします」

「ついでに兵団の奴等にはここに来るように知らせてくれると助かるな」

 

 大男に聞かれないように、ひっそりと指示するとムッシュ司教は勢いよく振り向いた。

 

「た、戦わなくていいのかね!? 任せておきたまえ、一般人の避難は最優先だものな!」

 

 彼は嬉しそうに何度も頷いた。その度にシルクハットと髭が揺れ動く。

 普段であれば、笑いたくなる光景なのだろうが、怒りとも失望とも言えない遣る瀬無い気持ちが沸き上がる。

 

 ムッシュ司教は戦闘から解放されたことを知ると、少しだけ自分を取り戻した。

 ずっと独り言を繰り返す敵に気づかれまいとひっそり出口に向う。しかし、僅か数歩で大男がストップをかけた。

 

「ちなみにだが」

 

 今までこちらを見もしなかった男が、初めてこちらに目を向ける。

 

「俺はこれから殺す相手と会話する趣味は無い。時間の無駄だからだ」

 

 急激に膨れ上がる闇の気配。

 強く大きく、まるで押し潰されるような威圧感を放ちながら男は動き出した。ゆっくりと確実にムッシュ司教に歩み寄る。

 

「ひぃ、ぇあ……!」

「時間は大切だ。無駄な事は嫌いだ。お前に助けを呼ばれると、皆殺しをしなきゃで面倒になるだろう? 3秒だ。お前は3秒で死ぬ」

 

 二歩三歩と近づきながら、ゆっくり数を数え始めた大男。

 ムッシュ司教は堪らず悲鳴を上げて出口に走り出すが、それよりも早く男が飛びかかった。

 

 ギィイン――と、重い金属音が響き渡る。

 

「む?」

「目の前で殺されそうだってのに、それを放っておく奴が居るか?」

 

 獲物と捕食者の間に割り込んだレイト隊長が男の腕を止めていた。

 剣と腕。普通に考えてまず勝ち目のないのは腕なのに、大男はつまらなそうに見つめる。

 

 一合、二合と剣戟が交わりその度に金属同士がぶつかった様な音が響いた。そして男が宣言した時間が過ぎ去る。

 

「……これで、お前は3秒時間を無駄にしたわけか?」

「ふむ。いい、いいぞ。ドンドン死が近づいている。お前らの悲鳴で狼煙を上げよう。我等教団を舐め腐っていた世界への宣告だ」

 

 会話にならない。大男は再びこちらを無視していた。どうやら、コイツもまた【純潔】同様に頭のおかしい輩らしい。

 時間を無駄にするのが嫌いだと言っていた割には、3秒で殺すという自分の宣言が覆っても意に介さない。

 それがまるで狂人の振る舞いのようで――

 

「いいや、違うとも。既に俺の予告は達成されたのだ」

 

 頭のおかしい奴を見る目で見ていたら、敵は私の方を向いた。そしてゆっくりとムッシュ司教が出て行ったであろう出口を指さす。

 

「――ッそんな、ありえません!?」

 

 そこにはいつの間にか腹部に大きな穴をあけたムッシュ司教が倒れていた。既に目に光は無く、胸は動いていない。明らかに死んでいる。

 彼が襲われたとき、レイトさんがしっかり庇ったはずだ。それから3秒。恐怖に駆られたムッシュ司教が逃げる時間としては十分すぎもの。

 

 なのに何故倒れている? どうやって攻撃した?

 私は瞬き一つせず敵を見ていた。おかしな動きは無かった。でも事実ムッシュ司教は殺されている。まるで見抜けなかった敵の技に焦りが生じる。

 

 しかも嫌な事は重なるらしい。

 集会場の外から家を壊す様な重低音と、多数の人間の悲鳴が聞こえてきた。静かだった村に騒乱が訪れる。

 

「どうした!? なんの音だ!」

 

 大男から目を離せないレイトさんが、切羽詰まった声で聴いてくるが……私だって取り込み中なのだ。

 

 村の様子が気になる。扉を開けて今すぐ確認したい。だが今この瞬間、コイツから一秒でも目を離せば死ぬことになる。

 

 無詠唱により発動させた術式を両手に展開しながら息をのむ。たった一つの動作をするだけで、冷や汗が流れ出る。

 三人が三人とも動けず、静かに睨み合う中、刻刻と時間だけが過ぎていく。

 

 そして数分。静寂を破る様に、誰かが慌てて集会場の扉を開いた。

 

「しゅ、襲撃です! 鳥の大群が――うぁわあ!!」

 

 背後から一瞬聞こえた声は兵団の誰かのものだったはず。

 しかし、ほぼ同時に何か巨大な物が羽ばたく音と、鎧が軋む音が混じり込み声を掻き消した。そして急速に遠ざかる悲鳴と羽の音。

 

「……喰われたか」

 

 隊長は悔しそうに剣を握り込む力を強めた。

 

 一瞬で終わった背後の出来事は見れなかったが、兵士さんの報告と物音から村の状況は推察された。

 いま村では大量の「啄ばみ大鳥」が襲撃を掛けて来たのだろう。そしてそれを知らせに来てくれた兵士さんが、扉を開けると同時に鳥に啄ばまれて連れ去られた。

 

 なにが「皆殺しは面倒」だ。

 もとより大男は、そのつもりだったのだ……と思ったが、これは大男も想定外らしい。

 

「おいおい攻撃対象はコイツだけじゃなかったか? なのに村へ総攻撃? ……はぁ。仕方ない、ならば皆殺しにしてやるとも。なにせ俺は【勤勉】なものでな」

 

 そう言って教団幹部の一人、【勤勉】は面倒そうにため息をついた。

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……!」

 

 駆ける。奔る。速く、もっと疾く。

 追い立てられた草食獣のように、捕食者から逃げるためムッシュは走る。

 

 先ほどの集会場では死ぬかと思った。

 突然現れた大男に「あと3秒で殺す」と宣言されて、ムッシュはつい【幻影】を残して集会場から逃げてしまった。

 

(いや、いや、これで作戦通りだよディアナ君。だって私は村人の避難を担当するのだからね!)

 

 ムッシュは言い訳するように御託を並べる。

 自分よりも一回りも年若い少女に殺し合いを任せて、逃げだした事に罪悪感が湧かない訳がない。

 だが仕方ない。これは戦略上、正しい事なのだ。相手の力は未知数だが、おそらく教団幹部。たった3人で相手できる敵じゃない。

 

 誰かが兵団に応援を呼びに行かなければいけないのは確定事項だ。

 ならば時間稼ぎで集会場に残る人選が必要だ。前衛は武装したレイトで決定で、だが後衛はムッシュかディアナの二択となる。

 

(ディアナ君は明日から司教……つまり私の後釜だ。これは試練、そう試練なのだよ。多くの人間を導くことができる力を持っているかを確かめる、私からの愛の鞭である!)

 

 死の気配に染まった局面を乗り越えてこそ、人は成長できる。

 私は駄目だった。だけど、きっと君ならできるさ。なにせ君はエクリプス家に迎え入れられた、才能あふれる次期枢機卿なのだから。

 

 ムッシュ司教は脳内で巡る言い訳に、フッと噴き出した。

 

(凄いぞ、私のコレまでを全否定する行動を他でもない吾輩が取っている。ここまで情けない姿はない。これほど醜悪な詭弁は聞いたことがない……)

 

 自嘲する己がいて、みすぼらしく生に縋り付く自分がいる。

 どちらも正しく自分の本音だ。けど「立ち止まれ」と命ずるムッシュはどこにも居ない。それがどうしようもなく彼に諦めを感じさせる。

 

 正義を騙っていた自分は仮面女に殺された。

 ムッシュが本当に欲しかったものは世界の平和じゃない。誰かに認められることだった。

 

 民衆の賞賛に酔いしれ、感謝を浴びる事で膨れ上がった正義という皮を被る自尊心。それがムッシュの本心だ。

 だが、そんなもの本当の"死"の前では脆く崩れ去った。

 

(そうだ……私は、もはや聖職者を辞めた身だ。なら戦う必要は無いだろう? 逃げたって誰も責めないさ。そうだろう?)

 

 すでに南都の聖教支部に辞表は出してある。

 引継ぎが出来なかったのは残念だが、一般人である以上、自分が命を掛ける義務はない。これからすべきことは兵士に襲撃の話を伝えて、それから可能な限り早く――

 

「おいおい、これは何だろうね?」

 

 ――どうやら、外は外で危険らしい。

 

 深い闇の帳が下りた空から巨鳥『啄ばみ大鳥』が次々と村に舞い降りるのを、ムッシュは走りながら目撃した。

 

 暴風が吹き荒び、土埃が砂嵐のように舞い上がる。

 人間以上のサイズを持つ巨鳥を相手に、木造建ての家などひとたまりもない。鳥の鈎爪によって屋根がはがされ外壁が押し倒される。

 

 なんとか死神から逃げおおせたと思ったら次は鳥の群れか。ムッシュは立ち止まって、混乱する頭を押さえた。

 少し考えれば当然の事だ。あの大男は教団幹部。ならば使役する魔種の群れが同時に村を襲撃してもおかしくない。

 

「っと、思えば次は何かね!? もう吾輩は龍が出てきても驚かんよ!?」

 

 それから遅れて少し、村中に大量の「黒い人影」が出現した。

 先日、ムッシュが見た闇の人型――仮面女の隣に立っていて奴等だ――が村中を駆け回っている。これも恐らく教団の使役魔種だ。

 

 屋根を跳ね、塀を飛び越え動き回る動きは巨体を感じさせない軽やかさ。

 滑空する鳥と競うように、闇の人型は窓を叩き割りながら家の中に飛び込んでいく。あちこちから人間の悲鳴があがった。

 辛うじて逃げだした人間たちも、闇が追いかけて捕まえると影の中に沈めていく。

 右で左で、ムッシュ司教の周りで次々に人が消える。

 

「……あぁ」

 

 仲間割れだろうか? 人肉が魅力的なのか、闇の人型と大鳥は人間を奪い合っていた。

 子供めがけて上空から急降下した鳥が闇により弾き飛ばされる。だが、闇は決して子供を助けたのではない。その証拠に子供は無理やり影に沈められた。

 子供の肉を手に入れて嬉しいのか、闇は雄たけびを上げて次の獲物を探しに動き出した。

 

「あぁ……これが地獄という奴か」

 

 抵抗しても意味はない。人間と闇の能力差は歴然で、無理やり押さえつけられて影に押し込まれる。

 闇の人型に押し込められて沈んでいく人間の表情ときたら、それはもう酷いものだった。

 この世の終わりと恐れ慄き、家族の名を呼びながら断末魔を叫び消えていく。一瞬で殺されるならともかく、ゆっくり沈んでいくモノだから彼らが感じる恐怖は如何ほどか。

 

 ムッシュ司教は悟った。もはや生きては帰れない。この村は終わりだ。ディアナ司祭や村人は当然、自分もここで死ぬのだ。

 

 大男の登場からはじまり、大鳥の襲撃、そして闇の出現。

 すべてが教団に繋がっている。犯人はそれ以外に考えられない。

 

 ならば当然、"あの女"も現れるだろう。

 仮面をつけた長身の女。一睨みでムッシュの心をへし折ったあのバケモノが――。

 

「ほらみたまえ……予想通り過ぎて、笑ってしまうよ」

「……どこかで見た顔だ」

 

 再会は思ったよりも早かった。

 

 事態の変動にムッシュは生存者を探した。

 鳥の襲撃と闇の参戦は小さな村にとって一溜りもない。だがそれでも人口1000人近い村だ。まだ全員は殺されていまい。

 そう考えたムッシュは一人でも多くの人間を連れて逃げることにした。

 

 彼の役割は村人の避難誘導。ディアナ司祭を置いて逃げた手前、せめてそれ位の仕事はせねばなるまい。僅かだが責任感は残っている。

 

 だが、その最中に見つけてしまった。

 村中から集められた人間を監視するように、広場に立つ女の姿。あいつだ。

 

「……はは。それは何かの冗談かな。キミは王国でも滅ぼす気かね?」

 

 そして、逃がすまいと人々を囲む数百の闇の群れを彼は見てしまった。

 圧倒的戦力差と再び感じる死の予兆。ムッシュはどうしようもない空笑いを浮かべた。

 

 

 




村に黒燐教団が襲い掛かってきた!

幹部【勤勉】 参戦!
主人公(擬態) 負けじと参戦!

なおどっちも敵と思われる模様


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

襲撃の裏側

 村の襲撃から少し前。

 宇宙を思わせる淀んだ黒き海。重力の存在しない空間で、建っていた土台ごと抉り抜かれたような白亜の巨城が浮かんでいた。

 周辺国家の王城にすら匹敵する大きさと絢爛さ。黒燐教団の本拠地――【月宮殿】だ。

 

 防衛戦を意識した複雑な内部構造の廊下を抜け、数多の致死トラップを乗り越えた先。月宮殿の最奥にその部屋は存在した。

 巨大な水晶の玉座が置かれた謁見の間。今は空席の座を半円状に囲むように幾人かの姿があった。

 

「それでは、緊急会議を始めようか」

 

 玉座に向かって跪いていた男は立ち上がると話し出す。

 

 全身を包帯でくまなく覆った細身の男。まるでミイラと見間違うほど、口も目も、指先の一切すら包帯で覆い隠されている。

 その上からボロボロになった黒いスーツを着ているのだから、なんとも不安を掻き立てる格好をしている。

 この男こそ黒燐教団の評議員が一人にして、その纏め役たる【慈善】だった。

 

「結集したのは……5人か。3時間以上遅延してこれとは、相変わらずキミたちは協調という言葉を知らないな」

「そうは言いますがね、みんな日蝕に夢中なのでしょう。私だって、いますぐ帰って研究を続けたいほどですよ」

 

 時間を確認するように懐中時計を取り出した仮面の男――【純潔】の名を戴くシオンが文句を言う。

 日食が気になるのは本当だ。だが研究は現在、二の次になっている。彼は興味無さそうなそぶりをしながら、密かに周囲を見まわした。

 

「私も忙しい中来た。感謝して」

 

 自作したという黒塗りの防毒マスクを装着した人間がつまらなそうに言う。

 

 サイズの合っていない巨大なマントを羽織る姿は、黒いてるてる坊主を思わせる。

 シオンの主たるヨルンに近い身長、防毒マスクによりくぐもっても分かる僅かに高い声。マスクの下は恐らく少女であろうことが想像できる。

 幹部の一人【感謝】の少女が防護手袋をプラプラさせながら続ける。

 

「日蝕によりオラクル連邦、永久凍土の『腐蝕呪液』の氷が溶けだしたぞ。太陽神の封印が緩んでる。いまが採取のチャンスだ」

 

 かつて第二使徒の「銀鉤」が生み出した呪毒が封じられた永久凍土。たとえ封印されていても、近づく生物は悉く死に至るという猛悪極まりない凍った毒の沼だ。

 その毒が欲しいという【感謝】の言葉に注意する老人がいた。

 

「神話の毒か。お主でも扱いきれるか?」

 

「いや、まだ難しい……死ぬかもだ」

 

 老人は鼻から下を覆う長いあごひげが特徴の仙人を思わせる男だった。目元は深々と被った帽子で見えないようにされている。名を【忍耐】。

 

「なら止めとけ止めとけ。それにあそこは聖教の監視が厳しい。まあ、もう誰かさんのせいで黒燐教団の復活が知られてるから、バレてもどうでもいいけどな」

 

 もう一人、感謝の暴挙を止めながら、シオンを煽るのは若い筋骨隆々の男だった。

 彼だけこの集団の中で唯一顔を隠していない。

 潰れたような鼻と分厚い唇。太い眉毛に刈り上げられた頭髪といい、見るからに力自慢の男という事を思わせる容姿をしていた。名を【勤勉】。

 

「うるさいですよ。……それで慈善。緊急会議とは? 私は研究で忙しいのでね、手早くお願いします」

 

「研究で忙しいという割には楽しんでいるようだね。知ってるよ、南都で"遊んだ"ようじゃないか」

「そりゃそうですよ。私、舐められるのキライなので」

 

 突然、核心を突くミイラ男の言葉にシオンは表情一つ変えることなく――といっても仮面だから分からないが――淡々と事実を認める。

 

 南都で暴動が有ったのは僅か3日前だ。

 普通の連絡手段では知り得ない情報のはず、しかしミイラ男は全て知っていると言わんばかりに述べる。

 

「【黒い靄】なる存在を用いたそうじゃないか。女の協力者もいたのかい? キミの研究成果が気になるね。色々教えて欲しいのだけれど」

 

「……残念ですが、私の研究は私だけのモノですね。仮に提供するならば、その相手は私の導き手ただ一人。貴方は所詮、数居る同僚の一人にすぎないのですよ?」

 

 ――だからその戯言を撤回しなければ私はお前を許さない。

 口に出さずとも棘を含んだ口調のシオンに触発されて、場に緊張感が張り詰める。 

 

「お前はいつもそうだな。研究研究と……少しは教団の為に行動したらどうだ!?」

「まあ、落ち着きなよ勤勉。それはいつもの事だよ。彼の気まぐれで貰えるお零れに期待しようじゃないか」

 

 シオンは思わず勤勉の言葉を鼻で笑ってしまった。

 

 教団のために。誰かのために。そんな理念で動いている人間が、果たしてこの教団にいるのか?

 黒燐教団とはいわば極まった個人主義者の集まりだ。肥大しきったプライドを持つ者や、圧倒的な実力に裏付けられた自負に浮かれる愚者、正道を嫌う異端者の集合体。

 

 所詮は互いに利用し合う関係でしかなく、真の仲間足りえない。お前らの信仰心すら疑わしい。

 ……シオンはかつてそう思っていた。周りを疑うばかりで一切信用していなかった。しかし、今のシオンは愛を知っている!

 彼は大仰に手を差し出すと、慈愛を口説く。

 

「それでは、貴方が私の【愛】を受け入れてくれるのならば、良いでしょう。私も全てを差し出します。慈愛! 私と共に、この世界に白き純愛を広めようではないですか!」

 

「それはちょっと遠慮するよ。最近、キミが気持ち悪いんだ」

 

 シオンは普通に凹んだ。

 なんで誰も理解してくれないんだろうなぁと悲しみに暮れる。

 

「話を戻して……僕は思う訳だ。一歩目から黒燐教団の失敗が目立っている」

 

 最初はシオンの捕縛から始まる。

 そこから黒燐教団が表舞台に姿を現すことになったが、世界には教団への恐怖が広まるのではなく汚名が広がった。

 先日シオンが起こした南都の暴動も結局は嫌がらせでしかなかった。50年振りに表社会に姿を見せたのに、教団の力が示せていない。

 

「気に食わないね。ちょっと報復しておこうか。目標はこの切っ掛けとなった、王国最南端イナル村。襲撃は立候補が居ないなら【勤勉】にお願いしたい」

 

「俺か? まあいいが……ならば適当に殺してくるとするか」

 

 そうして、この襲撃が決まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 誰かに揺さぶられて目が覚めた。

 目を開けると、そこに広がるのはデカい闇……ヤトがいた。

 

「ん……? どうして、ここに?」

 

 むくりと体を起こして考える。たしか甘味草を食べた後、ベッドで膝を抱えていたら寝てしまった気がする。

 ならば当然、ここは礼拝堂の寝室なのだが、なぜヤトがいる?

 

「……消えないの?」

 

 確か夜人は礼拝堂が苦手だったはず。結界が有ってまず入れないし、ここで生まれても消えてしまう。

 もしかして、またヤトが進化したのだろうかと思ったら、その後ろからもゾロゾロと夜人がやって来た。

 

「多い、多い……」

 

 ヤト、佳宵、銀鉤のスリートップを筆頭に、部屋が満杯になる程やってくる。

 床が抜けるんじゃないかと冷や汗が出たが、どうやら質量はあるようで無いらしい。

 

 代表してヤトが俺に何かを訴えるが……分らんて。

 

「変化しないの?」

 

 ……しないらしい。

 

 ヤトは腕を組んで悩んだ末、ダメだと拒否した。

 代わりに後ろの夜人から紙とペンを受け取ると何かを書き出した。

 

 『襲う、瞬間、ざくざく』

 

 彼が書いて見せたのは、この世界の文字だった。

 俺は聖女さんから教わっているから何とか読めるが……ヤトの字、汚ったねぇなぁ。しかも単語しか書いてない。

 

「……意味がわからない。誰かを襲うと、宝がザクザク?」

 

 なんだろう……夜人は遠征に行きたいのか? 倒すとお金が手にボスを倒す的な?

 

 あ、違うらしい。佳宵がヤトを叩き始めた。

 「伝わってねぇじゃねぇか馬鹿野郎!」って感じで殴ってる。

 

「やっぱり二人は使えない。もう、時間がない」

「あ……銀鉤」

 

 掴み合いのケンカを始めたヤト達を横目に、銀鉤がポンっと小さくなった。

 小走りで近寄ってくると足元で語り出す。

 

「襲撃、来るよ。情報貰った」

「……襲撃?」

 

 そう言って語り出した内容は驚くべきものだった。

 

 なんとシオンが黒燐教団の集会に参加して、情報を貰って来たという。

 それを夜人が横流しして貰ったそうだが……いや、何やってんねん、あのおっさん。というか教団滅んだ設定どこ行った?

 

「しゅ、襲撃……!?」

 

 だけどそんな疑問は全部吹き飛んだ。

 奴等の目標はこの村の人間だという。しかも襲撃は直ぐにくるという!

 

「まずい……聖女さん、どこいった……」

 

 気配を辿れば集会場に居るのがわかる。聖女さんと隊長さんだろう、見知った気配が2つある。あと、聖女さんほどではないにしろ綺麗なものが1つ。これは誰だ?

 とりあえず、まだ大丈夫そうだ。

 

「どうしよう……どうすればいい?」

 

 足元でころころしてた銀鉤を抱き上げる。

 

「うーん、まずボクと合体するでしょ? それでヨルの安全確保するよ」

「合体」

 

「あとは適当」

「……てきとう、かぁ」

 

 銀鉤が大したことない風に言うせいで、湧きあがっていた焦りが消えたんですが……。

 

 ヤトに聞いてみても「え、作戦? ……え、俺が考えるの!?」と驚かれる。

 佳宵に聞いてみたら、親指立てて、ゆっくり自分の首を切るようにアピール。たぶん言いたい事は「皆殺し」。

 

「……まず、聖女さんと合流しようか」

 

 銀鉤の変化が時間切れになる前に融合して大人verヨルンちゃんに変身しておく。

 

 別に少女姿でもよくないかと聞いたのだが、俺の運動神経の無さはもうみんな知っているっぽい。

 その姿のまま戦うのは危ないからダメとか、なら神殿に連れて帰るとか、銀鉤にめっちゃ説得された。なんなら、この前あげると約束した「褒美」まで持ち出されて説得された。

 

 そこまで言うなら仕方ないと融合を認めたら、ヤト達が銀鉤をすごい蹴飛ばしてたけど、なんだろうか。それでも嬉しそうな銀鉤も一体なんなのか。

 

「まあ、こんなもんか」

 

 大人verの装いは南都に行った時と同一。仮面とスーツ姿のヨルンちゃんです。

 

 ―― ふわー!

 脳内で気持ちよさそうにゴロゴロしている銀鉤もいます。

 ヤトが「我 即 合体!」と書かれた紙を掲げてアピールしていますが無視します。

 

 

 集まった夜人達を引き連れて礼拝堂を後にする。

 

 その瞬間、空がざわめいた。

 ぎゃあぎゃあと不気味な人面鳥たちが、俺達の周囲を旋回している。

 

 ―― この鳥、最近は森でよく見るよ。なんか、興奮してるみたい。

 

 これから俺はやってくるという黒燐教団の相手で忙しくなると言うのに……人面鳥を見てると気持ち悪くて気分が滅入る。

 

 邪魔だという意味を込めて小さく手で払ったら、奴等村に向かって急降下を始めた。

 

「は?」

 

 鳥が近くの家に突っ込んでいく。

 木片を撒き散らしながら、何かを咥えて再浮上。……というか、あれ人だ。人が人面鳥に啄ばまれて上空に浮かんでいく。

 

 そのまま落とされた。地上まで100m死の落下。

 慌ててヤトに指示を出して、衝撃を与えないように助けさせる。

 

「……え?」

 

 鳥は大量に居る。上空に数十羽は滞空しているし、俺の周りで旋回しているだけでも、20羽は居るだろう。

 

 え、なに。なんで突然人を襲った? まさか、これが教団の襲撃か? この鳥は教団が好む使い魔って言ってたし、そういうこと?

 ヤトに聞けば、紙に「闇、仲間、わくわく」と書かれた。

 

「?」

 

 ―― ……バカしかいない。

 

 なんか銀鉤の嘆きが聞こえたが、つまりこういう事らしい。

 人面鳥の野郎は集まった夜人という闇の集結を見て、人間vs闇の抗争だと思った。んで俺たち側に立ったつもりで、『敵である村』を攻撃していると?

 

 たしかに、鳥は俺らに敵対的な雰囲気はなかった。どっちかと言うと「姉さん、俺達もヤルぞおらぁ!」って感じだ。

 

 ……ばーっかじゃねぇの?

 

「ヤト、村人を集める。鳥に餌を与えるな……!」

 

 慌ててこちらも参戦。

 引き連れていた夜人だけでは、とてもじゃないが数が足りない。神殿の待機部隊も招集して村全体に散らばせる。

 

 鳥の数が多い。すこし強引な手段でもいいから、時間を優先するように指示。こんな馬鹿げた理由で怪我人だしていられるかい!

 なに勝手に仲間意識持ってんだクソ鳥! お前らも敵だわい!

 

「集合場所は広場。あそこなら収容できる」

 

 この村の人口は1000人に届かない程度。

 多いのか少ないのか基準がわからないが、元よりここは危険な世界だ。人は寄り集まって安全を確保しているから、この世界の村として考えると人口は少ない方らしい。

 

 その人数を置けるのが村の広場だ。

 あそこは野球場なみに広いから、少しぎゅうぎゅうになるだろうが村人を全員集められるだろう。

 

「気配が入り乱れすぎてる……」

 

 村中から悲鳴とモノが壊れる音が響く。広場に向かいながら聖女さんを探すが、ぜんぜん見つからない。 

 鳥が舞い踊り、人が夜人によって強制移動されている。いくら気配が読めても、それが入り乱れるから並の処理能力しかない俺の頭では混乱してしまう。

 

 聖女さんはどこだろうか。

 彼女もきっと俺を探してくれている筈で……。

 

「あ」

 

 ダメじゃん。俺、いま大人姿じゃん。

 これじゃあいくら探しても、聖女さんはヨルンちゃんを見つけられなくない? 俺、行方不明扱いされない?

 ヤバイ予感。どうしたもんかと考えていたら、ヤトに肩を叩かれた。

 

「なに? ……いや、ほんと、なに」

 

 どうだと言わんばかりに、ヤトが『子供』を差し出してきた。

 小さな背丈、透き通った白い肌、サラサラの黒髪を持つすごく可愛い子――というか、これ俺だわ。

 

「『南都、誤魔化し、完成』……あぁ」

 

 そういえば聖女さんのベッドから抜け出すために、誤魔化しの手段を作ってくれって言っていたっけ。

 俺じゃないヨルンを受け取って、まじまじと見つめる。

 

「そっくり……」

 

 静かに目を閉じて動かないヨルンちゃん人形(?)。きちんとパジャマ姿だし、これをベッドに置けば寝ているだけにしか見えないだろう。

 

 なんか触り心地は普通の感触だし、人肌程度に温かい。呼吸に合わせて小さな胸も上下している。瞼を開いてみれば眼球も精巧に作られている。気になって服を捲くってみれば……。

 

「うん」

 

 ちょっと傍から見た絵面がヤバかったのですぐやめた。とりあえず、全部作られてた。

 ただし目覚めることはないというから、謎技術だな……。

 

「で、これをどうしろと?」

 

 まさか、この事件の最中に聖女さんに渡して「はい、お探しのヨルンちゃんですよ、どーぞ」なんて通用すると思ってる? それとも礼拝所に寝かせたままにしとくの?

 この騒ぎで目覚めないなら、それはそれでヤバいでしょ。

 

 ……おい、盲点だった、みたいに目を逸らすな。おい。

 

「ほらみたまえ……予想通り過ぎて、笑ってしまうよ」

 

 その時、広場の外から声が掛かった。

 

 振り返ればあの人だ。

 南都で見かけた聖職者。THE 紳士さん風の伊達男。

 

 どうやら話し込み過ぎたらしい。既に広場には多くの村人が集められており、それを守るために夜人が囲んでいる。

 

 みんなが俺たちの事を見ていた。

 

 さて……この人形、どうしよう。

 

 




 広場に集めた人々の前で突然、
 幼女の服をまくって覗き込む仮面女!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

襲撃者その1

 

 

 村に襲撃が来ると言われてから十数分経過。

 いまのところ怪しい人影は無く、村人は無事に広場に集まった。俺の後ろで夜人に守らせているが、しかし、その周りで鳥が威嚇するように建物を壊して回っている。

 

「……」

 

 ガラガラと家屋が崩壊して、鳥が勝利の咆哮をあげる。そのたびに村人は互いに身を寄せ合って震えあがった。

 

「……騒がしい」

 

 手を挙げて夜人達に「鳥共を止めろ」と命令すると、なぜか人面鳥たちが静かに地面に降り立った。俺に向かってこうべを垂れるように反省のポーズ。……違う。今のはお前への指示じゃない。

 村人たちが恐怖の目で俺を見つめてくる。違う。俺はあいつらの主じゃない。

 

 あーもう、鳥が勝手に仲間意識を持っているから変なことになってる!

 

 鳥を殺してもいいけど夜人は飛べないし、下手に刺激して敵対されても大変か。制御利かない方が面倒そうなので、仕方なく鳥はそのまま待機させる。

 

「仮面の女……あ、貴方は」

 

 対峙する紳士さん(仮名)が何か言いだそうとしたが、仮面の口に指を立てて静かにしろと示す。

 

 やめてよ。もうこれ以上、勝手に展開を進めないで。俺はすでに一杯一杯なんだ。

 

 人間を追い立てて囲んでいる(ように見える)俺たち。それに従うキモい鳥。小脇に抱える意識の無いヨルンちゃん人形。対峙するように聖職者登場。

 

 ああ、まずいわこれ。スッゴイまずいわ……。

 

 傍から見れば大人verヨルンちゃんが襲撃者やってないかコレ?

 やっと最近、俺が村に受け入れられ始めたと言うのに、夜人達の評判も地に落ちないかコレ?

 

「……不味い事態になった」

 

 聖女さんと早急に合流しなければいけない。でも合流できる気がしない。

 

 目の前に紳士さんがいなければ、今すぐ大人変化を解いて、普段のヨルンちゃんスタイルに戻ることができた。これは村人を助けるための行動だったと弁明できた。

 だけど紳士さんには、この姿は南都で暴動を起こした人物と知られている。今変化を解けば少女姿のヨルンちゃんと大人姿がイコールでつながってしまう。

 

 ……変化解けないねぇ。これ解いちゃダメな奴だねぇ。

 解けば俺は晴れて犯罪者の仲間入り。でも解かなければ、大人verヨルンちゃんが凶悪犯罪者の仲間入り。

 

「どうして……お前は私を不快にさせる。なぜここにいる聖職者」

 

 お前さえいなければ、もうちょっとで解決だったのに!

 そんな怨みを籠めて睨みつけると紳士の腰が引けた。

 

「全てが悪い方向に流れてる。歪んだ軌道は直さなければならない」

 

 もう、大人verヨルンちゃんが犯罪者になってしまったのは仕方ない諦める。優先順位だ。この状況で最優先するべきことを決める。

 

 気配探知すれば、聖女さんはまだ集会場にいるようだった。

 そこに4人の気配があるが……どうやら、戦っているらしい。ならば、これが最優先事項。

 

「ヤ――お前。いますぐディアナを確保してきて」

 

 ヤトに指示して、聖女さんの援護に行かせる。

 普通の人に夜人の見分けは付かない――というか俺もつかない――が、名前で呼んだらバレてしまう。ヨルンの使役する夜人と、大人verヨルンちゃんが使役する夜人が同一個体ではおかしいことになる。

 

 でもどっちみち夜人は危険な存在という認識が強まるのは避けられないだろう。ならば、せめて「ヨルちゃん」のイメージだけは守らなくては。

 

(夜人の存在が危険視されれば、俺の立場も悪くなる。庇ってくれた聖女さんも嫌われかねない……それは避けたい)

 

 このまま手を打たないのはダメだ。この事件は人々の想像を駆り立てる。絶対なにか勘繰られる。それがヨルンの手引きで襲撃者が来たとか、訳分かんない被害妄想だったら最悪だ。

 いや、それでなくとも夜人が危険視されて村に居られなくなったら辛い。聖女さんにも拒絶されたら生きていけない。

 

「勘違いしないで貰いたい。私は村人を助けに来た」

 

 ……駄目ですね。とりあえず言ってみたけど、紳士さんも村人も誰も信じてくれない。それどころか恨めしそうな目線が増した気がする。

 どうすればいい? どう誤魔化せば、ヨルン・ノーティスは悪くないことになる? 研ぎ澄まされた頭脳を回転させる。

 

 ヨルちゃんは良い闇で、大人verは悪い闇。

 そうすれば、同じ夜人を使役する闇魔法の使い手でも、事件解決後にヨルちゃんは拒否されない! ……と、いいなぁ。

 

 子供姿、大人姿。同じく夜人を使役する闇の力。

 襲われる村、小脇に抱えられて攫われそうなヨルンちゃん人形。ふむ…………閃いた!

 

「それで、聖職者が何の用? もしかしてお前も村人を助けに来た? ……それとも、これ?」

 

 小脇に抱えていたヨルンちゃん人形をゆすって指し示す。

 大人verとヨルンがここまで似ていて無関係は通らない。ならそれを逆手にとってヨルンちゃんは良い奴アピールをしていく。

 

「これはダメ。闇の存在のくせに、その力で人を傷つける事を拒否した不良品。あろうことか、逃げ出した裏切り者」

 

 村人にも聞こえるようによく通る声でいう。

 

 よくある設定だ。生まれつきか、後付けか、邪悪な力を手にしてしまったが、それに耐えられず逃げ出した子供。そして主人公に保護されて、主人公を悪の組織との争いに巻き込んでいく……という設定。

 

 その立場なら俺が不吉な闇の力を持っていても敵視されない……はず!

 

「夜人は術者の意志をよく反映する。私のように害意を持てばこんな村、いともたやすく壊滅できる。だけどコレは甘すぎた。力は有れど人一人殺せない」

 

 ちょこっとヨルンちゃんが操る夜人なら危険じゃないよアピール。

 大人ver俺が悪者になればなる程、子供ver俺は被害者になれる。そういう寸法よぉ!

 南都でシオンがやったように、悪役を演じていたら少しテンションが上がってきた。しかしすぐに冷や水がかけられる。

 

「今日、私たちはコレの回収に――」

 

「じゃあそんな奴、さっさと連れて行きなさいよ! 私達は関係ないじゃない!!」

 

 突然、背後から甲高い叫びが聞こえた。村人の声だ。

 

「そ、そうだ、俺たちを解放してくれるならソイツはくれてやる!」

「だから言ったんだ! 闇に関わると碌な事がないって!」

「し、静かにしなさい! 騒ぐんじゃない!」

「……ぇ?」

 

 命の危険に晒された村人たちが、助命のためにヨルンという生贄を差し出す。何人かの衛兵や冷静な大人が止めるが火種は燻ったまま。

 ヨルン人形に注がれる責任追及の目。溢れる命乞い。背後から感じる圧力に、俺は作戦の失敗を悟った。

 

(あ、これ……最悪なパターンだ。事件が終息しても俺の立場がなくなる奴だ)

 

 たしかに俺のセリフから考えると、この襲撃を招いたのは「ヨルン」だろうけど、思っても言うか普通……そういうこと。こんなに小さいんだぞ、可愛いんだぞ。

 

 ちょっと悲しくなってしまう。近くにいた夜人が慌てて慰めてくれた。

 

 だが、同時に何人かの夜人が俺への悪意に反応した。最初に叫びあげた女を締め上げようと村人の群れに向かって動き出す。

 夜人の雰囲気が一転。全身から瘴気を立ち昇らせて、一歩一歩踏み締めるように進む。村人が息をんだ。

 

「――きゃぁあ!」

「うぉお!?」

 

 止める暇も無くあっという間に戦闘が始まった。

 夜人と夜人の殴り合いだ。人々は身を護るように屈んで、その上で暴虐の黒い嵐が吹き荒れる。

 

「な、なに……?」

 

 戦闘が早過ぎて目が追いつかない。周囲の家に何かが突っ込んだと思ったら、瓦礫の中から夜人が飛び出てきた。

 数体の夜人が全力で並走している姿は黒い風にしか見えない。鳥が巻き込まれて挽肉となる。

 

 夜人達はまるで村人を襲う立場と、護る立場に別れているかのように仲間内で争い合っていた。

 

 中でも一番荒れているのは佳宵だった。

 首に赤いリボンを巻いた夜人が、10人近い夜人相手に乱戦を繰り広げている。隙を見て人間に近づこうとして止められる。

 

 一体何事かと数舜呆ける。だけど気が付いた。

 

「……ま、まさか」

 

 腕の中のヨルンを見る。

 

 これはあれか? ヨルンの時に命じていた「村人の護衛」が発動したか?

 なにせ、さっき俺を蔑んだために、村人が過激派の夜人から敵意を買ってしまった。激しい戦闘に巻き込まれ、渦中で凍り付いている人が先ほど叫んでた女性だろう。

 ……なるほど、そう考えると辻褄があう。何が悲しくて、村人護るつもりが襲う事になったのか。

 

「は、はは」

 

 どうしようもない展開が続いてつい笑みがこぼれ堕ちた。

 ちなみに過激派筆頭は佳宵っぽい。俺に悪意を向けた村人を、どうにか襲おうとしては周囲に止められてる。

 でも、それを知らない村人が叫んだ。

 

「見ろ!! アイツ赤いリボンをつけてる! ヨルンの夜人だ!」

「ま、まさかアイツ、守ってくれているのか俺たちを!?」

 

 いいえ違います。貴方達は狙われています。ちなみに攻めも守りも俺の夜人です。

 

 だが、それを知らない村人は、少しずつ声を上げて佳宵を応援し出した。

 それに「ふざけんな!」と佳宵がより荒れる。纏わりつく同僚を弾き飛ばして、全力の咆哮。応じて歓声が増した。……なんだこれ?

 

「止めろ……! もういい。もう全員、指示あるまで動くな……!」

 

 どうして全部悪い方向に事態が進んでいくのか。

 ダメだ。上手くいかない焦りと苛立ちで短慮になってしまう。一度冷静に立ち直れ。ここから、状況を好転させるには――。

 

「いまだ!!」

 

 ドンっ、と背中に衝撃。

 

「返せ……! ヨルンを返せよ!」

「お、前ッ!」

 

 突然、背後から突っ込んで来たのはリュエールだった。

 脳内で銀鉤があわあわしている。周囲の夜人も驚いているが動く気配はない。あ、そうだ。俺が止まれって言ってしまったから――

 

「ぃ……!!」

 

 リュエールの手から魔力が発せられ、俺の体を突き抜ける。視界が瞬き、喉から空気が漏れた。がくんと膝が折れてヨルン人形を離してしまう。

 

「こい、つ!」

 

 彼はまだ戦闘魔法を覚えていない。これはただの魔力通しだ。凄いくすぐったいし、息も上がる。でも、それだけでしかない。決してその技で敵は倒せない。

 なのに、コイツ……俺の「止まれ」と言う指示を聞いて、一瞬の判断で突っ込んできやがった!

 

「ぎんこ……う!」

 

 慌てて抱き着いているリュエールを振り払おうとするが、力がでない。何とか銀鉤にオーダーを出して体の操作権を委任。

 

 その瞬間、リュエールが吹き飛んだ。どうやら銀鉤の操作で"俺"が蹴っ飛ばしたらしい。

 気持ちいい程飛んだから、無事か心配になったが手加減はされているようだ。転がったままこちらを睨むリュエールを見下し、荒れた息を整える。

 

 地面に落としたヨルンちゃん人形を拾おうとして……また、アイツが走ってきた。

 

「止めろ! ヨルンに触る、な――ぐっ!」

 

 大きく伸ばしたリュエールの手を半身に躱して、手首をつかむ。そのまま相手の勢いを殺さず足を払い、一回転。地面に叩きつけながら抑え込む。

 ここまで、ぜんぶ銀鉤。俺に格闘技なんか無理なのです。

 

「力は無い。動きが遅い。頭も悪い。そして、なにより諦めが悪い」

 

 可動域を超えて、背中側に押し込んだリュエールの腕を締め付ける。そのまま罵倒。彼は悔しそうに顔をゆがめた。

 ここまで、ぜんぶ銀鉤。あと口が悪いのは【夜の神】。

 

「力もない子供が出しゃばるな。お前ら無能な存在は漫然に生きて、無為に死ね」

 

 相手が俺だからよかったけど、本当の犯罪者相手にこんな特攻されては堪ったものではない。ダメだよって注意する。

 

「"コレ"を助けようとヒーロー気取り。そんな子供の夢は叶わない。いい気になっていた? なら、そろそろ目を覚ませ」

 

 痛みに耐えかねたのか、リュエールが涙を浮かべる。……あ~、かなり罪悪感が湧いてきたぁ。

 彼の事は嫌いじゃない。むしろ好感を持っている。優しいし、俺に構ってくれるし、甘い物もくれる。また明日遊ぶ約束だってした。

 だから……。

 

「だから、ヨルン、を……返せよ!!」

「ッ、こいつ!」

 

 ――魔力を操るのは簡単だという。

 

 俺は苦手だが、この世界の人にとって魔力操作は利き腕を使うのと同様の認識だ。使えて当たり前のもの。しかし、それは基本的な操作に限る。

 魔力を造魔器官から抽出して体外に排出する基本工程とは違い、この世界の人間でも非常に難しい応用技能も存在する。

 

 例えば、体内で魔力を循環させ疑似的な魔法陣を描き、体内で魔法を発動させること。

 例えば、詠唱を介さずに魔法を行使する無詠唱という技術。

 

 そして――いまリュエールが抑え込まれながら行った、造魔器官を意識的に動かすことで魔力を爆発的に練り上げる技能。

 

「ひぃ……ぐ……!」

 

 こいつキライ! また魔力流してきやがった!! しかもコレまでの比じゃない!

 一気に流れ込んできた他人の魔力に体が反応する。電流を流された時のようにビクンと体が勝手に跳ね上がる。

 飛びそうになる意識を無理やり繋ぎとめるが、思わず緩んだ力にリュエールが拘束から抜け出した。

 

「やめ、ろ! それに触れるな……!」

 

 リュエールがヨルンちゃん人形を奪い取ろうと動く。

 だめだ! アレは見せ札なのだ! 息をしているし、鼓動もある。だが決して目覚めないヨルンちゃんなのだ。

 あれを奪われると、余計に事態が混迷する!

 

「間に合っ――」

 

 ギリギリ、奪われる前にリュエールの服を掴めそう。ちょっと安堵した瞬間、俺の顔に衝撃が走った。意図した訳で無いのに横に流れる視界。ピシリと、仮面に罅が入る。

 

 視界の端に俺の頭部を叩きつけた物が目に入った。突き出されたのは白いステッキ。

 

「ヨルン! 大丈夫か! おい!」

 

 俺が立ち直る前に、リュエールは人形にたどり着いていた。不安と喜びの混じった顔で揺さぶって起こそうとしている。

 

 ……作戦を変更する必要がある。

 いますぐ、あれを奪還しなくてはいけない。そうしなければ大変なことになる。だが、俺の行く手を遮る者が居た。

 ――カツン、と。

 白いステッキを一回転させ、地面に突き立てる男。

 

「子供とはこの淀んだ世界の中で唯一、夢を許された者なのだ」

 

 紳士服の聖職者が良い笑顔で立っていた。

 

「いずれ子供も世界を知るだろう。どうしようもない現実と、抗い様の無い悲劇に打ちのめされて皆、大人になっていく。だけど、それを知らない間だけ人はヒーローでいられるのだ」

 

「……意味がわからない」

 

「つまりね私は、まだまだ子供だったという訳――だよッ!」

 

 言葉と共に突き出されたステッキを掴む。手首から先が黒い靄となって消滅した。

 

「っ!?」

 

 ステッキの勢いすら殺せていない。

 顔面に向かってきたから、反射的に首を上に逸らせる。ギリギリを回避するが、それが悪手だった。

 

「君は強いのだね」

 

 空しか見えない視界で足に衝撃。支えていた地面が無くなる。……いや、違う。両足の膝から下が蒸発している。

 宙に浮いて体が崩れ落ちる最中、肉体の操作権を再び銀鉤に譲渡。

 

(っ銀鉤!)

 

 残った左腕を振って空中でバランスを制御すると腕から着地。地面をつかんで跳ね上がる。その瞬間、地面を光線が焼いた。

 

「……光属性か。相性が悪い」

 

 消滅したはずの足で着地。

 腕と両足は一瞬で再構成されていた。ご丁寧にスーツまで直っている。しかし、急ごしらえなのか直した箇所からは、黒い瘴気が溢れていた。

 

「人は弱いな。怖いモノを見たら、体がすくんで立ち止まってしまう。ああ……私は今でも恐ろしい」

「……また意味不明な独白?」

「そう言うな。こうやってお道化ていないと、どうにかなってしまいそうなのだよ」

 

 奇襲から始まった戦闘に一息。紳士の男は言葉とは裏腹に余裕そうな表情で演ずる。

 

「では、怖くて動けないなら、どうすればいい? 簡単だ。そこの少年が私に答えを魅せてくれた……ヒーローになればいい」

 

 どんな巨悪にも立ち向かうヒーロー。苦難と悲劇に打ちひしがれても、心だけは燃え猛る正義のヒーロー。そうありたいと彼は言う。

 

「君は少年の事をヒーロー気取りと言ったね。では、君はそんな気取った子供にこの子を奪われた訳かい? あぁ、滑稽かな。ならば君は悪役気取りと言わせてもらおうか」

 

「……」

 

 紳士男はカイゼル髭を撫でつけてながら俺を煽ってきた。

 悪役気取りと言われたときは的確過ぎて少しビクっとした。けど、それだけだ。それよりも今はリュエールが気になった。

 

 ヨルンが人形だって気付いてないか? 怪しんでないか?

 紳士に気を配りながら伺えば、よし、まだ大丈夫のようだ。人形を抱えながら地面にへたり込んでいる。

 

(よし、よし……まだ大丈夫。ここから挽回できる。きっとできる)

 

 まず、紳士さんを無力化。リュエールから人形を奪還。そしてすぐさま聖女さんへの援護に――と、考えて気付く。

 

(あれ、聖女さん……どこ行った?)

 

 集会場に有ったはずの気配がない。どこだと探せば彼女の気配は、いま、俺の真後ろにあった。

 

「――!!?」

 

 反応できたのは奇跡だった。

 うなじにピリッとした感覚が奔り、何も考えずに地面に伏せた。同時に聖女の手刀が俺の髪を数本切っていった。

 

「いつの、まに!」

「皆さん! 今です!」

 

 周囲の屋根から伏兵が立ち上がる。光を帯びた矢がこちら目掛けて雨のように降り注いだ。

 

(ああ、無理! 無理! 銀鉤パス!)

 

 雨を避けることなどできようはずもない。打ち払い、逃げまどい、なんとか致命傷は避け続ける。何本か体に刺さるが痛みはない。光と闇がせめぎ合い、矢は脆くも崩れ去っていく。

 

 操作権を委任していた銀鉤が射手に向かって手を伸ばした。集まっていく闇の魔力に、なんとなく嫌な予感がしたのでそれは駄目と伝える。

 

 相手はこっちを殺す気だ。しかし、不思議と恐怖は無いし負けるとも思えない。夜人もそれがわかっているのか律義に俺の待機命令を守っていた。

 しかし一切遠慮のない射撃に晒されて、俺は回避を続けるしかない。

 

 止めていた夜人に参戦命令を下すか? だけど、それも危なくないか?

 相手はこの村の駐屯兵団だ。村人を広場に集めた時とは違い、本気の戦闘になるだろう。怪我人も出かねない。

 

(……わかった! 影に潜め銀鉤! ヨルンちゃん人形回収して、もう逃げる!)

 

 後の事は後の俺が考えてくれるでしょう! もう、ここは一時退却しかない!

 

 え、本当にいいの? と言いたそうな銀鉤の動きを気にせず号令をくだす。

 矢の連撃に耐え兼ねたように地面にもぐりこみ、リュエールの影から現れる。こうすれば……あれ? なんでここにいるの隊長さん?

 

「阿呆が。狙いがバレバレだ」

 

 いつの間にか隊長がリュエールのすぐ隣で剣を構えていた。

 

 「待って」と言う暇も無く、輝く剣で頭部を一閃。

 パキン――と。罅の入っていた仮面が割れて地に落ちた。

 

 

 




Q なんで村人襲ったんです?
佳宵「襲ってねえ。ちょっと脅そうとしただけだっつーの」

なお護衛班から危険と判断されて妨害された模様。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

襲撃者その2(ガチ)

 

 時間は少し戻り、ヨルンが広場に村人を集めている頃――

 

 

 村の危機に今すぐ助けに行きたかったが、私達は動くに動けずにいた。

 

 拘束衣を纏った【勤勉】を名乗る教団幹部。これが厄介。以前に対峙した【純潔】に勝るとも劣らない濁り切った死の気配を放っている。

 対するこちらは最悪の条件下。私達二人で戦っても勝算は低いだろう。

 

「……けど、こうやっていても仕方ありませんか。レイトさん」

「ああどっちみち、俺たちでやるしかない。ならさっさと終わらせて次は外の敵だ」

 

 逃げる事はできない。逃がす事もできない。

 こうして時間を浪費している今も、村は災禍の真っ只中にある。覚悟など疾うに決まっているのだから、後は為すべきことを為すのみ。

 

「分かってるじゃねぇか。そうだ、仕事はさっさと終わらせるに……限る!!」

 

 轟――! と。敵が腕を振るだけで周囲の小さな備品が舞い上がった。

 大男の剛腕と正面から打ち合えば隊長さんの細腕など容易くへし折れる。それは剣も同様だ。鉄だろうと簡単に歪んでしまう。

 

 故に隊長さんは【勤勉】の腕を受け流した。左右へ上下へ、腕の側面に鋼を押し当て、斬るのではなく逸らす。

 なんで火花が出るのか不思議だ。拘束衣が鉄製なのだろうか?

 

「ふぅん。やはり、やる方かお前」

 

 人間はもとより、この世界での弱者。多くの魔種には体格で劣り、魔力も少ない。でも滅ばずにここまでやって来た。それはひとえに技術の力。

 10秒、20秒と続く殺し合い。先に動いたのは【勤勉】だ。接近戦ではキリがないと考えたのか、距離を取った。

 

「フンッ、ほ、ハァ!」

 

 大男が椅子を投げる。テーブルを掴んで振り回す。子供の癇癪のように、手当たり次第に目につく物を利用してくる。隊長さんはそれを辛うじて避け続けた。

 

「おいおい、あんまり荒らすなよ。後で掃除が大変だな、こりゃ!」

 

 隊長さんはまだ余裕そうだった。よくそんな軽口が言えるなぁと思いながら補助魔法を唱え続ける。要所要所で相手の気を逸らし、あわよくば攻撃にも回る。

 

 徐々に剣戟の激しさが増していく。重く鋭く、より疾く。

 私も短い詠唱で数多く。威力は低いが、相手の視界を遮ったりバランスを崩したり。

 

 その隙を突いてレイトさんが動いた。打ち払った家具の破片を目隠しに踏み込み一閃。大男の首筋に小さな傷が刻まれる。

 

「あーめんどくせぇ。さっさとを俺に仕事をさせやがれ!」

「右腕に魔力が集中! レイトさん、何か来ます。引いてください!」

 

 爆発的に膨れ上がった敵の魔力。恐らく一撃をさらに重くしたもの。掠るだけで肉がこそげ落ち、周囲諸共吹き飛ばすだろう。

 私は慌てて防御魔法の展開を始める。だが、それは無意味となった。

 

「な!? こいつ……ッ!?」

 

 大男が驚くと同様に私も息をのんだ。引けと言っているのに、隊長さんが身を晒す様に相手の懐に飛び込んだせいだ。

 

「おぉおおお!!」

 

 しかし虚を突いていた。ほんの僅か、一秒に満たない寸刻だが敵が戸惑った。

 

 その時間があれば十分すぎた。隊長さんが剣を振るう。

 凝縮された筋の壁を乗り越えて、相手の骨を断つ――

 

「ッ、だめか!」

 

 ――には固すぎた。

 剣は僅かに腕へと食い込んだ所で止まっていた。それどころか大男に剣を掴まれる。

 

「やっと、捕まえたぜ。ここからは俺のッ――ぐおぉお!!」

 

 隊長さんを抑え込み、甚振ってやろうといい気になっていた男の顔に魔法を打ち込んでみる。効果は今一つ。でも逃げるだけの隙は出来た。

 

 緊張で早まった鼓動を感じながら、隊長さんを責めるように睨め付ける。

 

「危ないです! レイトさんは無理しないで動いてください!」

「ああ、悪いな! じゃあ安全に、しっかりしたサポート頼むぞ!」

 

 次々と聖魔法を飛ばすが、同士討ちする恐怖は無い。隊長さんの腕は【純潔】との戦いでよく理解できていた。彼もそれを理解しているのか動きに迷いがない。

 

 でもたまに「ここで援護しろ」と言わんばかりに、防御を捨てた攻撃をするのは止めて欲しい。信頼されているのだろうが、失敗すれば死へ一直線だ。

 

「こいつらぁ……ッ!」

 

 次々と【勤勉】の体に傷が刻まれていく。

 噴き出る鮮血を撒き散らしながら、顔を憤怒に染めて大きく手足を振り乱す。出血は無理やり筋を膨隆させて止血しているらしい。

 

 ――弱い。

 それが私が抱いた率直な感想だった。

 腕力は脅威そのもの。耐久力も人外染みている。巨体の割に俊敏に動くし、体力も無尽蔵のように思える。

 だが……精々が一流止まり。

 上層には入れるだろうが、最強には届かない。

 

 世界の天蓋に君臨するような、人智を凌駕する絶対者にあるべき威がない。

 

(いや、なにか見落としているはず。ムッシュ司教のこともある。……必ず、なにか)

 

 ムッシュさんの死体は変わらずそこにあった。

 無念と絶望に濡れた死に顔。自分が敵の技を見抜けていたら、何か変わっただろうか。

 

(……どうしてあの時の技を使わないの? いや、もしかして"もう使ってる"?)

 

 相手ばかりに傷が増えるのに、どうして敵はあんなにも余裕そうなのか。このまま戦えば後5分もせずに私達が勝つ。だが、作戦が上手くいってると言わんばかりに嗤った表情はバレバレだ。

 

 もしかしたら、全てが相手の策略?

 

 相手が手を抜いている様子はない。けど、傷を負う事で発動する魔法も少なくない。

 簡単なものでいえば、ダメージを負う程に力を増すもの。飛び散った血を媒介に召喚術を行うもの。あるいは罠として使う魔法。

 

「っ隊長さん!」

 

 そんな事を考えていたら、隊長さんの足元にあった血溜まりから真っ赤な槍が飛び出した。ギリギリで防御魔法を挟み込んで対応。

 

「助かる!」

 

 そう言いながら、隊長さんは一切周囲を警戒しない。

 ……だから警戒を捨てるのは止めて欲しい。さっきから私が防御担当になっている。

 

「おぉっと、バレてしまったかぁ。無念無念」

「それなら少しは残念そうな顔をしたらどうだ!」

 

 奇襲を皮切りに、次々と槍が部屋中に出現するが必要なモノだけ防いでいく。

 おそらくこれは見せ札の一つに過ぎない。この程度で、教団幹部になれるはずがない。

 

 傷と言えば【純潔】も血を媒介とした病を使っていたが……それは純潔の切り札だったから、使えないだろう。

 あと有って欲しくないモノはやはり、負った傷を敵に押し付ける【転嫁】とかいう禁呪だろう。昔、教団の幹部が使っていたという情報が――

 

 ゾワリと肌が泡立った。

 大男が、こちらをみて口を歪めている。

 

「レイトさん! 少し待ってください、いま強力な防御魔法を展開するので、一度引いて!」

 

 沸き上がった嫌な予感に慌てて隊長さんを制止する。一度、冷静に立ち返るべき……だが、全ては遅かった。

 隊長さんが距離を取ると同時に勤勉が大きく手を打った。

 

「反転、因果応報、斯く在れかし!」

 

 ……柏手の音だけで、何も発動しない。魔力の流れも、魔法の発動も感じない。

 なのに言葉と共に勤勉の傷が消えて、私達の全身から血が噴出した。

 

(っまた、何も見えなかった!?)

 

 何事かと傷口に手を這わせる。

 まるで斬られたかのように皮膚が裂けていた。それは隊長さんが敵に刻んだ傷と全く同一の場所。

 

 首や顔、特に腕が悲惨だ。一部は骨に達して太い血管も切れている。

 とめどなく溢れ出す血に眩暈が生じ、無意識に膝をついてしまう。

 

 隊長さんはもっと最悪だ。

 いきなり生じた傷に動きが阻害され勤勉に殴り飛ばされていた。嫌な音を立てて壁に激突する。

 

「ふーむ、二人に分割で返ったか。まだまだ精度が荒いな」

 

 慌てて立ち上がろうとしたが、私も同じように蹴り飛ばされた。痛む体に意識が軽く飛ぶ。

 

「発動条件が面倒だ。相手次第というのも気に食わんぞ。馬鹿が相手ならどうすればいいやら。夜しか使えない点も改善が必要か? ふぅむ……いまいち」

 

 自分の魔法効果を検めるように大男が見下ろしてくる。まるで実験対象を見るような視線で、それがとても不快だった。

 

「場合により無駄な会話が必要なのも減点。……もう少し実験が必要だ。まあ丁度、村人が大勢いるだろう」

 

 その言葉に頭が真っ白になる。

 いつの間にか拳を握り込んで爪を立てていた。

 

「……なんで」

 

 なんで、教団の人間はどいつもこいつも、人を人と思わないのか。どうして簡単に命を蔑み、禁忌を厭わず土足で他者を踏みにじれるのか。

 それは倫理観や道徳の範疇ですらない。もっと人間として、同種たる仲間に行ってはいけないという本能的な部分が欠落した行為。

 

 こういう人間の類がヨルちゃんを生み出したのだ。

 

「なら、負けられない……」

 

 彼女は未だ囚われている。

 自由とは程遠く、這い寄る影におびえて夜も眠れない。理由を聞けば、心配なのだと一言零して、慌てて誤魔化していた。

 

 彼女は誰にも相談できない。自分を狙っている者がいる事も、助けて欲しいという願いすら、彼女は私に言ってくれない。

 

 ああ――そうだろうとも。

 容易く死病を撒き散らす純潔や、自分の傷を敵に押し付ける勤勉。こんなバケモノ共が相手では、頼るという事は死んでくれということだ。

 優しい彼女が言ってくれるはずがない。

 

「なら私は、もう、負けられない……」

 

 押し付けられた傷は、治癒魔法を受け付けなかった。

 同じ大きさの傷でも受けた人間によってその深刻さは変わる。大男にとって浅くとも、私に移れば深い切り口となる。

 地面は既に血だまりだ。腕は神経が切れたのか動かない。でも魔力は残っている。ならば傷など放っておけ。

 

 とめどなく溢れる血液はそのままに立ち上がる。

 

 頼れる人になりたい。

 あの子が無邪気に遊んで暮らせる世界が欲しい。

 

「ここで勝たなきゃ、あの子が安心して眠れない……!」

 

 そのためならここで一擲する。覚悟を持って顔を上げる。

 少しだけ、世界が違って見えた。

 

 今まで気にならなかった夜の空気が紛い物に感じてくる。

 あんなにも恐ろしかった敵すら霞んで見えた。

 

 ああ、なるほど。この空間が恐らく――

 

 ――ぽすん、と背後から頭を撫でられた。

 

「ええ。貴方には彼女の隣が良く似合う。だけど、一人で頑張り過ぎるのが悪い癖ですね」

 

 気配は感じなかった。だが、この声を私は知っている。

 かつて戦った仮面の教団幹部。倒すべき敵であり、ヨルちゃんが倒したはずの敵。

 

「負けたっていいんです。生きて乗り越えろ、それが貴方の糧となる」

 

「純潔ッ!!?」

 

 予想外の挟み撃ちに初動が遅れる。

 慌てて振り返るが、遅い。純潔は既に攻撃を終えている。

 

 ギィィイン――と。

 気付けば純潔は私の横を通り過ぎ、勤勉とせめぎ合っていた。

 

「……なんのつもりだ純潔」

「さて、それはこちらのセリフですねぇ。どうして、ここにいるのですか勤勉。ここを襲撃する役は私が立候補したはず」

 

 純潔はこちらを無視して、勤勉に襲い掛かる。

 

 一振りの大きい勤勉に対してより俊敏な純潔。

 翻弄するように室内を縦横無尽に利用する。天井を蹴り、壁を伝い、懐に入り込んだと思ったら股下を抜けて背に回る。

 そのまま純潔は自分の腕を刃物に変形させると、心臓に突き刺した。

 

「がふっ!?」

「ふむ。あなた、人間を止めてませんね。()()()()です」

 

 引き抜いた刃に指を添わせながら、付着した血を確かめる。そしてつまらなそうに振り払った。

 

「だから弱いのですよ。半端者」

「……い、言ってくれるじゃねぇか、異常者が」

 

 心臓を潰した程度で人は即死しない。

 所詮、心臓は代替の利く臓器の一つでしかないからだ。体内で魔力を自在に循環できる腕を持つ魔法使いならば、同等の要領で血液循環すら再現する。

 しかし放置すれば致命傷である事には変わりなく、勤勉は脂汗を垂らして呻き声をあげた。

 

 突然の乱入と同士討ちに私は見ているしかなかったが、事態は止まらず動き続ける。

 

 勤勉が再び大きく手を叩いた。

 先ほど、私達に傷を押し付けたあの技だ。まるで時間の逆再生のように心臓の傷がふさがり、代わりに純潔の胸元が黒く塗れる。

 

「く、くははは。どうだ、俺の技『愚か者の因果応報(リトゥリビューション)』は効くだろう? すべてがお前に跳ね返るぞ!」

「ふむ、元より私に心臓は無いのですが……」

 

 自信満々に告げる勤勉と、それに大したことないように答える純潔。なんとも理解しがたい会話だった。

 

「ですが貴方、ウソつきですねぇ」

 

 純潔は自分の胸を見て、横で警戒を続ける私達を見た。そしてつまらなそうに外の景色に目を移す。

 

「全てがウソ。勤勉というから期待したのですが……所詮その仕事は欺瞞に過ぎず、積み上げたモノのは虚栄の山」

 

 パチンと、指を叩く。

 それだけで世界が割れた。

 

(……なるほど)

 

 まるで今までの出来事が無かったかのように、体から痛みが消えている。服も出血痕すら残っていない。

 それは隊長さんも同様だった。そして部屋すらも荒らされる前に戻っている。

 

「夜に発生する魔素を利用した仮想世界でしょう。なるほど、夜を恐れ、真なる闇を知らない者ほど気付きにくい仕組み」

「キサマ……まさかもう!?」

 

「発動条件がいまいち不明。基本的には幻覚を用いた魔法のようですが、自由自在とはいかない様子。さて、治ったようですね」

 

「全部ウソ……?」

 

 希望を抱いてムッシュ司教を見る。そこには元気な姿で立つ紳士姿の男が……いなかった。だが死体も無い。最初から存在していなかったかのように彼の痕跡一つない。

 

(え……? ムッシュさん?)

 

 なんとなく、勤勉の技は理解できた。

 あれは空間ごと自分の仮想世界に相手を閉じ込める技だ。

 

 主な作用は幻覚であり、それが解けた今、ムッシュさんの死も幻だったという事になるのだが……なんで彼は居ないのだろう?

 

「まあいい。それで、なんのつもりだ純潔……! なぜ、その聖職者共を助ける?」

「おやそれを聞きますか、無粋ですねぇ。無論――――愛ゆえに!」

 

 寒気がしたので二人の会話に集中する。

 ムッシュさんの事は気になるが、後回しにせざるを得ない。

 

「……何ですか。文句あるんですか?」

 

 どうやらこの男、仲間からも嫌われているらしい。

 皆が同じ目で純潔を見る。なんだコイツという目。

 

「……まさか惚れたか? そういえばお前、一度コイツに負けてから愛だのなんだのと言うようになったな……そういう事か?」

 

「恋慕、礼讃(らいさん)、恋愛感情。表現はどれも陳腐で不適切。便宜上、愛と呼んでおりますが、私のコレはそんなものでは言い表せません。しかし、その一種と思ってもらって結構」

 

 全然結構じゃない。

 なにがどうなれば、そうなるのだ。切実に止めて。

 

 寒気と嫌悪に身を震わせていたら、何かが服を引っ張った。

 

(……ヤトさん?)

 

 周囲の目から隠れるように私の影に潜む黒いモヤ。こちらの視線に気づいたのか、影から出た手は親指を立てた。

 

 どうやら助けに来てくれたようだ。

 ヤトさんを通じてヨルちゃんの存在を感じて嬉しくなる。

 

 冷静に状況を分析しよう。

 勤勉の技は、悔しいが仮面男の言葉で理解できた。もう引っかかることは無い。

 

 だが、それは彼の技の一つでしかない。先ほどから拘束衣のベルトが嫌な音を立てて、軋みを上げているし、おそらく彼の本番はここからだ。

 

 さらに純潔も何故か、助けてくれたが……助けてくれたのだろうか? よく分からないから、第三勢力と思っておく。

 つまりここからは三つ巴の戦いとなる。

 この場にこれ以上残っても、意義は薄い。……それならば!

 

「うお! なんだ!?」

「行きますよ、レイトさん!」

 

 隊長を掴んで、反対の手でヤトさんの手を握る。そのまま影の中へ。

 

「しまった! 馬鹿野郎! お前が来たから、奴等が逃げたじゃねぇか! てかなんでアイツ等が闇魔法を使ってる!?」

「仕事のミスを責任転嫁。無能な勤勉とは嫌ですねぇ。貴方、良い上司になりませんよ」

 

 最後に、そんな二人の言い争いが聞こえた。

 

 




前回の場面の続きまで書けず……申し訳ない。
ちょと諸事情により次回も更新遅れます。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新たな実験体

諸事情で遅れております
短いです。すみません


 

 ヤトさんに導かれるままに飛び込んだ影の世界は、とても不気味な所だった。

 ヨルちゃんと一緒に見た夜空とは異なり、呑み込まれそうな深い黒。そこに赤黒い線が幾重にも走り胎動している。

 こっちが見ているはずなのに、逆に誰かに覗きこまれているような錯覚。不安を覚えて隊長さんの手をぎゅっと握る。

 

 現実の世界と影の世界は縮尺が違うのだろう。

 ほんの僅かな移動で現実世界に戻ると、既に集会場からずいぶん遠くまで来ていた。

 

「あ、ありがとうございましたヤトさん」

 

 純潔と勤勉という幹部二人に挟まれて、あのまま戦っていたら恐らく無事では済まなかっただろう。

 しかし彼は何て事はないと手を振って、再び影の世界へと沈み込んでいった。

 

 彼を見送りながら考える。今回の襲撃の目的は何だろうか。

 勤勉の目的は私と隊長さんを殺す事で、村への襲撃は予想外みたいな反応だった。しかも【純潔】と敵対していたように感じた。

 

 教団も一枚岩では無いという事だろうか?

 

 まあ、いい。それよりもまずはヨルちゃんの安全を確かめたい。

 純潔の時もそうだったが、彼女が標的となっている事だって十分考えられる。むしろその可能性の方が高いとさえ言えた。

 

 幸い、礼拝所には闇を祓う結界がある。

 各所の教会に敷かれる結界は、聖都エリサモルで高位聖職者によって作られた最高峰の結界であることが多い。

 例に漏れず、礼拝所の結界も十分な精度と強度を備えた一流の破邪結界。

 

 だからこそ、安心してヨルちゃんを一人残してきたのだが……礼拝所に辿り着いた私は絶句した。

 

「なに、これ……」

 

 ついさっきまで正常だった結界が淀んでいた。

 一流と謳われる結界が見る影も無く、汚らわしい何かに置き換わっている。まるで純水と汚泥が混じり合ったような空気。

 澄んでいる筈なのに神経を削るような不安感を覚える。光と闇が入り混じった悍ましい結界。

 

「ヨルちゃん……!?」

「お、おい! ディアナさん気をつけろ!」

 

 こんなに結界が改変されていて、何も起きて無いはずがない。

 隊長さんに制止されるが構わない。扉を乱雑に開け放つ。

 

(荒らされてはいない! なら目的は!?)

 

 一階の祭壇部分は変わりなし。

 結界の出力として残しておいた聖具【ミトラス】を取り外し、すぐに二階へと上がる。

 

 ヨルちゃんの名前を呼びながら寝室に入るが……もぬけの殻。

 

 まさか隠れている訳ではあるまい。

 いや、そうであって欲しいと思いながらクローゼットを開けたり、ベッドの下を覗き込むが誰も居ない。いくら名前を呼んでも、返ってくる声は聞こえない。

 

「……そんな」

 

 一人ぼっちの部屋で、無意識に聖具を握り込む。

 

 油断していた。無尽蔵の魔力を生み出す聖具と、一流の結界が有れば大丈夫だと思っていた。

 

 だけど現実は相手の方が何枚も上手。

 全てが陽動だった。私が負けじと戦っていたことは、何の意味も無かった。その時間で礼拝所の結界を改変。ヨルちゃんは連れ去られた。

 

 足元が崩れ落ちていくようで頭が働かない。温もりだけが僅かに残ったベッドへと倒れ込みたいほどの無力感に苛まれる。

 

 彼女は一体どこへ連れていかれたのだろうか。

 焦りと不安で呼吸が早くなっていく。……だけど、私は一人じゃなった。

 

「ディアナさんこっちだ!」

 

 隊長が手を引いてくれた。

 連れ出された礼拝堂の外には兵団の皆も揃っている。

 

「状況はコイツ等が知っていた。走りながら説明するぞ!」

 

 そう言って示してくれた一縷の希望。ヨルちゃんはまだ村にいた。

 彼女は多くの村人と共に広場で敵に捕らわれている。その周りには多数の夜人が居るが、その殆どが敵の支配下の存在らしい。

 

 それを教えてくれたのは、兵士さん達だった。

 彼らは自分達だけでは勝てないと知っていたからこそ、下手な事はせず、ずっと情報を探ってくれていたらしい。

 隊長さんが力いっぱい背中を叩いて褒めていた。

 

「よし、配置に着け。武器は持ったな? その時まで察されるなよ」

 

 広場に着くと指示に従い周囲へと散っていく。

 

 状況は悪い。だけど最悪じゃない。

 逆転の目は残されている。

 

 まだだ。まだ、折れる訳にはいない。そう意気込んで気合を入れ直す。

 

「……で、あのバカは何やってるんだ?」

「あ、危ないですよ! リュエール君……!」

 

 が、物陰から広場の様子を伺えば、なぜかリュエール君が仮面の女と戦っていた。

 蹴り飛ばされても負けじと挑みかかる。だけどすぐに囚われて地面に押し倒された。

 

 怖くてすぐ参戦したかったが、まだ兵士さん等の準備が終わっていない。

 

 あっ、あっ、と小声で悲鳴を上げていたら、しかしムッシュさんが参戦した。

 

 ステッキに魔力を通して長物として優雅に振るう。見惚れるような戦闘技能。

 奇襲という事もあっただろうが、仮面女の手足を瞬く間に奪い去った。けど、すぐに再生される。

 

「あいつも人間じゃねぇな。純潔の同類か」

「ええ……。三人目の幹部でしょうか? 注意が必要です」

 

 兵士さんの配置も終わり。準備が完了した。

 しかも、ムッシュさんはそのまま挑発しながら敵の気を引いてくれる。

 

 ここだ。

 一気に距離を詰めて私達も参戦する。

 

 

 

 

 

 

「エークセレント!! ナイスアタックである、ディアナ司祭! レイト兵団長!」

 

 村人と闇が集う広場で陽気な声が響く。

 外連味あふれたムッシュさんの声にしかし、私は動けなかった。

 

「よ、ヨルちゃん……?」

 

 パキン――と、落ちた仮面から見える素顔は彼女にとても似ていた。

 

 打たれた場所が痛いのか、額を押さえているが……指の隙間から見えてくる。無感動に冷めた瞳。きつく結んだ口唇は対話を拒絶しているよう。

 

 その人はまさに、最初に会ったヨルちゃんをそのまま成長させたような女性だった。

 隊長さんも兵士さんも、誰もが追撃に動けずに茫然と立ち呆けた。

 

「さぁさぁ、戦いはこれからである! さあ……さ、あ……」

 

 気合が入っているのはムッシュさんだけ。しかし彼も周囲の雰囲気を察して少しずつ声量を落として行く。

 そして沈黙すると、リュエール君と隊長、そしてヨルちゃんの傍で静かに護衛に立った。

 

 人は予想外の事が起きると、何も言えなくなるらしい。

 

 私達はこの女性の存在を想定していた。

 ヨルちゃんが「15」ならば、きっとそれ以外も居るんだろう……あるいは、居たんだろうと思っていた。南都で似た人物が現れたとも聞いていた。

 

 だけどこんなのは信じたくなかった。

 ヨルちゃんの奪還に動く人物が、まさか同じような境遇であろう人物だなんて。

 

「話を、させてください」

「……そうだな」

 

 隊長さんの了承を得て、警戒しながら近づいていく。しかし驚かせないようにゆっくりと。

 彼女もこちらの意を汲んでくれたのか夜人達に手で合図。互いに戦闘を止めた。

 

 月明りと僅かな篝火が照らす中、少し離れて向かい合う。

 

「……」

 

 どちらも無言。

 

 見れば見る程ヨルちゃんそっくり。

 姉妹と言っても通じるどころか、成長したヨルちゃんと言っても信じられる程に瓜二つ。

 

 なんと言えばいいのだろうか。まさか、貴方は誰ですかと聞いても素直に教えてくれるとは思えない。

 そう悩んでいたら、先に女性が問いかけてきた。

 

「お前は、それの事をどこまで知っている?」

 

「……その言い方は」

 

 ヨルちゃんを指さしてモノ扱いするように「それ」と呼ぶ女性。

 私は思わず訂正したくなったが、すぐに口を閉じた。今はそういう事を論争したいのではない。少し悩んで答える。

 

「おおよその事は知っているつもりです。闇を操る力が与えられた事も、心を凍てつかせていたことも」

 

 納得するように頷く女性。

 ここまでは想定内なのだろう。ならばと、私は一つ情報を投げかける。相手の反応を見たかった。

 

「そして、彼女が【15】である事も知っています」

「ん? ……そう。それは重吾。間違いない。でも、その情報は重要?」

 

 心底不思議そうに首をかしげる女。

 重要に決まってる。お前らが作り上げたのだから。それとも、番号など気にならないほど生み出しては処分して来たとでもいうつもりなのだろうか?

 

 いや、ついつい悪い方向に考えてしまいそうになる思考を振り払う。

 

「貴方は【15】という事に違和感を覚えないんですか? それを当たり前と?」

「己の名前に違和感を持つ人間はいない。私はお前の言っている事が理解できない」

 

「そうですか……」

 

 ただの番号を名前と言い切ることに悲しみが湧く。

 この女性も被害者なのだろう。しかもヨルちゃん以上に感情が希薄、あるいは洗脳されているのかもしない。そう思うと、遣る瀬無さが沸き上がる。

 

 しかし今大事なのはヨルちゃんだ。優先順位を間違ってはいけない。

 

「貴方はヨルちゃん……その子を連れ去ってどうするつもりなのですか」

「……ふ」

 

 よく聞いてくれましたと言わんばかりに、女性が邪悪な表情を浮かべた。そして饒舌に語る。

 

「それは失敗作。臆病で、戦うのが嫌いな甘ったれ。なのに、あろうことか逃げ出した裏切り者。そんな不良品の末路は決まってる」

 

 女性はヨルちゃんを蔑んだ目で見下していた。

 

 まるで用意していたかのようにスラスラと罵倒を並べ立てる。失敗作だとか、不良品だとか。ヨルちゃんを人間でなく兵器としか見ていないことがよく分かる。

 

「私が回収しなければいけない。それが、そいつの為になる」

「……そうですか」

 

 強い言葉を受けて隊長や兵士さんたちは、睨むように女性を見つめていた。怒気すら感じる。

 

 私も失望を感じずにはいられなった。

 

 ヨルちゃんと同じ境遇の人なら、きっと彼女の味方で居てくれる。どこかでそう期待していた。けどそれは所詮、幻でしかなかった。

 私は遠慮を捨てて核心を問う。

 

「貴方ですか? この子を産みだしたのは」

「私ではない。だけど、作った奴は知っている」

 

「そうですか。では、貴方は何番ですか?」

「何番。……ぇ、何番?」

 

 こちらを誤魔化すように、なんだそれはと首をかしげる女性。

 つい、ふざけないでと声を荒らげてしまった。

 

 女性がビクッと驚いた様子で、ゆっくり答える。

 

「……さ、三番……が好き、か……?」

「三番ですか」

 

 さすがに自分の製造番号は言いにくいのか、ぼそぼそと喋っていた。

 上手く聞き取れなかったから、確認がてら私も言い直す。

 

 周囲から「おぉ」と、どよめきが上がった。

 かなり上位番号。つまり、ヨルちゃんのお姉さんという事になるのだろう。

 

 だけど周囲のざわつきを受けて、何故か女性は不安そうに訂正する。

 

「い、いや。五番……かも」

 

 どうして言い直すのだろう。

 

「どっちですか! なんで二つも番号があるんですか!?」

「さ、三番……! 私は三番だ」

 

 つい詰問するように聞くと、やはり三番らしい。

 

「そうですか……」

 

 やっぱり彼女も被害者だった。

 

 なんで、教団はこんな事をさせるのだ。

 実験体に実験体の管理をさせる。しかも、それをおかしいと思わない彼女に憐れみとも、同情とも言えない想いを抱く。

 

「ば……番号なんて、どうでもいい。私はそれの即時返還を求める。応じられない場合は実力行使も厭わない」

 

「もう実力行使しているではないですか」

「……」

 

 どうやら対話は終わりらしい。

 突然黙ってしまった女性を相手に、こちらも戦う覚悟を決める。

 

「……勝ちましょう」

「ああ。捕らえるぞ、それが最善だ」

 

 隊長さんと頷き合う。

 

 同情で刃を鈍らせるつもりは無い。

 大事なのはヨルちゃんだ。それは変わらない。だけど、この人だって本当の邪悪という訳では無い。

 

 きっと知らないのだ。

 常識も、他者からの愛情も知らず生きてきた。彼女は教団の言いなりになるしか生き方を知らない子供なのだ。

 

 ならば大人がするべきことは、彼女を倒して懲らしめる事じゃない。

 彼女に色んな事を教えて、見せて、世界を知ってもらう事だ。彼女に自分の意志を持って貰う事。それが私達のすべき役目。

 

 そのために、落ち着いて話をしよう。

 

 そのために、まずは勝たせて貰うところから。

 

 




 番号……番号ってなんだ?
 とりあえず好きな番号を答えてみた。怒られた。byヨルン



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

争いとは無益なモノ

 

 

 静まり返った広場で聖女さんと向かい合う。

 彼女は辛そうな目で俺を見るばかりで、どうやら会話の時間は終わりらしい。今は互いに睨み合う段階だ。

 

 さて、どうしよう。

 …………どうしよう!

 

 俺は聖女さんと戦いたくない。だって危ない。

 

 夜人は手加減できるの? 闇送り――物質の消し飛ばしとか、どうやって手加減するの? 無理じゃん?

 けど、ヨルンちゃん人形は回収しないと大変なことになる未来しか見えない。しかも、今はリュエールの野郎の手の中にある。回収できない。

 

 ……あーもう。考える事が一杯で分かんなくなってきた。

 上手い具合に切り抜けるには、結局どうすればいいんだ?

 

 睨み合っている時間で状況を整理する。

 

 俺の今の立場は、村を襲撃して「ヨルン」を回収に来た闇の組織の女幹部。……という設定。

 「ヨルン」は闇の力を与えられただけの無垢な女の子。与えられた理由は不明。出身地は……あー、どこだろ不明。その辺。

 

 うん……。

 思い付きで行動し続けた弊害だね。設定あやふや。

 

 そういえば俺は出身地とか、家族構成とか、一人で森に居た事情を聞かれてない。誰も俺の事情は気にならなかったのかな?

 精神年齢はともかく、見た目はまだ少女。怪しさ満点なのだが……。

 

 まあ、その辺をファジーに誤魔化していたおかげで、こんな謎設定を作れているんだ。とりあえず前向きに考える。

 

(今更、異世界出身ですとか言えるわけ無いし、闇の組織出身ですの方が戸籍無いのも誤魔化せるよね。うーん? この設定、意外と便利?)

 

 図らずもヨルンちゃん身無し子の理由や、闇の力を持ってるバックグラウンドができてしまった。夜人も、ヨルンちゃんの奴なら危険じゃないよとアピールできた。

 

 塞翁が馬。まさかこれは幸運……と思ったけど、気のせいだった。事態が複雑化しただけや。

 

(てか教団の襲撃ショボいし。これじゃあ、騒動の原因ほぼ俺じゃないですか)

 

 シオンが得た情報は間違っていなかった。襲撃はあった。

 間違っていなかったのだが……。襲撃規模が俺の想像よりしょぼすぎる。もっと大々的に来るのかと慌てて参戦したのに、結果は俺が掻き乱しただけ。

 

 どっちかと言うと襲撃犯は俺。

 

(これ誰の所為? シオンの所為? うん。シオンの責任だよね)

 

 脳内の銀鉤が全力で頷いて賛同してくれた。……ごめん。冗談。

 

 シオンは正しい情報くれたんだから悪くない。この騒動の原因が俺とは言いたくないけど、たぶん俺の責任もちょっとはあったかな。ちょっとは。

 

 でも責任の多くはクソ鳥のせいだ。アイツ等が騒ぎ立てたのが悪い。

 もっと言えば、クソ鳥が産まれたのは日蝕のせいで、さらに言えば日蝕はヤト達のせいになる。つまり発端は……。

 

 こら、銀鉤。目を逸らすな。

 こら、シオンが全部悪いとか言うな。アイツは今も頑張ってんだぞ。

 

 気配を探れば、集会場では二つの気配が激しくぶつかっている。これがたぶんシオンだろう。

 

 彼は聖女さんと入れ替わるようにいつの間にか集会場で戦っていた。

 どういう経過でそうなったのか知らないけど、まあシオン良い奴だからな。助けに入って聖女さんを逃がしたとかだろう。

 あっちも心配だけど、夜人の護衛付けてるし多分大丈夫。

 

(うん。まずは自分の事から解決していこう。注意散漫になってきた)

 

 現実逃避みたいに逸れていく思考に歯止めをかけて、目の前の事に向き合う。

 

 結局の所やることは変わらない。

 戦闘はイヤだが、ヨルンちゃん人形さえ回収すればそれで終わりだ。

 

 そんで、明日にでも本当の姿に戻って「闇の組織から脱走して来たよ」とか言いながら村に帰ればいいだろ。

 色々質問されたら、覚えてないで押し通せばいいだろ。

 

 長い思考の果てに、結論。

 聖女さんにもう一度「人形返してよ」と問いかける。一瞬で拒否された。

 

「冗談を。貴方こそ、教団を裏切ってここで暮らしませんか? 安全を保障します。どうして、そこまで従順に従うのですか」

 

「……教団」

 

 教団……? ああ、そうか。聖女さんからすれば、同じ襲撃者たる俺は【黒燐教団】の仲間か。

 

 設定だけだった「闇の組織(笑)」が黒燐教団と同一視されてしまった。

 ……ま、いっか。じゃあ俺は教団出身という事で。

 

「冗談。私の居場所はどこにも存在しない。お前は何も知らないからそう言える」

 

 演じるは悪役。手本は南都で見せてくれたシオン迫真の騙り。

 とは言え俺が演技を頑張る必要は無い。【夜の神】に言葉を任せておけば、自動的に中二臭い台詞回しになるのだ。

 よく素面で言えるよね。恥ずかしくないのかな。

 

 ―― ……。

 

(ご、ごめんウソ。神様たすけて)

 

 久しぶりに夜の神の気配を感じた。なんかブチギレそうな雰囲気だったから慌てて謝る。ついでに、よいしょする。

 

 貴方が居てくれるから俺は生きていけるんです! いよ、最高神! 

 あと、できればこの演技を手伝って欲しいなって!

 

 ……機嫌直った? 

 直ったみたい。呆れてるような気配するけど、たぶん直った。

 

 協力してくれるのか、口が勝手に動き出す。

 しかし夜の神も何か思う所が有ったのか、村人への嫌味がちょっと込められている言葉。

 

「ソレは村人に拒絶されていた。見逃してくれるなら、勝手に持って行けと差し出した。なのに、なぜお前は引き渡さない?」

 

「……人間は弱いですから。そういう気持ちを抱く事も有るでしょう。全ての人に愛されるなんて不可能ですから、彼女を嫌う人だっているでしょう」

 

 でも、と聖女さんは続ける。

 

「私は拒絶していない。彼女にどんな背景があろうと、何を引き寄せようと、私が好きだから彼女と一緒に居たいんだ」

 

 彼女は目を逸らすことなく、真っすぐな瞳で見つめてきた。

 その内容と合わさって言われてる方の"俺たち"がドキドキする。

 

「……好、き?」

 

「私だけじゃない、兵士さんだってそう。リュエール君だってそう。好きな人を助けたいと思う事がそんなに不思議ですか?」

 

 彼女は堂々と胸を張る。

 命を懸けてでも彼女が好きだから守るのだと、その真情を吐露する。

 

 ま、真面目な顔でそんな熱烈アピールしないで欲しい……。

 いや、そういう意味で言ってるんじゃないという事は分かる。ラブではない、ライクね。知ってる。知ってるよ。

 

 でも恥ずかしい事は恥ずかしいのだ。

 だって、その、言われてる俺が本人だし……。

 

 嬉しくて、ちょっと照れて目線が下げる。ニヤついてしまわないように手を握り込んで爪を立てる。痛い。

 

「……」

 

 夜の神はなんか知らないけど、また気配消えた。たぶん照れて逃げたな。俺も逃げたい。

 

 これ以上、羞恥プレイしたくないから会話終了。

 

「聞くに堪えない。話は終わり。これから、あの人形を奪還する。邪魔する者は……」

 

 交渉ではヨルンちゃん人形を取り返せないのが分かったから、片手を大きく広げて夜人に合図。

 

 演出でも絶対に「殺せ」とは言い切らない。

 言った途端、マジで動きだしそうな奴等ばっかりで危険すぎる。

 

 銀鉤を通して夜人全体へ通達。兵士さんは絶対殺しちゃだめ、怪我もダメと。

 

 銀鉤は分かってると言わんばかりに頷いた。

 そして全体に通達された事を確認したら、手を振り下ろす。戦闘が始まった。

 

 

 

 

 

 

「来たぞ……! 全力でヨルンを護れ!」

 

 夜人と兵士さんが動き始めたのはほぼ同時。兵士の総数50に対して、夜人300位。

 

 飛んでくる矢がうざったいから、手始めに屋根の上に配置されている兵士の無力化だ。夜人達が次々と跳ね上がり射手へと襲い掛かる。

 

 だけど突然、兵士の体が淡く輝きだした。

 兵士を捕まえようと触れた夜人の手が崩れていく。それは一気に全身へと広がり、数体の夜人が砕け散った。

 

「cardinal【Sacristy Deployment】」

 

 何事かと思えば、聖女さんが聖具を握り込みながら呪文を唱えていた。

 彼女の胸元から放たれる白い光が周囲を照らす。淡く暖かい光。

 

 破邪の効果? 夜人が触るだけで、体の崩壊を招くほど強力な聖属性だ。

 

(えぇ……あの聖具、そんな強かったの……?)

 

 触れただけで夜人を殺すって効果ヤバすぎない?

 

 だけど死んだ夜人はすぐに再召喚された。

 俺は能力制御ができず、くしゃみが召喚の合図になってたけど今は銀鉤が制御してくれる。

 

 手を振れば、そっちの方に夜人がズラっと出現して、指を鳴らせばこれまた周囲の影から湧き出てくる。

 

 自由自在に扱える力がちょっと楽しい。

 銀鉤便利だわマジで。脳内でも嬉しそうに褒めてとアピールしてるのが可愛い……くはないけど、便利。

 

 対して佳宵。

 なんか広場の隅っこで多数の夜人に纏わりつかれて、鬱陶しそうにしてる。退けと言うように振り払っても、圧倒的数で押しつぶされていた。

 

 あいつ、別に今回は悪い事してない。

 動き出そうかなぁって所で周囲に邪魔されてた。たぶん信用の問題?

 

 ヤトまで参加して佳宵相手にワチャワチャしてるし……。

 お前ら自由か。銀鉤(いぬ)を見習え、銀鉤を。

 

「いい加減この矢が邪魔。まずは防御」

 

 まあ遊び組は放置して兵士に対処する。

 

 兵士たちは聖具の守りにより万全。夜人を気にせず次々に射掛けてくる。

 夜人達は軽々避けているが、俺は避けられないので対応を銀鉤にパス。

 

 矢を避けたり、撃ち落としたり。

 なんとか人形の元に向かおうとするが、弾幕が激しく近づけない。

 

 銀鉤も一々避けるのが面倒になったらしい。手を振って闇の帳を周囲に敷いた。黒いモヤが壁みたいになって聳えたつ。

 矢は壁に当たると軽い音を立てながら消滅していった。

 

 兵士が吼える。

 

「斉射も効果確認できず! 簡易聖矢では突破できません!」

「なら、剣に持ち変え! ディアナさんの加護を信じて往くぞ!」

 

 聖女さんの加護は得物にも伝達するらしい。矢と比べると更に強い光で剣が輝いている。

 

 兵士は剣を抜くと一気呵成に走り向かってきた。屋根の上にいた射手たちも弓を仕舞って、飛びおりて続く。

 

「……聖具ミトラス。アイツが作った神造魔具。相変わらず面倒くさい」

 

 なんか夜の神が愚痴っぽく教えてくれた。

 あと銀鉤がバツって感じでアピールしてくる。どうやら、この防御は矢を防げても剣は駄目らしい。

 

 ならばこちらも接近戦。夜人達を前方へ押し上げる。

 

「迎え撃って」

 

 兵士さんと夜人の群れが激突する。

 

 俺たちは不利過ぎた。

 夜人は無手であり、さらに相手に触れれば浄化される。

 加護持ちの兵士に触れてから完全浄化まで僅か3秒もない。

 

 まあ、それだけあれば夜人にとって十分か。

 崩壊しながらの格闘戦でも、ケガさせずに押しとどめる程度は可能らしい。

 

 兵士さんは無傷ながら津波のように押し寄せる夜人相手にたたらを踏んでいる。

 

 突撃する度に死んでいく夜人達。そしてまた召喚されて突撃、死んでいく。

 人、これをゾンビアタックと呼ぶ。

 

「何だこの物量は……! ふざけやがって、無尽蔵だってか!?」

 

 隊長さんが何か言ってるが、ふざけるなは俺も言いたい。

 

 聖女さんの加護ヤバくない? なんで神話生物相手に特攻効果もってるのー?

 でも慌てず騒がず夜人の再召喚を延々繰り返す。とりあえず、戦線は膠着させた。

 

「別に敵を倒す必要は無い。アイツの影から奇襲。奪ってきて」

 

 夜人には影同士を渡る能力がある。

 ヨルン人形の影から手を出して、引っ張り込むように指示。だが、それは読まれていた。

 

「そうですよね! ここから来ますよね!」

 

 夜人の奇襲は聖女さんの手により防がれた。影から出た手を掴んで、聖気を流し込んでいる。そのまま指示が飛ぶ。

 

「ムッシュ司教! 全ての影を消してください!」

「イエース。相手は闇の権化。夜こそ相手の本領である。なれば、来たれ明かりよ、照らせ世界を!」

 

 彼の声と共にいくつもの灯火が空に上がり輝きだす。野球のナイターゲーム並みに広場が明るくなった。いやそれ以上か。

 

 どこを見ても眩い光にあてられて目がくらむ。闇に慣れていた眼が潰された。

 なのに兵士達は一切動きが阻害されていない。たぶんそれも加護の効果。つまり卑怯。

 

「くっ……ヤ、いや。初魄もマズい? あー」

 

 名前が呼べないから指示が出しにくい!

 

 なんか後手後手だ。

 どうにか流れを取り戻さなければ――と思ってる内に相手がまた動いた。

 

 兵士が割れるように動き、聖女さんと俺の間に空白の直線が作られた。

 

「そうだ! 上手いではないか、ディアナ司祭! では合図は分かったね? いくぞ!」

「は、はい! ……え、本当にあの掛け声で?」

 

 聖職者二人が並んで魔法を唱える。

 魔力が混じり合って、一つになって……うん、たぶん合体魔法的な? 見る限り、なんかヤバそう。

 

「いくぞ! エクセレントェエエント!」

「え、えくせれんと!」

 

 なんか情けない掛け声で光の奔流が放たれた。

 それは何人もの夜人を貫き、俺も呑み込んでいった。

 

 ……もうやだ!

 

 

 

 

 

 

 闇の主たる女性――――「三番」が魔法の直撃を受けて広場が静まり返る。着弾地点では濛々と煙が上がっていた。

 

 黒い濁流のように雪崩れ込んでいた夜人達は動きを止めて、女性の居た場所を注視する。鳥たちも信じられないといった様子で黙り込む。

 

 今放った技は儀式魔法の一種。

 一人では到底、描写不可能な程に複雑化された魔法陣を複数人で構築することで発動する大魔法だ。

 本来はもっと大人数で時間を掛けて行うのだが、たった二人で強行したものだから疲労が強い。ムッシュ司教に至っては地面に崩れ落ちていた。

 

 これで勝てていなかったら、どうしよう。

 魔力は聖具ミトラスから供給されるから万全だ。しかし魔法行使には多大な集中を伴うため、何時までも戦い続ける事は出来ない。

 ディアナは肩で息をしながら固唾を呑む。

 

「はぁ、はぁ……っ! うそ」

 

 ゆっくりと煙が晴れていく。その光景を見てディアナは頭が真っ白になった。

 

 ここまで全て上手くいっていた。

 兵士たちの陽動から始まり、突撃に扮した時間稼ぎ。影からの奇襲だって防いだ。そして本命である大魔法も直撃させた。

 

 なのに、相手は倒れていない。

 纏っていたスーツはボロボロと焼け落ち、下着が所々見えている。純白のブラウスと熊さんパンツ。しかし、そんな僅かな成果も一瞬のうちに修復されていく。

 

 まるで「今なにかした?」と言わんばかりに不思議そうな顔で三番がこちらを見下ろす。

 

「死ぬかと思った」

 

 まるで感じさせない感情。恐らく本心ではない。

 

 それを証明するように、三番の言葉と同時に空に上がっていた光球が弾け飛んだ。

 

 瞬時に村が闇に包まれ注意が空に逸れる。

 それが悪かったのだろう。ディアナは突如、目の前に現れた三番に抑え込まれた。

 

「あぐっ! 止め……!」

「動かないで」

 

 両手首をつかまれ、吐息も感じそうなほどの至近距離。三番の方が背が高く見下ろされる姿勢だ。

 

 近くで見れば見る程ヨルンに似ている。

 しかし、そんな事を考える余裕はディアナには無かった。

 

「なに、が!?」

 

 一瞬で距離を詰められた事が理解できない。

 

 これまでの影を介した瞬間移動とは一線を画すもの。

 まるで空間自体が入れ替わった様な。あるいは移動の基点と終点だけが残り、過程が全て無くなった様な違和感。

 

 いや、そんな事を考えてる場合じゃない。

 抑え込まれて手が使えないなら、蹴ればいい。そう思ったのだが体が動かない。

 

 手足がしびれ、まるで力が出なくなる。

 眩暈が生じて無意識のうちに地面に崩れ落ちてしまう。

 

 ディアナだけでない。ムッシュ司教も、兵士も村人も。みんな斃れ伏して、死んでいるかのように動かなくなっていた。

 

(まずい! これ、まさか……あの時!?)

 

 思い出すのは純潔の時の戦い。

 あの時に感じた寒気や眩暈と、今の状態は非常に似ていた。体の奥底から湧き出るような不調。熱に浮かされるように思考が霞む。

 

「だめ……ここで、意識を持っていかれたら……」

 

 幸い死に瀕するような感覚はない。しかし朦朧とする意識。唇を血が出るほど噛み締め、痛みでつなぎとめる。

 

 その状態でも、なんとか抵抗手段を探るが無情な声が響いた。

 

「無駄な抵抗。既にコレは貰ってる。あいつの加護さえなければこっちのもの」

 

 三番が事も無げに見せるのは、さっきまで自分が首に下げていた【ミトラス】だった。

 ディアナはまさかと思って胸元を見るが、当然そこには何も無い。

 

 恐らく先ほど抑え込まれた一瞬で奪われたのだろう。あれが有ったからこそ、なんとか抵抗できていたのに。

 

「ついに、これを取り戻せる。やっと一息つける。ほんとうに……長かった」

 

 彼女は嬉しそうな声でヨルンを抱え上げた。

 なんともゆっくりした動作だが、それを止める事が出来る者は誰も居ない。

 

 そして自分がした事を確認するように、じっくりと周囲を見回す。

 倒れ伏した兵士と村人を見て、そしてディアナを見つめる。だが何故か悲しそうに目線を逸らした。前髪を弄っている。

 

 大事そうに抱えるヨルン。

 彼女の癖に似た、その仕草。

 

 ディアナは焦りと不安、恐怖がごちゃ混ぜになった頭で茫然とその様子を見つめる。

 

 しかし、それも僅かな時間。彼女は夜人達を引き連れて歩きだした。

 ディアナは動かない体に鞭打って、なんとか手を伸ばす。

 

「お願い、やめて……!」

 

 どうすれば止まってくれるのか。

 なんとか説得できないか。

 

 ディアナはヨルンと出会った日の事を思い出す。

 冷徹に見えて、しかし優しさを隠し持っていた少女。闇を悪じゃないと教えてくれた、子供らしい彼女。それがいま失われようとしている。

 

「お願い。待って……話を……」

 

 この人だって、本当は悪い人じゃない。

 

 だって兵士の誰も傷つけることなく戦いを終わらせた。今だって皆を殺すチャンスなのに、その素振りも見せない。

 まるでヨルンがディアナ達と出会う事なく成長した姿を見せられているような錯覚すら感じる。

 

 そして連れ去られれば、ヨルンは三番のように再教育されるのか。それとも処分されるのか。

 

 想像したくもない未来。

 ディアナは涙をにじませて懇願する。

 

 敗者としての恥も外聞も放り投げ、声を振るわせて願う。どうかヨルンを連れて行かないでくださいと。

 

「……」

 

 その声が届いた三番は歩みを止めて振り返った。

 

「……ごめん」

 

 叱られた子供のような声。

 

 辛うじて聞こえた謝罪を残してその日、事件は終わりを告げた。

 たった一人。ヨルンという小さな犠牲の爪痕だけを残して。

 

 





ヨルン  → 聖女さん泣かせちゃって気分最悪
ディアナ → ヨルンちゃん守れなくて気分最悪
勤勉 → ひっそりと負けてる
純潔 → 光と闇の愛を切り裂かれて失意。でもヨルン作製者の手がかり見つけたのはちょっと嬉しい。

争いは誰も得しない! (。д゜)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

普通の感性

 

 茶番襲撃事件から一夜明け、深淵の森の最深部。神殿第2層の会議室に俺は居た。

 

「反省会をする」

 

 大きなテーブルの一番偉い席につき、眼下に座る三人を見つめる。

 部屋にいるのはヤト、銀鉤、佳宵に俺を合わせた計四人。

 

「まず良かったところを褒める。最後の戦闘、私が魔法を受けた後の対応はよかった」

 

 紳士と聖女さんが放った合体魔法。

 あれを直撃した時は、死ぬかとビビったけど意外と何とかなった。

 

 だけどその時の焦りが夜人にも伝わったのだろう。それを機にヤトと佳宵が【変化】して参戦した。

 

 ヤトは空の光球を斬り飛ばし、佳宵は周囲に"病"を撒き散らした。病の症状は意識混濁と四肢の不全麻痺。しかし一晩で完治するという不思議病気。

 

 俺が戦っている時はずっと押されっぱなしだったけど、彼らの参戦だけで一気に状勢が傾いたのは格好よかった。

 ただ、二人とも夜人の山に押しつぶされて、終始埋もれっぱなしだったのは格好悪い。

 

 そう。ヤト達の参戦は全部後から知った事だ。

 当時の俺は二人が"変化"したことすら気付かなかった。彼等は雄姿を見てくれなかったと凹んでいたが、山で潰されて隠れてれば、そりゃね。

 

「次、悪かったところ。それ以外全部」

 

 なんだよ、ヨルンを攫いに来た女幹部って。

 なんだよ、あれは失敗作(笑)って。

 

 一晩たって冷静に立ち返ると、意味不明すぎた。あの場のノリで面倒な設定作ったなぁと反省。

 

 そもそもなんで、クソ鳥が俺の味方面して参戦してくるんだよ。全部アイツ等が悪いんだよ……。

 

「ん、どうぞ」

 

 丁度、会議室の扉がノックされて、コック帽子をかぶった夜人が入ってきた。

 

 持って来た皿の上には美味しそうな、から揚げが載っている。

 食欲を誘ういい匂いが鼻孔をくすぐる。ナイフとフォークで切ってみると、大量の肉汁があふれ出た。

 

「おー? ……欲しい人」

 

 四人の夜人が手を挙げた。というかコック、お前は自分で作れや。

 独断と偏見で、昨日一番の功労者である銀鉤にあげる。

 

「おいしい? ……そう。おいしいんだ」

 

 人面鳥のから揚げ。

 一緒に食べると聞かれても、俺は要らない。

 

 だってアイツ等、鳥のくせに首から上はマジで人間だったし。

 髪の毛あるわ、瞼あるわ、歯も鼻も全部人と一緒。鳥の首と人間の首を挿げ替えたと言うのが一番分かりやすい。

 

 でも殺す。

 アイツ等のせいで、こんな面倒なことになったんだ。責任は命で償ってください。

 

 そして目につく範囲の鳥を狩りつくせと命じた結果、数百羽の鳥が狩猟されてしまった。

 腐らすのも勿体ないから活用方法を探すように命じたんだが……。から揚げは予想しなかったな。一体誰が食べたいって言ったのかな?

 

「これで全部消費できる? ……無理? そう」

 

 銀鉤はとても嬉しそうに食べている。

 まるで美食レポーターのように、大げさに全身を使って感動をアピール。たまに自慢げに周りに見せつけて食べる。

 それを受けてヤトと佳宵がプルプルしてた。なんだろ、欲しかった?

 

「希望者に作ってあげて。ヤトと佳宵、欲しいなら後でコックから貰うといい」

 

 ……いる? 要らないらしい。

 

 なんでや。お前ら欲しがったじゃん。

 今も銀鉤を見て腹立たしそうに頬杖ついてるじゃん。

 

 コックには他の活用手段を模索するように指示。退出していった。

 

 別に料理に拘る必要は無い。俺は食べたくないし。

 鳥の他の使い道……なんだろう。肥料とか?

 

「……で、話を戻す。昨日の事件で、鳥の次に悪かったもの。ヤト分かる?」

 

「???」

 

 あんまり分かってない様子だが、暫くしてポンと手を叩いて気が付いた。

 

 ヤトが近くに置いといたヨルンちゃん人形を指さす。

 

「そう」

 

 正解だ。これがあったから、面倒なことになったとも言える。分かってるじゃないか。

 そしてヤトは紙に文字を書いた。

 

『性能、低かった、謝罪』

 

「そうじゃない」

 

「……???」

 

 ダメだ。こいつ理解してない。

 俺はため息をついて、説明する。

 

「こんな目覚めない人形、怪しいよね。しかも持ってくるタイミング。最悪だよね?」

 

 そう言って叱責すると、ヤトは申し訳なさそうに謝罪した。

 

 うむ。

 こいつら馬鹿では無いから、言えば分かってくれるのだ。

 

 そしてヤトは紙に文字を書いた。

 

『次、自意識、つける』

 

「違う。そうじゃない」

 

「……???」

 

 なんでコイツは人形に対して自信満々なのか。目覚めないのが不満とは言ってない。

 お前らが思ってるほど、それ必要としてないぞ俺。勘弁してくれ。

 

『一杯、在庫、作った』

「え? ……何の在庫?」

 

 聞きたくない。嫌な予感が止まらない。

 そう思っていったのに、会議室の扉が開いて次々に運び込まれるヨルンちゃん人形。みんな同じ姿形。そして裸。

 

 なるほど。

 ……なーるほど。

 

 自分のクローンを量産された気分だ。

 

「……裸」

 

 エロさは微塵も感じない。

 この人形はまだ起動してないのか、息してないし、生気も感じない。

 

 まるで死体だ。そんな裸体が山なりに折り重なったところで不気味さしか感じない。

 

 で、こんなに一杯いつ使うのさ。

 在庫一杯、壊れても安心? 大は小を兼ねる?

 

 ……ばーか。お前らばーか。

 

「処分して」

『!?』

 

「全部処分」

『!!?』

 

 一体足りとも残すな! 今から焼却するぞ!

 ヤトと佳宵に縋りつかれながら人形を運び出そうとしたら、しかし待ったが掛った。

 

「ヨル、分かってない。これ凄いよ?」

「銀鉤……?」

 

 一日1回しか使えない変化をしてまで、俺に進言する銀鉤。

 彼は子犬姿で一つのヨルンちゃん人形に近づくと、前足で確かめるようにポンポンと叩いた。

 

「構成因子は足先から髪まで、ぜんぶ生体由来。内臓も中枢神経も完全再現。魂が入ってないだけで、肉体っていう器は完璧。ボク、がんばった」

 

「お前か犯人」

 

 銀鉤の首後ろを抓んで持ち上げる。

 

 褒めて欲しそうに潤んだ子犬の瞳で見つめてきた。上目遣いとは、コイツやりおる。でも言ってる内容がえげつない。

 

 ダメなモノは駄目。

 裸で折り重なるように倒れている大量のヨルンちゃん達みろ。感想を言え。

 

「幻想的だね」

 

 違う。見た人が発狂するわ。

 そう言っても諦めきれない様子で銀鉤が猛アピール。

 

「でも、でも! 使えるよ! 用途沢山。すごい有用!」

 

 神殿を飾る部品とか、夜人への褒美用だとか。一杯使えるよと銀鉤が言う。

 

 ……なに? 褒美用ってなに?

 キミら、俺の体をどう使うのさ。気持ち悪いこと言わないでくれる?

 

 いや、その前の「神殿に飾る」ってのも理解できない。

 死体を廊下に飾るって感性が分からない。銀鉤がワカラナイ……。

 

「あと、ボク、常に喋れるようになる」

「……ん?」

 

 こんなふうに、とでも言うように、銀鉤はモヤとなってヨルンちゃん人形に融けこんでいった。

 

 あ、これ合体だ。

 俺が銀鉤とよくやる奴。大人姿になる奴。

 

 そしてヨルンちゃん人形が一回ビクンと大きく震えると、電源が入ったようにむくりと起き上がった。

 体の調子を確かめるように、ぐーぱーぐーぱーと離握手を繰り返す姿は満足げだ。

 

「ヨルと合体すると肉体の主導権を貰えない。けど他の人なら大丈夫、自由自在。しかも"変化"と違うから時間は無制限。その分、能力制限は大きいけど便利。……ね?」

 

「なぜそれを早く言わない」

 

 マジかよ。

 長年の悩みの種が解消するじゃん! 意思疎通がスムーズになるじゃん!

 

『廃棄、却下?』

 

 ウキウキと言った感じでヤトが訪ねてきた。

 

 いや、廃棄するって。

 これは廃棄。決定。

 

 性能はいいよ、話せるようになるのは便利だね。

 でも、なんで俺と同じ見た目の人形使うの? 新しく別な器作ればいいじゃん。

 

『!!?』

 

 いや、なんでそんなショック受けてるの?

 

 

 

 

 

 

 そんなことが有って、会議は一度中断された。

 喋れるようになる事が判明したから、ヤトと佳宵にもモヤの体で人形に取り憑いてもらった。

 

 俺と同じ姿の人形は今利用する3つだけ残して、後はどこか一室に押し込んでおいた。処分待ちだ。

 

 おんなじ顔の人間が4人で会議とかホラーだが、そこは大丈夫。

 俺と銀鉤が合体した時同様に、合体後の見た目はヤト達の意思で変更可能なのだ。

 

「ん……できた。これどう?」

 

 銀鉤は俺を更にロリロリした感じになった。たぶん10歳ぐらいだろうか、頭の上に生えてる犬耳と尻尾が特徴。

 あ、狼なの? ごめん。ずっと犬扱いしてた。

 

 不満げに頬を膨らませて、にへっと笑う銀鉤。

 

 なんだ、あざとい幼女じゃねぇか。と、思ったら銀鉤ってオスらしい。

 え、じゃあお前、今TSしてるのか? ……俺の仲間か?

 

「なあ、狐面していいかー? 駄目か? え、駄目なのか……」

 

 佳宵は俺を少しだけ成長させた感じだ。

 俺の見た目が中学生ぐらいなら、佳宵は高校生くらい。

 

 側頭部に狐面を付けてるが、恥ずかしいのか顔に装備したがってる。でも顔にそれすると不気味で嫌だからダメ。

 

 あと佳宵の姿は目つきが悪い。

 ぱっと見、不良の女の子かなと思う見た目。

 言動を知れば、やっぱり不良だって確信できる。そんな佳宵さん。

 

 そして最後。ヤトなのだが……

 

「これでよろしいか主。玉体をそのまま拝借できれば、快然なのだが……」

 

 ヤトの合体、下手である。

 前の二人に比べて容姿変化がスッゴイ下手である。

 

 なんだろう、顔の造形が崩れてる?

 何故か目の焦点が合って無いし、眼孔もくぼみが強いせいで目の下がクマみたいに見える。肉付きもあんまりよくないし、血色も悪い。

 

 うーん……あれだ。薬漬けでおかしくなってる人って感じを受ける。

 その姿を取られると、ぶっちゃけ怖い。

 

「……慙愧の至り。私は斯様な小手先の技術は好かぬ故」

 

 ヤトの姿も20台前半位の年齢だろうか。俺の大人verと同じくらい。ただし病的。

 

 佳宵が「下手くそー」とか煽っているが、ヤトは申し訳なさそうに身を縮めるばかり。銀鉤は我関せずで自分の体の匂いを嗅いでいる。

 

 うむ。

 

 うむうむ。

 

 ……なんで、みんなヨルンちゃんの面影残してるん? 素体の人形がヨルンちゃんだったから?

 

 まあいいや。

 とりあえず、みんなにずっと聞きたかったこと。制限時間もあって聞けなかったことを尋ねてみる。

 

 彼等にとって俺はどういう存在なのだろうか? 一体、俺を何だと思って従ってくれているのか。あるいは前の世界の事を認識しているのか?

 

「主は主であろう。闊大(かつだい)にして(うけ)はしげたる夜の空。そして我等が生まれ出ずる源にして還るべき闇の底。前の世界……? 敵神と殺し合っていた時代の事だろうか?」

 

 ヤトの言である。

 半分以上、意味不明なのでスルー。

 

「あー……私は小難しい事は気にしねぇからな。あんまり考えねぇや。とりあえず……気にしねぇや」

 

 佳宵は駄目な子。

 

「うーん……ん。ボクがヨルを何だと思ってる……ってなに?」

 

 銀鉤は理解してない様子。

 

(聞いてみたはいいけど、情報が皆無なんですが)

 

 俺もあんまり自分の情報は開示したくない。元人間ですとか、絶対言えない。

 夜の神はこの身に宿ってるみたいだけど、俺自身は【夜の神】じゃないのだ。つまり、こいつ等の主そのものではないのだ。

 なのに全幅の信頼を置いて従ってくれるのが不思議だった。

 

 まあ、日々の態度から嫌われてはいないと思うから、とりあえず良しとする。藪蛇になると悪いので話題を変えよう。

 

「夜人いま500人いるけど、ヤト達以外にも姿が有った方が便利?」

 

「首肯。私達が主力であったが、ほかにも"変化"が使えるモノは存在した。未だかつての力を取り戻してないようだが、(したた)めさせて頂ければ、感佩の外に無い」

 

 ヤトが同意したので、俺も許可する。

 

「いいよ。ただ、私の姿の人形は認めない。他のを使って喋るように」

(しか)と。奴等の依代は、簡易品を用いよう」

 

 ではその辺の準備は任せる。

 他に喋れる人が居るなら、後で自己紹介と顔合わせはしっかりしたい。人形は何時頃できるだろう?

 

 そう尋ねると銀鉤が得意げにテーブルへと身を乗り出した。

 

「低品質でいいなら3時間。製造工場は作ってるから、早いよ」

 

 ……これ工場製品なのか。

 というか、そんな量産するつもりだったのかお前ら。

 

 深く聞くと怖すぎるので聞かないけど、俺の姿の人形はこれ以上の増産を認めない。あと完成品は絶対破棄するように命令する。

 

「なー、1人ぐらいダメか? なー」

 

 佳宵が口をとがらせて不満顔だが、ダメ。

 だから何に使うんだよお前。欲しい理由を言え理由を。

 

 そう聞けば、三人とも目を逸らした。

 ……絶対許可できないわ、これ。

 

 夜人(こいつら)の価値観が本当に分からないので、こっちがおかしくなりそうだ。

 踏み込むべきじゃない場所はスルーしよう。

 

 お前らが今使ってる依代も臨時品だからな。それは後で破棄して、ちゃんと作り直せよ。

 

「さて……じゃあ、反省会の続きする」

 

 気を取り直して、会議を再開。

 

 まずは情報共有だ。

 「ヨルン」の出自に関して、悪の組織――黒燐教団の出身という扱いにする事を確認する。

 

 昨日のノリで決まってしまった事だが、偽装工作はしっかりやった方がいい。

 この神殿にも所々に黒燐教団の証である【三つ目印】を刻んでもらう事とする。

 

「えぇ……やだ、やだ」

 

 銀鉤がしょんぼりと反対してる。恐らく彼等にも神話生物としてのプライドがあるんだろう。ごめん。

 でも偽装が必要なくなった時に外せる場所でいいから。取り換えられる扉とかでいいから。

 

「やだぁ……」

 

 渋々と言った感じで銀鉤が犬耳を萎れさせながら頷いた。言葉と動作が合って無い。

 

 そして、俺は教団に囚われていた少女Aだから人前で敬う事はしないように。

 三人ともその姿で人に会うことは恐らく無いだろうけど、どこからバレるか分からないし注意しておく。

 

 他にもいろいろと話し合いを進めていく。

 そして、最後。一番重要な事。

 

「じゃあ……どうやって村に帰ろう」

 

 俺は攫われた存在だ。

 一晩明けたし、サラッと「脱走して来たよ」と言って帰ってもいいのだが……受け入れてもらえるかな。

 

 昨日の様子を見る限り、俺が戻るとまた襲撃あると思って受け入れてくれないかもしれない。

 

 それに、聖女さんも泣かせてしまった。

 対面した時に申し訳なさ過ぎて、いつも通り振る舞えるだろうか……。

 

 そう言ってヤト達に相談したのだが、一笑に付された。

 

「杞憂であろう。奴等は所詮、力なき懦弱な敗残者。すべて脅せば済む話」

「そっそ。なんなら反対する奴は洗脳すればいいんじゃね? 私が村人全員、白痴にしとくか?」

 

 ちょっと二人は黙ってて。

 なんでこんな暴力的なのこの二人。

 

 小さな犬耳少女を抱きかかえて頭を撫でる。

 癒しは銀鉤しかないよぉ……。

 

「ヨル、村に帰りたい? 追い出されたくない?」

「……村に愛着はある。でも、大事なのは聖女さん。彼女と一緒にいたい」

 

 村人から嫌われるのは傷つくけど諦めが付く。元々仲良くないし。

 

 俺が一緒に居たいと思うのは、聖女さんだ。あと兵団の人たちも優しいから彼等もいれば、もっと楽しいだろう。

 逆に言えば彼等がいるなら、別の場所でもいい。

 

 でも彼等も仕事だろうし簡単に村から離れる事は出来ない。だから、彼等と共にいる場所としてあの村は大切なのだ。

 

「じゃあ良い手がある。相手に利と害を天秤に掛けさせればいいよ。丁度、便利な設定があるし」

 

 そう言って、銀鉤がアドバイスをくれた。

 

 昨日の襲撃犯は闇の陣営によるものだ。

 このまま帰れば、俺はそれを招いた存在として疎まれる。それは避けられない。

 

 だから銀鉤は、俺がそれを上回る"利"を提供すればいいと提案してくれた。追い出すよりも利があるなら、村も俺の滞在を受け入れるだろうと。

 

「……て、天才か」

 

 わしわしと銀鉤を撫でまわす。

 喉を鳴らして喜んだ。

 

「襲撃の危険に勝る村への利益が必要。でも、ただの村人は危険な場所から逃げたいのは当然で、人口流出の恐れは大きいよね?」

 

「うん」

 

「そうなると、ヨルが求める村が維持できないかも。だからそれも対策するよ」

 

「うん」

 

 自信満々に喋る銀鉤。

 彼は色々な可能性とか想定しうる展開を話してくれた。

 

 そして、ついに具体的な方法を語る。

 

「まず、村に死病を撒き散らすよ」

「うん。……うん?」

 

「放っておけば必ず死ぬ病気。手足の先から腐るとか、骨だけ溶けるとか、出来るだけ凄惨なモノがいいね。苦痛も長引けばもっといい」

 

「なんだ? 私の仕事か? いいぜぃ、やってやる」

 

 佳宵が鋭い歯を覗かせて嗤う。

 

「これは昨日の戦闘で撒かれた呪いから発症する病気。人間じゃあ解呪は不可能で、村人は一晩の内に十人ぐらい死んじゃう」

 

 待って。

 

「昼夜問わず聞こえる患者の呻き声。その症状はあっという間に村人全員に伝播する。赤子が死んで、老人も死滅。大人も死に瀕し、絶望に包まれる村」

 

 ちょっと待って。

 

「そこに現れるヨル。なんと闇の力で症状を押さえつける。でも完治はさせない。ヨルから離れれば再発。死んじゃう」

 

 なるほど。

 銀鉤が言わんとする事は理解した。

 

 村が俺を受け入れると襲撃のリスクがある。

 でも受け入れないと、病気で苦痛の果てに死ぬと……。しかも俺から離れると死ぬから、村からも逃げられない。

 

「ヨルは村に入れる! 村人は生きれる! win-winのハッピーエンド!」

 

 俺の膝の上で盛り上がる銀鉤。

 いや……バッドエンドじゃないかな?

