終わりの続きに (桃kan)
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 広がるのは目を覆いたくなるほどの輝き。光がすべてを包み込む黄金の海原のようだ。

そこにぽつんと佇む一つの影がある。

それはわが親愛なる主、そして最高の友人だった人。

 

「大丈夫だよ」

 それは強がり。そう一言告げて、いつかのように去っていけばいい。

そう思っていた。

 

「答えは得た。大丈夫だよ、遠坂」

 もう一度気丈に、ハッキリ思いを言葉にする。

さよならを明確にしていく。

それが悲しかった。本当に最後になってしまう。

それならば、そうだからこそ、俺は笑顔でいたかったのだ。

 

「これから俺も、頑張っていくから」

 それが本当に最後の言葉となった。

消え行く刹那に垣間見た、彼女の宝石のような笑顔を俺はこれから先、何があっても忘れることはないだろう。

 

 聖杯が消える。

最初からなかったように何もかもが掻き消えていく。

 

 そして俺はまた待ち続ける。

ただ一つ、此処で得た確かな答えを胸に秘めながら。

 

―interlude―

 

 

 漂い流れるように“ナニカ”がそこにいる。

 ここが何処なのか、それは分からない。

知りえない事実。知っていたはずの事象。

そう、ここはセカイの外側。

総てから隔絶された、総てのものを与えられた場所。

 

 何が起こったのだろうか?

“ナニカ”が思いを描いた。

何かをしたいはずだった。

それが使命であると、心に信じて疑わなかった思いを持っていたと。

 

 そう。愚かであったかつての自分を殺してしまいたかったのだ。

理想を抱いた自分、綺麗だからカッコいいからと借り物の理想を抱き続けた自分を。

 

『しかし見ろ、今の私を……俺を見ろ! かつての自分に敗北し、その思いすら間違いであると気付かされた!』

 言葉がカタチを成す。

不器用なまでに真っ直ぐなその言葉に呼応するように、空間が徐々に変質を始める。

 

『俺は……守りたかった』

 握り締めた拳が、腕がカタチを成す。

血が滲むほどに力強く、しかし脆くも消え去りそうな其れは何かを掴もうと必死にもがく。

 

『だから、強くなりたかった!』

 地を踏みしめた脚がカタチを成す。

確かにそれは二本の足で其処に立ち、何かに向けて必死に、ただ必死に道なき道を歩き出そうとしていた。

 

『ただ、それだけなんだ……』

 そう。その姿はまるで昔に戻ったように幼い。しかしその瞳に宿す光は、信じたものを決して疑おうとはしない。疑う心を捨て、ただ真っ直ぐに前を見つめた。

 

 だが理解していた。此処にいるから、自分は世界の『外』にいるから、もうあの場所には戻れない。戻れるはずもないと。

ふと頬を過ぎる雫を感じる。それまでは気付きもしなかった。自分が涙を流していたことなど。弱さ、不甲斐なさ、頼りなさ、その総てが俺に涙を流させていたのだ。

 

『ただもう一度……頑張りたいんだ』

それは彼女と最後に交わした言葉。あの言葉を嘘にしないために、この瞬間も立ち止まることなど出来ようはずがない。

しかし頭では理解していた。自分の思いだけではこの先へと進むことも、何をすることも出来はしないのだと。

 

頬を伝っていた雫が足を濡らす。

まるで波紋のように、水面を揺らすようにゆっくりと何もないはずのセカイに響き渡っていく。

それは何かのきっかけだったように、目を覆いたくなるような、しかしどこか優しい光を放ちながら、総てを包み込んだ。

 

 唯一、嬉しそうに表情を歪める黒い影を残して。

最後の瞬間、その影は何かを呟いていた気がした。

 

 

 

 

ならよ、兄弟。

お前の行きたいところに、行きゃいいんだ。

 

 

 

 

―interlude out―

 

「んっっ……」

 窓から差し込む日差しが俺の顔を照らし、朝の訪れを伝える。

背に感じるひんやりとした硬い石の感触。埃っぽいが包まるとどこか安心することの出来る毛布。

総てがあまりに懐かしい。もうはるか遠く、記憶の片隅に追いやっていたはずのものが私を包み込んでいた。

 

―何故こんな夢を……こんなにも、こんなにも私は此処に戻って来たかったのだろうか―

 

 そう、夢でなくては困るのだ。私は前に進むと決めた。今与えられた時間の中で、次の機会が訪れることを待っていようと決めたのだから。

 

「コラ、士郎! またこんなところで寝ていたのかい? まったくしょうがない子だねぇ君は」

 ふと懐かしい声が響く。そう。きっとこれも幻聴……幻のはずなのだ。そう思いながら、声のする方に、一層明るい光の差し込む方に目を向ける。

そこには記憶の中にハッキリと残る、優しい笑顔をした俺の憧れの人が佇んでいた。

 

「じ、じぃさん(き、切嗣)……?」

 それは俺を救ってくれた正義の味方の姿。此処にいるはずのない人。

 

「さぁ、大河ちゃんも待っているんだ。早く居間においで?」

 優しい笑顔が私を外に誘う。私は言われるがままに立ち上がり、そのまま出口へと足を進めた。

 

「嘘、だろ……」

 愕然とした。私は完全に目を疑い、その場にボォッと立ち尽くした。

目の前に広がったのは、私がかつて住んでいた庭の風景。流れるように広がる綺麗な風景だ。

 

「ほら、どうしたんだい、早く行こう?」

 私の手を引き、ゆっくりと家に近付いて行く切嗣。私はそうしている内も、ずっと考えていた。

私は、英霊エミヤは聖杯によって世界に具現化されていた存在だ。

 

「え? あぁ、うん。わかったよ」

 そう、これではまるで過去に戻ってきたようではないか。

 

 

 

 

 それから二週間が経とうとしていた。

そこで分かったことが二つあった。

どうやら私は本当に過去の、切嗣に助けられたすぐ後の時間に、どういうわけか戻ってきてしまったということ。

 もう一つは私がこれまで経てきた時間の記憶、つまり英霊になってこれまで戦ってきた中で培われてきた知識がはっきりと残っているという事。

 

「一体、どうなっているんだ……」

一人縁側で空を見上げながら悪態を吐く。吐き出した息の白が、まるで言葉にカタチを持たせたように現れ消えていく。

どこか不思議な気分だ。此処でこうやって、空をこんなにも平穏な気持ちで眺めているなんて。

 

「私は、何故此処にいる……」

 そんなこと、分からなかった。ただこの二週間、常に自分の中に拭いきれない恐怖があった。次に目を覚ましたとき、またあの何もない……自分のカタチも分からない場所に戻っているんじゃないかと。

 

「それは、それだけは」

 そっと手に力を籠め、ゆっくりと拳を握り空にかざす。

あまりに、あまりに弱々しく小さな拳だ。強くなりたくて、助けてくれたあの人に縋って、追いかけて、何とかあの人みたいになりたくって足掻いていたあの頃の拳だ。

 

 しかしきっと違う、今は違う!

 

「私は、見つけた。したいこと、やるべきことを!」

 何に語りかけるでもない。自分の決意をそっと口にする。

 

 私……いや、俺は誓う。

 この答えを見つけた自分の心。不器用なまでに信じる道を貫いたかつての自分、そして不器用な俺を支えていた、最高の友人たち。

 

 だから、強くなろう。いつか来る、あの冬に向かって……ただ一心に。

 

 

 

 そう。この時俺は気が付くべきだった。

俺があの冬を、あの戦いを望んでしまった理由、力を得ようとしていた訳を。

詰まる所俺は既に彼女に、自分自身の勝手な思いに囚われていたのだ。

 



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変容

 

 

「パッッ! でたぁぁ~」

「あの、何さ、それ?」

 

 翌日、俺は決意を固め、切嗣にこう切り出した。

 

―ねぇ親父、頼むよ! 俺に魔術を教えてくれ!―

―ヨシッッ! いいよぉ。よく見てるんだぁ―

 

 ぽんと叩かれた両の手から飛び出したのは、数羽のハト。なんでこんなマジシャン紛いなことになっているか……まぁそんな具合で、切嗣の手から飛び出したハトは縦横無尽に居間を飛び回っていた。

というか、その決め言葉は、なんでさ。

 

 

「魔術を教えてって士郎が言うから」

ニコッと意地悪な笑顔を浮かべながら、切嗣は俺をからかう。何だかひどく不快な気分だ。

「違う! そんな誰でも出来るようなやつじゃない!」

 俺はお膳をドンと叩きつけ、切嗣の顔をジッと見つめた。

そう、この人には生半可なことを言っても通用しないことは分かっていた。だから此処は頑固に、絶対に譲らない気持ちを持って、切嗣に対することが必要だったんだ。

 

「俺が教わりたいのはそんな手品じゃない! ちゃんとした、魔術師が使う魔術だ!!」

「――士郎。前にも言ったけど、僕は正義の味方じゃない。いや、正義の味方の成りそこないさ。だからそんな僕が教えたって……君はみんなを救えるヒーローにはなれないんだよ?」

 すごく冷たい、でもどこか悲しさを孕んだ響きがゆっくりと俺に届いてくる。

何故だろう、それが俺にはとても優しい響きに聞こえたんだ。

だから俺は言わないといけない、そうじゃないんだって。

 

「違う! みんなを救いたいって……そうとだけしか思っていないわけじゃない!」

 上手く言える自信はなかった。ただこれを言わなきゃ俺は此処から先に進めない、そう思ったんだ。

 

「そりゃみんなを救えるヒーローになりたいよ。でも、そうじゃなくてさ、大事な人を守れる。そんな正義の味方になりたいんだ! だから力が欲しいんだよ!」

 そう、知っていたんだ、力がなければ出来ないことがある。俺が欲しかったのは大事な誰かを守る力だ。そのためならどんな痛みって厭わない。

覚悟は出来ていた。

 

 俺が必死に言葉を綴っている間、切嗣は真剣な表情で俺の目を見つめていた。まるでその言葉に偽りがないかどうかを試すように。

 

「だから、だからっっ!! 痛くても、辛くても最初から諦めたくなんかないよ」

 

「うん、いいよ」

 さらりと風がなびく様にその一言は返ってきた。

「――えっ?」

「うん、いいよ。教えてあげよう、僕の知る世界の神秘を」

 

 満面の笑みを浮かべ、切嗣は俺の手をとる。

その笑顔はどこか、かつて俺を救ってくれたときのあの笑顔に似ていて。

 

 俺は知らず、涙を流していたのだ。

目的に一歩近付いて安堵したのだろうか。それとも握った親父の手が暖かかったからなのか、なぜかは分からない。

 

ただ、その笑顔を見ることが出来ただけで、俺は幸せだった。

 

 

 



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別れ

「月が、綺麗だね。士郎」

 切嗣と二人、縁側で空を見上げている。

空には満月がクッキリと、その存在を露にしている。

 

「そう、だね。じぃさん」

 このときの俺は、もうそれ以上の言葉を口にすることは出来なくなっていた。

 

 俺は理解していた。もうすぐ、別れのときが訪れるって。

それはかつて経験したことのある別れ。もう二度と経験したくはないと思っていた別れだ。

 

 次第に家の外に出ることがなくなっていた切嗣。

表情も徐々に暗くなり、以前のような笑顔を見ることも稀になっていた。

 

古い記憶の中、かつて一度体験した嫌な思い出を、俺は再び経験しようとしている。

変えられるものなら変えたかったんだ!でもこれは決して変わらない、変えることの出来ないことだと理解していた。

 

 だからこそ、大事にしたかった。切嗣と共にいる時間を。

でも、それももうすぐ終わってしまうから。

 

 

「ねぇ、士郎。君は正義の味方になりたいかい?」

 唐突に、静かに月を眺めていたはずの切嗣が俺に尋ねる。

俺はその問いに唖然としてしまった。その問いはあまりに穏やかだったから。

 

「正義の味方……うん、俺正義の味方になりたいよ」

 そう、俺は正義の味方になるっていう『理想』を捨てることは出来ない。

でも、新しい生き方を見つけたんだ。

 

「正義の味方になりたい。でも、みんなを救えるなんて思ってない。俺は弱いから。でもさ、弱い弱いって言ってちゃ本当に守りたい人が出来たとき、守ることが出来ないなんて嫌だ。俺は……大事な人を守れる、そんな正義の味方になりたいんだ!」

 

 きっとこれはこんな言葉じゃ伝えきれないんだ。

でも切嗣は笑顔を見せてくれた。

いつもの……幸せそうな笑顔で。

 

「そう、だね。きっとみんなを救うより、大事な人をずっと守り続けていくことの方が辛いかもしれない。そんなときは今の決意を思い出すんだ。いいね?君は強い子だ……」

 

「ありがとう、親父」

 

「ありがとう……しろう。ぼく、は……きみの」

 

 それが、切嗣と交わした最後の言葉になった。

もう動くことのない、話すこともない。

 

 今を真っ直ぐ見つめる。

冷たくなった親父を見ると、とても悲しくて涙が零れ落ちた。

 

 ゆっくりと目を閉じる。

あの笑顔を思い出すと、嬉しくて、幸せで涙が零れた。

月明かりが照らす清涼な空気の中、俺は再び切嗣と別れた。きっとこれが最後の別れなんだ。

俺の、かつての理想への今生の別れ。

 

 

 

 

 

 親父が死んだ。

かつて、エミヤシロウの生き方の雛形だった人。理想だった人。

 

 葬儀の手配や色々難しいことは、藤村のとこの雷河じいさんが済ませてくれたおかげで、つつがなく終えることが出来た。

 

沢山の人が涙を流していた。藤ねぇも、雷河じいさんも。

俺は泣けなかった、いや、もう泣く事が出来なかったんだ。だって、俺は覚悟を決めたから。切嗣が最後にそうであったように。

 

 全ての人の正義の味方じゃなく、誰かの……俺の正義の味方になってくれたように。

 

 そうこうしている内に49日が過ぎ、ようやく俺の周りが静かになり始めていた。

 

「――っっつ、くっ!」

 ゆっくりと、異質な“なにか”が身体を駆け巡っていく。

俺は理解している、それが魔力。今、行使しようとしているものが魔術。

 

 切嗣はやっぱり『強化』以上の魔術を教えてくれることはなかった。

ただそれ以上に、世界の神秘、世界の成り立ちについて教えてくれた。それを学んでいく中でも収穫はあったんだ。

相変わらず魔術回路もないこの身体だけど、『強化』を基礎からシッカリと身に着けていくなかで、確実に以前の自分より何かが変わっている自信があった。

 

しかし、上手くいくことの方が少なかった事も事実だった。

 

「ぐっっ、うあぁぁ!」

 木刀一本に、『強化』をかけるだけでも声を上げ、脱水症状を起こしてしまうほどの体たらくだ。結局、今の俺じゃ何にも進んじゃいない。

 

「――ッ……ハァ、ハァ」

 身体を蝕んでいた熱い鉄の塊が、そのカタチを消していく。それと同時に整えられていく呼吸、動悸。

魔術というものがこんなにも身体を酷使するものだったなんて、久しく忘れていた。

 

「ったく、何してんだよ」

 誰に言うでもなく投げ出された言葉。身体から立ち上る湯気と共に白い色を持ったそれが土蔵に響いて消えていく。

何もかもが新鮮で、でも憤りを隠せない。こうしていると思い出す、かつてもこんな気持ちで日々を送っていたんだと。

 

「進歩なし……か」

 俺は手元にあったタオルで汗を拭い、土蔵を後にすることにした。

気が付けば月はすでに空の頂にあり、何かを告げるように俺を眺めている。

月に表情があるなら、もしかしたら俺のことを嘲笑っているのだろうか。

 

「これも風流……なのかな。さて、親父に挨拶して今日は寝るかな」

 俺は独り言を呟きつつ、切嗣がかつて寝所に使っていた部屋へと歩を進めた。

気が付けば、寝る前にまず彼の部屋に行き、写真に語りかけることが日課になっていた。あまり人には知られたくない日課であったが、そうすることで切嗣との約束を忘れないでいられる。勝手にそう思っていたのだ。

 

 切嗣の部屋に入り、ただじっと写真を見つめる。

一人になってからそれを毎日のように続けていると、切嗣に対する別の感情が俺の中で溢れてきていた。それは切嗣に対する贖罪だった。

俺はこれから起こりえることを知っている。魔術師が殺し合うことも、これからこの地で多くの人が死に直面することも。それを知っていてもなお、俺はそれを止めようとせずにただ『時が来ていない』という言い訳をし続けていた。

 そして、切嗣が最期まで思い続けたであろう『あの少女』と会わせてやれなかったこと。そのことが俺をどうしようもない絶望に駆り立てていた。

 

「あぁ、こんなことではもう……」

 

 そう。こんなことではもう、自分を正義の味方などと呼ぶことは出来ない。

それを少なくとも実行しようとしていたかつての自分にも、この理想を与えてくれた切嗣にも顔向けは出来ない。

 

 結局俺は再び生を与えられて、自分が最も成し遂げたい思いを実行に移すために行動してしまった。切嗣だって…もっと幸福な最期を迎えることが出来たかもしれないのに。

 

だからこれは、俺の贖罪なのだ。

 

「――親父。俺、裏切ってばかりだ」

 口の中に感じる鉄の味、こんなにも苦しいものだとは思わなかった。

ただ今はかつての理想の前で、これから自分がどうするべきなのか、それを考えなくてはいけない。

 

 これが間違いであったとしても、もうそれを巻き戻すことは俺には出来ないのだから。

 

 

 

 一人になってしまったこの衛宮の屋敷で、俺は思考を巡らせていた。

 

このままではいけない。ハッキリとそれだけは分かる。

俺は知識だけを有してこの繰返しの時間を過ごしている。

それがあれば、大抵のことは苦も無くこなすことが出来るだろう。魔術の運用もそれを動かす自らの肉体自体もどうにでも鍛練することが可能だ。

しかし、それではどうしても埋められないものは存在した。

 

「己の未熟さ、か」

 縁側に座りながら一人呟いた言葉に、どうすればいいのか分からないという考えしか正直浮かばなかった。

少なくとも戦いが起こるまでの間にかつての自分より強くなくてはならない。そうでなくては、俺の目的は達成されない。

つまるところ、自分自身の身体の能力を底上げしないとならない。そのための経験値が、この身体には少なすぎる。

 

「だったら、そうなるために行動を起こすしかない」

 かつてしなかったこと、それをすればいい。

これから戦場に赴いてもいい、人外の者との戦いに身を投じてもいい。しかしそれにも問題はある。

それは何の経験もないこの幼さでは、誰も自分を魔術の使える者として信じてはくれない、相手にしてはくれないということだ。

 

「そうするためのきっかけ……これが結局必要になるか」

 穏やかに流れる時間の中、あまりに醜悪なことを考えているという実感はあった。しかしすぐにでも動き出さなければいけない。一番手っ取り早い方法はどこかの魔術師と関わり合いになることだろう。

 

「遠坂、間桐……はダメだ」

 

 一番初めに思い浮かんだこの二つの名門を、俺はあっさりと思考から外す。

俺は目的を達するためにあの戦いを再現しないといけないのに、みすみす自分の正体を明かすことなど出来るはずもない。

 だがそれと同時にどこか言いようのない疑念が頭の中を駆け巡っていた。確かに目的はある、そのために強くなる必要も。しかし“戦いを再現する必要性”が見つからない。何か再現することを強要されているかのような感覚を覚えた。

 

しかしそんなことも言っていられない。何を選択するにしても強くならなくては意味がない。ならばいっその事、生半可なものではない、関わるならば最も鬼門……廃人にされてしまう、そんな魔術師のところに赴いてしまおう。この冬木から離れてしまっても構わないのだから。

 

「確か……アオザキ、だったか」

 不意にこの名前が口から零れた。記憶の中では魔法に至った家系、とある霊地の管理者ということくらいしか情報がない。しかし、日本に残る名家といってすぐに出るのは、もうこの名前しか俺にはない。

なんにせよ、そんな家系の者のところに行けば様々な経験を得ることが出来るだろう。関わる前に殺されるような下手をうたなければいい。俺はそう考えた。

ただこの名前を出した時、そして利用しようと思ったときに俺は何故思いとどまらなかったのだろうかと、後になって後悔することになる。

 

そして俺は、『アオザキ』と接触するために行動を開始することにした。

これがエミヤシロウの変化の最初のきっかけとなった。

 

 



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模索

 

「何の手がかりもなく、見つかるかって!」

 自分の考えのなさを嘆きながら、俺は一人見知らぬ街を彷徨っていた。

 

理由は簡単だ。関わろうと決めた魔術師がいる場所の手がかりがどこにもないということだった。

ただ『アオザキトウコ』という名前を思い出し、これを手がかりにどうにかこの街、観布子という土地にやってきていた。俺の記憶にあるその名の人物が、最後に魔術師の間で“居るのでは”と囁かれた場所だったからである。

 

 ここに来るまでにも色々と難関があった。

一番の難関は藤ねぇの説得。幼い俺を一人で遠いところに行かせるわけにはいかないと言い出したのだ。そこのところは雷河じいさんが説得してくれてどうにかなったが、その雷河じいさんにも納得してもらうのにもかなりの時間を要した。

 まぁ色々とあってどうにか俺は一人で観布子市まで来ることが出来たのだが、これから先、名前以外の手がかりがない状態で人を、しかも魔術師を探すことはあまりにも困難だった。

自分にとっては、故郷と離れたあまりに遠い場所。知り合いもいなければ土地勘ない。俺は早速自分の思いつきを後悔することになった。

 

「でも、ここがアオザキの手がかりがある気がするんだ……」

 一人途方にくれながらもその確信はあった。もちろんアオザキが管理しているという霊地にいることも考えはしたが、それでもこの観布子という街に手がかりがある様な気がして仕方がなかったのだ。

 

 

 しかし俺のそんな思いもよそに、時間は刻一刻と過ぎていった。次第にあたりは黒の濃度を増し、駅前でさえドンドン人が疎らになり始める時間に差し掛かっていた。

一人ポツンとこの時間帯にはふさわしくない年齢の少年、俺がその場にベンチに座り込んでいることがあまりに異質であっただろう。

そしてそんな時間帯だ、言わずもがなおかしな考えを持った人種は多くいる。

 

 

「あれぇ!?どうしたの~ぼくぅ? ママとはぐれたのかなぁ?」

「お兄さんたちが探してあげよぅかぁ?」

 大げさな抑揚のついた声が俺に降りかかる。俺に声をかけてきたのは大柄な二人組。明らかに親切心から声をかけているのではない。表情から読み取れるのはハッキリとした悪意だ。

 

「いえ、もう帰りますから」

俺は荷物をまとめていたバッグを担いでその場から立ち去ろうとするが、俺の行く道を阻まんと二人は道を塞ぐ。あまりの伸長差に俺はどうすることも出来ない。

それにもいらついたが、何よりこんな街中で不良に子供が絡まれているにも関わらず、見て見ぬふりをする歩行者たちに俺は憤りを覚えていた。

 

「さぁさぁ、行こうぜぇ!?」

 男の一人が俺の担いでいるバックを掴んで、路地裏に引っぱりこもうとする。

無論、こんな街中では魔術は使えない……子供の俺では敵いっこない。とにかくどうにかして逃げようと思った時だった。その声が聞こえてきたのは。

 

 

「えぇ、そうです。駅前のベンチで。小さな男の子が絡まれていて……すぐ来てくれます? ……あ、ありがとうございます」

 

 

 人ごみから聞こえてきたのは男性の声、会話の内容から通報しているのだろうと思ったのだろう。男たちは顔を青くして、早々に俺の傍から離れていった。

 

一瞬静寂に包まれた駅前の一角、しかし数秒後には何事もなかったかのように人々が再び喧騒を取り戻していた。

俺もあまりにあっけない幕切れだっただけに少し放心していたが、その喧騒の中から男性が声をかけてきたことによってようやく正気を取り戻していた。

 

「君、大丈夫だったかい?」

「あ、ありがとうございます……」

その男性は、子供のような笑顔を見せながら続けてこう呟いた。

 

「今時あんな小芝居に引っかかる人もいるんだね、ちょっと面白かったよ」

 あの時助けてくれた声の主…この男性はそう言いながら俺に差し出したのは自身の掌。それから伝わってくるのはあまりにありふれた、『誰しもが持っている親愛』の心だ。

 

「なんか困ってるみたいだったからほっとけなかったんだ。さぁ、ここも危ないしお店にでも入ろうか?」

 

 その男性は俺の手を引いて歩き始めた。

これが俺のもう一つの変化の始まりだったとは、この時考えもしていなかった。

 

「衛宮……士郎くんか。冬木ってすごく遠くから来たんだね?」

 

 俺は男性に導かれるままに、彼の行きつけだというお店にやってきていた。落ち着いた雰囲気を感じる店内からは、大勢の人が楽しく会話をしている音が聞こえてくる。

思えば、切嗣が亡くなってからはこんな雰囲気とは少し離れたところにいたような気がする。だからだろうか、男性の優しさが凄く嬉しく感じたのは。

 

「はい、ちょっと会いたい人がいて……」

 男性の言葉に答えながら、店員から出されたコーヒーを口にする。その仕草に男性は微笑みながら、君って子どもっぽくないよねなどと呟いてくる。

 

「ん~出来れば手伝ってあげたいんだけどなぁ……さすがに会ったばかりの人間を信用することは出来ないよね?」

 ずばりと核心をついた一言が俺に投げかけられる。当たり前だ、ただでさえ探している人物は魔術師。それを一般人に頼ってどうにかなるわけがない。それにこの人にも迷惑がかかるのは目に見えている。

 

「あ、いえ、そうゆうわけではなくて」

「――っと、そういえば名乗ってなかったよね」

 そう呟きながら男性は懐から名刺を取り出して、俺に差し出してきた。

 

「えっと、クロ……キリさん?」

「うぅん。コクトウ、コクトウミキヤって読むんだ。まぁ『仕事』で使ってる名前…なのかな。まぁ幹也って呼んでくれればいいから」

 幹也さんは恥ずかしそうに笑う。俺にはその理由が分からなくてとりあえず相槌を打ちことしか出来なかったが、何故かこの人は信用できる人なんだということはハッキリと思った。

 

 

 それから少しの間、幹也さんとの会話を俺は心の底から楽しんでいた。最初に思った懐かしい感覚も、今なら何とか説明することが出来る気がする。

幹也さんの纏っていた空気感が『普通』で安心する……どこか羨ましさすら感じられた。

 

 

「――だからさ、君みたいに危なっかしい子はほっとけなくてさ。僕の…まぁ奥さんもそんな感じの人なんだけど」

苦笑いをしながらそう呟く彼の顔から感じたのは、その“奥さん”に対する慈愛だった。その表情を見た時やはりこの人は最初に思った通りの、信用に足る人物なんだろうとハッキリ意識することが出来た。

 

この人ならば頼ってもいいのではないか、そんな気持ちが頭を過る。

しかしその考えにNOを突き付けながらも、幹也さんの言葉に甘えてしまおうと考えている自分がいた。

 

「だからって訳ではないけど、僕にも協力させてくれないかな? こう見えてもモノ探しは得意なんだよ」

「いや、本当に会ったばかりの人に頼るわけには……」

 俺がどうにも断り切れず言葉を濁していると、店の入り口のチャイムが短く鳴り響き、新たな来店を告げていた。

その音の方に目をやった時、ハッキリ幹也さんの顔が引き攣っていくのが分かった。会ってはいけない人物に会った時のようなそんな雰囲気を醸し出している。

 

 俺の座る位置からは確認できないが、その足音は迷うことなく俺たちの座るテーブルへとまっすぐ歩を進めていた。そして悠然たる響きが投げかけられる。

 

 

 

「何してんだ、幹也。今日は早く帰るっ……お前、一体“何”だ?」

 

俺が出会うはずがなかった、ある美しき死に神との出会いだった。

必死に、必死に俺の理性が、いや俺の総てが訴えをやめない。

 

「もう一度聞く。お前は一体“何”だ?」

女性は黒絹の髪ゆっくりとかき上げながら、凛とした響きを再び投げかける。それからはハッキリとした俺に対する警戒心を感じ取ることが出来る。いや寧ろこれは警戒心などではなく殺意だ。

 

「お、俺は……」

 幹也さんの名を呼んだその女性の瞳に射抜かれ身動きが取れない。頭では冷静に状況を判断している。なのにこの殺気に身体が慣れていないからだろうか、言うことを聞かない。

 

「俺は衛宮……衛宮士郎です」

その眼光から、その立ち居振る舞いからハッキリと分かる。この女性は幹也さんの知り合いのようだが、この人は幹也さんのような『普通』の人ではない。寧ろ俺の側、非日常に身を置く人間。それがこの女性なのだろう。

 

「ごめんね式。ちょっと色々あってさ」

 幹也さんは素直に謝罪を口にしながら、式と呼んだその女性を自身の隣に手招きする。彼女もその誘いに素直に応じながら流れるような動きで俺の目の前に腰 かけた。言わずもがな、未だに俺への警戒を解いたわけではない。その瞳は変わらず俺を見据えたまま、冷えた視線を俺に向け続けている。

 

「じゃぁ紹介するね、この人は両儀式。僕の奥さん……でいいよね?」

「なんでオレに聞くんだ? お前がそう思ってるならそれでいいだろ」

 

 

「え? ……すいません、もう一回いいですか?」

 

「うん、この人は式。僕の奥さんなんだよ」

 

 正直に言おう、信じられない。このあまりに特異な人が、目の前のこんなにも『普通』な人の伴侶だとは。誰に言ってもそう簡単には分かる人はいないだろう。

それだけこの人たちが夫婦だということが信じられないのだ。しかしどうだろう。先ほどまで俺に殺気を向けていたはずの瞳はすっかり優しい色を滲ませて幹也さんを見つめている。それは幹也さんからも同じで、二人には強い結びつきがあると容易に感じ取ることが出来た。

 

 と、思っていたのだが……。

 

「――でね、士郎くんに協力してあげようって――」

「――またお前はお節介を……そんなだから!」

 

式さんがテーブルに着いてからというもの、幹也さんと二人で会話を始めてしまって俺は完全に置いてけぼりをくらう破目になっていた。

というよりも完全にいないものとして扱われているような、全く眼中に入っていないような……とにかく二人の会話を俺は黙って聴き続けることにした。

 

 

「――おい、衛宮!」

「は、はい!」

 不意に式さんから声をかけられる。その声はどこか荒々しく、表情からは無理やり説得されて少し不愉快だと言わんばかりのオーラが満ち満ちている。俺の方はというと、目の前のコーヒーを何度口に運んだかも分からないほどに待たされて正直疲れ切っていた。

 

「お前にまず一つ、言っておかないといけないことがある」

「――な、なんでしょう?」

 その響きから理解出来るのは否定を許さない確固たる意志。寧ろ俺の意見など端から聞く気もないのだろう。そしてギロリと俺に視線を向け、ゆっくりとしっかり刻みこむようにこう呟いた。

 

 

「いいか? 幹也はオレのだ。お前がどんなに頼ったってコイツはオレのだ」

 

うん、理解した。完璧になんかずれてる……なんていうか俺、この人凄い苦手だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――で、最初の質問に戻るけどな。お前一体“何”だよ?」

「式、幾らなんでも酷過ぎやしないかい?こんな小さな子をつかまえてさ」

 

 結局、よく分からないままに俺は二人のペースに巻き込まれていた。一しきり話し終えた後落ち着ける場所に行こうと三人で店を出た俺たちは、幹也さんが独 身時代からずっと使い続けているというアパートにやってきた。今幹也さんはコーヒーを入れるために台所に立っていて、俺と式さんが向かい合う形で座ってい る。しかし先ほどの店での惚気ムードはどこに行ったのやら、式さんの表情は俺と初めて顔を合わせた時の殺気を滲ませている。

 

 これ以上はぐらかし続けても無駄。その表情を見れば一目瞭然、自分たちに害を為す者ならば遠慮なく排除する。式さんの表情はそう告げていた。

突き刺さる視線に俺は姿勢を正し、言わないでおこうと思っていたはずの言葉を口にする。

 

 

「人を……ある人を探しています」

「ふぅん。それはお前と“同種”って考えていいのか衛宮?」

 

 

『同種』

 

 

 そう。もう式さんは俺が何者かを直感で理解している。俺が魔術に関わりを持つ人間だということを、非日常の側に身を置く者だということを。

 

「そうです、その人と関わりを持ちたくて俺はここに来ました」

 肝心な部分、『利用するため』ということを俺は告げずに話を進める。思うに式さんは俺がアオザキと会おうとしている事情なんてどうでもいいはずだ。

ジワリと額に汗していることを肌が感じる。それだけこの両儀式という人との会話にすごく緊張しているのだと改めて理解させられてしまう。

かつてならばこんな局面は簡単に打破出来たのに……それがどうしようもなく悔しくて仕方がない。

 

「鮮花たちと同種ってことかよ。……まったく! 本当に似たような変な奴ばかりに好かれやがって」

 呆れ顔になりながらベッドに身を投げ出す式さん。お約束の展開だよと悪態を吐きながら、ジッとコーヒーを入れている幹也さんを眺めている。

俺はというと質問が終わったのか終わっていないのか未だに分からず、困惑したまま二人を見ていた。

 

「あ、あのすいません。式さん?」

 式さんの言葉が何を指し示しているのか、よく分からないままとりあえず彼女を呼んでみる俺。だが帰ってきたのは、無言の視線だけ。完全にイライラしていらっしゃる……もうこれ以上何かしたら、どうなるか分かったもんじゃない。

 

 

「式はコーヒー……いらないよね。つまり鮮花に似てるってことは、もしかして魔術に関わりを持つ人ってことかな?」

 準備したコーヒーを俺に渡しながら、幹也さんが尋ねる。式さんは面倒そうにコクリと一度だけ首を縦に振るだけだった。それにしても『魔術』というワード を全く違和感を持たずに使う幹也さん。この人に式さんが関わっているという時点で何かしらそれに関わりを持っているだろうという想像に容易かった。

 

「やっぱり。お二人って魔術師と何か関係あるんですね?」

「まぁね、前に勤めていた会社の社長が……そうゆう関係の人だったからね」

 しみじみと懐かしむように呟く幹也さん。一方式さんの方は嫌なことを思い出したように不機嫌な顔をしている。

 それにしても式さんはともかく、幹也さんが魔術師と実際に関わりを持っているということはあまりに信じられなかった。なぜなら幹也さんのどこをとっても『特別』な所は見受けられない。

いや、この考え自体が間違っているのか。それはともかく、もしかすると本当にアオザキにつながるヒントを手に入れたのかもしれない。

 しかしそれも次の幹也さんの一言であっさりとゴールへと変わってしまうとは考えもしていなかった。

 

 

「士郎くんも知ってるんじゃないかな? 橙子さん……蒼崎橙子さんって言うんだけど」

 

「――っえ? す、すいません。もう一回言ってもらっていいですか?」

 

「前にね、蒼崎橙子さんって人のとこで働いてたんだよ。今はもうこの街にはいないんだけどね」

 

 

 返した言葉はあまりに間抜けで、正直これから一体どうなっていくのか……今の俺では全く予想することは出来なかった。

 

 



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遭遇

 

「ここか……うん、ここで合ってるな」

 

 幹也さんと知り合いになってから一ヶ月後、彼からに送られてきた地図を頼りに俺は自分の住む街を離れ、見知らぬ街にやって来ていた。そこは冬木からだと観布子ほど離れているわけではないが、新都などと比べるとこれから発展していくであろう可能性を感じさせるような街。

それにしても幹也さんの捜索能力には脱帽である。

幹也さん曰く、アオザキが会社をたたんでしまってから全く連絡も取り合っていなかったにも関わらず、ものの一ヶ月ほどで現在の居場所と連絡先までも仕入れてくれた。感謝してもし足りないくらいだ。

 

 しかし遠く見ていた街にこうやって立つと、なぜか不思議な感覚になる。観布子の時にも感じていたが、知らない土地に『戦う』という目的以外で来ると何故か少しだけ嬉しい気持ちになるのだ。

俺は今まで色んな風景を見てきた。

荒廃した地平、鉛色に重い空、血に塗れた大地、そして多くを助けるために犠牲にしてしまった人たちの亡骸。

でも違っていた、ありふれた景色がこんなに綺麗だったことを俺は改めて感じていた。

 

「……にしても、ここに本当に人が住んでるのか?」

 

 指定された場所はもう何年も人の手が入っていないような廃れたビル。人もあまり寄り付かない、街の中心から外れた場所にそれはあった。

『アオザキトウコ』……式さんと幹也さんの話だと、掴み所のない人らしい。それに加えて二人はちゃんと意味を理解していなかったが、アオザキトウコは魔術 協会から封印指定を受けた魔術師なのだという。しかしこれだけでは情報が不足しすぎていて一体どんな人物なのか、全く予想が出来ない。

 

「とにかく入ってみるしかないか」

 ビルの入り口であれこれと悩んでいる場合ではない。俺は決心をかため、恐る恐るビル内に足を踏み入れようとした時だった。

 

「――ッッ! な、何だっ!?」

 身を突き刺すような明らかな感情。これは最近にも感じたもの……それは殺気。かつて戦場に身を投じていた頃、日常茶飯事に受けていたモノ。

 

 

 ――これは……上から?

 

 

「意外に若い魔術師だな。この場所が分かるなんて意外だったよ。でだ、人の工房に勝手に入ったんだ。覚悟は出来ているんだろうな?」

 

 階上から聞こえるのはあまりに綺麗な声。それは殺気と非常さを内包した響き。

見上げた先には、声に違わぬ美しい女性が立っていた。

 

「あ、なたが……アオザキ?」

 

「そんなこと、どうだっていいだろうに。まぁ『シキ』の真似をするわけじゃないんだがね、殺しあおうか?若い魔術師くん」

 

 ドンと重い響きをたて、目の前の魔術師が手にしていたアタッシュケースを床に置く。

その音に続くように奏でられる甲高い靴音。

 

「さぁ、餌の時間だ。存分に楽しめ」

 

 現れたのは嵐、そして黒い猫。それは爪をたて、牙を向いて俺へと突進してくる。

 

 この俺の幼い身体では避ける事の出来ないスピード。

 

 

 

ダメだ。こんなところで戦っては!?

 

――そんなこと、無駄だ

 

でも、俺にはあの人に対する敵意なんて……

 

――見せ付けるのだ

 

一体何を?

 

――覚悟、そして自らの力を

 

そう……自らの力を見せ付ける

 

――英霊であった私の

 

   今の俺の力を!!

 

 迫る、それはさながら身を切り裂く風。ならばと俺は息を呑んで、駆ける。

分かること、それは“今の俺”には離れた敵への攻撃する術を持たないこと。

ならば近付け!唯一の攻撃手段を生かすことの出来る場所まで!

 

 一から、何のアドバンテージもないこの身体に魔術回路を打ち立て魔力を通す。それは焼けていくような鉄を焼き入れる様な感覚。気持ち悪い……痛くて、辛くて、膝を突いてしまいたくなる。

 

 その痛みに耐え敵を見据え立ち続けた。

俺には、その痛みに耐えるだけの覚悟があるはずだ!

 

「同調・開始(トレース・オン)!!」

 お決まりの言葉。だからこそ、俺にとっては必要不可欠な言葉。

目の前に迫る猫。普通に当たれば骨は砕け散る。

 

 当たりに行っても同じなら、向かい討っての一撃で勝機を見つける。

 

ズタボロな身体に鞭を打ち、俺は一気に階上に向け駆ける。

身体に『強化』の魔術。成功とも言えない、穴を見つければあり過ぎる成功のない魔術。

 

「……ッシ!!」

 ゴキリと音をたて、猫が俺の足元に沈む。

突き出した拳に残る鈍い痛み。そんなことは今は考えない。痛みを思考の外に逃がし、次の一手を打つために顔を上げ、階上にいるはずの魔術師へとまた疾走を試みる。

 

 

「なかなかの瞬発力だ。それなりに鍛えてはいるようだな」

 

 そう、その響きを耳にし、俺は自分の間違いを痛感させられた。

こんな安直な行動、簡単に見破られる。これは子どもの喧嘩ではない、相手は……相手は、生粋の魔術師なんだ。

 

「だがな、これは『魔術師の殺し合い』なんだぞ?」

 

 

「――ハッッッ……」

 

 

 落下する。俺の身体が、俺の意思とは無関係に……ただ落ちていく。

 

そう。俺は昇っていたはずの階段から落ち、出口まで落ちていた。

身体にははっきりと衝撃を受けたが残る。魔術師は俺の見えないところから、第二手を用意していたんだ。

 

「身体は頑丈なんだな……なかなかに楽しめたよ、魔術師くん」

 

 冷たい言葉が頭上から降ってくる。霞みゆく意識の中で最後に目にしたのは、あまりにも美しすぎる、そして冷酷すぎる魔術師の表情。

 

「お、俺は……まだ…」

総てが甘かった。いや、もしかすると己を過信しすぎていたのかもしれない。俺は最後の強がりも口に出来ず、闇の中へと意識を落としていった。

 

―interlude―

 

 

 それは人外が、互いの血を求め狂う狂乱の夜。

魔術師が根源の渦への到達を悲願とし、その業を昇華させる時。

廃ビルの一室。机とソファ、そしてはたから見ればガラクタばかりが散在している、おおよそ何かのオフィスとは誰一人として思わないであろう部屋である。

 

ここに、二人の魔術師がいる。

一人は衛宮士郎、かつての英霊の魂を宿したこの世界のイレギュラー。彼は今、ソファで寝息をたてている。身に受けたダメージを少しでも回復させようとしているかのように。

 

「……あぁ、来たよ。確かにお前の言う通りだった」

 淡々とした女性の美しい声が部屋に響く。その瞳は鋭く、自らが打倒した若い魔術師を捉えている。

 

 その声の主こそ、衛宮士郎が面会を求めていた人物。

名を蒼崎橙子。このオフィスの主であり、魔術協会より封印指定を受けた魔術師の一人である。

 

 

彼女は『エミヤシロウ』という名の少年が自分のところに来ることを、今電話で話している元部下・黒桐幹也から事前の連絡で聞いていた。

そう。わざわざ黒桐幹也が連絡までして、自分に会わせようとするのだ。それ自体がおかしさを物語っている。

 

「しかしね、下手すると殺してしまうところだったぞ。半人前の魔術師ならば先にそう言っておけばよかったろうに」

 

 呆れたと言わんばかりの声で橙子は幹也に対して悪態を吐く。しかし受話器の向こうからは帰ってきたのは意外だと言わんばかりの驚き慄いた響きだった。

 

 あの子どもには特筆すべきものはない。

ただ一つ、自分と相対した時に感じさせた殺気。それは幾度となく修羅場を乗り越えてきた者が発するモノのそれに等しい……いやそれ以上のモノだった。

その点だけを見るならば、確かにあの年齢の子どもにしては筋が良いのかもしれない。

 

 それこそ彼女がエミヤシロウに下した評価だった。

きっと式も同じことを思ったに違いない。だから何も言わずにあの少年を此方に寄越したのだろう。

 しかし受話器の向こうから聞こえてきた返答は、自身が予想したものとはあまりにかけ離れていた。

 

「――何、だと? 本当に式がそう言ったのか!?」

 それは式が言ったとは思えないような言葉だった。しかし彼女の夫、黒桐幹也がこの手の冗談を言うわけもない。それは紛れもない事実なのだ。

 

「なるほどな……全く、お前たちと関わっていると退屈をしないよ」

 幹也の返答に、橙子は面白そうに口元を歪めた。

「まぁ、後は私に任せるといい。式がそう言ったんなら、お前たちでこの子をどうこう出来るわけではないだろうからな」

 彼女のあまりに素直な反応に、幹也は溜息混じりに問いかけてくる。だがもはや橙子には彼の問いかけなどより、今目の前にいる少年への評価を改めなければということに興味の大半をもっていかれていた。

 

「――大丈夫だ、悪い様にはしないさ」

 最後に一言告げ、あっさりと電話を切る橙子。おそらく受話器の向こうでは幹也が慌てふためいているのだろうと想像しながら笑みをこぼす。

そうして自らの工房に足を踏み入れた少年へと視線を移し、先ほど幹也の口から出た『式が言った』という言葉を反芻する。

 

「『普通じゃなさすぎる』か……」

 

 それは魔術師からすれば当たり前のこと。世界の神秘に触れている、非日常に身を置いているのだからそれは当然だろう。

しかし式が言った言葉が、他の魔術師や人外のモノと比べての事ならばかなり意味合いが変わってくる。無論式ならばこれまでの経験で、エミヤシロウが魔術に 関わりをもっているであろうということは一目瞭然だろう。それを踏まえてあえてその言葉を選んだとするならば、それはあまりに興味をそそられることなので はないか。

 そしてもう一つ、『エミヤ』という名。

かつて多くの魔術師を震え上がらせた『魔術師殺し』と同じ名を目の前の少年は持っている。もし本当にあの男の関係者ならばこんなおかしな巡り合わせはない。

 想像通りならばこんなに面白いことはないと、嬉しそうな顔を見せ橙子は胸ポケットに入れてあったシガレットケースを取り出し、煙草を一本取り出した。

 

 

「――あぁ、本当にそうならば……」

 火を燈した煙草から立ち上る煙が徐々に室内を覆っていく。

まるで彼女の心を表す様に、靄がかったその向こうに、かつて対峙した憎むべき者を思い描くかのように。

 

 これから起こりうるであろうことを考えるだけで、彼女は自身の興奮を隠せなかった。それは魔術師としての性か、それとも人としての興味から来るものか。

どちらにせよ蒼崎橙子にとって、退屈しのぎになることには変わりないのだ。

 

「確かに、どう転んでも面白いことには変わりはないか」

 魔術師は呟く、その瞳に嬉々とした色を漲らせながら。それはまるで子どものように、そして異常者のように。

 

それが一体どちらなのか、その答えを知るのは彼女だけであった。

 

 

―interlude out―

 

 ひんやりとしたタオルの感触。

冷たくて、気持ちが良くて、心地よくて。

それに引かれるように、俺の意識は覚醒へと向かう。大事なものを思い出すように。

 

「――んっっ」

 視界に蛍光灯の光が痛い。慣れない視界をじんわりと正常に戻しつつ、俺は起き上がり周囲を眺める。

 

「ここ、は……」

 

「――あ、起きたのね。大丈夫?」

 

 ギィと音をたてて開けられたドアから眼鏡をかけた赤毛の女性が一人、にこりとした笑顔を見せながら入ってきた。大量の書類と、救急箱を手にして。

 

「え? あ、貴方は?」

 俺は部屋に入ってきた女性の方を見ようと身体を起こそうとするが、あまりの激痛にうまく身体は動いてくれない。

 

「うん、目はしっかり見えてるわね。熱は……大丈夫。怪我はまぁ、ちょっと酷いかもしれないけど」

 女性は荷物を置き、俺の前に座りながら俺の様子を見てくれる。

そうして彼女は救急箱から包帯を取り出し、俺の腕に巻かれた包帯を取り替え始めた。

 

「今回はサービスよ。普段は絶対にこんなことはしないの」

 部屋に入ってきた時と違わぬ笑顔を見せ、彼女は手際良く作業を進めた。しかし女性が俺の包帯を取り替えてくれている間、俺には何が起こったのか理解できないほどに困惑していた。

そう。目の前の女性こそ、俺を打倒した魔術師……アオザキその人だったからだ。

 

「どうしたの? 少し強く巻き過ぎたかしら?」

 アオザキは不思議そうな顔をして俺に尋ねる。

あなたがあまりにあの時と雰囲気が違いすぎるから困惑したと言えない俺は平静を繕うように深呼吸をして、噛みしめるように返答する。

 

「いえ、別に……ただ少し身体が痛くて。あ、俺は士郎。衛宮士郎です」

 

「えぇ、知ってるわ。私は橙子、蒼崎橙子よ」

 はっきりとそしてあまりに簡潔に言葉を返すアオザキ。

何か色々俺と戦った時とはあまりに食い違っているが、この人が俺の探していたアオザキトウコその人であるということは間違いないらしい。

 

「やっぱり、あなたがアオザキ……」

 

 

 俺の緊張と困惑を感じ取ったのだろうか、アオザキは無言で俺から離れて自分のデスクに腰を下ろした。そして、ゆっくりとした動作で耳にかけていた眼鏡を外しながら呟く。

「さて、自己紹介もすんだんだ。本題に移ろうか?エミヤシロウくん?」

 

 鳴り響くような、綺麗な声が部屋に響いた。刹那、思い出すあの屈辱。倒れた俺を見下す表情。目の前の女性の瞳は瞬時に別のものへと変貌を遂げた。

それは魔術師。自らの願望のために、手段を選ばず何でも犠牲にしてしまう者の瞳だ。

 

「あ、お……俺は!」

 

 その目から感じたのは殺気だけではない。蔑むように、嘲笑うようにすら見えた。

 

「――全く! お前は一体なんなんだろうな?なぜ式があんなことを言ったのか……今のお前からでは想像できないよ」

 視線と同様に、嘲りを孕んだ響きが再び投げかけられる。それは完全にあの時相対した魔術師のモノに相違なかった。

 

『試されている』。素直にそう思った。あの時の戦闘も、そして今も……俺はこの人物に品定めをされているのだ。

 

「……式さんが言ったことってなんですか?」

 呼吸を整え、しっかりとした視線を俺はアオザキに向ける。怯える身体を制し、ゆっくりと言葉にしていく。魔術師との対話がこんなに神経を使うモノだったのかと、改めて思い知らされる。

 

「橙子でいい。……まぁ式はね、お前のことをこう言ったんだ。『普通じゃなさすぎる』と。」

 

 一言、俺に向けて放たれた言葉は、正直俺の予想しなかったものだった。

あの一目で特異であると見て取れる人間が俺を『普通じゃなさすぎる』と言った?何か悪い冗談なのだろうか。

しかし俺が頭を悩ませている最中にも、橙子さんは矢継ぎ早に言葉を投げかけてきた。

 

「まぁ黒桐が連絡してこなければ、その場で殺していた……。ただ式の言葉もあって、お前に少しだけ興味が湧いたんだよ」

 橙子さんは俺を正面から見据える。それは俺の意思の確認。

“今のお前なら、いつでも殺すことが出来る”暗にそう言われていると、その言葉から理解することは容易だった。

 

「さて、まず三つ質問ばかり質問だ。お前は衛宮切嗣という男を知っているか?」

 

 ズバリと、橙子さんは俺の想像していなかったことを俺に問いかけてくる。無論、目の前の女性は俺の黙秘権を完全に否定している。

隠すことなどではない。これは寧ろ今の俺が魔術師に存在を認めてもらうための名刺代わりなのだから。

 

「はい、衛宮切嗣は俺の育ての親です」

「む?つまりお前は切嗣の実の子どもではないと?」

 

 怪訝な表情で俺を睨みつける橙子さん。俺は構わずに自分の素性をドンドン明かしていく。

「俺は冬木で起こった災害の孤児でした。切嗣はその災害の後、すぐに俺を引き取って育ててくれたんです」

 

 彼女は俺の言葉に耳を傾けながら、何か考え事をしている様子だった。そして考えがまとまったのか、もう一度俺を見据えて問いかけた。

 

「では二つ目。お前は衛宮切嗣に魔術の手ほどきを受けたのか?」

「えぇ、ただ切嗣が教えてくれたのは魔術の大まかな知識と主に『強化』です。常々才能がないと言われてましたから」

 

「待て! じゃぁお前は『強化』しか使えないのに、単身で魔術師の工房に侵入したというのか? 呆れたやつだな……」

 橙子さんは俺の蛮勇とも言える行動を苦笑する。笑われても仕方がない。だが今の俺の身体では『強化』しか……いやそれすらまともに使えない。それを打開するためにここに来た、これは間違いではないはずだ。

 

それから切嗣絡みの質問は続いた。

俺はぐっと握り拳を作って、この嘲りともとれる橙子さんの言葉を受け続ける。いや、寧ろ今の傷付いた状況では俺には何も出来ないという方が正しいのかもしれない。

 

 

 

「――なるほどな、大体は分かった。あの『魔術師殺し』が死ぬ前に残した忘れ形見がお前ということか……つまりお前は私を『魔術師殺し』と同様に師事したいとでも?」

 

 来た、この言葉を待っていた。別に俺は蒼崎橙子を師事したいわけではない。ただ魔術の世界の入り口としようとしているだけに過ぎない。

だからあえて俺は嘘を言わない。ハッキリと俺の目的を口にする。

 

「……あくまで強くなるきっかけが欲しいだけです。師事して後ろ盾を得ようとか、そんなことは思っていません。」

 

 これだけの言葉では説明には不十分かもしれない。しかし橙子さんは大体のことをくみ取ったのか声をあげて笑った。考えてもみれば、こんな子どもが何を生意気なことを言っているのだろう。だが、俺にはこれ以上に説明できる言葉を持ち合わせているわけではなかった。

 一しきり笑い終えた後、呼吸を整えながら橙子さんは “いいだろう”と呟いた。目尻に溜まった涙を拭きとりながら、もう一度俺を見据える。それはおそらく最後の確認のためだろう。

 

「まぁ気に入らなければすぐにどうとでも出来るということを覚えておけよ。今後お前がどれだけ出来る奴か調べるとして…もし修行が必要ならば手を貸さないでもない……さて、最後の質問だ。お前は一体“何”だ?」

 

「――え?」

 

 予想出来ない一言。式さんに初めて会った時にも言われたその言葉に俺は思考を乱されて……自分でも何が何だか全く理解できない。

 

「誰って……俺は衛宮士郎です」

 間抜けな顔をしているっていうのは十分に分かっていた。

ただ、俺にはこう答えるしか術が見付からなかったのだ。

 

 橙子さんの眼は、俺を瞳を見つめ、嘘を言えば呪い殺さんとばかりだった。

その手は俺の首筋を握りつぶそうとしている。

 

「お、俺は……!」

 

「そうだ、『今』の君は衛宮士郎だ。しかし……」

 

 

 

“私と戦っていたときのお前は『今』の衛宮士郎ではないだろ?”

 

 

 

完全な停止。

思考が完全に止まる。

何も出来ずに、顔を伏せる。

 

分からない、わからない……ワカラナイ、ワカラナイ、ワカラナイ!!

 

嘘ダ、分カラナイハズガ無イ

 

ソウダ、俺ハ英霊ダッタ。世界ト契約シテ、多クノ戦場ト、数多ノ血ヲ見テ来タ。

 

「確かに、あの時の衛宮士郎は少し違っていた。でも……」

 

ソウダ、俺ハアノ頃トハ違ウンダ。答エヲ見付ケタ。ソシテ……

 

「俺は、衛宮士郎です!」

 

そう、俺はそんな疑問を打破してきた。

だから、今ハッキリ言えるんだ。

 

「だから強くなりたいんです。強くなって……」

 

 守りたい。大事な人を。俺を救ってくれた、俺の道を示してくれたあの子を。

 

 何時になく心は澄んでいた。目の前にいる橙子さんも殺気を消して、苦笑しながら煙草の火をつけようとしていた。大丈夫だ、きっと……これからもやっていける。

 

 あの冬に向けて、俺は再び進みだした。

俺の総てを変えるための戦いの日々が。

 

 



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始まりの季節へ
遠き冬に向けて


 

 広がるのは見慣れた光景。

 

鉛を垂らし込んだように重く落ちる空。

荒れ果て、目も当てることの出来ない大地。

そして数多の剣、墓標のようにただ冷たい剣の葬列。

 

「あぁ、俺は……まだ此処にいる」

 

 そう、俺は此処にいる。この世界から逃れることは出来ない。

どれだけ違う風景を見ようと、感じたことのないことを感じようと。

俺はこの世界から、この呪縛から逃れることは出来ないのだ。これは……いやこれこそ俺がエミヤシロウたる由縁の風景なのだから。

 

「――でも、ここで立ち止まってばかりはいられない」

 ジッと、剣の葬列の終点に目をやる。彼方、砂埃をあげてこちらに歩いてくる。

赤い外套に身を包み、焦げた肌をした一人の男が。

 

「なんだ、そんな顔するなよ。久しぶりの再会だろ?」

 男は何も答えない。ただこちらを睨み付けるだけ。感じられるモノは明確な一つの感情。

俺には分かっていた。そいつが言いたいことも、したいことも。

 

「いいぜ、俺だって試してみたいんだ」

 

 手のひらに現れる二対の夫婦剣。ゆっくりと掲げられるそれを目にし、俺は思い出していた。自分の信念を疑わず、走り続けていたあの頃を。俺の歩んだ道が間違いではないと気付かせてくれたあの人たちを。

そしてそれは、俺が行おうとしている矛盾を肯定させるための言い訳に過ぎないことを理解していたのだ。

 

「さぁ来いよ! 英霊エミヤ!!」

 

 俺の敵意を理解したように、赤い外套の男は俺に向け疾走する。

同時に、後ろ手に構えていた剣を、風をも突き破るような速度をもって突き出す。

 

「――ッつ!! 投影・開始(トレース・オン)」

 

 甲高い音をたて、剣の侵攻が止まる。俺は瞬時に目の前の敵が持つものと同じ夫婦剣を投影し、敵に対する。

容赦のない力、鍔迫り合い。力を抜いてしまえば、そのままに斬りかかられてもおかしくはない状況。

 

「はぁぁぁぁ!!」

 

 その定石を覆すように俺は剣をくるりと返し、もう一方の剣を横に滑らせる。

狙うはがら空きの胴。しかし、赤い外套の男はそれも先読みしていたように、剣を外された途端、俺の剣が当たる寸でのところで後方へと飛び退いた。

 

「あぁ、そうするよな。俺もそうだった……」

 語りかけ、相手の表情を見据える。

憎しみの篭った、今にも爆発してしまいそうな爆弾を抱え、男は再び疾走を開始する。

これで最後だと、お前は死ぬべき人間なのだと諭すように。

 

「お前の気持ちは良く分かる。でもな……俺は自分には負けられないんだよ」

 

 その言葉の裏に、もう引き返すこと、逃げることが出来ない自分への戒めを籠め、俺も男と同様に自らの速度を上げていく。

 

互いの距離が縮まる。そう、これが夢だと分かっていても、俺の心は躍っていたのだ。

さぁ、俺はどれだけ近付いた?

お前に、かつてのエミヤシロウに!!

「――ちょっと! いつまで寝ているつもりなの?」

 

 鈴が鳴るような響きが耳に響いてくる。

朝の目覚ましのように無機質ではなく、どこか落ち着くような温かみのある響き。

 

「あ~……も少し」

 開きかけた瞳を再びぎゅっと瞑り、俺は夢の世界へトリップを試みた。

 

「ゴッッ!!」

 しかしそれもつかの間、ゴツリといたい衝撃が俺の顔面を強打したのだ。

 

「いってぇぇぇ! 何するんですか!?って、あ……鮮花さん」

目の前の女性は、艶のある黒髪をなびかせ俺に鋭い眼光を向ける。

 

「確かに貴方が疲れているっていうのは分かるし、橙子さんからの課題を持って来てくれているんだから感謝はしてるわよ。でもね……仮眠を取るっていっても一時間以上も女性のことを待たせるっていうのは、男性としてどうかと思うのだけど?」

 容赦ない言葉攻めが俺を襲う。

目の前の女性、黒桐鮮花さんはあからさまに不機嫌になってしまっている。

あぁ、こうなるとこの人には歯止めが効かないのだから性質が悪いのだ。

 

「あ、えっと、すいません!」

 

「まったく……まぁ私の方も少し大人気なかったわ。ごめんね、士郎くん」

 

 小言を言われるのかと思いきや、あっさりとした鮮花さんの物言いに少しばかり困惑してしまう。

そう考えながら壁にかかった時計に目をやると、確かに約束の時間から一時間以上も経っていた。何と言うか……思った以上に自分自身が疲れているのだと実感してしまう半面、素直に鮮花さんへの謝罪の気持ちにかられてしまう。

 

「本当にすいませんでした。なんだか寝入ってしまってて」

「あぁ、本当に良いのよ」

 鮮花さんは気にしないでねと微笑みながら、俺を紅茶の用意したテーブルへと手招きする。それに誘われるままに俺は席に着くことにした。

 

 

 ここは観布子にある、幹也さんの仕事場である。まぁ一人で調べ物をするために用意した部屋ということで目につくものは書類であったり、何かの資料をまとめたファイルであったりで、橙子さんの仕事場に比べれば幾分かそれに近い感じではあった。

俺は観布子に滞在する際は決まってこの仕事場でお世話になっている。正直知り合いがあまりにも少ない土地だけに、幹也さんたちの存在は本当にありがたいものがあった。

 

 気が付けば幹也さんたちと出会って五年の歳月が経とうとしていた。

この五年間、いろんな経験をした。この年齢では使えるはずもなかった技術すら今の俺には身に付いている。

ただ、その代償に俺が大事にしていた者たちとは疎遠になっているということは言うまでもない。

 そして目線がどんどん高くなるにつれ、それがかつてのオレのモノに近付いていく。それが余計に『もう時間がない』ということを俺に訴えかけていた。

 

 

「――で、これが今回の橙子さんからの課題になります」

「……はい、確かに受け取りました。本当に、毎回悪いわね」

 

 そして俺は蒼崎橙子さんと関わりを持つ対価として、彼女の……まぁ小間使いをさせられていた。こんな風に運び屋だったり、橙子さんの弟子へのメッセンジャーだったりと、自分の負担にならない程度であるが仕事をさせられていた。

 

「何かありましたか? 前に会った時も調子悪そうでしたが」

「ん~どうだろうね」

 言葉を濁しながら、鮮花さんは紅茶に口を付けた。

そう。この鮮花さんも橙子さんの弟子の一人であり、一応の世間の立場上俺も同門になるわけだ。

 

「……まぁ、理由があるとすれば、あの二人の事なんだけどね」

「あぁ、あの二人ですか」

 自嘲気味に呟く鮮花さん。言わずもがな『あの二人』というのは、幹也さんと式さんのことだ。以前鮮花さん本人の口から聞いたことがある。『魔術を習っているのは、式さんに対抗するため』だと。

 

 

「――もうね……あの二人があんな感じだから、私個人としても魔術を習う理由って無くなってきているのよ。だからなんだか君のこと見ていると、悪いことしてるかなって気持ちになるの」

 あまりに弱気な発言に、何を言っていいのかは分からない。

でも、これだけははっきりと言うことが出来るというモノは一つだけある。手にしていたカップを置き、俺は鮮花さんを見据えて呟く。

 

「それも良いかもしれない、何もなかったように日常を生きていくのも。……それで今まで積み上げてきたものが無くなってしまうわけがない、嘘になるわけがないんです」

 俺の言葉に納得したような表情を見せる鮮花さん。少し微笑みながらカップに残っていた紅茶を飲み干すと、一言そうだねと呟いた。

 

 正直、俺がそんな言葉を口にしていいのか……それが正しいのか分からなかった。

俺は自分の言葉に見合うような生き方をしているのか。あの時、あの魔術使いが言ってくれた『間違いではない』ということを実践できているのか。そして、自 分がかつてあの騎士と肩を並べて戦っていた時に言ったはずの『やりなおしなんか、できない』という言葉を、簡単に反故にしているのではないのか。

矛盾している、今この時でさえ自分はそれを繰り返している。

 

そんな人間が、分かったようなことを言っていいわけがない……そうでなくてはならないはずなのに。

 

「士郎くん、どうしたの?」

「――あ……すいません。少し疲れているみたいです」

 少し考え込んでいたせいだろうか、鮮花さんは心配そうな顔を俺に向けていた。

心配をかけまいと誤魔化すように俺は笑みを見せたが、腑に落ちないという表情を彼女は見せるのだった。

 

「鮮花ー士郎くんー、みんなでお昼でも食べに行こうか?」

 不意に聞き慣れた落ち着いた声が階下から響いてくる。

俺にとってそれは救いの音にも似た響きだった。正直、これ以上鮮花さんと二人きりで話すのは限界だった。別に嫌というわけではない……ただそのあまりに真っ直ぐな眼差しもはっきりとした物言いも、かつて主と呼び共に戦った『あの少女』と重ね合わせてしまう。

 

それが堪らなく辛かったのだ。

 

 

 

 

「あ、お疲れ様、二人とも」

 階下に降りるとそこには、いつもと変わらず俺たちを向かえる幹也さんの優しい笑顔。そんな幹也さんの隣には式さんが早くしろよと言いながら不貞腐れている。

相変わらずの二人に、俺はどこか安心感を覚えた。

結婚して五年目になろうというのに、二人は付き合いだしたばかりの恋人のようにういういしい雰囲気である。

 俺にとっては二人とも恩人であることに変わりはないのだから、そこのところは嬉しい限りである。

俺がそんな幸せなことを考えて呆けてしまったのだろうか。三人は既に俺より少し前を歩いていた。少し進んだところから幹也さんが俺に向かって声をかけてくれる。

 

「さぁ、色々話したいこともあるから早く行こうか?」

 俺は言葉に導かれるまま、前を歩き始めていた三人に並ぼうと少し小走り進んでいく。

今はこの時間を楽しもう。焦りを覚えながらも俺はそう思い込むことにした。

 

 集中しろ。俺は“それ”を為すための一つの回路。魔力の流れを変える変速機。

 集中しろ。俺の心に宿す風景を此処に具現化する。果て無きあの大地を。

 

 “体は剣で出来ている”

ギシリ、ギシリと俺の身体が悲鳴をあげる。

 

“血潮は鉄で、心は硝子”

魔力の奔流。うねりを増し、俺の身体を食い破らんと暴走している。

中止を訴える身体を必死に止めつつ、俺は詞を口にする。

 

 “幾度の戦場を越えて不敗”

そう、これは儀式だ。自身の全てを世界に浸す。犯されていく、手の先から足の先まで。

だから、痛いのは当たり前なんだ。

 

“ただ一度も敗走もなく”

“ただ一度の勝利もない”

 世界を開く。これは証明の為の儀式。

俺が、アイツに迫ったことを証明する儀式。

 

“担い手は此処に独り”

――未練を残すな

 

“剣の丘で鉄を鍛つ”

――後悔を残すな

 

 

“ならば、我が生涯に意味は要らず”

そう、何故ならばこの身体は……

 

“この体は……剣で出来ていた”

 

 

 詞を紡ぐ。語りなれた、俺のための詞を。

焼け付くような風に誘われ目を開く。そこに広がったのは、見慣れた……果て無き剣の大地。

 

 吸い上げられていく身に宿した魔力。それをただ強引に、容赦なく、根こそぎ持っていかれる。何度経験してもこの感覚は慣れることの出来るものではない。

 

「――ぁ、はぁ!!」

 

 掲げた腕がガタガタと震え始める。

しかしそれをそれすら凌駕し、この風景を自由に使えるようになった時、俺はオレとの戦いのステージにようやく昇ることが出来る。

だからこそ俺は止めることは出来ない。この行為を。自らの心象風景を形にし、世界を変容させていく行為を。

しかし既に限界を通り越していた。

自身の思いとは裏腹に徐々に世界は歪みを見せ始め、そして幕を降ろしたように、剣の大地は消え失せ普段から使用している修行部屋へと、その姿を戻していた。

 

「確かな幻想、確固たる己を持たない者が、固有結界なんかを使いこなせるわけがないと教えたはずだぞ? 士郎、つくづくお前は進歩のない奴だよ、本当に」

 息を切らしへたり込んでいた俺に、冷酷な言葉が投げかけられる。

一体いつから見ていたんだろうか、蒼崎橙子は呆れ顔を見せながら部屋の隅に立っていた。

 

「――何が言いたいんですか?」

「まぁ今のお前に何を言っても変わらんだろうがね。自分の身体を思う存分痛め付けて、疲れ果てればいいさ」

 

 これは彼女なりの優しさなのだろう。決して励ますことはせず、自らの足で立ってみろと言われているような気がした。しかし俺はそれを素直に受け取ること が出来ず、苦悶の表情を浮かべているということを自分でも容易に感じることが出来た。その表情に呆れ顔を見せながら、橙子さんはタバコに火を灯し、足早に 部屋から立ち去っていく。

 

紫煙の香りが残る中、一人部屋に取り残され何も出来ないまま上を見上げた。

何も出来ない、超えることの出来ない自分に苛立ちを覚えながら。

 

「どうしたら、どうしたらもっと……強くなれる?」

 ただその言葉だけが虚空に消え去り、俺の不甲斐なさだけが今ここに残った。

 

 

 ただ、強くなる術を得たくて橙子さんの下にやってきた。

確かに体験するはずもなかった経験のおかげで、この年齢では身につけることの出来なかった力を宿すことは出来た。それは間違いない、もちろん感謝もしている。

 

 あと一歩、何かが足りない。

それが何なのかは既に理解しているはずなのに……それを明確にすることを自分自身が恐れている。

いや、むしろ意識しないことが幸せであるとでも思っているのだろうか。

 

もはや俺は取り返しのつかないほどの罪を抱えているというのに。

 

 

 

“体は剣で出来ている”

 そして俺はもう一度立ち上がり、自らを表す詞をカタチにしていく。

今は闇雲に、橙子さんに言われたように自分自身を痛め付けんがために。

 

 



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魔術師の夜

 

―interlude―

 

 

「あれがここに来て四年……いや五年になるか」

 夜も更け月が真頂に昇る頃、一人の魔術師が独り言を呟く。

彼女は自らのイスに腰掛け、あるのが当たり前になったあの不味い煙草を口にくわえていた。

そして思い返すのは、自分を利用してやると大口をたたいた少年のこと。

 

「確かに、アイツは強くなった」

 そう一言、まるで皮肉のように橙子は語り始める。

 

最初はただの興味だった。昔馴染みが連絡を寄越したというのも要因の一つではあるが、しかしあの少年、衛宮士郎の事を知れば知るほどその興味はどんどん膨れ上がっていったのだ。

 

 特筆して言うべきは、その『魔術』の在り方。

どれだけ優秀な魔術師が士郎を見たところで、捺される烙印は『出来そこない』や『半人前』というところだろう。事実、橙子も彼と最初相対した際にはそう結論付けていた。

 

「しかしどうだ。確かに私の見る目もまだまだだったということではないか!」

嬉しそうに笑みをこぼしながら橙子は呟く。

そう。彼の少年はそんなものではない。使うことのできる魔術総てが、大禁忌から零れ落ちたものだとはとは誰も想像しえまい。彼女自身もそれに気付いたのは、彼の固有結界を初めて目の当たりにした時だったのだから。

 

だからこそ彼女は考えていた。

何故年端もいかない少年がそんな大禁忌を身に宿していたのか。

何故あれほどの素養を持った魔術の担い手が、わざわざ封印指定を受けた自分のような魔術師の下に来る必要があったのか。

 それら全てを鑑みて、当初彼女は彼の少年を解剖してやろうとすら考えていた。

しかし橙子は未だにそれを実行に移してはいない。実際彼の成長を目の当たりにして、その気持ちも無くなってはいないが、それにも増して彼の行く先を見てみたいという気持ちにかられていた。

 

「――強くなることを、まるで義務付けられたように自らの身体を痛め付けて……ただのバカなのか、それとも本当に英雄でもなろうとしているのか」

 

 橙子が口にした一言が、まさか衛宮士郎の真実を物語っていようとは、この時の彼女には知る由もないことであった。

そうして彼女は思い出す。数年前に関わっていたあの二人の事を。今は自らの手の届かないところにはいるが、今でも身内であることには変わりないあの二人を。

 

「最後の仕事、やってもらうことにするかな」

 

 くわえた煙草に火をつけ、橙子が呟く。かつて彼女は一人の少女と取引をした。

それは少女に宿った力の使い方を自分が教えること。その代価は自分の仕事を手伝わせること。

 

「まぁ嫌がるだろうか。……いや案外喜ぶかもしれないか」

 

 自身でも容易に解答を見付けることの出来ない疑問に、楽しくて仕方がないと言わんばかりの表情を見せる橙子。

これが子どもの喧嘩ならば気にすることでもないが、この件については全く話が違う。

何故なら一つの家系が作り上げた『根源』に繋がりしモノと、大禁忌を身に宿す少年の戦いなのだから。

 

「あぁ、本当に楽しみで仕方がない」

 橙子の頭には確かな確信があった。

そう。それなくして士郎はこれ以上、これ以上強くはなれないのだと。あれが求める本当の強さを身につけることは出来ないのだと。

 

「――士郎が、アイツがどこまで行こうというのか……それが楽しみでならないよ。全く」

 

 その響きはあまりに冷酷に、しかしどこか優しさを帯びていた。

 

 気が付けばくわえていた煙草はフィルター部分に火が届くかというところまで達していた。それを目の当たりにし苦笑いを浮かべながら橙子はそっと二本目の煙草に火を灯し、ぐるりと部屋を見渡す。

 

「確かに、私は少し夢中になりすぎているのかもな」

 

 紫煙を吐き出しながら、橙子はあるソファに目をやる。

 それはかつて、士郎が怪我を癒すために眠っていたソファ。

あの時彼に興味を持たなければ、こんなに楽しいことには出会えなかった。こんなに最高の暇つぶしはきっとこれから先、そう簡単に出会えるものではない。

 

「――お節介に、なっただけかもしれないな……」

 

 一言呟き、彼女はまた紫煙を燻らせる。

それは素直ではない、彼女なりのやさしさのカタチだったのだろう。

 

 

 

―interlude out―

 

 



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見えないモノ

 

 夜も更けた頃、ようやく俺は、自分の街に帰ってきていた。

一ヶ月に何回か学校終わりに、橙子さんのところに行き仕事をこなす毎日。これでクタクタにならない訳がない。

 

「ふぅ、さすがに堪えるな……もうガタガタだ」

 

 疲労のために重く感じる身体に鞭打ち、どうにか居間まで歩いてくると、テーブルに置かれたメモ書きが目に入ってきた。

 

「今日は帰っちゃったんだな。そっか……毎日迷惑かけてるんだよな、俺」

 

綺麗な字・几帳面さのうかがえる文章、俺はそれに軽く目を通しゆっくりとお膳の前に腰を下ろし、ぼぉっと何かを考えるように目を閉じた。

 

 俺は問題を抱えていた。実生活にではない。恵まれた環境、最高の魔術師を師事し、様々な経験を俺は積んだ。そのことについては充実していた。

 

しかし一歩、確実に明確な一歩が足りない。

あいつに、英霊であった頃の俺に追いつくための最後の一歩が。

 

「まぁ、大体は分かってんだけど」

 

 手を天井に掲げ眺める。薄っぺらで弱々しい手だ。

それがあまりに憎くて、俺は畳に拳を打ちつけた。

じわりと感じる鈍い痛み。そう、これだ。俺に足りないもの。俺があいつより劣っているもの。

決定的な違い、それは『覚悟』。

 

かつて俺は持っていたはずだった。幾多の戦場を戦い抜いてきた、夢を夢で終わらせなかった強い覚悟。揺らぐことなく、疑うことなく持ち続けた理想を。

しかし今はどうだ。肉体の面では強くなりはした。だが決定的に俺は揺らぎやすくなっている。周りの影響を受けやすくなっている。

 

 こんな俺が、今あいつと相対して勝てるのか?

 

 

「こんなこと考えている場合じゃない! 弱音を吐いてなんになるってんだよ」

 

 心に過ぎる不安をかき消すように俺はブンブンと頭を振り、道場を目指し立ち上がった。

弱いと思うなら、かつての俺がしなかった下積みをすれば良い。

道場でかつての俺と戦うイメージで身体を動かす。

気休めでも良い。気持ちの面で追いつけないならば、戦闘技術であいつとの差を縮めれば良い。同じ知識を持っているならそれは容易なはずだ。

 

 しかしこの後、俺は一番見られたくなかった少女にその現場を目撃されることになる。

 

 

―interlude―

 それは……本当に力強く、繊細で、まるで可憐な舞のようだとわたしには感じられたのです。

 

流れるような動き、でもしっかりとした剣捌き。

まるで一つの完成された絵を見ているような、未完成のものを見ているような感覚。

彼の動き一つ一つを目にする度、わたしは心を奪われ、彼に対する『好き』の感情を、更に強く確かなものにしていく。

 

 それが堪らなく嬉しくもあり、悲しくもありました。

 

 きっかけはおじい様の一言でした。年上の、ある男の子を監視するように命じられたのです。

『何をするか分からない、危険な男』。おじい様はそう言っていましたが、わたしにはそうは見えませんでした。

 

 どうしようもなく優しくて、どうしようもなくお人よしな人。

悲しそうな瞳が映すのはいつもそんな色だった。

 

 

 だからわたし好きになった。

ただ真っ直ぐに強くなろうとするその男の子に。

 

でも彼が魔術師として力を付けていく度、男の人として強くなる度に彼はわたしではなく、もっと遠くの『何か』を見つめているんだって感じることが出来た。

 

 それ以上無理しないで! わたしのことだけを見てください!

そんなこと、言えるわけがありません。

 

 

 ただ側にいたいんです。それだけで、今のわたしには十分だから。

この好きを、大事にしていたいから。

 

 ねぇ、側にいていいですよね? あなたの近くに、いてもいいですよね?

 

「衛宮……先輩」

 

 不意に、彼の名前を口にする。

するととても驚いた表情を見せ、彼が振り返り呆然と佇んでしまいました。

 

 こんな表情もするんだ……なんだか可愛い。

ほら、また見つけられた。わたしの知らない彼の表情。

 

 

 こうやって、わたしはもっと知っていきたい。

 

 彼のことを……もっと、沢山。

 

―interlude out―

 

 

「えっっ……?」

 呆然と、声の方に顔を向ける。

向けなくても分かっていた。その声の優しい響きに、俺は聞き覚えがあったのだから。

 

「さく…ら?」

 見られた?俺の姿を。魔術師としての俺の姿を。

この子だけには、この子だけには見られまいと思っていたのに。

 

 否定が頭を過ぎっていく。ダメになってしまうくらいの、破綻してしまいそうなくらいの否定が。

 

「桜……見ちまったんだな」

 自分でもびっくりするほどに冷ややかに俺はその言葉を口にしていた。

その場を照らすのは月明りだけ。彼女の表情を読み取ることは容易ではない。しかし俺は構わずに言葉を続ける。

 

「なぁ、桜」

「――はい、衛宮先輩」

 

ようやく彼女の声を聞くことが出来た。その響きは俺の放つ冷ややかさを感じ取ったのか、怯えたものになっている。

 

「――っっつ!!」

 手にした夫婦剣を破棄し、俺は一歩一歩桜に近付く。

自分がどんどん冷酷な考えに染まっていく中、俺はそれでも足を止めない。

 

 分からなかった。俺はこの数年間、かつてのように冬木に住む人と関わりを持っているわけではなかったのだ。だというのに桜は……間桐の名を持つこの少女は俺の下にやってきた。“慎二”という接点すらも俺たちにはないのに。

 

 だからこそ疑わなくてはならない、桜が俺の敵となる可能性を。

 

 あと数歩で触れられる距離。

その数歩が途方もなく遠く感じられる。

 

 

「さ、くら……ごめんな」

 

 口から零れたのはその一言。自分でも分からないうちに俺は桜に謝罪の言葉を呟いていた。

その言葉が出た時、俺は理解した。この子を、桜を切り捨ててしまうことを無意識の内に容認しているということを。

 

そしていつもの言葉を、スイッチ代わりのあの言葉を呟こうとした時、先に響いたのは綺麗な少女の声だった。

 

 

「――なんで……なんでごめんなんです?」

 それはあまりに寂しい響きで、そして彼女の表情は今にも泣き出しそうなものに変わっていた。

 

 そんな顔を見たくは……させたくはなかったんだ。俺をずっと支えていてくれたこの子には笑っていてもらいたかったのに。

 

 そう。これが初めて間桐桜がどれだけ自分に大切な人間だったかということを感じさせられた瞬間だったんだ。

 

「――なんで……なんでごめんなんです?」

 

 絞り出すかのような弱々しい声で、桜は俺に言葉を投げかける。

目が次第に周囲の暗さに慣れていく。俺はようやく目の前の少女、間桐桜の表情を目の当たりにすることが出来た。その瞳はまるで捨てないでくれと懇願する子犬のように、深い悲しみで染め上げられている。

 

桜のそんな姿を目にして、俺は口を開くことが出来なかった。

いや、今さら彼女の言ったところで、先ほど俺の言葉を撤回できるわけがない。

 

「先、輩……わたし何か悪いことしちゃいました? 気に障ることしちゃいました?」

「違う!そうじゃないんだ……違うんだよ」

 桜の取り乱したよ うな言葉に、俺はこんなことしか言えない。

ただ『魔術使い』としての姿を彼女に見られたくなかったのだと、出来れば桜とは魔術を介して関わりにはなりたくないのだということは、はっきりとしていた。

それだけに自分がどれだけ無責任に言葉を投げたかということを俺は身にしみて理解したのだ。

 

 

 

 沈黙が流れる。夜の穏やかな静けさではなく、重苦しい沈黙が。

全く望みもしなかったそれを、どうにもすることが出来ずにただ茫然と立ち尽くす。

それがどうしようもなく自分をイラつかせ、そして自分の弱い部分を露呈させる。

少女一人の言葉に、態度にこんなにも気持ちをうつろわせて……ただ拳を強く握って、不甲斐なさに耐えるしかなかった。

 

 しかしその沈黙を破ったのも、俺の気持ちをグラつかせた桜だった。

「わたし、先輩の傍に居たいだけなんです……」

 

 その言葉はきっと、この子にとっての真実なんだろう。その彼女の表情以前怯えたままだが、瞳は真摯にそれを訴えていた。知らなかった、桜がこんな瞳も出来ただなんて。

 

おそらく以前の俺ならばこれに気付けなかった。それだけ俺は桜の外見しか見ていなかった。

だが……そうだからこそ、彼女を近くに置いていていいのだろうか。彼女が享受するべき幸せを奪うことになるのではないのか?

そう考えただけで、このままでいいとは俺には思えなかった。

 

「分かってるだろ?俺が何をしようとしてたか」

 もう一度、突き放すように俺は桜にそう告げる。

「――それでも!」

「それでもじゃない! 俺は……俺には」

 

 

 その後の言葉が続かなかった。つい先ほどまで抱いていた感情を、口にすることが出来ない。

 

 

“守ることは、出来ない”

 

 

 その一言が恐ろしく重い。簡単に言えるはずなのに、それを言葉には出来ない。きっとそれは俺がまだ決意を固め切れていない証拠なのだろう。

何故なら、目の前にいる今にも泣き出しそうな女の子はかつて俺が救おうと、守ろうとしていた『多くの人』中の一人だったから。

そう。俺は未だにかつてのオレの夢の残滓に囚われ続けている。いや、それを言い訳にしようと結論を先延ばしにしているに過ぎない。

 

「わたしを迷惑だと言わない限り、先輩の傍に居続けたいんです」

 桜はそう言葉にしてから、俯いたまま顔を上げようとはしなかった。

それはおそらく俺のためだ。泣き顔を見せまいと気丈にふるまおうとしているだけなのだ。

 俺は再び桜に歩み寄り、その肩にそっと触れる。ビクッと身体を震わせるが彼女は顔を伏せたまま、俺の方を見ることはしない。しかし俺は構わずに言葉を紡ぐ。

 

 

「桜……俺、きっとお前のこと」

「分かってます。だから……」

 

 桜は俺の言葉を最後まで聞くことなく、肩に置かれていた俺の手をその掌で優しく包み込み、笑顔を見せた。でもその笑顔は今にも崩れ落ちそうで、今にも泣き顔に変わってしまうかのように儚いものであった。

 

「今は、このままでいさせてください」

 

 俺はそのまま桜の言葉に従うことになった。

この時はそれでいいと思った。桜が敵になったとしても、それを脅威と感じないほどに力を付ければいい。そんなことを思っていた。

 

 

 しかしこの時桜を突き放していれば……いや、突き放さなかったとしても結果は変わらなかっただろう。

俺はこの時の選択を後悔することになる。それはきっと、俺が何をしようとも回避することの出来なかったモノだったのだ。

 

 

―interlude―

 

 わたしは怖い。この世のすべてはきっと、わたしの事を嫌いなのだと思っていたから。

だから人の顔色を窺って、問題など起こさないようにしていた。

 

ただ人に何かを言われれば、素直に従えばいい。

どんなに嫌なことだって、我慢していればいつか終わってくれるもの。

 

でも何故なんだろう。今回は違った。

先輩が、彼が言おうとしている一言が何か分かってしまったから……いつも通り自分が我慢すればという感情よりも、全く違う考えがわたしの頭をグルグルと駆け巡っていた。

 

 “わたしは、彼の一番ではない。でもきっと、彼はわたしを見捨てるなんて出来ない”

 

 それが分かっているから、だからわたしは傍に居続ける。一番じゃなくてもいい。少しでもわたしの事を考えてくれるなら、きっと今はそれで満足だから。

 

 

 一人帰りたくない家への道を歩きながら、自然と口元がつり上がっているのに気が付く。普段よりも帰りを急ぐ足が軽く思えた。

 

 

 いつものわたしはこんな風ではないのに……。

何か心の奥に押し込めていたはずの、仄暗い何かがわたしを覆わんとしている。

 

そんな感覚が、わたしを支配しようとしていたのです。

 

―interlude out―

 

 



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試練

 

“あぁ、なんでこんなにも頭だけは冷静でいられるのか?”

 

 目の前の敵と対峙しながら、俺はそんなことを考えていた。

 

その人間離れした動きも、非情なまでの攻撃も、それら全てを俺を倒すために駆使しながら、その死に神は俺の目の前で酷く嬉しそうに笑っていた。

 

 

「おい、そんなもんじゃないだろ? 少しは本気を出せよ、衛宮?」

 

 死に神は告げる。それは最初の出会いの時に聴かされたあの冷ややかな響き。

 死に神は見据える。それはずっと感じていた、あまりに大きな殺気を孕んだ視線。

 

奴の総てが語りかけてくる。それは明らかな俺への嫌悪だ。

そう。初めて出会った時、こうなることは予想していた。それが時間を経て、今ここに再現されている。

ただそれだけのことなのだ。

 

 

「――さぁ、殺し合おうぜ」

「やられてばっかりでは――いない!!」

 

 言葉を交わした刹那、甲高い音をたて互いの得物がぶつかり合う。

互いに容赦なく、己の力を籠めて結び交わされる。それはさながらただの殺し合いではなく、卓越した舞のようで。

 

 俺は自分自身が命の危険にさらされているはずなのに、あまりの楽しさに身ぶるいすらしていたのだ。

 

 

 きっかけは些細なことだった。

橙子さんからの依頼で観布子の鮮花さんのところを訪れた時、不思議な違和感があったのだ。

鮮花さん自身はその違和感には気付いていなかったようであったが、確かに何かに『視られている』感覚が俺を支配していた。

 

「――あ、そう言えば式が久しぶりに会いたいって言っていたわよ」

 報告が終わった後、世間話ついでに鮮花さんがそんなことを話してくれた。珍しいこともあるんだねと彼女は笑いながら話していたが、それを聞いたときに俺は違和感の正体に気が付いた。

 

「そうですか……式さんが」

 それ以上は言葉にせず、俺は鮮花さんに別れを告げてその場を離れ、違和感の正体に確証を持つため俺は足早に式さんのところへ急いだ。

 

 

 

“式さんが、俺に会いたがっている”

 

 

 

 きっぱりと確信を持って言える。そんなことは絶対にあるわけがない。

例外があるとすれば、俺にとっては良くない意図を持っているということに他ならないはず。だからこんな場合は色々考えてしまうよりも、シンプルに式さんと幹也さんのところに赴くのが一番なのだ。

 しかし俺にはその『自分にとって良くない意図』というものが推理出来なかった。それだけがどうしても気がかりで、自然と歩を進める足もその速度を上げていったのだった。

 

 

 少し街はずれにある竹林を抜けていった先に両儀の屋敷はある。数回しか来たことはなかったが、どうにかここまで迷わずにくることが出来て少しホッとする。

おそらくホッとしたそれだけではなく、両儀の屋敷の門前で見覚えのある顔を見付けたからだろう。

 

「やぁ士郎くん、久しぶりだね」

「お元気そうでなによりです、幹也さん」

 幹也さんは相変わらずの笑顔で俺を迎えてくれた。俺は軽く会釈しながら彼と合流し、式さんの待つ道場へと歩を進めた。その間、俺は鮮花さんから聞いたことが本当なのかを尋ねることにした。

 

「――幹也さん、式さんが俺を呼んでいるって本当ですか?」

 それは少し怯えを孕んだ響きだった。しかしそれに笑顔で幹也さんはその言葉に返してくれる。

「そうなんだよ。久しぶりに橙子さんから連絡が来たんだけどね……それからなんだよ」

 不思議そうに小首を傾げる幹也さん。俺は彼のその後この言葉がどうしても気になってしかたがなかった。

 

「それからってどうしたんです?」

「ソワソワしながらよく言ってたんだよ。早く士郎くんに会いたいってね」

 自分の中でそんなことがあり得るわけがないと思っていた答えをあっさりと口にする幹也さん。それは道場まであと僅かという距離まで来た時のことだった。

もうここからは引き返すことは出来ない。大変なことが起こらないことを祈りながら佇まいを正し、ゆっくりと道場の中へと足を踏み入れた。

 

 

「――よぉ、来たか。衛宮」

 響く。それはいつか聴かされたあまりに美しい響き。冷ややかで、俺の存在を否定していることをハッキリと分からせているようだ。

一歩、そしてまた一歩と近付く彼女に少なからず畏怖を感じていた。

いや、そんなことはどうでもいい。俺は確かめるためだけにここに居る。橙子さんから連絡を受けてからの式さんの変わりよう……俺にとっての最悪の状況が本当に起こっているのか。

 

「式さん、一体どんな要件で……」

「そんなことはどうでもいい」

 彼女の言葉が届いた刹那であった。視界の隅の方から自身に迫る鋭い光。

式さんは俺に肉薄し、隠していたナイフを振り下ろさんとしていた。

 

「――っつ!!」

 その動きがあまりに自然で、俺は身を翻しながらも彼女から目を離すことが出来なかった。故に何が起こったか、目の前の死に神…両儀式という女性が何をせんがために俺に刃を振るったかは容易に理解出来た。

しかし、その動機は一体何だ。互いに害を及ぼさなければぶつかり合うはずもないのに。

 

「ふぅん、やっぱり……アイツの言った通りだ。楽しくなりそうじゃないか」

 姿勢を正しながら、死に神は呟く。その言葉には嘘偽りは感じられず、その瞳から感じる剥き出しの感情は恐ろしいものだった。

だが、それも以前までの話。俺はこの死に神と出会った時のような臆病さを今も持ち合わせているわけではない。たとえ式さんの行動が理解しがたいものであったとしても、俺は目の前の障害を排除する。ただそれだけなのだ。

 

 

「――こんなところで、躓いていられない」

 ガチリと頭の中の撃鉄を落とす。自分の中の機能を変質させていく。

次の瞬間、衛宮士郎の……俺の身体は目の前の死に神に向けて疾走を始めていた。

 

気が付けば窓からは赤々とした陽の光が差し込み、闇が近付いていることを告げている。

 

しかし俺の頭を占めていたのは鳴りやむことのない、甲高い鉄の衝突音。

自分自身が直面している状況であるはずなのに、どこか画面の向こう側から観ているような錯覚に襲われる。そして徐々に思考がおぼつかなくなる。

一体どれくらいの間、俺は目の前の殺意と相対していただろう?

一体どれだけ、この美しい姿をした死に神に命を奪われかけただろう?

 

 そして、一体この戦いの意味はどこにあるんだろう。

 

「――ッ!!――ハァ、ハァ」

 胸が大きく上下する。それほどまでに緊迫した、油断の出来ない戦いに俺は身を投じている。相対した敵、両儀式さんの前で一瞬でも油断を見せてしまえば、その時点で勝敗は決まってしまう。

 

対照的に式さんは、余裕すら感じられる表情で冷やかに俺に言い放つ。

「――なんだよ、もうお終いなのか。そんなもんじゃないだろ!?」

 

手にしたナイフの切っ先を今一度俺に向けながら、流れるような動きで再び俺の懐に飛び込む。

 

その切っ先の進撃を防ぐように、手にしていた馴染みの夫婦剣を構え迎え撃つ。

再び甲高い音と共に打ち付け合われる互いの得物。

 

しかしその次の光景を誰が予想できるだろう。

俺が手にしていた二対の剣は、重低音をたててその場に砕け散った。

あまりに作りの違う刃物ごときに、自身が投影した剣が破れてしまうなど……唖然として声も出ない。

 

「こんなもんじゃないだろ?!」

 

 式さんは再びナイフの切っ先を向ける。直線だけでなく、式さんの軽やかなフェイントから繰り出される幾多の攻撃。

俺たちを取り囲む重々しい空気を引き裂きながらナイフを振るい続ける。

 

 しかしその度、彼女がナイフを振るう度に俺が創り上げた幻想は簡単に壊される。寸でのところで彼女の繰り出す凶器を避け探し続けた。

 

 

“何故こんなにも簡単に、俺の幻想が……俺の総てが壊されるのか?”

 

 

 いや、もう分かっているはずだ。

俺は知っている……以前、俺は『ソレ』を目にしたことがあるから。

その『禍々しく光るその眼』と同質のモノを。

 

 

 

「……ってんだよ……」

 

 不用意に近付き過ぎてしまえば、完全に式さんの間合いに踏み込む。それではこの状況は打開出来ない。

彼女の攻撃の手が休まった瞬間手に再び干将・莫耶を投影し、彼女の間合いから後退する。

 

 

「――何てモノと戦ってたんだよ。俺は」

 距離をとってようやく理解した。俺が戦っているモノの正体……。

あながち俺が式さんに感じていた『死に神』というイメージは全く間違いではなかったのだ。

 

 

「あぁ、気が付いたか? オレのは特別みたいでね」

 

 さらりと揺れる髪をかき上げながら呟く。

激しい動きによって肌蹴た着物を直しながら、決して瞳だけは俺から逸らさない。

 

「この眼のおかげで、色んなモノを失くしてきたんだ」

 言葉以上にその瞳の輝きが訴えていた。

式さんがこれまで生きてきた人生の痛切さ、厳しさを。

 

「――オレは、自分のモノは絶対に手放さない。お前はどうだ、衛宮?」

「お、俺は……」

 

 何も答えなかった。いや、答えることが出来なかったんだ。

俺は、この人のように自分の気持ちに真っ直ぐにはいられていない。

覚悟が揺らぎ、まだフラフラと考えている。結局タイムオーバーになるまで答えを先送りにしているのも、桜のことも……俺は覚悟を固められていない。

 

 

 気が付くと日の光はなく、幕を下ろしたような真っ黒な闇が辺りを染めていた。

そして再び死に神が、両儀式が呟く。

 

「――あぁ、じゃぁもういいよ」

 

 それはこれまでにないほどの冷ややかな響きで。

 

「今のお前は、オレの敵にはなれない」

 

 

 

 その言葉が耳に届いた瞬間俺の、エミヤシロウの身体は宙に浮いていた。

 

「―――ぁぐ……」

 

 声にならない呻き声が、静かだった道場に響く。

間合いを一気に詰められたところからの鳩尾への前蹴り。俺の身体は問答無用に後方へと押し流され、狙いすましたように二撃目の回し蹴りが頭部へと見舞われた。

 

 ここまでハッキリと式さんの動きを見れていたはずなのに、この戦いの中で疲弊しきった俺の身体は動こうとはしなかった。

 

 

「――そんなんじゃダメだ。お前はそんなんじゃなかったはずだろう」

 薄れゆく意識の中、再び言葉を投げかけられる。今度は本当に答えられない、頭が働かない。

 

「最初に会った時のお前はもっと鋭利な刃物、刀みたいだった……そんなんじゃただのガキだぞ、衛宮?」

 そして、俺の意識は途絶えた。

最後の言葉の意味するところも聞けず、ただ俺に残ったのは悔しさだけだった。

 

 

 

―interlude―

 

 少し昔の話をしよう。

これはそうだな……オレがアイツに出会った時の話だ。

 

 

 ハッキリ言おう。初めて、初めてアイツを見た時“化け物”だと思った。

 

これまで沢山のおかしな奴らを見てきた。

それにオレだって……おおよそ『普通』とは程遠い人種なのかもしれない。

 

 でも、それ以上だった。アイツから感じたモノ総てが、オレに見せつけているみたいだった。

『自分はこれまでお前が相対してきた者たちとは比べ物にならない、どうしようもない化け物』だって。

 

 眼は口ほどにモノを語るなんていうが、まさにその通りなんだろうな。

アイツの眼は、どんな修羅場を乗り越えてきた人間でも簡単には真似できない。そんな眼をしていたんだ。

 

 だから期待してたんだけどな……日を経るごとにアイツの眼はあの時持っていた鋭さを失っていった。いや、何かに迷ってるって言う方が正しいのかもな。

 

 

「――本当お前は、一体何がしたいんだよ?」

 オレの目の前に横たわる男、衛宮士郎を見ながら思う。

 

気にくわないのに。

幹也の近くに来てほしくはないのに。

オレの日常を壊すかもしれない男なのに。

 

 一体何を選ぶのか、そしてそれを決めるための踏ん切りを付ける手伝いくらいならしてやってもいい。

 

 何故だろう、オレはそう思ってしまったんだ。

 

 

「派手にやったね」

「……まぁすぐ目も覚めるだろ」

 声をかけてくれたのは幹也だった。

黙ってオレと衛宮の戦いをずっと見ててくれた。それがあったからこそ、オレは気兼ねせずに戦えたんだろうと思う。

 

 

「でも……」

「なんだよ?」

 幹也らしくない不安そうな声、オレは思わず聞き返してしまう。

返ってきたのはもちろん、幹也らしい言葉だったが。

 

 

「――式、君は大丈夫なのかい?」

「あぁ、オレは問題ないよ」

 

 嬉しかった、彼の言葉が。

思えばこの言葉が聞きたくて、この優しい笑顔が見たくて、オレは幹也の傍に居る。

 

 だからさ、オレはオレでいられるんだ。幹也がずっと、幹也らしくいてくれるから。

 

 

 

 なぁ、衛宮。お前はどうなんだ……一体、何を迷ってんだよ?

 

 

 

―interlude out―

 

 



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逃れ得ぬもの

 吹き抜けていったのは風。

あまりに重々しく、焼けつくように熱いそれを目で追いながら、ただ茫然と立ち尽くす影が一つ。

 

 

“あぁ、一体こんなところで何をしているのか”

 

 

 彼はそう考えながら、砂埃の舞う何もないこの場所でただ佇むだけ。

これが、この人物の生きてきた総てを象徴する風景なのだとしたら、こんなにも悲しいことはないだろう。なんてどうしようもなく、報われない人生だったのだろう。

 

 

 しかし、彼はまたゆっくりと歩き始めていた。

一歩ずつだが確実に、その足はシッカリとした歩みを見せていたのだ。

 

 それは間違いでないと教えてくれた人たちがいたから。

それまでの生き方に、何も間違いはないと教えてくれた人たちがいたから、また進み始めることが出来たのだ。

 

ただ、正義の味方でありたかった。

ただ、歩いてきた道に間違いでないと思いたかった。

 

 その思いを胸に歩み続ければよかったのに……。

 

 

 しかし、望んでしまったのだ。

あの少女と、自身が愛してやまないあの少女を自分の手で守りたいと。

もう一度、彼女と……彼女と共に戦いたいと。

 

 だがこの望みはおかしなものだと、矛盾しているものだと、とっくの昔に気が付いていた。

 

 

“やりなおしなんか、できない。死者は蘇らない。起きた事は戻せない。そんなおかしな望みなんて、持てない”

 

 かつて、自分で口にした言葉。

おそらくここに居る彼よりも、強い信念を持って口にされたモノ。

 それが分かっているのに、それを見て見ぬ振りをしてただ歩いている。

最早それは理想への歩みではなく、『逃げ』に他ならないのかもしれない。

 

 

 

“きっとみんなを救うより、大事な人をずっと守り続けていくことの方が辛いかもしれない”

 かつて彼に理想を与えた人が、そして今ここに居る彼の願いを肯定してくれた人が言ってくれた言葉。

それは重圧となって心を大きく揺さぶる。

 

 

“確かな幻想を持たないものが、自身の力を使いこなすことなど……出来るはずがないだろう?”

 彼が、かつてよりも力を付けるきっかけをくれた人物の言葉。

それは的確に彼の矛盾を指摘する。

 

“――オレは、自分のモノは絶対に手放さない。お前はどうだ?”

