【凍結】愚者ガイル (打木里奈)
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小学生編
第一話 結論から言えば転生した


 私はどうやら、俗に言う「転生」とやらを体験したらしい。齢18とは思えぬこの小さな肢体がその事実を雄弁に物語っている。

 あまりにも残酷なその事実に、最初は頭を抱えた私であったが、前世から持ち前の切り替えの早さで「まあ別にいいや」と思い直した。一晩寝たらそうなった。

 

「では母さん、行ってきます」

 

 そうしてもろもろを受け入れた私は、母に挨拶を告げて外に出る。背中には黒光りするランドセル。頭上には黄色の通学帽。私は小学生であった。

 何年振りかの広い世界に、年甲斐もなく心を弾ませ学校へと向かう。同級生や教師の顔なぞさっぱりすっかり知らないが、不安よりも好奇心が勝っていた。懐かしいトキメキであった。

 

 学校に着き、私は困ったと思った。

 

「教室がどこかわからんな」

 

 そうだった。私は以前の私ではなく、前世の私であって、今の過去をまるで知らなかった。それには当然、自身の教室の場所や座席の位置まで含まれているわけで、私は途方に暮れてしまった。

 

「しまったな、失敗した」

 

 私はぶつぶつと後悔を口にしながら思案する。

 

 どうしたものか、踵を返して家に帰るか。しかしそれではここまで来たことが徒労であることになる。それは何とも勿体ない事である。なればそうだな、その辺でもブラついて時間を潰すか。

 

 私は学校探索としゃれこむことにした。

 

 

♦♦♦

 

 

 空は青く、風は穏やか。まさしく春である。ま、今が何月かなんて知らないのだけれど。カレンダーの一つくらい見ておくべきだったか。失敗、失敗。

 

 現在私は体育館と思しき建造物の裏、そこにある狭い空間に身を潜め、花の蜜をちゅうちゅうと吸っていた。おそらくはオオイヌノフグリである。ところで、オオイヌノフグリとは何ぞや。大犬の()()()だとするのなら、なんとも下品な話である。これはつまり、今私は犬のフグリを一心不乱に吸っているということになるわけだ。なんと悍ましい・・・この名前を付けた奴は相当な変態野郎に違いない。私は近くに生え茂るスギナのガキを捥ぎり取り、学帽いっぱいに詰め込んだ。別に食べるつもりはほぼ無いわけだが、なんとも言えない衝動にかられてやってしまったのである。これが子供特有の残虐性というやつであろうか。

 

 そうこうしている内に、何処からともなくすすり泣く声。聞くにそれは少女のモノで、こちら側に向かってくるものらしかった。

 

 私はお邪魔しては悪いと(本音としては只関わりたくなかっただけであるが)思い、早急にこの場から立ち去るべく、ツクシだらけの学帽を持ち上げる。しかし私は前世からしてこういった場では、毎回の様にやらかしてしまう。

 

「あ」

 

 そしてそれは今回も相変わらずの様で、私は見事にずっこけた。それはもう漫画でしか見ないような、豪快なこけっぷりであった。

 

 舞い散るツクシの雨の中、目の下を腫らした少女が、驚愕の表情で私を眺めるのが見えた。ああ、間に合わなかった。しまった。

 

 しばらくの沈黙の後、先に少女が口を開いた。

 

「・・・不審者」

 

「違う」

 

 電光石火の否定であった。

 

 確かに不審な行為をしている自覚はあるが、しかし今の私は無垢な小学生の身。若干不審であろうと、お天道様は笑って見逃してくれる案件である。

 だというのに、あろうことか目の前の少女は私を「不審者」だと宣う。流石にそれは早計過ぎやしないか。あまりにも不本意だ。釈明させてほしい。

 

「君、何か勘違いしているようだがね、私は不審者ではない。純真無垢な小学生であるこの私の、何処に不審な要素があろうか。そもそもだね、泣き腫らして()()()()()()までやって来る君の方が不審者極まるというものだ。そら、何とか言い返してみ給えよ」

 

「あなたが言う《こんなところ》でモソモソと蠢いていたあなたが言えることかしら、それ」

 

「う~ん、一理ある」

 

 何ということだろう、論破されてしまった。中身が18歳であるはずの自分が、10才かどうかも判別つかぬ小学生に論破されてしまった!ああ、畜生。悔しい。しかし論破されたまま終わる私ではない。ここはどうにか通報を免れるべく、話題を探す。おや、彼女が腕に抱えるのは・・・泥だらけの靴?

 

「君、そんな事はさておいてだな」

 

「さておけないのだけれど」

 

「・・・君が抱えているその靴、泥まみれだけれど、どうかしたのかい?」

 

「あなたに話すようなことではないわ」

 

 どん詰まりだ。小学生のクセしやがって思いの外ガードが堅い。思い返せば前世から私は他人と会話をあまりしてこず、口下手であった。しかしそれが原因とは思えない。こんなにも防御力の高い小学生など想定外だ。

 

「先生には言わないでほしいかな。私は今日、学校をサボっているのだ」

 

「あら、もう白状してしまうの。諦めの早い人ね」

 

「諦めにおいてはピカイチだからね、私は」

 

「何て情けない自信!」

 

「ハハハ・・・」

 

 畜生、このガキ、言わせておけばつけ上がりおって。しかし私は敗北者よ。その言い草も甘んじて受け入れようではないか。

 

「ところであなた」

 

「何かな?」

 

「その校章、ウチのものではないようだけれど?」

 

「えっ」

 

 ははっ、何を言うかと思えばこの娘、校章が違う?冗談は止してくれ。私は少女の制服をマジマジと観察すると、改めて私の学帽にへばりつくマークを見る。

 

 ・・・確かに違う。圧倒的に違う。

 

 少女の制服に付いた校章が、アルファベットを元にしたスタイリッシュなものであるのに対して、私の学帽の校章は角ばった漢字である。微塵も共通点がない。

 同じようにランドセルを背負っているからと、考えなしに知らぬ子の後をつけたのが原因か。

 

「・・・うん、そのようだね。この学校のものではない」

 

「つまりあなたは、学校をサボっただけでは飽き足らず、他校の施設に侵入していることになるのだけれど」

 

「そうなるね」

 

「やっぱりあなた、不審者よ」

 

「蒸し返さないでいただきたいな」

 

「あなたが勝手に話題をすり替えてきただけでしょう。私は蒸し返してなどいないわ」

 

「いや、全くその通りで」

 

 この正論女め。しかし正論は正論であり、彼女の述べる言葉にはぐうの音も出やしない。ははは、笑うがいい。転生して二日目にして私は馬鹿の連続だ。私を転生させたやもしれぬ神よ、笑え。

 

「フフフッ」

 

 何が可笑しいのか、私の隣で座る少女が笑う。神には笑うことを許したが、貴様にはその覚えはないぞ。

 

「何だかあなたと話していたら可笑しくって」

 

 だから何が可笑しいというんだ。

 

「ね、今日の事は誰にも言わないでおいてあげるから、私の独り言に付き合って頂戴」

 

「かまわんよ」

 

 たったそれだけで許されるのならば、いくらでも付き合ってやろうとも。

 

「・・・私、頭が良いのよ」

 

「何だ、自慢か」

 

「黙って聞いてなさい。

そして容姿もそこそこ良い自信があるわ」

 

 やはり自慢ではないか。

 

「それがどうやら気に食わなかったらしくて、ある日から突然、下駄箱から靴が無くなるようになったわ」

 

 ・・・雲行きが怪しいな。

 

「探したら、探したら・・・ふふ、泥まみれ」

 

 私は少女の抱えていた、泥だらけの靴を見る。

 

「今日は特に壮絶だったわ。朝教室に入ったら、机の上まで泥だらけよ」

 

「私、何かしたかしら。勉強だって、努力したから。運動も、何だって、姉さんに近づきたくてッ、頑張ったのに!」

 

 声を荒げた彼女は、スカートの端を握って震えている。ここで慰める言葉を、私は知らない。

 

「・・・どうして、誰も認めてくれないの・・・?」

 

 それが彼女の偽らざる本音という奴だったのだろう。名前も知らぬ他人に何故このようなことを伝えるのか、理解に苦しむが・・・もしかすると、他人だからなのか。他人だからこそ気兼ねなく本音を吐き出せたとでもいうのか。私はいったいいつからカウンセラーになったのだろうか。

 ・・・やれやれ、ここまで言われて「はい、さようなら」と帰れるほど私は薄情ではない。どうにかしてこの少女の悲しみを拭ってやれぬものか。私はいろいろと考えを巡らせた結果、一つの名案を思いついた。

 

「な、君。私の家に来ないかい?」

 

「・・・あなたってやっぱり不審者よ」

 

 彼女は泣き顔をこちらに向けると、心底呆れた表情でそう言った。

 

♦♦♦

 

 1994年、五の月に私はこの世に生を受けた・・・らしい。

 

 らしいというのは私が自分の出生やこれまでの人生の記憶をすっかり忘却してしまっているからである。今私の脳を動かしているのは前世の私であって、今の私ではないのだ。

 

 所謂「転生」というものを経験し、見事小学生ボデーに受肉した私だったが、一つ不可解なことがあった。勿論転生を含め不可解なことづくめではあるのだが、その中でも一際不可解であったのは、私の生まれた年代である。

 前世での私が誕生したのは2002年。死亡したのが18歳であった2020年であると考えると、今生の私はそれよりも未来に転生するのが道理であるように思える。何故ならば時間は不可逆であるからだ。

 

 しかし蓋を開けてみればどうだ。1994年に生まれてしまった。

 

 これは一種の時間遡行。すなわち、時間に縛られる限り不可能といわれたハズの過去へのタイムトラベルに他ならない。

 

 人類の不可能を死後達成したという偉業に、私は感涙するあった。するので、あった・・・・・・。

 

 

「・・・ねえ・・・なた」

 

 誰だ、私の涙を邪魔するのは。

 

「ちょっと、聞いているのかしら?」

 

 ええい、喧しい。

 

「ええい、喧しい」

 

 おや、声に出てしまった。

 

「へえ、そんな口を利くの。覚悟は出来ている・・・ということかしら」

 

 隣を見やれば、嗜虐的な笑みを浮かべる美少女の姿があった。彼女は懐かしさのある黒めかしい有線コントローラー―――DUALSHOCK 2―――をこちらに向けてひらひらと振ってくる。あからさまな挑発行為だ。

 

 畜生!神よ、何故現実に引き戻したのですか!非道!鬼畜!便秘野郎!

 

 私は心の中で全ての責を神に負わせると、目の前にあるブラウン管テレビを睨み、隣の美少女を睨んだ。ついでにソニーへ呪詛を送った。

 

 何故こんな状況になっているのか、私にはさっぱり理解できなかった。原因が私にあることだけは何となくわかっているのだが、何故美少女・・・もとい美幼女が我が家のリビングに座しているのか。そして何故私と共にテレビゲームをしているのか、何一つとして理解できなかった。今朝出かけてこの少女と出会った辺りまでは覚えているのだが、如何せん少女との会話で何を言ったのか、そしてどうやって我が家に帰還したのか、全く覚えていなかった。まさか久しぶり過ぎた異性との会話でテンパってしまって記憶が飛んだ何てことは・・・まさかね。

 

 まあそんな事は些末事である。

 

 今肝心なのは、中身18歳引き籠り野郎が、推定年齢9~10歳の幼女にテレビゲームでボコられているという現実である。

 お前馬鹿野郎お前、私が幼少の時をどれだけゲームに費やしてきたかわかってんのかコノヤロウ!それがなんだこの負け様は、面目丸潰れではないか。年上の威厳もクソもない!しかもだ、煽られている!あ~もう絶対許さねぇからなあ。

 

 前世からの十八番で負かしてやるんだからな!

 

 私はテレビ下の収納から一本のソフトを取り出す。そのソフトの名を『ケロ□軍曹 メロメロバトルロイヤル』!発売日までまだ数カ月あるような気がするが、何故か家にあった。

 対戦型アクションゲームである本作は、フリーモードで複数人での対戦が可能!前世でこのゲームのキャラのクセや操作性まで熟知した私に、負ける要素など皆無!これで勝てる!

 

「ああ、覚悟は出来ている。君を負かす覚悟がね!さあ、君。これで対戦と行こうじゃないか!」

 

「いいわ、また人権がないくらいにボコボコにしてあげる」

 

 上等!さあ、かかってこい!

 

 

 

 

「負けました」

 

 

 

 

「フフッ、ざっこぉ」

 

 最早私を鼻で笑う少女を睨む気も起きない。あんなにも自信ありげに十八番を披露したというのに、惨敗。あれはもうテクでどうにかなる問題じゃないね。この女反射神経が人間じゃないよ。

 

 いいさ、潔く負けを認めるよ。

 

「私の負けだ、君は強すぎる」

 

「フッ、私にかかればこんなもの、児戯にも等しいわ」

 

「児戯なんだけどね」

 

「あら、そう」

 

 時計を見ると、そろそろ五時が迫っていた。

 

「・・・今日はそろそろお暇するとしようかしら」

 

 少女はそう言うや否や、赤いランドセルを背負い上げる。

 

「そうか。もうこんな時間か・・・送ろうか?」

 

「いえ、遠慮するわ。迎えが来るもの」

 

「迎え?」

 

 チャイムの音が鳴る。

 

「ほら来た」

 

 彼女と共に玄関に向かい、開けるとそこには20メートルは軽く超える、黒いリムジンが鎮座していた。

 

 おいおい、漫画じゃないんだぜ。そんな馬鹿みたいに長いリムジンがあってたまるか。

 

「ねえ」

 

 リムジンに足を進めていた彼女は、振り向いて私に話しかける。

 

「今日は楽しかったわ」

 

「そりゃよかった」

 

 私がそう返すと、少女はやや含羞めいて俯く。それから2秒ほどして顔を上げたかと思うと、緊張した面持ちでこんなことを言った。

 

「明日もまた来てもいいかしら」

 

 そして、当然私はその問いにこう答えた。

 

「ああ、いいとも」

 

 

 

 こうして私と美少女という、交わらざるが交わり、面白おかしい転生生活は幕を開けた。面倒なことや若干の悲しみを経験しながら、私たちは大人になっていく。それはまだ先の話だけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんた、今の馬鹿でかい車は何?」

 

 あら、お母さんではありませんか。お早い帰還ですね。

 

「そうねぇ、今日は仕事が早く終わったの。ところであんた、何か言うことがあるんじゃなくて?」

 

「はて、何かありましたかな」

 

 母の表情はまさしく阿修羅であった。こめかみに青筋を浮き立て、わなわなと全身を震わせると、私の右頬を平手打ちした。

 

 私は錐もみしながら宙に浮かび、どさりという衝撃音と共に地に伏せる。

 

「何かありましたかな、じゃねえ!お前、学校から電話があったんだよなあ!『息子さんが登校しておりません』ってな!いい根性してるよお前、小学四年生にして登校拒否の不良野郎の仲間入りか、ええ?いい加減にせえよお前ホンマ・・・」

 

 地べたで蹲って「ギギギ」と呻く私を尻目に、母はそう吐き捨てるとサッサと家の中に入ってゆく。ガチャリという音を伴って。

 

 あ、今のカギ閉めた音ですよね?おーい、開けてくださいよ。母さん、開けてくださいよ。春先でも夜は寒いんですよ母さん。母さん。

 

 結局私が家に入れてもらえたのは、午後9時のことであった。

 

 殴られた衝撃で思い出したが、今日は学校をサボってしまったようである。ついでに幼女に舌戦で打ち負かされた記憶も蘇ってきたが、屈辱的なので思い出したくはなかった。

 

 何はともあれ、明日はちゃんと学校に行こう。私はそう心に強く決め、寝た。

 

 

 ※追記 オオイヌノフグリは本当にフグリだったらしい。




V・X・Tさん誤字報告ありがとうございます。


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第二話 私は悶々などしていない

 今日は学校に行ったよ。大変つまらなかったな。知能レベルに差がありすぎて会話がまともに成立しないんだもの、イヤになっちゃう。そんなことよりもだね、彼女の名前を今日知った。本来は昨日聞いておくのが自然というものだが、すっかり忘れてしまっていた。

 

(日記より抜粋)

 

♦♦♦

 

 愚か者とは私のことである。何もできないし何もしないしする気もない。ないない野郎で馬鹿野郎な私は、今日も今日とて適当に取り繕った言葉を吐いて生きている。大半は本音なのだけれども。

 

「あの、どちらさまですか」

 

 だからこうして他人を気遣った会話が苦手なんだ。

 

 私の発言にたじろぐ褐色の少年は、どうやらこのクラスのカースト上位層の人間らしかった。彼の後ろで控える不細工な女共は、私を指さして何やらひそひそとザワめいている。君ら碌な人間にならんぞ。私が保証してやる。

 

 さてさて、何故こんなに居心地の悪い状況になっているのだろうね?そうだ、昨日私が学校に登校してこなかったことを心配して話しかけてきた少年に対して冒頭のセリフを吐いてしまったのだった。流石に名前を知らないとはいえ、配慮に欠けた発言であった。もしかしたら私と彼は友人同士であったのかもしれないのに。

 

「いやはや、すまない。私は若年性健忘症なんだ、すまないね」

 

「は?じゃくねんせい?けんぼう?」

 

 あれ、言葉が上手く伝わっていないようだ。そうかそうか、そういえば此奴等は未だ小4の身、そもそも健忘症を知らないというわけか。

 

「言葉が悪かったみたいだね。物忘れがひどいようなんだ、だから君の名前も忘れてしまったんだ」

 

「お、おう。そうなのか、ならしかたないな」

 

 まあ健忘症云々は嘘なのだけれどね。だって「私はキミが知っている私とは別人である」何て言えるわけないではないか。仮に言ったとしても理解されないだけだし。

 

「そうなんだ、仕方ないんだ」

 

「うう、お前なんかかわったな」

 

「そうかしら」

 

 うん、中身が違うからね。以前と変化が無かったら逆にオカシイものだよ。しかし以前の私はいったいどういう人間だったのかしら。前世の私はこういう溌溂そうなクラスの人気者とは縁遠い存在であったわけだけれども。

 

 とにかく、ちゃんと学校に行くという今日のミッションは成功したわけだから、それで良しとするとしよう。

 

 私はそう思うと、窓の外から見える雲の数を数え始めた。だって授業がつまらないのだもの。

 

 

 午後三時半ごろ、学校は学童を開放する。

 

 

 やれやれ、やっと終わったぞ。私は颯爽と教室を抜け出して家に走る。何故だか知らないが、ワクワクしていた。そうだ、小学生の頃は何でかこうしたどうでもよい事柄がワクワクしたものだ。私は小学生なんだ。これは精神が体に影響を受けているということに他ならないが、それは気にするべきところではない。今はただ、走る。言い知れぬワクワクと共に!

