硝子の魔女 (黒皮の手帳)
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出会い

悪寒と寒気を感じて鼻を啜る。

竜車の揺れに瞼を持ち上げ、ふと空を見上げれば分厚い雲が展開していた。

 

「季節外れの大雪……もぉぉ、取引がダメになってしまいますよ」

 

御者の独り言。

これだけ大きな竜車なのに肩身を狭くした、何となく頼りないイメージを抱かせる緑服の青年。

彼は数年前に一人立ちし、行商人として生計を建て始めたばかりの新米商人であり、実家仕込みと本人の才能あって腕は確かだが、持ち前の運の悪さから、竜車に不具合があったり、魔獣に襲われたりと……中々取引を上手く運べない毎日をおくっている。

 

今日も真夏の暑さから逃れる為に、とある貴族が大量に注文した氷板は――季節外れの大雪のせいで恐らくボツになるだろう。

 

「はぁ……」

 

薄手の手袋を擦って、白いため息を溢す。

 

(どうしていつも……いや、自分はこうなんだろうか?)

 

考えても答えが出ないのは分かっている。しかし、ここまで不運に見舞われて、一度ぐらいは大成を成すような運が回ってきてもいいのではないかと思わず愚痴を漏らした。

 

「グルルル(おい、寒いぞ)」

 

「そう言われても、雪対策なんてしてないんですから我慢して下さいよ」

 

言霊の加護。異国の方から、虫や地竜に魔獣まで。とにかく対象と意志疎通が計れる能力が自分にはある。

便利ではあるだろう、もしや自分はこの力と引き換えに全ての運気を使い果たしてしまったのではないか。時々考えることはあるが、青年は竜車を引く騎乗生物の地竜に言葉を返して、もう今日は家に帰って休もうかと考えたその矢先であった。

 

「グルル、グゥウウ(人間の雌の匂いだ、そこの隅からする)」

 

「えっ!?」

 

地竜が鼻を鳴らして横へと視線で促す。

青年、オットー・スーウェンが驚いて横を見れば真っ白な雪景色――その中央に力なく倒れ伏す黒髪の女の姿があった。

 

目を剥いて驚いた。この季節……いや、今は真夏であるから、彼女が半裸のような薄着であることにはあえて何も言わない。

腰のあたりまである長い黒髪。カララギの出身であろうか、それも今はどうでもよかった。

彼の注意を引いたのはその女性の全身にある打撲傷。雪を薄く色つける首から線を引いた赤い跡。

それが外的要因によって付けられた傷であるのは明らかで、オットーという人間は基本的に善人と呼ばれる人種だ。

知識として、法や龍も恐れぬ外道を知っていてもその被害者を直接目にするのとでは訳が違う。

 

「ぅ……っぅ、ぅぁ…」

 

「大丈夫ですか!」

 

今にも消えてしまいそうな弱々しい声。それは彼女が生きている証であり、その灯火を絶やさない為に早急に適切な処置が求められる事は肌で感じ取った。

オットーは竜車から飛び出して彼女を抱え込む。

 

血の匂いと腐臭が鼻腔を刺激して一瞬顔をしかめるも、刻一刻を争う事態である。

 

自らの外套を女に被せて竜車へと戻った彼は、氷で埋め尽くされた竜車に歯噛みし、人命には変えられないとそれらを全て投げ捨てた。

 

「急いで街へ!」

 

丁寧に女性を寝かして、勢いよく手綱を鳴らす。

 

 

 

 

 

 

 

―――――。

――――――――――――。

―――――――――――――――――愛してる。

 

「あれ…………ここは?」

 

「よかった。目覚めたんですね」

 

彼女が目覚めた時、緑ハットの青年が側にいた。

 

「お……確か、雪のなか…あれ、」

 

己は雪の中で倒れていた。たどたどしい言葉でそう紡ぐ。

 

「ええ、僕が貴方を王都まで運び、信頼できるお医者様に診てもらいました」

 

「あなた……?」

 

ゆっくりと自分を指差して首を傾げる。

オットーはそれにゆっくりと頷いた。

 

「……あなた…あなた、あなた………なまえ……あれ?