 彼の前に現れた、今の彼に最も影響を及ぼしたであろう死に神の言葉。

それは彼の決心が鈍っていることを露呈させ、弱さを見透かす。

 

 

 これまで彼をこんなにも苦悩させたものがあっただろうか。

これまで盲目的に、一つの目的のために様々なものを犠牲にしてきた。

そして今、心にあるのは、無謀なまでの一つの理想と誰もが思い描く一つの願い。

 

 

 大衆の正義の味方であろうとする理想。

 大事な一人を守っていきたいという願い。

 

 

 そう、彼の影響を与えた者たちは理解していたのだ。

この二つの想いの狭間で迷い戸惑うことを。

 

 その迷いが徐々にそれまでの彼を、少しずつではあるが変質させていく要因になった。

それが正解なのか、間違っているのか、決めることが出来るのは彼のみ。

この地平を歩いている彼にしか出来ないこと。

 

 

 

 

彼は歩き続ける。

終わりも見えないであろうこの地平を。

剣戟の音が木霊するその先へと向かって。

 

せめて、動き始めたこの足だけは力強くあろう。

そう胸に決意しながら。

 

 

 



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強さの意味

 

 腹部に感じる鈍痛で俺は目を覚ました。

どうにも今日は痛みのせいで深く眠りにつけなかったようだった。寝かされていた部屋の障子を開け、縁側に出て空を眺めてみる。そこにはまだ月があり、今晩もその光を惜しげもなく夜の世界に降り注いでいた。

 

 

「――そうか俺は……」

 それ以上に言葉は出なかった。

いや。それ以上に言葉にしてしまえば、あまりの悔しさばかりが後を絶たないと理解していたから。

 

あの式さんとの戦い……正直に言うならば、俺は楽しんでいたのかもしれない。自分がこれだけ戦えるようになったということに酔っていたのかもしれない。

しかしそんな考えを文字通り一蹴されてしまい、俺は改めて自分自身の甘さに打ちひしがれていた。

 

 

 縁側に出てゆっくりと腰を下ろす。

もう一度あの戦いを、そして『エミヤシロウ』を繰り返すことになってからの今までを思い出すと、何故か笑みがこぼれた。

 

 手元をみる。昔の自分にはなかった傷が多くあることに気が付いた。

あぁ、思えばなんて贅沢な男なんだろう。

多くの人に関わってもらって、沢山の経験をさせてもらった。今の『エミヤシロウ』があるのはそれのおかげだ。

 

 

「やぁ、大丈夫だった?」

「すいません、今日は迷惑をかけてしまって」

 

自分の背後からかけられた声に俺は会釈しながら振り返った。

そこに居たのは左目を前髪で隠した青年、幹也さんだった。彼は“よかった”と微笑みながら、俺のすぐ左隣に腰かける。

 

それから少しの間、どちらも口を開こうとはしなかった。ただ星を見つめ月を見つめ、少しずつではあるが景色を変えていく空の変化を眺め続ける。特に何かをするわけでもなく、ゆっくりと時間が流れるのを楽しんでいるかのように。

 

 

 

「――士郎くんはさ」

 先に沈黙を破ったのは幹也さんだった。

 

 

「『強さ』って、どういうことだと思う?」

 

 ゆっくりと語りかけるように言葉が響く。

俺は幹也さんに視線を向け一度瞳を閉じた後、思いを吐き出すように言葉にした。

 

「譲らないこと……ですか?」

 それは全く嘘のない、心からの本音だった。

今までも俺はそうして“強さ”を手に入れてきたように思う。

 

“親父のようなヒーローになる”

“みんなを守ることのできる人になりたい”

かつての俺が目指した揺るぎない決意。

 

 この願いがあったから俺は走り続けてこられた。

守れるならば総てを守りたい。親父が為し得なかったことをやり遂げたい。

どれだけ傷付こうが裏切られようが、その思いだけは失くさずにきた。

 

その結果俺は……オレは英霊となり、ある意味その信念に報いることが出来たのだ。

だから俺の中でそれは自信をもっていうことが出来る。

 

 

「そうだね。うん、それも正解だね」

 幹也さんは変わらない笑顔で俺に答えてくれた。スッと立ち上がり伸びをしながら彼は空を見上げながらもう一言呟く。

 

「強さってさ、『自分らしくあること』だと思うんだよ」

 

 彼は俺だけにではなく、自分にも語りかけるように大事に言葉を紡いだ。その言葉にはなぜかすごく説得力がある。

それは最初の出会いからずっと、幹也さんがずっと俺と本音で付き合ってくれていたからだろう。だからこそ幹也さんの言葉は信じるに値する、俺には素直にそう思えた。

 

「幸いなことにさ、僕の傍にはそういう人が沢山いたんだ。そういう意味での『強い』人たちがさ」

 

 幹也さんは言う、自分自身がした選択を大事にしたほうが良いと。そうでないと後悔ばかりしか残らないからと。

 

「ゆっくり落ち着いて、焦ってばかりじゃ何も見えてこないからさ」

 そう一言呟き、幹也さんはまた笑って見せた。その言葉がそれだけ重い言葉だったかということを俺はこれからいやというほど思い知ることとなる。

ただこの時の俺には、その言葉はただの励ましの一言にしか思えなかった。

 

 

 

 

「――まったく……何言ってるんだよ」

 廊下の暗がりの方から声が聞こえてくる。

その声は聞き取りづらかったが一定のリズムで近づいてくる足音を聞けば、それが誰かは容易に分かることが出来た。

 

「やぁ、式。起しちゃったかな?」

「起きたら幹也がいなかったからな。多分衛宮のとこに居るんだろうと思って来ただけだ」

 

 式さんは幹也さんのすぐ隣に立ちながら俺を見下ろしていた。

その瞳は先刻戦っていた時のような冷えたものではなく、どこか温かみのある様な色をしていた。

 

そして幹也さんの方を窺ってから一言、俺に呟いた。

 

「衛宮、オレは幹也みたいに回りくどいことは言えない。だからハッキリ聞くぞ?」

 式さんの真剣な声に、俺は一言“はい”と答えた。ただ言葉が浮かばなかったからではなく、素直にこの人の言葉に耳を傾けようと思ったからだ。

 

 

「お前、あるだろう?」

「何をですか?」

 

 

 

「――お前、人を殺したこと……あるだろう?」

 

 

 それはあまりに予想もしない問いかけだった。言わずもがな、隣に立っていた幹也さんも驚いた表情で式さんを見つめている。

 

 彼女の問いかけに、本当になんと返せば良いかも分からないままに、ただ首を縦に振るしか出来なかった。

 

 ただ月の明かりだけが冴えわたり、地を照らしている。

そして俺の目の前に居る死に神の瞳がその色を変えていく。それは戦いのときにも見せたことのない、形容しがたい色をしていた。

 

この眼は一体何を俺に語りかけようとしているのだろうか。

先の言葉に素直に答えることが正解ならば、これからどんな展開が訪れるのか……予想することさえ出来ない。

 ただ一つ分かること、それは『人を殺す』というキーワードが、それが両儀式という人物にとっては何よりも大事なことだということだった。

だからきっと、その回答にそれは慎重にならざるを得なかったのだ。

 

 

しかし俺が考えを巡らしていた最中、式さんはため息を吐きながら呟く。

「……まぁいいや。とりあえず、オレが勝手に話したいことから話すか」

 

 式さんの言葉に、俺は何が起こっているのか全く理解できなかった。ただ彼女は総てを確信したような表情を見せながら、言葉を続けた。

 

「――きっとお前は、シンプルに考えた方が良いんだよ」

「な、何のことですか?」

 

 きっと俺は呆気にとられた顔をしている。しかし彼女は話すのをやめようとはしない。それは最初に言った通り、ただ『勝手に』話しているからだろう。

 

「何がしたいのか、そのためにどうするのか、それだけを考えろってことだ」

 それは俺自身に気付かせようとしていたのだろうか。式さんは具体的なことを言うことは避けながらも、俺の弱い部分を的確に指摘していた。

そう、今の俺は目的の実行するための行為がチグハグになっている。自分でも分かっているはずなのに軸がぶれている……今まではそんなことはなかったはずなのに。

 

 

「いいか?ニンゲンなんてモノは器用じゃない。自分の領分でしか生きていけないんだよ」

 そう呟きながら、月の光の降り注ぐ庭に足を踏み出す。

俺はそれを目で追いながら、式さんの言葉の意味を考えていた。むしろ彼女がわざわざ俺にこんな風に話してくれている意味を見出さなければならないと思ったのだ。

 

 

「……オレはね衛宮」

 

 これまでにない重たい響き。

きっとここからが核心部分なのだろう。それを示すように式さんの表情は普段の気だるそうなモノから、真剣なモノに変わっていた。

チラリと横目で幹也さんを見る。彼の表情は言わずもがな、少し緊張したモノになっている。

俺も幹也さんと違わず、そういった表情になっているのだろう。掌にジワリと汗の感触が広がっていくのを感じた。

 

 

「自分のこの日常が大事なんだよ。それこそ壊れるのを見たくないから、自分で壊してしまおうと思ったくらいに」

 

 それはどこか、必死に訴えかける少女の叫びのようで。

きっとこれは俺だけに言い聞かせているモノではない……もしかすると式さん自身の『大切なモノ』に対する贖罪だったのかもしれない。

 

「――失くしそうになって、失くしちまって初めてそれが大事だって思えるんだ。お前はどうだ?」

 

「俺、には……」

 

 そう。それはきっと誰もが持っているモノだ。

かつての俺にとって、それは『正義の味方になる』という思いだった。

そして今は……。

 

「オレはこの日常を守りたいんだ。お前にだってあるんだろ? どうしても守りたいモノがさ」

 

 あぁ、あるさ。俺がどうしても守りたいモノ、どうしても手に入れたいモノ。

でも恐れもある、迷いもある。それを成し遂げるということは、これまでの総てを裏切るということだから。選ぶはずだった総てのモノを切り捨てることだから。

 

 

「何を迷ってんだ?」

 一歩近付きながら、式さんは真っ直ぐに俺を見据えて呟く。

きっと俺の態度に嫌気がさしたのだろう。その表情にははっきりとした苛立ちがにじみ出て、ハッキリと答えることを強要されているようだった。

 

「どうしたいかは……分かってるんです」

 

 でもその返答はやはり煮え切らないもので、俺は式さんの視線に耐えきれずに顔を背けてしまった。ただ拳に力を強く握りこんで自身の不甲斐なさに耐えるだけ。こんな態度が、こんな行動が一番嫌いだったのは、俺自身だったはずなのに。

しかし俺のそんな態度に耐えきれなかったのは、式さんも同じだった。

 

 

 

「――甘えるなよ」

 

 

 静かな、しかし大きな怒りを孕んだ声。間違いなくその矛先は俺に向いている。

 

 

「お前はさ、ただ傷付きたくないだけだ」

 

 最早その言葉は先程までの遠回しな言い方などではなく、俺の恐れていたモノの確信を突いてくる。

これ以上は、もう言ってほしくはなかった。自分でも目を背けてしまっている『甘え』を露見されてしまう。そう思えたから。

 

 

 

「お前の選択のために苦しむ人たちを、その光景を見たくないだけだ!」

「――そんなことは!」

 

 

 ないとは、そうは言えなかった。

桜の事がそうではないか。彼女を遠ざけてしまえば、悲しむことが分かっているから……。それを出来ない時点で俺は、式さんの言葉に何かを言う資格はない。

 

 思わず立ち上がって反論しようとした自分があまりに情けない。

ただ立ち尽くすしか出来ないと、そう決めつけてしまっている自分があまりに情けなかった。

 

 

 

 

「……そんなんじゃ何も出来ない。守れないぞ? それこそ、お前が大事に思うモノすらな」

 

 追い打ちをかけるように、再び言葉をかけられる。それに思わず子どものように躍起になって顔を上げる。

しかしそこにあったのは嘲りでもなく悔蔑でもなく、優しさをにじませた色。式さんの瞳はそんな色を湛えながら、俺を見つめていた。

 

 

「俺、は……出来るなら全部守りたい」

 先程まで弱音しか出なかった口から出たのはその言葉。

何を犠牲にしてでも守るべきと思ったモノのために、俺は今まで鍛え上げてきた。

一体どうしていたんだろう。なまじ力を付け過ぎたからこそ、色んな事を決めかねて、後回しにしてしまって。

 

 こんなことでは、本当に式さんの言葉通りになってしまう。だからこそ……

 

「ケジメをつけなくちゃ……」

 握った拳をほどきながら、俺は努めて冷静に式さんに向き直る。

この機会を作ってくれたこの人に報いなければ、俺は前には進めない。それにまだこの人には聞いていないことが沢山ある。

 

 

 イメージする。

それは俺が、エミヤシロウたる由縁を示すモノ。俺と共にずっと戦ってくれた得物をこの手に現す。

そう、昔から分かっていたではないか。

俺に出来ること、それは考えること。そしてそれをカタチにすることだと。

 

 思考をシンプルに。

どれだけ色々考えようとも、その瞬間は一度きりしか訪れない。ならば出来る限り自分が最大限の力を奮えるようにするまで。

 

 

 

 両の手に感じる、馴染みの感触。

そしてその切っ先を俺は自身の恩師に向ける。そこに以前戦った時のような感情はない。

そう。今から起こるこの戦いにおいて、迷いなどありはしない。

 

俺はこの人に、両儀式という人物に自分の在り方を認めてもらいたい。

ただ、それだけなのだ。

 

「――ようやくマシな目に戻ったな。……それだよ、オレがお前に求めていたモノはさ」

 

 その表情は語る。『この時を待っていた』と。

言うまでもなく、式さんの瞳は俺の得物の『死』を既に捉えている。この人の中で戦いはもう始まっているのだ。

 

 

「じゃぁ、式さんも本気を見せてください」

「生意気なこと言ってるんじゃないよ、やっぱりお前はまだまだ子どもだ」

 

 皮肉を口にしながらも、式さんのその表情は変わらない。

いつこの身に彼女の刃が訪れようとも、不思議ではないのだ。

 

 

「あぁ、オレの得物がないや……すまない幹也、アレを取ってきてくれ」

 不意に式さんはとぼけたような一言を幹也さんに投げかけた。

そう。幹也さんは俺と式さんが話している間、言葉を口にはせず、ただずっと俺たちの傍に居てくれたのだ。

おそらくそこには式さんに対する憂慮の念があったのだろう。

 

 

「――うん、でも式……僕は、許してないんだぞ?」

「あぁ、分かってるよ。オレはお前がいるから大丈夫だ」

 

 

きっと戦わせたくないはずだ。これ以上式さんを非日常には置いては置きたくないんだろう。

だが次の瞬間、幹也さんの見せたは変わらずの笑顔だった。一言“うん”と口にして自身の部屋に引き返していく。それは幹也さんが式さんを心の底から信用している証明なのだろう。

 

 

「……衛宮、最初に聞いたよな?」

 

 “幹也が得物を取ってくる暇つぶしだ”と言いながら式さんは話し始める。

 

 

「ハッキリとは言えません。ただ……それに似た経験をした記憶はあります」

 この身でなくとも覚えているあの感覚を、好きになれないあの感覚を忘れることは出来ない。自らの手で、人の命を刈り取っていく。犯していく。亡き者にしていく。

より大勢を救うためという理由があろうとも、それが『人を殺す』という行為を俺は行ってきた。それは何が変わっても揺るがないだろう。

だからこそ、俺はこの人の問いに素直に答えよう。この人の想いを、しっかりと受け止めるために。

 

 

「――でも俺は自分を全うするために、もう決して自分の大事なものは落とさない」

「あぁ、本当にお前らしいよ」

 

 式さんは笑う。

俺という人間を本当に理解することが出来たと。その上で、やはり自分たちは相容れない者同士なのだと。

 

 

「昔教えてもらったんだよ。『人は、一生のうちに一度しか人を殺せない』ってさ」

 

 そう、きっとこれが式さんの語りたかった一番の言葉。スラスラと淀みなく話す姿から、いつもそのことを心に留めているんだろうということは、想像に容易い。

しかし、正直彼女からこんな言葉が出るとは、俺は考えもしていなかったということも事実だ。

 

 

「笑っちゃうだろ? オレがこんなこと言うなんてさ。でもね、それって本当に事なんだよ」

「――ホントの、こと?」

 

 

「オレは自分が不確かでしょうがなかったんだよ。だから生きている確証が欲しかった……」

 

 だから大事なモノを殺そうとした。

大事なモノを奪ったモノを殺すしかなかった。

 でもそれはあまりに悲しすぎる決意と諦め。

しかし、それを言葉にしながらもその表情に後悔は見えない。どこか健やかで、大きな支えを持っているようだった。

 

 

 彼女は身を翻し、庭の中心に歩き始る。

流れるような歩みはどこか虚ろで、しかし彼女の纏う空気はそこに確かに在ることを印象付ける。

 

「オレはきっともう、誰も殺せない……」

 

 言葉から感じる強い意志。最早それ以上何を言わなくても分かる。

もうすぐこの時間が終わってしまうのだと。

それを指し示すように、彼女が一番大事にしている人物が朱塗りの鞘に収められた刀を

手に再び俺たちの前に姿を現す。

それを笑顔で受け取りながら、何度か言葉を交わすと幹也さんが式さんから離れていった。それと同時に式さんは次第に纏った空気をより、『ヒトからかけ離れたモノ』へ変質させていく。

 

 

「……衛宮、お前は不確かでも何でもない。ただ、前だけを見て歩いていくだけのヤツなんだろう」

 

 それはきっと、俺たちの『人を殺すこと、生かすこと』への考え方の相違を指し示していた。

お互いを理解することは出来る。しかし、その生き方を自身の中で許容することは絶対に不可能なのだ。

 

 

「――なんだかさ、酷くお前が憎らしくて羨ましい」

 

「俺だって、式さんみたいな生き方……羨ましいけど、しようとは思わない」

 

 手にした自らの得物の切っ先を、俺は再び目の前に立つ者に向ける。立ち居姿ですぐに分かる。きっと式さんは刀を持った状態の時、一番の力を出すことが出来るのだと。

 正眼に構えられた刀からは何も感じられない。ただあるのは『斬る』という明確な意思のみ。

 

「さぁ、やろうぜ。見せてみろよ」

「あぁ、そっちこそ……もう後には引けない!」

 

 刹那、風が流れた。

 ただ音もなく、頬を撫でる優しい風が。

 そんな優しい光景があっさりと違うものへと変わっていく。

 

 その合図は言わずもがな、あまりに甲高い剣と刀の鳴り響く音。

 

 

「――ハァァァ!!」

「――っ!」

 

 それは互いの存在意義を証明するための戦い。

決して触れあえぬ二人が、唯一共有できるたった一瞬の出来事であった。

 

 

 

 



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思いの果て

 

 

 

―interlude―

 

 

 ぶつかり合う。それは火花をあげながら踊る、まるで演武のように軽やかに、そして豪快に。

一方は一刀を駆使する使い手、両儀式。もはやそこには姿から感じられる女性的な雰囲気は皆無。

そこに在るのは、目の前の敵をその刃にて斬り捨てんとする、それ以外のモノを総て排除してしまった者。

片や二対の夫婦剣を操る者、衛宮士郎。知識に裏付けされた鍛練のもと、繰り出されるは変幻自在の動き。それを駆使しこの戦いに臨む。

 

 

 歩数にしておよそ、十余の距離。

その距離を瞬きの間に詰め寄られる。これまで士郎が戦ってきた者たちとも段違いの、稲光を思い起こさせる速度。

しかし、真に特筆すべきはそこではない。その速度より恐怖せねばならないモノ、それは『刀』。やや中段に構えられたそれは、士郎の想像などよりより早く横薙ぎに振るわれる。

 

 

 ぶつかり合う刃と刃。

 しかし式の刃はあっさりと、士郎の手にしていた夫婦剣を粉砕し、より一歩を詰めていく。

 

 

「――投影・開始(トレース、オン)!!」

 

 士郎の、一人の魔術使いから発せられる言葉。

それは自らの手に再び、壊されたはずの夫婦剣を現し、その一歩の侵入を拒む。

 

 

「――っ!」

 そう。常に攻めを繰り返しているはずの両儀式の、詰めの一手がどうしても繰り出すことが出来ずにいる。

 

確かに彼女は彼の持つ得物を『殺している』はずだった。

しかし先の戦いと同様に、幾ら殺してもまた新たなモノが現れる。

 

 

 死を視る者と、

 造り出し続ける者。

 

 まるで背中合わせの性質を持つ者同士の戦い。

故に、決まり手があるとするならばそれは一瞬、どちらかの気が緩んだ瞬間。

 

 

 再度疾走する式の身体、それに応ずるように手にもつ干将を振り下ろす士郎。

しかし、振り下ろすそれは式の速さの前ではまるで無意味。

再び鈍い音をたてて殺された干将。それを目にしてさらに懐へと突入する式。

 

 

ついに勝敗を決する一刀が振るわれるかと、その戦いを見守る幹也が想像し、式さえも確信した。

 

 

 

「――本当に、なんてデタラメ!」

 

しかし次の瞬間、発せられたのは戦いを告げる音ではなく、一歩を踏み出そうとした式の皮肉にも似た一言であった。

 

 

彼女の突入はそれを行おうとした刹那に、それを阻まんと現れたのは剣の壁。

 

 

 これまでに経てきた戦いの知識の中で得た魔術の運用方法、それはどの場面にも応用が利くほどに昇華されている。

 

 そう。彼が式の前では『手のひら』にのみ限定して投影を行っていた理由はそこである。

あくまで『造り出す』のだから、その座標を自身が把握していればそれは何処でもいい。

かつての自分自身も、英雄王と対峙した際にそれを実践していた。

言うなればこれは、初見の者にとってはまさに“避けることの出来ない”技の一つ。

 

 

 

 式は咄嗟の判断で、後方に飛び退く。

しかし、その先には創造主からの射出命令を待つ無数の切っ先。

士郎は今まで無意味に後退していた訳ではない。式が必殺の一撃をもって自分に止めを刺しに来る。この瞬間を待っていたのだ。

 

 

「停止解凍、全投影連続層写(フリーズアウト・ソードバレルフルオープン)!!!」

 

 

 響く宣誓と共に、標的に向け打ちだされる無数の剣戟の群れ。それと同時に攻めに転じようと疾走を始める士郎の姿。

それらを目にしながら、式ははっきりと逃げられないことを悟った。どのように身を翻そうが、おそらく致命傷は避けられない。当然士郎に勝つことも出来ない。

だが式は、それでも目の前の少年に跪くことだけはしたくなかった。

 

 

 カッと見開かれる式の目。

その目は自身に飛来する無数の凶器を直死する。

 

 

 この光景はあまりに異様であった。

既に疾走を開始していたはずの士郎ですら、それを目の当たりにして、両儀式という人物はやはり化け物めいていると感じたほどであった。

徹底的に退路を絶たれ、手詰まりの状態のはずの、自分より遅く動作を始めたはずの式の刀は既に迫りくる刃を撃ち落としていたのだ。

 その確信をもって、手にした夫婦剣を振りかざす士郎。

どれだけ相手が神速の域を越えようと、自らの勝利のみを信じ、地を蹴る。

 

 

 

「――これでッッ!!」

 

 

 剣戟の残骸たちによって舞い上がる砂埃の中、より一層強く、甲高い音をたてて打ち交

わされる刃と刃。

 どちらにとっても必殺の一撃。そしてその音が終わりの合図、この二人の一瞬とも思える攻防の終わりの印であった。

 

 

 

 

 

 

「――あぁ……なんて、デタラメな力だ」

 砂塵の舞う中、ゆっくりと立ち上がる影が一つ。

それは手にしていた得物を見据えながら、嬉々とした表情をしていた。

 

「なんで最後の最後で躊躇したんだよ?」

 彼女、両儀式が手にしていた刀は半ばから折れてしまい、最早使えない状態。

しかしそれでも彼女は無傷のまま、その場に立ちあがっていたのだ。

 

 そう。傷を負い地に膝をついていたのは、衛宮士郎の方であった。

 

 

 

 

―interlude out―

 

 ジワリと嫌な感触が肩口から広がる。

そこに目をやると、夥しい量の血があふれ痛々しく赤に染め上げていた。

 

 勝敗は決した。

俺の、衛宮士郎の負けだ。

 

「次の手も用意してたんだろ?でももう……やる気なさそうだな」

 

 式さんは俺を見ずにそう呟く。

確かにその通りだった。もし自分の一太刀が式さんに致命傷を負わせられないならば、式さんの背後に展開していた投影を射出する、そう考えていた。しかしそれは諸刃の剣。自分自身もただでは済まない。

だがそれ以上に、式さんの速度は俺の想像を上回る速さだった。俺が莫耶を振り下ろすより先に、彼女の刀は俺の肩口を捉え、一刀に伏していた。結果俺は次の 一手を繰り出すことも出来ず、地に膝をついてしまった。結局のところ式さんのポテンシャルを読み切れなかった、それが一番の敗因だろう。

 しかし俺の投影した宝具を撃ち落とすためにボロボロなるまで酷使した刀では俺を両断することは出来ず、ただ軽傷を負わせた程度であった。

つまり式さん自身も得物を失い、俺と同様にこれ以上は戦うことはできない状態だったのだ。

 

「――はい、俺の負けです」

いかに軽傷とはいえ、これ以上戦うことは出来ない。

俺は流れる血を押さえながら、式さんに目を向けてそう返した。

 

俺の返答に“つまらない”と皮肉を口にしながら、式さんはゆっくりと縁側の方に歩いて行った。

俺は彼女の後姿を目で追いながら立ち上がる。少しよろける足に不安を覚えながらも、どうにか一人で立つことが出来た。

 

 

きっとこの勝負に負けてしまえば、悔しくてやりきれないのだろうと考えていたが、不思議と心を占めていたのは『爽快感』であった。栓をしていた気持を一気に吐き出すことが出来たかのような感覚。

それだけでこの戦いに臨んだ意味があったと心の底から思うことが出来たのだ。

 

 

 

“これで何かが変わったとは言えない。でも……”

 

 

「おい、士郎!」

声の先に視線を向ける。そこには並んで立つ幹也さん、そして式さんの姿があった。

式さんは恥ずかしそうに髪を掻き乱し、そして笑顔を見せながら最後に一言、俺に告げた。

 

 

 

「また今度、気が向いたら手合わせしてやるよ」

「――えぇ。色々片付いたら……お願いします」

 

 その一言は、俺の存在を認めるモノ。

これまで冬木における様々な関係性をないものにしてきた俺が、作ることの出来た人との繋がり。何故かそれがひどく嬉しくて、自然と頬を涙が伝っていた。

 

 

 時は刻一刻と過ぎていく。

間近に迫る季節に焦りを覚えながら、俺は歩みを止めることはしない。

 

 ただ、この笑顔に報いるために。

 ただ、己の中に後悔を残さないために。

 

 東の空が白み始め、新しい朝を告げようとしている。

季節は冬、ついに俺の待ち望んだ季節は目の前に迫っていた。

 

 

 



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迫りくる時

 

 

 時は刻一刻と過ぎていく。

間近に迫る季節に焦りを覚えながら、俺は歩みを止めることはしない。

 

ただ、この笑顔に報いるために。

ただ、己の中に後悔を残さないために。

 

 東の空が白み始め、新しい朝を告げようとしている。

季節は冬、ついに俺の待ち望んだ季節は目の前に迫っていた。

 

 

「――投影……開始(トレース・オン)」

 

 俺の中の総てが変わる、魔術を使う、“魔術師”としての自分へ変質していく。

言葉など、切り替えるための言葉など正直どのようなものでも構わない。

ただその言葉が俺にとって “魔術師としてのエミヤシロウ”を容易にイメージすることが出来る一番しっくりくる言葉だったということだけだ。

 

立ち上がりながら俺は両手に夫婦剣を投影し、誰に向けるでもなく正面を見据えた。

そうして干将を縦一線、躊躇うことなく振り下ろす。

剣術の型だとかそんなことは考えない、ただ身体が赴くままに干将を、莫耶を振るい続ける。ただ足掻くように、ただ贖罪するかのように。

 

そう。俺は、エミヤシロウは理解して、覚悟しておかないといけないのだ。

自分はまた、間違った道を歩んでいるのかもしれないと。

 

 自分はあの魔術使いに教えられたはずだった。

 

 正義の味方として生きてきた道に間違いはなかったと。胸を張っていいものなのだと。

 

 それなのに、今の自分はどうだ?なんのために強くなろうとしている?他にやるべきことがあるのではないのか?オレがあの時にあの少女にいった言葉を偽り のモノにするつもりなのか?オレには、オレにはもっと大事にするべきことがあるはずだろう?もっと多くの命を救うこと、より強固な正義の味方を目指すこ と。それがオレのするべきことではなかったのか?

 

「分かっている! そんなことは分かっている!」

声を荒げ、繰り出す剣撃を止めることなく叫ぶ。

 

はっきりとしていた。俺は相反する思いを抱えていると。

 

“成れるなら、再び正義の味方になりたい”

 

 正義の味方になるならば……やるべきことは一つだ。

これから起こりえること、自分が知っている限りの戦いを止めるために奔走し戦いに身を投じればいい。それこそエミヤシロウが貫いてきた生き方、“正義の味方”の生き方だ。

 

 

 

“大事な人を守りたい、その人一人を守れる確かな力を持ちたい”

 

 だが今の自分はどうだ? 再び士郎になった時、何を思った? いったい何を望んだ?

 

 ただ、再び彼女に会えるであろうことを喜んでしまった。出来るならば自分は彼女を守る存在でありたい。俺はそう考えてしまったのだ。

正義の味方として恥ずべき思いを、自分は持ってしまったのだ。

 

「――ッ――ハァ! ハァ、――ッッ!」

 もう一度力強く、自分の中に在る曇りを断ち切るように横一線、莫耶を振るう。徐々に身体は限界に近付いていく。

それでももう少し、今一度と俺は夫婦剣を、自らが描き続けてきた馴染みの剣を振るい続ける。

 

 

 断ち切ろうとしたのは自分の甘さ。

俺はこの境遇に立ってもなお、成し得ていないことがあった。

強くなると、覚悟を揺るがさないと決めていたのに、俺は常に揺れている。

 

 桜の、この街で出会うはずだった人たち事、これからの戦いできっと危険に晒されるであろうことを分かっていて、俺は考えてしまうのだ。

どうしてもこの人たちを救いたいと、危険な目にはあわせたくないと。彼女を選んでしまった俺が、そんなことは出来ないと一番分かっているはずなのに……。

切嗣が最期に見せた笑顔が、幹也さんと式さんが言った言葉が胸に突き刺さり、俺を苦しめる。それはきっと、俺があまりに無謀で自分勝手な思いを抱え込んでしまっているとハッキリ理解させられてしまうからだろう。

 それでも、それでも俺は守り抜きたいんだ。

大事だと思えたモノを、絶対にこの手からは落とさないと誓いたいんだ。

 それが、かつての俺に出来る唯一の贖罪だと思うから。

 

 

 震える手に力が入らず、ついに干将、そして莫耶を床に手放し、膝を付き倒れこんでしまう。

きっと今の俺の姿はあまりに情けないだろう。きっと笑われるかもしれない。

 

 

 それでも、こんな生き方しか出来ないから……俺は這いずってでも前に進むしかない。

もう引き返すことが出来ない。俺が気付かぬふりをしていた間にも刻一刻と時間は迫る。

 

 俺の、エミヤシロウの矛盾を孕んだまま、物語はその重い幕を開こうとしていた。

それは回避できるはずだった戦争……俺が招いてしまった災厄だった。

 

 

 

 

―interlude―

 

 

 

 

「それで結局、橙子さんから何を言われてたの?」

 

「――ん?そんなに大したことじゃないさ」

 

「でも、あんなに必死だったじゃないか?」

 

「……はぁ、幹也には隠し事って出来ないな」

 

「まぁ、君の事ずっと見ているかな……分かっちゃうんだよ」

 

「――言われたんだよ、『お前に足りない最後の部分』を埋めてくれるってさ」

 

「足りない部分?」

 

「あぁ、何ていうのかな……説明しづらいんだけど、結局オレは不確かだったんだよ。いくら幹也と一緒に居ても、どれだけ日常の中で生きてても」

 

「式……」

 

「アイツは、士郎はそこを埋めてくれるって、トウコは言ってた。……まぁ実際、トウコに良いように使われただけなんだろうけどね」

 

「士郎くんを、強くするため?」

 

「さぁな……まぁ良いきっかけにはなっただろ」

 

「確かに。橙子さん凄く士郎くんにご執心みたいだからね」

 

「とりあえず、これからは士郎自身がどうするかってとこだろうな。」

 

「そうだね。士郎くんなら大丈夫だよ……それで、君は大丈夫なのかい?」

 

「大丈夫に決まってるじゃないか。だって……」

 

 

 

 

 

「うん。僕は君を一生、離さないからな」

「――当たり前だろ? 離れてやらないよ、オレも」

 

 

 

 

―interlude out―

 

 



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開幕
訪れた季節


 

 差し込む陽が今日の始まりを告げる。一日は始まり、いつものように様々な人がお互いに自分の役割をこなしていく。

うっすらと目を開け周りを見渡す。見慣れた風景がそこにはある。もう何年も使っている魔術を鍛練する場、俺の秘密基地だった場所だ。

 

「朝、か……」

 一言呟き、俺は少し身ぶるいをしながら身体を起こした。

さすがにここで寝るべきではなかったかもしれない。まだ風を引くほどではないかもしれないが、空気は冷気を帯びてきていた。

 

「先輩? またこんなところで寝ていたんですか?」

 不意に声が掛けられる。土蔵の入口に目をやるとそこには家族当然に接している少女の姿があった。

 

「あぁごめん。またやっちまったみたいだ」

 俺はその少女、間桐桜に謝罪をしながら立ち上がって彼女が待つ入口へと歩を進める。

すると桜はいきなり顔を真っ赤にし、俺が追いつくよりも早くその場から駆け出していた。

手には俺にかけようとしていたのであろう毛布がチラリと見えた。

 

「あぁ、なるほどな……悪いことしちゃったかな」

 桜に好意を向けられていることはだいぶ前から気が付いていた。まぁ昔の俺ならば気付かないだろうが、さすがに今の俺はかつてほど鈍感でもない。

素直に彼女の気持ちが俺にとっては嬉しかった。いつの俺の記憶の中でも、彼女だけは俺の『日常』の中の存在でいてくれたから。

 そんなことを考えているから少しゆったりと歩いてしまったんだろう。俺が土蔵を出るころにはすでに桜は家の方から、早く来てくださいねとこちらに声をかけてくれていた。

俺は片手をあげて彼女の声にこたえ、視界を空へと移す。

 

そうする度に思い出すのは、知らず知らずの内に恩師と呼ぶようになっていたあの三人の事だった。

 

 橙子さんからよく言われていたのは、『確固たる意志』を持つこと。

実際に彼女から何かを学んだというわけではない。ただ色んな場所に行き、様々な経験を積んだ。その中で自分にプラスとなる魔術的な鍛練をしてきたわけなのだが、結局のところ、橙子さんの言葉が『魔術を使う者』として、一番大きなキーワードだったように思う。

 

 そして二人の、幹也さんと式さんから言われた言葉。

 強くあるために、『自分らしく在る』こと。

 自分らしい選択をするために、『シンプルな思考を持つ』こと。

 

 どれだけ鍛練を積み、技術面・肉体面が向上していこうが、結局のところそれをどのように発揮するのかは自分の心の強さ次第なのだ。

ようやく最低のランクはクリアした。あとは本当に、自分自身の決意の固さにかかっていると言っても過言ではない。

 

「――あいつが思い描かないようなエミヤシロウになる……それがまず俺がするべき事なんだから!!」

 一言呟いて、俺は家に向かって歩き始めた。もうそんなに時間はない。ならば今自分が出来ることをどうにかしてするしかない。本当に、時は止まってくれないのだから。

 

 

 

 

 

 制服へと身を包み居間の戸を開ける。暖かな空気と共に香り立つのは、どこかホッとする朝食の香り。

 

 今日は和食なんだと思いながら、俺は静かに戸を閉め自分の席を目指す。

 

居間に置かれた広めのお膳の上には、もう既に三人分の朝食が用意されていて、後は俺の到着を待つばかりという状態であった。

そしてそこに鎮座するは言わずもがな、姉のような存在であり、虎と呼ばれる女性が一人。彼女はどこか落ち着きのない俺に言葉を投げかけてきた。

 

「もう、遅いよ士郎~! ごはん冷めちゃうじゃない!?」

 

全く、この人は相変わらずだなと心の中で苦笑しながら、俺も自分の席へと腰かけながら目の前の虎に一言呟く。

 

 

「――ごめん、ちょっと寝坊しちゃったみたいでさ」

「もう。最近本当にお寝坊さんだねぇ。士郎が夜更かしして一体何をしてるのかっ! お姉ちゃん、すーっごく心配だよ!?」

 

 にやりと嬉しそうな笑顔を浮かべる藤ねえ。きっとなにか俺をからかうネタでも思いついたのだろうなと考えながら、俺はとりあえず無視することにした。

 

 

こんな日常を肌で感じながら、今日も平和だなと思う。うん、やっぱりこの空気感が俺は好きなのかもしれない。

 

「――お待たせしました」

 藤ねえの騒いでいる中、台所から桜がようやく出てきて席に座る。

にこりと笑いながら、慣れた手つきで藤ねえと俺にお茶碗を渡すと、ようやく藤ねえも静かになって食事のあいさつを待っている。

これが衛宮家の朝の何げない風景の完成だ。

 

 

「さて、それでは……」

 

「いただきます」

「いただきます」

「いただきますっ!!」

 

 

 食卓に響くそれぞれの声。ニコニコと桜の作った朝食を食べる藤ねえ、それを笑顔で見つめる桜。うん、やはり朝はこうでなくては。

この光景を見るのがあまりに嬉しくて、しかしどこか懐かしくて……。

 

 複雑な顔をしているであろう表情を悟られまいと、味噌汁のお椀を手に取りゆっくりと、ただゆっくりとその味を楽しむことにした。

きっともうすぐ、こんな日々が遠いものになっていくのだろうと確信しながら。

 

 

 

 

 

 朝食を終え、会議だと慌てる藤ねぇと部活に向かう桜を見届けてから俺は自宅を出た。いつもより少し早目の時間になったせいだろうか、通学路にいる学生の数も疎らだった。

その学生たちの中に友人の姿を見つけ、俺は一声かける。

 

「よぉ、一成。今日も生徒会か?」

「あぁ、衛宮か。今日も早いのだな」

 

 柳洞一成、彼も桜と同様に俺の『日常』としての存在だった。

冬木の人たちとの関係が幾ら希薄になっていったと言っても、一成とは変わらない関係を築くことが出来た。ただ、常に生徒会の手伝いをするということはもちろんなかった。自分に時間がある時だけ、一成に手を貸す程度である。

そんな風にしてでも俺が一成との関係を築こうとしていたのは、おそらく彼とは友達でいたいという俺の我が儘があったからだろう。

 

 

 かつて、魔術を使う者として生き始めてから、どの記憶の中にも彼と再会した記憶はない。今の俺になって初めて一成と対面した時の何とも言えない気持ちを 俺は忘れることは出来ない。いわゆる郷愁の念というやつだろうか、上手に言葉には出来なかったが、すごく嬉しいと思えた。

 

 

「最近忙しそうだな、放課後も遅くまで残ってるみたいだし」

「そうなのだ、少し立て込んでいてな。また手伝いをしてくれると助かる」

 そんな他愛もない話をしながら、俺たちは学校への道を歩いていく。こいつの誠実な性格からして他の人間に頼みにくいのだろうと考えながら、ふとある疑問にぶち当たった。

 

「そう言えばさ、他の生徒会の役員はどうしたんだよ?」

「そ……それはだなぁ」

「最近一成以外の役員の子って数人しか生徒会室で見ないけど……」

 うろたえながら返答に困る一成。どうにもはっきりしないと思いながら、別の話題を振ろうと時、一成がいきなり大声をあげた。

 

「き、貴様! こんな早くにまた何か善からぬことでも考えているのか!?」

 

 いきなりの大声にもびっくりしたが、普段の言葉遣いと大分違うことを考えると怒らせてしまったかと反省し、俺はごめんと言いながら彼の方に視線を移す。だが一成は俺の方ではなくもっと道の先、校門の方を見て声を荒げていたようだ。

 無論俺の声に反応もせず、一成は猛ダッシュで校門に近付き相手と口論を始めた。

 

「まったく、何やってん……だ」

 俺が一成を落ち着かせようと駆け寄って声をかけようとした時、俺は思わず声を失ってしまった。そう彼女が、あの“黒髪の少女”がいたからだ。

 

 

「ん? あぁ、すまん衛宮。この女を見た途端に我を失ってしまった。まだまだ修行が足りん」

 

 一成の声が遠くに聞こえるような気がした。

 

「この女呼ばわりは失礼ね、柳洞くん?」

 

 この声、はっきりと覚えている。俺がオレであったころのパートナーの声。

 

「このたわけが! 生徒会役員への横暴、謝罪もせずによく言ったものだ」

「この間お互いに納得したと思っていたけど、ご希望ならまた後日にじっくりお話しさせていただくわ」

 

 このハッキリとした物言いも、その実直な眼差しも、記憶のままだ。

 

「どうしたのだ? 衛宮よ」

「あぁ、すまない。少し呆けてた」

 

 あの朝日の輝く中で、忘れることのない笑顔を残してくれた少女、だから親愛を籠めて俺は言葉にしよう。普段と変わらない、いつもの言葉で。

 

 

 

「よぉ、遠坂って朝早いんだな」

 

―interlude―

 

「よぉ、遠坂って朝早いんだな」

 

 にくったらしい生徒会長と口論……とまではいかないが会話している最中、不意に遠くから駆け寄ってきた男子が声をかけてきた。

 

 そう、私はこの男子を知っている。私がこの学校で知るなかで一番危険で……一体何なのか分からない男。

そしてあの子を、桜を眺めていると度々姿を現す、桜が一番良い笑顔を見せる男子だ。

いや、違うか。むしろこの男子の前でしか桜は笑顔を見せることはなのだ。

 

「貴方は……」

「衛宮! このような女と会話する必要はないぞ!」

 

 私が衛宮くんに返答しようとすると、またまた生徒会長の邪魔が入る。全く、なんでこんなに目の敵にされるのかも正直分からないが、まぁここは身を引くのが良策だろう。

 

「衛宮くん? あまり柳洞くんと仲良くしていると便利にこき使われるだけよ」

 とりあえず嫌味を一言呟いて、踵を返して再び私は校舎の方へと歩を進める。

 

「ありがとうな、遠坂」

 不意に予想外の声が返ってきて、思わず私は立ち止まってしまう。何故? 嫌味を言っただけなのになんで? 訳が分からない。衛宮くん……一体どんな神経しているの?

 

 上手に言葉にすることは出来ない……でも私の勘が、魔術師としての勘がこう告げている

 

“この男は危険すぎる”と。

 

 そう、彼から発せられるあの独特の雰囲気。それは間違いなく『魔術を使う者』が発するモノのそれ。いや、それだけで言い表すことの出来ないモノをあの衛宮士郎という男は秘めている。私にはそう思えて仕方がなかったのだ。

 

 

「――あいつも、関わってくるんだとしたら……」

 

 教室までの階段を足早に歩きながら、私は考えていた。

衛宮士郎という男を野放しにはできない。冬木の管理者として、何をするためにこの地に留まっているのか、何が目的なのかをハッキリさせなくてはならないと。

 

 

「もし、聖杯戦争が目的だったら……叩くしかない」

 

そう、もう既に時は満ちている。聖杯戦争に関わる者がこの地に集結し始めている今、決断を急がなければならないのだ。

 

 私は逸る気持ちを抑えながら、階上へと急いだ。まずは落ち着くこと、優雅に振舞わなくてはならない。それが私のポリシーなのだから。

 

 

 

―interlude out―

 

 

 

 

 

「遠坂か……」

 自分で呟いた、あまりに懐かしい響きに、少しだけかつて彼女と共に戦いの夜を駆け抜けていた時のことを思い出し、思わず笑みが出た。

 

 そんな俺を不思議に思ったんだろうか一成は俺の顔を、眼を白黒させながら心配そうに見ていた。

 

「あぁ、すまん一成。早く行こうぜ」

「今日は本当にどうしたのだ衛宮。体調でも悪いのか? もしや、あの女狐にあてられたか!?」

 

 あまりに突飛のないセリフを吐きだす一成。それもあながち間違いではないが、とりあえず俺は笑って誤魔化すことにした。

一成はどうにも納得のいかない様子だったが、足早に俺たちは校内へと急ぐことにした。

 



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幕を引くのは・・・

 

「すまなかったな、衛宮」

「あぁ、じゃぁ教室に鞄取りに行って、そのまま帰ることにするよ」

 

 時間は流れ、既に日も暮れ始める時間帯。

俺は一成の手伝いで、壊れかけだというストーブの点検をしていた。数としてはそんなに多くはないものの、やはり一人での作業となると時間はかかる。

 おそらく予想より一時間近くは時間をかけてしまったのであろう。他の仕事で外に出ていた一成が帰ってきたころに俺のようやく作業を終えることが出来た。

 

「最近物騒だからな。気を付けるの帰るのだぞ」

「それは一成もだろ? 早めに帰れよ」

 

 別れの挨拶も済ませ、俺は一路自分の教室へ急いだ。

こんな時間だ。窓から見える校庭にも部活動している生徒は疎らにしか見られず、廊下には誰一人としていない。

 

「まぁこんな時間だしな……」

 

 独り言を呟きながら、オレンジに染まった廊下を急ぐ。

この景色を見ていると、どこか家路を急ぎたくなるのは何故だろう。

きっと誰もがそうだろう。それぞれに持つ、“本当に帰りたい場所”。俺にとってはそれが、あの切嗣と暮らした……そして今、藤ねえや桜と食卓を囲むあの家。彼女と初めて出会ったあの場所なのだ。

 

 ようやく教室の前にたどり着く。

おそらくもう誰も居残ってはいないだろうと思いつつも、ゆっくりと扉を開く。

 

 真っ先に目に入ってきたのは、その美しい横顔だった。

もう誰もいない教室で一人、ただ外の風景を眺めている影が一つ。

あぁ、いつかこんな光景を見たことがあったような気がする。

その影は俺の存在に気がついたのか、少しだけ微笑みながら俺へと声をかける。

 

 

「遅かったのね、衛宮くん」

「遠坂、まだ残ってたんだな」

 

 互いに視線を交わらせながら、それ以上には何も言わない。ただ直感する。彼女が一体何をするために、この教室に一人残っていたのか。

 答えは、簡単なことなのだ。

 

 

「じゃぁな、遠坂も早く帰れよ」

 自分の席に掛けておいた鞄を手に取り、踵を返し片手をあげて別れを告げながら廊下へ出るべく歩き始める。

 

 

 

 

「――ねぇ。貴方……いつまで惚けた顔してるつもりなのよ?」

「ん? 何言ってるんだ、遠坂?」

 

 背後からかけられた声に、俺は振り向かずに返答する。

綺麗な声から感じられたのは警戒。おそらく既に気が付いていたのだろう、俺が魔術を使う者だということを。

背中に向けられる殺気が重い。しかしどうということはなかった。これくらいのモノなら、逆に心地良いほどなのだから。

 

 

「それが惚けてるって! ……いいわ。聞きたいことは一つよ」

 棘のある響きを投げかけられる。その言葉に応じるように、俺は彼女の方へと顔を向ける。

言うまでもなく、遠坂はするどい目つきで俺を睨みつけていた。それは明らかに敵意を持った視線。魔術師に向けられるべきモノ。

 

 

「――衛宮くん。貴方、この街で一体何をするつもり?」

「何をする? 俺はただこの街で生活してるだけだぞ。それ以上に何もない」

 俺の言葉に顔をしかめる遠坂。バカにしているように聞こえたかもしれない。しかしそれ以上の目的は俺にはない。

 

「―――ハァ」

 彼女は呆れたように溜息をついてからブツブツと“嘘ではないみたいね”と呟き、俺に視線を戻した。表情からはようやく彼女らしい、落ち着いた様子が見て取れた。

 

「聞き方が間違ってたわ。魔術師がこの土地に来て、やることは一つしかないのよ。」

 

 

 一呼吸、ゆっくりと深呼吸した後で遠坂は呟く。

これは俺が、そして彼女が戦う意味を示すための言葉。確認するための言葉。

俺だけが一方的に考える、彼女との誓いのようなモノだ。

 

 

「――貴方、聖杯戦争に参加するつもりなの?」

「――それは言えない。でも、一つ言えることがある」

 

 

 

 

「俺は、衛宮士郎は聖杯なんかに興味はない」

 

 ただ、聖杯の導きによって現れる……彼女と一目会いたい、ただそれだけ。

そう言った点では、俺は聖杯を欲しているのかもしれない。

 

 しかし叶えたい望みなど、そんなモノ俺にはもうない。

いや。俺はずっとその道の上を歩いているのだから、今さら望みをかなえてもらう必要などないのだ。

 

「――そう。なら良いわ。でもね、もし貴方が私の邪魔をするようなら……」

「あぁ、その時はどうぞご自由に」

 

 俺は手をヒラヒラと振りながら、再び教室の扉を開け、足早にその場から立ち去ることにした。

「ちょっと、まだ話は……!!」

 

 

 その後、遠坂が何かを言っていたようだが、ちゃんと聞きとることは出来ない。むしろ聞きたくないという方が正しいのかもしれない。これ以上の遠坂との接触は、俺にとっては決意を鈍らせるモノ以外の何物でもなかったのだ。

 

 

 

 

―interlude―

 

「ちょっと、まだ話は……!!」

 

 その呼びかけに応えようともせず、衛宮くんは教室の外へと去って行ってしまった。

無論止めることも出来た。強引に話を続けることだって。

 

 でも何故なのだろう。言葉は出ても、身体が動こうとはしない。

ふと視線を自らの手に移すと、両の手が小刻みに何かに怯えているように震えていた。

 

「ッ……」

 

 恐れてしまったのだ。彼を……衛宮士郎という魔術師を。

彼と話している時には気付いていなかった。それだけ衛宮士郎と対峙している間、気をはっていたということだろう。

 しかしそうだったとしても、私がこんなにも誰かに怯えるなんて。これまであの神父にさえ嫌悪はしても、怯えることなんてなかった。

それが彼が相手と言うだけでこんなにも違うだなんて……。

 

「どちらにしても、このままにしておけない」

 

 衛宮士郎……あの男だけは聖杯戦争など関係なく、危険すぎる。頭に浮かぶマイナスの感情を破棄しながら、ただ私は考える。

彼の思惑とは一体何なのか。彼がこの冬木で本当にしようとしていることは一体何なのか。

 

 しかし答えの出ないままに、周囲は闇に染まっていく。

そして夜が、魔術師たちの駆ける時間が刻一刻と迫りつつあった。

 

 

―interlude out―

 

 夜、季節も移り変わって陽が落ちるのも早くなっている。いくらあたりが闇に沈んでいるといっても、遅いとは言えない時間帯にも関わらず街路に人の影はない。

ここ最近冬木でおかしな事件が頻発していた。おそらくそのせいだろう。

 

 何の手がかりもない強盗殺人事件、新都で頻発しているガス漏れ事故…それらの原因は大体見当は付いている。

そしてそれを行うであろう、あのサーヴァントたちの顔を思い出しながら、俺は苦笑いを浮かべる。

 

 

「――もう召喚されてるんだろう」

 一言呟き、俺は急ぎ足で家を目指した。まだ俺が関わってはいけない、勝手にそう思い込むことしにて。

それが自分の身勝手な考えだと、あの理想をもつ者としては恥ずべき行為であると分かりながら。

 

「何故見過ごせる…分かってるのに……」

 ただ言い訳をしていた。自分が関わっていいのはあの夜からだと。何も知らなかった俺が一度、“殺されてしまった”あの夜からだと。

 

 拳に力を込める。それは掌に痛みを生むだけの不毛なこと。自分が変わったことへの後悔なのか報いなのか、ただ自分があまりにも不安定でどうしようもない奴ということはハッキリしていた。

 

 

 

 

 

「――ッ!」

 刹那、どこからともなく殺気を孕んだ視線を感じ、俺は思考を魔術師のモノへと切り替える。

間違うはずもない。俺のことを見ている“誰か”がいる。

 

それとともに響いてくる靴音が一つ。ゆっくりとした歩みでこちらに向かってきていた。

 

「……なんでだ? なんで何もしてこない?」

 相手も魔術師ならば、姿を見せる前に攻撃してくるのが必定。しかし靴音の主は最初に俺に殺気を向けて以降、ただこちらに歩いてくるだけだった。

 

 

 点在する街灯の下、その少女は姿を見せた。

 忘れるはずもない。その容姿、その銀の髪、意地悪に笑う可愛らしい笑顔…小さな少女が俺に笑いかけながらそこにはいた。

 

 その姿に俺は立ち尽くすことしか出来なかった。

俺はこの子を知っている。雪のような真白がよく似合うこの子を。俺が救うことが出来なかったこの子を。

 

「イ……」

 

 彼女の名前を口にしようとして、すぐに声を押しとどめる。何故かは分からなかった。ただ彼女に視線を送り続けるしか出来ない。

そして一歩、もう一歩と少女は歩みを進め、ついに俺の横を通り過ぎていく。そして一言、鈴の鳴る様な響きで俺に呟いた。

 

 

 

「早く呼び出さないと死んじゃうよ、お兄ちゃん」

 

 

 

 その言葉をようやく俺は理解した。この少女はこの瞬間、俺を殺すつもりだったのだろう。本当はそうするつもりだったのに、こうして警告だけしかしなかった。

これは同じ人を親に持つ俺への憐れみ……いやきっとこれはこの子なりの優しさだったのだろう。

 

 

「あぁ、でも俺は殺されない」

 俺は少女の後ろ姿を見送りながら、そう呟いた。きっと彼女には届いていないだろう。届いていたとしても戯言にしか聞こえない。

だから今はこのままでいい。次に対峙した時、俺はこの子には殺されない。

 

 自分のためにも……彼女のためにも。

 

 

 

 

 

 

 

―interlude―

 

「なんで?なんで!?」

 足早に駆けていく少女の表情は完全に困惑の色を見せていた。

 今すれ違った男。自らの耳に入ってきた情報では、そこまで力も強くない、一般人とほとんど変わらない半人前の魔術師ということだった。

しかし、少女が行使していたはずの魔術は彼には通じず、こんな結果を彼女にもたらしただけだったのだ。

 

 

 少女の目的は一つ。ただ男がどんな顔をしているのか、それを確認したいだけだった。自分から親を奪った男、自分を見捨てた人間が育てた男の顔を。

だから少女は、自分の従者も連れてこずにやってきた。

 

 仮につまらない人間ならば聖杯戦争を前に殺す。

 気に入ればそれが始まってからじっくりと痛め付けてから殺してしまおう。

どちらにしても結果は変わらないが、そうしようと少女は心に決めていた。

 

 しかし実際、今は少女の方が男に困惑させられていた。魔術が効かなかった、それはどうでもいい。

あの言葉だ……あの言葉がいけなかった

 

 

『あぁ、でも俺は殺されない』

 

 

 この言葉を聞いた時、脳裏に浮かんだのは自分に優しく語りかける父親の姿。

ただそれだけが彼女を、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンをこんなにも苦しめていた。

 

 

「――何なの? なんでな!?」

 言葉の端々、そしてその表情から滲みでる少女の心の揺らぎ。

殺すと決めたはずの相手に、どこか懐かしさすら感じられる。そんなおかしな感覚に彼女はどこか嬉しさと悲しみを抑えきれずにいた。

イリヤはその小さな手のひらをギュッと握りしめながら、静かに溜息をつく。

 

 

「もうダメ……今度会ったら殺しちゃうよ、お兄ちゃん」

 もう考え疲れたのか、イリヤは自分が一番はっきりと出せるシンプルな結論を出す。

 

 そうすれば思考がきれいに整う、そうすればおかしくなることはない、そうすれば何にもとらわれずにアインツベルンの悲願を果たせる。

イリヤは自分にそう言い聞かせ、自らに用意された城へと帰っていく。

もう開幕まで残り少ない時間を、彼がどう過ごすのかを楽しみにしながら。

 

 

―interlude out―

 

 



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開幕

 

 イリヤとの遭遇から数日、俺は普段通りの生活を送っていた。

相変わらず学生としての生活においては、一成からの頼まれごとも多く、遅くまでかかることも少なくない。

事実、今日も部活動をしているであろう生徒たちと同じくらいの時間まで、校舎に残ることになってしまった。

 

 

「さて、さっさと帰るかな……」

 俺は鞄を手に、校外に向かって校庭を歩く。

ふと視線の先に、よく知る少女の顔を見付ける。少女は部活動の帰りだというのに一人、足早に学校の外に出ようとしていた。

 

 

「おーい、さく……」

「おい!何僕の事無視してるんだよ!?」

 

 前を歩く少女、桜に声をかけようとした時、ほぼ同じタイミングで響く怒鳴り声。

その声の主は桜に走り寄り、彼女の腕を乱暴に掴む。

 

「――や、やめて下さい、兄さん」

「うるさいんだよ、おまえは僕の言うことを聞いてりゃいいんだ!」

 

 二人のやり取りを見て見ぬ振りをしながら脇をすり抜けていく者や、ヒソヒソと遠巻きにそれを眺めている者たちもいる。そんな中で、桜の手を掴んだ男子は強引に桜を引っぱりながら、校門の外へと連れて行こうとする。

 そう、こいつは昔からそうだった。平気で人を……桜を傷つける。そんな風にしか自分を表現できないやつだと分かりつつも、だが俺はその男子の、間桐慎二の行動を許すことが出来なかったのだ。

 

 

 

「――何してんだよ、間桐!!」

 

 

俺は、自分でも驚くほどに大きな怒鳴り声を上げていた。周囲に居た生徒たちも、その声にビクリと身を振るわせる。

俺は二人の間に割って入りながら、鋭い視線を慎二に送った。

 

 

「……な、何だよ? また、またお前かよ衛宮!?」

「あぁ、だからなんだよ?」

 

 俺の顔を見た途端に先程までの強気の表情が一変、オドオドとしたものになってしまう慎二。

コイツとだけは何故か一成のように仲良くすることは出来なかった。むしろ桜への態度の事もあり、俺はかなり冷たい態度で慎二に接していた。

 

 

「――そもそもね!」

 勢いよく俺の胸倉をつかみ上げながら詰め寄る慎二。

 

「僕たちがこんな風になってるのは衛宮、おまえのせいなんだって前にも言ったよな?」

 グッと力を込めながら挑発的な瞳を見せる。

 

 確かに以前にそう言われたことがあった。そもそも桜が俺のところに手伝いに来る必要も正直に言えばない。

しかし俺は桜の好意を無下には出来ず、桜の好きなようにさせてやっているだけだ。何を選ぶのも、それは桜の自由にさせてやりたいと思うから。

 

「あぁ、そうだったな……でもな、それで妹に暴力を振るってもいいのか!?」

「そ、それは……」

 

 俺がここまで怒ると思わなかったんだろう、慎二の手の力が弱々しくなっていく。

それを確認しもう一言、慎二に対して言葉をかけた。

 

「なぁ間桐、俺が悪いのは分かってる。お前の言うことだって理解しているつもりさ。でもさ、頼むから兄が妹に暴力を振るうなんて事だけはしないでくれよ」

 

 俺の言葉に何かを感じたのだろう、慎二は手を退けて桜に向き直って一言呟く。

「分かったよ、とりあえず衛宮との話はまた後でだ。でもね、衛宮の家に行くのも程々にするんだ!」

 

 そう言葉を残し、慎二は足早にその場から去っていった。

何というか、本当に去り際の手際に良さと、捨て台詞には相変わらずビックリさせられる。

 

 

「先輩……本当にすいませんでした」

 慎二の逃げ様に感心させられていた俺に、桜は謝罪の言葉を述べる。

まぁ、元々は俺が桜に甘えているせいなのだから、しょうがないのだが……。

 

「まぁ、自分でちゃんと選んでな。間桐の言うことごもっともだから、気を付けるんだぞ?」

 

 桜にそう笑いかけながら、俺たちは校門の外を目指した。周囲は落ち着き、普段の下校の風景にその姿を戻していた。何事もなかったように、そして今からも何も起こらないことを示すように。

 

 

 

 そう。思えば今日こそ、俺が一度死ぬはずだった日。

 俺が慎二を『間桐』と呼ぶ関係になったせいで。

 俺が今日、学校に残らなかったせいで。

 

 この戦争で起こりえたはずの事象は、その様相を変えていくことになった。

 

 

 周囲にはそれぞれの営みの光が見え始めて久しい時間帯、俺は桜を家まで送りに出ていた。夕飯の片づけを終えて、少しばかり休憩をしていた時のことだっ た。普段ならば藤ねえが桜の事を送ってくれる。しかし今日に限って藤ねえは“お姉ちゃんは色々と忙しいのだ!”などと言い、そそくさと自分の家に帰ってし まった。

 確かに俺個人としても普段から桜には世話になっているので、快く送っているわけなのだが、何故だか普段のような会話がない。俯き加減に俺の後ろを歩く桜に俺はどうしたらいいか分からず、黙ったまま歩き続けた。

 

遠くの車の音が聞こえるほど、あまりに静かな路地。

最近の騒ぎのせいもあるのだろう、俺たちの歩く路地にもう周囲に人の影すらない。

 

「――先輩、もうこの辺りで結構ですから」

 深山町の交差点を少し越えたところで、桜が遠慮がちに声をかけてくる。

 

「そうか……家の前まで送るぞ?」

「いえ……ここまでで十分です。すいません、ここまで付き合ってもらってしまって」

 深々と頭を下げる桜にこれ以上何も言えず、俺は彼女の言葉に従うことにした。

 

「じゃあ、気を付けて帰れよ」

「はい、先輩もお気を付けて」

 

 二人で笑顔を見せあいながら、その場で別れた。俺は桜の姿が見えなくなるまで彼女を見届ける。明日も元気な姿を見せてくれたらどれだけいいだろう。

そんなことを考えていた時のことだった、その響きが俺に投げかけられたのは。

 

 

「人の妹を自分のモノみたいに……本当に気にくわない奴だよ、お前は」

 

 街灯に照らされ、その影は立つ。

その立ち居姿は堂々とし、自らの威厳をこれでもかと見せびらかすよう。

その表情は自らの苛立ちを隠さず、ハッキリとした嫌悪を俺に向けている。

 “ここまで感情をぶつけてくるとは、こいつらしくない。”

それがこの男、間桐慎二の今の姿をみた時の、俺の素直な感想だった。

 

「――なんだ? 俺は桜を送りにここまで来ただけ……」

「うるさいよ!! あぁ、本当におまえはうるさい奴だよ!?」

 響き渡る大声。おそらくその声に反応する者もいるかもしれない。

しかしそんなことすら気付かないほどに、慎二は興奮していた。今すぐにでも、俺をどうにかしてしまいたいと言わんばかりの表情を向けながら。

 

 

「衛宮、おまえ魔術師なんだろう? だったら聖杯戦争の事も知ってるんだろ? そうだよなぁ!?」

 ニヤリと嫌な笑顔を見せながら、慎二は言葉を止めようとしない。

 

「――それがどうした? 知ってて、お前に何か関係があるのか?」

 努めて冷静に言葉を紡ぐ。

慎二が俺を試しているというのは明白。そしてこの後の展開も予想できる。

おそらくこの場を逃げきることは出来ない。慎二の後ろに居るであろう、“あのサーヴァント”に速度では敵わないということくらい分かっているから。

 

 ガキンと頭の中で、重い鉄が打ち鳴らされる。

目が覚めるような、慣れ親しんだ感覚。

ダラリと投げ出していた腕に力が、目の前の障害を打倒するための力が籠る。

 

「あぁ~関係ないね。だってさ、おまえは今日……僕に殺されちゃうんだし!」

 余裕に満ちた表情で慎二は呟く。その響きと共に、迫りくるは風すら切り裂く凶器。

ゾクッと身が震える。それはいよいよ始まることへの歓喜?それとも別の感情?

その答えを出せないまま、俺の聖杯戦争は再び幕を開ける。そしてその戦いにおいて最初に相対した敵は、かつて友人と呼んでいた男。

凶器の迫りくる中、苦笑いを浮かべ一人考えたのだ。

戦いの始まりがこんなに皮肉ったらしいものならば、俺は俺のスタンスを貫き通すと。

いつもの馴染みの言葉から、始めようではないかと。

 

 

「――投影・開始(トレース・オン)!」

 

 

 

―interlude―

 

 

 「ついに始めおったか……」

明かり一つない、仄暗い部屋に響く年齢を感じさせる枯れ果てた声。

その響きはどこまでも重い。まるで部屋中をさらに黒に染め上げるように。

声の主は、自分と同じ名を持つ者ととある魔術師の戦いを、自らの一部を介して見守る。

それは肉親を気遣ってでも、興味からの行動でもない。ただ、ついに始まった戦いを見届けんがための、その老人にとっての当たり前の行動であった。

 

「――うむ、一体どのようにして駒を進めていくか……それにしても不確定な要素が多すぎる」

 彼の言う不確定な要素、それは今まさに戦おうとしている魔術師の存在。

それがどのような動きをするのか、それによって自分の今後の選択は変わってくる。

 

「……しかし、前回以上になんとも面白いことよ!」

 誰に語るまでもなく、独り言のように呟く。

その老人を知る者ならば、驚くであろうその所作から、彼が興奮を抑えきれずにいるということは明白であった。

 

 

確かにこれまでにないほどに、戦いに臨まんとする者たちは多彩な人材が揃っていた。

 

 一流の血統を持つ、誇り高き魔術師。

 その流れを汲みながらも、違う色に染まりし少女。

 戦いに巻き込まれてしまった、元暗殺者。

 自らの望みを叶えんがために、生に執着する最早人とは呼べないモノ。

 聖杯を奪取すべく、そしてその受け皿になるべく造り出された聖女。

 監督役という皮を被りこの戦いの中で暗躍する、生まれながらの破綻者。

 そして、この戦い最大のイレギュラー。

 

 この老人が今総ての人物の素性を知らなくとも、いずれ総てが露見するだろう。戦局を見極め自らが勝利者となるために、老人はただひたすらに機会を窺い続ける。

 

 カランと玄関の開く音が聞こえる。

自らの最大の駒。老人の現状の最高傑作とも言える少女の帰宅の音。

 

 

「アレの仕上がりも上々、あとはどの場面でワシが舞台に立つか……」

 

開幕戦をその目で見ながら、呟く。自らの出番を待つ子どものような嬉々とした表情を浮かべながら。

 

 そう。これは老人自身も待ち望んだ戦いでもあったのだった。

 

 

 

―interlude out―

 

 



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開幕 運命の夜Ⅰ

 

 

 迫りくるは凶器の突貫。

おそらく普通の人間ならば突き刺されて殺される。

おそらくかつての自分なら、致命傷を負わされる。

そして、今の自分自身ならば……。

 

「――ッ――」

 手に現したのは夫婦剣。馴染みの感触を確かめながら、俺は干将を横に薙ぐ。

刹那響き渡るは互いの凶器の爆ぜた音。それは俺と慎二、二人の戦いの合図を示すようにただ鳴り響く。

そうしてようやく視界には、その凶器を投擲したであろう人物が姿を現す。

そう。記憶のままに残る姿のまま、そのサーヴァント・ライダーは俺を威嚇するように姿を現した。

 

「何してんだよライダー!! なんで衛宮を殺せないんだよ!?」

 まるで子どもの喚き声ように声を荒げる慎二。

おそらく自分のサーヴァントが一撃でもって、俺を殺してしまうと確信していたはずだ。しかし彼の予想に反し俺はサーヴァントの一撃を受け流し、未だに立ち続けている。それが慎二にとっては堪らなく許せないことだったのだろう。

 

 

「さぁ! 早く衛宮を殺してくれよライダー! 君強いんだろ? なぁ、早くしろよ!!」

 

「……」

 慎二の声に耳を傾けようともせず、ただジッと俺を見つめるのはサーヴァント・ライダー。確かにその眼帯の下の瞳は、俺をギロリと睨みつけているであろう。彼女から感じられる殺気は、それを容易に連想させる。

 

 しかし、俺もライダーに時間をやるほど余裕があるわけではなかった。

この場をどう逃げ切るか。そしてこの二人をどうすれば降すことが出来るのか……それを必死に考えながら、俺は夫婦剣を再度強く握りしめたのだった。

 

 風の鳴る音、そして響き渡る鉄のぶつかり合う音。

 

 どこか均整のとれた響きに、ひょっとすると、演舞でも踊っているのではないだろうかという錯覚をしてしまうほどに、俺の意識は高揚するばかりであった。

 こんなにも軽やかに、そして力強く短剣を振るい続けるライダーの力量を今だからこそ理解出来る。

かつての俺では彼女の存在に恐怖し、『逃げよう』としか思っていなかった。ライダーの力についても何も見極めることが出来なかった。

 

「でもな……!」

 ライダーの動きに応えるように、俺は手にした夫婦剣で彼女の進攻を遮っていく。

横からの一閃ならばそれを受け流し、突きを返す。

縦からの強襲ならば、受け止めて動きを止める。

 

 ライダーの一挙一動に反応しながら、俺は少しずつ確信していた。

 

 

  “どうにか、サーヴァントとでも戦える”

 

 

「――愚かな」

 

 ズクリ、何が身を引き裂く感触。先程までとは明らかにスピードを上げて繰り出される短剣。

ライダーはより速度を上げながら迫る。逆に俺は身を傷つけながら、防御に徹するしかない。

 

「ガッ!!―――ッ――ハァ!!」

 

 容赦のない身体を裂く痛み。それに気を留めず、掲げた剣を振るい続ける。

いや、むしろ俺は振り払おうとしていたのだろう。自分の中に過ってしまった思いを。

“サーヴァントには敵わない”と考えてしまった自分自身を。

 

「フ……フハハハハハハ!! いいよ、良いよライダー! さっさと殺しちゃえ!」

 

 嬉々とした声を上げながら、よりライダーを煽る慎二。

ライダーはその声に応えることもせず、そして手を休めることなく俺への攻撃を続行していく。確かにつけ入れる隙はある。しかしそれをカバーして余りあるほどのスピードを彼女は有している。

 

「――最期です、魔術師(メイガス)」

 感情のない声が頭上から降りかかる。

脳天に向け振り下ろされる切っ先。おそらく受け止めることが精一杯だろう。彼女自身も、これで詰みと考えたはず。

 

「ッ!!」

 

 だがそれは、“ライダーに対する攻防において”ということに限定される。

 

 

 手に持った剣を左右に投げ放つ。

それはライダーからすれば何と愚かな行為と見て取れるかもしれない

無論、ライダーの短剣は迫りくる。だとしても、一番有効であろう手段は一つ。

 

 

「――まさか!?」

 

 

 その声は短剣の肉を裂く音と共に響いた。肩口に突き刺さったそれを確認しながら、自分の為そうとしていたことが上手くいったことを確認する。

そう。わざわざ俺が得物を捨ててまでライダーの攻撃を受けたのには理由がある。

 

「ライダー! 何してる? 早く止めをさ……うわぁ!!」

 

 『標的』自身もようやく気が付いたのだろう。弧を描きながらそれは徐々に『標的』へと近付く。

 そう。慎二はろくに魔術も使えないはずの一般人と変わりない。

もし対処法を持っていたとしても、気が動転しているあいつには使いこなすことは出来ないはずだ。

 

 

 刹那、チィという舌打ちと共に、俺に止めを刺さんとしていた影が疾走を開始する。

 

「――っ」

「ひぃ――!」

 

 短い悲鳴が耳に届く。俺は身体を起こしながら、一気に肩に突き刺さった短剣を抜き去り、次の一手を撃たんと力を込める。

 

 目の前で繰り広げられる光景は一つ。

主を守ろうと疾走する使い魔。あの速度ならば、ライダーが傷を負ったとしても慎二を無傷で救うことは可能だろう。

 

 

「――投影(トレース)・開始(オン)!!」

 ここで勝つ必要はない。むしろ一人で勝つことなど不可能だろう。

 

 思考する。

 何が最善なのかを。

 

 造り出す。

 この局面を打開する最良のモノを。

 

 俺が勝つべきは、目の前の敵ではない。

 俺が勝つべきは一分、いや一秒前の自分自身。

 より強い自分になるために、弱い自分を打ち倒すことなのだから!

 

 

 目に映る総てがスローモーション。

両脇に剣の強襲を受けながらも、主を助け出すライダー。飛び散る赤。それは街灯に照らされながら、まるで宝石のように散りばめられていく。

 

「―――投影(トリガー)装填(オフ)」

 

 静かに言葉を紡ぐ。

手に現したのは黒塗の弓。俺はそれに矢を番え、一気に撃ち出すと同時にその場から踵を返し走り出した。

 

 完全に無防備な背中、撃ちとる可能性もあるだろう。

だが敵はサーヴァント。簡単に殺すことは出来ない。

 

 

「――ッ――」

 聞こえてきたのは痛みに耐える声。おそらく思惑通りに行ったのだろう。

しかし俺はそれを目にすることもなく、一心に走り続けた。

 

 きっと……俺が逃げ切れることこそが、慎二に対する皮肉であると分かっていたから。

 

 

 

 

―interlude―

 

 

 少年、間桐慎二は興奮していた。

 

自分の使い魔と、自分に何かと絡んでくる憎たらしい友人との戦いを目にし、何も感じなかったと言えば嘘になる。

 

 あれだけ大嫌いだった男、衛宮士郎が自分の駒に傷つけられる様を見て、震えが止まらないほどに自分は興奮を隠しきれなかったのだ。

しかし徐々に彼の頭に苛立ちが募っていった。

そう。自分が有した力は、士郎のような名の知られていない魔術師などに対抗できるほど弱いものではないはず。むしろ数秒で決着が付くであろうと予想していた慎二にとって、目の前で繰り広げられていた光景は、彼の集中を削ぐのに十分なものであったのだ。

 

 

 

「ライダー! 何してる? 早く止めをさ……うわぁ!!」

 

 声を荒げた瞬間に自分に飛来してくる白と黒の殺意。

普段の間桐慎二なら避けられただろう、隙を見てライダーを援護できただろう。

しかし彼は戦いに身を投じるには、覚悟が足らなさすぎる。そして戦場に立つということは、自身も傷を負うということを全く理解してはいなかったのだ。

 

「ひぃ――!」

 

 発した声とほぼ同時に移動していく自身の身体。

そして視界に飛び込んできたのは、自らの従者の姿と鮮血の雨。

 

「―――ぁ」

 ドスンと音をたてて背中から倒れこむ。呼吸が止まり、正常な思考は彼の頭から消え去る。ライダーの身体によって視界はおおわれ周囲の事を何も目視することは出来ない。

いや、それ以前にそれすら気にしていられないほどに混乱する慎二。

初めて向けられた殺意、そして直面した明確な死のイメージを簡単に払拭できるほど、彼の精神力は強固なものではなかった。むしろあまりに弱々しく幼いものだった。

 

 

「……え、そうだ、衛宮は?」

 

 ようやく慎二は我に返り、士郎が先程までいた場所に目を向ける。次の瞬間彼が目にしたのは走り去っていく士郎の後ろ姿。

 

 逃げたのか。勝てないと分かったから逃げることを選んだのかと振るえる中で、口元を歪ませる慎二。しかし次に目線を下に向けた瞬間、彼はそれが間違いであったと気付かされる。

 

「――何してるんだ! 早く立てよライダー!!」

 

 そう。目に飛び込んできたのは両の脇腹に深く傷を負い、そして脹脛に矢を受けて倒れ伏す自らの従者の姿。

 

「おまえ、何してんだよ? 早く衛宮を追うんだ!?」

「……分かりました」

 自らに覆いかぶさる使い魔を強引に退かせながら、声を荒げる慎二に一言だけ返答し、立ち上がるライダー。しかし彼女が士郎を追えないことなど、火を見るより明らか。幾ら彼女はサーヴァントとはいえ、受けた傷が簡単に癒えるなど、そうあることではない。

 

 だがそれでもライダーは踵を返し、士郎の走り去ったあとを追う。

 

その姿に慎二は満足げな表情を浮かべながら、もう一度念を押すように声をかけた。

 

 

「――いいか? 絶対に仕留めろ! そうじゃないと、あいつが痛い目みるからね」

 

 

 その声に、より苦悶の表情を浮かべながら、ライダーは振り返らずに走っていく。それは最早は、その場にいる仮初めの主に対するモノではなく、完全に本当の主を守らんがための懸命の行動であった。

 

 彼女が走る度、赤々とした血がその場に落ちる。

それはまるで、彼女が確かにこの時冬木の地に現界していたことを現すように、くっきりとその跡を残していた。

 

 

 

―interlude out―

 

 

 

 

「――ハァ、ハァ――ッツ!」

 

 走る、呼吸が乱れる、足が縺れる。

ただ一心に一つの場所を目指して走り続ける。

そう。ライダーとの一戦でこれでもかと言うほどに思い知らされたのだ。俺自身、まだまだサーヴァントと討ち合うには戦力が足りないのだと。

だから走る。彼女を、俺がずっと会いたいと願っていた彼女を呼び出すために。

 

 短剣を受けた腕が、肩が痛む。

血を流し過ぎた。その上にこの全力疾走。正直精も根も尽き果てようという状態にあった。

 

「それ、でもっ!」

 

 俺は脚を動かし続けるしかなかった。

慎二の性格からして、ライダーに俺の後を追わせるということは想像に容易い。だからこそあの時は慎二を狙うのではなく、ライダーの足を狙って矢を射たのだ。出来る限りの時間を稼ぐために。

 

 

「……ッ! ハァ、ハァ、ハァ」

 どれだけ時間がかかっただろう。普段なら大して時間がかからないはずの慣れた道をようやく走り切り、俺は衛宮邸の門をくぐり抜けて庭に出ることが出来た。

あと十数メートル、そこまでいけばどうにか事態を好転させられる。

 

 

しかしそんな希望、簡単に形になるわけがなかった。

 刹那、最早聞き慣れてしまった風を切る音が耳に届く。

 

「ッ……!」

 

 同時に熱くなってく自身の左腕。何かに引っぱられていくような、何かに持ちあげられていくような感覚に見舞われる。

いや、腕に伝わる感触で理解出来る。目を凝らすとそこからは先程まで俺を傷つけていた短剣の切っ先。そしてそれを辿った先、俺の目指す庭先の方に肩で息をしながらこちらを見据える一つの影。

 

「……さすがは、サーヴァントってことか?」

 素直に感嘆の言葉を口にする。まさか先回りをされているとは考えもしなかった。

しかしその影、ライダーは何も応えないままフラフラと近付いてくる。その様子から察するに、確実に俺の攻撃はダメージを与えることが出来たのだろう。彼女の姿は今にも消えてしまいそうなほどに危ういものだった。

 

突き刺さった短剣と鎖に自由を奪われた俺をジッと睨みつけながら、ライダーはゆっくり俺に歩み寄る。そして冷ややかな響きでこう囁いた。

 

「さぁ……あとは、ありません」

 

 それだけで分かる。どれだけライダーが俺を殺そうとしているかということを。眼帯に隠れる瞳の鋭さが感じられるほどに、彼女は躍起になってそれを為そうとしているということを。

鎖に繋がれた短剣を掲げられる。それは死を宣告するかのように、鈍い光を放つ。

しかし俺はその短剣を見据えながら、ポツリとライダーに言葉を投げかける。

 

「そうか、最期か……」

「――えぇ、死になさい!」

 

 挑発されるように、勢いを付けた切っ先が脳天目掛けて降り注ぐ。

光に照らされ、剣の軌跡はこれでもかと言うほどに綺麗な線を描く。そしてガキンという音と共にそれは突き刺さり、鮮血が周囲に振りまかれる。

 剣の軌跡、そして飛び散る鮮血だけを見ればそれは、あまりに美しい光景だっただろう。

 

「な、に――」

 そこに差し込まれる無粋な音。口元は苦痛に耐えるように歪み、がくがくと膝が震える。

 

 

「ま、さか…!」

 

 その言葉は二つの事柄を指し示していた。

一つは俺に突き刺さった短剣。

確かに振り下ろされたライダーのそれは、咄嗟に前に出した右腕に突き刺さり、その場に血の池を造っている。通常の人間ならば深々と突き刺さり、腕の機能総 てを破壊していたであろう。しかし短剣は何かに阻まれたように右腕を突き通すことなく、切っ先が刺さった程度に過ぎなかった。

そしてもう一つ、流された血は窮地に追いやられていた“俺だけ”のモノではなかったということ。そう。俺の目の前に立つサーヴァント、ライダーも血を流していた。しかし腕などではなく腹部。彼女のそこから赤々と血に濡れた切っ先が顔を出していた。

それは式さんとの本気の戦いの時に使ったモノと同じ。ライダーの後方に一振りの剣を投影し、彼女が俺への止めの一撃を繰り出すと同時にそれを撃ち出した。

無論彼女がそれに気付くことは出来ても、傷を負った身体では回避することはほぼ不可能に近いはず。それに賭け、俺はどうにかその場で得うる一番の結果を手にした。

 

 

「な、なんて……デタラメな!」

 言葉と同様に苦悶に満ちた表情を浮かべるライダー。その手に持つ短剣に籠められていた力が弱まったのを確認し、俺は彼女の拘束から抜け出し、俺は覚束ないながらも走り始めた。

しかし思うように足が前に出ない。急く心とは裏腹に、血を流し過ぎた自身の身体は最早動くことも拒否しているようだった。

 

 

「ま、まだっ!」

 後方から投げつけられる声。

 

「ガッッ―――!」

 その声とほぼ同時に腹部を掠める短剣の投擲。だがそれは俺を射抜くことは出来ず、俺の脇腹を抉るだけ。その場から動けないながらも、ライダーは未だに俺を殺すことを諦めてはいない。

しかし何度投擲しようと、確実に足を止めさせるには至らない。それほどまでに、ライダー自身も満身創痍の状態に陥っているのだろう。

 

 しかし、それは俺の方も同じ事であった。

 

 

「――ぁ――」

 

 

ライダーからの執拗な攻撃、それは確実に俺の体力を奪う。数メートルの距離を残し、片膝をついて俺はその場にへたり込んでしまった。

 

 

もう動かない。

前に一歩も進まない。

このまま、このまま殺されるしかない。

 

 頭に浮かぶのはそんな弱々しい考え。しかしそれらと共に、全く違う考えも浮かんでいた。

 そう。俺は言葉にしたのではないのか?

もう決して自分の大事なものは落とさない。あの人たちに、約束したのではなかったのか。

 

 

「――――――――」

 もう声にはならなかった。ただ一歩、這いずるように前に進む。

それ以外に意識をまわした瞬間、総てが終わってしまう。そう思えて仕方がなかった。

 

「ぁ――――――」

 また俺の脇を掠めていく短剣。その幾度目かの殺意を感じながらも前に進む。

そうだ……この身体の痛みは、俺が俺であろうとする証明なのだ。

そして俺は何をしたいのか、何をするべきなのかを既に理解しているはずだ。

 

「あぁ――――――」

 力強く決して折れないように、俺は最後の一歩を踏み出す。

傷付いても構わない、ただ一つの目的を果たすために。

 

 

 

始まりはすぐそこにある。

ようやく俺は、その門に手をかけたのだ。

 

 



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開幕 運命の夜Ⅱ

 

―interlude―

 

 

「止まれ……、止まれ!」

 

 目の前の少年は私の言葉を意に介さず、ただ歩を進める。

 

 もう何度、彼に対して殺意を放っただろう。

 何度彼に致命傷を負わせようとしただろう。

 

 それすら思い出せないほどに、私は少年に対しての殺意を、自らの得物を放ち続けた。

しかし、彼は止まろうとはしない。ただあと数メートルの距離をまるで這うように進む。はたからから見れば愚かな行為。しかし私にはそれが、決して止まることのない神の行進のように感じられた。

 

「なにを、バカなことを!!」

 あまりの悔しさに血を吐き出しながらも、私は大声をあげてしまう。

そう。私はサーヴァント、その成り立ちはどうであれ英霊なのだ。

怒り、憎しみ、悲しみ、痛み、怯え……総ての負の感情を飲み込んできた。

その私が、たかが一介の魔術師に恐れを抱くなど、そんなことがあるわけがない。

 

 しかし、事実目の前を進んでいく男は私を怯えさせる。

そして私の総てが語りかけてくるのだ。きっとこの男は、我が真実の主の害を為す者になると。

 だから殺さなくては……恐怖するよりも前に。

 目の前から消さなくてはならない……主が傷つくとわかっていても。

 

「ァ――」

 すっと血の気が引いていく。動こうとするたびに、夥しい血が体の外に吐き出される。フラフラと意識を失うかというところをどうにか繋ぎ止めていたもの、 それは皮肉なことに先ほど受けた一撃の痛みだった。腹部から生える剣の切っ先を目にし、私はようやく正気を保っていられたのだ。

 徐々に痛みに慣れていく身体。いや、これはむしろ身体がマヒしているということなのかもしれない。それすら、今の私にはありがたいものであった。

 

 

「なんて、無様な姿なのでしょうか」

 

 立ち上がる最中、口にしたのは自分への嘲り。

これでは偽りの主の愚行をバカにすることは出来ない。無様な姿を見せながらも、どうにか目的を果たそうと、足掻いてでも生きようとする気概は、きっと彼も私も同じなのだから。

 

 

 ようやく立ち上がったのと時を同じくして、魔術師は庭に建てられた蔵の中に足を踏み入れようとしていた。

 

「――ついに万策尽きたか」

あそこまで傷ついた身体で、まさか籠城を選ぶなど…失策と呼ばずになんと言うだろう。

 

「これで終わりだ。早く、彼女の……サクラの側に帰ろう」

 振るえる手で再び短剣を手繰りよせ、止めを刺さんとゆっくりとではあるが、その足を進める。

あと数秒もしないうちに短剣は再び魔術師の血で染まり、魔術師の叫び声があがるだろう……私はそう信じて疑わなかった。

 しかしその余裕と油断が、あの蔵から感じる魔力の奔流に気付くのを、一瞬だけ遅らせることになった。

 

 

 

「ハァァァァァァァ!」

 

 

 聞こえたのはまったく聞き覚えのない、少女の猛々しい怒号。それに気がついた刹那、何もかもが消え去った。

 

 最後に私が目にしたモノ。

それは血飛沫を上げる自分自身の身体、そしてそれとは対照的な、美しい……あまりに勇敢な色を湛えた少女の瞳の色だった。

 

 

―interlude out―

 

 

 

「ハ――ハァ、ハァ」

 

 身体に走る痛みに耐えながら、目の前にそびえる重々しい扉を開け、ようやくその中へと転がり込む。

ひんやりとした蔵の中には月明りが差し込み、その静寂さをたたえていた。そこに俺という異物が混入されたことによって、それは全く違うモノへとその色を変貌していく。

 

静寂が蒼だとするならば、それは殺戮の色。毒々しすぎるほど赤色に。

 

 

 そんなことを頭では考えていたが、身体の方は悲鳴を上げる一方であった。

数多の血を吐き出してきた身体は、もう完全に動くことを拒否している。

視界も混濁し、意識も闇に落ちてしまう寸前まで差し掛かっていた。

 

 

「――は――」

 右手の甲に疼きを感じた。いつか感じたことのある様な、懐かしい感覚。

 

「――そう、だ……」

 投げ出していた身体を仰向けにし、天井を見据える。いつも見ている、慣れ親しんだ光景がそこにはあった。

そうして思い出す。自分がここに来た理由を、何をすべきかを。

 

 

「投影(トレース)……開始(オン)」

 力なく手の平を掲げ、口にしたのはお決まりの言葉。

多分今の状態では、どんな詠唱も簡単には口に出来ないだろう。

だからこれでいい。俺の言葉で……俺にしか出来ないやり方で!

 

 

 思う。それは彼女と俺を繋ぐ唯一のモノ。

 描く。俺の身に宿るモノならば、難しいことではない。

 造り出す。それこそが鍵……本当の始まりの扉を開ける鍵。

 そして、この手に現す。自らの幻想を結び、形を成す。

 

 

「―――投影、装填(トリガー・オフ)」

 

 ここに形を為すのは、かつての俺では再現できなかったモノ。

今の俺であるからこそ造り出すことのできる……彼女との、これは彼女との繋がりの印なのだ。

 かつて、彼女の姿はどんどん自分の中から消え去っていって、もう思い出すことはできなくなってしまった。それはきっと、彼女自身が俺の中にある信念を支えてくれていたからだろう。だから俺の信念が弱くなればなるほどに、彼女の面影は俺の中から消えていった。

 

 しかし今こうして、俺は彼女との繋がりをこの手に現すことが出来る。

それは俺の中に、ちゃんと彼女が残っているという証明。この生涯も、この俺自身ですら、彼女のために在る。そう思えてしまうんだ。

そしてこんなに血に濡れた手でも、もう一度彼女と手をとり合うことが出来るのかもしれない。

いや。きっと出来る。これまで強情なまでに信じた理想を求め続けてきた『エミヤシロウ』ならば、出来ないはずがない。決して諦めることはしない。

 

黄金に輝くそれを目にし、彼女を思った。

彼女こそ、ずっと追い求めていたあの『全て遠き理想郷(アヴァロン)』なのだから。

 

 

 

 

「――……れ」

 小さな、声にならない声で呟く。

 

 

 

「……てくれ――……い、来いよ!」

 再び、今度ははっきりと言葉にする。

声同様に、手にした鞘を力強く天にかざす。

 

 

 

 

「――来いよ、セイバァァァァアアァァ!!」

 

 

 擦れる声で、しかし渾身の力を込め、俺は彼女の名を叫ぶ。

 

 

 ゴオと音をたてながら、風が吹き抜けていく。

それと同時に大きな影が一つ俺を覆ったと思った刹那、一気にその場から姿を消していた。

 

「ハァァァァァァァ!」

 聞き覚えのある声が響く。そしてザンと一閃、何かを斬り伏せたような物音。

何が起こったのだろうか。ぼやける目を凝らしながら、影の動いた先を見つめる。

 

 

 また強い風が吹いた。

目に入ってきたのは風に揺れる金砂の髪。

和風の蔵の中にあって、それはあまりに不釣り合いなモノ……だからだろうか、周囲はぼやけたままなのに、そこに佇む少女の姿だけはハッキリとしていた。

 

そこには、確かにいた。

 消えゆくサーヴァントを目の前に、ただ悠然と構える一人の少女の姿。

 勇敢に見えるその騎士姿は、土蔵に差し込む月明りによって、それをさらに際立たせていた。

 

 

「――ぁ」

 何を言えばいいのだろう。ぼんやりとする意識の中で、俺はそれだけを考えていた。

いつだったろう……確か以前のこんな光景を目にして、俺は言葉を失ってしまった。

 

きっと、きっとそれだけ目の前の少女が綺麗過ぎたんだろう。今のように何も口にできないまま、俺はその始まりの言葉を聞くことになる。

 

 

 

「――失礼。緊急事態と判断し、独断で行動してしまいました」

 

 凛とした響きが投げかけられる。

それはきっと、俺がずっと待ち望んでいた響き。俺の一番欲しかったものだ。

 

そして彼女は呟く。ずっと変わらない、曇りのない瞳を俺に見せながら。

 

 

 

「サーヴァント・セイバー、召喚に従い参上した」

 

 

 

「――問おう、貴方が、私のマスターか」

 

 



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夢 変わりゆく風景

 

―interlude―

 

“ここは一体、何処なのだろうか……”

 

 

 歩を進めるのは荒野。どこにも拠り所のない、どうしようもなく一人を強いられる場所。熱砂の吹きすさぶこの地を、その終着点を目指し歩き続けている。

 

 しかしどんなに自分の中の記憶を手繰り寄せていっても、その光景は自分のモノではない。

 

そう。自分は孤独ではあったけれど、常に一人ではなかった。

 

 共に戦う友がいた。

 憎み合っても、同じ志を持つ人がいた。

 そして、最期まで付き従ってくれた者がいた。

 

 だからこんなどうしようもない一人の世界、私のモノではあるはずがない。

 

 

 “――あれ、は?”

 目を疑った。数多の戦場を駆け抜けてきた自分だからこそ言える、こんな異様な光景を私は目にしたことがない。

 

“剣の……葬列?”

 それは墓標のように、誰かが生き抜いてきた証のようにそこに突き立つ。

しかしそれは墓標と言うには、重要な何かを感じることが出来ない。それを薄らとながらも、私は肌で感じていた。

 

 そう。この手が、この足が、この身体が……それを告げているのだ。

それは、突き立つ剣たちからは全く“熱”が感じられないこと。グルリと周囲を見渡しただけでも、名だたる名剣、彼の英雄が所有していたモノすらそこにはあった。しかしそのどれからも、“熱”つまり所有者の想いか感じ取れなかった。

通常、宝具にまで昇格した武具であれば、それ特有の“熱”を持っていることは想像に容易い。しかし、そこに突き立つ剣戟からはそれが伝わってこなかった。

そうして私は理解したのだ。ここに真実のモノなどない。ここに在るのは総て似せて造られたものなのだと。

 

 それ故にここに本当の想いなどなく、

 それ故に本物も思いを抱くことが出来ない。

 

“そんなこと――悲しすぎるではないですか”

 

 こんなにも一人の世界で、本物には決してなることの出来ないこの世界で、一体何を求めているというのだろうか。私にはそれが分からなかった。

 

 

 ただ一つ、分かることがあるとするならば……

 どうしようもなく、この道を歩く者が不器用なのだということだけだった。

 

 

―interlude out―

 

 

 

 

 起きて最初に目にしたモノ。それは最早見慣れてしまった自室の風景。

「……俺、どうしたんだ?」

 理解の追いつかないまま、寝ぼけ眼で俺は身体を起こす。身体に感じたのは、先の攻防で受けた切り傷の痛みだった。しかしそれらはきちんと包帯などによって治療を受けている。

 

「――あぁ、そうだ……」

 思い出したのは、意識を閉ざす直前に目にした風景。

あまりに懐かしく、そして俺がずっと求め続けたモノだった。

ぼおっと柔らかい光の差し込む襖の方を眺めていると、浮かんできたのは自らの呼び出した剣の英霊の事ではなく、全く別の少女の事だった。

 

「これから、どうするつもりなんだよ……」

 そう、それは桜についてだ。心のどこかで、これ以上桜を聖杯戦争に関わらせないですむと安心感を覚える自分と、彼女に付き従っていた使い魔を直接ではないにしてもてにかけてしまったこと。

この二つが俺のなかで頭をもたげていた。否、それは考えなくても良いはずだ。だって俺は彼女に出会うためだけに、この戦いに身を投じた。だからもう桜の事を考える必要なんてないはずなのに、どうしてもそれが心のどこかで引っかかっていた。

 

 

 

「すいません、少しよろしいでしょうか?」

 物思いにふけっていた中、廊下に面した障子の向こうから遠慮がちに投げかけられる声。

 

「――あぁ、すまない。入ってくれ」

 俺は居住まいを正しながら、声の主の姿を視界に入れる。

障子を開けて入ってきたのは、その凛とした声に相応しい凛々しい少女、セイバーの姿だった。

その出で立ちは最初に彼女を召喚した時と変わらず、甲冑に身を包んだモノとなっている。その恰好のままで窮屈ではないのだろうか。

 

「マスター、お身体の方は問題ありませんか?」

「あぁ、問題ないさ。すまなかったな、君が運んでくれたのか?」

 

 淡々と言葉を投げかけるセイバー。俺の方も心を落ちつけながら、努めて冷静に言葉を返す。

そんな俺の姿に何を思ったのだろう、セイバーは俺のすぐ側に座り、じっと俺の顔を見つめた。

 

「な、なんだ……なんかおかしいか?」

「いえ、そうではないのです。少し……いえ、気にしないでください」

 

 問題はないようで安心しましたと付け足しながら、彼女は俺を正面に見据え、シッカリとした口調で話し始めた。

 

「――昨夜は緊急事態と判断し迫っていた敵、おそらくですがライダーでしょう。あれを撃退しました」

 

 ハッキリと事実のみを告げるセイバー。

あの何かを斬り捨てる音は、ライダーに止めを刺した音だったのかと思い返す。あの場面ではセイバーを召喚に踏み切るということは、一か八かの賭けでしかなかったが、どうにか最良の結果を手繰り寄せることが出来たことを幸運に感じた。

 

「……あの後、ライダーのマスターは姿を現さなかったのか?」

「えぇ。貴方をこの部屋に運び、周囲を警戒していましたが、それらしき人物は姿を現しませんでした」

 

 なるほど。ということは、慎二はライダーの敗退を知りながらも行動を起こさなかったことになる。それならばきっと慎二がこれ以上脅威になることは決してないはずだ。

セイバーの回答に俺はそう確信を持って頷く。

その仕草に、彼女は少し感心したと言わんばかりに目を見開いていた。

 

 

 

「――よし、ならもうライダーの件についてはこれでいいとして……」

「はい、これからの戦いについてですね」

 

 待っていましたと言わんばかりに、セイバーは凛々しい表情で呟く。

うん。まぁ確かにその通りではあるのだが、それより先に優先したいことがあった。

 

 

「いや、違うよ。いつまでも“マスター”だなんて呼ばれていても気味が悪いからさ。まずは自己紹介だ」

 努めて笑顔を繕いながら、隣に座すセイバーに声をかける。

その言葉に恥ずかしそうに一度は顔を背けたが、すぐに表情を戻し彼女は咳払いをしてこう返してきた。

 

「すいません、少しばかり気が逸っていました」

「いや、いいよ。俺は士郎。衛宮士郎だ。よろしくな、セイバー」

 

 包帯を巻かれた手を差し出す。それに応えるように彼女も手を出し、固く握手を交わした。何事もない、初対面の人物に対するきちんとした挨拶。

 

 しかし実際のところはどうだったのだろう。

バクバクと音をたてる心音を俺は隠すことは出来ているだろうか?

シッカリと、彼女の顔を見ることが出来ているだろうか?

 

 それだけ、彼女を目の前にして緊張していた。

握られた手の痛みを感じる暇もないほどに、俺はセイバーとの再会が嬉しくて堪らなかったのだ。

 

 

 

「ではマスター、これからについてなのですが」

 先程までの少し砕けたものからは一変、セイバーの表情は厳しいものへと戻っていた。

握りこむ拳に自然と力が入っていく。言わずもがな、俺たちを包む空気は張り詰めたモノに変質していく。

 

「あぁ、そうだな。あ~でもマスターって呼ぶのはやっぱりやめてくれないか?なんだかしっくりこなくてさ」

 その空気を払拭するように、苦笑いを浮かべながらセイバーに一つ提案をする。

やはり普通に接している中で“マスター”と呼ばれていては、どうにもおかしな気分になってしまう。

 

 

「……ではシロウと呼ばせていただきます。確かにこの響きの方が私にとっては好ましいようだ」

 

 いつか聴いた台詞、それとは少し違う言葉が俺に返ってくる。

それに少し笑みを浮かべてしまう。セイバーはそんな俺の様子に小首を傾げながら、納得のいかなそうな表情をしていた。

しかし待ち望んでいた彼女に名を呼んでもらえるだけで、俺は嬉しさを隠せないほどに舞い上がってしまっていたのだ。

 

 

 だからだろうか?

「それで、セイバー。今後の話だけど」

 

 こんな浮ついた気持ちだったからだろう。

「えぇ、この序盤に一騎のサーヴァントを撃退できたことは――」

 

 騒がしい声と足音に普段ならばすぐに気が付くはずなのに。

 

「ヤッホー!今日もお姉ちゃんが来ましたよ~!! ……って、その娘さんはどなた?」

 このいつも元気のあり余った、姦しい虎に気が付かなかったのは、きっとそれが原因なんだ。

 

 

 

 

「――で、どうゆうことか説明してもらいましょうか。士郎?」

「あぁ、この人は親父の古い知り合いの娘さんだよ」

 

 突然俺の部屋に押し入ってきた藤ねえを、どうにか居間まで誘導すると彼女はすぐに疑問をぶつけてきた。

確かにごく普通の家に見知らぬ少女、それも甲冑を身に纏った人物がいれば驚くことも無理はないだろう。ただ彼女は俺の腕の裾から見えるはずの包帯には関心がないらしく、全くのノータッチだった。

何故だろうか、ホッとするのと同時にどこか悲しいような……。

 

「切嗣さんの? いや、でも……あ~あり得るかも」

 藤ねえは天井を見上げながら、苦笑いを浮かべる。きっと親父の事を思い出していたのだろう、表情から読み取れたのは悲哀の入り混じったものだった。

 

「それでだ、しばらくの間日本に滞在することになって、親父を頼ってきてくれたわけなんだ……だからしばらく下宿してもらうよ」

「そっか~じゃぁしょうがないよねぇ」

 藤ねえは、うんうんと納得したように首を縦に振る。

このまま何事もなく、この話が終わってくれることを望んでいた俺であったのだが…。

 

「ん? 居てもらう?」

 パタリと動きを止め、先程までとは全く違う表情を見せる。

その表情の変化にヤバいと感じつつも、先日の戦闘で怪我を負っていた身体はそう簡単に動いてはくれなかった。

 

 次の瞬間、まるで紙細工のようにフワリと浮き上がる居間のテーブル。

上に何も乗せておかなくて良かったと胸をなで下ろすが、今にも爆発しそうなほどにブルブルと身体を震わせるのは、言わずもがな冬木の虎。

 

「なぁにいっとるかぁー!! このバカー!」

 ドンとテーブルの足がついたと同時に、甲高い声が部屋中に響き渡る。

 

「うん、分かるよ? 切嗣さんを頼って見知らぬ土地に来たって言うのは理解できた、お姉ちゃんそこまで頭悪くないしー。でもね、若い男女が一つ屋根の下で同棲だなんて……そんなのは大人として、いえお姉ちゃんとして許可することはできませーん! えぇ出来ませんとも!!」

「いや、そんなに気にすることでもないだろ?この家には藤ねえや桜だって出入りするし……」

「当然でしょー! 私は家族、桜ちゃんは後輩。じゃぁその子……えっと、セイバーさんだっけ。この子は何? 一体何のためにここに居るのよー?」

 

 捲し立てるように追求をやめようとしない藤ねえ。確かにいきなり過ぎたかと反省しながら、俺は頭をかきながら次の言葉を探す。

しかし虎はあっさりと標的を俺からセイバーへと切り替え、さらなる追求を開始していた。

まぁ俺の記憶が正しければ、この騒動は彼女の一言であっさり終わるはずなのだが。

 

 

「あなたは何をしてきたのよ? 何で切嗣さんを頼ってきたの?」

「それは、私が切嗣の言葉に従ったに過ぎないからです。そして世話になる間は、シロウを守るようにと言われています」

 

 ピタリと追求が止まる。

無理もない。ここまでハッキリとした言葉、そしてそれを裏付けるような真摯な瞳を見せられては、それを嘘と感じる者はいないだろう。

藤ねえはセイバーの態度に少したじろぎながらも表情は強気のまま、目線だけは逸らさなかった。

 

「……なるほど、そうなのね」

 

 そしてセイバーの言葉に何を感じ取ったのだろうか、藤ねえはスッと立ち上がり正面からセイバーを見据えていた。

どこか苛立ちを滲ませた瞳から分かるのは、まだ納得していないんだぞというそんな負けず嫌いな藤ねえらしい感情。

 

「いいわ! じゃぁ腕ま……」

「あ、ちなみにだけどさ!」

 次に藤ねえの考えそうなことは分かる。

俺は二人の間に割って入りながら、努めて笑顔で藤ねえにこう返した。

 

 

「ちなみに、セイバーは俺より強いよ? 昨日もコテンパンにされたし」

「ふーん、どれだけ強くたって―――え? 士郎より強いの」

 俺の言葉にまるで固まったように、動きを止めてしまう藤ねえ。

確かに彼女は強い。冬木では敵なしと言われていたほどの使い手だし、俺だってそれは分かっているし、小学生のころは俺も太刀打ちできなかった。

だがかつてのまだしも、式さんに稽古を付けてもらってシッカリ身体を鍛えている俺が、藤ねえに負ける道理があろうはずもない。事実、最近の手合わせでは俺の方が大きく勝ち越している。

その俺自身が、セイバーを強いと自信をもって口にするのだ。その言葉の意味は、もちろん藤ねえにも理解は出来るだろう。

 

「……ほんとうに?」

 

 藤ねえのその問いにただ首を縦に振る。何を言うよりも沈黙で答えるのが、きっと今の彼女にとっては一番納得できるものだろう。

藤ねえは俺の動きを確認すると、深いため息をついてその場に座り込んだ。

そして苦笑いを浮かべてセイバーに向き直り、こう呟いた。

 

 

「ん~……まぁ今回は納得しましょう。見知らぬ土地で、ほっぽり出すわけにもいかないし」

 教育者として、それはやってはいけないことなのよと付け足しながら、藤ねえはセイバーに手を差し出していた。

セイバー自身も藤ねえは、全くの害のない人物だと理解したのだろう。彼女も手を差し出して、シッカリと握手を交わしていた。

 

 俺はと言えば、これでどうにか穏便に事が進みそうだと胸をなで下ろしていたのだが……まぁそんなに上手くいくはずがないというのが道理なんだろう。

 

「で、それにしてもその服装はいただけないわね。何? コスプレ?」

 ジトッとセイバーの姿を見ながら呟く藤ねえ。確かに、家の中では不釣り合いな恰好をしているのだ。突っ込まれるのも無理はない。

 

「いえ、この恰好が私の普段着で……」

「いけませーん! 女の子なんだから、もっと可愛い服着なきゃ!! ――今から私の家に行きましょう! とりあえず着替えになるもの出してあげるから」

 

 甲冑姿のセイバーをジッと睨みつけながら虎が吠える。その後は言わずもがな、セイバーは藤ねえに連行されてしまった。

 

「まぁ……物騒なことになるよりは、随分マシだろ」

そんな独り言を呟きながら、俺は痛む身体に鞭を打ちながら台所へと向かう。

きっとこの後セイバーの小言を聞かされる羽目になるのだろうと覚悟しつつ、俺は一人朝食の準備に取り掛かるのだった。

 



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英霊

 結局藤ねえとセイバーが衛宮邸に戻ってきたのは、それから一時間後のことだった。

 

俺はというとサッサと朝食の支度を終え、今は朝のニュース番組を眺めていた。そこから流れてくるのは、やはり不可解な事故の数々。これら全ての事故の原因が聖杯戦争に在るということを理解しているだけに、正直俺は真っ直ぐにその事件を直視することが出来なかった。

それら全てが、俺がこれまで選択してきたことに起因するということを、心のどこかで否定したかったからだろう。思わず畳の上に身体を投げ出しながら、何の弁明の余地も持たない自分自身に、俺は不甲斐なさを感じていた。

 

「うぉーい士郎ー!! 朝ご飯は出来たかなぁ?」

 

 ドタドタと足音をたてながら声の主、藤ねえは声をあげている。その声からは機嫌の良い様子を感じ取ることが出来た。おそらく……いや確実と言ってもいいほどに、セイバーの事を気に入ってくれたのだろうと胸をなでおろしながら、立ち上がり台所に向かいながらこう返した。

 

「あ~、ただ今日は桜が来てないし俺はかなり身体が辛かったから、簡単なものになっちまったぞー!」

「えーそれはショック! お姉ちゃんショック!!」

 

 戸の開く音と共に居間に入った藤ねえは自らの指定席に腰かけ、ブーと顔を膨らましながら俺に抗議の視線を投げかけている。その視線に目もくれず、俺は淡々と朝食をテーブルの上に並べていく。

 そう。今日、桜は衛宮邸に姿を見せていない。

昨日のことを鑑みるに、確実に間桐の家で何かがあったことは明白だろう。ただそれを俺がどうにか出来るとは思えない。俺は桜の『この聖杯戦争に関わる要 因』を断ち切った。だからこそ俺と彼女がこれ以上関わりを持てない。せっかく彼女が手に入れるかもしれない平穏な時間を、俺が壊すことなど出来るはずもな いのだ。

 

「じゃぁ、もう朝ご飯食べちゃおうセイバーちゃーん、何時までそこにいるのぉ?おかず冷めちゃうよー」

 呑気な声が居間に響く。藤ねえは居間の外に目を向けながら、セイバーを手招きしていた。声を掛けられたセイバーはというと、恥ずかしそうに返事をしながら、躊躇いがちに居間の中に入ってきた。

 

「えっと、藤ねえ……」

「んー。どしたの、士郎?」

「いくらなんでもお揃いは、嫌じゃない?」

 

 真っ赤な顔をして入ってきたセイバーの姿を見て、ズコッと力が抜けてしまう。今彼女が来ている服は藤ねえの良く着ている虎縞模様の服。何というか……うん、何とも言えない。

 

「うぅぅぅ、しょうがないじゃないー!パンツスタイルでコーデしようと思ってたのに……」

 何故か瞳には涙を浮かべながら、しかし饒舌に話す藤ねえ。

 

「私の持ってるのじゃ、ウエストあまり過ぎちゃうのよぉー! きー何て羨ましい子なのっ!!」

 ガオーとさながら虎のような雄叫びをあげる。

なんとなく予想はしていたのだが、それでもいきなり大声を出されるというのは、慣れたものではない。

ヨヨヨと涙を見せる藤ねえをとりあえず無視しながら、手早く朝食の配膳を終え居間の入り口で立っていたセイバーに目を向ける。

 

「まぁ、可愛いと思うぞ」

「しかし、これは機能性に優れません」

 ピシャリと俺の言葉に返答するセイバー。しかしその表情は言葉とは裏腹に柔らかいものだった。

 

「確かに……褒められるということは、素直に嬉しいことではありますが」

 彼女はそう呟きながら、ほのかに頬を赤く染める。その仕草に少しドキリとさせられたが、今はそんなことを気にとめている場合でもないだろう。

 

「さて……じゃぁ冷めないうちに食べるか」

自分の定位置に腰を降ろし、静かに手を合わせ、いつものようにこう口にする。せめて、この時間だけはいつもどおりに過ごしたいのだと心の中で叫びながら。

 

「いーただきまーす!」

「いただきます」

「いただきます……」

 

 

 

「じゃぁお姉ちゃんは出かけてくるわけなのだが……今日はどうするのかね?」

 

 ズズっと熱い番茶をすすりながら、藤ねえはどこか神妙な顔つきをしながら呟く。

彼女の言葉に俺は首をかしげると、虎は俺の手首を指さしながら、こう吠えた。

「理由は聞かないけどさー。そーんな怪我してるのに、学校になんて行けると思ってる!? まぁお姉ちゃんのよしみで、今日くらいは休ませてやってもいいんだぜ」

 

 フフンと得意気に鼻を鳴らす藤ねえ。意外なことに、しっかり俺の様子も見てくれていたんだと少しばかり感心してしまう。

実際のところ、藤ねえの言葉に甘えたい気持ちももちろんあったのだが、そういうわけにもいかない事情がある。

 

「あぁ、問題ないかな。学校行ってみて、もし無理そうなら早退するよ」

 俺はそう返しながら制服に着替えるため、一路自室に戻ろうと廊下に出た。

今からは藤ねえの“無理しちゃだめだからね”という声が聞こえてくる。その言葉に相槌をうち、俺は自室に向かって歩を進める。その反応がお気に召さなかっ たのか、不満の声が居間から聞こえてきたりもしたが、この際気にしないことにしよう。それにそろそろ“彼女”が我慢の限界を超える頃だろう。

 

「待ってくださいシロウ! お話があります」

 案の定予想通りに声をかけてきたのは、我が騎士王様。彼女は不機嫌さを隠そうとせず俺に詰め寄りこう口にした。

 

「シロウ! 貴方は自覚が足りないのではないですか!?」

「ん、何が?」

 

 俺の回答に毒気を抜かれたのか、ポカンとした表情を見せるセイバー。

しかし即座に厳しい表情に戻り、彼女らしいまっすぐな言葉で言い放つ。

「何……がではない! 貴方にはマスターとしての自覚がないのですか?」

 

 その言葉はもっともだった。

聖杯戦争に関わっているマスターが、それと関係ない者を身近に置いている。

それに加えて、今から外出するような口ぶりを見せる俺に、さすがのセイバーも我慢ならなかったのだろう。

 

「言いたいことは分かるよ……この状態で外に出るのは危険だってことだろう?」

「そうです!今は外出を控え、今は療養に努めるべきなのです!」

セイバーは俺の腕を掴みながら、矢継ぎ早に言葉を放ち続けた。その手の力強さから、その鋭い語調から、俺を心配してくれていることに嘘偽りはないだろう。

 

 しかし俺は彼女の方に振り返り、こう呟いた。セイバーがこの言葉に反論出来ないことを知りながら。

 

「セイバー、お前が霊体化してついてくれれば問題ない話だろう」

「――そっ、それは……」

 想定通り、俺の言葉に反論することの出来ないセイバー。無理もない。これは完全に俺の意地悪なのだから。

自分自身でも、既に聖杯戦争が始まっている現状を考えれば、療養に努めることが一番であることくらいは分かっている。しかしこの“俺たちがライダーを打倒したという事実”を上手く利用することが出来るのは、現状を除いて他にはないだろう。

 だからこの先を上手く立ち回るために、俺は会いに行かなければならないのだ。あの魔術師にと、あのサーヴァントに。

 

「まぁ今日はどうしてもやらないといけないことがあるんだ。明日からの外出は控えるよ」

 困惑気味のセイバーの表情を見ながら彼女にそう告げ、掴まれた腕を優しく取り払いながら自室へと戻る。彼女に悪いことをしたと思いながらも、俺は制服に身を包むのだった。

 

 

 

 

「――シロウ、何かあればすぐ私を呼んでください」

 藤ねえが出勤した後、俺はセイバーに玄関先まで見送られていた。

やはり俺の選択を快く思っていないのだろう、終始不機嫌な表情を見せる彼女をどうすればいいか分からない。とりあえずこれ以上は遅刻の危険もあるので、俺はもう一度セイバーを見つめ、こう呟いた。

 

「帰ったらゆっくり話をしよう。君のこと、もっと教えてくれ」

 

 そして俺はすぐさま踵を返し、学校への道を走り始めた。

特に他意はないのに、自分でも分かるほどに頬が熱い。大した一言ではないのに、彼女を目の前にすると動悸が止まらない。

本当に俺は、彼女にやられてしまっているんだ。きっと舞い上がっているのは自分だけだと理解しつつも、この気持ちを抑えることが俺には出来ない。

このズキズキと痛む昨晩の傷がなければ、きっと俺は正常な思考を……冷静な気持ちを完全に失っていただろう。腕から覗く真白の包帯を目にしながら足を動かし続けた。

いつもの交差点を越え坂に差し掛かった頃、ちらほらと視界に入ってくる通学途中の生徒たち。その姿にもう遅刻の心配はないだろうと、俺は走るスピードを緩める。さすがにこの時間帯ともなるとよく話す知り合いの姿はない。

 

「まぁ、一成くらいしか居ないんだけどな……」

 そんな独り言を呟いたからだろうか。坂の中腹に差し掛かった頃、それは突然俺に襲いかかってきた。

 

「――ッ――」

 それは身を刺すような殺意。

ここまで露骨にそれをぶつけてくる人物など、俺の知る中では一人しかいない。

 

「あら、今日は遅い登校なのね」

 その響きはぶつけられる感情とは裏腹に、あまりに温和で心地良い。

 

「あぁ、少し色々あってな」

 ゆっくりと振り返りながらその人物の、彼女の表情を見る。そこには殺気などは感じさせない、見惚れる笑顔があった。互いに見つめ合う形で立ち止まる俺たち。生徒たちが登校する中、それはあまりにおかしな光景であった。

 彼女、遠坂凛は風に髪をなびかせながら、俺をジッと見つめ、向けてくる殺意を更に際立出せ、こう俺に告げた。

「そうなの。まぁ良いわ。放課後、お時間いただけるかしら?」

 

「分かったよ、遠坂。俺も丁度話があったんだ」

俺の返答に遠坂は笑顔でよろしくと呟き、羽織った赤いコートを翻しながら俺の脇を抜けて行った。その颯爽とした歩みを見送りながら、俺は緊張に高まっていた胸をなでおろす。

 かつての主にこのような、敵意に似た感情を抱くのは、正直なところいいものではない。出来るなら衝突もなく、何とか穏便に事を済ませたいものだ。そう考えながら、俺は再び足を動かし始めた。

 

 そんなこと、出来るはずもないと頭では理解していたのに。

 

 

 

 

 夕暮れが世界を包む。

毎日見ている光景のはずなのに、どこか初めて見るような感覚に襲われるそれを、俺はどう言葉にすればいいのか分からなかった。

オレンジに染まる教室の中、俺と少女は向かい合う形で立つ。ただ目の前に佇む少女はきっと、俺のどんな言葉も受け付けることはないだろう。

 

「さて、衛宮くん。私が何を言いたいか理解してる?」

 まるで挑発するかのように発せられた声に、正面から受け止めゆっくりとした響きで言葉を返した。

「すまないな。正直遠坂が何を言いたいのか、俺には分からないよ」

 

 その言葉に気分を害したのか、遠坂の表情は急速に険しいものへと変わる。自分が意図してそうさせただけに、これからどうなるのか慎重にならざるを得ない。

しかしさすがという一言に尽きる。その雰囲気はまさに一流の魔術師と言っても過言ではないほどのものを感じさせる。手のひらに嫌な汗の感触が伝う。

 

「……令呪も隠さずに外出、しかもサーヴァントも連れていない。ここまで言えば分かるかしら?」

 

 そうだ、普通ならそうに決まっている。これではまるで、殺して下さいと公言しているのと変わらない。しかしかつてのようにただの猪突猛進な自分ではない。

 

「そう思うのは当然だろうな。ただな……」

「なによ、一体?」

 

 スッと息を吸い込み、同時に自分の中に在る撃鉄を起こす。

昨夜の戦いで負った傷も、もはや関係はない。今はただ、明確な“差”を見せ付けなくてはならない。

「――遠坂、お前に俺が倒せるとは到底思えないがな」

 

 刹那、顔の横を掠めて行く黒の軌跡。

それはさながら弾丸のように、瞬きの間に俺の後方の壁にその後を残していた。

やはりその威力、速度、どの点から見てもやはり遠坂は一流だ。しかし、それでも付け入る隙はある。

 

「どう! これでもまだそんな口を叩けるのかしら!?」

 不敵に笑いながら彼女は声を荒げる。隙があるとすればこれだ。

 

「それだよ」

「――っ! まだそんなっ!!」

 再び手を掲げ、ガンドを放とうとする遠坂。重々しい音をたてながら打ち抜かれたそれは、俺を捉えることなく、再度壁へとめり込む。おそらく撃った本人は想像もしていなかっただろう。自身の二撃目が避けられるなどとは。

彼女からの強襲を避け、一気に詰め寄りながらこう呟く。手の平には馴染みの一対、莫耶を手にしながら。

「詰めも状況把握も甘い。それがお前の欠点だよ、遠坂」

 

 静かに、ハッキリと事実を口にする。遠坂も一般的に魔術師戦うだけならば問題はない。しかしどれだけ魔術の練度が高くとも、どれだけ強大な魔術を行使出来ようとも、そう簡単に埋めることの出来ないものがある。

それは『実戦経験』。俺と遠坂では、その差があまりに広い。

だから相手の力量を読み違え、そして有効的な攻撃をすることもできない。遠坂が少しでも戦い慣れしていれば、こんな状況にはきっとならなかっただろう。

 

「っ! アンタ、それって!?」

 遠坂は無力さに顔を歪ませながらも、その状況を打破するために俺を見据える。そして俺の得物を目にした時、その表情は先程までとは違う、驚き慄いたものになっていた。

 

「その剣……なんでアンタが?」

「とにかく、俺から話したいのは一つだけだ」

 彼女の声に耳を傾けず、俺は話し始めた。

 

「前にも言ったがな、俺には聖杯は必要ない。だから争いに加担するつもりなんてないんだ」

「じゃぁ、なんでマスターになんてなったのよ」

「“マスターになる”ことが目的だっただけだ」

「何それ! 訳が分からないわ!!」

 

 遠坂はキッと俺を睨みつける。微かに震える彼女の手から、苛立ちを必死に堪えようとしていることは明白。確かにこんな言い回しをすれば、彼女を怒らせることくらい分かっていた。

しかし彼女にしっかりイメージさせなくてはならなかったのだ。

“自分一人では、勝つことはできない”と。

そう思わせればヤツが出てくる。間違いに嘆くあの男が。

 

「……いいわ、もう容赦はしない」

 決意の火を灯し、見開かれる目。そこには先程までの驕りの一片も存在しない。そして一つの言葉と共に、その男は……いやオレはそこに姿を現した。

 

