ヒストリアの兄でございます。 (ヒストリアの兄)
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訓練兵編
1話


 

 その日、一人の男が狂乱していた。

 目頭には涙を浮かべ、身振り手振りで何かを喚いていた。

 男の声は終始荒げており、嗚咽が混じっているせいか言葉はよく聞き取れなかった。

 分かることと言えば、何か懇願しているような雰囲気が伝わるということぐらいだった。

 

 一人の女がそんな男を諭すように、ゆったりとした口調で丁寧に語りかけていた。

 慎重に、男の感情を読み解くように言葉を選んでいるようだった。

 そんな女の後ろには家族がいた。

 子供から大人まで幅広い年齢層の男女が、諭す女の背後で怯え切った目をしていた。

 

 女に諭されたせいか、取り乱していた男は絶望していた。

 膝をつき、首を垂れ、醜く地面に伏せていた。

 よく見てみれば、男の手には小さなメスのようなものが握られていた。

 もしかしたら、あれで女を殺すつもりだったのかもしれない。

 

 女はそんな男を憐むように見下ろした。

 彼女の家族は男を侮蔑するような目をしながら罵っているようだった。

 まさに阿鼻叫喚という言葉が似合う光景。

 これ以上の地獄絵図は存在しないのではないかと思えるほどだった。

 

 絶望していた男が、突然、顔をあげた。

 先ほどまで憔悴しきった表情は見る影もなく、代わりに何かに堪えるよう歯を強く食いしばっていた。

 男は握ったナイフを力強く握りしめ、そのまま己の右手を貫く___。

 

 次の瞬間、光が破裂した。

 蒸気が辺りに満たされ、熱量を帯びた風が吹き荒ぶ。

 普通の人間が至近距離で浴びれば、間違いなく大火傷を負ってしまいそうなほど高熱な暴風だった。

 

 煙の中から二体の怪物が顔を出した。

 一人は黒い髪に黒い髭、中年の男性を模したような体。

 もう一人はふっくらした胸に髪の長い女のような巨体だった。

 男性の怪物が女の巨体を投げ倒し頸を食らった。

 肉と骨を美味しそうに頬張っていた。

 ガリガリと噛み砕く音はリアルで、とても耳障りな音であった。

 

 男性の怪物が、噛みちった女の頭部を気色の悪い瞳で見つめていた。

 微動だにしない死体。

 興味が失せたのか、男性の怪物は次に、女が守ろうとしていた家族を見た。

 家族は女が死んだことを察し、必死に何か喚いていた。

 

 二人の人間はぷちぷちと踏み潰された。

 頭の骨や、体の骨は砕かれており、柔い内臓などは薄っぺらに広げられていた。

 二人の人間はぱあんと叩かれていた。

 腕や足が反対方向に曲がり、口から内臓が飛び出している人がいた。

 一人の人間はクシャりと握られていた。

 口からはドロドロの血を流し、白い歯が真っ赤に染まっていた。

 体の節々からは、何か見てはいけないものが飛び出していた。

 

 気がつけば周りには死体が溢れていた。

 血生臭い匂いと、妙に熱を帯びた蒸気が空気に霧散している。

 青白い空間には、似つかわしくない真紅の液体が至る所に飛び散っていた。

 だらしなく口を開け、首だけになった女型怪物の死骸も転がっていた。

 そんな時、一人の少年はようやく気がついた。

 殺されたのだ、目の前で。

 自分の大好きだった人。自分が愛していた人。

 ___フリーダ・レイスが、その日確かに殺されたのだ。

 

 

 昔の事を思い出していた男は、静かにため息を吐く。

 あの光景を見てからおよそ2年が経過し、現在847年。少年だった彼も、今ではすっかり背丈も伸び、それなりの風貌になっていた。いまだ、顔には少年のようなあどけなさは残るものの、中性的だった顔つきはより男性的に成長していた。

 男は教官が新兵を恫喝する風景を他人事のように眺めながら、小さく身動いだ。別に立ち続けていることが苦になったとかではないが、何となくそうした。

 男は「どうせ自分のところには来ないのだろうから、早く終わって欲しい」と考えていた。彼の中で自分は教官に恫喝される人間ではないと感じていたからだった。見たところ、いまだ気持ちが浮ついた連中しか教官は怒鳴っていない。貧弱そうな顔、気の抜けた顔、恐怖で強張った顔と、目を付けられそうな最大の要因はその者が覚悟できているか、できていないかの差であろうと断定した。ならば、やはり己のところへ教官が来ることはないと思った。

 こうして余計な時間を浪費することは彼にとって、この世で最も苦行であった。無駄な時間が過ぎ去るくらいならば、教官に目を付けられ、先ほどの芋女(通過儀礼中に蒸した芋を食べていたためついた渾名)のように罰則を受けた方が良いのではないかとすら思える。死ぬ寸前まで走る事になるが、自分を強くするためだと思えば、有意義な事ではないかと感じた。

 そんな気持ちが彼の中で先行する中、 男の前の列が一斉にこちらを向く。どうやら次は自分たちの番らしい。

 予想通り、男の前を教官は何も言わず過ぎる。この恫喝に何の意味があるかなど、男はさして考えていなかった。ただ、何も言われないのであれば、それはそれで良いことだと思っている。現に、隣にいる少女の近くで声をあげる必要が無くなったのだから、男からしたら儲け物であった。

 教官が隣にいた金髪の少女の目の前で止まる。どうやら、彼女は教官に目をつけられたらしい。

 

「貴様は何者だ!?」

 

 広間一面に響く声が木霊する。教官という人種はみな声が大きいらしい。

 

「はっ!クリスタ・レンズです!」

 

 金髪の少女がそう名乗った。

 教官は予想に反して威勢の良かった返事に目尻をわずかに上げると、クリスタの顔にグッと近づく。

 

「何しにここに来た!?」

「じ、人類の役に立ちたいと思い志願しました!」

「そうか。ならば精々巨人の注意を引くための餌として役立ててもらおう。お前のような小さい女はさぞ食いやすいだろう」

 

 教官はそれだけを言うと、クリスタから離れ、次の訓練兵に怒鳴り始めた。覚悟していたとは言え、予想以上の悪言を吐かれたクリスタは、少し泣きそうな顔をしていた。

 男はそんなクリスタを一瞥することもなく、ただ茫然と前を眺め続ける。まるで隣にいる少女とは無関係であるかのように、何も声を掛けてやらない。そんな無機質な男の対応に、クリスタはさらに涙が溢れそうになった。

 これが、およそ二年間続く冷え切った二人の関係性。現在、男が妹に対して取っている、冷酷なまでの徹底された拒絶である。

 

 

 恫喝の儀式が終わり夕食の時間。男は食堂へと足を運んでいた。

 食堂の入り口を見ると、複数の男女が談笑しながら芋女の走り姿を眺めている。男は邪魔だなと思いながらも、食堂に入るため後ろを黙って通ろうとした。

 

「なあ、そう言えば君も出身を聞かれなかったけど、どこから来たんだい?」

 

 複数人の男女の内、そばかすの男がそんなことを聞いていた。男は一瞬、歩行スピードを緩めるが、自分に聞かれたわけではないのだろうと思い直し、そのまま彼らの後ろを通り過ぎようとする。が、そんな男の進行を阻止するように、坊主頭の男が彼の肩を掴んだ。

 

「お前だよ、お前に聞いたんだ」

 

 男はそこでようやく自分に聞かれたことなのだと分かり、体を坊主頭達の方へと向けた。

 

「すまない。俺の名前はフリーダ。出身はウォールマリア南部の都だ」

 

 男は事前に用意していた偽装の出身地を話しながら、そう自己紹介した。

 坊主頭も素直に謝った事で機嫌を良くしたのか、自分のことを「コニー」と教えてくれる。人懐っこい笑みを浮かべるところを見ると、案外良いやつなのかもしれない。

 

「じゃあ、僕たちと近いね。僕たちは最南部に位置するシガンシナ区の出身だよ。あ、僕はアルミン。こっちはエレン。さっき君に出身地を聞いたのがマルコ。よろしく」

 

 中性的な顔が目立つアルミンはそう言ってにこやかに笑みを浮かべると、フリーダに手を差し伸ばした。しかし、フリーダはその手を握ろうとせず、ただ黙って見つめる。流石のアルミンも、握られない手に気まずくなったのか、そのまま何も言わず恐る恐る引っ込めた。

 フリーダはそこで「ああ、握手という意味だったのか」と気付く。普段そういうことをしないため、相手の意図を掴むことができなかった。

 

「なあ、ウォールマリアの南部ってことは、お前も鎧の巨人を見たのか?」

 

 コニーがフリーダへ喜色の声音をさせながらそう尋ねる。巨人を見たのか聞くなど、随分無礼な奴だと思ったが、フリーダは特にその点を気にすることはしなかった。

 フリーダは自身の経歴詐称を押し通すため、少しばかり思い出す素振りを見せるが、鎧の巨人なんて当然見ているわけない。なので、この場は適当にはぐらかすことにした。

 

「いや。俺はその時、門の近くにはいなかったな」

 

 見ていないということがわかり、コニーはあからさまに残念そうな顔をするが、マルコはどこか納得したように頷いてくれる。

 

「じゃあやっぱりちゃんと見たことあるのはアルミン達くらいなんだね」

 

 マルコにそう話を振られたアルミンは、遠い目をしながら「ああ、そうみたいだね」と呟くだけであった。

 アルミンの様子が少し気になったのか、マルコがそろそろ配膳も始まるということで、一旦食堂に入り、その後、話の続きしようというと提案した。フリーダもコニーに誘われたため、ひとまず同じテーブルに着く事にする。何気に、フリーダは同年代の男子から誘われることが初めてのことであった。

 しかし、それで調子に乗ったのがまずかった。どうやらエレンやアルミンの語る超大型巨人達の話は、自然と人を集めてしまうらしい。気がつけば、いつの間にかフリーダ達の周りには同期の連中が押し寄せていた。

みんな、見たことのない巨人について興味があるのだろう。どんな見た目をしているのか、どれくらいの大きさだったのか、どのように人を食べるのか。実際に、巨人の恐怖を味わったことのない人間たちは怖いもの見たさでエレン達の話を聞いているに違いはなかった。

 フリーダは落ち着いてスープを飲めない事に少し憤りを感じながらも、黙ってエレン達の話に耳を傾けていた。普通の巨人について興味はないが、逐一コニーが反応を求めてくるため、聞かずにはいられないのである。

 

「巨人なんて、実際大した事ねえな。オレ達が立体機動装置を使いこなせるようになれば、あんなの敵じゃない!」

 

 エレンが得意げな顔で啖呵を切った。同期のみんなは、エレンの決意のようなものに圧倒されていたが、フリーダだけはそれを横目で見ながら「こいつは早死にするな」と何となく思った。特に死相が見えたとかそういうのではないのだが、こういう己の命を蔑ろにする奴に長寿の道があるとは思えなかったのだ。

 エレンが豪語していると、馬面の男が茶化すように横槍を入れる。エレンの志が高い分、鼻につくのは仕方がないと言えば、仕方がないことではあるのだが。それでも、調査兵団に行くと主張する男なんかにわざわざ構いにいくところ見ると、この馬面も相当捻くれた性格の持ち主ということが分かる。

 

「正直なのはオレの悪い癖だ。気い悪くさせるつもりは無い」

 

 少し険悪なムードになっていたが、どうやら無事馬面の男とエレンは仲良くなれたらしい。最終的に手を打ち合って仲直りしていた。

 あれが男の友情というものなのだろうか。今まで友達が出来たことのないフリーダからすれば、馬面の男が最初やたら喧嘩腰だった意味が分からなかった。

 初めてみるコミュニケーションの仕方に首を傾げていると、カンカンと晩食の終わりを告げる鐘が鳴る。フリーダはその音を聞いて、食器を片し割り振られた自室へ戻ろうと食堂を出た。

 少し歩いていると、目の前に見覚えのある金髪の少女が歩いてくる。昼間、教官の怒号に涙していたクリスタであった。

 フリーダはそんなクリスタのことをまるで認知していないかのように、横を通り過ぎようとする。開拓地ではいつもこのようにして接していた。しかし、今日のクリスタは珍しく服の裾を掴んでまでフリーダを止めた。

 

「兄さん、なんで何も話してくれないの……。昔はあんなに仲が良かったのに」

 

 今にも泣きそうな瞳で彼女はそう言う。クリスタがこうなっているのも無理はなかった。 

 まだ、彼女がクリスタではなくヒストリアと言う名の少女だった時。目の前にいる彼がフリーダという名を名乗り始めていない頃。彼らはとても仲の良い兄妹であった。

「兄妹」と一口で言っても彼らに血の繋がりというものはほとんどない。クリスタはロッドとその使用人から生まれた子供であり、フリーダはロッドの兄ウーリ・レイスの隠し子である。血縁上で言えば、兄妹ではなく従兄であった。

 そんな二人の関係がガラリと変わったのは、クリスタ達が開拓地へ送られた時だった。クリスタはロッドによって都合よく追い出されはしたものの、最愛である兄と暮らせるのであればと喜んでいた。しかし、実際に生活を初めてみれば、フリーダからは以前のような明るさは消え失せ、代わりに酷く冷たい視線だけがクリスタに与えられるようになった。その冷たさの正体が何かはクリスタには分からない。ただ分かることがあるとすれば、それは自分を投げ飛ばした母親に似ているということだった。

 あの日以降、クリスタの体には常に寒気が纏うようになった。誰かから与えられていた温かみが消え、今にも凍え死んでしまいそうな感覚に陥っている。今も、大好きな兄の服を掴んでいなければ真面に立てそうも無かった。

 

「ねえ、兄さん。何か言って、お願い、だから」

 

 縋り付くような声。

 フリーダは今にも死にそうな顔をしているクリスタを見ると、裾の部分をそっと離させる。久々に触ってくれた兄の手はクリスタに確かな温かみを与えた。

 ついに兄が何か言ってくれるのかと歓喜し見上げるクリスタ。しかし、そこにはいつも通りの鉄仮面が鎮座しているだけであった。

 

「っ、何も、言ってくれないの……」

 

 クリスタが目を伏せる。兄の冷たい眼差しがとても怖かった。

 フリーダはその言葉に否定も肯定もせず、クリスタを置いてそのまま自室へと歩き出した。その行動が意味するものとは一体何なのか、クリスタには分からない。

 

 

 次の日からは訓練が始まり出した。最初は立体機動装置の適性検査を兼ねた姿勢制御訓練であったが、フリーダは難なくクリアしていた。

 当然、することの無くなったフリーダは暇を持て余す。何かすることがないものかと思い、あたりを散策していたら、金髪でガタイがいい男が座っているのが見えた。

 

「おう。お前も余裕組か」

 

 金髪の男もどうやら暇をしていたらしく、声を掛けてくる。彼の名前はライナーというらしい。

 

「ああ、簡単だった」

 

 愛想無い様子でフリーダが返すと、ライナーは笑い返した。

 

「確かに。あれはぶら下がるだけだからな。できるやつからすれば、何でできないのか分からないぐらいだ」

 

 そう言って、ライナーが見るのは上体をひっくり返してぶら下がるエレンの姿である。「あればダメだな。明日には開拓地送りだ」

 男の言う通り、兵士になるには巨人と戦うため立体機動装置を扱えることが最低条件になってくる。その適性を図るための姿勢制御訓練であそこまでの体たらくを晒してしまったエレンは、早い段階で除隊する事になるだろう。力無きものは去るしかない。それが、この訓練兵団の掟である。

「お前上手かったらしいじゃ無いか。何かアドバイスでもしてやらないのか?」ライナーがそう言ってフリーダを見る。

「下手くそならば、帰ればいい」とフリーダはそう素っ気なく答えながら、空中で反転しているクリスタを見た。

 教官の叱責が遠くから聞こえてくる。どうやら、エレンの有様を目にしてしまったらしい。

ライナーはほんのり苦笑いを浮かべると、違う話題を振り始めた。

 そこからはライナーと談笑した。どこから来たのか、好きな食べ物とかあるのか、訓練兵で可愛い子は見つけたか、と言った世間話が中心であった。同年代とあまり話したことのないフリーダからすれば、どれも目新しい話題ばかりだったが、元々そこまで喋るのが苦手でもないため難なく受け答えする。昔、クリスタにせがまれ多種多様な本を読み聞かせていた経験がここで生きたらしい。

 会話に一段落ついた頃には、いつの間にか姿勢制御訓練が終わっていたらしく、周りにいた人は少なくなっていた。ふと空を見上げれば、青い色だったはずの空が黄金色に変色しつつある。

 フリーダは自分が割り振られている武器庫の整理を思い出し、ライナーにそれを告げた。彼は手伝おうかと聞いてくれたが、フリーダはそれを断る事にする。武器庫の整理は重い荷物の移動があるので、筋肉を鍛えるのに丁度良かったからだ。

 ひとまず、ライナーと別れ武器庫へと向かう事にしたフリーダ。ふと姿勢制御装置の方を見てみれば、未だ教官から認められていない訓練兵が何人か自主練に励んでいた。そこには当然、エレンとクリスタもいる。

 

「まだだ、俺は巨人どもを駆逐するために、力を得なければいけねえ!こんなところで挫けてられねーんだよ!」

「気持ちは分かるけど、これ以上は危険だよ。何度か頭を打ち掛けているし、今日はもう休むべきだ……」

「エレン。頭の損傷は下手をすれば後遺症が残る。ここで無理をしてはいけない」

「うるせー!そんなことにビビってたら、出来るもんも出来なくなる!俺は、“俺の目的のために力が欲しんだ!”」

 

 周りを気にせず大きな声で喋る三人組。フリーダはそれをじっと眺めていた。自分が無茶をするとき、ああ言う風に、いつも一人の妹と姉が宥めてくれていたのを思い出す。

 とても懐かしい記憶。もう何十年も昔のように感じる。

 少しの間考えた後、エレンの失敗具合を思い出しながら、フリーダはクリスタに構うことなくエレン達の方にだけ寄る事にした。

 

「あ、フリーダ」

 

 アルミンがフリーダの接近に気がついたのか、声をかけてくる。エレンともう一人近くにいる女も、その声でフリーダに気がついたのか、一斉にそちらへ視線が向けられた。

 

「よ、よう。何の用だ、フリーダ」

 

 姿勢制御ができ無い事に焦りを感じているのか、エレンの声は妙に上ずっていた。目は大きく開き、唇を忙しなく震わせているところを見ると、心此処にあらずと言った有様なのが見て取れる。

 フリーダはそんなエレンの様子に構う事なく、アルミンが握る取手を見つめた。

 

「アルミン。あげてくれ」

 

 フリーダの申し出に困惑を見せるアルミンは逡巡した。「え、でも。まだエレンの準備が……」

 それに続くように、隣で見ていた女もアルミンに同調する。「これ以上は危険。少し休んでからの方が良い」

 

「エレンの失敗している原因が分かるかもしれん。できれば時間をかけずに教えたい」

 

 フリーダは二人の意見を一笑に付すと、エレンの方を見る。結局のところ、やるかやらないかを決めるのはエレン自身でしかない。エレンがやりたくないと言うのであれば、こちらへ眼を飛ばしているクリスタが絡んでこない内に、フリーダはそのまま武器庫に行くだけであった。

 

「いや、構わない。オレはいつでもいける。アルミン上げてくれ!」

 

 覚悟を決めていたのか、エレンはアルミンに吠える。

 アルミンもエレンの覚悟が伝わり決心がついたのか、気前よく「分かった」と言って取手を回し始めた。

 女の方はあたふたした様子でそれを見守っているが、フリーダは注意深く、ある一点の場所を見つめる。

 二、三回取手を回せば、エレンの足が地面から離れ体が持ち上がり始める。

 徐々に、徐々に。上へ、上へ。

 一番高いところまで持ち上げられた上体は、姿勢を綺麗に保てたかと思うと、何の拍子もなく前傾に回転した。

 だが、フリーダはそれをあらかじめ予想していた。すぐさま、地面にぶつかりそうになったエレンの頭を足でキャッチする。

 

「エレン大丈夫!?」

 

 女が回転したエレンを心配する。

 フリーダはエレンをそのままゆっくり地面へと下ろし、エレンから装備を外させると、ベルト部分を見つめた。

 

「やはり破損しているぞ」

 

 フリーダはそう言って、エレンに分かるように破損している部位を指差した。そこは、昨日フリーダが細工した場所によく似ている。

 アルミンや女もフリーダが指し示す場所を見てみれば、確かに一部装備が破損しているのが見えた。

 

「あ、本当だ。これが原因だったのかな。でも、こんな所破損するなんて聞いたことが……」

 

 アルミンの言うとおり、この部分は誰かが故意に壊さない限り、破損しない場所であった。

 そのため、装備点検の欄からも外れており、この部分を点検する人間などほとんどいない。

 それなのにフリーダは一発で、その部分が壊れていると見抜いた。それは一重に、彼がその部分を壊すとどのようになるのか知っていたからである。

 エレンは心底恨めしそうな目でベルトを見つめると、誰にも聞こえないくらいの大きさで小さく舌打ちをした。

 

「まじかよ、そうだとしたら、何回やってもうまくいく訳ねえじゃねーか」

 

 エレンはそう愚痴を溢すと、早速、「体格の似た誰かからベルトを借りてくる、フリーダありがとな」と言って走り出した。

実に愚直な彼らしいと言えば彼らしい行動なのだが、その周りにいる人間からしたら迷惑極まりない。エレンの妙なせっかちさに思わずアルミンと女がため息を吐くと、フリーダに向かって深々とお辞儀をする。フリーダも、そんな事を望んでいたわけではないため、手を振ってそのお辞儀をやめさせた。

二人がエレンを追っていくのを見届けると、そそくさとフリーダはその場を後にする。後ろから感じる目線に気づかないフリをしながら。

 武器庫に着くと、どうやら先客がいたらしく一人の女が椅子に座っていた。そばかすが特徴な女である。

 本日の作業は自分一人が担当のはずなので、フリーダは彼女のことを無視して武器の整理を始めようとする。最初は軽いものから運ぼうと考えた。

 

「なあ、あんたクリスタの兄貴だって?」

 

 突然、女がそんなことを尋ねてくる。

 クリスタとの関係をフリーダはまだ誰にも言っていないはずなので、女はクリスタの友達かなにかだろうと決めつけた。

 

「そういうあんたは?」

 

 フリーダが名前を聞き返した事がそんなに可笑しかったのか、女は眉毛をぴくりと上げると驚いた顔をした。

 

「お前喋れるのかよ。クリスタからは無口って聞いたんだけどなー」

 

 女の言うとおり、フリーダは確かに寡黙な方である。自分から喜んで喋らないし、あんまり誰かと笑いあったりはしない。けれど、喋る時は喋るし、別に話すことが嫌いというわけでもなかった。その証拠に、今日の訓練時はライナーと談笑する程度にコミュニケーションを取っていた。

 フリーダが無口になるのはクリスタの前だけである。

 

「私はユミルだ。お前の妹と結婚する者と思ってくれよ」

 

 一部変なセリフが聞こえたが、フリーダは彼女の名前を聞いて、目を細める。

 ユミルという名前にとても聞き覚えがあったからだ。

 

「ユミルだと?」

「何だ?私のことを知ってたのか?」

「いや、知らん。だが、その名前はすごく聞き覚えがあるな」

「……まあ、別に変な名前ではないだろ?」

 

 ユミルがそう言うので、確かに珍しくはないかとフリーダは思う事にした。それに、聞き覚えがあったとしても、それはただの偶然だと考える。

 

「で、話があってきたんだよ。お前さ、クリスタの装備破損させたろ?」

 

 ユミルがからかうような顔をしながら言う。

 フリーダはそれに動じる事なく、頷いてみせた。

 

「あれ、あっさり認めるのか」

「他人に隠す事でもない」

「ふーん。何であんなことしたんだ?」

 

 先ほどのような戯けた顔ではなく、真剣な顔つきでユミルが聞いてくるので、フリーダもため息を吐きながら己の心中を吐露した。

 

「あいつは何かになれる器じゃない。その辺の器量の良い男を捕まえて、腐る程ガキをこしらえて、馬鹿みたいに笑っている方が似合っている」

 

 これが、フリーダがクリスタを冷たくあしらっている“表面上”の理由である。

 

「思ったより口悪いな、お前。何でそれを本人に言ってやらないんだ?」

「言うだけ無駄だ。どうせ言うことを聞かない」

 

 ユミルは面倒くさそうに頭を掻いた。もう少し複雑そうな話であれば、何か解決の糸口でも出してやる気でいた。しかし、ユミルから見たこの兄妹の問題はただのすれ違いである。原因がシンプルすぎて、ユミルもどうしたらいいか戸惑っていた。

 

「悪いが、多分クリスタはそれを望まない。あいつはお前と一緒にいるためにどんな手を使っても努力し続けるはずだ」

 

 事実、先ほどエレン達に装備破損を教えてやった時、クリスタは心底恨めしそうに見ていた。あと数分もすれば、あの場へクリスタは飛び込んでいたことであろう。

 

「ベルトの破損については私から教える。お前の努力は全部水の泡だな」

 

 ユミルが愉快そうにそう笑うので、「そうか」とだけフリーダは素っ気なく返す。

 その返答が気に食わなかったのか、ユミルは顔をぐしゃっとしかめた。

 

「なあ、本当にクリスタと話す気はないのか」

 

「ない」と即答する。フリーダは今後一生クリスタと話す気がない。

 

「それでも兄貴かよ」

 

 ユミルから批判の声が聞こえるが、それでもフリーダは止めるつもりがなかった。

 最早、兄として、一人の男として、自身が行っている行為が最低なことは自覚している。

 

「ああ、そうかい。じゃあ良い。精々、妹を苦しめるんだな」

 

 苦しめる、という言葉がフリーダの中で引っかかるものの、それを無視する。

 自分の成すべきことを成すためには、クリスタという存在は邪魔でしかないのだ。

 フリーダは己の目的のため、クリスタを、自分の妹を捨てていく。それは自分への戒めなのかもしれない。ただ、それをしなければいけないとフリーダは考えていた。

 何をしてでもやり遂げなければいけない。例え、自分が死んでもやり遂げる。

 そんな強い意志で彼は今も生きている。

 フリーダの生きる目的。それは“最愛の姉を殺した、あの巨人になれる人間を殺すこと”であった。



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2話

とりあえず、感情のまま書いている物を投稿


 

 本日の訓練は午前中から対人格闘術であった。最近では、立て続けに兵站行進や立体機動が続いたため、体を休めるという配慮がされているのだと思う。この計らいに甘んじている者は、みな適当に力を抜きながら組み手をしていた。

 そんな中、フリーダは本日三人目の相手を探すため周りを見渡していた。さっきまで組んでいた二人の訓練兵を医務室送りにしてしまったためである。

 当然だが、このような野蛮な人間と組みたいと志願する勇者はおらず、誰もフリーダと目を合わせようとしない。体の頑丈さが売りのライナーですら、初回の対人格闘術で医務室送りにされたため、彼と組むことを嫌っていた。

 もし、フリーダが優秀な格闘術でも身につけていれば、相手に怪我をさせることなく綺麗に技を仕掛けられるだろう。だが、生憎彼は技巧の劣った格闘術しか身についていない。全てが実践向けで、覚えている戦い方は効率の良い人体の壊し方と、相手を痛め苦しめる関節技のみである。彼に戦闘術を教えた人間が良くないと言えばそれまでだが、フリーダがその戦い方を改める気がないのも問題であった。

 そんな破壊の申し子のようなフリーダと組みたがるのは、さっさと気を失い訓練をサボろうとするバカか、組み手相手を見つけられずフリーダに捕まってしまう哀れな子羊のみである。

今は対人格闘術が始まって残り半ばくらいの時間が過ぎており、流石にフリーダの相手をしようと名乗りでる者はいなかった。

 フリーダは仕方がないと思い、教官に組み手相手が見つからないことを報告する。教官からも組み手相手を医務室送りにしていることは何度か苦言を漏らされたが、それでも新しい組み手相手は見繕ってくれるだろうと考えた。

 キース教官は辺りを一周見回すと、二人の少女と少年の名前を呼ぶ。呼ばれた二人は、訓練を一旦中断させて、キース教官とフリーダの元へと駆け寄ってきた。

呼ばれた少年 アルミンはフリーダの顔を見て表情を曇らせる。なぜ教官に呼ばれたのか察しがついたらしい。

 一方、もう一人の少女 ミカサの方は何も思わないのか凛とした面持ちでキース教官を見ていた。

 

「こいつの相手をしてやれ、アッカーマン訓練兵」

 

 それだけを言うと、教官は一歩後ろへ下がる。どうやら、フリーダとミカサの組み手を見守るらしい。アルミンも教官の動きに見習い、フリーダとミカサから少し離れた。

 周りの人間がざわつく。同期最強の呼び声高いミカサと破壊の申し子フリーダの組み手である。熱くならない者はいない。

 みな、教官が近くでいるため、体は動かし続けるものの、目線はミカサ達の方へと釘付けにされていた。

 

「よろしく」

 

 ミカサが短く挨拶をして、ファイティングポーズを取る。誰に教えられたわけでもないのに、彼女の構えは熟練された格闘術者を彷彿とさせた。

 対してフリーダは軽く頭を下げると、木製ナイフを持ったまま棒立ち状態で止まる。彼は格闘術の一切を知らないために構えというものを知らなかった。

 熟練された格闘術と、実戦に対応した戦闘術。

 技という面であれば確実に格闘術が勝り、相手に何をするか読ませないという面では戦闘術が勝る。

 フリーダはならず者役として、ミカサに仕掛ける。

 大きく振りかぶられた右手。それをミカサは小振りのパンチで叩き落とそうとする。

 ナイフを持っていたフリーダの右手首に衝撃が走る。早さを重視したジャブの威力とは思えない重さ。フリーダの予想を遥かに超えたパワー。

 フリーダはわざとその衝撃に従いナイフを落とすと、ミカサのがら空きになった左脇腹へ本命の蹴りを繰り出した。

 ミカサは反応しない。ジャブを打った体勢で無理やりガードをすれば最悪腕を持っていかれる。

 腹に力を入れ、痛感に耐えるよう唇を固く結ぶ。

 次の瞬間、想像していた何倍もの衝撃がミカサの体に襲う。全身の力を溜め込んで放たれたフリーダの蹴りは、悠々とミカサの体を後方へ吹き飛ばした。

 周りから関心の声が漏れる。近くで見ていたアルミンは、初めて幼なじみが飛ぶシーンを見て瞠目した。

 地面に落ちたミカサは豪快に吹き飛んでいたものの、ダメージが入っていないのか、自然と立ち上がる。フリーダもそれに特段驚くことはせず、落としたナイフを拾い上げた。

 アルミンは吹き飛ばされたミカサが無傷なのをおかしく思い、先ほどまでミカサが立っていた地面へと視線を落とす。そこには、吹き飛ばされたはずなのに足跡も、地面が擦れた跡も存在していなかった。

 どうやらミカサはフリーダがナイフを落としたのを見て、先に飛び退いていたらしい。結果的にそれがフリーダの蹴りの威力を削ぐこととなり、派手に飛びはしたが、ダメージが入っていないのだろう。

 

「思ったより強い蹴りだった。見事」

「いや、それはそっちも。鋭いジャブだった」

 

 お互いにお互いを褒め合いながら、フリーダとミカサは距離を縮める。ならず者役のフリーダがとどめ刺すところまで追い詰めるか、ナイフを奪われないかしない限り、この組み手は終われない。

 二人は手が届きそうな場所まで接近すると、それぞれが持つ相手を打ち倒すための技を繰り出した___。

 

 

 フリーダは夕食の準備である芋の皮むきをしながら考える。今日の朝、対戦したミカサ・アッカーマンという少女に関してだ。

 アッカーマンと言う名を持つからには相当な強さを持つと思っていたが、それでも彼女は女。フリーダは油断していた。やはり、アッカマーン一族は化物しかいないらしい。

 

「おい、フリーダ聞いてるのかよ」

 

 物思いに耽っていたせいか、隣で騒いでいたコニーの声が今更ながらに聞こえる。

 フリーダはばつが悪そうな表情を浮かべると、何も言わずコクリとうなずいた。今は、フリーダの後ろでクリスタがせっせと物を運んでいるため喋れる時ではない。

 

「フリーダって突然何も喋らなくなる時ありますよね。また喉でも痛くなったんですか?」

 

 コニーやフリーダと一緒に皮むきをしていたサシャが首を傾げながらそう言った。

 

「確かに。何が原因なんだろうな。まじで不定期すぎて分からん」

 

 コニーもサシャの言葉に同意しながら、まじまじとフリーダの喉元を見る。

 フリーダは何も喋ることができないため、いつもの鉄仮面を貼り付けて、その場をやり過ごす事にした。コニーも、フリーダが喋らないためにその話を続ける気が失せたのか、再び剥いていた芋へと視線を落とす。

 

「それにしてもよー、今日は災難だったぜ」

 

 コニーがぶつくさと言い始めた。

本日の対人格闘術の時間、コニーとサシャはふざけていると教官に思われ、一日中走らされていたのだ。しかも、昼食抜きで。

 本人たちには全くふざけていたという自覚がないため、叱ってきた教官へ憤りを感じていた。しかし残念ながら、どれだけコニーやサシャが真面目にしていたと主張しても、第三者から見て、それを同意することができない有様だったのは言うまでもない。

 

「あれはコニーのせいですよ。変な構えしたからです」

「それ、お前が言うか!鷹のポーズとかいう変な構えしてただろ!」

「あれは歴とした伝統ある構えなんです!コニーのような若輩者には分からないだけです!」

 