 

 息を切らして家の手前まで走った。ここまでの体感時間はだいだい10分くらいか。前世の18歳ボデーでは5分と走ることもままならなかったというのに、中々パワフルな体だ。

 

 ふと前を見ると、見知った顔があった。

 

 それは黒い髪を肩まで伸ばした愛らしい少女であった。少女は我が家をチラチラと見ながら、ソワソワとした様子で辺りをうろついていた。おいおい、可愛いじゃないか。

 

 私は小学生特有の悪戯心をムクムクと花開かせると、少女に気づかれぬよう、ソオっと彼女の背後に忍び寄った。

 そして気さくな挨拶をしてやるのだ。「やあ」とね。

 

「きゃあっ」

 

 少女は心底驚いた感じで、へなへなと地面に座り込んでしまった。どうやら腰を抜かしてしまったようである。

 

「カワイイ声を出すじゃない。ごめんよ、ちょっと魔が差したんだ」

 

「あ、あなただったのね・・・びっくりさせないで頂戴」

 

「悪かったよ。それで君、どうして我が家に?」

 

 当然の疑問である。彼女の様な可憐な少女が、一体全体どうして恐ろしい鬼婆の住まう巣窟にまで足を運ぶのか、とんと理解できない。

 

「・・・なたが・・・てって」

 

「ん、聞こえんな」

 

「あなたが来てもいいって言ってくれたんじゃない!」

 

 少女は大声でそう言うと、そっぽを向いてしまう。怒らせてしまったらしい。そう言えば確かに昨日少女に対して「明日も家に来ていい」と承諾したが、まさか真に受けるとは。

 

「社交辞令のつもりだったんだが」

 

「えッ・・・」

 

 少女と私の間に静寂が訪れる。

 

 よく見れば少女は涙目ではないか。しまった、泣かせてしまった。まったく、思ったことがつい口に出てしまうこの口が呪わしい。何とか弁解せねば。

 

「冗談、冗談だよ、泣かないで。泣かないでってば」

 

「あ、あなた、あなたが来てもいいって・・・」

 

「うんうん、そうだよ、その通りさ。迷惑なんか決して感じていないんだから。少し意外に思っただけだから。さあさあ、家にお上がりよ、飲み物はオレンジジュースがいいかな?それとも紅茶かな?」

 

「紅茶!」

 

 少女は完全に拗ねてしまって、図々しくも紅茶を所望すると黙ってしまった。これは失敗したかな。もう少し気の利いた事を言えたらよかったわけだけど、そんな事が言える玉じゃないだろう私は。しかたないな、うん。

 

「まあ、座りなよ」

 

 私は少女を居間のソファに座らせると、キッチンの冷蔵庫から『午○の紅茶』を取り出す。ははは、粉末紅茶?そんな洒落乙なモノ、我が家にあるわけないじゃない。ちなみにこの『◯後の紅茶』は母の私物だよ。

 『午後の◯茶』が1986年発売であったことを知った当時の衝撃は忘れられないが、そんな事はさておいて、カップに内容物を注いでレンジでチンしてしまおう。

 

 チン!

 

「おまたせ」

 

「匂いは良いわね」

 

 おや、金持ちそうな君からそんな大層な評価を貰えるとは、キリンは誇ってもいいぞ。

 

「味はいまいちね」

 

 ズズズイッと紅茶を口に含んだ彼女は微妙そうな表情でそう言った。おいコラキリン、もっと精進せえよ。

 

「でも機嫌は直ったろう?」

 

「あなたのその無神経な物言いのせいで、直りかけた機嫌は元通り悪くなったわ」

 

 まったくあなたって人は、どうしてそう人を気遣うことが出来ないのかしら。

 

 彼女はそんな風にブツクサと文句を呟いた後、少しだけ笑顔になってこう言った。

 

「それで、今日は何をするのかしら?」

 

 ごめんよ、何も考えていないんだ。

 

♦♦♦

 

 結局私と彼女は、テレビ下の収納にあった『NieA_7』のDVDを観ることにした。今生の母は良い趣味をしているよ。

 

「どうしてニアたちは地球に落っこちてしまったのかしら」

 

「さあね」

 

 私は少女の疑問に曖昧に答えながら、時計に目をやった。今日の楽しい時間も、そろそろ幕引きみたいだぜ。

 

「なあ、今日は・・・」

 

「今日はまだ後一時間くらい遊んでいけるわよ」

 

「そうなの」

 

「母さんは父さんと外食しているから、きっと夜中にしか帰ってこないの」

 

「ふーん」

 

「今、少し迷惑だって思ったでしょ」

 

「まさか」

 

「どうかしらね」 

 

 私は君が居ることを迷惑だとは思っていないさ。本当だよ。ただ、女の子とこうも長時間接したことが無かったものだから、少々落ち着かないだけなのさ。

 

 彼女は私の顔を胡乱げに見つめると、視線を逸らしてDVDの二巻に手をかける。どうやら『NieA_7』は彼女のお眼鏡に適ったらしい。

 私はネタバラしをしたい気持ちを抑え、彼女の横顔を見る。綺麗な顔してるじゃない。それが何でこんな男に絡んでくるのやら。おっと、最初に絡んだのは私でしたかな。

 

 午後6時。今度はホントにお開きの時間。

 

「ねえ」

 

 帰り際、昨日と同じく巨大なリムジンを背景に、同じ構図で彼女は言った。

 

「私には雪ノ下雪乃という名前があるわ」

 

「うん」

 

「だからその・・・君とかじゃなくて、ちゃんと名前で呼んでほしいのだけれど・・・」

 

 やはり含羞めいて俯き、回答を待つ彼女。

 

「かまわんよ」

 

 女の子が恥じらいながらも勇気をもって捻りだした言葉だ。無下に扱うはずもない。

 

 私の答えを聞いて安心したのか、彼女は顔を明るくして「またね!」と言った。彼女らしからぬそのセリフに面喰らってしまった私は、呆然と彼女がリムジンに乗り込むのを見送るしかなかった。

 

 やめてくれよそういうの、ドキドキしてしまうではないか。

 

 私は自室の布団に顔を埋めて、この悶々を鎮めんと見悶える。これは決して悶々としているのではない。思春期特有のそういうのではない。私は悶々していない!

 

 とりあえず明日からはアイツの事を『雪乃君』と呼んでやろう。きっと喜ぶはずさ。

 

 

 

 

 

「あんた、何してんのよ」

 

 母さん、帰ってきたところ悪いのですが、水を差さないでください。

 

「また馬鹿でかい車が見えたんだけど、あんた何か知らない?」

 

 お友達が来たんですよ、ええ、お友達。勘違いしてはいけませんよ、お友達なんですから。

 

「あんたが何を言っているのかはさっぱりわからんが、リビング、片付けろよ?」

 

「はい」

 

 畜生この鬼婆め、人の気も知らないでさ。

 ちなみに今日の晩御飯はハンバーグでした。大変美味しゅうございました。

 



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第三話 これは逢瀬である

評価バーの端が赤くてビビっています。


 今日は雪乃君と共に街へと繰り出した。つまりは逢瀬であるわけだが、これは決してデートではない。友情を深める儀式であって、そういう破廉恥極まる行為ではないのだ。

 

(日記より抜粋)

 

♦♦♦

 

 雪ノ下雪乃が我が家に連日来訪するようになってから三日目。やはりと言うべきか何なのか、今日も雪ノ下雪乃は襲来した。

 

「遊びに来たわ」

 

「今日は土曜日なのだけれど」

 

「ええ、知っているわ。だから遊びに来たのよ」

 

 私は嘆息して空を見上げる。時刻は午前5時、大半の家庭がスヤスヤと惰眠を貪っているであろう時間だ。来るにしたってもう少し時間を置くだとかやりようはあったろうに、非常識な奴である。

 

「バカ面晒して空を見上げても、何も得る物はないわよ?」

 

「だまらっしゃい」

 

 まったく行動から発言までやたらと失礼な女だな。昨日の可愛らしさをもう少し思いだしたらどうだね。しかしこんな時間に娘を一人で他人の家にやるとは、家の者はどんな管理をしてらっしゃるのか甚だ疑問である。まあ雪乃君には尋ねるつもりはない。聞きたくないし、話したくもないような碌でもない内容に違いないからである。

 

 ぐ~~~ッ

 

 と、腹の虫が鳴ったのは、私ではなく雪乃君であった。

 

「もしかして、朝食を摂ってきていないのかい?」

 

「悪い?」

 

「いや、悪いというか・・・」

 

 それは大丈夫なのか?

 

 頬を赤らめ恥じらう彼女に不安を覚えた私は、それを払拭するために彼女を我が家の朝餉に誘うことにした。

 

「お邪魔してしまってよいのかしら?」

 

 そこで気を遣い始めるくらいなら早朝に来ないでくれ。

 

「気にしないでよ。うちの鬼婆に作らせればいいのだから」

 

「ほう、誰が誰に作らせるって?」

 

「あはは、二度も言わせないでくれよ。我が家のボス猿大鬼婆様に作らせれば・・・」

 

「あなた、後ろ後ろ」

 

 雪乃君、後ろって何だい、後ろって・・・

 

「・・・はは」

 

 後ろには、寝ぐせなのか怒髪なのか、髪を逆立てた我が母が居た。心なしか母の背からは赤黒いオーラが覗いているような・・・気のせいか。

 

「もういっぺん言ってみろよ愚息」

 

「ははは、お母様に置かれましては今朝もご壮健でなにより・・・」

 

 母さんは私の愛くるしい頭蓋に、怪力から捻り出された拳骨を叩きつけた。

 

「あんたがこのバカのお友達?」

 

「そ、そうです」

 

 眼前のバイオレンスアクションに狼狽する雪乃君は、母の質問にたじろぎ答える。

 

「そう、朝ご飯がまだだって言ってたよね」

 

「はい、そうですが・・・」

 

「バカ息子の言いなりというのは癪に障るが、女の子を腹ペコにしておくのは忍びないか」

 

 母さんはブツブツと言葉を吐いたのち、雪乃君を我が家に招き入れた。

 悶絶する私を放置して、だ。鬼婆め。

 

 ぐ~~~ッ

 

 今度こそは私の腹の虫であった。腹が減りましたよ母さん、母さん。無視ですか、そうですか。

 

 三十分程転がっていただろうか。

 

 そんなところで蹲っていないでサッサと家に入れ。そう母に命令された私は、子供三原則第二条『親の言葉は絶対』に従って、痛む頭を抱えながら朝食の席に着いた。

 

 今日の朝食は味噌汁と納豆、スクランブルエッグにレタスのサラダ。和洋折衷という言葉が私は嫌いだが、それはこのように統一性の欠けた献立に起因するように思う。それは前世も、今世もである。何だって母親というものはこうも和洋のバランスを考慮しない食卓を構築できるのか、はげしく疑問である。

 

 ちなみにこの疑問を母に言ってみたところ、ガチギレされたのでもうこの話題は母には振るまいと心に固く決意した所存である。

 

 閑話休題

 

 私は我が家のダイニングテーブルを不当に占拠する・・・いや、鬼婆が招き入れたのだから正当に占拠か、ともかく目の前の雪乃君を見やる。

 

 彼女は口いっぱいにサラダを頬張って咀嚼している最中だ。飢えた野良猫の様で品性の欠片もない食い方だが、美味そうに飯を食らう人間というのは、何だか見ていてほのぼのとするから嫌いではない。母もその類の人間らしくて、慈愛の籠った眼差しで雪乃君を見据えていた。ホントに鬼婆かあんたは。私にも少しくらいその優しさを分けておくれよ。

 

「おい馬鹿、ボケッとしてないで飯を食え」

 

 ほらね、私となるとこの口調である。愛をください。

 

「フフッ」

 

「何だよ雪乃君、私がそんなに可笑しいのか」

 

 私は笑顔の雪乃君に抗議の言葉を送るが、彼女の返答によってその気は失せてしまう。

 

「だって、こんなにも暖かな会話、久しぶりだったから・・・」

 

 重いよ。

 

 母さんは顔を曇らせてブツブツ言い始めるし、私も聞きたくもない家庭環境の一端を垣間見て気分が悪いよ。気が沈むよ。

 

 そんなこんなで食事を終えた私と雪乃君は、今日の予定を立てるべく話し合うことにした。

 

「何をして遊ぶかなんぞ考えとらんぞ」

 

「なら、『NieA_7』の続きでも観ればいいじゃない」

 

「そんなに気に入ったのか、あれ」

 

 しかし残念だね雪乃君。今日は鬼婆が一日中家に居るから、不用意に母の私物に触れるべきではない。

 

「だったら何をして遊ぶというのよ」

 

「色々あるだろう、トランプとか、将棋とか・・・」

 

「嫌よ、今日は『NieA_7』を観ると決めていたのに」

 

 どんだけだよ君。そこまでか、そこまで気に入ったのかよ。

 

 助けてくれ鬼婆、いやお母様!

 

 私の視線を汲み取ってくれたのか、母は私たちの方に寄ってくるとこう言った。

 

「金やるから外で遊んで来い」

 

 有無を言わせぬ圧力であった。これにはさしもの雪乃君も何も言えずに頷くほかなかったらしい。それはそうと、私は母が最後に言ったセリフが気に食わなかった。

 

 ―――ああ、お前は掃除当番一カ月な―――

 

 ふざけんな。

 

♦♦♦

 

 私の手には万札一枚。掃除当番一カ月という児童労働の前払い金である。これを使って外で遊んで来いというのは親としてどうなのだろうか。どうせ家では一日中怠惰に眠り耽るクセしてさ、ちょっとは親らしく息子の友達の接待でもしたらどうだ。

 

「で、何処に行くつもりなのかしら?」

 

 『NieA_7』が観れなかったからだろうが、若干不貞腐れた顔で雪乃君は言う。無茶言わんでくれよ、こちとら転生してまだ4日なんだぜ。土地勘なんてあったもんじゃないのに、何処に行けば良いというのか。第一私に女の子をエスコートできる器量なんてないのだから、そもそもが無茶な話なのである。

 

 畜生、久しぶりにダラダラしようと思ったのに、それもオジャンだよまったく。知ってるかい?どれもこれも雪ノ下雪乃ってやつが原因なんだぜ。困りものだよね。

 

 私は隣で文句を垂れる雪乃君を恨みがましく見る。今日の彼女は、白い上着、黒いケープに黒いジーンズ、頭上には黒いキャスケット。君はどこぞの探偵にでもなるつもりなのか、そうツッコミを入れたくなる服装ではあるが、憎らしいほどに似合っていた。こんなものでトキメク私はきっと馬鹿なのだろう。

 

「下卑た目でジロジロと見ないでくれるかしら」

 

 このどこまでも失礼な口調さえなければなぁ。

 

 さて、何処へ行くか。そう言えば昨日知ったのだが、私が住むここは千葉県らしい。しかも千葉市だと。さっぱりわからんなァ、私の前世は千葉県民ではない故。

 

 結局は駅に行けば何かあるだろうということで、千葉中央駅にやってきた。どうやら東口に鎮座する『京成ホテルミラマーレ』という建築物の中には、映画館が入居しているようである。2002年オープンとのことなので、まだ出来て二年のロリっ子映画館だ。

 私たちはそこで映画鑑賞をすることにした。

 

「何がやっているかね」

 

 雪乃君はこういうところに来たことがないのか、物珍し気に館内をうろつき回っている。微笑ましいことだ。

 

「ねえ、これとかどうかしら」

 

 私が良さげな映画がないかと上映中作品一欄と睨めっこをしていると、雪乃君が一つのポスターを指さしてきた。

 

 その映画は、題を『APPLESEED』といった。

 

 ほんと良い趣味してるよ雪乃君は。

 

 

 

 

 

 

 

「とても良い映画だったわ」

 

「それはよかった」

 

 映画の感想を言い合うのも映画鑑賞の醍醐味であると私は思う。雪乃君もそれを肌で理解しているのか、それともただ興奮しているだけなのか、いつにもまして饒舌である。あまりにも喋りまくるモノだから、こちらが少し気圧されてしまった。

 

「ははは、そんなに面白かったのなら、これをやろう」

 

「これは?」

 

「映画のパンフレットさ」

 

 そう、パンフレットである。前世で色々と映画を観てきた私だが、観た記念としてはパンフレットが一番最適であると中学生の頃結論付けて以来、パンフレットは欠かさずに買うようにしていたのだ。

 

「貰っても・・・良いの?」

 

「いいともさ。君にあげようと思って二冊買ってあったんだから、気にすることはないよ」

 

「そこは抜け目ないのね」

 

 素直に喜んだらいいのに、君という奴は強情だな。しかし体は正直だ。口元が綻んでいるぞ、雪乃君?

