女になった日、女にされた日 (餡穀)
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6:30 AM

 

 

 

 これは俺が女になった日の話である。

 

 

 

「は……?」

 

 それは自分の口からつい零れた言葉だった。誰に向けてというわけでないそれは、視覚からの情報に呆気となったことが原因である。

 いつものようにセットした携帯のアラームの音で目を覚ます。しかし起きた途端に何か違和感があった。目覚めた時、どうも身体がいつもとは違うような、ぎこちなさを感じたのだ。その違和感から部屋にある姿見の前に立ってみたら、そこには知らない女が立っていたというわけである。

 全く知らないというわけではない。初めは知らない誰かが部屋にいるのかと思った。しかし良く見るとその女の格好は自分の寝間着用のシャツとハーパンに前髪は自分と同じように目が隠れるまで伸ばしていた。

 ただしシャツはサイズが合っておらず、寄れた襟ぐりから右肩が露出した状態。ブラをしていないのか二つの突起がくっきりとシャツに浮かんでいた。ハーフパンツの裾の位置は自分が履いた場合より低い。

 この不思議な現象に対して既に頭の中では一つの仮説が出来上がっている。

 違ってくれと心の中で神に拝みながら恐る恐る手を振る。目の前の女も同じように手を振り返した。寝る前はぴったりだったのに、何故かサイズが合わなく腰履きになっている自分のハーパンを引き上げる。女も当然のように同じ動きをした。

 

(いやいやいや、なんで!? あり得るのかこんなこと!?)

 

 身体を見下ろせば胸のところに普段は見慣れない膨らみが出来ていた。手掴みすれば触れている感覚が、それは自分の身体の一部であると教えてくれる。

 それでも違ってくれと信じたくない一心でシャツを脱ぐ。そこには柔らかな双丘が胸にくっついているのが目に入り、現実を嫌でも理解させられた。ゆっくりと股の間に手を伸ばせばいつもはぶら下がっているはずのナニも無くなっている。

 

「俺、女になってる……」

 

 身体から力が抜けて思わずその場はヘタリ込む。TSという非現実的な現象が起きたこと自体信じられない。元の容姿の時から変わらない長く伸ばした前髪をくしゃりと握ってしまう。

 分からない、まったくもってTSの理由も理屈も分からない。先程からなんで、どうしてという言葉ばかりが頭の中を反復している。

 

(しかもなんでこのタイミングなんだ……)

 

 脳裏に浮かび上がる昨日の出来事。学校からの帰路の途中で立ち寄った本屋で、商品である小説を片手に親友が真剣な顔で口にした一言。

 

『TSっ娘のメス堕ちって良いよね』

 

 その余りにも神妙な面持ちと雰囲気にこいつマジか…… などと若干引きながら話に付き合った記憶。

 

『男の自意識を持った娘が徐々に絆されるのが良いよね』

『思考まで女の子に染めたい』

『女の子の快楽を身体に教えてあげたい』

 

 だんだんと熱が入り、早口で語るその様にアイツの性的嗜好の拗れ具合を心配した。そして俺にはTSの良さは分からないので今回は相槌を打ちながら曖昧に笑っていたのを覚えている。

 アイツがアニメやマンガの話で度々暴走することはある。ただし俺もモノによっては反対側の立場になる。そのため興味のない話題だからといって適当に遇らいはしなかった。

 そのおかげで今の状況から無視できないことを口にしていたことまで記憶に残っている。

 

『仮にTSっ娘と現実で出会ったら堕とすのか?』

 

 茶化すような口調でそう聞いた。こういうフリをした場合『当たり前だろ!舐め回したいネ!』とか、わざと変態的な言葉を選んでウケを狙うのかいつもだが……

 

『……勿論興味はある。ただ、もし堕とすなら気心の知れた親友とかが良いな』

 

 その時の反応は明らかに素が出ていた。何より声に笑いが含まれていなかった。

 このガチっぽい反応じゃなければ「じゃあTSしたらおっぱいぐらい揉ませてやるよ」ぐらいのジョークは言っただろう。そうしたらいつものアイツなら「やったぜ」と笑いながら返しそうだ。

 

 しかし数秒の間どちらも口を開かず気不味い間が出来た。アイツも自分が原因で出来た沈黙と察して『お前がTSしたら胸揉ませてくれよ』と、戯けた調子で言って場の空気を戻していた。

 

(最初にアイツと会うのは止めよう)

 

 正直こんな身体になって最初に相談する相手は家族でなくアイツを考えていた。自分と家族との間に信頼がないわけではない(一人を除く)が、こんな非現実的な現象をすぐに飲み込めるほど頭と心に柔軟性があるとは思えなかったからだ。

 親しい間柄にしか分からない情報を話しても信じてくれるだろうか。秘密を聞いた上でも、本人からの伝聞でなんとでもなるという理由で家から追い出される可能性が十分にある。必死な説得が知らない人物が知らない間に家に忍び込んでいたという不信感に勝るかどうか怪しい。

 その点アニメやマンガで脳みそがゆるゆるなアイツなら共有の思い出話でもすれば信じてくれそうなところはある。

 だから頼りたかった。家族に打ち明ける前に今の自分の存在を証明してくれる味方が欲しかったからだ。

 しかしタイミングが悪すぎる。アイツがTSに興味があるのを知ったのは昨日が始めて。この事実を前にどのくらい冷静でいられるかの探りも入れられない。

 結局どうすれば良いか云々と悩むが一向に良い案が出てこない。鉢合わせしないよう家族が気付かないうちに外に出るべきか。

 それとも一か八か打ち明けてみるか。仮に打ち明けるとするなら正面から言うべきか。もう一度布団に潜って寝たふりして起こして貰い、そうして向こうからアクションを起こされる。そして『自分も目が覚めて気付いたら女になってました』としらを切るか……

 しかし少し経てばそれ以上の新しいアイデアなど生まれることもなく、同じことをぐるぐる考えるばかり。そんな状態に限界を感じたためか、気付けば今後への不安より自分の容姿へと興味が移っていた。

 姿見に写った姿を観察する。前髪の長さに変化はないが後ろ髪は背中まで伸びている。

 シャツを脱いで丸出し状態になっている胸に目がいく。人生で女の子の生の胸など見たことはない。そのため見ること自体に恥ずかしさを感じたり抵抗があるかと思った。しかし自分の身体の一部という感覚があるのかそう言った感情は湧かない。

 大きさは比較対象がないので主観だが、小さいとは思わないが大きいとも思わない。ちょうど手の平に収まるぐらいで、実物を知らない自分が何となくで想像した胸の大きさそのままという感じだろうか。

 姿見に顔を近づけると中に居る自分と目が合う。

 睫毛が若干長くなっただろうか。薄かった唇も多少厚くなり、肌は元々荒れては居なかったが男の時と比較すると質感の違いがすぐに分かる。それぐらい綺麗になっていた。髪質も同様で前と比べるまでもない。顔の形も輪郭が丸くなったように感じる。

 元々自分の容貌は優れてるとまでは言えないが最低限整っているとは思っていた。それが女になったことでより洗練されたのだろうか。

 

(なんか勿体無いな……)

 

 ふと、そんな言葉が頭の中を過ぎる。

 目の前にいる少女の容姿は優れているが完璧とは言えない。服装や髪の手入れなど細かな理由もあるのだが、最大の理由が表情である。

 自惚れかも知れないが今の自分はとてもかわいいのだろう。しかし表情のせいで元来の根暗で陰気な性格が顔に出てるのが残念である。

 

(折角の美少女ならもっと自信を持った笑顔が良いよな)

 

 手で頬を揉んで表情筋をほぐす。息を大きく吸ってから吐き出し、呼吸を整える。まばらに散って目を隠しているカーテンのような前髪を中心に集めて顔がよく見えるようにする。鏡の中の美少女はやや困惑気味だ。しかし、覚悟を決めて心の中でカウントダウンを始める。

 自分が好きなマンガのヒロインの姿を想像する。明るくて笑顔の似合う素敵な女の子。その子の魅力が発揮されたポーズと言えば、両頬に人差し指の先をくっ付けた状態での笑顔だ。あざとさを感じさせるぐらいなポーズがこの顔には良く似合う。

 

(あの娘になり切るつもりでやるんだ。恥ずかしがって中途半端になるな……)

 

 頭の中で描いたビジョンを自分の身体に反映させる。人差し指は自然と頬へと向かい、広角を押し上がる。鏡へ向けて今の自分が出来る精一杯の笑顔を作っーーーー

 

 ガチャリ

 

 不意に耳へと届いた音。その聴き慣れた音は部屋の扉が開かれる時に生じる音だ。自分は鏡の前でポーズを取っている最中。ドアノブに手が触れることなどあり得ない。

 部屋の中に一人しか居ないということはつまり外側から誰かが開けたということになるわけで……

 

「母さんが朝飯出来てるから早く降りて来いって……呼んでる……けど……」

 

 来訪者は目が合うと言葉が徐々に尻すぼみになっていく。

 部屋の扉を開けたのは弟の大地だった。去年までは同じ部屋で過ごしていたが、大地が中学2年で成長期に入ると図体がでかくなり流石に男二人で共有するには狭いと部屋を分けた。

 そのためお互いに部屋に入る時にノックをする習慣がまだ完全ではなく、今日のようにノックせず入ってくることがしばしばある。

 

「……」

「……」

 

 互いに口を開くことなく、部屋の中はまるで時が止まったような静寂に包まれている。

 弟の表情からまるで信じられないものを見ているという思いがありありと伝わってくる。それもそうだろう。

 兄を起こしに行ったらその部屋に知らない女が居て姿見の前でキメ顔しているのだ。しかも部屋の主人が不在での状況のため、紛れもなく不審人物として目に写っている筈だ。

 突然のTSという事態で気が回らなかったが、大地が部屋に呼びに来たということは朝の7:00は過ぎている。既に家族は起床しており、それぞれ職場や学校へ行くための支度をする時間だ。

 

(はっず!!うっわ、うっっっわ!!もう、恥ずかっシッッッ!!!!ああああああああああっ!!!!ぐうううううぅぅぅぅぅ!!!!)

 

 心の中で絶叫。指で押し上げた口角がさらに不自然に引きつっているのが分かる。この状況を上手く打開する手立てが思い浮かばないし、全力のキメ顔を見られた羞恥にも襲われている。

 顔に血が通っているのを感じ取れるぐらい熱を感じていた。少し目を逸らして姿見を見れば、顔は熟れたトマトのように真っ赤に染まっていた。

 とにかく一刻も早く誤解を解かなければいけない。しかし頭の中で考えが纏まらず、あー…… とか、うー…… とか言葉にならない呻き声を漏らすことしか出来なかった。

 

 ガチャリ

 

 遠くから扉を開ける音が聞こえる。大地は目の前に居るし、母さんは朝食の支度をしている。父さんはもう家を出てる時間だ。つまり当てはまる人物は一人しかいない。

 

「ブスの部屋の前で何やってんの大地」

 

 心臓が冷や水をかけられたかのように跳ねる。止まった時間は動き出し、今度は早送りされたかの如く手で前髪を目元が隠れる乱雑な状態に戻した。

 この不機嫌そうな声で当たり前のように俺を貶す台詞を発するのは妹の海実だ。俺に対して割増で発揮される口の悪さには正直思うところがあるが、自分の方が家庭内ヒエラルキーが低いので強く出れない。

 それはさて置きこの場に海実が来ても、余計話がややこしくなるだけでこれっぽっちも良くなるとは思えない。廊下を歩く足音が近づき数秒後、大地の後ろから部屋へ視線だけを向ける海実。

 その顔は俺と害虫相手専用と言っても良いであろういつもの嫌悪感を滲ませた表情だった。

 

「ハァ……? なんで上半身裸なままで固まってるワケ。さっさと隠すか上ぐらい着たら?」

 

 海実の指摘で自分が上半身裸だったことに気付くが、ある違和感の前にそんなものは彼方へと追いやられる。今の俺の姿はどこからどう見ても女だ。それは上半身裸で隠してない胸が証明してくれる。

 しかし、海実の態度は初対面の相手は見せるものではなく、いつも通り俺への嫌悪感に溢れたものだった。

 悪態をつくにしても得体の知れない女に対して最初にこちらの正体を探らないのは疑わしい。

 何か嫌な予感を察知し背中に汗が浮かんできた。

 

「大地も早く朝ごはん食べにいったら。ブスのために時間を使うなんて勿体ないでしょ」

「……あー、時間がないのはそうだから分かったよ。けど」

「それとあんたのために言っておくけどブスの胸見過ぎ」

「見てねーし!!!!」

「学校じゃ視線に気を付けなさい。アンタまでキモくなるのは辞めてよね。思春期だからって一応ブスも家族なんだし姉の裸でその反応は引くから」

 

「……ぇ」

 

 妹の口から信じられない言葉を耳にした。今確かに海実は俺のことを指して姉と言った。

 

(姉!? いや、兄じゃなくて姉ぇ!?)

