アマイマスクの弟 (アマクマスイ)
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4年前

「に、兄さん、やめてくれ」

「何を言っている? これは指導だ! 喜べ!」

「バースト! ビュウトが泣いてるのが分からないの!」

「女は黙ってろ! これは男の問題だ!」

 

 バースト兄さんは生まれながらの天才。その屈強な身体は父さん譲りで、頭脳や超能力は母さん譲り。見た目もイケメン。対して、ビュウト兄さんは一般人より少し強い程度。2人の苦手分野を譲り合ってしまったらしい。見た目も言っては悪いけど不細工。ベーグル姉さんは中間くらい。僕? まあバースト兄さんと同じくらい才能はあると思うよ。でも年齢の差がね。

 

「おいボン、何を見ている? お前も連帯責任だ。腕立て100万回! 今日は寝させんぞ!」

「はいはい」

 

 100万回腕立て。僕の腕の長さが40cmとして、自由落下にかかる時間は、0.4=0.5*9.8*t^2だから、ええーっと、t = √(0.8/9.8) = √(4/49)=2/7、で凡そ0.286秒か。つまり100万回やると落下だけで28万6000秒かかる。時間に直すと約80時間。ふつうのやり方では寝ることもできないな。

 

「よっと」

 

 床を、指でつかんで、落ちる方に加速。そして上がる方にも加速。

 

「ふんふんふんふんふんふんふんふんふん」

 

 こうも早い動きだと、リズムが重要だ。少しでも乱れると姿勢が崩れてしまうし無駄に疲れてしまう。本当は無心でやりたい。だけど、数を数えるのにちょっとだけ意識を割かなくちゃいけないから。

 僕は視線でバースト兄さんを見る。

 

「ちっ。分かってるさ。数ぐらいは俺が数えてやる。ズルできんように監視する必要もあるしな」

 

 バースト兄さんは超能力があるので視線だけで理由を察してくれる。それに僕には少し甘い。だけど他の兄さんや姉さん、特にビュウト兄さんには厳しい。

 

「ビュウト! まーだ100回しか行ってないぞ! 何疲れてやがる! お前はそんなだから強くなれないんだ! もう100万回追加だ!」

「ぐ、ぐう。もう、無理だよ」

「バッキャろう!」

「ガハッ」

 

 ビュウト兄さんは、本気でやっていると思う。だけどバースト兄さんはそんなものは認めない。できないと諦めたらそこで終わってしまうが、そこで諦めず、その先を信じ続ける事で、壁を乗り越えられると信じているから。実際に、バースト兄さんはそうやって強くなってきたらしい。僕もバースト兄さんの修行で強くなった。だけどビュウト兄さんは、人間の壁を超えられていない。

 

 僕も人の心配ばかりしていられない。自分の腕立てに集中しなければ、リズムが乱れてしまう。できるだけ無心で、無意識で、流れに任せるように、かと言って情熱は失わずに、厳しさに負けないように、耐えていく。

 こうやっていると、時の流れが止まったような不思議な感じがする。この感覚は嫌いじゃない。むしろ好きだ。バースト兄さんの修行は、ビュウト兄さんやベーグル姉さんには不評だけど、僕のような人間からすると楽しい。

 

「おいボン、もう300万回超えてるぞ」

「え? あれ? そんなに?」

「ああ。寝させないつもりだったんだが、100万回は2時間で終わってしまったな。残り200万回を同じ2時間でやってしまったし、お前の成長スピードは俺も驚かされる。ひょっとしたら俺より強くなってしまうかもな」

「またまたあ。負けるなんて思ってない癖に」

「ふふふ。まあな。よし、お前はもう寝ていいぞ」

「うん。そうする。お休み」

「ああ。お休み。って、ビュウトォオオオオオオ! なーに休んでやがる! お前まだ1000回しか行ってないだろうがよォオオオオ!」

「ぎゃああああ!」

 

 兄さんの怒声と悲鳴を尻目に、僕は自分の部屋に戻る。時間があるから勉強でもしておこうかな。勉強しないと父さん怒るからなあ。兄さんも恐いけど父さんはもっと恐い。

 とりあえずセンター試験問題集でも解こうかな。

 

「ただいま」

 

 と、その父さんが帰ってきた。いつもより早かったな。残業がすぐに終わったのだろう。

 

「お帰りなさい! お父さん!」

「バースト。またやったのか。ほどほどにしておけとあれほど言ったのに」

「しかし父さん、このままではビュウトは弱いままだ。自分の力で脅威に勝つ、父さんがいつも言っていることじゃないか。だから俺は長男として弟達を鍛えようと」

「お前の指導はビュウトに合っていない。修行はいいから教育の勉強でもしておけ。大丈夫か、ビュウト」

「と、父さん。ありがとう」

「父さん! そうじゃない! ちっ」

 

 兄さんは強いけど、父さんには逆らえない。それほど隔絶した差がある。まあ単に強いってだけじゃなくて、人間的にも尊敬しているしね。だけど、その父さんが言っても、兄さんは自分のやり方を変えようとはしない。理由はよく分からないな。どうして厳しい修行に拘っているんだろう? 僕らの中では弱くとも、一般の人と比べたらビュウト兄さんも十分強い。それでも強くならないといけないような敵が、本当にいるのかな?

 

 翌日、ムッとした圧力を感じて目覚めると、姉さんが上に乗っていた。

 

「早く起きなさい。父さんに怒られるよ」

「分かってるよ。はあ」

 

 今はまだ7時。学校は8時から。本当はギリギリまで寝ても間に合うのに。

 

「30分前行動だ。そのためには今から朝食を食べないと間に合わない。いつも言っているだろう」

「分かってるよ」

 

 僕なら1分もせず食べられるし、服も着替えられるし、学校まで移動できるけど、父さんはしっかり噛んで食べないと怒るし、歩いて登校しないと怒る。それがふつうだからだってさ。よく分からない拘りだ。まあ、姉さんの料理はおいしいから、よく噛んで食べるってのには同意してもいいけどね。

 

 と、兄さん達が朝のランニングから帰ってきた。僕も来年から中学校に入るとあれをやらされるらしい。憂鬱だ。修行は楽しくても睡眠時間がね。

 

「ぜえ、ぜえ、ぜえ」

「ちっ、たった10kmしか走ってないのにすぐ疲れやがって。ほら、朝飯食えよ。終わったら腹筋背筋スクワット100回ずつな」

「は、はい! ぜえ、ぜえ」

 

 あれ? 常識的な数字だな。昨日反発していたから、ちょっとは厳しめに行くのかと思ったけど。

 

「じゃ、私、高校の部活があるから」

「ああ、行ってらっしゃい」

「俺もジムに行ってくる。今日は体験希望者が五人もいるからな。ピカピカに磨いておかないと」

「ああ、頑張れよ」

 

 姉さんは弓道部の朝連に、バースト兄さんはジムに行った。兄さんは武道を習う道場をやってるんだけど、練習が厳しくて皆辞めちゃうから、今は健康ジムにしてるんだよね。主にお年寄りや運動が苦手な子を見ている。すごくストレスが溜まるらしい。そのストレスを、僕達にぶつけるのはやめて欲しいんだけどね。ビュウト兄さんは進学校に通っている。父さんのように一流企業の正社員になるのが夢なんだってさ。それって夢なのかな? 僕? 僕は身体を動かすのが好きだから、バースト兄さんみたいにジムか道場がいいかな。勉強も嫌いじゃないけど、スポーツに比べれば得意ってほどじゃないからね。

 

「行ってきます」

 

 準備を終えて、僕も小学校へ向かう。父さんが言うから行ってるけど、正直勉強することなんてないんだよね。授業は退屈で仕方ない。体育も、僕が本気出したら片手でも勝負にならないから退屈だ。だからと言って寝ると怒られるから、先生の間違い探ししたり難しい質問したりして遊んでる。ごめんね先生。かわいくない生徒でさ。



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ヒーロー試験

 いやあ、やっと義務教育から解放されたぞ。入学式はまだだけど明日から気分は高校生だ。よぉおおおおし! バイトやるぞおおおおおお!

 堅苦しい父さんは中学生がバイトをすることを許さなかった。だが、高校生ならば姉さんという前例がいる。僕は姉さんと違って成績優秀。中学は常に1位だったし大学受験用の勉強も済ませてある。入学前からのバイトにも合格をもらっている。ふふふ、ようやくやりたかったことができるぞい!

 

「ヒーロー試験、受験会場。さすがに人気なだけあって人が多いな。500人くらいかな?」

 

 そう、僕がやりたかったバイトとは、ヒーロー! 3年前にヒーロー協会っていうのができて、怪獣退治や災害対処のようなヒーロー活動が正式に仕事になったんだよね。強さに応じてC級からS級になれて、しかも順位と働きに応じてお金が貰える! S級なら年収1億円も夢じゃない! まだ15歳だから無理? いやいや、最年少S級はなんと10歳! 僕もS級になれると思う! ガッツリ稼いで高い物を買ったり毎日高級料亭に通いつめるんだい!