 激しく罪をなすり付け合う二人だが、フリーダからすれば五十歩百歩である。お互いに変な構えをしていたのは、格闘術に疎いフリーダでも分かる。

 

「第一、コニーはいつも考えがなさすぎますよ。昨日だって立体機動中にガスの残量みていなかったですし」

「お前は刃の扱い方が雑で、教官に怒られていたけどな」

「あ、それを言いますか!?だったらコニーだって!」

 

 いつの間にか、間にいるフリーダも忘れて二人は罵り合い出した。

 できることなら、目の前にある芋の皮を全て剥いでから口論して欲しいのだが、生憎フリーダは口が開けない。喧嘩を止めようにも、止める手段が無かった。

 いや、制止させようと思えばさせられるのだが、バカ二人の喧嘩の仲裁はフリーダでも骨が折れるためする気にはなれなかった。

 

「二人とも、そこまでにしよ?」

 

 突然、後ろから二人の口喧嘩を止める者が現れる。

 フリーダはその声の主が誰か察したため、振り向くことはしなかった。

 

「クリスタ!でも……」

 

 サシャは歯切れの悪い言葉を紡ぐ。コニーも、どこか気まずげに顎をそらしていた。

 

「その、悪かったな。言いすぎたよ……」

「いえ、こちらこそすみませんでした……」

 

 互いの非を認め合うことができたのか、二人は芋の皮剥き作業へと戻る。二人がああして白熱した喧嘩をするのは珍しかっただけに、他の取り巻きたちも安堵の声を漏らしていた。

 フリーダはいまだに浴びせられている背後の視線に、鬱陶しさを感じながらも、剥き終わった芋を水の入った樽へと放り込んだ。

 

 

 兄さんは昔から喧嘩が滅法強かった。

私が石を投げつけられていると知れば、すぐ様、家の中より飛んできて、柵の向こう側の少年たちを叱り付けていた。

 兄さんは滅法明るい人だった。

私たちに侮蔑の言葉を浴びせていた村人が、いつの間にか兄さんを取り囲むようになっていた。

 兄さんは正義感の強い人だった。

誰にも分け隔てなく接し、悪いことを悪いとちゃんと言える人間だった。誰かが困っていれば、手を差し伸ばし、誰かが泣いていれば慰めてあげるような、そんな優しい人だった。

 しかし、兄さんは変わってしまった。開拓地に行ってから、口数は激減し、私の目の前では何も喋らなくなっていた。話しかけても返事せず、私の存在をまるで認知していないような素振りだった。

 毎晩聴かせてくれた優しい声の語りも、偉いことをすれば撫でてくれた手も、名を呼べば向けてくれた温かい笑顔も、まるで嘘だったかのように消え失せていた。

 それでも、私は兄さんを信じていた。それは、私以外の人間が語る兄さんが、昔の兄さんと似ていたからだ。

 開拓地にいたとき、あるお婆さんが私に話してくれた。

 

___生産量を追いつかせるために、無理な労働を駐屯兵に虐げられている。それをあんたの兄様が人の倍近く働くことで助けてくれた。おかげで、耕地整理は進み農作物の生産が来月から始められる。過酷な労働には変わりないが、それでも楽することができた。ありがとう。

 

 私はその話を聞いて嬉しくなった。兄さんが変わってしまったと思っていたが、相も変わらず優しく、正義感の強い人のままであることが知れたからだ。

 私は兄さんにお婆さんが感謝していたことを伝えようと、兄の元へ走った。

もしかしたら、この話をきっかけに昔の関係に戻れると期待していた。

 しかし、現実というものは甘くなかった。兄さんは私に一瞥くれることもなく、耕地整理をひたすら行っていた。私が話しかけても、まるで聴覚を失った人間のようにピクリとも反応しない。色のない表情で土を見つめながら、何度も兄さんは鍬を振り下ろす。

 私はそれを見て、きっと忙しいから構ってくれないんだと勝手に思っていた。いや、そう思わなければ心が壊れてしまいそうだった。

 訓練兵になれば環境の変化で兄さんが戻ってきてくれることを期待した。もうお婆さんたちのために耕地整理なんてしなくていいから、兄さんも余裕が出てくると思っていた。

 結果は何も変わりはしなかった。兄さんは私に無頓着で何もしない。

ユミルが言うには他人とは普通に会話していたりするらしい。

教官とも話をしているところを遠目で見たことがあるが、声を聴かせてはくれなかった。

 時々、みんなの兄貴分であるライナーが兄さんのことを教えてくれるが、その時の兄さんは私の目の前にいる兄さんとは大違いの人物像だった。明るいわけではないらしいし、優しいところが目立つわけでもないが、それでも他人との会話をしっかりとする人なのだそうだ。

 私はそれを知って気づいたことがあった。正確には、今まで色々と理由をつけてその現実を見ないようにしていただけだ。兄さん自体が変わったのではなく、私との接し方を兄さんが変えてしまったのだ。

 理由は考えれば考えるほど浮かび上がる。

私が妾の子だと知って幻滅したのか。

それとも、私のせいで開拓地に行ったのを恨んでいるのか。

あるいは、私がろく動けなかったことに腹を立てているのか。

 どれもあり得そうな理由ばかりだ。私が兄さんに嫌われるには十分な判断材料が出揃っている。

 私の中で何かが壊れる音がする。それがなんなのか分からない。大事なものが砕けてしまったような気さえする。けれど、それは気のせいだと思った。だって一番大事なものを私は知っているから。

 だから私は心に決めた。良いことをしよう。誰にも認められる良い子になろう。

 そうすれば兄さんがもう一度頭を撫でてくれるかもしれない。あの優しい声で「よくやった」と褒めてくれるかもしれない。そんな甘美な時間が戻ってくるのだと思えば、自分の命も惜しくはなかった。

 

「お前、良いことしようとしてるだろ」

 

 そう。私は良いことをしようとする。

 

「それは他の誰かのためにやったのか?」

 

 違う。他の誰かなんてどうでも良い。私は私のために良いことをし、良い人を演じる。

 

「お前の得たものは、その労力に見合ったか?」

 

 見合うはずだ。私の存在価値など、とうの昔から決まっているのだから……。

 



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3話

フリーダの見た目はウーリの若かりし頃を金髪にした感じ。
最後アンケートしてます。


 

 訓練兵になってから珍しく与えられた休日。普段であれば、走り込みなど下半身を作る自主練をしているのだが、フリーダは先日の訓練で軽く足を捻っているため上半身の筋トレに甘んじていた。かれこれ筋トレを初めて1時間が経過しただろうか。今は腹と胸部分の筋トレが終わり、次は上腕部分を鍛えようと重しを手に取った。ずっしりとした重量感が腕に伝われば、コンセントレーションカール(重しを利用した上腕部の筋トレ)スタートの合図である。

 汗をかき、腕部分が熱くなるのが分かる。筋繊維がきちんと壊れている証拠だった。

 回数が3セットに到達した頃、ふとフリーダがトレーニング部屋の入り口付近に目を向けると、エレンが手を振って近寄ってきた。フリーダは珍しいこともあるものだなと思いながらも、腕の上下運動は止めない。

 エレンはそんなストイックなフリーダの姿勢に、少年のような目の輝きを放ちながら自身の要件を伝える。曰く「立体機動のコツを教えてほしい」とのことだ。

 フリーダはその言葉を脳内で数回巡らせると、すぐさまその言葉を聞き返した。

 

「立体機動を?」

「ああ。フリーダって成績良かっただろ?その、馬術以外は……。た、対人格闘もすげーし、色々と教えて欲しいんだ」

 

 エレンが頬をかきながらそう言う。

 確かに彼の言う通り、フリーダの成績はある一つを置いて規格外に良かった。立体機動、対人格闘術、技巧術、座学、兵站行進等あらゆる分野でその才能を遺憾無く発揮させている。

 ただ、馬術だけはどうしようもなく成績が悪い。馬に近づけば全速力で馬が逃げ出し、乗馬できたとしても言うことを聞かず暴れ出す。馬小屋に行って餌をやろうものなら、鳴き出して止まらない程だ。どうやらフリーダは動物にとことん好かれない性質らしい。こればかりは教官たちも頭を抱えていた。

 フリーダは一旦重しを置いて立ち上がる。

 

「ミカサではダメなのか?」

「ミカサの奴はあてにならねー。天賦の才だからか、あいつは初めから完成してる。参考にはならねーよ」

「なるほど」

 

 その言葉にフリーダは納得せざるを得なかった。ミカサという人間は天才肌らしく、何をやっても、どう体を動かせば良いのか体感で理解できるらしい。

 対人格闘術の時に見せた、あの見事なファイティングポーズや格闘術も、ミカサの本能が最適解を見つけ実行した結果なのだろう。フリーダの頭の中で、彼女と同類の人間が二人ほど頭の中を過ぎった。

 フリーダは小考すると、自身の足の具合を軽く確認する。少しの立体機動であれば、もう片方の足で何とかなりそうだった。

 

「だが俺も教えるのが上手いとは言えんぞ。口下手さで言えばあの背が高いだけが取り柄のベルトルさんと同等だ」

「見て指摘してくれるだけでも嬉しい。俺のどこがダメなのか、それだけでも頼む」

「分かった。なら、教官に自主訓練の許可を貰ってこい。今ならまだ見張り役をしてくれる人もいるだろうぜ」

 

 そう言って、フリーダは教官室と立体機動が置かれている場所へ向かい始める。彼の中で何かのスイッチが入ったらしい。随分とやる気になっていた。

 しかし、頼んだ側のエレンは少し放心状態である。まさか今から見てくれるとは思っていなかったのか、エレンは先に歩き出したフリーダを追いかけながら咄嗟に大声で確認した。

 

「い、今からでいいのか?」

「不満か?」

 

 エレンの言葉にフリーダは訝しげな表情を浮かべながら問うた。

 

「いいや、まさか。その逆だ。まさかそんな乗り気になってくれるとは思わなかったから」

 

 フリーダはその言葉を受けて、少し自身の人物像というものを考える。他人から見た自分、己から見た自分とは一体どのようなものなのか、少し興味があったからだ。

 結論から言えば、確かに今のフリーダという人間は自分から見ても、他人から見ても、エレンの想像と相違なく、妹を除けば他人の事などあまり気にしない人間であった。

 だが、こう見えても昔は困っている人がいれば助けてやっていたし、彼の中にはきちんとした道徳観や正義が埋め込まれていた。それこそ、昔は空笑いするくらいには明るいフリをしていた。それは最愛の姉であるフリーダとの約束を守るためでもあり、村の住人に自分達のことを認めてもらいたい一心でやっていた事でもあった。

 しかし、姉フリーダが殺されてからというもの、彼の中で何かが変わった。

 あれだけ優しかった姉が無残に死ぬのを見て、演技をするのに疲れたのかもしれない。

 それともこの世界に絶望して、自暴自棄になってしまったのかもしれない。

 この真相は誰にも分からないが、ただ一つはっきりとする事は、彼は自身を偽ることをやめたという事だった。

 フリーダは横で歩くエレンを一瞥する。

 自分がなぜか気にかけてしまう存在。制御姿勢訓練の時から妙な感覚を覚える存在。

 きっと、アルミンとミカサといるときのエレンが、昔の自分と被っているのかもしれないと、フリーダは結論付けた。自分のようになって欲しく無いから、彼に力を貸そうとしているのかもしれない。

 そんな事を考えながらエレンと教官室へ向かっていると、目の前からジャンとマルコが歩いてくるのに気がついた。

 あちらも、フリーダたちに気がついたのか手をあげて挨拶をしてくる。

 

「あれ? フリーダとエレンだけの組み合わせって珍しいね」

 

 マルコがそう言って二人の顔を見比べる。

 本人達に自覚はないが、エレンはいつもアルミン達と行動し、フリーダはいつもコニーやサシャといったアホ組に纏わりつかれていた。エレンたちはシガンシナ区トリオで、フリーダたちはアホトリオと裏で呼ばれている。本人達がこれらの呼び名について知っているかは不明だが、少なくとも、名誉ある渾名で無いことは二人とも分かるだろう。

 そんなトリオの中枢核を担う二人(特にエレンの方)を見ながら、ジャンはニタニタと笑っていた。

 

「なんだー、死に急ぎ野郎。ミカサとアルミンの次はフリーダにべったりか?」

「お前こそ今日はやけに絡んでくるな」

「別に。お前が寄生先を変えたんだなって思っただけだよ」

「はあ!?誰が寄生だ。お前みたいな腰抜け野郎の方がよっぽど___!」

「さっさと行くぞ。時間が惜しい」いつも通りの喧嘩が始まるかと思えば、フリーダのその一言でピシャリと二人の口論が止まる。「お前たちの犬も食わない喧嘩は長い。するなら晩飯の時にしやがれ」

 

 誰かに移された口の悪さが、自然と滲み出るフリーダ。エレンもそれで落ち着きを取り戻したのか、ジャンを鼻で笑うと一言フリーダに謝り、さっさと教官室へ行こうとする。

 しかし、それを止めるようにジャンがフリーダの肩をおもむろに掴んだ。

 

「おい待てよ、フリーダ。お前にも言いたいことがあるんだ」

 

 ジャンの言葉にフリーダは渋々と言った様子で振り返る。

 

「お前は、その、なんつーか、顔は悪い方じゃねーし?しかも、あ、あのミカサともやり合える人間だ……。訓練でもよく組んでるし。だ、だから、よー……」

 

 口籠もりながら喋るジャンに、フリーダはため息をつく。腕を組みながら足踏みをして、遠回しに早くしろと催促していた。

 

「だ、だから!お前はその、ミカサのことをどう思ってんだよ……!!良いとか、わ、悪いとか……」

 

 ジャンのその言葉に、隣のマルコも驚いた顔をした。まさか、それをフリーダに聞くとは思っていなかったらしい。

 フリーダはジャンの問いかけに少しばかり思案すると、すぐさま答えを出す。

 

「悪くない。以上だ」

 

 そう言ってフリーダとエレンは歩いて行ってしまった。

 

「は?え、はあ?それはどう言う意味だ!おい!?」

 

 ジャンは困惑する。フリーダという人間は、成績も良く、もしかしたら唯一、化物であるミカサを歴とした少女として扱う事ができる男かもしれなかった。

 その男が自分の新たなライバルとなるのかどうか調べておきたかったジャンにとって、どっちとも取れる回答は頭を悩ませる。エレンに続いて、これ以上の恋敵を作りたくはないのだ。

 

「ジャン。流石に今の聞き方は伝わらないんじゃない?フリーダからすれば、訓練相手としての評価を聞かれたよにしか……」

 

 対して、フリーダに女気が無いのを理解しているマルコは現状を正しく認識していた。もし、フリーダがミカサを女として認識していれば、あれだけの短い言葉で終わらさないはずだ。それに、ミカサ自身もエレン以外を異性の対象として見る事は今後一切ないと思われた。証拠に彼女がいつも付きっきりで面倒見ているのはエレンだけだ。アルミンは親友ポジションでしかない。

 だが、そんなマルコの言葉は今のジャンには聞こえなかった。

 

「くっ、悪くないってどっちだ、好きなのか?普通なのか?いや、嫌いって言わない時点で好きは確定なのか?はあ?なら俺に勝ち目なくね?あの死に急ぎ野郎にならまだ大丈夫だが、寡黙で、顔も良くて、スタイルも良くて、ちょっと口が悪いところがワイルドで、さらに成績いいとか理想の男すぎるだろ」

 

 ジャンがぶつぶつと呟く。

 この男から見たフリーダという人間は、どこのハーレム主人公なのかと聞きたくなるレベルの超絶完璧美少年であった。

そんなものは当然、現実と大きく違っている。実際のところ、フリーダを好き好む女性はこの訓練兵団でも希少種(どM、メンヘラ)と、何も考えていないコニーやサシャのようなアホと呼ばれる人種のみだ。

 なのに、ジャンがここまでフリーダをかっこいいと思うのは、彼が思春期真っ盛りのお年頃のせいなのだろう。寡黙でちょい悪の男がモテると、勝手に思い込んでいるのが原因のようだ。

 マルコはそんな様子のジャンを見て、頭を振りながら呆れた形相でため息をついた。

 

「うん。君は僕の話を聞かないし、君の中でのフリーダの評価がすごく高いのが分かったよ。多分ミカサを含め、女子全員の評価より、君のフリーダへ対する評価の方がずば抜けて高いだろうね」

「おい、マルコ……。俺はどうすれば良いんだ……。どうやって、あのフリーダ様に勝てというんだ……」

 

 すがりつくジャン。もうまともに思考回路が働いているとは思えない。

 マルコは掴まれた手をそっと離させると、代わりにジャンの肩を掴んだ。

 

「怒らずに聞いてほしいんだけど……、ジャンは……モテる人じゃないから、女子の気持ちをよく理解できていない。それでいて、理想の男子像を歪んで認識してるんだと思う」

「は、はああ?マルコ、お前何を言って」

 

 マルコは乾いた笑を漏らす。

 マルコの唐突な豹変ぶりに、ジャンは戸惑った。だが、マルコは今のジャンと関わり合いを持ちたく無いため、さっさとこの話を切り上げることにする。それは暗に彼を見捨てたと言ってもいいかもしれない。

 

「そんなにフリーダに対する評価が高いなら、エレン達と一緒に自主練をしてみたら?モテる秘訣が分かるかもしれないよ」

「っ!?お前、天才か!行ってくる!」

 

 ジャンはそう言って、エレン達が向かった方向へと猛ダッシュで駆け抜けていった。

 折角の休日を自主練で潰したく無いと言っていた彼の姿は、もうどこにも無い。彼は性欲に貪欲で、忠実で、一途なだけなのだ。それが少し空回りしてしまっているだけなのだ。

 だからマルコは放っておく。いつかその愚かさに気づく時がくるのを祈りながら。

 

「はあ、アルミンと機械のメンテナンスでもするか」

 

 

 風を切り裂く。

 一筋の光が差す。

 常人の目で追える速さはとうに超えており、風切音だけが森に響く。

 縦・横・上・下、それらを無尽に迸るそれは、木々の合間を縫って正確に、繊細に、けれど大胆に「疾風」という言葉を体現していた。

 とん、と着地がする音がした。エレンとジャンが上を見上げてみれば、いつの間にかフリーダが木の上にに立っていた。

 あまりの出鱈目な動きにエレンは頭を抱える。横でそれを見ていたジャンも同様、悪い夢でも見たような顔をしていた。

 

「クソ。早すぎだろ……」

「ガスの吹きすぎかと思ったが、そうでもねえ。何が俺たちと違うんだ?」

「体重移動だ」今まで立体機動をしていた張本人が、涼しげな顔で二人の疑問に答える。「適切に姿勢を変えれば誰でもできる。お前たちにはその筋肉が不足しているだけだ」

 

「体幹かー」エレンはそう言って遠い目をした。

 少し前、エレンはミカサに腹筋を見せてもらったのだが、その時見事な形をしていたなと今更ながらに思い出したのだ。もしかしたら、彼女が強い秘訣はその腹筋にあったのかもしれない。

 どのような時にもブレない体。当面の目標はそれを目指し、体幹を鍛えるところから始めようと決意するエレンは、何かを思い出したように「そう言えば」と話を切り出した。

 

「なあ、フリーダは所属兵団何にしたいとかあるのか?やっぱ、成績良いから憲兵団か?」

 

 フリーダ程の実力者がいれば調査兵団はもっと活気付くことになるだろうとエレンは考えた。馬術が致命的ではあるが、それを補ってあまりある身体能力は実に魅力的だ。自分にもそれくらいの力が欲しいと素直に思っている。フリーダの動きができれば、憎い巨人の掃討も夢では無いと思えたからだ。

 しかし、エレンに質問されたフリーダは少しも考える事なく頷いて答えた。彼の目的を果たすために最適な兵団は何かなど、訓練兵になる前から分かっていたのだろう。

 そんな様子を見ていたジャンは疲れた顔をしながら、だらりと木に寄りかかった。

 

「まっ、フリーダも憲兵団だろうなとは思ってたよ。これで上位陣はほぼ決まりかー」

 

 そう言って、憲兵団を目指すと入団式から豪語していたジャンは哀愁を漂わせる。ライバルが多いことに絶望しているのかもしれない。なんと言っても、憲兵団に入れるのは上位10名までなのだから。

 そんなジャンの気持ちを理解できないのか、エレンは「上位陣」と言う言葉に引っ掛かりを覚え首を傾げた。

 

「上位陣?誰のことだよ」

「死に急ぎ野郎は周りが見えてねーのかよ。ミカサ、ライナー、ベルトルト、アニ、ユミル、それにフリーダ。これが上位陣だ」

 

 エレンの質問にうんざりた様子でジャンは答えてやる。

 先ほど上げた名前は、ジャンが考える卒業する際10位以内に入っているであろう成績優秀者達だった。訓練が開始してそろそろ1年ほど経とうとしている現在、上位陣はそれぞれ頭角を現しつつある。特に、ミカサとフリーダが別格を誇り、それに追順する形でベルトルト、ライナー、アニ、ユミルが走っている。それより下の者達など、いまだドングリの背比べもいいところだ。

 しかし、それを知らなかったのはどうやらエレンだけではなかったらしく、フリーダも感慨深げに肯いていた。「そんなのがあったのか」

「フリーダ、お前もかよ」ジャンはただ呆れるしかできなかった。

 

 

「よお、フリーダ。何してるんだ、こんなところで?」

 

 晩食後、教官に頼まれた時計の修理を行っているフリーダにユミルが声をかけた。訓練初日から、こうやってユミルは人知れずフリーダに声をかけるのが日課となっていた。

 フリーダはいつも通り、何かを探すように周りを見渡し始める。それを見たユミルは呆れたように頭を乱雑に掻きながら、大きく息を吐いた。

 

「気にしなくてもクリスタはいねーよ」

「……みたいだな」

 

 クリスタがいないと分かった途端、硬く閉じられていた口が開く。餌付けされた野良猫のような掌返しだった。

およそ一年間近くもこれを続けているフリーダに、ユミルはある意味で脱帽したくなる。

 

「で、何してたんだ?」

 

 ユミルは再度、フリーダが何をしているのか尋ねる。フリーダの体を覗き込んでみれば、精巧に作られた時計と工具用品が地面に置かれていた。

 

「修理を命令された」

「修理?ああ、これのか。あんたこれ分かるのか?」

「一度分解したらバカでも覚える。こんなもの」

 

 そう言って時計をばらし始めるフリーダ。手先が器用で、昔からこういった慈善行為をしていたフリーダだからこそできる事である。

 

「うへー、これだから天才肌ってやつは気持ち悪い」ユミルはそう言って、心の奥底から顔を歪める。「てか、なんでそんな命令に従ってるんだ?らしくないだろ」

 

「馬小屋整備の代わり」

 

フリーダはそう言ってユミルを一瞥すると、時計に入っていたホコリや汚れを取り始めた。

 どうやら、馬小屋の番ができないフリーダに対する緊急処置らしい。

 

「で、用件は?」

 

 フリーダが尋ねる。

 

「急かすな。簡単な話だ。そろそろクリスタの誕生日だろ?何か用意しているのかと思ってな」

「何故俺が用意しなくちゃならない」

「それはお前が兄貴だからだよ」

 

 両者睨み合いながら、険悪な雰囲気で話を進める。フリーダからすれば、拒絶している相手の誕生日を祝うわけがなかった。

 

「あいつ。あんたのために良い子になろうとしてるぜ。自分の見返りも考えず、どうやればあんたに振り返ってもらえるのか、それしか考えてない」

 

 ユミルは現在のクリスタの動向を愚兄に教えてやる。

 ユミルのいう通り、現在のクリスタは異常なまでに良い人を演じていた。周りからは女神や、神様、結婚したいと持て囃されているものの、それら全てがマヤカシでしか無いという事を、一番近くで見ているユミルが分かっていた。

 クリスタは兄の気を引くことしか考えていない。それは昔、村人に認めて欲しくて慈善活動に励んでいた若かりしフリーダに似ている。

 フリーダはユミルの言葉を聞いても、なお淡々とした声で返事をする。

 

「だからなんだ。前も言ったがあいつは何者にもなれないし、何者にも向かない。子供拵えて、ガキに振り回されてる、乳臭い人生の方がよっぽどあいつにはあってる」

「そこにあんたはいないんだろ?」

「当たり前だ」

 

 フリーダは言い捨てる。自分が向かう到達点にクリスタとの共存は考慮していない。

 

「どうしても考えは変わらないのか?」

 

 ユミルは問う。手遅れにならないように、何回、何十回、何百回とフリーダに問い続ける。

 

「このまま放っておけば、いつか取り返しのつかない事になる。あいつは良い子を演じて、近いうちに死ぬぞ」

 

 ユミルが言う。それはある意味予言のようなものであった。

 

「私はクリスタが羨ましいよ。まだ、地獄の底から這い上げてくれる奴がいるんだから」

 

 そう言って切望の眼差しを向ける背中は、何も答えないでいた

 



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トロスト区防衛編
4話


訓練兵時代の話は3、4話くらい作ったのですが、先に進みたいので先に進みます。
訓練兵時代の話は番外編で出していきます。

アンケートの結果は残酷ルートです。なので、バンバン人を殺していきます。


 

 850年。

 訓練兵になってから三年が経った。辛く、厳しい訓練生活が終わりを迎えたのだ。

 解散式に並ぶ訓練兵は皆、自信と威厳を兼ね備えたような顔色を浮かべている。中には、辛い訓練を思い出したのか、感極まって泣いている者さえいた。

 ここまで来る道中で一体何人の訓練兵が脱落したのだろう。ある者は開拓地へ送られ、ある者は過酷な訓練により命を落とした。彼ら彼女らの人生の中で、これ以上の濃密な思い出は無いであろう。

今後を夢見たり、訓練兵時代を惜しんだりと、各々考えていることに違いはあれ、これにて一つの区切りを迎える。これから先、歩む道のりが地獄になるのか、それとも天国になるのかそれは神以外誰にも分からない。

 最後の教官からの言葉を聞きながら、17歳となったフリーダは夜空に瞬く星を見上げ、大きく息を吸った。

 

「それでは上位10番を発表する。呼ばれた者は前へ。首席___ミカサ・アッカーマン!」

 

 周りがどよめく。フリーダとミカサ、どちらが首席を手にするのか話題になっていたせいだろう。

 しかし、話題の渦中であるはずのフリーダは何も驚かない。

 ミカサはそんな冷静な面持ちであるフリーダに一瞥くれてやると、そのまま教官の前へと整列した。

 

「二番フリーダ・レンズ!」

 

 二番目に呼ばれたフリーダはミカサに並ぶように、そのまま整列する。

周りはざわめいているが、フリーダからしてみれば、これは順当な順位だと受け入れていた。彼は最後まで馬術の点数を得ることができなかったのだ。逆に言えば、配点の高い馬術がほぼ無得点なフリーダを二番に至らしめた彼のポテンシャルは、まさに化物と言えるだろう。

 フリーダがミカサの横に並ぶと、ミカサから小声で声を掛けられた。誰にも聞こえない、前にいる教官にも聞こえないくらいのボリュームで。

 

「勝ったとは思ってないから」

「ああ……、俺もだ」

 

 マフラーに顔を埋める彼女に対し、フリーダは目を伏せてそう答える。似た者同士の二人は訓練兵の生活を通して、お互いの力を認め合っていた。

 

 その後、教官は続々と上位10名の名を読み上げていく。

 三番ライナー・ブラウン

 四番ベルトルト・フーバー

 五番エレン・イェーガー

 六番アニ・レオンハート

 七番ジャン・キルシュタイン

 八番コニー・スプリンガー

 そして……。

 

「九番!クリスタ・レンズ!!」

 

 クリスタと呼ばれた金髪の少女が前の整列に加わる。上位陣の中でも一際身長が低いのが特徴的な少女。そんな側から見れば非力そうな彼女は、堂々とした顔で、上位10名の顔ぶれへと並び立った。

それはひとえに、兄が目指す憲兵団へ意地でも入ろうと努力した結果なのかもしれない。

 フリーダはそんなクリスタに気づかれないよう、横目で一瞥する。訓練兵になってから一度声を聞かせてやった妹に向ける目線は実に冷ややかであった。

 

「十番!ユミル!」

 

 ユミルの名が呼ばれる。

黒髪の少女は教官に促されるがまま、フリーダに挑発するような顔を向けると、そのままクリスタの横へと参列した。

 

「同列!十番マルコ・ポッド!」

 

 今回は異例ということで、同点であったマルコも上位10番へと入り込んだ。マルコは絶望した顔から一点、嬉々とした顔色でユミルの横へと参列する。

 

「以上11名___。後日、配属兵科を問う。本日はこれにて第104期訓練兵団解散式を終える。以上!」

 

 

「どうだ、愉快な気分だろ?フリーダさんよ」

 

 解散式が終わった寒空の下、ユミルはフリーダに向けて嘲笑を含んだ言葉を放った。ユミルはクリスタが九番になったことを、自慢げにフリーダに語っているのだ。

 フリーダはそんなユミルに呆れながら手をぱっと振る。

 

「ああ、愉快すぎて月までぶっ飛びそうだ」

 

 フリーダは手身近なベンチに腰掛けると、そのまま星空を見上げながら呟いた。

 彼の中では確かにクリスタは上位10名に近い成績を持つだろうことは予想していた。元々、小柄な方が立体機動は有利だし、彼女は馬術がダントツでうまかった。それを考慮すれば、良い成績を修めることなど造作もない。しかし、彼の予想を上回ったのはそこからである。

 クリスタは向上心の塊のような女であった。良いや、厳密にはそのような女に豹変してしまった。ミカサをはじめ多くの成績優秀者達に教えを乞うていた。苦手だった兵站行進や、あまり得点につながらない格闘術まで必死に努力していた。

 それは、兄と同じ兵団へ配属される権利を持つため、兄と長く一緒の場所にいるため。

 フリーダはそれを迷惑だと思いながら、クリスタを忌み嫌うように舌打ちする。

 

「で、どうするんだ。あんたは予定通り憲兵団にでも入るのか?」

 

 ユミルがフリーダの隣に腰掛けながらそう尋ねた。

 

「ああ、そのつもりだ」

「じゃあ、これでまた無口な生活の始まりだな。私とクリスタも憲兵団だしよ」

「愉快痛快に喋るな。俺からすればお前らが付いてくるのは迷惑でしかない」

 

 ゲラゲラと笑うユミルに、フリーダは横から無機質に言葉を放つ。何の感情も乗ってないように聞こえるせいで、フリーダが何を考えているのかは、それだけで読み取れなかった。

 しかしユミルは声色なんて関係無いのか、どこか彼の気持ちを理解したように真剣な面持ちでフリーダを見つめる。その目線が鬱陶しく思えたフリーダは、さっと顎を逸らした。

 

「あんたがそこまでするのは巻き込みたく無いからだろ?けど、あんたの目的なんか知るか。あんたがクリスタを勝手に遠ざけるなら、私は勝手にクリスタを近づけさせる」

 

 快活に笑うユミルはどこか満ち足りていた。

 だが言われたフリーダは違う。苦虫を噛み潰したような顔をしている。彼女の言った「巻き込みたく無いからだろ」は半分正解で、半分間違いだったからだ。

 フリーダからしたクリスタは守らなければいけない存在であり、なおかつ、目的を達成する上でそばにいて欲しく無い邪魔な存在である。きっと、彼女はフリーダが命を投げ出して仇を討つ際、障壁として立ちはだかることだろう。大好きな兄を救う為、行動を阻害してくる可能性が非常に高い。

 フリーダはそれを危惧していた。仇の男は巨人化能力を手にしている。一瞬でも行動が邪魔されれば、戦闘において相手を殺すことができない。下手をすれば、クリスタもろとも自分も殺される。それだけは絶対にあってはならない出来事なのだ。

 

「で、取り巻き達はどうするんだ? サシャはともかくコニーは憲兵団にくるぞ」

 

 クリスタの話題にフリーダが答えなかったせいか、ユミルは別方向からフリーダに切り込んだ。

 

「関係ない。あいつらがどうしようとな」

「とか言って、ホントは来てほしくないんだろ!?馬鹿だなー、お前!」

 

 無駄にテンションの高い返しをされたので、フリーダは無意識にユミルを睨む。

 

「そう睨むな。私だってクリスタを危ないところにはやりたくないんだ。あんたの気持ちが分からないわけでもない」

 

 どこかお門違いな見解を振りまくユミル。フリーダが他人のことを気にかけているという前提で物事を進めているが、実際のところフリーダはコニーやサシャがどうしようと本当にどうでもよかった。好きな兵団に入り、各々勝手に幸せに暮せば良いと考えている。

 けれどもユミルの偏見は続く。

 

「けどな。あいつらはきっとあんたや私が思っているほど弱くないんだ。この世界が、何でもかんでも自分の思い通りに物事が運ぶなんてことないんだよ……」

 

 その言葉には重みがあった。ずっしりとのしかかる重みがあった。

 ユミルがどのような人生を送ってきたのかフリーダには分からない。けれど、彼女の人生経験からくるその言葉は、フリーダの心に確かに突き刺さるのだ。それはもう、嫌なほどに。

 

「……そんなことは知っている。だが、クリスタにだけはそんな素養ない。あれの親は平々凡々な使用人だ」

 

 ユミルの言葉を振り払うようにフリーダは告げる。今まで何度も言った言葉を繰り返す。

 

「別に親で全てが決まるわけじゃないだろ」

「ああ。だが、多大な影響は受ける」

 

 自分がそうであるように。親とはそれだけ影響力が強い存在だとフリーダは思っている。

 

