ウッハwww貴族に生まれたwwwマジ勝ち組www (頭に油をさしたいマン)
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ウッハwww貴族に生まれたwwwマジ勝ち組www

▲月□日

 

 誕生日プレゼントとして、父上からは日記を、母上からはペンをもらった。せっかくなので今日から日記をつけようと思う。

 今日あったことといえば、叔父上がチェルノボーグを去ったことぐらいだろう。まるで夜逃げでもするかの様な行動の早さだった。絶対になにか裏がある。

 ほかの貴族達もずいぶんと忙しなく動いている。また、次の戦争が始まるのだろうか?それにしては父上はいつもどうり呑気に、なんとかなるさと言っている。そろそろ本気で当主の座をお譲りしていただこう。

 私の字が小さいのもあるのだろうが、日記が大きくて半分も埋まっていない、これを使いきれるのだろうか。

 

 

 @月▲日

 

 *ウルサススラング* 感染者達がチェルノボーグへと襲撃を仕掛けてきた。あちらこちらから今も悲鳴が聞こえている。襲撃を仕掛けてきた感染者達の組織名はレユニオンというらしい。ただの感染者達の組織がここまでの戦力を有しているとは。

 彼らの士気は高く指示を受けてからの行動が早い。軍人上がりも混ざっているのだろうが、それにしても練度が高い。なるほど、これほどの組織であればチェルノボーグを鎮圧することは出来るだろう。

 だが、それを加味しても動きが早すぎる。間違いなく逃げた貴族達のなかに、彼らを手引きしたものがいるのだろう。相変わらず綺麗なのは外側だけで、中身は腐りきりがらんどうだ。

 どうやら、彼らに自分達を殺すつもりはないらしく、別の学校へと連れていかれた。そこはかの有名な冬将軍が居るところだ。そこにはほかの学校の人達もたくさん居た。チェルノボーグの歴史のなかでもこれほどの学生が一同に会したことなどないはずだ。それを為したのがテロリストというのが皮肉だな。

 最初は人質にでもするのだと思っていたが、恐らくは違うのだろう。それなら、平民達は殺されているはず、この腐りきった国では国民など資源の一種にすぎない。そんな国が平民達のために動くことはないだろう。

 だけど、それは私たちも同じで、ここにいる貴族は逃げ遅れた奴や、そもそも襲撃に気づいていなかった奴等だ。そんな間抜けを国が助けるために動くわけがない。生徒会長ぐらい有能な人間ならば話は別なのだろうが。

 

 その生徒会長が貴族達を束ねて平民狩りや食糧の強奪を行っているらしい。こっそり抜け出して、自分の分の食糧や武器の確保を行っているうちにそんなことになっているとは。あの場で貴族達での殺し合いや、平民から殺されると思い、抜け出してきたが、まぁいい。

 第三、第四食料庫には大量の食糧がありはしたが、この人数だ、そう長くは持つまい。だが、レユニオンがここに学生を閉じ込めた理由がなにかあるはず、ならば、レユニオン側からなにかしら動きがあるはずだ。今は体力を温存しなければ。

 それにしても、連行されているさなか、見かけたあの白髪の少年。あの少年の目はよく知っている、平民をおもちゃのように扱う貴族達と同じような目だった。ひどく嫌な予感がする。気のせいならばよいのだが。

 

 

 @月#日

 

 目覚ましの音ではなく、扉の開く音で目を覚ました。そこにいたのは先日、貴族達から襲撃を受けたらしい平民達だった。人数は三人、身体中、あざや傷だらけだった。そんな彼らからすれば憎い貴族が一人だけ、自分で言うのも悲しいが、どうみたって強そうではない奴がいる。それにあの様子では昨日からなにも食べておらず、ストレスが貯まっていたのだろう。

 部屋に入り、こちらを視認し、彼らの顔が憤怒の色に染まり、こちらに襲いかかってくるのにそれほど時間はかからなかった。

 

 私は彼のこめかみを殴りつけた。初めてだったのだがうまくいき、ぐしゃりと、こめかみに金槌がめりこみ、目玉が押し出され、それがひものようなもので頭蓋骨から垂れ下がっている。

 それを見て残りは怖じ気づいたのか、彼らは逃げようとしたが、扉に近い方に草刈り用の鎌をなげつけると、足にささり倒れ、もう一人もそいつに引っ掛かり、重なるように倒れた。

 私はそいつら二人のうえに跨がり、二人とも頭蓋骨が砕けて中身が見えるまで交互に彼らの頭部を殴った。初めてなので砕けるまで殴ったが、両方とも一回殴ったあたりから動かなくなったので、今後は二三回程度で問題はないだろう。

 

 安全を確保したのち、彼らの制服のできる限り綺麗なところで、服や顔、手についた体液を拭き取った。意外とねばねばしていて、気持ち悪い。彼らの持ち物で使えそうなものはハンカチぐらいだったので、それを拝借した。

 改めて廊下の物音を聞いたが、近くから足音は聞こえなかった。せっかくなので、腹拵えにコンビーフ缶を食べた。手掴みでは食べづらい、あとで、スプーンとフォークも取ってこよう。

 

 

 外から響く叫喚はその冷たい熱量で床を溶かしたかのように私の足に絡み付いてきた。それを振り払うように、廊下に出ると、眼前に広がるのは昨日までとは全く異なる世界だった。出てすぐの廊下には後頭部が沈没した女性の死体が転がっていた。足の先に当たっても、コツンという音だけで転がらない野球のバット、後ろから不意打ちで殴られたのだろう、真ん丸に見開かれた目玉は、血にまみれた壁を反射する、それだけだった。

 

 ふと、目線を上げ、窓の方をみると、上から逆さに昇っていく女子と一瞬目があった。彼女の目線がなにかを伝えようとして、そのまま過ぎ去った。ぐしゃりという音が今も耳に残っている。

 

 

 そこからの記憶は曖昧で、轟く喚声の熱量が夢現の狭間で私を動かし、屋上まで引きずって行った。 その道中で、階段から突き落とされたのだろう、踊り場にたおれている男が一人いた。彼の左足は脛の部分で曲がっており、早急な治療が必要なことは見てとれた。話を聞くには、彼の持っていたパンを二人で分けるときに、揉めて、突き落とされたらしい。二人で分けたパンももう食べてしまって、飲み物はなにも飲んでおらず喉が渇いているらしい。 

 そこまで聞いて彼はもう助けられないと、私はそう判断した。物資に限りがあり、いつ助けがくるかも分からない状況で、彼を治療する余裕はない。

 

 下からのフルスイングで殴りつけた。馴れない体勢からの一撃では威力が足りず、彼はまだ生きていた、死にたくないと、這ってでも逃げようとしたので、続けて彼の後頭部を全力で踏みつけた、一度目は抵抗されたが二度目には腕がたらーんと垂れ下がった。

 まるで、糸の切れた操り人形、血と肉でできた、趣味の悪い人形のようだった。

 

 目的を果たすために、改めて屋上へと向かい、たどり着いた屋上で、手すりを握り、辺りを見渡した。ここからなら、校内だけではなく、学校の外も見えた。学内も大変なことになっていたのだが、外はもっと酷そうだ。あちらこちらから火の手が上がり、炎に燃える建物から飛び降りる奴、自分を守ってくれない警察を集団でリンチしているやつら。

 

 最近では珍しい、雲ひとつない快晴の空は、まるで太陽が、私たちの醜さを暗闇のベールから引きずり出しているようだ。

 

 学内は、両方の食料庫を貴族が確保したのだろう、見覚えのある制服の奴が働き蟻のようにうろちょろしている。

 

 中身の腐った大木である貴族が独占し溜め込む様子が目に浮かぶ。食糧庫を奪うために平民側が結束してくれたら、うれしいのだが。

 

 

 □月!日

 

 平民を殺し、奪うのが当たり前、そんな貴族のなかで、どこにも属していない私は、彼らからすれば格好の的だ。今日も何度も繰り返し襲撃を受けた。 しかも、貴族達からは誰が最初に殺せるか、という遊びの的として狙われているらしい、さすが貴族様、頭にウジでも沸いてるらしい。それでも、彼らの懐を漁ればすこしの食糧と水が出てくるのだけはありがたい。ほかのやつらはナイフや、鉄パイプ、角材などの武器ぐらいしかもっていなかった。

 

 それと、太陽が雲で隠れてもなお真っ赤な部屋で、久しぶりにクラスメイトと会った。彼らは食糧庫を確保しているらしく、うちの傘下に加わらないかと誘いを受けた。彼らのトップが生徒会長ではなかった、ということは覚えている。名前なども聞いたはずだが、どうも思い出せない。聴こうにも誘ってきた奴は今、床に目玉やら脳漿やら血液を撒き散らして倒れている。もうどれが彼のものか分からないほど、この赤黒い部屋に溶け込んでいた。

 

 改めて現状の状況を以下にまとめる。

 チェルノボーグから脱出を行いたいが、どこににげればいいのかもわかっていない。

 レユニオンの目的も不明。なぜ襲撃を仕掛けてきたのか?なぜ私たちを閉じ込めたままにしているのか?レユニオン側からこちらへの接触の痕跡はない。

 

 一番の問題は学内の食糧庫の量にたいして学生が多すぎることだ。多いのなら減らさなければならない。今日までに2、30人は殺したが、それでもまだまだ多い。最低でも、倍は殺さなければ。

 

 

 

 

 ○月◎日

 

 久しぶりに日記を開いた。前に書いたのは一週間近くまえだろう。その一週間と少し前に、食料庫が一つ燃えた。しかも、その原因は私ということになっている。ある意味では当然の結果であった。何処かに所属せず手当たり次第に人を殺すクソ野郎。それが今の私の評価だからだな。スケープゴートにちょうどよかったのだろう。

 

 食料庫を占拠していた奴らからは復讐のためにと襲われた。もう一つの食料庫を占拠している奴等からは、正義のために、と襲われた。ほかの奴等からも、敵討ち、飢え、ほかにも様々な理由で襲われた。

 

 皆、殺した。声を張り上げ最後まで戦おうとした奴、仲間の死体を見て逃げ出そうとした奴、勇気を振り絞りへっぴり腰でガラス片に布を巻き付け両手で握る奴、仲間の死体に躓き倒れ私に許しを乞う奴、最後まで己を正当化した奴、呪詛を残した奴。

 最近まで、普通に学生として生活を送っていた奴等を、昨日と同じような今日、今日と同じような明日がくることを信じていた奴等を殺した。金づちで、鎌で、鉄パイプで、ナイフで。

最初の三日は寝る暇もなく、常に誰かが私を殺そうとしていた。それからも、食料を探したりで、とても日記を書くような余裕がなかった。

 缶詰や水にはまだ余裕はあるが、脱出する際の分として残しておく必要がある。

 

 床を生温くあたためる死体のなかから一番でかい奴を選んだ。くびを切り落し、内臓を抜き取り、天井から吊るしている。彼の頭は部屋の隅に転がした。

 

 彼とは同じ学校の生徒だった。その大柄の見た目に反して、優しい性格で常に誰かに頼りにされていたのを見たことがあった。優しい彼でもじわじわと自身を蝕む飢えにはかてなかったのだろう。死ぬ寸前まで食い物を寄越せと言っていた。彼の懐を漁れば真っ赤な肉が入っていた、今もなお血の滴る肉が。

 

 まだ血抜きは終わりそうにない。

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 羽虫のブーンという羽ばたきの音。ぽちゃんぽちゃという、水滴の落ちる音、そして、むせかえるような血の匂い。勢いよく体を起こす。

 日記を書き終えたところで、机に突っ伏して寝てしまっていたのだろう。まるで不真面目な学生のようだ。と自嘲する。

 教室の窓に視線を向ける。外の闇が深くなるほど、ヒビだらけの窓に写る、私の顔が濃くなっていく。

 顔中に黒く乾いた血がこびりついており、目元にはくまが浮かんでいる。

 随分と人殺しらしい顔になってきた。今までだってそうだ、たくさんの人を見殺しにしてきた。今回は直接人を殺すことになっただけだ。命に貴賤はない。そして、手段によらず、人を殺したならば人殺しだ。

「殺してるんだ、殺されもするさ。」

 なんともなしに窓へと近づいていく。下から見上げる目玉が、俺への憎しみを雄弁に語り。彼らの冷たくなった唇が、俺への呪いを乗せて睨みつけている。肌に腐敗した肉の匂いを、鼻に彼らの悲鳴が突き刺さる。

 

 窓の向こうの俺が言う。

「殺したくなどなかった。仕方がなかったんだ、許してくれ。」

 私が笑う。嗤う。俺の顔に手を添える。

「違う。殺したいから、殺した。こうなるまでも、沢山の人を見殺しにしてきた。ただ、直接殺すようになっただけだ。」

 すこし手のひらに力をいれると、ばらばらに崩れ、光を反射しながら、暗闇のなかに消えていく。

 

 目に写るのは死体の山、耳には遠くで響く声。体に体液のせいで張り付く服は不快で、そのかわりこの匂いにはもう馴れた。

 机の上に開かれた日記を閉じた。

 持ち主の名前には血がこびりついて、もう読めない。

 

「どうでもいい。」

 

 私は血のこびりついたナイフを握る、暗くなるまでには終わらせなければ。



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為すべきことを為すために

 %月&日

 

 結局、昨日は情報を纏めるだけの時間を確保できなかったので、今纏めておく。

 

 現在、学内にある大きなグループ二つ。

 一つは食料庫を確保している、貴族グループ。彼らの大将は生徒会長。

 私の知る限り、彼女は良くも悪くも貴族だった。ほかの貴族と同じように、自分は特別な存在だと傲っていたが、その傲りに相応しいだけの能力をもつ人だった。

 二つ目は、ウルサス学生自治団という平民のグループ。トップはあの冬将軍。

 冬将軍に直接会ったことはないが、その噂だけは聞いたことがある。弱者の守護神、凌辱者の天敵などと呼ばれていること。そして、非常に腕が立つらしいこと。彼女の噂は私の学校にも聞こえてくるほどだった。

 

 とにかく、私のやるべきことは口減らしと警告だろう。

 

 口減らしは言わずもがな、ここでやられるような奴は外に出ても、どうせすぐに死ぬ。食料が限られる環境下、追加で食料庫がまた一つ燃えたのだから、さらに数十人は殺すべきだな。

 

 優先して殺すべきは弱小グループか。彼らは心も体も決して強くない。自棄を起こして、人を自殺に巻き込みかねん。あと、組織どうしで手を繋ごうとしている奴らだな。一致団結されると人を殺しづらくなる。それに、敵と仲良くなって自身の所属する組織を裏切られても困る。

 

 裏切りは劇物だ、所属する者の心に不信の種を植え付ける。極限の環境下ではよく育つ、それが芽吹き根をはると、コンクリートに草花が咲くかのように、どれほど強固な組織でもヒビ割れてしまう。

 

 警告だが、生徒会長ならば分かっているだろうが、あの頃から、皆が固まって動いていた。その警備をついて食料庫を燃やす?決して出来ないとは言わないが、学生には難しいし、なによりもそれをする理由がない。レユニオンがやったという方がずっと納得できる。それに、もし、それが出来るものが学生にいるのなら、すでに私は殺されているだろう。そしてもし、レユニオンがやったのなら、念のために、同じようなことに備えて食料を分けて保存するべきだということを言いに行くべきだろう。

 正面から行くわけにはいくまい、夜に忍び込むか。

 

 最近は、学園内から誰かを殴るような音や悲鳴、喘ぎ声そういったものが聞こえない。まるでこの闇がどこまでも続いているように、とても静かだ。

 

  ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 抜き足差し足でこそこそと隠れながら進む。

火災の件もあり、警備の大半は食料庫の方にいるらしい。彼らの寝床はいつもと比べて人気がなかった。正直に言えば今、ここで殺してしまったほうが早いのだが、まだ、彼らには生きていてもらわなければ。