 筋骨隆々の男達がズラり。と言っても、その中で使える筋肉の持ち主は5%もいない。

 

「なんだあ? お前も受験希望者なのかあ?」

「ガキが。世の中の厳しさってもんを教えてやるぜ」

「ぷくく、おっさん達、典型的な井の中のかわずだね。それじゃ災害レベル狼にも勝てないよ」

「なんだとガキが? 今潰されたいのかぁ?」

 

 おじさん達は、そう言いながら僕に殴りかかる。

 って、え、ええ!?

 

「ちっ。避けやがったか」

「ビビッてんじゃええよガキが」

「あのー。確かに僕は、おじさん達に煽られて煽り返したよ。でもさ、ヒーロー希望者なんでしょ? こんなのことに本気で怒るような人はヒーローになる資格ないと思うんだけど」

「ああん!? なんだって!?」

「もう一発殴ってやろうか!?」

 

 うーん、ダメだこの人たち。巻き込まれて僕まで不合格になったら嫌だから、逃げよう。

 素早く人ごみに紛れ込む。おじさん達の目には突然消えたように映ったことだろう。さて、試験開始まで大人しくしておきますかね。さすがに試験中まで暴力を振るわれることはないと思うから。

 しばらく待つと、試験官が現れてゼッケンを渡していく。僕は列に並んで待つ。255番だった。

 

 

「それではただいまよりヒーロー認定試験を始めます。午前は体力試験。午後は筆記試験となっております。体力試験の項目は反復横飛び、1500m走、重量挙げ、砲丸投げ、垂直飛び、モグラ叩き、パンチングマシーンとなっております」

 

 人が多いから、自分の番まで待たないといけない。ただ待つのも暇だから、強そうな人がいないか探そうと思う。

 おっ、あの人ちょっと強そう。バンダナの人。

 

「こんにちは」

「ん? 何だ君は俺のファンか?」

「あっ……」

 

 あー、この人この反応は、プロヒーローっぽいな。そりゃ強いわけだわ。

 

「すまないが、試験中にサインやサービスはなしだ。これは見回りだけでなく試験官も兼ねているからな」

「そ、そうですか。すみませんね」

「それにな、合格したら同じヒーローになるんだぞ。いつまでもファン目線じゃ合格できないぜ」

「は、はい。ご指摘ありがとうございます!」

 

 うーん、なんだこの対応。先輩風吹かしていいこと言ってくれたから、感謝したけど、僕の方が強いんだよなあ。

 

「次255番、反復横飛び30秒、始め」

「ふん! はっ! ふん! はっ、ふん! ふん! ふん、ふんふんふんふんふん!」

 

 反復横飛び。あまりやったことがないから時間がかかったけど、やっと無心になれた。この状態になれば、通常の約3倍の速さで動ける。

 

「お、おい! もう終わってるぞ!」

「おっと、すみませんね」

 

 ただし、集中するあまり他の事が見えにくく、聞こえにくくなるのが弱点。

 

「次、1500m走!」

 

 走るのはいつもやってるから、いきなり集中できる。

 

「次、重量挙げ!」

 

 こういうのも動きがワンパターンだし待つ時間が十分あるから集中できる。

 

「次、砲丸投げ!」

 

 これが一番難しい。普段こういう動きしないし、一発勝負だから。まあ、慣れないからこそ上手くはまることもあるんだけどさ。

 

「次、垂直飛び」

 

 よくやってるから集中できる。

 

「モグラ叩き」

 

 あまりやらないけど何度も叩くからそのうち集中できる。

 

「パンチングマシーン」

 

 よくやってるからいきなり集中できる。ほい。

 

「またやったぁ! 9000オーバーだ!」

「やはりあいつはすごい!」

「ああいうのが本物のヒーローになるんだな。俺には遠い世界だったか」

 

 最終種目ともなると、僕も有名人になっていた。観衆の期待を一心に集め、それに答えることができていた。

 

「ほう。9759kgか。ゾウをも吹き飛ばせるパンチだな。若いのになかなかすごい」

 

 ただ、ヒーローからの反応はいまいちだったけどね。ビュウト兄さんでもヒーローで上の方の成績らしいから、僕だとぶっちぎりでS級だと思っていたのに。

 

 体力試験が終わり、昼食。少しして、筆記試験。とても簡単だった。これなら満点間違いなしだね。試験の合格間違いなしでしょう。後はいきなりS級になれるかどうかの勝負だね。

 

「いよっしゃあああああああ! 合格ぅううううう!」

「ちっ、ダメだったか」

「クッソぉおおお! あと3点だったのにいいいい!」

 

 1人1人通知書を渡され、開いた順に感想を述べていく。喋らなくとも反応で分かる。そのほとんどが不合格だ。合格は5%もいない。

 僕は、え!? 69!? 体力69点、筆記0点!? どういうこと!?

 

「おかしいおかしいおかしい! おっ、おっ、おかしい! おかしいおかしいおかしい!」

「えっ、あいつ落ちたの!?」

「あれだけ体力試験よかったのに!?」

「くくくっ、あいつ相当なバカだったようだな」

 

 僕の挙動を見て、周りの受験生が騒ぎ出す。は、恥ずかしい。あんな連中が、僕を笑うなんて。なんで、あいつとかあいつとか、あの辺の雑魚が合格で、僕が不合格? しかも、筆記0点!? 小学生の頃から大学受験の勉強をしていて、中学で常に一位だった僕が!? 絶対におかしい! な、何かの間違いだ!

 

「ちょっ、ちょーっと、採点する人が間違えたみたいだね。きっと、本当は合格だから、話を聞きに行こうかな」

 

 チッ、この僕に恥をかかせやがって。許さんぞ試験官め。

 

 内心怒り心頭だけど、僕はヒーローを目指しているんだ。こういう怒りを他人にぶつけてはいけない。頑張って笑顔を作り、受付のお姉さんに話しかける。

 

「あ、あの、たぶん採点ミスだと思うんです。もう一度僕のテストを確認してもらえませんか?」

「すみません。私に言われましても。今、担当者の方に確認してみますね」

「はい。お願いします」

 

 受付のお姉さんが電話で上司に話しかける。反応を見るに、相手も僕のことを認識しているようだ。やはり採点ミスだったようだな。ホッとした。

 

「直に担当者の方が来られます。しばらくお待ちください」

「はい」

 

 しばらく待っていると、スーツを着た偉そうなおじさんがやってきた。

 

「君が255番、ボンボン君かね?」

「はい」

「ふむ。少し席を替えようか。長い話になる」

 

 試験会場の隅っこの方の部屋に移動する。受験生の喧騒は聞こえない。

 

「まずは名詞を渡しておこう。私は協会幹部のマッコイというものだ」

「そうですか。私はボンボンです。ちょうど中学卒業したばかりで、生徒手帳のような身分証明書はないんです。すみません」

「いや、構わん。10代にそう厳しくする気はないよ」

「ありがとうございます」

「ふむ。そう言った手前、言いにくいのだが」

「は、はい」

 

 あ、あれ? この暗い言い方は、もしかして本当に不合格? 僕名前書き忘れたの? あんだけ名前書いているのを確認したのに? ええ?

 

「実は、ヒーロー協会の上層部に君のことを嫌っている人間がいる」

「えっ、ええっ!?」

「実際の所、君は合格点に十分到達している。しかし、その上層部の鶴の一声で、不合格にされてしまったんだ。名目上は、ヒーローとしての人格に問題あり、と言ってな」

「そ、そんなことって、ありなんですか? 僕、人に嫌われるようなことやった覚えが……あっ」

「なんだい? 覚えがあるのかい?」

「じ、実は、小学校時代に先生に難しい質問をして困らせたことが」

「ふ、ふむ。それは関係ないと思う」

「じゃ、じゃあ。5人に告白されて、全員に付き合うって言ったら、後から5人と先生に呼び出されて怒られたこととか」

「そ、それは……それかもしれんな」

「ええ!? そんなあ」

 

 あれは、悪かったと思うよ。5股だもんね。でも女の子は僕と付き合えるならうれしいだろうと思ってさあ。5股だとしてもね。

 

「まあまあ、そう気を落とさないでくれ。私もヒーロー協会幹部。正義の代理人であり、少しは権力を持っている。5股はよくないが、未遂だったのだろ? それくらいで、若い将来有望なヒーローの芽を摘むべきではない」

「そ、そうですか」

「そこでだ」

 

 マッコイさんは両腕を組み、悪そうな笑みを浮かべた。

 

「私と個人的に契約して、ヒーロー活動の補助をしてみないかね? そこで成果が認められれば、今度は正式なヒーローになることを妨げられることもないだろう」

「ほ、本当ですか!? やります! やらせてください!」



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初仕事

 僕のヒーロー補佐としての日程は、土日にマッコイが集めているヒーロー候補生との訓練のみ。実戦については、マッコイから連絡があった時に駆けつけるだけ。連絡がない間は待ち。ただし、清掃活動や現行犯への対処等、ヒーローとしてできる当たり前の活動はすればいいらしい。正式なヒーロー名を名乗れないのは残念だが、まあ顔が売れていればヒーローになった時のスタートダッシュくらいの効果はあるだろう。

