女になった日、女にされた日 (餡穀)
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女になった日
6:30 AM


 

 

 

 これは俺が女になった日の話である。

 

 

 

「は……?」

 

 それは自分の口からつい零れた言葉だった。誰に向けてというわけでないそれは、視覚から入ってきた情報に呆気となったことが原因である。

 いつものように目覚ましアラームをセットした携帯から鳴る音で目を覚ます。しかし、起きた途端に何か違和感があった。どうも身体がいつもとは違うような、ぎこちなさを感じたのだ。その違和感から部屋にある姿見の前に立ってみたら、そこには知らない女が立っていたというわけである。

 全く知らないというわけではない。初めは知らない誰かが部屋にいるのかと思った。しかし良く見るとその女の格好は自分の寝間着用のシャツとハーパンで、前髪は自分と同じように目が隠れるまで伸ばしていた。

 ただしシャツはサイズが合っておらず、寄れた襟ぐりから右肩が露出した状態。ブラをしていないのか二つの突起がくっきりとシャツに浮かんでいた。ハーフパンツの裾の位置は自分が履いた場合は膝が覗いていたが、この女の場合は膝が隠れるほどに低い。

 この不思議な現象に対して既に頭の中では一つの仮説が出来上がっている。

 違ってくれと心の中で神に拝みながら恐る恐る手を振る。目の前の女も同じように手を振り返した。寝る前はぴったりだったのに、何故かサイズが合わなく腰履きになっている自分のハーパンを引き上げる。女も当然のように同じ動きをした。

 

(いやいやいや、なんで!? あり得るのかこんなこと!?)

 

 身体を見下ろす。そんな意識して確認したことはないが見えていた記憶のあるつま先が、シャツにある見慣れない膨らみによって見えなくなっている。手掴みすれば触れている感覚が、それは自分の身体の一部であると教えてくれた。

 それでも違ってくれと信じたくない一心でシャツを脱ぐ。そこには柔らかな双丘が胸にくっついているのが目に入り、現実を嫌でも理解させられた。ゆっくりと股の間に手を伸ばせばいつもはぶら下がっているはずのナニも無くなっている。

 

「俺、女になってる……」

 

 身体から力が抜けて思わずその場にヘタリ込む。TSという非現実的な現象が起きたこと自体信じられない。元の容姿の時から変わらない長く伸ばした前髪をくしゃりと握ってしまう。

 分からない、まったくもってTSの理由も理屈も分からない。先程からなんで、どうしてという困惑ばかりが頭の中を反復している。

 

(しかもなんでこのタイミングなんだ……)

 

 脳裏に浮かび上がる昨日の出来事。学校からの帰路の途中に立ち寄った本屋で、商品である小説を片手に親友が真剣な顔で口にした一言。

 

『TSっ娘のメス堕ちって良いよね』

 

 その余りにも神妙な面持ちと雰囲気にこいつマジか……などと若干引きながら話に付き合った記憶。

 

『男の自意識を持った娘が徐々に絆されるのが良いよね』

『思考まで女の子に染めたい』

『自分は女の子だと快楽で分からせてあげたい』

 

 だんだんと熱が入り、早口で語るその様にアイツの性的嗜好の拗れ具合を心配した。そして俺にはTSの良さは分からないので今回は相槌を打ちながら曖昧に笑っていたのを覚えている。

 アイツがアニメやマンガの話で度々暴走することはある。ただし俺もモノによっては反対側の立場になる。そのため興味のない話題だからといって適当に遇らいはしなかった。

 そして、そのおかげで今の状況から無視できないことを口にしていたことまで記憶に残っている。

 

『仮にTSっ娘と現実で出会ったら堕とすのか?』

 

 茶化すような口調でそう聞いた。あからさまにボケを要求するフリだ。こういう場合『当たり前だろ!舐め回したいに決まってるよなぁ!』とか、わざと変態的な言葉を選んで応えるのがいつものノリだった。

 

 しかし……

 

『……勿論興味はある。ただ、もし堕とすなら気心の知れた親友とかが良いな』

 

 その時の反応は明らかに素が出ていた。何より声に笑いが含まれていなかった。

 このガチっぽい反応じゃなければ「じゃあTSしたらおっぱいぐらい揉ませてやるよ」ぐらいのジョークは言っただろう。そうしたらいつものアイツなら「やったぜ」と笑いながら返しそうだ。

 そして、数秒の間どちらも口を開かず気不味い間が出来た。アイツも自分が原因で出来た沈黙と察すれば『お前がTSしたら胸揉ませてくれよ』と、戯けた調子で言って場の空気を戻していた。

 

(最初にアイツと会うのは止めよう)

 

 正直こんな身体になってから最初に相談する相手は家族でなくアイツを考えていた。自分と家族との間に信頼がないわけではない(一人を除く)が、こんな非現実的な現象をすぐに飲み込めるほど頭と心に柔軟性があるとは思えなかったからだ。

 親しい間柄にしか分からない情報を話しても信じてくれるだろうか。秘密を聞いた上でも、本人からの伝聞でなんとでもなるという理由で家から追い出される可能性が十分にある。必死な説得が「知らない人物が知らない間に家に忍び込んでいた」という不信感に勝るかどうか怪しい。

 その点アニメやマンガで脳みそがゆるゆるなアイツなら共有している思い出話でもすれば信じてくれそうなところはある。

 だから頼りたかった。家族に打ち明ける前に今の自分の存在を証明してくれる味方が欲しかったからだ。

 しかしタイミングが悪すぎる。アイツがTSに興味があるのを知ったのは昨日が初めて。この事実を前にどのくらい冷静でいられるかの探りも入れられない。

 結局、どうすれば良いか云々と悩むが一向に良い案が出てこない。鉢合わせしないよう家族が気付かないうちに外に出るべきか。

 それとも一か八か打ち明けてみるか。仮に打ち明けるとするなら正面から言うべきか。もう一度布団に潜って寝たふりをしてから起こして貰い、敢えて向こうからアクションを起こさせる。そして『自分も目が覚めて気付いたら女になってました』としらを切ることで後の先を取る作戦とか……

 しかし、時間は経てどもそれ以上の新しいアイデアなど生まれることはない。あーでもないこーでもないと、ぐるぐると同じことを考えるばかり。そんな膠着状態に限界を感じたこともあり、今後への不安を一旦横へ置き自分の容姿へと興味を移す。

 姿見に写った姿を観察する。前髪の長さに変化はないが後ろ髪は背中まで伸びている。

 シャツを脱いで丸出し状態になっている胸に目がいく。人生で女の子の生の胸など見たことはない。そのため見ること自体に恥ずかしさを感じたり抵抗があるかと思った。しかし自分の身体の一部という感覚があるのかそう言った感情は湧かない。

 大きさは比較対象がないので主観だが、小さいとは思わないが大きいとも思わない。ちょうど手の平に収まるぐらいで、実物を知らない自分が何となくで想像した胸の大きさそのままという感じだろうか。

 姿見に顔を近づけると中に居る自分と目が合う。

 睫毛が若干長くなっただろうか。薄かった唇も多少厚くなり、肌は元々荒れては居なかったが男の時と比較すると質感の違いがすぐに分かる。それぐらい綺麗になっていた。髪質も同様で前と比べるまでもない。軽く指を通してみたが毛先まで引っ掛かることはないし、とても気持ちの良い触り心地だった。顔の形も輪郭が丸くなったように感じる。

 元々自分の容貌は優れてるとまでは言えないが最低限整っているとは思っていた。それが女になったことでより洗練されたのだろうか。

 もうこれでもかと、不躾な視線を向け続けた。ここまで食い入るように見られれば、女の子は不快感に顕にするかもしれないが自分自身なので罪悪感はなければ不快になる相手も居ない。

 つまり、美少女見放題で堪能できるわけである。

 わけではあるのだが……

 

(なんか勿体無いな……)

 

 ふと、そんな言葉が頭の中を過ぎる。

 目の前にいる少女の容姿は優れているが完璧とは言えない。服装や髪の手入れなど細かな理由もあるのだが、最大の理由が表情である。

 自惚れかも知れないが今の自分はとてもかわいいのだろう。しかし表情のせいで元来の根暗で陰気な性格が顔に出てるのが残念である。

 

(折角の美少女ならもっと自信を持った笑顔が良いよな)

 

 手で頬を揉んで表情筋をほぐす。息を大きく吸ってから吐き出し、呼吸を整える。まばらに散って目を隠しているカーテンのような前髪を中心に集めて顔がよく見えるようにする。鏡の中の美少女はやや困惑気味だ。しかし、覚悟を決めて心の中でカウントダウンを始める。

 自分が好きなマンガのヒロインの姿を想像する。明るくて笑顔の似合う素敵な女の子。その子の魅力が発揮されたポーズと言えば、両頬にピンと伸ばした人差し指の先をくっ付けた状態での笑顔だ。あざとさを感じさせるぐらいなポーズと、にこりとはにかむ笑顔がこの顔には良く似合う。

 

(あの娘になり切るつもりでやるんだ。恥ずかしがって中途半端になるな……)

 

 頭の中で描いたビジョンを自分の身体に反映させる。人差し指は自然と頬へと向かい、口角を押し上げる。鏡へ向けて今の自分が出来る精一杯の笑顔を作っーーーー

 

 ガチャリ

 

 不意に耳へ届いた音。その聴き慣れた音は部屋の扉が開かれる時に生じる音だ。自分は鏡の前でポーズを取っている最中。ドアノブに手が触れることなど決してあり得ない。

 部屋の中に一人しか居ないということはつまり外側から誰かが開けたということになるわけで……

 

「母さんが朝飯出来てるから早く降りて来いって……呼んでる……けど……」

 

 来訪者は目が合うと言葉が徐々に尻すぼみになっていく。

 部屋の扉を開けたのは大地(だいち)だった。以前までは同じ部屋で過ごしていたが、大地が中学2年で成長期に入ると図体がでかくなり流石に男二人で共有するには狭いと今年の春に部屋を分けた。

 そのためこの部屋に対しては入室時にノックをする習慣がまだ完全ではなかった。今日のようにノックせず入ってくることがしばしばある。

 

「……」

「……」

 

 互いに口を開くことなく、部屋の中はまるで時が止まったような静寂に包まれている。

 弟の表情からまるで信じられないものを見ているという思いがありありと伝わってくる。それもそうだろう。

 兄を起こしに行ったらその部屋に知らない女が居て姿見の前でキメ顔しているのだ。しかも部屋の主人が不在での状況のため、紛れもない不審人物として目に写っている筈だ。

 突然のTSという事態で気が回らなかったが、大地が部屋に呼びに来たということは朝の7:00は過ぎている。既に家族は起床しており、それぞれ職場や学校へ行くための支度をする時間だ。

 

(はっず!!うっわ、うっっっわ!!もう、恥ずかっシッッッ!!!!ああああああああああっ!!!!ぐうううううぅぅぅぅぅ!!!!)

 

 心の中で絶叫。指で押し上げた口角がさらに不自然に引きつっているのが分かる。この状況を上手く打開する手立てが思い浮かばないし、全力のキメ顔を見られた羞恥にも襲われている。

 普段は意識しても分からない顔に血が通っている感覚を理解出来るぐらいの熱を感じていた。少し目を逸らして姿見を見れば、顔は熟れたトマトのように真っ赤に染まっていた。

 とにかく一刻も早く誤解を解かなければいけない。しかし頭の中で考えが纏まらず、あー……とか、うー……とか言葉にならない呻き声を漏らすことしか出来なかった。

 

 ガチャリ

 

 遠くから扉を開ける音が聞こえる。大地は目の前に居るし、母さんは朝食の支度をしている。父さんはもう家を出てる時間だ。つまり当てはまる人物は一人しかいない。

 

「ブスの部屋の前で何やってんの大地」

 

 心臓が冷や水をかけられたかのように跳ねる。止まった時間は動き出し、今度は早送りされたかの如く素早い動作で前髪を目元が隠れる乱雑な状態に戻した。

 この不機嫌そうな声で当たり前のように俺を貶す台詞を発するのは妹の海実(うみ)だ。俺に対して割増で発揮される口の悪さには正直思うところがあるが、自分の方が家庭内ヒエラルキーが低いので強く出れない。

 それはさて置きこの場に海実が来ても、余計話がややこしくなるだけでこれっぽっちも良くなるとは思えない。廊下を歩く足音が近づき数秒後、大地の後ろから部屋の中へ視線だけを向ける海実。

 その顔は俺と害虫相手専用と言っても良いであろういつもの嫌悪感を滲ませた表情だった。

 

「ハァ……? なんで上半身裸なままで固まってるワケ。さっさと隠すか上ぐらい着たら?」

 

 海実の指摘で自分が上半身裸だったことに気付くが、ある違和感の前にそんなものは彼方へと追いやられる。今の俺の姿はどこからどう見ても女だ。それは上半身裸で隠してない胸が証明してくれる。

 しかし、海実の態度は初対面の相手は見せるものではなく、いつも通り俺への嫌悪感に溢れたものだった。

 悪態をつくにしても得体の知れない女に対して最初にこちらの正体を探らないのは疑わしい。

 何か嫌な予感を察知すれば背中に汗が浮かんできた。

 

「大地も早く朝ごはん食べにいったら。ブスのために時間を使うなんて勿体ないでしょ」

「……あー、時間がないのはそうだから分かったよ。けど」

「それとあんたのために言っておくけどブスの胸見過ぎ」

「見てねーし!!!!」

「学校じゃ視線に気を付けなよ。アンタまでキモくなるのは止めてよね。思春期だからって一応ブスも家族なんだし姉の裸でその反応は引くから」

 

「……ぇ」

 

 妹の口から信じられない言葉を耳にした。今確かに海実は俺のことを指して姉と言った。

 

(姉……? いや、兄じゃなくて姉!? ぇえ!!?)

 

 不審者扱いされて追い出されなかったことは嬉しい誤算だ。しかしそれ以上に家族から自分へ対する性別の認識が変わっている衝撃でそんな安心は吹き飛ぶ。

 ふと、あることに思い当たる。受け止めきれない現実に打ちのめされながら、ふらふらと覚束ない足取りでタンスへと向かう。辿り着くとその引き出しの中を確認する。目的は一瞬で達成された。

 嫌な予感は的中しており、自分の下着類が軒並み女性用に変わっていた。視線を辺りに巡らせると壁のハンガーにかけてある制服が女子用のブレザーだ。

 

(つまり俺は元々女として生まれていることになっていて、俺の男としての記憶や記録はどうやら存在しなくて……)

 

「俺が姉……?」

 

 ポロリと溢れた心の声。それは確かに音となって、その場にいた2人の耳に届いた。

 

「え、それが何。なんかあった?」

「うっわ、その痛い一人称いつまで使うつもりなの?」

 

 女になった俺をしっかり家族として認識した上で心配してくる大地。今まで男として過ごしただろう記憶はそのまま、性別だけ女として上書きされたのだろうか。俺という一人称に対して罵声を浴びせてくる海実。

 どちらもいつも通りの対応だったのだが、故に受け止めきれなかった。怒涛の情報量は頭のキャパを超え、そしてパンクする。

 意識が遠退くような浮遊感が訪れると目の前が真っ暗になった。



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11:58 AM

 目が醒める。目を開けて一番最初に映ったものは自分の部屋の天井だった。つまり俺は昨晩自分のベッドで寝て、そして今起きたということになる。

 

「よかったぁぁぁ〜〜〜〜……」

 

 天井に向かって両腕を突き出すと、そのまま腕を振り反動を使って上体を起こす。先程まで見ていた光景が全て夢であったことに安堵した。

 それもそうだ。朝起きたら性別が変わっていたなんてあまりにも非現実過ぎる。うんうんと頷きながら腕を組んだ。

 

 むにゅ

 

(むにゅ、じゃねぇよ……)

 

 腕に伝わってくる柔らかな感触に気持ちは急転直下。夢じゃないよと、現実という存在に後ろから肩を叩かれたような気分だ。

 部屋の壁には女子用の制服がかけられているし、目が醒める前に見たものがそのまま存在している。

 時計を確認するとそろそろ正午に差し掛かろうかという時間だった。なんやかんや気を失ってから5時間近く寝ていたことになるのか。

 母さんがパートから帰ってくるまで約1時間。気は乗らないが身の回りの物がどれだけ変わっているか確認しよう。

 

 ……

 …………

 ……………………

 

 とりあえずざっと確認したところ衣服に関しては下着と制服が変わったぐらいで後の私服や部屋着は元との差はなかった。

 さらに袖を通して見て分かったのだが、サイズすら男の時から変わってない。そのため今の自分の身体には少しばかり大きい。

 

(随分雑な仕事してんな)

 

 こんな超常現象を起こした存在が何かは分からないし、居るのかも分からないが心の中で毒づく。突貫工事にも程がある。

 過去に撮った写真だが性別は変わっていても昔着ていた服のままだった。流石に最低限の齟齬が生じないように中学の制服は女子用のセーラーにすり替わっていたし、合唱コンクールの写真は女子と男子でパートが違うため立ち位置が変わっていた。

 小学校の時に授与した賞状を奥から引っ張り出したら、男子の部から女子の部に変わっていた。

 男子の二位として表彰台の上で撮った筈の写真は俺が女子の一位としてのモノに変わっている。代わりに元々女子の一位だった子が二位に、二位の子が三位の位置にズレている。自分の男子としての記録をそのままに女子の順位に加える形で改変したのだろう。

 さて、自分で確認できるものは最低限やった。後の問題は他人からの認識だ。朝の会話からだが、高校三年生にもなって一人称が(おれ)の痛い女子ということは分かっている。最悪を想定して家の中だけでなく学校でもそのままと仮定しておこう。

 重要なのは人間関係だ。家族は毎日顔を合わせるから関係があって当たり前だが学校の人間関係はどうなっているのか。

 少なくとも昨日まで女子とは事務的な会話しかした記憶がない。休み時間の会話も男子が相手だ。その男子相手の交友関係もかなり狭いのだが……

 以上を踏まえて考えられる状況は3パターン。

 

・性別が変わっただけで記憶はそのまま、男子とばかり会話している

・合唱コンクールの件などから男子との関わりはやや減少した上で、代わりに親しくない女子と最低限の交友関係は築いている

・矛盾が生じないように他人と親しくなるほどの関わり合いはなしのぼっち

 

 この無理やりな改変から考えるに一番確率が高いのは人間関係が男子と同じままだろうか。しかしこれは考えれば考えるほど自分が学校で浮いた存在になるだろう。

 

(一人称が俺で男子としか絡まない陰キャとかサークルの姫気取りした痛いサブカルクソ女かよ)

 

 続いて合唱コンクールの位置の入れ替わりなどから女子との交友関係が生まれているという予想。しかしこの場合仲が良いどころか趣味趣向も知らない相手に友達として振る舞うという地獄が待っている。

 3つ目に予想したぼっちが周りの目を気にする上で一番気が楽かもしれない。しかしせっかく仲良くなった人との関係が切れるのは寂しいし悲しい。

 予想した全てにデメリットが生まれることに落胆する。

 

(あー、めちゃくちゃ学校行きたくねぇ……)

 

 そんな暗い気分の中、突然ピコッという電子音が鳴る。音の元を辿れば発生源である携帯端末が画面にメッセージの受信を示していた。

 未読メッセージが2つ。差出人は同一人物からで内容はというと

 

 8:36

『骨なら拾っておいてやろう』

 

 12:24

『クラスで俺とお前のBLが流行っているという地獄』

 

 なるほど。文面を見ただけで差出人が誰か分かる。知り合いでこんな軽い口調で話しかけてくるのは数人で、休んだことでわざわざクソみたいなメッセージを送ってくるのは一人だけだ。

 端末のロックを解除し、メッセージアプリを起動する。予想通り有名マンガのクソコラージュアイコンの横に受信マークが着いていた。

 

(やっぱり晴樹(はるき)だ)

 

 数少ない友人の中で唯一親友と言える存在。高校入学時に同じクラスの帰宅部仲間ということで下校時間がよく被った。その縁からよく話すようになった。

 帰路は反対だが図書室で時間を潰したり、公園や本屋、ファストフードなど寄り道したり共に充実した時間を過ごした仲だ。

 そして重度のTS信者。

 この様子を見るに晴樹との関係は変わっていないのだろう。そのことに関しては嬉しかった。先程立てた予想の中からだと人間関係に変化なしで確定か?

 それにしても二つ目のメッセージの内容がとても気になる。BLなどと言う言葉を使ってくることにどういう意味が含まれているかという点についてだ。

 女になっても男の時と変わらない付き合いで俺のことをほぼほぼ男友達として認識しているのだろうか。それとも……

 頭の中に浮かんだ一つの考え。それは何故かアイツだけ俺が元男という事実を覚えているかもしれないという可能性だ。

 もし仮に覚えていると答えられた場合はそれが死刑宣告と同義になる。アイツは推定『TSした親友を自分へ惚れさせるというシチュエーションに興奮を覚えるヤベー奴』だ。

 俺が男だったことを覚えていて欲しいけど同時に覚えていて欲しくない。そんな矛盾に頭を悩まされる。

 

 コンコン

 

 部屋の扉をノックする音で現実に戻される。思考の深みに落ちていた状態から一度抜け出した。この少し控えめな仕方は母さんだろうか。少し経って「起きてる?」という呼び掛けが聞こえたので「起きてるよ」と返した。

 

(そら)、体調は大丈夫?」

 

 母さんは部屋に入ると俺の心配をしてくれた。格好が仕事着ではないため、帰ってきてからすぐに着替えたのだろうか。

 

「パート早かったね」

「天が倒れたから今日はまだ行ってないわよ。そんなことより食欲はある? 昼ご飯あるから身体怠くないようなら下りてきて食べたらどう?」

「ありがと、食べるよ」

 

 母さんはパートに行かなかったようだ。自分の想定より心配をかけてしまったことに申し訳なく思う。

 そして気にする暇がなかったため気付かなかったが、気を失ったせいで朝食を摂ってない。つまり昨日の夜から何も食べなかったことになる。改めて意識すると空腹を感じた。

 母さんの用意してくれた昼食を摂るべく1階へと降りる。

 

「天なんか痩せた?」

「別に痩せてはないよ」

 

(もっと大変なことは起きてるけど……)

 

「そんなに服ぶかぶかだったっけ? 元々なんでか男物ばっか買ってあげてたけど、サイズが合わないならせっかくだし新しいの買ってあげよっか」

「別に困ってないから良いよ。俺よりデカくなってる大地の方が必要なんじゃない? それに俺だけにわざわざ買ったら海実が怒るでしょ」

 

 食卓テーブルで母さんの用意したミートスパゲティを食べながら話をする。話をしてると俺の性別が変わったことに関してはやはり覚えがないようだ。

 しかし、服装がちぐはぐなところから違和感を覚えていることが伺える。

 

「今まで注意しなかったお母さんも悪いけど、その俺っていうのも直した方がいいんじゃない?」

「考えてはいるよ。でも癖ってなかなか消えないもんだしさ」

「そういう考えがあるなら天に任せるけど」

 

 母さんは俺に物事を強制しない。最初に指摘はしても俺自身に気がないと分かるとそれ以上の追求は無駄だと考えてやらなくなる。

 おそらく俺が非行に走らず、学校の成績も悪くないからだろう。成績に関しては悪いとお小遣いが減るというのが理由でキープしているだけだが。

 俺自身も母さんの指摘を全部無視するわけでなく、納得するものはその通りに従う。お互いに距離感をしっかり決めていると思っている。

 それになんやかんや反抗期というものが訪れなかったのも要因かもしれない。高校一年生の海実は中学二年生の時に兆候が現れ、現在も反抗期の現役選手である。

 大地も表面的な態度などは変わらないが最近は家族に対しての口数が減ったように感じる。

 そうした弟、妹と比べると自分は母さんとは気安い関係を築けているのだろう。

 特に海実に対しては娘だからなのか、結構強くものを言うことがある。私生活の注意から家事を率先して手伝わせようとするなど俺や大地より気にかけているのが分かる。そのせいで喧嘩することもよくあるが。

 テーブルを挟んで向かいにいる母さんが突然俺の前髪を指で触れてくる。こうしたスキンシップに驚きはするが無理に振り払ったり抗う気にはならない。気恥ずかしくはあるが変に意識する方がカッコ悪く感じる。

 母さんは前髪を目にかからないように分けると手を離した。

 

「突然どうしたの?」

「食べるのに邪魔じゃないかなーと思って」

「慣れてるから気にするほどでもないけどありがと」

 

 お礼を言うと少し嬉しそうに笑った。しばらくすると母さんは席を立ち部屋を出ていく。そこから数分かけて昼食を食べ終える。そして使った食器を片付けるべく、シンクまで運んで洗い始める。

 すると水の流れる音に混じって足音が聞こえてくる。

 

「天、お願いがあるんだけど」

 

 一度視線を食器から外す。母さんはいつの間にか私服から仕事着に着替えていた。俺のせいで午前パートに行けなかった代わりに午後の就業を少し延ばすのだろう。

 そうなると困ることが一つあるので頼み事の内容も大体分かる。

 

「晩御飯?」

「そうそう。倒れた人に頼むのもどうかと思ったけど元気そうだったから。その感じなら貧血あたりだから大丈夫だと思うけどお願い出来る?」

「いいよ。材料はある?」

「午前のうちに買ってきたからそれで作って」

「了解」

 

 会話が終わると母さんはそのまま家を出た。

 料理は最低限の生活力として備わっている。帰宅部のため家に居て持て余している時間でたまに手伝っているのが理由だ。

 そのため材料があれば何かしら作れる。器具や調味料などにこだわりはないので大した腕はないが。

 冷蔵庫を確認するとキャベツとピーマンと豚肉が新しく買ってあった。ドレッシングなどの買い置き用の棚に市販の回鍋肉の素があったのでこれを作れば良いのだろう。

 炊飯器が空だったので米を炊かないといけない。あとは味噌汁を作れば良いか。品数が少なくてもメインのおかずの量があれば文句はないだろう。

 

 (飯を作るには時間が早いし米研いで炊飯器のタイマーをセットしたら次の授業のタイミングが提出の課題でもやるか)

 

 この時の母さんとのやり取りがあまりにも普段通り過ぎたことにより、今後女のままだと起こるであろう弊害への危機感を失していた。暫くは案外どうとでもなりそうだと楽観的な考えでこの問題を処理してしまったからだ。

 そして同じ時間、限られた情報から「友人が性転換した」という可能性に晴樹が気付き始めたことを俺はまだ知らない。



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4:43 PM

 課題を終わらせて現在夕飯の支度の最中、端末からメッセージの短い受信音が鳴る。どうせ晴樹だろうと辺りをつけてからアプリケーションを起動すると予想通り晴樹だった。

 しかし、そのメッセージの内容は予想外である。

 

 16:43

『病に伏した友人のためにお見舞いへ赴く友人の鑑』

 

「いや、なんでやねん!!?」

 

 思わず声に出してツッコミを入れてしまった。

 

(なんで……? いや、なんで!? お前を家に呼べないこと知ってるじゃん!)

 

 親友と言う割に晴樹はこの3年近くの間、俺の家に一度も来たことはない。外でばかり遊んで居たが別に友人と家の中でのんびりTVゲームをやる楽しさを知らないわけではなく、招待しなかった理由は他にある。

 以前一度晴樹を家に呼ぼうとした時、大地に部屋を使う話をしたら海実がたまたま聞いていた。そして

 

『アンタの友達とかなんかヌメッとしてそうだし鉢合わせして気を遣うのも嫌だから家に呼ばないで』

 

という台詞とともに心底嫌そうな顔で拒否されたからだ。

 晴樹には日頃から妹と仲が悪い事を笑い話にして話していた。しかし実際に頭の上がらないところを目の当たりにされるのは避けたかった。そのため妹の機嫌を損ねるので家で遊ぶのは無理になったという話をしたのだ。

 もしかして俺自身は話したことを覚えているが晴樹の方は聞いたことを覚えていないのだろうか。以降その話をしていなかったので可能性はある。

 念のため確認のメッセージを送ろうか。しかし晴樹の対応として些か不審な点が存在するため躊躇われた。

 俺は学校を休んだが病院には行ってない。その程度のことなら学校にも風邪か貧血あたりで連絡がいっている筈だ。わざわざ見舞いに来るほど心配はしないだろう。それは午前に送られてきたメッセージからも伺える。

 そして風邪程度で気軽に見舞いへ来るほど俺と晴樹の家は近くない。学校を挟んで反対と言っても良い。その距離で足を運ぶほど心配性でもなければ殊勝なやつでもないだろう。実際学校を病欠したことはあるが見舞いに来たことは一度もない。

 以上を踏まえてアイツがわざわざ家に来るか考えると可能性としては限りなく低い。それなのに来ようとする理由……

 

(TSしたことに気付いているのでは……? いや、あり得ないけど……でも、1番あり得そうなのがこれしかない……よな……?)

 

 説明もなしに友人が性転換したことを推理出来るって脳味噌が二次元に極まりすぎでは無いだろうか。もしくはTSへの執念が高すぎやしないか……?

 この答えに辿り着く自分の脳ミソも中々決まってるが、それ程残念な方向性に対する信頼もアイツにはあった。

 余計に今の自分の状態を知られることに不安が増す。頭をフル回転させ、どうすれば良いか考える。この事態を打開する策はないのか。

 『メス堕ち』は嫌だ。そのせいで晴樹が含みのある接し方をしてくるのも嫌だ。アイツの全てを否定したいわけではない。ただこれからも変わらずにただの友達で居たいだけなんだ。

 一時的で良い。家にわざわざ来るほど行動力とテンションが上がったアイツを何とかやり過ごす方法を。アイツから『メス堕ち』させるという考えを失くす方法を。何か……

 

「いけるか……?」

 

 この状況を打開する策を閃く。周りの人が女になった俺をどう認識しているかは分かっても俺が()()()()()()()()()()()()()が分かるのは今この瞬間で俺だけだ。その事実は俺が誰かに話さない限り変わらない。つまり……

 

 俺も()()()()()()()()()という認識で対応すれば良い。

 

 燃え尽きた灰は燃えないように、男性が男装を出来ないように、始めからメスならメス堕ちは出来ない、させれない。

 無理やり感は否めないが他に何も思い付かねえからこれで行こう。

 ただしこの策を成功させるにはある人物の協力が必要だ。中途半端では意味がない。今から会うその瞬間から帰るその時まで俺は女に成りきるんだ。

 寝て起きたら女になったならまたひょっこり男に戻る可能性だって大いにある。その時が来るまで辛抱だ。

 さて、第一段階としてまずは服をどうにかしなければならない。こんな男の頃の服装まんまでは態度を上手く装ってもバレてしまう。

 

(よし……!)