 

 不審者扱いされて追い出されなかったことは嬉しい誤算だ。しかしそれ以上に家族から自分に対しての性別の認識が変わっている衝撃でそんな安心は吹き飛ぶ。

 ふと、あることに思い当たる。受け止めきれない現実に打ちのめされながら、ふらふらと覚束ない足取りでタンスへと向かう。辿り着くとその引き出しの中を確認する。目的は一瞬で達成された。

 嫌な予感は的中しており、自分の下着類が軒並み女性用に変わっていた。視線を辺りに巡らせると壁のハンガーにかけてある制服が女子用のブレザーだ。

 

(つまり俺は元々女として生まれていることになっていて、俺の男としての記憶や記録はどうやら存在しなくて……)

 

「俺が姉……?」

 

 ポロリと溢れた心の声。それは確かに音となって、その場にいた2人の耳に届いた。

 

「え、何、なんかあった?」

「うっわ、その痛い一人称いつまで使うつもりなの?」

 

 女になった俺をしっかり家族として認識した上で心配してくる大地。今まで男として過ごした出来事はそのまま、性別だけ女として上書きされたのだろうか。俺という一人称に対して罵声を浴びせてくる海実。

 どちらもいつも通りの対応だったのだが、故に受け止めきれなかった。怒涛の情報量は頭のキャパを超え、そしてパンクする。

 意識が遠退くような浮遊感が訪れると目の前が真っ暗になった。



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12:00 PM

 目が醒める。目を開けて一番最初に映ったものは自分の部屋の天井だった。つまり俺は昨晩自分のベッドで寝て、そして今起きたということになる。

 

「よかったぁぁぁ〜〜〜〜……」

 

 天井に向かって両腕を突き出すと、そのまま腕を振り反動を使って上体を起こす。先程まで見ていた光景が全て夢であったことに安堵した。

 それもそうだ。朝起きたら性別が変わっていたなんてあまりにも非現実過ぎる。うんうんと頷きながら腕を組んだ。

 

 むにゅ

 

(むにゅ、じゃねぇよ……)

 

 腕に伝わってくる柔らかな感触に気持ちは急転直下。夢じゃないよと、現実という存在に後ろから肩を叩かれたような気分だ。

 部屋の壁には女子用の制服がかけられているし、目が醒める前に見たものがそのまま存在している。

 時計を確認するとそろそろ正午に差し掛かろうかという時間だった。なんやかんや気を失ってから5時間近く寝ていたことになるのか。

 母さんがパートから帰ってくるまで約1時間。気は乗らないが身の回りの物がどれだけ変わっているか確認しよう。

 

 ……

 …………

 ……………………

 

 とりあえずざっと確認したところ衣服に関しては下着と制服が変わったぐらいで後の私服や部屋着は元との差はなかった。

 さらに袖を通して見て分かったのだが、サイズすら男の時から変わってない。そのため今の自分の身体には少しばかり大きい。

 

(随分雑な仕事してんな)

 

 こんな超常現象を起こした存在が何かは分からないし、居るのかも分からないが心の中で毒づく。突貫工事にも程がある。

 過去に撮った写真だが性別は変わっていても昔着ていた服のままだった。流石に最低限の齟齬が生じないように中学の制服は女子用のセーラーにすり替わっていたし、合唱コンクールの写真は女子と男子でパートが違うため立ち位置が変わっていた。

 小学校の時に授与した賞状を奥から引っ張り出したら、男子の部から女子の部に変わっていた。

 男子の二位として表彰台の上で撮った筈の写真は俺が女子の一位としてのモノに変わっている。代わりに元々女子の一位だった子が二位に、二位の子が三位の位置にズレている。自分の男子としての記録をそのままに女子の順位に加える形で改変したのだろう。

 さて、自分で確認できるものは最低限やった。後の問題は他人からの認識だ。朝の会話からだが、高校三年生にもなって一人称が(おれ)の痛い女子ということは分かっている。最悪を想定して家の中だけでなく学校でもそのままと仮定しておこう。

 重要なのは人間関係だ。家族は毎日顔を合わせるから関係があって当たり前だが学校の人間関係はどうなっているのか。

 少なくとも昨日まで女子とは事務的な会話しかした記憶がない。休み時間の会話も男子が相手だ。その男子相手の交友関係もかなり狭いのだが……

 以上を踏まえて考えられる状況は3パターン。

 

・性別が変わっただけで記憶はそのまま、男子とばかり会話している

・合唱コンクールの件などから男子との関わりはやや減少した上で、代わりに親しくない女子と最低限の交友関係は築いている

・矛盾が生じないように他人と親しくなるほどの関わり合いはなしのぼっち

 

 この無理やりな改変から考えるに一番確率が高いのは人間関係が男子と同じままだろうか。しかしこれは考えれば考えるほど自分が学校で浮いた存在になるだろう。

 

(一人称が俺で男子としか絡まない陰キャとかサークルの姫気取りした痛いサブカルクソ女かよ)

 

 続いて合唱コンクールの位置の入れ替わりなどから女子との交友関係が生まれているという予想。しかしこの場合仲が良いどころか趣味趣向も知らない相手に友達として振る舞うという地獄が待っている。

 3つ目に予想したぼっちが周りの目を気にする上で一番気が楽かもしれない。しかしせっかく仲良くなった人との関係が切れるのは寂しいし悲しい。

 予想した全てにデメリットが生まれることに落胆する。

 

(あー、めちゃくちゃ学校行きたくねぇ……)

 

 そんな暗い気分の中、突然ピコッという電子音が鳴る。音の元を辿れば発生源である携帯端末が画面にメッセージの受信を示していた。

 未読メッセージが2つ。差出人は同一人物からで内容はというと

 

 8:36

『骨なら拾っておいてやろう』

 

 12:24

『クラスで俺とお前のBLが流行っているという地獄』

 

 なるほど。文面を見ただけで差出人が誰か分かる。知り合いでこんな軽い口調で話しかけてくるのは数人で、休んだことでわざわざクソみたいなメッセージを送ってくるのは一人だけだ。

 端末のロックを解除し、メッセージアプリを起動する。予想通り有名マンガのクソコラージュアイコンの横に受信マークが着いていた。

 

(やっぱり晴樹だ)

 

 数少ない友人の中で唯一親友と言える存在。高校入学時に同じクラスの帰宅部仲間ということで下校時間がよく被った。その縁からよく話すようになった。

 帰路は反対だが図書室で時間を潰したり、公園や本屋、ファストフードなど寄り道したり共に充実した時間を過ごした仲だ。

 そして重度のTS信者。

 この様子を見るに晴樹との関係は変わっていないのだろう。そのことに関しては嬉しかった。先程立てた予想の中からだと人間関係に変化なしで確定か?

 それにしても二つ目のメッセージの内容がとても気になる。BLなどと言う言葉を使ってくることにどういう意味が含まれているかという点についてだ。

 女になっても男の時と変わらない付き合いで俺のことをほぼほぼ男友達として認識しているのだろうか。それとも……

 頭の中に浮かんだ一つの考え。それは何故かアイツだけ俺が元男という事実を覚えているかもしれないという可能性だ。

 もし仮に覚えていると答えられた場合はそれが死刑宣告と同義になる。アイツは推定『TSした親友を自分へ惚れさせるというシチュエーションに興奮を覚えるヤベー奴』だ。

 俺が男だったことを覚えていて欲しいけど同時に覚えていて欲しくない。そんな矛盾に頭を悩まされる。

 

 コンコン

 

 部屋の扉をノックする音で現実に戻される。思考の深みに落ちていた状態から一度抜け出した。この少し控えめな仕方は母さんだろうか。少し経って「起きてる?」という呼び掛けが聞こえたので「起きてるよ」と返した。

 

(そら)、体調は大丈夫?」

 

 母さんは部屋に入ると俺の心配をしてくれた。格好が仕事着ではないため、帰ってきてからすぐに着替えたのだろうか。

 

「パート早かったね」

「天が倒れたから今日はまだ行ってないわよ。そんなことより食欲はある? 昼ご飯あるから身体怠くないようなら下りてきて食べたらどう?」

「ありがと、食べるよ」

 

 母さんはパートに行かなかったようだ。自分の想定より心配をかけてしまったことに申し訳なく思う。

 そして気にする暇がなかったため気付かなかったが、気を失ったせいで朝食を摂ってない。つまり昨日の夜から何も食べなかったことになる。改めて意識すると空腹を感じた。

 母さんの用意してくれた昼食を摂るべく1階へと降りる。

 

「天なんか痩せた?」

「別に痩せてはないよ」

 

(もっと大変なことは起きてるけど……)

 

「そんなに服ぶかぶかだったっけ? 元々なんでか男物ばっか買ってあげてたけど、サイズが合わないならせっかくだし新しいの買ってあげよっか」

「別に困ってないから良いよ。俺よりデカくなってる大地の方が必要なんじゃない? それに俺だけにわざわざ買ったら海実が怒るでしょ」

 

 食卓テーブルで母さんの用意したミートスパゲティを食べながら話をする。話をしてると俺の性別が変わったことに関してはやはり覚えがないようだ。

 しかし、服装がちぐはぐなところから違和感を感じていることが伺える。

 

「今まで注意しなかったお母さんも悪いけど、その俺っていうのも直した方がいいんじゃない?」

「考えてはいるよ。でも癖ってなかなか消えないもんだしさ」

「そういう考えがあるなら天に任せるけど」

 

 母さんは俺に物事を強制しない。最初に指摘はしても俺自身に気がないと分かるとそれ以上の追求は無駄だと考えてやらなくなる。

 おそらく俺が非行に走らず、学校の成績も悪くないからだろう。成績に関しては悪いとお小遣いが減るというのが理由でキープしているだけだが。

 俺自身も母さんの指摘を全部無視するわけでなく、納得するものはその通りに従う。お互いに距離感をしっかり決めていると思っている。

 それになんやかんや反抗期というものが訪れなかったのも要因かもしれない。高校一年生の海実は中学二年生の時に兆候が現れ、現在も反抗期の現役選手である。

 大地も表面的な態度などは変わらないが最近は家族に対しての口数が減ったように感じる。

 そうした弟、妹と比べると自分は母さんとは気安い関係を築けているのだろう。

 特に海実に対しては娘だからなのか、結構強くものを言うことがある。私生活の注意から家事を率先して手伝わせようとするなど俺や大地より気にかけているのが分かる。そのせいで喧嘩することもよくあるが。

 テーブルを挟んで向かいにいる母さんが突然俺の前髪を指で触れてくる。こうしたスキンシップに驚きはするが無理に振り払ったり抗う気にはならない。気恥ずかしくはあるが変に意識する方がカッコ悪く感じる。

 母さんは前髪を目にかからないように分けると手を離した。

 

「突然どうしたの?」

「食べるのに邪魔じゃないかなーと思って」

「慣れてるから気にするほどでもないけどありがと」

 

 お礼を言うと少し嬉しそうに笑った。しばらくすると母さんは席を立ち部屋を出ていく。そこから数分かけて昼食を食べ終える。そして使った食器を片付けるべく、シンクまで運んで洗い始める。

 すると水の流れる音に混じって足音が聞こえてくる。

 

「天、お願いがあるんだけど」

 

 一度視線を食器から外す。母さんはいつの間にか私服から仕事着に着替えていた。俺のせいで午前パートに行けなかった代わりに午後の就業を少し延ばすのだろう。

 そうなると困ることが一つあるので頼み事の内容も大体分かる。

 

「晩御飯?」

「そうそう。倒れた人に頼むのもどうかと思ったけど元気そうだったから。その感じなら貧血あたりだから大丈夫だと思うけどお願い出来る?」

「いいよ。材料はある?」

「午前のうちに買ってきたからそれで作って」

「了解」

 

 会話が終わると母さんはそのまま家を出た。

 料理は最低限の生活力として備わっている。帰宅部のため家に居て持て余している時間でたまに手伝っているのが理由だ。

 そのため材料があれば何かしら作れる。器具や調味料などにこだわりはないので大した腕はないが。

 冷蔵庫を確認するとキャベツとピーマンと豚肉が新しく買ってあった。ドレッシングなどの買い置き用の棚に市販の回鍋肉の素があったのでこれを作れば良いのだろう。

 炊飯器が空だったので米を炊かないといけない。あとは味噌汁を作れば良いか。品数が少なくてもメインのおかずの量があれば文句はないだろう。

 

 (飯を作るには時間が早いし米研いで炊飯器のタイマーをセットしたら今週中提出の課題でもやるか)

 

 この時の母さんとのやり取りがあまりにも普段通り過ぎたことにより、今後女のままだと起こるであろう弊害への危機感を失していた。暫くは案外どうとでもなりそうだと楽観的な考えでこの問題を処理してしまったからだ。

 そして同じ時間、限られた情報から「友人が性転換した」という可能性に晴樹が気付き始めたことを俺はまだ知らない。



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4:43 PM

 課題を終わらせて現在夕飯の支度の最中、端末からメッセージの短い受信音が鳴る。どうせ晴樹だろうと辺りをつけてからアプリケーションを起動すると予想通り晴樹だった。

 しかし、そのメッセージの内容は予想外である。

 

 16:43

『病に伏した友人のためにお見舞いへ赴く友人の鑑』

 

「いや、なんでやねん!!?」

 

 思わず声に出してツッコミを入れてしまった。

 

(なんで……? いや、なんで!? お前を家に呼べないこと知ってるじゃん!)

 

 親友と言う割に晴樹はこの3年近くの間、俺の家に一度も来たことはない。外でばかり遊んで居たが別に友人と家の中でのんびりTVゲームをやる楽しさを知らないわけではなく、招待しなかった理由は他にある。

 以前一度晴樹を家に呼ぼうとした時、大地に部屋を使う話をしたら海実がたまたま聞いていた。そして

 

『アンタの友達とかなんかヌメッとしてそうだし鉢合わせして気を遣うのも嫌だから家に呼ばないで』

 

という台詞とともに心底嫌そうな顔で拒否されたからだ。

 晴樹には日頃から妹と仲が悪い事を笑い話にして話していた。しかし実際に頭の上がらないところを目の当たりにされるのは避けたかった。そのため妹の機嫌を損ねるので家で遊ぶのは無理になったという話をしたのだ。

 もしかして俺自身は話したことを覚えているが晴樹の方は聞いたことを覚えていないのだろうか。以降その話をしていなかったので可能性はある。

 念のため確認のメッセージを送ろうか。しかし晴樹の対応として些か不審な点が存在するため躊躇われた。

 俺は学校を休んだが病院には行ってない。その程度のことなら学校にも風邪か貧血あたりで連絡がいっている筈だ。わざわざ見舞いに来るほど心配はしないだろう。それは午前に送られてきたメッセージからも伺える。

 そして風邪程度で気軽に見舞いへ来るほど俺と晴樹の家は近くない。学校を挟んで反対と言っても良い。その距離で足を運ぶほど心配性でもなければ殊勝なやつでもないだろう。実際学校を病欠したことはあるが見舞いに来たことは一度もない。

 以上を踏まえてアイツがわざわざ家に来るか考えると可能性としては限りなく低い。それなのに来ようとする理由……

 

(TSしたことに気付いているのでは……? いや、あり得ないけど……でも、1番あり得そうなのがこれしかない……よな……?)

 

 説明もなしに友人が性転換したことを推理出来るって脳味噌が二次元に極まりすぎでは無いだろうか。もしくはTSへの執念が高すぎやしないか……?