 バレないように暗闇に身を潜ませる。

 生徒会長には一人部屋を割り当てられているらしい、侵入するのには都合がよかった。

 

 などと考えていると、もうここが彼女の部屋だ。もともとは、資料室だったのだろうか、部屋の前に出されている本棚をみて、ここの在りし日に思いを浮かべる。

 

 ドアノブを回し、ゆっくりと戸を開く。

 テロの起こる前に、ここの扉は新しく取り替えられていたのだろうか?軋む音もなく静かに開く。

 

「遅かったわね?」

 

 いったいどこから持ってきたのだろうか?安楽椅子に腰かける彼女がそこにいた。優雅に腰かける姿こそ、彼女の磨きあげた最強の武器なのだろう。

 彼女が右手に持つティーカップの縁は欠けており、左手にもつソーサーの塗装は一部剥げている。

 よく見れば身だしなみもかなり気合いをいれて整えているのもわかるが、それでも汚れや、枝毛が目に入る。

 彼女はこのような場所であっても貴族であり、そうあろうとしているのだろう。

 よかった。ゼロサムゲームは不得手で、不安だった。

 だけど、彼女が貴族で、人であろうとする限り、取れない手段があり、今の彼女はそれを必要としていた。

「互いに得のある取引にしよう。」

 

 自身の口角が吊り上がっていく。彼女に出されたカップの水面に写る、その顔はまさしく獣そのものだった。

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 ÷月×日

 

 話し合いは恐らくは、上手くいったはず。やはり、彼女達のグループないでも派閥争いが、起こっているらしい。誇りを捨てても、争いはやめられないらしい。ほかにもやるべきことはあるだろうに。

 リスクの分散は行いたいが、自身の制御下を離れることを恐れている彼女と、リスクの分散と殺人を望む私。彼女の敵対派閥の人間を殺すことを条件にと約束した。

 にしても、私の要求を聞いたときの彼女の顔は思い出す度に笑ってしまいそうになる。彼女の面食らった顔は初めて見た。あの様子からすると物資の要求ぐらいはしてもよかったのだろうか。

 

 その帰り道、誰もよりつかないような所で密談している男女を見つけた。生存本能が昂っているのだろうと、通りすぎようとしたが、赤いひらひらが目を引いた。

 女の肩に巻き付く赤い布、ウルサス学生自治団だ。男の方はあの制服からして貴族だろう。聞き耳を立ててみると、ウルサス学生自治団の女が貴族と手を結ぼうとしていたらしいので、両方殺した。死体はそのまま置いてきた。

 

 にしても、食料がなくなり学生自治団と貴族が殺し合いになると踏んでいたが、どうもそこまで困窮しているわけではないようだ。殺しすぎたか?

 頭が二つあり、立場も違うものが、協力しあうことは出来ない。嵐が来たとしても、その先に破滅しかなくても、私たちは争うことをやめられないのだから。

 

 *月-日

 

 食料庫がまた燃えた。

 

 溜まり場を燃やされた貴族達は散り散りに逃げ去った。とても意外なことに、生徒会長が学生自治団に入ったそうだ。どうも、弱者の味方である冬将軍が彼女を受け入れることを決めたらしい。貴族は彼女にとって天敵とも言える存在のはずでは。

 

 まぁ、いい。これで多勢は決した。学生自治団が勝ち、この学園の覇者となるだろう。

 

 この距離からだと話している詳しい内容は分からないが、彼らの喜びようから、食料を隠した場所の話をしているのだろう。

 

 だけど、あぁ、やはり私に謀略は、影から人々を支配しようとするのは向いていないな。二つの組織をぶつかり合わせて消耗させることができるかと思っていた。そうなれば、冬将軍か生徒会長どちらかが死んでしまうが、それでも数を減らし組織を生存者を一つに固められるそう思っていたんだがな。

 

 正直にいって生徒会長が自治団に入ったことはとてもありがたい。冬将軍の側にいる、あのメガネの女が参謀をやっているのだろうが、一人が欠けたら回らない組織など問題でしかない。それが増えるのだから、さらに生き残れる可能性は上がるはずだからな。

 

 

 どうも会話の様子がおかしい。ほかにも捕まえている貴族がいて、そいつの処遇を巡って対立しているのか?馬鹿か、あいつら、殺すべきだろうが。そいつを助けてどうする?交換材料にでもするのか?いいや、食料との交換でわざわざ敵を増やす?馬鹿らしい、そこまで逼迫している状況でもないだろうに。今は敵を増やす方が問題だろう。身内に加える?論外だ。あの顔を見てみろよ、俺はおまえ達ゴミどもとは違うとわめき散らしてるじゃないか。誇りだけは高い貴族が平民の冬将軍のもとにつくことを受け入れられるわけがない、生徒会長を祀りあげようとして組織を割るだけだ。

 

 やはり、あの眼鏡の女は反対に回っているらしい。そんな無用のリスクを背負い込むようなことをしたくないのだろう。生徒会長はそもそも意見を求められないようにしている。彼女も聞かれたところで困るだけだろう。冬将軍もそんなことはわかっているはずだ。さっさと殺しちまえばいい。 

 なのに何故?あいつらもお前が強く反対に回ればすぐに諦めるだろうよ。

 

  ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 手にもったペンを日記の上におく。

 パラパラとペンにこびりついた赤黒い欠片が本のうえにこぼれる。いつのまにか、手の汚れがペンについてしまったらしい。

 見上げる空は相も変わらずなにかを堪えるかのような曇り空だ。

 

 いいや、わかっている。殺したくないんだろう?

君は私とはちがう。君も一人の方が気楽に思うたちだろう。それでも、自分を頼る相手を無下にしないだけの優しさ、責任感を持ち合わせた立派な人なんだろう。君は守るために人を殺せる人。それでも、人殺しに抵抗を覚える人。

 

 胡座をかいて座る。脚の上に日記を置いて、懐から取り出した肉を頬張る。とくに味付けはしていない、味のしない、筋張った、食べなれた肉だ。

 

 日記にぽつりぽつりと滴が落ちる。欠片を溶かして、赤黒いシミが日記に拡がる。雨が降ってきたのだろう。本格的になる前に屋内に避難しよう。

 

 食料庫を燃やす炎は変わらず、天まで燃やしそうな勢いだった。

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 μ月β日

 

 貴族達もどうも切羽つまってきたらしい。捌いた肉が調理場からいくつも無くなっていた。やはり、貴族のグループのうちいくつかが自治団に下ろうとしているらしい。じわりじわりと迫ってくる飢えには耐えられないのだろう。

 

 しょうがないとはいえ、何故、私が彼らをまだ殺していなかったのか、それをわかっているのか。自治団は大きくなりすぎた、残党に過ぎない彼らではもう敵にはなり得ない。

 

 金槌を取り出す。やはりこれが一番手に馴染む。

自治団を入れても生きてるやつは多くて50、少なければ30ぐらいだろう。

 

 3日もあれば十分殺しきれる。

 

 

 α月,日

 

 肉を無駄にしないように捌く、この作業も随分と手慣れてきた。

 もうこの学校にはウルサス学生自治団以外の生徒はいない。

 

 今もなおレユニオンは外にいるのだろう。隠れて抜けるには今の彼らの人数ではまだ難しい。出来れば、冬将軍、生徒会長、参謀役の眼鏡。あの三人だけであれば抜け出して生き残ることもできるだろう。彼らの食料や水の量を正確に把握している訳ではないが、私がとっておいた分がある。それを足せば幾分かはマシだろう。

 

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 作業的に肉を口に押し込む。最低でも捕虜どもは殺さなければな。もうすぐだ、もうすぐ俺の仕事が終わる。

 




 彼は優しかった。人の命は平等で尊いものだと。
 彼は強かった。己の意思を貫き通せる力をもっていた。
 彼は決して賢くはなかったが、それでも何をするべきかを自分で考え、選ぶことが出来た。
目を閉じ、耳を塞ぐことを選ばなかった。
すべてを諦観するには、あまりに力がありすぎた。
足りない頭でも何が起こるかを理解することが出来た。


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明けない夜はない、

 ゆっくりと物音を立てないよう、気を付けながら進む。最初の頃の様に、なにかに足を取られること等なく進み続ける。本当に初めての頃と比べると、随分、忍び足が上達した。こんな場所に閉じ込められなければ、決して身に付かなかっただろう。その事に対して、感謝の念など抱くはずもなく、ただ薄暗い殺意の炎を揺らめかせるだけだった。

 そんな中、辿り着いた部屋は珍しく、扉がしっかりと残っていた。

 

 …ここに学生自治団が捕虜を閉じて込めているはず。手を掛けて、戸をゆっくりと引くが、

 

「…?」

 

 イスか何かが引っ掛かっているのか、扉が開かない。全力で引っ張れば開くかもしれないが、決して小さくない音が鳴るだろう。

 舌打ちがもれそうになるが、まぁ、文句を言っても仕方がない、もう一方の扉へと向かう。

 そして、私が扉の前にたどり着いた時に、扉の向こう側から声をかけられた。

 

「そこに居るんだろう?入ってこいよ。」

 

 よく通るその声には聞き覚えがあった。ここに居て彼女の雄叫びを聞いたことがないものはいない。

 立ち上がり、扉を開く、気づかれているのならもうこそこそと隠れる必要はない。

 扉を開けたその先、そこには、様々な体勢の捕虜達がいた。床に膝をつき頭を垂れている奴、這ってでも逃げようとしたのだろう仰向けに倒れている奴、ほかにも様々な体勢をとっている奴がいた。彼ら皆に共通しているのは、首はもう無く、本来首が有るべき所から止めどなく血が滴っているということだった。

 この部屋の中で、首が繋がっている人は独りだけだった。垂れる血液が地面と繋がっている斧。それを持つ冬将軍、彼女だけだった。

 

 無言で彼女を見やる。こんな場所に長くいたのだ、髪も痛むし、肌も荒れている。それでもある種の美しさがあった。外から差し込む仄かに赤い光と、部屋に散る血の赤、彼女の顔や服に飛び散る乾いた赤色。そんな中、威風堂々と立つ彼女。それは女性的な美というよりも戦士としての美しさであった。

 

 私の無言を催促と捉えたのだろう、先に口を開いたのは彼女だった。

 

「オマエと会うのは初めてだったよな。自己紹介は必要か?」

 

 私は首を横に振って答える。

 

「こうして直接会うのは初めてだが、それでも互いのことは良く知っているだろう。」

 

 あぁ…私はよく知っている。貴女がどれほど素晴らしいのかを。貴女が居なければ平民達が貴族達とやりあえるほど纏まることは出来なかった。

 対して貴女が、私のことを、私のしたことをどれだけ知っているのかは、貴女が向ける私に対する殺意が雄弁に物語っていた。

 鉄パイプで肩を叩きながら、私は無言で彼女の続きを待つ。

 

「レユニオンたちが包囲を解いて、一日たった。アタシらは今日ここから脱出する。」

 

 だから今日、後腐れのないように、ここでこいつらを処分したんだと。

 沈黙の間に外から響く爆発音は、今も続く軍とレユニオンの戦いによるものだろう。

 いやまて?なんの話をしている。レユニオンの包囲が解かれていた?なぜこのタイミングで脱出するんだ?

 どうやら困惑が隠しきれずに、顔に出てしまっている様で、それに気づいた彼女が続ける。

 

「オマエの目玉はビー玉みたいだな、気づいていないのか?空を見上げてみろよ、天災の予兆だ。」

 

 彼女が嘲笑とともに、親指を窓の外へと向ける。それにつられる様に、外へと視線を動かす。そこにあったのは、堕ちてきそうな赤い空だ。いつからあったのだろうか、あんな入道雲を私は見たことがなかった。

 

「それで、それを私に話してどうする?まさか一緒に行きましょう。なんて馬鹿な話をするつもりじゃないだろうな?」

 

 私も同じく嘲笑をもって返した。私は彼女の仲間達を殺したのだ、弱者の守護者たる、貴女には決して受け入れられないことだろう。

 

 意外な事にそれに対して、彼女は唇を噛み締めた。それが私を殺さないようにする為のものなのは、一目瞭然だった。

 

「アンナがオマエを戦力として使えばいいと、そうすればより確実だと。」

 

 彼女の目を見れば分かる。彼女にとって私は今でも憎むべき敵なのだろう。仲間を殺した、学内で殺戮の限りを尽くした敵。それでも、彼女はリーダーとして、私を利用してでも、味方を守ろうとしているのだ。

 

 …肺から空気が押し出される、息を吸おうとしても、空気が入ってこない。酸素が足りていないのだろう、自分の鼓動が刻むリズムは大きく、早くなっていく。

 私はまだ人を殺し続けなければいけないのだろうか?

 頭の中が、針金を捩じ込まれているかのような痛みを発している。首をすこし傾け、こめかみに人差し指と中指をあてる。彼女には悩んでいるかの様に見えているはずだ。

 私はまだ生き続けなければいけないのだろうか?

 

 私はどうするべきなのだろうか?

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

 €月$日

 

 

 今もなお、背中に殺気、憎悪、恐怖を感じる。そこに肯定的な感情は存在しない。今までに私は彼らの仲間たちを何人も殺したし、ついさっきも殺したばかりなのだから。まぁ、当然だ。

 

 天災に紛れて逃げるという手段は決して悪いものではなかった。

 だけど、天災は隠れ潜んでいたとしても、こちら側に配慮をしてくれない。崩れた瓦礫に巻き込まれたもの、動けなくなったものを殺した。

 

 不幸中の幸いなのは、彼らの持っていたいくらかの食料と水が無事だったことだろう。

 

 にしても、やはり外は中ともまた違う地獄だった。店という店はすでに略奪されており、ろくに物資はなかった。そして、瓦礫だらけの街に、トロフィーのように吊るされた人々。ほかにも、家の中から子供が引っ張り出されて、殺されるのを見た。

 

 私たちはその子供達が殺されるのを息を潜めてただ見ていた。なんなら、それを利用して敵から逃げてきた。もし、それをしなければ私たちは更なる消耗を強いられたことだろう。

 だが、必要であったからといって、それは自身の罪を赦す免罪符にはなりえない。

 

 今、私は寝床の裏口を見張りながら、これを書いている。表口側で冬将軍が座りながら仮眠を取っているのが見える。

 この家には、元々三人が暮らしていたのだろう。キッチンに、机が一つとイスが三つ有った。扉は一つだけになった蝶番にぶら下がっている。鍵のかかっていた扉を、無理やり外側から蹴破られたのだろう。扉の近くには、無理やり引きずられて外へと引っ張り出される中、爪が剥がれてもなお、必死に床を掴もうとした跡があった。

 

 ここの子供のものだろうか、床に転がるテディベアは沢山の足に踏み潰され、中身の綿が飛び出ていた。

 

 いくらか彼らの死体を剥ぎ取り物資を確保したとはいっても、一人当たりの余裕はそれほどない。いつかは必ず不足する。

 悲鳴が聞こえる。ここらからそう遠くない。

 冬将軍やほかの奴等も目を覚ましたらしい。

 私が見てくるというと、難色を示した。私に対する信頼も信用もないのだろう。

 冬将軍がその反論を黙らせた。

 時間までに帰ってくること、帰ってこなければオマエを置いて移動する、と。

 

 垂れ下がる扉を潜り外へと出た。結局私のすることは変わらなかった。

 闇夜に潜み、人々を殺す。抵抗しようがしなかろうが、性別も年齢も関係ない。動かなくなるまで、その頭蓋を砕く。レユニオンの持っていた武器と生存者の持っていた僅かながらの食料と水をポケットに入れる。

 持ち主を失った、足元に転がるかわいらしい人形は汚れ血に濡れている。

 ただ、やはりただ殺すだけでは身入りが少ない。医薬品、生活用品が足りていない。特に学生自治団は女所帯なのだから。

 次からは彼らのアジトの場所も聞く方がいいな。今後は工具なども探そう。

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 …扉をノックする音が私をこちらへと引き摺り戻す。

 

「鍵は開いてますよ。」

 