 

 全然、利害の取引してないじゃん! 俺が裏で追い詰めるだけじゃん!?

 

「なるほど……首魁は闇の組織。主は救世主というわけか。良い作戦だ」

「私の出番があるのも分かってるじゃねぇか犬。昨日いいとこ無かったし、久しぶりに新しい奴つくるかぁ!」

「えへへー」

 

 まさに和気藹々といった会話。

 村人の事を一切考えない思考回路に頭が痛くなる。

 

「あー、もー……」

 

 これ、もしかして俺が夜人の制御ミスれば世界が危ないやつ?

 

 天井を仰ぎ見る。

 

 誰かまともな感性を持ってる人いないのー……?

 

 




常識人4人の会話!

Polar様より
ヨルンシリーズ!
https://img.syosetu.org/img/user/359545/81947.jpg


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

至高の愛

遅れて大変申し訳ないです。


 

 喧々囂々。

 イナル村は今その言葉通りの状況にあった。

 

 あの襲撃から一夜明け、ここは村の集会場。

 いつにも増して多い人影で喧騒に包まれる中、一人の村人が腹立たし気にレイトを指さした。

 

「ちょっと待て。つまり何ですか? 兵士さん方は、あの子を助けに行くってんですかい。この危機に村を見捨てて?」

 

「見捨てるとは言っていない。そもそも危急の可能性が高いのはヨルンの方だ。ならば、優先して救出に行く必要があるだろう」

 

「おいおい。じゃあ俺たちの優先順位は低いって事ですかい?」

「違う。そんな事は言っていな――」

 

「そういう事だろうよ!」

 

 村人の怒号を受けてレイトは喧しそうに顔をしかめた。

 

 朝から代表を集めて話し合いしていたのだが、非常に白熱する議論となっている。

 

 今すぐにヨルンを助けに行くべきだと主張する駐屯兵団と少数の村人勢力。見捨てるべきだという大多数の村人との議論。

 村長が中立の立ち位置で仲裁するも、互いに一切譲歩することは無く話し合いは平行線のままだった。

 

「いいかい隊長さん、昨日の襲撃はアイツの奪還が目的だったんだろう? 奪還だ。つまりアイツが教団に連れ帰されたところで、元の木阿弥に戻るって話。村に損は無いじゃないか」

 

 反対派の意見に多くの村人が頷き返す。

 

「あの子はそもそも何者なんだ。村として正体不明な奴を助ける必要が有るのか?」

 

 多くの人間が昨夜、仮面の女の話を聞いていた。

 ヨルンが元々教団に所属しており、脱走して来たという事。それを追って教団が襲撃して来たという事を知ってしまった。

 

 村人にとって親しくもない、会ったばかりのヨルンを助けるという事は、少ないメリットと多大なデメリットを抱えるという事に他ならない。

 これが身内ならば話は別だろうが、生憎とヨルンは村に来たばかりの余所者だ。村という閉鎖的な社会は元来排他的であり、内外で如実に線を引く。

 

 一方、兵士達はこの村出身では無く、王都から派遣されてきた職業軍人であり使命は人の命を守る事。

 その立場の違いが価値観の違いとなって食い違う。

 

「だがヨルンが居たから以前の襲撃も対応できたわけだ。それに彼女は魔種からの護衛だってしているだろう。十分、村の役に立っているはずだ」

 

 レイトの弁明。

 しかし、村人は鼻で笑った。

 

「以前の襲撃だって目的はアイツだろう? 呼び寄せてんだ。撃退してくれなきゃ困る。それに教団みたいなヤバい存在と害獣なら、害獣の方が気楽だね」

 

「そうだそうだ。村の被害を見て、もう一度言ってくれや。兵舎はいいねぇ、無事で。俺の家なんか潰れたよ!」

 

「畑も半分以上が大鳥にやられました。こうなると、冬を越せるかという問題も……」

 

 レイトが一つ言い返せば数倍になって返ってくる。

 俺も自分もと怒りを露に捲し立てる反対派は次々に不満を口にした。

 

 いかに自分たちが大変な状況で、命のリスクがあるのか懇切丁寧な説明。ゆえにヨルンは見捨てて、村の問題に向き合うべきだとレイトに翻意を願う。

 

 それに対して救出の必要性を幾ら述べても、相手は聞く耳を持たない。これは堂々巡りの出口なき迷宮。このやり取りだって、もう何度目の事か。

 

 机をたたき、置かれた湯飲みが零れても気に留めず口論は加速する。

 そんな論争に村長が割り込んだ。

 

「まあまあ、互いに落ち着いたらどうじゃ。双方の言いたい事はよく分かる。だが熱くならずに、冷静に現実を見ようじゃないか」

 

 まるで宥めるような言い方だ。

 

「兵士さん達の言いたい事は分かる。よーく分かるんじゃ。儂もあどけない少女の犠牲は可哀そうだと思うし、彼女に罪はないのも分かっとる」

 

 中立を保持しているようで、その腹の奥底に秘めた思惑が見て取れる口調。

 そして次の言葉を聞いてやはりなとレイトは嘆息した。

 

「だがの? みんな村も大切なんじゃ。それによく考えてみよ。兵士さんの所属は【アルマロス王国】じゃろう。防衛ならともかく、独断での侵攻は許されない」

 

 下手に動けば不利益を被るのはお前等だぞと。兵士の方を見てそう言う村長の言葉。

 レイトは表向きの建前を述べてみる。

 

「侵攻ではない。森の探索と、その際に"見つけてしまう"施設の調査だ」

 

「通らんよ、その理論。教団復活はもう一ヵ月以上前に報告しておるし、村への事実確認が来れば君は独断専行の罪を被る。そうなれば困るのは隊長さんじゃろう」

 

「……それは、そうだが」

 

 村長は恐らく大多数の村人寄りの思想だろう。

 

 ヨルンの出生の秘密を知っているはずだし、教団は憎く思っているはずだ。しかし己の子同然の村も大切。

 温和な雰囲気で救出派を諭すように理論を展開していく。

 

 レイトは諦めるように溜息をついた。

 

 これは、もう説得は不可能だなと。

 

 

 

 

 レイトさんが矢面に立って議論してくれている間、私は喧騒から離れて双方の様子を伺っていた。しかしどこか心ここにあらずで、遠くの出来事のように論争を見つめる。

 

 思い返すのは昨日の事だ。

 力なくうなだれるヨルちゃん。それを抱えるヨルちゃんに似た三番。

 

 私はやっぱり彼女が悪だとは思えなかった。

 口ではどう言おうとヨルちゃんを抱える動作は丁寧で、見え隠れする不安気な表情は優し気で。

 

(本当に嫌になる……それに最後の言葉はなんだったの?)

 

 別れ際に零れ落ちた謝罪の言葉。平坦な口調だったが、ヨルちゃんの喋りになれた今ならわかる。

 たった一言。ごめん、という短い言葉は三番の心の発露だった。

 

 あの人の真意が知りたい。

 ヨルちゃんを助けに行きたい。

 

 でも、それは難しい。

 

(……分かってる。いまヨルちゃんの救出に動けば、成功しても失敗しても大変な事になる)

 

 救出に成功しても「やったー良かった」では終わらない。必ず次の襲撃があるはずだ。そうなれば村は復興どころではないし、次はもっと犠牲が大きくなるかもしれない。

 

 だが救出に失敗すれば、作戦に参加した兵士は死ぬことになる。つまり大切な労働力や、村の防衛戦力を削ぐことになる。

 そうなれば教団どころではない。

 森から出てくるだろう魔種に対抗できなくなる可能性すらあり、村の存続が危ぶまれる。

 

 つまり救出作戦を行うという事は、どちらに転んでも村にとっては損しかない。村人だってそれに気づいているからこんなにも反対するのだ。

 

 分かっている。

 それは分かってるのに……私は村人に対して失望を感じざるを得なかった。

 

 昨夜の襲撃により倒壊した家屋は10を数え、半壊は50棟を超える。にもかかわらず死者はゼロ。

 

 それは偏にヨルちゃんのおかげだった。

 彼女の指示により動いた夜人が村人の命を守ってくれていた。危ない所を夜人に助けられたという報告がいくつも上がっていた。

 敵の夜人と、ヨルンの夜人が入り乱れていたせいで「夜人=悪」という印象が村人に刷り込まれたようだが、そうじゃない。

 

 ヨルちゃんだって、必死に村人を護ろうとしてくれていたのだ。

 

(なのに……なんで、みんな認めてくれないの……)

 

 ヨルンが悪くて自分は被害者。全てアイツの責任で俺たちは正論を述べている。

 村のため、皆のため必要な事。

 

 ―― ヨルンを切り捨てろ

 

 村人の口からそんな本音が聞こえてくるようで、悔しさと怒りをかみしめる。

 

 あの子はまだ子供なのに。

 成人すらしていない、女の子なのに。

 

 彼女の生まれが悪いのか。引き寄せる悪意が邪魔なのか。

 ならばそれを打ち払い庇護する事こそ大人の役目だろう。なのにそれを放棄して、のうのうと生きる事が許されるのか。

 

 卑劣な不条理を為そうとする村人に怒りを覚える。

 

(いや……大人の役目が出来てないのは私も一緒か……)

 

 だが、それ以上に自分に対する不甲斐なさが押し寄せた。

 

 村人を責めるには私はなにも為せていない。

 純潔に負けて、勤勉に負けて……三番にも負けた。

 

 忍び寄る悪意からヨルちゃんを護ると誓ったはずなのに、いつも私が彼女に護られている。

 

(弱いなぁ……私)

 

 くしゃりと髪を握り込む。

 隣に彼女が居ない喪失感は言い表せない。あふれる涙で腫らした目はまだ治っていない。

 

(もう、だめなのかな……? 私じゃヨルちゃんを護れないのかな。助けにも行けないのかな……)

 

 私じゃダメだろう。幹部の一人にも勝てない。

 隊長もダメだろう。隊規により動けない。

 

 村人も多くが救出に非協力的で、なにより中立であるべき村の指導者(村長)が反対に回っている。

 

 もう村の協力は得られない。

 ならいっそ聖教の本部まで直訴に行った方がいいんじゃないだろうか。どうか彼女を助けて下さいと応援を願った方が有意義だ。

 

(うん……そうだよね、私じゃ役に立てないよね……)

 

 どこか夢を見ていたのだろうか。

 悲劇的な少女との出会い。襲い来る悪意の群れ。そこから少女を守ることに、私は酔いしれていたのかもしれない。

 子供が夢見る無邪気な英雄譚は現実じゃあ通用しない。

 

 ならば最初から間違っていたのだ。

 私の醜悪な思い上がりが招いた結末がこれなのだ。

 

(ごめん……ごめんね、ヨルちゃん)

 

 過去を悔やみ歯を食いしばる。喉を刺すような鉄の味が広がった。

 

 もっと早く対応するべきだったのだ。

 私達だけで教団の悪意を打ち払えると過信せず、強引にでも助けを求めて聖教本部に駆け込むべきだった。

 

 今から助けを呼べば来てくれるだろうか?

 ああ、でも時間かかるかなぁ……。と、そこまで考えた所でハッと気づいた。

 

「時間……。いま、何時ですか?」

 

「ど、どうしたんじゃ? ディアナさん」

 

 全ての議論を遮るように立ち上がる。

 窓から太陽の位置を見れば、もう間もなく正午を回るかといった所。

 

(援軍要請はもう一ヵ月前から出してるのに、来たのは南都からの調査くらいで進展なし……聖教本部に動きなし。じゃあ、援軍はいつ来るの?)

 

 ヨルちゃんが連れ去られて、すでに半日以上が経っている。

 

 彼女はいま、どんな気持ちだろうか。

 実験台に戻されて、辛くて苦しんでいないかな。寂しくて泣いていないかな。

 

 私は悔しくてしかたない。

 なぜ彼女が苦しんでいる今、私はどうでもいい事に思考を割いてしまったのか。

 現実に押しつぶされそうになった自分が。ヨルちゃんの事を他人任せにしようとした自分の愚かさが腹立たしい。

 

(……ならやっぱり、待てないよね)

 

 力が無いのは仕方ない。弱さは必ず乗り越える。

 だからこの心だけは教団に負けたくない。

 

 もういいか。

 私はこれまでの葛藤、逡巡といった些事を全て捨て去る事にする。

 

「時間? 時間がどうかしたかの、ディアナさん」

「いいえ。何でもないですよ」

 

 好々爺を気取った村長が不思議そうに聞いてくるけど、どうでもいい。

 

 まだ話が終わっていないと制止する人たちも振り切って集会場を後にする。かつて家だった瓦礫の山や、それを前に立ち竦む村人を横目に歩みを進める。

 

「みんなみんな自分の事ばかり。家が無い、畑が無い。護るだの、護れなかっただの、そんな事は関係ない」

 

 ヨルちゃんを護れなかった? 幹部に負けた?

 

 ああ、不甲斐ない――――それがどうした。

 

 目覚めてから、今までの事を思い返して自嘲する。

 

 

 自分の無力さや、ヨルちゃんへの申し訳なさに(かま)けて、すぐ動けかなった己の愚かさに自己評価がどんどん下がる。

 

 馬鹿だった。なんと無駄な時間を過ごしたことか。

 負けた事を悔やんでも仕方ない。大事なのはこれからだ。

 

 彼女はいま、生きるか死ぬか瀬戸際にいるのだ。あるいは飽くなき実験という拷問に遭っているかもしない。

 

 だけど、きっと生きている。

 なら私の矜持や自尊心なんかどうでもいい。全ては後でいい。

 

「する事はただ一つ。どれだけ惨めに這い蹲ってでも、可能な限り早くヨルちゃんを助け出す」

 

 今のヨルちゃんには何も無い。

 傍らで温めてくれる人も、想ってくれる人も無い。暗く冷たい檻の中にただ一人取り残されている。

 

 ならば助けるかどうかの議論など不要。

 するべきは「どう助けるか」の討議で、それが出来ない場に長居は無用。

 

 実力不足とか、勝てないかもとか、そんな心配は役立たず。

 すでに応援は呼んでいるのだ。あとは待つか、行くかの二択なら私は今行きたい。

 

 無謀でも不可能でも仕方ない。

 自分にウソを吐きたくない。今すぐ動かなければヨルちゃんに合わせる顔が無い。

 

 その答えに至るまで、私は随分と無駄な感傷に浸ってしまった。

 

「よし……1人でどこまでできるかな」

 

 深淵の森の入り口で立ち止まる。

 

 三番に奪われて聖具は失った。幹部に出会えば命はない。

 正攻法での救出は不可能。ならば潜入だろうか?

 

「ちょ、ちょっと待て! 早い、早いぞディアナさん!」

「あれ? レイトさん?」

 

 勢いで森まで来てしまったが、どうやって救出するか悩んでいたところで声が掛った。

 振り返れば息を切らした隊長さんが居た。

 

「まったく……覇気が無いと思ってたら突然動き出すんだな。ヨルンを護れずに心折れたかと思って、慰めの言葉を考えていたのが無駄になった」

 

「隊長さんは朝からいつも通りでしたね。やっぱり強いですね」

 

 彼は不甲斐ない私に代わり、村人とヨルちゃん救出の討論をしてくれたのだ。

 本当に兵士さんは凄いと思う。私も負けないように気合を入れなきゃだろう。

 

 そう思っていたらレイトさんは呆れたように言う。

 

「俺は仲間の生死に対して鈍感になっただけだ。いいもんじゃない。それより一人で勝手に立ち直ったディアナさんの方が強い気がするが……。一般人だろうに、一体どんな精神してるんだ?」

 

 冗談交じりか、胡乱な目で見てくる隊長さんの言葉に首をかしげる。

 

 それよりも用事は何だろうと尋ねると彼は気まずそうに切り出した。

 

「ディアナさん。言いたくはないんだが、こんなところに何しに来た? 一人で行く気か? まさか勝ち目が有るとでも?」

「さあ……どうでしょうか。教団の拠点すら見つけられないかもしれないし、私まで囚われて実験台になるかもしれませんね。勝算は高くないでしょう」

 

 でも行くしかないじゃないですか。

 そう言うと隊長さんはバカにするように首を振った。

 

「死にに行ってどうする、馬鹿らしい。……無謀な救出作戦ってのはな、兵士(オレ)の仕事なんだよ」

 

 そして見せてくる「辞表」と大きく書かれた便箋。

 

「え、それは……」

 

「俺は人を守るために兵士になった。なのに兵士という肩書が邪魔で動けないなら、辞めてやるさ。楽しみだな、突然辞表の一文を送り付けられた上司の顔。こんな辞め方する兵士なんか他に居ないぞ」

 

 こりゃ軍法会議ものだと愉快そうに笑う隊長さん。

 いや……もう、隊長では無いのだろうか? レイトさんが「だから俺も連れていけ」と、私の背中を叩く。

 

 彼も彼で、人生の決断を下していた。

 なんだ。私は一人じゃないらしい。

 少しだけ気持ちが楽になった。彼と共に笑い合う。だが、それに盛大な文句が飛んで来た。

 

「おーい、居たぞ! 隊長……いや、もう違うか。レイトの馬鹿を見つけたぞ!」

「レイトお前、抜け駆けか!? 前からクソみたいな性格してるなって思ってたけど、やっぱりクソだったか」

「今日からため口解禁ですかぁ!? おいレイト、南都から甘いもん買って来いよ、ヨルンにやるからさ」

 

 口々に罵倒を送りながらゾロゾロと兵士達がやってくる。

 

「……お前ら、ぶっ殺すぞ」

 

 レイトさんが青筋を立てながら凄むが、兵士はまるでおびえた様子を見せない。

 

「おっと衛兵への威圧。殺人示唆。はい実刑」

「ちょっとでも手を出したら長いよー? 10年冷たい飯食う? んん?」

 

 ニヤニヤと腰の剣を見せつけながら、小悪党のようなことを言う兵士たち。だがレイトは構うもんかと兵士の胸ぐらを掴み上げた。

 

「残念だったな、どうせお前らも辞めるんだろう? ならこれは一般人同士の喧嘩だ。ヨルンの後ろ姿ばっかり目で追ってる変態共が舐めるなよ」

 

「ひぇ! バレてる!?」

 

 全員に拳骨が落ち、その度に岩を殴るような音が何度も鳴り響く。兵士たちは地面で沈黙。

 怯えが混じった兵士たちを一睨みするとレイトは鼻で笑った。隊長という肩書が外れても、立場は変わらないらしい。

 

「皆さんとても仲がいいのですね」

「ふん。コイツ等は馬鹿なだけだ」

 

 不満そうなレイトさんの言葉とは裏腹に、彼はどこか自慢げだった。

 

 ヨルちゃんを思う人がこんなにいる。

 それだけで、荒んでいた心が癒される。だけどまだ終わりじゃ無い。

 

「おっと、我輩が最後かな? すまんね紳士は準備に時間がかかるものである」

 

 揚々と現れたのは真っ白い紳士服を身に纏ったムッシュ司教。

 

 彼は兵士たちを見回すとステッキを一振り。

 兵士たちの手から辞表届がふわりと浮き上がる。兵士たちが声を上げた。

 

「あ」

 

 どうやら兵士さんの状況を把握していたらしい。

 彼は辞表届けを回収すると魔法の火に焼べた。燃えとなって散っていく辞表届。

 

「正義に後顧の憂いなし。キミたちは為すべき事を為す。そこに何故、不満を抱かれようか。前を向き、胸を張り給え。キミらは聖戦の戦列に加わるのだ」

 

 彼は紙吹雪の様に灰を浴びながら宣言する。

 

「吾輩はキミたちに森の調査を依頼する。悪鬼たる教団の根城を探すのだ」

 

 周辺国家を庇護し、大きな影響を与えるエリシア聖教の高位聖務者たるムッシュ司教の依頼。

 それはつまり南都アルマージュの最高権力者に近い存在から、命令が無く動けなかった兵士達に勅命が下ったことになる。

 

 レイトは片膝をつくと頭を下げた。

 

「承知致しました。我が団の全霊をかけて司教の存意を遂行致しましょう」

「うむ。もしや戦闘が有るかもしれんが、我輩は然様な荒事に詳しくない。現場の判断に委ねる事とする」

 

 しかし、これは命令系統を逸脱した越権行為。

 ムッシュ司教には後程、王国から苦情が入る事だろう。それを分かった上でしてくれる好意。私は思わずお礼を言った。

 

「ムッシュ司教。……ありがとうございます」

 

「ふむ? なんの礼かは知らぬが、要らぬと言っておこう。吾輩は正義の使者。ここで見捨てればそれは正義とは言えぬからな。さあ行くぞ! 教団退治だ!」

 

 フハハハと笑いながら、ステッキを振り回すムッシュ司教。だがその足は僅かに震えていた。

 

 くすっと笑みがこぼれる。

 昨日、あんなにも脅えていた人が頑張っている。やっぱりこの人は強い。

 

 やる気に満ちた数十人。

 これだけ居れば、何とかなるかもしれない。そんな希望が湧き上がる。

 

 レイトさんは早速、他の兵士さんと話を進め始めた。

 

「まず作戦を決めるか。まず敵の拠点を探さなきゃだが……人数を分けるか?」

「兵士は全員参加ですし、普段通りの班で探索に回りましょう。いつもより深く。かつて【捨て場】を見つけた先が有力候補かと」

 

 捨て場――。

 それは教団の紋章が付いた魔具や、実験被害者の遺体が無造作に捨てられていた場所の事だ。

 

 その先がかつてヨルちゃんから聞いた場所とも合致する。

 だが、確か森が黒くなっている……神代の霊地【死誘う黒き森】があるという情報も語ってくれていた。

 

 近づくだけで命を吸い取る魔の森。

 聖書に載っている対処方法は、正規ルートを通る事だったはず。

 それならば安全に抜けられるらしいのだが……隊長は反対らしい。

 

「時間がない。霊地も本物ではないだろうし、模造品ならば防護魔法でいけないか?」

「強行突破ですか……試してみましょう」

 

 兵士さんも検証してもいいかもしれないと乗り気だ。

 だけど、それは危ないんじゃないだろうか? 失敗すれば死ぬという事。私は止めようとしたが、それよりも早く声がかかる。

 

 何度も聞いた声。

 

「それは勧めませんね。十中八九、死体を増やして終わりでしょう」

 

 地の底から届くような邪悪に満ちた声。

 全員が声の主を振り返る。

 

 剣を構え、ステッキを構え、私は魔法を何時でも放てるように。

 

「おっと、おっと。敵意が一杯ですね、皆さんもっと平和にいきましょう」

 

 そこに居たのは仮面の男――黒燐教団の【純潔】だった。

 

 

 

 

 

 

「何をしに来たんですか。妨害ですか」

 

「とんでもない。まずは落ち着いて話をしましょう」

 

 手の平を向けて和平を申し出るが、ディアナ司祭からかつてないほどの殺意が向けられる。

 

 それは私が以前相対した際や、勤勉との争いでの闘気を超えて研ぎ澄まされたモノ。

 幾たびの困難と習練、苦境と絶望の果て。鋼が打ち付けられて精錬されるように、片割れたるヨルンを攫われて彼女は一段と成長していた。

 

「弱冠19歳。子供も子供、ひよっこの成長は早い物ですね。見るたびに強くなる」

「……そうですか」

 

 嫌味と取られただろうか? だが事実だ。

 

 私が19歳だった時は何をしていただろうか。

 どうせ大したことない国家機関で、しょうもない研究をしていたのだろう。もはや思い出すこともできない。

 

 分かることは私が長年を費やして得た力。年月が齎した彼我の差をディアナ司祭が着実に埋めてきている事だ。

 

 己の四半分も生きていない小娘がという思い。

 だがそれ以上にディアナ司祭を好ましいと感じる思いが満ち満ちる。

 

 光の存在がヨルンのために生死を投げ出して動くのだ。幾人もの人が立場を捨て、犠牲を払い、それでも彼女の為に邁進する。

 

 ああ、これぞ愛。 

 だからこそ私は手を指し伸ばさずにいられない。

 

「私にはヨルン救出を手伝う用意があります」

 

 みんな怪訝な顔をした。

 そして、え?と聞き返してくる。

 

 ふむ……分かってた。

 私は見た目が怪しいし、彼等と敵対していた人間だ。こういう反応は自明の理。だから言葉を続ける。

 

「私は貴方に負けて愛に目覚めたのです。貴方の傍らで見守り、その愛を肌で感じる事こそ私の使命と知った。故にこれはその一歩なのですよ」

 

 なぜか更に怪しまれた様子。

 

 ……どういう事でしょう。

 教団でも、ここでも誰も私の言葉を信用してくれる人が居ない。

 

「そ、それはあの時言っていた『惚れた』とかいう奴でしょう、か?」

「ふむ? ああ……」

 

 ディアナ司祭が困った顔で尋ねてきた内容。それは昨夜勤勉が言っていた事だろう。

 「ディアナ司祭に惚れたか!?」などと言われた事を思い出す。

 

 あの時は似たようなものと言ってしまったが、ディアナに恋愛感情を抱いていると勘違いされると悪い。訂正しておく。

 

「正確には違いますね。私のこれは陳腐な惚れた腫れたの概念を超えた領域。そう、(アガペー)です」

 

 互いに想う関係は素晴らしい。

 ディアナとヨルンが抱き合う場面を見た時など昇天するかと思った。あれこそ、宗教画として残すべき光景だ。

 

 人々はあのように生きるべきなのだ。

 

「そ、そうですか……分かりました」

「おお! 分かってくれましたか、良かった。……おや、どうして離れるんです?」

 

 別に危害を加える気などないのに、彼女は二歩三歩と下がっていく。そして兵団の隊長――レイトと耳打ちした。

 

「おい、アイツ手伝ってくれるらしいぞ。ディアナさん、仮面野郎に惚れられたのか?」

「わ、分かりませんがそうらしいですね。ぶっちゃけ……イヤです。助けてください」

 

 話の内容は聞こえないが、二人が何とも言えない表情で見てくる。

 

「いや、ここは利用してやれ。ああ言っているんだ、情報を聞き出す程度ならできそうだ。もちろん、ディアナさんの判断でいいが」

 

「うぅぅ……そう、ですね。これはヨルちゃんのためになる。私も我慢してみます」

 

 話が終わったのか、ディアナ司祭が再び近づいてきた。

 そして真面目な表情で提案する。

 

「それでは、どうすれば手伝って貰えますか? 私は何をすればいいんですか? 貴方の求める愛とはなんですか」

 

「私の求める愛……? そうですねぇ、光と闇の混ざり合う事無き二律背反を超えて為されるモノ。人の抱く倫理など打ち砕き、紡がれる奇蹟こそが『至高の愛』でしょう」

 

「ひ、光と闇が混ざる? それってまさか私と貴方が、そういうこと? 倫理を打ち砕くってなに、私なにされるの……!?」

 

 ヨルンとディアナがそうであるように互いに(いと)おしむ無垢な間柄。

 白き理想を咲かせた世界の真理こそが、私の求める理想の愛!

 

「世の中には愛を騙るもので溢れています。やれデートだとか、やれプレゼントだとか。そして囁かれる愛してるよと言う軽々しい言葉。……生温いッ!」

 

「な、生温い」

 

「その点、貴方の愛は素晴らしい。命を()して、慈しむ原初の祈り。私も思わず欲しくなってしまいますね。ふふ」

 

「う……」

 

 少し熱くなって語気を強めてしまった。その所為でディアナ司祭が恐怖を抱いてしまった様だ。だが、彼女は気丈に問いかけた。

 

「そ、それで対価は何を求めますか。貴方がヨルちゃん救出に協力してくれるなら、私は何を差し出せばいいですか? やはり、か……体ですか?」

 

「ふむ? くれるならば私にも愛を――と、言いたい所ですが愛とは対価を求めないモノ。それは無粋」

 

 そもそも、ディアナ司祭には既に相手(ヨルン)がいる。

 絶対に受け取れないし、私も受け取りたいと思わない。

 

 純粋にヨルン救出に協力したかったので、対価だって求めていなかった。

 だがディアナ司祭から提案してくれたのだ。貰えるものは貰っておこうという気はある。

 

「体をくれるなら、頂きたいですね」

 

 高位聖職者の体など、そうそう確保できない。

 彼等の血肉は聖気や魔法によって保護されており、違法な手段――殺害や拉致など同意なき手段――で入手しようにも難しい事が多い。

 だから、僅かばかりの血液でも貰えるなら、有り難いのが本音だ。

 

 一秒。二秒と沈黙。

 

「……分かりました」

 

 そして重々しくディアナ司祭は頷いた。

 

「ちょっと待て! そんな事は認められん!」

「うむ。今のやり取り、しかと聞かせてもらったがそれは脅迫と言うのではないかね?」

 

 しかし隊長やムッシュ司教が猛反対して来た。

 ディアナ司祭がいいんですと、力なく首を振って制止するが二人はまるで納得しない。

 

「ヨルちゃんを助けられる可能性が少しでも上がるなら私は何だってする。この人は信用できないけど、"契約"を交わせば少しは大丈夫でしょう」

 

 そう言いながらもどこか不安そうな表情だ。

 私は少しでも安心させるために、説明を加える。

 

「体を差し出すのは初めてですか? 大丈夫、私は痛くしないし、優しい男で有名なのですよ」

 

 昔からそうだ。

 私は被験者の痛覚と意識を消してから実験を行ってきた。

 中にはそれが楽しいんじゃないか、などという理解できない輩もいるが私は被験者が騒ぐのは好みではない。

 

 部下からも「純潔様はお優しいですね」と褒められた事も有る。

 そもそも今回差し出して貰うのは指先の肉片と血液で十分だ。絶対に痛くない。

 

「……」

 

 しかしディアナ司祭は悲壮な表情だった。

 ……さすがにここまでの顔をされると、私もやりにくい。

 

 ムッシュ司教の方を向いて聞いてみる。

 

「ちなみにですが、ディアナ司祭がダメなら、ムッシュ司教の体でもいいですよ。使わせてください」

 

「吾輩かね!? 節操がないなキミは!」

 

「そうですかね? 貴方の体は良いモノです。首周りの肉がとてもいい。少し昔の私なら、どんな手を使っても欲しがったでしょう」

 

「気持ち悪いなキミは!」

 

 彼も有力な聖職者。

 ぜひ欲しいと言ったのだが……なんだか、風当たりが強まってしまった。

 

 兵士たちの目線にも脅えが混ざり込んでいる。

 

 おぉ、とか。

 ホモ野郎が、とか聞こえるが何を言ってる?

 

 彼等からの罵倒が止まらない。

 やはり欲張りが過ぎたのだろうか?

 

 

 




至高の愛!

それは光と闇が混じり合って、倫理感に囚われないもの!

なお男同士もヨシ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おいでよ深淵の森

 

 

 生命を拒む様に鬱蒼と生い茂る【深淵の森】――――それは、50年前に黒燐教団が本拠地とした場所だ。

 口に出すのも憚れるような実験と儀式によって汚染され尽くした森は、長い年月を経た今でも黒き魔力で溢れている。

 魔力は吹き溜まりとなってより固まり、魔種の発生へと繋がる。

 

 魔種とは魔力から生まれた化物の総称であり、その多くは自分と異なる有機生命体――いわゆる人間やそれ以外の動植物――と敵対関係にある。

 魔種も決して知能が低いばかりでは無いのだが、対話や和解が為された例は無く、人間とは怨敵のように殺し合う関係だ。

 

 どこかの偉い学者は、それを魔種を産む魔力に原因があるのではないかと唱えていた。

 「夜の神」を主とする闇の魔力から発生する魔種は生まれた時から忠実な神の下僕であり、人間の敵対者なのである……という説だ。

 

 対比として「太陽神」を主とする聖なる魔力――聖なのか魔なのか分からないが、そういう名称なので仕方ない――から生まれる聖獣が居る事もその説の信憑性を高めている。

 

 それはともかく。ここは、そんな魔種で溢れる禁忌の地。

 ヨルン奪還のため森深くまで踏み入ったディアナ達の元にもその洗礼は訪れる。

 

「右方向から準1級『根を張る異形蜘蛛(アラーニェ)』接近!」

 

「反対方向より3級危険種『蒔かれた鬼軍(デーモン・スパルトイズ)』! 同じく接近!」

 

 斥候に出ていた兵士たちが小声で叫びながら戻ってきた。

 

 準1級と危険種。魔種の強さや脅威度を別けた分類であり、どちらも上位レベルの存在だ。

 行軍していた兵士たちに緊張が走る。

 それに活を入れながらレイトは周囲に指示を飛ばし、防御態勢に移行した。

 

「迎撃用意。騒音は立てるなよ、今回の任務は隠密優先だ」

 

「うぅむ……アラーニェとスパルトイズであるか。もし南都に出れば大騒動であるな」

 

 右から来るという『根を張る異形蜘蛛(アラーニェ)』は文字通り蜘蛛型の魔種だ。吐き出す蜘蛛の糸は、糸と言うには太く、頑丈すぎるため大木の根という表現が最適でそのような名前となった。

 

 対して左から来る『蒔かれた鬼群(デーモン・スパルトイズ)』とは群れで生活する鬼――角の生えた人型の生物の総称――である。

 個体としてはさほど強くないが、鬼の歯を地面に蒔くと、その土地の栄養を吸って急速に同種が発生するという増殖特性を持っている。

 その個体もまた増殖可能なので、際限なく増える。土地の栄養全てを枯らす事も有り【危険種】として認知されていた。

 

 そんな強大な二つの魔種に囲まれた。

 ムッシュ司教がうんざりとした表情で武器を構えるがレイトは押しとどめた。加勢は不要という意思表示。

 

「来たぞ。……ダメか、バレてるな。臭い消しが効いてない」

 

 また不良品か、とレイトが悪態を吐きながら剣を抜く。

 しかしその顔に気負いはない。

 

 最近は教団の幹部ばかり相手していたが、この程度の敵ならば慣れたモノ。

 

 戦闘が始まる。

 

 

 

 

 目の前で行われる"狩り"を見ながら考える。

 

 かつて世界最難関と言われた「深淵の森」大突破。

 それは王国と帝国を繋ぐ林道が整備された今でも大きく変わらない。ここは通る荷馬車の半数が生きて帰れない地獄への一本道だ。

 

 商業路としては不適合で、生活道路にも不要。

 王国-帝国間を繋ぐ連絡道路として使えなくもないが、費用対効果が悪すぎる。

 

 ならば何のために巨費を投じて整備したのかと言うと、監視道路として使うことで黒燐教団の復活を防ぐためだったらしい。

 が……全く意味がなかった。

 

 結局誰にも気づかれずに教団は復活を遂げていたのだから。

 

「ふぅむ、やはり噂に違わぬ実力であるな。安心して見ていられる」

 

 兵士と魔種の闘いを見ながらムッシュ司教が惚れ惚れする様に言った。

 

 私達の目の前で行われている戦闘は順調に推移している。

 

 巨大な蜘蛛が糸を吐くが、それを軽やかに避ける兵士さん。

 短期決戦だと言わんばかりに数人が突撃。大型弩砲を思わせる蜘蛛の足を掻い潜って剣を突き立てた。

 

 反対方向では鬼が剛腕を振るっている。

 その拳に合わせて兵士が剣を構えると、相手の力によって鬼の腕が縦に切り開かれていく。痛みにより鬼が絶叫――する前に喉が裂かれて微かな息が漏れ出るのみ。

 

「兵士さん達の噂……ですか?」

「うむ。ディアナ君は聞いたことないかね? 王国最精鋭を誇る兵士たちの話」

 

「ごめんなさい、私は半年前まで他国の聖学校にいたので、あまりそう言うのは詳しくなくって」

 

「ああ、そうであったな。では知らぬも無理ないか……よし聞かせよう! いよぉ、レイト駐屯兵団の最強伝説!」

 

 飄々とした掛け声と共に宣言されたタイトル。

 ちょっと気になる表題だったが、声が届いたらしいレイトさんが鬼のような目で睨みつけてきた。

 

「救出作戦の真っ最中でも余裕ですね。では気になるので私も拝聴してよろしいですか、ムッシュ司教?」

 

 鬼の返り血で染まった剣を揺らしながら言うレイトさん。

 ムッシュ司教が竦み上がった。

 

「い……いや、止めておくとしようかな。本人の前でする話では無かったであるな、うん」

「ならそんな馬鹿らしい話、陰でもしないで頂きたい。ほら行きますよ」

 

 あっという間に蜘蛛と鬼を退治したレイトさん達は再び歩みを進める。

 隊長から目線を逸らされた事でムッシュ司教が再起動を果たした。こそっと近づいて来て私に耳打ち。

 

「いやはや、レイト隊長はとても怖い人であるな。見たかねあの剣、真っ赤であったな!」

「ムッシュ司教は時と場面を考えてくださいね」

 

 常に気を張り詰めていろとは言わないが、今は決して雑談できる場面ではない。

 

 この森に巣くう魔種以外にも脅威は多い。

 これから向かう黒燐教団の拠点は危険だろうし、兵士達が監視する様に囲んだ仮面の男――――純潔だって決して信用出来ない男だ。

 

(ヨルちゃんの救出を手伝ってくれると言ったけど……本当かな)

 

 何も不審な事はしていないでしょうねと視線を送る。

 

「あ、あ、あ! なんで死体を放置するんですか、蜘蛛の目は取らないのですか? 鬼の歯も持っていきましょうよ! 勿体ないですよ!」

 

「うわ」

 

 振り返って見た仮面の男は、それはもう不審さしかなかった。

 

 蜘蛛の目玉から採れる水晶体は良い触媒になるとか、鬼の歯を分解する事で促進成長剤を作れるとか、そんな嘆きが聞こえてくる。

 兵士たちに「いいから歩け」と促されても、純潔は後ろ髪を引かれるように魔種の死体を見つめ続ける。

 

「うわぁ……」

 

 そして死体に向かってフラフラと引き寄せられて行った。 

 死体を抱き寄せると頬ずりしてる。気持ち悪い。

 

 諦めて貰えるように言葉をかける。

 

「ほら、早く行きますよ。魔種は魔力体ですし、あと10分もすれば霧散して消えますよ」

 

「だから早く処置するんじゃないですか! 固定化の魔法をかけて保管すればいいじゃないですか! ああもう、これだから素人は……」

 

「……そうですか」

 

 なんで私が怒られているんだろう?

 

 話しかけなければ良かったという思いと、置いていきたい感情が湧き上がる。しかし"契約"を交わした以上、そうはいかない。

 

 私が純潔と結んだ契約。

 それは互いの神に誓って宣言する魔法だ。

 

 もしも破れば神罰が降り注ぐ……と言われているが、実際は普通の魔法の一種である。双方が己に縛りを課す事で契約の履行を強制するという便利で危険な魔法。

 

 契約内容だが、私が差し出すのは「己の体」となった。

 ただし生死に関わることはしない、精神を侵すような事はしない、3日以内に解放することを条件に差し込んだ。

 

 対して純潔が差し出すのは「己の知識」。

 教団の事も、ヨルちゃんの事も全て誠実に話す事になっている。

 隠し事はできる。しかし私の質問に対する答えは全て真実であることが約束された。

 

 これが対価の釣り合った契約なのかは分からないが、私のカラダ一つでここまでの譲歩を得られたのは僥倖と言っていいだろう。

 

 道中歩きながら少しずつ彼に質問を進める。

 

「じゃあ、貴方はヨルちゃんの生まれに関わってないのですか?」

 

「ええ。私の専攻は疾病学ですので、そういう生命創造は得意とはしませんね。あるいは降臨術でしょうか? そちらはもっと苦手分野です」

 

「なるほど……では、ヨルちゃんの事は知っていましたか? 教団で押し進められた計画であるとか……」

「いいえ。私は一切彼女に関与しなかった。そもそも私はその存在すら存じ上げず、製作者も知りません。教団での共同計画も有りませんね」

 

「……なるほど」

 

 打てば響くように返答が来る。

 彼の説明を聞くと黒燐教団は、想像していたよりも個人主義が強い組織のようだった。

 

 そもそも教団全体での至上命題というものは無い。

 所属する人間だって闇の研究者だったり、闇の理念に心酔した人も多いるが、あるいは単なる殺人快楽者もいたりする。

 更に言えば「夜の神」を崇拝していない者も居るらしい。

 

 教団員に共通しているのは全員が闇魔法に精通しているという事だけで、それ以外は目的も能力も千差万別だ。

 教団員の多くがスタンドプレイを好むため、互いに協力するという事は多くない。精々あっても幹部の下に庇護を求めた部下が集まって派閥を作る位だという。

 

 じゃあ共通目標も無いのになぜ教団が作られたかと言うと、元々は互助会的組織だったらしい。

 聖教や国に見つかって攻撃されたら互いに助け合おうねっていう、そんな目的の集まり。

 

 だから幹部である純潔であっても、他派閥の研究内容は知らないと言っていた。

 

 ここで一つ疑問が湧き上がる。

 

「ならあの時、ヨルちゃんを取り戻しに村を攻撃したのは何故ですか? 貴方は無関係だったのでは? もしかして製作者から協力を要請されたとかですか」

 

「……いいえ。あれは単なる勘違いでした。いや、お恥ずかしい」

 

 そう言って純潔が説明してくれたのは、呆れて何も言えなくなるような内容だった。

 

 なんでもその日、偶然ヤトさんに出会ってヨルちゃんの護衛を依頼されたのだそうだ。

 それをどう勘違いしたのか、私から守るという風に解釈して、ヨルちゃんを村から助け出そうと暴れたとか。

 

 護衛である。決して襲撃じゃないのだ。

 

 ふざけないで欲しい。

 少し遠くで話を聞いていた隊長も、全力で溜息をついていた。そして怒りを抑えるように愚痴をこぼす。

 

「じゃあ、あの戦闘はなんだったんだ お前の勘違いで……いや、死者が居ないから幸い……いや、いや」

 

 兵士達も怨みの籠った目で純潔を睨むが、彼は笑って謝罪するばかり。

 

 誠意が感じられないが、純潔はだからヨルンをどうこうするという意思が無いと言う。

 むしろ彼女こそ黒燐教団の教祖に相応しいと鼻息荒く興奮していた。

 

「教祖……ヨルちゃんですか。その製作者ではなく?」

 

「なぜ製作者が出てくるのか疑問です。そうですよ、私は他でもない彼女こそが我等を導くに相応しい人物だと思っています」

 

 私のイメージでは黒燐教団の教祖とは絶対的な「悪」だ。誰よりも闇の知識が深い者。

 ヨルちゃんがその椅子に座るイメージは一切湧かない。

 

「解釈の不一致ですね。いいえ私も以前まではそうでした、より暗澹たる深淵に至った者にこそ教祖の椅子は相応しい。夜の神の理念たる、光の破滅に邁進する事が我等の使命だと信じておりましたから」

 

 純潔の目標は光の破滅だったらしい。

 闇を知り、のめり込んでいった彼は何時しか夜の神の敬虔な信徒となり、光の破滅を目指すようになったという。

 

「ディィスカァンファトゥ。実に不快な信念である。しかしその言い方、今は違うというのかね?」

 

「無論。私はヤト様の叡智により身の程を知った。人類の考える『夜の神』など、歪んだ偶像の一部に過ぎなかった。神が真に求めたるは破滅ではない――愛だったのだ!」

 

 興奮する様に宣言する純潔。

 ……なんだろう? 一体どういう解釈で、そういう結論になるのか分からない。

 

 光の破滅が、どうなれば愛に取って代わられるのか。

 そもそも純潔の言う「愛」が私の知ってるものと同じものなのか? さっき聞いた話では、とてもそうは思えない。

 

 人間を苦しめるのが愛だとか、死が救いだとか、そういう意味の「愛」じゃないのかな?

 そう尋ねると純潔は怒りだした。

 

「失礼な事を言わないでください! 私の愛は先ほど説明したでしょう、あれが私の全てですよ!」

 

 そっか……あれが純潔の全てなんだ。

 その説明が慄くほど気持ち悪かったんですけど。

 

 私は距離を置きたいのを何とか堪えて視界の隅に仮面男を追いやる。

 

 ヨルちゃんの事に関わっていないと知り、昔ほどの憎悪は無くなった。ただ代わりに果てしない気持ち悪さが芽生えた。

 どっちが良いかは分からないけど、まあ、我慢しよう。

 

 ヨルちゃんを救うのに協力するならば、この嫌悪はまだ何とか我慢できるレベル……だろうか。

 上手くいけば、明日にはこの男に体を許すことになると思うと気分が重くなるが。

 

 ムッシュ司教がついでとばかりに問いかけた。

 

「では南都での暴動の目的はなんであるか? 愛を求めるのに、なぜあのような蛮行を誘発させた? 吾輩は南都の司教として……あ、いや、引き継いだから、今はディアナ君が司教になるがね」

 

 突然、振られた言葉に慌てて弁明する。

 

「いえ、引継ぎは襲撃騒動でまだ未了ですし、私も了承した覚えはありませんが!」

「はっはっは! 半年早くなるだけだ。今回の越権行為も吾輩が引き受けるし、ディアナ君は安心して司教位に付けばよい」

 

 ムッシュ司教はキザッたらしくウインクしてアピール。

 いや、その半年が大事なんですが……しかし、ムッシュ司教の意志も固い様で引く様子を見せない。

 

 話が進まないのでそれは保留として、全て終わってから考える事で同意。

 とりあえず純潔の話を聞く。

 

「南都の暴動……あぁ! そんな事も有りましたねぇ。色々あって忘れていましたよ。すみません」

「何てことないように言うであるな。暴動など所詮、些事であったか?」

 

「そう言う訳ではないですが。ふーむ、説明が難しいし、できませんね。とりあえずアレも"救い"の一種とだけ」

「暴動が救いであるか……やはり黒燐教団の考える理念は吾輩の想像を飛び越える」

 

 理解できない私たち。

 純潔は寂しそうに言葉を漏らす。

 

「私達の愛はまだまだ世界に理解してもらえない。世界革命故、致し方なし。だからこそ一歩ずつですね、夜の神よ」

 

 空を仰ぎ見て、もの悲しそうに耽る仮面の男。

 

 なんでこの男は格好つけているのだろうか。

 内乱罪は普通に最低な行為なのだが……。

 

(いいや、集中しましょう。こんな男の事は考えるだけ無駄でしょう)

 

 必要な情報を収集したし、無駄に話す必要は無い。

 彼との話を打ち切って私達は無言で歩く。

 

 彼がチラチラとこちらを見てきた。

 

「もうお話は終わりですか? 私はもっと話したいですねぇ、仲良くしましょうよ」

 

 無視する。

 

「雰囲気が固いですねぇ。緊張していますか、それはよくない。人間過ぎたるは猶及ばざるが如しと言います。緊張をほぐすなら楽しい事を考えると良いですよ」

 

 それでも彼は矢継ぎ早に話しかけてくる。

 

 何だろう、この人。

 本当に私達と仲良くしたいのだろうか? 私はしたくない。

 

「例えばヨルンを救出した後の事を考えると、どうですか? 楽しくなってきませんか?」

「それは、まあ。嬉しいですけど」

 

 つい救出と聞いて想像する。

 

 助けに来たらヨルちゃんは喜んでくれるだろうか? それとも、迷惑をかけたと申し訳なく思うだろうか。あの子の事だから謝罪してしまうかもしれない。

 

 それでも、きっと私は抱きしめてしまうだろう。

 気にするなと。貴方は悪くないと。人目を憚らず全力で抱擁してしまう気がする。もしかすると二人で泣いてしまうかもしれない。

 昨日できなかった分まで彼女をしっかり包み込んであげたい。ここに生きているんだと、彼女のぬくもりを感じたい。

 

 そんな未来を想像すると荒んでいた心が少しだけ癒される。

 だがその直後、純潔が全てをぶち壊した。

 

「私も楽しみですね! 全てが終われば、きっと素晴らしい『愛』が育まれる。ふふ……貴方には期待していますよ、ディアナ司祭」

 

「……それはどうも」

 

 ねっとりとへばり付くような声。

 心の底からの愉悦と歓喜を滲ませて、純潔は舐めるような視線を私に寄越した。

 

「おっと私も報酬があるのでした。貴方の体が楽しみですねぇ」

 

「愛と私のカラダ、ですか。まあ……そんなとこだろうと思っていましたよ」

 

 彼と色々な話をした事で、ようやく私は彼の"愛"を理解した。

 

 愛とは彼の隠語だったのだ。

 なにせ光の破滅を求めていた人間だ。言葉通りの愛を主張する筈が無い。

 

 弱みに付け込み、私の体を対価に要求した事といい、彼は「光」を犯し穢すことに楽しみを見出したのだろう。それを愛と表現する事で人の尊厳を踏みにじり倫理すら汚染する。

 

 それこそ彼の愛。なんと不愉快な男だろうか。

 

「その体、隅々まで調べ尽くしてあげましょう。貴方も知らなかった秘密も明かしてあげますよ、ふふ」

 

 三日で時間は足りるでしょうか、など。

 弱い所を見つけたら鍛えてあげましょう、などと。

 

 その言葉の意味を私はいまいち理解できなかったが、盗み聞きしていた兵士が目を見開いて純潔を凝視した。そして別の兵士とヒソヒソ話をする。

 

 なんだか兵士達の純潔を見る目が、敵を見る目から汚物を見るものに進化している。

 

 ……知りたくない。

 純潔の言葉は碌な意味じゃなかったのだろう。私は知りたくない。

 

 

 

 

 

 

「止まれ、ここから先は教団の領域だ」

 

 何度か魔種の襲撃を受けながら進むこと数時間。

 以前ヨルンちゃんから聞いていた道のりを辿り、途中で林道から逸れる。

 

 そして私達はついに【捨て場】にたどり着いた。

 

「うっ……」

「これは酷いな……真新しい死体ばかりだ」

 

 切り拓かれた森の一画。地面に深く掘られた穴は、まるでゴミ箱のようになっていた。

 

 そこに捨てられている物は死体ばかり。

 老若男女問わず、信じられないと言わんばかりに目が見開かれた生首の山。

 

 そのおぞましさは、死が身近にある兵士さんですら口を押えて衝撃を受ける程。私もムッシュ司教も直視できず、死臭を避けるように距離を取った。

 

 平気そうなのは隊長さんと純潔だけだ。

 

「……首から下はどこだ? なぜ首しか無いんだ」

「さて、人間の体は有用ですからね。使ってしまったのか……それともこれは、晒し首なのか」

 

 穴を覗き込むように屈んだ二人が思い思いに口にする。

 

「いくつかの頭部に拷問痕が有ります。目がくり抜かれていたり、舌が二股に裂かれていたり。歯も抜かれています。怨みを買いましたかね」

 

「これが教団の報復方法という事か?」

 

「はい、いいえ。これは神話で行われたという方法に肖ったポピュラーな拷問です。かつて夜の神の不興を買った生物が一族郎党されたという拷問……だいぶ簡易的なようですが、それでしょう」

 

 生臭い血臭にも慣れてきた。

 なんとか二人の隣に近寄って、私も穴を覗き見る。

 

「……うぅ、何人いるんですか」

「数百は下るまい。どこからこの人数を集めて来たんだかな」

 

 悲痛の表情で終わりを告げた者たちの頭部。

 彼等もまた犠牲者なのだろう。しっかりと供養するためにも、目を逸らす事は出来ない。

 

「どうか、安らかな眠りにつかれますよう」

 

 兵士たちが黙祷する中、私とムッシュ司教で弔いの聖句を贈る。

 しかし捨て場には闇の魔力が強く渦巻いており、上手く葬送を行えない。

 

 何度か失敗しつつ、浄化を繰り返していると純潔が不穏な事を言い出した。

 

「……違和感があります。これは本当に人間ですか?」

 

 捨て場から幾つか頭部を取り出して解剖を進める純潔。

 あろうことか死者を愚弄して更なる辱めを与えるという、神をも畏れぬ所業に皆が固まった。

 

「脳全体が委縮していますね。歯牙も真新しい。まるで生まれたての子供のような、使った形跡が殆どない歯です」

「……なら人間以外の何に見えるんだ? 見た目が似てるが、まさかこれが昨日みた人面鳥の首か?」

 

 隊長が在り得ないことを吐き捨てるように言った。

 

 その可能性は低い。

 あの鳥も魔種であり、殺したら短時間で霧散するし、そもそも教団が味方を拷問して殺す意味がわからない。

 純潔も自分の直感の正体が分からない様で腕を組んで首を傾げた。

 

「魔力は混ざり過ぎて読み取れませんか。しかし……うぅむ」

 

 私達よりも余程、闇の領域に詳しい男の違和感だ。

 純潔の意見をすぐ切り捨てる訳にはいかない。

 

 だが状況はまた動く。

 

 捨て場の周囲を警戒していた斥候達が、慌てて戻ってきた。

 息を切らせながら全員に警告を飛ばす。

 

「はぁ……はぁ……! 遠方より足音です! 推定二足歩行、数は3!」

 

 緊張が走る。

 何度も言うがここは教団の領域であり、捨て場なのだ。

 

 隊長が瞬時に判断。命令が飛んだ。

 

「散開! 半数は全力で後退。残り半分は程々に距離をとって木々の後ろで隠れて待機! 出来るだけ情報を拾うが、察知されたら戦闘に入る。いけ!」

 

 どれだけ上手に息を潜めても、さすがに50人が隠れれば気付かれる可能性が高い。

 しかし情報は欲しい。敵に気付かれる事は避けたい。そんな思いから出た命令だ。

 

 慌ただしく皆が動くなか私も急いで下がる。

 

 でも、これまで潜伏なんてした事ない。

 慌てて視線をさ迷わせていたら純潔が指先から脳髄液を滴らせて、手招きしていた。

 

「お手伝いしましょう。一緒にどうぞ」

 

 い……行きたくない。あんな人非人と二人きりなんて絶対イヤです!

 そんな風に固まっていたらレイトさんが手を引いてくれた。

 

「俺と来い。息は止めるなよ、静かにゆっくり続けろ。姿勢は楽な状態でいい」

「あ、ありがとうございます……!」

 

 退避の際にできた足跡は兵士さんが魔法で綺麗に消していく。

 

 一瞬で人気が無くなった捨て場。

 私達が草木の陰で息を潜める中、少しずつ足音と話し声が聞こえてきた。

 

「――」

「だ――! お前――ろ!」

 

 木々の隙間から響く少し低めの女声。

 まるで周囲を気にしていないようで足音は乱雑、声量も大きい。なんだか怒り気味に興奮しているようだった。

 

 どんな人が来たのだろうか?

 湧きあがる好奇心に負けて視線をふらふらさせていたら、レイトさんが近くの草むらを指さした。そこから見ろと言う事らしい。

 

 覗けば辛うじて見えた三人組の姿。

 

「あー、ふざけんなよー……! いくら主の命令だからって酷ぇよ。なあ、テメェもそう思うだろ!?」

 

「黙れ。私達は逆らう事は出来ないし、しようとも思わない。それとも貴様には叛意があるのか?」

「はぁ!? ある訳ねぇだろ! ぶっ殺すぞ!」

 

「ならば私も同意すればよかったか? うむ酷い命令だー」

「あ゛ぁ!? テメェ、主の命令に不満持ってんじゃねぇ。ぶっ殺すぞ!」

 

 それは、ヨルちゃんにそっくりの顔をした別人だった。

 

 獣のように唸り声をあげて威嚇する狐面の女性。その隣には、処置無しという風に首を振るやつれた女性。

 

 そしてもう一人。

 何故か獣の耳が頭についている少女の三人組だ。

 

「やだよ……ボク、捨てたくない。この子と一緒に居たいよ……まだ何も出来てないのに、いやだよ!」

「うるせぇ犬野郎! いいから捨てるんだよ。主の命令だぞ」

 

 捨てる捨てない、処分するしない。

 "ナニカ"を腕に抱えて言い争う彼女等を見て、私は悲鳴が喉まで出かかった。

 

「――っ!?」

 

 一番幼い少女の犬耳が何かを探す様にピクリと動き、慌てて口元を抑える。

 

 ……なんとか大丈夫だったようだ。

 犬耳の少女は不思議そうにしたが、スグに抱きかかえて居た"それ"に注意を戻した。

 

 だけど、私も"それ"を見てしまってから心臓が張り裂きそうなほど痛い。

 

(最悪だ。もう、頭がおかしくなりそう。なんなの……なにやってるの黒燐教団!)

 

 三人組の顔はヨルちゃんに似通っていて姉妹を思わせる。きっと彼女等もヨルちゃんと同じ存在。

 

 それは良い。

 いや良くないが、しかし、ある程度想像できていた事。

 三番のような存在が他にもいる事は最初から分かってたし、覚悟もして来た。

 

 だが……彼女ら各々が大事そうにかき抱いた人型が私の精神を苛める。

 

 生気を感じさせない三つのそれは、どこからどう見ても死体――――ヨルちゃんの死体だった。

 

 

 

 





裏での一幕

ヨルン「人形捨ててきて」
三人組「やだやだやだ!」

ヨルン「だめ、ケジメつけるのにちゃんと皆で捨ててきて」
三人組「やだやだやだ!!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

おいでよ深淵の森2

今年最後の更新、滑り込みセーフ
来年もよろしくお願いします!


 

 

 鏡写しのように同じ姿で眠るあの子たちの亡骸が三つ。

 服一つ纏わせてもらえず晒された裸体と、力なく垂れ下がった腕は彼女の立場を私達に見せつける。

 

 なんだアレは。

 どうして同じ見た目の人間が何人もいるのだ。

 もしかして、あの中の誰かがヨルちゃん本人なのか。

 

「ディアナさん落ち着け……! 気を確かに持つんだ!」

 

 つい飛び出しそうになった私を隊長さんが押しとどめた。

 慌てて持ち上げかけた腰を落とす。

 

「っ……ごめんなさい。でも、あれ! ヨルちゃんが、さ……3人、死んで」

「分かっている。だからこそ冷静になれ!」

 

「そんな冷静にって貴方は――! っ、いえ……ごめんなさい」

 

 大声を出しかけてしまった自分の愚かさに気づき謝罪する。

 

 隊長さんだって私と変わらない。

 いつでも戦えるようにと逆手に持った抜身の刀が怒りで震えていた。それでも彼は感情に支配される事なく堪えている。

 

 周りを見れば他の皆だって耐えている。ここで私が動けば全てをぶち壊す。

 

 動き出そうとする体を意思で押さえつけて、隊長さんの覚悟に倣う。

 ヨルちゃんが既に殺されているという最悪は考えない。

 

(まだだ……まだ、そうと決まってない。さ、三人居るんだ……まだ分からない)

 

 大きく深呼吸を繰り返して冷静に立ち返る。

 

 今はあの三人だ。

 少しでも情報を得るため、ヨルちゃんの面影を浮かべる彼等の会話に耳を澄ます。

 

「さあ着いたぞ。主の命令通り廃棄せよ」

 

 やつれた女性が事も無げに言うが、誰も動かない。

 犬耳少女は辛そうにイヤイヤと首を振り、狐面の女性は怒り口調で話題を逸らす。

 

「そ、そもそもだ。何で私達がコレを捨てなきゃなんだよ! いいじゃねぇか、私達じゃなくって他の奴でよ!」

「罰だからな。恨むらくは私達が"これ"に愛着を持ってしまった事。主はそれが気に食わなかった……そういう事だ」

 

「ぐ、ぅう……じゃ、じゃあ! なんで捨てるんだ!? 理由を言えよ!」

 

 狐面の女性は納得できないと言うように語気を強めて食って掛かった。

 やつれた女性が辛そうに顔を歪める。

 

「惜しむべくは、これが主の要求する水準に満たなかった事。使えないレプリカは不要と見做された……故に、これは破棄される」

「ああ、そうかよ! じゃあテメェは納得済みって訳か? いつもいつも、格好つけやがってよ!」

 

「そんな事は関係ない。全ては主の命令だ」

 

 ――主の命令。

 彼女は口でそう言いながらも、本意で無いのは明らかだった。寂しそうな顔で遺体を抱えている。

 狐面の女性もそれが分かったらしい。文句を言いながらも、少しずつ静かになってしまう。

 

 ……ふざけた話だ。

 勝手に生み出して、望む通りで無かったから処分する。

 実験体同士の慣れ合いを好まず、あろうことか仲良くした人に罰として破棄させる。

 

 "主"とやらへの憎悪が募る。

 

 どんな顔をしているのか、声は、性格は? 

 

 ……想像したくもない。

 どうせ見るに堪えない醜悪なモノに違いないのだから。

 

「銀鉤。あとはお前だけだ。早く廃棄しろ」

「ぅううう!」

 

 初めて呼ばれた名前。

 

 状況的に犬耳が生えた少女の名前だろうか?

 時間が経っても彼女だけが遺体を捨てられず、ぎゅっと抱きしめていた。

 促されるが大きく首を振って拒絶。

 

「ずっと見てるしか無くて、やっと触れ合えたんだよ。なのに! これから一杯あそべると思ったのに……!」

「分かっている。私達だって同じだ。だから最期にしっかり抱きしめて別れを告げろ」

 

 瞳を潤ませて嘆く銀鉤を優しく撫でる大人の女性。

 

 その光景を見て、やっぱり彼女達には心があるんだと確信する。

 人並みに備えられた良心と死生観は、彼等が蒙昧な人形でない証左となる。

 

 だけど、果たしてそれは救いなのか?

 

 地獄で生まれた人間は、届かぬ希望に手を伸ばして殺されるのが幸せなのか。

 それとも、夢を知らぬ人形で在れば楽なのか。

 

 分からない。分からないけど……

 仲間を捨てさせられた彼女らの顔は不満で溢れていた。

 

 それもその筈。仲間を埋葬すらさせて貰えず、晒し首と一緒に打ち捨てるのだ。そんなの普通じゃない。

 

(あの子たちも辛いんだろうな。なんとか彼女たちも助け出したいけど……)

 

 もしここで姿を現して、助けに来たと言ってみたらどうだろう。

 彼女たちの協力を得られれば【死誘う黒き森】の突破も容易くなるだろう。ヨルンちゃん救出にもぐっと近づくはず。

 

 だけど、姿を見せて敵対してしまったら?

 その事を考えたら動くに動けない。

 

 ヨルンちゃんもそうだが、三番の力も非常に強力だった。ならきっと彼女等も恐ろしく強いはず。

 

 ここで姿を見せて、教団員を呼ばれてしまうパターンが最悪だ。ヨルンちゃんの救出がより困難となるし、そもそも敵対されたら私達はあの三人に勝てないだろう。

 

 隊長に救出の相談をしてみても予想通り、安定性を優先する方針らしい。

 

「彼女等も助けるのはリスキー過ぎないか? 俺たちの目標はヨルンだ。他まで抱える余裕は無い。……彼女等は次の機会でどうだ?」

 

「ですけど、いえ……そうですね」

 

 昨日も私達の小さな手はヨルちゃんを零れ落としている。

 それなのに欲張って限界以上を抱え込めば皆で転がり落ちることになる。

 

 理想と現実の狭間はとても残酷だ。

 どうするのがいいんだろうと考えても良い案は湧いてこない。

 

 そうこうしている内に彼等は少女の遺体を捨ててしまった。銀鉤ちゃんは今にも泣き出しそうな表情で見ている私まで辛くなる。

 

 去って行く彼等をゆっくり見送ろう。

 いつか必ず救い出すと心に誓う。

 

 

 

 

 三人の去った捨て場に少しずつ人の気配が集まっていく。

 打ち捨てられたヨルちゃんを見て、みんな辛そうに顔をしかめるばかりで誰も口を開かない。あの純潔ですら、無言で怒りを滲ませた。

 

「……行くぞ。ここまで来たんだ、成果無しで帰れるか」

 

 隊長が感情を押し殺した声で言う。

 

 成果――。

 その意味するところはヨルちゃんの救出か。

 それとも……報復か。

 

 私では遺体の見分けがつかない。

 この中にヨルンちゃんが混じっている可能性はゼロじゃない。

 

 なら、これから向かう先に、彼女は果たしているのだろうか……そんな不安が胸中を渦巻く。

 

 それでも違うと。

 きっと違う。どうか違って欲しいと思わずには居られない。

 

「はい……行きましょう」

 

 ヨルンちゃんそっくりの遺体には悔しいが、まだ手を出せない。

 丁重に埋葬したかったが私達の痕跡を残すわけにはいかないから、どうか安らかに眠れるようにと別れを告げて置いていく。

 

 それでも気になってもう一度、振り返った。

 つい声が出る。

 

「……もうちょっとだけ、待っててね。すぐ帰ってくるから」

 

 三人組はこの子たちを"使えないレプリカ"と言っていた。

 

 その言葉から推測するに、きっと作られた数は三人で留まらない。

 まだまだ似た子は一杯いるんだろう……そんな予感がした。

 

 これから助けに行くはずのヨルちゃんだが、果たして会えた時にその子が本当にヨルちゃんであると私は気付けるだろうか?

 昨日から続く異常事態と精神の摩耗が私を不安にさせる。

 

「大丈夫ですよ。貴方なら必ず気付けます」

 

 そんな動揺が伝わってしまったのか、純潔が肩を叩いて慰めてきた。

 

「……私に触らないで貰えますか?」

「おっとそうですね、ディアナ司祭の体に触れていいのはただ一人ですからね。ふふふ、分かっていますとも」

 

「はぁ……」

 

 分かってるなら触らないで欲しい。

 

 というか触っていい一人って誰ですか。もしや、その一人が自分だとでも言いたいのですか?

 

 もう戯言に反応する気力は無い。好きに言わせておけと放置する。

 そうして捨て場を抜けて進む。ほどなく黒き森の外縁にたどり着いた。

 

 

 

 ――()(いざな)う黒き森。

 見る者の精神を狂わせ、死こそ安寧たる救いに思わせる魔の森だ。感化された者は自ら森の栄養になりに行く。

 一度飲まれた精神は魂まで狂気に侵食され、飲まず食わずで痩せ細っていく体を歓喜の表情で迎え入れることになる。

 それが森に立ち入った生物の最期。

 

 知識として分かっていても、私は無意識に足が出るのを止められなかった。

 

「……ぁ」

 

 黒い森が私達を歓迎していた。

 風にざわめく枝葉の音はとても愉し気で、聞いている内に心地よい気分になってきた。

 

 ゆっくりと好奇心が鎌首をもたげて少しだけ森の中に入ってみたくなる。

 

「これも意外と良いものなのでしょうか? 中に入ればもっと……」

 

 周囲の全てが意識の外となる。

 

 風のざわめき、人の声。

 それらは静かに消えていき、世界の中で私と森だけが取り残されたような孤独感に包まれる。でも森を見ているとそれも安らいでいった。

 

 きっとあの森に入れば全てを忘れられる。

 愁事、苦悶、悲嘆。

 昨日今日でかき混ぜられて滅茶苦茶になった私の心は森に癒され静かになれる。現世の苦しみから解放されるそれはきっと救いだろう。

 

 もう一歩。

 手で招くように揺れる黒い枝が振られた。

 

 あの森ならきっと、私でも優しく受け入れてくれる。

 ヨルちゃんと共に終われたなら、なんと幸せな事だろう。

 

「っ……馬鹿らしい!」

 

 一歩踏み出してはたと気付く。そんな訳があるかと。

 

「どんなに苦しくたって辛くたって、死が救いの訳がないでしょう……っ!」

 

 人生が幸福だけで満ちているはずがない。

 長い人生、色々な苦労を経験して時には絶望するだろう。死にたくなって立ち止まる時だってあるはずだ。

 

 嫌な事は寝て起きれば晴れるかもしれない。しかし季節が一巡しても楽にならないかもしれない。

 

 どれだけ時間がかかるかはその人次第。

 

 だけど人は必ず歩き出す。

 辛い事を乗り越えて、ダメでも迂回して。いつかきっと前を向く。

 

 それなのに、無理やり死で終わらせる事は本当の救いじゃない。私はそう思っていたはずなのに……。

 

「……はぁ。それを勘違いさせてしまうから、これが魔の森と言われるのでしょうね」

 

 夢見心地だった頭を振り払って森を見る。

 あんなにも優しげだった森は、今ではとても不気味な姿をしていた。

 

 金切声のような木々の騒めき。それを聞いているだけで精神が侵食されるようで耳をふさいだ。

 

「危ない森ですね。皆さんは大丈夫ですか? って、あ!」

 

 兵士さんたちの様子を見る。

 そこには幽鬼のようにふらふらと森に近寄っていく大量の人たちがいた。

 

「隊長のしごきが辛い。死ねば楽になる……?」

「しばらく嫁と会えていない……浮気されてる気がする、辛い」

「幼女と結婚できないなら一緒に死ぬ。そういうのも有りかなって」

 

「無しに決まってるでしょう! 目を覚ましてください!」

 

 色々な嘆きを漏らしている兵士さん。

 近くにいた人の頭を叩いて気付けしながら、慌てて正気の人を探す。

 

「た、隊長さーん! ムッシュさん! 兵士さん止めるの手伝ってくださいー!」

 

 走り回って正気が残っていそうな二人を探す。

 見つけた。

 

「吾輩は十分頑張ったと思うのである。仮面女にはもう会いたくないのであーる。……ッハ、死ねばもう会わなくて済むのでは? な、なんという名案……」

 

「王都での政戦が面倒すぎる……貴族共の顔色伺いはもうしたくない……」

 

 駄目だった。

 

「た、隊長さーん!? ムッシュさん!?」

 

 二人の頭も全力で叩いて再起動させる。

 

 

 

 

「うぅむ……これは凄まじいな。遠目に見るだけで、引き寄せられるようだ」

 

「森の誘因能力であるか。見たまえ、野生動物も死に誘われて死んでいる。さすがの私でも気を抜けば死にに行ってしまいそうであるな」

 

 森から距離を取って、隊長さんとムッシュさんが何か言っていた。

 それを息を切らせながら聞く。

 

「はぁ……はぁ……! こんなに、疲れた…のは久々です」

 

 じんじんと痛む手に息を吹きかける。

 

 なんだか周囲から「頭が痛いんだが、なんでだ?」とか聞こえた。

 「頭痛がする。まさか森の効果か!?」とか。……うるさいですよ。

 

 今思えば聖魔法で正気取り戻せばよかったけど、まあ、不用心な魔法行使は私達が発覚される恐れがあったから仕方ない。

 焦っていたわけじゃない。

 

「唯一、正気だったのは私と……あの人か」

 

「ふむふむ、根から吸い上げた栄養が幹で魔力に変換されているのでしょう。黒いのは闇の魔力の色? 効果は幻覚と多幸感の付与、あぁ素晴らしいぃ……参考になりますね!」

 

 黒い森の"内部"に入り込んで一人はしゃいでいる仮面男。純潔だ。

 

 あいつ私が一生懸命みんなを押し留めている時からあの調子だった。森の原理とか調べて悦に浸って叫んでる。

 もう、そのまま帰ってこないで欲しい。

 

「ふむ。よし、解析はこのくらいでいいですかね。では行きますよ、安全なルートはこっちですが、多人数は無理です。部隊を分けてください」

 

「……切り替え早いですね」

 

 なんでも大人数は森が"受け入れない"らしい。

 

 ここまで護衛してもらった兵士さんは殆どが黒き森の外で残り、行くのは私とムッシュ司教、隊長と純潔の4人となった。

 

 口々に希望を託す兵士さんに手を振られながら、純潔の先導で森に入り込む。

 本当に大丈夫かと戦々恐々だったがなんとかなったようだ。

 

 中に入ってもさっきまでの幸福感は無く、ただ不気味な森にしか感じない。

 

「おっとそこは駄目です。右に二歩、行き過ぎないように……はい行きすぎですよ、死にたいのですか?」

「こ、ここかね? 違いが全く分からないのである」

 

 純潔の指示が飛ぶ。

 

 助かるけど、優秀なのが凄い癪だ。

 これで純潔が気持ち悪くなくて、倫理観が正常で、節操無しじゃなければ……そう思わずにはいられなかった。

 

 そして、ついに私達一行は教団の拠点にたどり着く。

 

「ここに……黒燐教団が」

 

 石畳と聳えたつ塔が荘厳な神殿を思わせる外観。そして渦巻く邪悪な力。

 

 息をのむ私達。

 なんとかバレずに内部に入り込み、ヨルちゃんを救い出すのだ。

 

 ここからは更なる隠密行動が求められるだろう。

 そう意気込む私達。しかし突如、後ろから声が掛った。

 

「……待ってた、よ」

「ッ、誰だ!?」

 

 言葉と共に隊長が声の方向に飛びかかる。

 殆ど反射行動だ。誰何している余裕なんか有りはしない。今は一秒でも早く口を閉じさせること。

 

 だが――

 

「早くヨルを、助けてあげて……!」

 

 ――そこに居たのは、懸命に助けを求める銀鉤ちゃんだった。

 

 

 

 

 

 

「さて……この不気味な山をどうするか」

 

 ここは神殿第二層。

 急ごしらえで黒燐教団の紋章を刻んだ扉の奥、倉庫の一室にそれはあった。

 

 真っ裸で積み重なる俺の姿を模した肉の山。

 

 ……不気味過ぎんよ。

 これを放置しては帰れない。とりあえず三個、ヤト達に処分に行かせたけどまだまだ残っている。

 

 というかアイツ等きちんと処理した?

 子供のお使いじゃないんだから1から10まで説明しなかったけど、ちゃんとできてるか不安になる。

 あの人形を聖女さんに見られたら、面倒なことになるぞ……。

 

「やっぱり、火葬して埋めるのが一番?」

 

 存在ごと抹消するにはそれが良さそうだ。帰る前に命令するとしよう。

 

 あとは俺が準備することあったかな?

 これで、もう村に帰って大丈夫?

 

「……よし、そろそろ村に帰る準備する」

 

 俺が村に帰るにあたって、ヤトは村人を脅せとか、佳宵は洗脳しろとか、銀鉤は呪いを流行らせろとか言っていたけど……できる訳ないでしょ!

 

 結局、俺に出来る事は心を籠めて謝る事だけだ。

 村が半壊したのは俺にも責任が有るわけだし……。ごめんなさいと謝って何とか村に置いてもらうようにお願いする。

 

 俺にはそれしか方法が思いつかなかった。

 だから……。

 

「練習する」

 

 だいぶ前、村と初交渉する時にしたように練習しよう。

 

 頬を叩いて気合を入れる。

 今後の生活が懸かっているのにぶっつけ本番などしたくない上、この体は口下手だ。

 

 それに謝るという行為は簡単なようで難しい。

 とくに大人になればなるほど謝罪は難しくなっていく。プライドが邪魔をするし、これだけ謝ればいいでしょみたいな感情も湧いてくる。

 中には謝るのが恥ずかしい事と思う人もいる。

 

 俺はそこまで増長している自覚は無いけど昨日の事が事だ。いつもより誠心誠意、謝罪しなきゃいけない。

 

 そのために一人静かに成れるこの場で練習していこう。

 練習場面をヤト達に見られるのは流石に恥ずかしいから、今がちょうどいいだろう。

 

 

 

「……ごめんなさい」

 

 一人きりの部屋で静かに謝罪する。聞いているのは俺の人形だけ。

 

「ごめん、なさい」

 

 鳥を抑えられなくてごめんなさい。

 村人の家を守れなくてごめんなさい。

 

 変な嘘を吐きました。

 一杯みんなを怖がらせました。

 

「わたしの、せい……私が、馬鹿な事をしたから」

 

 上手く口が回らない。

 

 言いたい事はたくさんある。

 もう全てを晒して楽になりたいという思いもある。けど……それはできない。

 

 怒られるのは怖い。

 でも、嫌われるのがもっと怖い。

 

 言いたい事を飲み込んで謝罪を繰り返す。

 

(これじゃ誠意が足りないかな? 土下座必要……? 少女に土下座させる村人の構図も、ちょっと嫌だけど)

 

 頭を抱えて悩む。

 

 ああ……困る。

 ごめんなさいで許して貰えるだろうか? 

 村人から見れば、襲撃を招いた原因は俺だ。……無理な気がして来た。

 

「許して……違う、ごめんなさい……」

 

 自分から許しを乞うのは駄目だろう。

 でも謝罪を繰り返すだけでは村人に響かない。

 

 ……いや、よし。

 逆転の発想だ。

 

 彼等を被害者の立場から、英雄の立場に持ち上げるのはどうだ。

 俺は非常に可愛らしい容姿をしているから、人々の英雄願望を擽ってあげれば、意外となんとかなるんじゃないか……?

 

 目の前で涙を堪えながら、助けてと懇願する少女を想像。

 

 出来るだけ悲し気で、それでいて儚げに。

 護ってあげなきゃ散ってしまう花のようで。しかし可憐に小さく一言。

 

 ―――― だれか 助けて……。

 

 と。……ふむ。いいんじゃないかな?

 これを言われて堕ちなきゃ男じゃねぇ! きっと村人も奮起してくれる!

 

(いや、いや違うでしょ。なんで俺までヤト達みたいに騙す方向に考えてるんだ? だめだめ、やっぱり謝罪の方針で――)

 

 その時、勢いよく扉が開け放たれた。

 部屋に飛び込んできたのは村にいるはずの聖女さんだった。

 

「ぇ?」

 

 彼女は俺を全力で抱きしめて声を震わせる。

 

「ヨルちゃん……!!」

「ぇ?」

 

 ……え?

 

 





大量のクローンの前で謝罪を繰り返す少女。
辛そうに助けを求める少女。

なお内心。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

真実の一片

 

 漸くたどり着いた教団施設の外観は、私の想像していたものと随分異なる趣だった。

 

 岩壁に四角く切り抜かれた巨大な穴。その入り口には柱礎が敷かれ、何本もの柱が聳え立つ。

 至る所に刻まれたレリーフはドラゴンや人型の生物を模ったものだろう。精巧な芸術品は、目を逸らした瞬間に動き出しそうな威圧感を放っている。

 

 一度見ればもう忘れられない。

 洞窟と言うよりも神殿という名が相応しい。ここは聖都にある大聖殿を思わせる神聖な場所だった。

 

 もっとおどろおどろしく、見る者を不快の沼に突き落とすような所を想像していただけに呆気にとられる。

 

「ディスタイル・イン・アンティス様式ですね。内部はゴシック様式でしたので、やはり入り口にはこれがきましたか、ふふ!」

 

 なにか聞こえてきたが興味ないので努めて無視する。

 

「ここにヨルちゃんが居るんですね?」

「うん、そうだよ」

 

 銀鉤と名乗った犬耳少女に確認すると、彼女はゆっくりと頷いた。

 

 そっか……長かったな。

 ヨルちゃんを連れ去られてまだ丸一日経っていないが、ずいぶん待たせてしまったような気がする。それだけ私が焦っているのかもしれない。

 

 いよいよ突入となり、皆にも準備は良いか確認。

 純潔から「待った」が掛った。

 

「次いつ来れるか分かりません。まずは神殿を模写して、今後の研究資料としましょう。少しお時間をください」

 

「よし、準備はいいですね。行きましょう」

 

 今にも襲い掛かって来そうな威容を放つ装飾の間を縫って進む。

 度々、純潔が立ち止まって神殿に夢中になるので、無理やり引っ張る。

 

 洞窟内部に踏み込めば、そこは手を伸ばす範囲も見えない闇の世界だった。左右、天井に描かれた壁画が歴史の渦を感じさせる。

 

「うす暗いですね。入り口でコレなら、奥は一切光が無いのでしょうか?」

「松明は持てんぞ。敵を呼ぶだろうし、いざという時に出遅れる」

「では魔法による光を……いや、同じであるか。みんな暗視の補助魔法は使えるかね?」

 

 銀鉤ちゃんの先導に従い進もうとしたが思いのほかに視界が悪い。

 三人でどうするか話し合うさなか、純潔が大声を上げた。

 

「待ってください!」

 

 襲撃かと全員が慌てて武器を取る。

 

「これは以前なかった壁画です! 碑文も新しくなってる!? か、解読しなくては!」

 

 振り返ると、純潔が壁に抱き着いていた。

 

 ……なるほど。

 周囲に人の気配がないのは幸いだった。

 

「暗視の補助魔法か。俺は昔から魔法が苦手でな……」

「あ、私が出来ます。では私が代わりにレイトさんにも掛けますね」

「待つのである。念のため、聖魔法に反応する警報が無いか先に調べたほうが良いのではないかね?」

 

「おぉおぉ、三使徒と氷崩龍に加えて六欲天の壁画が追加されましたか。並び順は恐らく序列? 長らく不明だったものが次々と、これはよい発見ですねぇえ!」

 

 さっきから一人、可笑しな世界に入り込んでいる奴がいるのだが……本当にどうすればいいんだろう?

 

 四方が壁に囲まれたここは声が反響するせいで小声でも目立つ。なのにこの男ときたら、壁画に夢中になって隠密行動を忘れている。

 

 静かにするように言っても、私達の声はまるで届かない。

 

 ぶん殴れば正気に戻るでしょうか?

 いや、そもそもアイツに正気があるのか分からない訳ですが。

 

「ねえ、うるさい。静かにしてよ」

 

 そんな狂人に強気に注意する銀鉤ちゃん。

 彼女は少しイライラしているか、耳と尻尾の毛が逆立ち始めていた。

 

「ここはボク達が生まれた場所。ヨ――神様の御座す聖域。静かにできないなら出てってよ」

「……失礼しました。昔から私は、いえ……大変な無礼、謝罪いたします」

 

 無駄だろうなと思っていた銀鉤ちゃんの叱責だが、予想外に純潔の心に響いたらしい。彼は襟を正すと大きく頭を下げた。

 それでも銀鉤ちゃんの怒りは収まらないようで、徐々に尻尾の毛が膨らんでいく。純潔は更に身を屈めた。放っておけば地に手足を付いてしまいそう。

 

 それもまた時間の無駄なので、私が間に入って宥める。

 

「まあまあ。ちょうど私達も準備が必要でしたし、気付かれてはいないようです。今はヨルちゃんの事を急ぎましょう?」

「で、ディアナ司祭……! まさか私の為に庇って!?」

 

 感動したような声を出すのは止めて欲しい。

 なんで私がこんな男を庇わなければいけないのだろう?

 

「……次は、ないから」

 

 銀鉤ちゃんは何か言いたそうに口をモゴモゴさせたが、それらを呑み込んで一言そう釘をさす。そしてまた私達を先導し始めた。

 

 トラップの場所を教えてくれたり、すれ違う夜人に「問題ない」と手を振って匿ってくれる丁寧な案内。なのだが、あまり会話が続かない。

 

 ―― ヨルを、助けてあげて。

 

 そう言って助けを求めてきた彼女は、あまり私達の事は信用していないのだろう。

 

 いや、それはそうか。

 ここまで見てきた教団による彼女等への仕打ちは、他者への信頼や期待を根こそぎ奪い取るもの。彼女等が心を開くのは同じ境遇の者達だけ。

 

 だからこそ、ヨルを助けてという発言なのだろう。

 それでも――

 

「そういえば、銀鉤ちゃんの年は幾つなんですか?」

 

 それでも、私は銀鉤ちゃんに話しかけた。

 彼女は驚いたように振り返る。

 

「……なに?」

「銀鉤ちゃんは、ヨルちゃんより若いのかな。うーん……10歳ぐらい? どうでしょう、当たりましたか?」

 

 だって寂しいじゃないか、そんなの。

 

 彼女達の世界は狭く冷たい。

 与えられる物は不合理で無慈悲な苦痛だけ。周りに居るのは敵か、同じ被害者だけで救いがない。

 

 ならば、少しでもいい。

 彼女にも他愛のない雑談という、敵じゃない物を知って欲しかった。

 

「年? この体は、まだ0才だよ」

 

「……そっか。若いなぁ」

 

 どうしよう。

 思った以上に反応し辛い答えが来てしまった。

 

 言葉に詰まった私に代わって、隊長さんが会話を引き継いでくれた。

 

「この施設には君のような存在は何人いるんだ?」

「今は500人。少しずつ増えてるけど」

 

「500……しかも、まだ増えているのか?」

「よく死ぬけど、すぐ補充されるからね」

 

 隊長さんも撃沈。

 次にムッシュさんが聞く。

 

「その耳は何かね? なぜ人間の頭に犬の耳があるのだね?」

「そりゃボクの体は人間と動物が合体して作られたモノだからね。あと犬じゃない、狼」

 

 ムッシュさん沈黙。

 

 なんだろう。

 とても会話がし辛い。

 聞くこと話す事、全てがなんというか……悲しい。どうすればもっと楽しく会話できるだろうか。 

 

 しかし言葉に詰まった私達の雰囲気を察したのか、銀鉤ちゃんが事も無げに言う。

 

「キミたちは本当にそんな事が知りたいの? ボクの事は良いから好きに聞いていいよ。嘘は言わない。ボクは、ボクとヨルのために答えるだけ」

 

 それは……。いや、凄く知りたいのが本心だ。

 

 この教団の目的は? いつからここにあるの? こんなの事をして、人の心が痛まないの?

 

 ヨルちゃんの事だって、銀鉤ちゃんの事だって私は知りたくて仕方ない。でも本人に聞き出す事なんかできる訳がない。

 

「銀鉤ちゃんの気持ちはありがたいです。だから、また後で教えてね。まずはヨルちゃんを救出して――」

「なんで? なんで今聞かないの? 興味ない? ヨルと同じ顔が三人捨てられたの見てたでしょ。どうでも良かったの?」

 

 私が誤魔化した事はお見通しだったようだ。

 銀鉤ちゃんは淡々と責めるように見上げてきた。期待外れと言う彼女の瞳に私が映り込む。

 

「それ、は」

「知りたいんでしょ、ヨルの事。なら知った方がいいよ。ディアナにはその価値がある」

 

「それは……!」

 

 そこまで言われて、もう我慢なんかできなかった。

 堰を切ったように感情が溢れ出す。

 

「なら、あの捨てられた遺体はなんですか? どうして同じ顔が三人もいるんですか。ヨルちゃんは無事なんですか? 酷いことされていませんか!?」

 

 ずっと不安だった。ずっと怖かった。

 

 ヨルちゃんと過ごした何気ない日常が崩れたのは昨日の事。そして現れたのは尋常ならざる闇の底。

 その深さと悍ましさを知るたび、私は一つずつ自分の心に蓋をした。

 

 彼女に似た三番を見た時、どうしてこんな事をするのか叫びたかった。

 ヨルちゃんが攫われた後は塞ぎ込みたかった。

 純潔に体を差し出す契約なんかしたくなかった。捨て場で見たモノは信じたくない。

 

 私の気丈は全てを押し殺した強がりでしかない。

 

 この子を救いたいのは本心だ。だけどヨルちゃんを想う気持ちも、また大きくて。

 好きに聞けなんて言われれば遠慮なんてできない。ぐちゃぐちゃになった心が荒れ狂う。

 

「どうしてヨルちゃんは連れ去られたんですか! なんでこんな酷い事するんですか!? なんで! なん、で……!」

 

 こんな非道をする教団に連れ去られたヨルちゃんはどうなってしまったのか。

 ようやく答えをくれる人を見つけて、私は情けない悲鳴を上げてしまう。

 

「ディアナさん、声が大きいぞ。それにこの子に言っても仕方ないだろう」

 

 隊長に注意されてしまう。

 分かっている。分かっているけど、涙が溢れ出す。情緒が不安定だ。

 でも――

 

「いいよ」

 

 ――銀鉤ちゃんが、優しく私の手を握ってくれた。

 

「……ぇ?」

 

「貴方は"ヨル"を救ってくれた、もう一人の立役者。あんなに穏やかなヨルを見たのは、ボクが生まれてから初めてだった。……だから、いいよ。全部答えるよ」

 

 初めて銀鉤ちゃんが笑顔を浮かべた。

 安心させるように私の手を両手で抱きしめた。

 

「それに今は面倒な二人がここに居ない。どれだけ騒いでも大丈夫だよ」

「……その二人がこの施設のトップなんですか?」

 

「トップは神様だけど、うん。実質的な主導者かな。ボクもよく虐められるし」

 

 本当に嫌そうな顔で語る銀鉤ちゃん。

 だけど、それは良い情報だ。

 この施設の主が留守だというなら救出がしやすくなる。

 それに少しぐらい騒いでも大丈夫というのは、私のさっきの失態を考えるとありがたかった。

 

 

 

 

 壁画に囲まれた直線の第一層を抜けて、第二層に降りる。そこは入り組んだ空間だ。見分けのつかない扉を幾つも越えて歩きながら会話を重ねる。

 

 なぜ、この神殿が作られたのか。ヨルちゃんの存在について。そして自分たちの事。

 銀鉤ちゃんは私達に色々と教えてくれた。

 

「重吾――ディアナが名付けてくれたから、今はヨルかな。ヨルの体は神の器として創られたモノだよ。ヨルもそれは知ってるはず」

 

「器……15より前の人たちでは駄目だったんですか? その人達はどうなったんですか?」

 

「重吾より前の人達は、ただの実験だから器には適してないよ。まだどこかで生きてるのは居ると思うけど……ボクの管轄外だから分かんないな。あ、重吾も本当は同じ実験体になるはずだったんだけど、直前で主の気が変わったみたい。唯一の器になった」

 

 神の器。

 恐らく【夜の神】を現世に降臨させるための体ということだろう。

 それだけでも成功すれば世界が崩壊する大事になる。けど、私はそれ以上に気になることが有った。

 

「もし……もしも、神の再臨が為されたらヨルちゃんはどうなっちゃうのですか?」

 

 人間の精神など神の前では存在しないに等しい。

 人が不注意で蟻を踏みつぶす様に、神によって押し潰されてしまうのではないか。その時、ヨルちゃんという心はどうなってしまうのか。

 銀鉤ちゃんは首をかしげて悩んだ。

 

「うーん、と……神様、次第? 気にかけて貰えれば大丈夫」

 

 それはつまり不可能という事だろう。

 死と破滅を司る夜の神が、人間一人を心配するとは思えない。

 

 ヨルちゃんは教団員によって殺される事はない。けど神が降ろされれば死ぬ事と変わりない。これで救出しなければいけない理由が増えた。

 

「ならもしかして、ヨルちゃんと同じ姿の子たちは、彼女が村に逃げたから用意された代わりという事ですか?」

 

 ヨルちゃんが唯一の神の器ならば、成功品という扱いになるだろう。

 だが彼女は教団の非道な実験が嫌になり逃亡した。だから教団は代替品を作ろうとしたのではないか……?

 

 そしてその予想は銀鉤ちゃんによって肯定された。

 

「うん。あの子たちはヨルをモデルに量産された個体だよ。ヨルの代わりになるようにって、主の命令で作られた存在。でも不良品だと断ぜられて……全部処分」

 

「やっぱりですか……」

 

 これで大体のつじつまが合ってしまう。

 ヨルちゃんの脱走から奪還まで一月以上の空きがあった理由もわかった。

 

 教団は最初はヨルちゃんの脱走を大ごとと認識していなかった。

 逃げるなら代替品を生産すればいいと考えたが、それが失敗。ヨルちゃんの奪還に乗り出した。

 

 ならば、三番の辛そうな謝罪にも理由が見えてくる。

 

 きっと彼女はこの事を嘆いていたのだろう。

 ヨルちゃんは大切だ。逃げて欲しい思いもあったのだろう。

 でも、次々と作られては殺されていく自分とヨルちゃんそっくりの子供たち。そんな場面を一月以上も繰り返し見せ付けられる。

 そんな地獄、常人であれば精神がおかしくなっても不思議はない。

 

 その蛮行を止めるためには、ヨルちゃんに帰ってきて貰うしかない。

 ヨルちゃんか、代替品の子らか。どちらにせよ誰かが犠牲になる苦渋の決断。三番の裏にそんな重荷が圧し掛かっていた。

 

「……遣る瀬無いのであるな」

「ああ、間違いしかない二択は選びたくないものだ」

 

 三番が放った言葉は冷たいものが多かった。

 人の命を軽視したり、ヨルちゃんを不良品と言ってみたり、教団から逃げた事を裏切りと罵ったり。

 果てにはヨルちゃんを助けようとしたリュエール君にむかって、ヒーロー気取りの愚か者と吐き捨てた。

 

 でもそれは全部、他でもない自分に向けた言葉。己を騙すために被った冷たさの仮面。だから最後に本音が零れてしまった。

 

「ヨルはここに戻ってからも村に帰りたがってたよ。でも問題だらけで帰れない。だから……どうか、あの子を助けてあげて」

 

 銀鉤ちゃんはもう一度、私に向かって助けを求めた。

 当たり前だ。こんな所に一秒でもヨルちゃんを置くことはできない。今すぐに連れ出して一緒に村へ帰るんだ。

 

「でも、それはヨルちゃんだけじゃない。銀鉤ちゃんも一緒に行こう?」

「ぇ……ボク?」

 

 決意を新たに手を差し伸べる。

 

 私達はヨルちゃんを助けに来たが、この優しい少女だけ置いて帰るなんてできっこない。

 人間と動物を無理やり繋ぎ合わせた実験体であろうと生きる権利は持っている。誰にも阻害されはしない。

 

 隊長もムッシュさんも、純潔までも重々しく頷いた。私達の中に彼女を受け入れない人はいない。

 だから彼女もきっとこの手を取ってくれる。

 そう思っていた。だけど彼女は寂し気に首を振った。

 

「ダメだよ。ボクの処分は決定してる。生きたくても、主が決めたからそんな権利も無い。たぶん、もう数時間以内に――」

 

 諦観が身を包み、当然のように儚く笑う。彼女は死を受け入れていた。

 

「――そんな事は関係ない! 生や死を他人に決定させないでください! 大切なのは貴方がどう思うかだ!」

 

 その顔が私はイヤだった。だから彼女の言葉を遮って無理やり止める。

 生きたいと思う事に理屈は無い。その権利なんて考えたって答えは出ない。なら大切なのは銀鉤ちゃんの意思になる。

 

「私は可能か不可能かなんて聞きたくない。ねえ、銀鉤ちゃん。貴方はそれでいいの? 私は貴方がヨルちゃんと一緒に生きてくれたら嬉しいよ」

 

 銀鉤ちゃんの目を見つめて語り掛ける。

 彼女の瞳が期待に濡れた。

 

「……いいの? ボクが生きても。だってボクの処分は、ヨ……主の命令だよ」

 

「主が何ですか。許可が必要ですか。なら私が認めましょう、貴方は自由に生きていい。だから、一緒に帰ろう?」

 

 言葉が染み込む様に彼女に伝わり、彼女の尻尾が動き出した。

 ゆっくりと大きく左右に振られ始める。笑顔が咲いた。

 

「――うん! ディアナの命令なら生きなきゃだね! あ、でもヨルに迷惑かけると悪いから、ヨルにも許可取ってね!」

 

「ふふ、大丈夫ですよ。銀鉤ちゃんなら、きっとヨルちゃんも喜んでくれるでしょう」

 

 フワリ、フワリと。

 彼女の尻尾が何度も大きく揺れ動く。本当に、本当に嬉しそうに。

 

 

 

 

 そして。

 

 ようやく辿り着いたヨルちゃんの所。

 しかし、そこで私が見たものは、数多の自分に向かって謝罪を繰り返す彼女の姿だった。

 

 




助けを求めてディアナに接触する銀鉤
儚げに自分の処分決定を告げる銀鉤

なお内心


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

裏切り者

 

 三つの瞳が描かれた黒燐教団を示す【三ツ目印】。その紋章が刻まれた扉の中、教団神殿の奥深くにヨルちゃんは居た。

 

 覗き見するつもりは無かった。だけど扉を開けた瞬間、目に飛び込んできた。

 積み重なった自分のクローン達に許しを乞う苦しげな声。今にも消えてしまいそうな儚い彼女の後ろ姿。

 ヨルちゃんの全てを知り、そんな光景を見てしまえば我慢などできるはずがない。私はおもわず部屋に駆け込んで彼女を抱きしめた。

 

「ヨルちゃん……!!」

「っ、聖女さん!? なん、で? ……まさか見て!?」

 

 抱きしめた腕の中でヨルちゃんが驚きで声を震わせた。泣いていたのか顔も僅かに赤くなっている。

 

「ち、ちがう。違うの。これは……!」

 

 混乱しているのだろう。

 ヨルちゃんは抱きしめられたまま手をワタワタと彷徨わせた。視線が左右へ動く。積み重なる犠牲者を見て、私へと戻る。

 

「違う! これは私じゃない! 私は悪くない!」

 

 ヨルちゃんが悲嘆の声を上げた。

 

「こんな事になるなんて思ってなかった。こんなの知らなかった……! 信じて、聖女さん! 私の所為じゃない! ぜんぶ……全部あいつ等が悪いのに……っ!」

 

 彼女は泣きそうな声で釈明する。

 自分の所為じゃない。この部屋にある遺体は全部ただの人形だ。こんなの偽物だと、ヨルちゃんは声を震わせる。

 今にも慟哭してしまいそうな痛みを堪えた表情だ。

 

 彼女が教団から逃げた事が切っ掛けで大量のクローンが産まれ、そして殺されていった。

 ヨルちゃんはその事で私に責められると思ったのだろう。あるいは複製されてしまった自分を気持ち悪がられると不安だったのかもしれない。

 

 そんな筈ない。私は決して彼女を否定しない。

 彼女を繋ぎ留めるためにも力いっぱい抱きしめる。

 

「大丈夫、大丈夫だよ。だからそんなに謝らないでヨルちゃん、貴方は悪くない。誰も貴方を責めないよ」

 

 彼女だって辛いんだ。

 自分の所為で幾つもの命が散らされた。そんな重責、幼い子供に耐えられるわけがない。心が壊れるくらいの悲劇に「こんなのは人形だ」と現実逃避だってしたくなる。

 

 だけど彼女も本当は知っている。

 クローン達は決して心無い人形じゃない。大切な一つの生命だったはず。だからヨルちゃんは苦しそうな声で許しを乞うたのだ。

 

(けど、そんな事を言ってもどうしようもない。命は戻らないし、教団を糾弾しても彼女は救われない。今ヨルちゃんに必要なのは赦される事なんだ)

 

 抱きしめたまま背中を軽く叩いて安心させる。

 大丈夫だ。貴方は悪くないと。落ち着くまで何度だって言って聞かせる。

 

「聖女、さん……」

 

 ゆっくりと私の背中にヨルちゃんの手が回されて、彼女の体から緊張が抜けて行く。

 彼女の自己弁護は少しずつ謝罪へと変わっていった。その声は後悔と懺悔に満ちていた。

 

「ごめんな、さい。ごめんなさい。私の所為で……私がダメだったから、村が襲われて……村人も怖がらせて!」

 

「違うよ。村の事は違う! ヨルちゃんはしっかり皆を守ろうとしてくれた。そのおかげで誰も命を落とさなかった。だから落ち着いて!」

 

「っ、違う。違う……。聖女さんは分かってない。悪いのは全部、私で……!」

 

 村の襲撃からクローンの製造まで、彼女は全て自分が悪いと謝罪を繰り返す。それは異常な光景だ。

 

 一体どこに彼女の責があると言うのか? なんで彼女が謝るのか。

 だが、どれだけ貴方は悪くないと宥めてもヨルちゃんは聞く耳を持たなかった。私の言葉でも彼女は首を振って受け入れない。

 安心させようと優しくすればする程、彼女はその資格がないと悲し気に俯いてしまう。

 

(連れ去られてまだ一日も経ってないのに……! 彼女はもう、こんなに苦しんでる)

 

 ヨルちゃんがこんなにも自分を責める原因は、なんとなく分かっている。

 

 教団がそう()()()()()のだ。

 

 彼女はこの一室に多くの遺体と共に押し込められていた。遺体を見せつけることで彼女を傷つけて、その心を折ったのだろう。

 クローンの犠牲が出たのはお前の責任だと。村が襲われたのはお前が逃げたからだと。教団に都合のいいように洗脳した。

 その所為で彼女は苦しんでいる。

 

「私だけじゃない。みんな貴方が悪くない事を知ってるよ。ね、そうですよね?」

 

 どうにか彼女の心を軽くしたいけど私の言葉だけじゃ届かない。ならばと隊長とムッシュさんに話を振る。

 

「ああ。昨夜出た怪我人は重症者でも骨折程度だ。そんなもんディアナさんなら数分で治せる。それに、村を守るのは俺達の仕事だ。ならば責任は全て俺にある」

 

「痛みを避けて、辛さから逃げて何が悪い。子供の役割は守られることである。故に一人で抱え込むな、吾輩達をもっと頼るが良い。大人とはそのために在るのだから」

 

 繰り返される私達の言葉を受けて、ようやくヨルちゃんは顔を上げた。

 少しは私たちの気持ちを感じ取ってくれただろうか?

 

「……う、ん」

 

 いいや駄目だ。

 まだ、彼女は気後れしている。気まずさと罪悪感が邪魔をして、ヨルちゃんは心を閉じかけてしまっている。

 

 だから私は彼女の頬っぺたを抓まんで、ぐにぃっと引き上げた。

 

「――えい」

「あぅ、っ」

 

 思い出すのは始めの頃のヨルちゃんだ。

 泣きそうになりながら出口を探す彼女は迷い小路の中にいた。助けて欲しいと言えず、辛そうに俯いた。

 

 当時の姿が今の彼女と重なった。今もまた、あの時のように闇は彼女を呑み込もうとしている――そんな事は許さない。

 

『悲しい時は泣きましょう。嫌な時は怒りましょう。それでもまた笑える時はやって来る』

 

 かつてそうしたように、彼女に伝えた聖句を(そら)んじる。

 

 私は昨日から笑えていただろうか?

 泣かないように心を固く塞いで耐えていた。それでも漏れ出る感情は大きくて、恐らく笑顔は無かったろう。けれど永い夜は明けてきた。

 

 ならば彼女もまた笑えるように。

 この想いよどうかこの子に伝わってくださいと、優しく頬を撫ぜる。

 

「貴方の重荷は一人で担ぐには重すぎる。だから私にも手伝わせて欲しい。そうすれば、こうやって二人で笑える日がきっと来る」

 

 貴方がくれた時間は輝いていた。隣にいる事がいつの間にか当たり前になっていた。家族だと言ってくれた貴方のためなら、私は頑張れる。

 

「大丈夫、どんなに辛くても二人一緒なら支え合えるから。転んでうずくまっても、私は必ず立ち上がる。だから貴方に頼って欲しいんだ」

 

 塞ぎ込んだ心を溶かすことは難しい。悪意の鎖で雁字搦めに縛られたヨルちゃんを救うには、私じゃ力不足かもしれない。

 だけど、この気持ちは嘘じゃない。想いを込めて言葉を尽くす。それは辛うじてヨルちゃんに届いたようだ。

 

「二人、一緒……。なら、聖女さんにも笑っていて欲しい」

 

 ゆっくりとヨルちゃんの手が伸びた。私の頬に向かって、口角を持ち上げるように。そして互いの手が触れ合って交差する。

 

「……私、笑えてなかったかな?」

「だいぶ」

「そっか。じゃあ、やっと私も笑えたね」

 

 涙で視界が霞む。きっと今の私は酷い顔だろう。無理やり作られた表情は泣き顔を崩したような、ぎこちない笑顔に違いない。

 そんな顔を見られるのは恥ずかしい。それでもヨルちゃんは満足げに頷いた。

 

「聖女さんには明るい笑顔が似合うから」

「私も、ヨルちゃんに悲しい顔はして欲しくないよ」

 

 くにくにと。

 互いに存在を確かめ合うように頬を引っ張り合う。指先から感じる体温が私を安心させる。痛みや羞恥すらも愛おしい。

 彼女が手の届く距離に戻ってきてくれた、そう思うだけで自然の笑顔に近づいていく。

 

 後ろから歓声が上がった。

 

「ああ、染み入る心。伝わる想い! これです。これが愛ですよ。分かりますか? 貴方にも分かりますか、ご両人!?」

 

「……スマンが死んでくれるか? お前のせいで感動がぶち壊れた」

 

 私の耳にはもう、変な声は届かない。

 

 

 

 

 

 

 聖女さん、まじ聖女さん。

 まさか連れ去られた俺(という設定)のために、こんな森の奥深くまで救いに来てくれるとは思わなかった。

 

 大量の人形を見られた時はもう終わりだと焦ってしまったけど、なんか丸く収まった。

 焦りで頭真っ白になってたから、脈絡なく言いたかった事を言ってしまった気がする。だけど聖女さんは優しく全部受け止めてくれた。

 

 でも、なんか全部分かってるって感じの雰囲気だったのはなんで? 

 事情も分からず大量のヨルちゃん人形見たりしたら混乱しない?

 

 そう思って聞いてみたら聖女さんは気まずそうに答えてくれた。

 

「その……ヨルちゃんの秘密も、その子たちの事も、銀鉤ちゃんに全部聞いちゃったから……ごめんね。きっと知られたくなかったよね」

 

 どうやら俺の事情は銀鉤によって開帳されていたらしい。

 

 大量のヨルちゃん人形が俺を模した物だという事。そもそも俺の少女ボディ自体が作られた物という事、夜の神を宿す器だという事も知ったらしい。マジかよ。

 

 それでも俺を受け入れてくれた聖女さん、マジ聖女さん。

 いや、あの包み込むような優しさを感じた身としては、もはや聖母さんでもいい気がする。

 

 あ、まさか俺が元男って事まで聞かされてないよねと不安だったけど、それは大丈夫だった。まあ銀鉤も俺が元人間という事は知らないという事か。

 それを知ったらさすがの聖女さんも気持ち悪がるよね。危ねぇ……と銀鉤をジッと見つめる。

 

「ん、ヨルどうしたの?」

 

 銀鉤は聖女さんに手を繋がれながら小首をかしげた。ちなみに聖女さんの反対の手は俺が繋いでいるから、聖女さんを挟んで三人横並びの状態だ。

 

「……いや、別に」

「そっかー。えへへ」

 

 銀鉤はさっきから上機嫌だ。

 聖女さんの手にぶら下がるように体重をかけたり、逆に大きく振ってみたり。落ち着きなく動いている。その様子を聖女さんは微笑まし気に見つめていた。

 

 和気藹々。そんな感じで神殿の通路を進む。

 隊長とムッシュさん、シオンの三人は静かに周囲を警戒しているけど……敵いないんだよねぇ。ここ実は教団施設じゃなくて、俺ん家だし。

 でも、それを教える訳にはいかないから好きにさせる。

 

 それよりも今は銀鉤の事だ。

 

(うーん……銀鉤が使ってるヨルちゃんボディは、どう処分しよう……)

 

 ここにあった人形は聖女さんとムッシュさんが浄化した上で全部火葬してくれた。

 閉鎖空間で火を焚くのは危なくねと思ったけど、魔法って凄いね。同時に空気も清浄にしながら高火力で一気に灰にしてしまった。

 

 人形とはいえ、人を燃やすのだから酷い光景だった。思わず悲痛な表情になるのも仕方ない。

 でも、いくら可哀想だからって隙を見てヨルちゃん人形を持ち出そうとした純潔は良くないと思います。みんなに蹴っ飛ばされてたけど、もっと反省してください。

 

 私にはこの御方が必要なんだってなんですか。どうかお一人くださいとは何事ですか。

 それ人形だって知ってるでしょ、何に使うの。貴方ロリコンですか。怖いですよ。

 

 ……まあそんなこんなで、ヨルちゃん人形は残すところヤト達三人が使っている三体に限られたのだが。

 

 もう一度銀鉤の姿を確認。

 彼は聖女さんと楽し気に話している。というか一方的に聖女さんが話している事が多い。村に帰ったら何かしたい事は無いかとか、ヨルちゃんと一緒に世界を見せたいとか。

 

(うーん……あの様子みる限り、連れて帰らない選択肢は無いよね。なんて事してくれてるん銀鉤?)

 

 設定上、俺の立場は教団の被害者だ。

 俺と見た目が似ている銀鉤の立場も同じと思われてるだろう。それなのに置いていくという提案なんか俺からできる訳ない。

 でもあの素体はヨルちゃん人形で、うーん。

 

 バレたらまずい、けど……でも……うーん。うーん。

 

 …………聖女さんが楽しそうだから、まあいっか!

 銀鉤には絶対に人形の素体を表に出すなと念を押しておこう。

 

 これで後は、ヤトと佳宵が使ってる人形だけど、アイツ等まで合流したら辻褄合わせがもう面倒だ。二人には絶対、あの姿のまま合流しないように夜人経由で伝えて貰う。もういっそ「今すぐ処分して」と命令。

 

 

 

 そしてしばらく歩き、神殿を何事も無く――自宅なのだから当たり前だけど――抜ける。

 

 外では日が傾いていた。空は綺麗な夕焼け色に染まっている。

 もうすぐ夜が来るだろう時間帯だ。

 急いで帰らなきゃと皆が足を速めようと動き出す。その時、木々の間から男の声が聞こえた。

 

「逢魔が時は昼と夜の中間点。光闇の力は拮抗し、やがて夜に立ち代る」

 

「……昨日ぶりですね。ここで会う事は少し想像してました。つまり貴方がここの主という訳ですか、勤勉」

 

 声と共に森から現れたのは一人の人間。

 漆黒の拘束衣を纏った大男に向かって、聖女さんは苦い顔で【勤勉】と呼んだ。

 

 彼はゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。だが、彼は聖女さんの言葉など聞こえていないかのように独り言を続けた。

 

「裏切り者の処分。それが俺に命じられた、たった一つの仕事ならば逃がす訳にはいかない。そうだろう?」

「はぁ。貴方は相変わらず人の話を聞かない人ですね。……裏切り者?」

 

 隊長が剣を構える。ムッシュさんがステッキを回し始めた。純潔は興味深そうに笑っている。いつでも戦闘が始まっておかしくない状況。

 俺は突然の見知らぬ人登場にオロオロ。

 

「主の御言葉(みことば)を伝えよう」

 

 勤勉が重々しく言葉を紡ぐ。

 

佞奸(ねいかん)な貴様の甘言だ。裏があるのは知っていたが……度を越した犬は殺処分だ』

 

 二人の会話――会話なのかな?――を聞いていた銀鉤の肩がビクリと震えた。聖女さんの手を握る力が強くなり、彼女の背に隠れてしまう。

 

 彼の視線を辿ると、【勤勉】の後ろに誰かが居る事に気が付いた。

 西日を避けるように森の木陰に身を潜めた二人の夜人。怒りを身に宿した者たちだ。彼等の殺意は本物で、思わず俺まで背筋が凍る。

 

(え、え……あれ? なんで、え。まさか……?)

 

 あれヤトと佳宵じゃん。

 佳宵の方は首の赤いリボンを付けてるからすぐわかる。あれ佳宵。二人は銀鉤から目線を外さない。

 

 ……なんか初めて見るレベルで二人がブチ切れてるんですけど!

 殺気バリバリでこっち――というか銀鉤限定で睨んでるんですけど!?

 

 

 




ヨルンちゃん「え……ヤト達裏切り?」

ヤト&佳宵「あの犬、裏切りやがった!」

犬「ガクブル……!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初魄と佳宵

 時は少しだけ遡り――ヤト達がヨルン人形を廃棄した直後。ヤトは影を背負いながら帰途についていた。

 

 意気消沈。かつてここまで私を追い詰めた者が居ただろうか。敵に半身を吹き飛ばされた時ですら折れなかった心が折れそうだ。

 

 そんな事を考えながら黒き森の正規ルートに従い歩く。三人の間に会話は無い。

 佳宵はぶすっとした表情で腕を組んでいるし、銀鉤は何か考えごとか思案気に俯いている。だが暫くして、銀鉤は何かを決めたようで顔を上げた。

 

「ヤト、この人形の廃棄なんとか回避できるかも」

「なに?」

「みんなの分、作った全部を保全するのは厳しいけど……たぶん限られた数なら確保できる」

 

 だから協力してほしいと銀鉤は提案して来た。

 

 この人形が今後も使える。それは願ってもない事だ。ヤトは、ほうと感嘆の声を上げた。

 だが、ヤト以上に佳宵が瞬時に反応する。佳宵は不機嫌そうだった顔を破顔させて、銀鉤の小さな体へとのしかかる様に肩を組んだ。

 

「へえ、さすが腹黒犬。やるじゃねぇか! で、どんな作戦なんだ?」

「うぇっ重い……」

「あぁ!? 失礼だなお前!」

 

 わちゃわちゃと。森の中でじゃれ合う二人。

 

 そんなに嬉しいだろうか? いや、私もそうなれば喜ばしいが、その浮かれようは主の命令を蔑ろにしているのではないか?