「目の前の男を倒しなさい、アーチャー!!」

 

 

 

―interlude―

 

 

 

 

 目の前で繰り広げられる少女と男のやり取りに、私は自分でも把握できるほどに混乱を隠せずにいた。

 

 そう。私は知っていた。

目の前の男が何を優先して考える人間だったかを。理想を完遂させるためには自分の身が傷付く事を厭わない。そして見返りなどを求めることはしない。そんな男だった。

 

 しかしどうだ?“今”の男はどうだ。

その言葉はかつてのそれとは全く違う、何かを意図しているかのように、そしてその態度は明らかに少女を牽制し、事を起こさせようとしている。

 

 出来る事ならば、今すぐにこの男を殺してしまいたい。自身の得物を奴の背に突き立てたい。これは否定出来るはずもない、私の本心だ。しかし私の思考を、私の動きをこの男が鈍らせる。瑣末な存在であったはずのこの男が、私にストップをかけるのだ。

こんなことは絶対に起こりえるはずはない。

そう。かつて“この男”を経た私がそれを思うのだ。これが間違いのはずがないのだ。だから見極めなければならない。この男の目的が一体何なのかを。

しかし、私の意図とは別に状況は動いていく。私がいくら慎重になろうとも、少女の一声があれば、私は否応なく戦いに赴かねばならないのだから。

 

「目の前の男を倒しなさい、アーチャー!!」

 棘のある響きで、少女が私の名を呼ぶ。

そして私はその場に姿を現す。エミヤシロウ……だったはずの男の目の前に。

 

 

―interlude out―

 

 

 

 

 目の前に現れたのは、白髪褐色の男。

男は不敵な笑みを見せながらも、どこかその表情からは俺に対する憎悪の念が伝わってくる。いや。男の表情を見ただけでそれを理解出来るのは、俺がこの男を“経験した”事があるからだ。

 

「アーチャー、この男を倒しなさい」

 

 遠坂の凛とした声が響く。

その声と共に、鉄と鉄の衝突音が教室中を包み込んだ。

 

「ツっ!」

 手にした剣がガタガタと振るえ始める。

やはり昨夜に負った傷が問題だったのだろう。握りこむ手も、力を籠めているはずの足も、徐々に感覚を失っていく。

「終わりだ、少年」

 男が、アーチャーが呟く。俺に聞こえるか聞こえないかというほどの大きさの響きは自分勝手に投げ出され、受け取り手のないままに霧散していく。鍔迫り合いが続く中、やはり男は納得の出来ないという表情を見せていた。

 

 ならばと、俺はアーチャーの剣を払い上げ、一気に間合いを広げこう呟いた

 

「俺は殺されないぞ……正義の味方さん」

「――っ! 貴様!!」

 

 その言葉に苛立ちを覚えたのか、開いた間合いを一気に詰めようとする。俺もそれに反応するように後ずさりながら応戦する。一合、二合、三合。幾度となく斬り結ばれる互いの得物。時に火花を散らしながら、風を巻き起こしながら、その攻防は続いた。

だがこのままの攻防を続けていては俺の負けは明白。昨夜からの傷もそうであるが、絶対的に今の俺とアーチャーでは体力が違い過ぎる。だからこそアーチャーが、かつての俺が想像もしえない行動をとればいい。そのアドバンテージが俺にはある。

 

「投影・開始(トレース・オン)!」

 その響きを放った瞬間、アーチャーの顔が困惑の色に染まる。身構えた状態を崩す差ないことは、さすがとしか言い表しようがない。

背後には剣の群。この光景を目にすれば、どれだけ否定していても納得するしかないだろう。俺は、かつての衛宮士郎と別のものに成っていると。

 

「――停止解凍、全投影連続層写(フリーズアウト、ソードバレルフルオープン)!!!」

 その言葉をきっかけに打ち出されていく数多の剣。そして俺は一気にその場を離れんと、教室を飛び出した。心配することはない、こんなくらいの攻撃でやられるほど、アイツと遠坂は弱くはない。

 

 西日に照らされていたはずの廊下は、既にその影を濃いものにしていた。あまりに時間を掛け過ぎた。そう後悔しながら、目的の場所を目指す。アーチャーならば必ず一人で追いつくであろうと信じていたからこそ、俺は後ろを振り返らずに足を動かし続けた。

 

 

 



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己との戦い

 

 吹き荒ぶ風が乱暴に髪を乱していく。

橙色に染められていた世界は、その情景を徐々に闇へと落とし、始まりを告げようとしていた。

夜が来る。俺たち、マスターとサーヴァントが戦い、傷つけ合う時間が迫りくる。

 

「意外に、速かったんじゃないのか?」

 後方に気配を、いや殺気を感じ俺はそう口にしていた。

誰に語るでもない、それはあの男に向かって放った言葉だ。皮肉も、その他の感情も何もない。俺は心の底からの思いを口にしていたのだ。

 

「――貴様は、一体何だというのだ?」

 荒々しい風にも負けることのない、芯の強い声が響く。

 

「何を言ってるんだ?お前が一番知っているだろう?」

「私が聞いているのだ!質問に答えろ!!」

 先程より、一層厳しい声が降りかかる。後方に振り返り、最初に目にしたのはその声と違わぬ、憎悪に満ちた表情だった。

 

 ゴォと、より一層強い風が吹いた。

 

それは俺たち二人の間にハッキリとした隔たりを示すように、しかし確かな繋がりを表すように、流れていった。

 

「俺は、衛宮士郎……」

「――違う! 少なくとも私の知る衛宮士郎は……ッ!!」

 俺の言葉を遮るように声を荒げるアーチャー。しかしその後が続かない。

その表情を目にし、彼が何を考えているのか。それを自然と理解している自分がいた。

そう。こいつは認めたくないのだ。自分の記録にない力を、俺が身に付けていることを。自分の目的を明らかに脅かすであろう、『今』の衛宮士郎という存在を。

 

「確かに。俺は、“お前の知らない”シロウなのかもな」

 手の平に再び干将、そして莫耶を投影し、切っ先をアーチャーに向けながら声を放つ。

 

「……何も語るまい。私は、貴様を、貴様の抱える幻想を殺し尽くすのみ」

 俺の声にそう返しながら、アーチャーは俺が投影したものと同一のものを手に構えをとる。

 

大きく開かれた間合い。屋上という限られた空間の中、それをいかに自分が優位となるように使うことが出来るか、その一点が勝敗を左右する鍵となるだろう。だからこそ下手に動く事は出来ない。隙を見せたが最後、きっとその瞬間に勝敗が決するはずなのだから。

 

「「――――――」」

 二人の間を重い、重い沈黙が流れる。その感覚はどこか心地よい。

昨夜ライダーと戦っていた時とは全く違う、どこかこの状態に興奮を隠せない自分がいるのだ。莫耶を、干将を握る掌が熱くなる。頭のてっぺんから足の先まで……俺は今から起こるであろう戦いを堪能しようとしていた。

 

 

「――楽しそうじゃねぇか、弓兵」 

 しかし、不意に投げ入れられた声に、俺たち二人の空間は一気にその風景を変貌させた。

 

 鋭い響きの方に、向かい合っていた俺たちは視線だけをそちらに向ける。

フェンスの上、屋上の入り口から最も遠い場所でその男は俺たちを眺めていた。まだ日の光が残る風景の中、男の身に纏った青はどこか目に痛い。

 

「貴様……」

 構えを崩さず、アーチャーが青の戦士に呟く。

その響きから感じ取れたのは、明らかな嫌悪と殺意。

アーチャーがそうであるように、俺自身もこの男には複雑な感情を抱かずにはいられない。かつての俺を一度殺したこの男、ランサーがこのタイミングでこの場に現れるなど、予想さえしていなかったのだ。

 

「オレだってまたお前の前なんぞに現れるつもりはなかったさ。でもな、七人目のマスターがいちゃ出てこない訳にはいかないだろう」

 

 アーチャーのそれとは対照的に、嬉々とした表情を見せるランサー。二人の会話から、やはり俺が関与せずとも、二人の戦いは何かをきっかけに中断されたということは想像に容易かった。

しかしランサーの登場は、俺にとっては全く予想もしていなかった事態であった。三竦みの状態。知らず知らずの内に俺たちを包み込んでいたはずの優しい橙色はその色を完全に失い、黒が世界にのさばっていた。

この状況では、先に動いたものが標的となってしまう。そしてこのまま膠着状態が続いたとして、俺の敗北は必至。小刻みに震える手が指し示すように、間違いなく俺は窮地に追い遣られていた。

 

「弓兵! この戦い、オレに譲れ」

 再び、予想もしていなかった言葉がランサーから囁かれる。ただ俺の自滅を誘うのではなく、あえて一騎撃ちを彼は望んだのだ。

それに唖然とし、言葉を失ってしまう俺とアーチャーを睨みつつ、ランサーは自身の右腕を掲げる。そしてその手に馴染みの、真紅の槍を現していた。

 

「貴様……何のつもりだ」

「――言わなきゃ分からねぇか?」

 ランサーの言葉に苛立ちを隠そうとしないアーチャー。俺を放置しながら、彼の殺気はより濃度を濃いものにしていく。

しかしランサーはその殺気を鼻で笑い飛ばしながら、こう続ける。

 

「オレも別にオマエ達の戦いに水を差すような真似はしたくねぇさ。でもな、これもマスターからの命令でね」

「――ッ!!」

 

身を刺すような悪寒が全身を這いずりまわる。それを拭い去るために、構えを崩さずにいた剣に力を籠めた。

刹那、ガキィンという音と共に、何かをぶつけられた衝撃が全身を打ち震わせた。そう。目で追うことが出来たのはランサーの掲げた腕が振り下ろされる瞬間のみ。

 

「ぐっ――」

 

 迫るは青の槍兵。繰り出されるは重く、そしてあまりに鋭い突きの連撃。

力を抜けば一気に押し倒されるほどの衝撃をどうにか耐えながら、どう間合いを広げるべきかを考える。

否、それだけでは足りない。迫りくる槍兵ばかりに気をとられていては、今も殺気を向けてくる弓兵の一矢を受けることになってしまう。

しかしその中にあって、大きな疑問があった。

何故、アーチャーは俺とランサーの戦いをただ傍観しているのか。ランサーと俺が交戦している状態こそ、彼にとって最大の好機と言える状態であったはずなのに、動こうとはしない。

 

 “もしそれが動けないのならば、この状況に傍観を強いられているのならば……”

 

 

「……解せねぇな」

 

 甲高い鉄の衝突音が止み、視界を覆い尽くしていた赤の波が一つに集約されていく。

そしてすぐに目に入ってきたのは、納得のいかない表情でアーチャーを睨みつけるランサーの姿。

 

「おい、アーチャー。高みの見物たぁ良い御身分じゃねぇか」

 気付けばランサーは、俺たちの間に立ち、槍の穂先をアーチャーに向けていた。

 

「こちらにも事情があるのだよ。君こそ、魔術師を放置しておいていいのかね」

 切っ先を向けられてもなお、眉根をピクリとも動かさず皮肉ったらしく言葉を返すアーチャー。しかし微かに振るえる腕から見て取れるのは、今すぐにでもこの均衡を打ち破らんとする感情。

 

 そうだ。俺の予想は正しい。

槍を防いでいた衝撃に、手の平はジンジンと痺れる。その痛みすら、この確信を確固たるものにする要素。それを感じながら、俺は手の甲に刻まれた刻印に魔力を通す。

 

 さぁ、やられたままでは終わらない。より戦いを加速されるため、俺は静かにその言葉を口にした。

 

「――さぁ。出番だ、セイバー」

 

言葉が投げ出され、同時に、目の前に立つ二人の英霊の視線が一気にこちら側に集まる。

 手の甲に印された刻印が消え、それに応えるように俺の周囲の空気がうねりを上げ、突き立てられたのは風の柱。

 おそらくこの風の中では、誰もが簡単に動く事は出来ない。それが出来るのは一人、今から姿を現す彼女のみ。

 

風の柱を斬り裂く、より強い風が駆け抜けていく。

それは剣風。あまりの威力に周囲の風は振るえ上がり、その場に、先程までとは全く違う質の緊張をばら撒いていく。だがそれ以上に俺は、いやその場にいた総ての者が、斬り裂かれた風の柱から現れた人物に釘付けになった。

魔術を繰る俺がこんなことを言うのは、可笑しなことなのかもしれない。しかし俺にはその光景を『奇跡』という言葉でしか表現できなかった。

 

「――サーヴァントと見受けるが、相違ないか」

 

 凛と、透き通る声が響く。その声に違わぬ、清廉なる姿がそこにはあった。

目の前に現れた英霊、サーヴァント・セイバーは静かに不可視の得物を掲げ、そう告げながら、冴えた瞳で正面を見据える。

そして彼女の動きの一つ一つは、まるで水面に出来た波紋のように、緊迫した空間に影響を与えていく。

 

「なるほど。貴様が最後のサーヴァント……ってことになるのか」

 真紅の槍を弄びながら、槍の英霊は面白そうに顔を歪ませる。

それとは対照的に、その場から一歩たりとも動こうとはせず、弓の英霊はただジッとセイバーを睨みつけていた。

 セイバーの登場に、戦況は一気に変化するはずだ。

そう。ここで“セイバーの力を見せつける”ことが出来ても、出来なくとも、他のマスターを牽制には十分なはずだ。

 それを証拠に、アーチャーはセイバーの出現からここまで、何の行動も起こしていない。遠坂も、俺とセイバーの力をこの場面で見極めようとしているのだろう。だからこそアーチャーはここまで苦々しい表情を見せているのだ。

 

「マスター、指示を」

「あぁ。お前はランサーを頼む。アーチャーは……俺がどうにかしておく」

「なっ……待ちなさい、シロウ!!」

 

 得物を構え、指示を待つセイバーに俺は簡潔に応え、手にしていた剣の柄をグッと握り直し、弓兵に向かい疾走を開始する。セイバーの声が指し示す通り、マスターが単身サーヴァントに挑むなど無謀の極みだろう。事実俺自身も、先日にそれを痛いほどに思い知った。

しかしそうと分かっていても、俺は目の前のこの男と向き合わねばならない。目の前にいるかつての自分自身と、そしてその背後にいる彼女だけは、俺自身がケジメを付けなくてはならない。

 

 それだけが、俺が彼女らに唯一示すことの出来る贖罪なのだから。

 

 

 

―interlude―

 

―一体……どうなってるのよ―

 

 頭の内に響く困惑した声に、私はただ耳を傾けるしか出来ない。

いや、それ以前にこの光景を目にしている私自身が、それを許容できずにいた。

目の前には先日刃を交えた槍の英霊。記憶の隅に追いやっていた、初めて守りたいと思った女性。

そして、かつての自分。いや、この場にいる“自分だったモノ”というべきかもしれない。何故なら目の前にいるエミヤシロウは、私の記憶のどこを探しても存在しない。

総てを見透かしたような物言いも、人を誘い込み様な行動も……そしてなにより、自らのサーヴァントを楯にする様な行為など、“理想を掲げていた頃の”エミヤシロウには出来なかったはず。

 

―マスター……指示を。早急に目の前の魔術師を排除すべきだ―

―ま、待ちなさい! 衛宮くんとランサーの戦いを見守るべきよ! 迂闊に行動は出来ないわ!!―

 

 そう。マスターの判断は間違ってはいない。マスターにとってセイバーの情報は少な過ぎる。その力を測るために、先の戦いを経て、実力を理解しているラン サーに戦いの場を譲ることは当然のであろう。そしてこの戦いの最中に彼女の実力が知れればとマスターが決断すれば、私が背後からセイバーとランサー、諸共 に射殺してしまえば良い。それがマスターの、遠坂凛らしい当然の判断なのだ。

そう理解していたとしても、彼女の決断は私を苛立たせる。

何を悠長なことを言っている。目の前に立つマスターをまず打倒してしまえばセイバーを無力化出来るというのに……。それも遠坂凛という少女の一面なのだ。 どれだけ残忍な言葉を使おうとも、心のどこかで衛宮士郎に何か特別なモノを感じているのだろう。だからチャンスであるにも関わらず、彼女は非情に成りきれ ない。それが遠坂凛の弱さであり、良さなのだろうが。

 

 グルグルと自身の中で考えを巡らせていたからであろうか。

「なっ……待ちなさい、シロウ!!」

 マスターとは違う、凛とした声が響き渡る。ハッとしながら、意識をそちらに向けるが反応にタイムラグが生まれた。

 

 ―……ッ!! アーチャー!―

 頭にマスターの声が届いた瞬間目に入ったのは、懐に踏み込みながら剣の刃をたてる魔術師の姿。

 

「――!」

 

 迫りくる刃。それを目にしながら私は確信していた。

やはり、今目の前に立つこの男は“エミヤシロウ”ではないと。このような存在を認めてはならないのだと。

 そして私は改めて決意した。何も厭わない。目の前に立つ私の、私が積み上げてきたもの総てを愚弄する“エミヤシロウの殻を被った贋者”を完膚なきまでに殺し尽くすと。

 

 

―interlude out―

 

 

 

 力強く一歩を踏み出しながら、刃を横薙ぎに振るう。

一撃に渾身の力を籠め、鋭く、より速く。まるで自分を試すかのように。

 

 いや、間違ってはいない。俺はこの一戦に結果を見ようとしているのだ。

幾度となく夢で見たあの戦いの勝敗を。俺が、どれだけこの男に近付いたかということを。ただそれだけの、あまりに我が儘な行為を俺はしようとしている。

 

「ハァァァ!」

「――!」

 互いの声・視線が交錯し、次いで結び交わされる刃と刃。

甲高く打ち鳴らされた響きは静寂の中にあった空間を覆い尽くし、そして戦い始まりを告げる合図となった。

二撃目に転じようとした時、後方から響いてきたのは鉄と鉄のぶつかり合う轟音。そして繰られた得物により揺さぶられる空気の振動。どこかそれらに背を押されるように、更に一歩踏み出し莫耶を、干将を振るう。一撃目より鋭く、先よりもより素早く。

幾度目かの剣の衝突。それを受け流すアーチャーの剣によって阻まれる。次から次へと繰り出されていた剣戟は、次第に全く力と力がせめぎ合う鍔迫り合いへと形を変えていく。

 

「……遠坂、視ているんだろう」

「き、貴様!」

 

 その状況に持ち込みながら一言、まるでただ会話のみをしているかのようにそう呟く。しかしそれは目の前で殺し合いを演じる英霊にではない。その向こうでこの戦いを観察している一人の少女に向けた言葉。

 

「ランサーを撤退させる。一番優先させることが重要じゃないのか」

 アーチャーの殺気に構うことなく、言葉を投げ出し続ける。確かにランサーがこの場に現れたことは予想もしなかった事態だ。だからこそまずはこの状況を、 他のマスターからの介入をないものにしなければならない。目的を果たすために、自分が真っ先に犠牲にならないといけない。それは昔も、そして今も変わるこ とはない。

 

だからこそまず俺とアーチャーが肉薄するという状態が必要だった。

 

「アーチャー、話は今度だ。今はランサーをどうにかするんだ」

「貴様の言葉になど……ッ!」

 俺の言葉に怒りで答えたアーチャーの顔が困惑に歪む。その表情はおそらく、自分自身の想定とは全く違う答えが自身のマスターから返ってきた証拠。

まずは一つ、次の段階に移るために俺は再びその手に力を籠め直した。

 

 

 



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月夜に晒されるモノ

 

―interlude―

 

 

 鳴り響くのは剣戟。散らすは火花。互いの鋼と鋼が衝突し、轟音をあげながらそれは続く。

 

「クッ――!!」

 男の口から零れたのは衝撃に耐える音。飛礫を思わせる男の槍を、少女は一刀で払い、更に一撃を繰りださんと男を追い詰めていく。

 そう、これこそがサーヴァント、英霊の戦い。おそらくそれを目にしたモノは、その情景に圧倒されるであろう。言葉に表すことは容易ではない。

きっと、誰もが同じ感情を抱くに違いない。互いに一歩たりとも譲らずその一振り、その一突きに必殺の念を籠めながら繰り返されるそれに、『恐怖』と『驚き』を抱かずにはいられないだろう。

しかしその光景を描き出している二人は、そのような感情は微塵も感じさせない。命の奪い合いをしているはずであるのに、全く真逆のモノを感じさせた。

 

「あぁ、面白い! 面白いじゃねぇか!?」

 真紅の槍で少女の剣を薙ぎ払いながら槍兵、ランサーは嬉々としながら叫び声を上げる。生前戦いに中に身を置いていた彼にとって、命をかけての戦いは日常茶飯事であった。しかしここまで、これほどまでに彼の心を高揚させた戦いがあっただろうか。

風を斬りながら振るわれる槍は彼のそんな心情を示すかのように、赤の軌跡を描き続ける。

 

「確かに! 刃を交えていてここまで心躍るのは……久しいっ!」

 それに応えるように不可視の剣を振るう少女、セイバーは斬撃をより一層鋭く、重い一撃を繰り出す。

魔術師の策謀の駆け巡る聖杯戦争の中にあって、このように一対一で互いの業をぶつけ合えることなどそうあることではない。なにより時空を越え使命があるに せよ、競い合うことの出来る人物に出会えたことはセイバーにとって僥倖であった。だからこそ少女は剣を振るい続ける。今この瞬間を心に刻みつけるために。

 

 しかしその二人の英霊の戦いは、いとも簡単に終幕を迎えることとなる。

くしくもそれは前回の聖杯戦争と同様、自らのマスターの行動によるものとは、今の少女は知る由もない。

 

 

―interlude out―

 

 

 

 それは暴風。一撃一撃をぶつけ合う度に生み出される強風はその都度、周囲を慄かせていく。やはり格が、次元が違うのだ。セイバーとランサーの戦いはかつ て見た衝撃のまま、凄まじいものがある。しかしこのままランサーとの戦いを続けさせるわけにはいかない。俺はセイバーに対し、こう念話で訴えかけた。

 

―避けろ、セイバー!―

 

 次の瞬間、俺の傍を殺意の籠った風が貫いていく。

それは言わずもがな、弓兵の放った矢。アーチャーの矢は無慈悲にも刃を交える二人に向かい放たれる。

 

「……ッ!――」

 俺の声、そしてその殺意を感じ取ったのか、大きくその場から飛び退くセイバー。しかしランサーはそれに反応することが遅らせることとなる。

大気を突き破りながら突き進む殺意。それを視界に入れると同時にランサーの表情が怒りに染まっていく。

 

「――クソ、野郎がぁ!!」

 響き渡った怒号、そして迷うことなく振り下ろされる真紅の槍。それは迫りくる矢を一撃で撃ち落とすとともに、轟音をたてながらその場にクレーターを作る。粉塵を上げる屋上の中心に青の槍兵が佇み、矢を射た人物に向けて先までと全く異質の、純粋な殺意を向ける。

空気が凍る。まるでランサーを中心に、周囲の熱量が一気に吸い上げていくかのようにすら感じられる。これが怒り。英雄同士の戦い……いや、英雄としての誇りを反故にされたことに対する苛立ちがそうさせているのだろう。

 

「弓兵、貴様……武人の誇りすら捨て去ったか!」

叫び声を上げるランサー。その瞳は鋭く、自らに殺意の矢を放った先へと向けられる。その先は言わずもがな、赤の弓兵。彼は嘆息しながらもランサー同様視線を向け、苛立ちを露わにする。

 

「そもそも私は武人などではないのだがね……これも我が主の命令なのだよ」

 それはおそらく、アーチャーの本音であろう。本来ならばこの場の混乱に乗じて俺を殺そうと彼は考えていたはずだ。それがまさかこのような形になるとは予 想もしていなかっただろう。チラリと向けられる視線からは、ランサーに向けていたそれより、より一層濃い殺意が見て取れた。

 

「くだらなぇ……くだらな過ぎるぜ」

 言葉を吐き捨てるように口にするランサー。その手には既に真紅の槍はなく、腕組みしながらこちらを見つめている。

「まだ、戦うつもりか?」

 俺に一度視線を向けながらランサーは何かを考え込むような仕草を見せ、彼はこう言葉を返す。

「ああ。あまりに分が悪過ぎるってことらしくてな。マスターがこの場から退けって言いだしやがった」

「――逃げ遂せることが出来ると思っているのですか、ランサー?」

「追ってくるか? それは心躍るじゃねぇか。だがな――貴様との戦い、次の機会にとっておくさ」

 音をたて踵を返すと同時に、校庭の方に身を投げ出しまさに疾風を思わせる速さでその場から消え去るランサー。

それを追うこともせず、アーチャーは舌打ちをしながら俺の言葉を待つように視線を向ける。

「――アーチャー……お前」

「さて……それでは私もこの場から去るとしよう」

「待て! 貴方まで戦いを放棄するというのですか、アーチャー!?」

 アーチャーを正面に見据え剣を向けるセイバー。しかしそんな彼女を後目にアーチャーは素知らぬ表情を見せながらこう続ける。

「言いたいことがあるのなら、君の主に言うのだな」

 そう口にするとアーチャーはランサーと同様に、その場から姿を消した。

どうにかこの場を収拾することが出来たという事実に俺は胸をなでおろしながら、ようやくセイバーを正面から見ることが出来た。

 

「すまない。助かったよ、セイバー」

 彼女の近付きながら声をかける。しかしセイバーは俺の言葉にすぐに応えることはなく、顔をしかめながらこちらに向き直るだけだった。

 

「言いたいことはありますが……まずは無事でなによりです、シロウ」

 深く溜息をつきながら、セイバーは俺の傍に近付きながらそう語りかける。しかし言葉とは裏腹に、表情はどこか硬い。

 

「ああ。すまない。令呪を一画使ってしまって……」

「いえ、気にしないでください。貴方の判断に何も間違いはない」

 

 ただと付け加え、正面から俺を見据えるセイバー。

月明りに照らされるその美しい姿は、何度見ても虜になる。風に揺れる金砂の髪も、実直に光る碧の瞳に俺は何度でも心を奪われてしまう。

 

「私が怒りを覚えているのは、貴方のその無謀さについてだ」

 厳しい口調で囁かれたのは、戒めの言葉。その言葉は鋭く俺の中に楔を打ち込みながら、ズブズブと侵食していく。それはあまりに的を射たそれに俺は後ずさりながら言葉を返す。

 

「でもアーチャーたちの考えは理解出来た。結果的にいい方向に進んでいる」

 いや、そもそもあの二人の考えは手にとるように分かっている。だからこそ、遠坂とアーチャーを牽制し、向こうから手を出しづらい状況を作る必要があった。

それなのに、何故セイバーはこんな表情をしている?何故俺の考えを汲み取ろうとしてくれない?

 

「貴方は、自ら武器を携えサーヴァントに挑んだ。シロウ、あまりに無謀であると考えなかったのですか!?」

「――ッ!結果的にランサーもアーチャーも撤退した!誰も傷付いていない……今はそれでいいじゃないか!?」

 ブルブルと手が震えている。自分でも理解出来なかった。こんなにも声を荒げる理由が。こんなにも感情的に彼女に接しているのかが。

まるで自分が自分でないかのように、自制が効かない。

 

「――シロウ、貴方は私を信頼してくれていないのですか」

「そんなこと!……あるわけがないだろう」

「ならば貴方の考えを、貴方の意志を私に教えて下さい」

 困惑する俺を後目に、セイバーは言葉を続ける。

そう。これがセイバーなのだ。共に戦うために蟠りを残してはならない。だからこそ彼女は厳しいと分かりつつも話を止めないのだろう。

 

「貴方の剣であるために、共に……聖杯を手にせんとする仲間であるために私たちは互いを理解し合う必要がある」

 優しく手を差し出しながら、セイバーは笑顔を見せる。

「理解――か」

 その言葉がどうしようもなく痛い。

「ああ。すまなかった、セイバー」

 今から口にする言葉が虚ろなものであると分かっているから。だから見れないんだ。目の前の、誠実に俺に手を伸ばす少女の瞳を……俺は見ることが出来ないのだ。

 

「俺と、俺と一緒に戦ってくれ」

 

 差しのべられた手をとり握り返す。

再び掴んだこの手を決して離すまいと、強く、強く……。

 

それがただ、今の俺に出来る唯一のことだったから。

 

 

 

 

―interlude―

 

 

 月が煌々と地を照らす。その中を二人、家路を急ぐ。

少し前に彼、そして後ろからゆっくりと私がその後を追いかける。

日が暮れ、周囲が黒に染まっているということもあるのだろう。私たちの歩く通りには人影は見られない。

この甲冑の姿を目撃される心配はあったが、この分なら問題はないだろう。冷たい空気を裂きながら、私たち二人は歩を進めた。

 

 ゆっくりと、前を歩く少年の背を見つめる。

別人と理解しているはずなのに、私は少年とあの魔術師と冷酷無比なあの男と重ねてしまうのだ。

それは同じ響きをその名に持っているからだろうか。

いや。そうではない。あの魔術師は私にこのような弱さを見せることはなかった。ただ自らの目的を遂行するために手段を選ばなかったあの男とは全く違う。

召喚に応じ、この地に再び降り立った時に見た表情を見ればそれは容易に理解することが出来る。少年は誠実なまでに召喚を、私を必要としていたのだと。

 しかし今日の彼を、戦う姿を目にした途端に、私は拭うとの出来ない疑念を抱えてしまった。剣を振るう彼は、魔術師としての姿はどこまでもあの男と似通っている。

 

「セイバー、どうしたんだ?」

 

 不意に前方から言葉を投げかけられる。顔を上げるとそこには、心配そうに私を見つめる少年の姿。

あぁ、安堵感に胸につかえていた蟠りが解けていく。やはりこれが少年の本来の姿なのだ。出会ったばかりの私でも理解出来る、タイガと接していた様子からも分かる通り、この少年はお人よしと呼べるほどに周囲に気を使い過ぎるのだと。

 

「えぇ、すいません」

 足を送り出す速度を速め、彼の横に並び素直な謝罪を述べる。どこかおかしな行動があっただろうか、二コリと表情を崩しながらシロウは私を一瞥し正面に向き直った。

 

 その横顔を見ながら、私は考えてしまった。

先程否定してしまったあの考えを。そう。私は考えずにはいられないのだ。

 

まるでエミヤシロウはあの男と変わらない。エミヤキリツグと変わらないのではないかと。

 

「――シロウ、貴方は……」

「ん? どうした?」

「いえ、すいません。急ぎましょう」

 

 頭に浮かんだ疑念を振り払いつつ私は歩を進める。

この考えが間違いであると、そう言い聞かせながら。

 

 

―interlude out―

 

 



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魔術師の夜 Ⅱ

 

―interlude―

 

 

 月は頂からゆっくりと傾き始める。闇は深く、ただその濃度をより濃いものにしながら時間は進む。

それは少年が、かつての自分自身と戦っていた時、剣の英霊が真紅の槍を持つ武人と刃を交えていた瞬間から幾ばくかの時が過ぎた頃。既に周囲の世界は眠りの中にあった。

 

そう。誰もあずかり知らぬところで、それは幕を開けようとしていた。

 

 長い石段を目の前に、一人の少女が悠然と立つ。このような時間に少女が一人でいることに疑問を抱かない者はいないだろう。

しかし事実少女はその場にいた。銀に輝く髪は月明りを受けその美しさを、そして赤々と光る瞳は強い意志を露わにしながら。

 

「これを登るの、面倒だわ」

 少女は眼前に佇むそれを見据え、一言そう漏らしていた。

周囲に人影はない。ならばと少女はニコリと口元を歪め、続けてこう呟いた。

「飛び越えちゃおうか……」

 その声に応えるように、その場に現れたのは巨大な体躯。おおよそ人とは言い表すことの出来ないそれは、銀の少女を自らの肩に抱く。

 

「―――さぁ、いくよ! 」

 

 鈴のなる様な響きに続き、地面を砕く轟音が周囲を揺らす。

それは幕を上げる合図。鉛色の巨人は力強く、そしてその体躯からは想像も出来ないほどに軽やかに闇夜を舞う。

まるで月にも届かんばかりのその跳躍に、少女は嬉々とした表情を浮かべる。

しかしそれだけではない。彼女を高揚させているものは眼下に広がる街の風景だけではなく、これから待ち受けているであろう戦いを夢想しているからであろう。

自ら他者に戦いを挑む。これほどまでに無駄なことを、普段の彼女なら行うはずもない愚行であろう。しかし事実少女は、自らの従者と共に今まさに戦場に赴かんとしている。

そう。感じ取っていたのだ。総てのサーヴァントが揃うと同時に、一騎のサーヴァントがこの世界から消滅していくのを。そしてそれは、自らの中にある器を満たす、最初のひとしずくが零れ落ちてきたことに他ならないということも。

しかしそれらが自ら戦いに赴く理由になるとは言い難い。

だが彼女は自らを押し止めることが出来なかったのだ。

ただ少女はあの夜、あの男に感じさせられた苛立ちを、何かにぶつけようとしていた時に、街中から魔力を吸い上げる山上の寺を見付けた。そしてその場所を魔術師が根城にしていることは想像するに容易かった。

そう。そこにいるであろう魔術師は少女の、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの憂さを晴らすための標的にされたにすぎないのだ。

 易々と石段、そして山門を飛び越え鉛色の巨人は、音をたてて寺の境内へと降り立つ。ぐるりと周囲に見送りながら、巨人の肩に佇む少女は一際嬉しそうに笑みを浮かべる。それは彼女が想像していた通りの光景が、そこには展開されていたからに他ならない。

それは骨の大軍。全てが同じ形の骨の兵は、それぞれに違う得物を抱きながら、巨人が降り立つ瞬間を今か今かと待ちかまえていたのだ。

境内を埋め尽くさんとばかりに陣形を整え、少女たちを包囲する兵士たち。どれだけ研鑚を積んだ練達の士であっても、ここまでの数量差を埋めることは至難の業であろう。

 

「こーんな、骨の人形……一振りよね、バーサーカー?」 

 しかしその異形を目の当たりにしても全くおぞけを振るうこともなく、少女は自らの従者にそう言葉をかけた。

彼女の声に巨人は手に携えていた大剣を一閃、縦にそれを振り下ろすことで応えた。周囲の大気を斬り裂き、振り下ろされたそれに境内の石畳は砕かれ、粉塵は月明りを浴びながら光を散りばめる。

それに意志を持たないはずの骨の兵士たちは、まるで恐怖を感じているかのように後ずさるようにカタカタと自らを鳴らす。

 

 そしてその光景にイリヤは高揚したのだろうか、残酷なまでに無邪気な響きで告げる。

総てを壊し尽くす、彼女なりの魔術師の戦いの合図を。

「さぁ。……やっちゃえ、バーサーカー」

 

 

「■■■■■■――――!!!」

 鈴のなる様な響きに続き、咆哮が周囲を染め抜く。

静寂の支配していたはずの境内は一変、暴風と鉛の巨人の叫び声に塗り替えられてしまう。

横一閃。大剣はまるで旋風の如く振るわれ、音をたてて骨の大軍を粉砕していく。それは兵士たちが受けることも出来ようはずもないまさに嵐であった。

 

「あれ? 本当に一撃で終わっちゃった?」

 ピタリとその巨体が動きを止める。

先の少女の言葉通り、バーサーカーの巻き起こした風は、彼らを包囲していたはずの大軍を一撃のもとに壊し尽くしてしまったのだ。

 

「ホント……呆れちゃうわ。こんな小物しか用意できないなんて」

 そう呟きながら少女は上空を見上げる。

しかし言葉とは裏腹に、その表情は境内に降り立った時のまま。嬉しそうな笑みを浮かべたままであった。

そう。イリヤは感知していたのだ。彼女らを見つめるその存在を。

 

「名乗りもしないなんて……貴女はキャスターのサーヴァントかしら?」

 ゆっくりと上空に佇むそれに疑問を投げかけるイリヤ。

 

「まさか!……いえ、貴方なら当然というべきなのかしら」

 まるで翼を広げるようにそれはあった。

それは地に大きく影を作りながら鉛の巨人を見据え、驚きと納得の声を上げる。

 

「あら。わたしのバーサーカーが、ヘラクレスだって分かるの?」

 先の魔術師と同様に驚きの声を上げるイリヤ。

しかしその彼女の反応に耳を傾けることもなく、魔術師はゆっくりと手にしていた杖を掲げる。

 

「そう……人の言葉を聞こうともしないのね」

 魔術師の周囲に展開された魔法陣は少女たちを捉え、今まさに殺意を撃ち出さんとしていた。対するイリヤはそれを目の当たりにしながら苛立ちを露わにする。

赤い瞳は眼光鋭く魔術師に向けられ、先程までの無邪気さはどこにも感じられない。

彼女は決意したのだ。決して、目の前にいる魔術師を逃しはしないと。

 

「バーサーカー、絶対に逃がしちゃダメ……キャスターを叩き落として!!」

 棘のある響きでイリヤは告げると同時に、魔術の砲撃が轟音をたて放たれる。

自らの主の隠しようのない苛立ちに呼応するように、鉛の巨体はさながら弾丸の如く、上空に佇むキャスターに向かい、飛び出していた。

 

「――」

 確かに砲撃は放たれた。

数秒とかからず巨人を焼き尽くすほどの出力、そして標的は間違いなくその場にいたはずであった。

しかし声が示す通り、瞬きの間にその鉛色はキャスターの前から姿を消した。

標的がその場にいない、だが既に放たれてしまった轟音は境内を焦がしていく。

 

「……どこに!?」

 眼下で無意味な破壊が行われる中、焦りを隠せず周囲を見渡すキャスター。

見失ってしまった巨体を、一瞥すれば見付けることの出来るはずのバーサーカーを探す。

 

「―――なっ!」

 しかし鉛の巨人は確かにそこにいた。

バーサーカーがどこにいたのか。それはあまりに簡単なことであった。

弾丸の如く、巨体からは想像すら出来ないほどの速度で彼はキャスターのはるか上空に飛び上がった。そして主の命令通り、眼前の敵を『叩き落とした』のだ。

 

「―――――――――ァ」

 小さく呻き声を上げ影が一つ、地に叩きつけられる。

この時キャスターは全てを悟った。

そう。何をしたとしても自分がこの巨人に、十二の試練を超えた大英霊に一矢報いることは不可能だったのだと。どれだけ意表を突く攻撃を繰り出そうと、すぐ さま逃げる手筈を整えようとしていたとしても、少女がこの寺に目を付けた時点で敗北は、自分が死ぬことは覆らないのだと。

 叩きつけられたキャスターの身体は夥しい血を吐き出しながら、境内の石畳を穢していく。まるで自らの破壊してしまったこの場を覆い隠すように、ただ赤々とした血が止め処なく流れる。

 

 それをイリヤはバーサーカーの肩から降り、ジッとそれを見つめ再び驚きの声をあげる。

「あら、良く生きてるわね」

 彼女は一歩近付きながら、素直に感心したと声をかける。だが今のキャスターに応える術はない。

ただ何かを言葉にしようと必死に口を動かすが、既に声を出す機能が破壊されてしまったのだろう。それは叶わない。

 

「さようなら、可哀想な魔術師さん」

 無慈悲に、イリヤは絶命寸前のキャスターに向かい、言葉を投げかける。声に合わせ、巨人の大剣は振り下ろされる。それはおそらく少女には目にも留らぬ速度であっただろう。

しかし一人、巨人とは別にもう一人、その狂気に反応できる者がいた。キャスターと大剣の衝突の瞬間、間に割って入る一つの影。それはキャスターを守らんと大剣を受け止め、その場に立つ。それはキャスターが声にならない声で必死に逃げろと訴えていた人物。

 

「へぇ、人間なのに……! 凄いじゃない!?」

 そう。ただの人間がその一撃を受け止めた。全身から血の赤に染めながらも、キャスターの主である葛木宗一郎がバーサーカーの攻撃を退けたのだ。

 

「―――ッ―――!!」

 しかしやはりその身は人間のモノ。

宗一郎はキャスターからの魔力付与を得ていた。だがどれだけ魔力の恩恵を受けようとも、サーヴァントの、バーサーカーの一撃を受け止めて無事に済むわけがない。

それはこの男も例外なく全身はその支えを失い、力なく自らの従者の傍に倒れ伏した。

 

「……キャス、ター……すまん……」

「―――そ……う、……いちろ……さ……」

 傍らに倒れ伏す、自らの愛した男の亡骸を目にしながら、キャスターはゆっくりと瞳を閉じた。それは彼女の聖杯を求めた戦いの終焉、いや彼女が夢に見ていた平穏な生活の終焉を意味していた。

 

 

 二人の亡骸を目にし、イリヤはどこか複雑な表情を見せる。確かに自分自身が、バーサーカーが勝利したはずなのに、何か納得がいかない。その答えを出せぬまま、彼女は踵を返し、バーサーカーに歩み寄り、こう告げた。

 

「……行こう、バーサーカー」

 

 その言葉を耳にし、巨人は再び肩に自らの主を抱き、来た時と同様に一気に山門を飛び越え、石段を飛び降りていく。

帰路を急ぐその姿は、感情を表に出すことのない狂戦士が、自らの主を気遣っているかのようにも見受けられた。

 

 

 

 

 

 ここに一つの戦いが幕を降ろす。

総ての幕引きを急ぐように、器の完成を急くように、物語は更に速度を増しながら進みゆくのであった。

 

 

―interlude out―

 

 



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変わる日常

 

 いつもと変わらない朝。団欒を囲むのは三人。

数こそ変動のないものの、見慣れた姿はいつもの場所にはいない。

美味しそうに朝食を口に運ぶ藤ねえとセイバーを前に、俺がどこか居心地の悪さを感じていたのは彼女が、桜がそこにいないことだけが原因ではなかった。

 そう。昨日遠坂との戦いの後、セイバーからの一言に俺はこれから先の彼女との接し方が分からなくなっていた。かつての自分であれば、セイバーの言葉に耳を傾けつつも『正義の味方になりたい』という意志から、我武者羅に戦いに臨もうとしていただろう。

しかし、実際今後の展開を考えれば考えるほどに、何かに絡めとられるような、そんな違和感があった。

 

 そんな俺の表情に気が付いたのか。怒涛の勢いでおかずを口に含んでいた藤ねえは、ゆっくりと橋を置き、俺にこう声をかけた。

「ちょっとー朝からそんな暗い顔して! 一日の始まりなんだからもっと元気出さないとダメだぞー」

 お茶碗をズイと俺に差し出しながら、藤ねえは相変わらずの笑顔でこちらを見据える。その表情にどこか安堵感を覚えながら、俺は差し出されたお茶碗を受け取る。

この人の底抜けの明るさにはやはり敵わない。やはり藤ねえは強い人なんだ

そう思うと少しは心にかかった靄が晴れるような気がした。

 

「ああ。……ありがとな、藤ねえ」

 ご飯を目一杯お茶碗に盛り、素直な感謝の言葉を口にする。その言葉に違和を感じたのだろうか、お茶碗を受け取りながら、藤ねえは難しい表情を見せていた。

「ごめんついでにもう一つさ……今日から少しさ、学校を休もうと思う」

 こうなれば一気に告げてしまおうと、俺は藤ねえに休む旨を伝える。

先日の彼女とのやり取りから、この話が出ても不自然ではないはずだ。

 

「ん~やっぱり結構重症だったの? その怪我は」

「いや、一応念には念をってことさ。実際昨日も結構辛かったし」

 案の定、俺の身体を気遣う藤ねえ。その言葉に申し訳なさを感じながら、俺はまるで嘘に嘘を上塗りするように言葉を重ねていく。

心配しながらも首を縦に振って、納得したような素振りを見せる藤ねえ。目の前に並べられた皿に盛られていたおかずを平らげ、パンと手を合わせてサッと立ち上がる。

「まぁしっかり身体を休めるのよー。あ……そう言えば桜ちゃんも昨日から学校にも来てないのよねー、どうしたんだろ?」

 そう言い残し、そそくさと居間を飛び出していった。

あまりの速さに少しの間開いた口が塞がらなかったが、とりあえずは良いだろう。まぁ欲を言うならば自分の食器くらいは片付けて行ってほしいものだ。

 

「ごちそうさまでした」

 そんなことを考えていると、凛とした声が耳に届いて来る。俺から向かい側、そこに座していたセイバーは姿勢をピンと伸ばし、俺を見据えながらこう続けた。

「シロウ、それではこれから今後について話すとしましょう」

「あぁ。ここを片づけて……とりあえず道場で話をしようか」

 

 

 

 

「……ッ!!」

 容赦なく振り下ろされる竹刀を受け流しながら、俺は少女を正面に見据える。

繰り出される一撃は、少女の華奢な身体からは想像も出来ないほどに重く、そしてあまりに鋭い。

さながら乱れ降る雨を思わせるその攻撃に、ギシギシと身体が軋む。やはり思い知らされてしまうのだ、純粋に戦いに臨んでしまえば、人がサーヴァントには勝つことは出来ない。ライダーと対していた時は、状況が味方していただけなのだと。

 

 今後の聖杯戦争の展開について話し合った後、道場にあった竹刀を使い、俺たちは軽く打ち合いをしていた。セイバーにとっては俺の実力を知るための、俺に とってはリハビリを兼ねての鍛練であったが、ここ数日それを怠っていたからだろうか、想像していた以上に彼女との打ち合いにのめり込んでいた。

 

「……シロウ、ここで少し休憩にしましょう」

 間合いをとり、正眼に竹刀を構えていたセイバーはそう告げ構えを崩した。

「そうだな。軽く打ち合いのつもりが、結構長時間になっちまった」

 俺は床に腰を降ろし身体を投げ出した。言葉通りセイバーとの打ち合いに熱中していた。いや、正しく言えば集中しなければ一撃の下に昏倒させられることは、想像に容易い。

かなりの疲労が蓄積していたのだろう。竹刀を手放した手がジンジンと痺れ、床に投げ出していた身体が鉛のように重い。

 

「しかし、貴方の戦士として完成度が高いことには正直驚かされました」

 そう口にすると、セイバーは俺から少し離れたところに腰を降ろした。

「いや、まぁ知り合いに鍛えられたからな」

「なるほど……少し貴方の師に興味がありますね」

 そう呟き、セイバーはゆっくりと瞳を閉じる。確か、以前にもこの表情を見たことがある。一体いつの頃だっただろうか。士郎だった頃か、それともエミヤとして召喚された後だっただろうか。最近はそのことすらもぼんやりと、霞がかったようになってきている。

あの時とは違う、ジーンズとTシャツという飾り気のない格好だが、やはりその表情は記憶の中にあったモノと同じ。何度でも見惚れてしまう、それだけ俺は彼女に心を奪われているのだろう。

 

「シロウ。貴方の実力、少しは理解出来ました。しかし……」

「やっぱり、サーヴァントに単独で挑むのは危険……だろ?」

 目を閉じながら言葉を投げかけてきたセイバーに、俺はすぐさま言葉を返した。

何を言われるか、それは既に理解していた。ただそうしなければいけなかったという事実を付けたしながら、俺はこう続けた。

「緊急事態でない限り、俺が単独でサーヴァントに挑むことなんてもうないさ」

「それなら問題はないのですが……」

 セイバーはゆっくりと瞳を開いてゆっくりと立ち上がり再び竹刀を構え、一閃。先程までの打ち込みでは見られなかった速度で得物を振り下ろしていた。

その動きに、俺はまたドキリとさせられながら、彼女の流れるような動きに目を奪われていった。

 

 その時、戸の開く音が響く。

その音に視線を入り口に移す。すると見知った姿があった。

 

「あ……お前……」

 入口に立っていた人影はどこか申し訳なさそうに顔を下に向けながら、一歩、道場の中に足を踏み入れた。

「シロウ、彼女は……一体?」

 そう口にしたセイバーはその人物を警戒するように、目に見えて殺気を放っている。

セイバーの殺気に気押されながらも、道場に足を踏み入れた少女は深く頭を下げ、言葉を紡いだ。

 

「お、おはよう……ございます、衛宮、先輩」

 そう。もう決してここには姿を見せないであろうと予想していたのだ。

しかし彼女は、ライダーの真のマスター……間桐桜がそこにはいた。いつもと変わらない、可愛らしい笑顔を浮かべながら。

 

 

「すいませんでした。昨日は、来れなくて……」

 そう口にしながら、桜は深々と頭を垂れる。

 

「桜……お前、学校は?」

 言葉を返しながら、俺は自分でも分かるほどに困惑していた。

そもそも何故桜はいつもと変わらずにここに来ることが出来るのか。サーヴァントを失い、最早俺に接触している意味などないはずなのに。しかし桜に対する不信感を抱えながらも、心のどこかで桜が来たことに安堵感を覚えている自分もいた。

何故こんな感情を抱いてしまうのか。正直、俺には分からなかった。

 

「シロウ、この少女は一体?」

 セイバーは桜を見据える。決して警戒を解く事はなく、敵意があると判断すればすぐにでも斬りかからんと、その瞳は語っていた。

 

「この子は……うん、俺の大事な後輩だ」

「申し遅れました。間桐……桜です。衛宮先輩にはお世話になっています」

 俺の言葉に続き、再度深々と頭を下げる桜。一瞬、チラリと見えたその表情からは感情を読み取ることは出来ない。

 

「なるほど、失礼しました。私はセイバーと申します」

 桜の動きに倣い、頭を下げるセイバー。

完全に警戒を解いたわけではないだろう。しかしセイバーらしい礼儀正しさで言葉を返した。

 

「セイバーさん……」

「えぇ、よろしくお願いします。サクラ、とお呼びすればいいでしょうか?」

 互いに名乗りあい、ゆっくりではあるが打ち解けた様子を見せる二人。それを見ながら俺は内心胸をなで下ろしていた。

セイバーと桜、出来ればこの二人が険悪な仲になってほしくない。それは二人が俺にとって大事な存在だから。いや、二人には限らない。藤ねえと先日相対した 遠坂。そしてこれから戦うことになるであろうイリヤ……皆が俺にとっては大事な存在だ。出来るなら戦いなどせずに過ごすことが出来ればいいのに。

 

「何考えてんだか……」

 知らず知らずの内に俺はそう呟いていた。

何をバカなことを考えている。これまで一体何のために大事な人たちとの関わりを犠牲にしてきた。何を為すために俺は力を求め続けた。

まさかこんなにも短い間に、決意すらも揺らいでしまうほどに弱くなっていたとは……自嘲を通り越し、怒りすら覚えてしまう。

 

「――シロウ、どうしたのです? 難しい顔をしていますね」

 そんなにもおかしな表情をしていただろうか。セイバーは心配そうにこちらに声をかける。俺は相槌を打ち、二人の傍へと歩みを進める。そして何事もなかったように二人に笑顔を見せながた。

俺の表情に安心したのだろう。二人はそれぞれに笑みを見せる。俺も同様に胸をなでおろしながら、外に視線を向けてこう提案した。

 

「いいタイミングだし、昼にしようか? ……って、材料なんにもないんだったな」

 そう。この数日間、家事がおざなりになっていた。無論聖杯戦争が始まってしまったことが一番の原因なのだが、これでは本当に生活が成り立たない。

 

「シロウ、では材料を調達に参りましょう」

「よし、じゃぁ三人でいくか?」

 セイバーの提案に賛成しながら、俺たちは一路道場から外に歩を進める。空の頂に到達せんとする日の光は、寒空の空気の中で本当にありがたい。道場の入り口にいた桜、そして彼女に並び立つように歩を進めるセイバーの後ろ姿を追いかける。

 

「なぁ……桜?」

「はい。なんですか、先輩?」

 桜を呼び止め、俺は彼女にどうしても話さなければならなかったことを言葉にする。それを口にしてしまえば、取り返しのつかないことになるとそう気付きながら。

「間桐は、アイツはどうしてる?」

「兄さん……すいません。兄さん、二日前から戻ってなくて……」

 そう。慎二がライダーを俺に嗾けて以降、俺はアイツの姿を見ていない。余程俺が殺されることを確信していたのだろう。マスターが何時襲われるとも知れな い中で一人になったのだから。しかし結果的にライダーはセイバーによって打倒され、桜の言葉通り慎二が間桐邸に帰宅していないということを考えると、自ず と答えは導き出される。

ただ、それは桜の言葉を『信じる』ならばだ。兄がいなくなってしまったのに、わざわざ俺のところに来た事を考えると、その言葉が信用できるかは正直判断が難しい。

 

「そう、か。心配だな」

「はい……」

 顔を下に向けながら、桜は少し悲しげな表情を見せる。

確かに、俺はこの表情を引き出すために慎二のことを桜に聞いた。しかし何故だろう。こうなると分かって言葉を紡いだはずなのに、胸が痛い。この少女の顔を見ると、あまりに胸が締め付けられる。

 

 この時の俺にはただ一つ、信じて疑わないものがあった。それは桜が俺に……『エミヤシロウ』に危害を加えるはずがないだろうということ。

そう。俺は桜の好意に甘えていたのだ。その甘えが、後に想像もしなかった事態を招く事を、今の俺は考えもしなかったのだ。

 

「シロウ、サクラ!? どうしたのですか?」

「ああ、すまない。今行くよ」

 

 セイバーの声に俺たちは彼女に追いつき一路商店街を目指し、衛宮邸を後にした。

変容していく桜の表情に気付かぬまま。

 

 

 



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雪の少女

 

 

「――結構買い込んだな」

 両手に持っていた買い物袋を傍に置き、俺はベンチに腰掛けながらそう呟いていた。

セイバーという同居人が増えたことで、何かと用意しなければならない物もあり、そのために購入する物も多くなった。まあ正直に言ってしまえば、買い込む食料が倍近くになってしまったということなのだが。

 

「二人は……服、見に行ってるんだったか?」

 そう。今までのようにセイバーに藤ねえのお古を着させておくことのにも気が引けたので、桜に頼みセイバーの服を見つくろってもらっている。さすがに俺の見立てでは、良いものを選ぶ自信もなかったので、桜に感謝してもし足りないくらいだ。

しかし、もう昼の時間帯も過ぎているというのに、商店街は大勢の買い物客で賑わっていた。自分がこの時間帯に買い物などに来たことがないから慣れていない ということもあるだろうが、考えてみれば深山町の買い物の中心といえばこの商店街になるわけだし、無理もないだろう。そう自分を納得させながら、忙しなく 動き回る人波を見つめていた。

 

「そういえば久しぶりだな。こんなにゆっくりした時間って……」

 思い返してみれば橙子さんや式さんたちと関わり始めてからというもの、一人でゆっくりするという時間はろくに取れなかった。どんな手を使ってでも、強くなろうということしか考えていなかったのだから、当然と言ってしまえば当然なのかもしれない。

これまでに起こったことを思い出し、顔を上げる。その先に広がっていたのは、あまりに高い空。夢の中でいつも見る悲しみの色とは対極の透き通る色。自分の中に抱え込んだ悩みさえ、全て取り払ってくれそうなほどの蒼。

 

「二人とも、まだかな」

 視線を手元に戻し、再度人の流れに目をやる。

 

「――な……」

 動く人の流れの中、視界の隅にそれを見た気がした。

 

「……まさか」

 それは人の波の中でただジッとこちらを見据えている。そんな気がした。

 

「……言、峰?」

 かつて冬木で関わっていた人物の中で、思い出そうとしなかった人物。そして俺が唯一敵意をもって接していた人物であった。

 そう。今になってみればおかしな話だったのだ。確かに力を付けていけば付けていくほどに、正義の味方であることと大事な一人を守ることに苦悩した。いく ら自分自身の目的のために行動していたとしても、『正義の味方への憧れ』が俺の中から消え失せたわけではないからだ。だというのに俺はこの人物を忘れてい た。いや、『忘れよう』としていたのかもしれない。『正義の味方』として最も忌むべきこの男のことを。

 

「――ッ!!」

 腰かけていたベンチから立ち上がり、もう一度あの男が居たであろう場所に視線を戻す。

しかしそこにあの男の姿はない。周囲を見渡しても、あの黒い服の男を見付けることは出来ない。忙しない人の流れに消えていったのか、それとも俺の見間違いであったのか。それを確認する術はない。

「何で、だよ。何で……」

 吐き出した言葉は雑踏に消えていく。

しかし、いくら言葉にしたところで、心の中に芽生えた蟠りが解けるわけではない。それはまるでいつも夢で見る果ての見えない荒野のように、鉛色の垂らしたように重いあの空のように、俺の心を覆い尽くしていく。

 どれほど強く握りこんでいたのだろう、気付けば手の平から血が零れ落ちていた。だがそれほど自分自身を痛め付けなくてはおかしくなる。頭ではそう理解していた。

 言峰に対する嫌悪。

 自分に対する憎悪。

 この二つの感情を受け入れることが出来ず、そしてそれを痛みによって忘れようとあまりに愚鈍な行為をする以外、今の俺に為す術はなかった。

 

 

 そんな時であった。

あの夜に聴いた、可愛らしい響きを再び耳にしたのは。

 

「そんなに怖い顔して。どうしたの? お兄ちゃん」

 どれだけ失念していたというのか。傍にこの少女がいることにも、今声をかけられてようやく気が付いた。その銀髪の少女の存在を。

 

「こんにちは。会うのは二度目ね」

「……ああ。そうだな」

 先までの気弱なエミヤシロウでは、今相対したこの少女に申し訳がたたない。彼女の声に俺は言葉に淀みが出ぬよう、意識を切り替え返答する。

彼女はそれに納得したように無邪気な笑顔を浮かべ、俺が先まで腰かけていたベンチに座り、俺を見上げながらこう続けた。

 

「ねぇ。少しお話、しちゃダメかな?」

「構わないけど……いいのか? 君も一応、マスターなんだろ?」

「やっぱりあの時から気が付いてたんだ!? ん~今はお日様も昇ってるし、それにバーサーカーはお留守番なの。だから戦うとか、そういうのはなしね」

 こちらの返答に少し驚いた素振りを見せながらも、イリヤの返答からはやはり余裕が感じられた。何より、俺が『イリヤがマスターと知っている』という事実を、こちらの都合のよい風に捉えてくれたことは僥倖であった。

俺はイリヤと同じようにベンチに腰掛け、隣に座る彼女に視線を合わせる。彼女は笑みを絶やさないまま、少しの間俺を見ていた。

彼女に見つめられると、どこかやる瀬ない思いに駆られる。やはり彼女が俺にとっての大事な人の一人であるということも関係しているのだろう。

そして思い出してしまうのだ。彼女の、イリヤの最期の時を。

 

「――ねぇ! どうしたの?」

 少しぼんやりしてしまったのだろうか。

気が付くと、顔を近くに寄せながら、イリヤが悲しそうな俺を見ていた。

 

「あ……ああ。ごめんな」

「ううん、いいよ。別に気にしないから」

 

 ぎこちない俺の笑顔に、満面の笑みを返してくれるイリヤ。

全く、一体俺は何をしているんだろうか。イリヤを心配させてしまい、あまつさえ彼女には似合わない悲しそうな表情をさせてしまった。

こんなにもイリヤは正面から俺にぶつかって来てくれているのに、それに向かい合うことが出来ないまま、俺は弱くなり続けている。

 

 

 そんなやり取りを繰り返しながら、俺たちは少しずつ互いのことを話していった。

俺が既に知っていた、彼女の無邪気さと残酷さ。そして改めて実感させられた。彼女がどれだけ親父を、切嗣が迎えに来るのを待ち望んでいたかということを。

笑顔を絶やさぬまま、まだまだ二人の時間を楽しみたいと思い始めた時であった。二人の少女の声が響き、この穏やかな時間の終わりを告げた。

 

 

「シロウ! お待たせしまし……た」

 足早に駆けてきたのは、セイバー。紙袋を片手に持ちながら、走ってくるその姿は容姿通りに可愛らしい。しかし、俺と傍にいる少女がハッキリと見えた途端、先までの溌剌とした表情はガラリとその色を変えた。

 

「あ……お知り合いですか。先輩?」

 遅れる形で、息を乱しながら桜がセイバーに追いつく。

見慣れないイリヤの姿を目にし、呼吸を整え彼女に一礼し、俺に疑問を投げかける。

 

ダメだ。この状況だけは……これだけは望むべき状況ではない。

イリヤが言っていた通り、マスターとして顔を合わせていたならば、非情になることも出来た。しかし今のイリヤは全くそんな雰囲気を感じさせているわけでは ない。だがセイバーの方はどうだ。にこやかであったはずの表情は一転。一見して分かるほどに警戒を露わにしている。今後の展開を考えるならば、ここでいざ こざを起こしてしまうことは、決してしてはいけない。

俺は出来る限り何事もなく事を済ませようと、慎重に言葉を選びながら会話を進めようと口を開く。

「ああ。こ……この子は」

「わたしはイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えば貴女たち二人には色々分かるでしょ?」

 

 しかし俺を意に介さず、イリヤは意地悪そうな笑顔で名乗りを上げる。

その響きは堂々と、そして挑発めいた響きを孕みながらセイバー、そして桜に投げかけられる。

 

「――まさか!?」

 イリヤの名乗りに、最初に驚きの声を上げたのはセイバーだった。

先まで放っていた研ぎ澄まされた殺気から一変する。かつてイリヤ、そしてバーサーカーと対峙した際は、彼女が浮かべもしなかった困惑の色に表情は包まれる。

そしてそれは桜も同様であった。

無理もない。俺がまさかアインツベルンの者と共にいるなど、彼女が予想出来ようはずもないのだから。

 

しかし、イリヤが自らの名を、『アインツベルン』を名乗ったということは、覚悟しなければならない。そう。彼女がそれを名乗ったということは、ここからは一人のマスターとして俺たちと相対するということだろう。

俺は混乱する考えを整理しながら、今一番優先すべき事を、『アインツベルンの魔術師の思惑』を理解するために、こう呟いた。

 

「桜、すまない。先に家で待っててくれないか?」

「え?――」

 言葉通り、桜の表情はみるみる内に、困惑と悲哀を合わせたものへと変わっていった。

確かにこの場で彼女を帰してしまうことは不自然なことなのかもしれない。だがどう転ぶか分からないこの状況で、不確定要素をこの場に留めておくことだけはしたくない。

そして何より、桜の安全を考えれば仕方のないことなのだ。

 

「申し訳ありません。今はシロウに従ってください、サクラ」

 俺の意図を汲み取ってくれたのだろう。セイバーも桜に向かい静かに語りかける。そう語りかけた彼女の表情は騎士としての、頼もしいものへと戻っていた。

 

「……分かり……ました」

 納得のいかない表情を見せながらも、俺たち言葉に従う桜。踵を返し帰路につく姿は、あまりに弱々しい。

きっと彼女に対して、何かしらのフォローを入れるべきだったのだろう。しかし今の俺には何も言うことは出来ない。きっと何を言葉にしたところで、彼女をより深く傷つけることは火を見るよりも明らかだったから。

ただ、その悲しい背中を見守ることしか出来なかった。

 

 桜の姿が見えなくなり、そしてようやく周囲の人ごみが落ち着き始めた頃、静かに俺たちのやりとりを見守っていた少女はようやく口を開く。

先までの無邪気な少女のものではなく、残酷な魔術師としての顔を覗かせながら。

 

「さぁ、お話の続きをしましょうか。お兄ちゃん?」

 

 



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報われぬ思い

 

―interlude―

 

 

 何故だろう?こんなに悲しくなるのは。

どうしてなの?こんなにも苛立ちが募るなんて。

 

 彼がわたしに何故あんなことを言ったのか。それは理解している。

分かっているからこそ、彼の言葉に従わないといけない。それが先輩の信頼に応えることだと思うから。

 

 でも履き慣れたはずのローファーが重くて。

 あの場所に残してきた気持ちに後ろ髪を引かれて。

 どうしても、前に進むことが出来ない。

どんな顔をして、あの人を家で待っていればいいのか分からない。

 

 でも、そのこと以上に彼女が、セイバーさんの存在がわたしをおかしくする。

あの人を見る度に、“それ”は大きなものになっていく。

 あの人の声を聞く度に、その感情が明確になっていく。

 

 以前、私はその気持ちを否定したはずだった。

ただ傍に居ることが出来ればいいと、少しでもわたしのことを考えてくれればいと、そう思ったのに。

 

「やっぱり……嫌だ」

 でも、今は違う。

 

「傍にいるだけじゃ……」

 どうしても、あの人が欲しい。

 

「一番じゃなきゃ……嫌だよ」

 先輩の総てを、わたしのものにしたい。

 

 先輩の隣にいるのがふさわしいのはわたし。

わたしは先輩がいないと、先輩の一番でないともうダメなんだ。

でもきっと、こんな我が儘なわたしを先輩は受け入れてくれない。

 

 だからどうすればいいのか分からない。

この感情を、セイバーさんに対する嫉妬を、わたしはどうすることも出来ない。

 

 気が付くと頬に涙が伝い、地面を濡らしていく。

ただ渇いたアスファルトに、零れ落ちては消えていく。

 

 

「少女よ、何を悩んでいるのかね?」

不意に少し前の方から声を投げかけられる。

濡れた頬をぬぐいながら、声の主に視線を移す。

そこには黒い、全てを飲み込む黒い瞳をした男性の姿。

遠くから見ても分かる。その姿はあまりに虚ろで、まるでおじい様のように禍々しいものを感じさせた。

 

 その威圧感に気押されわたしは一歩、また一歩と後退る。

 

 おかしいよ。なんでわたしばかりこんな目にあうの?ただ、先輩が欲しいだけなのに。

 何で願望を持っただけで、こんなにも周囲はわたしを追い詰めるの?

 そんなに、わたしのことが嫌いなの?

 

 頭が混乱し、何も答えを出せない。

だからかもしれない。後ろから近づくその人に気が付かなかったのは。

 

「――我の服が汚れたではないか。何をしてくれる、小娘が!」

 ドンと背中に衝撃が走る。どうやら、誰かにぶつかってしまったみたいだ。

ただ聞き覚えがあった。棘のある声。その声にわたしは怯えながらも振り返る。

 

 

 でも、その傲慢な声の主を目にすることなく、わたしの世界は暗転した。

 

 それは蟲倉の底でも見たことのない。

 

 完全な黒。

 

 

―interlude out―

 

 

 

 普段は気にならないはずの喧しい周囲の雑踏が、今はどうしても気になってしまう。

それはきっとこの空間に、この三人で向かい合ったこの状態に耐えられないから。警戒を露わにするセイバーに、そして無邪気にも残忍な瞳をチラつかせるイリヤに、どうにかなってしまいそうだった。

 

「――さて。貴女はサーヴァントよね?」

 先に口を開いたのは銀の少女。その声からはハッキリとした挑発が感じられる。

しかし少女のそんな挑発にも眉根も動かすことなく、セイバーは鋭い視線を彼女に向けたまま何も応えようとしない。イリヤの名を聴いた時の困惑した表情は一体どこにいったのだろう、剣士としての表情に戻っていた。

 

「あら、淑女の質問に応えないなんて……あまりに無礼じゃなくて?」

 言葉を返したイリヤの表情からは、先までの可愛らしい意地悪な表情は見て取れない。

妖しく光る紅の瞳からハッキリと殺気が感じられる。それは明らかに、『魔術師』のものへと変貌を遂げていた。

 これ以上はダメだ。これでは要らぬ諍いを生むだけだ。

俺は二人の間に割って入り、視線をイリヤに向ける。

「イリヤ……それ以上はもう魔術師の領分だろう?」

 これは警告。現状戦う術を持たないイリヤにとって、この場で戦闘になることは望むべくことではないはずだ。だからこそこう言ってしまえば、彼女は退かざるを負えない。

 

「あら、わたしはこの礼儀知らずに――」

「お前は、ここで戦いたいのか?」

 彼女の返答に、俺は即座に斬って返す形で言葉を紡ぐ。

俺の言葉に、少し複雑そうな表情を見せた後、イリヤは顔を下に向け深く溜息をつく。

そして優雅に髪を揺らしながら、再度俺を見据えてこう返した。

 

「ん~お日さまの昇っているうちは戦わないって言ったでしょ?」

 そう。これが待ち望んでいた……いや、そもそも彼女が最初から告げていた言葉だ。

このまま少女が帰路につけばそれでいい。そう遠くない未来、彼女とその従者と刃を交えることは避けようのない事実と分かっていることなのだから。

 

 しかし帰路につこうとする彼女を見過ごすことの出来ない人物が歩を進め、その前に立ちふさがった。

「待ちなさい! 貴女も魔術師(メイガス)……いや、マスターだというのなら!」

 棘のある声でイリヤに制止を促すセイバー。戦う術を持たない少女に、まさかこのような行動に出るとは、まさに想像もしなかった。

 

「見過ごすわけにはいかない、とでも言いたいの? 貴方のマスターは戦わないみたいだけど?」

 目の前に立ちふさがったセイバーに冷ややかな視線を向ける。

 

「――しかし、この好機を逃すべくもない」

 その視線に臆することなく、セイバーは正面から彼女の視線を受け、それに返す。それは騎士の誇りからか、それともどのような手を使ってでも聖杯を手に入れんとする彼女の決意がそうさせているのか、俺には分からない。

 

「……セイバー!」

 だが、やはりこのままイリヤをこの場に引き留めておくことは出来ない。それだけは分かっていた。

俺はセイバーの腕を掴み、これ以上のイリヤに対する追求を止めるように告げる。だがその行動に、彼女はハッキリとした拒否を持って答えた。

 

「シロウは黙っていてください! この状況を見過ごすことは出来ない」

「そうね、シロウは少し待っていてくれるかしら?」

 俺の言葉に耳を貸さず、イリヤの回答を待つセイバー。

イリヤ自身も、セイバーを納得させることが出来なければ、この場から立ち去ることはできないと悟ったのだろう。彼女は先と同様に強い意志を宿した瞳をみせる。そしてゆっくりと息を吸い込み、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

 

「今日は本当にただの挨拶よ。どうせ戦うことになるんだもの。……楽しみは後にとっておきたいわ」

 それは彼女自身が既に覚悟していたことであった。

どのような事態になろうとも、戦うことを避けることはできない。ならば出来る限り邪魔のはいらない形で……というのは、きっと俺の勝手な想像かもしれない。

しかし彼女の、イリヤの言葉の端々からはそう感じ取ることが出来た。

 

「――それに、もう一度会ってみたかったの」

 そして彼女は続ける。

これまで胸の奥に秘めていたものを全て吐き出すように。それが彼女の、唯一の望みであると言わんばかりに。

「わたしのバーサーカーが殺しちゃう相手を……いえ、嘘をつくのはやめにしましょう」

「嘘だと? まだ私を謀るつもりなのか!?」

 

 語調を強め、セイバーは更に一歩イリヤへと近付く。

最早手を伸ばせば肩に触れることも出来る距離であろう。俺はセイバーを止めることの出来なかった自分自身に不甲斐なさを感じていた。そして俺の更に追い込もうとしているのだろうか、イリヤの口から俺の記憶のどこにもない初めてのセリフを口にした。

 

「父さまが……キリツグがわたしを裏切ってまで守ったモノを、この目で見たかった。ただそれだけよ。」

「……イリ……ヤ? お前……」

「――父? キリツグが父……だと?」

 

 それは彼女が決して口にしなかった言葉だった。

これも俺が彼女と、イリヤと深くかかわってしまったことによる変化なのだろうか。俺、そしてセイバーはイリヤに返す言葉が見つからず、ただ彼女を見つめることしか出来ない。

そんな俺たちの様子に嘆息し、イリヤはスカートの裾をそっと上げ、可愛らしくお辞儀をした後、ゆっくりと人ごみに向かい歩き始めた。

 

「イリヤ!」

 セイバーの脇を抜け、歩き始めるイリヤに声をかける。

 

「何? もうバーサーカーが起きちゃうの」

 気だるそうにそう返すイリヤは二人で会話していた頃とも、セイバーと殺気をぶつけ合っていた頃とも全く違う悲しげな、今にも泣き出してしまいそうな表情を見せていた。

それを目にした時、俺は言うまいと心に誓っていた言葉を口にする。

これを言ってしまえば、非情に成りきれないと理解しながらも。

 

「親父、切嗣はずっとお前を心配していた! それだけは……信じてくれ」

 

「――じゃぁね、お兄ちゃん。次は……」

 嗚咽を堪える声。必死に泣く事をこらえながら、彼女は呟く。

 

きっと、俺たちにはその言葉がふさわしいから。

 

「次は、殺しに来てあげるから」

 

 そう言い残し、彼女は足早に去って行った。

決して彼女の後姿を追いかけることはしない。それは俺にとって、そしてイリヤにとっても辛いことになることは分かっていたから。

 

 そしてまず、今は俺の傍でかつてないほどに苛立ちを隠そうとしない少女をどうにかしなければならない。

 

「シロウ……どういうことなのです!?」

 

 俺に詰め寄りながら、先程まで放心していたはずのセイバーは俺を睨みつける。

昨晩と同様の、あまりに冷酷な瞳で。

 



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報われぬ思いⅡ

 

―interlude―

 

 

 やはり裏切られてしまうのか。

真っ先に思い浮かんだのはその言葉であった。

 

彼は言った。自分を信じろと。

 彼は手を差し出したのだ。傷付きながらも。

 

 それら全ても、まるで偽りに感じられてしまう。

お願いだ……もう嫌なのだ。

 

私は仲間だと、自身の剣を捧げた者に疑念を抱きたくはない。

 しかしそれでも私は彼の好意を許せなかったのだ。

それは私が知っているから。

 

裏切られることの痛み、裏切ってしまうことの恐怖を。

 

―interlude out―

 

 

「セ、セイバー! 聞いてくれ、これは……」

「質問に答えなさい、シロウ!? 貴方はあの少女の父をキリツグと……いやそれ以前に貴方はあまりに多くのことを知っているのではないのか」

 眼光鋭く言い放つセイバーは、最早言い逃れすることを許すことはない。

その視線に居心地の悪さを感じながら、俺はどう真実を告げるべきか分からなかった。

 

 そう。この場でキリツグとイリヤの関係を彼女に語ってしまえば、俺がこの戦いに臨んでいる本当の理由を話してしまえば、あまりに深い溝が出来てしまうことは火を見るより明らかだ。

しかし、このまま言い淀んでいれば関係が悪化することも事実。

意を決し傍に立つ騎士王を正面から見据え、俺はゆっくりと先程発覚した事実を再び言葉にした。

 

「あの子は……イリヤは、確かにキリツグの娘だ」

「まさか!? アイリスフィールの娘であるならば……!」

 語気強く言い放ったセイバーであったが、何か思い当たる節があったのだろう。彼女は考え込むように視線を少し逸らした。先程まで相対していたイリヤの姿 に、彼女の語った『アイリスフィール』という人物の面影があったのだろうか、それはこちらからでは汲み取ることは出来ない。

ただ一つ分かったことがある。

それは彼女が、セイバーがどれだけキリツグに……かつてのマスターに憎悪を抱いているかということ。彼女は努めて『キリツグ』という名を出そうとはしていない。名を出すことすら意識的に止めてしまうほどに、嫌悪を抱いているのだろう。

そしてその感情は不信という形で俺へ向けられているということを。

 

「しかし……アイリスフィールの娘であったとして、彼の者は我々の敵。そうではないのですか、シロウ!?」

 苦渋に滲む表情を見せながら、セイバーは言い放つ。

たとえ、かつて自分の剣を預けた者の肉親であったとしても、今の自分自身にとっては競い合う敵。どんな感情を相手からぶつけられようとも、自らの望みを果たすために決して妥協することはない。

だからこそイリヤのことを、ハッキリと『敵』であると言い切ったのだろう。

 

「分かっているさ……あの子が敵だってことも、倒さないといけないってことも」

 そう言葉にしながら、それでも納得できない自分がいる。

セイバーのために、彼女のために行動したいと思いながら、それでも俺はそれを徹底することが出来ていない。フラフラと、何の決意も出来ないままに俺は上辺を取り繕うために嘘をつき続けている。

 

「また、ですか?」

「何が……」

「また、私に嘘をつくのですね。貴方という人は……」

 溜息混じりにセイバーはそう呟くと、踵を返し桜の去って行った方へと歩を進めていく。何故だ、嘘を悟られるような態度をとってしまったのだろうか。

 俺は思わず去りゆく彼女の腕をとっていた。

乱暴に彼女を引き寄せながら、その言葉の意味を考える。しかし、振り返った彼女の瞳は先にも増して冷え切っていて、何を言おうが彼女の胸に響かないだろうことは想像に容易かった。

 

「待てよ!? 嘘って……一体何が!」

 考えあぐねいた末、口から出たのはそんな言葉。

違う。こんな言葉を言いたいわけではない。今セイバーにそんなことを言っても意味がないことは自分でも分かっているのに。

 

「――私は言ったはずだ。信頼して下さいと」

「信頼していない訳がないだろう!? 共に闘う仲間だろう、俺たちは」

「ならば何故他のマスターと接触した? 何故私に伝えないままに行動を起こす? 貴方は言いましたよね、信頼していると。しかしどうだ。貴方の行動は私の存在など、お構いなしではないか!?」

 “結局綺麗事ばかり並べているだけではないか”と、彼女はそう続けながら俺の腕を振り払い、俺の方に向き直る。それは朝、道場で相対していた時の和やかで近しい距離感ではなく、昨夜敵と向かい合った際の殺伐としたものであった。

そう。彼女は今、俺を敵として見ているのだ。

 

「結局貴方は何よりも自分個人の利益を優先しているのだ」

「それは……」

 最早何も言うことが出来ない。彼女の言ったこと、それが俺の総てを表していた。

俺が聖杯戦争に臨んだ理由。

 桜やイリヤと敵対できない訳。

俺は自分の我が儘を通すために行動を起こしている。

上辺だけ、人のことを気に掛けながら、結局俺は傲慢なまでに自分ために動いていた。

かつて正義のために生きていた時も。自分自身を殺そうとした時も。

それに気付きたくは……いや、気が付いていたのだろう。

認めることを恐れて、いつも何かを言い訳にしている。それをセイバーが、真摯なる騎士王が見過ごしてくれるはずがない。

 

「……確かに貴方は我が剣を捧げた相手だ。聖杯を得るために、私は貴方を守ろう」

 どれくらい黙っていたのだろうか。痺れを切らしたように彼女は再び口を開いた。

棘はある言い方ではあるが先までの突き放すような物言いではなく、セイバーらしいどこか優しさのある言葉だった。

 

「ああ。俺もそれに応えられるように……」

 その言葉に少し励まされた気がした。だからだろう。俺はまた過ちを犯す。つい先ほど、指摘されたはずの取り繕っただけの上辺の言葉を俺はまた口にしていた。

しかし俺の淡い期待だと、次の彼女の言葉であっさりと打ち砕かれてしまう。

 

「いえ、そんな必要はない。貴方は自らの役割をこなせばいい。私もそうする」

 それは決別の言葉だった。決してもう信頼関係を築こうとは思わない。彼女は簡潔にそう告げる。

「――セイ、バー…」

 今の俺はどんな表情をしているだろう。ただ一つ分かっていたのは、最早彼女にとって俺は聖杯を得るための一つの“モノ”になり下がってしまった……、彼女からの信頼を完全に裏切ってしまったのだ。そんなことは、一番望んでいなかったというのに。

 

「マスター、それくらいのことは出来るでしょう?」

 

 

 

 

―interlude―

 

 

 告げた言葉に偽りなどなかった。

私は自らの願いを成就させたい。

 

そのために聖杯が必要で

 そのために戦いに臨むしかない

 

 私は信じ込んでいたのだ。

私を召喚するマスターも、私と同様に聖杯を欲する理由があり、そのために死力を尽くしてくれるはずの人物であると。

 マスターがそれに当てはまらない訳ではない。

しかし、彼の行動はあまりに不信で、あまりに私を惑わせる。

 

だからあのような言葉を告げた。

彼に思い出してほしかった。自らが聖杯を求めた訳を。

 

 

 しかしその前提自体が間違っていたことに、今の私は気が付いていなかった。

 

いや、それ以前に、『エミヤシロウ』という人物を私は全くというほど理解していなかったのだ。

 

―interlude out―

 

 



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すれ違い

 

 俺の先を歩く少女の姿から伝わるのは、ハッキリとした拒絶。

彼女にとっては出会ったばかりの、信用のおけない者に対する不信の言葉を述べたに過ぎないのだろう。

しかし俺にとってはそうではない。切望して、追い求めていた出会いだった。より近付きたいと、心の底から守りたいと思っていた少女からの決別の言葉は、想像以上に俺にダメージを与えていた。

だから仕方がないことなのかもしれない。ようやく帰りついた自分の家に、待ってくれているはずの少女が、桜の姿が見付けられないことを少しも気に留めなかったことは。この時、彼女のことを考えていればよかったと、俺は後悔することになる。しかしそれすら頭に巡らせる余裕のないほどに、俺は動揺しきってい たのだ。

 

「マスター。今夜は外出しようなど、決して考えないでください」

 玄関の鍵を開ける俺の背中に、冷ややかに声をかけるセイバー。

普段は気になることのない家の戸も、この状況から今すぐにでも解放されたい俺にとっては、あまりに煩わしい。

数度鈍い音をたて、ゆっくりと戸が開く。

明かりのない、かつての温かみのない屋内へと足を踏み入れ、靴を脱いだところで再び、セイバーは俺へと言葉を投げかけた。

 

「それでは不用意な行動は起こさぬよう、気を付けて下さい」

「あぁ。分かった」

 

 短いやりとりを済ませ、各々部屋へと入る。

かつては困惑するほどに近かったはずの俺たちの距離は、見ず知らずの他人とのそれに近しいほどに大きな隔たりを生じさせていた。

 

「――もう、名前では呼んでくれないんだな」

誰にも届くことなく、その響きは消えていく。

一人、何もない簡素な部屋に足を踏み入れると嫌でもそれを意識せずにはいられない。

一体自分は何をしているのだと。彼女のために戦うと誓ったのではなかったのかと、思惑通りにいかないこの状況に腹立たしさを覚える。

そう。自分の中に広がりつつある暗い感情が、明かりのないこの部屋の闇のように更に濃度を増していくようにすら感じられたのだ。

 

「ダメだ……」

 そう思い至った瞬間、俺はもうこの部屋にいることは出来なかった。

乱暴に部屋と廊下を隔てる障子を開け放ち、足早に外へと飛び出す。先程セイバーに言われたはずの言葉をかなぐり捨て、ただ一心に目的の場所へ向かって足を進める。

一人でいることで、あの部屋で悶々と考え続けるだけではどうにかなってしまう。ズブズブと深みに嵌まっていくということは分かりきったことだったのだ。

 

「……ハァ、ハァ、ハァ」

 

 自室と同様にそこも深い闇が広がる。しかし何もない自分の部屋ほどに嫌な気持ちにはならなかった。シンと張り詰めたこの緊張にも似た感覚は、自分にとっては心地の良いものだった。

 雲が晴れたのだろう。窓から昇り始めたばかりの月の明かりが差し込む。

照らし出された板張りの床はどこか優しい色を見せ、汗を流して鍛練をし続けたあの日々を思い起こさせる。そう。やはりここが、この道場こそが、今の“エミヤシロウ”を形作っているからに他ならないからであろう。

響くのは乱れた呼吸の音。必死にそれを整えながら、頭に巡らせたのは今後の戦いのことでも、自らが召喚した騎士王についてでもなく、自分自身の弱さについてだった。

 

「――投影・開始(トレース・オン)」

 

 その手に現すのは言わずもがな、馴染みの夫婦剣。

 

「――ッ!」

 

 静かに剣を掲げ、一閃。

 空を斬る音。

 床を踏み鳴らす足音。

 一定に保つよう意識した息遣い。

 

 月明りに照らされながらただひたすらに剣を振るい続ける。休むことはしない。ただ一心に手を、足を動かす。

結局、以前ここで剣を振るっていた時と変わっていない。

どれだけ力を付けようが、どれだけ魔力を上手く扱えようが、どれだけこれから先に起こりえる情報を知り得ていようが、何も変えることは出来ていないのだ。

どうしようもなく甘く、どうしようもなく決断力に欠ける。

助力してくれた人の思いを反故にしながら、犠牲になってきたものに目を背けながら俺はのうのうと生きているのだ。

 

「――これじゃ……ダメに決まってる」

 

 弱音が口から零れる。かつて、刃を交えた師が、そして自分を導いてくれた恩人が教えてくれたではないか。強さの意味、彼女と彼が心に刻むその答えを。

今もなおそれを実践することの出来ていない自分自身があまりに歯がゆく、諦めの言葉を吐露してしまう。

 それでも動き続けることを止めはしない。

この剣を振るうことの積み重ねが、理想を実現するために必要であることを知っているから。セイバーからどう思われようと、どれだけ自分が傷付こうとも進み続けることを止めることは出来ない。

 

「やり方は分からない……でも!」

 

 力を籠め、一対の刃を振り下ろす。一陣の風を思わせるほどに轟音をたてたそれは、本当の意味で空を斬り裂いたのかもしれない。それを最後に動きを止めると、道場に響くのは俺の息遣いのみ。まるでその一閃により、外界から分断されてしまったかのような錯覚さえ覚えた。

 

「出来ることを、するしかないんだ」

 シンと静まりかえる道場に、再び言葉を漏らす。

そう。今はただ、彼女が幸せな結末を迎えることが出来るように、ただそれだけのために足掻き続けるしかない。

 

 俺には、ただそれだけしか出来なかった。

 

 

―interlude―

 

 屋内には、必死に刃を振るい続ける少年。先刻、私が『信用していない』と切り捨てた自らのマスターの姿があった。

 

 信じても良いと思っていた。彼を、エミヤシロウという少年を。

この人物になら、心から我が剣を捧げることが出来る。そう思っていた。

初めて刃を交えた時のあの実直な太刀筋。そしてその真摯な瞳は信じるに値するだろうと感じさせられた。

しかしエミヤシロウの行動には不可解な点が多過ぎる。

キリツグの実子と、倒すべき敵と接触していたこと。重要な何かをひた隠しにしている態度。それら全てが彼を信じてはいけないのではないかと思わせたのだ。

 

 それに加えて、この光景を、私はどう説明すれば良いのか見当もつかないのだ。

そう。姿が重なるのだ。昨夜マスターと刃を交えていたあの赤き弓兵と、マスターの姿が。

今目の前で繰り広げられている、さながら舞とも思えるほどのその太刀捌きはまさに昨夜見たあの英霊と同じ動きなのだ。

 あの時は偶然であろうと思っていた。弓兵が使用していた一対の剣と同様の物を駆使し戦うことも。時折見せる、あの冷たい瞳も。

全ては偶然、たまたま似通ったものであるのだと思い込もうとしていた。

 

 しかし今、その疑念が確信へと変わっていく。

そう。確実にあの弓兵と我がマスターは何か繋がりを持っている。それをハッキリさせないことには、私は決してマスターを……エミヤシロウを信用することは出来ない。そして内容によっては、私はきっと彼を……かつてのマスターのように憎悪の感情を抱く事になるだろう。

 

「何も気にする必要などない……私は、聖杯を手にするのだ」

 踵を返し道場を後にしながら、私は知らず知らずの内に言葉を漏らしていた。

そう。彼が何を思っていようが関係ない。私はただ、自身の目的を果たすために再びこの地に召喚された。何も譲ることはない、その唯一の望みを叶えるために。

 

「誰であっても、我が道を妨げることは許さない」

 

 私の静かな宣誓は、誰も受け取り手のないまま、虚空に消えていく。唯一、月だけがその響きを受け取り、煌々と光を放ち続けていた。

 

 今日もこの空の下、一つの宝を賭けて戦争が繰り広げられているのだろう。

 こんなにも静かな、この街のどこかで。

 

―interlude out―

 

 



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暗転
光り輝く、その名は


 

 

―interlude―

 

 

 忘れようのない、あの日の出来事が今でも私の心を苛む。

 

 周囲が地獄の業火に焼かれ、全てが赤に染まりきっていた時。

 打倒すべき、忌々しくも強大な英雄王を目の前にしていた時。

 そして、自らの意志と関係なく黄金の聖剣を振り上げた時。

 

 支えとしていた望みを、騎士としての誇りを……あの男、エミヤキリツグが無為にしてしまった瞬間、私の願望の形を滅していく閃光の中、私は自身の無力さとキリツグに対する憎悪で泣き叫んでいた。

いや、違う。それはキリツグに対する憎しみなどという瑣末なものではない。王となったことが、私がブリテンを統べていたこと自体が間違いの始まりだったのだ。

 

 だからこそその在り方を変えるために、聖杯戦争は……聖杯とは私にとって、それだけ価値があり絶対的に手にしなければならないモノだった。

 

“なん、なのだ……これは?”

 

 だから私は目の前に広がるこの光景を信じることが出来ない。

その先にあるものは言わずもがな聖杯。七人の魔術師と、七騎のサーヴァントたちによって奪い合われるモノ。そして私が求め続けたモノ。

しかしそれは聖杯と呼ぶにはあまりに相応しくなく、どこを取ってみても神聖さなどを感じることは出来ない。むしろ禍々しさに身を震わせるほどであった。

そんな中、視界の隅に映ったのは聖杯を睨みつける一人の騎士。

金砂の髪を風に揺らしながら凛と佇むその姿は、何もかもを決意し自らの行いに悔いはないと顕わにしていた。

 

“まさか……またなのですか”

 

 佇む騎士の表情を見れば、彼の者が何をしようとしているかということは想像に容易い。

だからこそ私は声を上げた。彼の者を止めようと手を伸ばすも届きはせず、ただ空を切るばかり。

 

“何故だ!? それはお前の夢の叶える唯一のモノのはずだ!”

 

 星の燐光を思わせる一振りを掲げ世界の歪みの権化を消し去らんとする騎士に向け、声を荒げる。そう。この騎士ならば分かるはずなのだ。私が聖杯を求めるわけを、何を犠牲にしても手に入れなければならないということを。

刹那、黄金の剣の極光がさらに眩さを増す。私が、この私が一番知っているではないか。幾多の年月を、戦場を私はそれと共に戦い抜いてきた。

ひとたびその名を口にすれば両断出来ぬモノなどありはしない

その破滅の光に晒されてしまえば、後に残るものなど何もない。

 

其は約束された勝利の剣(エクスカリバー)。

星によって造り出され、強者たち……いや全ての人々の願いによって鍛え上げられし最強の幻想(ラスト・ファンタズム)。私が手に執り、そして今もなお私の、アーサー王の伝説を語る上でなくてはならない武具。

 そう。つまり目の前で剣を振り下ろした騎士は私だったのだ。

だからこそ信じることが出来ないのだ目の前で繰り広げられるこの光景が。しかしこの光景はただの夢や幻とは言い難いほどに現実味を帯びていた。そして何より、目の前の私の表情こそ、言葉にし難かった。

 

“何故、そんなにも……”

 

 目に痛かった聖剣の輝きが、徐々に輝度を目に優しいものへと変わっていく。

それが夜明けであることに気付くのに、そう時間はかからなかった。それを背にこちらに振り向く私の表情は、あまりに清々しく心残りなどありはしないと告げているようですらある。

そしてゆっくりとした口調で騎士はその名を、ある言葉を呟く。

私が不信を口にした、あの少年の名を。

 

“何故今その名を!? 答えろ……答えろ、アルトリア・ペンドラゴン!!”

 

 まるで悲鳴を上げるように私はその名を叫んだ。だがやはり声は届く事はなく、満足げな表情のまま、目の前の私はその姿を光の中に溶かしていった。

 

そして私はこう思い至ったのだ。これはあの少年の中にある記憶なのではないのかと。

記憶と呼ぶには曖昧な表現かもしれない。しかし、以前見たあの夢。果てなく続く荒野に突き立てられた剣の葬列。あれは確かにあの少年の心に焼き付いた風景 だろう。だからこそあの時目にしていたもの全てが現実味を帯びていた。そして今目にしていた光景をそれに当てはめるとするならば、導き出される答えは、あ まりに単純なモノだ。

 

“これは、貴方が目にした光景だとでもいうのか……”

 

しかし、そんなことが起こりえていいのか。

これでは死力を尽くし、自らの望みを叶えんがために得物を手にするたちを不遜に扱うことに他ならないのではないのか。

 

“シロウ。貴方は一体、何者なのだ”

 

 いずれにせよ、彼がまだ私に語っていないことはあまりに多過ぎるのだろう。

 

見極めなければならない。

彼という人物の本質を。

心から、剣を預けるべきか否かを。

 

―interlude out―

 

 



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変容

 「じゃぁ……少し出かけてくる」

 

 静けさに塗り込められた屋内に、少し沈んだ声が響く。この声に返す音はない。ただ俺の発した音が薄暗い部屋に消えていくだけ。踵を返し、暖かな光の指す 屋外へ俺は足を進める。だが、どこかその足取りは重い。やはり言葉を返してもらえなかったことが想像以上に自分にダメージを与えているのだろう。

しかしそんなことを思いあぐねいていても仕方がないのだ。一度深く嘆息し気持ちを切り替え、俺は風の吹く路地を商店街に向けて歩いていった。

 

 セイバーから不信を告げられてから二日が経過していた。

その間、やはりと言うべきだろうか。俺とセイバーの間では必要最低限の会話しかなされることはなく、これからの戦いの展望についても何も話し合われないままに時は過ぎていた。

そしておかしなことにここ数日の間、街で頻発していた怪事件が、まるで聞こえなくなっていた。ライダー陣営を打倒したのだから学校で事件が起こるはずもないだろう。

問題は街の方なのである。俺の記憶通りならばこの時期は柳洞寺を拠点にしていたキャスターが周囲から魔力を吸い上げていたはずだ。しかしその痕跡は全くと言っていいほどに見受けられない。

つまり今の状況が意味するのは、俺の記憶にある聖杯戦争とは全く違う様相を呈してきたということだろう。しかし瑣末事であるだろうとその時の俺は、簡単に切り捨てていた。

 歩を進める度、身にしみるほどの冷たい風が通り過ぎていく。

そして見上げればそこには、一点の曇りもないどこまでも広がる青の世界。どこまでも晴れやかに澄み渡る光景は、確かに俺を励ましてくれているはずなのに、素直に受け入れることが出来ない。それどころかどうしようもないほどの孤独に、心が冷え切っていくように感じられた。

 

「何を、バカなことを考えて……」

 途中で音にしそうになった言葉をせき止める。

この二日間、口に出るのは諦めの言葉ばかり。こんなことではいけないことは分かっているのだ。だからこそ意識して、その言葉を吐かないようにする。そして何もなかったように、形になりかけたモノはあっさりと冬の雑踏に消えていった。

 

 ものの十分も歩みを進めると、周囲は賑やかな話声に包まれていた

時間帯的には、おそらく学生も下校の時を迎えた辺りなのであろう。ちらほらとではあるが、学生服に身を包んだ姿も見受けることが出来た。その中にあって自分だけ私服であるということにどこか違和を感じもしたが、次第にそんな雰囲気にも慣れてくる。

俺は買い足さなくてはならない物品を、頭の中でピックアップしながら道沿いの商店を訪ねていった。無論、一軒一軒周っていく度に、手にする荷物は多くなっていく。そして全て買い終わった頃には、両手いっぱいに買い物袋を提げている状態になってしまった。

やはり一人では必要量を買い込んでしまうと、苦しいことになってしまうのだろう。さらに日が傾く度に身を裂く冷たさも増していき、徐々に苦痛になってい く。ここまで買い込む必要もなかったかと後悔しながら、帰路へつこうと顔を上げた時だった。良く見知った、赤いコートが視界に入ったのは。

いや、見付けたという言葉は不相応かもしれない。彼女はわざとそこに姿を現したのだろう。まるでそう告げるように、俺に向けられた視線は殺気を帯びている。

周囲はその殺気に気付く事はない。そこは彼女の上手いところなのだろう。一見すればやはりこの少女は、優雅な淑女なのだ。だからこそこんな街中で会った時、彼女にかける言葉はこれが一番ふさわしいと思うのだ。

「よぉ。こんな所でどうしたんだ、遠坂」

 彼女からすれば、こんな言葉が投げかけられるとは思いもしなかっただろう。言わずもがな、目の前の遠坂の表情は驚きを通り越し、呆れたモノになっている。

「……全く。不用心にも程があるわ」

 苦笑しながら彼女はそんな言葉を返し、サッと踵を返して歩きだした。

その後ろ姿はハッキリと俺について来るように告げている。確かに、こんなタイミングで出会ってしまったのだ。どうやっても逃げ遂せることなど不可能だろう。俺は先を歩く遠坂の後ろを、少し感覚を開けて歩いていった。

 

 それほど歩く事もなく、俺たちは目的の場所に到着していた。

もう身体のサイズには全く合わない小さなブランコと滑り台。チカチカと灯る街灯が少し目に痛い。ここは記憶の中にある、初めてあの少女と親父の話をした場所だ。

 

「さて、ここで良いでしょう」

 彼女はそう言いながら振り返る。表情は先までと同様に、冷酷な色に塗り込められている。そこから投げかけられる言葉が戦いに関することであろうと予測するのは容易だった。

 

「本当に、アンタは一体何を考えてるのよ」

「何がさ?別に遠坂に迷惑はかけていないはずだけど」

「サーヴァントを連れて歩かないなんて、殺してくれと言ってるようなものだって以前言ったわよね?」

「あぁ。間抜けなのかもしれないな」

 

 俺ののらりくらりとした回答に、ピクリと眉根を動かす遠坂。今にも不満が彼女の口からもれだすのではと思われた。

 

「――ホント、アンタにはずっと調子狂わされてばっかりだわ」

 しかし俺の予想と反し、遠坂からそれ以上の悪態を聞く事は出来なかった。むしろその表情は昨日までの困惑したものではなく、『魔術師』と呼べるモノに変わっていた。

 

「いいわ。本題に移るけどね……」

 そう。この言葉から、俺の知っていたはずの聖杯戦争は、その様を完全に変質させていくこととなる。

 

「柳洞寺に巣食っていた魔術師ね。殺されたみたいよ」

 

 

 

 

 遠坂が語った事実を、俺は驚くことなく飲み込むことが出来た。

そのことには薄々感づいてはいたのだ。街の平穏な様子を見れば、事件の起因となる者が活動出来なくなってしまったのか、それとも存在しなくなったかを疑うのが普通だろう。

しかし一つの勢力が敗退したくらいで、遠坂が俺に接触を試みるなどあろうはずがない。

 

「そうか。でも、それだけじゃないって顔してるな」

「そうね、じゃぁもう一つ……その柳洞寺だけどね、人っ子一人居なくなってるのよ」

 話が速いと言わんばかりに遠坂は公園のベンチに腰を降ろし、俺を見上げながら言葉を続ける。瑣末事であるかのように呟かれたその言葉は、俺たちの共通の友人がいなくなってしまったことを意味していた。

 

「つまりそれは……」

「アンタの想像通りよ」

「……そうか」

 この彼女の回答に、不思議と苛立つことはなかった。かつての自分ならば、人の生き死には敏感なはずだった。それが自分の知る人ならば尚更のはずであったのに。

遠回しであれ一成の死を知らされてしまったはずなのに、何も感じることが出来なかった。

 

「でもな遠坂。それは俺に何か関係のあることだったか?」

 そして口をついて出たのは、この台詞であった。

まるでこの寒空と自分の心が呼応しているようにすら思ってしまう。いや、事実そうあろうと努めているのだから、間違いではないはずだ。

「確かに。アンタに関係ない話ね。……でもね、アンタの耳に入れておかないといけないこともあるのよ」

 

こちらを見据える遠坂の瞳は鋭く、放たれる言葉はあまりに重い響きを湛えている。

おそらくこれから彼女の口にするのは重要なことなのだろう。それを確信させられるほどに、彼女の表情は真剣なものだった。

 

 青く澄んでいたはずの空は徐々に厚い雲に覆われ、重々しい様を露わにしていていた。その様子に言い知れぬ不安が頭を過っていく。

 

「柳洞寺が襲撃されたのは二度……一度目は三日前。派手な戦いだったんでしょうね。監督役の話じゃひどい有様だったみたいだけど、被害者はいなかったみたいね。そして二度目の襲撃は二日前の深夜だけど……何も壊されはしなかった。ここから先は、最初に言ったわね」

 必要以上にこちらに情報を漏らすことなく、ただ事実のみを伝える遠坂。さっぱりとした言い回しは、逆に柳洞寺で起こった事件の生々しさを感じさせた。それ以上に俺は内心困惑していたのだ。俺が経験してきた聖杯戦争の中で、このような事態は決して起こることはなかった。以前も感じてはいたが、確実にそして大きな変化が起こり始めているのだろう。

 しかし自身の困惑などよりも、今優先して考えるべきは遠坂の語った事件についてだ。襲撃された柳洞寺。そして忽然と姿を消してしまった多くの僧侶たちとそこに住む関係者。このことから推察できるのは、あまりにシンプルな答えだった。

 

「この戦いを、聖杯戦争を公にしようとしているのか……それとも単なる考えなしの行動なのか」

「いずれにしても私たちの戦いは秘匿しなければならない。それを二回目の襲撃者はそれを破って行動している。そんなこと、許していいことじゃないわ」

 おそらく俺の推察と遠坂の考えとは概ね食い違いはなかったのだろう。遠坂は俺の言葉に少し自らの考えを織り交ぜながら、言葉を紡いでいく。

おそらく彼女にとって魔術師の行為や戦いなどは、彼女が口にした通り秘匿されるべきものなのであろう。だからこそ迂闊な行動を起こした詳細の知れない敵を許すことが出来ないのだ。

 

「つまり、お前は……」

 そして無論、それは俺にとっても同様のことだ。戦いを公にされ、更に無関係な人々まで巻き込むことなどあっていいはずがない。

だからこそ、一度敵と認めたはずの俺のところにまで情報を持ってきたのだ。自分の信念を曲げる行為だと分かっていても。

 

「――これは忠告よ。アンタがそんな敵に倒されちゃ、本当に面白くないものそれにね、アンタを倒すのは私。他の誰でもない……この遠坂凛よ」

 フンと鼻を鳴らしながら少し照れくさそうに頬を赤らめる姿に、どこか以前の近しかった頃の感覚が蘇る。やはり彼女は何も変わってはいない。自らの信念を守り通すために行動するこの少女は真っ直ぐで、どうしようもないほどに愛おしい。変わってしまったとすればそれは俺自身。彼女の実直さに、自ら望みながらもこのようになってしまった自分にどこか苛立ちを感じてしまった。だからこそこの彼女の言葉に、俺は出来る限り素直な気持ちで言葉を返さなくてはならない。

覚悟を決め、口を開こうとした時だった。

鈴の鳴る様な響きが、俺たちの間に割り込んできたのは。

 

「――違うわ、リン。お兄ちゃんを殺すのは貴女じゃないわ」

 その声が発せられた先に視線を向ける。そこには最早見慣れてしまった銀の少女。

厚い雲に覆われていたはずの空はいつの間には晴れ間を覗かせ、燦々とした陽の光を少女に降り注いでいた。それが彼女の幻想的な様を更に際立て、語る言葉を失わせる。

それはおそらく遠坂も同様だったのだろう。見ず知らずの少女に名を呼ばれたにも関わらず、言葉を返すことも出来ないままただ不信感を露わにしていた。

 

「こんにちは、お兄ちゃん」

 しかし俺たちのことなどお構いなしなのだろう。銀の少女はゆったりとした足取りで俺たちの間に割って入り俺を見上げた。無理に俺たちの間に立ったからだろう。手を伸ばせば触れ合うことの出来るであろうその距離はどこか居心地が悪い。

 

「ちょっと! いきなり横から入ってきて、私は蚊帳の外ってどうゆうこと? それに貴女は一体何者なの?」

 少女の行為を、自分への侮辱と受け取ったのだろう。

遠坂は声を荒げながら、少女の肩に手を伸ばす。しかし少女は軽やかなステップで伸びてくる手を避ける。そして遠坂に視線を向け、意地悪な笑顔を見せる。

 

「淑女がそんなに声を荒げて……優雅には程遠いわね」

 ニヤリと皮肉を呟く少女はスカートの裾を少し上げ、絵本に出てくるお姫様のように可愛らしくお辞儀をして見せる。

 

「貴女と会うのは初めてね、リン。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。貴女にはこれで十分じゃないかしら」

「ア……アインツベルン!? なんでこんなところに?」

「貴女に用はないの。わたしの目的はその人だから」

 瞬間、先程まで苛立ちを隠していなかったはずの遠坂の表情が凍りつく。彼女自身想像していなかったのだろう。こんな日の高い時間帯に聖杯戦争に参加している、しかも御三家の内の一人がその場に姿を現すなどとは。

 

「お待たせ。準備出来たよ」

「あぁ。待っていたよ、イリヤ……決着、つけるか?」

「うん。わたしのヘラクレスで……殺してあげる、お兄ちゃんを」

「言っただろう? 俺は殺されないってさ」

 困惑する遠坂を後目に、俺たちは以前した約束を果たすために言葉を交わしていく。しかし彼女の方から姿を現すなど、遠坂同様俺も考えもしなかった。来るべき時、俺の方からアインツベルンの森に赴こうとすら考えていたのだ。

おそらく、それだけイリヤがイリヤ自身でいられる時間に限りが見え始めてきたということだろう。この戦いの中で、少なくとも二つの英霊の魂が彼女の中にあるはず。自律機能を失いつつあるということは明白なのだ。

 だからこそ自分が自分でなくなる前に、せめて俺との決着だけはつけてしまいたいのだろう。その悲しい決意を、俺は何故だか愛おしく思えてしまった。イリヤは、この処女は倒すべき敵であるはずなのに。

 

「ちょっと待ちなさいよ!」

 会話を続ける俺とイリヤの間に、ようやく正気を取り戻した遠坂が声を荒げる。しかしイリヤの存在感にどこか遠慮してしまっているのか、彼女の態度は未だ彼女らしからぬものであった。

 

「遠坂、これは俺たち二人の戦いなんだ」

「アンタ正気なの? アインツベルンと一対一って……しかもあの子、ヘラクレスって!?」

 やはり困惑しながらも、重要なことは聞き逃してはいないようだ。ギリシャ最大の英霊の名を口にしながら、彼女は纏まらない考えを必死に纏めようとしている。

そんな彼女の姿を虚ろな瞳で見つめながら、イリヤはゆっくりとした口調で呟く。それは明らかに挑発の意を含んだ響きだった。

 

「――リン、少し待っていなさい。次は貴女の番だから」

 くすくすと笑いながら一歩、また一歩と俺と遠坂から離れていくイリヤ。凍りついていた空気は彼女が離れていくのとともに薄れ、ようやく遠坂も落ち着きを取り戻した様子だった。

 ゆっくりとしたテンポで公園の入口まで歩を進めたイリヤは再びこちらに顔を向け、最初に見せた妖精とすら錯覚してしまうほどの、儚げな笑顔を見せてこう呟く。

 

「じゃぁね、お兄ちゃん。夜に……また迎えに来るから」

 

 その言葉を最後に、銀の少女は陽の光の中に消えていった。ほんの数分の会話だっただろう。だが俺にとってはあまりに長く、どうしようもないほどに大事な時間のように感じた。

「本当にバカね。アンタ、絶対に死んだわよ」

「まだ……分からないだろ」

 イリヤの去っていった方を見つめる俺に、遠坂が呟く。咄嗟に彼女に視線を戻す。目に入ってきたのは引きつった笑顔。そんな不安そうな彼女に俺が出来るのは、きっと俺らしい言葉をかけるだけだ。だから俺も返そう。俺の……エミヤシロウの、遠坂凛に対する思いを籠めた言葉を。

 

「それにお前、言っていたじゃないか」

「何よ、また皮肉?」

「俺を、エミヤシロウを倒すのは……遠坂凛なんだろう」

「――ッ! 何言ってるのよ!? 当たり前じゃない!」

 サッと顔を背ける遠坂。一瞬、頬が赤らんだようにも見えたが、そんなことを追求しても、彼女は何も答えないだろう。

だからこそ、俺たち二人はこれで良い。きっとこれがエミヤシロウと遠坂凛の適切な距離感なのだ。

 

 そして自然に俺の足は公園の外へと、進もうとしていた。下手をすれば、もう遠坂と会うこともないかもしれない。しかし不思議と心残りもないまま、その場を立ち去ることを受け入れることが出来た。すると俺の背中に再び声が投げかけられる。

 

「……まぁ無様な死に方をしないように祈っておいてあげるわ。またね衛宮くん」

「あぁ。ありがたく受け取っておくよ。じゃぁな、遠坂」

皮肉にも聞こえるそれは、彼女のなりの優しさを湛えた響きだったのだろう。そして俺も、笑顔にまま不安を隠したまま彼女に別れを告げることが出来た。

 

 

 そう。俺にとっても、イリヤとの戦いはどのような結果になるのか全く見通しのつかないモノだったのだ。

 

 

 



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不確かなモノ

 

 

―interlude―

 

「まさかアインツベルンまで出てくるなんて……」

 

 一人家路を急ぎながら遠坂凛はポツリと、誰に投げかけるでもなく言葉を発していた。

つい先ほどまで彼女の思考の優先順位は、聖杯戦争を乱すイレギュラーを殲滅することであったしかしそれが一転、敵視していた一人の魔術師とアインツベルンを名乗る少女の登場によって掻き乱されている。

足早に歩く彼女の表情は困惑を隠しきれてはいない。それに何か感じるものがあったのだろうか、人の眼で見ることの出来ない超常の存在である彼女の従者はクスクスと彼女のみが聞く事の出来る声で笑ってみせた。

 

「何がおかしいのよ」

 自らの従者の挑発ともとれる行動に、彼女は苛立ちを露わにしながら声を荒げた。

先程までの士郎たちとのやり取りの中では、自分は蚊帳の外に追い遣られているのではないかと疑念を抱いていただけに彼女の苛立ちは限界を超えようとしていた。

 

「……まぁいいわ。で、何?」

「いやね。君らしくない判断だと思ってね」

「何よ、私の判断に意見するつもりなの」

 パタリと足を止め咳払い一つ、落ち着きを取り戻した凛は従者に声をかける。

人が家路に着くであろう時間帯にも関わらず、彼女の近くに人の姿はない。まるでそこだけが周囲と隔絶されてしまった空間であるかのような印象すらあった。その怪しさに反応するように、彼女の背後に現れたのは、赤い外套を見に纏った屈強な男、サーヴァント・アーチャーの姿。彼は自らの主の機嫌を窺うことはせず、険しい顔を見せたままそう呟いていた。

凛自身も、アーチャーの言葉には思うところがあるのだろう。強気な言葉を向けながらも、その響きはどこか弱々しさを感じるものになっていた。

 