 入ってきたのは顔が見えない、不審者にしか見えない格好をした人。

 

「ドクターですか、私に何か御用で?」

 

 ドクターも、特になにか用事があってのことではないらしい。その机の上の物は何なのかと言ってきた。

 

「これですか、日記ですよ。ウルサスでの」

 

 私はウルサスでなにがあったのかを詳しく話していない。ここの人達は善人であろうとしている。だからこそ、無理やり問いただしてくることはなかった。

 もらった紅茶が余っているのでそれを二人分淹れる。

 ドクターのもつお菓子をお茶請けに、紅茶を飲みながら話すことは大したことではない。体の調子はどうか?とか、ロドスには馴染めたか?とか。そんなどうでもいいような世間話。

 そんな時間ほど早く過ぎるもので、まだ仕事が残っているから、と部屋の外に向かう。その背中に声をかける。

 

 

「仕事があったらいつでも呼んでください。ロドスの感染者と非感染者の命を平等にみる在り方は、嫌いじゃありません。喜んで手を貸しましょう。」

 

 …扉が閉まった。まだカップに残っている紅茶に口をつける。生温かい。ドクターの様子から見るに、一応はおいしく淹れられていたらしい。いつかほかのオペレーター達にでも淹れてあげよう、私にはもったいない。

 

 

 内部でオペレーターとしてロドスで働いているとロドスという組織がよく見えてくる。

 私はまるでロドスは太陽のようだと思った。自身を磨り減らしながら、暗雲を払い、大地を明るく照らす。様々な人々は、その先に待つのがなんであろうとも、その光に焦がれ、重さに引き付けられる。 彼らの献身を見ていると思う、きっとこの暗い時代もいつかは終わる。いつになるかは分からないし、それを為すのは、ロドスではないのかもしれない。

 

 明けない夜はないのだから。

 

 

 

 

 片付けるためにとカップを持ち上げる。

 ふと、カップの底をのぞきこむ。当たり前のことながら、飲みかけの紅茶が入っているだけだ。揺れる水面にはなにも写らない。深淵のように底なしにどこまでも続いてる。

 

 その深淵が私に語りかけてくる。

 

 そして、沈まぬ太陽もない、と。

 

 温かい陽光は人の心を照らす。その光が温かければ温かいほど、再び訪れる夜の冷たさが染み入るのだろう。

 太陽の暖かさを光を、求めるものがいるのなら、薄暗く湿った世界でしか生きられないものもいる。 

 暖かな太陽の恵みは、実りをもたらし、多くを求める業突く張りどもが、土壌を汚し、人々を踏みにじる。

 

 100人を助けるために1人を殺しても、1人を助けるために100人を殺しても人殺しは人殺し、お前の手は薄汚い。

 

 命の尊さを説きながら、命を奪わなければ生きていけない。お前みたいな奴が死ぬべきだったんだ。

 

 私が殺した人達が現れる、老人、子供、学生、労働者、貴族、レユニオン、感染者。皆が皆、私に対する殺意を宿した目でこちらを睨み付けてくる。

 

 理由など関係ない、誰のため、なんのためであろうと、お前が私たちを殺したのだと。積み上げた屍の山が呪詛を吐き、救いを乞う人々は飛行機雲とともに地面を這う。

 

 ふらりふらりと、覚束ない足取りで、机へと向かう。引き出しから注射器をとりだし、それを自分の腕に打つ。いまさら、手が震えていたところで失敗などしない。

 頭からスーッと幻覚や幻聴が消えていく。

 注射器を打たれた腕を見る、そこにはいくつもの注射痕や、何度も切ろうとした痕が残っている。

 

 カップを傾け、残りの全てを飲み込む。乾いた喉に染みるようだ。

 

 …それはとてもとても濃厚な血の味がした。 

 

 




日記帳とペン
 凝った細工の日記帳とペン。表紙に描かれているのはザクロの果実が描かれており。ペンには百合の細工がついている。持ち主の名前は掠れて読めない。
 私にとって大切な人からもらったもの。
 その顔も声も、もう思い出せないけれど。


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ロドスでのある一日

貴族の学制服(男)
 いくら洗ったところで、
 汚れが落ちて染みが抜けて匂いが消えても、
 今もまだ血の匂いが漂っている。


「どうした?ドクター。私に何か用か?あぁ…チェルノボーグの彼か、それならほかの実習生とともに外を走らせている。外の天気のことなら承知の上だ。」

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 今日の訓練はこれで終わりらしい。外を延々と走らされて、雨に濡れた体が重い。すでにほかの人たちはシャワーにでも行ったのだろう。彼も彼らと同じで体は疲れきっているのだが、それでもどうしてもまだ心が渇いている。

 

 すこしでも渇きを癒そうと、近接格闘の訓練室へと向かう。部屋の窓から中を覗きみると、今は、ここを使っているのは冬将軍、いやズィマーだけらしい。

 

 彼はチェルノボーグからロドスの救助隊に助けられてから、彼女達と話すことはほとんどなかった。 それは、彼が彼女達にとって忌むべきものであることを自覚しており、……彼にとっても彼女達といることはなによりもただ辛かったのだ。 

 

 ……一つ息を吸い込み、今も打撃音が続く部屋の中へと、自身の足元だけを見ながら入っていく。

 先ほどまで獅子の咆哮のように高らかに響いていた打撃音が鳴り止む。そのかわりに、ジッと背中に視線が突き刺さる。

 

 それに気づいてない振りをしながら、適当に離れた場所のサンドバックに構える。

 

 最初は左、次は右ストレート、左肘、スイッチしての左ハイキック…。打撃のペースを少しずつ上げていく。一打なぐるごとに少しずつ渇きが癒されていく、そんな気がする。何発も何発も足を組み替え、位置をかえ、ひたすらサンドバックを殴りつける。汗が飛び散り、身体中が酸素を求めて心臓が激しく叫ぶ。これで最後の一撃と、左足を踏み込み体を捻り右拳を打ち出す。

 …ぜぇぜぇと全身で酸素を取り込もうとする、身体中を満たす疲労感が心地いい。

 

 視界の外で水の入ったペットボトルが天井の光を反射する。くるくると回りながら、それが放物線を描き飛んできた。片手でそれを受けとめる。それを投げてきた相手の方へと、視線だけを動かした。

 

 そこには壁に寄りかかったズィマーが腕を組んで、なにをするでもなく、ただ彼をじっと見つめていた。

 

 渡された中身の減ったペットボトルに口をつける。中に入っていたのは誰かの血や泥の混じっていない水だった。それが渇ききった喉を潤す。あそことは違い、ここに入れば簡単に自販機で手にはいるようになったものだった。

 

「なにか用か?」

 

 質問とともにペットボトルを彼女に投げ返した。

 

 彼女はなにも答えず、受け取ったペットボトルを足元におくと、訓練室にあるリングの上へと上っていく。

 

「結局、一度もオマエとやりあうことはなかったからな。」

 

 逃げるのか?と彼女の目線が問い掛けている。

 彼にもそれが挑発であることは分かっていた。

 

「相手が女だからって手加減すると思うなよ。」

 

 リングの上で互いに距離をとって構える。

 

 彼女と彼の身長差はそれほどないため、互いのリーチも変わらない。故に問われた技能は、素手での格闘ならまだ彼の方が上だった。

 彼女が間合いに入るタイミングで殴り付け、彼女の攻撃は間合いをはずすことでよけて、出来た隙をさらに殴る。

 

「ちょこまかとっ!」

 

 ダメージを覚悟の上で踏み込んでくる。体重をのせた前蹴りを受けながら、不安定な体勢から放たれた打撃だが、

 

「…っぐっ、ゴリラかよっ!」

 

 彼女の一撃は重く、衝撃がガードの上から突き抜けてくる。

 視界が揺れて、たたらを踏みながら、膝が抜けそうになるのを力をいれて踏ん張る。

 

「ハッ、もう降参か?」

「そんなへぼいパンチ利きやしない。」

 

 ……結果的にいえば、どちらかが悪いという話ではなく、彼らは余りにも戦いに熱中していて、周りに対して全くと言っていいほど、気がまわっていなかったのだ。

 

 ビシンッ!!

 

 決して狭くない部屋中に鞭の弾けるような音が響いた。その発生源には

 

「どうやらお前達は、まだまだ元気みたいだな。」

 

 そこには鬼教官が立っていた。

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

「ドクター、また彼を探しているのか?彼ならズィマー共々、甲板の掃除をやらせている。……違う、用があるのは私?」

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 あの後、一応、治療を受けたが、それなのに腕が今も痺れている。掃除道具を握る手に、力を加えると少し痛い。

 篠突く雨も止み、甲板の上にはいくつもの水溜まりが形も大きさも様々に咲いている。

 水面は風に揺られながら、沈みかけの夕陽、早起きな月や星を映す。

 

「…オイ。」

 

 背中にかけられた声は不機嫌そうだった。

 

「話してると、いつまでたっても終わらないぞ。」

 

 このくそ広い甲板を二人だけで掃除しなければならないのだ。急がなければ、いつまでかかるのかも分からない。

 

「オマエは後悔していないのか?」

 

 彼のブラシを擦る手が一瞬止まる。だがまたすぐに止まった手を動かし始める。

 背中にかかる震えるような声に、なんのこと、と聞き返したりはしない。ただ黙って聞く。

 

「アタシはなんどもあの学校でのことを夢に見る。二つ目の食料庫を燃やしてしまったとき、もし全部の食料が燃えていたのなら?アタシがもっと上手くやることが出来たのなら?」

 

 可能性の話をしてもしょうがない、そう言えればよかった。

 たけど、彼女は学生自治団のリーダーで、あの学校内でもっとも力を持っていた一人だった。彼女が積極的に動けば生存者の数は増えていたかもしれない。

 そんなことを言ったところでどうしようもないことは彼らも重々承知している。

 

 助けられた仲間達の中で、彼女がずっと一人で抱えていたのだろう。ロドスの理想を目指す世界は今も回ってる。だけど、彼らの瓦礫にまみれた世界は今もまだそこにあった。

 リーダーとしての責任感、罪悪感、一度流れ出した土石流は彼女の中の、堰もなにもかもを押し流し始めた。

 

「学外に出てからもだ、アタシはオマエのすることを黙認してきた。物資をたまたま見つけて拾ってきた?オマエが一人でいるときだけ?なわけないだろ。」

 

 互いに背中を向けたまま、ただ溢れ出てくるその言葉に耳を傾ける。あの場にいた誰もが気づいていたが確かめることは出来なかった。だれもがとてもとても渇いて餓えていた。常に背中合わせだった苦しさは、彼らに尊厳をもつ余裕を奪い去っていた。

 彼の表情が彼女には分からないし、彼女の表情も彼には分からなかった。それでよかった。彼女は決して彼に対して抱く憎しみを忘れていない。彼に仲間が殺されたことを決して忘れない。忘れられるわけがない。

 それでも必要だったのだろう、歩けない仲間を背負えばそれだけ動きは遅くなるし、食料も必要になる。誰かがその手を汚す必要があった。

 だから、彼が夜な夜な動けない仲間を殺していたのに気づいていても、どれだけの人を殺めても、止めなかった。彼女達は目を閉じ耳を塞いでいた。

 

「アタシ達はオマエの持ってくる物資がどれだけ血に濡れていても気にせず受け取った。」

 

 いつのまにか二人とも手が止まっていた。太陽はもう見えず、ただその光だけが地平線の向こうにあった。

 湿った空気を押し上げる、新しい季節が薫る風は汗をかいた体にはすこし冷たい。

 

「……いつか、割りきれるようになることを信じて待ち続けるしかないんだと思う。それまで、話を聞くことだけなら出来る。……まだ、私たちは生きているのだから。」

 

 改めて、彼らは手を動かし始める。

 

 今はもう、どこかへと向かう艦が土を踏みしめ走る音、甲板を拭く音しか聞こえない。それからは、ドーベルマン教官が止めに来て掃除が終わるまで一言も喋ることはなかった。

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

「…そうか。わかった、こちらでも気を付けておこう。このことについてほかに知ってるのは?」

 

 アーミヤとケルシー。

 

「どうすんだ?」

 

 どうとも。

 ドクターは首をすくめる。

 日光の入らない部屋中を、照らすにはとても足りない豆電球が、二人の影を机の上に落とす。

 二つの人影の間におかれた資料にはウルサスの彼によく似た顔の男女が写っていた。

 




ズィマー 
 食料庫を燃やし食料を全滅させかけたこと、彼の物資調達等を黙認したことへの罪悪感から悪夢をみる。
 彼に対しては仲間を殺されたことの憎悪や、彼に汚れ役をおしつけた負い目が、ごちゃまぜになり自身でも整理が今だついていない。
 彼からは平民達を纏めてくれたことに対する尊敬、彼女達を苦しめることになった罪悪感を抱かれている。
 彼女は今でも無力感に抗い続けている。

 私がもっと強ければ貴女にすべてを押し付けずにすんだのに。


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積み上げてきたもの

生徒手帳 
 彼が学生であった時のものだ。
 多少、汚れてはいるが読めないほどではない。
 これには本名や生年月日などが書かれている。
 今は彼の机、その奥深くにある。
 努々忘れることなかれ、その刻んできた足跡は掠れはしても、消えることは決してないのだから。


♭月Γ日

 

 ベットに転がりながら手を伸ばしたが、窓から見える碧空にはとても届きそうにない。

 

 なにがあっても今日は休むようにと医者に言われた。運動をすれば胸の手術痕が開きかねないかららしい。随分と念入りに言われたが、それほど信頼がないのだろうか。

 運動をするなと言われても、何をすればいいのだろうか。私に趣味と言えるようなものはない。精々、トレーニングを趣味と言えるかというぐらいだろう。

 今後はなにか趣味を探すべきだろうか?

 

 ……そうだな、読書などがいいかもしれない。いつの時代だって知識は力だ。イースチナを見ていると、そう思う。もしも、私にその力があれば、彼らを殺したりせず、もっと沢山の人達を助けることが出来たのだろうか?

 

 そういえば、部屋にいたところで気が滅入るだけなのでと、ロドス内を歩き回っていると、喧騒に触れられないほど閑散としている廊下で、彼女と会った。買ったのか、借りたのかは分からないが推理小説だろうか、本を喜ばしそうに抱えていた。その喜びも私を視認するや否や、まるで幻だったかのように消え果てたが。

 

 彼女はウルサス学生自治団のブレインとも言える存在だった。その知識の量や頭の回転の早さには随分と助けられた。実際、彼女が居なければ私たちはここに居ないだろう。

 それと、私が彼女達とともに行く様になったきっかけ、ズィマーの私に対するスカウトは、彼女の助言があったかららしい。確実に言えることは、それがなければ、私はここに居なかった。そして、あの廃墟にも似た学校で、僅かながらの達成感とともに死ぬことが出来たのだろう。

 彼女は結果的に私の命を助けたが、しかし、それは決して私に対する好意からではない。むしろ、彼女は私のことを殺したいぐらい憎んでいる。

 

 そうなった理由も分かっている。

 彼女の友達にヴィカという女がいて、結論から言えばそいつを私が殺した。二個目の食料庫が燃える前、生徒会長に会いに行ったその帰りに。貴族との密会を行っていたからだ。

 彼女からすれば私は友人の敵なのだ、と生徒会長がその女の話を私に教えてくれた。又聞きなので、それが真実か否かは怪しいが、それでも彼女が私を恨んでいることだけは事実だった。

 それでいいんだ、彼女の友人が彼女を裏切ろうとした、もうそんな事実はこの世のどこにも存在しない。彼女の友人の敵がここに居る、それが事実だ。

 

 ここに来て、ロドスのオペレーターとして働いていると、何度も彼女と仕事で会うことはあったが、それでも感情任せに、アーツを隙だらけの背中に打ってくることはなかった。それは、チェルノボーグでもそうだったように、今も彼女がとても理性的な証だった。

 

 しかし、決して私に対する恨みを忘れたわけではないのだろう、廊下でばったりと会ったとき、同じ戦場に立ったとき、私を認識すると彼女の目に憎悪の炎が宿る。私を焼き尽くさんとするばかりの猛き炎。

 …あの目は今までに何度も何度も数えられぬほどに見たことがある。年齢や性別、感染者と非感染者、そんなことは関係なく私を殺そうとしてきた人達の目だった。そして、私が物言わぬ屍の山に積み上げてきた人達の目だった。

 

 彼女の私に対するその目、私にはそれがとても居心地がよかった。心臓を掴みながら私の行った殺人を糾弾されているようで、頭蓋を割って醜い中身を引きずり出して私の罪が裁かれているようで。私を許す資格があるのは死人達だけなのも解っている。それでも、ここで人を助けていると一瞬、自分自身を許してしまいそうになる。

 そんな中、彼女のその目は、決して罪を埋もれさせない探偵の目は、私の罪を思い出させてくれる。

 私は所詮人殺し。

 たとえ、すべての人を救った所で、私が人殺しであることは変わらない。

 私に救いなどあってはいけないのだから。

 

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 ……私は今日、ロドスの廊下で彼と会いました。

 彼は間違いなく善人ではあるのでしょう。誰よりも率先して前に出て、常に自分が一番キツい仕事を受け負おうとする。実際、彼のお陰で助かったことが何度もあります。

 私が彼を憎むことになった、彼が彼女を殺した理由にも目星もついています。彼女が貴族と密会を行っていることは私も把握していました。

 そして、それを私はなんとか説得しようとして、その説得が終わるのを待たずに彼は殺した。

 ……私は彼女を説得しきれなかった。

 本当にそれだけ?