……なまえは……だれ?」

 

「ッゥ!?!」

 

無垢な顔をしてありえないことを問う彼女にオットーは絶句する。

 

「まさか記憶が……」

 

「だれ……だれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれだれ……」

 

うわごとのように呪詛のようにそう口走る彼女。

精神的に傷を負った人間が己を守る為に記憶の蓋をしてしまうという話を聞いたことがある。

オットーは彼女がそれなのかと同情の念を覚えた。

 

「(どうすれば……)」

 

沈痛した面持ちでオットーは彼女を静観する。

 

オットーという人間は善人でお人好しだ。

聖人ではないが、人が道に倒れていたら医者にみせるぐらいの善良さは持っている。

 

しかし、彼には目の前の女性へこれ以上救済の手を伸ばす手段を持ち得ない。

それは面倒だとか自腹をきって医者にみせたのにこれ以上散財してたまるかと嫌気が差した……といった具合でもない。

 

行商人としてある程度の教養を受けたオットーには記憶を失った事例において、医者にみせようと、腕のいい治癒術士を頼ろうと、自然治癒に任せる以外どうしようもないことを知っているからだ。

 

これで彼女の身元さえ分かれば越したこともないが、あの雪の上に投げ捨てられていたような状況から、厄介ごとを抱えているのは明らかであり、深入りすればよからぬ厄災を招くのは想像に難くない。

 

「だれ、だれ……」

 

目鼻立ちは整い、腫れた頬と外傷さえなければ見惚れるような輝きを魅せるであろう彼女。

 

「…………」

 

見捨てるのは簡単だ。

その壊れかけながら覗かせる美しさを活かせば、少なくとも食べることには困る事はない。

だが、それでいいのだろうか。オットーは自己に問い掛ける。

 

医者には見せた。それで充分。

そんな訳がない――その手をとったのなら、最初に振りほどくのは彼女の方であるべきではないか。

 

自分から離れるというのは自己満足……偽善に他ならない。

 

何も取り柄もない自分だが途中で投げ出すのはオットー・スーウェンの信条に反する。どれだけ理不尽にあっても何度取引を失敗しても、それだけは曲げてこなかった。

 

 

 

「―――僕と一緒に働きませんか?」

 

だから、青年は笑顔で右手を差し出す。

 

 

彼女がその手を取ったのはきっと“運命”なのだ。



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行商人

「いい天気ですね」

 

「はい、雲一つありません」

 

「疲れはありませんか?

これから少しだけ忙しくなりますが、ちょっとぐらいなら休んでも……」

 

「お構い無く」

 

仮面のような表情に未だ変化の兆しはなく。

 

彼女を助けてから一ヶ月目が経った。

なけなしの金を使って彼女の生活必需な品物を買い占めた僕は、彼女の同意を受けて正式に下働きとして雇い、また精神的な病を患っている彼女の為にと細心の注意を払いながら日々を送っている。

 

行商人としての伝を頼って彼女の身元を探ってはいるが、結果は芳しくない。

当初はその美貌からやんごとなき身分の令嬢が裏稼業で拐われ、他国に売り飛ばされた、等と想像を膨らませたものの、それにしてはあまりに情報が出てこないので貧民街出身ではないだろうかとオットーは推測している。

 

快晴の空。

僕らは日常品と少量の雑貨類を揃えて、王都から地竜の足で半日という少し遠くの村まで訪れた。

 

僕の仕事に着いてきたいと彼女の方から進言があったのだ。

それまでは顔の腫れと傷の痛々しさから、両面に配慮してなるべく人目に触れないようにと、あくまで住み込みの下女扱いだったことに僕自身、罪悪感を感じていたこともあってそれを快諾。

 

「……オットーさん。自分は」

 

フードを被る彼女。

一ヶ月でだいぶマシになったとはいえ包帯の取れない場所は多く、やはり傷跡は残ってしまった。女性として傷跡が残るのは悲しいことだろう。医者は死んでもおかしくなかったのだから命があっただけでも御の字だと言っていたが、自分はそうは思わない。手や足など隠せる場所ならまだしも、彼女の傷跡の場所は――――顔だ。

オットーは頬に走る傷跡を気にしないように努めて、ニッコリと笑いかける。

 

 

「頼りにしてますよ」

 

 

 

 

 

 

竜車から降りた黒髪の少女は袖をまくり上げ、荷台から品物を次々と下ろしていく。

 

(……頼りにしてますよ、か)

 

オットーという人には一生をかけても返しきれない恩が出来た。

身寄りもなく記憶や一般常識すら欠如した、それでいて大雪の空の下、激しい暴行を加えられた痕を残して気絶する見るからに訳なりな女。

 