「いいや。主の命令には従うさ……だがね、これはある意味好機ではないか」

「――何? 私に火事場泥棒にでもなれって言うの」

 アーチャーの発案、それは詰まる所アインツベルンと衛宮士郎との決闘を監視し、疲弊しきったところを背後から襲撃すればいいということであった。

もちろん、勝利を優先するならばそれは真っ先に考えにのぼるであろう。

しかし彼女の、遠坂凛という少女の性格を考えれば、その考えは真っ先に棄却されるもののはずだ。実際彼女が『火事場泥棒』という言葉を選んだのも、その行為が唾棄すべきものと理解していたからである。

 しかしそう答えながらも、凛は何かを必死に悩んでいる様子であった。

そう。彼女には見えているのだ。あの二人と、自分自身とでは明確な差があると言うことが。彼らにあって自分にないもの、それは自分の意志。聖杯戦争を始めた家系なのだから参加することが義務付けられている自分と違いあの二人、特にイリヤスフィールは衛宮士郎と戦うためだけにこの戦いに赴いたのだろうということを凛は感じ取っていた。

 

「……いいわ。アンタの案に乗ってあげる」

 ゆっくりと、苦悶を吐き出すように凛が言葉を紡ぐ。

今までの自分であれば決して選びはしなかったであろう。それを示すように彼女の握りこんだ拳はブルブルと震えている。

「ほぉ、今日は存外に素直な反応ではないか」

「アンタも気付いているでしょ? 真っ向から戦っても勝ち目がないことくらい……なら、せめて魔術師らしく……」

 イリヤスフィールの口にしたヘラクレスという英雄の名を聞いた時、そして士郎と学校で相対した時、真っ当な勝負をしては決して勝つことは出来ないと彼女は直感した。

だからこそ彼女は自身の信念を、優雅たれという家訓を破ってでも勝つことに拘ったのだ。

「策を講じると……なるほど。いよいよ我がマスターもらしくなってきたではないか」

「どこかの誰かさんの影響かもね。ましてや自分の信念を曲げるんですもの……」

 息を吸い込み、凛は従者に向き合う。瞳の色は少しの憂いもなく、固い決意を示す。

今から口にする言葉だけは、決して裏切ることはないと誓うように。

「絶対に、勝ちに行くわ」

「あぁ、分かっている」

 凛の言葉に相槌を打ち、アーチャーはニヤリと自らの顔を歪めた。

 

「こちらも、その方が都合が良いからな」

それは決して主を支えようとするサーヴァントの表情ではない。暗い感情を抱えた一人の男の表情。

そう。アーチャーにとっても、凛の決意は好機なのだ。自分自身を、エミヤシロウを亡き者にするための、絶好の好機だったのである。

 

 

―interlude out―

 

 

 自宅に帰った俺は居間にセイバーを呼び出し、遠坂からの情報とイリヤとの決着を付ける旨を出来る限り簡潔に説明した。その報告には決して自分の感情を含めることはしない。ただこれから起こるであろう事態、そして戦うべき相手について俺は自分なりの考察を告げた。

「――なるほど。なかなかに理解しやすい考察でした」

 セイバーは俺の報告を聞き、一言簡単に感想を述べた。

相変わらず彼女の瞳が俺を捉えることはない。ただ完全に感情を排した、それぞれが昨日としての役割を果たすだけの関係。

当初はどこか居心地の悪かった状態も、慣れてしまえばどうということはなかった。寧ろ話が円滑に進むならばそれもいいとすら感じるほどだった。

 

「私は一対一でバーサーカーと果たし合うことが出来ると考えて良いのですね?」

 佇まいを正したセイバーが俺に尋ねる。

彼女にとって、何よりも気にかかることはそれだったのだろう。言葉では手段を選ばないとする彼女も、どうしようもないほどに『騎士』なのだ。だからこそ彼女が最大限にポテンシャルを発揮できるように俺は振舞わなければならない。

俺自身も佇まいを直し、ゆっくりと言葉を選びながら音にする。

「あぁ、これならお前も存分に力を発揮できるだろう」

「確かに。いささか信用なりませんが、今回ばかりはマスターを信じましょう」

 言葉には棘があったが、セイバーは俺の言葉に納得した様子だった。

それを示すように、彼女の瞳は戦いに臨む騎士そのものであった。おそらく予想外の強大な敵との戦いを楽しみにしているからに他ならないだろう。

 

「……イリヤの言っていた通り、相手はヘラクレスだ。油断なんか出来ないぞ」

「無論だ。全力を尽くし、眼前の敵に対する。それが彼の十二の試練を超えし英雄であったとしても……私はこの剣で斬り伏せよう」

「あぁ。期待してるぞ、セイバー」

「言われずとも……聖杯を手にするまで、私は負けない」

 そう語った彼女からは、油断も憂いもない。

ただそこには戦士として、誇りある決闘を望む一人の少女の真摯な表情。だからなのかもしれない、その表情が俺にはあまりに悲しく見えた。

 

「それじゃ。また呼びに来る。少しでも英気を養っておいてくれ」

 居心地の悪さを感じ俺はそう言い残して、居間を出ようと立ち上がった。

視界の隅でセイバーはシッカリと相槌をうち、俺の言葉を受け取ってくれていたのだろう。

俺は逃げるように居間を出て、一路土蔵を目指して庭に足を延ばしていた。

やはり自室に居ては全く落ち着かない。ならば出来る限り集中の出来る場に留まりたいと思い、もう日の暮れてしまった月明りの照らす中を俺は急いだ。

 足を運んだ土蔵は冷ややかで、しかしどこか暖かさを感じさせた。天窓からは柔らかな月の灯りが差し込み、落ち着いた雰囲気を作り出している。

視線を下に移すと、そこには数日前に俺が流したのであろう血の跡。どうやってもこびり付いて取りきれなかったその跡は、最早言われなければ分からないほどに土蔵の床と一体となっていた。

 

「相手はイリヤとバーサーカー、いやヘラクレスか……真っ向からやりあって勝ち目なんてあるはずない」

 溜息と共に吐き出したのは、やはり弱気な言葉。

これだけは変えることの出来ない、この時に戻ってきてからの俺の悪癖。

「――って、こんなこと分かりきってたことじゃないか」

 そう。どうしようもなく強大な敵だと言うことは分かりきっていたことなのだ。だからこそこれまで自分自身を鍛え上げ、足手まといにならないように努めてきたのだ。

確かに戦えば敗退するかもしれない。傷付くかもしれない。それでもそれを避けて通ることは出来ない

「俺は、俺たちは勝つしかないんだ。気付かせてやるのは、それからでも遅くない……」

 バーサーカーとの戦いが終われば、きっと話をしよう。彼女が求めている聖杯が、一体どんなものであるのか。

あの聖杯は決して彼女の望みを叶えるものではないということを。

 

 

 そんな悠長なことを考えている場合ではなかったと俺はすぐに後悔してしまうことになる。

何故イリヤと戦う前にセイバーともっと話をしなかったのか。

何故間桐のことを放っておいてしまったのか。

 そして何より、何故俺は言峰を気に掛けつつも、何も行動を起こさなかったのか。

 

数え切れない後悔をして、結局俺は何も変わることが出来なかった変えることが出来なかったと理解するのだ。

 

 

 



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暗き思いの淵

―interlude―

 

 

 月は頂へと進む。

一日の営みを終え、街は静寂の中にある。

落ち着くと言えば聞こえは良いだろう。しかしこの場を動く事の叶わぬ彼にとって、その静けさは拷問でしかない。唯一、街を一望できるその光景のみが彼を楽しませるものであった。

 

 しかし今宵、この時だけは違う。

 

「――何もせず消えるのみが我が宿命と思っていたが……」

 陣羽織を翻し、手にした太刀を一閃。精悍な表情で男は、歩み来る影に視線を向けながら顔を歪める。

 アサシン・佐々木小次郎はひどく嬉しそうに口元を吊り上げていた。

これこそ彼が求め続けていたモノ。明らかに殺意を秘めた者が自分自身と刃を交えんと歩を進めてくる。そして自身も最高の技をもってそれに応ずる。武人として、否、一人の男としてそれを成し遂げるため彼は刀を掲げる。

そう。先日現れた鉛の巨人は、石段はおろか彼の守護する山門を易々と飛び越え、刃を交える暇すらなく、一瞬のうちに彼を召喚した魔術師を打倒してしまった。

 

「さぁ、我が終の一振り。受けよ、黒き者」

 ゆらりと、小次郎は必殺の剣を繰り出さんと構える。

マスターを失った彼にとって、この世に現界出来る時間はもう幾ばくの時もない。せめて最後の一太刀を、渾身の力を籠めんと彼は静かに、そして力強く繰り出す。

 

「秘剣――燕、がえ……し」

 これぞ宝具にまで昇華された剣技。魔術を使うことなく、剣の修練のみで魔術師が目指す魔法の域に到達した業。初見の者がその太刀筋の総てを見きることは不可能。どれだけ研鑚を積んだ者でも、同時に振るわれる三つの剣筋を受けることなど出来もしない。

しかしそれは、『普通』の敵であったならばの話であった。

「――まさか、人でない者に」

そう。言葉の通り、彼は重要なことを見誤っていた。

一太刀をあびせることが出来れば、決着はつくと小次郎は考えていたのだろう。しかし秘剣が黒の敵に届く事はなく、むしろ影から伸びた闇色の触手にそれらは食い尽され、あろうことか小次郎の身体に纏わりつき肉体を侵食しようとしていたのだ。

そもそも眼前に立つ敵と一度も刃を交えることもなく、魔剣を繰り出すことなど、普段の彼であればすることはなかったであろう。それだけ消えゆく彼が焦りを隠せなかったのか、戦えることの出来る唯一の機会に心が躍ってしまったのか。それは彼のみしか分からない。しかし事実小次郎はその身の自由を奪われた。平時の彼であれば避けることは容易であるはずの敵の攻撃も、必殺の剣を放った直後の彼にとっては次の行動に移ることに時間がかかり、避けることは叶わなかったのだ。

「このような散りようは……まだまだ、研鑚が足りんということか。やはり戦とは奥深いものよ」

 月夜にその身を掻き消すのではなく影に飲み込まれる。それはおそらくサーヴァントにとって、戻るべき場所には戻れないことを意味していた。そのあまりに醜悪な色を見せる影とは対照的に、小次郎の表情はどこか爽やかなものであった。

ただより多くの強者と刀を交えたかったと、そう嘆きながら彼はその身を闇に沈めていったのだ。

 

 

 

 影による捕食は一瞬の内にそれを終え、周囲には静寂が戻っていた。

影の主は先まで侍の立っていた場を見つめ、何かを考え込むように動こうとしない。

それは、この影の主の出来る唯一の贖罪だったのかもしれない。

 

「……ったくよぉ。何だってんだよ」

 刹那、石段の下の方から、乱暴に投げ出された棘のある声が響き、闇の中から紅の槍を携えた青の戦士が姿を顕わした。声の主はゆっくりと影に近付き、横に並び立ちながら一言悪態を吐く。

「オレはアンタを見張っとけって言われたからよぉ………にしてもこれはないだろ」

 そう。その声の主は誇り高き槍兵・ランサー。これほどの醜悪な、戦いとも呼べるものではないものを目の当たりにし、彼の我慢は既に限界に達しようとしていたのだ。しかし声を荒げるランサーを後目に、影の主はその声に反応することはない。影の主に、ランサーの声は全く響くことはなかった。

 

「誇りがどうとか言わねえ。でもよ……アイツは、誰かと正々堂々戦えるのを待ってたんだ」

 ランサー自身もそれは理解していたのだろう。棘のあったはずの彼の言葉は、柔らかなものに変わっていく。いや、そもそも彼は影の主を糾弾するつもりなどなかったのだ。

武人として、届かないと分かっていても、それを告げずにはいられなかった。

ただ、それだけのことだったのだ。

 

「――まだ、足りない……」

 ランサーの声を気にも留めず、声の主はそう言い残し、再び柳洞寺へと伸びる石段を登り始める。その姿を見送るランサーは見逃さなかった。無表情に塗り固められていたはずの表情が辛そうに歪む瞬間を。

「無理しやがって……お嬢ちゃん」

 そう。ランサーには彼女を見送ることしか出来ない。

彼女にとって辛い結末になろうとも、彼には何もすることは出来ないのだ。

 

 

―interlude out―

 

 

 

―interlude 2―

 

 

 暗い、闇より暗い部屋の隅。一人の少女は肩を震わせる。

ただ目を閉じ自分の行いを反芻する彼女は、もうどうしようもないほどに狂ってしまっているのかもしれない。

「そっか。わたし……したんだ」

 ぽつりと投げ出した声は、何に受け止められることもなくただ消える。不幸にも、今の彼女を受け入れる存在は皆無。部屋に広がる闇が、彼女が孤独であることをよりくっきりと顕わにしていた。

 

「……ふふ、そうだ……そうしたんだ」

 その呟きはひどく嬉しそうに部屋に響いた。

最早彼女にその行為に対する罪の意識は皆無なのかもしれない。それほどまでに、この数日間の内に少女は自らの手を汚し続けたのだ。

 

「わたしは、悪くない!! だって、あの人が……あの人たちが苛めるんだもの! 叩くんだもの! 殴るんだもの! わたしはただ……仕返ししただけ」

 髪を掻き乱しながら、声を荒げる少女の頬には大粒の涙か伝っていた。

 決して罪の意識がないのではない。彼女は常に苛まれ続けているのだ。だからこそ、言葉では自分自身を肯定し続け、行為を正当化し続けなくてはならなかったのだ。彼女が彼女自身の目的を果たすために。辛くともその行為を続ける理由が彼女にはあったのだ。

「もうすぐ自由! あと少しで……自由に」

 そう。彼女は自由を求めていた。

ただ人並みに得られるはずの幸せを、彼女は欲していたのだ。しかしそれを為すには、どうしても排除しなくてはならないモノが、文字通り彼女の中にはあった。

「……邪魔だなぁ」

 彼女は自らの胸にそっと手をあてる。

手に感じる自らの鼓動とは別に響くのは、這いずりまわる何かの音。

「今は……ふふ、もう少しだけこのままでもいいや」

 今までは、その音がどうしようもないほどに嫌いだった。

しかしそれもあと少しで消えてなくなると思うと、彼女にとってはそれすら心地のいい響きに聞こえるのだろう。涙にくれていたはずの彼女の表情は、あっさりと嬉々としたものに変わり、瞳を輝かせていた。

 

「先輩、もうすぐですからね」

「もうすぐわたしが……」

 

 

「桜が、迎えに行きますから……」

 

―interlude 2 out―

 



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静けさ

 

 

待つ。

ただその時を待ち続ける。

 

 普段ならばこんなに穏やかな気持ちでいられることなどありはしなかった。

聖杯戦争が始まってからここまで、心の落ち着く暇など俺にはありもしなかったのだ。

何よりセイバーと再会してからここまで考えもしなかったことの連続で、正直心身ともに疲れ果てていたのだろう。

 だからこそ何もしないこんな当たり前のような時間が、何より嬉しくて堪らなかった。

 

 直に迎えが来る。

 

 イリヤは言った。

 迎えに行くと。

 自らの望みを果たしたいのだと。

 

 ならば俺自身も、もう既に願いを果たしてしまった俺だからこそ、彼女と正面から向き合い、それに応える義務がある。

 聖杯戦争の行く末をしるものだからではなく、衛宮切嗣の息子だからでもない……。

 一人の男として、この戦いを始めた一人の魔術使いとして。

 

 雲が晴れたのだろうか。土蔵に設けられた窓から薄っすらと柔らかい光が差し込む。

室内に舞う埃をキラキラと彩りながら降り注ぐそれを目にすると、ふとあの時の情景が頭を過ぎった。

「あぁ……それだけは、忘れることは出来ない」

 今日のような寒い、冴えた月明かりの降り注ぐ夜。

 鮮血に濡れる俺を見下ろす碧の瞳。勇敢であり、そして可憐さも兼ね備えたその瞳に俺は心を奪われたのだ。

 そう。それだけで俺はセイバーに恋をしてしまった。

 

 しかしどういう訳だろうか。

 セイバーの他にもう一人、同時に思い出された顔に俺は困惑を隠せなかった。

 

 一番ではなくても良い。

 ただ傍に居たい。いつも傍に居たい。

 

 そう口にして、悲しげな笑顔を浮かべた少女がいた。

誰よりも俺を支えてくれた少女。藤ねぇと共に、俺の日常に色彩をくれた少女。

 

「桜……一体どうしてるんだよ」

 思いもかけず、彼女の名を口にしていた。

 最後に目にしたのは、落胆した悲しげな表情だった。

 本来ならば警戒しなくてはいけないはずのマキリの魔術師。そして慎二が使役していたライダーの真のマスターであるはずなのにどうしても彼女に対してそれを出来ずにいる。

 だから彼女がここに寄り付かなくなったことは都合のいいことのはずなのに、俺にとっては余計なモノのはずなのに……。

「お前に会えないことを……こんなにも寂しいと思ってしまうなんて」

 

「戦の前に女の名を呼んで物思いに耽るとは……怒りを通り越して呆れてしまう」

 投げかけられた声は相変わらず刺々しい。

 視線を声のする方に移す。

土蔵の入り口。先ほどまでとは装いも表情も違う。

 そこには戦いに赴かんとする一人の騎士の姿がそこにはあった。

 

 何度も目にした、そして何度も助けられたその勇敢な騎士の姿が。

 

「――確かに。確かにそうかもしれない」

「何を笑っているのです! これから戦う相手が何者であるのか、まさか忘れたわけではないでしょうね?」

 セイバーの言葉に思わず笑みを溢してしまう。

 彼女の言葉はもっともだ。これから赴くのは生きて帰ることの出来ないであろう死地。それだというのに一体何を考えているのだろう。

考えつくしたはずのことを何度も心に留めたままなど、あまりに滑稽すぎるではないか。

「いや、分かってる」

「では気を引き締めなさい! 彼の英雄と矛を交えるのだ。先日までの戦いとは……」

「分かっているさ。油断も何もない」

 そう。そんなものはあってはならない。

 そんなものを持って臨めるほどにあの巨人が優しくないことは痛いほどこの身に味わってきたのだから。

「――なるほど。曲がりなりにも、貴方も戦士であるということでしょうか」

「戦士なんて大それたものじゃないさ……ただ、お前の言葉で目が覚めたよ」

 彼女にそう言葉を返す。

その言葉を予期していなかったのだろうか。コロコロと変わる俺の表情に対応できないのであろう、セイバーは少し困惑した様子だった。

 あぁ。本来ならばこんなやり取りをもっと早くからしておけば良かったんだ。

 それが出来なかったから、セイバーが俺のことを分かってくれていると勘違いをしていたから、彼女との溝が出来てしまったのだ。

 奇しくも、いざ戦地へと赴かんとしているこの時にようやくそうすることが出来た。

 もう遅いのかもしれないけれど。

 

「わ、分かればいいのです! 貴方が役立たずでは勝てるものも勝てないのだから」

「あぁ、そうだな。頼むよ、セイバー」

 俺には最強の騎士が付いている。俺がしくじらなければ負けることはない。

俺はただ、ただエミヤシロウとして創り出せる最高のものを創り出し続けるだけなのだ。

 

 俺の言葉に沈黙したまま頷き、彼女は最初にここに現れた時と同様の、真摯な表情を作る。

 その沈黙の理由を俺は知っている。いや、彼女がここに来た時点で、もう分かっていたことだった。

「……マスター。先ほどアインツベルン迎えの者が来ました。イリヤスフィールは彼の地で待つとのことです」

「そうか……じゃぁ行こうか、セイバー」

 ゆっくりと立ち上がり、再度彼女に顔を向ける。

 彼女の真摯さに応えるように、ただ彼女が言ってくれた戦士らしい表情を作りながら。

「えぇ。必ず勝利を我が……我らの手に」

 その言葉に誘われながら、長い時間を過ごした土蔵の外へと踏み出していく。

一歩外に出ると、土蔵とは比べ物にならないほどの冷気が身に突き刺さった。

不意に後ろに目を向ける。

もう戻れないかもしれない、もう一度俺を始めることの出来たあの場所を目に焼き付けるために。

 

「――行ってくるよ。じいさん……」

 

 あの優しい笑みが返ってくることはない。

 ただその一言が、その約束の言葉があればきっと戻ってくることが出来る。

 

 自然と、その言葉が口から零れ落ちていた。

 



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少女の独白

 

―interlude―

 

 ただ待つのは好きじゃなかった。

自分が未だに籠の中の鳥であると思い知らされてしまうから。

結局わたしは老人たちの操り人形で、あの人たちが許す範囲でしかわたしは自由に出来ない。わたしの自由意志などどこにもないのだと。

 

それに、あの日大事な人と交わした約束を思い出してしまうから。

 大好きだったあの人は言ってくれたあの言葉を。

 『待たせはしない』

 『必ず、すぐに帰ってくる』

 『迎えに来るから』

冷たく悴むわたしの手をしっかりと大きな手の平で包んでくれた。

 それだけで心が満たされて、こんな風に寒い空気に身体が凍えていたけどどこか暖かだった。

 あの時は無邪気にその約束を信じていられた。

 明日、その次の日……きっとこの冬を越えれば……迎えに来てくれると信じていた。

でもその気持ちもドンドンと消えてなくなっていく。大事にしていた言葉が嘘になっていった。

『迎えに来る』というあの言葉が、大事な人を思い出す優しい言葉から変わっていってしまう。裏切り者を、わたしとお母様を裏切ったあの男を思い出すモノに変わってしまった。

「ねぇ、今……月は、出ている?」

 まるで言葉が形を持ったように、白い跡を残していく。それだけ冷え込んできているのだろう。でも、もうわたしはそんなことを感じることも出来ない。

今、傍らに立っているのであろう、わたしを守ってくれる巨人にそう聞いたのだって、もうわたしの目にはハッキリとそれを捉える事が出来ないからだ。

「バーサーカー……わたし、ちゃんと立っていられてる? ちゃんと、いつもみたいに笑えてる?」

 何も答えない鉛色の巨人。

ぼんやりとしか見えないわたしの目でも、何も感じることの出来ないわたしの肌でも、彼が傍にいると言うことだけは実感できた。

大事な人の言葉に絶望してしまったわたしにとって、傍にいてくれるという実感だけで、私は十分だったのだ。

「うん……そうね。そんな事聞かなくたって、大丈夫に決まっているものね」

 そう。きっとわたしは笑っている。

だってこれから始まるのだから。わたしが望み続けた、わたしのための戦いが。

「お兄ちゃんは……わたしを満足させてくれるのかな?」

 ポツリと受け取り手のない言葉を空に投げ出す。

 あぁ。どうしようもないほどにわたしは高揚している。

 どうしようもないほどに、思い焦がれている。

 

 それはきっと、何時か迎えに来てくれると信じていたお父さまを待っていた時に似ていて……。

 

「そっか……わたし、お兄ちゃんに嫉妬してただけだったんだ……」

 だからお兄ちゃんが、エミヤシロウというあの男の子が愛おしくて堪らないんだ。

だからあの男の子を、キリツグから愛情を沢山もらった男の子を殺したいほどに憎んでいるんだ。

 

「そっか……そうだったんだ」

 するとどうゆうことだろう。今まで心を覆っていた靄が一気に晴れてしまったような、冴えきっているであろう空気を胸一杯に吸い込んだような爽快感がわたしの中にあった。

 戦う前にこのことに気が付く事が出来て良かった。

それだけで、今から赴く戦いへの思いは全く違うモノに変わるから。

「……お兄ちゃん、早く来てよ」

 愛おしいから、憎らしいから一緒に時を過ごしたい。

 今は一秒でも長く、より長くシロウと一緒にいたいから。

 

 だからわたしはこう口にする。

 何も感じないこの身で。もうほとんど何も見えないこの目で。

 

 わたしは、歌うようにこう口にするんだ。

 

「――月が、顔を隠してしまう前に」

 

―interlude out―

 



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神話の戦い

 ふと空を見上げる。

つい先程まで深い藍色に塗り込められていたはずの空の色が、少しずつではあるが白み始めたように感じた。木々の合間から少しだけ覗くそれを目にするに、これから広がるはずのその色は、今日も蒼く澄み渡るのだろう。

 衛宮邸まで俺たちを迎えに来たのは、俺たちの戦いとは全く関係もない一介の業者の車だった。セイバーの格好を目にし、最初は訝しげな表情を見せていたドライバーであったが、報酬分の仕事は当たり前にしてくれるのだろう。

別段何かを訪ねられる訳でもなく、無言のまま俺たちを森の入り口へと送り届けてくれた。

 そこからずっとイリヤがいるはずのアインツベルン城を目指して歩を進め続けているのだが、それだけ足を動かし続けてもその形を認めることは出来なかった。

 しかしどこまで皮肉なのだろうか。

 このままずっと着かなければいいとそんな考えが頭を過った刹那、ぼんやりと小さな白い影が視界に入ってきた。

「確かに、あの城で勝敗を決するなんて、俺たちらしくないよな」

 その姿を目にしたとき、そんな言葉が口から零れた。

確かに、『エミヤシロウ』であるならば、あの城を彼女との戦いの場に選ばないはずだ。

 それはあの場所が自分にとっての忌まわしい記憶と、自分が間違っていなかったことを気づかされた場所だったから。あそこは、自分にとっての『終わりの時』に居るべき場所なのだ。 

 だからこそこの少女との新たな始まりを迎える場所としては相応しくない。勝手に俺が、エミヤシロウが感じているだけなのだ。

「こんばんは……やっと来てくれたんだね、お兄ちゃん」

 ポツリ。

 鈴の鳴るような響きが耳に届く。

 早朝の爽やかな空気と同様に、何の違和感もなく受け入れる受け入れることの出来るその響きに、思わず笑顔を作りながら言葉を返す。

「あぁ。待たせてゴメン」

「淑女を待たせるなんて、紳士としてはどうかと思うけどね。それに……」

 今から殺し合いをしようという相手に対して、チグハグな態度であろうと彼女は言いたいのだろう。事実、自分でもそれは重々理解しているつもりだった。

「出来れば……」

 握り込んだ拳が、身体がブルブルと震え始まる。決して俺たちを包む寒気のためではない。ここに来て俺は、エミヤシロウは迷いを抱えてしまっているのだ。

 そう。出来れば殺し合いなどしたくはない。

 少女の、自分の姉とも言えるこの人と矛を交えることなんて間違っている。

 

 何度も何度も、これまでに自問自答してきた命題が、またこの場面で脳裏を過っていく。あぁ……全く。いつまでこんな風にイジイジとしているつもりだろうか。今更何を迷う必要がある。

 望んだモノ。

 望まれたモノ。

 俺は今、イリヤの思いを受け止める必要がある。だからこの問い掛けはもうおしまいにしよう。とうの昔に答えなど出ているのだから。

「――マスター、これ以上の言葉は無粋というものでしょう 。彼女はマスターなのだ。ここから先どうなろうと覚悟は出来ているはず……」

 俺の言葉を遮るように、銀の鎧に身を包んだ騎士が俺とイリヤの間に割って入る。

森の入り口からここまで全く言葉を発することのなかった彼女の表情には穏やかな色は全くなく、眼前の敵を打ち倒さんとする明確な意志を感じることが出来た。

 彼女は分かっているのだ。これから戦う英雄は生半可な者ではないのだということを。神話に轟くその名を、『ヘラクレス』という名はそれほどまでに英雄の中でも別格のものであるということを。

「分かって……いや、お前の言う通りだ」

 白んだ空がその明るさを目に優しいものへと変えていく。何かの始まりを告げるような空の色。

「いつまで待たせるのかしら?」

 痺れを切らしたのか、プクリと頬を膨らませむくれながらイリヤは急かすように、そう口にした。

 まるでそれじゃ遊びを我慢できない子供じゃないか。

 やはりこの子はどこか残酷だ。

それでも、だからこそ放っておけない。

「すまない。じゃぁ……戦おうか?」

「んーん。違うよ……」

 彼女の声に呼応するように、俺たちの眼前に姿を現すのは鉛の巨人。崇め奉るべき神話の中の英雄。

「これからやるのは……」

 そっと片手を上げ、瞳を閉じる。

 あぁ。ついに始まる。

 彼女が願ってきたこと。

 彼女の復讐と、枷を取り払うための儀式。

「――セイバー、来るぞ!」

 その言葉に応え不可視の剣を掲げ、鉛の巨人に挑むセイバー。

 

 そして、その言葉によって幕は落とされたのだ。

「――やっちゃえ、バーサーカー!」

「―――■■■■■■■■■!!」

 まるでそれは世界の終わりを思わせる、あまりに重々しく悲しい響きだった。

 

 

ーinterludeー

 

 

 それは神話に描かれた戦い、そのものであった。

 銀の光の如く、神速とも呼べる速度で駆け抜けるは一人の騎士。

 名をアルトリア。アーサー王の名で呼ばれる騎士の中の騎士。最も輝かしい英雄譚を持つ騎士王である。

 その神速を正面から受け止めるは鉛の巨人。

 神話の中に、そして空に瞬く星の座にも名を残す英雄の中の英雄。

名をヘラクレス。十二の功業の末に神の座を与えられた戦士。

 彼らが駆け抜けた時とは遠く離れた現代、相見えるはずのないこの二人の戦いは言うまでもなく、『人が関与し得ない』戦いなのである。

 しかし一進一退の攻防を繰り広げられるかに見えた二人の戦いは、予想もし得ないほどに一方的な展開を見せていたのである。

 

「っ――――」

 セイバーの振りかざす剣の冴えを線とするのならば、バーサーカーの振る舞わす斧剣は正に瀑布。総てを飲み込まんと容赦なく振り回されるその力に、セイバーは苦痛に顔を歪めながら、全力でそれに相対していた。

「セイバー!」

 セイバーとバーサーカーの剣の衝突を、当初は呆気にとられた表情で見つめていたシロウであったが、自らのサーヴァントの名を呼びながら二人の間に割って入ろうと身を動かそうとする。

「―――■■■■■■■■■!!」

 彼女のマスターの動きを牽制するためか、もしくは目の前の騎士との戦いを邪魔をされたくないためか、全く言語とは呼ぶことの出来ない怒号をあげる鉛の巨人。

雄叫びを上げながら振るわれる得物は休まることなく、セイバーを攻め立て続けた。

「……そうだ。こんな俺が二人の間には割って入れる訳がないんだ」

 かつて彼はそれをその事実を文字通り、身体に刻み付けられていた。それを痛感していたからこそ、彼は自らの繰り返しの時間を少しでもかつての自分よりも強くなり聖杯戦争を迎えることが出来るように研鑽を積み続けてきた。

 しかし先のライダーとの戦いでそれは叶わぬことであったと思い知らされた。

「それでも……だからこそ出来ることがある」

 そう。握った拳の痛みを、そして今痛みに耐えながら暴風を受け止める自らのサーヴァントに報いるために、彼は機会を伺い続けるのだった。

 

 幾度目かの剣と斧剣の衝突。 

 彼らの周囲にある木々は無惨に薙ぎ倒され、地面は重機で乱暴に抉り上げられたように荒れ果てている。

最早介入することも出来ないその戦いを見つめ、銀の少女は嬉々とした声を上げていた。

「あは、もうそんなに弱っちゃうなんて。あんまり楽しめそうもないのかなぁ」

「イリヤ……お前……」

「ねぇ、足掻いてよ……もっともっと無様に、無様に!!」

 無邪気な笑顔を浮かべていたが、彼女の瞳は冷酷な輝きを湛えている。

 今のイリヤに、バーサーカーのマスターにはどんな言葉も届かないのだろう。それほどまでに彼女はこの戦いに吞まれてしまっているのだ。

「……やっぱり、強い」

 それはシロウ自身も同様であった。

 冷静に戦いの行く末を見守りながらも、この戦いに呑まれている。

かつてその身に刻み付けられた恐怖が彼の中で蘇っていく。

おそらく誰しもがその戦いを目にすれば足が竦み、逃げ出すことを真っ先に考えてしまうだろう。

 しかしエミヤシロウにとって、その選択肢は既に唾棄した答えであったのだ。

「あぁ。でも昔程じゃない。あの時だって、アイツが相手だった時も……踏み出せた」

 

 最初に斧剣で身体を袈裟に叩き切られた時。

 朝靄の立ち込める森の中、二人で選定の剣を振るった時。

 そして記憶の中にある、目の前の巨人を圧倒した英雄王と相対し、身を貫かれながらも戦い抜いたとき。

 どんな場面においてもエミヤシロウは踏み出し続けてきたのだ。

 そしてそれは、この戦いにおいても同じだった。

 

「昔って……何の事を言ってるの?」

 シロウの呟きを不振に思ったのか、怪訝な顔を浮かべるイリヤ。

 彼女は知らないのだ。今目の前にいるエミヤシロウが自身の常識では計ることの出来ない人間であるということを。

それがこの聖杯戦争において、そしてこの世界においてイレギュラーであるということを。

「知ってる……俺は戦う者じゃないことくらい」

 ポツリ。

 彼が呟く。彼は創る者だ。創り出し続け、それを使い続ける贋作者だ。

 

「知ってる……まだ俺には、俺たちには出来ることがある」

 彼の手には、そして彼女の手にしたその剣には圧倒的に不利なこの状況を覆すことの出来る“輝き”を有している。

 

「―――ッ! ァ……」

 どうにか黒の暴風を耐え続けていたセイバーであったが、ついにそれに吹き飛ばされてしまい、うめき声を上げる。

しかしその視線だけは決してバーサーカーから外れることはなかった。痛みに耐えながら逆転の一手を狙うその瞳の冴えは彼女の持つ聖剣と同じく、あまりに眩しいモノであった。

 瞬きの瞬間再度バーサーカーに肉薄し、剣を振るう。

 彼女は決して諦めてなどいない。シロウと同様に常に勝利を得るためにセイバーは剣を掲げ続ける。 

「……使え、セイバー!」

 その高潔な魂に、その揺るぎない彼女の闘志に答えるため、シロウは告げる。

 彼らにとっての最期の切り札の使用を。

「その剣の輝きを、星の燐光を俺に見せてくれ!」

 黒の瀑布を洗い流す、大いなる黄金の輝きを。

 

 自らのマスターの言葉に頷き、斧剣の進撃を正面から受け止め、渾身の力を持ってそれを押し返すセイバー。

 セイバーの反撃に上体を崩すバーサーカー。その隙を彼女は見逃さず、詰めていた間合いを一気に広げる。

 距離にしてバーサーカーの歩みで十数歩。彼女にとって、それを使うには十分な距離であった。

「えぇ。神の御子よ……これで、終わりにしよう!」

 刹那、セイバーの周囲を風が吹き抜けていく。

 否、彼女の周囲を吹き抜けていったのではない。それは彼女の手にした聖剣から解けているのだ。

それは彼女が自身の聖剣を収める鞘の一つ。そしてあまりに眩いその輝きを隠し通すための結界。

 その光を目にした者は言葉を失ってしまうだろう。それほどまでにその光は、その輝きは人々にとっての夢なのだ。

 その名は語るまでもない、アーサー王伝説を語る上で決して忘れることの出来ない聖剣。

 姿を見せたその聖剣の輝きに、相対していたバーサーカーは先程までの荒々しい様子を見せず、どこか理性を取り戻したかのように冷静にその輝きを見つめていた。

 彼は感じ取っているのだろう。その光を真正面から受けて、無事でいられる保証がないということを。

「……いいよ。お兄ちゃんが、シロウがそのつもりなら……」

 しかしその慎重なサーヴァントの思惑も、彼の主には伝わることはなかった。

「狂いなさい、バーサーカー!」

「■■■■■■■■――――!」

 その非情な宣告と共に、雄叫びを上げるバーサーカー。

 ついにその理性は完全に失われ、目の前の輝きを潰えるためにその巨躯を目でも捉えることの出来ない速度でセイバーに迫る。

 しかしバーサーカーから理性を奪い取るための時間が、否。彼自身がセイバーに間合いを取らせてしまった時点で、既に遅かったのだ。

 

「約束された(エクス)――――」

 朝を告げる光よりも眩い光。

 彼女の言葉に呼応するようそれらは、その手にあるあまりにも大きな光へと束ねられていく。

「ーー勝利の剣(カリバー)――――!!!」

「――――――■■■」

 

 巨躯が悲鳴を上げた刹那、その身体は光の波の中へと沈んでいく。

彼の後ろにあった生い茂る緑も、決して折れることはなかったであろう大木も、総てその光に飲み込まれ、跡形もなく消えていく。

 正に、人々の願いによって創り上げられた最強の幻想(ラスト・ファンタズム)、そのものであった。

 

「凄い……」

 光が終息していく。周囲が穏やかな朝の光が占める頃には聖剣の極光は形もなく、それによって引き起こされた土煙が立ち込めていた。

 その光を放ったセイバー自身も、自ら宝具を解放した疲れを隠すことも出来ず、音を立てて膝をつき、その場に踞ってしまう。

 その光景をシロウの口から零れたのは、そんなありふれた言葉だけだった。

 何度目にしても、その輝きになれることはない。

 何度も近くで見てきたからこそ、その脅威を実感している。

 シロウにとって、それはありきたりではあるが、心の底からの感嘆の言葉だったのである。

そしてそれは隣で同じ光景を見ていたイリヤも同様であった。

 

「流石は……伝説に名高いアーサーの剣と言ったところかしら」

 素直な感嘆の言葉を述べる彼女の瞳は、その土煙を見つめる。

 そこには一切の怯えもなく、少したりとも動揺は見せなかった。

 何かを確信しているようなその冷めた瞳は、一つの事実を物語っていたのだ。

「でも……ダメだった」

 そう。土煙の向こうにそれはあった。自身の身体の大半を消し飛ばされてもなお、自らの呪いによって自らの身体を修復させている。

 

 バーサーカーの姿がそこにはあった。

 

 

ーinterlude outー

 

 

 煙の中に立つその巨躯を目にし、身震いを抑えきれなかった。

 今までに感じたことのない恐怖。

どんな修羅場でも感じることのなかった本当の恐怖を俺は感じているんだ。

「足りなかった……ということですか」

 膝をつくセイバーが唖然とした表情を見せながら、巨躯に視線を送る。

 神話の英雄であったとしても、聖剣の光をその身に受ければ倒せぬ者などいない。

彼女自身も間違いなくそう考えていたはずだ。

 しかし事実として鉛色の皮膚は、厳めしい腕は刃を交えていた時のように再生していっている。

 

「結果だけ見ればそうかもしれないわね」

 冷静に、バーサーカーの様子を見つめながら淡々と話し続けるイリヤ。

 彼女にとって約束された勝利の剣(エクスカリバー)の威力は、想像以上のものだったのだろう。

しかし予想以上であったといっても、彼女の従者を完全に殺しきれる者ではないという確信を持っていたのだ。

「十分な魔力量は備わっていた。あんな光をまともに受けたんだもの。それでもバーサーカーの十二の試練(ゴッド・ハンド)の総てを越えることは出来なかった」

「――――■■■■■■■■■■■■■■!」

 雄叫びがあがる。

 戦いを始めた時と同じ、何も変わらない姿でそれは立っていた。しかし確実にダメージは与えたはずだ。表面的には外傷を修復したにすぎない。肝心なことは、セイバーの宝具で何度バーサーカーを殺すことが出来たかが重要だった。

 慎重にイリヤの言葉を待ちながら、頭の中にある拳銃の撃鉄を引き上げる。

「……彼の魂のストックは三つだけみたいだけど」

 三つ。つまり約束された勝利の剣(エクスカリバー)は九回、あの巨躯を討ち滅ぼしたことになる。

「何て、デタラメだ……」

 何度も目にしても思う。

 デタラメな英霊だと。流石は神様にまで登り詰めた戦士だと。

 なんという威力の宝具なのかと。それを繰る彼女も紛うことなき強者なのだと。

「三回、三回あれば十分よ。ねぇ、そうよね。バーサーカー?」

「………………」

 その沈黙がバーサーカーのイリヤの声に対する答えだった。

 斧剣は最早彼の下にはない。ならばその拳で戦わんとばかりにバーサーカーは拳を握り、一歩セイバーへと近づく。

「万策尽きた……か。しかし、私は騎士としてこの剣を振るい続ける。来なさい、神の御子よ!」

 剣の切っ先をバーサーカーに向け、鋭い視線を彼に向ける。

「――セイバー!」

 そうだ。彼女の言葉通り、諦めてはいけない。セイバーに戦う意志がある限り、俺の手の内にまだ黄金の輝きを創り出す力がある限り、まだ負けた訳ではない。

 まずは膝をつくセイバーを救わなければならない。

 その決意を胸に、俺はようやく自分の中の撃鉄を降ろした。

 

 しかし俺の決心よりも早く、イリヤの声はバーサーカーの耳へと届いていた。

「早くその裏切り者を殺して……お兄ちゃんに絶望を与えて!」

「次の一撃で仕留めて!わたしを、お母様を裏切った報いを、その騎士王に!」

 

 セイバーを見つめていた、理性を取り戻していた瞳が再び狂気の色に染まっていく。

「これで終わりよ! やっちゃえ、バーサーカー」

「■■■■■■■■■!」

 

「ッ!――――――――――」

 初動が遅れた。

 しかし、それでも大丈夫だ。

 もう何度も何度も心に描いてきた。

 その理想も、骨子も、材質も、技術も、そしてそれらを繰るための経験とその武器に蓄積された年月の再現も。

 俺は何度も自分の心の中に描きながら、この手に創り出してきたのだ。

 

「間に―――あえぇぇえ!」

 いや、間に合う。

 既にこの手には黄金の剣がある。

この力を持ってすれば、三度狂戦士を殺すことなど雑作もない。だからこそ、まずはこの衝撃からセイバーを守れ。話はそこからだ。

 彼女とバーサーカーの間に立ち、予想もし得ない衝撃に耐えるために手にした剣を掲げそれを待つ。 

 

 しかしどうゆうことだろうか。

どれだけ待っても衝撃は俺に見舞われることはなかった。

 

 

「……え? 何、それ?」

 

 そこには黒い影が立っていた。

 

想像もしなかった。もう関わらないのだと本当に思っていた少女が。

 

 桜の、桜の姿がそこにはあった。

「おはようございます。ご無沙汰してます先輩……」

 

 いつもの、俺を起こしに来てくれる時のあの優しい笑顔を浮かべながら。



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それぞれの思惑、困惑

 

 

ーinterludeー

 

 彼はニヤリと口元を歪めていた。

 薄明かりの灯る地下室の中、手にしたグラスに注がれたワインをユラユラと揺らしながら、彼は酷く嬉しそうに微笑んでいた。気分が良いのだろう。テーブルの上には既に彼によって飲み干されたのであろうボトルが所狭しと、背の高さを競い合うように並べられている。

 そう。自らの手駒が伝えるその風景を想像するだけで、彼の中の仄暗い感情が沸々と音をたてて湧き上がるように感じていたのだろう。

「まさかこのような事態になるとは……」

 彼にとってこの現状は喜ぶべき好機なのである。そしてそれは彼が自らの手で引き起こしたものであった。

 あの少女の悲しみと憎しみが綯い交ぜになった表情を目にした時、彼の中には確信めいたモノがあった。

自分と同じに……寧ろ自分以上の闇を抱えている。そして彼女の心はとうの昔に粉々に砕け散っているのだと。

 ならば彼女が、自分と同じ黒に染まってしまえばどうなるのだろうか。この世の総ての憎悪をその身に宿したのならばどうなるのであろうか。

 そう思い至った瞬間、彼は自らの協力者をけしかけ、彼女の闇を引き出すための駒としたのだ。

 無論、結果は上出来と呼べるモノであった。

煩わしいと感じてすらいた自分の友人の最期の表情。身も震えるほどの高揚が彼の中を駆け巡っていったということは言うまでもない。

 彼にとって、『愉悦』のためであるならば、十年前に自らをその道に引き摺り込んだ彼の英雄の安否など、捨て置いてもいいような些細な事だったのだ。

「あぁ。しかし面白い方向に傾いたではないか」

 グイとグラスを呷り、中身を空にする。続けざまに瓶を傾け少しずつ、少しずつ透明のグラスの中にワインを注ぎ込んでいく。

 彼は思う。彼女の心の内は今どれだけ染まってしまったのだろうかと。

否、元々彼女の抱えた闇がどれだけ表出しているのであろうかと。

「この世全ての悪の味はどうかね……間桐桜よ」

 嬉々としながら彼はそう告げ、グラスに口を付ける。これから起こるであろう惨事を心待ちにするかのような表情を浮かべて。

「我が愉悦のために……」

 そう。言峰綺礼は誰よりも、この状況を楽しんでいる。

「いや、君自身がこの世全ての悪となってくれれば何より面白いではないか」

 彼らに訪れるであろう悲劇を、まるで喜劇として見る観客のように。

 

「しかしマキリめ……まさか自ら聖杯を用意するとは、最早肉体だけではなくその魂までも物の怪と化してしまったということか」

 

 

 

 

 

「どうなってるのよ!? 黙ってないで報告しなさい、アーチャー!」

 朝露に濡れる木々の合間を駆け抜けていく少女、遠坂凛は声を荒げながら自らの従者に問いかける。しかし自分の声を聞いているはずの従者からの返答はなく、ただただ自分の土を蹴る音、そして乱れ始めた息だけが周囲に木霊していた。

 エミヤシロウとイリヤとの邂逅から数日、その期間常にアーチャーにシロウを監視させていた凛は二人の戦いに気づき、自らもその場に赴いていた。

言うまでもなく、どちらか一方に加勢するためなどではない。以前自分の従者に語った『自分の信念を曲げてでも、勝つことに拘る』という言葉を達成する、ただそれを為すために彼女は死地へと足を運んだのである。

 そのためにアーチャーを先行させ様子を窺うように指示を出していたのだが、目も眩むようなほどの光が空を走り、地鳴りと共に何もかもを薙ぎ倒していくような轟音が響いたのを最後に、従者からの報告が途絶えてしまったのである。

その状況を捨て置くことも出来ず、凛は単身アインツベルンの森を走る抜けながら、アーチャーを呼び続けていたのだ。

「アーチャー、答えなさい! 衛宮君とアインツベルンはどうなったの? 戦いはどうなってるのよ」

 後数分もすれば二人の英雄が剣戟を繰り広げているだろう所まで来た時、幾度目かになる呼びかけを彼女は送った。

「聞こえているか、マスター」

 最早その目で状況を見定めようと半ば諦めかけていたとき、彼女の頭の中にその声が響いたのである。

「ーーッ! アンタ、一体何をしてたのよ! 何で私の声に答えないの!?」

「マスター、私への不満なら後で聞こう。しかし今はそんなことを言っている場合ではないぞ」

「何よ、一体何のことを言ってるのよ!」

 自らの従者の確かな気配を感じながら、声を荒げる凛。

アーチャーが無事であったことに内心胸を撫で下ろしたのだろう、気が抜けてしまったのかその声は周囲に響き渡る。

 自分の失態に口を抑えながら周囲を窺う凛を余所に、アーチャーは淡々とその言葉を紡いでいく。

「凛、君はここには来ない方が良い」

「アンタ! この期に及んで何を言ってるの!?」

「そうか、止めはしない。その光景を見て、何を思うのかは君次第だ」

「何なのよ、どんな戦いになってても覚悟は出来てるって言ったじゃない」

 そう。彼女は既に覚悟できていたのだ。

 アインツベルンの手駒はヘラクレス。そしてセイバーを従えるエミヤシロウの実力の一端を彼女は充分と言えるほどに体感していた。

だからこそどんな状況であったとしても、どちらが傷付いていようと、全力を以て殺し尽くす。

 歩みだそうとした刹那、けたたましい雄叫びが森中に響き渡り、離れた場所にいるはずの彼女に纏わり付く大気を揺らしていく。

 ビクリ。凛の身体が一瞬震え、その歩みを思わず止めてしまう。

どれだけ口で覚悟の固さを語ろうとも、やはり彼女は実戦の経験の少ない魔術師。物怖じしてしまい、このまま逃げて帰ろうとしまうことも当然と言えるかもしれない。

 しかしそれは『普通の魔術師』であればの場合である。

「何してるのよ遠坂凛。せめて戦いに赴く時くらいは、優雅に踏み出しなさいよ」

 そう呟き、彼女はようやく一歩踏み出した。

一歩、そしてまた一歩。足を進めるたびにその足音から怯えが消え、いつもと変わらぬ優雅な響きへと変わっていく。

 そう。その対応力こそが彼女の強みなのだ。

「いやに静かだけど……どうなってるの?」

 凛の言葉通り、バーサーカーが放った咆哮を後に、戦いの音は彼女の耳に届いてこない。既に決着が着いてしまったのだろうか。あの雄叫びから数分も経過しないうちにセイバーが破れるとは考えにくい。自分の中に渦巻く疑念を払うために、彼女は急ぎ足になりながらその場に急ぐ。自分を死の淵に落としかねない戦場へと。

「……アーチャー、答えて。これ、どうゆうこと?」

 しかし凛の覚悟は、その場で繰り広げられていた全く予想し得ない状況にあっさりと砕け散ってしまう。

名の通り、凛とした響きが弱々しい困惑したものに変わっていく。

「君の目にした通りだよ」

「いや、でも……おかしいわよ。何であの子が」

 その場には少女がいた。

 アインツベルンの名を冠す銀髪の少女ではない。

 金砂の髪を揺らす騎士王でもない。

 

 そう。そこにいたのは黒に染まってしまった少女。

いつも遠くから見ていた、見守っていたはずの少女。

血の繋がった実の妹、間桐桜がそこにいた。いつもと変わらないかわいらしい姿のまま。

 

 しかしその身を取り巻く力は、目に見えて異質なモノであった。

 総てのモノを染め抜いてしまう黒。

 総てを喰らい尽くしてしまう絶望。

 それはまるで『闇』のようであると凛には感じられた。

 

 予想もしていなかったのだ。まさかこの戦いの場に桜がいるという事を。

 考えもしていなかったのだ。桜が聖杯戦争に巻き込まれているなどということは。

 

 そしてその桜がバーサーカーの進撃を悠然と食い止めているなどという事を、予想など出来ようはずもなかったのだ。

 

「そうだ。あそこにいるのは間桐桜……いや、訂正しよう。アレはかつて“間桐桜”と呼ばれていた化け物だ」

「ーーアンタ! あの子になんてことを!」

「凛、君なら一瞥すれば彼女がそんな状態に陥っているのかは理解出来るはずだ。素直に有りの侭を認めたまえ」

 アーチャーの放った言葉に一度は激昂しながら食い掛かる凛であったが、彼が続けて零した言葉に冷静さを取り戻し、もう一度その光景に視線を移す。

 

「……桜、どうしたのよ。アンタ、何でそんなに……」

 荒れ狂う鉛の巨人を、笑顔を浮かべながら制圧する少女の姿を。

 

 

ーinterlude outー



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思惑、策謀

 

ーinterludeー

 

「ーー化け物、か。我ながら的を射た言葉ではあるな」

 自分の口にした言葉に納得したように頷きながら、アーチャーは凛を見つめていた。

視線の先にある彼女の表情はお世辞にも優雅と呼ぶ事は出来ない。年相応に取り乱す少女と何ら変わりないものであった。

 確かに彼自身も、目の前の光景を簡単に許容する事は出来なかった。

ただバーサーカーとセイバーの戦い、そして桜が現れた一部始終を目にしたからこそ、彼自身もそれを受け入れる事が出来たのだ。

 実体を顕しながら、主人の横に並び立つアーチャー。眼前で繰り広げられるおかしな光景にもう一度視線を送り、再度主人の方へと向き直る。

 彼女から目を離したのは数秒の間だっただろうか。その数秒の間に遠坂凛の瞳は普段の冷静な色を取り戻していた。

流石は一流と豪語するだけの事はあると感心するアーチャーに、凛は淡々と言葉を投げる。

「どうゆう状況なのよ、早く説明しなさいよ……」

「あぁ。見ての通り、と言いたい所なのだがね……それではこの状況は理解できないだろうからきちんと説明しようではないか」

 嘆息しながらここまでの状況を、要点をおさえながら説明するアーチャー。それを黙って聞きながらこの後の状況を必死に予測しているのだろう。コロコロと表情を変えながら彼の話をジッと聞き続けていた。

「ーーと、バーサーカーが衛宮士郎……に止めをさそうとした時彼女が、間桐桜が現れたのだ」

 自分自身も全く気が付かなかったと付け足しながら、言葉を締めくくる彼の表情はどこか苦々しいものになっていた。

 彼自身言葉で説明する中で、改めて理解したのだ。

今、“衛宮士郎の殻の被った”得体の知れない魔術師は、どうしようもなく自分と同質のモノであるという事。何をしてでも、どんなに卑劣な手を使ってでも殺さねばならない存在であるという事を。

 そしてバーサーカーを悠々と止める間桐桜も同様に殺さねばならない。

アレを生かしていてはいけない。彼は『抑止の守護者』として、そう考え至っていた。

「しかし……一体どうゆう訳なんだろうな。その考えよりも、私の中で声高に主張するものがあるではないか」

 そう。殲滅しなければならない者がいる。今すぐにでもそれを実行しなければならないはずなのに、彼は一つの欲求に抗えずにいた。

「ーー何か言った? とりあえずアンタの話が正しければ、後バーサーカーは三回殺せば消えるって事で間違いないのね」

「その通りだ。あの巨躯を後三回……というのはなかなかに骨が折れるものではあるがね」

「でも、“出来ない”とは言わないのね」

「勿論だ。バーサーカーを、そして疲弊したセイバーすらも諸共に抹殺してみせよう」

「……ならあの馬鹿な子を早くどこかに逃がして、サーヴァントを打ち倒しなさい」

 彼女が口にした『馬鹿な子を逃がす』と言う言葉に、改めてこの少女が非情になりきれていないのだなと溜め息をつきながら、頷くアーチャー。

 しかしその甘さも彼にとっては計算の内であった。

 そう。凛が桜を犠牲にする事はないだろうと彼は考えていたのだ。まだ桜の現状を何も掴めていない状態で、排除ではなく逃がすという答えを出すのは当然であるのかもしれない。

それがたとえ、明らかに間桐桜が人外に身を窶していたとしても、肉親である彼女はそれを簡単に認める事が出来なかった。

「……承知した」

 そう口にし黒塗りの弓を掌に顕す。

 それはバーサーカーを討つためかエミヤシロウを殺すためなのか、その答えを知るのはただ一人、アーチャーだけであった。

 

 

 

 

 

 彼女がそれを目にし、最初に感じたのは困惑であった。

 自らのマスターの手の中に顕われたのは、一振りの剣。

決して現代には存在する事はない、そしてかつて自らの行いで永遠に失われてしまったはずの黄金の剣。

 その瞬間彼女の頭の中で渦巻き続けてきた疑問というなの靄が、一層濃くなるような感覚に陥っていた。

 

 夢に見た、あの光景の意味。

 焼け焦げた大地に立ち並ぶ剣の葬列。

 聖杯に刃を向ける自分自身の姿。

 そして鉛の巨人を前に、失われたはずの剣を手に立ちはだかった自らのマスター。

 

 それら総てを鑑み、彼女が導きだした答えはあまりに馬鹿げたものであった。そんな事を認めてしまっては聖杯戦争の総てを否定する事になる。あまりに滑稽なものになってしまうのだ。

 魔力不足に震える身体を必死に制しながら必死に自分の置かれた状態を振り返る。

彼女の振り下ろした約束された勝利の剣(エクスカリバー)は不十分ではあるが、鉛の巨人を討ち滅ぼした。後数回、後数回その命を奪う事が出来れば最大の敵から勝利をこの手にすることが出来る。しかし彼女の今の現状では、最早先程の威力を上回るであろう宝具の攻撃を打ち出す事は出来ない。それら総てを鑑み、やはりこの戦いで勝利を得るという事は不可能であろうと彼女が想像するのは容易かった。

しかしその場で諦めてしまっては、彼女の『騎士』としての誇りを傷付けてしまう。だからこそ剣を掲げ、彼女は顔を上げたのだ。

 この戦いで敗北したとしても、最期の時は堂々と誇り高き騎士で在らんがために。

「しかし……なんなのだ、この状況は」

 目に入ってくるのは、剣を携えるマスター、枷に囚われ雄叫びをあげ暴れ狂う神の御子。そして彼の英雄の進軍を止める、数日前に共に時間を過ごした少女の姿。

 少女との時間は、少なからずセイバーの張りつめた心中を和らげた事は言うまでもない。それはシロウと同様にセイバーにとっても、間桐桜という少女が平穏の象徴であることを意味していた。

 しかし今の間桐桜の姿は平穏などという言葉からは程遠い。

正に非日常そのものであり、そして騎士として打倒すべき者であると彼女は直感していた。

「サクラ……一体何者なのだ?」

 考えが纏まらないままに吐き出した言葉に受取手はいない。

否、その状況に巻き込まれた人全てが間桐桜というイレギュラーの登場に困惑し、自らの思考が纏まっていないのだ。

 息を整えながら正面をキッと睨みつけるセイバー。

 視線の先には彼女を守るために巨人に立ちはだかったのであろう、彼女自信のマスターの背中。

「シロウ、こうなる事も分かっていたのか……」

 

 その呟きを最後に、彼女は自らの中の困惑を消し去ろうと再び剣を正眼の構えをとる。

 そう。今は間桐桜の事など、マスターの事など気にする事などない。

ただ勝利を、聖杯を手にするために彼女は剣を握っているのだ。

そのためならば、何も厭う事などない。その決意をもって、今騎士王はこの戦いに挑んでいるのだ。

 

「そう。全ては我が宿願のためだけに……私は剣を振るうだけだ」

 

 

 

 

 

「あの若造め、わしの玩具にここまで手を入れるとはな彼奴もあれから自分の中のモノを肥え太らせてきたという事か」

 口から吐き出すのは、異臭にも似た下卑た言葉の数々。

 アインツベルンの森で英霊たちの戦いが繰り広げられていた最中、卑しく笑みを見せていた神父同様に離れた場所からそれを見つめる人物がもう一人いた。

あまりに暗い蟲蔵の中、その背景と完全に同化したようにその老人は嬉々としてその場に佇んでいた。

「わしの下準備があったからこそのこの出来ではあるが……確かに、最後の一押しをしたのはあの神父という事は事実。その点は不満が残るが、わしには手の下しようがなかったというのも事実ではあるか」

 戦場に立った間桐桜にとって、その人物は最早人ではない。

彼にどんな言葉を吐きかけられたとしても、どんな凄惨な責め苦を与えられたとしても、最早何も感じる事はない。

 だからこそ彼は少女を野放しにした。勿論、自分から逃げ出す事が出来ないように少女の中に枷を作った。

 それに囚われた中で人と触れ合う希望を知り、そして裏切られることでそれ以上に絶望を知っていけば、より彼女は完成される。たとえ大成しなかったとしても、彼女の女性としての優秀さは間桐の家にとって大いに価値のあるものであった。

 そう。間桐桜にエミヤシロウを監視させていた理由はそこにあった。

 蟲蔵に放り込まれて以降、桜が初めて興味を示した人間。彼にとってエミヤシロウは何を目的として行動しているのかは分からなかったが、彼を桜に監視させ、その中でシロウに希望と絶望を与えられれば、彼にとってそれは一石二鳥の事であったのだ。

結果、間桐桜の完成は早まり、彼にとって心を躍らせるほどの楽しみが増えたのだから、そのきっかけを作った言峰綺礼、そしてエミヤシロウに皮肉のような感謝の念を浮かべていた。

「直にわしが舞台に登る時じゃろう」

 そう。これ以上舞台裏で状況を見守る必要はない。

 カツン。

 ゆっくりと腰掛けた椅子から立ち上がり遠くのドアを、彼にとっては疎ましい光の射す方へと歩き始める。

確かにその足取りは頼りないものだった。しかしその頼りなさは不気味さと同義であった。

 どれほどの時間がかかったであろう。

 ようやく蟲蔵と外界を妨げるドアの前まで歩を進め、ノブに手をかける。

「いやはや、これも全て貴様のお陰じゃ。小僧よ」

 最後にそう言い残し、ついにそれは開け放たれる。

 この発端から狂っていた聖杯戦争の終わりの物語を語る最後の人物が。

 

 間桐臓硯は酷く嬉しそうに、その光の中へと身を投じて行った。

 

「桜よ、自らの中にある闇を大いに膨らませ……苦しみ足掻くその声をもう一度わしに聞かせてくれ」

 

 

 

ーinterlude outー

 

 

 

 



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信じられない光景

 

 身体に響く衝撃はない。

 手に握る剣の重厚さだけが、巨人の拳が振り落とされたなかった事実をありありと指し示していた。

 あの勢い、そして雄叫びをあげていたバーサーカーが止まってしまうなどあり得ないはずだ。だと言うのに、俺の打ち壊すほどの衝撃は襲ってくることはない。

「なん、でだ……」

 衝撃に耐えるために瞼を固く閉じていたため、すぐに周囲の状況を確認する事は出来ない。ただうめき声を上げるバーサーカーと苦しそうに息をするセイバー、そしてどういう訳か今にも泣き出しそうに声を漏らすイリヤの声を聞くに、誰も予想していないような状態であるという事は明白だった。

 脳裏にこの状況を目にしたくないという弱気な考えが過っていく。

 あぁ。何度こんな風に回り道をするのか。今この手に握る剣の輝きを曇らせるような思考はもう捨て去れ。

 こんな弱気が、こんな怯えがどれだけ自分を取り巻く状況を悪化させてきたのだ。

「ーー逃げるな」

 一喝、弱々しい自分に対し、言い聞かせるように吐き出す。

「逃げるなよ、エミヤシロウ……」

 もう一度、せめてこの剣を握った時だけは、迷わないように。

 ゆっくりと瞳を開ける。

瞳を開け、この手に掲げた剣を一気に振り下ろせば、それでこの戦いは終わる。そのはずだったのだ。

そう決意したはずだったのに……。

「ーーフフフ」

「何で、だよ」

「おはようございます、ご無沙汰してます先輩」

「何でお前が……」

「何でって、おかしな事言わないでください」

 巨人の後方、いつものように可愛らしく笑顔を浮かべながら彼女は立っていた。

「わたしが、あなたを迎えに来るのは……いつもの日課じゃないですか、衛宮先輩」

 そこには可愛らしくも怪しく笑う少女の姿があった。

 何故だろう。何も厭わないと決めていたはずだったのだ。どんな犠牲を払っても、この剣を振り下ろすと覚悟していたはずだったのだ。

しかし手にしていたはずの黄金の輝きは、知らず知らずの内に零れ落ち、重々しい音をたてたと同時に光のように消え去っていた。

 そう。そこには彼女が、間桐桜がいた。いつもと変わらぬ笑顔で、しかしあまりに深い闇を抱えて。

 その姿を目にした瞬間、自分の中の何かが叫んだ。

 アレは居てはいけない、存在してはいけないモノだと。

 アレは総てを滅ぼしてしまいかねない闇そのものであると。

 だからこそ再び勝利すべき黄金の剣(カリバーン)をこの手に創り、黄金の輝きをもってそれを打ち消すことが最善であると叫んでいる。

 

 “創れ!”

 出来ない。それは、バーサーカー諸共桜も殺してしまう事と同じ事だから。

 “お前は何者だ! お前の為すべきは一体何だ!”

 分かってる。俺が何者かという事くらい。でも……桜が目の前に居るのに、そんな事できるはずがない。

 “お前は、後ろに居る少女を守りたいのではなかったのか?”

 そうだ。俺は確かに、彼女を……セイバーを守りたいためだけに力を得てきた。

それだというのに、それでも俺は桜を切り捨てる事なんて出来ない。

 “直感しているはずだ。アレはこの世の悪意の総てを内包した存在だと”

 それでも……出来ない。

 切り捨てると決めていた、守る事が出来ないとハッキリ告げたはずの桜を、俺は傷付ける事が出来ないのだ。

 

「どきなさい、マスター! この好機を逃すべきではない!」

 ほんの数秒、身動きの取れないままに呆然としていた俺の後方から怒りを孕んだ言葉が投げつけられる。

それと同時にだらりと投げ出していた俺の腕を強引に引きながら、彼女は訝しげな表情を俺に向けていた。

「待て! お前、関係ない人間を巻き込むつもりか?」

「関係ないだと! 貴方の目は節穴か!? 何を見ているのだ!」

「彼女を、サクラを見て貴方は何も思わないのか!」

「それは……」

 そう。彼女に言われるまでもない。

 彼女は最早この戦いと関係のない人間なのではない。寧ろ人とは呼べないモノに成りかけているという事だって理解しているんだ。

俺の腕を掴むセイバーの手が少しずつ力を増していく度に、それを身に染みるほどに実感していく。

そして、俺の愚かしささえ。

 俺の煮え切らない態度に掴んでいた腕を乱暴に手放し、セイバーは一層鋭い瞳で俺を睨みつける。

そう。それは数日前、イリヤと会った後に向けられたものよりも更に鋭いものであった。

「やはり貴方は分かっていたのか……?」

「何が、何がだよ!」

 その言葉の意味を理解しながら、そんなとぼけた言葉を口にしていた。

「貴方は総てを見透かして、私を……この戦いに挑む全員を笑い者にしていたのだ!」

 彼女は気付いていたのだ。

俺が、エミヤシロウがこの聖杯戦争で起こりえる事を知っているという事を。

俺が、桜に対して必要以上に固執しているという事を。

「お前、何言って……」

 それでもこう口にしてしまう。決して気付かれはしないと思っていたから。

ただそう言い聞かせて、その事実に目を背けたまま。

こんなにも、もう後もないようなこんな状況であるにも関わらず。

「もういい! 貴方が手を下せないのなら、私が決着を付けるまでだ!」

 俺に向けられていた視線が、巨人の向こうに立つ少女に、桜に向けられる。

 俺の身体を押しのけ一歩、そしてもう一歩彼女はそれに近づき、剣の切っ先を彼女に向ける。その瞳に宿るのは必殺の誓い。そして人に仇なすモノに対する怒り。

 高潔であり、誇り高き騎士の王としての表情がそこにはあった。

「うるさいです……先輩が怖がってるじゃないですか」

 その視線に苛立ちを覚えたのか、黒に淀んだ鋭い瞳でセイバーを射抜かんとしていた。

 こんな事はおかしい。……いない、そう。どこにもいないのだ。

 自分のどの記憶の中を探っても、こんな表情をする桜は記憶の中にはいない。俺の聖杯戦争の中にはそんな事実は存在しないはずなのに。

しかし今目の前で繰り広げられているこの状態は紛れもない現実であり、そしてこれは愚かしい俺が引き起こしたものだという事だけが、否定することの出来ない答えだった。

 切っ先をそのままに、両の手で剣の柄を握りながら臨戦態勢に入るセイバー。

 陽の光はようやく寒空の中に、ようやく暖かな日差しを振りまき始めた頃合いだろうか。しかしその熱を、周囲の魔力を根刮ぎ奪い去っていくかのようにすら俺には感じられた。

 決して動く事はなく、互いの様子を窺い続ける。

「サクラ……最初に会った時にこうしておけば良かったのだ」

 深く息を吐き出しながら桜の隙を窺うセイバーの口から、ふと言葉が零れ落ちた。まるでそれは彼女自身も意図していなかったのであろう。

表情をみとめる事は出来なかったがその言葉の端々から、どこか動揺している様が感じ取れた。

「すいません、黙ってください……」

「少女を傷付けるなど、騎士の流儀に反するが……」

「黙ってくださいって言ったんですよ?」

「この剣の輝きに賭けて、私は闇を払おう」

「ねぇ……口を閉じてくれませんか? 煩いです……」

「見逃す事はしないぞ。貴女はこの場を、この戦いを混沌とさせる原因なのだから」

 淡々と言葉を紡いでいくセイバーを尻目に、彼女に声を聞く度に苛立ちを露にしていく桜。

 だがついに彼女の我慢は限界を超えたのだろう。

「ーー黙れって、言ったでしょ!」

 森に響き渡る刺々しい声。それは目の前の可憐な少女から放たれたとは思えないほどの喧しい響き。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 

 しかしそれを音すら可愛いものに思えてしまうほどの雄叫びが、直後俺たちを包む空気を侵していった。

 ドスン。

 それは音にしてしまえばあまりにチャチなものだったかもしれない。

 それは俺の言葉では語り得ない光景なのかもしれない。

 身を焦がされても、剣戟に刺し貫かれても不動であったはずのバーサーカーの突っ伏していた。その場に無惨にも倒れ込んでいたのだ。

 その場にいる全員が、その光景に言葉を発する事が出来なかった。

バーサーカーを捕らえていたはずの影は彼の巨躯を強引に締め上げ、その四肢をいとも容易く毟り取ってしまった。そしてそのまま、その肉の塊を吸い込んでしまったのだ。

あれほどまでに強大だったはずのバーサーカーが、こんなにもあっさりと地に伏し、文字通り転がされているなど、自分の眼を疑いたくなるほどのモノであった。

しかし事実、バーサーカーの身体は地に転がり、理由は分からないが再生される事なく呻き声をあげるだけであった。

 先程まで雄弁に語っていたはずのセイバーですら、その光景に何も言う事が出来ず、全員が固唾を飲んでそれを見守る中、悲鳴のような叫び声が木霊した。

「ーーっ! バーサーカー!」

 言うまでもなくその悲鳴は彼の主、イリヤのものであった。カタカタと身体を震わせながら、ただ彼の名前を呼ぶ事しか出来なかった。

「貴女も黙ってなさい。こんな下品な声を上げてのたうち回る事になりますよ?」

 しかしその悲痛の叫びも、今の桜の心に届く事はないのだろう。

冷淡な眼差しをイリヤに向けたまま、彼女はただ口元を歪めていた。

「ーー桜。お前、どうして……」

 そして俺の言葉も、受取手のないままに肌に刺す日差しの中に消えていく。

「これで最後です。 もう、わたしと先輩とのお話、邪魔しないでください」

 ただ俺の中にある後悔だけは、ありありと残したまま。

 

「あ、そうそう。そんな所じゃお話しも聞き辛いんじゃないですか」

  徐々に頭が回り始めなくなった頃、不意に桜がそんな言葉を口にする。言葉を投げ出した先は誰もいないはずの場所。

いや、そうではない。とっくに気が付いていたのだ。セイバーが戦う姿を見つめる俺の背中に突き刺さる鋭い視線を。明確な意志をもって向けられるその殺気を。

「ねぇ、姉さんも出てきたらどうですか?」

 大きな木々の影、華奢な少女が姿を現す。殺気を放つ男の主、きっと……いや確かに俺たちを闇討ちしようとその場に身を潜めていたのだろう。

 遠坂凛が不安に満ちた色を浮かべたまま、この戦場に姿を現したのだ。

「おはようございます、姉さん。ご機嫌いかがですか?」

 和やかに笑顔を浮かべる桜。

しかしそれを尻目に、朝日のあたる場所に踏み出した凛の表情はどこか苦々しいものであった。

「桜……一体何してんのよ」

 その苦々しい表情は変わり果ててしまった桜に対するものだったのか、それともこのおかしな状態に対するモノだったのか、それは俺には分からない。

でも、それでも桜の行動をどうする事も出来ない。 

「待ってください。今からお片づけするんで」

 それはまるで遊び尽くした玩具を片付ける、子供のような口調だった。

「な、何するつもりなの? ねぇ、何するのよ?」

 直感で理解できた。桜の為そうとしている事が。

それを認めたくないからだろう、イリヤは声を震わせながら、

「お掃除ですよ」

「この邪魔な肉の塊を、綺麗に」

「やだ! 殺さないで! バーサーカーを殺さないで!」

 冷ややかな視線を地に伏すバーサーカーに向けているのに気付いたのだろうか。茫然自失していたイリヤが大声を上げながら、桜に近づこうとする。

しかし次の一歩が進まない。ガクガクと彼女の膝は震え、思うように進む事が出来ないようであった。ただ彼女の表情から、涙目に成りながらも前進しようとするその表情から、イリヤがこの状況を決して許していないのだと言う事だけはハッキリ伝わってきた。

「五月蝿い子……なら貴女からでも……」

「ーーッ!……ヤダ。助けて……」

 しかし桜は彼女のそんな健気思いすら打ち砕かんと、冷徹にその言葉を投げかける。

その彼女の行為が、その表情が目障りだと言わんばかりに自らの闇の切っ先を向け、その力をイリヤに打ち出していた。

「ーー助けてよ、バーサーカー!」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 刹那、地に這いずりながら、雄叫びを上げながら自らの主と影の間に割り込むあまりにも大きな影。

いつの間に影の拘束から抜け出したのだろうか、四肢を捥がれたはずの巨体はまるで主を守るように総ての闇色の触手を受け止め、その身から夥しい血を振りまいていた。朝日に照らされても決して輝く事のない、あまりに赤々とした無惨な痕跡を残す。

「あら。本当に、ご主人様思いの飼い犬なんですね」

 不意に彼女の口から零れた言葉に、息を飲んでしまう。

 穏やかだった彼女から、そんな言葉が出る事が信じられなかった。

 星の編んだ聖剣の光に耐え切ったはずのバーサーカーの瞳から光が消え、桜の放った闇にその身が飲まれていく事が信じられなかった。

「やだ……バーサーカー……!」

 イリヤが口にしたこの言葉が俺の、この場にいる全員の気持ちを代弁していた。

「こんなつもりじゃなかったのになぁ。折角に玩具が壊しちゃったじゃないですか」

「バー……サー、カー? 嘘だよね、ねぇ嘘だよね?」

 バーサーカーの残した痕跡に手を触れながら、膝をつきその場にへたり込むイリヤ。

落としてしまった大事なものを探すようなその様はあまりに痛々しい。

「バーサーカー、消えちゃった……」

 その実感を身に感じた時、彼女の瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。

絶対の信頼をおいていた従者が敗れ去った。自分を守り、勝利へと導いてくれるはずの英雄がこんなにもアッサリと消し飛ばされてしまったのだ。

その事実を、こんな結末を迎えてしまった俺たちの約束の戦いを、きっと彼女はそう簡単に受け止める事は出来ないだろう。

 しかし泣き叫ぶイリヤなど構う事なく、バーサーカーを屠った少女は今日一番の笑顔を浮かべ、こちらを見つめる。

「さて、邪魔者は居なくなりました。さぁ衛宮先輩、お話の続きを……」

 そう呟き、こちらに手を差し伸べる桜。

 いつもの表情だ。いつもの、土蔵に俺を起こしにきてくれる時のあの優しい笑顔だ。それなのに、こんな笑顔が出来るのに、何故こんなにも残酷な事が出来るのか。

 そう思うと俺は彼女の手をとる事が出来ない。いや。今隙を見せてはいけないと本能が訴えているのだ。

 未だに姿を見せない”アイツ”に、これ以上隙を見せてはいけないと。

 

 

“ーーーI am the bone of my sword(我が骨子は捻れ狂う。)”

 

 

 そう。聞こえている。聞こえない訳がない。

 何をしようとしているかも分かる。そう。分からないはずもない。

 殺すのならば、

「セイバー、跳べ!」

「ーーっ、シロウ!」

 これ以上は何も叫ばず、俺は茫然と従者の痕跡に手を触れる少女の下へと駆け出していた。セイバーならば跳躍するだけで避ける事も出来るであろう衝撃も、自失してしまっているイリヤではそれは叶わない。

 そう思い至るのに、刹那の時もかかるはずはなかった。

 

 そしてそれは告げられる。

 死の宣告のように、総てを消し飛ばすために。

 

“ーーー偽・螺旋剣Ⅱ(カラドボルグ)”

 

「イリヤ!」

 寸での所でイリヤを抱きかかえ、迫り来る矢を見据える。

 桜の事、イリヤの事、そしてアーチャーの事……。総てが俺の中で混沌と渦巻いている。しかしそんな事を言い訳にして、イリヤを守れなかったなどと言いたくはない。

 そう。二度とこの子が死んでしまう所を俺は見たくない。

そしてアーチャーが俺の大事なものを奪うことなど、決して認めたくはない。いや認めてはいけないのだ。俺を殺すためにこの場の総てを犠牲にする事など、誤った考え方なのだから。

 

 どれくらいの時間を考えに費やしていたのだろう。

 秒にも満たぬ時間であったかもしれない。

 思考を止めず、イメージを描く。

 今この場を乗り切る最善のモノを創り上げる。

 生きなくては、殺されては何も出来ないのだから。

 

「是・熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!」

 手を掲げ、唯一俺が創り上げる事の出来る彼の盾をその手に顕す。

 展開される七枚の花弁は空を裂いて進む矢の魔力を正面から受け止め衝撃を殺す。だが四散していく衝撃と魔力は周囲の地面を乱暴に荒らし、土煙を上げ視界を奪っていく。

矢を放ったアーチャーの側からも同じ事なのかもしれないが、守る側であるこちらが圧倒的に不利である事は言うまでもない。次、同じように攻撃を受ければ防ぐ事は出来ない。

「ちょっと! アンタ、今のタイミングで何してるのよ!」

 しかし幸運にも、彼の主の存在がアーチャーの次の行動にストップをかけた。

「何を言っている? 今こそエミヤシロウとセイバー、そしてあの化け物を殺す絶好の機会ではないか」

「それでも、こんな事、私の流儀に反して……」

「プライドは捨てるのではなかったのか、我が主よ?」

「確かに……そう言ったけど、でも桜は関係ないでしょ!」

 アーチャーの放った矢によって巻き上げられた土煙によって、二人の表情を確認する事は出来ない、しかし困惑する遠坂と、そしてあわよくば俺諸共この場にいる全員を殺してしまおうとするアーチャーの意図だけは感じ取る事が出来た。

 だからこそ考えろ。今どうするべきなのかを。茫然とその場にへたり込むイリヤを守りながら、この二人の脅威から逃れる為に、どうするべきなのかを。

「何を言っている。現実を受け入れろ、マスター。アレは最早君の妹ではない」

 おそらくこの一撃でこの戦いが決する事はない。アーチャー自身もそれを理解している。桜が手負いになっておいれば、次に矛先を俺に向けるつもりなのだろう。 だからこそ今この身に感じる殺気が消える事がないのだ。

「あらら。こんな酷いことするなんて……野蛮なんですから」

徐々に視界も回復し、その姿をハッキリと見て取る事が出来るようになった。

しかしその姿を目にしなくても、充分に分かっていた。

 バーサーカーを倒した彼女の力を知っているから。

かつての俺の、自分自身の力を嫌という程理解しているから。

 間桐桜にこんなだまし討ちが通用する訳がないのだと。 

「まさか、無傷、だと……!」

「ーーフフフ、でもさすがに少し怒っちゃいました。悪い子には、お仕置きです」

 次の瞬間、赤い外套を着込んだ背から、黒の刃が突き立っていた。

口から、そして彼の胸からは身に付けた赤よりも赤い。アーチャの口から鮮血が零れ落ちていた。



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逃亡

 

 

「ーーなる、ほど。これは、恐れ入る」

 自らの胸に突き立てられた黒の刃に感嘆の言葉を漏らしながら、アーチャーは血を拭う事もせずただその事実を正面から受け止めていた。

ただその刃を放ったはずの桜だけが、その呆気ない現状に溜め息をつきながら、その光景を眺めていた。

「力加減、間違えちゃいました……」

 そう一言、つまらなさそうに呟き、伸ばした影をアーチャーから抜き去る。

夥しい血を吐き出しながら、その場に膝をつくアーチャー。一瞬、俺とアーチャの視線が絡み、すぐに外れてしまう。その瞳からは俺に対する怒りなのか、呆れなのか、どちらの感情も読み取る事の出来る色を湛えていた。

 セイバーと俺は魔力不足、そしてアーチャーも桜に痛手を負わされた現状では、これ以上戦う事は出来ない。

いや、もう俺の予測の範疇を超えた事態に陥っているのだ。一度この場から退避して体制を立て直す必要がある。

「ーーッ! アーチャー!」

「姉さんのサーヴァント、大した事ありませんね」

 動揺を隠し通す事も出来ず、大声を上げながらアーチャーの肩に手を伸ばす凛。

しかし桜の一言に怒りを覚えたのであろう、視線を再度桜に向けいらだちながら言葉を吐き出した。

「桜……こんな事して何になるのよ。何をしたいのよ、アンタは!」

「あれ? 姉さんまで煩くするんですか」

 凛同様、自らの姉に対して苛立ちをそのままにぶつける桜。

「お仕置き、しちゃいましょうか」

 彼女の言葉に同調するように、影の鋭い切っ先を凛に向けれる。

純粋な悪意、隠しようもない憤怒。負の感情がその狂気に宿り、自らの姉に向けられている。

 それを目にするだけで体力の尽き果てていたはずの身体に火がついたように、ブルブルと震え始める。

コレは怒りだ。桜に対するものではなく、不甲斐ない自分に対する怒りだ。

「桜! お前、何をしようとしてるか分かってんのか!」

「先輩、もうすぐ終わりますから……すぐに二人きりになりますから」

 違う、そんな言葉を聞きたいのではない。俺はただ、彼女にそんな表情をさせたくないだけなのだ。

 イリヤを腕に抱きながら、再び立ち上がり桜の前に立とうと試みる。

しかし立ち上がる俺の速度よりも早く、赤い外套を身に纏った腕がすっと伸び、静止を促される。

「……マスター、君は逃げたまえ」

 視線を俺に向けながら、アーチャーは自らの主に対して逃げる事を進言するアーチャー。しかし誰が考えても、その言葉は遠坂凛という人物をどこまでも傷付けるものであった。

「な、何言ってるの! 負け犬になれって言うの!?」

「その通りだ。今の君ではコレを倒せん」

 事実だけを述べ、血を振りまきながら再び立ち上がるアーチャー。それはいつか目にしたアイツの最期の姿にダブって見える。

そして凛もその言葉を否定する事は出来ないのだろう、ギリリと悔しそうに歯を噛み締めながら言葉を返せずにいた。

「セイバー……俺たちもだ」

 そしてアーチャーの言葉は俺にとってもまたと無いチャンスだった。

「……もう口を開くな。貴方の指図はもう受けない」

 緊張に顔を強ばらせながら、俺に対する言葉はあまりに冷たい。

騎士としてのプライドがそれを許さない事くらい、俺だって既に理解している。そして勝てないという事だって分かっているはずだ。その確信があるからこそ、このタイミングを逃してしまえば、彼女すらも俺は失ってしまう。

「状況を見ろ。こんなのどうしようもない」

 俺の言葉に首を縦に振らなければ、二画残す令呪を使ってでも彼女を退かさなくてはならない。

「あぁ、そこにいる臆病者の言う通りだ……」

 俺の考えを理解しているのだろう。不敵な笑みを浮かべながら、俺を見つめるアーチャー。おそらくアーチャーは俺の行動を利用して、何かを目論んでいるのだろう。

ならば体制を立て直すために、俺自身もコイツを利用するだけだ。

「ここは私に任せたまえ」

「アンタ……分かったわ。アーチャー、貴方を信じます、だから死なないで」

「ーーフ、誰に言っているのかね」

 皮肉を籠め、 ニヤリと嫌らしく アーチャーは告げる。

「このアーチャー、死ぬつもりなど毛頭ないさ。再び生きて君に会おう」

「エミヤシロウ、この森を出るまでで良い。必ず凛を守れ。それが、お前にかける最後の情けだ」

 そう。おそらくこの場から凛を逃がすまでの短い時間の共闘。俺たちにとって、それだけ遠坂凛と言う少女が大切であるという証拠だ。

 その言葉を耳にし、俺たちはそこから足早に立ち去ろうと足を動かし始める。

「姉さん、どこにいくつもですか? ねぇ、姉さん!」

「ーー待ちたまえ……」

 その言葉通り、逃げる俺たちを守るため、赤の守護者が立ちふさがる。

「君の相手は、私だよ」

 桜と俺たちの逃げる間に割って入りながら、アーチャーらしからぬ堂々とした立ち居振る舞いを見せる。それに違和感を感じながらも、今は出口に向かい足を動かし続けるしかない。

「ホント、邪魔なものばっかり。邪魔ばっかりして、馬鹿にして、無視して……」

「いくら力を持とうと、子供に変わりないか」

「煩い人、でも……何ででしょうか?」

 遠くから聞こえてくる桜の声が、苛立ちが少しずつ消えていくように穏やかになる。

 まるで普段と変わらぬ、優しい響きで彼女は赤の英霊に言葉を続けた。

「貴方の事、不思議と嫌いになれません」

「私は、そうではないのだがね」

「さぁ、始めよう……」

「もっとも、すぐに終わるとは思うがね」

 背後から聞こえるその淡々とした言葉まわしに違和感を感じ顔を少し元いた場所に向けながら進み続ける。 

 アーチャーは手に剣を投影していた。

しかしその手に顕われたのは、馴染みの夫婦剣ではなくいびつな形をした短剣であった。

 

 

ーinterludeー

 

 コレは取引だ。

 

 私には果たさねばならない目的がある。

 

 しかし、目の前の少女を捨て置く訳にもいかない。

 

 私は守護者だ。人類が窮地に陥った時にこそその役目を与えられる世界の傀儡だ。

 

 ならば何を為すべきなのか、答えは簡単だ。

 

 奴を殺してから、この少女を殺せないばいい。

 

 そのためなら、誰が主であろうが関係ない。

 

 何も厭う事はない。

 

「ーーマキリよ、取引を……取引をしたい」

 

 あぁ、今私は酷く傲慢な顔をしているだろう。

正義の味方であれば絶対にする事はない、正に悪役そのものの表情だ。

 

 ただ私は、おかしな望みを抱くかつての自分と、抱いていたはずの理想を、エミヤキリツグを穢し続ける今のエミヤシロウを許せないだけなのだ。

 

 エミヤシロウを殺せるのならば、私は……。

 

 

 卑怯者と後ろ指を指されても構わない。

 私は……悪鬼羅刹ともなろう。

 

 

ーinterlude outー



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得た答え 忘れようとしていた思い

 

ーinterludeー

 

 

 息が上がる。魔力が枯渇しかかっているからなのか、必死に苛立ちを収めているからだろうか。駆ける私にはそれに答えを出す事が、簡単に出来なかった。

 ただアーチャーに庇われる形でその場から逃げ出した。その事実だけはハッキリと私の中に横たわっている。

だからその行為を平然と飲み込んでしまった彼と、彼に従う事しか出来なかった自分に憤りを感じずにはいられなかった。

 騎士ならば、王ならば戦場から逃げ出す事などあってはならない。

 しかし直感してしまった。このままでは勝つ事は出来ないのだと。それほどに間桐桜という少女の抱える闇は大きく、この身体など簡単に飲み込んでしまうのだろうと予測出来たから。

 これは恥ずべき行為だ。それを受け入れ、ただ私は聖杯を獲る事を選ぼう。我が宿願は、やはり泥に塗れなければ叶える事は出来ないのだ。

 そう決意しながら視線を上げる。そこには私と神の御子の間に割って入った、我がマスターの姿。

 前を走る彼に、違和感を持たずにはいられなかった。

 

 しかし一つの答えを得た今、彼の行為全てに合点がいく。

 

 そう。彼は常に自分を試していた。

 私は目にしていない、騎兵との戦い。あの時血に濡れながらも満足げに顔を歪める彼の表情はどこか和やかだった。弓兵に戦いを挑んだ時、その姿は苛立ちながらもどこか狂喜に震えているとすら感じた。

 それはまるで、これまで積み上げてきたモノの全てをかけて、ただどれだけ追いついたのかを確認するためのようであった。

 これから起こりえる事の全てを知っているからこそ無謀な行動が出来るのだろうと、私は思った。

 それら全てが私のための行動なのだろうと、私を守るために自身がどれだけ強くなったのかを計るための行為なのだろうと、そんな烏滸がましい答えを得た瞬間あまりに彼が滑稽で、なんと女々しい男なのだろうと感じられた。

全てを知っているはずのこの男が、ただ一人の……この私に会うがためだけに戦いに望んだとするならば、騎士として私はこの男を天誅を下さねばならない。

 それは騎士としてではなく、一人の願いを持った人間として当然の行いであると信じているから。

 だからこそあの時声を荒げた。

自らの主を、私の誇りを傷付けた衛宮切嗣と同じものとして、侮蔑の目で睨みつけた。

 しかし今の彼はどうだ。

 敵であったはずの少女を抱きかかえる彼の腕は震えている。

 彼に感じる憤りのためか、最初は疲労から来るものであろうと考えていた。

だがそうではなかった。チラリと見えた彼の表情は動揺に顔を曇らせ、茫然自失としていたから。

 全てを知る者が、ここまで強大な力を有する邪悪を捨て置く訳がない。

むしろ正義感に満ちた彼ならば、すぐにでも周りに害をなす者は切り捨てるはずだ。短い期間しか接してこなかった私でも、彼のその面だけは理解しているし感心している。

 

 ならば何故彼は、間桐桜という少女を野放しにしていたのだろう。

 答えは簡単だ、あまりにあっけなく導きだせたその解に少し口元が歪んだ。

 

「シロウ、貴方の守りたいモノは私などではない……」

 そう。彼が本当に欲しているモノは私ではない。

 いや、変わってしまったと言い換えた方が正しいのかもしれない。

 確かに、夢の中の彼の心は私に向いていた。

 荒野を歩く彼の思いは、自らの信じた正義に満ち満ちていた。

しかし今は違うのだろう。おそらくそれにすら気が付いていないのだ。

 我が主がソレを見つめるときの瞳の色を、そしてどんな表情をしていたかを思い出せばすぐに分かる事ではないか。

 それほどまでに彼の日常を支えてきたその存在は、大きなものになっていたのだろう。

 

 あぁ、愚かしく……なんて自分勝手な男なのだろう。

 自らの思いにも気付かず、ただ闇雲に進んでいるだけなど、愚の骨頂ではないか。

 

 しかし、それは私も同じ事が言えるのではないのか。

ブリテンの運命を変えるためだけに泥に塗れる私も同じなのではないのか。

闇雲に進む姿は、嫌悪すら感じるほどに聖杯を求める私の思いと同じに感じられる。  

 

 本当は理解している。

 私が聖杯を得ようと歩くこの道は、国の永遠なる繁栄を望む王としては然るべき行為なのだろう。幾千の脅威から民を救い、那由他の絶望を退け続ける事は王として私が望んだモノであった。

 しかし、私の後に続く者たちにとっては、邪魔に他ならないものではないのか。

きっと私が死してから多くの人々がそれぞれの足で立ち上がり、そして私の記した失敗を糧により良き国を造っていったのではないのか。

 それを私が、アーサー王自らが守れなかったからという理由だけで、全てをなかった事にしていいはずなどありはしない。

 彼の苦悩する表情を目にし、私はそう思い始めていた。いや、思えばとうの昔に気が付いていたのかもしれない。

それは征服王と酒を飲み交わしていた時にはもう理解していたのかもしれない。

ただあまりに膨大な時間を、故国の救済のためだけに費やしてきた私はそれを忘れ去っていたのだ。

 

 しかしその考えが頭の片隅で擡げたとしても、救済を望まずにはいられい。

それを我が侭と知った今でも、それを捨てる事など出来ない。

 

 あぁ、相容れない。

 近しいからこそ、この男とはどうしようもなく相容れない。

 

 だが、今だけはこの男にこう告げよう。

 私と同じこの滑稽な男に、哀れみと同情を込めたこの一言を。

 

 

「貴方のそれは、既に近くに居たではないか」

 

 

ーinterlude outー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サイテーな男だぜ。

 

 折角のお膳立ても、心変わりで台無しにするなんてよ……。

 

 でも良いぜ、兄弟。

 

 お前のお陰で、起きなかったはずの俺が起きちまうんだ。

 

 精々今の状況を悔いなよ。

 

 

 

 それ以上の絶望を、俺が振りまいてやるからよ。



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守るべきモノ
夢 逃げ込んだ後


 

ーinterludeー

 

 もしもの話をしよう。

 

 例えば、あの場から逃げ出さなければ……間違いなく桜の闇に飲み込まれ、全てを失っていた。

例えば、黄金の剣を躊躇なく振り下ろしていれば……今感じている憤りが別のものにすげ変わり、変わる事のない痛みで胸を締め付けていたはずだ。

例えば、最初から彼女に、俺がこの聖杯戦争を二度経験している事を告げていれば……真摯に聖杯を求める者に対してあまりに無礼であると、斬り捨てられていただろう。

 

 そして俺の傍に最初から桜が居なければ……きっと俺はここまでこれなかった。強くなる事は出来なかった。

 そう。どれだけ『正義の味方になろう』と誓っても、『セイバーを守れる男になりたい』と望んでも、結局傍に誰かが居てくれなくては何も出来ない。

帰る事の出来る場所がなくては生きていく事は出来ない。

今ならば、いや今だからこそそれに気付く事が出来たのだ。

 

 それはかつて、俺が歩んできた意味を否定する事になるのかもしれない。

 味方もおらず、ただ信念を貫き通してきた自分を愚弄する事になるのだろう。

 決して始まりの思いを穢したい訳ではない。俺にとってそれはきちんと生きる意味として俺の中に根付いているのだから。

 

 それでも俺は、今のエミヤシロウは感じずにはいられないのだ。傍に居てくれた人たちの大きさと、その優しさを。

 

 親父、藤ねぇ、式さんと幹也さん、橙子さん……そして桜が、俺を支え続けてくれた。 盲目的に、走り続けていた俺の拠り所となってくれた。俺の最初の思いを間違いではないと、強く在れと言い聞かせてくれていた。

 すると次第にあれほどまでに大きかったセイバーに対する思いとは別に、違うもののために強くなろうとする自分がいた。

 

 そう。俺はこの戦いが始まる前には既に気付いていたんだ。

自分の中で何かが変わってしまった。優先すべき一人が、大事な一人が変わってしまった事に。セイバーではなく、身近にいた彼女を知らず知らずの内に一番に考えてしまっていた事を。

 だからこそ、彼女に『守れない』と告げたのだ。

自分の最初の気持ちを無為にしたくはない一心から、その事実から目を背け続けてきた。

しかし彼女が気にかからない日はなく、知らぬ間に彼女の事を考え続けていた。

 

 だからこそ、俺は今の状況を許容する事が出来ない。

 あんな桜を、俺の大事な人があんな風に悲しい顔をしながら笑う姿を目にしたくはない。

 

 何故こんな状況を回避する事が出来なかったんだろう。

きっと俺が何もしなくても、変わらずに傍に居続けてくれると思い込んでいたからだ。

 

 結局俺は多くの後悔を抱えて、結局何も為し得ていない事に絶望する。

 

 そんな俺を、エミヤシロウを笑う男たちが居るのだ。

 

 今確かに、ここにいる。

 

 俺と、同じ顔をした二人の男。

 かつての俺と、姿形のない何か。

 

 かつての俺は何も語らず、ただ俺をジッと見つめるだけ。

 この男の言いたい事なら分かる。それを分かっているから俺はお前に背を向けるんだ。間違いかもしれない、穢す事なのかも……いや現に穢し続けている。

それが分かっていても尚、俺は自分自身と対峙し続けなくてはならない。他のどんな事を譲ろうとも、この我が儘だけは貫き通さなくてはならない。

 

 ただ、意地を張っているだけなのかもしれないけれど。

 

 そしてもう一方、形容し難い影は俺に語りかけている。きっと何か大事な事をそれは告げているのだろう。

 

 しかしその声は俺の耳に届く事なく消え、紡がれてはまた消えていく。

 

 唯一一つだけ。

 ただ一言、ハッキリとその言葉だけは聞き取る事が出来た。

 

 意味の分からない言葉を忘却し、俺は覚醒を迎える。

 

 その言葉が、今の俺の成り立ちを意味する事とも知らずに。

 

 

 

 

 “この俺から、■■■■■から逃げられると思ってるのかよ……なぁ兄弟”

 

 

 

ーinterlude outー



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逃れようのない事実

 

 

「今の……何だよ。何が言いたかったんだ?」

 

 何度目になるのか、こんな惨めな思いをするのは。

無事に逃げ切れた事に対する安堵と、逃げる事しか出来なかった無力さが纏まらない考えを更に掻き乱していく。

 それでもただ、これから起こるであろうことは予想する事も出来ない……俺の知っている聖杯戦争はもう既に終わってしまったという事を意味していた。

 

 そう。俺は逃げ出したのだ。闇に堕ちた桜をそのままにして、アーチャーに庇われる形で。

一心不乱に走り続けた。この時だけは疲労など全く気にならず、ただ足を動かし続けたのだ。それが幸いしたのか、単に朝も早い時間帯だったからだろうか。森を抜け、道路に出ても他人とすれ違う事はなかった。

 ただ後ろから悔しそうに息を吐き出すセイバーと、自らのサーヴァントを死地に追いやってしまった凛に対して申し訳なく、俺は後ろを振り向く事が出来なかった。

腕に抱くイリヤの重さが、まるで俺の今までの決意の軽さを指し示しているようで、それから解放されたいがあまりに足を動かし続けるしかなかったのだ。

 結局、それ以外の事は覚えていない。

 衛宮邸に辿り着くとともに俺はイリヤを休めるために部屋に入り、二人に何も言わないまま過ごしてしまった。

 気が付くと明るい色を放っていたはずの陽の光は、部屋に翳りを大きくつくっていた。

知らないうちに眠りに落ちていたのだろう。朝の逃亡劇から時計の短針は優に一周している。

 俺たちが逃げ出した後、アーチャーと桜は一体どうなったのか。

 俺が何も言わないままに放置してしまったセイバーと遠坂は今どうしているのか。

眠りすぎたせいかぼんやりしてしまっている頭を必死に動かしながら、寝かせていた身体を動かしていく。

 身体……問題ない。異常のある箇所は見受けられない。疲労のすべてが解消された訳ではないが、これならば数時間でベストのコンディションにする事が出来る。

 魔術……これも問題ない。俺に内包されたあの荒野にあるものであれば、頭に思い描くだけで再現し尽くす事が出来る。

 思考。いや、語るべくもない。これについては何も纏まっていない。今から起こる事にどう対処するべきかも、一体自分が何を求めているのかすら俺は答えを出せずにいるのだから。全く、我ながら呆れ果ててしまう事ではあるが。

「でもさ、こんなバカなヤツでも……この子を生かしてここに連れてくる事が出来たよ」

 そう。唯一誇れる事が在るとすればそれは俺の隣で寝息をたてるこの少女を、この部屋まで連れて来れた事くらいだ。

気付けばこんなに長時間この部屋に居たのは、幹也さんたちと出会って以来だなとそんな事を思い浮かべながら、静かに眠る少女の前髪に触れる。

絹のように滑らかに、サラリと指の間を通り抜けていく髪の手触りは、かつて触れたときと何も変わらない。そうして俺は実感する事が出来た。聖杯戦争など……戦いなどを抜きにして、ようやく彼女と語り合う事が出来るのだと。

 ただ、最初に彼にだけはこう告げておかないと思う。

クルリと部屋の奥に目を向け、その場に飾られた写真立てに視線を送る。そこには一人の男性の姿。この部屋の、この家の本来の主の姿がそこにはあった。

「親父、連れてきたよ。イリヤを……アンタの娘を」

 その写真から言葉が返ってくる事などない。もう既にこのようには居ない人に、俺はただ自己満足のためだけにこの言葉を発しただけなのだ。

だから俺に権利などない。親父が居ない事に涙する権利も、この子を連れてきた事を誇る権利も俺には在りはしないのだ。

「ハハハ……なんで、何で泣いてんだよ……」

 そう思いながら目線を下に落とすと、俺の座す畳の上には点々と水滴の跡がハッキリ残っていた。

「ホント、何でこんな弱いんだよ。なんで、こんなにも……」

 それからどれくらいの時間を過ごしたのか分からない。気が付いた時には、陰っていたはずの陽の光はその顔を沈め、部屋に闇が広がっていた。

 俺は泣いた。権利がないと口にしながら、俺は涙を流した。

理由は分からない。それでも流れ出るそれをせき止める事が出来ずただ身を任せ、俺は泣き続けた。

 

 

 

 

「ーー衛宮くん、起きてる?」

 自然と涙が引きボンヤリと天井を眺めていると、部屋の外から声をかけてくる影があった。その声を聞けば誰であるのかはすぐに分かり、一気に俺を現実に引き戻されてしまった。

そう。先送りにしていたツケを払わなくてはならない。

「……あぁ、すまない。今外に出る」

 その声に返事をしながらその場を立ち、部屋と廊下を分つ障子に手をかける。この戸を開けてしまえば穏やかに自分に悔いる時間が終わってしまう。

それでも俺たちに迫る緊迫した状況を鑑みれば、そんな事を言ってはいられない。俺を包むこの穏やかな空気に後ろ髪を引かれながら、障子を横に引き外界との隔たり取り去った。

「長いお休みだったわね」

 シャッと鳴る障子の音に被るように、顔を見て開口一番皮肉を口にする影。

言葉には刺があるが、表情はどこかうかない様子の遠坂凛がそこにはいた。

「すまなかった。ここに連れてきて放っといて」

「いいわよ。あんな戦いの後だもの。それに……」

「どうした? 何かあったのか」

「えぇ、話しておいた方が良いわね。これからのためにも……結果だけ言うわ。多分アンタはもう予想できていると思うけど」

 うかない表情、曖昧になりがちな言葉尻。それらを見れば簡単に彼女が言おうとしている事は予測出来る。

「パスが、切れたのか?」

「お察しの通りよ。夕方頃かな……アーチャーとのパスが完全に切れたわ。つまり私はサーヴァントを失って、聖杯を獲る術がなくなったってこと」

 月が顔を出してきたのだろう。冴える月明かりが彼女の顔に影をつくり、俺の位置からでは彼女がどんな表情をしているのかを見て取る事が出来ない。ただ何かを言葉にしなくてはいけない。

 ブルブルと何かに震える手を後頭部へ持っていき、頭を掻く素振りを見せながら言葉を探す。

「そうか。その、すまなかった」

 口から零れたのは謝罪の言葉。

 彼女の性格を考えるのならば、本来ならば別の言葉を口にするべきだったのだ。

「あら。好い気味だってくらい言ってくれると思ったのに」

 予想に反し、クスクスと声を殺しながら笑う遠坂。顔を上げ、優し気な笑顔を浮かべる彼女を目にし、どこか胸を撫で下ろす自分がいた。

本当ならば、俺が彼女を励ますような言葉をかけなくてはいけなかったのに。

 何度も何度も、俺はこの少女に助けられて、どうにか自分を保つ事が出来ている。

 全く、どれだけ時間が経っても、どんな経験をしても遠坂だけには勝てる気がしない。

「そんな事言わないさ。アイツが居なけりゃ……俺が言いたい事分かるだろ? それにこれからどうするかって事も話さなきゃならない」

「勿論よ。だからこそアンタが起きてくるのを待ってたんじゃない。もう聖杯がどうこうって次元を、私たち魔術師だけの問題じゃなくなってるのよ。あの子を、桜を止めないといけないんだから」

 もう聖杯を求めて戦うなどと言っていられる場合ではなくなっているのだ。

柳洞寺を襲撃したのも桜だとすれば、最早これは聖杯戦争に関わるもの全員で彼女を止める必要がある。しかし、その止める術が問題なのだ。

「桜を……止めるか」

 一言、遠坂には聞こえないように言葉を紡ぐ。

 桜を止める。その為に何が一番最善であるのか、既に答えは出ていた。

「とりあえずセイバーも待ってるわ」

 遠坂に言われるがままに、俺は足を動かす。

だがどうしてもその足取りは重く、これから向かう場所に行く事を本能的に拒否している。

 

 そう。桜を止める事、それはつまり桜を殺さなくてはいけない事と同義だったのだから。

 

 

 ほどなく俺たちは道場の前まで来ていた。あぁ、ここまで来てしまえば誰がそこに待っているのかは分かってしまう。

 出来るなら、今晩だけは彼女の顔を見たくはなかった。

彼女に対する申し訳なさと、そして彼女から向けられる憎悪に耐える事が出来ないだろうと思えたから。

 しかし俺のそんな考えなど知る由もなく、躊躇なく入り口の戸に手をかける。

「待たせたわね、セイバー」

「いえ、私も状況を整理するのに時間は必要でしたから」

 ガラガラと建て付けの悪くなった戸を引くと同時に遠坂が中に居る人物に声をかけた。

そこにはセイバーが、普段と変わらぬ精悍な顔つきのまま座していた。ゆっくりと瞳を開けるその仕草はさまに剣の達人のそれと同じように、どんなに落ち着いた様子でも全く隙を感じることはなかった。

「セイバー、体調はどうだ?」

「……えぇ、どうも」

 しかし俺が声をかけた途端、その表情は怒りや呆れを内包した言い表せないものに変わってしまった。

やはり昨夜からの一連の行動で、俺の信用は再び地に落ちてしまったのだろう。

だがそうなってしまったものは仕方がない。俺が知る一番の死地を乗り越える事が出来た事が何よりの僥倖であったと、強引に納得しながら俺はその場に口を噤んで座った。

「じゃぁとりあえず今後の話をするわね。現状をキチンと確認して対策を練るわよ。もう一刻の猶予もないんだから」

 俺とセイバーの雰囲気を察したのか、嘆息しながらも話を進めようと俺と同じようにその場に座す遠坂。

「待ちなさい、リン。貴女はサーヴァントを失った今でもこの戦いに臨むつもりなのか? 最早貴女には聖杯を得る術などないのですよ?」

 遠坂がその場に座るのと同時に、セイバーが声を上げた。それは聖杯戦争に関わる者であれば至極当然に考える事だろう。それにしても、全く警戒もなく会話が出来る事を考えると、俺がイリヤの傍にいる間に二人は色々な事を語ったのだろう。

敵であるはずの二人が、短時間でこれだけ語らえるようになったのは、やはりこの二人はパートナーとして最高の相性をしているに他ならない。

「ーーえぇ。自分でもそれくらい分かってるわ。確かに聖杯は獲れない……でも、それ以上に私にはやらないといけない事が出来たのよ」

「サクラ、ですか?」

「ーーそうよ。あの子をどうにかしたいのよ。こんなの間違ってるわ」

 その言葉のどこにも偽りはなかった。ただ桜をどうにかしなければならない、その思いだけははっきりと伝わってきた。

「分かった。俺も今の桜をそのままにはしておけない」

「そう言ってもらえると助かるわ……で、先にアンタに聞いておかないといけない事があるわ」

 その言葉を口にしながら、俺に視線を向ける遠坂の瞳は今までにないほどに鋭い。

「何だ、桜の事協力するって言ってるだろ?」

「アンタ、桜をどう止めるつもりなの?」

「止めるって、説得して……」

 また現実的ではない言葉が口をつく。

説得をするなど理想論であると分かっているのに、咄嗟に口をついたのはその言葉だった。

「ーーまだそんな事を言っているのか、貴方は」

 曖昧な言葉に喝を入れるように、セイバーは俺に向けて怒号をあえg、座した板張りの床に拳を打ち付ける。

最早俺に対する遠慮はどこにもなくあの時、桜との戦いの場から逃げ出した時と同じ冷ややかな瞳が向けられていた。

「ほとほと貴方には愛想が尽きました。この期に及んでまだそんな世迷い言を口にする事が出来るとは!」

「じゃぁなんだ! セイバーは桜を殺しても良いって言うのか?」

「その通りだ」

「お、お前……本気なのか?」

 今剣を手にしていればそれに誓って、騎士としての役目を全うしてみせようと言葉を付け足しながら、彼女は冷たい瞳のままに俺に言い放つ。

それはいつまでも決めきれない俺に対する叱責。共に戦う者にそんな弱々しい者はいらないと彼女は暗に告げているのだろう。

「衛宮くん、もう甘い事を言ってられないって気付いてるんでしょ?」

「分かって、るさ……あぁそうだよ。もうバーサーカーがあんなやられ方をしたんだ。もうこんな甘い事を言ってられない事くらい分かってる」

「ならばその力を持って、あの闇を斬る事が出来るのか?」

 二人の視線が俺に集まる。この口から最早嘘を語る事は許されない。

「あぁ……そう、だな。でも遠坂……お前はどうなんだ?」

 それでも、その事実を口に出す事が出来ない。

 そうして自分への追求から逃れる為、俺は遠坂へと矛先を向けてしまった。

 俺などよりも複雑な思いに駆られているであろう、彼女に。

「ーー躊躇わないわよ。それにあの子もこちらを殺すつもりでいるしね」

 しかし俺の浅はかな考えなどで彼女の覚悟を計れるはずはなかった。俺などよりも遠坂は桜の事を考えている。

事実平然と言葉を紡いでいるが、彼女の手は何かに耐えるように握り込まれ今にも血が滲みだすのではないかと思えるほどに力強く、 ブルブルと震わせていた。

「姉妹でも、姉妹だからこそ止めてあげないといけないのよ」

 その覚悟に何も言葉に出来なかった。

 その強さに、その儚い決意に俺はこれ以上自分の嘘を言葉に出来なかったのだ。

 セイバーも同様にその覚悟に感じ入るものがあったのだろう、コクリと頷きながら何も語らないままだった。

 知らず知らずの内に誰も話さなくなり沈黙が、気まずい雰囲気が三人を包み込んでいく。

「……さて、じゃぁ話の続きをしたいんだけど」

 その気まずさに堪え兼ねたのか、遠坂は話を進めようと再び口を開く。

しかしその遠坂の言葉を止めながら、立ち上がるセイバー。

「待ってください、先に私からも聞かねばならないことがある」

 その言葉からは先まであった苛立ちはない。ただそこには殺気が、今にも俺を斬り殺さんとする殺気があった。

「……手早く済ませなさいよ」

 セイバーのそのただならぬ雰囲気に何かを感じ取ったのか、その場を立ち去っていく遠坂。

 そして彼女は俺を見下ろしながら言葉を紡ぐ。

 月明かりが道場の中を照らす。

かつて俺たちが出会った時と同じようにあまりに静かに。

しかしかつてのような凛々しい瞳はそこにはない。失望と怒りに満ちた瞳を湛えたまま、セイバーはゆっくりと口を開いた。

「聞きたい事は一つだけだ。我がマスター、エミヤシロウに問い質したい事がある。貴方は、全てを知っていたのではないのか?」

「知ってるって、一体何の事だよ?」

 身震いが止まらない。彼女の言う事の意味が理解出来ない訳では決してない。しかしそれを認める訳にはいかない。

「敢えてその口を閉ざすのか? 知らぬ振りをするのか?」

「分からないから聞いたまでだ。曖昧なままにしているのはどっちだ?」

 強気に言葉を吐き出し、それ以上の追求を回避しようと立ち上がりながら鋭い視線を彼女に向ける。

「ーーならば言おう。エミヤシロウ、貴方は聖杯戦争の行く末を知っているのではないのか?」

 その言葉はまるで頭を殴られたような衝撃が俺を揺さぶる。

 鋭く彼女に向けていた瞳も、力強く立っていたはずの足も、自分でも分かるほどに弱々しくなっていく。ただあまりに真摯なセイバーの瞳をもう真っ直ぐに見る事が出来ない。

 彼女が突きつけたものは、それほどまでに俺を揺さぶっていた。

「貴方はリンのサーヴァントの、あのアーチャーと同じ存在であったのではないのか?」

 何時だ。何時その事実に気が付いたんだ。

 橙子さんにすら気付かれなかったその事実を、出会って数日しか経っていないはずの彼女が何故それに気が付く事が出来たのか。

 冷静になればその理由は簡単に思い浮かぶ。かつての俺も、夢の中でセイバーの過去を目にした事があるように、今回は彼女にそれが垣間見えてしまったのだろう。

 ならば平然と、当然のように納得の言葉をあげれば良い。

「セイバー、お前……」

 しかし吐き出した言葉は意味もないものだった。

決して気付かれないと思い込んでいたのだ。いつかその事実を話そうとただそう思っていた。しかし彼女はその事実に気付き、今俺を糾弾しようと言葉を紡ぐ。

 その苛立ちも、その怒りも誰もが思う当然のことだった。

 