 

「喜んでなんてないわ」

 

 ホント素直じゃないねぇ。

 

 私と彼女は駅の改札口まで歩いて、そこで雪乃君に引き留められた。

 

「・・・朝の事はすまなかったと思っているわ」

 

「あん?」

 

 唐突に何だよ、雪乃君。

 

「私、今日は家に居たくなかったの。それで・・・ご飯も食べずに出てきてしまった」

 

「・・・」

 

「だから、そうね、『NieA_7』を観れなかったのは残念だったけれど、外でこうして遊ぶのもなかなか新鮮だったわ」

 

 何が言いたいのだよ。というか、まだ根に持ってたのかよ。

 

「・・・鈍い人ね、ありがとう、と言っているのよ」

 

「まあ、どういたしまして?」

 

 いいさ、私の時間くらい。友達が喜ぶのなら捧げるのも苦ではないからね。

 

 不意に五時の鐘が鳴る。寂しさと焦りを含んだメロディが、早く帰らねばと囁きたてる。

 

「電車で帰るかい?雪乃君」

 

「いいえ、きっと迎えが来るから遠慮するわ」

 

「きっとって・・・」

 

 んなアホな。私のそんな思いに反して、ここ三日間で聞きなれた甲高いブレーキ音が聞こえた。

 

「ほら」

 

 どこか勝ち誇った表情の彼女は、私にひらひらと手を振って見慣れたリムジンへと駆けていく。

 

 君は帰っていいのか。家は居心地がいいのか。明日も来いよ。

 

 色々な思いが心中では渦巻くが、上手く声に出せない。そうしている間に雪乃君は車内へと乗り込んでしまっていて、次の瞬間には駅を後にしていた。

 

 独特の排気音を伴って。

 

 雪乃君を乗せたリムジンが駅から見えなくなるまで、私はボケッとその様子を見守って、後は電車に乗って虚無的に帰宅した。

 

 何だ、雪乃君が居ないとつまらんことこの上ないな。全く、何から何まで唐突な女だ。まるで猫のようだよ。それは食い方も行動も、気難しい性格も、本当に猫のようだ。願わくば犬になってくれるなよ。私は犬よりは猫派なんだ。

 

 私は閑静な住宅街の中、我が家を前にしてそんな事を思った。

 

 ちなみに母はリビングで飲んだくれて寝ていたので、蹴飛ばしておいた。酒臭いんだよこの鬼婆が。

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、雪乃君が家に現れることはなかった。

 

 

 

 

 

 



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第四話 突撃!雪ノ下さんちの晩御飯!①

何故日刊ランキングに載っているのか、これがわからない。


 私は無力な小学生である。友達を簡単に泣かせる奴が無力以外の何だというのだろう。別に泣かせるつもりはなかった。それに原因が私にあるとは言い難い。

 いや、いや、わかっている。理由がどうあれ彼女を泣かせたのは私であるから、その責は甘んじて受けようではないか。

 

(日記より抜粋)

 

♦♦♦

 

 雪ノ下雪乃が我が家に来なくなってから、6日が経つ。先週の土曜日に映画を見に行ったのが最後である。

 三日間欠かさず家に来ていたとはいえ、毎日来るとも、来いとも言っていないわけだから気にする方がおかしいのかもしれない。彼女にだってきっと予定があるハズで、それは致し方のない事であった。

 

 しかし仕方がないとは言っても、私は納得しかねていた。それはまるで、餌付けをしていた野良猫がある日を境に姿を見せなくなったような不気味さで、私の心を搔き乱した。

 

「お前元気ねぇな」

 

 褐色肌の級友にそう言われるくらいには乱れていた。

 

 母曰く目は虚ろで、口は半開き。白痴の者を思わせる挙動不審ぶりであったらしい。まさか自分がそんな事になっているとは想像だにしなかった。私としては「つまらないな、雪乃君は来ないのだろうか」と思い続けていただけなのだが、不思議だ。

 

 どうやら私は雪乃君に依存していたようである。

 

 そんな私を見かねたのか、それとも雪乃君を心配したのか、母は私の尻を蹴飛ばして「雪乃ちゃんを探してこい」だの言う。

 馬鹿じゃないのか鬼婆、そんな迷惑になること私が出来るかよ。雪乃君の都合もちっとは考えてやれというんだ。

 

 平日の昼間、学校を強制的に休まされた私は、途方に暮れて街を歩いていた。

 

 商店街は私の気など露知らず、騒がしく賑やかである。ここを抜けて曲がり角を右に行き、林道を10分歩けば雪乃君の通う私立小学校がある。

 私は足元の小石を蹴飛ばして、行くか行くまいか思案していた。普通は行かない選択をする。それが賢さというものだ。しかしながら人間とは愚かなモノであるから、ここで行ってしまう輩もある。

 

 そして私は愚かであった。1、2分程の考えの末、私は歩きはじめる。それは当然、雪乃君が居るだろう学校へと、だ。

 

 若木の爽やかな匂いを嗅ぐも、気は進まない。だけれども私は雪乃君と話をするために、林道を歩く。会って何を話すのかなんて何も考えてはいないが、それは会ってから決めればいい話だ。きっと、自然と口から言葉は漏れ出るはずさ。

 

 私は林を抜け、荘厳な門を潜りぬけて、小学校に侵入する。見つかっては事なので、さっさと移動するに限る。目立たない様に学校の塀に沿って体育館裏に向かう。

 

 雪乃君と初めて出会った場所だ。

 

 

「やあ、雪乃君」

 

 

 彼女は・・・雪乃君は相変わらず目の周りを赤く腫らして、黒い髪を風に揺らしながら、そこに立っていた。

 

♦♦♦

 

 若くして苦労した。周りは敵だらけで、蹴落とし蹴落とされる競争の中を育ったらしい。そんな生活をしていたからなのか、それとも生来の性なのか、自分こそが絶対であると思い、それ以外を排する性格になってしまったようだ。それは生活に余裕が出来てからも変わらなかったから、やはり生来のものなのかもしれない。

 それからいろいろとあったみたいだが、結婚して子供も娘二人に恵まれた。

 

 彼女は娘二人の教育に心血を注いだ。理由は様々推察できるが、ともかく彼女は立派であることを強要した。

 

 偉くたれ。

 

 優雅であれ。

 

 いついかなる時も、上に立つものとしての自覚を持て。

 

 思い込みの理想像を娘二人に嬉々として押し付ける彼女の姿は苛烈そのもの。見る人が見れば虐待と見紛うものばかりであったらしい。暴力こそ振るわなかったものの、娘に向けた言葉は思いやりの一片も感じられない冷酷なモノばかり。

 

 それは幼かった娘が歪んでいくには十分すぎるものであった。

 

 長女は賢く、性格は傲慢になった。気に食わないものは排除し、気に入ったものには優しくする。母そのものの姿だった。しかし優秀でありすぎたがために、その傲慢さを隠し、周りと不和を生むことはなかったようだ。

 

 そして次女はその姉を目標として日々を生きてきたが、如何せん姉程の才能が無かった。母からは姉と比べられ、姉からは馬鹿にされ、鬱屈とした生を過ごしてきたらしい。

 

 鬱屈。

 

 鬱屈はいけない。人生とはそう押し込められておくものではない。そうして抑圧された魂の迸りが、結果として革命を促すのだから、支配者はそうならないように十全の配慮をしなくてはならない。

 

 それは教育/育児もまた然り。飴と鞭がいかに重要なことか、彼女はさっぱり理解していなかった。

 

 そんなだから、次女は早めの反抗期に入った。言動は周囲を威圧するように変質し、変なヤツを見つけてチョロチョロと付きまとうようになってしまった。

 

 その変なヤツとは私のことであり、雪ノ下雪乃こそが件の次女である。

 

 これは雪乃君からボソボソと話された言葉を総合し要約したものだから、実際のところはどうなのか、というのは分からない。分かりたくもないが、その一端を知ってしまった者としての責任は果たさねばならない。

 

 そのためにはまず、何故こんな事を知らねばならなかったかを皆に知っておいてもらいたい。それを今からお話ししよう。

 

 

 

「やあ、雪乃君」

 

 私の姿を認めた彼女は、我が渾身の気さくな挨拶を無視すると、潤ませていた瞳を決壊させて「ごめんなさい」だのと泣きじゃくる。

 君はホントによく泣くなァ。

 

「こらこら、人の顔を見て泣くもんじゃない。失礼だろう」

 

 私は少々意地悪を言った。一週間も会えていなかったことに苛立っていたのかもしれない。それは反省すべきところだ。

 

 雪乃君は私を無視して暫く泣いた後に、ようやく口をきいた。

 

「この前貰ったパンフレットなのだけれど」

 

 彼女が言うには先週末、私と別れ家に帰った後、しこたま母に叱られたらしい。それは仕方のないことだ。自分の子供が朝飯も食わずに、誰にも何も告げずに外出しては叱らぬわけにはいかなかろう。

 

 問題はその後のことである。

 

 母は怒りに任せて、私のくれてやった映画のパンフレットを、ぐしゃぐしゃにして捨ててくれたらしい。

 

 けしからん母親だ、それはあんまりなことだ。私の母だってそんな事はしない。するとしたって鉄拳制裁くらいなもんだ。

 

 そうして見るも無残な姿になったパンフレットを抱えて、雪乃君はこう思った。

 

 明日私に会わせる顔がない。

 

 雪乃君はどうにも踏ん切りがつかぬままこの6日間を惰性のまま過ごしたらしい。

 

「だからその、ごめんなさい」

 

 私はそう謝る雪乃君を責める気にはなれなかった。そりゃあ親に怒られるだけのことを彼女はやったのかもしれないが、娘の私物を破壊するとは親のすることではない。そのショックの程、はかり知れたものではなかろう。だから我が家に来なかったことなどは些細に過ぎず、どちらかといえば私は彼女の母親に憤慨するべきであった。

 

 故に私は雪乃君にこう言った。

 

「まったく、君の親御さんは何と非道なお方なのだろう。どれ、悪行の数々をここに詳らかに吐き出してしまえ。楽になるかもしれぬ」

 

 これがいけなかった。

 

 私の言葉を聞いた彼女は、饒舌に雄弁に、包み隠さず何から何までお話ししてくれやがった。これを要約したものが上に記したものである。聞けば聞くほど気分が悪くなり、何度か叫びたくなってしまうような内容であった。

 

 彼女の母は世間でいうところの教育ママのように思える。世間ではこういう人間が頻繁に自身の子供に殺害されているというのに、暢気なものである。まさか自分の娘がそんな事をするとは思いもしていないのだろう。確かに雪乃君が親殺しなんて馬鹿なことをするとは思えないが、それでもアンタ、相当嫌われてるぜこれは。

 想像力の欠如、これこそが原因ではないか。雪乃君の母には正常な想像力が備わっていないのだ。そして人の意見を聞かない、馬鹿。こういうのは愚か者ではなく只の馬鹿というんだよ、馬鹿。

 

 いろいろと黒い言葉を吐きたい気持ちをぐっとこらえて、うんうんと唸りながら雪乃君の話を聞いてやる。言い出したのは私なのだから、仕方ない。

 

 15分程喋っただろうか、雪乃君は満足したらしく、「確かに楽になったわ」といつも通りのすまし顔で言った。

 そうだ、君はその顔の方がよっぽど似合っているよ。

 

 ゴーン、ゴーン

 

 と、鐘の音が鳴った。

 

「いけない、授業が始まってしまうわ」

 

 彼女は「話を聞いてくれて、ありがとう」だなんて言うと、すくっと立ち上がって校舎の方に走って行く。

 

「なあ、雪乃君」

 

 私はそれを制止する。

 

「何かしら」

 

 不思議そうな顔をする彼女に、私は言った。

 

「今日は君の家に行くから、連れて行きたまへ」

 

 雪乃君の家に乗り込んでやるのだ。

 

♦♦♦

 

 私は酷く後悔していた。

 

 ああ、何が「君の家に連れて行け」だ。頭がおかしいんじゃないか。図々しいのは私の方だぜまったく。

 

 母親にそのようになったと伝えると、爆笑された。

 

 曰く「変梃なアンタがもっと変なことをし始めた!」らしい。解せぬ。今世の私は変な奴だったようだ。ただし私は変ではない。断じて違う。

 

 さて、雪乃君は私がお邪魔することを了承してくれたわけだが、正直なところ彼女の親に鉢合わせたくない。あんな啖呵を切っておいて何だが、私はこれっぽちも雪ノ下邸に突撃する覚悟などできていなかった。

 

 母親はそんな風に困って頭を抱える私を見てさらに笑っていた。元はといえばあんたが私を雪乃君の方にやったのではないか。だからあんたのせいだ!

 

 責任転嫁も甚だしかった。

 

 一般的な小学生のスケジュール通りならば、雪乃君が私を迎えに来るのは4時ごろだろうか。この前はそのくらいに来た気がする。

 それまでにどうするか考えてかねば。うん、私の想いを踏みにじってくれた雪ノ下母にはケジメをつけてもらわねばならないからね。

 

 ところでいつまで笑っているんだい、母さん。

 

「だってアンタ、父さんにそっくりなんだもん」

 

 凄く腹が立ったことだけは記述しておこう。誰があんなゴリラだというんだ。



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第五話 突撃!雪ノ下さんちの晩御飯!②

そのうち書き直します


 午後四時二十五分、彼女は来た。

 

「約束通り、迎えに来たわ」

 

 雪乃君は不安げな顔で告げると、私をリムジンの中に招き入れた。

 

 愚かだね雪乃君は、そんなモノ憂いた顔をするものではないよ。安心したまへ、私たちは遊びに行くんだぜ。何を心配することがあろうか。ここはいつもみたくクールな顔をしておくといい。何、私はこう見えて根性のある方なのさ。

 

 そう思いはしてみたはいいが、やはり友人の家に遊びに行くとは少々緊張するものだ。心なしかリムジンが三割増しで大きく見える。

 

 私はゴクリと息をのんで、黒光りするリムジンに乗り込んだ。

 

♦♦♦

 

 このリムジンを作った奴は気が狂っている。今一度工業高校から出直して、人間工学が何たるかを学んでくるべきだろう。サスペンションが効いているのか疑問の残る乗り心地・・・ガタガタと揺れて非常に不愉快だ。これはもしかすると、噂に聞くストレッチリムジンとかいうやつなのではないか。ならば納得、仕方なし。

 

 しかしよくこんなものに雪乃君は乗り続けられるもんだな。尊敬するよ。

 

 リムジンは甲高い音を立てて、雪ノ下邸に到着する。急なブレーキに、私は可愛いお口を両手で押さえた。

 

 乗り心地以前に、運転手の運転が荒すぎる!いい加減にしてくれ!

 

 私はその言葉を、出掛かった胃の物と一緒に飲み込んで、外に駆け出る。こんなモノにいつまでも乗っていられるか。一刻も早く降りたかった。

 

 ああ、空が青いよ。ついでに雪ノ下邸もデカい。

 

 豪邸というには小さすぎ、一軒家としてはやや大きすぎるその家は、なるほど教育熱心な人間が住んでいそうな面構えをしていた。ペットは飼い主に似るというが、家もその類に入り、住む人間の性格を反映した雰囲気を持つものなのかもしれない。

 

 何だかいけ好かない雰囲気の門を潜って、私は玄関にお邪魔する。ははあ、我が家も一軒家ではあるが、ここまで広々とした玄関ではなかった。例えるならば前世での従弟の家のようだ。彼の家は田舎の小金持ちな農家兼機織り業を営む家だったが、ここはどちらかといえば都会。そこにここまで大きな家を建てられたのだからその財の程、大したものだと言うべきか、趣味が悪いと言うべきか。

 

 ともかく、私は雪ノ下邸に来てしまった。つまりは雪ノ下母と鉢合う可能性があるわけで、そのための準備はしてきたわけだが、些か心許無かった。

 

 ちょこちょこと私を先導する雪乃君を追っていると、そんな気も吹き飛んでしまったが。

 

「ここが私の部屋よ」

 

 雪乃君の部屋に招かれた私は、それに応じて部屋に入る。

 

 何だか物が少ないな、というのが私の彼女の部屋に対する素直な評価だった。いや、物はある。参考書だとか筆記用具とか、そういった物は所狭しと敷き詰められていた。しかし娯楽たり得る物品が少なすぎた。まだ高校の部室の方が充実しているだろう、そんな気がするほどだ。

 

 これが小学生の女の子の部屋だろうか。

 

 否、断じて否。

 

 勉強の大切さを前世でそれなりに学んできた私だが、同時に娯楽の大切さも学んでいた。娯楽とは即ち平坦な人生の刺激であり、必要不可欠。それなのに何だ、この部屋は。可愛らしいぬいぐるみの一つなく、かといってロボットフィギュアが置いてあるわけでもない。漫画もなく、ゲームもなく、あるのはトランプと将棋盤くらいなものだ。

 

 そうか、だから雪乃君はトランプも将棋も嫌がったのか。

 

 まさか勉強が趣味ですなんてオチはなかろう。そんな気配はしていないし、勉強を頑張ってしている時点でどこかしら苦痛に感じているのだろう。勉強が趣味とかいう線は無しだ。

 

「何をぼうっとしているのよ、そこの座布団にでも座ってちょうだい」

 

 私の思考を中断させた雪乃君は、私に座るよう促すと、「お茶を淹れてくるわ」と言って部屋から出て行ってしまった。

 

 こんな部屋で何をして待つというのか。

 

 そういえば前世も含めて、婦女子の私室に入ったことは一度もなかった。ということは今回が初めてということになる。そう思うと何だかドキドキしてくるし、ワクワクしてくる。それにちょっぴり恥ずかしかった。

 

 おいおい、何をドギマギしているんだ。雪乃君は小学生、私は18歳ではないか。お前はいつからロリコンになった。

 

 煩悩を隅に吐き捨てた私は、ふと部屋に向かってくる足音に気が付いた。

 

 雪乃君だろうか。

 

 そう思った私は部屋の扉の方に目をやるが、そこに居たのは雪乃君ではなかった。

 

 

「ちょっとお話、いいかしら」

 

 

 それは大層綺麗な、しかし仏頂面の、着物姿の女人であった。

 

 

 

 

 

 

 女人は雪乃君の母親を名乗っり、ドサッと私の対面に腰を下ろした。勿論着物姿にお似合いの正座で、だ。

 

 ほう、これが雪乃君の母君か。まだまだ若い・・・30代だろうか、皴一つない肌。しかしその内側には歴戦の強者を思わせる風格を持っており、獅子のようである。

 なるほど、納得。雪乃君の話に偽りなしといった神経質そうなお人である。にしたって何故着物を着ているのか、邪魔くさくはないのだろうか。いやいや、他人の趣味をとやかく言うつもりはないのだけれど。

 

 私は一先ずご機嫌を取ろうと思い、事前に用意してきたものを懐から持ち出す。

 

「私、こういうものでして」

 

 氏名、年齢、職業役職が明記された紙切れである。

 

「・・・名刺?」

 

 そうとも言う。

 

 雪ノ下母は私の小学生らしからぬ行動に困惑しているのか、応答に数秒の間を空けた。

 

「ええ、ちなみに雪乃君のお友達でもあります」

 

「はあ」

 

 覇気のない返事だ。

 

 よしよし、しめたモノである。仏頂面を見事に間抜け面へと変貌させた雪ノ下母は、まんまと私のペースに飲まれ始めているようだ。

 別に喧嘩をしようと言うわけではないが、こういう我の強そうな女に話の主導権を持たれるとマトモに対話が成立しなくなって、後々大変なことになるのだ。あと単純に舐められたくなくて、「こいつは只者ではない」という風に相手に思わせたかったのもある。

 

 そのための名刺。

 

 そのための生意気な態度。

 

 雪ノ下母は顔を引き締めなおして元の仏頂面に戻ると、寒気を覚える眼差しで私に問う。

 

「何故、雪乃の友達を?」

 

「それは偶然、たまたま、そうなっただけですよ」

 

「あなたの存在が雪乃に悪影響を与えているとは思わない?」

 

「いやいや、そんな事は微塵も」

 

 何だ、私よりも失礼な奴だな。先程の名刺の件など霞んでしまうくらいな物言いだ。だってほら、普通娘が連れてきた友達に「お前目障り」だなんて言わなくないか。言っていいモノなのか。

 

 何だい何だい、娘の友達に対してその口の利き方はよ。お前絶対友達いないだろ。そうに違いない。失礼なのは遺伝子なのか。娘さんにそっくりですこと!