 ヤトはそう考えて二人に注意する。

 

「貴様等は命令を覚えているか? 主は全て処分せよと仰った。なれば我等はそれに従うのが道理ではないか」

「でもヨルだって以前、ボク達が嫌な事はしなくてもいいって言ってたよ? 命令無視じゃない。ボクはヨルに認めてもらった上で保護するつもり」

「おー、そうだそうだ! 初魄はお固いんだよ。銀鉤なら上手くやんだろ!」

 

 佳宵は指で銀鉤の頬をぐりぐりと押しながら上機嫌に言う。銀鉤はイヤそうな顔だ。

 

 たしかに、主は以前そんな事を言っていた。

 彼女が下す言葉は命令ではなく、お願いという形態が多い。その上、夜人達の意志を尊重するような発言も見られている。

 我々に配慮してくださっているのか、ある程度の自由裁量まで任されている。不満をため込むなと、嫌な事は拒否していいと言っている。

 

 あり得ない事だ。

 かつての主であれば我々のことをまず認知しない。話しかけても、お道化てみてもその視界に映らない。

 

 興味無いのだ。夜の神()はヤト達の事を「駒」とすら見てくれない。ずっと存在を無いものと無視されてきた。

 ヤトが主から言葉を頂いた事は数える程度しかない。怒られることは無かった。だけど、決して褒められる事も無かった。

 

 それを考えれば、今の主は変わった。いい方向へと。重吾と混ざり合った事で凍っていた人格は再び動き出した。

 その切っ掛けとなったのが自分で無かったのがヤトは少し寂しかったが、不甲斐なさも感じている。だからこそ変わった主へと一層の忠義を尽くすのだ。

 

 そしてもう一つ。大事な事。

 

「佳宵、間違っているぞ。今の私は初魄(しょはく)ではない。ヤトと呼べ」

 

 何度言えば覚えるんだ、この小娘。

 そんな怒りを乗せて佳宵を睨む。

 

「あー、うっせうっせ。私は絶対その名前で呼ばねぇから。諦めろや」

「これは主から直々に頂いた大切な名だ。それを無視するとは貴様……なんだ、まさか妬んでいるのか?」

 

 佳宵の表情が固まった。

 

「…………あーそうだよ! 悪りぃかよボケ! 死ね!」

 

 殴られた。思いっきり蹴られた。

 だけど怒りは湧いてこない。むしろ優越感が勝る。

 

「……ふ」

「んだよ、その目は! ウッゼェなあ!」

 

 攻撃されながらヤトは改めて同僚の事を考える。

 

 佳宵の奴は短慮であり、手が早い。さらに性格もガサツで礼儀を知らぬから、たとえ主が相手だろうと敬語を使わない。当然、先達であるヤトにも敬意を払わない。

 

 それと比べて銀鉤のなんと優秀なことか。主に敬語を使わないのは佳宵と同じだが、それよりまだ分をわきまえている。今だって、唯一名前を貰ったヤトを無表情で見上げるに留まり文句を言わないのだから。

 身の程を知った犬は可愛いものだ。頭を撫でてやる。無言で見上げていた瞳孔が縦に割れた。

 

「む?」

 

 見間違いかともう一度銀鉤の瞳を覗き込む。目を逸らされた。どうやら気のせいだったかとヤトは気にしないことにする。

 その間もずっと攻撃を続けていた佳宵にアドバイス。

 

「佳宵はそんなに名前が欲しいなら、自分で頼んだらどうだ? 主ならきっと名前を下さるぞ」

「――あぁ!?」

 

 佳宵が一際大きな声を上げた。歩みを止めて俯くと、頭部に着けていた狐面を顔まで下げた。

 

「ん、んなこと言える訳ねぇだろ……恥ずかしい」

「そうか。なら諦めろ」

「ざっけんな! お前もうちょっと協力する姿勢くらい見せろや!?」 

 

 獣の様に喚く佳宵を押しとどめ、銀鉤に尋ねる。これでは話が進まない。

 

「それで、お前の作戦はどうすればいい? 私達の人形も護る気があるなら、命令違反にならない範囲で手伝おう」

「おい無視すんじゃねぇぞ、おい! 私に協力しろや!」

「うん。それじゃあね――」

 

 

 

 

 【死招く黒き森】は全周数キロにもなる巨大な防衛霊地である。だがヤトと佳宵は現在その領域から抜け出していた。

 

 ここは深淵の森、中層。

 数多の魔種が蔓延る人間には厳しい生存環境の森だ。しかしそんな事、歴戦の猛者である二人には関係ない。神代の化物達と渡り合っていた者――というよりも化物側の上層部――が現世の少し凶暴程度な動物に負けるはずがない。

 

「虫が多いから嫌なんだけどな、この辺り……なに食えばそこまでデカくなるんだよテメェ」

 

 佳宵が蜘蛛型の魔種を蹴り飛ばす。

 型も何も無い、適当な蹴りだ。しかし蜘蛛は避けること叶わず体で受け止めた。轟音。巨体が浮き上がる。

 

「私を見下ろすとか舐めてんのか。這い蹲って死に晒せ」

 

 吹き飛ばされた蜘蛛は大木をなぎ倒しながら転がった。キィキィと小さな金切声を上げて、足を丸めていく。そして永遠の眠りについた。

 

「殺生は控えろ佳宵。それも防衛戦力として有用だ」

「はぁ? こんな雑魚が何に使えるんだか。まあ、気を付けるわ。……うぇ、体液ついた。気持ち悪」

 

 銀鉤と別れて1時間程。そろそろ銀鉤が指示したポイントに着いたはずだとヤトは周囲を見回す。

 そして見つけた。洞の影に打ち捨てられた肉の塊。黒い襤褸を纏ったそれは、もはや人間の形を保っていない遺体だった。

 

 亡骸の手足は半ばから切断されており、腹部は魔種に貪られたのかミンチ状になっている。頭部は更に酷く顔貌は崩れ、頭蓋が切り開かれ中身が零れていた。

 

「あれか……?」

 

 本当にコレが"目的の物体"なのか半信半疑で近づいていく。その際、蜘蛛の体液を振り払うためか足を振って遊んでいた佳宵を引っ張って連れて行く。

 

「あ、馬鹿お前! 引っ張んな、転ぶだろ!? つーか手触んなセクハラ野郎!」

「私は無性だ。少なくとも野郎ではない」

 

「関係ねえ! 主の着替え覗こうとした奴なんて、男だろうと女だろうと気持ち悪いんだよ!」

「……? っの、覗いてない! あれは護衛の一環だ!」

 

 一瞬、何を言われたのか分からなかったが思い出す。たしかに以前そんな事もあった気がする。

 

 主が村に滞在する中、危険な目に合わないかヤトはずっと影から見守っていた。その途中で生着替えが始まってしまったのだが……佳宵はその時の事を言っているのだろう。

 しかしそれは護衛のためで他意はない。慌てて弁明するが信じていない様子だ。佳宵が侮蔑の目を向ける。

 

「お前、まさか自分の事を格好いいとか思ってないだろうな? 口調は作ったものだし、行動はストーカーだし……触んな変態」

 

 佳宵は手を振り払うと、まるで汚い物に触られたように体を掃う。ヤトは傷ついた。

 

「……か」

 

 それはもう、悲しみに暮れた。

 

「関係ないだろばか! それは今、言う必要ないだろばかー!」

「口調乱れすぎだろ。誰お前?」

「素の私ぐらい知ってるだろ! だってお前が口調作って格好つけるなっていうから……!」

「喋んなって事だっつの。それぐらい気付けよ、正気か?」

「あ、う……」

 

 もうなに言っても佳宵が責めてくる。

 ヤトは数回、咳払いすると話題を変えた。

 

「ふむ、この遺体が銀鉤の言っていた昨日の【襲撃犯】という事になるのか」

「逃げが露骨過ぎんだろ。それに口調戻しちまうのか? いいじゃねぇか『ばかー』。私は嫌いじゃねぇぞ、お前の情けない悲鳴。ばかー、って……くっ、くく」

「ちょっと黙れ。頼むから」

 

 嫌らしい笑みを浮かべている佳宵は実に楽し気だ。

 二人きりで来たのは間違いだった。佳宵の玩具扱いは不本意だが、下手に構うとつけあがる。もう放置する方向でヤトは話を進める事にした。

 

 銀鉤が求めた手伝い。それは主への【点数稼ぎ】だ。

 

 人形の破棄命令の可否は主の一存で決まる。銀鉤が交渉に入るから、それまでに主の機嫌がよくなりそうな事をして欲しいとの事を言われていた。

 

 これはその一環で"襲撃者"の確保だ。

 昨夜行われた襲撃事件はヨルンが主体となってしまったが、その陰で実際に襲撃犯が居た。ディアナと戦い、そしてシオンと殺し合った【勤勉】を名乗る教団幹部。

 

 昨夜の戦いの結果、勤勉が既に死亡していたことは知っていた。だが主は聖女を襲った敵に怒り心頭だったし、きっと遺体を見せればお喜びになるはずだ。

 そう思い、銀鉤が把握していたポイントまで遺体の回収に来たのだが……。

 

「おい初魄、これキチンと死んでるか? ちょっと生きてねぇか?」

「……微妙な所だな。生命活動は停止している」

 

 ヤト達が見つけた肉塊は僅かに蠢いていた。

 

 拾った枝で突っついて確認。ぶよぶよとした肉の感触の下に魔力の渦巻が残っている。

 発動している魔法は闇のそれ。勤勉が再現しようとした術は銀鉤が好んで使うしちめんどくさいタイプだ。

 さて、どうするか。悩んでいたら佳宵が手を差し出してきた。

 

「ん、あれ寄越せ」

「……あれ?」

 

「アレだよ、アレ。お前の剣」

 

 私の剣を一体何に使うと言うのか。

 非常に嫌な予感がしたヤトは断ろうとする、が無駄だった。

 

「あー、口が滑るかもしんね。主に初魄の本性を言っちまうかも……恰好つけた言葉遣いだけど、本人も意味をあんま理解しないで使ってるとか。実は素の口調は情けな――」

 

「おっとこんな所に剣が有った。佳宵、使うか?」

「悪りぃね。借りるわ」

 

 夜人たる己の体、黒い(もや)をより固めて作り上げた一振りの剣。銘を【玄帝(げんてい)】。それこそ狂い幽天と呼ばれた初魄の代名詞たる神剣だ。

 

 両刃の黒き鋼はヤトの魔力を通すことで、冬の空に似た蒼を生む。人智を超えた幽玄の果ての果て。かつて幾柱もの神を斬った神殺しの神剣だ。

 斬る事に特化した剣は物理領域に留まらず、精神だろうと概念だろうと切り裂いた。時には100里離れた命を砕き、時には敵によって閉じられた未来すら切り拓いた。

 

 そんな神話最高峰と名高い神剣が今、ただの死体解剖に使われていた。

 

「固いなコイツ。骨が邪魔だ。ん、おい! これ斬れ味悪ぃぞ初魄! なまくらか!?」

「あぁああああ!! ノコギリじゃないんだぞ、そんな擦るな!」

「じゃあどう斬るんだよ。鉈みたいに力任せでいいか?」

「違う、止めろ!」

 

 剣の扱いが雑だ! そもそも魔力を通せ! ……ああ、ダメだ! 佳宵と玄帝の相性が悪すぎる!

 ヤトは両手をさ迷わせた。止めようにも佳宵は止まらない。

 

「あー使えねえな! イラネ!」

「あぁ゛あ゛あ゛あ!?」

 

 ぽいっと投げ捨てられた剣が臓物の海に落ちた。

 なまぐさい血肉が剣に(まみ)れる。消化器官の内容物――端的に言えば糞尿――まで混じった液体だ。柄にも付いた。

 

「うわぁあ! やった、佳宵がやった! やだー!」

「よし。とりあえず、これでキッチリ死んだろ。つーか初魄うるせぇ」

 

 人間の戦士も「剣は武士の魂」と言うが、ヤトにとってその言葉は比喩では済まない。この剣はヤトが己の体を削って作り出した、いわばもう一人の自分だ。

 その剣が人間如きのクソ(まみ)れ。なんという悲劇。

 

「お、お前! やっていい事と悪い事ぐらい分かるだろう!?」

「んー? ……あ、わり。それはごめん」

「謝るな! お前をぶち殺せなくなる!」

「ははは」

「だからって笑うな!」

 

 どうやら事故だったらしい。佳宵は半笑いになりながらも、きちんと謝罪をしてくる。

 無論それだけならばヤトは復讐で殺しに掛かっただろうが、剣は佳宵の魔法で浄化された。

 剣に顔を近づけてみたが臭いは無い。ヤトの技巧では真似できない高度な洗浄だ。ヤトは内心、複雑な想いを抱いたが、怒りを呑み込み同僚のよしみで赦す事にする。

 

「……で、これまだ生きてるのか? そろそろ死んだか?」

「微妙な所だ。生命活動は停止している」

 

 神剣で切ったにも関わらず、肉の塊はまだ生きていた。

 相性最悪な佳宵が握ったために神剣が効能を発揮しなかったとはいえ、首を切断して、体を縦に別けたのだ。これで死なないなら人間ではない。そして、【勤勉】はどうやら人間ではないらしい。

 

 銀鉤の邪法を一部再現した勤勉の体は生と死の狭間を彷徨う魍魎と化している。つまり死と生が同居した異形であり、一種の不死と呼べる状態となっていた。

 

「なんか初魄の剣で斬った部分から体が再生し始めてんだけど。お前の剣って命を弄ぶ魔剣か何かだっけ?」

「佳宵の下種い魔力に充てられたのではないか? 人間から怪物になり果てたに違いない」

 

「別にどっちでもいいけどな。さて、どうやって殺すか」

「下種い自覚が有ったのか?」

「うるせぇな」

 

 殺すだけなら簡単だ。

 肉体という器がいくら再生しても、魂の損傷は容易ではない。ましてや不完全な邪法。ヤトが本気で剣を振るえばこんな魂など百単位で滅する事が出来る。

 対する佳宵も魂を腐らせる病原菌を体内で飼っていた。その病を感染させれば抗体を持たぬ現代の脆弱な生物など国ごと死に絶える。

 

 だが問題が一点。

 

「じゃあ初魄やれ。私は疲れるから嫌だ」

「よし、佳宵やれ。私は主の護衛に戻る」

 

「あ?」

「ん?」

 

 二人が見つめ合う。互いに無言となった。

 

 実はヤト達が使っている人形。途轍もなく"性能が低い"。

 なにせモデルとなったヨルンの肉体は重吾が望んだこともあり、この世界の一般人から見ても非常にスペックが低いものだ。

 筋力は無い、魔力も無い。その操作は覚束ない。唯一、突出して高いのが闇との親和性だが、それは夜の神が宿っているため。

 

 つまり「夜の神」なき人形は、ただ可愛いだけの貧弱小娘の体なのだ。

 当然それと合体しているヤト達も相応の力の制限を受け、「魂」という高度次元体に干渉する事が難しくなっていた。

 

「よく考えろって。聖女と戦った……らしい勤勉を殺せるんだぞ。栄誉じゃねぇか」

「私は佳宵に譲ってやると言っているんだ。主に褒められれば、名を賜る機会に繋がると思わんか?」

 

「……」

「……」

 

 再度の無言。ヤトも佳宵も決して自分では動かない。

 

 言いたくない。今の合体状態では勤勉を殺しきれないとは言いたくない。だけど合体を解きたくない。

 もしかしたらヨルン人形を使えるのが、これで最後になるかもしれないのだ。なら少しでも長い時間、全身で主を感じていたい。そんな無言のせめぎ合い。

 だが、その時間は唐突に終りを告げた。

 

「待て、連絡が来た」

「あぁ? ……ああ【化楽】か」

 

 木漏れ日を避けるように木陰から這い出てくる一人の夜人。佳宵が化楽(けらく)と呼んだあれは銀鉤の部下だ。

 かつて銀鉤の下で色々な工作活動に従事していた化楽の姿を思いだす。しかし、今は変化の再獲得に至らない一夜人でしかない存在。

 

「なにか緊急か? 身を焼かれているぞ」

 

 日中に屋外へ出るのは夜人にとって自殺行為。たとえ日陰に隠れても太陽の破邪で浄化されていく。これが屋内や洞窟内、あるいは「黒き森」のような霊地ならば例外だが、ここは中層であり闇の加護は薄い。

 現れたメッセンジャーは消え去るまでの僅かな時間で、上司(銀鉤)の言葉を伝えるべく地面に文字を書き起こした。

 

『ごめん、交渉失敗。人形は諦めて』

 

 たったそれだけの一文を書いて化楽は浄化されていく。無念そうに首を振った姿は銀鉤の模倣だろう。

 静かになった森の中。地面の文字を何度も読み返す二人は大きな吐息を漏らした。

 

「はぁあ……あの犬っころ。何が策があるだよ、あーもう駄目だぁ」

「致し方あるまい。主の決意は固かったという事だろう」

「でもせめて経緯ぐらい報告しろよ。どこで失敗したんだ、もうちょっと粘れなかったのかよ……仕方ねぇ、あとで聞き出すか」

 

 口頭や記述を用いた物理手段による意思疎通は実に不便な情報伝達システムだ。

 

 もしもヤト達が人形と合体しておらず夜人のままだったなら、すぐに銀鉤の交渉過程の詳細を把握する事が出来ただろう。

 夜人という群体が備える【共有感覚】を活用することで、彼等は別個体の夜人が見聞きしたモノをリアルタイムで知ることができる。

 だがそれも夜人という群体から逸脱した今の二人では共有感覚にアクセスできず知り得ない。

 

 主との交渉過程は気になるが焦って知るべきことじゃないかと二人は考える。

 人形の処分は元々決まっていた事だし、それが覆らなかったのは残念だが仕方ない。ヤト達はそう考えて今や不要な物体と化した【勤勉】をどうするか協議する。

 

「この男の処遇……どうするか。いまや点数稼ぎは無意味となったが、持っていくべきか? だが独断行動は主の不興を買う可能性もある」

「つか勤勉(コイツ)の再生終わってんな。うわ目が合った。どうしよう初魄、キモいんだけど」

 

 点数稼ぎは人形確保のための賭けだった。破棄が覆らなかった以上、下手な事はしない方がいいだろうかという事にヤトが頭を悩ませる。そんな中、勤勉が呟いた。

 

「……何年たった。森に大きな変化はないか。服も残骸が残っている。俺が死んでから時間はそう経っていない? ……何故だ。まだ不完全な"アレ"では再誕まで1年以上かかるはずだ」

 

 眼前にいるヤト達には目もくれず周囲を見回す勤勉。

 彼は辛うじて役目をなしていた襤褸の拘束衣を剥ぎ取って裸になると立ち上がった。股間に巨大な何かがぶら下がっている。

 

「ふっざけんな!! 汚ねぇもん見せんじゃねぇよカス!!」

 

 そして消し飛んだ。

 

「やべぇ、やべぇよ初魄! アイツ変態だったわ。み、見ちまったよぉ……!」

「おい抱き着くな。震えるな。お前がそんなタマか。どうせ見慣れたモノだろう?」

「お前は私を何だと思ってんだ!?」

 

 佳宵の魔法により何も残らず消滅した場所をみる。勤勉の肉体はおろか、周辺の木々まで一部犠牲となって荒れ地と化している。

 

「……暴力女」

「これは正当防衛なんだが!? 視界の暴力を喰らったのは私なんだが!?」

 

 佳宵は恥ずかしいのか狐面を下して素顔を隠してしまう。

 その効果か落ち着いた佳宵はヤトに抱き着いていた事に気が付いた。ハッとしたようにヤトから離れると体を震わせて殴り掛る。

 

「なんで私がお前に抱き着いてんだよ! ふざけんな!」

「そんな事私が知るか。震えるくらい怒るなら、拳は私では無くアイツに向けろ」

「うるせぇ! 私は、お前を、殴りたい!」

 

 ドゴンッ、ガゴンッと。人を殴ったとは思えないような鈍い音が連続する。別に痛くないので好きなようにさせた。ヤトは頑丈さなら三人の内でも随一だ。

 

 佳宵の拳は放っておいて、勤勉の様子をみる。彼の再生は既に始まっていた。

 再生速度は先ほどよりも更に早い。攻撃魔法で肉片一つ残らなかったのに、荒れ地の中央にぽつんと胎児のような肉塊が落ちている。

 あの様子を見る限り、佳宵が殴り飽きるまでに元のサイズに戻りそうだ。

 

 人間にしておくには惜しい人材か? あれ程、闇と親和性がある男ならば、使えるかもしれない。

 

(……いや、その結果シオンのような変態が増えても困る)

 

 それに勤勉は聖女を襲った暴漢だ。それ自体をヤトはさほど気にしないが、主が一体どう思うか。

 ……やはり無しだ。こいつも闇の陣営に迎えるには叶わない。ヤトはうんうんと頷いた。

 なぜか佳宵の殴りが強くなる。

 

「はぁ、はぁ。お前の体どうなってんだよ。硬すぎる……もういいや」

「満足したか?」

「……別に」

 

 なにか不味い対応をしてしまったのか、今度は拗ねている。全く理解できない精神性を持つ女だとヤトは呆れるしかない。

 せめて素顔を晒してくれれば、佳宵の求める答えを表情から読み取れるのに。

 ヤトが狐面を外そうと手を伸ばす。逃げられた。

 

「触んな」

 

 近寄れば逃げる、放っておけば構えと寄ってくる。

 もう放っておこう。ヤトは面倒くささを覚えて佳宵の相手をしないことにする。

 

 そうこうしている内に、再びメッセンジャーの夜人が現れた。

 

「む?」

 

 また銀鉤の方で動きが有ったのかと思ったが違う。今度来た夜人はヤトの部下であり、主の護衛を任せていた一人だった。名を叨利(とうり)

 主の許を離れて彼が来るとはかなり重要な要件に間違いない。ヤトは身なりを正す。彼の言葉は主の言葉。とは言え、彼もまた地面に文字を書くのだが。

 

『主の言葉を伝える。人形を今すぐ処分せよ』

 

 使者が地面に文字を書く様子を覗き込んでいた二人は主の意思を汲み取った。

 

「そうか。いよいよだな」

 

 主は何時まで経っても未練がましく人形を捨てられないヤト達に決断させるため命令を下したのだ。恐らくここに居ない銀鉤にも同様の命令が下されたはずだ。

 再三の指示。事ここに至りヤト達に拒否する選択肢は消え去った。

 

「やるぞ佳宵」

「……しょうがねぇ。一撃で決めろ」

 

 二人は真っすぐ向き合うと、互いにその体を攻撃する。

 自分で自分の大切なモノを壊せるはずがない。遠慮しなくていいように、間違いなく処分できるようにしたのだ。

 

 ヤトの振るった玄帝は一太刀で佳宵の体を粉微塵に切り刻む。同時に佳宵の魔法が発動。ヤトの体が急速に崩壊し始めた。指先から腐り落ちるようにボロボロと風化していく。

 

 そんな神話の再現を、再生した勤勉だけが驚愕の表情で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 人形が朽ちた事で合体は解除された。

 夜人たる闇の体が表に現れ、太陽の破邪に己が消えていく。その間際。ヤトはふと気になった。

 

 主の身辺に異常はないか。神殿に侵入者はいないだろうか。

 

 浄化されれば次に目覚めるのは夜になる。ならば消える前に主の安全を知っておきたいというヤトの心配性が招いた、ちょっとした切っ掛けだ。だがそれが銀鉤の策に罅を入れた。

 

「……?」

 

 ヤトの自我が深層に繋がり意識の海を揺蕩う。そこは数多の夜人が生まれ、そして還る母の許。そして、主のために夜人同士が情報交換する場所でもある。

 夜人達の共有感覚。そこにアクセスしたヤトへと一つの情報が齎された。

 

『銀鉤ちゃんは好きな料理とかあるんですか? 村に帰ったら歓迎会しましょうね』

『ボク? うーん、と。お肉が好きだよ。種族は……いや、なんでもいいや』

『肉の種族って何?』

 

 銀鉤が聖女を挟んで主と三人楽し気に話している。人形を処分する素振りも見せず、体を保持したまま堂々と歩いている。

 

「……?」

 

 歩いている場所は神殿内部。聖女の手を握り、主に笑みを向ける。この後に行われるという歓迎会を楽し気に語る、銀鉤のなんと晴れ晴れしい面持ちか。

 これは全て、今現在の光景だ。

 

「??」

 

 なんで? どうして?

 私は命令通り人形を処分したのに、銀鉤は許された? そんな筈ない。主の命令は今すぐ処分しろというものだ。

 銀鉤は最悪な性格をしている奴とはいえ、命令を無視するような存在ではない。ならば何故? どうして銀鉤だけ人形の保持を赦された?

 

 訳が分からない。混乱に呑まれつつも消え行く意識。それを一つの怒声が繋ぎ止めた。

 

「ざっけんじゃねぇぞ! 銀鉤ォおおオオ!!」

 

 闇の体を変化させて実態と化した佳宵が叫ぶ。人形と合体していた時とは似て非なる神の降臨。太陽の破邪を打ち払い、森の一画に地獄が顕現する。

 

「裏切ったな犬畜生ッ! 私等の人形なんか最初から守る気なかったな! 一人生き残りやがったな、クズ野郎がァッ!!」

 

 主への点数稼ぎをしろと言って二人を遠ざけた。そのくせ、勤勉の確保を待たず交渉に入った。結果は失敗。人形は諦めろなんて報告だけ腹心たる化楽に寄越させ、自分はあの調子。

 

 銀鉤の言動の真意が見えてきた。ああ、なるほど確かに"限られた数"は確保したのだろう。ヤト達を生贄に自分の人形たった一つの戦果を手に入れた。

 

 思えば、最初から罠だったに違いない。

 あの犬は昔からそうだ。自分以外の全てを踏み台に事を為してきた。時には自分の容姿すら利用して生きてきた。

 今もそうだ。実態は()()()()()()()のくせに、性格も見た目も欺いて聖女に取り入った。振られる尻尾は媚びの証。

 

「……そうか、では『今すぐ処分して』とは、そういう意味か主よ」

 

 だが、主までは騙せなかった。

 ヨルンは銀鉤の人形保持に困っている様子が見受けられたことから、恐らく銀鉤の独断専行は主の本意では無い。しかし許さざるを得ない状況に持ち込まれた。だからこそ、ヤトと佳宵へ"処分命令"が下されたのだ。

 

「ならば、このまま消える訳にはいかぬ。私にはやらねばならぬ事が今できた」

 

 半ばまで消えかかっていた体を再構築。魔力を纏い、鎧へと書き換える。赤黒く、仄暗い光が体を迸る。

 無骨な籠手で握りしめた【玄帝】は久方ぶりの戦闘に喜び震えていた。

 

 ヤトと佳宵の闇が現実を侵食して世界が悲鳴を上げる。勤勉の体が喰われ始めた。

 

「主の意思を裏切る愚か者。敵は現在、神殿第二層。制限時間は1分。……厳しいか」

 

 移動と抹殺にかかる時間は大した問題ではない。30秒もあれば事足りる。だが、銀鉤の周囲に展開しているレイトとシオン、そして聖女が盾となって邪魔をする。傷つける訳にもいかず、無理は出来ない。

 

 ヤト達の変化は長時間続かない。だが今、銀鉤を殺さねば村に合流される。かといって無策で突撃したら聖女たちに変な勘繰りを受け、主の計略に影響しかねない。

 どうしたものかと悩んでいたら佳宵が何かを引きずってきた。

 

「コレ使うぞ。初魄も手伝え」

「……なるほど。役に立つ男だな、勤勉」

 

 それは真なる闇に魂まで侵食された男の成れの果てだった。

 

 

 




▼本日の夜人共有感覚スレッド一覧

腹黒犬が聖女を篭絡する場面見たったwww(807)
【聖女さん】ディアナの弱みを探るスレpart4【マジ聖女】(344)
主の可愛いとこ1000個上げるゲームしようぜ(1001)
荒らぶるリュエール君を愛でるスレ(6)
    ・
    ・
    ・


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

恐怖の足音

 

 

 暮色に染まる空の下、ヨルンの救出が終わって帰るだけとなった一行の前に【勤勉】が立ちふさがる。

 

 神殿の石畳は緋色に輝いて、周囲を囲む円柱の影は大きく伸びる。いっそ神々しいまでの空間だが流れる空気は最悪だ。

 勤勉は現れた時と同様に、唐突に飛びかかってきた。レイトが瞬時に前に出て剣を振り抜く。

 

「ッ! やはり人間と思えない体をしているなお前……! 肉で剣を防ぐんじゃあない!」

「俺は神を見た。怒りと失望を身に宿して仰った。裏切り者は生きて帰すな、敵を殺せと仰った」

 

 鋼を打ち払う勤勉の肉体。彼はレイトの剣を腕で防ぎながら、焦点の合わない瞳でどこか遠くを見ていた。戦闘を蔑ろにした行為。だが一振り、二振りと剣を交えるとレイトの方が苦渋の声を上げる。

 

「なんだコイツ、昨日より強くなっているぞ!? おい純潔! 何故コイツがここにいる。逃がしたか、それとも和解でもしたのか!?」

「いえいえ確かに殺したと思ったんですがねぇ。死体は森に捨てたのですけど……不思議な事も有るものですねぇ」

「死者が生き返るのを不思議の一言で済まさないでください!」

 

 とぼける様に言う純潔。ディアナの叱責が飛んだ。

 彼女は造魔器官に意識を落としこむと、怒りを力に変え、魔力を練り上げる。循環する血流に合わせて全身を巡らせ、精練、紡ぎ、そして一言。

 

「bishop【sparkle/生命の煌めき】」

 

 ディアナの強化魔法を受けたレイトの体が淡く輝いた。

 

 反応速度の向上、筋力の上昇、そして破邪を纏わせる効果を持つ上位強化魔法だ。たった一つの魔法で広くカバーできるこの魔法は戦闘開始初期において汎用性が高く多くの戦士に好まれる。

 しかしその分、魔法構造は複雑で使える人は概ね司教位以上に就く聖職者に限られる。故にbishop級の魔法。

 

「おっと、ディアナ君に詠唱速度で負けてしまったか。では吾輩は少し頑張って、archbishop【sacred arousal/修道者の悟得】といってみようかね!」

 

 ムッシュが唱えた呪文はさらに上位の呪文だ。【生命の煌めき】が汎用的な強化ならば、ムッシュ司教の【修道者の悟得】は攻撃に特化した強化呪文。

 ディアナとムッシュの支援魔法でレイトの肉体が一段上の領域に押しあがる。

 

「二人ともありがたい……ッ、コイツ!」

 

 だがそれでもレイトは力負けしていた。

 勤勉の剛腕で弾き返された剣。少しでも気を抜けば、持っていかれそうだ。抗わぬように体を流して受けに回るも大きな筋力差が戦況を押し込んでくる。

 小さな汗がレイトの頬を伝った。

 

 ―― このままでは押し負ける!

 レイトがそう感じた瞬間、勤勉の顔が獰猛に歪んだ。

 

「不安か? さらに上が有るかと恐怖したな? よく分かってるじゃあないか」

「ッなんだ!?」

 

 強化されたレイトを突き放す様に勤勉の力が更に強まっていく。一回り以上太くパンプアップした筋肉が湯立つように赤みを増した。

 

「いいぞ、いいぞ。いい調子だ。今の俺は神の加護の下、無限の力を与えられた。どんどん力を上げるぞ、貴様など後10秒で捻り潰してくれる!」

「このっ……ふざけた男が……!」

 

 その言葉は決して増長した男の妄言ではなかった。

 膂力の増加が止まらない。勤勉の肉体は上へ上へと一足飛びに階段を登っていく。人間という脆弱な枠組みを抜け出して、怪物の領域へと踏み込む。

 

 レイトは力比べを諦めて飛びのいた。追撃を躱して、軽業で相手を弄する。

 

「くっ、レイト君! もう少し援護しやすいように戦えないのかね!? そんなに動き回っていたら、我輩達が魔法を撃てぬぞ!」

「俺に死ねと言うのか!?」

 

 一歩でも立ち止まれば押し潰される。レイトは位置を変え、飛び回り、なんとか勤勉の猛攻を往なす。

 

 1秒。勤勉の力がさらに増した。盾にした神殿の柱が吹き飛んだ。

 2秒。敵の腕が掠った部分が大きく刮がれた。骨がむき出しとなり、動脈から大量の血が噴き出る。ほぼ同時にディアナの治癒で修復された。

 3秒。レイトが命の危機を感じ始めた頃、純潔が「ああそうだった」と口を開いた。

 

「勤勉の使う魔法は相手の【恐怖(ドレッド)】を媒体にするモノです。変な事を考えれば、利用されますよ?」

 

「よく分からん! つまりどういう事だ!?」

 

「そうですねぇ、勤勉は敵が感じた恐怖を実現する力を持っています。簡単に言えば、貴方が負けると思えば、負けます。死ぬかもと敵を畏れれば、死にます」

 

 勤勉が使う闇魔法は恐怖を実現する能力。過程は吹き飛び、結果だけが現れる。

 そんな理不尽な魔法を聞いてレイトたちは僅かに閉口した。しかしすぐ純潔へと文句が飛ぶ。

 

「……そういう事は早く言え!!」

 

 まだまだ、戦闘は始まったばかり。

 

 

 

 

 闇魔法の研究は、広大な砂漠から一片のガラス玉を探し出す作業に似ている。

 しかも先駆者から享受される知識は無く、探究者は砂漠の在処から探さなければならない。

 そうした苦労を乗り越えた者達が集う場所こそが黒燐教団。その幹部たる純潔は、浮かび上がる笑みを抑えきれなかった。

 

「期待外れと思っておりましたが、素材は良いではないですか勤勉。少しは見直せました」

 

 社会から身を隠し、体という器を変え、寿命による制限を超えて漸くたどり着いた教団幹部の座。夜の神を崇拝する人間の上位7人に辿り着いた時は、俗ながら喜びを感じてしまったものだ。

 

 だが昨夜。シオンは勤勉と戦って失望を覚えていた。

 あれが自分と同類なのか。教団幹部という優秀たるべし神の尖兵が、あの程度で許されるのか。そんな怒りが殺意に代わり、気付けば勤勉を解剖していた。

 

 その時に得た知識こそ勤勉の秘奥だ。

 相手の恐怖に呼応して形を変える闇魔法【恐怖の体現者(ドレッド・ディメンション)】。

 日中では自分の体にしか効果を及ぼせないが、夜こそ本領を発揮して周囲の現実まで変幻自在に書き換える――というのが本来の闇魔法。

 

 しかし昨夜の勤勉はその真価を半分も発揮できていなかった。

 相手の恐怖を読み取るまではやっていたようだ。だが、現実に影響を及ぼすには至らず、幻覚で再現しているように見せていただけ。

 

 それがどうだ。今の勤勉はしっかり()()()()()()()()()()

 レイトが感じた力負けするのではないかという恐れを吸収して、自分の体を変質させた。誰にも勝る肉体を手に入れた。

 そしてそれは持続する。例えレイトが今後どれだけの補助を受けて力を増しても、勤勉はその上を行く。もう力負ける事は無い。

 

「だから、余計な事を考えないでくださいねって……善意で忠告したのに、なんで私が怒られるんですかねぇ?」

「貴方は言うのが遅いのです!! どうするんですか、あれ! あれ!」

 

 ディアナが暴れ狂う勤勉を指さした。

 巨大な柱をへし折って振り回す大男。押し潰されたレイトが血を吐き出した。

 

「ディアナ君ーー! 援護を頼むよ、我輩だけじゃ間に合わない!」

「あぁ、すみませんムッシュさん! レイトさんもごめんなさい!」

 

 慌てて治癒魔法が飛んでいく。

 

「あの拘束衣は魔力を留めておくためのモノですね。あの魔法、燃費が悪いからバックアップ用の魔具でしょう。どうやら彼の趣味では無かったようです」

「そんな事は聴いてません! ……では、粘ればガス欠になるという事ですか?」

「いいえ。今の勤勉は何かがおかしい。魔力炉を体内に備えているんですかね? まるで魔力が減らないようです」

 

 勝つにはその秘密を暴くしかない。だがそんな時間は無いだろう。先に夜が来る。

 

 黒き森を見れば殺意に溢れた夜人が二人。後ろ、神殿の入り口にも戦闘音を聞きつけたのか、内部から山ほど夜人が現れてこちらを覗いていた。

 まだ西日が強いから外に出てこないが、夜になれば彼等も動き出すだろう。

 

 そうなればもはや勝ち目はあるまい。いや、純潔の秘奥を開帳すれば、引き分けには持ち込めるかもしれないが全員無事とはいかない。

 となれば逃げるべきだが、それも夜人が妨害してくるだろう。複雑な黒き森の正規ルートだ。逃げながら応戦という訳にも行くまい。ならば……。

 

「ん、どうしたのですか?」

 

 悩むシオンの袖を引く小さな手があった。

 ヨルンは不安そうな顔で聞いてくる。

 

「あの二人と話したい」

「森に居る夜人とですか? 何故、いえ……なるほど」

 

 少し身長の高い者と、首に赤いリボンを巻いた者。

 よく見ればあの二人はいつもヨルンと共にいる夜人だった。

 

 ヤトが敵方についている。

 理由は分からないが、恐らく主導権の関係だろうとシオンは予測する。三番でもヨルンから奪えなかった二人の夜人を勤勉が簒奪して使役している。

 まさしく勤勉がヨルン達の主ということか。

 

「……危険では?」

「かもしれない。でも、話さなきゃ」

「駄目です! ヨルちゃんは無理しないでください!」

 

 勤勉を主とするだけで、人が変わったように殺意に満ちた目をする様になったヤト達二人だ。あれに近づける訳にはいかないとディアナは必死の声で制止する。

 なんとか翻意を促そうとヨルンに声をかける。しかし、また前線でレイトが悲鳴を上げた。

 

「くっ! 有効打は何かないか!? ディアナさん、ムッシュ司教すまん、もう少し援護を強くできるか!?」

「無心で戦うというのは初めてでね! 吾輩もあまり策を考えられんのだ……ああ、ディアナ君! 援護が遅れ始めているよ!」

「す、すみません! ……いいですか純潔! ヨルちゃん達の護衛はしっかりしてくださいよ!? 分かってますね!?」

 

 本当は任せたくないが仕方ない、そんな感情がありありと見て取れる。ディアナはそれだけ言うと、再び前線へと視線を戻した。

 すると今度は銀鉤が恐怖に引き攣った表情でヨルンを制止する。

 

「だめ、ヨル行っちゃダメだよ。離れたら殺されちゃう!」

「銀鉤、抱き着かないで。でも……うん。行くよ。なにか怒らせたら私が行かなきゃ」

「ヨル!」

 

「ふむ……私はどうすればいいのでしょうか」

 

 勤勉は三人が抑えている。純潔の役割はヨルンと銀鉤の護衛だ。

 

 勝ちの見えない戦況、沈みゆく太陽。悩む時間も無い。

 純潔は二度三度、ヨルンの顔を見た。決意を秘めた顔。シオンはゆっくり頷く。

 

「……行きましょうか。逃げるにしても退路がない。ならば前に進むのが良いでしょう」

「純潔!?」

「ディアナ司祭の気持ちは分かりますとも。愛する者を危険に晒したくない、それは私も一緒ですよ。ですが、こうも思いませんか?」

 

 ――愛するからこそ信じてしまう。

 

「私はね、確信しているんです。勤勉よりも、まだ見ぬ『主』よりもヨルンが相応しい。彼女こそが最も闇に近しい存在だ」

 

 ヨルンもまた信じているのだろう。

 自分について来てくれたヤトが、仲間が勤勉ごときに操られるはずがない。話をすればきっと分かってくれる。また味方になってくれる。

 

「だから、行くのです。仲間を信じて行くのです。ヨルンは貴方達が勤勉を抑えきると。ヤト達も帰ってきてくれると信じてる。ならば一体、何を恐れる必要が有りますか」

 

「……危険だと思ったら、貴方が身を挺して守ってくださいよ!」

 

「ええ。違いなく」

 

 

 

 

 怖いんですけど。すっごい怖いんですけど。

 

 なんか突然現れた大男は神殿の柱を振り回すし、隊長さんの剣も体で弾く。

 剣を腕で弾くって人間じゃねぇよぉ……あんな化物どっから来たの? そしてヤトと佳宵。なんでこっちを睨んでるの?

 

「銀鉤は、ここで待ってる?」

 

 怒れるヤト達の真意を確かめねばならない。

 その為に彼等の下に向かおうとしたが、どうやら銀鉤は酷く怯えているようだ。しかし逡巡のあと、首を振って俺の腕にしがみ付いてきた。

 

「……行く」

「ん。じゃあ行こ」

 

 俺もあんなに怒っている二人を見るのは初めてだ。不安で一杯だが、行かねばなるまい。

 荒れ狂う大男の近くを歩くのは怖かったけど、隊長さん達が上手い具合に敵を往なしてくれた。

 

「ヤト……?」

 

 シオンを護衛に俺と銀鉤は森の境界線までやってきた。黒い森は怪しくさざめいて、それに合わせてヤトと佳宵が近寄ってくる。

 

「ヤト?」

 

 もう一度名前を呼ぶ。しかし帰ってきたのは攻撃。ヤトの腕がうなりを上げて振り出される。

 

「――ッ!?」

「た、助けてヨルー!」

 

 思わずぎゅっと目をつぶって銀鉤を抱きしめる。

 襲い来るだろう痛みを想像していたが一向に来ない。目を開けば、すぐそこで震えるヤトの拳が有った。佳宵も何かを抑え込む様に耐えている。

 

「……なにが有ったの? 私はどうすればいい?」

 

 俺は最初、ヤト達が裏切ったのかと思った。だって見知らぬ人を連れて、俺たちを攻撃して来たから。でもすぐそんな訳が筈ないと思い直した。

 

 この世界に来て早数か月。言葉を交わした回数は限られど、彼等は彼等なりの優しさを持っていた。

 怖い事ばっかり言うヤト達だけど、それも全部俺のため。だから理由も分からず彼等が裏切る事なんかある訳ない。

 

 そして、それは正解だった。

 こうしてヤトに近づいて確信する。彼に俺を害する意思はない。そうでなきゃ拳を止める理由がない。

 

『作戦、演出、主の望み』

 

 彼はシオンに気付かれないように、そっと俺に教えてくれた。

 俺を抱擁する様に近づいて、体を目隠しにすると靄を操って空中に文字を書く。なんかどんどん器用になるねヤト。

 

(でも、ああそっか……。さすがだわヤト、頭いい)

 

 昨夜、村を襲った主犯は謎の「大人ヨルン」ちゃんだったが、協力者として夜人が居た。だから村人の多くには「夜人=危険」の方程式が刻まれてしまった。

 

 それを修正するためにもこのイベントが必要だったのだ。

 一度敵対っぽい事してから、味方に戻る演出をする事でヨルンなら夜人を制御できる、教団の人間が来ても制御を奪われないと思わせられる。

 俺が村に帰るためにも夜人の安全性を知らしめる必要があったのだ。彼等はそのために、こんな演出をしてくれたという事か。

 

 そしてあの大男がこの施設で俺たちを襲う事により、設定に迫真の裏付けをつける。全て俺のために動いてくれたという訳か。

 

「ありがとう、ヤト。佳宵」

 

 心からの笑みを二人に送る。表情こそ変わらないが、気持ちは伝わる。ヤトと佳宵は当然だと言わんばかりに頷いた。俺の頭を交互に撫でてくる。

 

「ところで、あれ誰」

『拾った、人間、勤勉』

「ええ……」

 

 お前ら、今度は誰を拾ってきたの?

 勤勉なおっさんをその辺から拾わないでください。前に拾ったおっさん(シオン)なんか、まだ居ついちゃってるぞ。

 

『聖女、襲った、処分?』

「しないよ」

 

 そりゃ現在進行形で襲ってるけどさ……。でもそれヤトの命令じゃん?

 それで処分て、鬼じゃないんだから俺は。

 

『神殿、壊した、処分?』

「しないよ」

 

 それも演出のためでしょう。分かってるから、そんな怖いこと言わないで。

 

 しかし、あのおっさんも凄い迫真の演技力をお持ちだ。「裏切りものには死を!」とか叫んで、こっちをメッチャ睨んでくるし、本当に殺す気みたいな攻撃をしてくる。

 それを辛うじて防ぐ聖女さん達三人も凄い……というか、そこらで拾ったおっさんが、これまた強えーんだわ。シオンといい、どうなってんだこの世界のおっさん。

 

 ぶおんぶおんと風切り音を立てながら柱が動く。周辺をなぎ倒し、叩き付けで礫が飛ぶ。それを全て撃ち落とす聖女さん。逃げ惑うムッシュさん。隊長さんは凄い形相で突撃していった。

 

(……映画かな?)

 

 ヤト達による演出だと分かったから何とか落ち着いていられるが、もし本当に敵だったらヤバかった。

 分かってるのにハラハラドキドキ。聖女さんたちに負けないでと祈りを向けてしまう。

 

『作戦、遂行、奮闘』

「ん、任せた」

 

 最後にヤトが所信表明。ちょっとその意味が分り辛かったが、たぶん「作戦きっちり頑張るよ!」と言いたいのだろう。俺はその調子で頑張れとヤトの体をぽんぽん叩く。

 

 彼らはやる気を出したようだ。銀鉤を一睨みすると、ゆっくりと離れていく。

 

「ん? ああ」

 

 なんで銀鉤を睨むのかと疑問だったが、すぐに思い至った。

 たぶん彼等は銀鉤に嫉妬してライバル視しているのだろう。最近はずっと俺が銀鉤に頼りっぱなしだったし、鶏のから揚げも銀鉤にだけあげてしまった。

 彼等もここらで活躍して褒められたいという事か。

 

「好きにやって」

 

 それならばと、ヤトに頑張れと応援。

 ここまで自分の考えで作戦を立ててくれたのだ。その調子で最後まで任せるよと。

 ……なんかヤトと佳宵が、すごく嬉しそうな気配を出した。

 

「ひぇえ、ヨルぅ」

 

 銀鉤は情けない悲鳴を出した。

 

 いや、別に取って食われるわけじゃないんだから。

 

 





主人公「夜人同士の切磋琢磨いいね」

ヤト&佳宵「主の支持を得たぞ!」

銀鉤「ひぇぇ……聖女さんバリアがぁ」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

勤勉という男

 

 

 暮れなずむ夕日を背に猛り狂う大男。勤勉を冠する教団幹部は、歴戦の司教たるムッシュを加えた三人でも抑えるのがやっとの状態だった。

 筋力に遠心力を加えた横回転。弧を描いて鋭く伸びる脚撃。巨体の繰り出す全てが一撃必殺だ。

 

「さあ避けろ避けろ! 当たれば死、掠れば致命傷! それでも寿命は数秒ずつ伸びていく!」

「――ッなんて喧しい野郎だ。少しは戦いに集中させろ!」

 

 こちらの不安を煽るような掛け声にレイトが応戦。負けじと剣を振り上げる。切っ先が石畳を擦り甲高い悲鳴を上げた。

 斬って、突いて、避けて、避けて。数多度の攻防。瞬時に二人の間で主導権が入れ替わる。

 

「貴様の攻撃は生温いなあ! 羽で撫でられている気分だぞ!」

「腕力が全てじゃない! 羽には羽の舞い方あるように、万物には長所がある!」

 

 勤勉の正拳を剣の腹で受ける――瞬間、重心を半歩ズラして相手の力を回転力に変換。流れに逆らう事なく勢いを保ったまま大きく一閃。手ごたえが無い。

 

「馬鹿か貴様は! たかが剣で俺の防御を抜ける筈がない!」

 

 攻撃の後には大きな隙が来る。

 剣を振り抜いた姿勢で止まったレイトの腹部へと重い一撃が向かう。だが、彼に焦りはない。

 

「剣の腹で受けても剣は折れなかった。ならば、俺の腹で受けても同じだろう」

 

 勤勉の拳が腹部に触れるか触れないか、その刹那。迫りくる攻撃に合わせて前方縦回転、飛びあがる。着地地点は彼の腕。

 

「ほらな? 羽は軽かろう」

「貴様……!?」

 

 切っ先を向けるは敵の眼球、人体が鍛えられぬ唯一の点。張り詰めた弦から放たれる矢のように、レイトの剣が突き出された。だが――

 

「期待したな?」

 

 ――通らない。

 鋼の剣は眼球の薄皮一枚突き破ることなく、勤勉の瞳で止まっていた。

 

「……おいおい、ふざけるのはいい加減にしてくれ。瞬きで白刃取りされた方が、まだ希望が持てるじゃねぇか」

「期待は不安の裏返し。始原の感情こそ恐怖。分かるか、キサマに俺は殺せない」

「ああ、そりゃ残念だ!」

 

 腕から飛びのき、走る。走る。

 迫りくる肉の山から距離を取る。一歩後ろの地面が爆発したように捲れ上がった。

 

「【追い縋る卒去の哀歌(バング・ドグマ・レクイエム)】」

 

 新しい闇魔法。走り抜けた場所が次々と爆発していく所を見る限り、追跡系の攻撃魔法かとレイトは予測する。ならば!

 

「逃げていては、前衛の意味が無いなあ!」

 

 攻勢に移らねば奴のターゲットがズレる。

 この場で前線を堅持できるのはレイトただ一人。ヨルは守る、ディアナもムッシュも守る。それこそ戦士たる男の矜持。

 

「戻って来たか! いいのかぁ!? 貴様への鎮魂歌(レクイエム)が謳われているぞ!」

「生憎、浅学な身なもんでなあ! そんな歌は知らないな!」

 

 まだまだ戦闘は終わらない。

 

 

 

 

 剣と腕。ぶつかり合うたびに飛び散る火花を幻想し、改めてディアナは世界の壁の厚さを知る。

 

「……届かない。レイトさんですら、押し切れない」

 

 敵はこちらの感情を読み取って無限に成長する闇の怪物だ。あまつさえ夕日は傾き、今は夜の迫る時間帯。膠着は敵に味方する。

 

「策略を考える程に首が締まる。対抗策を練れば練るほど、相手は上を行く。なるほど、いい術ですねぇ。私も使えるようになりたいですねぇ」

 

「言ってる場合ですか! 私達は無心で戦うなんて出来ませんよ。この数分で勤勉の肉体がどれだけ強化されたか……!」

 

 こうして会話を重ねるだけで絶望的な状況が積み重なる。だが無策で挑むには勤勉は強大すぎた。

 ディアナは感じられる程に目減りした己が魔力を確かめる。強い魔法は打てて数発。使えうる最大魔法はもう撃てないだろう。

 

「アイツを倒すには、『勝てて当然』と自信溢れる夢想家が必要であるな。それも実力を兼ね揃えた稀有な者……ふむ、いる訳ないか」

 

 勤勉の前では事前に建てられた戦術、勝つための小細工など全てが無効化される。周到に用意された、弱者の技では意味がない。

 そんな理不尽あり得るのか。あり得るのだろう。勤勉はそれができるから教団幹部なのだ。

 

「……あれは?」

 

 ふとディアナの目に勤勉の装備が目に入った。

 レイトにより刻まれた拘束衣の穴から見える、黒く小さなアクセサリー。

 

「な、あれは【ミトラス】!?」

 

 昨夜、三番に奪われたディアナの聖具。枢機卿のみに所持することが許された神造魔具が、敵対する者の胸元で苦しそうに黒く輝いていた。

 

「どういうことですか勤勉!! 何故アナタがそれを持つ!?」

「ああ……これか? いいだろう、主様にお借りした物だ」

 

 勤勉の指が嫌らしく聖具を撫でる。

 

「主から『聖女に渡せ』と命令を受けてな。俺が預かった」

「……聖女ですか」

 

 一体、どういう意味なのかディアナの思考が加速する。

 聖女――その名を戴く者はエリシア聖教のトップもトップ。枢機卿団に並び教皇を補佐する一人の女性が就く役職だ。

 今代の聖女は代替わりしたばかりの若輩者であるという話がある。黒い噂も少なくない。だが、教団に繋がっているとは思いたくない。

 だが、それでは聖女に聖具を渡す意味がわからない。

 

 何が目的だとディアナは悩み、気付く。レイトと純潔がこちらを見つめていた。

 

「なんですかレイトさん?」

「いや、あれは"聖女"に渡す物らしいぞ。立候補してみるか?」

「……」

 

 何故か分からないが、ヨルンがディアナを呼ぶ時の名が「聖女さん」だった。もしかして関係あるのだろうか? 

 ディアナこそ伝手があって所有していたが、本来の聖具の所有権は枢機卿にあり聖女では決して使えない。だからこそ関係ありそうな「聖女」はディアナになるのだが……。

 

 試しにとディアナは「私も聖女ですから返してください」と言ってみる。が――

 

「……お前、頭大丈夫か?」

 

 普通に馬鹿にされた。

 かぁああっと顔が赤くなる。

 

「レイトさん!!!」

「俺の所為じゃないだろう……」

 

 そんなのは知っている! でも恥ずかしいものは恥ずかしいんだ!

 これでは聖女を自称する痛い女ではないか! どうしてくれるんだ!

 

「純潔!!」

「ご心配なく。私の聖女は貴方だけですよ、ディアナ司祭」

「……気持ち悪い!」

「ははは、酷いですね」

 

 ディアナは今すぐ布団に飛び込んで丸まりたい気持ちに悶え苦しむ。咳払いをして、光明を得るためにも勤勉へと語り掛けた。

 

「……話をしましょう勤勉。貴方はこんな事して悪いと思わないのですか? 良心は無いのですか」

「こんな事? 生憎だが何も感じんな。むしろ神の為に働けることを嬉しく思う。聖教(お前ら)だってそうだろう? 神の為に働くならば、お前も俺たちの同類だ」

「は、え……」

 

 言われた内容が理解できず、ディアナは呆けてしまった。

 かみ砕き、理解するにつれて

 

「ふ……ふざけないで! こんな幼い子達を自らの手で殺す悪鬼と比べられたくもない!! 同じ闇でも、貴方とヨルちゃんが同類とも思いたくない!」

 

 思わず銀鉤とヨルンを抱きしめて、怒りの咆哮を上げる。

 

 ヨルンとヤト達との邂逅を見たか。

 お前が奪い取ったヨルンの仲間だったが、ヨルンはずっと彼を信じていた。向けられる殺気に負けず、彼の傍に近寄った。

 ヤトだって、ヨルンを攻撃しかけたが堪えて支配に打ち勝った。

 

 互いの抱擁を見たか。

 安堵と信頼に満ちた顔。歓喜に溢れた声。お前らじゃ決して真似できない希望の光だ。

 

 だが――勤勉は不思議そうに首を傾げた。

 

「俺が、幼い子を殺す? そいつ等みたいな……?」

 

 腕を組んで、考える。そして彼は禁忌に思い至る。

 

「ああ、それは違うな。俺は殺していない。そいつに似た者達は、主の希望で互いに殺し合ったぞ」

「……え」

 

 彼の口から説明される事実。

 銀鉤と共にいた、あの二人が互いに殺し合いをした。主の希望で、凄惨に。

 

 剣で幾重にも切刻まれた者、魔法で生きたまま朽ちて行った者。どちらの死体も残っていない。それこそ二人が望んだ結末。勤勉はそう嘯いた。

 

「……そうですか」

 

 事実と真実は似て非なる存在だ。真実は事実という上辺の殻で覆われる。

 

 目の前で殺し合った。事実だろう。

 どちらも死体は残っていない。事実だろう。

 だけど――両者が望んだ殺し合い、その結末? そんな訳がない。それが真実であっていい訳ない。

 

 銀鉤は生を望んだ。なのに、あの二人が死を望むはずがない。あんなにも仲間の死を嘆いた二人が、希死念慮を抱くはずがない。

 

「主の希望とやらで、その子たちが犠牲となった。強制的に死を望まされた……」

 

 ぐつぐつと怒りが煮えたぎる。勤勉の顔が直視できない。顔を伏す。

 あの時。あの場所で、隠れて三人をやり過ごさず、動いていれば救えていただろうか。もっと彼女たちを信じられれば未来は変わっただろうか。

 後悔がディアナの心を削る。だが、それ以上に義憤で燃え上がる。

 

「すみません、ムッシュさん。私も前に出ます……」

「ああ、行きたまえよディアナ君。援護は吾輩に任せて、君は望むままに敵を討て」

 

 もう負ける負けないは関係ない。不安も恐怖も無くなった。

 

 レイトと肩を並べて死地に立つ。

 接近戦は不得意だ。でも今ならコイツを倒しきれる。そんな気がした。

 

 

 

 

 レクイエム――鎮魂歌と訳されるそれは、死者のための葬送曲。

 ならば勤勉の【追い縋る卒去の哀歌(バング・ドグマ・レクイエム)】が終曲する時は、レイトが死者となる時だろうと予想された。

 

 それは対象が死ぬまで永遠に尽きぬ攻撃魔法なのか、あるいは終曲と同時に対象の死が確定する魔法なのか。

 効果の全貌が見えぬが関係ない。そんなもの打ち消してしまえ。

 

『遠き(とう)から射す曙光(しょこう)

 

 言ほぐ祝詞(のりと)は神の威光。暖かな力が風に載る。

 

『春暁に充てられて、(あまね)き魅せる東風(こち)の色』

 

 恐怖を参照して進化する【恐怖の体現者(ドレッド・ディメンション)】。果たしてそれに対する対抗手段はあるのだろうか? 

 ――――ああ、関係ない。そんなものは消し去ってしまえ。

 

 司教(bishop)はおろか、大司教(arcbishop)ですら扱えない枢機卿(Cardinal)級の聖魔法を紡ぐ。一国に一人いるか、いないかという傑物にだけ許された聖なる御業だ。ディアナが若き天才と呼ばれる所以である。

 

「それをさせると思ったか!」

「それをさせるために、俺がいる!」

 

 目の前で行われる剣戟の応酬。踏み込み、打ち合い、躱して攻める命のやり取り。

 

『風雨の声、小夜嵐を抜けた先』

 

 レイトに護られるなら前に出る必要は無かった……そんな訳がない。

 

 この呪文は【対抗呪文】。対となる呪詛を知らなければ成り立たない。ならば、近づいて闇を直に感じてこそ意味がある。

 ディアナは瞬き一つせず勤勉の全貌を目に焼き映す。

 

『澄める大気に舞う金烏。羽搏き、躍り、慶賀の旋律(しらべ)が鳴り亘る』

 

 ムッシュの援護を超え、レイトを打ち飛ばし、猛獣の如き大男が襲来する。

 巨大な影だ。押しつぶされてしまいそうな体格差。ディアナはそれを鼻で笑った。

 

「鬼ごっこは得意ですか?」

「っ――! この!」

 

 小柄な身長を活かして下がるのではなく前へ。一歩踏み込んで距離を狂わせる。

 

 たった数十センチ。だが、下がると思っていた敵が前に出た事で勤勉の予測は小さくズレる。噛み合っていた歯車に些細な歪みは致命的。

 大きな流れに生じた僅かな隙間。ディアナはそこを突くように、勤勉の横を抜けて前に出た。慌てて勤勉が振り返るがもう遅い。

 

 そっと彼の背に手を添える。伝わってくるヘドロの様な闇の気配。最後のピースが揃い上がった。

 

払暁(ヴァーミリオン)――【daybreak/夜気を祓う天の星】!」

 

 空へ空へと光輪が打ちあがる。夕景から宵へと移り変わっていた空は塗り替わり、再度の昼が来た。太陽に似た、魔法の星から折伏(しゃくぶく)の光が燦々と降り注ぐ。

 

「があっ! ぐぅううううっ!!」

 

 勤勉が苦悶の声を上げた。

 光から身を隠す様に丸くなって――

 

「……なんて。"期待"したな愚か者!」

 

 ――跳ね馬の様に飛び掛かってきた。

 

 レクイエムは鳴り止んだ。しかし勤勉を包む闇の衣は剥がせず、彼は獰猛な笑みのままディアナを打ち倒さんと肉薄する。

 しかし、その体を後ろから魔法の炎が焼焦がした。

 

 

 

 

「が、ァアアア!!? なに、が! 何が有ったァ!?」

 

 火を消そうと地面を転がる勤勉。今度は演技の悲鳴ではないだろう。それほど無様な姿。ディアナがはぅと息を吐いて礼を言う。

 

「ええ。実に期待通りでしたよ……ありがとうございます、ムッシュ司教」

「ふふん、もっと感謝してよいのだよ。吾輩の無敵の魔法に掛かればこの程度」

 

 カツンと。ステッキを突いて何も無い空間からムッシュ司教が現れる。同時に、遠くで援護していたムッシュの姿が掻き消えた。

 

「馬鹿な! 俺には神のご加護がっ!? 無限の闇が俺を祝福しているのに……!」

 

 勤勉が信じられぬと【ミトラス】を取り出した。どうした、もっと力を寄越せと言わんばかりに力任せで握り込む。その瞬間、罅が入った聖具は破片となって崩れ去る。

 

「な、な……!?」

 

 聖具(ミトラス)は神が作り出した神造魔具だ。多少力を込めた所で壊れない……はずだった。

 だが聖具を失った今もなお、不思議と力の減衰は感じなかった。身を護る万能感に包まれて勤勉は訳が分からぬと息を呑む。

 

「昨夜、君は幻覚を使っていたらしいね。では奇遇と言わせてもらおうか。吾輩が最も得意とする術もまた幻覚なのだよ」

 

 勤勉の終わりを悟ったムッシュは得意げに語り出す。

 

 村で勤勉と初めて遭遇した時ムッシュは幻覚を置いて、恥も外聞も無く逃げ出した。だが今それが絶対の自信につながった。

 あの時、勤勉に見破れなかった幻覚だ。誰にも見破られなく命をつなげた幻覚だ。ならば成功するに決まってる。不安を抱く要素は無い。

 

「気付かなかったかね? 何時から感覚が狂っていたか、分からぬかね?」

 

 フフンとカイゼル髭を撫でつけてステッキを鳴らす。

 

「吾輩は既に一度死んだ身だ。正義の味方が死んで蘇ったのだ! なれば恐れを抱くことは無く、堂々と謳って見せよう勧善懲悪の交響曲(シンフォニア)!」

 

 ムッシュ司教の手から聖具【ミトラス】がディアナの手に渡される。幻覚でない、本物の神造魔具。これが全ての源だ。

 

 敵の手により汚染された聖具は勤勉に無限の力を与えていた。

 それが【恐怖の体現者(ドレッド・ディメンション)】を常時展開できた理由。気付いてしまえば、なんてことは無い見掛け倒しだ。

 

 この魔法は日中に限り、現実改変応力は勤勉の体にしか作用しない。どれだけミトラスの奪取の作戦を練っても、ミトラスは守られない。

 夜間戦闘だったなら在り得ない勝利だった。誰一人が欠けても成し得ない勝利だった。しかし、結果は定まった。

 

「馬鹿な、馬鹿な……俺が仕事を失敗するなんて……。神から承った使命を、この俺が、まさか……」

 

 力なく項垂れた勤勉に影が差す。仮面を被った純潔だ。彼は彼の傍まで近寄ると優しく語る。

 

「理由が知りたいですか? 貴方に足りなかったものが分かりませんか?」

「……」

「いいでしょう。同僚のよしみで、お教えしましょう。貴方が間違っていた事それは――!」

 

「弱者を虐げられるだけの存在と勘違いした事だ。驕り高ぶった自尊心が視野を狭くした。ムッシュ司教は弱かったか? 気にする必要もなかったか? それが間違いだ」

 

 レイトが純潔を押しのけて前に出た。

 

「この世に本当の弱者なんて存在しない。誰もが、何かしらの強みを持っている。それが分からないからお前は間違った。他者を利用するしか知らない教団は間違っている」

 

 ヨルンしかり。銀鉤しかり。

 多くの犠牲を生み出して得た力など、たかが知れている。レイトは強く言い切った。

 

「ええ、ええ。その通り。さすがですねレイトさん。ちなみに、その理論の名を何というか知っていますか? 世界に知らしめるべき、至高の命題! その名は、あ――」

 

「吾輩は多くの人を見た。追い詰められて犯罪に走った者を見た。生きるために手を染めた人を見た。だが、黒燐教団ほどに倫理を欠いた者は見た事がない」

 

 ムッシュが純潔を押しのけて前に出た。

 

「正道こそが人の道。間違った手順を踏む者に神は微笑まんよ。君は一歩目から間違っていたのだ」

「……」

 

 勤勉が押し黙る。悔し気に、憎々し気に二人を睨む。

 その後ろで純潔が寂しそうに手を彷徨わせていた。

 

「……勤勉には愛が足りませんよぉ」

 

 

 

 

「ヨルちゃん、銀鉤ちゃん……私達勝ったよ」

 

 ずっと応援されていたことは気付いていた。

 ヨルンはハラハラとした表情で戦闘を見守っていた。銀鉤は声援を上げながら猛烈に応援してくれていた。彼女達の祈りは届いていた。

 

 ディアナは柔らかい笑みを浮かべて二人を抱き寄せる。

 

「すごい! すごいよディアナ! やったー!」

 

 銀鉤が喜びのあまり飛び跳ねた。彼女が付けた青い髪飾りが大きく揺れる。

 

 確かあのリボンは、かつてヨルンにあげたものだったなとディアナは思い出す。そうか。今はヨルンの手から銀鉤に渡ったのか。

 じゃれ合う二人を見て、仲良くしているようでディアナも嬉しくなる。

 

 こんな日がこれからずっと続いていくように。せめて亡くなった二人の分まで、どうか一杯幸せにとディアナは願う。強く……強く……。祈りを捧ぐ。

 

 





ヤト&佳宵「……」

銀鉤「\(*゜∀゜)///」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悲劇の終わり

 

 神殿前で行われた激闘がついに終局した。

 30分に満たない戦闘なのに、なんだか長いバトル映画を見ていた気分だ。

 

 思えば聖女さん達のガチ戦闘を見たのは初めてかもしれない。

 シオンとの戦闘(勘違い)は終盤まで俺の意識なかったし、俺が聖女さんと戦った時はそんな事考える余裕がなかった。

 だから今、改めて考えてみるとやっぱりこの世界の戦闘力ってどこかおかしい。

 

 言っちゃなんだが、辺鄙な村に居る兵士(レイト)さんと司祭(ディアナ)さんvsその辺で拾ったおっさんの戦いが激しすぎる。

 現実改変能力ってなーにー? インフレバトル漫画じゃなきゃ早々見ないぞ、そんな能力。

 

「……はぁキツイ! 久しぶりだ、こんなギリギリの戦闘!」

「おやおや。前衛を担当した功労者が、そんなダラしない姿を見せていいのかね?」

「いいんだよ。働く時働く、休む時は休むんだ。俺はな」

 

 止めを刺した後、勤勉が動かなくなるのを見届けた隊長さんは地べたに転がった。手足を投げ出した格好で横になる。

 会話を聞く限り、ムッシュさんは余裕綽綽といった風を装っているが……安堵した途端気が抜けたのか、なんか彼の足がどんどん震えてきてる。

 今ではもう局地的な地震かな? ってくらい揺れている。

 

「Nonsense。吾輩のこれは武者震いだよ。そう、新たなる敵を待っているのだ!」

 

 そうなのかな? そうらしい。

 隊長が笑いながらムッシュさんの背中を叩いた。バチンといい音が響く。

 

 ところで、これで"演武"終わり? 勤勉を名乗ったおっさんは大丈夫? 思いっきり、隊長の剣が胸に突き刺さっているけど……。

 命を張った協力してくれるとか、あなた勤勉過ぎない? だ、大丈夫?

 

「……ぅ」

「ひえ」

 

 おっさんの眼球がギョロリと動いた。心臓を石畳に縫い留められた状態で俺をジッと見つめるおっさん。……大丈夫なのね。

 怖いけど、あ、ありがとう……?

 

 ちなみにおっさんが生きている事に皆は気付いていないようだ。死亡確認はやったみたいだけど、見逃しちゃったのかな。

 

「ん? ヤト、どうしたの?」

 

 まだ西日が残っているせいで、森から出てこれないヤトが俺を呼んだ。銀鉤はまだ聖女さんに捕まっているから俺一人で近寄って話を聞く。

 

『前哨戦、終わり、次』

「……え?」

 

 次……。

 次ってなに? まだやるの?

 

「もう、いいよ?」

 

 聖女さん頑張ったよ、隊長さん達も疲労困憊だよ?

 俺のバックグラウンドも十分説得力を持っただろうし、聖女さんを騙し続けるのは罪悪感あるから、もうやりたくないんだけど……。

 

 あ、ダメなのね。

 佳宵がまるで満足していないと首を振りまくる。

 

 うーん……うーん……。

 でももう、そろそろ俺は帰りたい。村に帰って聖女さんとのんびりしたい。

 

「……」

 

 あ、はい。ごめんなさい佳宵さん。謝るからそんな怒らないでください。

 いや、何か言われた訳じゃないんだけど……気迫を感じる。ゴゴゴと彼女から怒気が放たれる。

 

「今の戦いはヤトの演出? 私の分はまだ、と……そう」

 

 なるほど。

 つまり、佳宵さんはこう言いたいわけか。

 

『銀鉤とヤトばっかり活躍してずるい! 私も()のために作戦考えたんだから、やらせてよ!』

 

 ……と。

 いやぁ、こうも慕われちゃぁ仕方ないね。

 

「ちょっとだけね」

 

 そう伝えると佳宵はゆっくりと頷いた。

 肉食獣の笑みが見えたのは気のせいかな?

 

 ―― 甘ちゃん…… ――

 

 あと、なんか聞こえた。

 呆れたような夜の神の声。

 

 いいんだよ。俺は自分に甘く、人にも甘く生きていくんだから。決して佳宵の気迫に負けた訳じゃないぞ。違うぞ。

 

 その時、俺と夜の神との繋がりから相手の感情が流れてきた。過去を思い出しながら、神は言っていた。

 

 ―― 夜人を自由にさせると、どうせ、また大変な事になる…… ――

 

 え、なに? そうなの?

 

 

 

 

 日が沈み闇の帳が降りる刻。

 

 人間の時代は終わりを告げて怪物の世界が訪れる。

 

 平穏は夢と化し、安寧は幻想に立ち消えた。

 

 ああ――夜が来る。

 

 

 

 

 最初それに気が付いたのはレイトだった。

 

 勤勉との戦闘が終わって一息ついた後、一行はこれからどうするか協議していた。

 太陽は既に大部分が沈んでおり夜が差し迫っている。夜は闇の魔素が濃くなる時間であり、森の魔種も騒がしくなる。森を抜けるには危険が伴うだろう。

 

 いっそどこかで野宿をするべきか。いいや、こんな教団施設のすぐ傍で安全に過ごせるはずがない。多少無理をしてでも森を突破するべきだ。

 そんな事を大急ぎで論議する中。聞こえてきた。

 肉の繊維を無理やり引き千切ったような、ブチブチという不吉な怪音。発生源を見る。

 

「……おいおい、アレは何かの冗談か?」

 

 そこでは心臓を貫かれて斃れ伏していた勤勉の体が膨らんでいくところだった。拘束衣を突き破り、風船のように丸く大きくなっていく。

 

 頭髪は抜け落ち、膨隆した頬肉が眼窩をふさぐ。不自然に培養されたような肉の山。手足は異様に短く、醜い胎児を思わせる。

 そんな異形が周囲の木々よりも太く大きくなっていく。背丈は10mを超えた。もはや人間ではない。

 

「化物だな。夢に出そうだ」

「……吾輩は今ここが悪夢の最中か悩んでおるよ」

 

 あまり現実離れした光景。

 レイトたちが引き攣った顔で軽口を言い合う。

 

「ところで、ムッシュ司教が待ち望んだ新たな敵だぞ。どうする?」

「ハハハ! 我はアレを敵とは認めぬな。敵とは打ち破れるものをいうのだ。故にあれは『怪物』という」

 

「い……言ってる場合ですか! 逃げますよ!」

 

 ディアナはヨルンと銀鉤の手を取ると駆け出した。森に向かって一直線に走る。

 

「ヨルちゃんごめんね、抱えるよ! 銀鉤ちゃんは私の背中に捕まって!」

「は、え……? わっ」

 

 取り返した聖具は汚染されて使えない上、ディアナの魔力も尽きている。太陽がついに姿を消した。もはや戦う事なんか出来るはずがない。

 胎児がゆっくりと目を開けた。同時にレイトが叫びあげる。

 

『オォオオ…オァアアア!!』

「奴が起きたぞ逃げろッ! 全員、振り向かずに森へ行けェエ!!」

 

「案内はしませんよ! 私の足跡を踏み外さず、しっかり付いて来てくださいね!」

 

 先導は仮面の男、純潔。

 彼は迷いなく黒き森に飛び込んだ。ディアナを追い越して、こっちだと正しい道に誘導する。

 

「なんですかアレは! あれが勤勉の奥の手ですか!?」

「さぁて! それは私も知りませんねぇ! 少なくとも昨日の彼と、今の彼はまるで別物だ!」

 

「Jesus! 追ってきてる! 追って来とるよ赤ん坊が! 木をなぎ倒しておる……赤ん坊が!?」

 

『あぎゃぁアア!』

「やかましい! さっきまで大男だったのに、突然赤子にかわるんじゃない! 気色悪い!」

 

 積み木を壊す様に森をかき分けて迫る脅威。

 殿のレイトが石を拾い上げ、投擲するが意にも介さない。むしろ怒らせたらしい。火が付いたように泣きながら赤ん坊が加速する。その異様さ足るやヨルンを絶句させるほどだ。

 

「き、キモイ……なにあれ、なにあれ!」

 

 ディアナに抱っこされた姿勢のせいで、赤ん坊を直視したままの逃亡。ヨルンは並走するヤトを見つけて文句を飛ばす。

 

「ヤト! あれは駄目……! 絶対ダメ! 止めて!」

 

 あれはやっちゃダメな奴! あんな不気味な存在に追われるとか、ホラーじゃねぇんだぞ! そんな意志を籠めてヤトを叱責。

 非難する目に気づいたのだろう、ヤトは頷いた。周囲に展開していた夜人達を呼び寄せると「勤勉」へと差し向ける。

 

『おぎゃぁああ、あぎゃぁあ!』

 

 次々と纏わりついて来る夜人を踏み超えて、なおも走ろうとした勤勉が絶叫を上げた。見れば手足に穴が開いている。

 「闇送り」だ。彼が夜人に触れた部分が消失したのだ。それにより不気味な赤ん坊が遅れ始め、ゆっくりと森の奥に消えていく。

 

「おお見たまえ! あの胎児を撒いたではないか! これで吾輩らの勝ち――」

「待って! それ以上は駄目です! ムッシュさん!」

 

「え? あ……もしかして、やってしまったかね吾輩?」

 

 ――――期待は不安の裏返し。

 先の戦闘で勤勉が言っていた言葉だ。

 

 木々に遮られ、見えなくなっていた勤勉が咆哮を上げる。木々の倒壊する音が増した。それはあっという間に近づいてくる。

 

「また来たぞ!? それに姿が変わっている!?」

「ああ、ダメです! 夜人達じゃもう『勝てなくなってる』! ムッシュさん!」

「申し訳ないぃ!」

 

 再度現れた勤勉らしきモノは胎児ではなく、全身が毛むくじゃらの塊へと変貌していた。

 隙間から覗く眼光が怪しく光る。手足は獣の様な逆関節となり、先ほどよりも速度が増していた。ディアナ達も大急ぎで森を駆けていく。

 

「ヤト……ねえ、ちょっとヤト」

 

 ヨルンが文句を言いたそうにヤトを見る。ヤトは嬉しそうに親指を立てた。

 

 ……違う。赤ん坊姿だからダメだった訳じゃない。獣っぽい奴なら良いとは言ってない。この展開、全部が駄目だって言ってんだ!

 ヨルンは叫びそうになったが、ディアナの手前なんとか言葉を飲み込む。

 既に始まってしまった最終イベントだ。監督、演出、進行の全てを任された馬鹿は止まらない。佳宵が物陰で柏手を一つ。勤勉の体が大きく波打った。

 

『アァアア、ア゛ア゛ィイイ! グゥルウウ!』

 

 贅肉に覆われていた手足が締まっていく。濁声だった咆吼は獣の(たけ)りに代わる。爪が鋭く伸びた、その姿はさながら巨大な四足獣。

 

 幾たびも体を変化させるという過程を見た純潔が納得したように呟いた。

 

「……なるほど『獣化症』でしたか」

「獣化症?」

 

「正式名称【突発性変貌症候群】。アレは、それが劇症化した姿の一つです。主に神代の遺跡を調査する者が発症する原理不明の病で、いや、シンドロームなので機序が一つの病を基とするのか否かでまだ議論が絶え無い訳ですが――」

 

 逃げながら長い解説を始めた純潔を放置。ヨルンは獣を見る。

 

 ぱっと見、イタチの様な風貌だ。

 しなやかな手足と細長い首。尖った鼻先を持ち、丸い耳をつけている。だが眼球は8つ、口は大きく裂けている。

 

 うん……俺たち皆纏めて一呑みにできそうだ。

 ヨルンは抱えられたまま考える。あとでヤトと佳宵、本気で叱ると。

 

「病名だとか病態だとかそんな事はいい! 対処法は有るのか、無いのか!?」

「有りますが。あー、たぶん今無くなりましたね」

「……くそ! すまん! それなら逃げ切るしかないか!?」

 

 本来であれば特効薬ともいうべき方法があったのだろう。しかし、それは勤勉の【恐怖の体現者(ドレッド・ディメンション)】により掻き消えた。

 そして突如、純潔が立ち止まる。

 

「あ……。もう誰ですか? 誰か、私が正規ルート間違えないか心配しました?」

 

 どうしたと声が上がるが、純潔は動かない――否、動けない。

 

「道が有りません。ルートはここで終わっています」

 

 時刻は夜。恐怖は世界すら書き換える。絶望はすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 勤勉なおっさん、それは演技ですか? それとも本気ですか?

 口からよだれが垂れてますよ。俺たちが美味しそうに見えるです?

 

 ……あぁあぁ、もう! ヤトと佳宵、後で叱る! 本気で叱る!

 『やらせ』という事を知ってる俺ですらマジで怖いんだ。巨大な肉食獣に追われる経験って何だよ! 聖女さんなんか震えてるぞ!

 

「聖女さん、こっち……!」

「ヨルちゃん!?」

 

 聖女さんの抱っこから抜け出して、彼女の手を引っ張る。

 

 夜になると俺の体は使えない子から、ソコソコ使える子に変貌する。五感が鋭くなって世界の全てが俺に味方する……気分になれる。

 実際は俺が魔法使えないから、それは気分だけ。

 

「黒い森は危ないから、私が先に行く……!」

 

 少し前に銀鉤に聞いていた。

 

 この森は生きている。

 招いた生物をエサに生い茂る危険な森であり、実は巨大な地下茎でコロニーを形成する一つの生物。知能はそこそこ高くて人を見分ける事もできるという。

 

 ならばならば、主たる俺が前に立てば森は道を開くだろう!

 

「おぉ! 素晴らしい! なるほど、思っていたより賢い森なのですね! ヨルンという仲間を認識している!?」

 

 正規ルートの消失した森を俺が先導する。

 シオンがキョロキョロと楽し気に着いてきた。一方、聖女さんや隊長さん、ムッシュさんは必死の顔だ。でもたぶん、銀鉤が一番必死な表情。

 

「死にたくない、死にたくない……。ボクは生きるんだ、ヨルと一緒に生きるんだ……!」

 

 聖女さんに背負われたまま何か呟いてる。いや、なんでお前が一番怖がってる?

 

 あー! しかし遅い! 俺の足が遅い!

 獣のおっさん、もうちょっと俺たちに足並み揃えてくれませんかね!? じゃないと――

 

「あっ」

 

 突然襲い来る浮遊感。

 やっぱり転んだー! 俺の体は駄目な子!

 

「ヨルちゃん!」

「あ、ありがと……」

 

 でもそれは聖女さんに受け止められた。俺の体が再び彼女の豊満な胸へと戻される。あ、ぁ、抱っこ嬉しい……あ、いや違う。ダメ!

 

 それすると森が怒る。

 俺を抱えた移動では、俺の先導扱いにならない!

 

「今度はなんだ、蔦!?」

 

 隊長さんが襲い掛かってきた森の攻撃を打ち払った。

 「正規ルートを通らず(ヨルン)を抱えた移動? ……すわ誘拐か!? 守護(まも)らねば!」という馬鹿な森の思考三段活用だ。

 次々と蔦が伸びる。鋭利な葉っぱが舞って襲い来る。

 

(あぁああ、俺の先導だと獣に追いつかれる、でも抱えられてると森が敵になる! どないせぇと!)

 

 聖女さん達は森の攻撃を凌ぎながら逃走を続けた。しかし俺達を追う巨大な四足獣は離れない。森の木々が邪魔で何とか一定の距離を保てているが、それもいつまで続くことか。

 

 分かってる。イベントを中止すればいい。でも一度始まったボス戦だ。

 俺が「はい中止ー」と言った途端に獣がピタッと止まってみろ。その後で、もしも「お手」してきたら俺はどんな顔すればいい?

 

 俺が主犯とバレてしまう!

 しかし、逃げ続けるのは限界だ。ヤトを呼び付ける。聖女さんに聞こえないように指示。

 

「終わって」

「?」

 

 もうイベント終了! なにこのクソイベ! はい終わり終わり!

 聖女さん達にバレないように、あの獣おっさん下げて!

 

「終了」

「??」

 

 なに首傾げとんねん。

 え? ここからが本番? メインイベント? ……うるせえ!

 

「もういい。もう、いい加減終わらせて! 後始末はバレないようにやる……!」

 

 そもそも俺はここまでやれとは言っていない!

 まあ、佳宵の気迫に負けて了承してしまった部分はあるが。それでも常識の範疇を考えて!

 

 ちょっと怒った振り――という訳でもなく、俺も少し怒っているのだが――でヤトに命令。彼は神妙な面持ちで下がって行った。

 

『後始末、しっかり、付けてくる』

 

 そんな言葉を残して。

 

 

 

 

 どれくらい走っただろう。

 どれだけ死線を潜ったろう。

 

 後ろから飛び掛かってくる巨大獣を躱し、周囲から伸びてくる蔦を打ち払う。抵抗など出来るはずもない。ただただ逃げ惑う。

 

 ヨルちゃんの指示で多数の夜人達が身を挺して守ってくれるが、それも焼け石に水だ。増え続ける猛攻に晒されて私達は注意力がどんどん散漫になっていた。

 それが悪かったのだろう。伸びてきた蔦を屈んで避けた直後。銀鉤ちゃんが驚いたような声が上がった。

 

「――あ!」

 

 まさか蔦を躱し損ねた!?

 何事かと振り返れば、後方へ流されていく少量の髪束と青い髪飾りが見えた。銀鉤ちゃんが頭に着けていたリボン。攻撃で取れちゃったのだろう。

 銀鉤ちゃんは茫然とした表情で、リボンを付けていた場所を抑えている。

 

 ……仕方ない。あれはただのリボンだ。それで済んだだけ僥倖だ。私は深く考えず再び逃走を再開。だけど銀鉤ちゃんにとって、それはただのリボンでは無かったようだ。

 

「……だめ!」

 

「銀鉤ちゃん!?」

「え、銀鉤……?」

 

 彼女は落としたリボンを追いかけるように私の背中から飛び降りた。止める暇すらなく、彼女は一人逆走。ヨルちゃんと共に信じられないという顔で見つめる。

 

「馬鹿野郎! 死ぬ気か戻れ!!」

「何処へ行くというのかね! 銀鉤君!」

 

 あちこちから罵声とも心配とも取れる悲鳴が上がる。だがそれでも銀鉤ちゃんは止まらない。周りなど見えていないように自ら死へと向かっていく。

 

 もはや【勤勉】はすぐそこだ。

 彼女はなんとか拾い上げた髪飾りをまるで宝物のように抱きしめる。

 

「これはボクの。初めてヨルがくれた、大切な――」

 

 そして、勤勉によって圧し潰された。

 

 




銀鉤「……」
ヤト&佳宵「(* ´∀`)」


次話エピローグで2章終了になります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ

 

「じゃあ正座」

 

 村に帰ってきて数日。

 色々な事があったが、落ち着いてきてやっと時間を作れた。ヤトと佳宵を正座させて反省させる。

 

「潰された銀鉤」

「?」

 

 一体誰がパニック映画を上映しろと言った? お前ら、あの後の皆の悲痛な顔見た?

 

 獣の足と地面の隙間から血が噴き出すというガチスプラッターだったぞ。今日日、映画でも規制されるレベルだったぞ。

 

「おかしいよね?」

 

 和気藹々と会話した少女(銀鉤)が惨い死を迎えた。それをまじまじと見せられた聖女さんの気持ちたるや。

 

 村に帰ってきてから暫く、聖女さんが俺を離してくれなくなった。

 トイレ行くにも、風呂入るにも、全部聖女さんの監視付き。彼女の仕事中は大人しく横に座って見守った。つまり、おはようからおやすみまで、俺は常に聖女さんと一緒ということ。

 

 ちょっと一人にさせて欲しいと、それとなく言ってみても、悲しい顔されれば無理強いできない。

 

 …………そりゃそうだよ!

 俺は教団に攫われて、仲間の銀鉤が逃走中に惨殺されたんだよ。聖女さんだって病んで過保護になるよ!

 

「ねえ、おかしいと思わない? なんで銀鉤殺したの?」

 

 数日して、やっと数分だけ別行動の許可が下りたから説教開始。だがこんなの「私怒ってます」アピールしているというのにヤト達は全く理解してくれない。

 互いに顔を見合わせて「どうしようどうしよう」と困惑気味だ。だいぶ待って、やっと彼等が喋った。

 

『全部、主の希望通り』

「……そう」

 

 これはあれか。俺が子供向けの怖い話を求めたら、玄人が「この程度」という感覚でガチホラー映画をお勧めしてきた感覚か。

 

 文化の違いと言ってしまえばそこまでだ。

 夜人とは神の眷属であり、本物の神話生物だから狂った死生観を持っていてもおかしくない。彼らにとって殺人とは午後のティータイムの様なものなのだろう。

 

「はぁ……分かった。私が悪かった」

 

 大きなため息を一つ。

 何度も言うが、俺は聖女さんを騙したいわけじゃない。あんなに苦しめたかった訳じゃない。

 ……全てを打ち明けなきゃいけない。これ以上、悲しそうにする聖女さんの顔を見たくない。怒られる覚悟を決めて聖女さんを部屋に招き入れる。

 

「私はもう聖女さんの辛い顔を見たくないから、本当の事を言う。今回の事件は全部、私の所為」

 

 村が襲われたのも、神殿ができたのも、あの人形を作ったのも。全部全部、俺の責任だ。夜人を御しきれなかった俺が悪い。

 だから聖女さんはそんなに気に病まないでほしい。

 

 そう言ったら、なぜか無言で聖女さんに抱きしめられた。俺を撫でる手が震えている。顔は涙で潤んでいる。

 

「……聖女さん?」

「いいんだよ。いいの、ヨルちゃんはそんな事気にしなくていいの」

 

 ううむ……これ多分伝わってないな。

 俺が言った内容が、聖女さんの中で「全部自分の責任だ」と自己犠牲溢れる少女観に変換されている気がする。これはよくない。

 抱きしめてくれた聖女さんをぐいっと押し戻して説明。

 

「勘違いしないで欲しい。分かりやすく言うと、村を襲ったのは私」

 

 大鳥を嗾けたのは俺だし、村人を襲ったのも俺。俺を浚ったのも俺。というかアレ人形。

 あの神殿は俺の家。勤勉はその辺から拾ったおっさんで、教団はホントは無関係。一連全部、俺が仕組んだやらせで死者も居ない。

 

「銀鉤だって、ここに居る」

 

 証拠として死んだはずの銀鉤を呼び出した。

 人形を失って意気消沈してるし、なんだか体までボロボロになってる気がするが……気のせいか。

 銀鉤に屈んでもらって、森で拾っておいた青いリボンを着けてあげる。ちょっと気持ちが戻ったようだ。

 

「ほら銀鉤も喜んでる」

 

 振り返れば聖女さんが絶望してた。……なぁあんでぇ?

 あれか。見た目が犬耳少女じゃなくて夜人形態になってるから、これが銀鉤だって分かってないな?

 

 銀鉤、ほら変身せい。変身。

 なに? 人形が無いから変化できない? いやできるだろ、お前ら短時間なら変身できるじゃん。子犬形態じゃないぞ、犬耳形態だぞ。できるでしょ多分。ほらはよ。

 

 銀鉤が渋々といった感じで頷いた。

 そして現れたのは10歳前後の子供姿の銀鉤。だが、その姿はあの時の銀鉤とは変わっている。主に顔つきが男の子っぽくなってる。

 

「あれ、なんか違う……? なんで?」

「ヨルちゃん……銀鉤ちゃんは、もう……」

 

 あ、そうだわ。

 ヨルンちゃん人形と合体した銀鉤は俺の見た目ベースだから、何も無しでの変化の時とは少し違うのか。慌てて聖女さんに弁明。

 

「これは手違い。次……! 次はちゃんとできるから!」

「いいの、無理しないで。私はもう大丈夫だから、ヨルちゃんもそろそろ銀鉤ちゃんを眠らせてあげよう?」

 

 ああああ! ダメだ!

 聖女さんの俺を見る目が可哀そうな人(ガチ)を見る目になってる!? ああやめて! 抱きしめないで!

 

 なんか、もう何言っても聖女さんに正しく伝わらないんですけど!? どうしてくれんだよ! ヤトぉお!

 

 

 

 

 

 

「ヨルンは落ち着いたか?」

 

「……いいえ。まだ言う事が支離滅裂で……今日は銀鉤ちゃんの幻覚が視えていたようです。大切な友達の死を受け入れられていないのでしょう」

 

「当然であるな、吾輩もアレには堪えたよ。無残な姿だった。ヨルン程の子供なら心が砕かれても不思議無い」

 

 騒ぎ疲れて寝てしまったヨルンを抱えたままディアナは、レイトとムッシュと共に今夜も相談する。

 

 あの時を思い返す。

 森で銀鉤が踏みつぶされた後、勤勉は突然悶え苦しみ始めた。どうやら銀鉤ちゃんが死の間際に何か魔法を発動していたらしい。

 

 その結果、勤勉は打倒された。

 だが踏み潰されてしまった銀鉤ちゃんの遺体は原型も分からなくなっていた。唯一遺された物は血に塗れた青い髪飾りだけ。

 

「……銀鉤ちゃんは『厄介な二人』と言っていました。勤勉を倒しても、まだ戦いは終わっていないのですね」

 

 手から零れ落ちる雫が多すぎる。一つ落とすたびに心が壊れそうになる。だけど、ここで立ち止まる事なんかできるはずがない。

 

 ディアナはもう泣くまいと覚悟を新たに前を向く。

 彼女が彼女足る所以。鋼が打ち付けられて強くなる様に、ディアナの柔らかな心鉄は苦難に晒されても折れる事なく強くなる。

 

「ムッシュさん。それでは申し訳ないのですが……」

「ああ。分かっておるよ。吾輩の司教位は空いておる。ディアナ君の信じるまま、好きに使うが良い。ヨルンの為に振える全てを振うが良い」

 

 もう村での生活は限界だろう。

 いつまで待っても来ない援軍は何か大きな力の作用を感じる。村人も結局、ヨルンを受け入れきれず亀裂が残ってしまった。

 このまま村に居て状況が好転する可能性は0だった。

 

「だが、いいのかね? 南都司教の権力は強大だが、枢機卿には数段劣る。中途半端な地位に就くことで余計に君のお義母様の目に留まるのではないか?」

 

「……それなら、頭でも下げて助力願いますよ」

 

 "聖女さん"こと、ディアナ・フォンセ・エクリプス。

 彼女に血の繋がった親族はいない。居るのは家族となったヨルンだけ。しかし孤児たるディアナを強引に引き取った、好きでもない『お義母様』は居た。

 

 名をヘレシィ・エスカ・エクリプス。

 

 由緒正しいエクリプス伯爵家の当主にして貴族。

 アルマロス王国の枢機卿位を戴く、名実ともに王国聖教会のトップに君臨する人物だった。

 

 

 




 はい。という訳で2章終了です。
 色々ぶっちゃけたい制作秘話とか山ほどあるけど、不要過ぎるので全省略。
 
 とりあえず、後半書きまくって燃え尽きたのと、次章の構成考えるのでちょっと更新はお休みです。ではまた!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 特に意味の無いイチャイチャ

 俺の朝は遅い。

 元々、朝に弱かったが少女ボディになってから殊更ダメになった気がする。仕事もなく、目覚ましも無い。それで早起き出来る訳がないのだ。

 

「ん……うぅ」

「あ、ヨルちゃん起きた? おはよう」

 

 窓から差し込む朝日に眉をひそめ、微睡む意識の波間で声が掛かる。

 ぼんやりと瞳を開けばすぐ傍に聖女さんが居た。一つのベッドに二人の体。添い寝だ。

 

「お、おはよぅ」

 

 この世界にきて初めて知った事だが、麗しい女性に寝起き顔を見られるのは非常に恥ずかしいものだった。おもわず腕の中にある犬のヌイグルミを強く抱きしめる。

 

 なんで中身男の俺がぬいぐるみを抱いて寝てるんだと思わなくも無いが、非常に心苦しい理由があるのだ。もしこれが無いとどうなるか……。寝ている間に聖女さんを抱きしめに行ってしまうのだ。

 許されないよねぇ。見た目少女、中身大人の俺がセクハラ公然としちゃだめだよねぇ……!

 

 添い寝してる時点で一線超えてるだろと思いますよ。けど聖女さんの家、ベッド一つしかないし……。俺が床で寝るよと提案した時の聖女さんの顔と来たら、もう、ね。……うん。

 

「そろそろ、起きる」

「はい、じゃあこれ着替えだよ。今着てるのは洗濯するから、ちょうだい」

「ん、着替える……けど、今このまま?」

「そうだよ?」

 

 当然のように、俺に脱げと申す聖女さん。

 彼女が部屋から出てくれる気配は皆無。むしろ聖女さんが目の前で着替え始めた。せ、セクハラぁ!

 

「お、終わった」

「はい。ありがとう……あ、待ってよヨルちゃん!」

 

 脱いだ服を渡して一人礼拝所に降りていく。ちょっと駆け足になってるのは羞恥からだ。

 

 聖女さんとの風呂や添い寝は既に何度も経験したこの身だが、恥ずかしい事には一向に慣れない。

 それは俺に女性経験が無いからという事もあるだろう。聖女さんが非常に美人ということもあるだろう。だが、それ以上に

 

 ―― 見られた、また私の素肌みられた……! ひゃあああ ――

 

 コイツ(夜の神)の所為な気がする。

 この神様、非常にシャイなようで聖女さんとの触れ合いの度に悶えるのだ。

 ツンデレ、照れ屋、邪神とか要素盛り盛りな神様な事だ。でも内心嬉しそう。かわいいかよ。

 

 

 階段を降りれば、長椅子が幾つも置かれたこれぞ教会という雰囲気の部屋に出る。その中でフラフラと佇んでいた夜人達が俺に気付いて影に潜んでいく。

 

「また、ヤト達……もう」

 

 彼等は出来るだけ俺の傍に居たいらしい。聖女さんの部屋には入るなと言ってあるから、代わりに礼拝所で彷徨っているのだ。一日中。

 彼等が居るだけで、教会の気配がおどろおどろしくなる。まるで廃教会か邪教の園。おかげで礼拝所に来る村人が見事に皆無になった。

 

「あ、お」

 

 消えて行った夜人に囲まれていたらしい場所から何かが走ってきた。俺の足元位のサイズ。それは勢いを弱める事なく俺の膝を駆けあがり、お腹を踏んずけて肩に上る。

 

「きゅぃん」

「ん。かわいい、かわいい」

 

 それは何時からか教会に住み始めた子供のフェレットだった。

 真っ白い毛並みはすべすべで獣臭い悪臭もない。ペットを飼った事ない俺にとっては、非常に愛くるしいものだ。

 

 しかし、俺がフェレットとじゃれて居たら怒った銀鉤が連れて行ってしまった。フェレットが絶望した表情で俺を見ているのだが……銀鉤もペット枠を狙っているという事か?

 

「ヨルちゃん! ヨルちゃん、もう待ってよ」

 

 なんてことをしていたら聖女さんが慌てて降りてきた。祭服は少しはだけているし、髪の毛がちょこっと跳ねている。

 

「駄目だよ。また狙われたら危ないでしょ、一人になっちゃダーメ」

「だいじょぶ。あれ」

「……まあ夜人さん達は居るけどね」

 

 カーテンの隙間や椅子の間からこちらを覗き込む多数の目。

 知らぬ人が見ればホラー間違いなしの光景だが、視線だけならもう慣れたものだ。

 

 聖女さんは困った顔で祭壇奥に描かれた魔法陣を弄り始めた。俺の身長を超える幾何学模様は礼拝所を守るための破邪結界だ。俺はそれを横から覗き込む。

 

「まだ結界が直らないね。何だろうこの改変、闇を受け入れるような結界になっちゃってる……ヨルちゃんなにか分かる?」

「んー……分かんない」

「外部から誰かが書き換えたみたい。もう破棄して新しい結界を申請した方が早いかな……」

「ふーん」

 

 そう言えば、最初の頃はヤト達は礼拝所に入れなかったはずだ。ここで生まれた夜人も一瞬で浄化されていった。それが今では闇の園。

 あ、こら。またヤト達出てきてる。礼拝所で無数の影がうろつくとか怖いから止めなさい。

 

 

 

 午前中。それは俺の勉学時間。

 来るかもしれない参拝者に備えて、礼拝所の一画を間借りして聖女さんとするお勉強会。

 村に来てほぼ毎日。欠かさずやってきた努力は実を結……結……んだだろうか? とりあえず簡単な文章も読めるようになってきた。聖女さんが提示した例文を読み上げる。

 

「えっと……私は、貴方が好きです」

「うん正解。じゃあ次これ」

 

「……ヨルは、野菜がキライです」

「はい正解! よくできましたー!」

 

 べ、別に嫌いじゃねーし!

 苦くて美味しくないから食べないだけだし!

 

 ―― ……私はきらい ――

 

 あ、はい。

 

「いい感じだね。読みはもう大丈夫かな?」

「へへん」

「お、ヨルちゃんいい気になってるね。じゃあ筆記は?」

 

「……書きは苦手」

「それは練習あるのみだよ!」

 

 ペンを渡され、好きに文を書いてと言われるのでやってみる。

 

 日本人が中東辺りの文字を見て、全部同じじゃんと思うようにこの世界の文字はよう分からん。

 なんで言葉は通じるのに筆記が日本語じゃないんだ。文字を繋げて書くんじゃありません! 素人には意味不明でしょ!

 

「……できた」

「え、えぇっと……? 楽譜?」

 

 どうやら俺の文章は文字と認識してもらえない様子。

 少し頑張って聖女さんへ俺の想いを書いてみたというのに……。悔しいからその下に日本語で新しく書いてやる。

 

『聖女さん大好き。いつもありがとう』

 

 こんな事、口で言える訳ない。恥ずかしい。

 でも日本語なら誰にも伝わらないから自由自在だ。聖女さんはもちろん、ヤト達も読めない。

 

 日々の感謝、想いを次々書いてみる。

 そしてもう一つ。夜の神への想いも載せる。

 あいつもなんだかんだ、俺たちに気を配ってくれる優しい奴。たまに俺に話しかけてじゃれてくる奴。姿形は見えずとも、分かる事はある。

 

『夜の神もありがとう。可愛いよ』

 

 俺の中での夜の神像。それは小さな女の子だ。

 人間キライで引き籠りがちな恥ずかしがり屋さん。だけど根はやさしくて、ホントは誰かと仲良くなりたい普通の子。……なんて。

 

 そんな妄想をしながらつらつらと夜の神への感謝と想いを書き連ねる。

 聖女さんは落書きだと思ってるのか優し気な顔で見てるだけ。そしてもう良いかな、って頃。蚊の鳴くような声が脳内に響いた。

 

 ―― も、もう無理……はずかしい ――

 

「……え?」

 

 え?

 なに? ……まさか読める系? 夜の神は日本語読める系女子?

 

 聞いてみても神様は無言になってしまった。羞恥で照れている気配だけを残して、すぅっと消えていく。

 

「ぁ…ぁ…」

 

 つまりあれですかぃ。

 俺の恥ずかしい告白文は、ぜーんぶ読まれてたってぇ訳ですかぃ。

 

「あ、あ……!」

 

 中学二年生が書くようなポエムだったり、ラブレターを友人に読まれたような恥ずかしさ。

 どうしようもない感情がうねりを上げる。かぁっと顔が赤くなり、胸が熱くなる。手足が震えて……

 

「あぁああああ!!」

「ど、どうしたのヨルちゃん!?」

 

 とりあえず抹消だ! こんな紙は消滅してしまえ!

 

 

 

 

 窓から差し込む暖かな午後の光。麗らかというには少しだけ強く、しかし炎天というには穏やか過ぎる日差しは眠気を誘う。

 

 日がな一日、する事もない俺は現在、礼拝所で椅子に座り日向ぼっこ中。カクンと首が落ちかけたから、慌てて頭を振って覚醒。

 俺の隣には仕事に勤しむ聖女さんがいるのだ。一人だけ眠る訳にはいかない……そう思ってたら、聖女さんが笑った。

 

「ヨルちゃん眠い? ちょっとお昼寝する?」

「ううん、いい」

 

 俺は知っている。ここで昼寝を選んだら、朝の様に聖女さんの添い寝が始まってしまう。

 それは俺も嬉しいのだが、問題はその間、彼女の仕事がストップする事。しわ寄せは残業となって現れる。

 しかも夜は夜で俺の生活リズムに合わせてくれるから、聖女さんが残った仕事に手を付けるのは何時も夜中になってから。

 それなのに暢気に昼寝なんて出来る訳がない。

 

「聖女さんは、ちゃんと寝てる?」

「うん。私は大丈夫だよ」

 

 この前なんて、俺が昼寝し過ぎた所為で聖女さんが徹夜することになってしまった。だけど彼女は何てことは無いと笑みを絶やさない。

 ……つらい。聖女さんの優しさがつらい。

 まさか、そんな事を感じる日が来るとは思わなかった。

 

「どんな、仕事してるの?」

 

 なにか俺に手伝えることは無いか?

 そう思って聖女さんの手元を覗き込んでみる。

 

「読め……読め、る。うん読める」

 

 読めるけど……午前中の黒歴史が思い起こされた。

 チラッと見ただけで目線を逸らす。トラウマの所為で文字が読めません!

 

「本当? じゃあ、ヨルちゃんこれ読んでみて」

「え……秋の、ご飯……おいしいよ?」

「うーん惜しい。これは『当村の秋季収穫見込み量について』でしたー」

 

「ほぼ正解」

「違うよ?」

 

 前半しか見てないからね。仕方ないね。

 その時、浮遊感が襲い掛かった。

 

「わ」

「やっぱりヨルちゃん軽いね~。よっ」

 

 そして聖女さんの膝の上へ。

 抱きしめる様に後ろから腕が回された。

 

「ちょっとだけ……こうしてて良い?」

「うん」

 

 俺と聖女さんの身長は頭一つ分くらい違う。

 それは俺が小柄だという事もあるし、この世界の平均身長が高めだという事でもある。だからこうやって膝の上に乗っけられると、如実に体格差がわかってしまう。

 

 聖女さんは俺をぎゅっと抱きしめたまま無言。息遣いだけがすぐ後ろから聞こえた。

 

「……」

「……」

 

 感じるのは互いの鼓動。小さな息遣いだけが部屋に融けていく。

 

「聖女さん、大丈夫?」

「うん……大丈夫。私は、大丈夫」

 

 やわらかくも確かな拘束は俺の自由を奪い取る。振り返る事もできないから、聖女さんの手をさすって慰める。

 

 先日の一件から、聖女さんはこうやって俺を抱きしめる機会が増えた。元々スキンシップの多い人だったが、最近の聖女さんの触れ合いはそれとは明らかに変質している。

 

 まるで俺の存在を確かめるような。そんな抱きしめ方。

 

「やっぱり、銀鉤の事?」

 

 ビクリと聖女さんが震えた。

 まあ……そうだよね。目の前で仲良かった女の子がスプラッターなれば、トラウマにもなるよね。

 

 ましてや聖女さんは強がっているが、まだ成人していない19才。かつての世界でいえば、ようやく高校を卒業したぐらいの女の子だ。

 人の生き死になんて簡単に乗り越えられる訳がない。

 

「銀鉤は――」

 

 ――生きてるよ。

 

 そう言おうと思ったけど止めた。もう何度も言った事だ。あれは全部俺たちのやらせで聖女さんが気に病むことは無い。

 

 銀鉤は今日もぴんぴんしてる。むしろ礼拝所の隅でフェレットを虐めている。

 だけど聖女さんはそれを信じてくれない。俺が錯乱していると思っているらしい。困ったことに。

 

「……銀鉤の事は残念だった」

 

 だから今日の俺はちょっと言い方を変えてみる。

 

「銀鉤、死んじゃったね」

 

 視界の隅で銀鉤が衝撃を受けた。フェレットを抱えたまま「え、うそ!?」って驚いてる。

 

「でも仕方ない。銀鉤も分かってくれる。私達が落ち込んでばかりじゃ、怒られる」

「……ヨルちゃんは、それでいいの? だってあの子は貴方の大切な……友達で……」

「私は聖女さんの方が大切。銀鉤だって、草葉の陰で見ててくれる」

 

 まあ実際は草葉の陰どころか、すぐそこで見てる訳だが。めっちゃ「ボク生きてるよ」アピールしてるわけだが。

 いいんだよ、お前が今更生き返っても面倒だろ、死んどけや。

 

「ヨルちゃんは強いね。私なんかより、全然」

「ふふん。私は大人だから強い。聖女さんも撫でてあげよう」

 

 頑張って姿勢を横にずらし、聖女さんの頭に手を添える。ゆっくり髪を梳かす様に動かせばサラサラの金髪が流れていく。

 

「聖女さんはまだまだ子供。だから私がお姉ちゃん?」

「……む」

 

 俺の手櫛を感じ入るように目を細めていた聖女さんが不穏な声を上げた。

 ぎゅっと聖女さんの拘束が強まって、魔力が高まって……え、なにするの?

 

「私がお姉ちゃんでしょ!」

「え、わっ」

 

「ヨルちゃんはまだ魔法も使えない子供でしょ!」

「っひゃぁー!」

 

 ま た こ れ か!

 聖女さんは俺の弱みを見つけたのがそんなに楽しいのか、じゃれ合うたびに魔力を流してくる。

 

 それくすぐったいんだって!

 そう言って手足をバタつかせるが、何が楽しいのか聖女さんは笑ってばかり。だけどその顔は少しだけ付き物が落ちたようなスッキリしたようなモノだった。

 

「ひ、卑怯……! 魔法使いはみんな卑怯者!」

「ふふーん。悔しかったらヨルちゃんも早く魔力を使えるようになればいいんだよ。私みたいに! お姉ちゃんみたいに!」

 

 リュエールの野郎にはこれで負けるし、聖女さんには玩具扱いだし!

 

「いっ、ひゃぁー……!」

 

 俺だって早く魔法使いたいんだけど!?

 

 




以上! 特に意味のない閑話でした。
ごめんなさい、リアルが忙しいので三章はまだまだ遠く……
_(:3 」∠)_


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 村での一幕、契約の対価

 この世界の人間が備えるという魔法用の内臓【造魔器官】。

 水月――いわゆる鳩尾(みぞおち)――部分にあって、そこから人は魔力を作り出す。その後、喉に魔力を集めて詠唱することで魔法を発動。

 魔法発動は簡単に言えば、たったこの二工程で行われる。

 

 無論、上級者になれば水月から発した魔力を丹田で精練、凝縮、昇華させた上で使ったり、全身を循環させる事で体内で魔法発動とかもできる。

 かつてリュエールが使ったような、造魔器官の活動を高めて爆発的に魔力を練り上げる技法は一流の戦闘者になるなら必須の技能らしい。

 

 まあ俺には関係の無いことだけどね。

 

「ぬ、うぅうぬ」

 

 なにせ俺の造魔器官は驚くほど貧弱ですから。

 

「ぐぐぐ……!」

 

 ぎゅっと握りこぶしを作って力んでみる。

 少女然としたやわらかいお腹がちょっと引き締まった気がした。以上、効果終わり。魔力なんて無かった!

 

「ヨルンやっぱり下手だなー」

「うるさい。天才には凡人の気持ちが分からない」

「でもこれ出来て普通の基本技能らしいから、ヨルンは凡人じゃなくて……いて」

「私は凡人。間違いない」

 

 落ちこぼれと言おうとしたであろうリュエールの額をデコピンで叩いておく。子供でもその先はゆるされん。

 

「……むずかしい」

 

 今日は村の広場で魔力操作の練習中。聖女さんは仕事中なので、代わりに兵士さんが遠巻きに見守ってくれている。

 そんな中で何度やっても成功しない俺。こっち見てニコニコの兵士さん。なに笑ろてんねん。

 

「だからお腹の下から力を押し出す感じだって」

「違うわよ! 引っ張り上げる感じよ!」

「あの! 僕はお腹の中で魔力を燃やす感じで!」

「あ、あわわわ……」

 

 最初はリュエールと一対一で練習していたのだが、見かねた他の子も寄ってきた。そして人によってアドバイスがまるで違う。

 参考にならんぞお前ら! って、こら、お互いに喧嘩するな!

 

「……ありがとう」

 

 でも、俺は彼等の気持ちが嬉しかった。

 ただでさえ避けられている俺を。あの事件から更に村人に疎まれている俺を。それでも彼等は受け入れてくれている。

 

 夜人に聞いた事が有る。子供の中には、俺に関わるなと親から注意を受けている子も居るそうだ。リュエールもその一人。

 だけど、彼等は彼等の意志でそれを拒絶した。知った事かと言わんばかりに俺と一緒に遊んでくれる。

 

 それは兵士さん達のおかげでもあった。

 今も、子供を連れ帰ろうとしている親御さんを広場の入口で押しとどめている人がいる。なだめすかし、言いくるめ、怒りの矛先を逸らして誤魔化している。

 

 もしも、これで俺が子供たちに避けられるようになっていたら……。きっと夜の神はまた人間嫌いに戻ってしまったかもしれない。

 そう考えれば、襲撃中に魅せたリュエールの命を賭けた意思表示や、子供たちの無邪気さは世界を救った……のかもしれない。なんて。

 

 まあいいや。

 とりあえず魔法だ魔法。うぬぬと力んでみる、効果なし。

 

 あぁ! 魔法が遠い!

 俺も「ック、闇の力が……!」とか「邪気眼が疼くぜ」とかちょっと憧れるんだが? 俺の場合、ガチでそうなりそうなのが怖くも楽しみなんだが?

 

「はぁ……むずかしい」

 

「じゃ、じゃあ俺が手伝ってや、痛て」

「駄目だよ」

 

 成功しない俺を見かねた男の子その1が手を伸ばしてきたが、リュエールに叩き落された。

 

 魔法を使う第一歩。魔力を感じ取る練習をしてくれようとしたのだろう。それは俺も聖女さんによくして貰う――されるとも言う――が、涙が出るほどつらい。

 だから止めてくれたリュエールに輝いた目を贈る。

 

「リュエール……!」

「駄目だよ。僕がするから」

 

「リュエール……」

 

 ぶち殺すぞテメェ。

 

「や、やだ! あれやだ!」

「でもヨルンまだ魔法使えないだろ。早く使えるようにならなきゃ、危ないし」

 

「嫌! ぜったいやらない!」

「あ、どこ行くんだよ! ヨルン!」

 

 衆人環視の中であんな顔晒せるか!

 俺の表情は早々変わらないが、完全に無表情という訳でもない。悶えるように、何かを堪える赤らめた顔なんて子供たちに見せれるか!

 

「わっ」

 

 という訳で走って逃げたのだが……やっぱ駄目ですねこの体。数歩で躓きましたわ。

 だけど俺の体は地面に激突することなく、正面から誰かに受け止められた。躓く瞬間まで、そこに誰も居なかったはずなのに。

 

 何だと思って顔を上げる。仮面男が居た。

 

「気を付けてくださいね、怪我したらディアナ司祭を心配させてしまいますよ」

「あ、シオン」

 

 フード付きの黒いロングコート。そして牙しか描かれていない不気味な仮面を付けた細身の男、アルシナシオン・アタッシュマン。

 突然現れたその怪しげな風貌に子供たちが後ずさっていく。

 シオンはその中でリュエールへと目を向けた。

 

「貴方もヨルンに無理やり練習させないで、男なら『俺が守る』ぐらい吼えた方が良いかもしれませんよ」

「……でも」

「敵が強大ですか? 好敵手が心配ですか? 関係ない。自分が後悔しないよう、心は強く、愛に従って生きるのです。それがこの世の理想なのですから」

 

 シオン好きだよね、そういう気障な台詞。愛に生きるってなんや。愛の戦士?

 リュエールも分かってないだろうなぁと思ったら……なんだよこっち見て。なんで納得したような顔してるん?

 

「うん。僕頑張るから、強くなるから。今度は見てるだけじゃない、ヨルンを守れるくらい強くなるから……!」

 

 ……あぁ?

 

 あ。

 ふーん。へー。はーん……そう。

 

「やめて。そういうのはいらない」

 

 

 

 

 

 

 

 礼拝堂の机上で厚くなった紙束を整える。本当は説法用の机なのだが、最近は書類業務とヨルちゃんの勉強机としか使ってない。

 それが私と村人との軋轢を示しているようで辛く、寂しくもある。でもそれも仕方ない事だと思う。

 

 彼等には彼等の生活が有り、守るべきものが有る。でもそれが私の方針と相容れない以上、私も譲ることはできない。

 

 司教位に就く前の"実績作り"でこの村に赴任した事を考えると、先日の行動はだいぶ減点対象になるだろう。

 職務に忠実なのはいいが、信徒に嫌われる聖職者なんて駄目だ。しかし、ではどうすれば良かったのかと振り返っても答えはでない。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 悩んでいたら机の上にお茶が置かれた。夜人さんが入れてくれたらしい。手を振って何てことないとアピールしてくれた。

 

 慣れれば彼等もさほど怖い存在じゃない。しっかりした知能が有るし、優しさもある。ヨルちゃんが従える彼等なら、良き隣人足りえるのではないかとさえ思えてしまう。

 

「なんて……闇を肯定すること言ったら一発で異端審問されそうですが」

 

 少なくとも南都に行ったら吹聴しない方がいいでしょう。

 

 あそこは司教をトップに、多くの司祭や助祭が常駐する聖教の一大拠点だ。派閥争いもあるそうだし、隙を見せれば喰いつかれる。

 ムッシュさんでも政争には手を焼いたと言っていた。正義を語っても相手は理解してくれないから結局、力で黙らせたが優雅じゃ無かったらしい。

 

「今から憂鬱ですが……うん。頑張るか」

 

 ぎゅっと握りこぶしを作って気合を入れる。

 

「……あ」

 

 だがそれも、ある事を思い出して一気に霧散した。

 

 今日は『純潔』との約束を果たす日だった。

 ヨルちゃん救出の際に交わした契約の対価、私の体を差し出すという約束だ。一気に気分が落ちていく。

 

「【純潔】に、私の純潔を差し出すのか……あはは」

 

 笑い事じゃない。

 でも笑ってしまう。

 

「笑わないとやってられないですよ、もう……」

 

 諦めて席を立つ。せめてお風呂に入って待つとしよう。

 

 

 

 純潔が迎えに来たのは、それから数時間してからだった。

 

 案内されるがままに村の片隅へ連れていかれる。人気のない物陰。

 まさか、路地裏でヤルとか言わないだろうなと戦々恐々していたら、彼は恐ろしい事を言った。

 

「路地裏でも出来ますよ。ここがいいですか?」

「ふ、ふざけないで!」

 

 感謝はしている。

 ヨルちゃんを救出できたのは彼が居てくれたからだ。それは分かってるから、私もこうやって体を差し出す事を認めてる。でも彼の趣味だけは理解できない。

 

 光を穢し犯すことを理想として、この世の真理だと嘯く彼の精神は狂ってる。だから路地裏で致そうとするのだろう。

 

「だからやりませんって……。私も不潔な所でやって、ディアナ司祭に感染症を起こさせても嫌ですからね。大丈夫だとは思いますが、念のため」

「別のナニカが感染しそうですね。貴方から」

 

「大丈夫ですよ。直接接触はリスクが有りますので、私はゴム手袋しますので」

「ゴム……? へーそうですか。それはありがとうございます」

 

 私だって大人の女性だ。最低限の性知識は持っている。彼の言わんとしている事は何となく伝わった。

 

『いいディアナ! 知らない人とヤル時はゴムを付けるのよ! ディアナは初心だから分かんないだろうけど、する時はゴム! 分かった!?』

 

 かつての友人の言葉が思い起こされる。

 なんだか分からないが、そういう物らしい。

 

「それで、何時の間に村の地下にこんな物作ったんですか貴方」

「聖教に気付かれずに潜むのは得意なんです、私」

 

 物陰にやって来た理由はここが入り口だったらしい。

 人目に付かないところの地面を掃うと鉄の扉が現れた。そこを開ければ長い階段。

 

 完全に教団の拠点になってる……。

 どうしようか。引継ぎの報告書にこれ書いた方が良いのだろうか。いや、書かなきゃダメだろう。

 

「ディアナ司祭が村を引き払った段階でここは廃棄処分とするので、書かなくていいんじゃないですか?」

「……それを信用すると思ってます?」

「ははは」

「生きてて楽しそうですね貴方」

 

 左右の壁に魔法のカンテラが下げられた仄かに明るい地下階段。暫く下れば再度の鉄扉が見えてきた。

 作りたてだからか想像よりも軽やかに開く扉の先は、さながら研究所の様相を呈している。

 

「なんですか……これ」

「ほうディアナ司祭も興味が有りますか? ならば説明いたしましょう! ここは私が様々なルートから情報を得て作り上げた研究所なのです! 常識では計り知れない設備ですよ!」

 

 そして大量の物品が彼から説明される。

 ガラス製のビーカーや様々な薬品、各種注射針。その針の太さにはゲージという規格が有ってだの、遠心分離機の概念は素晴らしいだの。

 かつて使った奥の手、【ウイルス】という概念もとある人物との取引で得た情報だとか。

 

 見た事も聞いたこともないような品々が目の前に出される。

 

「薬品漬け……」

 

 毒々しい色合いの薬を出されて、ふと友人の言葉が思い起こされる。

 

『いい!? 薬は駄目よ! あのバカ、快楽を3000倍にする薬だとか怪しいモン買いやがって! ディアナは騙されて盛られそうだからね! クスリだめ絶対! 分かったわね!?』

 

 ありがとう。

 貴方がくれた、いつ役に立つのか分からなかった知識が役に立ちそうです。

 

「薬はイヤです」

「そう、ですか……? でも使ってみると、意外と良いものですよ?」

 

「イヤです」

 

 純潔に言ってみれば、彼は残念そうに片付け始めた。

 よかった……やっぱり何かする気だったのか。

 

「では、簡単な事からやっていきましょうか。こちらへどうぞ」

 

 研究所然とした部屋を抜けて別の場所へ。

 次の場所は、いくつかのベッドがある部屋だった。診療台だろうか? 簡易的な寝台が置かれている。

 

 何てことはない場所。

 しかし、私はその部屋に入るなり息をのんだ。なにせヨルちゃんが居たのだから。

 

「な、なんで!? 純潔! どうしてここにヨルちゃんがいるのですか!?」

 

 診療台の上で、すやすやと眠るヨルちゃん。

 思わず声を荒らげると彼女は嫌そうに身じろいだ。

 

 教団施設で見たような、姿だけ一緒の別人かと思ったが違う。彼女はヨルちゃん本人だ。

 

「少しお願いしましてね、私がディアナ司祭の体を頂くところを彼女に見て貰おうかと」

「え……は、い?」

 

「貴方も私に体を差し出すのは不安でしょうから、知り合いが居てくれた方が良いでしょう? 私の気遣いですよ、ふふ」

 

 頭が真っ白になる。この人が一体なにを言ってるのか、理解できない。

 

 そういう行為は誰かに見せる物じゃない。ましてやヨルちゃんに見せられるはずがない。

 混乱して言葉に詰まるが、純潔は何でもないように話をつづける。

 

 なんでも村の広場で出会ったそうなのだが……

 

「この子の体が悪いですね。気を抜くと怪我しそうだったので連れてきました。そして私達の事情をお話しましたら、見ていてくれると」

「あ、貴方という人は……!」

 

 私と路地裏で致そうするどころか、彼はヨルちゃんにも手を出そうとしていた。あろうことか広場で(けが)しそうになったという。

 

「なんでですか! 貴方もヨルちゃんが大切だって言っていたじゃないですか!」

「大切だからこそ、怪我しかけた所を止めたでしょう? 何を言ってるんですか?」

 

「そこがおかしいんです! まず、人を穢そうとしないでください!」

「んんん?」

 

 何度も考えた事だが改めてコイツの倫理観の狂い方に怒りが湧きあがる。

 ヨルちゃんでなくても、子供相手に無理やりなんて許されることではない。可能なら今すぐこの男を捕縛してやりたい。

 

「ん……うぅ、ん?」

「ヨルちゃん! 行こう、駄目だよ知らない人に着いて来ちゃ!」

 

 互いに言い争う声がヨルちゃんを起こしてしまったようだ。それ幸いと手を引いて歩き出す。こんな場所に長居するべきじゃない。

 だけど、それは他ならなぬヨルちゃんに止められた。

 

「待って。シオンに約束したから」

「……約束?」

「ん。いつもお世話になってるお礼。なにかお返し出来ないかって言ったら、じゃあ体をくださいって」

「そん、な」

 

 キュッと心臓が締め付けられる気分になる。

 

 純潔の名を呼ぶヨルちゃんに彼を嫌悪する気配はない。

 彼女にとって純潔は教団から助けてくれた恩人の一人であり、その裏の顔を知らないのか。だから彼にも優しくしてしまうのか。

 

「ヨルちゃん、体を上げるって意味分かってる? なにされるか分かる?」

「よく分かんない……。でもちょっと痛いとは聞いている」

 

「大丈夫ですよ。私はとても上手いんです」

「貴方は黙ってて!」

 

 純潔をきつく睨みつける。

 

 これは脅しだろうか?