それをまるで、助けることに理由など必要ないとばかりに抱き上げる。

彼がいなければ自分はきっと死んでいただろう。

 

あの時彼が、一緒に働かないかと手を伸ばしてくれなければ、きっと体を売って金銭を得ていた。

 

(オットーさんの迷惑にならないようにちゃんと頑張らないと)

 

ふすんっと鼻を鳴らして木箱から品を取り出していく。



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オットー商店出張中

―――愛してる。

愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛してる。愛して……

 

 

「これと、それ、あとこれも貰おうかのぅ」

 

小銭袋を握りしめて豊富に揃えられた果物を指差す、巨人を思わせる大柄な男。

それに愛想良く返事してりんがにみかんとテキパキと品物を積めては小銭を受け取り、袋一杯に詰められた果物を見て男は機嫌よく頷いて踵を返していく。

 

「傷の姉ちゃん、靴を売ってくれ!」

 

「……いいよ。少しだけ待っててね」

 

そう呼ばれてぎこちない笑みを浮かべる。

背を向けて少女の足のサイズに見合う靴を探しながら僅かに窪みとざらつきのある鼻先に手を伸ばして『私』は小さく息を漏らした。

 

顔に傷のある女と云えば皆が『私』のことを言う。

 

―あの子、ほらあの竜車で果物とか雑貨売ってる子―

 

―美人なのに顔に傷跡があるなんて可哀想な娘だね―

 

―名前は……はて?なんと言ったかな―

 

貧民街より幾ばく離れ人の波が絶えない路上の端。

あの雪の日から一年の時が経ち、行商人オットーから晴れて一人前の太鼓判を推された私は、一人で切り盛りしてみないかと提案を受け、貯蓄を崩してボロの竜車と若い地竜を買い、この場所でお店を出す許可を貰って少し前から露店を開いていた。

思いの外それが成功してちょっぴり有名になってしまったが、それでも私の名前を知る人はいない。

 

「ほら、これでいい?」

 

「サンキュー!!」

 

記憶喪失という理由。

 

私自身、元の記憶を取り戻すまでの仮の名を決めかねていた。

 

 

 

「そこな愚物。これは何という?」

 

紅色の唇が舌を覗かせる。

彼女が視線を上に向けると妖艶に微笑む美少女がりんがを指差していた。

 

「これは《りんが》です」

 

「……《りんが》それは白い実の果実のことを言っているのか?」

 

少女は綺麗な手で真っ赤なそれを一つ掴み取り、興味深そうに眺める。

ドレス姿。従者を連れていないので不確かだが傲慢な態度に教養の感じされる言葉使い、高貴な身分の御方であることを伺わせる。

蝶よ花よ育てられたお嬢様にはりんがを剥いた後の姿でしか知らぬのかと……流石に妄想が過ぎるか。

 

「――宜しければ、味見いたしますか?」

 

「ふむ、殊勝な心がけじゃな」

 

こういう相手には下手(したて)に出て顔を立てるに限る。

彼女の手にある《りんが》を有り難そうに受け取った私は腰みのにくくりつけていた果物ナイフを取って、クルクルと手際よく皮を剥き、ついでに兎の形に切り分けた。

 

「おぉ!」

 

反応がよろしい。

この顔でも一人前に仕事をこなせるように客寄せとして覚えた妙技だが、どうやら彼女のお眼鏡にかなったらしい。

 

シャクリと水水しい音を立ててりんがを咀嚼し、「確かにりんがじゃ」とお嬢様はお言いになった。

 

「この時期のりんがは甘くて美味しいんですよ」

 

この手の上流層は個人で財布を持ち歩かないので、いくら宣伝しようと無駄になる可能性は高いが一応お客様ではあるわけで、一度サボるとダメになるという言葉がある。

貴賤なく丁寧に接客するのがオットー商会の誇りですといわんばかりに、笑顔を作って言葉を紡ぐ。

 

「ふむふむ」

 

聞いてるようで聞いてない。シャクシャクとお嬢様は《りんが》を食べていた。

どうやらよほどお気に召したようだ。

 

「…………なら」

 

手持ち沙汰になった私は余った材料を擂り潰し砂糖と蜂蜜を混ぜ混んだ果実水を作ってみた。

喉が渇いていたのでちょうどよかった。

 

そしたらお嬢様に取られた。

 