「ふーん……。じゃあ、そう言うあんたの親は?」

「……俺の母親は」

 

 そこまでで言葉を止める。どうやら、クリスタがユミルを追いかけてこちらへやってきたらしい。片手にはぶどう酒が握られている。頬も微妙に赤くなっていることから、お酒を飲んでいるということが分かった。

 フリーダはそんなクリスタとすれ違うように、食堂へと戻る。一度声を聞かせてやったが、それとこれとは話が違う。基本的にフリーダがクリスタとの接し方を変えることはなかった。

 クリスタはそんな兄を止めることもなく見送った。訓練兵初日の時は、裾を掴んでまで止めていたが、今はそれをする事を不必要だと考えているのかもしれない。そんな著しく変化してしまった彼女の内心をフリーダは察することができないでいた。

 

 

 クリスタはベンチに腰掛けたユミルに擦り寄る。ニコニコと上機嫌そうな笑顔は、どこか壊れ掛けの人形を彷彿とさせるようであった。

 

「上機嫌だな、クリスタ。酒でも回ったのか?」

「まあね。これで兄さんと一緒にいられるから」

 

 彼女はちびちびとぶどう酒を飲みながらそう話す。

 

「でも呼び止めなくてよかったのか。今なら真面に会話できたかもしれないぞ」

「多分無理だから良いの。兄さんに認めてもらうまで私は良い子でいなきゃ。迷惑はかけられないよ」

「良い子、ね……」

 

 ユミルが何か言いたげな表情でそう呟くも、クリスタはそれに気づいていないのかふやっと笑う。

 彼女が思い出すのは雪山での訓練の時。ダズを助けようとして己の命に危険が訪れた際の出来事。最愛の兄との思い出。それを彼女は宝物のようにそっと心の奥底で抱えている。

 クリスタはふとユミルが何も持っていないことに気がついたのか、自身の飲んでいた酒をユミルへと渡した。

 

「よかったら飲む?まだ外は冷えるし」

「良いよ、私は。クリスタの方こそ今の気分を少しでも落とさないよう飲んでおきな」

 

 そう言ってユミルは差し出されたジョッキを、クリスタの口の中へ無理やり押し込んだ。

 

 

 フリーダが食堂に戻ると、そこは妙に活気に包まれていた。周りを見渡してみれば、ジャンは頬に傷を負い、アルミンがそそくさと何処かへ出ていくのが見える。

 きっと、ミカサがエレンの喧嘩を止めて、それを周りがネタにしているのだろう。

 フリーダはそう考え終えると、手招きしているコニーを見つけ、そちらへと座った。

 

「フリィィィダァアアア様―――!!」

 

 突然、泣きべそをかいているサシャが、酒を飲もうとしていたフリーダの体へ突進する。いきなりの事のせいで、危うくコニーから渡されたエールが溢れそうになるが、フリーダはぐっと堪えサシャを押し戻した。

 

「邪魔だ。鬱陶しい」

 

 押し戻されたサシャはわざとらしく「シクシク」と言いながら、泣いてもいない目頭を手で擦っていた。

 

「この芋女。どうも10位以内に入れなかったのが悔しいんだと」

 

 コニーが乾杯の仕草をしながら、そう補足説明してくる。フリーダはそれに納得しながら、サシャを慰める気にもならないため、放っておくことにした。

 

「いや、何か慰めてくださいよ。私たちアホトリオでしょ」

「馬鹿か。お前の実力が足りなかっただけだろ。まあ、俺は天才だから余裕で10位以内だけどな」

「ムカつきますねー。私があの順位なのも、みなさんが私に罪を擦りつけたりしたせいですよ。減点されてましたもん!」

 

 ムキー、という効果音があうような挙動を取りながら、目の前に置いてある芋を全て平らげようとするサシャ。

 コニーとフリーダも、サシャのその言葉は反論できそうになかった。なにぶん、騒ぎが起きた際には「サシャの放屁の音です」や「サシャが食べ物を落としたからです」などと教官に説明していたからだ。

 

「でも、コニーは調査兵団にするんですよね?」

 

 頬張っていた芋を飲み込むと、サシャがそう尋ねる。

フリーダが事実確認するようにコニーへ視線を投げてみれば、コニーは気まずそうに目線をどこか彼方へと飛ばしていた。

 

「イ、 イヤ!俺はアレだ。そう!ジャンだ。俺はアイツと同じ兵団に入りたくねぇだけだ!」

 

 コニーはよく分からない言い訳をしながら、照れ隠しに酒を呷る。

 フリーダはそんな彼を見ながら、それも生きていく上で必要な選択肢なのだろうと、思った。

 

「私も調査兵団にします。憲兵団は無理ですし、土地を奪えば肉が食べやすくなります!」

 

 サシャらしいその言葉に、コニーは笑う。やはり、彼もどこかでは調査兵団に行くことに恐怖を感じているのかもしれない。その中で知り合いが一人でも来てくれるのは心が安らぐのだろう。

 サシャとコニーはフリーダに期待の目を向ける。この流れでフリーダにも調査兵団に入団して欲しいのだろう。

 しかし、フリーダはそれを分かっておきながら首肯しない。例え同じ釜の飯を食べた同期であろうと、彼らの生存確率を上げるよりも、フリーダには成し遂げなくてはならない事柄があるのだから。ここで寄り道をするという選択肢はフリーダには無かった。

 

「なあ、フリーダも俺たちと一緒に___」

「別れだコニー、サシャ」

 

 フリーダが静かにそう言う。彼の本質である「他人に関心がない」というのは、いまだ変わっていない。フリーダが許容できる命には限りがあり、彼がやらなくてはいけないタスクは五年前から既に埋まっている。

 復讐に囚われた人間はそれしか見えず、また、それを失えば彼は人間性を完全に失ってしまう。

 フリーダは脳裏に貼り付けられた男のことを思い出し、握っていたジョッキを軽々と粉砕してしまう。割れたジョッキからはエールが溢れ、下に落ちていた花に一つの滴が溢れ垂れた。

 

 

 翌日。今日の午後には新兵勧誘式がある日。フリーダはトロスト区の町から出で立つ調査兵団の面々を眺めながら、思案していた。

 考えるのは当然、自身が追い求める男について。あの男が今どこで何をしているのか、そればかりを想像する。

 フリーダの見立てでは、あの男はまだこの壁内にいると考えていた。

 ケニー・アッカーマンが言った巨人の力。そして、フリーダの母親が残したレイス家の力。それらを奪うことがあの男の目的だったのだろう。だが、ロッド・レイス曰くあれはレイス家の血筋でしか蓋を開くことができない。

であるならば、あの男は確実に自分か、ロッドか、はたまたヒストリアを狙うはずだ。あの力を手にすることが目的ではなく、行使することが目的なのだから。

 フリーダは自分たちを再び狙ってくる前に男を殺すことを誓う。壁の外の真実にも、巨人の正体にも興味はない。フリーダの終着点はいつだってあの男を自分の手で辱め、痛ぶり、最大の苦痛を持って殺すことなのだから。

 ただ少しだけ疑念が残っている。何故あの男はロッドだけを生き残らせ、他のレイス家を抹殺したのか。あの男と超大型巨人(こいつらも巨人化できる人間だとフリーダは考えている)達との関係性はなんなのか。

 フリーダはそこまで考えて思考を止める。とりあえず、自身の見解はある程度、片がついている。これ以上考えても、それが覆ることはないであろう。

 気がつけば、行軍していた調査兵団も、それを取り囲んでいたギャラリーも霧散していた。残っているのはフリーダと、ちらほら非番の見える訓練兵だけだ。

 

「あれ、何してるの? フリーダ」

 

 妙に甲高い声に名前を呼ばれたため、振り返る。そこにはミカサとアルミンが立っていた。この二人も今日は非番のため、自分と同じく新兵勧誘式まで暇を潰しているのだろう。

 フリーダはそう考えて、返事をしようとした時それは見えた。

 巨人の顔___。皮膚はなく、筋肉が表面に浮き彫りになった巨人の顔である。それが50メートルはある壁の外より見えた。

 次の瞬間、凄まじい突風が吹く。ガラスは割れ、屋根が飛んでいる家もちらほら見えた。城壁のかけらと思わしきものは飛散し、爆音が町中で轟く。空中に高々と飛び上がった瓦礫は、いずれ隕石のようになって町へと降って落ちた。

 

「超……、大型巨人……?」

 

 アルミンが呟く、それと同時にこちらに大きな瓦礫が飛んでくるのが見えた。

 ミカサはアルミンの首根っこを引っ張り、すぐにその場から離れる。フリーダも同じく、瓦礫に潰されないよう退避した。

 

「な、なんで、こんな時に……、超大型巨人が!」

「落ち着いてアルミン。とりあえず、トロスト区襲撃想定訓練通りに動くことが最優先。装備をとりに行ってその後にガスの補給」

「あ、ありがとう。確かにミカサの言う通りだ……。落ち着いて行動しなきゃ」

「ひとまず、第二波は無さそうだ。その間に駆けるぞ」

 

 フリーダの合図とともに、ミカサとアルミンは襲撃の際に本部となる場所へと一目散に駆けた。

 



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5話

 

 そこはまるで地獄であった。実践経験の無い、巨人の恐怖をまだ知らなかった訓練兵達はみな蹲り恨み言を呟いている。横を見れば絶望に耐えきれず吐いている者がいる。後ろを振り返れば震えがとまらない者がいる。前を見ればどうやれば敵前逃亡がバレないのか画策している者たちもいた。

 その中をフリーダは平然とした顔で横切っていく。彼らと違いフリーダにとって、知性の無い巨人の群れなど興味や恐怖を抱く対象では無かった。フリーダの敵はあくまで巨人になれる人間であり、彼はいつだって知性ある巨人との戦いを想定していた。

 そんな無知性の巨人と戦うことより、フリーダは己の仮説が立証されたことの方が重要であった。その仮説とは、自身の仇である男と超大型巨人達は同じ勢力では無いと言うことだ。

五年前、シガンシナ区の壁が破られたのと、姉が殺されたのは同じ日である。超大型巨人が壁を破った目的は、仇の男と同じ理由だったと考えていた。ただ、仇の男と超大型巨人が違う点を上げるとするならば、それはレイス家について知っているか、知らないかの違いでは無いだろうかとフリーダは予想している。

 ここにきて再度、超大型巨人は壁を破壊した。それは五年前と同じくきっとレイス家を引きずり出すためある。ならば、レイス家から力を奪ったあの男を探す目的は、実のところ超大型巨人達と一緒なのではないだろうか。

誰が超大型巨人なのか、そこまではフリーダにも分からないが、ある程度の候補は彼の中にきちんと存在していた。この襲撃が終わった後、もしくは鎧が壁を破壊しに来たときにでも、炙り出そうとフリーダは考える。

 

「お前がフリーダ訓練兵か」

 

 知らない男がフリーダに声をかける。胸部分にある印を見れば、駐屯兵団のものであった。

 

「何か?」

「お前は非常に強力な戦力になると聞いた。持ち場を前衛部の迎撃部隊に組み込む」

 

 それだけを告げると、男は次に「アッカマーン訓練兵はどこだ!」と叫びながら去ってしまった。

 フリーダは内心その命令してきた上官に向かって舌打ちする。できれば、後衛の方で鎧の巨人が出現するのを待っていたかったからだ。それなのに、よりにもよって一番遠い前衛部に配属されてしまうとは、尽くついていない。

 これでは、鎧や超大型の人間と確実に接触する機会が奪われてしまう。このトロスト区襲撃という“チャンス“をフリーダは無駄にはしたく無かった。

 しかし、命令は命令だ。これで問題事を起こすのもフリーダは好まないので、とりあえず現場が荒れるまでは前衛部にいようと考える。

 

「了解です」

 

 誰にも聞こえる事なくフリーダはそう呟いた。

 前衛部に駆り出されることになったフリーダはガスの補給を終え、刃の補給をしに来ていた。

 丁度コニーも刃の補給をしに来たのか、フラフラと歩いてくる。フリーダはそんなコニーの姿を見て一瞬だけ瞠目した。

近くで見てみればコニーの顔面は蒼白であった。虚な瞳でぶつぶつと何かを呟いている。フリーダはコニーの様子が気になりながらも、とりあえず刃を渡してやることにした。

 

「あ、ああ、ありがとう。フリーダ」

 

 刃を渡せば、コニーは手についている水滴のせいかつるりと鞘ごと落としてしまう。

 コニーは声を震え上がらせながら「すまない」と言って、震えた手で落としたそれらを拾い始めた。ここまで衰弱しているコニーを見るのは、フリーダも初めてである。

 と言っても、それを理由に何かあったのかを聞くことはしない。フリーダにとって他人がどう変化しようと関係ないと思っているからだ。フリーダは黙って自身の分の刃を鞘へと納めていく。

 

「な、なあ、フリーダ……。驚かないで聞いて欲しいんだけど……、よ」

 

 拾いながらコニーが言う。顔を地面に向けているせいで表情は見えない。

 フリーダは何も言わずに首肯した。何を言われても驚かない、そんな変な自信だけがフリーダの心にまとわりついていた。

 

「サシャが……、さ、死んだんだ……。目の前で……、呆気なく……」

 

 そう言ってコニーは自身の服と手に付着した真っ赤な血をフリーダに見せるのであった___。

 

 

 いつの間にかフリーダは開けられた穴の前で立っていた。周りには巨人の死骸がいくつも転がっている。ポッカリと空いた穴の近くを見てみれば、二つのひしゃげた死体が落ちていた。

 見覚えのある顔。サムエルとサシャの死体である。

 コニーが言うにはこの二人は、超大型巨人による攻撃の余波で気を失い、そのまま地面に転落してしまったそうだ。死体は上官の命令で回収できなかったらしい。

 フリーダは何も言わずにサシャとサムエルの死体に触る。少しの期待を孕んで、心臓が動いていればとでも思ったのだろうか。何故そんなことをしたのかはフリーダ自身わからなかった。

 後ろから妙に苛立つ顔をした巨人が接近する。大きさは7m級。決して小さくない巨人にフリーダは軽く舌打ちをすると、立体機動を駆使し、目にも止まらぬ速さでうなじを刈り取った。

 高揚感はない。巨人を殺しても何も感情が湧き起こらない。それどころか、胸の奥につっかえたような何かが燻っている。フリーダはその気持ちがなんなのか理解できないでいた。

 

「フリーダ訓練兵!出過ぎだ!そこまで追いかけなくていい!家屋があるところまで追い込んでから殺せ!」

 

 上官と思わしき男が怒号を飛ばす。フリーダがいつの間にか、持ち場以上のところで巨人を掃討しているのが目に入ったのだろう。フリーダのような戦力に無理をして死んでもらっても彼らは困るのだ。

フリーダは上官の言葉に従うよう家屋のある方へ戻ろうとする。馬は使えないため、フリーダの場合走っていかなければならない。しかし、数歩歩いたところで何故か体が言うことを聞かなくなる。フリーダは頭に「?」を浮かべながら、何度も足を動かそうとする。だが、一向に動く気配がない。

 流石におかしいと思ったフリーダはその原因を探るべく、手当たり次第に体の部位を触診した。腕、足、胴、頭に至るまでだ。けれど、特に怪我などをしているところは無かった。ならば、何が問題なのか。

 

『フリーダ』

 

そのとき、ふと後ろを振り返ってしまった。なんとなしに、誰かに呼ばれたような気がした為に、フリーダは後ろを向いたのだ。

 しかしそこにあるのは、苦痛に歪めた顔のサシャが横たわっているだけであった。フリーダは己が動けない理由をなんとなく察し、その上でそれを捨てることにした。

 

 

 あれは訓練兵になって3週間が経った頃の出来事だったように思う。いつものように食堂で晩ご飯を食べていると、その女は突然俺に話しかけてきた。

 

「あなたの名前フリーダっていうんですか?」

 

 なんとも言えないぎこちない笑顔。人前で作り笑いをするのに慣れたようには思えないくらいに、その笑顔は硬かった。

 そんな、どこか見覚えのある顔がそう尋ねてきたが、俺は何も答えなかった。正確には口を開こうとはしなかった。

 

「ああー、すみません。私はサシャって言います。怪しい者じゃありませんよ」

 

 俺が沈黙していたせいでサシャは気まずくなったのか、自分のことを語り始めた。別に彼女のことを知りたい訳でも無かった俺は、なんの返事もしない。というよりも、食事中は大抵食堂にヒストリアがいる為、俺が口を開くことはまず無かった。(初日のように、パンをかっさらってどこかへと消えた後なら、口を開いたりするのだが)

 俺がサシャに何も言わず見つめているせいか、彼女は頬を赤くする。少し、相手を見過ぎたのかもしれない。食事中に話しかけられたことのなかった俺は、相手への対処を考えながらスープをとりあえず一口食べた。

サシャはそんな俺の行動に驚いたのか目を見開く。どうやらこの行動は間違いだったらしい。俺は彼女が何をしたいのかわからないため、再び彼女の目を見てやった。すると、サシャは俺の目の前に置かれているパンを指差した。

 

「パンを食べてなかったので、どうしたのかなーと思いまして……」

 

 俺は食事が遅い方なので、パンまでたどり着くのに時間がかかっているだけなのだが、どうやら彼女はこれを狙っているらしい。

 俺はそれを理解するとパンを徐に持ち上げた。当然、彼女にあげるためではない。やらないと意思表示する為に食べておこうと思ったのだ。

 

「っ!?くれるんですか!?」

 

 しかし、何を勘違いしたのか、サシャは俺の持ち上げたパンを凝視する。誰もあげるとは言っていないのだが、この娘は食事をもらえて当たり前と思っているのかもしれない。

 俺はサシャの切望の眼差しを無視して、己のパンをかじりついた。昔の媚びを売っていた自分ならまだしも、今の自分は貴重なエネルギー源をあげるほど他人に関心は持っていなかった。

 

「んのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

 俺がパンをかじりついたことが相当嫌だったのか、サシャは机を大きく叩いた。おかげでコップに入っていた水が2割ほど溢れた。

 

「なに騒いでるんだよ、芋女」

 

 騒ぎを聞いて駆けつけたのはコニーであった。俺が食事中は喋らないというのを知っている為、手助けを兼ねて寄ってきたのだろう。

コニーはいまだ悔しそうに唸り声を上げているサシャを小突いた。

 

「いや、フリーダにパンをねだってまして」

 

 彼女は照れ臭そうにそう頬をかく。

照れ臭いのであれば、最初から乞食のようなことをしなければいいのでは無いだろうか。

 

「また、自分が食う分を増やしてるのかよ。意地汚ぇー」

 

 コニーも俺と同じように心底呆れたのか、その場に座りながら苦言を漏らした。

 しかし、サシャはコニーの言葉に首を横にふる。どうやら、自分の食べる分を増やすのが目的では無いらしい。「そういう訳ではありませんよ、別に」

 

「じゃあ、どういう訳なんだよ」

「フリーダは良く一人で食べているので、一緒に食べてあげようと思ったんです。ほら、食事はみんなで食べると美味しいでしょ?」

 

 今度はサシャが屈託のない笑顔でそう答えた。それは偽物の笑顔なんかではなく、彼女が本来見せる本当の顔なのだろう。

 コニーはその笑顔に驚かされたのか、目を見開き言葉を失っている。他人の食い物を奪うだけの存在と思っていた彼女が、初めて真面な発言をしたのだ。仕様が無い。

 コニーは頭を左右に振りながら、こめかみ部分を指で抑えると、苦々しい声でサシャに問いかけた。

 

「……とか言いながら、本当はフリーダが残したのを貰いたいだけだろ?」

「ぎくっ!そ、それも、少しはあるかもしれんけど……」

 

 俺とコニーはそのとき思った。なんだ、その喋り方は、と。

 

 

 一時撤退の鐘が鳴る。フリーダがふと、トロスト区の後方部分を見てみれば、思ったよりも多い量の巨人が跋扈していた。ガスの量を調節しながら巨人を殺していたせいだろう。流石のフリーダも、ガスを節約はできても、ガス無しで戦うことは難しかった。

 ガスの残量を確かめてみる。一応壁に登るだけのガスは絶対に失わないよう調整していたフリーダだが、思ったよりもガスの減りが早かった。

 途中、巨人を無意識に狩っていた為、もしかしたらその時に、変な使い方をしたのかもしれない。

 とりあえず、他の上官達と一緒に壁を登ろうと周りを見渡してみれば、そこに彼らの姿は存在していなかった。

 

「全滅、したのか……」

 

 無感情にフリーダはそう現状を認識する。

 彼を出過ぎだと咎めた上官も、彼を前衛部に配置すると告げた上官も、いつの間にか影も形もなくなっていた。

 道路部分を見てみれば、腕が一つ落ちている。見覚えのない腕。血飛沫があたりに散布しており、巨人に食われた後なのが分かった。

 

「これが世にいう地獄か」

 

 フリーダは他人が口にする地獄とはこういう物なのだろうなと想像しながらそう呟く。彼の中で地獄というのはあまりにも現実味がなく、また、想像できない物であった。

 それが今、目の前に具現化し視覚情報として認知できている。人としてどこかずれているフリーダはその光景を鼻で笑うと、鈍になった刃を捨てた。

 とりあえず上に登ろうと壁を見る。一時撤退の鐘しか鳴っていないということは、つまり鎧の巨人はまだ現れていないということだろう。

 時間的にも、今このタイミングがベストと思うのだが、それでも破壊しないのには何か訳があるのかもしれない。

 フリーダはガスの補給なしに壁に登る為、ひとまずそちらに向かって走った。

 

「た、助けて……」

 

 瞬間、その声が聞こえた。横を見てみれば、家屋の影に隠れて、一人の駐屯兵が巨人に食べられそうになっているのが見えた。

 フリーダはそれを見ながら、何もせずに横切る。助けようと思えば助けられる命。しかし、フリーダはあえてそれを無視することにした。

 自分が行うべきことを見誤らないように。再び己の心を律するように。フリーダが眼前でとらえるものは何時だって一つと定めているのだ。

 後ろから悲鳴が聞こえる___。だが止まらない。

肉を食い破る音が聞こえた___。それでも止まらない。

何かが弾ける音が聞こえた___。足を止めることはしない。

 

「なんて良い日だ」

 

 走りながら、悠然とそんなことを呟く。

 誰も反応する者はいない。誰もそれに共鳴する者はいない。周りは巨人だらけで、言語を理解する獣は一人しかこの空間にいないのだから。

 フリーダは珍しく昔のように口角を引きつらせながら、子供のようにはしゃぐ。良い子を演じていた時の、まだフリーダでは無かった頃の少年のようにかんらかんらと笑ってみせる。三つの三日月を作り、狂気という名の仮面を被って、彼は踊る。

 なんだって今日は良い日なのだから。仇の男を引きずり出せるかもしれない愉快な日なのだから。その過程で死ぬ命にフリーダはかまっていられない。

 

「なんて良い日だ。あの日を彷彿とさせるぐらいに最高にハッピーでクソッタレな日じゃないか」

 

 今日で全て終わらせられるかもしれない。

 そんな果てもない、願うわけもない望みを抱きながら、少年は今かいまかと鎧の巨人の登場を待ち望んだ。

 



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6話

バイトだったので間に合わなかった。
展開はやと自分も思ったので、前の話などは少しだけ加筆してます。


 

 一足先に帰ってきていたクリスタは、遅れて帰ってきたジャン達を見て、自身の兄の姿を確認するべく辺りを散策していた。

 兄の姿であれば、一瞬で見つけられると自負しているクリスタ。一人一人の顔も確認せずに、全員を流し目で確認しつつ歩みを進める。

10分ほど歩いた頃だろうか、クリスタはふと自分が待機場である通路を往復している事に気がついた。当然、歩いている最中に兄の姿は見ていない。見落としていた可能性は彼女の中で無いとして、まだ帰ってきていないのかと思案した。

 クリスタは念のため、自身の友人に兄を見たのかどうかだけ訊こうと思い、ユミルのところへと向かう。生憎、彼女を探すのにはそれほど時間は掛からなかった。

 

「ねえ、ユミル。兄さんを見なかった?」

 

 補給所で水を飲んでいた彼女に、クリスタは唐突にそう尋ねる。

ユミルはいきなりの質問に驚くこともなく、少しばかり記憶を掘り返すと、首を横に振って答えた。

 

「ああー。そう言えば見てないな。あの化物がこの程度の戦場で死ぬとは思えないが」

 

 ユミルの言葉にクリスタも同意した。自身の兄がこの程度のことで死ぬとは微塵も思っていないからだ。しかしそれは、ユミルと違って彼の戦闘力を信頼しての考え方では無い。クリスタは己を置いて兄が先に死ぬわけが無いと、勝手に決めつけていた。

 

「出撃するときは見たんだけど……、まだ帰ってきてないのかな。兄さんの班員って確かサシャ達だったよね」

 

 首を傾げながら尋ねるクリスタに、ユミルは「そうだ」と返事する。クリスタもユミルも、フリーダが前衛部の迎撃隊に組み込まれたことを知らなかった。

 

「けど、変だな。あの芋女すら見てない。帰ってきたら真っ先に野戦糧食を食ってそうなのに」

 

 そう言って、誰も寄り付いていない野戦糧食が置かれた場所を見るユミル。巨人との戦いで相当グロッキーになった兵士は数多く、誰一人として今腹を満たそうとする愚者はいなかった。

 

「確かに。出撃するときにもいなかった気がする」

 

 クリスタは班を整列させるときに、彼女の姿を見なかったことを思い出す。そう言えば、コニーやエレン達もいなかった気がする。

 

「何かあったのか?怪我とかなら私も休みたいし、今なら看病してやるんだが」

「もう。本当に怪我だったらどうするの。かわいそうだよ」

「はいはい。本当は自分の兄貴しか心配してないのに、女神役ご苦労様。今日もクリスタはかわいいなー」

「もう暑いからやめてよ、ユミル」

 

 抱きついてきたユミルを無理やり引き離しながらクリスタは大きくため息をついた。折角、あの惨たらしい戦場から帰ってきて、真っ先に兄の顔で落ち着こうと思ったのにそれが叶わなかったからだ。またいつ出撃命令が来てもおかしく無い状況。クリスタは一刻でも早く、自身の兄に会いたかった。

 

「本当にどこにいるんだろ」

 

 恋しくてたまらない兄の姿に焦がれながら、クリスタは朱色に染まる空を見上げた。

 

 

 何時の間にか空は朱色に染まり、日が落ち出した頃。中衛部で奮闘していた他の訓練兵も無事帰還したとの連絡がフリーダに入った。しかしフリーダは、帰還した同期たちのところへ向かうわけでもなく、一人壁の上に居座り下を眺め続けている。

 なんてことはない。この目で鎧の巨人の姿を拝もうと思っているだけだ。開閉扉のところは既に閉まっており、今の状況だと子猫一匹入れないだろう。

 この状態が停滞すれば、レイス家から力を奪った男が姿を現すわけがない。ウォールマリアが陥落してからも、一切姿を現さなかった慎重な男である。せめて、ウォールシーナまで人類を後退させなければ、あの男の尻尾を掴むことができないと考えた。

 

「ウォールローゼ陥落……か」

 

 そう、フリーダは人類の大敗を望んでいる。

 己の仇を炙り出す為に、兵士が、仲間が、民間人が大量に死ぬことを彼は待ち望んでいる。

 それはまるで悪魔のような考えだった。自分の目的の為に、他人が他人を殺すことを許容している。自分の手を血で染めず悪行を成すそれは、他の誰よりも質の悪い行いであった。

サシャが死に、上官を見殺しにしたあの時。彼は己の中で何かが吹っ切れているのを感じていた。他人に関心が無いと思い込んでいたフリーダにも、無意識にそれ相応の何かが芽生えていたのかもしれない。だが、この度またそれが摘み取られたのだ。これは五年前、姉に善性を埋め込まれ、姉が死んだことによりそれらを失った時に近い。

 結果、改めてフリーダは目的の為に生きる機械人形となってしまった。何も考えず、何も感じず、己の目的の為には人命を殺すことも厭わない怪物となった。

 復讐が終われば、自分がどうなるのかなんて考えていない。夢を追い続けた人間が、叶った瞬間全てが燃え尽きてしまうかのように、彼もきっと廃人となってしまうのかもしれない。はたまた、新たな復讐先を見つけ燃え上がるのかもしれない。

 どれに転んだとしても、そこに幸福の二文字は無いことは確かだった。

 

「そこの訓練兵。そこから降りてくれないかい?」

 

 唐突に見知らぬ駐屯兵達がそんなことを言う。どうやら人払いをするらしい。

 なぜこのタイミングでそのようなことをするのか、フリーダは疑問に思いながらも立ち上がってそれを問うた。

 

「何故ですか?ここは守らなければいけない開閉門上です。余力のある者が見張るのは至極当然のことなのでは?」

「喧しい。命令だ。今ここからは重要な任務地となる」

 

 物腰が柔らかそうな駐屯兵に代わり、後ろに控えていた高圧的な女の駐屯兵がそう答える。

軍隊などであればこういった理不尽な命令も数多く存在することは分かっていた。こういった時は意味など聞かず大人しく従った方が身のためなのだろう。

しかし今のフリーダにその理屈は通じない。サシャや上官の死を許容したフリーダは仇を殺す事以外、全てどうでも良いと考えるようになってしまった。今、彼の頭の中にある事柄といえば、鎧の巨人と接触するためにこの場所に居座り続ける事である。例えそれが命令違反であろうと、彼の中で全ては些事でしかなかった。

 

「断ります。任務を行うなら、どうぞご勝手に」

 

 フリーダはそう言って道を開ける。これ以上話をする気がないのか、駐屯兵の方へ顔を向けることもやめていた。

 それを見た駐屯兵の一人は憤怒し、刃を抜き放ってフリーダへと詰め寄る。今にも切り殺さんと言わんばかりに、フリーダの喉元へと刃を突き立てた。

 

「き、貴様ァ!訓練兵の分際で何を言っているのか分かっているのかァ!!?」

 

 フリーダは呆れた目をしながらその駐屯兵を見つめる。

 

「私は間違ったことを申し上げているつもりはありません。あなた方が何を行おうとしているのかは知りませんが、今にも鎧の巨人が攻めてくるのかもしれないのです。見張りは多い方が良いのでは無いですか?」

「へ、減らず口を……!!任務の邪魔だと言っておるのだアァァ!」

 

 そう言って男が刃をフリーダの喉に食い込ませようとした時だった。

 先ほど、高圧的な態度で命令してきた女の兵士が、刃を握っている兵士の動きを止めた。

 

「もういい。そこまでする必要もないだろ。さっさと行くぞ」

「で、ですが!!」

「従わない兵士を殺せとまでは言われていないはずだ。それに、フリーダ訓練兵の言うことは間違っていない。私たちのやることは、このウォールローゼを意地でも守ることだ」

 

 そう言って、女の兵士が刃を持った兵士の背中を押す。それは「さっさと行け」という言葉の無い命令だった。女兵士の命令に渋々と言った様子で従う男は、他の駐屯兵を連れて、固定砲台が整備されている場所へと走っていった。

 女兵士はフリーダへと向き直る。先程の厳格とした様子はなく、おっとりとした様子で彼女は微笑んだ

 

「やあ。先ほどはきつい言葉をすまない。部下の前だと気を張らなくてはいけないので」

「いえ気にしないでください」

 

 フリーダがそう答えると、彼女はふっと笑う。フリーダの無表情さが少し面白かったのかもしれない。

 

「君は確か迎撃部隊に配属されていたね。唯一、あの部隊から生き残った“奇跡の訓練兵”と言われていたよ」

「そうですか」

「随分と味のない男だ。まあ、地獄を見てきたのだから仕方ない、か」

 

 そう言って女兵士は陥落したトロスト区を眺める。

燃えた家屋からあがる火の手……。

生きた人間を探し彷徨う巨人達……。

 ゴミのように廃棄されている人体……。

 不気味なグラデーションを描く血飛沫のアート……。 

 トロスト区の開閉門が壊されただけで、この惨状である。もし、ウォールマリアが破られたとなれば、誰も想像できないような惨憺たる有様が広がることとなるのだろう。あそこには人類のおよそ半数以上が住んでいるのだから。

 フリーダはそれを想像しながら、女兵士と共に凄惨な情景となったトロスト区を眺め続ける。今、彼が何を考えているのかは誰にも分からない。

 

「なあ、フリーダ訓練兵。実に私的なことを聞くのだが構わないか?」

 

 女兵士がそう問う。

 フリーダは少し悩んだ後に「構いません」と返した。

 

「私には一人の婚約者が居てな、そいつは弱いくせに無駄に責任感の強い男だった。今回の作戦時も自分から迎撃部隊に名乗り出るほどにな」

 

 フリーダは何も言わない。女兵士もフリーダが何かを喋るのを待つことはしなかった。

 

「その男は額に大きな傷のある奴だった。その傷も昔に私がヘマしたのを庇った時のものなんだが……」

 

額に大きな傷。その特徴は確かに見覚えがあった。フリーダはその男を知っていた。

 

「なあ、彼の最後を見ていたりしないか?」

 

 女兵士の言う婚約者とは、最後の最後、フリーダに助けを求めていた上官のことであった。

 

 

 コニーはうずくまっていた。訓練兵が待機する場所で、一人膝を抱え、誰にも見つからないように影に潜んでいた。

 サシャが目の前で死に、矢継ぎ早と中衛部支援班として任務に当たっていた時は、アドレナリンも出ていたせいかそこまで酷い有様ではなかった。きちんと体は動いていたし、目先のことばかり考えていられた。