 

 数分前、確か家に帰って来たはずだ。俺しか家に居ないことを知らずに「ただいまー」と言っていた。そして夕飯の匂いにつられてキッチンに顔を出したが、居たのが母さんでなく俺だったためしかめっ面になったのを覚えている。今は自分の部屋に居るだろう。

 今から俺は海実に助けを求める。手段は選んでいられないんだ。どんなに嫌がられようとも今は縋り付くしかない。

 どれほどの時間が残されてるか分からないのでコンロの火を消してすぐ海実の部屋へと向かう。

 部屋の前に辿り着くと確認のためにドアをノックする。

 

「海実ー、居る? 部屋入ってもいい……?」

「……なんか用?」

 

 ノックして数秒、部屋のドアを開けて隙間から顔を出す。海実の反応が思ったより早くて驚く。無視されるぐらい覚悟していたのでこれは僥倖だ。相変わらず不機嫌を主張する表情でこちらを睨んでいるが。

 

「頼みがあるんだけど」

「イヤ」

「ちょっと待って!」

 

 悩む素振りもなくノータイムで断られる。想定していた反応だがいつものように引き下がるわけにはいかない。閉まるドアの間に手を入れて、部屋から閉め出されないようにする。

 

「ブスの頼み事とか聞くわけないじゃん!」

「そこをなんとか!」

 

 ドアを開けようとする俺とドアを閉めようとする海実の力比べが始まる。高校からは運動部に入らなかったため中学から3年のブランクがあるが、単純な力なら海美に負けないだろうと思っていた。

 しかし女になったせいで筋力が落ちたのか拮抗した良い勝負になっている。兄としてのプライドなどないようなものだが、男としてのプライドはある。勿論これからもだが。なによりプライド云々の前にこれは俺の今後に関わる負けられない戦いの前哨戦だ。

 

「とにかく聞くだけ聞いて! いや、やっぱ聞くだけじゃなくて頼みを聞き入れて欲しい! お願いいいいいい!!」

 

 今まで見せたことのない俺の必死さで流石に諦めたのか海実の力が弱まる。その様子を見て俺も加えていた力を抜く。数分間の攻防による消耗で互いに肩で息をしていた。

 

「はぁはぁ……頼みを受けるかどうかは内容によるから……」

「はぁはぁ……聞き入れる状態になってくれただけでもありがとう……」

 

 俺は何年か振りに妹の部屋へ入ることが出来た。互いに上がった呼吸を整えると、海実は座れと促すように床にあるクッションを指差した。そしてちゃぶ台を挟むように座ると海美が口を開く。

 

「それで頼みって何?」

「その、海実の服を貸して欲しいんだけど……」

「理由は?」

「と、友達が来るから……」

「いつもみたいに家で来てるダサい男物着ればいいじゃん。却下」

 

 海実は話は終わったと示すように追い払う手振りをする。

 

「友達が居る間だけで良いから! 終わったら洗濯して返すよ!」

「ブス友に見せるためだけに借りれるというアンタの思い上がりがムカつくから無理。そして洗って返すっていう当たり前のことをさも自分が譲歩してるみたいに言ってくるのがさらにムカつくから余計に無理」

 

 海実は取りつく島もないように拒絶する。

 

「なんかコンビニで好きなデザート買ってあげるから……!」

「コンビニデザート程度が取引条件になるとか私も服も安く見られすぎで不愉快。てか何泣きそうになってんの? ブスの涙に価値なんか一欠片もないからやめて」

 

 根気強く頼み込もうと思ったが既に心が折れそうになっていた。海実と仲が悪くなってから会話が続くことがなかったため、続けざまに飛んでくる罵倒に耐性が出来てなかったようだ。

 時間にして数分にも満たない会話だったが重症レベルのダメージを受けてしまった。その容赦のない言葉攻めで精神のライフゲージが赤色に点灯している。

 

「大体ブス一人でも不快なのにそこに同類のブス女が増えるとか考えられない」

「いや、女の友達なんて居ないし……」

「はぁ? アンタみたいなブスに異性の友達とかそれこそありえないでしょ」

 

 胡散臭いものを見るような目でこちらを睨んでくる。その視線と態度で信じていないことがありありと伝わってくる。

 確かに男の時は異性の友達など居なかったので海実の言ったことは間違ってない。そして俺が女になったからといって今後女の友達が出来るとも思ってない。

 俺からすれば晴樹は同性の友達だが、自分の今の体裁を考えると異性の友達としか説明出来ないだけだ。

 

「あ、一応写真あると思うからちょっと待って」

 

 ポケットの中にある携帯端末から写真を探す。アルバムをスクロールしても中々証拠になりそうな写真は見当たらない。というか一緒の写真はない癖に一緒に行った店の飯の写真はたくさんある。他にはツイッターで拾ったコスプレ美人の写真などで紛れてしまい探すのに手間がかかる。

 まぁ旅行など遠出をしない男同士で一緒に写真を撮る機会なんて中々ないのだからしょうがない。

 しばらく探すとアルバムの中から海実に見せるのに良い感じの写真を発見する。修学旅行の写真で、厳島で鹿と一緒に撮ったやつだ。

 自由時間だったので班で纏まらず晴樹と二人で行動した時の一枚である。互いに写真に写り慣れてないため、手はピースとかのお決まりポーズではない。曖昧に開かれた手を自信なさげに前へ出す俺と、それとは対照的に総書記を連想させるように指をピンと伸ばして手を開いている晴樹と2人で肩を並べて写っている。慣れてない感のせいでどっちもダサくて笑える。

 撮影者は便所帰りでたまたま一人だったクラスメートの上原(うえはら)だったか?

 

「画面見ながらニヤニヤすんな気持ち悪い。デブとかはホント勘弁してよ」

「ニヤついてないしデブじゃないから。ほらコイツだよ」

 

 写真を表示した画面のまま端末を手渡す。海実は「ニヤついてるっての」と悪態をついた後ため息を吐いてから受け取った。最初は興味のなさそうな顔だったが画面を覗くと表情が徐々に険しくなっていく。表情の変化と比例して少しずつ画面に顔が近づいていくのがちょっとおもしろかった。

 

「……は?」

 

 海実の視線が画面と俺を何度も往復している。明らかに動揺した顔で口からは「うそ……」とか「えっ」とか「なんで?」などの短い言葉が漏れている。

 しばらくして海実は落ち着くと端末をちゃぶ台の上に置いた。

 

「アンタとこのイケメンの関係は何?」

 

 イケメンとは晴樹のことだろう。俺と鹿と晴樹しか写ってない写真の中から画面端で見切れた鹿を指してイケメンとは言わない筈だ。

 確かに男の俺から見ても顔は良いと思っている程度にアイツのルックスは良い。女子から告白されたところは見たことないが、靴箱からラブレターらしきものを取り出したところは見たことがある。俺と帰りが合わない時に返事をしていたのだろうか。

 

「えっと、友達。俺は親友だと思ってる」

「付き合いはいつから?」

「高1からだけど」

「じゃあクラスのイケメンが何かの罰ゲームでたまたま家に来ることになったとかはないわけね」

「……うん」

 

 今とても失礼なことを言われたが話の腰を折るわけにいかない。ヘソを曲げられて話を打ち切られても困るのは俺の方だ。ムッとした感情を抑える。

 

「へぇー……」

 

 海実は改めて俺の端末を手に持つ。そして今度は確かめるようにじっくりと写真を見てから俺の顔へ視線を移す。その顔は普段の蔑むような表情とは違いどこか喜色を滲ませているように感じる。

 そんな海実の表情を間近で見るのはあまりにも久しぶりで若干の緊張を覚える。

 

「別に私服を見られるのは今日が初めてってわけじゃなさそうだけどなんで普段の服じゃダメなの?」

「今までと同じじゃなくて変わった自分を見せたいから」

 

(じゃないと性的対象としてロックオンされそうだし……)

 

「つまりこのイケメンに意識して欲しいと思っての行動ってわけ?」

「そうだよ。晴樹に俺のことを女として意識して欲しい」

 

(そして興奮が落ち着くまで俺がTSっ娘だと気づかないでくれ)

 

 目の前に迫っている危機から脱するためには手段は選んでられない。本気だと分かってもらうため真剣な表情で海美を見る。

 対して海実はまるで鳩が豆鉄砲を食ったような驚きの表情で固まっていた。

 俺がここまで何かに本気になるところを高校へ入ってから一度も家族に見せたことはない。だから普段の妥協と諦めに満ちた俺との違いに面食らったのだろう。流石に貞操の危機となれば本気を出さざるを得ない。

 突然「ふふっ」と小さな笑い声が聞こえる。俺が笑ったわけではないので当然誰なのか分かるが、それでも自分の聞き違いではないかと疑う。しかしそれは勘違いではなかった。

 

「家のアンタを見てたらてっきりもう人生捨てたブスかと思ったけど、中々抜け目ない学校生活送ってんじゃん。ちょっと見直したかも。いいよ、私の服貸したげる」

 

 海実はこちらをまっすぐ見てから嬉しそうに言った。今度は俺が驚く。それこそ高校に入ってから海美の嬉しそうな表情は一度も見たことがなかったからだ。

 

「あ、ありがとう」

「お礼は成功したあとに改めて貰うから。それでこのイケメンが家に来るまであとどれくらい時間が残ってんの?」

 

 その言葉でハッとして時計を確認する。時刻は16:55分だった。先程のメッセージが仮に学校で送ったものと考えると、猶予としては30分あるかどうかと言ったところだ。

 服を借りて着替えるぐらいなら十分余裕があるだろう。落ち着いて質問への答えを言う。

 

「30分ぐらいだと思う」

「ちょっと短いか……時間がないからさっさっとやるわよ」

「えっ、着替える時間なら十分あると思うけど」

「このブス! 女のオシャレを舐めすぎ、意識が足りない!」

 

 俺と海実の意識の差に驚く。それっぽい服を借りて着替えれば終わりだと思っていたがそうはいかないらしい。しかし意識が足りないと言われてもそれは少しずつの積み重ねで養い覚えるわけだ。女歴半日の俺にそんなものあるわけが無い。

 しかし海実からすれば俺は女子歴18年の女として認識されているのだ。

『女としての意識なんてあるわけないだろ!』などとは当然言えるわけもなく、俺の心の中へしまうしかない。

 

「アタシが手伝うんだからアンタの趣味でテキトーなの選んで着るだけなんて許さない。お気に入りも貸す上でガチのコーデするから」

「う、うん……」

 

 その有無を言わせない圧にたじろぐ。どうやら海実の中にある何かに火をつけてしまったようだ。ここまで本気になった姿を見るのは久しぶりだった。

 鬼が出るか、蛇が出るか。このやる気が俺にとって救いになることを今は祈るしかない。



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5:15 PM

 海実によるコーディネートは嵐のような怒涛の勢いだった。それは俺への口撃も同様でいつもの倍罵られた。

 

『なんでスキンケアしてないのに肌がこんなに綺麗なの?』

『食事制限せずにそのくびれとか嫌味か!』

『クッソ!! アタシよりややデカいとかふざけんな!!』

『自堕落に生きてるだけでアタシの日頃の努力を馬鹿にしやがって!!!!』

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛まつ毛長いのムカつくぅぅぅううう!!!!』

 

 ……怨嗟が大半を占めていたが。

 30分という限られた時間で一仕事やり終えた海実は肩で息をしている。

 そして着飾られた俺もかなり消耗していた。主に精神的な疲れが強い。異性の友達がいなければ彼女も居たことのないためファッショントークに頭がついていかなかった。

 とりあえず今回のコーディネートで最近の服は馴染みのない難しい呼称が多いということを学ぶ。

 

『身長高いからガーリーよりフェミニンの方が似合いそうだしフェミニンでいくから」

『ガー、リー……? フェミ、ニンとは……?』

『クソ女子力が』

 

『組み合わせは明るくホワイトとスカイブルーで良いかも』

『白と水色だよね、わざわざ英語でカッコつけなくても白と水色でイイじゃん』

『お前は横文字に弱いおっさんか?』

 

『なんでスカート履くのに深呼吸してるわけ?』

『(男としての尊厳を一時的に捨てる)覚悟を決めないと』

『別にいつも制服で履いてるだろ』

 

『妹相手なのに胸隠すって過剰すぎ』

『家族相手にも距離感ってのがあるじゃん』

『弟相手には今朝丸見えにしてたくせに?』

 

『今日はそのやっすい下着を履くのはやめろ』

『別に見せるわけじゃないし』

『見せないところにも気を遣うことで内面から女子力が上がるわけ。新品のサイズ合うやつあげるからそれ履け』

 

『ブラぐらい早くつけろ。時間ないんでしょ?』

『ちょっと待てって!(こんなんで良いのか!?全然分かんねー!?)』

『もっと周りの肉詰め込む』

『急に触られるとびっくりするだろ!』

 

 ……思い出すだけでゲンナリしてきた。

 これからは思わぬボロが出ないようにある程度は意識して生活しようと思った。しかしたった数十分のそれも片手間の指導でくたびれてしまい、自分の今後が心配になってくる。

 そして今の格好だが、恋愛経験0の俺の主観だがこれからお出かけにでも行くんじゃないかと言うぐらいかっちり決めている。

 トップスはノースリーブで白……じゃなくてホワイトのブラウス。袖なしは少しだけ肌寒いためネイビーで薄手のカーディガンを羽織っている。

 ボトムスはハイウエストでスカイブルーのスカートだ。フロントに並んでいるボタンがポイントになっている。丈は履いていて安心出来る膝下丈。これ以上短いのは女子歴半日の元男にはハードルが高いので勘弁願う。後はショート丈で白の靴下を履いている。

 正直自分でもびっくりするぐらい可愛くなっている。まさか同じ日にまた姿見に写っている自分の姿を疑うとは思っていなかった。

 下着は海実から貰った新品のものを着用している。サックスで、小さな白いリボンが付いている。サテンという触り心地が良い生地らしく、フィット感といい男の下着と全然違う。

 しかしこれはどう見ても部屋着の域を超えている気がする。何故ならこれ並みに気合が入った服を海実が家の中で着ているところを見たことがない。

 さらに今の俺は髪に編み込みを入れている。前髪の量が多いため前髪の一部を残しつつ、左側を編む形でアレンジした。

 もちろん海実が家で編み込みをしているところは見たことがない。出かける時か練習で編んでる時ぐらいで、練習の時はすぐ解いている。

 

「気合い入りすぎじゃね……?」

「普段が気抜けすぎだろうからギャップを出すなら気合いを入れなきゃ意味ないじゃん。心配しなくても色の組み合わせは地味目だし柄も使ってないから部屋着で通じるっしょ」

「そういうものなのか」

「ごめん、半分嘘。なんかだんだん楽しくなったから髪まで弄っちゃった」

「おい」

 

 謝罪の言葉を口にしているが海実は悪びれる様子はない。むしろ少し笑っていた。俺もこの何気ないやりとりが楽しくて笑っていた。こうして談笑するのはいつ振りだろうか。

 

「今日は時間がないしすると露骨すぎるからしないけど次はメイクもアイロンもさせてよ」

「考えとく」

「いや、決定事項だから」

 

 普段は不機嫌で悪態ばかりついてくる妹と久しぶりに仲良く過ごせた。それだけはTSしたことに感謝したい。

 あとは晴樹を待つだけだが何分ぐらいで家に着くのだろうか。予想した時間より少し遅れて支度が終わったのでいつ来てもおかしくはない。案外寄り道でもして遅くなっている可能性もある。まあ時間がある分には対策を練れるので助かるが。

 

「ちょっと手出して」

「……?」

 

 海実がこちらに手を差し出していたので、その上にそっと重ねるように手を置く。

 

「爪のツヤ出してあげる」

 

 もう片方の手には爪やすりが握られていた。

 ここまで手伝ってくれることが意外で一瞬惚けてしまうが、そのまま厚意に甘えて爪のケアをしてもらう。

 爪の手入れなど人生で一度もしたことがないため、表面を削るこそばゆさが慣れない。

 それにしても手際が良い。指一本に対して20秒かからないぐらいで終わらせる。普段から自分の手入れを欠かしていない証拠だろう。女子はカワイクなるために裏で努力していると耳にしたことはあるが実際はどんなものか知ることもなかった。しかし、こうして努力の結果を目の当たりにすると感心せざるを得ない。

 

「いつもおつかれさま」

「どういたしまして」

 

 さて、最後の仕上げは海実に任せるとして今のうちに晴樹と相対する時のルールを決めておこう。

 最低限口調は変えるべきだ。ロールプレイだと意識すれば女性的な口調も苦ではない。一人称は私、柔らかい言葉遣いを出来るだけ意識して使う。

 イメージとしては朝、鏡の前で真似した自分の好きなヒロインだ。

明るくて優しくて笑顔の似合う清楚な娘。

 

『おはよ。頭に寝癖ついてるよ?』

『あそこのお店で売ってるスイーツがとってもおいしいの!』

『ど、どうかな? この水着、似合う?』

『今日はまだ一緒に居たいな。もうちょっとだけ○○くんの家に居ても良いよね……?』

 

 自分が言うことを考えて少し気分が悪くなるが、そうも言っていられない。

 自分の感情を押し殺すように無理やりだがイメージのインプットが完了。同時にメッセージの受信音が鳴る。

 

 17:20

『着いた』

 

 これは玄関の前にもう居るってことだろうか。インターホンを鳴らさなかったのが疑問だが。

 しかしこれからだと意識すると緊張で指先から血が引いていく。大きく深呼吸して心を落ち着かせようと試みる。まだ少し硬さが残ってる気がする。この格好を見せること自体が恥ずかしいのだから落ち着かないのも当たり前だろう。

 ただ向こうも長く待たせれては困るはず。緊張してようがなんだろうが行かなくては。

 

「これ最後にしていきなよ」

 

 海実から手のひらサイズで円筒型の物体を手渡される。これは俺も使ったことがある。しかし何故今手渡されたのか理由は分からない。緊張をほぐすために敢えてボケてくれたのだろうか。

 確認の意味も込めて渡された物の名前を声に出す。

 

 

 

「……スティックのり?」

 

「無色のリップ! 何ボケてんのッ!!」

 

 ボケてたのは俺の方だったか。それぐらい今の自分に余裕がない証拠なんだよ。あまりにもベタなボケをナチュラルにやってしまった。正直恥ずかしい。

 とりあえず好意を無駄にするわけにはいかないので早く使おう……と思ったが使ったことがないのでなんとなくの使い方になってしまう。俺はキャップを外し底の部分を回して押し出す。そして勝手も分からぬまま恐る恐る自分の唇に近づける。

 

「もしかしてリップすらやったことない?」

 

 何かを察した海実が呆れた声で聞いてくる。もちろん俺からの答えは一つ。

 

「……はい」

「この女子力赤点女〜〜〜〜っ!」

 

 素直に肯定しても許されないようだ。これは声を荒げられてもしょうがない。海実は眉間の間に指を当て、ため息を吐く。自分のケアをまったくしたことのない俺に対して頭を悩ませているのだろう。

 せっかくの好意を無駄にしてしまったことに困っていると自分の手からリップがひったくられた。

 

「ほら、こっち向いて」

「えっと……」

「最低限の手伝いくらいは最後までしたげるから」

 

 海実のされるがままにじっとする。唇をなぞられる感覚が数回したと思えばあっという間に終わった。最後にしっかり塗れたのか目視で確認している。しかし年頃の女の子に顔を触れられたり、息がかかるような距離に顔があるのは実の妹とはいえ少し照れる。

 

「よし、いいんじゃない?」

「ありがとう。それじゃ行ってくる」

「適当に助け舟くらいは出してあげるから、まぁ頑張って」

 

 適度に力のこもってない激励に頷いて返す。まさか海実がここまで面倒を見てくれるとは思っていなかった。あとでしっかり今回のお礼をしよう。

 

 行く前に最終確認。

 

(俺、じゃない……私。だろ、じゃない……でしょ。しよう、より……しよ? "くん"付けの方が女としてのあざとさが出るな、じゃなくて……出るよね。えーっと、こんな感じでいいのかな? いいよね……?)

 

 覚悟を決めていざ、晴樹の待つ玄関先へ。

 

 

 

 

 いつもと同じ朝。いつもと同じアラームの音で朝目を覚ます。いつもと同じ時刻の電車に揺られて学校に着けば、いつもと同じ顔ぶれのクラスメートと他愛のない挨拶を交わして席に着く。

 何も変わらないどこにでもありふれた日常。いつもと違うところがあるとすれば、一つ前の席が空いていること。高校生活2年と数ヶ月を共に過ごした親友の姿が見当たらないぐらいか。

 皆勤ではないがアイツが休むことは珍しく、久しぶりに親友の居ない学校になる。だからいつもとは少しだけ違う1日になると思った。

 しかし自分が思っていた以上に変わった1日を過ごす。

 天を除いて比較的仲の良い上原の居るグループのところへ足を運んだ時のこと。

 

「うっす」

「ういっす。(てん)さんが居なくて寂しそうだな」

 

 会話を始めて早々に天を絡めたいじりを受ける。寂しいというよりかはつまらないの方が正しいのだが、それより開口一番関連付けられる辺り俺たちはセットで認識されてるのだろうか。

 確かにクラスが一緒で学校行事も基本的に行動を共にしてた。しかしいつも一緒に居るわけでもない。心外とまではいかないがつっこまざるを得ない。

 

「俺は共働きの親が恋しい小学生か」

「……つまり天さんに母性を求めているのか。お前らの関係は想像以上に業が深いな」

「何故そうなる。何故母性」

「いつもイチャついてるからそういうことも裏でやっててもおかしくない」

「いや、おかしい。オギャリティの高いプレイはカップルでも人によっては拒否されるだろ。というかイチャついてるって表現やめろよ」

 

 軽口の応酬は高校男子の会話では日常茶飯事。しかし流石に同性愛者をイメージさせるような表現をみんなに聞こえる教室の中でするのはやめて欲しい。いや、TS好きと考えると白とは言えないグレーだけども。精神的BL好きだけども。ただそういうのは天以外にバラしてないし広まって欲しくない。

 適当に別の話題を振って会話を切り替えてその場はやり過ごした。

 

 次に移動教室のため別の教室に向かっていた際にクラスの女子と話をした時のこと。

 

「なんか葉坂(はさか)さんと居ない平川(ひらかわ)くんってレアだよね」

「別に学校でも常に一緒ってわけじゃないと思うんだけど」

 

 仲里(なかさと)から天を切り口に話しかけられる。どうやらクラスの男子だけでなく女子からも俺と天はセットの認識らしい。

 クラスの女子とは必要最低限の関わり合いしかないため、こうして会話することは珍しい。1年の時は何もしなくとも女子側から話しかけられることが多かった。しかし3年にもなると俺があまり女子と会話しないタイプの人間だと分かってくれる。

 それに慣れた同級生からは何かきっかけがあれば話しかけてくるぐらいに落ち着いた。

 

「葉坂さん休みってことは結構重い方なんだね。ラインでやり取りするならいつもより優しく接してあげなよ?」

「貧血だしそこまで心配するほどでもないと思うけど。アイツも貧血で学校休めてラッキーぐらいに思ってるんじゃないかな」

 

 天の休んだ理由だが貧血を起こしたためだと朝のHRで担任の保谷(やすたに)が言っていた。個人的に天がそのくらいで休むことはまだ少し疑問が残る。ただ疑問に思っていても体調不良以上のことは分からないし気に止める必要はないだろうとそこで考えるのをやめていた。とりあえず休み時間に適当なメッセージを送ったぐらいだ。

 

「……葉坂さんかわいそうに」

「えっ、なんで?」

「あー、あまり愚痴とか態度に出さないタイプか。偉いなぁ」

 

 今の会話の流れで何故天が同情されているか分からない。別に男友達の関係なんてこのぐらいドライだと思う。治るのに何日もかかる怪我とか病気なら心配もするが、ただの貧血なら心配するほどでもないだろう。

 しかし今の会話で明らかに仲里が俺に向ける視線が冷たくなった。女子の友情や仲間意識の違いに唖然となる。

 

「まぁ私たちには大変な日があるんだよ。彼氏ならもう少し理解を深めてあげたら?」

「心配するのは分かったけど、彼氏という言葉を使われる理由が分からないんだけど」

「……葉坂さんかわいそうに」

「なんで!?」

 

 さらに仲里の視線が冷ややかになったところで目的地に辿り着き会話が終了した。

 その後も休み時間でクラスの誰かと話す度に、似た流れで俺と天が友達以上の関係とされた上で話をされた。その自分の知らないお決まりの流れに辟易して思わずラインで天に愚痴ってしまう。

 しかし互いにからかい合うのがスタンダードな男子ならともかく、女子からもホモカップル扱いされることに違和感があった。しかもそこまで仲が良いわけでもなく、距離感としてはあくまでクラスメートとしてまでしかない相手からだ。今までそう言ったからかいがなかったため余計に不審に思う。

 気になって聞き返してみると逆に付き合ってなかったの? みたいな反応が返ってくるか俺の好感度が下がる一方で自分が知りたい答えを聞けずに居た。

 そして放課後、図書室で今日の出来事を整理している時のことである。司書の女性からついに核心へと迫る言葉を聞く。

 

「いつもの女の子と一緒じゃないなんて珍しいのね」



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5:20 PM

「いつもの女の子と一緒じゃないなんて珍しいのね」

 

 いつもと言われるほど大体一緒に行動している人物に心当たりはある。しかし性別は男だ。女の子との接点が全くないわけではないが、そんな風に言われるほどの関係がある相手は思い浮かばなかった。

 

「……どういうことですか?」

「いつも君と一緒の前髪の長い女の子が居ないのが珍しいって思っただけで他意はないのだけど。喧嘩でもしちゃったのかしら? 何か気に障ったのならごめんなさいね」

 

 聞き返した言葉に対して司書さんはそう謝りながら奥へと姿を消す。今の会話で覚えのある特徴が出たことにより、謎の人物の正体を掴みかけている。その答えに辿り着くため脳みそをフル回転させ状況整理を始めた。

 

(女の子……? 前髪の長い……天が女? TS、性転換? 記憶、認識の改竄……先天性? なら俺は何故男だと記憶している……?)

 

 頭の中でカチッと何かがハマる音がした。我ながらこんな非現実的な答えを導き出す辺り、つくづく二次元脳だと自嘲する。そして気づけば携帯端末を取り出し、天にメッセージを送信していた。

 

 16:43

『病に伏した友人のためにお見舞いへ赴く友人の鑑』

 

(この状況、完璧に理解した。これは確認しに行かねば)

 

 荷物をまとめ学校を出る。学校から天の自宅までの距離は3km弱。天は自転車で登校しているが俺は最寄りの駅から電車で通っているため徒歩で向かうことになる。大体30分かかるかどうかと言ったところか。少し早足で向かった。

 そして順調に歩を進めること20分、天の自宅まであと少しというところで一つ大事なことを思い出す。

 

(名目上はお見舞いなわけだし何か買って行った方が良いか)

 

 地図アプリで周辺を調べる。少し遠回りだが検索にヒットしたスーパーで果物を購入。リンゴ辺りが無難かと思ったがメロンがお得だという広告が目に入ったため変更してメロンに決める。

 荷物が重くなったが問題はない。予定より少しだけ遅れたが天の自宅に到着する。

 インターホンを鳴らそうかと思った。しかし目の敵にされていると聞く妹さんが家に居てもし鉢合わせしたら問題だと考える。念のためメッセージで到着を報せた。

 

(あとは待つだけだが……)

 

 正直心の中で心配より好奇心や期待で膨らんでいる辺り友人として失格だろう。向こうは急な性転換に焦りや困惑が強いはずで、そこに知らなかった態で顔を出すのだ。

 しかし、こちらとしては夢にまで見たシチュエーションである。喜怒哀楽の中で喜びと楽しみの感情がメーターを振り切る勢いで稼働している。これを抑えるのは難しい。

 出来るだけ素面の方が良いだろうか。ソワソワとした心を落ち着かせて待っているとガチャリ、と玄関の開く音が聴こえる。扉はまるで微風に押されて動いているのではないかと感じるほどゆっくりと開かれて行く。そして徐々に扉の向こうに居る人物の姿も見える。

 

 瞬間、鼓動が大きく跳ねる。

 

「おっ、おまたせ……! えーっと、お見舞いに来てくれたんだよね? あのっ、ありがと、すっごく嬉しいよ……っ!」

 

 目の前の女の子は顔を真っ赤にさせながら一生懸命に言葉を紡いでいる。緊張しているのだろうか。体の前に下ろした手同士が互いを捏ねている。そんな恥じらう姿がとても可愛らしいと想った。

 顔を見ると慣れていないことが分かる不器用な笑顔を浮かべていた。しかしそこから伝わってくる一生懸命さに心が惹かれてしまう。

 

「ど、どうしたの? 黙ってるけどやっぱり私の格好、おかしいかな……?」

 

 気づくと女の子は直ぐ目の前まで距離を詰めていた。身体を前に突き出して顔を下から覗き込むように眺められている。

 ふと、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。男にはない女の子特有の香りを感じる。

 下がり眉の少し不安げな表情に小首を傾げる動作が様になっており、心が大きく揺さぶられた。可愛さのあまり視線を向けることすら躊躇われてしまう。

 

「いや、おかしいは違うようで違わないんだがなんというか……あー、天であってる、よな?」

「うん、その、天で合ってるよ。えと……どうかな……? いつもと雰囲気を変えて見たんだけど……」

 

 「雰囲気というか性別が変わってるやないかーい!」といつものノリと要領でツッコミを入れたい。

 顔の造形に男だった頃の面影が残っていたため一目でこの娘が天本人か、もしくは話でたまに出る妹さんだとは容易く予測出来た。そして会った時、向こう側は顔見知りのような反応だったので天だと分かった。

 しかし性別はおろか、他にも口調やら何やら色々変わっている。男の時は自分を飾ることなどこれっぽっちも興味のある素ぶりがなかった。それを最もよく表していたのがエロゲ主人公のような手入れをせずにただ伸びていただけの長い前髪だ。本人曰く伸ばしているわけでなく、めんどくさくて切りに行ってないとのこと。

 そんな前髪がまるで編み込みでヘアアレンジするために敢えて伸ばしたかのように上手く使われている。服装も全身真っ黒かたまにチェックの上着を着てくるぐらいの無頓着ぶりだったが、今はそんな事実がなかったかのような明るく透明感のある色の服を着ている。

 

(本当の女の子みたいだ……)

 

 自分の想像とは全く違う服装に身を包み、想像とは全く違う口調と仕草で話しかけてきた女の子(そら)に釘付けだった。

 

(もしかしたら女の子みたいじゃなくて()()()()()()かもしれないのか……?)

 

 今日一日学校で過ごして天が性転換したという事実がないのは分かった。俺以外の人間が葉坂天(はさかそら)という人物は初めから女だったと認識している。

 てっきり天本人は自分が元男だったという記憶があるものだと都合よく考えていた。しかし、本人もTSした自覚がない可能性が今のやり取りで急激に高まる。

 高校に入ってからの数年間を共に過ごした親友が女の子になっていた。実に素晴らしく、喜ばしいシチュエーションだ。

 

 しかし()()()()()でなく()()()()()()()()が良い。

 

 その方が興奮するし弄り甲斐がある。とにかく常識と天本人が許す限りTSした友人を楽しみたいだけなんだ。もう頭の大半はその考えが占めている。

 天は俺に遊ばれたり馬鹿にされないために今は必死こいて猫を被っているだけかも知れない。まずはコイツが元男でTSっ娘だという証拠を見つけなければ。

 

 

 

 

 女の子のロールプレイというのは想像の何倍も恥ずかしい。口調はもちろん、意識して内股にしたりするなどさり気ない仕草、その一挙手一投足に注意して演じている。

 そんな必死こいているにも関わらず目の前のコイツはまるで俺の付け焼き刃の努力が効いてないかのように素面のまま。どことなく困惑しているように感じるぐらいで普段と変わらない。

 真面目に女の子を演じているこっちが余計に恥ずかしくなってくる。推定同級生から告白されたこともある男なだけあって、女性に対しての免疫が想像よりあるのだろうか。

 先程俺が女の子からやられたい仕草である小首を傾げるを実行したが効果がないように感じた。それとも演技が中途半端でバレているのだろうか。一歩引いているように感じるのはそれが理由か?

 とにかく会って早々に危機的状況なのは想像に難くない。

 

(しかし、ここで挫けたらダメだ。もっと攻めろ)

 

 弱気な自分に喝を入れる。自分の尊厳を守りたいというのが一番の理由だが、海実の協力を無駄にしたくないという気持ちも強い。

 ここまで着飾って貰ったのだ。これと言った反応がないのは負けた気がして悔しい。コイツを赤面させるような行動に出なければならない。

 近づくだけではダメだ。段階を一つ上げて接触を試みよう。しかし、いきなり自分から触りに行くのは自然じゃない。不自然にならないためのきっかけはないかと探る。

 すると丁度目の前にビニール袋の持ち手を引っ掛けた手を突き出される。

 袋の大きな膨らみを注視する。大きくて丸い網目模様の物体はメロンに違いない。違いないだろうが何故そんなものを差し出されるか分からなかった。

 

「えーっと、これ、どうしたの?」

「一応お見舞いだから手土産だよ。スーパーの安いやつ」

 

(コイツ、マジか……) 

 

 晴樹の行動に驚く。

 

 ……というより若干引いている。

 

 学校には俺が重篤な病で倒れたとでも報告されたのだろうか。

 いや、それはない筈。だが見舞いに手土産を持ってくるのは殊勝な心掛けである。褒めてやりたいところだ。

 しかしメロンは張り切り過ぎだろう。コンビニの安いお菓子程度の差し入れで十分なところを階段10個ぐらい飛ばしたレベルのブツを持ち出して来たぞ。

 コイツ、顔には出してないが内心は相当浮き足立ってるな。素知らぬ顔してウッキウキだろ。俺の中で警戒レベルがさらに上がる。

 だが、良いきっかけが出来た。この差し出された手を利用させてもらおう。

 

「わっ、いいの? でも私はただの貧血なのにこれはちょっと豪華すぎて受け取りにくいかも……」

「正直ノリで買ったところあるからそのまま貰ってくれた方が助かる。こっからメロン片手に帰るのはめんどくさいし」

「じゃあ、お言葉に甘えちゃうね?」

 

(ここだ……!)