 

 悔しいかな、雪乃君はこいつの股座から産声を上げたのだな。それが分かる失礼さだった。

 

 しかし言われっぱなしである程私はお人よしではない。話の主導権は今もまだ私の手の中だ。

 

「ふーむ、雪乃君の母君は何が言いたいのですかな?出会ったばかりの人間に対して些か失礼な態度ではありませんか」

 

「あら、分かりませんか?目障りだから消えろと言っているのですよ」

 

 そのくらい分かっとるわ。

 

「ははあ、それは身勝手なのでは?雪乃君の意思はどうなるのです?」

 

「あの子もそれが自分のためだと理解してくれるはずです」

 

 本気かこの女。自分の主観だけで物を言ってやがる。

 

「それって雪乃君の事はまるで考慮していない、としか聞こえませんね」

 

「考慮はしています。私はあの子のためにあなたに消えてほしいのです」

 

「何故私が悪影響なのですか」

 

「あなたと居ると平気で門限も破るし、反抗的になってしまう。ならば引き離すしかないでしょう?」

 

 ゲームを悪と断じ、時間を守らなければゲームを破壊するが如き横暴さ。そこはゲームのプレイ時間を管理するべきであって、ゲームの破壊は根本的な解決にはならない。多くの親がそれを理解している中、この女だけは旧時代的な思考を保ち続けている・・・賞賛に値するね。

 

「素晴らしい考え方ですね、感服いたしました。あなたは20年ほど前のパラダイムで生きていらっしゃるようだ。生きた化石として博物館に自身を寄贈されてはいかがでしょうか?そうすれば多くの人があなたを讃えるでしょう」

 

「それは貶しているつもりかしら。だったら滑稽ね。原人の如き稚拙さと愚行の塊。やはり雪乃と引き離す選択は間違いではなかった」

 

「そうやって短絡的に自分が正しいとお思いになる人間に愚かと言われるほど、原人は愚かでも稚拙でもありませんよ。彼らの血の滲む努力と研鑽の末に私たちがあるというのに、それを嗤うことが出来ましょうか。そもそもの話、愚かとは馬鹿と等号ではありません。愚かさとは、欠けている事です。完璧ではないことです。そういう意味では私は愚かでしょう。そしてあなたも愚かです。しかし私は馬鹿ではありません。馬鹿とは知能の脆弱な人間の事を言うのです。あ、そうであればあなたは馬鹿でしょうね。考えることを放棄し、自分こそが絶対と信じてやまないあなたにこそ馬鹿という言葉は相応しい」

 

「よくもまあ、考えることもままならない子供が姦しい。最近の子供はこうも生意気な言葉を吐くようになってしまったのですか。何とも嘆かわしい事です。目上の人間に対しての敬意が毛ほども感じられない」

 

「私が貴方を敬いも慕ってもいないのだから、それは当然の事でしょう。誰が会ったばかりの人間に敬服出来るでしょうか」

 

 なかなか手ごわい。のらりくらりと会話を躱すのは私の十八番だというのに、それをかすめ取られている。その証拠に、私の論に対して真面目に取り合っていないのがお分かりだろうか。雪ノ下母としては、既に言いたいことは言い終わってしまっているのだ。だから後から来る囀りなどそよ風とすら認識していない。

 

 腹立たしいことだ。

 

 せっかく先制を取って主導権を握ったと思ったのに、いつの間にかそれは宙ぶらりんだ。いつ相手に握られてもおかしくない。

 

 雪ノ下母、侮れない女。

 

 雪乃君、早く帰ってきておくれ!疲れてしまったよ。

 

「その場しのぎの言葉しかあなたの口からは出ないのですか?呆れてしまいますね」

 

 畜生。それはお前の方だろうに。

 

「お互いさまという物ですよ。貴方だって真面目な言葉を吐かないではないですか」

 

「うふふ」

 

「ははは」

 

 憎らしいぞ雪ノ下母。

 

 ならば私の切り札を喰らえよ。泣いても知らないからな。

 

「こちらの話を聞かぬというのなら、考えがあります」

 

「何かしら?」

 

「これをご覧ください」

 

 私は傍に控えさせていた肩掛けカバンの中から、冊子を取り出して、雪ノ下母に手渡す。

 

「これは?」

 

「私が作成した、児童虐待に関するレポートです。1990年代から2003年までの児童虐待件数や、その主な事例、児童虐待とされる基準などを纏めてあります」

 

「・・・どういうつもりかしら」

 

「どうもこうも。15ページを開いてください」

 

「『親から児童への心的虐待とその事例について』?」

 

「そうです、そこです。読んでください、読みなさい」

 

 内容は要約すると下記のようになる。

 

 1.心的虐待とはいかなるものかについて

 

 2.事例

 

 3.子供に暴言を浴びせた際の影響について

 

 4.子供の心を破壊する親の心理について

 

 5.予防と対策について

 

 我ながら力作だと思うのだが、どうだろうか。2時間程度で作ったにしては上出来ではないか。

 

「・・・こんなものを読ませて、どうするつもりなのかしら」

 

「あはは、わかりませんか」

 

「ええ、ちっとも」

 

 わかりませんか。分かろうとしていないのではなく?

 

「あなたが雪乃君を虐待しているのではないか・・・ということです」

 

 

「ちがう!」

 

 

 雪ノ下母は絶叫した。仏頂面を怒色に染めて、青筋を立てて怒鳴った。

 




受験やら何やらで忙しくなるので、投稿頻度がゴミカスになります。許してね。


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第六話 突撃!雪ノ下さんちの晩御飯!③

「私は母とは違う!違うの、雪乃は幸せにならなければ!」

 

 

 吠える。

 

 

「何が違うと言うのです!雪乃君は悲しんでいたんだ!パンフレットを破かれてッ、他ならぬ母親であるあなたに!」

 

 それに呼応して、私も吠える。

 

 私に飛び掛かかった雪ノ下母は、私の首を絞める。そして叫ぶ。

 

 自分は違う。そんな事はしていない。お前に何が分かる。

 

「な、何も、わかッ、わかりませんよ」

 

 気道を締め付けられて上手く言葉が出ないが、絞り出して言ってやる。誰がお前を分かってやりたいと思うんだ。

 

「うわあッうわあッ」

 

 半狂乱。

 

 雪ノ下母は私を乱暴に地面に叩きつけると、レポートを破り出した。

 

 目障りだったのだろう。認めたくなかったのだろう。知りたくもなかったのだろう。私の渾身の力作は、紙吹雪になって床に散らばった。

 

「わかりますか、これが貴方のしてきたことです」

 

「違う!」

 

「違いません!」

 

「違う!」

 

「このわからず屋め!」

 

 お前はしたんだよ。幼い頃のトラウマを、雪乃君で再現して見せたんだ。お前が母親だったんだ!

 

「あなたは加害者なんだ!あなたの母親と同じく!」

 

 もはや想像でしかないが、叫びの断片からして、雪ノ下母も雪乃君と同じような境遇の元育ったのだろう。愛の鞭として振るわれた言葉の数々は、呪いとなって心に蓄積し、歪んだ価値観を形成させたに違いない。

 

 親は間違っている。

 

 私こそが正しい。

 

 早く逃げ出したい。

 

 認められたい。

 

 我が子が出来たなら・・・自分と同じ苦労をさせたくない。

 

 しかし、それは叶わない。母の愛しか知らなかったから、母と同じ愛し方しか知らなかったから、自分と同じ苦労をさせたくなかったから。

 

 苦労させたくなかったから、苦労を強いた。矛盾しているようだが、そういうこともある。

 

 つまり雪ノ下母とは、雪乃君の将来の姿なのである。

 

 話には出てきた姉とやらも、きっとそうなのだ。

 

 

 結局のところ、雪ノ下母は加害者であると同時に被害者であり、治療されなければならない患者であった。

 

 

 私がした行為というのは、癌の末期患者に「お前こそが癌だ」などと吐き捨てるようなもので、酷く残酷なことであったのだ。

 

 酷い男である。

 

 少々、いや、かなり後悔していた。まさかこんな風になるとは思わなかった。

 

 前世で読んだ本に書いてあったはずなのだ。『虐待をする親もまた、虐待された被害者であるケースが多い』と。

 

 失念していたんだ。そんなつもりはなかったんだ。

 

 言い訳は既に遅く、雪ノ下母は無気力に蹲っている。言葉は呪いだ。言えばそうなる、力を持っていた。私がこの気の狂う惨状を作り出したのだ。

 

 でも、でも言わせて欲しい。

 

 貴方は被害者だけれど、大人になってしまったんだ。貴方はもう大人なんだよ、親なんだよ。一人前になりなさいよ、いつまで子供でいるつもりなんだ。親として自分を見つめ直してくれよ。それが出来ないなら心療内科に行きなさい。少しは善くなるはずだ。

 

 

「あの、雪乃君に謝ってあげてください」

 

 

 しかしついて出た言葉は、そんな台詞だった。それしか言えなかったのだ。

 

 雪ノ下母は、泣いてはいなかった。ただただ生気の抜けた顔をしているだけだった。相当堪えたらしい。

 

 彼女は私の言葉でようやく我に返ったようで、ふらふらと立ち上がる。

 

「少し、考えさせて頂戴・・・」

 

 静かにそう言って立ち去る雪ノ下母の姿は、何だか寂しげであった。

 

♦♦♦

 

「・・・母さんと、喧嘩をしたみたいね」

 

 雪乃君は部屋に戻って来るや否や、そう呟いた。

 

「見ていたのかい?」

 

「ええ、少し」

 

 そうか、見ていたか、悪いことをしてしまったな。雪乃君にも、雪ノ下母にも。やりすぎてしまった。大人気がなかった。

 

「すまなかったね、君の母親にあんな言葉・・・」

 

「いえ、それはいいの」

 

「いいのかい」

 

「だって私のことを気遣ってくれたんでしょう?」

 

 違うよ雪乃君。私が気に食わなかったから、争ってしまったに過ぎない。君のためだなんて殆どこじつけさ。

 

「それに、母さんのあんな顔、初めて見た・・・」

 

 あんな非人間そうな鉄面皮でも、ちゃんと人間で、私のことを思っていてくれたのね・・・

 

 雪乃君は言って、手に持っていたお盆をテーブルに降ろす。上にはティーカップがあって、中は香しい紅茶で満たされていた。

 

「飲んで頂戴。あなたが淹れたモノよりは美味しいはずよ」

 

 そりゃあね、午後ティーと比べてはいけませんよ。香りの格が違いますもの。

 

 後悔はいつでも役立たずだ。

 前世での友人を思い出す。奴はややヒステリックで、男のくせして女々しい奴であった。奴は自分の任された仕事には熱心な男で、真面目であった。真面目過ぎた。奴はいつも学校のショートホームルームの時間に、歌の指揮者を任されていたわけだが、クラスの皆は真剣に歌うことをしなかった。勿論私はきちんと歌いはしたが、それでも大多数の人間が、歌わなかった。 

 それが酷く癪に障ったのだろう。帰り道、やつは私に向かって愚痴を言ってきた。やれ「何故真面目に歌わない」、やれ「死んでしまえばいいのに」。私に言っているわけでもないそれは、段々と矛先をこちらに向けてきて、終いには私を責め立てるような言葉になった。

 

 流石に我慢の限界だった私は、ついに激昂してしまった。

 

 結局その後は互いに謝り合って事なきを得たが、そうしなくていいのが最善という物である。私はその日いっぱいはグジグジと怒りやら心配を脳で掻き混ぜる作業に苛まれて、非常に気分が悪かったのを覚えている。

 

 彼は今何をしているのだろうか。

 

 これも一つの後悔だ。しかし後悔したところで、事象は遥か彼方に過ぎ去ってしまっているわけで、どうにもならない。後悔したところで良いことは一つもなかった。

 

 そして今回の雪ノ下母との舌戦にすらならない幼稚な喧嘩もまた、私の心に後悔の影を落として、数日間はチクチクと苛み続けるのだろう。

 

 ああ、あんなこと言わなければよかった!

 

 後悔である。

 

 したって良い事は無いのに!

 

「あ、美味しいねこれ」

 

「そうでしょ?私、紅茶には自信があるのよ」

 

 まあ、今は雪乃君の紅茶を飲んで、そんな事は忘れてしまおう。その方がいい。

 

「ところで、この紅茶は何て名前なんだい?」

 

「HARNEY&SONS のバニラ・コモロよ」

 

「何だいそれは、珍妙な名前だな」

 

「落ち着くのよ、これを飲んでいると」

 

 紅茶は、雪乃君の数少ない趣味なのだろう。しかし見たところ腕前はかなりのものだが、他人に振舞った経験はほぼゼロだろうか。やや緊張して見える。

 

「ふーん、ありがとうね。私も少しは落ち着いたよ」

 

「あらそう、ならよかった」

 

 嬉しそうだね雪乃君。

 

「そうそう、実はこんなものを持ってきていたんだ」

 

 私は傍に置いておいたリュックサックの中から、20cm²程の箱を取り出して机上に置く。

 

「これは、クッキーかしら」

 

「ご名答。その通りさ」

 

 本当は君の御母堂に差し上げようと思っていた品だぜ?この前母親から貰った万札の残りで買える最高品質の物なんだ。まあ、彼女はそんな声をかける間もなく居なくなってしまったわけだけれど。

 

「食べてもいいのかしら」

 

「いいともさ。その紅茶と合うかは知らんがね」

 

「じゃあ遠慮なく頂こうかしら」

 

「どうぞどうぞ」

 

 雪乃君は隠せないワクワクを顔に出して、箱を開ける。ピリリという気味の良い音と共に、ふわりと香る甘い匂い。

 

「メープルクッキーね」

 

「正確にはメープルシロップクリームクッキーだね」

 

 そんなのどっちだって良いじゃない。雪乃君はそう言って、楓の葉を口に放り込む。

 

「甘いわね」

 

「甘いのかい」

 

「ゲロ甘よ」

 

「ゲロ甘なのか」

 

 メープルシロップだからね、甘くて当然。歯にしみる甘さが、前世ではクセになったものである。

 

 雪乃君は複雑そうな顔をしてクッキーを咀嚼すると、紅茶を一口含んだ。

 

「最悪の組み合わせね」

 

「最悪なのか」

 

 そうなのか。

 

「せっかくの優しい紅茶の甘味が、メープルシロップの際限ない甘味で吹き飛んでしまっている・・・これを最悪と言わずして何といえばいいのかしら」

 

「そこまでかい」

 

「そこまでね」

 

 ならば私も試してみよう。

 

 まずは味を確かめるため、紅茶の方を少し頂く。

 

「優しい、というか仄かな甘味・・・香るバニラも激しくなくて嫌にならない」

 

「そうでしょう」

 

 満足そうな顔だね、雪乃君。紅茶の話ができる人間が居て嬉しいのかい。

 

 お次はクッキーを一枚。これを口に入れて噛み砕き、味わう。ああ、狂おしき甘さ。これぞメープルシロップだ。

 そうしたら今一度紅茶を口に注ぐ。

 

「確かに、紅茶の甘味は消えてしまったね」

 

 舌に残ったメープルシロップの強烈な甘味が、紅茶を弾いてしまうみたいだ。

 

「そうでしょう」

 

 君はそれしか言えんのか。

 

「この紅茶は単体で飲むのが良いのかしらね」

 

「さあ、私にはさっぱり」

 

 紅茶には詳しくないものだから。

 

「とにかく、この紅茶にこのクッキーは合わないようね」

 

「それはわかる」

 

 じゃあ、これは少しずつ食べていくことにしましょう。雪乃君は箱にクッキーを仕舞って、学習机の収納に入れた。

 

「ところで、今日は何をして遊ぶのかしら。まさか母さんに喧嘩を売りに来ただけと言うわけでもないんでしょう?」

 

「え」

 

 私は雪乃君のその一言に固まってしまった。

 

 ごめんよ、今回もまた何も考えていないんだ・・・というか、何も持ってきていないよ。どうする、どうするんだ私。

 

 どうせ「君の部屋にある将棋で遊ぼう」といっても却下されるのがオチだ。

 

 肩掛けカバンとリュックサックを交互に漁る振りをしながら、無い頭を必死に振り絞って考える。

 

 持ち物は財布と、ペンと紙。それ以外は無し。これだけで遊べるものは何か・・・ある。あるじゃないか、紙とペンと小銭で遊べる最強の遊戯が。

 

 期待の眼差しで私を見つめる雪乃君に、声高に宣言する。

 

「こっくりさんをしよう!」

 




宣言しますが、もう話のストックがありません。これからどうするか何も決めてないので、天啓を得るまで暫く失踪します。
そうでなくとも最近忙しくなってきたのでしばし消えます。


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第七話 突撃!雪ノ下さんちの晩御飯!④

大学入試やらもろもろの用事が済んだので投稿再開します。ようやく晩御飯までたどり着きました。


 こっくりさんをご存じだろうか。

 

 恐らくは日本人の大半が知るだろうその遊戯の起源は古く、15世紀にまで遡るという説もあるほどだ。元々は西洋での『テーブル・ターニング』が『ウィジャボード』という形で日本に流入し、狐狗狸との当て字をもって呼ばれた物である。

 

 こっくりさんは『テーブル・ターニング』であったときと同じく降霊術の一種であり、狐か狗か、はたまた狸なのか、何の霊なのかは見当もつかぬが、獣の霊をその身に降ろして、霊に尋ねごとをするのだ。

 

 「こっくりさん、こっくりさん」と。

 

 しかし、ここまで偉そうに解説しておいて何だが、私は前世を含めてこっくりさんなどやったことがない。当時は若く、活動的で、そのようなボードゲームを遊ぶだけの集中力が私には備わっていなかったのである。故にこっくりさんの明確なルールなどはさっぱり知らないが、まあ暇をつぶすには丁度よかろうということでチョイスした次第である。

 

「こっくりさんて何かしら」

 

 だからそんな不思議そうな顔をしないでくれないか、雪乃君。というかこっくりさん如きも知らないのか。いや、人の事が言えた口ではないけども。

 

「うーん、私もこっくりさんが何なのかはよく分からない」

 

「ちょっと」

 

「そもそも降霊させて尋ねごとをしたとして、獣の霊魂如きが何か有益な情報を持っているとは思えないのだが・・・」

 

「知らないわよそんなこと」

 

 そうだね、知らないよね。私も知らない。

 

「まあ兎も角、やってみようじゃないか。こっくりさん」

 

「やるのは良いけど、ちゃんとルールを教えなさいよね」

 

「任せたまへ、私のあやふや知識をキチンと教授してあげよう」

 

「凄く不安なのだけれど」

 

 雪乃君と駄弁りつつも、私はシャーペンの芯をカチカチと出して、持ってきていた用紙に平仮名表を書いていく。

 

「確か、このように平仮名を羅列するんだ。その下部に0から9までの数字書いて、用紙上部に鳥居を描き、その右には『いいえ』、左には『はい』と書く」

 

「で、ルールは?」

 

「えっと、鳥居に十円硬貨を置いて、プレイヤーはそれを人差し指で押さえながら『こっくりさんこっくりさん』と呼び掛ける・・・ハズ」

 

「あやふやじゃない」

 

「あやふやだって言ったよ」

 

 私は用紙に先程述べたモノを書き終えると、十円玉を取り出して鳥居に置く。

 

「さあ、準備は出来た。後はこの十円に指を置いて、尋ねごとをするだけ」

 

「ふうん」

 

 疑わし気な目で私を見た雪乃君は、指示通りに指を硬貨に乗せて、「貴方が言いだしたのだから、はやくしなさいよ」と私を催促した。

 

「ああ、うん。やろうやろう」

 

 催促を受け入れた私は十円玉に、人差し指を彼女と同じように置いた。私は雪乃君に「じゃ、私の言う言葉に合わせてくれ」と言って、共に唱える。

 

 