 

 ヒーロー試験を落ちたことについては、家族に報告した。マッコイという幹部からヒーローを補佐する彼の民間警備会社のバイトに誘われたことも報告した。父親は少し渋ったが、結局了承してくれた。何事も経験だと言って。

 

 そして土曜の訓練初日となる。指定された訓練施設は以前のヒーロー試験会場と同じ場所だった。広くて頑丈だから都合がいいのだろう。

 そこに、10人くらいの若者達と、マッコイと、一際大きな黒い人がいた。彼はよく知っている。超合金クロビカリ。S級ヒーローだ。常に黒光りしている屈強な肉体はあらゆる攻撃を無効化し、その怪力は災害レベル鬼の怪人さえも一撃の元に葬り去るという。最強の地球人の候補にも名前が上がる超有名人。ぱっと見た感じ、確かに底知れない強さを感じだ。だけど兄や父と比べてどちらが強いかと言われると、よく分からない。とにかく、僕より強いのは間違いない。彼は教官かな? だとしたら文句はない。他の若者は、僕と同じ訓練生かな。

 

「おいてめえ、遅いぞ。何時間ちょうどに来てやがる」

 

 父からは30分前が当たり前と言われているが、本当にそうだったのだろうか。だとしたら申し訳ない。

 

「いやあ、ごめんごめん。クロビカリさんもすみません。時間にルーズなもので」

「いや、お構いなく。遅れたわけじゃないしな」

 

 あれ? クロビカリさん、やけに腰が低いなあ。指導する側のはずなのに僕にへこへこしてる。もしかして気が小さい? 人見知り?

 

「よし、集まったか。では軽い自己紹介の後、早速訓練を始めよう」

 

 マッコイに促されて自己紹介が始まる。皆、ヒーロー志望。本気の戦いをするためにいる。仲良しごっこをする気はないので、挨拶は簡潔なものだ。しかし、さすがに前回見たヒーロー希望者達よりはレベルが高いな。特にブルーとかいうやつ。僕と同い年くらいに見えるが、ひょっとしたら僕より強くね? 立ち振る舞いでそんな感じ

がする。

 

 クロビカリさんの訓練は、まずは筋力測定から始まった。いつの間にか白い服の研究者も集まっている。詳細な身体のデータを取っていく。

 

「あの、本当にこんなデータいるんですか?」

「ふむ、これはインナーマッスルの左右差のデータだな。人間の身体というのはいろいろつながっていてね、中心部の小さな誤差が先端部では大きなズレとなって現れてしまうんだよ。良質なトレーニング、良質な休息のためにも自分の筋肉を精密に認識する必要がある」

 

 軽く聞いたらクロビカリさんは詳細に答えてくれた。見た目に反してトレーニングは頭脳派みたいだな。

 

「ですけど、細かい筋肉より大きなパワーの方が重要なのでは?」

「ほう。察するに君はカタボリックを誘発する持久性のトレーニングを中心に行っているようだね」

「分かるんですか?」

 

 兄のトレーニングはきつ過ぎて痩せちゃうって、正直思ってた。

 

「自分で言うのもなんだがオレは筋肉マニアでね。筋肉のつやや張りを見ればだいたいのことは分かるんだよ。君の筋肉は持久面では良質だが最大パワーの面では少し劣る。高出力トレーニングに、休息と栄養が足りていないのではないか?」

「そうなんです。実はパンチングマシーンで9000kgしか出なかったのがショックで」

「なあに、君はまだ若いんだ。オレと共に科学的なトレーニングをすればすぐに伸びるさ」

「はい、ありがとうございます」

 

 データを取った後、クロビカリさん指導の元にウエイトトレーニング。僕はほぼ全ての項目で二位だった。一位はブルー。クロビカリさんは、全ての項目でそのブルーを10倍以上ぶっちぎっていたが。トレーニングの後は、科学的なストレッチ、マッサージ、高タンパクの食事。そして、酸素室で休息。それで土曜日は終わった。なかなか充実した一日だった。

 

 翌日は実戦形式の訓練。ウエイトトレーニングばかりで神経系を疎かにすると実戦で使えない筋肉になる可能性もあるが、クロビカリさんにその辺りのぬかりはないのだ。

 ここでは僕が他の若者を圧倒した。ブルーをもだ。ま、僕は毎日兄にしごかれてきたからな。中学に入ってからは兄のジム兼道場にも毎日通わされた。特に武術という面ではこの年齢では飛びぬけた位置にいる。才能もあるしな。

 

 今週は体力測定もあって土曜ウエイト、日曜実戦だったが、今後は土曜実戦日曜ウエイトとなる。月から金はウエイトで傷ついた筋肉を修復する時間となる。べきだが、僕は兄のしごきから逃げられないのでやはりカタボリックは起こってしまうと思う。残念だが仕方ない。あの兄は苦痛を乗り越えた先に人間の限界を超える何かがあると信じきっているのだ。実際にその方法で壁を乗り越えた人でもある。僕が言ってどうにかなる相手ではない。

 

 長い春休みも終わり、高校に入学する。女子高生や制服はいいなあと思いながらも、授業や部活はつまらないので高校に思い入れはない。僕の心はヒーロー活動にあった。高校は言うなれば、休憩や目の保養で英気を養う場所だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 訓練を始めて約3ヶ月後の平日、マッコイから電話が入った。

 

「君に初任務だ。災害レベル竜、ワクチンマンがA市に現れた。市を破壊し多くの犠牲を出した後、何物かに撃破されたようだが、瓦礫に埋まった人や怪我をして動けない人が多くいる。救出に参加してもらいたい。また、ワクチンマンの残骸を見つけた場合は、触ったりせず私に報告してもらいたい」

「了解です」

 

 災害レベル竜。その言葉を聞いた時、一瞬心臓がビクンと跳ねるのを感じた。すぐに撃破された後だと感じたが、この高揚感を失ったわびしさ、恐怖心が出た直後に救われた感じは、何とも言えないわびしさがあった。

 実は僕は、ほんの少し超能力を使うことができる。それは、人の気配を感じられるというものだ。寝ている人の気配は見えにくいが、起きている人の強い思いや、強いエネルギーは、詳細な場所まで感じやすい。戦闘でもたまに役に立つ能力である。救助においては、これがとても役に立つ。

 

「こ、これは……」

 

 負の残留思念というのだろうか。見たことないような嫌な気配が、A市に漂っている。それは現場に近づくに連れて強くなっていった。

 

「大丈夫ですかー! 誰かいませんかー!」

 

 現場ではヒーロー達や正義心の強い人や医療関係者が何人もいて、瓦礫に向かって声をかけたり重傷者を運んだりしていた。僕も真似をしよう。

 

「大丈夫ですかー! 誰かいませんかー!」

 

 声を出し、目を瞑って気配を探る。地面にいくつか気配がある。近いのは、右斜め下か。

 

「えーっと、とっとっと」

 

 潰れた家を持ち上げる。バキバキット割れて、一部の瓦礫が下に落ちていく。これがけが人に当たって致命傷になったら目も当てられないな。気をつけないと。どう気をつけたらいいかよく分からないが。ある程度は計算できても、運要素が大きいな。

 

 最後の瓦礫を上げた途端、泣きじゃくるお婆さんが現れた。

 

「孫があ。どうか孫をお。お助けをお」

 

 孫? の、気配はない。でもお婆ちゃんが見ている方に血の跡はある。死んじゃってるな。でも、言わない方がいいだろう。はあ、憂鬱だ。

 

「大丈夫ですよ! きっと助けて見せます! お婆ちゃんは危ないので先に救急車に乗ってください!」

「わしはどうでもいいから、孫をぉ! 先にぃ!」

 

 どうしよう。困ったなあ。死んでる姿なんて見せたくないのに。

 

「君、僕がお婆さんを連れて行くよ。君は救助をやってくれ」

 

 と、ヘルメットを被った人がお婆さんを誘導してくれた。これで死体と対面できる。……対面する必要あるか? 一応墓のために、やっておいた方がいいのか?