 

 突き出された手からメロンの入った袋を受け取る。ゆっくり、ゆっくりと遠慮がちな動きで手を伸ばし、そして敢えて相手の手を自分の両手でそっと優しく包み込むように触れた。

 そら、女の子の手の柔らかさをとくと味わうが良い。これぞ男を勘違いさせる女の技。

 

 そしてーーーーーー

 

 ニコッ

 

 最高の笑顔もくれてやるッ!

 

 どうだ、晴樹。俺がコンビニのかわいいアルバイトの子にやられた技は。これを食らった俺は「あ、えっ……!?」と童貞丸出しの気持ち悪い反応を曝け出してしまった程だ。

 そんな爆弾のような微笑みを、この見た目は完璧な美少女から受ければちょっと女慣れしてそうなコイツでも当然気持ち悪い反応を出すだろう。

 さらにこれにはもう一つの布石も仕組まれている。男の友達同士で意識して手と手が触れる機会は女子と比較して極端に少ない。じゃれ合いで飛んでくるパンチをいなすかハイタッチぐらいだろうか。羽交い締めにしたり、ヘッドロックを極めたりそれ以上の接触はする癖に手と手で仲良くというのは何か一線を超えた気持ち悪さや恥ずかしさを感じるものなのだ。

 つまり男同士ではしないであろうスキンシップを行うことで、コイツの中から男としての俺の臭いを消す役割を担っている。

 この無駄のない攻勢の前にはクールな態度をとっていられまい。

 曝け出せ、美少女(オレ)に敗北する無様な姿を!

 

「ぁ……ああ、まぁ家族と食ってくれや」

 

 ぃヨシッッッ!!!!

 

 心の中で大きくガッツポーズを決めた。今確かにコイツは言い淀んだな! 僅かに視線を俺から逸らしたのも気付いてるぞ!

 晴樹が触れた方の手を下ろしてから何かを確かめるように開閉してるのを目の端で捉えた。これは効いていると思って間違いない。

 手札の中から最強の一角であろう一枚を切った甲斐はあった。逆にこれで効果がなかった場合、これ以上の手を見せないといけなくなる。

 そうなると腕を組んで絡ませる、後ろから抱きついて胸を押し当てるなどさらに際どいスキンシップへと移行しなければならない。その場合は流石に戦場を玄関前から移す必要が出てくる。鉄火場が家の中に移ることで効果は見込めるが此方も火傷程度では済まないことは容易に想像出来る。故にここで決着を付けれたことに安堵した。

 

(ふぅ……)

 

 赤面とまではいかなかったが余裕ぶった晴樹に一泡吹かすことには成功。そして俺が女であるというイメージも多少は植え付けれただろうか。鼻息荒く家まで突撃して来たコイツに俺がTSしたという確信からTSしたかもしれないという疑念へグレードダウンさせれたならそれだけで十分。初動で勢いを挫くことが如何に大事かは世界の歴史が物語っている。

 1日経って頭も興奮も冷めればコイツも下手に攻めてこれないだろう。それに俺の身体に起こった悲劇は明日の朝には綺麗さっぱり元に戻ってる可能性だってある。

 つまり、ここで撤退させて初日を無事に終えれたなら俺の勝ちなのだ。

 ということで晴樹にはここらでお帰り願おう。5分にも満たない超短期決戦であったが前準備も含め大いに消耗したものだ。

 俺は勝利を確信した。

 しかし、決着が付く前に『勝ったな、風呂入ってくるわ』なんて気持ちを思い浮かべることがどれ程愚かなことか。そんなこと分かってたはずなのに、どうしてこんなフラグを立てるようなことをしたのか。

 この後、すぐに後悔したのであった。



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5:25 PM

「今日は来てくれてありがと! それじゃあ、また明日ね」

 

 勝利を確信した俺はもう祝杯ムードであり、脳内では既に凱旋パレードでも開こうかと言った具合である。なので繕ってない本心からの笑顔で晴樹を見送ることが出来るのだ。

 

「ああ、また明日ーーーーーー」

 

 ドゴォッ!!!!

 

「ひっ!?!?」

 

「なんだ、今の音は……?」

 

 突然の轟音に若干ふわふわしてた俺は、不意を食らって短い悲鳴を漏らしてしまう。

 音の発信源は玄関だろうか。拳大の石か何かを壁に叩きつけたような大きな音。まるで晴樹の言葉を遮るかの如く発生した音の正体を探ろうと後ろを振り返ると、玄関の扉がゆっくりと開いて行く。

 

「いった〜〜〜〜、頭ぶつけちゃった」

 

 家の中から現れたのは、額を押さえながらやや涙目になっている海実だった。服装も先程までの部屋着でなく、コンビニに出かけられる程度に整ったモノへ着替えている。

 俺より地味というか控えめな辺り、やはり他人に見せる部屋着としてはあっちの方が正しいのだろう。さて、海実は何かに足を引っ掛けて頭をぶつけるようなおっちょこちょいではないだろう、どうしてそんなことになったのか。

 そんな思考のまま訝しげに海実を見ていると涙を滲ませている目とこちらの目が合う。

 

(あ、やべぇ……)

 

 こちらを射殺すかのような眼力で睨んでいた。もし視線に物理的な干渉力が備わっていたならば俺の顔には二つの風穴が空いているだろう。

 俺は知らずのうちに海実の逆鱗に触れてしまったらしい。でなければ先程の数年ぶりに味わった和やか空気から一変して、こんな通常運転時よりも殺意増し増しな視線を向けられないはずだ。

 確認のため少し振り返り一瞬だけ晴樹へと視線を移す。向こうに変化はない。困惑気味ではあるが怯えたり、ギョッとしている様ではなかった。

 どうやら海実は晴樹と自分の対角線状に並ぶ様配置して俺だけに怒りが伝わるようにしているようだ。

 つまり不興を買ったのは確実に俺個人ということになる。

 てか、よく見ると額を抑えている指の付け根付近が赤くなっていないか? もしかすると頭をぶつけたのではなくその拳で殴りつけたというのか。

 ヤベェよ……ヤベェよ……

 あの衝撃音だ。とてつもない怒りが込められているだろう。

 背中からじわり、と冷たい汗が浮かび始める。後のことを想像して自分の顔から血の気が引くのを感じた。

 

「天の妹さんであってるよな。おでこ大丈夫か?」

「あっ、はい。大丈夫です」

 

 海実の怒りオーラが瞬時に霧散する。目の前に居たはずの鬼は華やぐ笑顔がよく似合う少女へと姿を変えていた。どうやら、この状況を分かっていないだろう晴樹が動き出したようだ。

 気付けば俺の横に並ぶように移動した晴樹は海実に軽い会釈をする。

 対する海実も家での不機嫌状態からは想像のつかない外行き社交的モードで対応し始めた。

 海実は会釈を返すと額に当てていた手を下ろす。やはりというか、指の付け根と比較して額が赤くなっている様子はない。あれは海実が拳で殴って出した音で間違いないようだ。

 二人は初対面ということもあり、当たり障りのない挨拶をしているようだが今の俺には会話の内容がまったく頭に入らない。

 晴樹には分からないようだが俺には海実が静かな怒りを燃やしているのが分かる。心臓が止まりそうだと錯覚を起こさせる眼力は抑えたが雰囲気が、笑っているようで笑っていない目がこちらに向けられる度語りかけてくる。

 

 ニゲルナ

 

(た、たすけて……)

 

 その恐怖のあまり横に並んだ晴樹の服の袖をつい摘んでしまう。本当ならコイツの背中に隠れて盾にしたい気分だ。なんなら生贄となるように羽交い締めにして前に突き出したい。

 ただ、海実に対してあまりにも大袈裟なリアクションは悪手。態々向こうが本性を隠しているにも関わらずバラしてしまうのは余計に不興を買う。こうして何とかちんまりとしたリアクションで留めることが出来た自分を褒めてあげたい。

 

 ……理由は不明だが心なしか海実の怒りオーラが小さくなった気がする。

 

「メロンなんて特別なものをいただいて、うちの家族だけで食べるなんてとんでもないですよ! 上がっていってください。切り分けるので家で食べませんか?」

「え……? ええええ!?」

 

 やっと二人の間で交わされている会話を聞ける程度には落ち着きを取り戻したが、いきなり聞き捨てならない言葉を耳が捉える。

 家にあげるだと? そんなことをすれば家にある物からヒントを与えてしまうし、何より一緒にいる時間が増えてしまうじゃないか。比例してボロを出してしまう確率も増えるわけでメリットがあまりにもない。

 

「いいよね、お姉ちゃん?」

「いやぁ、その……」

 

 海実がズイ、と一歩踏み出し近づいてくる。物理的な距離が縮まるとともに心へのしかかってくるプレッシャーも増した。

 袋を持っている方の手首を軽い力で掴まれる。確かに軽い力なのだが、まるで硬く冷たい強固な錠を嵌められたような気分だ。

 だが、しかし負けてなるものか。ここで晴樹を家にあげるのは避けねばならない。例えこの後、妹と争うことになろうとも!

 

「 い い よ ね ? 」

 

「……はい」

 

 戦意喪失。物の見事な即落ち2コマを披露してしまった。

 そして海実に手を引かれるまま家の中へと誘われて行く。

 

(いや、力強っ!?)

 

 思ってたより力を込めて引っ張られている。なんだこれ、どうしてそんなにキレてるんだ。絶賛困惑の中、ボソリと小さく海実は呟いた。

 

「女として見て貰うのにたかが5分で満足してんなよ……」

 

 その低い声にゾッとして血の気が引いた。

 これは不味いことになったぞ。そこまで深い意味はなかったってのに、海実からは思ってた以上に重く捉えているらしい。あーどうしてこうも上手くいかないんだよ……。

 しかし、ここで悩もうが晴樹は待ってくれない。そして自分を守るための手段はただ一つ、このまま理想の女の子の擬態を続けて乗り切るしかないのだ。

 精神的に一歩一歩重く感じる足取りだが、ゆっくりなのは慎み深い落ち着いた性格だから。そういった印象になるよう表情を繕う。妹の強引さに振り回されつつも、それが嫌ではなく逆に嬉しいという面倒見の良い姉の顔をするんだ。

 そして、やましい事は何もなく家へあげることに躊躇いはないんだと態度で示す。腕を引っ張られてる影響で身体の向きは変えられない。だから顔だけを晴樹に向けた。

 

「ということだから、晴樹も家に上がってってよ。ね?」

 

 晴樹をリベングに招くとメロンを持った俺は早速キッチンへと向かう。海実は部屋に用があると言って二階へ上がっていったが、今の俺たちを一対一にするんじゃない。

 じゃあ何で玄関に居たのかとか、若干晴樹も不思議そうにしてるじゃねーか。どうせ聞き耳立ててたとかだろうけど……

 

「それじゃあ切ってくるから、座って待っててね」

「ああ、突然来てなんか悪いな」

「いいよ、気にしなくて。お客さんに最低限のおもてなしはしなくちゃダメでしょ?」

 

 先程料理で使って洗ったばかりの包丁を水切りカゴから取り出す。袖をまくり手を洗いながら、やれやれといった感じに小さく息を吐いてしまった。

 メロン持ってきたぐらいだし、おもてなしした方が良いという気持ちも多少は本音が混ざってる。なのでメロン分は歓迎してやろう。家に居て良いのはメロン分の時間だけだからな。

 さっさと切るから、さっさと食って、さっさと帰ってくれ。それで今日はおしまい。

 帰ったと思ったら「忘れ物した」って不意をつく感じにUターンして来るのだけはマジでやめろよな? 素に戻ってるところを目撃されたら終わる。

 

「ていうかお前が切るんだな」

「家の中でお母さんの次に慣れてるのは私だからね」

「へぇー、怪我しないようにな」

 

 お前が思ってる以上に俺は家事に慣れている。メロンを切るぐらいで怪我しないっての。ということでヘタ部分を切り落とすのだが、手応え的にこのメロンはまだ完熟してなく固そうだ。少々力がいるか?

 

「ふっ!」

 

 おお、固ってぇな。 力んで思わず声が出てしまった。しかし、確かに固いが切れない程でもない。もう一息力を込めてメロンを縦に真っ二つに割いた。

 思ってたより重労働になりそうだな。今度は横にして気合を入れてもう一発。

 

「よっ!」

 

 ズドン、と言った感じにメロンを割った包丁がまな板を叩く。今度は何とか一息で切断出来た。そのままの要領で8等分に切り分けていくと、終わった頃には額に薄っすらと汗をかいていた。

 切り分けたので向こうに持っていくために食器を取り出す。しかしその途中、この青いメロンをそのまま食べるのはどうかという考えが浮かび上がってきた。どうせならおいしく食べたいよなぁ。

 急遽工程を増やすことに決めた。切り分けたメロンを皿の上に乗せ、ラップをかけた後電子レンジへと投入。30秒程加熱する。

 キウイを甘くするのと同じで熟してないメロンもレンジで温めると良いらしい。

 あったかいメロンを食べるつもりはないのでそのまま冷蔵庫へ入れる。あとは軽く時間を置くだけか。

 包丁を水でサッと流したあと、一旦落ち着くためリビングに向かう。

 晴樹は考え事をしているのかソファに座っているだけで何もせず大人しく待っていた。俺もどっこいしょとソファに腰をかける。メロン切っただけなのに思ったより疲れているようだ。

 

(っと、危ねぇ)

 

 思い切りガニ股で座ってしまったのに気付いて足を閉じる。ここで変に慌てると不自然に映るため、なるべく自然でスムーズな動きを意識する。

 それにソファに座った際に座席の布地が太ももに触れるのが落ち着かない。これは男の時はズボンを履いていたために味わったことのない感覚だった。

 まぁ、この問題は座っているうちに肌が布に馴染むだろうしここは気にした素振りを見せないことに徹しよう。もしこれが革材質なら蒸れるところだったがウチのソファはファブリック材質だ。そういう点は気にしなくて良い。

 晴樹の方にチラリと視線を向けるが特に気にしている様子はない。一安心だ。

 

「あれ、切ってたメロンは?」

 

 俺が手ぶらなのを見てメロンの所在が気になったのだろう。先程まで俺が固いメロンを苦労しながら切ってたのを知っているので、その疑問ももっともだな。

 

「固そうだったからレンジで温めて追熟させたよ。冷やすから食べるまで少し時間がかかるかな」

「追熟? 何それ」

 

 家事をしないとそのぐらいのことも知らないのか。晴樹には大体のことで負け越しているので、家事においては自分が優位に立っていることが分かり少し優越感に浸る。家庭的な男はモテるんだぜ?

 そんな感じに心の中でしっかりとマウントを取りつつ、しょうがないので優しく教えることにした。

 

「固いキウイをレンジでチンすると柔らかくなるのと同じで」

「え、なんだって?」

 

 俺の言葉に被せるように聞き返してくる。この声帯の発音にまだ慣れてないのか声が小さかったかな。心が広いのでもう一度最初から言ってやろう。

 

「その、固いキウイをレンジでチンすると柔らかくなるのと同じで」

「ん? よく聴き取れないんだけど」

 

 なんだ、またダメか? しょうがないので今度は聞き取りやすさを意識してもう一度言う。

 

「えっと、固いキウイを、レンジでチンすると」

「ごめんもう一回」

 

 難聴系主人公かお前は。要点を抑えてしっかり発音しよう。もう一度。 

 

「固い、キウイを、レンジで、チン」

「ワンモア」

「ふっ……」

 

 意図に気付いてちょっと吹き出しそうになる。というか吹きかけたので慌てて顔を俯く。

 

 

 

 コイツ、俺にチンチン言わせたいだけだろ?

 

 

 

 いや、気持ちは分かる。今の俺どっからどう見ても美少女だもん。透き通るような綺麗な声してるもの。そんな美少女の綺麗な声音で下ネタを拝聴したいってのはスゲー分かる。誰だってそうするし、俺だってそうする。けど、今はやめてくれ。

 今の俺の状態でそのネタを笑うことは出来ないんだよ。だって清楚な女の子を演じてるから。

 清楚が服着たような娘は下ネタなんて振られたら顔を赤くして俯くような初心な心の持ち主なんだ。だから俺は笑ってはいけない。

 コイツはこの小学生男子が喜ぶような下ネタを振り、それに俺が引っかかって笑うのを待っているんだ。そう、鬼畜な罠である。俺が尻尾を出すように罠にかけているんだ。そんな手に乗ってなるものか。

 

 ……ふふっ、しかし、笑いを我慢するというのは案外ツライ。それは笑うと罰でケツをシバかれるバラエティ番組を見ているとよく分かる。さらに笑ってはいけないという心理的バイアスがかかると余計に難易度が高くなる。ふ……

 

 ……チンチンって

 

 ……くだらねぇ

 

 

 

 ふっ、くくくっ、チンチン……っ

 

 ああーーーー! こんなクソみたいな下ネタなのにツボに入っちまった!

 てか清楚って素の俺との相性悪過ぎだろ! キャラセレクト間違えたか!? Bボタン押させろ、早く戻させろ、連打だ連打だ。

 え、ダメ? 決定ボタン1度押したら選び直せないとかス○Ⅱか? スー○ァミとか何年前のゲーム機だと思ってんだ? 現代のスタイルに合わせろよ!!

 これなら初めから女だったけど男友達みたいなノリで接してくる距離勘が近いキャラにすれば良かったか? そしたらこんなことで悩みはしなかっただろうに。

 ああああああ、いつもみたいにくだらん下ネタで笑いてえええええ!!

 くだらねえって笑いながらツッコミてえええええ!!

 

 ……

 …………

 ………………

 

 多分顔真っ赤だこれ。だって涙が滲んできたもの。

 やっと笑いの波が落ち着いて冷静になることが出来たがどうなんだろう。

 咄嗟に俯いて顔を見せることはなかったが、ここからの軌道修正は可能か? 今コイツから俺はどう写っている。

 

 下ネタで笑いを堪えてた頭小学生で中身が男のTS娘か?

 それとも下ネタを恥ずかしがって俯く清楚な女の子か?

 

 ええい、悩むな。後者で貫くしかないだろ!

 このまま笑ってないことを前提に物事を運ぼう。

 俯いている顔を少しだけ上げる。そして、その涙を滲ませた双眸で抗議をするように視線を向ける。しかし、恥ずかしさで目を合わせ難いため合う度に逸らすという下ネタが苦手な初心な少女を演出する。

 それにより笑いを堪えたあとの血が昇った顔は、まるで羞恥に染まったように見え方が変わるだろう。

 顔真っ赤にして涙目で見つめてくる女の子とか反則じゃない? 自分でやっててあざといと思う。

 

「その、そういうことをわざと言わせるのはダメ、だから……恥ずかしいよ……っ」

「わ、悪い……」

 

 晴樹はどこかバツが悪そうな顔で謝る。表面上は向こうも反省したようだ。そうだ、悪ノリ下ネタ攻撃は控えてなってんだ。

 しかし、今は上手くいっているがどこまで誤魔化せるのだろうか。この調子でぶっ込まれていくと、誤魔化しの効かないボロが出そうで心配でしょうがない。先が思いやられる。



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5:41 PM

「あれ、もう食べ終わっちゃった?」

 

 パタパタと階段を降りる音が聞こえたかと思えば、リビングに海実が現れる。見れば先程の服装に上着と肩掛けのカバンの装備が増えていた。

 

「メロンなら今冷やしてるだけだから、私たちもまだ食べてないよ。けどもう少ししたら食べれるかな」

「ふーん、じゃあ私はこれから出掛けるし晩ご飯の後に食べよっかな」

 

 いや、出掛けるの? それはちょっと待ってくれ。海実の出て行った後の状況を例えるならライオンと鹿を同じ檻の中に入れるのと同義だぞ。

 海実のあまりにも慈悲のない判断に焦る。思わず立ちあがりそうになったぐらいだ。

 しかし、しかしだ。これは一見ピンチだがチャンスでもないだろうか。海実がこれから出掛けるとして、時間がかかるのならその間に晴樹を家に帰してしまうことも出来る。

 仮にそれがこの後10分後だろうと海実には分からない。つまり回答次第ではこの危機的状況から脱出する一発逆転の鬼札にもなり得るわけだ。

 

「……どこまで出掛けるの? 近いの? それとも遠い?」

「近くのドラッグストアにちょっと買い物。買うものも決まってるしすぐ帰ってくるけど」

 

 目論見は失敗。ここから薬局ということは行って帰ってきても20分程度。買うものが予め決まっているなら尚更だ。つまり、その間に晴樹を帰すことは不可能である。

 玄関でのやり取りを思い出すにそんな早期に返せば確実に不興を買う。しかも今までの比ではないだろう。もしもの未来を想像しただけで少々お腹が痛くなってきた。

 しかし、海実はそれだけでなく、さらに驚くべきことを言ってきた。

 

「あ、メロン冷えるの待ってるなら、ちょっと早いけど晴樹さんに晩ご飯ご馳走したら?」

 

 ブーッ、と唾を吹き出しそうになるのをギリギリ飲み込む。

 っとに、この妹は不意打ちでぶっ込んで来るな。ぽんっと手のひらを叩いたけど、こっちからすればそんな軽い動作をしながらして良いような軽い提案じゃねえから!

 いつ爆発するか分からねえ爆弾持ってんだぞ。早く手放したいのに、それをさらに懐近くに抱え込ませようとする奴があるか! 飯まで食ったらすぐ帰ろうって感じじゃなくなるだろ!

 腹一杯でまったりした空気になって確実にその後、ゆっくり長居する流れになっちゃうでしょうが。この提案はすぐに否決せねばならない。

 

「そっ、それはお母さんとか海実以外にも聞かないとダメじゃない、かな……?」

「お母さんは遅くなるし、大地は気にしないでしょ」

 

 ぐっ、母さんが遅くなるのは正しいし、理由も俺にあるから否定できない。大地も別に海実なら丸め込めるだろうし、防波堤としての意味をあまりなさない。父さんは夜遅くになることが分かりきっているため、端から除外している。

 だったら……

 

「晴樹にも予定とか帰る時間もあるし遅くなるのは迷惑なんじゃないかな……?」

「俺は遅くなっても構わないけど。金曜だし」

 

 間髪入れず了承の返事を得る。こっちもダメ、というか今回のコイツの目的を考えればそんなホイホイ帰るわけないか……。

 というか、むしろ墓穴を掘ったのではないか? 晴樹がメロン食ってもすぐ帰らなくても良いという不要な言質を得てしまった。そんな言質要らないから、どこかに丸めて捨てたいよ。金曜日というのもタイミングが悪すぎるし……

 あー、正直返事をしたくない。しかし、逃げ道が塞がれたこの状況で長い沈黙を作るのは怪しまれる余地が出来てしまう。何をそこまで渋るのかという疑念が生まれるのだ。つまりここでの答えは沈黙ではない。

 俺に残された行動は場の空気が途切れないよう、快く了承することだけだった。

 

「その、分かったけど。あんまり期待しないでね……?」

 

 家族以外に手料理を振る舞うのは初めてだったりする。まぁ晴樹相手だし別に味をどうこう言われようが構わないのだが、しかしそれは普段の話だ。

 俺と晴樹が男同士の時なら飯の味が不味くても、馬鹿にしながら男飯ならこんなものかで笑って終わる。

 ただし今の俺は女だ。自分の勝手な女性像だが、この年頃の女の子は家事が出来ることを褒められるのは嬉しいものだと思ってる。家庭的な女子という称号は高校生男子からしても特別に感じるぐらいだし。

 つまり異性の目が気になる女子高生にとって料理のできるできないは一種のステータスであり、大事と捉えて問題ない。相手が誰だろうと同世代の男子に馬鹿にでもされたら結構ショックな筈だ

 その辺り上手く合わせて感情を表現出来るかが重要だろう。

 今回は料理の素を使ってるので味の心配はない。問題があるとすれば具材の切り方がやや大味だったり今の自分の作ったキャラとのブレがあることだ。

 まあ、育ち盛りの大地が居ることだし、弟に合わせて作ってると言うことで設定を捏造しよう。作り慣れてる感と弟思いの姉ということでお淑やかポイントを一気に稼ぐことが出来る。こういう細かな心遣いは女子っぽくないか?

 さて、一通り問題点も洗い出したことだ。行動へと移すとしよう。

 よいしょと立ち上がる。晴樹に自分の作った飯を食わせるなんて想定していなかった出来事だが、何とか対処出来そうで安心した。

 

「ん゛ん゛っ、お姉ちゃん……?」

「どうしたの、海実」

 

 海美に呼ばれたので顔を向けて反応する。わざとらしく咳をして、何かを伝えたいのだろうか。チラ、チラと何か合図を送っているのか目線も動いている。

 しかし、残念なことに俺には何のことだかさっぱり伝わってこない。このまま意思が伝わらず事故を起こしても難だし、作戦タイムじゃないがここは一旦晴樹を置いて短く打ち合わせをするべきか。送り出すために玄関へ行くだけなら一旦席を外しても不自然に映らないだろうか。

 くるりと、身体の向きを変えて向かおうとしたら、海実は溜息を吐き何かをしくじった時のように眉間を指で抑えた。

 

「お姉ちゃん……」

「え、何?」

 

 いや、海実が何についてガッカリしているのか状況がよく分からないんだけど。お前には見えないのか、兄の頭上に浮かんでいるでっかいはてなマークが。

 今は姉か……。

 

「……天」

 

 今度は現在背中を向けている晴樹から声をかけられた。顔だけ振り向くと晴樹はあらぬ方向へと顔を背け……いや、窓の外の景色を眺めているのか。

 もしや兄にも分からなかった妹の言いたいことが、お前は分かると言うのか!? 窓の外を注視するため眼を細めること数秒、こちらに視線だけ戻した晴樹と目が合う。

 

「いや、スカート」

「へ? スカーt……あっ」

 

 晴樹に言われてスカートに目をやれば、後ろの裾にシワが寄ってお尻の半ばまで布が捲れ上がっていた。

 

(ヤッッッッベ!!!!)

 

 これはヤバイと思い、すぐに捲れ上がったスカートを直したが手遅れだろう。時既にジエンド。

 最初に海実から合図を送られた時に気付いていれば防げた筈だった。

 でも、まさかこんなことになっているとは思ってもなかったんだよ!

 

「あはは、ちょっと失礼しますね……!」

 

 いつの間にか海実はすぐ隣に移動していた。そして晴樹にことわりを入れると俺の手を掴んでくる。突然のことだったが今の状況から脱出すべくそのまま手を引かれリビングを後にした。

 

「何、直パンで座ってんの……?」

「じ、直……?」

「これ綿なんだからスカート敷いて座らないと余計に折れ目ついて捲れるでしょ……?」

「綿? えっ……?」

 

 廊下に出ると色々と言葉を捲し立てられているが、その悉くの意味が分からなかった。敷くって何? 直パンとは一体? なんか布の材質によってはしちゃいけない座り方があるのか?

 いや、それをしなかったから俺はさっきみたいな間抜けを晒したのか。

 女の子が座る時の注意事項なんて足を開かないぐらいだと思ってたが浅慮だったようだ。男だった自分には未知の領域の話である。

 そんな女の子のことを上部しか分かっていない俺に海実は大きなため息をついた。

 

「あんたの学校生活が心配になってきた……」

 

 しかし、困ったことになったな。

 突然のことでロクな反応も出来てないところを晴樹に見られてしまった。

 異性にパンツをモロに見られたんだ。最低限恥ずかしがるぐらいのリアクションはあって然るべき場面の筈。

 女の子ポイントを稼ぐなら「きゃっ」とか短い悲鳴を出すとかやりようはあっただろうに。それすらも出来なかったのはかなりのマイナスだ。恥ずかしがることなく素で「あっ」って言ってしまった。

 授業中に部屋の窓閉め忘れたこと思い出した時ぐらいの恥じらいも何もないリアクションだった。

 思えばパンツなんて体育の授業で着替える時とか、目にするし見られる。態々男同士でパンツを見ようという明確な意思を以って見てくるやつなんてのも居なかった。だから男相手から見られることを恥ずかしがるという認識がなく咄嗟な反応も働かなかったのだろう。

 自然界の厳しさに身を置かず飼育されている動物の警戒心は野生と比べて低いのと同じで、普段から警戒することを知らない男だからそうなったのだろう。当然の帰結というわけか。

 しかも相手は晴樹という気心の知れた同性相手だ。今回の不意打ちに反応する方が難しい。

 どちらかと言えば女になった俺のパンツを見てアイツが慌てるのなら分かる。しかし、晴樹は結構冷静に対処していた。

 

(それはそれでちょっとイラッとするな……)

 

「ねぇ、私の話聞いてる?」

「何が? って、いたぁ……っ」

 

 話を聞いてるかと聞かれたが、完全に自分の考えに没頭してたせいで聞いてなかった。突然だったので素直に聞き返したら頭にチョップが帰って来た。

 

「今履いてるようなスカートで座る時は裾を膝の裏に持ってきてお尻に敷くようにして座る。いい?」

「わ、分かった。さっきは聞いてなくてごめん」

「ん、よろしい。それよりどうするわけ? さっきのパンモロはあんたの目的から考えると大きく後退したと思うけど」

 

 海実が言ったことは的を得ている。この歳まで女として育ったならしないだろう失態を見せてしまった。男としての匂いを漏らしたわけだ。今の出来事でアイツの中でも認識の修正が起こったと見て間違いない。

 信用というのは得るには難いが失うは易しだ。ここまで折角稼いだポイントもほぼ失くなったと考えて良いだろう。

 

「ああ言うのはサービスじゃなくて、ただ単にだらしない印象与えるだけだから。折角作ってるあんたのキャラとも相性も悪いでしょ」

「うん……」

 

 スカート歴1時間未満の赤ちゃんなんだからしょうがないじゃん。などと言えるわけがなく、海実の言葉を素直に受け止める。

 ここからどう挽回するかが重要なのだがその方法が全く思いつかない。それこそまたスキンシップを図ってみるという手が無難だ。

 しかし、さっきの失態を覆すには簡単なものでは意味がない。つまりさらに攻めた行動をしなければならない。そしてそれを実行するための場所とお膳立ても必要だ。どうすれば良い……!