 その気になればヨルちゃんを無理やり穢すこともできるし、騙して致すこともできる。

 

 契約魔法で縛り付けられている私は、最初から逃げることはできない。だけど彼はそれに飽きたらずこんな手段を取ってきた。

 

 見たいのだ。苦痛に歪む私の顔が。 

 感じたいのだ。憎悪と敵意に満ちた私を征服する悦びを。

 

「さあさあ、準備はできていますよ。ディアナ司祭はまた今度。では、やりましょうかヨルン」

「ん、どうぞ」

 

 こいつはそういう男なのだ。

 手を引かれて連れて行かれそうになるヨルンちゃんを見て、私は苦悶の末、懇願する。

 

「……私だけにしましょう。ヨルちゃんが見ていても良いです。なにされてもいいです。だから彼女には手を出さないで」

 

 果たしてその願いは受け入れられる。

 

 この後、めちゃくちゃ採血された。

 

 




ディアナ「なんか思ってたのと違う」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3章
プロローグ


ちょっとお休み頂いたら、書けなくなったです。
プロローグ書くのに数か月かかってごめんね。

次話? これから書くのです(´・_・`)


 

 買い物帰りの老婦人。帯刀した戦士に年若い書生。雑多な人影が視界を埋め尽くす。

 

 ここは老若男女で溢れる南都アルマージュ、その中でも一際大きなメインストリートだ。

 街の中心部を突き抜ける様に作られた道は石畳で均されて、車道は馬車同士が優にすれ違えるほど広い。しかし歩道は年々増大する都市人口に対応しきれず手狭となっていた。

 

 アルマージュの人口は十数万人を超えて、なおも増加中。初めてここを訪れる者はまず人間の多さに驚愕するという。

 地球とこの世界は環境が違うから一概には比べられないが、それでも中世時代の地球より人口がかなり多いのではないだろうか。人口密度など下手すれば現代都市並みだろう。

 

 俺たちも今、例にもれず都会の洗礼に見舞われていた。

 

「わ……わっ……」

 

 やばい。この世界の都会なめてた。人が多すぎる。

 この体になって初めて体験する人混みに、運動神経の鈍い体が対応できていない。歩道を進もうにも人の流れに乗り切れず、周囲とぶつかりそうになる。

 

(うえぇ……混みあってるから仕方ないけど、まともに歩けないんだが?)

 

 ここは東京か。はたまた大阪か。それにしたって酷過ぎる。道路の限界キャパシティを超えて、歩道がまるで満員電車一歩手前の様相だ。

 通りの両手に立つ外国然とした煉瓦造りの建物を見て楽しむ余裕も無い。というか人が邪魔で見えない。

 

 かつて俺が南都を訪れた時――無論、聖女さんには秘密だが――は、こんなでは無かった。時間帯が夜だったとは言え、通りを歩く人間はまばらで静かすぎる程だったのを覚えている。

 

 それがどうなってんだ。

 昼と夜が変わるだけでこんな違うん? 困るぅ~。

 

「ヨルちゃん大丈夫?」

 

「うぐぐ、歩きづらい」

「そうだよね……もうちょっと我慢してね、ここを抜ければ空いた道に出るから」

 

 安全のためにと手を繋いだ聖女さんが心配そうに聞いてくれたが、不満が口をついて出た。だって身長の低い俺では人の壁が邪魔でマジ何も見えん。

 スムーズに歩こうにも先を読むことすら出来ず、ただ人の波に身を任せるしかない。けどそれは危険な事で、人混みに生じるうねりで呑み込まれそうになる。

 

 などと考えていたらまただ。

 人の壁がぐにゃりと歪んで、前から歩いてきた人間が俺に向かって突っ込んでくる。

 

 やめろ、俺が小さいからって見えてねぇのかテメェ。いやデカいんだよこの世界の人間が! こっち来んじゃねぇ!

 

「ヨルちゃん、ほら危ない!」

「わっ」

 

 ぶつかる寸前。掛け声と共に体が引き寄せられた。

 どうやら聖女さんが身を挺して守ってくれたらしい。彼女の手の中で衝撃を感じる。

 

「すいませ――痛っ」

 

 聖女さんが謝罪と小さな悲鳴を上げた。

 一方、ぶつかった相手はまるで気にしていない様子。ちらりと目線を寄越すと、何事も無かったようにそのまま足早に去って行く。

 

「いたた……」

「大丈夫?」

 

 苦痛に顔を歪める聖女さんを撫でながら、見えなくなる相手の後姿を睨み詰める。

 

 人の波があったとはいえ野郎、こっちに突っ込んできやがった。しかも接触しても無視とは……一言くらい謝れや。

 それにあいつ鎧を着てやがった。全身鎧の様なごつい物じゃないけど、関節を守るピンポイントは鉄だった。そりゃ痛いよ。なんで混みあう道路で鎧を纏うのか。

 これじゃあ日本でも出没するという噂の「ぶつかってくるおじさん」の方がよっぽどマナー良い。

 

 鎧着て、人にぶつかっても謝罪無しとか……この世界終わってんな。

 

「ぶつかった人、鎧着てた。あれが探索者(シーカー)? それとも当たり屋?」

 

「ううん、スリだよ。ヨルちゃんも気を付けてね」

 

「スリ?」

「あ、でも本業は探索者なのかな」

 

 などと思ってたら聖女さんが苦笑いしながら教えてくれた。

 なるほど。強めにぶつかってくる人は当たり屋じゃなくて、スリ屋さんだったらしい。

 

「……スリ」

 

 思い出すのは、この通りを歩き始めてから聖女さんが大きく人とぶつかった回数だ。それが全部スリだったとするならば狙われたのは実に――

 

「3回かな。私が祭服を着てるから、狙われやすいってのもあるんだろうけどね」

「おぉー……?」

 

 いや、いくらなんでも多くね? 

 ちょっと歩くだけで3回も犯罪に遭うとか。しかも聖職者相手に盗み働くって……やっぱりこの世界終わってんな。

 

「うん、日蝕から増えたらしいよ。周囲から避難民の流入が止まらないし、市中では終末論みたいな噂が流れ始めてる。聖教会に対する風当たりも強まって治安が急激に悪化しているね」

 

「……そう」

 

 悲報。この世界を終わらせた原因は俺だったらしい。

 

 なんでも、計算上あり得ない周期で訪れた日蝕が人心を惑わしたとか。

 それに加えてスラムの蜂起と黒燐教団の再誕宣言だ。ある村では怪鳥の襲撃があったし、深淵の森に至っては【黒き森】が顕現した。

 

 その上、民心を慰撫してきたムッシュ司教は突如辞任を表明し、国民を守るための王国軍は他国と係争中。悪いニュースばかりで良い事が何もない。

 

 荒廃する人心、乱れる治安。

 

「……」

 

 ふむ、つまり殆ど俺が悪いと?

 

「……ご、ごめんね?」

 

「あ、謝らないで。ヨルちゃんの所為じゃない! 悪いのは全部、日蝕を起こしたり、村を襲った人達なんだから!」

 

「ごめんねっ!」

「だからヨルちゃんは悪くないってば!?」

 

 優しい聖女さんの笑み。俺を撫でてくれる手が暖かい。けど申し訳ない。だってそれ全部、俺が犯人ですから。

 

 ……うん。汚名返上。

 これから秩序の回復を頑張って行かなきゃだ。影に潜むヤトと一緒に頷き合う。

 

 

 

 俺たちが今、村を出て南都を訪れているのには理由がある。

 なんと聖女さんがこの都市の司教へ叙任される事が決まったからだ!

 

 なんでも聖女さんは今まで村の司祭位にあったが、南都の司教であるムッシュさんが引退するとの事でそれを引き継ぐことになった。

 司教というのがどれだけ偉いのか俺には分からないが、出世という事は間違いない。拍手してお祝いしたら聖女さんも照れて喜んでくれた。

 

 という事があったのが数週間前。

 だが同時に俺はその事で聖女さんから選択肢を示された。聖女さんは出世のため村を出なくちゃならなくなったが、居候である俺はどうするかという事を聞かれたのだ。

 

 聖女さんが提示した案は三つ。

 

 一つは、このまま村に残って、村の駐屯団であるレイトさん達の庇護下に入る事。

 二つは、南都の司教になる聖女さんに着いて南都に居を移す事。

 三つは、みんなに護衛されながら「聖都」に移動して、信頼できる人に事情を話して保護されること。

 

 聖女さんが寂しそうな顔をしながら一番安全だと言ったのは三つ目の提案だが……あり得ない。いや俺、聖都とか行きたくないし。

 一つ目の選択肢も兵士さん達には悪いが、正直、無い。

 だって今更、聖女さんから離れて暮らすとかあり得ない。

 

(……いや、情けない。彼女には迷惑ばかりかけてるなぁ)

 

 聖女さんに依存してしまっていることを自覚する。大の男が自分より年若い女性に頼りきりというのは情けない。だけど、もう駄目なんだ。

 彼女の近くに居るだけで心の内が暖かくなって離れられなくなる。もっと、もっとと甘えても彼女は喜んで受け止める。

 愛情に飢えていたつもりはない。でも、これを知ったら無しではいられない。

 

 ……きっとこれは【夜の神】の所為に違いない。うん。そうに違いない。俺の所為じゃない。なんて思ってたら、神様からの抗議が来た。

 

 ―― ……。

 

 言葉は無かった。ただ不服そうな感情だけ送られてくる。

 

(じゃあ、離れたいの?)

 

 ―― っ!?

 

 はい。もっと怒られました。

 やっぱお前の所為じゃん?

 

 ……という事で、俺は今日から都会の住民となるのだ。

 前の世界でも田舎暮らしだった俺が初の都会進出である。今日からシティ派ヨルちゃんと呼んでほしい。

 

 そしてこの犯罪(スリ)で溢れた南都の倫理を導くのは聖女さんの役目となる。

 

 彼女ならば乱れた民心もすぐに掴んでくれるだろう。荒れた治安だって戻る筈。

 だけどある程度の時間は掛るだろうし、ましてや治安の悪化はこの街だけでなく世界中で起きている。簡単な事ではない。

 

 本を正せば、発端は馬鹿達(ヤト)が日蝕を起こしたことであり、俺の失態。それを彼女に背負わせるのは不条理だ。任せきりは間違ってる。

 今ではこんな(なり)になった俺だが、大人としての威厳は残ってる。自分のミスは自分で拭いたい。

 

 治世は綺麗ごとばかりじゃ進まない。彼女が表なら、俺は裏。聖女さんに出来ない部分だって夜人なら手が届く。

 期待を籠めて影に目をやると、佳宵と銀鉤が分かってると言わんばかりに親指を立ててくれた。

 

(うん。そうだ。胸を張って聖女さんと生きるためにも、やるべきことはやらなくちゃ!)

 

 都会(アルマージュ)に移り住むことになった事ばかりに浮かれていられない。

 

 俺たちの目標は一杯だ。

 安全を確保しなきゃだし、やらかしてしまった事の後始末もしなきゃだ。復活したという黒燐教団の動向だって気になる。

 

 よーし。よしっ!

 

 一つずつ、皆でがんばるぞー!

 

 

 

 

 

 

 混みあう通りを抜けて、人通りの少ない道に出る。

 

 随分歩きやすくなった事でようやく人心地ついたのだろう。隣を歩くヨルちゃんがほうっと息を吐いた。私もここまでは無事来れたことで少しだけ気を緩める。

 

(黒燐教団の襲撃もなかったし、レイトさん達に感謝です。あちらも大丈夫だったでしょうか……?)

 

 村から南都に来るに当たり懸念は多かった。なにせヨルちゃんは教団が作り出した神の依代。教団が再び奪還に動くだろう事は確信できた。

 

 そのため村から都市への移動という無防備になりやすい時間が一番危険。兵士さんたちには移動ルートの選定や偽装工作など多くの協力を貰った。

 それが功を制したのか、あるいは【勤勉】という幹部を打倒した事で教団の動きが鈍ったのか、これまで大きな妨害は見られなかった。

 

 人の多い南都で昼間から襲撃される事は考えにくいし、ひとまずは大丈夫だろう。

 

「お~、おっきい」

 

 人通りが減って、ようやく周囲を楽しむ余裕が出てきた。

 ヨルちゃんが煉瓦造りの壁に近づいて大きく見上げた。ぴょんとジャンプしてみたり、手を伸ばしてみたりと感心しきりだ。

 

 村には無い、大きな人工物に彼女は興味津々の様子。

 楽し気に辺りを見回してふんふんと鼻を鳴らす。右の建物を見て、左を見て、そして狭まった空を見て。最後に自分の影を見つめてヨルちゃんがゆっくり顔を上げた。

 

 影を見たのは恐らくヤトさん達と何かやり取りしたのだろう。前を向いてグっと握りこぶしを作ったヨルちゃんの顔はやる気で満ちていた。

 

「ふふ、ヨルちゃん楽しそうだね」

「うん?」

 

 彼女には黒燐教団からの襲撃リスクや、戦闘となる可能性について知らせていない。そしてそれは正解だった。おかげでヨルちゃんはこうやって初めて見る世界を楽しんでくれている。

 

「前から南都に来たがってたものね。あ、兵士さんたちに貰ったお菓子もここで買ったんだっけ?」

「ん……! 聖女さん、あれ!」

 

 お洒落な外観を持つお店が通行人の隙間から覗く。客の目を引くように鮮やかに染色された暖簾が風に揺れていた。

 お店の存在に気付けば美味しそうな菓子の匂いが香ってくる気がして、ヨルちゃんもピクリと体を震わせて反応。そちらへと足が引かれていく。

 

「こらこら。まずは聖堂で着任の挨拶して、それから部屋の整理して……あー駄目かな、これは」

 

 先ほどより通行人が少ないとは言え、どこに誰が隠れてるか分からない。決して離すことは無いように手を繋いだままヨルちゃんにくっ付いて歩く。

 

 走らないでねと手を少し強めに引いてもヨルちゃんの足は止まらない。ふらふらと甘い匂いに釣られて行く。

 

「おぉ、これは……!」

 

 店のショーケースに飾られていたのは、可愛らしく作られた幾つものお菓子たち。

 雪の様に白いケーキ。大きく膨らんだシュークリーム。やわらかそうなワッフルに、透き通る果実ゼリー。その中でも一際目を引くのは、触れば崩れそうな程、繊細に描かれた鳥の飴細工だろう。

 

 衝撃に弱いという点や、日持ちしない事で村じゃ見れないお菓子達にヨルちゃんの目が奪われた。

 

「ううーん。美味しそうだけど時間がないからまた後で買おうね。ほら行こう、ヨルちゃん。……ヨルちゃん?」

 

 どうやら私の声も届かないほどらしい。いつもの気だるげで暗く沈み込んでいる彼女の瞳が、今だけはキラキラと輝いている。

 私とじゃれ合ってくれる時でも、果たしてここまで喜色満面だっただろうか? そう思うと得も言われぬ感情が湧きあがる。

 

「ヨルちゃん? ヨルちゃーん、おーい。……むぅ」

 

 気付いて欲しくて手を引っ張るが無駄。ヨルちゃんは憧れの物を見つけた子供の様に、店の前に張り付いて動かない。

 それにまた、負けた気がしてムっとする。

 

(え……ムッとする? え、まさか嫉妬? いや、いや。無いでしょう。なんで私はお菓子に嫉妬してるんですか)

 

 なんだか思考が可笑(おか)しな世界に入りかけた気がした。……お菓子(かし)だけに? いやいやいや。頭を振って馬鹿な考えを追い払う。

 

「もう、そんなにお菓子が食べたいの? じゃあ一つだけだよ」

「!!」

 

 ヨルちゃんが嬉しそうに何度も頷いた。

 

「砂糖、はちみつ、魔法味。むむ、果実風味? そういうのもあるのか。悩ましい、悩まし……ん? だめ。一つだけ」

 

 メニューの前で腕を組んで唸るヨルちゃん。どれにするか心の中で葛藤しているのだろう。誰かと口論する様に小さくあーでもない、こーでもないと一人議論している。

 

 それを見て、仕方ないなぁという思いと、一人で街中には絶対出せないなという確信を抱く。

 

 ヨルちゃんはまだ子供なのだ。好きな物や興味を引く物に意識を奪われて当然。しかし、その所為で迷子になったり誘拐されやすい。

 

 彼女には夜人というこれ以上に無いほど強靭で信頼できる護衛達がいる。だけど彼等は闇に連なる存在であり日中は影に潜んでいなければ死んでしまう。

 また闇だからこそ、厳格な聖教徒に知られれば、それ自体が彼女を追い詰める材料になる可能性だって否定できない。

 

 彼女を狙う者がどこに潜んでいるか分からない今、危険な事はさせられない。させたくない。

 

 もう、私は失いたくないのだ。

 

 教団により生み出され利用され続けたあの子を想う。己の立場を嘆かず友人としてヨルちゃんの幸せを願った子。頭から獣の耳を生やした、美しくも儚い子。

 あの子の声が。笑顔が。最期が脳裏をよぎる。

 

「……もう、誰も失わない」

 

 南都ではレイト隊長や兵士さん達のような心強い味方は居ない。ムッシュ元司教のサポートだって限られる。生半可な覚悟ではこの先戦えない。だけど諦めない。

 

 買って貰った小さなお菓子一つという、ちっぽけな幸せを両手で抱えるヨルちゃん。その嬉しそうな顔を見れば、立ち止まるという諦観は消えていく。

 

 そうだ。

 私はまだまだ頑張れる。

 

 例え日蝕を起こす超越者が相手でも、子供を実験台にする人非人が相手でも。私は必ず打ち倒して見せるから。

 だからどうか、この子の明日が晴れますように――。

 

 





ディアナ「必ず打ち倒して見せるから……!」

ヨルン「ワッフル買った。ビター味は大人の威厳」 ←打ち倒される奴等
夜の神「だめ。甘さが足りないだめ」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

南都一日目!

いくらヨルンちゃんでも
初日から波乱なんて無いよ! ね!


 南都アルマージュには大きな建物が三つある。

 街の中心で聳え立つ魔力採取塔、広大な敷地を持つ領主館、そしてエリシア聖教が保有するアルマージュ大聖堂だ。

 そのどれもが観光資源になり得る街のシンボルだが、残念ながら全て一般人立ち入り禁止となっている。

 

 領主館に入れないのは言わずもがな。魔力採取塔も発電所のような施設だからダメ。意外なのは、信者向けに開放してると思ってた聖堂も立ち入り禁止となっている事か。

 

 エリシア聖教における「聖堂」とは信徒達の参拝用じゃない。そういう役割は街の各所にある礼拝堂が受け持つから、一般信徒にとって聖堂は遠い存在だ。

 聖堂の役目は重要な宗教儀式を行う場であり、そして軍事拠点としてある。

 

 軍事? 宗教家が軍事ってなに? 破戒僧ですかあんたら。一向一揆でもするんですかあんたら! などと、突っ込みかけたが……これはこの世界の歴史に由来するから仕方なかった。

 

 

 人類の祖先は【太陽神】の尖兵であり、敵は悪神【夜の神】。

 太陽神エリシアの御業を借りて闇を切り拓く存在が聖職者であり、先頭に立って戦う者こそ聖職者。ならば闘争こそが聖職者に求められる素質であり本質。

 人々を正しい道に導くという使命は、それが転じて生じた平時の役割でしかないという。

 

 はぇ~なるほど……いや、この世界の聖職者こえーわ。

 

 世界各国に「聖堂」という名の軍事拠点を持ち、聖堂騎士や騎士修道会という暴力装置を当然のように振るう。聖職位は軍隊階級の様に扱われて敵前逃亡は死刑となる。

 それでいて各国の支配者とも強く結びつき、国民の多くが聖教を信奉する。

 

 うーん、カルトかな? 闇絶対殺すマンかな?

 

 ……やだぁ! 過激派しかない宗教やだぁ!

 

 聖女さんは基本的にポワポワしてるから忘れがちだが、彼女も出会った当初は怖かった。親の仇みたいな目で睨まれたのを覚えてる。

 

 ほんとこの世界の宗教、闇に対して厳しすぎませんかねぇ……?

 

 

 などと考えてる内に、聖女さんに手を引かれてそこへ辿り着いた。

 

「ほら、着いたよ。これから私達の家になる場所。おっきいねぇ」

「はぇ~」

 

 太陽光を浴びて輝きを放つ祭礼の巨城――アルマージュ大聖堂は4本の尖塔と1本の中央塔を持ち、街を一望できる程に大きかった。

 

 中央塔の頂上には塔屋が立ち、巨大な青銅製の鐘が取り付けられている。その威容はまさに俺の思う宗教施設の姿。テレビで見た外国の教会っぽさを思い起こさせる。

 いくら世界が違えど、人の感性は似通うという事か。

 

「入場許可証を」

 

「はい、どうぞ」

「……ようこそいらっしゃいました、エクリプス様。我等一同、歓迎いたします」

 

 観光気分で呆けて居たら、門前を守る衛兵が語り掛けてきた。

 

 門番たる全身鎧が威圧する様に槍を鳴らして言葉を放つ。その声色は一定で、顔も見えないから不安を煽った。アンタ、ほんとに歓迎してる?

 聖女さんも同じ気持ちだったのか、少しだけ嫌そうに眉をひそめた。

 

「はい、これからよろしくお願いします。それと出来れば、私の事は家名ではなく名前の方で呼んで頂きたいのですが……」

 

「いいえ、お戯れを。そのような無礼はできません。司教室でムッシュ・マンカインド司教がお待ちです。ご案内いたします」

「そうですか……では、お願いします」

 

 衛兵は欠片も愛想を見せずに業務をこなす。

 彼だけが職務に忠実なのだろうか、それとも門番とは皆こんなに固いものなのだろうか。

 

 困ったような聖女さんと顔を見合わせていたら、やり取りを聞いていた別の門番が肩をすくめて見せた。なるほど彼だけらしい。

 

 そう思えばこのお堅い門番も可愛く見えて……は、来ないけど親近感が湧く。うむうむ、上司の出迎えは緊張するよね。分かる分かる。

 

「どうぞ、少し歩きますがご容赦ください」

 

 巨大な門を潜って大聖堂の敷地へ一歩。

 その瞬間、嫌な気配が体中を駆け回った。

 

「っあ」

 

「どうしたのヨルちゃん?」

「ん、いや……大丈夫」

 

 ジェットコースターで内蔵が浮き上がる感覚。そして軽いやけどを負った時の様なジリジリと肌を焼く痛みが生じる。

 腕を擦ってみても痛みは取れない。それが不思議で小首をかしげる。

 

(これが結界って奴かな。村の礼拝堂でもあったよね)

 

 あそこの結界は俺に影響なかったが、夜人に対して効果絶大だった。

 ここは大聖堂だから結界効果も強まっているのだろう。俺にも効いている。

 

 嫌な感じだ。

 少しなら我慢できるが、寝ても覚めてこの感覚に晒されるなら、俺はここには居られない。そんな気がする。

 

(あ、待った待った! ストップ! 大丈夫だから、ストップ!)

 

 俺の不快感に反応したのか、ヤト達が影の中でざわついたので制止する。

 

 こいつら自由にさせると碌な事をしないのだ。人間と価値観が異なるし、能力も隔絶しているから仕方ないのだが……この前のヨルンちゃん人形事件は酷かった。

 あんな事が二度と無いよう手綱はしっかり握っていないといけない。

 

 ちなみに、ヤトならこの不快感をどう解決するか聞いてみる。結界を壊すらしい。はいアウト! お前は影の中で黙ってて!

 

「ヨルちゃん、本当に大丈夫? 具合悪い?」

「……ん」

「長旅でお疲れなのでしょう。先にお部屋へ案内致しましょうか?」

 

 聖女さん、俺の顔色よく分かったね?

 門番の提案も有り難い。でもそういう訳にはいかないから首を振る。

 

「就任式……」

 

 今日は聖女さんの晴れ舞台。到着したばかりだが、予定は詰まっているはずだ。俺の所為で迷惑をかける訳にはいかないし、俺だって聖女さん主役の儀式を見たいのだ。

 

 それにほら、聖堂って入るの初めてだし興味あるから。ちょっと気分が悪いくらい何てことは無い。ほらほらステンドグラスきれーい。

 なんて言ってみたけど駄目だった。聖女さんが有無を言わさぬ雰囲気で俺を持ち上げた。

 

「だめだよ。体調悪いなら無理しないで。じゃあ門番さん、先に休憩できる場所にお願いします」

「はい。かしこまりました」

 

「ぁ、やーっ」

 

 あ~、聖女さんに背負われる~。

 揺れる背中が心地いいんじゃァ~。

 

 はい。部屋に押し込まれました。ベッドの上でぽんぽんと背中を叩かれ、寝かしつけられる。

 

 くそぅ、就任式見たかった……。

 

 

 

 

 

 

「それでは、エクリプス司教猊下の御入来です」

 

 聖堂の入口から祭壇までを繋ぐアーチ状の身廊を歩く。高さ50mは有るだろう通路は広々として、左右のステンドグラスからやわらかい光が降り注いでいる。

 

 通路と区切る様に数段高くなった先にある主祭壇には、豪華な彫刻装飾が加えられた5つの椅子が置かれていた。

 その内4つは既に埋まっており中心の椅子だけが空いている。

 

(人が多い。やはりこういう場は慣れませんね……)

 

 左右後方、様々な場所から視線が飛んでくる。特に鋭い視線を飛ばして来たのは、主祭壇に置かれた椅子に座った4人の人物。

 

 ついに始まった司教就任式。

 参席者は教会関係者だけでなく領主達も居るのだ。情けない姿は晒せないと自分を鼓舞して前を向く。

 

 着慣れない絢爛な儀礼服を引きずりながら、祭壇に並んだ中心の椅子――司教座――へと腰かける。ずり落ちそうになった司教冠(ミトラ)を戻していたら、隣のふくよかな男性が話しかけてきた。

 彼は先ほどから値踏みするように視線を送ってきた内の一人だ。薄くなりかけた頭髪を整髪料で固めた、聖職者というよりどこか商人然とした印象の見た目をしている。

 

「ようこそエクリプス司教。お噂はかねがね聞いておりますよ。なんでも先日は【純潔】だけでなく【勤勉】まで打ち倒したとか? いやこれで南都も安心だ。貴方ほどの聖者が来てくださったのだから」

 

「貴方は……タブラトゥーア司祭でしたか。はい。これから、よろしくお願いします。ただ今は儀式中ですので、その件については、また後程」

 

「おっとこれは失礼。いやぁ、年をとっても好奇心とは抑えられないモノですなぁ」

 

 柔和な笑みを浮かべたタブラトゥーア司祭は、頬を掻いて体を戻す。

 

 ゲゼッツ・タブラトゥーア司祭。

 ムッシュさんから聞いた話では彼は「調和派」に属する人間らしい。他の派閥に比べれば御しやすいという事だが、調和派の別名は「俗物派」とも呼ばれる。

 金や権力を好み、王侯貴族との繋がりが強いとの情報もある。あまり信頼しすぎれば組織が腐り果てていくだろう。

 

「……儀式のクライマックス。期待しています」

 

 反対側から語りかけてきた人物は無骨な戦士を思わせる男だった。右の頬に大きな三本の傷跡を持ち、右目は眼帯で覆われている。

 彼の名は確か……。

 

「はい。アグレッサー司祭のご期待に沿えるものをお見せいたしましょう」

「そうですか。マンカインド司教の後任、それもエクリプス家の秘蔵っ子の実力……楽しみだ」

 

 早速、口調から敬語が取れてきている獰猛な男はドビアス・アグレッサー。所属は武闘派。

 

「口が過ぎますよアグレッサー。司教様も、儀式の最中ですのでお静かにできませんか?」

「……儀式が長い。こんなもの聖務に不要では? せめてもっと簡略しましょうよ」

 

「まあまあ、ではそろそろ静かにしましょうか」

 

 残る二人、中年女性と男性が不満そうに口を挟むのを宥めながら、司会へと目線で儀式の進行を促す。そして始まった司会役の声を聞きながら考える。

 

 王国南部を一手に引き受ける「南部司教区」の支配領域は広大だ。実に100を超える司祭達の指揮権を持つから、相応に多くの派閥が入り乱れている。

 この儀式で祭壇上に用意された椅子は司教座を除いて4つ。つまり私の横に座る彼等が、それら派閥の中で特に力ある幹部ということ。

 

 原理派、救世派、調和派、武闘派。

 

 現在、聖教の中で有力な派閥がこの四つになる。

 それぞれがそれぞれの信念に従って動いているから、これを制御下に置くのはムッシュさんでも相当に苦労したらしい。

 なにせ彼等、同じ聖教を信仰しているのに、まるで行動理念が異なるのだ。

 

 例えば、原理派。

 彼等は闇を滅する事を最優先として、それ以外を「無駄な事」と考える。民の不安や治安の乱れを些事と言って、黒燐教団の殲滅だけに注力したいらしい。

 

 対する救世派。

 これは逆に、闇の殲滅も大事だけど、それ以上に民草の方が重要だよねという派閥。黒燐教団とか今はいいから、まず規律の乱れ何とかしろよという考えを持つ。

 

 個人的にはその中道ぐらいが丁度良いのだが、そういう派閥は無く、無所属となってしまう。これらの派閥を上手く往なして統治していくことが司教の腕の見せ所らしい。

 司教の強権を振るって反対する者を押さえつけるのは簡単だが、それに頼れば必ず痛いしっぺ返しが飛んでくる。

 それぞれの派閥トップは枢機卿。怨みを買い過ぎれば、いくら司教でも追い落とされるだろう。組織の運営とは思ってるほど簡単には行かないそうで……。

 

(はぁ……こんな事なら、就任式欠席してヨルちゃんの看病してたかった)

 

 時折、話しかけてきたり牽制し合う有力者たちに相槌を打ちながら、ひっそりと溜息を零す。疲れるからこれ以上、派閥争いの事なんて考えたくない。

 

 私がしたい事はヨルちゃんの安全確保と黒燐教団の激滅。そして可能なら、治安の回復だ。聖教内の権力争いなんかに興味は無い。

 しかしそうもいかないのが組織という物。

 痛み出した頭を押さえて、引継ぎという事で登場したムッシュ元司教の説法を話半分に聞き流す。

 

 それよりもヨルちゃんだ。

 聖堂に入った時からヨルちゃんの具合が悪くなったのは、なにが原因だったのだろうか。門番さんの言ったように、長旅の疲れが出たのか? 

 ……いや、それにしてはタイミングが怪しすぎる。聖堂に来るまでは、美味しそうにお菓子ばかり食べていたのだ。

 

 夜人を生み出せる事から彼女自身、闇属性という可能性が高い。まさか、それで大聖堂の結界が反応した? 体調不良はその結果?

 

(……可能性はある。でもそれじゃあ、ヨルちゃんは聖堂で生活できない)

 

 具合が悪そうだったから客室のベッドに寝かしつけてきた。看護もしたかったのだけど、それは「就任式に出て」とヨルちゃんに拒絶されてしまった。

 

 ……大丈夫だろうか。

 もしも私の予想通りなら、早く聖堂から連れ出さなきゃ彼女の体調は治らない。

 

「――様」

 

 ここなら大丈夫かと連れてきてしまったが、早まったかもしれない。

 聖堂で暮らせないとなると街で借家を借りる必要があるが、安全は担保できるのか? 私は仕事で聖堂から離れられない。その間、誰がヨルちゃんを守ってくれるのか。

 

「――ス司教様」

 

 ……ムッシュさんか。

 彼なら信頼できるし、実力も申し分ない。だけど不安だ。私が離れている時に何かあったなら後悔はしきれない。

 まさか純潔に頼る? いや、あんなモノにヨルちゃんに預ける位なら、私は仕事を放棄して逃避行に出る。

 

 やはり早まったか。司教に就いたのは、早計だったかもしれない。

 

「エクリプス司教!」

「あ、は……はい!」

 

 隣から小声で怒られた。

 見れば、困ったようなタブラトゥーア司祭が居た。

 

「もうすぐ"例の儀式"ですよ。精神統一するのは良いですが、周囲の声は届くようにしておいてくださいな」

「す、すみません……考え事していました」

 

 謝罪してから、ハッとする。

 完全に対応を誤った。

 

 数瞬の沈黙の後、武闘派アグレッサー司祭から言葉が放たれる。

 

「なるほど今代の司教様は随分余裕なようだ」

「そう、ですね……司教様が緊張されてないなら、よかったです」

 

 感心した様な言葉だが、その内心はどうだろう。

 調和派のタブラトゥーア司祭と救世派の女性など、呆れたような表情を浮かべている。

 

「へぇ、分かりますエクリプス司教。こんな儀式は早く終わって欲しいものです。私も今、黒燐教団をどうやって壊滅させるか考えて居た所でしてね」

 

 唯一同調してくれたのは原理派の男。

 いや、そういう意図は無いのですが……。

 

「では、続いてエクリプス司教猊下による、降臨の儀となります」

「……はい」

 

 気まずい時間が過ぎて、司会に呼ばれたから立ち上がって前に出る。

 

 私の第一印象は最悪だ。もうここで挽回するしかない。

 結局のところ、大事なのは実力。司教に相応しい実力を示せば、彼等は必ず認めるだろうとムッシュ司教は言っていた。

 そして、それに相応しい場が就任式の最後に用意されている。

 

 【降臨の儀】――それは、太陽神の使徒を降ろす大儀式。

 

 聖職者とは神のために存在し、神に認められる存在でなければいけない。

 助祭や修道士、祭壇奉仕者など下位級は例外として認められているが、本来【聖職位】とは人間如きが叙階して良いものではない。

 

 司祭になる時は聖学校の卒業式で校長が喚ぶ使徒から聖職者として"祝福"を受ける。

 だが、司教になる時は独力で呼ぶのだ。神の使徒を。

 

 そこで認められれば晴れて司教となれる。司教の就任式最後に待ち受ける、最初にして最大の難関。それが降臨の儀。

 

「――。」

 

 祝詞を紡ぐ。太陽を讃える唄。

 

「――。」

 

 降臨の儀は術者によって効果が変わる。

 使徒には最下級から上位まで幾つもの段階があり、やって見なければ誰が来るか分からない。

 下は自我が曖昧な下級精霊から、上は【第一蒼天】サナティオ・アウローラに代表される光の三使徒まで。

 

 とは言え、人間が最上位の存在を呼べることは無い。

 かつて教皇猊下、それも枢機卿団の全面協力の元でも呼べたのは三使徒の一つ下【黄道十二宮】の下位番だったらしい。

 歴史的に見ても司教が行う降臨の儀ならば、中位精霊クラスが妥当だろう。精霊の上、天使様が一人でも来てくれれば万々歳。私の地位は盤石になる。

 

「――。」

 

 あまり珍しい事では無いが数年に一度、司教の代替わりで誰も来てくれず儀式に失敗することがある。つまり実力不足だ。

 それだけは避けなければならない。もしも失敗すれば、適正不足と見做されれば幸運。下手すれば背信者、あるいは翻意有りと見做されて破門される事すらある。

 

 ムッシュ司教の時は2人の上位精霊が祝福に来てくれたそうだ。

 

 私には誰が来るだろう? いや、来てくれるのだろうか?

 

 誰でもいい。

 できる事なら、ヨルちゃんを守ってくれる……そんな使徒が来てくれたなら。

 

 

 

 

 

 

「はぁ、憂鬱……」

 

 客室のベッドでゴロゴロと。

 右へ左へ転がって、布団を蹴っ飛ばして起き上がる。

 

 お腹の上に居たペットのフェレ君――いつの間にか村の礼拝堂に住み着いてた白いフェレット。可愛いから飼うことにした――が布団と一緒に飛ばされた。

 

「おなか痛い」

 

 ううぅ、結界いやだぁ。

 

 乗り物酔いのまま揺られ続ける苦痛とでも言おうか。気分が悪いのがずっと治らず、そろそろ吐きそうになってきた。

 影の中から『壊せ……っ。全てを壊せっ!』みたいに邪念を放ってくる奴等がいるけど、喧しいんじゃぁ。

 投げ飛ばされたフェレちゃんが恨めしそうに見てくるけど、申し訳ないんじゃぁ。

 

「外の空気、吸おう……」

 

 効果があるかは不明だがちょっとはマシになるだろう。

 

 窓を開ければ、大きな中央塔がみえた。付いている鐘は正午になるとメロディーを奏でる仕組みになっているらしい。

 青銅製の鐘でどうやって音楽流すの? それも魔法? なんて思ってたら、複数の鐘を調律して組み合わせるという、ただの技術と聖女さんが教えてくれた。

 

 そっか。このカルト集団、技術もあるのか……そっか。

 

「今頃、あそこで聖女さんは儀式中?」

「きゅい?」

 

 客室の窓から中央塔を眺め見る。フェレ君も気になったのか寄ってきた。

 

 そろそろ儀式が始まる頃だろう。

 するとタイミングが合ったのか、大きな聖鐘が厳かに鳴りだした。喧しい音ではない。だけどその音は体の芯まで響き、徐々に街中へと広がっていく。

 

「はぇ~すっごい」

 

 鐘の音色に合わせて、空の上から光が降り注ぐ。沫雪の様な光の粒。思わず手を伸ばすと融けて消えた。

 

 街の人達が立ち止まって天を仰ぐ。

 慌ただしく働いていた職人も、走って逃げていくスリも、それを追う官憲も。みんな揃って空を見る。あんなにも騒がしかった街は、いつの間にか静まり返っていた。

 

「……なるほど、異世界か」

 

 ゴーン、ゴーンと。

 高らかに鳴り響く鐘に合わせ、天から3つの人影が現れる。

 

 薄い布を幾重にも纏った姿はさながら天使の……いや、天使なのか。少年少女のように幼げな彼等は愛に満ちた笑みを浮かべて、楽し気に舞い踊りながら聖堂へと降りてきた。

 

 王権神授じゃないが、どうやらこの世界では宗教の役職は神から直接授けられる物らしい。

 そりゃエリシア聖教一強になるよね。国家も別指揮の武力集団とその拠点を自国に置くの認めるよね。だって「神の御使い」が目に見えて現れるんだもの。

 

 俺も拝んどこ。気持ち悪いの助けてー。

 

「なむなむ……ん、南無はおかしい?」

 

 それじゃあ仏教やないかーい。

 ……なんて一人ボケ突っ込みが悪かったのかな。ちょっと不謹慎だったかもしれない。ふと天使の一人がこちらを向いた。

 

『!!?』

 

 口をぱくぱくと開け閉め。

 天使は同僚の背中を何度も叩いて、こちらを指さした。

 

 ……何だろう。嫌な予感がする。

 

 あぁ、そっか。そりゃそうか。

 神聖な光景に我を忘れて拝んでしまったが、そういえば俺は闇陣営だった。むしろそのトップ、邪神だった。

 

 天使が凄い顔して突っ込んでくる。

 さっきまで有った、天使達の悠然とした威厳は消し飛んでた。むしろ必死。

 

 え……どうしよ。逃げるべき?

 

 

 




天使1「呼ばれて来たら、なんかヤバい奴がこっち見てる件について」

天使2「あぁ、窓に! 窓に!」

天使3「うわぁああああああ!!(やけくそ)」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

みんなで想定外

 気分が悪くなって吐きそうになる。

 うん分かる。そういう時もあるよね。

 

 外の空気を吸いたくなって窓を開ける。

 分かるわかる。新鮮な空気を吸えば、ちょっとはスッキリするかと思うよね。分かるよ。

 

 窓を開けたら、天使さんがこんにちは。コレがワカラナイ。

 

 

『!!』

 

 俺を見つけた天使は、止まる気など無いと言わんばかりの猛スピードで飛んで来た。悲鳴を上げる暇もない。羽搏き一閃、転瞬の合間で目前に現れて、そのまま頭から俺のお腹に突っ込んだ。

 

「――ぐぇ」

 

 天使の体格は俺より更に一回り小さく、幼い子供と言えるほど。しかしその速度×質量は侮れず、体当たりによる莫大なエネルギーがお腹から背中に突き抜ける。

 襲い掛かってきた天使と一緒に床を転がり、壁に衝突。

 

「っあ、う」

 

 出た? ゲロ出た?

 腹痛で苦しんでる人のお腹にタックルするとか、お前に慈悲は無いのか。そんなにヨルちゃんの吐瀉物を見たいのか。

 世界が何度も回転したせいで、くるくると目が回る。ようやく止まって……部屋の惨状に気が付いた。

 

 ひぇ! 床一面、真っ赤やん!? 

 なにこれ血!? ゲロどころか内臓まで全部出た!?

 

「痛い……痛……? いたくない」

 

 すわ天使の捨て身タックルにより、下半身と上半身がよろしくバイバイしちゃったかと身構えたが、なんも痛くない。ぺたぺたと体を触って確かめるけど異常なし。

 それどころか、何か柔らかい物が後頭部に当たってる。

 

「おいおい、んだよこの無礼極まりねぇ羽虫は。どこの手のもんだテメェ」

「……佳宵?」

 

 どうやら俺は胡坐をかいて座る佳宵の股の間で抱き留められていたようだ。壁にぶつかった気がしたんだが気のせいだった?

 しかしなるほど、柔らかかったのは佳宵の胸らしい。聖女さんより無いな。

 

 佳宵の姿はヨルンちゃん人形と合体していた時のものじゃなく、彼女本来の着物姿。だけど怒っているのか、最近は見せてくれていた素顔を狐面で隠してしまっている。

 

「初魄、主の付き人はお前だろ。護衛なんだろ? だったらしっかりしろよ! なあ、おい!!」

「申し開きの余地もない。襲撃への対応が遅れた事を謝罪する、主よ」

 

「いや、いや……うん」

 

 いつの間にか佇んでいたヤトも、夜人の姿から甲冑姿に変わっている。短時間しか持たない変化だが、まあ、それはいい。天使から守ってくれたのはありがたい。

 

 けどね。床一面、真っ赤なのはどうしてかな。

 ヤトの剣で床に縫い付けられている天使はなんだろな。どうしてノコギリみたいに剣をギコギコ動かしてるの?

 

『……ぎ!? っ!?』

 

 ひぇ!? 天使がこっち見た!

 体中から血を吹き出しながら、目を見開いて睨んできた!? 怖いし、グロイいんだけど!

 

「気分が悪い」

 

 現代日本人にグロ耐性など存在しない!

 幸い、クールすぎる"ヨルちゃんぼでぃ"のおかげで吐くなんて醜態は晒していない。でも直視できないから目を伏せる。

 なんか、佳宵とヤトの雰囲気が一段と冷たくなった気がした。

 

「おい、さっさと殺せ。見るのも不快だと主はご立腹だ」

「心得た」

 

 ……?

 

「歯牙にもかけぬ下等生物が、その玉肌に触れた。我等が主の気分を害した愚行、命で償おうとあいも無し」

「おうよ。主に触っていいのは私ぐらいだよ、なー。……うん? 聖女とかいうアイツも百歩譲ればいいのか?」

 

 違う。「気分が悪い」の意味が絶望的に違う。

 

 別に俺は体当たり喰らった事には怒ってないんだが? 怪我も無いし、天使達の反応だって仕方ないから気にしないんだが? 

 むしろ俺が気分を害した――グロい光景見て、気持ち悪くなった原因はヤトにある。

 

 殺すとか、そんな事は止めて……なんて思っても、間に合わない。俺が「あっ」と声に出した時点で天使の首が飛んだ。

 

「……あぁ」

 

 無意識下の反射というのは、必要な機能だったらしい。"ヨルちゃんぼでぃ"は無感動すぎるから、なにするにしてもワンテンポ遅れてしまう。

 天使の首が落ちる瞬間、少しビクッとしただけで俺の反応は終わった。どうしよこれ。

 

 更に困ったことに、転がっている首に対して気色悪さは覚えても、それだけで終わってしまう。罪悪感少ししかないのは、元々の俺であればあり得ない反応。

 

 なんだろう、これ。

 この体になった事に起因するのか、それとも【夜の神】を宿している事が原因なのか? そういえば、この世界に来た瞬間も狼狽とか殆どしなかった気がする。

 でも、天使が死んだ事に申し訳なく思っても、それだけで終わっちゃうのは……うーん。守ってくれたヤト達を激怒するのもなんか違う気がするし、うーん。……まあ後で叱責するけど。

 

 遣る瀬無さを感じて佳宵の体にもたれ掛る。

 

『……! …!』

 

 窓の外では残された天使が騒いでいた。しかしそれもヤトに一睨みされたら、涙目になって空高く逃げて行った。……いや、ちょっと待て。 

 

「逃がしちゃ、駄目じゃない?」

 

 そもそも天使が来たのは何のため? 

 聖女さんの就任式に参加するため……という可能性が高いだろう。あんな神々しく登場したのだ。何のために呼んだのか分からないが、きっと重要な用事だったはず。

 

 例えるなら、辞令交付される職員(聖女さん)への祝辞に社長秘書(天使)が来る予定だったが、約束をぶっちされたというのに近いだろうか。

 それってつまり、社長から「お前なんかに期待してねぇよ」という事を示唆されたという事で……え、ヤバない? 同僚から見た聖女さんの立場ヤバない?

 天使に逃げないで、参加してもらわなきゃ駄目じゃない?

 

「誰か、就任式の様子分かる? 聖女さん達が何言っているか聞こえる?」

 

 天使を殺したという意味を2人は理解しているのだろうか? ヤトは首をかしげて、そして無理だと振った。佳宵は機嫌が良さそうに胡坐の上に俺を置いて満足してる。

 駄目だコイツ等! 知能を欠片も持ってねェ!

 

「銀鉤」

 

 一声掛ければ「ズズズっ」といった感じで俺の影から這い出てくる黒い人型。銀鉤は近くで落ちていたフェレ君を拾い上げて、雑に握りしめると俺に向き直った。

 フェレ君が嫌そうに大暴れしてるんだが……まあ、そんな事より

 

「いま中央塔で行われてる、聖女さんの叙任式の様子を教えてほしい」

 

 ただし、銀鉤まで"変化"するとまた日蝕起きるから、そのままの姿で教えて。そういうと銀鉤はおもむろに頷いた。

 フェレ君を握った方の手に魔力が蠢き、反対の手をヤトの背中に合わせる。魔法に巻き込まれたフェレ君が苦しそうに大きく口を開けた。……とりあえず離してあげなよ。

 

「承った。ではこのまま私が主へ伝達しよう」

 

 銀鉤から何かを感じ取ったヤトが言う。

 どうやら夜人形態では喋れないから、銀鉤はヤトをスピーカー代わりに通訳してもらうつもりらしい。というかお前は大聖堂の結界内でも大丈夫なの? 消滅しない? あ、そうなの。俺はこんなに体調不良なのに……。

 

 ヤトが一回咳払い。重々しく就任式で行われている会話内容を伝え始めた。

 

『召喚されたのに誰もいらっしゃらないだと? これは前代未聞だ』

『天使様が……あぁ、どうやら大変な事になったらしい』

『今すぐ枢機卿に相談を。いや、教皇猊下に指示を仰ぐしかない』

 

 ヤトの口から次々発される言葉。それを聞いて唖然とする。

 

『この意味が分かりますかエクリプス司教。一体どうなさるおつもりですか?』

『……落ち着いてください皆さん。何か理由があるはずです。まず少し冷静になって――』

 

『これが落ち着いていられますか。本国から異端審問官を……いや、対異教特務機関を召喚するべきだ。今すぐ宗教裁判を開くんだ』

 

 終わり無き言葉の羅列。全てが騒乱を表しているから、もういいと銀鉤に手を向けて差し止めた。

 

「……」

 

 パズルを解き明かす様に推察を組み立てる。銀鉤の手で拾われた就任式の状況は、一大事件が起きている事を示唆するもの。

 

 天使は就任式で呼ばれる筈だったが来なかった。……俺たちが殺したから。残りは逃げたから来れなかった。

 しかし式に出ている人間たちはそんな理由は分からない。目につく事、考え付く理由を上げるなら、就任する司教である聖女さんが天使の御眼鏡に適わなかった事。だから来なかった。

 故に枢機卿への報告だとか、異端審問だ裁判だと、謂れなき理由で聖女さんが責められている。

 

「……非常にまずい。これは、全力でまずい」

 

 天使を殺してしまった時の比でない。全身から冷や汗が一気に噴き出て、心臓の拍動が早まっていく。そんな早く動けたのかってくらい猛烈なビートを刻む、我がハート。何だヨルちゃんボディも生きてるじゃん。

 

 なんて冗談いってる場合じゃない!!

 

「今すぐ動く! のんびりしてる余裕はない……っ!!」

 

 佳宵の上から飛びのいて対策を講じる。

 

 ヤトを見る、無能。

 佳宵を見る、無能。

 

 銀鉤を見る――有能。

 

「……来て!」

 

 銀鉤の手を取って、一気に窓から飛び降りる。着地なんか知らん! 銀鉤が慌てているが、合体しろと言えばすぐに動いてくれた。

 

 彼の夜人たる体がほつれる様に広がり、俺の体を包み込んでいく。手足が伸びてあっという間に大人形態の体へと移り行く。

 そして着地。はい銀鉤百点!

 大きい服は無いから銀鉤が魔力で練り上げてくれた。何故かまた女性向け黒スーツだけど……まあ良し。

 

「――ん?」

 

 その瞬間、さっきまで居た部屋が爆発した。

 

 ……何か分からんが、どうせまたヤト達の癇癪だろう?

 あいつら、この前は銀鉤に嫉妬してあんな事件――犬耳少女惨殺事件――を起こしたらしいし。仕方ない奴等だ。

 

「遊んでないで、ヤト達は早く天使を就任式に連れてくるように」

 

 聞こえているか分からないが、逃げた天使を追いかけて連れ戻す様にお願い。

 怯えに満ちていた天使を思うと申し訳なく思うが、聖女さんのためだ。なんとか説得して彼等に役割を果たして貰いたい。

 

 俺の方は早く、聖女さんの弁解に行かなきゃだ……!

 

 

 

 

 

 

 突如襲ってきた熱波により崩壊した部屋の中。濛々と立ち込める黒煙は、視界の全てを遮った。しかし視力など歴戦の強者たるヤトと佳宵に取って有れば便利な感覚の一つでしかない。

 一切の動揺を見せることなく、ヤトは懐かしい気配を放つ存在に対して馬鹿にしたような声をかける。

 

「これが天使流の歓迎か? まさか攻撃とは言うまいな。これでは魔物一匹屠れんぞ」

 

 天使を二匹逃がした時から来るだろうとは思っていた。しかし、問題無いと判断していた。むしろ主の望みを叶える駒にできるとほくそ笑む。

 

 ヤト達の主がそうであるように、彼等の主もまた力を使い果たしている。もはや、あの忌まわしき無限の加護を与える事すら叶わない。

 であるならば――

 

「昇った日は刻下に落ち往く道すがら。今こそ彼女が黒き太陽(サン)と成り代わろう」

 

 中央塔へと走り向かうヨルンを守る様に敵前で立ちはだかる。

 黒煙が風に流されると共に現れた。三対六翼の羽で体を包む女性騎士――太陽神の使徒にして守護者【第一蒼天】サナティオ・アウローラ。

 

「ふんっ、天使たちが騒ぐから来てみれば……終末の時まで死んでいればいいものを。むざむざと私に殺されに舞い戻ったか! 初魄っ!!」

 

 光の三使徒と呼ばれる最強の一画。その筆頭が今、現世に再臨した。

 

「否。今の私は初魄ではない。ヤトと呼べ」

 

 

 

 

 

 

 【降臨の儀】――その発動が確認出来た時、ディアナは人知れずほっと息を吐いた。

 発動したという事は神々の坐す地へこちらの意志が届いたという事。少なくとも下級精霊の一人は来てくれるだろう。まずは最低限の問題はクリア。司教としての面目は保たれる。

 

 同様に、固唾をのんで見守っていた参席者たちも肩の力を抜いた。最近はただでさえ問題が多い南都で司教の交代に失敗したとなれば、混乱が更に長引いてしまう。

 誰もディアナの失敗を望んでいなかった。儀式の成功により一気に空気が軽くなる。

 

「ぁ」

 

 参席者の遠くで聖学校時代からの友人が小さく手を振ってくれていた事に気が付いた。

 至らぬ自分に色々と教えてくれた友人。そう言えばあの子の赴任先は南都だったなとディアナは嬉しくなって微笑み返す。

 最近はヨルンの事ばかり考えており、ついつい忘れがちだったのは申し訳ない。でも彼女がいれば百人力かもしれない。

 

「……」

 

 しかし、安穏した雰囲気が漂っていたのは魔法発動から数分の間だけだった。

 

「使徒様はまだか? そろそろか?」

「いや、おかしいですなぁ。こんなに遅れられる事もあるのですか?」

 

 聖堂の鐘は鳴り響いた。ディアナの意志はしっかり届き、その清さを認められて祝福の光も降り注いだ。しかし、使徒が来ない。

 人々の騒めきは徐々に拡大していく。これは歴史上見られなかった事。

 天界で何かあったのか。天使様が来れない理由でもあるのか。まさかこれも黒燐教団の仕業なのか?

 

「いやまさか。これ程の聖堂に攻撃を仕掛ける程、奴等も愚かではないでしょう」

 

 ふと呟いた原理派の聖職者。だが、彼の言葉は直ぐに現実のモノとなる。

 

「――っ!? なんだ! 爆発!?」

 

 聖堂に爆音が轟いた。地が揺れる程の衝撃。参席者の間でざわめきと動揺が広まっていく。

 突然の事に身を屈めて臨戦態勢に移行できたのは数えるばかり。逃げようとする者は慌てて立ち上がったが、連続する轟音に慄いて動きを止めた。

 

「そんな、なんで!?」

 

 聖堂騎士たちが武器を手に取り、慌ただしく動き始めたのを傍目にディアナはヨルンのいる方へ顔を向けた。体調不良だったからと一人にさせたのは間違いだった。

 

「もう我慢できん! いますぐ本国から異教特務機関を呼び寄せましょうぞ! 黒燐教団などという下賤な輩に鉄槌を!」

「邪教を崇めるどころか、天使様へも直接手を掛けるとは……! 目に物を見せましょうぞ!」

 

 熱心な聖職者の中には興奮して声を荒らげる者も出る始末。事態は独りでに動き始める。ディアナはなんとかそれを抑え混もうと声をかけるが効果は無い。

 

「お、落ち着いてください。今はどこも同じような状況。特務機関だって曖昧な理由では動けません、まずは冷静に理由を探して、襲われている人の避難を――」

 

 そうこうしてる内に聖堂の入り口が勢いよく開かれた。

 

「……っ!」

 

 外から差し込む強い逆光に視界が遮られる。しかし、微かに見えた顔にディアナは息をのんだ。

 忘れもしない。何度も辛苦を呑まされた教団の一員にして救うべき一人。ヨルンに深く関わっているであろう女性。

 

「サン……!」

 

 被験体番号3番。

 教団の罪の形が、再びディアナ前に立ちはだかった。

 

 




Q どうしてヨルンちゃんは、天使の死体見ても取り乱さないんです?
A 各々の反応
ヨルン「死体だ!!!! ひぇっ!!」
夜の神「……」

Q どうして元の世界に帰りたくないんです? 焦らないの?
ヨルン「仕事どうしよう!!? やばーい!」
夜の神「……」

Q 聖女さんが危ない!
ヨルン「ひぇえええ!!」
夜の神「ひぇえええ!!」


そ う い う こ と



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神話の刻より愛を籠めて

なんか長くなりました。
でも主人公の場面は短いです。なんでや


 

 

 後方で爆発が連続する。大きな建物が崩れ落ちる音がした。

 

「……銀鉤、ヤト達にこれ以上被害を出さないように伝えて。闇だからって『光』と争うつもりはない」

 

 ただの癇癪だろうにヤト達は周囲の被害を顧みない。天使をあっさりと殺害してしまった事といい、聖教会()相手だと嫌っているから遠慮するつもりも無い。

 幾度となく人と争わないように教えているつもりなのだが、何度言い聞かせても守ってくれない。駄目な子供を相手にしているようで頭が痛くなる。

 

 まさかこれも聖女さんの責任問題になるのかな?

 叙任式では天使が来ないし、謎の爆発が有って建物崩壊までした。……まあ十中八九、なるだろう。その辺も考慮に入れて、俺が立ち回る必要がありそうだ。

 

 俺はあんな夜人達でも嫌いになれない。何度失敗しても――その『失敗』が人間の価値観では計り知れないものであっても――ちょっと叱ったらすぐ許してしまう。

 この世界に来てからずっと助けてくれていたのはヤト達だし、結局、俺は俺を好いてくれる人が好きなのだ。

 

 子供の失態を拭うのも保護者の役目。なぁに、ここから俺が頑張ればいいだけだ。

 

 

 大きな扉を開け放つ。

 中央塔の入り口は思ったよりも軽かった。手入れが行き届いていたのだろう。滑るように開かれた扉は勢い余って、大きな音を立ててしまう。みんなの注目が集まった。

 

「サン……!」

 

 人人人。右に人! 左に人! 

 そして正面に聖女さん。驚いたのか可愛く悲鳴を上げた様子。

 

(さて、どうしよう)

 

 無我夢中でここまでやって来たけど、実は何も考えていない。

 ヨルちゃん姿のままでは誤魔化しが効かないから、とりあえず大人verになったけど……どうしよう? 二度と使うつもりなかったから、もうこの体の『設定』も半分忘れかけてるし。

 

「貴様、何者だ! ここをアルマージュ大聖堂と知っての狼藉か!?」

「今すぐ武器を捨てろ! 地面に手をつけろ!」

 

 突然の乱入者()の登場により、護衛らしき全身鎧が武器を向けてきた。その数は実に10を超えている。

 こんな体験は久しぶりでちょっとドキドキしてしまう。つい聖女さんに目を向けて……ふぅ、一安心。

 

「っ久しぶり、ですね。何の用ですか?」

 

 聖女さんが何故か少し焦ったように声を上げた。その目には敵意半分、困惑半分。エッセンスに慈愛がちょっと含まれる。

 ……まあ、そうだよね。今の俺は怪しい黒尽くめの女だものね。村では襲われたしね。分かっていても、聖女さんから敵意を向けられるとしょんぼり凹んでしまう。

 

「使徒が来なかっただろう」

 

 もうするべきことをして早く帰ろう……。

 

「あの音が聞こえるだろう」

 

 淡々と声に出す。

 事実を事実として伝えて、後の事は教会のお偉いさんにお任せする。……これだ。

 

「天使は私達が殺害した」

 

 ――その瞬間、敵意が聖堂に満ち溢れた。

 俺の体が意志と無関係に一歩前へ。銀鉤アシストだ。剣が先ほどまで俺が居た場所を通過した。

 

「貴様ぁ!! 何という事を!」

 

 怒り心頭の衛兵が襲い掛かってくる。包囲を狭めて一斉だ。

 絶体絶命……とは思えない辺り俺も変わったものだと実感する。まあ銀鉤と合体しておらず、俺一人だったら逃げるしかない訳ですが。

 

(いける? 銀鉤)

 

 脳内で応援してくれていた銀鉤に聞けば、当然と言う風に頷いた。

 その直後、地面から噴き上げる闇の泥。襲い掛かってきた兵士諸共、清浄な聖堂を穢す様に祭具を呑み込んで広がっていく。悲鳴が木霊した。

 

 いやいや。

 

 いやいや。

 

 ちょっと待って。やり過ぎ。

 あ、でも結界も壊れたっぽい。お腹痛いの無くなった。

 

「気分がいい」

 

 泥の津波が落ち着いたころ。周囲は死屍累々の惨状だった。聖堂の床には僅かな泥溜が残り、そこに倒れ込む人の山。

 兵士たちは意識を失ったのかピクリとも動かない。無事だったのは何とか切り抜けた一部の人間だけ。

 

「っく……! 貴方と言う人は……!」

 

 その一人。聖女さんは必死な表情で防御魔法を張っていた。後ろに何人もの非戦闘者を庇って、冷や汗を流しながら泥の津波を防ぎきっていた。

 

 すげー。

 よわよわヨルンちゃんぼでぃと合体して弱体化しているとは言え、銀鉤の魔法を防ぎきるとは。さすがは聖女さんだ! でも叙任式ぶち壊してごめんね……いや、ほんと。ごめんなさい。

 

「っ、なんで……」

 

 聖女さんが司教に昇進する事を教えてくれた日のこと。

 おめでとうと拍手したら喜んでくれた。夕飯はちょっとだけ豪華だった。彼女だって楽しみだったに違いない。

 

 それが、この惨状。

 仕方なかったんだ。こうしないと聖女さんが宗教裁判に掛けられてたから。仕方なかったんだ。……ひぇ~、ごめんなさい!

 

「なんで、貴方はそんなにも悲しそうな目をして人を襲えるのですか?」

「……こうする他になかった。ただ……それだけの事」

 

 天使が来なかった理由は語った。爆発と建物崩壊も伝えた。叙任式をこんな大々的にぶち壊したんだ、悪い事は全部俺の所為にできるだろう。

 

 もう俺の役目は十分だ。

 早く逃げようと背を向けて歩き出す。

 

「待ってください!」

 

 聖女さんが引き留めるが、長居はしたくない。

 つい聞き届けたくなってしまう彼女の懇願を無視して入口を見ると、いうの間にか見知らぬ誰かが立っていた。その姿に気付いて息を呑む。

 

「ああ、待って貰おうか。お前が黒燐教団という輩だろう?」

 

 三対六翼の羽。そして神々しいばかりの美貌。まさに理想の女性騎士というべき天使が見下すような目で俺を見つめていた。

 あんなにも喧しかった爆音は、いつの間にか止んでいた。

 

 

 

 

 

 

 今は遠き昔の話。世界に【夜】は存在しなかった。

 燦々と照りつける太陽の楽園で、命あるものは生を謳歌できていた。死や苦痛、不快、懐疑心など存在しえず、揺籃の地にて安寧を享受できていた。

 

 しかし太陽神と言えども全知全能ではない。世界の片隅で光すら届かず、知り得ぬ場所ができていた。そこで生まれた者こそ【夜の神】。

 世界でたった一人。誰からも愛されず、温もりを知らずに、彼女は独りぽつんと生きていた。

 

 どれだけ辛くとも、外の世界に出る事はできない。死んでしまうから。

 どれだけ寂しくとも、人と触れ合う事はできない。忌避されているから。

 

 彼女は太陽神が世界から祓った邪悪がより固まった存在だ。太陽の光が強ければ強いほど、彼女の闇もまた深くなる。

 思えば両者が対極の位置に居る以上、ぶつかり合うのは必然だったのかもしれない――。

 

 

 

 ふと、過去の事を思い出してしまったのは、懐かしい顔を見たからだろう。

 ヤトは心地よい疲労感に包まれながら自分の足元へと目を下す。そこには鋭い視線でこちらを睨みつける女性騎士が居た。

 己に匹敵する力を持つ神の一柱にして、かつて何度も剣を交えた相手。サナティオ・アウローラ。それが片膝をついて見上げていた。

 

「……っく!」

 

 白銀に輝いていた軽鎧は煤けている。服の一部は切り裂かれ、美しい柔肌を危ない領域までさらけ出していた。頬を赤らめているのは羞恥からだろう。その手に有った剣は遠くへ弾き飛ばしてやったから、所在なげとなった両手でなんとか素肌を隠している。

 

「っく、殺せ!」

 

 状況が良かった。

 相手は街の人間に配慮して力を出しきれず、こちらは2人掛り。佳宵の「抵抗するなら街の人間全員潰す。子供から潰す」という脅しも効いたのだろう。

 "変化"の時間制限を殆ど使う事なく、戦いは一方的に終わる事となった。被害も最低限。聖堂の一部が灰燼に帰した程度だ。

 

「哀れだな」

 

 威勢のいいことを言いながら意気揚々とやって来て、追い詰められた。それでも命乞いだけはするまいと吐き捨てるが屈辱感は隠しきれていない。

 戦士としての力量を微塵も発揮できず負けた事にヤトは少しだけ同情を禁じ得ない。

 

「ッハ! いい格好じゃねぇか光の戦士さんよぉ。それじゃあ、テメェのご希望通り殺してやるとするか」

「いや、暫し待て佳宵」

 

 楽しげに歩み寄る佳宵に待ったをかける。凄い声で威圧された。

 

「……はぁ?」

「主の望みを忘れたか。主は天使を就任式に連れてこいと仰せだ、我等はそれを果たさねばなん」

 

 ヤトは馬鹿ではない。

 たまに忠誠心や価値観が暴走して変な事をするだけで決して馬鹿ではない。ヨルンの言いたい事だって、しっかり理解していた。

 

「主はあの叙任式を成功せしめんと動いている。然れば、コイツに動いて貰う」

 

 去り際の主から「天使を叙任式に連れて来い」と言われた時、最初は「天使の首」を持って来いという意味かと思った。

 怨敵たる聖職者の叙任式に殴り込みをかけ、お前らが信仰している天使を殺してやったぞと、そら見た事かと首を投げつけて台無しにするのだ。ヤトはそう考えた。

 

 しかしヤトは馬鹿ではない。

 ヨルンが大切に思ってる聖女に対してそんな事をする筈がない。

 

 つまり、ヨルンは聖女に箔を付けたいのだ。

 天使を――神に次ぐ権威者である【第一蒼天】を――連れてきて、下等な人間を直々に祝福させよと言うのだ! ああ、なんと神をも畏れぬ所業か!

 さすが我等が主であるとヤトは感心しきる。

 

「ふ、貴様ではここまで考え及ぶまい。いかんぞ、短絡的な思考はいかん」

「……あ? なんだテメェ。なんでこっち見んだよおい。馬鹿のくせに」

 

 言われるがままに天使を殺そうとした佳宵。対して言葉の裏まで読む自分。やはり私は馬鹿ではないなとヤトは嬉しそうに頷いた。

 これで後はサナティオを連れて行くだけだ。ヤトは負け犬に対して命令を下す。

 

「そういう訳だ。貴様は今から彼処(かしこ)で行われている式に出て、ディアナという聖女を祝福してもらう」

「断る」

 

 即答された。

 

 サナティオにとってみれば、なぜ私がそんな事をしなければならないのかという事だろう。

 天使にとって人間は庇護するべき存在だ。しかし、サナティオにも立場がある。プライドだってある。軽々と一人間に祝福を送る訳にはいかない。

 それは【光の三使徒】を軽視することであり、延いては神を軽視する事に繋がる。軽々と受け入れることなどできないのだろう。

 

 ヤトは、なるほどそれなら仕方ないと思い、言い方を変えてみた。

 

「お前に聖女の祝福をして欲しい。頼む」

「断る」

 

 頼んでみてもダメだった。

 ヤトの眉が――いや、眉は無いのだが気分的に――へにゃりと垂れる。

 

「……駄目か?」

「駄目だ」

 

「それは困る」

 

 ヤトは困ってしまった。これじゃあ主の願いが叶えられない。

 どうしようと頭を悩ませていると、佳宵から呆れ声が掛る。

 

「おい、なんで正直に頼んだ。お前は馬鹿か? 洗脳すればいいだろ。魔法じゃレジストされそうだし、蟲を入れるか」

「うわっなにそれ」

 

「あん? 『脳髄啜虫』だよ」

 

 違うそうじゃない。名前が聞きたかったわけじゃない。

 ウネウネしてる蚯蚓の様な虫を取り出して嗤う佳宵。くぱぁと四つ股に分かれる蟲の頭部を向けられ、ヤトは引いた。

 

「うわぁ」

 

 分泌物でぬめりを帯びている軟体生物。活きがいいらしい。びちびち跳ねている。

 見るからに嫌悪感を呼び起こすソイツを見て、ヤトは数歩後ろに下がった。

 

「生物の触らかい部分から体内に侵入して脳を食い散らす。だが安心しろ、この虫は排除されないため宿主に多幸感を与えてくれる。これでお前は死ぬまでハッピーだ。さあどこから入れる? 眼球か? 鼻か? 耳か? それとも……」

 

 佳宵の目がサナティオの尻に向かう。

 寄生虫の効果も嫌だが、そんな所から入れられるのも嫌だ。ヤトは引いた。サナティオも引いた。

 

「ま、まて! まて何だそのキモイ虫は!? 私は断るとは言ったが、嫌だとは言っていない! 初魄が私と一騎討ちで勝てたら考えてやらんこともないぞ!?」

 

 顔面を蒼白にして縋る様にヤトを見つめてくる最高位天使。目が助けろと語っていた。

 さっき自分で言っていた「殺せ」とは何だったのだろう。自分のプライドや死よりも、虫に寄生される方が嫌なのかだろうか。ちなみにヤトは嫌だった。

 

「一騎討ちか?」

 

 サナティオから提案された案を考える。

 殺し合う仲だったが、それでも彼我の付き合いは短くない。コイツは決して嘘を言わない奴だと知っているからこそ、一騎討ちで勝てば利害関係を無視しても約束を守るだろうことは理解できた。

 

 さっきは二対一、それも卑怯な脅し付き。だから負けたんだとサナティオは納得できないのだろう。なるほどこれで勝てば、祝福を送ってくれるという事か。

 

「おい初魄、負けたらどうすんだよ。コレ入れた方がよくねぇか? ちょっと脳が無くなるだけだ。楽だし、便利だろ」

「い、一騎討ちを所望する! 私は一騎討ちを所望する!!」

 

 佳宵の目から隠れるように、サナティオは敵であるヤトを盾にした。

 やはりなるほど。一騎討ちも悪くないが、佳宵の提案も悪い物とは思えない。ちらりとサナティオを見れば、ビクリと体を震わせた。

 

(後の事を考えれば、ここでサナティオを殺すか人形にしてしまった方が楽だろう……が)

 

 ヤトは馬鹿ではない。

 優先すべきは主の願い、つまりは叙任式の成功だ。それに「これ以上被害を出すな」という命令も新しく加わっていた。

 

 いくらサナティオが人間を守ろうとしても、いよいよとなれば本気で抗うだろう。人間への配慮は失われ、南都は余波だけで消滅する。ここは神同士の戦いの場として脆すぎる。

 

 いまこうやって敵同士で暢気に会話して居られるのは、互いが本気で争うのを避けたいがため。神代の時とは事情がまるで異なるのだ。

 ならば、やはり一騎打ちに乗った方が安全か。佳宵はヤトの負けを心配しているようだが――

 

「問題無い。数千年の間、戦いもせず怠惰に生き永らえていただけの輩に劣る力は持ち合わせていない。サナティオ、貴様が負けたなら今日一日は私の言いなりになって貰う」

 

 有無を言わせぬ様に言う。サナティオもそれを受けて凛々しい顔で応えた。

 

「よかろう。あ、ただし街に被害を出すのはダメだぞ。純粋な剣技だけの戦いを所望する。力も制御しろ。私に合わせろ」

 

「……図々しいなお前」

 

 佳宵がイラついたような声を上げて、蟲を投げつける。サナティオが悲鳴と共に飛びのいた。

 

「ふ、ふん! 今日こそ初魄の不細工な面を拝ませてもらおうか。その無骨な兜の下にどれほど醜悪な男がいるか楽しみだ!」

 

 なぜか嬉しそうに挑発を飛ばしつつサナティオは立ち上がると、先ほどの戦いで飛んで行った剣を拾いに向かった。遠くまでゆっくり歩いて。

 

 そう言えばアイツの剣を弾き飛ばしたんだった。ヤトはそんな事をぼんやりと思い返しながら、サナティオの様子を遠目から眺める。

 なんか途中で立ち止まって深呼吸し始めた。緊張をほぐす様に肩まで回している。剣が落ちてる場所はまだ遠い。早く拾ってくれないだろうか?

 

「優雅なものだ。こっちは時間が無いのだが」

「せこいよなアイツ。また私達の"時間切れ"を狙ってるだろ。みみっちぃ」

 

「うるさいなぁ! 聞こえているぞ貴様等! わ、私がそんな騎士道に反することをすると思っているのか!?」

 

「違うのか?」

「いや、そうだろ。それがアイツの常套手段じゃねぇか」

 

 過去にそれで勝ちを拾い集めていた女の言葉とは思えない。そう言うとサナティオは目を逸らして、せかせかと動き始めた。

 随分とみみっちぃ天使の後ろ姿だった。

 

 

 

 

 カランと剣が落ちる音。

 サナティオが得物を失った手を見つめる。そしてショックを受けたように膝をついた。

 

「っく、殺せ!」

 

「お前殺されないの分かって言っているだろう」

「……っく!!」

 

 いや涙目で睨まれても困るのだが。

 結局、一騎討ちは危なげなくヤトの勝利で終わった。これで主の希望は全て叶うだろう。だが自分の想定以上に簡単に終わってしまった事にヤトは首をかしげる。

 

「貴様、弱くなったな。剣に気迫が乗ってなければ、殺意も無い。私を殺してやろうと猛っていた貴様はどうした。これでは新兵の方がまだ殺意があろうもの。別人だ」

 

「……そうか」

 

 見下したように言ったから、激怒されると思って身構えた。しかし思っていたような反応が返ってこずにヤトは肩透かしを食らう。

 最後に会った時のサナティオにこんな事を言ったなら、無言で致死級の魔法を数発放ってきたはず。それがどうした。枯れ木の様になった今のコイツの姿はなんだ。

 訝し気な目で反応を待つと、サナティオは寂しそうな声で自嘲するように語り出した。

 

「お前に取って"あの日"からどれだけの時間が経った? 死んでいる間は意識が無いだろう。ならば体感時間は如何ほどだ」

 

 あの日――。

 恐らく、大神戦争の終末を言っているのだろう。たしかにあの時に消滅してから、主が生まれ変わるまでヤトはずっと微睡んでいたから、戦争当時の事をつい昨日の事のように思い出せる。

 雰囲気でそれ察したのか、サナティオは泣きそうな笑みを浮かべた。

 

「だろうな。数日か、数か月か。長くても数年だろう。だが私は5000年だ。主は亡く、する事も無く。敵も、使命も、生き甲斐もない。あの時全てを失った。そんな中で無為に流れ続けるだけの日々を過ごせば、誰だって別人にもなろうよ……」

 

 そういうものなのだろうか。

 ヤトには一切共感するところがない。同情心すら湧かないから、話を聴くのも時間の無駄だったと切り捨てる。

 

「情けないな。貴様の泣き言など興味が無い。誰がそんな事情を話せと言った、もういい黙れ」

 

 認めたくないが一応コイツは勝者側なのだ。それが今や這い蹲って、羨望の目で敗者を見上げている。

 なんだそれは。呆れからいっそ腹立たしさまで沸き上がり、ヤトの語気も強くなっていく。

 

「貴様等がどう思うかなど知った事ではない。感傷に浸ろうが関係ない」

 

 縋るような声が鬱陶しい。理解して欲しいと言う態度が癇に障る。そして何よりも、お前だっていつか私と同じ空虚な存在に堕ちるだろうと言っている目が気に食わない。

 

「私は貴様とは違う。私はなにが有ろうと主のために動くだけだ。主が望むならば世界を闇に包み込もう。叶うなら狂気で満たして奉じよう」

 

 ヤトはサナティオの言葉を鼻で笑い飛ばす。

 

 かつて夜の神が望んだ事。

 ――私でも生きられる場所が欲しい。そんな嘆きのため、ヤトは今日も世界を冒して回る。

 

「止めたければ止めるがいい。それでも我等は止まらない」

 

 あるいは"聖女"を連れて来れば止まるかもしれんぞと苦笑いぎみに言葉を漏らす。だって最近の主はなんか機嫌良いし。

 お菓子が有って聖女が居れば、たぶんそれで満足だと思う。

 

「おい、時間」

 

 サナティオを小馬鹿にして、主の可愛いさを再認識していたら、佳宵が後ろ膝を蹴ってきた。ヤトは「はえ?」と驚き固まった。

 そう言えば変化の制限時間はまだまだ短いのだった。ついつい話し込んでしまったらしい。慌ててサナティオに勝負の内容を振り返らせる。

 

「貴様の役目はなんだ。弱音を漏らす前に思いだせ。お前は、お前の使命を果たせ」

「私の、使命……?」

 

 お前の役目は叙任式で聖女を祝福することだ。頑張れと一声かけて来ることだ。それだけでいい。簡単だろう?

 伝わったかなとサナティオの顔を覗き見る。しかし彼女はヤトの思いもよらぬ方向に決意を固め始めた。

 

「私の使命……そうだ、私の使命は主の教えを伝え広める事。闇を祓い、人を守護して導くこと。……ははっ、お前がそれを思い出させてくれるのか」

 

 そんな事は言っていない。

 

「不甲斐ない好敵手()を見て、お前は奮い立てと言ってくれるのか!」

 

 そんな事は言っていない。

 ヤトは何が何やら分からないと頭の中に疑問符を浮かべまくる。

 

「サナティオ……貴様はこの数千年で知能まで錆び付かせたか? 私の言葉のどこを聞けばそうなる。貴様はただ、叙任式に出て聖女を祝福してくればいいだけだ」

 

 ほらあそこ。あの塔ね。見える?

 ディアナっていう聖女を祝福するんだよ。分かった? ちゃんとできる?

 

「その程度ならば今の腐り果てた貴様でも出来るだろう。それとも、もっと言葉が必要か?」

 

 これ程言い聞かせて、まだ詳しい説明が欲しいとか言うなよ。そう聞けば彼女は「皆まで言うな、もう十分だ」と頷いた。

 

「闇たるお前が、なぜ私に人間への祝福を贈らせたいのか不思議だったが、そうか。そうだな、私だって意識の切り替えが必要だものな! もう平時の気分じゃいられないからな!」

 

 ……?

 

「ここからは大神戦争の第二幕! 世界を巻き込んで、人間すら巻き込んで、もう一度やると言うのだな!? 私にそれを止めてみせろと……もう一度あの時代の私を取り戻せと、お前はそう言いたいのだな!? いいだろう、貴様の宣戦布告を受け取ろうッ!」

 

 ああ、駄目だ理解できない。

 水を得た魚のように立ち上がるサナティオを前に、ヤトは頭を抱えたくなった。

 

 いっそ阿呆の子を諭す様に語り掛ける。いつもの形式ばった台詞を控えめにして、分かりやすいようにと素の口調でサナティオへ。

 

「ねえ。ティオ、頭大丈夫? 誰もそんな事は言――」

 

 ぽん、と軽快な音。

 ヤトの変化が時間切れになった。漆黒の甲冑は消え去り、夜人の姿に巻き戻る。

 

「!?」

 

 そしてヤトは聖堂の結界に焼かれて「あぁぁ……」と情けない声を出しながら消えて行った。

 

 

 

 

 佳宵がため息を吐く。

 

「馬鹿かよ」

 

 黙って2人の会話を聞いていたが、ヤトの意思疎通の下手さ足るや。どうして簡単な命令を下すだけで、あんな紆余曲折を経るのか佳宵には信じられなかった。

 

「アイツ、馬鹿かよ……」

 

 覇気を取り戻しつつある強敵を見て、面倒な事になりそうだなぁと二度目の嘆息。

 

「勘違いするなよサナティオ。初魄は不器用な奴だ、さっきの言葉にアイツの真意は殆ど入ってない」

「ああ、分かっている。随分不器用な言葉だったよ。おかげで私の目も覚めた」

 

「……そっかぁ、目が覚めちまったかぁ」

 

 嬉しそうにしているサナティオを見て、お前の目すげー曇ってるなと突っ込みたくなった。

 

 佳宵は今からでも軌道修正するべきか考え込む。

 何故か初魄が不器用な激励をした上、宣戦布告した事になってしまった。全部サナティオの勘違いとは言え、これでは第二次戦争の勃発は避けられない。

 

 佳宵にとって光との戦争は望むところ。だが、主にとってはどうだろう?

 

 今の主は常日頃から平穏を望んでいるような言葉を口にする。可能な限り他者を殺すな、争うなと言い聞かす。しかしその裏では拠点を構築したり攻撃能力の拡充を要求している。

 主が本気で和平の道を探しているのか、それとも見せ掛けだけで奇襲するつもりなのか。その真意を佳宵は読み切れない。

 

 ……でも今の主を見ていると、本気で和平を目指しているような気はする。なんか聖女(ディアナ)に惚れこんでるし。

 それならやはり戦争回避にサナティオの勘違いを解くべきか。佳宵はそう考えた。

 

(いや無駄か。どうしようと絶滅戦争は避けらんねぇわ)

 

 しかしすぐに思い直す。

 私達がそうであるように、光側も闇を蛇蝎の如く嫌っている。夜の眷属の復活が知られた以上、宣戦布告が有ろうが無かろうが殺し合いは避けられない――

 

(……それとも、上手くやればいけるか?)

 

 ――はずだった。

 

 ところが今のサナティオを見ていると、その雰囲気が薄まっていた。闇を祓いたくてしょうがない狂信者の相貌は鳴りをひそめ、悟りを開いたかのように穏やかだ。

 初魄から宣戦布告を受けたと興奮こそすれども、それだって怒りや恥辱というよりも、やる気で滾っているように見える。

 

「うしっ」

 

 何が何だか分からないが、行けるかもしれない。

 初魄の言葉によって、浮かれた乙女が如き表情――随分と、戦気溢れる乙女だが――となったサナティオを観察。やっぱ、行けるんじゃねと判断。

 

 主の本心が戦争回避だろうと、奇襲予定だろうと構わない。佳宵はどちらにも転べる一手をここで打つ。

 

「なあ」

 

 勘違いしているサナティオの勘違いを更に深めるべく、佳宵は爆弾発言を放り込んだ。

 

「気付いてるか? 初魄はお前に惚れているぞ」

 

 時が止まった。

 たっぷり時間を掛けてサナティオがこちらを見つめ、信じられないと驚いた。

 

「な、なんだと!!?」

 

 初魄が惚れている。惚れている。惚れている――!?

 脳内で言葉がリフレインしていそうな程の衝撃を受けたサナティオ。

 

 佳宵は自分で言っておきながら、一体私は何を言ってるんだと内心で呆れかえる。しかしそれはおくびにも出さず言葉をつづけた。

 

「確かに私達は復活したが、もう戦争を起こす気はない。さっきのは……お前がヘタレていたから初魄が言い過ぎただけだ。あー、ほらアイツ不器用だから。照れてんだ」

 

「なん、だと……!」

 

 サナティオがなんか嬉しそうに驚いた。

 

 宣戦布告という強い言葉を「照れ隠し」に置き換えて、佳宵は戦争回避のため可能な限りの嘘を吐き通す。

 

 惚れた事にして、サナティオが戦闘で手心を加えてくれれば御の字。初魄がいい感じにハニートラップを仕掛けて堕天させられれば完璧。そうでなくてもスパイに出来れば勝ちにぐっと近づく。

 

 もしも開戦せず、和睦が成るならそれもいい。

 昔から双方のトップが婚姻するという事は同盟の証なのだ。

 

 なぁに、どちらに転んだ所で佳宵は痛くも痒くもない。困るのは初魄だけだ。

 

「ほ、本当か……? 本当に初魄は私の事を好きだと言ったのか……?」

「ああ。言ったよ。私は相談まで受けた」

「へぇ~、アイツが。そうなのかぁ……へぇ~、ふふ」

 

 かつての戦争中にこんなこと言えば、冷笑された挙句、お断りされて御仕舞だ。げに恐ろしきは時の流れかな。彼女にはこの数千年で思う所が有ったらしい。

 なんとなく見えた光明に乗ってみようと適当に吹いた佳宵の嘘。それに思った以上に喰い付いたサナティオが嬉々と質問を繰り返す。

 

「では私に聖女を祝福しろいうのは……? なんのためだ?」

 

「争う気はないと言うが、この聖堂の破壊具合はちょっとやり過ぎではないか?」

 

「天使を殺したのは? 何か理由が有るんだろう? 本気でお前らに争うつもりが無く、初魄が、わ……私を好きだというならなッ!!」

 

 知らねぇよ。なにその気になってんだよ。

 天使を殺した理由なんて私が聞きてぇよ! 主に不敬働いたからぶち殺したんだよ! そもそも聖堂を破壊したのはお前の魔法だろ!

 

 怒涛の勢いで突き付けられる質問と、なんかノリノリになってきたサナティオ。初魄の尻拭いで働かされる佳宵がキレ気味になった。

 でもそんな事は言えないから、ガリガリと頭を掻いて懸命に言い訳を探す。

 

「天使を殺したのは……あー、初魄がお前を呼び出すのに使わせてもらった。アイツ不器用だから、素直に"好きな奴"に会いに行けねぇんだわ。ほら……不器用だから」

 

 キツイなこの言い訳。そう思ってサナティオの顔色を伺う。

 

「何という事だ!!」

 

 サナティオは感激したように驚いていた。

 

「まじかよ」

 

 通るのか、この理論。

 

 佳宵は呆れ返った。

 ああ、分かった。コイツも初魄の同類(馬鹿)だったか。いくら放っておけば再誕する下級天使とは言え、扱いが軽すぎるだろう。

 

「そんで聖女を祝福しろってのは、あー。人類の……まぁ、戦力の底上げ……かぁ?」

「ふむ? それはちょっとよく分からんな。何故、お前らが人類のための力を望む?」

 

「分かんねぇか?」

「……済まない。私は自分で言うのもなんだが、知略戦は得意じゃないんだ。分かりかねる」

 

 奇遇だな。私も分かんねぇわ。でもお前が馬鹿だって事はよく分かる。いま実感してる。

 

「そうだな、なんというか……そう、新たな潮流とでも言うか」

 

 そろそろ頭がオーバーヒートしそうだ。佳宵は勿体ぶるように言葉を濁して時間を稼ぐ。狐面を付けていたのは幸いだった。泳ぎまくってる目を見られずに済むのだから。

 復活してから掻き集めた知識を総動員。この世界の状勢を考慮して理由を探す。些細な事、重要な事、考えに考え抜いて――そして佳宵は天啓を得た。

 

「……黒燐教団だ」

 

 世界に根を張って悪事を働く黒燐教団。我が主を崇拝するという、人間にしてはそこそこ分かっている奴等。ならついでに生贄にしてしまえ。

 

「私等の主は平穏を望む。光との和解を望む。しかし教団が何時まで経っても悪事を働くから、闇の評判は悪いままだ。人間の瑕疵は人間が潰さなきゃならん。そのための聖女。分かるだろう? 初魄は早くお前と仲良くなりたいんだ」

 

「っそうか……そういう事だったのか!」

 

 どういう事だったのだろう。

 惚気ている馬鹿の心理を佳宵は理解できない。

 

「アイツの言葉の裏には、そんな思惑が隠れていたんだが……あ、初魄にはぜってー秘密な? バレたら私がぶっ殺される。お前は黙って告白されるのを待っててくれ」

 

「ああ。理解した。私は初魄の想いを完璧に理解した! 感謝するぞ佳宵!」

 

 サナティオのはにかむ様な笑顔を前に、佳宵は気にするなと首を振った。だって全部嘘だし。

 

「っと、そろそろ私も限界だ。じゃあ聖女の祝福は頼んだぞ? いいな、敵は教団。私達の敵は黒燐教団だ」

 

 それだけ言い残すと、ついに佳宵も時間切れとなって夜人の姿に戻ってしまう。

 疲れ切りつつも満足げな顔を浮かべて、聖堂の結界に焼かれて消えて行った。

 

 

 

 

 静かになった場に残されたのは、頬を赤らめつつ嬉しそうなサナティオだけ。

 

「……なんだ。アイツ等だって別人じゃないか。変わるものだな。お前も、私も」

 

 殺し合うほど大嫌いだったアイツへ向けて。心に灯った想いを馳せる。

 

 悲し気な主が残した最期の言葉――『闇が悪とは限らない』という言葉。サナティオはようやくその本当の意味を理解できた気がした。

 

 不器用に激励してくれた好敵手(初魄)と、その恋路を応援しようと裏で動く友人(佳宵)。初めて見る彼等の一面に、闇の事を冷徹で、冷酷にして、冷血なる存在としか見ていなかった昔の自分を恥じ入る。

 

 もしもアイツ等との出会いが違っていたのなら、もっと早く良き友人と成れたかもしれない。いや、これからだ。未来はここから始まるのだ。

 

「っ落ち着け、浮かれるな。まだそうと決まったわけじゃない」

 

 バチンと頬を一発。楽観視しそうになる自分に活を入れる。少しだけ昔の自分に戻った気がした。

 

 本当にアイツ等が争う気が無いなら、それはなんと喜ばしい事だろう。

 佳宵の言葉を全て信じきれる訳ではない。しかし、否定しきることもまた出来なかった。サナティオが初魄の激励で立ち直ったのは真実なのだ。

 

「……静観だな。決めつけるには、まだ早い」

 

 サナティオが選択したのは様子見。あちらから事変を拡大しないならば、一考の価値ありと見ていいだろう。もしも佳宵の言葉が本当ならば……我が主(エリシア)が託した未来が訪れる。

 

 ならば、まずは叙任式の祝福だ。

 輝かしい未来に向けて、サナティオは一歩を踏み出した。

 

「天界から武具を持て。倉庫の奥底に眠っているはずだ、ああ。"全崩壊"を免れた聖具だろうと例外は無い。暇してる天使も連れてこい」

 

 雲の上でオロオロとしている天使2人に声をかけつつ、サナティオは中央塔へと向かう。本来ならば祝福はあの天使たち――下級天使――の仕事だが、やるからには本気でやる。最高位天使の力を示してやろう。

 

 数千年ぶりに気合を入れ直したことで、サナティオの錆びついていた心に焔が宿る。全身から溢れんばかりの神気が噴き出した。

 今、歴史上初となる三使徒から祝福を受ける聖職者が生まれようとしていた。

 

「共通の敵は黒燐教団か。そうだな。試金石として共同作戦というのも悪くない。言うなれば『教団殲滅作戦』……そのまま過ぎるか? ふふ」

 

 そして、遠くない未来で黒燐教団の苦難が始まろうとしていた。

 

 




【未来予想図】

天使「黒燐教団ぶちころ」
夜人「黒燐教団ぶちころ」

黒燐教団「ちょっと待っておかしい」


【なお現在】

サナティオ「お前黒燐教団だろ」
ヨルン大人ver「はぇ?」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聖女という存在

「ああ、待って貰おうか。お前が黒燐教団という輩だろう?」

 

 黒燐教団と「サン」によって襲撃され、混迷と化した聖堂に現れたのは美しい女性騎士だった。

 白銀に輝く軽鎧と剣、研ぎ澄まされた気配は強者の風格を纏っている。だがそれ以上に目を引くのはその背中から生えた純白の翼たち。実に6枚。最高位天使の証明だ。

 

 天使から放たれる神気は目に見えるほど。彼女が足を踏み込むだけで、床にあった黒い泥は蒸発していく。跡に残るのは清浄なる場。

 

 意識の残っていた者達は無意識に息をのんだ。

 大聖堂が攻撃されるという一大事に救世主が降臨なされた。あり得ない奇蹟を目の当たりにして、無言で涙を流す聖職者も多い。

 神話でしか記されぬ武の極点、聖なる騎士(サナティオ)その者が姿を見せたのだから。人間であれば、その威光だけで平伏してしまう。

 

「……そう」

 

 ただ一人。サンを除いて。

 

「私は黒燐教団じゃない……と言ったら?」

 

 彼女は天使を試す様に、あるいは挑発する様に問いかけた。サナティオが鼻で笑う。

 

「貴様がただの一般人だとでも言うのか? なんとなしに叙任式を襲撃しただけの一般人。はたまた、闇の眷属だと? 初魄や佳宵、銀鉤の仲間だとでも?」

 

「どう思う?」

「冗談を。闇の眷属はありえんよ。貴様は人間だ。日の下に生まれた人間だ」

 

 天使を試す。いっそ不敬極まりない問答だ。聖職者としては容認できないのが普通だろう。怒りを覚えても不思議ではない。しかしディアナは、サナティオによる人間宣言を聞いて少しだけ安堵した。

 

 悪逆を尽くした実験の果てに生み出された存在(サン)であろうとも、神は人間として認めてくれる。それはサンの救いにもなり得るし、きっとヨルンの事も認めてくれるだろう。

 それは絶望に満ちた中で僅かな希望足りえる事。

 

「とはいえ、もはや人間とも呼べんようだがな」

 

 ――だと思っていた。

 しかし、加えて齎された情報がディアナを凍り付かせる。

 

「お前の体には幾つもの魂が混じっている。人間のモノ、醜悪な闇のモノ、果てには【神】の気配まで。3つだ。3つもの魂が複雑に絡み合っている」

 

 信じたくない内容。

 けれどサナティオという、全てを見通す千里眼の持ち主の言葉は疑う事すら許さない。

 

「三つの魂を持つ者、【神】にすら手が届きうる力。なるほど、アイツの言葉を借りるなら……貴様が黒燐教団の黒い太陽(サン)という奴か? ふふ、面白いじゃないか。人間にしてはジョークが効いている」

 

 何が面白いのか、サナティオは得意げに言い放つ。しかしディアナには全く笑えなかった。

 

 最高位天使がサンを知っていたのは驚きだが、今はどうでもいい。だが魂が三つ? それが絡み合っている? サンの体に闇が巣食っているというでも言うのか!

 

「そんなっ……!」

 

 そんなの内側からバケモノに犯されているのと変わらない。いいや体だけじゃない、精神や心まで貪られる。

 

 かつてムッシュから聞いた話の内容を思い出す。

 南都で暴動が起きた時、【純潔】はスラムの住民に闇を寄生させたという。それにより人間は自我を失い、操り人形となってしまった。

 その後で闇を祓っても後遺症は残る。

 多くの被害者が極端に暗闇を怯えるようになったり、物音すら怖がるようになった。重篤な者は物陰を見て独語を繰り返して暴れたり、紙に真っ黒い人型を延々描き続ける始末。そんな発狂者がまだ治療院に多数閉じ込められている。

 

 闇を体に受け入れるという事は、それほどの事。

 ならばより長い時間犯されているサンは、どれほどの苦痛を受けているのか。想像を絶するであろう凌辱を受けて、彼女に人間としての心が残っているのだろうか。

 

「サン……」

 

 いいや、あるはずだ。

 そうでなければ、あんなにも悲しそうな表情をする筈がない。多くの複製体を心配し、ヨルンの事を大事にする筈がない。

 

 言葉にならない衝撃のままにサンを見つめる。しかし彼女は、だからどうしたと言わんばかりに相変わらずの無感動だった。

 

「それで? 私が黒燐教団だったらどうするつもり?」

「無論、滅するまでの事!」

 

 サナティオが腰から剣を抜き放つ。躊躇は無い。次の瞬間にはサンに向かって振り下ろしていた。

 

「――待って!」

 

 ディアナが慌てて制止するが、その声は掻き消された。

 音を超える一閃に対してサンは無詠唱の魔法で対抗。周囲に幾つもの魔法陣が浮き上がって黒い光を放つ。

 

「ッ!」

「やるじゃないか黒い太陽(サン)!」

 

「それは、どういう意味で……っ!?」

 

 たった一度の交差で分かる、圧倒的実力差。サンの魔法はサナティオの剣を防ぐには叶わない。易々と防備を打ち破って、切っ先が差し迫る。

 

 しかし一瞬の時間なら稼げていた。

 僅かに作った隙にサンは活路を見出す。命を刈り取って余りある威力の一撃を前に、一歩踏み込んだ。天使の剣が滑るように宙を斬る。

 

「前に出るか! その意気や良しッ! が――」

 

 密着するほどの距離。サンが天使の腕を掴んで捻り上げようとする。動かない。サナティオは期待外れと冷めた瞳を浮かべた。

 

「力が足りん!」

「――かは!」

 

 脚撃により大きく吹き飛ばされる。サンは何度も転がって壁に突っ込こむと動きを止めた。

 

「弱い。所詮、こんなものか」

 

 勝てるはずがないのだ。

 相手は神話の最高戦力。対してサンは、人によって生み出された存在でしかない。

 いかに神の器を目指して造られた被験体であろうとも、相手は神その者。勝敗など初めから分かり切っている。

 

「ふん。戦いの途中でどこへ行くつもりだ? 窓が気になるか?」

「……っ」

 

 逃走を選択したのだろう。

 サンが目を彷徨わせて、聖堂のステンドガラスに注目すると、サナティオはそれを窘めた。

 

「逃げるか。彼我の戦力差を理解するだけの知能は残っているか。だが、無意味。お前はここで死ね」

 

 余裕を見せつけるようにゆっくりと。壁にもたれ掛るサンへと天使が迫る。

 追い詰められたサンは変わらずの無表情。しかしその中に怯えが混じっているのは、ディアナの気のせいか。

 

 天使が剣を持ち上げる。ディアナとサンの目が合った。

 彼女が助けを求めているように感じてしまったのは、ディアナの気のせいか。

 

「待ってください!!」

 

 ――いいや気のせいのはずがない!

 ディアナはサンを庇うように飛び出した。剣を振らせまいとサンに抱き着いて、その身を盾に彼女を庇う。

 

「エクリプス司教!?」

「一体なにを!?」

 

 見守っていた聖職者達から驚愕の声が上がった。サナティオも何事かと見つめてくる。

 

「サナティオ様! 落ち着いてください! 貴方は勘違いされている!」

 

 許可なき進言は無礼の証。きっとこれは神への反逆だ。どんな理由が有ろうとも、神の歩みを邪魔して良いはずがない。

 だけど、止まれる訳がない。

 

「彼女だって被害者なのです! だからどうか殺さずに、彼女にも救いの手を!」

 

 後悔はしたくない。もう二度と、助けられなかった結末なんて見たくない。ヨルンも、この子も守りたい。喉が枯れるほどに叫びをあげる。

 

「切り捨てるばかりで、悲劇に囚われた子供一人助けられずしてなにが神か! 神なら助けられるはずだ! 事情も知らない勝手な救いなんか欲しくない!」

 

 叩き付けるように叫ぶ。

 最高位天使相手にこの所業。もう司教の地位も、聖職者としての立場も終わりだろう。でも、今動かなければサンが殺されてしまう。

 ディアナには見ているだけなんて選択はできなかった。

 

「天にまします我らの母よ。ねがわくは、どうか……どうか我らの罪をも赦したまえ」

 

 天使の目が怖い。気配が怖い。種としての本能が邪魔をする。上位者を前に平伏せと責め立てる。しかし、ディアナは震える体を押さえつけて気丈に声を上げた。

 

「……いい度胸だ」

 

 天使がゆっくりと歩み寄る。ディアナは目を瞑って、沙汰を待つ。

 

 神に抗った者の末路など決まっている。きっと2人諸共消されてお終いだ。

 ヨルンの事は……ムッシュに託すしかないだろう。残してしまう彼女には心で謝罪する。でも、この子だって見捨てられなかった。

 救いたい者ばかりで結局、誰一人救えない。それがどうしようもなく悔しくて、申し訳なくて。ディアナは静かに涙をためる。

 

 人間の感傷なんか神の前では無価値だろう。振り下ろされるであろう剣を予想して、精一杯サンを抱きしめる。せめて最期ぐらいは寂しくないようにと。

 そう思っていた。

 

「ぇ?」

 

 ならばこれは何なのか。

 

「……頑張ったな」

「サナティオ、様?」

 

 振り下ろされたものは断罪じゃなかった。

 神の掌によって、ディアナの頭が柔らかく撫でられる。落ち着かせるようにと何度も繰り返し撫でられる。

 

「私は向けられた信仰なら読めてしまう。強い想いならその意志まで……お前は、よく頑張った」

 

 恐る恐る目を開くと、微笑まし気なサナティオが居た。先ほどまで見せていた鋭い気配を霧散させ、太陽の様に暖かい温もりを感じさせる。

 積み重なった不幸への願いはついに神へと届く。ディアナの事情、サンの正体。全てを見通したと神は言う。

 

「サナティオ様……」

 

 これまでの戦いは決して無駄じゃなかった。

 何度も挫けそうになった。それでも頑張って立ち上がってきた。それを神は褒めてくれる。ディアナの意志を受け入れ、サンも赦すと神は言ってくれる。

 

 ディアナは気付かぬうちに、感極まって涙をこぼしていた。

 私の信仰は間違っていなかった。やはり神は偉大な御方だった。そう思うと先ほどまでの無礼が途端に恥ずかしくなってくる。

 

「だが、すまない。一歩遅かった。【神の器】は完成していたようだ」

「……ぇ?」

 

 しかし、悲劇は神をもっても救えない。

 サナティオが悔しそうに指し示す先には、苦し気に自分の胸を掻き抱くサンが居た。まるで何かを押さえつけるように耐えている。

 

「ど、どうしたんですか!? 何があったの!?」

「戦いが切っ掛けになったか。器から漏れ出す闇の気配が強まってきた。出てくるぞ【夜の神】だ」

 

「器って……それは、ヨルちゃんの……まさか!」

 

 最初はきっとヨルンが神の器だった。しかし、ディアナの手によって奪われた。複製体を作ってみたがそれも無駄。全てディアナ達で埋葬した。

 ならば教団が次にする事は?

 

 ――サンを【夜の神】の器として使う事だ。

 

「そんな、私の所為で……!?」

 

 誰かを助ければ、代わりに誰かが犠牲になっていく。それはなんと救われない円環か。

 サンという器を突き破るように、徐々に内側から顔を覗かせる邪悪な魔力。今まで感じた事もない深い闇が辺りに満ちていく。

 

「もはや殺すしか止められん。完全に表に出れば大変な事になる。……いいな」

「そんな!」

 

 サナティオも辛そうな声色だった。しかし、その決意は固いらしい。剣を再び掲げるとサンへを突き付けた。

 

 どうすればいい。どうすれば、サンを助けられる?

 ディアナは今にも斬りかかりそうな天使を押しとどめて、自分の腕の中で小さくなって震えるサンを抱き留める。苦しそうな吐息が繰り返される。

 

「無駄だ。ただの人間が鎮められる訳がない。【夜の神】の気性もそうだ。怒っているぞ、器を傷つけられたと憤慨している」

 

 夜の魔力は現世を冒す。世界が悲鳴を上げるように軋みを上げた。

 

「っ早くしろ! そいつは諦めろ! もう誰にも助けられん!」

 

 もう駄目だと、そこを退けとサナティオが急かす。世界を取るか、それとも全員で死ぬ気かと決断を迫る。

 そんな事を言われたって退けるはずがない。一縷の望みをかけて、ディアナはそっとサンを抱きしめた。

 

「大丈夫……大丈夫だから。心配しないで、これからは私が守るから。絶対助ける。だから……落ち着いて、サンちゃん」

 

 微かに彼女の声がした。

 

「もう、何度も助けられている。重吾も、私も……」

「え?」

 

 愛おしむような言葉。

 だけどサンがそんな事を言うだろうか? 聞き間違いかとディアナは目を瞬かせる。

 

「馬鹿なッ!?」

 

 サナティオが信じられないと声を上げた。それもその筈。世界を破壊せしめんと噴き上げていた夜の魔力が、浄化されるように消えていくのだから。

 黒く、濁っていた空気はディアナを中心として澄んでいく。そして聖堂に再び静寂が戻った頃。サンは穏やかな表情で眠りに付いていた。

 

「……なるほど。"聖女"か」

 

 サナティオが納得したように呟く。

 もう彼女にサンを害する気はなさそうだ。世界を壊すという【夜の神】の気配も消えている。

 

「よかった……っ」

 

 ディアナは安堵すると、自分の体力が極限まで低下している事に気が付いた。

 瞼を開けている事すら億劫で、気を抜けば意識を失ってしまいそうになる。ふらつく体をサナティオが支えてくれた。

 

「今は眠れ。心配するな、後は私が何とかしよう」

「はい……お願いします、サナティオ様」

 

「ああ承った。聖女ディアナよ」

 

 暖かい陽だまりの中で揺蕩うような心地。ディアナは偉大な神に護られて、久しぶりにリラックスして眠り付くことができた。

 へたり込んで、動けない聖職者たちは信じられないとディアナの事を見つめ続けていた。

 

 

 

 

 私が目覚めた時、既にサンの姿は無かった。

 申し訳なさそうなヨルンと、「第一蒼天の降臨だ、いいや【聖女】の誕生だ」と大混乱する職員たちがいるだけ。

 

 聞けば、サナティオが目を離した隙をついてサンは逃げおおせたらしい。監視を任されていた聖職者が懺悔する様に言っていた。

 彼女からまだまだ事情を聞きたかったから残念だが、逃げたものは仕方ない。次に会った時は問い詰めてやろうと決意を燃やす。

 

 最後の言葉の意味は? なんとか貴方を救い出すことはできないのか? 

 言いたい事は山ほどある。でも今は、なんとか無事だったヨルンの事を抱きしめる。彼女は悲痛な表情だった。

 

「ごめんなさい、私のせいで……聖女さんの大事な式が……」

 

 繰り返し謝るその姿に心を痛める。大丈夫だと言い聞かせるが、彼女は納得してくれない。どうにも彼女は教団関係の事件を全部、自分の所為だと思い込む節が有る。

 

 サナティオが私と同調する様に慰めてくれたが……どうやらヨルンは天使の事が苦手らしい。サナティオに近づかれると固まって、距離を取り始める。

 ジリジリと後退するヨルンの姿は、野生の小動物のようで微笑ましかった。

 

 教団の襲撃は大規模だったが、犠牲らしい犠牲は無い。

 唯一あるとすれば、最近ヨルンが飼い始めたフェレットの姿が消えていた事か。きっと建物の崩壊に巻き込まれてしまったのだろう。

 一緒にあちこち探して、それでも見つからなかった時は、悲し気なヨルンを慰めるのは大変だったと言っておく。

 

 色々な事があった。そしてこれからも大変だろう。

 第一蒼天の降臨、「聖女」発言。私を取り巻く環境はまだまだ波乱に満ちていそうだ。だけど、今だけはヨルンの無事を祝っておくとしよう。

 

 こうして、長かった南都の一日目、激動の叙任式はようやく終わりを告げたのだった。

 

 




~ヨルン内心でのやり取り~

夜の神「退いて重吾。そいつ殺せない」
ヨルン「だめだめだめっ! 天使さん殺さないで! もうこれ以上、滅茶苦茶にしないでぇ!」
夜の神「うるさい殺す! 天使殺す!」

聖女「落ち着いて」

夜の神「はい」
ヨルン「はい」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 一方その頃

一章の終わりから、いつ出すか悩んでいた聖教上層部の状況です。
主人公不在で無駄に長い。ごめんね

新しい登場人物ばかりですが、ぶっちゃけあんまり覚えなくても……どうせまたしばらくでないし。


 

 エリシア聖教国。

 アルマロス王国より西方に存在する国家にして、エリシア聖教の総本山たる伝統の国。

 絹織物を中心とする軽工業と観光業を主産業とする小国であるが、信徒からの寄付が国庫の数倍の収入となる宗教指導国家でもある。

 

 隣国である王国や帝国が周辺国家の併合と解体を繰り返して列強へ成長したのに対して、エリシア聖教国の国土面積はさほど大きくない。

 馬車を使えば数日で横断できてしまう程度の広さしかなく、建国から数千年経つ今も当時の国境とさほど変わっていないという。理由は人間同士の争いを利敵行為と忌み嫌っており、不可侵、永世中立を宣言しているから。

 

 各国が軍拡競争を繰り広げる中でもエリシア聖教国は一切の軍隊を持たなかった。

 常に多国間の仲介を任され、和平交渉の纏め役となることも多い。故に聖教国こそが世界で唯一の平和国家であり、正当な人類の指導者である……という事になっている。

 しかしその裏で「エリシア聖教会」が世界中に根を張っており、支援者、戦力共に他国の軍隊を凌駕するときたものだ。聖教国こそ世界に多大な影響力を持つ最大国家というのが実態。

 

 そんな聖教国の首都、聖都エリサモルの中心に聳え立つ絢爛豪華な大聖堂。天に程近い最上階の一室で5人の枢機卿達が会合を開いていた。

 

 

「それでは先日あった日蝕については結局、詳細不明と?」

 

 天窓から光が明るく差し込む部屋で一番上座に位置する男が苦々しく眉をひそめる。

 

「後手に回り続けておるな。懸念事項が多すぎて、もはや何から手を付けてよい物か……」

 

 男の名はガリレオ・ガブリズモ。

 司教枢機卿という、教皇を除く教会最高位に就く老年男性だ。

 

 普段は優し気な表情を浮かべている男だったが、この日ばかりはため息を堪える様に眉間をほぐす姿がよく見られた。綺麗に剃り上げた――決して禿げている訳では無い――頭の輝きがいつもより少ない。

 

「各都市の司教から報告が上がっておりますが、怪しい報告は多くありません。日蝕からこれという事件が起きた場所もさほど。ただ気になるのは、各国どの都市からも【皆既日蝕】が見られた事」

 

「はぁ……ありえん話だ」

 

 日蝕とは太陽を隠す様に月の軌道が合わさることで生じる現象の一種――無論、太陽の破邪が薄れて魔物の増殖は生じるが――でしかない。

 丸い星と衛星の関係上、世界の一部で皆既日食が起きれば、それより広い範囲で部分日食が見えるはずなのだ。しかし実際に起きたのは、世界一律の皆既日食。これが物理現象で起きた筈がない。

 

「……最悪を想定するべきでしょう」

 

 会議に参加した一員。

 メガネの似合う男、ホルテル・ヤリヤ枢機卿が重々しく述べる。

 

「最悪とは?」

「黒燐教団の狼煙といったところでしょう。世界に対する宣戦布告。まさか【夜の神】や"闇の三使徒"の顕現とは言いませんがね」

「光の使徒様は降臨なされたが……闇の使徒の出現は無いと言えるかね?」

「はい。その可能性は低いでしょう。なにせ、それであれば被害が無さ過ぎる」

 

 初魄を筆頭に銀鉤、佳宵と続く【夜の神】に組する神々は有名だ。

 悪逆にして、暴虐であり、大逆。彼等が関わった事件だけで、聖書に載る悲劇の9割を語れるだろう。それが全て【夜の神】の意志だというのだから、邪神の悍ましさには恐れ入る。

 

 三柱の存在は有名だ。それは間違いないが、神名まで知っている者は限られた。

 

 悪神の存在は、名を知るだけで禁忌に触れる。

 長き歴史により神名の載った全てが焚書され、今では彼等は「闇の三使徒」あるいは使徒としか呼ばれない。彼等の名前は現教皇と補佐役であるガリレオだけが知っている。

 ガリレオはそれが恐ろしく、ホルテルの口から闇の使徒の話題が出ただけで身を震わせた。

 

(ああ……思い出すだけで背筋が凍る。先代から闇の使徒の名を教えられた時のこと……その結末)

 

 若かった頃の自分が教会のトップに昇りつめたと浮かれていた日の事。先代の補佐役に神妙な表情で呼び出され、2人きりの空間で告げられた。

 目を瞑れば蘇る。

 忌むべき神名を知った瞬間に感じた、闇が覆いかぶさって来るような悪寒。誰かに覗き込まれているかのような気配。いや――あの時、ガリレオは確かに視られていた。

 

 神名という(しるべ)(くさび)に、神は名前を呼んだ者に眼を向けた。

 

 悪神達はガリレオに対して何をする訳でもなかったが、いつでも握りつぶせる生物(ガリレオ)を手のひらの上に乗せるように観察していた。

 呼吸するのも難渋する、眠ることもできない時間。生きた心地がしない状態は三日三晩続き、ある時を境にパタンと途切れて終わった。

 

 直接的な被害は無かった。だがガリレオには確信が有る。

 自分が次に禁忌の名を呼んだ時。必ずや何かが起きるだろう。そう……己に初魄の名を教えてくれた先代が怪死したのと同様に。

 

(名を呼ぶだけでアレだ……もしも顕現して居れば、そこは地獄になっているか)

 

 なるほど闇の使徒の神名を焚書した先人は間違っていない。【夜の神】の名前を全ての記録から消し去ったのも正しい判断だ。

 禁忌とは、災いを齎すから禁じられるのだ。

 

 考えれば考える程、闇の使徒等が顕現していないという推測には納得するしかなかった。ホルテルの説を支持するが異論はあるかと周囲に確認する。特に反論は無く受け入れられた。

 

「じゃあ宣戦布告? ふーん、それは困ったね。なんか【夜の神】の依代も作ったらしいし……? 降臨しかけたらしいし?」

 

 困ったという言葉とは裏腹に、まるで感情を感じさせない声で答えたのはインセット枢機卿だ。

 

 まだ十代と言っても通用するような顔つきと低い身長は少年と見間違うほど。

 明るい緑色の頭髪は、手入れされていない寝ぐせだらけの乱れ髪。最高階級を表す緋色の枢機卿服まで皺や折り目だらけだった。

 身なりだけで「自分は日常生活能力が有りません」と自己紹介しているような姿に一人の枢機卿が嘆息する。

 

「困ったのは貴方ですインセット卿。寝ぐせは整えなさい。服はしっかり綺麗にしていなさい。ほら、下着まで見えてますよ」

 

 子供を叱る様に声を上げたのは、ヘレシィ・エスカ・エクリプス枢機卿。

 目尻の下がった表情が優し気な中年女性という雰囲気を感じさせる。編み込んで束ねた茶髪を肩から前に流している、会議室唯一の女性聖職者だった。

 彼女は不満そうにきゅっと眉間を結んで、インセットの服を正す様に引っ張った。彼は嫌そうに振り払う。

 

「母さんみたいなのは止めてよ」

「私は貴方のお母さんじゃありません」

「そんなの知ってるよ」

 

 親子のようなやり取りをみて議長たるガリレオが大きくため息を吐いた。

 

「よい。エクリプス卿、よいのだ。儂はもうあきらめた……インセットは自由にするが良い」

「ほらみなよ。僕は認められているんだ!」

「なんで勝ち誇ってるんです? 貴方がだらしないのは変わりませんよ?」

 

 ガヤガヤと規律の乱れ始めた会議室でパンと大きな破裂音が一回響いた。

 

「……よろしいか?」

 

 静かになって注目を浴びたのは会議に参加している最後の一人、シュラハト・アサシネイション枢機卿だった。彼は騒がしい会議に我慢できず大きく手を鳴らしていた。

 

「今日はふざけに来たのか? それとも子供の教育か? それならば私は帰らせていただく」

 

 髪を後ろに撫で付けるオールバックで固めた金髪。彫の深い顔つき、鋭い眼光で部屋を見廻すと空気を一気に張り詰めさせた。

 

「すまんなぁ、シュラハト卿。儂がもう少し威厳あれば良いのだが、助かったよ」

「……いえ」

「ちょっと、さらっと僕の事を子ども扱いしないでよ」

 

 好好爺然としたガリレオを静かに見つめた後、シュラハトは瞼を閉じた。腕を組んで再び聞き役に戻る。その姿を見て、インセットがぼそぼそと隣のホルテルに呟やいた。

 

「……相変わらず協調性の無い人だね。雰囲気が悪くなって困るよ」

「私はインセット卿が悪いと思いますよ?」

「全くです。全くです」

 

 枢機卿。それは聖都から各国に派遣され、その国におけるエリシア聖教の指導者となる者である。なお、ガリレオは教皇の補佐役なので、その役割は担わない。

 

 つまりガリレオを除く4人の枢機卿が列強――周辺国家に多大な影響を及ぼす大国――すなわちアルマロス王国、オールター帝国、東方オラクル連邦、そしてグレートランド浮遊国の信徒を纏め上げる聖教きっての指導者となる。

 当然、その実力は折り紙付きで優秀なんて言葉では収まらないほどに秀でた人材であった。

 

(……いやインセット卿。儂は卿だけいまだに信用できんよ、貴卿は本当に優秀なのか?)