だが、いざ落ち着いて物事を考える時間が与えられてはもうダメだ。今の彼にいつもの明るさは無い。馬鹿な発言する気力も、誰かを助けようと思う気概も無い。彼はただ再度戦うという勇気を振り絞れずにいた。

 そんな彼に近づく者がいた。恐れ知らずなのか、それとも人の感情を機敏に察知できないのか、妙に明るいトーンでコニーに話しかける。

 

「そんな所でなにしてるんだ、コニー」

 

 顔を上げてみればそこには強張った顔をしているマルコがいた。

 

「マルコ……」

「作戦決行時からあんまり体調が良くなさそうだったけど、どうしたんだ」

 

 コニーはそこで思い返した。そういえば、サシャが死んだと告げたのはフリーダにだけだった。そのフリーダもそのあと無言でどこかで言ってしまったため、結局彼がどうなったのかをコニーは知らない。唯一、サシャの死を目の当たりにしたエレン達も誰にも話していないようだったし、彼らもアルミンいわく死んでしまったらしいため、まだ同期の中でサシャが死んだことは広まっていなかったのだ。

 コニーはそこで逡巡する。サシャが死んだことを言うべきか、言わないべきかを精査した。

自分でもまだ彼女が死んだことを信じられていない。あのいつも憎らしいほどに気の合う女が死んだなんてコニーは許容できていなかった。

 今ここでフリーダ以外の誰かに彼女が死んだことを話し、それを受け入れられるのが怖くて堪らない。誰かがサシャの死を認知すれば、本当の意味で彼女が死んでしまいそうでコニーは怖かった。

 

「な、何でもねぇ……」

 

 精一杯の強気を込めてそう告げる。

 しかし、声は上擦り誰もが無理をしていることを悟ってしまう。

 

「辛いことはみんなと共有した方が軽くなる。コニー、一人で抱え込まなくていいんだ」

 

 マルコの優しい言葉はじゅくじゅくとコニーの傷口を抉るようだった。裂けた肉に指をおもいっきり突っ込まれるような感じだった。

 それが痛くて、苦しくて、辛くて、コニーはつい声を荒げてしまう。

 

「ほ、本当に何でも無いんだよっ!!!」

 

 周りが静寂に包まれる。うずくまっていたコニーの悲痛が空間を一気に支配してしまう程だ。先ほどまで巨人と戦いたく無いと泣き喚いていた者ですら、コニーの大声で黙ってしまった。

 

「……分かった。コニーがそう言うなら、本当に何も無いんだろ」

 

 マルコはそんなコニーを見て、そっと肩に手を置く。

 

「じゃあ、何かあったらいつでも聞くから」

 

 それだけを告げるとマルコは泣き喚いていたダズの元へと走っていってしまった。さっきのように仲間を励ましに行くのだろう。

 コニーはマルコにそんな行動をさせてしまった自分がひどく情けなく感じて、また膝を抱える。こうやって自分だけの殻に閉じこもり、何も考えないで時間が過ぎるのを待つ。自分が現実逃避をしているだけなんてこと、とっくに気がついているが、それでもやめられない。

 

「俺はどうすれば良いんだよ……、フリーダ、サシャ……」

 

 コニーの言葉は誰にも届かない。

 



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7話

あえてネタバレ


 

 女兵士が去ってからもフリーダはトロスト区を眺め続けていた。

何も考えてなどいない。フリーダは既に思考を終わらせていた。ただ、巨人が歩いているのを見て、次に人の死体を見て、最後に閉ざされた開閉門を見るのを延々と繰り返す。

 一週間前に壁上から見たトロスト区の姿は変わり果てており、血と硝煙の匂いが漂っている。死の臭いと形容するに相応しい、不快で、悍しい臭気。その臭いはいつの日か嗅いだことがあった。

 

「早く出てこいゴミ野郎……」

 

 フリーダは小さく呟く。

 彼が待ち望んでいるのは、もう鎧の巨人でも超大型巨人でも無い。彼らは何か問題が起きたせいなのか、まるで襲ってこようとしていない。多分、今日壁が壊されることはないであろう。

 フリーダが代わりに待ち望んでいたのは、自身の仇である男の巨人。それが出現するのをまだかまだかと待ち焦がれる。

 気持ちも、目的も、存在意義も既に全てが決定付けられた。復讐以外のものは全て捨てると五年前に決め、それを実行する事がようやくできた。

 大切な妹も、仲間の死も、見捨てる行為も、残された人間の悲しみもフリーダは全て乗り越えた。口ではいくら「復讐以外のものを捨てた」と吠えても、実際に体験し乗り越えられたのはフリーダの中で大きな功績だった。もし、こんな所で躓くようであれば、それこそフリーダは口先だけの自分を恨み、自刃の道を選んでいただろう。

 しかし、フリーダは切り捨てることができた。人間性も、友情も、倫理観も全てを捨て去る事ができた。五年前の誓いを再現することができたのだ。自身の全てを投げ打ってこそ成功する復讐劇が、ようやく終幕の時を迎えられた。

 であるならば、きっとアイツを殺せるはずだ。今この瞬間、ヤツが出てきたその時にうなじを削り取ることができるはずだ。全てを捨て強くなった己ならば、知性ある巨人すらも容易く殺せるとフリーダは思っている。

 

「死を与えた者には死を返そう。苦痛をもたらした者には辛苦で返そう。求める者には絶望を……」

 

 フリーダは冷え切った脳味噌でその言葉を繰り返し、刃を抜き放つ。

 誰が何をしようと今のフリーダを止めることはできないだろう。

 

「遥か昔、一人の神の子が記した言葉。『求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない』と。俺は貴様に死を与えてやるよ」

 

 フリーダがそう告げる。目をギラギラと光らせ開閉門を睨み付ける。

が、次の瞬間、一発の砲撃音が轟いた___。

 辺りが騒然とする。当たり前だ。兵士は待機中なのに砲声が聞こえたのだ。しかも一発だけ。連続であれば壁の外の巨人を牽制するため、ぶどう弾でも放ったのかと思えるが、一発分しか聞こえてこないのは逆に不気味でしかない。

 フリーダはすぐさま壁の内側を見た。さっきから壁の外側を見ていたフリーダは、すぐさま砲撃が内側にされたのを理解できたからだ。

 内側を見てみれば、そこからは大量の煙が立ち上がっていた。

明らかに異常な量。固定砲台が出せる煙の量を遥かに超えている。ぶどう弾を落とした事故で無いことは瞬時に理解した。そこまで分かればフリーダは全てを理解する。あれが巨人化した人間が出す特有の蒸気であるのだと。

 

「姿を現したな、このドグサレがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 ここ五年間で最大のボリュームの雄叫びと共に、フリーダはすぐさま立体機動を使って煙の中へと飛び込んだ。

 追加で榴弾が撃ち込まれることなど考えていない。その前に、うなじから仇の男を剥ぎ取り、最大最高の苦痛を与えて殺すことだけを考えている。

 自然と溢れる笑みを我慢しようともせず、眼光鋭く対象のいるであろう場所へ二本の刃を抜き放った。

 がきんッがきんッ___!!!

 二度の金属音が響く。鋼と鋼が撃ち合う音。決して肉を削いだときに出るような効果音では無い。

 フリーダはそのまま力一杯に刃を振り抜く。そうすれば、先ほどの金属を打ち鳴らした正体が後方へと吹き飛ばされていた。

 

「ミカサ……アッカーマン……!!?」

「何のつもり、フリーダ……!!」

 

 フリーダが吹き飛ばした人物はミカサであり、そして、斬りかかろうとした場所にいたのは巨人の骸とつながっているエレンだった。

 

 

 “それはある日の晴れた昼頃の話でした。”

 “その日、少年と少女は取っ組み合いの喧嘩をしていたのです。”

 “喧嘩の理由は、本当に些細なことでした。”

 “子供であれば誰でも経験するような、そんなありふれたものです。”

 “しかし、この少年と少女は毎日のように喧嘩をしていました。”

 “少女は少年の事が大好きで構ってもらうためにちょっかいをかけるのですが、少年があまり少女の事を好いていなかったせいで喧嘩となるのです。”

 “二人が喧嘩をしていると、一人の女の人がやってきました。“

 “女の人は少年と少女に言います。”

 “___兄妹なんだから仲良くしなきゃダメでしょ。“

 “少年は快く頷きました。”

 “少女も大層笑顔で首を縦に振ります。”

 “少年も少女も、女の人が大好きで大好きで堪らなかったのです。”

 “少年は女の人に教えてもらった文字の読み書きを披露するため、一冊の絵本を持ってきました。”

 “とても古びた絵本で、所々日焼けしています。”

 “しかし、そんなこと少年は気にしないのか、キラキラとした目で一ページ目を開けました。”

 “女の人も少女も少年が読む絵本が好きなので、ニコニコしながらそれを聞きました。”

 “一通り本を読み終えると、女の人が言いました。“

 “___もうこんなに読めるようになるなんて、すごいよ。”

 “少年はその言葉が嬉しかったのか、かんらかんらと笑いました。”

 “そんな少年の笑顔に惹かれたのか、横で聞いていた少女も身を乗り出して言いました。”

 “___お兄ちゃんすごい!私にも教えて!”

 “少年はその言葉のせいか、急激に機嫌を悪くします。”

 “やはり少女のことをあまりよく思っていないようです。“

 “それを見かねた女の人は少年と少女に言いました。”

 “___二人とも、この絵本の中で誰が好き?“

 “女の人の問いかけに少年は首を捻ります。”

 “しかし、少女の方はとっくに答えが決まっていたのか、元気よくあるキャラクターに指を指しました。”

 “___これ!お兄ちゃんに似てるから!強くて優しくて私を守ってくれる人!名前も一緒!”

 “それは主人公である女の子のお兄さんキャラクターでした。“

 “___そうだね。私も一番この子が好きかな。”

 “少女の言葉に女の人も同意しました。“

 ”少年は女の人と同じものを選びたい一心でそのキャラクターを勢いよく指差します。“

 “女の人はそれ聞いてくすっと笑うと、あることを語り始めました。“

 “___じゃあ、君もこういう風なお兄ちゃんにならないとダメだね。いつまでも自分をすいてくれる妹を毛嫌いしたらダメだよ?”

 “少年はそれを聞いて、あることを尋ねました。”

 “___俺が良いお兄ちゃんになったら。お姉ちゃんは俺のこと好きになってくれる?”

 “女の人はそれに困ったような笑顔を向けました。“

 “少女はムーと頬を膨らませて、怒ったような表情を作ります。“

 “___そうだね。それは分からないけど。でも、君が良いお兄ちゃんになることを私は望んでる。”

 “そう言って女の人は少年と少女を抱き寄せます。”

 “___俺、良いお兄ちゃんになるよ。もう妹と喧嘩もしない。妹が虐められてたら絶対に助ける。何があっても助けてあげるんだ。”

 “少年は誓いました。”

 “少女を全てのものから守ると、大好きな女の人のために誓いました。”

 “___うん。約束。私がいなくなっても守ってあげてね。“

 “女の人はそう言って、二人の額に自身の額を合わせます。”

 “何かビリっとした衝撃が少年と少女の頭に伝わりますが、痛くはありませんでした。”

 “___今日はここまで。また明日来るね。”

 “女の人は立ちあがりそう言います。”

 “___またね。ヒストリア、ヘーロス。”

 

 

 ミカサを吹き飛ばしたフリーダは、混乱した頭を必死に処理しながら、何か言葉を紡ごうとする。しかし何も言葉が浮かばない。口に出そうにも、喉に何かが痞えて声が出せない。

 壁内に巨人化した反応があり、嬉々として飛び込んでみれば、そこにいたのは鎧の巨人でも超大型巨人の候補でも無かったエレンとミカサ、アルミンの三人。それだけでもフリーダの脳味噌は十分パンクしそうな出来事なのに、加えて状況が最悪であった。周りには数十人に及ぶ駐屯兵団の兵士が完全武装で取り囲んでおり、壁上からは固定砲台に榴弾が装填されている最中である。

 フリーダはとりあえず現状の把握に努める事を最優先にし、思考を一度止める。材料が揃った後にでもゆっくり吟味すれが良いと、問題を後回しにすることにした。

 

「……ひとまず説明しろ。これはどういうことだ」

 

 フリーダの冷たい声が響く。目の前で腰を抜かしているアルミンは、いまだ何が起こっているのか分からず、目線をあちこちに飛ばしながら答えた。

 

「フ、フリーダ!?何で君がこんなところに!!」

「アルミン。まずはそっちからだ。俺も頭の整理ができそうにない」

 

 フリーダは刃を仕舞い、静かに拳を固めた。彼としては目の前にある現状が夢なのではないかとすら思えてしまうくらい現実味がない。

 

「それは僕たちだって同じだ……。一体何がどうなっているのか……。というよりこれは、巨人の骨格の中なのか?どうして、何もないところから人体の骨や肉が出てくるんだ!?」

 

 元々頭がいいせいか、今は考えなくていいことまで考えてしまうアルミン。今は巨人化の謎を解くよりも先に、この現状を打破することの方が優先されるべき事項である。

 それを理解しているミカサは、吹き飛ばされた体勢からすぐに起き上がると、フリーダを警戒しながら刃を仕舞い、アルミンの肩を掴んで自身の顔へと注視させた。

 

「落ち着いてアルミン。今は巨人化より考えるべき事がある」

「あ、ああ。そうだった。ごめんミカサ。まずは囲んでいる駐屯兵団のことについて考えなきゃ、だよね」

「そう、そういうこと。奴らを何とかしなければ私たちは死ぬ。奴らを何とかすれば生きられる。今はそれだけについて思考を働かせればいい」

 

 フリーダはそんな二人の声を聴きながら、唖然とした様子で巨人の体を見つめ続ける。仇と思っていた男の影はいくら探しても見つからない。骨格が剥き出しになった肉体は、あの時見た怪物とは全く別物だった。

 ミカサとアルミンはそんなフリーダの様子に怪訝そうな顔をしていると、巨人との一体化が解けたエレンが顔を見せる。その顔は驚きと困惑に満ちており、エレン自身でもこの力について理解できていないような様子であった。

 

「ここにいたか!とりあえず、こっから離れるぞ!こいつはもう蒸発する!巨人の死体と同じだ!」

 

 エレンの先導に従い、ひとまずアルミン、ミカサは巨人の死骸から離れたところで膝を折った。しかしフリーダはエレンが出現させた巨人の体を見て棒立ちしたままである。どうも、エレンの言葉が耳に入っていないらしい。

「フリーダ早くこっちに来るんだ!」アルミンが叫ぶ。そこでようやく我に返ったフリーダは、そのままエレン達のいるところまで駆け込んだ。

 エレンは蒸気の隙間から見える駐屯兵達を睨みながら、自身らを取り巻く状況について整理する。

 

「駐屯兵団か……。まだ様子を窺っているのか、放心状態なのかは知らんが、この蒸気が晴れれば絶対に攻撃を仕掛けてくる。こんなもんを見せたあとで会話できる自信はオレには無い」

 

 そう言ってエレンは自身が出現させた化物を見上げた。

 

「ただ、さっきアルミンが何も分からないと言っていたが一つだけ思い出した事がある。地下室だ!オレん家の地下室!そこに行けば全てわかるって親父が言ってたんだ……」

 

 エレンの「親父」という言葉にフリーダは引っかかる。

 そういえば、あの仇の男はそれなりの年齢だったはずだ。ロッドと同じくらいには老け込んでいた。もし、あの男が家庭を持っていたのであれば、自分と同じくらいかそれ以上の子供を拵えていてもおかしくないはずだった。

 

「その親父とは何だ……?どんなヤツだ……?」

 

 フリーダは低く唸るような声で尋ねる。

エレンもアルミンもミカサも普段と様子の違うフリーダに気がつかない。もし、ここにクリスタがいれば兄の変化を機敏に感じ取ったかもしれないが、彼女は今、待機場にて兄を探している最中だった。

 エレンはフリーダの問いかけに少し思案しながら「そう言えば」と切り出す。

 

「フリーダには話してなかったか。俺にはウォールマリアが陥落してから行方不明になってる親父がいるんだ。俺がこうなっちまった原因も親父だ……!地下に行けばおそらく巨人の正体もわかる!」

 

 信じられない、信じたくない。フリーダはその一心で言葉を何とか見繕う。

 

「嘘だろ……?」

「嘘じゃねぇよ!何でか分からないけど、巨人化した時に思い出した!クソっ!何でそんな大事な情報を地下室に大事に仕舞ってたんだ!?これは人類がずっと探し求めていたものじゃないのか!!」

 

 そう言ってエレンは巨人の骨格部分を殴った。フリーダはその光景を空な瞳で見つめながら、腕を力なくぶら下げる。

 

「とりあえず、今はもっと考える事があるはずだ。この状況をどうするエレン」

「ああ、俺に考えが二つある___」

 

 アルミン達の会話がフリーダにはひどく遠くに聞こえた。物理的距離は近いはずなのに、まるで何十メートルも離れた位置から声をかけられているような気分だった。

 彼はその明晰な頭脳で、全て察してしまっていた___。仇の男がエレンの言う父親であり___、その男はエレンに力を譲渡してこの世を去ったという事実を理解してしまっていた____。巨人の力は食べることで奪うことができる。ロッドから儀式の内容を聞いていたフリーダだからこそ気付くことができた。

 色が、音が、匂いが、何もかもが消えていくような錯覚に陥る。

どれもこれも意味を持たず、全ての事象がフリーダにとって無意味なものと化していく。

復讐こそが生存意義だった彼にとって、仇の男の死は絶望以外の何物でも無かった。

 残された復讐心だけが行き場を失い、空っぽな心に渦巻いていく。

怒りを向ける矛先も……、死を与えるべき焦点も……、これまで切り捨ててきた事への報いも……、全部全部、最初から存在していなかったのだ。

 そう気づかされたとき彼は自然と思った。無意識に、しかし鮮明に悟ることができた。

 

___ああ、自分はなんて惨めな人間なのだろうか。

 

 少年の心はここで二度目の終わりを迎えた。

 

「俺は……、ここを離れて地下室にいく。そうすれば全てが分かるはずだ」

 

 顔色を悪くしながら、エレンがそんな事を言う。どうやら巨人化の能力を使って、壁を上り地下室を目指すらしい。

 

「私もついていく」

 

 ミカサがエレンに食いつく。兵団のジャケットを脱ぎ捨てていることからも、彼女の本気具合がうかがえた。

 

「少し黙れ」

 

 誰かの声が発せられる。しかしその声はか細く、誰の耳にも入ることはない。

 

「ダメだ置いていく」エレンが告げる。

「私が追いつけなければ私に構う必要はない。ただし、私が従う必要もない」ミカサが反論する。

「黙れ」誰かが苛立たしげな声をあげる。

「いい加減にしろって言ってんだろうが……。オレはお前の弟でも子供でもねぇぞ……」エレンがミカサを睨む。

「エレンは私がいないと無茶をする。今だってかなり体に無理をして___」ミカサがそう言ってエレンの鼻血を拭おうとした時だった、

 

「黙れって言ってんだろうがぁ!!!!」

「「「っ!!?」」」

 

 フリーダが誰にも聞かせたことのないような怒気を孕んだ叫び声をあげた。唐突のフリーダの叫びに、エレンやミカサは勿論、さっきまで沈黙していたアルミンですら息を飲む。フリーダがここまで感情を発露させているのを、三年間一緒に過ごしてきた彼らは見たことがない。

 

「クソが……。今日はとことん尻から出るヤツと似てやがる……」

 

 フリーダが顔面を右手で覆いながら首を横にふる。手のせいで表情は見えないが、声は随分と憔悴していた。

 

「い、いつもより口が悪くなってるよ、フリーダ……」

「気分が悪いのなら休め。お前まで巻き込まれることはねぇんだ……」

 

 アルミンとエレンが気遣いからかそんな言葉が出る。さっきまでの彼であれば適当な返事をしていただろう。しかし、今の彼はそれすらせずに話を続けた。

 

「アルミン。お前ならこの場をとりあえずやり過ごるんじゃないのか……?」

 

 頭の良い彼にとりあえず丸投げする形を選んだのか、フリーダはそう言い放つ。当然、自分に指名が入ると思っていなかったアルミンは困惑の色を示した。

 

「え、僕が!?そ、そんなこと急に言われても……!」

「良いからさっさと決めろ。テメーがダメならエレンを使い捨ての雑巾みたくズタボロに引き裂いて駐屯兵団に明け渡す」

 

 右手の隙間から窺える眼光は鋭く、鈍い光を放っている。今の彼が「エレンを切り裂く」と言うのであれば、本気でやってのけるくらいの勢いはあった。その証拠に、顔を覆っていない方の左手は、ブレードの柄部分をしっかりと握っている。

 

「そんな事私がさせない……!」

 

 ミカサはフリーダからエレンを守るように立ちはだかる。けれど、フリーダはそんなミカサの行動を稚児の戯れでも見るかのように一笑に付した。

 

「ま、まってミカサ!僕だってさせたくないよそんな事!仲間同士で殺し合うなんて、駐屯兵団に殺されるよりも間抜けすぎる!!」

 

 アルミンはミカサとフリーダの間に割って入る。

 かなり問答に時間を費やしてしまったために、榴弾が撃ち込まれるまで残り20秒もない。アルミンはこの状況をどう切り抜くのか、自分が駐屯兵を本当に説得できるのかどうか、必死になって思考を巡らせた。

 そんな三者三様それぞれの思惑が渦巻いている中、話の中心であるはずのエレンがアルミンの肩を掴んだ。

 

「アルミン、お前ならやれる。お前ってやばい時ほど頼りになるヤツだからな」

 

 その言葉を聞いて、アルミンは目を見開く。今まで自身とエレン達の間に感じていた溝が埋まるような気分がした。

 

「私も。アルミンを信じてる」

 

 ミカサからの信頼の目線にアルミンは胸がすくむようだった。ほつれていた思考の糸が解けていき、頭の中がクリアになっていような、そんな気分だった。

 

「……分かった。必ず説得させてみせる!三人はできるだけ抵抗の意思がないことを示してくれ!!」

 

 アルミンは立体機動装置を外すと、蒸気の外へと飛び出していく。

 そんなエレン、ミカサ、アルミンのやりとりを静かに見守ったフリーダは、そっと右手を顔面から外した。ミカサはさすがにフリーダの様子がおかしいと気がつき、立体機動を外しながら彼をそっと横目で覗き込んでみる。しかし覗き込んだ事を、彼女はすぐに後悔させられることとなった。

 そこにあった顔は、いつもの鉄仮面のような無表情ではない。

見たこともない、狂気の笑みを浮かべた悪魔の形相がそこに鎮座していた

 




Q悪魔の形相ってどんなのですか
Aゲスミンで検索してみてください


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8話

前のネタバレ、アニメ勢だと分からないかも。
てか、これからも時々マーレ編知らなければ分からないかも。


 

 フリーダの無茶振りと、エレン達からの信頼によりアルミンは見事周りを圧巻させる演説をした。しかし、巨人化の能力を携えたエレンの未知数さを駐屯兵団隊長キッツは恐れ、再び榴弾を放つ命令を下そうとする。

 寸前、それを防いだ者がいた。南側領土最高責任者のドット・ピクシス司令。

彼によって、何とか生き延びることができたエレン達は、そのピクシス司令と共に現在壁の上を歩いていた。

 

「本当によかった。一時はどうなることかと……」

 

 件の際、大きく心労がたたったのかアルミンは大きなため息をつく。駐屯兵から直に殺気を当てられていたこともあり、今でも僅かに膝が笑っている。

 

「アルミンのおかげだな。こうして壁の上を歩けてるのも」

 

 エレンはアルミンの背中を大きく叩くと、からりと笑った。陽気そうに振る舞っているとはいえ、頬に垂れる冷や汗を見れば、彼も彼で不安だったことが分かる。

 アルミンは照れ隠しするように右頬をかいた。

 

「だが、ピクシス司令は噂通りの人らしい。どんなことも現状を正しく認識する。側から見れば生来の変人だ」

 

 エレンが眉を顰めながら言う。彼は決して司令をバカにして言っているのではなく、その真価を見通せる力に敬服して発言したのだろう。常人では信じ難い情報も、司令には違ったように映っているのかもしれない。

 

「あははは、僕たちはその変人さに救われたわけだ」

 

 エレンの言葉を理解したのかアルミンは困ったように笑った。

 そんな会話をしているときエレンは、ふと今まで静かに横を歩いているミカサが気になった。ピクシス司令に救われてからというもの、彼女は一言も声を発していない。「良かった」という安堵の言葉から「アルミンありがとう」といった労いの言葉までない。普段の彼女であれば真っ先に良いそうなのに、だ。

 エレンはミカサの様子を訝しみながら、彼女の肩に手をおいた。

 

「おい、どうしたんだよミカサ。さっきから浮かない顔して」

 

 エレンの言葉にミカサは暗い表情をすると「……別に」と述べる。明らかに、何もないという様子ではない。何か気にかかることがあったような、そんな感じだった。

 エレンが再度、ミカサを問い詰めようか悩んでいると、彼女の方から唐突に「ねえ、アルミン」と話を切り出した。

 

「何だい?」

「さっきフリーダに何を聞かれていたの?」

 

 話をし始めたかと思えば、それは壁をのぼる時まで一緒にいた仲間についてだった。エレンもアルミンも、その話題に驚きを隠せない表情になるが、アルミンは数分前の記憶を掘り返して、フリーダとの会話内容を鮮明に伝える。

 

「え?あー、確か。エレンが巨人から出てきたときに、それを見ていた訓練兵は誰か、だったかな」

 

 そこで彼ら彼女らが、そのフリーダの言葉の意味に気づけていれば未来は変わったのかもしれない。

 

 

 駐屯兵、訓令兵共に待機している街の大道部分。そこに、先ほどまでエレン達と共に死線を彷徨っていたフリーダはいた。

 フリーダをいち早く見つけたのは、惨めに蹲っていたコニーである。精神が不安定な状態で、今にも暴発してしまいそうな彼はフリーダを見つけるなり縋るように歩み寄った。

 

「フリーダ、無事だったのか……?」

 

 体の隅々を見ながらコニーが言う。フリーダの体は泥や煙などのせいで、所々黒ずんでいるものの、血による汚れは一つも無かった。腰に装着している立体機動装置も無事なところを見る限り、どうやらフリーダに別状は無いらしい。

 それに一安心したコニーは、目を伏せ懇願するように話を始める。

 

「もう俺どうしたら良いのか分からなくなってよ……。中衛部に駆り出されたときだって、見知った顔の奴らがいっぱい死んだ……」

 

 そう言って思い出すのは自身の目の前で死んでいった戦友達である。彼の班員6人の内3人が自身の指揮系統によって無残な死を遂げ、本部に突入する際には決行した人間中半数もの訓練兵が死んだ。そこから壁をのぼるときに死んだ者まで含めれば、両手両足の指では足りない数になる。

 

「な、なあ。俺はこれからどうすれば良いと思う?サシャが死んで、仲間もたくさん死んだ……、俺たちはこのまま戦い続けるべきなのか……?俺も死ぬときはあんなにあっさり死ぬもんなのか?」

 

 コニーが恐れているのは自分の死のあり方であった。サシャも自分の班員達も、巨人に一矢報いることなく死んでいった。例え、このトロスト区で兵士が奮闘したとしても、人類は巨人に勝つことなどできないと思っている。

結局はただの延命処置。誰かを生かすために誰かが死んだとしても、結局巨人にみんな食い殺されるなら、何のためにそいつらが死んでいったのか、コニーには理解できないのだ。

 モヤがかかった頭を必死に晴らそうとするが、恐怖や不安がコニーの体を凍てつかせる。どうしようもないから休めと、もう勝てないのだから最後は自由になれと、心の悪魔がコニーに囁きかけている。これ以上、思考してしまえば何か得体のしれないものが出てきそうで、コニーはフリーダに答えを求めた。

 しかしフリーダはそんなコニーの顔に、ぐっと自身の顔を近づけてこう言う。

 

「そんなこと俺が知っているわけないだろ。俺は神様でも、お前を産んだ下品な母ちゃんでもないんだ。何でも知りたきゃ、ウォール教の信徒みたいに壁に蹲って聞いてみな」

 

 そう言ってフリーダはコニーから体を離すと、今まで見せたことのないような冷酷な目つきで眺め回した。

 

「それどういう意味だよ……。人が真剣に聞いてるのに、本気で言ってんのか……!!」

 

 フリーダの冗談にしてはふざけ過ぎている回答に、コニーはカッとなって胸倉を掴み上げる。そのままフリーダを机と椅子が並べられている休憩所で押し倒し、彼の顔面に拳を放とうとした。

 しかし、拳が振り下ろされることはない。コニーの手首を横からユミルが握り締めていた。

 

「…なんだよ!離せよ、このブス!!」

「やめろ。規律違反で上官に罰をくらうぞ」

「知るかよ!!このふざけた野郎に拳をいれないと気が済まねぇ!!ふざけんなよ!ふざけんなこのクソ野郎!!」

 

 とうとう手首を握って止められる雰囲気じゃなくなったため、ユミルはそのまま羽交い締めでコニーを抑える。しかし、コニーの怒りは頂点に達しており、それでもなお足を使ってフリーダを蹴飛ばそうとするため、ユミルはそのまま自身の体と共に相手を寝かせフルネルソンをかけた。

 

「離せ!離せよ!!このブス女!!」

「流石に私もそこまで言われると傷つくな。私にはちゃんとユミルって名前があるんだ、ぜ!!」

 

 そう言ってユミルはコニーの首部分に力を入れる。体格の差が開き過ぎていれば、相手の首をへし折ってしまうほど危険な技。ユミルは力加減を間違えないように、コニーが苦しむ程度の力を入れる。

 

「ち、くしょ……!」

 

 コニーが声を発するのも辛くなってきたのを感じ、ユミルは問題事を起こした張本人であるフリーダを見つめる。フリーダはそんな糾弾するような視線を受けながらも、何も感じないのか、平然とした態度で椅子と机を動かしながら立ち上がった。

 

「しかし、今のはこのチビの言う通りだ。流石にさっきのセリフは仲間に対してどうなんだ、フリーダさん?それに……」

 

 その言葉に続かせるよう、ユミルは視線をフリーダから別の方向へと変える。そこには、クリスタが心配そうな顔をしながら立ち竦んでいた。

 

「もうどうだって良い事だ。声を聞かせるとか、聞かせないとか。くだらない」

 

 フリーダは吐き捨てる。今まであれほど自身の声を聞かせまいと努力していた人間が、それを放棄した。

 

「はっ、地獄を見てきて少しはまともになったのか? らしくないな、あんたが感情に流されてるなんて」

「そうでも無いぞ、ユミル。俺は気づいただけだ」

「気づいた? 気づいたって、何に」

 

 ユミルのその問いかけにフリーダは応えない。

 そのままフリーダは今まできちんと会話をしてこなかったクリスタのところへと歩いていく。訓練所では見ることのできなかった光景。兄妹としてのあり方が著しく歪んでいた二人が、五年ぶりに当人達だけで会話を始める。

 クリスタは緊張のあまり手を固く結ぶ。五年間という途方もなく長い期間、喉から手が出るほど待ち望んでいたことがようやく叶う。兄から話しかけられる。たったそれだけの当たり前で、しかし夢のような出来事。

 

「クリスタ。今まで悪かった、無視をして……」

 

 そう言って、クリスタの頭を優しく撫でるフリーダ。それだけでクリスタの胸は躍り、目頭に熱いものが溢れ出そうになる

 

「兄さん……」

「今度はちゃんと言う」

 

 フリーダが囁くように言う。後光に照らされているため、クリスタからフリーダの顔は見えない。それでも嬉しさの度合いは変わらず、クリスタは思わずフリーダに身を寄せた。

 しかし、フリーダがその行為を止めさせる。あと数センチで抱き合う距離を、フリーダはクリスタの肩を掴んで離した。

 

「クリスタ……。俺はお前のことが嫌いで、嫌いで堪らなかった。二度と俺に話しかけないでくれ」

「え……?」

 

 それが兄の言葉であると理解するまでに、ヒストリアはさほど時間が掛からなかった。

 

 

 十数分が経った頃。放心状態となった妹とユミルを置き、フリーダはようやく目的の人物を呼び出すことができていた。

 フリーダの目の前にはライナー・ブラウンが一人立っている。場所は狭い路地裏。左右には石造で作られた建物が聳え立っていた。

 

「なあ。随分と待機場が騒がしかったが、何か知っているか?」

 

 ライナーが辺りを見渡しながらそう言う。

 

「……大きいドブネズミでも出たんだろ」

「普通それだけであんなに騒ぐか?」

 

 フリーダの面白くもない冗談にライナーは生真面目そうに答える。フリーダもライナーを笑わせるつもりで言っていないので、肩を竦めて適当に反応した。

 

「まあ良い。それで急にどうしたんだ。こんなところに呼び出して。かなり待機場から離れてしまったから、バレたら兵士としてマズいと思うぞ」

 

 ライナーの言うとおり、現在待機場ではエレンの巨人化を活用したトロスト区奪還作戦の部隊編成が行われている。死亡者や傷病者として登録されていない二人が今その場を離れることは、大変な規律違反であった。

 フリーダは右側の建物にもたれかかりながら、疲れたようにジャケットの埃を払う。彼にとっては軍律や軍法など、どうでもよかった。

 

「少し話したいことがあってな」

 

 軽い口調でそう言うフリーダにライナーは少し疑問を抱く。

 

「? お前どこか雰囲気変わったか? 何だか前より表情が豊かになったような……」

「さあな、自分では良く分からん。お前がそう言うなら訓練所のスープレベルの変化は起きたんだろうさ」

 