 よく分からないが、一応瓦礫をのけてみた。やはり死んでいた。墓を立てた方がいいのかもしれないが、今は時間がない。他の現場へ急ごう。

 

 このように救助活動は続いていく。家族全員助かることもあったが、誰かが死んでいる場合の方が多い。それくらい町は木っ端微塵にされていたのだ。悲劇だ。見ているだけで憂鬱になる。だが、俺はヒーローになると決めたのだ。これで挫けてはいけない。むしろ、力にしなければ。このようなことを起こさないために、強くならなければならないのだと。

 

 なお、しばらく救助活動を続けていると、超能力者のタツマキと、多くのロボットを従えるメタルナイトがやってきた。彼らが来てからはとても素早く瓦礫が撤去され、生き残りの人々が助けられた。今日は寝ずの救助活動も覚悟していたが、どうにか夕食には間に合いそうだ。食欲ないけどね。

 それにしても、あのハゲてる人のパワーすごいな。瓦礫となったビルをものともしない。格好からするとヒーローか。しかしS級やA級上位ではない。ヒーロー名簿で見たことないからな。A級下位やB級にもあんな人がいるってことか。俺が思っていたよりヒーローは層が厚いのかもしれないな。ビュウト兄さんが上の方って自称しているのは、うそ臭いな。残念ながら。名簿にもそれらしい人いないしな。我が兄ながら情けないものだ。



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初の敗北

 あれからいくつか仕事が入った。その全てが瓦礫の撤去作業、救助作業であり、怪人との戦いはなかった。若者であることもふまえ、マッコイは僕達をあまり怪人と戦わせる気はないようだ。それならそれで構わない。瓦礫の撤去作業やクロビカリさんの特訓を経て僕の最大筋力は高まり、それに合わせて戦闘能力もずいぶん向上している。今なら災害レベル鬼でも問題なく対処できるはずだ。やってやろう。

 

 巨人が現れたというニュースがあった。これだ。ちょうど僕が試したかった筋力を見せ付けられる場だ。やってやろう。

 巨人は非常に大きく、D市に着くよりも前に見えた。肉眼で見えたなら接近していくだけ。だが、近づくにつれて全身の細胞が警報を出す。こいつには敵わない、逃げろ、と。筋肉は強張り、嫌な汗が出る。それでも、ここで逃げるようなら、何のために訓練したのか分からない。自分の実力を試すこともしないで逃げていいのか?

 

 そんなことを考えていると、突然巨人が腕を振るった。その腕に、驚異的なソニックブームを纏いながら。

 

「これは、ヤバい! ほぁああああああああ! おりゃああああああ!」

 

 僕は咄嗟に地面を蹴りつけ、道路を割って固定物として取り出し、そのソニックブームに投げつける。これで相殺したいが、できるわけないとも思っている。

 

「ガハッ」

 

 道路から作った岩はなんでもないように吹き飛び、直後に僕の身体も吹き飛ばされる。そして、衝撃。全身のいたる所に大小の石や瓦礫がぶつかり、ソニックブームの衝撃波が打ち付ける。

 痛い。とても痛い。兄のしごきより痛いかもしれない。でも、耐えられない程じゃない。

 

「ぜえ、ぜえ、ぜえ。ガ、ガハッ。ぜえ、ぜえ」

 

 でも、ダメだ。軽く振った腕でこのダメージ。とても戦えるレベルじゃない。中に入って臓器を破るとか、とんでもない方法を使うくらいじゃないと。正攻法では勝てない。このまま突っ込むでも死ぬだけだ。市民の犠牲は出るが、日中は諦めるしかないんじゃないか。

 僕が絶望していると、巨人は突然怒り狂って、地面を殴り始めた。とてつもない連打だ。その一発でも当たれば一たまりもない。僕は一撃でぐちゃぐちゃになると思う。兄や父でさえ、この相手は無理なのではないか?

 はは、絶望だ。こんな相手と戦えるわけがない。逃げよう。早く逃げよう。それしかない。

 

「え? は?」

 

 僕が逃げようと決心したその時、巨人の顔が突然ぐにゃっと曲がった。その顔が曲がったまま飛んで行き、つられて全身も飛んでいく。まさか、誰かが巨人を殴りつけた? あのサイズを? あ! あのハゲの人! またあの人か!

 巨人はそのまま倒れていく。その倒れただけで、とてつもない衝撃だ。町が吹き飛んだ。

 

 巨人は倒れたまま動けない。まさか、本当に死んだ? いや、まだ生きている可能性はある。トドメを刺さないと。まあ、あのハゲの人がやってもらえると思うけど。問題は、僕がこのまま救助に行けるかどうかだ。正直、この状態の倒れている巨人にも近づきたくない。恐い。でも、ここで救助できなかったらヒーローとして終わっている。勇気がなさ過ぎる。どうすればいいのか。ど、どうすればいいのか。

 もし、僕が行かないことで、死んでしまう女の子がいるとしたら? その子と将来結婚する可能性もあるかもしれないとしたら? ……や、やるしかない。そうやって、自分を納得させよう。ここで逃げたら、大切な物を失ってしまうから。こ、恐いけど、救助やるぞい!

 

「おーい。大丈夫かー? 誰か生きてるかー? 返事しろーい!」

 

 ハゲている人は、救助活動している。パワーはあるが救助ペースはとても遅い。僕と違って人の気配を感じ取れないのだろう。瓦礫を退けて肉眼で救助者を探すのは時間がかかる。

 何故僕がハゲている人と鉢合わせたかと言うと、巨人を恐がった僕が近づいたからである。しかし怪我の功名と言うべきか、僕とこの人が協力するのが一番救助活動の効率がいいように思う。だからこれでよかったのだ。

 

「あの、僕、救助得意なんです。どこに人がいるか分かりますから、手伝ってください」

「おっ、お前前もいたやつだなー。そうなのか。じゃあ教えてくれ」

「はい。一番近くだと、このあそこの下ですね。しかし死にかけ優先だとするならあっちを」

「ほいきた」

「はやっ。めっちゃはや」

 

 そうして救助活動は地道に進んでいった。

 活動途中には他のヒーローや一般人もやってきて、皆で救助した。例によってメタルナイトが来てからはすぐに終わった。やはりS級ヒーローはヒーローとしての格が違うな。

 

 巨人に対する圧倒的な敗北。僕は強くなる必要性を実感した。いつも兄に言われるままにしごかれているが、それだけでは足りない。クロビカリさんのトレーニングだけでも足りない。時間が経てば強くなるかもしれないが、もっとすぐに強くなりたい。そう思うようになった。じゃあどうすればいいかというのは、具体的には分からない。既に感覚的な武術と科学的な方法の最先端にいるからだ。これ以上を望むのならば、心だろうか。僕自身が、最強を強く望む心を持つ。決して弱音を吐かない心を持つ。そうすることで今より先に行ける気がした。

 

「僕は、最強に、なる!」

「ほう、いい面構えになったな。ボン」

 

 兄との修行で、今までに以上に、苛烈に打ち込んだ。

 

「絶対に勝つ! 勝ちしかない! 勝つんだ!」

「ボ、ボン君。時には戦略的撤退や仲間を待つことも必要だぞ!」

 

 クロビカリさんとの組み手では、負けると分かっていても、勝つと言い聞かせて立ち上がった。

 

 その心構え1つで、成長速度がグンと上がった。心技体とはよく言ったものだ。本当にそれぞれが相乗効果となってあがっていくんだね。

 

 トレーニングの最中、蚊の大量発生が起きた。これによりたくさんの人がなくなってしまった。通常のヒーローなら蚊の問題はヒーローと関係ないと考えるだろう。でも、今の僕はそういう些細な諦めもしたくない精神状態になっていた。何が何でも勝つ。相手が知性の問題だろうと勝つ。そこで蚊の大量発生と言えばその天敵がいなくなったことが問題だろうと考えた。つまり、クモである。農薬や水質汚染のような環境破壊によってクモが死に、蚊が大量発生したのだろうと当たりをつけた。ネットで調べると、やはり正解だったようだ。人間の環境破壊がいかに生態系にダメージを与えているか、というブログがいくつもヒットした。そのブログのうちの1つ、サイコスという若い女性の研究者が権力と戦える若者を募集していたのが気になった。本当に戦いが必要なら力になるし、不必要にテロをしようとしているなら止めなくちゃいけない。僕はヒーローだからね。



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サイコス

 Z市で開催する環境対策決起集会。これは愚かな人類に対する私からの最終通告だ。私の声を聞き、環境問題に真摯に取り組むことができるのであれば、近い未来に人類が自ら身を滅ぼすことも無くなるかもしれない。だが、ワクチンマンから続く凶悪な怪人の連続発生を疑問に思わず、放漫に富を消費し続けるならば、その代償を支払うことになる。

 

「くくくくく。怒りを通り越して笑えてくるな」

 

 残り10分。参加希望者は0。最低でも100人は来ると思っていたが、私はまだ人類を過大評価していたようだ。もはやどれほど愚かなのか想像することもできん。0ということは、平均や中央値の概念もなく際限なく愚かである可能性があるからな。ネットで告知しただけゆえ、私とて全ての人間に情報が届くなどとは思っていない。だが、この環境汚染が進み怪人が溢れる現在の環境、このおかしさに疑問を持てば、簡単にたどり着けたはずだ。1人辿り着けたなら口コミで周りも誘えばいい。それができないのであれば連帯責任だ。もちろんネットを扱えず言葉も理解できない子どもに罪があるかと言えばないのだろう。だが、先祖の罪で子どもが死ぬなどありふれた話だ。先祖が築いた富をただ享受できるものではないのだ。そのような生き方をするならば、悲劇もまた、受け入れるしかない。