 

「急遽予定を変更するわ」

 

 一向に良い考えが出ずに頭を悩ませているところへ海実から声をかけられた。

 

 

 

 

「おまたせ、待たせてごめんね?」

「ああ、別に良いよ」

 

 妹さんに廊下へと連れて行かれた天がリビングへ戻ってきた。しかし、俺はその顔をまともに見られずにいる。

 心が乱れている。いや、乱されている。全ては先程の光景が原因だ。天の履いていたスカートの後ろ側が捲れ上がり、適度に引き締まった健康的な太ももとお尻、そして丸見えになっていた下着が目に焼き付いている。純粋に男の本能を揺さぶられた。

 あのサックスブルーの鮮やかな逆三角形に惑わされる。

 ダメだ、思考力が落ちている気がする。折角俺が待ち望んでいた、天が女でなくTS娘であるという根拠になり得る情報を得たというのに。

 一方天は俺の心の中とは対照的に何事もなかったかのように、そのままキッチンへと移動する。そして食器を出したりテキパキと食事の準備を始めた。そんな調子に俺も心が平静に戻る。

 

「ご飯このくらい食べる?」

「そのぐらいかな、ありがと」

 

 案内されたダイニングテーブルに腰をかけると、天が白米を盛った茶碗を見せてくる。食べる量を聞いてきたようなので返答する。

 丁度良い量を一発で盛る辺り流石だ。よく一緒に飯へ行くだけのことはあり、俺の胃の大きさを把握してそうだ。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 テーブルに並べられたものは白米に味噌汁、そして大皿に盛った存在感の大きい回鍋肉。食事中の会話で天が作ったと知って驚いた。

 今まで会話した中で料理が出来るなんて聞いたことがなかったからだ。しっかり味も良かったのでまた食べたいと言ったら喜んだ。

 食事が終わり一緒に食器を洗う。名目上は客と言え、その前に友達という関係がある。流石に何でもかんでもやって自分だけ寛ぐのは居心地が悪い。どうやら家事も手慣れているようで、天は手際良く食器を捌いている。

 さて、洗い物をしながらであるがここまでのTS娘ポイントのおさらいをしよう。

 まず行動はところどころ男のような癖がある。それに食事の時に使っていた食器が男物だった。箸の長さが顕著であり、茶碗も俺と変わらない大きさのものを使っていた。そして白米でお腹が膨れたのかおかずにあまり手をつけていなかった。だから皿にあった分はほとんど俺が食べた。

 思い返せばメロンを切っている時に聞こえた声もキャラにそぐわないものだった。そして、飯の前のアレはあからさまにスカートを履き慣れていないことを物語っていた。

 スカートなんて学校の制服でいつも履いているだろう。それならばあんな失態は犯さない筈だ。

 これTSゼミでやったところだ! と俺の中のTS娘センサーがビンビンに反応している。

 チラリと横にいる天へと視線を向けると、前に垂れた長い髪を鬱陶しそうにしている。長い髪に慣れて、家事も良くしているなら縛るなりして対処しないだろうか。

 ここまで状況証拠が揃っているのだが、まだ確信しきれない。それは何故か。

 話から聞いていた妹さんとの仲に致命的なズレがあるからだ。

 まず着ている服が明らかに女性的だが、それの調達方法が分からない。俺の知っている天は女友達が居なければ、身近な女性は仲が険悪の妹さんのみ。しかし、その妹さんと仲良くしている。その一点が俺の知っている天とは違うのではないかという疑念を浮かばせる。

 天が頭を下げたとして協力してくれるような存在だろうか。服どころか下着まで貸してくれるということは余程心を許していないと出来ないことだろう。さらに貸して貰えたからと言って女物の下着をこんな直ぐに履けるものなのか? 必要に迫られるようなことはあるのか?

 それに見た目は飾っていても下着は男物だったとかはTS作品でも見かける。

 何より1番俺が慎重になっている理由はもし仮に違った場合、天が女の子でこの調子が本当だった時「お前、もしかしてTS娘だったりする?」みたいなニュアンスで物を訊ねればその心を深く傷つけることだろう。

 それを踏まえると、まだ答えは出せない。

 

「手伝ってくれてありがと」

「飯食わせて貰ったからな」

 

 一通り洗い物を終えるとリビングに戻り、ソファへと腰掛ける。このまましばらくゆっくりして、妹さんとの仲を聞くとするか。それで何か齟齬か何かを見つけた時が最後。俺の勝利が確定する。

 この状況って俺が騙されてる形だし、何か1つぐらい言うこと聞かせても問題ないよね? 何をして貰おうかと夢を膨らませていると天がリビングに現れる。

 しかし、様子がおかしい。ソファに座らず立ったままでどこかそわそわと落ち着きがない。毛先を弄ったり、口を開いては閉じたり。

 どうしたのかと訝しげに観察していると、天は顔を逸らしたまま話しかけてきた。

 

「この後、リビングじゃなくて私の部屋に来てゆっくりしない?」



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6:46 PM

 訳:俺の部屋行こうぜ、発言からどこか落ち着きのない様子の天。部屋へ案内される途中の口数がやけに多く感じるが、まあ言及する程のことでもないか。

 そして、ある部屋の前に立ち止まる。どうやらここが天の部屋らしい。天は胸に手を置き、目を瞑っている。心を落ち着かせているのだろうか。

 しばらくすると目を開けドアノブへと手を伸ばす。慎重にゆっくりと回すと、その調子のままドアを開けた。

 こちらへと顔を向ける。

 

「じゃあ、どうぞ……?」

「いやいや、俺相手を自分の部屋に入れるのにそこまで緊張するこたないだろ」

 

 ニコリ、と笑っているがやはり緊張した空気は隠せていない。なので、その緊張をほぐしてやろうと茶化すよう笑いながらツッコミを入れた。天は「べ、別に……」と吃ったようにごにょごにょと言葉を返すのみ。

 くっ、なんかその含みのありそうな態度は勘違いしそうになるからやめて欲しい。俺は推定TSっ娘だと認識してるから友情を優先することで何とか理性を保つことが出来る。だが、もしお前が本当に女だとしたら自分に気があるようにしか見えない。

 部屋の中での雰囲気や状況によっては自制出来るか分からないぞ。唯でさえ格好から見た目まで俺の好みだと言うのに。

 あー、このまま深く考え続けるのはマズい。とりあえず招待されてるのだからさっさと部屋に入ろう。俺はTSっ娘の証拠を掴むため、家宅捜査に来たTS刑事(デカ)だ。自分をそうだと思え。

 煩悩を振り払おうとヤケクソ気味に部屋の中へと踏み入る。

 

「はい、これ」

 

 入ってすぐ、天からラベンダー色のクッションを渡された。そして、自身は水色のクッションをちゃぶ台の横へと下ろし、その上へと腰を落とす。これを使って座れと言うことか。

 それにしても今の動作、中々様になっていたな。先程の失敗を学習したのかスカートをお尻の下へ敷くようにして座った。そうそう、男の頃の癖が抜けずちょっと恥ずかしい思いをした後に女の子として作法をラーニングする。これこそTSっ娘の味わいだ。やっとらしくなってきたな。

 そんな親友の成長する姿を目に焼き付けているとあることに気付く。

 

(おお、それは……!)

 

 男性と女性の身体の構造は違う。性器もちろんだが、次に分かりやすく異なる箇所と言えば骨格だろうか。男性の肩幅や肋骨など重い筋肉を支えるため、女性より広い。だが逆に骨盤は女性の方が広い。その影響で男性はガニ股、女性は内股になり易い。それが楽な座り方への違いに出てくる。

 天は今、両足の間にお尻を落として座った。いわゆる女の子座りというやつだ。意識的かそれとも無意識的だったかは分からないがTSっ娘がそれをやるのが俺は大好きでね。ありがたみの深い光景を前に心がほくほくだ。

 

(……おっと、いかん。和んでる場合じゃないな)

 

 本命を思い出すと、早速何か引っかかるものがないか部屋の中を見渡す。足下にゴミ一つ見当たらず、机の上に物が散乱しているなどもなく綺麗に片付いてある。ファストフードで食べ終わったハンバーガーの包み紙をわざわざ綺麗に折り畳むなど几帳面だと思っていたが、部屋もそんな性格と違わず綺麗にしているらしい。

 家具など白を基調にしているが、カーテンやクッションなど所々パステルカラーをあしらっている。チェストの上には写真立てに小さな観葉植物、卓上カレンダーに謎雑貨などの小物がきっちりとした配置で並べてある。

 机の上にはクリアカラーのシャープペンシルなどが入ったペン立て、小物ケースと畳めるタイプの卓上ミラーが置いてある。その机の隣の背が低い本棚は布を被せているため中身は分からないがサイズ的に教科書用だろう。

 フローリングの床には敷いたカーペットと、現在俺と天の間にある足を畳めるちゃぶ台がある。他にもモニター、ではなくあれはTVか。あと球体のような洒落た形のテープルランプに加湿器らしき家電など色々と整頓して配置されている。

 ハンガーラックにはうちの学校の女子制服がかかっていた。天の妹は別の高校のため、あれは正しく天本人の制服だろう。

 なんというか「かわいい印象を受ける部屋」というのが感想だ。自分が想像する女の子の部屋に近い。

 しかし、おかしいな。俺と天の共通の趣味であるマンガやアニメ、ゲームの類いが見当たらない。

 

「えっと、何か気になる?」

「いや、まあ初めて招待されたわけだし色々興味はあるって。でも普通に良い部屋だな」

 

 部屋チェックに没頭していると、天が心配そうな顔をしながら声をかけて来た。まあ部屋に入ってから黙って室内を見渡すのは部屋の主人としては気になるわな。

 だから、まずは安心させる。そして次に相手を褒めることで口を軽くしよう。この場合、部屋を褒めることが有効だろう。

 

「その、どの辺りが良いと思った?」

「なんというか、女の子らしいかわいい部屋だと思った」

「ほ、ほんとっ!?」

 

 天は先程まで不安そうだった顔を綻ばせ、その声を気色に滲ませながら返事をした。身体の前で両手を軽くきゅっと握るようなポーズが愛らしい。

 

「わざわざ嘘はつかないって」

「えへへ、そっかぁ……! 女の子らしい、かぁ……!」

 

 安心したのか息を吐いているが、この照れ笑いが反則的にかわいい。部屋もだけどお前もまさにかわいい女の子って感じだよ。このままずっと見ていたい気分である。

 だが、そうはならない。心苦しいがこれから俺はお前を少しずつ追い詰めなければならない。違和感の正体に繋がる何かを本人の口からも語ってもらおう。

 

「そういや部屋まで来たけど何しようか。ゲームとかどこ? やろうぜ」

「えっ!? げ、ゲームなら……弟の部屋だよ? ちょうど今貸してて……」

 

 ふむ、やはり焦りを見せたな。

 俺と天は性別が変わっても学校で仲が良いという認識をされている。しかしアニメやマンガ、ゲームが好きという共通の話題もなしに俺が女子と仲良くなるとは考え難い。

 つまり逆説的に考えれば男だろうが女だろうが俺と仲が良いのなら必然的に、天はゲームもマンガも俺と話せるぐらい好きだろう。そうでなければ大前提として俺と天の間に接点が生まれないのである。

 男の天は一緒にゲーセンへ寄れば毎回格ゲーの筐体へ行くぐらいにはゲームが好きだ。その拘りはTVだと反応速度が遅くなるということで、わざわざモニターを購入して使用しているぐらいだと聞く。

 そう、この部屋にあるのはモニターでなくTVだ。

 違和感の正体、それはマンガやゲームなど天の趣味に基づく痕跡が一切存在しないことだ。

 ゲームを弟に貸したから部屋にないのは嘘だとしても納得は出来る。その流れでモニターごと貸した、まででも百歩譲ってギリギリ分からなくもない。しかしモニターを貸した上でわざわざTVを替わりに置くのは疑問が生じる。

 これはつまり移動させたのではなく、初めから存在しなかったという風に俺は捉えた。

 そこから導き出されること。それは、ここは天の部屋ではなく別の誰かの部屋疑惑だ。そして、消去法で考えるならおそらく妹さんの部屋だろう。

 なるほど、一度そう思うと色んなことが芋づるのように繋がって見える。例えば本棚へかけられた布だ。これは中にある教科書が3年生で使うものでなく1年生のものが並んであるが故の目隠し。そう考えるとしっくりくる。

 しかし、この推理勝負の不利な点はモニター程度の知識の食い違いなど、天が惚ければそれだけで意味を為さなくなることだ。

 仮にマンガの話題を出しても同じ手法で躱される。マンガも最近は電子書籍に乗り換えて紙類のヤツを厳選したと聞いた。ポンと貸し出したと言っても無理のない量だろう。

 つまり、天の趣味由来でこの部屋にある筈のものを聞き出すのは全て悪魔の証明を使われて無効化されるわけだ。

 そしてここが自分の家でないため、あそこに何か隠してあるのでは? と疑惑があっても流れもなしに突然家探しすることなど出来ない。だから先程の教科書の推理も現時点では検める方法が存在しないのだ。

 だが、これはこれで好都合。ゲームやマンガを借りて読むなどやることがないなら流れは自然にトークへと変わる。何を話題にしても良いが折角だし、そちらが用意した隙を突かせてもらおう。

 

「ゲームが出来ないならしょうがない。ま、いっか」

「ごめんね」

「そう言えば気になったんだけどあそこにあるのって家族写真だよな」

「え? あっ……! そうだよ。おばあちゃんの家がある岐阜に行った時の写真」

 

 俺はチェストの上に飾ってある写真立てに注目する。その中には葉坂家が帰省先で撮ったであろう一枚が入っていた。天が小学校の高学年か中学1年生ぐらいの時期だろうか。いかんせん写真の中の天も女になっているため年齢が分かりにくい。

 父親の側で嬉しそうにしているちびっ子は天の弟だろう。母親の側にいる髪の短い女の子が天で、その隣で仲良く手を繋いでいる小さい女の子が妹さんか。お互い笑顔のようで話に聞いていた通り、この頃の兄妹仲は良いようだ。

 そしてこの頃の天は前髪が今のように長くなく、日焼けした肌といい雰囲気も元気溌剌といった感じだ。屈託のない眩しい笑顔を浮かべている。

 やんちゃっぽさから女の子らしさは薄くなっているが、顔立ちの良さが美人になるだろうという将来性を感じさせる。実際すぐ目の前に居る天はかわいいので進化は成功している。

 というか意外だな。当時流行ったものとかの思い出話はしても、天は自分の昔話はあまりしない。だから小中学生の頃なんて断片的にしか知らなかったけど、この日焼け褐色少女の性別を反対に置き換えたらバリバリのスポーツ少年って見た目をしている。

 今は帰宅部生活によって真っ白な肌に変わり見る影もないが、体育の授業でそこらの運動部より卒なくこなしてる辺り素の運動神経が良いのだろう。

 と、まあ話を戻そう。何故俺がここに目をつけたかというと新たな手札になり得そうな情報があるからだ。それは写真の中の天の服装にある。

 この半袖に短パンは完全に男物の服だ。仮に天が次男であった場合、兄からの服をお下がりで着ているというそれっぽい理由が出来る。しかしそうじゃない、天は長男だ。

 両親はわざわざ男物の服を買い与えるだろうか。あり得なくはないが確率はかなり低いだろう。もし、そうだとしたら小さい頃男の子だと思ってた子が再会したら女の子だったを娘がやるために狙ったとしか思えない。

 さて、写真に対しての天の反応だが狼狽えているように見える。あんな目のつく位置に写真を飾っていれば、それこそ話の種になるだろうに。自分から部屋へ誘ったにも関わらず、見られるのが嫌なら初めから片付けておいても良い筈だ

 俺からは存在自体に気づいてなかったが故の狼狽えにしか見えない。

 余計にこの部屋が妹さんの部屋疑惑を補強していく。いいぞ、もっとガバを出せ。

 と、不意にワイシャツの袖口を弱く引っ張られる。無造作にちゃぶ台の上に放り出していた右腕の方を弱々しく、天がちょいと指で摘んでいた。

 

「あんまり見るのは恥ずかしいかもっ、だってその頃の私、その……す、凄く……男の子っぽいし……」

 

 天はやや俯き加減で顔を赤くしながら、上目遣いで抗議してくる。少し縮こまりながら、どこか子犬を彷彿とさせるような健気さを演出している。

 ぐッ、こいつ自分の容姿の良さを自覚して仕掛けて来やがる。あざとさを熟知した上で狙い澄ました攻撃は厄介だ。一撃一撃の破壊力が高い上に急所へと確実に叩き込んできやがる。

 

「あー、すまん。お前の昔の写真とか物珍しくてさ。でも、話には聞いてたが妹さんと昔は本当に仲良かったんだな」

「うん、あの頃は私も運動とか色々頑張ってたから」

 

 天の策略に引っ掛かり、話の腰を折りそうになったがまだ逃さんぞ。あの写真から上手く妹さんとの話題へ繋げる。この妹さんとの関係さえ、はっきりすれば一気に牙城を崩すことが出来る。

 次弾は込めてある。いつでも「それは違うよ」という準備は出来ているのだから。

 

「それで、妹さんとはいつ仲直りしたんだ? この前も機嫌損ねたーって落ち込んでたのに、今日はそんな不仲なんて事実なかったみたいに2人で楽しそうにやり取りしてたじゃん?」

 

 矛盾点に切り込んでゆく。それに対して天は目を泳がせている。やはり、何か隠していることがあるのは明白。元から仲が良かったと惚けるにも先程、言質をとってある。確かに天は昔()仲が良かったことを肯定するような返事をした。

 つまり何か理由があって昨日今日で仲直りをしたことが明白となった。

 

「さっきの事故の時もあの子がサッと天を助けてたし、天もあの子のこと頼ってる感じあったし話と全然違う礼儀正しい良い子じゃん」

 

 さらにもう一発とばかりに追求内容に補足を加えたが……よし、天の視線は泳いだまま。この渋り方は核心を突いたに違いない。

 俺から見た妹さん像からどう返せばいいかあぐねているのだろう。

 素直に「外面だよ」なんて言えばどこで聞いてるか分からない妹さんの怒りを買うに違いないし、今必死こいて言い訳を考えてるのか?

 天の今の状況を例えるなら「四面楚歌」、「五里霧中」、「八方塞がり」と言ったところだろう

 あれ、これつまり実質詰みまで持っていった? つまり勝ちというわけか。よし、

 

 

 

 

(勝ったわ、風呂入ってくる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然だった。

 

 心の中で勝利を確信しながら天がどうするか待っていたら、天はお尻を浮かして隣へ移動して来る。何が起こるのか予測が付かず、かと言って反応して動くことも出来ず次の行動を待つしかなかった。すると右腕が暖かく、柔らかい感覚に包まれる。

 驚きに目を開きながら隣に視線を映すと、縋るような熱の籠もった双眸と目が逢う。そして、その細く折れそうな繊細な身体で俺の腕を抱きながら――――

 

 

 

「……海実とのことじゃなくて、もっと私だけのこと知って欲しいな」

 

 

 

 甘い声を鼓膜に染み渡らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……心臓が止まるかと思った

 

 コイツは昨日まで本当に男だったのか……?

 

 だとしたらとんでもない人を誑かす才能があるだろう

 

 いや、待て……やっぱり女だったのではなかろうか……?

 

 これはひょっとして異性としてアピールされてるのか……?

 

 だとしたら俺はどうすれば良いんだ

 

 いやいや……

 

 いやいやいやいやいやいやいやいやいや

 

(いや、待てッ!)

 

 だから待て、俺の心臓ッ! 鼓動が早くなってるのが体感で分かる。そして、口から心臓が漏れ出しそうだと錯覚させる程の鼓動とは反対に、身体は石のように固まって動けない。なんなんだ一体、どうしたんだ俺の身体。

 今まで体験したことのない状態に陥って頭が完璧に混乱している。

 俺は瞬きすら出来ず、ただずっと天を見つめることしか出来なかった。

 しかしそんな金縛りにかかっているのは俺だけだったのか、天は動かない俺から慌てたように離れる。

 

「や、やっぱりゲームしよっか!? そうしよ! うん、話してるだけじゃつまんないもんね! 大地のところから持ってくるから待っててねっ!!」

 

 そう早口で捲し立てると早足で部屋から出て行った。俺も金縛りから解かれてやっと身体が反応出来るようになった。そして、急いで振り返ったが、部屋から出る背中を見送ることしか出来なかった。

 完璧に負けた。俺が聞きたかったことを見事にはぐらかされてしまった。しかも理路整然とした言葉で言い負かされたのではなく、あんな雰囲気だけの行動に。

 大きな溜息が溢れる。

 

(TSっ娘だとしても、アレ狙ってやったなら元から(ワル)じゃなくて悪女(あくじょ)だよ……)

 

 天がゲーム機を抱えて持ってくるまで右腕に残った感触を忘れないよう、ずっと思い返すことしか出来なかった。



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7:02 PM

 

 

 固まった晴樹を置いて自室へゲームを取りに行く。ゲーム機の片付けは子どもの頃に習慣として身に付いているためお手の物。テキパキと進んでいく。

 しかし、友達と家でゲームをするなんて何年ぶりだろうか。

 なんやかんや上手く誘導されてゲームの存在を自らバラしたが、元々は隠し通すつもりだった。

 アイツ相手だとやってるうちに熱くなってボロが出そうなもの筆頭だからだ。これからやるにしてもハラハラである。

 だが晴樹とゲームをやる機会が巡って来るこの状況、実は嬉しかったりもする。

 ゲーセンに寄ればよく対戦をしていたが、やはり自分の家で寛ぎながら他人の目を気にせずというのは格別な楽しさがある。俺は晴樹の目を気にしなければいけないが……

 そんな色んな気持ちが混ざって俺の胸中は大変複雑になっていた。

 それにしても、と支度の最中ふと自分がやった先程の行動を思い出す。

 

『……海実とのことじゃなくて、もっと私だけのこと知って欲しいな』

 

 晴樹の腕に抱きつきながらの一言。自分なりに媚を売るような甘ったるい演技を意識してやってみたが、目論見は見事に成功。

 いや、成功どころか想像以上で、やられた晴樹はものの見事に硬直して動かなくなった。

 アイツの方が勉強も出来れば地頭も良い。だからゲームでの読み合いや駆け引き、単純な口喧嘩になればいつも俺が言いくるめられて負けている。

 たまに一矢報いることはあった。しかし自分が著しく消耗した上で晴樹は若干の余裕を残しているように見える、いわゆる勝ちを譲られる形のものばかりだった。そんなもの実質敗北したことに変わりない。

 だからだろう。アイツのあんな顔は初めて見た時、得も知れぬ感覚を味わった。

 あの時の晴樹の顔、まさに度肝を抜いたとしか言い表せないものだ。見開いた目は瞳孔が開いていたし、ポカンと開いた口はそのまま塞がらないまま。何より顔が見たことないぐらい真っ赤になっていたのが新鮮である。

 こっちもビックリして少し早足で部屋を抜け出したほどだ。

 

(やばいな……)

 

 だから俺は現在、ほんのちょっぴりの高揚感に包まれている。今まで色んなことで負け越していた相手をここまで簡単に負かすことが出来たことに。

 そんな気持ちの悪い優越感のせいで、顔のニヤつきが抑えきれず僅かに漏れてしまう。口角がやや吊り上がる。

 貰ったチート能力で無双するのはこんな気持ちに近いのだろうか。

 

(ホントやべぇわ)

 

 危ない思考から抜け出すべく頭を振る。これ以上はいけない。

 俺の目的はあくまで自分のTSっ娘疑惑を晴らすことだ。流石に最後のあれはやり過ぎな気がしてならない。今後自分からみだりに触れるは止めるべきだろう。そのことを努努忘れず行動しなくては。

 しかし、そうは分かっていても晴樹を制したあの感覚

 

 

 

 ……なんか癖になりそうかも

 

 

 

 

 

 部屋の外からかわいい鼻唄が聴こえてくる。その歌は徐々に近づいて来ると、ついに扉を隔てた向こう側から聴こえる。

 まさにご機嫌と言った感じか。

 

 ガチャリ

 

 ドアの開く音。天は細い身体でゲーム機を抱えながら、塞がった手が使えず肘でやりにくそうにドアノブを回していた。

 

「お待たせー!」

 

 こっちの気持ちを知ってか知らずか、和やかな笑顔を浮かべている。

 戻って来るのにどのくらいかかったかは余裕がなかったため分からない。しかし短くはない時間で俺の心と身体は共に平静状態へ戻っていた。

 ふと、抱えて持ってくる途中に手から溢れたのか、コードが一本床に向かって垂れ下がっていることに気付く。固い端子部分を踏めば足の裏が痛いのは勿論、壊れる原因になったり、つんのめって転んでも危ないので早々に拾い上げた。

 

「あっ、ありがと」

「ん、別にいいよ」

 

(げっ……)

 

 近づいたことで別のことにも気付く。コイツが分かっててやってるのか判断つかないが、天はゲーム機の上に自分の胸を乗せていた。

 ゆったりとしたカーディガンだったため視覚的に分かりにくかったが、小さくはない並サイズの胸が主張している。視線を逸らす意味も兼ねて、その顔を伺ってみると視線が合う。

 

「どうしたの?」

「っいや、何でもない」

 

 至近距離で目と目があったことが先程の出来事と重なってしまう。さらに腕に当たった胸の柔らかさまで思い出し、そのせいで返答が若干早口になる。グっ、悪女め……

 一見何も分かっていないような声音だったが、天の意図は分からないままだ。

 俺が悩んでいると、開いていた部屋の扉が突然閉まったことでその思考が途切れる。天は両手が塞がっているし、俺は触れてない。

 原因を探るべく扉を観察すると理由はすぐに分かった。単純に天が足で閉めただけだった。特段気にするようなことではなかった、と胸のことへ考えを戻そうとした。しかし、何か引っかかりを覚える。

 天が扉をただ足で閉めただけなのだが……いや、そうか。キャラがそぐわない、どちらかと言うと男の天っぽいんだ。机から落ちて遠くに転がったペンやら消しゴムを足で近くまで引き寄せたりコイツ足癖悪かったからな。

 そのことを踏まえて改めて天の様子を伺う。

 

「えっと、重いしゲームのセッティングもしたいんだけど……」

「ああ悪い」

 

 通り道を開けるためさっと横に避けると、天はTVの前にゲーム機を置き準備を始めた。

 天はさっき俺が動かないことに困惑はしてても別段自分のやったことに関して気にした様子はなかった。ゲーム機で胸を意識した時と反応が変わらない。つまり……

 

(天然かコイツ)

 

 神はとんでもない小悪魔をこの世に生んでしまったようだ。

 さて、全部やらせるわけにはいかないし早く準備を手伝うか。天がHDMIコードを挿してるから俺はコンセントの方をやろう。

 コンセントがどこにあるか部屋の中を見渡す。初めて入る部屋だったが物が片付けられているため、どこにあるのか案外簡単に見つけた。

 その中から近いところへ配線すべくコードに手を伸ばす。すると天と手同士ぶつかる。

 

「あ、悪い」

 

 俺は特段気にすることもなく素直に謝るのだが、天の様子がおかしかった。俺の手に触れたことに気付くと慌てたようにさっと手を引いたのだ。

 人の腕抱きしめた悪女が何を今さらと思った。だが、ある一つの考えが浮かび上がる。もしかして、案外コイツも照れているのではないか?

 やられた俺は勿論かなりビックリしたし照れてしまった自覚もある。だが、それはやった本人である天の胸中にもかなりの影響を与えているという考察だ。

 実はかなり大胆な行動だと分かった上で内心恥ずかしがりながら勇気を出して……みたいな。なんだそのいじらしさは。

 ……いや待て、男が男の腕にくっ付くのにそんなかわいい理由の勇気があるだろうか。

 確かに恥ずかしくはある、というか一部の例を除いて恥ずかしいの前に気持ち悪さを感じる筈だ。そういう意味での覚悟はあるだろう。

 しかし、俺が先に想像したのは明らかに女の子の思考パターンではなかったか?

 やはり、先程の出来事からTSっ娘センサーが鈍り始めている。

 天のことを女として意識し始めてしまっている。クソッ、明らかな(なまくら)じゃあないか。そんなんじゃダメだろ……ッ

 早急に研ぎ直さねばならないと心に決めた。

 それとは別でとりあえずコンセントは俺が挿した。

 

「準備終わったよ」

「何すんの?」

「えへへ、ワクアク」

「楽しそうだな」

「だって家で一緒にゲームやるの初めてだもん」

 

 美少女のだもん、はかわいい。これは一般教養なのだが知識と実体験では得る感覚がまるで違う。そのゲームのパッケージを両手で持ち、顔の下半分隠す仕草と相まって破壊力抜群だ。

 しかし魔法使いの聖櫃(ワーロックアーク)の格ゲーの方持ってくる辺りセンスは全然かわいくないな。その清楚な見た目からは考えられないがっつりゲーマーって感じのチョイスだ。最近流行のゲーマー且つお嬢様的なギャップ狙いか? いや、単純に天自身の趣味だろうな。

 TSっ娘センサー的にはややグレー。若干男臭いセンスではあるがこのご時世、女性ゲーマーも珍しくない。疑う証拠としては弱い。

 と、ここでワクアクの名前を目にしたことであることを思い出す。

 

「そういえば、天ってメリッサのコスプレイヤーの画像スマホに持ってるけどなんで?」

 

 そう、コイツはちょっと露出の高い美人コスプレイヤーの画像を拾ってはスマホに保存していることを俺は知っている。そしてワクアクの中でメリッサは1番露出の高いデザインだったりする辺りコイツのむっつり加減が窺える。

 そして共感を求めるためか、たまにラインに貼っては聞いてくるのだ。「この人めっちゃいいね」と。

 エロいとかシコいとか直接的な表現は使ってなかったがラインの中に会話履歴が残っている。これを言及するのは良い手だろう。

 

「えーっと、その、良いなぁって思って……」

「何が?」

 

 会話履歴に関しては勘付いたのだろう。惚けることはしなかった。しかし、別の箇所で事故が起こったぞ。良いっていったい何のことを指すんだ?詳しく聞かせてもらおう。

 

「良いって言うのは、その……憧れちゃうなーって……じょっ、女性目線だとこういうの1度は自分も着てみたいかもって思うの!」

 

 ちょっとヤケクソ気味にだが、まあ納得できなくもない理屈を並べて来た。しかし、これは良い言質になるな。何かの時に使おう。

 

「そ、そんなことより早くやろうよっ! 1Pはわたしだから」

「わかったよ」

 

 互いにコントローラーを握る。俺はゲームパッド派だから良いが天は本来アーケードコントローラー派だったはず。負け越してる立場で舐めプか?

 ならば良いだろう。先程のやり取りで最初から手加減はなしと決めた。TSっ娘わからせってやつを実践してやろうではないか。

 それとは別に女の子座りで肘を広げず両手で持ったコントローラーを太ももの上にちょこんと置いてる画は大変かわいい。写真に残したい。

 

 ーーーーだからと言って手加減はしないが!

 

ー2P WIN!ー

 

 モニターには俺の勝利を表す文字が表示されている。さらに言えば俺の体力バーは満タンで見事に完封してしまった。

 というか天の操作するキャラの挙動が明らかにおかしかった。反応が遅ければ、やりたかったと予想されるコマンド攻撃とは違うコマンド攻撃に化けたりして散々だった。

 画面端同士にも関わらず近距離コマンド攻撃を繰り出した時は煽りかと思った。

 俺の予想だが身体と共に手も若干小さくなっているからだろう。実際に触れたから分かるが、指は細くなっていたし手自体も小さく、そして柔らかくなっていた。そのせいでいつもの感覚での操作が上手くいかなかったと考える。

 

「あはは、晴樹強いね……知らないうちに買って練習してた……?」

 

 天はそう言いながら苦笑いを浮かべている。その見た感じの反応からショックを受けているように見える。しかしそうじゃない。

 天と付き合いの長い人間なら分かるが、ストレス系で大きな精神的負荷がかかると前髪を弄り出す癖がある。

 まさに今、前髪を弄っており見た感じ以上のショックを受けているようだ。因みに最上級のイライラの場合だと前髪を掴むのがそうらしい。

 

「……少し待ってて。下から飲み物取ってくるから」

 

 どうやらこんな生き恥を晒した上で続行するらしい。しかも飲み物まで持ってきて長期戦を望むか。良いだろう、ならばその自尊心を完膚なきまでボコボコにしてやる。

 

ー2P WIN!ー

 

ー2P WIN!ー

 

ー2P WIN!ー

 

ー2P WIN!ー

 

ー2P WIN!ー

 

 流石に連続完全試合とはいかなかったが、俺が受けた手傷と言えばガードした時の削りダメージぐらい。つまり実質攻撃らしい攻撃は受けていない。

 天の様子を伺えば想像通り悔しさに顔を顰めていた。

 流石にかわいそうかな、次の試合は多少手を抜こうかなどと考えていると

 

「ちょっと暑くなって来たね……」

 

 そう言って、天はいきなりカーディガンを脱ぎ始めた。

 突然のことで反応が出来なかった。天がボタンを一つ一つ外していく様子を俺は黙って凝視してしまう。

 天がボタンを下まで外しきり、カーディガンの前を開く。その瞬間、溜まっていた熱気が解放され広がってゆくのを幻視した。さらに熱気と混じり、女性の持つ色気のようなものまで広がるのを錯覚させる。

 続いて目に入ったのは生の肩だ。なんとカーディガンの下に着ていた服はノースリーブだった。その大胆な装いに驚く。

 清潔感を感じられる白のブラウスだが、ハイウエストのスカートとの組み合わせによってカーディガンを上に着ていた時より胸の形が分かりやすくなっている。

 そして肌の露出面積が増えたことも相まって、かなり欲情を煽る格好へと変わってしまった。

 やばい、また自分の顔が赤くなっている気がする。

 画面に表示された俺の操作するキャラの体力ゲージはほぼ満タンに近い。しかし、頭の中に表示された俺自身の理性ゲージの方は今の一撃だけでかなり削られた。

 

「ふう、次やろ?」

 

 俺の胸中とは裏腹に天はまったく気にした様子がない。おそらく俺を負かすことで頭の中がいっぱいなのだろう。いったい自分がどんなことをやらかしたのか欠片も気付いてない。

 しかし俺は自分を誤魔化すためにツッコミを入れず、すぐさま再戦を選択する。

 

ー2P WIN!ー

 

ー2P WIN!ー

 

ー2P WIN!ー

 

ー2P WIN!ー

 

ー2P WIN!ー

 

 流石に自身も冷静さを欠いていたため、逃すラウンドがあった。それでも結果を見ればこちらの全勝。残念ながら今の天では相手にならない。いくら戦っても負ける気がしなかった。

 

「もう一回」

 

 天はそう一言だけ残すと、コントローラーを持ち直した。指先が赤くなっていることから握る力が篭っているのが分かる。

 目はもう画面しか見ていないし、1P側は既に再戦を選択していた。

 これはダメだ、止まらなければ仮に手加減して負けても逆効果だろう。諦めて俺も再戦を選択する。

 

ー2P WIN!ー

 

ー2P WIN!ー

 

ー2P WIN!ー

 

ー2P WIN!ー

 

ー2P WIN!ー

 

「もう一回」

「ちょっとだけ休憩しようぜ」

 

 1Pは既に再戦を選択していた。

 俺はゲームに意識が逸れたこと、さらには連戦のおかげで理性ゲージの減少は止まっている。しかし減少が止まっているだけで回復はしていない。そのため少しだけ休憩を挟みたかった。

 

「も゛っ゛かい゛!!」

 

 中々再戦を選択しない俺に痺れを切らしたのか、天はそう叫んできた。

 顔は画面から外れてこちらを向いている。口は固く結ばれ、その目には涙を溜めていた。

 少し感情的過ぎではないだろうか。格ゲーで連敗しても流石にここまで大きく取り乱したことなどなかった筈だ。というか色々と綻びが出始めているが、これは早速使うチャンスが巡ってきたか?