 フリーダは、少し驚いた顔をしている同い年の男を横目で見つめ返した。

 

「お前の出身は確かウォールマリア南東の村だったんだよな」

 

 ジャケットの内ポケットから取り出した紙を眺めながら、フリーダはそんなことを尋ねる。ライナーはその紙が何なのか気になりながらも、すぐに「ああ、そうだが」と答えた。

 

「ベルトルさんとは同郷だったか」

「あいつとは幼馴染みだな。小さい頃からよく知っている」

「訓練の時も仲良くいたし、当たり前か」

 

 フリーダがそう言って鼻で笑う。彼にしては妙に回りくどく口数が多いため、らしくない。

 

「じゃあ、同郷のアニ・レオンハートについては何か知らないのか?」

 

 フリーダが尋ねる。アニとライナーはあまり仲良く話しているところを、彼は目撃したことが無かった。

 

「……。あいつのこともそれなりには知っている。時々、虫を踏み殺すような変な趣味を持っていた」

 

 少し間の空いた回答。どうやら何か言い淀む理由がそこにはあるらしい。

 フリーダはあえてそこに触れず、紙に視線を再び落として呟いた。

 

「そうか」

「そうだ」

 

 ライナーはフリーダの質問がそれで終わりと思い込んだのか、その場で踵を返す。

 

「話はそれだけか? なら部隊編成もあるし俺は戻るぞ。恋愛相談なら、この地獄が終わった後にでも聞いてやる」

 

 どこをどう聞けばそのような話の展開になるのかフリーダには甚だ疑問であった。甘い砂糖菓子で脳味噌を構築されていない限り、そのような発想を常人はできないはずだと思う。

 フリーダは呆れた目をしながら首を振り、とりあえず本題に入ろうと口火を切った。

 

「良いや、ここからが本題だ。実は一つ愉快でハッピーな事に気づいたことがあってな」

「気づいたこと?」

 

 当然、ライナーの顔は顰められる。

 

「鎧の巨人と超大型巨人の正体が誰だか分かったんだよ」

 

 フリーダは剽軽な態度で言うと、先ほどから目を落としている紙をチラリとライナーに見せびらかした。

 

「……それは、また何で」

「前から大体の目星はついていたんだ。超大型巨人と鎧の巨人はある探し物をしていて、それを見つけるために、壁の中に潜伏し何食わぬ顔で生活しているとな」

 

 フリーダはレイス家のことは伏せながら話を進める。もし仮に、彼がレイス家や仇の男の存在を知らなければ、この仮説まで辿り着けなかったであろう。いやまず、人が巨人になれるという事実を許容できたかすら怪しい。

 

「なら俺たち同期の中にそいつがいるって言いたいのか?」

 

 ライナーの言葉にフリーダはピクリと眉を動かす。

 

「ああ。エレンの巨人化を見た連中の中にそいつはいる。駐屯兵である可能性もなきにしもあらずだが、普通探し物をするなら憲兵団になってないとおかしいだろ? かといって、トロスト区にいる憲兵が奴らであれば、もっと早くに壁を壊すはずだ。今日壊して得をするのは、俺たち104期訓練兵だけなんだよ」

 

 フリーダの話を聞いて数回ライナーは深呼吸した。

 こんな話、普通の人間が聞いたら誰だって頭がおかしいと一蹴する。奇想天外、奇妙奇天烈きわまりない。だからこそ、ライナーは兵士としてフリーダの精神状態を案じずにはいられなかった。

 

「……なあ、お前疲れてるんだよ。仲間を疑うなんてどうかしてる。こうなってもおかしくないくらい前衛部は大変だったんだろ? 第一、超大型巨人や鎧の巨人が俺たちの中にいる? 冗談にしては笑えないぞ」

 

 フリーダはやれやれと言った様子でこめかみ部分を手で押さえる。まるで出来の悪い生徒を哀れんでいる教師のような態度だ。上から見下しているような、そんな感じさえする。どこか余裕に満ちており、このあと起こることを全て予見しているような、そんな雰囲気だ。

 フリーダはもたれかかっていた体を建物から話すと、ライナーに2、3歩近づいて片手をぱっと広げた。

 

「笑えないのはお前のその花畑で彩られた頭の方だよ、ライナー。いいか、これは誘導尋問なんかじゃない。遠回しにお前たちが超大型巨人じゃないのかと言っているんだ」

 

 ライナーの頭を突きながらフリーダは言う。数時間前までの彼では考えられない動きだ。

 

「さっき俺は訓練兵団の中にいるなんて言わなかったのに、何でお前は真っ先に自分たち同期を疑ったんだ?」

 

 答え合わせ。間違いと分かっていながら、生徒自らに正解かどうかを尋ねるような意地悪さ。ライナーは知らず知らずのうちに固唾を飲む。

 

「っ、それは俺を呼び出したから、そう疑ってるのかと思っただけだ。他意は無い」

「なるほど……、それはそうか。確かにあの流れだと、そう思うか」

「ああっ。誰だってそう思うさ。悪いことじゃ無いだろ?」

 

 先ほどまでの態度はどこへいったのやら、ライナーに言い訳をされてしまったフリーダはすっと彼の体から離れた。まさかまさか、反論されるとは思っていなかったのか。フリーダにしては珍しく間抜けなミスを犯したように思う。

 

「確かにな。すまない、ライナー。お前を人類の敵だと思ったのを許してくれ」

 

 フリーダが手を出す。それは握手の催促であった。ライナーは逡巡したのち、その手を躊躇わずに取ってみせた。

 

「気にするな……。何度も言うが疲れていたんだろ。少し休んだらどうだ」

「ああ、そうする。だがその前にしなくちゃならんことがある」

 

 握手した手に力を込めるフリーダ。ごきごきと骨が軋む音が聞こえる。単純に体格だけであればライナーの方が大きいのに、フリーダの握力から逃れられない。

 

「し、しなくちゃならない事っ? なんだ、それは……?」

 

 ライナーは、痛みのせいで陳腐になりそうな思考力を、なんとか理性で必死に抑えながら、フリーダに問いかける。その有様をフリーダは無感情な瞳で見つめながら、その美麗な唇で言葉を紡いでやった。

 

「見たんだ俺。超大型巨人からベルトルトが出て来るの。お前は人類の敵じゃ無いけど、ベルトルトは見たから間違いない。きちんと上官に報告しないとな」

 

 フリーダはライナーの握っていた手を離してやる。ライダーの手を見てみれば、そこにはくっきりとした青紫の模様が浮かんでいた。どれだけの強い力でフリーダが握っていたのか、一目瞭然である。

 ライナーはそんな自身の手をそっと見て、次に空を見上げ、腕を組み、目を伏せる。なんでもないような日常の一コマ。壁の向こう側に巨人が跋扈していなければ、それこそ平和そのもののようなワンシーン。

 ライナーは顔を上げる。あまりにも普通で、平坦で、凡庸な表情。朝の挨拶でもこれからするのかと思わせる風体で静かに言葉を放つ。

 

「なるほど……。つまりここで、お前と俺はお別れということか」

 

 その瞬間、二人の暗殺者が建物の上から降ってくる。アニ・レオンハートとベルトルト・フーバー。額に汗をかき、やりきれない表情の両者がフリーダの首を狙って刃を抜き放つ。

 それをフリーダは察していたかのように、屈んで躱すと手に持っていた紙を周囲にばらまいてみせた。ライナー、ベルトルト、アニはそれぞれ撒かれた紙が風に飛ばされないよう回収しようとする。その隙をフリーダは狙いベルトルトとアニの立体機動を懐から取り出した小銃で壊す。そして、そのまま銃をベルトルトの眉間に、刃をアニのうなじ部分に当てた。

 

「バカが、気づいてないわけないだろ。シロアリが単独で行動しないくらい、生物学者じゃなくても知ってる」

 

 フリーダは3人のあまりの行動の愚かさに唾棄する。ライナーはそんな光景を唖然としながら眺め、恐る恐る自身が必死になって取った紙に視線を落とした。

 そこに書かれていたのは、103期訓練兵の戸籍資料。フリーダがちらほらと大事そうに見せていた紙は全てフェイクで、自分たちが鎧や超大型と決定づける資料と思わされていたものは、ただの関係ない人間たちの戸籍資料だった。

 つまり、彼らはただフリーダがかまを掛けていたのを、馬鹿みたいに自ら引っ掛かりに行ったのである。

 

「うっ……」

「ライナーっ!」

 

 アニとベルトルトも自身らが掴んだ紙を見たのか、悔しそうな顔を浮かべている。してやられたどころの話ではない。突撃命令(空を見て、腕を組む)を下したのはライナーであり、その場合ミスを犯したのもライナーである。自身の軽率な判断で、超大型と鎧とは別に、第三の巨人の正体までフリーダに露見してしまった。

 

「騒ぎ立てるのは構わない。巨人化するのも構わない。お前ら三人が本気で俺を殺しにくれば殺せるかもしれないぞ。ただし、その時はお前らのうち誰かは死に、目的は何一つ達成できないがな」

 

 フリーダの冷静な見解は実に正しかった。この場で3人が本気で彼を殺そうとすれば、フリーダを殺す確率は非常に高くなる。超大型巨人に鎧の巨人、さらにもう一体の未知な巨人を前にして、自身の身一つで勝てる確信などフリーダにもない。

 しかし、フリーダには逃げるという選択肢がある。その場合、待機場に集っている多くの兵士に紛れ逃亡を図れば良いだけの話だ。あとは彼が王政でも、兵団でも好きなところに情報を持ち込めば、ライナー達に壁内の居場所はなくなる。必然的に彼らの目的である「力」の場所を探ることは叶わず、一時帰還するしかない。

 五年という長い年月をかけておいて、その結果が「顎の巨人」を失っだけというのは、あまりにもライナー達にとって不都合な結果であった。

 

「条件は、何っ。フリーダ、あんたは馬鹿じゃないだろ。私たちを追い出すためにこうしたとはっ、考えられない……!あまりにも賭けが過ぎるっ!」

 

 冷や汗を垂らしながらアニは叫ぶ。もうなりふりかまっていられないという様子だ。

 

「アニ下手に喋るな!殺されるっ!」

 

 ベルトルトがアニから自分へフリーダの気を引こうと叫ぶ。

 

「あんたこそ黙りなよ!今ここでこいつと交渉しなきゃ私は詰んでるんだ!立体機動は壊されて、あの筋肉ダルマがむざむざとこんな路地裏なんかに誘われるから、無駄に密集して三人で一気に巨人化もできない!精々逃げられても硬いライナーと大きいあんただ!私はこいつにうなじをもぎ取られて死ぬ!!」

 

 アニの言うことが正論だったため、ベルトルトは黙るしかない。

 確かに、超大型巨人であれば高さのおかげですぐにうなじは切り取られないし、鎧の巨人はそもそも刃を通さないだろう。

 でも、アニだけは違う。アニは巨人化した後、そのまま自分の意志でうなじを硬化させなければいけない。フリーダがその隙を見逃して待ってくれるとは思えない。つまり、アニだけは瞬殺される可能性を十二分に孕んでいるということなのだ。もしかしたら、フリーダの剣撃よりも先に防げるかもなどと言う不確定要素に頼るほど、アニは挑戦者ではない。

 

「アニの言う通りだ……。答えてくれフリーダ……、俺たちに何を望んでいる」

 

 ライナーは熟考した結果、任務を続けるため、仲間の命を助けるため、目の前の男と取引することに決める。彼はこれ以上、自分のせいで仲間の戦士が死ぬのを堪えられなかった。

 フリーダは「ようやく話がまとまったのか」と言うと、そのまま小銃とブレードを下ろす。大量の人を殺し、ストレスがピークに達していたところで、死を感じさせられたアニは盛大に息を荒げ、涙まじりに何度も下腹を抑えて呻く。今日は彼女にとって最悪最低の日として記録されたことだろう。

 そんな少女のことなど気にもしないでフリーダは、ライナーの前に躍り出る。

 

「決まっている。俺が望むのは___エレンを食う、ただそれだけだ」

 



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9話

トロスト区編、あと1話くらい追加するか悩み中



 

 フリーダとの話し合いを終えたライナーとベルトルトはすぐに待機場へと戻ってきた。どうやら自分たちが場を離れている間に、作戦決行の合図が出ていたらしく、訓練兵や駐屯兵問わず、みんな忙しなく動いている。

 一応、この作戦の最高指揮官であるピクシス司令が、敵前逃亡の罪を取り払ったために、ライナーやベルトルトが言及されることはなかったが、一部の上官達からは白い目で見られた。

 壁の上にのぼると、そこにはジャンとマルコ、アルミンが今にも死にそうな顔で大量のガスボンベを背負い壁の端の方へと走っていた。そのうちジャンがライナーとベルトルトの存在に気がついたのか、大きな舌打ちをして詰め寄ってくる。

 

「お前らどこに行ってたんだよ!もう作戦始まってるぞ!」

 

 いつもより落ち着きのないジャン。きっと、彼は彼で今の現状に余裕を持てていないのだろう。まあ、同期の中の一人が巨人化能力者だったと聞かされて「はい、そうですか」で済ませられるほど、彼は幼稚ではないと言うことだ。

 

「ああ、すまない。少し大きいのと戦っててな」

 

 ライナーは小ネタを挟みながらジャンへ軽快に返した。

 

「チッ、糞かよ。緊張感ねぇな。お前らは囮り部隊の17班だ。さっさと駐屯兵の先輩と合流してこい」

 

 ライナーのそのネタで少しは余裕が出たのか分からないが、ジャンは呆れたように後方へ指を差しながらそう告げる。ライナーとベルトルトはジャンの指し示す方向を見て、確認すると、感謝の言葉を告げてそちらへと向かった。

 

「ねえ、ライナー」

 

 近くの誰にも聞こえない声でベルトルトが言う。

 

「どうした」

「フリーダは何を考えていると思う?」

 

 ライナーが聞き返してみれば、それは先ほどのことについてだった。

 正直、ベルトルトに聞かれてもライナー自身戸惑いを隠せていない。フリーダがどうやって自分たちの正体を見破ったのかも、なぜあの仮説にたどり着けたのかもわかっていない。

 あの考察ができる人間は、元から巨人化能力について知っている、もしくは、自分たちの目的を知っていなければならない。エレンの存在を知ってから、あの考察に至るにはあまりにも早すぎるため、前からそれらについて知っていたということになる。具体的には、訓練兵時代には、既にその知識を保持していたいはずだ。前提条件を知る事が最もハードなのに、フリーダはそれを最も簡単に知り得ていた。

ライナーとベルトルトは、フリーダこそ何者なのか気になって仕方がない。もしかしたら、マルセルを食べた巨人という可能性も考えたが、それではクリスタが妹の理由が分からなかった。

 

「さあ……、分からん。エレンを食べて俺らに付いてきてくれるなら、こちらとしてはありがたい話だ」

 

 これについては望みが薄そうなのはライナーでも分かる。フリーダが巨人の力を手にすれば、正直、アニとライナーで勝てる気はしなかった。ベルトルトであれば圧倒的な体格の差で力勝負は負けないだろうが、その場合、消耗戦を仕掛けられ敗北するのは目に見えている。

 3人同時に襲いかかればなんとかなるかもしれないが、その場合、フリーダを一人、どこかへと誘導しなければいけない。今回のように、周りに多くの兵士を抱えた状況では必ず逃げ切られてしまう。まあ、そんな事(フリーダに頭脳戦で勝つこと)ができるのであれば、今このような詰み状態になっていないのだが。

 フリーダの頭の良さはどうも、アルミンのような突拍子のない案を思いつくとか、ジャンのような現状を正しく認識する力ではない。相手の行動、仕草、表情などから心理を読み取って情報を引き出し、それらを他の情報と結び付けられるところにあると思えた。言うなれば、相手を騙したり、利用したりするのはお手の物と言える。

 

「大人しくついてくるかな」

 

 ベルトルトもライナーと同じ考え方らしく、不安げにそう語る。付いてきてくれなければ、無理やり攫うしか方法が思いつかない。その時の方法を、ライナーはうっすらと考えていた。

 

「それも分からん。ただ、あいつの目。あれはイカれた奴の目だった。もしかしたら、先のことなんて何一つとして考えてないのかもしれん」

 

 エレンを食べると豪語した時の目を思い返しながら、ライナーは告げる。光が一切入らないような暗晦な瞳。自身が父親と思わしき人物と接触し、拒絶された時の表情に似ている気がする。

 だが、それはそれで良いこともある。ライナーは大きく深呼吸しながらそんなふうに考える。自分とフリーダが似ているなど、烏滸がましいと分かっているのに。

 

「フリーダは……、マーレにとって好都合な生物兵器になるかもな」

 

 そんな未来が来るのかどうかは分からないが、ライナーはそんなことを静かに呟いた。

 

 

 トロスト区奪還作戦 決行中。クリスタは定められた持ち場を大きく外れ先行していた。

今回、壁の方へ巨人をおびき寄せる作戦にとって、彼女の行動は決して公益になるものではなかった。逆に、彼女の方へ巨人が分散してしまうため、その分、作戦の趣旨とは正反対のものが起きてしまっている。

 聡明なクリスタがそんなことを分かっていないはずもなく、彼女は作戦のことなど関係なしに独断行動を続けていた。

 

「クリスタ!突っ走りすぎだ!クリスタ!!」

 

 そんなクリスタの後ろに張り付くように付いてきているのがユミルであった。ユミルは大声でクリスタ に静止するよう叫ぶが、クリスタはあえてその言葉に返事をしない。

 

「おい、クリスタ!!一旦止まれ!大分、壁から離れてきてる。一度引き返そう」

 

 クリスタが意地でも返事をしないと悟ったユミルは、無理やり彼女の前へと回り込む。立体機動の動きにしては大分無茶ではあるが、そのおかげでクリスタは止まらざるを得なかった。

 クリスタとユミルは一つの家屋の屋根へと降り立つ。周りには幸運にも、巨人が一体もいない。壁の端へ寄せる作戦がうまくいっている証拠でもあった。

 

「ユミルだけ戻ってて」

 

 クリスタが言う。その言葉には生気を伴っておらず、まるで亡霊が呪詛を吐いていると錯覚してしまいそうだった。

 

「はあ? 今なんて」

「ユミルだけ戻ってと言ったの。聞こえなかった?」

 

 ユミルの言葉に苛立ちも覚えないのか、淡々とした声でクリスタが言う。今まで兄の気を引こうと良い人を演じ続けていたクリスタはどこにもいない。これこそが、彼女の素であるヒストリア・レイスの素顔なのではないだろうか。兄妹揃って外殻が分厚かった分、それが剥げ落ちた時のギャップは凄まじかった。

 

「……それは無理な話だな。お前は私の班員で、私はお前の班員だ。単独行動は許されてない」

 

 ユミルは後頭部を掻きながら、ため息まじりに言う。

クリスタはそんなユミルを冷たい目で見ていた。

 

「そんな理屈いいから、もう放っといてよ」

 

 話が無駄と思えたのか、クリスタはさっさと先に進もうとした。向かう先など彼女には決まっていない。取り敢えず適当に飛び回り、適当な巨人に掴まって、適当に死のう。そんな意味のない思考回路が彼女の体を支配している。

 

「私はもう生きていたくないの。せめて、死にたい時に死なせて」

「死にたい時って……それが今なのか?」

 

 ユミルの問いかけに、クリスタは迷うことなく頷いた。死に時は、まさに今ここなのだ。

 

「本当にこのまま死んでいいのか?」

「生きてたって、何も良いことない。私がいない方が兄さんも喜ぶなら、私は喜んで死ぬ……」

 

 嫌いと言われた。大好きな兄から“初めて“拒絶の声を聞かされた。彼女にとって生存理由だったものは失われ、生存価値であったものは手からこぼれ落ちた。生にしがみつく意味も価値もないのであれば、今死んだって何も問題はないと彼女は思っている。

 クリスタにとって、いやヒストリア・レイスにとって兄の存在はそれだけ大きなものであった。たった一人、世界で唯一自分を守ってくれる存在。愛してくれる存在。そんな奇妙な感情を持ち合わせていた。それは決して言葉では形容できない感情である。愛情だとか、恋だとか、家族愛だとか、依存心だとか、そんなチープなもので表してはいけないものだ。

 だからこそ彼女は思う。そんな感情を抱くものに嫌いと言われたのであれば、彼のためにこの命を投げ出そうと。それが兄さんの喜ぶことなのなら、命の使いどころは既に決まったようなものだと。死を受け入れ、できるだけ兄さんの喜ぶように残忍に死んでやろう。それが彼女の選択である。

 ユミルはそんな言葉を心底面倒くさそうに聞きながら、刃を鞘に納めた。

 

「そうかよっ……」

 

 そう言った瞬間、ユミルはクリスタの首を力一杯締める。

 クリスタはあまりの唐突の出来事に、先ほどまで無感情だった表情に驚愕の色を浮かべた。そして次に苦痛の顔を浮かべる。気管が締まり新鮮な空気を求める脳味噌が悲鳴を上げ続ける。舌が、喉が、石のように固まって言うことを聞かない。身体と意識が段々と乖離していくような感覚。

 ユミルは怒りのあまり火のように顔をほてらせながら、腹の奥底から大声を出した。幸いここの近くには誰もいないため、聞く人はいない。

 

「なら惨たらしく殺してやるよ!あんたみたいな甘えたガキ、確かにこの世じゃ生きていけないだろうさ!!何が兄さん、兄さん、兄さんだ!あんたは一度もあいつを見ていない!あいつの本質を理解しようともしていないじゃないか!!」

 

 その言葉に薄れいく意識の中、クリスタは目を見張る。兄を理解しようとしていない、これだけ兄のことを考えている自分が、そんなことを言われるのは心外だと思えたからだ。

 しかし、反論しようにも首が締められているため声が出せない。空気を震わせるだけの行為ができない。

 そのやるせない感情がクリスタに力を与え、必死にユミルの絞首に抗おうとする。ジタバタとできるだけ体を動かし、ユミルの体を離そうと努力する。目の前の女を殴り飛ばし、反論してやろうと死に物狂いでもがき続ける。

 だがユミルの手は剥がれない。純粋な力の差が決定的であった。

 

「悲劇のヒロイン気取る前に、少しは自分の兄さんを一人の人間として見てみたらどうだ、このアバズレ!!」

 

 ユミルはそれだけを言い終えると、クリスタを横に投げ飛ばす。クリスタはなんとか、家屋の下に落ちないよう体勢を整えると、恨めしそうにユミルを睨み、反論しようと口を開いた。

 

「がぁっ……ゲホッゲホッ!!」

 

が、気管が開き、待ちに待った空気が一気に肺へと流れたせいで咽せる。あまりの辛さに、目頭には涙が溜まり、頬は紅潮していた。あまりにも咳が出過ぎるせいで、少し胃の中が逆流してきそうだ。

 

「正直、あんたの兄貴が何をしようとしてるのかなんて私には分からない。私はどこまでいってもあいつの他人なんだよ。でもさ、あんたは家族なんだろ? たった一人の妹じゃないのか? なんで理解してやろうとしない」

 

 背中をさすりながらユミルは静かに言う。

 クリスタはその言葉の意味が分からないため、ゆっくりと深呼吸しながら言葉を紡いだ。

 

「はぁはぁ、理解……? はぁっ、私が、兄さんを……?」

「そうだ。さっきも言ったけど、クリスタは一度もフリーダを一人の人間として見た事がない。いつも自分が兄貴からどう思われてるのかばかり気にして、本質を一つも理解しようとしていないんだ」

 

 その言葉は、まさに目から鱗が落ちる思いであった。

 ユミルの言う通り、いつもクリスタは振り向いてくれない兄にかまってもらおうと思ってしか行動をしていなかった。良い子を演じた時も、開拓地でお婆さんの話をしに行った時も、全て大元である兄の心情を理解しようとした行動ではない。本当に兄のことを考えるのであれば、彼について調べ理解し、そして根気よく対話を目指すべきであった。確かに、兄がそれに応じてくれなかったから構ってもらおうとしたのもある。けれど、それは裏を返せば早々に兄との対話を諦めていただけであった。

 クリスタは自身の本心を見透かされたことをひどく恥ずかしく思う。それを幼稚な理論で泣き喚いていたことにも羞恥した。

 そんな思考回路がショート寸前のクリスタたちを前に、一匹の14m級巨人が近づいてくる。大量の人間に反応せず、こちらに寄ってきたところを見れば奇行種であった。

 

「チッ、巨人が来やがった」

 

 ユミルはクリスタの背中をさするのをやめて二本のブレードを抜く。今ここでユミルだけが離脱すれば、確実にクリスタは逃げ遅れる。精神状態をとっても、身体状態をとっても、今のクリスタは最悪なのだから。

 

「こっからどうするかは自分で考えな、クリスタ。私は本当にあんたが死にたいなら、まあ嫌だけど、その心情に賛同してやる」

 

 そう小さく告げるユミルは本当に嫌そうな顔であった。

 ユミルは巨人がクリスタに手を届かせる前に殺すため、立体機動で眼前に飛びつく。それをボーとする頭で眺めながら、クリスタは己の心情を把握するために冷静に分析を始めた。

 

「私は……私は……」

 

 兄のこと、自分のこと、そしてユミルのこと。

 自分が死んだ場合と、自分が死ななかった場合。

 分からないけど頭を働かせる。分からないけど口を動かす。どうすれば良いのかなんて自分自身でも分からない。

 あれも違う、これも違う。正解か不正解なのかすら判断できない。

 ただ、自分が兄のことを理解しようとしていなかった事実が胸に刺さる。憧れを抱き、理想を抱き、幻想に夢を見ていた。一体いつからそんなことをしていたのかと、クリスタは思い出す。兄との初めての会合を思い出す。一番大切で、自身の宝のようなもの。

 けれど、はっきりとは思い出せなかった。昔は頻繁に思い出していたはずなのに、なぜか思い出せない。その事実が恐怖を与える。自身の記憶に自信が持てなくなる。

 

「クリスタァ!!お前はまだやり直せる!!兄貴もお前もまだ生きてるんだ!!これからちゃんと、やり直せぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 その言葉にはっとなる。

そうだ、記憶なんてどうでも良い。大切なのは今だ。いつも記憶にすがって、兄さんの幻を見ていた。だから、今の兄さんを理解しようとしていなかった。また同じ過ちを繰り返すところだった。

 クリスタは立ち上がる。刃を握り、ユミルと奇行種を睨み付ける。今、ユミルが丁度、奇行種の脛部分を切り落とし、巨人の体勢が崩れた。

 狙うなら、今、ここしかない。

 

「知りたい、兄さんのこと。ちゃんと知って、ちゃんと仲良くなりたいよ……!!」

 

 そう言ったクリスタは、奇行種のうなじを誰もが見惚れるほどの美しさで、華麗に削ぎ取ってみせた。

 街道に着地するクリスタとユミル。ユミルは「お見事」と言う称賛をクリスタにかけてやった。

それにクリスタは「ありがとう」と返す。ユミルがその顔を見てみれば、そこには先ほどまでの死んだ顔ではなく、きちんとした強い顔が鎮座していた。

 

「私、決めたよ。ユミル」

「何をだ?」

「私はもう妹という立場に甘えない」

 

 

 トロスト区奪還作戦が始まって20分が経過した頃。フリーダとアニは作戦には参加せず、裏路地で座り込んでいた。ピクシス司令が敵前逃亡死罪を取り下げたためである。アニもフリーダも心身共に疲弊しきっており、喜んで巨人を狩ろうとは思わなかった。

すっかり動悸が収まったアニは、先ほど自身を殺そうとしていた男を盗み見る。フリーダは一言も喋らないで、空を仰ぎながら片手に握られた野戦糧食を口にしていた。外で地獄絵図が描き殴られている状況下でもなければ、なんとも絵になる光景だっただろう。けれどアニはそれを唾棄するような気持ちで眺め続けた。

 

「それで、どうするの。私たちトロスト区奪還作戦にも参加してないけど」

 

 つまらなさそうに尋ねてみる。別にフリーダと喜んで会話をしたかったわけではない。これまでのアニとフリーダの接点と言えば、精々、対人格闘術の時間に無理やり組まされたくらいのものである。

 

「さっきも言った通り壁の穴は塞がせる。これ以上、巨人を中に入れてエレンが食われる危険性は防ぎたい」

 

フリーダはアニの質問に特に感情を表すわけでもなく、空を見ながらぶっきらぼうに返す。

 

「力が欲しいだけなら、誰に食わせても変わらないと思うけど」

 

 アニはフリーダの言葉の意味が分からなかったため、首を横に振って言った。

 

「いや、変わる。俺がやりたいのは力を手に入れることじゃない」

「話が見えないね。あんた、本当は何がしたいの。あの死に急ぎを殺したいだけなら、それこそ巨人にでも食わせればいい。言ってる事が支離滅裂だ」

 

 アニからしたフリーダの印象は、合理的、理性的な男である。どんなことも、飄々とやってのけ、感情的になるところを見たことがない存在。

 そんな男から一番かけ離れているはずの無秩序な言葉の波。「エレンを食べたいことを望む」と言っておきながら、その本質であるはずの「力の奪取」も「エレンを殺す」ことも彼は望んでいないと言う。

アニたちだって無意味に壁を壊したりしない。そこには世界を救うという建前があり、故郷に帰りたいという願いがあるのだ。

 それなのに、フリーダにはそれがない。建前も本音もない。ならば一体、彼は何がしたいのか。

 

「……分からん」

「……はあ?」

 

 フリーダの言葉に、思わずアニは気の抜けた声を出す。

 その答えは非常に呆気なかった。ひどく陳腐なものであった。

 内心を掴ませなかったフリーダの本心は、ただただ、空っぽなだけだったのだ。

 

「俺は生きる意味を見失った。今やっていることはただの惰性だ。なんとなく、そうした方が俺は楽しいと思った」

 

 野戦糧食を貪りながら、乾いた笑みを浮かべるフリーダ。初めて笑うところを見たアニは、怪訝そうな顔を浮かべながらフリーダを眺める。今まで無理やり感情を押し殺してき彼よりも、この何もかも分からなくなっている彼の方が余程人間らしいのではないかとアニは思った。

 

「楽しい? 私たちを脅した理由はそれだけ……?」

「正直、人類がどうなろうが、壁外がなんだろうがどうだっていい。そんな事、俺からすれば魚の糞と同じ大きさの話だ」

 

 楽しいと言う純粋な願い。それは多分、世界から見ても、他人から見ても間違えている感情のはずだ。

 アニは何故か自身の過去を思い出す。なんで今思い出すのかは分からないが、それでも記憶の奥底から蘇ってしまう。

捨てられた過去。引き取られた男に武器として育てられた過去。そこに自身の感情は無かった過去。自分を含め人間の命なんてどうでもよかった過去。

そして人の温かさを知ってしまった過去。公益とは程遠い、父親の純粋な願いを知ってしまったあの過去を。

 

「アニ。俺は気付いたんだ」

 

 フリーダが身をだらりと広げて言う。

 

「何に気づいたって言うのさ」

 

 アニは無機質な瞳でフリーダを眺めながら問うた。

 

「この世界をぶっ潰したら、みんな俺みたいに惨めな気持ちになるんじゃないかって………」

 

 その時、アニは気づく。

 何故自身が過去を思い出したのかようやく合点がいった。

 自分もこの男と同じ惨めな人間だと自分で思っているからだ。

 人の温かさを知る前の自分に、目の前の男は非常に似ていた。まるで古い写真アルバムでも見せられているような気分である。

 

「惨め、か……」

 

 どうでも良くなる。もう考えることすら面倒になる。その都度、自分には父親の「帰ってきてくれ」と言う言葉が想起されるが、きっと、目の前の男にはそれがない。生きる目的も、生きる方法も、生きたいと願う思いも、この男には無い。

 だからこそ惰性。フリーダが何故その惰性をエレンに求めているのかは分からないが、きっとそう言うことなのだろう。

してもしなくても構わないが、どうせならやってしまおうと言う幼稚な考え。惨めな自分を誤魔化すために、世界の人間を惨めにしようと考える子供の発想。

 アニは前言撤回したくなる。目の前の男が人間らしくなったなどと言う軽率な言葉を破棄したい気持ちになる。

 人間を最も人たらしめているのは生きる動力源だ。生への渇望だ。

 それが無いものを決して人間は人とは言わない。フリーダがやろうとしていることは、ただの後付けでしかない。

 

「ねえ、あんたさ」

「なんだ」

「あんたと私は似ているのかもしれないね」

 

 フリーダはその言葉になんでもないような表情で返す。

 やはり、この男は生きる目的がない。目の前に自分と一緒の惨めな存在がいるのに、何も思っていない。

 

「あんたが可哀想に見えてきたよ」

 

 アニがそんなこと言う。初めて人間に心の奥底から同情した。

 だからなのかもしれない。彼の後付けに、深みを与えるためのスパイスを加えてやろうと思ったのは。

 

「ねえ、あんたさ。もし良かったら___……」

 

 その時、彼女たちを見下ろす空に作戦成功を知らせる信号弾が飛び交った。

 



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10話

トロスト区編終わり。
感想に関してはネタバレしたくないのでほとんど返してませんが、きちんと見てます。
みなさんありがとうございます。


 

 普通ではあり得ない巨体。優に5mは超えているその体は、不規則に左右に揺れながら、ニタニタとした笑顔でフリーダを見つめていた。

 

「気持ち悪い。なんで殺される寸前までニタニタと笑ってられるんだ……?」

 