「エミヤシロウ……貴方は、かつてこの聖杯戦争を戦った記憶を持っているのでしょう。そして、全てを知りながら我々を嘲笑っていたのではないのか!?」

 

 ただ静かに月の光は揺らめいていた。ありありとその事実を指し示しながら。



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真実

 

 

 

 

「どうなのだ、エミヤシロウ。最早我が問いに答えることが出来ないなどとは言うまいな!」

 月の光に照らされるその瞳は鋭く、ただ明確な意志を告げる。身体が強ばり、胸を打つ鼓動は速度を上げながら俺を追い立て続けていた。

彼女の言葉通り、俺はもうはぐらかす事は出来ないのだろう。

「いつ、一体いつ気付いたんだ?」

 それでも身勝手なこの口はその追求から逃れようと言葉を吐き出す。

「疑い始めたのは貴方がアーチャーと相対していた時だ」

 俺の態度に嘆息しながら虚ろに空へと視線を移し、彼女は語る。

夢に見た、剣突き立つ荒野を歩く一人の男、そして聖杯に刃を振り下ろした後、幸福に満たされた表情を浮かべていた自らのことを。

 その荒野を歩く男を、彼女は羨ましいと言った。

確かに荒野に並び立つ剣は総て贋作、その創造主でさえ偽物だと言わんばかりに存在感を示していた。しかし彼が歩く道には何の偽りもなかった。彼自身の心から顕われた願いではなく、他者から受け継がれたものではあったが、その道を歩き切ったその男は誉め称えるべきだと彼女は言った。

 そして聖剣を振り下ろした夢の中の彼女自身について。

 それは今の彼女にとっては理解の出来ないものだったのだろう。

騎士として、それは恥ずべき行為であると彼女は語った。

それは俺の記憶の中にある、彼女の最期の柔らかな笑顔だった。俺が守りたいと思った、きっとかつての俺がこの道を歩み始める切欠となった笑顔だったのだ。

 そう。知らないうちに、俺の根幹となる情景をセイバーは夢を通して垣間みていたのだろう。かつての俺が目にしたように、偽る事の出来ない夢の中で。

「そして、それが確証に変わったのはバーサーカーとの戦いで貴方が創ってみせた、失われたはずの我が剣を目にした時だ」

「そこまで気付いてるのか」

 それらの情報だけでこの結論に達した彼女の洞察力は、やはり凄まじいの一言だった。

「えぇ、だからこそ貴方の口から聞かねばならない。貴方が何を為す為に行動しようとしているのかを」

 努めて冷静に言葉を吐き出しながら、しかし瞳は冷ややかなままにセイバーは俺に詰め寄る。何度俺に対する不審を口にしながらも、やはり騎士として剣を捧げた相手に対する最後の義理がそこにはあるのだろう。

「そこまで気付いてるのなら……」

 答えを見つけながら最後は語らせようとするその態度が俺を苛つかせた。美徳であるはずの、俺が惹かれたはずのその実直さが、俺をどうしようもなく駆り立てるのだ。

 

「俺が語る言葉に、意味はあるのか」

 そう。これも口にしてはならない言葉だ。

「ーー意味、だと?」

 刹那、セイバーの表情はより深い怒りに染まりながら、先程から戦慄いていたその手が俺の胸ぐらを掴み上げる。

「貴方……いや、貴様は一体何を見ているのだ? 何を為したいのだ? 貴様の判断が、貴様の総てがこの状況を招いていると何故分からないのだ!」

 辛辣な言葉を吐きかけながら、徐々に俺の胸ぐらを掴む力は強さを増していく。それほど俺の言葉は、態度は彼女を苛立たせていたのだろう。

しかし苛立っているのは、俺も同様だった。

「じゃぁお前に何が分かる!」

「分かるはずもないだろう! 何も語らず、信頼せよと一方的に押し付ける貴様の何を理解せよというのだ!」

 胸ぐらを掴む彼女の手を振り払い、数歩セイバーとの距離を取る。

 本能のままに言葉をぶつけ合い、互いに抱える憎悪すらも曝け出していく。

そうだ。決して綺麗なままで互いを認め合う事などできない。負の部分を見せつけ合い、許容出来る部分を見つける事が最も大事なことであったのだ。

 そう。彼女の振りかざす刃物に似た言葉に俺は気付かされた。

 俺が見ていたのは、記憶の中にあるセイバーだったのだと。

 何を語らずとも十分に絆を結ぶ事が出来ていると思っていたのは、俺の身勝手な妄想に他ならなかった。当たり前だ。彼女の言う通り、この聖杯戦争でセイバーと出会ってから、俺は彼女に対して何の真実も語ってこなかったのだから。そんな彼女に信頼してくれなど、あまりに烏滸がまし過ぎる。

「お前に……ただ俺はお前を……」

 彼女を睨みつけていたはずの瞳は自分でも分かるほどに弱々しくなり、逆に真っ直ぐにこちらを見つめる彼女の視線があまりに痛い。彼女から視線を足下へと落としながらポツリと呟く。

 

 刹那、視界の隅に月明かりに照らされた白の軌跡が目に入る。

それに気付いた時に、パンと乾いた音に続いてジンジンと弱々しくはあるが確かな衝撃は俺の頬を走っていく。痛みはさほど鋭いものではない。ただ叩かれた衝撃が身体全体に広がっていくような奇妙な感覚があった。

叩かれた。普段の彼女からは想像も出来ないほどに弱々しい力で、ただ頬に手を当てられた程度の衝撃。

その弱々しさと予想もしていなかった事に、逸らしていた視線を思わずセイバーへと戻す。

 視線の先には勿論セイバーの冷えきった表情。しかしその瞳は冷ややかという言葉だけでは言い表す事が出来ない。

 ただその瞳の色を、俺はかつて何度も目にした事がある。

「シロウ、いつまで目を背けるのだ」

 そうだ。何度も目にしてきたではないか。

 俺に正義の意味を教えてくれた人が最期に向けてくれた笑顔と、あの悲し気な瞳の色と同じではないか。

「目を、背けている?」

 そうだ。疾っくに気付いていたのだ。

 それは式さんが、俺の弱さをありありと示した時に瞳に宿していた狂気の裏に隠されたいたものと同じではないか。

「えぇ、貴方は確かに強いのだろう。そして私が知らぬ経験をしてきたのだろう。しかし貴方には絶望的なまでに揺らいでいるものがある」

 どの場面でも、俺は“それ”が足りなかった。

恩人に、式さんと幹也さんに気付かされたというのに、再びこの泥沼とも言える状態へと足を踏み入れてしまっている。

 そう。俺の中で揺らぎ続けているもの、それは……。

「それは『貴方自身の思い』だ」

「俺の、思い? それこそ、お前に何が分かるんだよ」

「分かりはしない。しかし私は……いえ、私自身も揺らいでいた。妄信とも呼べるものに取り憑かれていたのだから」

 淡々とした口調でセイバーは語りながら、虚空に目をやり遠い記憶に思いを馳せるようであった。彼女の思惑を計る事は出来ない。しかしつい先程までの怒りに満ちた表情が不思議とその色を隠し、どこか優し気なものへと変わっていた。

 いや、そんな事があるがはずがない。彼女が俺に慈しみの感情を抱く事など、もう決してないはずなのだ。

「だからこそ、私には分かるのだ。貴方と私は似ているのだと。あまりに滑稽に願いを胸に秘め、未だにその理想に到達出来ていない。過去を変える事が出来ないと知りながら、足掻かずにはいられない道化なのだから」

 

 そんなセイバーの、彼女が言うはずもない言葉を聞いたからだろうか。

 もう見る事が出来ないと思っていたはずのその表情を目にしたからだろうか。自然と、俺の口からはその言葉が零れていた。

 この戦いに臨む者、誰しもが認める事をしないその事実と、俺がこの繰り返しの聖杯戦争を何を思って戦ってきたのかを。

 

 

 

 

 

「俺はかつて、サーヴァントとして聖杯戦争に参加していた……なんて言ったらお前はどう思う?」

 

 

 

 



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認められぬまま

 

 

「ーーアーチャーだった? 何度も聖杯戦争を経験している? そんなバカみたいな話、信じられる訳じゃない……認められる訳ないじゃない」

 道場から聞こえてくるその声に納得する事が出来ず、小さく舌打ちする。おおよそ優雅とは言う事の出来ない所作。きっとお父様が今の私を目にしたら、酷く不愉快な表情を見せる事は必死だ。

 セイバーと衛宮君。二人の神妙な雰囲気に、さすがに桜の話を続ける事が出来ないと判断した私は一人中庭に出て月を眺めていた。

 冷え渡る空気が私を包む。そして冴える月明かりが私を、この大地を余す事なく照らし続けている。柔らかな光を振りまきながら短い時間ではあるが、この大地を照らすその様は正に夜の支配者と言っても過言ないのではないのだろうか。

きっとそんな妄言もきっと疲れているせいだと頭をコツンと叩き、弱い考えを忘却する。

ただ一つだけ、この遠坂凛が自信をもって言う事が出来るのは、この季節の月の輝きを私は心から愛しているという事くらいだろう。月の見頃は秋だと人は言う。この国の過去の文学者も、秋に見る月こそ面白いと記している。

 でも私はこの季節の、冴え過ぎた空気の中にあるこの月明かりが好きなのだ。

 魔術師故の、夜との親和性の為だろうか。道場の中から聞こえてきた声に混乱していたはずの頭は既に整然とし、その声を素直に納得する事が出来た。

「そうね……納得出来る場面はたくさんあった。それにアイツのおかしな態度も……そう判断するには充分過ぎる材料が揃ってたじゃない」

 そう。初めてサーヴァントを用いて衛宮君と対峙した時から自分のサーヴァントがおかしな態度を取っている事には気が付いてた。

ただ気に入らないだけだろうと見過ごしていたが、今になってみれば彼の行動は憎悪に塗れたものであったように思う。

 しかしそれならば何故桜と対峙した際に私たちを逃がすような真似をしたのだろうか。自らは消滅してしまう事も必至の場面で、まるで態と衛宮君を逃がすような素振りをアーチャーは見せた。

それだけが、どうしても私には分からなかった。

「折角のサーヴァントだったのに、アイツの事……何も理解してなかったのね」

 既に私の右手から失われてしまった紋様の在ったであろう場所に目を向ける。

私がマスターであった証明が無きものになったことをそれはありありと示していた。そんな自分を嘲笑いながらもう幾度目になるだろう、天に君臨する月を見上げる。

私の繰り広げる喜劇を楽しんでいるのだろうか、更にその輝きを更に強いものにしていく。

「ホント、皮肉ったらしいったらないわね……」

 そんな言葉を吐き出したとき、視界の隅に人影が映った。ハッとしながらその人影を正面から捉えようと、私は視線をそれに向ける。

 数日前、彼女と初めて会った時もそれを感じた。

 まるでそれは絵本の中から飛び出してきた妖精のようで。神秘的で、幼いながらもどこか優雅な雰囲気。あんな出会い方でなければ愛でる対象になる事は必至なのだが、今はその気持ちをグッと押し止めよう。

 私は……遠坂凛は魔術師なのだ。そして聖杯を奪取せんとしていた者の一人。

そして彼女は私と同じく……聖杯戦争を始めた御三家の一つから送り込まれた者。

「ーーイリヤスフィール・フォン……アインツベルン」

 辿々しい足取りで縁側からこちらに歩を進める少女はキョロキョロと周囲を見渡しながら何かを探すような素振りを見せる。

おかしい。声をかけた私と、イリヤスフィールとの距離はそこまで離れたものではない。一瞥くれるだけですぐに見つける事が出来るはずなのに、彼女にはそれが出来ないようであった。

「ちょっと、無視するつもりなの?」

 思わずこちらに振り向かせようと、態と刺のある声を発してしまう。

 その声にようやく私の居場所を見つけたのだろうか、私の方を見ながら歩くその姿はやはり覚束無い。何より私の事を見ているはずのその瞳は、私に合っていないようにすら感じられたのだ。

 まさか本当に私の事が見えていないのだろうか。

「ねぇ、そこに……そこにシロウはいる?」

 どうにか私の傍に息を切らしながら辿り着き、吐き出すようにそう口にするイリヤスフィール。フラフラと私に寄りかかりながら発したその声を耳にし、ようやく確信を得た。

「アンタ……見えてないの?」

「……えぇ。もうぼんやりと、しか見えないわ」

 言葉の通り、彼女の瞳はどこを捉えるでもなく虚空を彷徨っている。私の身に付けた赤を手がかりにようやく私の傍まで来たのだろうと考えながら、彼女から視線を外す。

 言葉にならない。その弱々しい声があまりに惨めで。

 あまりに痛々しい。光を奪われながら、必死に衛宮君を探そうとするその姿が。

 それが私が今のイリヤスフィールの姿を目にした素直な感想だった。

「ーーシロウ、シロウがいないの……あの時は一緒にいたのに……ねぇリン。シロウはどこにいるの?」

 あの時、きっとバーサーカーが桜に消し飛ばされた時の事を言っているのだろう。確かにあの時まではイリヤスフィールは意識を保っていた。

バーサーカーが消滅してしまった今だからこそ彼女の支えとなるもの、彼女が欲しているものは衛宮君だけなのだろう。だからこそ身体を震わせながらも、彼を手探りででも探しているのだ。

「衛宮君なら今セイバーと話しているわ。もう少しだけ待ちなさい。今だけは二人で話をさせないと」

「何で! イリヤはシロウの傍に居たいの! そうじゃないと……」

 衛宮君の声が耳に入ったのだろうか、道場の方へと顔を向けながら安堵に満ちた表情を浮かべたイリヤスフィールが私の言葉に声を荒げる。

 しかし不思議と彼女から感じる殺気を、私は怖いとは思わなかった。

いや、思えなかったという方が正しいのかもしれない。確かに彼女は危険な魔術師なのかもしれない。事実、数日前に公園で会った際に私はイリヤスフィールに対して少なからず恐怖心を抱いた。

 しかし今の彼女はどうだ。

 その表情は私に対する苛立ちに満ちているというのに、私の腕に必死に掴み掛かっているというのに、こんなにもイリヤスフィールを弱々しく感じてしまう。それが自分のように思えてしまった。

 そしてきっとこんな私たちのやり取りを知らないからだろう。道場の中から聞こえるその声は、無慈悲に私の腕の中で暴れるイリヤスフィールを追いつめる。

懺悔に似たその響きは、ただ淡々と口籠もったまま私たちの耳に入る。

 

“俺は知ってた……この聖杯戦争がどうなるかも。イリヤが……あの子が聖杯の器になるってことも”

 

「なんで? なんでそんな事も知ってるの? なんで、そんな事まで……」

 衛宮君のその声を聞いた途端、イリヤスフィールの震えが止む。その違和感に思わず彼女の顔を覗き込んだ瞬間、私は絶句してしまった。

 最初の出会いから今まで彼女の様々な表情を目にした。

 喜び、狂気、怒り、嘆き、悲しみ。

 だが今の彼女には何の色も無い。ただ鼓膜を揺らしたその音が、彼女の予想もしなかったものだったという事だけは彼女を抱く私にはハッキリ分かった。

 刹那、彼女の身体から力が抜け、その場にへたり込んでしまう。

「ちょ、ちょっと! イリヤスフィール!」

 彼女を支える腕に力を籠め、倒れ込むその身体を受け止める。

力なく倒れた人間の身体は存外に重量があると耳にした事があったのだが、彼女の身体は月並みではあるが羽のように軽い。

その一言に衝撃を受けたのだろう。私の呼びかけに彼女は答えず、薄らと閉じられた目から一筋の涙が零れ、頬を伝っていった。

「シロウ……シロ、ウ」

 そしてうわ言のように吐き出したその言葉は、心から衛宮君を求めたものなのだろう。気付いてはいたのだ。殺すと口にしながら、どこまでもこの子は衛宮君に依存していたのだろう。

「ーー辛いわよね、こんな事しかしてあげられないけど……」

「お父様……お母様……」

「今は、少しだけでも寝ておきなさい」

 

「 バーサー、カー……まで、わたしを置いていく……」

 その言葉を最後に彼女は声を発さなくなった。

 静かに寝息をたてながら自らの意識を停止させてしまった彼女に、最早私にはかけられる言葉が見つからなかった。

ここまで自分自身に負担をかけながらこの戦いに臨んでいた彼女に同情しながらも、仕方がないと溜め息をつきながら、私はイリヤスフィールを抱きかかえ、縁側へと向かい歩き始めた。

 ふとゆったりと風が流れ、私の髪を揺らす。

 この風が流れていくように、時は刻一刻と過ぎていく。もう足踏みをしている事は出来ない。だからこそ今頭上に輝く月が顔を隠した時には、私は動き出さなければならないのだ。

「ホント、訳分かんない……でも、私がやらないといけない事だけは、ハッキリ分かるわ」

 そうだ。目の前にここまで自らを犠牲にする女の子がいるのだ。

私だって、この戦いに参加する権利を失ってしまったからといって、何もしない事など出来ない。

「アーチャーがいなくても私は……マスターだとか冬木の管理者(セカンドオーナー)だとか、そんなの関係ない」

 そう。それは……私が私であるとい事を示す為に。

「私が、遠坂凛だからこそ桜を……自分の妹を止めないといけないのよ」

 この世に一人だけの、大切な妹にあんな残酷な事を続けさせる訳にはいかないのだ。

 

 

ーinterlude outー

 

 

 



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語るべき真実 晒される弱さ

 休む事なく、俺は話し続けた。

おそらく会話と呼べるものではなかっただろう。

自らの心中を吐露するだけの愚かな行為でしかなかっただろう。

ただ吐き出す言葉を止める事は出来ず、溢れ出したこれまでの思いを塞き止める事が出、おれはただただ口を動かし続けていた。

 俺の原初の願い、俺が過ごしてきた数年間の出来事。そして俺が聖杯戦争を止める事もせずにただ力だけを欲してきた理由を、俺は初めてセイバーに話す事が出来た。はぐらかし続けた総てを、彼女にようやく伝えたのだ。

「自分が為してきた事に間違いがないと教えられたのに、あっさりそれすら捨て去って今俺はこうしている」

 それはまるで自分を嘲笑うような言葉だった。

かつての俺に教えられた事を守り通す事もせずに、ただ全く違う生き方をしてきた自分に対する嘲りだった。

「滑稽な話じゃないか。正義の味方になろうとしていたヤツが、それまでの全部をなかった事にして一人を守りたいだなんてさ」

「……なるほど。それが私であったということですか。そしてそれが、貴方が自らを試すように英霊に相対していた理由であり、起こりえるであろう事実から目を背けながら戦いに臨んでいた訳なのですね」

 黙って俺の言葉を受け止め続けていたセイバーが静かに口を開きながら、俺が逃げ続けていた事実を突きつける。表情を変えず、冷静なまま語るその口調からは何の感情も感じ取る事は出来ない。

そればかりか俺がこの事を話し始めるまでに発していた殺気すら、彼女の中から消え去っているようですらあった。

「そうなるな。ただ知っていた所で何も出来ない。何度繰り返した所でこんな俺じゃ結果は変わらないんだ」

 それが自らが繰り返してきたこの数年間を顧みた時に最初に浮かんだ言葉だった。

「イリヤの事も、アーチャーの事も最初から全部分かっていたんだ。全部上手くやれると思ってた。それでも結局お前を誤解させてしまって……その上桜があんな風になるなんて……正直どうしたら良いか分からなくなっちまった」

 嘆きの言葉を吐きながら、視線が少しずつボヤけていくように感じた。まるで自分が悲劇の物語の中にいるような……いや、ただ感傷に浸りたいだけだ。それを理解している上で身体がこんなにも反応してしまっているのだ。

だからこそ質が悪い。この自分の悪癖を改善する事が出来ずにいる。

「為さなければいけない事は明白なのに、どうしても未だに……踏ん切りがつかないままなんだよ」

 吐き出し始めた弱音が止まらない。

 自分でもどれだけの時間話していたのかも分からない。

 ただゆっくりと目を開け放った時に視界に入ってきた、月の光を浴びるセイバーの姿だけが、俺があまりに長い時間をかけて自分の数年間を言葉にしていたのだろう。

「確かにイリヤスフィールの件については、事前に話してくだされば少しは対応を変える事が出来たのかもしれない。しかしそれはもはや過ぎてしまった話。これ以上、イリヤスフィールの事は語らなくても良いでしょう」

「そう、だな……結局空回ったまんまで……周囲を混乱させて、知らない出来事が起こったとたんにこんなにも足踏みしてしまうなんて」

 優しかった。憤っていたはずの彼女の表情が、刺々しかったその言葉が優しいものへと変わっていった。

それどころか、セイバーの浮かべる表情は憑き物が落ちたかのような、どこか納得したような表情を浮かべていたのだ。

 きっと彼女自身、俺の原初の願いに気付いているのだ。だからこそ、今から口にする言葉で最後にしよう。

 こんな弱音は、もう最後にしよう。

「ただ守りたかった」

 俺がこの繰り返しを始めた意味を、総て消し去る為に。

「もう一度同じ戦場に立って、守りたいと思っただけなんだ」

 そしてこれまでの優柔不断であった事を懺悔する為に。

「セイバー……お前だけを、本当にお前だけを守りたいと思ってたんだ」

 最早過去の願いになってしまっていたそれを、俺はようやくセイバーに対して吐き出した。

 ただ共に並び立つ。そんな対等な関係でありたかったはずの、心から求め続けたセイバーよりも、今は彼女の事が俺の心中を占めている。

 それは否定しようがない、『今のエミヤシロウ』の現実なのだから。

 

 

 

 最後の言葉を口にした後、痛いほどの沈黙が流れた。俺から語るべき言葉などはもうありはしない。

キツく唇を閉じたまま、彼女の言葉をただ待ち続ける。それが刃による制裁であろうと、暴言による叱責であろうと拒否する権利など俺にはない。

しかしどういう事だろうか。覚悟していたはずの暴言も、暴力すらも何も俺に向けられる事はなくただ静かに、あまりに穏やかな瞳を湛えたまま、セイバーは俺を見据える。

 そして彼女は視線を月明かりの差し込む窓に向けながら、ゆっくりと口を開いた。

「マスター、貴方のその思いは喜ぶべきものなのでしょうね」

 淡々と言葉を紡ぎながら、ゆっくりと視線をこちらに向ける。その表情が、その視線が何を語りたいのか、不思議と簡単に理解する事が出来た。

いや。セイバーの語りたい言葉など、とっくに分かっているはずだ。ずっと俺はセイバーの事考え続けてきたのだから。

「しかし今貴方の目の前に居る私と同じく、かつて貴方と同じ時を過ごした私もきっとこう言うはずだ」

 深く息を吐き出し、決意の光の灯った瞳は俺を見据える。

今から彼女が口にするそれが、決別の言葉であるという事を想像するのは容易な事だったのだ。

 

「守ってほしいなどと……そんな事は望みはしない。そんな弱い考えを私は決して抱きはしない。ただ共に剣を手に執り、それぞれの大願を叶えんがために死力を尽くそうと」

 

 きっぱりそう告げると、彼女はゆっくりと立ち上がり俺の傍へと歩み寄る。

セイバーの口にした決別の言葉のはずが、今の俺にとってはあまりにありがたいものだった。震えていたはずのこの手も、これまでの緊張が全て解けたかのように軽く感じられたのだ。

 だから俺もこう告げる事が出来る。決して飾る事のない、素直な気持ちのままで。

「ーー確かに……お前の言う通りだよ。きっとそうなんだろうな」

「えぇ。しかし素直に嬉しかった。それは間違いのない事です」

「そっか……気を使わせたな、セイバー」

 不思議と笑みがこぼれた。自嘲のものではなく、この笑みは心の底からの安堵だ。

「そうか。そうだったのですね」

「何だ。どうかしたのか?」

 俺のその表情を目にした瞬間セイバーはそう呟き、これまでに見た事のない納得したような表情を見せる。

そして彼女は俺から視線を窓の方へと移し、ニコリと笑顔を浮かべていた。

 知っている。俺はこの表情を浮かべる意味を知っている。

それは俺も確かに浮かべた事がある。あの時……あの朝焼けの中で俺が、自らの主と認めた彼女に見せたあの表情だ。

「納得……いや、そうではない。目の前を覆っていた靄が晴れた感覚に似ている。うん。こんなにも晴れやかな気持ちは何時ぶりだろうか」

 その晴れやかな表情に、思わず口にしようとした皮肉を吐き出す事が出来ない。

何故今セイバーがこんな表情をする事が出来る。寧ろ彼女が取るべき行動は、俺を更に叱責し激情をそのまま俺にぶつける事のはずなのに。

 その姿はあまりに穏やかで、怒りなど全く感じることは出来ない。

そしてゆっくりと彼女は俺の脇を抜け、表情を見せないままに語り始めた。

「すまなかった……私も回り道をしていただけなのですね」

 彼女の口から零れたその言葉、それは俺に対する謝罪ではない。

きっとそれはかつての仲間への、彼女の後に付き従った全ての人々に対する言葉だ。

「マスター、私から言いたい事は一つだけだ」

「何だよ、もう結構色々と言われた気もするけどな……」

「ありがとう。貴方のお陰で私の原初の願いを思い出す事が出来た。そして後に続く者たちに示すべき道が見えた……そしてシロウ、貴方は変わったのだ」

「何だよ、ハッキリ言ってくれ」

 何時ぶりだろう、再び俺の名を呼んだ彼女は。

 一体、彼女の原初の願いとは何なのだろう。

思い出してみれば、彼女のその願いなど、俺は理解しようと思っていなかったように思う。

しかし何より分からないのは、彼女が言う俺が変わってしまったという言葉の意味だ。

俺が語った言葉の中に、そんな事についてはまったく触れてはいない。寧ろ全く関係のない事ばかりを話したはずなのに、セイバーがそれに気が付くなどあり得ない。

 そう考え始めると心臓の音が早鐘を叩くかのように速度を増し、落ち着き払っていたはずの俺の身体は何かに耐えるようにブルブルと震え始めていた。

「貴方は私を守りたいのではない。別も、もっと身近に居た誰かを守りたいのだ。そして私も……」

「なんだ、それ? どうゆう事だよ!」

 何故分かる。俺が認めようとしなかった事実を何故セイバーが分かるのだ。

訳の分からないまま、乱暴にセイバーの肩を掴み、こちらを向かせようと力を籠める。

「今は混乱しても良い。しかし剣を手にした時、自らが揺らいでは守れるモノも守れない。だからせめてそれまでは私が貴方を守る剣であろう」

 しかし俺の手の力など構う事なく彼女は優しく俺の手を払い落とし、ゆっくりと出入り口へと足を運び始めた。

「ーー待てよ、だから何で一人で納得してるんだよ!」

 彼女のアッサリとした反応に、その歩みを引き止めようと思わず声を荒げる。

しかし彼女がそんな声で止まるはずがない。俺の声を気に留める事もせずセイバーは俺が次に彼女を視界に捉えた瞬間には、戸に手をかけていた。

「シロウ、貴方が今本当に救いたいのは誰なのか、よく考えてください」

 そう言い残し、彼女は戸を開け放ち外へと歩き去っていった。

 ただ開け放たれた戸から、室内の空気より更に冴えた空気が流れ込む。

しかしそんな冷ややかな空気も、俺を落ち着かせるには足りない。

セイバーに対するものでもない、この憤りのぶつけどころの分からないまま、拳を握りしめ俺はその場に立ち尽くすしかなかった。

「あの子を救うってことは……その選択をしてしまう事は過ちだって分かってるから困惑してるんだろ!」

 

 ただ俺に許されたのは声を荒げ、その事実を形あるものにすることだけだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その叫びから数分もせず、俺を照らしていた月明かりを一人の少女の影が遮る。

「ーー良いかしら?」

 彼女はそう呟きながら、俺が返答も聞かずに足音をたてながら歩みを進めていた。

声を聞けば誰であるのかはすぐに分かる。寧ろ彼女のそうゆう所こそ、今の俺にはありがたいものであった。

「……あぁ。待たせてすまなかったな」

 視線を少し上に向け、俺を見下ろしながら立ち止まった少女の姿をみとめる。

そこには少し呆れた様子を見せながらも、どこか考えの纏まらないままの複雑な表情を浮かべたと遠坂の姿があった。

「遠坂……聞いてたのか?」

「そりゃね、あれだけ大きな声で話してちゃ聞きたくなくても聞こえるわよ」

 分かり切った事をと付け足しながら、自らの髪を撫でながら彼女は宙を見つめて物思いに耽っていた。

そうだ。これが至極当然な反応なのだろう。自分の到底理解の及ばない話には困惑し手しまうもののはずだ。しかし先程俺の言葉を簡単に受け止めたセイバーの反応の方があまりにおかしなものだと言わざるを得ない事のはずだ。

「英霊……人生の繰り返し……ホント眉唾な話よね」

 呆れ顔をそのままに、遠坂はそう言い放ち俺の肩に手をのせる。

「でも訳が分かんないけど理解出来ちゃうのうよ。今までのアンタの言動を考えてみればね」

 その肩にのせられた手の震えから、俺は理解する事が出来た。

「アーチャーがいない今、私が聖杯戦争とか、他のサーヴァントとマスターの接し方についてととやかく言う事は出来ないわ」

 そう。彼女は怒りを押し留めていると。

 先程までの俺と同じように、歯止めの利かない状態になっていたのだ。

「でもね……!」

 刹那、俺の胸倉を華奢な腕が掴み上げる。

 上体が上に引き上げられ、無防備なままに顔面を晒してしまう。

「ーーッ!」

「一発くらい、殴られときなさいよ」

 次の瞬間、視界を覆ったのは固く握られた拳だった。更に頬に走った痛みと共に頭を打ち付けられたような衝撃が襲う。そうして口の中に広がっていく鉄の味に、ようやく自分が殴りつけられた事を理解した。

「これでチャラには……出来ないけど、桜を止めるまでの共闘せざるを得ないしね。ここから先は色々片付いてからよ」

 手をブンブンと振りながらそう口にする遠坂。

その言葉に一瞬茫然としてしまったが、彼女の浮かべたあっけらかん表情に思わず頬を緩めてしまう。

「ホント、お前には頭が上がらないよ」

「とりあえず話は落ち着いてからにしましょう」

 そう。本当にいつまで経っても遠坂凛には敵わない。

どんな場面であっても結局俺を諭すのも、俺に進むべき道の一端を示すのはこの少女だった。だからこそ、遠坂には感謝しても仕切れないのだ。

「それよりあの子、イリヤが起きてたわよ」

 そんな事を考えていると、遠坂は淡々とイリヤの事を俺に告げる遠坂。

「あの子も私と一緒に居たから間違いなく聞いてたと思うけど」

 確かに、あの戦いからかなりの時間が経っている事を考えるに、イリヤが起きてきた事は不思議な事ではない。しかし、俺とセイバーの会話を聞かれていたのであれば話は別だ。

 未だに遠坂に殴られた衝撃が身体に影響を及ぼしているのだろう。フラフラとする頭を必死に落ち着かせながら、ゆっくりとではあるが立ち上がる。

「そうか。すまない、遠坂。少し話してくるよ」

「ーーあの子かなり荒れてたわよ。逆上して殺されない事を祈っておくわ」

「あぁ、お前覚えてないか? 俺がイリヤに言った事」

 出入り口でもう一度彼女の方に振り返りながら、俺はこう告げる。

これだけは決して破ってはならない決意。俺があの子の為に出来る唯一の事を。

 

「俺は殺されない、あの子には……殺されちゃダメなんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

ーinterludeー

 

 

 彼に言葉を残したあと、私は足早にその場から立ち去り、庭に建てられた土蔵に足を伸ばしていた。

 

 道場を出た際に顔を合わせたリンが何かを私に話したそうな表情を見せたが、その役目は我がマスターに任せることにした。

今、シロウ以外の人物と口をきくには私は冷静でいられる自信がなかった。

いや、冷静という言葉では語る事は出来ない。今私の中で渦巻いているこの感情をそれだけで言い表す事は出来ないのだ。

 

 しかし、心はどこか晴れやかであった。

 

 視力を奪うほどの混沌とした靄の総てが一掃された。そして私自身が最初に胸に抱いた夢を私は思い出せたのだ。

 

 それはマーリンが、あの魔術師が私に覚悟せよと言ったもの。

 それは王として覚悟を持つこと。死力を尽くし、那由他の厄災から民を守る剣となる。その覚悟だったのだ。

 

 それを胸に私は迫り来る脅威を打倒し、正しき王であろうと努め続けた。

そして人としての正しさよりも、王としての『正しさ』を求めるように変わっていった。

 

 しかし王としてその決意を全うすることが出来なかった。

自らが守るべき友たちと敵対し、そして彼らを討ち取ってしまった。だからこそ私はやり直しを求めてしまったのだ。

正しき王であると従ってくれたはずの朋友の存在も忘れ、ただ我儘にやり直しを望んだのだ。

 

 今でもその思いが間違っていたとは思わない。

 

 しかし彼を見て、自らの選択に喘ぐ少年と出会い、私は気付いたのだ。

 私の思いは変質してしまったのだと。

 

 私はより良き世界を造る為に剣を取った。

そしてその世界が壊された途端、その故国を救済する術を求め……そして自らが王になった事自体を否定するようになった。

 

 考えてみればあまりに滑稽な事なのかもしれない。

 心変わりと言われても仕方がないのかもしれない。

 

 だからこそ、気付かされた今だからこそ私はこう思うのだ。

 

 私は、私の背を見て成長してきた者たちの礎になろうと。

 私の姿を見て、より良き国を造ろうとした者たちに、私の最後の威光を見せつけようと。

 

 月明かりの指す天窓に視線を移し、私は掌に剣を顕す。

 王としての証。我が栄光を支え続けた一振りの剣。

この聖剣の輝きが潰えぬ限り……いや、この戦いが終わりを迎えるまではまだ私はこの重みを感じ続けよう。

 

 それが騎士の道を歩き続けた私が、後に続く者たちに示す事の出来る最も誇る事の出来るものなのだから。

 

 

ーinterlude outー



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闇に潜むモノ

 

 

 

 少し建て付けが悪くなってしまったのだろうか。ガタガタと音をたてる障子を、少し強引に横に引く。

 確かつい先程この障子を開けた時には気にならなかったはずなのだが、今はこんな些細な事に気が付いてしまうとは。

ようやく混乱した頭に整理をつける事が出来たのだろうと、少し嫌らしい笑みを浮かべながら、俺は開け放った視界の先に広がる夜の空を眺めた。

 この数時間、今まで自分の中で渦巻いていた……鬱積していた感情を一気に吐き出したからだろう。セイバーにも遠坂にも、そしてイリヤに対しても俺は全てを打ち明けたのだ。憑き物の全てが俺の中からなくなってしまったような、不思議な満足感が俺の中にあった。全く……なんて自分勝手な話なのだろう。未だに目前に迫っている問題すら解決する事が出来ていないというのに。

 

 しかし俺の中には一つの答えが生まれていた。

だからこれから先、この戦いが、この聖杯戦争が、俺が始めたこの繰り返しの物語がどのような結末を迎えようと、俺はきっと素直に受け入れる事が出来るはずなのだ。

 

 そんな風に考えながら空を眺めていた視界の隅、月夜に映える黒髪が見て取れた。ずいぶんと待たせてしまったのかもしれない。しかし彼女は苛立ちを見せず、少し待ち疲れたような笑顔をこちらに向けながらこう告げる。

「終わったの?」

 髪を撫でながらそう口にする彼女に、俺自身も笑みを返しながら視線を送る。

彼女が発したそれは、様々な感情が込められた故の言葉だったのだろう。だからこそあまりにシンプルなその言葉に俺は、自然とこう返した。

「あぁ、色々話したよ。俺の事も……親父の事も」

 内容は敢えて伝えない。

 俺とイリヤとの会話の内容だけは、どうしても他の人には伝える事は出来なかった。この遠坂凛という、一番の親愛を寄せている人物であったとしてもだ。

「ーー意外だわ」

 しかし俺の言葉に、遠坂はその一言だけを返した。

「あっさりとしてるのね。もっと色々と話し込んで、かなりの時間がかかると思っていたけれどね」

「そう、だな」

 それは素直な彼女の感想なのだろう。数時間前のセイバーとの会話は、イリヤとのそれは比べ物にならないほどに短い時間であった。

確かにイリヤの体調を加味し、手短に用件を済ませたという事も事実ではあるのだけれど、ただ俺があの子としたかったのはただ一つの事だけだった。

「約束しただけだからな。そんなに時間もかからなかったんだよ」

「約束?」

「あぁ。絶対に守りたい……守らなくちゃいけない大事な約束だ」

 そう。俺はイリヤと一つの約束を交わした。

 しかし彼女にとって、約束をするという事はあまりに辛い事だろうという事は充分に理解しているつもりだ。結果的に果たされなかった親父との約束が、彼女を傷付けているという事は想像に容易かった。

 それでも俺は彼女と約束を交わしたかった。

 これはエゴだ。

誇れるものではない。ただ親父とイリヤが繋いだはずの絆を、もう一度結び直してやりたかった。俺たちの間には、しっかりと絆があると確認したかったのだ。

 だからこれはエゴだ。

誇って良いものではない。ただこの戦いが終わってしまった後、イリヤが生きる意味をなくさないように、生きるという鎖を彼女にかけたに過ぎないのだから。

 だからこの約束については誰にも話さない。

 それは俺と、イリヤだけが心に留めておけば良い……あまりに小さな、それでもはっきりと俺たちの心に残るもののはずだ。

 

 

「……そう。まぁ私には関係のない事よね」

 淡々としたその言葉の中にどこか澱みがあった。無関心を装ったはずのその言葉から、俺に対する違和感を形にする事が出来ないのだろうと言う事は理解出来た。

「ーー最終的にはお前にも……」

 不意にそう口をついてた。

「ん? 何か言った?」

 俺の言葉が理解出来なかったのか。きょとんとした顔を見せた遠坂であったが、もうこれ以上の説明は必要ないだろう。それに俺自身もう話し疲れてしまったというのが本音な所だ。やはり自分のことを話す事は、存外に体力を使うものなのだ。

俺は少し愛想笑いを浮かべながら、縁側に腰掛け庭の奥の方をに視線を移す。そこには見知った金砂の髪。

 

 

 さぁもう続きを始めよう。この戦いの、聖杯戦争の続きを。

 

 

「いや、大丈夫だ。早く桜の話に戻ろう。今は少しでも時間が惜しい」

 縁側に用意していた外履きに足を通し、再び庭へと足を伸ばす。

「シロウ、もう良いのですか?」

「あぁ、待たせてすまなかった」

 かけられた声に手を挙げながら応える。未だに最後にかけられた言葉に納得出来ないまま、彼女との差し障りのない会話を続けようと努めるが、どこかぎこちなくなってしまう。いや、それでもどうにかならない訳ではない。

「いや、イリヤスフィールとしっかり会話する事が出来たのであれば、最早私から何も言う事はありません。後顧の憂いなど、戦場に立つ者にとっては邪魔に他ならないのですから」

 簡潔にそう告げながら、セイバーはこちらへと歩を進める。

互いに俺たちは歩み寄り、そして会話を交わす。もし最初からこんな風に語らえていたらと思いもしたが、そんな過ぎ去った事を顧みても意味はないと自嘲しながら、俺は言葉を紡ぎ続ける。

「そうだな。じゃぁこれからの話だけど……」

 語るべきはこれからの事。

 一番大事な、一番危険なあの子の事。

 俺が殺さなくてはならない、しかし本当は誰よりも守りたいあの女の子の事だ。

「まずはあの子が、桜が一体どこにいるのか……って事だけど、正直目星が付けられないって言うのが本音な所ね」

 頭を掻きむしりながら、俺の後ろからついてきた遠坂は苛立ちを隠さないままにそう告げた。

そう。何度聖杯戦争を繰り返していると言っても、こんな状況になってしまうのは、俺にとっても初めての体験だった。常識的に考えれば、魔術師が根城にするであろう場所はすぐに推察する事が出来る。

 しかし相手は桜。間桐桜なのだ。

魔術師の常識を桜に当て嵌めていいのだろうか。それが未だに測れずにいたのだ。

「間桐の家にいる可能性もある……それに全く別の所を拠点にしている可能性もあるってことか」

「そうよ、ひょっとしたらすぐにでもここに突っ込んでくる事だって考えられるんだから」

 遠坂の言葉にまさかと笑いながら、しかし否定しきれない自分がいた。

かつてこのような場面に訪れた敵は確かにいたのだ。こちらの所在地も割れている状態なのだから、最悪の可能性として考えの中に留める必要がある。

「しかし、我々にはこれ以上時間的余裕はありません」

 冷静に俺たちの置かれた立場を口にしたのはセイバー。おそらく現状で最も理性的に判断する事が出来るのは彼女だろう。

「勿論その通りよ。だからこそ効率的に動かなくちゃならないのよ」

 丁度庭のど真ん中くらいに辿り着いたくらいだろう。

セイバーの言葉に同意する遠坂は、口にした言葉ほど冷静な様子ではなかった。

「今更、アイツがいなくなった事が悔やまれるなんて……」

 口惜しそうに遠坂はそう告げて顔をそらした。

 そう。アーチャーの存在。アイツがいないという事だけで、戦局はあまりに不利な状況になっている。

それに遠坂自身も、この事実を上手く理解出来ていないのだろう。

「言い合いをしてても何も変わらないさ。とにかく、出来る事をしよう」

「そうね、まずは間桐の家に……」

 遠坂の言葉に同意しようと少し余所に視線を外した瞬間、俺には何かが聞こえた。

 いや、確かに聞こえたのだ。

 風を切る、全てを貫く狂気の到来を。

「シロウ、凛! 上です!」

「ーーッ!」

 刹那、赤の軌跡を描きながらそれは到来した。

 ただその名も告げられず、その狂気は俺たちの立つこの庭に轟音と共に打ち立てられたのだ。あまりに無様な恰好でその場から飛び退いたのが幸いしたのだろう。どうにかその狂気から身を退ける事が出来た。

 土煙で視界が利かない。しかしその突き立つ赤はありありとその存在感を示し、其の禍々しい様を現していた。

「ちょっと! 一体な……あの赤い槍……まさか?」

 突然の衝撃に困難した遠坂自身にも、突き立つそれが何であったのか理解出来たのだ。

俺も、そして遠坂だってその担い手とかつて相対した事がある。

「ーーゲイ……ボルグ」

 それは呪いの槍。

 そしてその担い手はあまりに勇敢で、そして粗暴な槍の英霊。

「まさか自ら敵地にやってくるとは……しかし背後からの襲撃など、貴方らしくないのではないですか。ランサー?」

 唯一、その到来から瞬時に甲冑を身に纏い、セイバーだけが彼の名を呼んだ。

 彼の担い手はサーヴァント・ランサー。

 俺が知る英霊の中で、おそらく一番馬が合わない。

 しかしどこか羨ましささえ感じる事の出来る男。

 どこまでも、真っ直ぐな男だ。

「ーーうるせぇよ、ただでさえイライラしてんだ……ん? おいおい、何だよ。嬢ちゃんは呆けたツラかよ。そっちのセイバーは……なかなか良いツラしてんじゃねぇか」

 突如として現れたランサーのその意図が理解出来ず、思考が止まってしまっているのだろうか、茫然とした表情を浮かべる遠坂を眺めながら、ランサーはニヤリと口元を歪める。

「ランサー……お前、一体どうして?」

「坊主、両手に花とは生意気な事してるじゃねぇか。」

 俺の呟いた言葉を意に介する事なく、ランサーはただ今自分の目の前にある状況をただ淡々と口にしていた。

 全く、的外れにもほどがある。コイツのこんな自分勝手な所は、何時まで経っても慣れる事はないし、苛立ちすら覚える。

「こちとら今までやりたくもねぇ事をしてきたんだ。今夜くらいはやりたいようにさせてもらうぜ」

「やりたいように? やりたくない事? 一体何を言っているのだ、貴方は?」

 こんな軽いランサーの物腰を、不思議と嫌いになる事は出来なかった。好き嫌いは今は関係ない。何故コイツがここにいるのか、それを見極めなければならない。

 土埃に塗れた身体を揺り起こし、ランサーを正面から見据える。

しかし、やはりランサーは俺の行動など意に介さない。ただギラギラと瞳を輝かせながら、彼が見据えるのは一人の英霊。

 理解した。理解出来てしまった。ランサーが何を求めてここに来たのか。

何と戦う為に敵地に足を踏み入れてきたのか。

「あ〜あぁ。もうこれ以上話す事はねぇだろ」

「確かに。その言葉には素直に同意を示そう」

 あまりにシンプルに、あまりに簡単に言葉を掛け合いながら、にらみ合い、一定の距離をとる。

「ーーそうだ。俺たちにはこれがある」

「そう。私たちには言葉で語るよりも、こちらの方が性に合っている」

 赤の槍。黄金の剣。

 両者それぞれに自らを象徴する得物が握られ、今にもそれをぶつけ合わんと互いの隙を窺っていた。

「ーーダメだ……ダメだ、セイバー!」

 そう。ランサーの思惑はあまりにシンプルなのだろう。

しかしアイツは、ランサーの裏に暗躍するあの男の考えが全く読む事が出来ない。

今まで聖杯戦争に関わってこなかったはずのあの男が、何故今更になってランサーをここに寄越す必要が分からなかった。

「止められない……次から次に一体どうなってんのよ」

「遠坂……とにかく今はランサーの様子を窺うしかない」

 困惑を隠せない遠坂に声をかけながら、一触即発の様相を見せる二人を見つめる。

「何だ、何が目的なんだよ……言峰綺礼」

 口をついて、絶対口にしないでおきたかった男の名前が零れた。

 

 そう。この戦いが合図だった。

 

 俺にとってはあまりに長かった、この聖杯戦争の終わりの最終幕がついに幕を開ける合図だったのだ。

 

 

 

ーinterludeー

 

 

 それはあまりに奇妙な取り合わせであった。

一人は黒を基調とした服に身を包み、興味のない瞳で相対するモノを眺めるのはその教会の神父。そしてもう一人の人物、それは最早人と呼び難い姿形をした老人の姿。

そう。そのにいるモノの名は間桐臓硯。身体は腐り果て、何時その身がなくなってしまってもおかしくない状況だったのである。

 仄暗い地下室の中、別段何かをする訳でもなく、ただ向かい合いながら言葉を交わす二人。この十年間、決して顔を合わせる事のなかったこの二人が今になって対面するのか、それは互いに思惑があってのことだったのだろう。

「しかし、何とも趣味の悪い事をする」

「どの口がほざくのだ、妖怪変化が。今すぐにその身を滅ぼしてしまおうか」

 老人の下卑た物言いに、吐き捨てた言葉ほど苛立ちを見せずに神父、言峰綺礼はただ自らの前に座する老人を睨みつけていた。

「何を言う。褒め言葉以外の何ものでもなかろうて」

 しかし神父の挑発にも似た言葉に、老人は全く無関心なまま言葉を紡ぎ続ける。

「それにの、これはお前に対する褒め言葉ではない。我が孫への……桜に対するものじゃ」

「確かに、それについては私も同意せざるを得ない。あそこまで黒に染まるとは……流石は二百年の時を過ごし、その醜悪な外法を極めてきただけの事はある」

 そう。素直に臓硯は桜の成長を喜んでいた。その肥え太らせた狂気と、自ら悲劇へと身を落としていくその滑稽さに、彼は歓喜に満たされていたのだ。

そして言峰にとってもそれは充分に同意出来るものであった。ここまで人を陥れ、自らの愉悦の為に暗躍する目の前の老獪な魔術師に彼は尊敬の念すら感じた。

そして魔術師自身も言峰の発言にはいささか驚かされるものがあったのだろう。崩れかけた身体を震わせながら臓硯は言葉を発する。

「何じゃ? 貴様すら驚くほどという事か?」

「あぁ。私にとっても彼女の行動はあまりに予想外であったが……しかし、それも今は自然と納得する事が出来るのだ」

 言峰が先よりも一層口元をつり上げ言葉を紡いでいく。

 違和感があった。その場にいる間桐臓硯にとってその笑みの意味する所は全く理解出来ない。何より目の前の言峰綺礼という男が一体、何を愉悦と感じる為に桜を闇に落としたのか、彼にはまだその総てが理解出来ていなかった。

「そして、その行動の意味も……」

 何より、間桐桜が望むその思いを、少しも理解はしていなかったのだ。

「ーーーーッ!」

 刹那、間桐臓硯の視線が高さを失う。否、高さを失うは正確な状況を示していない。

 切り刻まれたのだ。

 脚 

 腰

 胸

 首

 かろうじて人の形を留めていた彼の身体は、暗闇から這い出した何かによって四分割されてしまった。

重い音をたてながら脆くも崩れ落ちた肉塊は、夥しい血を吐き出しながら痕跡を残していった。

 その情景を見つめながら言峰綺礼は呟く。

何の感慨もなく、そして感傷もないままにただ呟いたのだ。

「貴様が育んだその黒の聖杯が、貴様自身を喰らい尽くす様を、私はただ眺める事としよう」

 何故間桐臓硯は気付かなかったのだろう。その部屋にいたはずの彼女の存在を。

それほどまでに彼の肉体が腐り果てていたからなのか、それとも何か特別な仕掛けがあったからなのか、それは分からない。

ただ間桐臓硯の身体を分割した狂気を孕んだ影が、ニヤリと笑いながらその肉塊を見つめているという事は誰にも覆す事は出来ない事実であった。

「御機嫌よう。お爺さま」

 その影は、間桐桜はただ笑っていた。

 自らを育てたはずの老人をバラバラに解体しながら、友人と遊ぶときの屈託のない笑みで。

「サ、クラ……貴様……」

 恐ろしくも臓硯の頭部であったものは、自分を見下ろす少女の名をなんとか聞き取れるほどのか細い音声で呼んだ。

 その弱々しい声を耳にしても桜は顔色を変える事はない。

ただ優しい声を響かせながら、彼女は淡々と足下に転がる肉塊にこう告げた。

「分かってたでしょ? 理解してたでしょ?」

「何をしようと言うのだ! 一体、桜ーーーー桜!」

 しかし自身が傷付けられた状態にあっても、臓硯だったものは蠢きながら孫の名を呼び続けた。それが彼女を苛立たせる行為であるとも知らずに。

「徹底的に心を折ったと思っていたのでしょう? 決して自分には危害を加えないと思っていたんでしょう?」

「貴様、キサマ正気か! 何をしようというのだ」

「ちゃんとお顔だけは残してあげたんです」

 そのまま見ていてくださいと微笑みを浮かべながら、桜は自らの指を胸に突き立てる。

ただ少女の胸からは夥しい血が噴き出していた。先程まで臓硯だった肉塊が吐き出したものと混じり合い更に混沌とするその光景を目にし、地に這いつくばりながらそれを見せられる臓硯は未だかつて感じた事のない恐怖に思考を麻痺させていた。

「ーーほら。こちらのお爺さまは初めましてでしょうか。貴方たちみんな同じに見えるのでよく分かりません」

 感情のない瞳のまま、泣き叫ぶ事も痛がる事もなく桜はそれを見下ろし続けた。

自らの身体を侵食していた、侵し続けていた大元の存在。余りにちっぽけで握りつぶすだけで滅してしまう事が出来るであろうその虫けらを、桜は血の滴る指でつまみ上げていたのだ。

「なーーーー桜、キサマ一体に何を!」

「ホント、こんなにも簡単な事を何で今までやろうとしなかったんでしょう」

「桜、まさか……」

 ようやく混乱する臓硯の考えが整理されたのだろう。

彼の肉体が限界を迎え、桜に摘まみ上げられる本体へと映ったのだろう。その瞬間に彼は自分の孫が本気で自分を殺そうとしているのだと実感したのだ。

「確かに……わたしはお爺さまの玩具にされて、もう何にも感じないんです。でもね、先輩の事だけは別です」

「わ、儂はあの小僧に何もしておらん! ただ聖杯を得る上では、最も邪魔な者になるであろう男であった! だからこそ排除しようとするのは当然だ。しかし儂は直接手を下しておらん! あの馬鹿な孫に間接的にではあるが……!」

「それを判断するのはお爺さまじゃありません。お爺さまが先輩のことをどうこうするなんて、許す訳がないじゃないですか」

 桜の顔から笑みが消える。

 狂気と怒り、総ての負の感情に塗れた表情で、彼女は矮小な自らの祖父を睨みつけた。

「待てーーー待て待て待て! これまで儂はお前を第一に考えてきたのだ! それを儂があの小僧を傷付けるとも知れぬと分かればそうするのか? キサマは儂をそれほどまでに簡単に切り捨てるのか」

「えぇ。そうです。もうお爺さまは要りません」

 そう。彼は考え違いをしていたのだ。決して自らを裏切れないと思っていた傀儡があっさりと自分を見捨てた。

「ーーーー! お前をここまで育ててやったのだぞ? お前にそこまでの力を授けてやったのも儂なのだぞ! それを……それを恩を仇で返すような真似など……正気になるのだ。いや正気になってくれ桜!」

 それは最早懇願であった。この場を逃れる事が出来れば良いとするただの言い逃れ。これまで人を弄んできた彼が、この時初めて滑稽な道化に身を落とした瞬間であった。

「もう、良いです。もう結構です」

 しかし少女は惑わされない。

「それ以上、言葉を発さないでください」

 少女はこれまでの責め苦を、そんな甘言で忘れるほど優しくはなかったのだ。

 

 

 

「お爺さま。もうご無理をなさらなくても結構です。さようなら。もう二度と貴方の事は思い出しません」

 

 

 

 血に汚れていたはずの桜の手に、更に赤が上塗りされる。

小さな悲鳴を上げ、かつて彼女の祖父と呼ばれていたその虫けらは、その余りにも長い生涯を終えたのだ。

 

「ふーーーーふふふ……あははははーーーー」

 

 自らの枷を文字通り捻り潰した事に数分は微笑んでいた桜であったが次第に落ち着きを折り戻し、再び色のない瞳のまま宙を見つめた。

「こんなにも呆気ないなんて……本当につまらない人」

 この十年、自らを縛っていた支配者の息の根を止めたというのに、彼女には何の感慨も浮かんではこなかった。ただ殺した。指先一つで。自らの手に滴る赤々とした液体だけがそれを示していた。

 

「ねぇ神父さま……どうです? 楽しめましたか?」

 何かを思い出したようにクルリと振り返りながら、桜はその部屋の主に声をかける。

部屋の主は相も変わらず表情を変えないまま、ただ秘蔵のワインを呷りながら彼女の引き起こした惨劇についてこう語った。

「ーー別段語る事はない。しかし私には君が愉悦に浸っているように見えて仕方がないがね」

「愉悦? 何を言っているのか分かりません。そんなもの、わたしには必要ありません」

 そう。言峰綺礼にはそう思えて仕方がなかったのだ。

 今の間桐桜には表情はない。しかしその胸の内は歓喜に満ち満ちているのではないのだろうかと。

 だがその答えを知る術は彼にはない。それほどまでにこの少女は純粋に力をつけ過ぎてしまった。間桐桜をどうにかしようと思考した瞬間に、きっと彼は縊り殺されてしまう。言峰綺礼にはその確信があった。そしてそれと同時に彼には殺されてはいけないとする理由を有していた。

 

「ーーそうだ、ちゃんと準備はしてくださったんですよね」

「我が飼い犬は既に衛宮士郎の所へと向かった。君の言った通りに、好きに行動して良いと言付けてね」

 しかし彼女は面白い事を考えるのものだと言峰は感心した。

 自らが恋い焦がれているはずの男を陥れる事をこんなにも簡単に決断しようとするとは、彼女は否定したがその思考こそ『愉悦』を求めているに他ならないのではないのだろうか。

「彼女の事は彼が連れてくてくれます。それよりも……」

「分かっている。『衛宮士郎は決して傷付けさせない』だっただろう?」

「そうです。もしあの人が先輩を傷付ければ……貴方の事を殺します。もちろん、あの狗さんも殺します」 

 まるでその言葉は慈愛に満たされたモノのように優しい響きでそう告げられた。

 まるでその笑みは聖母。ただそれは総てを悪意によって包み込む存在であったという事だけだ。

「だって……先輩はわたしのもの。先輩で遊んでいいのはわたしだけなんですから」

 楽し気にそう呟き、間桐桜は祖父の棺桶となったその部屋を後にした。

一人ワイングラスを片手に、再度凄惨たる光景を目にしながら言峰綺礼は誰に投げかけるでもなく独り言のように呟く。

「なかなかに恐ろしいではないか……あんなにも邪悪な、あれほどまでに純粋なモノに好意を寄せられるとは……」

 否、それはとあるの人物に向けられた言葉。

 彼にとって敵と認めたあの男の忘れ形見、この戦いを混沌に陥れている一人の魔術師に向けられたものだったのだ。

 

 

 

「衛宮士郎よ……お前は彼女と向かい合い何を選択する?」

 

 

 

ーinterlude outー



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剣と槍

 

 

 その狂気と歓喜は月明かりに照らされ、赤々と毒々しいまでに存在感を露にするその槍は総てを貫かんと切っ先を光らせていた。

 赤き槍の担い手はただ、己の中に抱えたあまりに大きな感情に顔を歪めていた。

かつて……俺はその表情を見た事があった。夜の月に照らされた中、その表情が余りに印象深く残っている。

 それはきっと、いつでも死に一番近い所で目にした表情だったからだ。

 

 初めて殺された学校の廊下。

 追い立てられて逃げ込んだ土蔵の中。

 初めて堂々と正面から相対した校庭。

 そして彼の真の実力を垣間みた、教会での戦い。

 

 しかし総ての表情は今、俺に向けられたものではなかった。

「待ちわびた……本当に待ちわびたぜ」

 その言葉すら、俺には全く関係のないものであった。

 ただランサーはセイバーとの再戦を切望していただけだった。だからこそ俺の存在などを気にかけたような素振りは見せない。

ただ戦士として、どうしても果たしたい願望を叶えんが為に彼女は首輪をつけられながらもこの場にやって生きたのだ。

「ランサー、貴方が今この場に現れた理由は分からない」

「あぁそんなことは些細な事だ。そんな些末なこと、オレたちの戦いに持ち込む必要なんてないだろ」

 戦う者は引かれ合う。

 あまりにシンプルなその思考に笑みをこぼしながら、その言葉の受け手であるセイバーは黄金の剣の柄を握りしめた。

 そう。相対した瞬間に、彼らの間に言葉は要らない。

あるモノは単純な、生命のやり取りだけ。互いの得物を掲げ、ぶつけ合わなければ伝え合えない冷ややかな、しかし熱の籠ったやり取りだ。

 その光景を目にする俺ですら、思わず興奮に身を震わせてしまうほどなのだ。

きっとこの二人も、言うまでもなく……。

 

 

「確かに、だからこそ!」

「ーーッ! その通りだ!」

 

 

 刹那、銀と赤が肉薄する。

同時に飛び散る火花。響く剣戟よりも速く、鮮烈に弾ける閃光は溜め息の音すらかき消すようにその場を支配した。

「ーーーーーー!」

 ランサーの突き出した槍を上方に去なす。

 上体のバランスは一切崩れていない。その返す腕と反動を利用し、彼の間合いへと一気にセイバーは侵入していく。

「ふーーーー」

 しかし飛び込んだ間合いの先には、既に赤の槍が存在を露にしていた。

飛び込んだ剣士の一刀よりも速く、寄り戻された槍により激しい光が走る。猛り狂う魔力の奔流が、ランサーの槍を震わせているのだ。

しかし彼にとって、そんな事は児戯に過ぎないとばかりに、薄ら笑いを浮かべ、強引に剣を押しのけた。

「そんなもの、効くか!」

「ーーーーーーッ!」

 あまりに易々と押し戻されるセイバーの剣。しかしランサーの槍の追撃は押し戻すのみに終わらない。

 鉛色の巨人のような単なる暴力ではない、正確無比な槍の一突き一突きがまるで瀑布のように彼女に迫り、彼女を侵していく。それを必死に受け止めながら、槍の戻る一瞬の隙を捉えながら一刀を繰り出していくセイバーの姿に、俺は違和感を持たずにはいられなかったのだ。

「ダメだ、あのままじゃ……」

 このままではいけない。それは剣戟の一音目を聞けば明らかだった。

「そうね。アレじゃ負けはしなくても、勝つ事も出来ない」

 俺の隣に並び立った遠坂がそう口にする。それは彼女なりに冷静に戦いの状況を判断しての一言だったのだろう。確かに今のままならば一進一退の攻防に見える。

 しかし遠坂の判断まだまだ甘過ぎる。

セイバーの消耗を遠坂は読み切れていない。それに加えてランサーの、あの槍の脅威を彼女は理解しきれていないのだ。

 あの呪いの槍を、今の状態のセイバーが受けてしまっては絶命は必至だ。

しかもランサーの魔力は充実しているはず。幸運にも一度目の槍を退けたとしても、二撃目三撃目のゲイ・ボルクが控えているという事は言うまでもないだろう。

「……方法はある」

 そう。この窮地を脱する方法がない訳ではない。

「方法って……まさかアンタがあの中に割り込んで、セイバーに加勢するとかじゃないでしょうね!?」

 声を荒げながら、一番に切り捨てるであろう答えを口にする遠坂。

当たり前だ。俺は、俺では“サーヴァントに勝つ事が出来ない”という事は十二分に理解している。こんな俺ではセイバーの足手まといになる事は言うまでもない。

 しかしもう一つの選択なら、危険を最小限に留め、セイバーを存分に戦わせてやる事が出来るはずだ。

遠坂の肩に手を置き、彼女がどうにか聞き取れるであろう位の声で俺は自分が考えた筋書きを彼女に告げる。

「ーー遠坂、出来るか?」

「そんな反則じみた事! アンタ正気なの?」

 遠坂の常識ではこんな方法は思いつかないはずだ。だからこそ彼女は『反則』という言葉を使った。

かつてこの方法を使った時、彼女が俺に向けて見せたのは怒りなどよりも、驚きと落胆の色の方が濃かった。

しかし事実、この方法を使えばこの状況を打破する事は可能なのだ。驚き困惑した表情を浮かべる遠坂に、馴染みに一対の剣を顕しながら俺は告げる。

「……言っただろうあくまで聖杯戦争に関わる事なんて、手段に過ぎないんだよ」

「ーー手段? 何、もう聖杯戦争なんて興味がないって事?」

「違う……」

「聖杯の行方も、それで誰が傷付いても構わないってこと?」

 俺の発した言葉に顔を顰める遠坂。詰め寄りながらそれ以上に踏み込んでこないのは、俺の言葉に何か感じる部分があるからなのだろうか。

「ただ俺の目的はもう一つだけなんだ。それにあの時、教室でも言っただろう?」

 夕暮れの赤が染め上げる教室の中、俺は確かに遠坂に語った。

その時の彼女にとっては一番頭にくるはずの言葉。聖杯戦争に関わる全ての者が苛立ちを覚えるはずのその言葉を。

「覚えてる……確かに覚えてるわ」

 セイバーと俺の会話を聞いていたのならば、簡単に理解出来るはずだ。

「聖杯は必要がない、でしょ?」

「そうだ、俺は聖杯なんかには興味がない。ただ……」

 そう。かつて俺が聖杯戦争に関わる意味はセイバーに会う為だった。

だがその願いは変質し、一番の望みは全く違うモノになってしまった。しかしそれを正面から受け止める事が出来ず、はぐらかしながら俺はこう言葉にした。

 ただそうしなくては何も進まないと、確信を持っていたから。

 

「俺は、桜の前に……何を犠牲にしても、桜の前に立たなきゃいけないんだ」

 

 

 

 



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呪いの槍 黄金の剣

 

 

 

ーinterludeー

 

 

 騎士と槍兵の衝突は続く。

 決して誰も阻む事の出来ない、ただ互いの死力を尽くしながら交わされる命のやり取りは、おそらく目にする者全てが見入る事は間違いないだろう。

 それを示すかのように、蒼き槍兵は嬉々としながら呪われし赤の槍を突き出し続ける。しかしその戦いの中にあって、剣を振りかざす騎士の表情には、得物を打ち交わす度に苦悶の表情が見て取れるようになっていった。

「ーーおぉ、辛そうじゃねぇか。こないだの夜とは全然剣のキレが違う。弱々し過ぎるぜ!」

 剣戟の衝突音が響き渡る中、息も切らさず声を上げるランサー。

ようやく得たこの機会を大いに楽しむ彼にとって、セイバーの体たらくはいささか興ざめなものであったという事は言うまでもない。

だが弱々しいと言っても、少女も彼の英雄譚に名高き騎士王。ランサー自身も気を抜いてしまえば一刀でもって斬り捨てられる事は、彼自身想像するに容易であった。

「ーーッッ!」

 ランサーの繰り出す打突を弾き返し、攻めに転じようと一歩踏み込む、しかし斬り返す一刀に力が籠らない。

悔し気な彼女の脳裏には、間違いなく今朝のバーサーカーとの戦いが思い出されているのだろう。事実、本来少女が有するはずの力強さも、素早さすら発揮出来てはいない。それほどまでにセイバーは消耗しながらその剣を握っているのだ。

「どうした、どうした! ここまでなのかよ、セイバー!」

 挑発の言葉は続く。そしてそれに呼応するように繰り出される槍の切っ先は更に速度を増していく。

まさに深紅に塗り固められた壁を思わせる、その槍の残像にセイバーはある確信を得ていた。

「……貴方こそ動きに粗が目立つぞ」

 そう。セイバーは感じ取っていた。

ランサーが速度を優先した打突に切り替えたという事を。だからこそその事実を突きつけてしまえば、彼がどう出るかも容易に導きだせる。

「皮肉を言う……そんな口が叩けるならーー!」

「ーー!」

 赤の閃光がより速度、力を込め繰り出される。

 槍の戻しを全く考えずに繰り出された渾身の一突き。そう言っても過言ではない。

 周囲に響き渡るほどの衝突音をまき散らしながら、黄金の剣を捉えるランサー。

 それまで全ての打突を去なし続けていたセイバー自身もこの一突きには耐えられず、最早苦痛に近い表情を浮かべ上体を崩しながら、どうにか力任せに槍の進行を逸らす。

「勢いを殺しきれてねぇんだよ、それでもセイバーか? 騎士の中の騎士なのかよ?」

 苛立ちを露にしながら声を上げるランサー。

 この程度なのかと、こんなにも弱いのかと不満をぶつける。その苛立ちを隠しきれなかったせいだろうか、槍の軌道は荒々しくなり、槍の戻しが数瞬遅くなる。

 

 そのランサーの槍に生じた一瞬の遅れを、彼女が見過ごすはずはなかった。

 

「……そこッ!」

 

 斬。

 渾身の力を籠めた一太刀。

 黄金に軌跡を描きながら、ランサーに生まれた一瞬の隙を逃すまいと振り下ろされる一撃。

 まさに必殺の一撃。おそらく、この一刀を無事に受け止める事の出来る者などそうはいないだろう。

 だが例外は確かに存在する。

「ーーック」

 金属の拉げるような音に続き、ランサーの口から零れる衝撃に耐える声。

 そう。彼は受け止めた。

 槍の返しが遅れたにも関わらず、セイバーの体たらくに苛立っていたのにも関わらず、彼はその必殺の剣を受け止めたのだ。

 

 だがその渾身の一撃の勢いを殺しきれるものではなかった。

 

「ーーッーーーーーー!!」 

 受け止めたランサーの身体が宙を舞う。

 その強引な剣の圧力はランサーを弾き飛ばし、両者の間に大きな間合いを作る。

 

 しかしランサーを弾き飛ばしたはずのセイバーの表情は浮かないものであった。そしてそれとは対照的に嬉々とした笑顔を作るランサー。

 

「やりやがる……やりやがるぜ、オイ!」

「仕留め……切れないか」

 

 間合いを保ったまま佇まいを直し、視線をぶつけ合い互いの様子を窺う。

まるでここまでの攻防が嘘であったかのような静寂が両者を包み込んでいく。

 

「でもよ、分かってんだろ?」

 その静寂の中に、冷えきった声が投げかける。

 最早セイバーの発揮しうる力を読み切ったのだろう。これ以上は無駄だろうとまるで諭すようなその言葉は、容赦なく彼女に浴びせかけられた。

「まだ、認められません」

 ぎりりと奥歯を噛み締めながら少女は再び正眼の構えをとる。

「往生際が悪いぜ。今のお前じゃオレには勝てねぇよ」

「……しかし、退いてはいけない理由が私にはある」

「なんだ? 後ろの小僧に惚れでもしたか? 騎士王と言っても所詮は只の小娘だったといいうことか?」

 

 刹那、息も絶え絶えだったはずの少女の瞳に火が宿る。

 その火の名は怒り。

 彼女にとってその言葉は許す事の出来ないものだったのであろう。枯渇しかけていたはずの彼女の身体に、視認出来るほどの魔力が滾る。

「ーー口を閉じろ、ランサー」

 淡々と少女は語る。

「私と剣を交えた貴方には分かるだろう?」

 剣を交えたからこそ理解出来るはずの、ランサーに打つけていたはずのその感情を。

「私の剣の一太刀にでも、そんな思いは感じられたか?」

「……」

 少女の言葉に、男は返答をする事はない。しかしその表情だけは満足そうに、嬉々とした表情を更に歪めていく。

 まるでここまでが男の筋書きだったのだろう。

 騎士の誉れたるセイバーを挑発し、燻ったままの力を更に発揮させるために敢えてその言葉を選んだ。

「総ては語るまい。剣を交える前に確かに言ったではないか……我々は剣を交える事でしか語り合う事の出来ない人種なのだ」

 剣を掲げ、切っ先を男に向けながらセイバーは告げる。

「あぁそうだ、その通りだ! その通りだぜ騎士王!」

 その言葉にいたく感心したのだろう。

男は、ランサーは感嘆の言葉を口にしながら再び槍を構える事で、少女の宣言に返した。

「良い目してるぜ。流石は名にし負うアーサー王だけの事はある!」

 刹那、槍を構えたはずの男の身体が前方に弾ける。

 青の弾丸となった男の身体は、真っ直ぐに少女を突き殺さんとその赤の狂気を突き出しながら進む。

 その弾丸を正面から叩き斬らんと少女は柄を握る手に力を籠め、短く吐き出した。

 

「ーー参る!」

 

 騎士と槍兵の戦いは続く。

 

 ただ、未だに勝者も決まらぬまま。

 

 ただ、どちらも必殺の一撃を秘めたままに。

 

 

ーinterlude outー

 

 

 

 

 何度、火花は庭を照らしただろうか。

 何度魔力の猛りはこの身体を震わせただろうか。

「楽しい……楽しいぜ。これが俺が求めてたモンだ! この胸くそ悪い戦いの中でようやく心行くまで戦える!  なぁ、お前も、お前もそうだろう?」

 嬉々として笑う槍兵と自らの従者である騎士を前に、心の決めたはずの一歩を踏み出せずにいた。いや、見入っていたという方が正しいのかもしれない。

 かつてあの空間の中で戦いっていた事への淡い郷愁の念からだろうか。それとも自分では間に割って入る事が出来ないと理解しているからだろうか。

 どちらの感情であっても構わない。

頭の中にある撃鉄を起こし正面を見据え、脚に力を籠める。無慈悲なまでの命のやり取りを続けるその空間に、身を投じていく。

 

 ただ、この一歩を踏み出すときはいつでも手が震えてしまうのだ。

 どの場面でもそうだった、だからこれは俺にとっての当たり前なのだ。

 

 だから踏みしめる。

 己の出し得る最大の速度で。

 

 だから力を籠める。

 手にしたこの剣で、己の信念を貫き通す為に。

 

 ランサーの得物が引き戻される。

 それに相対する為打ち合った反動を利用したまま、下段から掬い上げるように剣が振るわれる寸前。

「ッーーシ、シロウ!!」

 強引にランサーとセイバーの間に割って入り、白と黒の夫婦剣をもって、赤の侵攻を食い止める。

駆け抜けていく突風を背に感じながら、セイバーが振るおうとした剣が寸でで止められた事に胸を撫で下ろしながら、腕に力を籠め続ける。

「ーー坊主! 何のつもりだ!」

 干将と莫耶がギチギチと震える。一瞬でも気を抜いてしまえば俺の胴には風穴が開いてしまうだろう。それが容易に理解出来るほどに、この剣から感じる圧力は堪え難いものであった。

 そして赤く鋭い眼光が、ジロリとこちらを睨みつけながら苛立ちを露にする。

「……お前、言ってただろ? 今のままじゃセイバーはお前に勝てないって」

「ならお前が戦うってか!」

 乱暴に槍が横薙ぎに動く。

 渾身の力を籠めていたにも関わらず、易々と俺の身体はその動きに流されるままに上体を崩す。

 視線だけはランサーからは外してはならない。身体では追いつく事は出来なくとも、状況を見るこの瞳だけはあの頃と変わらないはずだ。

「ーーッ! 違う、俺がお前と戦える訳ないだろ」

 槍の軌道を目で追いかけながら、吐き出すように言葉を紡ぐ。

あまりに安っぽい挑発、しかしそれで十分。

 横に流れていたはずの槍の軌道が一瞬動きを止まる。

 

「ならば、この槍の餌食になれ!」

 

 言葉と同時に突き出される赤の切っ先。

 

 身体は横に流れている。

どうにかこの初撃を回避する事は叶うはずだ。脚に力を込め、ランサーとの間合いを稼ぐ為に横に飛ぶ。

 だがそれだけでは二の槍の餌食になる。最悪の状態をイメージしながら再び撃鉄を起こし、この手に顕しうる唯一の盾を頭に思い描く。

 

「ーーグァ!」

 その想像が重々しい衝撃に遮られる。

 脇腹に痛みを感じた。勢いを殺しきれず、砂埃をあげながら地を転がってしまう。

 飛び退いた動きの中に加えられるその衝撃は、俺とランサーの距離を強引に広げ盾を展開するまでもなく、俺を窮地から救う。

 

 息が詰まる。

 

 地を転がった際に感じた痛み、そして脇腹を襲った痛みが俺の思考を停止寸前に追い立てられる。

 

「バカ! 相手は槍兵なのよ! すぐに離れなきゃあのスピードの餌食になるだけだって分かってないの?」

 荒々しい声が鼓膜に、そして頭に響く。無理矢理俺を揺り起こすような、無慈悲な声だ。おそらく俺を助けようとその衝撃を打ち出した人物の声だろう。声を聞けばその主が誰であるのかは簡単であった。

転がった身体を強引に引き起こし、声の先へと視線を向ける。

 そこには言わずもがな、我が協力者のである遠坂凛の姿。

「……おま、いくらなんでもガント打ち込むなんて酷過ぎるだろ」

 しかし遠坂の機転がなければ、無駄に魔力を消費していた事も事実だ。

これから俺がしようとしている事を考えるのであれば、今は少しの魔力でも無駄にする事は出来ない。 

 焦りを覚えながら再び彼の前に相対さんと立ち上がる。しかし俺と遠坂の一連の行動を、つまらなさそうにランサーは見つめる。

「おいおい、嬢ちゃんまで俺の邪魔をするのか? 女子供には手を上げねぇって決めてんだぜ、こっちはよ!」

 茶番だと溜め息をつきながら槍を横に振い、歩を進めるランサー。

 遠坂の指先から放たれる全ての弾丸をいとも容易く撃ち落とす表情は戦いを邪魔された事よりも、俺たちの同情の念の方が強いのかもしれない。

無駄な事をするなと、そう呆れ果てているのだろう。

「もって数十秒が限界! 早く済ませなさい、士郎!」

 撃ち出すガントの勢いを抑えず、声を荒げた遠坂の表情には焦りの色が露になっていた。自らが放った視認出来るほどの黒の軌跡はランサーの身体に届く事はなく、赤の槍にいとも容易く消し飛ばされていくのだ。

「分かってる! 頼むから怪我はするな!」

 それを理解しながら、彼女が折角作ってくれた時間だ。

 手に携えていた夫婦剣を破棄し、自らのサーヴァントに向けて足早に駆ける。脇腹が何かに刺し貫かれたようにジクジクと痛む。

しかし俺が感じる痛みよりも、優先しなければいけないモノが今目の前にある。その為の最初の鍵を開けるのは……他ならない俺だ。

 この戦いを始めてしまった、このエミヤシロウなのだ。

 

 ものの数秒と言った所だっただろうか。俺は再びセイバーの目の前に立ち、彼女を正面から見据える。

ただ今までと違った風景がそこにはあった。

俺と遠坂がランサーとの間に割って入った事により一気に身体の力が抜けてしまったのだろう。剣を地に突き立て、膝をつき肩で息をするセイバーの姿がそこにはあった。

 覚悟はしていた。しかし彼女の今の姿に俺は、自分に対する憤りを覚えずにはいられなかった。

 そう。今までは俺はただ見上げるだけだったのだ。勇敢な彼女、雄々しい騎士としての彼女の姿を。

 俺がその彼女の寛然たる姿を、俺が穢している。

 俺が彼女にこんな姿を強いている。

 

「……シロウ、まさか貴方はこの戦いにまで水を差そうというのか?」

 こんなにも苛立ちと絶望を綯い交ぜにした瞳で俺を見上げる彼女を、今すぐに救い出さないといけない。

きっと、それが俺に出来る最初で最後の償いなのだから。 

「そんな事はしない。出来る訳がないじゃないか」

 淡々とそうを紡ぎながら、静かにいつもの言葉を頭に思い浮かべる。

 掌に確かに感じたその冷たさに、今自分が為そうとしている事が成功すると確信を得た。

 否、成功は最初から決まっている。

 目にした剣であるなら、その総てを再現することが出来るのだから。

 

「ならば早く凛を助け……いや、その場を退いてくれれば今すぐ彼女を助ける!」

「助けられない。今のセイバーじゃ遠坂を助ける事なんて出来ない」

「何を言う! また私を貶めるつもりか? 私の言葉を何も理解していなかったのか?」

「今のお前じゃランサーには勝てない。剣を交えて理解したはずだ」

「ーーッ……しかし!」

 力なく立ち上がりながら、悔し気にこちらを睨みつけるセイバー。

 今のままでは無駄に足掻いて、最後は全員がランサーの槍の餌食になるとハッキリ言葉にしたのだ。彼女自身、それは納得しなければならないものだ。

 しかしそれはあくまで、“現状の彼女であった”場合の話だ。

 

「だからセイバーを最高の状態に引き上げる!」

 

 

 カン。

 

 

「シ、ロウ……何を……」

 

 金属が金属を穿つ音。

 夜の雑踏にすら消えてしまうのではないかというほどのか弱い音。

 

 しかし俺たちの絆を断つには充分な音であった。

 

 俺がセイバーに突き立てた短剣は破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)。

如何なる魔術効果をも初期化してしまう、俺の知り得る中で唯一の対魔術宝具。

 

 そう。俺がサーヴァントであった時、俺はこの剣を使い、遠坂との契約を破棄し、俺を殺す為に行動を起こしていた。

そして今、俺はマスターとしてそれを彼女に突き立てた。

 そしてそれは音もなく、本当の意味で俺たちの絆を打ち消してしまったのだ。

 

「この儀を持って、汝と我を繋ぐ魔の鎖は解けた……セイバー、これまで済まなかった」

 魔力不足だろうか。

 ガタガタと震え始める脚を必死で奮い立たせながら、俺はマスターとしての最後の言葉を彼女に告げる。

 最早体力も限界なのだろう。目の前にいるはずのセイバーの顔がハッキリと見えない。おそらくその表情は怒りに塗り込められているに違いないはずなのに、最後までこんな体たらくでは何を言われても否定などできない。 

「キサマ……! キサマという男は……」

「お前に足りないのは……魔力の供給源だ。俺の、俺なんかの貧弱な力より、傍にお前に相応しい主がいるだろう」

 苛立ち声を上げる彼女を制し、その人物を指差す。その先には言わずもがな、俺たちの為に必死に時間を稼いでくれている、焦りの表情を見せる少女の姿。

「そうか……納得はしていない。あとでキチンと釈明してくれるのだろうな、エミヤシロウ?」

「あぁ、でもこれがお前を最高の状態に引き上げる唯一の術だ」

 

 言葉の通り、納得のいかない表情を見せながらセイバーは再度、剣を片手に地を駆ける。俺はというとあまりの脱力感に、思わずその場に座り込んでしまう。

 不意に夜風が流れた。いつもの夜に比べれば弱々しい風だ。それでも強さを秘めた風。どんな時でもその風が吹けば勝利を確信出来た。

 そして今この時に感じたこれは、セイバーとの本当の意味での別れを意味するもの。

これまでウダウダと引きずり続けた、彼女に対する思いを打ち切る為のものになった。

 

 

「ーーーーッ!」

「……嬢ちゃん、分かるだろ? 人間とサーヴァントじゃ戦いになんねぇよ」

 一際大きく、ランサーの蛮声が庭に響き渡る。

いくら女だからといって、これ以上は彼も我慢の限界なのだろう。遠坂の撃ち出すガントなど、ランサーにとっては最早児戯に過ぎない。

 

「そんな事くらい……もうちゃんと理解してるわ」

 ガントの雨が止み、肩で息をする遠坂に向かい青の脅威が走る。

 心配する事はない。そんな達観したようなようにも見て取れる笑顔で遠坂は何かを向かい入れるように身体を逸らした。

 

「ーーランサー! 腑抜けた表情はそこまでだ!」

 青に肉薄する銀の閃光。

「やっときたかよ、セイバー!」

 火花が再び両者の間を飛び交い、再戦の合図を告げる。

 しかし嬉々とした表情を見せた刹那、槍兵の顔は先程以上に苛立ちに歪み、手にしていた赤の槍は俺の位置からでも分かるほどに、ガタガタと震えていた。

「ーーおい……貴様、何のつもりだ?」

 努めて冷静に、しかし深い怒りを孕んだ声が響く。

「流石は光の御子……一合打ち交わしただけで私の状態を理解出来るか」

 

 ニヤリと口元を歪めながら、必死にランサーの力に対抗しようとする彼女の姿は、彼からしてみれば戦いを愚弄するに他ならないのだろう。俺とのラインが切れてしまったのだ。今は彼女の中に残された少ない魔力だけで彼は槍兵と相対しているのだ。

これまでのセイバーの戦力がランサーの許しうるギリギリの状態であったという事は想像に容易い。どうにかその状態で戦い続け、打開策を導く事が出来れば最良ではあったが、俺がマスターを続けていては、セイバーの魔力が回復するのはあまりに時間がかかりすぎる。

 だからこそ俺はこれからの展開に賭けた。枯渇寸前のセイバーを前に、ランサーがどんな反応を見せるのかを。

 

 ランサーは剣を受け止めていた槍を振り回し、セイバーを強引に引きはがす。明らかに故意的に間合いが広げらる。

 知っている。

 俺はこの間合いが意味する所を知っている。

 

 それはまるで槍が周囲の熱量の全てを奪い尽くしているのではないかと思われるほどに、冷気が俺が座するこの場所まで伝わってくるのだ。

最早この場全てがランサーの、あの赤い槍の間合いである事は明白だ。

「興が削がれた。次の一撃で貴様を殺す。戦いを愚弄した貴様は、最早俺の前に立つなど……」

 再び、冷ややかな声が庭に響く。

 それは彼にとっての最後の宣告。

 下に向けられる槍は、主の声を待つかのように静かに煌々と自らの赤を滾らせる。

最早今の状態のセイバーは為す術無く、それに貫かれるだろう。

 

 しかしこんな状態になる事を、予想していなかった訳ではない。

 

「ーー結論付けるには些か早計だぞ、ランサー」

 剣を下段に構え、臨戦態勢のランサーにそう告げる。端から見ればそれは強がりに他ならないだろう。

苦しそうに肩で息をしている彼女が勝利を掴む事が出来るなど、誰も思うはずもない。

 

 

 

 そう。しかしそれは今の“マスターのいないセイバー”であればの話である。

 

 

 

“ーー告げる! 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に! 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うのなら……”

 

 

 響き渡る、契約の言葉。

 そして背後に飛び退き、その音を放った主の傍に駆け寄る銀の光。

 

「……! なるほどな、そうゆう事かよ」

 ランサー自身も彼女たちがしようとしている事に気付いたのだろう。しかし彼は構えを崩そうともせず、ただそれを睨みつけていた。

彼の中ではセイバーを殺す事に変わりはない。それが早いのか、遅いのかの違いに過ぎないのだ。

 

「我が命運、汝が剣に預けよう! 来て、セイバー!」

 

 捧げられる言葉、不意に彼女の握りしめた右手の甲に、赤く輝く紋様が現れる。

再び遠坂凛という少女が、聖杯戦争を戦う事を認められたという証が、そこに舞い戻ってきたのだ。

「我が名に懸け汝を受け入れる! 凛、貴方に我が剣を預けよう」

 

 そう。これが俺と遠坂の真の目的。

俺の貧弱な力では結局セイバーを完全に活かしきる事は出来ない。

しかし遠坂ならばどうか。考えるまでもなく、セイバーのポテンシャルは最大限に引き出され、完全な力を得る事が出来るはずだ。

 

 俺の横を吹き抜けていった風が、それが間違っていなかった事を告げる。

 彼女の甲冑を覆う魔力の渦が、決して敗北する事などないとそう言いきっているのだ。

 

 思わず声を失い、その光景に見入ってしまう。

 否、真に賞賛すべきはセイバーではなく、セイバーにこれほどの魔力を供給する事の出来る遠坂の方だ。

 

「ーーマジかよ。確かにまだまだ戦える。それどころか……」

 その光景に驚いているのは、ランサーも同様であった。

 

 同じサーヴァントであって、これほどまでに圧力を感じる敵は他にいないだろう。それほどまでに真のマスターを得た彼女は強大。

 

 剣の英霊であるセイバーの力をここまで示されては、彼も黙って入られないのだろう。

 不満に満ちた表情は一体どこに消えたのか。ニヤリと口元を歪め、彼の持つ槍は更に周囲の熱を吸い込んでいく。

 

 剣をやや下段に構え、視線をランサーの槍に向けたままセイバーは呟く。

「凛……貴方のその勇気に報いよう」

 彼女なりの決意の表れの言葉。そして身を呈して時間を作った遠坂に対する感謝の言葉。

 その言葉を受けとりキュッと唇を噛み締め、遠坂は言葉を返す。

「セイバー、私に勝利を……!」

 シンプルな言葉。しかしそれだけで充分であった。

「無論、そのつもりだ」

 満足げに声を上げ脚部、そして甲冑を通し、聖剣の総てに魔力が滾る。

「ランサー、続きを始めよう。最早私に何の憂いもないぞ?」

「そうだな……いくぞ騎士王! 我が槍の一撃、止める事が出来るなら止めてみせろ!」

 

 そこにはもう言葉は要らなかった。

ただ両者が繰り出すのは最後の一撃。あまりに短いこの夜の終わりを告げる最後の衝突。

 

「止めはしない……只、正面から相対するのみ」

「その心臓……貰い受ける!」

 

 青が地を蹴り、銀の軌跡が跳ねる。

 俊敏さを最大の武器とするランサーと、それと同等の速度で接近するセイバー。瞬きの間に互いに得物の触れ合う位置まで入り込む。 

 

「ーーーー刺し穿つ(ゲイ)」

 

 同時に打ち交わされると思われた得物は、ランサーの魔力を帯びた言葉に遮られ、

 

 

「ーーーー死棘の槍(ボルク)ーー!」

 

 真の名を告げられた赤の呪いは、逸れる事なく真っ直ぐにセイバーの心臓に向かって軌道を描いた。

 

 その名が口にされれば、一つの結果以外何も生み出さない。

 『槍が心臓を貫いた』という結果の上に、槍を放つこの“刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”を前に、どんな戦士であろうともそれを遮る事は出来ない。 

 

 

「っ……く!」

 

 無論、それはセイバーであっても同様であった。

 甲冑を突き破る重々しい音に続き、苦悶に満ちた響きがセイバーの口から零れる。夥しい血を口から、そして甲冑の隙間から溢れさせながら、彼女はその呪いを真っ向から受けきったのだ。

 去なす事の出来ない衝撃。何より心臓に当たる事が運命付けられたその槍を受けててしまえば、脚を止めてしまう事は必至。

 

 

「ーーーーーーーーーアァ!」

 しかし銀の閃光は止まらない。

 二の足を踏むであろうその場面で、彼女は更なる一歩を踏み込み、下に構えた剣をランサーに向かい、斬り上げようと力を籠める。

 

「……セイ……バー!」

 彼女の動きに槍を引き戻そうと、槍を引くランサー。

しかし言うまでもなく、彼の槍はセイバーに突き立てられたまま、戻す槍がどうしても遅れてしまう。

 

 そう。セイバーはこれに賭けていたのだ。

 

 道場で、これまでについて話した時、サーヴァントの情報については総て彼女に話していた。

彼女なりに考えた結果、ランサーのゲイ・ボルクを完全に回避する事は不可能であると判断したのだろう。

 だからこそ、彼女は自らの持つ『直感』と『幸運』に賭けたのだ。

 『心臓を穿つ』のであれば、そこに当たらないように直感し身体を動かし、その結果を導き出す為の幸運を祈るしかない。

彼女はその大きな賭けに勝利し、どうにか心臓を穿たれることなかった。

 

 そして今、必殺の一撃を加えんと、力を籠めたその剣は斬り上げられる。まるで月をも斬らんとするほどの鋭さのまま。

 

「ア、はっっ……ーー!」

 痛みに耐え繰り出された剣が弧を描く。  

 ただ視界に痛いほど痕跡を残す光の軌跡が、その剣がランサーに振るわれた事を指し示している。

 刹那、ランサーの胴、そして口から夥しい赤が吹き出す。

 彼の手に携えた赤よりも、より濃い赤。

 最早死に体と化した槍兵の身体は、携えていたはずの槍すら持てぬほどに手を振るわせていたのだ。

 

「ぐーーーーあ……ッ」

 赤の槍を身体から引き抜きながら、セイバーはヨロヨロと数歩離れ、再びランサーに切っ先を向ける。

 

「……まさか我が必殺の槍を受けると分かっていても尚、一歩進む事が出来るとは」

 槍を引き抜かれた後、寄る辺をなくした彼は地に膝をつき、ただその自身の血に濡れた剣の切っ先を見つめ、穏やかに微笑んだ。

 そこに鬼気迫る様子は見られない。

ただ彼が全力を尽くし、そして死力を尽くしてセイバーがそれに打ち勝ったというその事実だけがこの場の答えであった。

 

「貴方が光の御子であると分かっていなければ、進む事は出来なかった。そして……私は我が幸運に賭けた」

 剣を降ろしながら、セイバーは言う。

 あくまで幸運であったと、厳しい表情を見せたのだ。

 

 その表情に拍子抜けしたのだろう。

 そうか、と低い声で呟く。

「チーーーーやられたぜ。これだから強えぇ女は……」

 

 ただ、楽しかったと満足げに笑いながら。



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誇り高き槍兵の最期

 

 

 

 血を吐き出し、その場に座り込みながら男は笑った。

「戦った……戦ったぜ」

 そう口にした表情はどこか悲し気であった。

 いつか、彼は言った。

 

 二度目の生には興味がない。ただ、強い者と戦いたいのだと。

 

 その願いはようやく果たされた。しかし、それでも戦いに対する欲求は尽きない。ただ自らの内から溢れ出てくるその願望がたまらなく惜しかったのだろう。

 呆れるほどの戦闘狂。しかしその純粋さ故にこの男は、ランサーという男は強いのだろう。こんな体たらくの俺にとっては、羨ましい限りだ。

 

「おい、何でそんな顔してんだよ。負けたのはオレ。勝ったのはお前だろ」

 ランサーはケラケラと笑いながら、憎まれ口を叩く。

その言葉を受けた少女は神妙な表情のまま、ただ自らがこうして立っているこの現実を受け止めながら、冷静に言葉を紡ぐ。

 セイバーにとって、この勝利は偶然に引き寄せられたモノであるという実感があったからだ。

「いえ、御身の真の名を知らなければ、私は貴方に先の一刀を浴びせる事など出来なかったでしょう。それほどまでに貴方は勇敢であり、そして強い男でした」

 そう。彼女にとってランサーの情報があったからこそ、自らの直感に賭ける事が出来た。そして単なる力だけでは決してかれには勝てなかったのだとセイバーはそう言葉を付け足す。

「言ってくれるじゃねぇか、騎士王」

 そのあまりに真っ直ぐな言葉に、苦笑いを浮かべながら、苦し気に息を吐き出すランサー。もう彼の身体は消えてしまってもおかしくはないだろう。それを押し止めているのは、彼の強固な意志ではないかと、俺には感じられた。

ただ離れた所からその光景を見つめる事しか出来ない自分が、かつて同じ光景の中にいたはずの自分があまりに歯痒かった。

 

「ーーそれでもお前の勝利は揺るがねぇよ」

 片手で槍を持ち上げ、セイバーにその切っ先が向けられる。普段と変わらぬ冴えた赤の輝きが彼女の顔を捉える。しかしその輝きが時折カタカタと覚束無い様子があまりに痛々しく、同時に彼が真の強者なのだと印象づけていた。

「いや、私が凛と契約出来ていなければ、勝っていたのは貴方だ」

「ーーうるせぇよ」

 セイバーの発言に一喝、絞り出すような声でランサーは続ける。

「もしもとか、例えばとか、そんな仮定の話はいらねぇ」

 今、この現実が総てなのだと彼は告げた。

 当事者が成り得なかった物事について語る事など、あまりに不毛ではないかと笑ったのだ。ただ結果のみについて語れば良いのだと。

 震える槍を降ろし、辛そうに立ち上がりながら空を見上げる仕草はまるで何かに懺悔するようですらあった。

 

「オレが嬢ちゃんに対して甘かった」

 分かっていた。遠坂がランサーの前に立ちはだかれば、きっと手を抜くだろうと。 

 

「オレがお前と心行くまで戦いたかった」

 それを利用したのだ。彼が純粋に強い者と戦いたいと望んでいる事を知っていたから。おそらくこれが最後の機会であると直感していたのだろう。

 

「オレの想像以上に、あの坊主が策士だという事を理解してなかった」

 これこそが俺にとっての一番のアドバンテージだった。どれだけ卑怯であろうと、それがなければきっとセイバーは勝ちを得る事が出来なかったはずだ。

 いや……きっとそんな心配は杞憂だ。俺がどれだけ足掻こうが、結果は何も変わらないと既に知っている。

きっと、セイバーは勝つ事が出来たのだと俺は信じているから。

 

「それが、オレの敗因だ」

 

 ランサーの吐き出した言葉は白く冴え、瞬きの間にその形を失ってしまった。

悔し気な言葉だった。しかし浮かべた表情だけはどこか幸せそうに、優しいモノであった。

「強いヤツと、戦いたいたかった」

 それは聖杯に託すまでもなく、この世界に召還された者であれば叶える事の出来たはずの望みであった。

「……それがオレが貫き通した馬鹿みたいな意地だったんだよ」

 あまりに不遇であったこの聖杯戦争の中で、唯一彼が抱き続けた意地。

ここまで血を吐き出し覚束無い四肢に鞭を打ちながら、彼はそれでも意地を貫き続けた。

「ーーランサー。騎士として、貴方に最大限の尊敬を」

 凛と声が響く。

 耳障りの良い、澄み切った言葉だ。

 ランサーの堂々とした様に全く劣らない、勇ましい表情。互いに死力を尽くして戦ったからこそ交わす事の出来る言葉がある。彼女が短いながらに放ったその言葉こそ、それに違いない。

 夜の闇は広がり、ランサーの撒き散らした赤を覆い隠す。月明かりすら、重く広がる雲が隠してしまった。

 まるでランサーの命の灯火も、消し去ってしまうかのように。

「あぁ、なんて贅沢だ……本当に、騎士王様にそう言ってもらえただけで満足だ」

 槍を地面に突き刺し、もう一度身体に力を籠めるランサー。

隠れかけたはずの彼の赤が更に上から塗り重ねられていく。

「本当に、本当に満足だぜ……」

「ランサー。貴方は……」

 彼のその仕草に違和感を覚えたのだろう。セイバーは怪訝な表情を作りながら一歩彼に近づこうとした。

 

 

「そう、思ってんだ。そう思ってたのによ……」

 

 

 その刹那、俺には聞こえた。

そしてきっとそれは疲弊しているはずの彼の耳にも届いていたはずだ。

 

 

 

 

 

「お前は、オレをコケにしてぇんだな、お前は!」

 

 

 

 

 

 飛来する複数の風切り音。

 無論、何かは推察するまでもない。

「ーーッ、上か!」

 素早く俺たちの前に移動し、防御の構えをとるセイバー。

 

「舐めてんじゃーーーーねぇぞ!」

 彼女が動いたのと同時に、飛来する何かに向け自身の得物を投擲するランサー。

目にも留まらぬほどの速度で投擲された彼の槍は、おそらくその衝撃から大抵のモノの勢いを殺すだろう。

 しかし瀕死の重傷を負って、かなりの時間が経過しているランサーにとって、その投擲は本来の力を充分に発揮出来たものではなかった。

 刹那、轟音を起てながら撃ち落とされる何か。

衝撃と砂埃を起こしながら、それは相対したランサーの身体を覆い隠し、状況を見ていたこちら側の視界すら奪っていく。

 しかし視界を奪う刹那、俺にはハッキリそれの正体を垣間みた。

「ーーあ、れ?」

 そしてそれは勿論、俺の隣で事の成り行きを見守っていた遠坂も同様であった。

「遠坂、動くな!」

 その真偽を確かめようと自然に身体が動いたのだろうか。遠坂は茫然としながら、前に出ようと身体を動かしていた。それを強引に腕を引きながら妨げる。

 全くの無自覚だったのだろう。何故腕を掴まれたのかを理解出来ない顔を見せながら、彼女はただ首を縦に振った。

「凛、シロウ! 無事ですか!?」

「だい、じょうぶよ。セイバー、貴女は?」

「私は無事です。それよりも……」

 

 そう。土煙は晴れた。月明かりを隠していた雲もいつの間にかその姿を消し、優しい光が大地に降り注いでいた。

 

 その優しい光景の中ただ一人怒りを湛えたまま、狙撃手を睨みつけるランサーの姿があった。ただ狙撃手の放ったであろう何かをその身に受け、全身から血液の赤を吹き出し立つ姿にはまるで生気を感じる事が出来なかった。

 

「気に食わねぇ! テメェのような男が一番気に食わねぇよ、なあ!」

 怒号をあげる。シンと静まっていたはずのこの庭に、ランサーの言葉だけが響き渡る。

 その叫びはまるで、痛みに声を上げているようですらあった。それを表に出さないのは、ランサーの強みであろう。流石としか言いようがない男だ。

 

 しかしランサーのその姿を目にしながらも、淡々と言葉を返す姿があった。

塀のこちらを見下ろしながら、佇む影は一つ。闇に沈む黒を身に付け、ジッとこちらを見つめている。

 月明かりにその姿が照らされた瞬間、俺の後ろにいた遠坂がビクリと身体を震わせた。

どれほどまでに、塀の上からこちらを見下ろす闖入者の存在が、彼女にとっては不可解だったのだろう。

確かに俺たちは、その男と数時間前に今生の別れをしたはずだったから。

 

「ーー失望したぞ。ここまで弱ってしまうとはな」

 その言葉からおおよそ感情を感じ取る事は出来なかった。

辛辣な言葉を吐きかけたにもかかわらず、こちらから見て取れるその男の表情は無感情そのものであった。

 一瞬、あの朝の森の中で垣間見た、苦しそうな表情が脳裏を過る。あの表情を浮かべていたときから、その男はこの状況を予見していたのだろう。それだけにこの男が腹立たしい。 

 

「テメェ……テメェのような男に!」

 そうだ。きっとランサーも同じ思いなのだろう。

彼にとっては一番の楽しみを奪われ、その上そんな卑怯者から一撃を見舞われてしまったのだ。彼が怒りを抱いてしまっても仕方がないことだろう。

「最早見る影もないか……」

 ランサーの言葉に、闖入者は何の反応も見せる事はない。

 ただ音もなく、男はランサーの前に降り立ち、自らの手に顕した得物を掲げる。

 殺し合おう。あまりにシンプルな意思表示。

 それに応じるように再び敵に向け、深紅の槍はその切っ先を光らせる。同時に、地を蹴るランサーの姿。しかしそれはあまりに遅い。

 ランサーのランサーたる由縁は“俊敏さ”だった。

 しかし彼が誇るべき速さは見る影も無い。

 ただヨロヨロとその脚を動かす事すら辛い事なのであろう。必死の思いで突き出されたその槍は、あまりに簡単に回避され続けた。

「……焼きが、回っちまったかよ!」

 自身の体たらくを嘆きながら、それでも彼は攻撃をやめようとはしない。

 ただそこにはプライドがあった。

 負ける事があっても、自ら槍を置く事はしないという信念があった。

 

 俺は彼を単なる戦闘狂だと揶揄していた。

しかし今の彼の姿はどうだ。血を吐きながら戦い続ける姿はどうだ。

 

 それは戦闘狂なのではなく、真に英雄と呼ぶべき誇り高き男ではないか。

 羨望の眼差しを向けられるべき、男の姿ではないか。

 

 本当に、俺はこのランサーという男が嫌いだ。

ここまで男としての格の違いを見せつけられては、こちらが惨めになってしまう。

そんな姿を見せられては、嫌いであってもその勝利を願わずにはいられないではないか。

 

 しかし現実はそんなに甘いものではない。

 

 弱々しいが穿ち続けた彼の突き出した切っ先は、ついに男の剣の横薙ぎにあっさりと去なされる。その衝撃を受けきる事も出来ず、横に流れながら倒れ込むランサー。

「ーーーーぐーー!!!」

「……弱い、弱々し過ぎる」

 数合。たった数合打ち交わしたに過ぎない。

 しかし男とランサーの戦力差は、それだけで測る事の出来る程に開ききっている。

「全く残念だよ。君との再戦は私にとっても楽しみであったのだがね」

 カランと、手にした剣をその場に打ち捨て男は語る。

 それは男が口に出来る、ランサーに対する唯一の皮肉だ。

 先の戦いでランサーがセイバーに告げたように、もう一度その力を奮い立たせてみせろという彼なりの言葉だ。

「何、言ってんだよ。冗談にしちゃ笑えねぇぜ……」

「フーーーー流石はランサー。しかし私の真意に気付いた所で、君にはもう後はない。素直に消える事をお勧めするがね」

「大きなお世話だ……貴様の言葉など、聞く耳持たん」

 語る二人の間に、これ以上の言葉は不要であった。

 ただ消えゆく者と、打倒した者。

 それがはっきりとこの場に知らしめられるだけで十分だったのだ。

 

 

「ーー最後だ……」

 

 

 告げる言葉は一つ。

 

 

「オレの最後、貴様にくれてやる……」

 

 

 槍の切っ先を下に構え、息を吐き出す。

 吐き出す息に混じり、鮮血が飛び散る。

 

 言葉の通り、それはランサーにとっての最後の一撃。彼が放ち得る、最後の呪い。

 

「篤と味わえ……」

 

 ランサーの身体が弾ける。

 地を蹴り、そして血を吐き出しながら、その身体は突風となり男との間合いを一気に詰める。

 先の弱々しい疾走ではない。

 ただ相手を確実に刺し殺さんがための疾走。

 その瞳に宿るのは一つ。

 ただ目の前の男を打倒せんという意志。

 

 刹那、青が沈み込む。

 魔槍を構えた槍は周囲の魔力を吸い上げ、その名を告げられるのを今か今かと待ち構える。

 

「ーーーー刺し穿つ(ゲイ)」

 

 放てば心臓を穿つ因果の槍。

 槍兵の最後の一撃は今この時、その結果を導き出そうとした刹那、

 

 

「ーーーI am the bone of my sword(我が骨子は捻れ狂う)」

 

 

 冷ややかに、その言葉は紡がれた。

 

 

「ーー偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)……」

 

 曰く、

 

 稲妻を意味する一振り

 

 彼の者の師が有していた一振り

 

 そして今、青の槍兵を貫き殺す一振り

 

「ーーおいおい……」

 

 決着はあまりに呆気のないものであった。

 ただランサーの宝具の発動よりも速く、男の放った矢は彼の身体を捉え貫き、彼の立つ後方に大穴を開けた。

 

「ったくよ……面白さの欠片もねぇ」

 

 そう呟きながら自身の身体に開いた穴を憎らしそうに見つめる。

 

 元来のランサーであれば男の攻撃の前に、自身の宝具を放つ事が出来ていたはずだ。しかしセイバーとの戦いを経て、本来の力を発揮する事の出来ない彼にとって、それは叶う事のないものであった。

 

「すまねぇな。最後までこんな無様でよ……」

 溜め息に混じりのその言葉はきっと、俺たちに告げられた言葉ではない。

 振るわれる事のなかった槍が音をたてて彼の足に突き刺さり、彼が最早それを持つ力すらない事を示していた。

 

「じゃぁな、バゼット……」

 自らの垂れ流した赤に身を沈め、ついにランサーはその身を横たえた。

 

 

 ここに誇り高き槍兵はその短き戦いの日々に、幕を落とした。

 

 

 

 



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裏切りの弓兵

 

 

 耳につく不快な音をたてながら、青の槍兵がその身を沈めた。

 最早ソレは言葉を発する事はない。後はその身が光となり、その痕跡がなくなるのを待つだけである。

 

 ただ槍兵を射殺し、所々綻びを見せる捻れた剣がその存在を怪しく輝かせていた。

 

「セイバー! 呆けるな、防御だ!」

 そう、違和感だ。

 意味もなくあの男が自らの武器を放置する訳がない。ただ突き立つそれは、自らの主からその名を解き放たれる事を待っているのだ。

 

「ーーーーっ!!」

 焦りの表情を見せるセイバー。

 防御と言ってもソレを遮る者などは何もない。そうならばオレ自らがそれを遮るものを作るしかない。

 

 

 最早一刻の猶予すらない。

 だが間に合うのか。

 否、間に合わない事があろうか。

 自らの裡に埋没する事に時間など要らない。

 あとはただ……この掌を広げればその場に顕われる。

 

 

「壊れた(ブロークン)……」

 低く、闇夜を揺らすような響きがこちらに伝わる。その響きがこちらに告げるのは、俺を殺す意志。この場の全てを巻き込んだとしてもそれを為そうとする明確な意図。

 そして俺の後ろには遠坂、そしてセイバー。セイバーはどうにか出来るだろう。しかしこんな状態の遠坂を放っておくなど、あまりに酷な事だろう。

故に回避など許されるはずがない。

 ただゆっくりと閉じていた瞼を開ける。

 血だまりの傍に突き立つそれに、魔力の滾りが行き交う。今まさにそれは解放されんとしていた。

 

「熾天覆う(ロー)ーー」

 今その手に顕す。俺が唯一創り出す事の出来る、守りの要を。

 

「七つの円環(アイアス)ーーー!!!」

「幻想(ファンタズム)!」

 

 

 展開される七つの花弁。刹那、吹き渡る轟音と熱風。

 内包された魔力の暴発により、周囲を一気に焦土とするまさに魔力の散弾銃。

 対して俺の手に顕したのは、幾度となくこの身を守り続けた、彼の英雄の盾。

 その守りは悠々と、その衝撃からこの身体、そして遠坂たちを守っている。しかしその守りから身体を反らしてしまえば、おそらく一瞬にしてこの身は蒸発してしまうだろう。

 

 しかし足りない。

 その爆風はこの盾を壊し得るには足りない。

 その衝撃はこの身体を破壊せしめるには足りない。

 

「なんで、こんなにも簡単に……」

 それらは明らかに手を抜いていることを示している。

アイツがその気であれば、俺の展開したこの盾を易々と撃ち抜く事が出来るはずだ。何よりこの衝撃の最中、何も手を打ってくる事がない時点で何か別の目的があって行動を起こしている事は明白。

 

 そう。きっと別の策がある。

 わざわざこの場に姿を見せた理由も、俺たちを足止めする為のこんな大げさな攻撃も、本来の目的を果たす為の目くらましに過ぎない。

「ーーまさか……ッ!」

 刹那、脳裏に少女の顔が浮かぶ。

 疲れ果て、その身を休めている少女。

 そして戦いに敗れ去ったサーヴァントの魂の受け皿となる少女の姿が。

 

「待て……何でだ! 何でだよ!」

 今更彼女を手中に納め、何をしようというのか。

 こんな状況になっても、聖杯を求める理由はあの男にはない。寧ろこの期を利用して何故俺を殺しにこないのか。

 

 しかし俺が考えを巡らせている間にも、衝撃は収まる事はない。

 ただ盾を展開し続けるこの身は徐々に軋み、携える手は悲鳴を上げるかのように血を垂れ流している。

 

 もし、アイツの行動が自らの意志でなければ……そう考えればこの不可解な行動にも合点がいった。

 そう。もしあの子が彼女を求めているのであれば。

そして、未だに暗躍を続けるこの戦いの監督役が裏で手引きをしているのであれば。

 

「ッ……ああああ!!」

 

 俺が吐き出した声を最後に、魔力に起こされた爆発がその衝撃を静まっていく。

 焼け焦げ見る影もない庭。そしてランサーがその身体を横たえていたはずの血だまりの後が目に痛い。

 しかしそれよりも尚、俺には優先すべきモノがある。

 衝撃の全てが治まった事を確認し、乱暴に手足を動かす。目指す場所は彼女の寝ている、元々は親父の部屋だった場所。

 