 この答えに辿り着く自分の脳ミソも中々決まってるが、それ程残念な方向性に対する信頼もアイツにはあった。

 余計に今の自分の状態を知られることに不安が増す。頭をフル回転させ、どうすれば良いか考える。この事態を打開する策はないのか。

 『メス堕ち』は嫌だ。そのせいで晴樹が含みのある接し方をしてくるのも嫌だ。アイツの全てを否定したいわけではない。ただこれからも変わらずにただの友達で居たいだけなんだ。

 一時的で良い。家にわざわざ来るほど行動力とテンションが上がったアイツを何とかやり過ごす方法を。アイツから『メス堕ち』させるという考えを失くす方法を。何か……

 

「いけるか……?」

 

 この状況を打開する策を閃く。周りの人が女になった俺をどう認識しているかは分かっても俺が()()()()()()()()()()()()()が分かるのは今この瞬間で俺だけだ。その事実は俺が誰かに話さない限り変わらない。つまり……

 

 俺も()()()()()()()()()という認識で対応すれば良い。

 

 燃え尽きた灰は燃えないように、男性が男装を出来ないように、始めからメスならメス堕ちは出来ない、させれない。

 無理やり感は否めないが他に何も思い付かねえからこれで行こう。

 ただしこの策を成功させるにはある人物の協力が必要だ。中途半端では意味がない。今から会うその瞬間から帰るその時まで俺は女に成りきるんだ。

 寝て起きたら女になったならまたひょっこり男に戻る可能性だって大いにある。その時が来るまで辛抱だ。

 さて、第一段階としてまずは服をどうにかしなければならない。こんな男の頃の服装まんまでは態度を上手く装ってもバレてしまう。

 

(よし……!)

 

 数分前、確か家に帰って来たはずだ。俺しか家に居ないことを知らずに「ただいまー」と言っていた。そして夕飯の匂いにつられてキッチンに顔を出したが、居たのが母さんでなく俺だったためしかめっ面になったのを覚えている。今は自分の部屋に居るだろう。

 今から俺は海実に助けを求める。手段は選んでいられないんだ。どんなに嫌がられようとも今は縋り付くしかない。

 どれほどの時間が残されてるか分からないのでコンロの火を消してすぐ海実の部屋へと向かう。

 部屋の前に辿り着くと確認のためにドアをノックする。

 

「海実ー、居る? 部屋入ってもいい……?」

「……なんか用?」

 

 ノックして数秒、部屋のドアを開けて隙間から顔を出す。海実の反応が思ったより早くて驚く。無視されるぐらい覚悟していたのでこれは僥倖だ。相変わらず不機嫌を主張する表情でこちらを睨んでいるが。

 

「頼みがあるんだけど」

「イヤ」

「ちょっと待って!」

 

 悩む素振りもなくノータイムで断られる。想定していた反応だがいつものように引き下がるわけにはいかない。閉まるドアの間に手を入れて、部屋から閉め出されないようにする。

 

「ブスの頼み事とか聞くわけないじゃん!」

「そこをなんとか!」

 

 ドアを開けようとする俺とドアを閉めようとする海実の力比べが始まる。高校からは運動部に入らなかったため中学から3年のブランクがあるが、単純な力なら海美に負けないだろうと思っていた。

 しかし女になったせいで筋力が落ちたのか拮抗した良い勝負になっている。兄としてのプライドなどないようなものだが、男としてのプライドはある。勿論これからもだが。なによりプライド云々の前にこれは俺の今後に関わる負けられない戦いの前哨戦だ。

 

「とにかく聞くだけ聞いて! いや、やっぱ聞くだけじゃなくて頼みを聞き入れて欲しい! お願いいいいいい!!」

 

 今まで見せたことのない俺の必死さで流石に諦めたのか海実の力が弱まる。その様子を見て俺も加えていた力を抜く。数分間の攻防による消耗で互いに肩で息をしていた。

 

「はぁはぁ……頼みを受けるかどうかは内容によるから……」

「はぁはぁ……聞き入れる状態になってくれただけでもありがとう……」

 

 俺は何年か振りに妹の部屋へ入ることが出来た。互いに上がった呼吸を整えると、海実は座れと促すように床にある座布団を指差した。そしてちゃぶ台を挟むように座ると海美が口を開く。

 

「それで頼みって何?」

「その、海実の服を貸して欲しいんだけど……」

「理由は?」

「と、友達が来るから……」

「いつもみたいに家で来てるダサい男物着ればいいじゃん。却下」

 

 海実は話は終わったと示すように追い払う手振りをする。

 

「友達が居る間だけで良いから! 終わったら洗濯して返すよ!」

「ブス友に見せるためだけに借りれるというアンタの思い上がりがムカつくから無理。そして洗って返すっていう当たり前のことをさも自分が譲歩してるみたいに言ってくるのがさらにムカつくから余計に無理」

 

 海実は取りつく島もないように拒絶する。

 

「なんかコンビニで好きなデザート買ってあげるから……!」

「コンビニデザート程度が取引条件になるとか私も服も安く見られすぎで不愉快。てか何泣きそうになってんの? ブスの涙に価値なんか一欠片もないからやめて」

 

 根気強く頼み込もうと思ったが既に心が折れそうになっていた。海実と仲が悪くなってから会話が続くことがなかったため、続けざまに飛んでくる罵倒に耐性が出来てなかったようだ。

 時間にして数分にも満たない会話だったが重症レベルのダメージを受けてしまった。その容赦のない言葉攻めで精神のライフゲージが赤色に点灯している。

 

「大体ブス一人でも不快なのにそこに同類のブス女が増えるとか考えられない」

「いや、女の友達なんて居ないし……」

「はぁ? アンタみたいなブスに異性の友達とかそれこそありえないでしょ」

 

 胡散臭いものを見るような目でこちらを睨んでくる。その視線と態度で信じていないことがありありと伝わってくる。

 確かに男の時は異性の友達など居なかったので海実の言ったことは間違ってない。そして俺が女になったからといって今後女の友達が出来るとも思ってない。

 俺からすれば晴樹は同性の友達だが、自分の今の体裁を考えると異性の友達としか説明出来ないだけだ。

 

「あ、一応写真あると思うからちょっと待って」

 

 ポケットの中にある携帯端末から写真を探す。アルバムをスクロールしても中々証拠になりそうな写真は見当たらない。というか一緒の写真はない癖に一緒に行った店の飯の写真はたくさんある。他にはツイッターで拾ったコスプレ美人の写真などで紛れてしまい探すのに手間がかかる。

 まぁ旅行など遠出をしない男同士で一緒に写真を撮る機会が中々ないのだからしょうがない。

 しばらく探すとアルバムの中から海実に見せるのに良い感じの写真を発見する。修学旅行の写真で、厳島で鹿と一緒に撮ったやつだ。

 自由時間だったので班で纏まらず晴樹と二人で行動した時の一枚である。互いに写真に写り慣れてないため、手はピースとかのお決まりポーズではない。曖昧に開かれた手を自信なさげに前へ出す俺と、それとは対照的に総書記を連想させるように指をピンと伸ばして手を開いている晴樹と2人で肩を並べて写っている。慣れてない感のせいでどっちもダサくて笑える。

 撮影者は便所帰りでたまたま一人だったクラスメートの上原だったか?

 

「画面見ながらニヤニヤすんな気持ち悪い。デブとかはホント勘弁してよ」

「ニヤついてないしデブじゃないから。ほらコイツだよ」

 

 写真を表示した画面のまま端末を手渡す。海実は「ニヤついてるっての」と悪態をついた後ため息を吐いてから受け取った。最初は興味のなさそうな顔だったが画面を覗くと表情が徐々に険しくなっていく。表情の変化と比例して少しずつ画面に顔が近づいていくのがちょっとおもしろかった。

 

「……は?」

 

 海実の視線が画面と俺を何度も往復している。明らかに動揺した顔で口からは「うそ……」とか「えっ」とか「なんで?」などの短い言葉が漏れている。

 しばらくして海実は落ち着くと端末をちゃぶ台の上に置いた。

 

「アンタとこのイケメンの関係は何?」

 

 イケメンとは晴樹のことだろう。俺と鹿と晴樹しか写ってない写真の中から画面端で見切れた鹿を指してイケメンとは言わない筈だ。

 確かに男の俺から見ても顔は良いと思っている程度にアイツのルックスは良い。女子から告白されたところは見たことないが、靴箱からラブレターらしきものを取り出したところは見たことがある。俺と帰りが合わない時に返事をしていたのだろうか。

 

「えっと、友達。俺は親友だと思ってる」

「付き合いはいつから?」

「高1からだけど」

「じゃあクラスのイケメンが何かの罰ゲームでたまたま家に来ることになったとかはないわけね」

「……うん」

 

 今とても失礼なことを言われたが話の腰を折るわけにいかない。ヘソを曲げられて話を打ち切られても困るのは俺の方だ。ムッとした感情を抑える。

 

「へぇー……」

 

 海実は改めて俺の端末を手に持つ。そして今度は確かめるようにじっくりと写真を見てから俺の顔へ視線を移す。その顔は普段の蔑むような表情とは違いどこか喜色を滲ませているように感じる。

 そんな海実の表情を間近で見るのはあまりにも久しぶりで若干の緊張を覚える。

 

「別に私服を見られるのは今日が初めてってわけじゃなさそうだけどなんで普段の服じゃダメなの?」

「今までと同じじゃなくて変わった自分を見せたいから」

 

(じゃないと性的対象としてロックオンされそうだし……)

 

「つまりこのイケメンに意識して欲しいと思っての行動ってわけ?」

「そうだよ。晴樹に俺のことを女として意識して欲しい」

 

(そして興奮が落ち着くまで俺がTSっ娘だと気づかないでくれ)

 

 目の前に迫っている危機から脱するためには手段は選んでられない。本気だと分かってもらうため真剣な表情で海美を見る。

 対して海実はまるで鳩が豆鉄砲を食ったような驚きの表情で固まっていた。

 俺がここまで何かに本気になるところを高校へ入ってから一度も家族に見せたことはない。だから普段の妥協と諦めに満ちた俺との違いに面食らったのだろう。流石に貞操の危機となれば本気を出さざる終えない。

 突然「ふふっ」と小さな笑い声が聞こえる。俺が笑ったわけではないので当然誰なのか分かるが、それでも自分の聞き違いではないかと疑う。しかしそれは勘違いではなかった。

 

「家のアンタを見てたらてっきりもう人生捨てたブスかと思ったけど、中々抜け目ない学校生活送ってんじゃん。ちょっと見直したかも。いいよ、私の服貸したげる」

 

 海実はこちらをまっすぐ見てから嬉しそうに言った。今度は俺が驚く。それこそ高校に入ってから一度も海美の嬉しそうな表情は一度も見たことがなかったからだ。

 

「あ、ありがとう」

「お礼は成功したあとに改めて貰うから。それでこのイケメンが家に来るまであとどれくらい時間が残ってんの?」

 

 その言葉でハッとして時計を確認する。時刻は16:55分だった。先程のメッセージが仮に学校で送ったものと考えると、猶予としては30分あるかどうかと言ったところだ。

 服を借りて着替えるぐらいなら十分余裕があるだろう。落ち着いて質問への答えを言う。

 

「30分ぐらいだと思う」

「ちょっと短いか……時間がないからさっさっとやるわよ」

「えっ、着替える時間なら十分あると思うけど」

「このブス! 女のオシャレを舐めすぎ、意識が足りない!」

 

 俺と海実の意識の差に驚く。それっぽい服を借りて着替えれば終わりだと思っていたがそうはいかないらしい。しかし意識が足りないと言われてもそれは少しずつの積み重ねで養い覚えるわけだ。女歴半日の俺にそんなものあるわけが無い。

 しかし海実からすれば俺は女子歴18年の女として認識されているのだ。

『女としての意識なんてあるわけないだろ!』などとは当然言えるわけもなく、俺の心の中へしまうしかない。

 

「アタシが手伝うんだからアンタの趣味でテキトーなの選んで着るだけなんて許さない。お気に入りも貸す上でガチのコーデするから」

「う、うん……」

 

 その有無を言わせない圧にたじろぐ。どうやら海実の中にある何かに火をつけてしまったようだ。ここまで本気になった姿を見るのは久しぶりだった。

 鬼が出るか、蛇が出るか。このやる気が俺にとって救いになることを今は祈るしかない。



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5:15 PM

 海実によるコーディネートは嵐のような怒涛の勢いだった。それは俺への口撃も同様でいつもの倍罵られた。

 

『なんでスキンケアしてないのに肌がこんなに綺麗なの?』

『食事制限せずにそのくびれとか嫌味か!』

『クッソ!! アタシよりややデカいとかふざけんな!!』

『自堕落に生きてるだけでアタシの日頃の努力を馬鹿にしやがって!!!!』

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛まつ毛長いのムカつくぅぅぅううう!!!!』

 

 ……怨嗟が大半を占めていたが。

 30分という限られた時間で一仕事やり終えた海実は肩で息をしている。

 そして着飾られた俺もかなり消耗していた。主に精神的な疲れが強い。異性の友達がいなければ彼女も居たことのないためファッショントークに頭がついていかなかった。

 とりあえず今回のコーディネートで最近の服は馴染みのない難しい呼称が多いということを学ぶ。

 

『身長高いからガーリーよりフェミニンの方が似合いそうだしフェミニンでいくから」

『ガー、リー……? フェミ、ニンとは……?』

『クソ女子力が』

 

『組み合わせは明るくホワイトとスカイブルーで良いかも』

『白と水色だよね、わざわざ英語でカッコつけなくても白と水色でイイじゃん』

『お前は横文字に弱いおっさんか?』

 

『なんでスカート履くのに深呼吸してるわけ?』

『(男としての尊厳を一時的に捨てる)覚悟を決めないと』

『別にいつも制服で履いてるだろ』

 

『妹相手なのに胸隠すって過剰すぎ』

『家族相手にも距離感ってのがあるじゃん』

『弟相手には今朝丸見えにしてたくせに?』

 

『今日はそのやっすい下着を履くのはやめろ』

『別に見せるわけじゃないし』

『見せないところにも気を遣うことで内面から女子力が上がるわけ。新品のサイズ合うやつあげるからそれ履け』

 

『ブラぐらい早くつけろ。時間ないんでしょ?』

『ちょっと待てって!(こんなんで良いのか!?全然分かんねー!?)』

『もっと周りの肉詰め込む』

『急に触られるとびっくりするだろ!』

 

 ……思い出すだけでゲンナリしてきた。

 これからは思わぬボロが出ないようにある程度は意識して生活しようと思った。しかしたった数十分のそれも片手間の指導でくたびれてしまい、自分の今後が心配になってくる。

 そして今の格好だが、恋愛経験0の俺の主観だがこれからお出かけにでも行くんじゃないかと言うぐらいかっちり決めている。

 トップスはノースリーブで白……じゃなくてホワイトのブラウス。袖なしは少しだけ肌寒いためネイビーで薄手のカーディガンを羽織っている。

 ボトムスはハイウエストでスカイブルーのスカートだ。フロントに並んでいるボタンがポイントになっている。丈は履いていて安心出来る膝下丈。これ以上短いのは女子歴半日の元男にはハードルが高いので勘弁願う。後はくるぶし丈で白の靴下を履いている。