「「こっくりさんこっくりさん、来てください、おいでなさい、いなりとか芋とかあげますよ」」

 

 

 雪乃君は私と共に言ったその言葉を反芻したのか、一瞬の間をおいて口を開いた。

 

「・・・そのセリフ、本当にあっているのかしら」

 

「さあ、どうなんだろう」

 

「あやふやね」

 

「さっきもあやふやだと言ったじゃないか・・・あっ、でも硬貨は動いたみたいだよ」

 

 私は盤面の硬貨が『はい』に移動しているのを指して言った。

 

「あら、ほんと」

 

 もしかしたら本当に幽霊はいるのかもしれないわね・・・と呟く雪乃君を見て、いたたまれない気持ちになった。

 

 すまない雪乃君、その硬貨、ホントは私が動かしたんだ、すまない。場を盛り上げるための嘘なんだ。

 

 しかし私の気など露知らず、彼女は「質問は何が良いのかしら」と楽し気だ。心苦しい。

 

「そうだね、質問は雪乃君が決めたらいいんじゃないかな」

 

「そう。じゃあ聞いてみようかしら」

 

 私の勧めに頷いた彼女は、こう言った。

 

 

―――こっくりさんこっくりさん、NieA_7の宇宙人たちは、どうして地球に落ちてきたのですか―――

 

 

 エッ。

 

 何故そこでNieA_7?まさかこの前見れなかったことをまだ根に持っているのか。そこまで気に入っていたとは・・・執念深い。

 

 しかし残念だな雪乃君。君の疑問は作中でも明かされることはない(無慈悲)。なので無駄な期待をさせないためにも、ここは正直に答えるとしよう。

 

「あ、動き出した」

 

「そうだね」

 

 私は硬貨に置いた指を動かして、平仮名をなぞる。

 

「し」

 

「り」

 

「ま」

 

「せ」

 

「ん」

 

「・・・知りません」

 

 完成した言葉を呟いた雪乃君は、「使えないわね、このゴミ」と毒づいた。

 

「まあまあ、こっくりさんは所詮畜生だよ、それが人間様の創作物について知っているわけがないじゃないか」

 

「それもそうね」

 

 納得してくれたようで何より。こっくりさんにはすまないとは思うが、彼女をガッカリさせないための尊い犠牲と思って、さっさと成仏しろ。

 

「次は私が尋ねてみるとしよう」

 

 私はそう言って、雪乃君の方を見る。

 

 しかし彼女は俯いたまま、何の返事も寄こさない。

 

「雪乃君?」

 

 

「・・・すぞ」

 

 

「・・・雪乃君?」

 

 

 何か言っている。ブツブツ言っている。

 

 

「潰すぞ、人間」

 

 

 ハッキリ言った。そう言った。

 

 

「どうしちゃったのさ雪乃君。まさかこっくりさんに憑かれたのかい?」

 

「そうだとも、その通りだとも。オレサマはこっくり。貴様が畜生、こいつがゴミと蔑んだこっくりさんだぁ!」

 

 マジかよ。こっくりさんは実在していたのか。いや、転生という実例がここに居るのだから、畜生の霊が物知りで自我を持っていて憑りついてくることもあり得ない話ではない。

 

「ホントに君はこっくりさんなのか」

 

「証拠が欲しい。そんな顔をしているな」

 

「そりゃあ出来れば欲しいよ」

 

「では見せてやろう」

 

 こっくりさんを名乗った何者かは、雪乃君の体を使って吠え始めた。

 

「きゃほん!きゃほん!きゃほん!」

 

 若干耳障りな、甲高い鳴き声である。

 

「それは狐の鳴きまねか」

 

「鳴きまねではない。正真正銘、オレサマの鳴き声だ」

 

 狐というのはあっているぞ。というか、よくわかったわね。

 

 こっくりさんはそう言うと、徐々に口調を雪乃君に戻していき、そのうちただの雪乃君になった。

 

「やっぱり鳴きまねじゃないか」

 

「あら、割と本気でこっくりさんを信じていたクセに」

 

「やかましいやい。まったく驚かせないでくれ、ちょっと心配したんだぞ」

 

「ふふふ、この前の意趣返しというやつよ」

 

 こっくりさんの正体は、それに扮した雪乃君であった。まさか雪乃君がそんな突飛な行動をするとは思いもよらなかったが、これはどうやら私に対する仕返しなのだという。はて、一体いつに対する意趣返しなのやら。

 

 見当もつかなかった私は、尋ねてみることにした。

 

「こっくりさんこっくりさん、意趣返しとはどういう意味でしょうか」

 

「あらあら、わすれてしまったのかしら?私を後ろから襲ったのは誰だったかしら」

 

「あは、やけに饒舌なこっくりさんだ。私が後ろから襲うなどという卑劣な行為をするわけないじゃないか」

 

「したのよ。『わっ』って大声で驚かせてくれたじゃない」

 

「そういえばそうだね」

 

 もう一週間以上前のことだから、すっかり忘れていた。確かに私は、我が家の前をうろついていた雪乃君を驚かしたことがあった。しかし、忘れてしまうような前の事を未だに根に持っていたとは。やはり雪ノ下雪乃は執念深い女だ。

 

「まあ、そのことについてはこれでチャラという事にしてあげるわ」

 

「ありがたき幸せ」

 

 何だかこっくりさんをやるような雰囲気ではなくなってしまったので、終いにすることとした。

 

「こっくりさんこっくりさん、お帰り下さい」

 

 私が言うと、雪乃君は「わかったわ」と部屋から出て行った。

 

「まさかまだこっくりさん気分なのかい」

 

「そうよ、わたしはこっくりさんよ」

 

 呆れた!

 

 壁越しに喋る雪乃君に対して、私は溜息を吐く。

 

「連れ戻したいなら追いかけて来なさい。こっくりさんは気まぐれなのよ」

 

「わかったわかった、今度は鬼ごっこと言うわけだな」

 

「いいえ、かくれんぼよ」

 

「そうかい」

 

 ではそこで10秒待っていなさい。絶対に見つからないところに隠れてみせるわ。雪乃君はそう宣言して、廊下の向こうにトタトタと走っていった。

 

「ふう、仕方ない奴め」

 

 いいさ、私は君に従うよ。律儀に10秒だって数えてやるさ。

 

「いーち、にーい、さーん」

 

 ガタガタと物音。

 

「よーん、ごー」

 

 バタバタと移動する音。

 

「ろーく、なーな、はーち」

 

 がすッ、という大きめの音と、押し殺しながらも漏れ出る悶絶の声。

 

「きゅーう、じゅーう」

 

 さてさて、数え終わったぞ。

 

「雪乃くーん、もういいかーい?」

 

 一応確認を込めて呼んでみる。

 

「・・・もー・・・よー」

 

 若干くぐもって聞き取りずらいが、どうやら隠れ終わったらしい。

 

「では、遠慮なく探させてもらうとするよ」

 

 私は雪乃君の自室を出て、まずは雪乃君が走っていった方向に行くことにした。

 

 先程の声からして、何処か押し入れの様な、密閉された狭い空間に隠れている可能性が高い。それもたった10秒で隠れることの出来る場所となるので、かなり限られてくる。正直な話、これでは見つけるの何て一瞬で済む。

 

 一階に降りるには10秒では足りないから、基本的に、雪乃君の自室のある二階に隠れていると考えていいだろう。

 

「雪乃君、かくれんぼの鬼と言われたこの私を、あまり舐めない方がいい・・・」

 

 私は可能性の最も高いであろう、二階階段付近の納戸らしき場所に向かう。やはり隠れるならこういう、物が雑多にある場所というのがセオリーというものだ。

 

「ヒヒヒ、もう見つけてしまうかもしれんね」

 

 ガラガラと、引き戸を開けて、室内に侵入する。やはり私の推測は当たっていたらしく、そこは納戸であった。

 

「大抵はこういう、段ボールの裏とか・・・」

 

 もしくは某元FOXHOUND隊員のように、段ボールそのものを被っているかもしれない。子供の小さな体格ならば、不可能なことではない。なので一応持ち上げてみる。

 

「流石にいない、か」

 

 わかっていたことだが、あれだけ聡明なクソガキが素直にわかりやすい場所に潜んでいるわけがなかった。

 

「仕方ない、別のところを探すか」

 

 他人の家なので、ゆっくりと丁寧に引き戸を閉める。もし物音で雪ノ下母にキレられでもしたらたまったもんじゃない。願わくばもう二度とあの人と喧嘩はしたくない。

 

 次に私が向かったのは、『はるの』と書かれたプレートの下がった部屋である。件の姉の部屋であろうか。普通に考えて、姉に対してコンプレックスを抱いている雪乃君がこの部屋に隠れるというのは考えられない話だが、一応覗いておくか。

 

 コンコンコンッ

 

 他人の部屋なのだから、当然ノックはする。そして返事が無かったら無断で入室する。プライバシー何てお前には無いんだよ!

 ちなみに私は前世でこれを母親にやられてブチギレた。あれは何もやましいことしてなくてもイラっとくるよね。

 

「失礼する・・・ッハア!?」

 

 扉の向こう側にあったのは、壁一面に貼られた『雪乃君のポスター』。明らかに盗撮であろうものから、家族写真の切り抜きをポスターとして加工したものまで、様々な雪乃君が壁いっぱいに!いっぱい!

 

「うわぁあッ」

 

 生理的に受け付けない程の気持ち悪さを感じた私は、勢いよくその部屋を飛び出して、急いで扉を閉めた。

 

「何だあの気味の悪い部屋は!悍ましい!キモイ!」

 

 ああ、あの部屋の光景が脳裏から離れない。気持ち悪い。吐きそう!

 

 この家の住人の、知らない方が良かった新たな暗黒面を目の当たりにしてしまった私は、怖気の走る体を抱えて、急ぎ早にそこを後にした。

 

 雪乃君、君のお姉さんは残念ながら気狂いだ!もう手遅れなくらいにイってしまっている!

 

 

 

 

 それから30分ほど探したが、結局私は雪乃君を見つけることは出来なかった。正確に言うと隠れている場所までは特定できたが、肝心の雪乃君の姿を捉えることが出来なかった。

 

「雪乃君!往生際が悪いぞ!早く出てこい!」

 

「いやよ。私はまだ見つかっていないもの」

 

「場所は割れてんだよ!どういう理屈で見つかっていないというんだ!」

 

 ガチャガチャとドアノブを回すのは、私だ。しかしそのノブが回ることはなく、同時に扉も開くことはなかった。鍵が掛かっているのである。

 

 そして、家の中で鍵の掛けられる個室というのは、普通一つしかない。

 

 そう、おトイレである。

 

 雪乃君はトイレに鍵を掛け立て籠り、姿が確認できなければ見つけたことにはならないという持論を展開しだしたのである。

 

「シュレティンガーの猫だって、箱に入ってるのは分かっているんだ!君がトイレに隠れていることは明白なんだよ。出て来なさい!」

 

「駄目よ」

 

「駄目じゃないんだよ。このやり取り、もうかれこれ20分くらい続けてるよね?もういい加減諦めなって」

 

 私は雪乃君に対して必死の説得を試みるが、どうにも彼女のお耳には伝わってくれる気配がない。

 

「これ以上私の居るトイレに侵入を試みるならば、女子小学生の放尿を盗み見ようとしたロリペドカスの変態野郎として警察にしょっ引いてもらうことになるわ」

 

「何でそうなるんだよ。ていうか君、今『自分の居るトイレ』って言ったよね」

 

「言ってないわ」

 

「言ったよ!」

 

 正しく天上天下唯我独尊である。こちらの話を聞く気が無いな。

 

「わかったわよ。流石に私もここにいつまでも居るつもりはないもの」

 

「おおっ、出てきてくれるか!」

 

 何だ、話は通じるじゃないか。先程の考えは撤回しよう。

 

「あと5分で私を見つけることが出来なければ、あなたの負け。私の勝ちということにしましょう」

 

「は?普通に君の負けなんだが?認めろ?」

 

 撤回の撤回だよ馬鹿!突然意味不明なルールを追加するな!

 

「こっくりさんは絶対に負けないのよ!」

 

 まだこっくりさんなのか君は!というかこっくりさんが負けないってドコ情報だよ。

 

「こっくりさんこっくりさん、お戻りください。負けを認めて自分の部屋に戻れ!」

 

「いやよ!こっくりさんは人間の言いなりではないの!」

 

「そうかもしれんが、それとこれとでは話が違う」

 

 そうこうしている内に、彼女の提示した五分は過ぎ、ようやくトイレの扉は開いた。

 

「フッ、勝ったわ」

 

「もう好きにしてください」

 

 ドヤ顔でトイレから出てきた雪乃君は、自身の勝ちを高らかに宣言した。

 

♦♦♦

 

 どうしてこうなったのか。

 

 私の眼前には、色とりどりの料理がズラリと並び、隣では雪乃君が美味しそうにむしゃむしゃと飯をかっ喰らっている。

 

 そして私の前方に座すのは、ダンディーな我らが千葉県の県議会議員・・・雪ノ下パッパ。彼はニコニコとした顔で雪乃君を眺めており、こうしてみるとただの親父である。

 

「ただいまー」

 

 そして今、雪ノ下家玄関から何者かの声が。

 

「何かいい匂いがする~。今日は夕飯早いね~」

 

 それは雪乃君にそっくりな美人さんであった。雪ノ下母ではない、第三の女。こいつもしかして雪ノ下姉?アッ、ヤベ、変態じゃん・・・。

 

 私の脳裏に、あの悍ましい光景が走る。

 

 おかしい。何故私が雪ノ下家の面子と食卓を囲む破目になっているんだ?私はただ、雪ノ下母に文句を言いに来ただけなのに。雪乃君と遊んだのはついでみたいなものだ。

 

 このような予定外の状況に陥いることになったのは、二時間ほど前の出来事に起因した。

 

「あら、もうこんな時間」

 

 トイレからやっとこさ出てきた雪乃君は、自室に戻るなりそう言った。雪乃君が指す時計を見れば、既に時刻は六時半。我が家の夕飯時まであと1時間ほどしかなかった。

 

「かなり長居してしまったみたいだから、そろそろ帰るとするよ」

 

 と、私はお暇しようとした。だって夕飯前には帰らないと、母さんが怖いんだもの。しかしそれを無慈悲に引き留めて、雪乃君は言う。

 

「今日は家で食べていきなさいよ」

 

「それは君の母上が決めることでは・・・?」

 

「今日から私は困らせ我がまま娘になるのよ」

 

「そっかぁ」

 

 雪乃君の覚悟はご立派だけれども、それに私を巻き込まないで欲しい。他人に頼ることをしてこなかった雪乃君が、母親に我儘を言えるようになったというのは成長を感じて大変うれしいことだけども。

 

「あなたが母の精神をフルボッコにしてくれたおかげで、今なら何でも言うこと聞いてくれそうなのよ」

 

 私のせいにするな。

 

「ちなみに母君は今、どのような状態で?」

 

「パソコンの検索履歴が『子供 虐待 親』で埋まっていたわ」

 

「それは重傷だ」

 

 なるほど、娘に負い目を感じている今ならば、確かに何でも言うことを聞いてくれそうだ。雪ノ下雪乃、恐ろしい奴。ところでいつパソコンの検索履歴何て見たんだ?

 

「しかしだね、夕飯前に戻らねば、我が母の鉄拳制裁が待っているんだ」

 

「それならほら、家の電話を貸してあげるからそれで連絡しなさいよ」

 

 有無を言わさない。必ずお前に我が家の飯を食わせてやるという鋼の意思を感じた私は、素直に「ハイ」と頷く他なかった。

 

 それから雪乃君は母君に「飯作れや」と強要し、弱っていた母君はそれを弱弱しく承諾。何か料理のリクエストが無いかと聞かれたので、スターゲイジーパイと答えてやった。この際無理難題を押し付けて楽しんでやろうと思ったのである。

 

 しかし何という事だろう。

 

 スケキヨのようにパイ生地から突き出したそれは、間違いなく星を望む者であった。雪ノ下母、何故スターゲイジーパイが作れる!?

 

 雪ノ下母は興が乗って来たのか、スターゲイジーを量産した挙句、鰻のゼリー寄せ、ハギスなどなど、イカレた料理を作り続けた。

 

 そして時は経ち、いつの間にか雪ノ下パッパが帰宅。

 

 私は雪ノ下パッパに歓迎されて、やたらと質問攻めにあった。雪乃はいつもどんな調子だとか、何処で知り合ったのだとか、何故妻は亡霊のような顔でエゲレス料理を作っているのかとか、様々。私はそれに一つ一つ丁寧に答えていくわけである。

 

 答えるたびに雪ノ下パッパは百面相の如く表情をコロコロと変え、正直面白かった。我が家のゴリラ大明神とはえらい違いである。

 

 まあ、そんなことをしていたら今に至ったわけだが、雪乃君、君は何故ハギスをそうも美味そうに食えるんだい?