………………こういった時はどうするのが正解なのか。

 

帰ったらオットーさんに聞いてみようと思う。



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ラブ、ラブ、ユー

夕暮れの街道を一つの竜車が駆け抜ける。

窓からの街並みは瞬く間に景色を変え、興味なさげにカーテンをおろした彼女は柔らかなソファーに内掛け、あどけない笑みを浮かべていた。

 

あのリンガは美味しかった。

兎の形に切っただけ……だがとても心擽るものであった。

 

「――姫さん、今日は偉くご機嫌だが何かあったのかい?」

 

二体の地竜に繋がれたその竜車の手綱を握る御者は甲冑を被り、それより下は軽装という変わった格好をしていて、客席に乗る少女へと気だるげに問い掛けた。

 

「……そうじゃな。良いリンガ師を見つけた」

 

「リンガ師?」

 

「――あの娘の売り出したリンガは妾が今まで味わってきたどの甘味より甘く瑞々しい……そして何より美しかった。

まさにリンガの極致、その頂よ」

 

もはや、彼女の中であの女性をそこらのリンガ売りと横に並べて扱うことすら躊躇われた。彼女なりの敬意というやつだろう。

 

「アル、近日中にあの店のリンガを店主ごと買い占めてまいれ」

 

初めは白い実のリンガを赤く塗っているのかと物珍しさで近づいたが、やはりこの世界は妾にとって都合の良い方に出来ている。

 

次はどんな捌きを魅せてくれるのかと、令嬢――プリシラ・バーリエルは無邪気に微笑んだ。

 

 

―その日の夜―

 

「――へぇ、貴族に絡まれたんですか~それは災難でしたね」

 

干し肉の野菜スープに葡萄酒を夕食として頂いていたオットーと女は今日の出来事を語り合う。

結果的にリンガを三つ無駄にするだけで、余計な時間と気苦労を負った女とは違い、オットーはなんとメイザース辺境伯から油の発注で、その運搬を引き受けたらしい。

 

何でもメイザース領近くで商売をしていたら偶々帰還途中であった辺境伯と出会い、意気投合したばかりか成り行きでそのまま仕事まで頼まれたとのことだ。

 

「そんな目出度い事があったというのに私は……」

 

辛うじて赤字を免れたものの最近の売上で言えば最低値を叩きだし、メイザース辺境伯といえば王選候補者を抱える今の顔だ。注目の的であり宮廷魔導師としてかなりの地位を築いていると噂に聞く。

そんな御方とのパイプを繋いでみせたとなれば、夕飯を任されている者として腕によりをかけた御馳走を用意してしかるべきであろうにとがっくりと肩を落とした。

 

「別に貴方が気にすることでもありませんよ」

「…そうですね。せめて明日の夕食は今日よりマシなものを用意してみせます」

 

そう言うとオットーは「なら、楽しみにしてますね」。嬉しそうにはにかんで私も自然と笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

愛してる……

 

 

 

 

 

 

 

愛してる、愛してる……

 

 

 

 

 

 

 

 

愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる…

 

それはそうと、今日は一段とうるさいな。

この声はいつになったら止んでくれるんだろうか?



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過去の記憶

あまりにも爽やかな朝の訪れは前日の憂鬱な空模様から一変させ、ぽかぽかと暖かい陽日と肌を撫でる春風が快適な目覚めを運んでくれた。

 

「……んっ。よく寝た」

 

ひとひとと草木から伝う朝露を見て私はほっと息を吐く。

 

 

 

「…………うぅむ」

 

草原を突き抜ける一つの街道。

メイザース領と王都間の距離でいえば半分ほどにあるそこで、円弧に囲んだ石囲いにあらかじめ用意していた薪を敷いて火を焚き、小鍋で食材と香辛料をふんだんに混ぜ混んだ茶色の液体を静かに煮込ませる女の姿があった。

 

(これくらいかな?)