 おそらくこの慌てぶりに、俺の後ろにいたはずの二人の少女は唖然としてしまっただろう。

 そこまで理解していても、俺は動かずにはいられなかった。

 靴も履いたまま、そこが部屋の中である事すら考えていられなかったのだ。

それは彼女と交わした約束があった。俺がこの聖杯戦争の中で唯一交わした約束があった。

 

 果たさなくてはいけない、最後の誓いがあったから。

 

 

「ーーーーッ……! イリヤ……」

 そう。そこにはイリヤがいたはずだった。

 安らかな寝顔がそこにはあるはずだったのだ。

「いない……やっぱりアイツが」

 彼女が身を横たえていたはずの布団は乱暴に踏みつけられ、親父の写真の飾られた棚は無惨にも打ち壊されている。

それは侵入者がイリヤを連れ去った事実を示していた。

 

 

 それは、俺にとっては起こってはならない事態であった。

 

 

「――――士郎、ねぇ士郎!」

 そして俺の背後から声を上げた遠坂も、この事態を飲み込めずにいた。

 俺の急いだ後を追いかけてきたのだろう。肩で息をする彼女の表情は困惑に満ちている。

 無理もない。ランサーに止めをさし、この惨事を引き起こした張本人の正体を理解しているのであれば、それは当然の事なのだ。

 俺自身、こうなってしまう事など考えもしていなかった。

 いや、正確には『アイツがこうまでして、目的を果たそうとするとは想定していなかった』と言う方が正しいのかもしれない。

 

 アイツは……いや、かつての俺は霊長の守護者なのだ。

 それを危機に貶める存在があるにも関わらず、自らの意志を優先する事などあっては成らないはずなのだから。

 

「遠坂、大丈夫か?」

「違うのよ、そうじゃなくて!」

 肩が震えている。

 決して疲れからそうなっている訳ではない。

ただ事実を理解しながら、それを認める事が出来ていないのだ。

「言いたい事は分かってる。お前ももう……」

「落ちつかなきゃって事くらい分かってるわよ! イリヤがいなくなってるのも分かってる。ランサーだって……」

 最後の言葉を言い淀み、遠坂は口を噤む。

「凛! シロウ! 無事ですか」

 遠坂に遅れながら、セイバーが部屋に足を踏み入れてくる。

彼女の登場は遠坂にとって、タイミングの良いモノだったのだろう。混乱に振るえていたはずの彼女の顔は水を打たれたように冷静になり、いつもの凛とした表情を取り戻していた。

「セイバー! 貴方は無事なの!?」

「今は動いてはいけません! ランサーを屠った敵は確実に私たちを監視できる状態にあります」

 しかしその一言は落ち着きを取り戻していた遠坂を、更に困惑させた。

「でも……敵って」

 そう。こんな状況に陥った今でも、どうしてもその一点を認めずにはいられないのだ。

 赤の紋様の浮かぶ手を口元に持っていきながら、カタカタと再び振るえ始める。遠坂なりの、必死に困惑を隠す仕草だ。

 ただそれがあまりに悲しすぎた。それは今までに見た事のない、彼女の弱々しい一面だったからだ。

「分かっています。今は状況を見極めてください」

 セイバーは外を見据えながら冷静にそう言い放つ。

 次の手を打ってくるであろうあの男に対し、警戒をしての事なのだろう。自らのマスターが困惑していては、どうにもならない事を十分なほどに彼女は理解出来ているのだ。

 

「何がしたいんだ。一体……」

 セイバーに倣い、部屋の外に目を向けながらそう呟く。

 答えは出ている。しかしそれとは裏腹に俺自身も困惑していた。

 俺であるはずのあの男がそんな行動を起こすはずがないと、未だに心のどこかで思おうとしている。

 

 だが視界に入ってきたその光景が、その考えを打ち崩していく。

 

 月明かりを背に受けながら、その男は立っていた。 

 崩壊した庭の中程、力の限り疾走しても数秒はかかるであろう距離。

 男を象徴していたはずの赤の外套は身には纏われておらず、焼け焦げた褐色の肌が光に照らされそれを露にしている。

 しかし月の光などよりもその褐色を際立たせるものを男は抱きかかえていた。

 

「――なるほど。これはなかなか妙な光景ではないか」

 この部屋に寝ていたはずのイリヤを抱きかかえたまま、ニヤリと顔を歪め最後のサーヴァントはそこにいた。

 数時間前、死地に残ったはずの遠坂のサーヴァント、アーチャーは何も変わらぬ姿のままそこに佇んでいたのだ。

 

「やはり、貴方だったか……」

 手に握った剣に力を籠めながら、再び庭に降り立つセイバーは納得した風にそう呟く。

 冷静なままに状況を見極めていた彼女なら、突如襲いかかった攻撃を放った主が誰なのかは想像に容易かっただろう。

 そしてアーチャーの目的が分からなくとも、自分たちに対し仇なす存在であるという事は分かりきっているはずだ。

 しかしセイバーの言葉に対し、アーチャーは何の反応も示さない。

 ただジッとセイバーと遠坂の両者を見つめた後、冷ややかな視線を俺だけに向けながら独り言のように呟いた。

「確かに……私ならば、そう選択するはずだ。しかし、それでも貴様は違う。決して私などではない」

「今貴方には何も言うまい。しかし敵対するというのなら、私は躊躇なく貴方を打倒しよう」

 剣を掲げる事はせず、ただ必殺の意志を籠めた光を湛えながらセイバーはそう宣言する。

しかしその彼女の精悍な闘気を浴びながらも、アーチャーは皮肉に笑いながらこう告げた。

「待ちたまえ。我が名を忘れた訳ではあるまい」

 

 シンプルなまでに、的を射た言葉。

 アーチャーの発言は今の現状の全てを物語っている。

 

「君の後ろには足手まといが二人もいる。そして君はランサーから受けた槍の傷を未だに治癒しきれていないのではないのかね? そんな状態の君が相手であれば、私は負ける事はないだろう。そう……この名に賭けて、君を、そして後ろに居るこの場にいる二人すら射殺してみせよう」

 そう。いくらセイバーの治癒能力が優れていたとしても、先刻ランサーの必殺の槍を受けたばかりのその身体では十二分に戦う事は出来ないだろう。

 その上向こうには人質がいる。乱暴な手段をとる事は出来ない。

「――クッ……」

 否定する事の出来ない事実にセイバーは言葉を失う。

 

 そしてアーチャーはそれで良いと付け足しながら、

「さて、私は主からの命は果たした。この場は退散させてもらいたいのだがね」

 淡々とそう言い放ち、アーチャーは立ち去ろうと身を翻す。無論、イリヤを抱きかかえたまま。

 

 それを見逃す訳にはいかない。

 魔力不足にあえぐ身体に喝を入れ、セイバーの前に飛び出す。

「……何で、何でイリヤを連れて行く必要がある? 何でお前が意味のない事をする必要がある!」

「……」

 俺の言葉に、返答はない。

 ただ月に照らされた背から感じる、明らかなまで殺気だけが俺の言葉に対する答えなのだろうか。

 しかし何の言葉もないままに立ち去ろうとしたアーチャーはふと足を止め、

「真実を知りたいのなら彼女の……我がマスターの下へと来るが良い」

 こちらを振り返らずに、そう一言告げた。

 

「待ってるのか? あの子が、俺の事を?」

「これ以上、貴様の質問に答える義理などない。この少女を連れて行けば自由を約束されているのでね。この身が自由になり次第、私は貴様の全てを殺し尽くす。これは願望ではなく、宣言だ」

 皮肉など一切なく、ただ自らに誓うようにそうつげられた言葉は、身震いするほどの恐怖を感じさせた。いや、アーチャーだけではない。桜がアーチャーを使役してまでイリヤを攫い何をしようとしているのか、俺には理解する事が出来なかったのだ。

 彼女が聖杯に縋るほどの願いを持っているとは思えなかったから。

「ーーッ、貴様!」

「言ったはずだ。君は動くなと……死にたいのか?」

 アーチャーのその宣言を耳にし、苛立ちを露にしながら剣を手にかけるセイバー。彼の鋭い言葉は再び俺たちの絡み付き、動く術を奪ってしまう。

 

 俺たちが動く事が出来ないのを肌で感じ取ったのだろう、フッと鼻で笑いながらあーちゃーはそれ以上のことを語る事はない。

「待たせ過ぎては我がマスターの怒りを買ってしまうのでね。それでは、失礼……」

「ーー待ちなさい!」

 

 しかし俺とセイバーが動く事の出来ない中で、唯一動く事の出来る少女がいた。

俺の後ろで事の成り行きを見守る事しか出来なかった彼女はただアーチャーの語る、自分以外のマスターの存在が許せなかったのだ。

「遠坂、凛か。息災で何よりだ」

「マスターって、マスターって何よ! 私以外にアンタのマスターがいる訳ないじゃない。無事なら何ですぐに戻ってこないのよ……私がどれだけ心配したか、分からないアンタじゃ……!」

「いや、君は既にセイバーのマスター……私の敵だ」

「……敵? 違うわ、私はアンタの……!」

 

 それはまるで今生の別れのように、元は彼女の従者だった男から告げられた。

かつてともに肩を並べ、聖杯を奪取せんと誓った二人の関係はここに終わり、相対する敵となった事を示していたのだ。

「それではな。来るなら早く来る事を勧める。彼女は真の意味で箍が外れかかっているからな」

 

 そして弓兵はその場から消えた。

 ただ自身が引き起こした宝具の爆発により、焼け焦げた庭と為す術無く彼を見送るしかできなかった俺たちを残した。

 

「嘘でしょ。ねぇ、嘘って言ってよ……そうよね、アーチャー」

 そう口にしながら、膝をつきその場に倒れ込む遠坂。

 俺も一度その表情を目にした事がある。しかしその時は彼女の強さを垣間見頼もしいと思えたが、今は見る影も無い。

 こんな別れ方では、後悔するのはアイツであるはずのなのに。

 

 

「自分の使命を裏切ってまで、何故俺を殺す事を優先するんだ、お前は……抑止の守護者じゃないのかよ、エミヤシロウ……」

 

 

 



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ーinterludeー

 

 

 

「お疲れさまでした。褒めてあげます」

 

 少女は笑顔を浮かべた。

 しかしそれは目にして心地の良いモノではなく、身の毛も弥立つのほどの周囲に与えるほどに醜悪なものであった。

かつての少女であればそんな笑顔を浮かべることなど、決してありはしなかっただろう。しかし今の彼女の間桐桜の表情は悪意に満ち、瞳は憎悪の色を湛えていたのだ。

 

「お褒めに預かり光栄だ、我が主よ。しかしな……こんな瑣末ごとに私を駆り出すなど、時間の……いや魔力の無駄遣いとは思わなかったのかね」

 彼女のそんな皮肉めいた言葉を受け、淡々と返答する褐色のサーヴァント。

アーチャーは自らのマスターからの命を果たし、その場所に戻ってきた。暗闇の支配するその場所、この戦いの大元となる本来の輝きを失ってしまったモノ場所だ。

「そんな出し惜しみ、今更意味ないでしょ?」

 アーチャーに視線を向けることなく、桜はただそう返した。彼女にとってはそれこそ瑣末なことだったのだろう。間桐桜にとって、興味があるのは一つだけだった。

そのことにはアーチャー自身も気が付いていたのだろう。だからこそそれ以上の追求を彼はしなかった。そんなことをしても徒労に終わると実感があったのだ。

「無意味……そうか、無意味というか」

「どうでした? あの狗さんと戦った感想は」

「存外、何の感慨も浮かばんさ」

 そう。その言葉に偽りなどなかった。

ただ弱き者が死に、強き者が生き長らえたというシンプルな答えのみがそこに横たわっていただけであった。だからこそ彼は何も感じることはない。それは生前から、彼にとっては当たり前のことであったからだ。

「……嘘」

「ランサーは既に死に体だった。私が手ずから止めを刺さずとも、彼は消えてなくなっていた」

「……それでも、貴方はあの人と戦いたかったんでしょう?」

「何をもって、そう決めつけるのか。生憎だが、私には英雄の誇りなど持ち合わせてはいない。寧ろそんなモノは最初から持ち合わせていはいなかったのだから」

「えぇ、貴方はそうでしょうね。そうやって斜に構えて言い訳してしまうんですもの……でもね、『あの人だった頃』の貴方は違うでしょう」

 凛と、ただそう呟く桜。

 

 一瞬、その表情に影を落としたアーチャーを、その瞳は見逃さなかった。

ただ虚空を見つめていたはずの彼女の瞳がアーチャーを見据え、彼がその心に揺らぎを覗かせたことを見逃すことはなかった。

 

「あの人は、衛宮先輩は違うんですよ」

 

 その響きは酷く嬉しそうに、そして敢えて挑発するように発せられた。

 アーチャーがどのような反応を見せるのか、今の彼女には充分に理解出来る。

そう。彼女は全てを見透かしているのだ。今の間桐桜にとって、それを理解することなど最早雑作もないことなのだ。

 

「あぁ確かに私とあの男は違うさ」

 そう口にしながら、必死に冷静さを保とうとするアーチャー。

 しかし発したその声には少なからず、澱みが聞いてとれる。その反応自体が桜を喜ばせることだと分かっていても、彼にとってそれを隠しきることが出来なかったのだ。それほどまでに間桐桜という人間、いや最早そうとは呼べない者が力を蓄え過ぎた。

 その身の内に、闇を蓄え過ぎたのだ。

「あのような偽善者……いや、半端な男と私を比べないでくれるか」

「比べてなんていません。ただ、貴方と先輩は『同じ』だけど『違う』んです」

 そう。彼女は言う。

 『同じ』であるが『全く違う』モノだと。『今、この時を生き抜く』エミヤシロウと、『理想を為した末に、自らの生に疑問を持った』エミヤシロウとでは、あまりに違いすぎるのだと。

 

「先輩と比べてるのは貴方でしょ? 自分と先輩を比べて……貴方は彼の生き方が間違っているだなんて口にしながら、衛宮先輩が羨ましいんですよね?」

「……れ」

「迷っていても正直に生きようとしている先輩が羨ましいんですよね? 最期に自分のしてきたことが間違っていただなんて、思ってしまったんですよね。貴方が理想としてきた総てが、借り物の偽物ばかりだって思ってしまったんですよね? ホント、可哀想な人。そんなこと思ってしまったら、残るのは後悔だけなのに……」

 

「……」

「そんな後悔を重ねて、それでも足掻いてまた先輩の前に立つだなんて。そんな資格本当はないのにーー」

 

 刹那、桜の横を鋭い風が走り抜けていく。

 ただビュンと音を起て、それはアーチャーの苛立ちを孕んだまま、鈍い音をあげながら地に突き立つ。

少し視線を上にやれば在り在りとその存在を露にするのは、彼が創り出したのは目では捉えきれないほどの無数の剣戟。

 そう。彼が桜に向けた殺意の総てがそこにあった。

 これまでのアーチャーであれば、『間桐桜』自身に対し殺意は向けなかっただろう。

ただ彼女が霊長という全体を聞きに陥れる者であるという認識からの、義務のようなものであった。しかし今彼が抱いているモノは最早『抑止の守護者』と呼べるものではなくなっていたのだ。

 

「ーーれ……黙れッ!」

 手に一対の剣を顕しながらアーチャーは自分に言い聞かせるように続ける。

 

 しかしそんな危機的な状況であっても、彼女の表情は冷ややかなものであった。

「こんな棒切れで……本当に私を殺したいのなら、それこそ神様でも連れてきてください……勿論、そんな時間は与えませんけど」

「……ッ! いや、確かに今の私では君をどうすることも出来ないな……」

 クスクスと笑みをこぼしながら、桜はクルリと身を翻し彼から視線を逸らした。

 それは決して強がりなどではなく、一つの真実。

 間桐桜は、そんな得物で殺せない。殺すことなど出来ようはずがない。

 

「ーーごめんなさい。少し意地悪し過ぎましたね」

 

 最期の宣告が下されるかと思われた刹那彼女が口から聞かれたのは、そんな拍子抜けな一言であった。

「貴方は先輩の成れの果て……悲しい悲しい世界の操り人形」

 そう語る彼女の表情は見て取ることが出来ない。しかしきっと彼女は笑っているのだろう。

悲劇を語るその口は、まるで喜劇を楽しむように爛々と弾んでいたのだ。 

「だからついつい意地悪したくなっちゃうんです。しょうがないですよね、えぇ……しょうがないですよ」

「喰えない所もよく似ている。あぁ本当に君は凛とそっくりだ」

「褒め言葉として受け取っておきます……」

 嫌みを口にし、アーチャーもようやく普段の自分を取り戻したのだろう。

 皮肉っぽくニヤリと口元をつり上げ彼は踵を返し、元来た場所を戻ろうと足を動かし始めた。

「ーーねぇアーチャーさん……」

「何だね、我が主よ」

 振り向きながら彼が言葉を返す。

 確かに彼女を取り巻く魔は、黒く淀んでいた。確かに彼女の存在自体、『この世の総ての闇』と同化寸前であった。

 しかし向けられたその表情だけは、かつてのように、どこかあどけない少女のそれに戻っていた。

「貴方がこの後どうしようと、私は止めることはしません。もう先輩には、私の所に来る以外どうしようもないんです。お願いを聞いてくれた貴方に、私からの最後のプレゼントです」

 

 そして彼女は告げる。

 ハッキリと、目の前の英霊が認めようとしていなかった事実を。

 

「貴方がエミヤシロウじゃなかったら、こんなお願い……絶対に聞きませんでしたよ?」

「あぁ感謝している」

「どっちが勝ってもわたしの所にやって来る……おとぎ話の王子様みたいに……」

 

 クルクルと髪を靡かせながら踊る彼女は、年相応の少女の姿。

 

「でもね、きっと貴方は……」

「それ以上は口にする必要はない」

「せっかちですね……まぁわたしは静かに待ちます」

「あの男を殺す。そして君も……」

「でもきっと、あの人は殺されませんよ」

 

 そして彼女のその言葉の受け手は、それ以上語らずにその場を去っていった。

 その予言にも似た言葉を、素直に認めることが出来なかったのだろう。だからこそ彼は彼女の言葉に、沈黙という返答を述べたのだ。

 彼の態度に笑みをこぼしながら、それでも彼女はクルクルと踊り続ける。

 

「ふふふ……早く来てください。待ってますから。桜はずっと、貴方を待ってますから……」

 

 彼女は見上げる。

 

 

 自らが肥え太らせた、『この世全ての悪』を見つめながら

 

 

 ただ、その誕生を心待ちにしていた。

 

 

ーinterlude outー



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決別と決意

 

 

「もう……昼か」

 

 いつの間にか深く闇を落としていた夜は終わり、陽の光が地面を照らし暖める時間になっていた。それでも俺たちを取り巻く空気は、突き刺すほどに冷たい。

闇に隠れていた庭は、最早目も当てられないほどの惨状となっていった。土は抉れ上がり、植えられていたはずの大木は無惨にも折れ粉々になってしまっている。

 これでこの状況を聞きつけた野次馬や、警察機関が捜査に訪れないということは、あまりに違和感を覚えずにはいられないが、ギリギリのラインでこの聖杯戦争が秘匿されている事実がなければこうはいかないはずだ。その点だけには胸を撫で下ろすことが出来た。

 だがそれが指し示すのは、言峰綺礼という男が暗躍しているということでもあった。

しかし今そんなことを気にしていられない。俺の眼前で、不安そうに俯く少女のことを考えれば、そんなこと些末なことであった。

 

「何時までそんな顔してるつもりだ」

「……分かってる」

 庭に面した部屋のほとんどは昨夜のアーチャーの攻撃により使い物にならない状態であったが、どうにか居間と洋室の方だけは無事だった。

 その居間の隅の方で、膝を抱えるのは淡々と言葉を返した遠坂。

あの時、アーチャーから叩き付けられた離別の言葉は、余程彼女の中に深く突き刺さったのだろう。普段であれば人には見せないような困惑した表情を浮かべる遠坂は年相応に弱々しく見えた。

 何の思惑があって、アーチャーがあの言葉を選んだのかは……正直に言えば理解出来るのだ。それでもかつて俺が遠坂を裏切り、かの魔女の軍門に下ったときにも彼女はこんなにも弱々しい表情は見せなかった。

 きっとこの数日で様々なことがその身に降り掛かり、平静を保てていないだけなのだろう。

「そんなんでアイツのこと迎えにいけると思ってんのかよ?」

 あえて突き放すようにそう告げる。勝ち気ないつもの彼女の言葉が返って来ると信じて。 

「……分かってるわよ」

 帰ってきたのは、先程と同様に気のない言葉だった。

しかしどこかそれには怒気が混じったように、苛立ちが感じられる。

「桜を迎えにいかないといけないってことも、アーチャーが敵になっちゃったってことも……全部分かってるわよ」

「なら、行くしかないだろ?」

 俺が言葉を放った刹那、悪鬼を思わせる眼光が俺を貫く。

 分かっていた。このやり取りを続ければ遠坂が激昂するであろうということは。

しかし現状の停滞したままを見過ごすことが出来なかった。だからこそ、遠坂が声を荒げる結果になったとしても、俺が責められても、彼女を正気に戻さなくてはいけない。

「分かってるって言ってるでしょ! 何よ、自分に隠し事がなくなったら人のことなんて考えもしないの? 何が最善なのか位、私だって分かってるけど、まだ整理がついてないの! そりゃアンタは平気でしょうよ。それだけ力を持ってて、それにアーチャーの考えていることだってきっと、手に取るように分かるんでしょうからね!」

 放たれたその言葉の端々からはどうにか状況を飲み込みながら、必死に冷静さを取り繕おうとしている様、そして困惑している自分に対する苛立ちが感じられた。

しかしどうしようもなく俺に向けられたその瞳に、彼女が本来持つ強さが感じられない。

 どんな状況下であっても、強さと優雅さだけは失わなかったその瞳が、今はあまりに弱々しい。

「そんなことない。俺にだって、アイツが何考えてるかなんて分かるはずがない」

「ーー分かりなさいよ! アンタ、アイツだったんでしょ? サーヴァントだったって、自分で言ってたのよ? だったら……」

 音を起てて立ち上がり俺に詰め寄り、胸倉を掴む。その手は相変わらず、力強い。

 あぁ……こんなにも強くあるのに、この少女の在り方はあまりに儚い。

 しかしどんなに儚くとも、どれほど困惑していたとしても彼女が『遠坂』であることは決して揺るがない事実だ。

「ううん、ごめんなさい。こんな事言っても意味ないことくらい、私も分かってるわ」

 音は掻き消える。視線の先にある遠坂の表情は悔し気に、その唇は言葉をそれ以上紡ぐことはなくキュッと閉じられてしまう。

 これが彼女の強さ。自分が間違いを、優雅さに欠ける行いをしようとした時に、すぐに自らを顧みることが出来る。俺が真に彼女を評価しているのはその部分なのだ。

「いや、困惑してしまうのは仕方がないことだ」

「受け入れてはいるの。でも……」

「言いたいことは分かる。俺だって、本当にアイツが何を考えているのか分からなくなってきちまったんだ」

 

 そう。俺には本当にアーチャーの考えていることが分からなくなってしまっていた。

 『抑止の守護者』であるアイツが、人類の敵となるはずの間桐桜を捨てておいてまで、俺を殺すことを優先している。

きっと俺がサーヴァントとしてこの戦いに参加していたとすれば、自らの感情など捨て去り、自らの使命を果たすはずなのだ。

 だが今のアーチャーは、英霊エミヤはどうだ。まるで人間であるかのように自らの意志を優先しているではないか。

 しかしアイツがどう考えていたとしても、俺が為すべきは一つなのだ。

 

「ーー桜のことを迎えにいくのに、イリヤを助けにいくのにアイツが……アーチャーが邪魔をするって言うのなら、俺は戦うさ。多分、アイツもそのつもりだと思う」

「そのつもりって……」

「かつての俺がそうだったように、俺はエミヤシロウを殺してしまいたかった。俺はエミヤシロウという偽善者の総てを消し去りたかったんだ。アイツがそう思っているってことだけは……理解出来るから」

 俺自身もそうであったように、アーチャーとしての俺がエミヤシロウを終わらせたいという感情はあまりに大きいモノであった。

「それまでのアイツが積み上げてきたものが無くなっちゃう訳じゃないのに……そんな無意味なことに必死になって、アイツ……その為に私を切り捨てたの?」

「……分からないさ。本当に、俺はアイツのことが分からなくなってんだから」

 俺もそのことには気が付いていた。

 いや、あの戦いの後、ようやく気が付いたという方が正しいのかもしれない。

 あの戦いで俺が衛宮士郎を殺せていたとしても、俺自身が『抑止の守護者』という枷から解放される訳ではない。様々な可能性の中の一つである『あの世界の衛宮士郎』が終わるというだけなのだ。

 遠坂が『無意味』と切り捨てても仕方がない。

 だからこそ彼女は許せないのだろう。あまりに大きな闇をそのまま捨て置いて、しかもその闇に組しているのだから。

 その事実を自分の中で反芻すると思わず俺も口を固く閉じ、言葉を発せなくなってしまう。俺も遠坂と同様に心の中では整理を仕切れていないのだ。

 

 ジッと俺の俯く表情を目にして、遠坂は気まずそうな表情を見せる。

「ねぇ、士郎……」

 彼女自身、これ以上答えのでない会話をすることは不毛であると考えているのだろう。遠慮しがちに声を上げる。

「なんでアイツ、わざわざここに来たのかな?」

「イリヤを攫うことが一番の目的だってことは間違いないと思う。言ってただろ。『イリヤを連れて行けば、自由を約束されている』って……」

 そう。アイツは桜に対する義理を果たす為だけに、イリヤをここから連れ去ったのだ。アイツ自身もイリヤがどう扱われるかなんて理解しているはずだ。

 その一点のみで言えば、俺はアーチャーを許すことが出来ない。

 自らの為にイリヤを犠牲に出来るヤツを、俺は『エミヤシロウ』と呼ぶことは出来ない。

「自由なんて、今更そんなのに意味があるの?」

 ボソリと遠坂が皮肉を呟く。自分勝手に振る舞うアーチャーにそんな自由など必要ないはずなのだ。ならば何故アーチャーは『自由』という言葉を使ったのか。

 それは少し考えれば簡単だ。バーサーカーを屠った桜の行動を顧みればよく分かる。

 きっと桜は『俺を傷付ける総て』を許さないのだ。

 

「桜がアーチャーに対して、何かしらの枷をつけていた……」

 それは考えるまでもなく契約をし、パスを繋いでいるという事実だろう。

そしてあの時、簡単にバーサーカーを殺してしまった桜なら、アーチャーを消すことなど赤子の手を捻るよりも容易なはずだ。

だからこそアーチャーは桜に従った。一番確実に、俺を殺す為に。

 しかし同時に俺を傷付けることを許さないものに従うということは、本末転倒ではないか。

「それを解き放つメリットが、桜にあるとは思えない」

 いや、その前提が間違っていたとすればどうなる。桜がアーチャーを『エミヤシロウが行き着く可能性』だと知っていたならば一体どうなる。

 その考えた瞬間、悪寒が背筋を駆け抜けていく。

 桜にとって重要なのが、自分の傍にいるのがエミヤシロウであれば、何も問題ないとするあらば……アーチャーの言ったように、本当に桜の感情の箍が外れかかっているのではないか。

 自らのその考えに、一瞬目の前が暗くなる。

 確かに暖かな陽の光が差し込んでいるはずなのに、身震いが止まらないのだ。それを感づかれまいと、必死に平静を取り繕っていたからだろう。遠坂は俺の様子に気付かないまま話し続ける。

「でもあの子に……桜にサーヴァントなんて必要なの? バーサーカーだって簡単に消し飛ばしちゃうくらいの力を持ってたのよ」

「サーヴァントが必要でないほどに力を有している。でも聖杯を掴むには……」

 そう。人間が聖杯を手にすることは出来ない。

 ならばサーヴァントを介し、それを掴むしかないのだが。

「だからこそイリヤが必要だった。でも、私でもあの子の願いなんて分からない。あの子が抱く夢なんて、私じゃ分からないわ」

「いや、それこそ今の桜にイリヤが必要なのか?」

 桜に願いがあるとは俺には思えない。それに理由は分からないが、桜にはイリヤやサーヴァントがいなくても、聖杯を掴むことが出来るのではないかと思えてしまうのだ。

「結局あの子の所に行ってみないと、何も分からないってことなのかな?」

 遠坂の言葉通り、これ以上の推測は不毛。桜の傍に行かなければ何も分からないままなのだ。

 

 だた一つだけ、何も分からない俺だったが、充分に理解出来るモノがあった。

「あぁ。でもアイツがランサーに止めを刺した理由は分かるさ」

「理由って……それこそ桜に命令されたからじゃ?」

「違うよ。アイツは単純にランサーと戦いたかったんだ。間違いなく、きっとそのはずだ」

 それだけは信じたい。

 セイバーとランサーとの戦いを目にして俺自身が高揚したように、アーチャーにもその感情があってほしいと思う。

 それが無くなっては、俺はアーチャーのことを『エミヤシロウ』だとは本当に思えなくなってしまうから。

「とにかく夜には出るぞ。桜が動かないままでいるのは、きっと今晩までだ。それを過ぎれば……この間の柳洞寺の時みたいに、関係ない人が犠牲になる」

 災厄がきっとこの街を飲み込む。

 それはまるであの時の、今でも覚えているあの時の火の海と同じように。

「それこそ、10年前のあの火事の比にならないくらい、人が死んじまう!」

「えぇ。分かってる。でも今だけ、もう少しだけ時間をちょうだい……」

 嘆息し、遠坂は呟く。

「後少しで、きっといつもの私に戻れるから」

 

 あと少し、もう少しと、この戦いを迎える前の俺と同じように、煮え切らない表情を浮かべながら。

 

 

 

 今の遠坂に無理強いは出来ない。

 同じ空間にいることが苦痛に感じた瞬間俺は焼け焦げた庭を通り、半壊した道場に足を伸ばしていた。

「ホント、これだけは治らない悪癖だ。自分のこともままならない癖に、人のことばかり気に掛けて……」

 淡々と自嘲の言葉を口にする。

 受取手のいないままに吐き出されたその言葉は、ただ俺だけの、俺の為だけのモノだ。

「こんな誰もいない所で口にしたことを後悔するなんて。ホント、バカ野郎だよ」

「ーーそうですね。貴方は酷く愚かしい」

 凛と、最早見る影もない道場に声が響く。

 振り返ってみるまでもない。その声の主の姿を家の中で見つけることは出来なかった。

「なんだ。開口一番そんな皮肉だなんて、いつものお前らしくないじゃないか」

「いえ、本来の私という人間はこうだったのでしょう。それを思い出させたのは、エミヤシロウ……貴方なのですよ?」

「俺、か……何か変な気分になるな」

「何を言っているのですか。巫山戯るのは止めていただきたい」

「そこまで言うなよ。傷付くじゃないか」

 ゆっくりと振り返るとそこには少し頬を赤らめたセイバーの姿。

戦いの時のような勇ましい姿ではなく、どこか少女らしい華やかな印象を感じられた。

「当然のことでしょう。一度我が剣を預けた男の軟派な様など、見たいと思うはずがないでしょう」

「でも、今のお前のマスターは遠坂だろ?」

「えぇ。確かに凛は我が主。自らの意志で剣を捧げた人だ」

「ならお前は遠坂のことを一番に考えてやってくれよ」

「無論、私とてそのつもりだ」

「なら俺のことなんて……」

 そう、俺のことなど考える必要はないのだ。今でも昨夜の話をしたことを思い出すだけで身体が震える。なぜなら、俺はセイバーとの決別を既に口にしているからだ。その俺が今更彼女と近づくことなど許される訳がない。

 しかしそんな俺の考えなどお構いなしに、セイバーは俺のすぐ後ろに立ち、言葉を続ける。

「ただ私は凛に勝利を呼び込む為に、この剣を振るい続けよう。そしてそれを為す過程で、貴方の手助けを出来ないとは私は思わない。それとも貴方は、一度自分の手を離れてしまったら、もう元には戻せないと思っているのですか? 私たちの関係は、貴方の中では既に終わったことになってしまっているのですか?」

 肩に置かれた手から感じるのは、昨夜までの怒りではなくどこか聖人ではないかと思わせるほどの清閑さ。それは今までの彼女に欠けていたモノ。

どこか達観したようにも感じられるその雰囲気に、俺は知らず知らずの内に飲まれていた。

「それぞれに意志がある。同じ答えを持っていなくとも、同じ道を歩めないとしても、私は貴方を助けようと思う。そのことくらい、彼らも許してくれるはずだ」

「何だよ、お前……」

 彼女の声を、その澄んだ声を聞く度に、俺の中で渦巻いた疑念が確かなものになっていく。

「聖杯を求めていない……貴方はそう言いたいのですね?」

「そうだ。それがお前の大願だったじゃないか。お前が何度も繰り返して、何度も血を吐き出しながら求め続けていたじゃないか」

「その通りです。えぇそれは紛れもない事実だ」

「なら……!」

 そう。その為にセイバーは、いやアルトリアという少女は何度も聖杯戦争を戦ってきたのだ。自らの手に有り余る願いを抱え、その願いにずっと首を絞め続けられた。

 今の彼女の物言いは、それら全てをなかったもののようにすら感じられたのだ。

「ーー貴方も分かっているのではないですか?」

 正面から向き合いながら、話を続けるがどこかつかみ所がない。

いやここまで変わってしまったセイバーを、俺自身が受け入れることが出来ていないだけだ。

 何度も言い聞かせてきたではないか。

 俺がかつてと違うことを行えば、あったはずの人間関係は崩れていくと。そして変化してしまった俺と関わって、俺には見えていなかったその人物の隠れた一面を露にしていく。

 それに当惑しないように、必死に覚悟をしていたはずのことに俺は今まさに直面してしまっている。

「エミヤシロウ。確かに貴方はかつて、この聖杯戦争を経験してきたのでしょう。それを強みにこの戦いを有利にくぐり抜けてきたのでしょう。しかし貴方自身の変化は周囲にも影響を及ぼしている」

「あぁそれは俺だって覚悟してたさ。でも桜のことは正直何も考えていなかった……覚悟していたとしても、きっと足りなかったと思う」

 違う。覚悟が足りていないのは今も一緒だ。

 事実、俺の手はこんなにも震えている。受け入れらずにいるではないか。

「そうでしょうね、あの森での貴方の表情は本当に困惑という言葉がよく似合っていた」

「だからもう一度、あの子の傍に行くんだ。桜とちゃんと話をするんだ」

「それで良い。シロウ、貴方はそれで良いのです」

 そう口にするセイバーの表情は和やかだった。

「私は私の思い描くよう戦います。これを、この聖杯戦争を最後にする為に……私が守り通すことの出来なかった民と、我が王道を共に歩んでくれた朋友たちの思いに報いる為に」

「最後……って、お前、何言ってんだよ!」

「えぇ、この戦いを最後にする。私の迷いを正してくれた人の為に、私は私の願いを終わらたいのだ。これは迷い続けた私の贖罪だ」

 言葉にしてしまった。

 俺は聞いてしまった。

 今までの彼女であれば、真っ先に否定していたはずのその言葉を。

「……」

 その事実に言葉を失う。

 言うな、もう止めてくれ。変わらないままいてくれた、精悍な表情を浮かべながら戦場を駆けるお前のままでいてくれ。

 しかしそんな傲慢を口にすることは出来ない。

「終わらせたい……いや、この言葉も何か違う」

 そう。彼女は終わりを望んでいる訳ではない。

「……そうだ。私は見たいのだ」

 そう。彼女は自分の命が終わったとしても、それを求めている。

「ーー私はその先を見たいだけなのだ。私の生き抜いた世界が、私の命が果てても尚立ち上がり、各々が幸せを摑み取らんと求め続けた朋友や民が作った世界を。私は、我が生が潰えた終わりの続きに広がる世界を……それに思いを馳せたいのだ」

 

 そうだ。聞かなくても分かっていた。

 

 『終わりの続きに思いを馳せたい』 

 

 彼女が死に絶えた世界で、彼女の背を追い続けた人々が必死に造り上げたより良き国を。

 彼女の遺志を引き継ぎ、幸福を求め続けた人々が守り続けた世界を。

 

 それこそアルトリアという少女が、最後に抱いた心からの願いだった。

 

「ーー貴方はどうするのですか? この戦いを、どう終わらせたいのですか?」

「終わらせる……一体何を終わらせろっていうんだ!」

「何も出来ていない俺に、何を終わらせろっていうんだ!」

「……そう言いながらでも、分かっているのでしょう?」

 キッパリ彼女はそう告げ、答えを求める。

 もう答えは出ている。しかし口にしていいのか。

「分かってるってーー」

「いや、貴方が分かっている」

 詰め寄るその瞳が湛えるのは怒りや憤りではなく、優しい色。

「貴方は自分の為すべきを既に理解している。この戦いで自らが望む願望すら、貴方には見えているはずだ」

 その声にはもう逆らえない。

 だってもうその声に、自分の中に巣食っていた靄は完全に消え失せてしまったから。

 

「だからこそ、今この場で言葉にしなさい……これはこの戦いを始めた、貴方の義務だ」

「……俺は」

 

 陽の光は暖かく、まるで夢の中にいるような幸福感を与える。

 この光の中に逃げていていいはずがない。

 

 ただ口にしろ。

 セイバーとの決別ではなく、ただ共に歩む友としてのケジメをつける為に。

 ただ、空っぽになってしまったエミヤシロウに残った最後の望みを口にしろ。

 

 胸を打つ鼓動は穏やかだった。でもどこか気持ちだけは高揚していく。

 以前、俺は似た感覚を味わっていた。

 

 いつだったろう、あの朝焼けの草原であっただろうか。

 月明かりの差し込む土蔵であったろうか。

 

 いや、そんな特別な場面じゃない。

いつもの、あの風景の中にそれはあった。俺を支え続けてくれた人がそれだった。

 

 

「ーー俺は、桜を救いたい……俺には、俺には桜が必要なんだ」

 

 

 口にしてしまった。本当に変わってしまったことを指し示すその言葉を。

「お前を求めて生きてきた。どれだけ辛くてもそれだけがあれば俺はよかった」

 そう。俺はそう思い続けることが幸せだったのだ。それ以外のことから目を背け続けることが出来たから。それを望み続ければ、目の前で起こることに心を揺さぶられることはなかったから。

 

「でもさ、変わっちまった。変わってはいけなかったのに。変えてはいけなかったのに」

 その事実を受け止める決心がついた。

 

「俺はお前から見れば、どんなに滑稽な男なんだろうな……」

 でもそれでも構わない。そんなことはもう言われ慣れてるから。

 

「それでも、俺は……救いたいんだ。自分がどんなに罵声を浴びても、どんなに愚か者と言われても構わない」

 どれだけ泥を被ろうとも、また桜の笑顔を見ることが出来れば……こんな俺にも、切り捨てたばかりの俺にも、意味はあると信じたいのだ。

 

「俺の一番なんだ……あの子が、桜が俺の一番大事な人なんだ」

 愚直に求め続けよう。

 この足が、手が動く限り。目がその光景を捉え続ける限り。

 

「これが最後だ。俺も、この戦いで踏ん切りをつけるさ」

 

 ただ桜が欲しい。

 それだけで俺の心は満たされていた。

 

「ーーエミヤシロウ。その言葉に嘘偽りがないというのなら、私は貴方を友と認めよう」

 その手に顕われるのは一振りの剣。人々の願いによって練り上げられた聖剣。

 それを掲げながら、優し気な表情の中に勇敢さを湛え、彼女は宣言する。

 

 それはまさに英雄譚の中に名高き騎士王の姿そのもの。

いや、そのものだなんておかしな話だ。だって彼女こそその騎士王なのだから。

「その手に剣を執れ! そして私も、貴方の思いに応えよう!」

 

 その言葉に従い、この手に顕すのは白と黒の一対の剣。それに力を籠め、俺は口にする。

 セイバーの友として、最初となるその一言を。

 

「あぁ、後一度だけで良い。俺に、俺の我が儘に付き合ってくれ……!」

 

 

 

 

 

 

“何だよ……筋書きが変わっちまったじゃねぇか”

 

“兄弟、それはねぇよ。心変わりして、しかも進んじゃ行けない方に進んでる……”

 

“お前がそんな野郎だったなんて思わなかったぜ……”

 

“でもな、充分溜め込んでくれたぜ”

 

“お前の愛しい愛しい、俺のお母様はな……”

 

“俺を産み落とすのに、充分な『悪』を溜め込んでくれた”

 

“さぁ、そろそろだ”

 

“楽しい楽しい悲劇の、幕開けってやつだ……!”

 

 



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昔話

 

 

 誰にだって止められないものがある。

 何百・何千・それこそ何万人の力を集めたとしても決して止める事の出来ない事。

 それはきっと『時間』を止める事だろう。

 何かの魔術、それこそ魔法によって時を遡る事や速める事が出来たとしても、総てを停止させる事など出来ようはずがない。

止まったままである事を、世界は決して許す事はないのだから。

 

「ーー似合いの風景、ってヤツだな」

 暖かい陽の光が翳りを見せ、暗闇が世界の支配者となる。しかしそれにはまだ早いのだろう。橙の郷愁の念に駆られるような光が、ぼんやりではあるが空に朱色の彩りを与えていた。まるで暖かさをそのまま色で表したように。

 光の差し込む土蔵はそんな風に優しい。

 ただ、どうしても傍にいて欲しい人がそこにはいないのだ。心から欲している人、あの子が俺の傍にいない。

 少し前はそんな事は考えもしなかった。無条件に傍にいて、いつも優し気な笑顔をくれたから。

「なぁ、何でこんなにお前に会いたいんだろうな。最近までずっと傍にいたのに」

 離れてしまって初めて気が付く事がある。いや、ずっとそれに気が付いていたはずなのに、いつも自分の手から離れてそれを思い返してしまう。

 本当に、いつまで経ってもこの悪癖だけは治らないものだ。

 

 土蔵に足を踏み入れ、中程まで来た辺りでふと入り口を顧みる。

「ーー何バカみたいな事……」

 一瞬、あの子のはにかんだ笑顔が脳裏を過った。

 それと共に心に襲い来る後悔に、奥歯をギリリと噛み締めてそれに耐える。鈍い痛みがジワジワと広がって行く。

 痛みが心地よいモノのはずがない。でもそれは自分を保つのには充分であった。

「俺さ、こんなにもお前が欲しいなんて少しも思わなかったんだよ。こんなにも傍にいたいだなんて思いもしなかった」

 傲慢であるという事は充分に理解している。

「何でこんなに変わっちまったんだ」

 その原因だってもう理解している。

「俺が、ずっと選ばずにここまできたせいか……」

 ずっと選ばずにここまで来たのだ。何も選ばずに、ここまで俺はやってきたのだ。

 それでも騎士王の言葉にようやく重い一歩を踏み出す事が出来るようになったのだ。遅いなどという事はない。最後のこの戦いをどう潜り抜けるのか、今はそれだけに思考を向けよう。

「いや、もうアイツの所に行けば分かるんだ。後少しで……」

 総てがハッキリする。

 その為に、俺の抱えた思いを伝えるために。

「待ってろ……」

 目指すべき少女に思いを馳せ、そっと目を閉じる。

 

 只静かにその清涼な空気を感じていたかったのだ。

 しかしそんな時に限ってそれは何の前触れもなく訪れる。

 

 本当に天災ではないだろうかと思えるほどに、狙い撃たれたかのようなタイミングで。

 

 けたたましい、まるで警戒音のような音が静かな屋敷に鳴り響く。

 完全に置物と化していたはずのそれが音を発するなど、最近はとんとない事であったのだが、どうにも嫌な予感が止まらない。

「ーーなんだよ、こんな日に」

 悪態をつきながら、足早に土蔵を後にする。

 空に差していた朱色が消え失せ、少しずつ黒がのさばりつつあった。

 それにしてもここの家人どもは何をしているのか。鳴り響くそれが聞こえない訳ではないのに、何故それをとってくれないのか。それにこの連絡を寄越している主も強情ではないか。長時間コールを鳴らすのなんてなかなか根気がいることのはずだ。

「遠坂、セイバーもいないのか?」

 ここまで放置しておいて、家人が皆いないのだろうかなどと独り言を呟き、俺はようやく屋敷に戻ってきた。明かりのない廊下。音をたてる受話器を手に取り、いつものように口にする。

「はい、衛宮でーー」

 しかし、俺は何の警戒もしていなかった事を激しく後悔する事になる。

 

 

“なんだ、そんな刺々しい声は。少し会わない間に偉くでもなったか?”

 

 

 受話器越しに聞こえるその芯の通った声に思わず言葉が出なくなる。

 予想外の事態が起こった時、人は声を発する事が出来なくなるというが、まさか自分にそれが襲い来るとは思いもしなかった。

 声の主とはもう関わりを持つ事はないと思っていたのだ。

 俺の歩く道を示してくれた人。俺を強くしてくれた人。

「いえ、そんなことは決してないんですが……」

 そして何より、俺の畏怖の対象であるその人が突然に連絡をしてきたのだ。驚かずにはいられないだろう。

 

“ちっとも連絡を寄越さないんだ。こちらが気を回してやったというのにその態度とはな。次に会った時にはどうゆう目にあうか……覚悟しておくことだ”

「そ、それだけは勘弁してもらえませんか」

“フーー冗談も聞き分けられなくなっているとは、貴様も落ちぶれたな。それとも今が本来の貴様ということになるのか”

 ダメだ。完全にペースを握られてしまっている。この人と話す時はどれだけ慎重になっても足りないくらいなのに、今回ばかりはどうしようもない。

 しかし何故だろう。焦りよりも今はどこか安穏が心を占めていた。

「さぁそれは俺にも分からないですよ。まぁ色々あったってことは事実ですけど」

 最後に会ってからここまでの事柄は、別段今話題に取り上げる必要はないだろう。

ただこう一言だけ告げれば、この人には分かるはずだから。

「でも、少しはマシになれたかとは、思ってます」

 淡々とそう口にすると、受話器の向こうから

“ーーなるほど、貴様がそこまで口にするとはな。面白い、更に貴様に興味が湧いたぞ”

「興味って。人をモノみたいに……」

“私にとっては何が相手でも変わらない。ただ興味のあることをただ追求する。それが魔術師にとっての生だ”

 それはこれまでずっと教えられた事であった。

 『魔術師として』『魔術師ならば』と常に教えられてきたのだ。

 しかしその生き方は俺の目指した生き方とはあまりにかけ離れている。その点だけは、この人と決して相容れないものがあった。

“まぁ貴様にとっては違うだろうがな”

「違うってことはないかもしれませんけど……」

 正直驚いてしまった。ただ嘲笑されるだけかと思っていたのだが、そんな言葉が出て来るとは思わなかったのだ。

この人は気付いているのだろうか。俺自身がかつて、そして今目指しているモノを。

「ーーでも、言う通りかもしれませんね」

 セイバーや遠坂とは違う。

 『今のエミヤシロウ』としての素直にそう口にする事が出来る。

ようやく俺も今の俺を認める事が出来たのだと、実感する事が出来た。

 

“そうだ。貴様の在り方は差し詰め……いやそれはおそらく貴様自身が充分理解していることであろう。しかしね、その在り方はあまりに歪だが、しかしどうしようもなくお前らしいではないか”

「……」

“『士別れて三日なれば刮目して相待すべし』と言うがね。貴様の思い悩んだ迷いも、貴様の出した答えも、目にすることが出来なかったことが口惜しい。あぁ本当に口惜しい”

「ホント、いい性格してますね」

“ーー褒め言葉として受け取っておこうか”

「じゃぁそんな俺の姿を、そろそろ見せに行きますよ」

 式さんと幹也さんにもそろそろ子供が生まれる頃だっただろうと思い出しながら、明るくそう口にする。思えば、式さんとの真剣勝負の際、既に彼女が身重であったとは全く予想も出来なかった。それでいてあの斬撃を繰り出す事が出来るなんて、脱帽せざる終えない。

 不甲斐なかった自分を思い返しながら、それでもこの戦いが終わった後も生きていられれば……いや生きていたいと思える動機が自分には欲しかった。

だからせめてもの楽しみとしてそう言った訳なのだが、返ってきたのは一言、短い言葉であった。

 

“その必要はない”

「あれ? もう来るなって、お役御免ってことですか?」

 冗談でそう言っているという事はすぐに理解出来た。

しかしその後に続く言葉は本当に、本当に予想していないものであった。 

“何を言っているのだ。貴様の手間をこちらが省いてやろうというのに……”

「手間を省くって……マジですか?」

“フフフ……嫌か。ならば今すぐにでもそちらに行ってやろうではないか”

 恐ろしく邪悪な笑みを浮かべている事は、想像に容易かった。

 冗談なのかもしれない。もしくは聖杯戦争の事を聞きつけ、物見遊山にでも来るつもりなのだろうか。どちらにしても、俺が痛み目を見るのは火を見るより明らかであろう。

 だから皮肉を籠めてこう口にする事にする。

「ーー全く、本当にタイミング良いですね」

“あぁ、貴様の都合など知ったことではないがね”

 この言葉も優しさの裏返しなのだろう。その突き放す言葉すら、今の俺にはありがたい。

“楽しみにしている。今はそうとだけ言っておこうか”

「えぇ、俺も……俺も楽しみにしておきます」

 久しぶりに話が出来て凄く安心出来た。

耳に近づけていた受話器を置こうと腕をずらした瞬間、凛とした声がこちらに投げかけられた。

「ーーシロウ、直に時間です。準備は出来ているのですか?」

 居間の方から聞こえてくるのは少し刺のあるセイバーの声。

 いつまで話をしているのかと言わんばかりのその声は、

「あぁすぐに行く。少し待っていてくれ!」

“む……女の声だな。なるほど、今の声の主が貴様のーー”

「ーー違いますよ」

 自然に言葉が出た。

“違う?”

「俺の大事な子は今から迎えに行くんです。多分、すぐに紹介出来ると思いますから」

 笑みがこぼる。どれだけあの子が、間桐桜が大事なのであるかをまた理解する。

おそらく向こうにはそれは全くと行って良いほど伝わっていないのかもしれない。

“……”

 沈黙が流れ、受話器の向こうから聞こえる喧噪がどこか心地よく感じた。

何か考えを巡らせているのだろうか。声を発さない受話器の向こうに少し不安を感じも下が、それは杞憂だった。

 そうかとそうかと、笑いを堪えるように息を漏らす音が聞こえる。

そんなにもおかしかっただろうか。これまでそんな事を言ってこなかった事はい実だったのだが、こんな風にされると良い気はしない。

 嘆息し、そろそろ通話を切り上げようと声を出そうとした時、再び声が返ってきた。

“……ならば私も急ぐとしよう。精々足掻けよ、衛宮士郎”

 短くそう告げられると、すぐに切断音が耳に届く。

全く、こちらの事もお構いなしというのは相変わらず変わらないなと苦笑しながら、聞く人もいないのに俺はこう口にせずにはいられなかった。

「えぇ、ありがとうございます」

 その言葉は充分ではないかもしれない。何となくそう口にしてしまっただけだ。

しかしどんな場面でも、俺はあの人に対して感謝の言葉など言った事はなかったのだ。だからせめて今回くらいは良いだろう。

そんな風に考えれば、少しはこの気恥ずかしさは紛らわせる。

「シロウ、用件は済んだのですか?」

 苦笑しながら受話器を置いたままの姿勢でいると、居間の方から一定のテンポで近づく足音と共に投げかけられるセイバーの声。

振り向くと、そこには最早戦闘準備完了とばかりに、甲冑に身を包んだ彼女の姿があった。少し表情は苛立っているのだろう。肩を並べて戦うはずの者が長電話をしていたのだ、怒っても無理はないだろう。

 しかし俺も敢えてその苛立ちに乗る事はしない。先程までの会話を思い出しながら、思わず笑みをつくってこう返す。

「そう、だな。まぁそんなに……いや、事によっては大事になるかもしれないな」

「何か含みのある物言いですね。貴方が聖杯戦争以外の件で狼狽するなど私には想像出来ないのですが……」

 やはり狼狽している風に見えていたか。ほとほとかつてのポーカーフェイスが出来なくなってしまったようだ。しかしそれで良いと思える自分がいるのだ。

 今はセイバーの追求をどう逃れようかと頭を巡らせていると、ガラリと玄関の戸が引かれるのに続いて赤に身を包んだ少女が声を上げた。

「そうね、それには私も興味があるわ」

「遠坂」

「凛、もう良いのですか?」

 そこには数時間前の弱々しい様子は感じられない、あまりに強く優雅なその姿があった。

ものの数時間しか経っていない。だというのにここまで自身を取り戻す事が出来るとは、流石一流……いや、そうではない。流石は『遠坂凛』だ。

「えぇありがとう、大丈夫よ。何時までもウジウジなんてしてられないもの」

 さっと髪を後ろに流しながら、こちらを見据えながらそう呟く遠坂。既にその胸に覚悟は固まったのだろう。真っ直ぐなその瞳は自信と確信に満ち満ちている。

「なら、そろそろ行こうか。もう良い頃合いだ」

 それを腐らせる事は出来ない。

 俺は遠坂がいる玄関の方へと歩を進めながら後方に佇むセイバーを手招きするのだが、続いて来る足音はない。不意に後ろを振り返ると、そこには今までに見た事のない表情を浮かべる彼女がいた。

冷や汗が背中を伝う感覚。何とも嫌な予感がする。

「そうね、でもその前に……」

 そして前方に佇む彼女もセイバーと同じ、意地悪な表情を浮かべている。

「そうですね、聞かせてもらいましょうか? 先程の電話の主の事を」

「いや、何も話す事はないんだがな」

 話を切り上げてしまおうとキッパリと言い切り、再び歩き出そうとするのだが、それを遮るのは言わずもがな赤い悪魔。

 おかしいぞ。今まであれほど使命を果たす事に満ちていたはずの彼女は、その渾名に紛うことなき邪悪な表情を見せていた。

「アンタの都合は聞いてない。話すか殴られるか、どっちかを選びなさい」

 それ、どっちも俺しか痛い目を見ないじゃないか。

 思わず溜め息が零れる。

「何かお前ら、凄い良い笑顔してるな」

 何も考えずにその言葉が口を吐いた。こんなに追い詰められているのは、本当にいつぶりの事なのだろう。しかし確かに以前はすぐ近くにあったやり取りのはずだ。

「いえ、おそらくこの件以外でシロウの弱みを握れる事などきっとないでしょうからね」

「そうよ。少しくらいなら時間もあるんだし、別に良いでしょ。減るものでもないんだから」

「あぁ……っても本当に何もないんだけどな」

「それは聞き手である私たちが判断しよう」

「弱味くらい見せてもバチは当たらないでしょ」

 不意に外を見る。暗がりは既に地を支配している。

 しかしまだまだ宵の口。魔術師の時間には少し早いだろう。ならば少しは彼女たちの為に、時間を使っても許されるだろう。

「あ〜分かった。ちょとだけ話すか。俺に色々教えてくれた人たちの話を」

 驚くかもしれない。なんせこの話は、本当に突拍子もない……おかしなきっかけから始まった、一人の魔術師と死神と、そしてあまりに普通な人との出会いの物語なのだから。



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魔術師の夜 Ⅲ

 

 

ーinterludeー

 

「なるほどな。いよいよ最終局面という事か」

 ニヤリと顔を歪め、マジマジと携帯電話の画面を見つめながら魔術師は一人呟く。

 

 彼女にとって只の暇つぶしとして面倒を見続けた、自らの弟子……とも呼べる男の事を考えると、どうしても笑いが堪える事が出来なかったのだ。

 そう。こうして車を走らせ、その顔を見に行こうとするのも只の気まぐれだ。

 

 丁度冬木までの道のりを、三分の二は消化した頃であっただろうか。

休憩がてら車を降り、シガレットケースから不味いと言い続けてきた煙草を取り出し、それに火をつけながら、ふと弟子に連絡をしようと思い立ったのである。

 

 しかし電話をしてみればどうゆう事であろう。少し前までは不甲斐ない声ばかり出していたあの男が、今は一端の男の声を出しているではないか。

 

「時間の経過は人を成長させると言うが……なるほど。完成されたものでも更に磨きがかかるものなのか」

 吐き出した煙の行方を目で追いながら、口にした言葉を反芻すると、それが誤りであった事に気付く。

「私は何を言っているのだ。アイツは、エミヤシロウは何も完成などしていなかったではないか」

 そう。エミヤシロウという男は何も完成されていなかった。

 いくら魔術が特異であったとしてもそれを行使する肉体は、彼の意志はあまりに弱々しいものだった。

しかし橙子はそこまで思いを巡らせ、再び思いとどまる。自分で発したその言葉に、何か納得ができない自分がいたからだ。

 

「ーー違うな、崩れていったという方が正しいのか」

 エミヤシロウという少年は確かに持っていた。

 強固な意志を。何にも左右されない、一途な思いを持っていたはずであった。

 

「フーーーあまりに無粋な言葉だな。『一途』などと……アレこそ妄信でしかなかったではないか」

 囚われていた。自らはそれを為すべきなのだと、そのおかしな使命感が彼の在り方を崩壊させていった。その様はあまりに滑稽であり、最初のうちはおかしなものだと笑ってやったものだったが、次第に苛立ちすら感じるようになっていった。

 彼の煮え切らない表情を頭に思い浮かべると、消え失せていたはずの苛立ちが沸々と募り、橙子は手にしていた煙草を乱暴に携帯灰皿にグシグシと押し付けてしまう。彼女を知るものであれば、今見せている憤りはさぞおかしなものであっただろう。

 無論、それは本人も理解していた。そもそも自分が、他人の為に動くという事自体があり得ない。

 かつて自らの身体を破壊したあの魔術師を殺したのも、彼女が忌み嫌うあの二つ名を嬉々として口にしたからだ。それ以外は何もない。もし何かあったとしてもそんな昔の事は忘れたと蒼崎橙子であれば答えるだろう。

 それほどまでに彼女はお節介になってしまった。

 黒桐幹也と両儀式、そしてエミヤシロウと関わって彼女自身も変わった。それを素直に彼女は認める事はないだろう。ただ今はそれもいいと彼女は笑みを浮かべた。

 

「そうだな、お節介か……歳はとりたくないものだな」

 再び煙草に火を灯し、虚空に視線を向けながらそう呟く。

普段ならば決して口にする事はない言葉だ、自らが老いてしまったなどと。思う事など決して有りはしなかった、停滞してしまったなどと。ただ成長していくもの、変わっていくものを目にすれば、そう思わずにはいられない。

 それは先を行く者の特権であり、枷となるものかもしれないと彼女は感じていた。

 

「退屈しなくなったという事だけは、良い事なのかもしれないが……」

 煙草を咥えながら、ニヤリと口元を歪める。思えばそんな風に笑う事も、彼女には多くなっていった。

 三咲から出ざるを得なくなり様々な土地を転々とした。その間に幹也と式に出会い、甘くなってしまった事を実感した。そしてその二人を切欠にして多くの出会い、因縁の相手との再会があった。

時計塔でただ研究に没頭していた頃には出会う事も出来なかった数々も、思い返せば随分と楽しいと素直に彼女は感じる事が出来た。

 そしてその中で、今一番に彼女を楽しませている存在が、エミヤシロウであった。

 

「以前に冬木については調べた事はあったが、存外に面白いシステムだった……しかしやはり私にはあんなモノは必要ではないな。かの魔導元帥もそのシステムを構築した時点で、興味を失ってしまったのであろうが……」

 そしてシロウ自身にも、聖杯が必要でないという事は理解していた。ならばその戦いの中で何を為そうというのか、それを見届けなくてはならない。

 

 半ばまで吸いきった煙草を携帯灰皿に押し込み、冴えた空気を胸いっぱいに吸い込む。

 凍えた空に一際存在感を放つ月を鋭く睨みつけながら、橙子は独りごちる。

 

 剣突き立つ荒野を現した、独りの少年が臨む戦いの終焉に思いを馳せながら。

 

「エミヤシロウは一体どんな終わりを望む? 何もかもを犠牲にした末に、貴様が欲するモノは一体何だ……」

 

 橙子は彼の歩む背に、かつての友人の姿を見た。

 

 死を蒐集し続けた、孤独であったあの魔術師の姿を。

 

「ただその道に盲目的であったという点では似ていたのかもな……しかしシロウはそうはならない。アイツの在り方が、それを決して許しはしないさ」

 

 月が少しでは有るが、西へと傾き始める。自らが目指すべき場所に向かい、彼女は再び車を走らせ始めた。

 

 しかし戦いは既に始まっていた。

 

 聖杯戦争の終焉を告げる戦いの幕が、ついに切って落とされたのだった。

 

 

 

ーinterlude outー

 

 

 



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剣突き立つ荒野 Ⅰ

 

 

 知らぬ間に夜は更け、ポツポツと家々の灯りが点々と点る。

張り詰めていた心をどこか解きほぐされ、冷静さを取り戻せたように感じられた。

「ホント、巫山戯た話よね!」

 この大声がなければ、直に訪れる戦いまでは、平穏な気持ちでいられたのだろうけれど。

「遠坂」

 そう。夜が更けた。俺たちにとって、約束の時が刻一刻と迫っているのだ。

 黒の支配する通りを三人で歩きながら、目的の場所を目指す。その間、互いに集中する為に無言のままになるのかと思いきや、俺とセイバーに先んじて歩を進める遠坂は饒舌だった。俺のかけた言葉にすら、遠坂は反応をしないまま、ただブツブツと先刻俺が語った恩人たちの話を反芻しているのであろう、そんなに衝撃的な内容でもなかったのになと、内心思いながら足を止めずに彼女の後に続いた。

「封印指定の魔術師? しかもアオザキって……」

「凛、少しは落ち着いてはどうです?」

「これが落ち着いてなんていられないでしょ! あ〜ぁ。ホント、凄くイライラするわ。こんな馬鹿げたヤツと正面から渡り合おうとしてたなんて……」

 チラリとこちらに目線を向けた遠坂が、まるで自嘲するようにそう呟く。

しかし言葉ほど彼女の表情は落ち込んでなどいない。どこか新たに目標を見いだしたような、あっけらかんとした表情を見せていた。それはいつもの遠坂の優雅な様を更に際立たせていたのだ。

「おいおい、当の本人が隣にいるのにそれはないだろ?」

 視線がぶつかった瞬間、俺も遠坂に向けてそんな言葉を口にしていた。

皮肉にはそれでもって返す。それがきっとエミヤシロウと遠坂凛の正しい関係なのだと、今の俺は素直にそう思う。長い回り道を経て、ようやくこの関係に戻れた事を思うと、感慨深いものがある。

「少しの小言、見逃しても良いんじゃない? それとも衛宮君はそんな余裕もないくらいに緊張しているのかしら?」

 そう思っていたが前言撤回。

 ここぞとばかりに口撃を仕掛けて来る彼女の姿は、可憐で優雅とは程遠い。彼女の不名誉な渾名である『あかいあくま』そのものであった。

しかしそんなやり取りが不思議と心地良いと思うのは、おそらく俺が少し疲れているせいだろう。うん、きっとそうだ。

 言葉に詰まるが足は止めない。投げ出していた左手を顎に持っていき、少し遠坂への回答を思案しようと試みたが、そんな上手な言葉が浮かぶ訳でもなく、淡々といつものようにこう返す。

「あ〜なんか色々すまん」

 グッと襲いくるであろう遠坂からの叱咤を覚悟したが、苛立ちの籠った言葉は何故か降り掛かってこない。

「でも何でしょうね……」

 返ってきたのは、そんな落ち着き払ったそんな台詞。

「俄然アンタに興味が湧いてきたわ……」

 ゾクリと背筋が凍る。刹那彼女の浮かべた表情に既視感を覚えてしまう。

「興味って、怖いぞ。お前、凄く目が怖い」

「魔術師の性よ。素直に褒め言葉として受け取っておきなさい」

 そうだ。あの人とそっくりなのだ。

 いつも言われていた。『飽きれば解体してやろう』と。何とも魔術師らしいと思ったものだが、しかしここまでそっくりだと本当に言葉に詰まってしまう。

「……なんか、似てるな」

「似てるって、誰とよ?」

「遠坂と橙子さんがさ。悪い事考えてる時の表情とかさ、もうびっくりするくらいに」

「アンタ、それ褒めてる?」

「もちろん『魔術師』としてな」

「何か刺のある言い方ね」

「そりゃさっきまでいいように言われ続けてきましたから」

「む……」

 少しの皮肉を籠めて、彼女に返す。

 以前の彼女も魔術師として非情に成りきれてはいなかった。この戦いの中で、ようやく彼女の魔術師らしい顔を見る事が出来たのだ。褒める事以外に、俺が彼女に出来る事が有ろうはずもない。

 思わず足を止め、キッと俺の方を睨みつける遠坂。

俺自身も彼女に倣い足を止めてしまったのだが、連れ立って歩いていたもう一人の少女は、いつもと変わらぬ精悍な表情のまま俺たちにこう告げる。

「ーー二人とも、足を止めている時間はありません。先を急ぎましょう」

「あぁ、すまんセイバー」

「ごめんなさい。少しはしゃぎ過ぎたみたいだわ」

 セイバーから向けられる鋭い視線に、素直に謝罪の言葉を述べる俺と遠坂。

その態度に拍子抜けしてしまったのだろうか、少し笑みを浮かべるセイバー。足を止めこちらを一瞥するも、すぐに歩き始めた。

「どうしたんだよ、セイバー?」

 何かを言いかけたのだろうか。俺と遠坂はセイバーの歩く速度に追いつき、彼女の表情を窺ってみる。

「ーーあぁ、いえ……すいません」

 そこにはどこか満足したような満ち足りた表情があった。それは今までに見た事のない、充足した表情に思わず言い淀んでしまった。

 相変わらず、この少女はきっと誰もが見惚れてしまう。素直に美しいと思えるものだった。

「本当に、本当に頼もしいものです」

「何だよ、いきなり。今更お世辞なんて言っても、何もしてやれないぞ」

 考えもしなかったセイバーの言葉に焦ってしまい、思わず乱暴な言葉遣いで返答してしまう。

 それでもセイバーは顔色を変える事なく、そしてこちらに視線を向けないまま、こう続けた。

「二人とも良い意味で力が抜けています。自然体で戦場に臨めるという事は中々に稀有な事ですから」

 まるで今までの自分は、そんな風に戦いに臨む事が出来なかったと言わんばかりのその口ぶりに、ここまでの自分を顧みる。

 彼女の言う通り、これまで戦いに臨む時はいつも緊張したままだった。

 

 初めて倒すべき悪として相対したあの男。

 多くを救う為に犠牲にするしかなかった人々。

 そして殺し尽くすと決めた、かつての自分。

 

 どんな場面でも心は張り詰め、何も感じまいと自分を押し殺し続けてきた。

 しかし今の俺はどうだ。桜と、そしてかつて自分自身と相対そうというのに、緊張とは違う感覚が俺の心を占めていた。

「確かに、今は何の憂いもない。あれだけウジウジし続けたからな……最後くらいはきっちり決めてやるさ。そうじゃないと男らしくないだろ」

 セイバーの右隣に並び立つ。ただ俺の中にある、緊張とは別の感覚というものは、どうしても自分の中にある言葉だけでは語り尽くす事が出来ない。

だからせめて恩人に、幹也さんと式さんに教えられた『自分らしく在る』という強さが自分の中に根付いている事を表す為に、そう力強く言い放つ。  

「そこのバカが迎えに行こうとしているのが私の妹ですからね。聖杯戦争を始めた一人の魔術師として、桜の姉として、この戦いの終わりを、キッチリ見届けるわよ」

 セイバーの左隣を陣取り、風に靡く髪を片手で押さえながら、皮肉まじりに遠坂は呟いた。

 おそらく今でも彼女は桜を止めるには、殺す以外の他の方法はないと結論付けているはずだ。しかしそれでも俺と行動を共にするという事の意味を、俺はプラスに捉えていた。

 きっと遠坂はまだ桜の事を諦めてはいないのだと。そして俺の事を信じていてくれているのだと。

 

 俺たち二人の言葉を受け止め、セイバーの表情は笑みから精悍なものへと変わっていった。この後に続く言葉を、最早予想する必要なんてない。

今から彼女が口にする言葉は、一人の騎士としての言葉。

「凛、シロウ……本当に恐れ入る。本当に、本当に貴方たちは強くなったのですね」

 戦場を共に駆ける、友人に対する激励の言葉だ。

 

「何言ってるのよ。強くなんてないわ。ただ……やらなきゃいけないことをやりに行くだけなんですもの」

 足早に遠坂が歩く速度を上げる。一瞬、街灯に照らされた彼女の頬が赤らんで見えたのは、きっと俺の気のせいではないだろう。本当に、いつも肝心な時に素直になれないヤツだ。

「そうだな。ただセイバーがそう感じるのは、いつもより俺たちが『俺たちらしい』からじゃないか」

 そして俺も、彼女と同様に速度を上げる。俺自身、セイバーの言葉はひどく心に響いた。この戦いから、そして恩人たちからそう教えられてきたモノの意味を、真に理解する事が出来たのだろうと、実感出来たからだ。

 だからもう何も迷う事はない。ただひたすらに、今自分の胸の内に見出した『答え』を実践するのみだ。

「我が主、そして友よ。貴方たちをこれほどまでに頼もしいと感じた事はない」

 俺たちに遅れる事数歩、甲高い靴音を鳴らしながらセイバーが風を切る。伝説に違う事のない、勇敢で雄々しい姿がそこにはあった。

 

 

「さぁ、着きましたよ。聖杯を抱きし、戦いの地に」

 そして俺たちは辿り着く。 

 

 総ての悪が生まれ落ちる場所。

 そして、俺とアイツの約束の場所。

 

「ーー柳洞寺」

 そう。口にした通り、俺たちは柳洞寺の石段前まで辿り着いた。

 月を抱く山門の厳かさは、今も変わりない。その場に踏み入る人々が、生活をするはずの人々がいなくなってしまっただけだ。

むしろ人が立ち入らなくなったからこそ、聖域としての神聖さを漂わせているというようにも俺には感じられた。

「ーー静かだが……力の奔流を感じる。聖杯は上にあるのでしょうか」

 沈黙したまま睨みつけるように山門を眺めていると、ポツリとセイバーが呟いた。

 確かに柳洞寺の境内でないにも関わらず、石段の前であるこの場ですら魔力(マナ)が満ち満ちているのだ。彼女が導き出される答えは、柳洞寺の境内付近に聖杯が発生しているという事であろう。

 かつての俺も、その場に現れる聖杯こそが総ての元凶なのだと考えていた。

「そうだな。確かに俺の経験則では柳洞寺の裏の池が、その場になっていた。でもーーーー」

「そんな、『表に出てくるような』聖杯なんて意味がないでしょ?」

 俺の言葉を遮り、遠坂が前に出る。

「あぁ、流石だ遠坂。言いたい事、分かってるじゃないか」

 聖杯を欲するマスターであれば、目の前に出現しようとしている聖杯に跳び付くのは必然だろう。しかしきっと桜は、そしてアイツはそんなものには興味はない。

「凛、すいませんが簡潔に述べてもらえませんか? 今は長々と講釈を聞いていられる時間はない」

 怪訝な表情を見せながら遠坂に詰め寄るセイバー。敵の本陣を目前にして、悠長に話を続けていられる時間など最早ないのだ。

遠坂自身もそれは理解しているのだろう。少し考えを巡らせるように虚空を眺めた後、静かにセイバーに尋ねた。

「そうね。確認だけどセイバーと士郎は聖杯戦争を終わらせようと、聖杯を壊そうとしているんでしょ?」

「その通りだ。あんなモノ、在ってはならない」

「そう。それなら二度と聖杯戦争が起こらないようにしないといけないとは思うのよね?」

「無論だ。その根底から打ち崩さなければ、この戦いに意味がない」

 最早聖杯に対する未練などない。彼女の放った言葉は、そしてその表情はありありとそれを示していた。そしてセイバー自身も石段を登り始め、俺もその後に続いた。

「ーー分かったわ。つまり私たちは聖杯の大元を叩こうとしているのよ。上に現れるのはあくまで『聖杯を欲しがるマスターの為』のモノなの。そんなのいくら壊した所で根源を潰さないと、際限なく溢れ出してくるわ」

「なるほど。大元を根絶やしにする……つまりその場は」

 こちらに振り返り、彼女は確信めいた表情を見せる。

「そうよ。地下……差し詰め大聖杯(おおもと)は奥深くにて、眠り姫の胸に抱かれてって所じゃない?」

 もっとも眠り姫というにはあまりに乱暴過ぎるけどと、遠坂はそう付け足しながら気だる気に髪を撫でた。

「なら地下に続く道を探さないといけないって事か。なかなか骨だぞ、これは」

 そう。言うまでもなく柳洞寺の、円蔵山を調べ尽くそうと思うと、きっと朝まで時間をかけても足りないはずだ。しかし現実問題、俺の記憶の中はその手がかりは存在しない。とにかく手探りでそれを見つけるしかないと、三人で顔を見合わせる。

 

「愚痴を言っていても仕方がありません。すぐに別れて……いや、その必要はなさそうですね」

「そう、だな……」

 

 セイバーの視線がふと上方にずれ、山門に注がれる。それにつられ、俺と遠坂の視線もそこに向いてしまう。

 おそらく、遠坂は目にしたソレに言葉を失ったのだろう。そして俺自身も、あまりに出来過ぎたタイミングでの登場に、薄ら笑いを浮かべるしか出来なかった。その影はこちらを一瞥し、次の瞬間には境内へと向かって踵を返していた。

「一度上がってこいって事みたいね。そんな無駄な時間はないのに」

 その後ろ姿を見送りながら、苛立ちの表情を浮かべる遠坂。やはり昨夜、あの影の主から告げられた言葉を気に掛けているのだろう。遠坂にとって、何の覚悟もないままに自らが召喚したサーヴァントが裏切ったのだ。表面的には割り切っていたとしても、内面ではまだそれを引きずっているのだろう。

しかしその登場はある意味でこの状況を打破するものだ。

「俺も大聖杯への入り口のことは知らない。虱潰しに探すなんて現実的じゃない。そして境内の方にはそれを知ってるヤツがいる。なら答えはもう出てるじゃないか」

「そう簡単に教えてくれるかしら?」

「いや、彼の目的が一つならば、存外に上手く事が運ぶとは思いますが」

 冷静に状況を判断しながら、再び石段を歩み始めたセイバー。全く、やはり彼女の存在というものは心強いものだ。だからこそ、その強さに見合うな行動を自分もしなくてはならない。

 俺は遠坂の肩を叩きこう告げる。まるで自分を奮い立たせるように。

「ーーーーさぁ、行こう」

 

 石段を登っていくのに、そんなに時間を要するものではなかった。

 ただ登っていくにしたがって、三人の口数が少なくなっていった。ついに戦いを前にして緊張してしまっているのか、それとも円蔵山という聖域の重圧に気圧されているのか、どちらなのか分からないままだった。

 かつて陣羽織に身を包んだ剣士の守っていた山門を抜け、境内へと足を踏み入れていく。

 

「ここまでご足労いただき、感謝する」

 誰もいないはずであった境内に、低く憎しみを籠めた声が響き渡る。言葉では感謝などと付け加えてはいても、それには俺に対する怒りだけがそこに在った。

 境内の中心、露出された褐色の肌を目にするだけで、こちらも肌寒くなってくる。彼を象徴していたはずの赤の外套は見る影も無い。そこには狂気にその身を染められただけの戦士の姿があった。しかしコイツは自らの象徴を捨ててまで、今の状況を望んだのだろうか。まったく、苛立ちを通り越して清々しさすら感じてしまう。

 

「ーーアンタ、何でこんな真似するのよ」

 刺のある響きを放った少女は、殺意を孕んだ視線を褐色の戦士に向ける。

 しかしそんな視線を向けられても尚、戦士は彼女には気も止めず、ただ俺だけを睨みつけていた。

「アーチャー……私たちが何を言おうとも、貴方には何も響かないのでしょうね」

 状況を冷静に見つめ、セイバーがそう呟く。昨夜のやり取りから、セイバーはアーチャーに何を言っても無駄なのだと理解したのだろう。だからこそどんな無礼な振る舞いをされたとしても憤る事はない。

 その冷静さをアーチャー自身も十分に理解しているのだろう。俺に向けていた視線を遠坂とセイバーへとずらし、ようやくその重い口を開いた。

「その通りだ。この場に君たちが留まったといても、ただ『無様な殺し合い』を見るに過ぎない……ただ彼女からの最後の依頼として、少しばかり君たちを足止めせよと言われたのでね。もう充分だろう、君たちは早く彼女の所に行きたまえ」

 ただ乱暴にそう言い捨て、再び俺の方へと視線を戻すアーチャー。

「そうやって、私の問いには答えないのね。ホント、もう何を言っても無駄みたいね」

「君たちの登ってきた石段の中腹から脇に逸れたまえ。少し進めば、そこにいる騎士王ならば簡単に出入り口を見つける事が出来るはずだ」

 嘆息しながら踵を返し、来た道を戻ろうとする遠坂の後ろ姿に、再びアーチャーが声をかける。しかしその声に返す言葉を、遠坂は持っていない。彼女は今の短いやり取りの中で、かつての自らのサーヴァントとの袂を分けた。そして今、口にする言葉にアーチャーに対する別れではなく、この言葉を選んだ。

「ーー士郎、死ぬんじゃないわよ」

「シロウ、ご武運を」

 二人は短くそう告げ、再び石段へと足を進めていった。

「ありがとう、すぐに合流する」

 俺も笑顔を作りながら短く返事をし、正面からアーチャーを見据える。視線が絡んだ瞬間、アーチャーから放たれる憎悪がより色の濃いものになったように感じた。

そう。かつての俺自身もこんな表情をしていたのかもしれない。そしてオレはこんな何とも言えない、呆れた感情を抱えていたのだろう。

 だがここに純然たる事実がある。

 ついにこの時が来たのだ。自分自身との決着をつける時が。

 

 

 



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剣突き立つ荒野 Ⅱ

 

 

「さて、ようやく貴様と二人になった訳だが……」

 薄ら笑いを浮かべながら、ジッとこちらを睨みつける黒のサーヴァント。

今に始まった事じゃない。この男がオレに向けるこの視線は、いつでも憎悪を嫌悪を、総ての負の感情を孕んでいた。

「何だ、お喋りでもしたいのかよ」

 決して臆する必要はない。踏みしめる地面の固過ぎる感触を確かめながら、口から出たのは嫌み。まるでかつて赤の礼装を纏っていた時のような、下卑た台詞が零れ落ちていた。

「いやな、こうやって貴様と向かい合う事もこれで最後なのだ。ならば一時の戯れも悪くあるまい」

 

 らしくない。素直にそう思えた。

 本来であれば、視線を交わした瞬間……いや存在を認めた瞬間に斬り合っていてもおかしくはないのだ。それだけ『エミヤシロウの成れの果て』は『かつての自分』に対する深い憎悪を抱いていたのだ。

 

「お前、こんな時に正気なのかよ?」

 かつて、目の前のこの男を経験した俺自身がそう感じるのだ。この違和感を気のせいなどと捉えていていいはずがない。アーチャーに対する警戒を最大限に引き上げる。同時にいつでも自らの得物をその手に現す事の出来るように、自分の中の撃鉄をガチリと起こす。

 俺の様子など、きっとアーチャーは気にも止めていないのだろう。

境内の中心で腕を組みながらこちらを見据えるその様は、普段と変わらない気障な態度のままだ。

「前に言ってたじゃないか……俺たちが言葉を交わす事に、意味なんてないって」

 しかしその態度とは裏腹に、アーチャーが浮かべた表情は普段のものような嫌みたらしいモノではなく、邪悪そのものであった。アーチャー自身はそれに気が付いているのだろうか。

いや、気が付いていない訳がない。それが分かった上でアーチャーはその笑みを浮かべているのだ。自らの使命を忘れ、自らの内を侵食していく『この世全ての悪』を許容しながら。

「ーー貴様に対して吐いた言葉を、私が覚えている訳があるまい。自意識過剰にも程があるぞ」

 そう。そしてこの言葉だ。

 何故今すぐに斬り掛かって来ない。何故早く戦いを始めようとしない。

意図的に戦いまでの時間を引き延ばしているように感じられる。俺が桜の所に到着するのが遅くなって、アーチャーに何か得られるものがあるのだろうか。今更それを理解したところで、物事が好転するはずはない。それならば、俺は自分自身の我を貫き通すまでだ。

「どうとでも言えよ」

 ガチンと撃鉄が落ち、自らの中に魔力が通っていく。そしてこの手に現れるは一対の夫婦剣。その切っ先をアーチャーに向けながら、俺はこう告げる。

「俺にはアイツの傍に、桜の傍に行かなきゃならないんだよ。お前の戯れになんて付き合ってやる事は出来ない」

 そう。俺は桜の傍に行かなくてはならないのだ。桜を救わなくてはならないのだ。

この先延ばしが何の意味を持つのかは理解する事は出来ない。だがそれもここまで限りだ。すぐにでも疾走しその褐色の肌に刃を突き立てんと、眼光鋭くアーチャーを睨みつけた。

 

「……」

 

 アーチャーは押し黙り、俺の現した干将と莫耶の輝きを見つめる。自らが造り出し得るモノと同質のモノを改めて目の当たりにし、一体何を思うのだろうか。

 しばし何も語らないまま俺の手にした得物を見据える。ただ憎悪に淀んでいたはずのアーチャーの瞳に、ようやく落ち着いた色が戻る。やはりこの男も、どれだけ悪に塗れようとも、戦士としての本質を見失ってはいないのだろう。ただこの状況を見つめ、アーチャーはゆっくりとこう呟く。

 

「ーーならば、一つだけ聞こうではないか」

 淡々とした物言いでアーチャーは続ける。未だにその手に得物を現す事はしない。

「貴様にはこの場で、この柳洞寺で戦った記憶はあるか?」

「あぁ、あるな」

 苛立ちを露にしながら、ぶっきらぼうに答える。

歩数にして十数歩。その歩みだけで刃を突き立てる事が出来るかを頭では考えつつ、アーチャーの様子を窺う。

 

「そうか。きっとどの場面でも、貴様は偽善者として悪を打倒してきたのだろうな」

「ーーそんなのは知らない……」

 

 そうだ。俺が誰を打倒してきたかなど、最早どうでもいいことだ。

ただ一つ、今俺が吐き出した言葉では語り得ないものがある。俺が経験した聖杯戦争の中で確かにそれは存在した。

 

「ただ俺が辿ってきた聖杯戦争では、確かにいた」

 

 確かに聖杯戦争に参加する者にはそれぞれに理由があった。その戦いに関わる総ての者が聖杯に託す望みがあったのだ。

しかし『あの男』だけは違った。ただ自らの愉悦の為に、聖杯戦争を利用していたあの男。戦いを監視役という立場を利用し、自らの為に動き続けた男。

 

「明確な、一目見ればそれが悪だと理解出来るほどの……そんな人間が」

 

 それを人間と呼んでいいのだろうか。それを今議論するつもりはない。

 ただ『言峰綺礼』というあの男だけは、悪である以前に許してはいけない存在だった。

 

「そうだ、あの男だけは許してはならなかったのだ」

 静かに、怒りを湛えながらアーチャーは呟く。

その言葉は確かに目の前の、俺に向けられた言葉だ。しかしそれはまるで自分自身にも言い聞かせているようにも俺には感じられた。

俺たちはその男だけは共通して、許してはならないのだ。

 

「でも俺たちはアイツを無視し続けている」

 

 しかしそう口にする事も、思う資格すら俺たちにはありはしない。

 

「裏で何かしら策を労しているはずなのに、それでも放っておいているじゃないか」

 

 イリヤと二度目に会う直前、一度俺はあの男と遭遇していた。思えばその後から桜の様子がおかしくなってなっていたのだろう。きっと言峰が何かしらの行動を起こしていたのは、否定する事の出来ない事実であるにも拘らず、見て見ぬ振りをし続けていた。

 それは俺が、エミヤシロウが目指していたモノを考えれば、鉄槌を下す対象であったはずなのだ。全く……今の俺の体たらくを見たら親父は、キリツグはどう思うだろうか。

 

「その通りだ。だからこそ……」

「そうだ。だから俺たちはもう名乗れない」

 最初にキリツグと別れたあの月夜から、この胸には一つの火が宿っていた。

しかしその火を、俺は……俺たちは自ら絶やしてしまった。キリツグから受け継いだ、掛け替えのない大事な理想を。

 

 だからこそ今この場で、口にしておくのだ。

 この戦いは誇り高いものでも、高潔なものでも決してない。互いの我を通す為だけの身勝手なものだとハッキリさせる為に。

 

 

 

「『正義の味方』とは、もう名乗れない」

 

 

 

 そう。随分前から覚悟していた。『正義の味方』とは呼べない自分を認める事の辛さを。

しかしどうだ。素直に口にするだけでこんなに気分が良いものだったとは思いもしなかったのだ。

随分と心が軽くなったように感じられる。まるで閊えが総て外れたようだ。纏わり付く冷たい空気すら、それを引き立てるものになっている。

 

 だが俺の言葉に同意しながらも、目の前の男はこう続ける。

 

「しかしな……衛宮士郎が生き続けては、またそんな馬鹿げた願いを持つとも限らんだろう? その為にまた多くの者がその『偽善』の代償になってしまうだろう?」

 

 饒舌に語られるその言葉は、決めつけのものであった。

 その瞳は再び狂気に彩られ、一つの目的に向かってその眼光の冴えを際立たせる。

 

 総ては最初の後悔から始まった。その後悔を消し去らなければ何も始まらない。

かつて俺自身もそう考えていた。それが自らの存在を消す行為であったとしても、数少ない『自らの裡からわき起った望み』を否定する事などなかったし、それを為す為に誰かを言い訳にする事はしなかった。

 しかしこの男は、アーチャーはどうだ?

 

「私の知る衛宮士郎という人間は、それほどまでに欲深いのだ。ならば他者の為に、最後の仕事をしなくてはなるまい……」

 

 今のこの男の口ぶりは、あまりに『衛宮士郎』らしからぬ言葉であった。

 

「何だよ、結局言い訳を並べなきゃ何にも出来ないのか?」

「言い訳だと? 私がいつ言い訳などした」

「今もしてるじゃないか。俺を殺す理由を誰かに押し付けてるじゃないか」

「……」

 俺の言葉に、考え込むように黙りこくるアーチャー。何か主思いに耽る素振りを見せたが、気に介さずに俺は続ける。

「俺の知っているエミヤは、少なくとも俺は、衛宮士郎を殺す理由を誰かに押し付けはしなかった。自らの望みを達するのに、もう借り物の思いなんて必要なかったからだ」

 

 そう。正義の味方を目指したのは、それがあまりに美し過ぎる望みだったから。

そしてそれを望み続けた自分自身を消してしまいたいと思ったのは、自分の意志であった。その為ならば何を犠牲にする事も厭わなかったし、理由をどこかに求める事もなかった。

 総ては、自分の都合だったのだ。

 

「ーーーー黙れ」

「今のお前はどうだ? 答えろよ、英霊エミヤ」

「ーーーー黙れ! 貴様がどう思おうと関係はないのだ! ただ私は貴様を衛宮士郎だとは、あの人の理想を受け継いだ者とは認めない」

 

 夜の境内に響くその怒号は受け取る者もおらず、ただ清閑な空気の中に染み渡っていく。この男の言葉を俺は最早受け取るつもりなどない。いや、そんな優しさなど不要だと思えたのだ。

 ただアーチャーがあまりに痛々しかった。結局この男はこの時にも親父の、衛宮切嗣の残した呪いに苛まれているのだ。

俺がそうであったように、未だに一歩も進めないままにいるんだろう。

 

「そうだ。俺は、このエミヤシロウは最初から正義の味方ではなかった。この俺はただ一人を守る為だけに今こうして生きている」

 

 どこかかつての自分に戻ったように、淡々とした口調で俺は告げる。

 今の俺は桜の為だけに生きているのだ。それを貫き通す為に、俺は下に降ろしていたままの莫耶の切っ先を再びアーチャーに向ける。切っ先の鋭さに舌打ちしながら、アーチャーは苛立ちを更に募らせていた。しかしきっとそれ向けられたことに苛立ったのではないはずだ。

 この男は、目の前にいるエミヤシロウという存在が、『正義の味方』にはなれないと断じながらも、その理想を否定してしまう事を許さないのだ。

 

「貴様……貴様という男は!」

「お前の考えている通りだよ。俺は元々の衛宮士郎の雛形から外れてしまってるんだ。だからお前が俺に嫌悪を抱くのは無理ないさ」

 

 手に現される夫婦剣の切っ先が俺に向けられる。

この身体に感じられる殺気の質が変質していく。アーチャー自身も本気になったのだろう。

しかしこの程度の殺気、既にこの身体は慣れてしまっているのだ。この程度であれば、以前式さんから感じたモノの方が余程真っ直ぐで脅威に感じられた。

 

「殺してやる……今すぐに、貴様という偽者を!」

 しかしこの男が、自らの得物を手にした。ならば後は斬り結ぶのみ。

結局俺たちは言葉などではなく、どちらかを打倒する以外前に進む術を持たないのだ。

 

「ーー偽者か。いいぜ。なら偽者らしく自分の我を貫かせてもらう! 俺もお前みたいな偽者に負けられるかよ」

「何を言い出すのだ。私が偽者である訳が……」

「言峰の事は、俺も同じだ。でも桜のことはどう説明するつもりなんだ? 『この世全ての悪』と同じモノになっているあの子を何でそのままにしておける? お前、自分の役割を忘れた訳じゃないだろ?」

 最後にもう一度、言い続けてきた言葉を口にする。それは徒労で終わる事と既に理解しているのだ。それでも最後まで『期待』せずにはいられないのは、俺が未だに甘い証拠だろうか。

 

「それは、貴様を殺す為に……」

「ーーそれじゃぁお前も、エミヤシロウだなんて言えないじゃないか」

「なら偽者同士、ハッキリさせようではないか。貴様を殺し、そして間桐桜を殺せば総てが丸く治まる」

 やはり期待は裏切られた。

「そうだ、最初からそれで良かったのだ」

 最後にそう告げ、その身体が掻き消える。否、それは目の前に迫っている。

瞬きの瞬間、アーチャーは俺の眼前へと迫り、干将を振り上げていた。

「ーー死ね、哀れな道化よ」

 言葉に明確な殺意が籠る。

「ああ、来いよ」

 

 俺自身もその一刀を受け止めんと構えをとる。

 

 始まるのだ。夢にまで見続けた、自分自身との戦いが。

 

「もっとも、俺はオレには絶対に殺されてやらないさ!」

 

 いつか、かつての自分が口にした……自分には負けないという言葉を口にしながら。



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剣突き立つ荒野 Ⅲ

 

 

 

 何度、この戦いを夢に見たのか、自分でも思い出す事は出来ない。

 瞬きの刹那、眼前で剣を振り上げるこの男の憎悪に濡れた顔を幾度想像したか、最早数える事すら諦めてしまった。

 

 確か、かつてのオレはこんな風に戦いの幕を落としはしなかった。

 

 エミヤシロウは一体何者であるのか。

 答えは単純だ。

 戦士でもなく剣士でもない。ましてや騎士などであろうはずもない。

 

 ただ自らの裡に入り続け、幾度となく造り出し続ける者なのだ。

 

 エミヤシロウに出来る事は一つ。自らの裡に埋没し、造り出し続けること。

 

 詰まる所、俺たちの戦いは『剣製の競い合い』なのである。

 

 それだというのにこの男は、俺たちの本分を忘れたかのように剣を振り上げる。

その表情はまるで狂戦士のようにすら感じられた。

 

 

 対峙したのは、四つの刃。互いに手にする得物は同じ。 

 まるでそれらは互いを引き寄せ合うように打ち交わされ、刹那の華を散らしながら弾け合う。

 

「ーーーーっ!」

 

 一合打ち交わし、アーチャーの顔に不満な色が浮かぶ。

 流石は錬鉄の英雄の異名を持つだけの事はある。たった一度刃を重ねただけで、俺の手にした剣の本質を見抜いたのだろう。

 いや、見抜いたではなく『確信した』という言葉の方が正解だろう。この男は幾度となく、俺の戦いを観察してきたのだ。そう思い至るのには十分に時間はあったはずなのだから。

 

 そもそも俺とアーチャーは『同一のもの』なのだ。

 ならば俺の剣の精度が、アイツのモノに劣る事など有り得ない。

 

 アイツは俺の魔術を何度も目にし、そう予測しながらも認めはしなかったのだ。だからこそ今になって、俺の力を目にし納得し、激昂しているのだろう。

 

「ーーなんだと、言うのだ……貴様はあぁぁぁ!」

 

 弾けた反動を利用し、身を翻しての莫耶による一閃。

 上方から振り下ろされるそれを自らの莫耶で受け止め、左に構えた干将を横に薙ぐ。

 速く、繰り出しうる最大の速度でそれを振るう。

 

「ーーーーッ!」

 

 ガチリ

 

 柄まで確かに伝わってくるのは、何かを叩き斬った鈍い感触。

 月が雲に隠れ視認する事は難しいが、おそらく俺の干将はアーチャーの身に纏った黒のアーマーに傷を負わせたのだろう。

 

「ーーなん、だと!」

 そう。魔術も同じ。造り出したモノも同じ。ならば剣筋すら同じであると考えたのだろう。しかし予想より上の動きをした事に動揺したのか、間抜けにもそんな言葉を吐き出すアーチャー。

 

「ーーんなの、大、間違いだ……ッ!」

 

 次々と繰り出される剣戟の行く手を遮りながら、自分でも驚くほどに苦悶に満ちた声を吐き出してしまう。

 事実この腕は……そして身体は、見舞われる衝撃に悲鳴を上げている。

 アーチャーの繰り出す剣の冴えは、擦り傷ではあるが次々に俺にダメージを与えている。少しでも力を抜けば、狂気の刃に身を切り裂かれるのは想像に容易かった。

 

 先の戦いから、ライダーとの戦いから、俺は学んだ。

 『人間の身で、英霊に勝利する事は出来ない』と。

 ならばどう戦えばいいのか。それも答えは簡単だった。

 

「ーーーー結局、お前は……俺なん、だよ」

 

 そう。かつてのオレが実戦の中で剣技を読み取り、その魔術さえ手に入れた。既にそのアドバンテージを積み重ねた俺が何を出来るのか。

 それは想像し続けることだった。アーチャーがどんな戦い方をするのかを。

 描き続けてきた、俺がオレを超えうる術を。

 そしてその長過ぎる過程の中で俺はアイツの経ていない道のりを歩いてきた。オレが全く知る由もない出会いが、更に俺に強くなる切欠を与えてくれた。

 

 あの魔術師が、そしてあの二人が、俺を一つ上へと導いてくれたのだ。

 

 

「何を、世迷い言を!」

 

 振るわれる双剣の軌道。

 こめかみと胸部を正確に断ち切る一閃。

 

「ッーーフッーー!」

 身を捻りながらその軌道から自らを逸らし、両の手に持った得物でそれを受け流す。

 無理に体重移動をしてしまったからだろうか、身体から力が抜け落ち膝をついてしまう。

 

 

 それを好機と見たのか、追い打ちをかけんと崩れゆく俺の脳天目掛け、

 

「はあぁぁあ!」

 

 黒白の双剣を振り下ろした。

 

 

「あーーーーー」

 

 ダラリと下がった腕をすぐに上げる事は出来ない。

 防ぐ事が出来たとしても、おそらく致命傷を負う事は必定。ならば導き出す答えは一つ。

 

「ーーぐーーーーッ!」

 

 バチリ。頭の中で火花が弾け飛ぶ。

 無理矢理の魔力公使。力を失っていたはずの脚部を強化し、一気に横に飛ぶ。着地などを考えている場合ではない。こんな所で終わってしまう事の方が恐ろしいのだから。

 

 自らの剣を投げ放ち、地面を転がり不格好になりながらも身体を起こす。

 歩数にしておおよそ十歩。この距離ならばアイツであればものの数瞬で間合いを詰める事が出来るはずだ。しかし更なる追撃はない。

 

「……だ……よ。来ない、のかよ?」

 

 肩で息をしながら、嫌みをこめてアーチャーに呟く。

 しかし返される言葉はない。ただ受取手は俺の言葉などは気に介さず、ただ自らが投影した剣をジッと見つめるだけ。

 数分、雲の切れ間から再び月の光が降り注ぎ始めるまで、アーチャーは黙したまま動く事はなかった。

 

 

「なるほどな。これで得心がいった……!」

 

 その言葉は総ての疑問が晴れたように、澄んだ声で響き渡った。

 俺と刃を打ち交わす中で、アーチャーは読み取ったのだろう。

 

 俺たちが共に経験した守護者としての記録、俺がオレに敗北を期した記憶を。

 そして俺がこの聖杯戦争に至るまでの、アーチャーが経験する事のなかった出会いを。

 

「やはり貴様は衛宮士郎ではなかった。オレに近い……いや、オレそのものであったのだろう」

「あぁ、それはお前の想像に任せるさ」

 

 次第に息が整い、ハッキリとそう言葉にする事ができた。

 無理に強化をかけた脚部も、どうにかこのまま戦いを続ける事が出来るほどに回復している。

 

 アーチャーの言葉。それはあまりに意外だった。

 あれほどまでに執拗に、俺を衛宮士郎と認めないと言い続けてきたこの男が、今更こんな事を言うなんて。

 

 だがその目はどうだ。こちらを睨みつけるその瞳は。

 否定し、否定し尽くしているではないか。

 

 ただ俺の辿ってきた道が、俺の手にするこの剣が、ただ同じであった。

 その在り在りと俺が示した事実を、この男は反芻したに過ぎないのだ。

 

 ならばとアーチャーは続ける。

 

「何故選ばない……」

「選ぶって、一体何を言ってるんだ」

「何故貴様は、自ら消える事を選ばないのだ!」

 

 再びその身が爆ぜる。まるで弾丸を思わせるその疾走は、一瞬姿を見失いかけてしまう。

 必死に目を凝らし、アーチャーの動きを捉える。手には未だに黒白の双剣。振り下ろされたそのキレは全く変わらず凄まじいものがあった。

 

「ーーーーぐ」

 これでは確かに受け続ける事しか出来ない。

 この激情の渦に流されぬよう、必死に自らも手に現した干将、そして莫耶に力を籠め続けた。

 

「貴様は自らが選んだ道に後悔したはずだ!」

 怒号が響く。悲鳴にも似たその言葉はあまりに悲しい。

 

「正義の味方になるなどと強迫観念にかられ、走り続けた事を後悔したはずだ!」

 それはエミヤシロウの……今のこの男の思いだ。決して今の俺自身の思いなどではない。

 

「かつての自分を殺そうとしたのだろう? 自らの間違いに気付き、それを為そうとしたのだろう?」

 そうだ。アーチャーの言う通り、俺はそれを為そうとした。

 しかしそれは最早過去の話だ。今は違う。

 

「あーーーーーーく!」

 

 衝撃に体を弾き飛ばされながらも、どうにか踏みとどまり剣を振るい続ける。

 

 もう何度、剣を造り出し続けただろう。

 ジリリと頭が痛み、体は魔力不足を必死に訴えていた。

 

「ならば何故未だに生きているのだ。何故生きてこの聖杯戦争に再び身を投じているのだ。やはり貴様は……衛宮士郎という人間は、そこまで壊れ果てた人間なのか!」

 

 その言葉から感じられたのは淡い期待だった。

 自分と同じならば、抱く答えも同じなのだと。

 

「違う……とは言わない」

 

 そうだ。違うなどと言えない。

 

 親父から受け継いだ理想を果たすため、俺は足掻きながら進み続けた。

 しかし後悔がこの心を蝕み始めた。

 後は言うまでもなく破綻が待っている。

 

 自分の歩んできた道を否定し、自分が抱いた理想すら借り物だと侮辱し、歩み始める前の自分自身を殺そうと思い至った。

 だからアーチャーの言葉に対し、俺が否定出来る事なんて何もないのだ。

 

「……ならば、何故!」

「教えてくれた。思い出させてくれたんだ! 俺が……いや、俺たちがかつて歩んだ道は間違っていなかったって」

「都合の良い事を言うな。何をしようとも貴様の罪は消えない。これまで積み上げてきた後悔がなる事はない。貴様は、衛宮士郎は決して変わる事など出来ない!」

 

 幾度目かの剣の衝突。

 刃を合わせ、鍔迫り合いに持ち込みながらアーチャーは変わらぬ語調のまま続ける。

 

 罪は消えない。

 後悔もなくならない。

 そう。その通りだ。それは俺の中で常に根付いているものなのだから。

 

 それでも前に進み続ける。

 

 消えないのならば、贖罪の為に生き続ける事を選ぶ。

 なくならないのならば、見えなくなるほどに正面を向き続ける。

 

「俺の生き方は変わってしまった。いや、きっと誰だっていつからでも変われるんだ」

 

 それを気付かせてくれたのは最初に守ろうとした彼女。

 そしてその決意をくれたのは……。

 

「俺は、今のエミヤシロウは彼女の為に、間桐桜の為に生きていたい! だから何度でも言ってやる。俺はシロウ、エミヤシロウだって……」

「だから貴様はッ!」

 

 左の干将をこちらに押し付けながら、莫耶を上方に振り上げる。

 狙いは脳天。真っ二つに俺を叩き斬るつもりなのだろう。

 

「ーーーーはあああああああああああああああああああ!」

 

 渾身の力を籠め、干将を押し返し一歩踏み込む。

 叩き斬られる恐怖。そんなものを気にしていては先になど進めない。

 そんなものより、より恐怖する斬撃と俺はもう既に打ち合った事があるのだから。

 

「ッ……」

 

 更に一歩、アーチャーの体勢が崩れる。

 それに追い打ちをかけるように、受けた干将を押し返し、莫耶で袈裟に斬って返す。

 苦悶に歪むアーチャーの表情。致命傷とまではいかない。

しかし確かな傷をこの男に負わせ、再び間合いが開いた。

 

 苛立ちの表情を向けながら、先までの饒舌さが嘘であったかのように黙りこくるアーチャー。

 

 ならば次は俺の番だ。

「おい、アーチャー……よく聞け。俺は……」

 双剣を一度破棄し、掌を見つめながら呟く。 

 

「俺は、エミヤシロウだよ。誰に誇る訳でも、宣言する訳でもない。」

 

 もうこの事だけは、迷う事などない。

 

「ただ一人の女の子を救いたい……身勝手な男だ」

 

 正義の味方を目指した末に、俺が見つけた身勝手な答え。

 俺から生まれた、俺だけの答えだ。

 

「理想を捨てる? オレの知る衛宮士郎は……違う、違う違う違う! やはり貴様は違う!」

「言っただろ? 俺はその雛型から外れちまったんだ。今更戻すなんて……この気持ちを止めるなんて、出来るかよ」

 

 それはきっと、この男が一番良く理解しているはずなのだから。

 そして、衛宮士郎の生き方を頑に決めつけたままなのも、きっとこの男なのだ。

 

「ーー認めん」

 剣を破棄し、そう呟く。

 

「ーーーー認める事は、出来ない」

 下を向き、分からなかった表情がハッキリ見える。

 憎悪、嫌悪、今まで向けられていたものではない。

 

 ただ決意と、冷えきった表情がそこにはあった。

 

「ーーだから終わらせる。オレの総てで、貴様を終わらせるーー!」

 

 ただ俺を真に亡き者とするという決意だった。

 

 

 

“I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)”

 

「結局、こうなるんだな」

 そう。こうしなければ、俺たちの戦いは終わらない。

 いや、終わらせて良い訳がない。

 

“Steel is my body, and fire is my blood.(血潮は鉄で 心は硝子)”

 

 この詞の通り、心はいつも砕かれ続けていた。

それでも前を見ようと、必死に喘いで進み続けた。

 

「出し惜しみは、なしってことか……」

 

 

“I have created over a thousand blades.(幾たびの戦場を越えて不敗)”

 

 

「そうだ。オレたちが真に競い合うならば、その場が相応しい」

 

“Unknown to Death. Nor known to Life.(ただの一度も敗走はなく、ただの一度も理解されない)”

 

“Have withstood pain to create many weapons. (彼の者は常に独り、剣の丘で勝利に酔う)”

 

「あぁ、なら来いよエミヤ……次で、ケジメだ」

 

“ Yet, those hands will never hold anything.(故に、生涯に意味はなく)”

 

“So as I pray……(その体は、きっと……)”

 

「行くぞ、エミヤシロウーーッ!」

 

“……unlimited blade works.(剣で出来ていた)”

 

 

 目の前に広がった。

 

 鉛を垂れ流したように重々しい空。

 荒れ果て、目も当てられないほどの赤く焦げた荒野。

 

 そして、剣の丘。

 

 まるで墓標のように突き立つ剣こそ俺たちの造り出す事の出来るモノ。

 

 俺たちを指し示す心象風景が今、俺たちの総てを包み込んだ。



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剣突き立つ荒野 Ⅳ

 

 並び立つ剣戟が告げる。

 決してこの風景から、この世界から逃れる事が出来ないのだという事を。

 

 焼け焦げた大地が示している。

 歩き続けたこの先には、苦難しか待ち受けていないのだと。

 

 そして空が……暮れ泥む緋色の空が俺に語りかけているのだ。

 

 

 『エミヤシロウ』の戦いは、この場でこそ終焉を迎えるべきなのだと。 

 

 

「ーーーーーー!」

 剣が奔る。

 迫り来る黒白の衝撃は重々しく、受けるこの腕に鈍く響いていく。

 

「チ!ーーハッ!」

 ジャリと地に何か重苦しい音が響く。飛び散る火花の為に完全には視認する事は難しかったが、アーチャーは黒白の双剣を破棄し、地から別の得物を引き抜いていた。

 

「ぐーーーー」

 

 それは心臓を貫かんとする螺旋の一撃。

 突然の剣筋の変化に得物の切っ先が煌めいた瞬間、無理矢理に脚部に強化をかけ右側方へと回避を図る。

 刹那、脇腹を捻れるような一閃が、そして激しい痛みが駆け抜けていく。思わず横に飛び続けながら視線をそちらに移す。映ったのは破れて漂う服の一片と、毒々しい赤。

 

 最早その刃を見るまでもなく、それが何であるかは理解出来る。

 

「カラド、ボルグ……ッ!」

 螺旋剣、それは俺たちがここぞという場面で必ずと言って良いほど繰り出していた一振り。

 そして昨夜、ランサーを貫き殺した矢の正体。

 その捻れを伝い、俺の血がアーチャーの手にまで到達する。

 

 あまりに夥しい量の血だった。少し脇腹を傷付けたに過ぎないと感じていたのは、俺の気のせいだったのだろう。事実アーチャーの数多の剣を止め続けたこの腕は、気だるさすら感じないほどに麻痺しているのだ。

 この身体が痛みに対して麻痺していたとしても、仕方がない事なのかもしれない。

 

 俺の傷を目にし、好機と見たのだろう。早々に螺旋に捻れる剣を破棄したアーチャーは、脇に突き立つ無銘の剣を手にしそれを上段から振り下ろしていた。

 

 刹那の華が再び飛び散り、暮れ泥む世界に一瞬の光を放つ。

 掲げた干将に防がれたアーチャーの無銘の剣は、音を起てながら崩れ去った。それはアーチャーの世界に内包された剣にしては、あまりに脆いモノであった。

 しかし目の前で弾けた剣の行く末など全く気にも止めず、アーチャーは再度その手に名だたる名剣を投影し振り回し続けた。

 

 「クッ……!」

 思わず声が漏れてしまう。

 ただそれは痛みに耐える呻き声ではなく、苦しさに紛らわす為の喘ぎ声でもない。それだけは認めない。

 

 ズズと砂埃を上げながら一歩、また一歩と足が下がり始める。

 それほどまでにアーチャーの一撃一撃が激しいのだ。そしてこれまで相対してきたどんな敵より、激情を秘めたものであった。

 しかし同時に、繰り出すそれらに流麗さが感じられなかった。

 ただ叩き付けるだけのような剣筋だと思えてしまった。

 駄駄を捏ねる子供のような、そんな印象を感じざるを得なかったのだ。

 

 アーチャーの浮かべるその必死な様を目にし、窮地に追いやられているにも関わらず口元が歪んでしまう。

 

 

 同じだ。

 いや、同じ『だった』。

 目の前で剣を振るうこの男は、やはり俺そのものであった。

 

 

 分かりきった……当たり前の事なのに、それをこんなにまざまざと確認させられただけで、こんなにも笑みが止まらなくなってしまうなんて。

 

 そう。俺自身もこうだった。

 俺自身もかつての自分に、こんな風に力任せに剣を振るった事がある。

 

「その、激情も……」

 

 俺は経験してきた。それは『英霊エミヤだけ』が抱えていたモノだ。

 コイツだけが抱えることを許された、コイツだけの大切な思いだ。

 

「その……憤りも」

 

 だからこの『やり直し』を始めた俺は、自らが『英霊エミヤ』だったという事を封印した。

 幼い身体に戻ってしまったように、自らの考えすらもそれに沿うように意識し続けてきた。

 わざとそうしていると遠坂辺りに知られれば、頭がおかしいのではないかと嘲笑うかもしれない。魔術師としても、そして人としても、自ら退化の道を選ぶなんて合理的ではないと考えるに違いない。

 

 それでも少なくとも『思考』だけは、『英霊エミヤ』ではなく『エミヤシロウ』として、この身の丈にあったモノでなくてはいけない。

 

 このルールだけは、自分の中で守り続けたつもりだ。

 

 だからこそ俺は『英霊エミヤ』ではなく、『エミヤシロウ』だと胸を張り続けて、この戦場に立つ事が出来るのだ。

 だからアーチャーの気持ちは十分に理解出来る。

 しかしそれを受け入れてはやらない。受け入れてやれないのだ。

 

 

「ーーグッ!ーーーー」

 

 何度アーチャーの剣を受け続けただろう。

 何度不本意なまま、後退しただろう。

 

 砂埃を上げる乾いた地面に、赤々と雫が零れていく。

 腕から、肩から、そして身体から血が吹き出している。

 柄を握り続ける手に力が入らない事を考えると、指の骨も折れてしまったのかもしれない。

 

 

 ーーーー満身創痍

 

 

 その言葉が、なんて似合いの状態なのだろうか。

 

「貴様では、私には勝てない……ッ!」

 

 投げつけられるのは、避けようのない現実。この状態を見て、俺が優勢であるとは誰も思わない。 アーチャーの声が耳に届く度、心の中に鬱積が募っていく。

 

 言いたいように言われているから。 

 されるがままに、斬撃を受け続けているから。

 

 否、それだけではない。

 

 もうこの斬撃を受ける必要がないと、負けを認めてしまえとこの身体が叫んでいた。

 もう耐える事が出来ないのだと考えてしまう、そんな自分の弱い部分が表出していた。

 

 幾度となく否定し続けたモノを、こんな場面になってまで……この身体に戻ってからのこの悪癖だけはどうにもならない。

 

「…………はぁ…グッーーーー!」

 

 ギリリと奥歯を噛み締める。

 手に力を籠め、柄をきつく握り込む。

 

 自分の中に現れた弱音を打ち消せ!