 

「すみませーん。遅れましたー」

 

 ん? しまった思考にふけっていたせいで人の反応に気付けなかった。私としたことが恥ずかしい失敗だな。

 

「参加希望者か。よく来たな」

「はい。今日はよろしくお願いします」

「ん?」

 

 わ、若い。驚いた。高校生くらいじゃないか? しかもイケメンだ。肉体的に非常に優れてもいる。

 こんな才能溢れる子が、環境の集会などという堅苦しいものに参加するとは思わなかった。……いや、むしろ逆だということか? 選ばれた人間だから、ここに辿りついたということか。彼は『答え』を理解しているのかもしれないな。

 

「E市の高校に通っているボンボンです。よろしくお願いします」

「ほう、15歳の高校1年生か。君のような若者に来てもらえて、私もうれしいよ」

「僕もびっくりしました。サイコスさん研究者というよりモデルみたいですね」

「ふんっ。今更あのような連中と比べられたくはないが」

 

 褒められて悪い気はしないがな。

 

「ああいえ、スタイルだとかがモデルみたいってだけで、知性だとかそういうのは、全然違いますよ! もちろん!」

「いいさ。そのような無駄話をする場所ではない」

「は、はい。そうですか。ありがとうございます」

 

 ふむ。若い子に慕われるというのは、悪い気はしないな。彼からは知性も感じるし、身体能力にも非常に優れている。ヒーローであればA級は間違いないだろうな。きっと高校ではモテモテだろう。だが、自信に満ち溢れているようで、少し暗い感情も見える。満たされない何かを求めている。私であれば、それを与えることができるだろう。いいさ、たっぷりかわいがってやる。

 

「時間だ。どうやら参加希望者は君だけのようだな」

「たった1人ですけど大丈夫なんですか? もしや中止になったり」

「私は自分が言い出したことをやめるのは嫌いでな。1人でもやるさ。希望者がいるのならな」

「そうですか。ありがとうございます」

「ふむ。それでは資料を配ろう。軽く目を通すだけでいい。スクリーンで映像を見せながら説明するからな」

「はい」

 

 少年はパラパラっと資料に目を通していく。その表情からは、生き生きとした知的好奇心が感じられる。かわいいやつめ。

 

「よし、ではスクリーンを見ろ。基本から説明してやる。まずは現在のシステムの成り立ちからだ。大昔に人間はいくつもの国という概念を持っていた。今で言う市の権力を拡張し、完全に自由化したようなものだな。結果国ごとの争いは激化し、戦争や無意味な環境汚染を生み出していたという。人類は自身の行いによって世界を穢し、生存範囲を狭められ、その数を減らしていった。そこで第一の変革が起こる。人類は言語と政府を統一し、争いを無くそうとした。しかし環境汚染は止まらなかった。次に第二の変革が起こる。人類は住み辛くなった偏狭の地や島を捨て、この超大陸に一斉移住した。ここまでは教科書で習うだろう。だが、おかしいとは思わないか? 超大陸もまた汚染されていたはずなのだ。何故移住できたと思う」

「……超大陸にあった汚染物質を、偏狭の地に押し付けたのでしょうか?」

「ふっ、正解だ。政府は隠しているが調べれば簡単に分かったよ。ま、調べずとも予想はできたことだがな。そしてこれは、過去の話ではない。現在もまた、処理しきれない汚染が起こる度に、人類の文明圏から離れた土地に捨てている。だが、その処理にも限界が来ている」

「先日の蚊の大量発生が、それでしょうか。捨てるという発想では、生態系の調和は不可能」

「ま、そういうことだな。だが調和を乱す存在は、自壊するのものだ。稲穂を減らしたバッタが餓死するようにな。それが生態系の基本原理というものだ。これを見ろ」

 

 私は災害レベル鬼、竜の発生頻度を示したグラフを表示する。ワクチンマンの発生を前後に、ペースが上がり続けている。

 

「怪人は、人類の天敵と言われていますね。しかし天敵ではなく、自壊と捉えていると」

「そうだ。これら怪人は、全てではないが、人類が自らの行いによって生み出している。環境を浄化するために現れたワクチンマン、力を欲する余り怪人化したマルゴリ、おそらく人工生命体であるモスキート娘」

「えっ。蚊の大量発生って、農薬でクモを殺したせいじゃなかったんですか?」

「もちろん調和を乱す農業が虫の大量発生を招き結果食中毒や餓死を招く例は多々ある。だが今回は、怪人の影響だな」

「しかし、サイコスさんよく調べられましたね。死体を調べるだけでこんなに分かるものなんですか?」

「ふっ。お前も使えるのだろう?」

 

 私は超能力を使い、軽く椅子を浮かして見せる。

 

「僕は人の気配をつかめるだけですよ。こんなことはできません。ひょっとして、死体から記憶を見られるんですか?」

「サイコメトリーと呼ばれているな。もっとも、私が得意な超能力はこれじゃないんだが」

「へー、どういうやつですか?」

「それはまだ教えられん」

「えー、いいじゃないですか」

「欲張るな。私は秘密主義なんだ」

「そうなんですか。神秘的でいいですね」

「くくく。そうだろう」

 

 その後も私は人類の犯した罪、乱された調和、その結末を語っていく。少年は真剣な顔で最後まで聞いていた。

 

「つまり、どうあがいても人類は滅ぶということだ。このままではな」

「確かに。そうみたいですね」

「ほう。ショックではないのか? ヒーローを志していると聞いたが」

「問題があるのなら、解決すればいいだけです。それがヒーローっていうものじゃないですか?」

 

 くくっ、青いな。

 

「だが、政治と経済を握っているのは欲に溺れた老人達だ。言葉で変えられるものではない。問題に気付かず、いや気付いていながら現在の富を享受するだけで行動しようとしない民衆達も同じ。どう解決する?」

 

 答えを知っている選ばれた人間には、もどかしさしかない。彼等の無能により、自分も巻き込まれるなどということは。

 少年は私の問いに悩んでいる。ここまで説明すれば分かっているはずだ。権力者と敵対し打倒することで民衆を従え、解決するしかないと。だが、まだ別の道を探したいのだろう。それが若さであり甘さである。少年はまだ人類を信じてしまっている。この心を完全に折らない限り、戦うという選択肢は取らないだろう。だが、私は特に何もする必要がない。こんな少年は、人類に絶望するに決まっているからだ。そうすれば勝手に私の同士となるだろう。私があえて何かをするならば、その瞬間が早まるように、ちょっとだけ現実を見せてやるだけでいい。

 

「とりあえず、ヒーローとして有名になってみようと思います。僕の声が、より多くの人に聞こえるように」

「そうか。だがそれが失敗した場合はどうする?」

「失敗しないように、頑張ります」

「ふっ。若いな。だがその意気やよし。私も少し協力してやろう。ほら、これが私の連絡先だ」

 

 この連絡先は電波に私の超能力を合わせることで、私の位置情報が割り出せないように工夫している。

 

「ありがとうございます。ですが、いいんですか?」

「ご覧の通り、この集会に来てくれたのは君だけだ。貴重な仲間を無下にはせんよ」

「そうですか。ありがとうございます」

「では早速計画を立ててみようか。君がヒーローとして有名になっていく方法。そして、その後民衆をどう導くのか」

「今、ですか?」

「もちろんだ。時間が惜しいからな」

「では、ヒーロー方から考えましょう。これはまず何より、強くなることですよね。そのために今は、兄とクロビカリさんに特訓を付けてもらっているのですが、何かが足りないと思っています」

「ほう? 君の兄は知らないが、クロビカリでも満足できないのかね」

「はい。このまま修行を続けても、そこそこ強くなるでしょう。しかし、兄やクロビカリさんに近づけても、追い抜くことはできないと感じています。それに時間がかかり過ぎる」

「壁を越える方法を、知りたいのかい?」

「そうですね。兄も、クロビカリさんも、それぞれの方法で壁を越えたのでしょうが、僕はその真似をするだけではダメだと感じています」

 

 ほう、種としての壁の存在にまで気付いていたのか。ますます優秀だな。そしてその方法を模索していると。……つれるか?