 正直自分でもびっくりするぐらい可愛くなっている。まさか同じ日にまた姿見に写っている自分の姿を疑うとは思っていなかった。

 下着は海実から貰った新品のものを着用している。サックスで、小さな白いリボンが付いている。サテンという触り心地が良い生地らしく、フィット感といい男の下着と全然違う。

 しかしこれはどう見ても部屋着の域を超えている気がする。何故ならこれ並みに気合が入った服を海実が家の中で着ているところを見たことがない。

 さらに今の俺は髪に編み込みを入れている。前髪の量が多いため前髪を残しつつ一部をアレンジした。

 もちろん海実が家で編み込みをしているところは見たことがない。出かける時か練習で編んでる時ぐらいで、練習の時はすぐ解いている。

 

「気合い入りすぎじゃね……?」

「普段が気抜けすぎだろうからギャップを出すなら気合いを入れなきゃ意味ないじゃん。心配しなくても色の組み合わせは地味目だし柄も使ってないから部屋着で通じるっしょ」

「そういうものなのか」

「ごめん、半分嘘。なんかだんだん楽しくなったから髪まで弄っちゃった」

「おい」

 

 謝罪の言葉を口にしているが海実は悪びれる様子はない。むしろ少し笑っていた。俺もこの何気ないやりとりが楽しくて笑っていた。こうして談笑するのはいつ振りだろうか。

 

「今日は時間がないしすると露骨すぎるからしないけど次はメイクもアイロンもさせてよ」

「考えとく」

「いや、決定事項だから」

 

 普段は不機嫌で悪態ばかりついてくる妹と久しぶりに仲良く過ごせた。それだけはTSしたことに感謝したい。

 あとは晴樹を待つだけだが何分ぐらいで家に着くのだろうか。予想した時間より少し遅れて支度が終わったのでいつ来てもおかしくはない。案外寄り道でもして遅くなっている可能性もある。まあ時間がある分には対策を練れるので助かるが。

 

「ちょっと手出して」

「……?」

 

 海実がこちらに手を差し出していたので、その上にそっと重ねるように手を置く。

 

「爪のツヤ出してあげる」

 

 もう片方の手には爪やすりが握られていた。

 ここまで手伝ってくれることが意外で一瞬惚けてしまうが、そのまま厚意に甘えて爪のケアをしてもらう。

 爪の手入れなど人生で一度もしたことがないため、表面を削るこそばゆさが慣れない。

 それにしても手際が良い。指一本に対して20秒かからないぐらいで終わらせる。普段から自分の手入れを欠かしていない証拠だろう。女子はカワイクなるために裏で努力していると耳にしたことはあるが実際はどんなものか知ることもなかった。しかし、こうして努力の結果を目の当たりにすると感心せざるを得ない。

 

「いつもおつかれさま」

「どういたしまして」

 

 さて、最後の仕上げは海実に任せるとして今のうちに晴樹と相対する時のルールを決めておこう。

 最低限口調は変えるべきだ。ロールプレイだと意識すれば女性的な口調も苦ではない。一人称は私、柔らかい言葉遣いを出来るだけ意識して使う。

 イメージとしては朝、鏡の前で真似した自分の好きなヒロインだ。

明るくて優しくて笑顔の似合う清楚な娘。

 

『おはよ。頭に寝癖ついてるよ?』

『あそこのお店で売ってるスイーツがとってもおいしいの!』

『ど、どうかな? この水着、似合う?』

『今日はまだ一緒に居たいな。もうちょっとだけ○○くんの家に居ても良いよね……?』

 

 自分が言うことを考えて少し気分が悪くなるが、そうも言っていられない。

 自分の感情を押し殺すように無理やりだがイメージのインプットが完了。同時にメッセージの受信音が鳴る。

 

 17:20

『着いた』

 

 これは玄関の前にもう居るってことだろうか。インターホンを鳴らさなかったのが疑問だが。

 しかしこれからだと意識すると緊張で指先から血が引いていく。大きく深呼吸して心を落ち着かせようと試みる。まだ少し硬さが残ってる気がする。この格好を見せること自体が恥ずかしいのだから落ち着かないのも当たり前だろう。

 ただ向こうも長く待たせれては困るはず。緊張してようがなんだろうが行かなくては。

 

「これ最後にしていきなよ」

 

 海実から手のひらサイズで円筒型の物体を手渡される。これは俺も使ったことがある。しかし何故今手渡されたのか理由は分からない。緊張をほぐすために敢えてボケてくれたのだろうか。

 確認の意味も込めて渡された物の名前を声に出す。

 

 

 

「……スティックのり?」

 

「無色のリップ! 何ボケてんのッ!!」

 

 ボケてたのは俺の方だったか。それぐらい今の自分に余裕がない証拠なんだよ。あまりにもベタなボケをナチュラルにやってしまった。正直恥ずかしい。

 とりあえず好意を無駄にするわけにはいかないので早く使おう……と思ったが使ったことがないのでなんとなくの使い方になってしまう。俺はキャップを外し底の部分を回して押し出す。そして勝手も分からぬまま恐る恐る自分の唇に近づける。

 

「もしかしてリップすらやったことない?」

 

 何かを察した海実が呆れた声で聞いてくる。もちろん俺からの答えは一つ。

 

「……はい」

「この女子力赤点女〜〜〜〜っ!」

 

 素直に肯定しても許されないようだ。これは声を荒げられてもしょうがない。海実は眉間の間に指を当て、ため息を吐く。自分のケアをまったくしたことのない俺に対して頭を悩ませているのだろう。

 せっかくの好意を無駄にしてしまったことに困っていると自分の手からリップがひったくられた。

 

「ほら、こっち向いて」

「えっと……」

「最低限の手伝いくらいは最後までしたげるから」

 

 海実のされるがままにじっとする。唇をなぞられる感覚が数回したと思えばあっという間に終わった。最後にしっかり塗れたのか目視で確認している。しかし年頃の女の子に顔を触れられたり、息がかかるような距離に顔があるのは実の妹とはいえ少し照れる。

 

「よし、いいんじゃない?」

「ありがとう。それじゃ行ってくる」

「適当に助け舟くらいは出してあげるから、まぁ頑張って」

 

 適度に力のこもってない激励に頷いて返す。まさか海実がここまで面倒を見てくれるとは思っていなかった。あとでしっかり今回のお礼をしよう。

 

 行く前に最終確認。

 

(俺、じゃない……私。だろ、じゃない……でしょ。しよう、より……しよ? "くん"付けの方が女としてのあざとさが出るな、じゃなくて……出るよね。えーっと、こんな感じでいいのかな? いいよね……?)

 

 覚悟を決めていざ、晴樹の待つ玄関先へ。

 

 

 

 

 いつもと同じ朝。いつもと同じアラームの音で朝目を覚ます。いつもと同じ時刻の電車に揺られて学校に着けば、いつもと同じ顔ぶれのクラスメートと他愛のない挨拶を交わして席に着く。

 何も変わらないどこにでもありふれた日常。いつもと違うところがあるとすれば、一つ前の席が空いていること。高校生活2年と数ヶ月を共に過ごした親友の姿が見当たらないぐらいか。

 皆勤ではないがアイツが休むことは珍しく、久しぶりに親友の居ない学校になる。だからいつもとは少しだけ違う1日になると思った。

 しかし自分が思っていた以上に変わった1日を過ごす。

 天を除いて比較的仲の良い上原の居るグループのところへ足を運んだ時のこと。

 

「うっす」

「ういっす。(てん)さんが居なくて寂しそうだな」

 

 会話を始めて早々に天を絡めたいじりを受ける。寂しいというよりかはつまらないの方が正しいのだが、それより開口一番関連付けられる辺り俺たちはセットで認識されてるのだろうか。

 確かにクラスが一緒で学校行事も基本的に行動を共にしてた。しかしいつも一緒に居るわけでもない。心外とまではいかないがつっこまざるを得ない。

 

「俺は共働きの親が恋しい小学生か」

「……つまり天さんに母性を求めているのか。お前らの関係は想像以上に業が深いな」

「何故そうなる。何故母性」

「いつもイチャついてるからそういうことも裏でやっててもおかしくない」

「いや、おかしい。オギャリティの高いプレイはカップルでも人によっては拒否されるだろ。というかイチャついてるって表現やめろよ」

 

 軽口の応酬は高校男子の会話では日常茶飯事。しかし流石に同性愛者をイメージさせるような表現をみんなに聞こえる教室の中でするのはやめて欲しい。いや、TS好きと考えると白とは言えないグレーだけども。精神的BL好きだけども。ただそういうのは天以外にバラしてないし広まって欲しくない。

 適当に別の話題を振って会話を切り替えてその場はやり過ごした。

 

 次に移動教室のため別の教室に向かっていた際にクラスの女子と話をした時のこと。

 

「なんか葉坂さんと居ない平川くんってレアだよね」

「別に学校でも常に一緒ってわけじゃないと思うんだけど」

 

 仲里から天を切り口に話しかけられる。どうやらクラスの男子だけでなく女子からも俺と天はセットの認識らしい。

 クラスの女子とは必要最低限の関わり合いしかないため、こうして会話することは珍しい。1年の時は何もしなくとも女子側から話しかけられることが多かった。しかし3年にもなると俺があまり女子と会話しないタイプの人間だと分かってくれる。

 それに慣れた同級生からは何かきっかけがあれば話しかけてくるぐらいに落ち着いた。

 

「葉坂さん休みってことは結構重い方なんだね。ラインでやり取りするならいつもより優しく接してあげなよ?」

「貧血だしそこまで心配するほどでもないと思うけど。アイツも貧血で学校休めてラッキーぐらいに思ってるんじゃないかな」

 

 天の休んだ理由だが貧血を起こしたためだと朝のHRで担任の保谷が言っていた。個人的に天がそのくらいで休むことはまだ少し疑問が残る。ただ疑問に思っていても体調不良以上のことは分からないし気に止める必要はないだろうとそこで考えるのをやめていた。とりあえず休み時間に適当なメッセージを送ったぐらいだ。

 

「……葉坂さんかわいそうに」

「えっ、なんで?」

「あー、あまり愚痴とか態度に出さないタイプか。偉いなぁ」

 

 今の会話の流れで何故天が同情されているか分からない。別に男友達の関係なんてこのぐらいドライだと思う。治るのに何日もかかる怪我とか病気なら心配もするが、ただの貧血なら心配するほどでもないだろう。

 しかし今の会話で明らかに仲里が俺に向ける視線が冷たくなった。女子の友情や仲間意識の違いに唖然となる。

 

「まぁ私たちには大変な日があるんだよ。彼氏ならもう少し理解を深めてあげたら?」

「心配するのは分かったけど、彼氏という言葉を使われる理由が分からないんだけど」

「……葉坂さんかわいそうに」

「なんで!?」

 

 さらに仲里の視線が冷ややかになったところで目的地に辿り着き会話が終了した。

 その後も休み時間でクラスの誰かと話す度に、似た流れで俺と天が友達以上の関係とされた上で話をされた。その自分の知らないお決まりの流れに辟易して思わずラインで天に愚痴ってしまう。

 しかし互いにからかい合うのがスタンダードな男子ならともかく、女子からもホモカップル扱いされることに違和感があった。しかもそこまで仲が良いわけでもなく、距離感としてはあくまでクラスメートとしてまでしかない相手からだ。今までそう言ったからかいがなかったため余計に不審に思う。

 気になって聞き返してみると逆に付き合ってなかったの? みたいな反応が返ってくるか俺の好感度が下がる一方で自分が知りたい答えを聞けずに居た。

 そして放課後、図書室で今日の出来事を整理している時のことである。司書の女性からついに核心へと迫る言葉を聞く。

 

「いつもの女の子と一緒じゃないなんて珍しいのね」



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5:20 PM

「いつもの女の子と一緒じゃないなんて珍しいのね」

 

 いつもと言われるほど大体一緒に行動している人物に心当たりはある。しかし性別は男だ。女の子との接点が全くないわけではないが、そんな風に言われるほどの関係がある相手は思い浮かばなかった。

 

「……どういうことですか?」

「いつも君と一緒の前髪の長い女の子が居ないのが珍しいって思っただけで他意はないのだけど。喧嘩でもしちゃったのかしら? 何か気に障ったのならごめんなさいね」

 

 聞き返した言葉に対して司書さんはそう謝りながら奥へと姿を消す。今の会話で覚えのある特徴が出たことにより、謎の人物の正体を掴みかけている。その答えに辿り着くため脳みそをフル回転させ状況整理を始めた。

 

(女の子……? 前髪の長い……天が女? TS、性転換? 記憶、認識の改竄……先天性? なら俺は何故男だと記憶している……?)