 いいえ、部屋の外に行けば彼が来ることも予想できていた。それでも私は彼女が抜け出すのを止めなかった。

 ……彼だけを責めるのは筋違いなのかもしれない。

 もしも、彼が全ての原因だったとしても。

 

「私は貴方を決して許さない。許せない。」

 

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 無理矢理、心臓が動き出す。

……頭から血がだらだらと垂れてくる。視界が真っ赤に染まっている。それでも、辛うじて物の陰影は見える。

 左腕を動かそうとするが、……駄目だ、ぴくりとも動かない。よく見れば、二の腕の辺りから捻れているため、自分の肘がよく見える。

 それに、肋骨が何本かイッている、空気を吸う度に激痛を放っている。

 

 それもあるからなんとか意識を失わずに済んでいるのは不幸中の幸いなのだろうか。

 

 近くに転がっているイースチナの方へと体を引き摺っていく。

 ……脈拍、呼吸ともに問題なし。

 爆発の衝撃で意識が飛んだだけらしい。

 

 まずは、現状の把握だ。

 足元に広がっていたレユニオンが拠点としていた廃鉱山、そこに落ちたのだろう。これには不幸が重なったからとしか言えない。敵がここを拠点としていることは知っていた。それでも、最後っ屁というやつだろう、これほど大規模な爆発を起こしてくるとは思わなかった。

 ドクターの指示は的確だった、ただそれを敵の執念が上回ってきた。

 一人止めを刺し損ねていた、そいつがイースチナの足を掴んだ、彼女は自身のアーツでそいつを殺したが、一瞬稼いだ時間で彼女を崩落に巻き込んだ。

 足元に真っ逆さまだ、彼女を助けようとした私も一緒に。完璧な二次災害だ。

 

 回りを見渡すと、しっかりと補強されている。恐らく一部分だけ腐っていたのだろう、よくあることだ。オリジニウムが出なくなった所の補強費用もただではないのだ、使わないのなら補強などもせずそのままというのはよくあることだ。

 

 それにしても、前も似たようなことがあった。

 色々と状況は違って、あの時はビルだったし、なによりも、その時は間に合ったが。

 複数の班に別れて食料を探している時に起こった崩落。ほかにも何人か巻き込まれる中、一番近くに居た誰かの伸ばす手を掴まず、彼女を助けた。彼女以外を見捨てた。確かめてはいないがほかの人たちが暗闇に飲まれるのを見ていた。最後に見えたのは私に対する疑問、憎悪、諦観の宿った目が暗闇の中で光っている様子だった。

 

 

 視界の隅で彼女が唸っている。

 

「おはよう。」

 

 私を認識したのだろう、その目に憎悪が宿る。元気そうでなによりだ。

 

「私は足を捕まれて、あぁ…なるほど。」

 

 辺りを見渡して現状を理解し始めた。相も変わらず、頭の回転が早い。

 

「……取り合えず移動します。」

 

 何故、移動するのかは分からないが、彼女が言うのならそうすべきなのだろう。彼女は立ち上がろうとするが、足首を捻ったのか、壁にもたれ掛かっている。

 そちらへと近寄ると、彼女の腕が肩に回る。負荷が増えたからか、身体中が痛い。

 

「どこまで?」

「私が指示をします。」

 

 ここまでの怪我を負うことは今までなかったが、命懸けなのは今も昔も変わらない。私達もそうだ、昔と変わらず信用()している。

 私も彼女がアーツを使って攻撃してくることがない事は知っているし、彼女も私が置いて行くとは欠片も思っていない。

 

 この先がどうなっているのか、一寸先も見通せないが、その事に恐怖はなかった。

 

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 Ω月ω日

 

 今、手元に日記がないので、メモ帳に書いている。

 どうも、イースチナより私の方が重症だったらしく、私は今も病室にいる。

 ドクターなどが見舞いに来てくれた。あと、かなりの叱責を受けた。

 それと、ケルシー医師には感謝している、おかげでなんとか生き残ることが出来た。

 ズィマーは見舞いの品として雑誌を持ってきた。あと、グムからとクッキーも渡された。仲間を助けられたかららしい。ずいぶんと優しいことで。

 生徒会長はフルーツの詰め合わせをも持って来てくれた。その時に、オペレーターとして戦闘に参加するつもりということを言っていた。その剛腕で敵を薙ぎ倒すのだろうか。

 意外なことにリェータが見舞いに来てはお菓子を置いていった。彼女は何度か口を開こうとしたが、結局一度も彼女と話すことはなかった。

 

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 ほかになにか書くことがあるのだろうかと考えながら、窓の外を見やる。

 灰色の雲が寝転がっている、今にも泣き出しそうな曇天の空だった。

 そこへ手を伸ばすが、また上から落ちてくる少女には手が届かない。

 

 …扉の開く音が聞こえた。そちらには顔も向けず答える。

 

「ノックぐらいしてくれると嬉しい。」

 

 帰ってきたのは、淡々としたかわいらしい声。

 

「しましたよ。」

「この声はイースチナか、なんの用だ?」

 

 彼女がなにか放り投げたのだろう、ぽすっと、ベットの上になにかが落ちる音がした。

 そちらに視線だけを向けると文庫本があった。

 

 

「暇だと思ったので見舞いの品です。」

 

 ありがたく受けとらせて貰う。

 

「どうするんですか?」

 

 彼女の方を向く、憎悪の炎が燃えるなか、私の心の奥底まで見えているかの様な目だった。

 首を竦めながら答える。

 

「許される限り、ロドスに居続けるよ。」

 

 いつか訪れるその日まで。

 




イースチナ
 ヴィカを殺した彼に対して心底憎んでいる。
 理性的なため殺しにかかったりはしない。
 現状、もっとも彼の状態を理解している一人。
 ただ、彼女とあうたびに彼の目のハイライトが消えていく。
 彼は彼女に何度も助けられているので、感謝もしてるし、尊敬もしている。

「いつか、私が彼女に殺されるとしたら、それはウルサス学生自治団を守るためだろう。」
 


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優しい少女の笑顔

 彼にはウルサス人らしい丈夫さと力強さはないが、その不足を補えるだけの技量がある。
 そんな彼の一番の武器は躊躇いの無さだ。次の瞬間自身が死ぬとしても、相手を殺そうとする。
 その戦い方をもって[死にたがり]等と言われている。
 理想を追い求めるロドスではたとえ一握であっても慈悲を忘れてはならない。たとえそれが、握りしめれば指の間をすり抜けていくとしても。


 グムは今でも彼を見ると、体がこわばって息が浅くなる。それでも、いつかグムがグムという殻を破るために。

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 ピークの時間は過ぎたとはいえ、いつもなら余分なスペースなどないほど繁盛する昼の食堂。これほど人がたくさんいる食堂のなかで私たちのいるところだけスペースが空いていた。いつもより喧騒が遠い。黒く漂う空気も重い。ムードメーカーの必要性というのを改めて実感する。

 空いてる席を見つけたと近づいてきた奴も、回れ右して引き返していった。ドクター、お前は引き返すなよ。後で覚えていろ。

 

 始まりは、昨日の夜、扉の下に潜り込むように入っていた茶封筒だった。足元から摘まみ上げて、裏を見ても表を見ても、宛名も送り主の名前もない。

 封を開けて、中身を見ると、かわいらしい丸文字で、場所と時間を指定していた。その筆跡には見覚えがなかった。

 だが、呼び出される理由には覚えがある。私を裁くのはリェータ、イースチナか生徒会長だと思っていた。この艦にはウルサスの感染者も沢山いるのだ、私のことを知っていても不思議ではないか。

 

 私にもついに裁きの時がきたのだろう、と。

 その日の内に部屋の片付けを終わらせた。片付けるようなものはほとんどなかったが。

 

 当日、食堂を使っていて不自然でないように、パンとスープを持って、断頭台に立つ覚悟で待っていると、グムがズィマーとイースチナを連れてやって来た。

 

 正直にいえばかなり驚いた、まさかグム、彼女だとは。

 

 下を向いたまま目の前にグムが座り、その両隣に二人が座った。あんなことをやって来たのだ、そんな私に対して一人で来ないことは当然だ。

 

 一分たった。

 スープは湯気を立たせ、立ち上る白い蒸気は私たちを区切る境界線なのだろう。

 今もなお彼女は沈黙を貫いている。彼女にとってこの役割が逃げたいほど重いのは想像がつく。それでも、彼女がここまで来たのは生来の彼女の持つ誠実さだろう。

 

 …三分たった

 スープはまだ温かいがもう湯気を発するほどではない。一度、ひきつった笑顔とともに、口を開いたかと思えば、一言も発っさず、再び視線が机に吸い込まれた。

 そういえば、いつ頃からだっただろうか、彼女が私のいる前では笑わなくなったのは。初めの頃から歪んではいたが、それでも私なんかにも笑いかけていたはずだ。

 

 ……五分たった

 私が声をかけても、彼女はビクッと震えるだけだ。さすがにおかしい。

 と言うよりも、そもそもズィマーがいるのがおかしい。イースチナだけであればまだ分かる。だが、ズィマーが知っているのならば、直ぐさま私を殺しに来ているはずだ。

 彼女は本当に何で呼び出したのだろう?

 

 …………十分たった

 もう、目の前に置かれたスープは冷えきっている。

 

……そういえば、あの時もこうだった。

 まだウルサス学生自治団の人数が今より多かった頃、レユニオンの集団から身を隠していた。私を恐れていたからか、心のなかに不満や恐怖を摩天楼が如く募らせている奴がいた。それを誰も気づけなかった。

 いくら体が耐えきれても、あの劣悪な環境下に心が耐えきれなくなったのだろう、敵から隠れている最中に金切り声を上げ始めた。私は躊躇いなく、そいつの喉をレユニオンから奪った武器で切った。光が消え行く目が語っていた、お前のせいだと。

 ぺしゃりと喉を押さえながら倒れた。床に大量の血液が広がって、そうして広がり続ける血の池はとても冷たかった。

 声を聞いたのだろう近づいてきた奴らから、死体をその場に置いて、急いで逃げた。

 それからだったか、彼女が私の前では笑わなくなったのは。

 

 ……回想に浸りすぎていたのだろう、ズィマーとイースチナから疑惑の目を向けられている。

 なんでもないと、首を竦めて、窓の外へ視線を移す。

 

 ……………二十分たった

 この奇妙な四人組の話を聞いたのだろうか、回りに人が増え始めた。仕事はどうしたんだよ。

 元々いたドクター達のほかに、マッターホルン、ジュナー、食堂のスタッフ達、ほかにもどんどん人達が増えていく。

 見ていて分かる、いつもは明るいグムの様子がヘンで皆不安なんだな。

 それだけ、彼女は回りに大事にされているんだろう。

 気まずいので帰ろうと思い、机に手をつけ、腰を浮かした。

 そこに、ズィマーが目線で言ってくる。

 

 座ってろ、と。

 

 ……おずおずとそのまま席に座る。

 

 ……………………三十分たった

 私の視線の先、彼女達の後ろでは、私がなにをやらかしたのか、トトカルチョを始めてやがる。

 一番最有力は、私がグムに手を出したというものらしい。ほかにも、お菓子を盗んだやら、グムが私の後頭部をフライパンで殴ったなど色々出ている。

 止めておけよ、と目線で伝える。が、誰もきいちゃいない。

 ほら、言わんこっちゃない。ズィマーの殺気に満ちた睨みつけで集まった人の輪と、距離が広がる。

 

 

 グムの左側にいるイースチナは、片手で懐から取り出した本を読んでいる。右側にいるズィマーは、頬杖をつきながら私が席を立とうとすると射殺さんばかりに睨んでくる。ここからでは見えないが、グムの両手は、机の下で彼女達の服でも掴んでいたのだろう。目線を上げて無理に笑おうとして、顔がひきつり、また目線が机に吸い込まれていた。

 

 私もやることがなく、スープのグリーンピースやニンジンをフォークに刺してまとめていた。

 

 尖った骨に串刺しにされた目玉は瞳孔の収縮を繰り返し、指は今も痙攣している。

 

 …………深呼吸とともに一つ瞬きをすれば、そこにあったのはいつも通りの食堂だった。

 食事に行くだけだからと薬を携帯しなかったのは、失敗だった。

 フォークに指した野菜を一口に食らい、残ったスープをパンで拭って食べる。

 部屋に戻ろうと椅子から立ち上がった。背中に殺気が物理的に突き刺さっているのではと思うほど向けられるが、無視して部屋へと向かおうとした。したんだ。

 

「…待って!」

 

 …今もなぜそうしたのか分からない。だけど、その声が足に突き刺さり、私の歩みを引き留める。

 ゆっくりと彼女のほうに振り向いた。

 

 勢いよく立ち上がったからだろう椅子は倒れており、自身の拳を握り、視線は私を捉えていた。

 私を見る彼女の真っ直ぐなその目には、昔と変わらず人殺しの化け物が映っていた。

 

 よく聞く話だが、他者とは自身を写す鏡らしい。

 だからだろう、彼女を見ていると自分の醜さがよく分かる。彼女は良くも悪くも普通だったからこそ、その眼に写る恐怖は私の悪行を、それを行った私自身の醜さを心の奥深くに沈めることを許さない。

 下から見上げるように、必死に恐怖を隠そうとして、それでも隠しきれていない笑顔でこちらに問いかけてくる。

 

「…おいしかった?」

 

 …あぁ、やっと、彼女が私を呼んだ理由がわかった。彼女が笑うのは過去を振り払うためでなく、彼女が笑うのは回りの人を元気づけるためで、その人の輪に私も入れようとしているのだろう。

 

 今もあなたに纏わりつく恐怖の対象である私を。

 私を見たところで想起されるのは、自身を縛る恐怖の記憶ばかりだろうに。

 

 …もし……もし………許されるのなら、今すぐ彼女に跪いて、私にそんな権利はないんだと訴えたい。この臓物はすでに腐り果てたくせに、未だに生きているふりをしているだけなのだと。この身は輪廻の果てまで苦しみ続けなければならない咎人なのだと。

 

 ………唾棄すべき発想を鼻で笑い飛ばす。

 

 そんなことを言ったところで、立ち直ろうとしている彼女の足を掴むだけだ。

 

 ならばせめて、恐怖を押し殺して、笑おうとする彼女に対して、こちらも頬を引き上げて笑おうとする。誰よりも優しい貴女に祝福を。

 