 

ポニーテールにまとめられた黒い髪が左右へと揺れる。

おたまで掬ったスープというには粘り気の強すぎるそれを舌をなめとり、味が満足いかなかったのか口を八の字に歪めて三白眼の大きな瞳を小さく細める。

 

「おいしい……けど、やっぱり何かが足りない。ハーブ、それとも具材なのかな?」

 

その言葉から何度も同じものを自作したことがあるのだろう。いずれも食えなくはないが失敗作に変わりなく、やはり今回も駄目であったと彼女は小さく肩を落とした。

 

「お、今日は朝から“かれー”なんですね!」

 

そんな彼女とはうって変わって鼻をくんくんと鳴らし小鍋の中身を見た途端に黄い悲鳴を上げたのはオットーという年若い行商人。

 

「おはようございますオットーさん。もうすぐ出来上がりますので少々お待ちください」

 

 

「美味い!やっぱり貴方の“かれー”は天下一品ですよ!」

 

過ぎたお世辞は嫌味に聞こえると人は言うが、ここまでストレートに誉められると背中がむず痒くなって顔を背けたくなる。

 

「…お褒めに預かり光栄でございます」

 

照れ隠しに仰々しい言葉使いで微笑んだ。

それがあまりにすんなり頭に浮かんだものだから、一瞬オットーさんがいつの日か言っていたように、記憶を失う前の自分はやんごとなき身分の御方であったかもと考えて、

 

『オホホホホッ』

 

自分が一番可愛いと思い込んでいる痛々しい性格をした私が頭に浮かんだ。

…生活が安定したこの頃になってやっと昔の自分について考える余裕が生まれてきたとはいえ、このような過去ではあってほしくないと思う。

 

卑屈な引きこもりや空気の読めないお調子者の方がまだ救いがある。

だが、どうしようもない馬鹿というか、どこまでも痛いヤツといえばいいのか、もし自分の過去が目も当てられない自意識過剰のお嬢様であったのなら――人はそれを黒歴史と呼び、恐らく私は正気ではいられないだろう。

 

「ほら、お食べ」

 

余り物の雑穀を啄む地竜の子。

 

早朝から暴飲暴食は健康にはよろしくないが、オットーはかれーの魔獣と化してしまった。完食するまで止めそうにない。

食の細い私は暇を持てはやし、スーウェン家に代々受け継がれるこの子の餌やりとブラッシングを担当しています。

「ぐるルル」

 

「あ、ここが気持ちんですね」

 

「ぐるるる♪」

 

「これから一仕事ありますから、今はゆっくり体を休めてくださいね」

 

オットーが朝食を済ませるとメイザース領まで竜車を走らせることになる。

もう王都から半分は過ぎているので、三時間も掛からないだろうが積み荷の油を考えるとかなりの重量だ。

私の地竜も連れてこられれば良かったが、私の地竜はダイアナ種と呼ばれる気難しい性格をした雌の地竜であり、悪い子ではないのだが、他の地竜とよく喧嘩するので仕方なくお留守番させた。

 

よってこの重い竜車はこの子一人で牽引することになる。

頑張って貰う為にもブラッシングは丁寧に行った。




次回、青髪メイドの福音


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青髪メイドの福音 序

昔から自分には運命の相手がいるのだと思っていました。

 

それが男の人か女の人かは分かりません。

ですが、幼くして私には運命の相手がいるのだと、漠然に……しかし、必ず現れるという確信がありました。

 

 

 

とある昼下がりのアーラム村。

オットーさんとそれに付き添う私は積み荷である油の壺を手分けしてメイザース辺境伯の用意した竜車へと移し変えていた。

 

「は、一体いつになったら終わるのかしら。このままでは日が暮れてしまうわ」

 

その作業をメイザース辺境伯ロズワール・L・メイザース様の使いとして出された桃髪のメイド――ラムさんが見守っているのだが……はい、正直言ってかなり険悪です。

 

従者の質は主人の品位を伺わせると聞くが、変人で有名なロズワール辺境伯だからそのメイドも個性的なのだろうか。

初対面の相手に対してひどく傲慢な態度で急かし立て、冷ややかな視線を向けては、時折思い出したかのように暴言を浴びてくる。

別にそれに腹を立てているわけではない。これでも行商人としてクレーマーへの対処は幾度と行ってきたこと一年間。見るからに鼻につく態度とはいえ、今さら年下の少女に怒鳴り散らすほど狭心ではないのだから。

 

「スーウェン様、こちらは片付きました」

 

「え、あ、ぁぁ……ありがとうございま」

「言葉足らずに申し訳ありません。オットー様ではなく此方のスーウェン様にです」

 

問題は彼女である。

青髪のメイド――レムさん。ラムさんの双子の妹にあたる彼女だが、何故か私に対してとても親身に当たってくれ、かなり積極的に距離を詰めようとしてくるのだ。

別に迫らせて困るような事はないが「チッ」……それでラムの機嫌が露骨に悪くなるのは困りものである。

 