 刃を抜刀。昨日、一部で見せた狂人の顔はなく、普段の鉄仮面に戻ったフリーダは、目の前で揺れる巨人に向かってアンカーを突き刺した。

 ガスを蒸し、ファンを回す。一気に巨人の背後を回り込んだフリーダは二本の刃で巨人のうなじを刈り取った。

 トロスト区掃討戦___。

昨日の奪還作戦が成功し、人類史初の勝利を掴み取った兵団は、トロスト区に残存する巨人を始末していた。フリーダはその中でも、榴弾では駆除できない街の中央にいる巨人の排除を任せられている。

 そんなフリーダの動きを少し離れたところで見る者がいた。名を調査兵団分隊長ハンジ・ゾエ。

 

「あらー。本当にすごいね。動きがどこぞの兵士長様だ」

 

 ハンジは右手を額に当てながら感心深げに言う。そんな言葉が気に食わないのか、隣り合って立っていたオルオが舌打ちを繰り出した。

 

「あいつがッスか? 全然そう言う風には見えませんけど」

 

 ハンジはそんなオルオの態度に肩を竦める。長年、巨人との戦いに身を投じていたハンジの眼は確かであり、そんな眼を疑うように食ってかかったオルオの眼は半人前である。どちらが正しく人間を評価できるなど、第三者から見ても明らかであった。

 

「オルオはフリーダの噂、聞いてないのー? 奇跡の訓練兵だって。なんでも前衛部での唯一の生き残りだったらしいよ」

「でも、奪還作戦時にはいなかったンスよね。腰抜けじゃないッスか」

 

 オルオの言うとおり、フリーダは最後の奪還作戦の時に姿を現さなかった。駐屯兵団の先鋭部隊を率いていたイアンが彼を探していたのに、最後まで見つからなかったことからして、参加していないのは明白である。あれだけの腕前を持っているのに、人類への貢献を彼は放棄したのだと、周りはそう判断していた。

 しかし、敵前逃亡したと思われていたフリーダは、こうして一番危険であるはずの掃討戦に参加している。傍から見て彼のしたいことは誰にも分からなかった。前衛部で巨人の恐ろしさに屈したとか、実は報告していないだけでどこか体を痛めていたとか、仲間割れしたせいで気まずくなったとか、いろいろな憶測が駐屯兵団や訓練兵の間で流れているが、誰も彼に真実を確かめようとする勇者はいない。

 

「そうだよね。それが少し謎の部分。こうやって残存する巨人を掃討してるのを見る限り、恐れをなして逃げたとは思えないし……」

「まあ、とにかく。敵前逃亡する兵士なんざ、俺からしたら論外ですねー」

 

 オルオの軽いその言葉に、ハンジは思わずやれやれと言った様子で自身の頭を抑える。

 

「全く。どうせ討伐数が越されそうで焦ってるんでしょ」

「な、なんのことッスかっ!!?」

 

 そうオルオが尋ねた瞬間。図星をつかれて焦りすぎたせいなのか、彼は舌を盛大に噛んでしまうのだった。

 

 さて、そんな話が少し離れているところで繰り広げられているとは露知らず、フリーダは迫りくる巨人を殺して回っていた。淡々と機械人形のように、あらかじめ組み込まれたプログラムを実行する。

 彼が単独で討伐数7を超える頃には、一緒の班である全員が呆れた顔をしていた。

 

「フリーダ、出すぎ。カバーしきれない」

 

 アニがフリーダの横に降り立ち言う。

 

「これくらい一人でやれる。いつまでも負んぶに抱っこのガキじゃないんだ」

 

 フリーダは刃を仕舞い、単眼望遠鏡で辺りを覗きながら軽くそう告げた。

 

「確かに。ジャンボーは似合ってるけど、フリーダボーは語呂が悪い」

 

 アニが違う家屋に立っているジャンを見つめる。いつの日かジャンのお母さんが兵舎に訪れて醜態を晒した時のことを思い出す。

 

「おい!それは忘れろよ、お前ら!!」

 

 カッ顔を熱くしたジャンは身振り手振りで己の恥をかき消そうと叫んだ。思春期の男子でもあれば、やはり母親関連のネタはとても胸に刺さるのだろう。

 そんな光景を見ながら、アニとフリーダの横に立つマルコは笑う。

 

「ははは、アニとフリーダって実は仲が良かったんだね」

 

 その言葉にアニはピクリと眉を動かした。

 

「……さあ。そう見えるならそうなんじゃない?」

 

 アニは静かにそう言ってフリーダの横顔を見る。フリーダはマルコの言葉に興味がないのか、もしくは聞いてすらいなかったのか無反応だ。それに呆れたアニは、さっと顎を逸らした。

 

「次だ。性の喜びも知れない奴らが、肉を貪りにきたぞ」

 

 そう言ってフリーダは巨人を殺すために、再び刃を抜いた。

 こうして、トロスト区内に閉じ込めた巨人の掃討戦には丸一日が費やされ、その間、壁上固定砲は絶えず火を吹き続けた。

 壁に群がった巨人の殆どが榴弾によって死滅し、僅かに残った巨人もフリーダ達少数の訓練兵や調査兵団などによって掃討された。

 その際、巨人二体の生け捕りに成功。実験体として調査兵団が管理することとなる。

 掃討戦が終わった後は、兵士や民間人などの死体処理があった。感染病などの二次災害を防ぐためにも、これまた早急に取り組まれる。兵士は巨人がいなくなった後も忙しなく動き続け、ようやく一息つけるのはトロスト区奪還作戦から、丸二日が立った頃であった。

 

 

 燃える死体群。腐敗した肉の臭気と、煙の嫌な臭いが混ざり、溶け合い、空気に霧散する。

 火の山を見つめながら、コニーは頭を抱えて幸せだった訓練時代を思い出す。

仲間と馬鹿やっていた思い出。辛い訓練を共に励まし合い乗り越えた思い出。問題事に首を突っ込んでそれを解決した思い出。

 どれも黄金のように煌めいては、二日前の地獄を思い出し陰り消えていく。

 ばちばちと燃える音と一緒に聞こえてくるのは、他の仲間が咽び泣く声。親しかった者を亡くした悲しみで泣いているのか、生き残った実感を得て泣いているのかは、コニーに分からない。ただ、彼ら彼女らの慟哭と共に何かしらの感情が発散されていく。

 目の前に落ちている灰を掴んでみる。手を開けば、その粉は宙へと儚く舞ってしまう。人間の体は最終的になんの意味もない塵芥へと変わってしまう。その事実がひどくコニーを憂鬱な気持ちへとさせた。

 

「トーマス、ナック、ミリウス、ミーナ、サムエル、それにサシャ……。他にも数え切れないくらいの仲間が死んだ……。俺たちはこれからどうするべきなんだ? あんなに頑張ったのに、あんなに……やったのに……。全部……無駄だったのか……?」

 

 そう思わずには言われない。兵站行進、座学、立体機動、馬術、対人格闘術、技巧術。どれをとっても、みんなそれなりに努力してきた。点数を稼ぐため、戦場で死なないため、死ぬほど努力をしてきた。

 それが無駄だと言うのであれば、人はなんのために努力するのだろうか。

 そう思い悩んでいる時、ある言葉が聞こえる。

 

「フリーダ……?」

 

 誰かがそう言った。まさかこの場にフリーダが現れると思っていなかったのだろう。彼はいつもの殺風景な顔で、静かに燃える死体の山を眺めていた。

 コニーはフリーダの顔を見て、顔が熱くなるのが分かる。血液が沸騰し、今にも頭の血管が破れてしまいそうな感覚だった。

 コニーはフリーダのところへと駆け寄ると、その面白みのない顔をした奴の胸ぐらを掴む。二日前、彼の言葉で激昂した時のように。

 フリーダは胸ぐらを掴んでいるコニーを見下ろす。何もしない。抵抗もしないし、何かを言おうともしない。その様は、コニーの出方を伺い観察しているようだった。

 

「俺は、あんなことを言ったテメーを許せねぇ。今でもぶん殴ってやりてぇ気分だ」

 

 コニーがフリーダに告げる。怒りの乗った言葉をぶつけてやる。

しかしフリーダはその言葉を聞いて「そうか」と短く返すだけだった。二日前のあの時であれば、皮肉や悪言など腐る程出てきていたはずなのに、今はそれが出てこない。

 

「っ、なんもねぇのかよ……!」

 

 肩透かしをくらったコニーはさらに掴む力を強める。

正直なところ、コニー自身、彼を殴り飛ばしたい気持ちはあるものの、そこまでフリーダに怒りの感情を覚えているわけでは無い。彼が皮肉屋で口が悪いのなんて前から知っている。あの時の言葉だって、今思い返してみれば少し喧嘩を売られた程度のことだって気付いた。

 それでもコニーが彼に突っかかるのは、彼が本音で話してくれないから。彼の本音をコニーは聞いて、共に悲しみを分かち合いたいからだ。ともに三人で過ごしたサシャとの思い出を尊びたかったからだ。

 

「別に。コニーがそうしたいのならそうすればいい。俺に止める権利はない」

 

 フリーダの覇気のない言葉。感情が無いのか、それとも押し殺しているのか分からない表情。それはまるでトロスト区が陥落する前の彼である。

 

「なんだよ、それ……。お前はいつだってそうだ!どこか空かした態度で、一歩後ろ下がって傍観してる!本当はサシャが死んだことだって、悲しくねぇんだろ!?」

 

 目の前の男が、平常心を取り戻しているのが気に食わないコニーはそう叫ぶ。喧嘩を売ってきた時のフリーダは、どこか感情を発露させていたはずなのに、今はそれが無い。それがひどくもどかしくて、自分だけが取り残されているような感覚すら覚える。フリーダはとっくにサシャのことなんて忘れてしまったのかと思うと、身が凍えたように震えた。フリーダにとってあの三人の空間は、それぽっちのことだったのかと思うと怖くて堪らなかった。

 

「……。さあ、分からん」

 

 その言葉に唖然とした。忘れたわけでも、今でも悲しみを感じているわけでも無い。フリーダは自身の気持ちを分からないと、正直にコニーに告げたのだ。

 

「サシャが死んだと聞いた時、俺は正直嘘だと思った。あいつの死体を見た時も現実味は無かった。でも、あいつの声が聞こえた時、ああ、もうその声は聞けないのかと思った」

「何を言って……」

 

 そこまで言って、コニーはそれがフリーダの本音のようなものだとすぐに分かった。目の前の男が、ぽつりぽつりと自身の気持ちを吐露しているのだと、コニーは理解できた。

 

「今だから言えるが、俺はなんでも切り捨ててきた。それはもう何でもだ。生きる目的のために全て切り捨ててきた。でも、生きる目的を失って、初めて切り捨てたものをちゃんと見返した。そしたら急に自分が家畜の豚よりも惨めに思えたんだ。アホ面で死んでいく周りの奴らより、俺は惨めに見えた」

 

 コニーは黙るしか出来ない。怒りをぶつけ、本音を引出そうとしていた彼が初めて聞いたのは、フリーダの悲しい独白であった。

 

「アルミンに丸投げしたのも、あいつが失敗して駐屯兵に串刺しにでもされたら面白いんじゃないかって思った。実際、面白いのかなんて知らないが、それをしたら何か分かるのかなって思った」

 

 なんて悲しい奴だ。コニーはそう思う。すべてを切り捨てすぎた男は、自身の感情がどこにあるのかも分からない。何を持つべきなのか、何を感じるべきなのかも忘れてしまっている。いや、もしかしたら目の前の男は元から、それを感じることのできない男だったのかもしれない。

 

「コニーに悪言を吐いたのも正直、そうすれば生の実感が湧くと思った。適当に言ってみた。食事の後に手を拭くぐらいの理由。ただ、それだけ。他にも生きる目的を探るために色々やった。自分が何をしたいのか見つけるためにやった。俺は人を傷つけたいのか、陥れたいのか、幸福にしたいのか、助けたいのか、色々模索した。そん時は本当にクソの上を歩いているような気分だった」

 

 フリーダはそう言って、コニーから仲間の死骸へと目を向ける。

 

「でも今はなんとか堪えている。気休めだがな」

 

 そう言って、一区切りつけるとフリーダはそっとコニーの手を離させた。

 

「コニー。俺はお前にこれを言うために来た。自分という人間を明かすために来た。俺は結局のところ自分が分からない、何かに依存しなければ生きていけない弱い人間だ。お前は俺と違ってお前のしたいことをすればいいんだ」

 

 フリーダは踵を返し立ち去ろうとする。が、コニーはそんなフリーダの肩を掴み、自分の方へと振り返らせた。

 

「正直、俺は馬鹿だからお前の言っていること半分も理解できなかった……。でも、俺は決めた……。今決めた……。俺はやっぱり……、調査兵団に入る……!」

 

 コニーはそう言う。周りの人間もそれに仰天する。あれだけの地獄を見ながら、彼は今、更に地獄へと足を踏み入れようとしている。誰も彼もが絶望した世界へ自ら乗り込もうとしている。

彼はただただ知りたかった。サシャがなんで死んだのか、仲間がなぜ死ななければいけなかったのか。彼女たちの死を無駄にしてはいけないとコニーは思った。

 もう惨めったらしく蹲るのはやめる。もう現実から目を背けることもやめる。

 壁から一歩外に出れば、そこは紛うことなき地獄なのは十二分に理解した。ならば後は、勇気と悲しみを背負って一歩ずつ歩みを進めるしかない。

 フリーダはそんなコニーを見ながら、何も言わない。まるで、そうなることを理解していたかのように、静かな面持ちであった。

 

「そうか」フリーダが言う。

 コニーはそんな彼に、引きつった笑みを浮かべながら、大きく「そしてっ!!!」と吠え、彼の頬に全力全開の拳をたたき込んだ。

 

「これでお互いに文句なしだ。あの地獄のせいでお互いに気が滅入ってた。あれは、それだけのこと……。そう、それだけのことだ……」

 

 殴られたフリーダは静かにコニーを見つめる。その瞳に恨みや怒りの類はない。コニーは寒々とした頭を掻きながら、一言謝った。

 

「悪かった。よく分からねぇけど、あん時、自分だけ楽になろうとしていた……。お前を責める権利は俺にも無かったよ……」

 

 




きっとフリーダは自分でも気付いてないが、コニーもサシャも大切だったのだろう。


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壁外調査編
11話


新章突入します

この話で調査兵団のケイジと言う男が出ます。思い出せない方は、あらかじめ検索することをお勧めします。


 

 巨人化したエレンが壁の穴を塞ぎ、ウォール・ローゼは再び巨人の侵入を阻んだ。

 しかし同時に、人類に味方する巨人の存在は壁内に大きな衝撃をもたらし、様々な議論を巻き起こす。

 作戦終了後、エレンの身柄は憲兵団に預けられ、ダリス・ザックレーが決裁権を握る特別兵法会議にかけられることになった。

 エレンの処刑を望む憲兵団とエレンの力を利用しようとする調査兵団の議論が、憲兵団をはじめとする保守派に傾けた時、エレンの主張とリヴァイの機転が場を支配する。

 結果、リヴァイの管理下に置くこと、第57回壁外調査で人類の益を生み出すことを条件に、一時エレンの身柄は憲兵団へと預けられた。

 

「無能だな……、今の憲兵団は」

 

 フリーダは中央憲兵から送られてきた手紙を読みながらそう呟く。フリーダの見立てでは、十中八九、憲兵団がエレンの身柄を受け取れると踏んでいた。超大型巨人や鎧の巨人との関係性を黙っている可能性だってあるのに、そこを詰められなかった憲兵に毒を吐きそうになる。

 隣にいたアニはフリーダのその手紙を覗きながら「ふーん」とだけ言う。トロスト区奪還作戦後から、この二人が一緒にいるのはほぼ当たり前となっていた。

 

「で、どうするの」

 

 アニが小声で聞いてくる。ここからはあまり聞かれていい内容ではないと理解しているからだ。

 

「調査兵団の一人を拉致する。掃討戦の時に一人目をつけた」

 

 フリーダが面白くもないように言う。薄味のスープは今日も今日とて彼らに食の喜びを与えてくれないのだ。

 フリーダの言葉にアニは反応せずパンをかじる。否定しないところを見る限り、彼女はその行いを止めるつもりは無いらしい。

 

「今日の午後だな」

 

 フリーダが時間を告げる。これは、相手を拉致する時間帯についてだ。

 

「どうやってやるの? 力づく?」

「ターゲットの嫁はウォール教だ。だから、それを使う。ターゲット自身は嫁を使えば良い」

 

 フリーダは日常会話でもするかのように人を拉致する計画を伝えた。レイス家である彼は、ウォール教の幹部に顔が利く。人脈で事が済むのであれば、それに越したことは無いとフリーダは思うのだった。

 

「分かった。なら、またその時に呼んで」

 

 アニはそう言って食器を片付けに行く。本日も戦場の処理で訓練兵は大忙しだ。

 フリーダはもう一度、中央憲兵からの手紙を読み返し、再び憲兵団の無能さにため息をつくのであった。

 

 

 とある教会の地下倉庫。自分の権力を振りかざし、無理やり用意してもらったそこへフリーダはアニと共に来ていた。

 地下室に入ってみれば、教会には似つかわしく無い希少な酒や、金銀財宝が一部、見受けられる。掃除は行き届いているのか、埃っぽさは一切感じられなかった。普段使わないはずの倉庫が、その小綺麗さを保っているところを見ると、頻繁に人が出入りしていると分かる。

 アニは辺りを見回しながら、フリーダの後ろをついていく。見たことのない品物が多かったのか、珍妙な表情を浮かべていた。

 

「これがウォール教の本質?」

 

 彼女が聞いてくる。フリーダはその問いかけに小考するが、すぐさま首を横に振った。

 

「結果的に貴族や王政の連中が貢いでるだけだ。中にはまともな奴もいる」

 

 ニック司祭という人間をフリーダは思い出しながらそう言った。今回のこれも、彼の助力があって成立しているようなものだ。彼は狂信者というほどウォール教にのめり込んでいるわけではなく、その時々によっては冷静な判断ができる男だとフリーダは考えている。ただ、その性質が引き金で、いつか自分に厄災を持ってこないかだけは少し懸念していた。

 二人が話しているといつの間にか重々しい雰囲気の扉が出てきた。フリーダはその扉にそっと手を当てると、何か思い出したかのようにアニへと振り返る。

 

「今更だが、無理に付き合わなくて良いぞ」

 

 最後の確認をするフリーダ。しかしアニは、愚問だと言わんばかりに何も言わず首を横に振ってみせた。

 フリーダはそれを確認すると、扉に当てていた手に力を込める。キィという開閉音を鳴らしながら扉を開けてみれば、そこには真っ暗な空間が広がっていた。

 

「ん“ー!!ん”ーーーー!!!」

 

 何かが騒いでいる。必死に声を上げ、物音を立てている。暗闇のせいで音の発信源は見えないが、叫んでいる者の口に何か入れられていることは分かる。言葉にならない叫び声が地下室に響き渡り、フリーダはそれを鬱陶しく感じた。

 フリーダは持っていたランタンを部屋の中央部分に置く。そうすれば、入り口付近までしか照らされていなかった光がある程度、部屋全体へと行き渡った。

 前を見てみれば、声を荒げていた男の正体が目に入る。椅子に体を縛られ、目隠しと猿轡を嵌められていた。

 

「今外してやる。ちょっと待ってろ」

 

 フリーダはそういうと、男の猿轡だけを外してやる。これで、彼は惨めったらしく呻き声を上げるのではなく、きちんとした言葉で喋れるようになった。

 

「こ、ここはどこだ!!? お前たちは誰だ!!?」

 

 喋れるようになった男は状況を飲み込めていないらしく、フリーダへ問いかける。自分が縛られていること、己の身に危険が迫っていることなど容易く想像できるだろうに。

 しかし、彼が叫ぶのも無理はなかった。彼が意識を覚ます前の記憶といえば、久方ぶりの家族との団欒である。決して、強面の男たちに襲われて気を失ったとかではない。家でご飯を食べていた時の記憶以外、彼には無かった。

 フリーダは男の問いかけを無視して、胸ポケットから手帳を一冊取り出す。ペラペラとページを捲っていけば、そこには調査兵団の名前リストが記載されていた。

 

「調査兵団の古株の一人で第四分隊 通称ハンジ班に所属。名前をケイジ。かなり上の立場の人間だな」

 

 フリーダが確認するために問う。ケイジはまだ頭の整理が追いついていないらしく、それにとぼけた声で返事した。

 

「お前たちは何者だ……?中央への反乱分子か……?」

「反乱分子が狙うなら憲兵団だろ? そんなことも分からないのか……。思ったよりも間抜けな男を捕まえたかもしれん」

「こ、こんな事をしてどうなるか分かっているのか!? 俺がいなくなれば直ぐに誰かが気付く!」

「その点は十分隠蔽した。コソ泥がこぞって土下座し頼んでくるレベルの隠蔽術さ。あんたはプライベートで少し休暇を取ってるってことになってる」

「ふ、ふざけるな!そんなこと簡単にできるわけがない!俺の事で怪しまれてお前らは芋づる式に見つかるのがオチだ!そうなる前にさっさと解放しろォ!!」

 

 一向に話が進まない気がしたフリーダはため息を漏らす。情報収集を兼ねて、ケイジがフリーダへ色々と質問しているのは明らかであった。調査兵団は、拷問や尋問に対する訓練を受けていないはずだが、やはり長い間、死地に身を置いていれば何かと知恵が働くのだろう。フリーダは中央憲兵のある男から教えてもらったマニュアル通りに、人の口を割る方法を実行していくことにした。

 

「解放されるかどうかはあんた次第だろ、ケイジ」

「どういう意味だ、それは!?」

 

 フリーダはケイジから視線を離し、隣に座っている中年の女を見た。女は目を覚ましていないのか、ぐったりとした様子で首を垂れ座っている。目には布が当てられており、口には何か黒い固形物が埋め込まれていた。

 

「あんた、確か嫁と息子いるんだったか」

「っ!!?」

 

 その言葉にケイジは思わず声にもならない驚きを発した。フリーダはそんな彼の反応を豚小屋にいる家畜でも眺めるかのように一瞥する。アニは何も言わず、ただ黙って二人のやりとりを傍観し続けた。

 

「それなのに調査兵団みたいな危ない兵団に入って、さぞ妻子は気が気でないだろうな」

「何が……言いたい……?」

「いや。壁外調査というものに行った事がないのだが、どうせ死ぬなら最後は顔を見て死にたくないか?」

 

 フリーダは目隠しをされたままのケイジを挑発する。現在、何も見えない彼にとって、フリーダの言葉はただの皮肉でしかない。

 

「俺の頼み事はたった一つだけだ、ケイジ。調査兵団の機密事項。たったそれだけを横流しにしてくれれば良い」

 

 ケイジの肩に手を乗せながら、優しい口調で語る。どう聞いても脅しでしかない言葉なのだが、フリーダのそれは妙に甘ったるかった。

 

「俺がそれに頷くとでも……?」

 

 震える声。ケイジはようやくフリーダの目的が見え出していた。

 調査兵団の機密事項とはつまるところ「巨人化能力者であるエレン・イェーガーに関する情報」を指している。その情報を聞き出してフリーダがどうするのか、ケイジにはそこまで予想できないが、調査兵団にとって不利になることをされるのは自明の理であった。

 フリーダはケイジの強情さを見て、ぽんぽんと軽く肩を叩く。暗にそれは「無理をするな」と言いたげであった。

 

「まあ、あんたが頷かなければ奥さんと子供の指が一本ずつなくなるくらいか?」

 

 淡々とそう告げるフリーダに、ケイジは固唾を飲む。先ほど、妻子の話を振られた時から、彼の中では確信にも似た何か嫌な予感というものがあった。

 

「な、何を言って……、本気で言っているのか?」

 

 確認する必要がないはずのことを、つい聞いてしまう。ほんの少しでも期待に胸を膨らませる童心のように。

 

「本気だ。ここで冗談を言うほど、俺のセンスは悪く無い」

 

 フリーダはそう言って、ケイジから少し離れた位置で座っている女を揺さぶり、起こした。

 女はまだ記憶がハッキリとしていないのか、ゆっくりと首を起こし辺りを見渡す。目隠しがされているため、いくら首を振ろうと景色は黒一色のはずなのだが、女はそれにすら気付かない。

 そんな女に対して、ケイジは物音で誰かが起こされたことに素早く気がついた。それが今の流れ的に己の妻子なのか、もしくは調査兵団の誰かなのかは分からない。とりあえず、自分の口を塞がれる前に、急いでケイジは誰が起こされたのか確認を取る。

 

「お、おい大丈夫か!? 声は聞こえるか!? 俺は調査兵団所属のケイジだ!喋れるなら返事をしてくれ!」

 

 そんな彼の必死さに、思わずフリーダは肩を竦める。そんなに焦らなくてもフリーダは、目の前の女に状況は伝える気でいた。

 女はケイジの言葉のおかげで混濁する意識の中から抜け出せたのか、わなわなと身を震わせる。信じられないと言った様子であった。

 

「あ、あなた……、ここは、どこなの!? 一体何でこんなことになってるの!?」

「お前はっ!!?」

 

 ケイジは女の声で誰なのか察する。目を覚ました時から家族で料理を食べている記憶しか残っていなかったため、まさかと危惧していたが、やはり妻は自分と同じく拉致されていた。

 

「さて、奥さんの声は聞こえたか? きちんと聞いておけよ、これが最後の正気を保った妻の言葉になるかもしれないからな。次からは巨人も驚くほど、汚い悲鳴しか聞こえ無いかもしれないぞ」

 

 フリーダが冗談めかし、笑う。そして女の口に再度、固形物を嵌め込み会話ができないようにした。

 

「い、イカれてんのか? お、お前たちは調査兵団の情報なんか入手して、何がしたいんだ?」

 

 いまだ希望を掴み取ろうとするケイジ。それを嘲笑うでもなく、侮蔑するでもなく、フリーダは呆れてものが言えなくなる。

 アニが見守る中、フリーダはケイジの妻へ一歩近づくと、容赦無くその顔面へ拳をたたき込んだ。

 どす、という鈍い音が地下室に響く。肉と骨がぶつかり合う音。女の悲鳴とともに聞こえたそれに、ケイジは妻が何かされたということを察するには十分であった。

 

「質問してるのはどっちだケイジ。俺はママゴトやってるんじゃないんだぞ」

 

 フリーダはケイジに向かい合う。ケイジはまるで、フリーダの行動が見えていたかのように激昂し、縛られた体を無理やり動かした。

 

「この卑怯者が!!俺に手を出さず、妻に手を出すか!」

 

 ガタガタと揺れる椅子。あまりにケイジが激しく動くため、そのままケイジの体と共に横へ倒れてしまった。

 フリーダは眉を顰める。

 

「そうか、また俺の話を聞かないのか……。俺が求めてるのは、“はい”か“殺してください”のどっちか何だが……」

 

 その言葉は、再び女へ乱暴するという意思表示だった。

 ケイジはそれを理解すると、先ほどのような相手を威圧する声でなく、媚を売るような甲高い声を出す。

 

「ま、待ってくれ!いや、待ってください!横流しにするとしても、何をどうすれば良いのか分からないんです!」

 

 ケイジのそれは、表面上だけ見れば相手へ屈服したと思われる有様だった。

 しかし彼は実のところ、何一つ協力するとは言っていないし、重要な情報も吐いていない。とりあえずこの場で妻が辱められるのを防ごうとしているだけの苦し紛れでしかない。それをフリーダが見逃すわけもなく、鼻で笑ってみせた。

 

「どうやら調査兵団の連中は巨人と触れ合い過ぎて会話ができないらしい。人間が人語を理解できなくちゃ、終わりだと思うが」

 

 フリーダは机の上に置かれていたノミと金槌を手に取る。女の小指をじっくりと眺めれば「血は止めなくて良いか、痛みがある方が伝わるだろ」と呟く。

 その言葉を聞いた、ケイジもその妻も唖然とした。この男が今からやろうとしていることに言葉を吐き出せない。いつも巨人と戦い、巨人以上の悪魔はいないと思っていた彼が、目の前の人間を確かな化け物だと認識した。

 

「や、やめ___」

 

 やめろと、そう言いかけた時。フリーダは手に持っていたノミを女の小指に当て、金槌を勢いよく振り下ろした。

 すとんと、耳障りな音が聞こえる。切断された小指は1メートルほど高く飛んで、ケイジの頭へとぶつかった。頭に当たる妙に軽い衝撃。目を隠されているケイジの脳は停止する。

 だが、次の瞬間。

 

「う“ぅ”ぅ“ッ!!!!う“ぅ”ぅ“ぅぅぅぅぅ!!」

 

 聞き覚えのある女の声にもならない悲痛な叫びが木霊する。あまりのショッキングな出来事に、歯止めが効かなくなった女は、誰彼構わず絶叫した。 

 フリーダはそんな女を放って、飛んだ小指を拾い上げる。そしてケイジの口を無理やり開き、そのまま喉の奥へと通すように突っ込んだ。

 当然、そんなことをされれば体が拒否反応を起こす。途中まで入り込んだ小指は、ケイジの胃から逆流した中身とともに、地面へとぶち撒けられた。

 

「おい。折角お前の妻が頑張ったんだ。お前もそれを腹に入れてやれ」

 

 フリーダがそう言って、優しくケイジの頬を撫でる。フリーダの手には女の返り血がついていたため、ケイジに鉄臭い匂いが付着した。それはまさに、壁外調査でいやというほど嗅ぎなれた匂いである。

 

「お前は言われた通りにすれば良い。意味を考えたり、先読みしたりする必要は無い」

 

 それは暗に隷属しろと言われているようなものだった。人間としての営みを捨て、己の全てをこの悪魔に捧げろとケイジは言われたのだ。

 傍らでは未だ妻の咽び泣く声と、痛みに耐える荒い呼吸音が聞こえる。止血はしてもらえていないのか、ポトポトと血が滴る音も聞こえた。ケイジはそんな音たちをB G Mにしながら、調査兵団か妻の安全かを天秤にかける。

 フリーダはそんなケイジを催促するかのように、さっと顎を上げさせた。彼は、その悩んでいる時こそ攻め時なのだと教わっていたのだ。フリーダはケイジの耳元へ口を運ぶ。自分の吐息がかかるくらいの距離までしっかりと近づける。

 

「さて、もう一度聞いてみるか。大丈夫。聞き間違い、言い間違いは歓迎するぞ。まだ指は妻子の両手両足合わせて39本もある」

 

 その時、ケイジの心は軽々と砕けた。

 

 

 ケイジとの話し合いを終え地下室から出たフリーダとアニは、誰にも気付かれないよう変装した格好で、裏路地を歩いていた。二人の間に会話はなく、フリーダが先頭を歩き、それに続く形でアニが歩く。

 アニは己の手を眺めながら、自然と震えがないことに驚いていた。人が絶望する場面を、人を痛めつける場面を、なんとも思わず眺めていた自分に驚愕していた。

 トロスト区の作戦で仲間が死んだと自覚した時も、自然と恐怖はなかった。シガンシナ区を破壊した時は、後悔と自責の念で押しつぶされそうになったのに、だ。その度に、父親の言葉を思い返していた彼女が、今では父親の言葉なしでも平常でいられた。

 

「子供、見逃してくれてありがと」

 

 唐突にアニが言う。それはケイジを拷問する際、子供だけは巻き込まないでくれたことに対する礼であった。

 

「別に。お前のためじゃない」

 

 フリーダはぶっきらぼうに答える。彼が本当に「お前のためじゃない」と言えば、本当にアニのためではないのだろう。真意が分からないために、アニは「そう」とだけ返すことにした。

 

「だがアニ。良いのか? 残される方が辛い時だってある」

「分かってる。死んだ方がマシだと思われるかもしれない」

 

 フリーダの言葉にアニは答える。

 フリーダの言葉は真理であり現実であった。

 今後、ケイジの行末は地獄と定められてしまった。そんな彼の妻子も、自ずと地獄の片道切符を握らされてしまったことは言葉にせずとも分かる。例え一時、その切符を握らされるのが遅かったところで「握らされる」と言う事実に変わりはないのだから。アニの気持ちは、彼の子供にとってマイナスに働くことはあっても、プラスに働くことは今後一切ない。

 

「けどね、私は喜んで子供を殺すゲスにはなりたくないんだ。例えそれば、この壁内を滅ぼそうとしている私でもね」

 

 子供を遠ざけたのは、きっと彼女なりのエゴだったのかもしれない。

 

 

 

 ケイジの拷問が終わり、彼が調査兵団に戻るのは休暇明けの二日後のことであった。ケイジには目立った外傷もなく、特に仲間内から怪しまれることもなく勤務に復帰した。ただ少し、彼が時折何かを思い詰めている場面が目撃されるようになった。その理由がなんだったのか。調査兵団がその理由を知るのは少し未来のお話である。

 



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12話

今までタグ詐欺みたいだったけど
ようやくクリスタと話したよ、こいつ


 

 それはトロスト区掃討戦の六日後の出来事である。その日の朝は、一つの大事件によりトロスト区全体を騒がせていた。

 

「なんだって? 生捕りにした巨人を民間人が殺した!?」

 

 兵舎の中でマルコは人目を憚らず大きな声を出す。情報を提供したジャンは、苦々しい顔をしながら、今朝手に入れた新聞をマルコへと明け渡した。

 

「ああ。なんでも民間人の男4人が、夜間に忍び込んでうなじを刈り取っちまったらしい」

 

 新聞を受け取ったマルコがその記事を目にする。今朝の出来事のせいか、あまり情報は載っていないものの、そこには確かに「民間人 巨人殺害」と大きく見出しに書かれていた。