 

 頭痛を抑える様にガリレオが頭を抱えた。

 視線の先は、つまらなそうに顎肘をつく子供の姿。何故か服が更にはだけていた。部屋が熱いのか、服の襟を引っ張ってぱたぱたと扇いでいるせいに違いない。

 

「なんだい? 僕の顔になにか?」

「いや……別に」

「そっ。ところで何かつまむの無いの? 口さみしいんだけど」

 

 子供だ。この中に一人、子供がいる。

 常々思っている悩みの種にガリレオ枢機卿は再び眉間をほぐした。

 

 誰だコイツを枢機卿に推薦した馬鹿は。ああ……先代の教皇猊下だ。ガリレオは頭を抱えた。

 話が進まない会議にシュラハトがまた嫌そうに尋ねる。

 

「……帰っていいか?」

 

「いや済まないな。話を戻す。それでは日蝕が起きた以外に異常事態は何処にも無いと? ああ、聖女様および使徒様周辺の件は後程、議題に上げるので今はよいとする」

 

「アルマロス王国ないですね」

「オールター帝国異常なしかな」

「グレートランド浮遊国ありません」

 

「東方オラクル連邦、同様に問題無し。強いていえば王国に対する戦争機運が高まっているが……私は俗事に関与せん」

 

 オラクル連邦を担当するシュラハトの発言に、王国担当のエクリプス枢機卿が「またか」と困ったように溜息をついた。

 

「今度はどんな開戦事由ですか? まさか、東方諸国さんはあの日蝕を王国が起こしたものと言うつもりですか?」

 

「確信は無いが……先日、貴様の娘が大活躍したそうじゃないか。その件で東方諸国は、王国が闇に関わる重大な何かを手にしたと見ている。しかし開示請求には梨の礫。そこで、王国が教団を庇っているのではないかと疑心を抱いている」

 

「……黒燐教団ですか。結局【純潔】には逃げられたし、【勤勉】も消息不明。そこに聖女と使徒様が現れたと言われたって何が何やら。事態が急すぎて、王国側だって何も分からずに混乱中。言いがかりですよ」

 

 エクリプス枢機卿の娘が大活躍と言われて、ガリレオは少し前に王国の小さな村で連続した事件を思い出す。

 

 始まりは【純潔】と名乗る自称教団幹部がイナル村を襲撃、それをエクリプス枢機卿の養女――ディアナ司祭が捕縛した事。

 当初、ディアナ司祭からの事件報告書では【純潔】の()()()()()()()()()()()()という。

 さらに容疑者の男も聖都までの移送中にまんまと逃げおおせたと言うのだから、結局何もわからない事件となった。

 

「ディアナ司祭を担ぎ上げるために作られた事件……だと思ったんですがね」

 

 メガネを押し上げながらホルテルは疑わし気にエクリプス枢機卿を見つめた。それをエクリプス枢機卿は優し気な笑みで受け入れる。

 

 滅んだはずの黒燐教団が関わったという、この小さな事件。被害は皆無で容疑者逃走、動機不明ということで事件の証拠が一切見つからなかった。そもそも本当に起きた事件なのかすら不明瞭。

 

 なぜ前兆も無く教団が現れる? 騎士団がむざむざ容疑者を取り逃がすことなどありえるのか? エクリプス枢機卿が娘の功績作りのために、騎士団と協力してでっち上げた架空の事件なんじゃないか? 

 最初はそんな声が各国や聖教内部に根強くあった。

 

 なにせ、ディアナ司祭は「怪しい闇の人物を見た」と王国軍と聖教会に援軍要請しておきながら、結局援軍を待たず一人で事件を解決してしまっている。

 後から見れば、援軍要請の手続きも不自然に遅延されている場所が有った。

 いくら王国軍が東方諸国と係争中だと言っても教団の名を出して援軍無しはあり得ない。疑って見れば、誰かが援軍を送らせないように工作したかのような……。

 

 そうしてまごついている内にディアナ司祭が単独で事件を解決。

 結果的に不甲斐ない援軍と頼りになるディアナ司祭という対比構造が演出された。エクリプス家にとって美味しすぎる展開。

 周囲の目は黒燐教団の復活よりも【純潔】事件の信憑性を疑うものが大きかった。かくいうガリレオ枢機卿も、娘のための功績作りがあからさま過ぎないかとエクリプス枢機卿を疑った一人であった。

 

 しかし疑惑は、周期を無視した日蝕という大事件を前に立ち消えた。むしろ事態はそこから急展開を迎える。

 

 南都でのスラム扇動、【勤勉】によるイナル村再襲撃、教団支部の発見、黒き森の顕現。そして今回の使徒降臨ときたものだ。

 もはや一連の事件がディアナ司祭を持ち上げるための工作と疑う者は居ない。

 まるでディアナを渦中として事件が巻き起こっているようにすら見えてくるが、それも第一蒼天からの【聖女】発言で納得できる。

 

 彼女こそ世界の運命を握る人物だったのだ。闇か光か。変わりゆく時代の節目に現れた真なる聖女。教団から狙われるのは必然だ。

 問題は聖教会すら把握していなかった【聖女】の存在を、何故教団が知っていたのかなのだが……。

 

「エクリプス卿はディアナ司教……失礼、大司教であったか。彼女から教団について個人的に何か聞いてはおらぬか?

 サナティオ様の事については? あと【被験体3番】および【被験体15番】という報告も上がっておるが」

 

「いえ……娘とは数か月に一度文通をする程度の交流ですから。まだその件については何も聞いておりませんよ」

「数か月? 凄いね、冷え込んだ母娘関係。それだと娘から嫌われない?」

 

「……嫌われてるのは今更ですよ。あと貴方は喋らないように。話がズレます」

「ふーん」

 

 喋るなと言われたインセットが拗ねるように果実水に口を付けた。ストローからぶくぶくと空気を送り込んで遊んでいる様子はまさにクソガキ。

 ガリレオは「もう突っ込まんぞ」と目を逸らして、ディアナと交流が深かったもう一人の人物に目を向ける。

 

「ホルテル卿は何か知っているかね?」

 

 ホルテル枢機卿。

 彼は司祭時代に勤めていた孤児院で幼少期のディアナと深く関わっていた。ディアナを聖職者の道へ導いた恩師でもあるとも聞いている。

 

「いえいえ。私も随分前にアルマロス王国から出ましたし、彼女とは縁が薄くなった身。エクリプス枢機卿と同様に稀な文通程度ですね」

「……はぁ~。何もわからんか。もう儂自ら南都アルマージュへ出向きたいくらいだの」

 

 何も得られぬ情報に、ガリレオは困った困ったと腕を組んだ。

 

 この世界では一般的に馬車が主要交通であり情報流通が遅い。高位魔法を用いた転移技法もあるが、それを使える人間は限られる。

 南都で転移を可能とする人員は僅か数人。魔力回復と転移距離を考えれば、聖都まで届いている生の情報は少なすぎるのが現状だ。

 

 聖教会の情報部を動員する手も候補として挙げられたが、それは早計に過ぎる。

 【第一蒼天】の降臨されし南都アルマージュは今現在、世界で一番安全な場所となった。かの神の為す事にも疑いはなく、南都は南都に任せておけば間違い無い。

 それなのに「早く情報が欲しい」と悪戯に戦力比を動かせば、他にしわ寄せが生まれてしまう。

 

 情報の空白地は急所となり得る要所と化す。神出鬼没な教団との戦線はこの世界全土だ。攻めるは容易く、守るは渋難。

 黒燐教団を軽視できないからこそ、聖教会は迂闊に動けない状況にあった。

 

(どうするか……判断を下せるだけの情報が少なすぎる。これならいっそ、事件がただのエクリプス卿による娘の功績作りで有ればどれだけ良かったか)

 

 エクリプス枢機卿はディアナと義理とはいえ母娘関係だから何か情報を掴んでいても不思議ではない。しかし彼女は終始ニコニコと穏やかな笑顔を浮かべるばかりで要領を得ない。

 ホルテル卿もディアナとは関りが薄くなっていて情報を期待できない。インセットとシュラハトはそもそも関りが無い。

 

 ガリレオは机を指で叩き、悩んだ末に結論を出した。

 

「やはり、南都アルマージュに誰かが直接出向いて調べるしかあるまい。サナティオ様のご意志も確認せねばならぬ。歓待も必要だ。場合によっては教皇猊下が出向く必要もあろう。順当に考えれば、まず王国担当のエクリプス卿に対応を任せ――」

 

 決断を下す直前。

 言葉を遮るように、ホルテル枢機卿が口を挟んだ。

 

「いえ、【聖女】様と近しいエクリプス卿が歓迎に出向いては客観性が疑われましょう。この一大事、可能な限り隙は作らぬように、まずは別の者に任せる方が良いかと」

 

「ホルテル卿。それは私が自分に有利となるように、恣意的な対応をするということですか? 私が聖教を……いえ、我が神に背くと言いたいのですか!?」

 

 責める声にホルテルは首を振って応える。

 

「そうは言っていません。ですが疑って足を引っ張る者が出る可能性も有りましょう。残念ですが今の聖教内部には、金と権力に固執する背信者がいるのもまた事実。彼等は裏で悪事に手を染め、隠れ潜んでいる。貴方も知っているでしょう? エクリプス枢機卿」

 

「……虚偽、隠蔽、誤魔化しどれも悪事です。聖職者は常に神に背を向けぬように生きている。故に私達は神のために動くのです。そこに貴方が心配するような事は何もありません」

 

「そうであれば良いのでしょうがね」

 

 エクリプス枢機卿は非常に清廉な人物であるとガリレオは思っている。

 その心意気はこの場の誰もが認めるところだし、いまの言葉だって聖職者として正しすぎるもの。だが、それだけで回るほど(まつりごと)は優しくない。

 

 シュラハトが誰に聞かせる訳でもなく、独り言をつぶやいた。

 

「救世派のトップは大変そうだな。部下たちが純真すぎて、仲間を疑う事すら許されんか」

「でも調和派よりいいんじゃない? ホルテルの方なんて部下が真っ黒すぎるよ。なんでまだ聖職者やってられるのかって話」

 

 賄賂だ、祈祷料だ、挙句の果てには免罪符。そんな話題が出るのはいつだって調和派から。聖教会を金儲けの組織とでも思っているのか欲に目がくらんだ人間が増えすぎてしまった。

 俗物共を暴走しないように「調和派」として纏め上げてくれているのがホルテル卿なのだが、最近は心労の所為か彼まで口が悪くなってしまった。今の様に疑心暗鬼に近い状態は見ていて可哀想になってくる。

 

 どうしたものかとガリレオも苦慮していると扉が強めにノックされた。

 入室許可を出すと、護衛神官が申し訳なさそうな顔でやってくる。ガリレオは嫌な予感を覚えた。

 

「何かね。今は会議中だ」

「はい。申し訳ありません、しかし聖女様より緊急のお話と」

 

「……どちらだね。どちらの聖女が話があると?」

「その、聖女ラクシュミの方です」

 

「…………そうか」

 

 聖女ラクシュミ。枢機卿団と共に教皇を支える「聖女」の役職に就いた若き女性。

 聖魔法の技術は十分、家柄だって悪くない。性格が少しばかり困ったものであるものの、性悪と言える程ではない。だがなによりも魔力量が最高峰。

 

 まだまだ立場に対する熟慮が足りないが、それは後からついてくる。15歳まで成長を続ける魔力量を鑑みれば、彼女は稀有な人材であり将来に期待大。

 自分の能力に自覚と責任を持ってもらうため、早目に「聖女」に就いて貰ったのだが……。

 

 新たに登場した【聖女】が気になるのだろう。それも自分と違って第一蒼天から直々に祝福された、役職ではない本当の聖女。

 ラクシュミは自分の今後が不安なのだ。その気持ちは分かる。緊急事態が落ち着けば、聖女交代論が湧きあがるのも容易に想像がつく。

 

 だけど、今はこれ以上問題を持ってこないでくれ。

 

 ガリレオは痛くなってきた胃を抑えながら、机へと突っ伏した。

 会議は踊るばかりでまだまだ決まりそうにない。

 

 

 

 

 

 

 淀んだ黒き海。光も射さぬ異空間に浮かぶ月宮殿の中で【慈善】は困ったように腕を組んでいた。ジッと誰も座らぬ水晶の玉座を見つめていたが、待ち望んだ人物が現れた事に気付いて振り返る。

 

「来たかい【純潔】。すまないね忙しい所」

「ええ、ええ。全くですよ。アナタもしかして私を便利屋か何かだと思っていらっしゃる? 困りますねぇ、丁度熱中していたところだったのに」

 

「便利屋だとは思ってないけど、君は大切な同士だと思っているよ。心から【夜の神】を信奉する数少ない同士だ。ちなみに、何の研究に熱中していたか聞いてもいいかい? お詫びと言う訳では無いが、手伝えることは協力しよう」

 

 【純潔】が熱中する内容は多い。歴史解読、呪詛研究、薬学探求、疫病解析。そのどれもが他の追随を許さぬ程に造詣が深い。

 しかし彼は自分の研究を自分だけのものと考える偏屈染みた研究者肌も持ち合わせているため、無料ではその恩恵を教団に享受させてくれない。

 交換条件。あるいは技術交流という過程を経て、ようやく彼は手の内を明かすのだ。

 

 【慈善】は興味半分、打算半分で熱中している内容を尋ねてみた。これで明かしてくれれば幸運だが、さほど期待はしていなかった。

 

「ほぉ、聞いてしまいますか。この【純潔】の奉公を尋ねてしまいますか! いいでしょう、私も少しばかり誰かと語り合いたかった所だったのですよ!!」

 

「う、うん」

 

 そしたら純潔がすごい勢いで寄ってきた。興奮気味に語り出すさまは、いっそ気持ち悪い。

 いや、そういえば最近の純潔は気持ち悪かったっけ。なんか愛がどうとか叫んでいる姿をよく見たと事を思い出す。

 

「いま神饌(しんせん)として奉る彫像をつくっておりまして……原型は殆ど完成したのですが、どうにも威光が足りない。何か助言を頂ければ嬉しいのですが」

 

「彫像かい? ……え、彫像」

 

 なんで彫像?

 疑問を抱いていると、純潔がどこから巨大な物体を取り出した。ズドンと地面に置いて「ご覧あれ」と促してくる。その姿を見て慈善は目を瞬かせる。

 

「サナティオじゃん」

 

 何かと思えば、魔法も呪詛もなにも掛かっていない、ただの等身大の粘土人形だった。

 モデルは天使と聖女、あと何故か顔の無い女性形の人型。聖女が顔無しの女性を抱きしめて、天使が優しく見守る構図になっている。

 

「なんだこれ」

 

 なんだこれ。

 慈善は全く理解できなかった。

 

 【純潔】が突然彫像を作り始めたたのがまず意味不明だし、なんか妙に神々しいのが嫌だ。お前黒燐教団の評議員のはずだろ。なんで天使を信奉し始めた?

 指摘すると純潔に鼻で笑われた。

 

「分かっていない。貴方は分かっていない。まだその段階にいるのですか【慈善】。いいですか? 闇とは光あってのもの。光は闇あってのもの。どちらか一方だけなど存在し得ないのですよ」

 

「光闇二元論の提唱かい? まあ……いいけど。それより、どうしてこの子には顔が無いんだい?」

 

「そこなのですッ!」

 

 聖女らしき存在に抱き留められている女性。

 表情の無い頭部を指さして聞いてみると、何故か純潔が嘆き始めた。号哭するような泣き様に慈善が驚いてビクリと体を震わせる。

 

「そこが、どうしても駄目なのです!! 私では彼女の神性を表現しきれないッ! どうすればいいですか慈善! どうか助言を頂きたい! ああ、神よ! 愚かな信徒である私に救いを頂きたい!」

 

 知らねぇよ……。

 地べたにうずくまって神へと懺悔する仮面を見下ろしながら、慈善は突っ込みたくなった。仕方ないなと適当に言葉を送ってみる。

 

「ほら、偶像崇拝って良くないって言うでしょ。ならこれでいいんじゃない? 顔無しだって一つの正解なんだ」

「……偶像崇拝が良くない、ですか? はて、そのような宗派が有りましたか?」

 

「無かったかな?」

 

「ありませんよ。まあ【夜の神】の存在をほのめかす物は"大崩壊"と、その後の宗教改革ですべて破壊されましたが……それは聖教の規律。私ら教団には関係ないですね」

 

「ああ、そうだった。まあそれはそれとして、そろそろ君を呼んだ本題に入っていいかい?」

「助言はくれないのですね……私は悲しいです」

 

 うるせぇよ。

 天使を崇める彫像に助言とか出来るはずがない。慈善は光闇二元論を否定する程では無いが、賛同は出来なかった。

 顔の無い女性がスーツ姿である事には多分に引っかかりを覚えたが、突っ込むとまた話が脱線する可能性が高い。純潔に彫像を片付けさせて話を戻す。

 

「被験体番号3番……および15番。僕はいま、彼女達の正体を探っている」

 

 ぴたりと純潔の動きが止まった。

 彫像を仕舞おうと動かしていた手を止めて、嘗める様に慈善の体に目を向けた。

 先ほどまでのふざけているような気配はない。そこには確かに、慈善の知っている評議員としての【純潔】が戻ってきていた。

 

「これは評議員全員に聞いている。嘘は許さない。君は彼女らの正体について何を知っている?」

「……それなら私が知りたい位ですね。彼女等を生み出した人物は誰なのか。どうやって、何を対価に神を降ろした? 興味は尽きませんね」

 

「製作者は君では無いのかい? 一番可能性があると期待していたんだけどね」

 

「違いますよ。製作者なら【勤勉】の奴が何かを知っていたようです。製作者ではないでしょうが、その護衛でもしていたのでしょう。イナル村襲撃と合わせて、15の奪還に動いていたようです」

 

 先日から行方不明となった幹部の名。

 イナル村に派遣する人選を間違ったと慈善は、自分の失策を悟った。

 

「……では、製作者は教団にいる。そう考えていいのかな?」

「それはどうでしょう。彼は死ぬ前に、闇に冒された【聖具ミトラス】を聖女に返すと言っていました。もしかしたら、聖教内部に何か繋がりが有ったのかも知れませんねぇ」

 

「ミトラス? ホルテル枢機卿の聖具か。裏でディアナ司祭に貸し与えていたようだが……分からないね。じゃあ怪しいのは聖女ラクシュミ周辺かな?」

 

「さてさて、それはどうでしょう。ですが製作者はそんなにも重要ですか? 私は神を宿せし被験体の方が重要と思いますが。彼女達こそ我等が教祖……いや神その者であると考えますがね」

 

「それもそうだ。優先すべきは囚われた15番の保護か。じゃあ申し訳ないんだけど、純潔にも幾つか協力してもらいたい事が有るから頼むよ。今回の事は教団が一丸となって当たるべき事変だ。なに、対価は用意したから安心して欲しい」

 

「内容次第では協力しましょう」

 

 節制、忍耐、感謝、謙虚。そして純潔。

 失踪した勤勉を除く評議員全員の同意を取り付け、ついに教団は動き出す。

 

 第一蒼天が降臨した事実は、個の集団でしかなった教団を一つの生き物へと変貌させた。光を祓い闇を求める小さな狂人。50年前の黒燐教団をついに取り戻したと慈善は、包帯の下で顔を歪めて嗤う。

 

 神の望みを叶えるのだ。自分に救いをくれた夜の神へ向けて、全霊を籠めて祈りを捧げる。

 

「ああ……最後に一つ。君は【日ノ本会】って集まりを知っているかな?」

 

 常々、出自の怪しかった純潔の核心を突く。

 名前だけ聞けば太陽信仰を主とする聖教会派の一つと思うだろう。だが、その実態は全く違う。純潔が慈善の思う者であるならばこの単語に反応しないはずがない。

 

 純潔は、意味深に小首をかしげると笑って見せた。

 





皆でヨルンを守り隊
――参加者名簿

 ディアナ
 純潔
 サナティオ← New
 聖教会← New
 黒燐教団← New

※ただし"守る"の基準は別とする


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 特に意味の無いイチャイチャ2

 どうしてこうなった。

 

 広い聖堂のある一室。

 暗く冷たい倉庫の片隅で恐怖に身を震わせながら、膝を抱えて小さく丸まった。備品であろう木箱と布の間に体をすっぽり埋めて、誰にも見つからないように息を殺す。

 

 こうしていれば聖女さんが必ず見つけてくれるから。「ごめんね、もう大丈夫だよ」と優しく微笑んで抱き上げてくれるから。

 

 結界に阻まれ、馬鹿だけど頼りになるヤト達は呼び出せない。いるのは無力な少女()ただ一人。

 襲われ隠れて縮こまる。

 この世界に来て初めて味わう孤独は、【夜の神】がずっと耐えてきた悲しみに少しだけ似ている気がした。

 

 ―― ……。

 

 怒られた気がした。

 いやごめんて。謝るから無言で圧力かけてくるのは止めよう?

 

 しかし庇ってくれる人が誰も居ない事がこんなにも辛いとは。

 悲しみに暮れながら時間が過ぎ去るのを待つ。固く閉ざした扉の隙間から差し込む薄光を眺め続けていると、再び外から声が聞こてきた。

 

「――!」

「――!」

 

 焦っている男たちの会話声。慌ただしい足音が俺の小さな体を震わせる。

 何を言っているかまでは聞き取れないが、たぶん俺を探しているに違いない。目を瞑って通り過ぎてくれるように祈りながら、両手で口を抑えて気配を断つと少しずつ足音が小さくなっていく。

 

 再び倉庫が静まり返った頃、無意識に安堵の息が「はぅ」と漏れ出した。そして俺を見下ろす異形に気が付いた。

 

「随分探しましたヨ。こんな所に居たのですカ」

「ぅ……!」

 

 倉庫の暗闇に浮かぶ異形の顔。

 羽毛の生えた肌にまん丸な瞳。眼窩の周囲は大きく窪んでおり、異様な陰影を作り出す。ソイツはどこからどう見ても「(フクロウ)」だった。

 ただし二足歩行と注釈が付くフクロウだ。

 

「あまり手間を掛けさせないで下さいナ。ほら、楽しいタノシイ儀式を再開しましょうネ?」

 

 フクロウが首をかしげると頭の上下が反転。顎とおでこの位置がぐるりと入れ替わる。そこだけみれば普通のフクロウ同様可愛らしいのだろうが、首から下が生理的に受け付けない。

 

 長身痩躯。フクロウの体に付けられた人間のボディは棒のように細く不安を煽る。びっくりする程の撫で肩から伸びる腕は、垂らすだけで床に届いてしまう歪な形。それでいて極端に猫背なのが底気味悪い。

 手術着らしき緑色の前掛けは赤く変色しており、ぽたりと怪しい赤液が垂れていた。床に溜まり始めた液体が放つ異臭が鼻を突く。

 

「さァ、行きましょうカ。皆さんが貴方をお待ちデスヨ」

 

 会話は苦手のようで片言気味の発音となっていのが、またフクロウの不気味さを増していた。

 常人の二倍はあるだろう腕で引き寄せられると鳥肌が立つ。柔らかい聖女さんの手と違って、骨と皮だけの手指も異様に細長い。俺の腕に巻きつくフクロウの指は鎖の様だ。

 

「やだ……やだ……」

 

 倉庫から引っ張り出される。

 せめて連行されるなら、こんなバケモノではなく人間がいいと助けを求めるが……だめ。倉庫の外に居た兵士たちは皆一様に両膝をついて気持ち悪いフクロウを崇拝していた。なんだこれ、地獄絵図かよ。

 

 ああ。

 本当に何でこんなことになったのか――事態は少しだけ遡る。

 

 

 

 

「だるい……きつい……」

「お腹大丈夫? ヨルちゃん」

 

 ―― ぜんぜん大丈夫じゃない……。

 

 アルマージュ大聖堂の結界ってなんなん?

 銀鉤のナイスアシスト泥で結界ぶっ壊したと思ってたら、数日で復旧ってなんなん? しかも今度の奴は天使謹製で「今なら効果20%増量中!」とかなに? 結界の特売してんじゃねぇぞ天使!

 

 襲い来る腹痛に嫌気がさしてベッドの上でごろごろと寝返りを打つ。聖女さんがリズムよく背中を叩いてあやしてくれるが、それに反応を返すだけの余裕も無かった。

 【夜の神】まで泣き言を漏らす始末。俺と繋がっている神様からも結界にやられて辛そうな感情が……感情が……

 

 ―― ん……。

 

 いや、辛そうな感情じゃねぇなこれ。聖女さんに背中トントンされて喜んでる感情だこれ。

 俺もそれは嬉しいけども、普通に結界が嫌なんだけど……。聖女さんだってこうやって看病してくれるけど、すぐに時間になって仕事に行っちゃうんだけど?

 

 なんて思ってたら、ほら聖女さんが申し訳なさそうに離れて行った。扉の近くでバイバイ手を振ってくる。

 

「結界の対処はもうちょっと待ってね。サナティオ様にどうにかならないか伝えてあるんだけど……」

「ん。だいじょう、ぶ……」

 

 もし俺が行かないでと言えば優しい聖女さんの事だ、残ってしまうだろう。そんな事はさせられない。

 大人の矜持をここで見せる。心配せず行ってらっしゃいと手を挙げて合図。仕事に向かう聖女さんを見送った。

 

 そして聖女さんと入れ替わるように、ムッシュ元司教――現在は相談役として残留中――が部屋に入って来た。

 俺の体調不良を気遣ってくれようとも、男は要らん。護衛だと言われたって要らんもんは要らん。最後の気力で持ち上げていた手をパタンと落とす。

 

「だ、大丈夫かね!?」

「……おー」

 

 男の心配なんざ別に嬉しくない。【夜の神】も興味を失ったようで気配が消えていく。

 夜の神ちゃんも俺と変わらぬ塩対応。彼女が出てくるのは聖女さん関係の時だけで、他の人間にはあまり興味ない様子。

 あ、いや、お菓子関係の時と、俺が騒いだ時もちょこっと出てくる事はあるか。あと天使が近くにいる時も警戒してるのか気配を感じる。

 あれ、そう考えると意外と出てくるな夜の神……?

 

「むー……」

 

 お腹が痛いのを寝ころびながら耐えていたが飽きてきた。少し休憩した後、のそのそとベッドから降り立って窓から景色を眺める。

 

 この前の事件で崩れ落ちた聖堂の一部も今は再建中。10人ほどの幼い天使が建材を持って飛んでいた。それを指揮するのは地上に立つサナティオなる大天使。

 声を張り上げながら幼児を働かせる鬼畜生さんだ。

 

 あの人はちょっと苦手。悪いのは俺なんだけど、突然切りかかってくるし強いし、怖い。この前聖女さんから紹介された時は無意識に距離を取ってしまった。

 イヤな人ではない。どちらかというと真面目過ぎる印象を受けたし、厳格な人なのだろう。見た目だってかなりの美人さん。でも殺されかけた身としては普通に怖いのです。

 

 訳知り顔で頷きながら近寄ってくるのが、特に怖かった。聖書曰くサナティオは「千里眼」を持ってるとか言う説も有るし……あ、貴方はどこまで俺の秘密をご存知で? 

 墓穴を掘るのは嫌なので、俺も意味深に頷き返しておいた。言葉を交わずとも通じるボディランゲージ。凄いね以心伝心。俺には何も伝ってこないけど。

 

 それよりも仕事に行った聖女さん居るかなぁと。外の風を浴びながら探してみれば、居た。

 

 建設現場に向かって歩いているのが聖女さんだろう。赤髪の活発そうな女性神官に抱き着かれて苦笑いしている。うん、仲良さそう。……誰?

 赤髪の奴はニンマリとした顔で聖女さんの胸を指さした。そして触ろうとして、聖女さんに手を叩き落される。え、誰?? ねえ貴方だれ?

 

「ふぅむ、指先が震えておるよ。ヨルン君。立っているのも辛いだろうし、ベッドで休んで居給え」

 

 うっせぇ紳士野郎! それよりも俺の新しいライバル(?)登場だぞ! 体調不良なんか消し飛んだ!

 よく見ようと窓から身を乗り出したら、ムッシュさんに慌てて引き戻された。ほら見た事かと怒られる。いや違うから、落ちそうになったんじゃないから……。

 

「いいから、もう寝たまえ! ほらほら! 結界の悪影響も対処する準備をしておくから、遊ぶのは起きてからにするのである!」

 

 え、治るん? このお腹痛いの治るん? やったー。

 ぴょんとベッドに戻って布団をまくり上げた。はい、おやすみなさい。……で、あの赤髪だれよ。

 

 

 ふと目が覚める。

 顔の半分までかぶっていた布団をずらせば、黙々と書物を読むムッシュさんの姿が目に入った。太陽の位置を見る限り、まだお昼前。あんまり長い時間は寝ていなかったようだ。

 

 起こされた訳でもないのに、なんでもう目が覚めたのかと思ったら、なるほどノックの合図で理解した。部屋に天使サナティオが入ってきた。

 天使の襲来に俺の闇の予感が働いて目が覚めたといことか。……ちょっと言い方が恥ずかしいけど、たぶんそんな感じ。

 

「む、起きていたのか。それとも起こしてしまったか?」

 

 ムッシュと何やら相談していたサナティオを布団の隙間からジっと見つめていたら目が合った。狸寝入りする理由もないので小さく頷く。

 

「それなら話が早い。お前の体調不良の原因は知っているな、それを治すぞ」

「……治るの?」

 

「ああ。お前は【夜の神】の因子を持って生まれた存在だから、聖堂の破邪結界に悪影響を受けている。ならば、治すにはその因子を消せば――」

 

「だめ」

 

 唐突に意味の分からないことを言い出したサナティオの言葉を遮って拒絶する。

 天使が来たと動き始めていた【夜の神】の気配がぴくりと震えた。サナティオも俺の言葉を聞いて眉を寄せる。

 

「私からこの子を引き離したら……許さない」

 

 この感情は親愛か。それとも俺の打算か。

 

 【夜の神】の力は絶大だ。この世界に来て長らく彼女と繋がっていた俺は、彼女が本気を出せば数日で世界を闇に包みこむことができる事を理解していた。

 そして、俺が本当に望むなら、その為の力を貸すのもやぶさかではないという彼女の意志も感じている。それを取り上げる?

 

 【夜の神】はまだまだ成熟していない精神だ。癇癪は起こす。好き嫌いは激しい。人間不信は強く、人の暖かみすら知らなかった。

 最初は感情を凍らせて冷徹な言動しか取ることができなかった。だけどこの世界で一緒に一歩ずつ歩んで来た。聖女さんと触れ合う事で少しずつ融けてきた。

 それを今更引き離す? 怒りがこみ上げる。

 

「貴方たちにとって【夜の神】が邪神だか何だか知らないけど、余計な事はしないで。この子は私にとって大切な存在。今だって成長しているところ」

 

「成長か……人間の身でその力を制御できるのか? 神が世界に仇なす可能性は?」

 

「無い。そんな事が有るわけない。聖女さんさえ居れば大丈夫」

 

 自信満々に言い切ってやる。

 

 敵でしかなかった天使が【夜の神】の何を知っている。何も知らないだろう。

 【夜の神】が本当は優しい子だという事も、野菜嫌いで甘いお菓子が大好きな女の子だという事も。

 自分に嘘を吐き続けて、縋る事もできず孤独に耐えてきた事だって。お前達は何も知らないから、切り捨てる選択肢を手に取る事が出来るんだ。

 

 いっそ睨みつける。もしも天使が【夜の神】の意志に反して強行するならば、俺だって覚悟する。この子を守るためにどんな手段だって取ってやる。

 

「……聖女か。やはり彼女がキーということか。いいだろう、少し様子を見るとする」

 

 強い意志を持ってサナティオを見上げ続けていたら、サナティオは思慮を深めて自分の考えに没頭しはじめた。そして、先ほどの案を撤回する。

 

 おー!

 やったね夜の神ちゃん! とりあえず離れ離れ回避だー!

 ……あれ? 夜の神ちゃんどこ行った? なんか気配が薄いけど。

 

 ―― 恥ずかしい感情を叩き付けてくるのは……卑怯。

 

 え? なに?

 ぼそぼそ何か言ってるけど、よく聞こえない。なんだってー?

 

 ―― に、二回も言わせるのは卑怯!

 

 

 

「では、次善策をとるとしよう」

 

 サナティオが扉に合図を送ると、ぞろぞろと何者かが部屋にやってきた。キラキラと光の粒子を散らして飛ぶ妖精。幼げな子供姿の天使たち。皆一様に怯えた目でこちらを見てくる。

 何事かとサナティオに視線を送ると得意げな表情を浮かべていた。

 

「ふっ。私が何の代案も用意していないと思うたか。お前の嫌がることを無理強いするつもりは無いし、闇の力を引きはがせない事も想定済みだ」

「……おー」

 

「ところでお前はあまり良い教育は受けて居ないんだったな。天使や精霊の違いは知っているか?」

「基本、一緒?」

 

 良い教育って何や。俺は聖女さんから個別指導を受けたエリートだぞ。

 天使と精霊の違いならしっかり教わった……はず。記憶の片隅に残っていた知識を動員して答えてみたが……えっと、正解ですか?

 

「間違ってはいない。精霊はそれぞれの生物が放つ微弱な魔力がより固まって生まれた存在、一方天使は太陽神エリシアが放つ聖なる魔力の余波から生まれた種族だ」

 

 魔力の元となる存在が違うだけで、分類的に大きな違いはない。もちろん宗教的に太陽神とその他という事で区分されるし、それぞれが持つ力も別格だが本質は一緒。

 

 ちなみに一般的な「魔物」とは夜の魔力――夜の神が放つ魔力。夜の時間に強くなる――が寄り集まった存在であり、これもまた天使と同一の分類と言えるのだが……誰も認めたがらないらしい。

 更に詳しく説明すれば、南都龍穴坑の噴き上げる魔力から生まれる「魔物」もいるし、精霊種や魔物種の分類も獣種、亜人種など細かく別れていく……らしい。

 

「それで、それがどうかしたの?」

 

 そろそろ頭から白い煙が噴き出そうなので話題を打ち切る。あんまり難しいこと言われても分からない。

 

「まあ待て。それでは【聖獣】という存在も知っているな?」

「……太陽神の魔力から生まれた、獣? 天使の仲間」

「うむ、いいだろう。それでは、本題に入る。今日は天界から聖獣を一人連れてきた。天使達と合わせて紹介しよう。ほら並べお前たち」

 

 サナティオが手招きして幼い天使たちを呼ぶが、俺の事を見てビクビクとしたまま動かない。目が合うと後ずさった。

 

「……怖い?」

 

 そんなに俺の気配って怖いの?

 天使達に声をかけてみたら、涙目で見上げて、うんと一回頷いた。よく分かんないけど罪悪感。

 

 そういえば初めて天使を見た時も、決死の覚悟で特攻されたなぁと思い出す。夜の神に魔力を極限まで抑えて貰うと、ようやく天使たちは落ち着いたようだ。

 

「コイツ等が最下級天使。精霊は太陽神の軍門に下った者達だ。伝令としての役割をよく担っている事が多いな。叙任式で出席するのも彼等の役割だ」

 

 どうやら俺が妖精だと思った羽の生えた小さな人間が精霊という存在らしい。太陽の光を反射しながら楽しそうに部屋中を飛び回る。

 子供天使達も緊張がほぐれて来たのか、妖精に手を伸ばしたり肩に乗せたり遊び始める。

 大人姿のサナティオと子供の天使たち、それに妖精姿の幻想的な精霊達。ううむ、太陽神勢力というのは、どうやら俺が思っている以上に穏やかそうな場所らしい。

 

 和気藹々として皆でお喋りしている様子を見ると小学校の低学年に紛れ込んだ気分にさせる。過激な事ばかり言うヤト達と比べて、なんと和やかな事か。

 

「……ん?」

 

 そんな幼い一団の中に、明らかに場違いな存在を見つけた。

 なんというか……そう。フクロウ。手乗りサイズとかそんなカワイイ物じゃない。デカい。サナティオに匹敵する高身長、だけど酷い猫背。

 そんな気持ち悪いフクロウが、無邪気な子供の群れに混じって並んでいる。

 

「……ん?」

 

 なんか魔物紛れ込んだ?

 あ、そうか。夜の神が居るから、ここで魔物生まれちゃった? ダメダメ、お前みたいな冒涜的な存在が可愛い軍団に並ぶとか許されないから。こっち来なさい。

 

「それで、この鳥姿の者が【聖獣】フクロウだ。よろしくしてやってくれ」

「ご紹介に預かり至極恐悦。ヨロシクおねがいしますネ」

 

「……?」

 

 え? 聖獣? だれが?

 聖獣ってあれでしょ? 聖なる獣。俺の想像ではフェレ君みたいな純白でもふもふしてる存在で……

 

「フム、毛色ですカ? これでも恥ずかしながら私、聖獣一、色白と言われておりましてネ。自信あります」

 

 もふもふ……。

 

「どうでス? 風が気持ちいでしょう?」

 

 そう言ってその場で羽ばたいて見せるクソフクロウ。

 止めて。そんなもふもふ要らない。なんか風が臭い気がする。

 

「詐欺」

 

 聖獣詐欺やこんなの!!

 なんでそんなに体が細いの!? 猫背はやめろって!

 

「ほほほ、森の賢者とは私のことでス。研究に熱中し過ぎて、ご飯を抜いてたら痩せてしまいました。猫背は机にしがみ付いてますからネ。しょうがないネ」

 

「……まあこんな見た目だが、知識は一級品。聖獣の名に恥じない男だ。心配するな」

 

 見た目を妥協する聖獣とかイヤなんですけど!

 サナティオが庇ってフクロウのいい所を上げてくれるが、見た目で減点100なんですけど!?

 

 まあ俺には関係ないからいいけども。そう思ってフクロウから目を逸らす。

 

「ん?」

 

 いつの間にか幼い天使達に囲まれている事に気が付いた。

 ガシっと手足を押さえつけられ、ベッドに座らせられた。ぺらんと子供天使によってまくり上げられる俺の服。お腹を丸だしにして……なに? なにするの?

 にじり寄るフクロウの不気味な顔。

 

「では対結界の施術を致しましょう。患者は服をまくってお腹を出しましょうネ」

 

 フクロウがどこからか小皿を取り出した。そして自分の脇から毛を数本抜いて一回振ると毛筆に変わる。筆を小皿の赤い液体に付けて……。

 

 いや待てや。お前、

 その毛筆どこから出した。なんで脇から毛を抜いた。それもしかして腋毛か、おい――

 

「ぴっ?!」

 

 お腹に塗られた赤い液体! 

 痛い、痛いんだけど……!? なんですかねこれは!?

 

「材料はコンディペッパー、劫火糊、粗挽き蕃椒などなど。調合は私特製ですヨ?」

 

 知らん知らん! そんなモノは知らん!

 

「一口食べれば、天界一の大食漢ですら裸足で逃げだす辛さですネ」

 

 ……調味料だこれ!

 赤いのは辛さの色だこれ! 痛いよ馬鹿! なんでお腹に塗るだけで痛いんだよ馬鹿!

 

 止めろと手足をバタつかせて嫌がっても、子供天使が押さえつけてくる。やめれー!

 

「破邪結界で体調が悪くなるならば、結界の例外規定に設定すればよいでショウ。今からヨルン殿のお腹に魔法陣を描きますヨ」

「なんで、こんな痛いの……!?」

 

「それは仕方ありませヌ。ヨルン殿は闇属性。光属性の赤液を塗られた拒絶反応でしょうナ」

 

 ちげーよ!

 辛すぎる物体塗ってるから痛いんだよ!

 

「辛さこそ光ナリ!」

 

 ほら言ってるじゃん!

 自分で辛いって言ってるじゃん!? 分かってるなら止めろ馬鹿!

 

「離して……ッ!」

「ぬぬ!?」

 

 なんとか天使の手を振り払って立ち上がる。お腹の液体を拭ってフクロウを睨みつけた。少女の肌は敏感なんだ。変なモノを塗るんじゃねぇよ。

 

「むむむ、ヨルン殿は我が光属性がお気に召さぬ様子」

「辛いのは……ちょっと」

 

 不満げにサナティオを見る。なんか申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「済まないな。フクロウは腕は一流なのだが、変わり者で……」

「他人に刺激物塗られた経験は初めて」

 

「では、どうしましょうかネ。辛いのがお嫌いなら、焼鏝(やきごて)で印を刻みますかナ? 火属性もまた光ナリ!」

「……これは変わり者じゃなくて、頭のおかしい人。火属性は火属性」

 

 なんで部屋で焚火始めるかな。しかも焼鏝って何かと思えば、罪人に焼印付ける奴かよ。サナティオも呆れ顔から怒りを滲ませ、フクロウの頭をどついていた。

 ムッシュを見ればサナティオの登場からずっと跪いていて役に立たないし、もう逃げる! こんな狂人に付き合えるか!

 

「おお!? どこへ行かれますかヨルン殿!」

「馬鹿者! 屋内で火を焚くな! まずは火事にならないように片付けないか!」

 

 

 

 そして倉庫に隠れてみたけど捕まった。

 部屋に連れ戻されて、今度は聖女さんまでやって来た。どうにも俺の逃走が騒動になったから様子を見に来たらしい。彼女監視の元、施術の続きが始まる。

 フクロウなんか信用できないし、光陣営の手中で無防備に隙を晒すのはイヤだが、聖女さんたってのお願いだ。少しでも俺に安全な場所を作って欲しいらしい。そのためにも結界内で苦しんで欲しくないらしい。

 

 聖女さん直々にお願いされて、俺に断る事なんかできる筈もない。そう思って了承したのだが、すぐに後悔が訪れた。

 

「う、ゃぁ! ……かゆい! かゆい!」

「ヨルちゃん頑張って! もうちょっとだよ!」

 

 辛さ、焼印から始まりフクロウの提案は訳分からんものが多かった。サナティオにどつき回され反省したらしく、痛い物は無くなったが次は何故か「痒み」。

 

 訳分からん液体を塗られた場所から発生する猛烈な掻痒感。

 ベッドの上で聖女さんに応援されながら、掻きむしりたくて無意識に手が動くのを我慢する。というかなぜ痒み……?

 

「痒みもまた光かモ!?」

 

 訳分からん。光な訳ねぇだろ。

 もう喋るなくそフクロウ! そして俺の下腹部に変な紋様を描くな! おいパンツをそれ以上下げるな、見える見える!

 

「はひぅぃいぃ……だめ……っ」

 

 結界のせいでお腹が痛いから、お腹に紋様を書くらしいのだが、我慢できるレベルではない。なんとか涎がこぼれるのは防ぐが、痒みで意識朦朧。もう目の焦点まで合わなくなってきた。

 

「駄目だよヨルちゃん! もうちょっとだけ我慢してね」

「っ、むり! 手離して聖女さん!」

 

 下腹部に手を伸ばす俺とそれを防ぐ聖女さん。

 服を巻くってお腹丸出し、くまさんパンツが覗く中での攻防を制したのやはり聖女さんだった。両手を抱きこまれて動けなくなる。

 

「はぅぃ……!」

 

 理屈では我慢しなきゃというのは分かっているが、自制が効かない。

 いやいやと首を振っても誰も許してくれない。

 

「ぁあああっぁ!!」

 

 もう泣きが入る。

 ああ分かった! 俺が掻くから駄目なんだろう! 乾燥待ちの紋様を避ける様に掻けばいいんだろう!? じゃあ、聖女さん代わりに掻いてよ!

 

「……え!?」

 

 潤んだ瞳でお願いすれば、聖女さんが固まった。

 視線が俺の顔と下腹部を何度も行き来する。

 

「か、掻くの? 私が?」

「早くっ、早くぅ……!」

 

 少しでも痒みから逃れようと、もじもじと足をこすり合わせる。それでも一向に効果は無く、頼りになるのは聖女さんの指ばかり。

 

「よ、ヨルちゃん。そこは大事な所だからね? あんまり、他の人に触らせちゃ駄目な場所で……」

「聖女さんならいいからぁ!」

「……っ」

 

 彼女はごくりと生唾を呑み込んで、顔を赤面させた。そして何度も俺に確認して恐る恐る、ゆっくりと撫でるような指使いで肌に触れた。

 

「ぁあぁぅ~、気持ちいよぉ……」

「うぅ。ヨルちゃん変な声出さないで。なんか私まで恥ずかしいよ……!」

 

 ベッドの上で、両手を拘束されたまま下腹部を撫でられる。極限まで我慢させられた痒みから解放された快感は俺の全身を突き抜けた。

 聖女さんから与えられる快感に身を任せて脱力。傍から見たヤバいであろう光景は、その後しばらく続いた。

 

 ほんと、なんでこんな事になったのか。

 よく分からない。

 

「ま、まだ駄目なの? そろそろ終わっていいかな!?」

「もうちょっと下も……」

「これ以上は駄目だから!!」

 

 分かることは聖女さんの指が気持ちいという事だけ。ああ……やっぱり天使嫌いだわ俺。

 

 




 周囲の皆さんは雰囲気を読んで退出されました。
 今は2人きり、ベッドの上でいちゃつき中(?)。なお聖女さんにそっちの気はありません。たぶん

フクロウ「百合もまた光かモ!?」 ← もう出番ないよ。たぶん


しらー様より
挿絵! 挿絵ですよ皆さん!
https://img.syosetu.org/img/user/359910/82099.png


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

監禁と逃走

 姿見の前でぴょんと跳ねてみる。

 

 うむ小さい。俺ちいさい。

 つま先立ちしてみても、鏡の中の俺の身長はあまり変わらない。

 

「……むぅ。もう伸びない?」

 

 この世界に来てから、早数か月。俺の身長が変わった感じがしない。ちょっと上の方まで手が届くようになったとか、視界が広がったとかまるでない。

 俺の体は、元の世界でいう小学校高学年から中学生ぐらいの小柄な体格の少女で固定されている。

 

 体の生まれが特殊な所為だろう。この体、排泄とかしないし、怪我はいつの間にか消える。普通の人間では無いことは確かで、成長どころか「老化」があるのかすら怪しいものだった。

 

「……また差が広がる」

 

 それでも身長が伸びないのはちょっと悔しかった。

 

 考える事は聖女さんの事。

 実はこの間、少し盗み聞きをしてしまったのだ。廊下で赤髪の神官とお話をしている聖女さんの会話を思い出す。

 

『はぁ!? アンタ、また大きくなったって!?』

『はい……実は、半年前より、ほんのちょっと……』

 

『はあ~、そりゃ凄いわ。羨ましい限りね。私もその無駄にデカいもの分けなさいよ。3cmでいいわよ』

『む!? む、無駄にデカいとか言わないでください! それにマーシャだって平均より大きいでしょう?』

 

『残念! 私は平均ギリギリ下だったわ……成長期も終わっちゃったし、もう私がアンタを超えるのは望み薄って訳』

 

 そう言って聖女さんの頭をポンポン叩く、ほんのわずかに小柄な体格をした赤髪神官さん。

 

 この会話から分かることは、聖女さんの「身長」がデカくなったという事だ。

 まあ彼女19歳だからね。まだまだ成長だってするだろう。俺との身長差が広がったことになる。

 

「ん? なに。何で私の胸を指さす?」

 

 なんか銀鉤が俺の薄い胸部装甲を指し示してきた件について。

 

「まさか、聖女さんの会話が、胸の大きさの事を言ってたと思ってる?」

「――。」

 

「ふっ……銀鉤は聖女さんへの理解が足りない」

 

 彼女が白昼堂々、聖堂の廊下でそんな下品な会話をすると思うたか。失礼極まりない銀鉤を鼻で笑ってやる。彼はショックを受けたのか、意気消沈して俺の影に沈んでいった。

 

 ……ところで、なんで銀鉤は大聖堂の結界中で平然としてられるの? ヤトは頑張って結界耐久チャレンジに挑戦しては消し飛ばされているのに。

 

 銀鉤の耐性かなにか? それとも魔法技術?

 あ、技術らしい。なんでも大聖堂の破邪結界に干渉して、自分だけ例外的存在に設定しているとか。へぇ~。

 

「それ、ヤト達の分もやってあげないの?」

「……」

 

 俺の影から上半身を出した夜人姿の銀鉤。彼は黙秘した後、再びゆっくりと影の中に沈んで行った。

 

 ははぁん。できるな。コイツ。

 結界を書き換えてヤト達も聖堂内で生存できる状態に出来るな。でもそれすると俺の専属護衛代理じゃなくなるからイヤだって事だな。

 

 そういうとこやぞ。

 佳宵とヤトからボコられるのは、お前のそういうとこが原因なんやぞ。なんだったら俺の事も例外設定してくれればよかったじゃねぇか。

 

「そうすれば、私もへんなの付けられずに済んだ……」

 

 鏡の前で服を巻くって小さなお腹を出してみる。

 

 うむ。下腹部に魔法陣が描かれてる。通称「淫紋」ってやつだ。

 形はハートみたいな変な物ではなく、普通の円形だけど、もう場所が駄目だよね。股間直上とか、どこからどう見ても淫紋だよね。

 

 感度が数百倍になっちゃう~的な? ……フクロウぶち殺すぞ。俺の大事な体に変なもの刻むんじゃない。

 

「はぁ……」

 

 まあ、なんだ。魔法陣の効果は悪くない。

 あれからお腹痛いの消えたし、痒みだって一過性のモノだった。

 

 聖女さんとした恥ずかしいやり取りも、なんかいけない気分になってしまい、ちょっと楽しかったのは事実。いや違うけど。彼女を穢す訳にはいかないから、イケナイ事をするつもりは無い。そうじゃないのだ。俺が言いたいのはそう言う事ではなく。

 

 ―― ……。

 

 違う。【夜の神】も信じて欲しい。

 俺の精神は極めて正常で、女性同士でそういう事をしたいとは思わない。……いやまて俺は男だ。何を言っているんだ。そうじゃないのだ。

 

 ―― ……。

 

 ああ、駄目だ。

 夜の神から不機嫌な気配を感じる。なんだ、何が原因だ?

 お前だって聖女さん好きじゃん? じゃあ、いいじゃん。……ダメ? ダメなんで? 分からない。分からない時は――

 

「話を打ち切るっ!」

 

 無言の威圧は良くないと思います!

 とりあえず元凶フクロウを殺す。以上!

 

 逃げる様に鏡の前から立ち去って、部屋の扉を開け放つ。フクロウの馬鹿者はどこだぁ!!?

 

 ガチャリと軽い扉を開けばそこには2人の衛兵が立っていた。

 

「……」

「……」

 

 中位天使だったか。

 金色の鎖を全身に巻きつけ、目を布で覆った天使と向き合った。これ、俺の護衛ね。

 

 顔布のせいで視線は合っていないはずなのに凄い見られている気分。それにこの天使はスッゴイ無言だから、なんか責められてる気分になってしまう。

 たぶん「なに部屋から勝手に出てんだお前」って言ってる感じ。いや……想像だけど。

 

「……」

「……」

 

 一歩前へ。後ろから付いてくる。振り返れば黙って見つめられる。

 

 はい。ごめんなさい。

 無言の天使が怖くなって、ゆっくりと部屋に戻っていく俺。パタンと扉が締まる音が小さく部屋に溶けて消えた。

 

 ……なんだこれ? 監禁?

 

 もしかして俺いま監禁されてる?

 

 

 

 

 

 

「それで、アンタは何時まであの子を部屋に閉じ込めておくつもり?」

「……」

「ねえ。こんな状況が子供の教育にいいと、大司教様は本当に思ってるわけ?」

「……思いません」

 

 司教室のソファーを楽しみながらマーシャ――本名はマーシア・ロートティスマン――は、無遠慮に問いかけた。

 親友の言葉はいつも私の弱い所を突いてくる。その鋭さは2人の間に立ちはだかる「位階」を完全に無視したもので、彼女なりのアピールでもある。

 

 たかが一司祭が大司教相手を責め立てる。

 人に聞かれれば、不敬罪と言われてもしかたない事を彼女は気にしない。私にはそれが嬉しくて、つい笑いを漏らしてしまった。

 

「どこに面白い要素あったのよ。……いい!? あの年頃の子供なんてグレやすいんだから! 閉じ込めておけば絶対に反発するわ! 反抗期ってやつよ!」

「マーシャみたいに?」

「わ、私は反抗期じゃないわよ!!」

 

 怒ったように飛び上がり、私の机へずかずかとやってきた。

 バンッと机を一発。マーシャが吼える。

 

「私は反抗期じゃないわよ!!」

 

 どうやら、大事なことだったらしい。

 

「そうですね。マーシャはいい子ですもんね」

「そ、そう言われるのも困るのよ! こら頭を撫でるな!」

 

 怒ってみたり、照れてみたり。

 頭を撫でたら振り払われたので、手を痛がってみれば、彼女は慌てて心配してくれた。うんうん。実に弄りがいがある友人で私は楽しい。

 

 久しぶりのやり取りに懐かしさを感じる。私達が聖学校を卒業して早1年。時間の流れは早いものだ。ヨルちゃんと出会ってからは特に。

 

「……それで、本当にどうするの?」

 

 からかわれた事に気付いたマーシャはブスっとした表情で聞いてくる。

 

 ヨルちゃんの扱いか……。そこが今一番の懸念事項だ。

 聖教会の上層部には、私の知る全てを報告した。ヨルンが護るべき対象であり、天使サナティオからの支持も得た事を伝えた。これで彼女の安全は少し増すはずだ。

 

 しかし、敵は神出鬼没の黒燐教団。叙任式の時を考えれば、奴等は誰にも気付かれず私達の胸元に忍び込む。今だってどこに潜んでいるのか分かったものじゃない。

 

 ヨルちゃんの安全は本当に確保できたのか? それが心配になって、どうしても手元に置いてしまう。

 

「あの年頃は、色んな物に興味が沸くものよ。ましてや世界を知らぬ『箱入り娘』でしょう? いつ爆発したっておかしくはないわ」

「マーシャみたいに?」

「……」

 

「マーシャみたいに?」

「……ああ、そうよ!! 私だって屋敷に閉じ籠もってないで遊びたいし、屋台の物だって食べたいわ! なんならエッチな事も大好きよ! 抑圧されれば余計に知りたくなる! だって女の子だもの!」

 

 からかわれた事に開き直って対抗するマーシャ。でもその顔はちょっとだけ赤くなっていた。恥ずかしいなら言わなければいいのに。

 わざとらしいニマニマとした表情でマーシャを見つめる。数秒ほど黙っていたらマーシャが吼えた。

 

「あぁもう! 何か言いなさいよ! これじゃあ私がエッチで変態みたいじゃない!」

 

「いいじゃないですか。私はそっち方向の知識を貴方から教えて貰ったんだし。貴方は十分エッチですよ」

「それはアンタが無垢過ぎて、心配だから教えてやったんじゃない!」

 

 でも、そのおかげで私は赤っ恥だ。

 かつて【純潔】との取引で「体を寄越せ」と言われて、悲壮な覚悟で身を差し出したら、ただ血液を取られるだけと誰が思うのか。

 

 貴方の知識では、「体が欲しい」とは性交渉の言葉では無かったのか。彼の言葉で変な妄想をしてしまった私の事を考えてほしい。

 

 しかもその後、勘違いに気づいて悶える私を見たヨルちゃんから「何かあった?」と無垢な顔で尋ねられた私の焦り。返答に窮して、私が如何に穢れた存在か気付かされたあの惨劇。

 思い出しても布団に潜り込みたくなる羞恥心を貴方にだって味わってほしい。

 

「ね……友達だものね、私達」

「な、なによ……。なんでそんな辛そうな顔をしてるのよディアナ」

 

「ふふふ……」

「こ、怖いわね。大丈夫? 目が死んでない?」

 

 幸いだったのは、ヨルちゃんも【純潔】も、私の勘違いに気付かなかった事か。もし慰められたり、馬鹿にされていたなら私はヨルちゃんの記憶を消して、【純潔】を殺さなければいけなかった。

 

 ああ、そうだ。今の【純潔】とは一応、協力関係と呼べる状態になっている。

 ヨルちゃんの安全が確保されるまで、彼は私達に敵対しないと言っていた。それどころか協力する意志を示された。

 信用は……できるだろう。彼が居なければ、教団施設からヨルちゃんの救出は出来なかった。勤勉から逃げる事も不可能だった。

 

 彼は彼なりの信念で動いている。それはヨルちゃんを信奉することであり、守る事。ならば一時的でも共同戦線は張れるはず。

 目的のためとはいえ、犯罪者であり、人殺しである【純潔】と手を組む事は本来許されない。しかし、教団内の情報も手に入る実利を考えれば悪い事ではない。ただし、己の正義に目を瞑ることができるなら。

 

 清濁併せ呑むような事が出来るようになってしまった自分に失望する。それでも、私は彼女を守りたい。

 

「……結果、ヨルちゃんを閉じ込めているような状態になっているのは申し訳ないですが」

 

 天使が警戒し、サナティオ様が守護する大聖堂は今、世界で一番安全な場所となっている。

 何度も聖堂から出ていきたいと言っていた体調不良のヨルちゃんに、無理を言って留まって貰ったのは申し訳ない。付きっ切りで看病できなかった事は謝っても謝り切れない。

 

 貴方を守るためなんだ。

 そう言うのは簡単だが、考えると南都に来てからヨルちゃんには無理を押し付け、私は我儘を言いっぱなしだった。マーシャが怒るのも当然の事。

 

「そう、ですね。少しヨルちゃんと話してきますね。あの子が今望んでいる事は何なのか、これからどうしたいか。聞いてきます」

 

「ええ、それがいいわ。喧嘩は些細な事で起きるものよ。ちなみに今、私は彼氏と喧嘩中ってね。この前なんかウンコみたいな料理だされたから、もう大喧嘩。なによアレ見た事ない」

 

「ふふ、下品ですよ、マーシャ」

 

 明るい笑顔のマーシャにつられて私も笑う。

 彼女の指摘で気付かさせてくれた。いつからか私がヨルちゃんの背景ばかりに気を取られて、彼女自身を見れていなかったこと。

 

 早く彼女に会いたい。会って、話をしたい。そう思った。

 

 だけど少しだけ遅かった。

 

『ちょっとフェレ君探しに行ってくる』

 

 練習中のつたない字で残された書き置き。

 私がヨルちゃんの部屋に辿り着いた時。彼女はたった一枚の紙を残して、誰の目に触れることなく姿を消していた。

 

 




ヨルン「まあ、ちょっとぐらい良いでしょ。天使嫌いだし」 ← 考えが緩い馬鹿
銀鉤「……」 ← 利己的過ぎる馬鹿
ヤト「」 ← 馬鹿


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

南都散策、変わりゆく現状

 銀鉤協力の下、天使の目を掻い潜って聖堂を抜け出した。

 

 南都に来て半月以上。久しぶりの外出だ。

 全身で風を受けると心地よい開放感に包まれる。しかし日差し照りつける公道は夜人には厳しく、然しもの銀鉤も日光を嫌がるように影に籠って出てこなくなった。

 

 寂しそうな銀鉤が影の中からこちらを覗く。

 大聖堂の結界よりも日光の方が弱点らしい。

 

「銀鉤? ぎんこーう? ……あ」

 

 俺も1人は寂しかったので影に声をかけていたら、何故かヤトが出てきた。

 

「あ……」

 

 でも日光に焼かれてすぐに消えて行く。

 浄化された靄の残り香からヤトの嘆きが感じられた。

 

「ばいばい」

 

 お前、結界にすら勝てないのになんで出てきた?

 ……まあいっか。風に吹かれて飛んでいくヤトの残滓を見送った。

 

 一人取り残された俺は、どうしようかなぁと考えながらフラフラと足を進めて人通りのない路地裏を適当に進む。

 

 特に強い意志が有って外出した訳ではない。

 ただ、天使に監視されているような状況が気に食わなかったのと、街の状況が知りたくなったから聖堂を抜け出したのだ。

 

 色々あって忘れかけていたが、俺の目標の一つには「聖教会に対抗する力を保有する事」がある。

 

 天使のすぐ近くで敵対行動を取れるはずがない。

 俺は彼等に気付かれないようにしながら、聖教から排除されそうになった際の対策を用意する必要があった……のだが、なんか思ってたより闇の受け入れがいい。

 

 俺の最初の想定では、大人verヨルンと天使サナティオが出会った時のような状況を考えていた。

 真っ当な聖教信徒に出会った瞬間「闇は死ね!」と問答無用で排斥されると思っていた。そして、俺を庇護してくれた優しい聖女さんにも異端審問という形で害が及ぶと懸念していた。

 

 最悪を想定して、全てを打ち倒せるだけの力を求めたのだが……蓋を開けてみればそんな事は無く、何故か俺は聖教から守護対象にされている。

 

 ……襲われる想定だったから、守られるとか思ってない。

 まさか「外は危ないよ」って部屋に押し込められて、護衛に天使まで付けられるとか思ってない。

 

 でも理由は分かってる。全部、聖女さんのおかげ。

 彼女がどう言いくるめたのか分からないが、闇を嫌っている――というより、恐れている――天使すら説得して、『教団の被害者』たる俺を守る様に手配してくれたのだ。

 

「……んー?」

 

 改めて考えてみるが……これ、聖教会への対抗策いる?

 聖女さんが南都聖教会のトップに立って、天使たちまで俺を守る様な事を言い出したので、ちょっと必要性が分からなくなってきた。

 

 なんか天使って聖女さんの威光に平伏してない?

 サナティオすら聖女さんのお願いを聞いて動くとか……まあ分かるよ、聖女さんの純真さに触れれば、お願い位叶えてあげたくなるよね。分かるわかる。

 彼女が言えば黒も白になる。闇たる俺すら守る気になるよね。

 

 ……もう、聖女さんのおかげで聖教と天使が味方になったと考えて良い?

 

「うーん? ……うん」

 

 ちょっと悩んだが、でもまあ、戦力は無いより有った方がいいか。

 

 敵は聖教会だけとは限らない。

 一部には狂信者だっているはずだし、フクロウみたいな狂人もいる。なんなら本物の黒燐教団も気がかりだ。国家間の緊張がきな臭くなってきたとも聞く。楽観視はよくない。

 

 村から街に移住した事だし、非常事態を考えて簡易拠点の一つぐらい近くにあってもいいかもしれない。夜人へ新規拠点の構築をお願いしておこう。

 森の拠点は場所がバレたからね。安全策は幾つも講じて初めて安全となるのだ。

 

「そういう事で新しい拠点作って。簡単でいい。場所は……お任せ」

 

 周囲に人の目が無いことを確認してから、自分の影に向かって話しかける。

 これで、天使たちに聞かれて不味いお願いを夜人に伝達完了。よし。

 

「後は……」

 

 まずは一つ目的を達したが、街に来た理由は他にも有る。

 

 治安回復のための第一歩もそう。

 俺が乱した街の平穏がどうなったのか。現状を知らずして収めることなどできないから、これからどう行動するのが最適か、今日は街の下見に来たのだ。

 

 そしてもう一つ。フェレ君どこいった? 

 聖堂の建て直しでも白いフェレットの遺体は見つからなかったらしいし、実はまだ生きているんじゃないかと希望を抱いて探しに来た。

 

 初めて飼うペットは思ったよりも俺の心を占めていたようだ。

 柔らかい毛並みと可愛らしい仕草を思い出すと、どうしても諦めがつかない。そう言う意味でも部屋に書き残しておいた『フェレ君を探してくる』という文言は決して嘘ではない。

 

 

(だから今回の目的は、街の情報収集とフェレ君捜索……なんだけど、街の様子が前と随分と違うような?)

 

 人目に付かぬように聖堂から路地裏に【影渡り】で転移した後、主要道路に移動して違和感に気が付いた。俺たちがこの街に来た当初より、人の密度が減っている。

 

 今はお昼を少し回ったところ。

 一番人通りが激しい時間帯にも関わらず、メインストリートは歩きやすい状態になっていた。

 人同士がぶつかることは無いし、スリに遭う事もない。まるで違う街に来たような光景を不思議に思いながら進むと、あちこちで賑やかな声が飛び交っていた。

 

「はい、らっしゃい! 北海直送! 新鮮な冷凍海鮮の入荷だよー!」

「聖女様公認、聖書の最新版だ! 新たに綴られる神話の真実! 今なら抽選でサナティオ様の直筆サインが当たるキャンペーン中だ! さあ買った買った!」

龍穴坑(レイライン)から未使用の魔結晶を大量入荷! 魔力切れの魔具をお持ちの貴方は必見だ! 10個買えばオマケに1個付いてくる!」

 

 元気に叫ぶ客引き達。

 それ以外にも客と店のやり取りも聞こえてくる。

 

「店主。ダメだ、香辛料が少なかったようで、あんまり美味くできなかった。彼女に怒られてしまったよ」

「あぁん? お前、昨日あれだけ買い込んで、まだ足りないってか? ……はあ!? 全部使った!? それ本当に料理なのか……? 錬金術じゃねぇのか?」

「もちろん料理だ! やはり"らしさ"を出すためにターメリックを入れ過ぎたか? 次はバランスよく入れてみるか」

 

「バランス良くねぇ? とりあえず、その彼女さんはなんて言ってたんだ? それを参考に味の改良をするか」

「ウンコを食わすな、だそうだ」

 

「調味料で錬金術するのは止めろッ!」

「そんな事はしていないッ!!」

 

 盗み聞きしながら、買い物中の男の横を通り過ぎる。

 探索者(シーカー)風の武装姿なのに料理とは、異世界は男女平等が進んでいるようでなによりだ。でも料理の腕はお察しらしい。

 

 そのままメインストリートの散策を続けて、あちこち見て回る。

 お店はみんな景気が良いらしく、気前よくセールしている所が目についた。住民も高価な食材や何かの記念品をバンバン買っている。

 

 ふむ……。

 

 ふむふむ……。

 

「治安の乱れ……どこ?」

 

 なんか平和じゃねぇ?

 街に来た当初の悲壮感がどこにも無い。あちこちで威勢のいい声は止まず、住民達は笑顔で満ちている。

 

 なにが嬉しいのか、屋台のおっちゃんが笑顔で串焼きをくれた。

 どうやら子供に配っているらしいが……俺は子供ではないよ?

 

「……塩味」

 

 串焼きはタレ派です。

 でも久しぶりに食べるチープな味付けの串焼きは大変おいしゅうございました。

 聖女さんの手作り料理は好きだが、毎回野菜が多いからね。たまにはこういうのも良いよね。え、もう一本くれるの? ありがとー。

 

「沢山食って早く大きくなるんだぞ!」

 

 無表情で受け取る俺にも優しいおっちゃん良い人。でも頭を撫でる許可は出してない。

 

「おいし」

 

 ぺろりと串焼きを完食。残った鉄串を店主に返して、バイバイと。

 

 さて、犯罪溢れる街がどうして優しい街に変貌したのか。

 そろそろ本格的に調べて行くとしよう。

 

 

 

 

 はい判明しました。

 大人たちの会話を盗み聞きして統合した結果、俺は驚くべき一つの事実に行き付いた。

 

 どうやら街の潮流が変わったのは、天使の降臨が切っ掛けらしい。

 神聖にして至高に近いサナティオを叙任式で召喚したのは聖女ディアナ。しかもその聖女が司教として南都に赴任した……かと思いきや、ここで聖教会本部がディアナさんの位階を司教ではなく「大司教」に変更すると、更なる昇進を通達。

 

 天使と聖女という絶対的な守護者が南都アルマージュを守ってくれるという安心感は、住民の荒んだ心に染み渡った。そして二つの威光にて街に平和が訪れ万々歳――という精神論だけで終わらないのが聖女さんの凄い所。

 

 どうやら俺が体調不良でダウンしてる最中にも、彼女は精力的に働いていたらしい。

 

 南都領主と会談して人口対策を打ち立てたり、多くの司祭を動員して民心の掌握と慰撫を実施。結果、南都外縁部で街の拡張工事が始まった。

 

 南都の面積を倍にするほどの大規模工事だ。街に溢れていた浮浪者や移住者を新地に移動してもまだまだ余裕がある。

 加えて大量の移住者――つまりは失業者――を雇用しての建設ラッシュは、街に犯罪率低下と好景気を齎した。

 

 急転直下。たった一つの行動で人口増加と治安対策を一挙に解決するとか意味分かんない。

 仮にその案が浮かんでも、大金を出す南都領主をどう納得させんのって話だが、それは建設予算を南都聖教会持ちにする事で強引に決行。

 

 はえー。

 

 もう大司教の権力が凄いのか、聖教会の懐事情が暖か過ぎるのか分かんないが、着任すぐさま快刀乱麻する聖女さんの決断力は凄いですねとしか言えない。

 しかも結果が出ているのだから、住民達の聖女さん株が更に上がっていくという好循環。そんな事情を知って絶句してしまう。

 

 つまり、街が優しくなったのは全部、聖女さんのおかげだったんだよ!

 

「……私の出番は?」

 

 無いかな? ……無いな。

 

 いや俺だって治安の回復頑張ろうと思ってたんだよ? その為に今回、聖堂を抜け出したんだよ? でも、動こうとした時には終わってるとか意味分かんない。……俺要る? 要らないよね?

 

「…………フェレ君探そ」

 

 どこかなー?

 俺の可愛いフェレット君どこかなー? あっちかなー?

 

 別に拗ねている訳では無い。無いのだ。だっていい事だし……。

 

 

 

 

 フェレ君どこにも居ない件について。

 

 路地裏探してみたり、ゴミ箱開けてみたけど見つからない。広い南都から一人で探し出すのはやっぱり無理が有ったのだろうか。

 

「どうしよう」

 

 夜の時間帯に夜人に捜索して貰おうかとも考えたが、フェレ君は夜人達からの受けが悪いから悩んでいる。特に幹部級である銀鉤から大顰蹙を買っているから頼んでも大丈夫か不安。

 たぶん犬とフェレットという、同じ動物括りでライバル視してるんだと思うんだが……。さてどうするか。

 

「……聞き込み?」

 

 一人で探して見つからないとなると、街人から目撃情報を聞けるといいのだが……それも不安だ。

 

 なにせ、この体はまだまだコミュ障が強い。

 夜に暴言を吐かなくなったり、クシャミが消えたりと、最初期よりだいぶマシになったとはいえ口数が少ないのは変わらず。初対面の人と上手にお話しできるのか、俺はこの体の言語野を司る【夜の神】が心配です。

 

 ―― ……。

 

 なんか不満げな気配を感じたが、心配なものは心配です。

 

 この体に馴染み、だんだん体の理解も進んできた。

 最初はキャラクリで設定したと思われる「凍った人格」の影響で無口になったと考えたのだが、実はそうじゃない。

 

 夜になると言葉の棘が強まったように、俺が放つ言葉は【夜の神】フィルターを通される。そして神の意志の下、昼間は台詞の取捨選択がされて、夜なら"添削"される。

 つまり、俺の言語能力は【夜の神】のコミュ力に左右される仕組みとなっていた。

 

 行ける? 知らない人との会話でも、言葉の選択ちゃんとできる?

 そう聞けば【夜の神】は自信があるような感情を見せてきた。

 

 えー本当、大丈夫? じゃあ行くよ?

 

 ―― 待って。ちょっと待って。

 

 と思ったら、ストップがかかった。どっちや。

 

 緊張をほぐす様に何度も深呼吸する夜の神。

 数分待つと、ようやくOKの合図が出たので通行人の女性に声を掛けてみた。

 

「白いフェレット。知らない?」

「え? な、なに……?」

 

 俺に声を掛けられて、目を瞬かせる中年女性。でもそれもすぐ困ったような表情に変わる。……だろうね。

 

 これでも俺は「すみません、俺のペットで白いフェレットがいるんですけど逃がしちゃって。どこに行ったか知りませんか?」と言いたかったのだが、出てきた言葉はさっきのあれ。

 会話というより、むしろ単語の羅列。うーん、すごい言語省略を見た。

 

「知らない?」

「……貴方、白いフェレットが欲しいのかしら? それならペットショップはあっちの通りよ?」

 

「ありがと」

(ありがとうございます。でもそうじゃなくて、俺はペットのフェレットを探して――あれ?)」

 

 悲報【夜の神】会話をあきらめる。

 お前、台詞の後半どこに捨ててきた?

 

 去って行く中年女性の背中を黙って見送る、俺と神。

 

 ―― ……ん。

 

 なんかドヤ顔のイメージが送られてきたんだけど。

 

 いいえ、これは失敗です。

 そんな満足げな感情を出さないように。

 

 




キャラクリの謎――
▼主人公の当初の認識
「凍った人格」:体に無口、無表情を追加
「夜を閉じ込めた黒」:体に神の力を内包。夜人の使役能力を獲得

▼今の認識
「凍った人格」:特に効果なし?
「夜を閉じ込めた黒」:夜の神と同化(無口、無表情も追加)?


ヨルン「こういうこと?」
夜の神「……」 ←コミュ障の元凶


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ヨルンの家出

『ちょっとフェレ君探しに行ってくる』

 

 アルマージュ大聖堂の一室。ヨルンに貸し与えられた部屋で書き置きを読んだディアナは呆然と立ち竦んだ。

 崩れていて読みにくい文体は努力の跡が見て取れる。幾度となく共に勉強したからこそ、ヨルンの筆跡に違いない事がすぐに分かった。

 しかし内容まで理解が及ばない。消えたヨルンを探すようにディアナは室内を見回した。

 

 ヨルンの部屋はスッキリとした素朴な造りとなっている。

 彼女は私物を殆ど持たない。部屋にあるものと言えばベッドや机、そしてディアナが持っていたヌイグルミと勉強道具ぐらいのもの。

 それも綺麗に整理されており、荒らされた様子はない。誰かが侵入した形跡も見つからない。つまり無言での脱走はヨルンの意志となる。

 

「ヨルちゃん!?」

 

 ようやく事態に理解が及んだディアナは跳ねる様に窓際に飛びついた。

 

 窓から見える範囲にヨルンの姿は無い。

 鍵は内側から施錠されており、ここから抜けだした可能性は低い。しかし部屋の入口には【目睹する盲目天使(アナーリング・アイズ)】――金色の鎖を全身に巻き付け、顔布を纏った中位天使の一種――が警護に当たっており、ヨルンが外出したとは聞いていない。

 

 一体どこから、どうやって? ……いや、それはさして重要な事じゃない。

 ヨルンが一人で聖堂を抜け出した。それが最重要。

 

「うそ……」

 

 目の前が真っ暗になるような錯覚、心が抜け落ちてディアナは床にへたり込んだ。

 南都はまだまだ危険が一杯だ。何処に誰が潜んでいるか分からず、治安も回復途中。決して一人で外出なんてさせられない。

 

 遊びに行くにしても、どうして相談一つしてくれなかったのか。なにかがヨルンの気に障ったのか。

 手紙だけ残して出て行くなんて、これでは、まるで――。

 

「いいえ、大丈夫。大丈夫だから……。ヨルちゃんは単に遊びに出かけただけで……フェレ君を探しに行っただけで……」

 

 ――本当に?

 安心したい自分に、悲観的な自分が問いかける。

 

 書置きを残して出かけるなんて行動がこれまでに有ったか? ディアナの目から隠れるように抜け出す必要が有ったのか?

 考える。南都に来てから彼女を傷つける事は無かったか。

 考える。不満を抱かせることが何も無かったと言えるのか。

 

『アンタは何時まであの子を部屋に閉じ込めておくつもり?』

『あの年頃は色んな物に興味が沸くものよ。いつ爆発したっておかしくはないわ』

 

 ……有った。

 マーシャの言葉が反芻される。一度そうと思えばディアナはもう、それとしか思えなかった。

 

「なんで……ヨルちゃん。どうして『家出』なんか……」

 

 ――分かってる。全ては自分の傲慢だ。

 

 ヨルンが精神的にも肉体的にも子供なのは知っていたのに、仕事にかまけて大事なものを見失っていた。

 「2個目はまた次に買おうね」と約束したお菓子屋さんには行けていない。楽しみにしていた南都観光は何も出来ていない。

 

 ディアナの懇願でヨルンは天敵たる天使に囲まれながら部屋に籠ってきた。

 しかし気を許せるディアナは構ってくれない。遊び相手だったフェレットはもういない。仲の良かった友達も、お菓子をくれる兵士達も、ここには誰も居ない。

 

 無い無い尽くしのつまらぬ軟禁生活。

 教団で生まれ、悪意に育まれた彼女は我慢が得意だったけれど、それに頼りきった結果がこの始末。教団という枷を壊そうとしたディアナが、いつしか彼女の新しい枷になっていた。

 ヨルンが紙切れを通してディアナに否を突き付けた、これこそ彼女の意思表示。

 

 ――なんて。

 そんな事を真剣に考えたディアナは、震える手で紙を抱きしめると涙を浮かべた。

 

「ごめん……ごめんね、ヨルちゃん」

 

 ヨルンはどれほど怒っているだろう? 危ない目に遭っていないだろうか? 後悔と心配が渦巻き、ディアナの心を責め立てる。

 

 【純潔】や【勤勉】の時とは事情が違う。今回の家出は彼女の意志によるものだ。

 

 本当に連れ戻すのが正解なのか? 

 ……それは間違ってないはずだ。彼女を狙っている者だっているのだから、このまま一人で南都を彷徨わせるわけにはいかない。

 あまりお金を持ってないはずだし、数日すれば寝る場所にだって困るはず。ヨルンを探さない理由は何も無い。

 

 でも連れ戻して、その後は?

 またこの部屋に閉じ込めるのか。それでは彼女の意志を捻じ曲げ続けた黒燐教団と変わらない。

 ディアナは考えを纏めきれず、頭を抱えて壁にもたれ掛った。

 

「……!?」

「!!?」

 

 何時まで経っても部屋から出てこないディアナの様子を気にして、やってきた中位天使達が護衛対象(ヨルン)の不在に気が付いた。

 ヨルンのベッドに置かれていた紙製の人型――形代――を手に取って、オロオロと慌てている。

 

 あの紙から僅かにヨルンの気配が感じ取れた。

 なるほど、それで【目睹する盲目天使(アナーリング・アイズ)】の監視をすり抜けたという事か。……だから何だというのだ。

 ヨルンに嫌われたかもしれないという最悪を想像して塞ぎ込みたくなる。

 

「ディアナ、どう? ヨルンといい感じで話はできた……って、何してんのアンタ?」

 

 頭上から軽快な声が聞こえた。

 顔を上げると、真紅の髪と丁寧に手入れされた司祭服が目に映る。

 

「ぁ……マーシャ」

 

 どうやら彼女はディアナを心配して様子を見に来てくれたようだ。しかし床にへたり込んでいる友人の姿を見つけて訝し気な表情を浮かべている。

 ディアナは震える手で置手紙を差し出した。

 

「なによこれ」

「ヨルちゃん、家出しちゃった……」

「はぁ?」

 

 マーシャは訳が分からないと言いたげな目で手紙を受け取ると、鼻で笑った。

 

「家出って馬鹿じゃない? ただの遊びでしょ。まあ一人で外に行ったのは、確かに危ないけどさ――」

「違う! それは違います! マーシャは何もわかってない!」

「はぁ!?」

 

「ヨルちゃんは幼いけど頭がいいんです! 文字を覚えるのも早いし、社会常識にだって柔軟に対応できる! だから、こんな心配を掛けるような事はしないんです!」

 

「そうなの……? 子供が覚えたての文字を使いたかったとか、アンタに自慢したかったとかじゃないの?」

 

「でもヨルちゃんは何をするにしても『聖女さん、聖女さん』って、雛みたいに私の後ろを付いて回ってたんですよ!? 遊びに行くにしてもいつも一言声をかけてくれてました!」

 

 村での様子を思い出しつつ、ディアナは思いのたけをぶつける。

 

「お菓子を貰ったら、名残惜しそうにしながら分けてくれました! 最初は恥ずかしがってた添い寝やお風呂だって、今では素直にしてくれます! そんな可愛いヨルちゃんが、こんな――!」

 

「ちょっと待って、お風呂ってなに。今それ関係ある?」

 

「…………無いかもしれない」

「でしょうね。というかアンタ、ヨルンと一緒に入ってるんだ。ふーん?」

 

 どうやら混乱していたようだ。

 誰にも言えない秘密を教えてしまった羞恥でディアナの顔が真っ赤になっていく。なんとか話題を戻そうと、少しどもりながら声を荒らげた。

 

「で、でもでも! ほら書き置きですよ!? マーシャだって、それ残して家出したんでしょ!?」

「私?」

 

 マーシャ事「マーシア・ロートティスマン」。

 名前にファミリーネームがついている事から分かるように、彼女は良家の出身だ。

 花よ蝶よと育てられ、それが嫌で家を出た。その際にヨルンのように書き置きを残してきた事を、ディアナは本人から武勇伝のように聞いていた。

 

「マーシャが残してきた内容を言ってみてくださいよ! ヨルちゃんのとそう変わんないでしょ!?」

「そうねぇ……私の場合はたしか『ちょっと遊びに行ってくる』だったかしら?」

「ほらぁ! なんですか『ちょっと』って! ちょっとで何年遊ぶつもりですか! 一体いつ家に帰るんですかぁ!」

 

 このままではヨルンも家に帰ってこないかもしれない。

 いや、それどころかマーシャの様にエッチでいけない事に傾倒した、遊び人になってしまうかもしれない。そう思うとディアナは無性に悲しくなってきた。

 

「あぁ! ヨルちゃんがマーシャみたいになったらどうしよう!!」

「……どういう意味?」

 

「うわあぁ、そんなの取り返しがつかないよぉ!」

「だからどういう意味よッ!! ……ああもう、話が進まない! ほら行くわよ!」

 

「行くってどこに――うわっ! ちょっと、止めてください! せめて立たせてください! 引きずらないで!」

「そりゃ逃げたと思うなら、急いで探しなさいよ! 早く!」

 

 マーシャに首根っこを掴まれて、座ったまま後ろに引きずられる事数分。

 廊下を抜けて辿り着いた部屋はサナティオが滞在している特別客室だった。マーシャは礼儀を忘れて扉を開け放つと、勢いよく頭を下げた。

 

「失礼します! サナティオ様に緊急でお願いしたい事があって来ました!」

「な、なんだ!?」

 

 部屋の中でサナティオは机に向かっていた。

 色紙と筆を前にして悩んでいたようだが、突然のマーシャ来訪に驚きの声をあげる。

 

「サナティオ様! お絵描きしている場合じゃないですよ!」

「お、お絵描きだと!? ちがっ! これはお前らがどうしてもと言うから書いてたやつで……!」

 

 マーシャに引っ掻き回された事とサナティオの御前という事もあり、なんとか自分を取り戻したディアナは立ち上がる。

 「お絵描き」と言われた色紙を見て、以前お願いしたサナティオの"サイン"だろうと思い至った。

 

 急遽決行される事となった南都拡大計画の工費は莫大だ。いくら世界的宗教でお布施も豊富に集まるエリシア聖教と言えども、簡単に出せる額ではない。

 

 そのために立案されたものが、聖書刷新案とサナティオのサイン抽選案だった。調和派の人間から提案された内容は、神への不敬極まりないものだが、意外にもサナティオは消極的賛成という立場を取った。

 

『人間たちは少しばかり、私達の誇大表現が過ぎる。その割に敵陣営は過小評価だしな。聖書も間違っている部分が多いから一度作り直す方がいいだろう』

 

 そんな考えもあったようで聖書刷新についてサナティオは概ね賛成。

 一方サインについては大反対だったが、3日ほどおだてながら説得したら折れてくれた。というか3日目にはちょっと嬉しそうになっていた。

 

 サナティオ監修の下で刷新された聖書は、直筆サインが抽選で当たるという射幸心も相まって、短期間で信じられない量の予約を受注。南都を複数回作り直すことができる程の売り上げを記録した。

 

 ディアナは不躾なお願いを聞いてくれたサナティオに礼を送る。

 

「ありがとうございます。これがサナティオ様の署名……なん、ですね?」

 

 確認しようとすれば、なんだか光ってよく見えない色紙が沢山あった。他にも、筆圧が弱くて目を凝らさないとサインが見えないものが数枚。

 そして文字がぐちゃぐちゃになっていて、前衛的な絵画にしか見えないモノが複数枚、机の上に乗っている。これを見てお絵描きと言ったのだろう。

 マーシャは一枚の色紙を手に取ると、勢いよく手を挙げた。

 

「猫!」

「サインだッ!」

 

 どうやら、古代神字で「サナティオ・アウローラ」という神名を記すという事自体が神業に匹敵する奇跡らしい。

 ましてや書くのは本人だ。普通に書くだけでサインが聖物となってしまう。なんとか回避しようとした努力がこの猫(仮称)ということか。

 

「え? 猫……」

「……サインだ。私の名前……」

 

 信仰する神の自筆サインを読めなかった神官と、己の名前を動物扱いされた神。

 へこたれて気まずそうにしている二人を横目にディアナは話を切り出した。このままだと誰も特をしない。

 

「じ、実は、ヨルちゃんが居なくなってしまって……」

「ふむ?」

 

 サナティオも真剣な内容と察したようで気を取り直した。簡単な説明を聞き、事態を理解すると一度瞑目。すぐニヤリと挑発的な笑みを浮かべると開眼。言い放った。

 

「家出娘か……ふふん、見つけたぞ。ヨルンならここから北東に約1300m、屋内だな。とりあえず危険は無さそうだ」

「おお!? さっすがサナティオ様! それが千里眼って奴ですか!?」

 

「あぁ、千里眼ではあるが……だから、聖書にあったように未来過去は視れんと言っているだろう。赤髪の、あー……マーシアか。信仰心を持ってくれるのは嬉しいが、そんな便利なものじゃない。ただ遠くを見れるだけだ。太陽の出ている時限定だしな」

 

「おー! 今度は私の思考を読みました!? それが信者と交わせる『精神感応』って奴ですか!?」

「マーシャ、ちょっと……ちょっと」

 

 伝説の天使にして神たるサナティの御業を体験することは、聖職者にとって栄誉この上ないこと。マーシャが興奮気味になるのも分かるが、言葉遣いが不敬に過ぎる。

 サナティオが思いのほかフランクな神だったとはいえ聖職者と奉る神との間に一線は必要だろう。

 ディアナが静まるようにマーシャを制するが、当事者たるサナティオから許可が出る。

 

「構わない」

 

 信じられない言葉を聞いて2人は目を瞬かせた。

 

「正しい心を持ち、好意を寄せてくれる人物を無下にするほど狭量になり下がるつもりはない。時と場合を考えてくれるならば、私は構わない」

 

「おぉ……」

 

 なんと慈悲深い神か。思わず信仰を高めるディアナとマーシャ。

 サナティオはそれを感じ取ると、気恥ずかし気に顔をそむけた。

 

「それより、家出したヨルンの事だろう? そうだな……見やすくするか」

 

 サナティオは立ち上がると軽く手を振った。それだけで机と大量の色紙は消え去り、大きなソファーが現れる。

 

「ゆっくりしていけ。お前たちも気になるだろう」

 

 神から座る様に勧められ、おずおずと腰かける2人。断るのは失礼だし、受け入れるのも不敬。もうどうにでもなれと言う心境だ。

 続いて、3人の目前に巨大な水面が浮かび上がった。

 鏡の様に反射している水面が波打って、異なる映像を映し出す。サナティオの魔法だ。

 

「あ……ヨルちゃん」

「遠見の魔法と思え。これが今現在のヨルンの様子だな」

 

 魔法の窓から見えてきた光景は、ぼんやりと立ち竦むヨルンの姿だった。

 どうやらペットショップに居るらしい。様々な動物の鳴き声が聞こえてくる中、彼女は子犬のケージの前でじっと見つめていた。

 

「あ、あの……これ大丈夫な奴ですか?」

 

 ヨルンの居場所は知りたかったが、いくらなんでも覗きは良くないんじゃないか?

 そう思って目線を逸らしたディアナだが、隣から上がる下馬評のような会話につられて徐々に顔が上がっていく。

 

「むっ、ジッと見ていたから触りたいと思われたか? 店員から子犬を受け取ったな」

「いやー可愛いわ。やっぱり小動物って良いわね、癒されるわぁ」

 

「あ、え……見て大丈夫なんですか? いいんですか? あのー……ぁ……かわいい」

 

 無表情で子犬を持つヨルンの姿はどこか満足そうに見えた。

 ゆっくりと撫でる手つきは子犬を壊さないような怯えが混じりつつも、小さな生命の暖かさを堪能する優しいもの。恐る恐るだった手つきは徐々に遠慮が消えて、ついには子犬を抱きしめる。

 

「なんだ? アイツは犬が好きなのか?」

「あれ? ディアナー、ヨルンのペットってフェレットじゃなかった?」

「……はい、そうなのですが」

 

 犬もあの子と関り深い存在だ。

 もしかしたら、教団施設で亡くした友達「銀鉤」を思い出しているのかもしれない。

 

 そう思っていたら、銀鉤を連想させるような青いリボンを付けた夜人がヨルンに寄り添った。夜人と一緒に犬を見つめたヨルンがぽつり呟く。

 

『銀鉤に、似てるね』

 

「うっ……」

 

 どれほどの哀愁が籠められた一撃か。

 たった一言でディアナの心が軋みを上げた。

 

「……そうか『銀鉤』か。悪趣味な事だ」

 

 ディアナの辛そうな顔にサナティオが反応。腕を組むとソファーに寄りかかった。

 

「サナティオ様?」

「いや、何でもない」

 

 不機嫌そうになったサナティオはそれきり黙り込む。

 理由が気になったディアナであるが、映し出されているヨルンの様子も気になる。彼女は満足したのか犬を優しくケージに戻すと、その場を立ち去った。

 何かを探す様に店を歩き回り、しかし見つからなかったようで店員を呼び止めた。

 

『白いフェレット、知らない?』

『はい。フェレットのコーナーですね。こちらになります』

 

 どうやらフェレットはあまり人気の無い動物らしい。犬や猫と違って、専用の場所は無く、その他小動物コーナーで一括りになっているようだ。

 ヨルンは案内されて、白いフェレットを見つけると立ち止まる。

 

「ペットショップに来たってことは、やっぱり新しいフェレットが欲しいのかしら?」

「それは……思い切りがいいと言うか、切り替えが早いと言うかだな」

 

「……違います。ヨルちゃんは悲しんでます。ほら、見てください眉が下がってしまいました」

 

 失礼な推測を言う2人に、ディアナはちょっとムッとして説明する。

 ヨルンの顔を指さして「ここ、ここですよ」と彼女の表情を解説。だが2人には普段の顔と何ら変わりない無表情に見えたようだ。困ったように首をひねって唸り上げる。

 

「うーむ、これが悲しみの顔か。……マーシア、分かるか?」

「分かんないです!」

 

「どうしてですか。子犬の時はワクワクしてて、フェレットを見て落ち込んだでしょう? たぶんフェレ君が捕獲されたか心配になってお店を見に来たんでしょうね」

 

 ディアナの推測は当たっていたようだ。

 映像の中のヨルンは、売り場に居た白いフェレット達の顔を確認して小さく首を振ると、何も買わずに店を後にした。どうやらこの店にフェレ君は居なかったらしい。

 

「おぉ! 正解とは凄いわねディアナ。じゃあ次の行動は分かる?」

 

「え……つ、次ですか? うーん、フェレ君捜索を続けるか、お昼から時間も経ってますから、そろそろお腹が空く頃だと思います。お金が有るなら甘いもの買うかなぁ」

 

「家出したなら、別の街に行くんじゃないか? 駅馬車を探すだろう」

 

 最初の心配はどこへやら。

 ただの野次馬と化した三人は各々の予想を言い合いながら、ヨルンの行動を監視する。

 

 店を出たヨルンはそのままチョロチョロと路地を動き回っていた。たまに通行人に「白いフェレット、見なかった?」と聞いては空振りして、広い南都を動き回る。

 

 東に行っては路地裏をさ迷い、西に行っては市場を見て回る。途中で警邏の兵士に迷子扱いされて不満そうにしていた。

 

『む……!』

 

 成果が得られぬままの時間ばかりが過ぎていき、いつか見た菓子屋に辿り着いた。

 ヨルンが意図的に来たわけではなさそうだ。

 彼女はお店の存在に気付くと、驚いたように体を振るわせてそのまま硬直。全てのポケットを叩いてお金がない事を知ると、大げさなまでに落ち込んだ。

 

「あ! これは私にも分かったわ! 悲しんでるわね!」

「よ、ヨルちゃん……まさか1シエルも持ってないの!? 最低限お金ぐらい持って家出してよぉ……!」

 

 いざという時の為に、ヨルンには纏まったお金を預けている。一般的な宿屋であれば数日は宿泊できる位あったはず。決して少ない額じゃない。

 でもヨルンにとってお金は縁がない物だったようで、家出する際にもお金の存在を忘れていたようだ。お菓子屋に辿り着いて初めて無一文を認識したらしい。

 

 美味しそうなお菓子を買えず、遠目から眺めるヨルンは酷く哀愁漂って見えた。

 

 そんな調子で、どうやって生きていくつもりなのか。

 過保護に育て過ぎたか、いやこれも閉じ込め過ぎた弊害か。ディアナの自己嫌悪がドンドンと深まっていく。

 

「む、いま影から何か出たな。……5千シエル硬貨だ」

 

 だけど過保護なのは夜人も同様らしい。

 彼等はショックを受けた主を慰める様に、影から軍資金を差し出した。ヨルンが手に取って喜んでいる。

 

「夜人ってお金持ってるの? ディアナがあげた?」

「さあ、どうなんでしょう? 少なくとも私は5千硬貨なんて預けてませんけど」

「……まさか犯罪じゃないだろうな?」

 

 夜人が取り出した金銭は、一体どこから手に入れたものなのか。

 

 まさか窃盗か……?

 三人の間で不穏な空気が流れるが、答えを知る者は夜人以外にいるはずもない。とりあえず見なかった事にして、後でヨルンを通して夜人に注意しておくことで一致した。

 

「それでケーキを山ほど買ったな。まさかあれ全部一人で食べるつもりか?」

「両手でも抱えきれないわよ。店員が困ってるし、ヨルンも困ってるわ。あの子、先見の明が無いのかしら?」

「……ヨルちゃん」

 

 店先のテーブルに次々と積み上げられるケーキの箱。ヨルンは最初こそ、山の様なケーキを嬉しそうに見ていたが、自分で持てない量と気付くと徐々に困惑に変わっていった。

 せっかく買ったケーキを前にどうすることもできない。欲に溺れた者の末路を見た気がした。

 

「……」

 

 無言で顔を覆う三人。

 だけどそこは【夜の神】の器たるもの。ヨルンは閃いたように手を打つと、闇魔法を活用して自分の影にケーキを収納することで万事解決。

 華麗にして無駄すぎる闇の極致を見た気がした。

 

「はぁ!?」

 

 隣から驚きの声があがった。

 

「おい、それは闇魔法だぞ!? 世界の半分を汚染して、絶望を刻んだ狂気の法なんだぞ! 分かってるのかお前! 間違ってもケーキ入れじゃないんだ……っ!」

 

 なんかサナティオがショックを受けている。

 小声で「なんでだ……私が何度も殺されかけた、あの魔法が……」とか、「そんなん有りか……」とか嘆いているがそっとしておく。

 それよりも、そろそろ時間だ。日が落ちる。

 

「ディアナ、そろそろ決心ついた?」

「……」

 

 ここまで黙ってヨルンの様子を見てきたのは、彼女の安全を確保するためであるが、それ以上にディアナの踏ん切りが付かなかったことも有った。

 

 会って何を話そうか。ヨルンにどう謝るべきか。もしかしたら、嫌われてしまったかもしれない。迎えに行ったら、逃げられるかもしれない。

 考えれば考える程、ディアナは足がすくんでヨルンを迎えに行くことが出来なかった。

 

 間違っていたのは自分で、彼女に我慢させ続けたのは私の弱さ。

 

 子犬を抱えて心躍る少女の微笑み。ケーキ前の困難に泣き、乗り越えてみせた彼女のしてやったりという得意顔。その全てがディアナにより抑えつけられていた感情だ。ヨルンに合わせる顔がない。

 

「分かっています……。分かっては、いるんです」

 

 このまま時間が止まればいいのに。

 ヨルンの小さな冒険をハラハラと見守って、可愛らしい仕草に心を癒して。そんな時間が永遠に続いてくれれば、これから訪れる怖い思いをしなくて済むのに。

 

「でも、そんな事はできませんから」

 

 時間を操る事は太陽神エリシアでも終ぞなし得なかったこと。人間でしかないディアナでは、どれだけ間違えて後悔しても前に進むより道はない。

 大きく深呼吸をすると意を決してディアナは立ち上がった。

 

「……行ってきます。行って、ヨルちゃんと話をしてきます。それで、帰ってきてとお願いしてみます」

「そうね。じゃあ私達も悪趣味な覗きはここまで。ディアナ頑張って――ああ! ちょっと待って!」

「うぇ!?」

 

 ヨルンの下へ急いで向かおうとしたディアナに待ったが掛る。というより、また後ろ首を引っ張られて物理的に止められる。

 何事と振り返れば、水面の中のヨルンが大聖堂の入口に戻っている事に気が付いた。

 

「むっ。見ろ、ヨルンの奴が帰って――」

「迎えに行ってきます!!」

 

 サナティオがほっとしたような声で教えてくれたが、ディアナは最後まで聞かずに部屋を飛び出した。

 

 長い階段を一足飛びに駆け下りて走る。走る。早くヨルンに会いたいと、無我夢中で風を切る。

 ヨルンが帰ってきてくれた。そう思うと、これまでの逡巡なんか幻のように消え去った。後悔なんかよりも嬉しさが勝る。

 

 警護の天使と衝突しそうになった。頭を下げる時間すら惜しいと走りながら謝罪を飛ばす。

 誰かの呼び止める声がした。今は仕事なんかに関わりたくないと、親し気な顔で道をふさぐ司祭を押しのけた。

 

 そして辿り着いた。

 夕日差し込む聖堂でヨルンと鉢合わせる。

 

「あ、聖女さん」

 

 彼女は自然体だった。

 いつのも口調。いつもの雰囲気。むしろ、ちょっと嬉しそう。

 

 ……あれ? 何かがおかしい?

 

 ディアナが不思議に思っている内に、ヨルンは小さな荷物――買ったばかりのケーキ――を差し出すとこう言った。

 

「今日も仕事おつかれさま。お土産買ってきたから、一緒に食べよう?」

 




ヨルン「ケーキおいしいね」 ←この後、怒られる予定
ディアナ「あぅぅう……美味しいよぉ……」←勘違いの羞恥心も堪能中



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お母さん

 

 南都アルマージュは、魔結晶の採掘を手がける小さな集落から始まった。

 技術の発展と共に魔結晶の需要は高まり続け、小さかった集落は村となり、街になる。

 採掘用の坑道は深く長く伸びていき、限界に達して崩落。だが坑道が迷宮に変化した後も人々の流入は止まらず、雑多な大都市を構築していった。

 

 数度の都市構造改革を挟みつつも当時の面影は残る。

 大通りから数本道を外れれば、そこは入り組んだ路地であった。大規模なスラムは先日の『スラム蜂起』の対処と、聖女さんによる改革で消失したが、柄の悪い輩まで消えたわけじゃない。

 

 フェレ君が居そうな方へ。

 今日こそ見つけるんだと意気揚々と進んでいた俺は、手を引かれて立ち止まった。

 

 振り返れば、手入れの行き届いた司祭服を着る赤髪ショートカットの女性。

 アルマージュ大聖堂内で何度か見たことある顔――マーシャという名前――が俺の手を掴んでいた。

 

「ダメよ、そっちは危ないからダメ。戻って来なさい」

「……」

 

 彼女は俺を引き戻すと言った。

 なるほど。この先は荒くれ者が集まる場所らしい。

 

 じゃあどうするか。東側は昨日行ったから西側にしようか。

 ここ数日フェレ君捜索、兼、探検気分で南都を歩き回っていたが、一向に街全体を回り切れた気がしない。

 

 今日はどこに行こうかな。

 異世界の街を自由に歩き回れる事にウキウキ気分で進む。

 

「こら、まっすぐ前を向く。そんなキョロキョロしてたら人にぶつかって危ないでしょ」

「……」

 

 大通りに戻った俺は、出店されている屋台を見て回ることにした。

 

 市井の食べ物をみれば、魔法技術とはかくも偉大な物だと実感できる。

 串焼きや果物が屋台で売っているのは良いとして、内陸部にも関わらず鮮魚まで売っている。果てにはアイスが当然の様にあるのだから、科学と異なる技術も侮れない。

 

 考察がてら眺めていたら、店主から優し気に「買うかい?」と聞かれた。

 羨まし気に見ていると思われたのだろうが、生憎とお金をあまり持っていない――この前のケーキ衝動買いで、お小遣い制になった――ので首を振ってお断り。

 そしたら、何故か売り物のアイスを貰えた。

 

 いいの? いいらしい。

 様子を伺えば、どうやら店主達はスラムの子など不遇そうな子供へ優先的にあげてるらしい。

 彼等も人間だ。天使降臨という奇跡の中で、善行を積んでアピールしたいのだろう。

 

 市場を歩き回るだけで次々と食べ物が贈られてくる。……ちょっと待って。俺はそんなに不幸に見える?

 

 目か。俺の目つきが悪いのか。

 ええい、これは生まれつきだ!

 

 むすっと怒りを籠らせながら両手の食べ物を交互に口に運ぶ。隣の神官から叱責が飛んだ。

 

「ねえ、さっきから屋台の料理を貰い過ぎじゃない? 夕飯を食べれるお腹は残しておきなさいよ。あと食べ方が意地汚いわ」

「……」

 

 あーもう。

 

「ほら口の周りが汚れてるわよ。ハンカチ持って無いの? 仕方ないわね、こっち来なさい。拭いてあげる」

「……」

 

 あーもう、あーもう。

 この人さっきから、うるさい。

 

 俺の取る行動に余すことなく文句ばかり言ってくる。

 なんとなくそれが嫌で、抵抗したいと思うけど正論だから言い返せない。

 

 ……いや、言い返さなくていいんだけどさ。

 子供(オレ)を心配しての注意だろうし、傍から見れば大人たるマーシャが正しいのは分かってる。でも不服。仕方なしに「私、不満です」と表情に意志を乗せて見上げる。

 

「なに?」

「べつに」

 

「なら前を見なさい。っほら! また地面に躓いた! あーもう、見た目と違って、全然落ち着きない子だわ!」

「……」

 

 でもやっぱり、やかましい。

 

 転びそうになったのを助けてくれたのは嬉しいけど、お前の所為じゃん? お前が真横でグチグチ言ったら俺だって気にするんじゃん?

 それでも文句は言わない。むしろ、お礼言っちゃう。俺は大人だから。

 

「……りがと」

 

 ―― ……。

 

 ごめん言えなかったわ。

 俺は大人だけど【夜の神】が子供だったわ。

 

 神様は偉そうに指図されるのがイヤらしく、さっきから不機嫌さを隠さない。

 なんなら聖女さんと親し気な(マーシャ)が嫌いらしい。

 俺にやっちゃえやっちゃえと思念を飛ばしてくる。一体何をどうしろと。

 

「はぁ」

 

 そんな俺の様子がマーシャの気に障った様子。疲れたように溜息を吐かれた。

 

(うん……俺も溜息出そう。今日は早目に帰ろうかな)

 

 

 

 南都に来てから長らく囚われていた俺でしたが、自由時間が出来ました。

 この前の置手紙事件で聖女さんに多大な心配を掛けてしまったが、何故か彼女が俺を部屋に閉じ込めていた事を反省したらしい。存分に怒られた後、いっぱい謝られた。

 そして俺は日中に限り、自由に出歩ける権利を得たのだ。

 

「それで、次はどこに行きたいの?」

 

 得たのだが……ただし、付き人が必要。

 最初の日は聖女さん。次の日はムッシュさん。そんで今日、初対面のマーシャが俺の御守を担当している。

 

 聖女さんの時はよかった。

 【夜の神】も大好きな聖女さんと一緒と知ってニッコニコの上機嫌。公園なんか行っちゃって、一緒に遊具に乗っちゃって。一日中遊び尽くした。

 

 ムッシュさんの時も悪くなかった。

 彼は、その素っ頓狂な見た目とは裏腹に知性主義らしく、博物館とか図書館に案内してもらった。図書館では神話を読んで【夜の神】を再認識。楽しかった。

 肝心の当人は自分の過去を見られるたびに恥ずかしがってたけども。

 

 そして今日。

 マーシャは……何だろう。

 

 彼女はどこかに案内してくれるとか無いし、遊んでもくれない。

 何をしてくれるのと言うと……文句言う係? うえぇ、やだ。チェンジを要求したい。

 

「なによ。なんでアンタまで溜息つくのよ」

「べつに」

 

 聖女さんの話ではマーシャは信頼できる人間らしい。

 口が悪かったり、態度がキツイ場面もあるけど根は優しく良い子。

 大切な人同士、どうか仲良くして欲しいと言われている。でも自己紹介の時から続く気まずさよ。

 

 ……良くない。これは良くないですよ。

 

 社会人たるもの、社交辞令は大切だ。

 俺も長年会社勤めをして来た人間。イヤな輩の一人や二人相手をして来たし、取引先の人間と思えばなんのその。マーシャとだって仲良くできらぁ。

 

「……」

「……」

 

「……」

「……」

 

 ごめん。やっぱキツイかも。

 

 なんか最近、俺の精神が退行してきた気がする。

 好き嫌いが激しくなったようで感情制御が不十分だ。内心がもろに態度に出てしまう。

 今だって仲良くしなきゃとは思いながらも、マーシャを見ると自然に目線が外れていく。

 

 あれか。【夜の神】と同調が進んできた的な?

 それとも聖女さんに甘やかされ過ぎて幼児化してきた的な? 環境が人を育てると言うが、その逆も然りって感じで。

 

 理由はなんでもいいけど、ともかくこの雰囲気がキツイっす……。

 でもそれは相手も同じだったよう。マーシャは大きく頭を掻くと、おずおずと話を切り出した。

 

「ねえ、アンタにとってディアナってどういう人なの?」

「……?」

 

「いや首傾げないでさ。馴れ初めという訳じゃないけど、アンタとディアナの出会いとか聞きたいなって。ほら、ディアナの奴、あんまり過去の事話さないじゃない? アンタの事情は聞いたけど、それ以外はね……」

 

「……ん」

 

 聖女さんの過去――。

 そう言われれば、あんまり知らないかもしれない。

 彼女の生まれは孤児だったみたいな事はちょびっと聞いたけど、それだけだ。

 

 生まれも育ちも全然知らない。

 マーシャと友人だとは聞いても、どこで出会ったとかは聞いてない。

 

「私にとっての……聖女さん」

 

 マーシャと聖女さんの出会いも気になるが、聞かれたのは俺が先。ならこっちの事を先に話した方がいいだろう。

 そう思って俺と聖女さんの関係を考えていたら、【夜の神】が割り込んできた。脳内に小さい声が響く。

 

 ―― お母さん。

 

「え?」

 

 ―― ……ディアナお母さん。

 

 え? なに、なんで二回言ったの?

 もしかしてそれ俺がマーシャに言わなきゃなの?

 

 超恥ずかしいんだけど!!?

 

 

 

 

 

 

「………………おかあさん」

「え?」

 

 私の問い掛けからたっぷり数分の間を置いて、ヨルンは絞り出すように返事をした。

 友人とか、恩人とかチープな返答を予想していた私は、予想外な内容に呆気にとられる。

 見ればヨルンの頬がほのかに赤くなっていた。

 

「へぇ……お母さん。へぇ~! そう。そうなんだ~。『お母さん』! へぇ~~!!」

「……っ!」

 

 私がにやにやとした笑みを隠せずにいたら睨まれた。

 それでもディアナに関する嘘は吐きたくなかったようで、羞恥心に耐えながらも「お母さん」呼びを訂正しないのがいじらしい。

 

 なんだかヨルンの事が急に可愛く見えてきた。

 

 最初は無表情で愛想のない子供に思えて、感情があるのかすら懐疑的だった。

 

 ヨルンの生まれは悲劇的だし、境遇も同情する。

 けれどディアナが己の命を賭けてまで守る必要があるのか? これ程に入れ込む理由になるのか? 私にはそれがずっと疑問だった。

 

 この世界は残酷だ。

 勝者に利用され、打ち捨てられる敗者なんか数え切れない。

 

 彼等を救うのが聖職者の役目と言うけれど、それは重荷を代わりに背負ってあげる事じゃない。そんな事をすればあっという間に私達が圧し潰される。

 故に私達がすべきは導くこと。困難に立ち竦み、歩けなくなった子らに正しき道を示して未来を照らすこと。

 必要ならば手を貸そう。一人で立てないなら肩を貸そう。けれど抱え込む事だけはしない。それぞれが、それぞれの足で立って往け。

 

 ところが、ディアナのヨルンに対する入れ込みようは異常だ。

 助ける必要があるのは分かるが、一緒に暮らして、世話まで焼くのはどうなんだ。それも自分の手からヨルンが離れていく事を酷く恐れている節がある。

 彼女の態度は聖職者としての役割から一線を超えている。

 

 だけど……なるほど。なるほど。

 家族と言うなら納得してしまう。

 

「いやー負けた! まさか先にディアナが子持ちになるとはねー! 予想外だったわ! あははっ!」

「子持ち……」

 

「ははは! ……はぁ。なんか満足したわ。じゃあ、行くわよ」

「どこに?」

 

「逃げたフェレット探してるんでしょ? それなら人手が必要だわ」

 

 

 

 

 

 

 なんかマーシャが上機嫌になりました。

 俺の返答を聞いて一通り笑ったら、吹っ切れたような表情を浮かべて色々話をしてくれた。

 

 マーシャは3年前に聖学校で聖女さんと出会ったらしい。

 座学でも実技でも、圧倒的実力を発揮していた聖女さんにライバル意識を燃やして、関りに行ったのが始まりとか。

 そしたら「エクリプス家」の息女でビビったとか。聖女さんも家名の所為でまともに友達を作れてなかったとか。授業の思い出や、学校規則を破った武勇伝を面白おかしく語ってくれた。

 

 俺の方からはそんなに話せない――ボロが出ると悪いから話したくない――ので、マーシャの過去話に興味深げに相槌を打ち続ける。

 その内、夜の神もマーシャに慣れてきたようで、敵対心が少しずつ薄れていく。

 

「っと、もう着いたわね」

「ここ?」

 

 連れてこられた場所は南都アルマージュの中心街。

 天高く伸びる魔力採取塔の根本、一般人立ち入り禁止ギリギリのラインだった。

 

「そっちじゃないわ。こっちよ、こっち」

 

 鉄柵の外で、ぼんやりと塔を見上げて居たら横の建物が目的地だったらしい。

 重苦しい扉の先は休憩所の様な部屋になっていた。大勢の人達がガヤガヤと集まっている。

 

 男、男、男。

 集まる男たちが一様に似た武装姿なのを見て一言。

 

「……探索者」

「正解。あんまり目立つ行動はしないでね。コイツ等、脳無しも多いから」

 

 探索者(シーカー)――迷宮「南都龍穴坑」に沸く、魔種を狩る事を生業としている人間の総称だ。武具は大事だが、最悪、健康な身一つで自由に就くことができ、その上高給取りとあって貧困層にも人気の職業だ。

 

 ところが新人の一ヵ月死亡率は驚愕の20%。

 5人に1人が新人の内に死ぬという、ブラック企業も真っ青のシステムを持つ。

 

 迷宮は南都の生命線。駐留軍による魔種狩りも頻繁に行われており、おこぼれを狩る探索者は残党狩りとか死体漁りとも呼ばれる。が、それは彼等を怒らせる常套句。

 蔑称を振り払うように、彼等は実力の有る者に【二つ名】を付けるのが習わしだとか。すごい。カッコいい。が――

 

「……むさい」

「そう言わないの」

 

 マーシャは目立つなと言うが、扉を開けて入って来たのが少女2人という時点で目立っている。

 でも探索者は荒くれ者でありながらも法に則った善良な一市民。彼等はチラリと視線を寄越したが、すぐ興味を失ったように仲間同士の会話に戻っていく。

 中には、情欲に濡れた目をマーシャに送る不埒な輩もいるが、手は出さない。それ位であれば盛んな男なら普通とも言える。

 

 想像してたより怖い場所じゃない?

 それであればマーシャが連れてこないか。

 などと考えていたらマーシャが誰かを見つけると近寄って行った。

 

「居た。やっぱり、アンタまた訳分かん事してるわね」

「……訳分からなくない。これは大切な事なんだ、マーシャ」

 

 休憩所の片隅に机を置いて、受け付けの様な体制で男が座っている。

 彼の前には『冒険者仲間募集中 依頼も応相談 大歓迎』と汚い字で書かれていた。

 

 冒険者? 探索者じゃないの?

 そう思いつつ男の風貌を見れば……なんか見たことある。

 具体的に言えば、市場の香辛料を売っている店で見たような気がする。……ああ、思い出した。

 

「あれ、ヨルンもこいつ知ってるの? なにアンタ達知り合い?」

「いや俺は知らないが?」

 

 俺の反応を不思議がったマーシャが尋ねる。

 もちろん知ってるとも。あの印象を忘れる方が難しい。男を指さして一言。

 

「恋人にうんこ食べさせた人」

 

「……」

「……」

 

 うん、間違いない。

 この前、そんな会話を耳にした。

 

「……」

「……」

 

 なんだか部屋中のざわめきが消えた。そして男を見つめる周囲の目が勇者を見るような物に変わっていた。

 理由は分かってる。……うん、これはゴメンナサイ。

 

 

 

「そうか、白いフェレットの捜索か」

 

 料理下手の男の名はハルトといい、マーシャの彼氏さんだった。

 部屋中の空気を凍らせた俺の発言にめげることなく、神妙な顔つきで腕を組んでいる。そんな事をしても威厳は戻らないが、それは言わないでおくとしよう。ゴメン。

 

 冒険者ってなに? とか。

 依頼募集中ってなに?とか。

 

 聞きたいことは沢山あるけど、まずは――

 

「うんこ食べたの?」

「食べてない。私は食べてないわ」

 

 マーシャは周囲から送られる好奇の目に晒されつつ、ハルトを睨みつけた。

 

「でも、う――」

「食べてないって! 言ってるでしょッ!!」

 

 はい、マーシャさんは変なモノ食べてません!

 俺の方にも怒りが飛んできたから、この話はここまで。そんなに息荒らげないで。フェレ君捜索に話を戻すから。

 

 聖女さんの叙任式の日にフェレ君を見失って、そこそこ時間が経過した。

 相性の悪い夜人達に捜索をお願いするか悩んでいたが、少し前に諦めて捜索願を提出。しかし彼等の手を借りてもまだ見つからない。

 諦めるきっかけもなく、今なお未練がましく探し続けている状態だ。

 

「任せておけ。ペット探しなど、冒険者依頼の鉄板でしかないという事を示してやろう」

「……ん」

 

 ハルトは自信満々に言うが、どうなんだろう。

 マーシャ曰く「人手を増やそう」との事だが、それで見つかるか少し疑問。なにせ夜人を南都中に動員しても無理だったからね。

 

 神話生物でも捜索に難航してるんだよ? ただの人間じゃ無理じゃない? まあ、やらないよりはマシなんだろうけど……。

 

「半信半疑のようだな?」

「ん」

 

「ううむ、見せられるような実績が有ればいいんだが、生憎、これまで受けた依頼が無くてな。どうしたものか」

「……ん?」

「アンタ、まさかこれ初依頼なの? うっわ、来て損したわ」

 

 ダメじゃん。冒険者ダメじゃん。

 依頼すら貰えないとか、二流以下じゃん。それでいてハルトの自信はどこから出てきているんだ。

 

 もう諦めようかな……そう思っていたら外野からヤジが飛んだ。

 

「ハルト! 悠長なこと言ってんな! あそこ行けって、あそこ!」

「お前みたいな勇者なら行けるって! 辿り着けばどんな願いでも叶う場所!」

 

「……やかましい! んな場所に依頼主連れていけるか!」

 

 どんな願いでも叶う場所?

 なんと怪しいフレーズ。壷や水道水を高値で買わされそうな安心感がある。

 けれど常識で考えれば鼻で嗤う内容だろうとも、ここは異世界。神様が存在する宇宙だ。なにがあっても不思議でない。

 

 俺はヤジを飛ばした探索者へと目線を向けた。

 

「詳しく聞きたい」

 

「嬢ちゃんたちは叶えたい願いがあるらしいじゃねぇか! 連れて行ってやれー!」

「ハルト! 鬼畜ウンコ野郎の底力見せてやれー!」

「なんだその二つ名は! 冗談でもふざけるなッ!」

 

「詳しく聞きたい」

 

「おいおい、こっちは冗談じゃないぜ? ちょうど迷宮が異変期に入った。近いぜこれは……!」

「【等価交換の悪魔】の目撃情報もある。領主軍による捜索隊の結成まで噂されてるし、もう早い者勝ちだぜぃ?」

 

「やっかましい! テメェ等の甘言に乗って死んだ探索者を俺は山ほど見たからな!? ならテメェが行け! 死にに行け!」

「あほか! 行く訳ねぇだろ馬鹿野郎!」

 

「詳しく……くわしく……」

 

 誰も俺の質問に答えてくれない件について。

 何度尋ねてみても、彼等の罵詈雑言に掻き消されて俺の小声は届かない。

 

「詳しく聞きたいのに。……むぅ」

 

 なんだろう、寂しいやら辛いやら。

 拗ねたくなる気持ちを押し殺し、もう一度声を出そうとした時。まるで慰める様に、やさしく頭を撫でられた。

 

「……?」

「なら、私が彼等に同行しましょう。それならば良いでしょう?」

 

 だれ? 聖女さん? ……と思ったが違う。

 

 振り返れば緋色の衣装を身に着けた中年の女性が立っていた。

 聖女さんのように柔らかい雰囲気を纏っているが、更に落ち着いている。深い海の底のように静かで、ゆっくりした気配。周囲で驚嘆の声があがった。

 

「ヘ……ヘレシィ・エスカ・エクリプス枢機卿!?」

 

 俺の頭を笑顔で撫で続ける女性。

 その人こそ、聖女さんのお母さんだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

不穏

前回のあらすじ!