 

「実は私も、人が壁を乗り越える方法について研究していてね。力になれるかもしれない」

「えっ、本当ですか!」

「専用の研究施設がある。クロビカリの言う先端科学よりも、さらにずっと先に進んでいると自負しているよ」

「それは、興味あります」

「そこの施設なら毎日来てくれても構わないよ。ただ、準備する時間が欲しい。今はとっちらかっていてね」

 

 怪人や人間の死体を、掃除しておかないとな。今の彼には刺激が強すぎる。

 

「ああそれと、君のお兄さんの修行というのは、見せてもらっていいかな? 私も興味がある」

「はい。ぜひそうしてください。きっと喜びます」

「クロビカリの方は、しばらく続けた方がいいかもしれないな。急に辞めると心象を損ねるかもしれない」

 

 なあんて、本当はヒーロー協会幹部のきな臭い動きを調べたいだけだがね。計画の支障になるとは思わんが、この子のように有望な若者がいるというのなら、引き抜くのも吝かではない。



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バースト

「そこまで! 勝者リリー!」

「やったー!」

「クソッ、悔しい……」

 

 相手は3つ年下の14歳の少女。体格はこちらのウェビギャザが上。競技歴の差はあるが、彼女も俺の元でみっちり鍛えてきたはずだった。にも関わらずこれほど差がついたのは、ひとえに才能の違い。

 

「また負けちゃいましたね。年下にボコボコにされて負けちゃうアイドル。これはこれで、需要はあるんですが……」

「それは、彼女の覚悟を踏みにじる行為だ。最もやってはならない」

「で、ですよねー」

 

 テレビ屋、いやネットアイドルのディレクターと言っていたか。彼のような金のために心を捨てる生き方というのが、この世界では当たり前なのだろう。だが、俺はそれを覆すために武術を広めているのだ。ここで折れるはずがない。

 

「せ、先生。私、これからどうすれば……」

「下を向く必要は無い。負けて、挫けて、それでも前を見て進み続けろ。その先に、光を掴める時が来る」

「でも、はっきり言って、私には才能がない!」

「……アマイマスク、という男を知っているか?」

「え!? は、はい! もちろん!」

 

 ビュウト。情けないが、お前の名を借りるぞ。

 

「俺は昔のやつを知っている」

「え!?」

「やつはとても弱い男だった。修行にすぐに根を上げて、逃げ出して、泣いて親にすがりつく」

「そ、そうなんですか! アマイマスクの正体を知ってるんですか!?」

「だが、やつは諦めなかった。その結果が、今のやつだ」

「そ、そうだったんだ……。私、もう少し頑張ってみます!」

「うむ。その意気だ。さあて、休んでる暇はないぞ! 夕日に向かって走り込みだ!」

「はい!」

 

 試合会場を後にし、カメラマン達と別れ、門下生達とランニングをする。実力に差があるので、同じペースで強度不足にならないよう、実力に応じて重りをつけさせている。試合の疲れもあり、いつもより足取りが重い。

 

 ん? この気配はボンボンか。だが、隣にすさまじいエネルギーを持つ人間がいる。それも歪なエネルギーだ。警戒した方がいいかもしれんな。

 

「ごめん兄さん、それに皆さん。ランニング中にお邪魔しちゃって」

「初めまして、ボンボン君のお兄さん」

 

 若い女だ。と言っても15歳のボンボンとは不釣合い、25歳くらいに見える。スタイルがとてもいい。だが注意を引くのは、その身に纏う不気味なエネルギーだな。

 

「どうも、初めまして」

「加入希望者ですか?」

「その、今日環境対策集会をやってくれたサイコス先生。兄さんの修行に興味あるから、見学をって」

 

 科学者が俺の修行に興味? このどす黒いエネルギーと言い、きな臭いな。何を企んでいる?

 ……ムッ、やつの思考が読めんな。遮断しているのか。このレベルの超能力使いとはな。と、やつも俺の思考を読もうとしてきたな。遮断してやったが。

 

「へえ。あなたも使えるんですね」

「何が目的だ?」

「兄さん、恐い顔しないでよ。相手女の人だよ?」

 

 チッ、ボンボンめ。女に優しくしろとは教えたが、こいつはそういう弱い人間ではないぞ。分からんのか?

 

「ただの見学ですよ。才能溢れるボンボン君のご兄弟がどんな方なのか、興味ありましてね」

「サイコスさんはトレーニングの研究もやってるらしいんだよ。別にいいでしょ」

「……いいでしょう。うちは見学は自由です」

 

 簡単に馬脚を表すとは思えんが、正体を探るために、一度引き込んでみるのもありか。いくらこの黒いエネルギーと超能力があるとは言え、肉体的には素人に近い。俺が負けるとは思えんからな。

 30分程でランニングを切り上げ、道場兼ジムに戻る。ウェビギャザはバイトもあるので帰った。

 

「門下生は、これで全てですか?」

 

 今ここにいるのは、俺とボンとこの女と、弟子達が10人。

 

「彼らとは別に、部活の合間に来てくれる子もいます。ジムに通っている人は20人ほどいます。正式な弟子は、彼らだけですがね」

「少ないですね。あなた程の実力がありながら。宣伝に力を入れてらっしゃらないのですか?」

「半端者が来られても困りますからね。真に強くなりたい者でなければ、弟子には取りません」

 

 ま、弟子にしたとしてもそういうやつはすぐに辞めていくからな。

 

「怪我をしている人が多いようですが」

「彼らは皆、怪人被害で家族を失ったり自身が重症を負った者達です。覚悟が違いますから、多少の怪我ではへこたれません」

「なるほど。スパルタ上等、というわけですね」

 

 俺は弟子達にいつも通りの指導をしていく。女は何かを言うでもなく、ただ観察するような目で眺めていた。そして、いつも通り修行が終わる。不意に女が近づいてきた。

 

「きついと言われたその先にしか修行の成果がないとおっしゃっていましたね。これはつまり、人間という種の壁を意識した言葉では?」

「ふむ。どうやら頭でっかちの研究者ではないようだ」

 

 種族としての壁。これは表に回っている論文では見かけない表現だ。それを知っているとなると、ただの科学者ではない。

 

「しかし、私から言わせると効率が悪い」

「効率? 壁を超える方法に、近道なんてないでしょう。何せ、自分の心で乗り超えるしかないのだから」

 

 女はにやりと笑った。

 

「自分の心で乗り越える。そうだとしても、そのお手伝いだってできるのですよ」

「無論俺とて、それはしているつもりだが?」

 

 女はさらに笑みを強めるが、何も言わなかった。もしや、後ろ暗い実験でもしているのか?

 女の視線を軽く流し、女は去っていった。怪しい。ボンとこいつをもう会わせん方がいいだろうな。

 

「先生、あの女の人は……」

 

 女が帰ってすぐ、弟子の女2人、タマノとコシが話しかけてきた。

 

「気になるか?」

「あっ、いえ、そういう意味では」

「別にいいんですよ? あの人が入ってきても」

 

 こいつらはボンボンがヒーロー活動で助けた娘だ。だからあいつに心底惚れている。あの女がボンボンを取ってしまうのではないかと、気が気でないのだろう。

 

「安心しろ。やつを弟に近づかせはしない」

「えっ!? いや、別にそういうのじゃないんですけどね!」

「そっかー、先生が言うなら仕方ないなー。ボンボン君と並ぶと、老けすぎてるって、思ったりしたけどね!」

 

 こいつら……。色恋で他人を貶すようなことはするなと、教えてやらんといかんな。



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暗黒大陸チバ

「兄さん、サイコスさんを嫌い過ぎでは?」

「いいや、俺の勘は間違っていない。やつは人道に反する実験をしている」

 

 確かに僕も、サイコスさんから黒いオーラを感じている。だけど、それ以上に美しい純粋な思いも感じているんだ。兄さんもそれは同じなはずだ。

 

「僕はヒーローなんだ。サイコスさんが何かに苦しんでいるというのなら、それも助ければいいだけだ」

「一理ある。一理あるが、お前では力不足だ」

 

 兄さんが強い思念を僕に向けてくる。本物の殺意。恐ろしい殺意。昔の僕なら完全に心が折れてしまっていただろう。だけど、マルゴリとの戦いを経て、引かない心の強さを知った僕には、効かない。

 

「脅しても無駄だよ。恐いからって逃げるようじゃ、ヒーロー失格だ」

 

 兄さんは少し驚いたような顔をして、殺意を解いた。

 

「ふむ。これは俺がお前の覚悟を見誤っていたようだな」

「なら!」

「俺は長男としてお前達弟妹を守ると誓った身。今のお前を行かせることは賛成できん」

「ぐっ。でも僕は、行くよ。ここで止まればヒーローではなくなってしまう気がするから」

「ふっ、落ち着け。今はと言っただろう? これから一ヶ月、みっちり合宿をしてお前を鍛え上げる。それからは、自由にするといい」

 

 一ヶ月、か……。それくらいなら、いいかな?