 

「え? でも民間人が巨人の弱点を知っているとは思えないが」

 

 マルコが新聞に目を通しながら告げる。彼の言う通り、確かに巨人の弱点は特に大きく世間で広まっているわけではない。兵士であれば誰もが知る情報でも、民間人が巨人を相手にすることはほぼないため、誰も知ろうとはしないのが現実である。

 

「それが、犯人の中に二人だけ元訓練兵がいたんだとよ。馬鹿な奴らもいたもんだなー。これじゃ、恨んだ巨人に恩を売っているようなもんだ」

 

 ジャンが嘲笑う様子で言ってみせた。彼の言う通り、元訓練兵であれば巨人の殺し方を知っていても当然ではある。訓練兵団では毎年途中で除隊する者もいるため、元訓練兵が民間人に紛れていも、特段おかしいことではなかった。

だが、それでも巨人を殺すためには武器などが必要である。斧やナイフで殺そうとしても、立ち所に傷が塞がってしまうため、従来の武器では巨人を殺しきることは出来ない。兵団が持つブレード二本で、すぐさまうなじを切り取るか、小型巨人であれば大砲、落石などでうなじを粉砕してやらなければ、巨人を殺すことはまず不可能である。

 

「でもそれじゃ、わざわざブレードとかまで盗んで殺した事になる。なんでそこまでしたんだ……」

「さあな。俺に馬鹿の気持ちは分からん。最終的に、全員その場で憲兵団に射殺されてるし、事情も聞けない。あそこに調査兵団に入るって言ってた馬鹿がいるし、あいつなら共感できてんじゃねーか?」

 

 ジャンがそう言って見たのは、自身の荷物を纏めているコニーだった。今日は新兵勧誘式が午後にあるため、最後の荷造りをしなければいけない。

 

「なんだよ……」

 

 ジャンにからかいの目線を送られたのが気に食わないのか、コニーは目を半眼にして睨む。

 大量の死骸を火葬した日、フリーダとコニーの会話内容は多くの訓練兵に聞かれていた。そのため、コニーが調査兵団に入ることは、ほぼ訓練兵の間では周知の事実である。ジャンも例に違わず、あの日その話を聞いていた一人だったため、コニーを道化のように笑うのだった。

 

「別に。俺は成績上位にまでなったのに、憲兵団やめて調査兵団に入ろうとする奴の気持ちが分からないだけだ」

 

 ジャンが戯けて言う。

 

「別に。お前には一生分からなくて良いんじゃねぇか? ジャンは腰抜けだもんな」

 

 コニーも負けまいと、ジャンの負け犬っぷりを鼻で笑った。

 

「……なんだと?」

「まあまあ、待てよ二人とも。今日でお別れかもしれないんだからさ」

 

 マルコはとっさに、掴み合いの喧嘩を始めそうな二人の間に割って入った。それのせいでジャンは白けたのか、コニーを強く睨み付けると、手をぱっと振って喧嘩の終わりを表す。コニーもそれを見てジャンから目線を逸らし、まとめていた荷物へと再び視線を落とした。

 

「そうだな、マルコ。俺は今日で晴れて内地行きが決定する。それでこんな地獄ともさよならだ。あんな思い……、二度としなくてすむ」

 

 沈鬱な表情を浮かべながらジャンはそう言って兵舎の部屋を出て行った。彼があそこまで辛辣な態度を取ってしまうのも、きっとこの前のトロスト区襲撃があったせいだろう。仲間の死を多く目撃し、助けられたかも知れない命を悔いているからこそ、彼は気が滅入っている。ジャンはどこまでいっても当たり前の精神力で、ジャンはどこまでいっても強くは無かった。

マルコはそんなジャンを見送ると、コニーに向き合う。

 

「ごめんコニー。ジャンも気が立っていたんだ」

「……マルコが謝ることでもないだろ。それに、俺が馬鹿な選択してるってのは十分理解してる。今だって、本当にそれでいいのか自問してるんだ」

 

 マルコの謝罪をぶっきらぼうに受けるコニー。彼の手を見てみれば、明らかに恐怖と絶望で震えていた。

 

「そうか。コニーがそう決めたらなら誰も文句言わないと思う。それに僕も一緒だ」

 

 そう言ってマルコは新聞を置き、自身の手を見せる。まるで自身の体から切り離されたかのように、その手は小刻みに震えていた。

 

「はあ!? マルコ、お前も調査兵団にするのか!?」

 

 驚愕の声。コニーは、マルコが調査兵団に入るとは毛ほども思っていなかったために、体全体で驚きを表す。マルコも皆からそう思われているのは分かっていたのか、後頭部を恥ずかしそうに掻いた。

 

「エレンという前代未聞の存在が出てきた現在、目を向けるべきは外だよ。確かに王に仕えるのは夢だったけど、それよりもしなくちゃいけないことがある」

 

 マルコの目に強い光が灯っているように見えた。生きたいと願う気持ち、人類の役に立ちたいという気持ち、そして仲間の死を無駄にしたくないという気持ち。それら全てがマルコの目に宿っているようである。

 コニーはそんなマルコの気持ちを汲み取り、子供のように笑う。決して馬鹿にしている笑みなどではない。純粋に仲間がいてくれる嬉しさや、同じ心持ちをしている仲間にコニーは喜んだ。

 

「マルコが一緒なら心強いな!お前の指揮、期待してるぜ!」

「ははは、僕が指揮をとるのは当分先だと思うけどね」

 

そんな二人の会話を盗み聞きしている者が一人。その者は、部屋から出ていく振りをし、扉の前でたたずんでいた。その者はマルコとコニーの話を聞きながら、人知れず拳を固く握った。

 

 

 同日。

 フリーダとクリスタは訓練地の広場にあるベンチで一緒に座っていた。クリスタが一人ふらついていたフリーダを見つけ、ここへと誘ったのだ。最近では、フリーダがアニと仲良くしているため、中々一人になるところが少なく、クリスタ的にも声をかけるチャンスが少なかった。

 ベンチに腰掛けながら、クリスタは子供のように笑い、足を揺らす。何しろきちんとした会話は一週間前を除けば五年以上前に遡る。久方ぶりの兄と二人きりの会話は彼女の心を弾ませていた。対してフリーダは、無感情を象徴したような顔で足を組み、空を眺めている。この対照的すぎる二人を第三者がみれば、きっと恐怖の感情でも抱くのだろうが、生憎周りには誰もいなかった。

 

「ねえ、兄さんはどこに入るの?」

 

 クリスタは猫撫で声でそう尋ねる。

 

「言う必要があるのか、お前に」

 

 フリーダはむすっとした表情でそう返した。彼にしては珍しい反応である。

 

「無いよ。でも聞きたいから聞いただけ。答えてくれないなら、別にそれでもいいかな」

 

 クリスタのその純粋な返しに、フリーダはため息をつく。

 

「……調査兵団だ」

「そっか、調査兵団に入るんだ」

 

 クリスタはそう言って、足元に咲く小さな花を眺めた。一つの場所から二つの花が咲いているそれは、まるで今の自分たちを表しているようである。

 

「じゃあ、私も調査兵団に入ろうかな」

「好きにすれば良い」

「止めないの?」

「止める必要を感じないからな」

 

 フリーダはそう言って足を組み直す。クリスタはそんな兄の動作を真似て足を組んでみた。が、途中で足の感覚が気持ち悪くなったため、すぐさま元に戻す。

 

「なんだか、こんなふうに会話するの懐かしいね。ここの場所も草原みたい」

 

 そう言って辺りを見渡せば、一面に土と草が広がっている。ウォール・シーナ北部にある小さな牧場で生まれ育った彼女からすれば、どれも見慣れたものばかりであった。ここに馬と兄を用意すれば、それこそそこが故郷である。

 

「でも最近おかしいの。その会話が思い出せない。兄さんとはもっと仲良く楽しげに話していたはずなのに、こういう会話の方がしっくりくる」

 

 クリスタはフリーダの頬を突きながら面白そうに言う。彼女の思い出せる限りの記憶であれば、いつも兄が笑い自分が笑い、動物たちがその周りを取り囲んでいた。しかしなぜか、その記憶が間違いだと思う自分もいる。現にフリーダは動物に全く好かれない性質をしているし、純粋に笑うところなどほとんどない。どこかむすっとした表情で、いつも自分の会話を適当にあしらう今の状況の方が、彼女は酷く懐かしい気持ちを覚えた。

「ねえ」クリスタはフリーダの肩(厳密には腕の部分に近い)に頭を乗せる。男らしく大きなフリーダの肩は、クリスタに大きな安心感を与えた。

フリーダはクリスタの頭を動かすこともなく、されるがまま「なんだ」と返す。

 

「兄さんは私のこと嫌い?」

 

 率直な質問。一週間前のことを思い出すようにクリスタは尋ねる。

 

「ああ。好ましくは思っていない。今も感情を殺しているだけだ」

 

 フリーダはそう淡々と返した。

 

「うっ、そこまで素直に言われたら、流石の私でも傷つくからね」

 

 胸の部分を抑え、本当に傷ついたのか苦笑いを浮かべるクリスタ。

 

「でも私は兄さんのこと好きだよ。ずっと前から好き。なんでこんなに好きなのか分からないくらい好き」

 

 そうこれは言葉に表現できない感情。例え相手に嫌いと言われても、捨てることのできなかった感情。周りからみれば、非常に歪に見えるかもしれないそれを、クリスタはいつだって大切にしている。

 フリーダはそんなクリスタの表情を横目で見る。幸せそうで、満たされたような顔がそこには広がっていた。

 

「……何故か分からないが、お前の言葉を今の俺は信用できない」

 

 それが本心からくる言葉だということをクリスタは理解した。なぜ兄がそんなふうに思ってしまうのか、それは分からないけれど、今嘘をつかれていないことだけは分かった。

 クリスタはフリーダの肩から頭を動かし、徐に立ち上がる。理由を考えても今は分からないのだから仕方がない。それは追々理解するとしようと彼女は考えた。

 

「うん。だから、もう遠回しに伝えるのをやめる!妹って立場に甘えるのもやめる!これからはどんどんアタックする!今日はそれが言いたかったの。時間とらせてごめんね」

 

 クリスタはそう言って快活に微笑む。

 

「さて、これから私も頑張らなくっちゃ。フリーダも一緒に頑張ろうね」

 

 クリスタはフリーダの顔に自身の顔を近づけると、そのまま彼の額に唇を当てる。コンマ数秒触れ合ったそれを惜しむように離し、クリスタはフリーダへもう一度微笑んだ。誰もが見惚れるような笑顔。ライナーやジャンといった女に対する免疫が無い男が食らえば、一発で悩殺されるだろう威力が、そこにはあった。

 

「えへへ、お裾分け。昔読んでくれた絵本にこういうのあった気がするから」

 

 クリスタはそれだけを言うと、満足したように鼻歌を歌いながら兵舎へと戻っていった。

 

 

 日は沈み夜になった。昼間に比べ気温は著しく下がっている。あたりでは教官達が松明に火をつけており、その周りに訓練兵が群がっていた。

 これから行われるのは新兵勧誘式、もとい配属兵科決めである。駐屯兵団、調査兵団、そして憲兵団の三つから訓練兵達は己の所属を決めなければいけない。その中でも憲兵団に関してのみ、成績上位10名だけが配属資格を持つ特殊な兵団である。憲兵団になれば、ウォール・シーナでの生活権を得られるだけでなく、豪華絢爛な生活が待ち望んでいる。まさに高嶺の花であった。

 そんな高待遇な憲兵団への資格を持ちながらも、クリスタはそれを一蹴することをユミルに伝える。午前中、フリーダとの会話も交えながら説明すれば、ユミルは困った顔をしながらも渋々と頷いた。

 

「本当にいいんだな? クリスタ」

「うん。もう決めたから」

 

 最後の確認をしたユミルに、クリスタは力なく笑う。正直、調査兵団にいくことが怖く無いのかと聞かれれば、彼女は迷うことなく「怖い」と答えるだろう。しかし、彼女の中では人知れず兄が死ぬことの方が怖いし、何より兄から逃げたく無いと思っている。フリーダが調査兵団に行くと考え直したのなら、クリスタはそれに必死にくらいつく気でいた。

 

 クリスタ達と少し離れたところに、マルコとコニー、ジャンがいた。マルコは未だ震えているコニーを見ながら、優しく微笑みかける。が、正直なところ、彼のその行動は自分がこれから行うことへの恐怖を緩和しようとしているようにしか見えなかった。

 

「コニー。別に無理しなくていいんだよ……?」

 

 マルコが言う。コニーはその言葉にハッとなり、マルコの胸を叩いてやった。

 

「き、気にすんな。自分で決めたんだからよ……」

 

 そんな二人のやりとりをジャンは何も言わず見つめる。彼には彼で、何か迷うところがあるらしい。

 みんなが訓練兵として思い思いの最後を過ごしていると、教官達から号令がかかる。どうやら新兵勧誘式が始まるらしい。壇上の前に訓練兵達はきれいに整列した。

最初に勧誘をするのは調査兵団団長のエルヴィン・スミスだった。彼は舞台袖から姿を表すと、品性漂う姿で壇上中央にたたずむ。やはり、階級がそれなりに高い立場なだけあって、こういう場で見せる風格は別格であった。

 

「私は調査兵団団長のエルヴィン・スミス。本日、私が行うのは諸君らの勧誘だ」

 

 最初の自己紹介。訓練兵達はみんなそれを苦々しい表情で見つめる。

 

「もう皆知ってると思うが、調査兵団の基本方針は壁外での調査活動である。今回のトロスト区襲撃により、諸君らは巨人の恐怖を知り、そして絶望を知ったと思う」

 

 それはあの日の地獄を彷彿とさせる言葉であった。巨人が人間を食い、潰し、殺す、悲惨な場面。顔見知りの仲間達はどんどん死んでいき、阿鼻叫喚の中で生き残ってしまったことへの罪悪感。整列している訓練兵の中には、何人かその光景を思い出してしまい、嗚咽を漏らしているものまでいる。

 

「しかしだ。今回のトロスト区奪還作戦では見事、人類史初の勝利を収めることができた。その功績も、巨人化能力を手にしたエレン・イェーガーの尽力があってのこと。彼の生家の地下室にはその巨人化についての秘密があるとされている」

 

 その情報に、また何人かの訓練兵が食いついた。エレンの家の地下室については、新聞でも報じられておらず、この場で初めて聞かされる情報であったからだ。

 けれど、その情報の開示に懐疑心を抱く者もいる。頭の回るその者達は、その情報の重要性よりも、何故この場でエルヴィンがその情報を発信したのかを勘ぐった。

 

「我々、調査兵団はその地下室を目指すべく、ウォール・マリア奪還が第一の目標とされる。少なく見積もっても、これらを成し遂げるための労力は20年の歳月と数百人、下手をすれば千人単位の屍が必要だ」

 

 エルヴィンは隠すこともなくそう宣言した。彼の見積もりで言えば、相当の死者と年月がウォール・マリア奪還には必要とされるらしい。

 確かにトロスト区の門の穴を完全に塞いでしまったことで、今や彼ら調査兵団がこれまで作ってきた行路は無駄となった。今ではカラネス区からの出発が計画されており、また4年以上の歳月をかけて行路を築かねばならない。

 

「隠すことはしない。君たちには一ヶ月後行われる壁外調査にも参加してもらう。調査兵団は毎回多くの死者を出すため、慢性的な人不足なのだ。参加する新兵は、その初陣でおよそ半数近くが死に、生き残った新兵もまた回を重ねるごとに死んでいく」

 

 みな息を飲む。調査兵団に入ると決めていたもの達ですら、その決心が揺らぐ。

 

「もう一度言う。君たちが調査兵団に入れば、近々この場に残る者の殆どが死ぬ。それでも人類に心臓を捧げられるのであれば、ぜひ、この場に残ってほしい……」

 

 エルヴィンのその言葉で訓練兵たちは続々とその場を去り始めた。残ろうとしているのは、コニーやクリスタ、アルミン、ミカサ達といったそれしか選択肢のない奴らばかりである。

 ジャンは辺りを見る。この流れに乗ってこの場を去れば、晴れて自分のなりたかった憲兵になれるのだ。あの日見た地獄をもう二度と見ないですむ。そう思うだけで、心の中で何かがすっとなる気分になった。

 だが、その気分と共に出てくるのである。訓練兵時代、幾度となく自分とぶつかりあったエレンの顔であった。戦術を放棄し、巨人に食べられるのを待つ人生でいいのかと、ムカつく顔でそう聞いてくるのである。

 ジャンはマルコとコニーの顔をみた。目頭に涙を浮かべ、必死に何かに耐えている。調査兵団に入り、これから地獄を見にいく己を必死に奮い立たせている。

 彼らも同じ気持ちなのだろうと思った。憲兵団になれば、それは楽な人生を歩める。最初はこき使われるかもしれないが、段々と裕福な人生になっていく。約束された勝利。約束された安寧。それを謳歌すれば、ジャンはきっと一時の平和を手に入れることができるだろう。

 しかし、それはどこまで言っても一時の平和でしかない。また、不安定な平和でしかない。巨人が攻めてくれば内地などなくなるし、真っ先に憲兵団も戦わなければいけない。

 ならば自分のすることは何だろうかと思考する。現状で求められるものは何かと、考え直す。感情でも心でもなく、頭に判断を委ねる。

 そして彼の下した決断は___。

 

「君たちは、死ねと言われたら死ねるのか?」

 

 エルヴィンの静かな問いかけ。それに答えるものがいる。

 

「死にたく、ありません……」

 

 細々とした声でそう言ったのは、ジャンであった。彼は体を震わせて、今でも発狂してしまいそうな衝動を必死に押さえ込んでいる。

 そんな彼の姿を見たマルコは乾いた笑みを浮かべた。

 

「はは、ジャン……」

 

 ジャンは頭を抑える。

 

「クソっ、まじで死にそうな気分だ……。今すぐにでも引き返してぇ……」

 

 コニーはジャンの言葉を聞いて、呆れた様子で空を見上げた。

 

「ああ……。心に決めてたけど、やっぱりこえーよ……」

 

 そんなみんなの反応を伺いながら、エルヴィンは静かに笑う。この場にいるもの、みな誰にも負けない勇者である。恐怖に打ち勝ち、人類のために前進することを選んだ英雄達である。

 

「そうか。みないい顔つきだ」

 

 そう言って、エルヴィンは鋭い眼差しで“調査兵団の新兵”を見た。

 

「第104期訓練兵団 総勢22名。これより君たちは調査兵団の新兵である。皆、人類に心臓を捧げよ!!!」

「「「「「ハッ!!!」」」」」

 

 フリーダはエルヴィンの号令に従いながら、先ほどまでアニが立っていた隣を盗み見た。

 



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13話

 

 調査兵団配属になった次の日。フリーダ達104期訓練兵がまず行ったのは部隊の配属と、各班長との顔合わせであった。

 

「敬礼ッ!!」

 

 ジャンの号令のもと、横並びになって整列している新兵が馬小屋の前で敬礼する。それをにこやかな笑みを浮かべながら見ているのは、頭に布を巻いている男であった。

 

「おう新兵。俺が班長のネスだ。こいつが愛馬のシャレット」

 

 そう言ってネス班長が横にいる馬の顔を撫でてやる。馬は気持ちよさそうに目を細め、鼻や頸を伸ばしていた。上質な信頼関係が築かれている証拠である。104期の中でも突出して馬術成績が優秀なクリスタも、シャレットの感情が読み取れたのか、微笑んでそれを見た。

 

「あと少し注意点だが。こいつ、実は髪の毛をむしるのが好きなんだ。禿げたくないなら気を付けろよ」

 

 冗談まじりの笑い。みんな一様に「ははは」と乾いた笑みを漏らす。ネスが言った言葉は実体験からきたものなのかもしれないと思うと、少し悲しい気持ちになったのだ。ネスは己の頭に装着されている布を見せて笑いを取ろうと考えていたが、新兵の反応を見て、その一発ギャグを炸裂させることを躊躇った。

 そんなどうしようもない主人が困っていると、愛馬であるシャレットはある新兵の顔を見つめる。そこにいるのは艶やかな金髪で、端正な顔つき、気品あふれる佇まいにのっぺりとした鉄仮面。そいつと目を合わせたシャレットは動物特有の本能がどうしようもなく刺激された。

 

「ヒヒィィィーンッ!!!」

 

 高いいななき。シャレットは頭を激しく上下に揺らし、尻尾を立てる。明らかに興奮している様子にクリスタ達だけでなくネスも戸惑いの声を出した。

 

「おいどうした!急に暴れ出したりして!」

 

 とりあえず、落ち着かせるために綱を握りながら、首を撫でてやる。だがそれでもシャレットの動作は落ち着かない。綱を振りほどこうと首は振るし、体を大きく動かす。

 

「いつもこんなんじゃないんだが、気が立っているのか? 今朝したブラシのやり方がまずかったのか…‥」

 

 ネスは突然のことに動揺を隠せない様子である。自分が何か愛馬に対していけないことでもやってしまったのかと思案した。

 しかし第104期の新兵達は、馬が突然暴れ出した理由が分かったのか、みんな遠い目をしている。彼らはこういった光景を何度も目撃したことがあった。

 

「な、何!? 馬小屋の馬も暴れだしたぞ!こいつはどうなってやがる!?」

 

 シャレットと同様に、馬小屋で休んでいた馬達も首を振ったり、前掻きを始めた。まさにカオス。馬の秩序は乱れ、今小屋から解き放てば、これから一生会えなくなると思わされるほどの興奮状態。

 

「あー……、久々に見たなこれ」

 

 コニーは落ち着いた様子でそんな阿鼻叫喚な光景を見る。

 

「うん。訓練兵の最初の頃を思い出すよ。あの時もこうやって教官達が驚いてたっけ」

 

 アルミンもそれに同意して頷いた。ここにいる全員(およそ一人をのぞいて)が長いこと拝んでいなかった光景に、懐かしいとしみじみと感じていた。まるで、あの時に戻ったようにすら錯覚してしまう。

 けれど、いつまでもその感情に浸っているわけにはいかない。このままでは、真面な話し合いすらできずに夕方がきてしまう。そう感じたライナーは、隣で無表情を貼り付けている元凶を見た。彼は自覚がないのか、一人落ち着いた様子である。

 

「……おい、フリーダ」

「なんだ」

「お前、一旦離れろ」

 

 ライナーにそう言われ、フリーダは少し考える。

 

「……それが良さそうだな」

 

 そして馬小屋にいる興奮した馬達を見て、フリーダは静かに立ち去ることを選んだ。

 フリーダが立ち去った直後から、急にシャレットたちは興奮を鎮める。先ほどまでの激しさが嘘かのように、ぐったりと頭を垂れていた。

 

「あ、あれ急に馬が落ち着き出した。一体なんだったんだ?」

 

 ネスは原因が分からないのか、首を傾げた。

 

「とりあえず。少し馬の調子を確認してくる。新兵はひとまずここで待機していてくれ」

 

 そう言って、シャレットを引っ張って小屋の方へと歩いていくネス。新兵達は皆、深いため息をついた。調査兵団に配属した初日にこれである。気疲れがどっと溢れてしまったのだ。

 

「あいつの性質も変わらんな。あれでどうやって壁外調査に行く気だ?」

 

 ライナーは苦言を呈する。調査兵団の最重要任務である壁外調査には、馬での移動が必須であった。馬に好かれないフリーダが、その壁外調査に同行するのは今のところ無理に思える。

 

「知るかよ。フリーダなら走ってついてこれんだろ」

 

 ジャンが同じ馬面である馬達に同情したのか、哀れな目を馬小屋にむけて言った。

 

「まあ、フリーダならやりそうではあるよなー……」

 

 コニーは馬と並走するフリーダを想像しながら呟く。人並外れた速度で草原を駆けるフリーダは、まさしく小さな巨人であった。

 

「あはは、流石にそれは無理じゃないかな。流石に半日も馬と並走するなんて人間をやめてる」

 

 アルミンは苦笑する。彼のいう通り、調査兵団が品種改良した馬のトップスピードは時速80キロ。誰がなんと言おうと、人間が出せる速度ではなかった。

 

「でも巡航速度は35キロ前後だから、その間だけはやろうと思えばやれるのかも……」

 

 冷静にフリーダの走破を目論むマルコ。彼はフリーダに何か恨みでもあるのだろうか。アルミンとベルトルトは密かに、マルコの鬼畜さに舌を巻いた。

 

「もしもの時は私と乗れば大丈夫かな。二人乗りなら馬も暴れないかもしれないし」

 

 クリスタは下顎に指を当てながら小思考する。彼女の中では、正直なところフリーダと馬に密接して乗りたいという欲だけしかないのだが、周りがそれに気づく事はなかった。逆に周りは、フリーダとクリスタの仲の悪さを周知しているので、そちらの方を心配する。

 

「クリスタとフリーダが?」

 

 最も訓練時代から二人の中を公的に心配していたミカサが問う。トロスト区襲撃の際にみた、フリーダの顔をミカサは未だに忘れることができていない。

 

「うん。心配しなくても最近は話せるようになったよ。今朝も言葉を交わしたし」

「そう……、それは……良かった」

 

 クリスタの言葉にミカサは逡巡するも、今回は素直に喜ぶことにした。家族と一緒にいられない悲しみを、彼女はクリスタと重ねていた分、家族と共に過ごせるようになった喜びも共感することができたのだ。

 

「まあ実際、馬術が一番得意なクリスタと馬術が一切できないフリーダの相乗りが一番現実的だよな。体格的にも二人なら問題ないだろうし」

 

 コニーが呑気にそう言った。フリーダとクリスタの関係が良好になったのなら、誰も文句を言わないであろう。現に、誰もコニーの言葉に反論しない。

 

「なんだ? さっきのやつ馬に乗れないのか?」

 

 いつの間にかネスが帰ってきていたのか、不思議そうな顔でジャン達に尋ねる。上官としては、馬に乗れない新兵は早々に叩き出すか、乗れるように徹底的に訓練させるかのどちらかしかない。

 アルミン達もそのことを理解して口を噤んでいたが、ジャンが意を決したように口を開く。

 

「乗れないというよりですね、乗せてくれない、と言ったほうが正しいですね」

「なんだあいつ馬に嫌われてるのか。動物に好かれない性質の奴ってのは、大抵顔に何かでてるんだがな」

 

 ネスは己の顔を指差しながら言う。確かに馬は人の表情を読み取る力があるとされているが、それだけでフリーダを毛嫌いするには、あまりにも異常な性質であった。かと言って、他に何か理由があるのかと言われれば、それは誰にも分からない。普段乗っていた馬に突然嫌われたのであれば分かるし、一部の馬に嫌われるのであれば対策の仕方もあったのだが、フリーダは無差別に動物から嫌われていた。

 

「だとすれば、フリーダの場合、あの鉄仮面のせいかもしれませんね」

 

 アルミンが笑いながら言う。クリスタがそれを睨んだせいで、彼の笑い声は後半萎んでいった。

 

「何を考えてんのか、いまいち分かんねーもんな。私も馬ならあいつにだけは乗って欲しくない。ドブの中とか、クソの中とか平然と突っ込ませそうだしな」

 

 ユミルは呆れた様子で言いながら、深いため息をついた。

 

「それを否定できないのがフリーダの強みだよな」

 

 ジャンはその鬼畜さに惚れていた。彼は馬面のくせに、なぜかフリーダを嫌わない奇行種である。

 

「だが困ったぞ。このままあいつが馬にも乗れないで、しかも近付くだけでこの有様じゃ、どこにも連れて行けなる。とりあえずあいつには、馬との触れ合う時間を作るしかないな……」

 

 目に見える絶望。先程のことを思い出す度に、フリーダと馬を引き合わせることを躊躇ってしまう。だが、調査兵団であるネスとしては有望な新兵をここで逃すわけにはいかなかった。なんとしても馬に乗れるように、最悪、馬が暴れなくなるようにする努力が必要であった。

 

 

 馬が暴れてしまったせいで、調査兵団兵舎を適当にうろついているフリーダ。特にすることもないため、適当に施設見学をしようと考えていた。今のところ、新兵がいったことあるのは食堂と自室として割り当てられた部屋のみである。

 そんな時に飛び出してきた人物がいた。部屋の前には「研究室」と書かれているため、何かを研究している人間なのだろうとフリーダは思った。その人物もフリーダに気がついたのか、快活な笑みを浮かべて声をかけてくる。

 

「あれ、こんなところで新兵が何してるの?」

「ハンジ分隊長……」

 

 その人物はよく見れば、調査兵団第四分隊長ハンジ・ゾエであった。

 

「やあ。奇跡の訓練兵君。まさか君も調査兵団に入ってくれるとはね。イヤー、今期は数こそ少ないものの、質は上々だねー」

「そうですか」

 

 ハンジに知られていたのが意外と感じたフリーダは軽く頭を下げる。正直、フリーダからしてみれば、ハンジは今この場で一番会いたくない人物であった。

 

「元気が無いみたいだけど、どうかした?」

 

 ハンジは利発な性格である。何か気になったことがあれば、それを知ろうとする好奇心も持ち合わせている厄介な人物だ。フリーダはできる限りボロを出さないためにも、彼女とどう接するべきなのかを思案した。

 

「……一つ、率直にお伺いしたいことがあります」

「なになに、改まっちゃって」

「ハンジ分隊長は、新兵勧誘式で語ったエルヴィン団長の意図をなんだと考えられますか」

 

 フリーダが見出した結論は、自分を高値で売ることであった。

 

「そうだなー、うーん。エルヴィンが語ったと言うのが大雑把すぎて、どれを言っているのか分からないなー」

 

 フリーダの内心を知らないハンジは、大袈裟な素振りで考える様子を取る。本当にフリーダが何を言いたいのか分からないようなら、ここまで悩むこともないはずだ。ハンジはわざとフリーダからきちんとした言葉にさせるよう話を誘導していた。

 

「エレン・イェーガーの地下室のことです。俺はあれについて、駐屯兵に囲まれた時に本人から聞きましたが、少し軽率な判断ではないでしょうか?」

 

 他人との騙し合いが得意なフリーダは、ハンジの意図に乗っかることにした。ハンジが何を考えているのかはフリーダにも分からない。しかし、相手との情報の探り合いであれば、自分が負けるなど彼は微塵も考えていなかった。

 

「じゃあ、逆に質問。君は敵をなんだと考えてる? 君には何が見える?」

 

 ハンジがニタニタとした表情でそう問いかける。フリーダはその質問に対し慎重に考えながら、指を二本立てた。

 

「敵はエレンと同じ巨人化能力者……。そして、居処は兵団の中だと考えています」

 

 フリーダのその発言が面白かったのか、ハンジはさらに口角を上げる。

 

「ヘェ〜。それは興味深いことを話してくれるじゃないか。それは何故」

「昨日の明朝行われた生捕りにした二体の巨人殺害。あれは突発的な犯行に見せかけた、計画的犯行だと思います。おそらく黒幕は民間人に薄汚い金を掴ませ、犯行に及ばせたのでしょう。殺した民間人は超硬質ブレードを持っていたと伺います。厳重に警備をしている武器庫に侵入して盗むのは困難であり、闇商人を使って仕入れたにしては計画性と突発性が反比例していますので」

 

 持ち出したのは昨日の話。トロスト区全域を震撼させたその報道をもとに、フリーダは己の考えを露呈しはじめた。いや正確には、自分の考えではなく、己の知り得る情報をあたかも推察したかのように話しはじめた。

 

「反比例というのは?」

「闇商人を使ってまで念入りな準備をしておきながら、逃げる算段が杜撰だったことに対してです。きっと彼らは逃げる必要がなかったのだと思います。でなければ、あの場に止まって迅速に銃殺なんてされないでしょう。巨人を殺してから、処理されるまでの間があまりにもスムーズすぎる。それなら、何故巨人を殺される前に相手を捕まえられなかったのかが不思議です。そこまで兵団は愚図の集まりなのでしょうかね」

 

 フリーダはそう言って、腕を払う。最後の部分は少し本音が混じっていたりするのだが、ハンジにはそれが伝わらない。

 

「ということは、黒幕は……」

「俺の見立てでは憲兵団にいるかと」

 

 フリーダは目を伏せる。憲兵団に標的を移させること自体は、彼の思惑の範疇であった。ライナーやベルトルト、それにアニから目を逸らすには、仮想敵を作ってやるのが一番手っ取り早い。彼らを隠蔽するためにも、フリーダはあえて内乱を起こし得ない情報を辺りにばら撒いていた。

 

「ふむ。なるほど、面白い見解が聞けたよ。よければそれを団長殿にも伝えたいんだが」

 

 ハンジがフリーダの目を見て言う。

 

「……構いません。俺のこの妄言が少しでも役に立つのであれば」

 

 フリーダは顎を逸らしながらそう返した。

 

「そうか!それは良かった!エルヴィンもきっと喜ぶだろう!こんなに優秀な新兵がいてくれるなんてね!」

 

 フリーダの背中を叩きながら、ハンジが豪快に笑ってみせた。フリーダはその様子を、逐一見落とさないように目を光らせる。相手が何を考えているのか、相手が今どのような感情を抱いているのか。足の動作から、眉の位置まで見逃さない。

 

「で、さっきのフリーダからの質問なんだけど。答えなくっちゃいけないね」

 

 こほん、という咳払いをするハンジ。自分の有能さを売りたかったフリーダからすれば、最初の質問に答えてくれるかどうかはどうでも良かった。

 それでもハンジが答えてくれるのであれば、何か有益な情報かもしれない。ケイジの密偵だけでは不安なところもあったので、彼としては上々な戦果だと感じた。

 