 

「分かったよ、けど疲れたから残り5先な?」

「う゛ん゛」

「お前のペースに合わせた上でやるんだから、お前が負けたら当然罰ゲームな?」

「う゛ん゛!」

「負けたらメリッサのコスプレな?」

「う゛ん゛!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ……?」



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7:58 PM

 

ー2P WIN!ー

 

 天が動揺している間に最初の試合を制する。ただでさえ下手になっているのに、そこへ動揺デバフまでかかっているのだ。とても経験者を名乗れない、醜態とも言えるプレイングを披露していた。

 これでは初心者の暴れの方が怖いくらいだ。

 しかもプレイ中に攻撃の割り込みを受けたり、致命的な一撃を喰らえば「あわっ」とか「ぐぅ」などの断末魔が漏れてた。天は元々感情が口に出やすいタイプ。つまり、かなり素に近づいていることが窺える。

 

「よーし、次行っか」

「ちょっ、ちょっと待って!」

 

 2Pは再戦を選択してあるのだが、天が待ったをかけてくる。しかし待つつもりはない。視線は画面だけを見つめ、ただただ無心に再戦を選択のところで決定とキャンセルを繰り返すのみ。

 ちょっとファンタジーなサウンドエフェクト2種が交互に、しかも高速で鳴り響く。俺の横では天が懸命に訴えかけて来るが、聞こえないフリを貫いた。

 しばらくするとそんな俺の様子に観念したのか天は黙り込む。そして、おもむろに立ち上がると「すぐ戻る」と、だけ残して部屋を出ていった。

 流石にやりすぎたかと、反省をしーーーー

 

「おまたせ」

「早いな!?」

 

 いつの間にか戻った天がドアの前で佇んでいた。若干肩で息をしている辺り急いで動いたのだろう。

 天は怒って部屋を出て行ったものだと想像したのだが、どうやら違ったらしい。

 いや、確かに怒らせているのは間違いないのだが、拗ねて退室しただけではなかったようだ。その手に抱えているものを見て考えを改める。

 

「……やっと本気を出すようだな」

 

 そう、天はついにアケコンを引っ張り出してきたのだ。つまり、これからが本領発揮だと言いたいらしい。そして先程と同じように俺の隣へ並ぶ形で座った。

 

「次は絶対負けない」

 

 天はこの強気な発言をフラグで終わらせず、続いての試合を制する。ラウンドでなく試合そのものを俺が落としたのは今日初めてだ。

 その顔を見ればどうだ、と言わんばかりの不敵な笑みを浮かべている。しかし、続く試合を俺がストレートで取ったことで、そんな表情はあっという間に消え去った。確かに動きは良くなったが、それでもまだ足りない。

 1-2で俺のリードは以前揺るがず。

 

「楽しみだなー、えっぐいスリット」

 

 確実な勝利を手に入れるため、試合の間でも追撃の手を休めない。言葉でもさらに天を追い詰める。メリッサと言えばかなり際どいスリットと背中が大胆に開いた衣装だ。

 ベースが魔女キャラなので、暗い色を基調にチャイナ服のエッチなところを組み合わせたデザインとなる。

 結構有名なため、コスプレ専門店のネット通販辺りで入手は可能な筈。必要になったら当然俺持ちで買おう。

 そんなドスケベ魔女、当然みんな好きに決まってる。しかし対戦で使用するには操作に癖がある玄人向けキャラのため遊び以外では気軽に使えない。

 さて、挑発を入れてみたが天の様子はどうだろうか。横目で確認すると、潤んだ瞳と視線が合う。一瞬ドキッとするが、先に食らった程の強いパンチはない。意識して目線を逸らすなど露骨なリアクションを出すことなく済んだ。

 

「なんだよ?」

「やっぱりさっきの約束、取り消しちゃダメかな……?」

「約束は約束だからな」

 

 そんな不安そうな庇護欲を誘う表情で言っても無駄だ。

 

「……だめ?」

「ダメー」

 

 甘えるような声出しても効かねえ。

 

 いや嘘ついた、効いてるわ。がっつり重症だよ。よく今、軽口を叩くテンションで返せたな。勲章物だぞ、俺。

 会って最初に抱いたのは清楚なイメージだった。その後も言葉遣いに料理の出来るところから家庭的で大人しく、絵に描いたお淑やかな女の子という像が出来ていた。

 そして、部屋に誘ったりボディタッチをしたり、挙句に自ら肌を見せてくる男を殺すような魔性具合。この時点で一つの属性として既に完成している。

 にも関わらず、さらに甘えん坊な面を出すのはギャップで殺しにかかってきているとしか言いようがない。

 というかTSっ娘の親友に逢えると思ってた俺からしたら初手10割のギャップ攻撃を受けているようなものだった。

 

「けち……」

 

 くっ、……ッ、からのこれだ……! 唇を尖らせてぷいっと視線を逸らす。さっきの口調が崩れた時からだが、この子供っぽさのギャップまで見せてくるのはあまりに卑怯。

 いや、口調が崩れているのは素に近づいている証拠だから一周回った属性でぶん殴られてるのか?

 というか、今の「けち……」を俺は堪えきれたか? まさか、顔に出てはなかっただろうか。ヤベェ自分の状態が分からねえ。

 息つく間のないかわいさの連撃に心が保たない。精神的動揺による操作ミスを起こす前に早く勝負をつけなければ。

 再戦を選択する。もっと余裕のあるところを見せよう。我慢しろ。

 

 

 

 

ー2P WIN!ー

 

 ヤバいヤバいヤバい……! 現在進行形で窮地に立たされている。アケコンへ変えたにも関わらず戦果に大きな変化は起こらず、先程の勢いで返事をしてしまった口約束はクーリングオフが使えず。

 そして、苦し紛れにぶち込んだ甘えた声のお願いに拗ねた口調は反応を見るに焼け石に水。晴樹からの動揺は見られなかった。

 このままでは負けてしまう。負ければメリッサのコスプレをすることになるわけで、幾らメス堕ちを回避出来たとしてもメリッサのコスプレをしたらダメだろ。

 学祭のネタで選ばれる女装の衣装とはレベルが違い、着ればネタの範疇に収まらない。

 成人指定がないとはいえ、女の性を意識したドスケベ衣装は男としての尊厳を失ってしまう。

 現在1-3で負け越している。この試合を落とせば後がなくなる。絶対に取らなければ。

 

「突然ですが、メリッサのスリット大好き高校の校歌を歌います」

 

 俺の気を知らず……いや、知ってて敢えてやってるな。

 晴樹はいきなりこちらを煽るように突然トチ狂ったかのような歌を歌い出した。先程からの態度や返事といい、完全に手玉に取られてる。

 がああああ!!!! この『ギリギリのライン〜♪』余裕がすっ『剥き出しの太もも〜♪』げームカつくぅぅ『我らの〜横から覗く尻〜♪』ぅッ!!

 

 ……落ち着け、冷静になれ俺。

 まだ勝敗は喫していないのだから、諦めるにはまだ早い。だが、このままでは敗北は必至。何か晴樹の隙を作るような、不意を突く策が必要だ。

 幸い、現状俺の体力は残り4割で晴樹の体力は1割。このまま行けば、このラウンドは取れそうである。

 ーーーーって

 

「あっ……」

 

 うっわ、そんなこと考えてたら割り込み食らった。このまま壁際まで運ばれて4割削られるパターンだ。いーや、これは痛いぞ……

 晴樹は淡々とコンボを続けていく。当然落とす気配はない。あー、このラウンド落としたかなぁ……

 そしてここで浮かしてから目押しで超必を決めてーーーー

 

「あんっ、やめっ……!」

 

 ……えっ!?

 

 お、落とした!? いや、動揺するな。このチャンスを拾え。

 超必を外して隙だらけの晴樹のキャラに攻撃を入れて体力を削り切る。

 

ーK.Oー

 

 よしっ、なんか知らんが晴樹のミスのおかげでラウンド取ったぞ! 儲けだ儲け。余裕ぶっこいて歌なんか歌ってるからだ、ざまーみろ。

 余裕の煽り入れた上での敗北なんて恥ずかしいことこの上ない。そんな阿呆の面を見物するために隣を見やる。すると、ガッツリ目があって驚いてしまう。

 しかも想像と違って何かこちらを探るような、訝しげな目線を送っていた。いや、そんな目で見られても不正は何もやってないからな。

 なんというかもっと恥ずかしがったり、悔しがってる顔を想像していたんだが。煽り返してやろうと思ったのに、そんな気分ではなくなってしまう。

 まあ良い、この勢いのまま次のラウンドも勝ってこの試合を取るぞ。

 しかし、そう思い通りにはいかず、第二ラウンドは晴樹に取られる。今回は先程のように煽りを入れたりふざけた態度は見せなかった。

 それにも関わらず、第1ラウンドと似た不自然なコンボミスがあった。その影響でギリギリの良い勝負になる。

 別にこの難易度のコンボは今日だけで何回も決めていた。それでも今回、2ラウンド立て続けにミスをした。

 既に俺は、もしかしたら……と当たりをつけていることが一つある。しかし、それが本当に原因なのか些か信じられずにいる。

 それは何故か、その理由はあまりにもバカバカしいからだ。しかし、今はそれしか光明がないのも事実。そんな頼りのない蜘蛛の糸だろうと縋り付くしかないのだ。

 そして、始まる最終ラウンド。勝負は互いにダメージを与えている良い展開になっていた。

 くっ、晴樹のガードが堅い。ここは上手くめくりでガードを破る。ジャンプしてっーーーー

 うわ、今のに反応して昇竜挟まれた!? いや、完璧に読まれてたのか……? そういう、人読みとかマジでやめて貰っていいっすか。

 って、そこからコンボに入るルートあんの!?

 マズいって、このままゲージ全部吐かれたらそのままK.Oもあり得る。

 だが、浮かし攻撃が入った。ということは……

 ここだ!

 

「んっ、やんっ……!」

 

 スカッ

 

 ホントに落としたぞ!?

 よしイケる、このチャンスを生かせ! 俺は無防備の晴樹のキャラに攻撃を当て、コンボを決める。そして〆に超必殺技までしっかり当てることに成功。勝ち確の処刑用BGMが流れている。

 

ー1P WIN!ー

 

「よし!」

 

 まさかの逆転勝利に喜びが隠せない。2-3でまだ負けてはいるが、これは大きな価値を持った勝利だ。単純に勝ちを稼げたのもそうだが、晴樹のコンボミスの理由が判明したことが何よりデカい。

 そう、晴樹のコンボミスの理由。それはーーーー

 

 自分でも無意識にちょっとエッチな声を出してたことだ。

 

 そんな、まさかとは思った。しかし、その声が出てしまったタイミングで攻撃を外しているのだからそう考えるしかない。

 そしてさっきは気付かなかったが、改めて晴樹を観察すると耳が赤くなっている。出来事を裏付ける証拠にはなるだろう。

 しかし、驚いたりリアクションするたびに声が出る方だと自覚はあったが、まさか絶体絶命のピンチで喘いでしまうとは。

 男に戻ったら気をつけよう……

 その後、出来た流れと作戦によって立て続けに試合を取る。一度は4-3で晴樹相手にリードもしたが、次第にスケベボイスにも耐性が出来たのか対応されてしまい4-4のイーブンになる。

 最終戦、晴樹に1ラウンド目を取られたがかなりの接戦だった。此方もこの身体での格ゲーに慣れてきて、今までの中で1番動けているという自覚がある。

 もう小細工は通用しない。それは先程の試合の中で確認済みだし、頼る必要もない。後はただ純粋なプレイスキルで勝つのみッ!

 極限の集中状態が続く。その時、そんな集中状態が晴樹の次の行動を予測し、未来を視るという奇跡を生む。

 まさに1ドット、1F単位を読み切ったように感じる程、完璧な差し込みを決めて第2ラウンドの勝利を掴み取る。

 

 晴樹が油断していたわけでもなく、

 

 ましてや俺が姑息な盤外戦術に頼ったわけでもなく、

 

 正面から正々堂々と打ち破ったのだ。

 

 歓喜、熱狂、そんな気分に心を、そして身体が突き動かされる。

 

 俺は勢いよく両の握り拳を天へと突き上げた。

 

「やったあああああ!!!」

 

 パチンッ

 

 

 

 

 

 

 

 ……ん?

 ??? 今のは何の音だ。唐突に耳に届いた音に疑問を持つ。そして続いた疑問が、胸を支える力が減ったこと。その二つの出来事により、勝利によって昂った感情から一瞬で冷静さを取り戻す。

 いや、まさかと首を振る。こんなことあり得るのだろうか、と。しかし、自分の身体は正しく感覚を伝えてくれる。

 

 後に海実から聞かされたことだが、ブラのホックが上だけ外側に曲がって居たらしい。おそらくだが、つけた時点でホックを片方しか止めてなかった。そのせいで負荷がかかり、簡単に外れてしまったのだろうという考察だった。

 よく考えれば俺は初めてブラを付けるし、海実も時間がなくて気付かなかったのだろう。

 

(胸とブラの間に空間が出来てる? というかブラが壊れ、た……?)

 

 かぁぁぁ、と顔に熱が昇ってくる。ヤバい、なんだこの感覚。

 今まで付けていても全然意識してなかったし、付けるときも割り切って我慢すれば無視できた。

 だというのに外れているという特殊な状態のせいで、嫌でもブラに対しての意識が大きくなってしまう。そのせいで男の自分がブラジャーをつけているという事実に羞恥心をはっきりと刺激されてしまった。

 

(なんだよ、今まで何ともなかったのに……ッ、今更になって恥ずかしくなってくんなよッ!!)

 

 ふと、晴樹へと視線を移せば気まずそうな表情で顔を赤くしながら自分のことを見つめていた。ガッツポーズのまま固まっていた身体は、その様子から思わず守るように胸を腕で隠した。

 

(気付いた!?!? 気付いてない!?!? どっちだ??? やめろ、そんな変態を見るような目で俺を見るなっ!!!)

 

 客観的に見れば見た目は女性だからブラをつけていても変態でなければおかしくもない。しかし、冷静でない今は主観でしかものを考えられなかった。

 羞恥で身体は熱を帯びて意識はより胸へと、そしてさらに敏感な箇所へと集中してしまう。感覚器としての機能をより発揮出来るよう血が充ちていく。

 その未知の感覚のせいで思考がごちゃごちゃになっていたのだが、待ってはくれない存在があった。

 

ーFIGHT!ー

 

 それはゲームだった。

 晴樹は開始のコールに気付くと急いで画面へと顔を向ける。

 俺もその様子にハッとなるが手はコントローラーではなく、胸を抑えていたためまったく準備が出来ていなかった。慌ててコントローラーへと手を伸ばし応戦し始めるが、既に何発か食らった後だ。

 しかし、時間の経過は少ないため挽回は出来なくもない。そう思っていたのだが、ここで思いもよらぬ邪魔者が入る。

 

「っ、んぁ……ッ♡」

 

 自分の中から生まれた甘い声に驚く。演技とはまるで違う嬌声。

 別に今の局面で声を出す必要性はなかった。というか、効果がないことは既知のため行動自体に意味がないことが分かっている。

 だから使うつもりなんて更々なかったのだが、勝手に出てしまった。

 大事な試合だと分かっているのに思わずコントローラーから手を放し、これ以上声が漏れ出ないように自ら口を塞いだ。

 

(なんだ今の声なんだ今の感覚なんだ今の感覚なんだ今の声なんだなんだ今の感覚??!!?!?!!?)

 

 先っぽにある突起が擦れただけ。男の頃なら気にも留めなかった、たったのそれだけで電気のような刺激が脳にある未知の領域に奔った。

 ただでさえ熱かった全身が知らない感覚と羞恥によってさらに熱を上げる。

 

「……天」

 

 晴樹の呼ぶ声が聞こえる。しかし、とてもじゃないがそちらに意識を向けれそうな状態でなかった。自分でもどんな顔をしているか分からないような顔を親友に向ける勇気がなかった。

 すると、突然自分の剥き出しの両肩に触れる感覚が走る。反射的にビクッと跳ねてしまうがそのまま掴まれて身体の向きを変えられる。

 

「あっ……」

 

 そのせいで強制的に晴樹と向き合う形になる。恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆いたくなる。しかし俺の手は晴樹に握られてしまい、自由を奪われてしまう。そのせいで隠すことが出来なくなった。

 その真っ直ぐに見つめる瞳から逃げるように顔を背けた。

 

「俺はお前が隠していることに関してほぼ確信を得ている。でも証拠がない。だから天、(おれ)(わたし)どっちなのかお前自身で選んでくれ。天の言葉だけが本当になるんだから」

 

 突然の言葉に心臓がドキリとする。核心を突いた言葉にこの声音、コイツが今本気だということが伝わってきた。俺の返答次第でこれからの俺たちの関係が決まるだろう。

 でも、それじゃあ余計に顔を向けられなくなる。

 今の自分は半端な答えしか返せないという不安しかないからだ。正解が分からない。だから晴樹の本気に答えを返せずにいた。

 

ーTIME UPー

 

 放置されたゲームがその存在を誇示するかのようにコールする。時間切れ。今の答えを出さずに待たせている自分にとっては皮肉が効いている言葉だ。

 そんな風に自嘲していると握っていた晴樹の手が動き出す。指を絡めてまるで恋人のような形に握り直した。ビックリして頭の中が沸騰したみたいに熱くなり余計に滅茶苦茶になる。

 その中でふと、今日の玄関での出来事を思い出す。

 そう、晴樹の手を自ら握りに行ったあの時。自分は何を思ったのかを。

 

 『男の友達同士で意識して手と手が触れる機会は女子と比較して極端に少ない。』

 『手と手で仲良くというのは何か一線を超えた気持ち悪さや恥ずかしさを感じるものなのだ。』

 

 晴樹に手を握られていて俺は今、無性に恥ずかしい。

 でも、気持ち悪いという気持ちが全く湧いてこないのはどうしてだろう。

 晴樹はどんな思いで、この手を握ってくれているのか。

 知ろうとする度に胸の動悸がさらに速くなるのは何故だろう。

 知らない感情と知らない感覚の波に弄ばれて、そのままで居るのは苦しくて、もう何も考えられなくなって、だから本能に従って答えるしかなくなっていた。

 

「その、お……、は……」

 

 

ー2P WIN!ー

 

 ゲームがまた何か言っていたが、恥ずかしさで頭に入ってこなかった。



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8:20 PM ※イラストあります

「その、お……、私は……」

 

 俺、という言葉は飲み込んだ。当然、晴樹を欺く演技のためなんかじゃない。もう男同士だとか、友情だとか、モラルだとか、そういう本能を押さえ込むための理由を放棄するためだった。

 だって、もう身体が我慢できないって訴えかけて来るから。あのピリッとした感覚が、晴樹が(わたし)の中の、知らない何かに着火したんだ。

 暑い、熱い……。身体の奥底が、お腹の下辺りが切なくて……っ

 自分の中から生まれたばかりで、ふらふらと頼りなく揺れている感情。覚束ない足取りで分岐先までは自分で選んだけど、一歩踏み出したその先は暗闇でどうしたら良いのか分からない。

 だから、心許ない(わたし)は縋るように晴樹を見つめることしか出来なかった。

 

「天、良いんだな?」

 

 普段から聞き慣れた声の筈なのに、別物のように感じられる。その言葉に込められた意味を知らないけど(待ち望んでいたから)、頷いてしまった。

 

「あっ……」

 

 自分の手を握ってくれていた大きな手が離れてしまったせいで小さな声が漏れてしまう。

 しかし、そんな名残惜しさはすぐになくなる。今度はその大きな身体で、自分とは違う太い腕で、(わたし)の細く折れそうな身体をそっと包んでくれた。

 

(温かい……)

 

 感じる体温が安心感を生んでいた。この腕はたとえ自分が力を込めたとして、ビクリともしないだろう。それぐらいの力の差が生まれてしまったが、今はそれが頼りになると想ってしまう。

 でも、伝わってくる心臓の鼓動が、相手も緊張しているということを教えてくれた。自分だけが一方的に緊張しているのではないという事実は、2人が対等であるように感じさせてくれた。

 その気持ちを伝えたくて、求めるように晴樹の首へ腕を回す。

 そして、確かめ合うようにしばらくの間、二人で抱きしめ合っていた。

 

「んっ……」

 

 また訪れる名残惜しさは、くっついていた身体が離れたから。

 でも、その顔を見ればまだ終わらないことが分かる。それが嬉しくて、恥ずかしくて。

 (わたし)はその眼を見つめ返すことで想いを返した。

 ゆっくりと近づいてくる顔。当然、受け入れるように目を瞑る。いつ来るか、待つ時間はまるで永遠のように長く感じる。今まで感じたこともない緊張に胸が張り裂けそうで、そしてーーーー

 

 コンコン

 

 2人だけの世界は突如として終わりを迎える。

 

「姉ちゃん、居る……?」

 

 部屋のドアをノックする音に続いたのは弟の声。やや疲れ気味の声は疑問だが、それよりも何故突然、しかもこのタイミングで? 

 様々な疑問が浮かび、それまでの浮かれたような気持ちはスッと引いてしまった。そして、そんな世界の幕引きによって夢から覚めた俺は現実へと引き戻される。閉じていた目を開けてしまう。

 息がかかる程近づいた晴樹の顔。冷静になって見るには、その光景はあまりにも刺激的で

 

「うわああああああああああああ!!!!!!!」

 

 大声を上げて晴樹を突き飛ばしてしまった。

 ガタン、と物にぶつかる音が聞こえたがそれよりも心配なのは、この光景を見られること。身体を翻して急いでドアへと近づく。

 

(何やってんだ俺!?!? 今流れでキスまでやろうとしてたよな!?!? ウッソだろお前???)

 

 先程の光景を思い出す。繕わない感情のまま発した「私」という一人称。愛し合う男女のようにした、晴樹との情熱的な抱擁。そして、未遂に終わったがキス。

 考えるだけで顔から火が出るほどの羞恥を感じてしまう。

 しかし、今はそんなことより大地のことだ。この場を見られるのは色々と面倒くさいしマズい。

 

「どっ、どうしたの大地っ!?)

 

 咄嗟に返事をしたが、動揺のあまり声が裏返ってしまう。怪しさを生んでしまったがしかし、先程の絶叫&物音を考えれば今さらのこと。

 この後、何ともないように振る舞ってリカバリーすれば何とかなるか。いや、ならんだろうな……

 というか海実はどうしたんだ。俺と晴樹が2人で飯食ってる間に簡単な部屋の掃除をしたところまでは打ち合わせの通り。その後、元々話してた薬局に行った筈。

 時間的にも帰ってきてもおかしくないのだが、流石にセコムまではしてくれなかったのか……?

 

「いや、リビングで姉ちゃんがさ、なんかスゲー落ち込んでるんだよ。理由聞いても『杉山くん……違うから……』ってなんかずっと杉山先輩の名前繰り返しながら呟いてて俺の質問に答えてるんだか、独り言なのか分からんくてこれが怖いんだわ……」

 

 俺が知りたかった海実の状況を大地は聞く前に答えてくれた。というか大地が来たのもそれが大元の理由のようだ。

 杉山というのは俺の2年下で中学の後輩、つまり海実の同級生の男子だ。確か部活も俺と同じ陸上部だったけど、1年生の頃は成長前というのを差し引いても周りと比較してちびっ子だった。そのせいか実力も低く俺とはあまり関わり合いが生まれなかったな。

 ストレッチとかで男子が1人余る時は大体杉山が女子と組んでた思い出がある。

 今ではスラっと成長して、身長160前半と同級生の中でも大きい方に部類される海実。しかし、中1の時は130の半ばと、女子にしては目覚ましい成長をするまでは結構ちびっ子だった。

 そのちびっ子同士の誼か海実は溢れた杉山の相手をするのが多かったというのが俺の当時の記憶だ。

 海実も今では辛辣な言葉を使うが、あの頃は小さなビジュアルも相まって癒し系というかぽわぽわしたマスコットみたいなキャラだったし男子の相手も気にならなかったんだろう。

 そして杉山の方も耳にしただけで実際に目にはしてないが成長期で劇的に身長と体格が変わり記録も伸びたらしい。2年の夏の大会で補欠だったのが、3年生ではうちのエースで大活躍だったとか。

 そんな杉山と海実は高校も同じだったりする。陸上の強い高校が割と通学可能な距離にあったため、杉山はそこに進学したらしい。

 海実は別に中学で並の選手だったにも関わらず、同じ高校へ進学している。そして高校では陸上部には所属していない。部活を目的とするなら近いが、目的もなしに通うには少し遠く感じる距離だ。

 部活で学校を選ばないなら俺と同じ高校でも構わないだろうに違うところだったのは、俺と一緒になりたくなかった反抗心か、それとも……

 あれ、改めて情報を整理するとめっちゃアオハルの気配を感じる。もしかして、もしかしたりする……? 片想いだったり……!?

 なんか海実のことを凄く可愛がりたくなってきたぞ。

 ……待て、話を戻そう。海実は家を出る前はいつも通りだったし、薬局に行くまでで何かあったのか。それとも薬局で何かあったのか、杉山は近所に住んでるしばったり会う確率も高いし何かあっただろうことは推測出来る。

 一体何があったのかまでは想像できないが、何か勘違いされるようなことが起こったのだろう。海実の呟く『違うから』にはそういう意味が込められていそうだが……

 

「それは大変そうだね」

「いや、他人事みたいだけど姉ちゃんが何故か姉ちゃんの部屋使ってるから姉ちゃんがリビングで落ち込んでるんだよ」

 

 ちょっ、おまっ、いきなりぶっ込んできたな。後ろで大人しくしているが今のは晴樹にも聞こえただろう。言い方がややこしいとはいえ、意味が通じたと思った方が良い。

 今ので部屋を借りてることがバレたわ……

 

「うん? 2人とも姉ちゃんだとややこしいな。あれ、昨日までややこしいとかあったっけ……? これから、天姉ちゃんのことは姉さんって呼ぶけど」

「分かったよ! 用件も呼び方も分かったから。善処するから一旦下へ戻ろ? ね?」

 

 この弟、短時間でとんでもねえ絨毯爆撃してきやがる。俺が精一杯整地したところが無差別でドカドカ破壊されてゆく。悪気がないのは分かるし、落ち度もないがこれ以上お前が居ても悪いことしか起こらねえ。

 いや、空気を入れ替えるために俺もこの気に乗じて部屋から脱出すべきだろうか。一回クールダウンが必要だと思っていたところだ。

 心配で海実の様子を見に行く態で1階のリビングへ向かおう。

 

「じゃあ、私も責任あるってことだし海実のところへ行くよ」

「え、私?」

「ーーーーッ! ゥ私が私で何かおかしいところあるっけェッ!?」

「いや、いつもおrーーーー」

「先下行っててッ! すぐ行くからッッッ!!」

 

 そこが1番マズいんだよッ! 一人称のことに触れるのが、今1番やっちゃいけないことなんだって。

 「私」が本当ってことになったのに「俺」の方が実は本当っていうのを掘り返すのは〜〜〜〜っ

 さっきの光景思い出して照れてる場合かっ! ただでさえ興奮してるのにさらに血が上って暑くなる。あー、今日こんなんばっかじゃ!