 

 頭の中でカチッと何かがハマる音がした。我ながらこんな非現実的な答えを導き出す辺り、つくづく二次元脳だと自嘲する。そして気づけば携帯端末を取り出し、天にメッセージを送信していた。

 

 16:43

『病に伏した友人のためにお見舞いへ赴く友人の鑑』

 

(この状況、完璧に理解した。これは確認しに行かねば)

 

 荷物をまとめ学校を出る。学校から天の自宅までの距離は3km弱。天は自転車で登校しているが俺は最寄りの駅から電車で通っているため徒歩で向かうことになる。大体30分かかるかどうかと言ったところか。少し早足で向かった。

 そして順調に歩を進めること20分、天の自宅まであと少しというところで一つ大事なことを思い出す。

 

(名目上はお見舞いなわけだし何か買って行った方が良いか)

 

 地図アプリで周辺を調べる。少し遠回りだが検索にヒットしたスーパーで果物を購入。リンゴ辺りが無難かと思ったがメロンが旬だという広告が目に入ったため変更してメロンに決める。

 荷物が重くなったが問題はない。予定より少しだけ遅れたが天の自宅に到着する。

 インターホンを鳴らそうかと思った。しかし目の敵にされていると聞く妹さんが家に居てもし鉢合わせしたら問題だと考える。念のためメッセージで到着を報せた。

 

(あとは待つだけだが……)

 

 正直心の中で心配より好奇心や期待で膨らんでいる辺り友人として失格だろう。向こうは急な性転換に焦りや困惑が強いはずで、そこに知らなかった態で顔を出すのだ。

 しかし、こちらとしては夢にまで見たシチュエーションである。喜怒哀楽の中で喜びと楽しみの感情がメーターを振り切る勢いで稼働している。これを抑えるのは難しい。

 出来るだけ素面の方が良いだろうか。ソワソワとした心を落ち着かせて待っているとガチャリ、と玄関の開く音が聴こえる。扉はまるで微風に押されて動いているのではないかと感じるほどゆっくりと開かれて行く。そして徐々に扉の向こうに居る人物の姿も見える。

 

 瞬間、鼓動が大きく跳ねる。

 

「おっ、おまたせ……! えーっと、お見舞いに来てくれたんだよね? あのっ、ありがと、すっごく嬉しいよ……っ!」

 

 目の前の女の子は顔を真っ赤にさせながら一生懸命に言葉を紡いでいる。緊張しているのだろうか。体の前に下ろした手同士が互いを捏ねている。そんな恥じらう姿がとても可愛らしいと想った。

 顔を見ると慣れていないことが分かる不器用な笑顔を浮かべていた。しかしそこから伝わってくる一生懸命さに心が惹かれてしまう。

 

「ど、どうしたの? 黙ってるけどやっぱり私の格好、おかしいかな……?」

 

 気づくと女の子は直ぐ目の前まで距離を詰めていた。身体を前に突き出して顔を下から覗き込むように眺められている。

 ふと、甘い匂いが鼻腔をくすぐる。男にはない女の子特有の香りを感じる。

 下がり眉の少し不安げな表情に小首を傾げる動作が様になっており、心が大きく揺さぶられた。可愛さのあまり視線を向けることすら躊躇われてしまう。

 

「いや、おかしいは違うようで違わないんだがなんというか……あー、天であってる、よな?」

「うん、その、天で合ってるよ。えと……どうかな……? いつもと雰囲気を変えて見たんだけど……」

 

 「雰囲気というか性別が変わってるやないかーい!」といつものノリと要領でツッコミを入れたい。

 顔の造形が男だった頃の面影が残っていたため一目でこの娘が天本人か、もしくは話でたまに出る妹さんだとは容易く予測出来た。そして会った時、向こう側は顔見知りのような反応だったので天だと分かった。

 しかし性別はおろか、他にも口調やら何やら色々変わっている。男の時は自分を飾ることなどこれっぽっちも興味のある素ぶりがなかった。それを最もよく表していたのがエロゲ主人公のような手入れをせずにただ伸びていただけの長い前髪だ。本人曰く伸ばしているわけでなく、めんどくさくて切りに行ってないとのこと。

 そんな前髪がまるで編み込みでヘアアレンジするために敢えて伸ばしたかのように上手く使われている。服装も全身真っ黒かたまにチェックの上着を着てくるぐらいの無頓着ぶりだったが、今はそんな事実がなかったかのような明るく透明感のある色の服を着ている。

 

(本当の女の子みたいだ……)

 

 自分の想像とは全く違う服装に身を包み、想像とは全く違う口調と仕草で話しかけてきた女の子(そら)に釘付けだった。

 

(もしかしたら女の子みたいじゃなくて()()()()()()かもしれないのか……?)

 

 今日一日学校で過ごして天が性転換したという事実がないのは分かった。俺以外の人間が葉坂天(はさかそら)という人物は初めから女だったと認識している。

 てっきり天本人は自分が元男だったという記憶があるものだと都合よく考えていた。しかし、本人もTSした自覚がない可能性が今のやり取りで急激に高まる。

 高校に入ってからの数年間を共に過ごした親友が女の子になっていた。実に素晴らしく、喜ばしいシチュエーションだ。

 

 しかし()()()()()でなく()()()()()()()()が良い。

 

 その方が興奮するし弄り甲斐がある。とにかく常識と天本人が許す限りTSした友人を楽しみたいだけなんだ。もう頭の大半はその考えが占めている。

 天は俺に遊ばれたり馬鹿にされないために今は必死こいて猫を被っているだけかも知れない。まずはコイツが元男でTSっ娘だという証拠を見つけなければ。

 

 

 

 

 女の子のロールプレイというのは想像の何倍も恥ずかしい。口調はもちろん、意識して内股にしたりするなどさり気ない仕草、その一挙手一投足に注意して演じている。

 そんな必死こいているにも関わらず目の前のコイツはまるで俺の付け焼き刃の努力が効いてないかのように素面のまま。どことなく困惑しているように感じるぐらいで普段と変わらない。

 真面目に女の子を演じているこっちが余計に恥ずかしくなってくる。推定同級生から告白されたこともある男なだけあって、女性に対しての免疫が想像よりあるのだろうか。

 先程俺が女の子からやられたい仕草である小首を傾げるを実行したが効果がないように感じた。それとも演技が中途半端でバレているのだろうか。一歩引いているように感じるのはそれが理由か?

 とにかく会って早々に危機的状況なのは想像に難くない。

 

(しかし、ここで挫けたらダメだ。もっと攻めろ)

 

 弱気な自分に喝を入れる。自分の尊厳を守りたいというのが一番の理由だが、海実の協力を無駄にしたくないという気持ちも強い。

 ここまで着飾って貰ったのだ。これと言った反応がないのは負けた気がして悔しい。コイツを赤面させるような行動に出なければならない。

 近づくだけではダメだ。段階を一つ上げて接触を試みよう。しかし、いきなり自分から触りに行くのは自然じゃない。不自然にならないためのきっかけはないかと探る。

 すると丁度目の前にビニール袋の持ち手を引っ掛けた手を突き出される。

 袋の大きな膨らみを注視する。大きくて丸い網目模様の物体はメロンに違いない。違いないだろうが何故そんなものを差し出されるか分からなかった。

 

「えーっと、これ、どうしたの?」

「一応お見舞いだから手土産だよ。スーパーの安いやつ」

 

(コイツ、マジか……) 

 

 晴樹の行動に驚く。

 

 ……というより若干引いている。

 

 学校には俺が重篤な病で倒れたとでも報告されたのだろうか。

 いや、それはない筈。だが見舞いに手土産を持ってくるのは殊勝な心掛けである。褒めてやりたいところだ。

 しかしメロンは張り切り過ぎだろう。コンビニの安いお菓子程度の差し入れで十分なところを階段10個ぐらい飛ばしたレベルのブツを持ち出して来たぞ。

 コイツ、顔には出してないが内心は相当浮き足立ってるな。素知らぬ顔してウッキウキだろ。俺の中で警戒レベルがさらに上がる。

 だが、良いきっかけが出来た。この差し出された手を利用させてもらおう。

 

「わっ、いいの? でも私はただの貧血なのにこれはちょっと豪華すぎて受け取りにくいかも……」

「正直ノリで買ったところあるからそのまま貰ってくれた方が助かる。こっからメロン片手に帰るのはめんどくさいし」

「じゃあ、お言葉に甘えちゃうね?」

 

(ここだ……!)

 

 突き出された手からメロンの入った袋を受け取る。ゆっくり、ゆっくりと遠慮がちな動きで手を伸ばし、そして敢えて相手の手を自分の両手でそっと優しく包み込むように触れた。

 そら、女の子の手の柔らかさをとくと味わうが良い。これぞ男を勘違いさせる女の技。

 

 そしてーーーーーー

 

 ニコッ

 

 最高の笑顔もくれてやるッ!

 

 どうだ、晴樹。俺がコンビニのかわいいアルバイトの子にやられた技は。これを食らった俺は「あ、えっ……!?」と童貞丸出しの気持ち悪い反応を曝け出してしまった程だ。

 そんな爆弾のような微笑みを、この見た目は完璧な美少女から受ければちょっと女慣れしてそうなコイツでも当然気持ち悪い反応を出すだろう。

 さらにこれにはもう一つの布石も仕組まれている。男の友達同士で意識して手と手が触れる機会は女子と比較して極端に少ない。じゃれ合いて飛んでくるパンチをいなすかハイタッチぐらいだろうか。羽交い締めにしたり、ヘッドロックを極めたりそれ以上の接触はする癖に手と手で仲良くというのは何か一線を超えた気持ち悪さや恥ずかしさを感じるものなのだ。

 つまり男同士ではしないであろうスキンシップを行うことで、コイツの中から男としての俺の臭いを消す役割を担っている。

 この無駄のない攻勢の前にはクールな態度をとっていられまい。

 曝け出せ、美少女(オレ)に敗北する無様な姿を!

 

「ぁ……ああ、まぁ家族と食ってくれや」

 

 ぃヨシッッッ!!!!

 

 心の中で大きくガッツポーズを決めた。今確かにコイツは言い淀んだな! 僅かに視線を俺から逸らしたのも気付いてるぞ!

 晴樹が触れた方の手を下ろしてから何かを確かめるように開閉してるのを目の端で捉えた。これは効いていると思って間違いない。

 手札の中から最強の一角であろう一枚を切った甲斐はあった。逆にこれで効果がなかった場合、これ以上の手を見せないといけなくなる。

 そうなると腕を組んで絡ませる、後ろから抱きついて胸を押し当てるなどさらに際どいスキンシップへと移行しなければならない。その場合は流石に戦場を玄関前から移す必要が出てくる。鉄火場が家の中に移ることで効果は見込めるが此方も火傷程度では済まないことは容易に想像出来る。故にここで決着を付けれたことに安堵した。

 

(ふぅ……)

 

 赤面とまではいかなかったが余裕ぶった晴樹に一泡吹かすことには成功。そして俺が女であるというイメージも多少は植え付けれただろうか。鼻息荒く家まで突撃して来たコイツに俺がTSしたという確信からTSしたかもしれないという疑念へグレードダウンさせれたならそれだけで十分。初動で勢いを挫くことが如何に大事かは世界の歴史が物語っている。

 1日経って頭も興奮も冷めればコイツも下手に攻めてこれないだろう。それに俺の身体に起こった悲劇は明日の朝には綺麗さっぱり元に戻ってる可能性だってある。

 つまり、ここで撤退させて初日を無事に終えれたなら俺の勝ちなのだ。

 ということで晴樹にはここらでお帰り願おう。5分にも満たない超短期決戦であったが前準備も含め大いに消耗したものだ。

 ここで勝利を確信したのだが、決着が付く前に『勝ったな、風呂入ってくるわ』なんて気持ちを思い浮かべることがどれ程愚かなことか。そんなこと分かってたはずなのに、どうしてこんなフラグを立てるようなことをしたのか。

 この後、すぐに俺は後悔したのであった。



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5:25 PM

「今日は来てくれてありがと! それじゃあ、また明日ね」

 

 勝利を確信した俺はもう祝杯ムードであり、脳内では既に凱旋パレードでも開こうかと言った具合である。なので繕ってない本心からの笑顔で晴樹を見送ることが出来るのだ。

 

「ああ、また明日ーーーーーー」

 

 ドゴォッ!!!!

 

「ひっ!?!?」

 

「なんだ、今の音は……?」

 

 突然の轟音に若干ふわふわしてた俺は、不意を食らって短い悲鳴を漏らしてしまう。

 音の発信源は玄関だろうか。拳大の石か何かを壁に叩きつけたような大きな音。まるで晴樹の言葉を遮るかの如く発生した音の正体を探ろうと後ろを振り返ると、玄関の扉がゆっくりと開いて行く。

 

「いった〜〜〜〜、頭ぶつけちゃった」

 

 家の中から現れたのは、額を押さえながらやや涙目になっている海実だった。服装も先程までの部屋着でなく、コンビニに出かけられる程度に整ったモノへ着替えている。

 俺より地味というか控えめな辺り、やはり他人に見せる部屋着としてはあっちの方が正しいのだろう。さて、海実は何かに足を引っ掛けて頭をぶつけるようなおっちょこちょいではないだろう、どうしてそんなことになったのか。

 そんな思考のまま訝しげに海実を見ていると涙を滲ませている目とこちらの目が合う。

 

(あ、やべぇ……)

 

 こちらを射殺すかのような眼力で睨んでいた。もし視線に物理的な干渉力が備わっていたならば俺の顔には二つの風穴が空いているだろう。

 俺は知らずのうちに海実の逆鱗に触れてしまったらしい。でなければ先程の数年ぶりに味わった和やか空気から一変して、こんないつもの通りの殺意増し増しな視線を向けられないはずだ。

 確認のため少し振り返り一瞬だけ晴樹へと視線を移す。向こうに変化はない。困惑気味ではあるが怯えたり、ギョッとしている様ではなかった。

 どうやら海実は晴樹と自分の対角線状に並ぶ様配置して俺だけに怒りが伝わるようにしているようだ。

 つまり不況を買ったのは確実に俺個人ということになる。

 てか、よく見ると額を抑えている指の付け根付近が赤くなっていないか? もしかすると頭をぶつけたのではなくその拳で殴りつけたというのか。

 ヤベェよ……ヤベェよ……

 あの衝撃音だ。とてつもない怒りが込められているだろう。

 背中からじわり、と冷たい汗が浮かび始める。後のことを想像して自分の顔から血の気が引くのを感じた。

 

「天の妹さんであってるよな。おでこ大丈夫か?」

「あっ、はい。大丈夫です」

 

 海実の怒りオーラが瞬時に霧散する。目の前に居たはずの鬼は笑顔の似合いそうな少女へと姿を変えていた。どうやら、この状況を分かっていないだろう晴樹が動き出したようだ。

 気付けば俺の横に並ぶように移動した晴樹は海実に軽い会釈をする。

 対する海実も家での不機嫌状態からは想像のつかない外行き社交的モードで対応し始めた。

 海実は会釈を返すと額に当てていた手を下ろす。やはりというか、指の付け根と比較して額が赤くなっている様子はない。あれは海実が拳で殴って出した音で間違いないようだ。

 二人は初対面ということもあり、当たり障りのない挨拶をしているようだが今の俺には会話の内容がまったく頭に入らない。

 晴樹には分からないようだが俺には海実が静かな怒りを燃やしているのが分かる。心臓が止まりそうだと錯覚を起こさせる眼力は抑えたが雰囲気が、笑っているようで笑っていない目がこちらに向けられる度語りかけてくる。

 

 ニゲルナ

 

(た、たすけて……)

 

 その恐怖のあまり横に並んだ晴樹の服の袖をつい摘んでしまう。本当ならコイツの背中に隠れて盾にしたい気分だ。なんなら生贄となるように羽交い締めにして前に突き出したい。

 ただ、海実に対してあまりにも大袈裟なリアクションは悪手。態々向こうが本性を隠しているにも関わらずバラしてしまうのは余計に不興を買う。こうして何とかちんまりとしたリアクションで留めることが出来た自分を褒めてあげたい。

 

 ……理由は不明だが心なしか海実の怒りオーラが小さくなった気がする。

 

「メロンなんて特別なものをいただいて、うちの家族だけで食べるなんてとんでもないですよ! 上がっていってください。切り分けるので家で食べませんか?」

「え……? ええええ!?」

 

 やっと二人の間で交わされている会話を聞ける程度には落ち着きを取り戻したが、いきなり聞き捨てならない言葉を耳が捉える。

 家にあげるだと? そんなことをすれば家にある物からヒントを与えてしまうし、何より一緒にいる時間が増えてしまうじゃないか。比例してボロを出してしまう確率も増えるわけでメリットがあまりにもない。

 

「いいよね、お姉ちゃん?」

「いやぁ、その……」

 

 海実がズイ、と一歩踏み出し近づいてくる。物理的な距離が縮まるとともに心へのしかかってくるプレッシャーも増した。

 袋を持っている方の手首を軽い力で掴まれる。確かに軽い力なのだが、まるで硬く冷たい強固な錠を嵌められたような気分だ。

 だが、しかし負けてなるものか。ここで晴樹を家にあげるのは避けねばならない。例えこの後、妹と争うことになろうとも!