???「お母さんのお母さん、つまりおば」
???「お婆ちゃん襲来」
???「おばあちゃんと孫の初邂逅」

ヘレシィ「(#^ω^)ピキピキ」



 

 これ、ホントに何なんだろうなぁ。

 

 ディアナは手の上で指輪とロザリオを転がしていると奇妙な心地を覚えた。

 指輪の中へと引きずり込まれていく感覚。深い、深い闇の底で全身に泥が絡みついてくるような、得も言われぬ心地よさに身を任せたくなる。

 幻覚だ。かつて【黒き森】で死へと誘われた時のような、闇のモノが魅せる錯覚。取り込まれれば二度と正気の世界へ戻ってこれなくなる。

 

 ディアナは首を振って幻覚を払うと、何重にも魔法陣を敷いた陣の中心へと二つを置いた。防壁を拵えた上に天使謹製の結界が張られた特製の安置所はリィンと甲高い音を鳴らして二つを閉じ込める。

 

「サナティオ様、これなんですけど」

「二つもあるのか……」

 

 一つはヨルンが村に現れた時に贈られた石製の指輪。もう一つは【勤勉】に利用された、汚染された聖具ミトラス。どちらも人の精神を狂わそうと禍々しい魔力を放っている。

 石製の指輪を手に取ったサナティオは、複雑そうな表情を浮かべた。

 

「たしかにな。これだけ闇の魔力を放っておきながら、指輪から相手を殺そうとする意志は感じない」

「ヨルちゃんがお礼にくれたものだから、当然です」

「だが、人智を超え過ぎている。本当にこれはヨルン作の品か? まるで暗翳(あんえい)が……それも【夜の神】に近しい者が作ったレベルの厄品だ。常人の手に渡れば、すぐ廃人になるぞ」

 

 サナティオの手の上には石製の指輪があった。……石製の指輪のはずだった。

 だが突如、指輪の石座部分に「瞳」が開くとギョロリと周囲を見回した。全身から節足動物のような足を生やすと、サナティオの手の上を這いまわって飛び降りた。

 

 宝石のような目玉、ムカデの様な足。

 奇妙な生物と化した指輪は、天使の手の上が気に食わなかった様子でキィキィと文句を言っている。

 

「な、なんですか、その生き物。サナティオ様……サナティオ様?」

 

 ディアナは初めて見る光景に眩暈を覚えた。助けを求める様にサナティオを呼ぶが……返事がない。

 見ればサナティオは指輪を手に取った姿勢のまま凍り付いていた。虫のような指輪に肌を走り回られたことがショックだったようで、小さく震えている。

 

「さ、さわ、触られた……! 気持ち悪い虫に触られたぁ!」

 

 サナティオは六枚の羽を逆立てて悲鳴を上げた。鳥肌が全身に沸き立ち、おもわず地面を這う「指輪」に向けて何度も足を振り下ろす。

 

「こいつ! こいつがッ!」

 

 虫と人。身長差100倍近い理不尽が指輪を襲う。

 どう足掻いても指輪に勝ち目はない。数度踏みつけられた後、指輪は小さな金切り音のような悲鳴をあげた。

 

「サナティオ様! サナティオ様! 落ち着いてください、指輪が壊れちゃいますよぉ!」

「いい死ね! 死ねばいい! 私は虫が嫌いなんだ!」

 

 ドスンドスンと雑な踏みつけが建物を揺るがして、数秒もしない内に指輪は石から砂へと変わっていった。

 それでもサナティオは満足できず、何度も靴裏で地面に擦り付けて消し去ろうとする。天使と言うより鬼の形相。

 

「あぁ……」

 

 折角ヨルちゃんがくれた指輪が壊れてしまった。ディアナは見るも無残な姿に変わった指輪を悲し気に見つめた。

 隣の天使は、ようやく人心地付いたようで、荒い息を整えてディアナへと向き直る。

 

「……ごほん。さて、今日はディアナから相談があるのだったな。たしか闇に連なる道具が一つあるから、見て欲しいだったか?」

「二つありました」

「ふむ。これは、エリシア様が造ったミトラスか……だが闇に侵食されている。主が一番好んだ聖具を、犯人はよくここまで穢せたものだ」

 

 天使が話を聞いてくれない。

 ちょっと文句を言いたくなったが、サナティオに睨まれて口をつぐむ。

 まあ、サナティオが良いというなら、良いのだろう。下手に言い返せば怒られそうだった。

 

「とりあえず、私は手を洗ってくる。……理由は無い。突然手を洗いたくなった」

「あ、はい」

 

「ミトラスはそうだな、結界の上に置いといてくれ。そこなら安全だ。ディアナは床に落ちてる砂の掃除を頼む……すまなかったな」

「はいはい、良いですよ」

 

 きまりが悪そうに小さく謝罪するサナティオの姿は、悪戯した後のヨルンに似ていた。

 

 なんだか神様の威厳が日に日に落ちていく気がするけど、ディアナにはそれが悪い事とは思えなかった。

 超常的な神様じゃない。サナティオは人間と同じように笑い、怒り、生きている。ヨルンのような背反者と言われかねない者にも理解を示し、救おうとしてくれる。

 無駄な威厳なんかよりも、彼女が持つやさしさがディアナには嬉しかった。ただし指輪は壊すけど。

 

「そう言えば、サナティオ様はいつまで下界に居られるんですか? 帰らなくて大丈夫ですか?」

「む? いや、天界に異常は無いしな。仮に何かあっても残った2人で対処できるだろう。それに帰ると……その、なんだ。初魄が寂しがるだろう?」

 

「初魄さん? 誰ですか?」

「な、なんでもない! 気にするな!」

 

 焦るようなサナティオの声と聞きたがるディアナの声。

 和気藹々とする二人の前へ、扉を開けて息を切らした一人の職員が飛び込んだ。慌てたように言う。

 

「神の御前にて失礼いたします! エクリプス大司教に報告がございます! 本日急遽、本国より聖女ラクシュミが訪問されると、エクリプス枢機卿より先駆けがありましたが……す、枢機卿はそのまま南都の視察に入られるとの事です!」

 

「枢機卿猊下が?」

 

「む、同じ名前だが、知り合いか?」

「ええ……はい。母ですが……」

 

 ディアナは言葉を濁して、嫌そうに顔を歪めた。

 

 すでに南都に来ているという、ヘレシィ・エスカ・エクリプス枢機卿。

 数年来の付き合いとなるディアナの義母だが、2人の仲は決して良いとは言えなかった。ディアナが孤児院から引き取られた際にも一悶着あったし、それからもいざこざが絶えない関係だ。

 

 当時のディアナは決してエクリプス家に引き取られることを望んではいなかった。そもそも王国の辺鄙な街で暮らすディアナを引き取りたいというのが怪しかったのだ。

 孤児院なんて王国中にいくらでもあるし、孤児も捨てるほどいる。その中からお貴族様が養子を取るなんて聞いたことがない。しかも理由が「聖魔法の適性が高そうだから」。なんだそれは、聖魔法なんか当時使った事もない。

 

 怪しさ満点の話。

 養子にかこつけてどんな扱いされるか分かったものではない。玩具扱いならばいい方。残虐な儀式の生贄に使われるのかと、優し気なエクリプス枢機卿の顔に恐怖を感じたものだ。

 

 ディアナの懐疑に当時の孤児院の院長――現枢機卿であるホルテル――も同意した。

 なんとか真意を探ろうと交渉を重ねて、撤回できないか手を回したりもしてくれた。牽制で他の子を推薦してみた事もあったが、しかしヘレシィは頑として譲らず、権力を傘にディアナとの養子縁組を進めていった。

 

 まるでディアナだけを狙い撃つような行動に「なぜ私のなのか。どんな目的があるのか」という疑問は残り、今もディアナは義母を信頼出来ずにいる。

 

 そんな怪しい人物が、聖女ラクシュミの付き添いとしてやってきた?

 ディアナは湧きあがる何となく嫌な予感を覚える。

 

「……歓迎の準備をしなくてはですね。聖女ラクシュミの出迎えを」

 

 だが仕事は仕事。

 職員から受け取ったサナティオ宛ての親書に怪しい点は見つからなかった。正規の訪問ならば、拒否する事は難しいとディアナは渋々ながら動きだす。

 

「私は何かするか?」

「どうやら、可能ならサナティオ様への謁見もしたいとの事です。大丈夫ですか?」

「いいぞ。じゃあ準備するか」

 

 急ぎ準備する為に全員が部屋を出る。

 誰も居なくなった部屋には、黒い文様が付いた【ミトラス】だけが残された。

 

「きゅ」

 

 だが天井の隙間に小さな白い影が一つ。

 それは誰にも気づかれることなく天井から飛び降りると、ゆっくりとミトラスへ向けて動き始めた。

 

 

 

 

 

 

「霧降山の大奇跡?」

 

 小さな手足を一生懸命動かして、悪路を進む俺は聞きなれない言葉を聞き返した。

 

「霧降山ってなに?」

「神話の地名だな。かつて存在したという、魔力溢れる霊山『霧降山』。名前の由来は豊富な魔力が霧のように降り注いで見えるから、だったかな」

 

「奇跡は?」

「死者蘇生だな。空間中の魔力が一定水準を超えると不思議な事が起こるらしい。願いが叶うとも言われている。迷宮でもそういうホットスポットが存在していて、神話になぞらえて【霧降山】と呼ばれるんだ」

 

「……そう」

「おい。答えてやったんだから、もう少し興味持てよ」

 

 親切に教えてくれた探索者には目もくれず、じっと前を見る。

 俺たちが今向かっているのは霧降山だという。地下坑道の中に山があるとな? 不思議だ。

 

 日の光差し込まぬここは迷宮「南都龍穴坑」。

 視界を覆う闇は探索者たちの魔法によって払われているが、進むだけでも一苦労。

 

 大人一人よりも巨大な岩が数多く転がり、湧き水が隙間を流れていく。

 本当に元坑道かよ。自然洞窟と言われた方が納得できる悪路だ。

 岩から落ちぬように四肢をついてゆっくり足を伸ばすが、会話に注意を逸らされた。

 

「あっ」

 

 ぬめりを帯びた岩肌で手が滑った。

 全身を襲う浮遊感。しかし、落下はヘレシィの手で優しく受け止められた。

 

「おっと、大丈夫ですか?」

 

「あ、ありがと」

「いえいえ。気を付けてくださいね、まだ先は長いですよ」

 

 ゆっくりと地面に降ろされると頭を撫でられた。

 

 聖女さんの母親と言うだけあって、どこかディアナさんと似た気配を放つ彼女は好きだ。

 頭を撫でられるたびにぽわぽわしてきて心地よく感じる。

 

「ちょっと大丈夫!?」

 

 俺の落下を悟ったマーシャが走り寄ってきた。

 服をあちこち捲られて出血が無いか確認された。

 

「まったく、何やってるの!」

 

 でも怪我がないと分かると怒られた。理不尽なり。

 

「ねえ、やっぱり帰った方がいいんじゃないですか? まだ入ったばかりだってのに、ヨルンは何度も怪我しそうになってるし、ディアナにだって連絡の1つくらい――」

 

 マーシャの怒りは留まるところを知らない。

 彼女の怒りは次に、迷宮へ侵入する決断を下したヘレシィへ向かう。遥か雲の上の人物でも果敢に指摘してるのは、不敬にならないか不安なのだが。

 しかしヘレシィは怒ることなく、宥める様にマーシャの頭に手を伸ばしてゆっくりと撫でつけた。

 

「大丈夫ですよ。私がいるもの。心配する必要は無いですよ」

「それは……そうかも、ですけど」

「良い子ですね。それじゃあまた、先頭で警戒をよろしくお願いしますね。守るべき探索者さん達も大勢いますから」

 

 撫でるのは彼女の癖なのか?

 普通、マーシャ位の年齢にはしないものだろうに。しかし上手だ。マーシャの怒りは徐々に静まり、何度か首をかしげて考えると、言われるままに列の先頭へと戻って行った。

 年の功なのか、怒れるマーシャを上手く往なしたヘレシィは「うふふ」と笑って見送る。

 

「あの子は素直で良い子ですね」

「そう?」

 

 反感の塊みたいじゃない?

 

 

 

「……こっちだな」

 

 隊を先導するのはハルトだ。

 彼は手製の地図と地形を見合わせて、目的地へと俺たちを誘導してくれていた。それに着いて行くのが俺とヘレシィ、そして大勢の探索者達。

 最初は「霧降山へ行け」とハルトを煽るだけだった探索者も、ヘレシィ枢機卿が手伝うと聞いたら目の色を変えて協力を申し出た。

 

 世界に5人しか存在しない枢機卿は間違いなく世界最高戦力の一角だ。武力だけ地位を昇り詰める事は出来ないが、武力が無ければ昇り詰める事もまた不可能。

 

 加えて、聖教会から与えられる【聖具】が、彼等を最強たらしめる。

 一番有名なのはホルテル枢機卿が持つと言われる「聖具ミトラス」らしい。なんでも無限の魔力と、闇への強力な耐性を所有者へ付与するとか。

 魔法は打ち放題、防御は絶対。所有者の魔法技術次第では、さながら人間戦略兵器と化す。

 

 他にもどんな魔法でも打ち消す聖具だったり、超広範囲を火の海に沈める聖具とかあるらしい。想像するだけでも胸が膨らむアイテムだ。

 

 俺は見た事ないけど、どんなカッコいい奴なんだろう。見て見たい。

 ヘレシィの持ってる聖具、見せてくれないかな? チラチラと視線を送るが、うーむ、分からない。

 

「俺、枢機卿様のこと生で見るの初めてかも」

「願いが叶う場所か。噂でしか聞いた事ねぇよな……行ってみてぇな」

 

 俺が頑張って歩みを進める中、探索者達は浮かれながら周囲を警戒していた。

 注意は散漫、緊張感の欠片もない。だが新人時代を切り抜けて、歴戦へと踏み込んだ彼等にとって、迷宮の浅層は庭と変わらないらしい。

 

「……後ろから【静かなる暗殺者(サイレント・キラー)】がきてるな」

「OK、殺した」

 

 音もなく忍び寄る蝙蝠のような魔物、だったのだろうか?

 残念ながら、俺の動体視力では影しか追う事ができなかった。

 これが夜なら気配探知とか、感覚向上で俺も使える子に成れるんだが……。昼間の今は生憎お荷物でしかない。

 

「ヨルンちゃん、ここの段差は深いわ。気を付けてね」

「ん……あっ」

 

 ヘレシィが注意しろって言ってる傍から、溝に落ちた。

 転ぶのは支えてくれたから回避できたが、地下水に足首まで濡らされる。

 

「……うぅ」

 

 冷たい。いや、むしろ痛い。

 これ水温何度だよぉ……。

 

「泣かないの。ほら乾かしてあげるわ」

「……ありがと」

 

 ヘレシィが指をひょいっと振れば、それだけで魔法が発動。俺の全身を暖かい風が包み込んだ。

 まるで巻き戻しのように濡れた足が乾いていく。

 

 おぉ……。

 これ、お風呂あがりに聖女さんが使ってくれる魔法に似ている。

 俺も真似て指をひょいっとしてみる。……知ってた。発動する訳ないね。

 

「あらあら、真似っ子かしら。でもそうじゃないわ、魔力はお腹から、こう流して……こう」

「っ!」

 

 ヘレシィにお腹を触られて、聖女さんとするような魔力練習をされると思い、つい身構える。

 しかしあの擽ったい感覚は訪れなかった。むしろヘレシィの手伝いにより、俺の指へとわずかに魔法の風が纏う。

 

 ……くすぐったくない!

 他人に魔力操作を補助されて、くすぐったくないなんて奇跡か!?

 

「ヘレシィ……!」

「うふふ、おめでとう。属性魔法は初めてかしら? 慣れれば簡単よ。ほらもう一度」

 

 再度お腹に手を添えて魔法の手伝いを受ける。

 

 そしたら――分かる。

 自分の中に渦巻く魔力が分かる!

 

「おぉ! ヘレシィっ!!」

「あらあら、抱き着いたら危ないわ……あら? これは」

 

 初めて魔法使えた!

 それは思ったよりも嬉しい事だった。

 今まで夜人製造魔法(?)しか使った事なかったから、はじめて異世界っぽさを味わった!

 

「……ん?」

「あらあら」

 

 つい感極まってヘレシィに抱き着いたら、なんかお腹の服を捲られた。そして、すぐにぺっと戻される。

 なに? なにしたの?

 

「え? そうねぇ……うーん、貴方は魔力が一杯だなぁと思ってね」

「そう?」

 

「それで魔力操作も難しくなってたのかしらね。魔力を制限すれば、もう少し魔法も使いやすくなるだろうけど……やってみる?」

 

 腕輪みたいな輪っかを魔法で作り上げたヘレシィが、にこにこ笑顔で聞いてくる。

 

 魔力を制限って大丈夫なの? それは、なんか怖いんだけど。

 ただでさえ体が雑魚い俺が、魔力まで制限したら死んじゃわない?

 

「心配いらないわ、ほら手を出して」

 

 大丈夫なら……してみたい。男はみんな魔法に憧れるもんなんだ。

 ヘレシィが作り出した黒い腕輪を受け取ろうとして――

 

「すまん! ちょっと来てくれるか!? 大変だ!」

 

 ――ハルトが大声で皆を呼んだ。

 なんじゃい、なんじゃいと。俺も慌てて近寄っていく。

 

「あらら、ざんねん」

 

 腕輪を揺らしながら、ヘレシィは小さく何かを呟いた。

 ポイと腕輪を投げ捨てると、魔力が霧散して跡形もなく消えていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

等価交換の悪魔

三次たま様より、ポプテピ風ファンアートを頂きました!

【挿絵表示】


趣味で小説書き始めて10年以上(たぶん)
初めて貰ったファンアート嬉しいです(´ω`*)
嬉しかったので、次話投稿です(´ω`*)


「ここから先は中層なんだが……地図が参考になりそうにない」

 

 大変だと叫んだハルトは、先ほどみせた焦りを感じさせない冷静な声で言った。

 隊列を崩してまで集まった探索者から、そんな事で招集するんじゃないと不満の声が上がる。

 

「あほか! お前は新人か、それとも素人か!?」

「"異変期"だって言ってるだろ! もう前の迷宮は参考にならねぇよ、当然その地図もな!」

 

 異変期――。

 それは龍脈から吹き上がる魔力量の変動に伴って、不定期に訪れる迷宮の改革期を指す。

 

 時折、迷宮はまるで生きているかのように姿を変える。

 浅層は基本的に不変だが、中層からは劇的だ。一本道は三叉路に代わり、徘徊する魔種も生まれ変わる。昨日来た道が今日は無い。異変期ならばそんな事が多発する。

 

 龍脈から供給される魔力が多ければ迷宮の道は太く、大きくなり、逆に減れば細くなる。一方で質も大切だ。龍脈の魔力が粗悪なものになれば、迷宮は脆く崩れやすくなるだろう。

 これまでの坑道にしては悪路過ぎる道も、長い年月をかけて迷宮が作り変えたものだった。

 

 という事を、親切な探索者が教えてくれた。

 

「そう」

「……だから、聞いたなら興味を持てって」

 

 ここまでは大岩がゴロゴロ転がって、その上を歩くような道だったが、中層からは違う。

 

 泥だ。ここから先は、大人の腰程もある深い泥の中をかき分けて進むような水道になっている。しかも水底は穴だらけらしい。油断して歩けば足を取られて転倒間違いなし。

 

 俺はここから先、無事進めるのだろうか?

 なんだろう……転ぶ未来が見えた。

 

 だって水の深さ腰よ?

 大人の腰って事は、俺はどこまでくるんだよ。胸のちょっと下まで浸かるか?

 

 うぇぇえ……行きたくない……。

 水は汚いし、めちゃ冷たい。もし転んだらそれが全身浸かるんでしょ? 絶対イヤ。

 

「おいおい、道が水没してるなんか聞いてねぇぞ。まさか魔物まで潜んでるのか?」

「ちょっと待て。今、調べて……いるな。泥の中に結構な数が隠れている」

 

「水棲種の魔物は無理だ。俺ぁ抜けるぞ」

 

 探索者たちもここに来て、初めて弱音を吐いていた。

 水って結構な抵抗があるからね。魚相手に剣を振って倒せるわけ無いし、そもそも敵の姿が見えないから魔物に対処しようがない。

 絶対的に不利な状況を前にして帰還の判断を下す人も現れた。彼等は、どう進むか悩む俺たちに一言いい残すと、来た道を引き返していく。

 

 およそ三分の一。

 同行を申し出た探索者が減った。

 

 水路を突破する方法がみつからず、引き留める事はできないので手を振って見送る。バイバイと。

 さて、どうしようか。ハルト達は大人組みで対策を話し合っているようだし、門外漢の俺は話に混ざれない。 ……暇だ。

 

「魚」

 

 暇なので、ポケットに潜ませておいたお菓子を水に浮かべてみる。

 うわ、すごい勢いで喰い付いてきた。鯉みたいで可愛いと思いかけたけど、目がないや。キモ。

 

 ん、なんか視線を感じた。

 どこからだろと探せば、遠目にハルトが俺のことをジッと見つめている事に気が付いた。

 

「……なに?」

「いや、いいなと思ってな」

 

 いいなって何がだよ。

 

 羨まし気に見つめられたんだが……分からん。お菓子が欲しいのか? やんねぇよ。

 彼の視線からお菓子を隠すようにしたら、何故か笑われた。

 

「む」

「ははは。いや、お前は可愛いなと思ってな。可愛いは良いものだ。……だろう?」

 

 堂々と人を可愛いと褒める男ハルト。すげぇな、陽キャかテメェ。

 だけど知ってる?

 俺ってこの世界基準だと明確にロリに分類されるのよ。……ロリコンかテメェ!?

 

「……」

「うっ」

 

 じとーっと。

 ハイライトを失った目(聖女さん談)で見つめ続けたら、ハルトは大きく一回咳払い。大人組みの中に戻っていった。

 そしてやましい事などしてませんよという態度で対策会議に復帰した。

 

「どうする? こいつらピラニアっぽいぞ、肉食か?」

「いや無理でしょ。ほら帰るわよ! 帰る!」

 

 マーシャは諦めている様子で帰る帰ると騒ぎ立てていた。

 

 そもそもこんな水没洞窟は想定していない。

 かつての中層は苔むした洞窟って感じだったらしい。当然、持って来た装備ではまるで不適応。強行突破すれば犠牲がでると言って撤退を勧めてくる。

 それに対抗するのはヘレシィだ。

 

「落ち着いてくださいマーシャさん。騒いでも事態は好転しませんよ。ほら、落ち着いて……?」

「うっ」

「こういう時は、一緒にどうすればいいか考えればいいんですよ。皆で案を出せば、何か良いものがあるはずですので」

「そう、ですね。うーん……」

 

 彼女は優しく叱責すると、落ち込んでしまったマーシャの頭を撫でて熟考を促した。

 それはまるで教師のようで、マーシャもドンドンと中層突破に前向きになっていく。それでも中々名案は出てこずに、皆で首を傾げ合う。

 

「んー……」

 

 でも、たぶん、いける。

 昼間でも洞窟内なら夜人を出せるから、彼等の力を借りれば、魚の10匹や20匹なんのそのってやつだ。

 

 けど周囲の目がなぁ。

 聖女さんから「無暗に夜人を晒さないでね」とお願いされている事もあって、躊躇してしまう。

 帰るか、帰らまいか。悩んでいたらヘレシィが声をかけてくれた。

 

「そうねぇ。ヨルンちゃんはそのフェレ君が好きなんでしょう? それとも、諦められるかしら?」

「……あきらめない」

 

 こんなところで引き返すなら、ここまで来ていない。

 手段が残っているならまだ続けたい。そんな意志を籠めて、ヘレシィを見つめると笑い返された。

 

「そうね。私も小さい頃ペットを飼っていてね。犬、みたいな子だったんだけど……ええ分かるわ、その気持ち。貴方も本当にフェレ君が好きなのね……」

「ん」

 

 じゃあ、進むとしようか。

 ヘレシィ枢機卿はお偉いさんだから夜人を見せるのはちょっと怖いけど、聖女さんのお母さんだし大丈夫だろう。もし怒られたら、あとで聖女さんに謝っておく。

 

 だが、水棲種の魔物退治を夜人にお願いしようとする寸前。

 ヘレシィに頭を撫でられて、後ろへ下げられる。

 

「仕方ないわ。ちょっと予定と違うけど、ここは私が一肌脱ぎましょう。だって、フェレ君のためだものね?」

 

「ヘレシィ?」

「息を止めて。布が有れば口と鼻を覆ってね。まず大丈夫だと思うけど、念のためね」

 

 水辺で屈んだヘレシィは二本指を立てると、水中へと突き刺さた。

 

 ――詠唱。

 青白い閃光が空間を染め上げて、次の瞬間には目につく範囲の水が全て凍り付いていた。

 吐く息が白い。煌めく結晶が空中を漂っている。……なんじゃぁ、こりゃぁ。

 

「これが、枢機卿……」

「っおいおい、マジかよ」

 

 マーシャとハルトは絶句していた。

 魔法発動まで3秒。効果範囲は視界内の全て。

 

 泥を一瞬で完全凍結させたのを考えると、汎用性やばそうだ。

 空気中を対象に発動できれば対人性能半端無さそう。うへぇ、枢機卿こわぁ。

 ……というか、こんな簡単に出来るなら、さっきまでの議論はなんだったん?

 

「――!! ――!」

 

 ん……なに? なんでヤトはそんなにアピールしてるの?

 それ位、俺もできるって?

 

 ああ、いや。久しぶりの活躍の機会を取られて拗ねてるっぽいな。

 ヘレシィに指を向けてライバル心を燃やしている。

 

 

 

 

 

 

 浅層は岩道。中層は水道。

 そして辿り着いた深層は、何もない、ただの坑道だった。

 

 崩落防止の坑内支保が丹念に組まれた真四角の通路は、おそらくかつての坑道の姿だろう。これまでのように歩き辛い道ではないし、道中でちらほら見かけた魔種の姿も見当たらない。

 本当に廃坑になっただけの通路のようで、それがまた異様に感じられる。

 

「……静かね」

「魔種狩りは中層が主戦場で、深層は基本的に人が立ち入らない場所だ。でも魔種が一匹も居ないのは不自然すぎる、気を付けろよ」

 

 先頭を進むハルトの警戒が増していく。

 こういう静けさこそ何かが起る前兆らしい。

 

「ヨルンちゃん、ちょっと近寄って。この気配は……」

 

 ヘレシィがこれまでにない、真剣な表情で俺を引き寄せた。

 

 ドキドキする。

 俺としては普通の暗い洞窟にしか感じないのだが、周りの人が緊張してくると、俺までそれが感染するようだった。

 誰も話すことなく無言の時間が過ぎる。何十と言う足音だけが耳について、心臓の鼓動まで聞こえてくるようだ。そして、そのまま進むこと暫く。

 

「――あぁあああ!!!」

 

 断末魔のような声が坑道内を反響した。

 

「なんだ!? 悲鳴!?」

「後方よ! 探索者の方ッ!」

 

 敵意は感じなかった。異変も無かった。

 なのに、突如悲鳴が上がり、隊の緊張感はピークを迎える。

 

「剣を抜け! ただし切る前に人物を確認しろ、同士討ちは避けろ!」

 

 ハルトは大声で指揮を執り、全速で後方部隊に向かった。俺もそれに続き走る。

 

 事件が有ったのは、最後列。

 現場へと辿り着いた時、悲鳴の主は他の探索者に囲まれてうずくまっていた。

 

「体が、俺の体がぁ!?」

 

 彼は貧民上がりの若い探索者だった。

 しかし、今現在、その体はみるみるうちに無残なものへと変わっていくところだった。

 

 張りのあった力強い腕が、枯れ木の様な細腕へ。

 頭髪は白く薄くなっていく。皮膚は弛み、しみがあちこちに浮かび上がった。

 悲鳴を上げるたびに歯が抜け落ちるようで、ポロポロと黄ばんだ白い何かが地面に転がっていく。口端から落ちる涎が止められず、思わず腕で拭うが、その衝撃で皮膚まで裂けた。血は噴き出ない。もう、それだけの循環が機能していない。

 

「うわ」

「ヨルンちゃん……ダメよ」

 

 ホラー映画かな?

 なんで、健康な人が数秒で老衰寸前の老人に変わるのか。

 気持ち悪いし、見たくねぇなぁと思っていたら、ヘレシィが俺の目を覆ってくれた。見ないでいいという事か、やさしい。

 

「この馬鹿! その手の奴はなんだ! テメェ()()()()()()()()()()!?」

 

「あぁ!? 自業自得じゃねぇか! くそ! 触んじゃねぇジジイ――止めろぉ! それ以上、俺に黄金を近づけるな!」

「た、助けてくれぇ……誰かぁ。金ならやる! 金ならあるんだぁ!」

 

「駄目だな。コイツはもう死ぬ。ギリギリ老化が止まったところで、連れて帰るのは無理だ」

 

 ざわつく探索者達だが、原因が分かったらしい。

 視界を隠されている俺には見えないが、なぜか老人になった若者が責められている。で、黄金って何?

 

「なに? なにが有ったの?」

「……分からない。分からないの。でも、彼は確かに老いている」

 

 決してあの現象は幻覚じゃないとヘレシィが言う。そして、治療方法が無く、彼の命は燃え尽きる寸前だという事も。

 近寄ってきたハルトが緊張した面持ちで事情を話してくれた。

 

「あれは【等価交換の悪魔】だ。手の施しようがない」

「等価交換? 悪魔?」

 

 悪魔は欲深い者の目の前に現れ、その者が望む事をしてくれる。

 金が欲しいと思えば黄金を置いていく。力が欲しいと思えば望む限り授けてくれる。

 

 ただし対価を奪われる。

 

 金ならば、それを稼ぐだけに掛るだろう時間を奪われるし、力なら代わりの機能を代償に支払う事になる。

 死ぬ間際に金が欲しいか。五感を失ってまで力が欲しいのか。等価交換とは言うけれど、本当の等価では決してない。故に悪魔なのだとハルトは言う。

 

「悪魔も、魔物?」

「分からない。悪魔の姿を見た者は誰も居ないんだ。噂では、道端に落ちていた黄金を拾う強欲な者が、ああなるとは聞くが……」

 

「だが悪魔は魔力の豊富な場所でしか現れない。つまりこの先に霧降山があるって訳さ。おい、俺たちは先に行くぜ?」

「むっ、おい待て! 先行は危ないぞ!」

 

 老人の事はもうどうでもいい様子で、血気に逸った探索者が次々とハルト追い越して歩き始めた。フラグ?

 

 あっという間に見えなくなる他の探索者は見送って、俺たちはどうしようか話し合う。

 老人となった探索者は、歩くこともままならない様子で壁にもたれ掛っている。まさか置いていくわけにもいかないだろう。

 

「お菓子。食べる?」

「……ありがとうなぁ」

 

 とりあえず、残っていたお菓子を差し出してみる。

 老人はお礼を言いながらも受け取ることは無かった。

 

 殆ど目も見えて居ないようだ。俺の方を見ているのに、目線が合わない。

 

「要らない?」

「ああ、食欲がなぁ。なぁ、あいつらはだれも居ないのかぃ?」

 

「居ないよ」

「そうか……俺ぁ薄情な仲間を持ったものだなぁ」

 

 周囲から仲間の探索者が誰も居なくなった事を知って、老人は目尻に多くの皺を寄せて、泣き笑いを浮かべる。膝の上に置いた大きな黄金を撫でながら静かに語り出した。

 

「夢を。夢を見たよ……若いころの夢だ。俺は貧乏だったから、どうしても金が欲しかった。そして夢から覚めたら、黄金を握っていた」

 

「でも老いた」

 

「そうさ、気をつけなぁ。悪魔は、俺自身だった。命を賭けても欲しいと、願ったんだ……だから、この金が、俺の命だったんだ」

「意味が分からない」

 

「なぁに……みんな、すぐに分かるように、なる……」

 

 老人の手から黄金が滑り落ちた。

 もう腕にも力が入らないようだ。

 

「……落ちたよ?」

 

 黄金を拾い上げて、老人の膝に戻してあげる。

 だけど反応がない。すでに彼の命の灯は消えていた。

 

「……」

 

 ……こっわ!!

 

 いま目の前で一人死んだぞ!?

 迷宮怖いんだけどー! もう帰りたいんだけどー!!

 

「あぁあわああーー!!」

「体が! 俺の体が無くなったぁ!」

 

 そして響いてくる先行者達の悲鳴。

 しかしそれも一瞬の事で、すぐに静かになってしまった。恐らく……死んだ。

 

「ひぇ」

 

 迷宮ってヤバイのな……ヤバイのな!?

 

 よーし決めた! 帰る! 帰るぞ、みんな!

 

 マーシャ! ハルト! ヘレシィ!

 帰るぞー! 俺に続けー!

 

「……誰も居ない?」

 

 続けーと逃げる様に走り出したものの、後ろを見れば誰もついて来てくれなかった。

 よく見れば老人の死体すら消えている。

 

 気付けば俺はたった一人で迷宮に取り残されていた。

 

 

 

 

 

 

「願いを叶える迷宮、ね……。ありえないわ、馬鹿じゃない」

 

 思考がクリアになっていくのを自覚して、マーシャは大きくため息を吐いた。

 

 なぜ、自分は迷宮への突入に同意してしまったのか。

 なぜ、突如現れた枢機卿を怪しまずに唯々諾々と従ってしまったのか。

 

 完全にしてやられた。

 頭を撫でる動作に合わせて、ヘレシィから思考誘導を受けていた。彼女から離れる事でそれを自覚できた。

 

 ヘレシィの目的は分からないが、少なくとも味方とは思えない行動だ。次に有ったらとっちめてやろうか。それよりもディアナからお願いされたヨルンを危険にさらしてしまった事をどう謝るべきか。

 マーシャはイラつく感情を頭を掻きむしることで発散する。

 

「……でも、これはヘレシィの攻撃とは違うのかしら?」

 

 これまでいた洞窟とは異なる光景。

 

 丁寧に剪定された数本の木、風になびく咲き誇る花。美しい庭園の中央にマーシャは立っていた。

 小さな池は、水の流れがないにもかかわらず澄み渡り、小さな魚が優雅に泳ぐ。木陰に置かれている机の上には数冊の読みかけの本が置かれていた。

 本に挿された栞の位置から考えると、おそらくあの日。

 

 マーシャは懐かしい生家を見た嬉しさよりも、腹立たしさが湧きあがってくるのを自覚した。

 

「ハルトとヨルンは……居ないか。当然ね」

 

 恐らく、これは幻覚だ。

 マーシャの記憶を参考に作り上げられた世界、あるいは自分の記憶そのものか。

 ならば脱出するには……そこまで考えた所で声が聞こえた。

 

『マーシア! 喜びなさい、貴方の婚約者が決まったのよ!』

『お母さま?』

 

 何時からそこに居たのか。

 木陰の机には幼い時の自分が居た。読んでいる本を置いて、走り寄ってくる母親に目を向ける。

 

「っ……そうくるって訳?」

 

 マーシャは嫌そうな顔でその女を見つめると、思い出す様に台詞を口にする。

 

「……これで貴方もロートティスマン家の役に立てるのよ」

 

『これで貴方もロートティスマン家の役に立てるのよ! 見なさい、相手は貴族様よ!』

『貴族様……? わぁ』

 

 母親の差し出した見合い写真には、気障な中年が映っていた。

 戦装束を身にまとい、剣を掲げる写真映りを気にした一枚。経歴はさすがのもの。王国騎士団の要職に就いており、家柄も良好。

 これだけ見れば世の中の浮かれた女連中は、黄色い悲鳴を上げて集まってくるだろうとマーシャは思う。

 

 当然、浮かれた女連中よりも愚かな母親はもっと醜く浮かれていた。

 この貴族と繋がりを得る事が出来れば、家はさらなる栄華に栄えるだろうと鼻息荒くなっている。だが、幼いマーシャは彼の経歴で一つ、嫌な所を見つけてしまった。

 

「なんでこの人は、一杯結婚してるの?」

 

 マーシャが思い出しながら一言ずつ口ずさむ。幼いマーシャが続いた。

 

『ねえ、お母さま。なんでこの人は――』

 

 貴族なら重婚制度は有り触れたものだ。忌避する理由にはならないし、幼いマーシャも説明されれば納得して嫁いだだろう。それだけならば。

 しかし経歴には大量の結婚歴と、同じだけの離婚歴が並ぶ。《死別》の明記と共に。

 

『大丈夫。貴方はお家の礎になるのよ。未来の為に、兄弟のために。ねえ貴方は賢いものね……もう分かるでしょう?』

 

 その時の母親の顔は、覚えてない。

 幻覚の中ならばしっかり見れるかと思ったが、どうやらダメらしい。マーシャの記憶に無いことは再現できないのか、幼いマーシャへ向かって嬉々と語る母親の顔は、まるで存在しないかのように黒く塗りつぶされていた。

 

「ッハ! 分かんないわねぇ。そんなの、今でも私には分からないわよ。お母様?」

 

 叶うならば、互いに尊重できる家族が欲しかった。もっと優しい母親が欲しかった。そうすれば、家出なんかしないで済んだのに。

 

 昔の光景を思い出して感傷に浸るマーシャだったが、次の瞬間、己の失策を悟った。

 

「っ!?」

 

 幻覚が崩壊して、世界が崩れていく。魔力が急激に体から抜けていく。

 そして目の前で形作られていく一人の人間。母親に似ているが、違う。母親はそんなに穏やかには微笑まない。

 

「まさか、これ!」

 

 ――【等価交換の悪魔】。

 マーシャは、己がそいつの術中に嵌っていた事に気が付いた。

 

「っく、こいつ! ふざけって……!!」

 

 なんとか抜け出そうとするが、それよりも早く、急激な魔力喪失に意識が消えていく。

 人一人を創造する気か。無理だ、マーシャの魔力量では到底造れっこない。では、魔力が足りないならば?

 

 丁度いい材料(肉体)が、ここにある。

 

「やっぱり悪魔か! この野郎っ! 止め……!」

 

 マーシャの体が指先から崩れる様に解けて「母親」の体へと吸い込まれていく。肉体をすり減らす様な激痛にマーシャが悲鳴を上げた。

 

 過去の世界が完全に崩れ去った時。新しい「母親」は生み出された。

 しかし対価としてマーシャの肉体は半分以上が持っていかれていた。へそから下が無い。左腕も失った。断面から夥しい血液を漏らしながら、光の消えた目で虚空を見つめる、鼓動の無い肉体。

 

 変わり果てた娘の姿を、母親だけが悲し気に見つめ続けていた。

 




 お願い、死なないでマーシャ! 
 あんたが今ここで倒れたら、ディアナやヨルンとの約束はどうなっちゃうの?
 魔力はまだ残ってる。これを耐えれば、悪魔に勝てるんだから!

 次回、「城之内死す」。デュエルスタンバイ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拝啓、過去の私へ。未来の私から。

三次たま様より再びファンアートを頂きました!
ヨルンちゃんです!
【挿絵表示】

感謝の連続投稿、まだまだ行くぜい!(*‘ω‘ *)
(さすがに明日はお休みです)


「なるほど、等価交換の悪魔。正体は何となく掴めてきたわね」

 

 ヘレシィは目の前で繰り広げられる、己の幼少時代の光景を眺めながら困ったように微笑んだ。

 

 『悪魔』とは、敵じゃない。

 『悪魔』とは、ただの魔力現象だ。

 

 魔法の基となる魔力は切っ掛けを与える事で様々な効果を発揮する。それこそ全能で、出来ないことなど何も無いと言わんばかりに万能だ。それを人の手が及ぶ範囲で制御したものが現代の「魔法技術」なのだ。

 

 ではそんな魔力が限界まで高まった場所があったなら?

 

 きっと些細な切っ掛けで魔力は暴走する様に働き、魔法効果が発揮されてしまうだろう。

 知的生命体の意識に反応して、その者の無意識下の願望を反映する様に魔法を起こしてしまう。

 

 しかし、この場はまだ【霧降山】に至らない。

 魔力は暴走し始めているが、願望を叶えるには空間中の魔力が足りず、他の何かで補う必要がでてしまう。

 生じた魔法は不足分の魔力を発動者から吸い取って利用する。それでも足りなければ肉体を、あるいは生命力を、その者の全てを材料に効果を果たす。

 それこそが【等価交換の悪魔】の正体だった。

 

 願いを叶えるために霧降山を探し求めても、その一歩手前に潜む、願いを叶える悪魔に殺されるのだから不遇なもの。

 

「さて、さて……どうしたものかしらねぇ」

 

 今はまだ暴走した魔力がヘレシィの願いを探して、過去を暴いている最中だ。

 ここで何か願う様な事を思えば魔法が発動してしまう。内容如何によってはヘレシィの生命力すら喰い尽くして、さきほどみた老人のように対価で命を持っていかれる。

 

 そうと分かれば脱出は簡単だ。

 周囲の魔力と己の間に仕切りを設ければいい。魔力の方から自分に干渉してこないよう事前準備さえあれば、悪魔は現れない。

 

 だけど……。

 ヘレシィは悪魔を抑えずに、目の前で繰り広げられる光景に没頭。微笑みを深めていった。

 

『止めてくださいお母様! 違うの! その子は、違うんです! 悪い子じゃないの!』

『……ヘレシィ。聞き分けを覚えなさい。可愛く見えても闇は悪、魔物は絶対悪なのですよ』

 

 幼い時の自分が、小さな魔物を庇う。

 殺そうと迫る義母から守るため背中に隠すが、強く頬を叩かれて思わず叫びを上げた。

 

『っ! まだ幼い子犬じゃないですか!』

『良く見なさい!! 子犬に目が四つもありますか!? これは魔物です。大きくなったら人を襲う、魔物なのですよ!』

 

 ――場面が変わる。

 

『あの……どうして家の地下室にエリちゃんが居るの? どうして縛られてるの?』

『殺しなさい。彼女は闇を崇拝した極悪人です。子供であろうと禁忌を破れば、それはもう人間とは呼べません』

 

 一番仲が良かった親友のエリーチカ。

 彼女は手足を縛られて、ヘレシィに縋るような目を向けていた。

 

『そんなっ、そんな訳ない!! やだ! 友達を殺すのは嫌!』

『まぁーー! 何を言いますか! 悪を庇うなど、貴方まで光に背くのですか!!? これこそ正しい道なのですよ! さあ、やりなさい! 早くッ!』

 

 ――場面が変わる。

 

『痛いっ! 痛いです!! 止めて、お母様!』

『我慢しなさい! 拷問の一つも耐えられなくてどうするのですか!? そんな事で大切な情報を漏らしたら、主へ何と詫びればいいのですか!』

 

 執拗な教育。偏執的な崇拝。

 ヘレシィの義母は宗教に狂っていた。

 

 元々、エクリプス家とは血の繋がりを持たない家系だ。

 次代を担うに相応しい魔力を持つ孤児を探して、教育する事で後継者とする。今よりも良い次へ。彼等はそうすることで、神に仕える相応しい人物が出来上がると考えていた。

 

 だが愛の無い教育は代を重ねるごとに凄惨さを増し、狂人を生み出す儀式へと化していく。

 

 ヘレシィが受けてきた教育は想像を絶するもの。

 誰であろうと断罪できるように、親友を冤罪で処分させられた。痛みに耐えれるようにと受けた拷問によって、生殖器がズタズタに切り裂かれて子供はもう作れない。

 

 熟睡できた日などない。

 奇襲に気付かねば、お前は死ぬ気かとベッドから池に叩き落されて、そのまま意識を失うまで沈められる。当然翌日のご飯は抜きになる。

 栄養不足になれば、飢餓状態でも生き延びる努力を知れと、何でも食べれる鍛錬をさせられる。木の根や土は食べ飽きて、昆虫など御馳走になった。

 

 スラムで暮らす孤児であったヘレシィは引き取られてから初めて地獄という場所を知った。それでも光が素晴らしいと義母はささやいた。

 

「ああ、懐かしいわねぇ。そういえばこんな事もあったかしら」

 

 人には教えられない、辛く、後ろめたく過去がヘレシィの眼前で延々と再生される。

 しかし教育と称した虐待はヘレシィが引き取られて3年、12歳になった時、唐突に終わりを告げる。

 

 過去の映像の中で、義母は死んでいた。

 幼いヘレシィが持ったナイフで全身をめった刺しにされて、驚愕の表情を浮かべて息絶えていた。それでも幼いヘレシィは止まらない。義母の遺体に馬乗りになると、顔面が完全に崩れるまで何度もナイフを突き立てる。

 

 懐かしい映像を見てヘレシィは笑う。

 それはもう、楽し気に。過去の自分と同じ顔で笑い続ける。

 

 

 

 

 

 

 ――キャラクタークリエイション。

 迷宮を歩く相馬大翔(ハルト)の前に懐かしい画面が浮かびあがった。

 この世界に来る切っ掛けとなったものにして、ずっと後悔していた超常現象。

 

 彼は驚いて飛び上がると数歩後ずさった。映像に剣を向けて、これは何かの罠かとハルトが警戒を高める。

 しかし周囲にいた筈の仲間が消えている事に気付くと、彼は大きく息を吐いて逡巡、ゆっくりと画面に近寄っていった。

 

 なぜ迷宮でキャラクリ画面が現れる?

 

「これは夢か?」

 

 数年ぶりに見るキャラクリ画面は初期のものだった。

 マネキンの様につるんとした人形と、下に設けられたステータスバーだけが寂しく映っている。

 

「まさか……俺に、やり直させて、くれるのか……?」

 

 心臓が高鳴る。

 誤った選択を無かった事にしてくれるかもしれないと希望を見せられて、ハルトは無意識に画面へ手を伸ばした。だが、触ろうとしても映像はハルトの手をすり抜けた。

 

「っ!!」

 

 やり直したい事があるのに。

 このままでは、ダメなのに。

 

 画面はハルトを触らせない。何度繰り返しても、幻のように画面はハルトを拒絶する。

 そうしているうちに、日本にいた頃の自分――今より少し年を重ねた大翔――が浮かび上がってきて、キャラクリ画面を操作しはじめた。こちらにはまるで気付いた様子がない。

 

「……まさか、これは過去の映像か?」

 

 なんとなく事情を察する。

 周囲はいつの間にか迷宮から自分の部屋に変わっているし、もう一人の大翔の行動も、自分が覚えている事をなぞらえているように感じた。

 過去の自分は怪しげな画面の文言を読み込むと目を細めた。

 

『なんだ、キャラクリエイト?』

 

 最初に出てくるのは警告文だ。

 操作に従えば二度とこの世界には戻ってこれなくなる。それでもいいなら、次を押せという内容。

 

『……やるしかねぇ!』

 

 当然これはクリック。当然だ。

 

 ここじゃないのだ。ハルトが間違った選択はまだ先にある。

 

 次に出てくるのは、この超常現象を起こした存在の自己紹介と目的の伝達だった。

 

 キャラクリをさせようとする「神」を名乗る存在は誰かを探しているらしかった。

 捜索対象の名前は不明。詳しい外見も不明。どこにいるかも不明。ついでに、いつ生まれてくるのかも不明。その人の事は何も分からない。けど、ただ、見つけたい。

 

 神は己の望みを叶えるため、この世界から色々な人間を、色々な年代に送り込んで実験的に探させているらしかった。

 しかし、クソ雑魚な地球産人類を異世界に送り込んだところですぐに死ぬだけ。そこへ生き残れるだけの能力を与えるのが、このキャラクリエイトだ。

 

 でも考えるの面倒だから、許容範囲――ポイントで明記――で自分のアバターを好きに作れと神は言う。

 

 幾つもの文章に同意していくと、捜索対象が最後の画面で現れた。

 まるで落書きだ。子供が一生懸命、地面に描きましたという判別不可能な一枚を見せられる。

 

『……無理だな』

 

 うむ。無理。

 ハルトは久しぶりに見る画像を前に、やっぱり無理だろこれと文句を垂れる。

 

 画像の中には5人と一匹が映っていた。それは分かる。でも、それ以外が分からなかった。

 

 まず性別が分からん。表情も分からん。特徴が何も分からん! 辛うじてわかるのは子犬がいることぐらいだけど、犬の見分けとかつかないから俺。もしかしたら猫かもだし、これ!

 まあいい。こんなことはどうでもいい。神もあまり期待してないような文言だったから、人物捜索は努力目標と言っていいだろう。

 

 そんな事よりも、ハルトには一つだけ後悔があった。

 このキャラクリエイトでどうしても、やり直したい事。おふざけと思って、適当にやってしまった事。

 

「こい……来い……」

 

 ハルトは待つ。

 改変できるかは不明だ。

 しかしこんな明晰夢、普通じゃない。ならばきっと、ここで行動すれば何かが変わる。

 

「もう少しだ……能力は何でもいいだろ、悩むな俺。そんな所はどうでもいい……早くしろ俺!」

 

 ハルトは待つ。その時を、待ち続ける。

 そしてついにやってきた。

 

「ここだ! いけるか、改変――!!」

 

 ハルトの切望に呼応して体中の魔力がごっそりと消失する。そしてハルトは己の肉体が全て消えていくのを自覚した。

 

 

 

 

 

 

「ん……みんな、いる? いない?」

 

 静まり返った洞窟で何度も前後を振り返る。

 

 マーシャどこ行った? ハルトは? ヘレシィさーん?

 精一杯の大声で名前を呼んでみたが返事がない。

 

 それでも居なくなった皆は、実はどこかに隠れているんじゃないかと探すが見当たらない。まず隠れる場所がない。

 

「怖くない。怖くない……」

 

 仕方なしに、誰も居なくなった洞窟を一人で歩く。もう一度後ろを振り返るが……誰も居ない。

 

 なんでみんな俺を置いていくかなぁ?

 しかも明かりの魔法を使える人がいないから、視界が凄い制限喰らうんだけど。俺の夜目が効かなかったら危なかったでしょ。

 

 おーい、帰るよ。誰かぁ。

 

 帰ろうよぉ……。

 何度だって声を掛けるけど、反応無し。俺の声だけが静かに洞窟へ溶けていく。

 

 無視は酷いと思うの。

 

「怖くない」

 

 これもう、いいよね?

 夜人出すよ。誰も見て無いし、いいよね?

 文句ある? ……よし文句ないね。はい出します。

 

 足元の暗闇にむかってヤトを呼ぶ。

 1人は寂しいし、周囲に人いなくなっちゃたから助けてと。

 

 だが出てこない。

 聞こえなかったかと影を叩いてみる。反応無し。

 ヤトも銀鉤も佳宵だって、だれも俺の声を聞き届けてはくれなかった。

 

「っ……なんで?」

 

 まさか、夜人まで俺を置いて行った?

 

 …………そんなのありかよぉ!?

 夜の神は? 居るよね!? ねえ!!

 

 ―― いるよ。

 

 いたぁ! 神様いたぁ! 良かった……。

 当然のように返ってくる【夜の神】の声を聞くと、恐怖に圧し潰されそうになっていた不安が一気に立ち消えた。これで怖いもの無しやでぇ。

 ……なんだか涙目になっていたのを拭ってマーシャ達を探して歩く。

 

 まったく、アイツ等め。迷子とは困ったものだ。

 

 でも、よく見ればここ、迷宮の深層とは違う場所みたいだった。

 今まであった支保が無いし、坑道じゃなくて自然の洞窟に見える。周囲も土というより岩壁に変わってる。

 

 なんだか見たことあるような場所。

 

 ……ああ、そうだ。

 この世界に来るにあたって俺が最初に出た場所、今は神殿に改造されちゃった森の洞窟にそっくりなのだ。

 

「あ、誰か居た」

 

 数分ほど歩くと、ようやく人影を見つけた。

 

 それは地面にうずくまって何か作業をしているようだった。

 小さく、黒い物体が蠢いているようでなんだか怖いけど……近寄らなければ、何も分からない。

 

「なにして……あれ?」

 

 声をかけて気付く。地面にうずくまって居るのは俺自身だった。

 いや、男の俺じゃない。このヨルンちゃんボディにそっくりの誰かだ。

 

「……」

『……』

 

 なんで俺が居るの?

 ホラー展開はもういいよ……と、嘆きたくなる。つい物陰に隠れて様子を伺った。

 

 でもしばらく少女の様子を見ていていたら、我慢できなくなってきた。俺には、このまま彼女を放っておくことは不可能だ。一人寂しくしゃがみ込む少女に声をかけてみる。

 

「なにしてるの?」

 

 少女の隣で、同じようにしゃがみ込んでみる。

 けど彼女は俺の事など存在していないかのように無視していた。

 

 少女はうつろな目で、石を片手に地面に何かを描いている。一心不乱。呼吸すら忘れているような集中力、それでいて、諦観に似た絶望を伴って彼女は絵を描き続ける。

 

 なんだろうこれ。

 完成まで待っていたら、2人の人間らしき落書きが描かれた。

 

 片方はたぶん彼女自身。

 もう片方は……分からない。特徴がない。

 まるで夜人のように、全身が塗りつぶされ、ぼんやりとした印象で描かれているソイツは、絵の中で彼女の事を抱きしめていた。

 

『……』

 

 出来上がった絵をジッと見つめていた少女だったが、石を放り投げると寂し気に膝を抱えて丸まった。

 

 この洞窟にはただの生命一つも無く、世界に彼女以外は存在しない。

 孤独と絶望だけが打ち付ける冷たい空間。吐く息は白く、凍える少女は自分で自分を抱きしめた。小さく「さびしい」という嘆きが誰の耳にも届く事なく消えていく。

 

「あ」

 

 だが、先ほどの落書きから()()が生まれ落ちたように抜け出てきた。少女の事を優しく抱きしめる。

 少女も最初は驚いたようだったが、応じる様に抱きしめ返す。しかし何かが気に食わなかったようで、すぐそいつを突き飛ばすと再び丸まってしまった。

 

 ……ああ、分かった。

 

 あれは夜人だ。

 だけど、あの夜人じゃダメなんだ。

 

 彼等を見続けた俺には分かる。あの夜人は生きてない。

 ただ「抱きしめろ」と願われたから、それを真似ただけで、そこに感情は含まれない。人形と変わらない。

 

 よく見れば洞窟中の壁に無数の落書きの跡が残っていた。描いては消し、描いては消し。生まれ落ちた命なき夜人に失望しては、また次を描く。彼女はそうやって孤独に耐えていた。

 

「自分以外の人を見た事が無い?」

 

 俺は投げ捨てられた石を拾って、再び彼女の元へと戻る。

 

 夜人に顔が無いのは、彼女に笑顔をくれる人がいなかったから。愛が無いのは、彼女が受け取った事がないから。

 ヤトも、銀鉤も、佳宵もそうなのだろう。仮面を被っていたり、そもそも人としての顔が無いのは彼女がそれしか知らなかったから。

 

「だけど、大丈夫。もうすぐ貴方を愛してくれる人が現れる」

 

 俺は"彼女"の隣に座って絵を描いていく。

 ゆっくり、ゆっくりと。下手くそな絵だけど、俺の知ってる限りの想いを籠めて描いていく。

 

 鎧姿のヤト。子犬姿で可愛く媚びを売る銀鉤。狐面をずらして仏頂面を晒す佳宵。そんな三人に囲まれて、笑顔を浮かべる少女の姿を次々と描いていく。

 

「でも、まだ足りないね」

 

 そして、一番大切な聖女さんを書き足して……完成だ。

 彼女に見せようと振り返れば、既に彼女は引き込まれるように俺の絵を見ていた。

 しばらく絵の人達をジッと羨まし気に眺めていたが、不満な所を見つけたようだ。彼女は俺の方に振り返ると口をとがらせて言った。

 

『まだ足りない』

 

 石を奪い取られ、絵の中に一人の男が書き足される。

 スーツ姿で疲れた表情。でも優し気に彼女の頭を撫でる存在。それは、まさか。

 

『ん……これで良い』

 

 気付けば俺の体は昔のモノに戻っていた。

 くたびれたスーツ姿の、どこにでもいるような男。それが俺だ。

 

 小さな女の子が期待する様に見上げてきたので、思わず頭を撫でてしまう。

 自分がされると嬉しいように。聖女さんがしてくれたように慈愛を籠めて。優しく少女の頭を何度も撫でる。

 

『ん』

 

 それでも足りないらしい。

 少女は俺の手に頬を擦り付けるような仕草をしてきた。潤んだ瞳を向けられたので抱き上げてみると、冷たい体温だった。両手は小さく震えている。それが嫌で、俺は力一杯抱きしめる。

 

 できる事なら、この孤独な少女にも救いが欲しい。

 未来で出会う聖女さんという希望を知って、もう少しの間だけ耐えて欲しい。

 

 幻なのか、夢なのか。

 この訳が分からない状況に、だけど、俺はそんな願いを籠めた。

 

「うん?」

 

 ……なんか、一瞬ですごい疲れた気がする。

 なに? 何事?

 ごめん少女よ。降りてくれる? 俺ぶっ倒れそう。

 

『うん。じゃあ私、待ってるから……ね、お父――

 

 

 ―― うわぁああ!! ちょっと! ちょっとストップ!

 

 

 【夜の神】の焦り声。

 まるで壊れたビデオのように、視界にノイズが入って、場面が変わる。

 

「……?」

 

 ここはさっきまでいた洞窟じゃない。俺の姿も、ヨルンのものに戻っている。

 どうやら気付けば迷宮に戻ってきたようだ。あの子もどこかへ消えてしまった。

 

「ヤトー」

「?」

 

 あ、よかった出てきてくれた。

 ふーむ、じゃあここは現実世界か。

 

 さっきの不思議な世界は何だったんだろうか?

 なんとなく、あの子が昔の【夜の神】だったのは分かったんだが、やっぱり幻?

 

 まあ、それはいいや。

 迷宮では不思議な事が起こると誰かが言ってたし。それより気になることがある。

 

「ね。夜の神は、最後なんて言ったの?」

 

 ―― ………………ひみつ。

 

 秘密らしい。

 なるほどなー。

 

 なんて言ったんだろ?

 




神話時代の夜の神「ちょっと人探して、連れてきて」
夜人s「!!?」

夜人s「主は人身御供をご所望だ!」
人間&天使「(((( ;゚д゚))))アワワワワ」

  /\/\/\/|
 < 大戦勃発 ! >
   |/\/\/\/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

交錯する事象、急転直下

「明日はお休みです」というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。

あまりにも素晴らしい挿絵を次々に頂いてしまいました。
これは私に続きを書けという事ですね。
書きましょう! 書きました!


垢を得たお茶っぱ様より
ヨルン

【挿絵表示】

表紙風味!

【挿絵表示】


えのき茸様より
ヨルン

【挿絵表示】

初めて村に来たヨルン

【挿絵表示】

リボンヨルン

【挿絵表示】

リボンもらえた勢とヤト

【挿絵表示】



「ふぅん。ここが、南都アルマージュ……聖女の治める地」

 

 喧騒の満ちる街を、馬車の中から眺める年若い女がいた。

 丁寧に編み込まれた金髪は太陽のように輝き、生命溢れる活気をみせている。

 傷一つない手、穢れを知らぬ顔。生まれてから今まで、苦労をした事なんてありませんと言わんばかりの態度で座席にもたれ掛る彼女は、名をラクシュミ・フォン・プライデアといった。

 

 彼女は聖女だった。

 無論、ディアナとは異なる、役職としての聖女だ。

 

「ふん! なんですの、これくらい! 天使様の祝福があって、強権を振りかざせるなら、私にだって出来ますわ!」

 

 齢14歳。

 勝ち気で負けず嫌い。

 

「……できますわよね?」

 

 でもちょっと怖がり。

 

 己の積み上げてきたものを一瞬で飛び越えていく(ディアナ)の登場に、ラクシュミは対抗心と恐怖を覚えていた。だが恐怖を覆い隠すのは彼女のプライドだ。

 

 常に勝者であれ。

 正しく胸を張って堂々と。無用に媚びず、顧みず、立場と能力を自覚して相応しい態度を取れ。

 貴族とは平民に(へりくだ)るものじゃない。栄光とは与えられるものじゃない。我等貴族は、己の力で未来を勝ち取る存在だ

 溢れんばかりの才能を持ち、貴族として生まれたラクシュミは、そう教えられて育てられた。

 

 「聖女」の役職に就いたのは去年のことだった。

 成人すらしていないラクシュミでは、まだ若すぎると反対する枢機卿も居たが、彼女の才能がもぎ取った。

 教育係として付いたガリレオ枢機卿をして天才と評する傑物。成長しきれば歴史に名を遺す聖女に成れるだろうとラクシュミは言われている。ただし、今は生意気なガキとも影で言われている。

 

「ふ、ふん! 見てなさい、私はやってやりますわ! 天使様にも、優秀な聖女として認めてもらうんですわ!」

 

 ラクシュミは馬車の中で一人、手を握って気合を入れる。

 

 ぽっと出の聖女に負けるつもりはない。その座は私のモノだ。私が勝ち取った場所なのだ。

 ……いや、椅子をちょこっと分けてあげる分には、いいかもしれない。

 うん、そうだ。2人で仲良く椅子を共有するなら許してやろう。だってディアナはサナティオ様に認められた聖女だものね。

 

「……ち、違いますの! これは敗北主義じゃありませんわ! 違うんですのー!」

 

 なんか知らないけど湧いてくる邪念を、ぶんぶんと顔を振って追い払う。

 こういう時は"友人"に貰った「こーらぐみ」なるお菓子を食べて落ち着くのだ。

 

 ラクシュミは花柄のポシェットから、小さなお菓子を取り出した。

 

 見た目は茶色い楕円形をしている。

 円の片方は先細くなっていて、お菓子の真ん中からそちら側の色がちょっと薄くなっている。拘りポイントだと友人は言っていたが、ラクシュミには訳が分からない。でも美味しいから「こーらぐみ」は好きだった。

 

 柔らかいから簡単に噛む事もできるが、舐めても楽しい。

 飴玉とは違う触感。口の中で押し潰せば、形を変える。風味も今まで味わった事がないもので、珍しい物好きな貴族としては興味をひかれた。

 

 「こーらぐみ」の製作者は、ラクシュミが聖女に就いてから突然やって来た"友人"だ。

 最初は金の無心に現れた怪しい人物と警戒したもの。しかも、金の用途は研究開発費だと言うのだから怪しさ爆発だった。

 

 聖女として悪人を見過ごすことはできない。そいつの尻尾を掴むためにも、敢えて資金援助の話に乗ったのだが……作られたモノは「こーらぐみ」。

 その日、ラクシュミは掛け替えのない友人を得たのだった。

 

「ゅ……ぃ……」

「……あら? 何かしら?」

 

 ラクシュミがゆっくりと菓子を堪能していたら、走行中の馬車の窓が外からカリカリと小さく引っ掻かれた。

 

 ただの飛び石か、それとも襲撃か。

 ラクシュミは目を細めると窓を向いた。迎撃魔法を準備して、いつ何が有ってもいいように覚悟を決める。さあ来いと息を呑んで窓を開く。白い小動物が勢いよく飛び込んできた。

 

「きゅぃ!」

「あら、可愛らしいお顔」

 

 フェレットだった。それは、まごう事なき、野良フェレットだった。

 

 泥とホコリに塗れて薄汚れた姿。

 獣臭い異臭を感じるようでラクシュミはおもわず口を覆う。しかし、よくみれば愛嬌がある顔だ。

 小さく揺れる髭、ぴすぴすと動く鼻。そしてラクシュミを見て小首をかしげる動作。知性を宿す瞳は彼女の心を貫いた。思わず魔法でフェレットの姿を綺麗にしてあげる。

 

「ほら、これで綺麗になりましたわ」

「きゅ!」

 

 そしたらなんと彼はお腹の毛皮を毛繕いすると、小さなロザリオを取り出して、ラクシュミに差し出してきた。

 

「まあ! 私にくれるんですの!? なんですか、なんですか?」

 

 ラクシュミ感動。

 

 フェレット流のお礼のつもりだろうか。

 ちょっと薄汚れて黒ずんでいる。汚らしいと言ってもいい。だが、差し出されたモノを彼女はおもわず受け取った。

 

「……ぁら?」

 

 そしたら、途端に綺麗に見えてくる。

 太陽を模した橙色の球体は、おそらくエリシア聖教のロザリオの一種だろう。しかし有ってはならない闇を現す黒い紋様が、マーブル状にロザリオの球体に染み込んでいた。

 

 ラクシュミは己の知識と照らし合わせて、このロザリオが戒律を破っている忌物と確信する。

 エリシア聖教にとって球体とは太陽だ。そして橙色は生命の輝きを意味している。ならば、それを冒すような黒い文様は、闇による侵略を表す。

 

「これは」

 

 今すぐに破壊すべきだ。

 人の目に映すだけで、邪心を呼び起こすロザリオなんて有ってはならない。頭ではそう理解しているのに、心が惹き込まれる。放たれる邪気すら愛おしい。

 

「あぁ、これは……良いものですわ」

 

 ラクシュミがロザリオを撫でると闇が噴き出した。

 

 聖女として払うべき汚濁をラクシュミは喜んで受け入れる。手から腕へ。首を伝って、口に辿り着いた時、闇は呼吸と共にラクシュミの中へ潜り込んでいった。

 

「ふふ、ふ」

 

 心地よい。

 世界が変わって見える。

 聖女として長い間憂いていた事案が全て些事に見えてきた。

 

 例えば、各国の優劣。

 侵略戦争を良しとする帝国に対して、周辺国家は聖教国へ助けを求めていた。当然、人類の指導者として聖教国は帝国を止めなければならないのだが、政治がそれを許さない。

 

 例えば、貧富の差。

 同じ国でも裕福な者と貧する者は存在する。片や余った食べ物を廃棄して、片や明日の食べ物を得るために家族を売りに出す。

 

 理想だけでは立ちいかない現実に、ラクシュミはずっと悩んできた。

 聖女としてどうすればいいのか。自分に一体何ができるのか。苦悩して、頭を抱えて、それでも解決しなくて。一生かけて答えを追い求める事になると思ってた。

 

 だが、それがどういう事か。難問の解決案が次々と浮かんでくるではないか。今、ラクシュミの頭は冴えていた。

 

 戦争とは、各国で争うから悪いのだ。世界に多様な国家があるから悪いのだ。

 エリシア聖教国という統一国家の名の下で、全ての人類が統制されていれば問題は起きない筈なのだ。

 

 貧富の差の問題にも解決の糸口が見える。

 貧しき者が生まれてしまうのは、卑怯な富裕者の責任だ。

 富豪とは、賤しくも自分のためだけに金銭を貯め込んだ存在をいう。それは良くない。金銭は人類共通の課題である「幸福」のために投げうつべきである。

 国家の武力のもと金銭や食料は管理され、人民に等しく与えられることで世界は真なる平等へと繋がっていくだろう。

 

「――ああ、こんな簡単な事だったのですね」

 

 今のラクシュミは光の権威を絶対的に盲信していた。世界の不文律がどうでもいい事に思えて、あり得ないはずの逆転の発想が出てきてしまう。

 聖教が世界を管理することで、人は幸福になれる。ああ、なんと素晴らしい閃きか。

 

「それに気付かせてくれたフェレットちゃんには、なにかお礼をしないとですわね」

 

 うーん、と可愛らしく首をかしげる聖女ラクシュミ。

 

「ああ、そうですわ! こんな可愛らしいフェレットちゃんですもの、私が飼って差し上げますわ!」

「きゅ!?」

 

 野生でいるよりも人間の管理下に置かれれば安心だろう。

 毎日餌をあげるし、水桶だって変えてあげる。布団に良い藁を用意して、トイレも私が掃除しよう。それぐらいの責任は持つつもりだ。

 

 ラクシュミは捕獲するために白いフェレットを押さえつけたが、フェレットは嫌がって大暴れ。

 

「ほらほら、暴れないでくださいな。痛っ……あなた噛みましたわね!」

「きゅいきゅいっ!」

 

「なんですの、このフェレット。随分と暴れん坊ちゃんですわね!」

「きゅ-い!」

 

 突然、手の中で暴れ出したフェレットに向けて、ふつふつと怒りが湧きあがる。

 私はこんなにも愛しているのに、フェレットは分かってくれないのか。そう思うと無意識にフェレットを握り込む力が強まった。ラクシュミの指がフェレットの首に掛って、腹部と頸部を同時に圧迫する。

 

「っきゅ……ぅ!」

「少し反省してくださいな!」

 

 呼吸を止められ苦しむフェレット。

 二分ほど掛けて、少しずつ動かなくなっていく様子を見てラクシュミは溜飲を下げる。抵抗が無くなったところで解放してあげれると、フェレットは何度も咳込む様に悶え苦しんだ。

 すこし長く締め過ぎたようだ。こんなことで、これ程の怒りを見せる自分は今までなかった。でも不思議には思わない。暴れるこの子が悪いのだ。

 

「反省は大事ですわ。次やったら、もっと怒りますわよ?」

「きゅきゅきゅ!? きゅー!」

「ふふ、ごめんなさいね、冗談ですわ」

 

 ラクシュミは魔法で特製の檻を作り出すと、フェレットをそこに押し込んだ。混乱する様に走り回るフェレットの様子が、ちょっと可哀想だったから、フェレットとしてはかなり広い檻にしてあげる。

 そして他の人に野生動物を拾った事を気付かれないように、黒い布を掛けて姿を隠した。

 

 これから向かう先はアルマージュ大聖堂。

 天使の御前で野生動物を晒したら、見苦しいだろう。それくらいの配慮は出来てきた。

 

「さーて、フェレットちゃん。名前を付けてあげますわ。うーん……ポチ! ポチですの!」

「きゅー!?」

「あらあら、嫌なのかしら。でも駄目ですわ! 貴方は今日からポチですの!」

 

 ペットとしてよくあるポピュラーな名前。

 ラクシュミは自分のネーミングセンスに満足して何度も頷いた。そして喜ぶ。南都で良いペットを拾ったと。

 馬車は、そうこうしている内に聖堂の門をくぐり、敷地の中へと入って行った。

 

 

 

 

 

 

 さて。不思議な世界を抜けて、迷宮に戻った俺だが……どうしようか。

 

 迷宮に戻ってきても皆は居ないまま。

 このまま放って帰る訳にはいかないから探すしかないのだが、一体どこを探せばいいのやら。

 

「んー。よし」

 

 こういう時は頼りになる人がいる。そう、銀鉤だ!

 ヤトのように馬鹿じゃないし、佳宵のように不機嫌そうじゃない。簡単なお願いでも気軽に頼みやすい便利な犬。それが銀鉤だ! 

 

 俺は影に向かって銀鉤に語り掛ける。そしたら背後から返事が返ってきた。

 

「ヨル呼んだ?」

「あ、銀鉤」

 

 振り返れば、迷宮の壁に重厚な扉が浮かび上がっていた。中から犬耳少女姿の銀鉤が現れる。

 ちょっと待って。なんで迷宮の壁に扉ができる?

 

「だって、拠点だもん」

 

「拠点?」

「そう。ヨルが命令したんでしょ? ボク達に新しい拠点作れって。それがここ」

 

 はぁん。なるほどね。

 ……え? お前ら迷宮の中に拠点作ったの? いつから?

 まさかとは思うけど、じゃあ迷宮の"異変期"って……。

 

「たぶん僕等の影響かな。迷宮を拡張したり、龍脈を弄り回したからね。もしかしてダメだった?」

「……いや」

 

 いいですけども……。

 でもそうなら、そうと教えてくれれば簡単に【霧降山】に行けたんじゃ?

 

 ああ、いや。教えるタイミングも無かったか。探索者に合流してから、探索開始までかなり早かったからね。

 霧降山も普段は存在しないらしいし、銀鉤のおかげで出現したとも言える。俺が怒る事は出来ないだろう。

 

 それはそうと。ところで、その新しい犬耳少女ボディはどうしたの?

 

 現れた銀鉤の姿はいつもの夜人姿ではなく、変化後の子犬姿でもなかった。

 ヨルンちゃん人形を使った時のものに似ているが、俺の顔とはまた違う、銀髪に少し垂れた目の少女がそこに居る。やっぱり年齢は10歳前後の幼女に見える。

 

「これ? これは新しい人形。だってヨルの人形使うと怒るでしょ」

「怒るよ」

 

「だから、別の素材を用意したの。素材の見た目は適当だよ。ヨルと会話が出来ればそれでいいからね」

「ふーん」

 

 聞けばヤトと佳宵用の人形も今この拠点で製造中らしく、その他夜人用のモノも準備中。大量生産のために頑張っているという。

 褒めて褒めてと目で訴えられたので、撫でてあげよう。

 ほれほれ、ここがええんか? こっちか? ……見つけたぞ! 首の下だな!

 

「くぅん、くぅ、きゅーん」

「犬」

 

「むっ。ボク犬じゃないよ。狼」

 

「どこからどう見ても犬」

「くぅん……」

 

 お前わざとだろ。鳴き声なんて狙ってるだろ。この野郎! かわいいな!

 

 なでくりなでくりと銀鉤で遊ぶ。

 彼は気持ちよさそうに目を細めていた。

 

「あ、そう言えば、ヤトと佳宵用の人形なんだけど。ボクと同じ構造でいい?」

「同じ構造?」

 

「うーん、と。顔とか声とか全部同一で作っていいかな」

「……ん?」

 

 それってつまり、先日のヨルンちゃん人形事件と似たようなこと起こすって訳?

 ちゃうねん、俺はヨルンちゃんが大量生産されたから廃棄しろと言った訳じゃない。いや、それも関係あるんだけど。同じ顔の人間を量産したかのも嫌だったのよ!

 

 人間ってね、おんなじ顔に囲まれるとビビる生態をしてるんですよ。銀鉤知ってた? お願い。やめてください。

 

「りょーかい。じゃあ、そこの変更とマーシャ達の捜索だね。ちょっと待ってて」

 

 そう言って扉の中に戻っていく銀鉤。

 まずは製造中の人形の見た目を変えるそうだ。優先順位的に、それを先にしないと間に合わなくなるとかで、それが終わり次第、マーシャ達を探すと言ってくれた。

 とりあえず一安心。これで事態は収束に向かうだろう。

 

「……んー」

 

 待っててという事なので、扉のまえでウロチョロして時間を潰す。……ハイ、暇になってきました。

 

 人間、余裕ができると無駄なことを考えてしまうものだ。

 まだかな、まだかなと、通路を行ったり来たりしている内に扉の中が気になってきた。森の洞窟を変な神殿に改造する夜人の感性だ。この迷宮も神殿風味にされたのだろうか?

 

「んー」

 

 どうせ待ってるだけならレリーフを見てた方が楽しいかもしれない。

 夜人達って無駄に器用だからね。森の神殿に刻まれたレリーフもかなり力が入っていたし、この拠点の出来も気になってきた。

 南都に来て、神話を勉強した今の俺ならきっと楽しめるはず。そう思って扉をこっそり開ける。

 

「……うへぇ」

 

 そこはSFチックな研究所だった。

 濃緑のライトに照らされた円柱の水槽がずらっと並び、中には肉の塊らしき何かが浮かんでいる。ゴポリと空気の泡が断続的に吹き上がる音だけが研究室を支配する異様な世界。

 

 勢いよく扉を閉じる。

 

 見てはいけない物を見てしまった……!

 やべぇよ……人形の製造方法ヤベェよ……!

 

「ヨルンちゃんは――」

「だれ!?」

 

 息を整えて居たら後ろから声を掛けられ、俺はいけない場面を見られた子供のように悲鳴を上げた。

 高鳴りそうで高鳴らない俺の心臓。それでも俺の目線は小さく彷徨った。

 

「ヨルンちゃんはそこで何をしているのかしら?」

 

 後ろに居たのはヘレシィだった。

 彼女は問いかけつつ、俺の焦りに目ざとく気付くと指摘する。

 

「あら、なにかしらその扉。部屋の先には何があるのかしら?」

「っダメ! 見ちゃダメ!」

 

「え~、そんなこと言われると気になっちゃう。ね? 少しだけ」

「……だめ!」

 

 仮面の様な笑顔を貼り付けて、抱き上げた黒い子犬を撫でつつ近寄ってくるヘレシィ。

 

 触れ合う距離にまで近づいて気が付いた。

 あれ? ヘレシィ、20歳ぐらい老けた? あと、その子犬はなんです?

 

「そんな事はどうでもいいわ」

 

 ヘレシィは俺の「会話逸らし戦法」を一刀両断。そして俺の核心を突く、凄いことを言い始めた。

 

「ねえ、もしかしてだけど、ヨルンちゃんの生まれって『日ノ本』かい?」

 

 ……え?

 

 ひの、もと……?

 

 もしかして日ノ本!? 正解だよ!?

 何でヘレシィが知ってるのー!?

 

 

 

 

 

 

 遥か古代より連綿と続く最古の秘密結社【日ノ本会】。

 今でこそ長きにわたる【慈善】の交渉によって黒燐教団の一部門として吸収されたが、彼等の秘密主義は変わらず、慈善を除く評議員にすら会の秘密は明かされない。

 入会条件や接触方法も分からず、そもそも本当に存在するのか定かでなかった。

 それでいて日ノ本会と合意を結べた慈善は、実は日ノ本会の一員なんじゃないかという噂もあったが、真偽は不明。

 

 私に分かることは、彼等が所有する技術は常に世界最先端ということ。そして、そんな彼等と聖女ラクシュミの間に資金の流れがあることだ。

 

 

「あらあら……凄いわね。未知の世界だわぁ」

 

 私が「等価交換の悪魔」から抜け出て最初にした事はヨルンを探す事だった。そして、それは容易く達せられる。ヨルンを見つけた時、彼女は怪しい扉の前でうろうろしながら何かに躊躇していた。

 しかしそれは少しの間。彼女は意を決して、何かを確かめる様に扉をゆっくりと開いていった。

 

 ヨルンが少しだけ開けた扉の隙間から、部屋の様子は見えていた。

 林立する水槽に入れられた奇妙な肉の塊は、おそらく胎児。それも闇との親和性が極限まで高められた存在だ。あれが成長すれば、目の前で緊張しながら扉を閉めたヨルンと似たような子供になるだろう。

 

 扉はヨルンが手を離すと、まるで彼女以外は迎え入れないと言うように消えていった。

 今見た光景。加えて道中でヨルンのお腹を触った時に気付いた事象が、私の「予想」を確信に近づける。

 

 ヨルンの下腹部には聖属性の紋章が刻まれている。それも中途半端なモノじゃない。枢機卿である私や、聖女クラスでなければ知り得ぬ最高峰の術式だ。闇たるヨルンに何故かそれが刻まれている。

 

「光と闇。二つの背反が混じり合い、生み出した作品……なるほどねぇ」

 

 黒燐教団ですら持ちえぬ闇の結晶、描き込まれた光の極限。

 私の知ってる中でそんな事が可能なのは、日ノ本会、そして会と繋がりがある聖女ラクシュミだけ。つまり……長らく謎だったヨルンの製作者とは、その両者に他ならない。

 

 ――やってくれたわね、聖女ラクシュミ。

 

 日ノ本会との資金の繋がりを持つだけでなく、そこまで協力関係にあるとは思わなかった。

 とぼけた思想で、生意気な少女を装って。その実、腹の内は真っ黒か。

 いや、少なくとも背信者である私の言えた義理ではないか。

 

「ふ、ふふ……」

 

 なんだか楽しくなってきた。

 私の手によって秘密のベールが一枚一枚外されていく快感。世界を滅ぼす一手が打たれようとしている。そんな愉悦。

 

 【慈善】は恐らく、この事実を知らない。

 彼は夜の神の狂信者だ。知っていたならヨルンを逃がすはずがないし、光陣営に奪われるなんてヘマはすまい。

 仕方がない。私の方から教えてあげるとしよう。

 

「――【謙虚】から慈善へ。報告よ」

 

 死んだ【勤勉】は優秀な男だった。日ノ本会所属を隠したて、聖女ラクシュミと協力して神の器を作り上げた。なるほど優秀だ。けれど勝つのは教団だ。

 

 この世界に光は要らない。全てを闇で包むため、私はヨルンを奉ろう。

 

 

 

「ねえ、ヨルンちゃんの生まれは『日ノ本会』?」

 

 慈善への報告が終わった後、念のため本人に確認してみることにした。

 正直に教えてくれるとは思ってない。だけどヨルンの反応を見れば如実に分かる。

 

「ち、ちが……ちがうよ?」

 

 正解だった。

 

「あらあら、本当?」

「本当」

 

 彼女はオロオロと目線を彷徨わせると、所在なさげに自分の前髪を弄り出した。髪によって隠れている片目を露にするが、手を離すと直ぐに流れるような髪が覆い戻す。

 この子、嘘が下手過ぎないだろうか? だけどそんな所も可愛らしい。

 

「そうなのね。ところで、話が変わるんだけど、ちょっと事情が変わっちゃったから聞いてくれる?」

「話が変わる! ……ん! どうしたの?」

 

「フェレットを探す為に来たと思うんだけど、ごめんね、急いでヨルンちゃんをある場所に送らせてくれないかしら? 大丈夫……きっと貴方も喜ぶわ」

「……ある場所?」

 

 もう私に魔力は殆ど残ってない。等価交換の悪魔によって消費した近辺の空間魔力も、まだ回復しきっていない。

 年老いた体は予想以上に難儀だ。ちょっと歩くだけで息が上がるし、魔力操作も下手になっている。それでも一回ぐらいできるはず。

 

「ええ。ちょっと目をつぶっててね、酔っちゃうわよ」

「どこ行くの? 今日中に聖女さんのところ帰れる?」

 

「心配いらないわ。貴方の安全は保証するし、全ては杞憂よ。それとも私が信じられない?」

「んー……信じる」

 

「うふふ、ありがとうヨルンちゃん」

 

 発動するのは標的式の転移魔法――目的地が設定されているのではなく、予め設定した標的の近くへ送ってくれる魔法だ。それをヨルンに向けて放つ。

 

 条件は『一番近くに居る黒燐教団評議員』。

 普段は暗殺に使われやすい標的式魔法から逃れるため、十分な対策を施している彼等だが、今は慈善からの連絡で妨害を解除しているはず。ヨルンを受け取ってくれるだろう。

 

 一番近くにいるとすれば、王都で革命を計画している【忍耐】か。それともオラクル連邦で戦争を扇動している【感謝】か。少なくとも、月宮殿で作業中の慈善と純潔はないだろう。

 

 誰でもいい。ヨルンちゃんの保護を頼みます。

 

「それじゃあ、ヨルンちゃん、またね? ああ……マーシャとハルトは私が相手するわ。心配しないでね」

「ん……ん?」

 

 バシュンと。軽快な音と共にヨルンが消える。

 

 ギリギリ間に合った。

 しかしほッと息を吐く暇もなく、その直後、横から力強い攻撃が飛んで来た。鼻先を掠める拳を避けて向き直る。

 

「あらあらマーシャさん。どうしたのかしら、そんなに息を切らして」

「ヘレシィ……やってくれたわね! アンタまさか教団員か!」

 

 そこには片腕を無くしたマーシャが、怒り心頭で立っていた。

 

 




~ 1番近くの評議員 ~

ヨルン「……ん?」
フェレ君「きゅ?」

感動の再会 in 檻の中! (*‘ω‘ *)
そして大聖堂にアクロバティック帰宅!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ヘレシィ

またまた挿絵を頂きました!
ありがたいー(*‘ω‘ *)

三次たま様より
聖女さん!

【挿絵表示】


リフ様より
シティ派ヨルンちゃん!
【挿絵表示】

【挿絵表示】
(アップ版)


「どうして……どうしてアンタはディアナを裏切った!? アンタはそれでも母親か!」

 

 ヨルンを送り届けた直後に襲撃者が現れた。怒声と共に拳が飛ぶ。

 どうやら先ほどの転送場面を見られていたようで、聖職者としてあるまじき闇の魔力を用いた魔法を証拠に教団員であることを指摘される。

 

 大した問題じゃない。

 義娘の親友を名乗るマーシアの拳を躱しながら、ヘレシィは歪んだ嘲笑を浮かべた。

 

「あらあら、貴方は不思議な事を言うのね。私は裏切ってなどいないわ。だって私は、最初からディアナと家族になったつもりは無いものね」

「ッ! コイツ!」

 

 薄汚れたスラム出身のヘレシィに「家族」は分からない。

 実の母親は育児放棄して6歳のヘレシィを置いて何処かへ消えた。次の母親は狂人だったから愛された記憶がない。

 二度の家族から与えられたモノは痛みばかりで癒しを知らない。人が言う「家族」の良さがヘレシィには分からない。

 

「それは貴方もそうでしょう? ねぇ、ロートティスマンの娘。貴方だって家族に利用された口でしょう?」

「……っ!」

 

 養子を組んでから、ヘレシィはディアナに近づく全ての存在を調べていた。そして「ロートティスマン家」の隆盛と零落を知った。

 

 ロートティスマン家とは10年前、オールター帝国で急成長を遂げる商会の会頭を勤める家だった。

 行商人から始まった彼等は、一代にして飛ぶ鳥を落とす勢いで販路を広げる注目株に成長したが、ある時、大きな壁にぶち当たる。

 

 平民と貴族の壁。

 特権階級であり、国を支配する貴族は、自分達を追い落とす可能性を持つ者を忌み嫌った。

 

 ロートティスマン家も商会が大きくになるにつれて目を付けられ、貴族と懇意の商会の利益を奪う存在として嫌われた。嫌がらせや妨害は日常茶飯事となり、身の危険も現実味を帯びてきた。

 貴族の世界において敵とは消すものだ。成り上がりの平民風情であったロートティスマン家は、存続の危機にさらされる。

 

 マーシャの父親――ロートティスマン家の当主が決めた解決案は政略結婚だった。

 後ろ盾となる貴族を得れば、ロートティスマン家はまた飛び立つことができる。お家のために、父親の非情の判断によってマーシアはタナトフィリアに狂った有力貴族に嫁ぐ事になった。

 

 見知った者の死を見ることで興奮するその貴族は、マーシア以前にも数え切れないほどの妻と離別――殺害――を経験していた。しかし妻の生家には相応の対価を差し出していた。

 

 つまり、マーシアは生贄だった。

 娘を差し出すから後ろ盾になって欲しい。我等を守って欲しい。そんな家族の欲望にマーシアは晒された。

 

「それでも貴方は家族が素晴らしいと本気で謳えるのかしら?」

 

 偽善者はすぐに家族だの絆だのと、愚かな希望を嘯くものだ。

 騙る内容はありきたりでヘレシィにとって聞くに耐えない狂人の戯言だ。

 

「貴方が逃げたからロートティスマン家は滅んだのよ。貴方の所為で、貴方の家族は殺された。あらあら? 家族のためと言うのなら、死ぬべきは貴方だったんじゃないかしら?」

 

 差し出されるはずだった生贄を奪われた変態貴族は怒り狂った。

 悍ましい矛先はマーシアの家を向いて、悲劇の幕が開かれた。

 

「ねえ偽善者って誰だと思う? マーシャ、貴方は聖職者なのだから、人に家族を語る前に自分がキチンとしなくちゃダメなのよ?」

「……ぃ」

 

 嫌な記憶を掘り起こされたマーシアは俯いた。

 事実に対して言い返すことはできない。

 

「じゃない……」

 

 だが、すぐに前を向くと、全力の雄たけびを上げた。

 

「知った事じゃないわよ、そんなの! 今はアンタの話をしてるんだっつうの!! 話を逸らすな、バーカ!」

「っ!?」

 

 マーシャの失った左腕から炎が吹き上がる。髪の色のように朱く、莫大な熱量を持った焔が意思持つ蛇のようにヘレシィへと襲い掛かった。

 ヘレシィはなけなしの魔力で対魔法用の空間を展開。しかし、炎は防御を通り抜ける様に貫いた。

 

(これ、は……魔法じゃない!?)

 

 魔法とは物理現象だ。魔力が特定の刺激を受け、特定の形をとった結果が魔法だ。

 炎とは一般的な攻撃魔法の一種で、防ぐ方法は大きく分けて二通りある。こちらも攻撃魔法を放ち、同等のエネルギーをぶつけて掻き消す方法、そして防御魔法によって魔法を通さぬ壁を張る方法。

 

 だが、ヘレシィには三つ目の方法があった。

 枢機卿となって与えられた聖具を解析・再現した魔法。決して、公にでない「対魔法に特化した解除域」。

 それは魔法という形を取った魔力結合を解除する空間を展開することで、どんな強力な魔法であろうと存在できなくするという絶対の防御方法。こちらは少ない魔力で、敵の攻撃を無に帰する事が出来るのだから、効率の良い万能の防御空間だった。

 

 だが、それが、まるで存在しないかのように突破された。

 

 迫りくる炎。

 ヘレシィは仕方なく解除域を消すと、攻撃用に準備していた魔法を防御に回す。

 

「解ッ!」

 

 同出力の炎と氷がぶつかり合って、爆発的に生まれた水蒸気が洞窟中に広がっていく。視界が遮られた。

 急激に蒸し暑くなった事でヘレシィの腕の中の子犬が驚いて目を覚ましたようだ。混乱してオロオロする子犬の首筋を撫でて宥める。

 

 どこからくるのか。いつ来るのか。

 マーシャがどう攻めようとも対応できるように身構えるが、数十秒待ってもマーシャはやってこなかった。

 

 水蒸気が覆う白の世界。

 静かで進まぬ状況。

 

 まさか逃げたか?

 そう思って、ヘレシィが一度大きく息を吐いた――

 

「うぉおおおお!!」

 

 ――瞬間。

 雄たけびと共に、煙を突き破ってマーシャが現れた。

 

 殴り飛ばそうと、振りかぶった腕はフェイク。

 マーシャは射程距離まで入ると一気に姿勢を落とした。地面すれすれの体勢から、ヘレシィの首目掛けて蹴り上げが飛ぶ。

 

「あらあら」

 

 随分と元気のいい淑女なことで。

 マーシャのスカートが捲れて下着が見えてしまっている事を指摘せず、ヘレシィは首を逸らして一歩後ろへ。追撃に合わせてもう一歩。

 

 引けども、引けども、マーシャの攻撃は終わらない。次々と繰り出される大攻勢。

 脚撃が主体なのは片腕所以か。しかも単調な攻撃とならないように、マーシャは絶えず姿勢を変える。

 

 回転を併せた二連撃。膝突き。片腕で地面を支えての蹴り上げは、天地に囚われない。相対する者に息つく暇も与えぬ、緩急自在な打ち掛かり。

 しかし、ヘレシィは焦ることなく回避に専念。その時を持ち続ける。そして、連撃を繋ぐ僅かなタイミングを突いて、2人の影が一瞬で交差した。

 

「ここですね」

「なっ!?」

 

 ヘレシィの肘がマーシャの顎を捉えた。チィっと皮膚同士が擦れるような威力の無い一撃。出血は無い。痣にもならない。マーシャの肉体にダメージなど与えない。

 だが、息つく暇もなかったマーシャの連撃の雨が嘘のように止んだ。

 

「互いに魔力不足ですね。私はあまり肉体派ではないので、ここらで仕舞としましょうか」

「ふざ、け……!」

 

 顎とは人体の急所だ。顎先を掠める打撃は撫でるような威力でも、振幅を増大しながら脳天を突き抜ける。

 脳が揺さぶられ、視界が回るだろう。マーシャは覚束なくなった足取りで、ヘレシィから距離を取ろうと足掻くが隙だらけ。ヘレシィが適当に足を払うと簡単に転がった。

 

「あら、また?」

 

 そしたら左肩の炎がマーシャを守るように立ちはだかった。

 どこか女性の人間のようにも見える陰影。なるほど、とヘレシィは炎の正体を見破った。

 

「それ魔法でなく、残留思念でしたか。炎なのはマーシャさんの影響でしょうかね? 初めて見ますね」

 

 残留思念――霊魂あるいは、魂と言い換える事もできるかもしれない。

 心霊魔法を扱うネクロマンサーや降霊術士は極稀に存在するが、いまだ解明しきれていない死後の世界や魂を体系的な魔法技術に落し込めていない現状もあり、彼等は希少な存在だ。

 

「興味深いですね。私の解除域で防げなかったから、やはり魔法とは違う存在なのでしょうが……魂、気になりますね」

 

 マーシャの傍らに立つ気配は彼女と近しき者。

 迷宮探索の道中でマーシャの戦いを見ていたが、こんな技を使う場面は無かった。隠していたにしても、これ程の存在を隠蔽するのはいささか難しく、無くしたマーシャの左腕を鑑みれば悪魔との取引で得たものと予想される。

 

 推測を重ねるヘレシィに対して、まだ回復しきっていないマーシャが語り掛けた。

 

「わた、し……は」

 

 それは時間稼ぎであったのかもしれない。

 だが、興味を持ったヘレシィは黙って敵の言葉に耳を傾ける。

 

「私は、間違った。母様も間違った。苦しい時こそ、家族でもっと話し合うべきだったのよ。でもそれをせず、2人のとった勝手な行動が裏目に出てしまった」

 

 揺れる眼球で視界が定まっていないにもかかわらず、マーシャは両足でしっかりと大地を踏み締める。泥に汚れた顔を上げた。

 

「母様は私のことを愛していなかった訳でも、利用したかった訳でもない。彼女は彼女のやり方で、私を逃がそうとしてくれた。だけど愚かな母娘にはそれが引き寄せる結果が分からなかった。最後に会話を交わした時の顔は見れなかったけど……きっと母様は泣き顔だった」

 

 例え話をしよう。

 誰かが「等価交換の悪魔」との取引で親しき人の蘇生を願ったとしよう。それは己の命を対価に叶えられる。だが蘇生された人は、親しき人の物言わぬ躯を見て、そのとき一体何を思うのか。

 

「死んだと思った。悪魔に体を持っていかれた。だけど――」

 

 そういえば、ヨルンを探している時、一時的とは言えマーシャの気配が消えた時間が有った事をヘレシィは思い出す。その瞬間だけ別人の魔力が感知されたが、すぐにマーシャの気配に戻っていた。

 老化に伴う魔力制御の不安定化だと思い、気のせいと判断したが……もしかしたら、それで正しかったのかもしれない。

 

 ヘレシィはマーシャの言わんとする事を理解して炎に目を向けると、炎は娘を守るために揺らめいた。

 

「だけど、懐かしい声が聞こえたのよ。貴方は生きて、って……切なる母の声が!」

 

 ここは霧降山の麓。神話に最も近き望みの地。

 魔力が足りずとも、肉体を対価に捧げれば奇跡は顕現する。魂は結ばれ御業は為される。今ここに、マーシャと母親は一つとなった。

 

「deacon【be burning my heart/炎点ぜよ我が気魂】!!」

 

 マーシャが跳ね起きる。

 詠唱は簡素。階級は低位。しかし母なる焔が効果を押し上げる。

 全身に焔を纏い、音より速く。風より静かに。闇を祓うためにマーシャは走り出す。

 

 一方ヘレシィの片手は子犬で埋まり、魔力も尽きている。逃げるにしても一本道で取られる手段は限られる。――だが、侮るな。ヘレシィは堕ちたといえ枢機卿。

 

「面白い。けどダメよ。その程度の魔法じゃつまらない」

 

 彼女は迫りくるマーシャを前に、瞬時に最適な手段を選択した――格闘戦の継続だ。

 

「私をおばあちゃんと舐めないでくださいな!」

「なっ!? うっわ!」

 

 相手の力を利用するように、ヘレシィは片手でマーシャの勢いを変えた。

 攻撃したかった筈なのに、突如浮き上がった自分の体にマーシャは戸惑いの声を上げる。円運動で回り出した体は止まらない。マーシャはそのまま迷宮の壁へと突っ込んだ。

 

「行動が直線的すぎますね。速く、力が有れば強いと言うものではありません」

 

 常に万全の状態で戦える筈がない。

 魔力切れ程度の逆境は何度も経験してきたし、乗り越えてきた。それこそ子供の時からだ。

 

 剣に弓、暗器に爆弾。使える全てを使う。

 ヘレシィは祭服の内側から取り出した"毒薬"と描かれた瓶を見せつけるように突き付けた。

 

「ちょ、ちょっとアンタ! それマジ!? マジでいってる!? なんつーもん持ってるの!?」

「備えあれば、憂いなし。知ってます? 殺し合いとは魔法だけじゃない。正攻法で行われるモノじゃない」

 

 分かりやすく髑髏模様が描かれた瓶に入っているのは、見るからに毒々しい色の液体だ。

 蓋を取ると紫の煙が漏れ出してくる。それをヘレシィは躊躇することなくマーシャに振りかけた。

 

「うっわ!?」

 

 液体は雨のように降り注ぐ。

 毒薬であれば蒸気すら致命的だから炎で燃やすわけにはいかない。マーシャは慌てて回避するべく飛びのいた。

 その一瞬が欲しかったヘレシィは、自分で撒いた毒霧の中に突っ込んで、最速を持ってマーシャへと肉薄する。

 

「おっと勘違いしないでくださいな。誰がこれを毒と言いましたか? ただの色水ですよ。まあ、ちょっと毒液の瓶を再利用させてもらいましたけどね」

「っそれ卑怯じゃない!? アンタまじで――ごっ!」

「あら、戦いにそんなモノは存在しませんよ?」

 

 マーシャの水月をヘレシィのつま先が貫いた。

 【造魔器官】が存在し、魔力を司る場所を強い衝撃が襲うことで、マーシャの身体強化魔法が効果を無くす。だがそこで追撃の手を緩める理由はない。

 

 次は二度と起き上がれないように丹念に。ヘレシィはマーシャを責め立てる。

 

「あ、っ、ぐう……! 止め――!

 

 顎は基本だ。こめかみも脳を揺らす急所。叩いておけば普通の人間はまず動けなくなる。鼻と口の間――人中――を付けば呼吸困難になるだろう。

 喉もいい。体重を載せて踏み砕けば首の骨が折れて死に至るし、それでなくとも確実に呼吸は乱れてくれる急所の一つ。

 

「う、が……ぅ」

「ふむ。炎が邪魔ですね」

 

 倒れたマーシャへ追い打ちを掛けていたら、ヘレシィを拒絶するようにマーシャの焔が寄ってきた。娘を害された怒りに昂ぶっているのか、炎は青白く燃え上がり、火力も増している。

 灼熱の火の穂が舐めるようにヘレシィを焼き尽くそうとするが、気にするほどの事ではない。煩わし気に手で払うと炎身の半分が消し飛んだ。

 

 これは自然炎でなく魂そのものであり、正体にさえ気付ければ対処は簡単だ。

 降霊魔法があるなら除霊魔法もまた存在する。基本的に出番のない魔法であり、習得者は多くないが、ヘレシィは魔法戦のエキスパート。使えるのは必然だった。

 

「さて偽善者さん、大切な炎も静かになってしまいましたね? ……っと、もう魔力が回復してきましたか。若さっていいですねぇ」

 

 そうこうしている間にも、悪魔に捧げて激減していたマーシャの魔力が戻ってきたようだ。

 

 魔力とは体力に似ている。

 その大半を使い果たしても休憩すればある程度は回復してくる。

 マーシャのように若い健康な人間であれば、こうやって会話している間にも、低級魔法の数発分は回復してしまうだろう。一晩も寝ればばっちり回復だ。

 対して今の老いたヘレシィでは、一向に回復しないのだから羨ましくなってしまう。

 

「おっと、危ない。駄目ですよ魔法を使っちゃ」

「ぐっ……うぅうう!」

 

「だから駄目ですって。話を理解してくれますか?」

「あがあぁ、げほ……ごほっ、ごほっ!」

 

 マーシャが魔力を練ろうとするたびに水月を蹴っていたら、肋骨が何本か折れたらしい。

 マーシャは血の混じった唾を吐き出すと、焦点の合わない忌々し気な目で睨みつた。気を失ってもおかしくないほどの激痛だろうに、辛うじて意識はあるらしい。

 追い込まれたマーシャを見下してヘレシィは考える。

 

 そういえば、マーシャはディアナの親友だったはず。

 ならば、もしも……親友が死んだとディアナが聞いたなら。犯人が義母と知ったなら。娘も私のように苦しんでくれるだろうか。

 

(……いえ、そんな遊んでいる時間は無いですけどね)

 

 湧きあがってきた仄暗い欲望に蓋をする。

 優先すべきはヨルンだ。無駄な時間を過ごす訳にはいかないから……それに。

 

「さてマーシャさんは、もうまともに動けないようですね。じゃあ、これぐらいですか」

 

 殺す必要は無いだろう。

 もう十分に追い込んだと判断して、ヘレシィはマーシャの上から足を退けた。背を向けると出口に向かって歩き出す。

 

「っアンタ、どこ、に! 行くつもりよ……! 逃げるっていうの!?」

「……」

 

 往生際が悪いと言うべきか。それとも、その度胸を褒めるべきなのか。

 去ろうとするヘレシィに向かって、悪態をつきながら地面を掴むマーシャ。しかし、もう戦う力は残ってない。

 

 痛みで魔力操作がおぼつかず魔法は使えない。手足は砕かれ、力が入らない。

 それでも、せめてもの抵抗なのか炎を飛ばしてくるが、まるで見当違いの方向に幾つも着弾する。洞窟内で燃え広がった焔は力なく、真っ赤だった色まで弱弱しいオレンジとなっていた。

 

 マーシャは立ち上がる事すらできず、地面に這い蹲ってこちらを見上げる無様な姿勢だ。そんな状態で無理に大声を出すのだから、折れた肋骨が肺を突き破ってしまったらしい。マーシャ大きく何度も咳込むと、喀血して血を吐いた。

 ヘレシィは残念な子を見る目で振り返る。

 

「そのまま寝ていれば、そのうち回復魔法を使えるのではないですか? マーシャさん。死にたいのですか?」

「黙りなさい! アンタ、逃げるっていうの!? そうやって……! アンタはまた逃げるんだ!」

 

「……『また』? マーシャさんは不思議な事を仰る。逃げるとは敗者がする行動。この状況でどちらが敗者なのか。頭を打ち過ぎて、それすら理解できなくなりましたか?」

 

「ええ、私は負けたわよ。魔法一つ使わないアンタに、攻撃を掠らせることも出来ず無様に負けた! でもアンタだって敗者じゃない!」

 

 坑道内で長く大きく、炎々と燃え上がる黄金の焔に照らされてマーシャは叫ぶ。

 だが言葉の内容に思い至らずヘレシィは首を捻った。

 

「はて」

 

「とぼけるな! アンタは前の私とおんなじ目をしてるのよ。家族を嫌っているけど、その実、アンタが一番家族を求めている。理想的で、互いに愛せる本当の家族を欲してる。でもアンタはその一歩を踏み出すのが怖くて、ずっと(ディアナ)から逃げてきた!」

 

「……なにを根拠に」

 

「なら言ってみなさい! アンタが何のためにディアナを娘にしたのか! ここまで一切手を出す事なく過ごしてきた意味を! 曝け出してみなさいよ、アンタの本心を!」

「……っ」

 

 ――ディアナ。

 今から10年以上も昔に孤児院から引き取った少女。

 ヘレシィは何年経っても余所余所しい関係の娘を考える。その瞬間、頭がくらっと揺れた。

 

「あ、れ……」

 

 吐き気、めまいの不調が襲い掛かってきて、立っている事ができない。

 震える手足を自覚して思わず膝を突くが、それでも体調は戻らず目の前が暗くなっていく。

 

「やっと効いてきたみたいね、ごほっ! あぁ、息し辛いわねぇ。人の肋骨を何本もポキポキ折りやがって」

 

 マーシャは数度咳込むと、自分の口に手を当てて小さく浄化の魔法を放つ。

 

「一酸化なんたら中毒。『火属性が好きなお前は、炎の色と頭の高さには気を付けろよ』って……まあ、ハルトの言葉は殆ど理解できなかったけど。これ、上手くいったのかしら?」

 

 マーシャが何か言っているが頭に入ってこない。ヘレシィの意識はそこでプツリと途絶えたのだった。

 

「……ふん。アンタには、ディアナの前できっちり本心を語って貰うんだから、覚悟しなさいよ」

 

 

 

 

 

 

 微睡む意識で、思い出す様に夢を見る。

 それはヘレシィが王国中の様々な孤児院を回っていた過去の記憶。

 

 義母を殺し、エクリプス家の当主として枢機卿に就いてしばらく。ヘレシィは周囲に怪しまれないためにも後継者を探す必要がでてきた。

 エクリプス家の慣習では孤児から才能ある次代を探すらしい。特に興味が無かったので、ヘレシィはそれに倣って行動することにした。

 

 別に誰でも良かった。

 光に絶望し、平和のために活動する気などさらさら無いヘレシィにとって、今更、聖職者を育て上げるのはただ面倒なこと。だから規模の大きい孤児院を中心に回り、適当に魔力の多い子供をリストアップしていった。

 

 最後の孤児院の視察も終わり、出そろった候補の名前が書かれた紙を持って散歩する。

 この中の誰かでいいだろう。運で決めるのが簡単か。そう思い、ヘレシィが目をつぶって適当な名前を指さそうとしたその時。遠くから子供の泣き声がした。

 

『うわぁあああああん!! ぼくのお菓子、取ったぁああ!!』

 

 そこは街の小さな孤児院だった。

 先ほど見てきたような、貴族の手が入った豪華な施設じゃない。街の司祭が個人的に経営する貧乏な孤児院。そこでヘレシィはディアナと出会った。

 

『こら! だめじゃない! 貴方はお兄ちゃんなんだから、弟のお菓子とっちゃ!』

 

 慌ててやってきた少女が、泣き叫ぶ幼い少年をあやしながら叱責する。

 怒られた方は不満顔で反発していた。

 

『俺じゃねーし! つーか弟じゃねぇ!』

『弟でしょう。だって同じ孤児院にいるんだもの、みんな家族で――』

『家族じゃねぇし……! うるせぇな! もういいよ!』

 

 お菓子を取ったであろう犯人の少年は逃げるように走り去る。

 怒られて、苦し紛れの台詞を吐いたのか。それとも本心からか。否定の言葉を残して行く少年の背中を寂しそうに見つめる少女。それが当時のディアナだった。

 

『違うもん……家族だもん』

 

 本当にそう思っているであろう辛そうな声。

 それを聞いた瞬間、ヘレシィはその少女が欲しくなった。

 

 これまでの候補に居なかった種類の人間だ。

 保有する魔力はそこそこ有るが、エクリプス家の後継者としては落第もいい所。決して選択肢に入る人材ではない。だけどそんなの関係ない。

 

 幼いディアナが放つ暖かい魔力は、ヘレシィが持つ僅かな陽だまりの記憶を呼び起こす。

 ヘレシィには予感が有った。彼女は特別な人間だ。凍てついた者の心を解きほぐしていく才能を持っている稀有な人材だ。

 

 ――あの少女なら、あるいは私でも……。

 

 抱いてはいけない希望の光をヘレシィは見た。もう一度、私は誰かを信じられるかもしれない。家族となれるかもしないと。

 だが「どうせ裏切られる」と冷静な自分が制止する。期待すれば、その分だけ辛い思いをするのは自分なのだと。

 

 好きだった実母に捨てられて、エクリプス家に引き取られて、ここまで良い事が有ったか。何も無い。

 

 隠れて仲良くなった魔犬は殺された。

 ずっと一緒だよと誓いあった親友は、その日の内にヘレシィが手に掛けた。

 

 叫びたい程、壊れそうだった心は何時からか動かなくなった。

 ヘレシィが帰り着く場所は決まって地獄の底だった。こんなことなら、もう未来に希望を感じたくない。

 

 ――なら、あの子が絶望する瞬間を見れば、慰めくらいにはなるか……。

 

 だからヘレシィは見つけた希望を自分で壊す事にした。

 家族を信じ、愛を想う少女が自分と同じように堕ちてくれれば、それはそれで寂しくない。

 

 ディアナを引き取るのはひと手間かかったが上手くいった。だが、そこからが順調では無かった。

 

『で、ディアナって言います……よろしくお願いいたします』

 

 少女の警戒する瞳。だけど、その奥底で期待も見え隠れしていた。

 ヘレシィは、ちょっとだけ壊すのを後回しにした。

 

『貴方はエクリプス家を継ぐ人間です。もっと胸を張りなさい』

『は、はい』

 

 礼儀を教えた。

 

『魔法を使う時は術式を理解しなさい。丸暗記なんて意味がない。その小さな頭で、少しは理論を考えなさい』

『は、はい!』

 

 魔法を教えた。

 

『あのお母さま……お菓子作ってみました、一緒に食べませんか?』

『……馴れ馴れしくしないで貰えますか。要りません。そんなの、独りで勝手に食べなさい』

 

 気付けば何年も経っていた。ヘレシィは持ちうる全てをディアナに教え込んでいた。

 

 壊すはずだったのに、それがどうしても出来なかった。

 ディアナの雰囲気に充てられて、もしかしたらと思ってしまう。だけど仲良くなることもできなかった。彼女が近づこうとするたびにヘレシィは距離を取った。

 

 怖かった。

 自分が幸せになることが、恐ろしかった。

 

 もしも暖かい世界を知ってしまえば、二度と無感動ではいられない。既に闇にどっぷりと浸かっていたヘレシィは、審判の日が来ることに怯え続ける事になるし、再び絶望に突き落とされればもう耐えられない。

 だからヘレシィは付かず離れずの距離を欲した。影から陽だまりを見つめる位置が彼女には丁度良かった。

 

 そしてディアナの方も、ヘレシィの腹の内が読めない事や、仲良くなりかけるたびに冷徹な対応をされる事で、その内に諦めてくれた。

 

 そこから関係は一切進んでいない。

 互いに警戒し合う冷戦状態の様な関係で今に至るのだった。

 

 

 

 

 

 

「……ここ、は」

 

 懐かしい夢をみて、ヘレシィは目を覚ました。

 マーシャとの戦いでしてやられた事を思い出し、それでも自分がまだ生きてることを不思議に思い、そして何かに乗って運ばれている事に気が付いた。

 

「あら。子犬ちゃん」

「がう」

 

 それは、ヘレシィが「等価交換の悪魔」で蘇生させていた子犬だった。

 先ほどの戦いの最中はずっと腕の中にいた魔物。だが、いまではヘレシィを背中に乗せて運べる程大きくなっていた。

 

 手足はすらりと伸び、可愛らしかった顔は精悍な顔つきに変わっていた。四つある目の半分がヘレシィの方を向いた。

 

「成長したの? ……そう、『悪魔』ね」

「がう」

 

 魔犬がヘレシィを運ぶ周囲にマーシャはいなかった。

 魔犬の後ろ脚の一本がミイラのように干からびている。状況的に、倒れたヘレシィを助けるために悪魔と取引したということだろう。そしてマーシャの元からヘレシィを連れて逃げ出した。

 

 自分の魔力が多少戻っている事に気付いたヘレシィは、見るからに痛々しい傷に手を添えると呪文を祈る。

 

「Bishop【Physical healing/身体回復】……ごほっ、あー」

 

 聖魔法はやはり使い辛い。だけど、まだなんとか使えるようだった。

 魔犬の回復した後ろ足を見て、ヘレシィは微笑んだ。

 

「ところで、子犬ちゃんは何処へ向かっているの?」

「がう?」

 

「適当なのかしら……そっちは迷宮の奥みたいよ」

「がうー?」

 

 あらあら、この子、馬鹿の子かしら?

 急成長した肉体に知能が伴っていない。何もわかっていない様子で首をかしげる魔犬に、ヘレシィは笑いを漏らした。

 

 もう、どこでもいい。

 マーシャに自分の本心を見破られ、突き付けられ、そして敗北した事でヘレシィは全てがどうでもよくなっていた。

 

 これからどんな顔をしてディアナに会えばいいというのか。今更、家族になって欲しいなんて言える筈がない。

 かと言って、教団に戻って世界の破滅を願う程の情熱も無くなってしまった。

 

「なんだか、疲れちゃったわ……」

 

 ヘレシィは抜け殻のように魔犬の背中に寄りかかる。

 

 もう、やりたい事が無い。生きたい欲がない。

 

 ……そうだ。せめて、戦いに勝ったマーシャには、助言でもあげるとしよう。ヘレシィは何となくそう思い至った。

 ヨルンの製作者である、聖女と日ノ本会の情報。そして実は第三者であった黒燐教団が、今はヨルンの確保のために動き出しているという内容を伝える。

 

 標的式転移魔法の応用だ。声だけ飛ばすという「念話」を使って、ヘレシィはまだ先ほどの場所で倒れているマーシャへ一方的に語り掛けた。

 

「あら……」

 

 それらが全て終わった時、魔犬に連れられたヘレシィは坑道を抜けて、いつの間にか開けた場所に出た。

 

 

 見渡す限りに広がる大平原。

 夜霧のような魔力が降り注ぐ切り立った山々が聳え立つ。空を仰げば明るい星々が瞬き、白銀の月輪が世界を照らしていた。

 

「……霧降山」

 

 優しい風が頬を撫でる。

 ここは迷宮の中ではない。いつの間にかヘレシィは異なる世界へ迷い込んでいた。

 

 魔犬から飛び降りると、近くの草に潜んでいた狐の精霊種が驚いたように飛び出して、そのまま逃げて行った。

 

「そっか」

 

 辿り着いた……いや、魔犬が連れてきてくれた。

 

 ありがとう。

 そう言おうと振り返れば、もう魔犬はどこにも居らず、見知った顔が立って居た。

 

『ヘレシィちゃん』

「……エリ、ちゃん?」

 

 自分が殺したあどけない親友。そして、会うのが怖いと悪魔に蘇生を願う事すらできなかった、大好きだった人。

 

 怨みを吐かれるか。それとも問い詰められるのか。

 どうして私を殺したんだと責められるのが怖くて、ヘレシィは顔を伏せてしまう。

 

 だがそんな事は起こらない。

 エリーチカはドンと勢いよくヘレシィのお腹に抱き着いた。

 

『ヘレシィちゃん……おばあちゃんになっちゃったね』

「……そう言うエリちゃんはずっと小さいのね。仕方ないわ、あれから何十年も経ったもの」

 

 もう思い出すことも出来なくなってきた。魔犬と並び、唯一、仲良くしてくれた幼い少女。

 ヘレシィは不思議に思いつつ尋ねた。

 

「どうして、ここにエリちゃんが居るの?」

 

 エリーチカの体は透き通っていた。生きた人間でない、魂だけの存在。

 聞いてみるとエリーチカは嬉しそうな顔で見上げて言った。

 

『神様が連れてきてくれたの! 少しだけだよって』

「神様?」

 

『うん! 黒くて、小さくて、可愛いらしい神様!』

「……そう。そうなのね」

 

 何が起きたのかヘレシィには分からない。

 だけど何となく、その神様とやらが救いの手を差し伸べてくれたと理解できた。そして、神の正体もなんとなく分かる。魂と死を司る神をヘレシィは一柱しか知らなかった。

 

『ただ伝えたかったの。私は大丈夫だよ、怒ってないよって……だからね、ヘレシィちゃんはもう一度前を向いてって、言おうと……思ってたんだけど……』

 

 エリーチカの声はどんどんと小さくなっていった。

 それも仕方ないだろう。前を向いてまた歩き出して欲しいと伝えに来たのに、その相手が、もう生きたいと思っていなかった。

 そしてあろうことか、願いが叶う地で"楽になりたい"と願ってしまったのだから。

 

「そうなのね……でもごめんね。私、ちょっと疲れちゃったから、少しだけ、眠りたくなってきたから、休ませて頂戴。ほら、私おばあちゃんだから、体力がなくってね?」

 

『……そっか。じゃあ起きたら、私が良い所を案内してあげる! 2人でまた、沢山遊ぶんだ!』

 

「そう、ね……そうなれば、いいわね。じゃあ……まず何をして遊ぼうかしらね……」

 

 儚い望みは叶うまい。エリーチカは天国へ逝くだろうが、自分は地獄へ往くだろう――ヘレシィはそう思った。

 だから笑った。最期は笑顔でお別れするために、何十年ぶりに本心からの笑みを浮かべてヘレシィは笑った。

 

 現世の苦しみから解放されて、ゆっくりと薄れていく2人の魂。どこへ行くのかは誰にも分からない。

 旅立ち始めた2人の背中を、草むらから狐の精霊だけが静かに見送っていた。

 




リフ様より

夜バージョン
【挿絵表示】

昼バージョン
【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

謙虚な置き土産

またまたまた、挿絵を頂きました
あー可愛い。可愛い、あー可愛い。(*‘ω‘ *)

マカロニサラ・ブリッグス様より
ヨルちゃん!
【挿絵表示】

みんなが私に続きを書けと言うのなら!
書いて見せましょう、この覚悟!
行くぞ怒涛の連日更新だー!(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾


 

「逃げられたぁ! くっそ! あー逃げられたぁ! 私の負けかこれぇ!?」

 

 空気中の一酸化炭素の濃度を高めまくった事により、急性の中毒症状を引き起こした。

 一酸化炭素の比重の関係で、見下ろしていたヘレシィが先に意識を失い、這い蹲って見上げていたマーシャは耐えきった。そこで勝敗は逆転し、ヘレシィを追い詰めたと確信した。

 

 だが、その瞬間、彼女が抱いていた子犬が急成長して牙をむいた。

 

 魔法は使えず、あちこちの骨が折れていたマーシャは魔犬に抵抗する手段を持たない。

 炎で焼き払うよりも早く、犬の牙はマーシャの命を刈り取るだろう。そう思って覚悟したら、犬はヘレシィを背中に乗せると逃げ去って行った。そして暫くしてから、ヘレシィから称賛の言葉とヒントらしき情報が送られてきたのだ。

 

 私達がずっと追い求めていたヨルン製作者の正体を教えられ、そして「精々頑張りなさい」という言葉が添えられた内容。

 

 煽られている。完全に馬鹿にされている。

 そうしてマーシャは敵からの塩を受け取って、やるせない気持ちで吼えたのだった。

 

 

 

「な、お前、マーシャ! その左腕どうしたんだ!? どこに置いてきた!?」

 

 ようやく落ち着いてきた痛みに耐えながら回復魔法を使っていたら、後ろから声が掛けられた。ハルトだ。

 

「はぁ。今更登場って、アンタ遅いのよ、ハル……はぁあ?」

 

 ハルトだと思っていた。だが、マーシャが文句を言いつつ振り返ると、そこに居たのは少女だった。

 腰まで伸びた、癖の無いなめらかな空色の髪。傷一つ見えない白い肌。絶世の美少女といえる美貌は、この世の男達の庇護欲を掻き立てる。前髪なんてパッツンと一直線に切り揃えられて、何処かのお姫様といわれても納得してしまいそうだった。

 

「あ、あ……あんた、なによソレ! なんで女になってるのよ!?」

 

 感じる気配はハルト。感じる魔力もハルト。その言動も、間違いなくマーシャの彼氏であるハルトだった。なのに見た目だけが別人、どこからみても女性だった。

 マーシャはこれまで見てきた中で、最高峰といえる美少女を前に絶叫した。

 

 だが、肝心のハルトもそれどころではない。

 大切な恋人であるマーシャの左手が肩から先で無くなっているのだ。彼(彼女?)は慌てて駆け寄ると、心配そうな顔で聞いた。

 

「おい、どうしたんだその体! こんな短時間で、お前の身に一体なにが有ったんだよ!?」

「それは! 私が聞きたい事だつーの!! あんた、そこ……そこ……ああ、無いじゃないの!? 胸は本物か、これ!?」

 

「やん、触んないでよ変態! えっち!」

「いいから理由を吐きなさいよ! ハルト、アンタ、なんでそうなってんの!?」

「……『可愛い』っていいよな。なんでか、願いが叶っちゃった」

 

 恥ずかし気に目線を逸らせたハルトを見て、確信する。

 

「……女体化してんじゃないわよ! この変態野郎!」

 

 『等価交換の悪魔』に性転換を願う馬鹿がいるものか。

 マーシャは恋人の暴挙に頭を抱えて叫んだ。そこに馬鹿(ハルト)が追い打ちを掛ける。

 

「な、なあ。折角だし、前に使ってくれなかった薬あるだろ。今度さ、じゃあ俺で試していいかな?」

「……薬?」

 

「ほら、あれだよ。俺が知り合いから買ってきた薬、覚えてないか?」

「…………感度3000倍」

「そうそれ」

 

 それじゃねぇよ!