 

「じゃあ、お願いするよ。でも、ヒーロー活動の依頼が来た時は……」

「修行と民衆の命のどちらが大切か、それくらいはわきまえているつもりだ。だが、俺が協力してすぐさま依頼を終わらせるぞ」

「うん。じゃあ、よろしくお願いします! 先生!」

「ああ! 途中で根を上げるんじゃないぞ!」

「はい!」

 

 いい感じに、話は纏まった。兄さんの後ろでタマノさんとコシさんが、兄さんを恨めしそうに見ているのが見えた。謎だ。サイコスさんとマッコイさんには一ヶ月修行に出かけると伝えた。マッコイさんには僕が行けない代わりに兄を頼って欲しいとも。2人とも快く了承してくれた。

 

 合宿初日。ランニングで超大陸の端まで移動する僕達。具体的には、兄さん、姉さん、弟子達、僕、父さん。そう、珍しく父さんが有給を取ってついて来たのだ。しかも初めて見るヒーローマントの姿をして。ヒーローの真似事をしたことがあるとは言っていたけど、けっこう本格的だったんだね。

 

「プロヒーローになろうとは思わなかったの?」

「ああいうものは、仕事にするべきではない。真っ当に働いて、ヒーロー活動は趣味で行うべきだ。今でもそう思っている。お前達に強制しようとは思わないがね」

「そうだったんだ……」

 

 本当は、ビュウト兄さんにもプロではなく趣味でやって欲しかったのかな。その割には兄さんがヒーロー試験に合格したと聞いて、喜んでいた気もするけど。

 港には木彫りの中くらいの船があった。オールが10個ついている。兄さんや父さんくらいのパワーがあれば石油のエンジンより自分で漕いだ方が速いのだ。これは修行なので、僕達が扱くんだけども。

 

 船の行き先は、暗黒大陸、チバ。暗黒大陸とは超大陸に移住した人類が環境汚染を押し付けた土地である。つまり環境汚染が進んでおり怪人の巣食う魔境になっており人類の生存には適していない。が、それが修行にはちょうどいい負荷になる。こんな方法は、災害レベル竜でも簡単に倒せる父さんや兄さんがいなければ取れないんだけどね。

 

「イッチ、ニッ、イッチ、ニッ、イッチ、ニッ」

 

 声に合わせ、オールを漕ぐ。チバまでは距離にして1000km強。かかる日数は、このペースだと3日で着くだろうか。僕が本気で漕げばもっとスピードが出るんだけど、他の弟子9人合わせても僕とつり合う力を出せないからね。そもそも、僕が本気を出すとオールが折れてしまうので、出せないんだけど。中途半端な力だから逆に疲れるよ。主に精神的に。

 不意に、船の前方、水面が盛り上がる。そこから飛び出る巨大な魚。エイのような姿の怪獣だ! が、警戒する必要はない。これは既に死体。

 

「今日の食糧は、こいつでいいだろう。怪人化しているが、食べられる部分もある。調理方法も教えるから覚えるように。私が仕事に戻った後も食いっぱぐれないようにな。もっとも、バーストならばそのまま食べても腹を壊すことはないだろうがな」

 

 父さんの仕事は、暗黒大陸の環境調査。及び調査に伴う環境整備や資源の確保。だから、怪獣化、怪人化した動植物の食べ方も心得ている。

 

「怪人は多種多様だ。どこが食べられる、というような法則はない。だから自分の目で、鼻で、舌で調べるんだ。目で見て濁っている場所はたいてい食べられないから、分かりやすい。例えばこの青い血が溢れている場所はダメだな。この内臓もだめ。このヒレの先の方は、全部食べられる。寄生型怪人が湧いている場合もあるから、心配なら熱処理をするといい。これは生で食べられる」

 

 父さんは豪快にヒレに齧りつく。コリコリと、軟骨が砕けるような音を立てて、噛み潰して行く。不意に、一部を千切り、僕の方に投げた。食べてみろということだろう。

 

「では、いただきます」

 

 少し不気味だけど、思い切ってかぶりつく。えっ……、美味い! びっくりした。怪獣がこんなに美味しいなんて。ふつうの刺身と同じ、いやそれより美味しいんじゃないか?

 

「驚いたか? 超大陸の外にも栄養に富みむしろ超大陸よりも清潔な場所もある。そして怪獣化したゆえのエネルギーの豊富さもある。全てがそうではないが、超大陸の中より美味しい食材もあるんだ」

「へー」

「こんなことを教えたくはないから、調査員同士の秘密にしているがね」

 

 父さんはにやりと笑う。へー、こういうズル賢い所もあったんだ。堅物とばかり思ってた。

 

「でも、美味しい物もあるって教えたら、皆外に興味を持って、もっと外の世界を大切にするかもしれないのに」

 

 と、弟子の1人が質問する。

 

「彼らが興味を持ち、乱獲してしまえば、また環境破壊になってしまう。徒に欲を刺激するべきではないんだよ」

「あっ、そっかあ。そうですよね」

 

 その後も船は進んでいく。外の世界は怪異が蠢き、ただ移動するだけでも危険なはずだが、兄が超能力で事前に敵の場所を察知し、排除または追い払うので、敵の襲撃はなかった。

 ずっと舟を漕いでいると、オールを漕ぐのにも慣れていき、また筋力トレーニング的なパワーアップもあり、船の速度はどんどん上がって行った。そして、2日と少し経った頃、ようやくチバ大陸が目前に迫った。

 大昔の人の文明と思われる船着場は、少しだけ人工的なコンクリートの構造物が見える。しかし、森と大量のわかめに囲まれており、船を止めるのは難しい。

 

「おーい。いるかー! ナイトゥー!」

 

 父が誰かを呼ぶ。まさか、こんな場所に住んでいる人がいるのかな?

 海面にブクブクと泡が出る。まさか、水中に住んでいる人、というか人魚?

 

「お呼びですか。ブラック様」

 

 出てきたのは、ワカメの甲冑で全身を覆った何かだった。たぶん怪人だと思う。

 

「紹介しよう。私の息子、バーストとボンボン。そして、弟子達だ」

「おお、これはこれは。わたくし、ワカメナイトゥーと申すものです。わかめが好きすぎてわかめを守る騎士になってしまいました。人間の頃の名前は内藤です」

「そうだったのですか」

 

 珍しいな。ここまで怪人化しておきながら、すごい理性を保っている。

 ふと、父さんがこちらを向く。

 

「わかめを無闇に荒らすなよ。彼がとんでもない怒り方をする」

 

 あっ、やっぱ怒るんだ。

 

「ふふふ。少量なら食べても大丈夫ですよ。わかめもまた生物。生態系の中の一部ですからね。かく言う私もわかめが大好物でして」

 

 ワカメナイトゥーさん、口調は穏やかだが闇を感じる。たぶんこの人の前でわかめは食べないと思う。食の作法だとか食べ時にうるさそうだし。こういう人ほど怒ったら恐いんだ。エネルギーもすごい感じるし。たぶん竜クラスあるんじゃないかな。

 

「船は彼に任せておけば大丈夫だ。さあ、中へ進もう」

 

 父さんはジャンプひとっ飛びで船着場の石の部分に着地する。距離にして1km弱。兄や僕なら真似できるが、弟子達はできない。わかめの海を泳ぐことになった。

 

「はあはあはあ。わかめおっも! しんど!」

 

 弟子は男7人女3人。濡れた服は重く、修行になる。だから男は濡れた服のままでもいいが、女は、透けるからと着替えを要求した。だが、そこで父さんが動く。

 ふっと、手でマントをひらめかせた。そして生まれる。爆風。

 

「うぉおおおお!?」

「きゃー!」

 

 無茶苦茶だ。あんな小さな所作でこんな大きなエネルギーを生み出すなんて。

 

「これで乾いただろ?」

「ちょっ、ちょっとー。やるならやるって言ってくださいよー。びっくりするじゃないですかー!」

「はっはっは。これくらいで驚いていたら、後が持たないぞ」

 

 これまた意外な一面。堅物な父さんが、ここまで砕けた反応をするなんて。ヒーロー活動をしている時は、意外とはっちゃけているのかな。

 仕切りなおして。目的地へと歩き始める。少し行けば修行に適した開けた場所があるらしい。先頭は父さん、一番後ろは兄さん。僕と姉さんは真ん中。安全を考えてこの布陣になった。

 

「あのー、あの人って怪人ですよね?」

 

 タマノが父さんに尋ねる。

 

「人間という範疇は超えているが、私は怪人ではないと思うな」

「え? どういう意味ですか?」

「怪人かどうかは、人間が勝手に決めているだけだ。本当は敵対する必要がないものまで、徒に」

「へー。なるほどー」

 

 父さんは以前から人と違うだけで排斥することは嫌っていた。僕や兄さんや母さんは超能力者だし、父さん自身も人の範疇は大きく超えている。だからこそ、というのもあるのだろう。

 ふと、父さんが止まった。

 

「気をつけろ、地面にいるぞ」

「え?」

 

 地面? 咄嗟に気配を探ってみる。確かに、地面から何かが近づいてきている。人間大の大きさだ。エネルギーの感じで言うと、僕でも対処できるくらい。災害レベル鬼くらいかな?