 

「 い い よ ね ? 」

 

「……はい」

 

 戦意喪失。物の見事な即落ち2コマを披露してしまった。

 そのまま海実に手を引かれるまま家の中へと誘われて行く。

 

(いや、力強っ!?)

 

 思ってたより力を込めて引っ張られている。なんだこれ、どうしてそんなにキレてるんだ。絶賛困惑の中、ボソリと小さく海実は呟いた。

 

「女として見て貰うのにたかが5分で満足してんなよ……」

 

 その低い声にゾッとして血の気が引いた。

 これは不味いことになったぞ。そこまで深い意味はなかったってのに、海実からは思ってた以上に重く捉えているらしい。あーどうしてこうも上手くいかないんだよ……。

 しかし、ここで悩もうが晴樹は待ってくれない。そして自分を守るための手段はただ一つ、このまま理想の女の子の擬態を続けて乗り切るしかないのだ。

 精神的に一歩一歩重く感じる足取りだが、ゆっくりなのは慎み深い落ち着いた性格だから。そういった印象になるよう表情を繕う。妹の強引さに振り回されつつも、それが嫌ではなく逆に嬉しいという面倒見の良い姉の顔をするんだ。

 そして、やましい事は何もなく家へあげることに躊躇いはないんだと態度で示す。腕を引っ張られてる影響で身体の向きは変えられない。だから顔だけを晴樹に向けた。

 

「ということだから、晴樹も家に上がってってよ。ね?」

 

 晴樹をリベングに招くとメロンを持った俺は早速キッチンへと向かう。海実は部屋に用があると言って二階へ上がっていったが、今の俺たちを一対一にするんじゃない。

 じゃあ何で玄関に居たのかとか、若干晴樹も不思議そうにしてるじゃねーか。どうせ聞き耳立ててたとかだろうけど……

 

「それじゃあ切ってくるから、座って待っててね」

「ああ、突然来てなんか悪いな」

「いいよ、気にしなくて。お客さんに最低限のおもてなしはしなくちゃダメでしょ?」

 

 先程料理で使って洗ったばかりの包丁を水切りカゴから取り出す。袖をまくり手を洗いながら、やれやれといった感じに小さく息を吐いてしまった。

 メロン持ってきたぐらいだし、おもてなしした方が良いという気持ちも多少は本音が混ざってる。なのでメロン分は歓迎してやろう。家に居て良いのはメロン分の時間だけだからな。

 さっさと切るから、さっさと食って、さっさと帰ってくれ。それで今日はおしまい。

 帰ったと思ったら「忘れ物した」って不意をつく感じにUターンして来るのだけはマジでやめろよな? 素に戻ってるところを目撃されたら終わる。

 

「ていうかお前が切るんだな」

「家の中でお母さんの次に慣れてるのは私だからね」

「へぇー、怪我しないようにな」

 

 お前が思ってる以上に俺は家事に慣れている。メロンを切るぐらいで怪我しないっての。ということでヘタ部分を切り落とすのだが、手応え的にこのメロンはまだ完熟してなく固そうだ。少々力がいるか?

 

「ふっ!」

 

 おお、固ってぇな。 力んで思わず声が出てしまった。しかし、確かに固いが切れない程でもない。もう一息力を込めてメロンを縦に真っ二つに割いた。

 思ってたより重労働になりそうだな。今度は横にして気合を入れてもう一発。

 

「よっ!」

 

 ズドン、と言った感じにメロンを割った包丁がまな板を叩く。今度は何とか一息で切断出来た。そのままの要領で8等分に切り分けていくと、終わった頃には額に薄っすらと汗をかいていた。

 切り分けたので向こうに持っていくために食器を取り出す。しかしその途中、この青いメロンをそのまま食べるのはどうかという考えが浮かび上がってきた。どうせならおいしく食べたいよなぁ。

 急遽工程を増やすことに決めた。切り分けたメロンを皿の上に乗せ、ラップをかけた後電子レンジへと投入。30秒程加熱する。

 キウイを甘くするのと同じで熟してないメロンもレンジで温めると良いらしい。

 あったかいメロンを食べるつもりはないのでそのまま冷蔵庫へ入れる。あとは軽く時間を置くだけか。

 包丁を水でサッと流したあと、一旦落ち着くためリビングに向かう。

 晴樹は考え事をしているのかソファに座っているだけで何もせず大人しく待っていた。俺もどっこいしょとソファに腰をかける。メロン切っただけなのに思ったより疲れているようだ。

 

(っと、危ねぇ)

 

 思い切りガニ股で座ってしまったのに気付いて足を閉じる。ここで変に慌てると不自然に映るため、なるべく自然でスムーズな動きを意識する。

 晴樹の方にチラリと視線を向けるが特に気にしている様子はない。一安心だ。

 

「あれ、切ってたメロンは?」

 

 俺が手ぶらなのを見てメロンの所在が気になったのだろう。先程まで俺が固いメロンを苦労しながら切ってたのを知っているので、その疑問ももっともだな。

 

「固そうだったからレンジで温めて追熟させたよ。冷やすから食べるまで少し時間がかかるかな」

「追熟? 何それ」

 

 家事をしないとそのぐらいのことも知らないのか。晴樹には大体のことで負け越しているので、家事においては自分が優位に立っていることが分かり少し優越感に浸る。家庭的な男はモテるんだぜ?

 そんな感じに心の中でしっかりとマウントを取りつつ、しょうがないので優しく教えることにした。

 

「固いキウイをレンジでチンすると柔らかくなるのと同じで」

「え、なんだって?」

 

 俺の言葉に被せるように聞き返してくる。この声帯の発音にまだ慣れてないのか声が小さかったかな。心が広いのでもう一度最初から言ってやろう。

 

「その、固いキウイをレンジでチンすると柔らかくなるのと同じで」

「ん? よく聴き取れないんだけど」

 

 なんだ、またダメか? しょうがないので今度は聞き取りやすさを意識してもう一度言う。

 

「えっと、固いキウイを、レンジでチンすると」

「ごめんもう一回」

 

 難聴系主人公かお前は。要点を抑えてしっかり発音しよう。もう一度。 

 

「固い、キウイを、レンジで、チン」

「ワンモア」

「ふっ……」

 

 意図に気付いてちょっと吹き出しそうになる。というか吹きかけたので慌てて顔を俯く。

 

 

 

 コイツ、俺にチンチン言わせたいだけだろ?

 

 

 

 いや、気持ちは分かる。今の俺どっからどう見ても美少女だもん。透き通るような綺麗な声してるもの。そんな美少女の綺麗な声音で下ネタを拝聴したいってのはスゲー分かる。誰だってそうするし、俺だってそうする。けど、今はやめてくれ。

 今の俺の状態でそのネタを笑うことは出来ないんだよ。だって清楚な女の子を演じてるから。

 清楚が服着たような娘は下ネタなんて振られたら顔を赤くして俯くような初心な心の持ち主なんだ。だから俺は笑ってはいけない。

 コイツはこの小学生男子が喜ぶような下ネタを振り、それに俺が引っかかって笑うのを待っているんだ。そう、鬼畜な罠である。俺が尻尾を出すように罠にかけているんだ。そんな手に乗ってなるものか。

 

 ……ふふっ、しかし、笑いを我慢するというのは案外ツライ。それは笑うと罰でケツをシバかれるバラエティ番組を見ているとよく分かる。さらに笑ってはいけないという心理的バイアスがかかると余計に難易度が高くなる。ふ……

 

 ……チンチンって

 

 ……くだらねぇ

 

 

 

 ふっ、くくくっ、チンチン……っ

 

 ああーーーー! こんなクソみたいな下ネタなのにツボに入っちまった!

 てか清楚って素の俺との相性悪過ぎだろ! キャラセレクト間違えたか!? Bボタン押させろ、早く戻させろ、連打だ連打だ。

 え、ダメ? 決定ボタン1度押したら選び直せないとかス○Ⅱか? スー○ァミとか何年前のゲーム機だと思ってんだ? 現代のスタイルに合わせろよ!!

 これなら初めから女だったけど男友達みたいなノリで接してくる距離勘が近いキャラにすれば良かったか? そしたらこんなことで悩みはしなかっただろうに。

 ああああああ、いつもみたいにくだらん下ネタで笑いてえええええ!!

 くだらねえって笑いながらツッコミてえええええ!!

 

 ……

 …………

 ………………

 

 多分顔真っ赤だこれ。だって涙が滲んできたもの。

 やっと笑いの波が落ち着いて冷静になることが出来たがどうなんだろう。

 咄嗟に俯いて顔を見せることはなかったが、ここからの軌道修正は可能か? 今コイツから俺はどう写っている。

 

 下ネタで笑いを堪えてた頭小学生で中身が男のTS娘か?

 それとも下ネタを恥ずかしがって俯く清楚な女の子か?

 

 ええい、悩むな。後者で貫くしかないだろ!

 このまま笑ってないことを前提に物事を運ぼう。

 俯いている顔を少しだけ上げる。そして、その涙を滲ませた双眸で抗議をするように視線を向ける。しかし、恥ずかしさで目を合わせ難いため会う度に逸らすという下ネタが苦手な初心な少女を演出する。

 それにより笑いを堪えたあとの血が昇った顔は、まるで羞恥に染まったように見え方が変わるだろう。

 顔真っ赤にして涙目で見つめてくる女の子とか反則じゃない? 自分でやっててあざといと思う。

 

「その、そういうことをわざと言わせるのはダメ、だから……恥ずかしいよ……っ」

「わ、悪い……」

 

 晴樹はどこかバツが悪そうな顔で謝る。表面上は向こうも反省したようだ。そうだ、悪ノリ下ネタ攻撃は控えてなってんだ。

 しかし、今は上手くいっているがどこまで誤魔化せるのだろうか。この調子でぶっ込まれていくと、誤魔化しの効かないボロが出そうで心配でしょうがない。先が思いやられる。



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5:41 PM

「あれ、もう食べ終わっちゃった?」

 

 パタパタと階段を降りる音が聞こえたかと思えば、リビングに海実が現れる。見れば先程の服装に上着と肩掛けのカバンの装備が増えていた。

 

「メロンなら今冷やしてるだけだから、私たちもまだ食べてないよ。けどもう少ししたら食べれるかな」

「ふーん、じゃあ私はこれから出掛けるし晩ご飯の後に食べよっかな」

 

 いや、出掛けるの? それはちょっと待ってくれ。海実の出て行った後の状況を例えるならライオンと鹿を同じ檻の中に入れるのと同義だぞ。

 海実のあまりにも慈悲のない判断に焦る。思わず立ちあがりそうになったぐらいだ。

 しかし、しかしだ。これは一見ピンチだがチャンスでもないだろうか。海実がこれから出掛けるとして、時間がかかるのならその間に晴樹を家に帰してしまうことも出来る。

 仮にそれがこの後10分後だろうと海実には分からない。つまり回答次第ではこの危機的状況から脱出する一発逆転の鬼札にもなり得るわけだ。

 

「……どこまで出掛けるの? 近いの? それとも遠い?」

「近くのドラッグストアにちょっと買い物。買うものも決まってるしすぐ帰ってくるけど」

 

 目論見は失敗。ここから薬局ということは行って帰ってきても20分程度。買うものが予め決まっているなら尚更だ。つまり、その間に晴樹を返すことは不可能である。

 玄関でのやり取りを思い出すにそんな早期に返せば確実に不興を買う。しかも今までの比ではないだろう。もしもの未来を想像しただけで少々お腹が痛くなってきた。

 しかし、海実はそれだけでなく、さらに驚くべきことを言ってきた。

 

「あ、メロン冷えるの待ってるなら、ちょっと早いけど晴樹さんに晩ご飯ご馳走したら?」

 

 ブーッ、と唾を吹き出しそうになるのをギリギリ飲み込む。

 っとに、この妹は不意打ちでぶっ込んで来るな。ぽんっと手のひらを叩いたけど、こっちからすればそんな軽い動作をしながらして良いような軽い提案じゃねえから!

 いつ爆発するか分からねえ爆弾持ってんだぞ。早く手放したいのに、それをさらに懐近くに抱え込ませようとする奴があるか! 飯まで食ったらすぐ帰ろうって感じじゃなくなるだろ!