「それじゃあ、言うよ。一回しか言わないから聞き逃さないでね」

 

 前置きを入れるハンジ。フリーダはハンジと向き合い、しっかりと首肯した。

 

「君、あんまり頭が良すぎると苦労するよ」

 

 それはどういう意味なのか。フリーダの思考が停止する。ハンジが何を言ったのか、彼には理解できなかった。

 もしかして、何かを勘づかれているのか。いや、そうだとしたらケイジに何か反応があるはずである。

 では、今の問答で自分が何をしようとしているのかバレたのか。いや、それもおかしい。あの程度の会話で何か分かることがあるとは思えない。

 思考の渦に飲まれていくフリーダ。目の前にいる人物の心を盗み見ることができない彼は、次第に警戒する。

 だがハンジはそんなフリーダに誤解を与えてしまったと思い、手を振った。

 

「あー、ごめんごめん。別に深い意味はないんだ。ただ、察しが良すぎる子は何かと不便だからね。特に若い子は」

「なるほど……、そういうことですか」

「驚かして悪いね。個人的に君には期待してるから、これからもよろしく」

 

 そう言ってハンジが手を差し出す。フリーダもそれに頷いて、握手を返した。

 

「ヤッベェ!もうこんな時間じゃん!このままじゃ、リヴァイにどやされる!それじゃー、私は失礼するよ。エレンのところに行かないといけないからね!」

 

 懐中時計を見て、焦ったハンジは慌ててそのまま踵を返す。フリーダはそんな後ろ姿を見ながら、訝しんだ。あまりにもさっきのセリフにはもっと深い意味が込められているような気がしたのだ。本当に、察しが良い少年を哀れんでいるだけのものではない。

 ただ、ハンジに自分がしていることを察せられていない事もわかった。これからどう状況が転ぶか分からないが、今のところ“目をつけられた“程度に考えていれば良いだろう。

 フリーダは深いため息をつきながら、歩みを再開させる。とりあえず、今は目先の目標だけを捉えていようと考えた。目先の目標、それは第57回壁外調査にて、調査兵団を壊滅させることだけであった。

 



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14話

 

 ハンジ分隊長との会話はフリーダにとって考えさせることが多いものであった。

 正直、ハンジが残した言葉「君、頭良すぎると苦労するよ」は、フリーダの質問に対する回答として、言語がおかしい。フリーダが訊ねたのは「新兵勧誘式でエルヴィンが語りすぎた意図とは何か」だ。それに対する返答としてはとても陳腐なものである。

 仮にあの返答が実に正しいものであるとするのなら、何か裏に意味が隠されているはずだ。

 意図は何か? 頭良すぎると苦労する。

 この二つの兼ね合いをフリーダは模索していた。

 

「おい、フリーダ飯食わねーのか?」

 

 思考をシャットダウンさせるかのようにコニーの声が聞こえた。フリーダがさっと見上げてみれば、そこには自分の飯を持ってきてくれたコニーが立っている。

 

「……少し考え事をしていた」

「はあ、考え事ね。まあ、気持ちはわかるけど、お前ただでさえ食べるのおせェーんだから、さっさと食いはじめろよ」

 

 そう言うと、パンとスープの乗ったトレイがフリーダの前へと置かれた。訓練兵の時から変わらない質素な食事。欲があまりないフリーダですら、この現状に少し嫌気が差した。

 

「隣いい?」

 

 パッと横を振り向けばそこにはニコリと微笑んだクリスタと、仏頂面のユミルが立っていた。

 

「おう、良いぞー。フリーダは食事中喋らないからなー」

 

 フリーダが返事をする前に、コニーが前の席を指差す。サシャがいなくなってから、コニーとフリーダの食事は静かなものであった。あれだけ教官から、バカトリオと言われ「喧しい」とか「少しは慎みを覚えろ」とか注意されていたのに、今では辛気臭いだけの二人組である。時折コニーが、無意識のうちにサシャを呼んでしまうくらいには、失ってしまった者への順応ができていなかった。

 そんなコニーに指定された席に座るクリスタとユミル。ユミルは目の前にいるフリーダを睨みながら、机に身を乗り出した。

 

「フリーダァ、テメーいつの間にクリスタと仲直りしたんだ? 聞いてねーぞ」

 

 ユミルが語尾を荒げながら問いかける。フリーダはそれを一瞥すると、なんでもないようにパンを手にとった。

 

「仲直り以前に、まず喧嘩をしていない。喋っていなかっただけだ」

「どんな屁理屈だぁ? あれを喧嘩と言わずになんて言うんだよ。意固地になってたくせに気でも狂ったか」

 

 フリーダとクリスタの関係を前から見届けていたユミルとしては思うところがあるのだろう。フリーダに容赦無く突っ込んでいく。

 

「気は確かだ。おかしなところは特にない」

「いや、あるだろ。頭とか」

「頭は正常だ。今なら馬の歯磨きですらやってのけられる自信がある」

「それは流石に無理があるだろ。午前中のあの様子じゃ、あんた壁外調査もいけそーにないもんな!」

 

 ケラケラと笑うユミルに、フリーダは面倒臭そうに目を伏せた。コニーもクリスタも、二人の会話に入りづらいためか、スープをひたすら黙って飲んでいる。

 

「さあて、ここからは真面目な話だ。あんたはなんで急にクリスタと話そうと思ったんだ?」

 

 パンをかじりながら、そう呟くユミル。流石に無視を決め込んでいたクリスタやコニーも、それには興味があるのか目をフリーダへと向けた。

 

「昔を思い出した」

「昔?」

「ああ、大事な記憶だ」

 

 フリーダはそう言って、深くため息を吐く。ユミルに隠し事をしても、良い事はないと分かっているため、正直な事情を話したが、彼の中では少しだけ後悔していた。なにぶん、それは薄氷のように薄く、脆い記憶だからだ。

 

「なんだよ、記憶って」

 

 ユミルの男勝りな口調がそう聞いてくる。

 

「ある草原での話だ。俺がクリスタたちに絵本を読み聞かせていた」

 

 それは巨人化したエレンを目撃した時、フラッシュバックのように出てきた記憶。クリスタの事をぞんざいに扱い、姉だけは丁重に扱っていた時のもの。

 

「クリスタ“たち”?」

「ああ、そうだ。俺はその時クリスタを大事に扱っていなかった。それを思い出したら、もうどうでもよくなるだろ?」

 

 肩を竦ませるフリーダに、クリスタは何も言わない。正直、そう言われても今のクリスタはあまり傷つかなかった。訓練兵時代、あれだけ兄に嫌われる事を恐れていた少女が、なぜか嫌われている事を許容している。

 

「フリーダ、それなんかおかしくねェーか?」

 

 コニーが純粋に声を上げる。

 

「俺さ、弟も妹もいるんだけど、兄弟を大切に思わない兄貴なんていないと思うぞ?」

 

 その言葉にフリーダは少考した。フリーダとクリスタは、確かに血の繋がりはあるものの、本当の意味の兄妹ではない。姉フリーダもそうだ。彼女も血のつながりはあるものの、その関係は従兄弟でしかない。

 コニーの言葉を真似るわけではないが、兄弟がみな仲良しというのであれば、姉フリーダと彼の関係性はまさにそれである。お互いにお互いを大事に思い合っていた。しかし、クリスタと彼の間だけは、なぜかそれが存在しない。いや、厳密には彼がそれを否定し、勘繰っている。クリスタの事を、クリスタとの関係性をフリーダは胸中で否定していた。

 この二人の差はなんなのだろうか。フリーダは考えるが、何も出てこない。まずなんでフリーダは、姉にばかり固執し、その復讐のために全てを投じていたのか、それすらも今の彼には疑問でしかなかった。

 

「やめとけ、やめとけ。このフリーダ様にそんな理論通じねーよ」

 

 ユミルが片手を振りながら、面白くもなさそうにそう告げる。コニーもコニーで「確かに」とだけ言って、納得してしまった。

 

 

 ようやく午後に行われた座学が終わった。

 とりあえず説明されたのは、エルヴィン・スミスが考案した長距離索敵陣形について。壁外調査に行く際には、この陣形が最も重要な戦術になるのだそうだ。

 コニーはあまり理解できていないせいなのか、必死にアルミンがメモしたものを読み耽っているが、正直それも無駄な事だと思われる。彼は体で覚えるタイプであって、頭で覚えるタイプではない。小賢しい事をするくらいなら、大胆に動いてから考える性質である。

 

「なあ、フリーダ。長距離索敵陣形ってのは、つまり右翼左翼で巨人を索敵し、それを信号弾撃って知らせ、中央の団長がそれを見て進路を決定するって事だよな」

「ああ、大雑把に言えばそれで間違いない。細かい伝達に関してのみ口頭伝達で伝える」

 

 コニーの説明にフリーダがそう答える。

 

「でも、口頭伝達って、情報遅れて最悪なことにならねーか?」

「細やかな情報伝達手段が人力しかない現代の文明力じゃ、それしか方法がない。逆にそれ以外の方法があるなら、中央の豚どもが自分を太らすために飛びついている」

「まあ確かに。それもそうだよなー」

 

 コニーが頭を掻きながら、唸り声を上げる。すると、後ろの方から何か騒がしい声が聞こえた。

 

「なんだ?」

 

 アルミンのノートと睨めっこしていたコニーにも聞こえたのか、後ろを振り返る。フリーダもそれに合わせて振り返ると、そこには自身が食べようとしている標的の姿があった。

 

「エレンか……」

 

 フリーダが呟けば、エレンも気がついたのか驚愕の顔をしていた。

 

「っ、フリーダ!ジャンやマルコだけじゃなく、お前も来てたのかよ!てっきり憲兵団に入ったのかと……」

 

 嬉しさからなのか、思わず体を震わせているエレンにコニーは笑った。

 

「エレン元気そうだな。体とかは大丈夫なのかよ」

「あ、ああ。特に問題はない。それよりお前らこそ大丈夫なのかよ」

 

 エレンの言いたい事はなんとなく分かる。調査兵団みたいな、いつ死ぬかも分からないところにきて良かったのか、そう言いたいのだろう。コニーやアルミン、ミカサたちも特にそれは覚悟をしていたのか「気にするな」と言った。

 しかし、ジャンだけは違った。現状がどういう状況なのか、冷静に判断しているジャンだけはエレンに聞かずにはいられなかった。

 

「なあ、エレン」

「なんだよ」

「お前、あの力はどこまで操れるようになったんだ」

 

 それを聞いた全員が息を飲む。確かに、報告書ではエレンが巨人化した際、暴走したと書かれていた。フリーダもその報告書には目を通していたため、彼がどの程度扱えるようになっているのかは、純粋に疑問を持っている。

 

「報告書通りなら、お前はまた巨人化したときに仲間を殺しかけるかもしれない」

 

 ジャンはそう言ってミカサを一瞥する。彼にとって、ミカサは愛おしい存在だ。それがどれだけ叶わないものでも、彼がそれを後悔する事はこの先一度もないだろう。だからこそ、幸せになってもらいたいという純粋な気持ちだけが増していく。例え、目の前の死に急ぎ野郎に最愛の人を連れて行かれても、笑って見送れるように手助けしてやりたいと思ってしまう。

 そのためには、人類の勝利は必須条件であり、ついでにエレンの生存も必要不可欠な事なのだ。ジャンがどれだけ腸が煮えくりかえっても、それだけは変わらない現実なのである。

 

「正直、俺にもどこまで出来るか分かんねー……。あの日以降、俺はまだ一度も巨人化していないし、できたとしても次も正気を保っていられる保証はない」

 

 それがエレンからの正直な説明であった。聞いていたみんなは一様に暗い顔をしている。エレンの巨人化能力は人類の希望の星であり、反面、凶星となり得る代物でもある。当然みんなそれに期待しているし、これからはエレンに命を捧げる。だが、命を賭けるものが不確かなものであればあるだけ、いざという時、人間はそれを躊躇ってしまうだろう。

 

「それが現状か……。まあ、そんなうまくいくものでもねぇよな。分かってたさ、それくらい」

 

 ジャンはこめかみ部分を押さえながら、気疲れのせいか柵に寄り掛かった。

 

「なあ、ジャン。別にそこまで言わなくても良いんじゃねーか?」

 

 コニーがエレンを問い詰めているジャンに苦言を呈する。けれど、それを止めたのはジャンではなく、マルコであった。

 

「いやコニー。僕たちは聞いておくべきだし、話しておくべきだ。仲間だからこそ、こういう忌憚のない意見が必要な時もある」

 

 その言葉に、新兵の全員が納得したのか、ジャンとエレンの言葉に傾聴する。ミカサは少しやりきれない気持ちになっているのか、表情に影を落としていたが、そこはフリーダがさっと間に入り動きを制した。

 

「エレン。俺たちはお前がどれだけ不確かな存在でも、どれだけ危うい化物でも、命を張って守れと言われるだろうよ。当たり前だが、調査兵団に入る時点でそんなものは既に覚悟してる。王に仕えたがってたマルコだって、そこのバカなコニーだって、内地で暮らしたかった俺だって、誰だって覚悟してきてる」

 

 そこまで言ってジャンはエレンの両肩をがしりと掴んだ。

 

「だから、エレン。お前本当に…‥頼むぞ」

 

 それは一体、何に対して言っているのか。言葉には表していないものの、それこそ第104期が求めているものであり、何より人類がエレンに求めている見返りであった。

 



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番外編1

没ネタと言うより、途中で飽きてしまっていた話。
何日か経ってから、訓練兵編に挿入します。


 

 ある日の朝。コニー、サシャ、フリーダは荷車を押しながら、トロスト区の街で買い出しをしていた。三人の足取りは重く、面倒くさそうな顔を隠そうともしないでノロノロと人垣を割って通る。

彼らがこんな風になっているのも無理はなく、三時間前までコニー達は三日間に及ぶ大規模な行軍訓練を行なっていた。山道を歩き、川を渡り、野原を駆ける。重さ20キロ近くの荷物を持っていなかったとしても、かなり厳しい訓練なのがわかる。今すぐにでも地面に座り込んで一息つきたい気持ちをぐっと堪え、コニーとサシャは足を動かした。

 その二人の横に並び、荷車を押しているフリーダは面倒くさそうではあるが、苦しそうには見えなかった。普段から走る時は重しをつけてやっていたため、人より耐性があったのかもしれない。まあ、それを考慮しても彼の怪物具合が異常なのは周知の事実だった。

 

「買い出しも訓練兵の仕事なんだな」

 

 コニーが握られた買い出しリストを眺めてそう言う。眺められたリストには、今のところ、半分近くにチェックマークがついていた。

 

「備品なんかはまだしも、金にならない細かな消耗品は商会が卸してくれてませんからね」

 

 サシャの言う通り、荷車の荷台に乗っているものは全て一つ一つの数は少ないものの、それなりの種類の物品が乗っていた。食器や鉛板から始まり、糸や布に至るまで多種多様の消耗品が揃えられている様は、まるで小さな露店のようだった。

 コニーは後頭部で腕を組み、空を見上げると、燦々と輝く太陽を睨みつけた。今は気温的に涼しい方ではあるが、太陽に照り付けられれば当然暑い。坊主頭のコニーは直射日光を頭皮に直接浴びるためか、他の二人より暑さに敏感だった。

 

「はあーあ、こんなことなら早朝コイツと喧嘩するんじゃ無かったぜ」

 

 疲れた声が溢れる。やれやれと言った表情でコニーが視線をサシャへと投げれば、サシャは拗ねたような顔でコニーを見ていた。

 コニーの言う喧嘩とはちょうど行軍訓練が終わった時に起きた出来事を指す。サシャとコニーは訓練終わりに出てくる朝飯を巡って凄まじく、本当にどうでも良い喧嘩を繰り広げた。それはもう、見ているフリーダすら隣でげんなりする程どうでも良い喧嘩である。

 結果、騒ぎを聞きつけたキース教官から「元気があるならもう一仕事してもらおうか?」と言われ、罰則の変わりとして買い出しする命を受けたのだ。

 

「それ私のセリフですよ。フリーダまで巻き込んで」

「いや、それこそ俺のセリフな」

 

 二人はまだ早朝の喧嘩では足りなかったのか、お互いに目線の火花を散らせながら口撃する。それを見たフリーダが、流石にこのまま続くのも面倒と思ったのか、すかさず言葉のクッションを挟んできた。

 

「次は何を買うんだ?」

 

 フリーダに尋ねられると、コニーは、慌てて握っていた買い出しリストに目を通す。チェックマークの付いていないものから、一番近い店で買えるものに的を絞り、経路設計を組み立て始めた。

 

「あー?バケツとモップ、あとフォーク。馬小屋用の掃除器具だな。確かあそこに売っている店があったはず」

 

そう言って手前から三つ目の右角を指差す。前回の休日の際、コニーは馬毛ブラシを買いに行った店で、それらが置いてあったのを思い出していた。馬を飼育している店なだけあって、そちら方面に関してはかなり豊富な品揃えだったと記憶している。

コニーが自信ありげに右角を指差したので、フリーダとサシャは何も言わず通路の中央から右側へと逸れる。そのせいか、露店との距離がぐっと近くなり、食べ物の匂いがより際立って鼻腔をくすぐった。サシャはじゅるりとよだれを垂らすと、店に吊るされている魚などを凝視する。

 

「さっさと終わらせて露店で美味しいものでも食べましょう」

「それ賛成―」

 

 サシャの提案に、コニーは間の抜けた声で賛同した。

 

「おん?」

「どうしましたコニー」

 

 少し歩くと、コニーが怪訝そうな顔で路地を見つめる。サシャもフリーダも、唐突にコニーがそんな行動をするものだから、足を止めて路地の方へと視線を投げた。

 

「すごい汚れてますね、あの娘」

 

 そこにいたのは、レンガの壁に寄り添って倒れている女であった。体の至る所には青痣などが散りばめられており、髪は乱雑に跳ね回っている。遠目から見ただけでも、その有様が異常なのは見て取れた。

 サシャやコニーは、倒れている娘が心配になり、介抱しようと近づく。しかしフリーダは、そんな二人の行動を止めさせた。

 

「……売春婦だ。関わるな」

 

 フリーダの言うとおり、目の前の女は売春婦である。彼女の手首にいくつもの切り傷の跡があるのが、何よりの証拠だろう。自傷行為をする者イコール売春婦というわけではないが、彼女たちの中には、辛い現実から目を背けるために、そういった行為に及ぶ者も少なくない。喧嘩にしては派手すぎる怪我に、股下から垂れているもの。強姦にあった可能性もあるが、それにしては服装が普通である。脱がされているわけでもないし、破られているわけでもない。強姦をするにしては、怪我をさせているくせに随分と良心的なため、その可能性はないのだろうとフリーダは考えた。

 

「売春婦?」

「性を売り物にしている女だ。ウォールマリアが陥落して以降さらに急増した。理由は言うまでもないな」

 

 基本的に、ウォール・ローゼでの売春は合法である。それはウォール・マリア陥落区以降、急増した失業者に新たな職を与えることができなかったため、止むを得ず性産業に手を出したのに起因していた。

 しかし、合法化と言えども、いろいろな制約はついている。薬物の使用禁止。客引き禁止。セックスワーカーたちの不当な扱いは処罰される。兵士たちがサービスを受ける場合、許可を出さなければいけない。この他にも、それなりに細やかなものが制約として色々と存在する。

 

「でも、何であんなボロボロ何ですか?性を売るって、つまり……、そういうことですよね?」

 

 サシャはフリーダの顔を見ながら、頬を赤くする。

 

「知らん。そういうウサギですら萎える性癖持ちのお得意さんがいたんだろ。分かったなら行くぞ」

 

 フリーダは、会話は終わりだと言わんばかりに荷車を押して歩みを進める。正直、あんな白昼堂々置いているのに、駐屯兵も憲兵も誰も相手にしないのだ。兵団がらみの売春宿が何かしらしていると見て良いだろう。きっと、あの売春婦が客を取れなくなりそうだから、適当な男に持ち帰らせて、それを口実にお金を毟り取るといった、汚い商売でも仕掛けるつもりなのだ。

 

「悪い、先に行っててくれ。俺はあの子保護する」

 

 コニーが唐突にそう告げた。フリーダの話を聞いていなかったのか、彼は今、倒れている売春婦を助けると言ったのだ。あまりのバカさ加減に、フリーダは頭を抱えそうになるも、ひとまず忠告だけはしておくことにした。

 

「おい、コニー。何をする気だ」

「何って介抱しようとしてるに決まってるだろ?」

「放っておけ。それは売り物だ。売春宿のな」

「だからって怪我してるのに放っておけるか。俺たちはこう見えて兵士だぞ?」

 

 コニーの意思は固いのか、フリーダの言葉を全く受け入れない。そればかりか、彼は兵士として当然の義務を果たすと言ってのけた。残念ながら、今回はその兵士が癒着しているであろう場所と揉める可能性があるため、下手をすればコニーは除隊の可能性もある。兵士の義務を果たす云々の前に、今回はその兵士が起こした引き金でもあるのだ。

 

「まあ、コニーの言う通りですね。こんな状態では放っておけません」

 

 サシャもそんなコニーの毒気に当てられたのか、スタスタと倒れている売春婦に近づく。それを見たフリーダは、一応忠告はしてやったため、これ以上彼らに何かを言ってやる気はなかった。

 

「好きにしろ」

 

そう言って荷車を押して店へと向かう。コニー、サシャはきっと憲兵団か売春宿のオーナーに目をつけられることとなるだろう。そうすれば、彼らは開拓地送りか、下手をすれば工場都市の廃液の中だ。フリーダはそんなことを呑気に考えていた。

 これで奴らの顔を見るのも最後か。

 ふとそんなことを思った。隣で常に喚いている連中。フリーダからすればそれくらいの認識しか彼らにはない。フリーダにとって他人とはどうでも良いものであり、いずれ仇を殺すため切り捨てるべきものなのだ。ここで彼らが消えても、彼の人生には何の支障もないはずである。そう、支障はないはずなのだ。

 

「やめろ。開拓地送りにされるぞ」

 

 気がつけば、コニーとサシャにそう話しかけていた。いつの間に引き返したのか、フリーダにも記憶はない。どこかで無意識にUターンし、この路地まで戻ってきてしまっていた。

 

「何だ、やっぱりフリーダも戻ってきたのか」

 

 コニーがさも当然のように言う。戻ってくるのが分かっていたような、そんな口ぶりだった。フリーダはそれが少し気になり、コニーへ言及しようとするも、それをサシャによって阻まれる。

 

「それより開拓地送りってどういうことです?」

 

 サシャは素っ頓狂な疑問を口にする。もしかしたら、さっきまでのフリーダの忠告を何も聞いていなかったのかもしれない。いや、もしくは聞いていたけど、問題の本質を見抜けなかったのかもしれない。こればかりはいつも鉄仮面のフリーダですら、少し呆れた表情にならざるを得なかった。

 

「売春宿の大抵の管理者は商会や貴族、憲兵団の連中だ。そんな奴らの売り物に手を出せばどんな因縁をつけられるかわかったものじゃない」

「だから何だって言うんだよ」

「そうですね。それが怖くて人を助けられないのでしたら、私たちが巨人に勝てる道理はありません」

 

 普段は己を天才としか言わないバカと、芋のことしか考えない連中だが、やはり根は善人だったらしい。人が困っていれば助けてあげたくなる。それが、さも世の理のように話してくる彼らをフリーダは心底理解できなかった。

 

「お前らに利益はないぞ、分かっているのか?」

「俺は天才だから分かるんだが、人助けは相手に利益を与えるものだろ?」

 

 その言葉にフリーダは何も言い返せなかった。

 なるほど、人助けは益を求めたものではなく、益を与えるものか。確かに、その通りである。

 

「……分かった。そいつにさっさと布を被せろ」

 

 フリーダは反論できない自分を敗者と認め、勝者であるコニーたちを手伝うこととした。

 

 ひとまず、布を被せて考える。この売春婦の傷の具合を見てみたところ、体は数ヶ月もすれば全治するようではあった。しかし、心の傷が癒えるのかどうかは、診察したフリーダでも分からない。今は売春婦も目覚めているが、精神的な問題のせいか何も喋らないため、荷台にのせて寝そべってもらっている。

 

「さて、この子どうするよ」

 

 コニーは荷車を押しながら、サシャとフリーダに尋ねる。

 

「どうするも何も、売春宿には返せないでしょ」

 

 サシャはうーんと唸り声を上げながら考えるも、良い案は出なかったらしい。

 

「だよなー。かと言ってこの人自身、どこも行く宛ないだろうし」

 

 コニーは荷台で布に包まっている女を見る。サシャとフリーダも女を見るが、布の隙間から見せた彼女の表情はひどく怯えているようだった。どうやら、こちらのことを警戒しているらしい。

 

「あっ、私良いことを思いつきました」

 

 突然、サシャがそんなことを言った。

 

「何だ?」

「私の家に送るんですよ。行く宛てがないなら用意してやれば良い。それに父は馬を育てると言っていました。私がいなくなったため、今は人手を欲してるかもしれません」

 

 サシャは「どうですかこの私の素晴らしい案は」という表情で、フリーダとコニーを見下ろした。

 

「まじか!それいいじゃねーか。フリーダもそう思うだろ?」

「ああ、遠くにやるという意味では悪くない。ただ、どうやってこの娘を運ぶ気だ?買い出しすら俺たちは終わっていない」

 

 コニーは手放しで喜んだものの、フリーダの言葉で現実に帰される。

 フリーダたちはあくまでこの繁華街に買い出しを命令されてきたのであって、決して道楽のために訪れたわけではない。休日の日であれば、色々と面倒をみてやれたものの、残された時間は多くて後3時間が限界。村まではとても送れる時間ではなかった。

 

「確かに……。じゃあ、どうすれば良いんですかー……」

 

 サシャは頭を抱えながら情けない言葉を吐く。そんな彼女たちの真剣なやりとりが見えたのか、売春婦が布の隙間から声を発した。

 

「ん、あ、くあ……」

 

 それはもはや言葉ではなく呼吸音に近かっただろう。舌がうまく回らないのか、口から息を漏らしているだけに聞こえてしまう。サシャはそんな彼女へにこやかに微笑んでやると、そっと頭を撫でてやった。

 

「あ、聞いてたんですね。無理に喋らなくて良いですよ。精神的問題はそう簡単に治らないと教わっているので」

「全くひでーな。どうやれば、ここまで人を殴れるんだよ。本当にこんなので気持ちよくなる野郎がいるのか?」

「世界は広い。それだけだ」

 

 コニーの言葉に対して、フリーダはそう告げるしかなかった。

 世にはS Mプレイというものがある。それは普通であれば、言葉責めであったり、拘束や目隠し、スパンキングといったものなのだが、人に怪我をさせるのは最早ただの暴行でしかない。そんなことをされて喜ぶ女も男も、妄想の中にしか存在しないはずなのに、それでも売春婦に手をあげた男は、それで慰められたのだろう。

 

「トロスト区の開閉門を通れば、とりあえず大きな町からは出られます。そのまま村に行き、お金でも掴ませて商人に運ばせましょう」

 

 サシャが堅実的なプランを出してくる。彼女にしては中々頭を働かせており、フリーダはそれを珍しいなと思った。多分、サシャも一個人の女として、売春婦を心底哀れんでいるのであろう。

 

「それが一番堅実的な案か? 流石に俺たちが荷車で運ぶにも限度があるもんなー」

「ああ、サシャのプランでいいだろう。ただ、それだけじゃ弱い。薄汚い商人は無駄に横の繋がりが深いからな、すぐに売春婦が脱走したことなんて、友達からハブられた奴みたいに察しが早い。この娘を樽でも棺桶にでも打ち込んで、荷物に偽装し運ばせた方がまだ可能性がある」

 

 フリーダはより確実に売春婦をサシャの村へと届けるために、彼女の案をブラッシュアップさせることとした。

 

「あ、フリーダの口が悪くなった。本調子になってきたな」

 

 コニーがそうやってからかってくる。コニーからみたフリーダは、口数と悪態が多くなれば多くなるほど、本調子を発揮する生き物だと思っているらしい。

 

「誰のせいだと思ってやがる……。あともう一つ、策があるだが___」

「なんですか?」

 

 そうやってフリーダが話した策に、コニーとサシャは少しげんなりするのであった。

 

 

 サシャたちが作戦会議をしてからおよそ1時間後。彼ら彼女らは全身がすっぽり隠れるような、大きめの外套を身につけてトロスト区の街を歩いていた。顔は、フードを目深に被り見えないようにしている。どこからどうみても怪しい人物だと言えるだろう。

 

「止まれ、そこの三人」

 

 案の定、怪しさが振り切れている三人に、通りすがりの憲兵二人が声をかけた。彼ら憲兵がこうして真面目に働いているところを見る限り、多分、売春宿から商品の脱走阻止を依頼されたのだろう。でなければ、公明正大とは反対に位置する彼らが動くはずもない。報酬は、サービス一回無料と言ったところであろうかなどと、フリーダは考えてみる。

 

「憲兵団さんが何の用ですか?」

 

 妙に嗄れた声を作ったサシャがそう尋ねた。

 

「つい先ほど、商会の人間から商品が盗まれたと報告があってな。一応、人の顔を調べているんだ」

 

 憲兵がそう言って、サシャのフードを勝手に取ろうとする。

 次の瞬間。サシャは急に膝を折り、トロスト区の壁に向けて懺悔をし始めた。

 

「あ“あああああああああ!!!!お許しください、神様ァ!!!!私は、私はなんて罪深いことをぉぉぉぉぉぉ!!!」

 

 呆然とする憲兵二人。売春婦が変装していないかと思い、顔を見ようとすれば急に発狂する狂信者。流石の憲兵も、この突然の有様には瞠目してしまう。

 

「す、すみません。私たちは宗教の関連で、人前で顔を見せられないのです」

 

 発狂するサシャを庇うように、フリーダが演技をしながら割って入る。その二人の迫真の演技(主にサシャの絶叫)に、憲兵も言葉を失わずにはいられなかった。

 

「わ、分かった、お前たちの顔はもう良い。ただ、その荷車の布は捲れ」

 

 呆然としていた憲兵が我に戻ったのか、荷車を指差しながらそう命令する。彼らとて、売春婦を探す程度のためだけに、変な宗教信仰者と関わりあいたくないのだろう。

一応、顔を隠しているため、流石にこのまま何もせず引き下がるわけにもいかない憲兵たちは、形式上として荷物の提示だけは要求した。

 

「わかりました……。めくれば、いいんですね」

 

 先ほどまで絶叫していたサシャが、突然平素な声でそう尋ねる。それを不気味に思った憲兵であったが、さっさと確認して関わるのをやめたいと思っていた彼らは、サシャを急かした。

 

「さっさとしろ。こっちも時間が惜しいんだ」

 

 それを聞いたサシャはニヤッと笑う。

 

「わかりました。では、めくりますっ!!」

 

 そう言ってサシャは大きな布をめくり上げ、憲兵の顔に被せる。灰色の布で視界を覆われた憲兵は、あまりの出来事に一瞬、何をされたのか分からなかった。しかし、顔に布が被る頃には状況を理解する。自分たちは今、何者かに襲撃されている最中なのだと。

 次の瞬間、頭に大きな衝撃が加えられる。意識が吹っ飛ぶほどの威力。脳が揺れ、視界が揺れ、平衡感覚が失われてしまう。憲兵二人は視界が塞がれたまま、何者かの攻撃によって意識を刈り取られてしまった。

 

「おいおい、大丈夫か?天下の憲兵団がこんな様で」

 

 攻撃を仕掛けたフリーダはそう言う。あまりの呆気なさに、少し拍子抜けしていた。

 

「コニー、お前は訓練兵の姿に戻って駐屯兵を一応呼べ。大事にした方がこの娘を荷物として出しやすい」

 

 フリーダがそう言ってコニーに指示を飛ばせば、コニーは「おう!」と返事して、そのままトロスト区の開閉門の場所へと向かった。これで、開閉門に居座っている憲兵たちは、みんなこっちへ来ることになるだろう。これこそが、もう一つの策。憲兵を襲う三人組の暴漢を作り上げ、それに夢中になっている際に、自分たちは訓練兵として戻って堂々と外に出る作戦だ。

 そうなれば、さっさと裏露地に逃げて、訓練兵の姿に戻ろうとするフリーダ。けれどその横でサシャはのされた憲兵たちを眺めていた。

 

「あらら、憲兵団に手を出しちゃいました……、どうしましょう……。私、憲兵団に入れなくなりますかね?」

「まあ、顔は見られてないし、大丈夫だろ」

「だと良いんですけど……」

 

 そう言ってため息をついたサシャにフリーダは疑問符を浮かべる。

 

「後悔するくらいなら、こんなことするんじゃないな」

「いえ、後悔はしていません。ただ、フリーダは絶対に憲兵に行きそうじゃないですか。私なんて10位以内に入れるか微妙なのに」

 

 嘘泣きをしながら慟哭するサシャに、フリーダは益々何が言いたいのか分からなかった。

 

「とりあえず、喋ってる暇はないぞ。新手が来る前にさっさと走れ」

 

その後はフリーダの作戦通り、憲兵は自分たちに喧嘩をうった三人組を見つけることに必死になった。しかし、訓練兵の姿に戻ったフリーダとサシャは箱の中に女を入れて正々堂々とトロスト区の開閉門を通る。フリーダとサシャは三人組でもないし、訓練兵であるため特に疑われることはなかった。

 ただ少しかわいそうなのが、トロスト区に残ったコニーだけが、残りの買い出しを押しつけられたことくらいである。

 



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