 

「いやそんな声張り上げてやっぱ、なんか朝からおかしくない?」

「お、おかしくないから……っ! 別に朝から何か変わったとかないしっ!!! もう分かった、私も一緒に下に行くから」

 

 このままじゃ一向にらちが明かない。それどころか傷口を開き続けると思った。部屋からサッと出れば、中を覗かれることもないだろう。

 大地を1人だけで先に下へ返すことは観念して、諸共行こうと思った。

 しかし、それが間違いだった。

 

 ガチャ

 

「行こっ! さっ、下へ……って」

 

 ドアを開けて邂逅。俺としてはそのまま流れで下まで行くのが理想だった。しかし大地は俺の顔を見た途端、固まってしまう。

 そして、そこで自分の失敗に気付く。そう言えば今自分のイメージにそぐわない、メッチャお洒落した格好だということが頭からすっぽ抜けていた。

 そんなことを知らない大地が見ればそりゃこんな反応にもなるさ。真顔になってしまった弟の背後に宇宙を幻視する。やらかした、と顔を手で覆う。

 

「えっと、姉さんの友達……」

「違うよ……姉さんだよ……」

 

 消え入りそうな声でなんとか返事をした。あまりのギャップに大地は俺のことを自分の友達か何かと勘違いしてるのではないかと確認を取ってきた。だからそれは違うと答えた。

 何というか諦観というか燃え尽きたな。色んな理由で昂っていた感情が一周回って落ち着きを取り戻してる。感情がローギアに入ったみたいに波が低速になっていた。

 

「……あっ、本当ごめん。彼氏居たんだ」

「違うしッ!! 友達だからッ!! もう良いよ、はよ行けよぉ!! もぉぉぉぉぉ!!!」

 

 部屋の中に居た晴樹が見えたのだろう。本当だったら部屋から出たらサッとドアを閉めて視認させないつもりだったが、今の膠着で目論見は上手くいかず。

 それどころか大地に最後の置き土産と言わんばかりに導火線へ火をつけられた。そんな理由でやけになってしまった俺は、理不尽にも大地にローキック数発を入れて追っ払った。

 手応えが軽すぎて全然ダメージは入ってなかっただろうが、追い払う効果はあったようで大地は早速さに退散した。

 そして、部屋は最悪の状態で2人きりに戻る。

 

「証拠、見つかっちまったな」

 

 晴樹は開口一番、皮肉げにそう言い放つ。この証拠というのは、俺が元男だったということだろう。途中で遮ったけど晴樹は普段の一人称が「俺」であるということを知ってしまった。

 海実の部屋を自分の部屋として紹介したり、そう言った不自然な情報もその説を後押ししている。

 女としての自分を認めるために「私」を使った以上、「俺」を使うことは自分が男であることを認めること。だからコイツに「俺」を使っている"葉坂天"を見せることは絶対にしてはいけなかった。

 もう先程のような雰囲気には、決して戻らない。それだけは分かる。

 そして、その事実に気を落としている自分が居ることにも気付いた。

 

(何、落ち込んでるんだよ。あのまま続けてたら堕ちてただろ)

 

 訳が分からない、なんて誤魔化すつもりはない。だって、俺はあのまま……

 自分の前髪をくしゃり、と握っていた。

 

「天、お前は今は女だけど昨日まで男だったってことで良いんだよな」

「そうだよ、俺は昨日まで男だったTSっ娘だよ。なんか文句あるかよ」

「文句ねえよ。むしろ良かったとまで思ってる」

 

 俺の状況を肯定してくれる言葉だったが、今はその言葉に苛立ちを感じる。むしろってなんだよ、お前だってさっきは顔赤くしてた癖に。

 俺だけが勝手に盛り上がってたみたいに言いやがって。そんな不満をぶつけるように睨みつけた。

 

「明日、一緒に出掛けるぞ」

「そんな気分じゃねえ」

 

 なんだか今コイツと会話しててとてもイライラする。こんな軽口いつもと変わらないのに、凄く自分の気持ちを茶化されているような気分だった。

 なんかペラペラ語ってるけど頭に入ってこない。早く終われ、帰れとコイツが目の前から消えることだけを思っていた。

 そんな時、気付けば目の前に晴樹が移動していた。そのことに、一瞬心臓が跳ねたのも束の間。突然両頬に手を添えられて無理やり顔同士で向かい合う状態になる。

 どれだけ心の中で憎く思っても、本能は受け入れてしまう。近くにある晴樹の顔を見て、ドキリとしてしまった。また体温が上昇する。小さな反抗心から目の前にある端正な顔から目を逸らす。

 

「目を逸らすな」

「知るか……」

「いいか、俺は明日お前をメス堕ちさせる」

「……はあ?」

 

 一度息を吸って何を言うかと思えば素っ頓狂な言葉。何を言ってるんだと。思わず目の前にある顔へ視線を戻してしまった。

 しかし、その顔を見ればその眼が、表情が本気だと語っている。絶対頭おかしいだろ……

 

「お前は今日勝手に自滅しただけだ。だから俺自身の手で堕とす」

 

 晴樹の顔が目の前にある状態のせいで先程の光景がリフレインし、ドキドキしている。でもその一方的な、自分勝手な物言いに怒りが沸いてくる。ムカムカと腹の底が煮えたぎるような気持ちだ。

 だから、これ以上ない感情を込めて睨みつける。そして、喧嘩を買うような気分で啖呵を切った。

 

「何が堕とすだ、お前がオレに堕ちるんだよバーカ!!」

「悪いが明日も勝つ」

 

 そう言うと晴樹は顔から手を離した。そして、自分の荷物をまとめ始めた。帰り支度のようだった。その支度もサッと終わると部屋から出て、そのまま玄関へと向かった。

 外は時間が時間だけに日は落ち、生活電源と月明かりで照らされる暗闇の世界になっていた。

 

「じゃあ明日、楽しみにしてる」

「明日、その余裕のある面を絶対変えてやるからな」

 

 晴樹は背を向けながら余裕だと言わんばかりに手を振ってきた。俺はその背中に向けて言葉を返す。

 すると、晴樹は立ち止まりこちらへと顔だけを向けた。

 

「そういえばメリッサのコスプレ忘れんなよ」

「帰れ!」

 

 それだけのやり取りを終えると歩みを再開し、暗闇へと溶けていった。絶対、絶ぇ対っ、今日以上のアホ面を衆目に晒させてやるからなッ!!

 そのためには、また海実の協力が必要不可欠だ。今日以上に仕上げて貰って明確で、確実に、完全な勝利を手に入れてやる。

 ということで早速リビングに居る海実に相談をしよう。

 あれ、なんか忘れてるような……

 

「ふっ、ふふ、もう私の楽しみは姪っ子か甥っ子をかわいがることだけ……アンタたち2人には期待しているから……」

 

 リビングへ戻った俺を待ち構えていたのは部屋の隅で縮こまりながらテレビを観てるのだかよく分からないが冷や汗を浮かべた大地。

 そして愛を失った悲しき怪物(モンスター)だった。

 そんな骸のような存在に俺は思わず悲鳴を上げてしまう。

 

 

 

 こうして俺は"女になった日"を何とか乗り切ったのだった。




追記
Skebを利用して挿絵を描いていただきました

【挿絵表示】


天の容姿及び女になった日編の服装はこちらになります
個人的に大満足です

海老名えび先生
Twitter:@not_ebi
※成人向けコンテンツを取り扱っているため18歳未満の方は閲覧をお控えください


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分岐END
私を選んだあの日、そして今


10話「7:58 PM」の最後の台詞から分岐したお話になります



「その、私は……」

 

 一瞬、脳裏を掠めた「俺」という言葉(じぶん)。しかし、今の心で「(おとこ)」と「(おんな)」どちらを選ぶのかなど躊躇うことすらなかった。

 そして「私」を選んだかと思えば、私はベッドに倒されていた。軽い力で押されただけで、マットレスにそのまま背中を預けてしまったのだ。

 

「天……っ!」

 

 晴樹に名前を呼ばれた次の瞬間、身体を強く、キツく抱きしめられた。本当に強い力で、身動きすら取れない強引な抱擁。でも、それがとても嬉しくて私は何とか、胴へと腕を回し抱きつき返す。

 互いに決して離れないようにキツく結ばれたこの体勢がとても心地よい。この時間が永遠に続けば良いのに。そんな多幸感に包まれていた。

 

 コンコン

 

「姉ちゃん、居る……?」

 

 しかし、ここで第三者の存在が現れる。部屋をノックした音に続いて聞こえた声、それで正体が大地だと分かった。

 介入があったことで昂った波も一度落ち着きを取り戻す。そして自分の今の状態について、冷静に見ることが出来た。

 

「なっ、なっ、なっ……!」

 

 口があわあわと言葉にならない音を発している。あまりの衝撃に頭の中が混乱していた。そして、ついに叫びそうになったのだがそれは叶わなかった。

 

(んん〜〜〜〜〜〜〜っ!?!?)

 

 叫ぶ前に晴樹の唇によって、強引に口を塞がれてしまったからだ。

 軽く塞ぐだけでなくこじ開けられた上、舌によって私の口内は蹂躙されてしまう。その衝撃に夢から現実へ醒めかけた理性が、また夢の中へと引き戻されていく。

 

「あれ……?」

 

 大地も返事がないことで、ここには誰も居ないと思ったのだろう。勝手に開けることも憚られたのか、徐々に遠退いていく足音で部屋から離れていくのが分かった。

 

「ぷわぁ……♡ はぁ、はぁ……っ♡」

 

 私の理性が蕩けそうな限界ギリギリになって、晴樹はやっと解放してくれた。お互いの口からは混ざり合った唾液が糸を引き、橋が架かっている。

 そんなひどく淫靡な光景を作り出したのが自分だという事実でさらに興奮してしまっている。荒くなった息を治めるため短い呼吸を繰り返す。

 頭の中はモヤがかかったみたいで、思考力が落ちてクラクラする。しかし、目の前に自分以上に我慢の限界がきている存在が居ると分かると、少しだけ落ち着くことができた。

 

(もっと……っ)

 

 でもそんな残ったなけ無しの理性。それを使って出した私の答えは一緒に快楽の禍へと堕ちることだけだった。

 布越しなのに、固くて熱いものが自分の太ももに当たっているのが分かる。昨日まで自分にもあったものだから、どのくらい我慢しているのかも簡単に想像できる。

 だから目の前の獣のような愛おしい彼を前に、全てを受け入れるように両手を広げた。

 

「いいよ晴樹、続けて……♡」

 

 私と晴樹の長い夜が始まった。

 

 

 ……

 …………

 ……………………

 

 

 ……

 …………

 ……………………

 

 

 ……

 …………

 ……………………

 

 

 ……

 …………

 ……………………

 

 

 ……

 …………

 ……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……

 …………

 ……………………

 

 

 

 残暑も過ぎ去り、日が沈むのが早くなった今日この頃。買い物袋を両手に、涼しくなったいつもの道を鼻歌混じりに歩んで行く。

 行き先は家族の待つ我が家。今日は私と晴樹にとって大事な記念日であるため少し奮発して晩ご飯の材料を買った。当然料理の腕も奮うつもりだ。

 晴樹も今日は珍しく早く帰って来れると言ってたし、久しぶりに家族揃っての食事が出来そうで楽しみだ。

 

 私が女を選んだあの日から、5年の月日が流れた。

 

 私と晴樹はあの後、朝まで休む間もなく交じり合った。お互いに初めてだったにも関わらず強い興奮で痛みより快楽が勝っていたのは今でも鮮明に覚えている。

 お互い知識も何もなしに快楽に流されるまま身体を貪り合った。

 しかし、避妊具もなしにその場の勢いのまま続けた結果、私はその時の行為が原因で妊娠をしてしまった。

 お互い、その日のうちにそこまでの関係になるなんてこれっぽっちも思ってなかった。だから避妊具なんてものの準備はなく、しかも避妊薬を服用するという発想までまるっきり抜け落ちていたからだ。

 当然そのことを家族に打ち明けるにはかなりの勇気がいった。私の父さんは晴樹の胸倉を掴み今にも殴りかかりそうな状況にまで発展した。そして、それが晴樹と父さんが会った最初で最後の機会だったりする。

 父さんは私と晴樹の関係を認めてくれていない。

 学校に関して私は大学進学への道を諦め、晴樹は決まっていた大学への入学を辞退し、就職活動へと勤しむことになる。卒業式の頃には私のお腹も誤魔化せない程度に膨らんでしまい、学校のみんなへ説明できる訳もなく式は欠席。

 それでも退学ではなく、卒業させて貰ったことについて学校の関係者の方々には感謝しても仕切れない恩が生まれた。そうでなければ今より苦労した生活を送っていた可能性もあるのだから。

 私は現在、晴樹と4歳になる我が子と共に3人で暮らしている。

 夫婦共働きで晴樹は家族を養うため、朝は早く出て行き夜遅くに帰ってくる。一緒の時間は少ないが、その少しの時間で身体を休められるよう気遣って接している。

 そして、私はというと母さんの紹介を使って、母さんの勤め先で働かせて貰っている。

 正直を言うと私たちだけの稼ぎでは貧しい暮らしをせざるをえない。私の家からは当然仕送りなど資金的援助は望めるわけがなかったし、晴樹も自分たちの負うべき責任だと平坂家からの仕送りを断っている。

 しかし、母さんはこれから生まれてくる私たちの子どものことを考え、せめてもの助力として私に就職先の紹介をしてくれた。お父さんには助ける必要はないと強く反対されたらしいが、私が妊娠したことを打ち明けた時と同じくらい精一杯庇い立てて話を通してくれたらしい。

 もし、母さんが行動を起こしてくれなかったら私の稼ぎは今より低いか、もしくは給料は変わらない代わりに帰りが遅くなって子どもに寂しい思いをさせていただろう。

 私はそんな母さんの顔に泥を塗らないよう、一生懸命働かせて貰っている。

 就業態度が真面目でよく動いて気も利くと評判で、働き始めて3年近くになるが最近は正社員への雇用の話もいただいているぐらいだ。

 と、気付けばもう、自宅が視認できる距離まで迫っていた。

 なんだろう、丁度5年という節目のせいか今までのあれこれを振り返ってしまったのだろうか。それとも秋風が郷愁を誘い、昔のことを思い返させるのか。まあどちらでも良いか。

 重い荷物から解放されるまであと少し。愛しい我が子の顔を拝めると思えば長い距離を歩いて疲弊していた足取りも軽くなる。

 ちなみに私たち家族は現在アパートに住んでいる。間取りは1LDKで駐車場はなく、私の実家からは程々の距離という物件だ。

 そのアパートの202号室がマイホームというわけである。

 鞄の中から鍵を取り出し、入口のドアを開ける。

 

「ただいまー」

 

 返事がない。しかし、先に続く部屋の明かりはついており、生活音も聴こえてくる。というか、よく聴き慣れた音とそれに混じって楽しそうな会話が聞こえてくる。

 ということはーーーー

 

「たーだーいーま!」

「あっ、お姉ちゃんおかえりー」

「えっ、あ、おかあさんおかえりなさいー! ってうみちゃんいまのずるいー!」

「ずるくなーいよ」

 

 リビングでは海実がゲームで陽葵(ひより)の相手をしてくれていた。海実は高校卒業後は地元の大学へと進学し現在は大学3年生。

 よく、私の代わりに保育園まで迎えに行ってくれて、私が帰ってくるまでそのまま家で娘の面倒を見てくれているのだ。

 他にもバイトで貯めたお金を使って陽葵にプレゼントを買ってくれたり、食事に連れて行ってくれたりと大変可愛がってくれている。

 陽葵がまだ言葉も話さない頃はオムツを替えたり、寝かしつけを手伝ってくれたり、そう言った手間のかかることも率先してやってくれた。

 そんな海実もあの頃と打って変わり、オシャレに関しては同世代の子と一緒に歩いても恥ずかしくない最低限なものにとどめている

 てっきり、自分たちのために身銭を切っているせいで出来ないのかと思ったため理由を聞いてしまった。

 海実曰く、『自分より姪っ子を可愛くする方に目覚めてしまったからこの出費は全部娯楽費。だから気にするな』とのこと。

 ちなみに今使っているゲーム機は私と晴樹があの日、一緒に遊んだものだ。実は一度生活に困って売ろうとしていたところ、それを聞いた海実が態々買い取った上でこうして家に置いてくれている。

 海実は二人の思い出のものなんだから大切にして欲しい、と言って行動を起こしてくれたのだ。

 一時は冷め切った姉妹仲だったにも関わらず、仲を戻してさらにここまで生活で支えて貰っているのには頭が上がらない。

 

「海実、ご飯食べてく? 今日は豪華だし食べてって損はさせないよ」

「じゃあ、ご飯はご一緒させてもらおうかなぁ?」

「うんうん、食べていきなって。こんなんじゃ足りないけど普段からのお返しだってもっとしたいし」

 

 私の料理が終わるまで陽葵の面倒は海実が見てくれるので、心置きなく料理に専念できる。あの日、褒めて貰ってから努力出来る範囲で腕を上げれるように頑張った。折角の記念日なんだし、がっつり成長したところを感じてもらおう。

 ということで、一度床に下ろした袋を持ち上げてキッチンへと向かう。今日は中華でご馳走だ。しかも市販の素を使わず全部手作りでやる。昨日の晩から仕込みをしてたし、品数は多くてもいつも通りの時間には揃えるだろう。

 エプロンを纏い、邪魔にならないよう髪を結ぶ。

 

「よし、やるぞ……!」

 

 ……

 …………

 ……………………

 

 ザクッ、という玄関の鍵穴に鍵の差し込まれる音が聴こえる。

 この時間に家に帰ってくる鍵の所有者と言えば1人しかいない。椅子から立ち上がって玄関までお出迎えに行く。

 

「ただいま」

「おかえりなさい」

 

 時間は20:00を過ぎた頃。晴樹は言った通りいつもより早く家に帰ってくれた。

 私の愛しい旦那様。記念日を一緒に祝うため彼の帰りを今か今かと待ち焦がれていた。

 

「あれ、陽葵は?」

「海実がうちでご飯食べた後に実家へ連れてったよ」

 

 晴樹は普段ならさらに帰りが遅い。しかし、その場合でも陽葵は一家の主人を毎日私と一緒にお出迎えしてくれる。

 特にしつけた訳でもなく、私が一言入れてから玄関に向かうとその後ろを自分の意思でついてくる。その姿が愛らしいし、まだ辿々しい発音での「おかえりなさい」は母親の贔屓目なくかわいい。ずるいぞ晴樹。

 眠い目を擦っている時の健気な姿は格別だ。そういう時は転んだら危ないので抱っこして一緒に玄関へ向かう。

 しかし、今日は晴樹が普段より早くはあるがそれでも予想より多少遅かった。そのため陽葵が晩ご飯まで待ち切れないだろうと海実が一緒に済ませた。

 その後、「今日は私とおばあちゃん家にお泊りしようねー」と言って陽葵を誘うことに成功していた。私たち夫婦に気を遣ってくれたのが分かる。

 

「お風呂の用意は終わってるよ」

「ありがとう、でも今日は先にご飯食べるよ。風呂はご飯の後で一緒に入ろっか」

「……うん♡」

 

 久しぶりに旦那様と目一杯いちゃいちゃ出来ることに嬉しくなった私は、鼻歌を奏でながら軽い足取りでご飯の支度へ向かう。

 ダイニングテーブルにある料理の中から、冷めたおかずをレンジに入れて温め直す。その間に余熱で温かいままのおかずは被せていたラップを剥がし、鍋に入ったスープや白米をよそう。

 やっている内にレンジでの温めが終わったので交換して別のものを温める。

 

「毎年のことだけど、今日はいつもより一層頑張ったな」

「えへへ、もっとたくさん褒めてくれていいんだよ?」

 

 晩ご飯を一通り並べ終えた食卓テーブルを見て晴樹は褒めてくれた。私ももう人目もないので、ついつい2人きりの時専用の甘えモードで対応してしまう。

 娘や妹が居る前では恥ずかしくて出来ないけど、晴樹にぎゅーって強く抱きしめて貰うのが私は大好きだ。この後、たっぷりして貰えると思うと気分が昂揚する。

 

「いただきます」

「召しあがれ」

 

 食事中、晴樹は私の料理の腕が上達したことをたくさん褒めてくれた。あの日、意図して作ったわけではないが晴樹が初めて食べた私の手料理は回鍋肉。だから毎年、この日はこれを必ず作ってる。

 今日は他にもエビチリに棒々鶏に麻婆豆腐に水餃子の中華風スープと頑張ってたくさんのおかずを作った。陽葵と海実からもおいしいのお墨付きを貰ってる。

 ちなみに初めて迎えた記念日は良い格好を見せるためにオシャレにビーフシチューだった。

 ……それと回鍋肉を一緒に出したため「すごい組み合わせだな」と少し、困らせてしまった。味は美味しかったと言ってくれたが、それ以降は献立をよく考えるようにした。

 

「ご馳走様でした」

「お粗末さまです」

 

 晴樹がきれいに完食してくれて嬉しい。食べっぷりに関しては学生の頃、一緒に食事へ行った時から良いと思ってた。

 自分が提供側に回ってみたら、その気持ちの良いぐらいの食べっぷりでずっと料理へのモチベーションが尽きないでいられる。

 

「それじゃあ片付けるか」

「そんな、疲れてるし私がやるから休んでて良いよ」

「いつも任せっぱなしなんだから、早い時ぐらいやらなきゃおかしいだろ? 専業主婦じゃなくて共働きなんだからさ」

「でも……」

「あの日みたいに並んで一緒にやりたいんだ」

 

 そんなこと言われたら、頷く以外私は出来ない。当然晴樹の提案を断る事はできず一緒に食器を洗い、片付ける。

 そして洗い物が終わり、濡れた手を拭いていると晴樹が腰に手を回してきた。

 

「風呂行こう」

「うん、でも出るまで我慢できる?」

 

 私がこう聞く理由は洗い物をしている最中にある。実は先程、晴樹は洗い物の最中身体を近づけて太もも同士をくっつけてたり、あからさまに私と触れたがっていた。

 陽葵がいないと分かった時点で晴樹も2人きりの時専用のいちゃいちゃモードに切り替えていたようだ。

 出来ればベッドまで我慢して欲しい。お風呂で中途半端に発散したら後でする時の楽しみが少しなくなっちゃうからだ。こういうのは溜めに溜めたのを一気に解放する方が好きだ。

 だから、今は我慢してベッドで目一杯可愛がって欲しい。

 でも、私はおそらく求められたら断らずにいられない。だから聞いた。

 

「天がそう言うなら我慢するよ」

「晴樹、えらいよ♡」

 

 少し嬉しくて抱きついてしまった。

 

「……やっぱ無理かも」

 

 不安なことを言ったものの、晴樹は約束を守ってお風呂では我慢してくれた。湯船に浸かる時に足の間に入って身体を預けた時も抱きしめたりするだけでそれ以上のことはしなかった。

 硬くなってるのがお尻に当たってたから結構我慢してたのだろう。

 そしてその後、一緒にベッドに入った。しかし、言っていた割には簡素というか気持ちが上の空みたいであまり燃えなかった。私を抱いているにも関わらず別のことを考えるだなんて少し許せない。

 晴樹はそんな私の空気を感じ取ったのか、お互い微妙な空気のまま横になっている。

 

「ねえ、何かあったの?」

「……すまん」

「なんで先に謝るの」

「誤魔化せない空気にしたからさ、久しぶりのセックスだったのに気づかれないよう気を遣うべきだったって反省してる」

「理由を教えてよ」

「甘えてる俺が言うのもずるいけど、こういう時いつもならほっといてくれるから意外だな」

 

 返事はせず、ただ眼を見つめ返した。お互いに隠すことも少ないけど、だからこそ隠したいことがあるなら必要以上に追求しないようにしている。

 隠していたとしてもそれが、お互いの不利益になったりするようなことは隠さないという信頼がある。でも今日は記念日で、そんな時に水を差されたような気分になってしまった。

 だから私も堪らず追求するような姿勢をとった。だって、これが1番愛を感じるのに。陽葵も生まれて、2人きりの時間が減って、だからこそもっと本気になって欲しいよ。

 晴樹も私の気持ちを感じ取ってくれたのか、理由を話してくれた。

 

「今日だから考えたのかもしれない。俺はあの日から後悔してることがあるんだ」

 

 その言葉を聞いて衝撃を受ける。何故なら私には後悔はなかった。

 親や先生、周りの人に多大な迷惑を与えた。母と妹には今の生活で私たち夫婦だけでは力及ばない面で助けてもらっている。

 そして私は生活のため夫に過酷な労働を強いているし、娘にも世間の同い年の子どもと比べて貧しい生活を送らせていることを申し訳なく思う。

 でも海実と仲直りしたこと、晴樹とこうして結ばれたこと、陽葵という愛おしい娘が生まれたこと、この幸せな家庭を築けていることを否定したくない。

 だから反省はしているけど後悔はなかった。

 でも晴樹は後悔をしていると、あの日から私の知らない傷を抱えて生きていると今初めて教えてくれた。

 それに気付かなかった自分を許せないし、1人で抱えて言ってくれなかった晴樹にも腹が立った。でも苦しかったのは晴樹で頑張ってきたのも晴樹なのだから、私は落ち着いて急かさずに話の続きを待った。

 

「俺はあの日、たった1人の親友にお別れの言葉を言えずに別れたことを後悔している。もうソイツに会うことがないと分かっているから、それをつい思い出して悲しくなったんだ」

 

 晴樹の吐露に突然足場が消えたような、何もしがみ付くものがない空に放り出されたような虚無感に襲われる。

 私はあの時、自分の身に起こったことで頭がいっぱいで1番の親友を信じることが出来なかった。

 よく考えれば、自分の嫌がることを無理にやるような人間ではないことぐらい知っていたのに。冷静さを失った自分は、居もしない敵から身を守ることしか考えてなかった。

 その結果、義理堅い親友を自分は誑かして後戻り出来ないよう堕としてしまった。

 

「……泣くなよ」

 

 私は流れる涙を抑えきれなかった。自分の幸せばかりに目がいって、1番気付かなければならない罪に気づくことが出来なかった愚かさを恥じた。

 ただただ嗚咽を漏らすことしかできなかった。でも、優しい彼はそんな私を放っておくことなんて出来ず優しく抱擁してくれる。

 その優しさに甘える資格がないのに、その心地良さ故に手放すこともできない。

 

「なあ、俺はもう親友とは会えないのかな……?」

「……もう、その親友も自分の家庭を持ってるから会えないってさ」

 

 声が震えながらもどうにかして紡いだ言葉。これは私ではなく晴樹の親友が想った本心の言葉。晴樹の親友には愛する伴侶がいるし、守るべき大切な子どももいる。

 今さら自分の気持ち一つで、その存在を裏切ってまで会うことは出来ない。

 

「そっか、もうお互い家庭を持った大人だもんな……しょうがないか」

 

 晴樹はどこか遠くを見つめながら、笑ってそう言った。

 でも、私には全然笑っていないことは分かる。そんな悲しむ顔をさせたくなんてなかった。だから……

 

「でも、5年越しの今さらで、本人は忘れてて、しかも一方的だけどちゃんとお別れしたいってさ。だから晴樹、お別れの言葉を教えて」

 

 私は久しく忘れていた記憶を元にーーーー

 

 

 

 そうして、柄にもなくセンチメンタルに浸ってる親友に笑いかける。

 こんなこと一度もしたことないけど、でも親友同士ならこれだけで通じ合えると信じて親友に向けて拳を突き出した。

 晴樹は不意を喰らった時に見せるアホ面をさらけ出した後、不敵に笑った。

 つられて笑う。こんなクセーこと恥ずかしいから早く済ませろバカ。

 

「お前との2年と半年、楽しかったぜ。絶対幸せな人生送れよ」

 

「俺はもう、幸せだからそんなこと気にすんな。お前こそ奥さんと一緒に娘を大事にしろよ」

 

「ああ!」

 

 晴樹は親友に向けて拳を突き出した。そうして親友同士が突き出した拳が互いにぶつかり合う。もう、あの時の手の感覚なんて覚えてない。全く別の、細く柔らかい手になってからそこそこの時間を過ごした。

 でも、そんな別物になっても拳を通じて伝わる熱い友情は変わらない。それが分かって、私は晴樹の親友に嫉妬してしまった。

 

「あーあ。妻より親友にお熱だなんてショックだなぁー」

「ごめん、悪かったって」 

「悪いと思うなら当然、喜ばせてくれないと困るなぁー、だから……

 

 

 

 私のこと、朝まで愛してくれなきゃ許さないから……♡

 

 

 

「朝までどころか一生愛してやるよ!」

 

 そう言って、あの日のようにキツく強引に抱き寄せられた。私はこれから起こることを、未来を想起して期待に胸を躍らせるのだった。

 

 ……

 …………

 ……………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私の愛おしい旦那様の、大切な親友へ

 

 5年前、あなたが居なくなったことで彼の隣は、私が代わりに居るようになりました。でも、結ばれた今も彼は時々あなたのことを想い返すようです。しかも私が目の前にいた時ですら。

 そんな姿を見て私は嫉妬してしまいました。

 どうやら彼の中であなたの代わりには一生かけてもなれないようです。

 

 ……なんか、おかしいですよね。

 

 それでもあなたの代わりになれないと知ったけど私は今、とっても幸せです。

 裕福な暮らしではありませんが、大好きな人と大好きな娘、そして支えてくれる母や妹たちとの関係を築いて暮らせる今の生活はかけがえの無い財産です。

 あなたの代わりに目一杯、人生という旅路を彼と一緒に歩んでいきたいと思います。

 私と彼の出会いのきっかけを生んでくれてありがとうございました。

 

 それでは、元気なのは分かっているのでお別れの挨拶だけさせていただきます。

 

 さようなら、私にとっても大切だった「親友(オレ)」。

 



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女にされた日
8:00 AM


 ピピピピ ピピピピ ピピピピ

 

(うるさっ……ねむ……)

 

 耳を通して規則的な電子音が頭の中に響く。寝起きの頭にとって不快なそれを止めるべく、枕元にあるであろうスマホに手を伸ばした。

 まだ目を開くことすら億劫のため手探りで探れば、1回、2回と空振りして台の上を叩いた後、ようやく見つける。

 まずはアラームを止める。そして寝過ごし防止設定を解除。顔の前に持ってきた画面の中を覗くと、時間は朝の8:00を示していた。

 何故こんな時間にアラームセットしたのか、寝惚けた頭で考える。しかし、そんな思考時間もたったの数秒。

 身体測定時の上体起こしのような機敏さで身体を起こせば、その速さを殺さず後頭部へと手を持っていく。

 

(髪、長い)

 

 続いて胸

 

(胸、ある)

 

 次は股間

 

(ちんこ、ない)

 

 ベッドから飛び退き、姿見の前に立つ。鏡の中に映った人物を頭の先から爪先まで舐めるように観察する。

 確認のため自分の顔をペタペタと触れば、鏡の中の"女の子"も同じように動いた。

 

「よし!」

 

 自分の身体が昨日のまま、女の身体であることの確認が取れたため安堵する。

 

(いやいやいや、『よし!』じゃないだろ。男に戻ってた方が良いに決まってるっての! 今の『よし!』はバカに昨日やられた分の仕返しができる手段が残ってたからそういう意味の……そう、企み的な『よし!』で女の身体のままで嬉しいとかそういう他意はない!)

 

 自分で自分を否定したものの信じられないような行動、思考にジッとしてられなくなる。昨日の名残だろうか。くッ、思い出すな……っ!