 腹一杯でまったりした空気になって確実にその後、ゆっくり長居する流れになっちゃうでしょうが。この提案はすぐに否決せねばならない。

 

「そっ、それはお母さんとか海実以外にも聞かないとダメじゃない、かな……?」

「お母さんは遅くなるし、大地は気にしないでしょ」

 

 ぐっ、母さんが遅くなるのは正しいし、理由も俺にあるから否定できない。大地も別に海実なら丸め込めるだろうし、防波堤としての意味をあまりなさない。父さんは夜遅くになることが分かりきっているため、端から除外している。

 だったら……

 

「晴樹にも予定とか帰る時間もあるし遅くなるのは迷惑なんじゃないかな……?」

「俺は遅くなっても構わないけど。金曜だし」

 

 間髪入れず了承の返事を得る。こっちもダメ、というか今回のコイツの目的を考えればそんなホイホイ帰るわけないか……。

 というか、むしろ墓穴を掘ったのではないか? 晴樹がメロン食ってもすぐ帰らなくても良いという不要な言質を得てしまった。そんな言質要らないから、どこかに丸めて捨てたいよ。金曜日というのもタイミングが悪すぎるし……

 あー、正直返事をしたくない。しかし、逃げ道が塞がれたこの状況で長い沈黙を作るのは怪しまれる余地が出来てしまう。何をそこまで渋るのかという疑念が生まれるのだ。つまりここでの答えは沈黙ではない。

 俺に残された行動は場の空気が途切れないよう、快く了承することだけだった。

 

「その、分かったけど。あんまり期待しないでね……?」

 

 家族以外に手料理を振る舞うのは初めてだったりする。まぁ晴樹相手だし別に味をどうこう言われようが構わないのだが、しかしそれは普段の話だ。

 俺と晴樹が男同士の時なら飯の味が不味くても、馬鹿にしながら男飯ならこんなものかで笑って終わる。

 ただし今の俺は女だ。自分の勝手な女性像だが、この年頃の女の子は家事が出来ることを褒められるのは嬉しいものだと思ってる。家庭的な女子という称号は高校生男子からしても特別に感じるぐらいだし。

 つまり異性の目が気になる女子高生にとって料理のできるできないは一種のステータスであり、大事と捉えて問題ない。相手が誰だろうと同世代の男子に馬鹿にでもされたら結構ショックな筈だ

 その辺り上手く合わせて感情を表現出来るかが重要だろう。

 今回は料理の素を使ってるので味の心配はない。問題があるとすれば具材の切り方がやや大味だったり今の自分の作ったキャラとのブレがあることだ。

 まあ、育ち盛りの大地が居ることだし、弟に合わせて作ってると言うことで設定を捏造しよう。作り慣れてる感と弟思いの姉ということでお淑やかポイントを一気に稼ぐことが出来る。こういう細かな心遣いは女子っぽくないか?

 さて、一通り問題点も洗い出したことだ。行動へと移すとしよう。

 よいしょと立ち上がる。晴樹に自分の作った飯を食わせるなんて想定していなかった出来事だが、何とか対処出来そうで安心した。

 

「ん゛ん゛っ、お姉ちゃん……?」

「どうしたの、海実」

 

 海美に呼ばれたので顔を向けて反応する。わざとらしく咳をして、何かを伝えたいのだろうか。チラ、チラと何か合図を送っているのか目線も動いている。

 しかし、残念なことに俺には何のことだかさっぱり伝わってこない。このまま意思が伝わらず事故を起こしても難だし、作戦タイムじゃないがここは一旦晴樹を置いて短く打ち合わせをするべきか。送り出すために玄関へ行くだけなら一旦席を外しても不自然に映らないだろうか。

 くるりと、身体の向きを変えて向かおうとしたら、海実は溜息を吐き何かをしくじった時のように眉間を指で抑えた。

 

「お姉ちゃん……」

「え、何?」

 

 いや、海実が何についてガッカリしているのか状況がよく分からないんだけど。お前には見えないのか、兄の頭上に浮かんでいるでっかいはてなマークが。

 今は姉か……。

 

「……天」

 

 今度は現在背中を向けている晴樹から声をかけられた。顔だけ振り向くと晴樹はあらぬ方向へと顔を背け……いや、窓の外の景色を眺めているのか。

 もしや兄にも分からなかった妹の言いたいことが、お前は分かると言うのか!? 窓の外を注視するため眼を細めること数秒、こちらに視線だけ戻した晴樹と目が合う。

 

「いや、スカート」

「へ? スカーt……あっ」

 

 晴樹に言われてスカートに目をやれば、後ろの裾にシワが寄ってお尻の半ばまで布が捲れ上がっていた。

 

(ヤッッッッベ!!!!)

 

 これはヤバイと思い、すぐに捲れ上がったスカートを直したが手遅れだろう。時既にジエンド。

 最初に海実から合図を送られた時に気付いていれば防げた筈だった。

 でも、まさかこんなことになっているとは思ってもなかったんだよ!

 

「あはは、ちょっと失礼しますね……!」

 

 いつの間にか海実はすぐ隣に移動していた。海実は晴樹にことわりを入れると俺の手を掴んでくる。突然のことだったが今の状況から脱出すべくそのまま手を引かれリビングを後にした。

 

「何、直パンで座ってんの……?」

「じ、直……?」

「これ綿なんだから余計にスカート敷いて座らないと折れ目ついて捲れるでしょ……?」

「綿? えっ……?」

 

 廊下に出ると色々と言葉を捲し立てられているが、その悉くの意味が分からなかった。敷くって何? 直パンとは一体? なんか布の材質によってはしちゃいけない座り方があるのか?

 いや、それをしなかったから俺はさっきみたいな間抜けを晒したのか。

 女の子が座る時の注意事項なんて足を開かないぐらいだと思ってたが浅慮だったようだ。男だった自分には未知の領域の話である。

 そんな女の子のことを上部しか分かっていない俺に海実は大きなため息をついた。

 

「あんたの学校生活が心配になってきた……」

 

 しかし、困ったことになったな。

 突然のことでロクな反応も出来てないところを晴樹に見られてしまった。

 異性にパンツをモロに見られたんだ。最低限恥ずかしがるぐらいのリアクションはあって然るべき場面の筈。

 女の子ポイントを稼ぐなら「きゃっ」とか短い悲鳴を出すとかやりようはあっただろうに。それすらも出来なかったのはかなりのマイナスだ。恥ずかしがることなく素で「あっ」って言ってしまった。

 授業中に部屋の窓閉め忘れたこと思い出した時ぐらいの恥じらいも何もないリアクションだった。

 思えばパンツなんて体育の授業で着替える時とか、目にするし見られる。態々男同士でパンツを見ようという明確な意思を以って見てくるやつなんてのも居なかった。だから男相手から見られることを恥ずかしがるという認識がなく咄嗟な反応も働かなかったのだろう。

 自然界の厳しさに身を置かず飼育されている動物の警戒心は野生と比べて低いのと同じで、普段から警戒することを知らない男だからそうなったのだろう。当然の帰結というわけか。

 しかも相手は晴樹という気心の知れた同性相手だ。今回の不意打ちに反応する方が難しい。

 どちらかと言えば女になった俺のパンツを見てアイツが慌てるのなら分かる。しかし、晴樹は結構冷静に対処していた。

 

(それはそれでちょっとイラッとするな……)

 

「ねぇ、私の話聞いてる?」

「何が? って、いたぁ……っ」

 

 話を聞いてるかと聞かれたが、完全に自分の考えに没頭してたせいで聞いてなかった。突然だったので素直に聞き返したら頭にチョップが帰って来た。

 

「今履いてるようなスカートで座る時は裾を膝の裏に持ってきてお尻に敷くようにして座る。いい?」

「わ、分かった。さっきは聞いてなくてごめん」

「ん、よろしい。それよりどうするわけ? さっきのパンモロはあんたの目的から考えると大きく後退したと思うけど」

 

 海実が言ったことは的を得ている。この歳まで女として育ったならしないだろう失態を見せてしまった。男としての匂いを漏らしたわけだ。今の出来事でアイツの中でも認識の修正が起こったと見て間違いない。

 信用というのは得るには難いが失うは易しだ。ここまで折角稼いだポイントもほぼ失くなったと考えて良いだろう。

 

「ああ言うのはサービスじゃなくて、ただ単にだらしない印象与えるだけだから。折角作ってるあんたのキャラとも相性も悪いでしょ」

「うん……」

 

 スカート歴1時間未満の赤ちゃんなんだからしょうがないじゃん。などと言えるわけがなく、海実の言葉を素直に受け止める。

 ここからどう挽回するかが重要なのだがその方法が全く思いつかない。それこそまたスキンシップを図ってみるという手が無難だ。

 しかし、さっきの失態を覆すには簡単なものでは意味がない。つまりさらに攻めた行動をしなければならない。そしてそれを実行するための場所とお膳立ても必要だ。どうすれば良い……!

 

「急遽予定を変更するわ」

 

 一向に良い考えが出ずに頭を悩ませているところへ海実から声をかけられた。

 

 

 

 

「おまたせ、待たせてごめんね?」

「ああ、別に良いよ」

 

 妹さんに廊下へと連れて行かれた天がリビングへ戻ってきた。しかし、俺はその顔をまともに見られずにいる。

 心が乱れている。いや、乱されている。全ては先程の光景が原因だ。天の履いていたスカートの後ろ側が捲れ上がり、適度に引き締まった健康的な太ももとお尻、そして丸見えになっていた下着が目に焼き付いている。純粋に男の本能を揺さぶられた。

 あのサックスブルーの鮮やかな逆三角形に惑わされる。

 ダメだ、思考力が落ちている気がする。折角俺が待ち望んでいた、天が女でなくTS娘であるという根拠になり得る情報を得たというのに。

 一方天は俺の心の中とは対照的に何事もなかったかのように、そのままキッチンへと移動する。そして食器を出したりテキパキと食事の準備を始めた。そんな調子に俺も心が平静に戻る。

 

「ご飯このくらい食べる?」

「そのぐらいかな、ありがと」

 

 案内されたダイニングテーブルに腰をかけると、天が白米を盛った茶碗を見せてくる。食べる量を聞いてきたようなので返答する。

 丁度良い量を一発で盛る辺り流石だ。よく一緒に飯へ行くだけのことはあり、俺の胃の大きさを把握してそうだ。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 テーブルに並べられたものは白米に味噌汁、そして大皿に盛った存在感の大きい回鍋肉。食事中の会話で天が作ったと知って驚いた。

 今まで会話した中で料理が出来るなんて聞いたことがなかったからだ。しっかり味も良かったのでまた食べたいと言ったら喜んだ。

 食事が終わり一緒に食器を洗う。名目上は客と言え、その前に友達という関係がある。流石に何でもかんでもやって自分だけ寛ぐのは居心地が悪い。どうやら家事も手慣れているようで、天は手際良く食器を捌いている。

 さて、洗い物をしながらであるがここまでのTS娘ポイントのおさらいをしよう。

 まず行動はところどころ男のような癖がある。それに食事の時に使っていた食器が男物だった。箸の長さが顕著であり、茶碗も俺と変わらない大きさのものを使っていた。そして白米でお腹が膨れたのかおかずにあまり手をつけていなかった。だから皿にあった分はほとんど俺が食べた。

 思い返せばメロンを切っている時に聞こえた声もキャラにそぐわないものだった。そして、飯の前のアレはあからさまにスカートを履き慣れていないことを物語っていた。

 スカートなんて学校の制服でいつも履いているだろう。それならばあんな失態は犯さない筈だ。

 これTSゼミでやったところだ! と俺の中のTS娘センサーがビンビンに反応している。

 チラリと横にいる天へと視線を向けると、前に垂れた長い髪を鬱陶しそうにしている。長い髪に慣れて、家事も良くしているなら縛るなりして対処しないだろうか。

 ここまで状況証拠が揃っているのだが、まだ確信しきれない。それは何故か。

 話から聞いていた妹さんとの仲に致命的なズレがあるからだ。

 まず着ている服が明らかに女性的だが、それの調達方法が分からない。俺の知っている天は女友達が居なければ、身近な女性は仲が険悪の妹さんのみ。しかし、その妹さんと仲良くしている。その一点が俺の知っている天とは違うのではないかという疑念を浮かばせる。

 天が頭を下げたとして協力してくれるような存在だろうか。服どころか下着まで貸してくれるということは余程心を許していないと出来ないことだろう。さらに貸して貰えたからと言って女物の下着をこんな直ぐに履けるものなのか? 必要に迫られるようなことはあるのか?

 それに見た目は飾っていても下着は男物だったとかはTS作品でも見かける。

 何より1番俺が慎重になっている理由はもし仮に違った場合、天が女の子でこの調子が本当だった時「お前、もしかしてTS娘だったりする?」みたいなニュアンスで物を訊ねればその心を深く傷つけることだろう。

 それを踏まえると、まだ答えは出せない。

 

「手伝ってくれてありがと」

「飯食わせて貰ったからな」

 

 一通り洗い物を終えるとリビングに戻り、ソファへと腰掛ける。このまましばらくゆっくりして、妹さんとの仲を聞くとするか。それで何か齟齬か何かを見つけた時が最後。俺の勝利が確定する。

 この状況って俺が騙されてる形だし、何か1つぐらい言うこと聞かせても問題ないよね? 何をして貰おうかと夢を膨らませていると天がリビングに現れる。

 しかし、様子がおかしい。ソファに座らず立ったままでどこかそわそわと落ち着きがない。毛先を弄ったり、口を開いては閉じたり。

 どうしたのかと訝しげに観察していると、天は顔を逸らしたまま話しかけてきた。

 

「この後、リビングじゃなくて私の部屋に来てゆっくりしない?」



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6:46 PM

 訳:俺の部屋行こうぜ、発言からどこか落ち着きのない様子の天。部屋へ案内される途中の口数がやけに多く感じるが、まあ言及する程のことでもないか。

 そして、ある部屋の前に立ち止まる。どうやらここが天の部屋らしい。天は胸に手を置き、目を瞑っている。心を落ち着かせているのだろうか。

 しばらくすると目を開けドアノブへと手を伸ばす。慎重にゆっくりと回すと、その調子のままドアを開けた。

 こちらへと顔を向ける。

 

「じゃあ、どうぞ……?」

「いやいや、俺相手を自分の部屋に入れるのにそこまで緊張するこたないだろ」

 

 ニコリ、と笑っているがやはり緊張した空気は隠せていない。なので、その緊張をほぐしてやろうと茶化すよう笑いながらツッコミを入れた。天は「べ、別に……」と吃ったようにごにょごにょと言葉を返すのみ。

 くっ、なんかその含みのありそうな態度は勘違いしそうになるからやめて欲しい。俺は推定TSっ娘だと認識してるから友情を優先することで何とか理性を保つことが出来る。だが、もしお前が本当に女だとしたら自分に気があるようにしか見えない。

 部屋の中での雰囲気や状況によっては自制出来るか分からないぞ。唯でさえ格好から見た目まで俺の好みだと言うのに。

 あー、このまま深く考え続けるのはマズい。とりあえず招待されてるのだからさっさと部屋に入ろう。俺はTSっ娘の証拠を掴むため、家宅捜査に来たTS刑事(デカ)だ。自分をそうだと思え。

 煩悩を振り払おうとヤケクソ気味に部屋の中へと踏み入る。

 

「はい、これ」

 

 入ってすぐ、天からラベンダー色のクッションを渡された。そして、自身は水色のクッションをちゃぶ台の横へと下ろし、その上へと腰を落とす。これを使って座れと言うことか。

 それにしても今の動作、中々様になっていたな。先程の失敗を学習したのかスカートをお尻の下へ敷くようにして座った。そうそう、男の頃の癖が抜けずちょっと恥ずかしい思いをした後に女の子として作法をラーニングする。これこそTSっ娘の味わいだ。やっとらしくなってきたな。

 そんな親友の成長する姿を目に焼き付けているとあることに気付く。

 

(おお、それは……!)