 

 私は自分の横でゲロマズ料理を頬張る雪乃君を見て、そう思うわけである。

 

「あれー、雪乃ちゃん何食べてるの~?」

 

 学生服を着た、黒髪ロングの美少女こと雪ノ下姉は、ダイニングにやって来ると雪乃君を見て不思議そうに言う。

 

「姉さん。これはハギスというのよ」

 

「ハギスゥ?ところで少年、君は何奴?」

 

 雪ノ下姉は現状を理解しきれていないようで、私が何者かと尋ねる。

 

「ああ、私は雪乃君の友達みたいなものです」

 

「なんだそりゃ」

 

 そういう反応になるよね。知らない奴が食卓に居座っていたらそうもなるよ。

 

「私は帰ると言ったんですがね、雪乃君がどうしても飯を食っていけというものですから」

 

「なるほど~、雪乃ちゃんがねぇ?珍し~」

 

 雪ノ下姉はふぅんと鼻を鳴らすと、私の隣にドカッと座った。

 

「・・・何でしょう」

 

 雪ノ下姉の不躾な視線に私は疑問を口にする。

 

「いや、値踏み」

 

「はあ」

 

 読めないお方だ。関わらないのが吉だろう。気の狂った雪乃君部屋を作り上げた張本人だ、絶対にまともではない。確実に何かキメている。

 

「なあ少年」

 

「何ですか」

 

 話しかけてほしくないのだけど。

 

「何故母さんはあんな沈んだ顔で狂ったように料理をしているんだい?」

 

「私が知りたいですよそんなの」

 

「そっか」

 

 原因の一端は私にあるけれども、料理するようにそそのかしたのは雪乃君だもの。それに私も雪乃君も、「永遠に料理し続けろ」とは言っていないのだから、本当に何故こうなったのか私が知りたい。

 

「ちょっと、姉さんとばかり会話していないでちょうだい」

 

「今度は雪乃君か、何?」

 

「ハギス美味しいわよ」

 

「知らんよそんなの」

 

「食べなさいよ」

 

「いや、遠慮したい」

 

「食べなさい」

 

「はい」

 

 雪乃君に言われるがままハギスを口にした私は、その得も言われぬ不味さに悶絶した。

 



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第八話 突撃!雪ノ下さんちの晩御飯!終

今回は会話多め


 スコーンを食べる。

 

 雪ノ下母が料理を作り始めてから3時間ほど経つと、会話も段々と少なくなっていき、食器の擦れる音が響くようになってきた。

 

「ねえ」

 

「何だい雪乃君」

 

 その静寂を破らないような小さな声で、彼女は話しかけてきた。

 

「さっきからスコーンしか食べていないけれど、どうかしたの?」

 

「ああ、これは何というか・・・はは」

 

 暗い顔をして鰻ゼリーを食べる雪ノ下母をチラリと盗み見て、曖昧に笑ってみせた。他の料理が不味すぎて食べたくないだなんて言えないもの。

 

「言いたくないのなら、いいわ」

 

 そのまま10分も経たないうちに、皆晩御飯はあらかた食べきってしまった。なので、私は帰ることにした。もう9時も過ぎ、そろそろ10時だ。流石に帰らねばならぬ。

 

 私は雪乃君にその旨を伝えると、玄関に向かった。雪乃君はその私の後ろをトコトコと着いてくる。見送りをしてくれるらしかった。

 

「じゃあ、また」

 

「ええ」

 

 また会うことを約束して、私は家に帰るべく足を外に向けた。

 

 その時である。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 雪ノ下母が、私を引き留めて言った。今日は引き留められてばっかりだな。

 

「・・・何に対しての謝罪ですか、それ」

 

 絞り出すように、雪ノ下母は口を動かす。

 

「あのように怒鳴ってしまって・・・私が間違っていたのに」

 

 やはり雪乃君の言った、検索履歴の話は本当のようである。そうでなきゃあ、あの頑固者がここまでしおらしくなるものか

 

「私は別に、気にしてないですけど。謝るなら雪乃君らにしてやったらどうです」

 

「そうね、そうね・・・」

 

 その様子を片隅で見つめていた雪乃君の顔は、何とも微妙な表情をしていた。そりゃ、今まで自分の世界の頂点だった人間が、自分と変わらない年齢の人間に謝罪しだしたらそんな顔にもなるさ。

 

 私は雪乃君を抱きしめて泣きじゃくる雪ノ下母の姿を尻目に見ながら、帰路に就く。

 

 暗い夜闇も、こんな日は澄み切って見えた。

 

♦♦♦

 

 土鳩の朝を告げる声で目を覚ます。

 

 自室から出て、階下に降りるとビール缶が散らばっており、その上で我が母は眠りこけていた。

 

「まったく、だらしがない・・・」

 

 昨日、家に帰ってくるとこうなっていた。その頃はまだ母は起きていたが、「母さんはねぇ!お前が帰ってこなくて悪魔になっちゃったよォ~!」と訳の分からぬ言葉を漏らすのみで、まるで話が通じなかった。扱いに困った私は、それをそのまま放置して寝てしまったわけだが、まさか缶の上で眠るとは思わなんだ。

 

 千葉市指定のゴミ袋を開いて、そこに缶を放り込む。別にいい子ちゃんぶって片付けているわけじゃなく、単純に足の踏み場が無いからである。どうしたら一晩でこれだけ飲めるんだよ。

 

 そうやって暫く片付けていると、チャイムが鳴った。

 

 玄関の方である。

 

 今は平日の5時半。やたらと早い来客じゃないか。

 

 非常識なやつが居たモノだと、ドアノブに手をかけて押す。そして向こう側に居たのは―――

 

「雪乃君?」

 

 ―――雪ノ下雪乃、その人であった。

 

 そういえば彼女は、この前も似たような時間に我が家に来訪したはずである。彼女の中ではこの時間帯が訪問のベストタイミングなのだろうか。

 

「・・・何故こんな時間に?」

 

「昨日、これ忘れて行ったでしょ」

 

 そう言って彼女が私に差し出したのは、肩掛けカバンとリュックサック。私のものだ。

 

「そうか、そうだった。忘れていた・・・すまん」

 

「しっかりしているようで何処か抜けているのね、あなた」

 

「そうかな、いやそうかも」

 

 私は礼を言うと頬を恥ずかし気に掻いて、それを受け取る。

 

「そうだ、せっかく来てもらったんだ、お茶くらい淹れるよ」

 

「また午後の◯茶なんでしょ。()()()の文字が違うんじゃない?」

 

「いいや、今度は紅茶○伝さ」

 

「やっぱり()()()の方じゃない」

 

「そうだね」

 

 で、飲んでいくのかい?

 

 私の問いかけに、彼女はニヤリと笑って答えた。

 

 

「もちろん飲んでいくわ。このまま学校に行けるように準備してきたもの」

 

 

 どうやら最初から家に居座る魂胆だったようだ。私の心遣いを返せ。

 

 雪乃君に我が家の敷居を跨がせて、いつものようにソファに座らせる。

 

「あっ、そこに転がってる人の事は放置しておいていいから」

 

「・・・この人、あなたのお母さんよね?」

 

「残念ながら」

 

「ふぅん」

 

 地べたに転がって「酒、ゴリラ、隠し子、殴る・・・」と寝言を吐く母を残念そうな目で一瞥した雪乃君は、黒染めの学童鞄から四角いブリキ缶を取り出した。

 

「何だい雪乃君、それ」

 

「昨日のクッキーのお礼にと思って」

 

 私は大変驚いた。母親譲りの傲慢不遜な彼女が、他人を気遣ってこのような物を持って来るとは思わなかったのだ。

 

「家の引き出しに入っていたお菓子をちょろまかしてきたのよ」

 

「コソ泥じゃねえか」

 

 確かに昨日「困らせ我がまま娘になる」と宣言はしていたが、そういう方向で親を困らせるつもりなのか。

 

「いいのよ、どうせ食べずに腐らせておくだけなんですもの」

 

「それなら良い・・・いや良くないけど、まあいいや」

 

 私はキッチンから取ってきた紅茶花○を雪乃君に渡す。ペットボトルのままで。

 

「もしや、めんどくさくなったわね」

 

「うん、何でボトルティー如きを工夫凝らして美味しそうに見せなきゃならんのかと思ってね」

 

「そう・・・ところでこれ、そこで死んでる人の物よね」

 

「そうだね」

 

「貴方も大概、コソ泥じゃないの」

 

「ははは、そうかもね」

 

 雪乃君は呆れ顔で少し笑ってみると、ぽつぽつと話し始めた。

 

「昨日・・・あなたが帰った後のこと」

 

「うん」

 

 それは、昨日の晩の話。私の知らない話だった。

 

「母さんに謝られて、姉さん怒っちゃったの。『ふざけるな!今更謝るな!』って。あれでも姉さん、我慢してたのね。私なんかよりもずっと」

 

「そうだね」

 

「でね、父さんはおろおろしちゃって、全く役に立たなくて、不甲斐無いったらありゃしないのよ」

 

「うん」

 

「もっと怒ろうと思ったのに、全部姉さんに持っていかれちゃった。しまいには姉さん、父さんにまで怒り始めて、『嫁のかじ取りも出来ない出来損ないの糞馬鹿親父!』。笑っちゃったわ」

 

「うん」

 

 まさかあの人当たりの良さげな雪ノ下姉が、そこまで激烈に怒るとは。

 

「それで姉さん、今日は学校を休むんだって、部屋に引き籠っちゃったのよ」

 

 君の姉らしいや。

 

「君の姉らしいや」

 

「は?」

 

 おっと、声に出てた。

 

「いや、違うんだこれは。何というか、言葉のあやというか・・・」

 

「私をあんな姉さんと一緒にしないで欲しいのだけれど。それは少し、いえ大変不愉快なことだわ」

 

 怖いよ雪乃君。君の真顔ほど恐ろしいものはこの世にないよ。

 

 それはそうと、私は雪乃君がぼそりとぼやいた言葉を聞き逃さなかった。

 

―――部屋中私の盗撮写真で埋め尽くしている変態だとは、思わなかった―――

 

 見たんだね。雪乃君、君もあの部屋を見てしまったんだね。かわいそうに。

 

 

「なあ雪乃君、君はどうしたい?」

 

 

 ふと自然に、私の口から零れた言葉。

 

 それに雪乃君はまたも笑って、言い切った。

 

 

「全部ぶっ壊してやるわ!完膚なきまでに叩きのめして、泣いて謝っても許してやらないんだから!」

 

 

 これが何に対しての宣言か、私はわからなかった。

 

 でも私は、雪乃君の決めたようにやれば良いと思った。子供はもっと、馬鹿なことをするべきだと思った。責任取れないことやったていいんだ。甘えちまえばいいんだ。責任は親がとってくれる。そのための親なんだから。

 

「・・・後悔のないようにね」

 

「ええ」

 

 そこのカンカンに入ってるの、お母さんとあなた、二人で分けてしまっていいわよ。

 

 雪乃君は言って、我が家を出て行った。

 

♦♦♦

 

 母は酒臭い呼気を振りまいて笑った。

 

 お前の周りにはバカしかいないのか、と。

 

 どうやらこの酒婆は、私と雪乃君の会話をこっそりと聞いていたらしいのだ。

 

「いやー、あの子凄いわ。あんたに感化されて大馬鹿になっちゃった!」

 

「それは私も馬鹿だと言ってるのかい?」

 

「そうよ、あんたは大馬鹿どころか超大馬鹿よ。知らなかったの?」

 

 このアマァ・・・舐めた口ききやがって。

 

「母さん、その言葉は承服できない。私は自身を愚かと認めはするが、決して馬鹿ではない。そもそも馬鹿と愚かとでは全く以て意味合いが・・・」

 

「お、もう6時じゃん。母さん朝ご飯作るから、部屋の片付けよろぴく☆」

 

「なんとッ、はあ・・・人の話を無視しよってからに」

 

 仕方なく私は片付けを再開する。

 

 卵の焼ける匂いがした。

 

 



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第九話 高飛び前夜

今年最後の投稿


 憎しみはキレイに精算してしまった方がいい。それも出来るだけ早く。平気なフリをしていたって、いつか限界が来るのだから。

 

(日記から抜粋)

 

♦♦♦

 

 雪ノ下邸で騒いだ日から幾分か経って、冷たい雨の降る六月。恵みの季節。しかし湿度は高く、じめじめと鬱陶しい季節でもある。あまりにもじめじめとしているからか、人間もそれに感化されてじめじめとするらしい。

 

 私は我が家のリビングで泣きじゃくる雪乃君を見て思った。

 

 その日も相変わらずの雨模様で、窒息寸前の蚯蚓が地上に這い出てきて気色の悪い日でもあった。そして、その日もその日でいつもの如く雪ノ下雪乃は我が家に現れた。

 

 彼女の装いはいつもとは違って、何だか泥まみれであった。

 

「私、もう学校に行きたくない」

 

 そう彼女は言って、何事かと尋ねる私を無視して我が家のリビングテーブルに突っ伏して泣き始めたのである。

 

 事態がまるで飲み込めない私は思わず「制服は脱ぎなよ、部屋が泥まみれになる」などと言ってしまったわけであるが、それが彼女の逆鱗に触れてしまったのか、

 

「うるさい!」

 

の一言を頂いた。大変遺憾である。確かに私の発言は無神経であったとは思うが、何も「うるさい」だなんて怒鳴らなくてもいいじゃないか。前世の友達を思い出すからやめてほしい。

 

 まあ私が悪いのは世界の真理らしいので、一先ず寒かろうと思って雪乃君にはバスタオルを渡した。

 

 前世気まぐれに読んだ、鷲田清一氏による『「聴く」ことの力』という本にこんな文があった。

 

『聴くことが、ことばを受けとめることが、他者の自己理解の場を(ひら)く』

 

 私もそれの猿真似をしてみようと思う。ぶっちゃけそれ以外の解決方法を知らないだけなのだけれども。

 

「学校に行きたくないの?」

 

「集団で個人を甚振る人間の思考が理解できないわ。脳に蛆でも湧いているのかしら、それで思考誘導でもされているのかしら。だとしたら滑稽なモノね!」

 

「の、脳に蛆が湧いて・・・」

 

 ちょっと、雪乃君。オウム返ししにくいセリフをぶっこんで来るのは困る。何て言っていいか分からなくなってしまうではないか。

 

「・・・少し落ち着きなよ雪乃君」

 

「うるさい!」

 

 ごめんなさい。

 

 本日二回目のうるさいを頂戴した私は、触らぬ神に祟りなしといった感じで、大人しく彼女の隣に居るだけに徹することにした。

 

 

 静かだ。時計の針だけがカチカチと鳴って、耳に響く。

 

 思えば私は雪乃君が虐められているのを知っていた。それでも何もしなかったのは、雪乃君が何も求めてこなかったからだ。我ながら薄情だとは思うが、雪乃君の性格からして求めてもいないことをされるのは嫌がるだろうから、何もしなかった。それが正しい判断だったのかどうか、目の前で泣いている雪乃君を見ると分からなくなってしまうのだけど。正しかったと信じたい。

 

「雪乃君、君は前に言ったじゃないか」

 

 しびれを切らした私は、再び口を開いて言った。

 

「『全部ぶっ壊してやる!』って言ったじゃないか。やられっぱなしで良いのかい?」

 

「・・・わけ」

 

「何だい」

 

「良いわけないじゃない!」

 

「そうだね」

 

 君はそういう奴だろう?やられっぱなしでいるタイプじゃない。

 

「だったらさ、ぶっ壊せばいいだろう。クラスメイトごとパーッとさ」

 

「するわよ、もう準備してるわよ」

 

「へぇ」

 

 驚いた。雪ノ下雪乃は私の思っているよりずっと強かだったらしい。なら、何故泣いて騒いだんだい。

 

「馬鹿ね、『こいつらをぶっ飛ばしてやるぞ』と思っていても、いじめが無くなるわけじゃないのよ?流石に我慢の限界だったから、泣き場所としてあなたの家を選んだまでよ」

 

「は?」

 

 何だそれは。つまるところ、私は八つ当たり専門サンドバックだったというわけか。心配して損した!

 

 憤った私は、「もう知るものか!」と捨て台詞を吐いて、台所に向かう。ココアパウダーをお湯に溶かして飲もうと思ったのだ。勿論コップは二つ用意してある・・・つくづく雪乃君に甘い男だな、私は。

 

 自分に呆れた私は、ココアの入ったコップを二つ持って、また雪乃君の方に戻るのだ。

 

「お早いお帰りね」

 

「うるせえ」

 

「まあ、悪かったと思っているわ。だからそんなしかめっ面はよして頂戴」

 

 まったく、そんな言葉でこの私が絆されると思っているのか。ヒドイ女。

 

「わかったよ、しかめっ面はやめる」

 

 絆されてなんていない。

 

 ただ何だ、涙で目の下を腫らしてはいるものの、既に泣き止んでしまって、至って平然とした、ケロッとした態度の雪乃君を見ていたら、怒るのが馬鹿馬鹿しくなったというだけだ。

 

「雪乃君、風呂に入りなよ。泥だらけでいられると困る」

 

 泥で塗れた雪乃君に、私はそう勧めた。女の子を汚れたままにしておく趣味は私にはないし、泥まみれで我が家を歩かれると、後で掃除するのが大変なのだ。

 

「・・・そうね。でも、私着替えなんて持ってきてないのだけど」

 

「私のを貸すから、それを着ればいいじゃない」

 

「えッ、いやよ」

 

 雪乃君の言葉に心を抉られた私は、母の使わなくなった古着を貸すことにした。

 

「それならまあ、いいけど。着替えとか覗かないでしょうね」

 

「まさか、私がそんな助兵衛に見えますか」

 

「見えるわ。それも相当なムッツリよ」

 

「失敬な!誰が君の様なツルペタスットンに欲情するか!」

 

「何て失礼な人!これから大きくなるんだから、いろいろ!」

 

 しばしの間睨み合って、雪乃君は「風呂場は何処かしら」と問うた。なので私はそれに律儀に答えてやって、「さっさと私の前から消えろ、女郎!」と言ってやった。

 

「女郎って何よ。難しい言葉を使って粋がるのもいいけど、そればかりだと友達をなくすわよ」

 

 雪乃君はその言葉にそう返すと、風呂場の方に引っ込んでいった。

 

「君だけには言われたくない!」

 

♦♦♦

 

 風呂から上がってきた雪乃君は、傲慢不遜に我が家のソファを占拠して牛乳を所望した。「前々からやってみたかったのよね、風呂上がりの牛乳」とのことである。

 

 私はグラスに注がれた牛乳をグイッと呷る彼女を見て、オッサンくせぇことだと思った。腰の曲げ具合や腕の角度、どれをとっても立派なオジサンムーブである。最後の可愛らしい「けぷッ」というゲップだけは評価してやろう。

 

「ちょっと、何にやにやしているのよ」

 

 少々恥ずかしそうな顔でこちらを睨む雪乃君を無視すると、私はテレビデッキの下を漁る。

 

「無視するとはいい度胸ね。そんな悪い子は足蹴にしてやるわ」

 

 ソファから落ちないようにピンと足を張って、私の背中をゲシゲシと蹴る雪乃君。しかしながら全然痛くないので、気にもならない。微笑ましいだけだ。

 

「私の背中の蹴り心地はいかがかね」

 

「最高よ」

 

 そんなに良いなら延々に蹴っていたまへ。と言いたいところだが、そろそろやめてもらわねばならぬ。

 

「心苦しいのだが、蹴るのをやめていただけないだろうか」

 

「あら、音を上げるの。負けを認めるのね?」

 

「いや違うが」

 

 私は君とゲームをしようと思ったのだ。デッキの収納から、私はそれを取り出す。

 

「何よそれ」

 

「ゲームボーイアドバンスさ・・・」

 

 したり顔で言ってやった。気持ちがいい。

 

「つまり携帯ゲーム機、というやつね」

 

「そうだね」

 

「それで一体何をするというのよ」

 

「うん、これだよ」

 

 私の手には、赤と緑のカセットが一本ずつ。

 

「それは・・・」

 

「ポケモン」

 

 正確には、『ポケットモンスター ファイアレッド/リーフグリーン』である。2004 年1月に満を持して発売された、ゲームボーイアドバンス専用ソフトだ(SP でも出来る)。私がこのソフトを家で発見したのが一月ほど前。そこから両ソフトでコツコツとポケモンのレベル上げをし、雪乃君と通信対戦でもしようと思っていたのである。

 

「いいじゃない、やりましょう」

 

 雪乃君は私のその提案を快く受け入れて、対戦間際にこう言った。

 

「今度も私の勝ちでしょうけどね」

 

 

 

「俺の勝ち!何で負けたか明日までに考えといてください!」

 

「グギギーーーッ!」

 

 結果、私は勝利した。今まで雪乃君との勝負事では散々敗北してきた私だが、ようやく勝利を手にすることが出来た。

 

 しかしそれは当然の結果だと言える。

 

 両方のソフトに入っているポケモンは、私が一から育てたものだ。つまりは各ポケモンの弱点を全て熟知しているということ。それに加えて、雪乃君に与えたソフトに集めたポケモンは、私の使ったソフトに入っているポケモンに対して相性が抜群に悪くなるよう振り分けてあったのである。これで勝てない奴はいない。

 

 そう、全ては私が勝つために仕組んだことなのだ。

 

「この私がこれほどの屈辱を味わうことになるとは・・・許せないわ」

 

 怒った雪乃君は、鬼気迫る表情で私からソフトを奪い取ると、自身のソフトと差し替えた。

 

「さあ、もう一戦しましょ」

 

 私は惨敗した。

 

♦♦♦

 

 満面の笑顔で私を嘲笑った後、雪乃君は帰っていった。最近はリムジンで帰らず、自分の足で歩いて帰るようにしているという。親に対する反抗心からなのか、単に健康志向なのか。ともかく悪い事ではないだろう。

 

「ちくしょう、まさか私の完璧な戦法を見破り、しかも勝利するとは・・・何という奴だ」

 

 爪を齧って悔しがるポーズをした私は、自室に戻る。

 

「今度はデジモンで再戦するから」

 

 学習机の引き出しから一つのゲーム機を取り出した私は、それの電源ボタンを押した。

 



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第十話 ぶっこわせ!