「ありがとうございます。レムさん、こちらはもう大丈夫ですので貴方はお休みになられてください」

 

レムさんの意図することは分からないが、レムさんのお心遣いがラムさんの機嫌を悪くしているのは言うまでもない。

流石に距離をおこう。そう思ってレムの厚意を遠慮する。

 

「当然ね。一介の行商人の分際でロズワール様のメイドを扱き使おうだなんて烏滸がましいにもほどがある!」

「……姉様はそう仰っておりいますが、私は構いませんよ?」

 

……本当にこの子は何なのだ。

 

私は胸の内を掻き毟りたい衝動に襲われ、二、三度深く息を吸い込んだ。

 

(落ち着け。ここは落ち着いて断ろう)

 

「ありがたい申し出ですが、それには及びません」

 

「…レムの申し出を断ると?」

 

……なら、どないしろって言うねん。

凄みを効かせて此方を睨むラム姉様に私は諦めの吐息を漏らした。



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青髪メイドの福音 旧

 

 

 

 

―――あぁ、またダメだった。

 

「レムゥゥ、レムヴゥゥ!!!!!」

 

「あひゃひゃひゃひゃひゃ!」

 

血塗られた丘、狂信者の隠れ蓑。

ここはきっとゲームでいう隠しボスのステージだった。

 

鎖で縛られた俺はただ叫ぶことしか出来ず、レムが……こんな俺でも「好きだと」慕ってくれる彼女が傷ついていく様をただ見ている事しか出来ない。

 

何と滑稽なのだろう。

 

何と怠惰なのだろう。

 

ナツキ・スバルは掠れる声を轟かせ血涙を流す。

 

「おお、何と……なんとなんとなんと!貴方はこんなにも魔女に愛されていうのに、あのような匹夫に愛を囁くと言うのですか!?

あぁ、ぁぁ……ァアアアアアァ!!!!!

脳が震えるゥゥゥゥ!!!!!?」

 

青白い神父は喜色に顔を歪めて自らの爪を噛み潰した。

 

 

ドスリと見えない何かがナツキ・スバルの腹部を侵食して駆けずり回る。

 

「痛いぎぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

 

全身から火が出るような痛みであり、脳が蕩けるまでの濃密な死の記憶が走馬灯のように頭を過る。

それは神父からの懲罰であり私刑であり、断罪だった。

 

「スバル君!?」

 

レムの声が微かに聞こえる。

 

(…良かった。レムはまだ生きてる)

 

彼が見つめた先では四肢の骨をねじ曲げられ瞳の一つを押し潰されながも強い意思を感じる表情で此方へと這いずる青髪メイドの姿があった。

痛覚に泣き叫ぶナツキ・スバルはどこか冷静な思考でレムの生存を喜ぶ。

 

「怠惰なる権能“見えざる手”ッッ!!!これほどまで私がッ自ら端正を施しているとのに!未だあのような小娘に見蕩れるいるというのデスね!

勤勉デス……しかしながら許されざる行為だぁ!」

 

ナツキ・スバルは涙を浮かべて濁る視界の中で、無数の黒い腕が振り下ろされる瞬間を見た。

これを受ければ自分は死ぬだろう。彼は本能で悟り、同時に愚かしい(ゆめ)を見る。

 

「愛してる」

レムだけを見て、レムの為だけに愛を囁いた。

 

きっと極限状態にあったスバルにはレムのことが別の誰か(最愛の人)に見えていたのだろう。

そしてこんな所に彼女がいるわけない、あそこにいたのはレムである筈だ。

感情ではなく理性が判断し……それでも、と言いきったのだ。

 

どうせ二人とも死ぬ。

ならば最後ぐらい夢を見ていい筈だ。俺も彼女も好きな人を最後に収めながら死んで行けばいい。

 

 

 

 

「スバル君……?」

 

レムの視界の先にあるナツキ・スバルが肉塊に変わる。

 

「……どう、して?」

 

彼女は光のない瞳に一滴の滴を浮かべてその目蓋を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

彼女が目覚めた時、そこはロズワール邸の寝室だった。

 

「――これは?」

 

そしてむせ返るような魔女の匂いと見覚えのない黒塗りの本が彼女の手元には残されていた。




……続く


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