 アーチャーのその言葉を認めてやるな!

 

 ありはしない……そうだ。ありはしないのだ。

 既に俺は、いや……オレはそれを目の当たりにしたではないか。

 

「その勝手な、決め付けだって……!」

 

 俺が、オレに勝てないなどーーーー

 

 

 

「俺は……全部、全部飲込んできてんだ……ッ!」

 

 

 

 ーーーー決して、ありはしないのだ!

 

 

 ジリリと、身体の中を駆け巡っていく。

 

 魔力の猛り。

 感情の高ぶり。

 それらがまるで、形を得たように、身体の中を暴れ回る。

 

 あぁ、あの時の衛宮士郎もこんな感覚を得ていたのだろうか。

 刀身に歪みを見せ始めていた干将が、そして莫耶が本来の形を取り戻していく。

 

「ーーーーッ!」

 

 自らの得物に伝わる感触に、それを察したのだろう。

 ふと怪訝な表情を見せた刹那、振り下ろされる黒白の光はこれまでのどの剣戟よりも鋭く、勢いのあるものであった。

 

 しかしその一閃を繰り出す瞬間。

 剣を引き戻すわずかな時間があれば、それだけで十分だ。

 

「……だから、俺は!」

 

 本来の姿を取り戻した双剣に、ありったけの魔力を籠め、強く押し出す。

 

「ぬっーーーーーー!」

 

 押し出す両の手に呼応するように、手にしていた干将、そして莫耶はまるで中から爆ぜるようにその刀身を巨大なものにしていく。

 黒白の翼を広げ、その切っ先はアーチャーの眼前まで迫る。

 

 しかしその一歩では、この踏み込みでは足りない。

 ならばこの足に籠める力を更に強く、一歩、大きく踏み込む。

 

「ーー俺はなーーーー!」

「ぐーーーー」

 

 鍔迫り合う剣と剣のギチギチと鳴る音を隠れるように、短い呻き声がアーチャーの口から零れる。

 

 

 足りない。まだこれでは足りない。

 ならば手にした得物を、より強靭に、より多くの魔力を籠める。

 

「負けて……負けてやれねえんだよおおおおお!」

 

 キィンと甲高い音を起て、手にした莫耶がアーチャーのそれを弾き返す。

 

「ーーーーな!」

 

 突然の怒号に気を奪われたのか、このまま勝敗が決するのだと高を括っていたのかは分からない。

 ただ確かにアーチャーは放心しているとしか言えなかった。その表情を捉えながら、肥大化した黒の剣を打ち捨て、両の手で莫耶の柄を握り込む。

 

 白の長剣を振り上げ、ただ振り下ろす。

 

 力任せの出鱈目な一撃。

 しかしこれまでのどの一撃よりも、自らの内にある激情を籠める。

 かつて剣を交えた、あの時の俺のように、ただアーチャーの想像を超える速度で振り抜くだけだ。

 

「……くッ!」

 

 繰り出す剣に気圧されたのか、剣戟の衝撃に堪え兼ねたのか、アーチャーは後ろに飛び退き、大きく間合いを広げる。

 その表情には放心ではなく、確かな焦りが見え隠れしていた。

 

 分かる。俺もこんな表情を浮かべたから。

 かつての俺がそうであったように、アーチャーとしての英霊エミヤは、目の前で剣を振り上げる衛宮士郎という存在に目を奪われてしまう。

 それは確かな隙となり、次への動きを鈍らせる。

 それどころか、周囲の状態の変化にすら、反応出来ないようになってしまうのだ。

 

 いや、むしろ戦いを始めてた瞬間から、俺もそしてアーチャーも冷静さを失っていたのかもしれない。

 

「ただの、力押しなど……ッ!」

 

 短く悪態をついた後、一瞬見て取れるほどにアーチャーの顔が強ばる。

 一閃。更に大きくアーチャーを引き剥がし、怒号を上げる。

 

「ーーーーだよ、こんなの……ただの『魔力の無駄遣い』だ!」

 

 これは気付かれていれば完全に魔力の無駄遣いと呼べる行為だった。

 

 乱暴に投げ出された俺の声に呼応するように数多の剣戟が顕われ、その存在感を示した。

 それはまるで俺たちの戦いの軌跡をなぞるように、アーチャーの周囲を取り囲んでいたのだ。

 

 そう。アーチャーがこの固有結界を展開し始めた時から、俺が準備し続けた隠し球がこれだった。

 

 自らの投影したモノを撃ち出す。

 俺とアーチャーにとっては、何も特別な事のない、ありふれた戦術の一つ。

 だからこそ俺たちの戦いの中では決して必殺の術にはなり得ず、使えば使うほどに魔力を消費してしまうだけになる。

 

 しかし、それが『そこにある』と認識出来ていなければどうなる。

 

「ーー凍結、解除(フリーズ・アウト)」

 

 そうだ。認識が出来ていなければ避ける事は、出来はしない!

 

「貴様、まさか……!」

 

 俺の声に、何をしようとしているのかを察知したのだろうか。身をのけぞらせながら、焦りの声を上げる。

 だがもう遅い。俺の投影は既に実体を持ち、総ての切っ先をアーチャーに向けている。

 あとは、俺がその言葉を口にするだけだ。

 

「全投影(ソード、バレル)……」

 

 撃ち出すこの詞を……

 

「ーーーーっ! ちい!」

「連続、層写(フルオープン)!!!」

 

 それを口にするだけで良い。

 

 

 

 音が響く。

 焼けた空気を切り裂く、無数の風切りの音。

 赤々とした鈍い光を受けながら、銀の軌跡は一気にアーチャーへと突きたたんと速度を上げる。

 

 刹那、終点へと突き立つ剣戟が起こした砂埃によって、アーチャーの姿は視認する事は出来なくなった。一瞬、飛び散る火花が視界に入ったが、それを目にしておきながら俺は手にする莫耶を地に突き立て、膝をついてしまった。次の行動に移れずに、へたり込んでしまったのだ。

 

 そう。俺の身体は既に限界を通り越していた。

 造り上げた投影を総て撃ち出した事によって、魔術回路は完全にオーバーヒートしていた。

 

「はーーはぁ……はぁ、はあ、はーーーーッ!」

 

 呼吸すらままならない。

 指の骨は折れ、支える脚は挫き、身体中には斬り付けられた無数の傷。

少しの休息でどうにかなる訳ではない。しかしそれでも身体は酸素を求め、大きく肩を動かし続けていた。

 苦痛に喘ぐこの身体に鞭を打ちながら、顔だけは下げず、未だに砂埃の立ち込めるその場所を睨み続ける。

 

 

「これで決まらなけりゃ……いや、そんな訳ない」

 確信があった。

 アイツは俺だから。

 アイツ自身も、こんな幕切れを望むはずがないのだと。

 

 

「アーチャーが……アイツがこれだけで終わる訳がない」

 

 

 

 

 

「ーー投影、開始(トレース・オン)」

 

 自分の発するその言葉よりも、より低い響きが静まり返っていた剣の丘に響き渡る。

 

「ーーーークッ!」

 

 刹那、未だに晴れぬ砂埃の中心から、飛来する数本の殺意。それは確かに俺の急所を射抜かんとしていた。

 

 熱暴走を起こしている魔術回路に火を入れ、撃ち出された得物を複製する。

 疲弊した身体を無理に動かそうとしたのだ。どれだけ複製された得物の出来が良かったとしても、担い手が紙屑ほどの強度しかなければそれも意味がない。

 

 俺の振るった得物は、アイツの撃ち出した殺意の総てを撃ち落とす事が出来ず、更に大きな傷を子の身体に負わせてしまった。

 

「ーーーーーー!」

 

 負わされた傷の痛みに声を発しそうになるも、どうにかのど元でそれを食い止め、前へと視線を伸ばす。向かう先は、変わらず砂埃の向こう。

 

 やはりアイツは、アーチャーは倒れてなどいなかったのだ。

 

「……」

 

 ようやく砂埃が晴れ、褐色の素肌が見て取れた。

 そしてその前にはその身を守るように突き立てられた、人の身体が完全に隠す事が出来る幅の広い剣。その作りは一目見るだけで強固だと実感する事ができ、自分の考えが甘かったのだと思い知らされた。

 

 アーチャーの浮かべた表情は、未だに焦りの色のままであった。

 彼の腹部、その脚には、俺が放った得物が突き刺さっていた。

 

 しかしその全てが急所を外れ、致命傷には至っていない。

 

「やっぱり、かよ……」

 

 分かっていた事だ。

 いくら無数の剣戟を撃ち出したとしても、アーチャーはそれでは絶対に倒れる事はない。今まで数えきれないほどに頭の中でこの戦いを描き続けて来たのだ。

 これくらいの事、既に分かっていた。

 

 こちらの様子を見ながら、アーチャーは滑稽そうにニヤリと笑みを浮かべた。

 俺が止めを刺しきれなかった事を悔いているとでも思っているのだろうか、身体に突き立った剣を引き抜きながら、こう続ける。

「まさか、ここまで私が傷を負う事になろうとは……しかし貴様は本当にあれで終わるとでも思っていたのか? そうであるならば貴様は本当におめでたい男だ」

 

 己に突き刺さった、最後の剣を引き抜きながら、アーチャーはこちらを睨みつけた。

 否定しようのない彼の言葉に、乱れる息を抑えながら、正面からその視線に相対する。

 

「……言ってろよ」

「しかし……我らの因縁も、次で終わる」

 

 そう口にするアーチャーの表情には、最早どこにも驕りも油断もありはしなかった。

 実際に油断した結果、何本もの剣をその身に受けてしまったのだ。かつての俺のように、動揺などしようはずがないのだ。

 

 しかしどういった訳だろうか。

 枯れた大地が石段の敷き詰められた境内へと姿を変えた。アーチャーは自らの展開していた固有結界を解き、嘆息しながらこう呟いた。

 

「その様子では、貴様が投影出来るのは、あと数回が限度と言った所か?」

「……」

 

 それは事実だ。

 俺自身、あと何度投影出来るかは想像出来ない。それほどまでに疲弊し、生も根も尽き果てようとしている。

 それに対して目の前のアーチャーはどうだ。桜からの魔力供給を得て、十分に力を行使出来る状態にある。だと言うのに固有結界を解いた。

 それが俺にとってはあまりに不可解だった。

 

 だがその疑問も、次の言葉で簡単に理解出来た。

 

「しかしな、最早そのチャンスなど与えん……!」

「ーーあぁ、そうかよ」

「私の、いやオレの知り得る『最強の幻想』で、貴様を葬ってやる」

「何だよ……おまえだって、壊れるの承知ってことか」

 

 

 それは悲しく、物音一つない境内に響き渡った。

 

 

 

 

「ーー投影、開始(トレース・オン)……”I am the bone of my sword(体は剣で出来ている)」

「ーーーー投影、重装(トレース・フラクタル)」

 

 

 

 

 

 アーチャーの掌に、それが形を成していく。

 それは俺たちが夢見続けた幻想。

 決して届かないと理解しながらも、その光をいつまでも俺は……俺たちは求め続けてきた。

 

「……ッ……ク!」

 

 アーチャーの口から夥しい血が零れる。

 無理もない。それは本来であれば、限りなく真に近づける事は出来たとしても、その身体が持つはずがないのだ。

 それを承知で、この男はそれを造り出そうというのだ。

 

「この光は、我らが届かぬと思い知らされた彼方の光! 彼の王の剣……貴様に受けきれるか!」

 

 数多の光を束ねるそれを目にし、脳裏に浮かぶのは、ただ純粋な『死』のイメージ。

 

「ーー無理に決まってるじゃないか」

 

 そう。受けきれる訳がない。

 いくら贋作だと言っても、真に近づいたそれを生半可なモノで打倒出来るはずがない。

 

「でもな、決めたんだ……」

 

 そう。俺は決めているのだ。

 

「負けてやらないってなーーーーだから、見せてやる」

 

 ここは通過点に過ぎない。

 俺が成さなくてはならない事と助けたい人……それは目の前にいる、かつての俺などではない。

 

 だからこそ決別の為に、俺自身が決してこの男にならないのだとはっきりさせる為に、俺は造り出すしかないのだ。

 

 そうでなくては俺は、エミヤシロウは前に進む事が出来ないから。

 

「俺が出来て、おまえに出来ないもの……今、見せてやるよ」

 

 



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剣突き立つ荒野 Ⅴ

 

 

 

 光は眩く、夜の闇に染められたはずの境内を照らす。

 

 俺は言葉も発せる事が出来ずに、ただ固唾を飲んで、その目も眩むほどの眩耀を見守り続けるしか出来ない。

 いや、出来ないのではなく、しようとしないのだ。

 

 この男が、英霊にまでなったこの男が、『それ』を使わなくても、俺を殺し尽くす事が出来るはずであるのに、わざわざそれを使おうとしている。

 その極光をその手に顕そうとしているのだ。

 それがどれだけ苦痛を強いるものかという事を、俺は知っている。その身体を完全に破壊する事であるということを、俺は理解しているのだ。

 

 それでも、俺たちはこの輝きに、焦がれ続けてきた。

 どれだけ鍛え上げたとしても到達する事の出来ない高みにある……そう思い続けてきた。

 

 今目の前で造り上げられるのは、数々の綻び、至らぬ点はあれど、それは紛うことなき彼の王の剣。

 

 確かに……これは確かに俺たちの求め続けたものだ。

 

 

「ーーーーーッ!」

 刹那、眩い白の中に、苦悶の声に混じり赤黒い飛沫が飛び散る。

 見れば、『それ』を造り出そうとする彼の手、脚、そして身体中から皮膚を突き破り血が噴き出していた。

 否、そうではない。皮膚を破っていたのは、数多の銀の切っ先。

 そう。アーチャーの内部から剣が生えようとしていた。自らの主を食い破らんと突き出ようとする光景は、その痛みを自分自身も知っているからこそ、より痛ましく思う。

 

 しかしその痛みになえなくては、自分を壊す事を厭っていては『それ』を造り出す事は出来ない。

 

 

 そしてその痛みに耐えたからこそ、アーチャーが今その手にしているのは……

 

「それは確かに、あいつの光だ……」

 

 

 素直な感嘆の言葉だった。

 真にその光への憧憬から出た言葉であった。

 

 

「そう……そうだ!」

「……」

「これは、彼女の光……」

 口から毒々しいまでの赤を吐き出しながら語気を強め、アーチャーが叫び声を上げる。

 それほどに言葉を強く投げ出さなくては、自らを保つ事が出来ない、それどころか崩壊してしまうと理解出来ているのだろう。

 

「あぁ。そうだな……」

 

 それを受け入れるのは簡単だ。

 この身体は、そしてこの心は、アーチャーが手にする『それ』が真なるものに近づいていると、十分に認識している。

 だからこそ俺も、エミヤシロウも相応のもので以て、それに応える。

 

「……ぁ……」

 

 

 

 バチリと、脳裏を電流に似た衝撃が奔る。

 

 幾度目かの危険信号。

 これ以上魔術を使い続ければ、俺自身も目の前のアーチャーと同じようにその身を滅ぼしてしまう事は必定。

 

 自然と握り込んでいた拳が、カタカタと震え始める。

 疲労から来るものか、アーチャーが造り出したモノに対する恐怖からなのか、答えを出す事は出来なかった。

 

「それは、彼女が手にするべき大いなる光だ……!」

 

 俺の様子など気にかけることもなく、先程と同じ語調のままアーチャーは続ける。

 最早その目は、俺を打倒した後の光景しか捉えていない。確かにこの光を手にすれば、打ち崩せないものなどありはしないと考えるのも無理はない。

 

「…………俺たちでは、再現しきれない……」

 

 いくら真に迫ったとしてもしても、『それ』を再現し尽くす事は、出来ようはずもない。

 しかしその光は、間違いなく……

 

「俺を殺すには……十分だ……」

 

 そう。俺を殺すには十分な光だ。

 

 だとしても……だからこそ、引く事は出来ない。

 

 

「素直に死を認めろ……そしてーーーー」

「…………来い」

「ーーーー死ね! エミヤシロウ!」

 

 言葉を吐き出すと同時に、一気に境内を駆ける。

 目の前には手にした光を掲げ、それを振り下ろさんとする褐色の英霊の姿。

 満身創痍であるのは互いに同じ。互いに血を吐き出しながら、互いにこの一瞬に全てを賭けて次の一瞬に臨む。

 刹那、ついに『それ』は解き放たれんと、総ての光が収束していく。

 

 

 

 一瞬であるはずなのに……

 

 全力で駆け抜けて、数秒の間合いであるはずなのに……

 

 

 総てがまるでその速度を、わざと遅くしたように感じられた。

 掲げられたその剣が紡ぐ轟音すら、束ねられゆく光の粒子すら、総てが俺にとっては遅く感じられたのだ。

 

 紡がれる。

 

 総ての人々の願いによって鍛え上げられた、輝き名声を誇る宝具のレプリカ。

 贋作であろうとも、一度その名を口にされれば、両断出来ないものはない。

 その光が消し去る事の出来ぬものなど、ありはしない。

 

 その名は……

 

「ーーーー約束された(エクス)……」

 

 ゆっくりと今、総てが速度を上げる。

 光は本来の速さを取り戻し、瞬きの間にもこの身を焼き焦がさんと、ついにその切っ先をこちらに向けた。

 

 

 そう。アーチャーの、全身全霊を打ち込んだ剣製が、今示される。

 

 

「……勝利の剣(カリバー)!!!ーーーー」

「ーーーークッ!」

 

 騒がしい光の奔流に、目を細めながら身を投じていく。

 やはりそれは敵にするにはあまりの恐怖を感じさせるものだ。

 

 

 

 しかし臆する必要など、ありはしないではないか。

 

「そうだ……」

 

 手を掲げるだけで、俺はそれを顕す事が出来る。

 

「俺には、必要なかった……」

 

 それだけは、何も言葉にする必要はなかったのだ。

 この身体であれば、今の俺であれば、それを造り出すのに数瞬も必要ではなかった。

 

「俺には……俺の中には……」

 

 再び、自らの内に火を灯す。

 小さな火は一気に速度を増し、自らの内に秘められていたそのカタチは、既に初めからそこにあったかのようにを造り上げられていく。

 

 瞬きの間。

 

 それはその瞬間に、この傷だらけの手の中に現れた。

 

 そう。それを造り出すのに時間など要らない。

 この身体にとって、それはまさに自らの半身と呼ぶべきもの。

 

 友と呼んでくれた、あまりに心強い騎士を象徴する、本来彼女が有する最強の守り。

 

 

 ーーーー全て遠き理想郷(アヴァロン)。

 彼女が死後に辿り着くとされた、王が夢に見た……決して辿り着く事の出来ぬ理想郷。

 

 全ての汚れを寄せ付けぬそれは、たとえ最後の幻想(ラスト・ファンタズム)であっても、侵す事は出来ない。

 

 しかし光を打ち消すとこが出来たとしても、あくまで凌ぎきったという事でしかない。

 

 

「でも、これでは……!」

 

 手にした鞘を掲げ、光の中を突き進みながら、不満を吐き出す。

 そう。この光を乗り越えて終わりではないのだ。いくら身体が悲鳴を上げても、魔力不足に喘ごうが、それだけは揺るがない事実。

 しかし今の俺に、約束された勝利の剣(エクスカリバー)以上のモノを造り出す事など、出来ようはずがない。

 

 

 

 一歩、更に一歩。

 後数歩も進めば、剣を振り下ろすアーチャーの姿を視認出来るはずだ。

 

 あと、あと数歩で……

 

 

 バチン。

 

 視界が黒に染まる。

 遅くなったのではない。全てが俺の視界から、掻き消えた。

 

 光から闇への反転。

 

 絶望感が頭を過り、身体が弛緩する。

 

「つーーッ、ーーーー」

 

 しかし何かに囚われたとしても、それを全力で拒み続ける。

 視界を覆った暗闇に、動きを止めようとする弱々しい心に、否定の思いを叩き付ける。

 

 脚は動き続けたままなのだ。

 腕は前に掲げられたままなのだ。

 

 諦める訳にはいかない。

 ただそれを胸に抱き正面を睨みつけた、その刹那。

 

 

 

 

 

 

 そこにあったのは、闇よりも暗い……黒い瞳を見開いた『あの男』の姿。

 

 

 

 

 その胸元に光るのは、柄頭に紅玉が施された一振りの剣。それは深々と男の胸を突き立てれていた。

 

 

 

 その光景を俺は何時見たのだろう。

 それとも自らが経験した事であっただろうか。

 

 

 

 摩耗したかつての記憶の中には、そんな光景を見つける事は出来ない。

 

 

 ただ一目見れば、それがどういった行程を経て造り上げられたのかは分かる。

 そして、目の前の……俺がこの戦いの中で無視し続けた男が、その光景の中では戦っているのだという事実は十二分に理解出来たのだ。

 

 

 

 

「ーーーーなんだ、これ……」

 

 力強く一歩を踏みしめた瞬間、再び俺の視界は白に包まれた。

 一瞬であったとしても、自分が戦いから目を逸らすなんて、何と命取りなのだろう。

 

 だが、きっと無駄ではない。

 

「ーーーーそうか。どんな可能性でもあるんだ……」

 

 そう。俺が見向きもしなかった選択の末に、現れたであろう事象。

 俺が見過ごしたが為に、好転した状況。

 俺が選んだからこそ、陥ってしまった惨事。

 

 むしろ俺の意識が聖杯戦争に戻らなければ、今垣間見た光景が広がっていたかもしれないのだ。

 

「でも……だから!」

 

 俺は、この聖杯戦争に舞い戻り、かつての俺が見せてくれたモノを無駄にはしたくない。

 

「ーーーーだから!」

 

 今、俺が導き出した答えが、間違いであるなどと考えたくない。

 

「お前だけじゃない……」

 

 そう。アーチャーだけではない。

 

「俺は、負けられない……!」

 

 かつての俺が口にした言葉とは、少し違う。

 

 あの子を救う為に……俺は、オレだけではない……。

 

 

「お前だけじゃない……俺は、誰にも負けられない!」

 

 光の豪雨の中、負けじと声を上げる。

 喉が潰れてしまう事も厭わず、身が焼け焦げる事も躊躇わずに脚を進め続ける。

 

 ようやく、剣を振り下ろしたままのアーチャーの姿が視界に入った。既に俺が掲げた全て遠き理想郷(アヴァロン)の存在に気付いているのだろう。

 彼が見せた表情は、焦りと確信が綯い交ぜになったものであった。

 

「ーーーーーーッ、しかし!」

 自らの繰り出す聖剣の衝撃を必死に押さえ付けながら、口籠もった叫びを上げるアーチャー。

 彼の内から突き出す刃は、先よりも明らかに外に飛び出し、それが全身に及ぼうとしている。

 

「最強の、守りであろうとも……ッ!」

 アーチャーの次に口にする言葉は、簡単に推測する事が出来た。

 

 そうだ。決してアーチャーを打倒す事は出来ない。それくらい分かっているのだ。

「ーーーーーーんだ……」

 

 鉄の味を口に感じながら呟く。あと五歩にも満たない距離が長い。

 

「行くんだ……ッ!」

 

 そう。この戦いが終着点ではない。その先に、俺は進まなくてはならない。

 

 

「俺は、桜の傍に行くんだッ!」

「ーーーーーーーー!」

 

 視線が絡む。

 数秒とはいえ、あまりに長く感じたこの光の中の行進がようやく終わりを告げ、再びアーチャーと俺が対峙する。

 

 互いに最後の力を振り絞ったのだ。どうしても動きにタイムラグが生まれてしまう。

 視線をこちらに当てたまま、再び聖剣を振り上げんと腕を振り上げるアーチャー。しかしこちらの速度は変わらない。

 

「……投影(トレース)」 

 

 アーチャーが剣を振り上げる半ば、呪文を口にする。

 何でも良い。すぐに造り得るものを手に顕せば良い。

 

「ーーーー完了(オフ)…………」

 

 懐に身体を滑り込ませた瞬間、それはこの手に顕われた。

 あの暗闇の中で垣間見たあの剣を、俺はすれ違い様にアーチャーの腹部に無理矢理押し込む。

 

 

「……ッ!」

 

 剣から手を離すと同時に、勢いを殺しきれず、俺は前方へと倒れ込む。だが確か手には肉を突き破る感触が響いた。

 しかしそれで終わりではない。『それ』を造り出した時に頭の中に過った、最後の仕上げをしなければ、この無様な恰好の意味が無くなる。

 

 無理矢理に身体を起こし、それが突き刺さっているであろう、アーチャーの腹部に目をやる。

 

「な……に……!」

 

 カランと、石段にぶつかる金属音。

 掲げられたはずのアーチャーの聖剣は、無惨にも彼の手から零れ落ち、その形を光の粒子へと変えていった。

 

 信じられない。

 アーチャーの表情は、その感情を雄弁に語っていた。

 しかしその表情はすぐに大きな怒りの表情に変わり、足下に転がる俺へときつい視線を向けた。

 

「……貴様……貴様はアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 慟哭を上げるアーチャーに終焉を告げるため、俺は膝を付きながら拳を振り上げる。

 

 ありったけの魔力を籠め、この詞を口にしながら。

 

 

 

「“läßt”――――!」

 

 

 

 

 



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剣突き立つ荒野 Ⅵ

 

 

 

ーinterludeー

 

 

 生温い風が、佇む少女の傍をすり抜けていく。

 

 肌に纏わり付くその不快感から、表情を少し曇らせながら彼女は上げる。

 

「ふふふ。あと、少しです」

 

 独りごちながらごちながら、視線の先にある『それ』を見つめた。憎悪と狂喜、そして全ての感情を孕ませながら少女は見つめ続けたのだ。

 

 

 彼女の眼前にて、その存在感を露にするのは、黒い太陽。

 それこそ、五度に渡る魔術師たちの戦争の中で、誰一人として手にする事の出来なかったモノ。

 

 『大聖杯』

 

 そう呼ばれる魔方陣は、確かにそこにあった。

 間違いなく、二百年よりの過去から間違いなくその場にて魔力を巡らせていた。

 

 今も尚、始まりとは違う、あまりに醜悪な黒の魔力に染まりながら。

 

「始まりの祭壇。こんなにもぴったりな名前はないですね」

 

 そう口にし、少女はまるで祈りを捧げるように瞼を閉じた。

 

「わたしと先輩の始まりの場所……」 

 それはこれから自らの傍にやってくるであろう、一人の少年に思いを馳せる為のものか、それともこれから自らが破壊し尽くす全ての様を思っての事かは、読み取る事は出来ない。

 

 ただ、彼女が数瞬浮かべた表情は、どうしようもなく穏やかであった。

 どうしようもなく、幸福そうであった。

 

 

「ーーーーーーーーッ!」

 しかし、その表情に一瞬の翳りが差す。

 膝を付くほどでもない。ただ無尽蔵に溢れていたはずの自らの魔力が、何かに吸い上げられる感覚を彼女は覚えたのだ。

 

 突然の衝撃に狼狽えながら、桜は虚空を見上げる。

 

「……何だか、力が抜けちゃいますね。もうじき終わるのかな」

 

 静かにそう呟き、先程浮かべたものより更に幸福そうに桜は笑う。

 

 ついに決着がつく。

 自らが愛した男が、もうすぐ自分の傍にやってくる。

 こちらから手を伸ばしても、追いつく事も出来なかった少年が、エミヤシロウがやってくるのだ。

 

 それは数年間を共に過ごした少年であろうか。それとも苦難の道の果てに、抑止の守護者に成り果てた彼であろうか。

 

 ただ今彼らは、互いに死力を尽くし、各々の剣製を競い合わせているのだ。

 

 唯一、間桐桜のために。

 

 彼女は想像する。

 自分自身の為に、傷付く事を厭わずに戦うその姿を。

 

「ーーーーーなんだろ? 凄く、凄く……」

 

 ゾクリと彼女は身を震わせる。

 自然と口元はつり上がり、自らの中に『狂喜』という感情が渦巻いている事を実感した。

 

 そう。彼女はこの十年、感じていなかったその感覚に見舞われていたのだ。

 

 あと暫くすればこの祭壇に現れるであろう、エミヤシロウの姿を想像する。

 

 苦痛に満ちたその表情も、彼の流す血の一滴すら、自分の……間桐桜の為に見せているものなのだ。流されているものなのだ。

 

 それは彼女にとって、あまりに幸福な事はないか。

 それだけで、間桐桜は満たされていたのだ。

 

 

「大丈夫かな……大きな怪我、していなければ良いけど」

 

 ポツリとそう呟き、彼女は再び黒い太陽に視線を移した。

 鈍い光を放つそれこそ、彼女の思いが大きくなる証明であった。彼女が真に心に描く一つの願いが肥大化する証明なのだ。

 

「先輩をーーーーーーーすのは、わたしじゃないといけないんだから」

 それは『殺意』なのか、それは『愛情』であるのか。

 

 その答えは誰にも理解は出来ない。

 それこそ今の彼女にも理解する事は出来ないだろう。

 

 否、間違いなく彼女の中のみに在るのだ。

 ただそれを彼女自身が、真に理解していない。エミヤシロウと対面しなければ表出しないモノなのである。

 

 

 そのまま間桐桜は動かずに、蠢くそれを眺め続けた。

 まるで子の誕生を慈しむ母のように、瞳に優しい色を滲ませたまま眺め続けた。

 

 

 

 

「でも、この様子じゃ……まだ先輩が来るのには時間がかかりますね……」

 

 彼女が感じている通り、エミヤシロウとアーチャーの戦いに決着が付いたとしても、ここまで来るには時間を要する事は想像に容易い。

 少し退屈そうに表情を歪ませ、彼女は続ける。

 

「神父さまもどこかに行ってしまわれたみたいだし……」

 

 この場に彼女を誘った、聖杯戦争の監視役である言峰綺礼の姿がそこにはない。

 それは何時からだっただろう、少なくともエミヤシロウの戦いが始まった頃にはいなくなっていただろうかと思い出しながら、彼女は何かに気付き、ふと祭壇の下に視線をやる。

 

 広い荒野を踏みならす二つの足音。

 一つは均整のとれた優雅な足音。

 もう一つは……堂々とした、勇ましい音。

 

 おそらくその足音の主は、砂埃すらたてずに歩みを進めているであろう。何にも恥じる事なく、悠然と歩を進めているのであろう。生温く停滞し、厚い壁のようにすら感じられるこの空間すら、その足音の主たちは、肩で切りながら歩み続けているのだ。

 

 そう想像するのは、彼女にとって容易い事であった。

 

「暇つぶしに付き合ってもらいましょうか? 丁度、お二人が到着されたみたいですし」

 

 彼女は既に知っている。

 ここに到達しようとしている二人が、一体何者であるのかを。

 

「ーーーーあの夢で見たモノと同じ……いや、それ以上の醜悪さを感じる」

「こんなのが聖杯……ホント、笑っちゃうわね。こんなモノの為に十年間の全部を費やしていただなんて」

 

 彼女は既に知っている。

 今その二人がどんな表情を浮かべているのかを。

 

 

 

 二人は彼女にとって、今の自分自身となる切欠になった人物。

 

 眼下には自らの姉と、恋敵。

 

 

 遠坂凛、そしてサーヴァント・セイバーはついに最終決戦の場へと到達した。

 

「ーーーーいらっしゃいませ、お二人とも。私の……聖杯の下へ」

 

 大いなる魔に囚われた少女の演じる舞台へと、その脚を踏み入れた。

 

 しかしどういう事であろう。

 新たな役者を舞台に迎えた主演たる少女の表情からは、何の感情も感じる事は出来ない。一縷の興味すら感じられなかったのだ。

 

 口元が釣り上がっていた。目尻が下がっていた。

 確かに、その表情は『笑顔』と言って差し支えないものである。

 しかしそうであるはずなのに、その表情を目にする凛そしてセイバーには、それを笑顔と認識する事が出来なかったのだ。

 

 ただ目にした事実だけを告げた。

 決められた台詞を口にした。

 それを吐き出す為に、顔の筋肉を動かした。

 

 それに過ぎなかった。

 

「ーー桜」

 

 祭壇に佇む桜を見つめながら、歩みを止めずに凛は彼女の名前を口にする。

 

「こんばんは。姉さん、それにセイバーさん。逃げずに来てくれるなんて……すごく、すごく嬉しいです」

「ーーえぇ、わざわざ来てやったわよ、こんな辺鄙な所までね」

 

 やはり先程と同様に深く刻むような言葉に対し、その表情は寒々しいまま桜は続ける。

 

 彼女の言葉に、皮肉を籠めた言葉を返しながら、凛は普段通りの優雅な足取りのまま祭壇を登っていく。一方、それに付き従いうセイバーの表情は先程までの勇ましいものが、どこかかたいものに変わっていた。

 

 その表情が意味するものは、『恐怖』という感情だろう。

 彼女は本能的に、間桐桜の置かれている状態を察知しているのだ。

 数多の戦場を駆け抜け、強大な敵を討ち果たしてきた騎士の中の騎士であっても、『この世全ての悪』を前にすれば、臆さずにはいられない。

否、これは多くの戦士と剣戟を交えた騎士王だからこそ彼女を一瞥しただけで、最大限に警戒しなくてはならないと判断したのだろう。

 しかしセイバーの慎重な態度とは裏腹に、名と同じように澄んだ響きで桜へと言葉を投げ続ける。

 

「でもこんなに簡単にアンタの前に立てるなんてね。楽すぎて少しビックリしたわよ」

 

 彼女も桜の威圧感に、気圧されていない訳ではない。

 気圧されているからこそ、これ以上の遅れを取るまいとしているのだ。堂々とした物言いになるようと、自身の心に鞭を振るい、普段通りの自分たれと努めている。

 

 

「少しなんだかアンタとこうやって真正面から向き合うなんて、随分久しぶりな気もするけど……」

 

 しかし桜にとって『普段通り』の遠坂凛であるという事が、何よりも彼女自身を苛んでいるという事に、凛は気付いていない。

 

 次の瞬間、生温い風が通り過ぎるだけであったこの荒野に、高笑いが響き渡った。

 

 

「フフフ……ハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

 

 今まで希薄であった桜の表情の中に、狂喜めいた色が滲み溢れる。

 それはきっと、凛の言葉を卑下した笑いだった。

 それはきっと、自らの姉を嘲笑した態度であった。

 

「っ……! 桜、アンタ!」

 突然の桜の高笑いに、鋭い視線を彼女に向け、その真意を問い質そうとする凛。

 

「いきなり姉さんが面白い事を言うのが悪いんじゃないですか。ついついはしたなく笑ってしまいましたよ」

 

 目尻に溜まる涙をそっと乱暴に拭き取りながら、桜はそう言葉にし、深く深く、呼吸を繰り返す。

 

 

「久しぶりなんかじゃ、久しぶりなんかじゃありません! 姉さんが……私を正面から見てくれた事なんてなかったじゃないですか! お話をしてくれた事なんて、ほとんど初めてじゃないですか!」

 

 それは今まで、『間桐桜』として生き抜くしかなかった十年間、心の中に沈殿し続けた鬱積が瓦解してしまったかのように吐き出された。

 

 普段の間桐桜を知る人であれば考える事も出来ないはずだ。

 あまりに粗暴なその物言いは、死する覚悟を決めて祭壇にやってきた二人すら身震いさせるものだった。

 

「アンタ、何を言って……」

 

 その言葉に、先程までの堂々とした様子は感じ取れない。

 彼女自身、桜が言うような事は決してないと自負していた。例え名前が変わってしまったとしても、姿が変質してしまったとしても、彼女は桜の考えを理解しているのだと、心の奥底では思っていたのだろう。

 

 しかし桜の口にしたものは、凛の思いとは全く真逆のものであった。

 

「わたしがどれだけお話ししたくても、どれだけ助けを求めても……姉さんがわたしに話しかけてくれた事なんて、助けてくれたことなんてなかったじゃないですか? どんなに泣いたって叫んだって、わたしを見てくれたことなんてなかったじゃないですか?」

 

 桜の語るその言葉は、これまで間桐の家で強いられ続けた、自身の苦難に付いて語っているのだろう。

 それは決して理解されることではないと、彼女は既に知っている。

 それを知っているが故に、これまで彼女は感情を表に出す事はなく、グッと自らの裡へとその憤りを沈ませていた。

 

 

「ーーそんな事!」

「ーーーーあるんです!」

 

 凛の言葉を遮る桜。

 普段の彼女であれば、凛の言葉に言われるがままに流されていただろう。

 しかし彼女の背後に揺らめく毒々しい聖杯が、彼女の中に巡りゆく混沌とした魔力の奔流が、その必要がないと告げていたのだ。

 

「いえ、気付かなかっただけですよね? 強い姉さんは、弱いわたしの痛みになんて気付く訳がないんですから! 優雅な『遠坂』のお嬢様には、こんなに薄汚れてしまった『間桐』の……わたしの思いなんて分かるはずがないんですから!」

 

 一気に吐露された桜の思いの丈に、凛は言葉を失い、ただ自らの妹を見つめ続けるしか出来なかった。

 ギリリと奥歯を噛み締めるのは、自らが桜の闇に気付いていなかったが故であろう。

 桜は決して汚染された聖杯の欠片をその身に埋め込まれたから狂ったのではなく、元から狂いかけていた。

 ただ聖杯戦争はただの切欠に過ぎなかった。

 

 結局、彼女を最後の最後で追い詰めたのはーーーー。

 

「桜……アンタ、そんなに私が憎いの?」

 

 ーーーー遠坂凛であり、セイバーであり……そしてエミヤシロウ。

 彼女と深く関わりを持つ人物たちに他ならなかった。

 

 気丈に振る舞っていた凛の口から、弱音にも似た言葉が紡がれる。

 

 しかし凛の気持ちの移ろいなど、桜には関係がない。

「ーーーーーーでも大丈夫です。わたしはもう強くなりました。姉さんに助けてもらわなくても大丈夫なくらいに……私は強くなったんです」

 

 更に凛を嘲笑するかのように言葉を紡ぎ、桜の表情が歪んでいく。

 

「だからわたしは、邪魔なもの全部壊します。姉さんだって兄さんだって、お爺さまだって……わたしの邪魔をする人は、みんなみんな……壊すんです。そして最後に……」

 

 それは宣言。

 誰にも誇れない、悲しき宣言。

 

「……桜」

 

 ポツリと呟く凛。

 これ以上、桜には何も言う事が出来ないという表れだろう。肩を落とし、俯き足下を見つめ手しまう。 

 ブルブルと拳を震わせながら、耐えるのは己の不甲斐なさか、それとも桜に対する対抗心からなのか、他者が理解する事は叶わない。

 

 しかし、だからこそこれ以上、遠坂凛がこんな状態で居続けていい訳がない。

 

 それを一番に理解しているのは、彼女の震える肩に手を置いた、一人の騎士であった。

 

「ーーーー凛、それ以上は何を口にしようとも無駄です」

 

 ザッと、一歩砂埃を立てながら、凛の後ろに控えていたセイバーが前に出る。

 黙ったまま、凛と桜の会話を見つめ続けていたが、繰り広げられる二人の会話を、最早彼女は『姉妹の会話』と呼べるものではない。放っておけるものではなかった。

 

「彼女には、間桐桜には何も届きはしない。その少女は言葉通り、全てを壊さんとしているのだから」

 

 何より頑なまでの間桐桜の態度が、セイバーには我慢ならなかった。

 今の彼女の姿は、いつかの自分と似ている。セイバーにはそう思えて仕方がなかった。

 自らが一番の不幸を背負っているのだと、自らが手を下さねば何も進む事はないのだと、強迫観念に苛まれている。

 

「……」

「そして、最後にはシロウまでも殺そうとしているのだからーーーーッ!」

 

 刹那、セイバー目掛け黒の何かが奔る。

 

「黙れ……」

 言葉が届くと同時に、ガキンと重々しい音をたててセイバーの鎧が傷付けられる。

 全く反応する事が出来なかった、その黒の何かによる攻撃に後ろに後退しながら、苦痛に表情が歪んでしまう。

 

「くーーーーが!」

「貴方に喋る許可を与えていません。今はわたしがねえさんと話をしているんです。貴方は黙っていなさい。それに貴方が先輩の名前を口にするなんて許さない……許してなんてあげません!」

 

 桜の背後に、黒に歪む幾つもの魔力の塊が佇む。

 一つはまるで人形のように、一つはウネウネとその場に揺らめく。

 

 それら全てが、ただ宿主の命令を待っていたのだ。あまりに恐ろしく禍々しい様を見せながら。

 

「……っ」

 それを目にし、凛は何を思ったのだろう。

 あまりに醜悪なその魔力に不快感を露にし、懐にしまい込んでいた自らの武器を握りしめる。

 

 一方、損傷した鎧を押さえながら、声を漏らす事もせず、セイバーはただ悔し気な表情を見せていた。

 おそらく不用意であった自分を嘆いているのだろう、既にその手に聖剣を握りしめ、凛の前に出ながら、それを正眼に構えた。

 

「本当に……我慢のきかない、猛獣みたいですね。セイバーさんは。躾のなっていないペットには……それに飼い主にも、お仕置きが必要ですよね?」

 

 ニコリと再び笑顔を見せ、桜が呟く。

 

「さぁ初めましょうか?」

 

 彼女にとっての、最後の枷を取り払う為に。

 

 少女はゆっくりと、ただ殺意を目の前二人へと向けた。

 

「ーーーーセイバー!」

「凛、私の後ろに……!」

 

 

 幕は落ちた。

 

 最後の戦いの幕が。

 

 ただ一人、未だに現れる主演の登場を待ちながら、少女はこう呟く。

 

「楽しませてください、姉さん……そしてセイバーさん」

 

 

 

 

ーinterlude outー

 

 

 

 轟音をたて、紅玉が弾ける。

 穿たれた胸を見つめながら、アーチャーは音をたてて膝を付く。

 

「ーー貴様……何故それを……」

 

 弾けたそれの欠片たちを目で追いながら、ポツリと呟く。

 言葉を吐き出すと同時に、夥しい血は溢れ続け、彼の足下を汚していく。

 

 そう。俺たちの戦いに、エミヤシロウの戦いに終止符を打つ音が打ち鳴らされたのだ。

 ただ決着を付けたその得物が彼にとっては、納得のいかないモノであったのだろう。茫然とした表情を浮かべながら、アーチャーは呟いたのだ。

 

「覚えていた……じゃないな。一瞬見えた気がした」

 

 俺自身も未だに、先までの攻防の疲れが癒えていない。それほどまでに疲弊しきっているのだ。

 早鐘を打つ鼓動を必死に抑えながら、アーチャーの言葉に対してゆっくりと、噛み締めるように言葉を紡いでいく。

 

 

「その剣で、あの男との決着を付ける瞬間を……経験したはずがないのに」

 

 そう。俺自身はきっと、その戦いを経験した事はないのだ。

 多くの可能性の中にある、一つの回答なのであろうと、今の俺であれば理解する事が出来る。そして同時に、そんな結果があるのだという事を嬉しく思えたのだ。

 

「……」

 

 少しニヤけてしまったのだろうか。俺の方ジッと見つめるアーチャーの表情は、怒りを通り越して呆れと呼べるものになっている。

 

 ふとそんな表情を浮かべた刹那、アーチャーはゴロリと自らの身を横たえ、言葉少なく呟き始めた。

 

「まさか、そんなことが……」

 

 彼の言葉が何を意味するのか、俺は理解出来ない。

 

「そうか……いや、この事実は揺らぎはしない」

 

 ただ、何かを納得したように声を上げながら瞳を閉じた。

 

「それすらも失念してしまうとは……そう、そうか……」

「お前は、俺なんかに油断してなんかいなかっただろ?」

 

 どうゆう訳だろうか、自然とそんな言葉が口に吐いていた。

 少なくとも俺たちの間には、油断も手加減もなかった。

 己の意地を通したいが為に、互いの剣製を競い合わせた。

 

 ただ、その事実だけで充分だった。

 

「ーー何を言う。分かりきった事を……」

「それでも……俺の勝ちだよ、アーチャー」

 

 自分でも分かるほどに、ニヤリと笑みをつくってそう言葉にした。

 

「ーーーー認めは、しない」

 

 フッと皮肉気に頬を緩め、アーチャーはそう呟く。

 

 あぁ、その態度があまりにアーチャーらしい。

 久しく忘れていたかつての自分の姿に、俺も少し頬を緩ませながら、こう返した。

 

 

 

「それは本当にお前らしいさ……」

 

「……」

 

「いけ……」

 

「貴様は、認めない。それでも……この事実だけは覆せない」

 

「それでも、貴様がこの後何を成し遂げたとしても、私は貴様が消えることを、心の底から望む……」

 

「あぁ。じゃあな」

 

 

 その言葉を最後に、俺は境内から踵を返し、ゆっくりと石段を下り始めた。

 本当に、最後の最後までアーチャーは皮肉ばかりだったなと独りごちながら、一歩一歩脚を進める。

 

 どうやらかなり無茶をし過ぎたのだろう。

 アーチャーの斬り付けられた身体は激しく痛み、おそらく体内を駆け巡る魔力は枯渇寸前にまで至っているのだろう。

 

「ホント、満身創痍ってとこか……」

 自らに悪態をつく口は決して減らない。そうでもしなければ、歩む脚は止まってしまう。

 きっと止まってしまえば、もう動く事は叶わない。そう実感出来るほどに、この身体は悲鳴を上げていたのだ。

 

「でも……意味のある戦いだったってことかな」

 

 身体を引きずりながら、ゆっくりと……ゆっくりと進んでいく。

 

「待って……待っててくれ、桜」

 

 

 もう一度、桜の前に立つ為に、壊れる寸前の身体を動かし続けた。

 

 

 

 

 

 

ーinterludeー

 

 

 一人、暗闇の支配する、神聖であったはずの場所に取り残され、敗者は一人こう呟く。

 

「久しく、感じていなかった……これも、受肉したが故か」

 

 激しい痛みが胸に奔る。

 

 これがかつては生の実感であった。

 どれだけ他人から傷付けられたかが、自らの存在証明となるとすら考えていた。

 

 しかしそれも時の移ろいと共に、不快としか感じる事が出来なくなる。

 それが英霊にまで登り詰めた男が死に際に感じた、唯一のモノであった。

 

「何故、油断したのだ。何故私は……踏みとどまったのだ」

 

 そう言い訳をしなければ、彼には納得する事は出来なかった。

 事実、彼は何の油断もしてはいなかった。踏みとどまりはしていなかったのだ。

 

「あの男が……あの宝具を使用するであろうことは、十分に予想する事が出来ていたはずだ」

 

 だからこそ、アーチャーは自らを破綻させると分かりながら、彼の聖剣をその手に造り上げた。決して追いつく事が出来ない差が、自分たちの間にはあるのと示す為に。

 しかし結果だけを見れば、敗北したのはアーチャー自身。

 魔力量にしても、剣製にしても、負けることは有り得ない。アーチャーはそう信じていたのだ。

 

 

「なるほど。そうか……そうだったのか」

 

 しかし彼自身が口にした問いも、瞬きの間に解消されてしまう。

 

「オレはヤツに負けたのではなく、自分自身の甘さに負けたのだ。あんな口を叩いていきながら、オレが未練がましく……彼女の事を思っていたのだ」

 

 そう。シロウが聖剣の輝きを凌ぎきった直後、手にしていたその短剣に、彼は目を奪われてしまったのだ。

 それは彼女が……彼の以前の主が有していた短剣。

 どこにでもある、魔術師ならば誰でもが知るような短剣。

 

 しかしアーチャーの中では、思い出深いものの一つであった。

 

「自分から裏切っておいて、あの子の事を気にかけていたとは……そんな資格など、ありはしないのに」

 

 それは彼は、自らの主を裏切った。

 自らの願望を果たさんが為に、切り捨てたにも関わらずに、その短剣を目にした瞬間に揺らいでしまったのだ。

 

「この座に至っても、私は元来の自分を変える事は出来ていなかったのだな……」

 

 自分自身の根本は変える事が出来ないのだと、

 

「『衛宮士郎』という人間は『正義の味方になろうとする、無様な大望を抱く大馬鹿者』と、そう決め付け、盲目的にそれを求め続ける道化であると……それ以外を為す事が出来ない男であると決め付けていた……」

 

 その生き方しか出来ないと思っていた。

 

「そう、願っていた……そうあってほしいと望んでいた。それは、オレだったのか」

 

 彼はそう思いまずにはいられなかったのだ。

 自分がその生き方しか出来なかったからこそ、そうあるべきだと思い込んでいた。

 

「あの男は、自らの理想を曲げてまでも、桜の為に歩もうとしているのに」

 

 身体をゆっくりと起こしながら、既にそこから去っていった男の事を想像する。

 

「一人の、桜の為にその力を使う道を選んだ……」

 

 認めたくはなかったが、しかしその事実をここまで露にされては、認めざるを得ない。

 

「『この世全ての悪』と同じモノになっているというのに……彼女が欲しいと思っているのだろう。全く、おめでたい……おめでたい男だ」

 

 それと同時にひどく羨ましい。

 『万人』の正義の味方ではなく、『たった一人』の正義の味方になる事を選んだあの男を、アーチャーは羨ましかったのだ。 

 

「しかし、オレはアイツとは違うから……だからオレは果たさねばならない。この生き方を選んだのだから」

 

 そう口にし、グイと腕に力を入れる。ビシャリと夥しい血が、再び境内を汚し、刻一刻とその生が吐きかけている事を示していた。。

 

 あとどれだけ彼の命は持つのか、それに恐れ戦きながら、立ち上がった褐色の英霊はひとりごちる。

 

「どこまで往っても、オレは……オレである事を捨て去れないようだよ、親父」

 

 ただ、『正義の味方』として最後に自らが為せるであろう事を果たさんが為に。

 

 

 彼は再びその二本の脚で立ち上がった。

 

 

 目指すのは、この戦いを混乱に導く者の場所。

 明確な悪意を持つその男の傍へと、アーチャーは歩み始めたのだった。

 

 

ーinterlude outー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おいおい、何だよコレは。

 

 こりゃぁ本格的に筋書きが変わっちまったぞ。

 

 信頼も得られず、全てに打ち拉がれて死んでいく。

 

 お前は、そうじゃなくちゃならなかったはずだろ……。

 

 オレとお前が『最初に』造った筋書きは、そうだったはずだろうが。

 

 

 もう一人のお前は、ちゃんと自分の役割を果たしたっていうのによ。

 

 

 

 なぁ、兄弟……認めねぇぜ。

 

 お前の勝手を、オレは認めてやらねぇぜ。

 

 こうなりゃオレのお母様が、本当の悪役になってくれるのを期待するしかねぇな。

 

 

 お前の愛した女が、お前の大事な人間どもを手にかける所を目に焼き付けろ。

 

 自分の惚れ込んだ女に、甚振られて、嬲られて、絶望しながら殺されちまえ。

 

 

 あぁ、何だ。

 

 それが一番悲劇的じゃねぇか。

 

 それが一番、オレにとっては楽しいじゃねぇかよ。

 

 あぁ、楽しみだ! 本当に楽しみだぜ!

 

 なぁ、エミヤシロウ! お前がどんなアドリブでオレを楽しませてくれるのか……本当に楽しみだぜ!

 

 

 

 

 来るなら早く来いよ……早く……お前の愛しい女が、騎士王様を殺しちまう前によ。

 



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終わりの始まり
終わりへの序章


 進む。這いずりながら進む。

 時には木の幹に身体を預けながら、時には地面に倒れ込みながら進んでいく。

 

 何て惨めな姿なのだろうか。

 こんなにも血を吐き出しながら進むなんて。

 

 何て馬鹿らしいのだろう。

 行く先には『死』しか待っていないと言うのに。

 

 それでも、だからこそ俺は進んでいく。

 果てが見えない、闇が犇めくこの洞窟のただ進んでいくのだ。

 しかしその思いは前に逸っていっても、身体の方は別であった。

 

「……ハァ……ハァ……っ! は、ごほっ、ほっ!」

 視界は利かない。

 ただ吐き出す吐息に混じって、生温い何かが噴き出す。

 口を左手で覆い意味もなくソレを受け止め、手に溜まる生温い感触を確かめながら、ゆっくりと顔に近付けて掌を開く。

 

 気持ち悪い。

 

 自分の中に流れているモノであるはずなのに、いざそれを目にしてしまうとその感情が俺の中を占めていく。

 しかし同時に俺の中にもう一つの感情が芽生えていた。

 

「まだ……大丈夫だ」

 まだ、進める。

 血が流れ出るのは、俺の身体が動こうとしている証拠なのだから。

 まだ、折れてはいない。

 吐息が荒くなるのは、俺が先に進もうとしているからなのだから。

 

「情け、ないな……ッ!」

 乱暴に拳を壁に打つけ、そのまま壁にもたれ掛かり身体を横たえる。

 時間はない。しかしこんな満身創痍の状況で彼女の目の前に立ったとしても、何をするでもなく消し飛ばされるのは目に見えている。

 高ぶる動悸を少しでも沈めようと、ゆっくりと空気を肺に満たしていく。

 ズキリと節々が痛む。

 まるで身体の内面から、剣の切っ先が突き出してくるような鋭い痛みだ。

 

「……」

 しかしその痛みこそ、『エミヤシロウ』たる由縁の痛みである事を、俺は既に理解している。

 それすら俺にとっては心地良いものなのだ。

 

「は……何を、馬鹿な事を」

 そうだ、馬鹿だ。エミヤシロウとは大馬鹿者なのだ。

 アーチャーの言った通り、『破綻者』と呼んで然るべき人間なのだ。

 でも……だからこそ、そんな大馬鹿者であるから、『エミヤ』という名を受け継いだ俺だからこそ、頑に守らなければならない事がある。

 

 俺は約束していた。

 遠坂やセイバーよりも先に、一人の少女とある約束を交わしていた。

 

「イリヤ……」

 本来聖杯の器になるはずであった、ある意味この聖杯戦争の中心にいる少女。

 アーチャーとの戦いが終わったというのに、俺はまだ彼女の事を見つける事が出来ないままにいた。

 そう。俺は安易に考えていたのだ。

 アーチャーを打倒する事が出来れば、すぐにイリヤは解放されると思い込んでいた。

 アイツがイリヤを攫った理由は、単純に桜が最早俺を待つ事が出来なくなったからだと思っていたのだ。

 しかし蓋を開けてみればどうだ。

 イリヤの居場所は分からない。

 俺自身も、満身創痍。

 こんな状況、笑うしかないじゃないか。

 

「は……馬鹿みたいだ」

 しかし、アーチャーや桜にとって、彼女が必要な存在であるとは思えない。

 二人には、少なくともアーチャーには聖杯を使ってまで叶えたい願いはなかったはずだ。

 そしてそもそも今の桜にとっては、聖杯を使わずとも大抵の望みを叶える事は出来るはずなのだ。

 彼女自身、最早その身は聖杯と繋がっているはずなのだから。

 

「イリヤ……どこに—————————————ッ」

 薄らと瞼を開きながら、虚空に言葉を投げ出す。

 

 刹那、まるで電気のブレイカーを落としたように、視界が闇に染まる。

 周囲に蔓延る闇よりも、あまりに深過ぎる黒。

 

「っ……は!……ははーーーー」

 

 見える。

 あの時の一瞬の夢と同じ。

 あまりにも煩くざわめく聖剣の極光の中で垣間見た、アレと同じモノだ。

 

 見えたのは、周囲に紛れるほどに黒く染まる禍々しい甲冑。

 金色に変わり、何にも無関心を示す事のない瞳は、恐怖を感じさせる。

 そして何よりも俺を落胆させたのは、尊く黄金に光り輝いていた、彼女の存在の象徴となる彼の剣がその光を失っていた事だった。

 それは恐ろしいまでに闇に染められていた。

 まるで総てを飲み込まんとする悪意のように。

 

 その感情を感じない瞳が、ただ見開かれていたのだ。

 口から零れる赤い雫が、その状況をありありと示していた。

 

 悲しい。ただ悲しくて、やりきれない。

 その光景が視界に入った瞬間、頭を過った感情はそれ一つだけ。

 

 そう。それはあったはずの未来の光景。

 俺が至る事の出来なかった、一つの聖杯戦争の姿だった。 

 

 

 

 ジジジ

 

 再び視界にノイズが奔る。

 

 まるでテレビの砂嵐のように、徐々に目に見える総てを覆っていくノイズ。

 

 その先に確かに彼女はいた。

 

 いつもの、あまりに無邪気な笑顔で、彼女はそこにいた。

 

 俺に生き方を示してくれた恩人の本当の子ども。

 俺が、オレになっても助け出す事も、守る事も出来なかった幼い少女。

 

 あぁ、でもその笑顔は今にも泣き顔に変わりそうで……。

 それでも、ただ『見ている』だけの俺には何も出来ない。

 

 そう。それはきっと、『その光景を見ている俺』が最期に目にした彼女の姿。

 白の聖女が、消えゆく姿だった。

 

 

 

 

「ははは……そうかよ」

 

 気付けばそんな事を呟きながら、俺はただ宙を眺めていた。

 目も慣れてしまったのだろう。彼女の元へと向かう道中の洞窟の凹凸でさえ、ハッキリと認識する事が出来るようになっていた。

 

「そんな可能性も……あったのか」

 そう。今垣間見た光景も、この聖杯戦争で起こりえたものなのだろう。

 

「……」

 あぁ、言葉を発する事が出来ない。

 

「ゴメンな……本当は、探しにいってやりたいんだけどな」

 ゆっくりと溜め息と共にそう呟く。

 出来もしない、しようともしない事を口にしてしまう。

 本当に、こんなにも自分勝手な自分が嫌になってしまう。

 

「でもな、それでも……」

 そう。俺は我を通す他ないのだ。

 

 友を欺いていた。

 かつて主と仰いだ少女を傷付けた。

 過去の自分を下して、この道を進み続けた。

 

 俺は、その先へと踏み出さなくては行けない。

 

「……桜」

 今一番会いたい、会わなくてはならない少女の名を口にし、ゆっくりと身体を起こす。

 少し身体を休め過ぎたようだ。これ以上この場に留まり続ければ、きっと俺はダメになってしまう。

 何も出来ずにこの場で最期を迎えてしまう。

 

 だから進む事にしよう。

 ようやく終わりを迎える、この戦いの最後の舞台に昇る為に。

 

「こっちだ……さぁ、行くぞ」

 

 さぁ、もうそれは目の前にある。

 その禍々しきは、今まさに。

 

 今まさに、そこに産み落とされようとしている。

 

 

 

—interlude—

 

 

 初めて、人を殺めたのは何時だっただろう。

 

 わたしの足下には『アレ』が転がっていたのは、何時のことだっただろう。

 

 そうだ……あの夜だ。

 先輩に見送ってもらって、少し恥ずかしいけど嬉しかった。

 お屋敷に返ると、お爺さまから、わたしの思うように行動して良いって言われて、ぽかんとしてしまうくらい驚いてしまった。

 

 わたしは幸福に満たされていた。

 初めてお爺さまがわたしに自由をくれたから。

 もうあんな蟲蔵の中に入らずに、綺麗な身体で先輩の傍に行けるから。

 

 今まで与えられなかった、なし得なかったそれらが……わたしにはあまりに至福だった。

 きっとわたしを縛り付けるモノなんて、何一つないんだって思えた。

 

「それをね……あの人、穢そうとしたんです」

 

 そう。

 

 あの人が……。

 

 兄さんが……わたしを穢した。

 

 違う。もう汚れてた。薄汚れていた

 

 いつもの事だった。

 ただぼうっと天井を眺めていればすぐに終わるはずだった。

 我慢していればすぐに終わる事なのに、何故だかその夜はそうする事が出来なかった。

 

 その夜、急にライダーの気配がなくなった。

 きっと聖杯戦争が始まったから。それはきっと仕方がない事。

 わたしのこの運命と一緒で、決して逃れようのない現実だったから。

 だからその事実をわたしは素直に受け入れた。

 ただ部屋の隅で震えながら、朝が来るのを待っていたのです。

 

 いくら自由を与えられても、この暗闇だけは怖かった。

 総てを飲み込んでしまうかもしれない、その黒が怖くて仕方がなかったのです。

 

 そう。わたしは我慢していれば良かった。

 兄さんがイライラした様子で私に掴み掛かってきたその夜も、ただ我慢していれば良かった。

 

 普段は何も感じないはずなのに、兄さんがわたしの上に伸し掛かった瞬間、頭を過った。

 先輩がわたしの言葉を受け入れてくれた時の、あの苦し気な表情。

 わたしを家まで送ってくれた先輩が見せてくれた慈しみ深い笑顔。

 

 すると急に、我慢が効かなくなった。

 抑えられなくなった。

 

「気が付くとね、濡れてたんです」

 

 それは赤。

 視界を埋め尽くす赤。

 ゴロゴロと異臭を放つナニカがわたしの足元を転がり、その色を噴き出し続けていた。

 無粋なその色があるだけで、見慣れたわたしの部屋は異界へと変貌を遂げてしまったのです。

 

「気持ち悪くて、吐き気がした。でも……」

 

 そう呟きながら、ふと自分の頬にそっと右手を添える。

 おかしいな。

 何でだろう。楽しくなんてないのに……。

 

「でも、暖かかった」

 

 今思い出しても気持ち悪いのに、わたしは笑っていた。

 身体はきっと恐怖ではなく、歓喜に震えていた。

 その笑顔が、その震えが、何故浮かび上がるのか、理解出来なかった。

 ただこの時は、その感情を何と呼べば良いのか知らなかったのです。

 

 

 でも、今は違う。

 

 

「そう。今は……違います」

 

 兄さんをただの肉塊に変えて、面識のない人の死骸を食らい尽くして、ようやくわたしは自らの中にある感情に名前をつける事が出来た。

 

 そう。わたしは、愉しんでいたのです。 

 人を傷付けること、嬲ること、辱めること……殺すこと。

 

 わたしは、ただ愉しんでいたのです。

 強くなった、なってしまった自分が、自分以外をまるで羽虫みたいに潰していく様を。

 

 そしてわたしは今だって、こうやって笑っている。

 

 わたしの目の前でその身を横たえている姉さんと、そして一緒にやってきた騎士王様を見下ろしながら、その光景を笑みを絶やさずに見ていた。

 

 本当に呆気なかった。

 数回腕を振っただけ。

 何度かわたしを取り囲んでいる黒が彼女たちを突き刺しただけ。

 

 先に姉さんが動かなくなって、意外に丈夫だったセイバーさんがその場に突っ伏してしまった。それでもこれまでわたしの邪魔をしてきた人たちに比べると、凄く愉しむことが出来たように思う。

 ただセイバーさんは鬱陶しかった。

 何度突き刺しても、砕いても、何回だって立ち上がってわたしを睨みつけて剣を振り上げてこちらに向かってくる彼女は本当に凄く憎らしかった。

 でもそれと同時に彼女がわたしに突きつけてきたその強情さは、少し羨ましいと思ってしまう自分がいたけど、目の前に流れる赤を目にしてそんな気持ちは吹き飛んでいた。

 

 だってそこに姉さんが、あんなにも格好良かった人が肩から真っ赤な血を流しながら、倒れ臥しているんだもの。

 なんて無様。

 なんて好い気味なのだろう。

 それだけでわたしの心が軽くなっていく……でも、まだ足りない。

 

「姉さん……」

 声は返って来ない。でも息は止まっていない。

 ピクリとも動かない。ただその身を横たえて、時折呻き声を上げるだけ。

 

「やっぱり、こんなに惨めな姿になっても、何でそんなに……」

 頬にあてていた右手を、そっと血の流れる姉さんの肩に載せる。

 無様なはずなのに、こんなにも弱々しいのに、それでもこんな姿になっても姉さんはわたしとは違う。

 

 気絶してしまった今でさえ、こんなに綺麗だなんて……!

 

「なんで……なんで、何でなんで、なんで!」

 

 グッと手のひらに力を籠める。するとただ地面を穢していくだけだった姉さんの赤が、わたしの手でも覆えないほどに溢れ出していく。

 きっと起きていれば悲鳴を上げている。

 身体を這いずりまわる痛みに、のたうち回っているはずだ。

 だってこんなにも、こんなにも血が……赤い色が流れ出しているんだもの。

 

「やっぱり。やっぱり……暖かい。でも……やっぱり、気持ち悪い」

 でも心が満たされるのは、ほんの一瞬だけ。

 どれだけ次から次へと暖かなものが溢れ出してきても、血の暖かさなんてすぐに冷めてしまう。

 わたしの思いと一緒ですぐに冷めて、何もなくなってしまう。

 

「先輩は……どうなんだろ?」

 想像する、あの人から流れた血の暖かさを。

 きっと一瞬ではなく、何時までも、いつまでもわたしのことを満たしてくれる暖かさがあるはずだ。

 そう思うだけで、うっとりと幸福な気持ちで満たされる。

 あぁ、きっとそうだ。そうに違いないのだ。

 それは疑いようのない、わたしだけの真実のはずなのだ。

 

「そう言えば……あの時は、何だかイヤな感じがした」

 ふとわたしが切り刻んだあの王様みたいな人と、お寺で飲み干したあのお侍さんを思い出す。

 驚きと苛立ちを感じさせたあの怒りの表情と、納得しながらもどこか悔し気に見えた達観した様を思い出すと、自然とわたしはその答えに行き着いたのです。

 

「そっか……あの人も、あのお侍さんも人間じゃなかったんだ」

 考えてみれば、二人とも他の人とは『飲み心地』が全然違った。

 喉に詰まる、不快感しか感じない……でも自分の中のナニカが満たされていくような感じがした。

 

 その不快感はまるで……。

「そこの、お邪魔虫と同じだった……」

 セイバーさんに感じるモノと同じだった。

 

 足元に横たわるセイバーさんに視線を向け、わたしはそう確信する。

 何故でしょう。それが頭を過った瞬間、わたしの傍を渦巻いていた黒の塊がまるで自ら殺意をもったようにざわめき立ちます。

 そうだ。この人は、この人だけはダメなんだ。

 この人は先輩が待ち望んでいた人。この人がいたから、わたしはずっと一番になることが出来なかった。

 

「ねぇ、姉さん。わたしね、わたし……やっぱりこの人嫌いです。だから、やっぱり……壊さなきゃ」

 そうだ。こんなにも人のことを嫌いになることが出来るなんて、わたしにとっては初めての経験だった。

 こんなにも手が震えて、頭が混乱しているなんて……初めての感覚だ。

 でも、先輩以外にわたしの心を揺さぶる人なんて、必要ない。

 

「壊さなきゃ……あぁ、でも暇つぶしは、お終いみたい。よかったですね、姉さん。それにセイバーさんも……」

 闇を刃に変え、それを目の前に横たわる騎士に突き立てようとした瞬間、確かにその音はわたしの耳に届いた。

 

 聞こえる。あの人の声。

 苦しそうに息を吐いているけど、その声はいつも優しくわたしに語りかけてくれた声だ。

 感じる。あの人の匂い。

 あの陽だまりの差し込む土蔵の中で、いつも感じていた優しい匂いだ。

 

「来てくれた……」

 視線を祭壇の下に向ける。

 もう見慣れてしまった、夕暮れを思い出させる茶色の髪。少し堅くて癖毛で……凄く心を落ち着かせてくれる色が視界に入った。

 

「わたしの、わたしだけの王子様が……来てくれた」

 

 砂埃を上げながら、彼はやってくる。わたしのいちばん……いちばんの人が。

 

—interlude out—

 

 



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回り道を経て

 暗闇を抜け、一番に視界に入ってきたのは地下とは思えないほどに広大な、ただ荒れ果てた空間だった。

 

「……なんだ、お前」

 

 しかしその荒野に対する驚きをさらに上塗りしたのは、その中心にそびえ立つモノ。

 それは自然に出来たものではない。

 それは建造物などではない。

 確かにそれは息をしていた。根を張る大地から自らの養分となるモノ(魔力)を吸い上げ続けていた。

 

 まるで、今すぐにでもこの世に生まれ落ちんが為に、それは蠢き続けていたのだ。

 

 それが発する不快感にあてられてしまったのだろうか。一瞬茫然と眺めながら、口にした一言は自分自身も不可解なものであった。

 

「知ってる。見た事、ないはずなのに。オレは……いや俺もお前を知ってる……!」

 

 そう。何故それが『生まれようとしている』と理解出来た?

 何故初めて見るはずのモノに、既視感をもってしまう?

 

 そして何故、過去にそれを見たことがあるのだと確信をもってしまう。ハッキリと、自分の始まりに関わりをもつはずなのだと、確信することが出来てしまうのだ。

 そんなこと、有り得てはならないことなのに。

 

「なんだ……何を忘れてる。俺は、何を知らないままなんだ……」

 

 自らの裡にある記憶の総てを頭の中で巡らせても、それに対する答えが自分の中から出てくることはない。

 妙な確信と、不可解さが頭の中でグルグルと駆け巡っていた。

 

「あぁ、それが何だってんだよ……」

 少し前に自分が吐き出した血を受け止めた左手を強く、出来る限り強く握り込み、正面に鎮座するそれを睨みつける。

 

 恐れては、進めない。進むことは出来ない。

 だからこそ強がりと分かりながらも、俺はこの傷だらけの身体を引きずってでも……。

 

「それでも……行かなきゃ、いけない!」

 

 ただその思いだけで前に進んだ。

 一つの目的の為だけに、その場所へと足を運んだのだ。

 

 きっとそれは始まりの場所。

 それはきっと友人たちが待つであろう、約束の場所。

 

「はぁ……はぁ、はぁ……ッ!」

 急な崖を縺れる足で登っていく。

 普段の状態であっても、少しは息が切れてしまうかと思うほどの勾配の崖を、文字通り這うように一歩一歩着実に進み続け……。

 

 

 

 

 

 そして俺は辿り着いた。

 

 

 

 

「ーーあら。早かったですね、衛宮先輩」

 

 

 

 総てが始まった場所へと、約束の場所へと辿り着いたのだ。

 

 

 間桐桜の下へと、辿り着いたのだ。

 

 

 

 

 

 生温い風に髪を靡かせながら、彼女は笑う。

 語りかけてくるその声はいつもと変わらない。耳障りの良い、軽やかな響きだ。

 ただ響いてきたその音が自分の鼓膜を揺らした瞬間、まるで芯から身体が凍っていくような感覚を覚えた。

 ただ『怖い』という感情が頭の中を駆け巡っていった。

 

 しかしどれだけ言葉が悪意に満ちていても、表情が狂気に染まっていても……

 

「そりゃな。桜……お前が待ってんだぜ? 来ない訳にはいかないだろ」

 

 目の前の少女は俺の大事な、一番の女の子であることに変わりなかった。

 だからこそ恐怖に心を掻き乱されたとしても、言葉だけはいつも通りのままで口にすることが出来た。

 血の伝う腕から力を抜きながら、彼女の方に目をやる。

 そう。言葉を吐き出すことが出来れば後はどうとでもなるのだ。緊張に震えていたこの身体だって、少しはましになってきた。

 

 そんな俺の変化に気付いたのだろう。

 目の前でこちらを見つめていた少女の口元が、ゆっくり、あまりにゆっくりとつり上がっていく。

 

「これまでずっと、ずうっと放っておいたのに?」

「あぁ分かってる。分かってるさ……」

「……ふふふ、本気にしないでください。少し意地悪したかっただけなんですから」

「うん。先輩のその表情も、やっぱり素敵……」

 ただ、彼女は意地悪な笑みを浮かべていた。

 しかし今までの彼女では決して浮かべることのなかったものだ。

 

 その表情に不快感も感じながらも、同時に見惚れてしまった。

 与えられた闇のお陰で、彼女が自らの内側に押し込んでいた感情を露にすることが出来ているのだとしたら、俺は憎悪を向けていた『アイツ』に少しは感謝しなくてはいけないのかもしれない。

 

「……何言ってんだよ、お前は」

 桜の言葉に気恥ずかしくなり、血に濡れた左手で頬を掻く。決まりが悪くなってしまった時の癖が、ついつい出てしまう。

 

 その仕草に苦笑しながら、桜は大きく両腕を広げ、俺を受け入れるかのような慈愛に満ちた表情を浮かべてこう口にする。

 

「ようこそ、先輩。わたしの……聖杯の元に!」

「あぁ。待たせちまったみたいだな」 

「えぇ、待ってました! 貴方だけを……貴方だけを待っていました! 本当に、気が遠くなるほど!」

 何も否定することが出来なかった。

 確かに今まで、桜のことを一番に考えたことはなかった。

 心配そうに見つめてくるその瞳も、何か言いたげなその表情すらずっと知らぬ振りを通してきたのだ。

 見限られても仕方がなかった。

 何も言葉を発さずに、消し飛ばされても文句の一つも言うことは出来ないのだ。

 

 それでも彼女は待ってくれていた。

 何もかもを失っても、まだ俺のことを求めてくれている。

 しかし……きっと彼女が求めているのは今ここに立つ『弱い俺』じゃない。

 

 ふと彼女の傍に倒れ臥す二つの影に目をやり、

「十分に、遊んだみたいだけど……」

 静かにそう呟きながら、再び彼女を正面から見据えた。

 

「大丈夫です。この人たち、まだ殺してませんから」

「本気……なのかよ?」

「えぇ。まだ生きていてもらいます。でもこの子が生まれれば、この人たちなんて必要ありませんから」

「……」

 

 身体が冷える。

 まるで芯から凍えさせられるかのような、そんな言葉だった。

 

 しかし不思議と『今の桜』を目にした時ほど、恐怖を感じることはなかった。

 

 どうにか俺は自分自身を取り戻すことが出来てきたのだろう。

 何より桜が求めているモノが何なのかを想像すれば、俺がこう答えるのはごく当たり前のことなのだ。

 

 そう。桜が求めているのは『いつものエミヤシロウ』だ。

 いつも通りの俺なら、こんな時に一体どんな態度をとる?

 いつもの、『正義の味方』を完全に捨て去ることの出来なかったエミヤシロウならどうする?

 桜がずっと見つめてくれていた俺は、どんな男だった?

 

 だから多くの言葉を発するよりも、俺は彼女を見つめた。

 その行いは誤ったものであると、それを訴えかけるように。

 

 しかしその行為はきっと……

「そんな、冷たい目をしないでくださいよ……衛宮先輩」

 こんな風に、彼女を困惑させる。

 

「この人たちは……そう。お客様なんです。わたしと貴方と、そしてこの子の新しい出発を見届けてくれる大事な人なんですから!」

「そうか……そうかよ」

 色のなかったはずの彼女の瞳に、困惑の色が一気に広がっていく。そして冷淡に呟いた一言は、さらに彼女を掻き乱している。

 

「あれぇ? オカしい……オカしい、オカしいオカしいオカしいですよ先輩! なんで喜んでくれないんです? なんでそんな顔するんですか? なんで笑顔を見せくれないんですか? なんで、なんで褒めてくれないんですか!」

「……」

「兄さんもお爺さまも、姉さんにセイバーさんだって黙らせたのに……ここにはわたしたちしかいないんです。いつもみたいに、わたしに笑いかけてください! わたしを……いつもの困った笑顔でだきしめてください!」

 そう。彼女の根底にあるモノは何も変わってはいない。

 結局桜は誰かに依存しなくては自分自身を認識することが出来ないのだろう。それは今までは遠坂や慎二、間桐臓硯だった。そして今が俺がその一番の対象となっている。

 

 その唯一の依存の対象になった俺から拒絶を受けてしまったのだ。だから悲鳴にも似たこんな声を出してまで、必死に俺に縋ろうとしているのだろう。

 結局彼女は何も変わっていない。

 どれだけ強大な力をつけたとしても、弱々しいままのただの女の子なのだ。

 

「やっぱりですか?」

「何のことだよ。それより……」

 一歩彼女の方に近付きながら、血に染まってしまった手を差し出す。今出来る精一杯の声を振り絞る。

「そんなとこにいないでこっちに来いよ。俺のとこに戻ってこいよ」

「戻ってこい? そんな所? 何言ってるんですか、わたしと、貴方の大事な子の傍にいるのに……」

「そんなヤツより俺の傍にいろよ。俺も、お前の傍にいるから。とにかく今は遠坂とセイバーを治療しないといけないだろう?」

「やっぱり。やっぱりわたしよりその人たちなんですか?」

「……何言ってるんだ、桜」

「わたしより、その人が、大事……なんですよね? 良いことばかり口にするけど、先輩はいつもわたしのことを蔑ろにして! ずっと放ったらかしにして! わたしは……わたしは貴方の一番になりたいだけなのに!」

 

 そうか。これが桜の本音か。

 こんな状況になってようやくそれを聞くことが出来るなんて、あまりに滑稽じゃないか。こんな簡単な言葉を聞くことがこんなにも難しいことだったなんて、思いもしていなかった。

 

 そうか。俺たち……同じこと考えてたのかよ。

 

「……何言ってんだ」

 

 そうだ。こんなにもボロボロになっても傍に来たって言うのに……何て嫉妬深いんだよ、ウチのお姫様は。

 笑みを作り、言葉を口にしないまま桜に近付いていく。フラフラと足元は覚束無いが、進めない状態ではない。視界もハッキリしているではないか。

 

 さぁ、我が儘なお姫様の目を覚ましにいこう。

 

「ほら、反論しない! やっぱり……あぁ、やっぱりその人、殺しておくべきでした! 先輩を占有していいのはわたしだけなのに……その人がいるから!」

「……そんなことしたって、何にもならねぇよ」

「————————! 馬鹿に、するなぁ!」

 

 ただ激情の向くままに。

 

 きっとこれまで誰にも向けたことのないほどの大きな思いが煩く響く。

 

 

 桜の総てが刃へと姿を変え、奔り始めた。

 

 

 

 

—interlude—

 

 奥深く、おそらく始まりの祭壇であろう。

 地響きのような、重々しい音がそこから木霊している。

 まるで地獄からの呼び声のように、まるで少女の苦痛に耐える喘ぎ声のように、その響きはそれを耳にするこの男を興奮させた。

 

「……始まったようだ」

 

 男の口から零れたのは、今までにないほどの嬉々とした言葉。

 努めて淡々と言葉にしたのだろう、しかし彼は自らの中にある狂喜をこれ以上隠し通すことなど出来なかったのだ。

 

 単なる聖杯戦争の監視者だったはずのこの男、言峰綺礼はようやく自ら動き始めたのだ。

 それこそ最後の仕上げをせんがために。

 

「凛、そしてセイバー……贄には相応しい。そして幸いにも、コレは我が手中。あの粗悪品の少女を、マキリの聖杯を止めた所で、これから始まる厄災を止める事など出来ん」

 幾重にも策は巡らせた。

 それをより強固なものとする為に前回からの協力者と、自らの走狗を見殺しにした。手痛いモノではあったが、今彼を取り巻いている充足感はそれをも上回るモノだったのである。

 

 しかし満足げに笑みを浮かべたつかの間、言峰の表情はどこか達観したようなものへと変わっていた。

 

「否、直にアレが孵るのだ。私がしようとしている事など、瑣末事に過ぎん」

 生まれ出ようとする者を拒む権利など彼にはありはしない。それが自らを『愉しませる』者であるならば、

 

「しかしな、私は気がすまないのだ。コレが、この娘が創る悲劇を目にせずには、きっと私は……」

 そう。ただ『愉しむ』ことが出来ればそれで良かったはずなのだ。だと言うのに、今彼は観察者としての立ち位置から、一歩踏み出そうとしている。

 自らの意志でもって、地獄の蓋を開けようとしている。

 

「さて、貴様が生み出す絶望は、どんなモノなのだ?」

 かつてその姿を闇そのものへと変えた一人の女性の姿を思い出しながら、彼はそう呟いた。

 美しいなどとは思わなかった。

 羨ましいなどとは思わなかった。

 ただ彼女が結果的に生み出した厄災が、伽藍堂だった自らの心を初めて埋めた。初めて彼は満たされたのだ。

 だからこそ彼はもう一度目にしたいのかもしれない。

 自らを活かし続けている怨嗟の大元となるものが、この世に再び顕われる瞬間を。

 

「前回のような……地獄の業火か? それとも総てを覆い尽くす黒の獣か? それとも、私の想像しえぬものか?……なんにせよ、それが私を愉しませる事にかわりはない……そうだ、この瞬間をどれほどまでに心待ちにしていた事か! なぁ、アインツベルンの人形よ?」

 

 そして彼は自らの腕に抱く少女に視線を落とす。

 

「衛宮士郎……その少女を止めた所で、貴様の悪夢は終わらんさ」

 

 そして歩みを進めてきた洞窟に背を向け、言峰綺礼は歩き始める。

 自らに与えられた、最後の舞台へと昇る為に。

 

 

 

 

 どれだけ愉悦に浸ろうと、どれだけ悪意をその身に溜め込もうと、彼が今夜迎える『死』という現実は、逃れざるものであるというのに。

 

 

 

—interlude out—

 

 

 



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たとえその先に広がるものが暗闇であっても

 

 

 少女を取り巻く影がその姿を刃へ変え、殺意を孕んで切っ先を突き立てんと突き進む。

 そんな言葉を切欠に、この戦いを語り始めたとしたら、どこか映画を見ているような……他人事のようにものに感じるかもしれない。

 

 それは確かに俺に迫っていた。

 逃れようのない現実として、確かに俺に突き刺さらんとしていた。

 

「ほら、避けてくださいよぉ! そうじゃないとすぐに串刺しになっちゃいますよ!」

 しかし俺はどうしても自分に迫り来る現実と認識する事が出来なかった。

 大声をあげながら嬉々した表情を見せる桜の姿に、覚えた違和感を払拭せずにはいられなかったのだ。

 

「……ッ!」

 

 しかしそんな状況にあっても、反射的に身体は動き始めていた。迫り来る黒の軌跡から逃れんと、無様に身体を逸らしていた。

 

 『触れてはならない』

 

 その確信があった。

 あれに触れてしまっては、きっと自らのカタチを維持することは叶わないと警鐘を鳴らし続けているのだ。

 

「ッ……!」

 息が詰まる。

 魔力を身体に通したわけではない。ただ身を翻すその行動すら、この身体にとっては負担になっていた。

 それを証明するように、吐息に代わって吐き出され続ける自らの赤々とした血液。それは自らが生きている証として流れるもの。

 それが自らの外部に表出するだけでこんなにも焦燥感にかられるのか。

避けなければ自分という存在は掻き消えてしまう。だが自分の身体は思ったように動くことが出来ないでいる。

 あぁ、これが本当の崖っぷちというものなのだろうか。諦めが心を過ぎり、自分の死が近しいものになっていることを理解させた。

 

 しかしそんな事、素直に受け入れる事は出来ない。

 

「ほら……ほらほらほらほら! セイバーさんはもっと速かった! 姉さんはもっとしぶとかったんですよ! ねぇ先輩!」

「グ……あ」

 

 そう。この声が、素直にさせない。

 

「……ク……ハハハハハ! アハハハハハハ! ほら、やっぱり! やっぱりわたし強くなったんだ。誰も止められない。誰だって……先輩だって、わたしをとめられない!」

「――何、言ってんだよ……」

 

 こんなに悲しそうな高らかな笑い声が、俺を素直に殺させてくれないのだ。

 

「まだだ。まだ早いって。勝手に、決め付けるなよ……桜」

 

 吐き出した強がりは今にも消えてしまいそうなほどに弱々しい。それでも無理やりに身体を起こして桜と一心に向かい合う。

 そう。俺は戦いに来たわけではない。

 ただ、自暴自棄になってしまっている、俺だけのお姫様を迎えに来たのだ。

 

「だから、何回でも立ってやるさ……」

 拭い去れない脱力感に苛まれる身体に鞭を打ち、既に迫っているであろう闇の触手に身構える。

 しかしどうしたというのだろう。先程までの猛攻が嘘であったかのように動きを止め、ウネウネと桜の周辺を漂っていた。

 まるで彼女自身の心の不安定さを表しているように。

 

「……何なんですか? 一体何が!」

「何って……」

「姉さんを守りたいからですか? セイバーさんを助けたいからなんですか?」

「そりゃな……俺が遅くなっちまったから、こんな風になったんだからよ。でも俺がここに来たのは……」

「そんなに傷だらけになっても向かってきて……なんで先輩はわたしの嫌な事ばかりするんですか! なんでわたしばっかり……!」

「桜、本当に分かってないのか?」

 いや、きっと彼女は信じられないだけだ。

 確かにセイバーや遠坂に対する負い目はあった。俺がアーチャーとの私闘を優先しなければ、彼女たちが傷つくことはなかったのだ。

 きっと桜は俺にとって大事なのはセイバーと遠坂の二人で、自分のことはきっと厄介者くらいにしか考えていないと思っているはずだ。

 

 あぁ、ホントに……何してんだろうな、俺って奴は。

 

「そんなに、わたしの事が邪魔なんですか?」

「……」

「わたしの事が邪魔だから、嫌がる事ばかりするんですよね? 好い気味だって、ホントはわたしを笑っているんですよね?」

「――桜……お前、何言って……ッ!」

 彼女の言葉を否定しようとした瞬間、思わず口を噤んでしまった。

 そうだ、ずっと桜は我慢し続けていた。今の状況を見れば彼女がそう考えてしまうのは仕方がないことなのかもしれない。

 

「ねぇ、なんでわたしばっかりこんな風になるんですか? 十年前だって、遠坂の家から離れなければ辛い目にあうことはなかったはずなのに。この聖杯戦争だって……わたし一人がずっと除け者にされて……」

 しかしそれを、こんな負の感情に苛まれたままの彼女を許していいのか。

 殺されてもおかしくないこの状況で、俺の思いを伝えないままで終わってしまっていいのか。

 

 その考えが頭を過ぎった瞬間、覚束ない足取りで、俺は桜の側へと歩き始めていた。

 

「ど……どれだけ不安だったか分かりますか? どれだけ痛かったか分かりますか? 独りぼっちがどんなに辛いのか……先輩は分かりますか?」

 ビクリと身体を震わせる桜。しかし吐き出し始めた言葉は止まることはない。

「俺は……俺はただ……」

 ただ側に行かなければ、彼女を抱きしめなくてはと思っていたはずの俺の口を吐いたのは、再び今の自分を肯定するための言葉。

 

「――ほら、やっぱり! やっぱり、言い訳ばかりしてはぐらかそうとする! 大事な事は何も言ってくれない!」

 

 引きずり動かしていた両の足が止まってしまう。

 ぶつけられる桜の言葉が痛い。返す言葉がないというのは、まさにこのことなのだろう。

 

 事実、彼女が口にしたその言葉こそ、これまでの俺たちの関係を表していた。

 俺が、いかに桜を蔑ろにしていたかという事を思い知らされた。

 

「そんな先輩、嫌いなのに。殺したいのに! 今のわたしには簡単に出来るはずなのに……それでも何で! 何でなにも言ってくれないんですか?」

「俺は……」

 

 そうだ、こんなところで足を止めていいはずがない。あと数歩なのだ。あと少し足を動かせば彼女を抱きしめることが出来るのだ。

 しかしその前に俺は桜に言わなくてはいけないことが、聞かなくてはならない事があった。

 

「……言わなくても、いや……言葉にしなくても大丈夫だと思ってたんだよ」

 それは全て甘えから来るものだった。

 俺が繰り返しを始めてから、あの頃とは決して変わることなく側に居続けてくれた桜ならば、きっと何も言わなくても変わらないと思っていた。

 いや、思い込もうとしていた。

 しかし桜は俺が想像もしなかった状態になっている。その状態は俺が、そしてアイツが決して許してはいけない存在そのものだった。

 

「アイツから聞いてるんだろ? 俺の事を。俺がお前に……いや他の皆にずっと隠してた事全部さ」

 桜の軍門に下ったアイツならば、俺の状態について少なからず口にしているはずだ。

 自らの使命を放棄してまで俺の戦いに赴く為に桜を説得したその言葉を、俺は聞かなくてはならない。

そしてその言葉が彼女の耳に届く頃、ようやく俺は桜に触れることの出来る距離にまで近付くことが出来た。

 

 それでもまだ遠い。桜との距離は、心の距離はあまりにも遠い。

 それを表すように、桜はジロリとこちらに視線を向ける。

 

 しかし彼女の周りを漂う影は、目に見て取れるほどに落ち着いたものになっていた。

 

 そうだ。俺はここにやって来た本来の目的を果たすことが出来る。

 

「……えぇ。そう、ですね。でも……分からない事があります」

 

 ようやく桜と、正面から話すことが出来る。

 

「アーチャーさんから聞いていました。先輩に覚えた違和感について。まるで『何が目的で聖杯戦争を戦っているのか分からない』って言ってました」

「そっか……やっぱりアイツ、分かってなかったんだな俺は繰り返してる。この聖杯戦争を……でもな、アイツでもきっと分からなかったと思う。俺がもう一度聖杯戦争に参加している理由を……」

 

 無理もない。理解できないのも仕方がないことだ。

 今の俺の在り方と、アイツの在り方とでは全くと言っていいほどに食い違っている。

 

「そんなの、聖杯が欲しいからじゃ……」

「違うよ。俺は……もちろんかつてのオレだって、聖杯に託したい望みなんてなかった。自分で叶えなきゃ意味がないって確信していたんだ」

 そうだ。確信があった。

 正義の味方になることが出来たが故に、自分を取り巻く総てに絶望したオレ。

 その末に正義の味方であることを捨て、たった一人を守りたいと思い至った俺。

 

 総てのきっかけは確かに聖杯に、聖杯戦争にあったことは事実だ。

 

「……俺には聖杯が必要だったんじゃない。聖杯戦争に参加するって事実が必要だったんだ」

 

 そうだ。聖杯に託した願いなんて、何一つなかったはずだった。

 どんな時だって、借り物と切り捨てていたあの理想ですら、自分の手で叶えなくては意味がなかったのだから。

 

 ただ一度だけ、聖杯に願った望みがあるとすれば……

「俺はただ、もう一度セイバーに会いたかった」

 そう、この繰り返しを始めることとなった、その願い。

 

 本当は願ってはいけなかった、憎んでいたものに対する愚かな願いだった。

 そして俺は理解していた。

 

 その言葉は間違いなく目の前にいる、一番大事な女の子を傷つけるということも。

 

「……やっぱり!……やっぱりそうだったんだ。先輩は、セイバーさんの事!」

 

 言葉に反応するように、桜の周辺を漂う影が激しく蠢き始める。

 今まで感情を感じさせなかった表情は、あの夜の道場で見たものと同じ、悲しみに濡れたものに戻っていた。

 

「……ッ! さ、最初はそうだった。それ以外に目的がなかった。ただその為だけに聖杯戦争に……こんな馬鹿みたいに戦ってたんだ」

 

 それでも、桜を悲しませると分かっていても俺は言葉を止めることは出来ない。

「桜……正直俺はお前の事、何とも思ってなかった。ただ間桐の魔術師としか考えてなかったんだ」

「……せん、ぱい」

「戦いが始まれば……遠ざけるようにして! それで全部が終わるって、お前との関係は簡単に途切れるって、そう思っていたんだ!」

「だから、わたしのこと……」

 

 それはきっとケジメだ。

 今まで口を噤んだままでいた俺の贖罪と……そして……。

 

 だから分かっている。

 この後に来る彼女の感情の爆発が。

 

「やっぱり嫌いなんだ! あの時の優しそうな顔も、あの言葉も全部……全部嘘だったんだ!」

 

 刹那、彼女の周囲を蠢いていたはずの影が俺の左腕に纏わり付いていた。

 

「――――ぁ――」

 奪われる。

 頭の中にその言葉が、背筋に悪寒が走った瞬間、俺は纏わり付く影を乱暴に振りほどいていた。

 

「は! グ……はぁ、はぁ……」

 ある。腕は確か見て取れる。振りほどくのが早かったからだろうか、相変わらずの傷だらけの左腕は確かに俺の身体と繋がっている。

 しかし気付けなかった。気付くことが出来なかった。

 まるで当たり前だと、『自らの一部』だと思ってしまうほどに、自然に影は俺に纏わり付いていたのだ。

 

 しかしいざその影と離れてしまった瞬間、何かの喪失感に襲われてしまった。

 それに頭を混乱させられながら、俺は再び桜を見る。

 

「でもな……そう分かってるはずなのに遠ざける事が出来なかった。お前がライダーのマスターになるって知ってるのに! それが……出来なかったんだよ!」

 

 言葉を止めるな。

 目を反らすな。

 こんな悲しい表情を、一番大事な子にさせ続けていいわけがない。

 

「セイバーに……アイツに会えた。それで……それ、で俺の目的は達せられたはずなのに……」

「もう、いいです。もう、黙って……」

「セイバーを守って、この戦いを終える事が出来れば良いって、そう思っていたのに……」

「――黙れ!」

 

 再び、再度絞り千切るように影が左腕に纏わり付く。

 二度目。

 肉ではなく、存在を奪われるような感覚。

 

「……は、ははは……こりゃ、痛てぇや」

 

 あぁ、次はきっと……。

 

「もう、やめてください。そうじゃないと……わたし、本当に……」

 

 止めれるわけないだろ?

 いったい何度同じこと言わせる……いや考えさせんだよ。

 

「――ったんだよ……」

「……」

「俺の一番が……俺の一番が分かったんだよ。一番大事な人が誰なのか」

「聞きたく、ありません……」

「嫌だ……言ってやるさ」

「聞きたくないって……」

「――言ってるでしょ!」

 

 三度目。

 ついに血が噴き出す。

 それでも再び腕を振りほどき、後ろに下がっていた足を一歩前に進める。

 

「……っ!」

「言わせろよ……なぁ桜!」

 きっと俺の枯れた声はこのあまりにも広すぎる荒野に響いているだろう。もうあまりの深い闇に踏み入りすぎて、自分の声も遠くに聞こえてしまう。

 でもそれでいいと思えてしまうのだ。

 彼女が、桜がそばにいるから。

 

「甘えてたんだよ。お前なら、分かってくれるって……」

「分かるって……分かるって何をですか?」

「俺の気持ちをさ。お前が……俺の一番大事な人だって、そう思ってることをさ……」

「そんな……分かる訳ない! 都合が良すぎますよ、今更こんな事言うなんて!」

「――そうだ! こんなのは俺の自分勝手な傲慢だ! それでも、今言わなきゃ……口にしなきゃダメなんだ」

 

 ここまで通した自分勝手、貫き通さなけりゃもっとこいつに嫌われちまうさ。

 

「傲慢だって分かってる。でも、だから聞いてくれ」

 

 女々しくても良い。

 今はただ、こう口にしたい。

 

「……」

「足りない……」

 

 

「好きじゃ足りない」

 

 

「……愛している。俺は、エミヤシロウは間桐桜を愛してるんだ」

「う、そ……だ! 嘘だ! 嘘に決まってます!」

「そう、だよな。そう思っちまってもしょうがないな……でもな、何度だって言ってやるぞ」

 

 

「俺はお前を愛してるよ」

 あぁ、今までなぜ言ってやることが出来なかったんだろう。

 一言口にすれば、こんなにも素直になれるっていうのに。

 

「もっと、早く聞きたかったのに……遅いですよ、遅すぎますよ……」

 

「……ッ!」

「だって……」

 

 

「わたし、もう抑えられない……」

 

 

 抱かれる。

 彼女の抱いた闇に抱かれて、俺の視界は黒一色に染め上げられた。

 

 

 

—interlude—

 

「よぉ、兄弟。しばらくぶりじゃねぇか」

 

 響き渡った。

 ただ平坦な音の波が、俺の鼓膜を揺らした。

 あぁ、知っている。

 

 俺はこの声を知っている。

 

 

 それは“今の俺”が始まった瞬間に聞いた音。

 

 「なんだよ、あの時みたいな泣き顔見せてくれよ、なぁ!」

 

 

 そこには俺が……いや、オレたちの殻を被った『何か』がいた。

 

—interlude out—

 

 



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墓守はかく語りき

 

 

 黒一色に染め上げられた空間の中、俺は『ソレ』と対峙していた。

 認めることはできない。その顔は見間違うはずもない。その聴きなれた声がどうしようもなく納得させようとするのだ。

 目の前にいる『ソレ』が、エミヤシロウであると。

 

「なんだよ、何もわかりません〜みたいなねんねな顔しやがって」

 

 しかし『ソレ』は決して俺が、俺たちが見せはしない表情をしていた。

 

「お前はそんな野郎じゃねぇだろ? 何でもかんでも自分で飲み込んで、受け入れちまう奴だろうが」

 

 何故だろう。『ソレ』の口にする言葉はひどく耳障りに感じた。

 

 苛立ちが心に募る。先ほどまでの疲労がどこかに吹き飛んでしまったかのように、鼓動が早鐘を打った。

 どうしたのだろう。ここまで自分をコントロールすることが出来ないなんて。

 アイツと相対した時ですら冷静さはどうにか保てていたはずなのに、今はそれが困難な状況に陥ってしまっている。

 

「あ〜しょうがねぇな。返事もしねぇなら勝手に話を進めてやるよ」

 

 しかし俺の事など気に留める素振りすら見せずに、『ソレ』は話し続けた。

 

「ようこそ……いや『おかえり』だな」

 

 そうだ。これが苛立ちの正体だった。

 

 俺は恐れていたのだ。

 この言葉を、目の前の『ソレ』が口にするであろう、その言葉を俺は恐れていた。

 

「ここがお前の始まりの場所だよ。ここまで言ってやれば分かるか?」

 

 始まりの場所。無様な思いを願ってしまった場所。

 

「おぉ、ようやく思い始めましたって顔だな……じゃぁ見えんだろ? ここに広がる風景がよ」

 

 あぁ、思い出したくはなかった。

 ただ今の自分が唯一、この繰り返しの世界を生きているのだと思っていたかったから。

 

 だからそんな傲慢な思いを心の片隅に抱いていたのだ。

 

「そうだ、分かったか?」

 

 広がっていた。いや、数多くそれらが横たわっていたという方が正しいのかもしれない。

 一つは四肢を捥がれ、もう一つは右半身がない。

目の前に広がるあまりに残酷な情景、それらはどうにか飲み込むことは出来る。しかしこのむせ返るほどの血の匂いはどうだ。

正常な人間では一目見るだけで心を病んでしまうだろう。

 

 何れにしてもそこにある全てが正常な状態とは、人としての状態を留めてはいなかった。

 

 まるでこの場所は……

「ここは『墓場』だよ」

 嬉々とした声がそう投げかける。

 

「お前の、いや……この戦いを繰り返してきた『お前たちの墓場』だ」

 

 横たわる肉の塊の名はエミヤシロウ。

 そう、俺はただ一度繰り返しているわけではなかった。

 

 幾度となく、幾度となく無様な願いを叶えんがために、俺は死に続けてきたのだ。

 

ーinterludeー

 

「なるほど……遂に、機は熟したと言うことか」

 一人、そう呟く。

 男は無関心な瞳のまま、それを眺めながら呟いていた。

 

 彼の見上げた先には、一人の少女の姿。

 一糸纏わぬその姿は、普通の人間が目にすれば、あまりに痛々しい。ただその姿の真白は見る者全てを魅了させるほどの魔性に包まれていた。

 磔にされてもなお、その姿は美しかったのだ。

 

「物言わぬか。だからこそ……」

 その姿を目にするこの男にも、それは理解することが出来た。

 

「ーーーーなるほど」

 黒々と光のなかった男の瞳に、ほんの一瞬ではあるが光が灯る。

 

「これが美を愛でるという感覚か」

 

 しみじみと、その言葉を反芻する。

 何かが心に痞えていたのだ。それに納得することが出来ず、呆然とその場から歩み始めた。

 ブツブツと自らを納得させることの出来る言葉を探しながら、ふと気付いた時には彼は街を一望することの出来る石段の前まで来ていたのだ。

 その場には焼け焦げた跡が、赤黒い痕跡が残されていた。

 つい先ほどまでこの場であの男たちが命を賭けて戦っていた。

 あまりに無残で、そして滑稽な戦いであったであろうことはこの情景を見れば想像に難くなかった。

 しかしそのことにこそ愉悦を感じるはずの自分自身が、今心の中を占めているのは白の聖女の姿。

 それに違和感を覚えずにはいられなかったのだ。

 

「知らなかった。いや忘れていたのか」

 

 そう、この男は確かに知っていたはずだった。

 美しきものには心を奪われるということ。

 そして、愛しき者たちを慈しむ感情を。

 

 

「ふ、今更それに気付いたところでなんだというのだ。あの娘も、そしてこの街もあの腕に抱かれるのに……」

 踵を返し、彼は続ける。

 そんな瑣末ごとに心を奪われている場合ではない。

 彼、言峰綺礼はそう心の中で結論付け、再び短い思案に区切りをつけていた。

 

「大いなる呪いの……この世凡ての悪意(アンリ・マユ)に」

 

 これから起こるであろう悲劇に興奮を覚えつつ、彼は祭壇へと戻る。いやらしい笑みを浮かべながら、ただ足早に。

 

 自らが死にゆく最後の舞台へと、再び登るために。

 

ーinterlude outー

 

 

「なんだよ、ビビってんのか?」

 

 先程までと変わらぬ、嬉々とした声で男は続ける。

 明らかに俺を煽っての言葉だろう。事実今すぐにでも叫びだしたいほどに俺の感情は高ぶっていた。

 

「何度だって見てきただろ? こんな光景はよ。何度嬲ってきた? 引き裂いてきた? 串刺しにしてきた? 何遍その手を真っ赤に染めてきたよ!」

 男の口にする言葉は、俺の歩んできた道の真を捉えていた。

 十の命を守るために、一を切り捨ててきた。万の希望を叶えるため、百の亡骸を積み上げてきたのだ。

 全ては正義のためだと、世界の傀儡と成り果てて。

 

 しかし今、目の前に広がる光景はそういったものとは全く別のものであった。

 

「いや、この場合は違うな。お前が切り裂かれたか? 吊るされたのか?」

 あぁ、こいつは理解……いや慣れているんだ。

 何度も、きっと何度も俺たちと向かい合って、こんなやり取りを繰り返し続けてきたんだ。

 

 だからきっと、コイツが口にする次の言葉は……。

「どれだけ人を助けようが、善行を積もうが、お前は結局殺されるんだよ」

 

 そうだ、コイツは全部知ってるんだ。

 全てを、繰り返してきた俺たちの全てを知っているんだ。

 

「け〜っきょく無駄! 何をしたって無駄なんだよ!」

 

 ケラケラと楽しそうにしながら周囲を見渡し、何かを見付けてその表情をさらに邪悪に歪めた。

 

「あぁ、そこのお前はあの紫のヘビ姉ちゃんに殺されたやつだな」

 

 ビクリと身体が震えた。

 見ればそこに横たわる俺は四肢の全てと、脳天が潰されていた。

 

「あの時は大笑いしたぜ! 調子に乗って正面切ってサーヴァントに立ち向かってよ」

 

 その場面は知っている。

 事実俺もライダーと対峙したあの時、自分一人で戦うことが出来るはずだと読み違えていたのだから。

 

「腕も脚も潰された挙句、結局脳天から串刺し! いや、グロテスクだったね。見てて爽快感がある殺しぶりだった! あの姉ちゃんは合格だった!」

 刹那、脳裏にライダーに追い詰められたあの場面が過る。

 そうだ、あの場面で今の俺は死んでいたのかもしれなかったのだ。その結果が目の前に転がる俺の亡骸なのであれば、それは納得することが出来た。

 

「あそこでは寝転がってるお前は、アイツに殺されたんだ」

 

 次に男が指し示したのは、何故か黒に染め上げられた俺の姿だった。

 

「いつかの再現だって、身体中に投影した剣を突き立てられてよ。やれお前っていう男は英霊になっても底が知れてるよな。身体を突き刺してる時のアイツの顔は最高に狂ってた!」

 

 そうか。ここに横たわっているのはアーチャーとの一騎打ちで負けた俺の姿だったのか。

 かつて英雄王の宝具によって串刺しにされたあの時のように、いやそれ以上に無残に剣を突き立てられた。

 つまり俺が染め上げられたその黒は、俺から溢れ出した血の跡だった。

 

「まぁそんなアイツも、お母様に、間桐桜に縊り殺されたよ。最後には自分の使命を優先するんだなんて言ってよ。あの時のアイツの顔も傑作だったぜ! 結局全部が全部泥と闇に包まれて、街が丸ごとなくなっちまった! こっちにとっては喜劇だが、お前らにとっては最高の悲劇だったろうな」

 

 あぁ、確かに悲劇だ。街は闇に包まれ、怨嗟に見舞われてしまったのだから。しかしその話を聞いた時、俺の渦巻いたのは安堵と苛立ちの二律背反の感情だった。

  

 結局アーチャーは最後の最後に抑止の守護者たらんとした。それはどこまでも俺たちらしい姿ではないか。

 正義の味方としての俺であれば、アイツのやり方に口は出すことはできない。しかし今の俺はやはりアイツのことを認めることは出来ない。

 だって俺は、桜だけの味方にならんがためにここまで来たのだから。

 

 だから俺はこの光景を飲み込めるのだ。

 俺にとって何度繰り返していたとしても、選択を誤ったがために死を迎えてしまったという事実を突きつけられたとしても、俺はその事実を受け入れられるのだ。

 

「……んだよ、ツマんねぇ顔してんじゃねぇよ。今まではそうじゃなかった癖によ」

 そう口にし、男はより原型を留めていない亡骸の方へと歩を進め、先までとは一転不機嫌な表情を見せながらこう続けた。

 

「……そこのお前はつまんなかった。欠伸が出ちまうくらい、退屈だったぜ」

 そう言って指差したそこには、まるで袈裟切りにされたように打ち捨てられた自分の屍体だった。

 しかしどうゆうことだろう。刃物で斬られたのであれば下半身が残っているはずなのに、その亡骸にはそれがなかったのだ。

 

「あの騎士王様を守ろうとして、あの巨人に身体半分すり潰された……その様は爽快だったぜ! 一面真っ赤っかでな!」 

 なるほど。だとするならば亡骸のこの状態も納得することができる。あまりに痛々しい最期であったということは言うまでもない。

 しかしそれならば男の苛立ちを説明することは出来ないのではないか。

 

「あ〜でもよ、頂けねぇのはその後さ」

 そう呟き、ジロリとこちらを睨みつけながらゆっくりと動く事の出来ない俺の方へと歩を進める。

 そうされることでよりハッキリと理解できた。

 

 コイツは、俺……いや、俺たちの“殻”を被った何かだ。

 

 なら俺たちの殻を被った逆の性質を持つ者が一番嫌悪する事は……

「テメェ……最後の最後で騎士王様の信用を得やがった」

 そう。やっぱりそれだ。

 

「お前は誰からも信用されちゃなんねぇんだよ」

 納得できる。今まで上等な言い訳をしながら、近しいはずであった人間たちと関わりを持とうとしてこなかった理由が、ようやく一本の糸で繫がった心地がしたのだ。

 

「なんでだって顔だな?」

 苛立ちを露わにしながら一歩更に一歩、手の届く距離まで近づく。

 

「決まってんだよ、それが筋書きなんだよ。お前たちは絶望しなきゃなんねぇ。そうゆう約束だったろう?」

 

 俺はその約束を知っている。

 

「なのによ……」

 俺はそうゆう『契約』をして、この『終わらない』繰り返しを始めたんだ。

 そう。願いが叶えられてしまった。

 最も進んではいけない方向に、最も望んではいけないモノに。そして最もとってはいけない方法で。

 

 俺たちの願いは叶えられてしまっていた。

 

 最も嫌悪したモノに、俺の願いは叶えられてしまった。

 

「お前はなんだ? つまんねぇ……一番つまんねぇよ! なぁ、エミヤシロウ!」

「お前は……やっぱりお前!」

 

 動く。動く事の出来なかった身体が動いていく。本当に自然だった。伸ばした手が迷うことなく男の胸ぐらに伸びる。

 しかしその手をヒラリと躱し、間合いが開く。

 

「なんだ、ようやく口聞けるようになったか? そうだよ、兄弟。何回目になるか分からねぇが、名乗っといてやる」

 再びいやらしい笑みを浮かべならがら、こう吐き捨てるよう口にした。

 

「俺は、復讐者(アヴェンジャー)。この場ではこの世凡ての悪(アンリ・マユ)って名乗っておいてやるか……」

 まぁ、こうやって話が出来るのはお前の殻を被ってるおかげだけどなと付け足しながら可笑しなステップを踏みながら、数歩こちらに近付く。

 

「この狂った世界を作ってやったバカヤロウさ」

 そこには今までの気怠さは感じられない、まるで講談師のような快活さで言い放たれた。 

 しかしそう言い放った瞬間、アヴェンジャーはその表情を気怠げに変え、溜息をつきながらこう続けた。

 

「と……言いでもしたら、黒幕っぽくてカッコいいんだろうな」

「なんだ、違うとでも」

「あぁ、違うね。ぜんぜん違う!俺は見続けるだけだ。ただそれだけだ」

「一体何なんだよ……なんだよそれ!」

「はしゃぐなよ兄弟」

「お前、人の事馬鹿にしてんのか?」

「ハハハ! 違うって喋れるようになったからってそんなに声荒げてちゃ、疲れちまうじゃねぇか」

 

 片手で俺を制し、アヴェンジャーは話を続ける。

「くだらねぇ話だが……俺はただの墓守だ。クソツマラねぇ仕事を仰せつかった、ただの墓守だよ。あーくだらねぇ。今くだらねぇ奴の世界ナンバーワンはきっと俺だぜ……ケケケ、思いの外愉快な話じゃねぇか」

 そうだ。俺が繰り返す聖杯戦争の中で、一度も最後まで勝ち残っていなかったのであれば、コイツは表に出ていないはずだ。

 コイツ自身も、俺と同じようにこの戦いに捕われ続けている。

 

「あぁ、昔いたな……俺と同じように馬鹿みたいに人の死を蒐集し続けてきた奴がよ。おっと、俺はそいつのことなんて知らねぇぜ。ただ知識としてあるだけの、その程度のもんさ」

「……まるで」

「そうだ、今考えてる通りさ。ここはそういう場所さ。幾百、いや幾億ものお前の死がここに集まってんだ」

「ハハハ……なんだよそれ」

 