 心の中で渦巻くぶつけようのない謎のジレンマを発散したくて出した答え。それは、その場でシャドウを行うことだった。

 左ストレートからの右肘。テンポよくワンツーを決めれば、エルボーで加えた上体の捻りともう一歩踏み込んだ右脚を軸に半回転。そして、仮想敵のアホ面目掛けてとどめの上段後ろ回し蹴rーーーー

 

 ビキッ

 

「あ゛っ゛」

 

 脚を大きく上げた際に、ガラスにヒビが入った時のような嫌な音を錯覚。続いて股関節から内ももにかけての筋に痛みが奔る。

 身体が安静を求め、堪らずベッドへと倒れ込んだ。痛みのあまり、患部を手で抑えながらプルプルと震えることしか出来ない。

 

 コンコン

 

「メモ見たから来たけど起きてんの? 起きてるなら入るけど」

 

 ノックの後に入室の許可を求める声がする。ドアの向こうにいるのが海実ということは分かるし、朝から部屋を訪ねてくる理由も知っている。

 しかし、こんな悶絶した情けない姿を晒すのは流石に忍びない。正直落ち着くまで待って欲しい。

 

「ぅ……う゛ぅ゛……」

 

 しかし、苦しみによってろくな返事すら出来ない。呻き声で何とか存在をアピールしたのだが、それが却って起きてるから部屋に入って良いアピールと勘違いしたのだろう。

 こちらの思いを裏切って海実は入室してきた。

 

「……何してんの?」

 

 やっとの思いで顔を上げる。視界は涙で滲みボヤけ気味だが、呆れ顔の妹と目が合ったことは分かった。

 結局、筋の痛みが落ち着くまでに10分近く費やす。やっと動けるようになると、まずは朝食を摂るため1階へ向かう。そして、リビングに着けば既に起きていた母さんがテレビを見ながら寛いでいた。

 母さんは俺と海実に気付くと、テレビからこちらに顔を向けてくる。

 

「おはよう」

「おはよう」

 

 父さんはまだ部屋で寝てるのだろう。土日は疲れを取るために10:00ぐらいまで寝ていることが多い。

 大地の方は部活だろう。土日は学校のグラウンドではなく、市営の良いグラウンドを使用する。そのため9:00開始に合わせて結構早くに家を出る。

 そして、大地に合わせて母さんが朝食を作っているため、この時間に起きれば朝食は食べるだけの状態になっている。

 

「とりあえず顔洗ってうがいしなよ。特に海実、顔のむくみすごいことなってるから」

「知ってるから言わなくて良いし」

 

 海実は反抗期であり、父さんより母さんに対してその態度は顕著である。それでも俺に対してより幾分か対応が柔らかいという。ちゃんとお母さんと呼ぶし、俺への塩対応と比べればかわいいものだ。

 海実は母さん相手に追及されたくないことを言われたのもあり、不機嫌な声音で返事した。

 若干眉も顰めている。

 

「泣き疲れて寝るなんて子供だねぇ」

「うっさいな、もう!」

 

 母さんは海実が挨拶を返さず、気遣いからの言葉へ不躾な態度をとったことへの意趣返しだろう。海実にとっては蒸し返されたくない話を持ち出す。

 泣き疲れて寝た、というのは昨夜の出来事。俺は晴樹が帰った後、幽鬼のような姿に変わり果てた妹とリビングで出会した。

 俺は昨日散々世話になったのもあり、放って逃げるわけにもいかないという気持ちから何をするわけでもないがリビングに残った。

 しばらくの間、大地からの報告があったように虚な表情のまま同じ言葉を繰り返すことしかしない海実。それが途中からグスっ、グスっ、と鼻をすするような音が混ざり始める。

 それまで視線は他所に外したまま、意識だけを海実へ向けていた。しかし、様子が変わったことに気付き海実の方へと視線をやれば口は一文字に結び、目には大粒の涙を溜めていた。

 そんな妹のいたたまれない姿に上の兄弟として見過ごすことは出来ない。俺は昔、海実が泣いた時にしたように頭を撫でてあやした。

 海実も最初は我慢していたようだが、頭を胸に寄せてそっと抱きしめてあげると堰を切ったように大声を出して泣き始めた。

 妹に対して「よしよし」なんて言いながらあやすのはいつぶりだっただろうか。昔は転んだり、野良猫に不用意に近づいて引っ掻かれたり何かと怪我の多かった海実。そうして泣きべそをかいた時は俺が落ち着くまでこうして面倒をみたものだ。

 それがまさか高校生になってからもやるとは想像にもなかったが。

 結局、海実は30分近く声を出して泣き続けていた。流石に疲れて静かになったが、その後も中々顔を胸に埋めたまま離れず。そして気が付けば海実はそのまま寝息を立て始めた。

 体勢を変えることも出来ず、どうしようかと悩んでいたところで母さんが帰宅。お洒落した俺と、その俺の胸に顔を突っ伏させたまま寝る海実という光景に理解が追い付いていなかった。

 だが俺が少々困っていることにはすぐ気付いてくれたため、大地と共に海実を起こさないようソファに寝かすことが出来た。

 母さんは色々と聞きたそうだったが、事情が複雑なため説明はほぼ全部省いた。簡単に「友達が家に来た」とだけ伝えただけ。

 その後、海実の涙やらでブラウスが濡れて下着が透けてることを母さんから指摘される。俺は気付かなかったが実は大地がこっそり横目で見てたことを大地が居ないタイミングで聞かされた。その上で思春期の男には気を遣えと母さんから注意される。

 そういえばアイツも色を知る年齢か、と俺は感慨深い気持ちになった。それと同時に同情した。こんなの母親にエロ本とかAV見てるところを目撃される並みに辛いやつだと、自分の立場に置き換えて容易に想像出来たからだ。

 今度意図を伏せた上で何かお詫びすることを誓う。弟の視線を気にする日が来るとは人生わからないものである。

 朝食は特に会話もなく黙々と食べるといういつもとそんなに大差ない風景となった。俺は食べ終わると自分の使った食器を流しまで運んで洗う。

 少し遅れて海実も自分が使った食器を運んでくる。

 

「洗い終わったらすぐ支度始めるから」

「了解」

 

 海実は俺の書き置きしたメモで俺の今日の予定を大体把握しているようだった。

 あの後で海実を起こすわけにもいかないため、自分の起床時間と協力を求むと記したメモを置いといた。女の支度は時間がかかるというのはよく耳にするため、それを踏まえて早くにアラームをセットしたが正解だったようだ。

 晴樹とは昨晩のうちにラインで何時に待ち合わせするか決めてある。

 昼の12時に駅前の広場。新幹線が停まることもあり、駅周辺は田舎なりに栄えてる。駅ビルの中には飯屋や行きつけの本屋があるし、少し移動したところにゲームセンター、カラオケ、映画館などの娯楽施設が密集している。

 逆に言えば駅周辺以外にこの近辺で遊ぶのに目ぼしい場所はない。大手自動車メーカーの本社がある影響か、他の街よりも自動車社会が根付いている。私鉄や市バスもあるが、駅に向かう以外だと若干使い難い。

 ちなみにバスなら乗り換えながら2時間以上揺られればいける水族館。私鉄で1時間北上して行く自然公園があったりする。

 まあ、どちらも正午からの待ち合わせで行くには楽しむ時間が足りない。今日もいつものように駅周辺で遊ぶのだろう。

 食器を洗い終われば、真っ直ぐ海実の部屋へと向かう。そして、部屋に到着次第で始まる俺のコーディネート。今日は昨日より攻めると決めているので、その旨を海実に伝える。

 すると、まずは足を出すという提案をされる。余分の肉が付いてない長い足は武器だから活かせという進言を貰う。そのため短いキュロットというものを勧められた。昨日俺がスカートを渋ったのを覚えていたようで「これなら短くても問題ないでしょ」と言われる。

 しかし、キュロットは見た目はスカートだが股下のある短パンだ。そのネタがバレれば晴樹からチキったと思われる可能性がある。弱みを見せないために俺は自ら短いスカートを選択する。

 海実は「ふーん」という言葉とともに意味有り気な笑みを浮かべたあと、ミニ丈のスカートを差し出した。

 上はニット素材の袖なしタートルネック。昨日から足はやけに出すよう言う割に、胸元やデコルテのガードが硬い。そのことを聞けば胸がないわけじゃないけど足に関しては文句のつけようがないのだから、足を目立たせろとのこと。つまり、苦手で競わず持ち味を活かせと言うことだ。

 そして、上着としてシャツジャケットを手渡されたので羽織る。

 

「何というか落ち着いた色だな」

 

 ワインレッドのミニスカートにブラックのノースリーブでタートルネックのニット、アイボリーのシャツジャケットという組み合わせだ。昨日が清涼感のある色味に対して、今日は落ち着いたシックな配色になる。

 早速、上までジャケットのボタンを止めたので鏡の前で確認する。しかし、海実が姿見と俺の間に割って入る。

 

「前に立つと確認出来ないんだけど……」

「違う、そうじゃない」

 

 突然の割り込みに困惑気味の俺に海実は短く返すと、せっかく止めたボタンを外し始める。着た時の逆再生のように上から外されていくボタンは上の3つが外れたところで動きが止まる。

 そして俺の両肩に手が置かれたと思えば、ズルッと上着が下ろされて肩が露出する。その突飛な行動にびっくりして身体を守るように両手を前でクロスしてしまった。

 

「私がやりたかったのはこれ。肩落としでその華奢な体型を活かしていく」

 

 どうやら、この上着を半分脱いだ着方が狙いだったようだ。確かに、こうした方がオシャレな感じがある。大変ふわっとした意見だが、オシャレ初心者なので許して欲しい。

 というかツイッターでこういう着方をした女の子のイラスト見たことあるぞ。あれは良かったな。つまりこれで合っていると思って間違いない。

 改めて姿見でファッションを確認すれば、文句なしの服装で実に満足だ。

 時計を確認すれば9:50。コーディネートを始めてからまだ1時間経った程度で待ち合わせ時間まで全然余裕がある。この後昨日みたいに髪を弄ってというのを加味してもゆっくりする時間はありそうだ。

 流石にこの格好で自転車漕ぐのも嫌だし、バスで移動して15分。で、確か20分に一本出るはずだから……11:25のやつに乗って11:40に到着。その後、広場まで歩いて5分って感じだから丁度良い時間になるし。

 

「時間余っちゃったけど、どうしよっか」

「今日はメイクもするし、下着もまだ決めてないから時間なんてないっての」

 

 そう言えば、昨日そんなこと言ってたなと思い出す。メイクは初めてだな。

 

「じゃあ、メイクで時間はかかるとして、下着はまあ昨日と同じ感じで良いんじゃないか?」

「昨日見せたんだから、昨日と同じようじゃダメ。今日はもっと攻めたやつでいくべき!」

 

 ぐっ、やめろッ、そういう失敗した時の思い出はその瞬間より後からジワジワ来るんだよ!

 スカートが捲れたことに気付かず下着を見せてしまった記憶が蘇る。昨日はやべーなぐらいだったのにすっげー恥ずかしくなってきた……っ。なあああ、高々下着見られた程度なんだ! そんなことより元の目的に話を戻せ!

 そう、俺は昨日の俺を超えなければいけないんだ。ならば下着からパワーアップするというのも考えとしておかしくない。海実も昨日言っていた。見えないところにも気を使うことで力が付くと。

 よかろう、俺も男。ならば覚悟を決めてやる。昨日の自分に勝つため、何よりムカつくあん畜生に勝つため穿いてやろうではないか。

 俺の覚悟が言葉でなく態度で伝わったのだろう。海実は頷くとタンスから幾つか下着を持ってきた。

 

「じゃあ、これなんてどう?」

 

 そう言うと、海実はレースの多い真っ黒な下着を見せてきた。

 

「いや、いやいや! これはちょっと!?」

 

 不意を突かれる形で投げられた豪速球。俺は当然の如く、勢い良く首を左右へ振った。いや、そんなスケスケじゃ、通気性良すぎてずっと気になっちゃうから! 穿いただけで意識が全部下着に持ってかれて何も出来なくなるから!

 ていうか布ちっさ、面積ちっさ、シーランドかよ!

 まだスカート穿いてる時、風に内ももを撫でられる感覚に慣れてないんだよ。そんな状態でそのちっさいスケスケを穿いたら取り返しのつかないナニカに目覚めてしまいそうだ。

 というか、海実がめっちゃニヤニヤしてる。コイツ、兄をおちょくって楽しんでるな? 初心者を煽って楽しむ行為は格ゲープレイヤーとして看過できない。抗議の視線を送ると「ごめんごめん」と言って謝ってきた。

 そして、海実は次から次へと下着を見せてきた。

 しかし、どれも穿く勇気が湧かないものばかり。というか、際どいんだよなぁ……横が紐になってたりレースでスケスケだったり。

 

「選り好みしすぎじゃ?」

「いや、判断俺に任せるの酷じゃない?」

 

 中々時間をかけてしまった影響で海実は早く決めろオーラを出している。この後、化粧も控えているのだ。そう考えると下着の選考で使える時間はもうない。

 とりあえず、今まで出された中から決めなければとは思っているのだが難しい……

 

「自分で決めれないなら、晴樹さんの好みとかに合わせりゃ良いじゃん」

 

 半ば投げやりな感じに海実は問いかけてきた。しかし、その言葉で俺の脳裏に電流が奔る。

 

「じゃあ、白」

「は……?」

 

 なる程、自分で決めれないなら相手で選べば良い。ポケモンのジム戦だって相手の苦手を突くように手持ちポケモンを選抜する。つまり晴樹の弱点を突けば良いのだ。

 流石は我が妹。俺と違って女子力を磨き続けていることはある。

 躊躇いはあるが選択肢が一つだけに絞られたなら覚悟を決めよう。選抜された下着の中から白色の下着へと手を伸ばす。

 腰の辺りの布が布というより紐になってるのが気になるが、腹を括るんだ俺!

 

「……ちょっと待った」

「なに?」

 

 しかし、下着へと伸ばされた手は海実に腕を掴まれることによって阻まれる。いや、なんで邪魔するんだよ。そっちが提示した条件に合わせて選んだんだから文句ないだろ。

 

「……好きな下着の色をなんで知ってんの?」

「いや、普通に話すだろ」

 

 好きな女子の下着の色は互いに話した記憶がある。というか野郎同士でその手の話をするなら初歩も初歩だ。アイツは清潔感やらうんたらで『王道を征く白』と語っていた。

 俺は淡い色なら何でも良い。派手なのは見た時にビックリする。

 

「なんであんたらそれで付き合ってないわけ……?」

「友達だから」

「そう……」

 

 なんか、妹の視線から呆れというか、哀れみというか微妙な感情が伝わってきた。解せぬ。

 しかし、この下着本当にエロいな。

 もし、昨日みたいに見られたら下着だけじゃなくて、横からはみ出てる尻まで見られるんじゃねーか?

 昨日は下着を見た時に何ともないような態度取ってたけど、本当はどう思ってたんだろうか。その後の態度を見る感じ、実は興奮してたり……

 

「ニヤけてないで決めたなら次はメイク。早く動く!」

「に、ニヤけてなーし!!!」

 

 慌てて反論したが噛んでしまう。別になんともないから、たかが噛んだだけで変な勘違いすんなよ!? そっちこそ、そのニヤけた顔を止めろ!

 そのあと、ずっと顔に熱を感じながらメイクを施して貰うのだった。



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11:38 AM

 時間通りに支度が終わったため、現在予定していたバスに揺られながら待ち合わせ場所に向かっている。

 家を出る際に海実から昨日の晩のお礼を言われた。その言葉に心が温まるのを感じながら、次に続いた「デート頑張れ」という見当違いな叱咤激励に「違う!」と声を張り上げてしまった。俺は今から晴樹と遊びに行くだけでこれはデートじゃねえ。

 いや、遊びに行くなんて表現も生温い。これから赴くは戦場で、言うならばこれは戦だ。

 昨日、不遜にも目の前で宣戦布告されたため「おもしろい、ならば此方も全力で叩き潰してやろう」という上方魔王面ムーブをしてやってるに過ぎない。

 俺の美少女力はビジュアルだけでかなり高い数値を叩き出す。さらに男の頭脳を持つことにより敵の視点に立つことが出来るため、男がどうすれば喜ぶかなど手に取るように分かる。二つの力が合わさり最強に見えるというやつだ。

 つまり、俺が全力を出せば容姿だけが取り柄の童貞オタクなど羽虫と変わらぬ。それでも獅子は兎を狩るにも全力を尽くすという。だから1番信頼のおける人物である海実に戦装束を任せたのだ。最強装備で挑むだけ。俺の思惑としてはそんな感じである。

 さて、今の時間は11:39で次の停留所が降車する場所だ。確認のため、チラリとバックミラー付近にある電光掲示板を確認する。その際、離れて立っている男の人と目があってしまい、俺は気まずさから目を逸らした。

 先程からこんなことばかり起こっている。昨日母さんに言われたこともあり、他人からの視線というものを自分なりに意識してみたのだが、思っていた以上に自分は周りから見られていることに気付かされる。

 元々人から注目されるのは苦手なため、不特定多数からの視線に晒されている今の状況は居心地が悪い。しかもこれはバスの中だけでなく、道を歩いている時でもそんな状態だ。

 自分は今まで見る側の立場だったので見たい気持ちは分かる。特に顔と脚に視線を向けてしまう気持ちもよく分かる。しかし、いざ自分が見られる側の立場になってその苦労を知ると今までのことを申し訳なく思う……というかもう、勘弁して欲しい。

 精神的に大変窮屈な思いをしているとバスが停車し、同時に車内アナウンスが耳に入る。停留所に到着したようだ。立っている人の間を早足に抜けて降車した。それと同時に大きく息を吐く。

 乗車率は高くなかったにも関わらず、満員電車ですら味わったことのないような疲れを感じていた。時間に少し余裕があるため呼吸を整える。そして、気を取り直してから目的地へと向かった。

 ショートブーツは初めて履くが思いの外歩き辛くない。常に運動靴を履いて出かけていた人間のため、この底と踵が高い靴に最初は戦々恐々であったが何とかなりそうだ。そのまま歩くこと5分、広場が見えてくる。

 約束の時間より10分も早くに着いたが、晴樹がまだ居ない場合は待てば良いので問題はない。早速、広場の中にある植木の近くへ向かえば、先に着いていた晴樹を発見する。

 

「……は?」

 

 晴樹が珍しく洒落た服で着飾っていた。プライベートで遊ぶ時は全身ユニクロ&GUで固めている男だったので普段との違いに驚く。それは別にいい。良い心がけだと思う。それ以上に俺は気にかけたことがある。

 それは何かというと、アイツは待ち合わせの場所で女性2人と会話をしていた。2人は丁度こちらに背中を見せているため顔は分からないが、装いからして若い女の子に違いない。

 

 ……ふーん。

 

 まあ、もし、これで俺が彼女だったら待ち合わせ場所で別の女子と会話して待っているなどマイナス100億点は付く失態だな、うん。

 だが、俺は友達なのでなんも問題はない。これから会うのも友達同士で遊ぶための待ち合わせなわけだし? まったく、命拾いしたな晴樹。

 

 ……。

 

 いや、女の子と話して待つだなんて同性の立場で考えても嫌味ったらしいにも程がある。もし、仮に俺が男のままだったとしてもあんな堂々としたモテるアピールは赦すまじ。

 よし、早速だが恥を掻いてもらうことに決めた。昨日のように突然アイツの腕に抱きついてやろう。そして衆人環視の中、真っ赤な間抜け面&激ダサリアクションを披露して目の前にいる女子2人に引かれてしまえ。

 如何にも女慣れしてますって見た目からの落差に失望待ったなしだろう。いやー、暴力的な方法に頼らない俺はなんて出来た人間なんだ。

 しかも、それで女子2人も離れれば一石二鳥じゃないか。我ながら冴えてるね。

 ということで早速行動に起こそう。

 まさかマンガとかでよく見る「すいません、コイツ俺のツレなんで」を実行できる日が来るとはな。HAHAHA。

 お、晴樹がこっちに気付いた。何やら焦っているようだが俺は止まらねえからよ……

 アイツからおそらくだが制止を求めるようなアイコンタクト受け取るが無視する。そして、そのまま女の子2人の間をすり抜けて腕に着弾。

 

「すいません、この人私のツレなんです♪」

 

 昨日、実戦で散々鍛えた女の子ロールを駆使して和やかな笑顔を作る。口調ももちろん整えたものに変えた。

 そんな美少女のサプライズ登場演出に対して晴樹はというと、何とも言えない表情を浮かべている。言葉で表現するなら苦笑いである。

 おいおい、俺はお前にもっとダサい反応を期待してたんだが。さらに俺に対しての言葉はなく、左の瞼に左手の指先を添えながら困ったように「うーん」と唸っているだけ。口元がややニヤけているのが気に食わぬ。

 なんというか、想像してたものと違うつまらない反応に不満を感じた。

 

「葉坂さんだよね?」

 

 女の子から声をかけられてハッとする。今、俺の苗字を呼ばれたよな……?

 というか女の子2人が私服姿だったのと、アホの反応見るのに意識を割いてたせいで気付かなかったけど、あれ……?

 

 この2人、クラスの女子では……?

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……。

 

 

 

 

 ああああああああああああああ!!!!!!

 しくじったああああああああああ!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 現在、目の前に広がる光景は混沌としていた。

 俺は待ち合わせの場所に20分早く着いたのでスマホを弄りながら待っていた。そしたらたまたま見知った顔の2人組と出会したため、何するためにここに居るのかなど世間話もそこそこに過ごしていた。

 そんなところへ天が現れたのだが、こちらを認識して早々にアイツは明らかな作り笑顔でこちらへ向かって来た。

 俺は天が何か勘違いをしていることに気付いたため、このままだと天が恥を掻くと察して制止するよう意思を送る。しかし、そんなものは知らんとばかりに()()()()()の間をすり抜ければ、あろうことか俺の腕に抱きついて来た。

 

「すいません、この人私のツレなんです♪」

 

 そして、完璧に作った笑顔と弾むような口調でクラスメートの女子2人にそう言い放つ。

 それに対して女子2人はというと、面食らって静止している。それもそうだろう。我がクラスに置いて葉坂天という人物がどのようなキャラで認識されているかを考えれば、この2人のリアクションは想像に難くない。

 どれだけ元の男の時点で整った顔立ちをしてても、セットしたわけでもない長い前髪を見れば近付き難くなる。服など他で清潔感を損なうようなことはしてないが前髪のマイナスイメージは中々に強い。

 そして自分から積極的に話に行くわけでも、目立つような行動も発言もせず常に誰かの影に徹して大人しくしている。その結果、接点のないクラスメートからは対人関係が苦手で消極的な人間だと思われている。

 勘違いしている人が俺を間に挟んでやり取りするぐらいだ。そんな伝言ゲームをしなくとも、本人同士で十分やり取りは可能だ。喋ってみれば当たり障りのない会話を出来る程度の対人能力があることは分かるだろうに。

 まあ、本人も気疲れするのでクラスメートとはそのくらいの距離が丁度良いと納得している。そのため、俺から特に行動を起こす必要はないが。

 話を総合すると自分の身嗜みに興味がなく何を考えているか分からないため、やや近寄り難い存在というのが天のクラス内でのイメージとなる。

 しかも、今は女の子だがTSした後でも天は身長がそこそこある。元が170前半ぐらいに対して今は160半ばぐらいだろうか。女性にしては高い方に部類される背丈で、いつものような猫背でぬぼーっとした佇まいをしていた場合かなり不気味に感じるだろう。

 それに比べて今はどうだ。足や肩などそこそこの露出のあるオシャレな格好に明るい表情と口調、俺を驚かせるためか背筋を伸ばした綺麗な姿勢をしている。髪も編み込みハーフアップと昨日とまた違ったアレンジをしているし、よく見ればメイクまで施してある。普段、関わり合いのない人がそのギャップからフリーズするのもしょうがない。

 

「葉坂さんだよね?」

 

 相川の復活が思いの外早かった。新しく現れた人物が天であるかどうかをかなり困惑気味に尋ねてくる。

 天はかけられた言葉でやっと女子2人を正しく認識したのだろう。静止した後に3回テンポを置けば、みるみるうちに顔が赤くなる。そして、声にならない呻き声を漏らし始めた。

 その様子に女子2人は楽しそうな笑みを浮かべる。あーあ、これはもう弄られるの待ったなしだろうな。

 

「顔、あけーぞ」

「うっさいな!」

 

 かく言う俺も天の様子がおもしろくて若干意地悪な言葉を投げかける。それに対して怒り気味な返答をされたのだが全然怖くない。子犬がやる威嚇は必死なのにそれが寧ろ愛くるしいのと同じだ。髪がきっちりセットしてなかったら撫でていただろう。

 

「あ、やっぱり葉坂さんなんだ! すっごいモデルの人みたいに変身してて分かんなかったわ〜」

「葉坂さん美人だしかわいいー!」

 

 俺たちのやり取りを皮切りに女子2人とも興奮気味に天へと詰め寄る。天は肩から身体に対して斜めにして巻いていたウエストポーチを顔の前に持っていき隠していた。普通の会話ならともかく同級生の女子からあんな風にテンションの高い状態で近寄られるのは慣れてないのだろう。俺もあの距離感は後込みすると思う。

 しかし、ウエストポーチを顔の前で盾にしたことにより、目敏い女子2人は天の爪の加工に気付く。その流れのまま手を取られれば「ひぁっ」と小さな悲鳴を漏らしていた。見た目は完璧美少女なので見られるが、元を知ってる俺はただただダサい童貞みたいなリアクションを披露している親友の姿に心の中で笑いが止まらない。

 

「やっぱり付き合ってたんだ? いいな〜美男美女カップル」

「さっきの平坂くんを自分のものアピールするあれとか、意外と独占欲強いね〜!」

「違う! 違うから!」

 

 天は必死に否定の言葉を投げかけつつ、こちらに助けを求める視線を送ってくる。もう顔どころか耳まで真っ赤だが、まだもう少し羞恥して貰おう。どうせ昨日の俺の反応で味を占めたとかで、からかおうとしたのは容易に想像出来る。残念ながらそう言う目論見は自分に返ってくるものなんだよ。だから、諦めて受けたまえ。

 それに性別が変わったことをきっかけに、知り合いの女子にあれよあれよと揉みくちゃにされるTSっ娘あるあるをもう少し目に焼き付けたいんだ。

 「すまんな、天」と心の中で気持ちを込めてない言葉を送る。とりあえず、この後のことも考えてほんの少しその光景を見守ることにした。

 そして丁度5分経った頃、放っておけばまだまだ長引きそうなので間に割って入る。

 

「あー、2人とも悪いけどコイツ、俺との約束あるからここら辺でちょっと、ね?」

 

 女子2人はそれで俺が蚊帳の外で待っていたことに気付いたのだろう。俺たちにそれぞれ簡単に謝ると天を解放してくれた。

 解放された天だが体力に自信があっても、慣れない女子トークに短い時間ながら身を置いたことで疲れを見せていた。そしてこっちを見るや否や、顔目掛けて無言の猫パンチを放ってくる。力のないそれを俺はピッチャーフライを取るみたいに片手で軽くキャッチして見せた。

 

「そんなに手を繋いで欲しかったのか?」

「ちげーよバカ!」

 

 いつものように軽口を叩けばツッコミが返ってくる。言葉に若干の怒りが込められてた辺り、俺の煽りは中々のキレだったようだ。少し満足気になる。

 そして、そんな俺たちのやり取りを見て女子2人がワーキャー言った影響だろうか。照れ隠しの勢い余って、天は蹴りを入れようと足を上げる。高さ的にローではなくミドルか。流石にハイキックはないだろうが、ミドルでもスカートの長さ的に俺の腹の高さまで足を上げるのは危うい。勢いが乗る前に手で制して蹴りを殺した。

 

「い゛っ゛」

 

 しかし、予想外なことに蹴りを未然に防いだことで天が痛がる。別に抑えただけで、強く叩いたわけでもないため理由が分からなかった。

 天は一層内股気味になれば、股間から足の付け根付近を手で抑える。流石に心配になるも興奮が冷めてないのか、天が吠えたため近寄れなかった。代わりに女子2人が近寄る。

 

「葉坂さんどうしたの?」

「ま、股が……」

「……股? え、今の蹴りで?」

 

 どうやら股を負傷したらしい。しかし、相川が言及したようにあの程度の蹴りで足の間の筋を痛めるだろうか。天も流石に格闘家やスポーツ選手のような柔軟性は持ってないだろう。だが極端に身体が硬かった記憶もない。それに女の子の身体になったのなら、寧ろ柔軟性が増すのではないか?

 とりあえず返答を待つしかないのだが、言葉が中々返ってこない。顔を見れば目線が左右に泳いでいるし、また顔に赤みが増している。何かを思い出しているのだろうか。しかも自分にやましいことがある恥ずかしい記憶的な。こう、枕に顔を埋めたくなるような感じのやつだ。

 何か嫌な予感がする。そう思ったところで天から指を差される。同時に女子2人の目線が刺さる。

 

「こ、こいつ……こいつが昨日色々するから……っ」

「え、ええええええ!?」

「うっそー!?!?!?!?」

 

 天の言葉を皮切りに2人の驚愕を含む叫びが広場に木霊する。今の声で通行人も何人か一瞬だけ足を止めた程だ。

 かく言う俺はというと、

『あっ、コイツ今自分の恥ずかしい記憶を誤魔化すために罪をなすりつけたな』

 と冷静に判断を下していた。早速だがこの後の仕返しを考え始める。

 

「ど、どう言うこと!? どう言うことなの!? 昨日葉坂さん休んでたけど!?!?」

 

 しかし、相川が興奮気味に詰め寄ってくる。その勢いに圧倒されてしまい、考えを中断する。とりあえず落ち着いてもらうためにも、疑問には正直に答えていこう。

 

「昨日天の家までお見舞いに行って会ってはいるから」

「お見舞い、そっか。で、でも葉坂さんって昨日はあの日だったから休んだんじゃ……?」

「……あの日?」

「その、あれだって……………………女の子の日」

 

 相川の言葉にイマイチ実感が湧かないため頭の中で反復させる。女の子の日って生理のことだよな。生理って知識でしかないが重いと学校とか職場を休むぐらい辛いと聞く。と、ここで一つの疑問の答えが見つかる。

 なる程、休む程重い生理にも関わらず労ってあげないのは、友達としてやや薄情ということか。昨日、仲里が言っていたことの意味がやっと理解できた。だが、昨日の天の様子を思い出してみても全然辛そうではなかった。隠していた可能性もあるがTSして1日目、しかも生理も初体験だとしたらそれを隠す余裕なんてあるだろうか。

 寧ろなんだこのダルさは、と理由の分からない体調不良へのイライラで冷静に居られないのでは。さらに言えば自分の股から流血するショックでパニックする方があり得る。あ、女子にこんなこと聞けないしもし天に生理が来たらTS好きとして聞いてみよう。そうしよう。

 ということを踏まえると、昨日のあの感じは生理じゃないと考えて良いだろう。

 

「天って別に昨日生理とかじゃないよな」

「……は? いや、違うでしょ。昨日夜までずっと一緒に居たじゃん」

 

 一瞬ポカンとした表情を浮かべるも、天は顔は赤いまま何ともないように返事をする。態度的にも白と見て良いだろう。

 その際に相川から白い目で見られて、こんなところで聞いた自分のデリカシーのなさに気付く。この手の話題をするにあたって距離感が男友達のそれだったのは流石にまずいな。

 しかし、天が何ともないように答えたことで、女子2人は何とも言えない表情で固まっていた。

 

「あ、この後守屋とかと会う時話題にしてもいいけど、教室とか俺たちが居るところで堂々と話すのは無しな」

「え、あっ、うん、了解」

「じゃあ、また学校で」

 

 時間も惜しいので仲里と相川とはここらで別れよう。天も大分落ち着いたようなので、もう近寄れる。そして、肘を曲げて身体と腕の間にスペースを作った。

 

「ほれ」

「やんないからっ!」

 

 腕を組むよう促したが断られる。まあ、さっきの行動への意趣返しなので当たり前だが。とりあえず、いつものように肩を並べて歩き出す。後ろを振り向いて仲里たちに軽く手を挙げれば、向こうも振り返した。

 

 

 

「俺じゃなくて私って言ってたよ葉坂さん!」

 

「普段は付き合ってるの隠したかったから、キャラ作ってたのかな?」

 

「あー、ただあれは昨日初めて済ませた感じだよね……!」

 

 

 

 遠くからでも女子2人が何か盛り上がってるのが分かる。男女が2人一緒に居るだけで女子にとってはお祭りごとなんだな、としみじみ思った。いや、否定しなかったから天はともかく俺は確信犯か。

 まあ他人からどう解釈されようが、邪魔されないなら俺はそれで良い。関係性を決めるのは他人じゃなくてあくまで自分たちだから。

 拗ねてそっぽを向いている親友の姿を見つつ想うのだった。



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1:10 PM

今年はありがとうございました
来年もよろしくお願いします

目次をご覧の方はご存知かもしれませんが天の挿絵を依頼して描いていただきました
8:20 PM (11話)にございます
素晴らしいイラストですので是非


 

 

 女子2人と別れた後、俺と晴樹はカラオケ店へ来ていた。ここに来る道中は先程の同級生と出会すというアクシデントのせいで、若干機嫌が悪かった自覚がある。しかし歌を歌えばあっという間に曲がったヘソも元通り。今まさに熱唱している最中だったりする。

 TSしたおかげで今までは出なかった音域が出るのがとても気持ち良い。男の頃は原曲キーで歌えなかった女性ボーカルの曲を中心にもう選曲しまくっている。

 普段はジャンヌやポルノやシドのようなバンドの一昔前のアニメ主題歌を中心に歌っている。しかし、今日はヨルシカからSuperflyや相川七瀬と女性ボーカルならなんでも来いという心意気の下、新旧ごちゃ混ぜセトリを作ってしまった。

 『男の低い声でそれ歌ったら台無しじゃん』と、自分が歌う時にいつも思ってたので、女性の声を出せるようになればこの結果は必然だったな。

 今歌ってる曲は世界のYUI MAKINOの「アムリタ」。本家はやはり偉大というか、それと比べれば俺の意識して出す甘い声も控えめに感じてしまう。しかし、自画自賛してしまうが俺のさらっとした清涼感のあるウィスパーボイスもそれはそれで悪くない。特にサビで1番高くなるところで使うファルセットは自分で聴いてても心地良く感じる。

 

「ふぃー……やり遂げた感凄いな」

 

 最後まで歌い切って一息つく。首を左右にコキコキと傾けた後に肩をひと回し。その何とも男臭い仕草を美少女な見た目の自分がやっているのは酷くアンバランスだろう。しかし、コイツにはそれが良いのか嬉しそうにこちらを見てくる。

 

「というか三曲連続で俺が歌っているんだが?」

「気にするな、満たされてる」

「いや、流石に疲れたから休憩がてらお前の歌でも聴こうかと思ってるんだけど」

「気にするな、満たされてる」

「おい」

 

 繰り返し同じ返答をするアホに、壊れたテレビを直す要領で肩パンを一発入れる。男の時なら「いてーな」と一言返ってきただろうが、痛くも痒くもないのか気にする様子もない。今の拳は骨張ってないし当たっても全然ダメージは入らないようだ。むしろこっちが痛かったりする。くそぅ……。

 こちらのツッコミを受けて晴樹はようやくタブレットを手に取った。首を竦めてしょうがないなと言った動作をした後に画面に目を落とす。曲を探し始めたようだ。

 俺は晴樹が探し始めたのを確認すると、空になったコップを片手に立ち上がる。喉が渇いたのでドリンクバーに注ぎに行こう。

 晴樹は俺が立ち上がったことに気付くと、足を浮かせて身体の方に引っ込める。そうすることで机と椅子の間に通れるスペースが出来る。

 