 お前はどこを目指してんだよ!?

 

 なにが嬉しくて、女体化した恋人と変な薬を使った倒錯的な性行為をしなければいけないのか。

 急激に変態性を発揮してきた恋人の頭を心配する気持ちと、それをはるかに凌駕する怒り。マーシャは思わずハルトを蹴飛ばした。

 

「痛っ! おい、女の子の頭を蹴るなよなぁ」

「落ち着きなさい、アンタは男でしょ! 女になるなら前世からやり直せ!」

 

「……むぅー」

「気持ち悪い顔と声してんじゃないわよ! 可愛い子ぶるな! あーもう、鳥肌立ったわ!」

 

 見なさい、ほら見なさいよと右手を差し出すマーシャ。

 しかしハルトはそれよりも左手が無いことが気になる様子だ。

 

「ああもう、俺の事は良いんだよ。それより、なんで左腕無くなってんだって!」

 

 理由をしつこく尋ねてくるハルトに、マーシャは数度、口籠ると言い訳を口にした。

 

「……別に。ただ教団員とやり合っただけよ」

「教団員!? まさか、ここに黒燐教団が居たのか!? ……くそ、それでか!」

 

「それでって何が?」

 

「いや、ここに来るまでに、ヘレシィ枢機卿の遺体を見つけてな。隣でミイラみたいに魔犬も干乾びて死んでたんだけど……そうか戦ってたのか。すまん、戻ってくるのが遅れた」

 

「死体……死体ですって!? いつ! 何処で見たの!?」

「うわっ!?」

 

 マーシャはハルトの胸ぐらを掴むと一気に引き寄せた。

 信じたくないという想いが半分、ヘレシィに対する怒りが半分湧きあがる。

 

 やり直せたはずなのだ。

 あんな捻くれた性悪ババアでも、ディアナと腹を割って話し合えば、きっといい方向に話は進んだに違いない。それなのに逃げやがった。最後の最後までアイツは臆病な負け犬で、自分の幸せから逃げきった。

 

 マーシャは怒りに任せてハルトの胸を叩き付ける。弱弱しい衝撃がハルトを貫いた。

 

「ふざ、けんな……」

 

 こんな結末は望んじゃいなかった。

 だけど、もう取り返しの付かない事だった。

 

「……ヘレシィの奴、どんな死に顔だったわけ?」

「穏やかな顔だったよ。放っておくわけにはいかないから、犬と一緒に埋葬してきたが……スマン」

 

「なんでアンタが謝るのよ。はぁ……いいわ。私達は黒燐教団に襲撃され、ヘレシィ枢機卿は戦死した。そういうことよ」

 

 真実はまるで違う。

 だけど、言えるわけがない。

 

 ディアナに「貴方の母親は教団幹部でした、でも、本当は家族が欲しかっただけの寂しがりでした」とでも伝える気か?

 

 ディアナとヘレシィが本当の母娘に成れていたなら、きっと未来は変わっていた。幸せになれたはずだった。

 逃げていたヘレシィが全面的に悪いのだけれど、恐らく真実を知ればディアナは気に病んでしまう。だから、こんな事、親友に言えるはずがないのだ。

 

 真実を呑み込んで、マーシャは墓場まで持っていくことを決意する。

 ヘレシィ枢機卿は勇敢に戦って、戦死した。それが誰にとっても一番良い結末だった。

 

「ヨルンが教団員に攫われたわ。どこに行ったかは分からない」

 

「あーそりゃヤバいな。……え、なんでヨルンは攫われたんだ?」

「え、それは……」

 

 マーシャは言ってから、しまったと、口を滑らしたことに気が付いた。

 

 黒燐教団の復活は今や公然の秘密となっているし、ハルトも常々「アイツ等ヤベェよ、ヤベェよ」と言っていたから、そこは教えても問題は起こらない。

 しかしヨルンが闇の組織に生み出された存在ということは、聖教からも天使からも箝口令が敷かれており、ハルトであっても明かすことはできない。

 

「っと、ヨルンが攫われたのは、そりゃ……」

 

 教団がヨルンを攫った理由……なんだ?

 

 ホントの事を言わずに誤魔化さなきゃならない。

 マーシャは怪しまれないようにと間を置かず、脳内に浮かんだ適当な言い訳を口にした。

 

「そりゃアンタ、ヨルンが可愛いからよ!」

「……なるほどな!!」

 

 ハルトは納得できたと頷いた。

 

「たしかにな、可愛かったもんなヨルンの奴! あの変態共が連れ帰りたくなる気持ちは分からんでもない……っは、しまった! 今は俺も可愛いぞ!? もしかしたら俺も狙われちまうのかな!?」

 

「……」

 

 やべぇ俺可愛い。えへへ。

 などと1人、勝手に盛り上がる馬鹿を前に、マーシャはポカンと口を開けた。

 

 ハルトって、もしかしてあほ?

 

 いや、いや。

 男の時はもっと真剣な顔してた気がする。格好良かったはずだ。

 だからこれは、女体化した時に脳みそを溶かした結果に違いない。頼む、そうであってくれ。

 

 マーシャは絶望した表情で馬鹿を見やる。こんな馬鹿が自分の恋人だったなんて思いたくなかった。でも、良い所もあるのだ。あったのだ。……たぶん。

 

 

 

「それでマーシャはどうだ、迷宮は出れそうか?」

 

 ハルトは一通り騒ぐと、やっと落ち着いたようだ。

 どうやって外に向かおうか聞いてきた。

 

「迷宮を出ろって……無理言うなっての。私は重症人よ。中層の水路を抜けられる気がしないし、それ以前に無理に動けば死ぬっつーの」

「だろうな。俺もヘレシィさん居なけりゃ、水路はきつかっただろうしなぁ。さて、どうしたものか。うーん」

 

「ところでアンタ、念話……みたいなの使えない訳?」

 

 先ほどヘレシィから送られてきたような、言葉だけを遠くに伝える転送魔法。今まで考えた事もないような魔法概念にマーシャは目から鱗が落ちた気がした。

 これが普及すれば情報は瞬く間に世界に広がっていくだろうし、時代は革命されるだろう。

 情報の獲得は大切だったが、これからは、これまで以上に情報を制する者が世界を制するようになるだろう。

 

 そしてなによりも、こういう遭難場面で救援を呼べるようになる。

 もしもハルトが念話を使えれば、今の状況を打破する一手になるかもしれない。外の人たちにだって、ヨルンの誘拐を伝えられる。

 

 マーシャは、それを期待してハルトに念話が使えないか尋ねてみたのだが……無理だろうとも思っていた。

 転移魔法の難易度自体かなり高いし、なによりも、ハルトが馬鹿だ。なによりも馬鹿だ。

 

 ところが尋ねられたハルトは、首を可愛らしくかしげると、何でもない事のように答えた。

 

「できるぞ?」

「なんでできるのよ……」

 

 私より馬鹿のくせに。女になりたかった変態のくせに、なんで出来るんだ。

 なんだか嬉しい反面、遣る瀬無さがマーシャを襲う。

 

「そ、そうか! それで助けを呼ぶって訳だな! よし、待ってろすぐに呼ぶぞ!」

「待った! 助けはまだいいわ。迷宮の深層に来れる人なんか限られるし、それよりもディアナに伝えて欲しい事があるの」

 

「ディアナ? だれだ?」

「あ」

 

 そうだ。ハルトはディアナと会った事がなかった。

 標的式の転移魔法は対象となるモノを知らなければ使えない。姿、形、魔力波形、なんでもいい。だが、何かしら切っ掛けが無いと狙った場所に飛ばせない。

 

 それに、よくよく考えてみれば、伝えてほしい内容も機密情報まみれだった。

 

 聖女ラクシュミの正体、黒燐教団に潜む日ノ本会の存在。そして本格的に動き出した教団本体。

 敵対していたヘレシィからの情報だが、マーシャはこれを嘘とは思えなかった。そして確実に表に出せない情報でもあった。

 

 ハルトの事は信頼しているし、いざという時は頼りになる男――現在は女だが――だと思ってもいる。でも、それとこれとは無関係なのだ。

 

(もう、誰かに死んでほしくないって……)

 

 きっとこれからヨルンを巡る戦いは激しさを増していく。無関係な人間は、出来る限り巻き込みたくない。

 マーシャは念話依頼を取り下げ、仕方なく自分でやってみることにした。内容だけは絶対に聞かれないように、ハルトには十分な距離を取ってもらって魔法を起動する。

 

「あー、聞こえるかしらディアナ。私よ、マーシャよ。これから大切な情報を伝えていくわ」

 

 一秒ごとにゴリゴリと削られていく魔力。

 転移魔法を使えないマーシャだ。声だけなので難易度はだいぶ下がるが、上手く発動できているかは分からない。マーシャは成功していると信じて、取り急ぎ要点だけ伝えることにした。

 

「ごめんなさい黒燐教団に襲われてヨルンが攫われてしまったわ。それと気を付けて、聖女ラクシュミがヨルンを生み出した犯人だったわ。教団の一部門である日ノ本会と手を組んで、ヨルンを生み出して――――あぁ、もう! 魔力切れ!」

 

 あっという間に念話は効果を終えてしまった。しかし悪戦苦闘しつつも、マーシャは手ごたえを感じた。

 おそらく成功。たぶん。きっと……成功率30%ってとこかな。

 

「うーん……これ、成功してるのかしてないのか、分かんないのが不便ね」

 

 まだこの魔法は発展途上で一方的な情報伝達しかできない。もしも相互で会話ができるようになれば、もっと便利だろうなぁとマーシャは思ったが、魔法の改良は学者の領域だ。

 偉い学者様ですら簡単な改変に数年掛けるというのに、平凡なマーシャにできるはずがない。きっぱりと諦めて忘れることにした。

 

「――つー訳けで、助けてくれ。迅速に」

「あん?」

 

 なんて考え事をしてたら、遠くでハルトが誰かに念話を送っていた。

 馬鹿が勝手に何してるんだとマーシャは責めるような目で睨む。ハルトは慌てて手を振って答えた。

 

「いや大丈夫だ! 変な事してないって。これは救援を呼んだだけだ!」

「探索者は自己責任だから、救援なんて来ないでしょ。アンタ一体誰に助け呼んだのよ……なにアンタ、友達なんて居たの?」

 

「い、居るわい! 2人も!」

「え……少な……」

 

 ドン引きだった。

 思わず声が出て、ハルトがしょんぼりしてしまう。マーシャは慌てて話を変えた。

 

「ま、まあいいわ。それで誰だって?」

「ショボくないし……普通だし……」

 

「悪かったわね! 落ち込まないでよ面倒くさい!」

「落ち込んでないし……」

 

 詳しく聞けば、ハルトが救援に呼んだのは同郷の友人らしかった。

 本人の趣味もあって、頼めば色々なものを作ってくれたりする人で、あの怪しい薬の製作者でもあるとか。

 今は研究資金を出してくれる人を探して世界中を旅しているが、その実力は折り紙付き。すぐ南都に来てくれるだろうとハルトは言った。

 

 ハルトが尊敬する兄貴分。しかも「薬」の製作者とは、一体どんな変態が現れるのか。

 マーシャはなんだか来てほしくないなぁ、なんて思ったりしたのだった。

 

「じゃあディアナ、後は頼んだわよ……」

 

 とりあえず出来る事はしたから、後は外の人間に託すしかない。

 マーシャはヨルンの無事を祈りながら魔力の回復に務めることにした。

 

 

 

 

 

 

 場面は変わりアルマージュ大聖堂。

 

 聖女ラクシュミを迎え、歓待中だったディアナは一時休憩として自室に戻っていた。

 

 ヨルンの部屋のように私物が少ない殺風景な部屋。

 そこで一人になったディアナはベッドに飛び込むと、「んー!」と小さく気持ちよさそうな声を上げながら背伸びをした。

 

(やっぱり偉い人の相手は疲れるなぁ……)

 

 聖女ラクシュミはまだ成人してないにもかかわらず、しっかりした人だった。

 なんというか、覚悟を持った目をしていた。自分達の行動を正義と確信し、世の中のために働いている。そのためには如何なる犠牲も厭わない。そんな覚悟の目。

 

 加えて役職は相手の方が高いのだ。そんな人を前にすると、ディアナも緊張で姿勢が伸びるというもの。

 なんだったら南都の領主に会うのも、まだ緊張するぐらいで部下の司祭さん達には頼りっぱなしなのだ。疲れもする。

 

「うーん……!」

 

 ベッドの上で、ごろりごろりと往復して柔らかさを堪能。

 さすが司教用の最高級ベッドだ。白い布団がディアナの体重を優しく受け止めてくれた。何処までも沈んでいくような、それでいて水に浮かぶような心地よさ。

 

 ディアナは人に見せられないような緩んだ顔でぐだーっと溶けていく。

 ヨルンの前では、キリっとした大人のお姉さんで居たいディアナにとって、こんな顔、ヨルンの前ではできないもの。にへらと緩んだ笑顔を浮かべた。

 

『……ぃ』

「うん?」

 

 久しぶりのリラックス時間をディアナが堪能して居たら、突然、耳元で声が聞こえてきた。

 

『……聞こえ……ディアナ……マーシャよ。……な情報……伝えて」

 

「え、マーシャ? なんですかこれ。帰ってきたんですか? マーシャ!?」

 

 慌ててベッドから跳ね起きて、自分の頬をぐにぐに手で動かす。

 まさか今の見られた? いや、周囲に人影はない。見られてない。

 

 「よかった、助かった……」とディアナが一息ついたところで、頭が冷静になってくる。

 

 雑音混じりで聞き取り辛い、親友の声。

 辛うじて声質からマーシャのものであることは分かったが、一体何事か。

 魔法で声を飛ばしていると見抜いたディアナは、ただ事ではないと息を呑んで話の続きに耳を傾ける。

 

『ごめん……に襲われ……ヨル……攫われ……まったわ。気を……聖……ラクシュ……犯人だ………教団……手を組ん……ヨ……出し………』

 

「うっ……あんまり聞こえないですよ、マーシャ! マーシャ!」

 

 飛び飛びで殆ど聞こえないマーシャの言葉。

 もう一度教えてほしいと願うが、声を届ける魔法はブツリと嫌な音を立てると、それっきり静かになった。

 

「……なんて言ったんでしょうか」

 

 半分以上分からなかった。

 それでもなんとか、ディアナは聞こえたワードを脳内で組み合わせて、欠けた部分を予測、統合する。

 

 するとこうなった。

 

『ごめんさい。襲われてヨルンが攫われてしまったわ。気を付けて、聖女ラクシュミが犯人で、教団と手を組んだみたい』

 

「っ! ラクシュミ様が教団と手を組んで、ヨルちゃんを攫ったのですか!?」

 

 伝えられた言葉は聖女ラクシュミを疑えと言うもの。

 思わずディアナは、ラクシュミの居る別室の方角を向いて絶句した。

 

 そして再起動すると、廊下に飛び出して、サナティオの部屋へと飛び込んだ。

 

「どうした? 騒がしいな、休憩はもう終わりか? まだ貰ったケーキ食べきってないんだが……しかし美味いなこれ、ディアナはもう食べたか?」

 

 部屋では、ラクシュミから貰った手土産のケーキをゆっくり食べる最高天使が居た。

 そんなのはいいからと、ディアナは慌てて事情を説明する。

 

「な、なんだと!!? くそ! 行くぞディアナ! ヨルンを探せ!」

「はい!」

 

 サナティオも驚きを隠せていない様子。

 彼女は食べかけのケーキを慌てて口に放り込むと、大股で歩きはじめた。

 

 どうやら、気付かぬうちに教団の手がまた伸びているようだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

囚われのヨルン

えー私、次々と挿絵を頂いております。
大変ありがたい! 大変ありがたい思いで一杯です!
さて、今回の挿絵はこちら!

Polar様より
ヨルンシリーズ!
https://img.syosetu.org/img/user/359545/81947.jpg

( ゚д゚) ・・・ (つд⊂)ゴシゴシ (;゚д゚) ・・

  。 。
 / / ポーン!
( Д )


今日も感謝の連続更新だ。
行くぞ、私。ストックの貯蔵は充分か
(ストックは常に0なので、連続更新は今日にも止まるよ!)


 ついさっきまで迷宮にいた俺だったが、今はよく分からない場所にいた。

 ヘレシィに「ある場所に送らせて欲しい」と言われて、了承した結果なんだが……どこよここ。

 

 なんだか狭い場所に押し込められたような感じで、体を丸めた姿勢が強制されている。

 

「おー、い……誰か?」

 

 人を呼んでみても反応無し。

 しかも真っ暗で状況が分からない。手足に触れるものは細長く、冷たい鉄の様な感じなのだが……。

 

 ぺたぺたと触ってみる。

 うーんこれ、なんだ? うーん……あ。

 

 あー、分かったわ。檻だこれ。

 ……いや、檻だよこれ!?

 

「ヘレシィ……!?」

 

 何考えて、俺を檻の中に転送したんだよ!?

 

 嫌がらせ? いや、人を檻に突っ込むとか、度を越えて人身売買に踏み込んでねぇか!?

 安全って言ったじゃないですかー! やだー!

 

 ガタガタ揺さぶってみるけど、檻から出れる気はしない。ガッチリ閉じ込められている。

 

 え……まさか騙された? ヘレシィの策略で、ここからヨルンちゃん奴隷ルート突入です? 今更気付いても、もう遅いってやつ?

 

 いや。いやでも。

 ヘレシィは聖女さんのお母さんだし、そんな事はしないはず。

 

 つい疑ってしまったが、冷静に考える。

 ヘレシィは俺が喜ぶと言っていた。だから悪い事ではないはずなのだ、これは。

 

 もっとよく見ろ。何かあるはずだ。

 

「あ、フェレ君」

「きゅ~……」

 

 そして、気が付いた。

 俺の胸の下で圧し潰されている、白い動物。

 

 この顔は……フェレ君! フェレ君じゃないか!

 

 そうか。ヘレシィは迷宮に入った後、何らかの方法――おそらく霧降山だろうが――でフェレ君の居場所を見つけていたのか。

 そして俺を驚かそうと深く言わず、フェレ君の下に転移魔法で送ってくれた。

 

 つまり、これは彼女なりのサプライズだったのだ。

 

 だが惜しむらくはフェレ君が、すでに捕獲されていた事。

 そのせいで俺は檻の中に転移してしまった。

 

 ヘレシィ……もうちょっと考えてやってくれよ!

 檻だからよかったけど、フェレ君が下水道とかに居たらどうするつもりだったのさ。

 気付いたら汚水塗れとか、さすがに温厚な俺もブチギレるよ? 

 

 ……でも、ありがとう。

 可愛い可愛いフェレ君を、やっと見つける事が出来たことが嬉しくて、涙が潤んできた。ぎゅっと抱きしめる。

 

「フェレ君~」

「きゅきゅ~……」

 

 なんか反応が弱いな。フェレ君は感動してくれない系男子?

 と思ったら、フェレ君は俺に抱き潰されて目を回していた。

 

 あ……ごめん。

 二度目の圧し潰しは、ごめんね。

 

 生きてる?

 ……よし。大丈夫そう。よかったよかった。

 

 

 今度帰ったらフェレ君用の飼育用品一式を買ってこよう。ごめんね、それでもう捕まらないはずだ。なにせ、ずっと首輪をしてなかったからね。捕獲されるのも仕方なかったのだろう。

 

 ――なんて思ってたら、急に檻が揺れた。

 

「……!」

「……!」

 

「え?」

 

 どうも檻を持ち上げられたようだ。ぐわんぐらん世界が揺れる。

 

 あ、ヤバイヤバイ。

 おーい、入ってる! 人が檻に入っちゃってるよー!?

 

「よー?」

 

 ……聞こえた? 聞こえてない?

 外からほんの僅かに人の話し声が聞こえてくる。しかし、それは檻の持ち手という至近距離の会話にしては、蚊の鳴くような微かな声量だ。

 まさかこの檻、中の動物が鳴いても五月蠅くない様に防音機能付きですか? すごいや高性能!

 

「やーめーてー」

 

 でもそんなの付けられたら、俺の声量で突破出来る訳無いじゃないですかー!

 

 今の「やめて」だって結構、大声で叫んだつもりだ。それこそ悲鳴みたいに頑張った。

 なのに出てくる声は、まるで友達にじゃれつかれて、笑いながら文句をいう女の子みたいな声量。これは駄目ですわぁ……。

 

 檻の隙間から手を出せば、気付いてくれるかな?

 この檻が真暗なのは、布がかぶせてあるからっぽいし、それ位なら手で押せるはず。

 

「やーめー……痛い」

 

 ちょっと!? なんか叩かれたんですけど!?

 檻の隙間から指だしたら、暴れるなって叩き付けられたんですけどー!?

 

 おいおい、こいつらペットの扱いなって無さ過ぎだろ。そんな暴力に訴える飼い主いる?

 

 あーもう、俺をどこに連れて行くつもりだよぉ……。

 檻は壊せないし、声は届かないし、運び手は乱暴だ。気分が下がる。

 

 たぶん夜人召喚すれば一発で解決するんだけど、運ばれている最中に無理に召喚すれば、運び手が危ない気がする。

 夜人って普通に巨体だし、それに俺もストレス感じてるからね。夜人が運び手に敵意むき出しになるかもしれない。

 

 しょうがない。もうちょっと待つか……。

 運搬が止まって落ち着いたら、また対策を考えるとしよう。

 

 

 と、ようやく不安定な移動は終わったようだ。

 檻が降下していき、ゆっくり地面に降ろされた。ちょっと待って周囲に人がいなくなるまで待機。声は元から聞こえないけど、気配も読めないけど。なんとなくで待つ。

 

 ……よし。そろそろ良いかな?

 さぁて、じゃあ脱出するとしましょうかねぇ。

 

 なんて思ってたら、檻を包む黒い布がはぎ取られ、一気に世界が明るくなった。

 

「――!? ――!!」

「あ、聖女さん」

 

 驚き。

 檻の外には聖女さんが立っていた。彼女も俺を見て、驚きで息をのんでいる。

 

 あー、うん。そりゃ檻の中に子供がいたら驚くよね。そりゃそうだ、なんかごめんね。

 でも俺は「何でいるの?」という驚き以上に、「助かった」という思いが強かった。

 

 安堵した表情で、檻の隙間から手を伸ばして「助けてー」と言ってみる。

 ぎゅっと手を握ってくれた。嬉しい。

 

 ……ところで、ここ何処ですの?

 なんで聖女さんいるの?

 

 

 

 

 

 

 聖女ラクシュミが大聖堂に到着したのは、正午を少し回った後だった。

 

 聖教国からここまで殆ど休みなく移動してきたからか、挨拶に来たラクシュミは疲労を隠せていない様子だった。

 そんな状態で天使に謁見して貰うのは双方に対しても申し訳ない。

 

 私は「長旅で疲れたでしょう」と挨拶もそこそこに切り上げて、彼女たちには一度客室で休憩して貰うことにした。その直後、マーシャから連絡を受け取って、ヨルンの誘拐を知ったのだ。

 

「街を封鎖します。すぐに全ての門を閉じてください。緊急事態ですので、領主殿には事後報告で構いません。もしも苦情や異議が来た場合は私に回してください。後で聞きます」

 

「は、はい! ですが、もしも領主様が強固に抵抗される場合は如何致しますか……!」

 

「事態が収束するまで、なにが有っても開門は許可しません。強気で当たって、それでも厳しければ、残念ですが特例条項の発令を現場判断で出して構いません。領主から南都統治権の一時剥奪を行います」

 

「了解しました! 復唱します! これより全門閉鎖、抵抗ある場合は交渉、それでも駄目なら武力にて強制執行を行います!」

 

「はい。次に聖堂騎士。総員、武装状態で戦闘待機してください。司祭、助祭各員は担当地区で異常がないかの確認をお願いします。どこから教団が攻めてくるか分かりませんよ。急いで」

「ッハ!」

 

 歩きながら命令を飛ばす。

 ガチャガチャと重苦しい音を立てて、全身鎧の聖堂騎士達が伝令に回ってくれた。

 

「まだ聖女ラクシュミ様は気付かれていませんね? 可能な限り、こっちが動いていると悟られぬように平静を装ってください」

 

 客室から遠いこの位置ならば、多少騒がしくてもバレないだろう。

 せっかくマーシャが懸命に送ってくれた情報だ。有用に使わなければいけない。これ以上、教団に先手は譲らない。

 

「それで、サナティオ様の方はどうですか? 見つかりました?」

 

 最低限の指揮が終わったら、次に動くべきはヨルンの捜索だ。

 目をつぶって静かにヨルンを探していてくれたサナティオの方を振り返れば、彼女の頬に一筋の汗が流れるところだった。

 

「ああ……見つけたぞ。しっかり見えている。真っ暗な所で身を丸める様にするヨルンの姿が在った」

「なるほど。場所は?」

 

「……」

「サナティオ様?」

 

 無言で答えにくそうにするサナティオ。

 彼女はゆっくり目を開くと、自分の足元を指さして、重苦しく言った。

 

「ヨルンの今いる場所は……ここだ」

 

 ――ここ。アルマージュ大聖堂。

 ヨルンは今、私達が居る本拠地で囚われている。

 

「っ!?」

 

 嘘だ、とか。

 そんな馬鹿な、とか。

 サナティオの千里眼を疑う様な気持ちは湧かなかった。どちらかと言うと「やっぱり」という感情が強く表れる。

 

「スマンが、私の千里眼では正確な場所までは分からない。せめて見える光景から、ヒントが得られれば良かったんだが……」

「問題ありません。ラクシュミが乗ってきた馬車から探りましょう」

 

 ここまで全て、マーシャがくれた情報通り。こうなると嫌でもラクシュミが怪しくなってくる。

 

 聖堂の敷地内には厩舎が存在する。

 馬車もその近くに止めるようになっており、客人であってもそれは変わらない。ラクシュミの馬車も留められているはずだ。

 

 焦っているとは思われないように、しかし急いで向かう。

 

 見つけた。ラクシュミが乗ってきた馬車だ。

 大きな駟馬で、豪華な職人仕立ての装飾が施された煌びやかな車は嫌でも目立つ。

 

 許可を取る必要は無い。失礼だが、無断で検分させてもらおう――と、思ったら中から人が出てきた。慌ててサナティオと物陰に身をひそめる。

 

「あー重いなこれ。で、コイツを何処に置けって言ってたっけ、ラクシュミ様」

「誰にも気付かれない場所に。だそうだ」

 

「はぁん。まあ、見つかるわけにはイカンわな。特に天使様や大司教様には」

「そうそう。これは『ペット』だからな。聖堂に連れ込んだのを知られたら、もう大激怒だよ。俺たち首が飛ぶかもなガハハ!」

「おい。雑談が過ぎるぞ。黙って手を動かせ」

 

 ペット? なぜ、ラクシュミはペットを隠そうとする?

 それに、ペット用にしては巨大な箱だ。布が掛けられており中身は見えないが、まるで人一人入りそうな程の大きさ。それに三人掛りで運んでいる様子を見る限り、重さもある程度しっかりありそうだ。

 

 サナティオと顔を見合わせる。

 怪しい……この上なく怪しい。

 

 観察を続けていたら箱に掛る布が動いた。

 中から何かが飛び出したように、布を突きあげている。

 

「うわっ、ビックリしたな! 何だおい。暴れるな! 引っ込め!」

「おい、あんまり手荒い事をするなよ」

「分かってる。だが、コイツが驚かせやがるから……! 身の程を知れ!」

 

 運び手の一人が、腹立たしそうにガンガンと箱を叩く。

 今、布を押した存在……まさかと思うが、人間の手のように見えた。ヨルちゃんのように小さな手。それを、アイツ等は叩いたのだ。身の程を知れと、見下すような言葉を放ち。

 

「……」

「おい、その怒気を収めろ。まだ決まったわけじゃない」

 

「分かってますよ!!」

「わ、分かってないじゃないか。私に怒るなよぅ……」

 

 箱は厩舎の裏手、林のようになっている場所に持っていかれた。

 木陰に箱を置いて去って行く運び手達。気配が完全に無くなるのを待ってから私は飛び出した。

 

 黒い布を一気に剥ぎ取れば……予想通り。

 

 鉄檻の中にはヨルちゃんが詰め込まれていた。狭い所に無理やり押し込まれたのだろう。小さく体を丸めて、苦しそうに身じろぎする姿は哀憫を誘う。

 予想していても、こんな悲惨な状況を見れば嫌でも私の感情は荒れ狂う。

 

「大丈夫!? ヨルちゃん!」

「――」

 

 ヨルちゃんも私に気付いたようだ。驚いた様子。

 

 何かを訴えているようだが声が聞こえない。おそらく静音の魔法。

 それでも、ヨルちゃんの言いたい事は伝わった。

 

 ―― 「助けて」。

 ヨルちゃんの唇は、静かにそう動いていた。

 

 檻の隙間から救いを求めるように伸ばされた手を握って、語り掛ける。

 

「大丈夫。大丈夫だからねヨルちゃん。私とサナティオ様がすぐ出してあげるから」

 

 急いでヨルちゃんを出す方法を探すが、鍵穴は……ない?

 いや、それどころか出入口が見つからない。

 

 まさかこれは魔法製の檻か。

 

「……不味いですね」

 

 魔法とは基本的に何でもありだ。

 死者蘇生や因果律、現実改変など。理論上、魔力と制御技術さえ伴えば出来ない事など何もないと言えるもの、それが魔法。

 

 そんな魔法で作られた檻が普通である保証はない。ましてや製作者は歴代最高の聖女になると噂に高いラクシュミだ。いったい、どんなギミックが隠されているか分かったものじゃない。

 

「どけ。私が切る」

 

 魔法の檻を前に戸惑う私。

 堪らずサナティオが、面倒だと言わんばかりに剣を構えた。ヨルちゃんが必死に首を振る。

 

「――! ――!」

「む、駄目……なのか?」

 

 止めてくれと懇願するような瞳で、サナティオと剣を見つめるヨルちゃん。

 サナティオは最高天使。剣技で神話に名を刻んだ神の一柱だ。間違っても檻ごとヨルちゃんを切ってしまう事はない。それは彼女も知っているだろうし……やはり何かあるのだろう。

 

 檻に掛っている魔法の解析と同時に、周囲を探れば……なるほど檻の中から闇の魔力を感じた。

 ヨルちゃんの優しい黒とは異なる。

 ほんのわずか、注意して調べなければ見落としてしまいな極少量だったが、確かに狂気を孕んだ闇が存在した。

 

「ぐ、ぅ……無い! そんな罠は存在しない! それとも、私が見落としているとでも言うのか!?」

「――! ――!」

「落ち着いてください、サナティオ様! 失敗すれば、取り返しがつきません」

 

 闇に関しては、私やサナティオよりも詳しいヨルちゃんだ。

 懸命に止めてくれというアピールを続ける姿は必死とも言える。無理やり檻を壊せば何かが起こるという事を言いたいのだろう。

 

「だが、どうするんだ!? 急げ! もうラクシュミがこっちに来ているぞ!?」

「っ!? なんでラクシュミが来るんですか!」

 

 サナティオの言葉通り、遠くからラクシュミの声がする。

 「こっちですの?」という問いに「へい」と応える箱の運び手。彼がラクシュミを呼んで来たのか。

 

 まだ厩舎が壁になって見つかっていないが、彼等が来るまで、もう10秒とない。

 どうする……! どうするのが最善か!?

 

「――ダメだ! 布を戻せッ! 時間を稼げ!」

「は、はい! ごめん、ヨルちゃん!」

 

 まだ、私達がラクシュミの正体を知った事に気付かれる訳にはいかない。

 ヨルちゃんを救い出せていない今、ラクシュミと敵対すればヨルちゃんの身に危険が及ぶだろう。

 

 急いで黒い布を檻にかぶせる。その瞬間の、絶望した表情を浮かべるヨルちゃんが目に焼き付いた。

 

「ごめ、ん!」

 

 ギリギリと痛む心。

 それと同等の怒りがラクシュミに湧きあがる。

 

 ヨルちゃんを悲しませた事、私にヨルちゃんを見捨てるような行動を取らせたこと。絶対に後悔させてやる。

 だが、そのために、まずは時間を稼がせてもらう。

 

 黒い箱の前で待ち構える私達を目にして、驚いたような表情を浮かべるラクシュミ。私達は普段通りの顔でそれを出迎えた。

 




囚われのヨルン!

ヨルン「やったー聖女さん、出してー」
ヨルン「え、ちょっとまって、なんで天使が剣構えるの?」
ヨルン「待った待った! それは止めて! 危ないって……危ないってー!」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悲しきすれ違い

うおー! 挿絵を得たぞ!

垢を得たお茶っぱ様より
【挿絵表示】


初期の「兵士vs夜人」の一幕!
へぇ……うちの夜人ちゃんってこんな不気味で格好よかったんだ!(*‘ω‘ *)
ありがとうですー! ありがとうですー! 右下の子が可愛いよぉ!

皆さんのファンアート、そして多くの感想が私のやる気となっております今日この頃。
「俺は止まんねぇからよ、お前らが止まんねぇかぎり(省略」って奴ですね!
うおーがんばるぞー!(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾
(※明日は確実に止まります!)


 聖教国を起点に幾つかの国を経由してアルマロス王国に入国するまで、およそ半月ほどの時間が掛かった。

 当然、私がアルマージュ大聖堂に到着した時には、馬車は長旅による汚れや傷で酷いものだった。

 

 気の利くホストならば、馬車の外装を綺麗にするのはもちろん、中まで掃除してくれる。しかしそうなると私が「ポチ」を連れ込んでいるのがバレてしまう気がした。

 

 それは不味い。

 ここは神聖な大聖堂、それも最高天使の有らせられる文字通りの神域だ。

 

 道中で拾ってペットにしたポチ――悪意ある言い方をすれば、薄汚い野生動物――を連れ込むのは不敬を通り越して反逆に近い愚行。もちろん、そんな禁止事項は無いし、連れ込んだからといって罰則が有るわけでもない。

 

 ただ、私の気分が悪いのだ。

 神から「そうかそうか、お前は私に謁見するのに、そんな下等生物を同列に扱うというのだな」などと、言われたら私は自害する他ない。

 無論、温厚で正義を尊ぶサナティオ様ならば非道なことは言わないだろうが、可能性があるだけで怖くなる。

 

 神に軽蔑されるのは嫌だ。でもポチを置いておく場所もない。

 

 仕方なく、ディアナ大司教や天使様に気付かれないように隠すことにした。そして、御者が上手くやったと言うので、念のため隠し場所の確認に来てみたのだが……。

 

 

 

「こんにちは、聖女ラクシュミ。こんな所で一体どうしたんですか?」

 

 思いっきり隠し場所がバレていた。

 

「あわ、あわわわ!?」

「何を慌てる、ラクシュミ? いや、こんなところに黒い箱が有ったので不思議に思ってな、見ていたのだ」

 

 しかもサナティオ様までいらっしゃる!?

 

「な、中……! 中身は見ましたの!?」

「いいや見て無いが。……いいのか? 私達が見ても」

 

「だ、駄目ですの!」

「……そうか」

 

 にこやかな天使様と大司教。しかしどこかピリピリした空気を感じる。

 

 張り詰めた緊張感に私は全てを悟った。

 

 これは……終わりましたの。

 まだ中身は見ていないそうですが、時間の問題。このままでは私の不敬がバレてしまいますの。

 一度、大きく深呼吸すると改まって謝罪を送る。隠し立てはできないなら全てを明かした方が潔い。

 

「大変失礼いたしましたわ。それは私のペット。ここに来る際に、南都で拾ったペットですの」

 

 ぴくりと大司教の頬が動いた。

 

「皆様にも見せて差し上げたいのですが、如何せん、汚らしい存在でして。お見せするほどのモノではありませんわ」

「っ、汚らしい……存在ですか?」

 

 何故そんな事を言うんだと大司教の目が雄弁に語り、私を非難しているように感じられた。

 そしてチラチラと檻に目線をやっている。

 

 なんだろう? 気になる事でもあったのだろうか。

 まあ、あるでしょうね。中身が見えない黒匣とか、怪しさ満点だ。こんな木陰に隠しておいたのも減点対象。爆破物と思われている可能性すらある。

 

 こ……。

 これは不味いんですのー!

 私は反逆者じゃないんですの! 違うんですのー!

 

「で、でも皆さんが気になるというのなら、お見せいたしますわ。……私の罪の形」

 

 一歩一歩、ゆっくりと箱に向かって進む。

 

 ここで焦っては駄目なのだ。不審を買っている私が慌てて駆けよれば、制圧されかねない。

 

 私はディアナたちを刺激しない様にと、わざと緩慢な動作で近寄った。

 そしたら、なぜか彼女等は緊張した面持ちで私と箱の間を遮った。

 

「待て。まぁ待て。私達の話はまだ終わってない。無理に見せる必要は無いぞ。だから近寄るな」

「ええ。その通りです。確かにこれは不審ですが、見せたくないというなら、ラクシュミ様のご意志も尊重いたしましょう」

 

「……? 良いのですか?」

「ええ、ええ。まだ色々聞きたい事が有りますから。あ、ただし、危険物じゃないかだけ確かめたいので、解析させて頂いてもよろしいですね?」

 

 ディアナ大司教は意を決したように聞いてきた。

 解析――おそらく、中身を見ることなく、魔法で危険物かどうか判断するというのだろう。動物を見せたくない、私の事情を汲んでくれる良い配慮。

 私はほっと息を吐いて、どうぞどうぞと許可を出す。

 

「ありがとうございます。……なるほど、バレない自信があるのですね」

 

 ぼそぼそとディアナが何か言ったが、上手く聞き取れなかった。

 聞き返そうかと思ったが、それよりも早くサナティオ様が私に質問する。

 

「ディアナの解析が終わるまで、ここでゆっくり話でもするとしよう。ところで箱の中身はペットだったか? 名前は何と言うんだ?」

「はい、先ほどポチと命名しましたわ。そこそこ賢いフェレットなのですが、飼い主に噛みついて逃げだそうとする悪い子ちゃんなので、管理が大変ですわ」

 

「……噛みついて、お前のとこから逃げたと。ちなみに飼い主とはお前の事だよな?」

 

「そりゃそうですわ。私がせっかく飼ってあげるのに、もう大暴れですわ。毎日、餌をあげるし、水桶の中身も変えてあげますのに。あ、トイレの掃除もきちんとやりますわ!」

 

 これでも私はペットを飼うのは初めてじゃない。

 貴族として生まれた私は、親にねだれば好きなものが買って貰えた。

 ペットだって小さい頃から飼っている。幸せにする自信がある。そう思っていたのに、ディアナが冷たい声で軽蔑するように言った。

 

「まるで、この子を檻に閉じ込めるような言い様ですね」

「そりゃそうでしょう。それは動物ですもの」

 

 何を言ってるんだ、この人は?

 

「ところで、この街にペットショップってありますの? よければその子の餌用に、虫か何か買って帰ろうと思いまして」

「……虫を食べさせる気ですか!? あなたは! この子に!?」

「そりゃそうでしょう。それは動物ですもの」

 

 さっきから、本当になんなんだディアナさん。

 しかもどんどん私を見る目がキツくなるのは、どうしてなのでしょう……。虫嫌いなんですの?

 

 あ、私が上手にペットを飼えないと思っているのでしょうか。

 

 ふふ、それは勘違いと言うもの。

 ここは私がキチンと実績を持っていると説明して安心させるとしよう。

 

「心配なさらないでください、私は昔から管理に慣れてますの。友人の中には、ペット同士で共食いをさせた人も居りますが、私はそんな惨いことはさせません」

 

「と、共、食い……ですか?」

 

「ええ。ディアナさんは、そういう小動物の生態を知りませんか? キチンと管理しないとストレスや空腹で、仲間同士で殺し合っちゃうんですの。困った習性ですわね」

 

 小動物でペットといえど、元は気性の荒い野生動物だ。縄張り意識もあるし、気に入らない子と一緒の檻に入れれば喧嘩してしまう。

 私が最初に飼った3匹のハムスターも、互いに相性が悪く、ある時大喧嘩して酷い怪我をさせてしまった時が有った。

 

 ああ、思い出しただけで、悲しくなってきた。しゅんと思いに耽る。

 ――そしたら、ディアナ大司教が、泣きそうな顔で怒鳴りをあげた。

 

「それは、お前等がさせたんだッ!!」

 

「な、ぇ……な!?」

「貴方が彼女たちを殺した! いいや、互いに殺すように仕向けた!! 貴方が……! 貴方の所為で、あの子たちは!」

 

 目に涙を堪えて、力一杯に叫ぶディアナさん。

 

 な、なんで? なんで突然ディアナは悲しんでるんですか?

 喧嘩する小動物が可哀想だったんですの?

 

 えぇ……。

 いくら何でも感受性が豊かすぎやしないでしょうか。

 

「お、落ち着いて欲しいのですわ。ごめんさい、私が悪かったのです」

 

 怒りを見せるディアナを少しでも落ち着かせようと静かに語り掛ける。

 

「ディアナさんの気持ちも分からないでもないですわ。でも、いくら何でも悲しみ過ぎです。これはペットのお話。いいですか、所詮、動物のお話で――」

 

「違う! ペットなんか関係ない! 貴方に彼女たちの気持ちが分かりますか!? 貴方の判断で死しか許されず、友達同士殺し合わされた、あの子たちの無念が!」

 

「え、いや、それは分かるような……分からないような? まあ、人間と動物ではお話できませんから」

 

「そんな事はありません! 私はこの子と心が通じ合っている自信がある! 貴方が言う『ペット』達とだって、分かり合えると思ってる!」

 

 いや、いや! うちのポチと勝手に心を通じ合わせないでくださいよ!

 貴方まだ会った事もないでしょう!?

 

 

 ……はぁ。

 

 なんだこれ。

 一体何なんだ。

 

 どうしてハムスターのお世話を失敗しただけで、私はこんなに責められなくちゃいけないんだ。しかも共食いさせたのは私の友人であって、私じゃない。

 

 謝ってるじゃないか。貴方は関係無いじゃないか。

 そう思うとイライラが募って、腹の底でどす黒いものが沸いてくる気がした。

 

「動物といってもペットの様な愛玩動物もいれば、実験動物だっているでしょう。ディアナさんは、その存在も否定するのですか? 彼等のおかげで今の医療が有るのですよ。いわば技術発展の代償。尊い犠牲なのですわ」

 

 だから、ついキツイ言い方をしてしまった。

 それが油となって彼女の火に降り注ぐ。

 

「今度は実験動物呼ばわりか! そうでしょうね、貴方にとってヨル――!」

 

「――落ち着けディアナ。そこまでだ」

「っ!」

 

 興奮し始めたディアナを止めてくれたのはサナティオ様だった。

 ポロポロと涙を零すディアナの背中を叩いて慰めると、まるで守る様に自分の後ろへと回した。

 

 今度はサナティオ様が私の前に来る。敵を見るような、冷たい目。

 

「ラクシュミ。言い残す事はあるか?」

「な、なんですの!? どういう意味ですの!?」

 

「本当はな、私もあまり手出ししたくないんだ。アイツ等が言っていたように、人間の問題は人間が解決すべきだと思ってる」

「は、話を聞いて欲しいんですの!?」

 

「ああ、無論聞いているともよ。これは聞いた上での裁定だ。残念だが、貴様と私は分かり合えなかった。闇を孕む貴様の正義を、私は感じ取ることが出来なかった。……残念だよ"聖女"ラクシュミ」

 

 一歩踏み出すサナティオの静かな威圧。

 

 世界で最も偉大な神の一柱は、その腰からゆっくりと神剣を抜き取った。

 

 太陽の輝きを放つ、天上の一振り。

 神に敵意を向けられただけで魂ごと蒸発しそうな熱を感じて、私の体は動きを止めた。

 

「あ……ぅ、え」

 

 既に弁明の余地はなく、震えあがる事すら許されない。

 それでも声を上げようと口を開けば、そこから魂が逃げだしそうになって慌てて閉じた。

 

 偉大な至上者はそこに在るだけで、私ら卑小な存在を滅してしまう。

 

「安心しろ。苦痛は無い。極光に焼かれて罪を洗い流してくると良い」

「ぃ、ゃ……」

 

 なにが聖女だ。なにが歴代最高だ。

 私は所詮、井の中の蛙に過ぎなかった。いいやミジンコだ。神の前では路傍の石にもなり得なかった。

 

「サナティオ様!? それではヨルちゃんが……!?」

「心配するな、敵の罠は全て断つ。失敗は無い――(わざわい)い転じて福となせ! 光芒一閃【裏後光】!」

 

「ひ!?」

 

 サナティオが下から剣を振る。地面を擦る様に振り上げると同時に、光の奔流が私を包み込んだ。

 

 まるで空へ空へと舞い上がる光の滝。

 雲を割き、天を割る。あまねく世界に光よ届けと、放射状に広がったサナティオの一撃は清らかな魔力を持って輝かす。

 

 ああ――これが神の御業なのだ。

 どんな闇も祓いのける力があり、それどころか良くないモノを逆に利用する効果が有りそうだ。

 まあ、人間でしかない私ではこの技の本領を知ることは出来ないのだが。

 

「あぁ……」

 

 最期の瞬間を迎える私は、感覚が鋭くなったようで数瞬がずっとずっと引き伸ばされていた。

 目に映る光の渦が美しい。でもそれと同等に何でこんな事になったんだという後悔が湧きあがる。

 

 動物を持ち込んだせいか。

 いや、まさか……ハムスターの育成が悪かった所為か?

 

 ……それで、殺しに掛かる神様ってどうなんだ。

 

 なんだが不服でイライラがどんどん増えていく。このサナティオへの怒りは間違ってないと思う。なんとか抵抗してやりたいとすら思えてきた。

 だけど走馬灯のように時間がゆっくりと流れた所で、ただ消え去るのみで……のみで……。

 

「……あれ?」

 

 私なんか生きてるんですけど?

 まさかサナティオが手心を加えた? いいや、そんな訳がない。彼女は確実に私を殺す気だった。

 

 では……なぜ?

 その答えは突然現れた。

 

「何をしているラクシュミ。大丈夫か?」

「あ……!」

 

 光の奔流が収まって、その姿がよく見える。

 私を守る様に立っている。大切な『友人』の後ろ姿が。

 

 




ヨルン「……そろそろ出てもいいかな?」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

巡り巡って、結局お前

挿絵が一杯です! うれしいうれしい!
皆様本当にありがとうですー!
この物語も漸く佳境に差し迫る。完結目指して頑張るぞ(*‘ω‘ *)


しらー様より
特に意味の無いイチャイチャ2のアレ
https://img.syosetu.org/img/user/359910/82099.png

三次たま様より
23話と現場猫風のネタ絵
【挿絵表示】


リフ様より 
61話のあのシーン
昼バージョン
【挿絵表示】

夜バージョン
【挿絵表示】



※ちょっと今回の話は長いし、くどいかも。
でも、状況を収束させるのにこれ以上削れなかった、ごめーんね


 男――佐藤平太(ヘイタ)の生まれは日本は東京都。しがない中流家庭で生まれた男は、平凡な人生を歩んできた。

 

 「普通であれ」父親の言葉だ。

 悪目立ちすれば打たれる。成り上がれば嫉妬を買う。何事も平凡に。それが上手く生きていく秘訣だと父は常日頃から口にした。

 

 故に平太。

 名前から滲みだすその願いは、彼の心に呪いのように滲み付いた。

 

 地元の高校を出て、近くの大学に進学。偏差値は概ね平凡な数値。

 無論狙っていた。父の言葉に従って「普通」を目指して生きていた。

 

 就職した会社は、何処にでもあるような中小企業。

 設計図に忠実に沿った製造をする会社だったが、並み居る同種の大企業には販路も実績も遠く及ばない。鉄と油に汚れた町工場と言うのが相応しい職場だった。

 

 そこで技術職として働き40年。

 定年を迎えた平太は気が付いた。俺の人生は一体何だったんだ。

 

『貴方と一緒に居ても、何も面白くないわ』

 

 お見合いした女性から言われ続けた言葉だが、波も風もなく、平穏無事な日々を目指す平太にとって「つまらない」とは褒め言葉。それを分からない女性など、彼の方からも願い下げだった。

 

 平太に結婚は終ぞ叶わなかった。既に家族は亡くし、仕事も終わりを告げた。

 そして数か月。自宅の居間でひとりぼんやりとテレビを見ていた時に平太はついに思ったのだ。

 

 ――本当に俺の人生はこれでよかったのか?

 平凡は悪くなかった。後悔はない。だが……心残りはあった。

 

 つまらない部品じゃない。指示されただけの仕事じゃない。もっと世界をアッと驚かす様な商品を作ってみたかった。出来ずとも、せめて挑戦してみたかった。

 

 全てを無くしてから彼は初めて気が付いた。平凡な人生はいいが、刺激もあった方がいい。

 

 そんな時、「キャラクリエイト」の画面がにわかに現れたのだ。

 迷いは無かった。平太はすぐに画面に飛びついた。

 

 

 ――そして、新たな世界で生まれ変わって数十年。

 

 

 平太は『コーラぐみ』を開発していた。

 

 パクリといってはいけない。彼渾身の作品だ。

 

 ついでに『感度3000倍薬』も開発していた。

 気持ち悪いと言ってはいけない。彼渾身の作品だ。

 

 

 

 

「何をしているラクシュミ。大丈夫か?」

 

 そんな平太は現在、訳が分からない状況に巻き込まれていた。

 ハルトに助けを呼ばれたから来たら、大切な友人であり商品開発のパトロンであるラクシュミが何者かに襲われていた。それに気が付いた平太は慌てて加勢した。

 

 誰と争っていたのかは良く見えなかった。

 だけども、平太の全身を絶え間なく襲う光の奔流、気を抜けば魂まで焼き尽くすであろう光線を考えれば、敵は信じられない程の実力者だ。

 

 平太とラクシュミを消し飛ばして余りある莫大なエネルギーを、彼は何とか()()()()()にし続ける。背後には無防備なラクシュミがへたり込んでいるから攻撃は僅かでも通せない。

 平太は前を向くと、大きく手を振り払った。光の波が割れて間から驚愕を浮かべるサナティオの姿が現れた。

 

「これを防ぎきるか……貴様、何者だ」

 

 サナティオは目を細めると、挑発的な笑みでもって平太を出迎える。彼女が剣を鞘に収めると光はまるで幻だったかのように消えていった

 平太以外に影響は見られない。同じ光に当てられていたにもかかわらず、周囲の樹木は木の葉一枚焼けることなく気持ちよさそうに風に薙いでいた。

 攻撃したいものだけを焼く実力。人の者とは思えないその美貌。そして3対6枚の翼と、太陽のように輝く金色の髪が彼女の正体を指し示す。

 

「おいおい天使かよ。それも、話に聞く最高位天使と敵対だと? ……本当に何をしたらそうなるんだ、ラクシュミ?」

 

 全力では無かろうが、本気の攻撃を防がれたのは久しぶりなのだろう。サナティオは戦意に燃える目で平太の事を見つめていた。下手な事をすれば、すぐに次の一手が来るはずだ。

 平太は動くに動けず、状況を観察することにした。

 

(今のは防げて後2発ってとこか。【加護】使ってそれだから……おいおい、やっぱり人間じゃ太刀打ち不可能じゃねぇか)

 

 平太の知る限りラクシュミは馬鹿だった。不満が有れば「ですのー!」とか言いながら殴ってくるような子供だ。

 たまに調子に乗った面して煽ってくることもあるし、飼っているハムスターを触らせてくれないケチ臭い面もある。しかし、決して彼女は悪事を犯さない。天使に断罪されるような女の子じゃあない。

 

 平太は天使に戦意が無いことをアピールするため両手を上げた。

 

「待ってくれ、話をしよう。俺は佐藤平太、50歳……すまん、50歳か分からんが、とりあえずそれ位だと思う。所属は日ノ本会」

 

 チャームポイントはあごひげ。垂れ目で気だるげな瞳は「やる気が無いのかお前」とよく言われるが、実はめっちゃある。

 今世の趣味は商品開発。世界をアッと言わせるような物を作ることが人生の目標だ。

 

 平太はそんな事をつらつらと述べて、これは何かの間違いだと天使に潔白を証明する。天使は冷めた瞳を一切変えずに聞き返した。

 

「商品開発が趣味で、世界をアッと言わせる物を作る? それが貴様がヨルンを作った目的か?」

「あー……ん?」

 

「そんな事の為に、お前達は生命を愚弄したのかと聞いているッ!」

「ぇぇ?」

 

 あ、やっべえ。これなんか引っかかったな。

 俺の趣味がサナティオの堪忍袋の緒に引っかかった。それも致命的。もう切れそう。

 

 平太は冷や汗を一筋流すと慌てて手を振った。ついでに首も振る。

 

「待った待った! ヨルンってのは何だ。そんな物は作った事がない! 俺が作ったのは、だな――」

「動くなッ! 動けば切る!」

 

 ラクシュミの腰に見えた花柄ポシェットを取ろうとした平太の首筋に剣が当てられた。

 

「っ! 厳しいねぇ、天使さん」

 

 平太は、ラクシュミが自分のポシェットに何でも好きな物――例えば「コーラぐみ」など――を溜め込む習性を持っているのを知っていた。それこそハムスターみたいな奴だと思っていた。

 それを見せれば天使の誤解がちょっとは解けると思っていたのだ。しかし、怪しい動きをするなと止められてしまった。

 

「分かった、分かった。俺は動かん。とりあえずお前らでラクシュミの腰にある鞄を開けてくれ。そこに俺の作品が入っているはずだから、裁定はそれを見てからにしてくれないか?」

 

 平太はそれでも交渉を続ける。

 懸命な努力が実を結んだのか、抵抗を一切しない平太に慈悲を見せたのか、サナティオは剣を持つ手の力を少しだけ緩めた。

 

「……いいだろう。ラクシュミは抵抗するなよ。ディアナ頼む」

「はい。動かないで下さいね」

 

 へぇへぇ、なんつー厳しい連中だ。

 それが平太の率直な感想だった。

 

 天使もディアナと呼ばれた聖職者も、とことん冷めた目をしてやがる。一瞬でも敵意を見せればすぐに殺しに掛かって来そうな、覚悟の目。

 久しぶりの修羅場に巻き込まれた平太は、ため息を付きたいのを我慢しながらディアナの行動を待った。とりあえず、これで一歩進むだろう――

 

「近寄らないんで欲しいんですの!!」

 

 などという甘い希望はラクシュミの行動で吹き飛んだ。

 

 ディアナから伸ばされた手を見て、ラクシュミは恐れを為した子供のように癇癪を上げた。そして全方位に向かって魔力を解き放ったのだ。ディアナが魔力波の衝撃にたたらを踏んで数歩後ずさる。

 

「な!? この馬鹿!?」

「貴様! 抵抗するなと言ったはずだ!!」

 

 サナティオが剣をラクシュミへと向けた。

 既に斬り掛る寸前。1秒と時間は無い。

 

 神の裁きは魂の傷となり、決して癒えぬ罰となる。ここで抗わねばラクシュミは一生の傷を負うだろう。下手すれば命すら危ういかもしれない。

 

 平太は瞬時に意識を切り替えると【加護】を使いながら、サナティオの剣に掴みかかる。

 キィィン――と、混じり合わないもの同士が擦れ合う様な不協和音を高鳴らせて、神剣はラクシュミの数センチ手前で辛うじて動きを止めた。

 剣を止められたサナティオは、軽蔑する眼差しで平太の腕をみた。

 

「なるほど、それが貴様の本性か?」

「だから、待ってくれって……!」

 

 あと一発。

 

 平太は己の体が限界に近い事を知る。

 全身から闇の魔力が立ち昇り、指先がどす黒く変色し始めた。張り裂けるような音を立てつつ爪が鋭く伸びていく。

 

 【神】の力を使い過ぎた弊害だ。平太の体で変異が始まってしまった。

 

「悪の仲間は所詮悪。口で良い子ぶったところで、貴様も正体が隠しきれていないぞ」

「あー、きっついねぇ! なにがきついって、サナティオの性格がキツイ! この天使さん可愛いのに厳しいねぇ!」

 

 斬り返してきた剣を往なしつつ平太は毒づいた。

 

「なんでこの世界の神様連中は、平然と人間に手出しするのかね!? まだ神代気分かっつーの!?」

 

 後で知った事だが、平太をこの世界に生まれ変わらせたのは【夜の神】と呼ばれる邪神だった。

 肉体から能力まで全てが神の造形品。その真の意味を平太が理解したのは、この力を使いこなせるようになってからだ。

 

 夜の神の力は混沌そのものだった。生と死、可能性と無、そして時空の波動すら歪める超越的な能力。

 

 そんなモノは人間の範疇を超えている。故に使い過ぎれば代償が訪れる。平太はその力を纏めて【加護】と呼んだ。

 

 加護に頼れば、人間でしかない平太は邪神に呑まれて体が闇に染まっていく。指先から靄の様な不定形に代わり、まるで化物のような存在に堕ちて行く。

 人に戻れる境界線はあと一回。それを超えて神の【加護】を乱用すれば、痛いしっぺ返しがその身に降り注ぐ。

 

「ああ、厳しぃな! もうちょっと手緩めてくれないかねぇっ!? オジサン、そろそろ限界でな!」

「いいや諦めろ。貴様も聖女も有罪だ……! 神の意志のもと、貴様等に更生と反省の機会をくれてやる!」

 

 ぎりぎりと剣を挟んで2人は笑い合う。

 だが少しずつ少しずつ、剣は平太の方へ押し込まれていく。このままだとラクシュミ諸共、断割されかねない。それでも平太に後退の文字は無かった。

 

 友人を見捨てた先に「平凡」な生活は訪れない。

 

 罪悪感に苛まれ、友に悔いる日々など「普通」じゃない。人には安寧が必要だ。何気ない日々、遊びの心無くして発明のチャンスは訪れない。

 故に平太は前に出る。最後の力を振り絞って、サナティオの剣を押し込む様に吹き飛ばす。

 

「どっこいしょぉ! ってなぁ!」

「っ!」

 

 全てを注ぎ、力を出しきった平太は天使を数歩後ずさりさせた。

 一歩、二歩。バランスをとるのにもう一歩。しかし……たったそれだけの戦果だった。命を張った対価としては見るも無残な意味なき結果。

 

「これ、は……っ!?」

 

 だが、それは人間から見た結果。

 圧倒的に劣った存在に己が後退させられた。サナティオはそう感じたようで、数歩後ろに下がった自分の足を見て表情を消した。そしてゆっくりと剣の切っ先を平太へと向けた。

 

「名乗らせてもらう。私の名はサナティオ・アルローラ。太陽神エリシアの第一の使徒にして右腕。佐藤平太、貴様を強敵と認めよう」

「おー可愛い顔だ。そんな子がオジサンに襲い掛かっちゃ危ないんじゃないのお? 逆襲されちゃうよお?」

 

 おそらく神のプライドを傷つけたに違いない。自分に土を付けた存在を超える事で、サナティオは不覚を払拭できるのだ。

 

 ――本気だ。サナティオはこれから、本気で殺しに来る。

 

 平太には魂でそれが理解できた。最高位天使から放たれる戦意は平太の心を震わせる。

 だが【加護】の闇は肘部まで侵食しており力はもう出せない。これ以上引き出せば、本当の化物に堕ちるしか道はない。

 

(ラクシュミと死ぬか。それとも化物になり下がるか……んー、こりゃ悩ましいねぇ)

 

 後悔はない。

 平穏は十分満喫したし、夢だった商品開発――コーラぐみも発明した。

 ぐみに関して平太は「ちょっとパクリっぽいかな……?」とも思っていたが、まあいっかとも思っている。だいぶ緩い平太だった。

 

 今はとにかくサナティオの沙汰を待つばかり。

 

(……ラクシュミは逃がせるかね。うーん、どうかなぁ、俺が化物になればイケるかねえ?)

 

 分からない。分からないが、やるしかない。

 自分の心の「平穏」のために。平太はここで朽ちる選択に手を掛ける。

 チャンスは一瞬。サナティオが仕掛けてきた時、その瞬間に全てが決まるのだ。

 

 涼しさを増してきた初秋の昼下がり。吹き抜ける一陣の風が両者の間でつむじを作る。漏れ出た闇も光も巻き込んで、消えていく――直後。サナティオが飛び出した。

 

「――な!?」

「っ!?」

 

 だが、その時は訪れない。

 平太が闇に堕ちようとした間際、サナティオの剣を止める影が現れた。

 

「真実とは得てして闇の奥。あまり落胆させるなよサナティオ。貴様はいつも考えが頑迷だ」

 

 形容するなら、地獄の騎士。

 荒々しい黒鎧に身を包んだ、血管の様な真紅の紋様が煌めく闇の騎士。初魄――ヤトという名の怪物が、サナティオの剣を止めていた。

 

 

 

 

 

 

 檻から抜け出たら、猛烈な修羅場だった件について。

 

 夜人が開けてくれた穴から這い出して、こそりと箱の影から状況を窺えば、聖女さんが悲痛な表情で言い争っていた。相手は……誰だろ知らない人。俺より年上に見えるけど、まだ子供のようだ。

 金髪を結いこんで、髪をまとめた綺麗な少女。

 

 あ、名前聞こえた。ラクシュミと言うらしい。

 聖女さんは、彼女に向かって怒鳴りながら檻を指さしていた。

 

「……あ」

 

 もしかして、これ……あれ?

 フェレ君を捕まえたのが、ラクシュミさんだったパターン?

 で、俺が中にinしちゃったから、傍から見ればラクシュミが俺を檻に詰め込んだ誘拐犯に見えちゃった……的な、あれ?

 

「あわゎ」

 

 ど、どうしようか。

 出て行った方がいいよね? 俺がラクシュミの誤解を解かなきゃだよね……?

 でも、どうやって説明するべきか。下手な事を言えばヘレシィが怒られちゃうだろうし……!

 

 なんて思っていたら、ドンドン展開が進んでいく。

 天使がラクシュミに向かって剣を振った、かと思ったら、なんか知らない顎ヒゲおっさんが現れた。

 

「……?」

 

 なに、ちょっと待って。よく聞こえなかったけど、おっさん今なんて言った?

 

 あのおっさんの名前は佐藤、なんとかで……日ノ本?

 ま、また!? また日ノ本と言いましたかお前!?

 

 ヘレシィに続いて、怪しい文言の登場に気が動転する。あわあわと、あわあわと手がバタつかせて考える。

 

「あわわ、あわわゎ!?」

 

 なんでここにきて日本っぽい単語が次々と出てくるかなぁ!?

 俺がこの世界にきた「キャラクリエイト」も謎が多いし、もしかしてその関係か!? じゃあ、おっさん佐藤は日本人?

 

 いやいや、それは不味い。

 下手すれば聖女さんに俺が日本出身ってバレるし、なんなら元男ってバレかねないし!

 

 それはダメだ! 俺のプライドとかじゃなくて、聖女さんのためにもそれは駄目なのだ! だってお風呂とか一緒に入っちゃったし、添い寝もしちゃってるし!

 

「ああ、あー……え、もぅ!?」

 

 なんて慌てたら、もう次の展開ですか!?

 

 佐藤と天使の戦いだ。

 強い! 強いぞ佐藤! 日本一多い苗字とは思えない強さだ、やるな佐藤!

 でも、サナティオはもっと強いっぽい! あーダメじゃないか佐藤! 佐藤ぉ!!

 

「ヤト!」

 

 もう、これ以上見てはいられない。こんな馬鹿な勘違いで死人を出すわけにはいかない。

 慌ててヤトに止めに入って貰う。俺が走って向かうよりも早いだろう。

 

「――御意のままに!」

 

 ヤトはすぐさま変化して鎧姿になると、黒い疾風のように突っ込んでいった。

 

 ふぅ……これで良しだぜぇ。

 で、御意ってどういう意味ですか?

 

 

 

 

 

 

 

 ディアナが最初に感じたのは怒りだった。

 檻にヨルンを閉じ込めて動物扱いするラクシュミに怒りが沸いた。虫を喰わせるとか、共食いだとか、挙句の果てには実験動物。次々襲い来る言葉の暴力に耐えきれず、ディアナは感情を爆発させて怒りと悲しみで涙をこぼした。

 

 その次に感じたのは、驚愕だった。

 サナティオがラクシュミに見切りをつけて、断罪の裁定を下したのは残念だったが仕方ないという思いもあった。彼女のした悪行はディアナでも庇いきれないものだった。

 しかし、突如乱入した男がサナティオの罪する光を受け止めた。神の御業を止める――それは人間として信じられない偉業だ。ディアナは驚嘆する他に無かった。

 

 まだまだ事態は急展開を迎える。

 己とラクシュミの身の潔白を証言する平太。近寄るなと叫ぶラクシュミ。そして平太とサナティオの戦闘再開。

 

 そして今。更なる乱入者――騎士姿となって彼等を守るヤトを見て、ディアナはどこか違和感を覚え始めていた。

 

 この事件、何かがおかしい。

 そんな疑問が心の中で芽生えてきた。

 

 

「なッ、初魄!? なぜ止める! これは一体どういうつもりだ!?」

「真実は得てして闇の奥。あまり落胆させるなよサナティオ。貴様はいつも考えが頑迷だ」

「だから、どういう意味かと聞いている! 貴様等は我等と敵対する気は無かったのではないのか!? それなのに、どうしてそんな連中を庇うのだ!」

 

 サナティオは己の剣を受け止めるヤトに対して、これまで以上の怒気を放った。その怒りは空気を震わせるほどで、ディアナは腰が引けるのを感じたが、一度疑問を抱いてしまったら止まれない。

 ディアナは戦いを収めるために2人の間にゆっくりと割って入って行った。

 

「な!? ディアナお前、気は確かか!? 危険だ離れていろ! これはっ、この闇は――!」

「ヤトさんですよね。知っていますよ、ヨルンちゃんの大切な友達です」

 

 姿は変わっても感じる魔力は変わらない。

 闇の魔力を見分ける事は難しかったが、ヨルンと付き合っている内にいつの間にかできるようになっていた。

 ヤトの方を向いて「そうですよね」と聞けば、鎧姿のヤトは肩をすくめて敵意が無いことをアピールした。

 

「ヨルンちゃんも隠れてないで、出ておいで。ほら安全だよ」

「……ん」

 

 声をかけるとヨルンは恐る恐ると檻の影から姿を現した。

 ラクシュミと平太、そしてディアナの間でまるで何かにおびえる様に視線が揺れる。それを落ち着かせるようにディアナは優しくヨルンを抱き留めた。

 

「ヨルちゃん。なにが有ったのか話して貰ってもいいかな? ヨルンちゃんはこれまで、何処にいて、誰に捕まったの?」

「……」

 

「言えないこと?」

「……ん、うぅん」

 

 歯切れが悪い。

 ディアナはそれも仕方ない事と察する。なにせヨルンはこれまで恐怖の渦中にいたのだ。なんとか自力で脱出できたようだが、今もこうしてびくびくと震えている。

 そこを何とか、少しずつ聞き出そうとディアナは優しく語り掛ける。

 

「それじゃあ、ヨルちゃんを捕まえた犯人はラクシュミ?」

「……違う」

 

「馬鹿な!!」

 

 ヨルンの否定に、サナティオは信じられないと声を上げた。

 

「そんな筈がない! ヨルンはたしかにラクシュミが作った檻の中に居た! こいつ自身がそれを証言した! ラクシュミは心魂まで闇に染まり、私はコイツの正しい心を感じる事が出来なかった! この意味がわかるか!? コイツは聖教の聖女なのに闇側の人間なんだ!!」

 

 それはディアナも同意する。

 ラクシュミはこの上なく黒だ。グレーではなく完全な黒で、否定できる要素がない。

 

「裏切り行為だ! 私は、卑怯な奴が大嫌いなんだ! だからコイツは悪なんだ!」

「サナティオ。何度も言わせるな、それを私は烏滸の沙汰と言っている」

 

「なんだと! ……どういう意味だ!?」

「……そ、そう言う意味だ」

 

 ディアナは言い争うヤトとサナティオの二人から目を逸らすと、ヨルンに再度確認する。

 

「じゃあ、ラクシュミは悪くないんだね?」

「うん」

「こっちの男の人は?」

「……知らない人」

 

「……そっかぁ」

 

 どれほど証拠が揃っていようと、当事者であるヨルンが全てを否定した。2人が敵であるという大前提が崩れ去り、混迷し始めた状況にディアナは頭を回す。

 しかし出てこない答えに行き詰ると、今だ怯えてうずくまるラクシュミへと手を差し延べた。

 

「ラクシュミさん。私は貴方の事が少し分からなくなりました。だからまずは、そのポシェットの中身を見せてくれませんか?」

 

 ヨルンを捉えてペット扱いしたラクシュミ。彼女による自供は明らかだった。

 

 彼女の指を噛んで、逃げだしたというペット。しかし南都で拾ったという、そのペット。今度は檻に閉じ込めるという意思表示。

 ラクシュミの友人には「ペットを共食いさせた人」まで居るらしいし、なによりも「実験動物」という全ての意思を籠めたキーワードが放たれた。

 

 ……間違いない。ラクシュミがヨルン誕生に関わっていたのは間違いない。

 

 救出に現れた平太と名乗る男も闇の魔力を立ち昇らせ、天使サナティオの剣を防ぐ強者だった。趣味は商品開発で、世界を驚かすために発明しているなどと言っている。

 

 次々訪れる悪事の告白に、これ以上ない悪夢だとディアナは眩暈がしたものだ。

 怪しい。怪しすぎる。平太もラクシュミも揃って役満だ。

 

 だが冷静に立ち返れば、どこか腑に落ちなかった。

 ヨルンが犯人を否定している以外にも、何かがディアナの心の片隅で引っかかっていた。

 

「ラクシュミさん」

 

 そしてディアナは気が付いた。

 そうだ。ディアナは最初、ヨルンを辱めるラクシュミの言葉によってあんなにも取り乱したのに今では落ち着いている。

 

 その切っ掛けは――ラクシュミがサナティオに襲われた時に放った魔力波動だった。

 泣き叫ぶ子供のように。親に叱られて不貞腐れる子供のように、彼女の魔力はうなりをあげた。けれど確かに感じた、助けを求めるラクシュミの叫び。

 

 ……そうだ。ここがまずおかしいのだ。

 

「ラクシュミ様」

「ひっ! わ、私は悪くないのですわ! 私は絶対、悪くないのですわ! だから殺さないでー!」

 

 彼女の叫びは改悛の余地なき極悪人のものじゃ無かった。

 ヨルンに対する行いと、彼女の心の叫びがチグハグだったのだ。

 

「……平太さん」

「ああ。落ち着けラクシュミ。とりあえず、殺されることはなさそうだぞ。だから落ち着けって。な?」

 

 それに加えて、彼女を庇う平太の存在がディアナの心を迷わせる。

 

 たしかに彼は闇の魔力を纏っているが、邪悪とは思えない瞳をしていた。

 彼は自分で言ったように世を儚む気だるげなオジサン顔だが、その心根は真っすぐに思えた。今だってサナティオとディアナから、ラクシュミを守れるように立ち位置を変えている。

 

 2人の組み合わせは、まるで泣き叫ぶお姫様を守る騎士のようにも思えた。

 

 ……なんだこれは。

 なんなんだ、この状況は。これではどちらが悪者か分からない。

 

 ――罪は真実の光に晒されなければならず、罰は違えず与えなければならない。

 

 幼かった自分を育てた先生の言葉がいま、ふとディアナの脳裏をよぎった。

 それはヨルンと出会った時もそうだった。この言葉によって、ディアナはヨルンの真実を知ることができたのだ。

 ひとまず先入観を抜き取って、まっさらな目で物事を捉える事にする。

 

「わ、分かりましたの。ディアナさんは私のポシェットが見たいんですね?」

「はい。ありがとうございます、ちょっと中身見ますね」

 

 平太に声を掛けられてラクシュミはようやく落ち着きを取り戻した。名残惜しそうにポシェットが差し出されれる。

 

 この中に平太が作った作品が入っているらしい。それを見れば、また何か分かるかもしれない。

 ディアナはそう思ってポシェットを探った。中身はよく分からないお菓子、綺麗な石、鳥のキーホルダー、色々なものが入っていた。

 

「おい、お前は鞄に何入れてるんだ。俺の『コーラぐみ』をゴミと一緒にするんじゃあない!」

「失礼な! ゴミじゃないんですの! 全部私の大切な記念品ですの!」

 

「そ、そこらで拾った石を思い出にするのは止めてくれ……。なんだか悲しくなってきた」

「勝手に私の思い出で泣かないんで欲しいんですのー!?」

 

 探る。探る。

 ゴミを掛け分けて、ポシェットの奥底に辿り着き――ついに見つけた。

 

「……聖具【ミトラス】」

 

 出てきた物は大聖堂で封印していたはずの汚染された聖具だった。

 有るはずの無いものが、有ってはいけない場所から出てきた。まさか目を離した短時間で盗まれていた? サナティオが勝ち誇った声を上げた。

 

「ほら見ろ! ほら見ろ! やっぱりラクシュミが犯人だ! 平太が作った"作品"がポシェットから出て来たぞ! 平太も犯人だ!」

「貴様はなぜ嬉しそうなんだ。曲事を喜ぶ天使はどうなんだ?」

「う、うるさいぞ初魄!」

 

 ディアナは次々と重なる証拠を前にして、全部自分の考え過ぎだったのかと気持ちを揺るがせた。

 やっぱりラクシュミが犯人で、ヨルンの言葉は何かの間違い? それとも……

 

 ―― お願……気付……て

 

「あれ、誰か何か言いました?」

 

 突然、聞こえてきた小さな言葉。

 上手く聞き取れなかったディアナは周囲に確認するが、誰も何も言っていないようだった。

 サナティオとヤトは互いに罵り合って馬鹿にしているし、平太はラクシュミを慰めている。ヨルンはどこか気まずそうにウロウロしていた。

 

 気のせいか。

 もう一度考える。

 

 それでも、やっぱり何かが腑に落ちない。

 ここまで証拠が積み上がると、まるで何か大きな力が私達にラクシュミを犯人と確信させようとしている作為性すら感じた。偶然かもしれないが、ディアナにはそうとしか思えなかった。

 

 全ての記憶を総ざらいして思案する。

 そして、ディアナは天啓のように閃いた。

 

『それに今は面倒な2人がここに居ないから――』

 

 ヨルンが捕らわれていた施設で出会った銀鉤の言葉を思い出す。

 面倒な2人とは、ヨルンを生み出した犯人を指す言葉だ。

 

 おそらく片方は【勤勉】のことで、そちらは打倒した。

 つまり残るヨルンの製作者は1人だけ。そのはずなのに――

 

「そうだ……な、んで。なんでここに2人いるんですか!? ラクシュミ様と平太さん! 貴方達は、どうして1人じゃない!?」

 

 そうだ。

 そうだそうだ、そうだ!

 

 ヨルンには敵が多い。教団はヨルンを御旗にしようとし始めたらしいから、大半が敵に回ったはずだ。

 だけどヨルンの製作者一派は後1人じゃなくてはいけないのだ。

 

 純潔が言っていた。ヨルンの製作者は教団の意思では無く、個人の犯行。あるいは極小人数によるもので、他との繋がりは皆無。その正体は誰にも分からないと。

 ヨルンが教えてくれた。闇が悪とは限らない。優しい闇だって存在するのだと。

 

 ならば平太は善意の部外者であり、ラクシュミだけが製作者だったのか?

 いいや、それも怪しくなってきた。ラクシュミは『友人』が共食いをさせたと言っていた。この時点でまた製作者の仲間が増えて、計算がかすりもしなくなる。

 

 しかも見比べて分かった。

 ラクシュミから感じる闇の魔力と、ミトラスを汚染している魔力が全くの同一だった。

 

 ヨルンを閉じ込めたのはラクシュミだ。檻を形作っているのはラクシュミの魔力だから、それは証明されている。ラクシュミがヨルンに関わっていることだって、本人の言葉もあって否定できない。

 だが、もしそれが彼女の意思でなく、洗脳されての犯行だとしたら……?

 

 これならばヨルンが「ラクシュミは犯人じゃない」と言った証言にも矛盾しない。

 

 それを裏付けるように、【勤勉】が言っていた「主からミトラスを『聖女に渡せ』と命令を受けた」という言葉と、ヨルンの友達が「主の希望で互いに殺し合った」という事実が思い起こされた。

 主とはラクシュミを洗脳し、ミトラスを窃取した犯人だ。そしてラクシュミの言う『友人』が指し示す人物でもある。そう考えれば全ての辻褄が有っていく。

 

 ディアナは嫌な予想がドンドンと組み上がっていくのを感じた。

 

「……なるほど。見えてきましたね」

 

 月明りもない闇夜を蛍火で照らす様な謎解き。だが、少しずつ何者かの足跡が見えてきた。

 

 怪しいのは共食いをさせたらしいラクシュミの『友人』という存在だ。

 

「サナティオ様。今回の誘拐事件は思っていたよりも単純じゃない、もっと底の深い凶行かもしれませんよ」

「そ、そう……なのか?」

 

 次々に明かされ始めた謎。

 気付けば、まるで誘い込まれた状況にあったディアナは冷や汗を流す。

 

 ディアナとサナティオは、被害者であるラクシュミをその手に掛けてる直前だったのだ。

 危うく取り返しのつかない愚行をしようとしていた。やっていたら後悔はしきれなかったけれど、ぎりぎりで真実に辿り着けた。だから今はまず、彼女を救いたい。

 

「ラクシュミ様、ごめんなさい。私は貴方の苦しみに気が付くことができなかった……」

 

 ディアナは罪悪感に苛まれながら、怯えるラクシュミをそっと抱きしめた。

 そして己の魔力でラクシュミの体内から闇を祓うように清めていく。

 

 ミトラスとラクシュミを汚染する仄暗い闇の魔力は、夜人の物に非常に似通っていた。それこそ同一とさえ感じる。ならばきっと『友人』は神話の怪物に近い実力を持つ狂人なのだろうとディアナは推察する。

 

「あっ……あぅ、そんな。ディアナさん……だめ、私達は女の子同士ですわ。あっあっ」

 

 ディアナの暖かい魔力に包まれたラクシュミは、頬を赤く染めて気持ちよさげに目を細めた。緊張して強張っていた体がゆっくりと力を抜いていく。

 それが突然、電流が走ったように跳ね上がった。

 

「い、っひ! だ、駄目ですわ。ディアナ様……これ、以上は」

「ごめんなさい、もうちょっとだけ我慢してくださいっ」

 

 恐らく、闇の魔力と光の魔力が反発し合っているのだろう。

 ヨルンの時もそうだった。ディアナが手伝って魔力操作の練習をすると、彼女の場合はどうしてもくすぐったさを感じてしまった。それと同じことがラクシュミの体でも生じているのだろう。

 ラクシュミは身もだえる様に何度も体を震わせた。

 

「ま、待って、待ってください……! ディアナ、さ……ぁ、ゃ。私もうっ!」

「ごめんなさい、もうちょっとですから。もうちょっとで、いけますから」

 

 ディアナは浄化が一筋縄ではいかないと判断すると、送り込む魔力をどんどんと強めていく。ディアナの顔に緊張と疲労が浮かび、数滴の汗が流れ落ちた。

 一方ラクシュミは甲高い悲鳴を上げそうになる口を手で押さえ、何とか声を押し殺していた。

 

「ぷはぁ! はぁ……はぁ……」

 

 そして闇が祓い終わる頃、ラクシュミは荒い息遣いになっていた。

 火照った顔をディアナの胸に埋めて、潤んだ瞳で上目遣い。

 

「こ……これから、ディアナお姉さま、と呼んでもよろしいですか?」

「ごめんなさい。意味がわかりません」

 

 それだけ言い残すと、ラクシュミはぱたりと意識を失った。

 闇を抜いた影響で一時的に疲労困憊になったのだろう。目を覚ます頃には元通りになっているはずだ、問題は無かろう。

 

 ディアナの腕の中では、綺麗サッパリ光属性しか持たなくなったラクシュミが眠っていた。ディアナはそれを見つめて安堵する。何とか最悪一歩手前で引き返すことができたようだった。

 その時、小さく誰かの声が聞こえた気がした。

 

 ―― ありがとうございます。貴方が気付いてくれて……

 

「……え?」

 

 リィンと鈴がなるような透き通った声。

 手に持ったミトラスが静かに震えた気がした。

 

 なんだ。誰の声だ? 周囲をみても誰も何かを言った様子はない。まただ。また聞こえた。

 だが、そんな疑問はすぐにディアナの頭から抜け落ちた。

 

「ん!」

「あ、駄目だよ! ヨルちゃん!?」

 

 ヨルンがディアナの腕からラクシュミを奪い取ったのだ。

 そして、ぺいっと地面に放り捨てた。まるでその場所は私の場所だと主張するように。

 

「こら! ヨルちゃん、相手は怪我人だよ! 駄目でしょ!」

「ふ、ん」

 

 逃げて行くヨルンの背に叱責を飛ばす。

 彼女は拗ねた様にヤトの背中に飛び乗ると、無言でラクシュミを見下ろし続けていた。なんだか威嚇しているようだ。

 

「もう、子供なんだから……」

 

 仕方ないなとため息を吐く。丁度ディアナの視界に申し訳なさそうなサナティオの顔が映り込んできた。

 

「っ! ……すまない、聖女ラクシュミ」

 

 闇が払われた事でサナティオもラクシュミとの間で【精神感応】が動作し始めたのだろう。彼女は聖女としてふさわしい正義と信仰心を持っていた。それは洗脳によって隠されていただけなのだ。

 真実を知ったサナティオは苦虫を噛み潰したような表情で、眠るラクシュミに謝罪を送る。

 

「どうですか? ラクシュミさんの記憶は見えました?」

「い、いいや。どうにもぼやけているな。道中の馬車を最後に記憶が途切れている」

 

「それではやはり」

「ああ、ラクシュミはただ洗脳されていたようだ。間違っていた、のは、私だった……」

 

 しゅんと意気消沈して肩を落とすサナティオ。そこにヤトが追撃を掛ける。

 

「だから言ったのだ。貴様は真実を見る眼も無く、己の能力に頼り切り。だから貴様は迂鈍なのだ」

「……」

「濡れ衣を着させる嵩高な貴様が正義を騙るか。そんなものがエリシアの意思ということか。ふん、とんだ師表が居たものだ」

「うっ……うぅ……」

 

「失望したぞサナティオ。よもや、そのザマで私に勝てるなどと嘯く――む」

「ヤト」

 

 サナティオに軽蔑の眼差しを向けて罵倒するヤトの頭が、ヨルンによってコツンと叩かれた。それと同時にヤトの姿が夜人の物に変わっていく。

 そして大聖堂の結界によってヤトは「あぁぁぁ……」と情けない声を上げながら蒸発して行った。べちょりとヨルンが地面に投げ出される。

 

「痛い……」

「うぅ……初魄ぅ……」

 

 なんか凹んでいる2人が残された。

 これじゃあ進まんと平太は努めてそれ等を無視。ディアナに向かって話を切り出した。

 

「あー。それじゃ、俺たちの無実は証明されたと思ってもいいのかねえ?」

「はい。ラクシュミ様は被害者ですし、平太さんもきっと無実なのでしょう。闇の力を使う点は気になりますが……今は関係ありません」

 

「あーそりゃよかった。じゃあ、俺は帰ってもいいかい? 急ぎの用事が有るんだ」

「いえ……それはちょっと待ってください」

 

 ここまで作為的な状況が仕込まれていたのに、ディアナは平太だけが無関係とは思えなかった。

 

 ラクシュミを洗脳し、ミトラスを与えることで無実の罪をかぶせようとした。そのために全てが仕込まれていた。

 一連の流れは『友人』の策略だ。最早そうとしか思えない。

 

 だが、ここまでお膳立てする知能犯にもかかわらず、平太の様な不確定要素を放置するだろうか? 『友人』にしてみれば平太のせいで作戦が破綻したわけで、何らか別の意図が有ったに違いない。

 

 しかし、その繋がりがいまいち分からない。

 

「佐藤平太さん、50歳……趣味は商品開発で、日ノ本会所属」

 

 確かめるように呟いた平太の情報。その時ヨルンの顔がこちらを向いた。だが、ゆっくりと戻っていく。

 僅か一瞬の出来事だ。しかし、その違和感を見逃すほどディアナは甘くない。

 

「ヨルちゃん。こっちを向いて」

「うっ……」

 

「何か知っているの? ヨルちゃんを捕まえた犯人、生み出した真犯人。何でもいいの、私達に貴方の事を教えてほしい」

「……うぅ」

 

 これまでずっとヨルンは誤魔化してきた。

 自分の製作について、彼女は必死に隠してきた。決して話したがらず聞けば話題を変えてきた。故にディアナも深く聞けずにいたが、そうも言っていられなくなってきた。

 

 護衛を付けてもヨルンは狙われる。街に来ても構わず敵は襲ってくる。

 ならば、こちらから打って出るしか未来は紡げない。私は貴方を救いたい。そんな決意で、ディアナはジッとヨルンの事を見つめ続けた。

 

「……日ノ本」

 

 そしてヨルンは申し訳なさそうに、ぽつりと秘密を打ち明けた。

 

「私は、日ノ本で生まれた……から」

「そう……そうなんだね。教えてくれありがとう」

 

 ディアナの目がゆっくりと『日ノ本会』所属である平太に向かう。

 平太は目を見開くと、凄まじい勢いで首を振った。

 

「待て待て。違う、俺は知らない。俺は何も知らないんだ!」

「……分かっています。もう、貴方を疑うつもりはありません。全ては『友人』の策略でしょう。ですが、話してもらいますよ貴方の事情も」

 

 ヨルンを捕らえる闇に堕ちた聖女が現れて、それを守るために登場した人物が、実はヨルン製作に関わる日ノ本会所属という状況。 

 だが、それらが実は犯人ではないという衝撃の真実。

 

 なんだこれは。もはや笑えて来た。

 偶然か? いいや、ここまでの偶然など起こってたまるか。これで仕組まれていないと、どうして言えようか。

 なんと綿密に計画された同士討ち。ディアナはいっそ感嘆したくなる程だった。

 

 だが、もうちょっとだ。

 もうちょっとで、ラクシュミの言った『友人』の影が見える気がする。

 銀鉤が遺してくれた言葉を切っ掛けに、ディアナは『友人』の微かな足跡を追っていく。

 

 日ノ本会とはなんだ? 平太と聖女の繋がりは何だ? どうして、このタイミングで街に来た?

 聞けば、平太は教えられないことも多いぞと前置きをしたうえで語り出した。

 

「俺とラクシュミはいわば、スポンサーと発明家の関係だ。この街には同じ日ノ本会のハルトに助けを呼ばれて来たんだ」

「……ハルト?」

 

 また怪しい奴が出て来たぞ。

 ディアナはそいつが『友人』なのではないかと予測を立てる。だがそれは平太がすぐ否定した。

 

「ハルトは違うな。あいつは今、迷宮の奥底で教団に襲われて遭難してるらしい。それで俺は『助けてくれ』って呼ばれて来たんだが」

「それはまた……タイミングが合い過ぎです。欺瞞ではないですか?」

「……可能性はゼロじゃない。だけど俺はハルトが撒き餌にされたと思ってる。なにせ、もっと怪しい奴が他にいる」

 

 そして平太が核心を付く情報を齎した。

 

「現在の日ノ本会は3人構成だ。俺と、ハルト……そしてあと1人。ここまで日ノ本会の情報を知りながら、俺たちを嵌められる人物を俺は彼1人しか知らない」

 

「それが、その『友人』だと?」

 

「ああ。アイツは常にこうやって情報を探っているんだ。俺達を罠に嵌めるのも簡単だろうよ。……ここら一帯の端末はサナティオの光で壊れたようだがな」

 

 平太がそう言って差し出した掌の上には黒いハエに見える魔力の塊が乗っていた。しかし、すぐボロボロに形を崩すと風に吹かれて消えていく。

 

「日ノ本会、最後の1人にしてヨルンを生み出した真犯人。そして俺達を利用した裏切り野郎。人間としての名を捨てたソイツは今、黒燐教団で【慈善】と名乗っている」

 

 倫理を知らぬ狂信者。敵味方諸共、罠に嵌めようとする天性の策略家。

 

 最後の巨悪がついにディアナの前へと正体を現した。

 

 




おおぉっと、ここで大外から【慈善】が飛び出した!
ぐんぐん加速する! 速い! 速いぞ慈善!
一番人気だったラクシュミも、対抗平太も、慈善の猛追になすすべ無し!

さあ、最終コーナー回って直線!
慈善が黒い流星の如く風を切る! 先頭集団並んで一気に抜き去った!
慈善が止まらない! もう誰にも止められなぁい!

慈善! いま、悠々と1着でゴーーールイン!!

GⅠヨルン製作者カップを制したのは、黒燐教団の最高指導者【慈善】だぁ!
それでは皆さん、また次回!


名探偵ディアナ「真実はいつも一つ!」
慈善「?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

動き出す慈善

三次たま様より、ディアナさんの支援絵頂きました!

【挿絵表示】


吼えるディアナさんであります!
きっとヨルンちゃんに対する敵の悪行にお怒りなのでしょう!

さあ物語も最終幕に向かっていきますよ!


 光なき影の世界。宇宙を思わせる亜空間に揺蕩う巨城の一室に慈善は立っていた。

 

 光源なき重苦しい幽幽たる部屋だ。

 彼の周囲に浮かぶ数十の「窓」の様な画面だけが闇の中で幻妖に輝いている。

 窓の中には南都アルマージュの光景が映し出されていた。何気ない路地裏から、個人宅のリビング。果てには領主館内部の映像まであった。

 

 これが慈善による監視魔法だ。

 闇の魔力を羽虫に変えて、各地を飛び回らせることで情報を収集する魔法。極小の闇は誰にも気づかれることなく情報を慈善に送り続ける。

 

 画面の一つ、領主館の映像では怒りを露にする領主が映っていた。

 壊れるほど何度も執務机を叩く領主は顔を茹蛸のように真っ赤に染めて、怒鳴り声と共に吐き出す唾を部下に浴びせ続けている。

 ディアナによる戦時の権限移行に憤慨しているのだろう。勝手に街を封鎖するとは何事かと大激怒。

 

 街の流通とは交易そのもの。ましてや10万オーバーの人口を抱えた南都で籠城戦など想定外だし、突発的過ぎる。このままでは数日と持たず南都は干上がってしまうだろう。

 それを領主は懸念しているのだ。彼の怒りっぷりを見る限り、穏便に済まそうという雰囲気はうかがえない。

 この調子では、ディアナの行動が条約に則って認められたものと言えども王国聖教間に大きな亀裂を齎すことになるだろう。

 

 だが、慈善はそんな事はどうでもよかった。

 

 彼の周囲に浮かぶ映像の大半は、アルマージュ大聖堂に注目していた。

 絶対に何一つ見逃さないという彼の決意の元、数十の監視カメラ――のような魔法――によって聖堂の隅々まで目がいきわたる。

 

 が、その映像はある時を境に消失していった。テレビの電源が落とされるように、画面は次々と連鎖して黒一色に変化する。そして、それっきり動かなくなってしまった。

 うんともすんとも動かなくなった画面を閉じると、慈善は大きく天を仰いで物悲し気に呟いた。

 

「ラクシュミと平太さん……そうか。死んだのか」

 

 慈善は南都に放っていた監視魔法が途切れたことで全てを察した。

 最後に見た映像はラクシュミと平太がサナティオの攻撃に晒される直前まで。結末を見たわけではないが絶望的な状況であることを魔法は教えてくれた。この監視魔法だってサナティオの技の余波で壊れたのだ。

 

 天使サナティオを敵にして平太が生き残る事は不可能だ。

 それは慈善であっても変わらない。なにせ人間と神では、決して超えられぬ壁がそこにあるのだから。

 

「気になるね。もう少しだけでも、見えないか……っ!?」

 

 慈善は何とか生き残ったカメラで監視の継続を目論むが、なぜか影響がないはずの遠隔地のカメラまで自壊が連鎖する。

 画面が次々と割れていき、そして、影響は術者である慈善の元まで届いた。

 

 彼は自分の手首に大きな罅が入っている事に気が付いた。そして、あろうことかその罅は、瞬く間に心臓目掛けて駆け上ってくる。

 

「っ! 魔力を伝導して来たのかな!? さすが神の技だ!」

 

 慈善は慌てて己の右手を斬り落とした。

 床に落ちると腕は砕け散り、淡い光となって消えていく。

 

「まずいね……不味いとしか言えないね、もう」

 

 神は相手の魂に裁断を下す。故に神が付けた傷に治癒魔法は効果を発揮しない。

 魂というその者の全てを形成する根幹から、部位が削り取られるのだ。分かりやすく言うと、"最初から存在しない"ものは治しようがない。

 

 仮に移植という手段を取ったところで、慈善の魂に「腕」という情報が欠けている以上、他の腕を繋げたところで腐り落ちるだけだろう。

 つまり、もう普通の治癒魔法で慈善の右腕を復活させることは不可能という訳だ。

 

 しかし彼は動揺することなく、目を閉じて小さく己の【神】へと祈りをささげた。

 その程度、我が神の前では無力と変わりない。

 慈善が目を開くと、腕は初めから何も起きていなかったかのように元通りに戻っていた。

 

「……平太さん」

 

 慈善は己の腕よりも、死んだであろう同胞に思いをはせる。

 だが感傷に耽る時間は有りはしない。【慈善】は状況が差し迫っている事を知る。

 

 ジュウゴという神の器は敵の手に渡り、()()()()()である日ノ本会の平太と聖女ラクシュミが天使に討たれた。代用品はもう作れない。「サン」の居場所だって慈善には分からない。

 

 人間の力では神に抗えない以上――つまり『神の器』が手に入らない以上、教団はサナティオによって刃を首元に突き付けられたも同然の状況に陥った。

 

「僕は平太さんを一般的な日本人だと思っていたんだけどね。意外というかな……ああ、貴方は本心を隠すのが上手な人だった」

 

 慈善と平太は馬が合わなかった。平太には神への崇拝が足りなかったからだ。

 

 ――神の為に。

 平和な日本からこの異世界にやってきて、慈善が犯した悪事は数知れず。

 

 ある時は一家纏めて生贄にした事があった。またある時は、神の再臨を目論み街一つ潰したことがあった。

 もう50年以上も昔の話だ。前代の黒燐教団が隆盛を誇っていた時代。慈善は当時、一教団員として神に多くの供物を捧げてきた。

 だが、それは決して私利私欲のためじゃない。【夜の神】は自分を選んでくれた神様であり、その神の為に人柱を献じていたのだ。

 

 ――この世界の全ては神の為に。

 慈善の意思は結局そこに帰結した。

 

 そんな人の命を容易く奪う慈善の異常性を平太に咎められて、慈善と平太は物別れに終わってしまった。当時ハルトはまだ居なかった。

 

「なんだ。平太さんも、やる事やってたんだね。言ってくれれば……僕は……喜んで貴方に協力したのに……」

 

 平太は事なかれ主義の背信者。

 そう思っていたのに、裏ではしっかり神への忠誠を持っていた。神の為に「器」を作製していた。それに慈善は気付くことはできなかったのだ。

 

 今更気付いても、もう遅い。

 慈善は数少ない同郷の友を失った。神のための器も失った。

 

「【謙虚】からの情報がもう少し早ければ……もう一日でも早く、ヨルンの製作者が分かっていれば……あぁぁあ」

 

 追い込まれ始めた状勢に、慈善は悔しさのあまり顔をかきむしった。

 指と顔の両方に巻かれた包帯――と言うよりも、慈善の全身が包帯まみれなのだが――が滑って、上手く指が引っ掛からないから、慈善は何度も何度も顔を掻き毟る。それがまた異様な光景となっていた。

 

「……切り替えよう。これは神が僕に課した試練だ。過去は乗り越えるためにある。乗り越えてこそ神は満たされる」

 

 慈善は突如、声を落ち着かせると両手を垂れ下げた。そして今後の対策を考える。

 

 

 慈善がヨルンの存在を知ったのは【勤勉】が死亡した後のことだった。

 

 教団の評議員が一司祭に破れるという異常事態に、慈善は閉口して慄いた。しかしその後の対応は早かった。各国の主要都市にまんべんなく飛ばしてた情報収集用の監視魔法を集結させて、事態の把握に務めたのだ。

 

 監視魔法は繊細な魔法なので、大規模な魔法や魔力が周囲に発生すると制御が利かなくなる難点が有ったものの利便性は高かった。

 そして村や街で情報収集に努めること暫く。ヨルンという神の器と、『サン』というもう一つの器が存在することを知ったのだった。

 

 そこから数か月。

 慈善はこれまで動かなかったわけではない――動けなかったのだ。

 

 

 

 彼は己の足元に描かれた、体育館程の大きさにもなる巨大な魔法陣の細微を見て回る。

 

「うん……まだ不完全だけど、もうこれで"行く"しかないね」

 

 ここは影の世界に浮かぶ白亜の居城「月宮殿」。

 その中心の部屋にて、慈善は作戦の決行を決断する。

 

 彼は神の器が聖教の手に落ちたと知った時から、最悪を想定していた。

 最悪――それは邪神復活の予兆を知って太陽神の眷属が降臨することだ。

 

 下級や中級の天使はどうとでもなる。しかし上級に踏み込み神に分類される天使となると話が違う。

 何度も言うが神と人では勝ち目がない。そいつらが出て来た時点で、黒燐教団の活路は消えるのだ。

 

 この巨大な魔法陣は、そんな最悪を想定して慈善が用意したモノだった。

 

「……来たかい【純潔】。お願いしていたものは準備できたかな?」

「ええ、ええ。これが今の私にできる最高傑作ですよ。見てください、この造形美。不均等なアシンメトリー。おぉお、精神を掻き乱しますねぇ」

 

 惚れ惚れする様に己の自信作を持って現れたのは、教団一の変態にして、実力ある研究者【純潔】だった。

 

 鋭い牙だけが嗤う様に描かれた仮面をかぶり、全身を黒いロングコートとフードで包んだその姿。指先まで手袋で覆う、絶対に肌を晒さないぞという妄執染みたスタイルが特徴のこの男……何度みても怪しい風貌だった。

 

 ――などと思う慈善のスタイルだって、全身余すところなく包帯で覆った上に、解れや穴だらけになったボロボロのスーツを着るという、負けず劣らずの姿なのだが。

 

「輝く凧形二十四面体(トラペゾヘドロン)。これならば闇の魔力……中でも神気に近い混沌の属性を受け止めて増幅するのに、十分な役割を果たしてくれることでしょう」

 

 純潔が絶対に目を離さない様にと見つめ続けるその物体。それは歪んだ凧形の面が多数つながった多面体だった。

 

 ヘドロのような粘着性を持つ魔力を垂れ流しながら、鈍く輝くその姿は見る者の精神を摩耗させていく。少しでも暴走を抑えるためだろう、紐状に伸びた魔法陣が鎖のように幾重にも巻きついている。

 

 それでも多面体は見る者の心を掻き乱す。

 慈善は思わず目を逸らしそうになったが、純潔によって制止された。

 

「おっと注意点が三つ。まず、この物体から一瞬たりとも目を離さない事です。観測者が居なくなった瞬間から、凧形二十四面体(トラペゾヘドロン)は変化を始めます」

 

「変化、かい?」

 

「もしも溶けだしたなら液体は即座に消滅させるように。生物化したなら隔離、無理なら太陽光に晒して下さいね。気化した場合は……凄惨に死んで華を咲かせましょう」

 

「それが何に変化するか分からないのかい?」

 

「さてさて。私には分かりかねますねぇ。そも混沌とは何が起こるか分からないから、カオスと呼ぶのではないですか?」

「それもそうか。じゃあ、次の注意点は?」

 

「二点目は無防備な状態で触らないこと。もしも触ったなら、すぐにその箇所よりも近位の位置で斬り落とすように。まあ貴方がドロドロのスライムの気持ちを知りたいと言うなら、私は止めませんけどね?」

「……次」

 

「最後は、一つ目の注意と矛盾するのですが、見つめない事です。貴方も感じたと思いますが、この物体には人間の精神を壊す作用が有ります。あまり見つめすぎると今度は目を離せなくなりますよ?」

 

「いいね。素晴らしいよ純潔。最高だ」

 

 慈善は受け取った輝く凧形二十四面体(トラペゾヘドロン)の造形に吸い込まれるように、心ここにあらずと返答する。

 その声色と反応を見た純潔は、慈善から距離を取ると嫌そうに口にした。

 

「……死ぬなら、私のいない所で死んでくださいね? 凧形二十四面体に魅せられたら、たぶん貴方の死体からナニカが出てきますから」

「嗚呼、そぅだねぇ……っと、ああ。済まない。もう大丈夫だよ」

 

 脳内を犯していた奇妙な感覚を振り払うように慈善は何度も自分の側頭部を叩く。そしたら耳の部分から黒いヘドロが垂れて包帯を溶かしていった。

 

「うーん、ちょっと入られたかな? 人間に寄生してくるなんて可愛いアイテムじゃないか」

「そうでしょう、そうでしょう。私もこれいいなぁって思ってたところなんです」

 

 純潔は恍惚とした表情――無論、仮面で見えないから慈善の想像だが――を浮かべて、身悶える様に自分を抱きしめた。

 

「あぁ、でも、今ではこれ以上に素晴らしいものを知ってしまったから、感動が薄いですね……残念、いや、喜ばしい事ですか」

 

「これ以上?」

 

「おぉ貴方! 聞ぃきたいですか!?」

「え、ぁ、いや」

 

 あ、これ深く踏み込んじゃダメな奴だった。

 慈善は最近の純潔が変態染みてきていたことをすっかり失念していた。

 

 純潔が両手を広げて言い放つ。

 

「――愛ですよ! 人類を包みこむ普遍的な慈愛! あぁ慈愛、【慈善】と似た響きですねぇ、素晴らしい。貴方も私の愛で包み込んで差し上げたい!」

 

「ごめんね。気持ち悪いんだ」

 

 一歩純潔が前進。慈善が五歩下がる。

 

 もうコイツ嫌だ。

 慈善はどうしようもなく気持ち悪い純潔から逃げるように後ずさった。その時、臀部を守ることも忘れない。

 

 そんなやり取りをしていると、つい多面体から目を離しかけたが慌てて視線を戻す。

 危ない。もうちょっとで純潔に殺される所だった。慈善は疲れるように息を吐いた。

 

「それで約束の対価だったね。たしか君が欲したのは、情報だったかな?」

 

「……えぇ。私は一刻も早くヨルンが欲しい。神の器を手に入れたい。そのために行動しているのに、貴方は何も教えてくれない。嫌ですねぇ、私はこんなにも協力してるのに」

 

「ははは、それは悪かったね。どうしても情報を漏らすわけにはいかなかったんだ。君には悪いと思ってるよ」

 

 純潔は心底悲し気に項垂れた。

 もとより演技的な人物だ。慈善は、純潔が顔を隠すような所作を取った事にも疑問を抱くことなく、彼の忠誠心に満足を得る。

 

「いいよ。じゃあ、色々教えていこうか」

 

 慈善は手に持った凧形二十四面体(トラペゾヘドロン)から目を離すことなく、魔法陣の中心に純潔を招いた。

 

「解」

 

 そして中心に置かれた物体を隠し、守るために張られていた結界を解除する。

 純潔は突如目の前に出現した物体を見て息をのんだ。

 

「これは……皮、ですか? それも、人間のものですね」

 

 魔法陣の中心には、人一人から丸々剥いだような人間の生皮が置かれていた。

 

 まるでセミの抜け殻だ。

 背中側から切り裂かれ、綺麗に中身が取り除かれたような青年の生皮がそこにあった。

 

「そうだよ。誰のだと思う?」

 

「……」

「ふふ、正解」

 

 慈善は純潔が自分の事を見ているのを察して笑みを深めてみせた。

 そして顔の包帯をズラすと、純潔にだけ自分の秘密を露にしてやる。

 

「僕の体は神の造形品だ。奉るに値する聖遺物を、自分で使うなんて畏れ多いと思わないかい? もっとも、僕はまだ死ぬ訳にいかないから、皮だけ保存させてもらったけどね」

 

 包帯の隙間から除く慈善の素肌は、濃いピンク色だった。つまり剥き出しの筋線維だ。

 唇は無く、晒された歯茎と歯列が並ぶ。鼻は大事そうに皮と一緒に削がれているから窪んで見えた。瞼すらなく、ギョロリと動く眼球は剥き出しだ。

 

「それで情報が欲しいんだったね。いいだろう。君にボクの勝利の糸口を教えよう」

 

 慈善は人間からかけ離れた己の顔に包帯を巻きなおすと、再び語り出した。

 

「追い詰められたならやり直そう。僕等が有利となれるその時へ。何度だって繰り返そう」

 

 幾何学的に描かれたこの巨大な魔法陣は、『過去に戻る』ためのもの。

 

 神の器が聖教に奪取された? 最高位天使が降臨して敵対した?

 

 いいだろう。ならば、それよりも先に黒燐教団が手に入れる。過去のイナル村に辿りつき、聖女と出会う前にヨルンを連れ去るのだ。最高天使が降臨しない様に幼い時のディアナを抹殺するのだ。

 慈善はそんな壮大な計画を楽し気に語る。

 

「ッ不可能だ!! 時間遡行は太陽神でも成し得ない、神を超えた未踏の領域です! それを貴方は――!」

 

 説明を聞き終えるまえに純潔が叫んだ。

 だが、すぐに慈善が否定する。

 

「いいや、できるとも! 僕の力は【夜の神】の力。混沌を舐めるなよ純潔。そこにあってどこにもない、存在しつつ存在しない。それが夜の神のカオスなんだ」

 

 慈善は己の体に含まれる魔力の全てを凧形二十四面体(トラペゾヘドロン)へと注ぐ。

 

「時間が前にだけ進むなんて錯覚だ。世界がずっとずっと昔から存在したとは限らない。全ては混沌から始まった」

 

 それでも足りない。

 今からおよそ半年過去に跳ぶには、魔力が足りない。

 だけど、そんな事は分かっていた。その為の凧形二十四面体(トラペゾヘドロン)、そのための【純潔】だ。

 

 慈善は多面体から目を離すことなく語り続ける。隣で純潔の悲鳴のような呻きが漏れ出した。

 

「ぐっ!?」

「だから済まないね純潔。僕は君の献身を忘れない」

 

 片目を多面体に向けたまま、もう片方の眼球を動かして純潔の方を見る。

 そこでは()()()()()()()によって、背後から「ヨルンの夜人」ごと貫かれた純潔が立っていた。

 

「「その暗翳が君の護衛だろう? 知っていたさ、君は僕に隠し事をしていたね。君の影からはずっと神の力を感じていたよ」」

 

 2人の慈善が重なる様に言葉を放った。

 

 純潔と夜人の魔力を全て奪い去り、慈善は己のモノとする。これで慈善はまた一歩、神へと近づいた。

 

「これ、は!? なぜ慈善が2人も……!?」

「冥途の土産に混沌の一端を教えよう。凧形二十四面体がそうであるように、混沌は観測の如何にで結果を変える」

 

 純潔がもう一人の慈善に目をやる。するともう一人の慈善は空間へと解けるように消えていった。

 だが、奪われた魔力は戻らない。純潔は堪らず地面へと倒れ込んだ。

 

「君が見ている光景は真実か? ならば君の見えない所に真実は存在すると言えるのか? それは誰にも分らない」

 

 過去に戻るのは【夜の神】にだけ赦された奇跡の御業だ。神の肉体と魂、そして魔力を持つ者でなくては完遂できない。

 仮に神の肉体と力の一部を持つ慈善であっても、模倣が成功したところで彼の魂が無事では済まないのだ。

 過去の世界に辿り付いた瞬間、慈善は全身を闇に侵食されて魂ごと消滅することになる。

 

 だから、彼は己の代わりに時間魔法を使ってくれる依代を準備した。

 

 神の体――「慈善の生皮」を用意した。

 神の力――「夜人の魔力」もまた用意できた。

 そして奇跡の陣と、媒介かつエネルギー増幅器である凧形二十四面体(トラペゾヘドロン)を準備した。

 

 慈善が魔法を使うのではなく、これらを依代に魔法を発動してもらう。そうすれば時間移動という禁忌に触れた代償は、依代が全て引き受ける。

 

 これにて慈善が過去を改変する準備は整った。

 

「さあ行くぞ! 過ぎ去りし分水嶺よ! ヨルンとディアナが出会う、その刻へ――ッ!?」

 

 ――が、魔法を起動する直前、慈善に衝撃波が襲い掛かった。

 慈善は横からの衝撃に堪らず吹き飛ばされる。床を何度も転がって、ようやく止まった。

 

 なんだ。これは思っていたような魔法効果じゃない。

 まさか失敗かと慈善は慌てる。そして気付いた。

 

 いいや、まだ陣は何も効果を発揮していない!

 

「ッなんだ!?」

 

 そして爆音が慈善の耳をつんざいた。

 衝撃波という異常を皮切りに、月宮殿の各所で爆発が連続し始めたのだ。止まらない。動力室から始まった城を揺るがす炸裂は、ドンドンとこちらへ近づいてくる。

 

 そしてついに、この部屋にも業炎が辿り着いた。

 天井が爆砕で崩落。隙間から炎が吹き込んで、部屋中に熱風が立ち込める。真紅の煌めきが慈善と純潔を照らし出した。

 

「思うがままに過去を変える? ……許されない。そんな事は、誰にも許されないんですよ」

 

 

 

 純潔はうつ伏せに倒れたまま、怨嗟の声を上げた。

 震える手で何かのスイッチを慈善に見せつける様に持ち上げた。

 

「純潔!? お前……まさか、まさか!」

 

 純潔の体は人間のものではない。

 彼を構成するのは、汚泥と魔力で作りあげた人造品。つまり純潔は保有魔力が一定量を下回ると、死に至ることになっていた。そんな弱点、自分自身の製作者である純潔は知っていた。

 

「原初の祈りは幾星霜の時を超え、あの日に成された。愛が世界を包み込んだ。しかし、それをお前は否定するという」

 

 故に、慈善にしてやられた自分にはもう後が無い。そんなこと純潔が一番知っていた。

 けれどここで素直に死んでやるほど純潔は甘くない。事前に仕込んでいた爆薬を起爆して、月宮殿ごと慈善の野望を圧し潰す。そのために立ち上がる。

 

「純潔! お前ぇえ!!」

 

「私の間違いを正してくれた、美しき光景を。世界の理が書き換わった、輝けるあの時を――お前は全部ぶち壊そうとしているのだ! 二人の愛を裂く暴挙、それは誰にも許されない!」

 

 魔力を失ってボロボロと朽ちていく手足を懸命に動かして純潔は駆けだした。

 

「――何よりも私が許さない!!」

 

 数秒と持たぬ命なれども、止まざれば数瞬は生き永らえる。

 これにて愛なき世なりせれば、まして口惜しや。

 

「おぉおおおオオ!!!」

 

 柄に無く雄たけびを上げる。

 慈善に手が届く――その寸前で、慈善は決断した。

 

「爆発で魔法陣が傷ついていたとして、もう構うものか! このまま跳ぶぞ! さぁ僕を過去へ連れていけ! 神よぉおお!!」

 

 慈善の願いに応じて神の依代が力を発揮する。輝く凧形二十四面体(トラペゾヘドロン)が雷鳴を放ちながら、時空を歪め出す。

 だが爆発によって魔法陣の一部が欠けていた。九分九厘失敗すると分かっている無謀な挑戦。それでも慈善は神へ勝利を捧げる為に、時を超える。

 

「――っ、届かな、かった」

 

 次元を超越した慈善の体を通り抜けて、純潔は地面に倒れ伏した。

 そのまま慈善はこの次元から消失。誰も居なくなった部屋、もはや純潔にやれることは何もなくなった。

 

「あぁ、ヨルン、ディアナ。私は、私は……」

 

 崩壊の止まらぬ城の内部で純潔は天井を見上げるように寝転がった。

 そして何かを掴む様に見えぬ空へ向かって手を伸ばす。

 

「私は、愛を……知れたでしょうか――」

 

 魔法陣が放つ閃光に、崩れ落ちる天井が蓋をする。

 純潔の体も、凧形二十四面体(トラペゾヘドロン)も巻き込んで、ありとあらゆる物を押し潰す。

 

 

 動力室が消滅し、動く者も居なくなった月宮殿は制御を失って失墜を始めた。

 

 まず影の世界を維持できなくなり、城は表の世界へ帰還する。そこは慈善がヨルンとディアナの監視を強めるために設定していた座標――南都アルマージュの直上だ。

 

 そして数多の瓦礫を落としながら城は急速に高度を下げていく。爆発は終わらない。純潔の最後の抵抗は愛なき教団を煉獄の炎で焼き尽くす。

 

 南都の中心へと向かって、天から城が降り注いだ。

 




南都領主「なに、ディアナ大司教が街を封鎖した!? 厳戒態勢? 屋内避難ぃ!? ふざけるな、何も起きてないだろ! 解除だ解除!」

月宮殿「やあ(´▽`)」 ゴゴゴゴ…

南都領主「ふえぇええ?( ゚д゚)ポカーン」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

シリアスになれない主人公

 

 大変だ。大変な事が起きた。

 聖女さんと平太による考察の結果、なんと彼等は"俺を作った犯人"に行き付いた……らしい。

 

 俺の目の前で二人は【慈善】に対する怒りを露にしていた。

 いや犯人も何も……俺の人形を作ったのは夜人だし、でっち上げたのは俺なんだけど。

 

 それでも、彼等は俺じゃない犯人を見つけたらしいのだ。

 

 はぇ~……すっごい冤罪。

 

(でも冤罪は、良くないよね? その【慈善】って人がどんな人か知らないけど、さすがに駄目かなぁ?)