「…えぇ、とても。」

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 彼が食堂から去っていく。

 ズィマーお姉ちゃんは頭を撫でてくれた。イースチナお姉ちゃんは励ましの言葉をかけてくれた。

 

 彼と初めてあったのは、彼がウルサス学生自治団に同行する時だった。グムは彼のことをそれほど知らなかったんだ。知っていることは彼が皆を殺してるそれだけだった。

 

 だから、本当はいやだった。

 

 実際、彼は噂どおりだった。いらないって思ったんなら躊躇わずに仲間も殺した。夜はいつも怖かった、いつかグムの番が来るじゃないかって。

 

 それでも、グムには見えてたんだよ、仲間を殺すとき、彼がいつもの様に無表情で殺したように見えて、悲しそうな目をしていたのを。

 

 だから、いつか彼といっしょに笑えたのなら、そのときこそ、グムは過去を乗り越えることが出来るはずなんだ。

 




グム
 未だにチェルノボーグにいた頃の習慣は抜けきっていないが、それでも確実に変化している。
 仲間を殺した彼には、今も恐怖を抱いている。彼が近くにいると笑顔が歪む。
 彼からはその優しさを尊ばれているし、自分のせいで普通の女の子を曇らせてしまった罪悪感を抱かれている。
 ゆっくりだが確実にグムという殻を破き始めている。
 きっといつか、彼女はグムという殻をやぶり、再び歩き出せるだろう。
 私が仲間を殺さなければ、彼女はここまで苦しまずにすんだのだろう。


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断章 安らかな眠りからの目覚め

 酒精と人の歴史は長く。失敗の話には事欠かさない。どれだけ付き合いが長くても常に一方から寄りかかっていれば見捨てられるのも、また当然なのだろう。


 暗いまぶたの裏から、光と共に入ってくるのはいつもと変わらない天井だ。

 

 ズキズキと痛む頭を抱える。

 

 吐き気もするが、いつものとは少し違う。これが二日酔いというやつか。

 愚者も経験から学べるのなら、この世には愚者未満が溢れているのだろうな、等と益体もないことを頭の中で回す。

 

 頭痛と吐き気は辛いが、本当に、今日は久しぶりによく眠れた。ベットや体が、汗まみれじゃない目覚めをするのは、一体いつ以来だろうか。

 

 ベットの縁に体を回して腰かける。外から差し込む陽光は朝が始まったばかりだと、私の背中に伝えてくる。

 

 二日酔いだからか喉が渇く。

 

 いつも机の上には口を濯ぐ為の水が入ったカップを置いている、そこへ手を伸ばすが、なにも掴めず手は空を切る。手の中を確認するが当然カップはなく。酒を飲んで酊酩していたのだから、置き忘れたのだろうか。

 

 …いやいや、待て、そもそも部屋の様子が可笑しい、部屋の隅に積まれた食料や水の入った段ボールがない。それに、机の上に洗面器ではなく、女物のファッション雑誌が置いてある。

 

「……んっ!…っ…」

 

 背後から聞いたことのない声が聞こえる。

 いや、この声自体は知っているが、こんな女の子らしい声は知らない。

 

 油が切れてカチカチに固まったような首を無理矢理動かす。

 ベットの上で、芋虫の様にもぞもぞと布団の固まりが動いている。 

 

 ……大きな溜め息と共に、項垂れるような体勢で、目頭を揉む。

 ついにこんな幻覚まで見えるようになったのか。

 さっさと、部屋に薬を取りに戻ろう。

 

 そう思い、脱ぎ捨てたコートを探して、視線を左右に揺らせる。

 

 足元には私の使っているロドス所属を表すコートの他に、ファーのついたコートが床に落ちている。

 

 ………

 

 ………

 

 ……覚悟を決めて布団を少し持ち上げる。

 

 気のせいだろうか、二日酔いとは違う理由で、頭が痛くなる。

 

 なんか、すごく見覚えのある人が寝ている。

 しかもスカーフが解けて、襟が外れかけているから、いつもより胸元が見えている。意外に細い首、そこから続く鎖骨が……

 

 起こさないように、ひっそりと持ち上げた布団を元に戻す。

 

 なんとか、曇った記憶を鈍った感覚で呼び覚まそうとする。

 

 

 

 ……昨晩、生徒会長じゃない、っと、こっちではロサだっか、の前線への転勤を祝って買った茶葉をプレゼントしに向かって。

 

 えぇっと、あぁ、確かそこにズィマーも居て、折角だからとロサが何処からか酒を取り出して、逃げようとしたけれど、あれやこれやと流されて結局、酒盛りを始めて。

 

 初めて飲んだ酒のせいでなんか色々と小恥ずかしい事を口走って………

 

 ……ダメだ、それ以上は思い出せない。

 

 まぁ、多分、大丈夫なはずだ。きっと。

 

 

 それにしてもと、視線を布団の固まりに移す。静寂に浸る部屋の中では、布団の掠れる音も聞こえず、耳を澄ませば彼女の寝息だけが聞こえてくる。

 気の抜けた寝顔を晒して、随分と気持ち良さそうに寝ていた。

 

 あちらにいた頃にはあんな顔見たことはなかった。私の知っている寝顔は殆ど眼を閉じているだけの物。薄皮一枚を被せただけのような眠りだった。

 あそこでは誰もがそうだった、先の見えない暗闇の中、何時何処から襲われるか分からない恐怖と不安に気を張詰めて、まともに眠ることなんて出来なかった。風が窓を叩く音、床板の軋む音、そんな少しの物音で目が覚める事はざらにあった。

 

 もしも、あんなことがなければ、彼女はチェルノボーグの家で今も普通の生活を送ることが出来たのだろう。過去に苦しめられず、普通の家族、普通の学校生活、とても退屈なもう二度と手に入らない、日常を送られたのだろう。

 このくそったれな世界で小さな幸せを手に生きられたのだろう。

 私なんかとは違う、誰かを守ることが出来る、優しくて強い貴女にはその権利があったはずなのに。

 

 

 顔を手で覆う。目頭は乾いたまま、もう涙など出やしない。

 

 今日はなぜだろう、まだ眠気が残っている。いつもなら一度目が覚めてしまえばしばらく眠れなかったのに。なんでだろうか……今はなんだかすごく疲れている、布団に足を突っ込んで体を倒して、久しぶりに訪れた自然な睡魔に身を任せた。

                                              

  ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 腕を天井を貫かんばかりに持ち上げ、固まった体を伸ばす。

 

「っ~んっ~~」

 

 まずはシャワーでも浴びようかと、ベットから降りようとするとナニカを蹴った。

 

 そのナニカはよく知っている奴だった。

 

 ぁあ、そうだ、この馬鹿が自分の部屋すら把握できなくなっていて、廊下に捨て置くのはさすがに可哀想だからと、自分の部屋に連れ込んだんだった。

 

 

 私が正義の味方か……

 コイツが酒の勢いで口走った、アタシに対する憧憬。弱きを守り、強きを挫く。仲間を手にかける自分とは違う、誰かを守れる存在だと。

 

 鼻で笑い飛ばす。そんなわけない、ただオマエに汚い仕事を押し付けていただけだ。

 

 

 

 起こさないように気をつけながら体の上に股がる。

 ゆっくりと喉仏の出ているその首に手をかける。

 

 こいつがアタシの仲間を殺した。

 わかってる、わかってるんだ。それは本来、アタシがしないといけなかったことだ。

 それでも、だとしても、死んだ仲間達の顔が忘れられない。今でも夢の中に出てくるんだ、アイツらの死に顔が。

 死にたくなかったって、生きていたかったって。

 ………大きく一つ息を吐き、手を離す。

 

 アタシにも彼を殺す資格はないのだから。

 

 改めて、彼の顔をじっと見る。いつもの仏頂面とは違う、年相応の寝顔。

 

 ずいぶんと幸せな寝顔を晒しやがって。

 そんな、彼の前髪を触る。出会ったときより随分と髪が伸びたな。もう額が隠れてしまうほどだ。

 

「んっ?」

 

 指先が彼の額に触れる。なにか、硬いモノにふれた感覚。

 

 …おかしい、彼の前髪を持ち上げる。

 

「………あぁ、くそっ…!…」

 

 そうだよ、そうだよな。オマエがそうなってても可笑しくはなかった。

 コートを羽織、急いで部屋の外に出る。どうせ、本人に聞いたところで答えちゃくれないだろ、訊ねるべきは、ケルシー先生だな。

 

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 ………扉が閉まる。

 上半身を起こし、目を開く。

 彼女が額を触り始めた時、止めた方がよかったか、いや、しょうがないか。

 

 自分の首を擦る。彼女が絞めようとした、その場所を。

 まさか、これをされてた時だけ意識なかったなんて言っても信じてもらえないだろう。

 互いに気まずくなるだけだ。

 

 いつのまにか両手で首に触れていた、彼女の武器を握って硬くなった皮膚、そして、女の子らしい細い指の感触を思い出す。殺す為ではなく、誰かを守るために戦ってきた優しい手。

 彼女がやっていた時より、ずっと広い範囲に指が届く。あんなに小さな手で頑張っていたんだな。

 

 それでも出来れば、

 

「そのまま絞め殺してくれればよかったのに。」

 

 口から溢れた言葉は誰の耳にも届くことはなく、柔らかな朝日の差し込む主のいない部屋に溶けこんだ。




 オペレーターズィマーに対してケルシー医師は特例として、彼の健康診断の結果、手術歴、家族構成を公開した。
 それが正しかったのかは、誰も判らないが、知らないままの方が幸せなことはありふれたことだろう。


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高貴なるものの責務

ウルサス学生自治団とともに救助された彼をよく機械のようだという人がいる。
毎日、食堂では毎日同じ食事をとり、訓練でも実戦でもその仏頂面だからだ。ドッキリで激辛ソースの入った水を飲んでもその顔が変わらなかったことは記憶に新しい。
もし、彼の別の顔を見たければチェルノボーグでの話を聞けばいい。その顔はすべてを嘲るような嗤いに変わるだろう。


 いつもどおり自主練を終えて、シャワーはいいから、痛む体をベットに放り込もうと、部屋に向かっていた。

 

 子供達は夢の世界へ飛び立ち、外は闇に沈んだ時間帯。部屋に向かう廊下には最低限の光しか点っていない、そんな中でロサと会った。

 体が汚れていないところから、もう寝るところなのだろう。

 とりあえず、会釈だけして通り過ぎようと思っていたが、彼女に呼び止められた。

 

「ねぇ、少しいいかしら?」

 

 足を止める。出来れば早く寝たいんだが。

 

「今からお茶でもしない?」

 

 今からか。

 今日は高所からの受け身、そこからどう動くかという練習を主にしていたため、背中や腕、足が本当に痛みを発しているし、疲労のせいで、なんなら今ここで寝てしまいそうなんだけど。

 

「…こんな、土にまみれ、汗にまみれた状態では、申し訳ないのでまた後日……」

 

 私の切実なお願いには気づいているのはずだが、なぜだか、彼女の口調には呆れた、という雰囲気が漏れだしている。

 

「常に訓練か任務でろくに居ないじゃないの。私は気にしないから、さぁ。」

 

 そこを突かれるとなにも言い返せない。部屋に居るのは寝るときぐらいで、趣味で読書を始めようとしたが、結局、借りた手垢にまみれた古典小説も、私の手垢が加わらないまま引き出しの中にある。そろそろ返しにいかないと。

 

 などと思いながら、今の私に抵抗するだけの力もなく、彼女の部屋へと引きずられていく。

 

 

 

 

 私の送った紅茶に対してお返しをしたいと呼ばれて、ロサの部屋にいるはず。部屋の構造などは同じなのだが、部屋の真ん中になんかすっごい手作り感のあるイスが置かれている。

 がらくたの中から拾ってきたのだろうか?

 それに、彼女が躊躇いなく座ったので私も紅茶を手に向き合って座る。尻にできた痣がいたい。

 

 やはり彼女の根は貴族なのだろう、紅茶を手にもつ姿がとても似合っている。

 

「後方で働いていたときもこのようなことを?」

 

 彼女は笑いながら否定する。

 

「いいえ、そんなことをすれば自分は貴族なんだって言い張ってるみたいじゃない。」

 

 意外だった。

 正直に言えば、彼女がここまで上手くロドスに溶け込めると思っていなかったからだ。

 彼女は良くも悪くもウルサスの貴族だった。そんな彼女の骨肉に染み込んだ生き方がそう簡単に抜ける訳がないと。

 とは言っても、心配もしていなかったが。あの学校で生徒会長をする、それに必要な能力を持っている彼女なら上手くやれるだろうとは思っていた。

 実際はどうだ、後方でも上手くやっていたのだろう、今の彼女に対する周りの扱いからもわかる。

 貴族、特にウルサスの貴族は恨みをかっている。彼女がいると陰口を叩かれなくなるのだから、恐ろしい。

 

 記憶の遥か彼方に飛んでいった礼儀作法を引っ張り出しながら、カップに口をつけ、紅茶を口に含む。私には紅茶の味は分からないが、どうやら、傷に染みるのは水も紅茶も変わらないらしい。

 

 私の姿を穴が開きそうになるほどに、彼女は私を観察してくる。

 

「……似合ってないのはわかっています。」

 

 顔を逸らす。窓の外には月が浮かんでいる。部屋の中を反射して外の景色は殆ど見えない。そうして、そっぽを向きながら言葉を続ける。

 

「私も自分が貴族に相応しくないのはわかっていますよ。」

 

 そうね、とロサは答える。

 

「当時は私も貴方は貴族にふさわしくないと、常々思っていました。貴族も庶民もどちらに対しても同じような目を向けていた。貴方は特別な存在ではない、そう言わんばかりの目。それが苦手だったの。」

 

 彼女の目に暗い光が宿り始める。………話を変えるべきだろう。

 

「それで、オペレーターとして武器は何をつかうのですか?」

 

 彼女と未だに一度も同じ戦場に立っていないから、見たことがないのだ。

 

「あれよ、あの街のなかで拾った攻城兵器、修理してもらったわ。」

 

 正気か、あれで殴りかかるつもりなのか……。確かに重量はあるから威力は出るのだろうが。いくら訓練を積んだところで、あんな隙の大きい武器をつかえば、生傷は絶えないだろう。

 

「……その、おせっかいかもしれないが、もう少し軽い武器を使った方がいいのでは?」

 

 少し驚いたような顔で、彼女は答えを返してきた。

 

「…大丈夫よ。これでも私もウルサス人だから。」

 

 貴族を捨てたとはいえ、そんなバーサーカーのような人だったのか。私が知らないだけで実は武闘派な貴族だった奴も多かったのでは。

 

……あんな自信満々な顔をしているとはいえ、何かあったとき援護できるように、投擲武器を多めに持っていこう。

 

 カップに口をつける。見たことのある紅茶を適当に買ってきたのだが、これはそんなにおいしいのだろうか?お茶会で味わう余裕などあった試しがないので分からない。

 それにしても、と彼女が切り出す。

 

「貴方に心配されるとは思わなかったわ、噂は後方にいた私のところにも聞こえていたのよ。[死にたがり]。」

 

 私の戦い方を見て、周りが呼び始めた呼び名だ。常に先手を打ち続ける戦い方をそうみられているらしい。私に死を選ぶ権利などないのに。

 

「有名に成りすぎ、薄々気づかれてるわよ?貴方が何者なのか。」

 

 心臓に噛みつかれたような気がする。カップに写る私の姿が少しの揺れと共に消えていく。

 

「…………。」

 

 再び、カップに口をつける。この世に永遠に隠せる秘密などありはしない。ドクター達もがんばってはくれたのだろうがしょうがない。彼女はこちらに憐れむような眼差しを向けている。

 

「……それで、貴女は私になにかようがあったのでは?」

 

 一瞬で彼女の表情が固まった。

 