「サンキュ」

「ん」

 

 一言簡素な礼を言ってから間を通り抜けていく。部屋の中は時間経過と共に熱気が篭っていったのだろう。廊下へ出た瞬間に先程まで然程感じなかった寒暖差に身体が震える。冷たい飲み物だけだと思っていたが、温かい飲み物も持っていくことを決めた。

 しかし自分で言うのもなんだが、空になるペースが早いな。まだ1時間程度にも関わらず3回目ぐらいの補給になる。明らかに俺の歌ってる回数の方が多かったからそれも当然か。

 トレーを使い、冷たい飲み物の入ったグラスと温かい飲み物の入ったカップを部屋まで運ぶ。

 

「ホット?」

「いつもより肌出てるせいかちょっと寒ぃ」

「ああ、なるほど。まあ女性の方が体温低いらしいし、もしかしたら体質が変わっててその影響もあるかもな」

 

 部屋に戻ると早速晴樹は気になったようで聞いてきた。

 俺はてっきり足出してたりとかが原因かと思ったが、そんな理由もあるかもしれないのか。そう言えば男女の体温の違いが敵の能力の突破口とかうんたらをマンガで見た記憶があるな。

 ぼんやりとそんなことを考えつつ持ってきたコーヒーに口を付ける。ただし熱かったため少し口をつけただけであまり飲めない。しょうがないので放置して冷めるのを待とうか。晴樹の方を見るとまだ曲を選んでいるのか画面をスクロールしていた。そんな風に眺めていたら目の前にタブレットが差し出される。

 

「やっぱ俺の順番飛ばして歌って良いよ」

「いや、もっと歌えや」

「えぇー……」

 

 聴き専になろうとしているがそうはいかない。晴樹は基本何でも器用に熟すが、歌も例外でなく割りかし上手い。だからコイツの歌を聴くのは結構好きだったりする。特にバラードとかスローテンポの曲が良い。

 しかし、本人は恥ずかしいのか何なのか知らないがバラードは滅多に歌わない。毎度歌いたい曲を出し切った後でようやく歌うが、今日はそこまで辿り着くだろうか。普段ならほぼ交互で歌っているが今日は俺が一方的に歌っている。つまりコイツのレパートリーが切れる前に退出する可能性が高い。だが折角来たのだ、聴かずして帰れるか。差し出されたタブレットを突き返してやった。

 俺にはコイツに言うことを聞かせる有効的な手札が幾らでもある。さっきはしてやられたが今は部屋に2人きり。第三者が居なければ想定外な事態も起こり得ない。よし、今度こそ晴樹にこれからの関係でどちらがイニシアチブを握るのかを分からせてやる。そのための矢をつがえる。

 まず意図的に晴樹と視線を合わせる。こちらから視線を投げ掛ければ向こうも気付き、容易に目は合った。次にくすっ、と意識してやらないと出来ないだろう綻ばせるような笑みを浮かべる。

 そうすれば晴樹は今までの自然体の佇まいから一点、明らかに身構えて警戒心を露わにした。

 

「なんだよ」

「ん?」

 

 その意味深な笑みは何だと聞きたいのだろうが、惚けた笑顔で答えををはぐらかす。いい感じに意識してるな。

 そう、不意を突くのではなくこれから何かやるぞという素振りを敢えて見せる。そして相手に対応させた上でそれを真っ向から打破する。そうすることで何をやっても無意味だと、力関係を見せつけてやるのだ。

 席を移動して晴樹の隣へそっと腰を下ろす。3人分くらい空いていたスペースを詰めれば、お互いの肌が触れるギリギリの距離になる。晴樹は意地かプライドか、身体を反らしたり反対に向きを変えたりはしなかった。

 しかし、口元を隠しながら目線を逸らした。これはおもしろがってる時のわざと作った照れ方でなく、素で出てしまった方の照れ方だ。

 よしよし、予想通りの反応に手応えを感じれば晴樹の耳元へ口を近づける。そして、先程ウィスパーボイスで歌った時よりさらに吐息の量多めを意識して囁く。

 

「晴樹の本気の歌、聴きたいなぁ」

 

 晴樹の口元を隠していた手が顔を覆うように変わり、俺から逃げるように顔を背ける。

 云々唸ってまだ無駄な抵抗を見せているようだが、かなり傾いているのは一目で分かる。もう、そっと触れるどころかそよ風を送るだけで倒れるだろう。今すぐ楽にしてやる。

 赤くなった耳に狙いを定める。音と吐息の逃げ場を消すよう口の前に両手を添えれば、鼓膜直通のトンネルの出来上がり。

 DL時間一切なし、美少女から直接の生体験ASMRを味わうが良い。

 

 すぅー。

 

「もし、高得点出したら何か好きなことしてあげよっか……?」

「っ…………………………」

 

 

「……ね♡」

 

 

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッああ、分かったよ!」

 

 長い沈黙の後、観念したのか了承の返事を得ることが出来た。俺が離れると渋々と言った感じにタブレットを操作し出すが、ぶふっ、ガチ照れしてるのは分かってんだよ……くくっ。あっ、無理、ダメだ、あまりに目論見通り事が進んだのが面白すぎて我慢できねえわ!

 俺の中にある笑いを抑え込むダムが決壊を起こしてしまったため、大口開けて笑う。ソファを手でバンバン叩いてしまうし、下の階にお構いなしに地面も足で何度も叩いてしまう。

 

「アホや!中身が、元が男だって知ってんのにこんな見え見えの演技に乗せられて!!ばーか!ばぁーか!」

 

 あー、やっぱおもしれーな! 美少女ってステータスは違うぜ、なあ? 朝から色んな人に視線を浴びせられて、これから外出するたびにジロジロ見られるのかと考えた時は勘弁してくれと思った。しかし、そんな美少女になったが故のデメリットも、晴樹に言うことを聞かせるというメリットの前ではお釣りが来る。

 腹を抱えてぎゃははは笑っていると、スピーカーから突然音が流れてくる。早速採点モードを入れたようである。

 

「好きなことって言ったけどそれって得点で変化したりすんの?」

「ああ? 細かいことは考えてないけど良いよ、んふふっ、じゃあ95点以上取れたら何か言えよ。それ以外はなしだ、ぷっ……!」

 

 笑いを堪えながら何とか返事をする。俺としては真面目になって歌った歌を何曲も聴きたいから一発勝負をさせるつもりはない。むしろ高得点狙って何度も挑戦してくれた方が都合が良い。だから目標値を設定してそれ以下は、たとえ94点取ろうが全部考慮しない形をとる。

 

「回数無制限でいいから、95点以上取れるようせいぜい頑張れや……っ」

「へぇ、一度吐いた唾は飲み込めないからな。後悔すんなよ?」

「期待せずに期待してやんよ……くくっ」

 

 画面に入れた曲のタイトルが映る。晴樹が入れた曲はWANDSの『錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう』だ。古いが良いチョイスじゃないか。画面がカラオケ用の映像に遷移するとイントロが流れ始める。さて、お前の実力を見せて貰おう。

 

 ……。

 

 ……いや、上手くね?

 

 なんだその音程のブレなささは。サビの高いところでも外さないのは一体何なんだ。曲の1番が終わった時思わず聴き入ってたわ。やや冷や汗を掻きつつ採点画面を見守る。

 そして歌い終わった後、画面に表示された点数は89点。ふぅ、と気付かないうちに止めてた呼吸を再開すれば大きく息を吐く。

 いや、目標にはまだまだだが全国平均より高いじゃん。全然余裕出来ないラインじゃん。てか、今まで採点機能なんて使ってなかったけどコイツ数字にするとこんな上手いの? 感覚的なもので上手いなあとは思ってたけど機械からだとこんなに評価高いの?

 もしかして俺は部が悪い約束を取り付けてしまったのでは。

 

「や、やるじゃん」

 

 何とか余裕そうな表情と態度を繕いながら晴樹に一言かける。それに対して晴樹は簡素な返事をした後に「なるほどね」と、意味深な言葉を漏らしてから背もたれに身体を預けた。

 いや、なんだ今の「なるほどね」は。

 

「次、いいぞ」

「え、あっ、う、うん。よっしゃ、次は何を歌おうかなぁ〜?」

 

 考え事をしているところへ、不意を突かれるように目の前にタブレットが差し出された。そのため若干挙動不審になってしまう。クッソ、何でこんな緊張感を味合わなければいけなくなったんだ。

 だがそれで楽しめなくなる程、俺の精神は繊細じゃない。今さら止めろなんて言えないし、さっき散々馬鹿にした後だから許して貰えそうもない。なら当初の予定通り楽しむしかない。ということで椎名林檎の『公然の秘密』を選択。

 まあ、晴樹も頭おかしいことは頼まんだろう。あったとしても飯奢ってくれとかでしょ! ……でしょ?

 不安は拭えないがイントロが流れ始めたので気持ちを切り替えた。

 

 ……

 …………

 ………………

 

「おっ、超えたな」

「いや、お前……」

 

 晴樹は5曲目でついに95点超えを達成してしまった。曲はGreeeeNの『愛唄』。晴樹が1曲目の歌い終わった後に言った「なるほどね」は、採点機能の癖が分かったという意味だった。2曲目からは加点をバンバンに稼ぐようになり、以降は点数を落とさずにじわじわ上げてきたのだ。こんなガチに取り組んでくるって何やらせる気だコイツ……

 やっぱり今、見た目とか肉体的には男じゃないし折角なら女の子にやって欲しいこととか頼んで来るのか……? そうなるとやっぱスキンシップ系、例えば抱き着かせてとか。

 うぅ、自分から揶揄う目的にやるのは全然変な意識しなかったが、そんな風に相手から求められて態々やるとなるとやっぱり恥ずかしいっていうか……

 もしかしたらそれ以上のこと、昨日の続きしようとか言われたら……

 

 あーーーーーーーっ、頭ピンクか!!! どこのアニメのヒロインだ俺は!!!

 

 あー、やめやめ、んなことないない。一旦自分を落ち着かせよう、そうしよう。気付けば口の中が渇いていたので、飲み物を飲んで潤わせる。

 

「よーし、もう一回95点超え狙うか」

 

 ブーッ!!

 

 口に含んでいた液体を全部噴き出す。

 

 は!?!?!?

 

 信じられないものを見るような目で見てしまう。口の端や顎から液体がポタポタ滴れるのも気にならないぐらい気が動転している。いや、コイツマジで何やらせる気だ!?

 

「なんで!? もう一回ナンデ!?」

「回数無制限って言ってたからおかわりしようかと」

 

 いや、言ったけどそういう意味じゃねーから!

 手のひらを前に突き出し待てのジェスチャーをしつつ、汚くなった口周りを拭く。落ち着け、相手のペースの乗せられてるぞ。一回深呼吸する。

 OK、取り敢えず言い分を聞く程度の落ち着きは取り戻した。

 

「お前何やらせるつもりなん?」

「辱め」

 

 ……。

 

「……ごめん、俺泣いても良いかな」

「……それはそれでちょっと興奮するかも」

「変態っ!!クソ変態野郎っ!!」

 

 マイクを通さないにも関わらず部屋に響くほど大きな声で罵倒した。肩で息をする程、目一杯発声したので改めて水分補給。飲み終わった後、アルコール飲料系のCMのように「あ゛ー」と息を吐く。

 まあ良い感じに言葉のプロレスも終了したことだし、そろそろ本当のことを聞き出そう。わざわざストレートな単語を使ったってことは、その気はないと考えても良いだろう。

 

「で、結局何やらせたいんだよ」

「この曲を歌ってくれ」

 

 俺が問えば晴樹はタブレットを操作しだす。慣れた手つきで検索を始めれば数秒後、画面を突き出される。画面に表示された曲は松浦亜弥の『ね〜え?』だった。

 うっへぇ、ゴリゴリのアイドルソングじゃん。歌番組の懐メロ特集で知ってるし、割と好きだけど自分じゃ絶対選ばない曲だ。何故かって? そりゃ歌詞とか曲調とかめっちゃかわいい系だからだ。

 

「手抜くなよ?」

「ぐっ、分かってるよ。やってやろうじゃねーか! 俺に惚れさせてやるよ」

 

 晴樹から釘を刺されたがこれは言わば罰ゲーム。罰までしっかりやらねばゲームは成立しない。だから言われなくとも当然全力でやるに決まってるだろ。

 だから、俺はこれ以上ない啖呵を切ってやった。こんなかわいい見た目でこんなかわいい歌を歌う女の子が居たら俺なら骨抜きだね。逆手に取ってやる。

 イントロが流れる。やっぱこのポップでかわいい曲調自分で歌うってなると恥ずいな。

 

 〜♪

 

 あっ、駄目だ声が震えてるわ。顔が熱ぃし確かにこれは辱めだ、ひぃー……!

 おそらくそんな俺の醜態を見てニヤついているだろう晴樹の方を見る勇気が起きない。だが、恥ずかしがる程余計に喜ばせてしまう。だから全力でノリノリで歌ってやる。

 何とかAサビを歌い切った頃には照れも大分抜けており、そこそこの余裕が生まれていた。間奏部分のためチラリと晴樹の方へ目をやる。

 いやー、思い通りにならなくてすまんな。

 ……もしかしたら逆に歌声の前で無様にメロメロになってるかもしれなかったり。かわいいしな、それも仕方なし!

 

 ……チラッ

 

 

 

 

 

 ▽はるきはスマホをいじっていた

 

  なぐる

  ○す

 ▷ツッコむ

 

 

 

 

 

 

 

「いや、聴けや!」

 

 

 

 

 

 マイクを通して全力でツッコミを入れる。なんと晴樹はスマホの画面に目を落として、ながらで俺の歌を聴いていた。ツッコミを入れられたことでやっと晴樹はスマホ画面からこちらへ視線を移す。なんだよ、ノリノリで歌って、俺めっちゃ恥ずかしいやつじゃん! メロメロとかなん……ッ、あ〜〜〜〜〜〜っっっ!!! クソッ!! 過去の俺、このムカつく男と一緒に死ね〜〜〜〜〜〜っ!!!

 

「約束なんだから何があってもちゃんと歌わないとダメだろ?」

 

 余裕綽々な表情で淡々と語る晴樹。いや、今確かに口角が少し上がった!

 コイツゥ……ッ、辱めってただ歌うどころか俺が勝手に空回りして自滅するところまで計算の内ってか……ッ!! 

 許せねえ、そっちがその気ならこっちにも考えがある。絶対意識向けさせてやろうじゃねえか。罰ゲームじゃなくて、ここからはもう戦争だ。本気にさせたことをアホに後悔させてやる。俺は固く、固く誓うのだった。

 



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2:27 PM

 

 

 天がトイレへ行くため部屋を退出した。まあ、かなり早いペースで飲み物を飲んでいたし当然だろう。

 俺は騒がしさの去った静かな部屋でまず心を落ち着かせることに専念する。そしてふう、と一息吐き出せば、背もたれに体重を預けた。

 心臓は鳴り止んだようだ。

 自分が思っていたより疲労があったのだろう。そのままソファに座っていた身体はずり下がっていく。背中の半ばぐらいしかない背もたれに後頭部を預ければ、座面の端に尻を乗せていると言うより引っ掛けているような状態になる。

 その体勢のまま両手で顔を覆うと、思っていたことがそのまま口から溢れた。

 

「かわいすぎんだろ……」

 

 思い起こすのは天が歌っていた先程の光景。明るくポップなガールズバンドの曲をノリに乗って笑顔で歌う姿。しっとりとしたバラード調の曲を切なそうに歌う姿。そして歌詞の甘いアイドルソングを恥じらいながら歌う姿。

 最後のは俺がリクエストして歌わせたのにも関わらず、見るのが照れ臭すぎてついつい誤魔化した態度で直視せずに済ましてしまった。勿体ねえ。

 しかも天は最後の曲を歌っている最中、何を考えたのかこちらへもたれかかって来たのだ。いや、多分アイツなりの反撃なのだが、しかしその時頭皮やら色んなところから香ってくる匂いにやられそうになってしまう。

 その影響で身体の一部が元気になり始めたため、くすぐる様に背筋をそっとなぞってやった。これなら反射的に飛び退くだろうと考えてのことだ。

 まあ、結果的に言えば狙い通り飛び退いた。ただしなぞられた際にビクリと身体を震わせ、艶めかしい声を出しながら、だ。そのトドメと言わんばかりの光景に、俺は元気100倍になった。

 なんとか気付かれなかったから良かったが、あの時にご起立がバレていたら気まずいなんてものじゃなかったと思う。

 というかアイツから仕掛けてくるスキンシップが遠慮なさ過ぎる。耳元でウィスパー ボイスで囁いたり、無防備に身体を預けてくるとか。

 オレの事からかうのを楽しんでるのは分かるが、夢中になって距離感がおかしくなってるとしか思えない。

 それとも既にあっちから勝手に堕ちかけているのではないか……? こっちが色々考えてたのがバカらしく思えてくる。

 いや、それは流石に都合良く考えすぎか。反撃した後、睨んできたからな。あれは自分が無敵だと勘違いして調子乗ってるだけだ。早急に矯正してやる。

 座面に手をついて、ずり下がっていた体勢を戻す。その際にふと、目の端である物体を捉えたので視線を移す。ソファーの上、そこには見慣れないウエストポーチが無造作に置いてあった。

 レザー素材のホワイトカラーで、女の子が身につけていそうなそれは天が今日持ってきた物だ。最低限スマホだけ持ってトイレに行ったようだが、曲がりなりにも女子の身体なやつが出先でトイレ行くのにカバンを持っていかないのはどうなんだろう。

 今日は薄く化粧をしていたし、身嗜みを整える道具とか入っているんじゃないか? それこそ数時間前に生理の話もチラッとした。カバンの中にその辺りの物も入っていておかしくないだろうに。

 まあ、こういう見た目や素振りは美少女でも中身は男だと感じさせるギャップ、俺としてはポイント高い。

 しかし、尿意というのは伝播するのだろうか。なんか俺もトイレに行きたくなってきた。この場合、アイツが帰ってくるのを待って入れ替わりで行くのが一番だろう。

 だが女の子の身体になってまだ2日目の途中、トイレで用を足すのに苦戦している可能性がある。その時間を待つことを考えると、今の膀胱の状況はやや心許ない。

 だからと言ってカバンを置いて出て行くのはよろしくないしなあ……。持って行くか? 男子トイレにこのカバンを。

 まあ、放置してもし盗られでもしたら最悪だし、こういうのは念のためだ。しょうがない、別に困るような物でもないし持って行くか。ということで天のカバンを片手に男子トイレへ向かう。

 

「うっす」

「お、晴樹じゃん」

 

 そして、見知った顔と出会した。

 3つ並んだ小便器の真ん中を空けて左右に2人。田辺(たなべ)中川(なかがわ)が居た。

 違う相手とはいえクラスメイトとの2度目の遭遇に世間の狭さを思い知る。というか、ここら辺で遊べる場所なんて駅周辺しかないから出会う確率はかなり高いか。当たり前と言えば当たり前だったな。

 

「お前らもカラオケか」

「男4人でな、ちなみにウンコしてるのはその内の1人とかじゃねえよ」

「いや、個室使ってる人に失礼だからやめろ」

 

 田辺の頭を軽くはたく。高校生にもなってマナーがなってない、というより不意に知り合いと会ったことで気が大きくなってると言った方がこの感じは近いな。ただウケ狙いに面識のない他人を巻き込むのはよくないことぐらいの分別はつけて欲しい。

 田辺と中川と仲良い相手といえば鈴木(すずき)高林(たかばやし)辺りか? 野球部補欠組のいつメンで受験勉強の合間の息抜きと言ったところだろう。

 なんて短い考察をしていると田辺が出し終えたのか、ズボンの状態を直している。そして、便器前から立ち退くと肩パン一発かまそうとこちらへ拳を放ってきた。

 さっき頭を叩いた分のお返しに軽めの一撃と言ったところか。いつもなら食らってやるのだが、手を洗っていないため間一髪でその攻撃を避ける。

 

「いや汚ねーだろ!」

「おっと、悪ぃ」

 

 田辺は今の言葉で手を洗ってないことに気付いたのだろう。素直に謝ってきた。田辺は直感的なやつで、そのせいか考えなしに配慮の足りないことを良くする。

 ただ、それがキャラとして受け入れられているし本人も悪いのに気付けばすぐ謝る。何というか絶妙なバランスで成り立ってるやつなのでまあ、いつも通りだな。

 ということで、避けはしたが攻撃を仕掛けたってことはやり返されても文句は言えないよなあ?

 

「どどん波!」

「にぐぇッ!」

 

 立てた右の人差し指で田辺の乳首へと狙い澄ました一撃を食らわせてやった。今日の技の冴えは中々だと心の中で自画自賛。

 そして、そんなやり取りの裏で中川が洗面台へと向かっていったので俺は真ん中の使用されてなかった便器の前に立つ。

 

「そういうお前は誰と来たんだよ〜?」

(てん)さんに黙って別の女と遊びに来たのか?」

「いや、普通に天とだよ」

 

 左胸を押さえた田辺から問いを投げかけられれば、戻ってきた中川が続ける。しかし、文脈が理解しきれなかったのでその意味を咀嚼する。

 クラスメートからは俺たちが交際している、という想像を勝手にしているのは雰囲気で伝わってくる。

 だから「天に黙って〜」の文脈は分かる。だが、それを踏まえればその後に続く「別の女と〜」は分からない。一体何を判断材料に言ったのか。それとも今後おちょくるためのネタ集めで単純にカマ掛けしてきただけだろうか。

 

「じゃあ、その見せびらかすように持ち歩いてるカバンは誰ンだよ?」

 

 それは肩にかけていたウエストポーチを指差されながらの一言だった。あー、そういう事か。

 俺と天本人以外の記憶からは、天は初めから女として生まれたことになっている。そのため学校の制服など生活する上で融通が利かない記憶や記録は上手いこと改竄が起こっている。しかし、改竄しなくとも整合性が取れる私服などの記憶と記録はそのままだったのを思い出す。

 それでやっと2人の疑問に着いての合点がいった。

 

「天のだよ。部屋空けるのに荷物置きっぱは嫌だったから持ってきただけだから」

「いやいや、(てん)さんがそんなカバン身につけてるイメージないって。真っ黒でナイロンのウエストポーチとかしてそうじゃん?」

「ウエストポーチじゃなくてもとりあえず真っ黒なカバンだな」

 

 なるほど、確かに普段の天の格好を知ってるならこのウエストポーチはイメージとの乖離があっておかしくない。なんやかんやで、今日みたいに遭遇、または声を掛けずともお互いに遠目で見かける事は多い。そのためそれなりに目撃情報はあるのだろう。俺からしてもこのウエストポーチは、天が男の時なら絶対身に付けないと思う。前提として男性向けブランドではないし。

 実際、記憶を辿っても天の身に付けてるのは黒のボディバックだったりする。

 

「いや、カバンの方が派手になってどうするって感じってか、先に本体性能上げないと使いこなせない武器に振り回されるマンガならすぐやられるキャラみたいになるじゃん?」

「別に今日は普段みたいな格好ってわけじゃねえけど」

 

 田辺が戯けるように言う。ウケ狙いで言葉選びを多少大袈裟にしてるのは分かる。

 

「へぇー、(てん)さんもオシャレするんだな。あれか、首元かっちりして丈の長いワンピにつばの広い帽子被って、長手袋とガーターストッキングして全身白色コーデ的な」

「ブッ、妖怪のやつじゃん!」

「いや、妖怪って言うな、都市伝説だよ」

「それ同じやつー!!」

 

 そして、俺抜きで2人は漫才のようにテンポの良い会話を続けた。

 確かに普段の学校に居る時の天をそのまま女子に変換すれば、地味というか不気味なビジュアルなのは想像に難くない。身長も女子にしては高いし。

 2人のイジりもやや言い過ぎなところはあるが理解も出来る。そして中川が言ったコスは普通に見たい。

 だが、オシャレしたかわいい天を知っている身としてこの扱いが釈然としない。

 

 ……。

 

 まあ、異性に対する評価は本人が居ないと遠慮がなくなるのは良くあることだ。自分も修学旅行の夜とかついつい悪ノリして失礼な事を口走ったこととかあるしな。

 それに加えてどこか天へのイジりには同性相手にする微妙な親近感が残っているように感じる。

 齟齬が生まれないのは記憶や記録だけで、男女の違いから生まれる違和感は消せない。だからこうした弊害も生まれてしまうのだろう。

 変にツッコミはせず、雰囲気に合わせて適当にヘラヘラしとくか。

 

 ……。

 

 ……いや、無理だな。

 

 これまでの俺ならこの程度のディス交じりはネタとして流していた。男の頃の天なら気に留めないだろうし。しかし、これからは違う。

 天は記憶が変わってなくとも、身体とともに脳は女の子になっているのだろう。思考の節々に男の頃との違いを感じる。それが分かったから俺はアイツのかわいさを全力で受け入れてしまうんだ。

 アイツがそこら辺の認識が変わったなら俺もそこは変わって付き合わないといけないだろう。

 きっと今回のオシャレは妹さんに手伝って貰いはしたが主導は天の筈だ。その行為は努力であるし、やるにあたって当然勇気も出しただろう。

 なら、ここで雰囲気を守るため場の空気に合わせるのは大人じゃなくて大人のフリだ。

 思ってないことをやるにしても、自分の中にある譲れないものに対してすることはやるな。自分で自分を裏切るな。そして俺自身を裏切ることはきっとアイツを裏切ることにも繋がる。躊躇なんて必要ない。教えてやるんだ。

 しかし、言葉を返すにしても少々意気込み過ぎたのだろう。だからか色んな話の流れや過程をぶった切った言葉がついつい口に出た。

 

「天は普通にかわいいからな?」

 

 俺の発言により、騒がしかった場は静寂に包まれた。先程までは声に掻き消されていたが、最新楽曲を流している店内放送は歌詞まで鮮明に聴き取れる。さらに各部屋から漏れるサラウンドまでよく聴こえる。

 そして、喧しさの元凶だった2人はと言うと、面食らったかのような表情でこちらの顔を覗き込んでいた。

 

 ……いかん、アクセル踏み込み過ぎた。

 

 頭の中にいた冷静な自分は、天の容姿に関しての発言を改めるよう少しずつ諌める言葉を探していた。怒りのままに捲し立てるような物言いはよくないしクールに行こうと思ってのことだ。

 しかし、心の方は全然冷静じゃなかったようで、頭脳が考えてくれた作戦を全部無視して突撃してしまった。気持ちが急くとはこのことか。

 

「あー、分かるよ。俺も中学の修学旅行で同じ部屋の奴らに好きな子ぶっちゃけた時にかわいくないってこき下ろされたからムキになるの。……でも実際好きって気持ちは結構バイアス掛けちゃうもんだからさ?」

 

 と、ここで静まった空気を破る様に中川がどこか物耽った様な表情で語りかけてくる。俺が発端で白けかけた場の沈黙をカバーする様なタイミングだ。しかし、これは俺を諭す流れだと直ぐに察知。

 この感じはつまり、俺の言ってることを全く真に受けてないということだろう。ただ単に俺の美醜の判定が甘くなってるだけだと、もう少し主観的ではなく客観的にものを言えと言いたいらしい。納得いかないな。

 そんな不服な気持ちだからか、俺はさらに前のめりに、さらにヒートアップしてしまった。

 

「お前ら信じてないな? 確かにお前たちの中では地味なイメージがあるかも知れないが天って実はめっちゃかわいいから。ビジュアルはもちろんのこと、声もそうだし仕草とか色んなところに良さがあるんだよ。昨日のゲームで負けてムキになるところとかメッチャ良かった。ムキになりすぎて無防備になる天然なところとかあるけどそう言うのお前たちも好きだろ? そういう女として隙が多いところとか最高だし、調子に乗ってわざとかわいいフリするのがかわいい。男心を熟知してるというか計算されたあざとさを使ってくるんだけど、それがバレてるのに自信満々でやってくるのが逆にあざとくてかわいいね。そんな感じで攻めてくる癖にそれが仇となって自爆するところがメッチャ良い。さらに押しに弱いからこっちから色々言うとどんどん恥ずかしくなるところとか見てみろ、スゲー興奮すっからな。ホントお前らにもさっきのカラオケ見せてあげたいよ、ノリノリでかわいい曲歌う天の姿を。アイツの歌声一度聴いてみな、飛ぶぞ?」

 

 一息だった。トップギアを入れたように舌は回転し、1日にも満たないうちに体験した自身のエピソードをベラベラと喋ってしまった。

 ここでどうだと言わんばかりに2人を見れば田辺は憐れむ様な顔をしているし、中川は呆れているように見える。逆に引かれてしまった様だ。どうやら俺は北風になってしまったらしい。

 つまりこれ以上俺が何を言っても逆効果だろう。ならば〆として最高に切れ味のある台詞で終わらせる。この段階まで来るともうただの意地だ。

 だがその意地、通さずして帰れん。理解されなくても言い切らなければ俺自身が納得できない。だから言ってやる。

 

「天がかわいいのは事実だ。そしてエロい!」

 

 ジョボボボボボボボ

 

 トドメと言わんばかりの台詞を言って満足感に浸ろうとした瞬間だった。突然水面に勢いよく水を注ぐ様な音が響く。

 まあ、ここがトイレという時点で悩むこともなく排尿の音だと言うことは分かる。そう言えば個室に人がいることを思い出した。

 そして、ここに居る皆は一様にその豪快な音に毒気を抜かれてしまったようだ。田辺は笑いを堪えているし、中川も溜めていただろう息を吐き出していた。そして俺も先程までの昂っていた感情が落ち着いてしまう。

 なんと言うか、まさに水を差されたな。

 

「用がないなら早よ戻れって。狭い部屋で男同士ごゆっくりどうぞ」

「そっちこそ、お二人でごゆっくりどうぞ」

「カワイイオンナノコトイッショデウラマヤシイナー!」

 

 これ以上何かを言う気にはなれない。だから軽口を叩き合うようにして2人をトイレから追っ払った。

 そうして小便器の前で1人になったが、胸中になんとも言えないモヤモヤが残されていた。やるせ無さから一息吐き出すと、そう言えばトイレに来たのに本来の目的を果たしていないのを思い出す。

 ようやく用を足すことに意識を向け始めた。

 

「……ふぅ」

 

 

 

 

 

 カチャ

 

 しばらくして膀胱に溜まっていたモノを全部出し切ったところで個室の鍵が開く音が耳に届く。その影響で利用している人が居たことを思い出せば、先程の会話を聞かれたという確信とそれに伴う恥ずかしさが湧き始める。

 うわー、顔見られたくねえー……。絶対熱入って語ってたのが俺ってバレるだろ。というかこのタイミングで出てくるか普通? ちょっと待つとかしろよ……。

 出来る限り平常心を意識し、個室から出て来た人物が気にせず後ろを通り過ぎるのを待つ。変に意識してるのは逆に恥ずかしいからな。

 しかし、待てども足音は聞こえて来ない。見られたくないのは自分の方なのに気になってしまい、逆に此方から見たくなって来る。

 そんなジレンマに悩まされながらも好奇心には勝てず、ついに俺は個室の方へと顔を向けた。

 

「お前っ、バカだろ……っ」

 

 個室の開いた扉の奥にはか細い声を震わせながら顔を赤らめつつ、どこかばつが悪そうな顔をした天が居た。

 見た瞬間に頭を過ったのは当然先程の会話だった。とにかくムキになって天のことをベタ褒めする自分の姿。伝聞で本人の耳に届いても恥ずかしいのにまさか直接聞かれるなんて。

 恐らく自身の顔は今の天に負けず劣らず赤くなっているだろう。それが堪らず天から顔が見えない様空を仰ぎ右手を額に置いた。

 そして、気を逸らす様に言葉を返す。

 

「……バカはお前だろ、うれションまでして」

「うれションじゃねーよ変態!!!!!」

 

 キーンと響く高い声は男子トイレに似つかずあまりに場違いだった。それに気付けば俺が先行し外を探った後、2人揃って大慌てでトイレを後にしたのだった。



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