「あなた達を、脅迫罪と器物損壊罪で訴えます」

 

 雪ノ下雪乃は毅然とした態度で言い放った。

 

 彼女の前には、25名のクラスメイトが座っている。彼らは彼女の言った言葉が理解できぬほど子供ではない。故に彼らはその言葉にざわめいて、いくつかの者はゾッとした顔をしていた。そしてそれは彼女の横でその様子を見守っていた教師も例外ではなく、その目は見開かれていた。教師は何とかこの場を収めなければと、口を開いて彼女に問う。

 

「・・・あの、雪ノ下さん?それって」

 

「理由はもちろん、おわかりですね?あなたたちが私の私物などを破壊し、さらには脅迫行為を行ったからです!覚悟の準備をしておいて下さい。ちかいうちに訴えます。裁判も起こします。裁判所にも問答無用できてもらいます。慰謝料の準備もしておいて下さい!貴方たちは犯罪者です!少年院にぶち込まれる楽しみにしておいて下さい!いいですね!・・・つまりは、そういうことです」

 

 教師は眼前の少女の言葉を理解出来なかった。否、したくなかった。自身も雪ノ下雪乃が虐められているのを知っていたし、それを黙認してもいた。

 

 しかし、しかしだ、それは彼女が自ら相談してきたりとか、そういうことを一切してこなかったからだ。子供というのは好奇心が強く、倫理観が欠如しているから、一見過激に見える行為も遊びの一環である可能性がある。だから今回もそうなのだろう、そう楽観視していたのだ。

 

「まて、まって、それはいけない」

 

「何故です?」

 

「それはッ・・・」

 

 答えようとして、教師は言葉に詰まった。雪ノ下雪乃が、本気で何がいけないのかわからない、そんな顔をしていたからである。

 

「私はどんな行為にも報いがあって然るべきだと思います。努力したのならば相応の結果を。他人を害するならば、その者にも害を。因果応報、この世の常です。だって、そうでなければおかしいでしょう?」

 

「そうかもしれないが、しかし」

 

「ああ、もしかして先生は自身のキャリアを危ぶんでいらっしゃる?それならばご安心を。私は傍観者如きに罪を求めませんし、何よりそこまで暇ではありませんので」

 

 君が本当にクラスの人間を訴えるというのなら、このクラスの担任である私も結果としてキャリアに傷を負うことになるが・・・問題はそこではない。それはそれで問題であるが、そうじゃない。教師は思って、意を決すると彼女を諭すべく言う。

 

「あのな、彼らは子供なんだ。まだ未来があるし、そんな中こうして君に訴えられて、経歴にバツが付いてみろ、ことだぞ。将来就職が難しくなるかもしれないし、進学だって・・・」

 

 

「そんなこと私の知ったことではありません」

 

 

 教師の説得は無惨に失敗し、何も言えずに黙り込んだ。

 

「彼らは悪事を働いて、その報いを受ける。たったそれだけのことなのに、何故そこで感情論が出てくるのですか?そもそも感情論で語るならば、ますます私は彼らを訴える必要がありますね。私は彼らをクラスメイトなどという仲間意識で見ていませんし、どちらかと言えばゴミ同然だと思っています。あるのは憎悪の感情だけで、今すぐにでも縊り殺してやりたいわけです。それを正当に法律に則って、正規の手段を持ってして訴えるだけにとどめるのですから、考えようによっては随分と優しく見えるハズですが、いかがでしょう?」

 

 圧倒的論理!小学生とは思えぬ恐ろしき思考回路!まさしく中二病の権化!しかし世に言う中二病の実現性の乏しい妄言とは違い、雪ノ下雪乃はその言葉をそのまま実現することのできる立場と、親のものではあるが財を持っていた。彼女が本気になれば彼ら少年少女を社会的に抹殺することも不可能ではないのだ。

 賢しい彼らはそのことを悟り、青ざめる。彼女を止めることのできる者、あるいは刃向かおうとする者は最早誰もいなかった・・・・・・かに思われた。

 

「今すぐその発言を削除してくれ・・」

 

 静寂を破って声を上げたその少年は、地毛なのか怪しい金髪を揺らして、悠然と立ち上がった。

 

「・・・何でしょうか、葉山さん」

 

 彼の名は葉山隼人。小学生に似つかわしくない甘いフェイスと、ある程度優れた頭脳を持ち合わせた麒麟児である。

 

 そんな彼は、雪ノ下雪乃の幼なじみであった。

 

「君は自分で自分を騙している。もしかしたら、自作自演なのか!?君のやっていることは!」

 

 彼は雪ノ下雪乃が同級生からいじめ行為を受けて苦しんでいたことを知らなかったのである。故に、いつも仲良くしていたクラスメイトがそんな行為をしていたことなど信じられなかったし、信じたくなかった。そこで彼は、彼女が嘘をついていると思うことにしたのだ。

 

「葉山さん、あなたは何もわかってらっしゃらないようね」

 

 しかし、いじめは実在した。葉山隼人の周囲で行われていなかっただけであり、彼の目の届かないところで、いじめは行われ続けていたのだ。

 

「そんなはずはない!」

 

 雪ノ下からその事実を突きつけられるも、彼はいじめグループを信じる道を選んだ。なぜならば彼らは葉山の良き友人であり、仲間であったからだ。幼なじみとはいえ、そこまで親交のなかった少女を信じられる人間など存在し得ないのだから、当然である。

 

「あなたが信じようと信じまいと、こちらには関係のない話なのですが・・・しかたありません、証拠の一端をお見せしましょう」

 

 そう言って彼女は、そばに控えさせていた執事にプロジェクターを用意させて、一つの動画を黒板に投映した。

 

 

『あいつってぇ、むかつくぅ』

 

 その言葉から始まった動画は、三人の少女を映し出す。少女らは顔に純粋などす黒い笑顔を浮かべて楽しそうだ。

 

『そうそう、あいつってば何されても泣きもしないんだもん、ホントむかつく』

 

『じゃあさ、今度はあいつの鞄に猫の死体入れてやろうよ』

 

『えぇ~それはドン引きなんですけどぉ~』

 

『ちょうどウチの猫が死んでさぁ、なんかだんだん臭くなってきたから、捨てようと思ってたんだよねぇ』

 

『さすがユリパコ、やることが悪辣ゥ!』

 

『あはっ!』

 

 画面は暗転。

 

『うわッ、まじクッサ!汚い!』

 

『うきゃーっ、ホントに腐ってんじゃんこれぇ!』

 

 少女らは黒い鞄を囲んで、ビニール袋に入ったモノを手に取る。それは強烈な腐敗臭を放っていた。

 

『まあまあ、そう叫びなすんなって、ウチに任せときなよ』

 

 少女らにユリパコと呼ばれていた彼女は、自身の手にゴム手袋をはめると、ビニール袋に手を突っ込んでズルリとそれを引き抜いた。

 

 それは、死体であった。

 

 何の死体か判別が難しいほど腐敗し、肉は溶け、その体毛は所々抜け落ちていた。

 

『じゃじゃ~ん、ウチの猫で~す』

 

『いやいや、猫で~す、じゃないって』

 

『さっさと済ませちゃってよ、クサすぎッ』

 

 ユリパコの弁によれば猫であるそれは、床ずれによるものなのか前足の筋繊維をむき出しにして、体液と体毛をボトボトと落としながらこちらを見ていた。

 

『あっ、目玉落ちゃった』

 

 画面の外で、誰かが吐いた音がした。

 

『あーあ、汚いなぁ』

 

『きもい』

 

『しかたないじゃんか、落ちちゃったんだもん』

 

 彼女は他二人からの責めを躱して、囲んでいた鞄の蓋を開ける。

 

『バイビーあきちゃん、達者でやれよ』

 

 そして、鞄の中に死体は押し込まれる。

 

 動画はそこで終わった。

 

 

 顔面蒼白。残念ながら犯罪にはならないが、もうこの動画の上映が何らかの罪に問われるだろう阿鼻叫喚。ユリパコが泣いて、8人くらい教室からいなくなった。教師は床におがくずを撒いている。

 

 葉山は項垂れて、気分が悪そうにつぶやいた。

 

「わかった、わかったよ・・・でも、やり過ぎだ・・・」

 

 ごもっともである。

 

 しかし雪ノ下雪乃は鼻を鳴らして、こんなことを言った。

 

「あっそうだ、裁判の弁護士はあなたのお父さんにしてもらうことにするわ」

 

 その一言に呆然となった葉山は、そのまま彼女が教室から去るまで微動だにできなかった。

 

 

♦♦♦

 

 

「いや、やり過ぎだよ」

 

 葉山君じゃないけど、私だってそう思うし、そう言いたくもなる。中二病だってそんなことしないよ、きみは無敵か。

 私は一仕事終えたフェイスの雪乃君から聞かされた話にドン引きしていた。

 

「そうね・・・反省はしているわ」

 

「ちなみに後悔は?」

 

「してないわね」

 

「はあ・・・」

 

 ため息を吐くほかなかった。

 

 この前「仕返しの準備はしている」とは聞いたが、まさかここまでするとは。そりゃあ「好きにやればいいよ」なんて背中を押してしまった私の言えることではないが。

 

 彼女がやってきたことをまとめると、「お前を訴える」と宣言して、ちょっと証拠を見せてきただけなのだが、見せる証拠はもっと他にあっただろ。何で突然グロ動画を見せるねん。きみ頭おかしいねん。いじめに加担してなかった子もいたやろ。かわいそうだとは思わんのか。

 

「いえ、全然」

 

 アカン、怒りで倫理観がぶっ飛んでるぅ~↑ちょっと冷静になりましょって。

 

 怒り心頭に「あいつらの人生めちゃくちゃにしたる!」と息巻く雪乃君を正気に戻すため、私は一先ず諭してみることにした。

 

「雪乃君、君は今すこしおかしい」

 

「何ですって」

 

「君がいじめの仕返しをするというのは当然の権利だ、認めよう。しかしだね、そのやり方は何というか、私の悪いところをマネしているようでならない」

 

 そうだ。雪乃君が今回したことというのは、私が雪ノ下母に対してやったことと同じだ。

 おそらくは、雪乃君は私をマネしたのだ。彼女は争いごとを知らなかったのだろう。そして、唯一参考にできたのが私が彼女の母を責め立てたあの現場だったのだ。

 

 しかし私はそれをやってよかったとは思わないし、その場の勢いに流されてヒドいことをしてしまったと後悔していた。だからそんなことを雪乃君にやってほしくはなかったし、彼女に悪影響を与えてしまった自分に嫌気がさした。

 

「マネって、わたしがあなたのマネを?」

 

「そう、君は私を真似たんだ。しかしね、それは良くないことだ。私は私のしたことが正しいとは思わない」

 

「そんな、あれはッ、あなたは母の考えを変えてくれたじゃない。わたしは救われたわ」

 

「そうかもしれない。けど、雪乃君の母君だって苦しんでいたし、そんな人を傷つけたのはやはり、悪いことだよ」

 

「・・・」

 

「だから、君のやったことは正しいけど、悪いことだ。もっと他にやりようがあったはずで、その選択をしてしまったのはおかしなことなんだ。きみも私も、自分の正義に酔っていたんだよ」

 

「そう・・・でも、正しいんでしょ?なら、いいじゃない」

 

「雪乃君には多分、まだわからないよ。でもそのうちわかるようになるから、今はもう、こんなことをしてくれるなよ」

 

「・・・わかったわよ。でも、今回の事はもう引き下がれないわ。あそこまでしたんですもの、裁判はするわ、確実に」

 

「それは・・・まあ、いいよ。裁判を否定しているわけじゃないし」

 

「ええ」

 

 微妙な空気になってしまった。気まずい。言わなきゃあ良かったか、いや、言わなければならなかった。彼女に私の様になっては欲しくないから。

 ああ、クソ。今日はダメだ。彼女には悪いが、もう帰ってもらおう。

 

 と、その時である。彼女は自身のカバンからGBA(ゲームボーイアドバンス)を取り出した。

 

「わたし、あなたのと遊ぶために買ったわ。ね、反省したから遊びましょうよ。そうしなきゃ今日は帰らないわ」

 

 まったく、雪乃君ってばどうしようもない奴だな。しょうがない、遊ぶよ、遊びゃあいいんだろ。

 

♦♦♦

 

 自己嫌悪。君にそんなことをさせた自分に、だ。でも君は私のそんな気を知ってか知らずか、元気づけようだなんて。ホント君はどうしようもない奴だよ。自己嫌悪。

 

(日記より抜粋)

 




久しぶりに書きました。


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第十一話 冥土を惑う

短めです


 父さんはゴリラだ。

 

 ガタイの良い体に、生えるがままにされたすね毛。口髭だけはやたらと綺麗に整えてあったが、それ以外はすね毛と同じような感じ。

 

 顔は角ばって、厳つい。まさしくゴリラだ。

 

 母さんも父さんを『クソゴリラ』と呼んでいたから、間違いない。

 

 そんな父さんはよく分からない人である。何の仕事をしているのか、話を聞いても分からない。ゲシュタポの一員であると答えたこともあったし、魔法使いなのだと言ったこともあった。この前会ったときはゲルショッカーの構成員だと言っていた。

 

 父は自分の職業を嘯いて決して明かさず、いつの間にか病院のベッドの中に居た。

 

 

「父さん、私だよ」

 

 

 白いカーテンの揺れる、病室の一角。そこに置かれたベッドの上で、父は本を読んでいた。

 

「おお、お前か」

 

 そう言って顔を上げた父の顔は、不健康そうに痩せていた。それでも相変わらず、口髭だけは揃っている。

 

「母さんがお冠だったけど、今度は何したの」

 

 私の疑問に、バツの悪そうな顔をして父は答える。

 

「ああ、まあ、ちょっとな」

 

「要領を得ないな」

 

 はぐらかすなよ。あんたにぞっこんな母があんな風に怒るなんざ、絶対に何かやったろう。

 

 

「俺、死ぬらしいんだわ」

 

 

 父の言った言葉を、私は理解して、何と返すべきかわからなかった。

 

「はあ」

 

 だから気の抜けた声だけ出した。何か言わなければと思ったのだ。

 

「どうにも癌、それも末期なんだと。それを言ったらさ、母さん泣いちゃってさ」

 

「治らんのか」

 

「無理だろう、無理。わかんだもん、俺はもう死ぬんだなと」

 

 そうなのか。父さんは死ぬのか。

 

 不思議と涙は出なかった。それは自分が、ホントの意味でこの人の息子じゃないからなのかもしれない。この体になってから、私がこの人と面を合わせた回数は5回。電話越しに喋ったのが8回。圧倒的に思い出が少ないから、なのかも。

 

 私は薄情なのだろうか。

 

 馬鹿だよな。せっかく新築を建てたくせに、自分で住むことは終ぞなかったことになる。

 

 

「死ぬ前に、ちょっと頼みたいことがあるんだ」

 

 

 父さんは言った。

 

 こんな他人同然の私に、一つ頼みごとをして死んだ。

 

 いろんなものを残して死んだ。

 

 遺骨、仕事着、食器、アパートの鍵、いっぱい。

 

 母さんは泣いた。

 

 私はやっぱり泣かなかった。

 

 うだるような夏、父さんは死んだ。

 

「パパ」

 

 家に備え付けられた仏壇に縋る、一人の少女。幼い私よりずっと幼い、儚げな少女。父さんの子供で、私の妹。

 

 彼女は、父さんが残していったものだ。ついでに父さんが私に頼んだことでもある。

 

「今まで言えなかったが、俺ぁ、ガキを一人預かってる。そいつと仲良くしてやってくれないか」

 

 息子にこんなこと頼むなんて、父親失格だよなぁ!

 

 父さんは笑って言った。

 

 なんだよ、お前、母さんと碌に会ってやらないで、そんなことしてたのかよ。

 

 苛立った。

 

「パパ、パパ、おっきしてぇ」

 

 苛立った。

 

「にい、パパおきない」

 

 苛立った。

 

「私は、君の兄では・・・」

 

 だから、少女に現実を突きつけてやろうと思った。そうすれば、この気持ちも晴れるのではないかと。

 

 でも出来なかった。

 

 不安げな顔だった。

 

 父さんが死んだことさえ、この少女は理解していなかった。立てかけられた遺影から、父さんが起きてくるのだろうと思っているようだった。無垢な顔。

 

 ダメだ、こんなの、壊せない。

 

 寂しいね。

 

「いや、私は君の兄なのだ。そういうことになったのだ。気にするな、父さんはちょっと遠くに行っただけさ」

 

 父さん、悔しいけど、仲良くするよ。家族になるよ。

 

「さ、ご飯の時間だ。母さんが待ってるよ」

 

「うん」

 

 

♦♦♦

 

 

「って、ことがあったんだ」

 

「そう」

 

 雪ノ下雪乃は興味なさげに呟いた。

 

「なんだよ、雪乃君。もうちょっと反応してくれたっていいのに」

 

 白いワンピース姿の彼女は、チューペットを齧りながらテレビ画面に食い入っていた。

 

「もしかして、ここ一週間遊べなくてムカついてるとか、そういう?」

 

 チューペットのポリエチレン容器をこちらに投げ付ける雪乃君。どうやら図星らしい。

 

「悪かったよ、でも仕方ないだろう?片付けとか、いろいろあったんだよ」

 

 私の言葉にゆっくり振り向いた彼女は、バツが悪そうな顔をして言う。

 

「・・・わかってるわよ、そんなの。でも連絡してくれたって・・・いえ、ごめんなさい。今日はあなたの顔を見に来ただけ。元気にしてるかと思って」

 

「私は元気さ、モリモリ元気。しょげちゃってんのは母さんと、そこの天使ちゃんだけさ」

 

 私の視線の先には、すやすやと寝息をたてて眠る少女の姿が。彼女は我が父の置き土産にして、我が妹。血は繋がっちゃいないが、可愛い奴だ。今は遊び疲れてお昼寝タイムなのである。

 

「ああ、キモッ、キモイ!あなたね、自分の妹にそんなッ、天使ちゃんだなんて、反吐が出る!」

 

「ひどいなぁ、他意は無いのに」

 

 雪乃君はどうにも、自分の姉の事を思い出してしまったらしい。身震いしてやがる。

 

「雪乃君はさ、そろそろお姉さんと仲直りしたらどうだい」

 

「嫌よ、絶対にイヤ!あの人、私の写真を部屋中に貼るのよ!?しかも何度剥がしても!」

 

 それはご愁傷様。せいぜい仲良くやってくれ。

 

「だからね、私、その子のことが心配なのよ。あなたみたいなムッツリスケベと一つ屋根の下、何も起きないはずがなく・・・」

 

「変な妄想はやめてくれ、私がこんな超天使に卑猥なことをするなどあり得ない!」

 

「ああ嫌!そのセリフがもう厭らしいわ!耳が妊娠する!」

 

 不潔よ!私もう帰る!