 本当にただ私に警告するため、いいや違う。

 無償の奉仕をするような人は殆どいない。大抵はなにかしらの対価を求めるものだ。なにも金銭に限らず、感謝、態度、貸し、自身の満足等。貴族を捨てた彼女が敬意を求めているとも思えない。不安で誰かに話を聞いて欲しいからだろう。

 

 間に流れるのは、この船が今も動いている証明だけだった。

 

 

 彼女はまるで許しを乞うかのように話し始めた。

 

「ねぇ…私が貴族をどうやって纏めたと思う。」

 

 顎に手をやり考える。

 

「家名を出したりしたんですか?」

 

 貴族は外面ばかりを気にかける。なぜなら、彼らのよく響く頭では内面を見ることは出来ないからだろう。だからこそ、彼女の親やその仲間の名前はよく効く。

 

 彼女は力なく首を左右に振った。

 

「……それもあるけれど、それだけじゃないの。私たちを団結させるには奪うべき敵が必要だった。」

 

 ……まぁ、当然ではあった。貴族と平民の間に跨がる崖ほどではないが、貴族同士の間にも壁があった。貴族の中身は渇きなのだ、自身で満たそうとしなければ決して満たされない渇き。それを満たすために他者の生き血を啜るのが貴族だ。同じ貴族に対しても変わらない。

 ウルサスが戦い続けるのは、そうしなければその渇きは内側に向く、その果てにあるのが破滅だとしても、奪うことが辞められないからだろう。

 

 そんな貴族を理解している彼女がいたからこそ、貴族同士で奪い合わず団結できたのだろう。

 

「貴女を赦すことはできませんが、間違いなくそれは最善の判断でしたよ。」

 

 私のその言葉を聞いて彼女がなにを思ったのかはわからない。

 ただ、彼女はなにかを覚悟したのだろう。一口飲み、口を開いた。

 

「私はあの場所にあっても結局一度もその手を汚すことはなかったのに。」

 

「…っ……!」

 

 なんとか、舌打ちを堪える。頭の中が一瞬で沸騰する。こいつは何を世迷い言を言っている。無意識に手が腰へ、腰に指したナイフに向かっていた。

 一つ息を吐き、ナイフに対する意識を外す。

 彼女はそんな私の様子をただ見ていただけだったが、殺すことを諦めたことにただ少し安心したようだった。

 

 絶対に受け入れられない。受け入れてはならない。

 

「汚していない。そんなわけない、貴女の指示で貴族が略奪を行ったのだから。……直接手をかけなければ殺人ではない?間接的にであろうが、所詮、人殺しは人殺しでしょう。」

 

 言ったのちに、後悔した。

 これは彼女の傷口に牙を深く抉りこむような行為だ。

 今回は完全に私が悪い、どんな罰でも甘んじて受け入れよう。

 またベットに逆戻りかと思っていたが、拳どころか、平手すら来ない。当然のことながら銃口や剣先も向けられておらず。

 

 意外なことに向けられていたのは、傷だらけの獣をみるかの様な表情だった。

 

「……貴方は辛くはなかったの?家業を継ぐこと?」

 

 背もたれに背中を預ける、木の板が痣に当たって痛い。ベッドの奥、窓の向こうでは雲が、月を、星を隠している。

 微かに見えていた窓の外の風景は部屋の光に掻き消され、窓から見えるのは疎ましい自身の姿。愚かな愚かな虐殺者の姿。

 それに、縋り付く様に、助けを、許しを、救いを求める手。小さな柔らかい手、固く節くれだった手、指の欠けた手、源石の生えた手、私の体を掴み、引きずり込もうとしているのか、それとも昇ろうとしているのか。

 

「見えずとも、聞こえずとも確かにそこにあるのだから、ならばせめて……というやつです。」

 

 私にその手を振り払うことは許されない。

 

 彼女は窓に映る私の顔になにを見たのだろう。

 

「その果てに待つのはただの事実だけ。積み上げてきた屍の山だけよ。」

 

 それでいい。

 

 きっとそれが私に似合いの末路なのだろう。

 




ロサ
 学内で自身が行った貴族達による略奪それに対する罪悪感は彼女の心に巣食っている。
 彼の行った虐殺をノブリジュオブリージュを果たしたと捉えている。だからこそ、彼に対する悪感情の割合がそれほどない。ズィマーのお陰で前を向けるようになっていたが、自分を削り続ける彼を見て、ふらっと、彼女自身の希死観念も混ざり、彼の地雷を踏みつけて彼に殺させようとした。
 彼は自身の出来る最善を尽くした彼女を決して恨みはしない。それの辛さをよく知るが故に。
 彼は彼女を助けれはしないが、彼女の仲間達は彼女と共に歩むのだろう。

 今の貴女の方が私はいいと思いますよ。


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無謀の果てに得た真実

彼が肌身離さずもっているナイフ、それについて知っている者はほとんどいない。
彼はそのナイフを何処でどうやって手に入れたのか、話したことはない。それを知る資格があるものが現れるまで。


いつもの様に食堂へと向かう。

 

 いつもとは違うのは、こそこそと私を見ながら話している人達がいることか。

 

「…あの話って………」

「俺も避難民から聞いた……」

 

 非難し、見下し、侮蔑する。それでも、手は出してこないのだから彼らにもまだ自制心は残っているのだろう。

 

 ドクターもケルシー先生達も気を使ってくれていたのだろうが、人の口に戸は立てられない。隠されているものほど、気になるものだ。

 背中に突き刺さる自身の罪科を受け入れ、ただ黙々と手を動かして食事をとる。当然の排斥だ、彼らからすれば今すぐ私を殺しにこないだけマシではあるんだろう。

 

 だがそのお陰で、己に対する罵倒が幻聴かどうか疑う必要はなくなった。

 なんせ、どれも実際に言われているのだろうから。

 

 私が椅子を引いて立ち上がると、一瞬で静まり返る。気にしたところでしょうがない、食器を戻しに行く。

 調理をしているスタッフ達からの目線も周りと変わらない。この様子では毒を仕込んできても驚かない。今後は自前で用意した方がいいだろう。

 

 食堂を出て輸送車へと向かう途中、道の真ん中で朝食を取りに来たのだろうズィマーと会った。

 あの酒によって彼女と同衾して以来、私は彼女とまともに話していないらしい。理由は、まぁ予測がつく。私に対する恨みと罪悪感で手一杯なんだろう。

 

 彼女は私を見て、なにかを言おうと口を開こうとしたが、黙ったまま早足で私の横を通りすぎて行った。

 

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

「やっ、やめろ!!」

 

 戦場はいつも通りだ。なにも変わらない。私を見る目も、溢れ出る血の色も。

 

「くそがっ、悪魔が!!」

 

 レユニオン達から悪魔呼びされることが増えてきた。

 

 …まぁ、当然か。

 左手で前髪をかきあげる。そこにあるのはもう隠しきれないほど大きくなった源石。まるで鬼やサルカズの角のようだ。脳から生えて来てるせいで簡単には削れないから不便で仕方ない。

 

「にしても、悪魔か。フッ、心だけではなく、体まで悪魔に成り果てるとは無様だな。」

 

 その姿を境遇を喉を鳴らし嘲笑う。感染者達からの暗殺から身を守るために学んだ暗殺術。その技術を感染者達に使うことになるとは。

 

 死体の手から武器を剥ぎ取る。今使っている武器は歯こぼれが酷い。ロドスは武器のメンテナンスもしてくれるらしいが、他人に自分の命綱を触らせるつもりはない。

 

 ほかの奴等と比べてもこいつの持っている武器が比較的マシだ。ほとんど使ったことがないのだろう、刃こぼれ一つない。

 レユニオンは基本的にそいつの錬度と武器の性能が比例する。サルカズの傭兵などであれば、彼らより持っている武器の性能はいい。いい武器は長持ちする。実際、腰の後ろに差しているサルカズ?のナイフはチェルノボーグからずっと使い続けているが問題なく使えている。

 他にも何か持っていないかと死体を漁る。

 

 今回の仕事はレユニオンからの村の防衛だ。近くでレユニオンを見かけたらしい。

 村人が見かけたというらしい場所に行くとこの通りレユニオンがいたので対処した。

 敵の規模は少数、錬度も低い。それでも、万が一がある。ロドスの本隊は村で待機。私一人で敵の対処だ。

 そこそこの実力があり、私が死んだところでロドスに悪影響はほとんどない。なんと使いやすい駒だろう。

 

 舌打ちをする。ほかに持っているものと言えば、写真やら、お守りやら役に立たない物ばかりだ。売っても二束三文にしかならない。

 

「くそが!」

 

 力任せに死体の腹を蹴り上げる。少し浮き上がったのち、荒れた地面の上を転がった。

 

 それを見ながら、額を押さえる。

 

「…なにやってんだ、私。」

 

 こんなことしても何も変わらないだろうに。最近は情緒が可笑しくなっているのがわかる。

 

 とりあえずやるべきことは、死体の数を数えて、それから処理だな。そして、外でキャンプを張っている本隊へと合流する。

 やることが決まったのなら、早急に取り組まねば。

 

 この辺は感染者に対する差別が根強い。自分達を助けに来た感染者を擁する組織であるロドスを村の内部に受け入れないぐらいには。

 

 今回の任務での隊長に、帰還の連絡を行う。公私をしっかり分けていて、私に無駄な嫌みを言ってこない奴だ。

 

「帰還しました。」

 

「ご苦労。敵は?」

 

 机の上に肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せている。

 

「キャンプにいた奴等はやりまし「この化け物め!!早く出ていけ!!」……随分と歓迎されているようで。」

 

 テントの外から聞こえてくる声に、隊長の眉間の皺が深くなる。私も持ち上げた口角が震えている。

 

「聞いて分かるように我々は歓迎されていないようだからな、明日の0200には撤収する。」

 

「了解。ですが、問題ないので?」

 

「あぁ、我々は手を差し伸べたが向こう側からその手をふりはらった。ということだ。」

 

 眉間に手をやって皺を解そうとしている。ロドスに居る子供に泣かれたのがそんなに嫌だったのだろう。

 

 感染者と非感染者の平等の為に動くのがロドスだ。だから、溝がこれ以上深まらないよう、感染者が暴れていたら止めに行く。

 今回もそれを聞いてきたわけだが、この通り。私たちが派遣されたのは、見捨てたわけではないと、言質を取るためだろうな。私も詳しいことはわからないが。出ていっていいと許可を貰い、一礼しテントから出る。

 どうも飛んで来ているのは罵声だけではないらしく、握り拳大の石が空を飛んでいる。石も今まで見上げるだけだった空を跳べて嬉しいだろう。

 それを投げている奴らももうすぐ空の向こうへ飛んでいくことになるだろうが。

 春ももうすぐ終わる。風は暖かくなく、涼しく感じるようになった。それでも実りの秋には程遠い。キャンプを潰された彼らが秋まで飢えに耐えられるわけがない。きっと村を襲う。この辺境の村には国から守衛が来ていないらしい、彼らは自分達で身を守らねばならない。

 明日を生きられるか怪しい奴らが手段を選ぶことは恐らくない。仲間の死体を川に放り込むぐらいはするだろう。

 

 

 視界の端には何処かの学校の制服を着た奴が私に呪詛を吐く。

 今日も変わらず世界は地獄だ。

 

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 レユニオンの残党に撤収中襲撃されることもなく無事に帰還できた。

 出迎えにきたスタッフ達からは射殺さんばかりに睨まれているが、まぁいい。さっさと部屋に帰って報告書を仕上げよう。そう思っていたが、視界の端で靡くマフラー。

 リェータか。

 彼女は大股でこちらに近付いてくる。

 

「私が訓練室をとってある、来い。」

 

 字面だけなら訓練に誘っているだけだが、彼女の顔を見ていれば、そんなわけがないことは馬鹿でもわかる。自然と口角が上がる。

 

 裁きの時はもうすぐだ。

 

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 訓練室にいるのは私と彼女だけ。

 この部屋にはファンが回っている音と息を整える音が響く。

 私が来るより前に待っていた彼女は体を動かしていたのだろう滝のような汗を流している。ここに来るまでに買ってきた水を投げる。入り口の横の壁に背中を預けながら、彼女が話せるようになるのを待つ。

 

「私がお前と合流する前にレユニオン達の所に行った話をしたよな?」

 

「らしいな。」

 

 そんなことが日記に書いていた覚えがある。

 

「そこで白い小さな男にあった話は?」

 

「…あぁ…悪い、覚えてない。」

 

 そんなことは書いていなかったはず。

 

 そうか、と彼女は呟いて、水を一気に飲む。

 ここから先の話が本番で、彼女にとって覚悟のいる話なのだろう。

 ……一気に飲んだせいか、どうやら気道に入ったらしく、むせて咳き込んでいる。

 

 彼女の視線が問いかける、見たかと。

 私は視線を逸らした。

 

……

 

……

 

……

 

「そこで、何を話したのかほとんど覚えていない。」

 

 視線を彼女に戻す。

 

「でも、覚えていることもある、その一つがお前のこと。」

 

「…あぁ。」

 

「お前の家が鉱山を運営していたって。感染者をゴミの様に扱っていたと。」

 

 まぁ、私も彼女が何かを知っていると予測はついていた。まさか、そこまで知っているとは。

 

「……今回、その話が艦内に広がっているから聞いてきたのか。どうして、今までにそれを誰にも話さなかったんだ?」

 

 彼女は…その……あんまり…思慮深い方ではない。

 それを知っていて殺しにこないのが不思議だった。

 

「私もそれを聞いてどうするべきか分からなかったんだ。本当なのかもわからないし、ズィマー達にも話してどうなる?それにお前がそんな奴には思えなかった。」

 

 ずっとそれを抱えていたのだろう。でも、すまない。

 

「結局殺すんだ。誰かに殺させて、それを知らない顔をするのが嫌だった。だから、私達は鉱山の管理を請け負っていた。」

 

 これは私の罪だ、彼女から決して目線を逸らしてはいけなかった。

 換気扇の音が無駄に大きく聞こえる。

 彼女の顔に様々な感情が混じっている。憎悪、失望、殺意……。

 

 正直、殴り飛ばしてくれた方がずっと楽だった。

 無機質に後ろで扉の閉まる音がする。

 

 私もさっさと寝なければ。明日も戦うために。脳にこびりつく誰かの死を振り払うために。

 




リェータ
 彼の実家のことをメフィストに聞いてからずっとそれについて黙っていた。どうすればいいのか分からずに。
 彼への対応にずっと悩んでいた。
 彼からはその腕っぷしの強さは尊敬していた。

「許しはこわない、恨んでくれ。」


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誰かにとっての事実

ズィマーの机、その奥深くにあるA4用紙その内の一枚。
皺だらけで所々掠れており読めなくなっている。


 オペレーター ボ■ラ■■

造■検査の結果、臓■の■郭は不明瞭で異常陰影も認められる。
循環器■源石顆粒■査の結果において■、同じく鉱石病の兆候が認められる。
以上■結果か■、鉱石病■染者と判定。
 
【源石融■率】18%
 感染レベル■比較的高く、頭部■び消■■系に鉱石■の侵食の痕跡あり


 今は丑三つ時、廊下には最低限の明かりしかついていない。夜からが本番のオペレーター達も多数いるが、それでもここはまるで昼の喧騒が幻の様だ。

 

 一つ、トイレから木霊する音を除けば。

 

 

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

 ……どれぐらいの時間がたったのか。時間感覚まで吐き出してしまったのか、見当もつかない。

 

 便座の縁を掴み、口から便器の中に胃酸を溢す。

 便座を掴む腕から、コートを自室に置いてきたせいで、嫌でも決して消えない手首の傷が目に入る。

 あれほどの殺戮を行ったくせに死を望む、浅ましい己の証が。

 

「…ぉえぇ……」

 

 それを見て、なにかがせりあがって来る。胃の中身はすでに空っぽだというのに、一体なにを吐き出そうとしているのか、胃の痙攣が収まらない。しかも、喉や口がはりつくような胃酸で、痛く不快だ。