 

 聖女さん渾身の怒りを向けられる顔も知らぬ【慈善】を考えると、俺の貧弱な罪悪感が刺激された。

 

 聞いた限り、慈善は完全な犯罪者なのだけど、冤罪を解くべきか悩む。

 普通に考えれば「その人も違うよ」って聖女さんに伝えるべきなんだろう……けど、そうすると「じゃあ誰?」ってなるよね。うっわそれも困るぅ。

 

 その場のノリと勢いで変なこと言わなければよかったと今更ながらに後悔。

 

 いやでも言うぞ、言うぞ。

 慈善も間違いだよって伝えるぞ。

 

 俺は聖女さんの隣に立てる人間でいたいのだ。

 誰かに罪を押し付けて、何食わぬ顔で聖女さんと笑い合うことなどできはしない。

 

 そう決心しながら、聖女さんと平太の周りをウロウロ回る。

 伝えたい事が有るのに言い出せない陰キャの行動そのものだ。

 まぁ、否定した後の言い訳を考えてる最中だから、まだ言えないんだけど。

 

 なんて思っていたら、また状勢が変動した。

 

 突然、日光が遮られるように周囲が暗くなる。

 空を見上げると、そこには大聖堂よりも数倍はありそうな巨大なお城が浮かんでいた。

 唐突すぎることに皆の目が点になって数秒ほど経過。平太が叫んだ。

 

「や……やりやがったな【慈善】の野郎! 悪事がバレたから、ついに直接手を下してきやがった!」

 

 下からだといまいち全体像が見えないのだが、城の土台となる地盤が視界を埋め尽くすように徐々に大きくなっていく。どうも城は街に向かって降下してきているようだった。

 

「あいつ、街に強行着陸する気だ! 城が落ちてくるぞ!」

 

 まじかよ。

 体当たりとか、それどんな最終攻撃だよ。

 

 しかもよく見ればお城は何でか知らんが崩壊気味で、黒煙まで上げてる。重量数百キロは有りそうな礫や建材を、雨のように降らしながら急接近。そして三度、平太が声を上げた。

 

「おい、おい! 誰かあれ防げねぇのか!? 俺は無理だ、まだクールタイム中!」

「む、無茶言わないでくださいよ! 墜落まであと何秒ですか!? 詠唱も魔法陣も何にも準備できません!」

 

 聖女さんがハッとしたように言い返す。

 

 城の直径は分からんが数百メートル。下手すれば一キロ。そこに建造物を支える重厚な岩盤が付いているのだ。

 総重量数十万トンを軽く超えるであろう質量攻撃は生半可な対策じゃ意味がない。ましてや、ごく短い制限時間付き。人間の力じゃどうしようもない。

 

「……なら、私が消し飛ばすか?」

 

 ヤトに怒られたばかりだからか、サナティオがしょんぼり顔のままディアナに聞いた。

 だが、すぐ自分で「いや待てよ」と首をひねる。

 

「もしかしたら冤罪かもしれん。これは不慮の事故で、城を体当たりさせる気じゃないのかも。じゃあまだ城内に無実の人とかいるのかなぁ……?」

「い、言ってる場合ですか!? サナティオ様しっかりしてくださいー! 皆死んじゃいますよ!?」

 

 このまま城が落ちれば、街の死者は数千を超えるだろう。

 

 城は自由落下にはなっていない。ぎりぎりで堪えているようだが、それは時間の問題っぽい。少しずつ落下速度が上がってきてる。

 他にも降ってくる瓦礫もあるが、それは街のあちこちから打ちあがる魔法で小さな砂粒まで砕かれていた。街の各地に散った聖職者達が頑張ってくれているようだ。

 

(え、つーかなに? え? あれ黒燐教団の本拠地なの?)

 

 平太の言う情報によって、いま順調に墜落中のお城が、黒燐教団の本拠地【月宮殿】という事が判明した。しかも城主は【慈善】という。

 

 えー……ひっでぇ。

 あいつら、非戦闘員ばかりの街に城を墜とすとかひっでーことするなぁ。

 

 なんか教団リーダーの慈善は「俺の製作者」らしいし……うん。

 さっきまで罪悪感あったけど、もういっそ、その人に俺の罪をかぶって貰ってもいいかもしれん気がして来た。こんな犯罪する人なら、後何個か罪状増えても変わらんでしょ。……駄目かな? やっぱ可哀想?

 

 日本人特有の優柔不断加減で俺がうんうんと首をひねっていたら、夜の神の声がした。

 

 ―― そうする? ……んー、選択肢だけあげてくる。

 

 あ、え?

 夜の神ちゃんはボソッと何か言うと、ちょっとずつ気配が薄くなっていく。……あれ、どこか行くの?

 

(って、ああ! そんなこと言ってる場合じゃないよ! もうお城が堕ちるよ!?)

 

 聖女さんは頑張って迎撃用戦略魔法の詠唱をしているようだが、間に合いそうにないと力なく首を振った。

 聖女ちゃん――ラクシュミのこと――は、気持ちよさそうに夢の中。平太さんは力が出せないと頭を掻いて傍観中だし、サナティオ落ち込み中。ヤト死んだ。

 

「とりあえず落下だけ止めてみるか。いいかお前たち、攻撃は禁止だ。危ないから城を支えるだけだぞ――行け」

 

 サナティオが片手を上げる。

 その途端、街の各所から数百を超す子供姿の下級天使と、数十を超える中級天使が飛び出した。

 

 空を切る軌跡を残しながら地盤の底に取り付いていく。そして、なんとか超質量を持ち上げようと純白の翼を羽ばたかせる。

 天使たちは必死の表情だ。子供天使なんかは「うーん!」とか踏ん張りながら、か細い手で頑張っている。

 

 しかし――止まらない。

 

 優に数十万トンを超すであろう巨大建築物と地盤は、彼等の力をもってしても降下速度をゆっくりにするだけに留まった。

 何人かの中位天使は魔法を使って持ち上げようとしているが、城は城で対魔法機能も持っているらしく、その効果を打ち消している。

 

「あー……きびしい?」

 

 さすがに落としちゃだめだよね。

 でも神様どっか行っちゃったし……うーん。

 

(ヤト死んじゃったしなぁ。昼間だから普通の夜人じゃダメだし……うーん?)

 

 最悪ギリギリでサナティオが全てを消し飛ばすつもりらしいから、さほど俺に焦りはなかった。それに何となく"この程度"はどうとでもなるような気がしている。

 ただ、サナティオが出来る限り消したくない風だったので、俺の方からも夜人にお願いするべきか悩んでいたのだ……が、その時、後ろから気だるげな声が掛けられた。

 

「んじゃぁ、私が手伝うか? ちょうど変化してたしな」

「あ、佳宵」

 

 振り返ってみる。

 変化してる佳宵と会うのは久しぶりー……と思ったら、何時もと違う佳宵がそこに居た。

 

 なんか変な仮面付けてたのだ。

 

 いつもの狐面じゃない。

 佳宵の顔には、牙だけが描かれた怪しさ溢れる仮面が……あれ? それシオンの奴じゃない?

 

「拾った」

 

 えぇー……どこで拾ったの。

 止めてよ似合わない。

 

 佳宵にはやっぱり狐姿が良く似合う。

 なんだったら素顔を見せながら、アクセントで頭の横にちょこっとお面付けてる位が可愛くて丁度いい。

 

「ああ? んだそりゃ、恥ずかしいなぁ。まあ……主が言うなら……いいけどよ」

「ん。可愛い」

 

「……いいから、やるぞ!」

 

 俺の要望を聞いて素顔を見せてくれた佳宵の顔に赤みが増した。

 自分で言った通り恥ずかしかったのか、佳宵はその羞恥を振り払うように一際大きな柏手を打つ。そして両手を大きく広げて手のひらを左右に突き出した。

 

「喚!」

 

 たった一言。なんと簡単な声かけか。

 しかしその効果は絶大らしく、途端に強い地響きが俺たちに襲い掛かった。

 

 震度4ぐらい? 結構揺れる。

 だが、それはこれから起きる事の前兆に過ぎなかった。

 

 佳宵が突き出した両手の先――街の外周のさらに先。数キロ遠くの地中から巨大な何かが飛び出した。細長い陰影が空中に向かって伸びていく。

 

「うわ」

 

 蛇? ウナギ?

 いいえ、ワームです……。

 

「うわぁぁ……」

 

 ミミズの様なぬめりを帯びた外皮をもつ生物が二匹。左右から城に向かって飛び掛かる。

 目がなく、手足もない紐状の生き物は、蠕虫らしさ全開で体を胎動させながら土台ごと城に巻きついた。

 

 しかし、その大きさが尋常ではない。全長が数十キロを優に超える巨体のようだ。

 

 尻尾……尻尾なのか頭なのか知らんけど、体は穴から全部出きっておらず、城に巻きついた部分と地面で支えられる部分が繋がれた

 力も半端じゃないらしい。鎌首をもたげるように、左右から二匹のワームがアーチ状になって城を空中で固定する。

 

「な、んだこりゃぁ……!?」

「あ゛?」

 

 平太が信じられないとばかりに、佳宵とワームを交互に見つめた。

 それに対して佳宵が「こっち見んな」とばかりに地面を蹴って砂を飛ばす。高速で平太の目にin。目潰しだった。

 

「うぉおおおお!?」

「誰だテメェ。えぐり出されないだけ感謝しろ」

 

 他人に素顔を見られることが嫌いな佳宵は、ゴソゴソと仮面を付け直す。もうシオンの仮面は飽きたらしい。今度は狐面だった。

 一息ついたところを見計らって、城に巻き付いている二匹の超巨大ワームの事を聞いてみる。

 

「なにあれ」

「あん? 【島嶼喰い】と【国削ぎ】」

 

「え……二種、類?」

 

 ちょっと待って、あの二匹って別種なの?

 まじまじ見るとキモくて鳥肌立つから横目でチラッと見る。

 

 【国削ぎ】と呼ばれたワームの外皮は薄ピンクで皮がぶよぶよと蠢いている。全身からあふれ出る粘液がテカリ光を反射した。……うーん、【島嶼喰い】と比べると、たしかに色素がちょっと薄いかなぁ?

 

 ……いや同じだよ! 見た感じ一緒!

 しかも、結構どうでもいい情報!

 

「た、助かったぞ佳宵」

 

 佳宵に突っ込むかどうか悩んでいたら、ぽかーんとワームを見つめていたサナティオが安堵の息を漏らしてお礼を言った。

 

 ……ホントぉ? 本当にこれ助かってるの?

 たしかに城の落下は止まったけども。

 俺が見る限り、なんか天使達が余計慌て始めたよ?

 

「――!?」

「――!!」

 

 城の周囲に沢山いた天使が、我先にと逃げるように散って行く。

 

 邪神の配下である佳宵を恐れているっぽいのもあるけど、それよりもワームの体についている粘液を恐れている感じだ。

 粘着性を持って垂れ下がる液体を避けようと天使さん達は大混乱。空中で衝突事故が多発する。

 

「ワームの主食は天使だったからな。踊り食いだと更に"気持ちいい"んだとさ……あ、こら喰おうとするな馬鹿。おーい、やめろー」

「そりゃ逃げる」

 

 夜人もそうだけど、天使も基本不滅で生き返るからね。

 きっとワームの体内がトラウマなんだろうね、天使ちゃんズ……。

 

「……あ」

「なに佳宵。『あ』って何? もしかして、あれのこと?」

 

 よく見れば、城の落下が止まった代わりにワームの粘液が垂れさがってきた。

 びよーんと体中から何本も街に向かって滴り落ちる。天使も嫌いな粘液の水柱。

 

「え、あ……いやぁ? 別にぃ? 対処できるから、まっ、いいだろ」

 

 いや街に落ちる! 街に落ちるって!? 

 何アレ、何アレ! 絶対ヤバい奴でしょ!? 何!? あれに触ると一体どうなるの!?

 

「結!」

「……おー?」

 

 しかし、粘液は寸前の所で止まったようだ。

 佳宵の第二魔法によって、粘液は石のように固定された。いや、よく見ればワームの体も完全に石となっている。ピンクだった肌が灰色に変わっていた。

 

「こいつら脳みそ無いからな。放っとけば天使に喰いかかるだろ、ついでに石像にした」

「殺したの? いいの?」

 

「また育てるわ。あー、でも卵残ってたかなぁ?」

 

 あ……。

 この怪物ワームの育ての親だったんですね佳宵さん。凄い趣味ですね佳宵さん。

 

 

 

 さて。

 巨大な空中城と、それを支える二本の石製アーチ(ワーム風)という悪趣味なものが、南都の新しい象徴として追加されたわけだが。

 聖女さんとサナティオは神妙な表情で作戦会議を開いていた。

 

「突入するべきです。敵の首魁自ら突撃して来たのだから、ここで迎え撃つ他有りません」

 

「いいや様子見に回るべきだ。内部に敵影は見当たらない。無駄に刺激せず、住民の退避を優先する」

 

「……5時間はかかります。その間に敵が動かない保証がない」

「ならば動いてから迎え撃て。落ち着けディアナ。お前はヨルンの犯人を見つけたことで、気付かぬうちに興奮しているぞ」

 

「っそれは!」

 

 攻勢派の聖女さんと、守勢派のサナティオの論争はサナティオ勝利で終わった。

 いきなり突撃は血気盛んすぎるという事だろう。サナティオが安心させるように、ディアナの頭をぽんぽん撫でる。

 

「安心しろ。ここまで来たら私も手伝うさ。だから――」

 

 と思ったら、サナティオの手が止まる。

 ゆっくりと月宮殿の方を向き、冷や汗を一つ。

 

「……前言撤回だ。これは、突撃が正解みたいだな」

 

 その言葉と同時に空中の城から多数の影が飛び降りた。

 

 目の無い犬、巨大な昆虫の体に触手が生えたもの。人間っぽく見えるけど、肌が全部溶け落ちているもの。粘液状の生物に見えるが眼球が無数に浮いているもの。

 他にも色々な不気味としか言えない生物が、次々街に降り立っていく。

 

「各員天使は全力で住民を守れぇえ!!」

 

 サナティオの指示によって、天使たちは再び規律だって動き出した。敵の着地と同時に天使が飛び掛かる。

 

 一人ひとりの力は天使の方が強いらしい。奇怪な生物群に対して、天使は優勢に戦っていた。しかし……なんというか、絵面が酷い。幼気な天使が、醜悪な化物に襲われてる図。うーーん、酷い。

 

「っ……はぁ、はぁ! な、なんなんですか、あれは!? あの化け物は!?」

 

「コイツは不味いんじゃねぇの? 闇寄りの俺はいけるし、ディアナも耐えきったけど……普通の人間がアイツ等見たら発狂しかねんだろう」

 

「ああ、早く殲滅しないとまずいな。だが数が多すぎる。どうも城内で無限発生している様なのだが……だめだ! 天使達が対処できる範囲を超えるぞ!」

 

 うーーーん。これでハッキリ分かったけど、黒燐教団って素直に超極悪犯罪者では?

 さすがにこれは俺も怒りがわいてくる。

 

「佳宵」

「あー、街も全滅していいなら?」

 

「……」

「じょ、冗談だよ。やんねぇって、んなこと」

 

 じとーっと睨んだら、佳宵は深く考え込んだ。

 そして自分なりの考えを教えてくれる。

 

「敵の戦力逐次投入がめんどくせなァ。一気に来てくれたら、人も化物も一纏めに昏睡させられんだけど……あー、んー」

 

 ガリガリと頭を掻いて最適解を探す佳宵だったが、ふと顔を上げて俺を見ると言った。

 

「あ……悪い。時間切れだわ。んじゃ、また夜にな」

 

 そしてポンと夜人姿に戻ると、日光に焼かれて消えていく。

 えぇえええ。どういうタイミングぅ!?

 

 そうこうしている内にも化物と天使たちの戦闘は続いているのだ。

 家屋が破壊される音も断続的に続くし、被害はドンドンと拡大中。天使が避難もさせてるから、物理的な人的被害は少ないのだが、どうしても化物を視界に入れて発狂した人が続出してしまう。

 

「……では、私がやってみます」

 

 この混乱にそう言って名乗り出たのは、やっぱり頼れる聖女さんだった。

 彼女はなんだかマーブル模様になってるロザリオ――聖具ミトラス――を握り込むと、深く祈りを籠める。サナティオがそれを制止した。

 

「待て止めろ! あまりその聖具の力を引き出すな、人間の限界を超えかねん! それにその聖具は汚染されて――」

 

「いいえ。エリシア様の力が引き出せるなら、この程度の汚染なんという事はない。さっきそれを教えて貰いました。……それに、ちょっと無理しても守りたいじゃないですか。私の手の届く範囲にあるならば」

 

「何を言って――!?」

 

 制止を振り切って、聖女さんはミトラスの能力を開放する。

 

 ミトラスから放たれた極光が、世界を覆い尽くした白の世界。

 時の流れすら遮られて誰も動けない空間で、何故か俺だけが普通に立っていた。

 

 ……なんかこの光景見た事あるような、無いような。

 ああ、村でシオンと勘違いで戦っていた時にあったのか。

 

 思い出していたら、あの時と同じようにミトラスから光が飛び出してきた。

 何か近寄ってきたので恐る恐る指で触ってみる。わ、ぷよんと動いた。

 

「……人懐っこい」

 

 ぐるぐると俺の周りを飛び交う光の玉。なんだか楽しそう。

 それはその内、名残惜しそうに去って行く。そして聖女さんの体内に入り込んだ。……あれ、お前帰る場所ミトラスじゃないんかい。

 

「――っ!」

「おい! 大丈夫か! おい!」

 

 そして時は動き出す。

 聖女さんが苦し気に呻いた。

 サナティオが慌てて近寄るが、大丈夫だと手を向けて制止する。

 

「私は、まだ大丈夫。それよりも街全体に結界を張りました。これで最低限大丈夫でしょう」

 

 聖女さんは言う。

 化物の力を抑える結界だと。これで「見た者を発狂させる」能力や、戦闘力を激減させる事が出来るだろうと。

 

「すみません……。私がもうちょっと頑張れれば、闇を消滅させる結界も張れたんですけど……」

「問題ない。お前はもう休め、後は私がけりを付けてくる」

 

「……いいえ。サナティオ様には街の守護をお願いします。これは敵を弱めるだけで、無力化したわけじゃない。いまサナティオ様が天使たちの指揮から離れると、防衛戦が崩壊しかねない」

 

 それに、と聖女さんは続ける。

 

「私だって怒ってるんです。ヨルちゃんに酷い事した人を一発位殴りたいんですよ」

「……ふ。それもそうか」

 

 サナティオが理解したという風に頷いているが……。

 

 いや。いやいや。

 『ふ……』じゃねぇから!

 

 聖女さんを敵陣に突入させるとか、お前その意味分かってますの!? 

 

 敵の首魁は街に化物を投下する下種野郎だぞ!?

 それに聖女さんだけ突撃させるとか正気かテメェ!? 敵の手に落ちたら聖女さんどんな目に遭うのか分かんねぇぞ!?

 

「だめ……聖女さん、だめ」

 

 いやいやと首を振りながら聖女さんの服を引っ張って制止する。

 城の落下から今までは俺もすぐ隣に居たからのんびりと見てられたが、敵陣突入とか俺は許しませんよ!

 

「……大丈夫だよ。私が全てを終わらせてくるからね」

 

 いやいや。

 

「安心しろ。俺もまた戦えるようになったから同行しよう。慈善は俺の仲間だった男だ。なら俺が放っとく訳にはいかねぇだろう?」

 

 いやいやいや!

 黙れ佐藤! お前、サナティオに雑に負けそうになってたじゃん! どこに安心する要素あんだよ!

 

「ヨルン、行かせてやれ。ディアナは騎士だ。譲れない矜持がある者を騎士と言うのだ。ならば、騎士の戦いは誰にも制止できるものじゃない……それに中級天使も護衛に付けるつもりだからな」

 

 サナティオうるせぇ!

 俺はヤトから聞いて知ってるぞ! くっ殺系女騎士が騎士を語るな! 黙ぁっとれ!

 

 でもいくら俺が否定しても聖女さんの決心は揺るがない。

 あーもう! こうなりゃ最終手段だ。俺は聖女さんの背中に張り付いて宣言する。

 

「なら私も、付いていく……!!」

 

「ダメだよ」

「駄目だろ」

「いいや、お前はここに残ってろ」

 

 こんなのオカシイだろぉ!!

 

 




無理です!
ヨルンちゃん視点でシリアスは無理があります!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

時をかける慈善

諸事情あって数日書かなかったら、ほぼ書けなくなるこの現象。
これが、スランプ……!?(一ヵ月ぶり数度目)


 

 純潔の妨害を受けながらも時間遡行の魔法を発動した【慈善】だったが、すぐにその致命的な失敗を悟った。

 魔法の力でもって事象の地平面を跨ぎ、時間的世界線を飛び越えさせた。だが、そこで待っていたのは過去の世界ではなく重力の特異点だったのだ。

 

 まるでブラックホールのように過去、未来が詰め込まれた時間の濁流だ。

 前を向けば世界の始まりの光景が映し出され、後ろを見れば終末の光景が見て取れる。彼は宇宙の始まりから終わりまで、森羅万象を手に取れる場所にいた。

 いま【慈善】は人間として初めて観測者の立場に到達したのだ。

 

 ――しかし、それは決して幸運なことではない。

 

「純潔ぅう!! お前が……! お前の所為でぇ!!」

 

 押し寄せる情報の奔流は、それだけで人間の存在を消し去るほど。

 【慈善】は神の造形品であったために何とか耐えられたが、全身をやすり掛けされる様な苦痛は想像を絶するものだった。しかし、それに耐えきったところで終わりは来ない。

 

 慈善はどんどんと時間の濁流に押し流されていく。もはや後戻りすることはできない。慈善の体は変容する重力の渦に巻き込まれ、足先から徐々に引き伸ばされていった。

 手や首も同様だ。慈善の全身は極端な「大」の字に引き伸ばされ、圧縮されていく。人間の体だったものがまるで不気味な藁人形のように細長く変わっていった。

 

 しかしその変化を慈善が知ることはできない。

 膨大な重力波によって空間は歪み、光子すら真っすぐ進まないこの世界。慈善の全身は絶え間ない激痛に苛まされ、視界には己の後頭部が映り込んでいた。

 

 普通であれば死んでしまう異常事態。

 だが、この「時間の狭間」には時の流れが存在しないのが災いした。

 

 一秒が永遠になるように、「死」という終着点がすぐ隣にあってもこの狭間では絶対に到達できない。進むことも戻ることもできず、苦痛と後悔、そして死の境界線上で彼は永遠に生きることになる。

 それが時間という禁忌に触れたモノの末路だった。

 

「――」

 

 もはや悲鳴を上げることすらできない。

 この時空の中で彼は数十日――時の経過が無いので、慈善の体感時間だが――を過ごした。しかし表の世界では未だ一秒たりとも経っていないのだから、無間の地獄に捕らわれたのと変わりない。

 

 どれだけ手段を尽くしても慈善は時間の狭間を抜け出せなかった。

 魔法を使ってみようにも莫大なエネルギーの波に掻き消され、まともに発動しない。宙を掻いて進もうにも、世界の壁を乗り越えられず狭間から抜け出せない。

 

 きっと自分は永遠にこのままなのだ。

 

 そんな狂ってしまいそうな精神状況であっても、しかし時間の坩堝が発狂を赦さない。

 彼はこの空間に辿り着いた瞬間の「健全な肉体」と「健全な精神」を保ったまま永遠に存在する生命体となる。

 

 その絶望は慈善の信仰心を駆り立てた。

 彼は有り余る時間を全て使って、懸命に祈りを捧げる。神よ救いあれと。

 

 そして、その切なる願いは叶えられる。

 

「っ!?」

 

 慈善は己の目を疑った。

 

 この狂った世界で、人影を見たのだ。

 黒い印象を持つ少女。小柄な体格、物静かな風貌だった。

 時間の波間に揺られて髪は驚くほど艶やかになびいていた。片目が隠れるような髪といい、冷たい瞳といい、その少女は慈善にある人物を彷彿とさせた。

 

「……『十五』? いや」

 

 神だ。夜の神が時の狭間に現れた。

 一瞬しか見えなかった人影だが、たしかに慈善は確信した。

 

「うぉお!?」

 

 そして同時に世界の壁が砕け散って、時間の狭間が崩壊を始めた。

 まるで穴に落ちるように慈善の体が引っ張られる。一つの時間軸に向かって、慈善はどんどんと落ちていく。

 

 森だ。どこかの森が映し出されている時間軸の世界へと慈善は飛び込んだ。

 

 

 そして時間の狭間に残されたのは、ヨルンの姿を模した夜の神ただ一人。

 彼女は小さく首をかしげると冷めたように言葉を投げかけた。

 

「貴方に選択肢を提示する。苦境で反省し、野望を捨てるか。それとも……拾って帰るか」

 

 

 

 

 

 

 まるで不思議な夢だった。拷問すら生温く感じる、無間地獄に捕らわれる夢。

 これまでの数十日が幻だったかのように穏やかな森の中、慈善は仰向けに寝転がっていた。浮ついた意識は安定しきれず、白昼夢のようにぼんやりとしてしまう。

 

「……もうちょっとだけ、待っててね。すぐ帰ってくるから」

 

 だが突然、聞こえた声に慈善は意識を急浮上させる。

 仰向けで寝ころんでいた体を一回転。何時でも立ち上がれるように地面に手を付ける。

 

 そこに違和感を覚える。

 

 慈善が今までいた空間には地面がなく、そもそも上下が無かった。正常と分類されるものは何一つなく全てが異常な世界。

 そんな所に長居していた所為か、慈善は鼻孔を擽る木々の青い匂いと共に、重力や空気、ほのかに感じる風といった様々な正常を感じ取って目を瞬かせた。

 

 ここは普通の世界か。

 彼は元の世界に戻ったことを確信する。

 

 そして状況を把握するために、聞こえてきた声の主を見た。

 

 ディアナだ。

 森の地面に開いた大きな穴の前で、彼女は悲し気に呟いていた。

 

(……なんだろうね、ここは。森? だけどディアナがどうして森に? 今は南都に居るはずじゃ……いや)

 

 よく見ればディアナの服装が違っていた。

 大司教用の細部まで手の込んだ祭服じゃない。簡易的な司祭服。かつて、イナル村在籍時に愛用していたディアナの服装だった。

 

 慈善はまさかと思って周囲を見る。

 彼は今、深い森の中に居た。木々を挟んだ向こう側には数十人の兵士とディアナの姿。そして有ろうことか、殺したはずの裏切り者【純潔】がいるではないか。

 

 つまりここは過去の世界。

 

「……っ!」

 

 慈善は無意識に奥歯を噛んで息をひそめた。

 純潔が最期の最期で変な事をしなければ、事態はもっと楽に進んでいただろう。自分も狂いそうな目に合わずに済んだろう。

 

 漏れ出しそうになる殺意と怒り。加えて、両者を遥かに上回る歓喜が押し寄せる。

 だが奴等に自分の存在を知られるわけにはいかないと、慈善はそれらを懸命に抑え込んだ。

 

 たしかに慈善は失敗した。その結果、地獄の責苦を味わった。

 

 しかし選ばれた。

 僕は夜の神に認められた。救いを頂けた。

 

「く、く……はは」

 

 この至上の喜びと比べれば、純潔の愚行など笑って許せるレベルだ。故に見逃そう。

 

 ここで行動すること全てが未来に影響を及ぼす。変な事をして想定から逸脱しすぎれば、また制御不能に陥る。

 慈善はディアナと兵士一行が森の深部へ向かうのを静かに見送った。

 

「状況から推測するに、今は【勤勉】が動いていた時期かな……?」

 

 純潔から伝わっていた情報を元に、現在の時間軸を推察しながらディアナの覗き込んでいた穴へ向かう。

 そこで、慈善は大きな笑い声をあげた。

 

「あははは! これは奇跡か!? いいや――神という運命がいま、僕に味方してくれている!」

 

 慈善が覗き込んだ穴の中には、彼が求めてやまなかった『ジュウゴ』の死体が三人転がっていた。

 

 いや、話に聞いていた複製品だろう。

 神を降ろすには不出来で処分されたと聞いていたが……十分だ。十分すぎる成果だ。

 

 慈善は穴を滑り降りると複製品に手を添えた。

 

「なるほど……廃棄の理由は身体機能が不十分だったのか。内蔵が歪だ。急拵えしたせいかな」

 

 まるで最低限の生命維持だけを目的としたような体内構造。

 腎臓が一個欠けている。肺が片方潰れている。胃が存在しない。そんな健常から程遠い位置に複製品は居た。

 

 だけど慈善の魔法をもってすれば、その程度なんのその。

 彼は三体の複製品を視界から外すと神に祈りを捧げる。

 

 無から有を作り出すのことは難しい。

 ある物体Aを未知の異物Xに変化させる事もまた、難しい。

 だが三つを一つにする事は簡単だ。

 

 欠けているなら補えばいい。それだけの物質がここに三つある。

 

「……ふふ」

 

 慈善の足元で三つの複製体が融け合い混ざっていく。そして生まれる完璧な肉体。

 三人分の肉体をかけ合わせたせいだろう。だいぶ成長して「ジュウゴ」というより「サン」に近くなってしまったが、それも良しと慈善は満足げに頷いた。

 

「これが僕の太陽(サン)だ。神の祝福を受けてサンは今、生まれたんだ」

 

 三つの肉体から生まれた、夜を齎す闇の太陽。

 いつだったかサナティオが呟いていた「三番」になぞらえて慈善は自慢げに命名する。その時、声が聞こえた気がした。

 

 ―― 異臭がするね。違う時間の臭い……違う世界の、濃い臭い

 

「っ!?」

 

 突然聞こえてきた声に、慈善は身を屈めて気配を殺す。

 まさかディアナ一行が戻ってきた? それとも平太達のものか?

 

 前者なら殺してしまうのが最適か、それともまずは撤退をして様子をみるべきか。

 後者なら名乗るべきか。協力を申し出ればいいのだろうか。

 

 慈善は幾つもの想定と予測を重ね、どうするべきか思案する。だが、事態はそんな簡単なものでは無かった。

 

「……霧が出て来たね」

 

 濃霧だ。穴から見上げた空が白く染まっていく。

 いいやそれどころではない。足元に置いていた「サン」すら霧に覆われて消えていく。手を伸ばせば、肘から先が見えないほどの異常な濃霧。白い世界。

 

 普通ではない。

 慈善が警戒心を高め、いつ何が起きてもいいように構える。

 そして、また声が聞こえた。

 

 ―― 闇の気配。でも知らない。知らない。知らない君は、誰?

 

 慈善の背後から聞こえた気がする。

 だが、前だった様な気もするし、横から反響した声もあった。

 

 まるで耳の中で喋られているような、全方位から聞こえてくる声。怪しいのは霧か?

 この水分を使って魔法を発動している可能性。幻惑のような効果もあるかもしれない。

 

 慈善は探知の魔法を起動して声の主を探す。

 おそらく声の主は敵と考えた方がいいだろう。

 

 見つけ次第、先制攻撃させてもらう。「サン」は確保した、これ以上、望む者は無い。

 大丈夫だ。己には神が付いているのだから、勝利という結果が迎えに来てくれる。

 

 だがそんな余裕は敵の位置が分かって消し飛んだ。

 

「敵の位置は……っ!」

 

 声の主――それは、慈善の腹の中に居た。

 突然、自分の腹を内側から突き破って、何かが現れた。

 

「誰? ねぇ、だれ?」

「っぼぅぐあ!?」

 

 犬だ。白く毛深い犬の手が、己の腹壁を突き破って飛び出した。

 

 穴を広げるように獣の腕が空をもがき、その体を徐々に引っ張りだしてくる。わざわざ余計な苦痛を与えるような雑な動き。

 

 手は肩まで飛び出て、穴を引き裂きながら頭が飛び出した。

 そして自分の腹から生えた犬の頭がぐるりと回転して慈善の顔をみた。

 

「……」

「ひゅぅ、ひゅぅ……」

 

 乱暴すぎる。犬が中で暴れ、横隔膜が傷ついた所為で、上手く呼吸ができない。激痛のせいで頭まで痛くなってきたのを慈善は感じ取る。

 だが回復しようにも、腹の穴に犬が挟まっているせいで、どうしようもなかった。

 

 引っこ抜くか……?

 そう思って慈善が手を伸ばすと、犬の口で何かが咥えられているのに気が付いた。

 

「……ひゅ」

 

 脳髄だった。こぶし大の脳みその欠片。

 誰の……? 決まっている。コイツが腹から出ているのだから、あれは自分のモノに決まってる。

 

「お前……」

 

 何故、脳が欠けても生きて居られるのかとか。この犬は一体何なのかとか。

 そんな疑問は些細な問題だ。今にも脳髄を噛み砕こうとしてしている犬を止めるべく、慈善は手を伸ばした。

 

「っ待て――!」

「むぐん」

 

 ――が、遅かった。

 犬は慈善の反応を待っていたかのように、ギリギリ間に合わないタイミングで脳髄を呑み込んだ。

 うるうると揺れる小動物特有の黒い瞳が可愛らしさの奥で、慈善を嘲った。

 

「慈善。慈善だ。【慈善】っていうんだ君。ふーん?」

「こい、つ……!」

 

「ここは過去の世界? そうかもね。あらゆる世界で神様は常に一柱。さっきまで感じてた神様の気配も消えちゃったし、今この世界は"標準世界"から分岐している最中にあるかもね」

 

「……何者かな、君は」

 

「むかつくよね。この時間軸が泡沫と消えるのか、それとも標準世界として統合されるのか。全ては神様の気分次第で、延いては君の行動次第だっていうんだ。あーあ、じゃあボクの最後の晩餐に"記憶"くらい置いて行ってよ」

 

「何者なんだ、君は!」

 

 まるで慈善の返事など聞いていないように延々と独り言を呟く犬に慈善は怒りを露にした。

 

 早く腹から出ろと力任せに引っ張ったら幾つかの消化器官を伴って、犬をなんとか外に出せた。急いで回復魔法で肉体の損傷を治す。だが、その時、慈善は不思議な感覚にとらわれた。

 

 なぜ自分はこんな森にいるのか……?

 ああ、いや、過去を変えに来たんだった。

 

 どうしてそんな大切なことを一瞬、思い出せなかったのか。慈善は不思議に思って首をひねる。

 そして足元でこちらを見上げる犬の存在に気が付いた。

 

「なんだい? どうしてこんな所に子犬が居るのかな……?」

「どうしてだろうね」

 

「っ喋るのか……この犬」

 

 慈善は周囲を覆っていた霧を疎ましく手で払う。

 そして足元の「サン」を大事そうに抱えると、不思議そうに霧を手で払った。

 

「霧が濃いな……いつの間に出ていたんだ」

「いつだろね」

 

「お……っと、犬が居たのか気付かなかった。しかも喋るんだね君。なんだい、魔物? ふぅん……もし親がいないなら僕とくるかい? 名前はあるのかな?」

 

「名前? 銀鉤。……付いていくのは、やめておこうかな、ここに残って上手い具合に世界を回さないと、神様が困りそうだし、失敗すればボクも消えるしね。それに、ボクとそっちのボクで絶対ケンカするから面倒だ」

 

「……銀鉤か。なんだろう、聞いたことが有るような、無いような……でもなんでかな。君を見てると凄いイライラするんだけど?」

「さあ、なんでかな」

 

 銀鉤の姿を見るたびに初対面の様な反応を返す慈善。それもその筈、彼の記憶とその機能の一部は脳髄と一緒に銀鉤に喰われてしまっていた。

 慈善は自分の記憶がボロボロになっている事に気づかない。

 違和感を覚えることは有ろうとも、それすら直ぐに忘却してしまう。

 

 だが、彼にとって一番大切なことは何が有ろうとも忘れなかった。

 

 彼は神の為に行動していたのだ。そしてサンを手に入れた。

 これから辿る道は神が祝福を齎す、天へと続く道。間違いなど起るはずがない。彼は確信をもってほくそ笑む。

 

 慈善はサンを抱え、未来の月宮殿に帰還することを考え始めた。たしか正常作動した時間遡行魔法の効果ならば、そろそろ時間切れのはずなのだが……。

 

 ―― それが、貴方の選択?

 

「おぉ! 神よ。感謝いたします、これで貴方は再臨する! おおぉお! 神よぉ!」

 

 ―― ひぇ

 

 聞こえてきた幻聴はたしかに神のものだった。

 神は「そ、う……」と応えると「が、頑張って」と言って慈善を元の世界へ送り返す。

 

 気付けば慈善はサンを伴って元の月宮殿に帰還していた。

 大切なモノを山ほど捨てて、要らぬものだけ拾って彼は帰ってきたのだった。

 

 

 

 

 

 

「あ、おかえり」

 

 ―― ただいま……

 

 居なくなったと思っていた夜の神が帰ってきた。

 でも、なんか疲れてる感じだ。

 

「どしたの?」

 

 ―― 信者こわい……

 

「ふーん?」

 

 夜の神も信者居たんだね。

 いいじゃん、熱心に拝んでもらえば神様ぱわー増えるとか無いの?

 

 ―― 無い

 

 あ、そうなのね。

 

 よくあるゲームとかだと「信者の力が神様の力にぃ」とか言うけど、そんな事は関係なかったぜという奴なのか。

 人間の力なんて数万、数億集まったところで本当の神様には遠く及ばないという事かな。

 

 まあ、それはそれとして。

 聖女さんが敵の城に突撃してしまったのだが……?

 

「ヨルン、お前もここから応援してやれ。彼女は己の使命を果たしに行ったのだ」

 

 うるさい、サナティオ!

 とりあえず俺の手を握ってるのを離せ! 話はそれからだ!

 

「こら! ディアナが心配なのは分かったから、暴れるな! まったく落ち着きのない子供だな……!」

「聖女さん……」

 

 おーい! 聖女さーん!

 大丈夫かーい!

 

 ヤトと佳宵は死んじゃったし、銀鉤は拠点で作業中だろうから、もう護衛が少ないよー!

 

 あぁ、サナティオが邪魔しなきゃ俺が付いて行ったのに!

 

 ……いや、俺じゃ役に立たないかな?

 いやいや、夜人運搬装置としては有用だ! 総勢500人からなる夜人の物量を持ってすれば、勝てぬ敵などあんまりない!

 

 俺の手を離すまいと掴んでいるサナティオを見上げる。はよ離せ。

 なぜか頭を撫でられた。

 

「大丈夫だ。きっとな」

「……ん」

 

 ちげーよ。不安だったとかじゃねぇって。

 

 でも、こんな奴でも神の一柱。

 サナティオがそう言うなら、聖女さんはすぐに帰って来てくれるのだろうか。ちょっと安心して来た。

 

 なんて思って城を見上げる。一画で大爆発。

 ……あぁあ! 聖女さーん!

 

「っこらぁ! 引っ張るな!」

 

 うるせぇ駄目天使!

 はよ手を離せー! 俺に救援にいかせろぉ!

 

 




慈善「諦めない心!٩(`・ω・´)و」

夜の神「……(´ヘ`;)」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

乗り込め月宮殿

更新遅延! 更新遅延!
せっかく、素晴らしい支援絵を頂いて、なかなか筆が進まず申し訳ございません。
クライマックス前にエタる現象を実感中。がんばんべ


さて支援絵のご紹介です!


垢を得たお茶っぱ様より
動くヨルンちゃん!
https://img.syosetu.org/img/user/346637/82605.gif

これは凄い。ヨルンちゃんが元気に動いてる。
もうアニメ化といっても差し支えないのでは……!?


リフ様より
お昼寝
【挿絵表示】


あらー。仲良しでよきよき(*'ω'*)



 

 

「なんだぁ……こりゃぁ」

 

 南都で露天商を営む男性は、家の窓から天を見上げて呟いた。

 聖教会から突如発令された屋内退避指示を受けて、訳も分からず帰宅した男だったが、その意味を心で理解する。

 

 抜けるほど青かった空はいまや、黒煙を垂れ流す天空城と悪鬼に汚染されていた。

 

 見る者の精神を侵食するような不気味な化物達は、重力を無視して空中を自在に浮遊する。

 迎え撃つために飛び上がった天使と悪鬼が入り乱れた南都の上空はさながらこの世の終わり。聖書に出てくる終末を想像させた。街のあちこちから爆発音と悲鳴がこだまする。

 

 男はあまりにも異常な現実を受け入れられず、再び声に出して呟いた。

 

「なんだぁこりゃ……」

 

 男の理解など知った事ではないと、戦いは加速する。

 

 聖職者たちにより避難を呼びかける声。天使の喊声、悪鬼の絶叫。 

 街中の警鐘が鳴り止まぬ。男は耳をつんざく様な警戒音を理解しつつも変遷する戦いから目が離せなかった。

 

 どうせ、逃げたところで変わらない。

 神の軍勢が敗れる様なら地獄の顕現がなされ、世界のどこにも逃げる場所などない。それだったら今逃げるよりも、家の片隅で膝を抱えて震えている方がまだ良いだろう。

 なによりも、今この瞬間の神々の雄姿を目に焼き付けたほうが有意義だ。天使様の姿を見るだけで男の小さな信仰心が啓蒙される。

 

 男は今でなら、自分の祖母があんなにも信心深かった理由が分かった気がした。

 

 人間や街、世界を守るために天使は命を懸けて悪鬼に立ち向かう。その背中には慈愛と覚悟が満ちていた。

 不信仰な男ですら、無意識に神に首を垂れるほどの神々しさだ。人間の中には守られるだけでは、居てもたってもいられなかった人間たちもいたようだ。

 

 男の視界の中で、領主館の門が開いて駐留軍が飛び出してきた。全身を高級な防具で身を固めた精鋭軍は戦意を鼓舞するよう鬨の声を上げながら参戦していく。

 

 しかし意気揚々とやってきたものの、彼等はすぐに途方に暮れることとなる。

 

 そもそも主戦場が空中で有るし、地面に降ってきた半死半生の悪鬼にすら人間は歯が立たない。十人掛りで囲むが、異形の鳴き声一つで手足の震えが止まらなくなって隙を晒すことになる。

 

 男の目の前で駐留軍の一団の命が散りそうになった。しかし、その寸前で数人の下級天使が乱入。兵士を襲っていた悪鬼は瞬く間に消滅していった。

 兵士が平伏して感謝を伝える。天使はその姿をチラリと見るにとどまって、直ぐに上空へと戻っていった。

 

「人間では、兵士でも子ども扱いなんだ……」

 

 さすが天使様だ。人間ではどうしようもない悪魔すら他愛もなく消滅される。

 男は己の信仰心がぐんぐんと伸びていくのを実感して、天使の後ろ姿を目で追った。

 

 この様子であれば、異常事態もすぐに解決するだろう。全ては神の御心だ。

 

「……ぁあ?」

 

 しかし、天使の後ろ姿を見続けていた男は、様子がおかしい事に気づいて徐々にその顔をひきつらせた。

 城から飛び降りてくる異形の数が増え続けていた。襲い来る異形は最初の数倍にも膨らみ、戦場で戦っている天使達の姿が異形に覆われてしまっていた。

 

 嫌な予感が湧きあがる。

 これは本当に勝てるのか? なんで敵の攻勢は止まらないんだ?

 

「神よ……ああ、神よ……」

 

 男は胸の前で手を合わせて懸命に祈りを捧ぐ。どうか我等を救いたまえと賛美歌を唄う。

 そんな男のように、神へと縋る人間の姿は街のあちこちで見られていた。

 

 

 

 

 

 

 必死に引き留めるヨルンちゃんの制止を振り切って、天使さんに運ばれて月宮殿にやってきた私達だったが、その崩落具合に目を瞬かせた。

 

「なんだぁ、こりゃ……」

 

 辿り着いた月宮殿の庭園で平太さんが呆けた声を上げる。私も予想以上の惨状に閉口してしまった。

 

 ヨルンちゃん達が召喚したワームは城の落下を防ぐためといえ、城と土台に巻き付いて全てを吊り下げたのだ。それに巻き込まれた巨城は見るも無残に崩落していた。

 かつては壮麗だったであろう庭園は土がめくり返り、大きな噴水は土台が割れて奇妙なオブジェと化して水を垂れ流している。

 城のあちこちから燻っているような黒煙が上がっているのだから、戦時中の城であってもここまで酷い事にはならないだろう。

 

「なんだぁ、こりゃ……」

 

 平太さんが再び呆れるような声を上げた。

 城跡と、石化した巨大ワームを見比べているが……そうですよね、そっちも気になりますよね。

 

 城とワーム。どちらが巨大かといわれるとワームなんだよね。

 天を衝くような巨大さもさることながら、秘める魔力も山のように莫大。もしも敵対すれば、人間にとってそれは恐ろしい事になっただろうが、しかし今は関係ない。

 

 私はワームから目を離して探知魔法で目的の人物をさがす。しかし、やはりというか、城は対魔法のギミックを有していたようで失敗してしまった。

 

「これじゃあ、慈善が何処にいるのか分かりませんね。崩れかけてて探しにくいですし……たぶん玉座があるかと思うんですが……」

「いいや、玉座はもう無理だろう。昔、慈善と仲違いする前に二、三回、この城に招かれた事が有るが、玉座のあった場所は崩落してるみたいだぜ」

 

 平太さんが遠くを見るように、崩落している城の一画を指さした。

 

「では、安全な地下……とか?」

「あー……どうだったかなぁ。地下なんて有ったかあ……?」

 

 アゴヒゲを掻きながら城内の構造を思い出そうと平太は頭をひねる。

 

 ここは敵の本拠地だ。

 致死性の罠があちこちに有って然るべきと考えるのが妥当だろう。むやみやたらと探し回るのはリスキーすぎる。だが、悠長な時間もまた無いのが事実。

 今も足下の南都ではサナティオ様指揮の下、天使と化物が殺し合いを繰り広げているのだから。

 

 どうしたものかと悩んでいたら、私達をここまで運んでくれた護衛の天使の1人が声を上げた。

 

「……コッチダ」

 

 顔を垂れ布で覆った1人の中位天使さん――【目睹する盲目天使】――が、先導して歩き出した。

 

 彼には慈善の場所がわかったという事だろうか?

 

 平太さんと顔を見合って、警戒しながら彼(?)に付いていく。

 【目睹する盲目天使】は目が見えない代わりに、他の感覚機能に長けている天使だ。魔法が使えずとも生命反応を感知するということもあり、信用するなら彼が一番だろう。

 

 今、私達の周囲には多数の中位天使がサナティオ様から護衛役として派遣されていた。

 盲目天使を斥候として、大盾を持った守備役や、大剣を構える攻撃役もいる。総勢10人。人間相手には過剰ともいえる戦力だろう。

 

 それでも私と平太さんは警戒は怠らない。

 一番脆い人間である私達を中心に据えた円陣で、間隔を広く取って進む。

 

 通路が瓦礫で埋まった道。階段の崩落した箇所。床が崩れ落ちてしまった渡り廊下。あるいは道全体が石化したワームで塞がれている行き止まり。

 様々な場所を通って、あるいは迂回して進む。しかしその道中で問題は何一つ起こらなかった。それが私達の中に疑問を宿した。

 

「何も起きないな」

「天使さんが、敵のいないルートを選んでくれているのでしょうか?」

 

「……それは、誘導されている可能性があるんじゃねぇかねぇ?」

「……どうでしょうか」

 

 疑問が膨らんできた平太さんが先導する盲目天使に声をかけた。

 

「おーい、天使さんよぉ。敵は何処に居るんだい?」

「コッチダ」

 

 盲目天使はそっけなく答えると、振り返ることなく淡々と進む。

 平太さんと顔を見合って、天使の後ろ姿をもう一度見る。

 

 彼はやはり、私達を気にすることなく勝手気ままに歩み続けていた。

 

「……どう思う?」

「少し、不安ですね」

 

 

 彼は自信満々なのだが……ここまで敵の行動が無いとなんとなく不気味に感じてしまう。

 左右、後方を警戒してくれている天使さんにも意見を求める。

 

「――?」

「――!」

 

 彼等は互いに首をひねって考えた後、力強く頷いた。

 

 ……どうやら自信がありそうだ。

 天使は己の力を自負しているようで、探査と言えば盲目天使と信頼しているらしい。私達の不安も、彼が先導しているから大丈夫と念を押されてしまった。

 

「じゃあ、いいか。あいつに付いてくぞ」

「えぇ? 平太さん、軽いですね」

 

「そりゃ、他に選択肢も無いしなぁ。俺より感知に優れてる奴が案内してくれるんだ。専門家の言う事は聞くもんだぜ? 下手に素人が口だしても良い事なんか何もねぇ。仕事だってそうだろう?」

 

「なるほど……なんだか実感が籠ってますね?」

 

「そうか? 気のせい、気のせいってな」

 

 肩をすくめて歩き出した平太さんのおちゃらけた態度に、ちょっと気分が軽くなる。

 天使の能力は信頼しているし、罠だろうと打ち破ればいい。そんな彼の態度は頼りにもなるものだった。

 

 私の考え過ぎかと、心配しすぎないように付いて行こうとして……周囲の天使の総数が減っている事に気が付いた。

 

「ぁ……」

 

 10人いた筈の天使が、数えてみれば9人しか居ない。

 

「あ」

 

 無意識に息をのみ、心臓が締め付けられた。

 

 ここは、敵の胃袋の中。

 道中で何も起きないなどありえなかったのだ。

 

「あの! 皆さん、これで全員ですか!? っ平太さん! 止まって!」

 

 全員に聞こえるように声を張り上げて平太さんも呼び戻す。

 天使が1人少ない事を伝えると、彼も驚いて息を呑んだ。警戒を厳として周囲を睨む。

 

「……すまん。全然気づかなった」

「いえ、攻撃を受けたことは私も分かりませんでした。ただ、いつのまにか天使様が一人、居ないんです」

 

 慌てて戻ってきた平太さんと共に壁を背中にして前後を見張る。

 私達の外周を天使が守ってくれるが、彼等も想定外だったようで浮足立っていた。

 

 そんな中、淡々と歩く天使が1人。

 

 盲目天使だ。

 彼は後方で騒ぎが起こっているにもかかわらず、「コッチダ」と敵の場所を教えながら歩き続ける。

 

「コッチ……コッチダ」

「――! ――!?」

 

 それに対して、同僚の天使が慌てて止まれと命令。しかし彼は止まることなく進んでいった。

 

「なんだ? 天使同士でケンカか?」

「いえ……どちらかというと、異常事態では?」

 

 無視し続ける盲目天使に対して苛立ったのか、呼び止めていた天使が力づくで振り向かせた。

 それでも反応の無い盲目天使。同僚の天使さんは、その様子に不信感を持ったようで、恐る恐ると盲目天使の顔布に手を伸ばした。

 

 あれは盲目天使が愛用している覆面だ。己の盲目となっている眼球を見られることが嫌で、布を他者に触られる事を盲目天使は極端に嫌う。

 故に彼の顔布には仲の良い同僚であろうと触れるはずがない。

 

 しかし、今は盲目天使に止められる事なく、顔布が捲り上げられていく。

 

「――!?」

 

 そこで盲目天使の顔を見たであろう同僚天使は、恐怖の声を上げながら尻もちをついた。そして視線が通った私達にも盲目天使の全貌が露になった。

 

「っう」

「……おい。寄生、されてんのか? そりゃぁ」

 

 盲目天使の眼窩から眼球を押しのけて、咲き誇る黒い花。

 それだけでも異様なのに、「コッチダ」と発声する瞬間に口内にチラッと植物の根が見えた。

 

 おそらく、目から生えた花の根は彼の全身に張り巡らされているのだろう。そして内側から彼の舌が根っこに操られて、言葉を発していた。体を動かしているのは……それも植物の根なのだろう。

 

「死んでいる? いや、生きてるんですか……無理やり生かされている」

 

 一体いつ間に攻撃を受けたんだ。

 いや、それよりも私達はどこへ誘導されていたんだ。

 

 これは罠だ。今すぐ引き返すべき――そう提案しようとした瞬間、床下が音を立てて崩れ始めた。

 

「っ不味いな! ――いい! 行けディアナ! お前が敵を討て!」

 

 亀裂が入った時と共に平太さんに抱え上げられ、遠くに投げられた。

 

「俺は慈善の奥の手を知らんが、どうせ碌でも無いもんだ! いいか! お前は――!」

 

「――!」

「――!」

 

 がらがらと瓦礫と共に平太さん、数人の天使が床下に落ちていく。

 しかも彼等が飛んで逃げないようにとのことなのか、床下から巨大な蔦が生えてきて蓋をする。

 

「平太さん!?」

 

 拡大する崩落から逃げるように後ずさり。

 助けに行ければと思ったが、天使に「キケン! キケン!」と制止されてしまう。

 

「……残ったのは私と、天使さん2人ですか」

 

 殆どが今の奇襲で床下に潜むナニカに呑み込まれてしまった様だ。

 助けに行くべきか、それとも言葉通り慈善を探すべきか……。

 

「いえ行きましょう。ここで敵を逃がすわけにはいかない」

 

 ぎゅっと【ミトラス】を握りしめて、平太さんの落ちた穴から背を向けて歩き出す。

 こちらが苦しい時ほど、相手も追い込まれているものなのだ。敵は正面から倒す自信がないから、こんな手を使った。ここで迷っている時間は無い。

 

 私は二人の中位天使――大盾を持った天使と、大剣を提げた天使――を引き連れて、慈善を探しにここを後にした。

 

 

 

 

 

 

 一方、穴に落ちた平太は、うんざりしたような顔で犯人を見据えていた。

 

「……なんだろうなぁ、その額にあるやつ。オジサン、とっても嫌な予感がするねぇ」

 

 全方位を絡み合った蔦に囲まれた文字通り敵の体内で、平太は植物の化物と向かい合う。

 

「シュルシュルシュル……!」

「言語使えない系植物か? でも嗤ってるよな、たぶん。絶対賢いしなぁコイツ。たぶん」

 

 巨大な花の中央に多面結晶体(トラペゾヘドロン)を生やした、蔦がねじり合ったような植物。

 そいつは近くにいた一人の天使を蔦で巻き取ると、口から蔦を突き入れて内臓を掻き乱しはじめる。

 

「――!!?」

「――!!」

 

 凄惨な光景に天使が慄く。植物はそれをみて、更に笑い声をあげた。

 ヘドロの様な闇の魔力、行動自体も猟奇的。植物の悪性を感じ取って平太は嘆息する。

 

 これ、絶対、めんどくさいやつだねぇ。

 




植物系中ボス!
なんとか、週一更新は、保ちたい……_(:3 」∠)_


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

元凶との遭逢

遅れました。誠にごめんなさい。


 

「……静か、ですね」

 

 敵に誘導されて奇襲を受けた後、月宮殿の通路は不思議と静まり返っていた。

 取り逃がした私達へも追撃があると思って身構えていただけに肩透かしを食らう。

 

 ここは黒燐教団の本拠地であるのに、教団員がひしめき合っている事はなく、南都に降下させている化物の姿も殆ど見かけない。

 廃墟となった城内を異形の化物が疾走している姿ならばたまに見かけるが、それらは私達に気付いても無視して平太さんの方角へと走り去ってしまった。おそらく、平太さんの所が激戦になっているのだろう。

 

「あちらは平太さんに任せて、私達は【慈善】を探しましょう」

 

 奮闘してくれている平太に感謝しながら、慈善の捜索を継続。

 残った二人の天使を引き連れて物静かな通路を進む。

 

 城内はまるで迷路のような構造だった。

 何のためにそうなっているのか分からないが、一本道の通路ですら無駄に折り曲がっていて真っすぐ進むことはない。防衛戦用かと思ったが、それとはまた違う。

 

 城内にある部屋は寝室だったり、物置だったり、宝物庫だったり。

 中には使い古したであろう牢屋みたいな部屋もあったが、幸い住民は居なかったことにホっとする。

 

 そして幾つか部屋を回った後、私は書斎の様な場所に出た。

 

 四方は天井まで続く巨大な本棚。かつては几帳面に整理されていたであろう本たちは、城の崩壊による影響か、無残にも床に散らばって本の山を作り上げていた。

 

 読書用の机すら埋めている本の山に手を伸ばして、すぐに引っ込めた。

 何か使える情報がないか探しかったが、この量の本をひっくり返すとなると、それだけで日が暮れてしまう。

 

 ここは素通りして、別の所に向かうべきだろう。

 かと思えば天使さんの1人が山の中から掘り返した一冊の本を差し出してきた。

 

「え、なんですか? ……それ?」

 

 仄暗い肌色の革で作られた本。

 

 表面には見た事もない文字でタイトルが描かれていたから、私には内容が分からない。

 

 だけど感じる。

 本に籠められた多数の被害者の怨嗟の念が、私に恨みつらみや苦しみを訴えかけてきた。

 

「……っ」

 

 酷く気分が悪くなって頭を押さえる。

 

 本を裏返してみれば……5つの綺麗な眼球が五芒星を描いて埋め込まれていた。

 

「……はぁ」

 

 察する。

 恐らくこれは、人間の体から作られた魔導書なのだろう。

 

 黒燐教団の所業を手に持ち……思い出す。

 

 かつてヨルちゃんが求めた「人皮装丁本」とは、これを指していたのだ。彼女はこれの存在を知っていたから、追っ手を打ち破るのに役立つと思って私に要求した。

 なるほど、これ程の力が込められた魔導書ならば、良いにせよ悪いにせよ膨大な力を振るえるだろう。

 

 開いてみるべきか……それとも、すぐさま焼いて供養するべきか。

 何度か逡巡した後、私は覚悟を決める。

 

「…………開きます。っ、早速ですか」

 

 ゆっくりと表紙を開くと隙間から多数の怨念が噴き出した。

 しかし怨霊たちは本の呪縛に捕らわれて成仏することができない様子で、本の周りを逃げ惑うように飛び交った。そしてすぐに彼等は読者である私へと怒りの矛先を向ける。

 

 ―― 怨ぉおお。ぉぉ怨お!!

 

 地の底から響くような怨言だ。

 それだけ彼等は苦しんで来たのだろう。

 

「ごめんなさい、もうちょっとだけ待ってください。すぐに楽にしますから」

 

 足に、首に。「お前もこっち側に来い」「これ以上、俺に何かするんじゃない」と怨霊が手を絡めてきた。

 怒りや悲しみといった凍えるような感情が彼等の手を通して私に伝わる。

 何処から発生したのか、本を持つ私の指先に生温い液体が伝って垂れていく。真っ赤なその液体は、肉が腐ったような臭いを放っていた。

 

「大丈夫……大丈夫ですよ。怖い事はないですよ、私は貴方たちを傷つけない」

 

 私の首を絞めてきた怨霊の手を撫でて笑いかける。

 

「そんなに怖がらないで。私が貴方たちの願いを叶えるから」

 

 氷のように冷たい手で首筋を掴まれて、怖くない訳がない。できることなら私だって止めてほしい。

 だけど恐怖は伝染するモノで、拒絶されれば分かってしまう。

 彼等は決して邪悪な存在ではない。救われるべき被害者だ。

 

 その一心で私は彼等に対してゆっくりと語りかけていた。

 

 ―― ……おおぉ……ぉお…ぅ

 

 すると彼等は、私の体から徐々に離れていき本へと戻って行った。

 

 そして独りでに本がめくれ始める。

 最初はゆっくりと、徐々に速度を増して。風に吹かれるようにページが次々と進み、有る場所でぴたりと止まった。

 

「……?」

 

 怨霊たちが戻った本はもう動かない。

 

「ここに何か有るんだね?」

 

 本の一節を通じて、彼等が私に伝えたかったもの。それは何かの魔法陣だった。

 何重にも巻かれた真円と、その中心から放射状に伸びる線は複雑な幾何学模様を構築する。

 

 これだけでは何も分からない。効果も、どうやって発動するのかも分からない。

 だけど、この月宮殿を歩き回ったからこそ、分かることが有る。

 

 この魔法陣の陣形は【月宮殿】の通路と酷似していた。

 つまり彼等が指し示す魔法陣の中枢――月宮殿の中央――に【慈善】は居る。

 

「ありがとう」

 

 協力してくれた彼等の苦痛を、これ以上長引かせるのは申し訳ない。

 浄化魔法を使って彼等を送る。

 

「Cardinal【sunlight purify/旭日の潔浄】」

 

 ―― ぁ……おぉ……。おおぉお!

 

 ずっとずっと、死後も長い間捕らわれ続けていた彼等に救いの手を。

 

 白い光に導かれて彼等は天へと昇っていく。

 最期の瞬間、彼等は笑ってくれたような気がして少しだけ私の気分も軽くなる。

 

「……行きましょうか」

 

 犠牲者が教えてくれた最後の場所へ。

 

 人の尊厳や生命倫理を弄ぶ黒燐教団の悪事が、奴等を追い詰める。

 自業自得だ。そう思って、彼等が教えてくれた場所に向かおうとしたが、揺らめいた視界に思わず足を止めた。

 

「……っ、あれ?」

 

 振り返って見た天使の姿がぼやけて見える。

 なんだろうと声をかけようとしたのだが、思ったような動きができず、地面にへたり込んでしまった。

 

「――!?」

「――!!」

 

 天使達が慌てて私を抱き起こしてくれたが、顔を指さしてまたびっくりしている。

 

「なんでしょうか、これ……」

 

 彼等は魔法で鏡を作り出して私に見せてくれた。

 そこに映っていたのは、まるでひび割れた様な亀裂が数本走った私の顔。そのせいで眼球も割れる寸前となり、焦点が合わなくなったのか。

 

「ああ……どうやら呪われた魔導書を読み過ぎたようです……。でも、まだ行けます。慈善を倒してヨルちゃんを解放するまで、頑張れます」

 

 聖具ミトラスを握りしめて、その効果を発動。

 無限の魔力と闇への絶対耐性を付与する神の道具は、私の中から魔導書の邪気を祓っていく。

 

 再び目を開けて鏡を見れば……うん。たぶん元通り。

 

 しっかりと地面を踏み締められるのを確かめて満足する。まだ少し違和感があるが、とりあえずは問題無いだろう。慈善と出会うまでに感覚を慣らしておこう。

 

「あ……夜人さんも心配しないでくださいね。大丈夫ですから、ヨルちゃんには言わないようにお願いします」

 

 私の影からこっそり頭をだして、様子を窺っていた夜人に頼み込む。

 夜人は困ったような反応でオロオロしていたが、再度お願いすれば、渋々と同意する雰囲気を見せてくれた。

 

 よかった。

 ヨルちゃんは転移まで出来るのだから、あまり心配かけすぎるとサナティオ様の制止を振り切って私の元に来かねない。それだけは駄目なのだ。

 

「じゃあ行きましょうか。目標は打倒【慈善】です」

 

 ぎゅっとミトラスを握りしめて、私の体がもうちょっとだけ耐えてくれるように気合を入れる。

 

 ―― ……無理…しな……

 

「ぁ……いいえ。ごめんなさい、これは私の我儘ですから」

 

 どこからか幻聴のような朧げな声が優しく語り掛けてくれた。

 なんとなく声の正体が分かりかけてきた私は、ミトラスに向かって謝罪を送る。あと、ヨルンちゃんにも。

 

「合理的な判断じゃない。どうぞ感情に任せた愚かな考えと笑ってください。それでも、これは私がやりたい事なんです」

 

 きっと、全てをサナティオ様に任せれば解決するだろう。

 

 きっと、ヨルちゃんに夜人を動員してもらった方が楽だろう。

 

 きっと、私が無理するのは誰も喜ばないことだろう。

 

「だけど人には許せないことが有る。人の命をもてあそんで何とも思わない慈善に、一発入れてやらないと私の気が済まない」

 

 負けるつもりはない。

 ヨルちゃんは心配していたが、奴等との確執にけりを付けるのだって私一人で大丈夫だ。

 だって、おそらく慈善のもとには「サン」ちゃんがいる。なら私はヨルちゃんとサンちゃんの二人をこれ以上争わせたくはない。

 

 

「……だから、ここで悲劇の幕を降ろしましょうか。ねえ【慈善】さん」

 

「……ああ、そうだね。今日を以って夜の神の不在という間違った世界を終わらせるんだよ」

 

 

 月宮殿中心に辿り着き、ついに私は慈善と出会ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 月宮殿の中心は何も無い部屋だった。

 伽藍洞になった石畳の部屋の中央で彼は立っていた。壁に掛けられたカンテラのほのかな火が彼の姿を淡く映し出す。

 

 そして【慈善】の足元に横たわる一人の女性――サンちゃん――は意識を失っているようで、ぴくりとも動かない。

 

「コレが気になるのかい?」

 

 全身包帯姿の慈善は、楽し気にサンちゃんを指さした。

 

「凄いだろう。僕が作ったんだ。死体を幾つも組み合わせて、僕が組み立てた。これで夜の神もお喜びになるだろう」

「……そうですか」

 

「だけどジュウゴには及ばない。君もジュウゴから感じる神の波動が分かるだろう。彼女は既に器として完成しているんだよ。きっと神の力の一端に触れている。あぁ……すごいなぁ」

 

 ギラギラとした野望に濡れた瞳で慈善は浮かれるように語り出した。

 

「これは僕の、僕だけの黒き太陽(サン)だ。君はそこで見ていているといい、神の再臨する奇跡の時を」

 

 きっと誰かに話したかったのだろう。彼は不俱戴天の私を前にしても、戦闘を始めることなく全身を使ってサンちゃんとジュウゴ――ヨルちゃん――の素晴らしさを嬉々と語った。

 

「……死体を組み合わせた、ですか」

 

 だけど、そんなことよりも私は引っかかった点がある。

 どうやってヨルちゃんや、それに似た存在を生み出したのかと思えば……そんな悍ましい方法だったのか。

 

 ヨルちゃんが自分のことを「汚れてる」と表現した時が有った。触れると私も穢れるからって、抱きしめられることを嫌がったことがあった。

 彼女はこれを知っていたから、そう言ったのだ。

 

「貴方はそうやって彼女たちを……銀鉤ちゃんも生み出したんですか」

 

「……銀鉤? さて……誰だったかな」

 

「とぼけないで! 犬耳を付けた、あんな可愛い子を貴方は忘れたとでも言うんですか! 殺しておいて!」

「さぁ、知らないね?」

 

 どうやら慈善は本気で忘れているらしい。

 彼はこれまでの様な浮かれた口調を引っ込め、まるで分からないと首を傾げた。

 

「貴方という人は……!」

 

 人を人として見ないとは、こういうことだ。

 

 慈善にとってヨルちゃんたちは道具と変わらない。不要になったら破棄するし、使い終われば記憶の彼方に消してしまう。

 どこまでも人を苛立たせる天才の慈善に対して失望が強まる。最初から人非人なのは分かっていたつもりでも、実際に相対するとこれ程なのか。

 

 すると彼はようやく思い出したと手を叩いた。

 

「あぁ! 思い出したよ。僕が生んだあの『犬ころ』か。そうか、アイツ死んだのかい!? それは気分がいい、あいつは邪魔ばかりする奴だった」

 

「……」

 

 この問答は、果たして意味が有るのだろうか?

 

 ただただ私が不快になるだけの気がしてきた。

 今すぐ会話を打ち切って、慈善を打ち倒したいのだが――もうちょっとか。

 

(天使さん達は準備できたでしょうか……? それとも、まだ時間を稼ぐべきでしょうか)

 

 敵の居場所がわかっていたのだ。作戦を立てない訳が無い。

 

 私がこうやって腹立たしい慈善と会話してまで時間を稼ぐのは、中位天使の二人の奇襲を待ってのことだ。

 

 シンプルな奇襲は簡単だが、有効な一手。

 卑怯とは言わせない。慈善の性根の方が遥かにどす黒い下種なのだから。

 

「無駄だけどね?」

 

 ――が、その作戦は既に瓦解していたらしい。

 

「闇の中に浮かぶ光球は目立つもの。君たちが近づいていたのは把握していたよ。ほら、後ろを見てごらん?」

 

 罠か? それとも嘲りか。

 いや、奇襲が破られていたことは事実らしい。私は慈善の行動に注意しつつ、ゆっくりと背後を振り返る。そこには口から大量の虫を吐き出して絶命する天使二人の亡骸が転がっていた。

 

「……っ!」

「気色の悪い虫に内蔵から食い散らかされるのは、君だって嫌だろう? だったら静かに世界の終焉を見守っているといい」

 

 慈善はそう言うと私の存在を無視して、サンちゃんの体に手を当てて呪文を唱え始めた。

 

「……なんのつもりだい?」

 

 当然そんなのは許さない。

 私はごく簡単な魔法を無詠唱で構築すると慈善に向かって投げつけた。

 

 いともたやすく弾かれた魔法は、軌道を変えて壁に当たると小さな光を放って霧散してしまう。

 だけど妨害は出来た。慈善は煩わしそうに立ち上がって、再び私の方を向いた。

 

「闇って一言で言っても、色んな種類が有るんですよね。光だってそう。太陽が強すぎれば、世界は砂漠のような生命を拒む大地と化してしまう。では貴方の闇はどうでしょう」

 

 これまで私が出会った闇はいくつもの種類があった。

 

 ヨルンちゃんのような静かで穏やかな、世界を照らす月夜。

 【純潔】の気持ち悪さを孕みつつも、他者を愛して見守る夜。

 【勤勉】のように、暴力的で夜嵐吹き荒れるものだってあった。

 

 けれども、慈善のそれは他のどれともそぐわない。

 

「貴方の居る場所は、排他的で嫌悪に塗れた闇の底。決して許されない魂を今ここで断ち切らせて貰います」

 

「……残念だよ。誰も僕の理念に共感してくれないんだ」

 

 私が近づけば、慈善も一歩を踏み出した。

 そして最後の戦いが始まった。

 




一方その頃~

平太「感度3000倍。分かるか? お前は今、1秒を50分に感じている」

植物中ボス「――」

平太「五感の情報は濁流となって押し寄せ、脳の処理を超えて何も感じることができなくなる。お前は指先一つ動かせない真っ暗闇の中にいるんだろう?」

平太「そんな中で、体を動かすには50分間、動かない体に絶えず指令を与え続けなければいけない。それでやっとお前は一秒だけ動くことが許される」

植物中ボス「――」

平太「……改めて考えてもヤベェ劇物だな、感度3000倍薬。なんでハルトはこんなもん欲しがったんだ?」
植物中ボス「――」


 なんて事になっていたり。

 でも平太さんの活躍は全カット!(/・ω・)/
 そして、ハルトはこんな毒物欲しがるヤバい奴!(/・ω・)/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ラストバトル

最終回クライマックス付近で更新遅延するクソ作者がいるらしい。

はい! 三次たま様より支援絵頂きました!

【挿絵表示】
マーシャです!
これが無ければ、もう数日は投稿遅かった……ありがとうー!


 悪鬼の城で巻き起こる、たった二人の最終決戦。光と闇の激突は格闘戦から始まった。

 

 ディアナと慈善。双方が威圧するように近づいていく。一歩ずつ、確実に。しかし射程圏内に踏み入った瞬間、2人は弾かれたように飛び出した。一呼吸の合間に影が交差して入れ替わる。

 

(これは……っ!)

 

 打ち合った拳から伝わる感覚。慈善と一合やりあったディアナは瞬時に理解した。

 

 負けている。

 慈善の力にも、速度にも、ディアナは一切合切負けている。

 

 彼女の肉体は決して強いものじゃない。

 女性特有の柔軟性は持ちうるが、筋力は弱く、生粋の戦士――レイトの様な男性――と比べると力負けしてしまう。

 

 強化魔法を使っても基礎の差は大きな壁となって立ちはだかる。慈善と正面から殴り合えば必ず打ち負かされる。それが、この一合で彼女には理解できた。

 慈善も同様に読み切ったようで、余裕を浮かべた笑みでディアナを見下した。

 

「まずは僕が一勝。さあ次はどうする、このまま殴り合うかな? それとも魔法使いらしく、魔法戦で打ち合うかい?」

「そうですね……!」

 

 腕がしびれて指が震える。避け切れなかった拳で斬った頬から垂れる血が床にしみを作っていた。

 しかしディアナは地面を蹴ると、再び慈善の懐へと飛び込んだ。

 

「っ! 君、魔法使いじゃなかったのかい!?」

「そりゃもう神官ですからね!」

 

 慈善は驚愕の声色をあげて一瞬の硬直。予想外の行動が彼の判断を鈍らせた。

 

 ディアナだって理解できている。

 

 男と女。

 肉体という絶対的な格差が生まれる格闘戦は愚かな選択だ。早々に「闇」に対して有効な聖魔法を用いた魔法戦に切り替えるのが最善だ。

 

 だけど、だけれども――!

 

(こいつには一発入れなきゃ、私の気が済まないッ!)

 

 ディアナが幼少期から「お義母様(ヘレシィ)」に叩き込まれた格闘技術は護身用だった。

 『魔法使いには、魔法使いの戦い方が有ります』。そう言ってヘレシィが教えてくれたのは、相手の力を利用する武術の極意。弱者が驕る強者をねじ伏せる力。

 

「おぉおおお!!」

 

 ディアナは己を鼓舞するように咆哮を上げた。

 

 慈善相手に一歩だって引くつもりはない。勝てる勝てないじゃない、コイツだけには負けたくない!

 ヨルンを生み出した犯人は、悲しみを重ねる罪の権化だ。いくつもの悲劇を作り、生命を冒涜した邪悪を赦せない!

 

「ふぅん、いいだろう! じゃあ男女平等、僕は君を殴り飛――!?」

 

 ディアナの予想外の行動で、慈善は思わず身を引いて及び腰になる。ディアナはその体を強く押し込んだ。すると相手は前方に踏ん張るので、一気に反転。

 足払いと合わせることで相手の体が浮き上がる。自分の力で前に倒れ込む。

 

 慈善が言ったように、魔法使い(ディアナ)が格闘戦をする機会は殆どない。

 しかしそれは「出来ない」と同義ではない。むしろ――

 

「魔法使いだからこそ接近戦が重要なんだ!」

 

 辛く厳しい教育はこの日の為にあったのだ。

 『敵を投げるなら頭から地面に叩き付けなさい。石畳の上なら効果倍増。首の骨を砕きなさい』

 

 お義母様の言葉に倣って慈善の体を真っ逆さまに振り下ろす。

 

 タイミングは完璧。角度も良好。

 

 だけど、まさか直撃はしないだろう。

 彼はあの【純潔】や【勤勉】の上司。きっと容易く対処して、二度目の攻防に移り行く。そのために投げ技から繋げる先を幾つも考慮する――ディアナはそう思っていた。

 

「あ、ぐゅ!?」

 

 ところが、予想に反して慈善は無防備に石畳へと叩き付けられた。

 

「……え?」

 

 数十キロの質量を持った肉体が真っ逆さまに落下した。受け身や姿勢制御などできずに首から落ちた。

 それは細く脆い頸部に全ての衝撃が集約してしまうということだ。小さな悲鳴と共に、慈善の首が不自然な方向へねじ曲がる。口元の包帯が赤く染まっていく。

 

「……」

 

 動かない。

 

 死んだ。

 

 あっけない。

 

「っ! そんな訳ないですよね!」

 

 いくつもの感情が浮かんでは消えていく。

 しかし油断は無い。ディアナは背後で発生した気配を察して、その場を飛びのいた。

 

 今まで自分が居た場所を見れば、「もう一人」の慈善が抜き手を放つところだった。そこは丁度ディアナの心臓が有った場所。気を抜けばやられていたと嫌な汗がディアナの背中に浮かぶ。

 

「おっと、避けられたか。さすがに【純潔】のようにはいかないね」

「偽物? 影武者? いやアレは……」

 

 地面に倒れ込む慈善と、新たに出現したもう一人の慈善。2人を見比べてディアナは訝しむ。

 

 影武者を殺させて、油断した所を奇襲するつもりかと思ったが違う。そうじゃない。

 二人の【慈善】の気配は一致していた。同一人物と考えるのが正しいだろう。

 

「……もしかして、双子でしたか?」

「そんな訳ないだろう」

 

 冗談を挟みつつ、不審なものを見るようにディアナは睨みつけた。

 

 自分の遺体を事もなげに見つめる慈善が不気味だった。

 敵の種が分からないのが不気味だった。

 

 だがなによりも、一人の慈善を殺した瞬間から変わり始めた空気が身を焦がした。

 

 慈善が本気になった?

 それもあるだろう。

 

 だが、まるで世界が変わったようだ。

 今までいた場所が明るい光の世界なら、ここは黒く淀んだ地の底か。

 

 まるで目の届かない範囲から不気味な手が伸びてきて、四肢が絡めとられるような悪寒。この部屋が慈善の胃袋の中であるような気配に急に自分の背後が怖くなって振り返る。

 カンテラの光によって細く、長く伸びるディアナの影で何かが蠢いた気がした。しかしそれはディアナに感づかれた事を知ると消えていく。

 

「……嫌な感じですね」

 

 ディアナはもう背後を取られないように警戒を全方位に向けて、ゆっくりと距離を取った。

 

「柔道って奴かな。いや正確には柔術かな? そこを間違うと怒られちゃいそうだ。……なつかしいね、昔は毎日のように味わっていたよ」

「『光よ 悪を祓う飛輪 蒼天に御座――っ!」

 

 敵の話を聞くつもりはない。会話する余裕があるなら、詠唱してやろう。

 

「――ぅぐっ」

 

 そう思って呪文を唱え始めたディアナだったが、口内で生じた異物感で中断させられた。

 自分の口で突然発生した燃えるような痛み。次いで広がる鉄の味。ディアナは慌てて己の口から異物を吐き出した。

 

「うぇう、なにがっ……釘!?」

 

 ディアナの口からは指の先程の小さな釘が何本も出てきた。

 どうやら詠唱中に釘で口内を傷つけたことが痛みの原因だったようだが、なんで釘があるのか。いつ入ったのか。

 

 ディアナは手に持った血だらけの釘を投げ捨てる。うすら寒い恐怖を感じて慈善に目を戻すと彼は笑っていた。

 

「いいね、その顔が見たかった。自分の口という絶対的な領域を侵された、未知の攻撃に焦っているね。原因が分からないから対策しようがないだろう。入ったのが釘でよかったね? でも、次は何が出てくるかな?」

 

「……」

 

 慈善は使い込んでボロボロになったスーツのポケットから、ディアナが持つ釘と同じものを取り出した。

 

 しかし釘はすぐに捨てる。

 代わりとばかりに、慈善は死んだ天使の口から吐き出され続けている虫を数匹摘まみ上げた。

 

「どうして天使の体内に虫がいたのか不思議じゃないかい? どうやって入ったのか。犯人は誰なのか知りたいだろう?」

 

 名前も分からない黒い虫。

 甲殻を持っているのか黒光りして輝いて見える。その足は返し刃のようにギザギザの棘だらけで痛そうだ。慈善はそれをディアナに見せつけた。

 

「君も天使が可哀想と思ったんだろう? ならば痛みを分かち合うと良い。二度と味わえない貴重な体験だ」

「――ミトラス!」

 

 敵の攻撃を一つでも喰らえば命取り。防がねば終わりという背水の陣で頼れるのはたった一つ。絶対的な神の力、ミトラスを全開で起動する。

 聖具から放たれる浄化の光が部屋中を満たしていく。その中でも特に強固な結界を張ってディアナは防御に回った。

 

「はぁっ! はぁっ!」

 

 空気を求めて肺が何度も大きく広がる。痛いほど荒い呼吸。

 聖具を連続起動した疲労の所為か。戦いの緊張か。それとも、人の体内に気色悪い虫を入れようとする慈善に対する恐怖の所為なのか。ディアナの緊張は今にも断ち切れそうなほど張り詰めた。

 

「……またそれか。危なくなれば『助けて神様』って、情けないと思わない? 守って引き籠って、君は僕に勝つ気があるのかい?」

 

 一息付いて状況を持ち直そうというディアナに対して、慈善は失望したと肩を落とした。挑発だ。

 

「上っ面の正義感が心地よかったんだ。民のため、秩序の為にって、見せ掛けの正義を振りかざして城に乗り込んできたものの、君1人じゃどうしようもなかったんだ」

 

 つまらない挑発。分かってる。

 

「お前じゃ僕に何も出来やしない。ジュウゴもサンも守れない。多くの取り巻きを引き連れて、弱者を嬲りものにするしかできない奴に相応しい醜態だ。ああ、これで僕の気分も晴れるや。爽快だ」

 

 だけど……とても不愉快だった。

 

「ふぅん。こんなに言われても引き籠っているんだね? もう、いいよ。それならそこで見てると良い。僕が世界を変えるその時を――っ!」

 

 だが突如【慈善】の挑発が途切れた。

 彼は口元を抑えると、恨めしそうな目を向けて、ゆっくりと口から小さな釘を取り出した。

 

「……やってくれたね。ディアナ」

「ああ、すみません。その無駄に動く口が、がら空きだったので入れてみました。なんだ簡単ですね」

 

 ディアナは鼻で笑って見下し返す。

 慈善がしたように、相手の口に異物を放り込むという悪趣味な小技でやり返す。

 

「へえ? 種を明かしたってこと?」

「どうでしょうね? 気になるなら、次はそれを貴方のお腹に入れてあげましょうか?」

 

 無論、嘘だ。

 ディアナは敵の魔法を解いていないし、釘の応酬も慣れない転移魔法を使って模倣したに過ぎない。低位の転移術で敵の体内に異物を送ることなんて不可能だ。

 

(でもせめて、これで騙されてくれれば……!)

 

 結果は同じでも過程が異なれば防御方法はまるで変わってくる。

 魔法のからくりを解けていないディアナは、こうやって虚勢を張るしかない。そうすれば敵が諦めて別の手段で攻撃してくれるかもしれないから。

 

「無理だね」

 

 けれど、それは慈善には通じない。

 

「ムリムリ。不可能だ。深淵を禁忌として忌み嫌う人間にこの理論は通じない。理解できやしない」

「……!」

 

「自信が有るならやってみるといい。どうした、来なよ。僕はここだ。しっかり狙え」

 

 慈善は大きく腕を広げて待ち構えた。

 無防備に。あからさまに。トントンと自分の胸を指さした。

 

「君は僕を1人殺したろう。二度目を見せてくれないか。三度目だって期待してるんだ。望むなら100回やっても構わない。君が倒れるか、僕が諦めるか。結果は二つに一つ! さあ、さあ……さあっ!」

 

 ディアナは決断を迫られる。

 

 このまま守勢に徹するか、それとも打って出るか。

 分の悪い賭け。先の見えない勝負に嫌な汗が頬を流れ落ちていく。

 

 

 

 

 

 

 聖女さんと平太が城に突撃して数十分。

 なんか、城から化物が降ってこなくなった。ようやく敵切れか?

 

「えぇい! 民家の防衛班が薄いぞ! なにをやってる、貴様はそれでも神の軍勢か!」

 

 しかし街中の戦闘はまだまだ激戦だ。溢れかえった化物相手に対して天使達を筆頭に、聖教会の聖職者、騎士、それに街の駐留軍が戦闘を繰り広げている。

 その指揮を取るサナティオは興奮しているらしく、叱咤を飛ばしまくっていた。

 

(ぬぬぬ……腕が取れない。せめて俺は放っておいてくれよ!)

 

 しかし「(ヨルン)を守ってほしい」という聖女さんのお願いは忘れていないようで、ぎゅっと手を握ったまま離してくれず。

 ぐいぐい引っ張っても「ええいお前は落ち着け! ディアナは大丈夫だ!」と宥められる始末。

 

(ほんとかぁ!? 俺は嫌な予感しかしないんだけどぉ!?)

 

 だって空に浮かぶ――もう巨大ワームで縫い留められているけど――巨城は、見るからにラスボスの城だもの。

 

 敵もこれまでのモノとは毛色が違う。というより、ガチ戦闘って初めてかもしれない。 

 今までやった戦闘っていえば数えるほどだ。【純潔】は勘違いで襲ってきたお茶目さんだし、名も知らないマッチョのおっさんは夜人に雇われた演者だった。

 

 一応、村で教団に襲われて戦った事はあるみたいだけど、それはレイト隊長とか兵士さん、味方が一杯いた。防衛戦という事もあったし、今みたいに敵地に乗り込む危険性は無かったはずだ。

 

 それが今度の相手は、非戦闘員の多い南都に怪物を降下させて無差別に殺そうとするヤバい奴。

 

 ああ、そうじゃん!

 聖女さんの身が危険じゃん! なんとかしなくては!

 

「はなして、離して……!」

「だからディアナは心配ないと言っているだろう! 私の人を見る眼を信じるんだ! ディアナは強い!」

 

 聖女さんが強いのは知ってるの! でも、お前の目は節穴だと思うの!?

 戦闘指揮だって結構ミスってただろ。すぐ隣で聞いてたんだからな!

 

 だけど、普通に頼んで無理なのは分かったから言い方を変えてみる。

 

「違う。トイレ、もう限界、だから……!」

「……」

 

 サナティオがなんとも言えない顔をした。

 

「が、我慢できないのか?」

「できない」

 

「どうしてもか?」

「どうしても」

 

「そうか……」

 

 そしてゆっくり解かれるサナティオの拘束。

 

「トイレはあっち、だ。早く戻って来いよ」

「ん……!」

 

 やっぱりお前の目は節穴だ!

 

 

 

 

 

 

「聖女さん!」

 

 慈善と睨み合っていた静かな空間に聞きなれた声が反響する。

 見れば心配げな顔で駆けてくるヨルンの姿。ディアナはさぁっと顔面の血が引いた。

 

「なっ!? なんでここにヨルちゃんが!?」

 

 対照的に慈善から歓喜の声があがる。それもそうだろう、彼の追い求めていた器が自ら帰ってきたのだから。

 

「あぁ! これが神の采配か!! まさか君の方から来てくれるなんて!」

「ん……うっ!?」

 

 ヨルンは初めて気づいたとばかりに慈善の方を向いて、驚き、固まった。

 

「ぇ、なんで、包帯……そんな、全身……?」

 

 自分を作り上げた者との再会で恐怖に慄いたのであろう。

 ヨルンはいつも無表情な顔を酷くゆがめて、直視できず顔を伏せた。まるで怯えるように後退したが、慈善が追従していく。

 

「闇夜に輝いて見える君が美しい。吐く息すら神々しい。ああ……僕はずっと君に会いたかった。この瞬間を恋焦がれていたんだ」

「あ、の……こないで。お願い」

 

「何故だい。僕と君で直ぐに世界を取り戻せるんだ。なのに、何故? どうしてそんなに怯えるんだ」

「その……昔を、思い出す……から。やだ」

 

 目まぐるしく表情を変えるヨルンは、壁に阻まれて後退出来なくなった。それを慈善が追い詰める。

 そんな最悪の光景を前にしてディアナから冷静さが消し飛んだ。

 

「その子から離れなさい! 慈善ッ!!」

 

 敵の魔法が分からないなんて怯えている余裕は無い。これ以上、悩んでいる暇は無い。

 大切なヨルンに魔の手が伸びぬよう、ディアナは結界の外へと飛び出した。

 

「来たか!」

 

 慈善が待っていたぞと言うようにこちらを向く。もしかしたら誘われたのかもしれない。

 でも行くしかない。罠と知っていてもディアナに選択肢は存在しない。

 

 慈善が右手に持っていた虫を握り込んでディアナの視界から隠すと、闇の魔力が蠢いた。

 

 一歩。体内に異物感が有ればすぐに対処できるように感知を高める。

 一歩。内蔵を喰い破られる覚悟を決める。

 

 もう一歩。

 

 ――しかし、何も起こらない。

 

 そしてディアナは慈善の元へと辿り着いた。

 ヨルンに対して厭らしい眼を向けた怒りを籠めて力一杯、右ストレートを慈善に打ち込んだ。

 

「ぶばぶっ!」

 

 強化魔法を掛けられたディアナの殴打によって、無防備な慈善の体は暴風に吹きすさぶ枯れ枝の如く吹き飛んだ。何度も何度も地面を跳ねて遠ざかっていく。

 

 しかしディアナはそんなことはどうでもいいと、ヨルンを抱え込んだ

 

「どうして来たのヨルちゃん!?」

「っ……だって、だって、聖女さん」

 

「危険だって言ったでしょう!」

 

「わ、私も、まさか……あんなのが居るとは……ごめん」

「もう!!」

 

 ディアナの心には怒りが半分、そして安堵と自分を心配してくれた事への嬉しさが占めた。

 しかし今は二人で和気藹々としている余裕はない。ヨルンへの注意もそこそこに、慈善の方へと注意を戻す。すると慈善は消えていた。

 

「居ない!?」

 

 倒れて動かないサンは居る。しかし、一人目の慈善も、二人目の慈善も見当たらない。

 まるで最初から存在しなかったかのように全ての痕跡が消えていた。

 

「どこ……? どこに行った!?」

 

 慈善の気配を探る。

 どんな奇襲が来てもヨルンだけは守るんだと、ぎゅっと抱きしめて集中する。

 

 少なくともこの部屋には居ない。しかし油断はできない。奇襲だけは絶対にさせないと探知魔法を維持し続ける。

 

 慈善は逃げるような奴じゃない。

 ここにはサンが居る。ヨルンも居る。

 

 奴が野望を叶えるには、ここに戻ってくるしかないのだ。故に奴は必ずここに来る。そして、来た。

 

「君本当に魔法使い? なんで僕を二回も殴り殺すのさ、止めてよね」

 

「……貴方、普通に入り口から入ってくるんですね」

 

 ようやく戻ってきた【慈善】は、なぜか奇襲をしてこなかった。

 

 むしろ戦意を無くしており、ぼやきながら歩いてくる。

 それは余裕だからか。それともこれ以上戦えない理由ができたのか。

 

「いやぁ、だってさぁ。その数の暗翳(あんえい)は卑怯だよね……。さて、ここから僕に勝ち目はあるのかな」

「……ヨルちゃん」

 

 敵は慈善1人に対して、こちらはディアナとヨルン。

 そしてヨルンが援護に来たことによって、部屋を埋め尽くす様な夜人の群れが現れた。

 

 どうやらヨルンがいつの間にか夜人を全力で召喚したようだ。

 数十人単位で群れを成した夜人は怒りを滲ませて慈善を包囲する。

 

 夜人とはヨルンの親衛だ。片割れとも言える。ヨルンの気持ちを代弁し、表現する大切な友人。つまり慈善に対する夜人の対応こそヨルンの心。

 

「私は貴方が苦手。人の闇から生まれる妄想の病はもう嫌。だから……お願いだから、もう私に近寄らないで」

 

 ヨルンが辛そうな目で慈善を見つめる。

 慈善を良く知るであろうヨルンが漏らした、そんな言葉。キーワード。

 

「闇から生まれ……妄想の病?」

 

 ヨルンが現れてから傾き始めた戦況の天秤はディアナに味方した。

 形勢の余裕は、心の余裕となって、ヨルンから与えられたピースを組み立てていく。そしておぼろげながら敵の正体を掴みかけてきた。

 

「……ヨルンちゃんが勝利の鍵を運んできてくれたのかな」

「ん?」

 

 ディアナは抱えていたヨルンを優しく降ろすと、慈善に向かって歩き出す。

 助けられて最後までお膳立てされては保護者を名乗れない。コイツは私が倒さなきゃいけない。そんな矜持と使命感でディアナは最後の一手に手をかける。

 

「貴方と戦い始めてから、ずっと視界に入らない場所が怖かった。目を逸らした瞬間そこから世界が腐り落ちるような悪寒を感じて震えた。それは私が恐怖に駆られたからだと思ったけど、でもそんなのじゃ無かった」

 

 『二人目』の慈善が出てきたのはディアナの知り得ぬ背後だった。

 釘を出されたのは、ディアナが意識しない口腔内だった。

 

「闇とは未知だ。人が暗闇を恐れるのは、その先に何が有るか分からないからなんだ。けれど、分かってしまえば何てことは無い。あんなにも怖かった夜道は、照らせばただの道路と変わらなかった」

 

 ヨルンを助けようと飛び出したとき、慈善は何も出来なかった。

 二度目の慈善を倒した後に、三人目の慈善は何も出来なかった。

 

 夜人で溢れかえった今、部屋中を誰かの視線が飛び交って背後の恐怖は消え去った。

 

 その差。その違い。

 全ては意識されているか、いないかの違いだった。

 

 つまり慈善の魔法とは「人の認識しない未知を操作する」こと。死んだ自分すら「未知」から再構築して、新たに生み出した。

 

「ねえ、貴方はまだ『人間』ですか?」

 

 ならば、死んで、闇から再誕した慈善は『慈善』と呼べるのか?

 それは自分と言う名の他人ではないのか。そんなの化物と変わりない。ディアナが問い詰める。

 

「く、くく……」

 

 慈善は大きく笑い声をあげた。

 

 

 

「あははは! 凄いね、こんな短時間で僕の種がバレるとは思わなかったよ、うん80点。もうちょっとで満点だ」

 

 慈善は愉快そうに笑う。気分が高揚したのか、煩わしくなったようすで顔面の包帯を脱ぎ去って素顔を露にする。

 剥き出しになった筋線維と歯列が不気味に笑う。

 

「うっ……!?」

 

 ヨルンがディアナに抱き着いた。

 

「闇とは混沌だ。全ての可能性を秘めた、始まりの元素が混沌だ。人が観測することでそれは初めて決定される」

 

 暗闇を見てお化けを想像する人間がいるように、闇は人の想像を駆り立てる。それを自由に操るのが慈善の秘術だった。

 

 もしかしたら、見えないところに釘が有るかもしれない。

 もしかしたら、見えないところに慈善がいるかもしれない。

 

 そんな可能性を具現化して顕現させるのが慈善が編み出した闇の技法。

 

 弱点は多い。意識すればいいというだけの対策は簡単だ。

 仕掛けがバレてしまえば、もう勝てないだろう。

 

 だけど決して負けることはない。

 

「やっぱりジュウゴを確保されたのが痛かった。……次に期待しよう。僕は何十年も待ったんだ。今逃げるのは恥じゃない」

 

 慈善は自分の不利を悟った。

 ジュウゴとの敵対は無数の目と敵対するようなもので相性が悪すぎる。天使と違って暗翳――夜人のこと――は闇に精通しており、慈善の秘術に対処してくるというのも厄介だ。

 

 それに加えて、誰かが起こした南都の戦闘は収束に向かっている。ディアナにも仕掛けがバレた。ここで粘ればサナティオがやってくる。

 

 勝ち目は消えた。だけど負けることはない。

 

 慈善にとって死とは次の『慈善』へのバトンのようなもの。自分はここで終わっても使命を継いだ他の『慈善』が頑張ってくれるのだから、何も恐れることはない。

 

 夜襲、奇襲、不意打ちと。手段は豊富に残ってる。正攻法で負けたなら、次はそうすればいい。

 失敗は悔しいが、次は勝つ。慈善は怨みと蔑みを込めてディアナを睨みつけた。

 

「貴方は死なないんですね」

 

「うん? ああ、そうだよ。僕は不死なんだ。殺されても、すぐ誰にも観測されていない闇から再誕する。自分で自分をそういう風に作り上げた」

 

「でも、生まれ変わった者は本当に自分と言えるのですか?」

 

「……さあ? 別人かもね。僕は僕のことを【慈善】と思ってるだけの狂人かもしれない。本当の僕は遥か昔に死んだんだろう。だけど、それがどうしたんだい?」

 

 夜の神を復活させることが自分の使命。

 そこに己が誰かなんて疑問は関係ない。使命を果たす者が居たなら自分でなくとも構わない。

 

 崇める神は違えども、ディアナがそれすら分からぬ信徒だったとは。やはり太陽神の信徒は不甲斐ない。

 慈善はディアナの問いに対して鼻で笑った。

 

 

 

「そうですか……」

 

 狂ってる。そうとしか言えない慈善の価値観にディアナは悲しみを抱いた。

 

 なんと救われない魂か。

 神への階段に一歩踏み込んだ不死の怪物。それが慈善だった。もう罪の咎は永遠に終われない。

 

「ならば、私がここで断ち切ります」

 

 いま逃がせば次は無い。

 きっと慈善は二度と表に出てこないだろう。どう足掻いても殺しきれない慈善は、ずっと闇の中で蠢いているはずだ。人類の希望が崩れ去るその日を待ち望み。

 

 そんな未来は許さない。

 

 ディアナは首からミトラスを外すと両手で包み込んだ。

 

解放(リリース)――長夜を明かせ朝日影」

 

「な!? ディアナ、それはっ……ぎ、あぁあああ!!」

 

 ミトラスを包み込んだ指の隙間から光が溢れ、夜人を消し飛ばしながら部屋中を包み込む。慈善も破邪の光にやられて地べたを這いまわった。

 

 慈善の母胎たる闇を世界中から祓う。

 それは、神代の太陽神でも困難だった御業だ。

 

 天使じゃダメだ。サナティオでも不可能だ。

 

 それでも誰かがやらなきゃ、救われない。

 

 ここからが正念場だ。

 命を捨ててでもやり遂げる。

 

 そう覚悟したディアナだったが、気が付けば周囲は何も無い真っ白な世界になっていた。

 

 

 ―― 無理しないでって、私言いました

 

「あれ?」

 

 二人きりの世界で悲し気な声が聞こえた。

 

「あ……エリシア様」

 

 ディアナの前に現れた小さな光の玉。

 その正体はディアナの崇拝する聖教の主神にして、かつて世界を統べた太陽神エリシアだ。

 

 何度も繰り返しミトラスを使う事で親和性があがっていたのか。

 ラクシュミの闇を祓った辺りから聞こえ始めていた声が、ついに姿を現した。

 

 聖具とは太陽神の力が籠められた神具で、力とは存在そのものだ。このエリシアが太陽神エリシアその者かは疑問だが、その一部であることには変わりない。

 

 ―― たしかにミトラスを全開で起動すれば、世界の闇を祓えるかもしれないです。でも、それじゃ貴方の体が耐えきれない!

 

 光の玉が激しく明滅して「止めて」と訴える。

 しかし、ディアナは首を振る。

 

「慈善は逃がせません。今追いやっても奴は諦めない。次が来る。ヨルちゃんを解放するには完全に、完膚なきまでに、奴を滅ぼさなきゃいけないんです」

 

 ―― だ、大丈夫です! ヨルンなら大丈夫! だって彼女はあの子の器だし。でも私は、それよりも貴方の――

 

「それに! 慈善がいれば、ヨルちゃん以外にも被害者は出続ける……。明日、誰かの家族が殺されるかもしれない。そんな悲しみが連鎖する。だから、ほら、止めるしかないでしょう?」

 

 敬愛する主神に対して、意見を述べるのはちょっと不敬かなぁなんて思ったり。

 

 でもこれは譲れない一線だ。

 ディアナは確固たる意志でもってエリシアの光を見つめ続けた。

 

 ―― でも、だけど……!

 

 光が飛び交ってディアナの翻意を促すが、それはあり得ない。ディアナがディアナである以上、ここで引き下がることはない。

 その内根負けしたようで光の玉はしょんぼりと項垂れた。

 

 ―― じゃあ、覚悟してくださいね。

 

「はい。この城に乗り込んだ時から、できてます」

 

 ―― いいえ。死ぬ覚悟なんかいりません。私が手伝うから、貴方は死なせない。だからそうじゃなくって……生きる覚悟を。

 

「生きる、覚悟?」

 

 なんだそれは。

 ディアナはオウム返しで聞き返すが答えは無い。

 

 白い世界は再び色を取り戻し、ディアナは城の中へと戻ってきていた。

 

 

 

 その瞬間、ディアナの脳内に情報の暴力が襲い掛かった。

 

「……っ! これ、きつい!」

 

 世界を照らす太陽の光がミトラスの光と重なって、術者たるディアナに世界の全てを解き明かす情報を押し付ける。

 

 はるか遠くの国でのんびりと食事を楽しむ老夫婦の映像。森の奥で獲物を追う肉食獣の光景。戦争に明け暮れる見知らぬ国家。幾つもの大陸を超えた先にある海底の遺跡。

 

 生まれ落ちる命、散っていく命。それは太陽の光の下で行われる生命の営み。

 眼は天を走るというように、太陽の光が世界の全てを見通していく。慈善の操る未知を悉く消していく。

 

 だが、それはありとあらゆる出来事がディアナの頭に流し込まれるということ。

 

「あぁあああ!!」

 

 頭が壊れるようだ。

 だけど足りない。これはまだ、太陽が見守る世界の半分に過ぎない。

 

 これから、さらに世界の裏側へ。

 夜の世界を照らして、闇を祓わなきゃならない。世界の全てから未知を無くす。そうしなきゃ慈善は倒せない。

 

 だけど、いけるのか?

 今にも意識を失って楽になりたい。そんな苦痛の中で、倍以上の負荷を、これから?

 

「ああぁあっ、ああ!!」

 

 恥も外聞もなく、悲鳴が漏れる。

 そうしなければ意識が保てない。

 

 夜人が消滅して伽藍洞になった部屋を意識する余裕は無い。ミトラスの光で息絶えそうになってる慈善に構う余裕もない。

 

 ミトラスを握る手が焼けるように痛い。

 こんな聖具、放り投げて逃げだしたい。泣きだしたい。

 

「聖女さん」

「ヨル、ちゃん……?」

 

 そんなディアナの震える手を、ヨルンの小さな手が優しく包み込んだ。

 

「よく分からないけど、夜なら私も手伝えるから……ぁ、うーん? おー?」

 

 ぺたぺたとあまり理解していないようにヨルンが触る。

 だけど意味はない。ぷにぷにとしたヨルンの手の感触だけが伝わった。

 

「ふふ……っ、ありがとう。気持ち、だけで……大、丈夫」

 

 いや、ちょっと気が紛れたか。

 その間に星の裏側まで知覚範囲を広げて、頑張ろう……そう思っていたら、もう1人。大きな手がディアナとヨルンの手を包み込んだ。

 

「ジュウゴ、違う。これはこうやる」

「サンちゃん?」

 

「うぇ!? あぇう!?」

 

 ヨルンが驚きの声を上げた。

 それも仕方ない。だって手を添えてくれたのは、ずっと敵対していたもう一人の被験者。三番こと「サン」だったのだから。

 

 いつの間にか起き上がっていた彼女は、穏やかな表情でディアナに微笑むと言った。

 

「手伝う。こんな事しかできないけど、私は貴方の苦しむ顔を見たくない」

「……サンちゃん」

 

「っあえ!!? えぇ!?」

 

 ヨルンは及び腰でサンから逃れようとしているが、仕方ない。

 今までずっと敵対行動しか取ってこなかった彼女が味方してくれることが信じられないのだろう。

 

 慈善も嘘だと言うように声を荒らげた。

 

「止めろ!! 止めるんだ! サン! なぜ僕を裏切る!? 僕は君を生み出した親だ! お前は親を裏切るのか!?」

 

「貴方は貴方なりに私を愛してくれた。それが気持ち悪かったけど、ちょっとだけ、嫌じゃ無かった。だけどディアナを苦しめるなら、もう付き合えない」

 

「ソイツを選ぶのか!? 何故だ! なんで!」

 

「ディアナは私を変えてくれた。救ってくれた。だから……バイバイ」

 

 ディアナが昼を視て、ジュウゴとサンが夜を視る。

 世界の半分ずつを太陽と月の光が照らし出す。邪悪が潜む場所を許さぬと、全てを清め澄まして冴え渡る。

 

「もうちょっとでッ、もうちょっとでぇええ!!」

 

 多くの命を穢した悪鬼は怨みの声を残して消えていく。

 闇に染まった肉体が浄化され、中身を失ったスーツと包帯だけが空しく落ちた。

 

「……」

 

 静かになった空間だが、警戒はまだ解かない。もしかしたらと思ってしまうのだ。

 しかし数分経ち、何も起こらないことがわかるとディアナはへたり込んだ。脱力しきった手からミトラスが零れ落ちそうになって、慌てて抱え込んだ。

 

「……終わったね」

 

 疲労感と達成感があふれ出る。

 これで不幸の連鎖は断ち切られる。ここからは幸せな生活がはじまる。

 

「全部終わったよ、ヨルちゃん。サンちゃん……っ!?」

 

 そう思っていた。

 なのに、みれば「サン」の体が指先から崩壊していくところだった。

 

 深海のように青く冷たい粒子に分解され、空へと昇っていくサンの体を見てディアナは絶叫した。

 

「どうしたの!? なんで!? 慈善は倒したはずなのに!」

 

「……耐えられなかった。この体に『神の力』が宿ったから、不完全な体が耐えられなかった。これは、その結果」

 

「っ! それって!」

 

 間に合わなかった?

 この部屋に来た時、慈善はサンの体に何かしているようだった。あれは神降ろしの儀式だった?

 

 あるいは、さっき無理して手伝ってくれたから?

 

 後悔が押し寄せる。

 あと数分早ければ、サンを救えたはずだった。もうちょっと頑張ればサンを自由にできたはずだった。

 

「いいや。神の力を使わなければ、ディアナが危なかった。後悔はない」

「でも! それでも!」

「問題ない。全部、元の通りに戻るだけ。体は消えても私の心はジュウゴと一緒にいるから。だから貴方にジュウゴを頼みたい。これからは、『私』を一杯甘やかして?」

「――っ!」

 

 何てことは無いように言ってのけるサンを見ていられず、顔を伏せる。

 

 なんで、そんな風に言えるのだ。

 

 死ぬんだよ。慈善の呪縛から解き放たれて、これからだって所で終わってしまう。

 悔しくて悲しくて、涙が零れ落ちる。救いたかった者が救えなかった絶望に慣れることはない。

 

「あ、うん。そっか……またね」

「ん……ジュウゴ、また」

 

 唇をかんで、血が出るほど拳を握るディアナの横で行われる、ヨルンとサンの別れはそっけないものだった。

 

 それは今まで彼女たちが幾度となく繰り返してきたことなのだろう。

 死に別れることに、一々泣いていられなかったのだろう。

 

 慈善を倒して喜ぶ場面なのに涙が止まらない。

 大団円で終わらない悲劇を、どうすればいいのか分からない。

 

「……っ私は! もっと、もっともっと! ヨルちゃんを甘やかすから! だから!」

 

 それでも分かることがただ一つ。

 今宵の別れを涙で終えたくない。

 

 ディアナは精一杯の笑顔で、サンの最期を見送った。

 

「またね!」

 

「――ん」

 

 

 人の悪意が尽きぬ限り戦いが終わることはない。

 

 しかし今日、多くの犠牲者と悲しみを残して悪の一つが滅んだ。

 

 ディアナの辛く苦しい戦いはひとまずの終わりを告げたのだった。

 

 




~裏方~

夜の神「ただいま」
ヨルン「おかえり。なんでサン(?)の中に居たの?」

夜の神「お手伝い」
ヨルン「ほへ~」


次回!
エピローグで最終回!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ

 透き通った鐘が鳴り、復興を果たした南都に『神の再臨』を知らせる祝福の音色が行き届く。

 黒燐教団の壊滅と新たな時代の幕開けを祝した祭典の中心、アルマージュ大聖堂の講堂は今とても賑わっていた。

 

 さながら西洋のパーティ会場だ。それも王国貴族が参席するような豪華絢爛なもの。そんな中に俺はいた。

 

「この度は本当にありがとうございました。南都を守って頂き、感謝申し上げます」

「――」

 

 会場のある場所では貴族然としたハゲ頭の男が恭しく中位天使に頭を下げていた。天使の方は「気にするな」と言いたげに手を振って雑に対応。

 でもそれは興味ないからではなく、不愉快だからでもない。天使はハゲの貴族に「いいから呑め」と言うように酒を注いであげていた。

 

「天使は言いました。人よ、天に背く事なかれ。さすれば、正しい人の救は主から出る。創世記3編の言葉です。よいですか、だから人はどんなに辛く、苦しくても悪事に手を染めることだけはしてはいけないのですよ」

 

「――?」

「――??」

 

 またある場所では、年老いた一人の聖職者が数人の夜人相手に説法をしていた。

 すごく良いことを言ってるっぽい。老人の度胸も凄まじい。でも夜人には響かない様で「なんで?」「なんでなんで?」と互いに首をひねっていた。

 俺はこの光景が凄いことだと思ってる。

 

「い、いや……だからだね……」

「??」

「??」

 

 俺でさえ感心するようなことだから、熱心な信徒にとっては驚天動地の大改革に違いない。

 あんなにも闇を忌み嫌ってた聖教がいまや夜人を容認しているのだ。なんか教化しようとしてるっぽいけど闇と光の和解の第一歩と思えば問題無い。

 

 問題は夜人の反応だろう。

 老人の話を聞いて「お腹がすいたら他人から奪えばよくない?」とか「なんで顔を殴られたら、反対の頬まで差し出すの??」とか言いたげだ。

 幸い夜人は喋れないから伝わっていないからいいが……お前ら、絶対、態度に出すなよ? せっかく聖女さんがくれたこのチャンス。無下にしたらお仕置きだ。

 キッと睨んでおけば、夜人は胡散臭い演技で老人の説法に感心し始めた。

 

(でも、変われば変わるもんだなぁ……色々あったけど、教団が滅んでから全部がいい方向に転がり始めた)

 

 会場を見渡せば様々な人がいる。

 南都の重役はもちろん、聖教会の重鎮、天使たち、それに夜人の集団。

 

 まだ天使と夜人はぎこちない関係だが、そのトップ同士が仲良くしていればおのずと垣根も無くなっていくだろう。そう思えば、俺の引き起こした欺瞞で満ちた茶番劇にも、意味があったのかもしれない。

 

「ここに居たのかヨルン」

「ん?」

 

「あっちでディアナ司教がお前を探していたぞ。ああ、いや、もう彼女は――おっと」

「――!」

 

 賑やかな会場は人でごった返している。

 その波に押されて、ふらふらと彷徨っていた俺に声をかけたのはレイト隊長だった。だけどその言葉は彼の背中に飛び乗ってじゃれついた下級天使の存在によって遮られた。

 子供の様な見た目は精神にも反映されているようで、天使は楽し気にレイト隊長の背中で遊んでいる。

 

「あっち?」

「ああ、もうすぐ式典も終わるだろう、早く見に行ってやれ」

 

 天使をおんぶして、歩き去って行くレイト隊長。

 いくら子供の姿をしている下級天使といえども、格の違いは歴然だ。普段であれば不敬と怒られるだろう。でも今日だけは関係ない。

 

 「神」の前において人も天使も変わらない。

 今日だけは無礼講と、酒に料理と大盤振る舞いだ。

 

 俺も手を伸ばして両手いっぱいの串焼きを盗み取る。いや、堂々と貰っていいんだけど……ちょっと欲張る場面は恥ずかしいから、こっそりと。

 さて、これで腹ごしらえしながら聖女さんを探すとしようか。

 

「なあなあ、ホントに俺達この会に出ていいのかな? 周りに居る人達、かなりの大物だぞ……あそこにいるのは、聖国のガブリズモ枢機卿だし、その横では帝国の次期皇帝が笑ってる。なんか怖いよな」

「……誰よ、アンタ」

 

「え? マーシャ酷いなぁ、いい加減その対応止めろよなぁ。俺だってハルトだって」

「誰よ! アンタ!」

 

 空色の輝くような長髪の美しい少女がマーシャと話し込んでいた。美少女同士のやり取りを邪魔するわけにはいかない、横を通り過ぎる。

 

「うーむ、凄まじい手の込んだ料理だな。天使の秘術も籠められてるのか? 食べるだけで寿命が一年延びるステーキか……うぅむ、一つ持って帰ってみるかねぇ」

「や、止めるんですの! パーティの料理をタッパに入れるとか、平太さんには恥という概念がないんですの!? 止めるんですのー!」

 

 騒ぐ聖女ラクシュミと、歓迎料理を懐に隠す平太。

 

「教団の壊滅から結構経つからか、投降する者もそろそろ減って来たかね。まあ教団員の中には殺人犯も多いし、これ以上の特赦は無駄であるかな」

「【感謝】は投降、【忍耐】と【節制】は所在不明。評議員の一画すら落としたこの作戦は概ね成功といっていいでしょう。後は、取り返しの付かない罪を犯した者達への掃討戦ですか」

 

 難しい顔で討論するムッシュさんと聖職者たち。

 

 色々な人をかき分けて会場の一番目立つ場所に辿り着く。

 そこは周囲から一段高くなっており良く見えるようになっていた。

 

「亡き母のように。私はどんな困難が有ろうとも、敵が居ようとも、この世界のために戦うことを誓います」

 

 片膝をついてサナティオに頭を差し出すディアナさん。そこにシンプルな冠がかぶせられる。

 丁度、戴冠式のクライマックスだったらしい。見逃すところだった危ない危ない。

 

「今、ディアナ・フォンセ・エクリプス伯爵は確かに守護の意思を示した。故に、この私が認めよう。彼女は今日この日、貴族になった」

 

 サナティオの宣言と共に万雷の拍手が送られる。

 俺も一生懸命ぱちぱちと。

 

 この世界の貴族の始まりは神代まで遡る。

 当時、纏まりの弱かった人間に対して、指導者を決めることをサナティオが求めた。それが唯一にして絶対の権力を持つ貴族――人間の価値観的には王族――となった。

 今ある世界中の国家の元首は、それぞれがその子孫であると自称して、王権の正統性を主張しているらしい。

 

 まあ、つまり、何が言いたいかという……。

 

「聖女さん、偉くなったね」

 

 名目は伯爵だが、その権威はどんな大国の元首よりも大きい。サナティオに祝福されて戴冠するとはそういうことなのだ。

 

 しかも、今度は逆にサナティオが片膝を突いた。

 サナティオが腰の剣を抜いてディアナに差し出すと、彼女は受け取ってその剣でサナティオの肩を叩く。うん……騎士の忠誠だよね、これ。

 

「主よ。私はこれより、再び貴方の剣となり、盾となり、全ての敵を打ち払うことを誓う」

「……はい。頑張ってください」

 

 なんだか複雑そうな聖女さんの表情。

 しかし、衆人環視の中なので、彼女は恥ずかしそうに『後光』を放った。会場からふたたび「おおっ」というどよめきが上がる。

 

 

 

 

 

 

 あの日の慈善との戦いの代償は大きかったらしい。

 世界の半分を暴いて未知を既知に変える荒業は、人間の体じゃ耐えられない。太陽神の力は人間のままで振るえるものじゃない。

 

 そこで聖女さんは一足飛びに存在の位階を飛び越えた。

 ただの人間だった魂は、精霊となり、天使を跨いで神へと至る。無論、普通そんなことは出来ないから、それは聖女さんの力じゃない。

 

 どうも無理し過ぎて死にそうな聖女さんを心配した太陽神エリシアが頑張ったらしい。

 

 でもその所為で聖女さんと太陽神はちょっと融合。いわば、俺と『夜の神』みたいな状態になったらしい。神の器的な意味で。

 「生きる覚悟って……まさか、そう言う意味とは思わないでしょう……」とは聖女さんの談。でも俺がお揃いだねって言ったら、そうだねって喜んでくれた。

 

「なんだか不思議な気分だね。自分の中に、エリシア様がいるんだもん」

「んー、すぐ慣れる」

 

「ヨルちゃんの中には夜の神様が居るの? なら、やっぱり早く光と闇の融和を進めたいね。そうすれば、教団みたいな組織にも対抗しやすくなるはずだから」

 

「それに、私のためにも?」

「そうだね。ヨルちゃんの立場も絶対、向上させるからね」

 

 聖女さんがはにかんで、俺の頬をつっついて遊ぶ。

 

 光側は主神が闇容認派になったし、闇側は断然、(ディアナ)が大好きだ。

 

 聖教の中には闇が大嫌いな狂信者がいるかもだけど、錦の御旗はこちらにある。サナティオを筆頭とする光の三使徒は早くもディアナに付いた。

 きっとこの先、悪い事にはならないだろう。

 

 でもちょっと心配なことが一つ。

 

 ―― ……! ……!

 

 俺の体から黒い玉が飛び出して、ディアナの周囲を飛び回る。夜の神だ。

 対して、聖女さんの方からも光の玉が飛び出した。太陽神だ。

 

 二つは追いかけっこするように駆け回り、窓から街中へと飛び出した。

 

 どうも「夜の神」は太陽神のことが嫌いらしい。

 なのに、太陽神の方は「夜の神」に構おうとばかりしている様子。そのやり取りは仲が悪いようで良い姉妹のようだった。……夜の神は早くツンデレやめて素直になればいいのに。

 

 気持ちの良い青空の下で、聖女さんと並んで二つの玉を見送った。

 

 まあその内、お腹が空けば帰ってくるだろう。

 




  fin




【以下、あとがき】

 ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
 執筆中に色々不祥事をした事もありますが、それでも完結までこれたのは、ひとえに感想を下さった皆様のおかげです。支援絵はすさまじいモチベ向上をもたらします。

 私が描きたかった部分は書ききったため、この作品はひとまずここで完結となりました。
 たぶん残ってる大きな伏線は無いでしょう。たぶん……きっと、回収したはずだよね?

 プロットが無い作品だった(あったけど、新章が始まるたびに数話で消し飛んだ)から、出すだけ出した登場人物とかも居たけど、そこがちょっと残念だったなぁ。

 きっとこの先、聖女さんとヨルンはイチャイチャしながら、気楽に生きていくことでしょう。
 ヤト達やサナティオ達とのイベントや、各国政戦とかも有るかもしれないけど、なんのその。

 本当に、完結まで読んでくださった皆様には感謝です。ありがとうございました!
 また小説を書く時が有ったら、よろしくお願いします!(*'ω'*)



「垢を得たお茶っぱ」様より

【挿絵表示】


甘栗かおる様 より
https://img.syosetu.org/img/user/362942/84571.jpg


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。