 

 彼女はそう言うが早いが、荷物を纏めて帰っていった。

 

 まったく、雪乃君も心配性がすぎるぜ。私がそんな非人道的なことするわけないのに。

 

「さてと、天使ちゃん、ベッドに行きましょうねぇ」

 

 こんなソファでかわいいかわいい天使ちゃんを寝かせておくわけにはいかない。風邪をひいてしまうかもしれない!私は急いで妹を抱え上げると、そのまま二階の寝室に向かった。

 

「いいね、その寝顔。かわいいね」

 

「おい息子、何やってる」

 

「写真にとるよ、うふふふふ」

 

「こら、その気持ちの悪い薄ら笑いを止めろ」

 

「うふふ、かわいい、うふふふ」

 

「話聞けこのバカもん」

 

 頭蓋に衝撃!私は痛みにのた打ち回る。ついでにカメラが落ちた。

 

「うあーーーッ、私の一眼レフゥウウウ!!!!」

 

 泣いた。

 

 顔を上げたら母の姿。

 

「あら、帰っていらしたんですか母さん」

 

「帰ってたよ息子」

 

「えへへ、これはその、記念撮影・・・」

 

「そうか、そう・・・ずいぶんと気持ち悪くなっちまったなァ、息子よ」

 

 うーん。母さんにまでそう言われるとは、心外な。

 

「そう言う母さんだって、マイシスターをなでなでしまくってたじゃないか。しかも匂いまで嗅いでた!」

 

「あれは親愛のスキンシップだ。お前とは違う」

 

「ムキーーーーッ!わたくし憤慨!」

 

 ああいえば、上祐。ふざけやがって。同じムジナの穴だろうが、認めろ!

 

「勝手に憤慨してな。あとお前はこの部屋から出てけ!」

 

 首根っこを掴まれて、私は部屋から追い出された。ああ無情!せめてカメラだけでも回収させてくれ!

 

 バタンッ

 

 勢いよく閉められた扉、私は冷たい廊下の上。実はあの部屋、マザーの部屋なのよね。そりゃ勝手に部屋に入られたら誰だって怒るよ。私だって怒る。

 でも畜生、羨ましい・・・!天使ちゃんを独り占めできるなんて、母親としての職権を乱用している、間違いない!

 

 

『・・・んで・・・あ・・・くぅ・・・』

 

 

 閉ざされた向こうから、すすり泣く声。

 

 あのカメラ、父さんのだったもんな。中身は母さんと、私と、そのまんま。見ちゃだめだよ母さん。悲しくなってしまう。妹のそばで泣かないでくれよ。いつもの勝気でいてくれよ。

 

 私はいたたまれなくなって、その場からそっと離れた。

 

 こればっかりは、私に出来ることはない。時間が解決してくれるのを願うほかない。しょうがないんだ。みんな悲しいんだ。

 

 私は、私は・・・悲しいけど、そうでもないな。

 

 結局私は他人か。

 

 母さんは今、冥土を惑っている。父さんの面影を探して歩く亡霊だ。心を冥土に惑わせて、ふらふらふらふら、見てられないよ。

 

 ああ、早く立ち直ってくれないかなあ。

 

 

♦♦♦

 

 

 わかってたけど、所詮私は偽物ってことだ。しかしそれは客観的に見て偽物ってだけで、自分自身は自分を本物だと思ってる。信じてる。それは今も変わらない。

 だけど、一緒になって悲しめないのは、やっぱり私が偽物だからだろうか・・・そう思うと、本物に焦がれる気持ちも分からなくはない。羨ましいよ、ほんと。

 

(日記より抜粋)

 




https://syosetu.org/novel/218375/
久しぶりに書いたけど笑えるくらい伸びなかったので宣伝します。SAOです。上記URLから飛べます。

※追記
矛盾する文があったので、該当箇所を削除しました。


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第十二話 楽しい日曜日

 にーたやおさんぽするよ ままにーぽっぽーたのしいよ

 

(日記より抜粋)

 

 

♦♦♦

 

 

 初めて散歩をした。

 

 勿論、以前は沢山したが、この世界ではそう、初めてだ。

 

 お出かけ、じゃなくて散歩。雪乃君と出かけはしたが、あれは散歩ではないな。目的があるモノを散歩とは言わんよ。散歩って、春の陽気に包まれて、土手の上を歩くんだ。桜があって、川があって、小鳥が囀ってる。それが私の散歩だった。

 

 けど、まあ、夏の日差しにさらされて散歩するのも悪くない。

 

「ママーッ、見てザリガニィーーッ!」

 

「おい、そんなものを持って走るな」

 

 妹が走って、母さんが笑った。父さんがこの光景に混じることが出来ないのを、私は「ざまあみろ」と思う。勝手に死んで母さんと妹を困らせて、それ相応の罰ってもんだ。残念だね父さん、これは私だけの思い出だ。

 

「楽しそうね」

 

 私の隣で歩く雪乃君は言った。

 

「まあね、存外楽しい」

 

 私は答える。

 

「何もないわね、ここは」

 

「そこがいいんじゃないか」

 

 まったく、風情の分からん奴は嫌われるぜ雪乃君。

 

 家族水入らずで散歩だというのに、家の玄関まで出たところで君が来てしまうからイケナイのだ。間の悪い女だよホント。「遊んでくれないのか」みたいな顔をするものだから、つい連れてきてしまったではないか。散歩の良さがわからんなら、失せろ。

 

「でもあなた、風情がどうたらとか、思ってないでしょ」

 

 何を言う。

 

「ちょっとそのカメラ見せなさいよ」

 

 あ、コラ。私の一眼レフを返しなさい。

 

「うわッ、やっぱり妹さんの写真ばっかり。これが目当てだったのね・・・」

 

 ちょっと、誤解を生むようなことを言うな。私は欠けた父親役兼兄としての責務を全うすべく、このようにして家族写真を撮っているだけであって、決してその、コレクションするためではない。

 

「ふーん、どうだか」

 

「疑うのは勝手だけど、私だってそろそろ傷つくぞ」

 

 ホントは硝子の心なんだぜ。

 

「あら、ごめんなさい?いつでも余裕綽々でふてぶてしい、心臓に毛が生えたような変態だと思っていたものだから、つい」

 

「雪乃君の中で私がどういう評価なのか、よーくわかったよ」

 

 はあ、と嘆息。

 

 母さんと妹がこちらに微笑んで手を振っている。どうもあそこで昼飯を食べるらしい。

 そこは丁度木陰のある広場で、彼女らはすでにビニールシートを敷いたりして、準備万端整った様子だ。

 

「今行くよ」

 

 私はそうやって母さんらに返事をすると、雪乃君の手を引いて広場に向かう。

 

「恥ずかしいのだけれど」

 

 それはどうやら手を握られていることに対して述べた言葉のようだ。

 

「ああ、ごめん。いつも妹にやっているものだから」

 

「そういうお兄ちゃんアピールは素直に気持ち悪いわよ」

 

 顔を顰めて苦言を呈する雪乃君に謝り、私は手を離す。

 

 母さんと妹の待っていたところまで行くと、私はビニールシートの上に置かれたバスケットの中身を知った。

 

「今日はサンドイッチなんだ」

 

「そうなのだよ、にいた」

 

 妹が私の言葉にそう返した。

 

「妹は言葉が流暢で偉いな~、賢い」

 

 可愛いので褒めてやる。

 

「わたしかしこい」

 

 こら雪乃君、何故私の顔を見て唾を吐くんだ。ちょっとしたスキンシップじゃないか。

 

「あなたがお兄さんぶっているのを見ると、虫唾が走るのよ」

 

 そんな理不尽な。

 

 それから昼食を食べて、また一時間くらい散歩をした後私たちは帰路についた。雪乃君は妹に「あの男は変態だから気をつけなさい」と言い残して走って行った。君が元気そうで私はうれしいよ。

 

 ちなみにサンドイッチは大変おいしかったです。

 

 




大学入学までの暇つぶしで書き始めた本作を読んでくださりありがとうございます。本当はサッサと終わらせる予定でしたが、何故か連載が続いてしまっています。果たして完結できるのか。

ここで一つ謝辞を。いつも誤字報告ありがとうございます。一通り目は通させてもらっています。

今回は生存報告みたいなもんなので短めです。多分6月くらいにまた更新します。これからもどうぞよろしく。


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中学生編
第十三話 去る雪ノ下、来る比企谷


 結論から言うと、雪乃君は渡英することになった。

 

 彼女を虐めていたグループを相手取った裁判は、実際には行われることはなかった。あれだけクラスの人間の恐怖を煽ったのは、ただの脅しであったらしい。弁護士を挟んだ話し合いの末、加害者側が示談金を払うということで着地したようである。

 またこの事が公に報じられるようなことも無く、世間的には何もなかったことになっている。しかし、だからといって雪乃君がこれからも同じ学校に居続けるのは居心地が悪い。虐めてきた奴と一緒の空間に一秒でも居たいかと言えば、否だろう。

 故に、ほとぼりが冷めるまで、子細に言うならば、雪乃君が高校に上がって、新たな交友関係を築ける土壌が出来るようになるまで、エゲレスに留学しようということになった。

 

「じゃあ、そういうことだから」

 

「はあ」

 

 私と雪乃君が最後にした会話は、そんな感じだった。友達に対する別れの言葉として、それはいかがなものだろうか。私は密かに憤慨した。しかしその後も、毎日何通かEメールで連絡を取り合っているので、許す。

 

 

―――――――――――――――――――――

 

 from 雪ノ下

 

 今日の朝食。

 おいしい。

 

 添付画像(目玉焼きとソーセージとパン)

 

―――――――――――――――――――――

 

 上記が今朝雪乃君から送られてきたメールの内容である。何故このようなくだらない内容を毎日送り続けることが出来るのか、心底不思議である。しかもこれをかれこれ三年間、欠かさずだ。でも、それで満足ならOKです。

 

 私は聖母のような慈愛に満ちた笑みでそのメールを眺める。その様子を愛しの妹からは「ゲロキモイよ兄ちゃん」と罵倒されるが、かまうものか。私は我が道を行くのだ。

 

 それはそうと、今日は記念すべき日である。

 

 人生二度目のジュニアハイスクール(ネイティブ)・・・即ち中学校の入学日なのだ。

 

 私は勢いよく学ランを羽織ると、自転車にまたがって、意気揚々と走り出す!待っていろよ中学校!我が圧倒的頭脳を見せてくれようぞ!!!!

 

「フゥーーーゥハハハハハハ!!!!私は最強だ!!!!」

 

 人生二度目の中二病の到来であった。

 

 

♦♦♦

 

 

「ハァアアアアアアチマンンンンンン!!!!」

 

 私は激怒した。必ず、かの根暗帝王を除かなければならぬと決意した。私には中学生がわからぬ。私にとってそれは、過ぎ去った昔のことであるからだ。だから我が友人、比企谷 八幡の薄気味悪い所作の意味も、気持ちも、推測するほか無い。しかし、どのような理由があろうとも、友人である私を放って屋上で昼飯を食おうなどと、そのようなことが許されるはずもない!断じて!

 

「オッホなにすんだお前、やめろ馬鹿!」

 

 我が渾身のくすぐり攻撃にうずくまった八幡は、悶えながらそう言った。

 

「貴様が私を放置し、斯様な場所で孤独極まる昼餉をとろうとするから悪いのだ」

 

「えッ、何その口調、気持ち悪・・・」

 

 私の口調に普通にドン引きした八幡は、いつもの死んだ魚のような目を八割増しにしてこちらに向ける。ごめんね。でも私だって傷ついたんだから!何よ、気持ち悪いだなんて、失礼しちゃうわね!ぷんぷん!

 

「そもそも、俺とお前は友達なんかじゃねーよ。仮に友達だったとしても、弁当を何処で食おうかなんて、俺の勝手だ」

 

「んもう、いけずぅ!」

 

「おえッ」

 

 嘔吐く八幡。ソレを見て笑う私。中学入学以来六ヶ月、毎日のように繰り広げられている光景だ。

 

 そんな彼と私の出会いは至って平凡なものであった。入学式後のクラス分けで、ちょうど同じクラスになって、偶然にも私の後ろの席が、彼のものだったのである。そして驚くべきことに、最初に声をかけたのは彼の方からであった。そのとき私は雪ノ下ロスに苛まれていて、夜しか眠れぬ生活を送っていた。そのため心身ともにネガティブとなっていて、誰かに話しかけられるというのを想定していなかったし、こちらから話しかけることも考えていなかったのである。なので私は驚き焦り、彼の顔を見てこう言った。

 

「きみ、人相悪くね?」

 

 その後、どれだけこちらが謝ろうとも、「お前なんか友達じゃないし、許さない」の一点張り。頑なにその主張を曲げず、私の謝罪を受け入れないその姿勢を見て、私は段々と面白くなってきた。これは弄りがいのある奴だな、と。それは雪ノ下ロスに苦しまされていた私にとっては、非常に幸運なことであった。

 それからはことあるごとに八幡に絡むようになって、様々な方法で彼をおちょくるのが日課になった。彼がそのことをどう思っているのかは知らないが、憎からずは思っているのだろう。多分。ホントに嫌だったら、そんな笑顔にはならんハズだぜ。

 

 つまり私は弄って楽しくて、八幡は友達が出来て楽しくて、互いにwin-winってこと♡

 

「だから俺はお前の友達じゃないっつーの」

 

 意固地ねェ、諦めれば良いのに♡

 

「うるへー!」

 

 八幡はそう言い残すと、教室に帰っていった。ププッ、何だソレ、萌えキャラかよお前は。今時そんな捨て台詞言う奴いないぞ。

 

 私は非常に満足したので、少し昼寝をすることにした。今は秋だが、今日は日差しもあって、ちょうど良い昼寝日和なんだ。




投稿遅れてすまんこ


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第十四話 八幡、髪を切る

短め


「なあ、どうやったら女の子にモテるんだ?」

 

 ある日の午後、八幡が不意に尋ねてきた。

 

 突然なんだよ。珍しく自発的に話しかけてきたと思ったら、そんな話か。

 

「知らんよそんなこと。私が知りたいくらいだね」

 

「そうかぁ、そうだよなぁ」

 

 私の答えに溜息をついて、椅子の背にもたれて反り返る八幡。何だねその物憂い気な態度は。いよいよ根暗帝王から暗黒大魔神にジョブチェンジか?

 

「きみ、もしかして恋でもしてんの?」

 

 何となしに聞いてみた。

 

「いや、そういうわけではないんだが・・・」

 

「じゃあ、何だよ」

 

「最近さ、俺によく話しかけてくる子いんじゃん?」

 

「ああ、折本さんか」

 

 私の脳裏に浮かぶのは、快活で活発なクラスの人気者、茶髪ウーマンこと折本かおり女史の姿であった。彼女はとにかく活動的で、友達であろうがなかろうが、所構わず会話をする女子である。かく言う私も何度か彼女に話しかけられた経験があり、それはクラス一のボッチ、八幡も例外ではなかったというわけだ。八幡は捻くれてはいるが、どこか単純で絆されやすい奴である。おおかた折本女史に話しかけられて、妙に意識してしまったのであろう・・・「コイツもしかして俺に気があるんじゃないかな」なんて。チョロい、チョロすぎるぜ八幡。チョロすぎて腹が捩れるわ。しかしここで彼の妄想が終わるはずがない。妙な根暗思考をしている八幡は、先ほどの考えの後、こう思ったはずだ。「いやいや、折本サンが俺に気があるなんて、そんなハズ無いじゃない」と。そしてこう考えるのだ、「でも俺折本サンのこと好きかもしんねー!どうやったら女の子にモテっかなー」ってな感じにね。

 

「ぷぷぷ」

 

「おい」

 

 おっと、笑いが漏れてしまった。これは失敬。同士八幡よ、私はお前の恋路を見守っておるぞ。具体的なアドバイスは出来ないが、とりあえずお前はまず髪を切れ。

 

「どういうことだよソレ」

 

「髪が真横に伸びてる奴、お前が女ならどう思う?」

 

「キモい」

 

「だろう?」

 

「俺ちょっと髪切ってくるわ」

 

 

 次の日、八幡は坊主になった。

 

 

「八幡クンよぉ、何でそうなんの?誰が丸坊主にしてこいって言ったよ」

 

「いやだって、お前が髪切れって・・・」

 

「言ったけどさ、何でそんなツルツルにしちゃうの?馬鹿なの?ハゲなの?」

 

「ああ、ハゲだぞ」

 

「チクショウ殴りてぇ」

 

 軽口を言い合いながら、私は内心驚愕していた。万が一にも、八幡がハゲになるということなどが有り得るのか?いや、ない。それも自らの意思で坊主になるとは、到底信じがたい。何が原因でそんなスキンヘッドに?もしかしてウケ狙い?私を笑わせたいのか。それとも折本女史のリアクション待ち・・・?うーん、そうなのだとしたら、八幡、相当の馬鹿では?

 

 そんなワケないか、うん。

 

 私は、輝く八幡の額から目をそらす。これ以上奴の頭を見ていると、笑いを堪え切れそうにない。

 

「あっ」

 

 その時である。八幡の乙女チックなか細い声が私の耳に届いたのは。それと同時に教室の扉が開かれる。なんだなんだとその方を見やると、件の折本女史が居た。どうやら今登校してきたようである。彼女は教室を目で一巡すると、八幡を見つけてニヤリと笑った。

 

「ウホッ、八幡ッ頭ツルッパゲwwマジ受けなんだけどwwっはあーーっwあんたおもろいわぁマジで」

 

彼女はそうやって一通り笑うと、八幡の肩をバンバンと叩いて「あんたギャグのセンスあるよ」と言って自分の席の方へと去って行った。

 

「なあ、これって脈ありなんじゃね?」

 

「知るかバーカ」

 

 私はお前に幻滅だよ八幡。



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