 それに寝不足のせいだろう、頭も割れそうなほど痛い。

 

 それからどれくらいの時間がたったのかは分からないが、少しずつ吐き気が治まってきた。

 

 片手をハンドルに伸ばす。何度か空ぶったが、なんとか指先をひっかけ下に落とす。消化しきれなかったものが胃酸とともに水に流され消えていく。跳ねた水が顔について気持ち悪い。

 気持ち悪いのを差し引いても、今すぐここで寝てしまいたいが、ここにいるわけにはいかない。

 震える足に力を込めて個室から出る。

 

 手洗い場の大きな鏡に写る自分の姿は、なんとちっぽけで情けない。目元には真っ黒い隈が浮き出し、頬は少し痩せている。

 久しぶりに気分がいい、ざまぁみろ、人殺しにはふさわしい末路だ。

 

 足もとが覚束ないが、それでもここで倒れる訳にもいかない。

 

 トイレから出た、そこにはモノクロな衣装に身を包んだ女がいた。

 

「……っ大丈夫?」

 

 ふらつく私に駆け寄ってくる彼女、どこかで見たことのあるその顔を見て思い出した、たしか、コードネームはアブサントだったか。

 

 

 

 

 私が彼女について知っていることは、警察の親がいたこと、そして彼女もあの地獄の中をロドスの救助隊に救助されたこと。そして、ウルサス学生自治団や私についてなにかを調べていること。私が彼女に関して知っていることはそれぐらいだ。

 

 正直周りを嗅ぎ回られるのは、あまりいい気分はしない。それでも、害があるわけではないので見て見ぬ振りをしてきた。

 

  

 

 そんな彼女がなぜここにいたのか、それは夜の見回りを行っており、そこで誰かが嘔吐する声が聞こえていたから心配で待っていたらしい。そして、それが私であることにとても驚いていた。

 しかも、今の私を見て心配だから、部屋まで着いていくと。

 

 正直に言えば断りたかったが、今の私にはその元気もない。あぁ、と一言返すとそのまま部屋に向かって進んでいく。

 

 彼女の心配は正しかったことにすぐ気づかされた。ロドスは病人にも優しいバリアフリー設計だが、自分の足に引っ掛かるマヌケはどうしようもない。勢いよく地面に口づけをくわえようとしていた私を受け止めてくれた。

 

 医務室に行ったほうがいいと言われたが、明日の朝には行くと言い、壁に体を添わせて部屋に向かう。

 彼女はそんな私を見て、大きくため息をつくと肩を貸してくれた。

 

 閑散としている廊下をゆっくりと進んでいく。とても静かで、今も未だ鳴り止まない心臓の音まで聞こえてきそうだ。

 

 右側から声を掛けられる。

 

「あの話は本当なの?」

 

 彼女も当事者だったのだ、気にならないわけがない。

 

「何一つ、間違っていない。私が鉱山を管理していた貴族だ。」

 

 息を飲む音が聞こえる。

 

「それとも、なにか、チェルノボーグ事変の原因だとでもいえばいいか?」

 

 そう全て私が悪いんだ、私のせいなんだ。私はそもそも起こらないように、止めることが出来たのかもしれないのに。止められなかった私が悪いのだから。

 

 彼女は一つ息を吸い込み覚悟をきめたらしい。

 

「……ピーターハイム高校に行った警察官のことをしらない?」

 

 そう聞く声は震えていた。

 ……あぁ、そういうことか。改めてその横顔を見る。なるほど、見覚えがあるわけだ。あの警察の子供なのだろう。忘れるわけがない、真っ赤な瞳。

 

「お前が死ねばよかったのに。」

「そうだな。」

 

 最後まで学生を守ろうとした、立派な人だった。私なんかよりずっとずっと素晴らしい人だった。

 

 彼女は不思議そうに首をこくんと傾げている。

 

「?…知らないならいい。」

 

 いつもの私ならば決してそんなことは考えない。

 

 私自身が思うより相当疲れているらしい。

 

 素晴らしい人の娘である彼女になら、私は殺されてもいいのではと。そんな賢しい考えが頭をよぎる。常ならば容易く振り払えるはずなのに、なぜか、それはまるでヘドロのように心にこびりつく。

 

 彼女は親を殺されたんだ、私を殺したって許されるだろう。

 だからこそ、口から思ってもいない言葉がすらすらと出てきた。

 

「学生になぶり殺しにされた情けない警官のことだろう」

 

 嘲笑うように答える。もうなにもかもがどうでもいい…。

 

 廊下中に重い音が響く。視界がぐるりと回る。殴り飛ばされたらしい。私に抵抗するつもりもなかった。

 

「…ィッ……イヒッ!……イヒヒッヒ!!」

 

 私の引き笑いが彼女をさらに苛立たせる。腰につけている得物を抜き、構える。

 そうだ、貴女にはその資格があるんだ。

 さぁ、この醜い化け物を滅ぼしてくれ。

 

 彼女の指に力が掛かっていく。

 

 これで、やっと私はもう誰も殺さずにすむ。

 

 

 

 

「そこまでだ。」

 

 それが私に放たれることはなかった。長身のリーベリ族の男がその得物を握っている。

 私は彼のことをよく知っている。昔、誰かが私に語っていた。彼より素晴らしい武人はこの世にはいないと。ヘラグ、アザゼルの管理人。

 

「……ここではなにも起きなかった、そうだな。パトロールに戻るといい。」

 

 彼を相手にして勝てるものがどれほどいるだろうか。彼女の憎悪では絶対的な力の差を覆すことはできない。なにより、彼女にもまだ理性が残っていたのだろう。こちらを睨み付けながら廊下の闇の中に消えていく。

 

 壁によりかかるようにして上体を起こす。首を起こせばそこには向き合う形で威風堂々と彼が立っていた。そう感じているのは、見上げているから、きっとそれだけではないのだろう。

 

「…どうして助けた。」

 

 八つ当たりだとは分かっている、それでも吐き捨てるようにセリフを投げつける。

 

「…………」

 

 ゆっくりと目線を上げていく、その顔には私に対する憎しみが浮かんでいると思った。なにせ、感染者を使い潰してきた悪魔なのだから。彼がもっとも大切にするアザゼル、それを傷つけた私を。

 

 あぁ、なのに、なんで私を映すその目に写っているのは憐れみなのだろう。

 

「本当に似ているな。」

 

 彼の目は私を見ていなかった。彼の目の前には今も過去が広がっているのだろう。

 

「君の父親は理性しかない男だった。人の命は平等だ、と常に口ずさんでいた。だからこそ、世界に絶望し、殺戮の咎を背負う道を選んだ。」

 

 彼の目が私を捉える。地に座り込む私を。

 

「彼と同じ道を選ぶのは辞めておけ、君には無理だ。まとも過ぎる。」

 

 なにを今さら。そんなことは

 

「そんなことは、とうの昔に知っています。だが、引くことなど赦さない。」

 

 目線を下に下げれば血の池から私を睨む人達がいる。私のせいで死んだ人達が。

 

「築き上げてきた屍の山を無駄にしない為に。」

 

 過去に囚われる生き方を愚かと言われようとも、

そう生きると決めたのだから。そう生きないといけない。

 

「……そうか。」

 

 ただそう一言、言い残すと彼も去っていった。

 

「…っ!!」

 

 痛む体を無理矢理立たせる。

 

 そして、私も去らなければならない。壁に寄りかかりながらずりずりと前へ進む。私はまだ生きているのだから。彼らを殺したのだ、私に安息など訪れてはいけない。私は生き続けないといけない。

 先が見えない闇の中へ、恐ろしくとも辛くとも歩みを止めてはならないのだから。




アブサント

物資の確保に向かった警察の人達が帰ってこず、一人であの地獄を生き抜いた。
彼やウルサス学生自治団に対して、あのとき何があったのかを知るために情報収集を行っていた。
彼のことを嫌っているものの、仕事なので助けた。

彼はいつか語るだろう、学内で会った殺されそうになっても学生を守ろうとした、素晴らしい警察官のことを。
彼は決して語らないだろう、学外で会った警察官に対して抱いた希望を、向けられた銃口に宿した絶望を。

「彼を害した奴等は皆、私が殺した。彼は奴等に傷一つつけていなかった。それだけは確かだよ。」


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彼は強くて優しくて理性的な人になりたかった。

……どうした?

……なんだ、あいつかよ。

……あぁ、ケルシー先生への連絡、いらないよ。

……患者達を死ぬまで鉱山で働かせるあんなウルサスの貴族なんかの為に、ケルシー先生の時間を割いていただくのはもったいない。
それにここに勤務して仕事にも馴れてきた。
……
………
……彼の様子かい?いつも通りの仏頂面で人の命をなんとも思わない目をしていたよ。


頬はこけ、目が落ち窪んだ母親が必死に叫んでいる。

 

「お願いします、この子だけは!」

 

 枯れ木のような手に抱えられる子供は、さらに痩せこけている。もうほとんど息をしていない。だけど、今からでも治療すれば間に合うかもしれない。

 それでも俺は両親の信頼を裏切らないために……

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 ………いつもどうりの最悪な目覚めだ。

 吐き気がないだけマシなのだろうが、それでも寝汗がひどい。とりあえず、シャワーを浴びにいく。いつもの服を着て、トイレに行って、電子音を鳴らす端末からの連絡に答える。

 

「どうしました、ケルシー医師?」

「急で悪いが仕事だ。」

「了解。」

 

 飯を食ったあとは仕事の時間だ。

 

 今回もレユニオンが暴れているのを止めにいくらしい。

 

 運送用の車両に乗り込む。

 回りから突き刺さる視線を気になどしない。所詮、人殺しは人殺しだ。

 

「今回の任務はこの近くにレユニオンのキャンプがあることを確認した。それの鎮圧だ。」

 

 今回のリーダーがこちらを睨みながらそう言う。

 

「わかってるよ、無益な殺生はご法度だろ?」

 

 まぁ、必要だったら躊躇無く殺すが。そのための私だ。汚れ仕事を実行でき、いざというときに切り捨てられる。それが私なのだから。

 私は責任を持たないといけないのだから。

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 細い木々が天を貫く杭のように乱立し、お蔭で視界の通りはあまり良くない。こういった場所は隠れ潜むには最適だ。

 

 歩きなれた巡回ルートを二人で回る。設置した罠に動物が掛かっていてくれると、肉が増えるから嬉しいのだが……

 

「(*ウルサススラング*)、餌だけ持ち逃げされてる!」

 

 藪を掻き分けて俺の相棒、ジョンが罵声と共に戻ってきた。獲物がいないのがわかり、もう足音を隠すのをやめてズカズカと歩いてこちらに向かってくる。

 

「ってことは今日もオートミールに決定だな。」

 

 量も十分あるし、まずいって訳ではないんだが、それでも毎日同じものなのはな……

 

「保存食に手をつける日が待ち遠しいよ。」

 

 ジョンも同じ気持ちらしい、言ってることは質が悪すぎて笑えないが。

 

「……俺たちは間違ってなかったんだよな?」

 

 腰にぶら下げた警棒を意識する。食料が必要だった、辺りに保存食がころころ落ちている訳もなく、どこからか手に入れる必要があった。

 

「当然だ!あいつらは俺たちが感染者だからとなにかと難癖をつけて、物資を売ろうとしなかったんだから!!」

 

 だから、俺達は村を襲った。襲わないといけなかった。抵抗しなかった奴は捨て置いて、必要な分の物資だけを頂いた。そうしなければ、俺達は生き残れない。

 

 

 悩んでいる俺の脇腹を肘でつついてきた。

 

「まあでも、あのオートミールもお前にとっては愛妻の手料理なんだからいいじゃないか。」

 

 なんてニヤニヤと茶化しながら。

 こいつはたまに無神経なことを言うが、それでも回りをよく見ていて、それに何度も助けられてきた。

 

「やめろ、俺と彼女はそんななかじゃないよ。」

 

 そうだなそれでも、春になったら畑を耕して彼女と一緒に……

 

 

 急に世界が回った。ゆっくりと時間が進む世界で見えたのは、倒れ伏したジョンと、首から上がない俺の体、そして、俺たちを襲ってきた……あぁ……くそっ!顔に鉱石が生えて、いくらか成長したらしいが、それでも忘れるわけがない、あの日、鉱山であの子を見捨てた奴だ。

 

 自分がゆっくりと意識と共に地面に落ちていく

 

 なぁ…くそったれな神様…俺は殺されても仕方がない悪人だったよ、でも彼女は違う。だからさ…頼むよ…一度くら…いはさ…彼女を助けて上げ…てくれ……

 

 地面とぶつかっ

 

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 あの二人組が話していたことと、そしておおよそ目星をつけた拠点の位置を連絡する。

 

 どうして殺したのだ、と。

 

 手に入れた警棒をもてあそびながら、黙秘を続ける。

 

 それは、私にもわからなかった。彼らを懐柔することも出来ただろうし、彼らが去るまで隠れることも出来た。

 それでも私は彼らを殺すことを選んだ。

 

 わかっている、ただ幸■そうにし■いる彼らが憎■った■らだ。

 

 …考えが上手くまとまらない。

 …まぁ、いい恐らく帰れば営倉に放り込まれるだろうが、今は仕事だ。

 

 

 結果から言えば、とても上手くいった。敵が拠点にしている洞穴、そこで待機している。

 敵の規模は襲撃から生き延びた村人から聞いている。投降の呼び掛けに応じてくれたらしい奴等の数を数えている。

 

 その中から出てきた一人の女、そいつと目があった。空気が冷えていく。

 今日の悪夢に出てきた母親だ。列から離れて此方まで近寄ってくる。

 

「……お前はあの時のっ!それは彼の警棒!」

 

 私の顔をそして私がもつ警棒を見て、憎悪に溢れる目線を向けてくる。

 

「返して、あの子を!あの人を!かえしてよ?!」

 

 私を力一杯に叩いてくる、いくら私が弱いと言っても、女の非力な拳など痛くなどないはずだ。

 

「返せ!返せよぉ!」

 

 心だってこの痛みにはもう馴れた。それでも、

 

 全■■私■所為に■やが■て

 

 彼女の顔を警棒で張り倒し、倒れた彼女の顔を叩く、何度も何度も、

 

「…おっ…おい…」

 

 頭蓋が砕け、その中身が飛び散っている。まるで羽が生えたみたいだ。

 

「手ぇ空いてる奴、こっち来てくれ!!」

 

 複数人のオペレーターに押さえつけられた、そこまでは覚えている。

 

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 任務が終わって、帰投する。医務室でなにかを話したはず、覚えているのは今日の担当がケルシー医師ではなく別の人だったことぐらいか。

 

 真っ直ぐ歩こうとしても、廊下が曲がりくねっているせいで、何度も壁にぶつかる。少しでも早く帰ろうにも、堅い床が足に絡み付いてきて、なかなか前に進めない。

 

 私の方を向く靴先が私の視界に入ってくる。誰かが前に立っているらしい。

 

「随分と派手にやったそうじゃないか。」

 

 ……あぁ、この声はズィマーか。部屋に向かうためには避けて通らないと。

 

 彼女が下から顔を覗き込んでくる。

 

「…大丈夫か?」

 

 目が合う。彼女にしては珍しくこちらを心配しているのが分かる。

 

 風景が一気に変わっていく。

………どうやら私は今、手を引っ張られているのだろう。ただ歩くだけなのに、何度も自分の足に躓きそうになる。

 

 次に気がついたら、部屋のなかで椅子に座っていた。目の前には夕日が差し込んでいる透明な液体が置かれている。

 

 それは手に持つと少し暖かい。

 少し口に含んでからこくりこくりと飲む。

 口から言葉が漏れてくる。駄目だと思うのに止めることが出来ない。

 

「オレは、私はどうすればよかったんだ?なにもせず、目を閉じて耳を塞いでいればよかったのか?」

 

 私は何を言っているんだ?そんなことを彼女に言ったところでどうしようもないだろう。

 

「私だって、鉱山の管理なんか嫌だった。でも、やらないといけなくて、悲鳴が聞こえても何度も何度も無視をして、助けを求める手から目を反らして……」

 

 目線を上げると、コップに写った彼女の顔はいつもより優しくて、本気で私を心配してるのがわかる。

 

 それがなによりも気に入らない。

 

 

 

 

 椅子から立ち上がると無造作に腕を振るい机を払い除ける。

 机の上から落ちたカップは割れはしなかった。罅が入った空のコップは床をころころと転がる。いくら入れ物が頑丈でも、容易く中身は溢れ落ちた。

 

 驚愕に染まっている彼女を地面に押し倒す。

 

「~ッ!つっぅ!なにすんだっ………よ………」

 

 彼女には今いったい私はどの様に映っているのだろうか。

 

……どうやら相当酷いらしい。彼女の顔には悲壮や困惑、恐怖、ぐちゃぐちゃに混ざっている。

 その首に両手を伸ばす。こちらに来てから只ひたすらに己を鍛え続け、薬や手術で体を弄くり回した。

 痛かった、怖かった。それでも、戦い続けるために受け入れ続けた。

 そして、今の私は彼女の首をへし折るには、十分すぎるほどの力を得た。私なんかとは違う、誰かを助けることの出来る、強くて優しい冬将軍でも無理矢理押さえつけることが出来る。

 内側から暗い喜びがふつふつと立ち上る。

 

「~っ!んっ!!」

 

 必死に酸素を取り込もうと真っ赤な顔の彼女が必死に自分の下から逃げようとしている。だけど、腹の上に私が座っているので、腕の力だけでは到底振りほどけない。

 

 ……生殺与奪の権利は私が握っている、なのになんで私を見上げるその目に宿るのは、憎しみでも恐怖でもなく、憐敏なんだよ。

 それが私の中の罅を広げていく。

 ……駄目だ、それだけは駄目だ。

 

「殺したくなんてなかった。友達も仲間も、なんで私が殺さないといけなかった。」

 

 罅が大きくなっていく。

 駄目だ、それを言えば取り返しがつかない。

 

 やめろ!