 僕が戦闘に体勢に入るのとほぼ同時、そいつは現れた。

 

「ひゃはあっ! これは珍しい。お前等人間ってやつじゃねえのかぁ? 長老から聞いてるぜ。そこそこ美味えんだって、なあ!」

 

 ムカデのような身体に人間のおっさんの顔だけついた怪人。そいつは喋りながら、姉さんに突っ込んで行った。

 僕が戦おうとするが、姉さんは手で僕を制する。

 

「ふん!」

「うっ」

 

 姉さんの超能力で、怪人の動きがピタリと止まる。

 

「死にたくないのなら、そのまま巣に帰りなさい」

「ク、ク、クソガキがぁ!」

 

 怪人は暴れようとするが、超能力の方が強く、動けない。そして観念したように、力を抜いた。

 

「クソが! 覚えてやがれ!」

 

 姉さんが超能力を切ると、怪人は去っていった。

 

「トドメを刺さないの?」

 

 僕は姉さんに聞く。

 

「無益な殺生はしたくないわ」

「でもあいつ、姉さんのことを恨んでたよ」

「ここで恨まれるくらい、別に構わない」

 

 僕は父さん、兄さんの顔を伺う。当たり前だろ、みたいな雰囲気だ。弟子達は、僕と同じで怪訝な感じだ。

 そういうものなんだろうか? よく分からない。



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母よ

 森を進む僕達一向。中には怪人化した猫、犬、猿、がうろついており、僕達の隙を伺っている。しかし、手を出してこない。おそらく野生の観で、父さん兄さんの放つ強者のオーラに気付いているのだと思う。

 ふと、虫の飛ぶような音がした。蚊だ。蚊の大群が前方から襲ってくる。ただの蚊ではない。人間大の蚊の大群だ。

 

「珍しいな。こういうやつは見たことがなかった」

「超大陸の環境破壊が、こちらに影響したのか?」

 

 構える父さんと兄さん。だが、こちらに視線を向ける。僕や、弟子だけで切り抜けられる相手だと言いたいのだろう。やってやるさ。

 相手は思考能力のない蚊。本能ままに襲ってくる。戦うしかなかろう。

 

「ほい!」

 

 殴ると、蚊の身体が砕け散り、変な色の血が飛ぶ。やはり蚊だ。弱い。

 

「オラオラオラオラオラ!」

 

 僕は得意の連打で、次々と蚊を落としていく。

 

「はっ! やっ!」

「おりゃあ! せいっ!」

 

 弟子達も次々と蚊に攻撃していく。当たれば蚊は落ちるが、蚊は機動力に優れるので、当てられない弟子もいる。そして蚊に接近を許し、吸われてしまう。この大きさに吸われたら貧血間違いなしだろう。

 

「しまっ」

「ほい!」

 

 僕は急いで移動し、蚊を潰す。他の弟子達も見て、危ない子から助けていく。

 少し打ちもらしも出るが、姉さんが超能力でカバー。

 しばらくすると、蚊は風に乗ってどこかへ飛んでいった。

 

「大丈夫ですか? 皆さん」

 

 僕は当たりを見回す。血を流している人はいるが、苦しんでいる人はいない。貧血になるほど吸われた人はいなさそうだ。

 

「くぅー。あんな低レベルな怪人にやられるなんてー」

「クソッ。俺のストレートが当たりさえすれば」

「気を落とさないでください。一匹一匹は弱くても、あの大群なら災害レベル鬼はあると思いますよ」

 

 ないかもしれないけどね。

 

「で、ですよね! 鬼か。じゃあ仕方ないかな」

「私が弱いわけじゃ、ないよね」

 

 慰めたらすぐ調子に乗る。いいのかな? これ。

 さらに歩くと、今度は強い9つの気配が現れた。ミノタウロスのような、半身だけ虎の怪人。言うなれば半身タイガース。頭にはヘルメット。腕にはバット。

 

「ここがチバやと分かって来とんのか? ワレ?」

「あれよ。地元なら負けるわけあらへんよ」

「おそよう、チュッ。かわいい7人食べちゃいたい」

 

 よく分からないふざけた口調だが、こいつらはヤバい。1人1人が災害レベル鬼クラス。僕でも勝てるか分からないのに、それが9人。父さんと兄さんに任せるしかないだろう。

 

「初めて見る怪人だな。よそ者か?」

「こいつらが先程の蚊を連れてきたのかもしれないな」

 

 構える父さんと兄さん。この2人はまだ余裕だ。だが、僕にはあまり余裕はない。この2人が打ちもらして、誰かがこちらに攻撃してくると、命をかける必要が出てくる。

 一触即発の空気。敵もこちらの実力を感じたようでうかつに仕掛けて来ない。だが不意に、一匹の虎が動いた。

 

「セイバーメトリクスの基本や! 弱いやつから潰す!」

 

 やつの狙いは最年少の弟子、13歳のオトトだった。虎だけにしなやかな動きで、とても速い。僕は弟子を庇おうと前に出るが、変則的な動きを捉えきれない。

 

「もらったで。ホームランや!」

 

 敵はバットをぶん回し、弟子の1人を襲う。が、当たる直前に突然ぶっ飛んだ。彼が吹き飛ぶ直前にいた場所のすぐ傍では、兄が拳を突き出していた。気付かないうちに攻撃していたのだろう。

 

「ア、アライさんがホームラン打たれてどないすんねん!」

 

 動揺する敵。兄は拳を出して睨みつける。

 

「何やあの兄はん。ちょっとおかしいんちゃうか?」

「ドーピングしとるんやろ。アホらし」

「やってられへんわ。帰ろ帰ろ」

「アライが悪い」

「負ける気しとったわ。チバやし」

「でもこれじゃあ邪異暗痛戦のメンバー足りんがな。どないするの?」

「アライの弟がおるやん」

「期待の若手やな」

 

 敵は、よく分からないことを口にしながら、去っていく。兄は追おうとしない。やはり、兄も怪人にトドメを刺さないのか。あれほど強い怪人なのに。恨まれてもう一度襲われたら、その時に僕だけならば死んでしまうかもしれないのに。

 僕達の安全よりも、怪人の命の方が大事なのだろうか。よく分からなくなってしまった。

 

 その後も、人間大のねずみ、アヒル、犬、バットを振るうクマ、ブタ、犬、剣を使う猛獣なんかに襲われたが、何とか切り抜けることができた。さすがに暗黒大陸、災害レベル鬼を超える怪獣の宝庫。僕だけなら100回以上死んでいたことだろう。兄さんにもさすがに疲労が見える。だが、父さんだけは余裕の表情だった。

 

 そうして、ようやく目的地に辿り着く。森の奥に、美しい湖があった。その湖はとても澄んでいて、怪人化されていない超大陸で見かけるような動植物もあった。何故ここだけは怪人に襲われないのか。水場は強者のたまり場のはず。その理由は簡単だ。この湖を覆うようにバリアーが張られている。それをやった、強者がいる。

 

 父さんは目で、僕にそのバリアーに触れるように促す。何故僕? 大丈夫なんだろうか。まあ、たぶん父さんの知り合いなんだろうけど。

 そっとバリアーに触れる。ちょっとだけ痛みを感じたが、すぐにバリアーに穴が開き、僕は中に招かれる。そして、不思議なオーラに包まれた。

 

「これは、何? 懐かしい感じがする」

 

 このオーラの持ち主は、湖の中にいる。とても大きな力だけど、恐怖はない。僕に対する敵意を微塵も感じない。むしろ、守られているような……。

 

「顔を見せないのか?」

 

 父さんが湖に向かって言う。

 

「まだ恥ずかしい」

 

 湖から、女性の声がした。やはり懐かしい感じがする。聞いたことがある気がする声だ。

 

「気にすることはない。そんなものは既に乗り越えている。もう15歳になったんだ。私の真似か知らないが、ヒーローの真似事もしている」

 

 父さんが湖に話しかける。女性から返事はない。しかし気配が乱れている感じがする。姿を見せるかどうか、迷っているのだろう。

 しばらくすると、決心がついたのか、オーラが定まった。そして、水面が動く。これは、大きいな。

 

 湖から出たのは、とても大きな怪人だった。20m近くあるだろうか。一見すると人魚のようなだが、髪が蛇のようだったりヒレがコウモリのようだったり、色んな怪人が混ざっている。いや、父さんの言い方を真似るなら怪人ではないのだろう。そういう生物であるだけだ。オーラは穏やかであり、こちらに敵対する意志は感じられない。

 この怪人の見た目、見たことのある顔だ。というか僕の母そっくりだ。だが、これは作り物だ。超能力で本物の姿を隠している。証拠に肌がボロボロと崩れて、中から蛇のような皮膚が見える。

 

「どうして、母さんのような見た目をしているのですか?」

 

 彼女は、一瞬泣きそうな顔になった。まさか、と思った。彼女は、僕にそっと手を伸ばし、指で包み込んだ。

 

「私があなたの、母だからよ」

 

 そうなのか。そうなのだろう。このオーラ、声、雰囲気。確かに母さんのものだ。僕は、母さんは10年前に行方不明になったと聞かされていた。どこかで生きていると思いながらも、ずっと戻らないから、死んでしまったと諦めていた。だけど父さんが濁すから、生きている可能性もあるかもしれないとも思っていた。

 それが、実は、怪人化してこんな所に隠れていたとは。たぶん、あの日、怪人化して町に住めなくなったから、暗黒大陸に移住したのだろう。



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