 まるで馬鹿みたいに死に続けるだけの、出来の悪いゲームだ。クリアすることもない、ただ同じところをグルグルと周回するだけの、つまらないお遊びだ。

 しかしどこかアヴェンジャーが語った『死の蒐集』という言葉に、違和感を覚えずにはいられなかった。

 まるで早くこの話を終わらせてしまいたいという考えが、その言葉からは透けて見えた。

 

「まぁお前がどう思おうが、んなことには興味がねぇよ。ただ俺はお前たちが死に続けるところを見られりゃそれで満足なんだからよ」

 一頻り話し終えた後、何かに気づいたのだろう。クスクスと笑うアヴェンジャー。

 

「でも本当に今のお前だけは頂けねぇな。生きたままここに来ちまったんだ。筋書きが大幅に変わりすぎだぜ。ちょっとは静かにアレを見とけよ。面白いもんが見られるからよ」

 

 ふとアヴェンジャーが指差した先に視線を移す。

 仄暗い闇の中、しかしハッキリとその光景は視界に入った。

 

「もう一人の、お前の死だ」

 

 

ーinterludeー

 

 器は満たされる。

 残る供物は剣の英霊。そして未だに器に還らぬ弓の英霊。しかし黒の逆杯となった少女にとって、その程度の欠損など意味のないものだった。

 

 しかし破綻者にとって、それだけでは足りなかった。

 より確実に楽しむために、そして自らの手で厄災を起こさんがために言峰綺礼は不要となったはずの器を用意し、それに備えていた。

 

 だがその場に異物が忍び寄る。

 

「……無粋だな。ここは最早祭壇だぞ?」

 黒の太陽に抱かれる白の聖女の眼前に見上げながら、言峰綺礼は視線を向けることなく言葉を続ける。

 

「神聖……ではないな。いずれにしても大いなる絶望が生まれようとしているここに、最早舞台から降りた貴様が何の用だ?」

「……」

 

 声の受け取り手たる男は荒い息を吐き、磔の少女と言峰を交互に見つめ言葉は語らず、何かを確信したように強く拳を握りこむ。

 握りこんだ拳から血が零れ落ちることも、そして身体中から突き出す刃の鋭さも気に介さず、エミヤシロウとの戦いに敗れたはずのアーチャーがその場に立つ。

 一度は降りたはずのその舞台に登ったのだ。いや、彼は降りてはいなかった。

 望むべき戦いを終え、今彼の頭にあるのは数少ない心残りを果たさんとする意思だけだった。

 

「最早語る口も持たぬ木偶であったか」

「……貴様、やはり……」

「ほぉ、腐っても英霊ということか」

 物を言わぬアーチャーの態度に辟易した様子を見せる言峰。

 これでは自分を楽しませることは叶わないかと諦めの言葉を投げ出した刹那に返されたアーチャーの言葉に、多少の驚きの色を声に滲ませながら続ける。

 

「君は初めてかね? 聖杯降臨の儀を垣間見るのは……」

「何を言っている。とうの昔に気付いているだろう、言峰綺礼」

「そうだったな、君は幾度となくこの少女が、いやこの器が満たされるのを目撃しているのだったな」

 そう、言峰は気付いていた。此度弓の英霊として現界したアーチャーという男が何者であるのかを。

 これも繰り返される聖杯戦争の中でのイレギュラーだったのかもしれない。これもエミヤシロウが選んでしまったが故に陥った惨劇の一つ。

 しかしそう定義付ける事の出来る観測者は最早この戦いの中では存在しない。そうなるはずであった言峰自らその役目を放棄してしまったのだから。

 

 だからこそ面白いのだと言峰は語る。

 悲劇に向かう者の背を少し押し出し、その様を見続けることに愉悦を感じるのだと。

 そして最後の幕引きを自ら行えば、どれほどの愉悦を味わうことが出来るのか。今まで感じたこともない幸福に包まれるはずだと彼は語った。

 

「この下衆め……!」

「ハハハ! 言うがいい。」

 アーチャーから投げられる憎悪すら気に留めることもなく、言峰はまるで説法を始めるかのような溌剌とした表情を見せた。

 

「あぁ、心踊っている……十年前と同じ、衛宮切嗣と戦ったあの時と同じ高揚を今感じている!」

 

 しかし語られたのは、神に仕える者とは思えぬ言葉。

 そう、既に彼は長年信仰してきたモノすら捨てて、一人の落伍者と成り果てていた。

 

「……そのために、貴様はそれを感じたいがために間桐桜を!」

「その通り。この状態を作り出すために私は自らの走狗を、そして我が友を彼女が心に抱え続けた悪意(アンリ・マユ)に喰わせた……しかしそれの何がいけない?」

「いけない、だと?」

「そうだ、何がいけない? 自らの愉悦のために行動することの何がいけない?」

「……得心がいった。やはり貴様は屠るべき私の、全ての敵だ。破綻者だ!」

「その通りだ。それが私、言峰綺礼という男だ」

「いや、嫌という程に私は貴様の表情を目の当たりにしてきた。貴様という男の性質を少しは理解しているはずだったが……やはりその所業を見過ごすことなど、出来るはずがないだろう!」

 

 刹那、アーチャーの手のひらに鈍い光が宿る。

 

「……ッ!」

しかしそこに顕されたのは、普段の流れるような流線型を描く一対の剣ではなく、歪な形をした出来損ないの剣。

 

「なんだ、最早自らの術すらままならないではないか。そんな出来損ないの投影で何をするつもりなのかね」

 その言葉通り、限界を超えてしまったアーチャーにとって、自らの慣れ親しんだ剣を投影することすらままならない。

 端から見れば最早どちらが勝つかなど、一目瞭然であろう。

 

「私が行うべきは、一つ……ただ一つだ」

 

 しかし剣の担い手は諦めることなく、歪む切っ先を言峰に向ける。

 

「私を止めるかね? そんな行為に何の意味もないというのに」

「あぁ、止める。あれが溢れ出す前に貴様を殺す! イリヤを、助ける!」

 

 最後に胸に残ったその望みを果たすために。砕けたその身で、アーチャーは疾走する。

 

「ではやってみせるがいい。誕生までの暇つぶしだ。少しは興じさせてくれ、エミヤよ」

「ーーッ!」

 

 彼らにとって死を迎える前の、最後の戦いの幕が、ついに切って落とされた。

 

ーinterlude outー

 

 

 



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墓守はかく語りき Ⅱ

 

 目の前で繰り広げられる攻防は一方的だった。

 あれほど自分を痛めつけたアーチャーは、まるで赤子のように地面に転がされながら、それでも目前の巨悪へと立ち向かっていた。

 

 それはあまりに痛々しく、そして無様な姿だった。

 だがそうは感じられても、俺はその光景から目を逸らす事が出来なかったのだ。

 

 しかしその姿を馬鹿にするように、自らを復讐者と呼んだ男は楽しそうに笑顔を浮かべる。

「ヘヘヘ、ヤベェ。笑いが止まんねえわ」

「……」

「最高にクールじゃねぇか? 結局何にも変わってねぇ勘違い野郎が欲求不満な馬鹿野郎と戦おうってんだぜ」

 

 あぁ、何も口にすることが出来ない。

 その姿は俺が覚えていた通りの、正義の味方に為らんとした衛宮士郎の姿そのものであったから。

 アヴェンジャーが口にした言葉が、俺たちと言峰の真に迫っていたから。

 

「お前……」

 口の中に味わい慣れた鉄の味が広がっていく。

 本当にコイツは俺たちのことを見続けてきたのだ。俺が認識することの出来ないほどの時間を。

 

「なぁ、お前も内心ホッとしてんじゃねぇのか? アイツは最後の最後にはきっちり守護者としての役割を果たそうとしてるってよ」

 だからここまで俺たちの全てを言い当てることが出来るんだ。

 だからその言葉に俺は納得してしまうのだ。

 

「……確かに……でも!」

「どうでも良いわけねぇよな? それがエミヤシロウって人間だろ。変わらねぇアイツを見て、お前は安心しちまってんだよ。本来のエミヤって存在に安堵を覚えてんだよ」

 

 ジリリとこちらに詰め寄りながら、変わらぬ調子でアヴェンジャーは語り続ける。

「分かるか? 変わっちまったお前は羨ましいんだろ」

 

 そうだよ。羨ましいのさ。

 何も変わらない、実直なまでに正義を為そうとするその姿が、俺は何よりも羨ましいんだ。

 

 なら俺が口にする言葉なんて一つだけじゃないか。

 そんな問いに対する答えなんて、ずいぶん前から……いや、彼女が自分の中で一番だと気付いた時から見出していたのだから。

 

「ーーあぁ。そうだよ」

 

 ストンと、自分の中で音をたてて痞えが取れた。そう感じてしまった。セイバーの目の前で自分の気持ちに区切りを付けたときに似たモノと似ている。

 あぁ、そうだ。この気持ちが俺に残っていた最後の後悔だったのだ。

 

 全てを火の海の中に置き去りにして、自分の無力さに苛まれてきた。

 自分一人だけが正義の味方に救われた。

 その人に憧れて、自分自身もその道を進んでいきたいと思った。

 借り物の理想だと貶された、作り物だと馬鹿にされた。それでも何も疑うことなく、そして歩みを止めることなく進み続けた。

 

 そして、憧れた存在になれた。この手に、夢を掴んだんだ。

 あの時確かに俺は借り物の理想を本物にしたんだ。あぁ、なんて幸せだったのだろう。なんて満たされた人生だったのだろう。

 自らが望んだ人生を歩むことが出来たのだから。

 

 しかし歩き慣れた道に、正義の味方であり続けるという道に背を向けて、俺は一人を守るために走り始めた。

 納得していたつもりだった。綺麗事を並べて、言い訳ばかりしていた。

 

 それでも後悔は募った。自分勝手に歩いていて良いのかと。自分が見捨ててしまった人たちはきっと俺を呪っているのではないかと。

 そんな後ろ暗い思いに苛まれる中、かつての自分自身の姿を見て、俺は羨ましいと思ったのだ。

 でも今は違う。

 

「あ、なんだよ、頭おかしくなっちまったか?」

 

 アヴェンジャーは怪訝そうにジロジロとこちらを見つめてくる。

 その表情から、今までこの場を訪れた俺たちはこんな風にはいられなかたんだろうと確信する出来た。

きっと多くは泣き叫んで、そして自らの誤りを悔いていたに違いない。

 

 でも、やはり違うのだ。

 言い訳ではない、心の底からそう思える。

 

「……だから、お前の言う通りだよ。復讐者(アヴェンジャー)」

「ーーあ?」

「安心した。お前の言う通り、俺は今安心してる」

 

 今の俺が打ち捨てていた選択肢を、アイツは見捨てることなくそれを選び取ったことに安心出来ている。

 

「俺が目を背けてきた奴に対して、アイツは真っ向から向かって行ってる。言峰綺礼は倒すべき敵……でもそれは俺の役目じゃない」

 

 そうだ。言峰綺礼と戦うべきは、正義の味方としてのエミヤシロウでなくてはいけない。

言峰が俺の前に立ちはだからない限りは、決して俺は言峰と事を構えてはいけない。

 

 それが俺は正義の味方であるという生き方を捨てたケジメであるはずなのだから。

 

「何言ってんだ? 訳わかんねぇぞ」

 その声は憎悪に満ちていた。

 無理もないだろう。これまで泣き叫んでばかりいた、後ろを振り向いてばかりいたはずの道化が自分の考えとは全く違う方向に動いている。

 絶望させようとしても、それが裏目に出てしまっているのだから。

 

「結局逃げてぇだけだろ。正直に言えよ、エミヤシロウ!」

「何も言えないさ。逃げてるって言われても仕方がない。でも……アイツが言峰と戦ってくれるんなら、何も心配してないさ」

 

 俺の言葉に自分のスタンスを忘れてしまったのか、アヴェンジャーは怒りに身体を震わせ俺の胸ぐらを掴みあげながら苛立ちを露わにする。

 

「……おいおい、何言ってくれてんだよ。じゃぁなんだ、お前は? お前の存在意義ってなんだよ!」

 投げ捨てられた声は耳に痛い。

 どこか涙混じりに発せられた声に、違和感を覚えずにはいられない。

 何故こいつは頑なに『エミヤシロウ』という人間をこんなにも必死になって決めつけ続けるのだろうか。

 

「……お前には分かるだろ?」

 しかしそれに気を取られていてはいけない。

 呼吸を整え、視線を逸らすことなく正面からアヴェンジャーを見つめこう続ける。

 

「桜の中から俺を……俺たちを見続けてきたお前なら」

 

 

ーinterludeー

 

 

 誰にも知られることなく、死を決定づけられた二人の男の戦いは続く。

 

 しかし戦いと呼ぶにはそれはあまりに一方的なものであった。

 

「……ッ」

 

 赤々とした雫を零しながら荒い息を吐く男が一人、その場に蹲りながら口惜しそうに眼前の神父服姿の男を睨みつける。

 否、口惜しいのは自身の今の状態であろう。

 確かに先の戦いで致命傷を負い、満身創痍の状態になってしまっているという事は明白な事実であろう。

 蹲る彼は弓の英霊。単なる傭兵から抑止の守護者とまでその身を押し上げた英雄なのである。その彼が人間一人の手でここまで追い込まれてしまうということを一体誰が予想出来たであろうか。しかし英霊は、アーチャーは諦めることなく鋭い視線を眼前に立つ男へと視線を送り続ける。

 その事実を目の当たりにし、気怠そうに嘆息しながら相対する男はこう声をあげる。

 

「これほどまでに弱ってしまっているとは……つまらな過ぎるぞ、エミヤシロウ。あの男とは大違いだ」

 それは心の底から溢れ出した想いそのものだったのだろう。

 

 かつて彼は同じ姓を持つ、魔術師殺しと呼ばれた男と刃を交えた。

 それは彼にとってどれほど愉悦を感じるものであったのか、第三者には理解出来るものではないだろう。

 それは刹那の瞬間であった。この世全ての悪という名の泥に飲まれる瞬間までのほんの一時の戦いであった。

だが一時で十分。それは確かに、空白であった彼の心を満たした。

 そう。言峰綺礼という男は、人として最も重要なものと引き換えに、その戦いの中で一生の愉しむ事の出来る記憶と、欠落した感情を再び得ることが出来たのだ。

 そして今、かつて戦った男と同じ姓を持ち、英霊とまでなった男に対して言峰は少なからず期待を抱いたということは言うまでもない。

 

 しかしこの惨憺たる結果はどうだ。

 

 強敵と覚悟して相対した宿敵は何の手応えもなく、数合刃を打ちかわしただけで膝をついてしまう始末。

 その状態に言峰は落胆せずにはいられなかったのだ。

 

「……オレは……」

「私に挑むことが贖罪になるとでも思っているのかね? この磔の少女への……否、貴様が屠ってしまった命に対する懺悔かね」

「……」

「返す言葉もないか……つまらない。本当につまらない男だ」

 

 最早嫌味すら言葉にすることの出来ない状態のアーチャーに対し、無表情のまま辛辣な言葉を吐きかける言峰。

「先も言ったな。ここには私を愉しませる為のものしか要らないのだよ」

 

 彼にとって今吐き出した言葉こそ、彼の中の唯一の真実。

 その言葉と共にアーチャーに投げつけられた数本の黒鍵が乱暴に投げ出される。それはまさに投げやりな攻撃であった。

しかし満身創痍のアーチャーには最早、その単純な投擲を回避する事も叶わない。

 

「……ッ!」

 四肢に突き刺さる黒鍵。ガタガタと震える褐色の肌を、さらに赤が上塗りしていく。

その様を目の当たりにし、さらに深いため息をつく言峰。

 

 もう充分だと、まるで彼は器の方へと歩を進め、溢れ出すそれに手を翳す。それは全てを黒に染め上げる闇よりも暗い怨嗟の炎。

 

 

「そのように死に体の貴様は……この世凡ての悪(アンリ・マユ)に抱かれ、消えてなくなれ」

 

 その言葉がアーチャーに届く。

 

 刹那、彼の全てを悪意という名の泥が包み込んだ。

 

 

ーinterlude outー

 

 



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その光が示す先へ

 

 

「……は、ハハハハハハ! いや、びっくりだ。マジに驚いちまった! そんな減らず口が未だに叩けるなんてよ。いや、やっぱお前は面白ぇわ」

 

 俺の言葉にワザとらしく笑い声をあげ、ジロリと睨みつける瞳は言葉ほど穏やかなものではない。

 

「でもよ、今更そんなんは無しだぜ」

「あぁ、言いたい事は分かるさ」

「なんだ、達観しちまってますってか? 納得してますってか? ……あぁいい加減にしろよ、馬鹿野郎!」

 

 刹那、俺の胸ぐらにアヴェンジャーの腕が伸びる。

 俺の吐き出した言葉はアヴェンジャーの神経を逆なでするものだったのだろう、それほど無神経なものだったのかもしれない。

 

「なんのつもりだよ? 今までのお前はこんな場面じゃいっつも! いっつも泣き叫んでなきゃいけなかったんだよ! 悔しそうに泣いてなきゃいけないんだよ! 今まで自分がしてきたことは何だったんだって、後悔に苛まれてなきゃいけなかったんだよ! なのに今のお前は何だよ! 全部飲み込んだみたいな顔しやがって……こんだけ叫んでる俺は何なんだよ! いいじゃねぇか。予定調和でよ。最高じゃねぇか、決まった筋書きってよ。どんだけ足掻いて血反吐はいても待ってるのは悲劇的な結末ってよ! お前が望んだじゃねぇか、それで良いって考えてたんじゃねぇかよ。それを何をお前が否定してんだ! 望んだお前が何を否定してんだよ!」

 

 堰を切ったように、蛮声を響かせるアヴェンジャー。それは彼が抱え続けた俺に対する想いの全てだったのだろう。

 否、今の俺を見て失意に打ち拉がれるこの男の本音だったのだ。

 

 肩で息をする姿があまりに痛々しい。その姿を目にし、俺はようやくこの男も俺と同じ時を悔い返し続けてきたのだろうと、その中で自らの心を磨耗させてきたのだろうと認識する事が出来た。

 

「……あぁ、否定なんて出来ないさ」

「なら……それならそんな物分かり良いふりすんなよ! なぁ、お前はこの暗闇の中で苦しんどけよ? オレたちが決めたエミヤシロウの在り方はそうだったろうが!」

 そう、否定なんて出来ない。でも、俺たちが決めたというエミヤシロウの生き方を、納得しようだなんて思えない。

 

 それはこの世界の前提を大きく揺るがすものなのかもしれない。

 

 それでも、俺は目にしたいのだ。

 

 俺が桜を選んだ。その先に続くであろう世界をどうしても目にしたい。

 

 あの時、俺の事を友と呼んでくれた騎士王が口にしていたように、俺もそれを目にしたいのだ。

 だから宣言の代わりに、俺はこう口にする。

 

「あぁ、俺は苦しんでやるさ。そのための、そのための俺の道だ」

 

 胸ぐらを掴む手を振りほどく事もせず、ただ正面からアヴェンジャーを見据え、言葉を続ける。

そこに今までのような困惑も、怯えもない。ただ淡々と思い出すように、懐かしむように目の前に広がる風景を見ながら言葉にしていく。

 

 あぁ、幾千万もの自分自身の亡骸と、今まさにその生を終えようとしている英霊だった頃の自分自身。

 明確に何が違うかは俺自身も分からない。

きっと俺より上手くやれた奴もいたはずだ。きっと俺とは全く違う方法で強くなろうとした者もいたはずだ。

 でもそれら全員が此処に生きたまま至る事は出来なかった。

 それらと自分自身を対比し、俺は自分でも驚くほどに冷静に言葉にする事が出来た。

 

「気付けよ、復讐者(アヴェンジャー)。俺は、今までの、繰り返しを続けてきた俺じゃない。いや、そいつらがいたから俺は気付けた」

「何言って……」

「確かにこの繰り返しは俺が望んだものだったんだろうな。居心地の良いまどろみの中でいつまでも、いつまでだって戦っていたかったんだから」

「あぁ、それがお前だよ、俺が見続けてきたエミヤシロウだ」

 

 そう。それが最初に選んだ俺たちの生き方だった。

 

 

「でもお前は、変わろうとしている」

「そうだ……俺は、変えたいんだよ」

 

 ようやくアヴェンジャーが、俺たちを見続けてきた男がそれを認めた。

「それでも悲劇は変わらねぇ! 貴様はずっとこのまんまだ!」

「確かに……変わらないままモノだって確かにある。なぁ、いい加減目を逸らすなよ」

「あぁ、何言って……」

 

 ゆっくりと俺はそれが映し出される方を指差し、こう呟く。

 

「見えるだろ、復讐者(アヴェンジャー)。目の前に広がる光景がよ」

 

 それはついさっきアヴェンジャーが嘲笑ったアーチャーの戦う姿だった。

 

 

ーinterludeー

 

 

取り残された少女はただ呆然と男の消え去った虚空を眺め、途切れ途切れにこう言葉を紡ぐ。

 

「飲み込んじゃった。消えちゃった……居なくなっちゃった」

 

 一瞬、彼女の心が満たされた。

 

 『愛している』

 

 ずっと欲しかったその言葉を聞くことが出来たのだ。

 しかし満たされたはずの心は、その響きが反響していくと同時に不安という影に染められていく。

 

 不安なのは嫌だ。

 こんなことを感じさせられるのであれば、そんな言葉は聞きたくなかった。

 なら、このまま変わらなくてもいい。

 

 その考えが頭をよぎった瞬間、彼女は自ら抱える闇に思い人を喰わせていた。

 

 しかし少女はその後に自らを苛むであろう後悔について、何も思慮を巡らせていなかったのだ。

 カタカタと身体を震わせながら少女はそう呟いていた。

 否、彼女も理解しているのだ。自らが犯してしまった罪が取り返しのつかないモノだと。

 

「ねぇなんで? 兄さんも殺して、お爺様も殺して、邪魔なものも綺麗に消しとばしたのに……わたしを止めるものなんて何もないのに……なんで傍にいてくれないの?」

 

 そしていつもの、お決まりの言い訳を口にする。

 

「邪魔なものがいなくなれば、あとはハッピーエンドが待ってるはずだったのに」

 

 そもそも彼女の根幹にあるものは『依存の対象であるエミヤシロウを守るという願望』を成就させることであった。だからこそ自らを呪いのように縛り付ける間桐の家に連なる者たちを殺し尽くし、そして姉とその従者を黙らせた。

 

 そして自らの意にそぐわないモノを全て消し尽くして彼女はそうなってしまった。

 

「何も、なくなっちゃった」

 

 そう。言葉通り、彼女はこの荒野の中孤独になってしまった。それは彼女の望んでいた平穏とは程遠く、彼女の心を更に苛んでいった。

 

「ーーなんで! ねぇなんでなんです! わたしが一体何をしたって言うんです! なんでわたしだけこんなに孤独で……」

 

 ただ彼女はようやく、全ての近しい者を打ち倒して初めて涙を流した。これは彼女にとって思いもしない経験だったのであろう。

 

 彼女自身が口にしていたではないか。

 『自分は強くなった』

 そう声高に叫んでいたではないか。

 

 その身を闇に染め、強大な力を手にすれば自分を揺り動かすモノなどありはしないのだと彼女は思い込もうとしていた。

 しかしそうであるならば、何故今間桐桜は涙を流しているのか。何故打ち震えているのだろうか。

 

 彼女が最も恐れていたものは『孤独』に他ならなかった。

 他者からの干渉を、傷付けられることを恐れていたはずだった彼女がその実他者が存在しなくては自身を確固たるものとして認識することが出来ない。

だからこそ彼女はこの状況に怯えてしまっているのだ。

 

 そして彼女の困惑に呼応するように闇が、今までにないほどに激しく動き始める。

 

「こんな世界なら……こんなにも一人なら……もう!」

 

 そして後数滴の落涙の後には、きっと何も残るものもないほどに彼女は全てを壊し尽くす。この言葉がその荒野に響く最後の音になるはずであった。

 

「なにーーふざけた事、言ってんのよ……」

 

 しかしその受け取り手のいないはずの嘆きに、答える者がいた。

 

 

「ーー全部消したのは、アンタじゃない。今更何言ってんのよ、アンタって子は」

 

 フラフラと頼りない足取りのまま苦しそうに笑顔を浮かべ、少女は呟く。

 

「……ねぇ、さん?」

 戦慄いていた闇がパタリと動きを止める。刹那、彼女と声の主の間に強い風が吹き荒れ、砂埃を巻き上げる。

その風を見に受ける姿は、彼女が旨とする優雅さとはかけ離れている。

 しかしその姿は彼女の持つ名の通り凛とし、そして堂々としたものであった。

 そう。一度は地に伏したはずの遠坂凛が再びその場に立ちはだかったのだ。

 

「……ッ、あ〜痛いわ。本当に痛い。本当、泣き叫んじゃいたいくらい痛いわ」

 

 その言葉が示す通り、彼女が致命傷を負っているという事は、身に纏う赤をより深い朱に染めてしまっている事から明らかであろう。

 そして凛のその姿は、呆然としていた桜の苛立たせるものに他ならなかった。

 

「先輩も居なくなっちゃったんですよ? 今更何をしようってゆうんですか?」

 

 その言葉の裏に、再び立ち上がった凛に対する苛立ちを露わにさせながら桜は厳しい視線を向け、彼女の周囲を取り巻く闇はその激しさを増していく。

 

「何遍言わせるつもりなのよ……」

 疲れた笑顔を浮かべてもなお、凛は臆する事なく桜を見つめ続ける。

 だが凛は気付いているのだろうか。自分の一挙一動が桜を更に苛立たせているという事を。

 

「そんなにわたしを虐めたいんですか」

 桜自身も意識しないままに、その言葉が彼女の口から零れ落ちていた。

 

 そう、思い知らされてしまうのだ。

 自分自身がみじめな存在で、後ろ暗い思いを抱えて、そしてどうしようもないほどに汚れきってしまっていると。血の繋がった自らの姉というあまりにまばゆい光は、自らの抱える闇をより濃く映し出しているのだと。

 

 しかし遠坂凛はその言葉すらのみ込んで、そして彼女の抱える後ろ暗ささえ受け止めた上でこう言葉を返した。

 

「何、言ってんのよ……可愛い妹が間違おうとしてるのよ? お姉ちゃんなら死ぬ思いをしてでも……死にかけてでも頑張るってもんが普通でしょうが」

「なにを、何を今更!」

 

 真っ直ぐに語りかけられた言葉を打って返すように、否斬り返すように桜の狂気が凛に向け打ち出される。

 音はない。

 ただそこにあるのが当たり前のように影が凛の懐を貫かんと、その場に治らんと伸びていく。

 それは破滅を意味する黒。

 何もかもを喰らい尽くす黒。

 それに捕らえられれば最後、何もかもが掻き消えてしまう。

 もはや血塗れの凛にそれを止める術などありはしない。

 

「だから、そんなんじゃ終わらないわよ」

 

 きっとそれは強がりだろう。満身創痍のその身体では魔術を繰る事も、避ける事すら出来ないというのに。

 しかし遠坂凛は穏やかな表情を見せる。焦りなどは何もなく、ただ迫る黒をただ見つめる。

 

 ただ彼女には確信があった。 

 ただ、自らの背後から銀の旋風が駆け抜けていくという確信があった。

 

「ーーッ! はあああああぁぁぁ!」

 一閃、そのつん裂く響きと共に凛に迫る影を両断する銀の軌跡。

 黄金に輝く聖剣を横薙ぎに振るい、倒れ伏していたはずの騎士王が再び闇の前に立ちはだかる。

 

 そして彼女自身も肩で息をしながら、間桐桜を見据えた。

 

「……貴女まで!」

 自らの影が斬り捨てられた事に動揺を隠せないままに、声を上げる桜。

 

「セイバー!」

「リン、私は貴女の剣! ならば私が貴女を守る事は当然の事だ!」

 視線を交わすことなく、やりとりを続ける二人。否、振り返る余裕すらないのだ。

 確信しているのだ。今、桜から意識を逸らしたが最後、自分たちは二度と立ち上がることは出来ないということを。

 

「……うるさい、うるさいうるさい! 何が姉ですか、剣ですか! 先輩がいなくなったのに、何を言っても何にも変わらない! それなのに貴女たちは一体何言ってるんですか!」

 

 満身創痍のはずだ。二人の姿はまさにそれを体現しているはずであるのに、自分の方が優位であるはずなのに、間桐桜は焦っていた。

 何故まだ立つことが出来る?

 何故逃げ出さない?

 何故……そんなに勇敢な顔をしている?

 

 だから彼女は叫んだ。

 自らの怒号が耳に届けば、きっと二人は怯むはずなのだ。

 自分の影に触れさえすれば、再び動くことをやめるはずなのだ。

 

「何を言っているのですか、桜?」

「何言ってんのよ、アンタ!」

 

 しかし彼女たちは怯むことも、怯えることもなく、ただ当たり前のようにこう呟く。

 

 満身創痍であることは変わらない。

 だが彼女たちにはもう一つ、確信できるものがあったのだ。

 

「消えたなんて、何処までアンタの目は節穴なのよ」

「そうだ、今は待っているだけだ……ッ!」

「だから何を!」

「そう、彼は、我が友は……!」

 

 銀の風が疾走する。

「暗闇すら掻き消す、この光を待っている!」

 

 その手に携えるかの聖剣もなく、ただそれを収めるための『鞘』をその手に顕しながら。

 

 

 

 

 場面は移り変わり、愚か者の懺悔は続く。

「そうだ。俺は決別した。いや……アレを返して、あいつの友人になれた」

 闇の中、アヴェンジャーとエミヤシロウは外で繰り広げられるその戦いを見守りながらそう呟いた。

 この戦いに至る直前、騎士王に友と認められた時、彼は焦がれていた彼女との決別と新たな関係を結ぶため、その身に宿した物を還した。

 その事実をアヴェンジャーはきっと知らなかったのだろう。否、きっと瑣末ごとであると気にも留めなかったのだろ。

 

「おい、話し進めんなよ!」

 シロウの言葉を受け止め続けるアヴェンジャーは苛立ちを露わにする。最早彼らが作った筋書き通りの物語は動いてはいない。

 

 ただエミヤシロウはジッと三人の少女が戦う姿を見据え、こう呟いた。

 

「……あぁ、呼んでる」

 

 それはアヴェンジャーの望んでいない言葉。

 そう。アヴェンジャーとエミヤシロウの邂逅は終局を迎えつつあった。

 

 

 

 

 

 そしてもう一つ、終わりつつある戦いがあった。

 

 

 言峰の手から放たれた悪意という名の禍々しい泥は確かにアーチャーの身体を覆い尽くし、全てを闇に染め尽くしたはずであった。

 

 しかし言峰綺礼は知りはせず……そして理解していなかった。

 

 目の前で闇に呑まれた英霊エミヤという男が、間桐桜と契約を結んでいるという事実を。

 かつての聖杯戦争の中で、衛宮士郎という男が悪意を受けてもなお、言峰綺礼を打倒せんと突き進んだ事実を。

 

「あぁ、待っていた。それに頼る瞬間を……貴様がそれをオレに使う瞬間を!」

「……な!」

「……投影・開始(トレース・オン)」

 

 静かに、泥に呑まれたはずの男の疾走が始まる。

 肌に纏まりつく泥を引き剥がしながら、その形相はまさに鬼神といっても過言ではない。

 

 その手に顕したものはただのガラクタ。

 切っ先があり、ただ突き刺すためのなんの優美さも感じられることのないただのガラクタであった。

 

 しかしそれで十分ではないか。

 勝利を得たと確信しきっ言峰を打倒するには十分ではないか。

 

「き、さま、何を!」

 黒の神父服に深々と突き刺さる切っ先とエミヤの表情を目にしながら、呆然とそう呟く言峰。

 

「オレは、オレは何も変わっていない。変わりはしない!」

 

 世界に見限られ、それでもなお正義という理想に殉じた男の声が呟く。

 

「正義の味方であり続ける!」

 あまりに長い道のりを経て、ようやく彼は歩む道を認める事が出来た。

 

 ならば彼にとって、エミヤにとって為すべきは一つ。

 

「間違いではないと、気づいたのだ! オレは……」

 

 かつて。そして今まで行ってきた事と変わらない。ただ自分の信じた道を進み続ける。

 

「アイツはオレと違う方向に進んでいく……だからオレも足を止めたりはしない」

 

 今はただ、目の前の巨悪を断罪しろ。

 そう、そう彼の最後に見出した光が告げていたのだ。

 

 それだけ血に濡れようと、それを吐き出そうと為すべきは一つなのだ。

 

「これが貴様と、オレの終着点だ、言峰!」

 

 

 

 

「そうだよな。俺たちはずっと前だけを見て歩いてきたんだよな」

 闇の中に映るその光景を目にし、穏やかな笑顔を浮かべシロウはそう呟く。

 

「なら俺だって止まったりしないさ。俺も、桜を救いに行く」

「何言ってんだ、そんなの……!」

 

 ゆっくりと一歩踏み出し、その手にかの鞘を顕す。

 振り向いた顔はただ優しく、穏やかにこう呟いた。

 

「この光の先に、俺のお姫様がいるんだから」

 

 そして眩い光が暗闇に満ち、一筋の道が示される。

 

 本来の決別の道を、ようやくエミヤシロウは歩み始めた。

 

ーinterlude outー

 

 

「おいおい、なんだよそれ……」

 視力を奪うほどの光は一瞬のうちに消え失せ、後にはただ数多くの亡骸と墓守が一人残される。

 

「これで出番終了ってか。ハハハ……ふざけんじゃねぇ……ふざけんじゃねぇよ、エミヤシロウ!」

 

 それは一人取り残された、変わることを許されない男の叫びであった。

 今まではそれで良かったのだ。悠久とも思えるほどの永い時を過ごしていても、決して彼は一人であるという感覚を覚えなかったのだから。

 視線の先には必ず泣き叫ぶ一人の男がいた。間違いばかりを選び続け、そして最後には悲痛な死が待っている男が。

 

 そう。彼は安堵していた。

 変わらないのは自分一人ではない。かつて契約した通り、エミヤシロウは悲惨な最期を迎え続けてくれている事実に。

 

 そして知らず識らずのうちに彼自身が、エミヤシロウに近しい感情を抱いていたということは言うまでもないだろう。

 だからこそこの状況を彼は、アヴェンジャーは許すことは出来なかった。

 変わらないはずの男が、道筋とは違う方向に進み始めた。

 大事にしていたはずのモノが変わってしまった。

 違う答えを見つけてしまったのだ。

 

 その事実をアヴェンジャーが、同じ刻を経験してきた者が許せるはずもなかった。

 しかしそんなことを言っても、この場から出て行ってしまった男のことをとやかく言おうが何も始まらない。

 

 アヴェンジャーは深く溜息をつき、画面に映し出される無様な最期を遂げたであろう男たちの戦いの様子を眺める。

 

「あ〜でも良いさ。アイツは、アーチャーだけは惨めに死んでくれる。器も救えずに死んじまう。結局悲劇の結末しかねぇ……あ?」

 不満に満ちた声が零れ落ちる。

 それはこれまでの繰り返しの中では一切見ることのなかった一幕。

 そう。単にエミヤシロウたちの経験した聖杯戦争の中では決して経験できることのないはずの場面だったのである。

 

 倒れ伏す二人の男。磔にされた少女の器を満たす悪意はついに溢れ出し、街は厄災に見舞われる。

 本来であればそうなるはずの場面に、彼女は現れた。

 ただ彼女は赤い髪を靡かせ、倒れ伏す二人の男を見つめながら胸に溜めた紫煙をゆっくりと吐き出す。

 

 しかしその視線はすぐに宙に磔となった白の聖女に向かう。今まさに成ろうとしている歪んだ願望器を眼前に、魔術師の本能が揺さぶられたのであろう。

だが数瞬少女の姿を見据えた後、視線はすぐに男たちの方に戻された。

 

 そう。彼女にとって、目の前の願望器を構築する術は自らが『 』へと至らんとした道とは全く異なるものだったのだ。

 だからこそ興味をそそられたとしても執着することはない。

 そもそもこの場にやってきた理由は、単に自らの弟子の様子を見に来ただけに過ぎないのだから。

 

 その場に現れた人物は数時間前、確かにエミヤシロウに告げていた。

この地にやってくると、ただその顔を見に行くだけだと。

 

「なんだ、なんだよお前? 俺たちの筋書きに入ってくんなよ……なんだよ、なんだってんだよ! お前は!」

 

 その怒号を受け取るものは誰もいない。ただその慟哭だけがむなしく、エミヤシロウたちの亡骸の積み上げられた丘に響き渡った。

 

 そう。彼らの紡ぐ物語の中で、真の意味でイレギュラーと呼ぶべき人物がついに現れたのだ。

 

 

 

 

「……なんだよ。随分と老けたじゃないか、シロウ?」

 

 

 



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魔術師の夜 Ⅴ

ーinterludeー

 

 

 最後に視界に焼きついたのは、心の底から憎悪した男の絶望した表情。

 きっと今の自分では打ち倒すことは叶わないと思っていた、自らが最初に悪と認識した男をこの手で葬りさった。

 

 ならばもう自分には思い残すことなどありはしない。

 

 後は静かに意識を閉じ、何も感じることのない真白の世界に舞い戻るだけだ。

 

 しかし、何故だ……。

 そう納得しているはずなのに、意識は閉じていこうとしない。

 致命傷を受け、最早魔力も枯渇しているはずであるのに……何かが現世にこの身を縛り付けている。

 

 いや、考えなくても分かっていた。自分の心を苛むモノが。

 

 瞼の裏に焼きついた、いつも守れなかった少女の苦しそうな寝顔。

 自分が裏切ってしまった少女の絶望した表情。

 

 イリヤと、そして遠坂のあの表情がわだかまりとして心に残り続けていたのだ。

 

 それらがオレを終わらせない。終わらせることを許してくれない。

 あぁ、こんな後悔……なんと幸福なことなのだろうか。そしてなんて残酷なことなんだろうか。

 

 結局、心に抱いた思いの何もかもを果たすこともなくオレは……『私』に還ってしまうのか。

 

「シロウ……いつまでそうしているつもりだ」

 

 不意に、閉じ行く世界の中で寒々とした声が鼓膜を揺らした。

 しかし虚ろに開かれた瞳が、その人物の像をはっきりと映し出すことはない。ただなぜか嗅覚だけはしっかりと声の主の咥える安物の煙草の紫煙を嗅ぎ分けていた。

 どこか懐かしい……いや、そんなはずはないのにそう思えてしまった。

 

「……誰だ」

「あぁ、そうか。貴様は私を知らないんだったな。いや、気にするな。ただ貴様と同じ馬鹿者を知っているというだけだ」

 

 声の主はこちらをじっくりと見て自らの中で何かを納得したのだろう。

 オレ自身も納得出来たのだ。彼女が『同じ馬鹿者』と吐き捨てた人物が、アイツであるということを。そしてアイツがあそこまで完成に近付くことが出来た理由は、この人物にあるのだということを。

 

 あぁ、それならば……アイツをあの段階まで導いたこの人物ならば……その言葉が頭を過ぎった瞬間、この言葉が口を吐いた。

 

「……誰でもいい……ッ」

 

 しかしその後に続くはずの言葉が喉元に痞え、音になることがない。

 

 自分の中に枷がある。あの理想を心に描いた瞬間に、固く閉ざされてしまった歪んでしまい解くことの出来ない枷が。

 歪んでしまっているということを少なからず理解している。しかしそれこそ自分の軸として在り続けたものだ。そしてそれを否定してしまった瞬間、積み上げてきたもの全てが瓦解するということも理解できていた。

 

 

「つまらん顔をするな。全く、貴様の思い悩む顔は奴と同じで不快にすら感じる。どれだけ歳をくっても変わらんとは。本当に下らない……つまらない男だ」

 

 見透かされている。しかし声の主も、気付いたその事実について言及することはない。

 そうか。見透かされているのであれば何も強がる必要などない。

 

「……そうだな、つまらないさ」

 

 最期の時まで取り繕う必要はない。そう思えた瞬間、口は動き始めていた。

 

「……何もできない、何も救えない、誰も……出来ることなど、目の前のモノを壊し尽くすことくらいだ……」

 

 口を吐いたのはこれまでの贖罪だった。

 飲み込み続けた嘆きだった。

 

 こんなことを口にしても決して意味はないと、ただそれでも多くの人を救いたいと望み続けて目を逸らし続けた思い。それでも自らが救うことが出来ない命を目の当たりにした時、必ずと言っていいほどに重く立ち込めていた感情だ。

 

 格好悪いことこの上ないではないか。それなのに、堰を切ったように言葉は止まらない。この後に返される言葉だって、既に分かっているのに。

 

 

「いつまでそう嘆くんだ?」

 

 あぁ、分かっていた。むしろそう言われたいがために言葉を選んだ。

 

 

「……」

 

 

 それでも返す言葉が出てこない。

 

「いつまでそうやって自らの愚かさに打ちひしがれるつもりだ。私の知るお前なら、泣き言を口にした後ですぐに立ち上がり前に進む。そうできる術を教え……いや、思い出させたはずだぞ」

 

 あぁ、こんな風に言ってもらえるなんて……アイツはこんなにも恵まれていたのか。オレでは見つけることの出来なかったやり方で、孤独にすらなることなく多くの人に支えられて……なんて羨ましいことなのだろう。

 

「自分の手では救えなかった。しかしお前がなした行いの結果の果てに、救われた者は確かにいる」

「でも……それでも」

「自分が救えなかったから、それでお終いなのか?」

「オレが、救わなきゃ……」

 

 その瞬間、気が付いたのだ。

 これがエミヤシロウが抱え続けた本当の闇だった。

 

「ーーハ、ハハハハ! 何を言い出すかと思ったら。なるほど、貴様はそんなにも傲慢な男だったのか」

「……何を」

「なぜその果てを観ようとしない。なぜ人に頼らない?」

「それは、オレが……」

「『正義の味方に成り果てたからこそ……自分自身の手で救わなければ、意味がない』とでもいうのかね? 自分が救えなかった物以外にはなんの価値もないとでも言いたいのかね?」

 

 本当に、この人はオレの……オレたちのことを見透かしているのだ。

 

 そう。『正義の味方』になるという理想は、知らず識らずの内に、『自分自身が救わなくては意味がない』という曲解に塗り固められていた。

 ただそれでも何かを救いたくて、多くの命を救いたくて走り続けてきた。自らの傲慢さをひた隠しにしながら。

 

「それが、その傲慢さがお前の……至っても尚残るお前の弱さだよ」

「……」

「まったく……呆れるのを通り越して笑ってしまう」

 

 そうだろうな、オレですら呆れ果てているんだ。

 この傲慢さに。それでも誇りに思いたいのだ。それを飲み込みながら走り続けて、オレの立っている地平よりもさらに遠くへと脚を進めようとするアイツに。

 

 あぁ、なんだ。既に認めていたのか。

 相対している時には、刃を交えている時には憎悪しか感じることの出来なかった今の『エミヤシロウ』をオレは許してしまっている。誇らしく思ってしまっている。

 今のアイツならば、桜を救うことが出来る。そう信じることが出来てしまっている。

 

「それでも、まぁなんだ……こんな所まで来てしまった私も相当呆れ果てた女だがね」

 

 苦笑しながら、彼女は何本目かの煙草に火を灯しながらそう呟いた。

 そうしてきっと視線を今にも溢れださんとしている聖杯の器に移し、思いふける仕草を見せる。

 魔術師ならばこの光景に何かを感じずにはいられないだろう。ただあまりに禍々しく鈍いその光に嫌悪以外の感情を持たなければの話だが。

 

 しかしうっすらと映った彼女の表情は、何の色にも染まってはいなかった。

 嫌悪もなく、興味すらない。

 今にも成ろうとしている願望器のその様を、事象として捉えている。読み取れたのはただそれだけの事だった。

 

 そして肺に満たされた紫煙をゆっくりと吐き出しながら静かにこう呟いたのだ。

 

「なぁ、今のお前の望みはなんだ? 世界に裏切られて、この世全ての悪意に呑まれても尚、今のお前が勝ち取りたかったものはなんだ?」

「オレの、望み……」

「こんな所にまで来たついでだ……叶えてやらんこともないと言っている」

 

 聖杯にあてられてしまったのか。素直にそう思えた。

 しかし目を凝らして見た彼女の表情は先ほどまでと何も変わっていない、冷静なものであった。

 

「オレは……オレは、望んでいいのか? 傲慢に振舞って独りよがりに願いを叶えたオレが、また願っていいのか?」

 言葉が詰まる。

 自らの望みなど、自身の手で叶えなければ意味がないと思っていたのに口にしてしまっていいのか。

 

 いや、いいんだ。

 その弱さと認める事が出来なければ、きっと今までのまま何も変わらない。 

「そんなものは知らんさ。ただ、それが面倒でなければ……私がついでにやってやろうというのだ。まぁ対価はいくらあっても足りんだろうが」

「……は、ハハハ。ひどい、女だ」

「ほぉ、とうの昔に理解している思っていたが?」

 

 どこまでも皮肉を口にする人だ。しかしそれが今はあまりにありがたい。

 だからオレは口にすることができるのだ。

 何も飾ることもなく見栄をはる必要もなく、オレが叶えることの出来なかった願いを。

 

「ーー救いたい。救ってくれ……イリヤを……その少女を」

 

 オレに何の対価が払えるのかは分からない。しかしそれは絶望の中、世界と契約したあの時のような自己犠牲ではない。

 

「ほぉ、この器をかね。しかし今ここから引き摺り下ろしても……」

「それでも、アンタならどうにか出来るんじゃないのか?」

「……言ってくれるな」

 

 そう。不思議とその確信だけは、彼女を目にした時からあったのだ。

 オレたちが夢に見た、戦いのない日向の元でイリヤが笑う事のできる状況を創り出してくれるのではないかという確信が。

 そしてこの表情を見れば、それはより強固なものになった。

 

「しかし、そこまで言われて出来ないなどと言えるわけがないだろう」

 

 ニヤリと意地悪な口元から紡がれた言葉。あぁ、これで一つの心残りは解消された。

 

「あぁ……ならばオレは……」

 

 

「あぁ、消え去るまで走り続けるがいいさ。それがエミヤシロウの生き方だろう」

 

 

 保って後数十分。オレは再び悪あがきを、最後の心残りを果たすために立ち上がった。

 

 最後の望みを果たさんがために。

 

 

ーinterlude outー

 

 



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二人の約束

 

 視界を煩く塗り潰す黒が掻き消える。

 永久に続くと思っていた、まるで牢獄のような闇。しかし外に出てみれば何てことはなかった。

 ただ、状況は何も変わっていない。

 焼け焦げた荒野には満身創痍な二人の友人。そしてそれを見下ろすこの世全ての悪を裡に宿した、自分の大事な人。

 

 相変わらずの満身創痍。相変わらずの絶対絶命。

 しかしそんな言葉も軽く吹き飛んでしまうほどに、俺の気持ちは昂ぶっていた。

 言うまでもない、再び彼女の姿を見ることが出来たのだから。

 そうして気が付く。エミヤシロウはどうしようもないほどに、間桐桜という少女に骨抜きにされてしまっていたのだということを。

 

「せん、ぱい……」

 

 闇から這い出るように現れた俺に、間抜けな声をあげる桜。

 きっと考えすらしていなかったのだろう、自分の影が喰らったはずの人間がこんな風に姿を現すなんて。

 冷静になって考えてみれば、確かに不可解な話だ。本来桜の影に飲み込まれるということは存在すべてを、彼女の養分にされることと同義であるはずなのに、俺は再び形を保ってその場に現れたのだ。

 本当にご都合主義にもほどがあるなと心の中で自嘲しながらも、惚けた顔を見せる彼女に俺はいつも通りの調子で言葉を返す。

 

「なん……よ、ーーんな顔すんなよ」

 思いだけは逸っているのに、言葉が上手く音にならない。

 あぁ、そんな体たらくだから彼女を不安にさせるのだ。

 こんな言葉が最初に口を吐くから、こんな表情をさせてしまうのだ。

 

「やっぱりわたしのこと……嫌いなんですね? だからわたしの中にいてくれないんだ! わたしと一つになってくれないんだ!」

 それは視界が闇に染まる前に目の当たりにしていた、憎悪と失望に塗れた表情。

 闇に消えてしまう前、これが心残りだった。彼女にこんな表情をさせてしまった自分自身が歯がゆかった。

 

 しかし、そんなことで思い悩むことはもうしない。

 

「だから……何度も言わせんなよ」

 

 これまでのツケを支払わなければならない。桜を蔑ろにし続けた俺ができる最初の贖罪がそれであるはずだから。

少し離れた場所で蹲るセイバーも俺の考えを理解してくれているのだろう。何も語ることなく、ただこちらに視線を送るだけであった。

 

「俺はお前のために来た。俺は桜のために此処にいる」

「そんなの! そんなの信じられる訳ないじゃないですか!」

「そう、だな……お前の言う通りだ」

 

 桜の言葉通りだ。俺が吐いた言葉なんて、彼女が信じられるはずがない。

 

「きっと俺のことなんて、信じられないだろうな……俺だってそうだったよ。なんでこんな風になっちまったかなんて、分かんねぇんだ」

 

 自分を振り返る。

 これまで選んできた物、放棄した物。自らの意思で得た物と捨ててきた物。そうしてわかってきたのだ。俺はあまりに大きく、筋書きから外れすぎてしまっていると。

 それこそあの時、暗闇の中でアヴェンジャーに、この世全ての悪(アンリ・マユ)に指摘された通りなのだ。

 

 だからそんなにも苦しんでいるのだと。

 だから無様に泣き叫んでいるのだと。

 

 全く、アイツの言う通りだった。しかし筋書きから外れてでも手に入れたいモノがあるエミヤシロウにとって、アイツに言われたことなど瑣末ごとに過ぎない。

 本当に、本当にそう思っているのだ。

 

「理由なんてないんだ。ただお前じゃなきゃ……桜じゃないといけないんだよ」

 しかし口からこぼれ落ちたのはそんな安っぽい言葉。

 こんなことを言いたい訳ではなかったのだ。それこそどんな結末になるか理解できているはずなのに。

 

「なんですか……何なんですか、それ?」

 ワナワナと身体を震わせながら、より一層鋭い目つきで俺を見やる桜。それに呼応するように先ほど俺を喰らった影が戦慄く。

 何故分からなかったのか。否、分かっていてもなお俺は桜にそんな、無責任な言葉を叩きつけることが出来るのか。

 それでも、きっと言わなくてはならないことだったのだと今なら理解出来る。自分を正当化するつもりはないが、桜の考えの全てをするには必要なことのはずだから。

 

 彼女が口を開く。

 今まで知ろうともしていなかった『間桐桜』の真実を、俺はようやく知る機会と覚悟を得たのだから。

 

 刹那、騒がしく蠢いていた桜を取り巻く影が動きを止めた。

 

「ずっと貴方を見続けて、好きになって……貴方が違う誰かを、セイバーさんを好きなんだって思い知らされて……」

 

 静かに、その告白は始まった。

 桜から見たエミヤシロウの全てが、その短い言葉全てに凝縮されているようにすら感じられる。

 桜にとって、いや……誰から見てもその通りなのだろう。

 

「それでも良いって、良いって思っていたんです。わたしにとって先輩の側にいることができればそれが良いって……でも……それじゃダメなんです。我慢できないんです」

 

 それは一体いつのからなのか。

 桜が間桐の名を得た時からなのか。否、そんな最初の内からではない。

 毎朝俺の家に来てくれるようになった頃からだろうか。否、その頃でもない。

 聖杯戦争が始まろうとしていた、道場で二人になった時か。否、その日でもない。

 

 それはきっと、あの日……俺とイリヤが二度目の対峙を果たしたあの時。俺が桜を聖杯戦争から遠ざけようとしたあの時からだ。

 

「……」

 あの瞬間の桜の表情を思い出せば、今の彼女の状態になる事くらい想像に容易い。

 だからぐっと口を噤んだ。

 

「貴方の一番になれなくても良かった……でも貴方の心の中にはセイバーさんがいて、わたしのことなんて見てもくれなくて……」

 

 泣いている。

 ただそれが悔しくて、救われなくて泣いているのだ。

 

 彼女にとっての救いの光は……エミヤシロウという存在は、簡単に彼女を深い闇の底に突き落としていた。

 

「あんなに暗くて、汚くて、厭らしい蟲蔵に押し込められて……毎日死にそうだった。死にたかった。でも、そんなの怖くて、誰にも見つからずに居なくなるなんて厭だった。誰も……姉さんだってわたしの事を救いに来てはくれなかったのに……ねぇ先輩、貴方だけだったんです。わたしを正面から見てくれたのは……間桐でも、遠坂でもない。ただの『桜』としてわたしを見てくれたのは、貴方が初めてだった。なのに……少しだけでいいって言ったのに、貴方はわたしを遠ざけた」

 

 そうか、これは懇願だったのだ。

 そして思いがけず、彼女はそれを見つけてしまったんだ。出口のなかったはずの、自分の人生が潰えるまで永遠に続くはずだった暗闇を照らす灯りを彼女は見つけてしまった。

 きっと受け入れられると考えたのだろう。

 事実、俺は桜に対して何もいう事はなかった。ただ彼女の好きなように、考える通りにすればいいと、そう考えていたのだから。

 

 その時の俺にはそれが最善なのだと思えていたのだから。

 

「わたしを見てくれない先輩の事、嫌いです……あれ……何で? わたし先輩のこと、好きなはずなのに……」

 

 不意に、吐き出した言葉に違和感を覚えたのか。

 感情を映さなかった彼女の瞳に、困惑の色が滲む。

 

「……ッ、違う! わたしはただ安心したかっただけなんだ。貴方が好きなわたしがいるって、わたしはちゃんと人として大事なモノを失っていないって思いたかっただけなんだ……ハハハ、何だろ、一体、わたしどうしちゃんたんだろう……」

 

 声を荒げる。しかしその響きに彼女の影は応えない。これまで彼女の一挙に対し大きく揺さぶられていたそれらは完全に沈黙を保ったまま。

 あぁ、そうだ……きっとそうだったのだ。

 

「ねぇ、先輩……わたし、こんなに汚い女なんです。壊れてしまっているんです。こんなわたしでも好きだって、愛してるって言ってくれるんですか?」

 

 そしてその言葉を耳にし、俺はようやく理解した。

 桜は桜だ。この世全ての悪(アンリ・マユ)に飲み込まれていようと、そんなことは関係ない。

 俺が愛した間桐桜は、彼女の根の部分は何も変わっていない。

 彼女が口にする『穢れ』も『暗い感情』も一括りにして、俺は胸を張って言うことが出来る。

 

 エミヤシロウは、間桐桜を愛していると。

 

「……あぁ、ここまで言わせちまうなんて」

「何を、言ってるんですか?」

 

 あとは最後の覚悟と、そして言葉を口にするだけだ。

「あぁ、全部お前の言う通りだよ、桜」

「なーーーーーー」

 

 簡単だった。ただ抱き締めた。

 俺の言葉に困惑する彼女の背中に腕を回し、ただ抱き寄せるだけ。

 抱き締めると言えるほど、もう腕には力は入らないけれど。

 

「ーーッ、離して! 離してください……離せ!」

「いや、絶対離してやらない」

「……意地悪、しないで!」

 その言葉にも、そして身体にも力強さはない。

 年相応の、ひ弱な少女の力では、きっと振りほどくことが出来ない。

 あぁ、意地悪だよ。

 桜が俺を振りほどけないと分かっているのだから。

 

 どんなに弱々しくても、もう心に決めてしまっているのだ。

 この子をもう、離さないと……そう決めているんだ。

 

「どんなお前でも受け入れてやる。お前が悪い奴で、間違ったら怒ってやる。泣きそうだったら慰めてやる」

「でも、わたしは」

 

 耳に届く声が潤んでいる。また泣いてしまっている。

 あぁ、また後悔がつのる。

 その涙の意味を、俺はとうに理解しているのに。

 

「こんなにも汚れていて、血に塗れているのに……良いんですか?」

 

 そう。自分を責めることでしか涙を流せない彼女を、俺は理解しているはずなのに。

 だから抱き締める腕を強く、離れないように強く。

 遅すぎた俺に出来ることはそれしかない。

 

「何があっても俺が守るよ。お前を傷付けるモノから……全部からお前のことを守る」

 

 薄っぺらい決意の言葉。

 それでも、俺の精一杯の言葉。

 それでも、桜のためにだけの言葉。

 

「なんて……なんて都合の良い人……」

「あぁ、言い訳も出来ねぇ」

「そんな先輩、大嫌いなのに……」

 

 言葉に、そして身体に熱が籠る。

 

「ーー良いんですか?」

 少し腕の力を緩め、彼女の表情を見やる。

 目尻に光の雫を湛えながら、彼女が浮かべたのはいつもの表情。

 朝、土蔵まで俺を起こしに来てくれる時に浮かべる、少しお節介やきな優しい笑顔。

 

 きっと、俺はずっとこれが欲しかった。

 この『日常』が何よりも大事だった。

 

「だから言ってるだろ。全部受け止めてやる」

「……せん、ぱい……」

 

 

 戻ってきた。素直にそう思えた。しかしまだ完全ではない。

 

「だからさ、ちょっとお休みだ。少し痛いけど……次、目を覚ましたら……ゆっくり話そう」

「せんぱい……ッ」

 俺の血で汚してしまわないように彼女の頬を張る。

 甲高い音とともに青白い肌に赤が差し、ガクンとその体躯がその場に倒れこんでしまう。

 緊張の糸が遂に切れてしまったんだろう。横たわる彼女が浮かべた表情には安堵の色が見て取れた。

 

 そうだ。ただ叱りつけて、ポカリと叩いてやるだけでよかったんだ。

 

 こんなに簡単なことだったのに……随分と遠回りをして、ようやく俺たちは同じになることが出来た。

 

 俺の聖杯戦争が、この時ようやく終わりを告げた。

 

 



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戦いの末

ーinterludeー

 

「……あ〜あ、最後の最後まで脇役なのね」

 

 悔しそうに我が主は目の前で終わった戦いをそう締めくくった。

 あまりに長く続いた戦いは、それを愉しむ者にとっては呆気ない幕切れだったかもしれない。

 しかし我が朋友と、彼の愛する女性の姿を目にし、私は素直に感じたのだ。きっと、こんな結末も悪くはなかったのだと。

 

「遠坂……」

「本当、もう限界って顔してるわね。ま、私もなんだけど」

 苦しげに声を掛け合う朋友と主。二人の間には私では理解できない信頼関係のような者が知らない内に作り上げられていたのだろうか。

 忌憚なく言葉をかけるリンからは、それを感じ取ることが出来た。

 

「本当に……本当にすまなかった」

 桜の身体を横たえながら、そう口にするシロウ。

 あぁ、またこれだ。彼の悪い癖がまた出てきた。

「今更よ。本当に今更だわ」

 そう。彼女の言う通り、本当に今更だ。

 彼にはこの戦いの中で、幾度となくその優柔不断さと自分勝手さに振り回されてきた。 

 それに憤ったこともある。

 失望をしてしまったこともあった。

 

「それにこんな時くらい……ちゃんとありがとうって言いなさいよ」

 そう。シロウのそんな面も、私たちは理解することができるようになっていた。

 あの夜、修練場での彼との対話がなければ決して受け入れることが出来なかったモノであった。

 

「あぁ……すまな……い」

 また謝罪の言葉。ここまで来ると最早笑うことしか出来ないではないか。

 

「だから何回……もういい、疲れた! ほんと……救われないやつ。ねぇセイバー……あと、お願いね」

「えぇ、心得ました。その命令、しかと承りました」

「いい? 壊すなら徹底的によ? 生半可じゃ駄目……それこそ大元そのものをなかったことにするくらいに消しちゃいなさい」

「ーーなかなか過激なことを言いますね」

「アンタだから言うのよ。アンタじゃないと、誰にも出来ないんだか、ら……」

 そう言葉にした瞬間、張り詰めていた糸が切れるように、リンが身体を地に伏した。

 

 絶望の中に身を沈めるではなく、安心したように眠る表情に私は安堵を覚えた。

 

 あぁ、本当に安心した。

 

「おやすみなさい、シロウ……リン」

 

 熱い風が荒野を吹き抜けていく。

 それはまるで、物語の終わりを告げる幕のように重々しく、身体に纏わり付きながら、後を引くように流れていった。

 

「ーーーー終わったのだ。終わってしまった」

 

 あぁ、私も言葉にしてしまった。

 この聖杯戦争の、否、私にとってはあまりに長すぎた贖罪の旅路の終わりを、自ら認めてしまったのだ。

 

 我が主人に、リンの言葉を反芻しつつ、自らの血で汚れた身体を引きずりながら荒野の中心に歩を進めていく。

 無様に見えるだろう、英雄譚に語られるアーサー王の最後のように、惨めに見えるかもしれない。だが私の心に残るのは、カムランの丘で感じていたような惨めなものではない。

 一つ、大きな使命が私には残っていた。

 

「いや、まだだ。まだ終わっていない。まだ、蠢いている」

 今私の心を占めているもの。それは今我が主と交わした約束だけであった。

 目の前には未だ蠢き続けるこの世全ての悪(アンリ・マユ)の、この世に孵らんとしている姿。

 

「そうだ。役目が、残っているのだ。私には……」

 それを阻止せずには、この戦いの本当の終わりにはならない。全く……リンは最後の最後に大仕事を残してくれたものだ。

 しかし私でなければ、きっとこれをどうにかすることなど出来ないだろう。事実、私に最後に託された魔力は十全と私の中に満ち満ちていた。

 

 目の前の醜悪を破壊することは出来る……しかしそれ以外のことはきっと出来ずに私は刹那の内にその身を光へと同化させてしまうだろう。

 ならば彼らはどうなる。疲弊し身体を横たえる三人は誰が救うことができるのか。

 

「いつまでそこにいるつもりなのです。出てきなさい」

 私はアンリ・マユから視線を外し、その存在に向けて言葉を投げかける。 

 

 再び熱い風が流れた。その不快感に顔を顰めた刹那、目の前に現れた影に私は安堵を覚えた。

 言うまでもなく、彼も満身創痍。いつ消え去っておかしくないほどに、その姿は数多の傷を抱えていた。

 

「……」

 無論、返ってくる言葉はない。

 

「……教えてくれませんか?」

 しかしこの場に、そしてこの瞬間にここに姿を現したということは、その口が語らずとも目的は知れている。

だからこそ少しの時だけでいい、私は聞きたかったのだ。

 朋友が、終には口にしてはくれなかった、『英雄に至った』彼の事実を。その内に秘めるモノを。

 

「貴方がこの戦いの末に得た答えは……何だったのですか?」

「……」

 やはり返ってくる言葉はない。何を言っているのだ、関係ないではないか。

 深く息を吐き出し、決意を固め、私はこれまで整理のつくことのなかった言葉を紡いでいく。

 

「貴方が為そうとしていた事……理解できなくはないのだ。私自身もそうだった。選定の時をやり直す事を望んだのだから」

 そう。私たちは似た人間なのだ。

 彼は語った。自らが信じていた道を『誤りであった』と断じていたことがあったと。

 しかし繰り返される戦いの中、かつての自身の戦う姿を目の当たりにし、それが間違いではなかったと思い知らされたのだと。

 

「一度はそれを為さんと心に誓った。だがそれは私の背を追い続けてくれた者たちへの冒涜だと教えられた」

 

 かつての聖杯戦争で、王と呼ぶべき二人の王たちから突きつけられた。

 そしてこの戦いで、最初の主となった朋友の背から教えられた。

 

「貴方の……貴方たちのおかげで私は知る事が出来たのだ」

 

 あぁ、言葉にするのはこんなにも簡単なのだ。

 

「だからこそ知りたい。貴方が見出した答えを」

 

 しかしそれは決して今まで私が、アーサー王が人に委ねたことない答えの一つ。

 

「貴方の、この戦いの終わりの続くモノは一体何なのですか?」

 

 静かに、また静かに風が流れた。

 立ちすくむ私たちの間に、ただ頬を撫でていった。

 

 どれほどの時であっただろう。

 返される言葉もないままに私が彼の姿を見つめ続けていると、わずかではあるがその肩が震えていることに気が付いた。

 

「ーーハ、ハハハ! 笑わせないでくれよ、騎士王」

 ようやく聞くことの出来た彼の声は、吐き出された言葉ほど嬉々としたモノではなかった。  

 姿と同様に、まさに満身創痍と言う四文字の言葉が似合いの、今にも消えてしまいそうなほどに擦り切れた響きであった。

 

「……」

 私はその笑いに何も答えはしない。

 

「オレに終わりはないさ。君の有り様とは違って、オレは既に世界と共にある……」

 そう。我が朋友が特殊なだけでありアーチャーは本来、守護者として既に世界と契約した身。

 今を生きるエミヤシロウが辿るであろう結末が変化したとしても、彼自身はいつまでの守護者の輪から抜け出すことは決してないのだろう。

 

 なんと悲しい、なんと健気な生だったのだろうか。

 

 ただ人を救わんとしたがために、自らを檻の中に閉じ込めた彼に、私は不意に同情の念を抱いてしまった。

 

「それでも……ただ、顔を上げて歩いていくだけだ。これが間違いでないと、オレも思い出す事が出来たから」

 

 しかし今の彼はどうだ。

 消え入りそうな彼の姿からは、一欠片もそんな悲哀を感じ取ることはない。

 

「たとえ借り物の理想でも、偽善であっても……歩みを進めたオレが得たモノに、偽物はないと……オレは思い知らされたのだから」

 

 そう。全てがこの言葉の中にあった。

 あぁ、彼は救われている。そして私の心残りも、ようやく消え去った。

 

「……なるほど、そうか。それは、それは本当に……」

「オレらしいとでも言うのかね?」

「すいません、しかし本当にそう思うのです。貴方らしい……良い表情をしています」

 

「……」

 

 不意に会話が途切れ、沈黙が私たちの間に横たわる。不思議と嫌なモノではない。ただあまりに優しく、素直に彼の表情を見ることができる。

 しかしそんな停滞に身を委ねていてはいけない。

 

「さて、貴方からの言葉を聞く事が出来たのだ。私は早く役目を果たすとしよう」

「では……オレはそこに転がっている三人をどうにかしよう」

 そう呟きながらまずはリンを抱きかかえ、桜とシロウの元へと歩を進めるアーチャー。

 あの身体で気を失った三人を運び出せるのかは甚だ疑問ではあったが、それでも今はそれを彼に任せるしかない。

 後ろ髪を引かれながらも佇まいを正し、私は彼に……アーチャーにこう投げかける。

 

「えぇ、貴方になら任せる事が出来る。我が主を……そして朋友たちを頼む」

「……さらばだ、セイバー。いや……アルトリア」

「えぇ。さようなら……シロウ」

 

 それが本当に最後の言葉となった。

 去りゆく刹那に垣間見た、彼の眩い笑顔を私はこれから先、何があっても忘れることはないだろう。

 カムランの丘に還ろうとも、その末に息絶えようとも、私は……最後のその笑顔を決して忘れはしない。

 

「さぁ、待たせましたね。最早心残りはない。ただ……」

 

 手にした剣が光を湛え、その時を今か今かと待ち構えている。この剣をここまで心強いと感じたことは未だかつてあっただろうか。

 

  だからこそ、私は剣を掲げ、目の前にあるそれを斬り伏せるのみ。

 

「ただ、我が剣の放つ光が……彼らの明日を照らさんことを!」

 

 我が聖剣が一層に眩い光を放つ。刹那、その光は荒野一帯を染め上げ、私の視界を奪い去った。

 

 

ーinterlude outー

 

 

 真白が煩く視界を染める。

 いつか見た……否、きっとまだ見ぬ終焉の日の光。

 あぁ、終わりゆく時がこんなにも平穏であったなどとは思わなかった。あとは静かにこの瞳に映る真白から目を逸らし、彼の丘へと還るのみであった。

 

「なんだよ……お前も来ちまったのか。怖えんだよな、アンタ」

 

 真白に落とされる影が一つ。

 ぼんやりとではあるが目に映るそれは、ひどく可笑しそうに笑みを浮かべている。

 

「……貴方は」

 

 誰なのか、という言葉が喉を痞える。否、とうの昔に私は知っているではないか。

 

「ご明察だよ、可愛い可愛い騎士王様」

 

 その影も私が口にしようとした言葉を理解しようとしたのだろう。更に嬉しそうに口元を歪ませ彼は誇らしく、嫌らしくこう語った。

 

「オレがアヴェンジャー。ま、最弱最低のサーヴァントであのつまんねぇ男の墓守ってやつさ。まぁ最弱な訳なんで、オレなんて聖剣の光に晒されたら一たまりもねぇってぇの。ケケケ。ホント容赦ないよね、さすがは輝かしき英雄譚をお持ちの騎士の中の騎士様だ」

 

 よくもこんなにも口が回るものだ。

 しかしこんな瑣末ごとに付き合っていられるほどの時間は私にはない。

 一言、苛立ちを隠しもせずに私はアヴェンジャーに対し、冷たくこう言い放つ。 

 

「世辞はいらん。消えゆくはずの我らがなぜこうしている? 疾く消えるのが役目を終えたサーヴァントの務めのはず」

 そう。彼の相手は私ではない。

 アヴェンジャーの、この闇と相対すべきは我が朋友のみ。私がその間に割り込んでいい訳がないのだ。

 

「ちょっと位いいじゃねぇか。固いこと言いっこなしってな……ロスタイムくらい楽しめよ」

 

 遊びがない奴だなと小言を呟きながら、彼は私の後ろにある、遠ざかりゆく何かを眺めながる。

 視線の先にあるものを追求するのは無粋であろう。

 この男も、私と同様に彼らのことを思っているのだ。

 

「それこそ、いるかどうかもわからんねぇ『本当の神様』からのギフトって思ってさ」

「神だと? フ……貴方の口から神という言葉が出るとは……些か可笑しな話ではありますね」

 皮肉を込めた一言に大声をあげ、アヴェンジャーは笑う。

 

「ま、聞きたいのは一個だけさ。……なぁ騎士王さま、どうだったよあの馬鹿は」

「えぇ、最高の……最高の愚か者でしたよ、我が朋友は」

 

 そりゃぁ良かった。

 

 そう言ったのだろうか。私の耳にそれが届こうとした刹那、真白が私を染めていく。

 

「ーーあぁ、終わる……いや、ようやく始められるのだ」

 

「ようやく私は……」

 

「私は……『私』に戻ることが出来る」

 

 

 聖杯は消えていく。

 最初からなかったかのように、何もかもが掻き消えていく。

 

 ただこの胸には宿った光があった。

 ただ一つ、この戦いの中で得た確かな答えを胸に秘めながら。

 

 私は……彼の丘へと戻っていった。



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エピローグ
エピローグ 1


 

「あ〜暑い。日本の夏は本当に慣れないわ」

 

 なんの変哲もないアパートの一室で私は独りごちていた。

 否、正確にはこの部屋にはもう一人、パソコンに向かってなにやら書類を認めている男性がいるのだが、私の事など御構い無しに自分の仕事に没頭していた。

 そんな姿を私は使い古しの黒のワークチェアに越かけながら眺めている。別に寂しかったわけではない。ただ暇に飽かして、そんな台詞を口にしたのだ。

 

 これは、この部屋に来て幾度目かの同じセリフ。

 そんな事を口にしたって気が紛れるわけでもないのに、私の口からはそんな諦めに似た言葉が零れ落ちていた。

 あぁ、これって所謂様式美というやつなんだろうな、そんな事を思い始めたのはつい最近の事だった。

 そう思うと、私は長々とこの国に留まり続けたものだとあきれ返ってしまう。

 

 最初は一つの季節をここで過ごすだけの……否、その季節だけで私の刻は停まってしまうはずだったのだから。

 

 それでも、こんな諦めを口にしていても、私はこの季節がすっかり好きになってしまった。

 

 うるさく散らばる燦々とした陽の光。

 青々と、風に揺られる緑の波。

 そしてこの季節の風物詩とも言える、彼らの大合唱。

 

 刹那的で、それでいて何時迄も続くような生命の謳歌に私はすっかり虜になってしまっていたのだ。

 

 私のそんな言葉に苦笑する黒い影。

 そう、私があんな言葉を口にしたのは、この人物に対する皮肉だったのだが……

「そうだね、確かに湿気は多いし、海外の人には過ごしにくい環境かもね」

 こんな普通な言葉を返されては、毒気が抜けてしまうではないか。

 

 私の方には視線を向けず、画面に向かったままそう言い放つ彼の姿に、なんてつまらない奴だろうと、彼に出会った頃の私はそう思っていた。

 しかし慣れとは恐ろしいものだ。彼のこんな普通な言葉も、私にとっては既に日常の一つになっていた。

だからいつも通りの、やはり皮肉でこう返そう。

 

「貴方は真っ黒なその服をどうにかすれば少しは涼しくなるんじゃなくって?」

「うん、それは奥さんからもよく言われるね」

 

 ほら、続くのはやっぱりこんな惚気だ。

 

「あ〜ごちそうさま」

 

 返された予想通りの言葉に嘆息一つ、体ごとこちらに向き直った彼にたいして、より皮肉めいた一言を返す。

 

「ごちそうさまって! 僕も奥さんと一緒になってもう十年は経ってるんだよ? さすがにそこまでじゃないよ」

「なに言ってるのよ。アザカだって貴方たちのイチャつきぶりに辟易していたわよ」

「あ……ははは」

「奥様も普段は凛としてるのに、貴方と二人になった途端にアレになるよねぇ……」

 

 ここまでは予定調和。所謂『いつものやり取り』というやつだろうか。

 こんな下らない会話を楽しいと思えるなんて……あの冬の頃の私からは想像することも出来ない。

 あぁ、どうして私はこんなにも変わってしまったのだろうか。

 

 そんな風に物思いに耽っていた最中、

「なに? 私の悪口?」

 それは染み渡るように狭いこの部屋に響き渡ったのだ。

 足音も、それにドアを開く音すら聞こえなかった。ハッと顔を上げた瞬間、相変わらずに苦笑いを浮かべる彼の表情を見るに、私が惚けていただけだったことに、後から気が付いた。

 全く……自分の不甲斐なさに呆れて涙が出てくるではないか。

 

「……あ、あぁ、御機嫌よう。奥様」

 そんな私が気の利いた言葉が言えるはずもなく、口を付いたのはそんな素っ頓狂なもの。

 しかし無理もないとは思わないだろう。目の前で佇む奥様は一言で言うなれば、見目麗しいのだ。

 私のような作り物ではなく、自然に培われた美とでも言うのだろうか。

 あの『憎たらしい女』が読んでいた書籍の言葉を借りるのならば、一点のくすみのない白磁の肌を引き立てるのは腰まで伸ばされた黒絹の髪。身につける薄花桜の夏紬は女性的な可憐さを醸し出していた。

 もう彼女を愛でる言葉は筆舌に尽くし難いが、何よりも彼女の纏う凛とした雰囲気がそれらをより一層深いものにしているのだ。

 それは儚げとでも言うのか、刹那的とでも言うのだろうか。一番のしっくりとくる言葉で語るならば、『死に隣り合っている』とでも言うのだろう。

 否、『死を視ている』と言う方が正しいのだろう。

 まるで、自分の死が間近まで迫っているのだとありありと見せつけられているような気がするのだ。

 

 あぁ、だからこそ、私は彼女のことが苦手なのだ。

 憧れているはずなのに、とても苦手なのだ。

 

「ふふふ、貴女もその筋の人なら、周りに気を配った方がいいわよ。その点、貴女の弟の洞察力はなかなかに鋭かったわ。それに最初に会った時なんて、すごくびっくりさせられたんだから」

 

 気もそぞろになっていた私に対し、奥様は相変わらずの皮肉屋のようだ。

 もしかすると私に気を使ってくれてのことなのかもしれない。この人も気が使えるのだなと、少し失礼なことを思いつつ、私は佇まいを正す。

 

「貴女がそんな風にあの子の事を話すなんて珍しい」

「えぇ、後にも先にも私をあんなに驚かせたのは、この人以外にあの子だけなんだから」

 

 と、やはり別に私のことなど気にもしていなかったのだろう。

 奥様は優しそうな眼差しを黒ずくめの彼に向け、微笑みかけていた。なんと絵になることだろう。ただ惚気ているだけなのにこんなにも美しく見えるのは、ある意味卑怯ではないか。

 

「そう。それは姉として誇らしい事だわ」

 しかし今の私にとって、『あの子』の話は禁忌そのものだ。

 私が飲み込むことのできていない問題を、いくら事情を知る者とはいえ、語っては欲しくないのだ。

 

「……でもね、奥様。今の私にあの子の話は止めていただけるかしら?」

 言葉を発した自分でも驚くほどに、冷たい音が狭い部屋に響き渡ったのだ。

 苛立ちが募ったからだなんて言い訳は出来ない。それでも我慢ならなかったというのが素直な感想だった。

 

 そう。その問題については私が自ら向き合わなくてはいけないのだ。

 だから誰かにキッカケを作ってもらってなんて、決して認めることなんて出来ないのだ。

 

 しかし私はなんて迂闊なことなんだろう。

 奥様の言葉に対する私の反応が、この部屋をどんな空気にしてしまっているかを、私はりかいしていなかったのだ。

 

「ーーあぁ、いいな。その眼……久しぶりにビリってきたよ」

 

 その音を色で示すならば、冴えた青と例えればしっくりくるのだろうか。

 刺すような、身を斬りつけるようなその響きは、私の嫌いな冬の寒さに似てなんて寒々しいのだろう。

 

「……」

 怖い。

 彼女と視線が絡んだ瞬間に頭を過ぎったのは、そんな感情だった。

 あの憎たらしい女から、奥様の特異な力については聞かされていた。少しは覚悟をしていたつもりだったはずなのに、ブルブルと身体が震えてしまうのだ。

 

 目は口ほどに物を言う、なんて諺が確かこの国にはあったと思う。私の国にだって同じような諺があるのだから、文化は違えど人の考え至ることなど万国共通なのだろう。

 

 その諺を作った人に対して、惜しみない拍手を送ることが出来そうな心境だ。最も、そんな余裕なんて今の私には皆無だけれど。

 

 

「こらこら、二人とも。喧嘩は良くないよ」

 と、私に対する助け舟、って一方的に私が怯えているだけの状況を喧嘩だなんてよく言えた物だ。

 つくづく能天気なのか、もしくは何も考えていないのか……ある意味奥様より彼の方が読めない人間なのではないだろうか。

 

「止めるなって。つくづくコイツらとは因縁があるんだ。ここは一つ、ケジメをつけとかないと……」

「……」

 旦那様の忠告も気にすることもなく、乱暴な口調のまま奥様はこちらを睨みつけながらそう続ける。一方の私は声すら出すことも出来ない体たらくだ。

 もっとも、私も奥様に出会う前は魔術師でもない人間に対して、そんなに警戒しなくてもいいではないかと思っていたのだが、会ってみれば愕然。奥様は魔術師などよりも厄介な……というよりも存在するかも疑わしいとされていたかの魔眼の持ち主。

 

 何より、私にとって彼女の『視る』概念は、目を逸らしていたい一番のモノなのだから。

 

 そんな中『アイツはアレに物怖じすることなく、打ち負かす一歩手前まで追い詰めたそうだ』というのは、あの女の弁。

 本当に私はあの子のことを何も知らないんだなと、そんな実感をさせられる一言だった。

 

 なんて情けないお姉ちゃんなんだろう……本当、自分が悲しくなってしまう。

 

「だから……いや、やっぱりいいや。そんなの……疲れちゃうわ」

 

 ぐっ、悶えつつ私が奥様の言葉を待っていると、途端に彼女の表情から冷酷さは消え、部屋に入ってきた時の涼やかで可憐な表情に戻っていた。心なしか乱暴だった言葉遣いも、女性的なモノに戻っている。

 こうなればどうにか私も普通に振舞うことが出来る。咳払いを一つ、涼やかに佇む彼女に向かい合う。

 

「……あら、珍しいじゃない。貴女が退くなんて」

 声も、それに身体もやはり震えたまま。そんな状態で投げ出した一言が、いつも通りの嫌味になるはずもない。

 その強がりを奥様も理解しているのだろう。旦那様と一度視線を合わせ、奥様はこう続けた。

 

「これでも少しは大人になったのよ。それに自分の旦那さまから『やめなさい』と言われれば、素直に従うものでしょ?」

 

 まるで頭を叩かれたような鈍い衝撃が頭を駆け巡る。あの怖気の後にこんなノロ気が来るだなんて思いもしなかった。

 

「あ〜もう……夫婦揃ってごちそうさま」

 そう呟きながらワークチェアから立ち上がり、グッと身体を伸ばす。

 まるで何キロも走った後のような疲労感が身体を支配していた。肺を満たしていた空気を全て吐き出すかのように深いため息をつき、私は二人に視線を向ける。

 

 やはり何の共通点もない二人。

 しかし私には感じることの出来ない深い繋がりが二人にはあるのだろう。

 ただ視線を合わせただけで互いのことを分かり合うことが出来るだなんて、こんなに羨ましいこともないだろう。

 今の一人ぼっちの私には、まるでそれは眩い光に似ていた。

 

 だからこそ二人から視線を逸らし、うるさい陽の光をぼんやりと眺めていると、不意に奥様から優しくこう問いかけられた。

 

「ーーで、今日はどうしたの? 単純にあの人のお使いできたわけではないんでしょう?」

「あら、それだけよ」

 

 

 ぴたり。

 まるでこの部屋だけ空気が止まったかのように、会話が止まってしまう。

「……なによ、その顔は。私が素直にあの人に従っていたらおかしいかしら?」

 

 そう。今の私はあの女の小間使い。あの女からの援助を受けるために、色々と駆けずり回っているのだ。

 今回旦那様の部屋に来たのだって、あの女の弟子であるアザカからの課題を回収するのと、彼女からの依頼を一つ、旦那様に届けに来ただけにすぎない。

 だからこそ二人が固まってしまった理由はよく分からないし、あの女の性格を知る二人なら、私が何故素直に従っているかを推測することなんて想像に容易いはずだ。

 

 まぁあの女の言うことに従っているのは、もう一つ理由があるのだけれど。

 

「いや……おかしいことではないけどさ」

「貴女が素直という事に違和感を覚えるのよ」

 

 夫婦揃って同じことを口にするだなんて、なんて失礼なのか。

 しかしこの二人がこうゆう人間だからこそ、私もこうやって心置きなく話をすることが出来るのだろう。

 そう思えるのであれば、きっとまだまだ楽しむことが出来る。

 

「はいはい。でももうお使いも終わったわけですから、お邪魔虫はさっさと帰りますわよ」

 そう言って私は身支度を整え、玄関へ向かおうとする。

 またあの暑い中を歩かなければならないのかと思うと辟易してしまうけれど、それでもこの甘苦しい空間に居続けることを考えれば大したことではない。

 二言三言言葉を交わしつつ、私は玄関まで辿り着き、最近購入したお気に入りの白のミュールに足を通そうとした時、奥様がこう問いかけてきたのだ。

 

「ーーねぇ、一つ聞くんだけど……」

「何よ、また私を怯えさせたいの?」

「その様子じゃ貴女、まだあの子の所に帰っていないの?」

「……」

 

 足が止まる。あぁ、また痛いところを突かれた。

 この話題だって、私には反論できることなど何もないのだ。

 

 きっと他のことであれば、色々と言い訳は思い浮かぶのだ。

 先程のように大人気なく意地をはることだって出来ただろう。

 みっともなく泣きわめくことだって出来ただろう。

 

 でもこれだけはダメなのだ。逃げ続けている私にとって、あの子と比べられること以上に、あの子に頑なに会いに行こうとしていないことを突かれては、本当に言葉をなくしてしまうのだ。

 

 そんな私の考えを察したのか。旦那様は奥様の袖を掴みながら、優しく語りかけるように呟いた。

「式、それ以上は言っちゃダメだよ?」

「……そうね。確かに他人の事にまで首を突っ込むのは大人らしくないものね」

 

 まさか二人のノロ気に助けられるなんて、それでも今の私にとっては渡りに船とはこのことだ。

 旦那様と視線を交わし、少し会釈をしながら半端なままにしていたミュールにしっかりと足を通し、玄関のドアノブに手をかけようとした時に再び声をかけられた。

 

「でもね、大人気ないけど一つだけ言いたいんだ」

 

 少し低い、落ち着いた響きだった。諭すように、教えるように語る旦那様の声は、何故だか奥様の声よりも私に染み渡っていく。

 後ろ髪が引かれるとはこうゆうことを言うんだろう。それでも一度ここから去ると決めた思いを止められない。

 だから視線だけを彼に向けつつ、私はドアノブを捻った。

 こんな気持ちを、夏の喧騒が覆い隠してくれることを望みながら。

 

「なによ、旦那さまが珍しいわね」

「昔、彼にも言った事なんだけどさ。焦ってばっかりじゃなにも見えてこないよ? 君の心からの望みも、彼の思いだって……」

「……そう、ね」

 

 しかし染み入った言葉は、喧騒では隠せない。凝り固まった心のヒビに入り込んでくるのだ。

 奥様の言葉とは違う、なんの変哲もない在り来たりな言葉が、こんなにも私を揺らがさせるだなんて。

 

「今日はもう帰ります。またアザカへの用事でもあったら、こっちにも寄ることにするわ」

 だから特別な言葉にせずに、社交辞令だけを口にしてドアを完全に開け放った。この国の夏らしい、肌に張り付くような暑さが、混乱する頭にはどこか優しい。

 否、私にとってはこの部屋の、この二人こそ優しすぎて居たくないのだ。

 

「うん、じゃぁまたね」

「今度は未那が居る時にいらっしゃい」

 

 二人の声に会釈をしつつ、ゆっくりとドアを閉める。

 ドアを背に視線を下に落とすと、様々な思いが頭を駆け巡っていく。

 

「……あの子の思いなんて、随分と前から知ってるわよ」

 

 そして口についたそんな言葉は、きっと私の最後の強がり。

 

 あぁ、なんてこんなにも……だから奥様は彼と共に居続けられるのか。

 変われない、変わることを許されないそんな優しい不変の中で、いつまでも共に歩いていけるのだ。

 

 それを羨ましいと思いつつ、私は陽の光の中を一人で歩き始めた。

 数年前までは感じることのできなかった、本当の熱を体に浴びながら。

 

 



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エピローグ 2 

 

 一体どれだけの年月が経過しただろう。

 どれだけの時間を、私はこうして過ごしてきたのだろう。

 

 少なくとも、あのご夫婦のお子様があんなにしっかりとするくらいなのだから、優に片手では数えられないほどの刻が経過しているはずだ。

 

 あの冬の……聖杯戦争が終わった後、私が目覚めたのは冬木から随分遠くの、見も知らない土地のビルの一室だった。

 

 目を覚ました瞬間、自分の瞳に映った光景に、正直私は驚嘆してしまったのだ。

 だって意識を失う前の私は、既に視力を失っていた。

 温度だって感じられなくなっていた。

 

 だから言葉を失ってしまった。

 ありえないことが起こっている。聖杯の器になってしまった私には取り戻す事の出来ないはずのものが私の元へと戻ってきていたから。

 ここは一体どこなのか、私は一体どうなってしまったのか。

 全く考えがまとまらない。身体にかけられていた毛布を思い切り強く、ただ強く腕を抱きしめた。

 

「ーーやぁ、目が覚めたかね。アインツベルン」

 

 呆然としていた私に冷ややかな声が投げかけられる。

 不意に視線を上げるとドアにもたれ掛かるように佇む一人の女性の姿。

 少しくすんだ赤い、長い髪を後ろに結びジロリと見据えている。時折紫煙を吐き出しながら長くなった煙草の灰をデスクの上の灰皿に落としていた。

 

 一目でわかった。

 この人はただの『人』じゃない。いや、人なんて概念に納まらない何かだと。

 それを告げていたのは彼女の瞳だ。

 それは抉るように、突き刺すように私を眺めていた。

 捕食者とただの餌。そんな言葉がしっくりくるような感覚。

 

 それでも私にはそんな事すら考える余裕すらないほどに私は動揺していた。

 

「貴女……一体?」

 素っ頓狂な言葉が口からこぼれた。

 彼女も、私のそれに心底ガッカリしたように乱暴に煙草を灰皿に押し付けてこう答えた。

 

「私か? ただのしがない魔術師というやつだが……貴様も同じ穴のムジナだろう? そんなことも察することが出来ないほどに耄碌してしまったのか?」

「な……いえ、確かにあの状態の私がこうやっていられることを考えれば、貴女が魔術師か何かだということなんて最初に考え付くことだったわ」

「口ではどうとでも言えるがね」

「……そうね、貴女の言う通りだわ。正直私は今の状況を全くと言っていいほど理解していない。何でここにいるのかも、こうやって貴女と話が出来ているのかも……それに、私が生きている事だってびっくりしてるんだから」

 

 そう。私は死んでいたはずだった。よくて何も感じる事のできない人形に成り果てるはずだったのに。

 それなのにこんなロスタイム……信じる事が出来ないじゃない。

 

「だろうな。私もそうさ。お前がここまで回復して見せるなんて。さすがは名にし負うアインツベルンのホムンクルスといった所だが……しかし私もそれなりに『物を創る者』としては覚えがあるつもりでね」

「何が、言いたいのよ」

「なに、これでも驚いているんだ。あそこまで疲弊してしまった君の肉体が、冬木という街を離れた途端に回復し始めたのだ。しかしね、結末は決して変わらないぞ。その身体は聖杯の器と成るべくして創造されたモノなのだろう? 君のその身体……よくて後数年しか保たないはずだ」

 

 保っても後数年。

 

 どうした事だろう。冷たく言い放たれたその言葉に、やはりなんの感慨も浮かばない。

 そう。それは随分と前から覚悟していた事だ。

 お母様から受け継いだ、これは私にとっての呪いであり絆だったのだから。

 

「そう。なら放っておいていただけないかしら。こんな何時まで保つかも分からない私に世話を焼いたって、貴女には何の得もないでしょうに」

「あぁ、そりゃそうだ。私の時間を、見も知らないお前なんかのために使ってやる義理はない。これでも多忙なのでね」

 

 いちいちムカつく女だ。

 自分の言葉から私がどんな反応をするのか試している。否、品定めをされているのだ。

 

 私という……出来損ないの聖杯の器の人格がどんなものなのかを。

 だからこそこの女も自分を『物を創る者』だと語ったのだろう。

 アインツベルンがどれほどまでのホムンクルスを造り上げたのか、それに興味があったろうから。

 だから私はこの女を裏切ってやる。

 他愛もない、掃いて捨てるほどにありふれた凡骨だと知らしめるために。

 

「だったら放っておけばいいじゃない! こうして保護してくれたことには感謝してあげる。でももう私のことなんて……!」

「でもな、お前を助けてやると約束してしまったんだ」

 

 ドクンと、大きく心臓が跳ねる感覚。

 それは時間が経つごとに早鐘を打ち、身体を熱くさせる。冷静でいられない。困惑が頭を支配してしょうがないのだ。

 毛布を掴む手が痛かった。そしてそれを必死に隠すように私は大声をあげていた。

 

「なに……なに言ってるのよ! そんな事、出来るわけないじゃない!」

 

 喉が痛い。胸が痛い。自分が自分でいられなく感覚があった。

 それより約束って何? 一体誰としたっていうのだ。

 私が生きながらえることなんて、そんなことは問題じゃない。それよりもその約束を主だ。

 

 それが『あの子』だとすれば、私はきっと考えることのできないほどの重みをあの子に背負わせることになってしまうではないか。

 だからこれは苦し紛れの言い訳だ。この女に、諦めて欲しいがためのどうしようもない妄言だ。

 

「私が生き続けることなんて、できるはずない」

「そうだな、その通りだよ」

 

 そんなこと何もかもだと付け加えながら、胸ポケットにしまったシガーケースから一本の煙草を取り出し、火をつけながら虚空を眺める。

 長い長い時間だった。吐き出された紫煙がまるで雲のように形を成して消えていった。

 羨ましかった。こんなにも簡単に消えることのできるこの煙が、私はどうしようもなく羨ましかった。

 

「アイツの言葉を借りるなら……万物には全て綻びがある。それはこの世に生を受けたモノや形を持つもの、それこそ概念や思想すら……その滅びは変える事の出来ない宿命と言わざるを得ないものだ」

 

 それは確かな現実だった。誰も逃れることのできないモノ。

 

「ただお前のその身体に与えられた時間が、人のそれより短いだけではないか」

 

 淡々と語る。

 まるで死刑通告に似たその言葉に、胸が締め付けられる。

 

「でも、そんなの……なんの救いもない」

 

 頰に伝う涙が熱い。

 あぁ、私はまだ泣けたんだ。

 感情なんて、自分を憂う感情なんて随分前に無くしたと思っていたと思っていたのに。

 

 嗚咽を堪えるのに必死で、上手く息ができなかった。

 冷ややかに投げかけられる視線なんて関係ない。ただどうしようもない現実が悲しくて、ただ辛くてやりきれなくて。

 

 あのまま死ぬことが出来ていたらなんて思う自分がどうしようもなく愚かしく感じる。

 

 あぁ、そうか。私は嬉しいんだ。また生を実感することが出来て。 

 私は悲しいんだ。生きることに諦めを覚えてしまっている自分が。

 

 どれくらい泣いていたんだろう。

 毛布に零れ落ちていた涙が冷たく感じるようになっていた頃、女は再び冷ややかにこう呟いた。

 今にして思えばそれは私だけにではなく、あの子にも向けて放たれた言葉だったんだろう。

 

「何も生かし続ける事が救いではないさ。永遠の刻を生き永らえることなど……浅はかな夢ではないか」

「なに、それ……」

 

 本当に救いのない言葉。

 人として誰もが一度は夢見る思いを、魔術師としての永続性を、この女はそれら全てをまとめて否定してしまった。

 愕然という言葉が似合うのだろうか。終ぞ私の涙は枯れ果て、呆然と女を睨みつける。

 しかし我関せずと言わんばかりに、飄々と煙草を燻るこの女にはきっと私の態度や言葉など路頭に終わるのは間違いない。

 だから私はそれ以上に言葉を発することは出来なかった。

 

 また長い沈黙があった。

 紫煙が狭い部屋に充満し、視界を白く染めていく。

 あぁ、停滞はこんなにも優しいんだ。でもそんな優しさ私には必要ない。

 

 そんな風に思えたからかもしれない。

 起きてからずっと抱え込んでいた痞えが取り除かれた気がする。

 

 それに感づいたのか、何本目かの煙草を灰皿に押し付け、肺に残っていた紫煙をゆっくりと吐き出して彼女はこう呟く。

 

「死ぬために生きよ……などと彼の御人のように言うつもりはないがね」

 

 誰だった。そんなことを言ったのは。でもその言葉はきっと後に続くものがある。

 優しい、人を奮い立たせてくれる言葉のはずだ。

 

 それを示唆するように、女が続ける。

 

「小娘……君は何もしないままに死ねるのかね?」

「なにを決まり切った事を……」

「だろう? それに約束したのではないのか?」

 

 そう。約束をした。

 目も見えない中、懐かしい匂いに包まれながら、私はあの子と約束をした。

 

 一緒にいよう。ここで暮らそう。

 

 私にとっては、聖杯の器になることを決定づけられていた私にとってはあまりに悲しい約束だった。

 でもそれ以上に優しくて、かつてキリツグとした約束と同じくらいに私を満たしてくれた。

 

「約束……えぇそうね、したわ。無責任な約束……でも、すごくあったかい約束を」

 また涙が溢れ出した。

 さっきまでとは違う。悲しいから泣くのではなく、嬉しさから溢れ出る涙。

 あぁ、私はこのまま死んでしまうことなんて出来ない。

 

 最期の時が訪れるまで私は何度でも、何度だって立ち上がって……歩き続けていくんだ。

 

「なら最期の刻まで足掻け。少しくらいなら手助けをしてやらんでもないさ」

 

 これが、私がアインツベルンという名を捨てた瞬間の出来事。

 『ただのイリヤスフィール』が蒼崎橙子という変わり者の魔術師と出会った時の一幕だ。

 

 

 

 

 それから、目紛しく私の環境は変わっていった。

 

 トウコからは様々なお使い、いや……厄介ごとを頼まれ、それを処理するために彼女から身体を強化していくための術を教えられた。

 そりゃ血反吐を吐いたこともあったし、何をするにも億劫になって逃げ出そうかななんて思ったこともあったりした。

 それでもどうにかして今までやって来れたのは、これまでの生活が退屈とは程遠かったからだ。

 

 本当に、本当に色んなことがあった。

 

 ある時は魔術協会からの執拗な接近。ある時はアインツベルンからの追っ手。

 おかしな洋館に閉じ込められてアザカと謎解きに奔走したこともあったし、リンと再開してある組織とドンパチやらかしたこともあった。

 それに奥様と旦那様、カメクラとマナと一緒に取材旅行と称して甘々しくて辛くなるほどの光景を見続けるという責め苦を与えられたりとか。

 

 甘々しいで思い出したけど、トウコからあの子達がつい最近一緒になったって聞かされたっけ。あの冬から随分の時間が経っていたはずだけれど、あの二人もようやく身を固めたのだと思うとなんだか不思議な気持ちになった。

 

 そんな風にいつ終わるともしれない自分の人生に恐怖を覚えながらも、それでも毎日が本当に楽しかったのだ。

 お城の中にいた時には、書物の中からでしか知ることの世界をこの身体で感じることが出来たのだから。

 

 ただ楽しくても、本当に終わりは近づいていた。

 

 

「何年も何年も……ホント死ぬ死ぬ詐欺ってやつに等しくないかしら」

 

 確かに、周りから見れば今の私は健康そのものといっても過言ではない。

 事実こんなにもいろんな街を行ったり来たりする体力なんて、かつての私にはなかった。だとすれば自分の今の言葉も大正解……だが分かるのだ。

 

 身体の健康不健康など問題ではない。

 肝心なのは、機能するか否かなのだ。

 

 本来の私の身体は聖杯の器として造られたモノだ。

 いくらトウコの教えに従って、肉体の寿命を延ばすことに成功させたとしても、あの冬の戦いに向けて調節された私の精神は、時を経るごとに磨耗を重ねている。

 そう思うと笑いがこみ上げてしまう。

 

 『生き続けることが、救うということではない』

 

 そう言われたはずなのに、やはり私はいつまでも生きながらえたいと心の底で願っているのだから。

 

「笑い話じゃ、ないわよね。ただ……」

 

 そう。なによりも私を後悔させているのは自分自身の行いだ。

 

 私はあの約束から逃げ続けている。目を逸らして、逃げ惑って、無視をしたまま今日まで放っておいたのだ。

 

「私……今キリツグと同じ事してるんだよね」

 

 でもキリツグはきっと私を迎えに来てくれようとしていた。ずっと私の事を愛してくれていた。

 

 私は違う。逃げている。逃げ惑っているのだ。

 

 トウコからの言葉を隠れ蓑にして、もう永くないから、悲しませたくないからだなんて言い訳をして。

 

 なんて無様な事だろう。

 

 そうやって街灯が映し出す自分の影を眺めながら、そんな事を考えていた。

 いつか、あの冬にもこんな事がなかったろうか。

 

 私の器が満たされていくたびに、私はイキモノであること失っていった。

 それでも戦うことを強いられて、逃げることが出来ないと諦めていた。

 

 あぁそうだ。あの時は目の前ももう見えなくて、肌も何も感触を得ることは出来なかったのだ。

 でも側には彼がいてくれた。私をいつも守ってくれていた。

 

 思い出す。大きな掌。

 ゴツゴツしてて、強くて、そして優しかったあの掌。

 

「ねぇ、私……やっぱりなにも出来ないのかな? ねぇ教えてよ。バーサーカー……」

 

 いつぶりだったロウ。私を守ってくれた優しく、雄々しい彼の名を呼ぶ。

 それだけで涙が溢れ出し、視界をグニャリと歪ませていく。

 

 あぁ、私はこの数年で弱くなってしまったんだ。

 

「ねぇ、助けてよ。助けてよ……バーサーカー」

 違う、隠していた弱さが表出してきただけだ。大人ぶって、強がって……いつまでも子供みたいに振舞っていたから、どうすればいいか分からなくなっているだけなんだ。

 

「いつまでも頼ってなんて……いられないじゃない」

 

 そうだ。それが今を生きている私の役目じゃないか。

 そう思ったから、ずっと遠ざかっていたこの土地へと帰ってきたのだ。

 

 まっすぐに家に歩いていけばいいのに、その決心が付かなくてウダウダとしている内に周囲は暗闇に染め上げられ、空には黒を彩る光の粒が燦々としている。

 私の知らない風景はまだこんなにもあるんだ。

 知っているつもりだったこの街のことだって、きっとあの子達のことだって。

 

 そうやって悶々と歩みを進め続け、気付けばあの子と一番最初に会った街灯の下に辿り着いていた。

 目を閉じるとあの時の光景が瞼の裏に蘇った。

 そうだ。あの時は確か…•すれ違いざまに声をかけられたんだ。

 

「どうしたんですか? 気分でも悪いんですか?」

 

 こんな風に、不意に声をかけられたんだ。

 

 優しい声。まるで春に吹く髪を揺らす穏やかな風のような声だ。私の記憶より、その声の響きは落ち着きを増しているようだった。

 

「……なに? なんでこんな夜中に出歩いてるのよ」

 

 敢えて視線はその声の主の方には向けず、意地悪にそんな取り留めもないような言葉を口にしてみた。

 ただ泣いている事を悟られなくなくて、動揺を隠すためだけの苦し紛れの言葉だった。こんな時まで私は本当になんて大人気ないんだろう。

 

 するとどうだろう、クスクスと上品な笑い声が私の鼓膜を叩くではないか。

「いつまでも子供じゃありませんよ」

「相変わらず生意気……久しぶりね、サクラ」

 

 ようやくそうして私は彼女に視線を向けた。

 髪が背を覆い隠すくらいに伸びていたからだろうか。彼女の容姿を言い合わらわすのに『可愛らしい』という言葉は最早似つかわしくなく、ただ『美しい』と素直にそう思えた。

 きっとこれは奥様に抱いている感情と同じものなのだろう。

 

 綺麗になったね、サクラ。

 危うさがなくなった。きっとあの子のおかげで貴女はこんなにも綺麗になれたんだね。

 

 そんな事をぼうっと考えていたからだろうか、不安げな表情を浮かべるサクラ。

「橙子さんから連絡があったんです。昨日あっちに戻るはずだったのに、全然戻らないって」

 だからこっちに戻ってきているかもと言われたのだと、そう付け足しながら言葉を締めくくるサクラ。

 

「ハハハ。ホント、なんてお節介な人」

 そう言ったのはトウコじゃなくて、きっとあの子だ。

 私の事を理解してくれているから自らではなく、サクラを迎えによこしたんだ。

 あぁ、ダメだ。それに気が付いては。崩れていってしまう。持ち直していたはずの心の中の砂の城が、一気に崩れ去ってしまう。

 

「本当に、本当にお久しぶりです。イリヤさん」

「そうね、貴女とは確か……リンに会いに行った時以来だったかしら」

「そうです。あれからずっと……イリヤさんは冬木に帰ってきていない」

 

 やっぱりそう言われるのだ。

「……」

 それを言われてしまうと私は言葉を失ってしまう。

 きっとサクラは私の事を責めてはいない。でもそれでも逃げ惑っている私にとって、彼女のその言葉は何よりも重くて、思わず顔を伏せてしまうくらいに悔しいものだ。

 

 そう。私はこの街に、冬木に帰ってくるのを拒んでいたわけではない。あの子に、自分の弟に会うのが怖かっただけなのだ。

 それこそ私がこの街から遠ざかり続けた理由。

 救いのない私が、終わりを認めたくないが故に貫き通した意地だった。

 

「ねぇ、やっぱりわたしのこと、嫌いですか?」

「嫌いって……」

 

 彼女の言葉に私は思わず俯いていた顔をあげる。

 目に入ってきたのは彼女の泣きそうな顔。先ほどまでの優しい表情が嘘であったかのような、不安そうな表情がそこにあった。

 

「正直、わたしは自分が怖いです。いつまたあんなことをしてしまうかもしれないって思ったら、正気を保てなくなりそうなくらいに……だからきっと貴女はそんなわたしが嫌いなんじゃないかって思うんです」

「でもさ、貴女にはあの子がいるじゃない」

「でも、彼はいつも貴女のことを思ってます」

「……ホント、貴女もあの子も」

 

 そうか。こんなにも私はサクラに心配させてしまっていたのか。

 こんなにも正直に、自分の思いをさらけ出してくれているのに、私が困惑したままでいいはずがないではないか。

 

「ーーそうね、この際だから言うわ」

 

 私も、その思いに応えないといけない。

 じっとりと纏わりつく空気を、遠くから流れてきた風が解きほぐしてくれる。

 だから私も口にしよう。今まで誰にも語らなかった自分の弱さを、そして恐れているものについて。

 

「私ね、怖かったのよ。あの子に会うのが」

 正面から見据えるサクラは驚きを隠せないようだった。

 確かに、あの冬を戦っていた私の姿からは、こんな事考えもしない事だろう。

 

「ねぇ、あの子から聞いた? 私とあの子の約束」

「えぇ、聞いてます。聞いてるからこそ帰ってきてほしかったんです。でもきっとイリヤさんはわたしのことが嫌いだから……だからここに帰ってくるのを避けていたんだって、そう思うんです。そうじゃないとあなたが帰ってこない理由が見つからないから」

 

 分かるよ。

 きっとサクラは私と同じものを見ているはずだから。

 一度でもこの世全ての悪に飲み込まれてしまったことがあれば、自らの行いを後悔してしまうことは否定することは出来ない。

 でも、それじゃダメだ。

 それを簡単に受け入れちゃいけないんだ。

 

 だから言ってあげなくてはいけない。

 サクラと同じだった、私だからこそ言ってあげられる言葉を。

 

「……ねぇそれ、本気で言ってる?」

「だって、そうじゃないと」

「自分が悪者にならないと、他の人を正当化できない?」

「いえ、そんなこと……絶対にありません。わたし、あの人と一緒になって変わったつもりです」

「そうね、きっとそうだと思うわ」

 

 なんだ、大丈夫じゃないか。

 サクラはどうしようもない弱さを支えてくれる人と一緒に歩んでいっているんだ。自分の弱さに正面から向き合うことが出来ているんだ。

 

 なんだかそれは自分のことのように嬉しくて、胸がほんのりと優しい気持ちに満たされていった。

 でもまだ私が何も口にしていない。私がずっと向き合ってこれなかった弱さを、私は認めることが出来ていない。

 

 身体が震えた。

 勇気がない。言葉にすればそれはとても簡単なものだけれど、こんなにもそれが大事だなんて今まで思いもしなかった。

 

「ダメなのは……」

 さぁ、言うんだ。言うんだ……イリヤ。

 

「ダメなのは……私なんだよ」

 弱さを自分だけの中に押し込めるんじゃなくて、サクラに……そしてあの子にも伝えるんだ。

 

「まだ変われていないのは、きっと私の方なのよ。あの子とも貴女とも向き合うことが出来ていない、約束を守ることが出来ていない私の方がきっとダメなのよ」

「イリヤさん……」

「そう。ダメなのは私。勇気がなかったのよ。それに私なんて言う余計な荷物をあの子に背負わせちゃいけないって、そう思ってた」

 これは目覚めてから私の中でずっと横たわっていた傲慢だ。あの子のためだと言い聞かせていた自分勝手さの総てなのだ。

 

「でもあの子は、精一杯の気持ちで約束……してくれた」

 なんでだろう、息がしづらい。上手に言葉が続かないんだ。

 それに涙が溢れて、止まることなく流れていってしまう。

 あの冬、総てに絶望していた私に結ぼうとしてくれたあの子の言葉を思い出すといつもこうなってしまう。

 そうだ、ずっと知っていたんだ。

 それを私は同情じゃなくて、掛け値なしの優しさだってことを私は知っていたんだ。

 

 だからもう私は……

「だから応えたいの。逃げ続けたくないの」

 そう。だからこの街に、あの子の住むここに戻ってきた。

 

 またここから、一から始めたいから。

 

 でもそうするんだったらしないといけないこと、言葉にしないといけないことがある。

「だからね、ごめんね」

「なんで、謝るんですか?」

「こんなお姉ちゃんでゴメン。弱くて、自分勝手な私でゴメン。でも……ワガママ言ってもいいかな?」

「何でも、言ってください」

「あなた達と……シロウとサクラと一緒にいたいの。ここで、キリツグが最期に過ごしたこの街で生きていたいの」

 

 これが心からの望み。

 ただ終わりを迎えるのではなくて、やりきって、生き抜いて最期の時を迎えたいと思った私の望みの最期の一欠片。

 ほら、こう言葉にする事が出来たから私はこんなにも今笑顔になれてる。

 それに応えるようにサクラも、花が咲いたように可憐な笑みを私に向けてこう言ってくれるのだ。

 

「えぇ、だから帰りましょう。あの人が、士郎さんが待ってます」

 

 それ以上はもう何かを口にする必要なんてなかった。

 ただ街頭に照らされた少し肌寒い道を、二人手をつないで歩いていく。

 

 周囲の暖かな喧騒が少し心地よくて……これが郷愁の念にかられると言うのだろう。

 

 あぁ、こんな風に家路に着くことが出来るなんてすごく贅沢だ。

 それにほら……こんな風に、誰かが迎えてくれるだなんて、私はきっと誰よりも幸せ者なんだ。

 

 玄関の暖かい光を背に、あの時よりも少し大きくなったシルエットがそこに浮かんでいた。

 影になって表情は見て取れないけど、それでもきっと彼が浮かべているのは満面の笑みに違いない。

 そんなお人好しなまでに優しいのがあの子だ。

 

 

「おかえり、イリヤ」

「ただいま……シロウ」

 

 

 なんて優しくて、儚い姿なんだろう。

 でも何より私の心を満たしてくれるものだということはきっと間違いじゃない。

 

 本当の終わりはすぐそこまで近づいているけれど、私は幸福な道を歩いて行けるだろう。

 だから私も笑顔で応えよう。

 

 そう思いを馳せながら、私は夜空に目を向けた。

 大きな月、それも私たちを祝福してくれるみたいに、眩く光を散りばめてくれる。

 

 だから私の、私たちの物語はここでお終い。

 

 あぁ、でも終わりじゃないか。

 これからもずっと、私たちの物語は続いていくのだ。

 

 この先はきっと誰もまだ知らない、私たちだけの終わりの続きの世界なのだから。

 



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