 

 男性と女性の身体の構造は違う。性器もちろんだが、次に分かりやすく異なる箇所と言えば骨格だろうか。男性の肩幅や肋骨など重い筋肉を支えるため、女性より広い。だが逆に骨盤は女性の方が広い。その影響で男性はガニ股、女性は内股になり易い。それが楽な座り方への違いに出てくる。

 天は今、両足の間にお尻を落として座った。いわゆる女の子座りというやつだ。意識的かそれとも無意識的だったかは分からないがTSっ娘がそれをやるのが俺は大好きでね。ありがたみの深い光景を前に心がほくほくだ。

 

(……おっと、いかん。和んでる場合じゃないな)

 

 本命を思い出すと、早速何か引っかかるものがないか部屋の中を見渡す。足下にゴミ一つ見当たらず、机の上に物が散乱しているなどもなく綺麗に片付いてある。ファストフードで食べ終わったハンバーガーの包み紙をわざわざ綺麗に折り畳むなど几帳面だと思っていたが、部屋もそんな性格と違わず綺麗にしているらしい。

 家具など白を基調にしているが、カーテンやクッションなど所々パステルカラーをあしらっている。チェストの上には写真立てに小さな観葉植物、卓上カレンダーに謎雑貨などの小物がきっちりとした配置で並べてある。

 机の上にはクリアカラーのシャープペンシルなどが入ったペン立て、小物ケースと畳めるタイプの卓上ミラーが置いてある。その机の隣の背が低い本棚は布を被せているため中身は分からないがサイズ的に教科書用だろう。

 フローリングの床には敷いたカーペットと、現在俺と天の間にある足を畳めるちゃぶ台がある。他にもモニター、ではなくあれはTVか。あと球体のような洒落た形のテープルランプに加湿器らしき家電など色々と整頓して配置されている。

 ハンガーラックにはうちの学校の女子制服がかかっていた。天の妹は別の高校のため、あれは正しく天本人の制服だろう。

 なんというか「かわいい印象を受ける部屋」というのが感想だ。自分が想像する女の子の部屋に近い。

 しかし、おかしいな。俺と天の共通の趣味であるマンガやアニメ、ゲームの類いが見当たらない。

 

「えっと、何か気になる?」

「いや、まあ初めて招待されたわけだし色々興味はあるって。でも普通に良い部屋だな」

 

 部屋チェックに没頭していると、天が心配そうな顔をしながら声をかけて来た。まあ部屋に入ってから黙って部屋の中を見渡すのは部屋の主人としては気になるわな。

 だから、まずは安心させる。そして次に相手を褒めることで口を軽くしよう。この場合、部屋を褒めることが有効だろう。

 

「えっと、どの辺りが良いと思った?」

「なんというか、女の子らしいかわいい部屋だと思った」

「ほ、ほんとっ!?」

 

 天は先程まで不安そうだった顔を綻ばせ、その声を気色に滲ませながら返事をした。身体の前で両手を軽くきゅっと握るようなポーズが愛らしい。

 

「わざわざ嘘はつかないって」

「えへへ、そっかぁ……! 女の子らしい、かぁ……!」

 

 安心したのか息を吐いているが、この照れ笑いが反則的にかわいい。部屋もだけどお前もまさにかわいい女の子って感じだよ。このままずっと見ていたい気分である。

 だが、そうはならない。心苦しいがこれから俺はお前を少しずつ追い詰めなければならない。違和感の正体に繋がる何かを本人の口からも語ってもらおう。

 

「そういや部屋まで来たけど何しようか。ゲームとかどこ? やろうぜ」

「えっ!? げ、ゲームなら……弟の部屋だよ? ちょうど今貸してて……」

 

 ふむ、やはり焦りを見せたな。

 俺と天は性別が変わっても学校で仲が良いという認識をされている。しかしアニメやマンガ、ゲームが好きという共通の話題もなしに俺が女子と仲良くなるとは考え難い。

 つまり逆説的に考えれば男だろうが女だろうが俺と仲が良いのなら必然的に、天はゲームもマンガも俺と話せるぐらい好きだろう。そうでなければ大前提として俺と天の間に接点が生まれないのである。

 男の天は一緒にゲーセンへ寄れば毎回格ゲーの筐体へ行くぐらいにはゲームが好きだ。その拘りはTVだと反応速度が遅くなるということで、わざわざモニターを購入して使用しているぐらいだと聞く。

 そう、この部屋にあるのはモニターでなくTVだ。

 違和感の正体、それはマンガやゲームなど天の趣味に基づく痕跡が一切存在しないことだ。

 ゲームを弟に貸したから部屋にないのは嘘だとしても納得は出来る。その流れでモニターごと貸した、まででも百歩譲ってギリギリ分からなくもない。しかしモニターを貸した上でわざわざTVを替わりに置くのは疑問が生じる。

 これはつまり移動させたのではなく、初めから存在しなかったという風に俺は捉えた。

 そこから導き出されること。それは、ここは天の部屋ではなく別の誰かの部屋疑惑だ。そして、消去法で考えるならおそらく妹さんの部屋だろう。

 なるほど、一度そう思うと色んなことが芋づるのように繋がって見える。例えば本棚へかけられた布だ。これは中にある教科書が3年生で使うものでなく1年生のものが並んであるが故の目隠し。そう考えるとしっくりくる。

 しかし、この推理勝負の不利な点はモニター程度の知識の食い違いなど、天が惚ければそれだけで意味を為さなくなることだ。

 仮にマンガの話題を出しても同じ手法で躱される。マンガも最近は電子書籍に乗り換えて紙類のヤツを厳選したと聞いた。ポンと貸し出したと言っても無理のない量だろう。

 つまり、天の趣味由来でこの部屋にある筈のものを聞き出すのは全て悪魔の証明を使われて無効化されるわけだ。

 そしてここが自分の家でないため、あそこに何か隠してあるのでは? と疑惑があっても流れもなしに突然家探しすることなど出来ない。だから先程の教科書の推理も現時点では検める方法が存在しないのだ。

 だが、これはこれで好都合。ゲームやマンガを借りて読むなどやることがないなら流れは自然にトークへと変わる。何を話題にしても良いが折角だし、そちらが用意した隙を突かせてもらおう。

 

「ゲームが出来ないならしょうがない。ま、いっか」

「ごめんね」

「そう言えば気になったんだけどあそこにあるのって家族写真だよな」

「え? あっ……! そうだよ。おばあちゃんの家がある岐阜に行った時の写真」

 

 俺はチェストの上に飾ってある写真立てに注目する。その中には葉坂家が帰省先で撮ったであろう一枚が入っていた。天が小学校の高学年か中学1年生ぐらいの時期だろうか。いかんせん写真の中の天も女になっているため年齢が分かりにくい。

 父親の側で嬉しそうにしているちびっ子は天の弟だろう。母親の側にいる髪の短い女の子が天で、その隣で仲良く手を繋いでいる小さい女の子が妹さんか。お互い笑顔のようで話に聞いていた通り、この頃の兄妹仲は良いようだ。

 そしてこの頃の天は前髪が今のように長くなく、日焼けした肌といい雰囲気も元気溌剌といった感じだ。屈託のない眩しい笑顔を浮かべている。

 やんちゃっぽさから女の子らしさは薄くなっているが、顔立ちの良さが美人になるだろうという将来性を感じさせる。実際すぐ目の前に居る天はかわいいので進化は成功している。

 というか意外だな。当時流行ったものとかの思い出話はしても、天は自分の昔話はあまりしない。だから小中学生の頃なんて断片的にしか知らなかったけど、この日焼け褐色少女の性別を反対に置き換えたらバリバリのスポーツ少年って見た目をしている。

 今は帰宅部生活によって真っ白な肌に変わり見る影もないが、体育の授業でそこらの運動部より卒なくこなしてる辺り素の運動神経が良いのだろう。

 と、まあ話を戻そう。何故俺がここに目をつけたかというと新たな手札になり得そうな情報があるからだ。それは写真の中の天の服装にある。

 この半袖に短パンは完全に男物の服だ。仮に天が次男であった場合、兄からの服をお下がりで着ているというそれっぽい理由が出来る。しかしそうじゃない、天は長男だ。

 両親はわざわざ男物の服を買い与えるだろうか。あり得なくはないが確率はかなり低いだろう。もし、そうだとしたら小さい頃男の子だと思ってた子が再会したら女の子だったを娘がやるために狙ったとしか思えない。

 さて、写真に対しての天の反応だが狼狽えているように見える。あんな目のつく位置に写真を飾っていれば、それこそ話の種になるだろうに。自分から部屋へ誘ったにも関わらず、見られるのが嫌なら初めから片付けておいても良い筈だ

 俺からは存在自体に気づいてなかったが故の狼狽えにしか見えない。

 余計にこの部屋が妹さんの部屋疑惑を補強していく。いいぞ、もっとガバを出せ。

 と、不意にワイシャツの袖口を弱く引っ張られる。無造作にちゃぶ台の上に放り出していた右腕の方を弱々しく、天がちょいと指で摘んでいた。

 

「あんまり見るのは恥ずかしいかもっ、だってその頃の私、その……す、凄く……男の子っぽいし……」

 

 天はやや俯き加減で顔を赤くしながら、上目遣いで抗議してくる。少し縮こまりながら、どこか子犬を彷彿とさせるような健気さを演出している。

 ぐッ、こいつ自分の容姿の良さを自覚して仕掛けて来やがる。あざとさを熟知した上で狙い澄ました攻撃は厄介だ。一撃一撃の破壊力が高い上に急所へと確実に叩き込んできやがる。

 

「あー、すまん。お前の昔の写真とか物珍しくてさ。でも、話には聞いてたが妹さんと昔は本当に仲良かったんだな」

「うん、あの頃は私も運動とか色々頑張ってたから」

 

 天の策略に引っ掛かり、話の腰を折りそうになったがまだ逃さんぞ。あの写真から上手く妹さんとの話題へ繋げる。この妹さんとの関係さえ、はっきりすれば一気に牙城を崩すことが出来る。

 次弾は込めてある。いつでも「それは違うよ」という準備は出来ているのだから。

 

「それで、妹さんとはいつ仲直りしたんだ? この前も機嫌損ねたーって落ち込んでたのに、今日はそんな不仲なんて事実なかったみたいに2人で楽しそうにやり取りしてたじゃん?」

 

 矛盾点に切り込んでゆく。それに対して天は目を泳がせている。やはり、何か隠していることがあるのは明白。元から仲が良かったと惚けよるにも先程、言質をとってある。確かに天は昔()仲が良かったことを肯定するような返事をした。

 つまり何か理由があって昨日今日で仲直りをしたことが明白となった。

 

「さっきの事故の時もあの子がサッと天を助けてたし、天もあの子のこと頼ってる感じあったし話と全然違う礼儀正しい良い子じゃん」

 

 さらにもう一発とばかりに追求内容に補足を加えたが……よし、天の視線は泳いだまま。この渋り方は核心を突いたに違いない。

 俺から見た妹さん像からどう返せばいいかあぐねているのだろう。

 素直に「外面だよ」なんて言えばどこで聞いてるか分からない妹さんの怒りを買うに違いないし、今必死こいて言い訳を考えてるのか?

 天の今の状況を例えるなら「四面楚歌」、「五里霧中」、「八方塞がり」と言ったところだろう

 あれ、これつまり実質積みまで持っていった? つまり勝ちというわけか。よし、

 

 

 

 

(勝ったわ、風呂入ってくる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然だった。

 

 心の中で勝利を確信しながら天がどうするか待っていたら、天はお尻を浮かして隣へ移動して来る。何が起こるのか予測が付かず、かと言って反応して動くことも出来ず次の行動を待つしかなかった。すると右腕が暖かく、柔らかい感覚に包まれる。

 驚きに目を開きながら隣に視線を映すと、縋るような熱の籠もった双眸と目が逢う。そして、その細く折れそうな繊細な身体で俺の腕を抱きながら――――

 

 

 

「……海実とのことじゃなくて、もっと私だけのこと知って欲しいな」

 

 

 

 甘い声を鼓膜に染み渡らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……心臓が止まるかと思った

 

 コイツは昨日まで本当に男だったのか……?

 

 だとしたらとんでもない人を誑かす才能があるだろう

 

 いや、待て……やっぱり女だったのではなかろうか……?

 

 これはひょっとして異性としてアピールされてるのか……?

 

 だとしたら俺はどうすれば良いんだ

 

 いやいや……

 

 いやいやいやいやいやいやいやいやいや

 

(いや、待てッ!)

 

 だから待て、俺の心臓ッ! 鼓動が早くなってるのが体感で分かる。そして、口から心臓が漏れ出しそうだと錯覚させる程の鼓動とは反対に、身体は石のように固まって動けない。なんなんだ一体、どうしたんだ俺の身体。

 今まで体験したことのない状態に陥って頭が完璧に混乱している。

 俺は瞬きすら出来ず、ただずっと天を見つめることしか出来なかった。

 しかしそんな金縛りにかかっているのは俺だけだったのか、天は動かない俺から慌てたように離れる。

 

「や、やっぱりゲームしよっか!? そうしよ! うん、話してるだけじゃつまんないもんね! 大地のところから持ってくるから待っててねっ!!」

 

 そう早口で捲し立てると早足で部屋から出て行った。俺も金縛りから解かれてやっと身体が反応出来るようになった。そして、急いで振り返ったが、部屋から出る背中を見送ることしか出来なかった。

 完璧に負けた。俺が聞きたかったことを見事にはぐらかされてしまった。しかも理路整然とした言葉で言い負かされたのではなく、あんな雰囲気だけの行動に。

 大きな溜息が溢れる。

 

(TSっ娘だとしても、アレ狙ってやったなら元から(ワル)じゃなくて悪女(あくじょ)だよ……)

 

 天がゲーム機を抱えて持ってくるまで右腕に残った感触を忘れないよう、ずっと思い返すことしか出来なかった。



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