 

 やめろ!!!

 

 その時、確かに音が聞こえた。壊れる音が。

 

 

「……なんで…なんで………私が誰かの代わりに手を汚さなくちゃいけなかったんだよ!!」

 

 もう駄目だ。溢れだしてくるのを止められない。止まらない。私を無視して喉を震わす音は大きくなっていく。

 

「見なかったことにするのは楽だっただろうな!!私が人を殺して傷つけて、それを私に押し付けて!!自分はしょうがなかったって顔してればいいだけだもんなぁ!!」

 

 違う、違う、自分で選んだことだ!!私がやるときめたからやったんだ!!

 ナニカが、微かに自身のなかに残っていた、なにかが、一つ言葉が口から漏れだすたびに灰になっていく。魂が燃えていく。

 

「なぁ、お前に解るか、子供の頭蓋を砕く感覚が解るか?赤子を妊娠している母親を殺すのは?皆を守ろうと前に出た父親を殺すのは?解らないよなぁ?全部オレがやった。やらないといけなかった。」

 

 中身が灰になったところで炎は消えない。彼女の目から溢れてくる涙でも、彼女の頬に点々と落ちてくる夕立でも。

 

「なんであの時オレを殺してくれなかったんだよ、殺してくれよ、ヒーロー。オレなんかとは違う誰かを助けられる、本物のヒーロー。」

 

 もう手に力は入っていなかった。

 

「どうせ悪いのは全部私だ、学内の人を殺し回ったが、そんなのなくても、お前がいたんならなんとか出来たんだろう、弱者の守護者。貴女は私なんかとは違う。」

 

 彼女の私を見る潤んだその目には罪悪感や後悔が浮かんでいる。

  

 首の上に置いていた手を離した。

 

 

 

 立ち上がり、霞んで目の前も見えていないが、それでもなんとか部屋を出ていかないと。薬を打って寝ればまた戦える。戦うことが出来る。

 

 袖を捕まれた。まるで力は入っておらずふりほどくのは容易い……はずなのに、今はなによりも重かった。

 

「………ごめん……なさい…」

 

 下を向きながら、まるで蚊の鳴くような声で私に謝る彼女がいる。部屋の空気へと溶け込んでいく。

 

 そういうことか、そういうことなのか。

 

 がらんどうの中身から笑いが込み上げてくる。

 

 彼女達を未だにあの地獄に繋ぎ止めているのは私なのか。

 彼女達が本当に必要としていたのは、障害を切り払う武器であり、痛痒の感じない機械であり、決して私ではない。

 

 私なんか不要だった。私がいなければ、皆が今もこれほどまで苦しむことはなかったんだ。

 

 なのに、それでも私は人でしかなかった。

 

 だから、すべての咎を背負うから、なんでもいい、今だけはこの痛みから逃れたい。

 

 傷だらけの真っ赤に染まった両腕で、彼女の体を抱き締める。抵抗はなかった。私よりも高い体温と、柑橘系だろう香り。右頬に感じる誰のものかも分からない涙。

 

 彼女の髪の中に隠れる耳へと囁きかける。

 

「……今だけでいいから、忘れたいんだ。」

 

 ……彼女がこくりと肩の上で頷いた。

 

 最悪だ、彼女が罪悪感を感じていて、私が何をしたって断ることが出来ないことをわかっているくせに。

 

 

 ゆっくりと夜の帳が下りてくる。光の差さない暗い部屋の中では、もうほとんどなにも見えない。

 

 手に宿る凶器の冷たさを消すために、貴女の手のひらの温もりを。

 未だ薫る皆の血の臭いを忘れるために、もっと貴女の香りを。

 今も聞こえる彼らの悲鳴が分からなくないぐらい、喘ぐ貴女の声を。

 彼らの血肉の味を上書きするために、唇を奪い貴女の口内を。

 暗闇から今も私を呪う彼らが目に入らないぐらい、よがる貴女の姿を。

 今だけはすべての苦しみから目をそらすために、貴女と私の影を重ねる。

 

 

 私だってわかっている。

 未来永劫、彼女が私の側に立ってくれることはない、私は彼女から様々なものを奪ってきたのだから。

 これからも孤独に戦い続ける現実は、なにも変わりはしないことも。

 それでも明日も戦う為に、感染者、非感染者関係なく、自分達の行い、その結果に耐えるために。

 今だけは全身に感じるこの温もりに混ざった匂いに溺れていたい。

 




ズィマーの机、その奥深くにあるA4用紙その内の一枚。
皺だらけで所々掠れており読めなくなっている。

オペ■■■ー ■■ラッド

 彼の鉱■■があれほ■まで悪化している原因は二つ■り、一つ目はチ■■■ボーグ事変の起■る前から感染し■い■こと。そして、二■■は感染者の肉体を食■ていた■■■。

彼の持つ障害について
 脳に鉱石病が■■ことと、高スト■ス環境に■■間身を置い■いたため、味覚■害、記■■■、精■■■(■覚、幻聴■がある。


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彼は白い息を吐く

 いつもどおりの時間に起床。香を消して、用を済ませたら甲板へと向かう。

 深夜程ではないが、この時間帯も廊下は落ち着いている。食事の仕込みや、私の様に今からトレーニングを行うもの、今日の任務のために整備をするもの、仕事帰りのもの、様々な人が居るが、それでも、日中よりは随分と静かだ。

 

 冷たい扉を開けると、小雨がパラパラと降っていた。豪雨だろうが結局は走るのだから、天気を気にしてもしょうがない。

 

 準備を整えてからひたすらに走る。

 太陽は未だ地平に沈んだままだが、日の光が地平線から溢れだし、雲を照らす。

 ペースを上げたり下げたりしながら走れば、小雨など気にならない。

 

 

 

 あの件から今日まで私が任務に呼び出されることが少なくなり、たまにある任務でも、長期間ロドスを離れる様なものはなくなった。まぁ、その代わりに事務の作業が増えたが。

 

 あのあとシーツを洗って、いつも通り訓練をしていたら、ドクターの執務室に呼び出された。その時には死を覚悟していたが、まさか、この年で性教育を受けることになるとは思っていなかった。

 ほかにも、ケルシー医師からの医者の連絡ミスなどの謝罪、しばらくドクターの秘書としての業務が増えることなどの連絡もあったが、それでも、ケルシー医師が出ていった後に、急に真面目なトーンで性教育を始めるドクターのインパクトには勝てなかった。

 

 

 暖かい空気が流れてくる。

 噂をすればなんとやら、珍しくドクターが甲板まで出てきていた。

 

 いつもより少し寒い甲板で二人で言葉を交わした。元々、ドクターから話しかけてくることはあったが、それでも今までよりずっと話すことが増えた。というよりも、彼の執務室で働いているので嫌でも増える。

 

 ドクターの仕事ぶりを見ていると、ケルシー医師がドクターと私を出来るだけ会わせないようにしていた理由がわかる。

 ドクターは並外れて優秀なのだ。

 もし、彼があの地獄にいたのならば間違いなくあんなことにはならなかったと確信がもてる程だ。

 身体能力や戦闘技術も、昔の私でも勝てるほどの雑魚だ。その不足を補って、なお余りあるほどの人を惹き付ける魅力、指揮能力などがある。ドクターは私が持っていない、あの場で最も必要な能力を持っていた。

 昔の私ならばそれを理解したときに、彼を殺しに行きかねない。お前さえいれば……等とほざきながら。

 そして、返り討ちにあって死んでいただろう。

 

 軒下でストレッチをしながら、ほかには人が居ないかをそれとなく探る。

 目に映るのは、移り行く風景と準備運動で息がきれているドクター。耳に聞こえるのは、雨が床を叩き、キャタピラが地面を踏みしめ進んでいる音、えづく声。鼻が捉えた匂いにも不自然なところはなにもない。

 

 ドクターほどの重要人物を一人っきりにするはずがない。今、護衛に就いているのはグラベルかレッドかそれともほかの誰かか。雨が降っているのもあるが、私では隠密を見抜けない奴はロドスの艦内に何人もいる。そんな中で殺せるわけがない。

 ケルシー医師が私とドクターがあまり関わらないようにしていたのは、ドクターを守るためというのもあるが、私が無駄死にしないようにしてくれたのだろう。

 

 

 だが今はそんなことよりも、雨の中、床に倒れ伏しているドクターだ。あのまま放っておくと明日には風邪か筋肉痛で動けなくなってそうだ。

 まずはストレッチを手伝って、あとはマッサージも後でした方がいいだろう。

 

……もう少しぐらい運動が出来るようになってもバチは当たらないはずだ。

 

 

 

 いつ誰が用意してくれたのか、軒下に置かれていた二人分のタオルで体を拭う。

 どうやら食事をとっていないのはドクターもだったらしく、一緒に食堂へと向かう。

 ロドスの朝は早い。

 食堂が開いたタイミングで来てもすでに人がたくさん居る。これだけ騒がしければ暖房もいらないだろう。

 人混みの中でも、私に向けられる視線の数も大分減ってきた。その代わりにドクターの隣にいることに対する嫉妬の視線は日に日に増えているが。

 

「ドクター、先に席で待っていて下さい。料理は私が持っていきますので。」

 

 ハンバーガーと追加でコールサワー、パンとスープを乗せたお盆を両手に持つ。

 

 それにしてもドクターはどこに席をとったのだろうか?

 ……あそこか、大きなテーブルの方にいるってことは誰かと相席しているのだろうか?

 

 手を振っている方へと、人を避けながら近寄っていく。机の奥に座るドクターと、囲むように随分と知り合いに似た人達が座っていた。

 

 ……現実逃避は止めよう、ズィマーにイースチナ、それにグムもいる。

  

「こっちだよ!!」

 

 奥に座るドクターの横でグムも笑顔で手を振っている。

 

 グムとはあれから何度か話す機会があった。その度に彼女は私にも笑いかけようとしてくれた、それが彼女自身のためとわかっていても、それでもこんな自分に笑いかけられるのは辛い。

 

 だけど、ズィマーとイースチナの二人がいれば、グムも私とまともに会話を行うことが出来るようになってきた。それは彼女がグムという殻を必要としなくなってきた、その証なのだろう。私が苦しむ程度で済むのなら十二分が過ぎる。

 

 イースチナの横の席につく。ドクターからコールサワーを追加したことに関する恨みがこもった視線を無視して食事を取る。

 

 交わる言葉は大したことではない。ただの雑談だ。私がたくさんの人から奪ってきた、なんてことない日常だった。

 

 あとグム曰く、今日のスープはいつもとスパイスを変えたらしい。とてもおいしいよ、と返す。

 …彼女の表情を見るに大丈夫だったらしい。

 改めて具材を口に運び、いつも通りに咀嚼する。食感に変化はなかった。

 

 適当な具材をフォークに突き刺す。左隣にいるグムに味を聞くわけにもいかない。意図を察してくれたイースチナはそれを食べて感想を言ってくれた。

 いつものより辛いらしい。

 

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 ドクターの秘書の役割は新人に割り当てられることが多い。それは自分達の仕事がどの様に役立っているのかを知ることが出来るからというのもある。

 だが、一番の理由はここにいると様々な人が訪れてくるからだろう。

 

 ざあざあと本格的に降り始めた雨が窓を叩く音と、ペンの擦れる音、ハイビスカスのクッキーをつまんでいる音、私達の間に流れる沈黙が心地いい。

 

 コンコンコンと扉をノックする音が聞こえる。

 

 ドクターが許可を出すと、うさみみの少女、アーミヤCEOが入ってくる。

 

 CEOは執務室に置かれた大小様々な形のカップが入った食器棚から、皆のカップを取り出して机に置いて、ソファに座った。

 

 棚の中から、適当にお茶請けを用意する

 

 ここでは報告にかこつけて、ドクターとお茶を飲むのが目的な人達が多数いる。その程度ならまだましで、ソファに寝に来る人、なんか発明品を持ってくる人、遊びに誘いにくる人、千客万来だった。

 

 棚の中のお茶請けもほかのオペレーターが持ってきてくれたものだ。とりあえずペンギン急便のモスティマが持ってきたカステラでいいか。

 

 二人の分はドクターが入れてくれるので、私は冷蔵庫から炭酸水を取り出す。

 

 私の復帰の話をしたら、あとは少女アーミヤからドクターへのアピールが主だった。

 

 私は離れて業務に戻る。ドクターは、ほかのオペレーター達の対処をしながらでも、私の倍以上処理をしているのだから凄まじい。

 

 この仕事をしてから様々な人の様々な面を見ることが出来た。

 アーミヤCEOの子供らしい姿、ヘラグがお菓子を子供達やドクターに上げている姿、ほめてとドクターにねだるイースチナの姿、楽しそうに料理を作るグムの姿、ドクターに父性を求めるロサとアブサントの姿、楽しそうなリェータの姿。

 

 私なんかがいなくても、学生自治団の皆の心は、ドクターやロドスの皆がいればきっと救われるのだろう。

 

 ・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

 

 

 静まり返った廊下にこんこんこんと三度響く。私は何度も訪れた扉の前で待っている。

 

 部屋の主から許可を貰い中に入る。

 

 もう見慣れた部屋の中、片耳だけ、イヤホンを外して本を読んでいる部屋の主、ズィマーがいた。

 駆け寄りたい気持ちを押さえながら彼女の元へと行き、その首元に顔を埋める。嗅ぎ馴れた安心する匂い。

 

 結局、あの時は一回だけなどと言いながら、こうして何度も何度も彼女の罪悪感につけこんでいる。でも彼女もきっと救われる。

 いつかは彼女の冬も終わり雪解けの春が訪れる。 

 

 対して私は、たくさんの人を踏みにじり、貴族として人として勝利を手にしてきた私に春など訪れない、訪れさせない。

 

 ならばこそ、ここは晩冬、冬と春の境界線。彼女がここを越えればもう会えなくなるだろう。

 

 それでも今だけは、嘲笑われる愚か者に安らぎを、痛みを忘れる快楽を。



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